After La+ ジュピトリス・コンフリクト (放置アフロ)
しおりを挟む

プレリュード・コンフリクト

今話の登場人物

マリア・アーシタ
 20歳?(生年月日不明)オレンジがかった栗色のショートボブと蒼い瞳。
 第一次ネオ・ジオン戦争時、ネオ・ジオンのMSパイロットにして、人工ニュータイプ(強化人間)。多重人格ぎみ。
 UC90年、木星船団所属の《ジュピトリスⅡ》にキアーラ(後述)と共に亡命。
 今はブッホ・セキュリティ・サービス(BSS社)のパイロット。
 
キアーラ・ドルチェ
 19歳。茶がかった金髪のクールショートとエメラルドグリーンの瞳。
 第一次ネオ・ジオン戦争終結時まで、ある人物の影武者を演じる。
 地球連邦とアクシズ残党から逃れるため、《ジュピトリスⅡ》へ亡命。
 現在は《ジュピトリスⅡ》の二等航宙士。





『目を覚まして、・・・・。

 君を待っていた。君だけをずっと待っていた。さあ、早く。

 僕の妹。僕だけの・・・・』

 

 名前を呼ぶ声が聞こえる。

 忘れかけていた名前。

 ずっと昔に私を認識する数字として与えられた名前。

 そして、少し昔に自分から捨ててしまった名前。

 その声に呼応するかのように、目をおおっていた白い霧がはれていき、視界がひらけた。

 薄暗く殺風景な実験研究室で私は人間がすっぽりと収まる、透明カプセルに生まれたままの姿で横たわっていた。

 見回すと、部屋には同じカプセルが一定間隔でいくつも置かれ、さながら棺が整然と列んでいるように見えた。

 

(これは、一体なに・・・?)

 

 得体の知れない不安の中で私はすぐ隣のカプセルの中身へ必死に目を凝らす。

 カプセルの内部は霜がかかったように曇り、うかがい知れなかったが、私の胸の中

の不安が、目をカプセルへと釘付けにし、他へと注意を移すことを許さなかった。

 

(見てはいけない)

 

 理性では分かっていても、目は動かない。体は動かない。

 突然。

 先ほど、視界がひらけたように、カプセル内部の霜が消えていき、中で横たわっているものが見えたとき、私は恐怖に叫ぶ。

 だが、声が出ない。

 そして、声が出ないことがさらなる恐怖を呼び、蒼い瞳から涙があふれ出る。

 隣のカプセルには、『私』が入っていた。いや、正確に表現するなら、私と同じ髪、同じ顔、同じ体を持った人間が入っていた。

 目をそらすことも、叫ぶこともできない恐怖に襲われ、体を硬くすくませながら、私は涙を流しつづけることしかできない。

 

 その時。

 地平から立ち昇る朝日のような、暖色の光が部屋の薄暗さを、恐怖を、すべてを打ち負かし消し去った。

 光はどんどんと強くなり、夏の真昼の陽光のようなきらめきとなって、美しい青年の金髪を具現した。

 かつてのネオ・ジオン軍の士官制服を着た青年。

 しかし、光が強すぎて、青年の顔が輪郭だけしか見えない。

 それでも。

 それだけでも、彼が先ほど私の名前を呼んでくれた、その人であることを理解した。

 そして、私は胸奥深くから、マグマのように吹き上げる熱い感動と想いにとらわれた。

 蒼い瞳からは先ほどとはまったく違う涙が、大粒となってあふれ出る。

 

(会いたかった。会いたかったよ)

 

 ずっと迷子になっていた幼児が、家族と再会できたような・・・、そんな涙声になってしまった。私は両手を伸ばし、青年を迎える。

 彼もそれに応え、両腕を私の背中に回して、引き寄せ抱きしめてくれた。

 むき出しの乳房も淡いピンク色の乳首も、青年の優しさとたくましさを秘めた胸に押しつけられた。

 私のオレンジがかった栗色の髪へ息を吹きかけながら、ささやく。

 

『僕も会いたかったよ、・・・・。

 さあ、行こう。新しい世界へ。

 痛みも、哀しみも、争いもない世界へ!』

 

 そして、私はとうとう絶頂する。

 

(好きだよ、・・・・)

 

 私も青年の背中に両腕を回し、彼と、世界とひとつになろうとしていた。

 だが、私がつかんだものは、何も無かった。

 

 

 薄暗い部屋であることは、今さっき見た夢の中の実験研究室と同じであるが、私にはここがマリア・アーシタの部屋ーつまりは自室ーで見上げているのは、ベッドから見た、何の変わりもない、見慣れた天井だということを理解した。

 自動調光により、起床時間になれば明かりが付くように設定しているのだし、部屋の暗さからいっても、まだ大分早い時間らしい。

 横たわった私はむき出しの肩を自分の両手で抱きしめていた。

 そして、順を追って理解してゆくうちに、その胸には先ほど味わった、恍惚ともいえる感動、情熱が少しずつ、そして確実に虚無に食べられてゆくのがわかった。

 最後に残ったものは「何も無い」という感情だけ。

 両肩を抱いていた腕の交差を解き、指で目尻を拭うとそこははっきりと濡れていた。

 

(また、この夢か・・・)

 

 一体、いく晩、この夢に枕を濡らしたことだろう。

 

(もう、あれから何年過ぎたのだろう・・・)

 

 あの時、少女、ーというよりは子供だった私は、今はもう成熟した女になっていた。

 

 あの戦争の末期、私は人工的な眠り、コールドスリープから覚醒をした。

 第一次ネオ・ジオン戦争。

 アクシズの台頭。その君主ミネバ・ラオ・ザビと摂政ハマーン・カーン。ザビ家の再興。ダブリンへのコロニー落とし、真なるネオ・ジオンを掲げた内紛、かつての戦友同士の同族殺し。

 そして終戦。

 私もあの戦争の中で何人もの人間を殺し、また殺さなければ、自分が殺されていた。

 だから、殺した。それは、生物の生存競争という原理の中で至極当然のことである。

 強いものが生き、弱いものが死ぬ。

 

(それじゃ、あの人も弱かったから死んでしまったのだろうか・・・)

 

 物憂げに天井を見上げていた私は、一転、寝返りをうち、横向きになって自分の右手を眺めた。

 その手のひらを開いて閉じる。モビルスーツのコクピットではその動作だけで、人がビームに貫かれ、大質量の銃弾に潰され、肉体は高温で蒸発、あるいは宇宙に投げ出され、あるいはバラバラに四散し、死んでいった。

 私は夢の中で見た金髪の青年のことを思った。

 あの戦いへといざない、絶対者として私を支配し、私のすべてであったその人。

 彼もまた、あの戦いの中で星になってしまった。私も最後の戦闘で大きな傷を負い、生死の淵をさまようことになった。

 仲間を失い、主人を失い、戦う意義を失った。それでも、私は生きていた。

 現世へと戻ってきたとき、私の命の恩人、私の看護をしてくれた女性がかけてくれた言葉が思い出される。

 

『人はね、ひとりだけでは生きていけない。でもね、世界はいつでも開かれているの。

 あなたは自分がたったひとりで、この広い世界にいるように思っているようだけど、本当はね、あなたの周りにはたくさんのあなたのことを気にかけて、思って、心配してくれる人がいるのよ』

 

『あなたは強い。ひとりで戦いの場を切り抜け、生き延びてこれたくらい。

 でもまだ弱い。あなたはまだ自分の血や過去に縛られている。

 強くなりなさい。他人に優しくできるように。

 そして、他人の優しさが受け入れられるように』

 

 彼女もあの青年と同じように美しい金髪をしていた。

 

(セイラさん・・・。私は少しは強くなったのか・・・?

 それとも、・・・)

 

 その時、感傷の心の中にざらついた感覚が入り込んできた。

 

(なんだ・・・この感じ・・・)

 

 肌があわ立ち、栗色の髪の付け根が熱くなってくる。

 

(敵っ!?)

 

 

 無重力下の貨物区画。

 巨大なコンテナがワイヤーロープやフックで固定され積み上げられたその光景は、どこまでも続く中世ヨーロッパの城壁のようであった。

 その壁の間に設けられた隙間ー通常通路として使用されているーをノーマルスーツが泳ぐように進んでいた。

 薄暗い空間を行くそれは、海底の深海魚を思わせた。

 キアーラ・ドルチェ、ーそのノーマルスーツを着た女性ーは周囲の空間と同じぐらい静かで、穏やかな、そしてどこまでも闇に沈んだ気持ちの中、第23集積所へと向かっていた。

 

(いっそこの真っ黒がいつまでも、どこまでも続いていたらいいのに・・・)

 

 床と天井を照らすほのかな電灯がヘルメットの中の彼女の瞳に反射する。それは本来美しいエメラルドグリーンであるはずなのに、濁って何も映し出していなかった。

 やがて目指す目的地、第23コンテナ集積所に到着した。

 うずたかく積まれたコンテナ群とは別に、他とは一回りも二回りも小さいコンテナが3個、平積みされていた。

 

(そう、・・・ちょうどモビルスーツで運べるサイズなのね)

 

 キアーラはこの計画者の緻密なことに嘆息する。

 

(私にもこんな器用さがあったら、彼女に気付いてもらえたのかしら・・・)

 

 そして、自嘲気味に彼女は笑った。

 

(違うわね。これは【器用さ】ではなく、処世のための【したたかさ】ね・・・)

 

 ノーマルスーツの右腕手首の表示時刻を確認する。まだ会合には間がある。

 キアーラはコンテナの積載リストを確認するようなつもりで、意識を中身へと集中させていく。

 彼女の意識はコンテナの鉄板をX線のようにくぐり抜け、その向こうに何重にも強固に隔壁・密閉された【それ】へと到達する。

 

(もしも)

 

 さらにキアーラは一つのコンテナに意識を集中する。人間が収まるほどの隔壁容器。

 その向こうに彼女は先尖りの爆弾とも弾頭とも見えるシルエットを認めた。

 

(もしも、この中に悪魔がいるのだとしたら・・・)

 

 そのシルエットの暗さは周囲の闇を引き込んでなお一層、沈んでいた。

 

(私のことをなんて嗤うのだろう・・・)

 

 

 ふいに起きた物音に、キアーラは我に返る。まだ約束の時間ではない。

 振り向くと、そこに10歳ぐらいの黒髪ショートボブ、ジーンズのオーバーオールを着た少女が漂っていた。

 

「お姉ちゃん、何してるの?」

 

 空気があるのにノーマルスーツとヘルメットを着ていることが不思議なのか、あるいは親しい者が似つかわしくない時間と場所にいることが可笑しいのか、少女が小首をかしげて尋ねた。

 

「エイダ!?」

 

 キアーラは驚きと共にすぐに、エイダと呼んだ少女の方へ泳ぎ、その両肩を掴んだが、その先の言葉が出てこなかった。

 10歳の少女相手とは言え、これから言おうとしていることは、どんなに取り繕っても言い訳や嘘でしかない。

 

「どうしたの?」

 

 少女エイダはその小さな眉根にしわを寄せてさらに問うた。

 キアーラの頭の中を数多くの背信の弁明が駆け抜けていったが、いずれも利発なこの少女の前には何を言っても無駄であると、結局は諦めた。

 

「なんでもないわ、エイダ。ここにいてはいけない。部屋に戻りなさい」

「どうして?」

 

 キアーラの強く咎めるような口調に、東洋と西洋の血が入り混じった精緻な作りの少女の顔は、恐れの色を浮かべながらも諦めない。

 

「なんでもよ!早く行きなさい」

 

 少女の肩を揺らして、畳み掛けるようにキアーラが言う。

 

「イヤよ!」

 

 嫌々をする幼児のように、体をよじってキアーラの捕縛を逃れた少女は強い抵抗の視線をキアーラへ向けた。

 

「どうして、お姉ちゃんノーマルスーツなんか着てるの?」

 

 キアーラはエイダの瞳を見ながらも、それに答えられない。ヘルメットバイザーごしのエメラルドグリーンの中に少女は危険な光があることを、見破った。

 

「何か変よ。おかしいよ・・・。お姉ちゃん、怖いことしようとしてる」

 

 どきっ、とキアーラの心臓の鼓動が高鳴った。予感ではなく、確信の口ぶり。

 

(この子、勘が強い子だと思っていたけど)

 

 少女の眼光は今や針の鋭さを持って、注がれていた。キアーラの脳の奥深く海馬に向けて、少女の強い思惟が潜り込もうとしていた。

 少女の意図を察知したキアーラは慌てて心を閉ざし、予防線を張った。

 

(もしかして、・・・・・・)

 

 

 その時、新たな闖入者が状況を一変させた。

 コンテナの影から現れた10ほどの人型のシルエット。半分が真っ黒いノーマルスーツ、もう半分も同じく黒の目出し帽とタクティカルベストに身を包んでいた。

 エイダが身をこわばらせる。彼らが手にしている無反動ライフルが目に入ったのだ。

 

「逃げて、エイダ!」

 

 キアーラの叫び声が、呼び水となってエイダの恐怖の呪縛を解く。

少女が背を向けコンテナの陰へ逃げ込もうとしたが、それより一瞬早く、ライフルが火を噴いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ジュピトリスのパイロット

今話の登場人物

イイヅカ
 日系の中年男性。短髪でM字禿頭。
 BSS社に所属する《ジュピトリスⅡ》艦載MSの整備長。
 愛銃は、ソウドオフ・スライドアクション散弾銃。
 エロオヤジ。


 

 ざらついた感覚が入り込んできた直後のことだった。

 艦内の緊急警報サイレンと、急を告げる自室受話器の電子音が同時に鳴り響いた。ベットから跳ね起き、出入り口ドア近くの壁の受話器へ走る。

 

「こちらマリア。敵襲か?」

『士長!おやすみのとこっ、申し訳ありませっ。はいっ、第23コンテナ集積所が何者かに奇襲されましたっ!』

 

 部下のオリヴァーであったが、彼の声音はかつてないほど緊迫しており、おかしな語尾になっていた。

 

「23!?そんな内部で?」

 

 右手で受話器の向こうに応答しながら、左手はドア横に置かれた赤黒基調のノーマルスーツ(上下ツナギタイプの宇宙戦闘服)をつかむ。

 こういった緊急事態を想定して、部屋にはノーマルスーツが2セット、すぐに着用できる状態で常備してあった。

 さらには、下着姿で就寝しているので、脱衣する手間も無い。右手が使えないことを呪い、何とかノーマルスーツに下半身をねじ込みながら、頭は状況を素早く理解しようする。

 私が今いるここは、全長2kmにも及ぶ巨大資源採取艦《ジュピトリスⅡ》。その艦内深くに不意打ちの攻撃を受けるということは、

 

「モビルスーツ・・・じゃない!?潜入工作!?」

『ハイッ!現在、第1、第2小隊が敵と白兵戦を展開中。押されてます!手の空いてい

る者はすべて鎮圧に向かえとのことです!』

 

(やってくれたな・・・)

 

 私は奥歯を噛み締めた。オリヴァーはとにかく、すぐに増援が欲しいといわんばかりの焦りぶりだ。

 受話器の向こうで口角泡を飛ばしているのが、容易に想像できた。

 

「分かった。白兵の方はそっちで何とかしろ!私はモビルスーツを出す!」

『はっ!りょうか・・・はいっ!?えっ、モビ・・・!?士長の機体は整備中で・・・』

 

 私は受話器を壁に叩きつけると、側面に『P2』とマーキングされたフルフェイスヘルメットをつかみ、ドアを飛び出した。

 廊下を全力で駆け抜けながら、片腕をノーマルスーツに通そうとするが、途中で引っかかって上手くいかない。

 

(胸がきつい。やっぱりもう着れない。小さくなってる。作り直しておけばよかった・・・)

 

 上半身のノーマルスーツを不格好にバタつかせて、風のように走る半裸姿の私は、慌てふためく多くの整備員、無反動ライフルを抱えた警備員の間を駆け抜けていった。

 

 低重力下の居住区画から、無重力区画へ移動する円筒エレベーターの中で、私はようやくノーマルスーツを着終え、栗毛のショートボブをヘルメットの内に押し込んだ。

 イアホンのスイッチをオンにすると、次々と緊迫した艦内無線が飛び込んできた。

 時々雑音が混じるのは、電波を妨害させるために散布されたミノフスキー粒子の濃度が高くなったためだろうが、艦内であれば、無線による通話もそれほど問題ではない。

 

『こちら、第8区画。・・・負傷した!!衛生早く来てくれ!!」

『上のキャットウォークから制圧射撃!!』

『敵は複数のコンテナを奪って、係留ドックDから逃走しようとしている模様!!』

 

 最後の無線から察するに、敵はすでに撤退行動に移っているようだ。

 

(味方が押されてる、と言ってたが、反撃が上手くいっているのか、もしくは敵が目的を済ましてしまったのか?)

 

 エレベーターの中で戦況を予測しながらいた私は、無重力区画へ近づくにつれ、体が軽くなり、マグネットブーツの靴底が床から浮かび上がるのを感じた。

 目的のフロアに達すると、短い電子音を響かせて、ドアがするりと開いた。

 目出し帽にタクティカルベスト。その手には無反動ライフル。全身黒ずくめ2人が私の目前に立っていた。

 

(敵っ!!)

 

 反応は私の方が早かった。

 競泳選手のように壁を蹴って、左の敵のみぞおちへ頭から突っ込む。

 

「ぐぇっ!」

 

 ヘルメットに強打されカエルを潰したような、肺から空気を押し出された悲鳴を上げるが、かまわず、そいつの股間に右膝を叩き込む。

 何かがつぶれるような奇妙な感触。今度は悲鳴を上げることもできなかったようだ。

 だが、無重力下で無理な体勢から膝蹴りを打ったため、バランスを崩して、倒した敵と体位が入れ替わった。

 もうひとりは慌てて腰にかまえていたライフルを頬付けしようとするが、実戦経験が浅いのかまるでなっていない。

 構えが甘いままフルオート射撃で撃ち出した弾丸のほとんどが虚しく壁に着弾し、私に向かってきた数発も運良く入れ替わった敵の体が盾になり、人体に穴が空く鈍い不気味な音を立てただけに終始した。

 わずか3秒で全弾撃ち尽くした敵は、新しい弾倉を交換しようと、ベストのポケットをまさぐっているが、焦りからか、出した弾倉を取り損ねていた。

 私は倒した敵からライフルを奪うと、冷静に状況を考えて次の一手を導き出す。

 死体となった敵の肩にライフル前部を依託し、焦るもうひとりの敵、その正中線に銃口をポイントする。

 強く銃床を頬付けしようとしたが、うまくいかなかった。私はヘルメットを被っていたことを思い出した。

 

(ま、いいか・・・)

 

 トリガーガードの外に出していた人差し指をトリガーに掛け、第一関節が堅い感触を引っ掛けた。

 その時には、私は敵の心臓を捉えていた。引き絞る。

 断続的な銃声。

 指切り射撃で狙点をずらしながら撃ち、弾丸は敵の心臓と脳を完全に破壊し、即死だった。

 2つの死体は廊下に力なく漂った。

 

(10秒ぐらいロスしたか・・・)

 

 私は壁のレールに設置されたリフトグリップを掴み、油断なく進行方向にライフルをポイントしながら、目指すモビルスーツ格納庫ー通称MSデッキーへと向かった。

 

 

「本当に私のモビルスーツは整備中なのか!?どうして・・・」

 

 MSデッキに到着早々、絶句した私はモビルスーツを見下ろす位置に設置された通路の手すりから身を乗り出して、奥に格納され無情にも、

 

【KEEP OUT 整備中 電源注意!】

 

 のサインが施された愛機を見た。先ほど自室で受話器を叩きつける直前に部下が発した言葉が事実だと知って、私は正直落胆もしたが、少なからず驚きもした。

 

(来週の整備予定だったはずなのに、なぜ・・・?)

 

 形の良い唇を尖らせ、思案する。

 不信の中で、モビルスーツの足元を行き交う整備員の中に薄汚い作業つなぎを着た見知った人物を見つけ、私は声をかけた。

 

「イイヅカ整備長。なぜ私の機体が整備中なんだ?そんな命令は・・・」

「ところが、出てるんだよ、そんな訳の分からん命令がっ!」

 

 こちらを見上げて、イイヅカは怒鳴り返す。

 目が針のように細い。短髪はM字形状に頭頂に向けて薄くなっているあたり、中年を思わせたが私にはアジア系の年齢の区別がつかない。

 ただ、いつもは工具の類や端末を持ち歩いているが、今は右肩に古めかしいスライド・アクションのショットガンを担いでいた。

 

「お前のモグラは動かないよ」

 

 苛立たしげにイイヅカが続ける。

 私はもう一度濃紺に塗られた愛機の方を見やった。

 ずんぐりむっくりの丸みを帯びたそのフォルムは明らかにジオン由来のモビルスーツであるが、人型と表現するには私の機体は少々逸脱しており、イイヅカがモグラと表現するのも無理はない。

 型式番号AMXー004ー04。その4番目に作られた機体は《ジュピトリスⅡ》内の工廠で改修され、クルーは《キュベレイMkーⅡ改》と呼称していた。

 モグラのとがった鼻先とヤギの頭蓋骨をかけ合わせたような独特の細長い頭部。

 両肩から前後左右に展開する4枚の羽根ーバインダーとも呼ばれるそれは、オリジナルのものよりも大型で推力を強化した仕様になっていたー。

 スズメバチの尾部を連想させる巨大なリア・アーマー兼武装キャリア。

 四肢があることが辛うじて人型を思わせる唯一の点であった。

 不可解な整備命令のことについて詳しく問いただしている余裕はなかった。

 

「どれが使える?」

 

 階下のイイヅカに再度問いかけると、イイヅカは無言で左手をサムアップし、壁際を指した。

 愛機と異なり、直線的なフォルムが3機。完全な人型。そして、《キュベレイ》同様、濃紺一色の宇宙迷彩塗装。

 RGMー79R・《ジムⅡ》。

 20年近く前の地球連邦軍の主力機、RGMー79を改修した機体ですでに第一線から退役しているが、巡り巡って木星圏の《ジュピトリスⅡ》で警備用として使われていた。

 艦内の工廠で交換部品の製造が可能なため、耐用年数を伸ばしてきてるが、いかんせん昨今のMS戦では戦力としてはまったく心許ない。

 

『・・・敵モビルスーツ発見!!デブリにまぎれて、《ジュピトリス》の側面に・・・』

(やはり来たか)

 

 対空監視要員の無線に当然と思いながらも、迷っている時間はなかった。

 手すりに靴底をかけ、《ジム》の方へ蹴り出す。ぴんと伸びた体幹の姿は、見る者に泳ぐイルカを連想させるほど美しかった。

 ふと気がつくと、下のイイヅカもこちらを見上げて目で追っていた。いつも細い目が心なしか、さらに細められているように見えた。

 およそ15メートルほどの無重力遊泳を終え、胴体部のコクピットへ滑り込む。右手の無反動ライフルは邪魔になるので、弾倉、薬室の一発を抜いた上、直前で投げ捨てた。

 コンソールパネルに指を走らせ、モビルスーツの熱核反応炉に火を入れてゆく。

 ところが、

 

「エ、エラーメッセージ!?起動失敗?」

 

 普段使い慣れたネオ・ジオン系MSでなく、しかもかなり古い機体であるからOSの様式も大分違うらしい。

 

「どうした、なにやってる?」

 

 開いたコクピットハッチの向こうからイイヅカが顔を出した。様子がおかしいので上ってきたらしい。

 

「起動が上手くいかない。《キュベレイ》と違うから・・・」

「たくっ!これはな、ー」

 

 短い文句を言いながらも、イイヅカはさらに身を乗り出して、狭いコクピットに上半身を入れてきて、彼の方からは逆向きになってるメインパネルのコマンドを器用にタッチしていった。

 【起動開始】のメッセージがすぐに点滅し、コクピット内に静かな低音が響き始めた。

 《ジム》が目覚めようとしていた。

 

「なあ」

 

 イイヅカがハッチの上端を片手でつかんで、私を見上げるように立っていた。

 

「な、なんだ?」

 

 少し間があるほどこちらを見つめていたイイヅカだが、突然息がかかるほど顔を近づけ、私の蒼い瞳をのぞき込んだ。

 

「いやしかし、・・・そのノーマルスーツは反則だろ、常識的に」

「え・・・?」

 

 顔を離したイイヅカの視線は、体のラインがはっきりと浮き出た私のノーマルスーツー胸のふくらみや細い腰の辺りーをうろうろしていた。鼻の下が伸びきっている。

 

 ごっ!

 

 すさまじい勢いでイイズカに蹴りを入れた私は、さっさとコクピットハッチを閉じ、全天周モニターに切り替える。

 見れば、イイヅカは縦回転しながら、反対の壁際まで流されていった。下品な整備員たちの笑いが合唱しているようだった。

 顎につま先を叩き込むこともできたが、腹に前蹴りを入れるだけにしておいた。

 

「まったく!!男ってどうして、どうしようもない変態ばっかり!やってることがいちいちやらしいんだよっ!!」

 

 私の口は文句を並べながらも、手足はMSの操作を忘れず、壁際に設置された巨人サイズのMS用武装ハンガーからビームライフルを選択すると、自動プログラムで右マニピュレータに装備させる。左には巨大なシールドが装備済みだ。

 《ジムⅡ》の操縦が昂っていた気持ちを少しずつ静めていく。

 

(そうだ、マリア)

 

 私はしばし目を閉じ、精神を集中させる。

 

(今は思うことがあっても、状況のひとつに徹しろ)

 

 この《ジュピトリス》を守れる者は私しかいない。私の帰れる唯一の家たる《ジュピトリス》。

 

(ここが・・・私のいる場所・・・)

 

 私は再び、蒼い瞳を開き、CIC(戦闘指揮所)との回線をつなぐ。

 

「こちらアーシタ士長。応答されたし」

『・・・こちらCIC。どうぞ』

「《ジムⅡ》で外のモビルスーツを迎撃する。出撃許可求む」

『了解。出撃を許可する。ゲートオープン。作業員は直ちに・・・』

 

 MSデッキ天井近くの【AIR】の電光掲示板がゆっくりと赤く点滅していた。

 

『出るぞ!ノーマルスーツを着てない者は、すぐに内側へ退避しろ』

 

 私が《ジム》の外部スピーカーで注意を促すころには、掲示板の赤い点滅はさらに速くなり、イイヅカを始めとする整備員はエアロックの内側へと消えていった。

 イイヅカはまだ腹を押さえながら、不格好な小走りだった。

 その姿を見て、私はまたイライラとして、ちっ、と軽く舌打ちした。

 

「マリア・アーシタ、《ジムⅡ》、出る!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宇宙のマリア

 宇宙に上がった私は、すぐに自機の《ジム》と《ジュピトリス》をレーザーコンタクトして現在地を知らせると、他の機影を求めて、全天周モニターに目を凝らす。

 

「そもそも敵にこうも簡単に侵入されるなんて。哨戒の連中は何をボヤボヤしていたんだ・・・」

 

 思わず、私は愚痴をこぼす。モニターにも、各種センサーにも味方機の示す表示は確認できなかった。

 

(この感じは・・・嫌な感じだ・・・)

 

 フットペダルを踏み、背中のメインスラスター吹かす。艦尾から出撃した私は、鮮やかな弧を描いて、反転すると、《ジュピトリス》の外壁すれすれを艦首に向けて飛ぶ。

 全長2km、まるで小型のスペースコロニーのような《ジュピトリス》の巨体が全天周モニターの右半分に流れるように映し出され、後方に消えた。

 

(いない・・・)

 

 敵も味方も感じられなかった。

 再度、機体を反転させ、今度は先ほどと反対側ー火星側の舷側を飛ばす。

 

(しかし、この機体。火力もないし、航続距離も不安だ。母艦を叩くのは無理か)

 

 私には敵がモビルスーツで来ている予感があったし、モビルスーツがいれば宇宙艦船がいることは必然と思えた。

 蒼い瞳は油断なく、全天周モニターに映し出された《ジュピトリス》の甲板や柱、ヘリウムタンクの影、またモニター左側の暗い宇宙を探りながら、考えを巡らせた。

 

(なら、敵のモビルスーツの1機でも捕まえる)

 

 と、思っていると、流れていくモニター下方、《ジュピトリス》の中間翼の端で微かに動くものー黒いそれはモビルスーツの火器の銃口だーを私は捉えた。

 

「見えてるんだよ!」

 

 刹那、私は《ジム》に半宙返りと、重心移動を利用したAMBAC機動で方向転換すると、フットペダルを床まで踏み込んだ。

 背部メインスラスターの4つのベクタードノズルの傘が大きくなり、そこから巨大な蒼い炎の花を咲かせる。

 瞬間、すさまじい加速Gに体はリニア・シートに押し付けられ、頬の肉がヘルメットの中で後ろに引っ張られているのを感じる。

 見る見るうちに《ジュピトリス》の翼端が迫ってきた。

 

(しかしこの程度の加速か。ノーマルスーツを着るほどでもないな)

 

 まだ、私には大分余裕があった。

 《ジム》の姿勢を引き起こすと、メインスラスターと姿勢制御バーニアもできうる限り使って、急制動をかける。

 翼端から上をうかがっていた緑の巨人、《ギラ・ドーガ》は目前に突如急降下してきた濃紺の人型シルエットに棒立ちだった。

 

(かくれんぼはこれまでだな・・・落ちろ)

 

 呟きながら、私は頭部バルカン砲のトリガーを絞る。

 初弾が《ギラ・ドーガ》の頭部モノアイを保護していた、バイザーに命中しひびを入れると、近傍に弾着した次弾がそれを撃ち砕く。

 続く一連射で頭部は小爆発を起し、一瞬でジャンクと化す。

 完全には減速し切れなかった《ジム》の機体が下方に流れされそうになるのを、姿勢制御バーニアを巧みに使い、《ギラ・ドーガ》の側面に回り込ませながら、同時にバルカンの狙点を次々と移していく。

 頭から、火器を持った右マニピュレータの先・手首、シールドを装備していない左肩関節部、腰の動力パイプ。

 旋回機動を行いながら、どれも、一連射で破壊していく様子は、まるでマシーンがモビルスーツを動かしてように正確無比、なんの躊躇も感じられなかった。

 少し流れて、《ギラ・ドーガ》から離れた機体を戻し、トドメとばかりに、バルカンの残弾を脚部付け根に叩き込む。

 真っ直ぐに伸びた曳光弾の赤い火線は、腰から大腿部を覆う装甲に当たり、激しい火花を上げるが、ついに耐えきれなくなり、左脚がちぎれていった。

 

【OVERHEAT MAG EMPTY】

 

 銃身加熱と弾切れの表示に私は軽く舌打ちする。

 

(ほんとに弾数少ないんだな)

 

 すでに《ギラ・ドーガ》は火器を失い、左腕・脚がちぎれ、断面から漂う乳白色の冷却液と褐色のオイルまみれの姿は、さながら血まみれの兵士のようであった。

 反撃の危険は少ないが、それでも用心深く半死の《ギラ・ドーガ》にビームライフルを向けながら、ー実際にはこれほどの至近距離で《ジュピトリス》側面の《ギラ・ドーガ》へ発砲することなどできないのだがー、コクピットの私は静かに、目を閉じ、意識を周囲の空間へ飛ばす。

 一瞬にして、私の意識が遊離体となってコクピットを跳躍し、《ジュピトリス》よりも大きくなり、無限とも言えるほど放射状に広がっていった。

 そして、逃げる数機のMSの背とそのマニピュレータがつかんだ貨物コンテナという、断片的なイメージが形成された。

 再び、目を開けセンサーディスプレイを見る。周囲の空間には小岩石やデブリなどの宇宙ゴミが多く漂い、センサーに光点として表示されているが、先ほど感じたイメージと合致するような光点はないようだった。

 

(もうセンサーの有効半径外に逃げたか)

 

 もっとも、ミノフスキー粒子が高濃度下では電波を利用したセンサー機器類はすべて効果を半減あるいは用をなさなくなるので、まだ近くにいる可能性もないではなかったが・・・、

 

(かなり、希薄な感触だった。遠いな)

 

 《ギラ・ドーガ》に目を戻すと、残った右マニピュレータを無様に動かしていたが、手首から先が失われたそれがつかむものは何もなかった。

 右脚も残っているが、動力をやられたのかまったく動く気配はない。それは緑の甲虫が絶命間近の最後のもがきをしている姿を思わせた。

 ジムの左マニピュレータを《ギラ・ドーガ》に向け、通信用のワイヤーを飛ばし、接触回線を開き、

 

「投降しろ。命は助ける」

 

 私が呼びかけるとすぐにコクピットハッチが開き、両手を上げたパイロットが出てきた。

 モビルスーツ同様ジオン系の古いノーマルスーツを着ている。

 

「お前の仲間のモビルスーツはどこだ?」

『もう逃げたよ』

 

 予測はしていたが、やはりそうらしい。

 

「われわれの哨戒機をどうした?落としたのか?」

『知らない。俺は何も見てない・・・』

 

 静かにフットペダルを踏み、擱座した《ギラ・ドーガ》の眼前に迫る。パイロットがたじろぐ様子が分かる。

 私はパイロットの手前数メートルで《ジム》を止めると、ビームライフルを離し、その巨大なマニピュレータで敵パイロットを掴もうとする。

 

『ーーーーー!!』

 

 何か叫ぼうとしたのだろうが、その悲鳴は声にもならなかったようだ。

 右の操縦桿をもう少し握れば、その人間は《ジム》の手に潰され、ただの宇宙を漂うゴミとなるが私はそうしなかった。

 ゆっくりと、《ジム》の手を広げると、敵は体を小刻みに震わせていた。

 

「私が尋問するんじゃない。だが、正直に話しておいた方が身のためだ」

 

 

 《ジュピトリス》に敵パイロットとモビルスーツの捕獲を報告すると、

 

『了解した。侵入した敵もほとんど排除した。貨物コンテナを1つないし複数奪取されたが、艦内の被害は軽微。残りの潜伏がいないか、捜索中・・・』

 

 相変わらず、ミノフスキー粒子の濃度が高いようだが、ともかく戦闘はほとんど終息した。

 人的被害は未だ不明だが、貨物コンテナがいくつか盗られた程度なら、奇襲を受けた側の身とすれば僥倖とも思える。

 私はコクピット内に確実に空気が充満し、かつエア漏れもないことを確認して、フルフェイスヘルメットを脱いだ。

 オレンジがかった栗色のショートボブがふわりと広がる。

 

(連中の襲撃の仕方、・・・妙だな。1個小隊程度で仕掛けて、急に退く。こっちの哨戒部隊は行方不明・・・。

 何なんだ、しかし、・・・?

 やっぱり、・・・少しきついな)

 

 ノーマルスーツのファスナーを胸元まで下げた。谷間に入り込む冷気が心地良い。

 ふと機体を反転させ、正面の暗い宇宙をぼんやりと眺めると、不意に私は動悸が高まってくるのを感じた。

 

(なんだ・・・この感じ・・・このざらつきは・・・)

 

 ショートボブだが両耳の前だけ伸ばしている横髪、その一束を無意識に私は右手でいじっていた。

 何か不安なこと、嫌なことがあったときによくやってしまう癖だ。

 ふと、私は思い出し、リニアシート後ろの小スペースに常備しているピルケースを取り出し、中のタブレットを一錠口に含み噛み砕いた。少し苦かった。

 私はこの時に、もう状況は始まっているんだ、と予感していたのかもしれない。

 

 

 【閑話休題・自己紹介】

 

「私のことを少し話そう」

「私、マリア・アーシタ士長はBSS社(ブッホ・セキュリティ・サービス)に所属する、木星圏資源採取艦《ジュピトリスⅡ》、その警備要員だ」

 

 宇宙開発をするには必要不可欠なヘリウム3。そのヘリウムを木星から採取し、地球に送り届けるのが《ジュピトリス》の仕事だ。

 今やヘリウムなしで宇宙生活はまったく成り立たない。

 そして、旧世紀、石油や天然ガスがそうであったように、利権が絡むところにはかならず争いも生じる。

 元々《ジュピトリス》は地球連邦軍傘下の組織「木星船団」が保有する輸送艦だが、連邦政府は独立を標榜するジオン公国と対立関係にあった。

 木星資源を独占的に掌握しようとする連邦政府だったが、宇宙世紀70年代にはすでに、木星船団に対するジオンのものと思われる輸送艦の行方不明、襲撃、拿捕が頻発していた。

 

「それで私たちのような護衛が必要になった」

 

 当初は正規軍である地球連邦軍が警備の中核をなしていたが、高度に政治的な配慮や運用コストの面から、現在はアウトソーシングとして、複合企業ブッホ社に警備を委託している。

 

「まぁ、その辺の難しい事情は私にはよくわからないが、・・・」

 

 政治的な配慮というのは、独占的なヘリウム3の掌握から木星船団が連邦内でも発言権を増している点や、いまだにはびこる地球に住む人々アースノイドの宇宙移民スペースノイドへの差別、そして木星船団護衛の連邦軍を私兵化される恐れがあるという警戒感などである。

 

「ともかく、私のような敗戦国の人間を雇ってくれているんだから、会社には感謝している」

 

 元はスペースデブリを回収するジャンク回収業者だが、時代の流れか、度重なる戦争がもたらす兵器の遺産がまさに『濡れ手で粟』ともいうべき利潤をもたらし、瞬く間に関連企業を増やしていき、BSS社も数年前にグループが設立したPMSC(private military and security company)、すなわち民間軍事会社だ。

 

「ちなみに、私の『士長』というのは役職ではなく、社内階級のことで、軍隊での少尉か中尉くらいだと思う」

 

「私は前の大戦、一年戦争で負けたジオンの人間だ・・・。火星と木星の間にある小惑星アクシズで生まれたんだけど、実はいつ生まれたのかは私もよく知らない・・・。

 昔のことは、・・・あまり話したくない。話す必要もない」

 

 当時は世界中が不幸に包まれていた。膨大な数の戦死者・行方不明者。戦傷兵士、難民、戦災孤児。

 一層激しさを増すスペースノイドに対する差別・反感。コロニー落しによる地球環境の激変にともなう異常気象。

 人々は地獄を見た。

 だが、それでもなお人は争い続けようとする。一年戦争に続く、デラーズ紛争、グリプス戦役。

 そして、

 

「第一次ネオ・ジオン戦争で私はパイロットとして戦った。そして、大きな傷を負って、・・・もう死んじゃうんだと思った」

 

 私の口調は急に年相応の、いやむしろ幼い少女のように変わっていった。

 

「でも、優しい、とても親切な人たちに巡り会えて。看病してくれた。連邦からもかくまってくれた」

 

「リハビリは辛かったけど、けがは一年でよくなったんだ。モビルスーツも前みたいに動かせるようになった」

 

「それで、・・・大好きな、・・・私にとって大切な人が乗ってる《ジュピトリス》まで追いかけていったんだ。

 あの時はもうホントに大変だったんだから!・・・でも、この話はまた今度でいいや」

 

 耳まで赤く上気しながら、私は右手でハエでも追い払うかのように振ってごまかす。

 顔にあるのは照れ笑いというやつだ。

 

「《ジュピトリス》に着いたら、会えれば、それで・・・、それだけで良かったんだけど・・・。

 一緒に暮らしていいって・・・、それに一緒に・・・、働き始めたんだ!」

 

 顔の赤さはどんどんと増していったが、

 

「今はちょっと、・・・理由があって《ジュピトリス》にはいないけど、その人」

 

 うつむく。

 

「私にとっては、そう・・・」

 

 少し逡巡し、少し戸惑いながらも、

 

「家族、大切なお兄ちゃん」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キアーラが消えた

今話の登場人物

ウド・バッハ
 ドイツ系の中年男性。短い金髪。彫りの深い顔立ち。長身。
 連邦軍・木星船団所属《ジュピトリス2》の艦長にして、マリアとイリーナの養父。
 背中にまっすぐな針金でも入ったような姿勢は一本気なドイツ人気質。
 曲がったことが大嫌い。

カール・アスベル
 白人の壮年男性。太い鼻筋と厚い唇。黒い瞳。
 BSS社所属《ジュピトリス2》の警備MS隊の責任者。マリアの上司。階級は司令補(軍の大尉相当)。
 妻と一人娘は戦争で行方不明。


 

 コンテナが奪われた敵襲からすでに15時間が過ぎていた。

 

 15時間前。

 擱座した《ギラ・ドーガ》と捕虜の敵パイロットを《ジュピトリス》に収容すると、私はすぐに《ジムⅡ》で再発艦し、ロストした味方哨戒機の捜索に入った。

 海賊、ーそのほとんどがジオンの残党であるのだが、ーとの戦闘が発生しうる危険がある《ジュピトリス》は、常に哨戒のための早期警戒機を展開させていた。

 《ジュピトリス》を囲むように2機の《アイザック》が円と螺旋を描きながら、宇宙ににらみを利かしていた。

 その両機がこの敵襲の直前に行方不明となっていた。

 

 

「お前らは何をやっていたんだ!!」

 

 30人からが集まる会議の序盤、連邦軍制服に身を包むウド・バッハ艦長の怒声が飛ぶ。

 長身に短い金髪、彫りの深い顔に刻まれた数多のシワと、背中に針金でも入っているかのような一直線の姿勢が質実剛健、一本気質な軍人を思わせた。

 当直だった戦闘指揮所要員の面々が戦々恐々といった面持ちの後、一様にうつむく。

 

「会議が終わるまで全員廊下に立っていろ!!」

 

 次々と退出してゆく者の中に、私の所属するBSS社(Buch security service)の濃紺の制服を着たオリヴァーの顔を認めた。

 私に敵襲を最初に伝えてきた男だ。

 見れば、彼は半べそだった。

 

(男のくせにだらしない奴)

 

 私は冷笑して、彼から顔をそむけた。

 状況は泣けば、どうにかなるほど容易なものではなく、同時に泣きたくなるほど、深刻なものでもあった。

 敵襲の一時間前。

 CIC端末のログによれば、哨戒小隊の3番機、右舷方向約150kmを移動中のリボル・チャダ士長が操縦するRMS-119・《アイザック》が最初に《ジュピトリス》を離れ、レーザーコンタクト不能の暗礁宙域ーデブリや岩石群で航行が困難な宙域ーへと消えていった。

 後を追うように14分後、艦首前方で普段とは異なるジグザクの不審な機動を描いていた1番機の《アイザック》が、《ジュピトリス》に置いていかれるように減速してゆき、後方へ消えた。

 そして、発見することができた機体がこの《アイザック》であった。

 私が機体を見つけたときには、一瞬それが《アイザック》だと、だったものだと認めることができなかった。

 それほど、機体の損傷が激しかった。

 真空中では、大気中と異なり、距離に比例しての対象物の輪郭のぼやけがなく、すべての物がはっきりと見える。

 遠目にもその《アイザック》が浮遊岩石に激突し、四肢はでたらめの方向へねじ曲がり、コクピットはひしゃげ、巨大な円盤を載せたようなロト・ドームを装備した頭部は主人の元を離れ消えていた。

 岩に張り付いたような《アイザック》はまるで、叩き潰された蚊やハエのようだった。

 何が起きたのかは分かるが、原因は分からない。もう一機に至っては存在すら定かでない。

 

 

「それじゃ、順次報告してくれ」

 

 落ち着きを取り戻したバッハ艦長が短い言葉で副長をうながす。

 小太りの中年女性、ボイル副長が立ち上がった。

 

「はい。ではまず、《ジュピトリス》の航行状況から報告します」

 

 手元のリストに目を落としたボイルはしばたかせながら答える。彼女もこの長時間の緊張状態に疲労のピークにある様子だった。

 

「今回の件で地球圏、リーア帰還への大きな遅延は認められません」

 

 まず、その一言でその場の全員に張り詰めていた疲労と緊張が緩むのを、私は感じた。

 ラグランジュ点L4に位置するリーア。旧サイド6。現サイド5のそのコロニー郡には木星船団本部が置かれており、この航海の最終目的地である。

 

「動力や舵に損害は皆無。哨戒機の捜索に時間を取られましたが、遅れが発生しても当初のスケジュールより数日程度と思われます。

 正確なシミュレーションは明日までには完了します」

 

 バッハ艦長が頷く。

 

「続いて、艦内の物的損害ですが、・・・」

 

 《ジュピトリス》の会議室はそこらの宇宙艦艇とは比べ物にならないほど広い会議室を備えている。

 そもそも、《ジュピトリス》自体が宇宙船といっても、そのサイズは小型のコロニーに匹敵するほどであるのだから、当然である。

 その広い会議室の片隅に座る私はイライラしながら、その被害報告を聞いていた。

 デスクの下で組んだ長い脚は不均等なリズムで揺れ、腕組みしたまま左手の中指、人差し指は右の上腕二頭筋を叩き続けていた。

 

(何を前口上ばかり言っている!なぜ早くキアーラのことを言わない!?)

 

 私がそう思ったときには、ボイル副長は延々と、どこそこの廊下の壁に銃撃痕だとか、どこどこのブロックで手榴弾の破片が天井に突き刺さっただとか、無価値な情報を垂れ流していた。

 苛立ちが頂点に達しかけたとき、私の左の二の腕辺りが突っつかれる感触があった。

 見れば、モビルスーツ整備長のイイヅカである。

 

(気持ちは分かるけど、ちょっと落ち着けや)

 

 イイヅカが小声でささやく。

 『あんたに何が分かる』と、カッとなり言いかけたが、思いとどまって私はこの中年をひと睨みするに留まる。

 昔の私なら『うるさいっ!』とか言いながら殴っていただろう。子供なら許されるかもしれないが、さすがに、二十歳にもなれば感情の制御もできなければ社会生活も上手くこなせない。

 しかし、・・・。

 ぷいっと顔を戻すが、

 

(なぁなぁ)

 

 イイヅカがしつこく二の腕を突っついてくる。

 

「またか。なんだ?」

 

 腕組みを解き私は露骨に嫌そうな顔を向けると、予想外なイイヅカの真顔にすこしどぎまぎした。

 

「なんでノーマルスーツ、着替えたんだよ?」

「はぁ?あんた何を言ってる?こんな時に」

「今のやつより、・・・さっきのボディコンスーツの方が良かったのに。おじさん、残念だわ・・・」

 

 ごっ!

 

 結局、殴った。しかし、自業自得といえよう。今回は脇腹に肘鉄を喰らわした。

 

(不愉快なやつがッ!!)

 

 さすがに半日以上も同じノーマルスーツを着ていたら、ベテランパイロットの私でも汗とかで張り付いた下着が生理的に気持ち悪い。

 まして、あんなにきついのではなおさらだ。会議に参加する前に、普段使いのものに着替えておいたのだ。

 

(ほんとはシャワーも浴びたかったが・・・)

 

 時間の都合上、タオルで拭く程度で済ませてきたのだ。

 イイヅカは私の隣で体をくの字して、デスクに突っ伏している。

 

「SSの方は何かな?」

 

 ボイル副長の報告を遮って、バッハ艦長がこちらへ声と視線を向ける。SSとはセキュリティ・サービスの略、つまり我々のことだ。

 会議室の視線を一斉に集めた。

 

「あ・・・、え・・・、その」

 

 急なことに焦り、私は言葉が出ない。

 彼女のことを言わなければならない、と思えば思うほど、何と言えばいいのか分からなくなる。

 太い鼻筋と厚い唇を持った右隣の上司が、困った奴、という表情を浮かべる。

 警備MS中隊責任者のカール・アスベル司令補だ。

 彼はその苦笑のまま、立ち上がる。

 

「お邪魔をしてしまい申し訳ございません。部下たちも長時間の捜索活動で疲労の限界に来ております。

 もちろんそれは皆さんも同じことでしょう。この辺で休憩でもどうでしょう?コーヒーか紅茶か・・・」

 

 疲れていた全体の雰囲気が和んだものとなり、そちらに傾きかけていたが、私は意を決して挙手した。

 

「よろしいですか、お養父(おとう)・・・、・・・いえ、艦長!」

「どうぞ、アーシタ士長」

 

 慌てて訂正して言った私に、眉根を少し引き上げたバッハが答える。隣の上司は少し怪訝そうな複雑な表情を浮かべていた。

 固い表情のまま立ち上がりひとつ深呼吸すると、私は心が揺らがぬ内に一息で続けた。

 

「キアーラ・ドルチェが敵の・・・、ジオン残党に拉致されたというのは本当ですか?」

 

 和みかけた空気が暗礁宙域のように暗く沈んでいくのを、全員が感じた。

 誰もが私の方をなるべく見ないように、視線を牽制し合っていたが、やがてそれは《ジュピトリスⅡ》の総責任者たるバッハの元へと集まっていった。

 

「すべての状況から判断するに」

 

 重々しい口調で語るバッハ艦長に、私は嘘であってほしいと願ったが、それが叶わぬことだと思い知らされた。

 

「それは事実だ。彼女は【火星ジオン】に連れ去られた」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ミネバの影

今話の登場人物

バーバラ・ボールドウィン
 30歳。濡れたような美しい黒髪とこぼれ落ちるほど大きな瞳。
 連邦軍・木星船団所属《ジュピトリスⅡ》の航宙長。一等航宙士にしてイリーナの上司。
 古参クルーの一人で、マリア、イリーナのことは亡命当時から知っている。
 仲の良いマリア、イリーナらは通称で『BB』と呼ぶ。





 【火星ジオン】

 

 私たち《ジュピトリス》のクルーたちは火星圏を活動地域とするジオン残党をそう呼んでいた。単純に火星にいるジオンだからである。もっともその他の組織ー今は瓦解しているものも多いが、ー【デラーズ・フリート】だの【新生ネオ・ジオン】だのと自称したりすることもある。

 

(私にとっては敵の名前なんてどうでもいいことだ)

 

 そう、名前なんてどうでもいい。名前なんてものは対象を認識する記号や番号みたいなものだ。

 

(私は自分の名前だって捨ててしまったのだから。

 問題なのは、連中が・・・)

「キアを・・・、ドルチェ航宙士をジオンの残党はいまさらどうするつもりなんでしょう?」

 

 濡れたような美しい黒髪とこぼれ落ちるほど大きな瞳の航宙長のバーバラ・ボールドウィンが、私の疑問を代弁してくれた。小刻みに揺れる彼女の長いまつげは、キアーラの身を案じた憂いを含んでいた。二等航宙士であるキアーラは、バーバラとは上司・部下の関係であるが、仲も良く仕事を離れれば、互いを「キア」、「BB」と呼び合うほどであった。

 

(そう、『いまさら』だ。何年も何事もなかったのに・・・。なぜ今になって)

 

 私はバーバラの言葉とその表情に心が暗く沈む。

 

「どうするって、・・・テロリストの考えることなんてこっちが分かる訳ないじゃないか」

 

 肘鉄を喰らった脇腹をさすりながら、イイヅカがうめくように言う。

 

「まぁ、でもやっぱり【ラプラスの箱事件】に関係してくるんじゃねぇのか?」

 

 イイヅカの口調は真面目な会議であっても、礼儀も遠慮も無い。だが、彼が口にした内容は私やバーバラ、そして艦長が口に出せなかった疑念の核心であった。

 

 

 【ラプラスの箱事件】。

 

 UC96年、今から2年前に起きた一連の事件はその戦闘規模・地域の大きさも相まって、ラプラス戦争、さらに近年は第三次ネオ・ジオン戦争と呼ばれている。その詳しい経緯について、割愛するが事件の結末は全地球圏に向けてのミネバ・ラオ・ザビの演説放送で締めくくられた。

 ミネバ・ラオ・ザビ。かつてジオン公国を支配したザビ家の忘れ形見。

 そして、一部のジオン残党には再興の旗印と目され、また他方では、地球連邦に対する抗戦を避けようとする邪魔者として嫌われていた。

 その彼女が、地球連邦政府が100年近くに渡って隠蔽してきた謎、【ラプラスの箱】と呼ばれた宇宙世紀憲章の最後の一章『宇宙に適応した人類に、優先的に政治参画させる』という内容を暴露したのだった。

 宇宙に適応した人類とは、広義にはスペースノイドを指し、狭義においてはニュータイプを示しているようにも思われる。

 彼女はその事実を明らかにしただけで、大衆に対して、どうすべき、こうあるべきという具体的な話をしたわけではない。

 ただ、『自分の目で真実を見極めてください』と言った。

 マクロ視点では、彼女の宣言により、ラプラス戦争は表向き終結したように見えた。

 事実、ネオ・ジオン抗戦右派であるフル・フロンタル派はそのリーダーを失い、構成員たる将兵をばらばらに各派閥へ四散させるに至った。

 連邦も無傷ではなく、むしろ、こちらの方が重傷を負ったと言ってもよい。秘密の暴露に伴い、地球連邦最高行政会議(いわゆる内閣)は解散という憂き目に会い、また連邦軍幕僚の吹き飛んだ首も片手では数え切れない。

 先立ち同年5月1日、首都ダカールはネオ・ジオンの攻撃、通称【ダカール襲撃】を受けた。戦後、戦闘の傷跡も生々しい街路は怒り猛る反連邦デモの群集に埋め尽くされた。動員数は主催者発表で数万人だが、アングラネットの呼びかけも功を奏し、実数は誰も把握できないほど膨れ上がっていた。

 デモは地球各地、さらに宇宙へと波及。時に暴動と化した。

 主にジオン残党の蜂起に対応するため配置されていた連邦各コロニー艦隊は、銃口を向ける相手こそ違えど、以前にも増して身動きが取れなくなった。

 くだらぬ法案も議会を通過せず、政府機能は滞った。

 そのまま、連邦という大木は急激に朽ち、枯れ倒れるのかとさえ思われた。

 ところが、数ヶ月もすると日常は平穏を取り戻し、2年も経つと、人々は日々の平凡という現実に流され、ラプラスという単語は別にのぞく価値もないような単なるひとつの事実として、記憶から忘れ去られるようになった。

 また、戦後のマクロ世界でもうひとつの興味深い現象が起きている。

 艦隊まで使用した大規模戦闘は96年以来、この2年間発生していないが、テロやゲリラ戦などのLIC(低強度紛争)は言うに及ばず、MSを使用した中規模紛争は宇宙各地に野火のように拡がっていた。

 『ラプラスの箱』という言葉は時々、ふと思い出したように話題に上るようなことがあったとしても・・・。

 例えば、ミクロ視点の《ジュピトリスⅡ》MS整備長の以下の言葉を借りて言えば、

 

 

「俺は学が無いから、あのお姫さんが何を言いたかったのか、何がしたかったのか、わっかんねーよ」

 

 イイヅカは頭の後ろに手を組み、椅子の背もたれに体を預けた。

 

「いや、まったく俺も同感だ。あの秘密条文を使って、連邦を糾弾するなり、スペースノイドに自治・独立を訴えるっていうなら、まだ納得できるんだが」

 

 そう言って機関長のガンディーも頷く。濃い褐色の肌を持つ彼の表情はうかがい知れなかった。

 

「逆にそんなことをしようって奴をミネバ・ザビは自ら粛正するって言ってるんでしょう?ますます訳が分からない」

 

 腕組みをして考え込むガンディー。

 

「あれでは敵を増やすだけですね」

 

 私の上司カールも平たい顎をこすりながら、腑に落ちない口調だ。

 

「秘密をばらされた連邦はもちろん、あの言い様ではジオン残党の武闘派路線もますますミネバ・ザビと対立するでしょう」

「あれじゃあ、歯向かう奴はぶっ殺す、って言ってるのと変わらないな、お姫さんは」

 

 イイヅカが自分のM字禿頭を叩いて言った。その不穏な言い様に、皆が押し黙った。

 武闘派のテロリストがそんなことを言われ、一体どんな行動に走るだろうか?そして、もしも彼らがミネバ本人を捕らえたりしたら、どんな仕打ちを彼女にするだろうか?

 

「ところで」

 

 神経質そうな中年女性の声、補給長のリンだ。

 私は心の中で舌打ちする。

 

「ドルチェさんがそのミネバ・ザビの影武者というのは、本当のことなんですかぁ?皆さん知っていたんですかぁ?」

 

 その問いかけに一同は今日何度目かになる、視線を牽制しあった。この場にいる全員が知っていたことではなく、その事実は一部のクルーしか知らなかった。仲間を互いに探り合うような雰囲気は不快なものだった。

 

(さかしい女だ)

 

 リンのしゃべり方も何か非難するような響きがあり、私はかねてからこのおばさんが嫌いだった。加えて、こちらを見るときの粘りつくような視線も気持ち悪かった。

 

「確かに似てるとは思いましたけどぉ。

ま、わたしは《ジュピトリス》に乗って3年も経たないただの『新参者』ですので、知らなくて当然のことが多いのですけどぉ。

 まぁ『一言』、言っておいていただければ、こちらとしてもぉ・・・」

 

 独り言を言い続けるようにして、その実、不平不満や当てつけを垂れ流しているリンに私は今度こそ舌打ちした。

 その舌打ちが聞こえたのだろうか、リンは口を閉じこちらを睨んできた。

 

「補給長はジオンの人間がお嫌いなのでしょうか?」

 

 私もリンを睨み返し、慇懃に言った。

 

「とんでも無い。わたしはそんな差別主義者ではありませんよ。ただ、危険な思想を持った人を恐れているだけですよぉ」

 

 ジオン=『危険な思想を持った人』と言っているような口ぶり。怒りがこみ上げてきた。

 私はこれ以上無い作り笑いを浮かべて、

 

「それを聞いて安心しました!私も元ネオ・ジオンのパイロットです。加えて言えば強化人間ですが、仲良くやれそうですね!」

「まぁ!」

 

 私はあえて自ら『強化人間』という忌み言葉を吐いた。

 リンはさも驚いたという感じで右手を口に当てていたが、目はあからさまに嫌悪感を帯びていた。まるで、『こっちを見るな、こっちに来るな』と語っているようだった。

 

「それでいつも薬が必要で医務室に行ってらっしゃるのねぇ?ご愁傷様。強化され過ぎたのね。精神安定剤かしらぁ?」

「いつもじゃないですよ。ひと月に1回ぐらいです」

 

 だが、今は薬を飲んだ方がいいかも知れないな。でないと、

 

(お前の首を折ってしまうよ)

 

 私の蒼い目は殺気を放っていた。

 その気配を知ってか知らずか、

 

「リン補給長、この件は非常に高度な政治的問題をはらんでいる」

 

 バッハ艦長が割り込んでくる。全員に目を移しながら彼は続ける。

 

「まず、ドルチェ航宙士がミネバ・ザビの影武者だった、というのは事実だ」

 

 リンが私から目を離した隙に、私は腰のポーチから出した、タブレットの安定剤を素早く口に含む。奥歯で砕いたそれは普段よりもひどく苦く感じられた。

 ちらりと、上司のカールが私の方を気遣わしげに一瞥したのが分かった。

 

(大丈夫です)

 

 声には出さずに、小さく頷いて応える。

 

「・・・しかし、それは過去の話で、彼女が幼少のころ今から10年も前のことだ」

 バッハの説明は続く。

「第一次ネオ・ジオン戦争終結後、彼女はマリア・アーシタ士長と共にこの《ジュピトリスⅡ》に亡命。それから、今までの8年間、ふたりともジオンとの継がりは一切ない。ご理解頂けたかな?」

 

 バッハ艦長は再びリンを見て言う。

 

「・・・わかりました」

 

 納得しかねる様子であるが、一応リンは頷いた。

 

「それから、補給長のアーシタ士長に対する発言を私は聞かなかった事にする。

 だが、2回目ははっきり聞こえると思うので、そのつもりでよろしく頼みます」

 

 若干の怒気を含ませバッハがそう言うと、リンは何も答えなかったが、マリア当人も含めて、両隣のカール、イイヅカ、さらにはバーバラまでも険悪な視線をリンに向けていた。

 

「さて」

 

 疲労濃く、深く嘆息をついてから、バッハが続ける。

 

「ここいらで小休止。と言いたい所だが、ドルチェ航宙士に対する我々の今後の行動指針を明確にしておかなければ、納得できない者もいるだろう」

 

 バッハ艦長はそれとなく、私の方へ視線を走らせる。

 

「諸君らの遠慮の無い意見を聞かしてもらいたい」

 

 私はすぐに立ち上がった。

 

「救出作戦を具申します。《キュベレイ》以下MS2個小隊で追跡します」

「2個小隊だと!?」

 

 私の発言で会議室中にざわめきが広がった。

 真っ先に反論したのは、通信長のヴァルターだった。

 

「正気かね、士長?元軍属の君が、ましてモビルスーツ・パイロットのエースである君が、現状の《ジュピトリス》のMS稼働状況を理解していない訳ではあるまい」

 

 私は先ほど噛み砕いた安定剤のような苦みが、口に広がるのを感じた。

 

「それは、・・・理解してます。しかし、」

「では、哨戒小隊の損耗率は?」

 

 畳み掛けるように、ヴァルターが続ける。

 

「3機中2機損失。・・・損耗率66%です」

「《アイザック》1機でどうやって《ジュピトリス》の全天を哨戒するんだね?」

「それは・・・」

 

 《アイザック》の頭部と一体化したロト・ドームはパッシブ・レーダー・システムを搭載し、探査範囲は上面194°。つまり全天を監視する際には2機の機体が必要である。

 哨戒小隊3機の《アイザック》は2機が哨戒中、のこりの1機が《ジュピトリス》内で整備・補給を受け、ローテーションにより、パイロットと機体を交代させつつ、24時間体制でソラからの護衛を担っていた。

 単艦でかつての輸送船換算で20隻分のヘリウム3を運搬可能な《ジュピトリス》。これは一年戦争前の地球で消費されるヘリウム3の十年分にも及ぶ。

 地球に住む人々にとって、生命線のひとつとも言えるこのスペースタンカーを警護するために、哨戒機も含めてMS15機、5個小隊というのは決して『過剰』や『十分』といった言葉では語れないであろう。

 言いよどむ私に、ヴァルターがさらに被せる。

 

「2個小隊が《ジュピトリス》から離れた上、2機の哨戒機の穴埋めを他のモビルスーツがしたとして、その稼働率はどうなるのかね?」

「・・・100%、を越えるかもしれません」

 

 ざわめきが大きくなった。

 最後の哨戒機を除く12機のMSのうち、2個小隊6機がキアーラの救出作戦に出払ったとすると、残りの6機のMSは整備もろくに受けられずに、24時間フル稼働で《ジュピトリス》の哨戒・護衛に当たらなければならない可能性は十分あった。

 パイロットや整備員にも相当の負担を強いることになるし、なにより、《ジュピトリス》自体を危険にさらす。

 

「無茶だ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

(無茶なことは分かりきっているんだ!それでも、)

 

 力なく椅子に腰を降ろした私は唇を噛んだ。

 

(早く助け出さなければ、キアは・・・)

「通信長、敵からの要求とかはないのですか?」

 

 じりじりした雰囲気に耐えきれない様子で、ボイル副長が尋ねるが、ヴァルターは頭を振る。

 

「ありません。今までも連中が我々の仲間をさらって、何か要求を出したことはありません」

 

 その言葉に私はかつて連中が起こした事件を思いだし、吐き気を催してきた。

 数年前、資源探査中の《ジュピトリス》のスペース・ランチ(小型宇宙船)が【火星ジオン】に拿捕、乗員10名すべてが連れ去られた。

 そして、3ヶ月後、《ジュピトリス》には映像媒体となった全員が送り届けられた。

 その映像ディスクを持ってきたのは、火星圏で活動中の別の資源採取艦であった。火星近くにあるジオン残党がアジトとしている小惑星に潜入していたクルーが持ち帰ったものだった。

 その内容は【火星ジオン】がいかに残虐非道な組織であるかということが収められていた。

 

「やっぱりこういった事件は、連邦軍に任せるべきではないかしらぁ?」

 

 他人事のようなリン補給長の物言いに、イイヅカが噛み付く。

 

「おいおい!連邦がわざわざこんな辺境に、しかも二等航宙士一人を助けるために部隊を送るわけがないだろう!」

「あら、連邦にはなんとかっていう対ジオンの専門部隊があって、すぐに駆けつけてくれるって話よぉ」

 

 リンは人を小馬鹿にしたような口ぶりだが、

 

「それはないでしょう」

 

 その推測を横から口をはさんだヴァルターが否定した。

 

「確かに対ネオ・ジオン掃討任務のエコーズは『人狩り』とも言われる強い権限を持つ特殊部隊だが、宇宙にその二つ名を恐れさせたのは、あの【箱事件】以前だと聞いてますよ。

 むしろ、【箱事件】以降はテロや暴動への対処と、不法滞在者を宇宙に追い出すことに夢中になっていて、活動範囲も地球圏に限られているらしい、と。

 それに、連中は救出専門でもなければ、木星船団の便利屋ってわけでもない」

 

 連邦宇宙軍特殊作戦群。活動場所は問わず、ーE(Earth)、CO(Colony)、AS(Asteroid)の頭文字を取って、通称ECOAS(エコーズ)ーと謳っていた組織も時流には逆らえず、重力に魂を引かれる人たちに振り回された不運な組織と言える。

 最近では、地球とその周囲のコロニーしか守らないことと環境保護をもじって、エコ(ECO)組織、またはエコ団体などと影で皮肉られている。

 

「そういえば、」

 

 加えて上司のカールが思い出したように言う。

 

「シャアの反乱で勇名を馳せた連邦の遊軍ロンド・ベルもあの事件の後、大幅に規模を縮小され、新設部隊に編入されましたな。

 コロニー艦隊が動けない今、暴挙としか言いようがない」

 

 ヴァルターが頷く。

 極端な連邦軍の配備状況は、そのまま偏重した地域不安定をもたらした。

 事実、【箱事件】以後、地球圏における宇宙艦船の襲撃事件は減少したが、火星圏、木星圏、およびアステロイド・ベルトの航路における海賊行為は増加の一途をたどっていた。

 

「あの・・・それは、つまり、」

 

 おずおずといった口調で、航海士のバーバラが遠慮がちに言う。私は彼女の黒い瞳がうるんでいることに気が付いた。

 

「連邦や木星船団はキアを・・・、ドルチェを救ってくれないということですか?」

 

 その場をかつてない沈痛な沈黙が重く垂れ込めた。

 

(情けない・・・。なんて無力なんだ)

 

 私はうつむいて、固めた自分の両の拳を睨みつけることしかできない。

 その時、小さく鼻をすする音が聞こえた。

 見ると、バーバラの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 その顔に別の女性の姿が重なる。

 茶がかかった金髪と、湖のように深いエメラルドグリーンの瞳。うすピンクの頬。

 

(キア・・・)

 

 その金髪が乱暴に捕まれ引き上げられ、綺麗な頬に切れ味が悪そうなナタが押し付けられる。美しい顔は恐怖に震えるが、悲鳴は口に嵌められた猿轡に押し殺され、後ろ手に縛られた彼女は抵抗するすべを持たない。

 そして、ナタが高々と掲げられ、次の瞬間白い喉元に振り下ろされる。

 いや、もしかしたら、彼らは死より恐ろしい恥辱をキアーラに味合わせるかもしれない。

 女に生まれてきたことを後悔させるほどに・・・。

 

(ああ・・・!ダメだそんなこと、絶対にダメだ)

 

 自らの妄想を私は強く打ち消した。

 

(私が、私がやるしかない!)

 

 椅子を蹴って立ち上がり、私は拳をデスクに叩きつけた。

 

「あなたたちは、それでも《ジュピトリス》のクルーかっ!!」

 

 椅子は勢いで壁に激突し、合板製のデスクにはひびが入った。

 私のオレンジがかった栗毛は文字通り逆立った怒髪天となり、蒼い瞳は燃えていた。

 まるで威嚇する猫のような形相である。

 この不毛な会議の途上の全員がーすぐ隣のMS整備長のイイヅカもー私のすさまじい剣幕に一言も発せずにいた。

 

「誰も何もせず、自分たちだけがのうのうと地球に帰還し、キアを見殺しにして助けないと言うなら、私ひとりだけでも彼女を助ける!」

 

 バーバラがぽろぽろと泣きながらこちらを見上げている姿に、私も涙腺が緩みそうになったがなんとかこらえた。

 

「私は、・・・私は何もしないまま、キアが映像媒体の中で、殺されてゆくのを見ているだけなんてことは嫌だ!」

 

 きびすを返し、私は扉へと大股で足を進めた。

 

「待ちなさい、アーシタ士長!」

 

 厳しい口調と表情でバッハ艦長も立ち上がった。

 

「君は我々のことを『それでも《ジュピトリス》のクルーか?』と言ったな」

 

 私は静かに反論するバッハを睨むが、彼も強い眼光でそれを返す。

 

「ならば、艦長として答えよう。私はこの艦の総責任者として、全クルーの生命と財産を守る義務がある。一個人としてのキアーラ・ドルチェの救出のために、艦全体を危険にさらすことはできない。

 さらに、君ひとりで彼女の救出に向かうという、身勝手な単独行動も許されない。優秀なパイロットとしての腕は認めるが・・・、これまでのようだ」

 

 バッハはデスクのインターコムを押すと、室外の屈強な警備要員が入室し、私の両脇を固めた。

 

「マリア・アーシタ。君の階級を剥奪しMSパイロットの任を解く。別命あるまでその身柄を拘束する」

 

 




あとがき

 MS戦闘描写とか難しくて書けない。
 
「ばきゅーん」
「ずどーん」
「ふう、あぶなかったぜ」

 みたいなよく分からん文章にはしたくないなぁ、と思っていたら筆が進まなくなった。自爆。
 明日はキュベレイをちょこっと動かします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

始動!キュベレイMkーⅡ改

 私、マリア・アーシタが懲罰房に押し込められて、3時間が経った。

 3メートル四方の空間。飾り気のない白い壁紙と天井。ベッドはなく1枚のシーツのみ。ぽつりと部屋の片隅にある便器。

 それが今の私を取り巻く状況のすべてである。

 

(いや、あとこれがあった)

 

 床に仰向けに寝転んだ私は、腰のポーチから古めかしい円形のペンダントウォッチを取り出した。その他の所持品であるIDパスカード、精神安定剤の入ったピルケース、拳銃などはこの部屋に入れられる前にすべて没収された。

 頭上にペンダントを掲げ、五芒星が描かれた蓋を開き文字盤を確認すると、同時に電子オルゴールのもの哀しげなメロディが流れた。

 そのペンダントは外蓋が二重蓋になっていた。慎重にそれを開けると、中から一本の金髪が滑り落ちてきた。

 ゆっくりと低重力下を自由落下するそれを、私は片手で受け止めた。照明に透かしてみると、それは湖面に反射する太陽のようにきらめいていた。

 

(キア・・・)

 

 そのペンダントは誕生日プレゼントとしてキアーラが私に送ったものだった。

 

(もっとも、生まれた日が分からない私は、《ジュピトリス》に来たあの日・・・)

 

 クルーと一緒に決めて、亡命した10月10日を私の誕生日にした。

 その日は、私の・・・。

 私の大好きなお兄ちゃんの誕生日でもあった。

 

 

「「♪Happy birthday to you,

 Happy birthday dear Maria and Judau,

 Happy birthday to you....♪」」

 

 私は勢いよく息を吹きかけ、13本のロウソクに灯った火を吹き消した。隣のジュドーお兄ちゃんも私に続いて、自分のケーキのロウソクを吹き消していた。

 

「「おめでとう!マリア、ジュドー!!」」

 

 私はチョコレートケーキももちろん楽しみだったが、何より皆からの拍手と祝福の方がはるかにうれしかった。

 ピューという口笛やクラッカーの乾いた音が爆ぜ、誰かが私の頭にキラキラと飾り星が付いたトンガリ帽子をのせる。

 

「ありがとう!」

 

 今までの人生でこれ以上の笑顔があるかな?

 パーティーの前に着替えたこの薄ピンクのワンピースも、鏡に映った私が私じゃないみたいに、かわいく思えた。

 

「お、プルツー・・・、じゃなかった。

 マリアもやっとプルみたいに、ちゃんと笑えるようになったじゃないの」

「ったくもう!ジュドーあんたねー、いい加減マリィの名前覚えなさいよ!せっかく私が付けてあげたのに。

 大体、そんな難しい呼び名でもないでしょうに!」

 

 お兄ちゃんとルーお姉ちゃんが早速ケンカを始めそうになったので、慌てて私は止めに入った。

 そしたら、私よりずっと大きな逞しい腕がふたりを引き離してくれた。

 

「おいおい、またケンカかね?ケンカするほど仲が良いとは言うが、今日は君とマリアが主役なんだから。

 主役の片方に仲裁されているようじゃダメだなぁ」

「すいません、バッハ副長」

「副長はいらんよ、ジュドー君。今は勤務中ではないのだし、祝いの席だ」

 

 そう言って、バッハさんは後ろ手に隠していたものを私にプレゼントした。

 

「きれい・・・」

 

 バラの花束だった。

 

「《ジュピトリス》で人工栽培されたものだが、造花ではない本物だよ。もうすぐ大人の仲間入りする君にはこういうものの方がいいかと思ってね」

 

 そう言って、バッハさんは下手なウインクを私に送ってみせた。

 受け取った花束に顔を近付け、目を閉じ、大きく深呼吸する。甘い香りが鼻を抜け、頭の深いところへ漂っていくようだった。

 

「ありがとう、バッハさん」

 

 私は少し頬を赤らめながら、お礼を言う。

 すると、

 

「わっ!」

 

 後ろから頭を抱きかかえられた。

 

「ちょっと、バッハさん!」

 

 それはルーお姉ちゃんだった。私の頭をぎゅっ、としながらさらに続ける。

 

「いくらマリィが将来有望だからって、この子はまだ子供なんだから、そういう下心はやめてくださいね!」

「え、いや、私は別に、・・・」

 

 なんでバッハさんは口ごもっちゃうんだろう・・・?

 

「あ、ひょっとして・・・」

 

 お姉ちゃんの目が細くなって、ますます怖くなった。

 

「子供がいいんですか!?そういう趣味があるんですか、バッハさん!」

「いや、いや、いや、そんなことはないよ!」

 

 バッハさんは慌てて目の前で手を振るけど・・・。

 

「いやー、バッハさんも好き者なんだなぁ」

「こらっ!ジュドーォ!!あんたはーぁ、言って良いことと悪いことが・・・」

 

 お兄ちゃんの最後の一言で結局ケンカになっちゃった。

 私はもうふたりのケンカを止めるのは諦めた。それより、ケーキの方がずっと気になっていたし。

 

「あの・・・、マリィ?」

 

 肩に寄りかかる感触があった。

 

「あ・・・、キア、うん。

 ・・・どうした?」

 

 私はすぐ隣に体を寄せているキアに気が付かなかった。

 

「あの・・・、これ、プレゼント」

 

 キアは恥ずかしそうに、うつむきながら小さな箱を差し出した。それはピンクのかわいいペーパーリボンで飾られていた。

 

「え!?あ、ありがと」

 

 私は正直、うれしさより驚きの方が大きかった。

 キアとはネオ・ジオンから一緒に逃げてきたけど、その後はお互いの立場の違いもあって、そんなに話すことがなかったし。お兄ちゃんやお姉ちゃんたちと過ごす時間の方が多かった。

 

「開けていいか?」

 

 私が聞くと、キアはこっくりと頷いた。

 わくわくして、包みを剥がすと、

 

「えーと、これ・・・、ペンダント??」

 

 ちょっとがっかりだった。大きくて重くて持ち歩くのに不便だ。なんかデザインも少し・・・、いや大分古めかしい。

 

「それね、時計なの。電子オルゴールにもなってて開くと、メロディが流れるから」

「そうなのか?」

 

 ちょっと期待して、蓋を開くとやけに哀しくなるメロディが流れ始めた。どう考えても誕生日には似つかわしくない。

 ますますがっかりだ。こんなのくれるぐらいなら、お菓子の方がずっとうれしいのに。

 

「それでね・・・」

 

 まだキアが言いつづけていた。私は早くケーキを切り分けてくれないかなぁ、と上の空になった。

 

「蓋が二重になってて、そこに私の髪の毛が入っているの。

 あなたのことをずっと守るように息を吹きかけておいたから・・・」

 

 その時、バーバラさんがこちらに歩いてきて、

 

「さぁ、お楽しみのケーキよー。まずは主役のマリアちゃんからね」

「うわぁ!」

 

 一番大きくカットしてもらったケーキを持ってきてくれた。

 『Happy Birthday』とホワイトチョコで書かれた板チョコもちゃんと上に乗っている。

 キアもバーバラさんからケーキを受け取ったみたいだ。

 

「一緒に食べよう!キア」

 

 私が言うと、キアはとてもうれしそうに笑って頷いた。

 でも、エメラルドグリーンの瞳は

 

(なんで涙を浮かべているだろう・・・?)

 

 

 目が覚めた。

 

(私は、・・・眠っていたのか?)

 

 ペンダントウォッチを確認すると、30分ほど経過していた。

 夢から覚めた瞬間、夢の内容が何だったのか、分からなくなることがあるが、今のマリアははっきりと覚えていた。

 

(あの時のチョコレートケーキ、・・・おいしかったな・・・)

 

 急に空腹感が襲ってきた。

 と思った途端、くぅ、とお腹が小さく鳴った。胃に両手を当てさすっても、出てくるものは嘆息しかない。

 すると、懲罰房に続く外の廊下をこちらへ近付いてくる気配がする。

 

(この歩調と足音は・・・、カールと、・・・BB?)

 

 私は仰向けの姿勢から、半身を起こしてドアの方を見やった。

 外で看守の警備要員と二言三言交わすとロックが解除される短い電子音の後、予想通り、BSS制服の上司カール・アスベルと連邦軍士官服の一等航宙士バーバラ・ボールドウィンー親しい者は『BB』と呼ぶーだった。

 

「ここは俺が見てるから、たまには美味い飯でも食ってこいよ」

 

 カールが自分のマネーカードを警備要員に差し出す。彼は困った表情だったが、階級の力関係とカールの人柄に結局は折れたようだ。

 

「ひとつ貸しですよ、アスベル司令補」

 

 そう言ってマネーカードの暗証番号を聞くと、警備要員は食堂の方へ去って行った。

 

「合成肉じゃないステーキでも食えよ!」

 

 カールが後ろ姿に声をかけると彼は振り向かず、ただ手をひらひらと振って答えた。

 

(ステーキ・・・!)

 

 その単語に刺激されたか、今度は先ほどよりも幾分大きく、尾を引くように長く私のお腹が鳴った。

 

「あら、・・・」

 

 見れば、食事トレーを持ったまま、こちらを見下ろすバーバラは目を丸くした。

 

(あ、聞かれた・・・)

 

 私が照れ隠しにちらりと舌を出すと、バーバラはやさしげに微笑んだ。

 

「こんなものしかなくて、ごめんなさいね」

 

 バーバラは腰を下ろすと、手にしたトレーを手渡す。宇宙用MRE(Meal.ready-to-eatー携帯用糧食)だった。連邦軍で使用されているそれは味に定評があった。

 とにかく、不味い。

 

「元はと言えば私が悪い。勝手に爆発してお養父(とう)さんに、・・・バッハさんに怒られたんだから、BBが謝ることにゃにゃい」

 

 早速クラッカーのパックの端を咥えて口と片手で開封しながら、私は答える。

 その様子を見て、またバーバラが微笑んだ。

 

「お腹空いてたのね」

 

 頷きながら、私の口はひたすら食べることに集中していた。

 オレンジジュースとクラッカー。ソーセージペーストにミックスドライフルーツ。

 例によって、ジュースは合成甘味料そのもの。ソーセージペーストも大豆とプランクトンから作られた合成品なので、味は最悪だったが、空腹のためにそれほど気にならなかった。

 わずか5分で食べ終えると、見計らったようにドア外のカールが言う。

 

「意外と元気そうじゃないか」

「怒るとお腹空くんだ」

「確かにな・・・。さっきのお前の剣幕には正直俺もビビったよ」

 

 私はちょっと拗ねたように、栗色の横髪を指に巻きつけていじっていた。

 うつむき加減のバーバラが独り言のように言う。

 

「おかしいね。こんな大変なことになってるのに。パイロットもクルーも何人も亡くなっているのに・・・。

 私ね、うれしかったの」

「???」

 

 何のことをバーバラが言っているのか、私は計りかねた。

 

「マリィがあんなにキアのことを心配してくれて。『ひとりでも助けに行く』って・・・」

「あ、あぁ・・・」

「私もキアを助けるためにできることをしたい。でも私は戦う術を知らない。モビルスーツも扱えない。鉄砲だって、訓練でしか撃ったことない。

 結局私には何もできない・・・」

「・・・・・・」

 

 それは違う、と言ってもバーバラには何の慰めにもならないと思った私は、沈黙することしかできなかった。

 その沈黙を破ったのはカールだった。

 

「バーバラ、ちょっと外してもらえるか?」

「ええ。いいわ」

 

 最後に私の方へ悲しげな微笑みを向けたバーバラは、ドアの向こうへと消えた。

 ドアも閉めたカールと私は狭い懲罰房に2人きりとなった。

 カールはあぐらを組んで、私の視線を正面から見据える形となった。

 一段と低いトーンの口調でカールがしゃべり始める。

 

「お前、さっきの会議で『自分ひとりでもキアーラを助ける』って言ったな?あれはお前の本心か?いまもそう思ってるか?」

 

 私の蒼い瞳に力がこもった。

 その決意に揺らぎは無い。問題は、

 

(カールがバッハさんの手先で私の真意を探りに来ているのか、それとも私の協力をしてくれるのか・・・)

 

 であった。

 

「どうなんだ、マリア?」

 

 カールは真顔でこちらを見つめていた。その黒い瞳は底が見えない。

 どれくらいそうしていただろうか。

 唐突に私はふっ、と笑いながら視線を外した。

 

「そんなこと決まっているじゃないか、・・・」

 

 一瞬、カールの緊張が緩むのが分かった。

 その刹那、

 私は電光石火で飛びかかった。

 

(あっ・・・!)

 

 と言う間も無く、後ろに回り込むと、私の左腕はカールの首へ蛇のように巻きつき、右手は彼の腰のホルスターから拳銃を奪い取っていた。

 

「動くな」

 

 左腕で首を締め上げながら、私は銃口をカールの脇腹へと押し付けた。

 

「ぉ、・・・ぉぃ、おぃ、正気、かよ?」

 

 苦悶の表情を見せながらも、カールが必死に声を出す。

 

「私は正気だし、本気だ。このままMSデッキへ行け。《キュベレイ》を奪ってでもキアを助けにいく」

「ぐ、・・・バーバラは、どうする?すぐ、・・・そこに、ぃるんだ・・・ぞ?」

「BBは私の人質になってもらう」

 

 その時、何事か察知したらしい、バーバラが、

 

「カール!?マリィ!?どうしたの?何があったの?」

 

 悲鳴に近い声を発した。

 迷っている猶予は無かった。

 

(カールの首を締め上げて気絶させて、すぐに外のBBを捕まえる。それから・・・)

「ま、待て、待て!!分かったから、落ち着け!俺はお前の味方だっ!」

 

 全力を振り絞って出したカールの声に思わず、首を締め上げていた腕の力が緩んだ。

 途端に、カールは私の腕の呪縛を下へとくぐり抜け、座位のまま右手首を掴まれた。

 

(しまっ・・・!)

 

 思ったがもう遅い。

 万力に挟まれたような激痛に拳銃を取り落とし、そのまま関節をひねり上げられた。

 

(折られる!)

 

 私は咄嗟に抵抗せず、ひねられる方向に投げられることで手首を破壊されることだけは逃れた。しかし、強かに背中を床に打ちつけた。低重力区画にも関わらず、衝撃に肺から空気が押し出される。

 間髪をおかず、上から抑え込まれた。

 

「ぐ・・・ぬかった・・・」

 

 唇を噛んだが、この形勢、体格差はもはやどうなるものでもない。

 

「油断大敵だな。お前に柔術を教えたのは俺だぞ。体の使い方がまだまだだな」

 

 バーバラが再びドアを開けるや、上四方固めに押し倒された私を見て、口に手を当て驚愕の表情を浮かべた。

 

「落ち着け、バーバラ。マリアは合格だよ」

 

 そう言うや、すぐにカールは私への戒めを解いた。

 今度は油断無くカールに向き直るが、もはや彼に格闘する意志は無いらしく、肩をすくめて見せた。

 

「言ったろ。『俺はお前の味方だ』って。

 今、MSデッキでイイヅカさんが大急ぎで《キュベレイ》を使えるように整備してる」

 

 その言葉に私は呆然とカールを見つめた。

 私に締め上げられた首をさすりながら、カールは続けた。

 

「お前を試すような言い方だったとはいえ、まさかここまでやってくるとは正直思わなかったぜ」

「す、・・・すみません」

 

 私は素直に頭を下げる。

 

「もういいって。しかし、その決心が本当だってことは分かった。言っておくが、このことは艦長は知らない。

 俺とバーバラとイイヅカさん。そして、マリア、お前の4人だけのことだ。

 言っている意味が分かるな?」

「・・・め、命令違反とか?」

 

 私がおずおずと聞くと、カールは首を振った。

 

「逃亡幇助、モビルスーツの私的占有。ひょっとすると、同僚に対する暴行罪。下手をすれば、反乱罪で」

 

 そう言いながら、カールは先ほど私に締め上げられた首を今度は自分の両手で締めて見せた。

 

「そ、そんな、・・・そんなこと言われて、私ひとり出ていくなんてことできる訳無いじゃないか!?」

 

 私が青くなって、不安と心配が入り混じった顔で抗議すると、カールはからからと笑った。

 

「いくらなんでもバッハ艦長はそこまではしないだろう。逃げたお前の代わりに、俺たちが懲罰房にぶち込まれるぐらいだろう」

「・・・からかったのか?さかしいな」

 

 私の蒼い瞳は再び険悪になり、わなわなと両手の拳を固めた。

 

「怒るな、怒るな。首締め代だ」

 

 カールは平手でとんとんと自分の首を叩いて見せた。私はちょっと唇を尖らせた。

 しかし、急に真面目な表情を見せるカールに、私はどぎまぎした。

 

「これは賭け。自分の命を賭けることになる。それでも、・・・やるか?」

 

 脅すような口調だった。

 しかし、私はしっかりとカールの目を見据えながら言った。

 

「私の命だけじゃない。キアの命も賭けることになる。でも、何もしなければ、彼女の命はいたずらに奪われるだけだ」

 

 私はバーバラの方を見て力強く頷く。頷き返す彼女の目にはまた光る物があった。

 

「彼女の命を救うためだったら、私は自分の命だって賭ける」

「・・・分かった。作戦がある」

 

 

 艦橋に新たに入ってきた人物が、ウド・バッハ艦長その人だと分かり、通信席のヴァルターは慌ててあくびをかみ殺し、立ち上がって敬礼した。

 無重力空間を泳ぎながら、返礼すると、バッハは

 

「よい。楽にしてくれ」

 

 キャプテン・シートに腰を落ち着けながら言った。

 

「いえ、艦長こそ。先ほど休憩に行かれたばかりではありませんか?」

「うむ」

 

 バッハは目頭を押さえながら、肯定とも、ただのつぶやきとも取れる曖昧な口ぶりだった。

 

「ちょっと考えごとがあってな。ベッドで横になっているより、ここで静かにしている方がまとまりそうなんだ」

「そうですか。しかし、あまり無理はなさらないでください。この上、艦長にも倒れられたら、一大事ですから」

「わかっとるよ」

 

 バッハはそう答えたが、正直体の疲労は極度に達し、肉体のあちこちに鉛でも詰め込まれたかのような、重さ、だるさであった。

 にも関わらず、彼の神経を高ぶらして止まない異常な事態であった。

 

「コーヒーでも入れますか?」

 

 というヴァルターを手で制し、バッハは静かに目を閉じ、状況を精査する。

 

(どうも、この事件不可解なことが多い)

 

 である。

 まず、気がかりなのが《アイザック》2機がほぼ同時に謎の行方不明を起こしたことである。

 これが整備不良や岩石との衝突などによる事故にせよ、パイロットの意図した逃亡・離反にせよ、当時《ジュピトリスⅡ》のCICで機体のステータスをモニターしていた6名の要員が気付かぬはずは無い。

 ところが、彼らも時を同じくして、突如意識を失い、前後不覚に陥っていた。衛生長の報告によると、6名全員の体内から、遅効性睡眠導入剤が検出された。

 

(どこで?いつ?誰が仕組んだ?)

 

 である。

 さらには、マリア・アーシタ専用機である《キュベレイMkーⅡ改》の急な整備申請。

 本来、来週行われるはずだった、定時整備が敵襲のタイミングに合わせるように変更されていた。

 明らかに、何者かのデータ改竄の形跡が疑われる。

 

(まるで、《キュベレイ》を動けないように縛っておかれたようなものだ)

 

 極めつけが、《ジュピトリス》内部コンテナ集積所への突然の奇襲、キアーラ・ドルチェの拉致である。

 これだけの偶然、異常事態が重なれば、

 

(艦内に内通者がいる)

 

 と考えるのが当然であった。

 

(火星人め、何を考えている。今更ミネバ・ザビの影武者と、『アレ』を使って、何をしようというのか)

 

 バッハが危惧する『アレ』とは、奪取されたコンテナの中身のことであった。

 それこそが、彼の心を揺さぶらして止まない災厄であった。

 

(そもそも、なぜ『アレ』が、あんなものがこの《ジュピトリス》にある?この艦長である私が預かり知らぬところで!)

 

 奪われそうになった3個のコンテナの内、死守した2個は敵を撃退した後、現在は厳重な警備の元、余人の近づかぬ集積所の奥へ格納されていた。

 

(だが、たったひとつだけでもこの宇宙にまた戦争を呼び込むかもしれない。やはり、ここは上層部、連邦政府にことの次第を知らせるしかないか)

 

 自分の管理能力、事態を収束させる能力の無いところは痛感させられたが、バッハは地球連邦政府に事件とコンテナの中身を伝えたところで、

 

(果たして、状況は好転するだろうか?混乱を招くだけでは)

 

 考えあぐねていた。

 

(単に私が腹切って済む問題ではない)

 

 である。

 

(ああ、こんな時にジュドーとルー君がいてくれたならば!)

 

 バッハは第一次ネオ・ジオン戦争の英雄であり、有能な元《ジュピトリス》クルー、ー現在はハネムーンで一年前から木星圏に滞在しているーのふたりを思い出し、頭を抱えたくなった。

 

(ジュドーは思慮浅いが、それが逆に状況を突破する起爆剤になっていたし、ルー君が突っ走る彼を補佐してバランスを保っていた)

 

 今の《ジュピトリス》には良くも悪くも彼らのような勢いのあるスタッフは少なかった。

 

(いや、マリアがいたか。しかし)

 

 ジュドーの義妹マリア・アーシタは有能なMSパイロットであったが、最近は精神安定剤を常用するなど問題があった。

 

(だが、それは彼女が人工ニュータイプだからではない)

 

 バッハはネオ・ジオンから亡命してきたマリアとキアーラのふたりの養父となり、実の娘のように思い、8年間公私ともに支え続けてきた。

 だからこそ、彼はマリアが最近になって安定剤を飲み始めたことも知っていた。

 『人間兵器』として生み出されたマリアは戦争中、数々の人体実験、薬物投与、心理操作などを強制され、《ジュピトリス》亡命直後もPTSDやフラッシュバックに悩まされたりもしたが、ジュドーとルーを初めとする周囲の支えもあって、亡命一年後には13歳の年頃らしい少女の笑顔を取り戻していた。

 その後の数年間は、平和とは言いきれなくとも、まず順調であった。

 マリアは《ジュピトリス》護衛のMSパイロットとしての資質を遺憾無く発揮し、キアーラも持ち前の危険予知・回避、勘の良さから航宙士の務めを果たしていた。

 ジュドーとルー、マリアとキアーラ。彼ら4人の少年少女たちは血の継がりこそ無いが、仲良くたわむれる姿は本当の兄妹・姉妹以上で、閉鎖された空間の《ジュピトリス》内で他のクルーたちも『家族』を感じることができる、ある種の精神カンフル剤になっていた。

 ところが、一年前、ジュドーとルーが長期休暇のために下船、《ジュピトリス》を離れると、少しずつマリアの表情、しぐさ、口調は以前の『人間兵器』のように固くなっていった。

 そして、その頃に起きた『ある事件』を境に彼女は医務室に通い、安定剤を処方してもらっていた。

 

(私に彼女の家族・・・、父親は務まらんのか)

 

 マリアの階級を剥奪し、現場から遠ざけたのも、バッハなりの代父としての配慮であった。

 

(キアーラを、・・・助けに行くと言ったが)

 

 もうひとりの娘のことを思うと、胸が張り裂けそうなのは、バッハとて同じことであった。

 

 

 内線の電子音に、バッハの思考は一時中断された。

 通信長のヴァルターがその受話器を取る。

 

「こちら艦橋だ。うん、・・・それで整備長はなんと?・・・手が離せない?・・・いや、そういったことは聞いてはいないが、・・・」

 

 受け答えしながら、ちらちらとヴァルターがバッハの方へ怪訝そうな横目をやる。

 

「どうした?」

「はい、MSデッキからなんですが、・・・」

 

 受話器を一旦離し、スピーカーを押さえながら、ヴァルターは困惑した表情でバッハへ向き直る。

 

「次のシフトで出る予定のモビルスーツ用の推進剤が無くなったそうで、倉庫から新しく推進剤を出したいと。

 それでプチモビの使用許可をくれと言ってまして」

「デッキ在庫の推進剤が無くなった?」

 

 わずかに、語彙を言い換えながらバッハが再度ヴァルターに確認する。

 

「はぁ・・・」

「なぜだ?行方不明機の捜索の前に大量に搬入しただろう」

「はぁ・・・」

 

 受話器を片手にしたヴァルターとの会話は要領を得ない。

 バッハはキャプテン・シートの肘掛けにある艦長専用の受話器を取り、会話を引き継いだ。

 

「艦長のバッハだ。なぜ推進剤がそこに無いんだ?説明したまえ」

『あ、艦長。自分はドイルです。それで、・・・推進剤はプロペラントタンクにすべて詰め込んでしまいまして。

 ここにある推進剤、全部使ってしまったんですよ』

「プロペラントタンク?増槽か?」

 

 バッハはオウム返しに尋ねた。

 

『はい。長時間哨戒のために使うって聞いてますけど。もう機体にも取り付けましたよ』

「なんの話だ?そんな命令は出していない。誰がそんな指示を出している?」

 苛立ちと同時に不安が立ち昇ってきたバッハは語気が荒くなっていった。

『え!?そうなんですか?整備長が言ってきたんですけど。

 イイヅカさんも《キュベレイ》の整備終わらせてるかもしれないんで、連れてきますね。ちょっとお待ちください』

「《キュベレイ》の整備ぃ?」

 

 おもわず、声のトーンが上がった。

 

(そもそもサイコミュ搭載機でマリアしか扱えないようなMSだ。パイロットを拘禁しているのになぜ整備などする必要がある?

 まさか、・・・!!)

 

 そう逡巡したところで、バッハの脳裏は閃いた。

 

「おい、ちょっと待て!!プロペラントタンクは一体、どのモビルスーツに付けた・・・」

 

 続く言葉は、受話器の向こう側から聞こえてきた、悲鳴、怒号、そして、モビルスーツのスピーカーから発せられる大音量にかき消された。

 

『デッキの整備員は早くエアロックに入れ!さもないと、宇宙の漂流者になるぞっ!!』

 

 スピーカーごしのそれは紛れもなく、マリア・アーシタの声であった。

 

「ヴァル、至急緊急サイレンを・・・!」

 

 バッハが受話器を叩きつけ、通信長に急を伝えようと、声をあげた瞬間、艦橋まで小さい衝撃と細かい振動が伝わってきた。

 ヴァルターが腰を浮かした時には、舷側をすれすれで擦過したMSが艦橋正面のワイドモニターに巨大な蒼い炎を咲かせるスラスター・ノズルを見せながら遠ざかって行った。

 その直後を2個の小さな影が子犬のように付き従っていた。

 

(ファンネル!デッキの中であれを使ったのか!?)

 

 バッハは歯噛みした。

 大柄な人間サイズのファンネルと呼ばれる漏斗形状の機動兵器は、その姿・大きさからは計り知れぬほど、危険な『ソラ飛ぶビーム砲台』であった。

 艦首直上でAMBACとバインダー・スラスターを使った華麗なピボット・ターンでそのMSは振り返った。

 濃紺の機体色。肩から伸びるバインダー。ヤギとモグラを掛け合わせたような頭部。異形の人型。

 そして、長く、太く、巨大な長距離航宙用プロペラントタンクが2基、腰の左右に取り付けられていた。

 

「《キュベレイ》・・・」

 

 バッハは苦々しげに呟く。

 

(まさか、お前が内通していたのか・・・?いや、誰かにそそのかされたのか・・・?)

 

 バッハには一瞬、《キュベレイ》が別れを告げるために振り返ったのではないか、という錯覚にとらわれた。

 そして、《キュベレイ》は再度ターンすると、両腕をバインダー内に格納し、前傾姿勢を取った。

 

「いかん!左舷、ドヴォルスキー、行かせるな!止めろ!!」

 

 ヴァルターが左舷哨戒中の《ジムⅢ》の無線通信を開いた時には、すでに《キュベレイ》はマニピュレータをバインダー内に格納し、高速移動形態となりスラスター全開、彗星のような軌跡を残して《ジュピトリス》から消えて行った。

 ため息をつき、通信用ヘッドセットを外しながら、ヴァルターは後ろのキャプテン・シートへ振り返った。

 追撃させますか?

 どうしますか?

 その両方とも聞かずに、ヴァルターは困惑しきった表情をしていたが、似たような顔のバッハも何も言えずに、キャプテン・シートにもたれ、天を仰いだ。

 

 《キュベレイ》が消えた方角の先。

 太陽系第4惑星、火星が不気味に赤く輝いていた。

 

 

 




あとがき

 ノーマルスーツ姿のプルツーさんに上四方固めって・・・

マリーダ「姉さん、事件ですっ!(高嶋政○風に)」
エルピー・プル「呼んだ?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エルピーの声

今話の登場人物

エルピー・プル(機動戦士ガンダムZZより)
 ファンネルを自在に操り奇声を上げながら、走り回る恐怖の小学生。
 彼女を見て、モエ~♪となるか、イラッ☆となるかでその人が分かる。
 萌えという文化のない80年代に現れた彼女に、世のロリオタ共は悶絶したが、その
早すぎる登場は、早すぎる死に直結した。
 享年11歳。




 マリアは全天周モニターに映し出される、数多の星々の輝きを眺めつづけるのも、さすがに疲れ始めていた。

 彼女が乗る《キュベレイ》は《ジュピトリス》脱走後、広い暗礁宙域を突っ切り、その端域の岩石のひとつに隠れていた。

 ちょうど良い大きさのそれは表面の凹凸も相まって、MSの姿をうまく隠蔽させることができた。

 カール・アスベルから脱走の作戦を聞いた後、マリアはすぐに行動へと移した。

 すなわち、バーバラを人質に取って、MSデッキの《キュベレイ》を奪取し、ーバーバラはすぐに解放したーシャッターをファンネルのビーム砲で破壊して艦外へ逃走した。

 

『暗礁宙域に入ってしまえば、追ってこれないだろう』

 

 というカールの予想通り、いや、それ以上に哨戒中のMSはやる気のなさを見せ、一撃の威嚇射撃すらせず、《キュベレイ》の逃亡を許すこととなった。

 スペースデブリや岩石群が無数に浮遊するこの宙域を抜けるのに、2時間。

 さらに、《キュベレイ》を隠蔽させてから星を眺めること、2時間。

 

(もうすぐ、あの敵襲から丸一日経つのか・・・)

 

 マリアは片手でヘルメットを押さえ、眉間に深いシワを刻んだ。

 長時間の行方不明機の捜索、不毛な会議の論争、暗礁宙域内の高速移動。

 疲労はピークに達していた。

 

 

(・・・光?・・・光が見える・・・)

 

 私は緑の光の空間の中を、無重力遊泳のように漂っていた。緑といっても、木々が作り出すような色ではない。

 これは、宇宙から見た極地にかかるオーロラのような輝きだった。

 いつの間にか、愛用の赤黒基調のノーマルスーツもヘルメットも着ておらず、生まれたままの姿で私は浮かんでいた。

 

『やっほー!』

 

 少女の可愛らしい声と、唐突に後ろから、抱きつかれるような柔らかい感触。

 

『マリィ、あそぼっ!』

(あぁ、またこの感覚か・・・)

 

 私はこの現象、この場所、そして、後ろの声が誰なのか理解した。

 精神の交信、現実でも夢でもないどこか、そして後ろにいるのは私の片割れ。

 

「プル姉さん、久しぶり」

 

 振り返ると、私と同じ姿、10歳ぐらいの私のにこにこした顔がそこにあった。

 もっとも、私自身はこんな風に無邪気に笑ったことはない、・・・と思う。

 

『あっれぇ?久しぶりに会ったのに、マリィ全然うれしくなさそうだよ?』

 

 私の正面にふわふわと回り込みながら、プルは口を尖らせる。

 

「色々あったんだよ!」

 

 そんなつもりは無かったのだが、焦りと疲労と余裕の無さが私を苦々しい顔つきと口調にさせてしまう。

 

「プルも知っているんだろう?《ジュピトリス》がジオン残党に襲われて、キアがさらわれたんだよ!」

『うん、知ってる。ずっと見てたよ』

「見てただけ!?役に立たないなっ!気付いたら、私に知らせてくれたらいいのに」

 

 目を三角にして非難する私の言葉に、プルはそっぽを向いて拗ねた。

 

『怒るの嫌っ!』

 

 まるで子供だった。その態度に私もムキになり、

 

「もう死んでる姉さんは適当にそこら辺を浮いてれば、それでいいのかも知れないけど、私たちは体を持ってるんだから・・・・・・」

 

 そこまで言って、

 

(しまった・・・!)

 

 私は言い過ぎたと思い姉を見ると、その小さな肩が震えていた。顔を見れば、彼女の目は大粒の涙を浮かべて今にも泣き出しそうだった。

 

(そもそも、プルをこんな風にしたのは、・・・殺してしまったのは、私じゃないか・・・)

「・・・ごめん」

 

 やっとそれだけのことを言って、私は目を逸らしうつむいた。

 それ以上、自分と同じ泣き顔を見つづけることが辛かった。

 

(きっと、泣き喚いて、どっか行っちゃうだろうな・・・)

 

 予想に反して、プルは私に静かに語りかけてきた。

 

『あたしね、ずっと見てたよ。マリィのこともキアのことも。ずっと前から』

「・・・」

『だから、あたし哀しいよ。あんなに明るかったマリィが・・・。最近変だよ』

「・・・うるさい」

『思い出して!

 大人たちに利用されそうになっていたキアを助けて、《ジュピトリス》までジュドーを追いかけてきたこと。

 ルーに新しい名前をもらったこと。ジュドーの妹にしてもらったこと。

 マリィ、前に言ってたよね?「プルみたいに笑えない」って。

 でも、マリィ笑ってたよ。うれしそうに笑ってたよ。バラの花束もらって「ありがとう!」って』

 

 むしろ、それらの思い出が現実との落差となって私には哀しかった。

 

「・・・姉さんはいつまでも子供のままでいられるから笑えるんだ。

 私は・・・・・・。

 私はね!もう大人になったんだよ!!」

 

 うつむいたまま、魂を絞り出すようなかすれ声で私は抗議した。

 

『違う!違うよ、マリィ。大人になると、笑えなくなる、哀しくなるなんておかしいよ。

 本当は寂しいから笑えないんでしょ?哀しいんでしょ?』

 

 その言葉に私の心臓は寒くなっていくようだった。プルは心配して言ってくれているのに、逆に私自身は追いつめられていくような感じがした。

 

(やっぱり姉さんは知っているんだ、私の気持ちを・・・)

 

 私と同じ顔、声、髪、瞳を持つ存在。

 だからこそ、姉が好きになってしまったあの人・・・。

 ジュドー・アーシタを私も同じように好きになってしまった。

 そして、そのことをプルも分かっているのだ。

 私の中で激情が奔流となり、涙腺が崩れかけてきた。

 

「嫌い・・・」

 

 小さな呟きは、すぐに大きくなった。

 

「みんな嫌いだ・・・。

 いなくなれーーーぇ!!」

『待って、マリ・・・』

 

 その叫び声が衝撃となって、プルを、緑の光のカーテンを、すべてを消し去り私を現実へと引き戻した。

 

 

 ガラス玉のようなふたつの蒼い瞳がモニターの星のきらめきを反射していた。茫然自失となった私はしばらくそのままコクピットのリニア・シートにぐったりと体を預けて身じろぎもしなかった。

 やがて、唇から、まぶた、指先にかけて、段々と痙攣が襲ってきた。

 

(ぐっ!こんな時に・・・)

 

 それはすぐに全身に伝播し、大きな震えとなって行動に支障をきたすはずだ。

 私は、リニア・シート後ろ、小スペースのピルケースを急ぎ取り出し、蓋を開けようとするが、指がふるえてうまくいかない。

 息ができなくなってきた。まるで、肺が膨らむことを忘れ、縮むことしかできなくなってしまったようだ。

 

「・・・く、そっ!」

 

 おもわず、汚い言葉が口をつく。

 次の瞬間、力加減を間違えた私はピルケースの蓋を吹き飛ばし、安定剤のタブレットをコクピット中に漂わせることになった。その中から慌ててつかんだ3錠をヘルメット・バイザーを上げるなり、口に放り込む。すぐに噛み砕くと、大量の苦味に吐き気すら催してきたが、両手で無理やり口を塞ぎ、必死に自分を落ち着かせる。

 

(大丈夫、すぐに、すぐに、良くなる、はずだ・・・)

 

 やがて、肺は呼吸することを思いだし、私は荒れた息を吐き出す。少しずつそれは収まっていった。

 その時、鋭く尖った感覚が私の心の中に入り込んできた。

 

(きたかっ!?正面!!)

 

 すぐに、バイザーを閉じる。

 

「ファンネルっ!」

 

 短いつぶやきに呼応して、リア・アーマーから2つの影が飛び出した。

 ビーム砲を取り除いたスペースに超高倍率望遠レンズを仕込み、有線式偵察カメラにした特殊ファンネルである。

 ファンネルの大きさは、相手からはデブリ程度と認識されるという利点を生かし、《ジュピトリス》で改造を施したものだった。

 先ほどの感覚の方角へ真っ直ぐひとつ、直交する方角へもうひとつの特殊ファンネルを飛ばす。

 一直線に目標へ向かっていたひとつが有線の限界距離になり停止し、レンズのズームを最長にする。

 最大望遠で得られた画像をCGが補正し、さらにデータベース内にある記録から同型船の諸元が引き出される。

 それらの処理が一瞬にして、《キュベレイ》の頭脳で行われ、パイロットのマリアには、全天周モニターの別枠に表示された。

 それは旧式の航宙貨物船だった。全長146メートル、最大積載量500トン超。全体が尖った三角錐形状をしており、先端部にブリッジ、後部三角錐の底面に貨物スペースを備えていた。

 その空力を考慮した形状から、大気圏下での飛行能力も有し、かつては地球と宇宙間で頻繁に利用されている船であった。

 しかし、いかんせん古く、同型船は最近は見かけることは滅多に無かった。ましてや、地球・宇宙往還貨物船が地球から遠く、火星圏を宙航しているのも不自然である。

 マリアは直交方向に飛ばしたもうひとつの特殊ファンネルにも最大望遠をかける。

 船体横、ブリッジの下に船名、貨物スペースの外壁に白抜き文字で社名が書かれているのが見えた。

 

(《ダイニ・ガランシェール》・・・『リバコーナ貨物』・・・間違いないな)

 

 私は確認するようにその名をつぶやいた。

 『リバコーナ貨物』の名は《ジュピトリス》脱走前カール・アスベスから聞いていた、火星までの移動を請け負った民間運輸会社だ。

 

(もっとも、こんな辺境で荷物を運ぼうって酔狂な連中だ。一筋縄ではいかなかったぞ)

 

 私が懲罰房に入れられているときに、どんな方法で連中と連絡を取り合ったのかは知らないが、その交渉はかなりの労力とコストー当然先方に渡す報酬金額もーが相当かかったものらしいことは、カールの顔色を見れば分かることだった。

 そして、彼は警告した。

 

(だが、気を付けろ。何度も言うが、一筋縄の連中じゃない。表立っては民間の会社だが、まずトンネル・カンパニー、偽名だろう。

 実際は、海賊やジオン残党ということも十分あり得る)

 

(分かっているさ、カール)

 

 落ち着きを取り戻した私は別枠モニターを見つづけながら、またつぶやく。

 

(ただの貨物船ならそれでよし。海賊やジオンなら、力で船を奪うだけの話だ)

 

 マリアの蒼い瞳は暗く冷たい『人間兵器』のそれになっていた。

 

(それにしても・・・。《ガランシェール》・・・、フランス語か?気取った名前だな)

 頭の《ダイニ》という意味は私には分からなかった。

 

 

 




あとがき

 ガンダムユニコーン原作者の福井氏は執筆前に、例のあのprprprと言う小学生を見て、

『さすがに仕事とはいえ、(ZZを)見続けるのが苦痛だった』

 と、おっしゃったそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダイニ・ガランシェール

今話の登場人物

フラスト・スコール(機動戦士ガンダムUCより)
 29歳。短く刈り込んだ金髪。しゃくれた顎。ヤクザのような鋭い目付き。
 瓦解しかかったネオ・ジオン、【袖付き】のミネバ派構成員。
 2代目の偽装貨物船《ダイニ・ガランシェール》の船長代行。
 一年戦争時は少年挺身隊に所属し、終戦時は10歳。
 どんだけ殺しが好きなんだよ、と突っ込みを入れたくなる経歴。

アレク(機動戦士ガンダムUCより)
 年齢不詳。プロレスラーのような巨体とサングラスがトレードマーク。
 《ダイニ・ガランシェール》のナンバー2。
 【インダストリアル7遭遇事件】にて、戦端を開いたと言われる頭突きを喰らう。
 吹き飛んだサングラスを咄嗟にマリーダが掴み、かけ直してくれたことに今でも恩義を感じている。

アイバンとクワニ(機動戦士ガンダムUCより)
 《ダイニ・ガランシェール》、艦載MS《ギラ・ズール》のパイロット。
 アイバン「OVAで全くセリフが無いってどういうことなの?」
 クワニ「もう俺、ネオ・ジオンやめるわ」




 《ダイニ・ガランシェール》のブリッジで舵を握る短い金髪の男はひどく不機嫌だった。

 

「いや確かに言ったさ。『舵がだいぶ手に馴染んできたころだ』ってな。俺だってこの船が嫌いなわけじゃない。

 お前や古参の連中が、思い入れがあるのも分かる」

 

 そこで、フラスト・スコールは大きくタメを作るように、長く太い嘆息をついた。呆れるようだった目付きが、ヤクザの鋭いそれになる。

 

「しかしだ!だからって、今更、またこのロートル船をわざわざ好んで買うこたぁ、ねぇだろうがよっ!ええ!?

 お前もそう思うだろ、アレク?」

 

 そう言って、サングラスに短髪の巨漢に声をかける。

 ノーマルスーツを着込んだフラストも実はかなり鍛え上げられた肉体を持っているが、アレクと呼ばれたその男は規格外の巨大なノーマルスーツ姿で、超弩級プロレスラーのような体つきであった。アレクはその巨躯を航空士の狭いシートに窮屈に収めながら、ポーカーフェイスで針路を睨んでいた。

 ふたりともヘルメットは被っていないが、すぐに着用できるよう手元に置いていた。

 

「ジャンク屋からスクラップ寸前の船を拾ってきて、修理して使えるようにするなんて涙が出るねぇ。

 修理や改造費用でもっとマシな船が買えたんじゃねぇかと思うぜ、マジで。

 それによ、『この船はお前に任せる』って言っておいて、なんで俺が舵を握っているんだ?

 普通は任せるって言ったら、船長をやらせるってことじゃねぇのか?

 ところが、それが船長代行。代行の俺自身が舵を握ってるとくりゃあ、まさに、『ジオンに兵なし』だな」

 

 フラストは半ば諦めの雰囲気を持って、刈り込んだ金髪の後頭部を掻いた。

 事実、この船の定員は33名だが、今のクルーの総数は17名。およそ半数で船を運用しているため、一人二役など朝飯前。

 場合によっては、四役五役と働かねばならない状況も発生する。

 これは、地球圏~火星間を航行するために往復3ヶ月以上を要するため、少しでも積み込む水・食料を減らし、運搬物資を増やそうという、苦肉の策である。

 本来、この手の長距離宙行はもっと大型でかつペイロード量の多い宇宙船、例えば、連邦軍の《コロンブス》ないし《コロンブス改》級の武装を排した民間型《コロンビア》などの輸送艦船が行うのが普通であり、アナハイム・エレクトロニクス社(以下AE社)などの民間企業や引越し公社、コロニー公社などでは、一般的な標準宇宙船として広く普及している。

 《ダイニ・ガランシェール》が上記艦船より優れている点は、船足の速さと大気圏往還能力だけである。

 ちなみに、全クルーの内、先代の同型船から乗り込んでいるクルーはフラスト、アレクを含めて、5名しかいない。

 よって、フラストがアレクのことを『お前や古参の連中』と呼んだのである。

 

「大体船名にしたって、何なんだ?《ダイニ・ガランシェール》って。未練バリバリじゃねぇか。

 連邦にしたって、こんな分かりやすい名前じゃ喧嘩売ってんのかって、思ったって・・・」

 

 フラストの愚痴は続くが、恐ろしいまでの無口なアレクは相槌や頷きすらなく、ひたすら、各モニターを見比べるのみだ。

 しかし、フラストを無視している訳でもなく、所々でサングラスを指で押し上げたり、眉間のシワを深くしている。

 なんと、それが彼なりのリアクションらしい。

 慣れたもので、フラストの方も長年の付き合いで、それで会話が成り立っているらしい。

 奇妙な雰囲気に包まれた二人である。

 一通りの愚痴も言い終わったところで、フラストはまたひとつ嘆息する。

 

「うちのキャプテンももういい歳だ。死んだ子供()()やカミさんのこともあるんだろうがよ・・・。

 いい加減、引退して後妻でももらって、ゆっくりしてもいいと思うんだよな」

 

 フラストは《ダイニ・ガランシェール》にいない艦長であり、遠く離れたところの上官を思った。

 

「フラストはどうなんだ?結婚、しないのか?」

 

 突如、岩が喋ったのかと思うほど珍しいアレクの言葉。

 

「あ・・・?

 あぁ・・・!?俺は・・・まだ・・・。

 そもそも出会いがねぇよ」

 

 そして、その内容にゴツいフラストが似合わず狼狽する。

 

「だな。針路、仰角コンマ05、方位010」

「了解、と。

 そろそろ、お客さんとのランデブーポイントのはずなんだがな・・・、よっと」

 

 フラストはわずかに舵を修正した後、ヘッドレストに引っ掛けておいた通信用ヘッドセットをつかみ、無線のスイッチをひねる。

 

「ギャンブラー01、02。こちらフラスト。聞こえるか?」

『誰が博奕打ちだって?』

『変なコードで呼ぶな、勝手に変えるな』

 

 すぐに《ダイニ・ガランシェール》の直掩に回っているギャンブラー01と02ー普段はゴルフ01、02というコールサインで呼んでいるー、すなわち2機の《ギラ・ズール》パイロット、クワニとアイバンが応答する。

 

「こんなオンボロで火星くんだりまで来て、これから怪しい闇取引しようってんだ。ギャンブラー以外の何者でもないだろうが。他にこんな酔狂者がいるかい」

『確かにそうだな、はは・・・』

 

 針路前方、水先案内人を務めるクワニが笑う。

 

『しかし、本当に来るのか、先方は?何も反応はないぞ、今のところ』

 

 後方のしんがり、アイバンが疑念のこもった口調で言う。

 

「そもそも、ネタが急に降って湧いて出てきたようなもんだしな。おまけに、出所がチャンのおっさんからだしな」

『信用できるのか、あの禿げオヤジ?』

 

 フラストの言葉に、口調こそ疑問形だが、アイバンはまったく信用していない様子だ。

 

「できるわけないだろ。だからこうして、堂々と直掩にお前らを出しているわけだし」

『まぁ、俺たちだって信用できるテロリストって、訳じゃあないけどな、はは』

(そもそも『信用できるテロリスト』って何だよ?)

 

 クワニの矛盾する言葉に苦い顔のフラストである。

 彼ら《ダイニ・ガランシュール》のメンバーはネオ・ジオン残党、通称【袖付き】に所属していた。

 もっとも、【袖付き】は組織としては今や瓦解しかかっていた。

 

 

 数時間前、友軍の動向調査も兼ね、火星のジオン残党に物資を運搬し、帰路に付く《ダイニ・ガランシェール》に暗号電文が入った。

 ガエル・チャン。かつて、ラプラス戦争で知り合い、因縁浅はかならぬ関係となった人物からの暗号である。

 解読すると、

 

『木星船団《ジュピトリス》所属のMSを火星に送り届けろ』

 

 それだけの内容である。

 

(どうも俺は好きになれないんだよな・・・)

 

 以前、上官のキャプテンからガエルのことを『嫌うなよ』と釘を刺されたが、フラストは損得利害だけで簡単に気持ちが割りきれるほどの人間でもなかった。

 キャプテンが何と言おうと、

 

(怪しい奴は怪しい。臭い物は臭い)

 

 である。

 元々ガエルは連邦軍にいたようだが、軍を抜けた後は、地下組織とも関係があったようで、そのネットワークは多岐に及ぶ。

 

(一体、どこから情報を仕入れてくるのだか・・・)

 

 いちジオンの落武者に過ぎないフラストには想像もつかないことであった。

 もっとも、約束された報酬も相当なものであった。

 

(ヘリウムと金塊とはな。毒じゃないことを願うぜ)

 

 

「おしっ、機関減速。手すきの者は全員対空監視!厳と為せ!異変があったら何でもいい。知らせろ」

 

 全船通達すると、フラストは操舵席を離れ、前方の窓際へ飛んだ。相手がどんな方法でこちらに接触してくるか分からない以上、やれることはすべてやっておくべきだ。

 船長代行自ら双眼鏡を手に取り、ブリッジの窓、有機プラスチック板ごしの虚空を睨んだ。

 

(さぁて、鬼が出るか、邪が出るか)

 

 

「やっぱりモビルスーツが出てきた。ネオ・ジオンの亡霊め」

 

 私、マリア・アーシタは特殊ファンネルから採取した映像を照合して、モニター表示された2つの『AMS-119?』の型式番号を見て、忌々しげにつぶやく。

 末尾にクエスチョン・マークが付いたのは、《キュベレイ》が持っているデータベースと映像データとの間に一定の差異が認められたためである。

 マリアは知らなかったが、本来はその機体はAMS-129、通称《ギラ・ズール》と呼称されていたが、木星圏往還中の《ジュピトリス》はその機体データを持っていないため、《キュベレイ》のデータベースがアップデートされないまま《ギラ・ドーガ》のバリエーションモデルと認識していた。

 しかし、MSこそネオ・ジオンで使われていた機体であるが、船の所属もそうとは言いきれない。

 というのも、地球連邦政府の目が届きにくい火星、アステロイド、木星圏では自衛のためにMSを護衛につける民間船が公然と航行していたからである。

 本来は、強力な機動兵器であるMSを民間企業が運用するなど許されることではないのだが、海賊が跋扈(ばっこ)し、連邦軍からの正規の護衛が望めぬ以上、積荷を奪われて泣き寝入りするぐらいなら、多少連邦政府に賄賂などで目をつぶらせ、武装化してゆく艦船が増えていったことはむしろ自然といえる。

 またそういった警備需要に応えるために、BSS社のような民間軍事会社が隆盛するのである。

 《ギラ・ズール》にしろ、《ギラ・ドーガ》にしろ、マリアと《キュベレイ》にとっては撃墜すること自体は簡単だ。たとえ、敵規模が2~3個小隊であったとしても、やれる自信がある。

 ただ、散々墜とし、殺してから、相手が民間船の所属だったとすると、

 

(すいません、間違えました。じゃ済まないよな、さすがに)

 

 私は逡巡するが、中々妙案は浮かばない。

 というのも、そもそも私ひとりで素性のよく分からない船に乗り移るという行為自体が、ひどく危険で無謀なことだと、今になってはっきり思えてきたからである。

 一度《キュベレイ》を相手の船の貨物スペースに搬入し、MSから降りてしまえば私はパイロットから、一個人という戦闘単位になってしまう。

 連中のクルーに力と数で圧倒されてしまえば、簡単に捕縛・監禁されてしまうだろうことは想像に難しくない。

 そうなれば、強力なサイコミュ搭載のMSをみすみすくれてやったようなものである。

 もちろん、ニュータイプや強化人間の類にしかこの機体は扱えないし、連中に都合良くそんな人間がいる可能性も無くは無いが・・・。

 海賊ならば、単純に転売するだけで一財産築けるぐらいの技術と性能は《キュベレイ》には詰まっている。

 もちろん、自分自身の身の安全も全く無い。

 

(とすると、殺さない程度に攻撃して、圧倒的に有利な状況を作り出して、尋問と交渉をする・・・。しかないか・・・。

 なんだか面倒臭そうだな)

 

 私は心底うんざりし、また嘆息し、そして状況を精査した。

 彼我の相対距離は20キロほど。こちらは岩石のくぼみに隠れているのだし、偵察に出している特殊ファンネルも、よほど高精度な対物感知センサーでなければ、完全には捉えきれないはずだ。

 奇襲となるのは明らかだ。その点は私に有利に働く。

 

(兵は拙速を尊ぶ、か・・・)

 

 だが、私は速さだけでなく、より効果的にクルーに脅しをかけられるように、考えを巡らせた。

 

「よし。戻れ、ファンネル」

 

 策をまとめ、私は特殊ファンネルをリア・アーマーに回収するや、次々と隣の岩石やデブリに《キュベレイ》を移動させていった。

 まるで、水面を跳ねる飛び石のようで、飛翔と制動の瞬間だけスラスターを噴かしたその機動は、遮蔽物に隠されて《ダイニ・ガランシェール》側からは噴射光がまったく見えない。

 すぐに《ダイニ・ガランシェール》の船底斜め下、後方の岩石ー差し渡し40メートル程ーに潜んだ《キュベレイ》はしんがりの《ギラ・ズール》から片付けることにした。

 

「行け、ファンネルたち」

 

 再度つぶやくと、同時に飛び出した8基のファンネルが主の《キュベレイ》同様、岩石やデブリに身を潜め、攻撃体勢をとった。

 

 

「一杯食わされたんだよ、やっぱり」

 

 いつまでも現れない取引相手に落胆し、しんがりの《ギラ・ズール》パイロット、アイバンは《ダイニ・ガランシェール》のブリッジへ無線を送る。

 

「俺たちは上手いように上層部に使われ過ぎなんだよ、そもそも。ラプラスの時だって、うちは貧乏くじだろ?」

『そもそもといえば、お前が貧乏くじなのは、この世に生まれたことだろう?』

 

 アイバンの文句に船長代行のフラストも辛辣な一言で応酬する。

 

『もっとも、《ガランシェール》隊の貧乏くじは今に始まったことじゃねぇ。諦めるしかねぇな。

 あと1時間で何もなかったら、引き上げだ』

「了解」

 

 短く答えて、アイバンはリニア・シートに座る自分の右斜め上に漂っていた、音楽携帯デバイスを手にし、ヘルメットのジャックに差し込んだ。

 重厚な管弦音楽がヘルメットの中に流れ出した。アイバンは曲の冒頭の弦の響きがお気に入りだった。

 組曲『惑星』より火星、戦争をもたらす者。

 

「♪ダダダ、ダン、ダン、ダダ、ダン♪」

 

 執拗に繰り返す5拍子にアイバンは手足、頭でリズムを取りながら、計器類、全天周モニターに目を凝らす。

 やがて演奏がクレシェンドに差し掛かり、不穏を秘めたバイオリンの高音が鳴り響き始めたと、同時に、《ギラ・ズール》の対物感知センサーがごく小さな反応を告げる。

 

「何だ?ゴミか?」

 

 まるで、自機を取り囲むように、複数の小さな光点がセンサー画面に表示しては、ロストする。対象が小さすぎるらしい。

 そして、演奏が激しく弾けた瞬間、《ギラ・ドーガ》の装甲も弾けた。

 

「何!?」

 

 右肩から上腕を保護する装甲がイエローに輝く軌跡ービーム砲のそれだーに焼かれ、焦げていた。

 

「クワニ!敵・・・」

 

 前方警戒中のクワニへ無線で急を告げるまでも無く、スピーカーから流れる相棒の悲鳴が耳朶を打つ。

 

(くそっ!前からもかよっ!)

 

 続いて別々の方角から射ち出される3条のビームが次々とアイバンに襲いかかる。

 それらはスレスレで機体をかすめ、頭部、コクピット前面、腰部の装甲の表面を焼き、虚空へ消えて行った。

 

「畜生!囲まれていやがる!」

 

 敵は2個小隊以上だ!ミノフスキー濃度が低いのに、なんでこんなにされるまで接近に気が付かなかった!?

 

「《ガランシェール》逃げろ!!」

 

 叫びながら、アイバンは《ギラ・ズール》が右マニピュレータに装備した、MMPー80マシンガンを四方の見えない敵に向けて撃ちまくる。

 レッドの断続的な曳光弾が暗い宇宙を照らし出した。

 しかし、直後にイエローの敵ビームが再度閃き、マシンガンごと右手首は撃ち抜かれ、千切れていった。

 

「畜生、ちくしょう、チクショーォ!!」

 

 すぐさま腰の斧状近接戦闘用武器、ビームホークを左マニピュレータで抜き、アイバンは全天周モニターの上下左右に目を走らせるが、敵影はまったく見当たらず、あるのは対物感知センサーに、点いては消える小さな光点のみであった。

 

「どこに隠れやがったーぁ!」

 

 フットペダルを踏み込み、メイン・スラスター全開で前方に突っ込みながら、アイバンの《ギラ・ズール》はビームホークを闇雲にやたらめったら振り回す。

 空間に留まっているのは危険だ。

 そして、正面からまたイエローのきらめきが走り、今度は左肘から先が機体から離れていった。

 そのときアイバンは見た。

 そのビームが前方の小さなデブリと誤認した物体から発射されたところを。

 先端に伸びた短砲身、漏斗形状のボディ。だが、大きさはせいぜい人間サイズ。センサーは認識し切れていない。

 

(あれは・・・、まさか・・・)

 

 アイバンの記憶の奥から蘇るものがあった。

 

(・・・ファンネルとか言ったか?《クシャトリヤ》が装備してて、あれは確か・・・)

 

 型式番号NZー666、通称《クシャトリヤ》は先のラプラス戦争において、新生ネオ・ジオンの戦闘部隊を率いる高性能MSであり、戦争の戦端を開いたコロニー・インダストリアル7内の戦闘において、単機で連邦軍ロンド・ベル部隊のMS7機を撃墜せしめたことは記憶に新しい。

 その戦果の多くが《クシャトリヤ》のファンネルによる標的を取り囲んでのオールラウンド攻撃と言われている。

 そして、ファンネルを機動させる根幹になっているサイコミュ・システムを扱える者が・・・、

 

(こいつっ!敵はニュータイプか!?)

 

 あの頃は味方機だったサイコミュ搭載MSが、今まさに目前にせまる敵機としてアイバンの間近に潜んでいた。

 彼は2年前のインダストリアル7で落とされた連邦軍MS、《リゼル》パイロットと同じく、絶望に似た思いにとらわれた。

 

 

『ぐ、うぅあー・・・!』

『《ガランシェール》逃げろ!!』

 

 先方MSパイロットのクワニの悲鳴と後方のアイバンの警告の無線がほぼ同時にスピーカーから流れた。

 

「機関増速前進!防護シャッター下ろせ!」

 

 ヘルメットを被り接合部のジッパーを締めながら、《ダイニ・ガランシェール》ブリッジのフラストは窓際から操舵席へと飛ぶ。

 すぐさま、対応したアレクがタッチパネルを操作し、全船の防護シャッターを下ろす。

 ブリッジのシャッターの裏面はすぐにスクリーンによって周囲の宇宙が投影された。

 前方でクワニの《ギラ・ズール》が敵の攻撃と思われる複数のイエローのビームの軌跡に晒されていた。

 

『囲まれてる!後ろにも3機はいるぞ!!』

 

 対空監視をしていた、普段は整備士のトムラの裏返った無線が続く。

 フラストは舵を握るや全力でそれを引き、最大仰角で退避行動に移った。

 

(ハメられた。ビームの数が尋常じゃない。2個小隊か、いやそれ以上か?どこの部隊だ?連邦か、それとも海賊!?)

 

 後方に遠ざかりつつある、戦闘の光をモニターで確認しつつ、フラストはほぞを噛むが、もう遅いという思いが占めた。

 

(クワニ、アイバン・・・すまん)

 

 武装の無い《ダイニ・ガランシェール》には、味方を見捨てて、戦線を離脱するという選択肢しか残されていなかった。

 

「後方から高熱源体接近!速い!!」

 

 いつになく、焦るアレクの声に、フラストは舵を握る手に力が入る。

 レーダーを確認すると、秒速単位で敵機動兵器が2機の《ギラ・ズール》をジグザグの航跡を描いてスルーし、《ダイニ・ガランシェール》の後方へ迫っていた。

 

(速過ぎる!)

 

 フラストがそう思ったときには、《ダイニ・ガランシェール》を追い抜き、ブリッジ正面モニターに4枚の巨大な蒼い炎、スラスターの花弁が映し出された。

 その1秒後には船首の2km先までそれは到達していた。

 その機動兵器ーおそらく、MSだろうーが振り向きざま放ったイエローの光がフラストの網膜を正面から焼いた。

 

(やられた)

 

 と思ったとき、1条のビームはブリッジをかすめ、船の上部甲板を放射熱が焦がしながら、後方の宇宙へと消えた。

 

(!?)

 

 反射的に腕で顔を隠していたフラストが正面のモニターに向き直ると、未だに自分の肉体は蒸発しておらず、《ダイニ・ガランシェール》も健在であることに気付く。

 再び、前方MSの左前腕部のビームガンからイエローの閃光が《ダイニ・ガランシェール》に向けて発射される。

 

(また外した!?いや・・・、わざとか?くそっ、なめやがって!)

 

 やろうと思えば、後方から《ダイニ・ガランシェール》を沈めることも、そのMSにとっては造作もないことだったろう。

 先回りしての威嚇射撃なのか、それとも、

 

(なぶり殺しにするつもりか・・・?)

 

 フラストは歯噛みしながら、《ダイニ・ガランシェール》に右旋回をかける。正面のMSの左をすり抜け、あとは船足に運を任せるつもりであった。

 しかし、敵MSはフラストの思惑や操舵を『すべて先読みしていた』かのように、相対速度と機動を完全に合わせて、文字通り、ブリッジの鼻先にへばりついた。

 そのMSの肩部から張り出した4基の巨大なバインダーが蒼い火炎を吹き出し、そのシルエットを鮮明にする。スクリーンに迫るそれはまるで、

 

「よ、四枚羽根だと、!?」

 

 フラストが呻き、航空士席のアレクも腰を浮かす。

 先代の偽装貨物船《ガランシェール》に艦載され、連邦軍から『四枚羽根』と忌まれたMS、《クシャトリヤ》の幻影がよぎる。

 ブリッジのふたりは先代からの古いクルーであるから、目前のMSは《クシャトリヤ》とはカラーリングも頭部形状もシルエットも違うことが分かるが、全体が曲線で構成されたデザインからそのMSがネオ・ジオン由来のものであることは想像できた。

 MSは左前腕に装備されたビームガンの不気味で暗い砲口をブリッジのふたりに見せつけながら、右手を船体に接触させ回線を開いた。

 

『《ダイニ・ガランシェール》に告ぐ。停船せよ。従わぬ場合は撃沈する』

 

 船内に響く突然の敵パイロットの声。

 

「「「女・・・!?」」」

 

 自らの素性も明らかにせず、その女性パイロットの声は一本調子で棒読み、失礼千万であったが、古参のクルー、フラスト、アレクそして、整備士のトムラはまた別の思いにとらわれた。

 

(((この声、似てる・・・)))

 

『繰り返す。直ちに停船せよ。従わぬ場合、・・・』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女の思い出

今話の登場人物

トムラ(機動戦士ガンダムUCより)
 《ダイニ・ガランシェール》の整備責任者。
 ストレス太りの部下がいたが、超巨大航宙蟹《メガラニカニ》のクルーとして取られてしまった。
 たまに、寄港すると何かに取り憑かれたように、月刊MSジャーナル誌の最新号を読みふける。



 

 《ダイニ・ガランシェール》のシャワー室のドア前で、腕組みするフラスト・スコールはひどく不機嫌だった。

 

「で、なんだお前ら?まさかのぞきに来た訳でもないだろう?」

 

 元々の目付きの悪さに加えて、彼の視線はかなり険を含んだものであった。

 シャワー室の中からは使用中と思われる微かな物音が廊下へと流れ出していた。

 そして、その狭い廊下で4人の男たちがフラストを取り囲んでいた。

 航空士のアレク、整備士のトムラ、そしてMSパイロットのクワイとアイバンである。

 

「フラスト、はぐらかさないでくれ」

 

 両手を腰に当てたトムラが飽きれたような、困ったような表情を見せる。

 他の3人はフラスト同様、腕組みし渋面だ。

 

「あんたがあの人に、パンツみたいに張り付きっぱなしだから、話ができなかったんだ」

「あのなぁ・・・、張り付かれているのは、俺の方なんだよ」

 

 声のトーンが上がっていき、フラストは怒気を含ませて言う。

 そこへMSパイロットのクワニが割って入る。

 

「とにかく、彼女がシャワーに入っているこの時間しか、今はフラストと腹割って話せないんだ。手短に行こう」

 

 ふたりにやんわりと自制を促す。

 マリア・アーシタが《ダイニ・ガランシェール》に乗船して2日が過ぎていた。

 船は《キュベレイ》を載せ、順調に火星に向かっていた。

 

 

 その女性パイロットは《ダイニ・ガランシェール》を停船させるとすぐに、貨物スペースにファンネルを付き従えたままMSを格納してきた。

 コクピットから出てきた彼女は、船長代行のフラストを呼びつけ、銃を突きつけるや、

 

『私は《ジュピトリスⅡ》護衛、ブッホ・セキュリティ・サービス所属のマリア・アーシタ士長だ。この船は私の指揮下に入ってもらう』

 

 いきなり宣言した。

 冷静さの中にも血気盛んなところを持つフラストが、マリアを見た途端に、その命令に黙って従う姿にクルーの多くが腑に落ちない様子であった。

 続けて、彼女は、

 

『船長代行には、可能な限り時間と行動を共有してもらう。これはお互いの安全保障のためでもある』

 

 といって以降の48時間を、どこへ行くにも、何をするにもートイレやシャワーを除き、就寝にいたるまでー、フラストと一緒に行動していた。

 彼女なりに船の責任者たるフラストへ向けて、銃を突きつけているつもりらしい。

 そして、今まさに、マリア・アーシタがシャワー室を利用している間隙を突いて、ドアの前で見張りに立つフラストの元に古参クルーの4人が集まったわけである。

 

 

「それで目的は何なんです、彼女の?」

 

 アイバンが背に体を預け、腕組みしながら不機嫌に言った。

 彼の《ギラ・ズール》は右手首、左腕を破壊されたあと、全身の装甲をファンネルより発せられた無数のビームに焼かれたが、それ以上の損傷はなく、今は貨物スペースで修理を受けているところであった。

 クワニの機体も同程度の小破である。二人共完全に『遊ばれた』わけである。

 

「まぁ、そう尖るなよ。ニュータイプにかかれば、俺たちなんてこのロートル船と同じオンボロに過ぎないよ。はは」

 

 クワニのセリフもアイバンには顔を背けさせただけだった。

 

「彼女の目的は最初にチャンの奴が言った通り、『火星に自分とモビルスーツを運べ』ってこと以外喋らん。こっちのことを全然信用していない感じだ」

 

 フラストの言葉に一同はため息を付く。

 続く沈黙を誰もが破れずにいた。

 

「それで、」

 

 額に巻かれたヘアーバンドをいじりながら、努めてさりげなく、トムラが言う。

 

「あの人自身のことを、どこまで聞き出したんです?」

 

 しかし、語尾が微かにかすれた。

 明らかにトムラは動揺していたが、実はそれはこの場にいる5人全員が同じであった。

 一際、長く深いため息をフラストは付いた。

 

「別に、・・・何も聞いてねぇよ」

 

 ぼそり、という感じでフラストがつぶやく。

 先ほどよりも長く、痛いほどの静寂と沈黙が続いた。

 

「だって、」

 

 やはり、それを破ったのは、意を決した感じのトムラであった。

 

「だって、あの人は・・・。

 彼女はどう見たって、マリー・・・」

 

 その時。

 電子音と微かなモーター音を響かせドアがスライドし、マリアが姿を見せた。

 上は白いTシャツに、下はカーキ色のハーフパンツというラフな格好だが、腰に下げた自動拳銃と右肩から下げたスリング付きのショットガンが異常であった。

 接近戦を考慮してか、ショットガンは銃身と銃床を詰めたソウドオフのスライドアクション式である。

 

「船長代行、ドライヤーが無いんだが、・・・」

 

 そこまで言って、マリアはこの狭い廊下に5人もの男がひしめき合っている状況に気が付いた。

 見れば、彼らは空間にその表情を張り付かせたようにして呆然としていた。

 生乾きの乱れた栗色の髪。

 意志の強そうな蒼い瞳。

 細い顎のライン。

 軍人然の硬質な口調。

 それらすべてがマリア・アーシタという目の前の人物でなく、まさしく『彼女』そのものであった。

 ただ違うのは、その長く伸びた手足に痛々しい火傷や裂傷の痕がマリアには無かった。

 何かを察したマリアは見る見るうちに目が険しくなり、肩のショットガンに手をかけた。

 

「お、」

 

 いち早く復活したフラストが、

 

「おい、おい、か、勘違いするなよ!?別にこいつらのぞきしようとしたとかそういうのじゃない!」

 

 弁明するが、ますますマリアの目つきは剣呑となった。

 

「ではなんだ?言ってみろ」

 

 質問というより詰問。ぐっと答えに窮するフラスト。

 

「あんた、なんで火星に行きたいんだ?」

 

 突如すべての状況を無視したように、アレクがマリアを見下ろして言う。

 マリアは上目遣いでその巨漢を睨みつけた。アレクはそのすさまじいプレッシャーに奥歯を砕かんばかりに食いしばった。

 どれほど、それが続いただろうか。

 

「説明する理由は無い。持ち場に戻れ」

 

 その燃える蒼い瞳が、この話は終わりだ、と雄弁に語っていた。

 不平不満の素振りを見せながらも、それぞれに彼らは去って行った。

 フラストもブリッジへ戻ろうとすると、

 

「今日も浴びないのか?」

 

 後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、マリアはやや不満そうな、少し嫌悪するような表情を浮かべていた。

 

「そうだ、な・・・」

 

 普段の航行ではシャワーなど滅多に浴びず、せいぜいタオルで体を拭いて済ましていたが、

 

(さすがに、若い女と薄いカーテン一枚隔てて、同じ部屋の天井の下で寝てるんじゃ、アレだな・・・)

 

 わずかに、考え込んでからフラストはシャワー室のドアの電子取手に手のひらを合わせた。

 

「ここで待つ」

 

 という短いマリアの言葉を背に受け、フラストは中に入った。

 

 

(一体、俺はどうしちまったんだろうな・・・)

 

 考えをまとめようにも、頭がうまく働かない。ぼんやりとしながら、気が付くとフラストは宇宙用ミストシャワーの個室にたたずんでいた。いつどのように自分が服を脱いだのかもはっきりしなかった。

 ふと、個室の底の方に、細長い一筋のきらめきがあった。

 手に取ると、それは栗色の髪の毛、マリアのものであった。エアブローしきれなかったものが残っていたらしい。

 頭上の照明に透かすと、それはわずかにオレンジがかっていた。

 突然、フラストは人生で幾度目かになる感傷に襲われた。

 戦争に負けた日。

 故郷が連邦軍に焼かれたのを知った日。

 そして、かけがえの無い戦友であり、本当の妹とも思っていた『彼女』が死んだ日。

 同じ気持ちを味わった。

 

「は、はは、ははは・・・」

 

 力なく笑う。情けない。

 

「畜生ーぅ!!」

 

 フラストは思い切り壁を殴りつけた。

 拳の皮膚が裂け、血が表面にこびりつき、彼の『記憶』が廊下の外にまで飛び出した。

 

 

 廊下でふわふわと浮かびながら私、マリアはあぐらを組んでその瞳を閉じた。

 

(この船の感覚なんだろう。妙に懐かしい・・・)

 

 《キュベレイ》が格納されている貨物スペースも船首近くのブリッジも、初めて見て、経験したことのはずなのに、それが『初めてではない』ような奇妙な感触に私は感じられた。

 

(でも、この感じ。前にも一度あった・・・。

 アクシズの、・・・最後の戦闘)

 

 マリアは第一次ネオ・ジオン戦争が終結したときのことを思い出し、胸が重苦しくなった。

 

(あの戦闘で負傷した私は、《ネェル・アーガマ》に連れてこられた。あの船と同じ感じがする)

 

 当時はネオ・ジオンのMSパイロット、しかも強化人間という特殊な立場の私が、連邦軍エゥーゴ所属の宇宙艦艇《ネェル・アーガマ》に乗せられるなど思いも寄らなかったが、さらに、予想外だったのは初めて見る船内の様子に既視感を感じたことだった。

 

(あれはきっと姉さんの思い出のカケラが入ってきたんだな・・・)

 

 姉は私より数ヶ月も前に、従来艦である《アーガマ》に捕虜にされたと聞く。彼女の記憶の残渣のようなものを感じ取ったのか。

 

(でも、この船《ダイニ・ガランシェール》は私とも、姉さんとも、何のゆかりも因縁もないはず・・・。

 それにさっきの4人。・・・いやフラストも入れて5人の態度。

 ・・・いや、態度というより)

 

 彼らの私に対する心理のようなものが、不思議でならない。

 他のクルーは大なり小なり、私に対して恐れと敵意を持っていることが、肌に感じられる。それなのに、この5人は私をまったくそういうように思っていない。

 むしろ、抱いている感情は、

 

(憐れみ・・・、同情・・・、そして疑念・・・)

 

 義兄となったジュドーとその仲間に私が助けられたとき、彼らから向けられた感情に何か通じるものがあるように思えた。

 だが、その事をマリアが切り出し、フラストたちに尋ねる勇気は無かった。

 そうすると、何かが壊れてしまうような、危うさをはらんでいるような気がした。

 

 ガツッ

 

 その時、シャワー室から何かを殴りつけるような物音に私は目を開いた。

 

(!?なんだこれは・・・)

 

 私の視界に、腰まで届く長いオレンジがかった栗毛の女性の後ろ姿が飛び込んできた。

 

(ここは、・・・この船の廊下であることは間違いないようだが・・・、いや違うのか?)

 

 何となく、違和感があった。

 例えば、天井近くの照明のカバーの形が少し違っていたり、壁の色が違っていたり。

 

『ずいぶん伸びたな。少し髪切った方がいいんじゃないか、マリーダ?』

 

 私の口からフラストの声が発せられた。はっきりと内容は聞こえるのに、狭いトンネルの中でしゃべっているような反響した感触。

 その声に女性が私の方へ振り向く。髪から立ち上るかすかな甘い香りが私の鼻腔をくすぐった。

 豊かな栗毛が無重力の中で波打ち、その横顔を・・・。

 

 

 突然、情景が途切れた。

 照明カバーも壁の色も《ダイニ・ガランシェール》の現実へと戻っていた。

 

(あの声、・・・フラストだった。じゃ、今見たのはあいつの記憶・・・?)

 

 苦い気持ちが広がっていった。

 

「だから嫌なんだ、ニュータイプは」

 

 人の心の中へ土足で踏み込んだような感じがした。

 私はまた自己嫌悪し、ハーフパンツのポケットから安定剤のピルケースを取り出した。

 

 

 空気中に漂う機械油の匂い、グラインダーの甲高い騒音、溶接トーチから放射される閃光。

 それらが来る者の嗅覚、聴覚、視覚を刺激、演出し、ここがMSデッキであることを否が応にも理解させる。

 《ダイニ・ガランシェール》後部貨物スペースにて。

 

(なんでお前は今更、俺たちの前に現れたんだ?)

 

 トムラはそのMS、《キュベレイMkーⅡ改》を見上げながら思った。

 肩部のバインダーがオリジナルの機体よりも推力強化・延長されたそのシルエットは、トムラに別のMSを連想させた。

 

「トムラっ!」

 

 不意に名を呼ばれ、トムラは我に返る。

 見れば、キャットウォーク上をフラストとマリアがこちらへ無重力遊泳して来るところだった。挨拶代わりなのか、片手を上げたフラストの右拳には真新しい包帯が巻かれていた。先ほどシャワー室の前であったときには、それは無かったはずだ。

 

「どうしたんです、それ?」

 

 指差しながら、トムラが尋ねると、

 

「ん、んー、うん。なんでもねぇよ」

 

 はぐらかされた。

 

「トムラ整備士」

 

 今度はマリアの方がこちらへ話しかけてきた。彼女は先ほどと同じ格好だが、大きめのヘッドセットを付けている点は違っていた。

 髪はドライヤーで乾かしたらしい。

 

(サイコミュ・コントローラーとか言ったっけ?初めて見たけど)

 

 重度のMSマニアの上に整備士なんぞやっているので、どうしてもその方面の未知の知識や装備には目がいってしまう。

 それはヘッドセット自体が《キュベレイ》を遠隔操作できるデバイスであった。

 トムラはマリアが《ダイニ・ガランシェール》に半ば強引に乗り込んできた2日前のことを思い出した。

 

 

 その時、貨物スペースにはMSから降りてきたパイロットを狙撃する可能性もあって、コンテナの影にライフルを持たせたクルーを待機させていた。

 コクピットからパイロットが離れれば、MSは操縦者の意志を離れ、彼らの自衛手段は携行火器に限られると、思ったからである。

 ところが、コクピットを離れ船長代行のフラストと会話をしていたマリアは、《キュベレイ》の外からリア・アーマーに格納されていたファンネルを射出し、狙撃者が潜んでいたコンテナにぶつけてみせた。

 そのクルーは内壁とコンテナに危うく挟まれ圧死するところだった。

 

『私はいつでも、どこでもこの船を沈めることができる。小賢しいまねは止めな』

 

 彼女は傲然と言い放っていた。

 

 

「肩のマーキングがまだ消えていないが、どういうことだ?」

 

 マリアが顎をしゃくって《キュベレイ》の左肩を示すと、確かにそこには『赤い盾をバックに3本の交差する剣』のブッホ・セキュリティ・サービスを表す社章が描かれていた。

 

「私は2日前にこれを消すように指示したはずだ」

「それは聞いてはいますがね・・・」

「では、なぜすぐにやらない?」

 

 トムラの言葉に、応答するマリアの物言いは相変わらず疑問形ではなく、詰問であった。

 

「では言わせてもらいますがね、こっちも《ギラ・ズール》の修理で忙しかったんですよ。

 あなたがご丁寧にアイバン機の両手を壊してくれたお陰でね」

「そんなことを私は聞いていない。仕事の優先順位を間違えるな」

「りょーかい。今すぐやりまーす」

 

 トムラはぞんざいに答え、キャットウォークの手すりをつかんで、《キュベレイ》の方へ飛んだ。

 振り返り様に、

 

「火星に着く前には終わらせますよ。何だったら、新しくネオ・ジオンのマーキングも入れておきますか?」

 

 言うと「必要ない」と、憮然とした表情でマリアが返した。

 

「ああ、そういえば、」

 

 マグネット・ブーツを使い《キュベレイ》の左肩に器用に立つトムラが思い出したように言い、真下を指差した。

 

「そこの・・・、下の文字も消しときますか?」

「文字ぃ?なんだそりゃ?」

 

 しゃくれた顎をしごきながらフラストも怪訝な顔になり、トムラの指差す方を見る。

 

「どこだよ?」

「ほらそこの、腰の装甲のとこ」

 

 フラストが視線をやると、濃紺に塗られた《キュベレイ》の腰部フロントアーマーに白字で『龍飛』という漢字が書かれていた。筆で書かれたそれは、かなりの達筆だとその手の造詣に詳しくないフラストでも分かった。

 

「何なんだ、これ?」

 

 フラストが隣のマリアに尋ねると、

 

「ああいう風に書いて、《バウ》と読むらしい」

 

 彼女は答えるが、その表情はなぜか冴えない。

 

「《バウ》ってモビルスーツのか?」

 

 マリアが小さく頷く。

 型式番号AMXー107、通称《バウ》はネオ・ジオンが開発した分離可変型の第3世代MSである。

 先のラプラス戦争(第3次ネオ・ジオン戦争)でも、フラストらの所属する【袖付き】の一部部隊で運用されたため、その存在自体は知っていたが、詳しくはなかった。

 

「なんだフラストは知らないのか?おーい、スプレーガンとマスキング、こっちだ!」

 

 頭上のトムラが部下の整備士に声を掛けながら、フラストに言う。

 

「何をだ?」

「あの『龍飛』って文字もマーキングの一種だけど、あれは単に《バウ》って言う意味だけじゃなくて、グレミー・トト専用の《バウ》ってことなんだ。

 あいつの好みだったらしい」

 

トムラの言葉にマリアの肩が微かに震えた。

 

「グレミー・トトって・・・?

 【一月(ひとつき)天下】のグレミーか?」

 

 元ネオ・ジオン士官、グレミー・トト。彼が第一次ネオ・ジオン戦争の後期に起こした内部謀反が戦争終結の直接の引き金になったと、後世の通説となっている。

 

「あれさえ無ければ、ネオ・ジオンはもっと有利に連邦と和平交渉できたろうになぁ・・・。

 馬鹿野郎が、・・・余計なことしやがって」

 

 さも残念そうに、忌々しげにフラストが言う。

 

 

 現在より10年前、UC88年。

 ジオン残党の掃討を目的とする連邦軍特殊部隊・ティターンズ。

 連邦軍の主導権や宇宙移民政策でティターンズと対立するエゥーゴ。

 そして、小惑星ごと核パルスエンジンによって地球圏へ帰還したジオン残党のアクシズ。

 この三つ巴の中で勃発したグリプス戦役はティターンズ、エゥーゴ双方が戦力の大半を喪失する中、アクシズは戦力を温存することに成功。組織をネオ・ジオンと改称し、地球侵攻を開始する。ダカール占拠、ダブリンへのコロニー落とし、連邦からのサイド3譲渡など戦いと交渉を有利に進めていた。

 そこに前述の内乱が発生し、疲弊したネオ・ジオンは結局連邦に屈服することとなった。

 

 

 フラストが残念がるのも無理がないと言える。

 しかし、隣のマリアの表情が暗く沈んだままなので、フラストはあえてこの話題を続けようとは思わなかった。

 

「それでどうするよ、あの文字?消すか、残すか?トムラみたいに知ってる奴が見れば、何か変に思うかもな」

 

 マリアはしばらく逡巡していたが、おもむろに、

 

「文字は・・・、残しておいてくれ」

 

 うつむいたまま、隣のフラストだけに聞こえるような小声で言った。

 

「わかった」

 

 頭上ではちょうどトムラとアシスタントの整備士が左肩の社章のまわりをマスキングし始めているところだった。

 少し不安になり、フラストは尋ねる。

 

「ところで、《キュベレイ》をどうするつもりだ?まさか、火星面コロニーに直接こいつで乗り込む訳じゃないだろうな?」

 

 フラストは先日、補給物資を届けたばかりの、地下コロニーを思い出した。

 

 

 火星開発の歴史は古い。

 旧世紀、西暦の無人探査機、そして少数宇宙飛行士による有人探査、入植。地球連邦政府が樹立されてからは、人類宇宙移民計画の一貫として、主にテラフォーミング(火星地球化計画)に注力された。

 

『夢の惑星・火星』

 

 一時はそう言われたこともあったが、遅々として進まぬ、大気改善と気温上昇、そして、絶対的な問題として、地球からの距離があった。

 火星は人類にとって、距離も科学力も遠すぎたのだった。

 やがて、移民計画の主軸は、月と地球間に発生する力場の拮抗点、ラグランジュポイントに人工の居住地スペースコロニーを建設する方向へと変わっていき、火星はいつしか宇宙の田舎となり、人々の記憶から忘れ去られていった。

 しかし、ジオンは軍事拠点および、火星・木星間のアステロイド・ベルトへの中継地点としての価値を火星に見出していた。

 いつから火星面コロニーを建設していたか、はっきりとはしないが宇宙世紀80年代初頭には、すでにマリネリス渓谷の最深部にシールドマシンを使って横穴を掘り始めていたと言われる。

 一年戦争の敗戦後ということもあり、開発進捗はゆっくりとしていたが、それでも現在まで拡張工事は続けられ、構造はアリの巣状に複雑になっていた。

 裏に回れば、連邦軍に対し抵抗活動を続ける【火星ジオン】のアジトであるが、表向きはサイド6の火星開発基地として、鉱山業、テラフォーミングの基礎研究などで民間人も多く生活していた。

 

 

「そうだな・・・」

 

 細い顎に指を当て、考え込むマリア。

 

「それはやめておこう」

 

 フラストはその言葉にほっとした様子を見せる。

 

「それが賢明だな」

 

 遠い目をしてマリアが答える。

 

「フラストの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。

 昔、私もコロニーの中でモビルスーツを使ったことがあるが、気持ちの良いものじゃない。火器はろくに使えないし、下手に撃てば、巻き添えの数もおびただしい。

 お前ら【袖付き】がインダストリアル7でやったようにな」

 

 フラストは、ぐっ、と言葉につまった。

 

 

 【インダストリアル7遭遇事件】

 

 新サイド4(旧サイド5)のコロニーで起きた事件は、遠く木星間往還中だった《ジュピトリスⅡ》にさえ、大きく伝わった。

 〈インダストリアル7で大規模テロ〉〈ネオ・ジオンのゲリラか?〉〈死者・行方不明者600人以上〉

 マリアにも当時のネットを駆け巡ったニュースのヘッドラインは記憶に残っている。

 当初事件はテロ、歩兵・ゲリラ戦闘などのLIC(低強度紛争)程度の取り上げ方であったが、実際は連邦ロンド・ベル隊とネオ・ジオン【袖付き】間で発生した大規模MS戦であった。

 コロニー内で展開された戦闘は、ビームライフル、偶発的に起きたMS核融合炉の爆発などにより、避難する間もなかった非戦闘員の多くが犠牲となった。

 

 

 フラストが苦渋の顔で言い返す。

 

「こんな言い方は俺もしたくないが・・・。

 残念な結果だったが、あれは事故だ」

「それを死んだ遺族に伝えたらどうだ?」

 

 即座に、ぶすり、という感じでマリアが言う。

 

「『ご愁傷様です。我々のモビルスーツが暴走して、あなたの大切な人を焼き殺してしまいました。ただの事故です』とな。

 お前たちが何と言おうと、どう繕おうと、彼らにとっては大切な家族を奪ったモビルスーツは悪魔か、死神でしかないだろう?」

 

 マリアの口調はあくまで静かだ。非難というより、諭すようなものに近い。

 だが、だからこそフラストは反論のしようがなかった。

 

「お前も兵士なら分かっているだろう?戦場での敵味方の生き死には自分らで負うしかないことを。

 たとえ、上官や戦友を殺されたとしても」

 

 期せずして、金髪のネオ・ジオン士官と、彼を殺した自分の義姉の姿がマリアの脳裏をよぎる。

 

「だが、彼らは兵士ではない。戦争とは無縁と思っていた民間人だ。明日の予定や将来の夢や希望を持ちながら、平凡な人生を歩んでいた普通の人間だ。

 遺族はあのMSパイロットを八つ裂きにしても飽き足らないだろう」

(そんなことは分かっているよ。俺だって故郷を連邦に焼かれたんだからな)

 

 しかし、そんなことを言っても、不幸自慢でしかないフラストは黙った。

 ふと、《キュベレイ》を見上げながら語るマリアを盗み見ると、彼女の横顔は人生に抗いながらも抗いきれぬ、諦めが入り混じった憂いを浮かべていた。

 こちらの視線に気付いたマリアはフラストを真正面から見据えた。

 

「《クシャトリヤ》といったか?その後、あのMSのパイロットはどうした?」

「戦死した。2年前、ラプラス戦争でな」

「そうか。残念だ」

 

 大して残念そうでもない口調で言うと、マリアはこの話しには興味が無くなったようになり、また《キュベレイ》を見上げた。

 そして、おもむろに言う。

 

「《キュベレイ》はいつでも使えるようにして港の倉庫街に隠しておこう。実際にこれを使えば、3桁以上の人が死ぬかもしれない。

 ・・・できれば使いたくないが、私にとっても保険は必要だ」

 

 《キュベレイ》をコロニー内で使う可能性を排除しない。それは先の【インダストリアル7遭遇事件】で多数の民間人を殺した《クシャトリヤ》のパイロットと同じことをするかもしれないということだ。

 

「フラスト、『龍飛』の本当の意味を知っているか?」

「??」

 

 マリアは《キュベレイ》を見上げたまま、フラストに尋ねる。沈黙を彼の答えと理解したマリアは続ける。

 

「『龍飛』は『空を駈けるドラゴン』という意味だ」

 

 彼女の言葉に、改めてフラストがその達筆を見ると、何やら禍々しい印象を持って迫ってくるような気がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ホルストの午後

今話の登場人物

ベイリー(機動戦士ガンダムF90より)
 中年男性。おっさんとも言う。元・公国軍人。
 残党であるジオン独立火星軍の少尉。
 愛機は一年戦争以来の《ゲルググキャノン》。
 アイバン、クワニの3人で【脇役三銃士】を自負する。
 




 太陽系第4惑星・火星。

 その火星面コロニー・ホルストの総督府。

 キアーラ・ドルチェは広い応接室にただ独りソファーに腰掛けながら、落ち着きなく服の袖に手を当て、具合を確かめていた。

 別に、あてがわれた服の袖がほつれていたわけでも、サイズがおかしかったわけでもない。センスも悪くない。

 黒のタートルネック、赤のタータンチェックのスカート、黒のショートブーツ。どれも無難だと思った。

 何より彼女を落ち着かせないのは、この部屋自体である。

 旧世紀、中世ヨーロッパを意識した装飾と調度品なのだろう。彼女の腰掛ける頭上にそびえる巨大なシャンデリア。向かいの暖炉上の天井まで届きそうな鏡。その前に置かれたやはり巨大で華美な壺。

 しかし、背後の壁は、

 

(ちょっと、・・・これはどうなのかしら・・・)

 

 一面がワイドスクリーンとなっており、キリストの誕生から最後の晩餐を経て復活までの様子が一定時間で、フェードしながら切り替わっていった。

 少し趣味を疑ってしまう。

 10年前の影武者時代ならいざ知らず、木星圏での簡素な暮らしに慣れていたキアーラには、それらは悪い冗談の一種のように思えてしまった。

 やがて、分厚く、天井近くまである木製の扉が開き、ここへ案内した人物がワゴンにティーセットを載せて入ってきた。

 わずかに感じる紅茶の香ばしさと甘い香りがキアーラの鼻腔を刺激する。洋食器が微かに立てる物音と共に、ワゴンがキアーラの隣りに止まり、その前にカップとソーサーが置かれる。

 その人物ー旧ジオン尉官の軍服に身を包む中年の男ーは震える手つきで、ティーポットからカップへと茶色の液体を注ぐ。

 ようやく、注ぎ終えたかと思えたところで、わずかにこぼれた紅茶がレース編みのテーブルクロスを濡らす。

 

「・・・失礼を致しました」

「いえ、ありがとうございます。ふふ、火星で紅茶を入れるのって、とても難しそう。あまりお気を使わないでくださいまし」

 

 鈴を転がすような美声と微笑をキアーラは男へ向ける。

 その軍人は少しバツが悪そうな顔をするも、同時にほっとする。

 

「実は火星で紅茶を入れるのは私も初めてなのですよ」

「まぁ・・・」

 

 微笑からにっこりとした笑みになり、キアーラのエメラルドグリーンの瞳がアーチ状に細められた。

 

「私もベイリー少尉の手元の様子からそうなのかな、と思っていました」

「かないませんなぁ・・・。申し訳ございませんが、今しばらくお待ちください。お着替えの用意も間もなくできようかと思われます」

 

 言いつつその尉官、ベイリーがリラックスして自分の紅茶を入れる。

 

「その間、小官と世間話でも・・・。いや、歳も生活圏も違いますから話が合うかどうか分かりませんが・・・。

 あ、そうそう。こちらもどうぞ」

「あら」

 

 そう言ってテーブルに置かれた、ブラウニーにキアーラは目を丸くする。それは本物の手作り、出来立てのチョコレートの風味を放っていた。

 

「10年ぶりに挑戦したわりには上手くできました」

「これを少尉ご本人が?」

 

 キアーラはますます驚いた。あとの言葉が続かず、とにかくフォークを手に取ってみる。

 ひとつ口にして、舌の上に広がる濃厚な甘みとそれを引き出すカカオのほろ苦さ。外の焼け具合と、中のしっとり感。絶妙だった。

 

「おいしい・・・」

 

 それ以外言いようがなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 40歳に近い顔を輝かせてベイリーが喜ぶ。

 一旦フォークを置き、カップを手に取る。ハンドルの中には決して指を入れず、摘むように持ち口元へ運ぶ。

 マスカットのようなフルーティな香りも良い。そして、カップを傾け味わう。わずかな酸味がブラウニーとの相性も最高だった。

 すべてが高貴さを持って行われるキアーラの動作は、幼少期にアクシズの宮殿で教え込まれた礼儀作法であった。

 火星での生活やこのコロニーの様子の話など一通りの社交辞令を交わすと、おもむろに、キアーラはカップを置く。

 ごく小さな聞き取れぬほどの音が鳴る。それは彼女のわずかな動揺の現れだったのかもしれない。

 ベイリーの目をまっすぐ見つめながら、キアーラが言った。

 

「ひとつ、分かりかねることがあります」

「何でしょう?」

 

 まさか、ブラウニーの隠し味についてではあるまい、とその後のキアーラの言葉にベイリーは身構えた。

 

「こんなにおいしい紅茶を入れ、ブラウニーを作っていただける方が、民間船のクルーを拉致して残忍に殺したとは思えないのです」

 

 いきなりの踏み込んだ話。護衛兼世話役に過ぎないベイリーが果たしてどれほど真実を話してくれるものだろうか。

 キアーラは若干不安に思う。

 

「キアーラ様はいつぞや、出回った映像媒体のことをおっしゃっているのですな?」

 

 キアーラはこくりと頷く。

 

「中身もご覧になりましたか?」

 

 ベイリーのその言葉にキアーラは目を伏せた。肯定と受け取ったベイリーは深く嘆息した。

 

「キアーラ様は孫子の兵法、『兵は詭道なり』という言葉をご存知ですか?」

「知りません。私は子供の頃にハマーン様に、『戦いは尊いが、高貴な者がすることではない』と教えられましたので。

 少尉、私は回りくどい言い方は好みません。はっきりと申してください」

「これは失礼致しました」

 

 ベイリーは直截に詫び、座を正して続けた。

 

「では申し上げます。あの様な所業、天地神明、ジオンの名に誓って我ら【ジオン独立火星軍】の仕業ではございません」

「それでは誰が、何のためにあのようなことを!人がすることとは思えません!」

 

 柔和だったキアーラの顔が怒りに歪んだ。もっともだと、ベイリーも頷く。

 

「我らを陥れようとする者たちの仕業・・・、残念ながら、彼らも同じジオンの残党でしょう」

 

 彼は続ける。

 

「今、ジオンは滅亡の危機に瀕しております。

 ジオン共和国の自治権返還を2年後に控えての派閥闘争。共和国派とネオ・ジオン残党派。強硬右派と中道左派。

 残党間の地域の温度差も大きい。地球残留組、火星、木星、アステロイド・・・。

 皆それぞれが違ったジオン・ダイクンとザビ家の解釈の仕方をしております。

 かつては、連邦軍と戦い、独立を勝ち取るという大義で一枚岩となっていたジオンが、いまや、各々の内にある『正義』に従った戦いをしております」

「正義に従えば、あの様な蛮行も許されるのですか?」

 

 キアーラの口調は思わず厳しいものになる。

 しかし、思いとどまり、

 

「・・・すみません。少尉に言ってもしょうがないことですね」

「いえ、キアーラ様が怒られるのももっともなことです。我ら火星軍が不甲斐ないばかりに、海賊同然に成り下がっている、かつての同胞がいることも事実です」

 

 キアーラは眉根に小さなシワを寄せ、悲しい表情となる。

 

「私には、あの方の・・・、ミネバ様のお気持ちが分かるような気がします。どんな気持ちで、・・・どんな希望をもってあの呼びかけをしたのか」

「2年前の・・・」

 

 ベイリーが皆まで言わず、キアーラが頷く。

 

「ミネバ様が信じたかったのは、『人の内の善なる思い』。絶対に自らの『正義に従うこと』ではない」

「そうですな・・・」

 

 同意するベイリーの表情は渋い。

 

「ですが、あれでは大衆は分からんのです。大衆はもっと具体的なやり方と象徴を欲しているのです」

 

 その言葉に、キアーラもベイリーを見返す。

 

(美しい瞳だ)

 

 その深いエメラルドグリーンを見続けると、深層心理まで読み取られているような錯覚に陥る。

 どれほど、そうしていただろうか。

 キアーラがにっこり微笑んだ。

 

「私は少尉が10年ぶりにブラウニーを作られたことが運命的に思えます」

「キアーラ様・・・?」

 

 その含みがある言いように、ベイリーの表情が彼女を気遣うような、苦いものを噛むようなものに変わる。

 

「私も10年ぶりにミネバ・ザビになりましょう」

 

 返す言葉もなく、ただベイリーは頭を下げた。

 

「顔を上げてください、少尉。独立戦争の敗戦から、あなた方に掛けた苦労に比べたら、これから私がすることなど、なんでもありません」

 

 顔を上げた、ベイリーの目は幾分赤みを帯びていた。

 その時、廊下から扉がノックされる音が響く。続いて入室した屋敷の侍女と思われる女性が、

 

「お召し替えの支度が整いました」

 

 と言う。

 決心が揺るがぬ内に、キアーラはすぐに立ち上がった。

 ベイリーも立ち上がり、鮮やかな最敬礼をする。

 凛とした姿勢と表情の彼女はもはや、キアーラ・ドルチェではなく、ミネバ・ラオ・ザビのそれになっていた。

 まっすぐに廊下を目指す。その先の部屋に最後の仕上げをする、ネオ・ジオンの軍装が用意されていた。

 だが、彼女は立ち止まった。

 

「ベイリー少尉」

「はっ!」

 

 振り向かずに彼女は続けた。

 

「貴官のブラウニー、とてもおいしかった。ありがとう」

 

 そして、彼女の心中をひとりの女性の面影が去来する。

 

(マリィ、あなたがいれば、・・・さぞ、喜んだでしょうね)

 

 彼女は思いを振り払うかのように、強い足取りで歩み出した。

 

 

 同時刻。

 そのマリィ、ーマリア・アーシタは火星面コロニー・ホルストの貨物港に降り立った。

 

(キア、どこにいる・・・)

 

 

 マリネリス渓谷。それは長さ4000 km(およそオーストラリア大陸の東西距離に匹敵)、深さ7 kmに達し、幅は最大200 kmに及ぶ。

 最深部に掘られた横穴は火星面コロニー・ホルストにとっては最古の開発地域にあたり、現在は宇宙貨物港として利用されていた。

 その港の端にある倉庫街。そのひとつの倉庫にマリアと《ダイニ・ガランシェール》のクルーは《キュベレイ》を隠し、マリアは彼らと別れた。

 

 

「本当に一人で行くんだな?」

 

 《キュベレイ》を隠した倉庫の横。倉庫と倉庫の間の狭い路地。

 フラストの真剣な顔付きに、私も同じような顔で頷いた。彼は一つ嘆息して、

 

「分かった。勝手にしろよ。お前の頑固っぷりはこの数日で思い知ったからな」

「よく言うよ。頑固なのはお互い様だろう?」

 

 なにおー、と言ってフラストが憤慨するのを、一緒にいたアレクとトムラが押さえる。

 

「用事が済んだら、さっさと帰ってこい。そのサングラス、お気に入りなんだ」

「えっ・・・!?」

 

 私が掛けているサングラスを指差しながら、アレクが言った。これは変装用に彼から借りていた。

 しかし、何より、『帰ってこい』という、彼の言葉に私は動揺した。

 

「おいおい、寝ぼけてんのか、あんた?」

 

 それを察知して、トムラの腕を乱暴に振り払いながら、フラストが私へ言う。

 

「ヘリウムと金塊。今回の報酬を受け取るまで、今度はあんたの方が俺たちにとっての保険なんだよ。

 野暮用終わらせたら、《ガランシェール》に戻れ。逃げんなよ、コラ」

 

 それを聞いて、トムラが苦笑し、眉の形を『ハ』の字に変える。

 

「まぁ、火星から出るにしても、とにかく船は必要だろ?」

 

 トムラの言葉を受け、キアーラを救出した後のことを、まったく考えていなかった私は自分の無計画さに呆れ果てた。

 

「ま、気を付けてな」

 

 と言って、トムラは片手を軽く上げ別れを告げる。

 

「あ、・・・ああ」

 

 私もそれに答え、付け加える。

 

「ありがとう」

 

 フラストが、ふんっ、と盛大に鼻を鳴らしながら、背を向けトムラに続く。

 最後にアレクが無言で私を見送った。

 

 

 一度も振り向かず、私は市街ブロックへと通じる貨物搬入用エレベーターの巨大な扉の前までやってきた。

 何か、後ろ髪が引かれるような思いで、振り返ってしまえば、気持ちが揺らいでしまいそうだった。

 

(だが、今はキアを助け出すことだけ考えなくては・・・)

 

 私は意識を集中し、周辺にある彼女の思惟を捕らえようとする。

 しかし、

 

(だめか・・・)

 

 感じるのは、周りにいる港湾労働者の雑多な思念しか感じられない。

 

(前はこんなはずじゃなかった。もっと距離があっても感じられたはずなのに)

 

 私はイラつき、ロングコートのポケットからピルケースを取り出す。

 安定剤を一錠、手のひらに転がしたところで、思いとどまった。

 

(もしかして、薬のせいで感覚が鈍っているのか?)

 

 私はその錠剤をピルケースに戻した。

 

(発作が来る直前まで我慢しよう。今は彼女の意識を捕まえるのが先だ)

 

 そう思った時に、エレベーターが到着した。

 

 

 3時間、市街のあちこちー市場、メインストリート、商業地区ーを歩き回って、彼女の意識を探ったが結果は何も得られなかった。

 小さいコロニーながらもここには歓楽街があった。私は気が進まなかったが、そこへと踏み入って行った。

 そこはすでに別の顔、『夜の街』を見せていた。

 

「ちょいと。そこのかっこいいお兄さん。安くしとくよ。寄ってきなよ」

 

 ふわっとした艶のある声に呼び止められ、私は振り返る。

 茶髪をまるでチョコレートパフェの様に高々と結い上げ、白基調にバラの刺繍が縫われたドレスを着た女が私を手招きしていた。

 ドレスは肩も背中も露わで、胸元も大きく開いていた。顔はある程度整っているが、化粧が濃く香水もきつい。

 看板を見上げてみると、ピンクと青の電飾は『SEX ZONE』と点いていた。直球過ぎて、笑いそうになった。

 

「私は女だ。殺すぞ」

 

 今の私は頭に付けたサイコミュ・コントローラーを隠すために、大きめのキャスケット帽を被り、アレクから借りたサングラスを掛けていた。チャコールのロングコートの下には、イイヅカ整備長が貸してくれたソウドオフ・ショットガンを隠し、ジーパンのベルトにはM-92F自動拳銃を収めたホルスターを吊っていた。

 

「まー、怖い。でも女の人でも楽しめるんだから。かわいい男の子でもおじさんでも呼んじゃうよ。

 もちろん、その手の趣味があれば、女の子同士だって・・・」

 

 大抵の客引きは凄めば、すごすごと退散したが、この女はしつこかった。私は盛大に嘆息した。

 

(よくもまあサラッと受け流す。恐れる心がないのか)

 

 地上のいずれの街、どこのコロニーにも大抵ある、似たような色街だった。

 妖しく、淫靡に輝くネオンの電飾。それぞれに着飾った商売女と黒服。

 ゴミクズが散乱した路上。道端にある小便なのか、吐瀉物なのか、正体不明の液体たまり。

 服からはみ出した下腹を揺すらせながら歩く俗物とそれにたかる女ども。

 店員に無理やり追い出される酔っ払い。

 道端に座り込むホームレス。

 それらすべてが混然一体となり、私の視覚、嗅覚、聴覚を麻痺させる。

 

「さかしいんだよッ!」

 

 何とか食い下がる女を一喝し追い払い、私はキアーラを探すために意識を飛ばす。

 

(こんなところでやりたくないな)

 

 という思いはあったが、それでも私はキアーラを見つけなければならないという使命感が勝った。

 すぐに、周辺を漂っている思念が入ってきた。

 

 と、

 

(う・・・!!)

 

 私は思わず、口を押さえて、色街の大通りから狭い脇路地へ駆け込む。

 壁に両手を突き、こみ上げてくるものをすべて吐き出すと、少し楽になった。

 

(なんで人間はあんなに醜くなれるんだ・・・)

 

 深く何度も呼吸するうち、荒かったそれはだんだんと治まり、私は平静を取り戻した。

 しかし、また通りに戻って、意識を飛ばす気には全くなれなかった。

 その時、暗い路地の奥から物音が聞こえる。ガツガツという短く、重く、鈍い衝撃音。

 先ほどの嫌な経験に警戒心が強くなっている私は、コートの裾をめくり、ショットガンのグリップを握った。

 ゆっくりと慎重に奥へ進んでいく。奥はT字路になっており、その角のすぐ左から物音は響いていた。

 私が壁際からこっそりと半分だけ顔を出して、窺うと、私から2mほどしか離れていない路地内で2人の男がひとりの人間を殴る蹴るし、痛めつけていた。

 どちらもホームレス風であるが、やられている方は、地面に這いつくばり一方的な暴力であった。

 理由はどうあれ、

 

(無抵抗な人間を・・・!!)

 

 鬱憤もたまっていた私はすぐに動いた。

 角から飛び出すと、まず近くの男の襟首をつかみ、後方へ投げ倒した。

 

「なんだ、てめ・・・!」

 

 という定型句を言う間もなく、もう片方は下からすくい上げられたショットガンのグリップにアッパーカットを喰らい、顎を砕きながら、物のように倒れた。

 

「雑魚風情が!まだやるか!?」

 

 と、最初の男の方へ向き直った時には、すでに、その男は足元を滑らせながら、逃げていた。

 顎を砕かれた男は仰向けに倒れたままで、口からカニのような泡を吹き、一向に意識を取り戻す気配がない。

 視線を落とし、やられていた男を見ると、ぐったりと地面に力なく横たわっていた。

 波打った白髪は手入れもされず伸び放題で、表情を隠していた。かなり高齢のように思える。

 

「大丈夫か?」

 

 私はしゃがみ、声を掛けながら、その体に手を伸ばす。

 それに気が付いたのか、弱々しく腕が上がり、・・・

 男の肩に手をやろうとした私の腕を払った。

 

「・・・余計なこと、するな」

 

 今にも消えそうな小さな声であったが、思っていたよりもずっと若い男の声だった。

 

(なにがこの男をこんなに・・・)

 

 落ちぶれさせたのだろうか?男の態度に怒りもあったが、疑問や憐れみの方が多かった。

 私はしゃがんだままの姿勢で腰のポーチから、傷病人用栄養ドリンクのパックと、傷応急スプレーを男の前に置くと、

 

「良かったら使え」

 

 声を掛けたが、もう反論も何もなかった。

 立ち上がり、顎を砕かれた男をゴミ箱にでも入れておこうか、などと考えていると、唐突にそれは私の中に入ってきた。

 

(・・・今更、ミネバ・ザビだと。滑稽だな)

 

 それを感知するや、即座に私は走り出した。

 

(間違いない!あれはキアだ)

 

 狭い路地をどんどんと奥へ走る。縦横無尽に駆け巡り、どこをどう曲がったかなど覚えていない。

 そんなことはどうでもいい。やるべきことは、血の匂いを嗅いだ猟犬のように、その思念を追いかけること。

 長いトンネルから抜け出たように、脇路地から幾分道幅のある裏通りへ出たところで、私は目指す一団をついに見つけた。

 

(5・・・、いや6人か)

 

 チンピラかマフィア風の男が5人、全身を被うフードローブ姿が1人。

 フードローブを守るように、あるいは囲むように、マフィア風たちが前方に2人、後ろから3人が付いていた。

 

(あのフードローブで隠しているのがキアだ)

 

 私は十分な距離を取って尾行しながら、作戦を立てる。

 

(でも、背後をとって完全に奇襲ができるんだ)

 

 これほど有利な状況があるだろうか。敵は5人だが、手持ちのショットガンの弾倉も5発。撃ち尽くせば、腰の自動拳銃を使えば・・・、

 

(いや、そんなことより撃ち合いになったらキアの身が危険だ)

 

 別の機会を窺って、銃を使わずにキアーラを奪回するか?

 だが警備が厳重になったり状況が今よりも酷くなることも十分考えられる。今なら敵の数は限られているし、かつ裏通りの人通りも少ない。

 攻撃をかけるならチャンスだ。

 

(よし、やる!)

 

 私は生唾を飲み込んで、決意した。

 コートの内側でショットガンのスライドを前後に引き、弾倉から滑り出た初弾の12ゲージ装弾がチャンバーに送り込まれる。

 小気味よい金属音と共に発射可能な状態となった。安全装置をかけ、1発減った分の弾倉へ補充の装弾を入れる。

 私はゆっくりと深く息を吐き、足音を殺しつつ歩調を速めた。

 前方の一団との距離が詰まっていく。

 20m・・・、15m・・・、10m・・・、私は安全装置を解除した。ここまで来れば、ソウドオフ・ショットガンが最適の接近戦の距離であったが、キアーラを救出しなければならない目的上、私はさらに近づいた。

 8・・・、6m・・・あと少し。

 そこで、急にフードローブのキアーラが歩みを止め、後ろを振り返った。付き従っていたチンピラ風の3人も連れられるように止まった。

 停止したせいで直後に、私と彼らの距離は5mまで縮まった。

 

(今っ!)

 

 私はコートの裾をまくり上げながら、右手はグリップ、左手は前方のスライドを保持したショットガンを挙銃していく。

 右目と銃身の延長線上に右端の男を捕らえた瞬間、人差し指はトリガーを絞った。

 裏通りの建物の壁に反響し、雷鳴のような銃声が轟く。

 銃口を飛び出した15個のショットをもろに背中に受けた男が吹き飛ぶ。電光石火でスライドを前後し、排きょう・装填。

 左に銃を振りながら、2人目、3人目と同じように撃ち倒してゆく。

 後ろの3人を排除したところで、私はローブのキアーラへ走り寄り、叫びながらその腕を取る。

 

「伏せろ!!」

 

 そのまま、腕を引いて、銃声に呆然としているだろう、キアーラを地面に伏せさせる。

 はずだった。

 私は感電したかの様に、掴んだキアーラの腕を離した。

 いや、それはキアーラの腕ではなかった。

 よくよく見れば、ローブごしの体格もおかしい。キアーラはミネバ・ザビ同様、小柄でこんなに背丈がない。

 なぜこんな単純なことに気が付かなかったのか。

 目深に被ったフードの奥で、その人物が微かに口元を歪めた様な気がした。

 

(お前は・・・誰だ・・・?)

 

 私は戦慄した。

 その後は一瞬の出来事だった。

 ローブが回転し、急に発生した遠心力でその裾を持ち上げる。後ろ回し蹴りを放ったのだ。

 咄嗟に息を吐きながら、腹筋を締めたが、その蹴りは的確に私の右脇腹を捕らえ、肋骨に嫌な感触を残しながら、私は後ろへ吹き飛んだ。

 

(こいつ、強い!早く・・・立て!)

 

 倒れた私は体に命じながらも、体の方は言うことを効かず、のろのろと上体しか起こせない。

 すぐに追い討ちをかけたフードローブが飛び込んできた。繰り出された拳がみぞおちにめり込む。

 強烈な衝撃と激痛で呼吸ができない。

 その時、フードがはらりと後ろに脱げ、その顔貌が露わになった。

 妖艶なピンク色の髪、褐色の肌、血の様に濃い唇。

 その女はもはや動けず、呼吸もままならない私に、キスができるほど顔を近づけて言った。

 

「久しぶりだな、グレミーの亡霊」

(この女、知ってる・・・。ネオ・ジオンの・・・)

 

 だが、そこで私の思考は深い暗黒に飲み込まれた。

 

 

 




あとがき

 作中の波打った白髪の男は、ガンダムUCの登場人物です。

バナージ「わかった!サイアムおじいちゃんだっ!!」

 ブブー!惜しい。それを言うなら、曾々おじいちゃんでした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

木星の黒い影

今話の登場人物

イリア・パゾム(機動戦士ガンダムZZより)
 木星で海賊を束ねる女。20代後半。ネオ・ジオンの最終階級は中佐。
 第一次ネオ・ジオン戦争では味方を謀殺したり、上官のマシュマーさんが戦死しても「ちっ!」と舌打ちひとつで済ませたりと、冷酷非情。
 褐色の肌にピンクに染めた髪、極端に短いミニスカートって、ネオ・ジオン自由過ぎ!





 屋敷の廊下は暗く、足元近くをオレンジの小さな明かりがわずかに照らし出していた。

 廊下を歩くベイリーは、日付が変わる頃の無粋な客に、幾分腹が立っていた。

 ちょうど、彼は自室で軍服の上着を脱ぎかけたところだった。

 だが、相手が相手なだけに、兵や下士官に対応をさせるわけにもいかない。

 疲れた体に鞭打ち軍服の襟を正し、眠い目をこすりながら歩く部下の兵長を連れ、ベイリーは総督府の出入口へ向かった。

 貴賓出入口の重厚な扉を開けると、三段ほどの低い階段の下、車止めで衛兵を睨みつけるチンピラのような集団とそれを束ねるフードローブの人物がいた。

 ベイリーは一瞬唖然となった。

 

(こいつらが、孤高なジオンの戦士を名乗っているだと?)

 

 心中舌打ちしながらも、顔には億尾にも出さない。階段を下り、目線を合わせてから、

 

「これは木星の方々、お役目ご苦労でございます」

 

 ベイリーは慇懃に言った。

 

「なんだ、てめえは!?」

 

 チンピラのひとり、頬に傷跡がある男が凄んだ。

 

「申し遅れました。自分は【ジオン独立火星軍】所属、ベイリー少尉であります」

 

 ベイリーの敬礼に傷跡が、けっ、と言って地面にツバを吐いて答えた。他の連中はせせら笑うような表情だ。

 部下の兵長と2人の衛兵たちの顔色が変わった。

 それに呼応して、チンピラ5人も漂わせる雰囲気が険しくなった。

 

「なんだ、やるのかよ?」

 

 傷跡の隣、髭面の男が後ろ腰に手をやる。ナイフか、拳銃でも隠し持っているものか?

 捧げ銃の状態であった衛兵が色めき立ち、彼らが手にしたライフルを頬付けしようとした。

 その時、黙って事態を静観していたフードローブが左腕を横一直線に払い、チンピラと衛兵双方の動きを制した。

 その人物はおもむろにフードローブを脱ぎ、姿を現した。

 ピンクに染めた銀髪、褐色の肌、そして豊満な乳房。

 染めた髪の色と同じベロアタイプのミニジャケットとミニスカート。

 ジャケットの下は黒のベリーショートタートルネック、つまりへそだしルックだ。

 およそ、軍人とは思えないような風貌の女であった。

 年の頃はキアーラよりも少し上だろうか?しかし、漂わせている雰囲気は、彼女とはまったく異なり、まるで

 

(狡猾な娼婦といったところか)

 

 ベイリーは思う。

 しかし、彼女のむき出しの腹筋はくっきりと割れ、眼光は射抜くのを通り越して抉り取るような残酷さがあった。

 

(娼婦だとしても油断してるとこっちが喰われそうだな)

「すまんな、少尉。木星育ちは、がさつな馬鹿が多くてな。許してほしい」

「そんな、姐さん・・・」

 

 女の言いように傷跡が抗議の声を上げるが、一瞥してそれを黙らせ、女が続ける。

 

「木星でジオンを束ねさせてもらっている、イリア・パゾムだ。よろしく頼む。

 特に組織の名は無いが、【木星ジオン】でも【海賊パゾム一家】とでも好きなように呼んでくれ」

 

 その女、イリアが言うと、チンピラどもが、どっ、と笑った。

 

(なんだ、こいつら)

 

 ベイリーたちはしかめ面を禁じ得なかった。

 

「まぁ、これでも中佐をやらせてもらっていた。貴官にとっては上官ということになるな、一応」

 

 さらにチンピラたちの笑い、嘲笑の類が大きくなった。

 

「はっ!」

 

 ベイリーは顔を繕い、イリアの少し上の空間をにらむ。かかとを鳴らして直立姿勢を取り、屈辱に耐えた。

 

「そう固くなるものでもない。楽にしておくれ」

 

 自分より一回り以上も年下の淫売風に慰められても、まったくうれしくないベイリーであった。

 

「できれば、あのお方とすぐにでもお会いしたい」

 

【木星ジオン】がキアーラに謁見することはベイリーも聞いていたが、時間が時間なので、彼もためらった。

 その時、

 

「ベイリー少尉?」

 

 彼らの後ろ、出入口の奥、廊下から呼びかけられた。振り向くと、そこには赤いジオンの軍服に身を包んだキアーラ・ドルチェ当人が立っていた。

 慌てて衛兵が直立姿勢を取る。しかし、ベイリーはむしろ、

 

「キアーラ様!護衛も付けずに」

 

 咎めるような声を上げ、階段を駆け上がりキアーラの側へ向かった。彼女は不安そうな顔の侍女ひとりを連れているだけだった。

 間隙を付くように、ずかずかとイリアが踏み込み、キアーラの面前に迫った。

 

「パゾム中佐っ!」

 

 はっ、としてベイリーが声を上げ、おもわず、腰の拳銃ホルスターに右手をかける。

 だが、イリアは深々と頭をたれ、キアーラの前に片膝を付いた。

 

「木星のイリア・パゾム中佐です。殿下にご拝謁頂き恐悦至極に存じます。

 ・・・これ、お前たち」

 

 イリアがそのままの姿勢で後ろを振り返ると、ぼやっ、としたチンピラ風の男たちが慌てて、それらしく跪く。

 

「イリア・パゾム、役目ご苦労です。

 ベイリー少尉、また応接室を使えますか?パゾム中佐が何か話があるようなので」

「はっ!すぐに支度いたします」

 

 侍女に目配せすると、すぐに意図を理解した彼女が応接室の方へ向かった。

 

「キアーラ様もお先にお部屋へ」

「ん・・・?そうなのか?」

「はい。衛兵、キアーラ様のお側に」

「「はっ!!」」

 

 2人の衛兵が前後を守りながら、キアーラを奥へと連れていった。

 その後に、当然の様に付いていこうとするイリアの前に、ベイリーと部下の兵長が立ちはだかった。

 

「中佐はご支度が整うまで、ここでお待ち下さい」

 

 再度、チンピラたちと睨み合いになったが、

 

「ま、いいだろう」

 

 イリアは、ふっ、と微笑をもらした。そして、思い出した様に、

 

「そうそう。少尉に少し相談がある」

「なんでしょう?」

「この屋敷に地下室か何かあればひとつ貸してほしい」

「なにゆえでしょう?」

 

 それには答えず、イリアは右手の親指を立てて、後ろの貴賓出入口を指し示した。

 彼女と連れ立って外に出ると、車止めに至る、低い階段の影に、先程は気が付かなかったが、ジャガイモを入れる大きなズタ袋が置かれていた。屈んだ人が入れそうなほどのサイズである。

 しかし、それを見ても状況をまったく理解できないベイリーは、

 

「なんです?」

 

 無愛想に言う。

 その時、ズタ袋がもぞもぞとわずかに動いた。

 

(何だ、中に何かが?)

「こいつ、気が付きやがったか!」

 

 チンピラの髭面がズタ袋に近づき、

 

「喰らえ!」

 

 罵りながら、フットボールでもやるような蹴りを入れた。

 中から空気を押し出すようなくぐもった悲鳴と咳き込む音が聞こえる。

 

「こら、やめないか」

 

 やんわりと子供を叱るような口調で言うイリアだが、その口元にはまんざらでない、笑みが浮かんでいた。

 

「パゾム中佐、これは一体・・・」

 

 ベイリーが疑問と非難のこもった口調で言うと、

 

「実はここに来る途中で、こいつに襲われてな。返り討ちにしてやったが。どうも刺客かスパイの類らしい」

「なっ!」

 

 なんですって、というセリフは続かなかった。なんという非常識なのだろう。すでに、あのお方、キアーラ様を迎えた屋敷にそんな危険を持ち込むとは。

 

「中佐!なぜ・・・」

「分かっている」

 

 イリアは手をベイリーの顔にかざし、その後の言葉を制した。

 

「『なぜ、自分の船に連行しなかったか』だろう?成り行き上、仕方がなかった。

 迷惑か?なら、ここで始末するか?」

 

 彼女のミニジャケットの右袖の下から、小さな隠し拳銃が飛び出し、ズタ袋に狙いを定めた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!キアーラ様がいらっしゃるお屋敷の一角で射殺など」

 

 ベイリーの声が上ずる。

 

「大きな音が出るのはまずいか。では、こちらでやるか」

 

 流れるような動作でイリアは左手でナイフを抜いた。ロングブーツの内側にでも隠していたのか、ベイリーには抜く手も見えなかった。

 

「いい加減にしてください!」

「冗談だ」

 

 ベイリーの激昂に近い声に、イリアはナイフと銃を仕舞った。

 

「それで、捕虜を閉じ込めておく部屋が必要ということですね?」

「察しがよくて助かる」

 

 ベイリーが部下の兵長を呼び寄せ、何事かささやくと、

 

「彼がご案内しますので、付いて行ってください」

 

 兵長とチンピラたちがズタ袋を持って地下室へと向かっていった。

 

「中佐は応接室の近くでお待ち下さい」

 

 ベイリーが手で貴賓出入口を指し示し、促す。

 先に立って歩むベイリーはわずかに心配になり、イリアに尋ねた。

 

「中佐殿、よもやとは存じますが、捕虜を拷問などなされないよう・・・」

「無論だ」

 

 イリアはベイリーの言葉を遮って即答する。

 

「だが、一通りの尋問はさせてもらう。あくまで『通常』の手順で。我々はジェントルな組織だからな」

 

 あまりにも白々しいイリアのセリフにベイリーは声もなかった。

 

 

 そして、衛兵もいなくなった貴賓出入口をふたつの黒い人影が音もなく、屋敷内へ入る様子を見た者は、誰もいなかった。

 

 

「イリア様っ!」

 

 応接室の前のソファに悠然とひとり腰掛けるイリアの元へ、副官代わりに使っている、頬に傷跡のある男が息せき切って走り寄ってきた。

 案内したベイリーは先に応接室に入り、なにやら準備だか、キアーラと打ち合わせだかをしているらしかった。

 

「どうした?何を慌てている」

「いや、探しましたよ。この屋敷、バカみたいに広くて・・・」

「それで、なんだ?」

 

 幾分苛立ちながら、イリアは促した。

 

「いえね、やっぱり、まずお頭(おかしら)の許可を得てからでないと、まずいかと思いましてね・・・」

「もったいぶるな、要件を言え」

 

 いよいよとげのある言葉のイリアに、ますます傷跡は背を丸め、萎縮した様子だ。

 

「そのー、・・・あの女、痛めつけてもよろしいでやすか?」

 

 上目遣いで、イリアの方をうかがう。

 

「捕虜の強化人間か?まぁ待て。私が影武者と話をしてからにしろ」

 

 その言葉に傷跡は口を尖らせた。

 

「しかし、気が収まりませぬ。アーロンとベネットも撃たれた手前、・・・」

「ふっ。そんなこと言って、どうせ貴様はあの捕虜を『やりたい』だけなんだろう?」

 

 イリアがからかうように言うと、歯の抜けた顔を盛大に崩して傷跡が笑う。

 

「尋問はいずれにしても必要でしょうに?女捕虜は恥辱責めに限りやす」

 

 イリアは若干うんざりした表情になり、

 

「お前の『あの尋問』では、いくら強化人間とはいえ情報を吐く前に壊れてしまう。やるなら『薬』と『水』だけにしろ」

 

 その言葉に傷跡は明らかな不満の表情を浮かべた。

 

「今は我慢しろ。船に連れ帰ったら、いくらでも好きにやれ。他の兵たちにもそう伝えろ」

「ありがとうございます。野郎共の士気も高まりやしょう」

 

 舌なめずりしそうな、いや、実際に傷跡は自分の唇を異常に長い蛇のような舌で舐め回しながら相好を崩した。

 嬉々として、傷跡は女捕虜が監禁された地下へと向かって行った。

 イリアはひとつ舌打ちした。

 

「まったく!」

 

 女だてらに、海賊まがい・・・、いや海賊そのものの【木星ジオン】を束ねるのは容易ではない。

 たまには連中の好きそうなおもちゃー例えば、麻薬であったり、さらってきた若い女であったりー、を与えてストレス解消でもさせてやらねば、こちらを襲ってきそうだと思う。

 イリアは捕虜の強化人間が最後に見せた蒼い瞳を思い出す。

 

(マスターのいない人形が10年間も一体どこで何をしていた?

 いや、・・・そんなことはどうでも良い。どのみち、あいつも『眠らせて』、宇宙に捨てられる運命だ。

 何番目か知らんが、あの時、キャラ・スーンに殺されていれば良かったものを・・・)

 

 自分の配下が彼女に強いる所業のことを思うと、イリアは少し憐れにも思ったがそれは一瞬で、はるかに嘲笑の気持ちの方が強かった。

 目前の重厚な扉が開き、ベイリーが姿を見せた。

 

「パゾム中佐、お待たせ致しました。お入り下さい」

 

 頷き、イリアは颯爽と立ち上がった。

 

「ですが、その前に」

 

 思いのほか、厳しい表情のベイリー。

 

「失礼ですが、まず武器をお預け下さい」

 

 なるほど、そういうことか。イリアは納得した。

 

「もちろんだ」

 

 両袖から2丁の小型拳銃、ブーツからは結局4本の細身のナイフが出てきた。

 

(まるで、武器庫のような女だ)

 

 ベイリーは驚く。隠し持っていたところを見ると、まだ他にも持っている可能性はあるが、侍女にボディチェックをさせるのは、さすがに、イリアの気を悪くさせるだろうからやめておいた。

 

「どうぞ」

 

 イリアを招き入れる。

 目指す人物はすでに応接用のソファーに収まっていた。

 また跪き一礼し、イリアが問う。

 

「御身のことをなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「中佐の好きなようにしてくれて結構です」

「では・・・」

 

 顔を上げ、上目遣いで強い眼光を飛ばしながら言う。

 

「キアーラ様」

 

 その視線をキアーラも正面から受け止めた。

 

「今日、この場で御身心の内をお聞かせ頂きたく、イリア・パゾムは参上いたしました」

「分かりました。申しましょう。ですが、まずはお掛け下さい」

 

 キアーラは向かいのソファーを指し示した。

 イリアが腰を落ち着けると、おもむろにキアーラが問う。

 

「第一次ネオ・ジオン戦争後、パゾム中佐はどうされていたのです?」

 

 イリアは笑った。

 

「申したところで、どうということでもありませんが。

 第二次ネオ・ジオン戦争の時は、シャア総帥に同調し、地球圏に戻りましたが、戦後は木星圏でくすぶっておりました。

 先のラプラス戦争もただ指をくわえて、見ていただけです」

「木星ですか。意外と私たちはお互い知らずに、近くにいたのですね。私は《ジュピトリス》に亡命しておりました」

「なんということでしょう!」

 

 イリアは驚いた顔をして見せたが、実際には以前から知っていたことだった。

 

「・・・しかし、いつになれば、人は戦争から開放されるのでしょう」

 

 キアーラは憂いを含んだ顔つきとなる。

 

「先の大戦からなくなられた方は何十億人でしょう。人の心も、営みも、商いも、すべてが荒みきってます」

「存じております」

 

 何を今更分かりきったことを。肯定の返事をしながらも、心の内では反対のことをイリアは思う。

 それを知ってか、知らずか、キアーラは続けた。

 

「これほど荒廃した状態でも、連邦政府は地球にしがみつき、地上から不必要とレッテルを貼った人間を次々と宇宙へ追い出すことに固執し続けています。

 宇宙は宇宙で、吐き出され続ける人口を受け止め続け、古いコロニーは人であふれ、税金どころか、食料も、水も、人が生きていくのに不可欠な空気でさえ、高い代償を要求されます」

「はい。その結果引き起こされたのが、数々の戦争でしょう。もはや、宇宙世紀は戦いの世紀、宿命と受け止めるしかないでしょう」

 

 イリアのその言葉に、キアーラは悲しげな視線を向けた。

 

「そうでしょうか・・・」

 

 一息ついて、キアーラが目を落とす。

 

「2年後、宇宙世紀100年を持って、ジオン共和国の自治権が返還され、名実共にジオンは滅ぶでしょう。

 それはスペースノイドにとって希望の終わりだという人もいます。そうでしょうか?

 ジオンの再興。私には数々の・・・非人道行為をしてしまったジオンが、すべてのスペースノイドの希望になり得るとは到底思えないのです」

 

 一年戦争勃発当初、サイド1、2、4に対して行われたジオンの奇襲でNBC兵器が無差別に使用された。さらに、大質量を利用した地球へのコロニー落とし。この一週間に、30億もの人命が奪われた。

 

「ではスペースノイドの希望とは何でしょうか?」

 

 キアーラがイリアに問う。

 それも分かりきったことだった。そもそもジオンはそれを勝ち取るために戦争を始めたのだ。

 

「地球連邦政府からの独立、自治権の確立ですか?」

「そうです。しかし、ジオンが起こした戦いはザビ家独裁のためであって、スペースノイドの民意どころか、ジオン国民の民意ですら、反映していなかった」

 

 イリアはこのやりとりが少しまどろっこしく感じられてきた。

 

「キアーラ様。私は御身のように学も無く、身分も卑しい者です。おっしゃることがよく分からないのですが。

 また独立戦争を連邦に対して、行うとおっしゃるのですか?」

「いいえ、違います。

 この火星を第二の地球として、人々の希望の光にしたいのです」

 

 唐突の思考の飛躍にイリアは即座に反応することができなかった。

 

「第二の・・・地球・・・?」

「はい。火星地球化計画を中佐はご存知ですか?」

「概略くらいでしたら」

 

 火星の薄い大気を厚くし、同時に気温を上昇させ、人が住めるような環境にする。通称、テラフォーミング。

 だが、イリアは思う。

 

「しかし、テラフォーミングが一体どれほどの時間が必要か、ご存知でしょうか?そもそも火星の地表に人が住むことが可能なのでしょうか?」

「わかりません」

 

 はっきりとキアーラが答える。答えの明確な姿勢と曖昧な内容のギャップに、イリアは付いていけなかった。

 

「キアーラ様。御自らが不確かなことに民衆が付いてくるでしょうか?」

「私は大切なことは、その姿勢だと思います。できるできないは別にして、人を動かすのは、夢であり希望であり、情熱だと思っています。

 私も自分が生きている間に、火星の空をノーマルスーツ無しで見れるとは思っていません。

 ですが、子々孫々、はるか先の世代にはそれができるかもしれない。

 『可能性』という夢を見させてあげたい。その手伝いを私はしたいのです」

 

 なんという、壮大で、気が長い話だろう。ジオンの独立国家どころか、ジオンの惑星を作ろうという話はイリアにとっては夢想過ぎて滑稽だった。

 

「幸か不幸か、ミネバ様を慕って、協力に賛同してくれる方々もいらっしゃいます。

 そして、思想や立場の違いから分裂したジオンを、少しでもつなぎとめたい。

 私はジオンの名の元にこれ以上人が死ぬのを見たくないのです。そのために、この火星を希望の光とし、結束の象徴にするつもりです」

 

 お笑いだと、イリアは思った。現実を見ていない。そんなことをしようとすれば、

 

「人はそれほど待っていられるでしょうか?

 それに火星云々はともかく、御身が再びミネバ・ザビ様の姿をし名を語れば、暗殺されましょう」

 

イリアの言葉は推測ではなく、確信だった。

 

「ミネバ様が2年前にされたことを・・・」

「わかっています」

 

 その言葉を途中でイリーアは遮った。

 

「しかし、それでも良いのです。私は暗殺されても」

 

 微笑みながら、キアーラは自分の死を口にした。

 

「「なっ!」」

 

 これには、イリアだけでなく、キアーラの後ろに控えるベイリーも狼狽した。

 

「私がミネバ・ラオ・ザビとして死ねば、本物のミネバ様は、その後の世を安心して暮らせるでしょう?」

「バカなっ!!」

 

 ベイリーが大きな声を上げた。

 

「そのような心にも無いこと、冗談であっても口にしてはなりません!」

 

 ベイリーの変わりようにキアーラは、きょとん、と目を丸くし、次にいたずらそうに笑った。

 

「やっぱり冗談って分かりましたか?少尉がこんなに驚くとは思いませんでした」

「まったく!」

 

 ベイリーは憤慨した様子だが、イリアは笑いながらも憂いを含んだキアーラの瞳を見た。

 深いエメラルドグリーン。

 どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。底が見えない。

 そして、イリアにはもう一つはっきりさせておかなければならないことがあった。

 

「では、熱核弾頭はいかがするつもりでしょうか?キアーラ様の計画には、あまりにも物騒なもののように思えるのですが」

「さすが、中佐。そこまでお見通しでしたか。どのようにして、あの強奪計画を知り得たのでしょう?」

 

 笑いは消えキアーラの眼光が鋭くなったが、歴戦の女戦士はまるで微風のようにそれを受け流した。

 

「蛇の道は蛇と申しましょう。我らもそれなりの情報には通じております」

 

 イリアとキアーラの視線が絡み合い、わずかに火花を散らしたようだった。

 かなわない、という感じに息を吐き、キアーラは続けた。

 

「あの核は先程の計画の盾として使います。いずれ、連邦政府が私たちの計画を知り得たならば、それを武力をもって潰そうと考えることはありえます」

 

 白々しいことを。イリアは呆れていた。

 

「《ジュピトリス》から奪った、10発程度の核弾頭で連邦の侵攻を食い止めることができると、本気でお考えでしょうか?」

 

 イリアの眼光はキアーラとは比べ物にならないほど猛禽類のように鋭い。キアーラの瞳に若干の動揺が走った。

 そして、それをイリアが見逃すはずもなかった。さらに、イリアが畳み掛ける。

 

「御身は我らが知らぬ、なにか秘策か・・・」

 

 そこで、イリアはキアーラの後ろのベイリーに視線を移した。

 

「戦況、・・・いや、戦争を一変させるような新兵器でもお持ちなのでしょうか?」

 

 その言葉にキアーラの動揺が大きくなった。

 突如、ベイリーが含み笑いをもらした。

 

「イリア中佐、そう言う問いを世間では、『下衆の勘ぐり』というのでしょう」

 

 その物言いにイリアの顔つきが変わった。

 あえて表現するなら、『凄惨な笑顔』に。その目は殺意にあふれていた。

 

「あの核は『時間』、時を稼ぐための盾に過ぎません。使ってしまっては、盾自体の意味を失います」

 

 キアーラの『時間』という言葉に、イリアは引っかかるものがあった。

 

「『時間』とは、テラフォーミングが終わるまでの時間ということですか?」

 

 キアーラは、ぐっ、と言葉に詰まった様子だった。

 むしろ、その態度がイリアの推測を確信に変えた。

 

(そうではあるまい。別の何かだ)

 

 いつ終わるとも知れぬ、そもそも100年単位で計画されるテラフォーミングのための時間稼ぎ、そのための核弾頭ではあるまい。

 だが、この様子ではもはやキアーラもベイリーも彼らが考えている『別の何か』に関しては決して話をしないだろう。

 その時、扉がノックされ、侍女がワゴンに載せられたティーセットと共に入室した。

 イリアとキアーラ、二人の前に熱い湯気をたてる紅茶が用意された。

 一口それをすすり、イリアはある決意をした。カップを置き、キアーラに対して姿勢を正して改まる。

 

「このイリア・パゾム、微力ながら、キアーラ様を支えさせていただく所存でございます」

 

 

 




あとがき

 明日は小生意気なプルツーさんが、あんなことやこんなことや、されちゃいます。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グレミーの亡霊

今話の登場人物

グレミー・トト(機動戦士ガンダムZZより)
 マザコンでありロリコン。さすがにシャアには負ける。
 ルー・ルカに一目惚れするも、ビームライフルで『ごめん。無理』と拒絶される。
 まさか8年後に、異母兄妹(らしい?)が同じ蒸発死する運命を辿るとは、びっくり仰天。
 享年18歳。

アンジェロ・ザウパー(機動戦士ガンダムUCより)
 21歳。巻いた銀髪と神経質そうな眉根。
 普段はちょっと嫌味なだけの士官だが、全裸が絡むと『貴様ぁ』節全開になる情緒不安な青年だった。
 『なんで火星にいるの?』というのは、聞いてはいけないお約束。 




 今日何度目になるのか、ズタ袋に入れられた私は硬い地面に無造作に投げ落とされた。

 ズタ袋が剥ぎ取られると、私の無防備な姿が、野獣のような男たちの前に露わになった。

 ロングコートは剥ぎ取られ、上半身はTシャツ1枚。下半身のジーパンがまだ脱がされていないことがせめての救いだったが、彼らにとってはそんなことはやろうと思えばいつでもできることだった。

 そして、抵抗しようにも両腕は背中の後ろに回され、手首と上腕で厳重に縛られ、脚も同様に、足首、大腿部に縄で結ばれていた。

 口は猿轡をかまされ、悲鳴や苦悶の声を封じていた。

 男たちは狭く薄暗い地下室ー倉庫か何からしいーに私を連れ込んでいた。

 これから連中がしようとすることを私は理解した。野蛮な男が女の捕虜にすることといえば、ひとつしかない。

 

「ちょうど、いいのがあるじゃねえか」

 

 そう言って、髭面の男が部屋の真ん中に置かれていたテーブルに目を付ける。テーブル上に散乱していた物を、構わず乱暴に払い落とす。

 そこにスペースができると、

 

「よし。じゃ、やるか」

 

 と、言って私の体をつかんだ。

 私ができることといえば、まるで、陸に上がった魚のように体をくねらせて、抵抗するぐらいだが、むしろその動きは彼らの嗜虐心を刺激することになった。

 

「おうおう、生きがいいねえ」

 

 小太りの男がよだれを垂らしながら言う。

 男4人に担ぎ上げられた私は抵抗虚しく、テーブルの上に乗せられ、押さえ付けられた。

 

「脚を開かせろや」

 

 男たちの中では、リーダー格らしい髭面がふたりに指示して、私の脚を拘束している縄を切り、テーブルの脚へ縛り直そうとする。

 これが最後のチャンスだと、思った私はテーブルに押し付けられた上体を力の限り押し戻そうとするが、

 

「ダメだよ、お嬢さん」

 

 優しげな口調で小太りの男が私の右脇腹に拳を押し付けた。

 

「うっ!ーーっ!!」

 

 途端に胸まで走る激痛に私は苦しみ悶える。そこは先程、イリア・パゾムの蹴りで肋骨にヒビが入っているようだった。

 

「静かにしてろっ!」

 

 さらに、髭面が首の上からギロチンチョークを掛けて、私の動きを完全に封じる。

 苦しさに咳き込み、また激痛が走り、私の蒼い瞳から涙がこぼれ落ちた。

 にやにやと厭らしい笑いを浮かべた男たちは、私が苦しむ様子さえ楽しんでいた。

 やがて、私の脚はテーブルのそれに縛り付けられ、大きく股を開いた屈辱的な姿で拘束された。

 

「へへへ、じゃまずは俺からだな」

 

 髭面の男が早速、上半身を脱ぎ始めた。しかし、

 

「いてて、おい手伝ってくれ」

 

 他の男に言って、アンダーシャツ型のボディ・アーマーを脱がしてもらっていた。

 

「おいおい、そんなんでヤれるのかよ」

 

 小太りが揶揄する。

 

「うるせえ。手前はこいつに撃たれてねぇからそんなこと言えるんだっ!」

 

 ようやく裸になった髭面の背中には、20cm大の円形のアザがあった。

 

「こんなもんを俺にぶち込みやがって」

 

 部屋の隅に置き捨てられていたソウドオフ・ショットガンを手にすると、髭面はスライドして、残りの3発を床に排きょうした。ひとつを拾い、

 

「ラバーショットとは舐めた真似してくれるじゃねぇか、ええ!?」

 

 言いつつ、床に叩きつけ、踏み潰した。ショットガンも投げ捨てると、髭面は凄まじい笑みを浮かべた。

 

「まぁいいさ、今度はこっちの番だ。俺のマグナムをぶち込んでやるよ」

 

 髭面がズボンのチャックをおろし、私が絶望して、目をつぶったとき、

 

「ちょっと、待てや」

 

 地下室に新たに入ってきた傷跡の男が、髭面を制した。

 

「なんだ、お前か。これからって時に」

 

 髭面が気勢をそがれ、あからさまに嫌な顔つきをする。

 

「イリア様が女をヤるのは後にしろとよ」

「なっ!ここまでしといて、お預けかよっ!」

「しょうがねぇだろ、お頭の命令だ。先走ったお前らが悪い」

「ぐっ!」

 

 傷跡にそう言われ、何も言い返せない髭面であった。

 

「その代わり」

 

 傷跡はいたずらな笑いを浮かべ、右手にピストル形状の注射器を握っていた。

 

「こいつと水を使って尋問しろとよ」

「ま、それで勘弁してやるか」

 

 髭面はまだ不満そうな顔であったが注射器を渡されると、まんざらでもなさそうな表情に変わった。

 

「おい、ジーパンを脱がせ」

 

 男たちは脚を縛られたままの私のジーパンをナイフを使って切り裂いていった。

 ショーツを露わにした私は羞恥に死んでしまいたくなった。顔を横にそむけ必死にこらえる。

 

「かわいいねぇ」

 

 髭面はそんな私の太股を撫でながら、舌なめずりし、唐突にそこへ注射器を突き立てた。

 

「ーーー!!」

 

 押し殺された悲鳴も空しく、その中の液体を押し込んでいく。

 

「なぁ、こいつは強化人間なんだろ?普通より多めに入れた方がいいのか?」

「ああ、そうだな。こいつこんなの持ってるから、薬に慣れてるだろ」

 

 小太りがロングコートのポケットから見つけたピルケースを振って見せた。

 

「へっ、ヤクチュウかよ。じゃ、いつもの倍入れてやるよ」

 

 無慈悲に大量の薬物を注入した髭面は、何かを探しに部屋の外へと出て行った。

 やがて、薬の効果が出始めていた。脇腹の痛みが引いていき、天井が回っているような、体が浮遊しているような酩酊にも似た感覚。

 私の思考のどこかでは、これは異常だ、と抵抗していたが、ほとんどはそれを受け入れ気持ちは弛緩しきっていた。

 

(もうどうでもいいや・・・)

 

 どこかで水音がするようだった。

 

「おい、便所からくんできたぞ」

 

 という男の声と、ピチャピチャと水が跳ね、滴れる音が床近くからするのが聞こえる。

 何かが私の顔を覗き込んでいるのが、分かったが、視界がすりガラスでもはめ込まれたようにやけにぼやけてはっきりしない。

 

「だいぶ、効いてきたみたいだな」

 

 覗き込んだ顔がしゃべっていた。

 

(なんだ、これ・・・)

 

 やけに黒光りする顔だった。額からは長く触覚が伸び、ノコギリ形状をした顎は縦にふたつに割れ・・・。

 それは昆虫、アリの巨大な顔だった。

 全身が鳥肌になり総毛立つ。

 

「ーーーーーーー!!!」

 

 私の魂消るような悲鳴は猿轡に殺された。

 

「ありゃ、悪いトリップでもしたか、こりゃ」

 

 覗き込んだ別のアリが言う。

 

「まぁ、いいさ。さっさと聞くこと聞いちまおう。

 おい、お前の名前と所属、目的を言え」

 

 そう言った、アリの1匹が口の猿轡を外した。すぐに私は叫んだ。

 

「誰かーーーーぁ!!助け・・・」

 

 その顔にたっぷりと水を染み込ませたボロ雑巾が掛けられ、悲鳴を続けることはできなかった。

 さらに、その上から、口と鼻腔に水が注ぎ込まれ、急速に窒息する。

 

「もっとかけろ。こいつは強化人間だ。ちょっとやそっとじゃ、死なん」

 

 テーブルに縛り付けられた脚が、押さえ付けられた体が痙攣する。

 

「よし止め」

 

 ぼろ雑巾が顔から剥がされると、私は大量の水を吐き出し、陸に上がった魚の様に口を盛んに開閉させ、なんとか空気を送り込もうとする。

 

「もう一度聞くぞ。お前の名前と・・・」

「イヤーーーーぁ!!・・・」

 

 すぐに再び、ぼろ雑巾が顔に被せられ、かけられた水が口と鼻を蹂躙し、咽頭反射で肺からまた空気が無理やり追い出される。

 雑巾が外される。また、かけられる。

 何度、それを繰り替えされただろうか。

 段々と私の意識は薄れていき、ここが現実なのか、非現実なのか、判断が付かなくなっていた。

 死が私のすぐ近くに横たわっていた。

 

 

 ふと見ると、天井から金髪ネオ・ジオンの士官服に身を包んだ青年が青白い顔を出して、私の方を見下ろしている。

 

(グレミー・・・、助けて・・・)

 

 苦しい表情で私は助けを求めるが、その青年士官、グレミー・トトは冷たい目で私を見ているだけ。

 

(それはできないよ。だって僕はもう死んでしまったんだから。プルツー、君に見捨てられて)

 

 私は必死に弁明しようとするが、

 

(そんな・・・グレミー、私は・・・)

 

 言葉が続かない。

 

(だって、そうだろう。君は僕ではなく、ジュドー・アーシタをマスターに選んだ)

(ジュドー・・・お兄ちゃん・・・)

 

 グレミーが言った兄の名に、私は一筋の細い光を見たような気がした。

 

(ジュドー、助けて・・・)

 

 だが、グレミーは残酷だった。

 

(彼は来ない。ルー・ルカも、エル・ビアンノも。誰も君を助けにこない。

 だって君は・・・)

(やめろ!!聞きたくない)

 

 耳を塞ごうにも、後ろ手に縛られ、気持ち悪いアリどもに押さえ付けられた私は、身動きしようもなかった。

 希望という細い小さな光を叩き潰し、彼の言葉に私の心は絶望が広がっていった。

 

(だって君はエマリー艦長やエルピー・プル、彼らの大切な仲間を殺した憎い敵なのだから)

 

 グレミーの言葉が封印していた過去の記憶を呼び起こす。

 

(ああぁぁ・・・。だって、あれはグレミーがやれって。戦争だったから・・・)

(そうやって、僕にすべてを押し付けて、自分の犯した罪から逃れるつもりか。

 だが、外面は繕えても、人の心は騙せない)

 

 私は何とか反論しなければ、心が壊れてしまうような気がした。

 

(でも、でも・・・。ジュドーもルーも、みんなも私を許してくれたんだ!)

(本当にそう思っているのか?彼らが心から許してくれた、と?)

 

 ぞっとするような言葉だった。

 でも、私はその答えを知っていた。その答えから私は10年間ずっと逃げ続けてきた。

 

(プルツー、君は知っている、気付いている。だが知らない、気付かないふりをし続けていた)

 

 私は頭を振って否定する。

 だが、否定すればするほど、心の中には自分に対する嫌悪と後悔がつのっていった。

 別の誰かになりたい。この自分の顔を焼いてしまいたい。

 

(君が許されたと錯覚しているのはな、プルツー。

 君がエルピー・プルの似姿だからだ)

(違う・・・。違う・・・)

 

 私は理由無き空虚な否定を繰り返すことしかできない。

 

(ジュドー・アーシタ。彼と仲間の記憶の中に、プルという無垢の少女がいたからこそ、その記憶を呼び起こさせる君の似姿が決定的な憎しみとならなかった)

(違う・・・、私はジュドーに、ルーに、エルに、みんなに愛された。友達になったんだ!)

 

 私の心の叫びは感情から発されたもので、なんの裏打ちもなかった。

 

(あわれな人形だ。そう思うのは勝手だ。

 だが、君は周りどころか、自分自身を欺いている)

 

 グレミーの言葉は一語一語、一文一文が、的確に私の心を傷つけ壊していった。

 

(君の心を読み取る能力は知ってしまった。

 ジュドーたちの心にプルツー、君がいないことを。そこにはすでにエルピー・プルがいたことを)

 

 そう、事実だった。

 それこそが、私が10年間自分を騙し続けてきた現実だった。

 

 

『あたし、エルピー・プル。よろしくね!』

 

 初めて会ったときの純真な少女の笑顔。

 

『ジュドー、元気出して』

 

 絶望の縁に立たされたときに本当の妹の様に励ましてくれた。

 

『好きだよ・・・』

 

 そう言って、握り返した手はとても小さかった。

 

 

 ジュドーの中にあるプルの記憶。あふれるばかりのきらめきとやさしさ。彼女に対する無限とも思える愛。

 そこに私、プルツーが入り込む余地などなかった。

 そして、あるのは・・・。

 

 

『あたしよ!死ねーぇ!!』

 

 《ZZガンダム》の盾となって爆散するプルの《キュベレイ》。

 それを止められなかった、ジュドーの自責の念。

 そして、敵パイロットへの許しがたい憎しみ。

 

 

 敵パイロット・・・?

 

 敵・・・?

 

 それは・・・

 

 

 私。

 

 

(いやーぁ!もうやめてーぇ!!)

 

 私の悲痛な叫びに、グレミーは満足そうな笑みを浮かべて、まるで私にとどめの一撃を加えようとしているようだった。

 

(やめないよ。罪も穢れも消すことはできないから。これは罰なんだ)

(罰?・・・なんで、なんで私だけがこんな・・・ひどいことを・・・)

 

 その言葉に、グレミーの表情が一層厳しいものになった。

 

(君は妹たちのことを考えたことはないのか?君が見捨てて犬死にしていった彼女たちのことを!

 君の末妹は死より恐ろしい恥辱を味合い、希望の光を奪われ死んでいったんだぞ。これから君がそれを受ける番だ。

 罪を浄化される死に至る苦しみ。それだけが許されるただひとつの道)

 

 グレミーの顔が天井に吸い込まれるように消えていった。

 そして入れ替わりに、アリどもが砂糖に群がるように、私の体を舐め回し蹂躙していった。

 再びアリの1匹が問う。

 

「お前は誰だ?何者だ?」

「私は・・・」

 

 すでに、私の中には綺麗な、楽しい、幸せな記憶がもう何ひとつ残っていなかった。

 それらはすべてグレミーが壊していってしまった。

 

 

 床に放置された捕虜は死んだように動かなかった。

 むろん、また手足を縄で縛り上げているので、動きようもないのだが。

 

「殺してはないだろうな?」

 

 キアーラとの謁見を終えたイリアが地下室にいた。

 

「だいぶ弱ってはいますが、死んではおりやせん」

 

 傷跡が答えて、捕虜を改めて見ると、その胸がわずかに上下しているようだった。

 

「それで何か情報は吐いたのか?」

 

 イリアが尋ねると、傷跡が嬉々として、

 

「ええ。そりゃあもう。聞いて驚きですよ」

「なんだ?」

「こいつの名前はプルツー。階級は不明。所属はグレミー・トトのニュータイプ部隊で、目的はエゥーゴ所属の《ZZガンダム》と《ネェル・アーガマ》の撃破だそうでさぁ」

「・・・」

 

 イリアが呆然とした顔になり、傷跡と顔を見合わせる。

 次の瞬間、二人共噴き出した。

 

「アッハッハッハッ!!これはお笑いだ。やはりお前、薬を食わせすぎたな」

「そのようですな」

 

 傷跡が頭を掻いた。

 

「まぁいい。もうどうでもいいことだ。私もキアーラ・ドルチェを殺す。お前らは手筈通り、火星軍どもを始末しろ」

 

 イリアの言葉に、物のように横たわっていた捕虜の体が、ぴくり、とわずかに動いた。

 

「ははっ!つきましてはこの捕虜は・・・」

「安心しろ。もうこいつからの情報はいらん。必要ない。ことを済ませたら、船へ連れていけ。たっぷり可愛がってやれ。

 生きているのが嫌になるぐらい」

 

 その言葉に男たちが狂喜する。

 

「またまた、イリア様も無体なことを言いなさる。どうせ最後は『眠らせて』しまうのでしょう?」

「だからこそさ。せいぜい、お前や兵たちを『慰めさせて』から捨てた方が、少しは役に立つというもの」

 

 イリア・パゾムはそう言って壮絶な笑みを見せた。

 

 

 時間を少し戻そう。

 ホルストの歓楽街の裏通りで、アレクは落ちていたサングラスを拾い上げた。

 

「お気に入りだって言ったのに、・・・」

 

 マリアに貸してやったものだった。

 地面に落ちた衝撃でからか、それとも顔を殴られでもしたのか、それはテンプル(つる)のところが折れていた。

 しかし、その断面に普通ならあり得ない物が埋め込まれていた。

 超小型位置発信器。

 

「ここで、やりあったのは間違いないようだな」

 

 もうひとりの《ダイニ・ガランシェール》クルーのフラストが言いつつ、路面からまた別の物を拾う。12ゲージ装弾の薬莢だった。

 

「ゴム弾なんか使いやがって。どんだけ甘ちゃんなんだよ、あいつ」

 

 薬莢をポイ捨てすると、ジャンパーのポケットからコロニー中継基地経由で無線機の受話音が鳴った。

 

『フラスト、聞こえるか?』

「どうした?」

 

 《ダイニ・ガランシェール》に残したトムラからだった。

 

『外に出てるクワニからなんだが、』

 

 クワニは《ギラ・ズール》で港外、火星面から周囲を警戒中であった。

 

『軌道上に巡洋艦が来てるぞ』

「なんだって!?どこの船だ?連邦か?」

『わからん。だが、《ムサイ》系じゃないかと思う。俺も映像だけではっきりと言えないが、多分《エンドラ》級だ』

(《エンドラ》だと!?)

 

 その報告にフラストはアレクと顔を見合わせる。アレクのサングラスの眉間にも深くシワが刻まれていた。

 《エンドラ》級重巡洋艦。

 アクシズが《ムサイ》級の発展型主力艦艇として建造した巡洋艦である。第一次ネオ・ジオン戦争では、対エゥーゴ、対連邦軍との戦闘で勇名を馳せ、戦争後期はネオ・ジオン内乱の発生により、ハマーン派、グレミー派、双方の勢力で使用された。

 戦後、連邦軍に接収された《エンドラ》級は、かつて自軍の艦隊に組み込まれた《ムサイ》級と異なり、そのほとんどが爆破自沈された。

 そのため、今フラストたちがいる地下の天井を突き抜けた、火星軌道上にいる《エンドラ》は、

 

(連邦軍じゃない。とすると、・・・)

 

 また、同型艦は第二次ネオ・ジオン戦争において運用されることは少なく、ラプラス戦争に加わった数隻も撃沈・損傷し、その他のほとんどは退役したものと思われた。

 

「どっかの落武者のなれの果て。海賊か」

『おそらく、な』

 

 フラストの言葉にトムラが同調し、アレクがサングラスを指で押し上げる、ーつまり、同意見ということだ。

 

「いつでも逃げ出せるように準備はしておけ。それから、あの鉄砲玉の発信位置はモニターできたか?」

『ああ。どうも行政地区のようだ』

 

 発信器はもうひとつ、トムラがマリアに貸したジーパンの中にも仕組んであった。

 

「保険掛けといて良かったな」

 

 アレクの言葉にフラストは答えなかった。

 ただ包帯が巻かれた右の拳を固く握り締めた。

 

(今度はあいつを死なせない、絶対に)

 

 ふたりの男たちは獲物の痕跡を追う猟犬のように走り出した。

 

 

 そこから程近くの狭い路地。

 その男、アンジェロ・ザウパーは膝を腕で抱えて座り込み、地面に置かれたドリンクのパックと応急スプレーをぼんやりと眺めた。

 彼の目には、およそ生気というものが無かった。整った顔立ちは垢やホコリにまみれ、かつての美しい銀髪は手入れもされずボサボサに伸び、老人の白髪を思わせた。

 アンジェロは先程、なぜホームレス風の2人組に襲われていたのか、忘れてしまった。多分、縄張りがどうとか、よそ者いじめだとか、くだらない理由だと思うが、正直どうでも良かった。

 

(なぜ、あの女・・・。多分、女、だろう・・・。なぜ、私を助けたのだろう・・・)

 

 今の彼にとって世界は何の意味も持たないものだった。

 希望、生きがい、誇り、幸福、光。一切が無かった。

 

(なぜ、世界は存在する。なぜ、私は生きている)

 

 アンジェロは腕を伸ばす。

 そして、ドリンクパックをつかみ、向かいの壁に思い切り投げつけた。それは簡単に破裂し、飛沫が盛大に彼の顔面にかかった。

 口の中にまで入ってくる。傷病人用のそれはひどく不味かった。

 苦い思いが胸中に広がる。

 

(大佐・・・なぜ私を置いていかれたのです・・・?)

 

 アンジェロは自らの膝に顔をうずめ、永遠の闇に飲み込まれたいと願った。

 

 

「本当にここで間違いないか、トムラ?」

 

 身を低くし、通りの角から目的の建物をうかがうフラストは疑念に満ちた声だった。

 

『ああ、位置はそこから前方200mで捉えたのが最後だ。あとはロストした』

「しかし、ここは・・・」

 

 フラストが口ごもる。彼の前方にある、広い庭園に囲まれた瀟洒(しょうしゃ)な屋敷がホルストの総督府だったからである。

 それは表向きサイド6の所有する建物と敷地であったが、実際には【ジオン独立火星軍】の司令部になっていた。

 そして、そのことをフラストも承知していた。それどころか、数日前に火星に補給物資を届けたのは、まさにこの屋敷なのだった。

 

(あのバカ、何やらかしやがった?)

 

 考えても何も思いつかないフラストにアレクが追い討ちをかける。

 

「それで、どうすんです?」

「どうするったって・・・」

 

 答えに窮し渋い顔でフラストは双眼鏡をのぞく。ぐるりと柵に覆われた向こう、正面玄関前には弾倉を叩き込んだライフルを持つ2人の衛兵が寝ずの番よろしく、直立していた。

 

「・・・とりあえず、裏口に回ってみるか」

 

 ダメ元で行くと、裏口ーと言っても実際には貴賓出入口だが、ーには衛兵も誰もいなかった。

 

(どうなってるんだ?)

 

 しかし、見張りさえいなければ、柵を乗り越えて屋敷まで行くことはできる。その他の侵入センサー類は設置されていないことを祈るだけだが。

 

「よし、行くぞ」

 

 フラストは難なく、アレクは苦労して柵の乗り越え、庭園を突っ切り、貴賓出入口の分厚い扉の前までやってきた。

 フラストがその取手に手をかける。

 

(しかし、さすがに鍵ぐらいは・・・)

 

 あっさりとそれは回り、施錠もされていなかった。

 

(何かの罠か・・・?)

 

 音もなく建物内へ滑り込む2人だったが、心臓は早鐘のように鼓動していた。

 

 

 そして、時は進む。

 イリア・パゾムは元来た廊下を戻っていた。キアーラの元へと至る道である。

 

(同族殺しの血塗られた道を行くか、私も)

 

 イリアは自嘲気味に笑った。そんなことはすでに経験済みだった。

 

(私の手は十分、ジオンの血で汚れている。ついでだから、もう少し汚してやろう)

 

 ただひとつ心残りなのは、イリアの昔の主のことであった。

 

(お許しください・・・)

 

 その扉の前まで来ると、イリアは感傷を捨て、両袖から小型拳銃を引き出した。

 

 

 地下室でひとり、捕虜を見張っていた傷跡の男は我慢できずに、彼女に覆い被さろうとしていた。

 他の4人は屋敷の【火星ジオン】の兵を排除し、火を付けて混乱を起こさせる手筈になっていた。

 同時に街に浸透した仲間の別働隊がMSで核弾頭を奪取、イリアと自分らと捕虜を収容する予定だ。しかし、

 

(《エンドラ》に戻ったら、若い奴らが寄ってたかって『おもちゃ』にしちまうだろうな。こうなりゃ、先に俺が遊んでおくか)

 

 である。

 捕虜のTシャツの首元をつかみ、乱暴に引き寄せる。目は開いているが、それはまるで蒼いガラス玉をはめ込んだように、光が無く覗き込んだ傷跡の顔を反射するだけであった。頬を張っても反応は無い。

 

(まるで、人形みてぇだな。まぁいいか)

 

 傷跡はTシャツの下端をつかみ、めくり上げようとした。

 その時、

 

「おい」

 

 地下室の扉が開き、誰かが入ってくると同時に、声が掛けられた。振り返りながら、

 

「随分早かったな・・・」

 

 傷跡のセリフはそれ以上続かなかった。

 高速で繰り出された、ブーツの硬い靴底が傷跡の顔面にめり込む。部屋の壁まで吹き飛び、ハエのように叩きつけられた。焦点の合わない目で顔を上げると、鬼の形相になったフラストが立っていた。容赦なく、2撃、3撃目が加えられる。

 

(畜生、畜生、畜生!!)

 

 心の中で呪いを吐きながら、フラストは拳を打ち続けた。血が飛び散り、フラストの顔が赤いまだら模様に染まる。

 

「フラスト、もうよせ!」

 

 アレクの言葉にようやくフラストは自分を取り戻した。

 傷跡の男は顔を血の池に沈め、すでに絶命していた。

 ようやく、左拳に痛みが知覚されてきた。

 

「参ったな。右に続いて、左手までやっちまった・・・」

 

 フラストの左拳は裂け、自分と相手の血で真っ赤になっていた。

 アレクがナイフを抜き、マリアを拘束していた手足の縄を切り猿轡を外してやる。横臥したまま彼女は弱々しく、フラストの方へ手を伸ばした。

 

「マスタ・・・」

 

 その言葉がフラストを愕然とさせた。その容姿から予測はしていた。だが、もしかしたら、違うのではという一抹の疑念もあった。だが、

 

(間違いない。この娘も・・・)

 

 マリアがフラストの傷付いた手に自分のそれを重ねる。そして、彼女の思惟が流れ込んできた。

 

 

(キアが、あの子が殺される。助けて!)

 

 

 体が引き込まれるような感覚と共に、時間を遡るように彼女の記憶が入ってきた。

 【木星ジオン】のイリア・パゾムの存在。彼女の殺意。

 ミネバの影武者、キアーラ・ドルチェ。彼女の拉致・誘拐。

 幾度も見続けるグレミーの夢。毎日飲みつづける精神安定剤。

 フラストはもっと奥深くへ降りていこうとした。

 

 

 《ジュピトリスⅡ》の広いラウンジだった。行き交う人々が無重力遊泳し、窓の外の景色に星とスペースデブリが流れるところから、そこが巨大な宇宙船の一室なのだろうと、フラストにも想像できた。

 窓際のソファに腰かけた青年が視界に入り、心臓の鼓動が早まるのをフラストは感じた。

 

(これは、・・・マリアの気持ちか?)

 

 少しはね気味のこげ茶の髪。意志が強そうな太く濃い眉の下には優しげな瞳が、虚空にきらめく星々の輝きを映していた。気持ちが高まりながら、青年の元へ遊泳して行こうとするのが分かる。

 だが青年の前に、露出度の高いカクテルドレスに身を包んだ女性が現れ、マリアの気持ちが急にしぼんでいくのを、フラストも感じた。パープルのストレートヘアーをなびかせ青年のソファを向かいへ腰かけ、青年に笑いかける。容姿端麗という言葉がまさに似合う女性だと、フラストは思った。

 そして、ふたりはお互いの顔を近づけ、その唇を・・・。

 その光景をマリアが顔を背けたのだろう、フラストは見ることができなかった。

 

 

 突如、体が押し戻されるような感覚があり、フラストは現実に戻された。

 荒い息遣いでマリアがこちらを睨んでいた。彼女の瞳は先程よりか幾分光を取り戻しているようだった。

 

「人の・・・心の奥に・・・。

 土足で踏み込むな・・・」

 

 やっとのことでそれだけ言って、マリアは顔を俯けた。

 

(マリア・・・。泣いて、いる?)

 

 彼女の背にアレクがそっとロングコートをかけてやった。

 

 

 その時。

 階上で起きた連続的な銃声が地下室にまで響いてきた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

光の鼓動

 深夜の応接室は照明も薄暗く落としていた。

 その薄闇の中でソファに座るキアーラは深く息を吐く。向かいのさすがにベイリーも疲れた様子だ。

 

「イリア・パゾム。油断できませんね」

 

 小さく独り言のようにキアーラがつぶやく。

 

「パイロットとしても、策略家としても、腕が立ちます。自分は人づてに聞いただけでしたが、今日会って只者ではないと確信しました」

 

 相槌をうちながら、ベイリーが応える。

 

「ですが、今日はキアーラ様ももうお疲れでしょう。心配ごとは数多くありましょうが、とにかく今はお休みになりましょう」

「そうですね」

 

 キアーラが、ふっ、と笑う。キアーラは聖書の一節を思い出した。

 

「『明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む』と。だからもう寝ましょうか」

「もう『明日』になりましたしね。日付が変わって大分経ちます」

 

 そう言ったベイリーの言葉にふたりは顔を合わせて、微笑んだ。

 キアーラはソファを立ち、自室に戻ろうと扉の方へ目をやった。

 彼女は異変に気が付いた。

 扉が半開きの状態になっている。人が横向きで入れるぐらいに。侍女がティーセットのワゴンを仕舞いに出たときに閉め忘れたのだろうか。そんなはずが無い。

 その時、いつの間にいたのか。部屋の隅に立つ人影が動いた。

 

「ーー!ベ・・・」

 

 キアーラが危険の声を発する間もなく、人影の腕が真っ直ぐ上がっていき、それに背を向けたベイリーと一直線上になったとき、その手から閃光と銃声が発した。

 背中の正中線に被弾したベイリーは声も無く、倒れた。

 

「しょ、少尉!しっかり・・・」

 

 うつ伏せのベイリーはぴくりとも動かず、彼の元に屈んだキアーラの瞳には軍服の背の真ん中に開いた銃痕がやけにはっきりと映った。

 ベイリーを撃った人影が硬い足音を響かせて、彼女に迫った。

 

「イリア・パゾム・・・」

 

 キアーラの予想通り、そこにはイリアが無表情に見下ろしていた。

 

「なぜ・・・」

 

 イリアを問い詰めようとするキアーラだったが、その瞳は恐怖に震え、それ以上は続かなかった。

 

「理由などどうでもいいのです」

 

 相変わらず、無表情のままイリアが続ける。

 

「『明日のことまで思い悩むな』、なぜなら今日ここで死ぬのだから。ご安心ください。あなたはやっと光の中を歩むことができる。

 暗殺されたミネバ・ザビとして」

 

 イリアは続けざまにトリガーを絞った。

 弾丸のひとつが右肺を貫通し、またひとつが背骨を傷付け、最後のひとつが首を掠めていった。

 ソファに崩れ落ちたキアーラは口から血を吐きながら、断末魔の苦しみに手足をもがいた。

 初めて、イリアは動揺した。

 

(なぜ、外した!?)

 

 心臓を狙ったはずなのに。

 改めて、彼女に狙いを定めようと拳銃を構え直したとき、室外、廊下から銃声を聞きつけた声と足音が近づいてきた。

 

「ちっ!」

 

 ひとつ、舌打ちしてイリアはこの場から逃げることを決めた。

 

(私としたことが・・・。血筋とはいえ、・・・

 あんな小娘の中に、あのお方を感じてしまうとは)

 

 廊下を走りながらイリアは、ぎりり、と奥歯を噛み締め、苦い思いを振り払った。

 彼女は、キアーラの顔にキアーラ自身でも、ミネバ・ザビでもなく、かつての主ハマーン・カーンの面影を見出してしまった。

 

 

 マリア、フラスト、アレクの3人と、ベイリーの部下の兵長、侍女の2人が応接室に駆けつけたのは、ほぼ同時だった。

 応接室前の廊下ではち合わせた両者は、

 

「何者だッ!!銃を捨てろ!!」

 

 兵長とアレクがお互いの拳銃を突き合わせた。アレクは無言だが、その巨躯と表情から発せられる圧力は兵長のセリフと拮抗するものだ。

 

「ま、待て!落ち着け」

 

 まだ脚がおぼつかないマリアを横抱きに抱えたまま、フラストが兵長に声を掛ける。

 その時、いち早く部屋に入っていた侍女が、絹を裂くような悲鳴を上げた。あまりの凄まじさに思わず、その場にいた全員の視線はそちらへ奪われることになった。

 ソファに倒れたキアーラが赤いジオンの軍服を自分の血で黒く染めていた。

 

「ああぁぁ・・・、キアーラ様、なんで、どうすれば・・・」

 

 顔面を蒼白にして今にも倒れそうな侍女の様子に、フラストは意を決した。

 

「マリア、悪いな。しっかりしろよ」

 

 一声かけ、彼女を床に下ろすと、応接室の中へと踏み込んで行った。

 

「貴様ぁ!!何を・・・」

 

 銃口をフラストへ移す兵長の前を、アレクが遮った。

 パーァン。

 乾いた音が響いた。

 フラストが侍女の頬を張ったのだった。

 

「しっかりしろ!!傷口を強く手で押さえるんだ。これを太股に刺せ。大丈夫だ、死なないから!!」

 

 フラストがモルヒネの注射を渡し、侍女はよろよろとキアーラの元へと向かった。

 

「お前は医者か衛生兵を連れてこい。早くしろッ!!」

 

 命令され迷った顔の兵長はフラストを見て、次にキアーラの方へ目を移し、意を決して医務室へと走り出した。

 

「おい、フラスト」

 

 マリアの肩を支えてやりながら入室したアレクは指差した。フラストがそちらを見ると、キアーラが倒れたソファの向かいに別の軍人がひとり倒れていた。

 フラストが介抱にしゃがむ。軍服の背中に弾痕があったが、不思議と出血の様子は無い。思い切って、体を裏返し、仰向けにさせる。

 

「うっ・・・」

「お前は・・・ベイリー」

 

 うめき声を上げた男にフラストは見覚えがあった。先日、補給物資を届けたときに対応した少尉だった。

 上着を脱がしてやると、その下に着込んでいた防弾シャツが目に入る。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 何度か頬を張ると、ベイリーは意識を取り戻した。

 

「・・・お、お前は・・・!?」

「《ガランシェール》のフラストだよ。味方かどうかは分からねぇが、少なくとも敵じゃねぇよ」

「そ、そうか・・・、それよりキアーラ様は・・・」

 

 ぐっ、とフラストの顔付きが渋いものになる。

 

「ま、まさか・・・」

 

 ベイリーはまだ力がはっきりと出ない腕で必死に上体を起こし、そこで彼女の惨状を目の当たりにした。

 

「おおぉ、なんという・・・」

 

 這うように、キアーラの元へ行き、彼の口から苦悶の声が漏れた。

 

「キア・・・どうして・・・」

 

 アレクに支えながら、マリアもキアーラのそばへと向かった。

 モルヒネが効いてきたキアーラは幾分落ち着いた様子だったが、彼女の姿を見たフラストは、

 

(もうダメだな・・・)

 

 すでに死相が現れ始めていた。全身の肌に血の気が無く、唇、手足は紫色。とろんとした焦点の合わない目は、壊れた蛇口のように涙がこぼれ落ちていた。

 そのエメラルドグリーンの瞳が、フラストに怒りと憤りを新たにした。

 

「キア・・・帰ろう、《ジュピトリス》に。みんな待ってる。BBも、カールも、ウドさんも・・・」

 

 マリアは自分が涙を流していることに気が付かなかった。屈み込んだ彼女はキアーラの手を取る。

 

「マ、リィ・・・?本当に?・・・夢じゃないんだ・・・ね。来てくれた」

 

 しかし、キアーラはすでにマリアの顔を見ていなかった。

 

「ああ、もう・・・目が・・・見えない。あなたの・・・顔が・・・見えない」

 

 マリアは強く彼女の手を握った。

 しかし、キアーラの手はどんどんと冷たくなっていった。

 

「ああ!!キア、行くな!」

「あなた、の・・・声を聞けて良かった・・・」

 

 微かに、キアーラがその手を握り返した。

 そして、彼女の思惟が流れ込んできた。

 

 

(伝えたいことがあるの)

 

 

 私は長く暗い穴の中を落ちていくような感覚に捉われた。その出口に光が広がっていた。

 それは彼女の原始の記憶だった。

 気が付くと私は思念体として、その部屋の一角にたたずんでいた。貴族の屋敷の一室のようだった。扉、壁、調度品、すべてが洗練されていた。

 その部屋の中央に、大人3人が悠に横になれるような巨大な天蓋付きベッドが置かれていた。

 ベッドの端に腰掛け、美しく若い女性が赤ん坊を抱きあやしていた。

 その隣に腰かけた大柄な男性を私は知識として知っていた。

 大柄というより、巨漢だろう。その男はベッドに腰かけてなお大きかった。筋骨隆々の肉体、顔に刻まれた深い傷跡、ジオン軍服の肩から伸びたスパイク状の棘。

 

(この人知ってる。ドズル・ザビ)

 

 私にとっては研究所の資料で見た歴史上の人物の一人でしかなかった。

 赤ん坊を抱いた女性は知らなかった。だが、なにか見覚えというか、

 

(誰かに似ている・・・?)

 

 淡い赤毛、先尖りの顎の輪郭。

 私を不安にさせるその面影に反して、その女性はとても柔和な母の顔をしていた。

 

「すまんな、マレーネ。苦労を掛ける」

「閣下が気に病まれることではありませんよ」

 

 心底申し訳そうなドズルに、その女性、マレーネが深い慈愛に満ちた笑顔で答える。

 

「ふたりだけの時に閣下はやめろ。

 正妻でないとはいえ、その子もこの俺の子であることには違いないのだ。いずれ名家に嫁がせて・・・」

「そのような先のことまでお考えで」

 

 ころころと鈴を転がすような声で、マレーネが微笑んだ。

 

「無論だ」

 

 ドズルがその巨大な胸をさらに大きく逸らして力説した。

 

「俺も妾の子ゆえ、冷たい扱いを受けたことも、ままある。

 この子にはそんな思いはさせたくない」

「それでしたら、・・・」

 

 マレーネが赤ん坊をドズルへと優しく抱き渡した。

 

「今はただこの子を愛してやってくださいませ」

 

 その時、私はその赤ん坊の波動を感じた。

 母親譲りの淡く赤い髪。灰がかった黒目。私が知っているキアーラと容姿は異なるがその子は、

 

(間違いないキアだ・・・。それじゃ、キアはドズル・ザビとこの女の人の間の・・・)

 

 

 そこで場面が移り変わり、私の意識は螺旋を描いたトンネルを通って、違う時空に飛ばされた。

 有機プラスティックの窓の向こうに暗い銀河が広がっていた。広い展望室だった。

 

(知っている。私はここに来たことがある・・・)

 

 私は記憶の奥底をさらうようにして、思い出そうとしていた。

 

(ここは・・・アクシズの展望室だ。そして、私は研究室から出されて・・・)

 

 目を落とし、床を見つめていた私は突如、前方から湧き上がったプレッシャーに背筋が凍る思いがした。

 かつて彼女に謁見されたときに感じた、押し潰されんばかりのプレッシャー。

 忘れえぬその人がいた。

 その女性は窓から広がる星のきらめきを眺めているのだろうか。しかし、その後ろ姿だけで私は分かる。

 淡い赤毛。イチョウの葉のような末広がりのヘアー・スタイル。タイトな黒のワンピース。

 呼吸が早く、荒くなる。頭では、これは現実でない、他人の記憶の中だと理解していても、指先が震えてくる。膝に力が入らない。

 後ろから軽い足音を響かせて、何かが近づいてきた。それは私の思念体をすり抜けて、その女性の元へ走り寄っていった。オレンジがかった栗毛の幼児体型の少女。

 見覚えがあった。

 

(ダメだ!その人は危ないんだ!!)

 

 私はその子供に危険を叫ぼうとしたが、少女の方が早かった。

 少女はその女性の腰に抱きつきながら、

 

「ハマーンさまぁ!!」

 

 うれしそうな声を上げた。

 振り返ったその女性、ハマーン・カーンはにっこり微笑んで子供に応えた。それは私が知らないハマーン・カーンだった。

 

「こんな処にいたのか。ハマーン様にご迷惑をかけてはダメだ」

 

 その声に私は後ろを振り返ると、見覚えのある年老いた禿頭の研究員と、手をつないだ少女が目に入った。

 

(そうか、これは私で・・・)

 

 私は研究員に手をつながれた、幾分落ち着きのある少女を見やり、

 

(あっちはプル姉さんか)

 

 ハマーンに頭を撫でられ、喜ぶ少女を見た。

 

「さぁ、二人とも戻るんだ」

 

 研究員に促され、二人は元来た道へと戻って行った。

 幼児の姉が口を尖らせ、次には頬を膨らませている表情が私にはおかしかった。

 展望室の入り口で振り返ると、

 

「ハマーンさま、また遊んでください」

 

 プル姉さんが手を振った。

 それを見送るハマーンの顔に慈しみがあったことが、私には意外でならなかった。

 

(あのハマーンがこんな顔をする・・・)

 

 研究員にも言う。

 

「たまには研究室から出しなさい。それでなくては、人としての心が育つまい。

 人工ニュータイプとはいえ、機械ではないのだからな」

 

 やがて、その研究員も一礼し退室すると、そこはまたハマーンと私の思念体だけとなった。

 どれほど、星を眺めていただろうか。

 こつこつと床を打つ物音に私は振り返った。

 小柄な人影が杖にすがるように、展望室の入り口に立っていた。うつむいたその表情はうかがい知れない。

 ハマーンもその人影に気が付くと、

 

「キアーラっ!!」

 

 うわずった声を上げ、その人影、キアーラに駆け寄った。

 驚いた私も彼らの元へ近づく。そして、息を飲んだ。

 子供の私よりも少し幼いキアーラは髪の右半分は金色に輝き、左半分はハマーンと同様の赤毛だった。

 染めたような色ではなく、どちらも自然な色だったことが、むしろ私には『不自然』に感じられた。

 

「おばさま・・・」

 

 呟きながら、顔を上げたキアーラを見て私はさらに驚愕した。右の瞳はエメラルドグリーンで、左は灰がかった黒。虹彩異色症の目だった。

 

「まだ手術の経過がよくないのだろう?お部屋で休んでいなさい」

 

 ハマーンの口調は年の離れた妹を気遣う姉のそれであった。

 

「お星さまを見てると、気分がよくなるから」

 

 ハマーンはそう言うキアーラをうれしいような、哀れむような複雑な表情で見ると、杖を持たぬ方の手を支えて、窓際へ連れてきてやった。

 二人そろって星を眺める。

 おもむろに、ハマーンがキアーラの小さな肩に手を置き、身を寄せた。

 

「お前の体のこと、すまないと思っている」

 

 キアーラが首を振る。

 

「いいのです。私もカーンの家に生まれた子です。死ぬまでザビ家に尽くします」

「マレーネ姉と同じ道を行くか・・・」

 

 ハマーンが何か苦いものを噛み潰したような顔になる。

 

「お前の母はザビ家に尽くし、宇宙の果てで死んでいった」

 

 キアーラがハマーンの手を強く握り返す。ハマーンの口調は強くなっていった。

 

「しかし、我らは死ぬものか。

 キアーラ。すぐにお前の姿はミネバ様の生き写しと変わろう。

 だがな、お前がミネバ様の影となって尽くす身になったとしても、いつかお前が光の中を歩む日が必ず来る!

 そう。・・・たとえ、私が主殺しの汚名を着ようともそうさせてみせようとも!」

 

 その意味は分からぬとも、含んでいる不穏な響きにキアーラは不安に恐れ見上げる。

 

「おばさま、何をしようというのです?」

 

 ハマーンは無表情に虚空を見つめていた。

 

「今は分からずとも良い。

 だがな、私をおばと呼ぶのは今日限りだ。これよりお前はミネバ様の影として生き、私はお前を導く摂政に徹せねばならぬ。

 辛く厳しき道だが、これもジオン再興のため。許してほしい」

 

 広い銀河で小さく寄り添うその二人の姿は私にはひどく寂しく見えた。

 

 

 そして、私の思念は上へ上へと現実に引き戻されて行った。

 

 

 私は強くキアーラの手を握ったが、彼女はもうその手を握り返すだけの力も残っていなかった。その顔はすべての血液を失ったかのように紙の色をしていた。

 

「ミネバ・ラオ・ザビ、・・・キアーラ・ドルチェ、どれが本当の私なの・・・」

 

 何も映さなくなった瞳でキアーラが呟く。

 

「あぁ・・・、マリィ・・・、私を・・・、見て・・・」

「見てるよ、キア。

 ・・・・・・キア?」

 

 涙で歪んだ視界の向こう、キアーラの呼吸と鼓動が止まっていた。

 

 

「ーーー!」

 

 私はキアーラの頭を胸に抱き、必死にこらえた。

 

「う、・・・う・・・・・・」

 

 それでも食いしばった歯の隙間から水滴がこぼれ落ちてしまうように嗚咽が漏れた。

 侍女が泣き崩れ、ベイリーが床を叩き拳を固めた。アレクとフラストの二人は絶望と怒りに顔を歪めた。

 その時、大きな爆発音が屋敷を揺らし、連続的な銃声が続いた。拳銃の乾いた音とは異なる、ライフルの野太い銃声だった。

 ベイリーの部下の兵長が息せき切って、部屋に駆け込む。

 

「【木星ジオン】が襲撃を!この屋敷も焼夷弾で燃えています。早く避難を!!」

 

 拳を固めたままベイリーが立ち上がった。

 

「イリア・パゾム、許さんぞ!!」

 

 言いつつ、廊下へ向かう。付いて行こうとする兵長を制し、

 

「お前は彼らを脱出させろ」

「少尉はっ!?」

「私は《ゲルググ》で出る」

 

 敬礼し兵長はベイリーの後ろ姿を見送った。

 

 

 硬い軍靴の足音が壁に反響する。石作りの廊下をベイリーは駆ける。この総督府の地下深くはMS格納庫になっていた。

 

(盾になるべき私が生き延び、キアーラ様が天に召されるなど・・・)

 

 後悔ここに極まれり、といった表情のベイリーはただひたすら走りに走った。

 

(いや、まだだ。まだ終わらん!このままでは終われん!!武士道とは死ぬことと見つけたり。下郎ども思い知らせてやる!!)

 

 ベイリーは決意を新たに強くした。

 

 

「火はすぐ階下に迫っている。下への脱出は無理だ」

 

 兵長が言っているそばから、床の隙間から次々と煙が天井に上っていった。

 

「上に逃げるしかないか」

 

 フラストが応える。

 

「よし!アレク、マリア、行くぞ・・・。何してる?」

 

 見ると、マリアはキアーラの亡骸を抱えて、床に座り込んでいた。キアーラの頭を抱きかかえて俯き、表情は分からない。

 フラストはずかずかとマリアに近づき、彼女の栗毛を掴むと、乱暴に引き上げた。無表情の顔が露わになる。

 フラストは先ほど侍女にやったようにマリアの頬を張った。しかし、その表情はまるで変わらなかった。

 

「死んだ奴のことは諦めろ」

「いやだ!」

 

 ガツッ。

 フラストは今度は甲の方で、マリアの頬を殴った。さすがに、衝撃で床に倒れる。殴ったフラスト自身にも拳の傷の痛みが跳ね返ってきた。しかし、激情でそれを抑える。

 

「いい加減にしろ!!このままだとお前も死ぬぞ!!」

「死んでもいい!ここにいる!キアのそばにいる!!」

 

 マリアはキアーラと引き離されないように彼女の上に覆いかぶさった。

 

「この!!分からず屋・・・」

 

 フラストは拳を振り上げた。

 だが、それが振り下ろされることはなかった。アレクがフラストの腕を掴み、その首を横に振った。アレクが腕を離すと、フラストはやり場のない拳を力なく下ろした。

 ふと、壁を見やったアレクは一角にジオンの大きな国旗がかけられていることに気付いた。すぐにそれを引き剥がすと、キアーラをかばうマリアの元へ持っていき跪いた。

 彼女の背に、アレクは大きな手のひらを載せる。びくりと背が一瞬震えたが、それで十分だった。彼女に自分の意志が伝えられたはずだった。

 何も言わずとも、すぐにマリアは横にどき、アレクがジオンの旗でキアーラの亡骸を包んでやった。

 小さく気合を入れると、彼女の亡骸をアレクは軽々と背負った。

 

「行こう」

 

 

 キアーラを背負ったアレク、マリアの手を引いたフラスト、兵長と侍女。5人はスペースボート発着場を兼ねた屋上へ避難した。

 マリアの手を離すと、フラストは上着から無線機を取り出し送信ボタンを押す。

 

「こちらフラスト。聞こえるか《ダイニ・ガランシェール》!応答しろ!」

 

 しかし、無線機は虚しく雑音を伝えるのみだ。

 

「くそっ!連中、ミノフスキー粒子をまきやがったな」

 

 フラストがまわりを見ると、立ち昇る煙の勢いが増していた。アレクも侍女も口に腕やハンカチを当てて何とか耐えているという様子だ。

 

(やべぇ。このままじゃマジで焼け死ぬぞ)

 

 マリアはそんな状況も意に介さず、アレクが下ろしたキアーラの亡骸のそばに張り付いていた。

 屋上から戦火がホルストの街の暗闇に広がっているのが見えた。

 

「ぐっ、あいつら!このコロニーを焼き尽くすつもりか」

 

 煙に咳き込みながら、手すりを強く握り締めた兵長が歯噛みする。

 彼の視線の先に燃える歓楽街があった。

 

 

 ネオンの電飾の明かりに照らされていた街は、今や紅蓮の炎に焼かれようとしていた。

 表通りは阿鼻叫喚の騒ぎだったが、アンジェロ・ザウパーが座り込む路地裏は相変わらずの静けさだった。時折、通りから流れ込む炎の揺らめきが無気力な彼の横顔を照らし出していた。

 今の彼にとって、人の生も死も、争いも、何もかもが興味の対象でなかった。

 その彼の前に緑の光が集まり出した。初め小さな光の泡ともいうべき微細なものでしかなかったそれは、すぐに寄り集まり集合体を形成し、彼の前に人の姿をもって現れた。

 エメラルドグリーンの優しい緑の光だった。

 

 

(私の大切な人を助けてください)

 

 なぜ自分がそんなことをしなくてはならないのか。私の大切な人、大佐は行ってしまわれた。これ以上、世界に何の意味がある。

 

(あなたがいて世界はある。世界があるからあなたがいる。それは残酷なほど等しいのです)

 

 それは詭弁だ。実際には、死ぬ奴、生き残る奴、豊かな奴、貧しい奴、めちゃくちゃじゃないか!?

 

(そう思う、あなたの気持ちは正しい。そして、その気持ちがまだあなたを生かしている)

 

 違う!!私は惰性で生きているに過ぎない。こんな生に意味などない。

 

(では、なぜあなたはあの時、死ななかったのです?)

 

 そう、あの時、わたしはなぜ死ななかったのだろう?大佐の死を受け入れたときに。

 

(あなたはまだ『可能性』を捨てきれずにいる)

 

 可能性だと!?何だというのだ?大佐が存命している可能性か?馬鹿にするな!!

 

(いいえ。自分の内に秘める可能性。そして、この世界が持つ可能性。それをあなたは捨てきれない。でも信じることもできない)

 

 だって、・・・だってまた裏切られるかもしれないじゃないか。悪い結果や事実しかないかもしれないじゃないか。

 

(そうね。でも、そうではないかもしれない。人はね、みんなそうやって希望をもって生きてきた。くじけたとしても、何度でも立ち上がる心)

 

 そうやって、私を惑わしてぼろぼろにしてきただろう、お前たちは!醜い甘言を囁きながら、私から奪うだけ奪い、何もしようとしないで!

 

(そうね。無責任だよね。ごめんね。さびしかったよね)

 

 僕を・・・ひとりにしておいて、皆勝手に、どこかへ行ってしまうんだ・・・。

 

(人はひとりじゃ生きていけないんだよね。だから、今は私が一緒にいるから)

 

 ・・・かあ、さん・・・?

 

 

 その優しく肌を撫でるような感触は、アンジェロの記憶の奥底に眠っていた昔の母のようであった。

 

(なんなんだ・・・)

 

 アンジェロは自分の体に熱いものが湧き上がってくることが苛立たしかった。腹立たしかった。

 

(もういいんだ。こんな世界いらない。何もしたくない。死んでもいい。なのに・・・)

 

 膝に力がみなぎり立ち上がった。

 

(なぜ胸がこんなに高鳴るんだ)

 

 そして、路地の闇へと飛び去ろうとする、緑の光を追いかけた。

 

 

 ホルストの倉庫街。

 《キュベレイMkーⅡ改》を隠した倉庫を見張っていた《ダイニ・ガランシェール》のクルー、タダシは地下から小さく響いてくる銃声や爆発音に気が気ではなかった。

 だが、続く大音量で近くの倉庫が内部から破壊されたことには、心臓が止まるほど驚いた。しかも、4個の倉庫がである。

 それぞれからMSが飛びたち、1機は港へ、残る3機は市街ブロックへ通じる巨大エレベーターの方へ向かった。

 暗くて機種の確認もできなかったが、

 

(とりあえず、船に知らせないと!)

 

 しかし、手にした無線はミノフスキー粒子の影響でまったく役に立たなくなっていた。

 

(やべぇ、やべぇよ、コレ)

 

 実戦経験の浅い、ラプラス戦争後のクルーであるタダシは気が動転し、そこらを犬のようにぐるぐる回るだけで何も考えが思いつかなかった。

 

(もう逃げるしかないよ!)

 

 尻尾を巻いた犬のように《ダイニ・ガランシェール》へ逃げ帰った。

 

 

 そして、誰もいなくなったその倉庫の前にアンジェロは到達した。

 緑の光はさらに倉庫の中へ入っていったようだった。アンジェロも後を追う。

 暗い倉庫の中に沈むような濃紺のMSは尻もちを付くような姿勢で潜んでいた。

 

「これは《キュベレイ》か・・・?」

 

 だが、アンジェロには全景が見えなくとも、その特徴的なシルエットと頭部形状からそれが《キュベレイ》であることを見抜いた。

 

「なぜ、ここにこんなものが・・・」

 

 緑の光が《キュベレイ》のコックピットが収まる胸部の前できらめいていた。

 

「乗れということか・・・。

 フン!やってやろう。せいぜい利用されてやる」

 

 アンジェロの心中はどうにでもなれという投げやりな気持ちと、何かを成し遂げようという気持ちが半々であった。

 

(しかし、私に使えるか・・・)

 

 コクピットハッチを開き、リニア・シートにその身を収めながら、アンジェロは独り言を呟く。

 

「そもそも、起動手順が・・・」

 

 その疑問に呼応するかのように、緑の光がコンソールパネルのそこかしこを順々に指し示していった。

 

「はっ、お前は天使なのか、それとも悪魔が私を地獄へ連れて行こうというのか」

 

 やがて、《キュベレイ》の熱核反応炉に火が灯り、頭部のデュアルアイ・センサーが不気味に光る。

 立ち上がった《キュベレイ》は右マニピュレータを頭上に伸ばすと、袖口に装備されたビームサーベルを形成する。

 通常のそれと異なり、三つ叉に形成されたそれが天井を貫通する。ひねると、いとも簡単に天井が円形に抉り取られ、分断された鉄骨の破片が《キュベレイ》の装甲に当たって不協和音を鳴らす。

 頭上の障害物を取り除くとビームサーベルを格納し、アンジェロはフットペダルを踏み込み倉庫上に《キュベレイ》をホバリングさせる。軽く踏んだだけで、この機体が以前の搭乗機と比べてすさまじい大推力、機動力を誇るMSなのだとアンジェロは実感した。

 

「さて、どこへ行く?どうすればいい?」

 

 そう呟くと、緑の光がまたきらめき、全天周モニターのある一角を指し示した。

 

「搬入エレベーターか。こいつをコロニーの中で戦わせるつもりか?」

 

 

(私があなたを導きます。大丈夫、巻き添えはできる限り減らします)

 

 

「赤の他人の死にいちいち動揺するほど私はヤワじゃない!」

 

 アンジェロは《キュベレイ》を前傾させると、フットペダルを踏み込んだ。地下コロニーの低い天井すれすれを《キュベレイ》が高速に擦過していった。

 

 

 




あとがき

 一時、メインタイトルを『ミネバ暗殺計画』にしようか思いましたが、結局最初から考えていた今のタイトルにしました。
 話全体の趣旨が暗殺計画ではないので。
 明日はようやく、MS戦闘描写。文字数減ります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ギラ・ドーガの脅威

 ホルストの狭い宇宙貨物港。

 その低い天井すれすれを飛ぶ濃紺迷彩色の《ギラ・ドーガ》が宇宙艦船の係留ドックへ向かっていた。先ほど、倉庫から現出した4機のMSの内の1機である。

 

「どこのモビルスーツだ?宇宙港のハッチを押さえるつもりか!?」

 

 《ダイニ・ガランシェール》のブリッジで留守を預かるトムラはモニターのMSのシルエットに呻いた。

 

(まずいな。脱出できなくなるぞ)

 

 トムラは急ぎ、《ダイニ・ガランシェール》後方300mの倉庫に潜伏するアイバンの《ギラ・ズール》にレーザー回線を開いた。倉庫屋上には回線用のアンテナが設置済みだった。

 

「アイバン、《ギラ・ドーガ》だ!!」

 

 すぐに、コクピットで待機中のアイバンが応答する。

 

『敵か味方か?』

「わからん。だが、港を押さえようとしている。なんとか、追い払えないか?」

『やってみよう、とにかく』

 

 アイバンは片膝を付いた姿勢の《ギラ・ズール》を立たせ巨人サイズの鉄扉を開け外に出ると、メインスラスターを吹かし、垂直離陸する。モニターに飛行中の同系列機種《ギラ・ドーガ》のシルエットが映し出された。

 

(どんなマヌケでもこっちの噴射光に気がつくだろ)

 

 そうすれば、相手の意識は係留ドックから、後方のアイバン機へ向かうだろうと予想した行動だった。

 天井近くまで飛び上がったアイバン機は、火星の低重力も相まって、ゆっくりと自由落下する。その間、アイバンはその《ギラ・ドーガ》の武装状態をつぶさに観察していた。

 

(右腕にビームマシンガン。あれをここで撃たれると厄介だな)

 

 アイバンは顔をしかめた。

 最近の《ダイニ・ガランシェール》だけでなく、ゲリラ集団や海賊全体に言えることだが、ビーム兵器の整備とコスト高を嫌い、あらためて実体弾武装を多用する中で、『高嶺(高値)の花』とも言えるビームマシンガンを装備した《ギラ・ドーガ》を羨ましくも思う、アイバンであった。

 

(盾の内はシュツルム・ファウストが4発・・・、ん、バックパックにもさらに2発!?・・・フル装備だな、おい)

 

 先太りの棒状の兵器は、簡易式ロケットランチャーであった。

 地面が近づき、着陸体勢に入ったアイバン機。

 その時、コクピットに突如、ロックオン警告音が鳴り響く。

 

「おいっ!」

 

 叫びながら、わずかにアイバンが操縦桿を引くのが早かった。

 直後《ギラ・ドーガ》のビームマシンガンからグリーンの光弾がほとばしった。

 一瞬前までいた空間を光弾が闇を切り裂き、その下の地面に着弾し、それを瞬時に瓦礫へと変える。舞い上がった瓦礫は周囲の視界を包んでいった。

 それに取り込まれるより早く、アイバン機は後方へ回避機動を取った。狭い倉庫街を超低空で飛ぶアイバン機をグリーンの連続的な光弾が追いかける。

 高度を取れば、被弾する可能性が高い。

 《ギラ・ドーガ》は周囲への流れ弾の被害などまったく意に介していない様子で撃ちまくっていた。

 

「世間話ぐらいしてからにしようぜ、まったく!!」

 

 アイバンは軽口を叩いていたが、余裕は全くなかった。

 両側が倉庫に囲まれた通りをひたすら、アイバン機は飛ばすしかなかったが、

 

(マジかよ!?)

 

 前方がT字路になっていた。

 

(まま、よ)

 

 アイバンは賭ける気持ちで、機体の腰に装備されたグレネードの時限をセットし後方へ投げた。

 

 

「ええい!ちょこまかと!!」

 

 《ギラ・ドーガ》のパイロットは苛立ち、上空からアイバン機を銃撃するのではなく、後方を追撃することにした。

 

「整備の馬鹿どもが!照準がずれてるわ!!」

 

 確かに、照準はずれていたが、狭い通路を直線的にしか逃げられないアイバン機に命中させられないのは、パイロットの技量も関係していた。

 

「真後ろに付けば、照準もクソもないわ!」

 

 機体の高度を下げてアイバン機を追うが、中々追いつけない。加えて、彼はアイバンほど地面すれすれを飛ぶことができなかった。

 

「クソがッ!!」

 

 罵りながら、パイロットはトリガーを引けるだけ引いた。

 だが、ビームマシンガンは虚しく周囲の倉庫や地面を破壊していくだけだった。

 その時、アイバン機の後方、すなわち追撃する《ギラ・ドーガ》の前方で小爆発が起き、すぐさま視界が大量の煙に包まれる。

 

「な、何だ!?」

 

 動転したパイロットは機体に急制動をかけて止まり、着陸するや左腕シールド内のシュツルム・ファウストを前方へ発射する。

 それはロケットの速度で一筋の白線を引きながら煙幕に飛び込み、中で大爆発する。港の天井まで黒い爆炎を上げ、ガラクタとなった部品が四散した。

 

「やったぜ!ざまぁみやがれ!!」

 

 パイロットはコクピットで快哉の声を上げた。《ギラ・ドーガ》の装甲に飛散した小さな部品が当たり、コクピットまで乾いた金属音を響かせる。その音と闇を照らす火炎の揺らめきが、パイロットを勝利の余韻に浸らせた。

 

「いけねぇ。雑魚に手間取ってて、港のハッチを固めなきゃ、お頭にどやされる」

 

 機体を回頭させ、フットペダルを踏み込もうとしたパイロットはそこで固まった。

 背後に倒したはずのアイバン機が立っていた。いつの間に回り込んだのか?いや、それ以前にファウストで撃破したはずなのに。

 

 

「豆鉄砲しかないんだ、今日は」

 

 アイバン機は腰だめに構えたZUXー197mmショットガンをスライドし、初弾を込める。

 

「恨むんじゃねぇぞ、俺を」

 

 アイバンはトリガーを絞る。全天周モニター前面に現れる瞬間的な火球と、轟音。

 100mという至近距離から発射された9粒のルナチタンコート・バックショットが《ギラ・ドーガ》胸部コクピットにめり込んだ。

 アイバン機は次々と排きょう、装填、撃発し続ける。工業用オイル缶並の巨大な空薬莢が、地面にガランガランと激しい音を立てながら落下した。全弾撃ち尽くしたZUXー197のスライドが後退し、エジェクションポートが硝煙を吐き出す。

 合計45粒のバックショットに胸部コクピットを完全破壊された《ギラ・ドーガ》は、まるで糸が切れた操り人形のように膝を付いた。

 

「スモークグレネード1発とショットガンでこの収穫。フルハウスだな」

 

 アイバンは全天周モニターに映る、T字路の突き当たりへ目をやる。そこは破損したMSなどを駐機しておくジャンク・ガレージであった。もっとも今は、

 

(悪いな。ガレージ自体がジャンクになっちまったな)

 

 アイバンは《ギラ・ドーガ》からビームマシンガンと、ファウストが3発残ったシールドを鹵獲すると、《ダイニ・ガランシェール》の方角へ飛び立った。

 

 

 ホルスト地下・市街ブロック。

 【木星ジオン】のパイロット、ヒューは《ギラ・ドーガ》のコクピットの中でくさっていた。なぜなら、主イリア・パゾムの出迎えでもなく、核弾頭の奪取でもなく、逃走路の貨物搬入用エレベーターの確保を命じられたからである。

 それは戦闘から遠ざけられたと言ってよい。

 

(コーディーの野郎。ちょっと手柄を立てたからって、いい気になりやがって)

 

 ヒューはイリアの専用機を送り届けるために総督府へ向かった上官のことを憎んだ。

 

『お前はここを守ってろ。せいぜいしっかりな』

 

 最後に無線で聞いた嘲笑まじりの上官の言葉にヒューははらわたが煮えくり返る思いがした。

 

(お頭の《リゲルグ》に乗ってなきゃ、お前なんか後ろから撃ち殺してやるのに・・・)

 

 ほぞを噛むヒューであった。

 そんな時。

 動くはずのない搬入用エレベーターが、上階の倉庫ブロックから下降してきた。

 

(どういうことだ?ディミアンが降りてきたのか?しかし、奴は港のハッチの確保をしているはず・・・)

 

 ヒューは頭上で彼と同様、つまらない役に回された《ギラ・ドーガ》のことを思ったが、さすがにそれでもディミアンが持ち場を大きく離れて行動することなど考えられなかった。

 エレベーターの位置を示す電光表示板がどんどんと下がり、市街ブロックに迫ってくる。

 ヒューの呼吸は早くなり、全天周モニターの正面、ビームマシンガンの照準レティクルをエレベーターの巨大なドアに合わせた。

 

(あと少しで・・・)

 

 到着する、とヒューが思ったとき、そのドアが内側から発せられたビームに焼かれ、溶けた金属片をまき散らしながら、外へめくりあがる。円形に焼き切られたドア。その直径30mほどの穴から濃紺の巨大なシルエットが飛び出した。

 ドアにレティクルを合わせていたにも関わらず、そのシルエットの素早さにヒューは反応しきれなかった。

 トリガーを引くが、その時にはすでにその機体は緊急回避のロールをかけていた。

 ビームマシンガンの光弾はかすりもせず、後方の残ったエレベーターのドアを完全に破壊した。

 暗い悪魔のようなシルエットが《ギラ・ドーガ》の目前に迫る。

 

「ーーーー!!」

 

 続いて、機体に走る衝撃にヒューは声にならない叫びを上げる。コクピットは警告音が鳴り響き、全天周モニターの別枠には【左マニピュレータ、重大な損傷】の表示がされる。

 《ギラ・ドーガ》とすれ違いざま、そのシルエット、《キュベレイ》はビームサーベルで片腕を切断していた。

 

「な、なんだってんだよぉ!!」

 

 後方に飛び去る《キュベレイ》を追おうと、ヒューは必死に《ギラ・ドーガ》を回頭させる。低い地下コロニーの天井近くを《キュベレイ》は考えられない速度で左旋回していた。

 

「落ちろぉぉ!!」

 

 再度、トリガーを引くが、それは闇を切り裂くバーニアの残光ばかりに弾着し、まったく追いきれていなかった。

不用意にビームマシンガンの銃身を左に振り続けたヒューは、

 

「しまったッ!」

 

 叫んだときは遅く、直近の建物の上階を吹き飛ばしてしまい、反射する衝撃と降りかかる瓦礫に視界を奪われた。

 

「うわーぁあぁ!」

 

 見えない視界に恐慌状態となる。まるで、乗り手の意志そのもののように《ギラ・ドーガ》が後ずさりし、後方の建物に背をぶつける格好となった。

 視界がやや晴れてきた次の瞬間、コクピットに【敵機、急速接近】の警告音。

 全天周モニターの左側を見ると、急旋回してきた《キュベレイ》。モグラとヤギをかけ合わせたような独特の頭部形状、その中で光るディアル・アイ。

 ヒューが最後に見たのは、その不気味な光だった。

 

 

 鮮やかなロールをかけながら、《キュベレイ》が左腕袖口のビームサーベルを形成する。

 建物に背を預けた《ギラ・ドーガ》のモノアイ・センサーが《キュベレイ》を見た時、超低空高速飛行の《キュベレイ》が瓦礫を巻き上げながら《ギラ・ドーガ》のかたわらを交錯した。

 ゆっくりと、腰部で溶断された《ギラ・ドーガ》の上半身が崩れ、地面へ落ちていった。

 

「他の敵はどこだ?」

 

 易々と《ギラ・ドーガ》を1機片付けたアンジェロが呟く。

 

(奥です。総督府に・・・。でも彼女は強い)

 

 緑の光が再びささやく。だがそれは少し恐れ、震えているような響きがあった。

 

「ふっ。肩慣らしにはアレは弱すぎた。もう少し歯ごたえがなければな」

 

 《キュベレイ》をホバリングさせたアンジェロは全天周モニターの下方、地面に横たわる《ギラ・ドーガ》のオレンジ色に焼ける断面を冷たく見やった。

 そして、新たな敵を求め、《キュベレイ》を燃える総督府へと向かわせる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リゲルグの嵐

 

 搬入エレベーターの反対端に位置する市街ブロック・行政地区。その中央、総督府にまで階上の倉庫・港ブロックで行われている戦闘の衝撃が伝わってきた。コロニー内壁や天井から細かいコンクリートの破片などが落ちてくる。

 

「ここにはノーマルスーツはないのか?」

 

 屋敷の屋上でフラストが兵長に向かって叫ぶ。これ以上戦闘が続けば、コロニーに穴が開く状況も考えられた。

 この場はスペース・ボートの発着場も兼ねているので、もしかすると、

 

「ある!こっちだ。来い!」

 

 兵長が手招きし、屋上端に設置されていたコンテナに向かう。フラスト、アレク、侍女の3人が付き従ったが、マリアはまだ大量に投入された薬物とキアーラの死という衝撃から、動けずにいた。

 その時、総督府の上空を爆音を轟かせて、2機のMSが通過した。

 ぼうっと上を見上げていたマリアはそのシルエットとカラーリングを見た。

 

(赤いモビルスーツ・・・)

 

 同じものをフラストも見ていた。

 

「あれは。・・・《クシャトリヤ》、なのか!?」

 

 末端肥大気味の太い四肢。《ゲルググ》系に似た頭部。そして、肩部から伸びる巨大なバインダー。

 しかし、そのバインダーは両肩に一つずつで、二枚羽根であった。

 

 

 開発仮形式MSー14PーK1、通称《プロトタイプ・クシャトリヤ1型》。

 機体の開発は月にあるAE社のグラナダ工場で行われた。

 それは一年戦争の末期、傑作機として名高いMSー14《ゲルググ》をリファインド(近代化改修)した機体《リゲルグ》をさらに発展させ、基本性能を高めた上で、NT専用機としての機能を付加させるという、まさに《ゲルググ》系MSの最終進化形態と呼べるものであった。

 ところが、《クシャトリヤ》の名を冠するMS開発は同時に別のチームでも、違うコンセプトの元に開始されていた。

 第一次ネオ・ジオン戦争末期に実戦投入された最大・最強のMS、《クィン・マンサ》。その大火力を20メートル級MSで実現するという名目でNZー666PーK2《クシャトリヤ2型》の開発はスタートした。

両者のコンセプトはまったく異なるものであったが試作機が完成するころには、皮肉にも機体シルエットが似てくるという現象を呈した。

 しかし、《1型》の試作機は開発陣が要求する火力、推力、加えてサイコミュ兵器のペイロードを達成できず、さらに、同時期にクライアントである新生ネオ・ジオン軍が製造・試験を急がせる、《サザビー》と目指す獲得性能が似すぎているという観点から、《1型》開発チームは解散。そのほとんどが《サザビー》か《クシャトリヤ2型》のチームへと移籍することになった。

 これにより、後に《プロトタイプ・クシャトリヤ2型》は進化し名実ともに、NZー666《クシャトリヤ》となる。

 余談だが、《クシャトリヤ》の頭部形状が《ゲルググ》系に似ているのは、《1型》開発チームの合流の影響があると思われる。

 その後、第二次ネオ・ジオン戦争の混乱の中で、お蔵入りとなっていた《プロトタイプ・クシャトリヤ1型》の試作機がイリア・パゾムの手に渡ったことは想像するに難しくない。

 もっとも、イリア自身は《クシャトリヤ》という名称にまったく愛着はなく、パーソナルカラーの真紅に塗られたその機体のことを、《リゲルグ改》と呼んでいた。

 

 

 その2機のMSー真紅の《リゲルグ改》と濃紺迷彩色の《ギラ・ドーガ》ーは総督府屋敷前の広大な庭園に、間隔を空け着陸した。《リゲルグ改》の足元で腕組みしたイリア・パゾムの髪が姿勢制御バーニアの噴射に巻き上げられ、美しいピンク色の波を作る。

 すぐに、コクピットハッチが開き、ワイヤーウインチを使ってノーマルスーツのパイロットが降りてきた。イリアに走りより、敬礼すると、

 

「ご苦労だったな」

 

 イリアは声をかけながら、左腕をまっすぐパイロットのヘルメットバイザーに向けた。直後に袖口に隠された小型拳銃がバネ仕掛けで飛び出し、発射された9mm口径115グレインFMJ弾がバイザーを、そしてパイロットの頭を貫通した。パイロットは自分の身に何が起こったのかを知る間もなく、即死した。

 

(おかしいな・・・。こいつを殺すのには何の躊躇(ちゅうちょ)もないのに)

 

 イリアは、銃の調子が悪いのか、というかのように左手を見やった。先ほどキアーラを撃ったときの醜態が思い出されて、彼女は一つ舌打ちした。

 

「まぁ、いいか。どのみち、3発喰らってもう死んでいるだろう」

 

 イリアはくだらぬ逡巡を断ち切るように銃をしまい、死体となったかつての部下のノーマルスーツを見下ろした。

 

「運がなかったね。こっちも少しはやられてないと、おもしろくないから」

 

 そう言って、イリアは口元を歪めた。残酷なほど美しい笑顔だった。彼女はうつ伏せの死体の背を踏み越えていくと、ワイヤーウインチに足をかけ、コクピットへと上がっていった。

 ともに総督府へ駆けつけた僚機の《ギラ・ドーガ》へ視線を移すと、モノアイ・センサーはこちらを凝視しているようだったが、機体は微動だにしていなかった。

 リニア・シートへ飛び移るや、イリアは《ギラ・ドーガ》へ無線通信を開く。

 

「メイナードだな?」

『は、はっ!』

 

 スピーカーを通しても部下のパイロットの緊張した声が分かる。

 

「お前、見たな」

 

イリアの声は疑問ではなく、断定だった。

 

『い、いえ!自分は見てません。何も見ていません!!』

「ふふふ。かわいい奴。お前は長生きする、かもね」

 

 イリアは全天周モニターに映る景色を見回す。潜入した【木星ジオン】によってあちこちに火の手が上がり、街は深夜の大混乱に陥っていた。

 

(さて、どうする)

 

 イリアは考えを巡らせた。

 

(ここまでは予定通り。調べでは核弾頭は地下の格納庫に隠されているはずだが。さて、どうやって行くか?)

 

 そう思っていたとき、庭園の地面の一部が地割れのように動きだし、左右にスライドした空間からエレベーターがせり上がってきた。

 

『な、何だ!?』

 

 緊張する《ギラ・ドーガ》パイロットのメイナードと対照的に、イリアはにやりと唇を歪めた。

 地下から上がってきたエレベーターには、《リゲルグ改》とよく似た頭部形状のMSが載っていた。

 MSー14C《ゲルググキャノン》をベースに、一年戦争終結後の火星潜伏中に数々の現地改修を重ねたベイリーの愛機であった。主機の熱核反応炉は後継の《リゲルグ》と同じ型式、大出力のものに換装。戦闘と破損、続く修理を繰り返した結果、両腕と頭部は海兵隊仕様の《ゲルググ》のパーツを流用していた。その他、推力、センサー有効半径など基本性能を底上げし、コクピットも全天周モニター、リニア・シートに変更してあった。

 そして、右肩部アーマーには、操縦者のパーソナルマーキングである、創造上の生物、雄鶏とトカゲをかけ合わせたコカトリスの姿が描かれていた。

 《ゲルググキャノン》の外部スピーカーから怒りの叫びが発せられる。

 

『イリア・パゾム!宇宙へ出ろ。勝負だ!!』

 

 その声とセリフをイリアは笑い飛ばした。

 

「ベイリーか。はは、生きていたか」

 

 イリアの《リゲルグ改》の右マニピュレータに装備されたロング・バレルのビームライフルが無造作に《ゲルググキャノン》を照準する。ためらいもなく、銃口から閃光がほとばしった。

 あらかじめ予測していたベイリーはフットペダルを踏み、機体を右上方へ跳躍させていた。すんでのところでかわすが、背後の射線上だった無数の建物はグリーンのビームに1kmほど貫通、蹂躙された。

 

『外道がーぁ!』

 

 ベイリーが激昂し、右肩に装備されたビームキャノンを照準させるが、《リゲルグ改》は意に介さず、むしろ挑発するようにその両腕を広げて見せた。

 

「お前には撃てないさ。コロニーの中では」

 

 イリアは見抜いていた。

 事実ビームキャノンを撃てないベイリーは、代わりに機体の右前腕を伸ばし、内蔵された110mm速射砲を応射する。

 

「甘いね」

 

 軽いフットワークで機体をジグザグにホバー走行させ、それをかわし《リゲルグ改》は空中の《ゲルググキャノン》に向けて、再度ビームを放つ。だが、回避機動をしながらの射撃のため、わずかに射角がずれたそれは、《ゲルググキャノン》の左肩の装甲を焼き、続いてコロニーの天井を突き破った。

 

「外に出ろ?勝負?馬鹿らしい。こっちは海賊なんだ。そんなこと一々聞くと思ってるのか」

 

 コクピットの中で高笑いを上げるイリアは常人とはかなり異質な雰囲気、むしろ常軌を逸しているといってよかった。

 

『イ、イリア様!コロニーが壊れます!!』

 

 うわずった部下の声の通信に、ハイ状態だったイリアの精神が辛うじて冷静さを取り戻した。

 

「メイナードか。お前はエレベーターの下に降りて、地下を調べろ。核弾頭があるはずだ」

『はっ!』

「見つけたら私に構わず、奪ったブツを持って《エンドラ》に戻れ」

『し、しかし、イリア様は・・・』

「私はこの旧式と遊んでいるよ」

 

 そう言いながら、イリアは《ゲルググキャノン》をコロニーの端へと追い込んで行った。

 今のイリアにこれ以上反論すれば、ビームライフルの答えが返ってくると恐れたメイナードは何も言わず、エレベーターを破壊し、地下格納庫へと《ギラ・ドーガ》を進ませた。

 

(あの人、自分で自分を『強化』しすぎたんじゃないか・・・?)

 

 エレベーターシャフトを降下するMSのコクピット内でメイナードはひとり呟いた。

 

 

 MSの性能差もある。さらに、操縦技能の差。

 だが何より、狭い地下コロニーのため、三次元戦闘ができないベイリーは苦戦を強いられた。

 垂直方向への回避行動が取れないのは、イリアも同様だが、こちらが建物に隠れたとしても、なんの躊躇もなく、《リゲルグ改》は直進性能、貫通力に優れたビームライフルを放ち、建物は遮蔽物としてまったく機能せず無力であった。

 対する《ゲルググキャノン》の速射砲は実体弾。いかなルナチタン高速徹甲弾とは言え密集した建物を貫通して、《リゲルグ改》にダメージを及ぼすことなど不可能であった。

 加えて、両前腕内部に装備されている関係上、装弾数も少ない。《リゲルグ改》にビームを撃たせる隙を与えないために、後退しながら間断なく牽制射撃を加える《ゲルググキャノン》は右腕、続いて左腕の速射砲も撃ち尽くした。

 

「ぐっ!いまだ一矢も報いること敵わぬとは」

 

 ベイリーは歯噛みした。

 あとは近接戦闘用の頭部40mmバルカン砲、格闘戦用ビームナギナタ、そしてビームキャノン。

 

(しかし、ビームは撃てん。ホルストが壊滅する!)

 

 戦闘を続ける行政地区には視界を遮る霧と、瓦礫を巻き上げるほどの強風が発生していた。それはコロニーのどこかに穴が空き、空気が漏れだしていることを示していた。

 判断に迷いながら、ベイリーは後退機動し続けると、コクピットにそれまでと違う、接近警告音が響いた。

 気付かぬうちに、全天周モニターの後方にコロニー末端の壁が迫っていた。

 

「しまったっ!」

 

 口にしたときにはもう遅かった。

 壁を背にした《ゲルググキャノン》の前方500m、いつの間に現れたものか《リゲルグ改》が中空にホバリングしていた。

 

 

「これで終わりさ」

 

 イリアが上唇を舌で舐めた。すでにビームライフルの照準はロックオンしていた。

 イリアが操縦桿のトリガーに指をかける。

 状況に絶望したベイリーが間に合わぬと知りつつ、最後の手段でビームキャノンの照準を合わせようとする。

 その瞬間であった。

 

「うわっ!」

 

 突如、《リゲルグ改》のコクピットを襲う衝撃にイリアは思わず悲鳴を上げる。3時方向から新たなMSが体当たりを仕掛けてきたのだった。

 その濃紺のMSは《リゲルグ改》を両方のマニピュレータでつかんだまま、肩部4基のバインダー・スラスターを吹かし、加速を続ける。

 

「こいつッ!」

 

 コロニーの内壁にぶつける意図を察したイリアは咄嗟に、頭部バルカン砲で敵MSを牽制する。

 瞬間、《リゲルグ改》を離した敵機は、続く鮮やかなロールでバルカンの火線から逃れた。

 イリアは内壁のぎりぎり手前で減速、機体を立て直した。

 

(あのパイロットめ、もっているようだな・・・)

 

 並ではない技量と敵機から発せられられる何かしらのプレッシャーをイリアは感じ取ったが、さらに全天周モニター別枠に表示された『AMXー004ー?』の機体データに驚愕した。

 

「馬鹿な!《キュベレイ》だと!?あいつの他にもプルシリーズの生き残りがいるのか!!」

 

 戦闘中、初めてイリアが狼狽した。間髪を入れずに、《キュベレイ》が左腕袖口からビームサーベルを形成し、格闘戦を仕掛ける。

 

「ぐっ!」

 

 わずかに、反応が遅れたイリアだったが、すんでのところで同じく左マニピュレータに装備したビームサーベルで《キュベレイ》のそれと競り合い防ぐ。イエローとグリーンのビームが互いに干渉し、弾け、熱で空間を揺らめかせる。

 すると、

 

『お前は私以上に人の死に無頓着のようだな』

 

 無線のオープン回線も接触回線を開いてもいないのに、《キュベレイ》パイロットの意識がイリアに流れ込んできた。

 

(違う・・・。男か・・・?)

 

 疑問からイリアが口を開く。

 

「誰だ、貴様?」

『お互い名乗り合うような状況かっ!』

 

 今度は激情が流れ込んできた。

 

(大した奴ではないな。買いかぶったか)

 

 落ち着きを取り戻したイリアが嘲笑う。

 不意打ちと推力で《キュベレイ》に押し込まれたが、幾度も切り結ぶ内、ビームサーベルの出力自体は《リゲルグ改》の方が上のようである。じりじりと押し返した。

 

(下がれっ。その時がお前の最後だっ)

 

 《リゲルグ改》が肉迫する。そのプレッシャーと斬撃に耐えかね、《キュベレイ》はバインダー・スラスターを前に吹かして後退機動した。

 

(かかった!)

 

 即座に《リゲルグ改》のビームライフルが上がり、銃口の射線上に《キュベレイ》を捉える。

 トリガーを絞れば、光速に匹敵する初速のビームが《キュベレイ》を貫く。

 はずだった。

 警告音と同時に9時方向から、左肩部バインダーに撃ち込まれた40mm高速徹甲弾にイリアの意識はそらされた。

 見れば、頭部バルカン砲から硝煙を上げるベイリーの《ゲルググキャノン》がいた。

 

「もう少しのところで。老いぼれがっ!」

 

 ビームライフルの照準を《ゲルググキャノン》に移そうとすると、後退した《キュベレイ》がまた格闘戦を仕掛ける。

 さらに、《ゲルググキャノン》が腰部後方からビームナギナタを抜き放ち迫る。

 

「ちっ。どうしたんだ、 急に敵の足並みが揃い始めた」

 

 残像を描きながら回転するビームナギナタをバーニアを吹かして上空にかわしながら、イリアは呻く。

 

「遊びすぎたな・・・。ここは出直すのが得策か・・・」

 

 機体を反転させ、搬入用エレベーターへ向かわせた。

 チャンスと捉えた《キュベレイ》が追撃体勢に入る。

 

「させないよ。ファンネルっ!!」

 

 イリアに呼応して、リア・アーマー、両バインダーから合計4基のファンネルが飛び出した。《キュベレイ》のそれと異なる形状をし、十字に交差した4枚ローターの真ん中から短砲身が伸びていた。

 すぐに、《キュベレイ》の周囲を飛び回る。

 

 

「うるさいハエどもめ!クルスが使っていた奴か」

 

 自分が口にした人名に嫌悪感をにじませながら、アンジェロはひたすら《キュベレイ》に回避運動をとらせていた。

 旋回でビームをかわし、こちらがビームサーベルで反撃に転じても、小さくすばしっこいファンネルにはかすりもしなかった。

 そして、油断していると、装甲を焼かれる。元来のビーム出力が低いことと、機体のヴァイタル部位を巧みにかわしているので、大した損傷にはなっていないが、このままビームを浴び続ければ、危険だった。

 

「何か他に武装はないのか・・・?」

 

(こちらにもファンネルがあります。ですが、あなたに使えるかどうか・・・)

 

 《キュベレイ》のコクピット内で緑の光が不安に瞬いた。

 全天周モニターには【FUNNEL READY】の表示が点滅していた。

 

「しかし、・・・やってみる。ファンネル!」

 

 アンジェロの呼びかけに《キュベレイ》のリア・アーマーからも4基のファンネルが射出された。しかし、

 

(な、なんだ。この気持ち悪い感じは?)

 

 アンジェロは初めて味わう体の違和感に吐き気を覚えた。味方のはずのファンネルが、体内を飛び回るスズメバチのようにうるさく恐ろしく感じられた。

 

「こんなの、できない」

 

 アンジェロの否定の意志が伝播したように、ファンネルたちは尾部を振りながら、ゆらゆらと空間を無秩序に飛び回った。

 

 

 遠ざかる全天周モニターの視界に、その様子を見たイリア・パゾムは《リゲルグ改》コクピットの中で嘲笑した。

 

「なんだ、そのファンネルは。戦い方を教えてやる」

 

 イリアが意識を集中し、その殺意をサイコミュが拡大、ファンネルに伝達する。《リゲルグ改》のファンネルは飛行もままならない《キュベレイ》のファンネルを追い回すと、なぶり殺しに少しづつビームで焼き、すべてを撃ち落としていった。

 当面の獲物を狩り終えた《リゲルグ改》のファンネルは、霧の先に消えつつある主の元へと飛び去って行った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

優しい瞳をした誰かに逢いたい

 

 霧に紛れて、飛行する《リゲルグ改》は4基のファンネルが後方を警戒しながら、上階のエレベーターへと急いだ。

 霞む視界の中にイリアは、前方やや下を飛行するメイナードの《ギラ・ドーガ》の背部バーニアの発光を認め、無線通信を開く。

 

「私だ。核はどうした?手に入れたか?」

『イリア様。この通り』

 

 接近した《ギラ・ドーガ》が左マニピュレータにつかんだコンテナと右のそれに装備した見慣れないMS用の巨大なバズーカを上げて見せる。コロニー侵入時に装備していたビームマシンガンは腰部後ろのハードポイントに固定していた。

 

「なんだ、そのバズーカは?」

『核弾頭を発射する専用バズーカのようです』

 

 メイナードのセリフはいささか興奮が入り混じったものだった。

 

(なるほど、連中め。使う使わないはともかく、『撃てる状態』にはするつもりだったようだな)

 

 イリアは苦笑した。

 

「用事は済んだ。《エンドラ》に帰還する。来い」

『はっ!』

 

 メイナードが短く応答し、《リゲルグ改》に追従する。

 やがて、両機はエレベーター出入り口に到達したが、イリアは腹部で上下二つに両断された《ギラ・ドーガ》の残骸が近くの地面に転がっているのを見る。

 

(《キュベレイ》の仕業か?あのパイロットの腕ならやれるな。それに比べてこちらは・・・)

 

 不正規戦とはいえ、実質は戦闘もほとんどない船の拿捕など、海賊行為ばかりしていた【木星ジオン】。

 部下のMSパイロットたちの技量が低いこともイリアは重々承知していた。

 

(しかし、腹立たしい)

 

 45度の傾斜でエレベーターシャフトを上りながら、イリアの表情は渋い。どうにか、一手加えておきたいと考えを巡らせた。

 

 

 ベイリーは今起きた戦闘と現象を頭で消化しきれずにいた。

 自分の窮地に際し、突如出現した《キュベレイ》。

 そして、続く《キュベレイ》の窮地に、

 

(助けよ)

 

 と、ベイリーの脳内に響いた声。

 それがなければ、あれほどタイミングよくバルカンを撃つことも、ビームナギナタで格闘戦を挑むこともできなかった。

 

(あの声は一体なんだったのか・・・?)

 

 どこかで聞いた、誰かの声のような気はするのだが、はっきりしなかった。

 ベイリーの逡巡は全天周モニター前面に映る《キュベレイ》を視界に捉え、中断された。

 中空にホバリングするその機体は、接近も後退もせず、どうすればいいのか、指示を待っているようにも見えた。

 ベイリーは意を決し、フットペダルを踏むやバーニアを吹かして《キュベレイ》に接近し、《ゲルググキャノン》の左手を伸ばして機体に触れ、接触回線を開いた。

 

「どこのどなたかは知らぬが、命拾いしました。《ダイニ・ガランシェール》の所属ですな?」

 

 ベイリーの呼びかけに、少しの間があった。

 

『《ガラン・・・・シェール》』

 

 《キュベレイ》パイロットの応答は棒読みで平静を保とうとしているが、動揺が混じっていた。

 しかし、激戦の後、かつ超常的現象を経験した後で、注意力が不足したベイリーはそんな些細なことには気が付かなかった。

 

「そうです。別のクルーが総督府にいる。脱出できていなければ、危うい。すぐに向かいましょう」

 

 返事を待たず、ベイリーは機体を総督府に向けて飛ばす。後方のモニターに映る《キュベレイ》は一瞬迷っているように、中空を動かなかったが、すぐに《ゲルググキャノン》の背を追った。

 

 

 総督府は煉獄の炎に沈もうとしていた。火災による熱は鉄骨を歪め、炎は表面を黒くなめ、煙はすべてを闇に誘おうとする。

 屋上に力なく座り込んだマリアは、火炎と火の粉が作り出す幻想的な風景を、ぼんやりと眺めていた。

 傍らには、ジオンの国旗に包まれたキアーラの亡骸が横たえられていた。

 ガラス玉のような蒼い瞳に映る炎。その炎の揺らめきをマリアは、

 

(どこかで見たことがある・・・)

 

 そう思うが、それ以上の思考は働かず、無気力で動くこともできなかった。

 その時、爆音を響かせ、屋敷の庭園ーもはや、無残な庭園の残骸に成り果てていたがーに2機のMSが着陸した。

 巻き上げるすさまじいスラスターの噴射が炎を吹き飛ばし、瞬間、マリアの髪を焦がしてゆく。

 そして。

 彼女は唐突に思い出した。

 この栗毛を焦がす炎の感覚。

 

(ああ、あの時だ。グレミーが死んだときの・・・)

 

 マリアが見上げると、闇に沈む濃紺の《キュベレイ》が炎の照り返しを受け、禍々しいシルエットを際立たせていた。悪魔のような姿だった。

 頭部のデュアル・センサーが光り、意志を持った眼光のようにマリアを見返す。

 

(そうだ。私はあの時、グレミーと一緒に死ぬべきだったんだ)

 

 マリアは哀しげに微笑んだ。

 

「《キュベレイ》・・・」

 

 弱々しく両腕を伸ばす。

 

「私を殺してくれ」

 

 

 上空からでもはっきり視認できる大火は着陸し目前に迫ると、あらゆるものを飲み込む煉獄の火炎そのもののようにアンジェロは思えた。

 

『私は部下達を!あなたは《ガランシェール》のクルーを探して!!』

 

 《ゲルググキャノン》パイロットからの通信は悲痛な叫びに近かった。

 もはや、生存者などいるのだろうか。屋敷は断末魔の苦しみを上げているようにしか、アンジェロには見えない。

 しかし、黒煙が強風にあおられ、一瞬途切れた時、《キュベレイ》のモニターとセンサーが屋上にいる人影を捉えた。

 人間ほどの大きさの布の包みの傍を離れぬように、座り込んだその人物がうつむいていた顔を上げた。

 モニターが素早くズーミングし、拡大画像を表示する。

 そして、アンジェロは小さく息を飲んだまま、呼吸することを忘れる。

 

(お前は、・・・!!)

 

 忘れるはずもない。その髪、その瞳、その顎。思い出されるのは、怒りと屈辱のみ。

 

「クルス・・・」

 

 視界が赤く染まっていくのをアンジェロは感じた。憤怒の赤に。

 

 

(いけない!その娘は違うのです!!あなたが知っている人ではありません!!!)

 

 

 緑の光が激しくきらめくが、アンジェロの怒りはサイコミュを通して増幅され、嵐となってコクピットを吹き荒れた。

 

「マリーィィィダっ・クルスゥゥゥ、貴様かぁぁぁ!!」

 

 私の大佐を認めないザビ家の犬め。

 大佐がいない世界。死んだはずのお前が生きている世界。

 

「こんなでたらめな世界を私は認めない。絶対にだ!!」

 

 笑いながら、こちらに手を伸ばしてるその姿すら、憎んでも憎みきれない。

 

「まだ、私をコケにするのか!?」

 

 殺してやる!ころしてやるぅ!!コロシテヤルーゥ!!!

 

「この死に損ないがぁぁぁ!!」

 

 アンジェロが絶叫し、《キュベレイ》が右マニピュレータを可動範囲限界まで後ろに引き、その手を一直線に伸ばしたまま、高速で前方に突き込んだ。

 それは、彼が怒り、忌み、憎み尽くした人物を粉砕してくれるはずだった。

 

 

(ダメーーーぇぇ!!!)

 

 

 その時、マリアの前に立ちはだかり、まるで守るように、かばうように遮った緑の人型をした光が現れる。《キュベレイ》の爪がそのシルエットを貫く。

 そして、世界が、時空が跳躍した。

 

 

 アンジェロの視界を染めていた真紅の怒りは消え去り、優しい緑のオーロラの揺らめきが彼の心を落ち着かせた。

 

(ここは、・・・どこだ。まさか)

 

 アンジェロは2年前、ラプラス戦争で体験した出来事を思いだし、動揺した。

 自分の忌まわしい記憶をさらけ出され、他人に心を汚され犯された、その出来事を。

 しかし、頬を撫でる優しい風のような暖かさは、彼の原始の記憶、まだその肉体が不完全で羊水の中を泳いでいるような、やすらぎをもたらしていた。

 だから、アンジェロはそれ以上不安にもならず、怒りも湧かず、目の前の現象をただ精査し、記憶しようと思うことができた。

 

(そう、この炎は煉獄。私の罪の汚れを消し魂を浄化してくれる、清めの火)

 

 誰かの意識がアンジェロの頭に直接流れ込んできた。

 同時に視界の前方、大型MS《ZZガンダム》の手の上から10歳ぐらいの少女がアンジェロにその腕を、その体を、できる限り伸ばし外に乗り出し、何かを求めていた。

 しかし、こちらに向けた少女の顔は後悔と哀しみに歪み、口は悲痛な叫びを上げていた。

 

「ああぁぁ!!」

 

(私を見ているのじゃない?)

 

 はっ、と悟ったアンジェロは後ろを振り返る。

 そこに《ZZ》を上回る巨体のMS、《クィン・マンサ》が背をビルに預けた状態で屹立していた。

 

(ここはどこかのコロニーの中か?)

 

 周囲は激しいMS戦闘によって市街地は今のホルスト同様に破壊されていた。

 アンジェロの視界に《クィン・マンサ》の頭部コクピットの前に立つ金髪のネオ・ジオン青年将校の姿が目に入る。

 

「なぜ、お前まで行ってしまうんだ!?プルツー!!」

 

 青年も少女の方へ手を伸ばしていたが、彼の表情は苦しみに満ちていた。

 微かに視界の左端で動く別のMSにアンジェロは気が付いた。

 ビルの谷間の通りに擱座した《Zガンダム》だった。

 しかし、その右腕が動き、手にしたビームライフルの銃口が小刻みに揺れていた。

 

(迷っているのか・・・?しかし)

 

 アンジェロは、とうとう《Z》のパイロットが決意し、トリガーに指をかける波動を感じ取った。

 

(あのパイロット、泣いている?)

 

 次の瞬間、銃口からほとばしった高温の閃光が青年将校の肉体を、魂を、すべてを貫き焼き尽くしていった。

 

「グレミーーーーィィィ!!」

 

 絶望の中で少女は叫ぶが、何もかもが無駄で遅すぎた。

 続く爆発に少女の体は炎にあぶられ、アンジェロの意識も衝撃でどこかに飛ばされていった。

 

 

 どれほど飛ばされたのだろう。

 耳の奥をなり続ける連続的な大きな音が、爆発のものではなく、大きな鐘のものだと、アンジェロはようやく気付いた。

 

(ここは・・・?)

 

 時空が変わっていた。円筒形に続く地面が頭上にまで広がり、彼方にはコロニーの末端の壁が微かに見えた。

 そして、鐘の音は高台に作られた教会から発せられているものだとアンジェロは理解した。

 その教会の中から一組の新郎新婦が現れる。下へと続くワインディングロードで待ちわびた参列客が歓声を上げる。

 普段はおどけた表情の新郎も神妙な顔で新婦の手を取り、歩み始めた。

 すると、参列客が用意のフラワーシャワーを二人に浴びせ口々に祝福の言葉をかける。

 

「ジュドー、ルー。おめでとう!」

「お幸せに!」

 

 高台の下に止められ飾り付けられたエレカ(電気自動車)。そのエレカの前で待つ一人の参列客の前で新郎新婦は立ち止まった。

 

「・・・マリア」

 

 新郎が万感の想いを込めて、呼びかける。

 その女性が、先ほど見た少女が成長した姿なのだと、アンジェロはすぐに分かった。

 オレンジがかった栗色の髪と蒼い瞳。

 それは驚くほど、彼の記憶にあるマリーダ・クルスと一致したが、髪型や仕草、何より表情や漂わせる雰囲気がまるで違っていた。

 

(もっと明るく優しい感じだ)

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃん。おめでとーぉ!」

 

 マリアがぴょんと飛び跳ねながら、手にした花びらを空へと高々と舞い上げる。それはゆらゆらと漂いながら、二人の頭上へ降りてきた。

 

「マリア・・・、本当にありがとう」

 

 新婦が感極まったという感じで、マリアを抱擁する。

 

「ルーお姉ちゃんったら!もうお祝いの席で泣きすぎだよ」

「だって・・・」

 

 天真爛漫な笑顔の娘に新婦が目尻の涙を拭いながら答える。

 やがて、新郎新婦は後ろにたくさんの空き缶がつけられたエレカを走らせ、新婚旅行へと旅立っていった。

 その去りゆく姿を見送ったマリアは急に孤独感に襲われた。

 

「あーあ、とうとう、お兄ちゃん取られちゃったな・・・。でも、ルーお姉ちゃんなら仕方ないか。美人だし、優しいし。

 それに・・・」

 

 実の姉のように慕う女性。優しさと包容力を兼ね備え、時には自他を律する厳しさも発揮する。

 

「はーーぁぁ・・・」

 

 マリアは長くため息をつき、表情が沈んだ。

 

「それに・・・」

 

 彼女の目に期せずして、涙が浮かんだ。

 

 

(それに、私のマスターを殺した女だし・・・)

 

 ぞっとするほど、暗い感情がそこにはあった。

 穴の中にまた穴があるような底の見えない感覚。

 彼女の心を知ったアンジェロはそこに引き込まれたかのように感じた。

 しかし、その感覚は彼自身が内に持ち合わせたものと似た臭いがした。

 

(そして、また私の光を奪おうとする女)

 

 沈みつづけるその心は、自分自身を腐らせるすさまじい腐臭を放っていた。

 

(私は欲しい、私は寂しい、私は羨ましい、私は哀しい)

 

 いつしか、マリアの姿は時間を逆行するように、10歳の少女に戻り、さらにその表情は他人を相容れない『人間兵器』のそれへと変わっていた。

 

(ジュドーに愛されたい・・・、女として愛されたい・・・)

 

 心を堅く閉ざし、それを見られまい、壊されまいと高い壁で覆ってゆく。

 明るく快活だった、『マリア・アーシタ』はそこになく、ただ殺すためだけに生み出された『プルツー』がいた。

 

(私は寂しくてたまらなかったのさ。好きになったジュドーの中に私はいない。いるのはプル姉さんとルー姉さん。

 哀れな強化人間としての同情やルーの妹としての家族愛はいくらでもくれるけど・・・。私はそれだけでは満たされなくなっていた。

 だから私は自分を偽るために、現実の嫌なことから目を背けるために、薬に頼った。自分で幻のマスターを作り出して、幻のグレミーに愛を求めていたのさ)

 

 少女を兵器『プルツー』として利用するために偽りの愛を注いだグレミー。

 そのグレミーに今度は少女の方が偽りの愛を望んだ。

 自分を慰めるために。寂しさをまぎらわすために。

 少女が自嘲して顔を歪めた。

 

(情けないね。哀れだね)

 

 出口のない暗闇の中に座り込んだ少女は膝をかかえて、顔をそこにうずめた。

 

(キアも死んじゃった・・・。私にとって、・・・こんな世界は無意味だ)

 

 

 闇に沈み独りすすり泣く少女に、アンジェロは先ほどまで路地裏に抜け殻となっていた自身の姿を重ね合わせた。

 家族を失った自分。心身を犯された自分。

 そして、大切な想い人を失い、生きる意義を見出せない自分。

 だが、彼女の心の端々まで共鳴したアンジェロの胸の内には、かつてないほど生きる力がみなぎってきた。

 

(この娘は私と同じだ)

 

 アンジェロは思う。

 そして、同じ組織に身を置いていながら、敵のように、いや、敵として憎しみ尽くしたマリーダ・クルスのことを思い出す。

 

(きっと彼女もまた・・・)

 

 元来、人の魂は孤独だということを、彼自身知っていたはずなのに、自分の寂しさと汚れを癒してほしいことばかりに執心し、近くに救済されるべき存在がいたことに気が付かなかった。

 

(だから、ジンネマンは彼女に優しかったんだ)

 

 血が繋がらぬとも彼女の父であるジンネマンの優しさ、愛と言ってもいい。

 それをアンジェロは、かつて罵った。

 

『お前たちは・・・、いつだってそうだっ!無責任で、弱くて!!』

 

 アンジェロは悟った。

 

(私は・・・・・・馬鹿だ)

 

 無責任で弱かったのは、自分自身であることを。

 

(私は大佐に両親の影を求めていただけ、・・・だったのかもしれない)

 

 そこに愛と呼べるものは無い。

 

 

 少女がわずかに顔を上げ、上目遣いにアンジェロを窺う。濡れた蒼い瞳は空虚であった。

 少女がおずおずと口を開いた。

 

「あなたが私のマスター?」

 

 アンジェロは首を振った。その仕草に少女はまた哀しくなった。

 しかし、

 

(でも、・・・この人の瞳、優しい。ジュドーと同じぐらい)

 

 最初に私を目覚めさせたグレミーのような見せかけの優しさではない。

 アンジェロが穏やかに語りかけた。

 

「私は君のマスターにはなれない。寂しさだけで人が繋がっているなんて哀しいから。

 でも・・・。

 それでも。

 今この時だけでも、君が救われるというのなら。

 おいで」

 

 アンジェロは微笑みかけた。

 少女の胸に光が灯った。それは小さいけれど、とても温かかった。

 少女も笑い返し、涙を拭って、アンジェロの方へ腕を伸ばした。

 アンジェロも応え、その腕を。

 

 

 そして、時は動き出す。

 

 

 緑のオーロラのカーテンが蜃気楼のようにかすみ、アンジェロの右腕が、《キュベレイ》の装甲に覆われたそれへと変わり、手は槍の穂先のように真っ直ぐに伸ばされ、前方に突き出したその一撃は、マリア・アーシタの体をまさに、肉塊へと変えようとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エレベーターシャフトを越えて

「やめろーーおぉぉ!!」

 

 コクピットの中でアンジェロは絶叫し、操縦桿を全力で引いた。

 

(ダメだ、《キュベレイ》!彼女を殺してはいけない!!)

 

 アンジェロの強い思惟がサイコミュによって増幅されスペックを越えた数値となって、機体に急制動がかかる。

 高速で繰り出したマニピュレータの突きを無理やり止めようと《キュベレイ》の関節駆動系が悲鳴を上げる。

 モニター各所に警告メッセージが現れるが、アンジェロは意に介さなかった。

 

(間に合わない!!!)

 

 だが、アンジェロは最後まで諦めなかった。

 突きの狙点を彼女の右へ逸らそうと操縦桿をひねる。

 切断された一房の栗毛を巻き上げながら、《キュベレイ》の爪はマリアの頭部すぐ横をギリギリで掠めていった。

 機体バランスを崩した《キュベレイ》は脚をもつれさせながらも、左手を屋上につき、なんとか踏みとどまった。衝撃が屋敷を揺らす。

 

 

「な、なんだ!?」

 

 備え付けのノーマルスーツに着替えたフラストはその衝撃に辺りを見回す。

 

「フラスト!」

 

 同じくノーマルスーツ姿のアレクがバイザーを上げ叫びながら、屋上の一角を指差す。マリアとキアーラの亡骸の目の前に、《キュベレイ》の胸部から上が望めた。

 

「一体誰が!?」

 

 フラストはまったく敵わぬと分かっていながらも、拳銃を抜き、マリアの元へと駆け寄った。

 炎の照り返しを受け悪鬼の形相となった《キュベレイ》の鉄仮面。彼女とその間に割り込み、フラストはマリアをかばうように銃を構えた。

 

『《ガランシェール》の者か?屋敷が焼け落ちる。早くこっちに』

 

 《キュベレイ》の外部スピーカーを通して響く、若い男の声にフラストはまだ動けずにいた。

 その時、先ほど《キュベレイ》が手をついた時とは違う衝撃、振動が屋敷を襲う。いや、それは屋敷自体から発しており、まさに建物の崩壊する予兆であった。

 

(まずい!)

 

 フラストは意を決し、銃をしまい、マリアを肩に担ぎ上げた。ヘルメットバイザーを上げ、《キュベレイ》に向かって叫ぶ。

 

「彼女をコクピットへ入れてやってくれ!時間が」

 

 ノーマルスーツを着せてやるだけの余裕は無い。すぐに、《キュベレイ》がフラストに応じて、その左マニピュレータの掌を上に向ける。フラストたち二人が乗ると、胸部コクピットへと運び、ハッチが開いた。

 伸びた銀髪、神経質そうな眉根。

 

「お前は・・・」

 

 以前の美しい白い肌は長年の放浪生活の果てに薄汚れていたが、リニア・シートに収まる見知った人物の顔に思わず、フラストは拳銃のグリップへ手を伸ばしかけた。

 

「待て。後にしろ。今は脱出する」

 

 先んじて、アンジェロがそれを制する。フラストの顔から表情が消え、不本意ながら、マリアの体をアンジェロへと抱き渡した。

 続いて、キアーラの亡骸を担いだアレクがマニピュレータに乗り移る。

 モニターに視線を移すと、《ゲルググキャノン》も手にベイリーの部下の兵長と侍女を、大事に抱えるようにして収容していた。

 2機のMSが飛び立つと、間一髪で屋敷は業火に飲まれ、崩れ落ちていった。

 

 

 黒煙と霧に視界を阻まれながらも、先行する《ゲルググキャノン》に追従して《キュベレイ》は搬入エレベーターへと急ぎ飛んでいた。

 モニターの端には相変わらず、警告表示が瞬き、右マニピュレータ過負荷による一時的な機能不全をアンジェロに知らせていた。

 マリアをリニア・シート横の補助席に座らせる間もなく、アンジェロは渡されるがまま彼女の体を自分のそれと重ね合わせていた。マリアは意識があるのかないのか、ぐったりとアンジェロに体を預けその腕を彼の背と首の後ろへ回していた。

 寄りかかる胸の重みと、栗毛から立ち昇るかすかな体臭。普通なら成熟した異性を感じさせるところだが、アンジェロにはなぜか泣き疲れた幼女を思わせた。

左の操縦桿を握っていた手を離し、アンジェロはマリアの髪を優しく撫でた。彼女が小さく鼻をすする音が聞こえる。

 

(そういえば、・・・)

 

 アンジェロは不意に気が付いた。

 

(あの光が消えた)

 

 いつの間にか、緑の光、不定形な人型をしたその気配はコクピットから消えていた。

 

 

 やがて、2機のMSはエレベーターの前に到達した。

 その巨大な扉は、《キュベレイ》の三つ叉ビームサーベルに抉られ、《ギラ・ドーガ》のビームマシンガンの斉射を受けたことで完全破壊され、ぱっくりと暗い空洞を見せていた。

 前方を行く《ゲルググキャノン》が速度と高度を下げ、止まらずにそこを潜ろうとする。

 唐突に、アンジェロの肌が鋭い針に突かれるような、不快感に襲われた。

 

(これはっ・・・!)

 

 エレベーターシャフトの上端から何かがこちらを狙っているような感覚がした。

 とっさに《キュベレイ》の右腕を伸ばし、《ゲルググキャノン》と接触回線を開こうと操縦桿を押すが、コクピットには警告音が鳴っただけで動かなかった。

 

「ええぃ、こんな時に!」

 

 アンジェロは《キュベレイ》を急加速させ、《ゲルググキャノン》に体当たりした。それぞれのMSの手に乗ったフラストら4人は、生きた心地がしなかっただろう。

 

『何事ですっ!』

 

 機体の体勢を立て直しながら、さすがに、怒りをにじませてベイリーが外部スピーカーから叫ぶ。

 

「接触回線を」

 

 短くアンジェロが応えると、兵長と侍女を載せていない右腕部を《ゲルググキャノン》は伸ばした。

 

「待ち伏せされている」

『確かですか?』

「ああ」

 

 アンジェロは自分の感覚に自信があった。

 生身の人間にとっては巨大な、搬入用貨物エレベーターであっても、MSにとっては身動きも満足にできない狭い空間である。45度に傾斜したエレベーターシャフトは長さも500m以上ある。むやみに突撃すれば、

 

(いいカモにされる)

 

 といって、ここに足止めをされていても、他に脱出路は無い。

 

(機体を捨てて、乗用エレベーターで逃げるか・・・。しかし)

 

 これだけコロニーが損傷している状態では、エレベーターがまともに動作するのか疑わしい。

 加えて、パイロットのアンジェロ、ベイリー、そしてマリアはノーマルスーツを着ていない。上階にコロニーの穴が空いていたら、それは即、死を意味する。

 

「そちらの武装は何が残っている?」

 

 アンジェロはベイリーに呼びかけた。

 

『頭部バルカンが100発とナギナタ。あとは、ビームキャノンがあるが、・・・』

 

 未だ、ベイリーはそれを使う決心がつかないでいた。

 

(このような状況でなお、・・・。思い切りの悪いパイロットだ)

 

 アンジェロは眉根と鼻の頭にシワを寄せる。

 

「しかし、どうするのだ?このままではいずれ・・・」

 

 続く言葉は、身じろぎし、アンジェロの肩に手をついたマリアによって遮られた。

 身を起こすと、影の落ちた表情の中で「ファンネルを・・・」と呟く。

 

「あれか。確かに・・・。だが」

 

 アンジェロは苦い薬を飲んだような顔つきになる。

 極小サイズの機動兵器ファンネルならば、シャフト内を突っ切って、上方の敵へ攻撃することも可能だろう。

 だが、それもファンネルをしっかりと扱えてこそだ。アンジェロは先ほど、無様に撃ち落とされていったファンネルたちを思い出す。

 

「だい、じょうぶ・・・」

 

 マリアが苦しそうに呻きながら、体を返し、アンジェロに背を預ける。まだ、薬物の影響が残っているらしい。

 今更だが、アンジェロは自分の股間がマリアの臀部に押されていることを意識し鼓動が早くなった。

 

「私が、支えるから。

 できるよ・・・、あなたなら」

 

 マリアは操縦桿を握るアンジェロの手に自分のそれを被せ合わせた。

 アンジェロが静かに彼女の横顔をのぞき込むと、蒼い瞳は小さな光が灯り始めているように見えた。

 二人は互いに小さく頷きを交わし、

 

「「ファンネルっ!」」

 

 心を重ねた。

 リア・アーマーを飛び出したファンネルたちは《リゲルグ改》と戦った時とまったく異なり、安定した飛行を見せた。

 

「これが本当の力なのか?」

 

 今、アンジェロに感じられるのは、体内を荒れ狂うスズメバチのような猛々しさではなく、鱗粉をまき散らしながら飛ぶ蝶のような柔らかさであった。

 

「やれるっ!」

 

 アンジェロは意識を高め、サイコミュによって増幅されたそれがファンネルに伝達する。

 次々と扉の空洞を潜り、シャフト上端で待ち構える敵機の元へ真っ直ぐ向かった。

 

 

 エレベーター上部でアンブッシュのため、機体を伏せていたメイナードは《ギラ・ドーガ》のモニターにわずかな発光を見つけ、緊張した。

 

(な、なんだ?しかし、モビルスーツじゃない?)

 

 エレベーターシャフト下端に見える発光はMSのスラスターから比べると、あまりにも小さかった。

 しかし、動くものは構わず撃てとイリアから命じられたメイナードは機体を起こし、ビームマシンガンをシャフト中央部を上がってくる目標に対して照準する。

 トリガーを引こうとした刹那、その殺意を感じ取ったかのように、それが四方に分裂した。

 

(!!ファンネルだと!?)

 

 一列縦隊で向かってきたそれは一つの発光体にしか見えなかったが、実は4基のファンネルだった。

 《ギラ・ドーガ》は銃口を小刻みに振りながら、ビームマシンガンを斉射した。グリーンの光弾が1基のファンネルを落とし、さらにシャフト内壁を穿ち凄まじい量の瓦礫を巻き上げる。

 煙幕さながらの様相である。その見えない視界を突っ切って、3基のファンネルが《ギラ・ドーガ》に迫る。

 奈落の底から迫るその光に、メイナードは体中の血が凍るような恐怖と震えに襲われながら、トリガーを引き続けた。

 続く、【MAG EMPTY】、弾切れの表示にメイナードは次の動作ができないほど恐慌状態だった。

 ついに、上端のエレベーター出入り口から飛び出したファンネルが《ギラ・ドーガ》の周囲をうるさく旋回し始めた。

 ビームマシンガンのE弾倉の交換を諦めたメイナードはようやく、腰のハードポイントに装備したビームホークの存在に思い至った。

 《ギラ・ドーガ》の左マニピュレータがビームホークの柄に手をかけたとき、3方から発射されたファンネルのビームによって、左肘関節部が破壊され、それは抜くことができなかった。

 間髪を入れずに、スラスターで砲口を転回したファンネルがモノアイ・センサーを撃ち抜く。

 

「ああぁぁ」

 

 足元から上ってくる悪寒、死の恐怖。メイナードはコクピットの中で操縦桿を握ってはいたが、まったく何もできなかった。

 肘先、膝先の四肢部をビームによって焼き切られ、《ギラ・ドーガ》は無様に仰向けに倒れた。

 半分以上の全天周モニターが死んだコクピットの中でメイナードは絶望で目の前が真っ暗になった。

 それなのに、まだ生きているモニターが胸部コクピットハッチ前に砲口を向けるファンネルを映し出す。

 

(あぁ、やられる。俺は死ぬんだ)

 

 何か訳の分からない、支離滅裂な呻きを発しながら、メイナードは自分の腕で顔を隠し、その映像を見まいとした。

 しかし、いつまで経っても、肉体を消滅させる高温のビームは襲ってこなかった。

 どれほど、そうしていたのだろうか。

 不意に、擱座したメイナードの《ギラ・ドーガ》の上空を爆音を響かせてMSが2機、飛び去って行った。

 

(逃げて)

 

 メイナードの脳内に誰かの声が響き、唐突にそれは過ぎ去って行った。

 

「な、なんだ!?」

 

 彼は今まさに起きた現象を飲み込めないでいたが、何となく、その声が飛び去ったMSの内の1機から発せられたような、そんな気がした。

 

「いや、まさかな・・・」

 

 メイナードは考えを振り払うかのように頭を振って、機体のステータスを確認した。

 両前腕部・両膝下部損失、全天周モニター、姿勢制御バーニア半壊。

 だが、メインスラスターは無事でAMBAC機動もギリギリいけそうだと、メイナードは思った。

 

(とにかく、ここから脱出しなければ)

 

 震えが止まらぬ足でメイナードはフットペダルを踏み込んだ。

 

 

「なぜ、邪魔をした?」

 

 《キュベレイ》を宇宙港ハッチへ向かわせながら、アンジェロは膝の上に抱く、マリアに問うた。

 彼が《ギラ・ドーガ》にとどめを刺そうと、ファンネルに意識を集中したとき、マリアが悲しそうに首を横に振ったのだ。

 だから、アンジェロはそれ以上ビームを撃たず、ただ《キュベレイ》を港へと向かわせた。

 

「よく、・・・わからない・・・」

 

 うつむいていたマリアはアンジェロの問いに顔を上げ、逆に後頭部を彼の胸に預けた。

 

「でも・・・」

 

 薬物の作用で精神が後退したような、夢を見ているような顔つきだった。

 

「きっと、あなたの瞳が優しかったから。できれば、・・・殺させたくなかった」

 

 そう言うと、ファンネルの操作をサポートした疲労からか、糸が切れた操り人形のようにマリアの首ががくりと垂れ、意識を失った。

 

 

 その後は【木星ジオン】の待ち伏せもなく、アンジェロたちはホルストの貨物港へ到達することができた。

 そこに《ダイニ・ガランシェール》の姿はなかったが、事前の打ち合わせをしていたフラストは焦ることなく、

 

『ハッチを抜けたら、西へ行け』

 

 《キュベレイ》に短い指示を出す。

 

(あまり好かれていないようだな。無理もないか)

 

 コクピットのアンジェロはようやく、マリアを補助席に乗せ、そのシートベルトをかけてやりながら、フラストのことを思う。

 一方、マリアは意識を失ったまま、目覚める様子はない。

 長いトンネルを抜け、分厚い宇宙港ハッチを抜けると、全天周モニターの下方には荒涼とした風景が広がっていた。

 赤サビに覆われた不毛の荒野。地表を吹き抜けるMSのスラスター噴射が、酸化鉄の塵と砂を巻き上げる。

 右手の北には、高さ7kmにも及ぶ断崖絶壁が頭上に迫る。左手の南には、数十km先、東西方向へどこまでも続く山脈が見える。

 実際には、それは山脈ではなく、北にそびえる断崖と同じであり、ここが北米大陸のグランドキャニオンをはるかに凌駕する規模の峡谷、その谷底にいることを感じさせる。

 《キュベレイ》が前傾姿勢で飛び続ける。しかし、手にフラストらを乗せているのと、後続の《ゲルググキャノン》もいる関係でかなり巡航速度は落としていた。

 

(しかし、ここが低重力の火星でよかった)

 

 地球上であれば、MA形態への可変機構の無いMSが、サブ・フライト・システムも無く、単独で空を飛ぶなど夢想の類でしかない。

 地球比40%の重力、加えて大気が薄く空気抵抗が小さいことが、MSの火星飛行を可能にしていた。

 やがて、飛びつづける2機の先に艦船の機影をアンジェロは認めた。

 

「《ガランシェール》・・・」

 

 コクピット内でアンジェロが呟く。高度3000m、それでもまだ峡谷の中である。

 火星の黒い空に映る三角錐形状のシルエットは特徴的だった。

 

「しっかり捕まってろ。落ちても拾わんぞ」

 

 言うや、アンジェロはフットペダルを踏み込んで、《キュベレイ》を上昇させた。

 

(まさか、あの船に乗ることになるとはな・・・)

『おい、小僧。船に着いたら話がある』

 

 押し殺したフラストの声がアンジェロの逡巡を遮る。

 

「ああ、わかっている。こちらも聞きたいことがあるからな。

 それにしても、・・・」

『何だ?』

 

 アンジェロはわずかに、言いよどむ。

 

「貴様等も懐古主義なことだ。わざわざ、沈んだ船と同じロートル船にまだ乗っているとは」

 

 そのセリフに意外にも、フラストがくっくっ、と笑った。

 

『俺もそう思うぜ』

 

 




あとがき

 あほっぽい話、書いてむしろ充電できました。
 いや、あほなんて変な言い方ですね。ギャグも書くと面白いですね。
 企業戦士アクシズZZの方もよろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ソラの墓標

今話の登場人物

ユーリア
 20代前半。火星総督府から成り行きで付いてきちゃったモブキャラ。今回、強引な役を演じるにあたり、強引に名前を付けた。苗字はまだない。我輩は侍女である。





 アンジェロ、フラストたち一行が火星を脱出して、3日が過ぎた。

 《ダイニ・ガランシェール》は一路、地球圏への帰路についていた。

 そして、その後部貨物スペースにて、キアーラ・ドルチェの葬儀が営まれた。

 

 

「・・・神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちもこの慰めによって、苦難の中にある人々を慰めることができます。・・・」

 

 ゲイリー少尉が聖書を引用して、司式していた。

 通常、MSデッキとして使用されているこの場は昨日から念入りに整理・清掃され、清められていた。

 キアーラの遺体は宇宙葬用の棺に納められ、三角錐状の貨物スペースの底部に安置されていた。居並ぶ4機のMSの巨体が、さながら彼女を守る儀仗兵の様相を呈していた。

 船の操舵、運用の基幹に関わるクルー数名のみをブリッジに残し、フラスト、アレクを始めとする全船のクルー、さらに、ベイリーの部下の兵長と侍女、そして、アンジェロが式に参列していた。

 侍女のすすり泣く声と、ベイリーの祈りの言葉が、まるでBGMのようにマリアの聴覚を過ぎて行った。

 もはや、マリアは流すべき涙も枯れてしまっていた。

 

「私たちは生のさなかに死に臨みます。そして、宇宙へ彼女の体を託します。

 土は土に、灰は灰に、塵は塵に。

 主は彼女を祝福し、包み、またその顔に輝きと優しさと安寧をもたらすことでしょう。

 アーメン」

 

 ベイリーが十字を切り、マリアたちもそれに倣う。

 MSデッキから参列者が退出すると、エアロックが作動し、【AIR】の電光表示が点滅、減圧されていった。

 デッキが宇宙空間と同じ状態になると、パイロット・クワニの乗る《ギラ・ズール》がキアーラの棺を丁重に捧げ持ち、真空のソラへと出て行った。

 その様子をマリアは一室の有機プラスティックの板越しに見ていた。

 やがて、《ギラ・ズール》がその手の棺を虚空へと、優しく流してやる。慣性にしたがって、それは広い宇宙をどこまでも漂うはずだ。

 

(さよなら、キア)

 

 

 葬儀の後にマリアは当てがわれた部屋のベッドに腰掛け、ぼんやりと過ごしていた。

 ベッドが二つとデスクのみの狭い部屋だったが、船内でただ二人の女性、マリアと侍女のために、割り当てられていた。

 はからずも、そのドアがノックされる。

 侍女はトイレに行くと言ったきり、一行に帰ってこない。きっと、独りでどこかで泣いているのだろうか。

 ベッドからドアへ飛び、横の電子認証取手を解除すると、意外な人物が廊下に立っていた。

 

「ベイリー、少尉・・・」

 

 キアーラを拉致・誘拐したと思っていた【火星ジオン】の人間に、私は少なからず戸惑った。

 

「少し話せるかな?」

 

「はい、・・・どうぞ」

 

 部屋の内に招き、マリアはベッドの端に腰掛け、ベイリーはデスクチェアーを持って、彼女の前に固定した。疲れたような嘆息を吐きながら、腰かける。

 マリアはふと疑問が湧き、尋ねた。

 

「少尉は従軍牧師ですか?」

「ベイリー、で構わんよ。

 いや、牧師ではない。家族の影響でね。父が敬虔なクリスチャンだった。よく休日は教会に連れていかれたものさ。

 私は嫌いだったが。それでも子供の頃のことは、刷り込まれたように忘れないものだ」

 

 ベイリーが苦笑する。

 

「軍に入ったのも、そんな父親に対する反発だった。だが、当時、私は軍に何の興味もなかったし、期待もしていなかった。

 父から離れたい。遠くに行きたい。そう思ったとき、たまたま手にしたのが軍のリクルート向けのチラシだった。ただそれだけのことさ」

 

 遠い目をして、ベイリーが続ける。私はうつむき、ただそれに耳を傾けた。

 

「追い詰められた人間は時として、自分でも思いもよらない行動をする。軍に入隊した私がそうだった。

 キアーラ様が【火星ジオン】の志に同調して、《ジュピトリス》を離れ、活動に参加してくれたことは、うれしかったが、同時に複雑な気持ちにさせられた。

 彼女はこの10年間、幸せではなかったのだろうか?何が彼女を駆り立てたのだろうか?

 マリアさん、あなたなら何か分かるんじゃないか?」

 

 その呼びかけに顔を上げ、私はベイリーと目を合わせた。

 

「・・・ごめん、なさい」

 

 抑揚のない声で私は答えた。

 無言でベイリーがそれに返す。

 この一年間、私は自分の殻に篭もり、他人を理解することがほとんどなかった。家族同然のキアーラや養父のバッハ艦長にさえ、自分の気持ちを吐露することはなかった。

 

「私も・・・知りたい。

 彼女の気持ちを・・・、でも」

 

 やっとのことで絞り出すように言った私は、それ以上言葉が続かなかった。

 長い沈黙を破ったのは、ベイリーだった。

 

「今となっては、神のみぞ知る、ということかもしれませんね。

 でも、最近、この世に神なんていないのかもしれないと、思うことがある。神に祈りを捧げた、私が」

 

 ベイリーの口調に熱がこもる。

 

「この世界に起こる無慈悲で残酷な争い。この世に神がいるなんて、でたらめだと思いたくなる。

 なにより、なぜ彼女が死ななければならなかったのか?」

 

 誰もベイリーの問いに答えられるものはいない。

 

「そんなときにふと思ってしまう。

 神なんていない、こんな不完全な世界を創った神なんていらない、と」

 

 ベイリーの表情は苦しげと同時に、恍惚じみているようにも見えた。

 

「でもこれは絶望であると同時に、希望でもある。

 なぜなら、この嘆きは、愛と優しさと正義を求める自分の気持ちそのものなのだから。

 そして、この気持ちさえ持ちつづけることができれば、世界を少しずつでも変えていくことができる、生きてゆくことができる」

 

 そこまで言って、ベイリーは頭を振った。

 

「いや、そうじゃないな・・・。どんなにぼろぼろになっても、生きてゆくしかない。

 ・・・イリア・パゾムは強かった。奴と戦って、死を覚悟した。

 だが、生き延びて思うのは、こんな私でも死ねば悲しむ部下達がいるということだ。あいつらの人生に強烈な負の気持ちを植え付けてしまうかもしれない。

 なんて言ったらナルシストかな?」

 

 笑いかけるベイリーにマリアはどんな顔をすればいいのか分からなかった。

 

「私はね、マリアさん。人生は立ち止まっても、落ち込んでも構わないと思う。

 むしろ、そうあるべきだ。長い人生には捨てるような年月があってしかるべきだ。自分なんて、独立戦争の敗戦以来、人生捨てっぱなしとも言える。

 だが人間っていうのは、耐えてこそ真価を発揮できる。

 私も今は悲しい。けれど、丸一日中悲しい、辛いって訳じゃない。

 毎日の生きる中にある、ささやかな喜び。私はそれをあなたに見つけてほしい」

 

 そう言うと、ベイリーは立ち上がった。

 

「キアーラ様の大切な家族のマリアさん。

 きっと幸せはあなたの身近なところにある。

 と、私は思いますよ」

 伝えるだけのことを伝え、ベイリーは笑顔で出て行った。

 

 

 しばらくして、放心したようにマリアはベッドに横になった。

 

「みんな、勝手なことを言う・・・」

 

 蒼い瞳を閉じると、瞼の裏に船体の向こうに広がる星のきらめきが映っていた。

 

 

 そして、瞬く間に2ヶ月が過ぎていった。

 

 《ダイニ・ガランシェール》はラグランジュ点L1近くのサイド6に所属する民間の鉱物資源衛星、パラオを目指していた。

 そこはかつてネオ・ジオン残党の拠点であったが、ラプラス戦争初期に連邦軍ロンド・ベル隊の強襲揚陸艇《ネェル・アーガマ》の奇襲攻撃を受けて以後、抗戦右派路線は転戦のためにアジトを引き払い、現在、パラオに残るのはネオ・ジオン支援者というには程遠い、民間人である『支持者』のみであった。

 もっとも、単純にネオ・ジオンといっても、派閥によって多岐に分かれる。旧ジオン公国派、アクシズ派、ダイクン派(シャア派とほぼ同義)。

 その中で、傍流である少数穏健路線のミネバ支持者がパラオにはいた。

 同行する【ジオン独立火星軍】のベイリーはフラストら《ダイニ・ガランシェール》隊の上層部に今回の事の顛末を知らせ、ミネバ派から何らかの協力をこぎつけたいと思っていた。

 しかし、この船に乗る人間でただ二人、目的を持たない者がいた。

 ネオ・ジオン軍【元】大尉アンジェロ・ザウパー、そして《ジュピトリスⅡ》の【元】MSパイロットのマリア・アーシタである。

 

 

「おーい、マリア、いるかー?」

 

 よく通る声でフラストがMSデッキで叫ぶ。

 空間にふわふわと漂いながら、ポーカーに興じていた、トムラ以下4名の整備要員が眼下のフラストを見やり、

 

「いやー、ここにはいないよー」

 

 代表して、トムラが叫び返す。

 

「おっかしいなーぁ・・・」

 

 短い金髪を手でかきながら、トムラに応えるように、独り言のようにフラストが呟く。

 

「なんだい。愛しの妹殿をお探しかい?」

 

 トムラが頭上から茶々を入れる。

 

「はっ!別に愛しかねぇがね。ちょいと野暮用って奴だ」

 

 軽く受け流して、フラストが言う。

 

「戦闘も無し。静かなもんだ。ここに仕事は無いんだから、・・・」

 

 そのトムラの言葉に、フラストは少しずつ嫌な予感がした。

 事実、火星を離れてからこれまで、【木星ジオン】イリア・パゾムたちの襲撃あるいは、遭遇戦もなく順調な航行を《ダイニ・ガランシェール》は続けていた。

 その平穏の中で、マリアはまるで忙しさを求めるように、飛び、走り、働いていた。

 元々、定員に達していないクルーの数で運用している《ダイニ・ガランシェール》としては、その彼女の奮闘ぶりは歓迎して然るべきなのだが、実際はマリアの能力は、『MSの操縦』、そして、申し訳程度の『MSの整備』以上2点に限られていた。

 だからこそ、MS整備を行うデッキにフラストは来たわけだが、戦闘もなく、常備軍のように訓練をしているわけでもないのでMSを整備する必要もなく、整備要員はトムラも含めて全員が今や『雑用』として扱われていた。

 その状況は理解していたはずなのに、あえてフラストがMSデッキに来たのは、一筋の細い希望の光を望んでの事だろう。

 無情にもトムラはその希望を踏みにじった。

 

「あー、あー、そう言えば・・・」

 

 声を張り上げて言う。

 

「『洗濯しなければ』とか言ってたような気がするなぁ、マリアが」

 

 そのセリフにポーカー仲間の整備要員3人がゲラゲラと笑い出した。

 

「ぐっ!お前ら、なんで止めなかったんだ!!」

 

 捨て台詞のようにフラストが言いながら、クリーニングルームの方へと飛び去っていった。

 

 

 廊下のリフトグリップをつかみ、目的の部屋に急ぎながらも、その部屋の入り口から大量の洗剤の泡が溢れ出ているのを見たフラストは、

 

(ああぁぁ、遅かった・・・)

 

 脱力した。

 首と肩を落としながら、入り口の前にたたずむフラストの眼前に咳き込みながら、部屋の中から、事の原因である当人が現れた。

 

「はっ!フ、フラスト・・・。

 い、いやっ、違う!!これには事情があって、・・・」

 

 最初の3回目までは、フラストも素晴らしい忍耐力を見せ、その言い訳としか言いようがない弁明を聞いていたが、4回5回と続く内、どうでもよくなっていた。

 

「うるさい、黙れ。早く、ユーリアを連れてこい」

 

 ぶすり、という感じでフラストが言う。マリアと同室の火星総督府の侍女の名を聞くと、マリアは無駄に敬礼して廊下の先へ飛んで行った。敬礼はただの焦りか、失敗から来る愛想か、照れ隠しの類のものに過ぎないことを、フラストはこの2ヶ月で思い知らされていた。

 盛大に嘆息を付きながら、フラストは腰に手を当てた。

 

 

「う・・・、うぅ・・・」

 

 空気中に漂う細かい洗剤の刺激に涙を浮かべながら、マリアは雑巾を床にかけていた。

 

「ユーリア、ごめん。間抜けだ、私は・・・。

 やっぱり洗濯しないほうがいいな。なんで、何回やっても分量間違えるんだ・・・」

 

 同室のユーリアはゴーグル、マスクをかけた顔をマリアに向け、

 

「ううん、いいよー。マリィが頑張ってるのはみんな分かってるからさー」

 

 その口調からきっと笑っているんだろうとは思う。まるで、罰のようにマリアはゴーグル、マスク無しでその後始末をやらされていた。

 

「おーい、終わったかー?」

 

 廊下の曲がり角から、フラストが声を掛けた。彼はもうあまり近くに来たくないらしい。

 

「ちょっと、フラスト!いくらマリィがミスったからって、これはひどい仕打ちじゃないの!?

 大体、なんでできない洗濯を何度もやらせようとするのよっ!?」

 ユーリアの抗議はむしろ、直近にいたマリアをしおれさせた。

 

「いや、別にやらせたわけじゃないんだけど・・・」

 

 抗議めいたことを言うには言うが、なにやら彼女には頭が上がらないらしいフラストはその文句を一通り聞くと、

 

「あー、じゃマリア。終わったら、ブリッジに来てくれ。ちょっと、これからの計画で話し合いがあるから」

 

 『あら、私は行かなくていいの?』と言うユーリアの茶々を受け流し、フラストは去って行った。

 

 




※11月17日 誤字修正。

あとがき

 また今回からラストバトルまでMS戦が無いというク○だるい展開になりそうな予感です。

 人からオススメして頂いて、電撃ホビーウェブ上で公開しているWebコミック『A.O.Z Re-Boot ガンダム・インレ-くろうさぎのみた夢-』を読みました。A.O.Z=ADVANCE OF Ζとのことですが、話は第一次ネオ・ジオン戦争後のUC.0091で、ZZの外伝と言っても良いような気がします。
 というのもね、・・・。『アリス親衛隊』っていうのが出てくるんですが。もうね、挿絵見た瞬間に、当方はピキーンと来ました。

「お前らどう見ても、『例のあいつ等』だろ」と。

 気になった方は、ご覧になるかと良いかと思います。
 連載中ですが、続きが気になります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マリアとアンジェロと

 マリアがブリッジに上がった時には、他のメンバー、ーフラスト、アレク、トムラ、クワニ、アイバン、【火星ジオン】のベイリー、そしてアンジェロ、ーは全員集まっていた。

 

「遅いぞー、マリア」

 

 トムラが以前の態度とは打って変わって、遠慮会釈のない言葉をかける。

 

「ご、ごめん、・・・」

 

 しゅんとするマリアに追い討ちをかけるように、パイロットのアイバンがわざとらしく鼻にシワを寄せて言う。

 

「臭わないか、何か?石けん臭いぞ」

 

 マリアが赤面し、下唇をぐっと噛んで口をつぐんだ。

 

「おい、お前ら。あんまりからかうなよ。フラストに殺されるぞ」

 

 別のパイロット・クワニがマリアへ助け船を出し、『マリアいじり』はその程度で済んだ。もっとも、クワニのセリフは『フラストいじり』も兼ねていたが。

 最近はそんなことにも動じないフラストは、泰然とキャプテン・シートに腰掛け、

 

「揃ったな。始めるぞ」

 

 今後の行動計画、その話し合いの開始を宣言した。

 マリアはブリッジを見回して、壁際にスペースを見つけると、そこに所在無く佇んだ。なぜか、視線を床に落としていた。

 ふと顔を上げると、彼女の反対側、ーキャプテン・シートを越えた向こう側ーには、アンジェロが腕を組んでフラストたちの様子を、見るともなく見ていた。

 彼女の視線に気付いたアンジェロはマリアの方へ目を向けた。

 すると、見てはいけないようにマリアがまたうつむき、視線を床に戻した。体を強張らせているのが、離れているアンジェロにも分かる。

 彼は複雑な気持ちになったが、

 

(まずは話し合いだな)

 

 キャプテン・シートの方へ意識を移した。

 

「・・・それで日程なんだが、来週末にはいよいよ地球圏に入るが、寄港をどうするかだ。

 時間距離でいえば、ゼブラゾーンのアムブロシアが一番近い。だが、行こうと思えば、サイド3まで行くこともできる」

 

 フラストは前者旧ジオン公国系残党基地と、後者ジオン共和国の二つ名を挙げた。

 

「アムブロシアだな。一択だろ?常識的に考えて」

 

 フラストの言葉を受け、アイバンが反論の余地は無いとばかりに、自信たっぷりに言う。

 

「確かに・・・。普通に考えれば、そうなるが、・・・」

 

 フラストがしゃくれたその顎をしごきながら、曖昧な応えを返す。

 壁際から含み笑いが聞こえてきた。メンバーから少し離れ、壁に背を預けたアンジェロだった。

 

「なんだよ?」

 

 アイバンがアンジェロに剣呑な視線を向ける。

 

「お前は奴、・・・イリア・パゾムとやりあっていないから、そんなことが言えるんだ」

「どういうことだよ?」

 

 続けて、アイバンが問う。

 

「奴が、・・・いや奴等【木星ジオン】がこちらと同様、地球圏に進路を取っていたら、どうする?

 連中が火星から長距離航行をして、いきなりサイド3に押しかけるか?

 今じゃ連中はネオ・ジオン残党どころか、海賊に成り下がっている。共和国軍でもそう思うはずだ。国境警備隊だって、《エンドラ》を見落とすほど間抜けじゃない」

「なるほどな。となると、『木を隠すには森』ってことになるな」

「そういうことだ」

 

 アイバンのセリフにアンジェロが肩をすくめた。

 アムブロシアは共和国制を良しとしない、旧公国系住民によって運営・管理され、どちらかといえば、ネオ・ジオン系列に近い立ち位置にいる。

 

「自分も人づてに聞いただけなので、未確認ですが・・・」

 

【火星ジオン】のベイリーが会話に入る。

 

「かのイリア・パゾムは一時期、アムブロシアに住んでいたらしいのです。縁故や土地勘を頼って、アムブロシアにいく可能性は十分考えられるでしょう」

「それに、」

 

 整備士のトムラも口をはさんだ。

 

「あの基地もアクシズが失われた後、急にさびれた感じだよ。連中の身内びいきで推進剤の補給もできないんじゃ、行く意味ないよ」

 

 かつては、アステロイド・ベルトまでの中継基地・拠点としての重要性があったアムブロシアも、アクシズが地球圏に帰還し、さらに、第二次ネオ・ジオン戦争後、連邦の手にアクシズが奪われてからは急激にその存在意義を失っていた。

 

「まぁ、こっちも身を隠したいのは山々だが、そこで敵とばったり、・・・なんてことになっちまったら、本末転倒だな」

 

 フラストが話にオチをつけた。

 

「それにこっちは腐っても民間会社に所属している事になってるんだ。問題あるまい。

 じゃ、サイド3に向かうってことだな。

 それで、どのコロニーへ行く?ブリュタールか?」

 

 そのコロニー名に集まったメンバー全員ーマリア以外ーが笑った。彼女はそのコロニーのことをよく知らなかった。

 

「いいねぇ。コノシア湖見学と洒落込みたいとこだ」

 

 クワニが言うように、ブリュタール・31バンチコロニーは地球連邦が一年戦争後、ジオン共和国に作った観光用コロニーで、スペースコロニーの中でも最大級の面積を誇るコノシア湖がある。

 

「まぁ、冗談は置いといて、だ・・・」

 

 自分で話題を振ったフラストが、逸れそうになった話の筋を戻す。

 

「実際、どこに寄港するよ?」

 

 メンバー全員ーマリア以外ーが腕組し逡巡、熟考した。マリアはなぜ自分がここに呼ばれたのかも分からなかった。

 

「まぁ、消去法でいくと、・・・」

 

 沈黙を破って、トムラが口を開く。

 

「24バンチ、・・・だろうな」

 

 納得はしていないのだが、しぶしぶ、致し方なく、という感じで言う。

 

「タイガーバウム、か・・・」

 

 フラストも同じ口調で、そのコロニーの別名を口にする。

 

「あそこも観光地には違いないが、統治者が変わってからは治安も、まぁ、まともになってきてるし。

 武器・弾薬は無理でも、推進剤と水・食料の補給なら十分できる」

「だな・・・」

 

 トムラの言葉に、一同不満はあるものの、致し方ないという感じであった。

 そもそも、現在のサイド3は観光コロニーが主で、大規模重工業が可能なインダストリアル・コロニーは多くない。これは地球連邦がジオン共和国に対して課した、『足枷』とも言える。

 

「じゃ、寄港はタイガーバウムってことで」

 

 フラストの決定の宣言に、一同やれやれという雰囲気になる。

 

「それだけか?終わりか」

 

 壁際のアンジェロが相変わらずの無愛想な口調で言う。

 

「まだだ。まだ終わらねぇよ。次はあんたの処遇だ、アンジェロ・ザウパー【元】大尉」

 

 フラストがことさら【元】というところを強調して言う。

 

「俺たちは最終的にパラオに戻るつもりなんだが、」

 

 フラストが言う『俺たち』の中にアンジェロは入っていないらしい。

 

「お前はどうするつもりなんだ、【元】大尉?」

「私もパラオへ行こう」

 

 アンジェロの言葉に、古参の《ガランシェール》隊の内、パイロットのアイバンとクワニの目付きと態度が急に厳しいものになった。

 

「ほぅ。自分の立場がよく分かっていないようだな、小僧は」

「パラオには、もうフロンタル派や親衛隊はいないんだよ。行ってどうなる?

 なぁ、アイバン?」

 

 クワニの言葉を受け、アイバンが手でピストルの形を作り、アンジェロの胸に狙いを定めた。そして、撃ったときの反動を表現する。

 

「銃殺」

「そ、そんな・・・」

 

 その言葉はアンジェロからではなく、反対の壁際にいるマリアのつぶやきだった。彼女は驚きのあまりに、棒のように突っ立ったままの姿勢だったが、ブリッジにいる全員の視線を集めてしまい、慌てて顔を取り繕い、

 

「・・・そんなことは、さすがにアイバンもやらない・・・、よね?」

 

 問いかけられたアイバンは、ただ目を細めてマリアの方を見ただけだった。実は彼女とアンジェロを除く全員が同じ表情だった。

 

(((なんなの、この空気)))

 

 マリアは深刻な焦燥感の中でそう思うが、フラストたちは半ば呆れ返った馬鹿らしい気持ちを抱きながら思った。

 一つ咳払いして、フラストが口を開く。

 

「まぁ、火星で命を救われたってことで、俺自身はお前のことを、もうなんとも思っちゃいないがな・・・」

 

 マリアがそれを聞き、ややほっとしたような表情を浮かべる。しかし、フラストは続けて言った。

 

「パラオにはお前がラプラス戦争で殺したパイロット、その遺族もいるんだ。彼らのことを思うとな・・・」

「やった、やられたはお互い様だろう。それが戦争というものだ」

 

 アンジェロのその言葉に、今度こそ場の空気が最悪になった。まるで、キアーラの葬儀をしたときのような重苦しい空気がブリッジに淀み、マリアは息をするのも辛く感じた。

 

「パラオに来たければ、好きにしろ」

 

 そう言って沈黙を破ったのは、今まで一言も発していないアレクだった。彼はアンジェロの方を一顧だにせず、ただ航空士の各モニターを睨んでいるだけだった。

 サングラスごしの彼の目付きははっきりしないが、マリアはアレクの巨大な背中から発する『黒い揺らめき』をはっきりと『見た』。

 

(ああ、ダメだ、アンジェロ。・・・なんでもっと・・・)

 

 哀しくなりマリアの胸のうちは、石のように空虚で冷たくなった。

 

 

「じゃ、あとはマリアのことだな」

 

 話題を変えるように、フラストが言った。

 

「え、私?な、なんだ?」

「ん、これからお前どうするのかと思ってな。《ジュピトリス》に帰るのか?」

「・・・・・・」

 

 私は答えられなかった。

 フラストたちには、事の顛末をこの2ヶ月の間に詳しく説明していた。

 私自身とキアーラの素性。8年前に《ジュピトリス》に亡命したこと。

 キアーラが消え、彼女を取り戻すために《ジュピトリス》を出奔したこと。《キュベレイ》を勝手に持ち出したこと。

 キアーラが生きていれば、まだ《ジュピトリス》へ帰るという選択肢も十分考えられたかもしれない。しかし、

 

「帰ったら、どうなる?」

 

 フラストが重ねて尋ねた。

 先ほど、アイバンがアンジェロに向けたピストルの手が思い出された。最悪、私がそうなる事態もありえる。

 

「・・・それでな。他のクルーとも話し合っていたんだが・・・。

 パラオに来ないか、お前も?」

「え、私が・・・?」

 

 意外な提案に私は戸惑い、フラストが頷きを返す。

 アクシズ残党と連邦から逃れるために、遠く木星圏まで亡命した私が、・・・またネオ・ジオンに戻ることができるのだろうか?

 でも、やっと手に入れた私の唯一の『家』たる《ジュピトリス》はもう失われてしまった。戻れば、そこは『家』ではなく、『監獄』として私を迎えるだろう。

 パラオ・・・。そこを私は知らない。でも、こんな私を受け入れてくれるのだろうか?

 

「というか、有り体に言えばだ・・・。

 《ガランシェール》隊の一員にならないか?」

「この船のクルーに?」

「そうだ」

 

 私は少し俯き、逡巡した。

 

「・・・それはまた戦争をするということか?」

 

 私の口調は意識せず、固いものになってしまった。

 

「違う。『リバコーナ貨物』の仕事だ。

 俺たちはお互い出会ったときに、ドンパチやりあったから誤解もあったが、実は民間の仕事の方が板についているんだよ。

 皮肉なもんだ。元々はネオ・ジオンの残党が身を隠すために始めた運び屋の仕事が、最近は本業になってきてる。お前ほどの度胸と腕を持った護衛がいれば、海賊だろうが、暗礁宙域だろうが、突っ切って物を運べる。

 悪い話じゃないと思うんだが、どうだ?

 今すぐ返事が欲しいわけじゃないんだ」

「・・・・・・わかった。考えておく」

 

 

 そこへ、宇宙食のトレーを抱えたユーリアと新米クルーのタダシがブリッジへ上がってきた。

 

「お、メシか」

 

 フラストがユーリアを見てうれしそうに言う。

 

「皆、集まってるなら、ここで食べちゃってよ」

 

 ユーリアがそう言いながら、各々にトレーを渡していく。

 

「アンジェロさんも、・・・」

「私はいい。部屋に戻る」

 

 ユーリアの言葉とトレーを断り、アンジェロは階下に去って行った。

 彼の姿を追う、マリアの瞳はいつもと違って、その蒼さの中に煤のような暗い哀しみを漂わせていた。

 そんなマリアを気遣うように、ユーリアがトレーを渡してくれた。

 

「大丈夫、マリア?」

「うん、平気だ。私も部屋に戻る」

 

 言葉の内容とは裏腹に、明らかに落胆した様子でマリアもブリッジを後にした。

 

 

「ね、ね。何があったの?」

 

 フラストの盛り上がる上腕二頭筋の辺りをつねったユーリアが、疑惑と少しばかり非難が入り混じった視線を送る。

 

「んー、なんて言ったらいいか・・・」

 

 フラストは咥えていたレモネードのパックを口から放して、言い淀む。表情が冴えないのは、つねられた痛みでもレモネードの酸味が強すぎたからでもない。

 

「煮え切らねーんだよな、あいつら」

「なに、そんなことー?」

 

 ユーリアが飽きれたような口調で腰に手をやった。

 そんな彼女を見て、トムラが苦笑いを浮かべて言う。

 

「なーんか、見ていて、微笑ましいっていうのを通り越して、じれったいんだよね。

 まるで、小学生みたいでさ。アハハ・・・」

 

 その場が微妙な笑いに包まれる。

 

「それだけじゃねーだろっ」

 

 しかし、アイバンの忌々しいものを吐き捨てるような言い方に、和みかけた空気がまた重くなった。

 

「あの小僧。礼儀知らずで、自分の立場もわきまえていないだろ。俺はそれが腹立つね」

 

 もう一人のパイロット、クワニも『ご同様』と言った感じで、バタークッキーを噛み砕きながら、頷いた。

 

(ま、あいつらは無理もないか・・・)

 

 フラストはパイロット二人の気持ちを慮って、眉間にシワを寄せた。

 2年前のラプラス戦争末期、クワニとアイバンは思想の対立するネオ・ジオンのフロンタル派と死闘を演じていた。そして、敵の中に『あの小僧』、すなわちアンジェロがいたのである。

 

(人の恨み、憎しみは早々消えねーからな)

 

 頭の後ろで手を組んだフラストの脳裏に、ふと、上官スベロア・ジンネマンの髭面が浮かんだ。

 

(キャプテンならどうするのかねー)

「ちょっと!なに呆けてんのよ」

 

 という言葉とともに、再度腕をつねられて、フラストは現実に戻った。

 

「忙しいんだから、さっさと食べちゃってよ」

 

 見れば、ユーリアは食べ終わった者から次々とトレーを回収していた。場合によっては、早く食べ終わるように、催促しているようにも見える。

 

(こいつ、かわいい顔して、実は強引だよなー)

 

 ふと、フラストは閃いた。

 

(強引かぁ・・・。確かに、強引だが。

 2ヶ月『何事』もなかったんじゃ、この先も何も起きないかもしれないな。ちょいと乱暴だがやってみるか)

 

 フラストは決意した。

 

「ユーリア、食い終わったよ」

 

 トレーを取りにきた彼女が近付くと、その耳元にフラストが囁く。

 

(俺たち二人であいつらのキューピット役をやっちまわないか?)

 

 少し驚いた顔のユーリアは、やがていたずらそうな笑いを浮かべて頷いた。

 

 

 シャワーを浴びて戻ると、部屋のドアの前でユーリアが待ちくたびれたようにしていた。

 

「マリア、おそーい」

「ご、ごめん・・・」

 

 今日は何だか謝ってばかりだ。

 

「なんで、そんなにシャワーに時間かかるのー?水、無駄遣いすると、フラストに怒られるよー」

「ちょっと星を見てて。遅くなってごめん・・・」

 

 意気消沈するマリアにユーリアはそれ以上は何も言わず、嘆息すると、

 

「はい、これ」

「?」

 

 二つ折りのメモを渡した。

 

「マリアがシャワー入ってるときに、アンジェロさんが来て。あなたに渡して、って」

「アンジェロが・・・」

 

 少し戸惑い、しかし、恥ずかしそうでもある複雑な表情を浮かべながら、マリアはそれを受け取った。

 

「わたし、シャワー済ませたら、ちょっと用事があるから今日は戻らないから」

 

 やることを済ませると、そう言ってユーリアは壁のリフトグリップをつかんだ。

 

「え、なに?どこか行くのか?」

「ひみつ」

 

 そう言って、ユーリアはいずこかに去った。

 ユーリアはフラストの部屋に向かいながら、小声で呟いた。

 

(ニュータイプってあんな感じなのー?にっぶいなぁ、あの子)

 

 

 同じころ。

 フラストは『マリアからの言づて』と称したメモをアンジェロに渡していた。

 

 

 ベッドに腰かけたマリアは何度もそのメモを読み返していた。短い文章は数十秒も必要なく、読み終えてしまう。

 そして、また視線は冒頭に戻る。そんな、どうしようもないことを続けていた。別に内容もどうということはない。

 

『少し話をしたい。1時間後に部屋に行く』

 

 という、程度のものであった。

 しかし、マリアは何かを迷い、心を決めようと強く思い、しかしまた揺らぐ。

 そうしている内に、部屋のドアがノックされた。

 

「え、え!?まさか、・・・」

 

 胸に下げたペンダントウォッチの蓋を開け、文字盤を確認すると、いつの間にか、メモに書かれていた約束の時間になっていた。

 

(そんな・・・)

 

 何の決心もつかぬまま、力の入らぬ膝を支えドア横まで行き、電子取手を解錠すると、果たしてそこには予期した人物、アンジェロ・ザウパーがいた。

 

「いいか、入って?」

 

 

 ベッドの端に座る、マリアは自分の心臓が耳のすぐ横に引っ越してきたのかと、思うほど鼓動の高鳴りを感じていた。

 

「哀しいメロディだ」

 

 そのアンジェロの言葉を聞くまで、マリアは胸のペンダントウォッチの蓋が開いたままで、オルゴールの音色を奏でている事に気が付かなかった。

 視線を落とし、わずかに考えてからその蓋を閉じる。

 

「キアからもらったんだ、このペンダント」

 

 部屋を痛いほどの沈黙が支配した。

 彼方から、《ダイニ・ガランシェール》の機関部が上げる低い唸りが伝わってきた。

 

「今なら分かる。私とキアは似た者同士なんだ」

 

 アンジェロは壁に背を預けたまま、ただマリアの話を聞いた。

 

「人間兵器として生み出された私。影武者として育てられたキア。でも私たちはどちらも完全にはなれなかった。不完全な壊れた人形なんだ、二人とも。光の中を歩むことができなかった。

 キアが《ジュピトリス》を離れてしまったのは、火星に最後の希望、ーその光を見つけたからかもしれない」

「そうかな?」

 

 アンジェロがマリアに疑問を含んだ声を返す。

 

「詳しい事情は分からないが、その人はきっと君と同じように、・・・」

 

 わずかに、言い淀む間があった。

 

「寂しかったから、じゃないか?」

 

 

 旧アイルランドのダブリンにコロニーが落ちた、あの日。私はコールドスリープから目覚めた。

 冷たいグレミーの声音が私の精神を凍えさせる。

 

「全てが整理されたのなら、お前など必要とはしない、プルツー」

 

 私は負けじとグレミーに言う。

 

「じゃあ、どうして私を目覚めさせたんだ?」

 

 私は答えを知っていながらも、それを尋ねずにはいられなかった。

 答え、それは戦いだ。

 

「前口上はいらないよ。

 戦功を上げたいのならば、はっきり言えばいい。私は協力する」

 

 私は言い放ち、他の妹たちの眠るその研究室を後にした。

 

(でも・・・、私は、グレミー・・・)

 

 

 アンジェロがマリアに向けた眼差しは、『心が触れ合ったあの時』と同様、とても優しかった。

 

(そうだ。私はグレミーに本当は手を握ってほしかった。戦いの話なんてしたくなかった)

 

 その優しい瞳を見つめ返したマリアは突如、こみ上げてくる感情の奔流に自分を抑えきれなくなった。唇が震えてくる。

 

(姉さんを殺してしまった後だって、私は独りで背負って、独りで生きていくしかなかったんだ・・・。

 誰も私を人間として見てくれない!)

 

 ジュドーを除いて。だが、彼はもういない。今思えば、彼女の方からジュドーの心を離れてしまったのかもしれない。

 

(家族がほしかったのに。ぬくもりがほしかった。 抱きしめてほしかった)

 

 何もかもかなぐり捨て、アンジェロの胸に飛び込み、マリアは幼児のように泣いた。

 優しく髪をなでられる感触。

 

(覚えてる・・・。《キュベレイ》の中でもこうしてくれた)

 

 彼女が昔に欲したすべてのものが、今、目の前にあった。

 

「おいで」

 

 アンジェロの呼びかけにマリアはうれしそうに笑い、すべてを彼に委ねた。

 

 

 やがて、アンジェロの脱いだ服とマリアの脱いだ服とが入り混じりあい、無重力空間にデタラメに漂った。

 

 

 ベッドで肉体を合わせる二人。

 アンジェロは行為のあとの気だるさが、身体を薄い膜で包んでいるように思えた。彼の胸に顔をうずめたマリアは眠っているようにも見える。

 その髪から背中にかけてを優しくなでながら、アンジェロが囁く。

 

(眠ったかい?)

(・・・ん)

 

 栗毛の娘が蒼い薄目を開く。

 

「その・・・、よかったの?」

 

 アンジェロが申し訳なさそうな、気遣うような口調で言う。

 

「・・・初めてだったこと?」

 

 アンジェロが頷く。

 

「アンジェロ、優しかったから」

「・・・・・・」

 

 そう言って、マリアは自分の腕を彼の首に巻きつけて、顔を寄せる。

 彼女の仕草にアンジェロは喜びと、哀しみが入り混じった複雑な表情を浮かべる。

 その感情がマリアにも伝播する。

 

「哀しいんだね。お母さんのこと?」

「父も、だ」

 

 マリアの問いかけに、アンジェロは無感情を装って、冷たく言った。

 だが、無感情、無関心を装えば装うほど、彼の心の内の罪悪感は強くなり、激情に胸は張り裂けそうになった。

 アンジェロはマリアの肩に手を置き、気を使った彼女は彼の上から離れる。

 ベッドから出たアンジェロは壁に背を預け、まぶたを閉じた。ひとつ嘆息しつつ、彼が再びそれを開けると、視界に飛び込んでくるものがあった。

 

 染み。

 

 シーツについた染み。マリアの肉体からこぼれ出た赤いひろがり。

 

(同じだ・・・)

 

 

 兵隊が手にしたライフルの銃床でパパの顔を殴り続けてる。飛び散った血が辺り構わず、それこそ天井まで飛び散っている。ボクが好きだった真っ白なシーツの上も。

 

 怖い。苦しい。息をするのもできない。

 

 ママは・・・?

 

 ベッドで兵隊達に押し倒され、脚だけしか見えない。

 

 

「母は、・・・」

 

 また冷たく言おうと思った。なのに、アンジェロの声は震えてきた。

 

「ママは、男たちに喰われたんだ。

 ・・・何もできなかった。

 ・・・ただ隠れて、声を殺して、見ていただけだったんだ」

 

 その強い哀しみが流れ込み、マリアの胸を、心を締め付ける。

 

「そして、ボクはいま、君を食べてしまったんだ・・・」

 

 アンジェロは泣いた。幼児のように。マリアと同じように。

 3歳児の時に経験した強烈なトラウマが、今までのアンジェロの人生に大きく影を落とし、人への接し方、女性観、すべてを狂わせていた。

 

「違う、違うよ、アンジェロ!私はあなたに食べられたなんて、思ってない!」

 

 ベッドを下り、彼の胸に拳を押し付けるマリアも泣いていた。

 

「私は・・・、私は・・・っ!?」

 

 アンジェロの言葉は続かなかった。その唇をマリアが己れのそれと重ねていた。息が続く限り、マリアは深く熱いキスを続けた。喘ぎとともに、マリアが唇を離す。引いた糸は二人の肉体と心、両方をつなぐものだった。

 

「今は・・・、今は何も考えないで」

 

 そう言ったマリアはアンジェロを再びベッドへ引き入れた。今度はアンジェロがすべてを彼女に委ねた。

 

 

 わずかに、スライドするドアの音。

 その音に、眠っていたマリアは目覚めとも眠りともつかぬ、夢うつつの中にいた。

 ベッドからアンジェロの気配が消えていた。

 うつ伏せのマリアは白いシーツを握る。その手に残る感触も不定形で、捕らえ所がない、ふわふわした感じだった。

 

(優しい・・・)

 

 マリアはアンジェロの瞳の色を思い出す。

 

(でも、寂しい瞳・・・)

 

 マリアはまたシーツを強く握った。今度ははっきりと布の感触が知覚された。

 

(この人の寂しさを埋めてあげたい)

 

 マリアは決意した。

 《ダイニ・ガランシェール》のクルーになることを。パラオへ行くことを。

 そして、なにより、

 

(アンジェロを支えたい)

 

 マリアの蒼い瞳には力強い光が宿っていた。

 

 

 




あとがき

 NT戦闘能力はプルツーの方が上だろうけど、にゃんにゃん能力はアンジェロ君の方がどう見ても上。テクニシャンだろ、常識的に考えて。
 元・男娼なめんな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

タイガーバウムの夢の続き

今話の登場人物

ルナン(機動戦士ガンダムZZより)
 20代半ば。涼しい目元の青年実業家。ただの不良少年がスタンパ・ハロイを追い出した後、大出世。今ではタイガーバウムの顔役にまで上り詰める。





 予定通り、《ダイニ・ガランシェール》はサイド3・24バンチコロニー、タイガーバウムへと寄港した。

 フラストとアレクは情報を仕入れるために、ダイガーバウムのある人物と会うということで、ダウンタウンの飲茶店へ行くつもりだった。

 それをどこで嗅ぎつけたものか、ユーリアが知り、事情をよく把握していないマリアを一緒に焚き付け、

 

「自分たちだけおいしいもの食べに行くなんて、ずるい。私たちも!」

 

 同行を申し出た。ブリッジで押し問答が始まる。

 

「あのなぁ、・・・俺達ゃ別に点心食いに行くわけじゃねぇんだよ。人に会うの」

 

 ユーリアは聞き分けなかった。

 

「あやしー。情報もらうだけなら、別に公園でも、港でもどこでもいいじゃない。ネット端末だって使えるんでしょ?」

「向こうの都合なんだよ。場所を指定されりゃ行くしかないだろうが」

「相手は情報屋なのか?」

 

 マリアが少し怪訝な表情で尋ねる。

 

「ちょっと違う。情報も扱っているが、本業じゃない。ルナンって若い男なんだがな。

 ティーンエージャーの時に、不良少年少女や戦災孤児らで構成した愚連隊をまとめ上げてな。当時、タイガーバウムを仕切っていたスタンパ・ハロイ、ーこいつがまた、棒にも箸にもならねぇ悪党だったらしいが、ーそのスタンパを仲間と一緒にやっちまって、組織も丸ごと乗っ取ったらしい。

 その後は歯向かうスタンパの残党を追い出すなり、殺すなりして組織を盤石なものにすると、表の仕事にも乗り出してきてな。この10年でジャンク業、鉱業、宝石卸と手広くやっているそうだ。

 裏も表もよく知っている男だ。そう言う奴のところには、自然と情報ってのが集まってくるもんだ」

「その男、危険じゃないのか?」

 

 フラストを見る蒼い瞳が久しぶりに、冷たい光を放つ。

 

「だから、こうしてアレクと二人で行く。もちろん、銃もな」

 

 フラストは懐から、一見すると無線機にしか見えない変装拳銃を取り出した。

 

「じゃあ、銃は多い方がいいだろう。私も行こうか?」

 

 そのセリフに、

 

(ナイス、マリィ!!)

 

 ユーリアが『親指を立てたような』目線を送る。

 

「そうだなぁ・・・」

 

 後頭部で手を組み、わずかにフラストは考えたが、やがて、

 

「それじゃ頼むか」

 

 言いつつ、ブリッジ後ろのロッカーから別の変装銃を探す。

 

「じゃぁ、わたしも・・・」

 

 ユーリアの言葉に間髪を入れず、フラストが振り返る。

 

「お前はダメ」

「なんでよ!?」

「お前、銃撃つのも、ガチンコの殴り合いもできないだろ?」

 

 ユーリアは顔を赤くし、頬を膨らませる。彼女はまだ諦めていなかった。

 

「男2人と女の子1人の組み合わせなんて絶対おかしいよー」

「いや、別に私は何とも・・・」

 

 と、言いかけるマリアの言葉を『お前、空気読め』的なユーリアの視線が遮った。マリアは確かにそこからにじみ出る『黒い何か』を見て、思わず視線を逸らした。

 いつの間にブリッジに上がったものか、ベイリーがマリアの肩をポン、と軽く叩き首を横に振った。何かを諦めた男の顔だった。

 

「大体、その飲茶のお店どこにあるのよ。ダウンタウンなんでしょ?」

「ああ。男人街(ナンヤンガイ)っていう、・・・」

 

 そこまで言いかけて、フラストは『しまった』という顔をする。アレクのようにポーカーフェイスで済ませば、何事もなかったのだが。

 

「男人街って、あんたそこ色街なんじゃないの?」

 

 軽いジャブの応酬のつもりが、強烈なカウンターストレートの一撃を喰らう。狼狽したフラストは、ユーリアの攻撃に無防備となった。

 ユーリアの目尻がキリキリと上がり、険しくなった。

 

「マリィの兄貴面して、そんなとこにこの娘を連れてくつもりなの!?しかも、男2人で!!

 へーぇ、そうなのーぉ。さぞかし、変わったお客向けの『お楽しみ』なお店がたくさんあるんでしょうねぇ。

 軽蔑するわっ!!」

 

 2撃、3撃目が的確にボディに打ち込まれるかのような、ユーリアの激しい責め句に、当人はおろかアレクもマリアもおろおろとする。

 

(なんとかしなくては。私が原因のようだし・・・)

 

 実はそうではないのに、勝手に責任を感じたマリアが口を開く。

 

「あ、あの・・・。それなら私は船で待ってい・・・」

 

 今度、ユーリアがマリアに向けた視線は、先ほどの『空気読め』的なものに加えて、相手を刺すような、いや、それ以上の何か突き抉るような残酷さを秘めており、マリアのニュータイプ能力はビリビリとそれを感じ取った。

 

(す、すごいプレッシャーだ・・・。これ以上何も言わない方がいい)

 

 ハマーン・カーンの一瞥を受けたような気分になったマリアは、沈黙を押し通すことを誓った。

 フラストはもはや、反撃の機会も失っていたが、そんな彼の肩を叩く者がいる。

 

「あ!ベイリーさん。なんとかして下さ、・・・」

 

 味方を得たり、とばかりにフラストは抗議の口を開きかけるが、ベイリーはそんなフラストの肩をぐっ、と掴み先んじて制した。

 そして、静かな口調で語る。

 

「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか?いや、できまい!!

 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い悩むな」

「ベ、ベイリーさん、あんた・・・・・・」

 

 フラストは苦渋の視線を彼に送る。

 

(あんた、なに言ってんだよ!?わけ分かんないよ!!)

 

 フラストの心の叫びは、マリアにだけ『聞こえた』。

 ベイリーは一つ大きく頷くと、茫然自失となったフラストを残して、悠然と去っていった。

 『やるだけのことをやった』という、満足そうな男の背中だった。

 

「ねぇ、フラスト。わたしも一緒に行けば、2組のカップルに見えるから周りから怪しまれないよぉ。そうしようよっ♪」

 

 うって変わって、猫なで声となったユーリアがすべての反撃手段を喪失したフラストに、トドメを刺した。

 

 

 

 タイガーバウム。そこは旧世紀の香港をモデルにした観光コロニーである。

 

「なんか雰囲気出てきたね」

 

 ユーリアが大通りに面した、巨大な、ーMSの膝の高さほどもある中華風の赤門を見上げくぐりながら言う。

 それは男人街の端にそびえるランドマークであり、そこからその通りの始まりを意味していた。

 4人の内、ユーリアに並んで歩くマリアは彼女ほど状況を楽しんでいる様子はなく、アレクから借りたサングラスごしの周囲に油断なく、視線を送っていた。

 彼女を追おうという組織は、下火になったとはいえニュータイプ研究所を擁する地球連邦軍、敵対するイリア・パゾムの【木星ジオン】、いまや社の貸与物である《キュベレイ》を勝手に持出し遁走したブッホ社および木星船団、少数派になったとはいえアクシズ残党の流れを汲む旧ネオ・ジオン強硬派、と挙げれば枚挙にいとまがない。

 そのため、マリアは特徴的な栗毛をパーカーのフードの中に、蒼い瞳を丸レンズのサングラスの下に隠した。

 念のためジーパンも、だぼっ、とした雰囲気のワイドを穿き体の線を出さないようにした。

 コロニー時間が早いこともあり、通りに居並ぶ屋台は料理や現地住民向けの食材を扱っているものが多かった。

 時間が遅くなれば、屋台は入れ替わり、観光客向けの怪しげなナイトマーケットに変貌する。

 薄汚れた恰好の男たちが、これまた薄汚れた粥屋にハエのようにたかり、一心にその椀から口へとレンゲを運んでいた。

 その横を、蒸篭を満載にしたワゴンを転がした中年女性が、北京語だか広東語だか分からないが、声を張り上げながら点心を売り歩いている。

 また、別の店先では上半身裸の男が汗だくになりながら、大きな肉の塊を焼いては返し、怪しげな壺からこれまた怪しげな『秘伝のタレ』をつけては焼いていた。

 それらが混然一体となり、マリアの五感を刺激し、昔の記憶を呼び起こさせた。

 

(木星のコロニーに似ているな)

 

 芳しい料理と生の食材の匂いと人間の体臭が混じり合う通り。あふれる生活感、生きる躍動がそこにはあった。

 

(あの頃が私にとっては一番平和なころだったな)

 

 ジュドー、ルー、キアーラ、そしてマリアの4人で駆け抜けたアーケードの街並みが懐かしく思えた。

 

(パラオってどんなとこ、なんだろう・・・)

 

 遠い目をしたマリアはぼんやりと取り留めもないことを考えつつ、しかし、歩みは止めなかった。

 目指す飲茶の店、帝園酒家(ロイヤル・パレス)は大通りから100mほど入った角地にあった。

 店構えは特に立派でも貧相でもなく、『中の下』といった趣きだった。店内は八人がけの大きな円卓が1つ、四人がけの小ぶりなものが4つ有り、決して広くないこじんまりとした様子だった。

 天井からは豪華なシャンデリアではなく、大きな天井扇(シーリングファン)が数個、さらに後から付けられたのだろう、柱の扇風機がこの店の歴史を感じさせていた。

 気だるそうな音を立てながら回頭するそれは店の空気を撹拌していた。

 

「いらっしゃい。好きなテーブルにどうぞ」

 

 入店した4人を長袖の清楚なチャイナドレスに身を包んだ女性が、営業スマイルで答えた。

 入り口から一番遠く、壁際の四人がけの席につくと、ユーリアが卓に置かれた細長いカード形状のメニューを手にする。

 

「なにこれ?漢字ばっかりで全然分かんないじゃん。画像ないの?」

「ここはな、常連や地元民向けの店なんだよ」

 

 そう言って、フラストは少し離れた卓で、食事をする若夫婦と5歳くらいの幼児の方を顎でしゃくった。

 いかにも、近所から子連れで来てます、という雰囲気だ。

 時間が混雑時前ということもあり、客はフラストらの他にはその家族連れしかいなかった。

 

「わたし、麻婆豆腐食べたい」

「アホか。本格飲茶に麻婆豆腐があるか。あれは四川料理。飲茶は広東なの」

 

 ユーリアの言葉を受け、フラストは顔に似合わぬウンチクを披露する。

 

「うーん。じゃぁ、棒棒鶏(バンバンジー)

「だから、それも四川だよ」

 

 眉根にシワを寄せながら、フラストが手を上げて、給仕を呼ぶ。先ほどのチャイナドレスがやってきた。

 

「あ、フラスト!まだ決まってないよ」

「俺は別用だよ。アレク、こいつらに何かテキトーに食わしといてくれや」

 

 『任せろ』とばかりにアレクがサングラスを指で押し上げる。

 

「お決まり?」

「いや、俺は『リバコーナ貨物』のギルボアってモンだが、ここに特別な北京ダックがあるって聞いてね」

 

 さらっと偽名を語るフラストにチャイナドレスのピッグテールの髪が揺れ、表情が消えた。

 

「あいにく、うちのお店は本格飲茶で広東料理しか出してないんですよ」

「そうかい?カラスの肉よりマシなら文句はないんだがね」

 

 言い返すフラストの目が針のように細くなった。

 

「ちょっと料理人に聞いてみますね」

 

 チャイナドレスはそう言って、厨房の方へと消えていった。

 そんなやりとりを完全に無視して、ユーリアは漢字だらけのカードをにらみ、

 

「これじゃ、分かんないよー。フラストのオススメとかないの?」

 

 口を尖らせた。

 

「お前まだ迷ってたのか。アレクに任せりゃ問題ないって」

 

 そのセリフに『むー』とユーリアは頬を膨らませ、アレクは大きな胸をますます逸らせるが、

 

「まぁ、定番だけど、挙げるとするなら、叉焼包(チャーシューパオ)焼売(シューマイ)だな。もっとも、焼売は各店ごとに入れる具材もエビだの、カニだの工夫されてて、一口には言えんがな。叉焼包はまぁ、しいていうならジャパンの肉まんみたいなもんだ。同じ豚でも味は全然違うが」

「フラストはこの店に来たことあるのか?」

 

 彼の博識ぶりに少し驚きマリアが聞く。

 

「いや、ない。しかし、屋台飯は安いからよく食った。

 タイガーバウムにはガキの頃に親と来たがな。当時はもっと汚くてごみごみしてた。やっぱり、上の統治者がダメだと、腐敗は末端まで伝わってくるんだな。

 トムラも言ってたが、少しずつ街はよくなってるみたいだが・・・。

 おっ?」

 

 見れば、チャイナドレスがこちらへ向かってくるところだった。

 

「お待たせ。厨房の奥を探したら、何とか一つあったから、お一人様だけ来てくれる?」

 

 フラストが立ち上がり、意味深な視線をマリアとアレクに送る。マリアが小さく頷き、アレクはまたサングラスを押し上げた。

 そのままフラストは案内され、衝立で隠されていた奥の部屋へと消えていった。

 マリアは油断なく周囲に目を走らせ、出入り口がよく見張れるフラストの席に移り、アレクはフラストが消えた部屋の前の衝立を睨んだ。

 

「もー、はやく注文しよーよー!」

 

 

 照明が落とされた薄暗い部屋に入った途端に、

 

『もー、はやく注文しよーよー!』

 

 スピーカーから小さく漏れるユーリアの声が聞こえる。

 左手の壁際には、10台ほどのモニターが並べられ、店内の様子が映し出されていた。

 

『フラストがいない内にたくさん注文しちゃおうよー』

 

 その声は部屋の中央に置かれた卓、その上の小型スピーカーから流れていた。

 そして、その卓の前に腰かける人物が、モニターに向けていた顔と体をフラストに向ける。

 照明のない室内で、その男の右顔面だけがモニターの照り返しを受け、不気味に白くその肌を浮かび上がらせていた。

 若い男だった。20代半ばと聞いていたが、いたずらそうな顔は彼を10歳は若く見させていた。

 

「ルナン、だな」

「そういうあんたはギルボアさんじゃないようだな。俺には幽霊を見る能力はないからな」

(なるほど、こいつできるみたいだな)

 

 フラストは目を細めて、眼前の若造を睨む。

 ノーネクタイだが細身のスーツに身を包んだその姿は、青年実業家と言われれば納得できそうな風貌であったが、左腕は暗闇の中にだらりと下げ、右手は笑みを隠すように口元に当てられていた。

 人に上辺だけを覗かせ、本性を見せないような仕草、あるいは服装も含めて、フラストは気に入らなかった。

 

「ネオ・ジオンに所属している、フラストってモンだ。お互い握手するような仲でもないから控えさせてもらうぜ」

 

 フラストは言いつつ、ルナンと卓を挟んで椅子に腰かける。

 

「しかし、若いのにやるねぇ。ジャンク屋に鉱山に宝石屋までとはね。相当、『幸運』に恵まれたのかい?」

 

 ことさら、『幸運』というところを強調して言う。

 

「いや、『幸運』に恵まれていたのは、スタンパの奴でね。無能者のくせによくもまぁ、ここまで組織をでかくできたと思うよ。

 俺はあいつが死んだ後、組織をかっさらうだけですんだ。余計な血も『それほど』流す必要なかったしな」

「なるほど」

 

 『それほど』というのがどの程度なのか、量りかねるルナンの口調であった。

 くっくっ、とルナンが含み笑いを漏らしながら言う。

 

「しかし、あんたらネオ・ジオンはつくづく商売には向かないと思うね」

「ほぅ、なぜだ?」

「シャアって奴は少しは切れ者だとおもったんだけど。くだらないアクシズなんて石ころを買うために、相当の金塊を連邦に渡したそうじゃないか?

 おまけに、その岩石落としはどうなった?完全な失敗。資金の回収なんて一文も出来やしない。

 もっとも、あれは成功したって地球滅亡っていうとんでもない負債を抱え込むだけだったから、むしろ良かったのかもしれないな」

「確かに俺たちは普通の商売には向いてねぇ。だから、軍隊なんてヤクザな商売やってる」

「それは開き直りかい?」

「いや違うね。自嘲だよ」

「なるほど。不器用だね。まぁ、分かるよ。『上が腐敗してれば、下も腐敗している』のと同じように、『上が不器用なら、下も不器用』だね」

 

 ルナンは先ほど、マリアたちに向けたフラストの発言も盗聴していたものらしい。

 

「ミネバお姫様は育ちがいいね」

「どういう意味だ?」

「その通りだよ。彼女は水よりも高い空気税を払ったこともないし、工業廃液に汚染された『毒』と呼ばれる野菜も食べたことがないんだろう?

 不器用の上に世間知らず。

 だから、あんなに簡単に切り札とも言える『ラプラスの箱』を暴露するという、カードを切れるのさ。

 フラスト、あんた知ってるかい?昔、地球連邦政府はサイド3に結構な額の助成金を払っていたらしいんだ」

「地球からもっとも遠く、利便性が悪い。あとは、棄民政策として宇宙に追い出した良心の呵責って奴も、ちったぁあったのかも知れねぇな。

 それを金で埋め合わせようとした」

「そうさ。

 だけど、続くジオンの独立宣言とザビ家の独裁。当然、助成金どころか、経済封鎖までされる始末さ。

 そして、あとは坂を転がる岩のように戦争ばっかりだ」

「なにが言いたい?話が見えないぞ」

「まぁ、そう焦るなよ。話はここからが肝心なんだ。

 俺は別に『ラプラスの箱』って奴の中身なんて物に興味があったわけじゃない。

 だけどな、アレをうまく使えば、連邦政府から昔の助成金並の額を引き出すことはできただろう?違うか?」

「いや、違わん。まったくその通りだ」

「だから、俺はあんたらネオ・ジオンのことを『不器用』だって言ってるんだ」

「なるほど。よく分かった。

 だが、聞かせてくれ。その連邦政府の助成金って奴は一体どこから来るんだ?」

「・・・ふふふ。あんた賢いな。

 そうさ。連邦の資金は結局、各サイドから巻き上げた税金さ。

 コロニー建造・維持税、戦争復興特別税、地球保全協力税、宇宙港利用税、航宙路整備・開発税、水資源税、空気税、・・・。

 挙げれば、きりないさ。

 つまりは、強者が弱者から巻き上げた金で肥え太り、俺たちサイド3もその恩恵にあずかりたかった、ってことだ。他のサイドの連中が重税に喘ごうが関係ない」

「さすが、青年実業家は言うことが違うな」

「だけどな、フラスト。俺たちはその恩恵にあずかる権利があるんだ」

 

 そこで、ルナンはモニターに目を移した。

 お茶と料理を待ちわび、談笑する娘の姿があった。

 

「かわいいな」

 

 ユーリアは時間が無い中で、急いで用意をしてきたのだろう、髪を下ろしただけでも、大分雰囲気が変わっていた。

 

「昔はこの男人街(ナンヤンガイ)も風紀が悪かった。

 だが俺が仕切ってからは、ナイトマーケットにあのぐらいの年頃の娘が一人で遊んでいても、滅多に事件にはならない。

 仮になっても行きずりの馬鹿の仕業だし、その野郎を見つけたら俺の手下がきっちりクンロクを入れる。

 けどな、大通りの向こうの女人街(ノイヤンガイ)じゃ、今でも公然とこんな娘がさらわれたりしてるんだ。

 もっと幼い子供が誘拐されるなんてことは日常茶飯事だ。こんなコロニー、地球圏では早々お目にかかれない。

 フラスト。あんた、向こうの女人街に行ったことあるかい?」

「実は今回、行こうと思ってたんだがね・・・」

 

 フラストは後頭部を掻いて、片目を閉じた。

 

「邪魔が入って、諦めてたところだ」

「ぜひ、見ておいた方がいい。良い人生経験になるぜ」

 

 ルナンが氷の口調で言った。

 

「俺は不幸自慢なんてする奴は大嫌いだ。俺は実力でこのタイガーバウムをここまで変えていったんだからな。

 だが、そんな俺でもネオ・ジオンだとかザビ家の末裔とか語ってるトップの奴が、あんな馬鹿な捨て牌をされると恨み言の一つも言いたくなるのさ。

 お姫さんが『可能性という名の神を信じて』とか、言ったな?『可能性』じゃストリートチルドレンの腹は膨れないし、苦界に沈められた娘は二度と現世には戻ってこれないのさ。

 そこには強い力が必要だ。金でも暴力でも。

 あんたが一番よく分かっているだろ?プルトゥエルブを救ったんだから」

 

 ルナンはフラストの目を見た後、視線を外し、モニターに映るマリア・アーシタ、ーそのオレンジがかった栗毛ーを見た。

 

「ひとつ聞かせてくれないか?」

 

フラストが尋ねる。

 

「わざわざ、この見張り部屋の仕組みを見せてくれたってことは、俺のことを信用してくれたってことかい?」

「そいつはどうかな?この後、あんたを海に沈めちまえば秘密は他人には漏れないからね。

 このコロニーの下水処理も大分改善した。それで内海にエビが住みだしたらしくてね。

 人間の水死体なんて、あっという間に喰ってくれるんだってよ」

「おい、コラ。調子にのんな、チンピラ。俺が帰らなきゃ、仲間のモビルスーツがこのコロニーをぶっ壊しちまうだろうが」

 

 睨み合うルナンとフラストの視線が激突し、火花を散らした。

 やがて。

 

「は、はは・・・」

 

 先に視線を伏せ、含み笑いを漏らしたのはルナンだった。

 

「負けたよ。冗談だ」

 

 左手を上げ、指を鳴らすと天井の照明が付き、気が付かなかったが部屋の端に置かれていた観葉植物の影から男が出てきた。

 スリング付きの短機関銃を腰だめに持っている。

 

「茶を持ってきてくれ。寿眉茶(サウメイチャ)でいいか?」

「なんでもいい」

 

 投げやりにフラストが答える。一礼し、短機関銃の男が下がる。

 

「なあ、フラストさん。いい加減、卓の下の変わった形の拳銃をしまってくれないか?」

 

 ルナンはフラストを『さん』付けで呼ぶようにしたようだ。

 

「全部お見通しかよ」

 

 フラストは額の汗を拭って無線機型の変装拳銃を懐に納めた。

 

「まぁ、軽くご挨拶も済んだところで、そろそろ仕事の話をさせてくれないかい?大物フィクサーさん」

「フィクサーと来たか。また大げさな」

 

 しかし、当のルナンはまんざらでもなさそうに苦笑した。

 

「うちで預かってるマリアな。あいつの上司、・・・正確には元上司か。ブッホ・セキュリティ・サービスのカール・アスベルについて聞きたい」

「なるほどな。正攻法で上に順を追って、探っていくか」

「なんか、不満そうだな」

「いや、不満じゃなくて意外なんだよ。『兵は拙速を尊ぶ』って言うだろ?フラストさん、あんた激情型かと思ったけど、意外と理知的な人だな」

「お褒めの言葉ありがとよ」

「いや、けなしてんのさ。それじゃ、この事件には到底追いつけないぜ」

 

 持ち上げて、落っことされたような感じになり、フラストは渋い顔つきになった。

 

「それじゃ、逆に聞くが。お前さんはどの辺まで『当たり』をつけてんだい?」

「《ジュピトリス》の補給責任者、ー連中は補給長と呼んでるらしいが」

 

 そこで、先ほどのチャイナドレスの給仕が現れ、二人にポットと湯飲み、そして、洗杯(サイプイ)という独特の飲茶の儀式的な所作をするための大きめの丼を置き去っていった。

 ルナンは二つの湯飲みに茶を注ぐと、内側をすすぐように湯飲みを回し一杯目を丼の中へ空ける。二杯目を入れ、湯飲みのひとつをフラストに手渡す。

 

「今日は少し苦味が強い気がするな」

 

 一口して、ルナンが眉根にシワを寄せる。

 

「それで、その補給長がどうしたって?」

「ここに来たよ、10日前」

 

 口元へ湯飲みを運んでいたフラストの手が止まる。

 

「『ここ』ってのは、このコロニーに来たって意味か、それとも・・・」

「いや、この店まで来たのさ。リン、とか名乗ってたか。中年のおばさんだ。たぶん華人だろう」

「それで?」

「マリア・アーシタが現れたら、捕まえてくれって依頼してきた。手段は問わないとも言ってた」

 

 湯飲みを持ったまま、フラストはルナンを見続けた。一方のルナンは委細構わず、という感じでゆったりと茶をたしなんでいた。

 

「それで、引き受けたのか?」

「引き受けてたら、今頃あんたは短機関銃で穴だらけさ。それに見なよ」

 

 ルナンは湯飲みを一旦置き、右手の立てた親指でモニターを指し示した。旨そうにユーリアが叉焼包を頬張っていた。

 

「中に睡眠薬入れておくって」

「そうだな。・・・そのリンって奴のこと、もう少し詳しく教えてくれ」

「実は全然分からないんだ」

 

 ルナンが手を後頭部で組み、天を仰ぐ形になった。

 

「先方には引き受けたように返事したんだが、その実、すぐにリンのことを調べ始めた」

 

 フラストに向き直った、ルナンの顔は渋い。別に茶が出過ぎていたわけではない。

 

「何も出てこない?」

「気持ち悪いぐらいね。木星船団内記録、サイドの住民登録、医療機関への診療状況、入管記録、全部真っ白だ」

「真っ白?どういうことだ?」

「だから、その通りさ。全然ゼロ。何もデータが無いのさ。

 そもそもあのリンっておばさんは存在するかも分からない亡霊みたいなんだよ」

 

 




あとがき

 いつも駄文拙文を読んで頂きありがとうございます。
 また、いきなり、モブってた人の名前が出てきて、皆さん付いて来れるでしょうか?いや、そんなわけはない!
 リン補給長は、第5話『ミネバの影』に出てきた、マリア(=プルツー)曰くの『さかしい!』オバサンです。

 はい、次回もだるい話が続きます。



閑話休題

 『ガンダムが教えてくれたこと』(著・鈴木博毅)を読みました。
 一年戦争を題材にしたビジネス参考書(?)ですが、文中、

『人は一人では生きていけない。周囲の必要な仲間を大切にすることで、彼らもあなたを大切にしてくれる』

 とあります。マリアもダイニ・ガランシェールのクルーと互いに仲間と認識し合えるような関係になれたらいいなと思っています。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飲茶攻略戦

 そこでフラストとルナンは軽く食事を取り、仕事の話はしばしお預けとなった。

 

「フラストさん、叉焼酥(チャーシューソ)(※中華風ミートパイ)だけでいいのかい?ここの排骨(パイクワ)(※骨付き豚肉)も絶品だよ」

「いや結構」

「あんたぐらいおごらせてくれよ。向こうのお連れさんはちょっと勘弁だけど」

 

 と言って、ルナンはモニターを指し示した。

 マリアたちの円卓は豪華絢爛ともいうべき、数々の料理が所狭しと並べられていた。

 

「あいつら・・・」

 

 思わず、呻くフラストの口の端からパイ生地のカスがこぼれ落ちた。

 

 

「そういえば、《ジュピトリス》のクルーがこのタイガーバウムにいるってことはあの船も入港しているのか?」

 

 食後の茶をすすりながら言うフラストの言葉に、ルナンは呆れ顔となった。

 

「あのなぁ、・・・全長2kmの馬鹿長い船が、コロニーの港に入るかよ」

「あ・・・」

 

 肝心なことを忘れていて、フラストは苦笑いの口元を湯飲みで隠した。

 

「だが、今のはハーフ・コレクトってとこだな。近くには来ている。うちのジャンク回収をやらしてる奴等が、ここからそう遠くないデブリ帯の端でそれらしい艦影を見たそうだ。

 しかも、そのでかい船は今日で丸1週間もそこに留まっているそうだ。リンが来たのが10日前だから、実際にはもっと前からいたのかもしれん」

「デブリ帯の端ってのが、いやらしいな」

「ああ。もしも隠れるなら、中に隠れたいんだろうが、あの図体だ。どだい無理な話だ」

 

 会話を止め、ルナンは空けた湯飲みに新たな茶を注いだ。

 

「フラストさん、おかわりは?」

「いや結構。それより」

 

 フラストは自分の湯飲みを卓に戻しつつ続けた。

 

「無駄になるかも知れないが、カール・アスベルのこと一応調べといてくれ」

「わかった」

「結果はメールで『リバコーナ貨物』のギルボア・サントのアドレス宛てに送ってくれ。

 パスワードは『ウサギのソテー』で頼む」

「旨いのか、それ?」

 

 からかうように、ルナンが尋ねた。

 ふっ、と顔を逸らしたフラストに、モニターに映るマリアが目に入った。彼女は皿からはみ出そうなほど巨大な肉団子を前にして、目を白黒させ戸惑っている様子だった。

 

「ここの山竹牛肉球(サンジュッガウヨッカウ)には負けるよ。さて・・・」

 

 膝を叩いたフラストは立ち上がり、少し迷うような顔つきになったが、思い切って訊いた。

 

「最後にいいか?」

「なんだ?俺に答えられることなら・・・」

 

 一際真剣なフラストの表情が、ルナンの口調を尻すぼみのものにする。

 

「あんたはネオ・ジオンを嫌っているようだが、そのあんたがなぜここまでしてくれる?」

「そいつは誤解だ。俺が嫌っているのは、社会のシステム根本やこのコロニーのヒエラルキーそのものだ。

 もっとも、その中にネオ・ジオンの一部が含まれている、ということはあるがな」

「一部?つまり、そこに俺たちは含まれていないってことか?」

「・・・・・・」

 

 ルナンはそのフラストの問いかけには答えなかった。

 

「ルナン。あんたは金次第で、右でも左でも転ぶタイプだ。リンって奴から、それこそ結構な額の依頼金を提示されたんじゃないか?

 それでも、あんたは『俺たちの側』に立っていられるのか?」

「俺には果たさなきゃならない義理ってのがあるのさ」

 

 フラストは沈黙を守り、ただ目を細めて先を促した。

 

「あんたらの連れのマリア・アーシタ。あいつの義理の兄貴は俺たちの命の恩人だ。

 理由はそれで十分だろ?」

「わかった」

「フラストさん。だけどそのことを彼女には言わないでおいてくれ。こんなことを恩に着られても、こっちが困るんでね」

「ふっ。素直じゃないね」

「ヒネのあんたに言われたくないね」

 

 二人とも意味深な笑みを浮かべていた。

 いよいよ、出口に向かおうとするフラストは振り返り、しかし、立ち止まった。

 

「ヒネくれた俺にもう一つ答えてくれねーか?」

「しつこいな。なんだ?」

 

 少しイラついた口調でルナンが言う。

 

「あんたがただの守銭奴なら、まとまった金を手に入れた時点で、こんなコロニー見限って出て行ってるさ。

 だが、なぜ残っている?なにがそうさせるんだ?」

「はっはっはっ!なんだそんなことか。

 俺はこの店の飲茶が好きなんだよ。点心も旨いしな」

 

 声を立てて笑うルナンを見たフラストの顔は『ハトが豆鉄砲でも喰った』かのようなひょうきんなものだった。

 

「あんた、やっぱり『喰えない』男だよ、ルナン」

 

 

 

 フラストが去った部屋で独りルナンは冷めた茶を飲み干した。

 おもむろに、卓に伏せておいた写真立てを起こす。

 そこには10年前、スタンパ・ハロイの圧政で苦しむ生活の中で、微かな希望を信じて生きていた5人の少年少女たちが写し出されていた。

 その中で今も生きている者は、写真を手にするルナンただ一人しかいない。

 

(ヤン、アルビン、テラ、・・・それにミレアム)

 

 ルナンはそれぞれの顔を指でなぞり、想いを馳せる。

 ひとりは、路上屋台で食事をしているときに後ろから撃たれて死んだ。別のひとりは、歩道に乗り上げてきたトラックに轢かれて死んだ。3人目は、仲間を裏切った報復にルナン自身が手を下した。

 そして、最後の少女。彼女はある日、突然ルナンの前から姿を消し、3日後、・・・。

 

(もうやめだ)

 

 ルナンは嫌なことを振り払うかのように首を振った。汚い思い出はもう十分だった。

 せめて、彼女だけは綺麗な思い出を取り出そうと、ルナンは思う。

 ピッグテールの栗毛のミレアムを見ると、ルナンの胸中には昔の甘酸っぱい記憶が去来する。

 

(やっとここまで来た・・・)

 

 彼が組織に上り詰めるには、『それほど』の血を流す必要はなかった。

 だが、流した血は確実に古傷となって、彼の心の奥に残っていた。まるで、湯飲みの底にたまった茶葉のように。

 

(だが、まだまだだよ。俺は古いタイガーバウムをぶっ壊してやる。

 そして、お前たちみたいな子供が二度と泣かないようなコロニーにしてみせる)

 

 ルナンは写真立てを握る手の指先が、白くなるほどに力を込めた。

 

 

 

「お前ら、俺を破産させる気か?」

 

 マリアたちが食事する円卓に戻ると、その惨状にフラストは天を仰ぎたい気分になった。

 

「フラスト、すまん」

 

 アレクがサングラスを外し、象のような小さな目をますます小さくさせたようだった。

 『凶行』を止められなかった男の、後悔と懺悔の目だった。

 

「ユーリア、お前、どこにこんだけ詰め込められるんだ、・・・・・・?」

 

 と、言いかけたところでフラストは自分の間違いに気付いた。

 ユーリアはその細い体を、すっ、と伸ばし、口元に湯飲みを寄せ、化粧品にも似た濃厚な香りをたてる茉莉花茶(モウレイファチャ)(※ジャスミンテイー)を楽しんでいた。

 目を閉じ、すました表情の彼女の前には、確かに空の皿も蒸篭も多くなかった。

 しかし、隣に腰かける栗毛の前に置かれた蒸篭はうずたかく積まれ、立ったフラストの腰高に迫る勢いであり、さらにその『蒸篭塔』の横、大小様々な皿が重ね合わされた複合体は、押せば崩れる絶妙なバランスを保つ不気味なオブジェと化していた。

 見れば、マリアはまるで悪戯を見つけられた少女のように顔を赤くし、はにかんで俯いていた。

 目は小動物のようにあちこちを泳ぎ、握った両手はきちんと並べた両膝の上に並べられていた。

 それは演技の匂いのない自然な表情と仕草だった。

 

(小食じゃないのかよ。まったく、こいつはマリーダとは大違いだな)

 

 苦笑しながら、しかし、フラストは思う。マリーダ・クルスがこんな表情をできただろうか、と。

 

(いや、あいつだって・・・)

 

 

『お父さん・・・わがままを・・・許してくれますか?』

 

 

 2年前、死ぬ前に聞いた彼女の言葉をフラストは思い出した。

 きっと彼女もマリアと同じように、共依存とマスターというくびきを自ら断ち切ることができたのだ。

 

(あいつだって、もし生きていれば・・・)

 

「フラスト?」

 

 気付けば、少し考え込んだ顔付きをしていたフラストを気遣うように、マリアが上目遣いで見上げていた。

 

(哀しき幻影・・・、かな。俺も年取ったな)

 

 鼻が、つん、としてきたフラストは指でそれを擦り、誤魔化すようにそのままの動作で財布を取り出した。

 

「最近、過食症にでもなったのか、おっ?」

 

 引きつった笑いを頬に貼り付けながら、フラストが言う。

 

「え、えぇと、なんかここのところ異常食欲で、・・・この程度の量なら赤子も同然だね」

 

 マリアは目をフラストから逸らしながら、右手の人差し指はひたすらにくるくると栗毛の横髪を巻きつけていた。

 

「お前自分で何言ってるか分かってないだろ・・・。

 まぁいい。こき使ってやるから、覚悟しろよ」

「ああ・・・」

 

 何事か察したらしい、マリアはばつが悪そうに俯いたが、次には口を、きっ、と一文字に引き結び顔を上げた。

 

「私、洗濯頑張るよっ!」

「「「それはやめろ!!!」」」

 

 期せずして、フラスト、ユーリア、そして無口なアレク、3人の声が重なり、一同は笑いの渦に包まれた。

 

 

 

 そのころ、港の《ダイニ・ガランシェール》では。

 割り当てられたベッドでアンジェロは身の回りのものを整理し、必要なものだけズタ袋に入れていた。

 といっても、元々身一つでこの船に乗り込んだため、入るものもたかが知れている。

 この場は多人数用の大部屋だったが、今はコロニーに下船した者もおり、アンジェロ一人だけであった。

 準備は簡単に済み、アンジェロはズタ袋を肩に担いで立ち上がった。

 やけにスペースの多いそれは無重力下ということも相まって軽かったが、それに反して彼の気持ちは重かった。

 すでに、アンジェロは《ダイニ・ガランシェール》をここタイガーバウムで降り、いずこかに向かおうと決意していた。

 パラオに行くつもりはない。

 それはフラストらネオ・ジオンから逃れるためではない。

 マリアから離れるためである。

 

(彼女にもうこれ以上・・・)

 

 廊下を泳ぎながら、アンジェロの眉根には深くシワが刻まれていた。

 彼女と肉体と精神を重ねた今、アンジェロははっきりと感じていた。

 

(マリアは、・・・私の心を癒そうとしている)

 

 彼女は単に自分の寂しさを紛らわしてほしいだけでも、傷の舐め合いをしようというのでもなく、はっきりと自分の心身をアンジェロのためにさし出そうとしていた。

 それがアンジェロにはたまらなく辛かった。

 

(落ちてゆくのは、汚れていくのは、・・・私だけで十分だ。

 きっと彼女は私と肌を合わせる度に、私の哀しみ、寂しさ、孤独を感じ取るだろう。

 そんなことをマリアに、・・・私は強いれない)

 

 肉を合わせた瞬間に、マリアの体の下から入り込んだアンジェロの負の記憶が、彼女を悶えさせた、胸を締め付けさせた。

 その行為の最中にマリアの小さな眉根に刻まれたシワ、そして、彼女の気持ちがアンジェロの心にも相互に入り込み辛かった。

 かつて、アンジェロの心の中に無遠慮に入ってきた少年がいた。腹立たしかった。恥ずかしかった。

 

『人は分かり合えるんだ!』

 

 勝手に自分の価値観を押し付けてきながら、その少年とアンジェロでは背負ってきた人生の(おり)が全く違っていた。

 違いすぎる。分かり合えるはずがなかった。

 しかし、『人間兵器』という数奇な生を受け、なお幸せを目前までちらつかされながらそれを取り上げられた少女プルツー、そして空虚になってしまったマリアに、

 

(寂しさを埋めてあげたい。あなたを支えたい)

 

 と思われたとき、アンジェロはうれしかった。

 そして、同時に哀しくもあり、恐れを抱いた。

 

(この娘にこれ以上、寂しさを共有させたくない。

 私はもうこれ以上、大切な人を失いたくない)

 

 フル・フロンタルの顔貌がアンジェロの脳裏をよぎる。

 今思い返せば、その関係に愛は無かったのかもしれない。

 しかし、一方的であったにせよ、アンジェロがフロンタルに対して強い想いを抱いていたのは確かである。

 マリアの想いとアンジェロの想い。強い二つが重なる今、大きな誤解とわだかまりが生じていた。

 

 

 

 飲茶店・帝園酒家を出た後、フラストら一行は大通りに戻るように歩いていた。

 

「ねーねー、デザートも食べたいなー」

 

 ユーリアの甘える声がフラストにかかる。

 

「あのなぁ、俺は尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねぇの」

 

 ふてくされたようにズボンのポケットに両手を突っ込んで歩くフラストに、フードの内、サングラスの下でマリアは申し訳なさそうな顔をする。

 

「大体、お前あの店で食べなかったの?杏仁豆腐とかマンゴープリンとか」

「ちょっと、思い出しちゃったじゃない。フラストが急にお会計済ませるから、食べれなかったんだよぉ。

 マリィ、何食べよっか?」

「えぇぇ・・・そんなこと言われても・・・」

 

 尻すぼみに声が小さくなるマリアである。

 

「そもそも、スポンサーは誰なんだ、スポンサーは?」

 

 飽きれたように、フラストが言う。

 

「アレクさぁぁん♪」

 

 アレクはその大きな太い腕がユーリアに寄りかかられ、柄にもなく顔を赤らめた。

 

「や、屋台ぐらいなら・・・」

「やったー!マリィ、アレクさんがおごってくれるってー。何か甘いもの食べよー。何がいい?」

 

 マリアがアレクを気遣うように巨躯を見上げると、彼は口を閉じた貝にし、腹を決めたように頷いた。

 

「やっぱりここは中華の伝統スイーツかなぁ。タピオカもいいなぁ。それとも、・・・」

 

 ユーリアが通りに居並ぶ屋台に目移りしながら、つぶやく。マリアも釣られて彼女に倣うが、店の多さに決められない。

 小豆をトッピングした牛乳プリン、ココナッツミルクと小豆が入ったドリンク、蜜やシロップをかけまわした豆腐花、色とりどりのカキ氷。

 正直なところ、

 

(全部食べたい!)

 

 とも思うが、さすがにそれほどのスペースはマリアの胃袋にもなく、また先ほどの飲茶店でやらかした失態を思い返すと、自重せざるを得ない。

 店と人の酔狂なさざめきに少し酔ったようなマリアは、ふと、コロニーの『ソラ』を見上げてみる。

 

(アンジェロもいれば良かったのに・・・)

 

「ねー、マリィー」

 

 気が付けば、マリアはユーリアたちから少し離れてところに立ち止まっていた。

 だから、その少し寂しげな表情はユーリアたちには気が付かれなかった。

 見れば、フラストは

 

(早くしてくれよ)

 

 という表情をしていた。

 その時、彼の頭上、雑居ビルの屋上に設置された球形の給水タンクがマリアの瞳に映った。

 その丸い形がある食べ物を彼女に連想させた。

 

「ユーリア、いいかな?」

「何かおいしそうなのあった?」

 

 上目遣いで再度その丸いタンクを見やったマリアは、視線を戻しながらたどたどしい口調で言った。

 

「アイスクリーム、・・・・・・かな」

 

 

 

 しかし、ただのアイスクリームでは面白くなかろうと4人は、ー最も張り切っていたのはユーリアであるが、-伝統と新しさが調和したフュージョン系スイーツ屋台を訪れた。

 フラストはシンプルにバニラアイスがのった豆腐花を、意外とユーリアも早く注文が決まり、キウイアイスのバナナと白玉添えをパクついていた。

 彼女の幸せそうな顔を眺めながら、

 

(なんでこう、女って甘いもの好きなんだろうねぇ)

 

 フラストがスイーツ屋台の方へ目を移すと、慎重な足取りでこちらの卓へ近付くマリアの姿を捉え思わず、ぎょっ、となった。

 正確には彼女が持つパフェにである。

 ゴトッ、と重量感をたたえながら、マリアがそれを折畳み卓の上に載せる。路上に置かれた屋台客用の粗末な卓は重さに揺れ、一心にパクついていたユーリアもそのパフェに気付き、次の瞬間唖然とする。

 巨大なガラス容器の最下層には中華伝統の涼粉ゼリーとマンゴーフルーツが黒とオレンジの鮮やかなコントラストを演出し、その上ではチョコレートとストロベリーのアイスクリームがさながら惑星の激突する様子を再現していた。

 隙間を作ってなるものかと空いたスペースには白玉とココナッツミルクが、さらには、トドメとばかりに頂上に生クリームが盛られスティックチョコが突き刺さったそれは、もはや何と表現してよいのか分からない正体不明のパフェであった。

 その手のスイーツに弱いフラストは、見ただけで吐き気を催す凄まじい破壊力であった。

 マリアの横にいる亀ゼリーを手にしたアレクも『同感』といった顔をしていた。

 

「おまえなぁ、・・・」

 

 フラストは中々、その先の二の句が継げなかったが、

 

「この後《キュベレイ》に乗るようなことになったら、ヘルメット被らない方がいいぞ。

 溺れ死ぬぞ!」

 

 ユーリアがその言葉でようやく復活し、クスリ、と笑った。

 

「あと、コクピットの掃除をトムラたちにやらせるなよ」

「大丈夫だよっ」

 

 スプーンをブラブラとマリアの方へ指し向けるフラストに、マリアは赤面しながらも少し憤慨した口調となった。

 気を取り直して、マリアはスプーンを手にしストロベリーのアイスをすくって口にすると、幸せそうな顔をユーリアと合わせて頷いた。

 一方の野郎2人は眉を『ハ』の字にし、うんざりした顔をしていた。

 

 

 

 さすがに、点心を食べ過ぎたマリアはスプーンを口に運ぶペースが落ちた。

 しかしそれでも、いやむしろ遅くなったからこそ、その一口一口をまるで人生の喜びをかみ締めるように咀嚼していた。

 3分の2ほど平らげたマリアは、今はほろ苦い涼粉とマンゴーとココナッツの濃厚な香りと甘みの絶妙なハーモニーを楽しんでいた。

 

(なんだか本当にこのところ食べてばっかりだ・・・)

 

 2、3日前からマリアの食欲は『吸引力が変わらない掃除機』と形容してもいいほどの超絶ぶりだった。

 自身でもその原因はよく分かってなかったが、今まででもかなり安定した精神状態にある彼女は、あまり深くそのことを考えずにいた。

 先に食べ終わったフラストたち3人はちょうど食器を屋台に戻しに行き、そのまま

 

「通りを見て歩きたい!」

 

 というユーリアについていった。男人街の屋台は服や雑貨小物を扱っている屋台も多くあった。

 時間帯からいって、今は準備中のところが多かろうが、それでも女子にとっては見て歩くだけでも楽しみなのだろう。

 

「私は平気だ。行って来な」

 

 マリアも快く送り出した。

 

 

「ふーぅ」

 

 ひとつため息をついたマリアは、さすがに満腹という感じだが、あと2口3口でパフェの容器の底が見えてきそうで、同時に残念そうでもある。

 しかし唐突に、手にしたスプーンの動きが止まる。

 マリアの栗毛の付け根が熱を持ったようにジリジリとなってきた。背の真ん中に熱線が浴びせられているような感じもする。

 背骨に沿った溝を汗が流れ落ちるが、それはまるで熱を冷やすような気配が無い。

 マリアは今更ながらに、フードを脱ぎ卓にサングラスを置いたことを後悔した。スプーンの右手を離し、そろそろとパーカーのポケットに手を入れ、中に隠し持った無線機型の拳銃を握り締めた。

 彼女のすぐ隣、アレクが座っていた椅子と、斜向かい、フラストが座っていた椅子に何者かが腰掛ける気配がする。

 卓上のパフェから視線を移し、にらむようにそちらを見ると、葬儀に出席するかのような黒服スーツにサングラスの体格が良い男たちであった。

 胸板がやけに厚いのは彼らが純粋に鍛えているだけでなく、

 

(下にボディ・アーマーを着込んでいるな)

 

 と、マリアは予測した。手にした変装拳銃の9mm弾薬がひどく心許なく思えた。

 そして、正面からひときわ粘性を持った視線が彼女の体をなめ回した。雑踏の中でも聞き取れる硬いヒールの足音を響かせて、ダークグレー、細身のパンツスーツの女がマリアの目前に迫った。

 

「お久しぶりねぇ。お尋ね者のマリア・アーシタ【元】士長」

 

 邪眼があれば、

 

(お前を呪い殺す)

 

 という感じでマリアがその女をにらみ見上げる。

 

「それともこう呼んだほうがいいかしらぁ?被験体名プルツー」

 

 リンはまるで路上の汚いものでも見るような目付きでマリアを見下ろした。

 

 




(作中より)
『気を取り直して、マリアはスプーンを手にしストロベリーのアイスをすくって口にすると、幸せそうな顔をユーリアと合わせて頷いた。』

 話はこの先も続きますが、結局、この一文を書きたいために頑張っていたのかもしれない。
 アイスクリームを食べられなかったマリーダ・クルスに合掌。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りのプルツー

「まぁ、あなたよくのんきにこんなところで、そんなもの食べていられるわねぇ」

 

 リンはマリアの正面、ユーリアが座っていた席に着き、神経質そうな声とともに顎をしゃくってみせた。

 沈黙をもってマリアは答えた。くだらない言葉のやり取りを交わすより、いかにこの状況を打開するかの方が重要だ。

 背中に感じる熱が消えないことから、後ろにも敵がいてこちらを監視しているのだろう。

 

(最悪だな)

 

 ポーカーフェイスで考えを巡らせながらも、それを気取られないように左手はスプーンを口に運んでいた。

 いまや涼粉ゼリーはなんの味も感じられなかった。

 しかし、どうもリンはマリアが思っていたような、ただの《ジュピトリスⅡ》の補給責任者という肩書きだけではないように思われた。

 一緒に行動している黒服どもが、

 

(こいつら、並ではない)

 

 ことをマリアはひしひしと感じていた。

 

「あなたを探していたのよ」

「それはご苦労さん」

「つれないのねぇ?」

「仲良くする理由が無い」

「あきれた。あなたもう忘れたのぉ?あなた自身がわたしに言ったのよぉ。『仲良くやれそうですね』って」

「そんなこと言ったか?」

 

 マリアはすっとぼけた。

 

「いやな子ねぇ。

 いいわ。あなたにはブッホと木星船団からの正式な通達を伝えるわ」

 

 マリアもリンと同様の冷めた目付きで応えた。

 

「当然、あなたはブッホを懲戒免職されているわけだけれどぉ」

「今更別に驚きはしない」

「あらそう?でも、それだけじゃないわぁ。

 あなたは宇宙警察機構に指名手配される。敵性勢力との内通罪。《キュベレイ》の業務上横領に逃走罪。《ジュピトリス》のハッチを壊した建造物等損壊とか、クルーに対する傷害罪とか、もろもろ目一杯付け加えて・・・」

 

 もったいぶるかのように、リンは間を作った。

 

「懲役30年ぐらいかしらねぇ?」

「そうかい、そうかい。それじゃ今のうちにおいしいものを食べておいて良かったな」

 

 マリアは投げやりな口調と動作でスプーンを投げた。空のガラス容器に跳ねたそれは、硬く空虚な音を立ててリンの目前まで転がった。

 冷たい目でリンが続ける。

 

「いいのよ、別に連邦のニタ研に行きたかったらそっちでも。その方が早く出られるだろうし」

「死体で、だろ」

 

 マリアの短い応答は疑問でなく、確信だった。脅迫には屈しない、堅い意思が読み取れる。

 

「だめよ、そんな口の利き方。人形のあなたが自棄を起こして、善良な他人の人生をめちゃくちゃにしてはいけないわぁ」

 

 『人形』という言葉に、マリアは無表情を崩し殺意を持った瞳で返した。

 

「あらやだ、なにその目付き?まさか、あなた作り物の強化人間のくせに、自分に一人前の権利とかがあると思っているの?」

「今の私はマリア・アーシタとして個人の権利を持ってる」

「ないわ、そんなもの」

 

 そう言って、リンは一枚の書面とIDカードを出した。そのIDは《ジュピトリスⅡ》でマリアが没収されたものだったが、カードには穴がパンチされ、表には赤字で【ERASED】(抹 消)の文字が大きくプリントされていた。

 リンが腕と体を伸ばして、マリアが読みやすいように、すぐ近くまで置いてやる。

 その首でもつかんで人質にしてやろうかとも思うが、今の包囲された状況ではこちらもすぐにやられて、痛み分けに終わるだろう。

 

(なんとか、フラストたちが早く帰ってきてくれないか・・・)

 

 思いつつ、書面を斜めに目を通したマリアは心臓の鼓動が早くなり、瞳が少しだけ見開かれた。

 その表情をリンにも読み取られたらしい。

 

「あなたとキアーラ・ドルチェの8年前の亡命申請、遡って却下されたわ」

 

 マリアの視線は書面中の複数ある責任者の署名に、養父であり《ジュピトリスⅡ》の艦長でもあるウド・バッハのものを見つけ、深い失望を感じた。

 まるで、それを見透かしたようにリンが言う。

 

「バッハ艦長は偉いわぁ。彼は《ジュピトリス》の総責任者としての責務を全うしたわ。

 人形のあなたは分からないかも知れないけど、人は成長するにしたがって昔の人形やおもちゃ遊びには興味を失っていくものなのよ」

 

 そう言いながら、リンはその指をエロティックに絡め、意味深な形を作って見せた。

 

「仮に私が人形だとして、」

「『仮に』じゃなくて、そうなのよ。言ったでしょう?あなたは被験体プルツーだって、・・・」

「黙れ」

 

さすがに、その先の言葉はリンにも続けられなかった。マリアの蒼い瞳は中に燃える炎を持ち、オレンジの栗毛は雷雲が迫ってきているように逆立っていた。

 

「そうさ。私は世間から見れば、出来損ないの人形だろうさ。認めよう。

 だが、ウドさんが私と『変な人形遊び』をしていたかのような物言いは止めろ」

「あなた、自分のことを悪く言われるのは慣れてるのに、他人のことには些細なことでもとことん敏感になるのねぇ」

 

 リンは笑いを浮かべた。それは慈しみだとか、優しさなどではなく、とても卑屈ないやらしい笑いだった。

 

「まぁいいわ。いえ、むしろその方がいい」

 

マリアに向けているようにも、自分に確認するかのようにも取れる口調でリンは続ける。

 

「そんなあなたなら、他人を助けるために自分を危険にさらすことはできても、自分の保身のために他人を犠牲にすることができるかしらぁ?」

 

 投げやりにスプーンを放ったマリアと同じように、リンが2枚のIDをマリアの目前に投げた。

 それを見たマリアは、ハッ、と息を飲み、怒りではなく初めて大きな動揺を見せた。

 血で汚れたその一枚は《ジュピトリスⅡ》のMS整備長、ブッホ・セキュリティ・サービスに所属するイイヅカのもので、もう一枚はキアーラの上司でもあった航宙長、バーバラ・ボールドウィンのものであった。

 

「あの中年男、自分の歳も考えないで歯向かうから怪我するのよねぇ。

 それにバーバラさんも大変。こんな強化人間のせいで市民権と軍籍を失えば、どうなるか。

 軍は不名誉除隊。航宙士の仕事はできない、正規の職種にも就けない。非正規雇用か果ては不正就労かしらね?

 このコロニーはそういう仕事には事欠かないようだけれど。顔は良いけれど、あの人、裸になるにはちょっと年取りすぎてると思わない?

 そういう需要もあるのかしらぁ?」

 

 リンはいやらしい口調と目付きで言った。

 IDの小さな顔写真のバーバラ。濡れたような美しい黒髪とこぼれ落ちるほど大きな瞳、長いまつげ。それらがマリアの網膜に焼きつき、苦しめる。

 必死に自分を抑え、怒りの熱に赤く染まりつつある視界を冷まそうと、マリアは唾を嚥下しようとした。

 口中は乾き何も飲み込めなかった。

 

「そんなに、無理しなくていいのよ。

 嫌だったら、怖かったら、逃げても。

 別に、彼らを見捨ててあなたがどこかに逃げてしまったって、人間兵器のあなたは良心なんて、痛まないでしょ?」

 

 リンはマリアの心に抉り込ませるように、ことさらゆっくりとしゃべった。

 

「それにあなたが仲間を裏切って見捨てるのは、二度目でしょ?」

「にど、め・・・?」

 

 狼狽しきったマリアは思考が上手く働かなくなってきた。

 

「まさか忘れたわけじゃないでしょ、あなたのマスターだったグレミー・トトのことを?

 だって《キュベレイ》の装甲にわざわざ『龍飛』って書いているんだものねぇ。

 あれは後悔なの?それとも罪悪感?そんなものがあなたにあるのかしらぁ?」

 

 疑問形で語りかけながら、マリアが『その心』を持っていることを知っていながら、いやむしろ知っているからこそ、それを逆手にとってリンは彼女を効果的に苦しめた。

 それが分かるリンは満足げに目を細めた。

 

「でも、マリア。もし、あなたが救われたいのなら」

 

 一転して猫なで声となったリンは、静かに卓上に綺麗に折畳まれたメモとボールペン形状のものを置く。

 

「答えは48時間まで待つわ」

 

 席を立つと、影のように付き従う黒服とともに、来たとき同様唐突にその場から消えた。

 どれほどそのままでいただろうか。

 身じろぎもしないマリアの聴覚にようやく雑踏のざわめきが聞こえ始めてきた。

 卓に置かれたボールペンのようなものを手にしてみる。

 

(やけに重い。爆弾ということはないだろうが。発信機か?)

 

 次にマリアはメモを開こうとした。

 その時、

 

「ごっめーん、マリアお待たせ」

 

 ユーリアの声が近くから聞こえ、マリアは咄嗟に手の内のメモとボールペンをパーカーのポケットの奥に押し込んだ。

 

 

「問答無用で(さら)ってしまって良かったんじゃないですか?」

 

 向かいの雑居ビルの2階の窓から、階下のマリア、フラストたち4人を見下ろして黒服の一人が言った。

 さながら廃墟のような雰囲気で、薄暗がりの中にうち捨てられたオフィスに彼らは潜んでいた。

 

「ちょうど、ネオ・ジオンの連中も来たようですし、いっそのこと今からでも、まとめて・・・」

 

 別の黒服もそれに同調したが、さえぎるようにリンが、

 

「強そうな男2人と強化人間。3人もあなたたちで相手できるかしらぁ?」

 

 挑発する。黒服たちは互いに顔を見合わせ肩をすくめ、それぞれ手にしたアタッシュケースの中から短機関銃を取り出した。

 ボルトを引いて、初弾をチャンバーに込める。

 

「や・め・て。わたし暴力嫌いなのよ」

 

 心底迷惑そうな感じでリンが彼らを制止した。

 

「あなた方、『彼女』のところで何年働いているんです?もっとクライアントの気持ちを考えた方がいいわ。

 ネオ・ジオンの連中は泳がせておきなさい。あれは生餌(いきえ)よ。いずれもっと大きな獲物を釣り上げるためのね」

 

リンは、にやり、と唇を醜く歪めた。

 

「そして、プルツー。あなたはその中に仕込む釣り針に仕立ててあげるわぁ」

「何を言っている?それは私だろう」

 

 その声はリンから少し離れた窓際から聞こえてきた。

 壁に背を預け腕を組みながら、見下すようにマリアたちを睥睨(へいげい)するオーバーオールの少女がいた。

 年の頃は10歳ぐらいで、東洋と西洋の血が入り混じったような顔立ちをしていた。

 ジーンズの服装と黒いショートボブの前髪が切り揃えられている、-但し両耳の横髪は一束ずつ肩まで伸ばしている、-ところなどは幼く見えるが、その表情は子供のものではなかった。

 そして、その子をマリアが見たら、なんと思っただろうか。その顔付き、目付きは在りし日の自分、『人間兵器』そのものであった。

 

「あら、ごめんなさい。間違えただけよぉ」

 

 リンはそう言いつつ、少女に近付きその頭をなでようとした。

 パシッ!

 大きく硬質な音とともにリンの手が強く払われた。

 

「気安く触るな」

 

 少女が向けた瞳は色こそ違うが、先ほどマリアがリンに向けた怒りのものとよく似ていた。

 赤く腫れてきた手首をさすりながら、リンも少女をにらむが、そんなことにはお構いなく、少女はまた階下へと目を戻した。

 

「隠れている奴がひとりいる。小さいけど感じる」

 

 かつてエイダと呼ばれていたその少女は、フラストたち4人の中から確かに『5つ』の波動を感じ取っていた。

 

(イライラする。なんなんだ、この感覚)

 

 少女エイダは無意識に右手で耳の前の伸ばした黒髪を指に巻きつけ、いじくっていた。

 

 




あとがき

 いつもご閲覧ありがとうございます。
 また、モブってた人を出したよ、この男。
 エイダは第一話『プレリュード・コンフリクト』の後半に二言三言キアーラとしゃべっていた子です。
 そんなやつ忘れてるから!と声が聞こえてきそうです、ハイ。

 ラストバトル?いや、まだです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

泣き虫スイサイド・ボム

 

 24時間後。《ダイニ・ガランシェール》、後部貨物スペースのMSデッキにて。

 

「トムラさん」

「おう、タダシか。どうした?」

 

 今日は非番で下船し、タイガーバウムの市街ブロックへ行くと前々から言っていたクルーのタダシから声をかけられ、トムラは作業の手を止め振り返った。

 今、彼は火星の戦闘でアイバン機が鹵獲したビームマシンガンの照準調整をしていた。

 ちょうど、運良くここタイガーバウムで必要な部品が手に入ったのだ。

 

「マリアさん、来ました?」

 

 浮かない表情でタダシが聞く。

 

「マリア?いや。・・・おう、ごめんな。

 ゼロイン用とは言え、目ぐらい簡単に潰れるから気をつけてな」

 

 一声かけ作業をアシスタントの整備士に任せ、トムラは立ち上がり皮手袋を脱ぎにかかった。

 そのトムラを他の整備士がいない区画まで連れて行き、おもむろにタダシが口を開く。

 

「今朝方、マリアさんにいきなり呼び止められて、第3倉庫でちょっと話したんですよ」

「第3・・・?」

 

 火星で荷を降ろした《ダイニ・ガランシェール》は、現在その倉庫は使われておらず、完全な空室となっていた。

 

「この話、フラストさんには絶対内緒にしておいてくださいよ」

 

 これ以上、ないぐらい真面目な顔でタダシが付け加えるように言う。

 

「・・・ああ」

 

 いつもはふざけた調子の彼に、思わぬ落差を見せ付けられてトムラの相槌は曖昧なものになる。

 

「ほんとっすか!?大丈夫っすかぁ!?」

「いいから言えよ!」

 

 腕を組んで偉そうな姿勢を見せ、トムラが先輩の強引さで促す。

 

「・・・『《キュベレイ》の推進剤を満タンにしてくれ』って、彼女言うんですよ」

「推進剤を・・・?」

 

 うなずくタダシ。

 

「『トムラさんにもフラストさんにも伏せといてくれ』っていうから、『どういう事情なんです?』って、俺聞いたんですよ。

 そしたら、ただ黙って何にもしゃべらないんですよ。ただ黙って『推進剤入れてくれ』って繰り返すんですよ」

 

 トムラは組んでいた腕を崩し、工具箱上に置いておいたコーヒーカップを右手に取る。一口すすった冷めたブラックはひどく不味かった。

 

「それで、・・・『それは、俺はできません』って言ったんですよ。

 ほんとはやっても良かったんですけど。命令違反なんてどうでもいいし。だけど・・・」

 

 タダシの話の内容とコーヒーの不味さもあって、トムラの顔はひどくしかめたものになる。

 

「『やってもいいけど、秘密は嫌だ』って俺、言ったんです。

 そしたら、彼女、『わかった』って言って、・・・笑ってたんです」

 

 タダシにはそのマリアの笑顔がとても愉快なものには見えなかった。寂しくて、辛くて仕様がない、そんなどうしようもない諦めの境地から来る笑みのように見えた。

 

「それで、・・・」

 

 タダシは生唾を飲み込んだ。

 

「それで?」

 

 促すように言うトムラの言葉を聞いて、タダシは言わなければ良かったかとも思ったが、思い切って続けた。

 

「マリアさん、目に涙浮かべながらシャツのボタン、外し始めたんですよ」

「なにぃぃぃ!?お前・・・」

 

 コーヒーを顔にかけられそうなトムラの剣幕に、タダシは慌てて手を振って否定した。

 

「いやいやいや!全然!!やってないっす!むしろすぐに止めました」

「むぅ・・・。まぁ、そうだよな。いくらお前だってなぁ・・・」

 

 それ以上、会話が続かず、一分近く、沈黙がその場を支配した。

 離れたところでビームマシンガンを調整するアシスタントの整備士が、ちらちら、とこちらへ視線を向けているのが分かる。

 

「トムラさん。彼女、すごく様子が変でしたよ」

 

 タダシに言われるまでもないことだった。それはトムラも感じていたし、原因は突如行方不明になったアンジェロにあるのだろうと思っていたが、それにしても、

 

(ちょっと度が過ぎているよな)

 

 トムラは思う。

 

「・・・実はまだあるんですよ」

「なんだ?いっちまえ」

 

 恐る恐るという感じのタダシの背中を押すようにトムラは言った。

 

「昨日、フラストさんたち戻ってきてからトムラさんは街に行ったから知らないと思うんですけど、・・・」

 

 トムラはビームマシンガンの調整に必要な部品を買いに街へ行っていた。

 

「午後も遅い時間からマリアさん、《キュベレイ》の整備し始めたんです」

「おい、そのころは船にアンジェロがいないって大騒ぎしてた頃じゃないのか?」

「ええ、そうなんです。

 それなのに、彼女、ファウストを・・・」

 

 そこまで言って、タダシは言いよどんだ。

 

「ファウストがどうしたって!?」

 

 トムラはその不穏な単語にイライラした。ファウスト、つまりシュツルム・ファウストのことで火星の戦闘でアイバンが鹵獲した対MS用ロケットランチャーである。

 

「・・・発射筒を外して、弾頭だけ空いたリア・アーマーの中に入れたんです。俺、手伝ったんですよ、その作業」

 

 《キュベレイ》のリア・アーマーはファンネルを5基失い、空きの武装積載スペースがあった。しかし、発射筒を外した弾頭はMSで投擲でもしない限り、なんの役にも立たない。それを機体に収納するということは、まるで、

 

「それじゃ、爆弾身に付けてるようなもんじゃないか?弾頭の信管は、・・・」

「付いてますよ・・・しっかり」

 

 つまり、メインの添装填薬に点火、爆発させることができるということだ。

 

「何発だ?」

「2発です」

 

 トムラが左手で自分の額、ヘアーバンドを押さえた。

 もしも、現在格納中の《キュベレイ》リア・アーマー内で2発のファウストの弾頭が同時爆発すれば、《ダイニ・ガランシェール》がどうなるか。火を見るより明らかだ。

 

「俺、マリアさんが連邦のニタ研とか、アクシズ残党とかに追われてるって聞いたし、きっと、万一のときに証拠隠滅で機体だけ爆破させるもんだと思ったんですよ!」

 

 タダシが必死に弁明する。

 

「でも、今朝の彼女の様子を見て、おかしいって思って、・・・

 ・・・あの、

 ・・・彼女、ひょっとして、自爆・・・」

「おいっ!」

 

 制止するトムラの声が大きくなった。壁に張った標的紙にゼロイン用の弱出力ビーム光を当てていたアシスタントが思わず振り返る。そちらへ手を挙げて合図し、なんでもない、という素振りを伝える。

 

「・・・タダシ。お前このこと、俺の他に誰か言ったか?」

「言うわけないじゃないすか」

「わかった。誰にも言うな。いいな?」

 

 こくり、と頷いてタダシは去った。街へ行くのだろう。

 残されたトムラは片手にしたコーヒーカップもそのままに、呆然とその場にたたずんだ。

 彼が自分を取り戻したのは、アシスタントにビームマシンガンの調整が終了したことを伝えられてからであった。

 

 

 

 さらに12時間が経過した36時間後。《ダイニ・ガランシェール》のブリッジ。

 コロニーの時刻は真夜中に近い。そんな頃に、フラスト、トムラ、アレク、そしてユーリアの4人が集まり、深刻な顔を寄せ合っていた。

 

「なぁ、俺ら上手くやったよな?」

「う、うん・・・」

 

 キャプテン・シートに力なく座るフラストの問いかけに、すぐ隣に立つユーリアはいつもの元気の良さが無く、歯切れが悪い。

 彼らは突如失踪したアンジェロについて話し合っていた。理由が分からないのであるが、ひょっとすると、

 

(強引にことを運びすぎたのか?)

 

 と、フラストとユーリアが危惧したわけである。

 

「アイバンとクワニが何か言ったのかな?」

 

 手すりに背をもたれ、外したヘア・バンドをいじくりながらトムラがパイロット2名の名を挙げる。

 

「と思って、俺ももう問い詰めた」

 

 フラストが即答する。前の話し合いの席で、アンジェロに対してはっきりと敵意を見せた二人であるから、

 

『パラオに着いたら殺す』

 

 だの、

 

『タイガーバウムで船から出て行け』

 

 だの、言っている可能性はあった。

 そのまま、その疑問を二人にぶつけると、アイバンがあきれながら言い返してきた。

 

『コソコソ、そんなこと言うほど陰険じゃねえよ、俺たちは。

 大体、そんなことしてたら、今度はマリアに殺される』

 

 狭い閉鎖空間でのマリアとアンジェロの関係は、恐ろしいほど早く全船に知れ渡っていた。

 無論、ユーリアとフラストの仕業であるが。

 

「それじゃ、何が原因なんだろう?」

 

 トムラが重ねて疑問を呈する。

 しかし、それに答えられるものはいない。無口なアレクも眉間のシワを一層深くして、サングラスを押し上げるのみだ。

 

「わたし部屋に戻るね。あの娘、落ち込んでると思うから」

「そうしてやってくれ」

 

 フラストがその背に一声かけ、ユーリアは無重力遊泳しながら、ブリッジを後にした。

 

「はーぁ」

 

疲れた様子でフラストは嘆息するが、

 

「フラスト。マリアのことで、他にも気になることがあるんだ・・・」

 

より深刻な顔付きでトムラが口を開いた。

 

 

 

 同時刻、マリアとユーリアの部屋。

 ベッドの端に座る私、マリア・アーシタはこれからの計画に備えすでにノーマルスーツに着替えていた。

 

(これを着るのも、もう終わりにしたいな)

 

 私は赤黒基調のカラーリングに染まった自分の腕をなでた。

 おもむろに、横のシーツの上に無造作に置かれた拳銃を手に取る。その拳銃はどさくさにまぎれて、《ダイニ・ガランシェール》の武器庫から私が盗み出したものだった。

 ナバン62式拳銃。ジオン系兵器メーカー、ズックス社の関節式遊底閉鎖機構を有する自動拳銃である。

 『関節式・・・』なんて書くと大仰だが、俗にトグル式と呼ばれ、尺取虫のような不気味なアクションをして、装填、排きょうされる独特のメカニズムだった。

 私自身はこの銃になんの愛着もなかったが、一年戦争時は主にジオン尉官が好んで使い、その独特な機構とデザインの良さから、戦中、戦後は連邦軍兵士の鹵獲対象にされ、一時は『ナバン狩り』なんて言葉も横行したらしい。

 

(正直どうでもいいけど・・・、またこの銃か)

 

 私は少し運命的なものを感じた。この銃は10年前、私がプルツーだった時にハマーン・カーンの暗殺を命じられ、渡されたものと同じであった。

 そして、その時に私はミネバの影武者であったキアーラに初めて出会った。

 私は当時を思い出し、苦笑する。

 

(間違いがあったとはいえ、私はミネバの姿をしたキアに銃を向けたんだっけ・・・)

 

 マガジンキャッチボタンを押し、弾倉を抜いて確認する。見れば、そこには爪の形にも似た銅色の9mmFMJ弾頭、その第一弾が鈍い照りを返していた。

 軽快な金属音を響かせて、弾倉を銃へ戻す。

 そして、私は銃をベッドに戻し、代わりに脇に置いてあった封筒をそっとつかむ。封筒も中の便せんも簡素な白いものだった。

 それは、アンジェロがマリアに宛てた、短い別れの手紙であった。

 

 

『私を癒そうとしてくれた、君の気持ち、うれしかった。

 

 でも、私と一緒にいても、君が救われない。

 

 顔を見ると、気持ちが揺らいでしまうかも知れないから、このまま私は消える。

 

 こんな形で別れることを許してほしい。

 

 短い間だったけれど、支えてくれてありがとう。

 

 マリアとはもっと早く出会いたかった。

 

 さよなら』

 

 

 手紙を持つ右手はベッドの端からだらりと下に垂れ、うつむいた視界を隠すように、私は左手でまぶたを押さえた。

 

(逃れられない・・・)

 

 たとえ、共依存とマスターの言いなりの『人形』というくびきを断ち切ったとしても、どこまでも利用される『人間兵器』という運命からは逃れられない。

 それは逃げても、逃げても私を追いかけてくる。モビルスーツのコクピットに縛りつけようとする。

 

(罪も穢れも消すことはできない、か・・・。そうだね、グレミー)

 

 そのグレミーの面影がかすみ、唐突にそれはアンジェロの優しいものへと変わっていった。

 蒼い瞳から、じわりじわり、と涙がにじみ左手からこぼれて空間に漂った。もう私には涙も枯れたと思ったけど、まだ泣くことができる。

 

(でも、もう終わりにしよう)

 

 私は涙をぬぐって、顔を上げた。

 そこに思いがけない人物を見た私は驚いた。

 

「・・・プル、姉さん?」

 

 緑の光の鱗粉を漂わせながら、私の片割れの少女はたたずんでいた。

 少女は私を安心させるように頷くと、すぐ隣に腰掛けた。

 

(あきらめるな、希望を捨てるな)

 

 その言葉はいつになく、姉に似合わず、強い調子だった。

 でも、私は俯いて、子供がいやいやするように首を振ることしかできない。

 

(困ったなぁ)

 

 プルは苦笑いを浮かべ、どうしたらいいだろう、とほんとに悩んだような、困ったような顔をしていた。

 

(マリィはね、あたしたち姉妹の中で一番強い子なんだよ。

 だから、自信を持って)

 

 プルが体を寄せ、私の肩を抱いた。それは肉体を持たない、思念体のはずなのに何か暖かさを持っているような、そんな漠然とした感触がした。

 私が顔を上げ、プルと同じ蒼い瞳を合わせる。にっこり微笑んだ彼女は私の頬に軽くキスをした。

 その緑の光が水中を立ち上る気泡のように、上へ上へと少しずつ消えていった。

 

「待って!行かないで!!」

 

 私の呼びかけも空しく、彼女は去った。

 ただ、去り際に残した彼女の想いが私の心に流れ込んできた。

 

(大丈夫。あたしたちはマリィをいつも見守っているよ。

 それに、自分をもっと労わらなきゃダメだよ。もうマリィはひとりじゃないんだから・・・)

 

 

 しばらくして、《ダイニ・ガランシェール》のブリッジ。

 

「そいつは穏やかじゃねぇな」

 

 トムラの報告を聞いたフラストは、角ばった顎をしごいて顔をしかめた。

 

「だろう?俺も危ないと思って、《キュベレイ》を自分で見に行った。リア・アーマーにご丁寧に宇宙塵カバーを掛けて隠してあった。

 間違いなくファウストを下に入れてるだろ」

「むぅ・・・」

 

 フラストはさすがに二の句が継げなかった。

 そのとき、キャプテン・シート肘掛の受話器が時ならぬ電子音を響かせる。

 

「なんだ、どこからだ?」

 

 不審を抱きながら、フラストがそれを受けると、

 

『・・・・・・ぅ、・・・ぁ、ん、ん・・・』

 

 なにやら、向こうからくぐもった不明瞭な声が聞こえてくるが、次の瞬間、

 

『モニターの電源を入れろ』

 

 それは有無を言わせぬ命令口調のマリアの声であった。

 嫌な予感と共にコンソールを操作し、ブリッジ正面上方のモニターに灯を点ける。

 そこには、口に猿轡をかまされ拘束されたユーリアの姿が映し出されていた。必死に何かを訴えかけるような目顔をユーリアはカメラに向け身をよじるが、両手両腕は背中に回されているところから、後ろ手に縛られているらしい。

 モニターの上端に【FROM QUBELEY Mk-II mod】という表示を確認するまでもなく、それは《キュベレイ》の球形コクピットの中の映像だとすぐに分かった。

 すでに、マリアは赤黒のノーマルスーツとヘルメットを着ていた。

 マリアはブリッジのフラストたちにユーリアの様子を見せつけた後、片腕を彼女の首に巻きつけ、引き寄せ無理やりリニア・シート横の補助席に座らせた。

 そして、ホルスターから抜いたナバンの冷たい銃口を、ユーリアのこめかみに押し付ける。

 

『《キュベレイ》に推進剤を入れろ。満タンだ』

 

 マリアは、感情を押し殺した声で続けた。

 

「お、おい。どうしたんだよ、マリア?そんなことして、・・・」

 

 トムラの言葉はそれ以上続かなかった。彼のヘア・バンドは手を離れ空間に漂っていた。

 

『これは子供の遊びじゃないんだ。頼んでもいない。断れば皆死ぬ』

 

 そういって、マリアは右手のペン形状のリモコンをカメラに見せた。親指を立て、リモコン末端のスイッチをいつでも押せる態勢にしている。

 

『《キュベレイ》にファウストを仕掛けた。いつでも起爆できる。

 どういう意味か分かるな、フラスト?』

 

 マリアはブリッジ正面のフラストをにらむ。彼も口を一文字に引き結び、マリアの蒼い視線をしっかりと受け止めていた。

 ひとつ嘆息して、

 

「負けたよ。

 トムラ、推進剤を入れてやれ」

「しかし、」

「いいからやれ」

 

 静かに、だが強くフラストは一喝し、それ以上トムラの反論を許さなかった。

 何も言わず、トムラがブリッジを後にし、アレクが彼の背を追うように泳いでいった。

 

「なぁ、マリア。今のお前は、この前俺たちと一緒に旨そうにパフェを食ってた、あいつと同じなのか?

 作業が終わるまで時間がある。話せよ。その方がお前も苦しくないだろ?」

『苦しい?・・・苦しくなんかあるものか・・・』

 

 そのセリフに反して、彼女の声音と表情は苦渋に満ちたものだった。

 

「ここには、他に誰もいない。俺とお前の二人だけだ」

『・・・・・・』

 

 沈黙を守るマリアに、フラストは思い出したように付け加える。

 

「あぁ、・・・そういえば。

 お邪魔虫のユーリアがいたか」

 

 その言いように、補助席のユーリアは身をよじって抗議の様子を見せたが、しっかりと、シートベルトも掛けられた彼女ができることはそれだけであった。

 

「じゃあ、俺が勝手に独り言を言うから、聞いててくれや」

 

 そういって、フラストはモニターから目を逸らした。

 

「昔、ある少年がいた。

 小さいときから悪ガキで、どうしようもない奴だった。それでも国を思う気持ちはあってな。

 10歳のときにはもう少年挺身隊なんつぅ、軍の使いっ走りをやってた。

 まぁ、家出同然で故郷を飛び出して、そんなヤクザなことをやってた奴だから、じきにヤキが回った。

 アフリカでとっ捕まって、連邦の収容所に入れられたとよ。

 そこで、自分の生まれ育った町が連邦に焼かれ、お袋と親父が殺されたことを知った。

 悪ガキは憎しみと怒りの中で男に成長していった。男はクソったれな世界に恨みつらみを言い続けるぐらいなら、全部ぶっ壊すために戦うことを選んだ」

 

 フラストはそこで一休みするかのように区切り、モニターに目をやった。《キュベレイ》の中のマリアとユーリアは瞬きもせず、見入り聞き入っていた。

 フラストはマリアの蒼い瞳と視線を一瞬合わせ、すぐに逸らす。過去と向き合ってる今、それを見続けるには心の準備が必要だった。

 

「そんな中で男はある娘に出会った。

 彼女は人間の欲望とエゴのせいで心も体もぼろぼろにされていた。家族がいない男はその娘を守ることにした。

 好きとかって気持ちとはちょっと違うな。自分の妹みたいな、家族愛だったのかもしれん。

 けどな、彼女、・・・あいつもその男と同じに、世界と戦うことを選んだ。

 そして、・・・死んだ」

 

 一本調子で淡々としゃべり続けるフラストの口調はむしろ悲壮感を強め、モニターごしでもマリアとユーリアにひしひしと伝わった。

 

「マリア、前に言ってたよな?『戦場での生き死には自分で負うしかない』ってな。そのつもりだった」

 

 フラストは下唇を噛む。戦いの中で幾度と無く味わった、鉄の味が感じられる。実際の味覚だけでなく、それは胸中にも広がった。

 

「けどな、やっぱり、・・・ショックだった。

 男は黙っていたが、心の中では仲間を責めた。上官を責めた。

 そして、自分さえも責めて悩んでいた。

 『本当は彼女を生かしてやることができたんじゃないか?』ってな」

 

 フラストは自分の半生の暗部を吐き出すように、長く嘆息した。

 

「そんなとき、男はまた別の娘に出会った。

 前の娘によく似ていた。その髪も。その瞳も。それに心に傷を負って、心を閉ざしてしまったところも」

 

 フラストはキャプテン・シートの肘掛を壊れんばかりに強く握り締めた。

 そして、目を逸らすことなく、その蒼い瞳を正面から受け止めた。

 

「俺はその娘を助けようと決めた」

 

 そのフラストの瞳の光の強さに、マリアは気圧された。拳銃の銃口が小刻みに震えてくる。

 

「もし、その娘を助けることができれば、前の娘も報われるような、・・・・・・。

 それに自分自身が助けられる、そんな気がしてな」

『勝手なこと言うな!!』

 

 マリアが絶叫した。

 

『もうやめてくれ。私の中に、・・・私の知らない誰かの姿を求めるのは。そういうのは・・・、重たいんだ。

 私は、私は・・・』

 

 そこまで言って、マリアはその先の言葉が見つからない。 

 はっきりと拒絶しようとした。

 なのに、フラストの強い思惟はマリアを受け止めようとする。

 

(なんで・・・、なんで・・・)

 

 モニターごしのフラストの顔がにじんでくる。

 

 

「俺たちは仲間だろ!!」

 

 突如、MSデッキに響き渡るトムラの叫び声。同時に薄暗かったデッキの照明が点灯する。

 全天周モニターの下方に目を移せば、そこには、トムラ、アレク、パイロットのクワニ、アイバン両名、【火星ジオン】のベイリー、新米クルーのタダシ。

 それだけではない。マリアが言葉もほとんど交わしたことがない者も含めて、《ダイニ・ガランシェール》の全クルーが《キュベレイ》を身を挺して遮るように、足元を半円形に取り囲んでいた。

 彼らのマリアを想い、心配し、気遣う気持ち、暖かさがコクピットに流れ込んでくる。

 

(なんで・・・。なんで、そんなに優しいの?)

 

 もう決死の覚悟をしたはずだった。

 それなのに、この温かさはなんなんだろう。あと一押しされれば、マリアの心は完全に折れてしまいそうだった。

 

『話してくれよ、お前が背負っているものを。俺たちだって、少しは肩代わりできるんだぜ?』

 

 フラストの言葉を受け、マリアは拳銃とリモコンを手放し、リニア・シートの上に膝を抱えて自分を抱いた。

 ヘルメットごしにくぐもった嗚咽が漏れ出していた。

 

 

 

 リンとマリアが出会ってから、42時間後。《ダイニ・ガランシェール》は早朝のタイガーバウムを出港した。

 コロニーの港口、宙域を出ると、船体後部ハッチが開き、貨物用ハンガーに懸架された《キュベレイMk-Ⅱ改》の異形の人型が現れる。

 機体の固定が外され、《ダイニ・ガランシェール》から安全な距離まで離れると、高速移動形態となった《キュベレイ》はリンたちが待つ《ジュピトリスⅡ》の潜む暗礁宙域へと進路を取った。

 だが、しばらくして《キュベレイ》の後を追うように、2機の《ギラ・ズール》、そして《ゲルググキャノン》が次々と《ダイニ・ガランシェール》を発進していった。

 それはまるで《キュベレイ》を決して孤立させまい、必要があればすぐに駆けつけられるように、後方から見守っているようにも見受けられた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前哨戦

 その様子を、タイガーバウムの宇宙港出入り口の程近い宙域から濃紺色のMSが窺っていた。

 ダミー岩石・デブリに隠れたそれは、連邦軍のジム系MSだったが、所属は《ジュピトリスⅡ》護衛のブッホ・セキュリティ・サービスである。

 型式番号RGM-79SR、通称《ジム・スナイパーⅢ》、その近代改修機である。

 右マニピュレータにロングレンジ・ビームライフル、両肘から多面体可動式シールドを装備。

 一撃必殺、ヒット&アウェイの狙撃専用機、と思われがちだが、実際には、背部にキャノン付きバックパックが換装できたり、腰部ハードポイントにミサイルポッドを付けられるようになっていたり、どちらかといえば、何でもこなす高性能マルチロール機という印象が強い。

 ベースとなった機体は10年ほど前、ティターンズの一部部隊で運用されていたカスタム機だった。

 ブッホ社はこれをグリプス戦役後貸与され、《ジュピトリスⅡ》にて、さらに改修を施して、護衛・哨戒業務に使用していた。

 

(しかし、この使い方は仕事から逸脱してる)

 

 後継主力機の《ジェガン》と同一の球形コクピットに換装されたその中で、パイロットのローマンは顔をしかめる。

 彼は上司からタイガーバウムを出港する貨物船《ダイニ・ガランシェール》の偵察を命じられていた。

 今、彼が行っているのは隠密偵察であり、《ジム・スナイパーⅢ改》のライフルが火を噴けば、とたんに威力偵察へと変わる。

 この機体はセンサー有効半径こそ《ジェガン》と同程度だが、狙撃仕様のため頭部に増設された光学スコープバイザーは優秀で、センサー圏外に遠ざかりつつある《ダイニ・ガランシェール》所属のMS3機をはっきりと映像に捉えていた。

 

(ん?)

 

 見れば、2機の《ギラ・ズール》の内1機からメイン・スラスターから噴射光が見えず、僚機であるもう1機の同型機に手部をつながれ、曳航されていた。

 

(エンジントラブルか?あちらさんも大変だな

 これからどうする・・・?)

 

 誰に向けた疑問でもなく、ローマンは思う。

 

 

 2ヶ月前。マリアが《ジュピトリスⅡ》を出奔したとき、ローマンはこの《ジム・スナイパー》に搭乗し、艦の前方、水先案内人として哨戒業務をしていた。

 《ジュピトリス》からの緊急のレーザー回線を受信し、機体を回頭させたときには、《キュベレイ》はまさにスラスター全開で宙域を離脱するところだった。

 

(間に合わないっ!)

 

 思いつつも、ローマンはレティクルを《キュベレイ》に照準しようとしていた。

 通常のMSに比べて、高速で宙行する《キュベレイ》に手動の照準でビームを命中させるなど神業の類だが、武装の性能としては十分有効射程距離内であるし、命中しさえすれば、長距離射撃用の高威力も相まって、《キュベレイ》を爆散させることは確実だった。

 また、当たらなくても、その前方移動予測位置に対して威嚇射撃し、ビームの強い閃光を見せることによって、逃走を留まらせるような努力をするべきだった。

 だが、ローマンは撃たなかった。それは撃ったところで、彼女と《キュベレイ》の機動に当たるわけがない、ということもあったが、

 

(撃てるわけがない・・・)

 

 昔からローマンはマリアのことを知っていた。彼は今、木星圏にいるジュドーとルーの二人とも親しく、彼らの結婚式にも呼ばれ、彼らを祝福した。

 そのときのマリアの様子も覚えていた。

 

(あの娘、あんなに明るかったのに、・・・)

 

 その後の変わりぶりを思い出すと、心が沈む。

 先天的に遺伝子設計されたマリアは、後天的に改造された強化人間のように常時投薬や刷り込みが必要なわけではない。

 普通に生活していれば、精神に不安定をもたらすことなどない。

 

(それなのに、精神安定剤を飲んでいた)

 

 ローマンは以前見てしまった。哨戒・護衛業務に出る直前、コンテナの陰に隠れ人目を避けるように、安定剤を服用するマリアの姿を。

 彼女は何事もなく、《キュベレイ》に乗り込んでいたが、心中を察するとローマンは複雑な心境になる。

 《ジュピトリスⅡ》が長い航海の終盤に差し掛かり、ようやく地球圏に到達したとき、

 

『マリアが《ジュピトリス》に向かっている、戻ってくる』

 

 上司カール・アスベルの言葉を聞いたときには、純粋にうれしかった。《ジュピトリス》はサイド3宙域に足止めされたが、それほど苦痛でもなかった。

 

(マリアが帰ってくるんだ)

 

 だからこそ、カールからこの仕事を頼まれたときに、不明瞭な尾行のような内容にも関わらず引き受けた。

 今度こそ自分の抱いている想い、淡い気持ちを彼女に直接伝えようと決心していた。

 

 

 全天周モニターでそれぞれズーミングしたMS3機のシルエットは、いよいよ《ジム・スナイパー》から遠く離れていた。

 

(これ以上、離れるとまずいな)

 

 ローマンはそう思い、フットペダルを静かに踏み込もうとした。

 その時。

 接近警報が鳴ると同時に、コクピットを激震が襲った。下方6時の方向から急接近したMSが《ジム・スナイパー》に後ろから組み付いてた。

 機体は前につんのめるような姿勢となり、その上、相手MSが左マニピュレータで《ジム・スナイパー》の頭部を目隠しするように鷲掴みにした。

 リニア・シート後方を振り返ると、そこに監視していたはずの《ギラ・ズール》のガスマスクを被ったような頭部が映し出されていた。

 

(なっ!どうして!?)

 

 コクピットの後ろから再度鋭い衝撃が走った。

 《ジム・スナイパー》のモニターにはダメージ・コントロール・システムが立ち上がり、背部の損傷・異常を伝えるメッセージが現れる。

 

『今、ヒートダガーを背中に突っ込んだ。分かるか?』

 

 接触回線を通して《ギラ・ズール》パイロットの冷たい声がコクピットに響く。混乱するローマンの脳のひだに、その言葉の意味が少しずつ入り込んでいった。

 彼の座るリニア・シート。その後方数メートルも離れない機体の中に、高温で装甲を溶解するMSサイズのナイフが刺し込まれている。

 

『お前がフットペダルを踏んで《ジム》のスラスターで俺を引き剥がすのが先か、』

 

 ローマンが今まさにしようと思っていたことを、相手に言われ、彼の足は動けなくなり、ヘルメット・バイザー内を嫌な汗が舞った。

 

『それとも、俺が操縦桿のトリガーを引いて、ダガーでコクピットを焼き切るのが先か。

 好きなほうを選べ』

 

 ローマンはヘルメットの内で呼吸が荒くなった。曇り止め加工を施しているにも関わらず、バイザーの内が曇りがちになる。

 

『落ち着けよ』

 

 呼吸音を聞かれたのか、棒読みだった相手の口調が少しローマンを気遣ったものに変わる。

 

『どっちも嫌なら質問に答えろ』

「・・・・・・」

『どうした?返事しろ。イエスかノーか?』

 

 

「これが、・・・答えだ!!」

 叫ぶやローマンが床までフットペダルを踏み込むと、メイン・スラスターが爆発的に噴射し、掴まれていた《ジム・スナイパー》の頭部を引きちぎりながら、《ギラ・ズール》を後方に引き離した。

 追撃する《ギラ・ズール》だが、推力の違いを見せ付けられ、追いつけない。相手と距離を取ると、《ジム・スナイパー》は縦ロールをかけ180度回頭する。

 必死にこちらに向かってくる《ギラ・ズール》のシルエットを捉えた。 

 

「こっちだって海賊相手に何度もやり合ってる!」

 

 メイン・カメラを失った《ジム・スナイパー》だが、胸部にも補助カメラを持ち、これだけでも精密狙撃でなく、中・近距離射撃であれば十分に照準することが可能であった。

 進路が交錯することを察知した《ギラ・ズール》が《ジム・スナイパー》の水平3時方向へとロールする。

 射撃モードとなった全天周モニターの正面レティクルに敵機の予測位置を合わせようと、ローマンは操縦桿を小刻みに揺らす。

 

「落ちろっ!」

 

 言いつつ、トリガーを引く。銃口を発した亜光速のピンクの一筋が暗い空間を引き裂いていく。

 通常のビームライフルよりも照射時間が長いそれは、まるで火炎放射器か曳光弾の火線のように、逃げる《ギラ・ズール》を追い迫った。

 とうとうビームは《ギラ・ズール》の両膝から下を焼き切ったが、そこで銃身加熱により冷却サイクルに入り、光軸はメガ粒子同士の干渉によって徐々に宇宙に拡散していった。

 

「くそっ!」

 

 敵機はヒートダガーをMS用マシンガンMMP-80に持ち替え、こちらへ牽制射撃してくる。

 だが敵機も膝下を失っているので、AMBAC機動に支障をきたしているだろうし、そもそもの推力・機動力で言えば、《ジム・スナイパー》の方が上である。

 このまま距離を取って逃げ回り、MMP-80の有効射程に入らなければ、敵のアウトレンジから一方的な射撃で落とせる。

 

(次は落とす!)

 

 衝動に駆られたローマンに撤退という選択肢はなかった。

 そして、自分を納得させていた彼は次の瞬間、コクピットに鳴り響く接近警報に驚愕する。

 それは、《ギラ・ズール》とは全く異なる方角、真下からだった。モニターの下に目を移すと足元の全天周モニターが、回転するビームナギナタの残像を描きながら、不気味に光るモノアイのMSが接近する様子を映し出す。

 《ジム・スナイパー》の近傍を擦過しながら、そのMS《ゲルググキャノン》はナギナタでロングレンジ・ライフルを両断していた。

 Eパックに誘爆しなかったのは、幸運だった。

 しかし、続いて正面から断続的な火線が《ジム・スナイパー》に迫る。《ギラ・ズール》が接近していた。

 口径90ミリの実体弾。その数発が《ジム・スナイパー》に命中し、不快な衝撃がコクピットを揺らす。

 

(やられるっ!)

 

 咄嗟にローマンは両前腕を胸部を守るように前方に突き出し、可動式シールドで覆い、後退機動に入る。

 追いすがる《ギラ・ズール》が凄まじい猛射をシールドに浴びせてきた。モニターにはシールドの裏からでも激しい銃撃で、火花と装甲片が光りながら飛び散っている様子が分かり、不気味な着弾音はコクピットまで到達した。

 しかし、永遠とも思える着弾の音楽は、実際には数秒で終わり唐突に途切れた。

 100連発バナナ弾倉をすべて撃ち尽くした《ギラ・ズール》は空の弾倉を捨て、腰部装甲上に付けたボックス弾倉に交換しようとする。

 一瞬の隙を突いて、ローマンは反撃に転じた。逃げていた《ジム・スナイパー》を一転、前方に突っ込ませ、接近戦を挑む。

 右マニピュレータが背中に装備されたビームサーベルのグリップを引き抜き、高温の光刃を形成したとき、《ギラ・ズール》はまだ予備弾倉を左手に握ったところだった。

 

「俺の勝ちだ!!」

 

 勝利の雄たけびをコクピットで上げながら、ローマンは操縦桿のトリガーを引く。

 次の瞬間、《ギラ・ズール》は両断される。

 はずだった。

 後方より忍び寄った《ゲルググキャノン》のビームナギナタに一瞬早く、《ジム・スナイパー》は、両脚を膝上から切断され、大きくバランスを崩した。

 袈裟切りに打ち込まれるはずだったサーベルは空しく虚空を切り裂き、質量バランスを大きくずらされた機体はコントロールを失って回転しながら、流れていった。

 ローマンは汚い罵声を吐きながら、姿勢制御バーニアを吹かし、なんとか機体を立て直す。

 その正面モニターにMMP-80を構える《ギラ・ズール》が映りこんだ。

 それが彼の見た最後の映像だった。

 

 

 無情にパイロットのクワニはMMP-80の銃弾を《ジム・スナイパー》のヴァイタル部位である胸部に叩き込む。

 指切り射撃で断続的に打ち込まれる銃撃に、《ジム・スナイパー》はロープ際でサンドバッグにされるボクサーのようによろめき、上下半身の連結部で小爆発を起こすと、完全に動かなくなった。

 

『大丈夫か、クワニ』

 

 レーザー通信で《ゲルググキャノン》のベイリーが呼びかけてくる。

 

「助かりました、少尉。もう少しでこちらがやられるところでした」

『AMBAC機動は?』

「約30%減少」

『掴まれ』

 

 クワニの《ギラ・ズール》はベイリーの《ゲルググキャノン》に曳航され、先行して《ジュピトリス》に向かうマリアとアイバンを追った。

 

「ダミーバルーンに引っかかるような奴だから、たいしたことないと思ったんですが。結局、殺してしまいました」

 

 苦い味がクワニの口中を占める。

 戦闘の前にエンジントラブルと見せかけて、アイバン機が曳航していた機体はクワニ機ではなく、ダミーバルーンであった。

 

『気にするな。戦士としては奴も意地を見せた。最後に見せたインファイトなど、なかなかどうして、気合がこもっていた』

 

 敵の最後に賛辞を贈るベイリー。

 

「ええ。あんな奴が《ジュピトリス》にあと10機もいると、・・・」

『老兵には辛いな。だが、なにより辛いのはマリアをかつての同僚と戦わせることだ。だから、私たちが露払いするしかあるまい。泥はこっちがかぶろうや』

 

 ベイリーは砕けた口調でクワニに呼びかけた。

 

 

 




「中距離支援MSで積極的にチャンバラ仕掛けるとか、バカなの?」

 ・・・・・・すいません。ハァ、だめだなぁ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰還

 リンがマリアに渡したメモ形状のものは3D画像を描くモニターシートであり、そこには《ジュピトリスⅡ》が留まる宇宙座標と、周辺の簡単な宙図(海図の宇宙版)が記されていた。《ダイニ・ガランシェール》のMSデッキでの一件の後、マリアだけでなく、彼女の仲間もこの宙図の情報を共有していたので、最終目的である《ジュピトリスⅡ》へは別れて行動するベイリーやクワニも到達できるはずだ。ただ問題は、

 

(このメモを本当に信用できるか。当然、罠は巡らされているはず)

 

 マリアはヘルメットバイザーの内で思う。

 彼女の乗る《キュベレイMk-Ⅱ改》は宙図にある《ジュピトリス》座標へ直線最短距離で向かっていた。燃料の余裕を考えれば、デブリ帯を経て、大きく回りこみ密かに接近させることも可能であったが、

 

(1週間以上この辺りに潜んでいたことを考えると、そこを通るほうが危ない)

 

 《ジュピトリス》の舷側のすぐ近くに広がるデブリ帯に罠がある、とマリアは考えた。また、メモの余白に書かれていたように、

 

(リンの目的が私の身柄なら、正面から行けばいい)

 

 そう思っていた。

 正面の全天周モニターに別枠を表示し、後方モニターに映し出されているアイバンの《ギラ・ズール》を確認する。《キュベレイ》から付かず離れずの距離を保ちながら随行していたアイバン機にマリアはレーザー回線を開いた。

 

「アイバン、ここまでだ。

 もうすぐ《ジュピトリス》の探知範囲に入る。哨戒機との遭遇もあるかもしれない」

『そうか。分かった』

 

 短くアイバンが応答し、機体を反転させた。

 『死ぬなよ』という言葉には答えず、マリアは後方の遠ざかりつつある《ギラ・ズール》のスラスター光を見送り、それが見えなくなると別枠を閉じ、続いて敵味方識別信号(I F F)のディスプレイを開きシグナルをオンにする。

 マリアは決意するように細く長く息を吐き、フットペダルを踏み込んだ。

 

 

『警戒、高熱源体反応、接近中。数は1。方位170、上角20』

 

 戦闘指揮所(CIC)からの緊急無線が艦橋に届き、連邦軍制服に身を包む艦長のバッハは簡潔かつ矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

「第二戦闘体制。警報発令。機関増速。IFF照合急げ」

 

 詰めている各要員があわただしくコンソールを操作し、またヘッドセット・マイクの向こうに個別の指示を出し始めた。

 暗礁宙域の端に巨体を横たえる《ジュピトリス》は機関がアイドリング状態のまま、宇宙空間に留まっていた。その船体最後尾の巨大なスラスター・ノズルが噴射光を上げるが、大質量を誇る《ジュピトリス》の加速は、迫るMSから比べれば遅々としたものだった。

 あらかじめ来ることを予知していたかのように、出撃・散開中の6機、2個小隊の《ジムⅢ》が不明機に対応するため、巣に戻る働き蜂のように《ジュピトリス》の殿(しんがり)に集まり始めた。

 

『IFF照合。AMXー004ー04。使用コードは、アーシタ士長です』

 

 冷静な口調を続けていたCIC要員の語尾がわずかに揺れていたようだった。

 

『120秒後に通信可能距離に到達する模様』

 

 ちょうどその時、艦橋に細身のパンツスーツの女性が現れ、不遜にも艦長席の横、司令席にその細い腰を下ろした。バッハの他、居合わせたクルーは各々不快な表情を見せる。バッハは仮面のような無表情で、通信長のヴァルターはいかにも忌まわしそうな顔つきで、またある者はうっとおしそうな顔で表現する。

 

「お早いご到着ですね、補給長」

 

 彼女の方を振り返って言うヴァルターの慇懃な物言いをリンは無視した。その態度に彼は顔を戻して小さく舌打ちした。

 

「まったく迷惑な強化人間ねぇ。2週間も宇宙のゴミ溜めに私を足止めしておいて」

 

 左肘をシートの肘掛けに預け、頬杖をするリンは心底うんざりしたような口調だった。『私たち』ではなく『私』という言い方がなんとも自己中心的である。

 そんな彼女の存在などいないかのように、隣席のバッハは指示を続ける。

 

「待機中の《ジム・スナイパー》を発進させろ。艦体の影に潜ませて、できるようなら狙撃・・・・・・」

「それはいけません、艦長」

 

 ねっとりと粘つく視線を絡ませながら、リンが言う。

 

「あの娘は適正な裁きを受けさせるべきです。そのためには、彼女を無傷で手に入れる必要があります」

 

 ヴァルターが立ち上がり、外したヘッドセットをコンソールに叩き付けて激昂した。

 

「イイヅカ整備長をあれだけ殴らせた女がどの口で言ってるんだ!!」

「あれはあの人が悪いんですよぉ、逆らうから。正当防衛ですよぉ。

 それに私は暴力は嫌いです。文句は黒服たちに言ってください」

 

 『貴様ぁ!』と続けようとするヴァルターを手で制し、バッハが諭すようにリンに言う。

 

「あなたも知っての通り、私はまだこの《ジュピトリスⅡ》の艦長らしい。大勢のクルーの生命と財産を守る義務がある。

 そのためには、必要とあれば、マリアを殺すこともいとわない」

 

 バッハがリンに向けた顔は冷静であったが、その瞳の底には凄まじい嵐が潜んでいるようだった。リンは、にたり、と口元を歪めて応えた。

 

「ご立派ですわぁ。

 でも、そんなに四角四面に考えなくてもいいと思いません?もちろん、艦長の責務は果たされるべきですが、その権力も最大限有効活用して、今後のキャリアにつなげて頂いたらどうですのぉ?」

「あいにく、私は今以上のポジションに興味はない。

 しかし、聞くところによると、あなたは月のアナハイムと仲が良いようだね。あの会社もここ数年は大変なようだ。

 『月の女帝』とか呼ばれていた、あの何とかという女性も係争中でなかったかね?」

 

 視線を意図して外したバッハは、疑問とも独り言とも取れるような、彼らしからぬ曖昧なしゃべり方だった。

 

(この男、・・・ただの馬鹿正直な軍人かと思ったけど、意外と目鼻が利くのね)

 

 リンの目がやや細められ、その奥の光が危険な香りを漂わせた。

 艦橋上部に設置されたディスプレイはレーダーを表示し《ジュピトリスⅡ》を中央に配し、後方から迫る《キュベレイ》の光点は秒速単位で近付きつつあった。そのディスプレイ上、中央から等距離に描かれた円のラインを光点が越えると、CICからの無線がまた響く。

 

『《キュベレイ》とコンタクト。回線開きました』

 

 レーダー表示の横に【SOUND ONLY】と示した通信ディスプレイが立ち上がり、機械がプログラム通り話しているような、無感情な声が艦橋に響いた。

 

『こちらプルツー、帰還する。着艦許可求む』

 

 その声音に艦橋は弓に張られた弦のような緊迫感に包まれたが、司令席のリンだけは満足そうな笑みを口元に漂わせた。

 通信席のヴァルターが後方、キャプテン・シートに泰然と座る短髪の厳つい軍人を振り返り、指示を仰ぐ。

 全く動じていない様子で、バッハは首を横に振った。

 

「駄目だ」

 

 バッハに小さく頷き、ヴァルターはヘッドセットのマイクを口元へ持っていった。

 

「着艦は許可できない。主機を停止し、直ちにモビルスーツから降機せよ。繰り返す。着艦不可、直ちに降機せよ」

 

 《キュベレイ》から応答がない艦橋は嵐の前の静けさのような、耐え難い沈黙が支配していた。

 不意に、

 

『723で映像を送る』

 

 という簡潔な言葉を受け、ヴァルターがバンド(周波数)を合わせ、別枠表示を正面モニターに立ち上げる。

 《ジュピトリス》クルーにとっては見慣れた、彼女のパーソナルカラーである赤黒基調のヘルメットとノーマルスーツに身を包んだパイロットの姿が映し出されていた。

 バイザーを上げヘルメットを脱ぐと、無重力空間にオレンジがかった栗毛のショートボブが舞った。閉じていた瞳を開けたパイロットの蒼い視線が、モニターを通してバッハのそれとぶつかり合う。

 

『降機はできない』

 

 言いながら、彼女は腰のホルスターから拳銃を抜き、流れるような動作で初弾を装填、狙いを定めると、

 

「あっ!」

 

 腰を浮かしかけたヴァルターが制止の声を上げる間もなく、彼女は自身のヘルメットの側頭部を撃ち抜いていた。モニターの右から左へと穴が開いたヘルメットが流れていく。もう真空中には出られない。

 

(そこまで思いつめたか)

 

 彼女が決死の覚悟をしていることを察し、バッハは心で歯噛みした。

 ならば、応えてやるしかあるまい。

 

「《キュベレイ》のパイロットに告ぐ。私は当艦の艦長だ。

 我々木船(もくせん)にも、警備のブッホ社にも『プルツー』という名のクルーは登録されていない。それ以上、接近すればそのモビルスーツを攻撃する」

「ちょっと! 艦長」

 

 と抗議の言葉を言いかけるリンをバッハは一瞥し黙らせる。

 

(黒服たちを連れてくるべきだったかしら)

 

 リンは今更だが、この場に暴力に精通した人間を伴って来なかったことを悔いた。

 

「だが君がマリア・アーシタならば、着艦を許可する」

 

 口調こそ変わらぬが、バッハの目は包容力に満ちていた。

 バッハを振り返ったヴァルターが小さく首を振る。その表情は『危険だ』と語っていた。ヴァルターを、ちらっ、と見やり小さくバッハは頷く。

 長い、長い沈黙。

 居合わせたクルーは重力を持たない肉体が途方もなく頼りなく思え、文字通り、地に足が着かない不安感が去来した。

 まるで、時間がカタツムリの歩みになってしまったかのように引き伸ばされたような感じがする。

 そして、唐突にコクピット映像が《キュベレイ》側から一方的に遮断され、艦橋に緊張が走った。

 しかし、

 

『ありがとう、お養父(とう)さん』

 

 その柔らかな口調と内容は彼女がまだ人間であることを雄弁に語っていた。

 

『私は親不孝な子でした』

 

 音声だけになった通信。だが、バッハには何となくマリアが映像を切った理由が分かるような気がした。

 彼女の語尾が微かに、家族同然の彼にしか分からないことだったが、かすれていたからだ。

 

「そんなことはない。私こそお前の気持ちを分かってやれてなかった。すまない。

 《キュベレイ》の着艦を許可する」

『了解。通信終わり・・・・・・』

 

 【SOUND ONLY】のディスプレイが閉じる間際に、バッハはマリアが小さく鼻をすする音を聞いたような気がした。

 

 

 

 《キュベレイ》の全天周モニターの先に小さな噴射光が見えてきた。遠く離れるそれは今は豆粒ほどの大きさのように見えるが、近付けばそれは《ジュピトリスⅡ》の巨大なスラスター・ノズルから発せられたものだと、マリアはすぐに分かった。

 

「キア、やっと帰ってきたよ」

 

 つぶやきながら、マリアは左手首に巻かれた細いチェーン、それにつながれたペンダントウォッチを開く。哀愁のある旋律がコクピットに漂う。

 彼女は数フレーズ聞いただけで、何か思いを断ち切るように蓋を閉じると、手首からチェーンを外し、腰のポーチの中へペンダントを仕舞った。

 

「ただいま、《ジュピトリス》」

 

 

 

 天井近くに設置された電光掲示板の【AIR】の表示が赤い点滅から、緑の点灯に切り替わると、《ジュピトリスⅡ》のMSデッキは空気が充填されたことを示していた。

 《キュベレイ》専用のドリー(メンテナンス用ベッド)に駐機しジェネレーターを冷却させた機体の周囲には、ライフルを手にしたBSS、ブッホ社のノーマルスーツが十重二十重に取り囲んでいた。

 私はホルスターからナバン拳銃を抜き、左手には起爆用のリモコンを持って、コクピット・ハッチを開けた。

 ハッチ前の空間に漂う警備要員が緊張した様子で一斉にライフルを頬付けする。

 その内のひとりがヘルメット・バイザーを上げて、呼びかけてきた。

 

「マリアさん、武器を捨てて投降してください」

 

 私の部下、-いや、【元】部下のオリヴァーだった。

 

「悪いが、それはできない」

 

 拳銃を腰だめに構えた私は、数時間前にフラストにやって見せたように、取り囲むオリヴァーたちにリモコンを見せつけた。

 

「騙してすまないが《キュベレイ》には爆弾が仕掛けてある。ここで吹き飛べば皆仲良く天国でパーティーが開ける」

 

 聞いたオリヴァーの顔色が変わった。

 

「どいてもらおう」

 

 四方八方へリモコンを向けながら、私は注意深くコクピットからデッキ床面へと脚を蹴り出した。

 無重力遊泳に飛び出した私はデッキの奥の端に駐機した巨大なシルエットに視線を奪われた。そこは2ヶ月前には《ZZガンダム》の駐機スペースとして、がらんとした空間が広がっているだけだった。彼の、ジュドーの愛機は今木星にある。

 その重MS用ドリーに置かれた機体は全体を覆うグレーの宇宙塵シートカバーに覆われ、機種は判然としないが私の推測でも、

 

(20m超級の大型モビルスーツかモビルアーマー?なんであんなものが)

 

 深くその先を考える間もなく床が迫ってきて、直前で前宙返りし足から着地すると、私はマグネットブーツを作動させて立ち上がった。

 

「仕掛け爆弾なんて、姑息なマネをしてくれるじゃない」

 

 私の右方向からかけられたその神経質そうな声。私は首を回して顔だけを向けパンツスーツの女をにらんだ。

 

(ふっ、まだノーマルスーツを着てないとは余裕か。それとも私と同じ自殺願望者か)

 

 私は声を立てずに嘲笑した。

 

「おまけに、わたしが渡した発信機はネオ・ジオンの船に仕掛けてないようねぇ」

「あいにく、私はお前のように仲間を売るような汚いマネは出来ない」

 

 体ごとその女、リンに向き直ると、引き連れた黒服の二人が彼女を守るように前に立った。まだ私の右腕は体の線に沿って、だらりと垂れナバンの銃口は床を向いていたが、左手のリモコンはまっすぐリンに向けて伸びていた。

 

「それに『姑息なマネ』なんて言われたくないね。イイヅカさんとバーバラを解放してもらおう」

「マスターを裏切った人形がよく言うわぁ」

 

 あからさまにリンが不機嫌そうな顔つきとなる。

 頭上に漂うブッホの警備要員たちは動くことも出来ず、ライフルを抱えたまま事態を注視するに終始していた。その彼らに向けて、私は声を張り上げる。

 

「スペース・ランチを準備しろ!」

 

 爆弾を脅迫材料にイイヅカたちを解放、奪ったスペース・ランチで脱出させ、マリア自身は捨て身の時間稼ぎをするつもりだった。ランチは《ダイニ・ガランシェール》隊が救出してくれるはずだ。

 彼女の言葉にも警備要員はお互いに顔を合わせるばかりで、誰も動こうとしなかった。私は苛立ちと焦燥感に襲われた。

 

「《ジュピトリス》が粉々になってもいいのか!?」

 

 さらに、私が怒号をかぶせると、ようやくオリヴァーがのろのろと動き出し、他の人間もそれに釣られだした。

 もっとも、宇宙船としては大きくない《ダイニ・ガランシェール》ならともかく、全長2㎞の《ジュピトリスⅡ》をファウストの弾頭2発と《キュベレイ》の誘爆で『粉々に』出来るかどうかははなはだ疑問であったが。

 実はそもそもこのリモコンは、

 

「そいつはブラフ、はったりさ」

 

 突如、沸き起こった少女の声音に私は胃袋を捕まれたような気になった。10歳ぐらいの黒髪の少女がリンと黒服の背後から冷たい微笑を顔に浮かべながら現れる。

 その姿を見た私は胃袋どころか心臓を潰されるような驚きに襲われた。

 ヘルメットを小脇に抱えた少女は今私が着ているのと同じ、赤黒基調のノーマルスーツに身を包んでいた。それは紛れもなく10歳のときの私、かつての『人間兵器』が着ていたノーマルスーツだった。

 

「エイダ!?その格好、あなた、何しているのっ!?」

 

 驚愕の私は少女エイダに一喝とも疑問とも取れる大きな声を上げる。

 ちっ、とエイダは音高く舌打ちした。

 

「いちいち頭に響く声を出すな。第一なんだ『エイダ』って?私は、」

 

 その口調も表情も私を不安にしてやまない。それはまるで鏡に映る10年前の自分の姿を見ているようだった。

 

「私はプルツーだ」

「ッ―――!?」

 

 私の頭の中が『なぜ』という疑問符で一杯になり何も思考できなくなった。

 その時!

 左斜め後ろから湧き上がったプレッシャーに、すぐに振り返った私は繰り出された手刀をかろうじて左手でブロックした。

 

「しまっ!」

 

 だが、持っていたリモコンは衝撃で私の手を離れ、くるくると回転しながらリンたちの方へ流れていった。

 手刀に続いて、突進してきた黒服が私の右手を払い、ナバンも手を離れる。返す動作で打ち込まれる右ストレートをタイミングよく掴み、私は黒服を後方へと一本背負いに投げ飛ばした。

 そこで後ろ向きになった私をもうひとりの黒服が羽交い絞めにする。私は左足のマグネットブーツを咄嗟に解除し、思い切り黒服の足の甲へ踏み付ける。

 

「――ッ!」

 

 声も立てずに私を締め続けるところは立派だったが、さらに私が後頭部を逸らしてその鼻頭に頭突きを喰らわせると、さすがにその体が揺らいだ。

 

「そこまでだ」

 

 足を後ろに跳ね上げ黒服の急所を攻撃しようとした私の眼前にナバンの黒い銃口が突きつけられ、それ以上の抵抗はできなかった。

 それは私の元上司カール・アスベルだった。ノーマルスーツのヘルメットバイザー越しの醒めた視線と表情からは何も読み取れない。

 

「はははっ!」

 

 乾いた笑いを上げながら、少女が私の手から離れたリモコンをいじってもてあそんでいた。少女が末端のスイッチをカチカチと押す様子に、ブッホの警備要員たちが、ぎょっ、とするが、『ブラフ』、『はったり』と言われた通り《キュベレイ》は爆発しなかった。《ダイニ・ガランシェール》を出る前にフラストたちに言われ、リモコンの起爆装置は解除していた。

 

「お前、大したことないね。口先だけ舞い上がった女がっ!」

 

 エイダがさも愉快そうに哄笑した。

 

「この女ぁ」

 

 投げ飛ばした方の黒服が呻き後ろの首をさすりながら、こちらに向かってくる。懐からスタンガンを取り出した。

 

「残念だったな」

 

 銃口を突きつけたままのカールの口調は黒服と対照的に冷酷そのものであった。

 首筋にスタンガンが押し付けられ、次の瞬間、背筋が限界まで反り返るほどの衝撃に見舞われ、動けなくなった私に後ろの黒服が首を締め上げる。頚動脈の血流が止められ、私の意識は深い闇へと落ちていった。

 

(フラスト、皆、あとは頼む・・・・・・)

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12番目の幻影

 

(エイダ、なんであんな風に変わってしまったんだ? リンはあの子に何をしたんだ?)

 

 マリアの意識は下へと落ち続けた。

 

(キアもイイヅカさんもバーバラも、誰も救うことができなかった)

 

 周囲は暗すぎて何も感じ取れない。深海に着底した鉛の塊になったような気分だった。

 その時、ふっ、とマリアの鼻腔を甘い香りがくすぐった。

 

(いいえ、あなたはもうあの子を苦界から救ってあげた)

 

 ふと、そちらの方を見遣ると左右に揺れる光が緑の鱗粉を散らしていた。マリアはその甘い香りに、声に何か覚えがあるような気がした。

 揺れる光は後ろに結んだ栗毛の先端であった。女性の後姿だった。歩くたびに、馬の尻尾のように規則正しく左右に栗毛を振っていた。

 暗闇に唯一輝く。まるで誘導灯のようだった。

 

(待ってよ)

 

 遠ざかりつつあるシルエットを追いかけ、マリアはその肩に手を伸ばす。

 

(私は、・・・お前を知っている?)

 

 肩に手を突いたとき。

 体が前方に突き飛ばされたように押し出され、女性も暗闇も消え去り、情景が一瞬にして移り変わっていた。かろうじて踏みとどまり、周囲を見渡すと、旧世紀の古い現像写真のようにセピア色に染まる街並みが広がっていた。その中で、通りに面した酒場の看板が照らすピンクや紫の淫靡なネオンの光だけが色彩を演出していた。

 夜の盛り場。一階では安物の酒を出すが、二階では別のものを提供する。

 

「ふざけるなっ!この淫売ババァ!!」

 

 場末のとある酒場の二階から聞き覚えのある声が、通りに佇むマリアまで薄い壁を突き破って到達した。

 

(そう。1年前に私はエイダとここで出会った)

 

 だが、それは彼女が脳の奥に封印してきた記憶だった。

 

 

 UC97年某月。木星圏のあるコロニーにて。

 《ジュピトリスⅡ》のクルーに突如召集命令が下され、休暇は取り消された。船に残っていたクルーは街に繰り出していた同僚・部下らを呼び戻していた。

 ほとんどのクルーは義務として携帯端末を持ち歩いているので、簡単に連絡が着いた。しかし、休暇のときにわざわざ端末を船に『置き忘れる』不心得者も中にはいた。

 《ジュピトリスⅡ》整備長のイイヅカもそのひとりである。

 

「困ったもんだ。イイヅカさんも部下を持つ身なんだから、いつまでも能天気じゃ・・・」

 

 私、マリア・アーシタは舌打ちを漏らしながら通りを早足で進む。

 結局イイヅカとは連絡が着かないので、私以下BSS社の人間が直接街に行き、探す事態となった。

 少し戸惑ったが、彼が行きそうなところといえばこのネオン街であることから私は足を踏み入れた。うろつく酔客や黒服が卑猥な言葉をかけてゆく。無視してイイヅカの捜索のみに意識を集中した。

 

(まだ子供じゃないか!?)

 

 脳裏に彼の激昂する思考が入り込んできた。

 近いぞ。どこだ?

 私は周囲に注意深く視線を送りながら駆けた。

 そして、『Candy Girl』という電飾看板が点いた店の前を通り過ぎようとしたとき、

 

「ふざけるなっ!この淫売ババァ!!」

 

 即座に立ち止まった。ためらわずに店のスイングドア、ー旧世紀の古いフィルム、西部劇に出てきそうな、-を押しやって中に入り、蒼い瞳を走らせる。

 丸テーブルに突っ伏しグラスをもてあそぶ酔客。カウンターの内からとがめるようないかつい視線を送る酒場の親父。けだるそうにゆっくりと回る天井扇。羽の枚数まで数えられそうな気がした。まるで、今の私の気持ちそのもののような回り方だ。

 すぐに一角の階段が目に止まり二階へと上がる。狭い廊下の端で口論する二人、ー中年以上の女のぜい肉のたっぷり乗った後姿と、M字禿頭の中年アジア男性、-を見つけ、盛大に嘆息した。

 

「俺は確かに『若い娘が好い』とは言ったが、子供がいいと言った覚えはねぇ!」

「なに言ってんだい!こんなはした金で全うな女が抱けると思ってたのかい!?用は抜ければ、良いんだろう?

 その子だって口が使えるんだから」

「てめぇ、こんな年端もいかねぇガキに客を取らせようと、・・・しや、がって、・・・」

 

 廊下の反対端でブッホ社のロゴが胸に入った濃紺のジャンパーに身を包み、同色のベレー帽をくるくる、と指で回してもてあそぶ私の姿を捉えたのだろう。イイヅカの口調は尻すぼみに小さくなっていった。

 

「よう、おっさん」

「・・・よ、よぅ」

 

 背中を壁に預けた私は剣呑な視線と気軽な呼びかけをイイヅカに送る。さっきまで元気よく口論していた勢いはどこへやら、中年親父はおびえる小動物のようだった。

 その様子に顔を疑問符で一杯にした女が私の方を振り返った。体の前面にもたっぷりと肉が乗っかり、どこが顎やら首やら、どこから胸なのか腹なのか、全く判別できない。

 

(まさに肉塊、だな)

 

 おまけに、太すぎてはっきりとしない首には二重にパールのネックレスを巻きつけている。

 

(俗物。・・・いや、欲の塊、と言った方がいいか)

 

 嫌悪感が強くなった。

 

「召集命令だ。お楽しみのとこ悪いが、休暇は取消しだ。《ジュピトリス》に戻れ」

 

 イイヅカの方へ近付くと彼のうろたえる表情が強くなり、久しぶりに愉快になった。

 イイヅカの前には半開きのドアがあり、その中をのぞいてやろうとやる気満々だった。

 呆然と私の顔を見る女の脇を通り抜けるとき、トイレの芳香剤のような強烈な臭いに私は舌打ちし、女に一瞥をくれた。

 

(まるで、心の腐敗を隠すような臭いだな)

 

 にらみを受けた女は、まるで『幽霊を見た顔』に変化し、棒のように立ちすくんだ。

 歩みを止めぬままドアの前まで来ると、そこに片手を突いた。

 

「・・・いやいやいや!」

「いやいやいやぁ?」

 

 口元に不気味な笑みを浮かべながらも、蒼い瞳は全く笑っていなかった。無情にドアを押し開ける。

 そして、室内の様子を見て、私の手からベレー帽が床に落ちた。

 

 10歳ぐらいの黒髪の少女がいた。

 髪と同じ黒色のベビードール、まとうのは透ける扇情的な一枚のみ。天井から吊り下げられた鎖につながった手枷に拘束され、十字架にかけられた神の子のようだった。

 ドアが開けられ部屋に差し込む明かりが強くなったからだろう、俯いていた少女がこちらに気付き顔を上げる。

 東洋と西洋が入り混じり整った顔立ち。しかし、目はにごり光は宿していない。

 そして、ぴったりと合わされた太ももの内側、その谷間の上から赤い液体が、たらり、と下へゆっくりと流れ落ちていた。

 私の理性は吹き飛びそうになった。

 

「お前っ!!」

 

 イイヅカを壁に突き飛ばし、ジャンパーのポケットから小型リボルバーを抜く。銃口を向けなかったのは、かろうじて理性が残っていたからだろう。

 

「まてまて!やってない!!あのババァとのやり取りを聞いただろうが!?」

「あんた、・・・まさか、・・・」

 

 リボルバーに気付いていないのか? 女は取り憑かれたような目をして、よろよろと向かってきた。

 近付くにつれ、女の香水が強くなる。思わず、鼻の頭にシワを寄せた。私は捕まれる前に彼女を突き飛ばした。

 

「臭い女だなっ!」

 

 尻餅を着いた女を冷たく見下ろす。

 すると、

 

 

(臭い子だねぇ!)

 

 

 女はおびえた目で見上げながら口も開いていない。それなのに何かの記憶の残渣が脳裏をかすめた。

 

「あんた、・・・

 あん時のチビすけじゃないか!勝手に足抜けして、こんなとこにいたのかい。この恩知らずめっ!」

 

 ー一体なにを言っているんだ、この女は?

 

 恐れ怒るに従って女の体から『黒い揺らめき』がにじみ出て、水をぶちまけたかのように床に広がっていき、私の足元へ向かってきた。

 

 ーなんだ? これは? 来るな! 入ってくるな!!

 

 それは重力に逆らうように、足から膝へ、膝から私の秘部へと潜り込もうとした。

 咄嗟に手で払おうとすると、そこには先ほど女を突き飛ばした時に付いた『黒い揺らめき』がべっとりと油のように付着していた。

 恐慌状態になりかけた私はリボルバーの銃口を女のほうへ向ける。

 

「お前! 何をした!!」

 

 

 

 そこに女はいなかった。

 代わりにそこにいたのは、少女だった。だがそれは先ほどの黒髪の少女ではない。少し年上の15歳ぐらいだろうか?手入れも知らない栗毛を伸び放題にぼさぼさにしていた。俯いた少女の表情は窺えない。

 気が付けば、私は拳銃ではなく、杖を手にしていた。

 

(これは、・・・夢?)

 

 だが、夢にしては情景がやけに鮮明であった。それなのに、杖を持つ指先や肌の感覚はこれを現実と認めていない。ずれた感覚、違和感があった。

 

(これは誰かの記憶の中・・・?)

 

 そう思った直後、『私』は杖を振り上げ、床に座りこんだ少女に叩きつけていた。

 

「なにガキなんかこしらえてるんだよ、お前は!自分の立場が分かっているのかい!?」

 

 『私』の口から発せられた声は、あの淫売屋の女のものだった。

 何度も少女を打ち据えると『私』は杖を投げ捨て、少女の手をつかみ引きずるようにエレカに乗せると、看板も出していないモグリの診療所へと連れ込んでいった。

 少女を無理やり診療室に押し込め、禿頭の闇医者に何事か囁くと『私』はさっさとそのドアを閉め外の待合室でタバコを吹かし始めた。

 どれくらい時が経ったのだろう?

 買ってきた新しいタバコの包みを開け、その最後の一本を吸い尽くそうとしたその時、医者に抱えられるようにして、足元のおぼつかない少女が診療室を出た。

 

「売り物に傷は付いてないだろうね?」

「ああ、だが・・・」

 

 『私』の言葉と医者のやり取り、茫然自失となって待合所の椅子に座り込む少女を無視して、私の意識は診療室の中へ飛んだ。

 まるで、拷問器具の一種のような両脚を広げるように固定できる診療ベッド。その横のワゴンにはハサミや先端が鉤状になった金属の棒がトレーに入れられている。ハサミ類はすべて血まみれだ。

 そして、一際目立つ大きめのボウルが置かれていた。ボウルの端にも血がべっとりと付着している。そして、私は薄いステンレスの向こうで、光がしぼんでいくのを見た。

 

(なんの光だ。小さな鼓動のような・・・・・・?)

 

 中身へ意識を飛ばさずにはいられなかった。

 そして、

 

 

「うあああぁぁぁ!!!」

 

 絶叫し、見た物のおぞましさに激しく嘔吐した。狭い廊下に吐き出せるだけ吐き出すと、私は口を拭おうとしてリボルバーを手にしていることに気付き、ここが現実だと認識した。

 

「お、おい!?大丈夫か?マリア?」

「うるさい!私に触るな!!」

「誰のせいでこんな宇宙の果てに追い出されたと思ってるんだい!?」

 

 淫売屋の女は立ち上がりこちらをにらみつけ、わめいていた。

 

「お前の仲間があたしの店をめちゃくちゃにしたからだろう!めしを食わしてやった恩を忘れて・・・。

 無理やりおろさせたのが、そんなに憎かったのかい!!」

 

 その言葉がボウルの中身を思い出させ、激情に駆られるまま女にリボルバーの銃口を向ける。

 

「お前、気持ち悪いんだよっ!」

 

 女の体は壊れた機械仕掛けの人形のように震えた。

 

「こ、このジオンの生き残りのくせに!!」

 

 再度女の背中から立ち上った『黒い揺らめき』は今度は放射状に広がって包み込んだ。

 

 

 

「使えない子だねぇ。ひざまづきな!」

 

 『私』が手にした杖でまた少女を叩き、無理やり床に座らせる。

 

(イヤだ!これ以上変なものを見せるな!!)

 

 そう思っても、その情景は私の中に直接入り込んでくる。

 

「下がダメなら、口でやるんだよ」

 

 少女を『買った』男は倒錯的な笑みを浮かべながら、左手でズボンのジッパーを下ろし、右手で少女の髪を乱暴につかみ、上へ向けさせる。

 その顔を見た私は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。

 オレンジがかった栗毛。蒼い瞳。先細りの顎。

 紛れもない、それは私自身だった。

 

(なんだ、これは。発狂したのか?)

 

 ー先日のジュドーとルーの結婚式以来、ふさぎこんでいた私は頭がおかしくなってしまったのか?

 ーそれとも、昔子供のときに擬似記憶でグレミーにこんなものを植えつけられたのか?

 そして、

 混乱する意識を無視して、男が行為に及んだ。

 

 

 ・・・助けて

 

 ・・・たすけて

 

 ・・・タスケテ

 

 少女が気持ち悪さに咳き込み、えずく感覚が私の中に入ってくる。

 ―ヤメロ!!

 

 ―――助けて

 

 ―――たすけて

 

 ―――タスケテ

 

 痛くても痛いと言えない、苦しくても苦しいと言えない、少女の絶望が私の中に入ってくる。

 ―チクショウ!コロシテヤル!!

 

 

 

「やめろ―――ぉぉぉ!!」

 

 引き金を引くと、狭い閉鎖空間に銃声が反響し聴覚を麻痺させた。

 眉間を撃ち抜かれた淫売屋の女はがくりと崩れ落ち、膝を『く』の字にして仰向けに倒れた。射入口から水道の蛇口をひねったように血が噴き出す。

 女に向けて引き金を引き続けた。動かぬ肉塊となった女は、弾着の度に脊髄反射で手足をピクピクと痙攣させた。

 すでに空となった回転弾倉が虚しく回り続け、撃鉄が乾いた音を立てていた。

 後ろから両肩を捕まれ、無理やり振り向かされた。イイヅカだった。大声で何か叫んでいるようだが、銃声と精神的な衝撃で呆然と彼の顔を見返すことしかできない。私の手をつかみ階下へ逃げようとしているようだ。

 

 ―――タスケテ

 

 引きずられるように2、3歩踏み出して思い留まり、立ち止まった。

 

 ―まだ呼んでる声がする・・・。

 

 イイヅカの手を振り払い、開け放たれたドアに向かい中に入った。鎖と手枷につながれた黒髪の少女が、虚ろな目を私に向けつぶやいた。

 

(・・・タスケテ)

 

 その顔にもうひとりの自分の顔が重なる。怒りと混乱に霧がかかっていた頭がはっきりしてきた。

 

「・・・ってるんだ!?マリア、早く逃げるぞ!!」

 

 イイヅカを無視して鎖を手繰る。リボルバーを仕舞うと、右腕にできるだけ鎖を巻きつけ両手でそれを握り、壁に片足の裏を付けて踏ん張った。

 

「何やってんだよ!?そんなのほっとけ」

「この子を、苦しめるものを、断ち切る」

 

 全身に力を込める。大胸筋が収縮し、上腕二頭筋が盛り上がるのを感じた。ギチギチ、と限界にきしむ金属音が部屋に響いた。

 

 

 

 《ジュピトリス》に逃げるように戻り、艦長のウド・バッハに報告すると彼は、

 

『分かった』

 

 それだけ言ってマリアとイイヅカを解放し、自室で待機するよう命じた。

 連れてきてしまった少女、―エイダと少女は自分の名を言った、―は航宙長のバーバラが面倒を見てくれているようだ。

 私は照明も付けず、暗闇の部屋に膝を抱えてひとり沈んでいた。

 そこへドアがノックされる。

 

「マリィ。キアーラだけど、開けてくれる?」

 

 何も言えず、動くこともできなかった。

 長いこと無為に時が過ぎていったが、外のキアーラも去るつもりはないようだった。

 のろのろとした動作でドア横まで行き、電子取手を開錠する。

 

「ごめんね。無理、させちゃった、かな?」

 

 首だけ振って何とか否定の意思を伝えた。

 しかし、すぐ部屋に戻り床にうずくまる。今は廊下の照明を受けて輝く彼女の金髪ですらまぶしかった。

 キアーラは部屋に入ると、壁の間接照明を一番弱く点けると、すぐ隣に腰を下ろした。香ばしいカカオが私の鼻腔をかすかに刺激する。

 

「はい、ココア。どうぞ」

 

 キアーラが無重力用の飲料カップを差し出す。

 

「熱いから気を付けてね」

 

 カップを受け取ろうと私は手を伸ばしたが、指先が震えていた。きっと唇も震えていると思う。

 

「マリィ?」

 

 キアーラが心配する目つきをしていた。私はごまかそうとして笑おうとしたが上手くできずに、顔を変に歪めただけだった。

 

「は、はは、なんだろう」

 

 手を引っ込め、また自分を抱いた。キアーラは何も言わず、ただ私の震える手に自分のそれを重ね合わせてくれた。彼女がそうしてくれていると、私の不安は少しだけ軽くなるような気がした。

 私は短く嘆息した。

 

「初めてだった」

 

 エメラルドグリーンの視線が私の横顔にじっと注がれていた。

 

「エルピー・プル、エマリー・オンス。モビルスーツの戦いでは何人も手にかけてきたけど」

 

 キアーラは幾分怪訝そうな表情をしたようだが、

 

「初めてだったんだ」

 

 何かを悟ったように息を呑んだ。

 私の網膜にその光景が焼き付いて離れない。

 糸が切れた操り人形みたいに倒れる女。床に広がる赤い染み。動かぬ肉塊。

 

「生身の、無抵抗な人間を、正面から・・・・・・」

 

 それ以上言わせず、キアーラが強く抱きしめた。彼女の暖かさが伝わってくる。

 

 でも、

 それでも、

 私の震えを消し去ることはできなかった。

 

 

 次の日から私は医務室に通い、精神安定剤を処方してもらうことになった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴君、再び

 

 変な夢を見た。

 暗闇にたたずむ私の前に男の子がいた。3歳児ぐらいだろうか? 巻き毛の綺麗な銀髪だった。

 

「アンジェロ?」

 

 その問いかけには答えず、子供はにこりと笑った。弓なりになった目の奥。

 

(同じだ・・・・・・)

 

 それは深海のように蒼かった。

 

 

 ―もうすぐ、会えるよ。

 

 

 

「さぞかし保釈金も相当な額だったんでしょうねぇ。ええ、ええ、そうでしょうとも、カーバイン夫人。あなたほどにもなれば、その筋にも顔が利くでしょうから」

 

 遠くで誰かが会話している。でも、はっきりとは分からない。体にだるさ、熱っぽさ、その上、軽い吐き気もあった。

 

(また変な薬でも打たれたのか・・・?)

 

 夢うつつのマリアはまだ朦朧とした意識の海を漂っていた。

 

「それでプルツーという被験体はこちらで確保しました。

 また、核弾頭は木星ジオンでイリア・パゾムとか言う海賊の手に渡ったようです」

『木星ですって? 火星ではないの?』

 

 暗い室内でモニターだけが白く点灯している。ここは《ジュピトリスⅡ》内の普段は使われていない第二通信室だった。現在はクライアントを通して得た大きな権限を持って、リンが独占して使用していた。

 リンが正対するモニターには中年の女性が金髪を映す。

 

「ええ。こちらでも理由ははっきりと分からないのですが、【木星ジオン】が手に入れたようです。

 それと、大変申し上げにくいのですが、影武者のキアーラ・ドルチェが死亡したようです」

『なんですって!? 確かなの?』

「はい。裏も取りました」

『なんてこと。影武者が死んでしまったんでは計画も何もないわ! 強化人間なんて、いくら持っていたって意味ないわ』

「お、お待ちください。サイド3で再調整に必要な器具も手に入れました。実際、他の子供ですが試用して、ブレインウォッシュの結果も良好です。これを使えば」

『役に立たないと言っているでしょう! 2年前とは状況が違うのよ!』

 

 吐き捨てるように言うと、モニターの向こうで女性は手にしたシャンパンのグラスをあおる。セミロングのブロンドと肌は、艶と張りを失っていた。年齢相応の、いやそれ以上のかなり疲れた様子だった。しかし、少しエラの張った頬と突出したオトガイが気性の強さを象徴しているようにも見える。

 

『そもそも『箱』の中身を単なるゴシップに変えさせるために、影武者を使うつもりだったのに。飼い犬程度のプルシリーズだけ手に入れて今更何に使えるというの?』

「その、・・・・・・再調整してネオ・ジオンに潜り込ませれば、ミネバ・ザビを暗殺する刺客に使えると思いまして。最近まで、ミネバの側近に別のプルシリーズがいたと聞いておりますし」

『さすがに木星みたいな田舎暮らしが長いと情報が古いわねぇ。そんなことはあなたに言われるまでもなく知っているわ! 私も当事者の一人だったんだから!

 確かに、『死んだ飼い犬にそっくりの犬に喰い殺される』なんて構図は、最高のショーだとは思うわ。それに、私もあの小娘に復讐したい、とは言ったわ。

 でも、小娘一人殺したところで今の私に何のメリットがあって!? 復讐っていうのはそういうことじゃなくて、・・・・・・はぁ、もういいわ』

 

 片手を額にやった女性はうつむき、もう片方に握られたグラスを無言で給仕の方へやると、心得た彼はそこへなみなみと琥珀色の液体を注ぐ。

 

(飲まずにはいられませんか)

 

 リンが口に出さずとも、クライアントの女性を察する。

 

「では、この強化人間はいかがしましょう? 処分しますか?」

『そうね。あなたの方でやっておいて頂戴』

「わたしは暴力は好みませんので、お借りしている方々にやっていただきます」

『好きになさい。・・・・・・いえ、ちょっと待ちなさい!

 そう、あの男がいたわね。三十路過ぎで人形遊びが好きな男が』

 

 独り言のようにも取れる女性の言葉にリンは怪訝そうな顔つきとなる。

 

『変なことを聞くようだけれど。その強化人間、性的不能なんてことはないでしょうね?』

「は、はぁ?」

『つまり、女として使えるのか、子を作る道具になりうるのか、って聞いているの』

「えーと、カルテによるとその辺はなんともぉ。ただ、最近は中度の薬物依存症だったようです」

『その程度なら構わないわ。女の機能があるのか、ないのかは次回までに調べておいて頂戴』

 

(調べるって、まさか私がやらなきゃいけないのかしら?)

 

 リンは戸惑いを悟られないように、手元のカルテに目を落としうつむいた。

 

『いいわ。うまくすれば、あの子に対して脅迫材料としても、贈答品としても、それに私の方へ戻ってこないのであれば、暗殺者としても使えるわ。

 アルベルトは意外と一途なところがあるから、きっとあの娘のことを忘れていないわ』

 

 しかし、最後にはクライアントが口元に笑みを浮かべていたので、リンも一安心だった。

 やがて、レーザー通信は誰に知られることもなく切断された。

 

 

 ひとつ嘆息して、腰掛けたままリンは後方へチェアーを回転させる。

 そこに旧世紀の処刑・電気椅子を思わせる巨大な器具が設置され、周りにはおびただしい量のコード類が床から椅子本体にかけてトグロを巻いていた。

 そして、その椅子には四肢を手枷・足枷に拘束されたマリアがいた。自傷・自殺防止のためご丁寧に口枷まではめられている。うつむき加減のマリアはモニターの光を受け、顔が青白く浮かび上がって見えた。

 瞳がうっすらと開く。

 

「眠り姫のお目覚めかしらぁ?」

 

 気が付いた私、マリアは蒼い瞳に殺意を込めてリンをにらむ。歯噛みするが棒状の口枷が口の端にくい込むばかりだった。

 

「まぁ、怖い」

 

 リンは顔を離し、わざとらしく口元を手で隠して見せた。

 

(気持ち悪いババァだ)

 

 私は眉間のシワをますます深くした。

 

「でも、そんな顔をしていられるのも今のうちだけよぉ。あなた一体何に座っているか、分かるかしらぁ?」

 

 リンは動けない私に構わず耳元に息を吹きかけながら囁いた。

 必死に首を巡らせようと身をよじるが、四肢を拘束する枷がガタガタと物音を立てるだけだった。

 

「分かっているようね。そうよ、再調整に使うブレインウォッシングマシーン。その機械にかかれば、あなたもマリア・アーシタからプルツーに戻れるわ。記憶の刷り込みでねぇ。

 まぁ、あなたも自殺するような小娘じゃないだろうから、これぐらい外してあげるわ」

 

 リンが口枷を緩め首元へ外す。先ほどから少し嘔吐感があった私は床に唾を吐いた。

 

「あら、汚い」

「唾液はただの生理現象だ。お前の精神ほど汚くはない。それにこんなことをされて喜ぶような、特殊な性癖は持ち合わせていないからなっ!

 エイダをこの機械にかけたな?」

「しょうがないでしょう。サイド3のジャンク屋から買ったのよ、それ。実際、使ってみなきゃ本当に使えるかどうか分からないでしょ?」

「素人が使いこなせると思ってるのか!? 一歩間違えば、あの子を廃人にするところだったんだぞ!」

「私がやったんじゃないわぁ。衛生長にやってもらったのよぉ」

「そんな、先生まで?」

 

 2ヶ月前まで、月一回必ず訪れていた医務室のことを思い出す。

 

「簡単なことよぉ。あの人も自分や家族の保身、それに金次第でどうにでも転ぶ、ただの人間だったってことよぉ。でも、安心なさい。プルツー、あなたは再調整しようにも今はもうできないから」

「どういう意味だ?」

「彼、先週、拳銃自殺しちゃったのよぉ。何か嫌なことでもあったのかしらねぇ?」

「――っ! 貴様、殺してやる!」

「ちょっとぉ、勘違いしないで。本当に自殺なんだからぁ。あのエイダって子が人間兵器にされていく過程が、ちょっとしたホラーだったんじゃない? あの人、医者に向かなかったのよぉ。

 なによ? そんな目で見ないでよ。あの拾ってきた子だって、元から廃人みたいなものでしょうに。親は海賊に殺されて身寄りもいなかったんでしょ? おまけに、変態の遊び道具にされてて病気持ちって言うじゃない。今更わたしがどう使おうと、どこからも文句は出ないわよぉ」

 

 私の視界は怒りの赤に染まり、これ以上リンを侮蔑する言葉も思いつかなかった。私の語彙力ではリンの醜さを表現するには力不足だ。

 

「ねぇ、こんな言い合い子供の口げんかみたいなものだわぁ。あなたとはもっと建設的な話し合いがしたいのだけれど」

「どうやって? この電気椅子につないだ状態で、か!」

「義務を果たさなければ、権利は得られないのよぉ、プルツー。これはあなたの能力をフルに活用できる仕事なんだからぁ」

「ふんっ! どうせお前のことだから、ろくなことじゃないだろう。モビルスーツでサーカスでもやらせようって言うのか?」

「違うわぁ。ミネバ・ザビを暗殺して欲しいの」

「それみろ。ろくでもない」

「そうかしらぁ? あなたの家族だったキアーラさんは喜ぶと思うわぁ」

「私がミネバを殺すことを、キアが喜ぶわけがないだろう。あの子は」

 

 言いよどんだ私はキアーラの記憶に見た、赤ん坊を抱くドズル・ザビを思い浮かべた。

 

(あのことを知られてはまずい。あれは私が墓場まで持って)

 

 不自然に口をつぐんだ私の顔をリンはやけに達観したような、しかし、見下すような表情も含ませて眺めていた。

 

「わたしはニュータイプって人種じゃないけど、陰謀を巡らせるのは楽しいわ。だから、今はあなたが考えていそうなことが分かるわぁ。

 でも、不思議。あなたが『あのこと』を知っているのに、まだミネバの肩を持つなんて」

 

(この女は、まさか知っている!?)

 

 顔に出た一瞬の動揺がリンの推測を確信に変えた。

 

「だってキアーラさん、ミネバの異母姉妹だったのよぉ」

「・・・・・・血がつながっているなら余計そうだろう。誰が自分の姉妹を殺そうだなんて」

 

 私は、はっ、とした。そして、自分がかつて犯した、決して消えぬ罪の呵責(かしゃく)と、間違ってもそんなことは言えない立場にある、矛盾にさいなまれた。

 

「そうよねぇ。姉殺しのあなたがそんなこと口にする資格ないわねぇ。

 でも、プルツー。あなたは間違ってる。血がつながっているからこそ、憎悪は増すのよ。

 可哀相なキアーラ様。ザビ家の貴族主義が生んだ不運な私生児。母親が正妻でなかっただけで影に追いやられ、挙句、自分の叔母に人体実験まがいにお体を切り刻まれて」

「ち、違う!あれはキア自身が望んだ。それにハマーンだって、あの子のことを心配してた!『すまない』って」

「誰がそれを証明できるの?あのお方はもう死んでしまったのよ。

 なぜ死んでしまわれたの? それはね。正妻の子に殺されたのよ。あの子さえいなければ、あのお方だって光の中を歩むことができたのよ」

 

(あの・・・お方?)

 

 私の膨れ上がった疑問は意識を拡大させた。拘束を無視し、憑いた眼のリンへ、彼女の脳髄へと到達しようとした。

 

 

 

 モノクロームの洋館。

 屋敷の中で、10歳ぐらいの少女が赤ん坊を抱いてあやしている。

 

「わあぁ、かわいい!!ほら、お姉ちゃんも」

 

 もうひとりのツインテールの少女。呼びかけられた彼女は赤ん坊を抱く少女よりも少し年上で、うつむき、後ろ手に組んだ体をゆらゆらとゆすっているだけだった。

 

(なんだ? しかし、この感じ。ハマーンなのか?)

 

 暗く沈んだ表情のツインテールを見ていた意識は、突如割り込んできた黒い思惟に塗り潰されそうになった。

 

(マレーネお嬢様のお子がザビの名を継げば、カーン家はますます)

 

 端で少女たちの様子を静かに見守るひとりの侍女。その口元が一瞬、薄笑いを浮かべる。

 髪型も顔の形も違う。しかし、その女は、

 

 

 

「リンっ!お前はカーン家の使用人だったんだな!だからキアのことをっ」

「アッハハッ!ニュータイプって本当に嫌な人種ねぇ。プライバシーも何もありはしないじゃない」

 

 リンは顔をくしゃくしゃにして笑った。人の笑顔は時として、何よりも雄弁に怒りを表す。今のリンがまさにそうだった。

 

「でも、あなたを説得することは無理だとよーく分かったわぁ。やっぱり、再調整するしかないようね。いえ、そんな生ぬるいものじゃ、あなたは危険ね。大脳皮質は切り取って焼却処分だわぁ。

 完全な人形になりなさい!」

 

 リンが壁際の戸棚から救急キットを取り出し、ピストル形状の注射器を手にする。そして、カートリッジ式の薬剤ボトルをその後部へ差し込んだ。

 

「次に目覚めたら、そこは違う世界になってるわよぉ。

 わたしも『本物のプルツー』に出会えるのを楽しみにしているわ」

(沈静睡眠剤か)

 

 眠らせてコールドスリープ装置という棺の中へ。どこかの研究施設に連れて行かれ、きっとそこでマリア・アーシタは殺される。

 思い出が私の頭の中を駆け巡っていく。

 プルが。ジュドーお兄ちゃんとルーお姉ちゃんが。

 友人、家族、仲間、そして、

 優しい瞳をしたアンジェロが。

 皆、消えていくんだ。

 

「嫌だっ!!」

 

 私は必死にもがく。

 四肢が千切れたとしても、私の思い出は無くしたくない! 嫌なこともあった。たくさんあった。けど、全部私が生きてきた証だ!

 そんな思いを完全に無視して、背後に立つリンは栗毛を掴んで、顔を上に向けさせた。

 注射針の先端から、ぽたりぽたり、と透明な液体が首筋に垂れ私の心身を震えさせる。

 

「あなたの負けよ」

 

 トドメのように言うと、リンは冷たい針を押し付けた。

 私の顔が悔しさに、絶望に歪む。絶対に見せまいと思っていた涙が瞳に浮かぶ。

 

 その時、

 室外から連続的な銃声が轟いた。

 

「何事なの!?」

 

 リンが虚を衝かれて、後ずさる気配を感じる。

 銃声から間髪をおかず、廊下へ通じるドアが開かれ、ライターサイズの円筒形のものが投げ入れられ床を転がった。通信室の中央、拘束された私の足元で止まった。

 私は一瞬の内にそれを理解し、咄嗟に顔をそむけ、眼を固くつむった。

 音響閃光手榴弾。続いて、沸き起こった250万カンデラの閃光は閉じていたにも関わらずまぶたの裏を白く浮かび上がらせた。同時に、180デシベルの大音量に耳を塞げなかった私は一撃で聴覚を奪われた。

 しかし、リンはもろにその攻撃を受ける。スタンガンを食らった私同様、無力化され床に転がった。

 耳鳴りしか聞こえない視界の中で、外からふたりが飛び込んでくるの認めた。

 ひとりは、銃身と銃床を短く切り詰めた、ソウドオフ・スライド・ショットガンを携えていた。にやり、と笑い、

 

「よう。ご無沙汰。白馬に乗ったおっさんが助けにきたぜ」

 

 新しい紫のこぶで腫れた顔をほころばせ、歯を見せた。上の前歯が一本欠けていた。

 その男、整備長のイイヅカはマリアに向けて下手なウインクを送る。

 次には、四肢を不気味な電気椅子に拘束され、首元に棒状の口枷をぶら下げたマリアを見て、イイヅカはたじろいだ。

 

「お前、そういう趣味だったの?ドSかと思ったらドMっ娘かよ」

 

 耳が聞こえていたら、マリアは彼の腹に前蹴りを入れるどころか、頭に廻し蹴りを入れることになっただろう。まさに『不幸中の幸い』となった。

 

「もう!なに言ってるんですか、イイヅカさん!!」

 

 手にノーマルスーツ用のヘルメットを持つもうひとり、連邦軍制服姿のバーバラがイイヅカをたしなめた。リンが先ほどの通信に使っていた端末へと向かう。リモートでマリアを拘束していた四肢の枷のロックを解除した。

 立ち上がりかけたマリアは、膝が笑って倒れそうになり、慌ててイイズカがその体を支えた。

 

「大丈夫か?」

 

 さすがに、心配そうな口調ではあるが、言葉とは裏腹にマリアを支えている左手は彼女の脇と胸、その微妙なラインをしっかりと押さえていた。

 バーバラの目が、すっ、と細められた。持っていたヘルメットを端末台に置くとつかつかとイイヅカに近付き、前触れもなく彼のすねをつま先で蹴る。

 飛び上がってマリアから離れた隙にバーバラが代わりに彼女を支えてやる。

 

「セクハラ親父。さっさとやることやって」

 

 問答無用で決め付けると、水揚げされた魚のように横たわるリンを冷たく指差す。

 ぶつくさと文句を言いながら、イイヅカが手錠をリンの手首にかけた。

 

 

「聞こえる、マリィ?大丈夫?」

 

 音響閃光弾の効果にしては妙だった。

 確かに常人であれば、今のリンのように耳の奥、三半規管がパニックを起こし一時的に平衡感覚を失う。しかし、デザイナーベビーとして、高機動空間戦闘用に遺伝子設計された私は、加減速Gや回転、衝撃という外力に対して、非常に高い抵抗力を持っていた。

 

(10年前にも似てるけど、でも、やっぱり違う)

 

 ジュドーやプルとの戦いで感じた精神的衝突とも違う。

 

「何か自白剤でも飲まされたの?」

 

 目線を合わせて、顔を覗き込みながら呼びかけるバーバラに、聴覚が戻りつつある私は首だけ振って否定の意思表示をする。

 

「リンっ! てめー、マリアに何しやがった!?」

()()何もしてないわよっ!!」

 

 ふてぶてしく、リンは否定する。

 

「こいつっ!」

 

 床に落ちていた注射器を見つけたイイヅカは拳を振り上げ、リンの顔面に叩き込もうとした。

 

「待って! 本当に、リンは、何も、してないんだ」

 

 まだ呼吸も整わなかったが、バーバラが支えてくれている。

 拳を上げたまま、リンをにらんでいたイイヅカは、青く血の気のない私の顔を見ると、その拳のやり場に困り、当惑した表情に変わった。

 

「マリア、本当に大丈夫なのか?」

「イイヅカさんが、そんなことしたら、リンがしてることと同じだ。

 こいつをかばうわけじゃないけど。あんたの手は、人を殴るモンじゃなくて、機械をいじるモン、だろ?」

 

 喘ぎながらも砕けた口調で言う私の顔を見て、イイヅカは拳を力なく下ろした。

 

 

 

 艦橋にて。

 

「アスベル司令補とエイダが警備の制止を振り切って、MSデッキに向かっています。銃撃されました!」

「デッキに一番近い『こちら側の人間』は誰だ?」

 

 オペレーターの緊張した声に、通信長ヴァルターが対応して問う。

 

「第二通信室のアーシタ士長を救出に向かった整備長と航宙長です」

「わかった」

 

 それに答えたのは背後のバッハ艦長だった。

「整備長たちには私から内線を入れる。通信長以下ここにいる全員は・・・・・・」

 

 振り向いたヴァルターの目に飛び込んできたのは、自動拳銃の銃口をこちらに向けるバッハだった。

 

「艦長、なにをっ」

 

 続きは乾いた銃声に遮られた。

 

 

 

「カールとエイダがMSデッキに向かってるって!」

「ソラに出るつもりか!?」

 

(今戦わなくてどうするんだっ!)

 

 バーバラとイイヅカの声を受け、私は自分を叱咤しヘルメットを頭へ押し込んだ。強烈な閉塞感、圧迫感が襲い掛かってくる。ヘルメットの内に嘔吐した。内容物が無く、出てきたものは胃液でかつバイザーも上げていたことが幸いした。

 

「マリィっ!ダメっ!脱いで!医務室に行きましょ」

「待って、くれ。聞いて、BB」

 

 駆け寄ったバーバラを愛称で呼び、私は言葉を搾り出した。

 

「キアを、助けられなかったんだ。偉そうな事を言って、《ジュピトリス》を逃げるように出て行ったくせに、何もできなかったんだ。

 もうすぐ、手が届くところまで近付けたのに、助けられなかったんだ!」

 

『あなた、の・・・声を聞けて良かった・・・』

 

 キアーラの最後の様子が思い出される。

 本当は声だけでない、私の姿も見せてあげたかった。

 私が打ちひしがれた時にそうしてくれたように、彼女にぬくもりを分けてあげたかった。

 いや、そんなことより、彼女が生きてさえいてくれたら。

 

「だから、今度は私の家だった《ジュピトリス》は守りたいんだ。もう失いたくないんだ!

 今更、おかしいよね。ずるいよね。自分勝手だよ。

 でも、私の生きてきた風景、思い出を、皆を守りたいんだ!」

 

 吐瀉物の一部が食道を戻り、私はまたえずいた。

 バーバラの零れ落ちそうな大きな瞳からは、透明な液体が零れ落ちそうになっていた。取り出したハンカチで私の口を拭ってくれると、大きく頷いた。

 

「マリア、約束して・・・・・・」

 

 私も彼女と同じように大きな頷きを返した。

 

 

 

 気持ちはリフトグリップの速度を上げて急ぎたいのに、体は戦いたくないと訴えている。

 前方から銃声や怒号が聞こえてくる。私はリフトグリップを離し、壁の手すりを掴んで無重力空間に制動した。慣性に脚が流れて緩慢な動きになったが、今の変調からするとどうしようもない。

 体を支えてくれるバーバラもイイヅカもここにはいない。付いていこうという申し出を私は固辞した。

 

『戦闘が始まってるデッキにノーマルスーツを着ないで行ったら、危ない』

 

 二人は拘束したリンを連れ、比較的安全な区画へと移って行った。

 MSデッキ床面に通じる廊下の角で立ち止まった私は、そこで深呼吸し下腹部に手を当てた。

 へその下辺りがチクチクと痛む。

 だが、逡巡している余裕は無かった。

 

「やめてください!司令補!!」

 

 知った部下オリヴァーが発する悲鳴。

 デッキの奥に直立したMS用ドリー。コクピットへオレンジ、そして赤黒、ふたつのノーマルスーツが遊泳していくところだった。

 オレンジのノーマルスーツがハッチの上端を掴み、小柄な赤黒を先にコクピットへ入れると、振り返り薄笑いを浮かべた。

 カールだった。

 すぐに笑いを消した彼はヘルメットのバイザーを下ろすや、コクピットの内へ滑り込み消えた。

 

(ぐっ!間に合わなかった。いや、まだだ!起動する前に破壊する)

 

 反対端のドリーには、《キュベレイMk-Ⅱ改》が鎮座していた。

 マグネットブーツを解除し、《キュベレイ》の胸部に向けて足裏を蹴りだす。

 しかし、途上の空間で斜め上方からノーマルスーツが体当たりする。二人はきりもみ状態になり床に叩きつけられた。

 仰向けに倒れた私は、イイヅカに借りた拳銃を向けようとした。が、それよりも早く馬乗りに押さえ付けられた。

 

「離せっ、オリヴァー! お前も目を覚ませ! なんのために戦っているんだっ」

「分かってます。僕は自分の正義にしたがって戦います。だから、マリアさんにはこれ以上戦わせられない。

 アスベル司令補は僕達で説得します!」

 

 

 その時、甲高いジェネレーター音が沸き起こり、ドリーでMSが目覚めたことを示していた。

 

(ちっ!早過ぎる。アイドリング状態だったのか!?)

 

 かけられたシートカバーを無理やり引き剥がし、固定金具が金属音を響かせて、次々と弾けていった。

 私は床に伏したまま、視線をそちらへ向けた。

 巨大なMSの手がシートカバーをつかみ、ボクサーがリング上でローブを投げ捨てるように、同じ動作をする。

 下に隠されていた姿が露になる。

 

 そして、決して忘れることができぬシルエットを見た私は、洗脳で深層意識に植え込まれた戦慄が再び湧き上がってくるのを感じた。

 

 全高22m超、全備重量90t近いマッシブな巨体。

 分厚い多重空間装甲。

 右前腕に接続されたダブル・ビームライフル。

 そして、Z計画内でもっとも不遜で、見る者に心理的威圧感を与える頭部。特徴的なデュアルアイ・センサーと天に伸びる4本のV字型通信アンテナ。

 そのアンテナ中央には額部から前に伸びるヘキサゴン短砲身。それはコロニーレーザーの出力20%に匹敵する威力を持つハイメガキャノンである。

 私を睥睨し、押しつぶそうとする暴君そのものの姿。

 

「また」

 

 蒼い瞳を恐怖に見開いた私は言葉が続かず、生唾を飲み下し、ようやくその先をつむぐ。

 

「私の前に立ち塞がるのか。・・・・・・《ダブルゼータ》」

 

 《ダブルゼータ》は両眼にも見えるセンサーの奥で不気味に起動の光を発した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

FAZZ・F

 グレー単色に塗られた《ダブルゼータ》は全身に配された姿勢制御バーニアを巧みに使い、床上2メートルの空間をゆっくりと微速遊泳した。

 噴射がもたらす熱が《ダブルゼータ》のシルエットに陽炎を被せ、輪郭を揺らめかせた。

 《ダブルゼータ》が倒れ伏す私とオリヴァーに迫る。頭部に俯角を取り、ふたりを見下ろす形となった。

 脳裏をパイロットの黒い殺意がよぎる。

 それをオリヴァーも感じ取ったのか、彼は私の肩を抱き引き上げると、ブーツ底のマグネットを効かして、《ダブルゼータ》から死角の壁際に向け、私の体を投げ飛ばした。

 

「っ!?なにを、オリヴァー、・・・・・・」

 

 最後の姿。

 それは恐れと驚き、そして、それを懸命に押さえ込もうとする必死なオリヴァーの顔だった。

 次の瞬間、デッキ内に腹まで響き渡るバルカンの砲撃音が轟く。

 咄嗟に顔をかばった私が腕を戻すと、視界に変わり果てた姿となったオリヴァーの肉塊が飛び込んできた。

 60mm砲弾がなした酷い人体破壊。

 私はまた激しくなる吐き気を怒りで何とか耐え、歯を食いしばりながら《キュベレイ》のコクピットへ向けて飛ぶ。

 

(私なんか庇ったばっかりに、あんなになって。・・・無駄死にはさせない!)

 

 

 デッキの奥。《キュベレイ》にマリアが滑り込み、ハッチが閉まるのを、《ダブルゼータ》のモニターに認めたカールは、口元にぞっとする冷笑的な薄笑いを見せ、機体を回頭させた。

 

「いいのか、あいつをやらなくて?」

 

 複座となったリニア・シート、その前席に収まるエイダ=プルツーがからかうような口調で、後部座席を振り返る。

 

「ああ、今殺しては楽しみが減るからな。

 お前も自分の力を試したいところだろ、この《FAZZ・F》でな」

 

 

 

 《FAZZ・F》

 『太っちょ』の愛称で知られる《FAZZ》は元来、《ZZガンダム》の武装増加試作機に火力支援システムを固定装備した試作機である。

 AE社のとある部門が月面のグラナダにてこれを複座へ改造。前席のパイロットは新たに搭載された特殊武装の制御をするガンナーを、後席は機体の操縦と従来の武装制御を務める。

 《FAZZ》最大の()()は、機体よりも長大でかつ、コロニー・レーザー出力30%にも及ぶ肩持ち支持火器のハイパー・メガ・カノンであるが、長距離・火力支援をコンセプトにしていないこのF型は装備していない。

 またオリジナルコクピットは複雑な火器管制システム簡便化のため、アームレイカー型操縦桿が搭載されていたが、F型は激しい空間機動、および格闘戦も考慮し従来のスティックタイプに換装されている。

 合計16機が生産された《FAZZ》だが、この内3機はUC88年3月、月面都市エアーズで発生した連邦内部の反乱、通称【ペズン事件】における【イーグル・フォール作戦】に実戦投入され全機撃墜さいる。この《FAZZ・F》は、前述の3機以外で分解・部品納入された内の1機がベースである。

 

 

 

 再び60mmバルカン砲が咆哮する。

 それは『ヴォ――』という砲撃音と『ヒューゥン』という6連砲身の高速回転音を混ぜた一種異様なものであった。

 発進準備中でハッチが空いた状態でドリーに収まる《ジム・スナイパーⅢ改》。そのコクピットへ行きがけの駄賃とばかりに《FAZZ・F》がバルカンの猛射を加え、ジャンクへと変える。

 

「追ってこい、強化人間」

 

 カールは楽しげに言うと、右前腕のダブル・ビームライフルを発射し、ソラへと通じるシャッターを撃ち破る。

 《FAZZ》は背面メインスラスターの噴射光を残し、虚空へ消えていった。

 

 

 

 ソラに上がっていた5機の《ジムⅢ》。その隊長機は、《ジュピトリスⅡ》MSデッキのシャッターがピンクの光軸に貫かれながら、噴き飛ぶ光景を20kmほど離れた宙空から見た。

 位置としては《ジュピトリス》進行方向に対して、12時真正面の艦橋側(上方といおうか)からである。

 続く発進するMSの発するスラスター光。シルエットと熱放射パターンからコンピューターが解析した機体データの表示が別枠モニターに現れると、各機の無線に動揺が混じる。

 

『嘘だろ!?《ダブルゼータ》かよ!』

『ほんとにアスベル司令補が乗ってるのか?』

『どうするんだよ!?』

 

『落ち着け!2番、4番機は後ろに回り込め!3番、5番は左上から仕掛けろ。

 俺は正面から行く。攻撃は指示を待て。油断するなよ!』

 

 隊長は、動揺がこれ以上広がる前に、矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 だが、普段より早口になっている点が、彼自身動揺している証であった。

 

『カール・アスベル司令補、主機を停止し、すぐにMS隊の指示に従って下さい! 繰り返します。・・・・・・』

 

 《ジュピトリスⅡ》のCICからはBSS社が通常哨戒で使用する無線周波数に加え、オープン回線でも呼びかけているが、カールはまったく応答する気配がない。

 

(包囲してなお応答がない場合は、どうする?)

 

 隊長は自問するが、答えは出ない。

 しかし、《FAZZ》はまるで自ら罠にかかる獣のように隊長機に向かってきた。そのあまりにも真っ直ぐな機動に彼は驚き、うかつにも機体を宙空に制動し、右マニピュレータに装備したビームライフルを向ける。

 

「止まれっ!

 司令補、終わりにしましょう」

 

 意外にもその呼びかけに《FAZZ》も同じように宙空に制動した。他4機の《ジムⅢ》の位置取りはできつつあった。

 

『そうだな、終わりだ』

 

 ヘルメットのイヤホンを通してカールの声が耳朶を打つ。オープン回線の無線のそれは落ち着き払っていた。

 だから彼は、ほっ、とした。いや、油断した。

 《FAZZ》の右腕が前触れなく上がり射線上に隊長機を捉えた時、間髪をおかず、ピンクの光軸が貫いた。爆散する。

 《FAZZ》の動作にはなんのためらいも無かった。

 

『や、やめてください!!司令補っ!』

『なんで隊長を墜としたんです!?』

 

 恐怖に近い狼狽を示す各機パイロットが無線に叫ぶが、もはやそんなのん気なことをしゃべっている状況ではない。即座に反撃すべきだった。彼らは日常の警備業務に慣れすぎていた。

 

『人は死ぬために生きている。お前らも死ね』

 

 落ち着き払ったカールの声は聞く者を、ぞっとさせた。

 《FAZZ》は機体を3時方向へ転回、右腕を上方へ向けると、再度ダブル・ビームライフルから光軸がほとばしった。

 同時に3番機の《ジムⅢ》もビームライフルを射撃していた。

 だが、《ジムⅢ》のビームは発射以前にスリップ機動に入った《FAZZ》の肩部装甲に当たり、フッ素樹脂による耐ビームコーティングによって弾かれた。

 一方、《FAZZ》の発した2条の光軸は3番機の胸部上と上・下半身の連結に命中。1番機と同じ運命となった。

 その時になって、ようやく発射された2、4、5番機のビームは何も無い真空を切り裂いただけだった。

 《FAZZ》は巨体に似合わぬ俊敏な機動で各機を翻弄する。

 

 不敵な笑みを浮かべ、カールは残りの3機に対して牽制射撃を加える。

 《ジムⅢ》は連携も取らずに、ただ逃げ回ってばかりで散発的に狙いも適当な射撃をするのみで、十分な殺意のこもった攻撃とは程遠かった。

 

「ふっ、つまらんな」

 

 3機ならば、『追尾』、『挟撃』、『遊撃』と役割を決め、連携を取って攻撃すれば彼らにもまだ勝機はあったのだが。

 

「本当につまらない。私にも戦わせろ」

 

 前席で腕組み、口を尖らせ、足をコンソールに投げ出していたエイダが不満を漏らす。

 

「確かに、そうだな。よし、やってみせろ」

「そうこなくちゃ!」

 

 新しいおもちゃを与えられた子供のように顔を輝かせた彼女は、足をフットレストに、手を操縦桿に置くと、意識を高めた。

 

「行けっ!」

 

 エイダが強く命じると、『それ』は本来ミサイルが格納されている背部ランチャーから次々と飛び出した。

 

 

 

 《FAZZ》の6時上方向から迫る2番機の《ジムⅢ》は中距離まで接近したところで、10ほどの数の小さい光源が発射されるのを見て、慌てて回避機動に入った。

 

(まずい、ミサイル!!)

 

 スラスター噴射熱パターンをプリセットされて発射されていれば、それは熱誘導されるはずだ。

 有効かどうかはともかく、パイロットは一撃をビームライフルで牽制した上、ダミーバルーンを機体から放出した。

 だが、《FAZZ》からの発射物体はミサイルのように一直線に《ジムⅢ》を追尾するのではなく、バルーンを避けジグザクに飛びながら、放射状に展開していった。

 

(なんだ、あれは・・・・・・まさかっ!?)

 

 気付いたときには、3基の発射物体、ファンネルが放ったビームによって右肘部が破壊され、前腕ごとビームライフルが失われた。

 質量バランスを欠き、きりもみ状態になりかかった機体を、バーニアで何とか立て直し、《ジムⅢ》は肩部ミサイルポッドを全方位に向け闇雲に発射する。

 合計15発のマイクロミサイルがファンネルに殺到するが、敏捷な羽虫の機動で易々とかわされ、墜とせたのは10のファンネルの内わずか2基のみ。

 残りの8基が周囲を飛び回りながら、断続的にオールラウンド攻撃を仕掛け、ひとつずつ四肢を焼き切っていく。

 左腕、右脚、左脚・・・・・・。

 

「うわああぁぁあ! バラバラにされちまう!」

 

 《ジムⅢ》は唯一残った射撃武装の頭部バルカン砲を四方八方に向け撃つが、曳光弾は虚空を断続的に照らすのみですぐに弾切れとなった。

 カチカチカチ。

 2番機のパイロットはすでになんの反応も示さないトリガーを押し続けていた。モニター正面には、銃殺隊のようにファンネルが整列し、暗い砲口を胸部コクピットに向ける。

 

「や、めてくれぇぇ・・・・・・」

 

 パイロットは手足を縮こませ、顔面で腕を交差して恐怖した。

 しかし、無情に次の瞬間、放たれた8条の光軸によって、彼の肉体は蒸発した。

 

 

 

 《FAZZ》の殺戮を40kmほど離れた宙域から、《ダイニ・ガランシェール》隊、アイバン、クワニの《ギラ・ズール》、そしてベイリー少尉の《ゲルググキャノン》が偵察していた。

 

『どうするよ、おい?』

 

 近距離レーザー回線で、まずアイバンが呼びかけた。3機は互いに1kmほどの距離を取って、放出したダミー岩石の影に機体を潜ませていた。

 デブリ帯の近くのためか、本物の浮遊岩石もあちらこちらに見られる。

 

『どうするって言われてもなぁ。マリアが出てこなきゃ、こっちは動きようがないだろう』

 

 低い唸り声を交えながらクワニが答える。

 

『しかし、無線の内容からすると、あの《ガンダム》に乗っているのが、例のカールという奴なのだろう? 奴に仕掛けるべきじゃないのか? このままでは《ジム》はいずれ全滅するぞ』

 

 ベイリーが反論する。

 タイガーバウムを出港する直前。マリアの上司、カール・アスベルに関する情報を若い顔役、ルナンから受け取っていた。

 それはカールがネオ・ジオンとマリアたちに対して恨み、憎しみを抱くに十分な過去であった。

 

『しかし、ベイリー少尉。今出て行ってもどっちにしろ、両方にとって俺たちはジオン残党でしかありませんよ』

『ああ、確かに。だが、・・・・・・っ!!』

 

 クワニとベイリーが会話を重ねる内に、また別の《ジムⅢ》が爆散の花を咲かせる。残機は1。

 

 その時、

 

『カール、もうやめろっ! エイダっ、あなたがやっていることは間違ってるよ!』

 

 オープン回線に飛び込む聞き知った彼女の声。

 そして、《ジュピトリス》から飛び出したスラスター光と、全天周モニターに表示される『AMX-004-04』の形式番号。《キュベレイ》は明らかに《FAZZ》に対して攻撃態勢だった。

 アイバンは決断する。

 

『俺とクワニは戦闘速度で接近。《キュベレイ》を支援しつつ敵のファンネルを墜とす。

 少尉はここから隠密接近して、必中距離に入ったらビームキャノンをあのデカ物にぶち込む。

 あとは臨機応変ってとこで、どうです?』

『了解した』

『いいぜ。ファンネルを墜とせるか自信ないけどな』

『クワニよ、やる前から弱気になってどうする』

 

 アイバンは相棒を叱咤しつつ、フットペダルを床まで踏み込んだ。スラスター・ノズルを限界まで開いたそこから蒼い炎を発して、アイバン機が飛び去る。

 膝下を失ったクワニ機が続く。

 

「さて」

 

 ひとり残されたベイリーは、隠れ身のため新たなダミー岩石を放出すると、スラスターを静かに噴かした後、慣性飛行に入った。

 

 

 

「くっ、一体何基のファンネルを積んでるんだ!?《マンサ》並みじゃないか」

 

 《FAZZ》は新たにランチャーから10以上のファンネルを発射した。

 

 吐き気とかすむ視界に耐えながら、マリアは《キュベレイ》は浮遊岩石に回り込ませ急制動をかけるや、岩陰からビームガンで反撃する。

 しかし、元来出力の低いそれは耐ビームコーティングされた装甲には、あまり効果がなかった。

 直後に、離脱したその岩石をダブル・ビームライフルが撃ち砕き、遮蔽物の用をなさなくなる。

 

(なんとかビームサーベルをコクピットに、・・・)

 

 だが、周囲を飛び回るファンネルが数多く、ビームがうるさ過ぎてそれ以上の接近を阻まれていた。

 対抗して、《キュベレイ》も残り少ない3基のファンネルを出す。

 

「動きが雑だ。これなら」

 

 文字通り蝶のように舞うマリア操作のファンネルに比べて、《FAZZ・F》のものは動きが直線的だった。20基という膨大なファンネルを操作するには、操縦者にも相当の精神的負担を強いるはずだ。その上、パイロットの戦闘キャリアがマリアとエイダでは天と地ほど違う。

 しかし、彼我ファンネル戦力1対6以上はいかんともしがたい。

 むしろ、《キュベレイ》は追い回され、ダブル・ビームライフルの照準を合わさせないための牽制射撃程度しかできない。

 今は推進剤があるからいいが、このまま戦闘機動を続ければ、

 

(いずれジリ貧だ)

 

 《ジュピトリス》に来るまでに推進剤をある程度使ってしまった《キュベレイ》の方が明らかに不利であった。

 

(どうする・・・・・・)

 

 焦りばかりがつのる。

 

 その時、《キュベレイ》を追尾していた《FAZZ》が急旋回し、回避機動に入る。

 が、一瞬遅く、左マニピュレータにグリーンの断続的光弾が命中する。

 

(ビームマシンガン・・・!)

 

 マリアは全天周モニターに首を巡らし、アイバン機を認めた。

 

『ちっ、効かねぇか? 重装甲高機動って、どんだけチートなんだよっ』

 

 無線から流れる彼らしい物言いに、マリアは苦しげな表情の中に笑みを浮かべた。

 アイバン機とは逆方向から《FAZZ》を挟撃する曳光弾の赤い火線。数発が右脚部に当たるが、

 

『ダメだ。実体でも90ミリぼっちじゃ、豆鉄砲にもならん』

 

 膝下を失ったクワニ機がMMP-80マシンガンを手にしていた。

 アイバン機が追尾し、クワニ機が挟撃する。その連携の最中、

 

『マリア、ダブル・ライフルが怖い。ファンネルは何とかする。お前は格闘戦を仕掛けろ』

「分かった!」

 

 アイバンの短い問いかけに、マリアも即座に答える。

 2機が旋回、《FAZZ》と距離を取るや、《キュベレイ》は猛然とその背後へ肉迫した。岩石の間を縫うように描かれるジグザグのスラスターの軌跡。

 両手にビームサーベル。二刀流となってイエローの光刃を形成する。

 だが、《FAZZ》の対応も早かった。

 AMBACとスラスターおよびバーニアを使ってピボットターンで振り返ると、そのまま流れるような動作で背からサーベルを抜く。

 イエローとピンクの光刃が空間で激しく干渉し、激突した。

 

「カールっ、これは家族の復讐のためか!?」

 

 マリアの問いかけに《キュベレイ》を弾き返すことで彼は答えた。明らかに《FAZZ》が手にするハイパー・ビームサーベルの方が刃が太く、長く、そして力強い。

 マリアは《ダイニ・ガランシェール》を発進する直前、フラストが調査依頼していた内容、カールの過去について聞かされていた。

 

 彼の妻と一人娘は、マリアがプルツーとして目覚めた日。

 UC88年10月31日。

 ダブリンへのコロニー落としで行方不明となった。

 

「だから、影武者だったキアと、強化人間の私を、・・・・・・罠に陥れようとした。そうだろ?」

 

 彼女の心が揺れるのを映すように、その声も震えていた。

 

『アッハッハッハっ!』

 

 いきなり沸き起こった哄笑に、マリアは内臓がつかまれたような思いだった。

 だが驚き、油断はしていられない。《FAZZ》が切り込んでくる。再びふたつの光刃が火花を散らす。

 推力こそ拮抗しているが、機体の質量、サーベルの出力共に《FAZZ》が圧倒していた。

 

『全然違うなぁ。勘違いもいいところだ』

 

 ふたりはMSのサーベルという武器を通して、お互いの心をぶつけ合っていた。

 

『キアーラは自分の意思で火星に行った。俺が手引きしたとはいえ、お前だって自らあいつを追った。そうだろう?』

「小賢しい! それが私たちの過去や感情を利用した陰謀だと言ってる!」

『賢しいのは、お前の方だ、小娘!』

 

 《FAZZ》がまた《キュベレイ》を弾き返す。

 離れ際に《キュベレイ》のファンネルが背後に迫る。ほとばしるビーム。

 迎撃する《FAZZ》のファンネル。交錯した光軸は相打ちし、互いのファンネルがデブリとなった。

 

『俺はなぁ、ネオ・ジオンが妻と娘を殺したことを恨んでいない。むしろ、感謝してるぐらいだ』

 

 その言葉に、マリアは脳がサーベルに焼かれ溶け落ちるような衝撃を受けた。

 

「な、なぜ? 感謝・・・・・・?」

 

 モニターに映る《FAZZ》の顔が、一瞬嗤ったような錯覚を覚えた。

 

『あの時、政府機関にいた俺がコロニー落としを知らないわけがないだろう。むしろ優先して、家族を避難させることだってできた。だが、しなかった。するわけがないだろう?

 なぜなら、』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダブリンの思い出

 

 ひそひそ・・・・・・。

 

 隣人の噂が聞こえてくる。

 

(カールさん、ダブリンの移民局で働いていらっしゃるんですって! いいわねぇ。うちの旦那なんて町役場。公務員って言っても嘱託よ。そう、臨時! 今のご時世いつクビ切られるか、分からないわ)

 

(お給料もいいんでしょうねぇ、きっと!)

 

(でも、元は兵隊さんだったって話よ。それもモビルスーツのパイロット!)

 

(まぁ! かっこいい。あのルックスで、元パイロットで、高給取りなんて。羨ましいわぁ)

 

 

 

 

 旧アイルランドの郊外ラモア湖近くの朝。変わりない食卓に並ぶ朝食。

 家庭菜園で育てたトマトとバジルのスクランブルエッグ。

 ずっしりと重く、食べがいのある自家製ジャーマンブレッド。

 お隣さんから頂いたレモンで作ったシナモン風味の砂糖漬け。

 無論、コーヒー付きだ。

 マグカップを一口しつつ、新聞を広げる。見出しの下の画像には成層圏にまで達する巨大なきのこ雲がプリントされていた。

 

「くそっ! テロ集団のエゥーゴがジャブローで使ったのは核だって。まったく、宇宙人どもが」

「そういう言葉遣いはあの子の前では止めてくださいね」

 

 自分で言うのも何だが、美しい我が妻、金髪と蒼い瞳のクリスチーナが食器洗いを終え、手を拭きながら私の元へ来る。「分かっているよ、クリス」と、言いつつ朝のキスで彼女に応じるが、ふと、

 

「それにしても、フローラは遅いな」

 

 噂をすれば、何とやら。うさぎのぬいぐるみを片手に引きずりながら、娘が眠い目をこすりこすりやってきた。

 

「おはよう、お寝坊さん」

 

 7歳になる娘にもおめざのキスを頬にし、家族揃って食卓に着く。

 短い祈りを捧げて、私たちは昨日と変わらぬ朝を向かえていた。

 だが、この平穏な朝を迎える度に毎日が少しずつ不安になってくる。

 

(明日もまた同じ朝を迎えることができるだろうか)

 

 引越しはこの5年間で10回以上に及ぶ。

 移民局の仕事事情によるためだけではない。家庭の事情だ。

 引越し先はなるべく隣人の少ない郊外にすることが多いが、往々にしてそういうところに住んでいる人間というのは世話焼きで、家が離れていようが、他人のプライバシーに立ち入りたがる者がままいる。

 だから、土地の選定はとても慎重になる。

 その結果、自家用エレカは、離れた職場まで飛ばさざるを得ないために、自然と高出力モデルの高級セダンになった。今はダブリンまでおよそ80キロの距離を1時間かけて通勤している。

 度重なる引越し費用とエレカの購入・維持費などのため、周りが『高給取り』と言うほど蓄えも無ければ、実生活もゆとりあるとは言い難い。

 ようやく、この一年はここ、ラモア湖の湖畔に位置する小高い丘に定住しているため、クリスは「のんびり家庭菜園ができるようになった」と喜んでいるほどだ。

 それにしても、食費の増加を低減させようという妻の努力の一つである。

 

「もう行かなきゃ」

 

 新聞を畳むと、残りのコーヒーを一気に喉へ流し込む。

 

「パパ、アーンして」

 

 それでも、フローラが子供用の小さなスプーンを手にスクランブルエッグを私の口に持っていくので、応じてあげた。

 

「おいしいよ。じゃ、行ってきます」

「「いってらっしゃい」」

 

 再度妻とキスをし、娘がケチャップを口の端につけたままにっこり笑い、手を振る。

 母親譲りの細い金髪。

 そして、碧眼。

 アーチ状に細められた目の奥。その蒼い瞳が、また今日も私を不安にさせた。

 

 

 

 

 ひそひそ・・・・・・。

 

 職場の噂話が耳に入ってくる。

 

(なぁ、カールさんの娘の話聞いたか?)

 

(何だよ、それ?)

 

(娘さん、本当の子じゃないらしいよ)

 

(えっ、どういうこと?)

 

(カールさん、開戦からパイロットとしてあちこちで戦ってたらしい。それで家は奥さんひとりだったんだと。

 その奥さん、戦時中、避難できずにロシアに取り残されたんだって。最後までジオンに占領されてたなんとかって町)

 

(それじゃ、まさか・・・・・・)

 

(奥さん、美人だからなぁ)

 

 

 

 

 その日、ダブリンは初夏の嵐に見舞われていた。

 一年戦争時のコロニー落としの余波は8年経っても、時として異常気象と形を変えて、人々に災厄を振りまく。

 だが、カールの心中は車外を吹き荒れる雨風よりも、ひどかった。

 握り込むステアリングは、指の形にへこんでしまうのではと思われた。

 

(まただ。また日常という歯車が少しずつ狂い出す。とうとう職場にも知られてしまった)

 

 街灯も何もない暗い牧草地の一本道。

 嵐の中を彼のエレカは家路を急いだ。外と同様の状態の彼の気持ちがアクセルを踏み込ませる。

 

(きっとこの間の誕生会とやらだろう)

 

 同僚の子供の誕生日に妻と娘が招待され、そのパーティーに参加した。

 その時に目ざとい、どこかのマダムがきっと気付いたのだろう。

 娘の瞳の色に。

 彼女の蒼い瞳は母親『だけ』から受け継いだものではなかった。

 それは私の妻と、そして、どこの誰とも分からぬ蒼い瞳のジオン野郎との『共同作業』の元に生まれた産物だった。『共同作業』が何かとは言うまでもない。

 

(せめて、その野郎が俺と同じ黒い瞳だったら)

 

 尽きることのない物思いに耽っていたカールはふと、暗闇から飛び出してきた小さなシルエットに操舵しきれなかった。

 

(子供っ!)

 

 ボンネットにぶつかる『ドンっ』という鈍く大きな音がするや、ステアリングを切ったセダンはコントロールを失って、スピンしながら、路肩と牧草地を仕切る柵に激突して停まった。

 

(やってしまった!)

 

 ひどい後悔と恐怖が沸き起こり、高熱にかかったように体が震え出したが、まずは車外に飛び出し、子供の元へと駆け寄った。

 

「大丈夫かっ!?」

 

 路上に横たわる体は、ぴくり、とも動かなかった。飛散した血痕が道に点々と続いている。

 だが、エレカのライトに映し出された、それは子羊の轢死体だった。大方、柵の隙間から外に逃げ出した迷い家畜だろう。

 急にカールの肩に虚脱感が舞い降り、思い出したように肌が知覚する暴風雨に怒りが起きた。

 

「畜生がっ!」

 

 腹立ちまぎれに、彼は子羊の死体に蹴りを入れると、エレカへと戻った。

 見る見るうちに、路上の血痕は雨が洗い流していった。

 

(ああ、もうたくさんだ!)

 

 彼は翌日、妻との離婚手続きを始めた。

 だが、それは思うようには進まず、一年以上弁護士を通じて係争することとなった。

 そして、あの運命の日がやってきた。

 

 

 

 

 いつものように、上司が朝のメールチェックをした直後だった。

 

(アクシズがダブリンにコロニー落としを敢行する!?)

 

 彼の驚愕する思惟が私の中に直接飛び込んできた。(ああ、またか)と、いささかうんざりしながら、私はその超常的な現象について別段気にも止めなかった。

 終戦を向かえ、妻を残した懐かしの街を開放したとき、彼女は腕に赤ん坊を抱いていた。

 

『あなたの子よ』

 

 覚えが無いわけでは無い。開戦の直前に温もりを確かめあった。だが、やはり計算が合わない。

 なにより、なぜこの子は蒼い瞳をしているんだ?なぜ、彼女はこんな見え透いた嘘を・・・・・・。

 それからだった。年々、人の噂話や陰口が耳に着くようになった。

 だが、それは実際に私の聴覚が知覚したことではなかった。

 なぜなら、私が休みの日で局にいないはずなのに『聴いた』内容が含まれていたから!

 自分を疑った。幻聴かと。パラノイアかもしれない。精神科の門を叩こうかと真剣に悩んだ。

 だが、結局そうせず、仕事に一層打ち込むことでそれを紛らわせた。

 

 

 見れば、上司は窓を背にしたデスク、朝日がブラインドごしに入り込み、逆光となった表情は窺えないが、その体が微動だにせず、端末のモニターに目が釘付けになっていることが分かる。

 その様子を見て、さすがに私も、

 

(コロニー落とし、・・・・・・本当なのか?)

 

 むくむくと、疑念が湧き上がってきた。

 午後に、「急用ができた」と上司が早退したのを見て、それはいよいよ確かなものへと変わった。

 

「そんな、カールさんまで。局長と副局長がいなくてどうやって仕事回せばいいんですか!?」

「悪いな。弁護士がどうしても来てくれって言うものだから」

 

 部下は困惑しきった顔だが、離婚調停の話を出すと、大概が引き下がった。今回もそうだ。

 帰宅すると、私は受話器を取って、妻のアパートメントの番号を押した。

 彼女と娘は別居中で、エレカも運転しない彼女は田舎町では不便だろうと、ダブリン近郊に引っ越していた。私が追い出したと言ってもいい。

 だが、結局途中でその番号は全て押されること無く、受話器は元いた場所へと戻された。

 

 

 

 

 翌日のその時を私は庭で眺めていた。

 家庭が崩壊してから、その庭は芝の手入れが大好きなアイルランド人が眉をしかめるのを隠さぬほど、荒れ放題で雑草と見分けが付かない様相を呈していた。

 ダブリンから80キロ程度の距離はつまり、落着地点にいることと同じである。

 大気圏突入時に分解したコロニーの破片、数百メートルサイズのそれが頭上に落下してくる可能性だって十分ある。

 だが、私は避難しなかった。自分の人生よりも、コロニーが落ちてくる瞬間をできるだけ間近で見たいという欲求があった。

 

(まるであいつらの葬儀に、参列しているような感じだな)

 

 私は自嘲気味に嗤った。

 だが、妻と娘に対する哀しみや寂しさはもう無かった。

 

 そして、(やけに暗くなったな)と思い、空を見上げると、大地が落ちてくるのが見えた。

 

(これが)

 

 何らかの感想が胸に去来するのを待たず、あっという間にそれは雲を押しのけ、大地に突き刺さった。

 凄まじい閃光が迸り、咄嗟に閉じたまぶたの裏を照らす。

 一泊置いて激震が到達し体は空中に投げ出された後、地面に引き倒された。家はあっという間に倒壊していった。

 そして、コロニー落着から200秒後。ラモア湖まで到達した衝撃波に私の体は吹き飛ばされ、気を失った。

 

 

 パラパラと顔に当たる何かと、遠くから響く雷鳴のような音に私は正気を取り戻した。

 背中はひどく痛むが、幸い伸びた芝生が私の体を受け止めてくれたようだ。

 周囲は日の出前か、日没直後のように薄墨色に包まれていた。

 いつまでもパラパラという落下音は尽きない。どうもコロニーの破片か、巻き上げた瓦礫か、いずれにせよ、そんなところだ。

 

(コロニーは?)

 

 ダブリンがあった方角を見て、私は凍りついた。

 

(なんという。なんて・・・・・・)

 

 美しい。いや、荘厳と言った方が正しい。

 大地に深く、斜めに突き刺さったコロニー。先端は雲の上の成層圏にまでいっているのだろう。地上からでは見えない。

 周囲数十キロには火災が発生し、さながらコロニーという舞台を下から照らす照明のようであった。

 おびただしい量の瓦礫は空中に巻き上げられ、摩擦電気により、コロニー外壁の周囲で激しい雷を引き起こす。

 黒や灰色の瓦礫は雨季を迎えたかのように、いつまでも降り続いていた。

 そして、コロニー近傍で雷とは明らかに違う、人工の発光体を私の視線は追う。私の目は鷹のそれになった。

 いや、目が追っているのではない、これは意識が追っているんだ!

 複雑な機動を描くそれはスラスターの噴射光。

 私の拡大された意識は、かなり大型のMSないしMAのものだろうと推測した。ビームやメガ粒子砲らしき光軸も確認できる。

 

「ハハハっ! おかしいな、狂ってる! あんなところで戦っている奴らがいるとは」

 

 まるでBGMのような、人の呻き、苦痛、断末魔。

 そして、殺し合いを通して相手を否定する声が、私の中に流れ込んできた。

 

(いたい! いたい!! いたい!!!)

 

(苦しいよぉ、熱いよぉ)

 

(助けて―――ぇぇぇ。助け・・・・・・)

 

(気持ち悪いの、消えちゃえぇぇぇ!)

 

 その史上まれに見るスペクタクルに、私は唐突にこの宇宙世紀という世界が抱える根本的な欠陥を見抜き、またその解決策を見出した。

 移民局で働き、毎日が増えすぎた人口、移民問題で頭を悩ましていた毎日が恐ろしく馬鹿げたものに思えてくる。

 宇宙移民政策だと? 滑稽だ。

 

「そうだ。人がもっと効率よく死ねば、宇宙に人類が上がる必要なんてないんだ」

 

 私は毒の瓦礫を浴びながら、独り哄笑し続けた。

 やがて、コロニーは自身が生み出す重力に耐えきれなくなり、中間部分でポッキリと折れ、外壁は大気圏突入時の損傷から、次々と剥がれ落ちていった。

 

 

 





(あとがき)
 コロニー落としで不可解な描写がありますが、活動報告にて反省会という形で述べさせて頂きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

散華

「人が効率よく死ねばいいなんて、それはお前のエゴだろう!」

『ハハハっ! おもしろいな。試験管ベビーというエゴそのものの、お前に言われようとはな。

 えぇ、そうだろう!? 違うのかっ、クローンの強化人間っ!』

 

 MS格闘戦の最中であっても、マリアとカール、ふたりは心から湧き上がる衝動を抑えることはできなかった。

 

『コロニーの墓標なんて最高じゃないか。敵に股を開いていたような女と、そのガキには十分すぎる大きさだ』

「お前だって、女の腹から生まれた人間だろう!? いくら自分の妻が不貞を働いたからって、それは人間の存在を否定する行為だっ!」

『人工子宮器の培養物がっ、人間を語るな――ぁぁ!』

 

 カールの激情と《FAZZ》の斬撃が、マリアと《キュベレイ》を噴き飛ばす。

 

『あの女は生まれた娘を、俺の子だと言いやがった。俺の子が蒼い瞳なわけがない。

 こんな欺瞞と不誠実を許せるかっ!』

 

 だから、初めて会った時からお前のことが気に喰わなかった。

 お前のその蒼い瞳だ。別に鋭い目付きがどうのこうのじゃない。

 その色だ。腹が立つ。ナイフを突き立て抉り出してやりたい。

 

「違う! 不誠実なんかじゃない! きっと彼女はあなたに手を握って欲しかったんだ。

 それを突き放してしまったら、女は」

 

 その先が続けられない。胸が重苦しくなる。

 自分自身で発した言葉に追い詰められ、幾度となく味わった虚無という虫に食われていく。

 

(そうだ。あぁ、アンジェロ。なんで、あの時)

 

 

 -あなたが私のマスター?

 

 

 救いを求める問い。どうしようもできない状況に私は助けを求めた。

 けれど、彼は首を振った。

 

 そのマリアの心に空いた穴に真っ黒い思惟が入り込んでくる。

 

『フハハハッ! またかっ、くだらん失恋か。一年前から変わってないな、お前は。

 そんなことだから、生身の人間を撃ち殺したぐらいで簡単にトラウマになるのさっ!』

 

 その言葉はマリアの心を陵辱した。

 

『お前は人間兵器としても中途半端だ』

「だっ、黙れ!」

 

 光刃をぶつけ合う状態から、二刀流のもう片方のマニピュレータに握らせたサーベルで、一撃を狙う《キュベレイ》。

 

『なぜだか教えてやろう』

 

 だが、《FAZZ》は後退機動で逃げる。

 追いすがる《キュベレイ》とそのファンネル。

 《FAZZ》頭部バルカンが火を噴く。その牽制射撃を《キュベレイ》は横ロールでかわすが、ファンネルは火線に巻き込まれ墜とされた。

 

『お前は壊れた人形だ。出来損ないだ。

 意思を持つな。人間になりたいなどと思うな』

 

 さらに、《FAZZ》の右腕、ダブル・ビームライフルの砲口が上がると、《キュベレイ》はさらに緊急回避を取らざるを得ない。

 

「それが、・・・・・・いけないことなのかよっ!!」

 

 縦ロールでビームライフルの射線を外すと、マリアはまたフットペダルを踏み込んだ。

 

 

(えぇい、ちょこまかと不愉快な奴!)

 

 《FAZZ》コクピット前席のエイダはイライラしながら、サイコミュを通し攻撃のイメージをファンネルに送り込む。

 だが、相対する《キュベレイ》の気配がふたつにも三つにも分かれるような感覚を覚え、彼女の狙いはしっかりと定まらなかった。

 分かれる度に、その機体から緑の燐粉を散らしているように思える。

 

(頭が、痛くなってくる)

 

 エイダはその小さな眉根にシワを寄せながら、脳の芯に響くチクチクとした感覚に抵抗した。

 加えて、2機の《ギラ・ズール》が地味だが、堅実に1基ずつファンネルを墜とし、数を減らしていった。

 そして、今また1基のファンネルがビームマシンガンの緑の光弾を受け、わずかな黒煙を引いた後、虚空に爆散した。

 瞬間的なサイコミュの逆流が起き、自分の頭の一部が針に刺されたような感覚に、エイダは思わず左手を操縦桿から離し額を押さえ、「くそっ!」と呟く。

 その様子に、

 

(こいつ限界か・・・・・・)

 

 後席のカールは一段高くなったリニアシートから冷たく少女を見下ろす。

 

(やはり門外漢の『刷り込み』では、不完全な付け焼刃か。まぁ、いい。正気を取り戻したときが、このガキの最後だ)

 

 カールは腰の拳銃ホルスターの蓋を外した。

 

『カーァル! これ以上、エイダをっ!』

「ふっ、うるさいっ!」

 

 感情をむき出しにして突撃するマリアと《キュベレイ》に、カールと《FAZZ》は冷笑と通常の1.5倍出力にも達するビームサーベルで迎え打つ。

 

(何度、斬り込んで来たとしても、無駄だ。《キュベレイ》の貧弱なサーベルでは、勝てん)

 

 カールはまた弾き返そうと、操縦桿を押し込んだ。

 

 その時!

 《キュベレイ》の機体が急回転、スピンターンし、鍔競り合いしていた荷重を急激に抜く。

 《FAZZ》は無重力空間の反作用を失い、前につんのめるようになり、すぐさま前方回転運動へと変化した。

 

(やるじゃないか、人形)

 

 《FAZZ》の姿勢制御バーニアを小刻みに噴き、なんとかバランスを回復するや、対物感知センサーが、格闘戦の距離にある20mサイズの物体を捉える。

 頭で考える前に、手が操縦桿を動かしていた。

 咄嗟に振るったハイパー・ビームサーベルは《キュベレイ》のシルエット、その腹部を真っ二つに切り裂いた。

 そして、そのダミーバルーンが負圧により、急速にしぼんだ時には、【敵機接近!】の緊急警報が《FAZZ》のコクピットに鳴り響いていた。

 全天周モニター下方。足元から《キュベレイ》の暗い影が亡霊のように沸き上がり、左手のサーベルを腰溜めに据えたまま、一直線に向かってくる。

 

(エイダ。ごめん)

 

 マリアは心の中で少女に詫びた。彼女はその子を救いたかった。

 しかし、今まさに《FAZZ》に喰らわせようとしている一撃はあまりにも強烈で、かつ正確にコクピットを狙っていた。

 《キュベレイ》コクピット内、モニター正面のレティクルが赤い十字に切り替わり、それは敵腹部へ攻撃距離に接近したことを示している。

 百分の数秒という一瞬の中で、マリアはトリガーを絞り、《キュベレイ》はサーベルを真っ直ぐ突き込んだ。

 そして、《FAZZ》コクピットのカールはリニアシート下の緊急レバーを引いていた。

 《キュベレイ》のサーベルは狙い誤らず、《FAZZ》のコクピット前面を貫いた。

 しかし、

 

(なにっ!?)

 

 貫いたのは『前面』の多重空間装甲だけであった。

 カールがレバーを引くと同時に《FAZZ》全体で起こった小爆発は、機体を白煙に包み込んだ上、《キュベレイ》に向けパージされた増加装甲の破片を撒き散らしていた。

 瞬間的に《キュベレイ》の視界を白煙と装甲片が奪う。

 その混沌を掻き分け、真の姿を現したMSがマニピュレータを見せる。

 ノーマルスーツの下、マリアの肌を否定の意思が舐め回し、ぞくりとさせる。

 

(犯される!)

 

 《キュベレイ》のバインダー・バーニアを前に向け、後退機動しようとした時には、もう遅かった。

 白煙から、ぬっ、と頭部を出した正真の《ZZガンダム》は、パイロットの意思そのままに狼狽する《キュベレイ》に対して、横蹴りを放った。

 腰部アーマーにそれを喰らった《キュベレイ》は内臓を抜き取られるかのような後方への加速Gと共に吹き飛ばされる。

 マリアの思い出のひとつである『龍飛』と書かれた装甲は回転しながら、虚空の彼方へと消えていった。

 続く背部の岩石への激突に、コクピットの彼女もリニアシートのヘッドレストへしたたかに後頭部をぶつける。

 それはヘルメットを被っていても脳震盪を引き起こした。

 

(あぁ、チクショウ。早くしろ、動け!)

 

 自分の手足に、敵の追撃に対して対応を取るように命じるが、全くそれは言うことを効かなかった。

 視界がかすむ。嘔吐しても出るものは、わずかな胃液しかない。

 モニターの正面に、ダブル・ビームライフルを構えたトリコロールカラーのMSが迫る。

 

(怖い。やられる。誰か・・・・・・)

 

 《ガンダム》は敵。恐ろしい敵。

 どうしようもない、厳しい現実となって、私の前に立ち塞がる高い壁。全身が恐怖に震える。

 霧の中にいるような私の脳に、彼方の罪悪感が響いてくる。

 

 

 

 

(プルツー、ごめん。あのね。言いにくいんだけどさ、・・・・・・もうお店に来ないでくれる、かな? ビーチャがね、ちょっと)

(エル・・・・・・。うん、わかった)

 

 

 トゥルルル、ガチャ。

 

(はい、こちらモンド)

(私だ、プルツーだけど)

(え。あ、ごめん。今、ちょっと忙しいから、かけ直すわ)

 

 ガチャ。ツー、ツー。

 

 

 トゥルルル、ガチャ。

 

(『はい、イーノ・バップです』)

(あ、わ、私、プルツーだけど)

(『ただいま、電話に出られません。メッセージを残し』)

 

 トゥルルル、ツー、ツー。

 

 

(いいんだ、別に。私は今まで独りで生きてきたんだし、仲間なんて要らない。

 グレミーだって、私を道具、人形としてしか見ていなかったんだし。

 私には依るべきマスターなんて、マスターなんて・・・・・・)

(プルツー・・・・・・。いや、マリィ)

(ジュドー! あのさ。その、もし、ジュドーさえ、いいなら)

(ごめん、マリィ。俺はルーのことが好きだから。彼女のことを大切に思っているから。

 だから、・・・・・・君とそういうことはできない)

(ああ、もちろんだ。分かってるよ)

 

 

(はは、ふふふ。なんて馬鹿なんだろう、私は。受け入れてもらえるはずがないじゃないか。

 うつむいて生きていけばいいのさ。そうすれば、この栗毛に隠れて、本当の瞳を見せなくてすむ。みっともない泣き顔を見せなくてすむ。

 そうだ、生きてさえいれば、

 きっと、いつか。

 優しい瞳をした誰かに逢える、はずだから・・・・・・)

 

 

(それはない)

(っ!? ジ、ジュドー、な、なんで)

(生きてさえいれば、だって? アハハっ! プルを殺しておいて、なんで生きていられる?

 死んじゃえよ、お前)

(・・・・・・ジュドーは絶対にそんなことは言わない。お前は誰だ。姿を現せ)

(ふふ、ばれたか。久しぶりだね、いつぞやの拷問パーティー以来だ)

(また、あんたか、グレミー。いい加減消えろよ)

(今日は口達者だな。本当は怖いくせに)

(ああ、怖いさ。昔、そう思うように刷り込まれたせいでな)

(刷り込み、か。そうだね。だけど、プルツー思い出さないのかい? 自分の存在意義を。でなければ、君は《ガンダム》には勝てない。このままでは、君は死ぬ)

(私の、存在意義、だと? ・・・・・・消えた? どこだ、グレミー!)

 

 

(後ろだよ、プルツー。ああ、この髪だ)

(なにをっ!? やめっ、ぁ・・・・・・っ!)

(指に絡みつくこの感触、かすかな甘い匂い。

 あぁ、思い出してよ。この髪が炎に炙られ、焦げた時のことを。

 まだ分からないのかい? 哀しいな。君はあの時、ぼくを裏切った後悔に苦しみながら泣き叫んでくれたというのに)

(いやだ、やめろ! 早く私の前から消えろ!)

(だが、思い出さないというのなら、思い出させるまでだ)

(な、何をする気だ、グレミー!?)

(また味わうがいい。苦しむがいい。自分の体が消えるような感覚を。

 大切なものを奪われる苦しみを)

 

 

 

 

 吹き飛んだ《キュベレイ》は、叩き潰されたハエのように岩石に張り付いたまま全く動かぬ。

 《キュベレイ》頭部のデュアルアイ・センサーはすでに光を失っていた。最後の1基のファンネルもサイコミュ接続が切れ、デブリとなって虚空を漂っている。

 《FAZZ》のハリボテの装甲を脱ぎ捨て、本性を現した《ZZガンダム》。

 全天周モニター正面、レティクルの先に《キュベレイ》を射線上に捉えたまま、ダブル・ビームライフルの暗い砲口は微動だにしなかった。

 しかし、いつまで経ってもそこから亜光速の高熱は発せられなかった。

 

(つまらんな)

 

 心底、という感じでカールは呟いた。

 先程、ビームサーベルで《FAZZ》の体勢を崩した時には、善戦の期待もしたのだが、

 

「まだまだだな。今のお前では俺の心を満足させられない。もっと怒れ」

 

 カールは《ZZ》を反転させ、

 

「しっかりとそこで見ていることだ」

 

 わずかに、背後のモニターを振り返ると、眼下の巨大宇宙艦船《ジュピトリスⅡ》に向けて、フットペダルを踏み込んだ。

 

 

『うおっ!? クワニ、やべぇ!』

 

 ファンネルの攻撃をかわしながらのアイバンは、相棒に対して発することが出来たのはそれが精一杯であった。

 だが、それだけで十分。クワニもアイバンの意図することを理解した。

 《ZZガンダム》が岩石に衝突し擱座した《キュベレイ》に、ダブル・ビームライフルを向けていた。

 すでに、ビームマシンガンの予備弾倉も全て撃ち尽くしたアイバン機は、マシンガンを投げ捨て、ビームホークを抜き放ちながら、《ZZ》に向け捨て身の特攻を仕掛ける。

 しかし、それよりも早く《ZZ》はAMBAC機動で方向転換すると、直下12時方向へ飛び去った。

 アイバンが安心する前に、《ZZ》の進行方向に位置する細長い艦船のシルエットをモニターに捉え、

 

『野郎っ! 母艦をやる気だ。クワニっ!』

『ダメだっ! 間に合わん』

 

 クワニ機は膝下を失ったことで、推力に頼った旋回をするのがやっとで、機敏なAMBAC機動など求めるべくもなかった。

 

『おいっ、そこの《ジム》! 奴を止め』

 

 クワニがオープン回線に叫ぶ前に、最後の《ジムⅢ》は《ZZ》にすれ違いざまハイパー・ビームサーベルの一閃を腰部に喰らい、あっけなく爆散した。

 その頃になって、ようやく《ZZ》の攻撃の意図を察知した《ジュピトリス》が狂ったように対空砲の火を噴く。

 だが、遅すぎた。

 鮮やかな機動で続々と迫る火線を縫うようにかわすと、直近の近接防御火器の砲台を足で踏み潰し、《ZZ》が《ジュピトリス》甲板上に着艦した。

 目前に艦橋が迫っていた。

 

 

 

 

 艦橋正面のモニター。画面一杯に映し出される大型MSの不遜な姿。ただ一人、キャプテンシートのバッハはそれを見た。

 続いて手にした拳銃を眺める。これでは豆鉄砲どころの話ではない。

 バッハはヴァルター通信長以下全員に戦闘指揮所(C I C)に移るよう命じていた。「危険です!」というヴァルターの反論は拳銃を向け、黙らせた。

 

『祈りは捧げたか、艦長?』

 

 オープン回線が艦橋に響く。

 

「不要だ。私は無神論者でね」

 

 バッハは幾分不満げに応えた。

 《ZZ》はその巨体をますます近付け、手にしたハイパー・ビームサーベルのグリップを逆手に持った。

 

『結構』

 

 

 

 

 霧の中から何かが響いてくる。

 誰かが、怒りと焦りの入り混じった叫び声を上げている。

 

 -これは、アイバンとクワニだ。

 

 頭が少しずつ状況を理解する。動かなかった手指、足先の感覚が戻ってくる。

 

 ーよし、動け。《ガンダム》を倒して、全てを終わらせよう。

 

 蒼い瞳に力が戻ってくる。呼応するように《キュベレイ》のデュアルアイ・センサーにも光が灯る。

 

 -大丈夫だ。まだやれる!

 

 そう決意した直後だった。

 

 

(ありがとう)

 

 

 懐かしくて温かい思惟が私の心に優しく触れた。

 

「えっ? なに?」

 

 全天周モニターの下方。離れて小さく映る《ジュピトリス》。そこから小さな爆発の光が見えた。

 そして、百分の一秒という一瞬の中で、私は全てを理解し・・・・・・。

 

「あああぁぁぁ――!」

 

 彼の皮膚が、肉が、骨が焼けていく。溶けていく。

 あの時と同じだ。10年前、この髪を焦がした時と。

 

 ーあの人が消えていく! グレミーの時みたいに。

 ー待って! 行かないで!

 

 必死に呼びかけると、まだ消え残っていた彼の残滓が、

 

 ーなんで・・・・・・?

 ーなんで笑いかけるんだ?

 ー私はあなたにまだ娘らしいことを何一つ。

 

 

(もうもらったよ)

 

 

 彼の思惟が満足そうに微笑み、そして、

 

 

 

『ありがとう、バッハさん』

 

 13歳の彼女の誕生日。

 バラの花束を手にした栗毛の少女がうれしそうに笑い、少し頬を赤らめる。

 礼を言うその幸せそうな笑顔が彼の意識をよぎり、

 

 その精神は蒸発した。

 

 あの時のバラが燃えていく、消えていく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さよなら

 

「――!!!うううぅぅう・・・・・・、あああぁぁぁ――!!」

 

 心身を吹き荒れる苦しみと喪失感に、体の変調は些細なものとして霧散する。

 

(そうだ。それでいい、プルツー)

 

 《キュベレイ》のリニアシート後ろに佇むグレミーは、血も凍りそうな冷たい声で続ける。

 

(お前が身に着けているノーマルスーツの色を思い出せ。その意味を。

 そして、お前の存在意義を思い出せ)

 

 そうだ。

 赤、それは怒りの赤。黒、それは憎悪の黒。

 ふたつの色と負の感情が視界を塗りつぶす。

 

 自分の半身を殺してしまった《サイコガンダム》。

 グレミーを殺した《Zガンダム》。

 そして、

 今また私のお養父さんをグレミーと同じように焼き殺した《ZZガンダム》。

 

「私は、マリア・アーシタなんて人間は演じられない」

 

 《ガンダム》は敵。

 

「私は、人形だ」

 

 私の幸せを、家族を奪う敵。

 

「私は、人間兵器だ」

 

 憎むべき敵。

 

「私は、・・・・・・ル・・・・・・-だ」

 

 敵は殺す。皆、殺す。

 

「私は、プルツーだ」

 

 いや、殺さなければならない。

 

「私はっ! プルツ――――だあああぁぁぁ!!!」

 

 それが私の存在意義!!

 

 全てを否定する感情がサイコミュによって増幅され、モニターのパラメーター数値はすべて意味消失する。

 バインダーのスラスター・ノズルから爆発的に巨大な炎の花弁が咲き、殺人的に《キュベレイ》を加速させる。

 彼女の肉を、魂を喰いながら悪魔の化身となった《キュベレイ》が、艦橋にサーベルを突き立てたままの《ZZガンダム》に肉迫する。

 

「そうだっ! 俺の黒い衝動を満たしてみせろ!」

 

 カールは狂喜し、否定の黒い思惟にまみれた《ガンダム》が応える。サーベルを引き抜きざま、また光刃をぶつけ合った。

 離れざま《キュベレイ》は袖口のビームガンを連続的に放つ。ひとつを機動でかわし、コクピットを狙う別のひとつはIフィールド発生機構が弾く。

 だが、3発目は《ZZ》の右肩部装甲を貫き、右マニピュレータを機能不全にさせた。

 

「やるじゃないか。コーティング装甲を抜いてくるとは。さっきまでと、まるで集束率が違う。

 それに、あの光」

 

 カールはうめく。モニターに映る陽光を反射する水滴を撒き散らしたような光。無数のそれが《キュベレイ》を包み込むように沸き、周囲を激しく点滅させていた。

 

「物理法則を無視した、エーテルが実体化しているとでもいうのか?」

 

 驚きながらも、愉快そうに笑い、また操縦桿を押し込む。

 

「嬉しいぞ!強化人間っ」

 

 

「お前も人の心が覗き見れるようだが、ニュータイプではないな」

 

 しかし、ニュータイプか否かなど、もはやどうでもいいことだ。

 笑わせる。人の革新? 誤解なく分かり合える?

 だったら、たとえ人工の作り物であったとしても、なぜ私は幸せになれない?

 世界が私を拒絶するのなら、私も同じことをしてやろう。

 みんな、いなくなれ。

 

「まずはお前からだ、カール。その命、ダブリンに帰してやるよ」

 

 彼女は嗤う。

 

 

 

 

 ふたつの絡み合うスラスター光。

 彼らは人間の持つ可能性の一切を否定する、闘争本能のケモノとなって、無限のソラを翔けた。

 

(これが彼女の想い)

 

 虚空に漂うグレミーの幻影は、凍てつく冷笑を口元に浮かべながらもその目は憧憬の色を帯びていた。

 全てを殺し、壊し、奪い尽くす。

 強化人間という呪われた生の中で必死に生きているにも関わらず、幸福を得られない苦しみ、もどかしさ。

 一時与えられたとしても、それはすぐに取り上げられてしまう。

 この世界全てに対する否定の意思。憎悪。

 

(なんて愉しそうに戦うんだろう。彼らの想いは今、満たされているんだ。

 君もそうは思わないか、エルピー・プル)

 

 グレミーが首を巡らせると、いつの間に現れたのか、プルの思惟が両手を胸の前で組み、小さな肩を震わせていた。

 

(やめて、マリィ! 戦っちゃダメ!! このままじゃあなたは)

 

 だが、その声はもはや戦闘マシーンと化した彼女の心には届かなかった。

 《キュベレイ》のサイコミュを通して、憎しみ、怒りという炎が彼女を焼き尽くそうとしていた。

 

(ふふ、言ったろ? 彼女の想いは満たされた。今、このときこそ彼女は幸福なんだ)

(こんなの幸福でもなんでもないっ!)

 

 プルの思惟が激しく否定し、怒ったように緑の燐光を撒き散らす。

 

(あの娘は、お父さんになってくれた人に花束をもらって嬉しそうだった!

 パフェを幸せそうに食べていた!

 アンジェロって人に女として認めてもらって喜んでいた!

 その思い出があれば、マリィは)

(そうだ、その思い出だ)

 

 グレミーは自分とは遠く関係のないことのような、感情のこもらない声でプルを遮った。

 

(プル、君は死んでから随分と思い違いをしているな。

 プルツーはまだ肉体を持っているんだ。意識だけの私や君とは違う。

 愛しい者の温もりを求めて、冷水を浴びせられればどう思う?

 愛の囁きを求めて、拒絶されればどう思う?

 その傷付いた存在が思い出の中で生きるというのは、自分の殻に閉じこもるということだ)

 

 プルはグレミーに反論して、口を開きかけるが言葉は出ない。無理やり開こうとすると、何か圧迫を感じるように胸を手で押さえる。喉は張り付いたように動かない。

 

(あのバッハという男はバラと共に燃え尽きた。

 パフェ? そんなものは今この虚空には無い。

 アンジェロだと? どこにいるのだ、そいつは?)

 

 グレミーがまるで勝利を確信した指揮官のように、満足そうな笑みを見せる。

 

(さぁ、絶望が始まる。一緒に見ようじゃないか)

 

 グレミーがその手をプルに向けて伸ばす。

 プルはその蒼い瞳に追い詰められた小鹿のような恐怖の色を浮かべた。幼児がするように顔を左右に激しく振って否定の意思を示す。

 

 その時、

 

(どんな絶望の中にも、希望は生まれる)

 

 草原を走る風のように、その声はグレミーとプルの間に割って入り駆け抜けた。

 同時に、太陽のような後光がプルの背後から沸き上がり、見る見るうちに女性の姿に変化した。

 長く、背で結んだ栗毛はやはり緑の燐光をまとっていた。

 

(トゥエルブ。うぅん、・・・・・・マリーダ)

 

 目に涙を浮かべたプルがその名を呟く。

 第一次ネオ・ジオン戦争末期、実戦投入された、作られた少女兵士【プルシリーズ】。エルピー・プルという始祖から生まれたクローンの哀しい運命。

 その12番目の姉妹。新たにマリーダ・クルスと名を与えられた彼女の姿は、遺伝的にはマリアと全く同じである。しかし、マリーダの数奇な人生は、マリアとはまったく異なる精神を形成した。

 そして、今、彼女が(まと)う燐光はプルのそれとも少し雰囲気が違っていた。どちらが、澄んでいるということではない。

 例えるならば、プルのものは森の湖が戯れの風に巻き上げられた水滴の緑。

 そして、マリーダのものは、地に落ちてなお必死に生きようとする緑の蝶の燐粉、であった。

 さらに、もうひとつの相違点がある。

 マリーダの光の方が、明らかに力強い。

 その姿に、自信に満ちていたグレミーの顔に一抹の焦りが浮かぶ。

 

(末妹か。他の姉妹を裏切った出来損ないが今更、何の用だ?)

 

 その焦りを打ち消すように、形の良い眉間を醜く歪めて口を開くが、マリーダは全く動じなかった。

 

(黙れ。マスターの幻影を被った虚無め。消えろ!)

 

 一撃だった。

 驚愕した(なっ!)という表情を張り付かせたまま、一瞬で正体を見抜かれたグレミーの影は足元から、見る見る消えていった。

 強風に吹かれて、もろい砂の城が消えていくようだった。

 

 

 二人だけとなった虚空で、プルは不安そうに横にいる自分より大きな妹を見上げた。

 

(どうしよう、マリーダ。このままじゃ、マリィは《キュベレイ》に飲み込まれて帰って来れなくなっちゃう)

 

 マリーダは小さい姉を見て、安心させるように頷き、

 

(大丈夫。諦めさえしなければ。姉さん、あの娘は道に迷っている。見つけられないでいる。

 それなら、私たちが光となって照らしてあげましょう。私たち姉妹には、それができるはずです)

(そう、・・・・・・そうだね)

 

 プルもマリーダと同じように、自分を納得させるように、頷いた。

 

(姉さんは遠くのあの人の想いを連れてきて下さい。私は・・・・・・)

(分かったよ!)

 

 マリーダの言葉の最後を聞く前に、プルは飛行機のように両腕を横に伸ばしたまま、しかし、速さは飛行機どころか、超光速となって銀河の彼方に消えていった。

 それを見送ったマリーダは一瞬、きょとん、とした顔になり、次に、

 

(もうせっかちだよ、姉さん)

 

 くすり、と笑った。

 そして、今までの穏やかな顔から一転、怒りの形相となった。

 

(私は、あの甲斐性無しを連れてきます)

 

 

 

 

 タイガーバウムを出港したその密航船は月を目指していた。

 本来は、サイド郡のコロニー間移動・連絡に使われるような、いわば宇宙船の中では小船に分類される。

 間違っても、サイド3~月間の100万km以上の距離を宙行するのに、適した船ではない。

 それは、大洋に浮かぶ小さなイカダ舟と表現してもよかろう。

 船には定員をはるかに超える数の人々が乗り込み、本来、貨物スペースである船倉にまで身を寄せ合うようにしていた。

 その混雑の中、床を這うダクトに腰掛、壁に身を預ける銀髪の青年がいる。彼は空虚だけを抱いていた。いや、ひとつだけ持っていた。

 

(これで、よかったんだ)

 

 自分を無理に納得させようとするその欺瞞(ぎまん)は日に日に、・・・・・・いや、毎時、分、秒ごとに苦い思いで、空っぽの心を満たしていった。

 彼は一体何がしたいのか、どこへ行こうというのか。

 全く道を見失っていた。

 

 その時、突然。

 彼の目前に、緑の細かい光が舞い上がり、薄汚れた銀髪をわずかに照らし出す。何かの存在に気付くと、膝を抱きうつむいていた彼は半ば死んでいるような顔を上げ、

 

(まさか……!?)

 

 心臓を捕まれたような表情になる。驚愕は見る見るうちに、醜い泣き顔になりかかった。

 

(マリア、なのか?そんな。君は、……死んでしまって)

 

 彼のつぶやきに、隣で舟を漕いでいた幼児が夢うつつから、寝ぼけ眼で周りを見渡し、何もないことが分かるとまた頭が、がくり、と垂れる。

 他の人間には見えないが、その男、アンジェロ・ザウパーには目の前に現れた女性の姿をした光が見える。

 思い出すのは、一夜限りのマリアとの契り。肉体の温もりを確認した時に、二人が持つ哀しい記憶がお互いを苦しめた。

 しかし、同時に温もりを得た喜びも感じていた。あの時、アンジェロの心臓は高鳴った。

 今はその心臓は、直接雪解け水を流し込まれたかのように、凍えていった。

 

(私はマリア・アーシタではない)

 

 彼女はマリアと同じ声で冷たく突き放し、同じ瞳でアンジェロを見下ろした。

 同じ存在でありながら、アンジェロはその【色】とも言うべきものが違うことを理解した。

 

(そう、か。マリーダ・クルスか)

 

 アンジェロが深い悲哀とも悔恨ともつかない吐息をする。やがて、混乱した疑念の顔となった。

 

(私がもし彼女だったら、本当に彼女が死んでしまっていたら、何と語りかけるつもりだった? 何も言わずに去った謝罪か? 見捨てた後悔か?)

 

 静かに語りかけるマリーダに、アンジェロはまた顔を膝に埋めた。

 

(あの娘は今、絶望と死の淵で戦っている。たった独りで)

 

 マリーダの言葉に反応を示さず、また自分の殻に閉じこもろうとしていた。

 

(私のっ! 目を見ろっ!!)

 

 その激昂は直接、アンジェロの脳に叩き込まれた。

 怯える小動物のように体を震わせ、再度、アンジェロが蒼い瞳と視線を交錯させる。

 

 ーこんなクルスを、見たことがない。

 

 獲物を前にし、牙を剥く肉食獣のような顔のマリーダであった。

 

(私は軍人として、いや、ひとりの人間として戦うことの意味を見出した。命令に単に従うことじゃない。わかるか、アンジェロ?)

 

 何も答える術を彼は持っていなかった。

 

(それは、仲間を守ること。そして、家族を守ること)

 

 マリーダの思惟が彼のたくましい背中と大きな掌を思い出す。私に新しい生を与えてくれた父。私が守った彼は生きている。

 でも、マリアの大切な父は今奪われてしまった。

 

(あなたにとって、マリアの存在は何だ? 彼女はただの一時の慰めや杖代わりの支えだったのか?

 『寂しさだけで人が繋がっているなんて哀しい』だって? 思い上がるなっ! そんな男なら、口と目を閉じ、耳もふさいで、孤独に生きて、独りで死ねばよかったんだ。

 私の手もあの娘の手も、殺した人間の血で汚れきっている。その汚れも罪も消すことはできない。

 じゃあ、どうすればいいんだ? なぜ、そんな汚れた手を彼女はあなたに差し伸べたんだ?

 その手を取ってあげなければ、あの娘はどうやってこの先、生きていけばいいんだ?

 寂しさの意味を、あなたは誰より知っていただろう? スベロアが、私のお父さんがなんであんなに優しかったか、あなたは気付いたんだろう?

 あの娘は、・・・・・・マリアは、守るべき、かけがえのない存在じゃないのか?)

 

 マリーダは一息に畳み掛けるように問い掛けた。それは彼女の思惟を震わせるほど、厳しいものだった。

 しかし、問い掛けられたアンジェロにとっては、さらに、遥かに、厳しい責め苦となって心震わせた。

 マリアと同じ瞳を持つ、マリーダのそれを正視し続けることができない。

 アンジェロは(うつむ)き自分を抱き、むき出しの二の腕に爪が食い込み、血が滴となって漂っていた。

 

「私は、彼女を、・・・・・・助けたい」

 

 搾り出すように、食いしばった歯の隙間から言葉が漏れる。

 なんだ、この胸の気持ちは?

 大佐への想いとは違う。後ろから付いていきたい、横に立っていたい、という気持ちじゃない。

 そう、あれはきっと憧れだったんだ。

 心が張り裂ける。彼女のことを全宇宙でもっとも大切な無二の存在と思える。

 

(きっとそれが、愛)

 

 見下ろすマリーダの瞳は、今や母親のような深い慈愛に満ちていた。

 

(それを持っているのなら、彼女に伝えろ。そして、救え)

 

 力強く彼の背を押し出す。

 

(自分と彼女と、そして、この世界の可能性を信じろ)

 

 

 

 

「やった!」

 

 エイダが快哉の声を上げる。

 とうとう、ファンネルが発したビームによって、《キュベレイ》の頭部、右目にあたるデュアルアイ・センサーの片方が潰された。

 だが、反撃のビームガンにそのファンネルも墜とされる。

 

「なにを遊んでいるんだっ!」

 

 後席のカールがエイダを一喝する。励ますような響きは一切なく、少女を押しつぶそうとする黒い思惟のみ。

 

(あぁ、早く、早くこいつをやっつけて。帰りたい)

 

 掃除用具をしまっておくあの狭い倉庫のすみ。あそこなら臭いけど、怖い太ったおばさんや気持ち悪いものを体に入れてくる男の人たちにも見つからない。

 あぁ、早くあの家に帰りたい。

 

(家? 家って何だ?)

 

 あの倉庫? 違う。

 少女の視界の端、全天周モニターに《ジュピトリス》のシルエットが掠る。

 その途端に、頭痛が激しくなった。

 

(頭が、金槌で、叩かれてるみたい)

(それは本当のあなたが、がんばっているからだよ)

 

 その痛みをやわらげるように、優しい想いが直接少女に流れ込んできた。

 何か甘い香り。髪から立ち上る女の人の匂いのような。

 

 がつっ!

 

 後ろからエイダのヘッドレストが蹴られ、瞬間、彼女は現実に引き戻された。

 

(ううぅぅ。墜ちろよ、モグラもどき!)

 

 頭痛に耐えながら、エイダはまた《キュベレイ》に攻撃の意識を集中した。

 ヘルメットの内、黒い瞳から涙が漏れ漂っていた。

 

 

 

 

 先程のように、《キュベレイ》に命中することは、もはやほとんどない。

 装甲を掠ることはあっても、ファンネルのオールラウンド攻撃は虚空しか切り裂けない。純粋にビームの数が減っていることもある。

 だが、彼女には《キュベレイ》に真っ直ぐ迫るその光軸がゆっくり見える。

 彼女にはそれが見えた。時が引き伸ばされていた。

 

 私が泣いても、泣かなくても、彼らはもういない。

 私が哀しんでも、哀しまなくても、彼らはもう生き返らない。

 私が殺してしまった人たち。プル、エマリー、グレミー。

 私のせいで死んでしまった人たち。《ジュピトリス》のクルー、キアーラ、お養父さん。

 だから、もう全てを終わりにする。

 カール、お前が私の人間性を否定するなら、それもよかろう。

 確かに。それは正しい。

 私はネオ・ジオンの深い闇の中から生まれたのだから。

 だがな、本質的にはお前も同じだ。

 

(すべてを滅ぼしてやる)

 

 スペック以上の能力を引き出す発光は、虹の向こう側からサイコミュを逆流し、彼女自身を扉にして《キュベレイ》に力をもたらしていた。

 そのオーバーロードは確実に彼女の肉体を蝕み、弱い毛細血管から崩壊が始まっていた。

 呼吸がしづらい。鼻の奥に血が溜まっている。

 鉄の味がする。歯茎は獲物を狩った肉食獣のように赤く染まっていた。

 そして、視界が狭い。人体でも有数の細い血管が張り巡らされた眼球。

 彼女は光を失いつつあった。

 

 

 

 

 《キュベレイ》が複雑な軌道を描いて飛ぶ。機体の隙間からきらめくエーテルを撒き散らし、それは《ZZ》を翻弄する。

 《ZZ》のセンサーはきらめきの塊を《キュベレイ》と誤認しては、その信号が消え、また別のところに現れる。

 正面モニターには、無数の【TARGET】の表示が、あちこちに点滅し続ける。

 

「意思を持った光とでも言うのか!?」

 

 光なんて、あの時見た滅びの光だけで十分だ!

 恐怖を憎悪で押さえ込み、カールはその厚い唇の隙間から食いしばる歯を見せ、呻いた。

 【TARGET】表示の中から、一際強い輝きを放つシルエットが《ZZ》目前に迫る。

 

「ぐっ!」

 

 また(うめ)いたときには、すでに《キュベレイ》は《ZZ》に組み付いていた。《ZZ》の右肩下は押さえ付けられ、《キュベレイ》の右マニピュレータは振り上げられているのが、映し出された。

 

「小娘が、させるかよっ!」

 

 すんでのところで、その一撃を《ZZ》の左マニピュレータで受け止める。両者は組み付いた状態になった。

 全高のある《ZZ》が頭部を見下ろすように俯角を取り、バルカンを放つ。

 しかし、すでに弾薬を消費しており、一連射で弾切れ。《キュベレイ》頭部から後ろに長く伸びる角状の装甲に、穴を穿(うが)っただけに留まった。

 

「こんなときに! おい、チャンスだ。焼き払え」

「なんで、動かないんだ!? ファンネル、私の言うことを聞けっ!」

 

 カールが前席に呼びかけたときには、もうファンネルはあらゆる命令を放棄していた。エイダが呼びかけても、それは今や虚空に漂う小さなデブリでしかなかった。

 

「使えん奴だ」

 

 罵りつつ、カールは操縦桿を押し込む。

 肘先しか動かぬ右マニピュレータを使い、巧みに《キュベレイ》の腰部を押さえ込んだ。

 が、それで十分だ。残った左腕はすでに《キュベレイ》とがっちり組み付いている。

 

「潰してやる。パワーはこっちがずっと上のはずだ!」

 

 しかし、ファンネルばかりか、機体も動かなくなった。

 見れば、《ZZ》の頭部デュアルアイ・センサーは光を失っていた。

 

「なんだ!? 《ZZ》動け! なぜ動かん!?」

 

 カールは戦闘中初めて、単なる焦りではなく、恐怖で顔を引きつらせた。太い鼻筋にはシワがよる。

 

(一緒に来い。連れて行ってやる)

 

 突如脳に流れ込む、ぞっとする冷たさにカールは身を震わせた。

 それは怒り、憎しみを通り越し、なにか、

 水底から浮き上がる死体が、生者を引き込もうとする不気味さがあった。

 

 

 

 

(そうだ。こんな作られた肉体なんていらない。それに・・・・・・)

 

 だが、その思惟はまだ亡霊の怨念には落ちていなかった。

 

(それに死ねば、この背に羽が生える。きっと天使みたいに。心だけになってあの人の元へ飛んでいける)

 

 彼女にカケラとなって残った人の心がそう思わせていた。

 

(彼にとって重たいのなら、苦しめるのなら、こんな肉体、焼き払ってしまおう。

 そうすれば、今度こそ彼は私を迎えてくれる、受け止めてくれるはずだ。

 心だけなら易い、軽い・・・・・・)

 

 動けない《ZZ》を尻目に、《キュベレイ》のコクピットを振り返った彼女はリニア・シート後ろの小スペースを手探りでまさぐった。もう目が見えない。

 手に当たる硬い感触がペン形状の細長いものを探り当てる。

 起爆リモコン。そう、彼女はリモコンをふたつ持ち込んでいた。フラストにも、他の仲間たちにも黙って。

 暗いリア・アーマーの奥に格納された2発のシュツルム・ファウストがその瞬間を待ちわびていた。

 安全装置のカバーを解除し、末端に設置された赤いスイッチに向け親指を立てる。

 握った両手が震える。それはマリアという人間の残渣か、それともプルツーという壊れた人間兵器なのか。

 彼女は、ぎゅっ、と瞳を閉じ、そして、

 

 

 

 ―さよなら。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

どんなときでも、ひとりじゃない

 

(待ってくれ! 生きることをあきらめないでくれ!)

 

 それは失くしてしまったと思った、あの人の声だった。

 それに、みんなの声が聞こえる。なんて温かい・・・・・・。

 

 

 《ジュピトリスⅡ》の対空監視モニターから《キュベレイ》を見上げるバーバラは願った。

 

(生きて。命を粗末にしないで!)

 

 

 ダミー岩石に隠れながら、《ゲルググキャノン》のビームを照準するベイリーは焦った。

 

(組み付いた状態では、撃てない! あなたを死なせるわけにはいかない。それでは意味が無いんだ!)

 

 ベイリーは望んだ。

 

(キアーラ様の分まで生きてください!)

 

 

 遠く離れた《ダイニ・ガランシェール》からも仲間の声が。

 航空士席に巨体を押し込めたアレクが、短く力強く叱咤する。

 

(生きろ!)

 

 

 両手を組んだユーリアが一心に祈っている。

 

(まだあの人に自分の口で伝えてないでしょ? あなたの気持ちを。死んじゃダメ!)

 

 

 ブリッジで舵を握るフラストも、

 

(生きろっ! 生きて、この宇宙のどこかにいる、あの大馬鹿野郎と再会しろ!! あいつを一発ぶん殴るまで、死ぬな!!!)

 

 

 そして、今。

 死にゆく私がもっとも強く望んだ、あの人の想いが聞こえる、感じる。

 

(待ってくれ! 生きることをあきらめないでくれ!

 君にはまだ温かい血と肉が残っているじゃないか! それは作り物なんかじゃない。君が生きている証だ。心だけになってもいいなんて言うな!!)

 

 でも、アンジェロ、あなたは私から離れてしまった。行ってしまった。私を置いて。

 

(ずっと考えてたんだ、君と別れてから。独りにされる淋しさを私は誰より知っていたはずなのに・・・・・・)

 

 暗闇に座り込む蒼い瞳の少女。

 その横にたたずむ銀髪の少年。

 少女は触れば切れそうな、人間兵器の仮面を被っていた。

 少年は心をバラのトゲで包み、誰にも近寄らせない。

 寂しい。哀しい。お互い温もりを確かめ合いたいのに、そうすれば自身が持つナイフやトゲで相手を傷つける。

 背中合わせの二人。どうすれば、分かり合えるのだろう。

 

 その時、 

 

 両者の間に小さな男の子が霧のように沸き現れた。

 幼子は魔法のように輝く小さな手でもって、マリアの刃を、アンジェロのトゲを取り去ってくれた。 

 にっこり微笑み二人に手をつながせる。

 その子のやわらかそうな巻き毛はアンジェロの銀髪。その子の笑った目はマリアの深く蒼い瞳と同じだった。

 そして、唐突にマリアは今までの事象を理解した。

 

(そうか。そう、だったんだ。こんな私にも・・・・・・)

 

 自らの下腹部に優しく手を当ててあげる。

 アンジェロの想いは続く。

 

(誰であれ人は魂のよりどころが必要なんだ。今度は必ず受け止めるから。必ず帰るから。だから。

 生きてくれ!!)

 

 

 マリアは瞳を見開いた。それはすでに蒼いガラス球のように光を失っていた。

 だが、何倍、何十倍にも拡大された彼女の意識が今まで以上にはっきりと目前の敵を認識していた。

 

「死ねない! 私はあの人に会うまで!

 この体に宿る、希望の光を、誰にも奪わせはしない!」

 

 

 

 

「何の小細工だ? 小娘がっ!」

 

 激憤と共にカールが操縦桿を幾度となく押し込む。接触回線を通して、《キュベレイ》のマリアにもその様子が感じられる。

 呼応するかのように、《ZZ》が息を吹き返そうとしているのか、デュアルアイ・センサーが明滅した。

 

(暗黒面に落ちたか《ダブルゼータ》っ!)

 

 しかし、新たな思惟にまた《ZZ》は呪縛される。

 

「その声、まさか、・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 その感触にマリアは呟き、彼方の惑星を思う。

 確かにそれは何億キロも離れた、遠く木星から届いたものだった。姉のプルが超光速で彼女の危機を知らせたのだった。

 

(マリア思い出すんだ! 俺が言った言葉を)

 

 それは10年前、彼が強い想いと共に発した心の叫びだった。

 

 

『俺は間違いなく、身勝手な人の独善に対して、皆の意志を背負って戦っている!』

 

 

 私が大好きだった、もちろん今も好きなジュドー。

 でも、彼に対する想いはここ最近まで抱いていた恋愛感情とは違う。

 

(そう。今はアンジェロがいる)

 

 はっきりと変わっていた。家族愛。命を救ってくれた兄の背中を無邪気に追いかけていた頃に戻っていた。

 ジュドーの心の叫び。私は子供で人間兵器として、戦っているだけの存在だった。あの頃は聞いても、本質は理解していなかったのかもしれない。

 でも、いまなら、

 

「解ったよ、お兄ちゃん・・・・・・。

 カール、あなたは哀れだ。あなたは命の片側しか見ていない。影があって光があるように、死があってこそ生がある。

 命は死があるからこそ、生きる輝きがもてる。死があるからこそ、精一杯この生を全うしようとする」

 

 亡くしてしまったキアーラのことを思い出す。哀しい。でも、

 

『あなた、の、声を聞けて、良かった・・・・・・』

 

 彼女は死に際まで私のことを想ってくれた。

 

『人はどんなにぼろぼろになっても、生きてゆくしかない』

 

 ベイリーの言葉が打ちひしがれた私を励ましてくれた。

 

『俺はその娘を助けようと決めた』

『俺たちは仲間だろ!!』

 

 フラストとトムラが、私はどんな時でもひとりじゃないと気付かせてくれた。

 

 そして、

 

『君が救われるというのなら。おいで』

 

 アンジェロの優しい瞳が、人間兵器プルツーをマリア・アーシタに戻してくれた。

 

「生と死。それは1枚のコインの表と裏と同じなんだ。どちらかしかないコインなんてこの宇宙のどこにもない。

 そして、別れがあって愛がある、人を亡くす悲しみがあって、生命の誕生の喜びがある」

 

 マリアの語りは《ZZ》コクピット前席のエイダも苦しめた。

 

(なんだ? なんなんだ、お前は)

 

 エイダの意識は《ZZ》と《キュベレイ》の装甲を貫通し、リニア・シートに収まるマリア、彼女の腹から、彼女とは違う別の鼓動を見た。

 少女がまだ知らない、子宮という母のベッドに抱かれ、細胞分裂を繰り返す小さな光の鼓動を。

 

「だから、人は限られた命の中で、影と光を与えられ、さまざまな可能性を模索して生きるんだ!

 人間の可能性をあなたのような死しか見えていない人に、潰されてはいけないんだ!」

 

 一転して強くなったマリアの叫びに、エイダの頭痛も激しくなる。

 

(頭が、割れる。誰か、助けて)

 

 今や両手で顔面を押さえるエイダ。

 しかし、その手を透過して、《ZZ》と《キュベレイ》の間の虚空に浮かぶ人型のシルエットを少女は見た。緑の燐光を放っている。エルピー・プルだ。

 

(妖精?)

 

 涙を浮かべて呟くと、プルはエイダに笑いかけた。

 

(あのお姉ちゃんは優しいことを言ってるんだよ。だから、ほら、おいで)

 

 そうだ。早くここから逃げたい。

 プルがエイダに手を伸ばし、少女もそれに応える。

 だが、《ZZ》のコクピット前面装甲が少女を遮る前に、黒い思惟が壁となって、両者に立ちはだかった。

 さらに、後ろから大蛇のような太い腕がエイダの首に巻きつき、締め上げる。

 冷たい声でカールが囁く。

 

(ダメだ。お前は殺しの道具だ。分かるかこの感覚が? 思い出せ)

 

 その腕越しにカールの全てを否定する思惟が染込んできて、エイダの全身の毛を逆立たせる。

 そう。少女が囚われの身となり、数多くの男たちから気持ち悪いものを体に突き込まれた、あの感覚。

 

「嫌、いや、イヤ・・・・・・」

(それとも、先にお前が死ぬか?)

 

 エイダの心が黒い闇に塗りつぶされそうになる。

 

 それは、死。

 

「いや―――ぁぁぁ! 死にたくないっ!!」

 

 その叫びに応えるように、《ZZ》は《キュベレイ》同様、全身から光を放ち始めた。

 少女の生存本能が《ZZ》を呪縛し動けなくしていた戒めを取り去ったのだった。

 その発光に吹き飛ばされて、プルが《キュベレイ》まで流されてくる。

 

(マリィ、あの娘を助けてあげて! こっちに来たがってる)

 

 手探りで右の操縦桿を握ろうとするマリア。プルは彼女の腕に触れ、場所を導いてやる。目は見えないが、プルが触れる皮膚は温かかった。

 

「わかったよ、プル」

(みんなが来てくれましたよ。姉さん、後少しです)

 

 また別の思惟が操縦桿までマリアの左腕を運んだ。マリーダだった。リニア・シート横に寄り添う彼女は深い慈愛に満ち、マリアを安心させるように頷いた。

 いや、ふたりだけではない。

 このシートの後ろは、虹の向こうにつながっている。たくさんの楽しげな笑い声が聞こえる。そこから彼女たちが駆けつけてくれるのをマリアは感じた。

 

「ありがとう、みんな」

 

 視力を失ったマリアにはもう見えない。

だが、《キュベレイ》のディスプレイにはあり得ない【FUNNEL READY】の表示が明滅していた。

 

 

 

 

「ひねり潰してくれる」

 

 カールはもはや狂気に憑かれた表情だった。

 《ZZ》の左マニピュレータが《キュベレイ》の右のそれを押し込む。何とか耐えているような《キュベレイ》だが、とうとう限界を超え、右肩から噴霧状の液体が宇宙に飛び出す。

 実体化したエーテルのきらめきが、それを押さえ込もうと亀裂部位に集まる。

 しかし、押さえても押さえても、近傍から次々と破断が始まり、到底追い付くものでもない。

 カールが勝利を確信した、その時。

 《キュベレイ》のファンネルコンテナから、小さな発光体が次々と発射された。

 

「馬鹿なっ!! 今頃、新たなファンネルだと!?」

 

 だが、それは一切の熱も持たず、装甲もスラスターもビーム兵器もない。質量すらなかった。それなのに、現世のあらゆる防御手段をいとも簡単に貫通する存在だった。

 人の姿をした、人の想い。

 真空を突き破って、《ZZ》のコクピットまで甲高い笑い声が伝わってきた。

 

「なに、違う? 子供だと!?」

 

 胸部コクピットの装甲を何事も無かったかのように透過したそのシルエットが、カールの目前に迫り、その顔をのぞきこむ。そして、にっ、と白い歯を見せ笑った。

 オレンジがかった栗毛、蒼い瞳、10歳ぐらいの少女。

 ひとりふたりではない。10に迫る数。それは緑の燐光を撒き散らしながらカールとエイダの周囲を飛び回った。

 

(キャハハハッ!)

(おじさん、あそぼっ!)

 

「なんなんだ、こいつら! 来るな! やめろ! まとわりつくんじゃない!!」

 

 ああ、腹立たしい、むかつく! 私はこいつらが、子供が大嫌いだ! 皆死ね。ここからいなくなれ!!!

 リニア・シートの上に立ち、息が上がるほど両手両腕を振り回して、少女の幻影を追い払おうとするカール。

 ふと、全天周モニターの正面に視線を戻すと、まるで《キュベレイ》を守るかのように両手を広げる別のシルエットを認め、『ひっ!』と小さく息を飲んだ。

 唯一、それは少女でなく、成人の女性だった。

 後ろで結んでいた髪を解き、末広がりに展開した長い栗毛が、カールの憎悪と怒りを遮る。

 

(あれは私が亡くしてしまった希望の光。もう二度と失わせるわけにはいかない)

 

 彼女、マリーダの声音も表情も穏やかだった。しかし、そこには決して踏み込ませないという、厳然とした決意を感じさせた。

 

「なにが希望だ! なにが光だ!

 光はっ、ダブリンの街を消した、あの光さえあればいいんだっ!」

 

 マリーダと姉妹たちが抱く希望。カールが(まと)う黒い絶望。

 両者は拮抗し、狭いコクピットの中で激突した。吹き荒れる嵐。

 しかし、

 

「ここから出て行け――ぇぇぇ!!!」

 

 何という強い負の心か。その黒い思惟は、とうとうマリーダと姉妹たちを弾き飛ばした。

 しかし、その反動はカールの精神にも強く衝撃を与えた。頭が大きくのけぞり、次には、がくり、と下に垂れる。

 その視界に、前席で恐怖に震える小さなノーマルスーツが飛び込んできた。

 すぐまた、怒りが湧き上がる。まだ膝が笑っていたが構わず、

 

「お前も消えろーぉ!!」

 

 コクピット・ハッチを開放するや、カールはエイダの首の後ろを掴んで、暗い宇宙に投げ飛ばした。

 無重力空間に突如投げ出され、回転し続ける少女。彼女の悲鳴は真空という、絶対の壁に遮られて生身の人間は誰も聞き取れない。

 

(マリィィィ、あの子が!)

 

 叫んだのはプルだったか、それとも他の姉妹の誰かか。いずれにせよ、彼女たちは水泡のようにきらめき、消滅した。

 

(見えないなら、感じろ!)

 

 マリアは自分自身、そして、単なるマシーンに過ぎなかった《キュベレイ》に言い聞かせた。

 

(そうだ。この宇宙で怖くて、泣いているあの子がすぐ近くにいるはずだ。《キュベレイ》、それを感じ取れ!)

 

 彼女の思惟を汲み取った《キュベレイ》の対物感知センサーが数倍にも感度を上げ、周囲を探索する。機械であるセンサーと神経細胞のシナプスが直結したようなダイレクトな感覚。

 

(いた!)

 

 コクピットの左斜め前方。左マニピュレータが届く。

 エイダを潰さないように慎重に、だが、素早く《キュベレイ》は少女をマニピュレータに包み、胸部コクピット前まで運んだ。

 彼女の体を中に引き入れようとしたハッチを開放する。

 急激な負圧により、起爆リモコンが宇宙に飛び出し、ついで前方から何か否定の意思のようなものが、飛び込んでくるのをマリアは感じた。

 シートの周囲、全天周モニターに小石ぐらいのものがぶつかって弾けている。真空中で音も聞こえず、マリアには目も見えない。

 深く考えている猶予はなかった。開いたハッチの端をしっかりと握り、半身を宇宙に乗り出して、エイダの体を手探りで求める。

 

(見えないことが、こんなに恐ろしいことだったなんて)

 

 マリアは膝が震えそうな恐怖と戦いながら、周囲をまさぐり続けた。

 すると、《キュベレイ》の装甲とは違う柔らかい感触を手が探り当てた。

 ほっ、としたその時。

 下腹部に衝撃と痛みが走った。瞬間的にマリアは理解した。

 

(撃たれた!)

 

「ハッハハ! やった、やったぞ! お前の光を奪ってやった! ざまぁみやがれ」

 

 カールはノーマルスーツの背部にランドムーバーと呼ばれる推進装置を付け宇宙に飛び出していた。マリアとエイダの前方斜め上から、拳銃を向ける。

 すでに、そのスライドは後退し、全弾撃ち尽くしていたが、すぐに弾倉を捨て、腰の予備を取り出す。

 マリアは夢中でエイダの体をコクピットに引っ張り込み、自身も中へ転がり込んだ。しかし、上下が狂い、ハッチの開閉スイッチがどこにあるのか分からなくなる。

 

(ああ、早くしないと! カールが)

 

 そこら中を手で探るが、焦りばかりが足元から上ってくる。

 カールがランドムーバーを吹かして、向かってくる。

 

「まったく無様な格好だな。犬かお前は」

 

 視界に四つん這いのマリアの姿が入り、カールは嘲笑う。いよいよ、彼はすぐ背後まで迫ってきていた。

 その気配をマリアも感じ取る。背筋は多足虫が這い回り、歯はいつまでもかみ合わない。

 

(ああ、ダメだ! もうそこにいる)

 

 マリアは自分の背中の一点が、高熱を持っているように感じられた。そこに銃口が向けられているはずだ。

 果たして、そうであった。

 カールは右人差し指の第一関節に力を込める。

 後退するトリガーがシアーにぶつかり、固い感触となる。

 さらに力を込め、とうとうシアーが外れる。

 ハンマーが撃針を叩き、撃針が雷管を打つ。

 火薬が爆発的速度で膨張し、弾頭を押し出す。

 銃身内のライフリングに回転運動を与えられ、弾はマリアの背骨と心臓を貫通する・・・・・・、

 

 直前で、一瞬早く《キュベレイ》のハッチが閉まり、弾頭は軽い衝撃を響かせ、跳ね返された。

 

「ちくしょおおおぉぉぉお!!」

 

 カールが叫びながら、残りの全弾を構わず、ハッチの装甲に叩き込み、空になった拳銃も投げつける。

 

「ぶち殺してやる!」

 

 悪鬼の顔つきで、《ZZ》のコクピットへと戻った。

 

 

「エイダっ!? エイダなの?」

「うん、私だよっ! お姉ちゃん、大丈夫?」

 

 すんでのところで、ハッチを閉鎖したのは正気を取り戻した少女、エイダだった。

 コクピットの内で這うようなマリアの姿に、エイダは心配と恐怖が入り混じった様子で、小さな体を震わせる。

 

「私のことはいいからっ! 早く《キュベレイ》で逃げて」

「ダメだよ。ぉ姉ちゃん、できないよ」

 

 リニア・シートに移ったエイダがベソをかく。

 

「大丈夫。あなたならできるよ」

「ダメだよ! 動かないよ」

 

 少女の言葉にマリアは、はっ、として、今までの戦闘と機動を頭脳をフル回転させて振り返る。

 

(ここまで来て、・・・・・・推進剤切れなんて)

 

 マリアが導き出した結果と、ディスプレイに表示された【FUEL EMPTY】の現実が一致する。

 

 

 組み付いたままの《ZZ》が頭部の最大俯角をとって、ハイメガキャノンのヘキサゴン短砲身、その暗い砲口を《キュベレイ》に向ける。

 

「こいつが《FAZZ》みたいにダミーだと思ったか! 頭はジュドーの《ZZ》のスペアパーツでできているのさ。

 この距離で撃てば、俺もただではすまん。だが、お前らはとにかく死ね」

 

(ぐっ! どうすれば。何かないか、何か・・・・・・)

 

 いまや全ての反撃手段を喪失した《キュベレイ》。姉妹たちの気配も、マリアにはもはや感じられない。

 自分の肩を抱きながら、チラつく全天周モニターを見上げるエイダ。その瞳に光の粒子が、ハイメガキャノン砲口の中心に収束してゆく様がやけにゆっくりと映った。

 可能性が全て否定され、開いた穴に黒い思惟が入り込む。

 それは、死、絶望、終わり、無。

 

(いや! まだだ!)

 

 歯を食いしばりマリアはリニア・シート下をまさぐり、緊急脱出レバーを引いた。

 《キュベレイ》の上・下半身が分離し、エマージェンシー作動。火薬が爆発し、球形コクピット・ブロックは一転脱出ポッドとして後方に飛び出した。

 

「フハハハッ! 馬鹿が。自分から距離を取るとは。これで死ぬのはお前らだけだ!」

 

 カールは遠ざかりつつある脱出ポッドに向け、照準のレティクルを追尾させる。

 姿勢制御用の限られたバーニアしか持たぬ、それに命中させるなど造作も無い。

 

「蒸発しろ!」

 

 砲撃のエネルギー・チャージは完了していた。

 カールは右操縦桿、そのトリガーに指をかける。

 

 

「ベイリ――ィィィ、今だっ!!」

 

 

 確かに、彼はマリアの叫び声を聞いた。

 ベイリーの意識は宇宙に拡大し、モニターに針の先のように表示される《ZZ》の元へ飛んでいった。体がちぎれ、顔だけが超光速で飛ぶ。

 やがて、口も耳もちぎれ、眼球だけが《ZZ》コクピットを貫通し、中に収まる狂気の黒い衝動に突き動かされる心臓を照準に捉えた。

 

 狙いあやまたず、《ゲルググキャノン》のビームは《ZZガンダム》コクピット正面に命中した。

 が、その一撃は胸部に設置されたIフィールド発生機構によって跳ね返された。

 そして、ビームの跳軸は《キュベレイ》のリア・アーマー内を貫通。内蔵されていた2発のシュツルム・ファウストの弾頭先端の信管を掠り、添装填薬に点火した。

 一瞬で爆発が始まる。

 高性能炸薬が生み出す、衝撃波と超高温の燃焼炎。続いて生み出されたジェット噴流が《キュベレイ》下半身の小型熱核反応炉を溶かしながら、穴を穿つ。

 

 

 

 

 百分の一秒が千倍に引き伸ばされた、その時の中でカールは思う。

 

(そうか。俺が一番殺したかったもの。それは、・・・・・・)

 

 《ZZ》の目前に小型の太陽が誕生しようとしていた。

 

(どうしようもなく、狂ってしまった自分自身)

 

 全天周モニター正面。穿った穴から放射状に広がってくるまばゆい光。ダブリンで見たあの光。

 

 

 

 そして、黒い思惟にまみれた《ガンダム》は宇宙に爆散した。

 

 




(あとがき)
 次回、最終話です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虹へ至る道標

 

 虹の向こうに男は渡っていった。

 

 何もない白い世界。

 

 いや、天地だけはあるらしい。膝を抱えて座り込む。

 

(ここが天国・・・・・・、いや地獄か)

 

 男は人生の労苦を全て吐き出してしまうかのように、深く長くいつまでも嘆息した。

 

(疲れた。もう何もしたくない。ひどく眠い)

 

 うつむいた男の隣に何かの気配が湧き起こる。鼻腔をくすぐる太陽の匂い。よく外で遊んで、日に干された金髪の匂い。

 

(アーンして、パパ)

 

 小さなスプーン。

 

 顔の前に差し出されるままそれを口にすると、とろっとした食感とトマトの酸味、バジルの香りが口中に広がった。

 

 懐かしいダブリンの朝食。スクランブルエッグだった。

 

 男の目に光るものがあった。

 

 目線を上げると、蒼い瞳の娘の向こうには、美しい妻も佇んでいた。こちらへあの頃と変わらぬ微笑を投げかける。

 

(ずっと、パパのこと待ってたんだよ。これからはまた一緒でしょ? もうどこにも行かないでしょ?)

(あぁ、・・・・・・一緒だ。二度と離れないよ)

 

 ようやく、空虚だったカールの胸は温かいものに満たされていくのを感じた。

 

(すまなかった)

 

 その懺悔に妻は首を振った。

 

(あなた、おかえりなさい)

(・・・・・・ただいま)

 

 

 

 

(目を覚まして、マリア。

 君を待っていた。君を、ずっと待っていた。さあ、起きて。

 僕の妹。大切な妹、マリア)

 

 名前を呼ぶ声が聞こえる。

 新しくもらった名前。

 そして、私を人間として認めてもらった名前。

 その声に呼応するかのように、目をおおっていた白い霧がはれていき、視界がひらけた。

 まぶしい。ここはどこだろう?

 柔らかい風が肌をなでながら、駆け抜けている。身を起こすと、私は黄金色に輝く野原に倒れていたらしい。

 遠くから甲高い歓声が聞こえてくる。向こうの丘の上で何人かの少女が戯れているようだ。

 お互い飛びついてじゃれあったり、まるで飛行機のように腕を広げて走り回ったり。

 

(マリア・・・・・・)

 

 聞き覚えのある声に振り向くと、金髪の青年が立っていた。

 

(グレミー・・・・・・)

 

 彼は今まで見たことがない、穏やかで安らぎに満ちた表情をしていた。

 

(僕のことを、許してくれるだろうか?)

 

 グレミーの優しさが私の心に流れ込んでくる。

 昔、瀕死の私を看護してくれたあの人、セイラさんの言葉を思い出す。

 

『強くなりなさい。他人に優しくできるように。

 そして、他人の優しさが受け入れられるように』

 

 そうか。セイラさん、私は馬鹿だね。やっと、大人になれたような気がする。

 今まで背伸びばっかりして、外面だけ、強く見せようとしていた。 

 

「許すも許さないもないよ。だって、グレミーがいなかったら、きっと今の私はいないんだから。

 グレミーは私にとって、・・・・・・家族、でしょ?」

 

 彼の瞳が何か光っているように見えた。

 

(ありがとう)

 

 短い礼を言うと、グレミーは背を向けた。

 気が付くと、彼の視線の先に虹がかかっていた。

 

(さあ、もう時間だよ。みんな行こう)

(えー、もう行くのー? やだよぅ、グレミー)

(私、久しぶりにあったツー姉さんと、おしゃべりしたい)

(あっ、あたしも、あたしもー)

 

 丘で遊んでいた姉妹たちがこちらへやってきて、思い思いに好きなことを言う。

 そっか。グレミーはもう独りじゃないんだ。でも、きっと私のことも、きっとどこかで心配してくれて・・・・・・。

 そう、今まで見ていたのは、彼の幻影。私の罪悪感が生み出した虚無に過ぎなかった。

 誰かが私の袖を優しく引っ張っている。

 

(ねえ、ツー姉さんも、一緒に、来てくれる、かな?)

 

 栗毛の少女が少し俯きながら、こちらを窺うように蒼い瞳を向けている。

 そっか。この子たちと一緒に、虹の向こうへ行ってみるのも、悪くないかもしれない。

 でも。

 

「ごめんね。私も行きたいけど、私のことを待ってくれてる人たちがいるんだ」

 

 その言葉に少女は、さらに顔を俯け、栗毛の中に表情を隠した。

 

(でも、わたしも、ツー姉さんのこと待ってたよ。ずっと)

 

 泣いているのかもしれない。それを見せまいとしているのかもしれない。

 その時、その子の肩を優しく抱いてあげる人がいた。

 長い栗毛。同じ瞳の色はしているけれど、それは深い母性に満ちている。

 

(スリー。姉さんを困らせないで)

(でも、でも、マリーダ、やっと会えたのに・・・・・・)

 

 見上げた少女はやはり泣いていた。

 そっか。この子が私のすぐ下の子なんだ。私は目線を合わせてしゃがみ、ぽろぽろ、と涙をこぼれ落とす少女を見た。

 みんな同じ姿、声だけれど、よく見れば、みんな違う【色】をしてる。みんな、違う魂を持っている。

 だからこそ、家族なんだ。

 今の私には、スリーを精一杯抱きしめてあげることしかできない。でも、いつか、きっと。

 

 

 グレミーと姉妹たちは、虹の向こうへ消えていった。

 マリーダが最後まで残って見送った。

 その彼女が私に笑いかける。

 

(いつか人は、肉体を持ったまま、虹の向こうへ行ける日が来るかもしれない)

「ロマンチストだな」

 

 マリーダの気持ちに、私も微笑んだ。

 

「そんなあなたのことを、私は素敵だと思う」

(ありがとう、姉さん)

「礼を言うのはこっちだよ。虹の向こうに気付かせてくれた。

 でも、マリーダ、私は・・・・・・」

 

 不思議そうな顔をしてマリーダがこちらを見る。

 

「たとえ、解脱してそっちに行けるとしても、機械の力を借りて行けるとしても、私はもう逃げない。この生の苦しみを受け尽くして、肉体が限界を迎えてから行くことにするよ」

 

 マリーダもにっこりと微笑んでいた。

 

(スリーはきっと、ずっと待ってくれますよ。他のみんなも、私も。

 それに姉さん。生は苦しみだけではないことを、もう知っているでしょう?)

 

 そして、マリーダは自身の下腹部に手をやる。

 

(喜びと共に。人生に幸多からんことを)

 

 黄金の野を強い風が吹き抜け、それに乗ってマリーダは家族の元へと帰っていった。

 

 

 

 

 《ダイニ・ガランシェール》ブリッジにて。ノーマルスーツのフラストとアレクは別の意味で戦っていた。

 

『こっちはもう弾がねぇ! 斧一丁だけだ』

『俺はその斧もねぇ。AMBACも50%を切った』

 

 ―なんてこった! ほとんど丸腰じゃねえか!?

 

 アイバンとクワニからの無線を聞いた、フラストがレーザー通信で怒声を送る。

 

「そんなんじゃ敵のいい的になる。補給に戻れ!」

『大丈夫だ、まだ! それにベイリー少尉の《ゲルググ》が。キャノンもあるし』

『すまん。ジェネレーターが不安定だ。発射不能だ。ポンコツめっ!』

 

 アイバンのセリフをベイリーが遮った。

 

「いいから、さっさと戻れ! お前らまでやられるぞ!」

『「まで」ってどういう意味だ、こらっ!? マリアはやられてねぇ! 爆発の前に脱出するとこを見た。ちんたらして、今頃来やがって。このMっ禿げがっ!!』

「なんだと、この野郎! テメー、上官に向かって」

『こんな時だけ、上官面してんじゃねーぞ、ボケっ!』

 

 アイバンもフラストも普段の様子からは考えられない喧嘩腰、というよりほとんど怒鳴り合いであった。何かに怒っていなければ、二人とも精神を保っていられないような焦りを感じていた。

 

「うるさいぞっ! 《ジュピトリス》はどうなった?」

 

 キャプテン・シートを一喝したアレクが短く無線に問う。

 

『この宙域を離脱するようだ。モビルスーツは、もう出てこな・・・・・・

 いやっ!』

 

 ベイリーの鋭い声に、ブリッジの雰囲気が張り詰めたものに変わる。

 《ゲルググキャノン》の全天周モニター下方。《ジュピトリスⅡ》から、3機のMSが、夜空に上がる花火のように、スラスター光を見せる。放射状にMSは展開していった。

 

『ジム系、3!』

 

 ―3機も! おっとり刀で今頃出してきやがって!

 フラストは歯噛みする。

 

(最初から数に頼んで囲んでいれば、《ZZ》だって圧倒できたかもしれないのに。まして、敵を墜としてから、出てくるとは)

 

 《ジュピトリスⅡ》の無能な指揮官に、恨み言のひとつも言いたいフラストである。

 

(あいつは何のために、あの船に戻ったっていうんだ!

 畜生、こんなんじゃ、お前が死んじまったら、俺は何のために、・・・・・・)

 

 何のために、火星に送り届けたのか?

 何のために、点心を食わしてやったのか?

 何のために、仲間として認めてやったのか?

 

「おいっ、フラスト!」

 

 自問の堂々巡りは、アレクの短い呼びかけに打ち砕かれ、フラストは現実に戻る。

 

「クワニは帰還させる。少尉が連中と交渉に行く」

 

 ブリッジ正面上部のモニターを見れば、《ゲルググキャノン》のシルエットが最大望遠でも豆粒のようになっていた。遠ざかるそれは、両マニピュレータを上に挙げ、攻撃の意思がないように示しているようだった。

 

「アイバンは少尉を補佐しながら、もう、捜索をしている」

 

 続くアレクの言葉。キャプテン・シートを振り返らず、航空士席のモニターをにらみながらのそれは、わずかにフラストを非難しているような響きを含んでいた。

 

(そうだ。俺だって、こんなとこで呆けていられねぇ。やれることをやらなきゃならねぇ)

 

 思い出したかのように、フラストはヘルメットの無線を艦内に切り替えた。

 

「俺だ。フラストだ。全員に伝える。

 360度全天捜索。マリアの脱出ポッドを探せ! クソをしている間もねぇぞ!」

 

 

 

 

 脱出直後に起きた反応炉の暴走とハイメガキャノンの誘爆は、激しい衝撃波を引き起こし、脱出ポッドは大洋の荒波に揉まれる一葉となった。

 そして、気を失っていた私の肩を誰かがゆすっている。なんとなく、小さい手のような気がする。しゃくり上げる嗚咽も聞こえる。

 私は瞳を開けた。

 でも、そこはまだ黒い幕がかかっているかのように、何も見えなかった。

 

(やっぱり、そうか)

 

 肉体の喪失感に私は、わずかに奥歯を噛み締めた。

 しかし、

 

「お姉ちゃ・・・・・・、しっかりし・・・・・・。起き・・・・・・」

 

 泣きべそのエイダがむしろ、私に勇気を、力を与えてくれているようだった。

 手探りでその感触を見つけると、引き寄せ抱きしめてやった。

 

「大丈夫。生きてるよ」

 

 目は見えずとも、少女の喜ぶ様子がノーマルスーツを通して分かった。

 しかし、その頃には苦痛が知覚されていった。他の器官にも大分、悪影響が出ているようだ。

 鼻の奥の出血はいよいよ酷く、まったく役に立たない。

 苦しく口呼吸するが、感触が変だ。歯茎からも大量に出血していた。

 エイダの言葉がよく聞き取れないのは、彼女がベソをかいているからだけではあるまい。

 

「エイダ、よく聞いて」

 

 私は彼女のヘルメットを探り当てると、自分のそれに直接接触させて回線感度を上げる。

 

「コクピットにエアがちゃんと入ってて、漏れてないか確かめて。

 それができたら、救急キットを探して」

 

 やがて、確認を済ませサバイバルキットを探し当てたエイダが、「平気だよ。あったよ」と声をかける。

 あれだけの衝撃波と撒き散らされたMSの装甲片の中で、ポッドに深刻な空気漏れを起こさせるほどのダメージが無かったことは、よほどの幸運か、神の気まぐれとしか言いようが無い。

 私は大きく深呼吸し、その胸が膨らむのを感じた。意を決して、バイザーを上げる。

 エイダが私の顔を見たのだろう。

 

「あ、ぁぁ。お姉ちゃん、ごめ、んなさい。ひっ」

 

 やがて、それは息を吸うような子供らしい嗚咽に変わる。

 私は幾度となく、声をかけ安心させようするが、まだ上手く感情をコントロールできない少女はいつまでも泣き続けた。

 半ば諦め、右手で少女を抱き、左手で受け取ったウェットティッシュで私は顔を拭った。

 

(きっと、血でとんでもなく汚れてるだろうな。でも拭けば綺麗にすることができる。

 消せない汚れは、アンジェロと一緒に支えあっていくことができる。希望の光と一緒に)

 

 私は手をそこへやろうとして、・・・・・・

 

 

『お前の光を奪ってやった!』

 

 

 最後の黒い思惟を思い出し、鳥肌が立った。

 背中に氷の塊を突っ込まれたかのような感覚。

 

(そうだ。あの時、撃たれた)

 

 胃の上辺りまで降りていた手が震えて止まる。

 

 私は意識を下腹部へ向けた。目では見えない。

 しかし、そこにある小さな光は、確実に、少しずつ、

 

 しぼんでいった。

 

(ああ、また)

 

 哀しみというよりは、もう落胆だった。

 

(マリーダ、アンジェロ、ごめん。ダメだったよ。また、盗られちゃったよ)

 

 諦めかもしれない。

 

(ごめんね。こんな私の体に宿ったばっかりに……)

 

 私は名を与えられる前に消えようとするその命をせめて、慰めてやろうと手をやった。

 果たして、そこには銃創のどろりとした血の感触が、

 しなかった。痛みもない。

 

(ど、どうして?)

 

 私は慌てて、光の周辺をまさぐる。そこには腰に巻いたポーチがあるだけで、他には何も感じられない。

 そうしている内にも、その光はどんどんと、小さくなっていった。

 柔らかい金色の光。それは湖面に反射する太陽のようにきらめいていた。

 そして、私は唐突に思い出す。

 

「エ、エイダっ! 私のポーチを開けて。早くっ」

 

 声が上ずる。

 驚いた様子の少女が素早くポーチを開け、中の品物を取り出し私に手渡す。

 

「これ、分かるよ。わたしにも」

 

 エイダにも見えている、感じているらしい。

 

 それは、私の13歳の誕生日プレゼント。

 壊れたペンダントウォッチ。

 ちょうど真ん中の五芒星に弾着し、マッシュルーム化した銃弾がめり込み、蓋が開かなくなっていた。

 そして、ひしゃげた隙間、一筋の金色の輝きから、彼女のもっとも強い想いが心に入ってきた。

 

(ああ、キアーラ・・・・・・)

 

 

 

 頬をバラ色に染め、うつむき加減に少し恥ずかしそうに。

 

 しかし、大切な人に想いを伝える少女。

 

(そこに私の髪の毛が入っているの。あなたのことをずっと守るように息を吹きかけておいたから・・・・・・)

 

 そう、彼女はずっと守っていた。

 死してなお現世に残る彼女の思惟が、マリアとエイダ、そしてこれから生まれいずる小さな命を守ったのだった。

 

 

 

 こらえようとしても私の口からは嗚咽がこぼれ、蒼い瞳から涙は止めどなくあふれる。

 きっとあなたはもう虹の向こう側へ行ってしまった。

 私には震える手で壊れたペンダントウォッチを握り締め、胸に抱くことしかできない。

 

(ごめんね、キア。私、あなたのこと全然知らなかった。知ろうとしてなかった。

 私のこと、こんなにも大切に想って。最後まで守ってくれたんだね。

 あなたのこと、忘れない。ありがとう。

 だから今はもう、・・・・・・おやすみ)

 

 私はそっと瞳を閉じた。

 

 

 

 いく百、いく万、いく億の星たち。

 そのやさしい光が虚空に漂う脱出ポッドをただ照らしていた。

 

 

 

 After La+ ジュピトリス・コンフリクト ~完~

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 50~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。