べつじんすと~む (ネコ削ぎ)
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はじまりはじまり

 あけましておめでとうございます。稚拙な文章でありますが、今年もよろしくお願いいたします。
 ではどうぞ。


 セシリア・オルコットは綺麗に着飾った甘い食べ物が嫌いだ。あのいかにもおしゃれです、と言いたげな風貌と色々入っていて甘いんです、と自慢したげな名前がムカついてしょうがない。もっと言うと女子っぽい食べ物が嫌いだ。いちいち作り出す意味が分からない。

 次に嫌いなのは勉強だ。子供の頃もっと勉強したらよかったなんて言う奴がいるが、あの気持ちが全然理解できない。学ぶことが決して悪いことではない。それは分かっているが、勉強に身を捧げて苦労したいと思わない。だから、勉強を頑張っている奴を見ると愚か者だな、と思ってしまう。

 そして最後に嫌いなものは目の前にいる。

 

「……あのぉ、自己紹介をお願いします」

 

 一年一組副担任の山田真耶が恐る恐る声をかけたのは銀髪の少女。日本の学校ではお目にかかれない髪色と、人が人なら中二病と戦慄してしまいそうな眼帯が特徴的だった。

 真耶の催促を銀髪少女は一瞥するだけで言葉で応えようとはしない。

 教室のボス補佐と言ってもいい真耶の声を無視して沈黙を保つ銀髪少女に、視線を集中させていた生徒たちのほとんどが蛮勇と思った。この一年一組には手を煩わせてはいけない最強の教師がいるからである。少しでも邪魔立てすれば、常人を遥かに超えた一撃が頭頂部に振り下ろされるのだ。

 一年一組の担任であり、鬼だったり非道だったりと影では散々なことを言われている織斑千冬は一切の動きを見せない。

 あの冷血が動き出さないとは驚きだ。日頃の行いが悪いせいで叩かれることのあるセシリアは思った。よもや昨日今日でここまで成長するとは千冬も成長したなと。

 千冬の静観を気にしつつも、セシリアは教壇に立ったまま微動だにしない銀髪少女を見た。存在が不愉快だった。えも言えぬ苛立ちを感じていた。セシリア自身にも理解できない理不尽な嫌悪感。

 セシリアにはこれほどまで苛立ちを感じる相手に心当たりがなかった。それはもうゴキブリなんか霞んでしまうほどに沸騰しやすい理性をボコボコと熱してしまう獣。

 気持ち悪い。セシリアは銀髪少女をそう思った。

 とりあえずシャーペンでも投げつけてこの気持ちを抑えよう。

 高校生とは思えないようなしょうもない行動に出ようとセシリア。

 殺気を感じ取ったのか、それとも別の理由なのか。銀髪少女がセシリアへと視線を合わせる。

 

「不愉快な奴だ」

 

 銀髪少女が呟く。それは呟くにしてははっきりとしていて、セシリアに聴かせる気があったとしか考えられなかった。

 知りもしない相手から突然そんな挑発染みたいなことを言われ、ニコニコとはいそうですかと言えるものは少ない。それもセシリアはまだ一般的には精神的に未熟な高校生だ。そして暴力を良しとするような凶暴性を秘めている。

 

「テメェにも言ってやるよ。不愉快女」

 

 売り言葉に買い言葉。後はどちらが先に手を出すかが問題だ。

 先に手を出したのはセシリア。投擲用に準備していたシャーペンを銀髪少女の露わになっている方の瞳へと投げつけた。

 シャーペンは切っ先がぶれることなく飛んでいき、目標を捉えるかどうかの距離で銀髪少女にキャッチされてしまった。

 腕に覚えあり。セシリアは結論づけた。

 SHRの時間にも関わらず、セシリアは席から立ち上がって銀髪少女目掛けて拳を突き出す。何人ものヤンキーを叩き伏せてきた血塗られた拳。当たれば身の丈を超える相手でも沈められる自信を持った一撃をセシリアは躊躇なく繰り出す。

 コイツに居られると不愉快さが消えない。だからボッコボコよ。

 わずか数秒先の未来を思い浮かべてほくそ笑むセシリア。

 

「死ねぇ!」

 

「馬鹿か」

 

 警察官の前で言えば確実に拘束されるであろう言葉を吐きだしたセシリアを、銀髪少女の淡々とした言葉が迎え撃つ。

 迫りくる拳を受け流し、隙だらけになったセシリアの足を払って転ばせる。

 足をかけられ黒板へと身を投げ出す形になったセシリアは、いままで培ってきた経験から、半ば無意識に銀髪少女の襟首を掴んで後頭部を黒板に叩きつけた。

 第三者から見れば、かっこよく受け流したかと思ったらドジ踏んで一緒に黒板に衝突したようにしか見えない。

 実際に教室内のほとんどがそう捉えた。真実を見極められたのは教師でありながら暴力沙汰を止めずに見守った千冬と、とりあえず油断なく見つめ続けていた篠ノ之箒だけだった。

 

「何するんだ、痛いぞ」

 

「うっせぇっ! こっちも痛いんだよ!」

 

「このラウラ・ボーデヴィッヒに勝てる見込みもなく挑んだキサマの自業自得だ」

 

「偉そうに。デカい口叩く割りには黒板に頭叩きつけられるじゃねぇか。全然説得力ねぇよ」

 

 セシリアとラウラは睨み合った。互いの胸倉を掴んで一切離そうとしない。お互いに理解する気がないから敵対し合う。理由は不愉快だからの一言で片付いてしまうものだけで、その不愉快さがどうしてやってくるのか考えることはない。

 そこらのよりも強いじゃねぇか。セシリアの考えることはそれだけ。それ以外に考えることはどうやってボコボコにするかくらいだ。

 

「何発も殴らせろ!」

 

 その言葉を合図にセシリアとラウラの喧嘩は始まった。始まって数秒で千冬に鎮圧されてしまったが。

 とにもかくにもセシリアはラウラ・ボーデヴィッヒが嫌いなのだ。それは殴り倒したいくらいに。



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むかしむかし

 いきなり過去から始まることはありませんので気にしないでください。
 グダグダですが、どうぞ。


 HRが終わり、ラウラとセシリアの騒動によって若干忘れ去られたシャルル・デュノアを一夏が教室の外へと引っ張っていなくなると、生徒たちは慌ててISスーツへと着替え始めた。

 セシリアもテキパキと着替えを済ませ、同じく颯爽と着替えを済ませたラウラへと突っかかる。

 

「テメェ。さっきはよくも足掻いてくれたな」

 

 先の一幕で本能が勝てないと警鐘を鳴らしている。にも関わらず喧嘩腰で声をかけるのは元来の負けず嫌いが幸いしている……からではなく不愉快さからだ。身体に纏わりつく気持ち悪さによって、負けると分かっていても引き下がる気を起こさせない。

 

「それはこちらの言うことだ。抵抗せずにむざむざとやられていれば、こうやって声をかける愚行も起こさなかったろうに」

 

 鼻で笑うラウラ。勝てないことを知って尚挑んでいるのだと瞬時に理解した強者の余裕だ。

 嘲りを向けてきた相手にセシリアは拳を上げない。勝てないと分かりきっている勝負に飛び込むのはバカがやればいい。勝てる見込みのある勝負の時に拳を振り上げて相対するのがセシリア流だ。武士道なんてものは知ったことではないのだ。

 

「そんなんじゃダチは作れないぞ」

 

「いらん」

 

「殺すぞ」

 

「お前こそ殺すぞ」

 

 中学生並の売り言葉と買い言葉で額を突き合わす両者。身長の関係でセシリアが気を使ってはいるが、そんなことは関係ない。

 暫くの間、セシリアとラウラは睨み合っていた。二人が睨み合いをやめたのは教室から誰もいなくなり、授業開始3分前まで迫った時だった。

 そうなるとさすがに無言の喧嘩などしていられるはずもなく、我先にと廊下を駆け出す。その際、どちらともなく競走による勝負が始まったのは必然だった。

 本日は一限目からずっと体力勝負な授業が続くというのに、セシリアは勝利を掴みとるためにペース配分を無視した走りを見せる。

 

「負けるものか」

 

 冷静なふりをして熱くなるラウラ。

 罵った相手に負けたとしたら悔しがることだろう、とセシリアは思い、今以上足に力を込めて走った。

 ここまで差をつけて負けるようじゃわたくしもおしまいだ。

 彼我の距離はおよそ5メートル。ラウラは転入したてで地形が頭に入っていないのもあり、全力を出し切れていない。それを理解したセシリアはそれでも手加減をせずに走り続ける。

 地理という面では圧倒的優位なセシリアはこのまま独走を続けるものと思っていた。事実独走は続いていた。

 しかし、ふと背中に感じた殺気に背後を振り返った。野生の感というべきものが何かを感じったようで、セシリアは振り返っておきながら何かを確認せずに地面に転がった。

 カツン、という音がした方向を振り返ると一本のシャーペンが床に落ちていた。見れば先のHRでラウラにキャッチされ、そのままパクられたと思われたシャーペンだった。時間差を置いて主人に牙をむいてきたことに不忠を嘆くべきか悩むところ。

 セシリアが顔を上げると、ちょうどラウラが脇を抜けて前に躍り出るところだった。

 

「させるか!」

 

 手を伸ばしてラウラの右足首を掴んだ。

 

「あぶっ!?」

 

 進むべき方向とは逆に引っ張られたことによって、ラウラはバランスを崩した。びたんっ、と効果音のつくような床へのダイブ。

 

「き、キサマぁ! 卑怯な真似をするな」

 

「元はテメェがやったんだろーが」

 

 セシリアの訴えは、足の拘束を振りほどいて走り出そうとするラウラへは届かなかった。やもなくセシリアも走り出す。

 だが、今度は二人並んでの走行。傍から見れば仲良く走っているようにも見えなくない。お互いに抜け駆けしないよう監視し合っているのを除けばだが。

 そうして二人揃って授業が行われるアリーナへとたどり着いた。既に一組と、合同授業で一緒になる二組の生徒たちが集まっている。

 遅れたかとセシリアは思ったが、生徒たちが各々談笑しているのを見てまだ時間ではないのだと安心する。隣のラウラはなんとも思っていないのか真顔だった。

 

「次やったら殺すから」

 

「キサマ、競走のルールを知らないようだな」

 

「ルール破ったのはテメェだろーが。わたくしがそこらの奴だったら脳天に穴が開いてたぞ。後頭部なんて狙って」

 

「獣には分からないだろうが、心臓と頭を抉れば一撃だ」

 

「……お前こそ競走のルール知らないだろ」

 

 ラウラの物騒な発言に力が抜けたセシリアは、脳みそ薬莢だらけの転入生を放って群衆へと紛れる。

 

「整列!」

 

 千冬が号令をかける。生徒たちは訓練された軍人のようにきびきびと列を作り上げた。尊敬と恐怖による支配によって調教されてしまった生徒たちに逆らうという意思はない。セシリアも場を乱す必要性を感じないために大人しく従った。

 

「で、なんでお前が隣にいんだよ」

 

 セシリアが呟く。さきほどまでの雑談等は既に止み、誰しもが黙々と次の指示を待っている中。セシリアの呟きは羽虫の羽ばたきよりも小さい。

 

「私が立ったところにキサマがいたのだ」

 

 会話をするには小さすぎて聞き取れない声を、セシリアの右隣にいたラウラは正確に聞き取り言葉を返す。返事もセシリア同様にとても聞き取れる音量ではなかったが、セシリアが舌打ちことで鼓膜に届いたことを知らしめている。

 今すぐにでも引っ叩きたいとセシリアは思った。思うだけで行動には移さない賢さはあるのだ。賢いと誇る部分であるかはさておいて。

 セシリアとラウラの間には険悪な雰囲気が出ている。仲が悪いでは言い表されないほどで、生徒たちは一センチでも距離を置きたいと僅かに離れていく。

 物怖じもせずに近づいてきたものは遅れてきた一夏と、ラウラ同様転入生のシャルルだけだった。

 

「あんなに急いで出たのに、ずいぶんと遅れるじゃん。もしかして男二人で楽しんでたのか」

 

 言葉の通りに受け止めるな。セシリアはニヤリと笑った。周囲から漏れる嬉しそうな悲鳴が、一体何を想像してのものかが分かってしまうから。そうなるよう言葉を選んだのだから当然だ。

 

「色々と話したかったんだけどさ。時間がなかったんだ。せっかく巡り合えた男子同士なのにさ」

 

「そりゃ残念」

 

 背後から確かな殺気を感じながらも、わざとらしく残念がるセシリア。背後には一夏と仲良く話すセシリアの姿に恨めしさをぶつける凰鈴音がいた。

 

「アンタ。何を誤解を招くような言い回しすんのよ」

 

 セシリアに文句を言いつつ、一夏の背中を殴りつける鈴。一夏が痛いぞ、と訴えるのをガン無視しての攻撃。助け船を出さずに沈黙するセシリア。一夏には味方がいなかった。

 本当は更に鈴を煽ってやろうと考えていたセシリアだったが、ふと前を見ると千冬と目があったので何もせずに直立不動をした。

 いつもは不真面目であることが有名なセシリアがバカがつくほど真面目な顔をすれば怪しいと言っているようなものなのだが、現行犯でない以上罰せられることはない。それにセシリアの隣で静かに盛り上がっている羊がいる。これならセシリアが標的にならないだろう。

 

「織斑、凰。授業中だ」

 

 セシリアの期待通りに怒られる一夏と鈴。隣でラウラが鼻で笑いはしたが気分がいいので無視した。

 

「そこまで元気が有り余っているのなら、授業の手伝いでもしてもらおうか……凰」

 

「ちょ、ちょっと! なんでアタシだけなんですか!」

 

「……身内贔屓だ。それ以上の意味はない」

 

 教師としては問題のあることを、さも当然のように言ってのける千冬。誰かがその歪んだ教師感を正すべきなのだが、生憎なことに世界最強の称号を持つ彼女に正論をぶつける勇気のある人間は一人としていなかった。なので矯正はできずに事は進んでいく。

 

「模擬戦をしてもらうために、もう一人手伝ってもらおう」

 

 模擬戦という言葉にセシリアの耳はピクリと反応する。そしてほぼ条件反射で右手を天高く突き出す。

 

「やる!」

 

 ギラリと光る瞳と吊り上がった口角から闘志が垣間見える。強い敵と戦いという欲にセシリアは瞬時に支配されてしまった。

 立候補した以上選ばれるものではあるが、それは定員に対して立候補者が溢れないことが条件だ。隣でぴしりと手を上げているラウラがいる以上すんなりと選ばれることはない。

 

「私も出る。隣のコイツと私とでやらせてもらおう」

 

 ラウラの態度は教師に対するものではないが、提案していることに関してはセシリアも賛成だった。肉弾戦では勝機を見いだせないが、IS戦ならその限りではないだろうと考えていた。

 セシリアとラウラの思いは、千冬が手ではらう動作をしたことで潰えてしまった。どちらも専用機持ちで実力もあるというのに却下されたのは何故か。セシリアは理由を聞かなければ納得できなかった。

 

「お前らみたいな危険人物を差し向けられた方が可哀想だからだ」

 

 理由を聞いても納得できなかった。



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あるところに

 人生は何があるのか分からない。思い通りに行く時もあればそうでない時もある。上手くいくと思えばそうでなかったり、これは無理だろと思えばそうでなかったり。神様の気まぐれが過ぎるだろと叫びたくなったのは一度や二度じゃない。

 かと言って神様に暴言を言いたいわけじゃない。当たり外れが分からないのは痛いが、決して悪いことばかりを引き当ててるんじゃないし。

 悪いことばかりじゃない。これは本心だ。

 良いことばかりじゃない。これも本心だ。

 友人とドライブに行って事故で死んだ。これは悪いことだ。

 だけど、何の因果かISの世界に転生してしまった。これは良いことだ。

 高校受験や大学受験、社会人になるための就職活動。色々と大変なことはあったけど、無事にIS学園の数学教師として採用されたこと。これは大変良いことだ。

 IS学園。物語の舞台。ヒロインたちとの出会いが楽しみだった。

 一押しはやっぱりセシリアとラウラだ。

 セシリアのチョロインっぷりは大変残念だけど、それ以外の部分ではもろ俺好みだ。と言っても嫉妬スナイパーライフルの狙撃は好みじゃないんだけど。

 ラウラはこじんまりしてるけど、あざとさのない純粋なところが大好きだ。

 とにかく二人が大好きな俺は一夏が入学してくる年を待った。高々二年だが期待しながら待った。

 結果、原作通り一夏やセシリアが入学してきた。

 入学してきたのだが……どこか違った。

 

「でだな、とりあえずあの銀髪がムカついてしょうがないわけよ」

 

 目の前で買ってきた惣菜パンを頬張るセシリアを見るとよく分かる。

 原作のセシリアは綺麗な長い金髪をドリルにしているのだが、実物のセシリアは短く切った金髪をオールバックにしていて、たれ目も獲物を狙うようなギラギラしたものに挿げ替えられてしまっている。

 原作を知っているからこその残念感。目の前のセシリアはどこをどう見ても俺の知っているセシリアじゃない。名前だけしか原型がない。

 はぁ。溜息をつくと、セシリアに蹴られる。逆らいたいけど逆らえない俺の宿命。

 

「ムカつくって言ってもまだ初日だろ。何をそんなにムカつくようになるんだよ」

 

 男性ってだけで肩身の狭い俺は、昼食の時間を校舎内の備品室で過ごしている。ごみごみしているけど誰もこなくて落ち着くのだ。

 

「分からない。全く身に覚えがない。そもそもドイツに行ったことないし」

 

「前世の縁なんじゃないのか」

 

「前の時だって、意味もなく不愉快になったことないな。態度が気に入らないとか、仕草がムカつくとかあったけど。ちなみにソイツ等はもれなくフルボッコしたけどさ」

 

 前世なんて頭の痛い発言を当然のように受けいれるセシリアは、俺とはちょっと違う立ち位置にいる転生者だ。

 どうして分かったかと言えば、俺がセシリアのあまりの違いに驚いて詰め寄ってしまったのが原因。混乱してなんでもかんでも言っちゃったが、結果は転生者仲間を見つけ出せたことでチャラだ。

 話して分かったことはセシリアは前世や転生と言った中二病な言葉を一切知らないということと、セシリアが俺の知っている日本とは別のところからやってきたということだ。

 

「お前は思い出せないだけで、向こうは覚えているかもしれないだろ。恨まれているんじゃないのか?」

 

 セシリアの前世は、健全な日本人の俺には想像できないような人種だったそうだ。ナイフや銃は当たり前の世界で、殺さなきゃ殺される、潰される前に潰せ、指の一本どころか全部切ってでも吐かせろなが常識として闊歩しているとかどうとか。

 一体どこの国だと思えば日本だと。

 日本国内でそんなルールが当たり前の都道府県なんて聞いたことないので冗談だと思って、さらに話を聞けば規制に引っ掛かりそうな内容がボロボロと出てくるので、俺のいた世界とは別と結論づけた。正直言って、同じ日本人だと思われたくなかった。

 

「ないな。アイツらは例外なく死んだ。死んだ奴らは天国に行くんだぞ。ここは日本だ。どんなに喚いたって奴らがこっちくることないだろ。バカなのかオメェは」

 

「死んだら天国っていう考えの方がけっこう馬鹿っぽいぞ。それだったらお前だって天国にいるだろ」

 

「わたくしは死んでないってみりゃ分かるだろ。死んだら天国に行くんだから」

 

 セシリアにとって死ぬことは天国に行くことらしい。バイオレンスな世界に生きてきた人間の言葉とは思えないが、コイツにとってそれが常識だった。

 よって、セシリアは自分が一度死んだという認識は持っていない。死ぬことは天国に行くことらしいから。

 

「とりあえず仲良くしておけよ。ムカつくからこそ親しくする。これが一番だ」

 

 何の一番かは知らないけど。

 

「……それってストレス溜まるだけじゃん」

 

「最初はな」

 

 気づけばそれが当たり前になる。もう自己暗示の領域だ。

 ラウラが何者なのかは分からない。だけど話を聞く限り原作通りでないことは確かだ。最初の一夏を叩くイベントがないことが証拠になる。それに遠目から見たけど、容姿もちょっとだけ違った。長かったはずの銀髪はもうバッサリ。耳を隠すことができないくらい短くなって、ボーイッシュな感じになってたし。というか低身長もあって少年だった。

 

「うーん……あんまりそーゆーのやりたくないんだけどな。だってこっちが歩み寄ってるみたいで嫌じゃん。相手がこっちに歩み寄るならともかくとして」

 

 惣菜パンに止めをさしたセシリアが喚く。惣菜パンの包装紙を俺にぶつけてきた。やめてほしい。

 

「なあよ。何かアイツについて知らねぇのかよ」

 

「知らないなー。前世のことはもうほとんど覚えてないし」

 

 嘘だ。ガッツリ覚えている。でも転生者相手だとしても下手な情報流出はさけるべきなのさ。セシリアがこんなのでも、一夏対セシリアの試合は行われたし、一夏と鈴の戦いにゴーレムが乱入してきたんだ。さらにはシャルとラウラもやってきた。

 細かい部分に差異はあれど大まかな流れは変わっていないのだ。部外者の俺が余計なことして割りを食うのだけは避けないとな。

 小者っぽく今はせいぜい大人しくしておこう。大人しく包装紙をゴミ箱に捨てよう。いずれ俺の時代が来ることを信じて。おそらく来ないだろうけど。

 来てほしいんだけど……絶対来ないよなぁ。



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セシリアさんと

 色々と考えた末に、ひとまずセシリアはプライドを投げ捨てることに決めた。当初はあり得ないと一蹴したが、かと言ってこのまま嫌い嫌われのままでいては駄目だと思い直した。何がどう駄目なのかは計り知れないが。

 翌日、セシリアはアドバイス通りに動き始めた。教室に入ってくるラウラの前に立ちふさがり、まずは挨拶だと声をかける。

 

「よっす! ラウラ」

 

 べたべたと好意的な態度に豹変するのはさすがに無理なので、まずはそこそこの友人に接する感じで声をかけてみた。一から少しずつという手もないこともないが、セシリアの忍耐的に不可能なので数テンポ先を行ったのだ。

 その結果は言うまでもない。

 

「気安く話しかけるな」

 

 見事に拒否られてしまった。互いが互いを初見の時点で敵対視しているというのに、セシリアの態度の変わりよう。何かを企んでいると言っているようなものだ。ラウラがよろしくしないのは当然の末路である。

 このやろう。一も二もなく拒絶の言葉を投げつけられたセシリアは爆発しそうだった。キレやすい子供を地で行きそうになっていたのだ。しかし、少ない理性を過労死させかねないほど総動員させて、なんとか踏みとどまる。それもこれも作戦を無事成功させるため。

 

「邪魔だ」

 

 ラウラの一言に、セシリアの理性の堤防はせっかく補修したというのに決壊寸前だった。もう壊れても構わないほどに罅が入りきっていた。

 プライドを捨てると誓った昨日は去年よりも遠い日々に追いやられる。

 プライドを捨てるということは人間やめるのと何が違うのか。プライドのない人間なんて獣と変わらない。プライドあってこその人間なんだから限度はある。

 邪魔と当てはめられたセシリアは押し退けられた。それが合図だ。

 背中を向けるラウラがその姿に反して隙がないことを知りつつも、セシリアは怒りのままに飛び込む。

 近くにあったクラスメイトの椅子を掴み、ゆっくりと振り上げる。

 後は簡単。想いを込めて振り下ろすだけで全てが片付く。

 素人なら雄叫びを上げてしまいそうな状況だったが、セシリアは怒りの色を見せずに呟くだけだ。

 

「邪魔はないだろ」

 

 邪魔はテメェだ。

 落雷のような一撃が放たれた。当たれば脳震盪を起こして倒れること間違いない。下手すれば葬式を開く必要もある。そんな攻撃をセシリアは躊躇なく振るう。

 セシリアの攻撃は素人にはできない素晴らしいものではあったが、状況把握の点では素人と言わざるを得なかった。ラウラが警戒を一切解いていないことは把握していたが、周囲に目を配っていなかった。

 

「きゃぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 

 悲鳴が上がる。

 朝の教室というものは登校時間前ならともかくとして、今の時間はSHR開始十分前。人の集まり様はすさまじいもので、目撃者の宝庫だった。

 振り下ろされた椅子は、背中を向けたままのラウラに受け止められてしまった。

 

「死にたいんだな?」

 

「おう。アメリカンジョークだよ、心の友」

 

 先の一撃を放ったことでセシリアの心には余裕が出来ていた。

 

「私のデータに間違いがなければ、キサマはイギリスの代表候補だったと思うが?」

 

「じゃあイギリスジョークだ。地元じゃ有名なんだよ。わたくしのジョークを聞いた奴はみんな病院送りになるほど頭を抱えて笑いを堪えるほどだ」

 

「なら、私のドイツジョークを聞くか? 大抵の奴は、身体中から赤い涙を吹きだしながら笑うぞ」

 

「最初に言っておかなきゃ駄目だったな。わたくしのは軽いので病院送りだぜ」

 

「はぁ。理解していないから言っておくが、私のはフェザー級の軽さだ」

 

 地味なことで張り合う二人。第三者からしてみれば仲良しさんだ。ほんの数秒前をなかったことにすれば。

 周りがどう評価しようと、セシリアもラウラも本当に嫌い合っている。だから他人が見れば呆れるようなことでも本気で争いあってしまうのだ。とにかく一つでも多く勝ち星を上げたい。勝って勝って勝ちまくって、相手の悔しがる顔を笑顔で観賞したいと思っていった。性格の悪さが滲み出る。

 

「やるか?」

 

「構わない。結果は見えてる」

 

「そーやって言葉でどうにかして、自分の弱さを誤魔化すのはやめろよ」

 

「……上唇を剥ぐ」

 

 一触即発。セシリアもラウラも互いを容赦なく叩きのめす気満々だ。

 

「じゃあこっちは声帯を引っこ抜いてやんよ」

 

「腐った目玉に価値はないからな。私の方で外しておいてやろう」

 

 と言ってもどうでも良い言葉の脅しによる勝負でだ。

 

「川に沈めるぞ」

 

「全身の皮を削ぐ」

 

 二人は時間いっぱい脅し合いを堪能したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みの時間までの間に、セシリアの理性の堤防は何度も決壊を重ねていた。その度にくだらない勝負をラウラと繰り広げ、勝ち負けを均等に重ねていった。

 さすがのセシリアも疲れが溜まる。いつもなら購買に突撃してほしいものを掻っ攫って行く時間なのだが、今は机に身体を預けて溜息ばかりを吐き出している。

 あのアマ。なにかっていうと抵抗してきやがって。さっさと負けを認めろってんだよ。

 暗黙のルールが定められているかのように誰も近づかない席。その座席の主であるラウラを睨み付ける。

 セシリアと違い行儀よく座席に収まったラウラは、授業が終わったというのに姿勢を崩さずに正面だけを見つめている。この光景は昨日も複数の人間が目撃していた。

 飯を食う気があるのか。外面だけ見たところで窺い知ることはできない。しかし幾つかの授業を受けた後なのだから、よほど燃費がいいか早弁をしていなければ腹が減っていないことなどないはずだ。

 まぁ、腹が減ってりゃ勝手に動き出すだろ、とセシリアは結論付けて、自身の空腹を満たす為に動き出す。

 と言っても、今から購買に急いだところでまともな物は残っていないことは明白だった。出遅れた以上、残りもので妥協するしかないのだが、セシリアとしては好みの物を食って少しでも気持ちを休めたい。午後の授業は座学のみなので、せめて食事だけは満足行くものが食いたいのだ。

 一応、IS学園には古今東西の料理が味わえる贅沢な学食があるのだが、セシリアは初日の一回利用しただけでそれ以降は全く足を運んではいない。

 

「あれれ~。せっしー何してるの?」

 

 美味い物も食えないのかと、泣く泣く購買の売れ残りを漁りに行こうとしたセシリアに、同じクラスの布仏本音が声をかける。

 

「本音。飯おごって」

 

 寄ってきた本音に抱き着いて、その柔らかさを堪能しながらも飯の無心をするセシリア。

 セシリアが学食にも向かわず購買にばかり手を出すのは、単純に所持金が少ないから。セシリア・オルコットが自由に使える金は、他の生徒に比べると圧倒的に少ない。雀の涙とまではいかないが、毎日学食で食事などできはしない。

 はっきり言って毎日のように学食でランチをする一夏が羨ましくてしょうがない。何度も闇討ちを考えるほどに羨ましかった。

 

「いいよー。私がせっしーを助けてしんぜよー」

 

 本音はのほほんとした笑顔を浮かべてガッツポーズをした。意味は分からない。とにかくおごってくれることだけは分かる。

 セシリアはこののほほんとした友人に連れられて生徒会室へと移動していった。



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ラウラさんが

 ラウラ・ボーデヴィッヒは無駄に手を加えられた甘い食べ物が苦手だった。甘い物の上や横はたまた底にまで、とにかく甘い物で埋め尽くされた食べ物の存在が理解できなかった。クリームソーダじゃ駄目なのか、イチゴのショートケーキを食べていればいいだろうが。チョコにクリームにバニラビーンズになんとかソース。こんなもので喜ぶなんて馬鹿じゃないだろうか。

 次に苦手なのは弱すぎる奴だ。ただ弱いのなら理解できる。ああ、コイツは弱いんだなで済むから。しかし、弱すぎる奴は嫌いだ。弱いと分かっていないのに、自分はある程度強いと思い込んでいる自身を顧みる力の弱い奴は始末に負えない。

 最後に嫌いなものはIS学園内にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 転入二日目の放課後。

 ラウラはわずかに空腹を感じていた。食べ物を口にしたのは朝食くらいで、勉学後の昼食は資金難で学食へ行けず、かと言って頼る誰かもいない。わずか二日で友達を作れるような人懐こさは持ち合わせていないのだから仕方がないが。唯一話す相手と言えば不愉快さの元凶であるセシリアくらいだが、敵に物乞いするなど屈辱的な敗北でしかない。

 屈辱を被るくらいなら空腹を我慢する方が何倍もマシ。固形物で腹を満たすことを諦め、水道水をたらふく流し込んだラウラは今、夕食を思い描きながら浮かんでいる。

 ISを身に纏うラウラは何をすることもなくフヨフヨと浮かんでいた。放課後のアリーナは、腕を磨くために切磋琢磨している生徒たちが沢山いるが気にしない。射線を遮ったり間に割って入ったりしているがラウラは一切気にしない。そもそも目を閉じているために見えていない。

 ISと風に身を任せて漂っていると、頭部をごくわずかな衝撃が襲った。

 何事かと顔を向けると、おそらく専用機持ちであろう少女に頭突きをかましていた。シールドバリアーがあるから痛みなど感じることはないが、痛みがないからと言ってやっていいとは限らないのが世の中。確認するだけしてその場を立ち去ろうとしたラウラを、中国の代表候補生・凰鈴音が押さえつける。

 

「ぶつかったんだから謝りなさいよ」

 

 ぶつけられるのは真っ当な抗議。よほど自尊心が強い人間以外なら納得できるものだが、ラウラは頭を下げることもなく無言で鈴の顔色を眺めていた。

 

「……謝るにしろそうでないにしろ、とりあえずうんとかすんとか言ってくれない?」

 

 鈴がさらに声をかける。言葉通りに「うん」とか「すん」とか言ったら問答無用で殴る用意をしながらラウラの返事を待った。

 ラウラはラウラで今の状況で考え事をしていた。もちろん、思考内容はどう返事をすれば画期的なものになるのかではなく、目の前の代表候補生が自分と戦うに足る実力の持ち主であるかどうか。

 いちいちの動きを確認して、どれほどの実力を備えているのかを予想する。予想はできるだけ過小評価を心掛け、その過小評価が間違えであることを願う。ラウラは自分の予想を超える相手と戦いたいのだ。

 

「なによ?」

 

 訝しむ鈴を置いておき、一人分析に励むラウラはついに結論を出した。

 この相手は戦うに値しない。

 下した結果は過小評価ではあるが、改ざんする以前の評価も低い。

 

「いや。なんでもない」

 

 嘲笑を浮かべて、ようやく返事らしい返事を返したラウラはまたフヨフヨと空中を漂い出す。

 

「え!? ちょっと、何なのよ!」

 

 風の向くまま気の向くまま。鈴の抗議を気にすることなく、漂流者はゆったりと離れていった。

 が、数分後にはまた頭突きをかましていた。ラウラとしては偶然の結果でしかないが、激しく動き回っている中で、前後左右どころか顔を向けている方向すらも確認していないラウラが誰かとぶつかるのは必然としか言いようがなかった。二度も同じ人物にぶつかってしまうことに関しては偶然で片付けられてしまうが。

 ただ、片方が偶然と切り捨てたとしても、もう片方もそれで納得するかといえばそうでもない。

 ぶつけられた鈴は、ラウラの行為を同じ代表候補生の稚拙な嫌がらせと断じた。後はもう戦って屈服させるしかなかった。実力差を思い知らしめて土下座させるのが早い。

 

「何度も何度も……宣戦布告と取るわ! 勝負よ!」

 

 指さして宣言する鈴。

 

「構わないが。勝ったら有り金全部寄こせ」

 

「……アンタ、国家に選ばれた代表候補生よね? それじゃあ山賊じゃないの」

 

「じゃあ寄付」

 

「寄付って……言葉の意味知らないんだ」

 

 ラウラの現金主義なところに呆れる鈴。しかし彼女が呆れようが、ラウラは冗談抜きで買ったら金品を巻き上げるつもりでいた。財布を重くするために、腹を満たすために。

 やろうとしていることは強盗となんら変わりはないが、ラウラには犯罪意識の欠片もなかった。何故ならここはIS学園。世界のあらゆる法律は無力と化し、代わりに学園の法が全てとなる。

 だから強盗も構わないだろう。

 ケロッとした顔でバイオレンスを企むラウラだった。学生証に書かれている校則がどんなものかを確認もせずに。

 

「まぁ、いいわ。アタシが勝つに決まってるんだから」

 

「昨日、負けたがな」

 

 勝気な鈴に冷や水をぶっかけるかのように、先日の授業で行われた模擬戦のことを指摘したラウラ。

 

「あれは、タッグを組んだ相手が悪かっただけで、アタシが負けたわけじゃないんだから」

 

 自分には問題がない、とその時タッグを組んだ相手に敗因を押しつける鈴。

 一人だろうが二人だろうがどうせ負けてたぞ、とラウラは内心で馬鹿にする。さらに言えば鈴のむしゃらな動きが敗因だった。

 

「……ほう。自分の落ち度を認めようとしないとはな」

 

 鈴の責任転嫁発言に食って掛かるものが一人。彼女の背後からぬっと現れ、後頭部を鷲掴みにする。

 

「武士の風上にもおけない腐った根性。そんなもので一夏に近づくな!」

 

 背後を取ったのは打鉄を装着した篠ノ之箒だった。鷲掴むのをやめたかと思えば、鈴の細首に腕を回して締め上げ始める。もちろんISのおかげでダメージはない。がしかし、後頭部に当てられる豊乳の存在に、まな板装備の鈴は大層傷ついたのは言うまでもない。

 同じくらい淑やかな胸を持つラウラは、鈴とは違って平然としていた。圧倒的な戦力を抱え込む乳房の攻めを受けていないのと、女性としての魅力の優劣を理解しないラウラの心が上手く防ぎきっていたのだ。

 

「近づくなって!? アンタみたいな肉体言語を公用語にしている奴に言われる筋合いなんてないわよ! というか嫉妬に狂って木刀や真剣を振り回す方がよっぽど腐ってんじゃない」

 

「おのれぇっ! 根も葉もない醜聞を垂れ流しおって! そこに直れ首を刎ねてくれようぞ!」

 

「素直に首を刎ねられる奴なんていないわよ。それ以前に首絞められて、たとえ直ろうとしても直れない!」

 

 全く逆の見た目をした二人のコントを、ラウラはつまらなそうに見ていた。普段からセシリアと言い争う姿を、客観的に見ていないからこその態度であった。

 

「どちらでもいい。どっちもでもいい。とにかくかかってこい。二人共仲良く叩きのめしてやる。いや、待て。その前に財布の中身を確認しろ。小銭だけの財布を相手に戦う趣味はない」

 

 IS学園に通っているとはいえ、所詮は働いていない餓鬼だ。小銭以上の物を持っていたとしてそこまで望めないだろうな。

 完全に野盗のような思考回路でモノを考えるラウラの今は、犯罪に手を染めても辞さない構えだ。それほどまでに飢えと戦っている。

 

「さぁ、来い。戦い方を有料レッスンしてやる」



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いました

 数時間前。

 本音に連れられて生徒会室にやってきたセシリアは、目の前で優雅に紅茶……黒い液体だったがティーポットから注がれたのでおそらく紅茶を飲んでいる生徒会長の存在に、すぐにでも教室に帰りたくなった。生徒会長こと更識楯無をめんどくさいと思っていたからである。

 

「ふっふっふっ。セシリアちゃんが来ることを予見できないとでも思ったのかしら」

 

 出会い頭の一発目から少々頭の痛そうな発言をする楯無。本人としてミステリアスな自分を見せつけているのかもしれないが、セシリアからしてみれば自分がいかに可哀想な存在であるかをアピールしているようにしか見えない。

 このような輩は相手にしないことが一番だが、セシリアを引っ張ってきた本音はとても純粋だったようで敵の術中に嵌ってしまった。

 

「あれ~、せいとかいちょー。変なものでも食べちゃったの。いつもよりイタイよ~」

 

「本音。仮にも使えるべきお嬢様なのですから、目の前にしてそのような発言はよくありませんよ」

 

 術中に嵌ったように見せかけて容赦なく喉元をどついた本音と、セシリアの目の前に黒くない紅茶を置きながら的外れなことを指摘する少女。

 

「おっ、気が利くなぁ。もてなしてくれない主と違って気が利くよな」

 

 出された紅茶に口をつけるセシリア。

 褒められた少女・布仏虚は穏やかな笑みで「ありがとうございます」とお代わりを注ぐ。

 

「うーん。これでも私、けっこう偉いはずなんだけど。どうして総攻撃を受けているのかしら」

 

「アレだよ。偉いだけだからだろ」

 

「強くもあるんだけどね。具体的に言うとセシリアちゃんよりかは強いわよ」

 

「ですが、セシリアさんとの試合の後に裏で、危ない負けるところだった、と冷や汗をかいていました」

 

 カミングアウトする虚。そこに主の為を想う心は介在しなかった。

 

「う、裏切者!?」

 

「何を言うのですか、お嬢様? 私も本音もまだ裏切ってません」

 

「後々裏切るみたいな言い方!?」

 

「慕われてねぇな。だから生徒会なのに手勢が二人しかいないんだよ」

 

「私が二人だけ望んだのよ」

 

 何時頃だったか、セシリアが生徒会室を訪れると、部屋の主である楯無を包囲する布陣が出来上がるようになっていた。きっかけはセシリアだったかもしれないし、楯無が勝手に株を下げたからかもしれない。分かっていることは楯無を身を挺して守る忠臣がいないということだ。

 

「で、なんでココにいるんだよ。わたくしはこれから、本音と虚、二人と共に昼飯にすんだよ」

 

「なんでって、それはココが私の城だからよ。お姉さんこう見えても信頼されているのよ」

 

「あーそう」

 

 不敵に笑う楯無の言葉を、一ミリたりとも信じる気のないセシリアはおざなりな返事をする。

 

「で、もう一度聞くけどな。なんでいるんだよ」

 

 暗に出ていけと言うセシリア。こうまで攻撃的なのは過去に負けたことで恨みを持っているからというわけではなく、楯無の人をおちょくるような言動を気にいらないからだ。いちいち癇に障る言葉選びと、少々まとわりつくような声の出し方が好ましいと感じられなかった。

 だから相手が年上の生徒会長であっても敬語は一切使わない。皮肉った時にしか使わない。そもそもセシリアが年上を理由に敬語を使うことはないのだが。

 

「しかたないわね。ぐずるセシリアちゃんをこれ以上虐めるのは可哀想だから、いい加減教えてあげましょう」

 

「めんどいからつっこまねぇぞ」

 

「私が生徒会室で待ち伏せできたのは、ひとえに情報提供者の存在があったからよ。それもとびっきり優秀な提供者」

 

 情報提供者。それはセシリアの近くに裏切者がいるという証拠だった。

 セシリアの周辺で、こんな生徒会長とつながりのある人物と言えば、布仏本音くらいだろう。それも突然の訪問を伝えられる立場は彼女以外にしか考えられない点を考えると容疑は濃くなる。

 

「……本音に裏切られるっていうのは辛いな」

 

 時折やってきては食事を奢ってくれる本音のことを、セシリアはかなり優しい友達と思っていただけに、心に負う傷の大きさは計り知れない。これが本音じゃない別の誰かだったとしたら、彼女は自身の中で発生した怒りと持てる全ての力を使って、裏切者を粉砕していたことだろう。そして刑務所へと直行してしまう末路だったはずだ。

 裏切者の正体が本音であるからこそ、セシリアは辛い気持ちを言葉にすることだけで済んでいるのである。

 こんなのほほんとした生き物を殴ることはできない。たとえ一族郎党を皆殺しにされたとしても。

 

「酷いよ、せっしー。大切な友達のことをかいちょーなんかに売ったりしないよ~」

 

 長すぎる袖によって隠された腕をぶんぶん振って、疑いに対して不服申し立てをする本音。仕えるべき主を貶めているような発言があったが、誰もがスルーした。特に気になる点でもなかったのと、気にしたら心を痛める可能性があったからである。

 

「だよな。そうだよな。けっこう信じてたぞ、本音」

 

 100%信じていたとは言わないセシリア。

 

「わ~い。疑いが無事に晴れた」

 

「あら。良かったわね、本音」

 

 それに対して、気分を害した様子もなく喜び飛びついてくる本音と、そんな二人を温かく見守る虚。

 

「よしよし。それで情報提供者って?」

 

 腰に手を回して顔を押しつけてくる本音の頭を撫でながら、追及を開始するセシリア。

 意識的に見られ続け、その動きをいちいち報告されるというのは気分が悪いのが人間であって、セシリアもその例に漏れない。それも嫌っている人間に情報が渡っているというのは許せるものではない。

 

「うー、ん。私も詳しくは知らない」

 

 えへへ、と照れ笑いをする楯無。

 

「もっとマシな誤魔化し方をしろよ」

 

「そう言われても事実だからね。顔も名前も学年も、なーんにも知らない」

 

「そんなハテナで埋め尽くされた奴とどうやって知り合うんだ?」

 

「ある日SNSで知り合ったのよ。名前はIS学園所属女子生徒。明らかな偽名ね」

 

「今時な友達関係だな。顔も名前も分かんないネット世界だけの付き合いってヤツ」

 

「否定はしないけど、色々と情報を持ってきてもらっているから重宝しているの。ほんとになんでも知っている。たとえば、昨日の昼にセシリアちゃんと数学教師が備品室で密会していたとか。その時に転入生のラウラ・ボーデヴィッヒのことについて話し合っていたとか。その話し合いの結果、ラウラちゃんにフレンドリーに接することにしたりとか」

 

 一切形の見えていない情報提供者からの情報を口に出す楯無に、セシリアは少なからず驚きを見せた。どの情報も事実ということもあるが、差し出された内容というものは教師とセシリアの二人だけの会話だった。つまり情報が第三者からもたらされることなどあるはずがない。あの数学教師の口が羽のように軽かったとしたら、情報が飛散してしまうのは理解できるが。

 

「……学校内のいたるところに監視カメラでもあるのか?」

 

「ないわよ。それは保証してあげるわ」

 

 ふざけるふりして、裏で何かやっている相手に保証されても警戒は解けないのだが、今回に関してはセシリアの警戒は解けた。楯無の顔が本当のことだと語っているからである。

 

「それでね。最近やってきたラウラ・ボーデヴィッヒちゃんのことについて、色々知りたいことがあるからセシリアちゃんに会いに来たのよ」

 

「あー、そう。でも、だったらその情報提供者に聞いた方が何倍も速いんじゃないのか?」

 

「教えてくれないのよ。名前とか年齢とか、そこまで必要としていないところは教えてくれるんだけど。もっと切り込んだ情報を求めると、教えない殺すぞ、って一点張りだからさすがのお姉さんも困っちゃうのよ」

 

「わたくしが言うのもなんだけどさぁ、ころすぞ、って脅し文句でどうにかなると思ったのかソイツは。そして思い通りに追及やめてんだよ、お前は」

 

「だって仕方ないじゃない。これ以上しつこいと個人情報拡散させるって脅すんだもの」

 

「社会的に殺すってことか。そりゃ屈するな」

 

 ネット社会の普及が及ぼした、新たな人間殺害方に打ち勝つことは大層難しい。今のところセシリアにそういった被害はないが、もしもその魔の手が迫ったら悔し涙を浮かべて土下座するよりほか手がない。

 セシリアは溜息を吐き出す。とんだ情報提供者を掴みこんでしまったものだと。しかし、彼女自身に被害がないのでそっとしておくことにした。巻き添えは御免だった。

 

「お前のことなんて知らん。とにかく飯だ」

 

 寄生することで糊口をしのいでいるセシリアは厚かましい顔で飯の催促をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 

「当たれ!」

 

 空間が歪むのを見た。

 

「当たれ!」

 

 再び歪んだ。

 

「本当にマジでいい加減当たれ!!」

 

 見えない弾丸がラウラの脇を抜けていく。いい加減に諦めろ、と彼女は抑揚なく呟く。かれこれ十数発向けられた、不可視の弾丸を避けるのもさすがに飽きてきていた。

 

「迂闊に近づけない。鈴、当たりもしない弾をバカスカ撃つな!」

 

 仲間の攻撃のせいで踏み込むこともかなわず、思うように戦えない状況に箒が叫ぶ。

 箒の装着している打鉄は日本製の防御型ISで堅牢さが売りだ。防御力を頼りに相手に肉薄するのが主な戦闘スタイルなのだが、それはつまり中遠の攻撃を欠いてしまうことを意味していた。射撃用の武器を持たず、今はただ敵の周りを飛び回って踏み込む隙を探っているだけだった。

 

「うっさいわね。アイツが止まってりゃ当たるんだから」

 

 現状ありえないことを鈴は自信満々に言ってのける。彼女にしてみれば冗談の一環なのだが、箒は「動く的に当てられんのか」と怒られ、ラウラは我関せずと惰性飛行で不可視の弾丸を回避していった。

 

「……ってか戦いなさいよ! クラゲみたいにぷかぷかしてないで。これじゃあアタシ一人が熱くなってるみたいで恥ずかしいじゃない!」

 

「知らん」

 

 ぎゃぁぎゃぁと叫ぶ鈴を短い言葉でバッサリ切り捨てるラウラ。

 

「そもそもレッスンしてやる、なんて言ってたくせに一度も攻撃してこないのはなんでよ!」

 

 戦闘が始まって、鈴と箒は畳みかけるように攻撃を仕掛けているのだが、苛烈な攻撃を前にしてラウラは一切攻勢に出ることなく最小限の回避だけにとどめていた。セシリアと見るもくだらないいざこざを、ムキになった演じていた姿からは考えられない。まるで非暴力の精神が乗り移ったかのようだった。

 行動だけでなく心の内でも、ラウラは攻撃する気がなかった。勝てないから避けに徹しているのが理由ではない。

 ラウラがその気になれば、鈴と箒を叩きのめすのはわけない。余裕という言葉の前に「超」がついてもいい。

 しかし、ラウラは一度も手をあげることはしていない。理由は簡単で、叩きのめさなければならないほどの金を所持していなかったからだ。金を得られないのに力を使うのは無駄でしかない、と考えての判断だった。

 

「つまらないな」

 

 不可視の弾丸で牽制、その後に突撃してきた鈴の攻撃を上手にいなす。やる気のない言葉に反して、ラウラの動きは正確でシールドエネルギーを削られることなく防戦を維持していた。

 

「そろそろやめていいだろうか?」

 

「いいわけないでしょ!」

 

 怒りを乗せた攻撃を淡々と防いでいくラウラの言葉に、ようやく疲れが見え始めていた。事実、味のしなくなったガムを噛み続けるような疲れを感じていた。

 

「箒。挟み撃ち!」

 

 ラウラの声音から勝機を見出した気がした鈴は、ここぞとばかりに箒に指示を飛ばす。

 ……が、箒は音沙汰ない。

 訝しんで確認してみると、箒はアリーナの壁にもたれかかっていた。隣にはいつの間にかやってきた一夏やシャルル、セシリアがいて楽しそうに会話していた。

 

「オッケー。やめようか。一時休戦、やることができたから」

 

 そう言うなり鈴は試合を止めて楽しそうな集まりに突撃していってしまった。

 代わりに青い装甲のISを装着したセシリアがやってくる。

 そうすればさきほどまで微少だった不快感は一気に増し、ラウラは冷淡な顔を見せながらも僅かに顔をしかめる。

 

「よっす。強いじゃない」

 

「失せろ」

 

「はっきりと言うんじゃねぇよ。テメェこそ失せろ」

 

「今までのおべっかの皮を剥いだか」

 

「そりゃ、お前なんかにおべっか使ってもなぁ。こっちが疲れるだけって分かったし」

 

 やれやれと両手をぶらつかせるセシリア。我慢弱いものだった。

 ラウラとしてはその我慢弱さに救われたのと言っても良かった。不愉快な相手にすり寄られても気持ち悪いだけなのだから。

 

「お前、金持ってるか」

 

 ラウラが問いかける。持っていたら即攻撃を仕掛けて賞金を得るつもりだった。

 暗に賭け試合を持ちかけられたセシリアは「おけらちゃんだぜ」と舌を突き出して突っぱねた。

 

「オメェも貧乏かい。金があったら奢ってやっても良かったんだけどな。生憎財布が軽くてね」

 

「私の為により軽くしろ」

 

 極限まで腹の減ったラウラの中には、既に敵に物乞いをする屈辱はなくなっていた。彼女も大概我慢弱かった。



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セシリアさんは

 とある数学教師の言葉を借りるなら、セシリア・オルコットには前世の記憶があることになる。

 セシリア本人の言葉をそのまま引用するとしたら『死ぬことは即ち天国へ行くことになるのだから、今の自分はあくまで前の自分の続き』ということになる。

 どちらにしろ、セシリアには本来なら存在するはずのない別の人間だった頃の記憶が残っている。

 セシリアは、数学教師の言う前世の頃の自分を夢に見ることがある。頻繁に見るわけではないが、夢を見て起きるのと見ないで起きるのでは気持ちに雲泥の差が生じる。

 夢を見ることなく目覚めると、セシリアは特別何か感じることもなく上体を起こして溜息を吐き出す。今日もまたつまらない勉強をしなければならないのかと。

 夢を見てから目覚めると、セシリアは躍動感に安心感と奇妙な感覚に包まれている。夢の内容に左右されることなく二つの感覚が発生してしまう。

 夢の内容の全てが前世の頃に関するものだ。それはつまり、セシリアの心が前世を一番の世界だと感じていたからかもしれない。今のセシリアには前世にあった何かが足りないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 セシリアは夢を見ていた。

 セシリアの夢に出てくる登場人物たちは大体決まっていた。

 

「お嬢、腹減りましたね。なんか食いません?」

 

 一人は縦にも横にも広い男だ。背を屈めなければ扉を潜り抜けられないほどの高身長は目を見張るものがあったが、どことなく頼りになれない。その通りに決断力が弱かった。

 

「よっしゃ。お嬢、ここらに違法な飯屋があるって話っすから。そこ行きましょうぜ」

 

 一人はチビで筋肉質というアンバランスな男だ。小さいのは見た目だけで、心は大海のように広く決して人を恨むことはない聖人のようだった。その聖人ぶりはナイフで刺されても恨み言一つ言わず、復讐も行わないほどだ。

 

「あー、そうなん。じゃあとりあえず行くか。まったく、アタシらのボスに挨拶もなく営業なんて度胸があるね」

 

 一人はそこそこ器量の良い女だ。見た目だけを言うなら華奢ではないが、かと言ってたくましいわけではない。少し運動ができる程度といったところだろうか。しかし、瞳は常に獲物を求めるかのように爛々と輝いており、女が見た目通りの女でないことを示唆していた。

 

「このセシリア様が礼儀を教えてやろうじゃないか」

 

 女の名前はセシリアだ。

 夢を見ているセシリアと同じ名前をしている。これは前の名前を憶えていないからだろうと、セシリアは考えている。

 

「違法な店なだけでなく、飯がマズかったらどうするんですかい?」

 

 チビが道先案内となって歩き、その後ろをセシリアが、さらに後ろに高身長が並ぶ。

 

「うーん……潰そうか。元々違法なんだからさー」

 

「まあ、そうなるもんですぜ」

 

「でもお嬢。もしもソイツらが荒っぽい連中だったら、どうなさるんで?」

 

「決まってんだろ。関係なくぶっ潰す。アタシらそんなもんだろ」

 

 前世のセシリアも中々に物騒な発想の持ち主だった。

 

「それにだ。こっちのシマに勝手に居るって奴ら、もしかしたらカンヌキ組の連中かもしれないだろ。それだったら考える暇もなく叩き潰すべきだ。それがアタシらだ」

 

「いえ。それはお嬢だけです。俺たちはそこまで仰せつかってませんよ」

 

「間違いねぇ。確かにお嬢だけだが、こうやってつるんでる時点で言い訳無用だぜ」

 

 おどおどと言い訳を始める高身長と、全く嫌がらずに突き進むチビ。

 セシリアは相変わらずだ、と思いながらチビの背中を追いかける。

 暫く歩いた先の、廃墟群の中に「お食事処」と書かれた看板があり、チビが「あれです」と指で示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこまでで夢が終わった。

 セシリアの意識がパッと水面から浮かび上がってくる。夢の湖に小石を投げ込まれた衝撃に、心地よい時間が無理矢理終わらせられたのだ。

 夢見心地から、わずか二秒で脳がクリアになった。

 まず感じたのは腹部に何かのしかかったような感覚。誰かが腹に跨っているのが分かる。セシリアの経験がのしかかる人物の情報を引き出す。重さと横腹に当たる足の部分から小柄な人物。息遣いはまったく乱れていないことから、相手はプロに近いアマチュア。プロなら寝ている相手にのしかかったりはしない。

 のしかかる何者かがセシリアの首に手をかける。指に配置から首に押しつけられた手は左手。

 のしかかるだけなら誰かの悪ふざけ。だけど、首を押さえてくるのなら敵だ。

 セシリアがパッと瞼を上げると、視界に鋭いナイフが映り込んだ。ナイフの向こう側には冷淡な顔をしたラウラがいる。

 ナイフの存在を認識した瞬間、セシリアは何も考えずに行動に移した。それは前世の頃からやってきたこと。条件反射にまで達した玄人の技。

 右腕を伸ばす。ベッド脇に置かれた、二十歳にも満たない学生の部屋には不釣り合いな置物。英語とカタカナでビールと書かれたラベルの張ってある瓶の、頭の部分を掴み取った。

 ガシャン、瓶の割れる音が室内に響き渡る。セシリアが容赦なく振るった瓶は、襲撃者のコメカミに打ちつけられ散っていたのだ。

 硝子の塊で頭を叩かれたラウラは構わずにナイフを突き出す。脳震盪を起こしてもおかしくないはずなのだが、彼女は表情を変えていなかった。

 ザクッと突き刺さるナイフ。その先端は、セシリアが首を曲げたことによってその背後のベッドに突き刺さって動きを止めてしまった。

 

「チッ。外したか」

 

「朝から舐めてんのか? ってまだ4時じゃんか!? 朝早くから何してんだよ!」

 

 襲撃されたことに対しても、ナイフを突き立てられたことに対しても、さして動じずに時間を確認したセシリアが吼える。

 

「死のモーニングコールだ」

 

 ベッドに突き刺さったナイフを回収しながら、こともなげに言ってのけるラウラ。

 いつまでも腹にのしかかっているのと、朝早く起こされたことにキレかかっていたセシリアは、その冗談なのか本気なのか分からない回答にキレて、ラウラの腹を殴りつけて立ち退かせた。殴られたラウラは強制立ち退きによってベッドから転がり落ちていった。

 

「ぐっ。腹が減っているところを殴りつけるとはな。朝飯を要求する」

 

 痛みではなく、空腹で腹を押さえて立ち上がるラウラ。

 

「テメェは欲望に忠実な幼稚園児か何かか? とっとと帰れよ。わたくしはまだ眠いんだよ」

 

 セシリアは布団を被り直して二度寝の準備を整える。不愉快なラウラの相手をするよりも、今は睡眠欲求を満たすことの方が重大なのだ。

 

「私は腹が減っている! キサマ、昨日の約束を反故にする気か!」

 

「なんも約束してねぇよ! 起きながら夢みてんじゃねぇぞ!」

 

「夢ではない。昨日の夕食時、キサマは私とのじゃんけんに負けた。あの瞬間からキサマは私に尽くす運命となったぁっ!」

 

「お前、寝ぼけてるだろ。昨日の飯時にじゃんけんなんてしてねぇよ」

 

「した! してないわけがない! 私が負けるわけがない! 私は寝ぼけているわけではない!」

 

 力強く叫びつつ、ラウラはのそのそと再びベッドに進軍してくる。

 セシリアは眠さが勝っているのか、再度のしかかってきたラウラを振り落とすこともせずに意識をシャットアウトした。

 

「寝ぼけているわけではないから。……だから」

 

 穏やかな寝息を立てて眠りについたセシリアに跨るラウラも、心なしか瞼が下がり始めた。

 

「焼肉定食ナマ5人前を頼まれる……おかみぃ」

 

 ラウラもまた跨った体勢のまま眠りに落ちていった。



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川へ洗濯に

 再び目覚めたセシリアが見たのは、自身の身体の上に乗っかって寝息を立てているラウラだった。器用なもので、腹部辺りに尻を乗っけて跨っている。

そのまま首をもたげて平然と寝入っているものだから、起き抜けにも関わらずセシリアは頭に血を昇らせる。

 いつの間に侵入しやがったんだ、このガキは。

 セシリアは右腕を伸ばしてベッド脇に置いてある護身用のビール瓶を掴もうとした。しかし、何度手を振るっても必要な物を掴めずに空を切ってしまう。

 いい加減、掴めないことに苛立ったセシリアが首を曲げて在り処を確認してみたが、そこにはビール瓶がない。

 仕方なくセシリアは腕を他の場所に伸ばす。その先はラウラの後頭部で、しっかりと手を添える。後はゆっくり、できるだけゆっくりラウラの顔を動かしていく。

 眼前まで持ってくると、セシリアは助走もつけずに頭突きをお見舞いする。

 

「いっ!?」

 

 頭突かれた衝撃でラウラが目覚めるが、同時にバランスを崩してベッドから転がり落ちた。

 寝ているところへの奇襲によって、状況を確認することもできずに転がり落ちたはずのラウラは、片手で着地して地面への衝突を避けた。

 無事に両足で立ち上がったラウラは、まずセシリアの顔をまじまじと眺める。次に周囲を注意深く確認した。

 

「何故、キサマがここにいる?」

 

「そりゃ、こっちの台詞だ。なんで居んだよ?」

 

 セシリアからしてみれば、ラウラがこの部屋に存在していることに何故と言いたくなる。それも腹の上に乗っかって眠っているのだからより一層疑問を浮かべた。

 

「何故居るか? 間抜けが、そんなことも分からないのか? ここは私の部屋だ」

 

 鼻で笑うラウラ。

 そんなラウラを、セシリアは鼻で笑い返した。

 

「どー見ても間抜けはオメェだよ。テメェの部屋だってんなら、なんで私が当然のようにベッドに寝てんだよ。で、オメェがさらし者のまま寝てんだよ」

 

「仕様だ」

 

「あー、そうかい。認めろバカ。外出て部屋番号確認しろってぇの」

 

 セシリアが吐き捨てると、何を思ったのかラウラは馬鹿正直に番号を確認しに出ていった。そして馬鹿正直に帰ってきた。

 

「……飯奢れ」

 

 部屋を間違えた挙句にずうずうしい発言。さすがのセシリアも呆れてモノが言えなかった。

 飯を奢るにしろ何にしろ、まずは着替えなければならないということもあってセシリアは、ラウラの首根っこを引っ掴んで外に放り出した。

 本人なりに身だしなみを整えたセシリアが部屋から出ると、通路の向こう側に一夏とシャルルの背中が見えた。とても仲が良さそうだった。それを背後から見守る女子生徒たちも満足げだった。

 アイツら、きっと馬鹿な妄想してるな。

 にやにや、にまにまと見守っている生徒たちの顔を見れば、セシリアでも理解できる。

 

「何をにやにやしている?」

 

 背後から声がかけられる。

 セシリアが振り返ると、きっちりと制服を着こなしたラウラが仁王立ちしていた。制服の着こなしはばっちりだったが、髪の毛に手を入れてないのかぼさぼさだった。

 

「髪くらいとかせよ」

 

「制服も満足に着こなせられないのか」

 

 セシリアはだらしなく着こなした制服を咎められたが、「飯食ったらだ」と返すだけにとどめて食堂へ向かった。いがみ合いをするよりも、今の彼女には飯の方がはるかに重要だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セシリアの放課後は特に決まっていない。その日の気分によって校内散歩、楯無襲撃、本音とお茶会、訓練と定まってなかった。

 イギリスの代表候補という立場でありながらも、訓練量は他の代表候補生や代表候補生を目指す生徒たちに比べて圧倒的に少ない。だというのに今のところは負け知らずという理不尽な戦績を誇っていた。

 セシリアがここまで強いのは単に才能溢れているからではない。本来なら妄想だと一蹴されてしまいそうな事情を、転生者という肩書きを持っているから強いのである。それも過去のセシリアは荒くれ者で、暴力には事欠かない世界で生きてきたのだ。これで弱い方がどうかしている。

 今日のセシリアの放課後は珍しくISの訓練だった。訓練と言っても自らを苛め抜いて強くなる気はなく、たまたま訓練に行く一夏やシャルル、箒、鈴に付き合っただけだ。

 

「一夏は無駄な動きが多すぎるよ。もっと効率よく動かないと」

 

「て言われてもな。中々難しいぞ」

 

 男子二人の気を置く必要のない会話。

 模擬戦を行って露わになった問題点をシャルルが指摘しているのを、セシリアはあくびを噛み殺しながら眺めている。訓練に付き合っただけなので、やる気なくだらだらとショートブレードを振るっていた。たまに手からすっぽ抜けていってしまうほどの無気力な訓練模様に、鈴が突っかかって来るが気にしなかった。

 

「アンタみたいな不良が代表候補って。イギリスはどんだけ人材不足なのよ」

 

「さぁな。わたくしだって本意じゃないから」

 

「本意じゃないのに代表候補なんかなれるわけないに決まってるでしょ。かっこつけんじゃないわよ」

 

「あんなぁ。男に一夏取られたからって八つ当たりすんなよ。そのまな板削り取って小さな希望を摘んでやろうか」

 

「オッケー。喧嘩売ってんのだけは分かった。いますぐ勝負しなさいよ」

 

「嫌だ。面倒。つまんない」

 

「負けんのが怖いの?」

 

「上手く負けてやれずにつむじを曲げられるのが怖いだけ。わたくし、こう見えても接待プレイは苦手だから。それよりも見ろよ」

 

 顔を真っ赤にして叫び散らす鈴を、まったく恐れずに更なる言葉を投げかけるセシリア。

 怒りに身を任せ切っていない鈴が「なによ」とセシリアの指し示す方向を見る。

 そこには空中で一夏の背中に引っ付いているシャルルがいた。一夏が銃を持ち、それを背後から指導している図なのだが、シャルルの頬が僅かに赤く染まっていることで、見る者に非常に健全から脱線した妄想を呼び起こしてしまう。ちなみにセシリアにはそっちの趣味はないので妄想の糧とすることはないが、一夏に想いを寄せている面々をからかう糧にはする。

 

「……え、えー?」

 

 シャルルの恋愛対象範囲を知ってしまった鈴は呆けた声を出す。しかしすぐにハッと意識を取り戻して、二人へと突撃していった。好きな一夏が邪悪の道に引き込まれるのを防ぐために。

 鈴だけでなく箒も慌てて妨害に向かったのを見て、セシリアは腹を抱えて笑った。一夏に想いを寄せる男の存在に慌てるほど自信のない二人に。もっと余裕を持てばいいのにと考えたが、あの二人が余裕を持つと楽しくなくなるので、やはり切羽詰まった方がいい。そもそもこの戦い、恥ずかしがってストレートに愛情表現できない二人の、どちらかが勝利することなんて暫くない。一夏が他人からの好意にある程度敏感になればその限りではないが、セシリアが見る限り二人が成長するよりも可能性が低いだろう。

 一概にどっちが悪いって決めつけることはできないな。

 突如現れたスパイスの存在にセシリアはわくわくしながらショートブレードを振るい続けた。



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ラウラさんは

 どうしてセシリアの部屋で朝を迎えたのか。そもそもどの段階で部屋に入り込んでいたのか。

 今朝起きた不思議な出来事について、ラウラは午前の授業時間をふんだんに使って考えた。板書をノートに書き写す隙を与えずに熟考していた。千冬主導の授業中に内職したりうわの空でいることは、生肉を体中にぶら下げてライオンの前に躍り出ることと同義だ。もちろんライオンは空腹の絶頂期。見つかった瞬間に喰い殺されるだろう。

 だけど、そこらのライオンとは違って理性ある人間であるから、千冬が叱りつけることはなかった。普段からラウラの授業態度は一貫しており、ノートは取らず修行僧のように瞑想にふけっているのだ。これでは叱っても意味がない。

 不良の意志を突き通しきったラウラは今日もノートを閉じたまま授業をうわべだけ聞いていた。

 夜は自分の部屋でナイフを研いでいた。作業が終了した後にすぐに寝たはずだから、アイツの部屋に行く暇は一切なかったはずだ。最初から行く気なかったしな。

 鉄壁の無視で午前一杯乗り切ったラウラは、昼休みの時間になるやいなや立ち上がった。

 

「おい」

 

 向かった先はセシリアの席。いやいや声をかけるが、席の主は机にべったりくっついて眠っていた。

 

「起きろ」

 

 机を蹴飛ばす。

 

「うげっ!?」

 

 机に上半身を預けていたセシリアは、机を蹴飛ばされたことによって支えを失った。前のめりに転がって頭から着地した。

 頭部への衝撃でパッと目覚めたセシリアは痛む頭を押さえて立ち上がると、無言でラウラの顎に膝を叩き込んだ。

 

「ぶふぉっ!?」

 

 脳を揺さぶる一撃に、ラウラは下の歯と上の歯が衝突して砕け散りそうになった。未遂で終わったが、舌を突き出している時に喰らえば舌を噛みきって死ぬ。セシリアによるラウラへの殺意がにじみ出た証拠だった。

 口内が大惨事になることはなかったが、顎部の感覚が狂ったラウラは顎に手を添えて何度も歯をカチカチ打ち鳴らす。

 

「飯奢れ!」

 

 ようやく感覚が元に戻ったラウラが叫ぶ。

 

「草でも喰ってろ」

 

 未だに痛みを引き摺っているセシリアは吐き捨てる。

 

「というかわたくしにたかるな。こっちはたかられる派じゃなくて、たかる派なんだ」

 

 セシリアは全然誇れないことを誇っている。

 

「知らない。私は腹が減っているんだ。奢れ。」

 

「一夏にでもたかれ。わたくしはそうする」

 

「なんであんな弱い奴に媚びへつらわなければならないんだ?」

 

「つまりわたくしには勝てないんだな」

 

「前言撤回。あんな論外には頼まない」

 

「あー、そう」

 

 軌道修正に成功したと思い込んで胸を張るラウラに、セシリアはめんどくさいとおざなりな返事をした。

 

「お前が居たからかもしれねぇが、今日は寝足りないんだよ」

 

 ラウラとしてはまったく寝不足感を感じていなかったが、セシリアは違ったようだ。日常生活において周囲に無関心なラウラから見ても、セシリアはどこか苛立っているようだった。先ほどの襲撃が関係ないのだとしたらだが。

 

「分かった。じゃあ金を寄こせ」

 

 ラウラが手のひらを見せる。

 恵むつもりがあるのかないのか、セシリアはその手のひらに一円玉を乗っけて再び眠りについた。

 たかが一円されど一円。塵も積もれば山となる。一円を笑うものは一円に泣く。

 良い言葉は沢山あるが、今のラウラにとってたかが一円で塵でしかなく、一円を笑うものだった。

 一体一円で何ができるというのか。そう思いつつラウラは一円玉をしまう。

 教室内は昼食に出かけていて二人以外の人はいない。

 ラウラは無言で周囲を見渡す。それも念入りにだ。さらに念を入れて近づいてくる音がないかを確かめる。

 突っ伏して眠りについているセシリアが起きないことを確認しつつ、ゆっくりとしゃがみ込む。

 ラウラは無機質な顔でそろりと手を伸ばしてセシリアのポケットを漁り始める。目的は財布の入手。汚い言い方をすればスリだ。

 罪悪感なく伸ばした手の、探りを入れる指先は震えることはなかった。

 沈黙の中に僅かな衣擦れの音。そして忘れたころに聞こえてくるラウラの静かな息遣い。

 

「…………ん」

 

 獲物を求めて這い回る手。いまだに獲物を見つけられずにいるが、焦りはない。

 暫くセシリアの身体に手を這わせていたラウラは、ようやく落胆の溜息と共に手を遠ざけた。表情が成果なしと如実に物語っている。

 分かったことは一つ。セシリアは財布を所持していない。

 ラウラは心の中で、役立たずが、と罵り教室を去っていった。

 ラウラは、退室した後に狸寝入りをやめたセシリアが「残念だったな」と机の中から財布を取り出したことなど知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後も過ぎた時、ラウラは寮の廊下でセシリアを見かけた。

 昼食は結局得られずに過ごしたラウラは少し気が立っていて、不快感を撒き散らすセシリアを見つけるなり声をかけようとした。

 声をかけようとしたが、セシリアがニヤニヤいやらしい笑みを浮かべて扉の前にいたので、声かけをやめる。

 表情と雰囲気から何やら企んでいることは明白だった。

 もしや、アイツはこれから強盗でもするのではないか。

 殺伐とした予想を立てるラウラ。

 場合によってはセシリアを倒して手柄を横取りしようと身構えたラウラは、次の瞬間に発せられた言葉に肩の力が抜けた。

 

「一夏ちゃーん。飯行こうぜ」

 

 トントントン、とリズミカルに扉を叩くセシリア。

 何度か叩いてから、鍵がかかっていなかったようで扉を開けて侵入していった。

 ラウラは好奇心に駆られて後に続く。

 部屋に入るとセシリアの背中と、その向こう側に一夏、ベッドに横になって布団から顔だけ出したシャルルがいた。

 一夏とシャルルの部屋だった。内装は地味を突き詰めたかのようにものがなく殺風景だ。おそらく二人共大した趣味を持っていないのだろう。もしくは物を必要としない趣味しか持っていないか。

 殺風景な部屋模様ではあるのだが、装飾に興味のないラウラは特異な光景とは思わなかった。ラウラ自身の部屋もこれくらいだったのだ。

 

「お、おう。ちょっと待ってくれセシリア……なんでラウラがいるんだ?」

 

 どこか挙動不審な一夏。チラチラとシャルルに視線を送りながらの対応に、ラウラは何かしら隠し事をしていると判断した。

 

「よっす、ラウラ。お前も来たのか?」

 

 満面の笑みを浮かべて振り返るセシリア。普段の争いを知る人からしてみれば、ここまで機嫌よくラウラを出迎える彼女の姿は信じられるものではないだろう。もしも信じるとしたら、彼女の笑顔の裏に悪事が潜んでいるということだ。

 笑顔を向けられたラウラはふん、と鼻で笑う。この女の笑みは何かを企んでいるのと同義だ。

 だけど、とラウラは続ける。

 どーせ、しょうもないことだから気にする必要も感じない。

 これから虐められるであろう一夏もしくはシャルルを見捨てるラウラ。傍観者であることをアピールするために、壁に背を預けて成り行きを見守る姿勢を取った。

 

「ところでシャルルはどーした? さっきまであんなにはしゃいでいたのに」

 

「え!? ……ええと」

 

「いや、ちょっと風邪ひいちゃったみたいでさ。休ませてるんだよ」

 

「あ、うん。ごほっ、ごほっ」

 

 嘘をつくならまともにつけ。

 ラウラは憐みを込めて道化二人を見る。たとえ出来の悪いコントにしか見えなくても笑わない。そもそもどこがどう面白いのか分からないからラウラは笑えない。

 

「風邪か。そりゃあ大変だな。もしかして昨日無理したんじゃないのか?」

 

 無理、という単語を強調するセシリア。確実に何かを企んでいた。

 

「男同士だからって無理はいけんよぉ。痔になりかねないしな」

 

 セシリアが言いたいことに、ラウラは感づいた。平たく言えば下ネタ。

 セシリアの下ネタに対して一夏は一切動じなかった。何故なら言葉の意味を理解できなかったからだ。

 もう一人の標的、シャルルは言葉を聞くなりみるみると顔を赤くしていった。

 

「違うよ! ボクと一夏はそんな関係じゃないから! そもそもボクは男の子じゃないから……あっ!?」

 

 布団を蹴飛ばして抗議の声を上げたシャルルが途中で言葉を止める。

 

「……シャルル!?」

 

 シャルルの失言に気づくも遅れた一夏。

 

「……えっ?」

 

 炙り出しておいて目を丸くさせるセシリア。

 そして傍観者を決め込んでいたラウラは、壁から離れると一つ提案した。

 

「毎食奢れば黙っておいてやろうか」



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他人の部屋へ飯食いに

 シャルル・デュノアは実は女性だった。

 その告白を受けたラウラが最初に発した言葉は「だから?」だった。

 一夏とシャルルの部屋にはその部屋の使用者たちと、セシリア・ラウラの部外者組が額を突き合わせて、これからについて話し合っていた。

 

「でだ。どーすんだよ?」

 

 カツサンドを頬張りながらセシリアが訊ねる。大口を開けてサンドイッチにかぶりつく様は大変男らしく、シャルルのこともあり、もしかしたら女装しているのではと疑いたくなる。

 

「どうするもこうするもない。秘密を守る代わりに飯を奢る。これ以外に何があるという?」

 

 ハンバーガーをムシャムシャと蹂躙しているラウラが唯一の手段を提示する。二時間ドラマなどでは殺される役になるであろう台詞だったが、それを知らない彼女は一切気にしなかった。

 

「とりあえず三年間は大丈夫なんだから、それまでに何か考えればいいんじゃないのか」

 

 ホットドッグと死闘を演じながら一夏が提案する。この台詞はシャルルを説得する際に使用し、見事成功せしめたものであったが、セシリアとラウラは首を縦には振ってはくれない。

 

「……ねぇ、なんでボクだけフランスパンなの? フランスだからフランスパンなの!?」

 

 フランスパンの堅さに泣きそうになりながら訴えるシャルル。自身の身の上話なのに関係ない風を装っているのは、現実逃避の一環だった。

 

「一夏の考えだと、タイムリミットは三年。その間に案が浮かばなければ意味のないもんだぜ」

 

「確かにな。このままでは事態が悪い方に転がるだけだ。そもそもいつまでも男装を徹してはいられない」

 

「だからって、国に帰った方がいいって言うのかよ」

 

「駄目だ。これ硬すぎるよ。歯が折れちゃいそう」

 

「わたくしならすぐさま国に帰るべきだと思うぜ。引き延ばせば引き延ばすほど問題になる。させられているから、なんて理由が通じなくなるかもしれない」

 

「代表候補生は国の金で生活しているからな。そういったところでも非難されることもある」

 

「うーん。そうかもしれないけど。だからって今このまま帰るのは危なくないか」

 

「やっぱりコーンポタージュに浸して食べるしかないかな?」

 

「むしろ今だ。そもそも代表候補生は国の審査等で決まる。つまり一枚噛んでいることになる。承知の上で送りこんだに違いない」

 

 ラウラは指先についたケチャップを舐め取る。

 

「同意するんは嫌だけどな。ラウラの言う通りだと思うぜ。問題が発覚してから帰国しても、国は知らぬ存ぜぬを貫くだけだ。デュノア社だけが被害を負うことにもなるってな」

 

 二つ目のカツサンドに手を伸ばしながらセシリアは言う。

 

「ズルくないか?」

 

 具のなくなったホットドッグの残りを放り込みつつ不機嫌な声を出す一夏。

 

「それが社会だぜ。みんな馬鹿正直には生きちゃあいねぇのさ」

 

 セシリアの生い立ちが垣間見える言葉。

 言葉通りに受け止め愚痴を零す一夏と、その言葉の裏にあるものを感じ取って共感するラウラ。

 ラウラ自身、馬鹿正直ではない大人によって代表候補生の椅子に座らされているものだから、人間は皆善人などという幸せ理論は持ち合わせてない。

 

「じゃあ、短いとは言えど一緒に過ごした仲間を追い出すのかよ?」

 

「言い方は悪いかもしれないが、私たちは既に共犯者の身となっている」

 

「き、共犯者!?」

 

 フランスパンとおしゃべりしているシャルルを盗み見して驚く一夏に、同じく奇行を見せつけてくるシャルルを冷静に観察しながら語るラウラ。観察には熱心ではなく、次々とハンバーガーを蹂躙しているが。

 

「知っているのに黙って隠し立てを助けているんだ。これを共犯者と言わずになんて言う」

 

「せーぎのミカタ?」

 

「オッケー、一夏。共犯者以外の言葉が出ないのが分かったぜ」

 

 出来の悪い子を慰めるように一夏の頭を撫でるセシリア。

 

「つーか、中心人物なシャルルがフランスパンと旅行行ってんだけど。どーすんだよ?」

 

「おーい、シャルル。帰ってこい」

 

 一夏とセシリアが現実逃避を継続しているシャルルの肩を揺さぶって、妄想の世界から引きずり出そうと試みる。

 ラウラも二人の手伝いをするために、シャルルの抱き込んでいるフランスパンをひったくってかじり始めた。単に腹が空いていただけなのだが、結果的に協力しているのだから構わないだろう。

 

「この程度のフランスパンに手こずるようでは駄目だな」

 

 がじがじと喰いちぎってフランスパンを飲み込んでいく。シャルルがいくら時間をかけても攻め落とすことのできなかった堅牢なフランスパンを、いとも簡単に陥落させる顎は脅威の一言だった。

 

「シャルル、正気に戻れ! 今戻らないと色々面倒なことになるぞ。何がどう面倒なことになるか分からないけど、きっと面倒になるから帰って来てくれ!」

 

 ラウラがフランスパンを攻略中、隣では一夏が一所懸命シャルルに調略を仕掛けていた。両肩に手を置いてガクガクと揺すっているだけだが。

 

「あ、あの、いち……一夏!? 正気、正気取り戻してる、からっ!?」

 

 ようやく帰ってきたシャルルの言葉は暫くの間、一夏に届くことはなかった。一夏以外はシャルルの帰還を知ったが、面白いから放っておくのと、再びハンバーガーに手を伸ばす。

 

「お前らの意見を再確認するぜ。一夏は隠蔽する派、わたくしとラウラはとっとと帰国派、そんでシャルルは柔らかいパン派だな」

 

「ごめん。議論に参加しなかったのは謝るから、最後まで蚊帳の外はやめて!」

 

「私は硬いのも柔らかいのもイケる派だ。キサマには無理だけどな」

 

 セシリアを挑発するラウラ。何をどうすれば挑発の言葉になるのかは分からないが、不愉快な奴に負けたくない想いを持つ二人には充分挑発に成り得た。

 

「……おーい。そりゃわたくしに言ってのか? ブッ飛ばすぞ」

 

「よせ、二人共!? 部屋を荒らすようなことはしないでくれ」

 

「そうだよ。もう夜だから騒ぐと迷惑になっちゃうよ」

 

 一夏がセシリアを、シャルルがラウラの前に立ちふさがる。

 

「バカが! 他人の迷惑考えて喧嘩できっか。喧嘩なんて自己本位だ!」

 

「その通りだ。巻き込まれた方がマヌケだ! そんなの死ねばいい!」

 

 迷惑を顧みず騒ぐ二人。どちらも手の付けられない獣なので、体格で勝る一夏が頑張ったところで止めきれるものではなかった。

 それでも自らの部屋を守るため、騒ぎで人がやってこないように身を挺して止める。

 シャルルの方は体格の劣るラウラの腰に抱き着いて重石になるので精一杯だった。ほとんど意味を成していないが、それを殴られる恐怖に耐えてまで頑張っているのだから水を差してはならないだろう。

 ラウラは一歩一歩ゆっくりと歩みを進める。腰にしがみ付くシャルルなど存在しないかのような自然な歩み。小さな体躯にどれほどの力があるかが分かってしまう。

 

「と、とりあえず! シャルルの件は保留にしよう! なっ? なっ?」

 

 一夏は一夏でなんとかセシリアに冷静さを取り戻してもらおうとしていた。言葉による解決を試みてはいるが、相手は言語よりも非言語に頼る乱暴者であるから、確実にボコボコの道を突き進んでいた。セシリアの形のいい胸が柔らかいとか、拳の硬さの前ではそんな幸せを堪能する暇もない。

 獣二人の勝負を止める戦いは生身の人間には荷が重かった。

 たとえ一夏とシャルルの二人がかりでこられたとしても、ラウラには容易に返り討ちにできる。それはセシリアも同じだろうが、ラウラの中では自分は楽勝、セシリアは辛勝だった。

 とは言っても所詮は同じ生身の人間。堪忍袋の緒が切れたシャルルがISを持ち出したことでようやく鎮圧することができたのだった。



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行きました

 翌日の放課後。

 セシリアとラウラは机を挟んで向かい合っていた。放課後の時間を友達と談笑しているように見えるが、二人の普段の行いと、今の表情を見れば友人関係にないことだけは理解できる。

 けらけらと他人を嘲笑うセシリアと、嘲笑を受けて射殺しそうな視線を向けるラウラ。片や優勢の立場で心に余裕があり、片や劣勢に立たされて心に余裕がない。

 ふっふっふーん。勝者はわたくしにあり、だ。

 手に持ったカードを吟味して笑うセシリア。五枚のカードの内、四枚にはKの字が書かれている。勝者の証と言っても過言ではない四枚のキング。威厳に満ち溢れた王の絵はセシリアの心そのものだった。 有り金全部頂いてやりたいが、オケラちゃん相手にそれは可哀想だからな。金の代わりに苛め抜いてやる。

 性根の腐った勝負師のようなことを考えるセシリア。今の彼女はいやらしい獣だ。

 

「さあ、さあ。どーするよ、ラウラちゃーん」

 

 猫なで声で名前を呼ぶ。相手がいかに不利であるかを再確認させ焦らせる。

 その術中に嵌り、手に持ったカードをぐしゃっと握りつぶすラウラ。食いしばる歯と歯の間から「コロスころす殺す」と聞こえてくるが、セシリアにとっては自身を祝福してくれる音楽と代わらない。

 

「……うぐっ」

 

「うぐぅ?」

 

「……うぐぐっ!?」

 

 歯をがちがちと打ち鳴らすラウラ。目に見えて挙動不審で、あちこちに視線をやって打開策を検討していた。

 セシリアは、勝ち目もないのに足掻いているラウラを注意深く観察していた。

 勝利事態はセシリアに傾いたまま戻ることはない。今更何をやっても天秤が揺れ動くことはない。そういう意味ではラウラを警戒する必要はなかった。

 しかし、逆転勝利の術はなくても負けない術なら考えられる。

 負けなければ良い、セシリアの行動原理の一つでもあるが、場合によっては相手の行動原理にも成り得るものだ。

 セシリアの警戒は杞憂には終わらなかった。ラウラの視線がある場所で、瞬間的に止まったのを確かに見た。

 

「……手が滑った!」

 

 ラウラが動き出す。カードを持った手を、裏のまま重なっているカードの塔へとぶつけた。カードが床に四散する。吹き飛んでいくカードの中にラウラは手持ちの札を紛れさせて勝負を有耶無耶にした。

 

「すまない。手を滑らせた」

 

 豪快に手を滑らせたラウラはしれっとした顔で謝る。謝罪に一ミリも心が籠っていないが、とにかく形だけ謝った。

 謝っていない謝罪を受けたセシリアは、怒りを見せずに喉を鳴らして床に散らばったカードを回収していく。

 ラウラは地面に這いつくばってカードを拾い上げていくセシリアを心の中で嘲笑ったが、彼女が幾つかのカードを机の上に戻すと、笑ってもいられなくなった。

 

「まったく。これ以上手を滑らせるなよ」

 

 全てのカードを拾い集めたセシリアが再びラウラと向かい合う。

 

「さーてと」

 

 セシリアが鋭い視線を送る。

 ラウラのそばにはくしゃくしゃになったカードが五枚。

 

「わざわざ目印を付けてから手を滑らしてくれるたぁね。おかげで手札が行方不明にならずに済んだ」

 

 勝ち戦の宣言をすると、セシリアは四人の王と戦力外の3を表に出した。

 

「さあ、勝負だ」

 

 既に勝ちは決まっているようなものだが、セシリアはそこでやめるようなことはしない。目に見える勝利と、敗北に呻くラウラの顔が見たいのだ。

 

「めくってごらーん」

 

 優しい声音でラウラに行動を促す。ここでセシリアが手を出してはいけない。ラウラ自ら負けの道を進むことに意味がある。

 めくれば敗北が決定する。もっとも負けたくない相手に。

 ラウラはぐしゃぐしゃのカードの上に手を置いたまま俯く。こんな奴だけには負けたくないという思いと、どうすれば状況を突破できるかを考えている。

 時間稼ぎとばかりに「う~う~」唸ってはいるが、稼いだ時間は無駄に浪費されていくばかり。

 セシリアの押し殺した笑い声。腕を組んでふんぞり返っている姿は憎たらしいことこの上ない。

 しかし、その姿はラウラに一つの道を与えることになる。

 そして密かに活路を見出したラウラを、勝者の目線で眺めていたセシリア。絶対の勝利に酔いしれているに見せながらも、ラウラが行うであろう悪あがきを予想していた。

 

「はっ!」

 

 短い掛け声を合図にラウラが机を蹴り上げる。

 机を蹴飛ばしてセシリアの注意を引き、その間に教室の外へと飛び出す。そしてゴミ箱でもどこでもいいから手札を捨て去って、カードを紛失という流れで試合を有耶無耶にする。

 それがラウラの描いた負けない為の手段。

 ラウラの蹴りによって机は天井近くまで舞う……はずだった。

 

「おらぁっ!」

 

 床から足を離した机を、セシリアが拳を叩きつけて強制着陸させる。

 

「ちっ!」

 

 作戦の初期で失敗。行動を読まれたラウラは舌打ちする。

 しかし、ラウラは作戦を強行。

 机の上にあったカードの山を投げつけて目晦ましすると、出入口目掛けて走り出した。

 

「待てコラァ!」

 

 最初の段階で阻止できたと安心してしまったセシリアは出遅れる。

 

「私の勝ちだ!」

 

 教室と廊下の境目を乗り越える時、勝利を確信したラウラ。

 次の瞬間、全速力で教室に入り込んできた一夏にぶつかって、追ってきていたセシリアの方へと飛ばされていった。

 

「おぶぅっ!?」

 

 急に飛んできたラウラの肘が、セシリアの腹部に偶然打ち込まれる。

 セシリアは無言で蹲る。予想外の一撃に全く対応できなかったのだ。

 

「うおっ!? セシリア、悪い」

 

 ぶつかったと思って慌てて謝る一夏。謝る相手が違う気がするのだが、悲しいかな彼にはラウラの存在が見えていなかったのだ。

 一夏に存在認識をされていなかったラウラは、それを不快に思うことはなかった。そもそもそんなことを考えている暇はないのだ。今のラウラはこの教室から抜け出すのが先である。

 片側の出入口は蹲るセシリアと、あたふたしながら声をかける一夏に塞がれている。

 ラウラはこっそりかつ素早くもう片側の出入口へと向かった。

 

「誰か助けてぇ!」

 

 後少しで出られるというところで、ラウラはまたも入室者に蹴散らされてしまった。

 教室に入って来たのは涙目のシャルル。発した言葉と肩で息をしている様子から、何かしらから逃げてきたことが明白だった。

 

「いってぇ~ぞ!」

 

「シャルル。どうしたんだ慌てて?」

 

「あっ!? い、一夏! ……とセシリア」

 

 またもや存在を認識されなかったラウラ。

 シャルルの元へとやってくる二人の目を掻い潜りながら、さきほどまで塞がれていた方の出口へと向かって行く。

 

「で、一人でどうしたんだよ、セシリアは」

 

「一人ってわけじゃあないがよ。ったくよぉ、いきなり飛びこんでくるなよ」

 

「うっ!? ……悪い」

 

「いいよ。で、シャルルはどーした?」

 

「えっ!? あ、ええと……あ! 助けてよ、二人共!」

 

 三人でがやがやとしている隙に、ラウラは出入口へと向かう。

 三度目の正直という言葉もあるので、今度こそ教室を出ていこうとしたが、またしてもそれは阻まれた。

 

「織斑くん!」

 

「デュノアくん!」

 

「一夏!」

 

「い、一夏!」

 

 怒涛のように押し寄せる人だかり。ラウラは抗うことも出来ずに人波に揉まれて、気がつけばセシリアの腕の中にいた。

 

「お帰り、ラウラちゃん」

 

 地獄の底から鳴り響く声に、ラウラはびくりと肩を跳ね上げる。腹に回されたセシリアの腕が万力のように押しつぶしてくるに従って、ラウラは踏まれたカエルのような鳴き声をあげはじめる。

 セシリアがゆっくりとラウラの腹を締め上げている間、一夏とシャルルは多くの女子生徒たちに囲まれ追いたてられていた。

 

「私と組んで織斑くん!」

 

「デュノアくん。あたしとイイことしましょ!」

 

「一夏。お前は私と組むのが道理だろ!」

 

「駄目に決まってんでしょ! こんなのよりアタシと組みなさいよ!」

 

「こんなのとはなんだ!?」

 

「すぐ木刀持ち出すんじゃないわよ!?」

 

 わーわーきゃーきゃーと一夏とシャルルを囲む群衆が騒ぎ出す。その騒めきは中心から外円部へと浸透していき、規律のない音楽となっていった。

 その波によって教室の隅に押しやられていたセシリアとラウラは文字通り蚊帳の外だったが、所詮は蚊帳でしかなく防音対策はまったくなっていない。

 段々とラウラの腹を締めているセシリアの腕の力が増していく。それはラウラに苦痛を与えるためだけに締め付ける力を上げているわけではなく、蚊帳の内側から聞こえてくる騒音に苛々し始めているからだった。

 堪忍袋の緒が切れるまでの時間はわずか数秒。

 ぎゅっと渾身の力でラウラを締め上げると、人のモノとは思えない泣き声が鳴り響く。

 奇怪な音に、その場にいた全員が騒ぎを止める。

 誰もが蛇に睨まれたカエルのように身体を固める。

 動けば殺される。

 額から汗が噴き出してしまうが、それを拭う隙も与えられない。

 

「お楽しみ中に水差すようで悪いけどさ」

 

 いいえ、こちらこそ騒いですみません。この場にいる全員が油の切れたブリキ人形のように首を曲げてセシリアに注目する。

 注目を浴びたセシリアは不機嫌を隠せていない笑顔を浮かべながら、その場を見渡して告げる。

 

「悲鳴がきこえないだろぉがよぉ。ちったぁ静かにしてくれないか? なぁ、みんな?」

 

「げぎゃぁっ!?」

 

「言ってること分かんだろ?」

 

「ちょ、まっ!? 今日は飯食ってないから! これ以上耐えられないぞ!?」

 

「えー?」

 

 そこには邪気がいた。犠牲になっているのは憐れな子羊ではなく、同じレベルの邪気なのだが空腹が原因でいいように遊ばれている。

 空腹でなければセシリアの拘束など瞬時に抜け出せるが、今のラウラは燃料不足でそんなことできはしない。

 ラウラの状況に、全ての活力を奪われ、恐怖をぶち込まれた生徒たちは沈黙を保つしかなかった。邪魔をすれば自分たちが締め上げられると思っていたのだ。

 周囲の畏怖の目線を気にせず、セシリアは日頃の恨みを込めてラウラを締め上げ続けた。

 心行くまでラウラを苛め抜いたセシリアは、恍惚の笑みと共に冷静さを取り戻し始めていった。

 そして2や3じゃ足りないくらいの目線を感じ取って顔を上げる。

 

「……あれ? なんでこんなに人がいんだ?」

 



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セシリアさんが

「タッグトーナメント?」

 

 差し出されたプリントを熟読したセシリアが首を傾げる。

 

「そうだよ~。二人一組でれっつバトる。だからねー、みんなおりむーかでゅっちーと組みたいって争ってるんだよ」

 

 プリントを差し出して状況を端的に説明するのは本音。

 

「だからって追っかけまわしてどうにかなるもんなのか?」

 

「あんまりならないかも」

 

「ちなみに本音も追いかけ組の一人か?」

 

「ううん。私は置き忘れたお菓子を取りに来ただけだよ」

 

「菓子だと!? どこだ? 寄こ……ぐぅえぁっ!?」

 

 セシリアと本音の会話の一部分に興味を示したラウラだったが、容赦のない締め上げの前にぐったりした。僅かに腕を上げて助けを求めるラウラだったが、本音がのほほんと笑ってセシリアに視線を向けた為に拘束は継続された。

 意外に残酷な仕打ちをする本音と、これまた残酷な仕打ちを続けるセシリアの会話は弾む。

 

「机の中にまでお菓子を仕込んでんのか。虫歯に気をつけろよ」

 

「ちゃんとハミガキしているからだいじょーぶ」

 

「そりゃ安心だ。ところで、明日の昼飯奢ってくんないか。しっかりしたモノが食いたくなってさ」

 

「せっしーなら大歓迎だよ~。ちょっとせいとかいちょーが邪魔になっちゃうけど、バリバリばっちぐー」

 

 仲良く言葉を交わし合う二人だが、周囲には沢山の人だかりができており、誰もが口を噤んでハラハラと成り行きを見守っていた。

 セシリアに物怖じせず会話することができる本音とラウラくらいだ。他の生徒はどこか警戒しながらで、彼女たちは全員が本音の度胸を称えている。

 

「ねえねえ、せっしーは誰と組むの?」

 

 本音が話を戻す。

 期限以内にタッグトーナメントのペアを決めて書類提出しないと、学園側で勝手にペアを作られてしまう。プリントに書かれている日付は今日のもので、締切期限まで時間はあるが、やはり早めにペアを作った方が得策である。

 

「誰とねぇ」

 

 セシリアは未だに腕の中に収めている獲物を締め上げながらも、誰とタッグトーナメントに出るかを考える。

 一番最初に浮かんだのは、目の前で長すぎる袖を振って踊っている本音だが、正直に言うとあまり戦いに向く性格をしているようには見えない。

 一夏やシャルルも浮かんでくるが、一夏を選べば嫉妬の嵐が鬱陶しい。シャルルの場合だと怯えられているということもあり、真面な立ち振る舞いは期待できないと思われる。

 暫く考えを巡らせるセシリア。腕の中でぐったりと俯いているラウラの頭頂部を眺めていると、徐々に一つの考えが形になっていった。

 

「ラウラ、組むぞ」

 

 セシリアは抱いたラウラへと声をかける。先ほどのカードゲームでの振る舞いや、現在の死刑執行中の姿を見れば、いかにお互いを快く思っていないことが分かる。しかしセシリアは先ほどの振る舞いと、ついでに現在の振る舞いがまるで存在していなかったかのように、まるで友達のように明るく提案していた。

 だけど、空腹による攻めを受けていることだけでも辛いというのに、そこにもっとも相容れない敵からの腹部の締め上げを受けているラウラが首を縦に振るわけがない。

 

「ことわ……かはぁっ!?」

 

 セシリアは、自身の提案を突っぱねようとするラウラを締め上げる。提案とは名ばかり。物理的な圧力を加えて、無理矢理YESと言わせる気満々だった。

 このまま一日中締め上げるのも悪くないぜ。

 嫌っている相手をこうまで痛めつけられる状況に、心満たされているセシリア。このまま部屋に持ち帰って、寝るまで締め上げていたいと思っていた。

 

「組もうぜ」

 

「なんどもおぉっ!?」

 

「何度でも言うぞ。組んでくれよ」

 

「キサマが土下座すれば考えてやらないでもないばぉらっ!?」

 

「くっくっくっ。状況が分かってねぇな。まぁ、分かってんだろうけどさ。大人しく承諾しろ」

 

「毎日昼食を献上すれば考え、れないっ!?」

 

 ラウラは自身にとっての好条件を提示するが、その都度セシリアの締め上げを受けていた。

 中々素直になってくれないラウラに、セシリアはちょっとずつ苛立ちが募っていた。土下座に関してはお前がしろと思い、昼食に関しては草でも頬張ってろと締め上げを強めた。

 しかし、決して屈しようとしないラウラの想いは理解できる。セシリアも彼女と同じ立場に立てば絶対に首を縦に振らない決意があった。不愉快な相手に対してどうしてこっちが要求を呑まなければならないのか。要求は呑むものではない、呑ませるのもなのだ。

 鉄壁の守備力でセシリアの要求を跳ね除けるラウラだったが、本音が近づいてある条件をつけたことで簡単に堕ちた。

 

「せっしーの要求を呑んでくれたら、私のお菓子あげるよー」

 

 ラウラの一番弱いところをついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ばりばりむしゃむしゃ。

 スナック菓子を咀嚼する音が教室内に響く中、セシリアは一夏とシャルルを左右に従えて女子生徒の群れと相対していた。

 女子生徒たちはそれぞれ好みの男子とタッグを組みたい。あわよくば特訓中に距離を縮めたいと考えていた。

 セシリアにはない、乙女チック回路がフル稼働していることから起こった騒ぎ。彼女にはまったく関わりのない事態だったのだが、シャルルが無理矢理引き込んだ為に、仲介役のような立場に立たされてしまった。

 知能より暴力で物事を解決しかねないセシリアが選ばれた理由は、女子生徒たちが彼女を恐れて大人しくなるからだ。今この時、セシリアは大いに役立つ存在だった。

 

「で、お前らの言いたい事ってのは、一夏やシャルルと組みたい」

 

「そうそう」

 

「でもライバルが多いから我先にと」

 

「ええと、はいその通りです」

 

「で、全員がバカみたい同じことするから、歩く公然わいせつ物の一夏と、甘いマスクで女を食い物にして遊ぶようなシャルルが恐れをなして逃げ出したと」

 

「被害者なのにわいせつ物あつかいかよ」

 

「そんな女の敵になった覚えはないけど」

 

 二人の抗議を「無理すんな」と言って払い除けたセシリアは、女子生徒たちの前に人差し指を立てて、妥協案を打ち立てる。

 

「他の人に取られるのが嫌だと思ってんならさ、一夏とシャルルが組めばいいじゃねぇの」

 

 肉体派のセシリアが奇跡的な発言をする。まるで神が乗り移ったかのように完璧な妥協案に、多くの女子生徒たちが「それならマシかも」と言って、若干の敗北感と共に教室を後にした。

 残ったのはセシリアの考えを認めようとしない鈴と箒、ラウラにお菓子をあげてその姿を眺めている本音だった。

 まぁ、コイツらは納得しないだろうな。なにせ、昨日のシャルルホモ疑惑を見たばかりだから。

 女子なシャルルが、男子である一夏に触れて緊張していただけだというのが真相だったが、事情を知らない人から見れば不健全な道を行くシャルルが、己が欲望の為に一夏を悪の道に引き摺り込んでいるようにしか見えない。特に脳みそが腐りきった女子にはそう見えてしまうものだ。

 そういう意味ではコイツらは脳みそ腐ってんな。

 セシリアは可哀想にと、一夏に詰め寄る箒の頭部に注目する。あの頭の中はヘンタイで溢れていると思うと、見目がいいだけに残念な気持ちになる。

 

「ちょ、ちょっと」

 

 鈴の方は一夏に詰め寄るようなことはせず、セシリアに小声で話しかけてきた。

 

「いいの? 男同士はダメなんじゃないの!? その、あの……アレなコレじゃあ危ないんじゃないの?」

 

「危なくないだろ。同意すればいいわけだし」

 

 鈴の言いたい事が分かったセシリアはニッコリと笑って答える。答えた瞬間に頭を引っ叩かれた。

 

「駄目に決まってんでしょ。一夏がアーってなったら、アタシ一夏を殺して死ぬから。それぐらいデュノアのことを信用できないんだから」

 

「……そこまでの心意気なのか。そしてその心意気をシャルルの近くで言うのか」

 

 セシリアは横でしょんぼりしているシャルルを見る。明らかに鈴の言ったことが耳に入る位置にいたわけだから、そのダメージはいかほどのものか、セシリアには理解できない。そもそもセシリアは加害者側の人間だから、被害者感情など到底理解することはできなかった。

 心無いことを本人の前で言ってしまった鈴はばつの悪い顔をしたが、次の瞬間には鋭い視線をシャルルに向けて宣言した。

 

「男のアンタなんかに一夏は渡さないわよ。女の子を弄ぶような糞男子のアンタなんかに!」

 

「真に受けないでよ!?」

 

 シャルルの悲鳴が教室に鳴り響いたのだった。



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川で洗濯をせずサボっていると

 来たるタッグトーナメントに向けて生徒たちは訓練を重ねていた。

 目指すは優勝。

 優勝すれば点数に色がつくことを知っているから。企業からスカウトが来るかもしれないから。そして何よりも、優勝すれば一夏もしくはシャルルと付き合うことができるのだ。

 ことの始まりは箒だった。彼女はタッグトーナメントの前身である学年別トーナメントの存在を知るや否や一夏に宣戦布告した。

 私が優勝したら付き合ってもらう。

 分かりやすく言うと、箒が優勝したら一夏と交際する。この宣言は2人だけの秘密にしておくには大声だったために、色々と紆余曲折あって気がついたら、その時いなかったシャルルをも巻き込んだものとして生徒たちに知れ渡っていたのだ。

 今回のタッグトーナメントで優勝したら一夏もしくはシャルルと交際することができる。この言葉に胸を膨らませ、生徒たちは熱心に訓練していたのだ。不純な動機なのだが、表向きには優勝目指して頑張る女子生徒たちなので、教師たちは心の内に秘めた純粋で邪念満ち溢れた想いに気がつくことなく感心していた。

 熱心な生徒たちが蔓延るアリーナ。その観客席ではこれまた熱心な生徒たちが、相手の動きを観察して自分たちのチームワークの糧にしている。

 あちこちから湧き上がる闘気と、純然たる欲望の熱意がアリーナ内を茹で上げている中で、二人の生徒だけは熱意の欠片もなく缶ジュースを飲んで寛いでいた。

 

「うーん、外れちまったな。これはもう二度と買わね」

 

「明らかに美味しくなさそうな商品名だったからね」

 

「いや、名前で実力をカモフラージュしているかと思ったんだよ。実際は商品通りの不味さだったけどさ」

 

「それよりも、さっきの話に戻っていい?」

 

「いいけど」

 

 訓練に対して熱意のない態度を見せるのはセシリアとシャルル。

 

「セシリアはなんでボクが戻った方がいいと思うの」

 

 話の内容はシャルルに関すること。男装をしていることがこれ以上バレる前に帰国するべきかどうか、という話。

 以前の話し合いでは、結局シャルル次第という着地地点で落ち着いたのだが、シャルルは自分が決断をするための材料を探すために、セシリアに再び話を持ち掛けたのだ。

 意見を求められたセシリアの方はまったく乗り気ではない。今日の放課後は怠惰に過ごすと決めていたところを、シャルルがやってきて前の話をぶり返してくるのだから。

 セシリアの中では既に結論の出た話で、さらに言えばとっくに自分の意見は伝えていたはずだ。今更どんな意見を求めてくるのか、とジュースを奢らせておきながらげんなりとしていた。

 

「……ジャマダカラ」

 

 口は開くけど、セシリアが出した言葉は棒読みの拒否だった。拒否の言葉に感情を込めるのも億劫だった。

 

「真面目に答えてくれないかな?」

 

 非難の色を見せれば拳が飛んでくるのでは、とヒヤヒヤしながら声を出すシャルル。ちらりとセシリアの顔色を確認するが、不味いと評価したジュースを消費するのに忙しそうで、とてもシャルルの言葉に気を置いてはいられない状態だった。

 

「答えは出た。それで充分だろ」

 

 飲み終わった空き缶をぐしゃりと潰す。これ以上同じことを言わせんな、と脅しをかけているようにも見えなくない。

 空き缶を潰しただけでしかないセシリアに、シャルルは心臓を掴まれたような錯覚を覚えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクはあの人も母さんも憎くてしょうがないよ」

 

 暫く沈黙が支配していた空間で、シャルルがポツリと呟いた。

 セシリアは何も言葉を返さずに次を待った。

 

「だってそうでしょ。母さんが愛人なんかならなければ、あの人に恋しなければ、ボクはこんなに悩まずにすんだんだよ」

 

 ポタリ、と水音が一つ。

 泣き出したな、とセシリアは思った。

 

「ねえ、セシリア。ボクの気持ちなんて分からないでしょ。分かるわけないよね。一夏だって、あんなこと言ってボクを励ましてくれるけど、結局は分かってないんだよ」

 

 なんとなく、なんとなくセシリアは苛立ちを感じた。

 隣人が不穏な雰囲気を出し始めたことに気がつかず、シャルルはなおも続ける。

 

「セシリアだってそうだよ。すぐに帰国すればいいって。そんなのできるわけないじゃん。帰ったらボクにはもう居場所なんてなくなっちゃうんだよ」

 

 シャルルが話す傍らで、セシリアは不気味な沈黙を保っていた。爆発するようでまだ爆発しない。でもどこかで爆発するのでは、と不安を駆り立ててくる。

 

「母さんが居なくなって、あの人の浅はかな企みのせいで、ボクはどこにも居られなくなっちゃう。嘘を突き通して学園に残ったとしても3年だけ。3年過ぎれば、ここにも居られなくなる」

 

 涙をぽろぽろと零しながら喉を震わせるシャルルの姿に、セシリアがついに動き出した。

 ゆっくりと立ち上がるセシリア。

 シャルルの方へ身体を向けると、突然その頬に平手打ちをお見舞いした。

 シャルルが叩かれたと気がついたのは、頬に熱を感じた時だった。ひりひりとした痛みに頭の中は一瞬真っ白になった。そのすぐ後、今度は顔が真っ赤に染まって怒りが沸き起こった。

 

「なにす……っ!?」

 

 叩かれたことで怒り心頭に発したシャルルが席を立った瞬間に、セシリアが叩いた頬に向けて拳を突き出した。

 セシリアとしては手加減して放った拳は、それでもシャルルには強すぎた。

 暫く、殴られた頬を押さえて蹲るシャルル。

 加害者セシリアは殴ってすっきりしたのか、観客席に腰を下ろして空を仰ぎ見ていた。

 

「い、痛いよぉ」

 

 数分経ってようやく喋る余裕が戻ってきたシャルルが呻く。叩かれた挙句に殴られた頬は痛々しい紫色に変色していた。

 

「痛いだろ。でもな殴った方は全然痛くないんだぜ」

 

「だろうね! 罪の意識とかなさそうだもんね!」

 

 悪気なく言い切るセシリアに、シャルルは耳元で叫ぶがまるで堪えていない。

 

「大体なぁ。鬱陶しいんだよ。なんだか聞いてきたかと思えば、急に身の上不幸自慢みたいなの始めてよ。ちょっとは殴りたくなるだろ」

 

「あ、悪魔だ。悪魔が居るよ!?」

 

 盛大なジャイアニズムを発揮したセシリア。自分自身の不幸を嘆く奴はまったく好かない。自分を見てほしい、共感してほしい、と訴えてくるのは鬱陶しかった。

 叩く殴る、さらに言葉による暴力を受けたシャルル。もう息も絶え絶えだった。

 

「じゃ、じゃあ、セシリアはどうなの? セシリアはあのオルコット社の人間でしょ。絶対に不幸的な話の一つや二つ持ってるでしょ」

 

 酸素が行き届いていないのか、シャルルは突然不幸自慢大会を勝手に開催し始める。参加メンバーはシャルル自身と、何故かエントリーされたセシリア。

 

「あのなぁ。わたくしは別に自分に巻き起こったことを、不幸だとはこれっぽっちも思ったことはないんだけど」

 

 前世を含めて思い返しても、セシリアが不幸に出会ったことはない。

 今世では、母親に何かおかしなことをされたことがあったが、アレで何がどうなったのか分からないので不幸ではなかった。

 両親の死後、親戚連中がオルコット社やその他財産を巡って骨肉の争いが起こり、セシリアは知らずの内に遺産を全て奪われていたが、それも不幸には成り得ない。

 むしろそれはセシリアにとって幸運だった。

 会社を継ぐことによって生じる、経営の知識だ社員だなんてものに縛られることがないから。

 その後、親戚の中で一番力の弱いところに引き取られたことも、勝手にISの適正試験を受けさせられたことも、IS学園に入学するために勉強三昧だったこともどれもこれも不幸には程遠い。

 結局、セシリアには思い返す不幸など見つかりはしない。

 まぁ、メンタルの差なんだろうけどな。

 未だに頬を押さえているシャルルを眺めて、セシリアは思った。



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川上から大きな桃が

 ラウラがそいつに話しかけられたのは、放課後も終わりを迎えた時だった。

 昼食を抜いて、午後の授業から続く空腹に耐え続けていたラウラ。彼女が腹を押さえてぐったりしていると、シャルルが教室にやってきた。

 

「あ、ラウラ。ちょっと話があるんだけど」

 

 そう言うなり、飴玉を差し出してきたシャルルに、ラウラはもっと寄こせば話を聞いてやると高圧的な態度で応じた。口の中に放り込んだ飴玉を舌で弄びながらなので、あまり締まっていないのだが。

 

「で、話とは何だ? 金と飯の話なら他を当たれ」

 

「ごめん。そこまでラウラ寄りの話じゃないんだけど」

 

 ラウラ本人の考えが多分に含まれ過ぎた予想。シャルルは苦笑いを浮かべる以外のやり過ごし方が分からなかった。

 ラウラはピーチ味の飴玉を転がすことに意識を集中させながらも、シャルルの動きにも注意を怠らなかった。世の中、思っていた以上のことが起こるのは当たり前なのだ。自分には考えもつかないような事態にならないとは言えない。

 糖分摂取にラウラの脳は活性化していく。日常生活では対して役に立たない脳みそではあるが、これでもラウラにとっては欠かすことのできないパーツなのだ。

 口の中をピーチが広がり、頬が緩まる。

 甘くて美味い。

 空腹に犯されていたせいであろう。ラウラの味覚は、スーパーで一番安値で売られていた飴玉に酔いしれていた。

 しかし味覚は酔っていても、視覚ははっきりとしている。

 ラウラは飴玉を転がしながらも、シャルルの頬が痛々しく腫れ上がっているのを見た。

 

「あのね。ラウラも、ボクがすぐにでも帰国することを勧めていたけど……」

 

「勧めていたんじゃない。帰れ、と言ったのだ」

 

「あ、あー、うん。それでね、帰れって思う理由はなんなのかなー、なんてね?」

 

 セシリアと同じくらい、もしくはそれ以上に危ない相手に、シャルルの腰が引けるのは仕方がないことだった。

 

「あの時以上に言うことはない。共犯者になる気はない。それだけだ」

 

「は、犯罪者扱いなんだね」

 

 当たり前だ、とラウラは鼻を鳴らす。ついでに手のひらをシャルルへと突き出す。

 手のひらの意味を理解したシャルルはポケットから飴玉を取り出すと、その上へと置いた。

 

「この話は既に結論が出ている。ウザいから私以外に泣きつくんだな」

 

 新しい飴玉を受け取ったラウラは、包装紙を剥ぎ取ってヒョイと口の中に放り込む。メロンソーダ味だ。

 飴玉にご満悦なラウラを、シャルルは溜息を吐き出しながら眺めた。ラウラの対応から、セシリアと同レベルで役に立っていないことが分かる。

 シャルルは思わず自分の不幸を話しそうになったが、セシリアからの仕打ちを思い出して、慌てて口を閉じた。

 

「ええと……じゃあ、ラウラは自分でこれは不幸だな、って感じたことある?」

 

 セシリアの時と違い、出来る限り角のない言葉遣いで質問をする。

 質問を受けたラウラは、思考が停止したかのようにピタリと止まった後に「ない」と答えた。

 

「どうしてないの?」

 

「不幸と感じたことがないからだ」

 

 ラウラは生まれてからこのかた、迫りくる様々な事柄に対して不幸を感じたことはない。ある使命を背負って生み出され、それからの実験と訓練の繰り返しの中で生きてきたのだ。それが日常であるから不幸の定義など存在しない。

 IS学園でセシリアという不愉快な奴に出会っても、それは不幸ではない。所属するドイツ軍から全く支援してもらえない為に、常に空腹に苛まれていても不幸ではない。

 

「もしも不幸を感じたことがあるとしたら」

 

 飴玉を噛み砕く。

 

「この学園のレベルの低さに不幸を感じる」

 

 バリバリ、と飴玉が噛み砕かれる音が、二人しかいない教室に鳴り響く。

 バリバリと音が鳴るに従って、シャルルの肩は恐怖で跳ね上がる。

 

「と、同時にセシリアがいて幸運だとも思う。アイツはこの学園の中でも上位に位置しているからな」

 

「じゃあ、セシリアと組んだのは嫌なんじゃないの? 戦えなくなっちゃうし」

 

「別に」

 

「べ、別に?」

 

「アイツの考えることは理解できている。だから付き合ってやってるんだ」

 

 セシリアの考えにある程度検討がついている。なので彼女と組むことにラウラは異論なかった。むしろ他の人間と組むことの方が気が進まない。

 ラウラは転入してからわずか数日で、同学年の実力のほどを見抜いていた。

 一般生徒たちはISでの訓練時間が少ないので論外。国に選ばれ教育を施された代表候補なら少しは相手になるかと思ったのだが、ほんの数十秒ぶつかっただけで彼女たちの底の浅さが見えてしまった。

 セシリア以外に相手になるのがいない。それがラウラの出した評価である。

 

「アイツのことだ。勝つ為に手段は選ばないということだろう。それならそれで、こちらとしてもやりやすい」

 

 やりやすい。

 空腹で弱っているところを本音に突かれて了承したとはいえ、ラウラも別に菓子欲しさだけに頷いたわけではない。

 素人同然の一般生徒よりも、我の強い代表候補よりも、セシリアの方が何倍もやりやすいと思ったのだ。

 トーナメントで勝ち抜いていく中で、弱い仲間は足を引っ張るだけで何の役にも立たない。邪魔立てをして足枷の役割をするくらいだろう、とラウラは考えている。

 代表候補としてもそうだ。

 基本的にISは個人戦しかない。

 今回、学園内では初の試みであるタッグ戦は、個人戦で慣らした代表候補たちには苦難と成り得る。自分のやり方が定着しているから、相手のやり方に上手く合わせられないであろうことは、容易に想像がつく。

 それならば、個々で強いペアを作り上げればいい。

 そこでラウラは一番嫌っているセシリアの手を取ることに決めた。

 セシリアは勝負をするなら勝ち星をあげるのが当然、と考えている。たとえラウラが戦う気を見せなくても、勝手に雑兵たちを蹴散らして勝利をもぎ取ってくるに違いない。

 私は然るべき時が来るまで静観する。それまではセシリアが必死になって動き回ってればいいんだ。

 自分の周りを忙しなく回ってあちこち威嚇するセシリアの姿を幻視し、ラウラは邪悪な笑みを浮かべた。

 見る者を恐怖に駆り立てる笑みを崩したラウラが手を差し出す。そうするとシャルルは出来の良い従者のように飴玉を手渡した。恐怖によって噛み合った阿吽の呼吸だった。

 包みから取り出した飴玉をパクリと口の中に放り込む。

 三度目の至福を味わうべくラウラは舌で飴玉を転がす。

 

「……不味い!?」

 

 味を感じ取った瞬間に飴玉を吐き出す。

 口から放たれたのはハッカ味だった。

 

「きたなっ!?」

 

 綺麗な放物線を描いて飛んでいった飴玉は、誰にも受け止められずに床へと転がっていった。



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流れてくる夢を見ました

「一夏、シャルル。決勝戦で会おうぜ!」

 

 共に勝ち抜いていこう。

 セシリアがある種の宣戦布告をしたのは、ほんの数分前のことだった。

 決勝戦で会おう。バトル漫画などで、絶対に言ってはいけない台詞の一つとして知られている魔法の言葉。

 これを言えば決勝戦にたどり着くこともなく負けてしまうのだが、セシリアはそんなジンクスなど知らなかった。それゆえに、獲物の首筋に狙いを定めた獣のような顔で言い切った。

 学年別トーナメント当日。

 セシリアは空を仰ぎ見た。

 一点の雲もない青々とした空から、太陽の光が戸惑うことなく降り注いでくる。

 天候が申し分ないことをじっくり確認したセシリアは、顎を引いて正面に顔を向ける。

 

「……あ、アハハ。決勝戦どころか一回戦目だったね」

 

 頬を引き攣らせて笑うシャルルが映り込む。

 

「なんか……悪い」

 

 シャルルの隣には申し訳なさそうに顔を伏せる一夏がいた。

 居た堪れない。

 二人の言動がそう語っていることに、さすがのセシリアも逃げ出したい気分になった。

 学年別トーナメント、第一回戦。一夏・シャルルペアと、セシリア・ラウラペア。

 決勝戦で会おう。全てはこの言葉が原因だったかもしれない。白昼堂々宣言しなければ、顔から火が出そうな羞恥に襲われることはなかった。

 記憶がなくなるまで切り刻む以外に、この羞恥心を消すことはできない。

 

「……八つ裂く」

 

 セシリアが呟く。それは対面する二人の耳からするりと入り込んで、身体中に恐怖を伝播していった。

 生唾を飲み込んで身構える一夏。

 試合開始の合図が、そのまま彼らの死刑執行の合図となる状況。

 偶然によって辱めを受けたセシリアは目が血走っていて、明らかに冷静さを著しく欠いていた。

 この状況で、イギリスの獣と互角以上の勝負ができるであろう、ラウラは目を瞑り、干渉しない構えを取っていた。

 試合開始の合図を知らせるカウントダウンが動き出す。3から2、1と数字を減らしていく様は、一夏たちの寿命が迫ってきていることを嘲笑っているようだった。

 試合開始を告げる電子音が鳴った時、誰よりも速くセシリアが動き出す。

 レーザーライフルを片手で持ち上げ、狙撃の体勢を取らずに引き金を引く。

 

「勝負の始まりだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝負の始まりだ。

 その言葉は合図だった。

 試合開始の合図は学園側が用意した電子音だったが、勝負の始まりを告げたのはセシリアの喜々とした声音だった。

 ラウラは勝負の合図を受けて、わずかに後退した。

 まずは距離を取って相手の出方を見る、という定石通りの行動からではない。

 相手の攻撃を避けるために、かついち早く反撃できるよう後退したのだ。

 ラウラが僅かにずれると、その空間をレーザーが横切って行った。

 

「やはりな」

 

 想像した通りの結果だった。あの日、セシリアとペアを組んだ時から、頭の中にあった予想が現実となって降りかかってきた。

 勝つためには手段を択ばない。セシリアの性格を理解しているからこそ、勝つための手段に検討がついた。

 

「奇襲失敗だな。一夏、シャルル手伝え!」

 

 セシリアの作戦はシンプルだった。

 裏切って、三対一という状況を作り出す。それも実力はともかくとして瞬間最大火力に定評のある一夏と、近中遠距離の全てをそつなくこなすだけでなく、相手に合わせられる物腰の柔らかさを持ったシャルル。

 同学年中で、仲間にするのにこれほど適した人材はいない。

 すぐさま一夏とシャルルを結び付けたことが、キサマの裏切りを決定づけていた。

 三人から距離を取って、レールカノンで更に牽制を行いながら、ラウラはセシリアの迂闊さを笑う。

 一夏とシャルルを組ませたのは、決して善意からではないことくらいラウラにも判断できた。数日の付き合いだが、あのセシリアが他人に善行を行うわけがないのだ。

 男同士が組めば女子たちが納得する、かつシャルルの性別がバレないように配慮しているように見せかけて、セシリアは自分にとって一番都合のよい組み合わせを作り上げたのだ。

 セシリアがラウラに勝つためには、最高の攻撃力を持った一夏を引き込むのは絶対条件。しかし、一夏を引き込むためには、彼がセシリアと相対するまで負けてはならない。彼女の勝利の条件は一夏にあるのだから。

 セシリアはそのために、一夏が敗退しないようにシャルルをくっつけたのだ。バランスの取れた戦い方をするシャルルならば、鈴にも負けることもないだろうと。

 ここまで布石を打っておいて、まさかの一回戦が本番だとはセシリアも思っていなかったようだが、ラウラとしては長々と裏切り者の茶番に付き合う必要がなくて清々している。

 

「ちょ、いいのか? 裏切っていいのかよ!?」

 

「そうだ。織斑先生が許すはずないよ」

 

「そこも織り込み済みだ。安心しな」

 

 三者三様に斬り込んでくるのを、ラウラは冷静に対処していく。はっきり言って三対一という状況であっても敗北のビジョンは見えてこない。

 ワイヤーブレードを射出して、一夏とシャルルを足止めする。脅威には成り得ない、とラウラは判断したのだ。

 正面から臆せず突進してくるセシリア。手に持ったショートブレードが風を切り裂いていく。

 ショートブレードが首を刎ね飛ばそうと迫るのを、ラウラは右腕のプラズマ手刀で難なく逸らし、代わりに左腕のプラズマ手刀をセシリアの首に叩き込む。

 セシリアは身体を仰け反らせることで、ラウラのプラズマ手刀を空振りさせる。

 ラウラにはセシリアの一挙一動が分かる。どれほど奇抜な動きで翻弄してこようが、教科書を逸脱した攻撃を見せてこようが思考を乱すほどのモノではなく、機械的に一つずつ捌いていく。

 

「このぉっ!」

 

 右斜め後ろからシャルルが攻撃を仕掛けてくることも、ラウラを驚かせることも焦らせることもない。ワイヤーブレードを蠢かせて全てを防ぎきる。

 上からは一夏が雪片弐型を突き出して落ちてくるが、ラウラはワイヤーブレードを刀に巻き付けて外へと引っ張って地面へと叩きつけた。

 

「弱い」

 

 ラピッドスイッチと呼称される、タイムラグなしで武器を持ち替える技法で相手の虚を突く戦法も、相手がこちらに照準を合わせきれてなければどうとでもなる、という単純な対処法でラウラは無力化する。さらに言えば、シャルルの持つ癖を見切れば、大げさな対処は要らない。

 

「弱い」

 

 相手のシールドバリアーを切り裂いて絶対防御を発動させる。それによって相手のシールドエネルギーをごっそりと削り取る必殺技。かつての世界最強、織斑千冬の最強にして最高の一撃なのだが、それを今は成長途上の一夏が振り回しているだけの状況。未熟ながらも駆け引きを行っているのだが、所詮はラウラの敵ではなかった。

 

「弱い」

 

 最初の不意打ち以降レーザーライフルを投げ捨てて、近接一辺倒なセシリアの攻撃も、そのための動作も全てが予測できる。何故予想できるかと問われれば、ラウラには明確に答える言葉を持ってはいない。

 ただ、セシリアが手加減していることだけは感じ取っていた。

 

「私を相手にして加減をするか。これが実戦なら、キサマは命が要らないということか!」

 

 三対一という状況を作り上げてまで勝負を仕掛けてきたと言うのに、いざ戦いが始まれば手心を加えてくる。馬鹿にされている気分になる。

 最初から不愉快感に晒されていたラウラは、この態度に不愉快の値は限界値を無視して上昇していく。

 

「キサマだけは八つ裂く!」

 

 セシリアをワイヤーブレードでグルグル巻きにして引き摺り回しながら、ラウラは宣言した。



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セシリアさんが洗濯もせずに家に帰ると

 本気を出せ。

 ワイヤーブレードに絡め取られて、身体の自由は利かない中での一言。怒気を孕んだ声は、セシリアの耳に抵抗なく入っていき、神経を逆なでしていく。

 

「出してんだよ、こっちは!」

 

 四本のワイヤーで雁字搦めにされたセシリアは吼える。捕獲された獣の咆哮は、上空で戦っている三人には聞こえていない。

 拘束を解くために腕に力を入れるが、ワイヤーはその細さに似合わない頑丈さで獣を押さえていた。何とかしてワイヤーを剥ぎ取ろうとするのだが、空中にいるラウラが大きく動けば、その動きに合わせて引っ張られ、地面に叩きつけられる。

 不定期に訪れる引力に、遊ばれながらもセシリアはワイヤーからの解放に努めていた。シールドバリアーに守られているとはいえ、肌に食い込むほどの力で絡みついてくるワイヤーを外していくのは、繊細な作業を苦手とするセシリアには気の長くなる時間が必要だった。ブレードで切り裂けるのなら、すぐにでもバッサバッサと切り離していくのだがそれもかなわず。今のセシリアに出来ることは忍耐強くチマチマ解いていくくらいだった。

 

「さっさと覚悟を決めろ。本気でやれ。私がコイツらを始末する前に」

 

 空では、一夏とシャルルが決定打を与えられない焦りで息を荒げていた。ラウラは最小限の動きで全てを跳ね除け、途中わざとらしく大ぶりな動きを見せつけて余裕を示す。

 セシリアを戦線から引きずり降ろしてからというもの、ラウラは一切攻撃する意思を見せずに遊んでいた。

 セシリアの戦線復帰を待っているのだ。徹底的に打ちのめすために。

 そっちこそ本気を出さずに。

 セシリアは心の中で悪態をつく。今まだリタイアしていないのは、相手が本気を出していないからだということを理解しているのだが、それでも苛立つのは足元に及ばないと嗤われている気分にさせられるからだ。

 もう無理だ。こんなもんすぐには解けねぇ。

 怒りで沸騰しつつあるセシリアには、もう丁寧に解くいう動作は不可能だった。

 ワイヤーに纏わりつかれたままセシリアは飛び出す。拘束から逃れるようにスラスターを噴かせて飛びあがる姿は、逃れられない罠から逃げ出す獣そのものだった。

 

「ふぬぬぬぬっ!」

 

 セシリアのブルー・ティアーズは、ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンよりも性能が低く、力比べをすれば必然的に負ける。セシリアのやっていることはまさしく負ける勝負だった。

 ラウラは最初動きを崩したが、すぐに体勢を維持しつつ引力への抵抗を行った。

 

「もらうぞ!」

 

 しかし、セシリアからの引力に動きは制限される。一夏はその瞬間を狙って飛び込んだ。

 ラウラはセシリアへ対応しながら、一夏の振り下ろした雪片弐型の切っ先を逸らす。その表情は清々しく、この状況であっても焦っていないことが見て取れる。

 一夏の攻撃を防ぎながら、ラウラは機体各所から伸びたワイヤーの向かう先を見る。

 

「パージ」

 

 ぼそりと呟かれた言葉が合図となる。

 装甲から生えていたワイヤーが突然切り離され、ラウラは引力から解放される。

 抵抗を受けながらも前方へと突き進んでいたセシリアは、突然抵抗がなくなったことによってアリーナの壁へと激突した。

 しかし、激突した衝撃を物ともせずに激突したアリーナの壁を蹴って加速し、瞬時にラウラへと肉薄する。

 未だにワイヤーに絡まれてはいたが、本体から切り離され意図的に締め付けていた力がなくなると、すぐに剥ぎ取って自由の身になる。

 

「ぶった切る!」

 

 ラウラへと接近を果たしたセシリアが右腕を振るう。その手に握られたショートブレードの切っ先は、ラウラが首を傾げたことによって空を切る。

 ブレードを振るって伸びきった右腕の軌道に注意を向けさせ隙を作ると、左手がレーザーを発射する。セシリアはブルー・ティアーズを掴んでいたのだ。

 

「低い小細工で」

 

 身体を捻ってレーザーを回避。回転が加わった状態でセシリアを蹴り飛ばす。

 吹き飛ばされたセシリアは、頭の中ですぐさま指令を送り込む。

 撃て。

 指を動かして引き金を引く必要はない。

 ブルー・ティアーズの第三世代兵装、無線攻撃端末『ブルー・ティアーズ』は使い手の思考に忠実に動き攻撃を行うのだ。

 アリーナ各所から閃光が迸る。その数四つ。

 一つは先ほどまでセシリアが転がっていった場所。

 一つは全力で激突した壁に配置した

 一つは突撃するときに、ラウラの足元より5メートル下に潜り込ませた。

 最後の一つは、セシリアの手にあり、蹴られた瞬間に手放したもの。

 四本の熱線がそれぞれの場所から目標目掛けて伸びていくが、ラウラはその尽くを回避していった。

 

「当たれ、当たれ、当たれっ!」

 

 レーザーがアリーナの壁に散っていく間に、シャルルが弾丸を雨のように降らせる。

 バラバラと撃ち出された弾丸をラウラが大ぶりに回避すると、隙をつくようにセシリアと一夏が襲いかかる。

 セシリアが腕を振るうとその先からワイヤーが飛び出す。先端にブレードが装着されたソレは、彼女を苦しめたものだった。

 投げたワイヤーはラウラの左腕に絡まる。セシリアが力を込めて引っ張れば、回避運動中だったラウラは大きくバランスを崩してしまう。

 

「終われ!」

 

 青白い輝きを纏った雪片弐型が、一夏の魂の叫びと共に振り下ろされる。

 零落白夜。一夏のISが持つ最強の攻撃。敵のシールドバリアーを無力化して、強制的に絶対防御を発動させ、シールドエネルギーを根こそぎ削り落とす圧倒的な一撃だ。

 強力な攻撃にはリスクがあるように、零落白夜にもリスクはある。

 使用するには莫大なエネルギーを消費し、使いどころを間違えればシールドエネルギーが底をついて自滅してしまう。

 しかし、リスクはあれど威力は状況を覆すことが可能だ。

 最強の一撃がラウラへと迫る。

 さきほどまで有利だったラウラは、全てを塗り替えかねない刃を目の前にしても、焦りで顔を歪めることはなかった。

 ただ、一夏に向けて右手をかざす。それだけで十分に防げた。

 一番最初に異変を感じ取ったのはラウラの左腕を封じていたセシリアだった。一夏が雪片弐型を振り下ろした体勢で動きを止めていた。

 躊躇したのか、とセシリアは一瞬思った。

 しかし、ラウラの左手が向けられたことでその考えを改めた。

 なんだよ、コイツは。

 手をかざされた瞬間に動かなくなる。まるで見えない何かに掴まれているかのように。

 

「忘れているかもしれないが、私のシュヴァルツェア・レーゲンも第三世代だ。特殊兵装くらい備えている」

 

 ラウラのISに何かされている。そう理解したセシリアはハッとなって、視線だけ一夏に向ける。

 

「零落白夜を切れ!」

 

 青白いエネルギーを纏った最強の刀が輝きを失う。全てが遅かった。

 全てのエネルギーを使い果たした一夏のISは、一瞬だけ光ると粒子になって消えた。それは敗北の証明だった。

 ラウラがかざしていた右手を握りしめると、押さえつけていた力がなくなって一夏は重力の命令に従って落ちていく。

 

「こなくそ!」

 

 離れた位置にあるブルー・ティアーズが熱線を吐き出すが、ラウラは左手をかざしたまま難なく避けると、レールカノンでセシリアの顎を撃ち上げた。

 レールカノンのアッパーに脳を揺さぶられ、視界がチカっと白く光る。

 意識が一瞬途切れた感覚にセシリアは危機感を覚えた。命取りになる間をラウラが見逃すはずがない。

 

「キサマが手を抜いたのが原因だ」

 

 意識を失ったことへの状況把握に意識をやってしまったセシリアを、一気に駆けつけたラウラが攻めたてる。セシリアの両手首を掴んで背中に回し、抵抗できなくしてから抱き着く。

 

「怯えたのか?」

 

 肩のレールカノンから高速の弾丸が発射され、間髪入れずセシリアの顔面に叩きつけられる。零距離から電磁加速を受けた鉛玉を受けたセシリアは首が千切れ飛ぶほどの痛みを受ける。しかし、シールドバリアーのおかげで首と胴が切り離されることも、首の骨が折れることもない。よって、首が想像を絶する痛みに晒されるだけで済んだ。

 一発だけならそれでよかった。

 

「三対一で」

 

 セシリアに抱き着いた格好で、ラウラは前方へと加速する。

 その間、レールカノンが容赦なくセシリアの顔を狙い撃つ。

 殴ることが霞んでしまう衝撃に、セシリアは悲鳴も上げられない。意識もレールカノンによって瞬間的に刈り取られ、真面な思考もできなかった。

 

「本気を出しておいて負けてしまうのを」

 

 セシリアの背後にはアリーナの壁が迫る。ラウラはこのまま叩きつける気でいた。

 

「なら永遠に本気を出さずに負け続けろ!」

 

 時間にして一秒もかからずに壁へと接触する。

 そんなわずかな時に、セシリアはスラスターを噴かせて体勢を無理矢理変える。

 セシリアとラウラ。二人の頭が先頭に来るように。

 

「負けるか!」

 

 二人は頭からアリーナの壁に激突した。



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大きな桃がどんぶらこどんぶらこ

 目の前に一組の男女がいた。

 男性の方はどこか頼りなく、隣にいる女性の顔色をチラチラと窺っていた。女性がちょっとした動作をするだけで、男性は肩をびくりとされている。

 女性の方は背筋も凍りつくような冷気を纏った刀のようだ。一つ一つの動作は上品さと武術に見間違えそうな迫力を持っていて、隣の男性を常に怯えさせている。

 男女の前には天蓋付きの高級なベッドが置かれており、その上には五歳くらいの少女が静かに眠っていた。

 白いシーツの上に仰向けで横たわる少女は、年相応の可愛らしい寝顔を見せている。

 しかし、少女が可愛らしいのは寝顔だけだということを、ベッドを見下ろす男女は知っていた。

 少女は危険な思考回路を持って生まれてきてしまった。歳を重ねていくごとに社会不適合者の烙印ははっきりと形になり、いずれ警察の手によって捕えられてしまうような未来を連想させるような。

 女性は危惧していた。娘が犯罪者になってしまうことを。それも人を殺すという恐ろしい犯罪者に。下手をすれば殺人鬼と世間に報じられてしまうかもしれない。

 そうなればオルコット家は没落してしまうだろう。たった一人の少女によってだ。さらに、女性が一代で築きあげたオルコット社も、犯罪者の母親が社長を務める会社として世間から攻撃を受けてしまう。自己満足に過ぎない義憤に駆られた衆愚たちに、オルコット家の栄光を崩されてしまうのがビジョンとして浮かび上がる。

 この少女の脳を書き換えるのは今しかない。子供だからで済まされる今しかないのだ。

 女性が指を鳴らして合図をすると、おどおどした男性が慌てて部屋の外へと出ていき、一人の男を連れてきた。

 連れられた男は白衣を纏っている。顔立ちは整っているのだがどこか胡散臭い男だと、女性は思っていた。

 だが、今から行うことを考えれば、男の顔が胡散臭く見えるのは仕方がないことだろう、と部外者への評価をやめた。

 

「しょ、食事に睡眠薬を混ぜましたのでご安心ください」

 

 男性がおっかなびっくり少女の眠りについて述べた。言い終わると、これで大丈夫なのかと女性の顔を見て確認を取ってきた。

 

「では先生。よろしくお願いします」

 

 男性への返答を、女性は事態を進める言葉で答える。

 

「わたくしたちは外で待っていますので、先生のやり方で娘を救っていただきたいと思います。ああ。やり方と言っても、警察にご足労していただけなければならないような、下劣なやり方だけはご遠慮願います」

 

 綺麗に頭を下げると、部外者と娘を二人きりにさせることに、後ろ髪を引かれることもなく女性は出ていった。

 男性の方は何かを言おうとして、暫く口を開けたり閉じたりしたが、結局何も言わずに出ていった。

 娘の部屋を出た女性は、書斎へと足を運ぶと座り心地の良さそうな椅子に座って溜息を吐き出した。

 

「あんなものに頼るはめになるとは」

 

 信じるに値しない風貌の白衣の姿を思い出して、重い溜息を吐き出す。

 

「で、でも……仕方がありません」

 

 遅れて書斎の扉を潜ってきた男性が肩で息をしながら返す。

 女性は息を切らせている男性を冷たく見返す。情けない夫の姿を見せられ苛立ちが募る。

 

「仕方ない。そうね、仕方がないわ。セシリアは異常だから、それを直せるのは限られている。まぁ、仕方がないわ」

 

 娘の脳異常が直れば、たとえ世間では屑医者と呼ばれていようとも構わない。もしも下種で、娘のことで脅しをかけてくるようなら、ひっそりと消し去ってしまえばいいのだ。

 それよりも女性が問題視するのは、娘の異常が直しきれるかどうかだ。

 娘の異常は四歳から始まっていた。

 最初に異常を知ったのは、密かにつけたボディーガードからの報告だった。

 お嬢様は一日中、虫を潰して遊んでおいででした。

 小さな子供は残酷なもので、虫を殺してしまうのは別におかしなことではないだろう。女性は、ボディーガードが言いにくそうに報告するのを疑問に思った。

 その程度の報告ならしなくていい。

 幼稚な報告に時間を取られたくない、と注意するとボディーガードは申し訳ありませんと頭を下げる。だが頭を上げた後、しかし、と前置きをして報告を続けた。

 お嬢様は実に様々な方法で虫を殺していました。鋭い木の枝で串刺しにしたり、どこで持ち出したのかライターで焼き殺したり。私は見て背筋が寒くなりました。

 顔色を悪くした男の報告に、女性はまさかと思った。わたくしの娘がそのようなことをするはずがないと。

 しかし、目の前にいるボディーガードとは長い付き合い。このようなことで、わざわざ主人を騙すような能無しではないことは知っている。

 女性が娘の奇行については逐一報告を寄せるように求めると、次の日からは多くの報告を受けるようになった。

 そのどれもが、娘が何かを殺した、というもの。その中で肝を冷やしたのは、猫を蹴り殺したという報告だった。

 幾つもの報告を受けた女性は、娘の異常性を受け止めて嘆いた。

 このままではオルコット家の未来は暗い、と。

 女性はすぐにでも行動に移した。娘の異常性が悪化する前になんとかする必要がある。

 そうして今日、実行に移した。

 娘の脳みそを書き換える。

 犯罪者の芽を摘み取るために。オルコット家の未来の為に。

 信用に置けない見た目の医者を使って。

 経営学やらビジネスの話は強いが、精神や脳みそといった医療系の知識は持ち合わせていない女性には、医療がどれほどの効力を持つのか分からない。

 脳の異常性を取り除くことができるのか。

 不審な見た目の医者に問いかけたが、返ってきた言葉はやってみなければ分からない、という曖昧で役に立たないもの。

 女性にできることは所詮、医者の言葉に従うしかない。

 あの異常性を消し去ってしまわなければ。

 娘の為にも、私の為にも、そしてオルコット家のためにも。



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ラウラに弄ばれていました

 あちこちがボロボロになった白衣がはためく。

 薄暗い部屋に男が一人居た。綺麗にすることを知らないのか、髭も髪の伸ばしたい放題で、白衣も白衣の下に着ている服もよれよれで清潔とは無縁な姿をしていた。

 男は手術台の前に立っていた。台の上には幼い少女が瞼を伏せて横になっている。眠っているのか胸が規則正しく上下動していた。

 男は眠りについている少女の額に指の腹を乗せると、数回ほど額の上で滑らせる。少女は深い眠りについているようで一切反応を見せなかった。

 少女が眠りから覚めないのを確認すると、男は満足したように部屋の隅にいる女性へと向き直る。

 男の視線を受けた女性は壁から背中を離す。女性はワインレッドのスーツに身を包んでいた。スーツに隠された身体は、出るところが出て引っ込むところは引っ込んでいるという肉欲的だ。顔だけでも男を容易に魅了してしまえる妖艶さがあり、存在するだけで多くの女性を嫉妬に狂わせることができる。

 女性はモデルのような歩き方で男の近くまでやってくると、眠っている少女の頭を小突いた。

 男は横に並んだ絶世の美女の行為を咳払いで注意する。世の男性が見れば、羨ましいと肢体を舐め回すように視線を這わせてしまいそうな女性の姿に、男は一切の興味がないようで色欲を含まない無機質な目を向ける。

 

「ボクの娘に酷いことしないでいただきたい」

 

 男の手が少女の腹を撫でる。そこにはいやらしさはなく、ぐずる子供をあやしているようにしか見えない。

 横たわる少女の銀色に輝く髪をすくう。

 紳士を思わせる行動に、女性は含み笑いを浮かべる。

 

「娘に酷いことをしている貴方に言われたくないわ」

 

 女性がクツクツと笑うのを、男は何とも思っていないようで返事を返すことをしなかった。

 男にとって、目の前で眠り続ける少女はなによりも大切な宝物だ。夢と言っても差支えない。男の唯一にして最高の夢を叶えるための最高の存在なのだ。

 少女には母親がいない。男の持つ科学力によって造りだされた生命だった。母親を必要としなかったのは、男の夢を叶えるには不要な存在だったからだ。

 最強の娘が欲しい。男の子供の頃からの夢だった。

 少女はその夢を叶えるために生み出された。そして生まれる前から様々な手を加えられてきた。

 最先端技術を使って優秀な遺伝子を組み込んだ。優秀な肉体でなければ最強には成り得ないと考えたからだ。

 肉体面のお膳立てを整えた後、男は次に魂の分野へと手を伸ばした。肉体が優れていても、精神が最強を目指すのに向かなければ意味がない。戦闘に適した精神があれば、より一層最強への道を進むことができる。

 男はあらゆる書籍を読み漁り、荒唐無稽とも取れるような術に着目した。魂を肉体に宿す悪魔の秘術。科学の発達した今の世ではまったく相手にされないような技を学び、まだ形を成しきっていない娘へと行った。

 男は大真面目に行い、その結果なのか偶然なのか、少女は戦闘に適した精神を持って生まれてきた。

 それからは戦闘訓練と、その戦闘訓練の結果を反映した強化を重ねていき、確実に少女を最強へと昇華させていた。

 問題は最強を作り出すための資金だったが、これに関して男は社会の裏側で暗躍する組織に接触することで解消した。

 横に並ぶ女性は、男が組織に身を寄せた時にはまだ居なかった。

 少女を作り出したことも、人道に反するような肉体改造を行ってきたことも、男は許されないことであるのを知っていたが、夢を止めるほどの強制力には成り得ない。夢の実現は刻一刻と迫っている。今更何を止まれと言うのか。

 男は犯罪を恐れていない。最強の娘のためには、人殺しの片棒を担ぐことだって厭わない。

 

「貴方に言っても無駄だと思うけど。今度ドイツで一仕事するみたいよ」

 

 娘を愛しむ男へ女性が話しかける。男は出身国の名前を聞いて顔を上げた。

 

「ドイツで何をするというのね?」

 

 時事に疎い男は今のドイツで何が起こっているのか一切分からない。故に組織がそこで仕事する理由も察することができなかった。

 

「ドイツでモンド・グロッソが行われているのよ」

 

「モンド・グロッソ? ああ、ISの世界最強を決めるとかいう無意味な大会かね。あんなものを行う必要などないというのに。ボクの娘が成長すれば、最強だなんだとはしゃいでいる馬鹿共は地面に這い蹲るしかない。それも分からずによくも騒げたものだ」

 

 男は娘の将来に瞳を輝かせる。

 

「その馬鹿げた大会にちょっかいを出すのよ」

 

 女性は楽しそうに言う。

 楽しそうにしている女性の姿に、男は首を傾げる。組織に入ってきてこのかた、女性がここまで感情を露わにして仕事の話をするのを初めて見た。モンド。グロッソに、もしくはモンドグロッソに出場する選手の誰かに並々ならぬ想いを抱いているのだろう。

 男は女性の喜々とした様子を考察した。

 

「君が笑うということは、そこに何かしらの望みがあるということかね?」

 

 女性が心の内に何かを抱えていることは、娘を除いた唯一の付き合いなのである知ることはできた。しかし、その中身までは男の知るところではない。

 男の質問に、女性は男をその気にさせてしまう微笑みを浮かべて答える。

 

「そうね。貴方の言葉を借りるのなら、夢の実現ができそうなのよ。これを喜ばずしてどうするのかしら?」

 

 女性の返答を受けた男はなるほど、と首を縦に振って理解を示す。それと同時に目の前の女を哀れんだ。

 夢の実現のためにはなんだってできるのだよ。

 男は愛娘の頬を撫ぜる。

 スコール。君の夢は今回は諦めてくれ。

 いくら肉体を強化しても、無防備に眠っている時の頬は餅のように柔らかい。

 ボクの夢の実現のためにな。



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ラウラさんと

 壁に激突した時にラウラは確かに見た。セシリア・オルコットの過去を。

 瞬間は何があったのか分からなかった。気がついたら知らない部屋にいて、空中から一部始終を見ていた。そして気がついていたら、景色はアリーナに戻っていた。

 この現象がどのような要因で起きえたのかはラウラには予想することはできない。情報が少なすぎて予想を立てることはできないということもあるが、それよりもセシリアが手加減している理由が分かって、そちらばかりに目がいっていた。

 おそらく、セシリアは認知していない。自分自身に起こったことを。どうしてあそこまで弱いのかを。

 

「弱体化させられたか!」

 

 押さえつけていたセシリアを地面へと叩きつける。更に腹部に蹴りを放って、遠くへと転がす。

 それが限界だった。怒りに任せて更なる攻撃を加えようとしたが、現状が許さなかった。

 転がっていったセシリアの身体が光ると、ISが解除され無防備になる。こうなってしまえばいくらラウラでも攻撃をやめざるを得ない。

 何はともあれ勝敗は決した。いまだシャルルが残っているのだが、ラウラにしてみれば既に勝負はついている。一番強いと思っていたセシリアも、逆転の一手を持っている一夏も没した。後は手早くシャルルを落とすだけで終わる。

 シャルルを見る。彼女は一夏を安全圏へと引っ張って行っている最中だった。何か言い争っているようにも見えるが、ラウラはそれを拾い上げる気はなかった。所詮はくだらない痴話喧嘩だろうと見向きもしなかったのだ。

 敵に打つ手がないことは分かっている。後は狩られるのを待つばかりの獲物に対するちょっとした慈悲の心だと思えば、痴話喧嘩が終わるのも待つことができる。

 二人のやり取りを待っている間、転がっていたセシリアが立ち上がる。さきほどまでのダメージにふらつきながらよたよたと二人の元へと歩いて行く。

 途中、セシリアは振り返る。真っ直ぐラウラを見て笑った。ラウラの目は、彼女が何かしらを呟いたのを確認した。読唇術を心得ていないラウラには何も分からなかった。

 小さくなるセシリアの背中に、ラウラは何かしら考えていると感じ取った。敵はまだ敗北を認めていない。かならず手を打ってくる。

 攻めてくるならば、こちらの相応に備えるべきか。ラウラは素早くISの状態をチェックしていく。シールドエネルギーの残量は十分に残っている。武装に関しては壁に激突した拍子にレールカノンがお釈迦になってしまったが、主兵装であるプラズマ手刀の稼働には問題はない。シュヴァルツェア・レーゲンに搭載された三つの武装の内二つが失われているが、ラウラの実力なら武器一つあれば十分過ぎる。

 安全圏へと退避した三人を待つこと数分。ようやく二人がISを纏った姿で歩いてきた。

 

「なるほど。エネルギーを二分したか」

 

 純白の装甲に包まれた一夏と、真っ青な装甲に包まれたセシリア。二人はそれぞれの得物を構える。

 

「まだ負けたくねぇんだよ」

 

「千冬姉が見ているからな。無様な姿は晒せない」

 

 負けを背中にくっつけたまま勝気に吼える二人を、ラウラは鼻で笑った。

 ダメージは少ないとはいえ、一機のISのエネルギーで二機のISを十分に回復することはできない。現に一夏もセシリアも腕部と脚部、そしてスラスターの一部しか復元できていない。エネルギーの量はおそらく考えなしに動き回れるほど残ってはいないだろう。一、二発攻撃を喰らわせれば落とせる程度。

 ラウラはプラズマ手刀をドライブさせる。

 

「だが、負けは負けだ」

 

 スラスターが噴き、ラウラはセシリアへと接近する。振るわれたブレードを回避して懐に潜り込み、右腕の手刀を装甲のない胸部へとぶつける。背後から一夏が斬りかかるのをハイパーセンサーで確認して、馬蹴りで退ける。

 セシリアが膝を突き出し、頭突きを仕掛け、拳を振るうが、ラウラはその尽くを防いでいく。さらにセシリアの攻撃と同じくして寄せられる一夏の攻撃をも防ぎきる。

 エネルギー残量の関係でスラスターを使っての後退は出来ず、かと言って走って距離を取ったところですぐさま間合いを詰められる。攻撃手段も近接攻撃一本に絞られているために、距離置いたところで有利にはならない。そうなると一夏とセシリアはじり貧な戦いを演じなければならなかった。

 ラウラ憐れな獲物に遠慮はしない。腕を鞭のようにしならせて、二人を圧倒していく。

 最初に力尽きたのはセシリアだった。せっかく復元した腕部装甲は剥がれ落ち、ラウラに足蹴にされて崩れ去った。

 セシリアを失ったことで薄かった勝利が霞となって消え去る。

 一夏は一か八かの賭けに出る。零落白夜による逆転。一夏自身もこれで勝てるとは思っていないのだが、男として全てを出し切りたいという想いがある。勝ちたいという気持ちがないわけではないが、一夏もかつては剣道に打ち込んでいたこともあり、彼我の実力差をある程度感じ取れていた。

 それでも零落白夜を発動させる。

 

「うぉぉおおっ!!」

 

 雪片弐型を振り上げる。

 

「……甘い」

 

 振り下ろされる両手を、ラウラは片手で掴み取って動きを封じる。

 

「終わりだ」

 

 余った方の腕を一夏の腹部に押し当て全てのエネルギーを抉り取っていく。抗う時間はない。少ないエネルギーを投げ打っての攻撃に一夏のエネルギー容量は底をつく寸前だった。ラウラがほんの一瞬手刀を当てるだけで全て消え失せる。

 勝負はあっけなく終わった。周囲は三対一の戦いであったにも関わらず、負けた三人に称賛を送っているのだが、ラウラには称えるほどの接戦ではなく、嘲笑われる程度の拙戦だった。

 しかし、お遊戯レベルの戦いの中にも収穫があった。セシリアが手加減しているように感じる違和感。わざとではなく誰かの手によるものだと分かれば、彼女に対する苛立ちも少しは解消される。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒの勝利です!」

 

 このトーナメント最大にして最高の敵は初戦で消え去った。もう期待できる相手もいないとなると、ラウラに残っているのは優勝するまで暇な戦いを演じるだけになってしまう。

 

「まぁ、優勝すれば織斑一夏と付き合える。それを期待するか」

 

 頭の中で財布と化した一夏を思い浮かべて、ラウラは薄らと笑みを浮かべた。



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セシリアさんは

 壁に激突した時にセシリアは確かに見た。ラウラ・ボーデヴィッヒの過去を。

 瞬間は何があったのか分からなかった。気がついたら知らない部屋にいて、空中から一部始終を見ていた。そして気がついていたら、景色はアリーナに戻っていた。

 長く場面に見入っていたはずなのに、現実での時間の経過は一秒にも満たない。壁に頭から激突した影響で、おかしなものを見たのもしれないが、セシリアにはあれがフィクションだと思わなかった。

 ラウラ強さが見た通りのものだとしたら、あれは純粋な強さとは言えない。セシリアは強敵であったはずの彼女を鼻で笑いたくなった。散々にお膳立てをされて強くさせられただけの存在が、ずいぶんと実力を誇示してくるじゃないかと。

 セシリアは顔を突き合わせて、ラウラその厚顔に唾を吐きかけてやりたくなった。

 ラウラへと振り返ろうとしたセシリアだったが、後頭部を掴まれたことで首を曲げることができずに地面へと叩きつけられた。叩きつけられる時、ラウラが何か叫んでいるのを聞いたが、内容までは聞き取れなかった。

 地面と熱い接吻を交わしたセシリア。ISのエネルギーはそこで尽きた。

 ISが実体を維持できなくなって消え去る直前に、ラウラの蹴りが腹部を捉える。ISでの蹴りは生身の蹴りとは比べ物にはならず、セシリアは無残に地面を転がっていった。身体が地面を転がるのをやめた時に、ようやく装甲が粒子になった。

 セシリアは暫く蹴られた腹部を押さえたまま動かなかった。

 一夏もやられ、セシリアもやられると、後に残ったのは頼りないシャルルだけだ。そのシャルルは空中でISが解除され、重力のままに落ちていった一夏をキャッチして安全圏へと離れていた。一夏と何かしらの言い合いをしているのようで、険しい顔で身振り手振りをしているのが見えた。

 何をしているんだか。

 腹部の痛みも引いてきた。セシリアはふらふらと危なっかしい足取りで立ち上がると、よたよたと何時倒れてもおかしくない歩みで二人の元へと向かう。

 途中、セシリアは背後を振り返る。我関せずとしているラウラへと視線を合わせると、セシリアはニヤリと笑った。誇りも何もない人工甘味料みたいな女の姿を、笑わずにはいられなかった。そして、そんな作り物にいいようにやられた自分自身の姿にも。

 

「強化されてたのかよ」

 

 それならそれでこっちは足掻いてやればいい。セシリアは安全圏でいまだに言い争っている二人の元へと急いだ。

 

「なーに、いちゃついてんだ。公衆の面前で。恥を知れ。恥をな」

 

「セシリア!? どうしてそう誤解を招くこと言うの!」

 

「楽しいから。それ以外に何があるんだよ?」

 

「聞かなきゃ良かったよ」

 

 セシリアにからかわれたシャルルはがっくりと肩を落とす。さきほどまでの剣幕は水に流されてなくなってしまった。

 

「で、何を言い争ってた?」

 

 しかし、セシリアとしては内容が気になる。あそこまでシャルルの顔が硬くなっていたのを見ると、ただ事ではないのだろう。

 シャルルは質問に対して口を噤む。言いたくないことがありありと分かった。だが、セシリアが視線で威圧すると、喉が痙攣したような悲鳴を上げて渋々口を開いた。

 

「あ、あのさ、セシリア。もう白旗上げない?」

 

 それだけでよかった。セシリアは疲労で重たくなった腕を上げて、シャルルの頬を摘まんだ。

 

「どした、急に? 怯えてんじゃねぇぞ」

 

 思いのほか柔らかい頬をぐにぐにとこねくり回す。指が満足するまで遊び倒したセシリアは、すっきりした顔でシャルルの頬を解放する。

 

「だって、三人で挑んでも勝てない相手なんだよ。僕一人じゃ勝てるわけない。勝てないと分かっているのに、挑むなんて意味ないよ」

 

「シャルル。男なら負けると分かっていても挑まなきゃいけないんだ。分かるだろ」

 

「男じゃないから分かんないよ。セシリアも男じゃないから分かんないよね?」

 

 シャルルが問いかけてくる。要するに負けるのは見えているから降参したい。無駄な抵抗なんて意味ない。そう言いたいみたいだった。

 セシリアは獲物を見つけた獣のように笑う。目の前の小動物の意気地のなさに。

 

「わたくしは徹底抗戦派だからなぁ。挑むに一票だ」

 

 シャルルは聞く相手を間違えた、と頭を抱える。

 挑むと意気込む人間が二人いるが、そのどちらもエネルギーが底を尽きているので戦えはしない。何か手はないかと考えるセシリアは、絶望的な表情で項垂れるシャルルの姿を見てピンと来た。

 

「シャルル。わたくしたちに残りのエネルギーを寄こせ。そうすれば解決だ」

 

 セシリアはブルー・ティアーズの待機状態であるイヤー・カフスを、いまだに暗い顔をしているシャルルへと投げ渡す。

 

「エネルギーを渡すことなんてできるのか?」

 

 一夏がガントレットの隅々を見渡しながら問いかける。その問いをシャルルが無言で頷いて肯定した。

 

「どうしてそこまでして戦うの? ラウラが怖くないの?」

 

 理解ができない、とシャルルは言う。

 

「いんや、怖くないね。わたくしは始まった戦いに、背を向けて逃げることをしたくないだけだ。それも自分から飛び込んだ戦いなんだぜ。逃げる理由が見つからねぇ」

 

 握りこぶしを作って熱く語るセシリア。負けなければ良い、という行動原理を頭の片隅に残しながらも、それに当てはまらないこと言った。

 

「俺はただ、男としてここで逃げ出すわけにはいかないと思っただけだ」

 

 一夏は一夏で、採算の取れない自論を展開した。

 灯油を被ってから業火へと飛び込もうとするセシリアと一夏。

 その姿にシャルルは、何かを言おうとして口を閉じ、何も言わないかと思えば口を開いて言葉を紡ぎ出そうとする。

しかし、結局は何も言えずに、ただ「分かったよ」とエネルギーの受け渡しを始めた。

 二人が文句を言わないようにきっちりと等分にしてエネルギーを渡すと、シャルルは一歩後ろに下がった。その一歩が二人とシャルルの差だった。

 セシリアと一夏はISを展開する。エネルギー残量から装甲全体の再構築はできず、心許ない姿になったが、今の二人には充分だった。

 

「……頑張ってね」

 

 シャルルは控え目の応援を送ると、そそくさとピットへと戻っていった。

 セシリアと一夏は、再びラウラと相対する。そして結局は敵わずに負けた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒの勝利です!」

 

 裏切者の名前は呼ばれないか。副担任のアナウンスを聞きながらセシリアは思った。敗者らしく地べたに腰を下ろして、一人で薄ら笑うラウラを仰ぎ見る。あの笑みが何を意味しているのかセシリアには分からなかったが、大方優勝して一夏を奴隷のようにこき使おうとでも考えているのだろう。

 しかし、そう上手くはやらせねえぞ。セシリアもまた薄ら笑いを浮かべる。負けなければ良い、という行動原理の通り、彼女は負けない試合を展開した。

 トーナメントで負けないためにはどうすればいいか。

 

「ええと、ラウラさんの勝利なんですが。本来のパートナーであるセシリアさんが違反行為を行ったので、セシリア・ラウラペアは失格となります」

 

 相手を失格させればいい。

 薄ら笑いが吹き飛んだラウラのマヌケ面を見て、セシリアはしてやったりと腹を抱えて笑ったのだった。



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仲悪く

 第一試合は終了した。手始めの試合にしては迫力は天を突く勢いで、終わり方はなんとも言い難い微妙なものだった。一夏・シャルル組は敗北、勝ったはずのセシリア・ラウラ組はセシリアの反則行為によって失格。第一試合は進出者なし、として第二試合が行われることになった。

 セシリアはやることがなくなり、教師たちの目を盗んでアリーナを後にした。最初にして最大の戦いが終わった以上、次のどの試合に目を向けても楽しめない。そう思った彼女に授業をサボっているという意識はなかった。

 学年別に行われているトーナメントのせいで、校舎の中は閑散としている。その中を歩くセシリアの靴を打ち鳴らす音だけが響き渡っている。

 かと思いきや、セシリアの他に足音を響かせている者がいた。

 

「授業中だぞ」

 

「キサマが言うな」

 

 セシリアが振り返ると、仏頂面のラウラがいた。

 

「何か言いたい事でもあんのかよ、人工物」

 

 試合中に見たラウラの出自を垣間見たセシリアの言葉は、相当量の悪意と憐みが籠っていた。

 しかし、負の想いが籠った言葉はラウラの気持ちをかき乱すものではなかったようで、反応して噛みついて来たりはしなかった。

 

「わたくしは見たんだ。ならお前も、何かしら見たんじゃないのか」

 

 不可思議な現象を体験した。その原因をセシリアはISだからといういい加減な理由で片付けてはいたが、その現象で自分だけ何かを見たとは思っていなかった。

 

「見た。キサマの弱さの原因を知った」

 

「弱さの原因?」

 

 ラウラの言葉に興味が向かう。

 セシリアには自分でもよく分からない違和感はあった。かつて母親に何かしらされたこと。しかし、何をされたか全く分からず、日常生活でも引っかかりを覚えることはなかった。

 ただ、夢を見た後だと何故か気持ちが高揚し、どことなく安心感に包まれたような気分になる。それは夢見の善し悪しに関わらず。

 ラウラの言う弱さの原因と何か関係があるのか、セシリアには判断できなかったが興味は湧いてくる。

 もしかしたら、あのババアがわたくしに何かしたか分かるかもしれないしな。

 既に故人となった母親を締め上げることができない以上、知ってる人から聞くのが一番良い。

 そう思ったセシリアだったが、目の前の相手は素直に話してくれるような人物ではなかった。

 

「キサマの弱いことについて、私がとやかく言うことはない。たとえキサマが本来の力を出せるようになったとしても、私に勝てるはずもないからな」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてセシリアを嘲笑うラウラ。

 殴り飛ばしたい、とセシリアは拳を握りしめたが、ISだろうが生身だろううがラウラに勝てないのは事実なので、歯を食いしばるだけにとどめた。

 

「勝てるはずないなら教えてくれてもいいじゃん」

 

「飯奢れ」

 

「よーし、奢ってやんよ。だからまず場所を変えるぞ。ここじゃあ見つかった時に五月蠅いからな」

 

 飯を奢る気はさらさらなかったが、セシリアはとある場所を頭に思い浮かべるとおもむろに歩き出した。後ろからラウラがついてくるのを確認しながら、セシリアは黙々と足を動かす。道中、教師に出くわす事態ことはなかった。

 セシリアが向かった先は備品室だった。中にはところ狭しと並べられた備品で埋め尽くされている。

 そんな備品たちと一緒に、一人の男性がパイプ椅子に腰を下ろして眠りこけていた。すやすやと危険など一切存在しないと信じ安心しきっている顔で眠る姿は、まさしく無防備だった。

 セシリアはそっと近づくと、男性を床につけないように支えているパイプ椅子を蹴飛ばした。

 パイプ椅子が音を立てて吹き飛び、その上でサボっていた男性は尻を思い切り床へ打ちつけた。

 

「いってぇ~」

 

 突然の衝撃で目を覚ました男性は尻の痛みに、涙を浮かべながら起き上がる。何が起きたのか視線を走らせて確認する。まだ眠りから覚めきっていない目がセシリアを捉えた。

 

「セシリア!? ば、馬鹿な、まだ昼休みになってないはず」

 

「よっす。サボりを報告されたくねぇなら、しばらく居させろ」

 

「そ、そんな脅しに屈する俺じゃない。俺が密告すれば、お前だってタダじゃ済まないんだ」

 

「わたくしは別に気にしないから。ちょっとサボってたで怒られるだけだし。そっちは大変だろ。なんせこのご時世だ。サボってるとクビじゃないか? 男の立場の弱さは大変だぁ」

 

 ニタリと意地の悪い笑顔を浮かべて脅すセシリア。目の前の男の弱さは入学以来の付き合いだ。性格を知り尽くしているため簡単に調略することができるのだ。

 案の定、セシリアの脅しの前に屈した男性は、渋々来客用にパイプ椅子を用意した。

 

「一つ足りないぜ」

 

 パイプ椅子を用意させたセシリアは、どかりと座り込むと男性の不備をしてきした。

 

「足りないって、二人だけじゃ……あれ?」

 

 男性の言葉にセシリアが出入り口を指さすと、そこには不満たらたらのラウラがいた。

 

「ソイツには用意して、私の分はなしか。ずいぶんと舐められたな」

 

 男性の思惑に関係なく、セシリア以下の存在と思われたのが気に入らなかったラウラ。手近にあったチョークの箱を男性の顔面に投げつけた。ここで男性が最下層の住人であることが確定した。

 ラウラの分のパイプ椅子を用意し終えると、男性は赤くなった鼻を擦りながらセシリアに視線を向けた。

 何をしにきたんだ。男性の視線をセシリアはそう捉えた。

 

「別に……飯をたかりに来た」

 

「正直に言えばなんでも許されると思うなよ。……奢るけどさ」

 

 男性に逆らうという意思はない。セシリアの凶暴性を理解しているから。

 いい返事を貰えたセシリアは気分を良くした。

 

「よしよし。ラウラ、コイツが飯を奢ってくれるらしいぞ。だから教えろ」

 

 憐れな犠牲者を出しつつ、己の知らないことを知ろうとするセシリア。根っからの加害者なので、被害者の心の内を知ろうともしない。だから、横で財布片手に泣いている男性の心情を察することができなかった。さらに言えば、同じく加害者根性旺盛なラウラにも理解されていなかった。

 

「キサマの弱さの理由は、キサマの母親が何かをしたからだ。以上」

 

 ラウラは端的に答える。

 セシリアは無言のアイアンクローで抗議するが、あえなくラウラに阻止される。

 

「そんな表面的なことを知るために、わざわざお前をここに連れてきたんじゃねえぞ!」

 

「知らん! あんな断片的なもので理解できるか!」

 

「不愉快さを撒き散らすだけで、とんだ役立たずだな!」

 

「私も、キサマ一挙一動に虫唾が走って仕方がない!」

 

「やんのか!」

 

「首を刎ね飛ばしてくれる!」

 

 お馴染みの子供の口喧嘩を繰り広げる二人。口にするのは低レベルな暴言だったが、いざ拳を振るえば並の喧嘩では済まされない暴力が猛威を振るう。

 しかし、お互いに理性は残っている。片やこのまま武力蜂起をしても勝てないと四肢に制止をかけ、片や見下している奴の誘いに乗るは負けた気がすると言い聞かせた。

 

「頼むから暴れんじゃねえ!!」

 

 二つの台風の前に、無力な男性は泣きながら土下座するしかなかった。



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桃を食べました

 備品室は憩いの場所だったはずだ。物でごちゃごちゃしているし、ホコリは舞うしで環境は決して良くないが、他の女教師たちが立ち入ることがない利点がある。ISの世界は女尊男卑によって社会が成り立っているために、男はどこに行っても肩身が狭い。特にIS学園なんてその絶頂の場所だ。生徒も教師も女ばっかりで、男なんて五本の指で数えられるくらいに人数しか存在していないのだから、基本的に奇異の視線に晒されて居場所がないのだ。

 そうなると必然的に心を落ち着けられる場所を探してしまうものなのだ。結果、劣悪な環境の備品室へと身体を押し込むしか道はなかった。

 しかし、せっかく見つけたオアシスも空気の読めない蛮族によって荒らされてしまった。追い出してしまいたいのだが、この蛮族は俺よりも圧倒的に強く、下手な事をすればボロクソにされてしまう。

 おかしい。原作だとスナイパーライフルで狙撃してきたり、ナイフで斬りかかったりするくらいで済むのに。

 俺の大好きなヒロイン。セシリアもラウラも誰だよ、と叫びたくなるような別人ぷりに泣きたくなる。ここに赴任した当初は、一夏ハーレムから二人を密かに奪い取ってやる、なんて淡い決意をしていたのに。

 セシリアはドリルを廃して短髪オールバック、たれ目がちな目も獲物を狙うようにギラついている。オルコット家とかでっかいところのお嬢様なのに、野性味溢れているし、常に金欠に喘いでいる始末。原作のセシリアってどんなのだか忘れそうになる。

 ラウラはラウラでこれまた別人。腰元まであるはずの銀髪は、耳が露わになるまで短く切られ、低身長もあって見た目はまんま少年。原作通りに眼帯をしているが、あれが一体何の為の眼帯なのかは分からない。ヴォーダン・オージェとかちゃんと存在しているのか。

 二人だけじゃないな。原作通りじゃないのは。

 織斑千冬はブラコンが悪化していて、授業中でも平気で弟贔屓している。

 鈴と箒は二人だけで一夏を取り合ってる。

 一夏は……男に興味ないから分かんないな。

 とにかく、俺の原作傍観あわよくばヒロインを掠め取ろう物語は開始と同時に終了。残りの教員生活も、今原作離れした二人によって荒らされているというのが俺の中の真実だ。

 

「おーい、是ッ清」

 

「やめて、その名前で言うのやめて」

 

 町田是ッ清(まちだこれっきよ)。マジで恥ずかしながら俺の名前だ。改名したい。

 

「コレッキヨ? 日本人じゃないのか?」

 

「日本人ですよー。超日本人だから」

 

「超? そこまで自信があるのか?」

 

「嘘です、ラウラさん。……腕振り上げんのやめろ!」

 

 今日はタッグトーナメントの日だと思ったんだが、どうしてかトーナメント中止の立役者であるはずのラウラが平気な顔をしている。もしかして何も起こらなかったのか。

 何か起こらなかったのか、と聞きたいが、俺は原作知識を持ってないテイでいるから迂闊には問いかけられない。セシリアは同じじゃないにしても転生者仲間だからギリギリ何とかなるかもしれないが、ラウラは転生者なのかどうかも判明してないから変な質問は危険すぎる。

 ただ、俺の想像していることとは別の何かが起こったことだけは確かだ。

 セシリアの弱さがどうとかこうとか言っているみたいだし。セシリアが弱いってどこを見ればそうなるのか分からないが。

 

「テメェ何考えてんだよ?」

 

 考えが少々顔に出てしまってた。慌てて笑顔を浮かべるが頭を叩かれた。

 

「まあ、いい。それよりも気になることがあるんだよ」

 

「気になること?」

 

「わたくしとラウラの接点だ」

 

「ほう。それは私も気になるな。どうしてコイツが近くにいると不愉快に感じているのかをな」

 

「わたくしもテメェみたいなちんちくりんにウロチョロされると目障りだ」

 

「頼むから喧嘩やめろ」

 

 届け俺の悲痛な想い。どーせ届かないんだろうけど。

 

「今はしねーよ」

 

 届いた。届くはずがないと思っていたのに。

 

「そんなことよりもな、わたくしとラウラの共通点を見つけたい。記憶の共通点だ。それさえ見つかりゃラウラが何者か分かる」

 

 セシリアが言い終わるのを待ってから、俺は立ち上がって部屋の隅へと移動する。セシリアを手招きして密談を行う。

 

「記憶の共通点と言ったて、アイツが転生者かどうかさえも分かってないんだぞ。んなもん見つけられるか」

 

 ラウラが転生者であるか否か。それを判明させてからやるべきことを目の前のセシリアは工程を素っ飛ばそうとしている。自殺行為だ。転生者云々の話なんて何とかの生まれ変わりだ、と広く知られている以外の人間が言ったら頭おかしい奴になる。その恐怖をコイツは分かっていない。黒歴史は封印すべきもので、あれこれと言いふらすものじゃないんだ。

 俺の不安の声を、セシリアは聞き入れた。聞き入れた上で強行すべきだと主張してきた。

 

「わたくしにはアイツが転生者だって自信がある。そうじゃなきゃいくらなんでも言わないぜ」

 

「その自信の根拠は?」

 

「トーナメント中にそれっぽいのを見た。アイツおかしな魔術で異世界から引っ張られた魂かもしんないんだってのを。変な科学者が嬉しそうに語っている映像をはっきりと見たんだぜ」

 

「信用できるか。なんだ魔術って? アレか実は魔法使いは存在しちゃいました、て言うのか!? そもそも科学者が非科学的なことしてる時点で問題だろ。科学者として失格だろ? いいか、セシリア。俺は大人として、お前にはこれ以上間違った認識をしてほしくないんだ。魔法なんてないし、死んだら天国なんてのもない。死んだら無くなる、それが心理だ。転生に関しては経験しちゃったからないとは言えんが、だからといって身の回りにあちこち居てたまるか。俺たちは稀なんだよ。これ以上の奇跡は存在しない。ラウラとお前の関係は知らないが、たまたま互いに生理的に受け付けない。それでいいじゃないか」

 

「……よくもまぁ、そんな大声で。全部聞かれてんぞ」

 

 セシリアが顎で示す先にラウラがいた。それもがっつりとこっちを凝視していた。

 さて、どんな言い訳をして逃げようか。

 

「幾つかの訂正をさせてもらう」

 

 妙に冷静な声を出すラウラ。きっと嵐の前の静けさだ。これからドカンと雷が落ちるに違いない。いや、コンバットナイフとかが首を一閃するんじゃないのか。

 心臓がバクバクしてくる。隣のセシリアは明後日の方向を向いていて介入してくる気配を見せない。これは終わった。

 

「まず、私の父は魔術を会得している。そうでなければ今の私はない」

 

 誇らしげに胸を張るラウラが眩しい。妄信する素晴らしさを見た気がした。俺にはもう子供らしい純粋な気持ちが失われきっているんだな。

 セシリアは備品の顔ぶれを確認していて話聞いてないから、心が穢れているのか澄み切ってるのか分からない。

 

「次に、科学者というのは探究者だ。己が欲望を叶えるために手段を選ぶものではない。邪道も外道もないのだ」

 

 人としては最低の部類な父親だってことは分かった。スゲーな科学者。

 ラウラは胸を張るだけではなく、両手を腰に当ててより誇らしげになった。

 

「最後に、死んだ人間は天国へ行くのだ。無くなることはない」

 

 オッケー。コイツも確かに転生者だ。それもセシリアとおんなじところの



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とさ

 ラウラが転生者だと判明した今日この頃。俺は仕方なくセシリアとラウラに指示を飛ばすことにした。

 ホワイトボードに二人の前世を書け。書かれた内容を見比べて色々と考えるから。

 見下している相手からの指示に、この二人が素直に従ってくれるのか疑問はあったが、素直に行動に移してくれたので大丈夫だった。

 だが、ホワイトボードに書かれている内容を見て、俺は思わず叫んでしまった。

 

「英語で書くな! 日本語で書け!」

 

 ホワイトボードに書かれていたのは英語。この二人はどうやら喧嘩を売っているらしい。勝てないから買えないけど。

 

「わたくしの英語が読めないなんて、頭悪すぎだろ」

 

「ドイツ語だ。勘違いされては困る」

 

 ラウラが言うように、彼女の書いている文章はどこか英語とは違って見えてくる。だからどうしたんだ。

 

「ちゃんと日本語で書いてくれ。読む人の気持ちを考えて書いてくれ」

 

 学生時代に教師が生徒たちのプリントに苦言をしていた意味をようやく知った。これからは丁寧な字を書いて行こうと誓う。

 注意を受けた二人は渋々日本語で書き直してくれた。英語や独語を強行されたら、もう俺には手におえない。

 二人がペンを走らせる真っ白な板に、次々と前世の出来事が書かれていく。字の美醜は気にしないで読んでいくと、とても元同じ日本人とは思えない殺伐としたことばかりが列挙されている。解説してもらわないと分からないような名詞も飛び込んでくるから困る。

 暫く、ホワイトボードが黒く染まっていくのを眺める。

 二人がペンを置くのが終了の合図だった。

 

「うーん。分からんことが多いな」

 

 日本人だったり外国人だったり、様々な名前が出てきている。さらに言えば暴力団みたいな名前もちらほらと。カンヌキ組壊滅って、本当に生きてきた世界が違うな。

 ただ異世界の情報に首を傾げながらも分かったことがある。セシリアの所属していた組織と、ラウラの所属していた組織は別であり、対立組織でもあること。最終的にはラウラの組織が勝利を収めたこと、ラウラの書いた記憶にはセシリア本人と思われる人物は一切登場していないということ。同時にセシリアの記憶にもラウラと思われる人物が出てきていない。

 これは活動を始めた時期が違うってことだろう。だとしたら二人がいがみ合う理由が分からないけど。

 

「……って、テメェ何わたくしの舎弟を殺してくれてんだよ」

 

「知らん。手向かう方が悪い」

 

 セシリアの舎弟をラウラが殺した。つまりセシリアはラウラと出会う前に死んだのか。でも本人には死んだ自覚ないしな。死にかけたっぽい記憶もないみたいだし。

 

「セシリア。お前いつ死んだんだよ」

 

「死んでねぇわ。死んだら天国行くって言ったろ」

 

「あー、そうなの」

 

 あの理論が邪魔をしてる。推測を許してくれない。

 セシリアもラウラも互いに書いたものを確認してあれこれと言い合う。内容は誰を殺したアイツは弱かったとか。もう、警察行かなきゃ駄目だろ。

 頭を抱えたくなる。こんな殺人鬼共と会話している俺は、人生終了秒読み入ってるんじゃないか。

 

「んー。あー、何かないか」

 

 恐怖を紛らわせるために、声を出してホワイトボードを見比べる。字はセシリアの方が綺麗だな。文章の書き方はラウラの方が上手い。殺した人数はセシリアだ。要らん情報ばっかりに目が行くな。

 考えれば考えるほど、二人に直接的な接点はない。これはお手上げだ。どう頑張っても接点が見当たらない。転生者が頑張ってとか言っても説得力ないけど。

 転生者……転生者か。

 ヤバいな、一つだけ結論が浮かんできた。中二病時代に培った妄想がおかしな結論を持ってきやがった。でも、そのおかしな結論を答えにしてホワイトボードを見比べれば、全てが繋がって来る。

 この馬鹿げた想像を告げるべきか。二人の後ろ姿を見て考える。

 無理だな。告げたところで一蹴される。魔術だ天国だを語る二人だが、いくらなんでもこの予想は受け入れてくれそうにない。

 これは俺の中に仕舞っておくべき答えだ。墓まで持っていくしかない。

 

「なんか分かったのか?」

 

 セシリアが振り返って聞いてくる。原作のセシリアなら長い金髪がふわっと舞って綺麗なんだろうけど、このセシリアの髪はふわってならない。残念だ。

 

「なんも分からんし、思いもつかない」

 

 嘘だ。もちろん嘘だ。でも言わないと決めたから嘘を突き通す。

 ラウラも振り返ってこっちを見てくるが、俺は嘘を突き通す。ナイフで舌を切られる事態になりそうなら喋るけど、今は頑張って嘘をつく。

 

「役に立たないな」

 

 傷つく。シンプル過ぎて傷つく。

 これからコイツらに飯を奢らなきゃいけないのに、どうしてこのタイミングで傷つけられなきゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間前、舞台裏。

 

 突如として起きたイレギュラー。

 少し前に、クラス対抗戦で生じた異常事態に備えての学年別トーナメントだったはずなのだが、結果は芳しくない。

 モニターに映るのはラウラに襲いかかるセシリア。チームを組んでいながらも、それを無視している。

 真耶は頭を抱えて混乱した。一年一組の副担任として、セシリアには入学当初から手を焼かされていた。暴力沙汰は日常茶飯事、授業は真面目に聞いてくれない、説教してもどこ吹く風。そして今はルールを打ち破って好き勝手動き回っている。

 今回の特例で決まったタッグトーナメントに合わせて、ある程度のルールは作った。大会の三日前にあらかじめルールについて話しておいたはずだし、ルールが書かれた紙も配布しておいた。セシリアがそのプリントを眺めているところ真耶は確かに確認した。

 それなのにルールを破った。知っていて破ることのたちの悪さに真耶は、助けを求めるように千冬に目を向けるが、彼女はモニターを眺めているだけで何かを言ってはくれない。

 このまま戦わせるか、止めて失格を言い渡すか。決断を口にしない担任に代わって、真耶は判断しようとする。

 しかし、教師としては新米の真耶に決定権などあるはずもなく、結局は千冬に御伺いを立てるしかない。

 

「織斑先生。止めなくていいんですか? オルコットさんはルール違反ですよ」

 

 三対一の戦いなんてフェアじゃない。これじゃあルールを作った意味がない。非難を込めた問いかけを送る。

 それに対し、千冬は溜息を吐いて答えた。それが判断を下せない真耶への落胆なのか、無言でいたわけを察せない洞察力のなさへと呆れなのかは分からない。

 だが、そのどちらでもないことを真耶はすぐに知った。

 

「山田先生。私は晴れ姿を見たいんだ」

 

「……はい?」

 

「一夏が専用機を手にしたんだ。姉としては一度でいいから勝って喜ぶ弟の姿を見たいと思ってしまう。なのに一夏は運が悪いのか勝てない。最初のセシリア戦はしょうがない。私自身、あれは一夏にIS戦を体感してもらいたくて行ったことだからな。しかし、鈴との戦いでは勝つはずだった、いや、勝てるところまできていた。あの乱入がなければ確実に勝っていた。勝利に沸く笑顔を見れるはずだった。分かるか? 私がこの事態を止めない理由が。とにかく一夏の勝った姿が見たい、喜ぶ姿が見たい。そのためには多少のルール変更も止む無し。不戦勝の勝利になんの喜びがある? 戦って勝つことに勝利の喜びがある」

 

「え、……えー?」

 

 千冬の熱弁に、段々とめんどくさくなっていく真耶。

 

「セシリアとラウラのコンビに、一夏たちが勝てるわけがない。負けの決まった戦いに裏切りという不測の事態。一夏の勝つチャンスが生まれたのだ。これを喜ばないはずがないだろ。一夏たちが勝てば、後はうなぎ登りに勝ちを奪っていき、いずれ優勝できる」

 

「……ボーデヴィッヒさんの一人勝ちだった場合は?」

 

「失格扱いになるな。なにせセシリアがルール違反を犯しのだからな」

 

 汚い、と思った真耶だった。



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めでたし

 タッグトーナメントは鈴・箒組の勝利に終わった。最有力候補のセシリア・ラウラ組は失格に終わり、続いての優勝候補一夏・シャルル組は失格組との戦いに敗れ進出はならず。結果、残りの代表候補生を抱えたチームが勝つことは必然だった。

 優勝した時の箒の笑顔には、誰もが純粋に勝利を喜んでいる気持ちがないことを理解できた。自分たちが優勝した時に浮かべるような、同じ不純に塗れた優勝者の笑顔をしていたのだ。

 生徒たちは自分たちの優勝か、セシリア・ラウラ組の優勝を望んでいただけに、鈴と箒の勝利を危険視した。

 このままでは一夏もしくはシャルルを奪われてしまう。

 恋は戦争。それも泥沼の戦争。ルールは存在しない。やったもん勝ちの世界。

 それは剣道の道を歩む箒であってもそうだった。セシリアとコンビを組み、無双しようと企んでいた時もあったのだ。

 しかし、結果優勝してしまえば勝ちだ。一番気がかりなのは同じく優勝者である鈴だったが、最初に約束を取り付けたのは箒だった。つまり、一夏に告白できるのは箒だけだ。後はあくまで本人の意志を無視した女子だけの噂でしかない。

 どう足掻いたって箒以外には希望がなかった。

 

 

 

 ニヤニヤと笑って教室を後にする箒。その後ろ姿を内心で嘲笑うセシリア、そして同じく内心で爆笑している鈴。

 セシリアが笑う理由は簡単だった。箒の僅か先の未来が予測できてしまったからだ。せっかく恋心を総動員してい優勝をもぎ取り、挙句に功労者であるパートナーを言い負かして一夏への告白権すらも奪い去ったというのに。その告白が朴念仁の恐怖によって打ち砕かれてしまうのだ。これを笑わずにいられるものか。

 隣にいる鈴は、箒の後ろ姿が見えなくなって暫くすると笑い出した。

 

「あっはっはっはっは! もう駄目! ひぃーひぃー。お腹痛い!」

 

 目に涙を浮かべ腹を抱えて笑う鈴。周囲の生徒は何事か、と鈴を見る。しかし、隣にいるセシリアの姿にすぐさま視線を元に戻した。ああ、アイツらか、と思いながら。

 

「あくどいこと考えるじゃんか。帰ってきた箒の顔が楽しみだ」

 

「当然の報いなんだから。アタシが一番優勝に貢献したのに、自分の手柄にして一夏と付き合う権利も、自分以外が言っても一夏は知らないから無駄だ、なんてずるいこと言って」

 

「恐いね、乙女。このわたくしを使って一夏に偽情報を吹き込むんだからな。めーわくな話だ」

 

「トラブルメーカーなんだからたまには人助けしなさいよ。文句言いつつ協力した時点でその言葉に効力はないわよ」

 

「だって、お前。あんな地味に面白いこと手を貸さずにいられるか」

 

「アンタだって十分に恐いわよ」

 

 そうは言うが、鈴は笑顔が絶えない。人の不幸は蜜の味。蜜の味に笑顔が溢れる。笑顔が溢れているから多少の言葉にも笑顔でいられる。今の鈴は器がでかくなっているのだ。

 セシリアとしても、鈴の言葉に気を悪くすることはない。文句を言ったが、心はノリノリだった。

 

「もう少ししたら箒は地獄を見るな。きっと一夏をボコボコにするんじゃないか? なんせ、箒が付き合って欲しいと言った意味とは、違う解釈をするんだからな」

 

「剣道の稽古。いいじゃん。これでもアタシは譲歩したほうなのよ。好きな奴とおんなじ空間を共有できるんだから。羨ましい限りよ。ま、恋愛的な意味の付き合ってくれが、そんな捉えられ方されたらグーパンはしちゃうけどね」

 

 右手を握りこぶしにして意気込む鈴。セシリアとしては朴念仁に想いを寄せる乙女たちの奮闘を、さりげなく引っ掻き回すことが楽しくてしょうがないから、一夏には頑張って耐えてほしいものである。

 

「それにチャンスはあるから気にしないのよ」

 

「チャンス?」

 

「……セシリア、アンタ枯れてるんじゃない。臨海学校よ、臨海学校。つまりは海」

 

 鈴が遠くを見る。彼女の頭の中には既に青々とした海が広がっているのだろう。セシリアも海は楽しみだが、鈴のように恋い焦がれるような想いはない。この差は恋愛に現を抜かしているかどうかの差だろう、と彼女は冷たい結論を下した。

 セシリアは一人盛り上がる鈴を置いて教室を後にした。

 数日続いたタッグトーナメントがようやく終わったことで、教室の中も外も緩やかな空気が滞留している。セシリアもその空気を吸っているために沸点は普段よりも高くなっていた。

 教室を出たが行く場所を特に決めていない。セシリアは立ち止まって行き先を考える。

 箒の告白がどうなったか見に行くか。

 暫定的に目的を決めると、セシリアは箒を探すために歩き始める。告白の場所は分からないが、箒の行く場所は歩い程度想像がつく。それと告白するに適した場所、という条件を加えれば行く場所は一ヶ所に絞り込める。

 屋上だな。幾ら箒でも剣道場で告白はしないだろうし。

 もしもの可能性を頭に残しつつ屋上へと向かう。

 

「あーれー? せっしーだ」

 

 屋上へと続く階段をセシリアがのんびり昇ろうとした時、背後から声がかけられた。

 振り向くと両腕で様々な菓子を抱きかかえた本音がいた。

 

「何してるの?」

 

 のろのろとした足取りで近づいてくる。セシリアも階段から遠ざかり本音と向かい合う。

 

「暇つぶしだな」

 

 本音の腕から棒つきキャンディーを取り上げる。本音が「あぁ~」と情けない声を出すので、セシリアは棒つきキャンディーの包装紙を取り外して彼女に口に放り込んだ。

 

「えへへ~。甘くて美味しいね」

 

「そりゃ良かったよ」

 

 キャンディーに破顔した本音。

 

「せっしー。暇なら生徒会室に行こうよ~。お姉ちゃんが美味しい紅茶淹れてくれるから」

 

 誘われたセシリアは二つ返事で了承した。当初の目的はすぐさま捨てた。屋上は目と鼻の先だが、そこに一夏と箒が揃っているわけじゃない。徒労に終わる可能性がある。

 セシリアは本音から菓子を半分受け取ると並んで歩き出した。

 

「せっしー。もうすぐ臨海学校だね。一緒にビーチバレーしてあそぼーよ」

 

「行ったらな」

 

 素っ気ない返事をしたセシリア。しかし、その顔はどこか嬉しそうだった。



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めでたし

 タッグトーナメントの余韻もなくなり教室の雰囲気が元に戻りかけていた。生徒たちは数日前の実戦の緊迫感を失い良くも悪くも十五・六の少女の振る舞いをしている。

 その中で、幾人かの生徒たちは少しだけつまらなそうな顔をしている。彼女たちの視線は教室内に一つだけある空席へと注がれていた。

 空席は文字通り空席。そこに座る人はいない。主人なき机となっている。

 真っ白なノートを放置して授業を受けているセシリアは、ちらりと空席を見る。以前はそこに、自分と同じような金髪の少年が座って真面目に勉学に取り組んでいた。しかし、タッグトーナメントの翌日に姿を消した。本国からの呼び出しを受けてIS学園を中退したのだ。おそらく出席簿にある名前は斜線が引かれていることだろう。

 本国からの呼び出しが何を意味するのか、代表候補生なら嫌な予感以外の何者でもない。そうでない場合もないことにはないが、それ以上のことを告げずに学園を去ったのだ。嫌な予感ばかりを抱かずにはいられない。

 セシリアは空席から視線を教室の最前列中央の席へと向ける。授業中ということもあり、見えるのは生徒たちの背中だけだが、彼女たちの背中に隠れる一夏を透視した。

 セシリアと一夏は本当の理由を聞いた。シャルルが本国へと向かうのは、彼女が今の状況を打破するために意を決したからだということを。その背中を押したのはセシリアと一夏であることを。

 タッグトーナメントでセシリアと一夏は、到底勝てるはずもないラウラを相手にしぶとく足掻いた。悪足掻きでしかなかったが、シャルルはその悪あがきに勇気を感じた。自分は白旗を上げようと言ったのに、勝てないと諦めていたのに、それでも信念を曲げずに立ち向かっていった二人を、彼女は羨ましく思った。

 もっと前にこの二人に出会っていれば今のようにはならなかったのではないか。でも、今からでも十分に変えられるかもしれない。せめて、自分を駒のように扱った父親の首を絞められるかもしれない。同情を買えれば無罪放免になるかもしれない。

 タッグトーナメント最終日の夜に、セシリアと一夏は告白を受けた。

 死なば諸共、万一に生き残る気がある。人生を賭けるのだと。

 それからセシリアは抱きしめられ、感謝の言葉をもらった。

 その後シャルルはちらっと意味ありげにセシリアを見てきたので、セシリアは悪戯の虫がうずうずしてくるのを抑え込んで場を後にした。

 セシリアが去った後に何があったのか。それは当人たちにしか分からないことだが、恋する男装女子のことだ、セシリアにしたことよりも一歩上を行くことをしたに違いない。

 一夏は朝から元気がないので、もしかしたら罪を意識を抱いているのかもしれない。セシリアは朝食時に見た一夏の顔をそう判断する。

 だけど、その意識は意味ないんだよな、とセシリアは内心で笑った。

 一夏はいい男なのだろう。他人のためにそこまで苦悩するのだから悪い奴ではない。見目も良いし、これなら惚れる奴が居てもしょうがないな。

 分析はしても、恋の芽生えはないセシリア。暫くすると一夏のことは頭から消え、昼食をどうするかを考えはじめる。

 授業が終われば、セシリアは立ち上がって本音のところへと顔を出す。目的は雑談などではなく、飯の無心だ。

 邪悪に塗れた心で、のほほんとしている本音へと声をかける。誰もがたかりにいったな、と思うが止めには入らない。死にたくないから。

 

「本音。飯奢って」

 

 恥も外聞もなく、直球で用件を伝えるセシリア。笑顔が眩しい。

 

「おーおー。せっしーは仕方がないよね。仕方ないから奢ってあげちゃうよ~」

 

「さっすがー」

 

 両腕を広げて身構えると、本音が飛び込んでくる。懐にぶつかってきた柔らかさをセシリアは暫く堪能する。一度だけラウラを抱しめたことはあったが、あの時は少らしい柔らかさはなく、鍛えられた筋肉の硬さばかりでつまらなかった覚えがある。

 それに比べると、本音の少女らしい柔らかさは癒しだ。行き過ぎれば麻薬へと変わってしまいそうなくらいのリラックス効果が得られる。

 本音が嫌がらないことをいいことに、セシリアはギュッと抱きしめてその肉感を大いに味わう。もちろん、ラウラの時にした締め上げとは全く違い、相手を苦しめることのない力加減で。

 

「よし。アレがいるのは困るけど生徒会室に行こうぜ」

 

「そーだねー。お姉ちゃんの紅茶を飲みたいしね。アレが居るのを我慢してでもねー」

 

 楯無を平気でボロクソ言う二人。セシリアは嫌っているため仕方がないが、本音に関しては仕える主人の姉という、非常に敬うべき存在なのだが臆せず蔑んだ。主の姉の威厳は彼女の中には暫く存在していない。

 セシリアが抱擁をやめると、本音が彼女の腕を引っ張って生徒会室へと向かう。その後ろ姿を、同じく腹を空かせたラウラが見つめているのにも気がつかず。

 

「……今日も我慢か」

 

 ラウラの背中には哀愁があった。

 

 

 

 

 

 

「……最近私の扱いが雑になっていく気がするんだけど」

 

 生徒会室のボス。自称学園最強の楯無が従者たちを前にして、最近になって思ったことを口にした。

 

「気のせいです。最初からある程度雑でしたし」

 

「そうだよー、お嬢様。そもそも私はお嬢様担当じゃないんだよ」

 

「なにこの従者。敬意がない、これっぽっちも敬意を感じないわよ。お姉ちゃん困っちゃう。そう思わない、全ての元凶セシリアちゃん」

 

 一つ年上の従者と一つ年下の従者の辛辣な返事を受けて、よよよと泣き崩れる楯無。嫌味を込めてセシリアに話題を振ったが、彼女は食事中で何一つ聞いていなかった。

 色とりどりの料理が詰め込まれた重箱を突き回しているセシリアは幸せに頬を緩めていた。嫌味の一つも受け付ける暇もないほどに、美味に意識を翻弄されていた。時折、箸休めに虚の淹れた紅茶を堪能している。その時は重箱に取り掛かっている時よりも意識は周囲に向いているので、その時が話しかけるチャンスだった。

 

「聞いてるかな?」

 

 楯無の問いかけに、セシリアは知らないと返す。何をどうこうなってその質問が飛んできたのか分からない。だから楯無の質問には知らないと返すしかなかった。質問の中身を知っていたとしても、答えを考える気はないので知らないと返すが。

 

「こっちは飯食うのに忙しいから、くだらないことなら後にしな」

 

「くだらなくはないわ。私の威厳とか権威とか権力とか、とにかく色々なことがかかってくるから」

 

「……すっげぇくだらないじゃないか」

 

 上手に箸を使ってかまぼこを拾い上げるセシリア。元日本人として箸使いには自信がある。

 

「いいのよ。これは当事者にならないと分からないことだから。いい、昔から付き従ってくれていた便利な小間使い……とても気の利く友達が」

 

「言い切ってから訂正すんのかよ」

 

「ちょっとした意趣返しよ」

 

「我が主ながら小さいですね」

 

「虚、後でお話ししましょうか。鉛玉の嵐の中で」

 

 優雅に紅茶を飲みながら物騒なことを言う楯無。

 セシリアは介入を求めずに食の世界へと旅立った。

 本音は、セシリアの隣に座ってお菓子に夢中になっていた。

 虚は紅茶を淹れ直してきます、とそそくさと手ぶらで生徒会室から退出した。

 相手にされなかった楯無はせめて一人には相手にしてもらいたいと、セシリアの重箱を奪って生徒会室を飛び出していった。

 昼食を奪われたセシリアはブチ切れたが、本音が咄嗟に棒つきキャンディーを口に突っ込んだことで冷静さを多少取り戻した。

 

「単純に甘い」

 

 棒つきキャンディーを咥えたセシリア。口内に広がる甘さに楯無のことがどうでもよくなっていく。

 

「ま、けっこう食ったし。もったいないけどいいか」

 

 セシリアは追いかけないことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、部屋を飛び出した楯無は腹を空かせた、セシリア以上の獣に襲われたのだった。



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と思っていたら

 昼を済ますにはまだ早い。

 空を仰ぎ見れば照明付きの天井が見えるだけで、天気模様は一切確認できなかった。視線を下ろすと下着とは趣の違うそれっぽいものがハンガーにかけられて並んでいる。

 手に取ってハンガーを回転させる。全体のデザインをざっと確認して元に戻す。

 

「……全然分からねぇ」

 

 セシリア・オルコット。初めての臨海学校及び初めての海へ向けて苦戦を強いられていた。アレを取り、これも取り、それは戻し、首を傾げる。さっきからそればかりを繰り返していた。

 臨海学校に持っていく水着を買いに来て二時間半。いずれの水着を手に取ってもピンと来ない現状に、セシリアは段々とイライラしてきた。水着なんて適当なものを買えば良い。投げやりな態度で挑んだものの、いざ目の前にするとそうも言ってられなくなった。

 本音か鈴とでも来ればよかった。後悔しても既に遅い。今日は選ばないで次の機会に決めようとしても、明日には臨海学校だ。面倒を後回しにした結果、首が回らなくなっている状況だ。

 

「……かと言って、いくらなんでもスク水は嫌だ」

 

 幼稚で地味で恥ずかしい。今時スク水など小学生くらいしか着ない。IS学園の指定水着がスク水だとしたところで、小学生くらいしか着ないのだ。

 セシリアは溜息をつく。小学生体形のラウラが水着などスク水で十分だ、と言っていたのを思い出した。アイツには羞恥心がないんだろうな、と思わずにいられなかった。

 十分前に手に取った水着を再び手に取る。謳い文句の書かれたカードを一瞥する。理解できなかった。

 腕時計を見て、九時から居ることを思い出す。

 

「飯食ってからもう一度チャレンジするか」

 

 水着売り場は大型デパートの一区画でしかない。ちょっと足を別の方向に向ければすぐにフードコートへとたどり着く。

 一度休憩を挟めば脳が冴えて上手くいくかもしれない。空腹の虫が騒ぎ立てて五月蠅くなってきたこともあり、セシリアは水着売り場から一歩後ずさる。昼飯を食べる前に決めておきたい気持ちを燻らせたままに、ゆっくりと売り場から顔を逸らせる。

 

「奇遇だな」

 

 逸らした先にラウラがいた。まともな普段着を持ち合わせていないのか、IS学園の白い制服を着ていた。幾らなんでも無頓着すぎはしないか、とセシリアは思った。

 

「なんで居んだよ?」

 

「偶然居るからだ」

 

「……水着売り場に?」

 

「偶然だ」

 

「それもピンポイントにわたくしの隣に?」

 

「偶然だ」

 

「びっくりするほど目が合ったぞ」

 

「それも偶然だ」

 

「そっか。じゃあな」

 

 セシリアが全速力でフードコートの区画へと走る。休日の昼前ということもあり、買い物客が波を成している中を縫うよう駆け抜け、無事に目的地へとたどり着いた。

 見晴らしの良いところで足を止めたセシリアが背後を振り返ると、人波にもみくちゃにされながらもラウラが追いかけてきた。これでもう奇遇だ、偶然だ、と言葉を並べ立てることはできない。

 

「行くところが同じだとは。奇遇だな」

 

 合流したラウラがしれっと言う。ここまで自然に言われると、さすがのセシリアも怒るより呆れの方が上を行ってしまっていた。

 タッグトーナメント以来、何かと突っかかって来たラウラが何かしら考えを変えたようには見えるのだが、べた付かれる機会が増えてきていてセシリアとしては鬱陶しいことこの上なかった。

 

「飯奢れ」

 

 知性みを感じないストレートな物言いに、セシリアは拳を振り下ろしてラウラの頭頂部へと不時着させる。べた付かれるだけならともかく、何かと飯を奢れと言ってくることには手を上げたくなってしまう。

 

「テメェは自分で何とかする考えはないのかよ」

 

「キサマを真似ただけだ」

 

「こちとら休日くらいは自腹切ってんだよ。真似すんならそこも真似しな」

 

「断る!」

 

 はっきりとラウラが拒否する。

 都合のいいところばかり目をつけやがって。歯ぎしりしたセシリアは背中を向けて歩き出す。向かう先はフードコートにあるハンバーガーショップだ。当然と言わんばかりに背を負うラウラ。

 入口を潜ると、店員が「二名様ですね」と人数確認を行い、セシリアが訂正する暇もなく背を向けてテーブルへと案内を始めた。背後を見ると、当然のようにふんぞり返るラウラが居た。おそらくコイツが頷きで肯定しちまったんだろうな。とりあえず、割り勘で請求してやる。

 女同士なら全額支払いの強制はないだろう、と割り勘を決めたセシリアは店員に続く。

 二人分の椅子が置かれた小さなテーブルに案内されると、セシリアは設置されているメニューを手に取ってパパッと注文を決める。

 

「金持ってんだろーな?」

 

 カツアゲする前の不良のような口ぶりでラウラに聞く。

 質問に対してふっ、と不敵な笑みを浮かべたラウラ。嫌な予感を覚えたセシリアは、目の前の銀髪を頼りにするのは早々に諦めた。絶対に金を持ってない。ラウラが財布どころか剥き出しの紙幣すら出さないのを見て、セシリアは項垂れる。いつも奢ってもらっている本音になら奢り返すのもやぶさかではない。しかし、ラウラを相手にしてその気持ちは一切湧き起こらない。むしろ何が何でも払わせたくなる。だというのに、金を持っていないときた。

 後で、路地裏に連れ込んでボコボコにしてやろうか。実力差に思いとどまりつつ、バイオレンスな想像が止まらなかった。青あざだらけのラウラが泣きながら土下座するのを、その頭を踏んで笑う自分が想像できてしまうほどに。

 メニュー表で顔を隠すラウラ。高い物をたのむんじゃねえぞ。オルコット社の元社長令嬢という肩書きに、高貴さも金銭的豊かさもあったもんじゃなかった。中身は現実を知った没落令嬢ソレだった。

 

「ふむ。ハンバーガーばっかりだな」

 

「当たり前だろ。そういう店なんだからな」

 

 ハンバーガーレストランという選択をしたのは、単純にこの店が最も近かったことと、早い安いが売りのファストフードの不味さに我慢できなかったからだ。安いことに越したことはないが、安かろう不味かろうでは駄目だ。

 

「では、この店で一番高いメニューを」

 

「わたくしは払わないから。無銭飲食だな?」

 

「……では、このメニューで」

 

 ラウラは机に広げたメニュー表の中の一つを指さして、じと目を見せるセシリアの顔色を窺ってきた。セシリアはメニューの値段を確認してから、机の端に置いてある呼び鈴を押した。電子音がピピッとなって暫くすると、営業スマイルを浮かべた女性店員がやってきた。この営業スマイルの裏にはどのような感情が隠れているのか。セシリアは興味を持ったが、どうせ客への不満だ、とメニュー表を指さしながら注文を伝える。

 営業スマイルで塗り固めた店員が注文を復唱して去っていくと、セシリアは向かいに座るラウラを睨みつけた。

 

「偶然なんて嘘をついたラウラさんよぉ。最近になってべた付いてくるのはどうしてだ?」

 

 人差し指の腹が机を叩く。顔も動きも腹立たしいと語っている。ラウラは涼しい顔をしている。傍から見れば、注文が来なくて苛立っているようにも見えなくない。

 

「私にも分からないな」

 

「あぁ!? 分からないだぁ?」

 

「そうだ。キサマと戦い、容易に蹴散らした後からだな」

 

「その口の中に拳を突っ込みたい気分になったぜ。フルスイングでな」

 

「正確に言えば、備品室での一件以降、キサマに対してあった不愉快感が鳴りを潜めた。理由は分からない。おそらく、キサマと私の境遇が一緒だと認識したからだと思う。キサマの得体を知ったことで細心の警戒心が解けた。そんなところだ。故に、キサマは同郷の者に対して施す義務がある」

 

「さらっと余計なこと要求すんじゃねぇぞ。それと、わたくしは全然不快感が収まらねえぞ」

 

 机を叩く指の動きが速くなっていく。爪を当てているわけではないから音は目立たないが、音がしないわけではないのでカッカッカッ、とリズミカルに打ち鳴らしている。机の下では足を忙しなくパタパタと動かしていた。目の前の生き物をボコボコにして有り金を巻き上げればムシャクシャとする感情も収まる気がしてならない。

 しかし、セシリアも常識がないということはないので、店の中では少々騒がしくも暴力沙汰にまでは発展させていない。

 苛立つセシリアを正面にしたラウラは気の障るような溜息をついた。

 

「それはキサマの器の小ささが原因だ」

 

 セシリアは解き放たれた。



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家の前に

「ば、場を弁えたことをするな」

 

 注文した品を目の前にしてラウラが小さく呻き声を上げる。歯を食いしばる姿にセシリアはウットリとした微笑みを浮かべて、自分が注文したハンバーガーに喰らいつく。見目の良いハンバーガーは味も良く、セシリアは何度も頷きながら咀嚼する。

 ラウラもハンバーガーに手を伸ばすが、後少しで触れるというところで顔を歪める。歯と歯の間から地鳴りのような音を出すと、伸ばした手を引っ込めた。

 

「どーした? 食わないのか?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべている。自分でも顔の変化が分かってしまった。セシリアは吊り上がる頬を隠そうとせずにラウラに視線を向ける。

 向かい合って座る机の下では、セシリアの踵が正面の相手の足に突き刺さっていた。ラウラがハンバーガーに手を伸ばす度に、突き刺さった踵が掘削機さながらに動き出す。日頃の恨みが籠った踵は常人を超えた威力を発揮し、ラウラは痛みを回避するために手を引かなければならなかった。

 

「ぐぐぐっ! 足を退けろ」

 

「足を退けてください、だろーが。無銭飲食ちゃんよぉ。テメェーが金持ってねえってんだ。身体で払えよ。ストレス解消の為にこれくらいさせろよ」

 

 再び手を伸ばし、末端部からの激痛に顔を真っ青にするラウラ。セシリアは涼しい顔をしていることもあり、強者と敗者の構図が出来上がっていた。実際の実力者は真逆なのだが、今は確かにセシリアが勝者だった。

 ほっそりとしたフライドポテトを摘まむ。ハンバーガーだけが美味しいわけじゃないと分かり、セシリアはこの店に合格印を押した。

 摘まんだポテトをラウラへと向ける。自分の注文したハンバーガーはセシリアの魔の手によって食べることの出来な状況で、目の前に突き付けられたポテトは地獄に仏だった。

 ラウラは顔を前に突き出してポテトへと迫る。後少しのところでポテトが天高く舞った。

 

「あっ!?」

 

 縦回転で上昇したポテトを目で追うラウラに、セシリアは失笑した。飛ぶところまで飛んだポテトは運動エネルギーを失って落ちてくる。着地地点は天を仰ぐセシリアの口の中だった。

 

「ぐぬぅ!?」

 

「誰がやるって言った?」

 

「意地が悪い。意地が悪いぞ」

 

 ラウラの言葉を無視して店内の時計を見る。短針が一時を示しかけていた。

 水着を買いに来て四時間が経とうとしている。目的のブツは未だに手元にはなく、代わりに財布からは二人分の食事代が飛んでいき、余計な人工物が引っ付いてきている。せめてストレス解消の道具にしようと足を攻撃しているが、当初の目的を果たせていない事実が苛立ちを燻らせている。

 目の前でハンバーガーに熱い視線を送り続けている人工物を見ると、能天気なくらい悩みがなさそうで羨ましくなる。

 セシリアは溜息を吐き出す。前世では海と無縁な生活を送っていた。似たような言葉で一番縁のあるものと言えば血の海くらいだ。しかし、同じ海でも泳げる海ではない。よって水着の必要性はなかった。さらに言えば、前世の海は泳げるレベルの海ではなかった。そもそも水着なんてモノは存在していなかった気がする。過去を振り返っても海と接点がなかったことに、これでは水着選びも進まないわけだ、とセシリアは頭を抱える。

 

「ラウラ。もう食っていいぞ」

 

 絶望感が諦めさせる。虐め心も萎えてしまったセシリアは足を退けて許可を出した。突然の解放にラウラは訝しんだが、空腹には勝てずハンバーガーに飛びついた。バクバクとハンバーガーを蹂躙していくラウラを、セシリアは頬杖を突きながら眺めた。

 一心不乱にハンバーガーを胃袋に収めるラウラは餓鬼みたいだった。小さい見た目は子どもらしい純真さがある。多くの人がこの姿に暖かい気持ちになるかもしれないが、セシリアにはどうしても理解ができなかった。たとえ従順で可愛がりがいのある態度で寄って来られても、きっと慈しむことは不可能だ。

 ラウラは不愉快感を感じなくなったと言う。それは事実だとセシリアは思った。目に悪意がなくなったことで理解ができる。だけどわたくしは全く悪意も敵意も振り払えないんだから、もしかしたらコイツの言うように器が小さいからか。人間性に関しては誇れないことくらいセシリアにも分かっている。だが、自分が蛇のように執念深かった記憶はない。

 コイツと前世で何があったのか。それさえ分かれば全てが解決しそうな気がする。ふむ、店内に目を向けると、さきほど案内してくれた店員が新しい客を席へと案内している。やはり嘘くさい笑顔だ。

 嘘くさい笑顔と言えば、備品室でラウラとの関係について考察していた時、是ッ清が何かを思いついた素振りをしていたのを思い出した。何も思いついてない、と主張していたが一つ仮説を立てたのではないだろうか。それも、一般的には馬鹿にされかねないような仮説を。いいや、セシリアとラウラのどちらか、あるいは両名から怒鳴られることを恐れて言わなかったのかもしれない。

 わたくしが怒鳴りたくなるような仮説とは何か。実は前世のラウラと戦って殺されたとかか。うん、怒るな。だが、だとしたらわたくしはなんで覚えていない。殺し殺されの関係ならどちらかが覚えていてもいいはずだ。前世の記憶もあるのだ。名前を知っていても不思議じゃないはずなのに、わたくしもラウラも互いの名前を出していないのか。

 もしかして、ラウラの言っていたわたくしの弱体化と関係があるのか。ポテトを一本ずつカリカリとリスのように食べるラウラ。なんだ、と目が問いかけてくる。

 

「タッグトーナメントの時、わたくしの母親がわたくしに何かしたって言ったよな。何を言っていたか覚えてるか?」

 

 セシリアが問いかける。

 返答次第では奢ってやろうと考えながら、ラウラの言葉を待っていると「前に話したこと以外なら」と思い出すように天井を仰ぎ見た。

 

「確か……娘を救ってくれ、とか言ってたな」

 

「救ってくれ? わたくしをか」

 

 あの鬼女がそんなことを言った、ということが信じられなかった。仕事の鬼であり、体面ばかりを重んじるような母親に娘を救う、という言葉は似合わない。調教や、再教育という人権を侵害しかねない言葉の方が唇に合っている。

 

「というかそれくらいしか言ってなかったな」

 

「さすがだ。あのババア」

 

 故人を、それも母親の悪口を言うことに関して、セシリアには一切の抵抗感はなかった。母親を慕った覚えが全くないことが原因かもしれない。

 

「救う、か」

 

 救う。セシリアには考えが及ばない。母親がどういった意図でそんな言葉を使ったのか。唯一理解できるのは、その救いはセシリアを想って口走った言葉じゃないということくらいだ。自分の名誉を守ることが前提にあるに違いない。

 食事を終え、相方が食べ終えるのを待つだけの身となったセシリアは考える。普段ここまで脳みそを使い込んだことはなかった。

 体面や名誉を気にする女はどう動く。わたくしの弱体化の原因だとして、一体何をしたのか。前世の自分を振り返っても、姿かたち以外で変わったところはないはずだ。

 

「分かんねぇぞー」

 

 机に突っ伏したセシリアは考えることを止めて、ラウラが食べ終わるのを待った。

 数分後、セシリアは仕方なくラウラを引き連れて水着売り場に戻り、確認せず適当に掴んだ水着を買って学園へと帰った。

 そして翌日、セシリアは臨海学校を欠席した。



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小さな男の子が

 目覚めた時に見える風景は決して良いものではなかった。海を連想させる青色はどこにもなく、太陽の光が降り注いで目を開けるのが辛いということもない。見える中に自然なものは見当たらない。

 首を回して周囲を見渡して見ても、自然の中にあるようなものは目に入って来ない。見えるのは全て人工的に作られたものばかりだ。グシャグシャになった白いシーツに覆われた安物のベッドに、ベッド脇のテーブルに置かれた護身用の空のビール瓶、締め切られたカーテンは太陽の透過を許さずにいるために、現在居る場所は多少の闇を作り出していた。

 自分の部屋に居た。寝て起きて違う場所に居れば、荒事に慣れ親しんだセシリアは眠気の抜けきらない状態から一気に覚醒して警戒を見せる。だが、現実は寮内の自室だった。だからその時点でセシリアの脳みそは睡眠の余韻に浸っていて、視界に映り込んだ違和感に気がつかなかった。

 気がついたのは、眠気を振り払って起き上がろうとした時だ。視界がやけに高い。ベッドが端に見える。視界よりも少し低い位置にあった。ビール瓶が遠くに置かれていて手が届かない。

 おかしい。身体に力を入れるとギチギチと音が鳴る。首を下ろすと、ロープが身体に巻き付いていた。腕ごと縛り上げられている。手首もロープでくっ付けられ指を動かす以外で腕部を動かすことはできない状態だった。

 

「寮の中だよな?」

 

 セシリアは椅子に座らされロープで固定されていた。昨日はベッドに横になって眠った記憶がある。なのに起きれば椅子。酔って自分を椅子に縛りつけるような酒乱は持ち合わせていないし、そもそも未成年で酒を飲むような不真面目さはない。というか前世を含めて酒を飲んだことはなかった。

 誰かに縛られたな。だとしたら誰だ。セシリアを好意的に見れない輩は存在しない、などという自惚れはない。むしろ敵は多い。ただ、こうも犯罪臭を匂わせるような手段を取る相手には心当たりがなかった。

 IS学園はエリートの集まりだ。中には国を背負っている者もいるほどに。勉強に打ち込み狭き門を潜り抜けた彼女たちが、果たして自分たちの人生を棒に振りかねない事を起こすだろうか。よっぽど頭の悪いエリートならやりかねないが、少なくともセシリアの周りには居ない。

 ラウラなら考えられるが、最近の彼女の態度を思うと否定せざるを得ない。今更アイツが金銭面や常識面以外で迷惑をかけてくることはなさそうだ、とセシリアは溜息を吐き出す。酸素を取り込んだ時身体が僅かに膨張してロープを軋ませる。

 まずは拘束を解く必要がある。セシリアは身体に力を入れて暴れようとするが、ロープは彼女を警戒してか何重にも巻きつけられていて引き千切ることはできない。

 

『お目覚めかい?』

 

 電子音に加工された男とも女ともつかない声が部屋に響く。奮闘の最中にあったセシリアはピタリと動きを止めて、視線を床へと向けた。

 

『ああ、お構いなく。俺もちょっと眠いから』

 

 床にケータイが行儀よく座っていた。形状は見慣れたもので、セシリアのモノだ。スピーカーモードになっているようで、通話相手の息遣いまでよく聞こえてる。緊張はしていない様子だ。

 

『セシリア・オルコット。音声だけだけど初めまして。俺はIS学園所属女子生徒。聞いて分かると思うが偽名だ。本名はあえて伏せさせてもらう。この後、君に探されてボコボコにされるのが恐いから。ああ、でも安心してほしい。俺は君を傷つけようなんて考えていないんだ。ただ手助けしたい。そう思っての行動なんだ。手荒な真似をしている自覚はある。きっと迷惑に思っているだろう。分かるが、君のためと思うからと言って、真正面から申し出ても君はきっと鼻で笑って拳を叩き込んでくる。だから多少手荒にしてしまった』

 

 饒舌に喋るケータイ。一人称から相手は男性という判断もできるが、偽名とはいえ名前は女子生徒。さらに話している内容からIS学園に居る誰か、ということで女性の可能性の方が高い。

 男性か女性か。どちらかを考える中で、セシリアはさらに引っかかりを覚える。

 偽名だ。IS学園所属女子生徒という偽名に聞き覚えがある。どこかで耳にした記憶があるのだ。セシリアは首を捻って記憶を探るが適切な箇所を発見できずにいた。

 

『偽名に聞き覚えがあるのは間違えじゃない。思い出せるかい? 思い出せないならヒントをあげよう。更識楯無、これがヒントだ』

 

 楯無の名前がケータイから飛び出す。それはセシリアの耳から脳へと浸透していき、ある記憶を呼び起こす。ラウラがやってきてすぐの生徒会室で、楯無が言っていたことが記憶から引き出される。

 

『情報提供者。当たりだ。大当たりだよ。楯無君に気まぐれで情報を渡していたのは俺だ。IS学園所属女子生徒。君は周囲に裏切者が居ると思い、布仏本音君を疑ったみたいだけど。実は俺が犯人だ』

 

 ケータイの向こう側にいるのが何者かは分からない。だが、先ほどまで一方的な話を聞くセシリアは背中が冷たくなった。こちらが何かを発した訳でもないのに、まるで心の内を読んでいるかのように言葉を投げかけてくる。ケータイの向こうには本当に人が居るのか疑いたくなる。

 

『怯えない怯えない。君の方がよっぽど恐いんだ。何を怯える必要がある。俺なんて君と戦ったら五秒で負ける自信と確信がある。だから安心しろ。俺には君をどうこう出来る力はないんだ。君の前世の方が十二分に危ない』

 

 心を読まれているのは事実だった。セシリアはゾッとすると共に、これなら情報提供者に向いていると思った。敵に回れば勝ち目がないことも。

 

『さっきも言ったけど。俺は手助けをしに来ただけだ。害悪をもたらす気は毛頭ない。それを理解してほしい。それに心は読んでいない。心なんて読める訳ない。相手のしぐさや声音で予想するしかできないものだ。口に出さないものが他人に分かるはずがない。同じように俺もただ君の声をキャッチしているだけだ。声を聞いているだけだから読めてはいない。嘘じゃないよ。そんなことよりも、今から君を助けよう。君の持つ疑問に回答への道を提示してあげよう。悪いことじゃない。真実を知るだけだから、解放するだけだから』

 

 怯えに反応したケータイがなだめるように言葉を紡ぐ。それがセシリアの心を安定させるような作用はなかった。訳の分からない言葉選びで混乱させようとする。惑わせて何かをさせようとする魂胆を想像して、内側から怒りが沸き起こる。

 

『怒る必要はない。確かにややこしい言い方だったかもしれないが、決して君を惑わせて手綱を握ろうとか考えてはいない。ただの気まぐれだよ。君が苦悩しているのを知って、たまたま助けてあげたい、という気持ちが芽生えたから行動に移しただけ。いいや、今は疑われても仕方がないとして、諦めて行動しよう。では、暫くの間ごきげんよう』

 

 勝手に納得して、ケータイから声は消えた。束の間の安堵がセシリアを包むが、すぐにそれも剥がされる。

 ケータイからIS学園所属女子学生の声は消えたが、入れ替わるようにおかしな音楽が聞こえてきた。しっちゃかめっちゃかな統一性のないメロディーが静かに、時に盛大に鳴り響く。耳が不愉快さにぞくぞくする。両手で耳を塞ぎたくなる不愉快さだったが、縛られているセシリアには音を遮断する方法はない。睡眠という方法があるが、寝起き間もなくの身には難しい。メロディーも妙に神経を刺激して眠ろうとしても妨げてくるだろう。単調な音楽ではないからこそ、眠りにつくのは容易ではない。

 

「聞こえているなら、この耳障りな音を止めろ!」

 

 不気味で耳を腐らせてしまいそうな音楽を垂れ流すケータイに向けて叫ぶ。大音量に成り続けるケータイの吹き込み口に届いたのかは分からない。届いたところで向こう側の人物が馬鹿正直に止めてくれる可能性は低いだろう。手助け、という言葉が何に対してのモノなのかも推し量ることもできず、セシリアは部屋の中で渦を作る音楽を聞かされ続けた。



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置かれていました

 音が聞こえてくる。不愉快だ。不愉快だ。不愉快だ。

 セシリアと同じ金色の髪をかき上げて見下してくる母親の姿が目の前にある。苛立ちを宿した鋭い眼光は娘にも通ずるものがある。この母にしてこの子あり、と父親が言っていたのを思い出した。その父は母はおろか娘にすら顔色を窺ってばかりの小心者だった。その父親の姿は見えない。母親だけがセシリアの前に立ち、会社を背負って生きる強い女の雰囲気をぶつけてきていた。

 昔から母親はセシリアの言動に怒ってばかりいた。社長令嬢としての自覚を持て、由緒正しい貴族としての振る舞いを学べ、言葉遣いを直せ、とにかくセシリアの全てを否定し、修正することを求めてきた。

 たまったものではない。前世の時から礼節とは無縁の生き方を貫いてきた。気に入らないことに関しては暴力で解決してきた。今更礼儀を学ぶ心積もりもなく好き勝手に振る舞ってきたセシリアを、社会的側面を重んじる母親が快く思わないのは当然だった。

 母親が口が何かを形作る。言葉を口にしている、と分かったのは口の動きがはっきりとしていたからだ。

 確か、ババアはなんて言ってたっけかな。どーせ、口調を直せや礼儀正しくしろとかだ。でも、口の動きはそのどちらにも当てはまらない。

 セシリアはぼんやりとする頭で考える。どうにも思考が回らない。あの音楽がゆったりねっとりと頭の中で流れ続けている。音を止めろ、考えられない。

 鳴り響く音に目を閉じる。暗闇が一瞬。再び目を開けると知らない少女の後ろ姿が見える。

 いいや、知っている。よく知っている少女だ。鏡でよく見たことがある。

 セシリア・オルコット。この少女は小さい時のわたくしだ。後ろ姿しか見えないが確信できる。

 

「異常? 異常ってアタシのことかよ。はは、そりゃ大変だ。アタシもアンタを異常だと思うぜ。良かったな、思い思われの関係でよ」

 

 幼少期のセシリアが高笑いと共に挑発する。少女の背中越しに見える母親が憎たらしいと鼻を鳴らす。二人の仲は誰がどう見ても険悪だった。

 今のセシリアにはこの記憶はない。このやり取りは記憶の片隅にも残ってはなかった。

 残っている。セシリアの頭の中で一つの映像がゆっくりと浮かび上がってきた。濁った川から顔を出すかのように鮮明になっていく映像はセシリアを混乱させる。知っているのに知らない。覚えがないのに覚えている。

 

「セシリア。わたくしをあまり舐めないことね。今の貴女ではどうすることもできないわ」

 

「だな。名を汚されることを恐れて、アタシを閉じ込めるもんだからな。やりたいこともできなくてストレスが溜まっちまうよ。と言ってもこんな姿の間だ。大きくなれば全て変わる。アンタを血の海に沈めちゃうぜ。早く何とかした方がいいんじゃない? 病死に偽装するか? 持ってんだろ、口の堅ーいお抱えの医者って奴を。それとも事故死か? こんな広い邸宅だ。どこに何の危険があるか分かったもんじゃないしな。それとも正攻法で殺処分にでもするか? アンタにとっちゃアタシの存在は招かれざる存在だったみたいだしな。どんな手を使ってくるか楽しみだよ。それとも法に縛られて何もできないか」

 

 高笑いが段々と近づいてくる。幼少期のセシリアは振り返った。今のセシリアをそのまま幼くした風貌がはっきりと目に飛び込んでくる。

 しかし瞳が違った。今のセシリアとは瞳の輝きが段違いだ。幼いセシリアの方が何倍も輝いている。瞳の輝きの強さが意志の強さを表しているとしたら、今のセシリアには勝ち目がなかった。

 でも、とセシリアは口の中で言葉を作り出す。全然悔しい思いはない。なんでお前が、とは思わない。だってそれもわたくしだから。わたくし自身のことをどうしてわたくしが悔しいと思う?

 

「セシリア。明日、貴女は変わるわ。変わるのよ。目覚めたら全て終わるわ。もう貴女が貴女を思い出すことはないの。今のうちにお別れを言っておきなさい」

 

「食事に眠剤でも盛るか。そして何か記憶を消す方法でも実行するのか。わざわざ教えてくれてありがとう。何をされるかを教えて、恐怖でも煽るつもりだったのかよ。子悪党だな。ちっちぇなー」

 

「違う。これは一人目の娘に対する最後の慈悲よ。明日には貴女は死んでる。死んでるのよ。死ぬ人間にいちいち鞭打つ必要はないわ」

 

 だから憎い母親の愛を最後に消えなさい。母親はそう言って部屋から出ていった。次の日には全て忘れた。夕食時に盛られた眠剤に意識をゆだねて。

 わたくしはセシリア・オルコットだ。わたくしも作られた存在だった。

 

『その通り。脳の中を弄られ、君は新しいセシリア・オルコットになった。快楽殺人という業を封じ込まれ、ただの暴力少女変化したんだ。誤算があるとすれば、母親の思っていた通りの女の子にはならなかったことくらい。屈服させることのできなかった君の根幹。よって君はラウラ・ボーデヴィッヒ君の言葉を借りるなら弱体化したのさ。彼女が君と戦った時に、手加減していると思ったのは、憎き相手と拳を交えた時に君の中の根幹が表に出てきたからさ。と言っても君自身の力にはならなかったみたいだけど』

 

 頭がすっきりとしてくる。頭の中に居座っていた音楽はもう聞こえなくなっていた。ケータイ越しの機械音がよく聞き取れる。

 

『おめでとう。セシリア・オルコット君。君は本来の自分を取り戻した……だけでなく、世を忍ぶ仮の姿までもを手に入れた。もはや君に勝てる人間はいないだろう。織斑千冬でさえ勝てない。きっと篠ノ之束でも止められない。改めておめでとう』

 

 称賛の声を最後に通話が途切れる。

 セシリアは首を振る。クリアになった頭で考えたことは臨海学校のことだ。青い海に飛び込みたい衝動に駆られ、脳みそも水柱を立たせて海に飛び込むビジョンを作り出していた。

 

「海は青いぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町田是っ清はサボっている。なんて、カッコよくカッコ悪いことを考える俺は考えるまでもなくカッコ悪い。女尊男卑のこの世の中では男の社会的身分は低い。底辺じゃないが、十分に低い。かつての男尊女卑の世界観を体感しているみたいで泣きそうになるが、男は家庭を守るモノという認識までもが横行していないだけでもありがたい。社会で仕事につくことができるということは、女尊男卑が極端にまで傾いていない証になる。だが、マーカーを取ってきてと顎で使われる我が身を思うと、女尊男卑であること事態が嫌になる。比率なんて問題にならない。

 廊下は通常時と比べて僅かに静かだ。一学年が臨海学校で海へと放たれたことで、学園内は少々人口密度を減らしている。未熟でも女らしさを備えつつある少女たちの元気な姿が見れないのは残念だ。目の保養を奪われてショボショボしてきそう。俺も臨海学校に行きたかった。水着姿が見たかった。前世で好きだったセシリアとラウラの水着姿を拝みたかった。殴られるの覚悟で見たかったんだ。

 邪念一杯の頭で備品室へと向かう。年上の女教師の顎使いに抵抗する力のない俺は、背中を丸めて職員室から出ていく。負け犬オーラを背負っている自覚を持っているからこそ辛い。

 

「やっべぇな。全然おもしろくねー」

 

 声を出さずにはいられない。言葉にして吐き出さないと、身体の内の愚痴が溜まってそのまんまストレスになってしまう。見られたら奇人扱いは避けられんが、気にしないことがストレスを溜めない方法だ。

 閑散とした場所にある備品室は明るい校舎の中で一番暗い場所にあるんじゃないか。そう重たくもなるくらいに人気もなく、照明の明るさも足りない。

 だからこそ俺にとってオアシスなんだが、今はその心地よさを楽しむ時間はない。パッと行ってパッと帰ってこないと、のろまだ何だと嫌味を言われてしまう。お前みたいなのが居るんだ、のろまになりたくなる。

 備品室の扉を目の前にする。もっと長い道のりだと気が利くんだが、既に出来上がった廊下が伸びることなんてない。

 不貞腐れたい気持ちを抑えて扉を開ける。いつも通り、備品室の中は雑多の物が詰まれている。俺やセシリア以外に訪れる者のいない室内だが、俺が頻繁に利用していることもあって人が長い出来る環境を維持していた。

 

「……あれ?」

 

 備品の山の中に何かいる。白い制服を着た人間みたいなのが。

 扉を一度閉める。もう一度開ける。人が居る。それも気絶しているのか俺が登場しても身動ぎ一つしない。

 そろそろと近づく。いきなり目を開けてガバーッと来られたら心臓が破裂する自信がある。

 見覚えのない生徒だ。授業を受け持った覚えはない。というか顔が痛々しいほどに腫れ上がっている。襲撃されてここに放置されたのか。

 生徒の状態を見る限り生きてる。ちょっと胸が静かに上下動しているから分かる。

 

「生きてるから安心しな」

 

 後ろから声をかけられる。聞きなれた声にホッとして背後を振り返ると案の定セシリアが居た。

 

「……あれ?」

 

 なんでセシリアが居るんだ。臨海学校に行ったんじゃなかったっけ。いいや、そもそも目の前の奴はセシリアなのか。雰囲気が何か違う。

 

「……誰だお前?」

 

 問いかけると、目の前のセシリアがニヤリと笑った。



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セシリアさんとラウラさんは

 ひたすらに廊下を走る。廊下は授業開始の合図が鳴った後で、人通りなどないに等しく真っ直ぐと駆けることができた。どたばたと足音に気を使う暇もなく足を動かして、俺は一心不乱に職員室へとひた走る。

 職員室にたどり着くと、他人様を顎で使うのが得意な女教師が不機嫌そうな顔でこちらへと向かってきた。

 たかがマーカーを取りに行くだけでどれほどの時間をかける必要がある。そう言われる気がした。この女教師は自分こそが一番と考えるきらいがあり、俺のみならず他の教員からも疎まれている。嫌味ったらしくねちっこい。ヘドロか、と言いたくなる。

 しかし、今の俺にはこのヘドロと関わっている暇はない。文句の一つ拝聴する時間を持ち合わせちゃいないのだ。

 

「置いておきます」

 

 五色入りマーカーを出入口から一番近いデスクに置くと、俺はさっさと背を向けて職員室から出る。女教師がヒステリックな叫び声が聞こえてくるが、今の俺を止めるほどの恐怖はない。

 教員室を出て来た道を急いで戻る。行ったり来たりをするのは面倒だが、そんなことは言ってられない。足が棒になってポキリと折れるまで全力疾走。廊下は走ってはいけないんだろうけど、教師の特権と非常事態に付き除外、という免罪符を掲げる。それにこういうのは現行犯だ。見られてなければなんとでもなる。

 途中、自販機で二人分の飲み物を買ってから備品室へと戻る。

 部屋の中に入れば、備品の山を背にして気を失っている少女がまだ居た。あれから五分は経過したが、意識を取り戻した様子はない。痛々しい姿に顔が引き攣ってしまう。アレが自分の顔にされたら、と思うとアレを作り上げた職人に平伏したくなる。痛いのはご勘弁だ。

 

「おっ、ご苦労さん」

 

 右手を見れば、備品の山の一角に手を突っ込んで何かを探しているセシリアが居た。背を向けているにも関わらず、的確に俺を見抜くとは。というか年下なんだから、お疲れ様と言うところだろうが、と言えない小心者な俺。

 備品を漁るセシリアは「よっ」と小さく漏らすと山の中から新品のガムテープを引っ張り上げた。

 ガムテープを片手にセシリアは山の上で動かない少女へと近づく。気を失っている少女を見下ろしたセシリアはガムテープを使って、まずは少女の口を塞いだ。次に身体をガムテープでぐるぐる巻きにして簡易的に拘束した。さらに、両足もガムテープで拘束する。これで少女は身動きを封じられ、助けを呼ぶこともできなくなってしまった。とても犯罪臭がして気持ちが落ち着かない。

 

「おい。何してんだ?」

 

 教師として、そもそも社会人としてセシリアの行動を訊ねなければならない。犯罪っぽいことになるならばすぐさま警察に連絡して引き取ってもらわなければ。いいや、そうなると現場に居合わせた俺に疑いがかかるかもしれない。というか女尊男卑のこの社会で、果たして俺の証言が信用してもらえるのか。セシリアが濡れ衣を被せにきたら絶対に負けるだろ。こうなれば毒を食らわば皿までだ。まだ悪に手を染めたわけじゃないけど。

 犯罪者になることをやけくそ気味に決意していると、セシリアが生徒手帳を投げ渡してきた。

 

「見りゃ分かるだろ。逃げられないように縛ってんの」

 

 当たり前のように言われてしまった。セシリアは気絶する少女の身体を触って持ち物検査をしていた。財布の中身を確認して舌打ちしたのが妙に印象的だ。

 渡された生徒手帳を開くと、少女の学年と名前が判明する。広場天子という二年女子だ。名前に聞き覚えがないから受け持ったことはない。

 プライバシーを忘れて生徒手帳を物色するが、カレンダー部分にもメモ欄にも記述はなく中身は新品同様だった。ちょっとつまらなかった。

 

「で? なんで……この広場天子とかいう女子をボコボコにして縛るんだ? 海外に売り飛ばすのか?」

 

「しねぇよ。そんな人脈持ってないし。それに人聞きが悪いぜ。こっちは挨拶がてら軽く小突いただけだ」

 

「俺の知ってる限り、顔が腫れあがる状態は小突いて出来るもんじゃないぞ」

 

「勝手知ったる仲だから正直に言っちゃうぜ。お礼とお礼参りを同時にこなしただけ」

 

「……何をお前の恨みを買ったんだ?」

 

 買ってきた飲み物をセシリアに投げ渡す。好みを知らないから微糖のコーヒー。すぐに投げ返されたので、仕方なく無糖の方を投げ渡した。プルタブを開ける音が聞こえて来たので、これからは無糖を買ってくるようにしょうと思った。パシリの心がマックスだった。

 

「アタシを解放してくれた礼と、縛りつけてくれたお礼だよ。これでもいい方。プラマイのマイナスがちょっと増してるくらいのことさ」

 

 一人称の違いが耳に引っかかって来る。コイツの一人称は確かわたくしだったはずだ。母親が五月蠅いから一人称だけは屈したとかなんとかで。それなのに、両親が死んで数年経って今更変えるってどういうことだ。解放という言葉と関係があるのか。

 疑問はいっぱいある。どうして臨海学校に行っているはずのセシリアが学園に残っているのか。どうして広場天子は縛り上げられているのか。どうして解放という言葉を使ったのか。どうして、縛りつけられていたのか。一番は、セシリアの雰囲気が今までと違うことだ。

 セシリアは獣ような少女だったはずだ。油断すれば喰いつかれるんじゃないかってくらいおっかない猛獣だったはずなんだよ。

 だけど、今のセシリアはそんな直線的じゃない。猛獣を目の前にする恐さ以上のものがある。言葉に表すのも難しい、独特の雰囲気を纏っている。

 

「臨海学校に行ったんじゃないのか?」

 

 まずは一つずつ疑問を解消していこう。それも、セシリアの機嫌を損ねないよう慎重に。

 

「行きたかったけどね。夜中の内にソイツに縛られた。当日にアタシのケータイ使って、楯無経由で担任に欠席を知らせたらしい。脅してさせたんだってよ」

 

 拘束されていたことを、事もなげに話すセシリア。表情の機微を読み取れるだけ読み取ってみたが、俺の観察眼を信じるのならもう怒ってはないようだ。広場天子の顔の腫れ上がりを見れば気が済んだのだろう。

 

「楯無を脅した? あんな奴を脅して従わせるなんて無理だろ」

 

「無理じゃないから、アタシは海に行けずじまいなんだって」

 

「でもよ。脅すって何するんだよ」

 

「個人情報の流出。それだけ十分だ」

 

「現代的な手段だ。恐ろしいな」

 

 インターネットやSNSの普及が悪い方向に、なんて保守的で変更的なことばかりを告げるコメンテーターみたいなことを言うつもりはないが、やはり繋がりやすいは危険かもしれない。

 

「さっきの解放とかいう言葉もコイツと関係あるのか」

 

 一つずつ知っていこうとしたが、最初の質問でけっこう分かった。セシリア拘束で海に行けず、解放後に報復行為として広場天子ボッコボコ。

 後は解放と雰囲気の様変わりについてだ。

 

「ある。前にここで、あの人工物と記憶合わせみたいなことしたろ。その時にあの人工物に弱体化してるなんて言われて、ずっと引っかかってたんだよ。あのババアが何かしたが何をされたかは分からない。ずぅーっと知りたいと思ってたんだ。それをコイツが手荒な真似で教えてくれたんだよ。お節介だな。で、そこでアタシは頭の中を弄られて、ちょっとだけ善い子ちゃんにさせられちゃったってことが分かったんだ。まったく、おかげでアタシは『わたくし』なんて気持ちの悪い言葉遣いをさせられちゃったんだよ。ああ、気持ちわる。さらに気持ち悪いのは、あんな人工物にアタシが手も足も出なかったことだ。コイツはムカついて仕方がねぇ。挙句にその人工物はアタシにべた付いてくる。唾吐きかけたくなるなぁ!」

 

 セシリアが叫ぶ。勢いで広場天子の腹を蹴飛ばした。憐れだ。俺が標的じゃなくて良かったよ、と思う俺は最低なのか。

 可哀想な芋虫を眺めていると、ソイツは蹴られた痛みで目を覚ました。腫れ上がった瞼がゆっくりと持ち上がると、日本人らしい黒い瞳が姿を見せた。

 広場天子が目覚めたことに気がついたセシリアは、彼女の近くにしゃがむと口に覆い被さって張り付いたガムテープを無造作に剥ぎ取る。べりべりべり、という音を鳴らしながら剥がされるガムテープに引っ張られる唇は、大層痛そうで軽い拷問のようにしか見えない。

 

「備品室に転がされるとは困ったな。せめてガムテープはやめてほしかった。制服が駄目になってしまう」

 

 意識を取り戻した広場天子は嫌に冷静だった。殴られ拘束されたというのに動揺一つ見せずに、淡々とセシリアに語り掛けている。よほど肝っ玉が据わっているだろう。

 

「俺は逃げられないよ。たとえ百メートル離れたところか逃走を開始しても一分も経たずに捕えられ、手足の一本や二本へし折られるだろうし。だから拘束する必要はないじゃないかい。ああ、やられたから仕返しというわけかい」

 

 セシリアの顔を臆することなく直視して、広場天子はすらすらと言葉を紡ぎ出す。最後の一言はまるでセシリアのやり口を分かっているかのような言葉だ。

 

「いるかのよう、じゃない。タイムラグなしで分かっているんだよ。転生者の町田先生」

 

 偶然か、と疑うには難しい言葉をぶつけられ、思わず身体が強張る。この部屋には既にセシリアという恐怖を感じさせる相手が居るというのに、そこにまだ未知の恐怖を放り込んでくる。

 チキンと言われようがビビりと言われようが構わない。俺は広場天子に気づかれないように出入口へと移動しようとする。

 だが彼女が視線をこちらに移して微笑んだために、俺の静かな逃亡計画は挫折を余儀なくされた。まるで俺の心を読んだか、わずかな表情の変化を敏感に感じ取ったかのように、出鼻を挫いてきた。

 

「逃げなくても俺には直接な力はないから。そんなに怯えない」

 

 その言葉に、俺は安堵なんて出来なかった。むしろ心を除かれているような、物理的にも精神的にも裸に剥かれてしまったかのような気分にさせられた。



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仕方なく

 話が長くなりそうだから、ひとまず飲み物を調達してくる。

 そう言って備品室を出たのは役五分前。学園内の自販機エリアで一息も二息もついていると、このまま逃げ出したくなる。だが、広場天子の奇妙な力というべきか、異常すぎる感の良さというべきか。得体のしれないものから逃れきる自信がない。

 そもそも、どうして俺を転生者だと知っているのか。広場天子もまた転生者なのかもしれない。だけど、それを理由にしても俺を転生者だと知っていることには繋がらない。この世界を軸とした未来からやってきた、というのも心を読んで応えるような言動の説明には成り得ない。

 そうなると、広場天子の持つ特殊能力と考える他ない。サトリのように人の心を覗き込める力。プライバシーという概念をいとも容易く突破してしまう、人間不信に成りかねない危険な能力を持っているのかもしれない。

 いいや、サトリの能力を持っていると仮定しても、俺が転生者と分かるものなのか。相手の考えていることが分かっても、俺がその瞬間に転生者云々を考えていなきゃ読み取れるはずがない。つまり、あの段階で転生者かどうかは分かっていないはずなのだが。過去に俺やセシリアの心を読んでいれば話は別だけど。

 考えても結論はでない。今分かっていることは、広場天子の動きによってセシリアが本来の自分というものを取り戻したということ。楯無を脅せるほどの何かを握っているということ。本人の言ったことを信じるならば非力であることくらいだ。

 自販機で飲み物を買い、備品室へと戻る。足が鉛のように重いのは、やはりあの空間に戻りたくないと思っているからだろう。それでも備品室にたどり着けてしまうのは、後でセシリアにボコボコにされる未来を回避したいと思っているから。

 扉を叩いて、俺であることを知らせてから入る。部屋の中に入ると、相変わらず拘束された広場天子が僅か数分では腫れが引くはずもなく、痛々しい顔面のままだ。ニコニコと無害を装う笑顔が似合わな過ぎる。

 

「結論がでるまで考えていてくれて構わなかったよ」

 

 入って来るなり浴びせられる言葉に、俺は頭を抱えたくなった。距離の制限がちょっと広くはないだろうか。遠慮という言葉をよく知ってほしい。

 

「遠慮という言葉は知っているさ。でもそれを胸に行動する気はない」

 

「ま、遠慮ばっかしてたら息詰まるもんな」

 

「そっか。二人して遠慮をしない性格なんだ。そりゃ惹かれ合うよ。というわけで帰っていい。ほら、俺って真面目で通っているはずだし」

 

「安心しろ。誰も君を真面目だとは思っていない。むしろ、中途半端に使える程度の認識だ。だからサボっていても、いつものこととして受けいれてくれる」

 

「やめろ! そんな知りたくもないこと言うんじゃない!」

 

「お節介なもんで」

 

「ありがた迷惑って言うんだよ!」

 

 心無い発言を受けた俺は耐えられず、広場天子に向けて買ってきた缶コーヒーを投擲した。フルスイングで投げた缶コーヒーは見事額に命中した。これにて教師生活は終焉を迎えた。教育委員会に言葉の袋叩きを受けて人生終了する未来が良く見える。後悔しかない。

 いいや、バレなきゃいいんだ。世の中って言うのは何でも露見しなければ犯罪じゃない。前世でも教員たちが言っていたじゃないか。虐めはなかったと思われます、ってな。限りなくクロだが、認めなきゃまだクロにはならない。

 このまま暴行の記憶を墓まで持っていこう。セシリアが「アタシにも寄こせ」と要求してきたので、缶コーヒーを投げ渡す。コイツに対しては攻撃的な態度を取ってはいけない。冗談抜きで殺されるから。

 

「お、今度はちゃんと無糖じゃないか。気が利く」

 

 満足そうにプルタブを開けたセシリアが背中を叩いてくる。力加減がきちんとされているために痛くはない。痛かったら泣く。

 パイプ椅子を引っ張り出して、二人を視界に収められる位置に座る。目を離せない恐怖が二人にはあるんだ。視界外に居られるのは心臓に悪い。

 

「さて、ここは言葉を知ったモノ同士の会話だ。口に出しての質疑応答をしようじゃないかい」

 

 状況的には一番立場の低い人間であるはずの広場天子が、まるで自分の不利が見えていないかのように提案してくる。そもそも質疑応答をするかどうかも決まっていないのに。

 

「お前の正体を言いな。どうしてアタシらの事を知っているんだ? 人の心を読んだとしか思えない発言は何だ?」

 

 俺の知りたかったことを、臆せずにズバリと聞いてくれるセシリア。俺も前のめりになって広場天子の言葉を待った。

 広場天子は質問んい対して暫く沈黙した。質問に対する、それらしい答えを作り出しているのかもしれない。こっちの情報や感情を理解できるのに何かしらの方法があるのだとすれば、それを教えることによって対策を取られてしまうかもしれない。そう思って、だんまりを決め込んだか。

 

「答えにくい質問だ」

 

 ようやく口を開いた広場天子は、困っているようには見えない顔で「困ったな」と呟いた。

 

「セシリア君がそういう質問をしてくるのは分かっていた。それと町田先生も同じようなことを聞きたいと思っていたことを。そうだな。二人の為に出来るだけ真実を伝えよう。と言っても限界はある。言いたい事と言いたくない事があるんだ、それくらいは許していただきたいな」

 

 許していただきたい、とは言ったが許可を求めているようには思えない。できるだけ真実を伝えるというのも曲者だ。100パーセントの真実を話すわけではない、どこかに嘘が混じっている可能性がある。下手すれば全部嘘で塗り固められるかもしれない。

 

「いいから話せ。許可なんか要らないんだろ」

 

 飲み終わった缶コーヒーをセシリアはぐしゃりと握りつぶした。脅しにしか見えないのは俺が肝っ玉の小さい人間だからなのか。

 

「俺の正体については見ての通りだ。これが一つ目の質問の答え」

 

「……えー」

 

 答えになっているようななっていないような。セシリア相手に持ち出す答えじゃないことは確かだ。

 

「そうだな、お前の言う通りだよ。一発殴らせろ」

 

 案の定、セシリアは拳骨の制裁を与えた。頭頂部に一撃貰った広場天子は目に涙を浮かべて「ふざけて悪かった」と反省した。

 

「だが真実でもある。人間、それも日本人。視覚情報から得られるものだけで十分答えになる。さて、理解が得られたかどうかは別にして、次の質問への答えだ。どうして君たちを知っているのか。このことへの答えは三つ目の質問と密接に関わりがある。なので、三つ目の質問から答えさせてもらおう」

 

 深い溜息をつく。三つ目の質問が俺の中で一番興味の引く内容で、それを知れることで恐怖が和らぐんじゃないかと期待してしまっていた。

 

「三つ目の質問の内容は、俺が君たちの心を読んでいるかのような発言ができる理由だった。どう答えればいいか。困るな。うーん、そうだな。正直に言えば俺に詳しくは分からない。正確に言葉を直すと、君たちの心を読んではいない。だけど、君たちの心の内も過去も見聞きしていることも知ることはできる。読むというよりも、君たちの方から提供してくれる、と言った方が言葉としては正しいかもしれない。原理は知らないんだが、君たちの身体の中にはアタシの生成した寄生虫みたいなのが入り込んでいて、そいつ等が君たちの全てをアタシに提供してくれている」

 

 ゾッとするような単語が耳に入り込んでくる。身体の中に常在菌以外の何者かが潜んでいて、それが全ての情報を外へと漏らしている。事実上身体を支配されている恐怖が背筋を凍らせる。ドッと汗が噴き出し、口の中が乾いてきた。

 

「寄生虫みたいと言ったけど身体には無害だよ。それに目で捉えることはできないから、そこまで怯えなくて構わない。何時寄生虫を入れたかは俺にも分からないよ。自分ではコントロールできていないから、止めることはできない。それと拡散するから、世界中の人の情報を手にすることが出来る。君たちを限定しているわけじゃないから、大丈夫だよ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、だ」

 

 全然気休めにならない言葉を向けられ、俺はもちろん安心できはしない。セシリアの方は自分の二の腕を抓ったり、足を叩いたりしていた。それで寄生虫が退治できるとでも思ったようだ。馬鹿にしたいけど、それで心が休まるなら俺もやっておきたい。

 

「あの有名な篠ノ之束の考えていることだって、俺には手に取るように分かっているんだ。世界中の支配階級たちが彼女の身柄と、その内に仕舞い込んだISのコア開発の知識を欲してるようだが、俺は既に持っている。この情報を売れば遊んで暮らせるかも。と言っても、俺に理解できるような優しい内容じゃないから無理だな。君たちが超高名な学者様の論文を理解できないのと同じ理由だ。理解するための知識なくして理解はできない」

 

 残念そうに見えない顔で「残念だ」と溜息を吐く広場天子。

 

「だからちょっかい出すのに時間がかかったのか」

 

 セシリアが納得したように言う。何をどう納得したのか問いかけようと思ったが、広場天子が先に口を開けたことで聞けなかった。

 

「その通り。セシリア君にかけられた暗示を理解するのに時間をかけ、暗示を解く方法を学ぶためにも時間をかけた。その結果が今日だ。タイミングが悪かったことは認める。だけど、こっちのタイミングは今日だった」

 

「おかげで海に行けなかった。青い青い海だ。前世ではギトギトで入れやしなかった海だぞ。期待してたのにさぁ」

 

「悪いと思う。セシリア君の楽しみを奪ったことを。だが、ラウラ君が纏わりつくことを考えると、そこまで楽しめるものとは思えないんじゃないかい?」

 

「それを言われたらそうだな。だが海だ。海なんだぜ!」

 

「それなら夏期休暇中に町田先生に連れて行ってもらえばいい。彼は普通自動車免許と普通二輪免許、中型、大型、牽引免許まで持っている。特殊自動車以外ならどれでも行ける」

 

「牽引は持ってねえよ」

 

「それ以外は事実なのか。教師をクビになる準備じゃん」

 

「違う! 憧れてたんだよ、大型免許! 休みを自動車学校に捧げて念願の想いを果たしたんだ。使い道ねえけどな」

 

 大人数で移動するような状況に追い込まれたことは一度もないし、マイクロバスが必要になるほど友達は持っていない。

 嫌なこと思い出した。お前のせいだぞ、と広場天子を睨み付けようとしたが、視界の端に映り込んだセシリアの笑顔に思わず振り返ってしまう。

 

「よしよしよぉーし。是っ清、海に行くぞ。アタシの用事を終えたらすぐにでも海に行くぞ。青い海だ!」

 

 それはもう微笑ましくなってしまうはしゃぎっぷりだった。化け物二人を相手にしていたはずなのに、俺は自分の頬が緩むのを感じた。



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男の子を育てることに

 今日受け持っている授業を全て消化しきった。最後の授業場所である三年三組の教室で、俺は教材を片付けると生徒たちの授業内容の質問を避けるためにすぐさま教室から撤退した。

 幸いこのIS学園では、授業内容に関する質問が出来るようにSNSを利用している。そのために教師が次の授業準備の時間を削ってまで留まる必要はない。生徒たちからの評価が下がるかもしれないが、今の俺にはそんなことで怯える時間はない。

 生徒たちの目がある手前、廊下を走ることはできない。仕方なく、ほぼ走っているように見えるが、ぎりぎり競歩のラインに収まっている速度と足さばきで廊下を突き進む。

 目指す場所は職員室。パッと入室して、明日の授業準備を行うための教材と、さっきまで使っていた教材を入れ替えると、誰かの顎に使われる前に出ていく。今日は途中から急いでばかりだな、と自販機で人数分の飲み物と、購買で同じく人数分のパンもしくは弁当を買って備品室へと帰っていく。

 備品室の中には、相変わらずガムテープに巻かれた広場天子が我が物顔で備品の山に背を預けていた。縛られ動けずにいる姿に、嫌にならないのかと問いかけたくなったが、既に自分の中にいるであろう寄生虫を通じてこっちの内心などお見通しになっているはずだ。わざわざ口に出してまで聞く必要はない。

 

「なんでも口に出すことは重要だ」

 

 天井を見上げていた広場天子が喋る労力を要求してきた。教師になった以上、他人と話すことには慣れ親しんでいる。話しかけることを苦労と思ったことはないが、こちらを見透かしている相手に話しかける気苦労はとんでもない。言葉に裏なんて持たせられない。全部バレているんだから。

 

「大人しく縛られてないで、セシリアに抗議した方がいいんじゃないのか?」

 

「構わない。別に不自由には思わない。ただ、目の前に缶コーヒーが置かれているのに飲めない辛さがある」

 

「不自由じゃないか。不自由を訴えているじゃないか」

 

「人間は不自由くらいがちょうどいいんだよ。ソイツの気持ちを分かってやれ」

 

「いいや、お前の憂さ晴らしだろ。誰が好き好んでこんな仕打ち受けるんだよ」

 

「ドMだろ」

 

 その例を出すんじゃない。抗議したい気持ちをぐっと抑えて、買ってきた食べ物を床にぶちまける。今日の昼飯は女子生徒の為のお洒落な弁当と総菜パン。それと飲み物各種。その中で俺は、自分用に買ってきたものを手元に引き寄せて安全を確保する。

 

「ま、センスは悪かねぇ」

 

 椅子から立ち上がり、幾つかの惣菜パンを摘み上げたセシリアは座っていた椅子にパンを置くと、広場天子のガムテープを外し始めた。

 

「すまない。恩に着るよ、マイケル」

 

 ガムテープを剥がされると、広場天子はおそらく映画のワンシーンで使われた台詞を口走った。冗談を言う気があるのか分からないような真顔で、さらりと冗談を言われても全然面白くなかった。セシリアも同じように思ったのか、簡単な暴力を振るってから広場天子から離れていった。

 

「分かっていたことだが、足の拘束は解いてくれないんだな」

 

「上が動かせればパンくらい食えるだろ」

 

「信頼されていないのが悲しい」

 

「セシリアに信頼してもらえるようなことをしたのかよ」

 

「してない。断言できる」

 

 広場天子は胸を張って断言した。自分自身に誇りがあるのだろう。あまりにトンチンカンな誇りに彼女の将来が心配になった。

 

「だがな。信頼されていなくとも、俺は君を信頼しているんだよ、セシリア」

 

「はぁ?」

 

 馬鹿かコイツ。セシリアの目がそう語っていた。

 

「俺は君を信頼している。それだけは信じてほしい。でなければ、君を助けようなんて動かなかったのだから」

 

「じゃあ、アタシの質問に答えな。最初に言っておくけど正直に答えろよ。ラウラ・ボーデヴィッヒの奴がどうして同じ世界に居る?」

 

 惣菜パンを噛み千切り喉に通していく。女子とは思えない荒々しい食べ方は以前までのセシリアと何ら変わりない。ちょっと安心した。

 

「また難しい質問だ。その質問に対しては真実を語ることはできない。さっきも言ったように俺は寄生虫によって情報を得る。俺は君より一年先輩でしかなく、その通りに一年早く生まれたに過ぎない身だ。得られる情報には限界がある。百年前の凡人がその時何を考えていたかなんて分からない。分かることは今を生きている人間の体験してきたことや、今何を考えているかぐらいだ。つまり、人間の手が入っていない奇跡と呼ばれる現象に対しては、俺は全くの無知であると言わざるを得ない。解明されていないことに関しての答えは持っていないということだ。転生などという摩訶不思議な出来事の法則性も何も知らないわけで、君たち不運な巡り合わせについては知らないと言うしかない」

 

 今度は本当に悲しい表情を浮かべて「悲しいな」と広場天子は呟いた。年齢と人知を超えた領域こそが彼女の弱点であるようだ。そしてその弱点によって、セシリアの望む答えを提出できないことに目を伏せて黙り込んでしまった。

 

「人生だからな。中々思い通りには行かないよな」

 

 下手なフォローだとは思ったが、言わないよりはマシだろう。自身の中に大した言葉がないことが悔やまれる。

 

「じゃあ、予想でいいから言ってみな」

 

 広場天子には目もくれずにセシリアが言う。思考の四割を食欲に支配されていそうながっつきっぷりに、俺は無言で目を伏せた。頭悪そうなくせして上手くフォローしてくれて、大人なのに恥ずかしい。

 羞恥に顔までも伏せてしまった俺を無視して、広場天子が「ふむ」と考え出した。

 

「常識を一切合切捨て去って語ろう。何故にセシリア君とラウラ君が同じ世界に転生してしまったのか。個人的に気になるのはラウラを生み出したボーデヴィッヒ博士だ。彼は強力な肉体に、それに見合う魂を入れようとした。その為におかしな儀式に手を出したみたいだが、実は二度失敗している。

 彼の中の失敗というのはラウラという肉体に魂を入れること。もしもその失敗が広く見た場合に成功だとしたらどうだろう。つまり、この世界のどこかに魂を引っ張り込んでくること自体は成功している。セシリアの前世の魂はこの世界にやってきて、自我に目覚めていないセシリア・オルコットの中に入り込んだ。そして、最後の儀式で、この世界にいるセシリアの魂に引き寄せられた魂がたまたまラウラ・ボーデヴィッヒの中に入った。これが俺の仮説だ。三度の儀式でどちらかが呼ばれ、最後の儀式で繋がったもう一人が呼び出された」

 

 スラスラと広場天子は荒唐無稽な仮説を語る。ただ、もと中二病患者として中々に興味をそそられる内容だった。そして、今までの常識を取っ払えば十分に通じる気がする。

 セシリアも関心したように頷いている。どこまで理解できていたのか気になって、広場天子へ視線を向けると、大丈夫だと頷いてくれた。どうやら正しく理解できていたらしい。

 

「じゃあ何か。どっちかが呼ばれれば、もう片方も自動的に連れて来られるのか?」

 

「理論が正しいとするならば可能性は大きい。特に君たちは特異な事情を抱えているから」

 

「ふーん。除霊でもしなきゃ駄目か」

 

「無駄だと思う。同じ身体に宿った魂に、除霊なんてものが利くとは到底思えない」

 

 俺も含め、頭のぶっ飛んだ者しかいない備品室。目撃されたら黒歴史行きだ。大人なのに黒歴史は嫌だが、既に話半分では済まないほどに全てを聞いてしまっている。逃げ出すのはもう不可能だ。当事者にカテゴライズされてしまっている。

 重たい話の中で弁当を気軽に食えるはずもなく、膝の上には手つかずののり弁が新鮮さを失っていく。腹の虫が空腹に騒ぎ立てるが根気で我慢する。

 

「気にせずに食べればいい」

 

 人の気を知る広場天子が顔を向けずに勧めてくれる。場の雰囲気ではなく人の心を無遠慮に読めることに、俺は初めて素晴らしい能力だと感動してしまった。なので、遠慮なくのり弁に箸をつける。

 食欲を満たすことで脳みそと口が良く回る。俺は今しがた気になったことを質問する。

 

「同じ身体に宿った魂ってどういうことだ?」



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しました

「あーっとだな。前世での話になるけど」

 

 立ち上がったセシリアがホワイトボードにマーカーを走らせる。

 

「他の組織との抗争で捕えられた。捕えられたと言っても、向こうの奴らが投入した戦力の半数は血祭りに上げてやったんだぜ。三十人までは数えてたんだけどよ、それでもわらわらしてたから百人くらいは居たんじゃないか」

 

 ホワイトボードに黒色の線が走り回る。見ている限り意味のあるモノを書こうとはしてないみたいだ。手持無沙汰なのかもしれない。マーカーの無駄使いはやめろと言ってやりたかった。

 

「ま、捕まっちまってさ。その後何をされたのかは分からねえけど、アタシの身体の中に何かが入り込んできた感覚があった。ソイツはラウラだ。あのアマに肉体の主導権を完全に奪われて、自分の組織に攻撃しかける羽目になっちまったんだよ。そっから後は殺されておしまいさ。アタシならもっと頑張れたかもしれねえんだけど、ラウラの奴は所詮素人で全然大したことなかったんだよ。おかげでこっちは引っ張られて死んじまったってわけ!」

 

 言い終わると同時にホワイトボードを蹴倒す。前世での嫌なことを思い出して感情を抑えられなくなったということか。それほどまでに怒りを持っているのだろう。倒れたホワイトボードにマーカーを投げつけてしまうほどに。

 過去にラウラが気に入らない、と語っていたことが蘇ってくる。あの時のセシリアはどうして嫌いなのか分かっていなかったが、解放セシリアになって前世での全てを思い出した。憎き相手なのだと。

 正直、今のセシリアに自制心は働くのか心配になってしまう。目を見れば猛獣という言葉ですら括れない恐怖が、身体の奥底から這い上がって来る。精神の弱い人間なら嘔吐という形で恐怖を表現してしまうかもしれない。さすがにそこまで弱くはないが、今の俺もけっこう辛い。ちょっと前に感じた穏やかさは鳴りを潜めて出てきてはくれない。あれがあれば耐えられるのに。

 今はラウラ関係の話は振らない方がいい。俺の平穏の為にも。話の方向を変えるために「あ、そういえば」とセシリアに新しい話題を提供する。

 

「海に行くって言った時に、用事が終わったら、とか言ってたよな? 夏休みの間にISのデータ取りでもするのか?」

 

 原作のセシリアは何をしてたっけ。このパラレル世界のセシリアがとんでもなさ過ぎて覚えてない。まぁ、きっとあのセシリアのことだから色ボケてただろうな。そこが可愛いんだよなぁ。

 

「色ボケは君だ」

 

 忘れてた。広場天子のことを忘れていた。馬鹿の妄想が駄々漏れになってたんだよ。スッゲェー恥ずかしいんだよ。

 そういう時は生温かい笑顔を浮かべて黙ってればいいんだ。分かったらやってみろ。内心で広場天子に忠告すると、彼女は心得たとばかりに頷くと、曖昧な笑顔を浮かべてこちらを見てきた。それはもう癇に障る、人を舐めきった笑顔だった。

 俺が憤慨していると「仲良いな、お前ら」とセシリアがクツクツと笑みをこぼす。

 

「海に行くのは決定事項としてだ。その前に済ませておきたい用事って言うのは何となく察しがつくんじゃねえのか」

 

 嫌なことを言う。今までの会話を考えると、済ませておきたい用事がどんなものか想像がついてしまう。話題を変えようとして提供した話のタネは、どうやら肥料だったみたいだ。

 

「ら、ラウラに一発入れにいくのか」

 

「そうさ。あんな人工物に今の今まで好き放題やられたんだ。前世の分と合わせてお返ししなきゃ満足できねぇ」

 

「おい……おいおい。まさか勢い余って殺すつもりじゃないだろうな」

 

「分からね。実際に目の当たりにして、理性を長時間保っていられる自信はない。殺しても飽き足りないかもしれねぇ。軽くボコッて満足しちまうかもしれねぇ。なーんにも分かりゃあしないさ」

 

 パイプ椅子の前に立ちセシリアは右足をゆっくりと振り上げる。何故かジェットコースターが昇っていく映像を頭の中で思い浮かべてしまった。

 ヒュッ、と風を切る音が耳を掠める。続いて破壊音が鳴り響いた。ぐちゃぐちゃに、砕けたパーツが辺りに散らばる様を見せるパイプ椅子。

 その瞬間は何にも感じなかった。だが、僅かに遅れて違和感がじっとりと脳髄に染み渡ってきた。プロレスラーの蹴りでもこうはならない。普通の力では無理だ。ようやく脳が警鐘を鳴らした。猛獣を目の前にするなら遅すぎる判断力に、平和ボケした日本人はこういうものかと納得してしまった。

 

「ただなぁ。殴らずには済ませられない怒りを持っているってことは分かってる」

 

 痣ができるでは済まされない力での暴力。受けるであろうラウラは果たして生きていられるだろうか。悪寒に体温が下がっていくのが分かる。すり合わせた手が冷たい。自分に向けられていなくても感じ取れる脅威に、俺は縋るように広場天子を見る。

 広場天子は俺の視線と怯える心を感じ取ったのか、顔を向けてさっきの舐めきった笑みを見せた。今欲しいのはおふざけじゃない。

 

「安心しろ。ラウラ君はああ見えて非人道的な肉体強化を受けた強化人間だ。ボコボコにされるだろうが、死ぬ確率は少ないはずだ」

 

「全然安心できない!?」

 

 危険人物というのは頭の捩子が緩いだけじゃなく、物の見方を楽観的になりやすいのか。俺みたいなのには押さえつけることもできない。織斑千冬に報告するしかないか。

 ちらりと広場天子を見ると、彼女は首を横に振った。

 

「無駄だよ。織斑教諭では止められない」

 

 規格外ですら勝てないとか。セシリアのいた世界の基準はどれだけ高いんだ。どんだけ化け物だったんだ。

 

「是っ清、あんまり気負うじゃねぇ。いざとなれば守ってやるよ」

 

「そこは気負ってない! 俺が気負ってるのは、お前が人殺しをしてしまうかもしれないってことだよ」

 

「何が悪い?」

 

「ここはお前の居た世界と違うことくらい知ってんだろ。人殺しは御法度。一番悪いことなんだよ」

 

「知ってるよ。アタシの居た世界でも表向きは禁止されてたしな」

 

「分かってんなら絶対にやるなよ」

 

「やけに熱心じゃない。もしかしてアタシの事好きなのか?」

 

 セシリアが茶化してくる。

 

「嫌いではない。そこそこの付き合いがあるからな」

 

 飯を奢ったり、飯を奢ったり、暴力を振るわれたり、ちょっと頼られたり。良いことと悪いことの比率がバランス取れてないが、決して心底嫌になったことはない。奴隷意識が根付いている可能性も高いが、持って生まれた器のデカさだと誤魔化せば聖人ぽくて良い。

 やはり知り合いが犯罪者になるのは寝覚めが悪い。俺は殴られる覚悟でセシリアの肩を掴んで説得を試みる。

 

「あー、はいはい。気をつけますよー」

 

 説得は失敗に終わり、守る気のない空返事に一蹴されてしまった。

 

「それよりも準備運動がてら、ぶったたきたい相手がいるんだけど」

 

 それよりも、という言葉で吹き飛ばされた懸念に、俺はもうどうにでもなれと匙を投げた。説得は見事に失敗。気持ちも折れてしまった。昔からそこまで粘り強くない俺には難易度の高いゲームだった。ゲームと言っている時点でけっこう真剣みが足りない。

 一蓮托生。この言葉に従って悪の三人組でも結成してしまおうか。肉体労働役のセシリアに、情報戦の広場天子に、雑用係の俺。ほら司令塔のいない瓦解秒読みの最強チームの出来上がりだ。やばい。思考回路が投げやりになりかかっている。

 

「分かっている。本日は普通授業の日だ。君の望む相手は授業免除の特権を使って生徒会室で業務に勤しんでいるようだ。さらに言えば警戒している。俺が贈った脅しを、何かしらの事件を引き起こす前兆と捉えているみたいだ。楽観に成りきらないところが、対暗部用暗部らしい気の持ちようと言える」

 

「……準備運動の相手って、もしかしてもしかすると更識楯無か。準備運動で済ませられる相手じゃないだろ」

 

 伊達に学園最強の名を語ってはいない。いくらセシリアがパイプ椅子を粉々に出来たとして、生身の戦いで織斑千冬に勝てるとしても、ISでの戦いは喧嘩とはモノが違う。戦術だったり技術だったりとを必要とする。力だけで勝てるほど甘くはないはずだ。

 無謀過ぎる。そう視線を向けると、セシリアは化け物染みた笑みを浮かべて部屋を出ていった。



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数年後

「それで何の用かしら?」

 

 午後の授業開始のチャイムが鳴って五分ほど、書類に向けていた目を上げた楯無は、あどけなさを添えて首を傾げた。お茶目で周りを引っ掻き回すも、決して嫌われることのない彼女の戦術。ゆっくりと場の雰囲気を自分の思うように湿らせていく狡猾さがある。

 きっちりと積み上げられた書類の乗る机を挟んで、悠然と向かいあったセシリアは笑みを浮かべる。

 目の前の策士が警戒の色を瞳に宿している。セシリアの勘が人の良い笑顔の裏を読み取った。彼女の内から溢れ出てくるいつもと違った気配。それが楯無を身構えさせているのだろう。

 セシリアは相手の警戒を他所に近づく。雄々しいほどの歩みに、楯無が右手に持ったボールペンを落ち着きなくクルクルと弄ぶ。

 

「生徒相手に使うものじゃないぜ、生徒会長さん」

 

 ピタリとボールペンの回転が止まる。楯無は無言でボールペンを机に置くと、腕を組んで話を聞く体勢を取った。両腕を見える位置に置いたことに、何かを企んでいるわけではないと警戒心を解くように告げていた。

 セシリアは机の上に手を伸ばすと、先ほどのボールペンを取り上げる。ペンの先端をあらぬ方向に向け、芯を出すためにカチリと後部の突起をスライドさせるとペン先が発射した。本体から離れた尖ったペン先は部屋の壁に弾かれて地面に転がった。

 

「やっぱり仕込んでたな。毒矢ならぬ毒ペンか」

 

 部屋に入ってすぐに感じた敵意。訪問者を見るなりにさり気なくボールペンを手にした楯無に、セシリアの動物的勘が武器の存在を訴えた。そして案の定、楯無は毒針を発射するボールペンを持っていた。生徒会長という身分や、曲がりなりにも日本の法律の下で生きる身として、殺傷力のある毒ではない。おそらく対象を無力化するための麻酔か何かだ。毒針を拾い上げたセシリアはそう判断してゴミ箱へと捨てた。ゴミのポイ捨ては良くないと思っての行動だった。分別することまでは気を回してなかったが。

 

「そんなに怯えんなって。学園最強の名が泣くぜ」

 

「ふふふ。怯えでもしなければ、私に今の地位はないのよ。人間は恐怖するから頑張れるものなの」

 

「なるほどな。じゃあすぐにでも最強の看板を下ろさせてやるよ。アタシと戦いな」

 

 そう言ったセシリアだが、別に最強の看板など欲してはない。これはあくまで準備運動。数日後に控えたショータイムの為に身体を温める意味しか考えていない。

 準備運動以外の意味を無理矢理捻出するならば、以前のセシリアが黒星を付けてしまった尻拭いをすることが目的にならないわけでもない。

 全く。弱いくせにワーワーと粋がるから泥を塗るんだよ。自分自身を罵倒するセシリア。旧セシリアは自分とは別の存在だった。別の存在にしておきたかった。

 

「戦う? 今は授業中よ。それに本来ならセシリアちゃんは臨海学校に行っているはず。表向きは病欠なんだから、ベッドの上で大人しくしてない。それともお姉さんの温もりが欲しいのかしら?」

 

 猫なで声を出す楯無。セシリアはふんと鼻を鳴らして受け流した。

 

「負けるのが恐いなら言ってくれよ。それならアタシだって考慮するさ」

 

 挑発には挑発で返すセシリア。本当のことを言えば、縛り上げてさっさとアリーナに連れていきたかった。だけど、荒っぽい真似だけはするなよ、と是っ清から口酸っぱく注意されたので我慢している。

 実はそろそろ限界を迎えつつあることを隠しながら、セシリアはニヤリと人の悪い笑みを浮かべて更なる挑発を続けた。

 

「それとも不戦勝ってことで、アタシが吹聴して回っていいか? 負けることを恐れた生徒会長が試合を拒否したってな」

 

「そこまでして私と戦いたいわけね。先日負けたのを覚えてないのかしら?」

 

「さあね。アタシはお前とは初めて戦うんだ。覚えているも何もない」

 

「記憶喪失なのかしら? おかしいわね」

 

 そう言いつつもセシリアを隅々観察する楯無。暗部らしく瞬間的かつ細微な点にまで視線を走らせていた。以前までのセシリアなら見逃していたことも、今のセシリアはしっかりと捉え溜息を吐き出した。言葉と裏腹に動く瞳に、いまだに警戒心を解いていない。これでは裏を読もうと躍起になって、セシリアの言葉に素直に応じてくれるはずはないだろう。

 仕方ない。セシリアはケータイを取り出すとメールを打ちこんで送信する。内容は『頼む』の一文だけ。事前に打ち合わせでもしていないと理解できないような一言だが、共犯関係にある天子をもってすれば事前打ち合わせなど必要ない。

 常日頃から考えていること、見聞きしていることをモニタリングされてんだろうな、とセシリアがケータイを見つめていると、今時流行りの曲が鳴り響く。音の方向には楯無が居てケータイの画面を凝視していた。

 

「IS学園所属女子生徒ちゃんと知り合いなのかしら?」

 

 ケータイをポケットに仕舞い、ゆらりと立ち上がった楯無は穏やかな声音で問いかける。素直に応じないようなら脅しをかけることも止む無し。セシリアの思惑を受け取った天子がどのような脅迫材料をチラつかせたのか。柔らかい笑みの裏からあふれ出す敵意に、セシリアはうずうずしてくるのを感じた。

 

「アリーナに行く。そこで何もかも確かめればいいじゃん」

 

 背中を見せて歩き出す。鋭い害意が背骨付近に突き刺さって来るのが心地よかった。前世で感じた血を見せてやろうと、イカれた目をして荒ぶる害虫の視線に、楯無は全く劣らない鋭い気配を感じさせてくれる。それでも理性を捨て去っていないところが強さを意識させてくれた。

 準備運動とは言ったが、レクリエーション並には楽しめるかもしれない。セシリアは軽やかな足取りでアリーナへと向かう。

 授業中の廊下は貸し切り状態で、どのような歩き方をしても許容される。壁を蹴って三角と飛びの真似事をしたり、バレリーナのように片足を軸に回転したりする。ようやく解放されてテンションがうなぎ登りになっているのか、セシリアは子どものように落ち着きなく廊下を歩く。

 後ろをついて回る楯無は、セシリアらしくない動きに怪訝な表情を浮かべていたが、それはセシリアの知ったことではなかった。

 同じく貸し切り状態のアリーナへとたどり着くと、疲労を滲ませた是っ清が芝居がかった動作で頭を下げて出迎えた。

 

「町田先生。どうして貴方がここにいるのですか?」

 

 教師の手前、言葉遣いを改めつつも問い詰める強さを見せる楯無。教師がこんな馬鹿げたことに加担しているのか、と非難の目を向けていた。

 責める視線を受けた是っ清は一歩後ずさると「止められるわけないだろ」と情けない声を出した。

 

「だから居るんだよ。止められない以上は、責任を持って監督するしかないって。セシリアの奴が試合をしたいなんて言うから、俺はアリーナの使用許可とISの使用許可の二つを急いで取って来たんだ」

 

「そうだ。こっちだって無作法に試合する気はないんだよ。正々堂々と正式な試合を行うんだ。応えてくれても構わないじゃねぇか?」

 

 どうなんだ、と視線を投げかければ、楯無はやれやれと溜息を吐き出してセシリアを見た。

 

「試合をしたい気持ちは分かった。だけど、私の専用機は開発途中で使えないわよ。早くても夏期休暇の終わり頃まではかかってしまう」

 

「構わんぜ。そんなことを想定してISの使用許可をもぎ取らせてきたんだ。ラファールと打鉄をそれぞれ二機。どっちでも選びな」

 

 セシリアがアリーナの中央を指さす。そこには四機のISが鎮座していた。内二機は日本原産の防御型IS『打鉄』だ。日本の鎧兜をモチーフとしたデザインが印象的で日本マニアからは絶大な指示を受けているとか。日本マニアでないセシリアには分からない話だった。

 もう二機はフランスで作られ世界に瞬く間に普及した万能型のIS『ラファール・リヴァイヴ』で、元IS学園一年一組に所属していたシャルル・デュノアの父親が社長を務めるデュノア社の唯一の商品だ。性能は癖がなく扱い易く、素人から玄人まで手に馴染むものだが、悪く言えば際立った特徴のない味気ない機体と言われている。ただ、バランスが良い為に個人用に合わせてカスタマイズできる強みがあるので、第二世代型ISの中で断トツのバリエーションを誇っている。セシリアの知る限り、シャルルのラファールが最新のバリエーション機だ。

 同族同士背中合わせで沈黙を貫くIS。それらから視線を外した楯無は「やけに準備がいいわね」と訝しむ。

 

「こっちには情報通が居るんでね」

 

 セシリアは事実を口にした。IS学園所属女子生徒がこちら側に居るのは既にバラしているために、今更思わせぶりな態度を取る必要はなかった。

 

「あ、それとだな。試合後に仕込んだんじゃないかって難癖つけられたくないから、そっちの専属整備士を呼んでおいたぜ」

 

 セシリアが目線を入口に向けると、釣られた楯無も視線を入り口へと移動させる。アリーナの入口から布仏虚が走って来るのが見える。

 

「虚!?」

 

 驚愕する楯無に、走り寄った虚は肩で息をしながら「お嬢様」と深く頭を下げた。

 

「授業中にメールが届きました。五分以内に第三アリーナに来ないと、お嬢様についての全てを拡散させると」

 

「ずいぶんと現実的な脅迫ね」

 

「でもいいだろ。信頼できる従者が点検すれば、ISに何も仕掛けられていないことが分かるだろ」

 

 胸の前で腕を組み、仁王立ちしたセシリアが言う。早くしてくれないか、と目で催促すると、楯無は「説明は後」と従者に耳打ちしてからラファールにタッチした。

 

「ラファールにするわ。武器は好みで構わないわね?」

 

「構わないぜ。より正しい評価をするために、アタシもラファールでやるから」

 

「なるほどね。わざわざ二組ずつ用意したのはそのためか。でも、あまりお姉さんを舐めちゃだめよ」

 

「よし、準備すっか。おい、是っ清。監督役として放送席へ行け。あ、その前に。この選ばれなかったISの片づけもよろしく」

 

 馬車馬の如く是っ清を働かせるセシリアはラファールを装着するとピットに移動した。頭の中は既に戦いのことしか存在していなかった。



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男の子は成長し

「余裕の顔を崩してないな」

 

 放送席に移り、モニターが見せるセシリアと楯無の試合はセシリア優勢のまま経過していた。IS戦闘の優劣を表面的にしか判断できない俺にも、この試合はセシリアに軍配があることは分かる。

 セシリアが再びアリーナに姿を現した時から、既に試合の結果が見えてしまいそうな雰囲気がアリーナ全域を支配していた。心臓を鷲掴みにされている、と生殺与奪権を奪われた錯覚に脂汗が滝のように流れ出してしまった。全身が恐怖していると知った時には、顔色は死人に匹敵する真っ青さだった。

 それでも放送席から逃げ出さないでいられるのは、セシリアがこちらの敵ではないと分かっているから。幾ら殺気に怯えさせられても、俺を直接害するなんてことはあり得ない。あり得ないと思いたい。

 

『万に一つも、楯無君には勝ち目はない。怯えと焦りを感じているようだ』

 

 ケータイ越しに聞こえてくる広場天子の声。淡々と国語の教科書でも読み上げているような味気ない声音だ。俺は「そうなのか」と返事を返しながら試合運びを見守った。

 

『そうだ。楯無君の学園最強なんて馬鹿みたいな宣伝は、脅かす弱点にもなっている。最強と名乗る以上は負けは許されない、ということではない。彼女の立場と思惑が弱点へと変えてしまっているんだ』

 

「全然意味が分からんぞ。つまりどういうことだ」

 

『いつかは分かる。今は黙って見ていれば良い』

 

 目の前に居たら肩を揺すって理由を問いただしくなるほど、謎ばかりを与えてくる回答だった。

 広場天子がこの場に居ないのは、自分の正体を知られることを今は良しとしなかったからだ。深く理由を話してくれなかった為に、彼女が何を考えているかは分からない。だが、セシリアは特に訝しむこともなかった。だから俺も疑問を表に出さずにいるのだが、やはり気になるものである。

 

『言わないよ』

 

 だそうだ。こう言われてしまえば取りつける可能性はゼロに等しい。素直に諦める他ないだろう。ならば、勝利の確定している試合が終わるまでの間に、聞いておきたいことでも聞こうか。備品室での話し合いで、気になっていたことがいくつもある。その瞬間はセシリアの用事の方が優先されつつあって、俺が多く口を挟むことはできなかった。でも今はそれができる。

 

「聞きたいことがある」

 

 なんでも口に出すことは重要だ、と広場天子は言っていた。その通りに俺は言葉を紡ぎ出す。

 

「ボーデヴィッヒ博士はラウラの中に魂を入れるために三度儀式を行った。確かそう言ってたよな?」

 

 心の中を読める相手に、確かめるような言い方は要らないだろう。率直に核心部分だけを投げつけて、答えを求めればいい。だけど、俺はあえて回りくどく話を進めた。話しながら頭の中を整理するために。

 

「三度の儀式の内、二度は失敗した。お前はその時に、ラウラに魂を定着させられなかったことが失敗と定義したな。儀式自体は成功していた。一度目か二度目の儀式でセシリアが呼ばれたって。本当にそうなのか?」

 

『君の言いたいことは理解できる。だけど、あえて君の口から聞こうか』

 

「わざわざありがとう。俺の想像なんだが、セシリアは二度目の儀式で呼ばれたんじゃないか」

 

『それで?』

 

「一番最初の儀式で呼ばれたのは広場天子、お前じゃないのか?」

 

『どうしてそう思う?』

 

「お前がやけにセシリアに尽くすからだ。前世で知った仲じゃないかと思ったんだよ」

 

 俺は君を信頼している。それだけは信じてほしい。でなければ、君を助けようなんて動かなかったのだから。あの言葉が事実だとすれば……いいや、あの言葉は事実だ。俺は事実だと考えている。だからこの仮定を思いついたのだ。

 

「それに知り合いじゃない相手に対して、殴られたりしても尽くすことができるのか」

 

 少なくとも俺にはできない。暴力を振るった知りもしない赤の他人に尽くすことなんて。俺がセシリアに協力するのは、ある程度知った仲であるからだ。たとえ解放されて、今までのセシリアと違いあったとしても知っているから協力できた。たとえ嫌々であっても逃げ出すほどではない。

 

『ふ……ん。中々に厄介だね、町田先生は。中二病と言ったかい? 荒唐無稽な理論を紡ぎ出していた日々が論じさせたのか。困ったよ』

 

「お前の言っていた常識を一切合切捨て去って、を俺も実践してみただけだ。だから中二病言うのやめろ」

 

『それは失礼』

 

「分かってんなら良しだ。でだ、お前がセシリアと知り合いじゃないかと思ったのは、備品室でお前が転がされていたからだ。お前の特殊能力があれば逃げ切れるはずだろ。捕まるなんてヘマはしないはずだ。それなのに捕まっているのは、殴られても殺される目には合わないと分かっていたからだろ」

 

『……あー。それについてはきちんと訂正しておこう。俺はセシリア君を寮の自室に監禁して、暗示から解き放った。その後すぐにセシリア君が俺の位置を探り当てたのが分かった。どうしてバレたのかは、彼女の勘が野生動物のそれよりも鋭かったからとした言いようがない。俺はその時学園の屋上に居たが、すぐに逃げようとした。冷静に話し合うことを考えると暫くは身を隠した方がいいと思ったからだ。思考が読めるなら、それを利用してうまく逃げられると思ったんだよ。結果はすぐさま見つかって殴り倒された。分かるか、学園に居ることはバレたと思ったのに、セシリア君は真っ直ぐに屋上を目指してきたんだ。それも外壁のくぼみやでっぱりを利用して昇って来たんだ。いくら俺でも足がすくんで動けなくなるさ。結果すぐに逃げられないことを悟って、甘んじて暴力を受けたに過ぎない。だから君の言っていたkとおは間違いだ。俺は見事にヘマして捕まっただけさ』

 

「……壁昇ったっていうのかよ」

 

『流れるようにな。風の様だったよ』

 

 昔を懐かしんでいるかのようだった。それも昨日今日の話ではなく、それよりもはるか昔のことを。俺の持っている先入観がそう思わせているだけかもしれない。

 ケータイを耳に当てた状態を維持したまま、試合を映し出しているモニターに目をやる。楯無のISがボロボロになっているのが見えた。セシリアの方には傷らしい傷はなかった。原作を知っているだけにセシリアと楯無の実力の差が奇妙に映ってしまう。後半になってくると楯無が強いのかどうかも怪しい場面が多かったけど。

 

「何か叫んでるな」

 

 モニターが追いかける楯無の口元は忙しなく形を変え、対戦者であるセシリアに何かを言っている。感情的で冷静さを欠いているのか、表情もいつもの人を食った雰囲気が鳴りを潜め、戦闘中も損なうことのなかったインテリジェンスも失われている。唯一失っていないの血色くらいか。

 

『教えてあげようか』

 

「頼む」

 

 プライバシーの侵害になるかもしれないが、好奇心を優先させてしまおう。バレていることがバレなければ知らないを突き通せるしな。

 

『一字一句正確に話すのは面倒なので簡単に言おう。私は学園最強でなければならない』

 

 楯無の持つブレードが宙を舞う。セシリアが力任せに手から弾き飛ばしたのだ。

 

『あの子を守るためには私が越えられない壁にならなきゃいけないのよ』

 

 マシンガンで牽制した楯無がハンドグレネードを投擲。わざと弾丸を当てて爆発させ、視界を遮ると、周囲を回転しながらマシンガンを撃ち放つ。優れた腕前は剣舞みたいだ。

 

『完璧でなければ可能性が生まれてしまう。可能性を見出せば辛い世界に突き進んでしまうかもしれない』

 

 黒煙の中に叩き込まれる鉛玉のジャブは化け物を止めるほどのものではなく、黒煙から飛び出したセシリアが真っ直ぐ楯無にアサルトライフルを向けた。

 

『あの子にはそんな辛い世界に来てほしくない。生まれはどうにでもできないけど、姉妹だから、私が姉だから手段がある』

 

 アサルトライフルからマズルフラッシュが確認できた。吐き出された弾丸は楯無の回避パターンを熟知しているかのように、回避運動の向かう先へと叩き込まれた。逃げた先に来た弾丸を無理矢理避けた楯無を、セシリアが左手で殴りつける。

 

「簪のことを言っているのか」

 

 妹の更識簪。姉の才能に嫉妬して塞ぎ込んだ少女だ。IS学園の生徒で、日本の代表候補でありながら専用機を持っていない。正確に言えば専用機が出来上がっていないのだ。一夏のIS開発が優先されてしまった為に、簪の為に作られていたISは手つかずになった。彼女はその為に一夏に多少の恨みを持ちながらも、姉への対抗心に自らの手でISを組み立てていたはずだ。確か上手くいってはなかったな。一人で作ると、頑なになって助けを得られずにいたんだっけ。

 広場天子からの情報を纏めてみると、どうやら楯無は妹の為に完璧であること、学園最強であることを望んでいるようだ。理由はなんだ?

 

『彼女の家系は対暗部用暗部。日の当たらない世界の人間だ。妹は根暗で引っ込み思案。とても暗部の当主を張れる器にはない。そういうことだろう』

 

「なるほど。だから自分が当主に相応しいことを知らしめようとしているのか。妹を想っての行動ってわけか」

 

『妹のは明るい道で生きて欲しい。そう思っているようだ。実力がなければ役立たずの烙印を押されて野に放たれる。そうなれば更識の名前は関係なくなる。それで妹は晴れて一般の生活を送れるのさ』

 

「妹は姉を嫌っているみたいだけど。それでも正解なのか?」

 

『知らない。ただ、姉の想いは一切伝わっていないことだけは確かだ。同時に楯無君の思惑通りに進んでいることも確かだ。だからこそ自分を打ち負かす可能性のあるセシリア君を監視していたのだろう。本音君と虚くんを使って』

 

 広場天子はさらりと言ってのけた。俺は思わず目を見開いてしまった。そこに何もないというのに。

 

「二人が監視役?」

 

『その通りだ。本音君の方は好意的に接していたみたいだがね。虚くんの方は意図的にセシリア君に好意的な態度を取っていたみたいだ。もしかしたら、セシリア君の腹の内を探れるかもしれないと思っていたみたいだよ』

 

「は、腹黒いな。生徒会って奴は」

 

『組織としては当然だ。不穏分子に対してはある程度警戒すべき。そういう意味では織斑一夏や、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルル……シャルロット・デュノア、それと俺も対象に入っていた』

 

「お前も?」

 

『正確にはIS学園所属女子生徒だ。脅しをかけたり、信憑性のある情報を与えたりしていたからね。情報の信用性と敵になることの危険性を見せつけていた。おかげでセシリア君の欠席を承認させられたんだ』

 

 中々に考えて行動していたらしい。これはもうセシリアの関係者であることは疑いようがない。しかし本人が黙秘するのなら、俺は真相究明を諦めるしかない。しがない身分では無理強いもできない。男の立場は弱いからセクハラを訴えられたらおしまいだ。



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立派な青年になりました

 身体が軽い。重力から解き放たれた肉体は、空すらも手中に収めたかのような征服感を与える。銃弾が顔の横を通り過ぎていった。鉛玉はいずれ重力に従って落ちていく。

 人間が作り出した、人間が地を駆けるより速く飛んでいく弾丸を追い抜けるスピードは、セシリアの動物以上の感覚とマッチしていた。

 ハイパーセンサーの補助を受けた視覚は敵ISを捉えて離さない。常に視界に映し込み、一挙一動に注意を払う。

 腕が上がる。手にしたマシンガンの引き金を引く指の、皮膚の僅かな動きすらも目に入る。マズルフラッシュが起こった時には車線軸より抜け出し、相手の死角に回り込むように円軌道を取る。スラスターを使ったロールを組み合わせて動くことによって精密な射撃を困難にさせ、少しでも狙いを付けようとすれば付け入るようにアサルトライフルを向ける。高速で飛び出した弾丸の反動を物ともせず、正確な照準を維持して連射した。

 敵が遅く見える。セシリアは機敏に動き回り捕捉させない。楯無の表情が悔しさに歪むを見た。敵はこちらの動きについてこれていないようだ。

 武装に違いがあるとはいえ、両者使用しているのは同じ量産型のラファール・リヴァイヴだ。性能差に違いはなく、機体性能を理由に追いつけないと嘆くことはできない。

 この試合には性能差という優劣は存在しない。武器の相性はあるかもしれないが、互いに癖のある武器を用いているわけではない。故に両者の優劣はそのまま実力の差ということになる。セシリアの実力の前に、楯無の実力は追いつけていなかった。

 

「何が変わったのかしら?」

 

 焦りをひた隠しにして、余裕を演じる楯無。冷静を取り戻そうといつも通りの態度を表に出しているが、セシリアの動きを捉えられていない状態には変わりない。

 

「元に戻っただけだ」

 

 楯無の正面へと躍り出ると、セシリアはブレードを右手に突撃する。隙を見せる素振りは、されども隙を感じさせない威圧感を与えてくる。気圧された楯無がブレードで切り結ぶが、数度の打ち合いで防御を抜けられダメージを負う。

 セシリアはバネのように右腕を跳ね上げてブレードを振るう。楯無の防御を圧倒的な力で砕き、無防備になった胴体に刃をぶつける。

 楯無も四肢を活用して振り払おうとするが、同じ機体性能では逃げ切ることもかなわない。さらに、セシリアは相手の逃げる方向をわずかな仕草で察して出鼻を挫く。

 歯を食いしばった楯無はブレードで防御に専念しながらも、空いた手にグレネードを呼び出した。

 目晦ましか。さきほどの展開を思い出したセシリアは、左手を伸ばして楯無のグレネードを持つ手を包み込むように掴んだ。

 

「残念だぁ!」

 

 指に力を込めて、楯無の手の中にあるグレネードを握りつぶす。グレネードを持つ手が抵抗を見せたが、セシリアはその手ごと握りつぶした。

 外部からの衝撃を受けてグレネードが爆発する。セシリアは吹き飛ばされたが、左腕を振るうと楯無を引き寄せる。

 爆発に瞬間的に目を眩ませた楯無が気がついた時には遅く、セシリアの斬撃が雨のように身体を打ちすえた。

 楯無は確かに強い。だがそれは普通の人間から見ればの話だ。セシリアにとってそこまで強い相手ではない。奇策を用いて、上手くペースを引き寄せようとすることには関心するが。

 

「私は……負けられない!」

 

 比べる相手を間違えている。もはや勝ち負けを争える状態ではないことを、セシリアはよく知っていた。そもそも準備運動でしかない。そこに雌雄を決する想いは一片たりともなかった。

 セシリアは喜々としてブレードの腹で楯無を打ち鳴らし、満足行くと武器を捨て去って拳を叩きつけ始める。身体に纏ったシールド同士が干渉し合い、殴った方も殴られた方も衝撃が生じてエネルギーを削っていく。

 武器を消耗しきったのではない。手つかずの武器がまだ幾つか残っている。しかし、セシリアは素手を用いて楯無を襲う。徒手空拳には全く届かない子供染みた暴力だが、力は子どものものでもましてや大人のものでもない。武道家ですら歯が立たない化け物の力だ。それはISによって増幅され、同じISを纏う楯無を終始圧倒し続けていた。

 

「あえて教えておいてやる」

 

 弾丸と遜色ない速度で拳を突き出すセシリアは、力に押されて防ぐこともかなわない楯無の首を掴み引き寄せる。うっ、と呻き声を漏らす楯無の耳元に口を近づけ、セシリアは静かに言葉を吹き込んだ。

 

「勝てるわけないだろ」

 

 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべて、セシリアは振りかぶった拳を楯無の顔面に突き刺した。脳を揺さぶる一撃に楯無のシールドエネルギーは底を尽き、アリーナに勝敗を知らせるサイレンが響き渡った。

 勝利を渇望する楯無は、殴られた衝撃に揺れる頭を抱えて蹲り「ま、けた?」と信じられないことに呆然としていた。負けることは可能性を作り出すこと。楯無が必死になって潰してきた妹の可能性。

 気負い過ぎだ。地面へと着地したセシリアは空を見上げる。中空で蹲った楯無は喪失感に身体を硬直させ、ISが空中浮遊できなくなったことも分からずに落ちてきた。重い鎧に拘束された身体の落下速度は、生身のものと比べるのも馬鹿らしいほど速い。

 

「しまった!?」

 

 墜落しつつあることに楯無が気がつくのが見えた。戦闘中にも見せることのなかった顔色の変化をセシリアの目は捉えた。

 自称学園最強がなんともお粗末なことだ。セシリアは呆れを見せると、楯無の落下地点へと移動して、落ちてきた身体を抱き留め、とっとと突き放した。

 高度からの落下は避けられた楯無だったが、セシリアの意地の悪い行いで地面に背中から着地してしまった。

 

「よしよし。アタシの圧勝だな。自称最強ちゃん。と言ってもアタシは最強の名前なんて要らないから、それはテメェが持ってな」

 

 ほとんど無傷のラファールを脱ぎ捨て、身体を伸ばしたセシリアは上級生の頭の上に、白い手のひらを置いてぐしゃぐしゃに撫でつけた。

 

「うぐっ!? 負けてるのに最強。とんだお笑い草じゃない」

 

 ぐしゃぐしゃになった髪の毛を気にする余裕すらない楯無はのそりと立ち上がる。顔色は依然として悪く、病的だった。

 

「じゃ、片付けは頼んだぜ」

 

 慰めの言葉一つなくセシリアはアリーナを後にした。汗でべた付く身体は寮のシャワーで洗い流そう、とすたすたと更衣室へと移動すると、更衣室内のベンチに座っていた天子に出くわした。セシリアの制服を胸元に抱きかかえていた。

 

「お疲れ」

 

 人肌で生温かくなった制服を差し出された。試合で温まった身体には不愉快としか感じられない制服の温もり。タオルで汗を拭き取り、制服に着替える。不愉快の温もりに顔をしかめたセシリアは「有難迷惑だ」と天子の頭を引っ叩いた。

 

「でだ。楯無の様子はどうだ?」

 

 天子へと情報を求める。

 

「落ち込んでいるけど、その中であっても頭は回転しているみたいだ。妹の件で打開策を探っている。無駄な努力だ。更識家は既に簪に何の期待もしていないというのに」

 

「厳しいな。そこまで薄情な家なのか」

 

「いいや。どちらかと言うと長女の意志を酌んでの決定みたいだ。心を鬼にしても親だってことだ」

 

 興味ない。天子の顔は無関心だった。

 セシリアは「アイツも大変だな」と楯無への興味を失った。

 汗を拭き取ってもべた付く感覚に顔をしかめる。海で泳ぐことへの憧れが喉元まで競り上がってきた。今からでも遅くはない。是っ清の尻を蹴飛ばして向かうか。

 セシリアが海に恋い焦がれていると、向かいで佇む天子が空咳をする。

 

「ラウラ君を我慢できるか?」

 

 そう言われると、セシリアは海への想いを飲み込むしかなかった。天子の言う通り、海を100パーセント楽しむためにラウラが邪魔だ。自分の身体を奪った相手など許せるはずもない。面を突き合わせて手を出さない保証は全くなかった。

 

「ったく。無理だ。やっぱり全て終わってからにするよ。楽しみは取っておくに限るからな」

 

 脱いだISスーツをぐちゃぐちゃに畳んで小脇に抱えたセシリアは更衣室から出る。その背中を天子が静かに続く。そこに見えるのは支配者と隷従者の図だった。セシリアの全身から溢れ出す凶暴な空気が、後ろに控える天子を弱者であり隷従者であると思わせている。しかし、当人たちは支配者のつもりも隷従者のつもりもない。

 協力関係。そう呼ぼうと思えば呼べるかもしれない。セシリアはクツクツと笑みを零した。 実際はよく分かっていない。広場天子と自分の間にある関係の名称を。天子の行動を思い出せば、助けた者と助けられたもの。情報提供者とその顧客。一蓮托生。名称は当てはまりそうで、なんとなく当てはまらない。

 楯無と本音・虚姉妹に強い主従関係があること理解できる。表向きはそう見せないが、やはり仕草の合間に見え隠れしている想いが、表の姿が偽りであることを教えてくれる。いくらセシリアに味方する気配を演じようとも、強い繋がりがあるために隠し切れない。

 セシリアは同じようなものを天子に感じていた。主従ではない、それを超える何かを。思い出せてないのか、見いだせていないのか。

 広場天子の全てを知れば分かるかもしれない。だが、思考を自由に閲覧できる天子が口を挟まずに追従しているのを見るに、答える気はないようだ。

 くるりと身体を180度回転させ、天子と顔を突き合わせる。立ち止まり、身体ごと視線を向けてくることを知っていた天子はぶつからない距離で止まっていた。

 

「抱きしめてやろうか?」

 

 意味はない。とりあえず言ってみた。セシリアは目を閉じて両腕を大きく広げた。ともすれば挑発行為と取られかねない動作だが、受ける者からしてみればこれほど恐いものはない。化け物が鋭牙のぎっしり並んぶ口を開けて、怯える獲物を待ち構える。普通の感性を持つ人間なら後退りする状況だ。

 目を瞑るセシリアには相対する天子の表情は分からない。動きを見せていないことは確かだった。さらに言えば怯えているわけでもなさそうだった。

 ぽふっと肌と服の隙間に滞留した空気が抜け出してく音が聞こえてきた。続いて胸部を中心に広がっていく人肌の確かな温もり。胸に飛び込んできた、と気がついた時には広げていた腕を天子の背中に回していた。

 

「俺はどんなことがあっても味方だ」

 

 腰に手を回して胸に顔を埋めた天子の声が耳を静かに刺激する。人の熱を受けた胸が何かではち切れそうになる。セシリアは溜息をついた。アタシは何を疑っていたのだろうと。背中に回していた腕をスライドさせ、天子の頭部を力強く抱きしめた。

 ギリギリと軋む音がする。天子の「痛い、痛いよ」という声で「悪いな」と解放する。

 ドッと疲れが押し寄せてきた。呆れと安堵が倦怠感となってどっしりとのしかかってきて、セシリアは何も言わずにまた歩き出した。

 

「何が味方だよ」

 

 疲れた顔でセシリアは呟いた。

 背後で天子が頭を抑えたまま微笑んでいた。



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ある日

 臨海学校初日に点数を付けるとしたら40点にも満たない。臨海学校そのものは端から期待していなかった。海を前にしても心は躍らない。海を楽しむことが理解できない。水着姿で海を満喫する生徒たちの笑顔の理由が全く分からなかった。

 それでもセシリアが居れば楽しめたかもしれない。眼前に海を置いたラウラが無表情で溜息をつく。海には似つかわしくない純白の制服をきっちりと着こなし、額に汗を浮かべることなく直立を維持していた。海で遊んでいる少女たちへ無言の抗議活動を行っているように見えるが、実際は海で遊ぶ用事がないために制服を着ているだけだ。季節に合った服を着ればいいのだが、ラウラは制服以外の服というものを持ち合わせてはいない。よって、学生らしい姿を常に晒していた。

 ラウラはセシリアを嫌ってはいない。むしろ好いている。好意を抱いているのだ。

 転入当初は不愉快ばかりを感じていたのは事実だ。負けたくない、コイツだけは打ち負かす、という意識に囚われていた。

 しかし、タッグトーナメントや備品室での一幕が意識を変えていった。

 もっとも影響を与えたのは備品室でのことだ。セシリアに連れられ、役に立たない教師の指示を受けて記憶のすり合わせを行った後に、ラウラは一つの真実を見つけ出した。それは彼女の中で忘れてはいけないものだった。どうして今まで忘れていたのか、と悔やんだ。

 セシリアとの縁は前世より来ている。

 恐いから一緒は嫌だ、と転入二日目に同居人が消滅した部屋はラウラに静寂を与えた。熟考するにちょうどいい空間で、彼女は前世の全てを思い出した。セシリアとの関係を思い出したのだ。

 前世のラウラには母親が居た。それはもう優しい母親だったらしい。らしい、というのはラウラが人伝に聞いた情報だからだ。

 長いこと病に伏して、記憶の混濁の見られたラウラの近くには既に母親はいなかった。居たのは白衣を着た老齢の男だけだった。

 男は母親の親友であることを告げてきた。そして、ラウラがどうして眠っていたか、その間に母親がどこへ行ったのかを詳しく教えてくれた。

 最強と言われた母親は、幹部に強姦され妊娠したショックで敵対組織から抜け出して、この組織にやってきたこと。そこでラウラを生み落したこと。憎い相手の子供だったが、生まれてきた命に罪はないと慈しんで育てていたこと。その子供であるラウラは幼少期に重い病にかかり、ほとんどを眠って過ごしてきたこと。それを見た母親は古巣に襲撃をかけ、どんな病も治すと言われる薬を命がけで奪取したこと。その時に負った傷が原因で母親は亡くなってしまったが、薬は無事に届けられ投薬されたのだが、副作用で脳にダメージを受けて長い間意識を失っていたのだと。

 男の話を聞いたラウラは、母親の仇を討つ為に敵対する組織に攻撃を仕掛け、多くを道連れにして死んだ。

 そうだ、私の母親はセシリアだ。

 備品室での互いの記憶が時期的に合致しなかったのは、その時ラウラは生まれていなかったからだ。セシリアを不愉快と思っていたのは、正体の分からない感情に振り回され心乱されていたからだ。今のラウラは最強の娘として父に作り上げられ生きてきた。最強であるために様々な訓練を課せられ、心の揺れを最小限に抑える特訓までも行ってきた。だからセシリアと出会った時の心を抑えられなかったことが、最強になることを妨げる不愉快な奴となったのだ。

 自分の大切な母親を前にして、ラウラは敵だと思ってしまったことを恥じた。

 そして、全てを理解した後。セシリアが自分のことを娘だと気がつかないことにラウラは悲しくなった。最強になるためには不要な感情であると分かっていても。

 

「ラウラ。泳がなくていいのか?」

 

 珍しいだけの存在が膝まで海水に付けて手を振ってくる。ラウラは何も応えずに、ただただ地平線の向こう側を見つめていた。

 今更になって思い出すとは。母親には……ママには悪いことをしたな。パパと結婚してくれれば戸籍上もママになるから、頑張ってパパを説得してみるか。

 地平線の向こうに広がる幸せな未来をジッと見つめ続けていた。

 

「らうらう。暑くないの~?」

 

 視線の先を塞ぐように両腕を天へと向けた本音がのんびりと問いかけてくる。水着というにはあまりにも見た目にこだわり過ぎた着ぐるみ型の水着が、ラウラの制服姿とは違った異質さを演出していた。

 

「この程度は暑くない」

 

 太陽光と、それに熱せられた砂浜を相手取っても、汗一つ見せないラウラは臆することなく灼熱の空気を吸い込む。喉を湿気と熱気混じりの酸素が通過していくを感じ取り、ラウラは病欠しているセシリアを心配した。海よりは暑くないにせよ、今は夏だ。より一層体調を崩していないだろうか。以前までのラウラなら考えられなかったことだ。

 

「せっしーも来ればよかったのにね。私ね、せっしーとビーチバレーする約束してたんだよ~。指切りはしていなけど、帰ったら変わりに何かしてもらおうかな?」

 

 能天気に笑う本音に、ラウラは不愉快な気持ちが込み上げてきた。セシリアは私のママだ。お前如きが気安く約束を取り付けるなんて、と首を絞めて警告してやりたくなった。だけど、セシリアが良くしている存在に手を上げることで、嫌われしまうのではないか、と不安が過ぎった。

 いいや。それよりも早くセシリアに記憶を取り戻してもらわなければ。まずはそこからだ。セシリアの母親のした救いの意味を知り、それを破壊しなければいけない。

 

「ビーチバレーなら私が変わりに相手をしてやる。行くぞ」

 

 娘として母親の代わりに厄介事を潰しておくべきだ。おかしな約束事を取り付けられるまえに。目の前の能天気を徹底的に叩くために、本音の首根っこを引っ掴んで人気のある場所へと引き摺って行った。背中に緊張感のない悲鳴がぶつけられるが知ったことではなかった。

 確か、ビーチバレーは二対二で戦うものだな。逃げなさそうな本音を海に放り込んだラウラは、手始めに一夏を襲撃することにした。多くの生徒たちがラウラから一定の距離を保つために、警戒心を見せない一夏を襲うにが一番楽だった。

 

「ビーチバレーをするぞ」

 

 鈴と泳ぎで競争していた一夏の足を掴んで引き寄せると、ラウラはそのまま浜へと引っ張っていく。

 

「おい!? 溺れるから、溺れるから!」

 

 悲鳴がうるさくて一夏を浜へと放り投げると、「アンタ、何してんのよ」と抗議をしに来た鈴を捕えて一夏のそばに投げる。

 

「ビーチバレーをするだけだ」

 

 二人に用件を告げたラウラは、さきほど海に投げた本音を回収してメンバーを強引に確保した。そして、地獄のビーチバレーは幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晩食は海の幸をふんだんに使った料理が並び、普段から学食で良いモノを食べている生徒たちをそこそこ喜ばせた。通常の学校であれば大はしゃぎのメニューも、IS学園の充実したメニューの前では中はしゃぎが精々だった。

 食事の後は消灯までの自由時間。入浴時間を過ぎ、後は寝るのを待つだけになったラウラは、同室になった憐れなクラスメイトを置き去りにして外へ出た。

 臨海学校の決まり事、と書かれた小冊子には夜間の外出は禁止されていたが、ラウラは建物内の気配を読み取って誰とも合わずに外へと抜け出した。教師の仕事ぶりに杜撰さを感じたが、ラウラにはどうでもよかった。

 旅館から離れて、さざ波の音が聞こえる砂浜へと足を運ぶ。夜の砂浜はいつかのドラマで見た光景と違い、静かで心落ち着く柔らかさはなかった。どこまで暗い地平線がぼんやりと浮かび上がり、ゆっくりと忍び寄る気持ち悪い闇が見えるだけだ。見ているとさざ波を足音にして這い寄って来る気がした。

 だからどうしたというのだ。感じ取ったことを切り捨てたラウラは砂浜に腰を下ろす。

 物思いにふけるにはちょうどいいかもしれない。部屋越しに聞こえるどんちゃん騒ぎはない。部屋以上の静寂な空間は熟考の機会を与えてくれる。

 母親の記憶を取り戻すにはどうすればいいのか。

 未だにセシリアでしかない相手に、ラウラはどう接すればいいのか分からない。いいや、そもそも母親との想い出を持っていない彼女には母親との接し方も分からない。ただ、優しいのならどんな行動にも寛容に対応してくれるのでは、と暴言を吐いてみたが結果は足を踏まれ続けるという仕打ち。

 未だに母性を取り戻していないということか。ラウラは溜息を吐き出して空を見上げた。星のない暗い空だ。

 パパは最強の娘の誕生に歓喜して多くを教えてくれた。戦い方を中心に様々な手解きを受け、いつしか並の大人たちも太刀打ちできない力を得た。パパが闇組織の情報を手土産に故郷ドイツに戻り、軍上層部となった昔馴染みの友人に頼み込んで、ラウラに更なる練習場を与えた。軍属になり、さらに強い敵を倒してきた。だけど、そこにはママはいなかった。

 ラウラの前世の姿は母親そっくりだった。敵対する組織の人間が驚ろいて母親の名前を口にしてしまうほど瓜二つな姿だった。自分の顔を鏡で見る度に、ラウラは目の前にママがいるような気がしていた。実際には自分の顔があるだけで、全く温もりは感じられなかったが。

 母親が友人だという男は、ラウラによくしてくれた。時折起きる偏頭痛を訴えれば親身になって対処してくれた。薬やヒーリングミュージック、心を落ち着かせる飲み物など、色々と気を使ってくれたのだ。

 母親が死ぬ間際に頼むと言ったから、私もできるかぎり尽くそうと思っているだけだよ。男は穏やかに笑って言ってきた。

 母親が必死になってくれたのに、結局死んでしまうとは。それも復讐の念に囚われてだ。しかし、しょうがない。奴らを見る度に怒りが込み上げてきたのだ。止めようにも止められなかった。

 しかし、今はそれも存在しない。いるのは純粋な私と、残念ながら記憶を封じられてしまったママだけだ。余計な横槍を入れてくる敵はどこにもいない。居るのは石ころと変わらない有象無象の存在だけだ。

 

「……明日には帰っても構わないだろう」

 

 課外授業など関係ない。

 ラウラは砂浜に寝そべって、暗闇しかない空を見上げた。



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男の子は突然

 空には太陽がある。正確に言えば、太陽は大気圏内にはなく、無限の宇宙にポッと存在しているだけだ。遥か遠くにある太陽の光がこの地球に降り注いでいるのを、生徒たちは「暑い」や「眩しい」「日焼けしちゃう」と文句を言っているのだ。

 ラウラは空を見上げる。昨日は粛々としていた空も、今は厚顔な太陽が降らせた陽光で目につくほど光り輝いていた。

 本日は晴天につき、予定通りISの課外授業を始める。曇天になろうが雨嵐にさらされよう授業を強行しかねない千冬が、それはもういい笑顔で宣言したのを受けて、ラウラは舌打ちをした。隣にいた気の弱そうな生徒が肩を跳ねさせる。

 舌打ちを耳が拾い上げたのか、千冬がジロリと睨みつけてくる。ラウラはどこ吹く風と視線を無視した。

 

「専用機持ちは国から試験用の武装が届いているはずだ。お前らは運用テストの方に集中するように」

 

 課外授業は専用機持ちと、それ以外に分かれて行われる。専用機持ちたちは所属する国から送られてきた専用パッケージのテストを時間一杯行い、稼働データを収集するのが授業内容だ。ラウラの例に漏れず専用パッケージが送り届けられていた。

 パンツァー・カノニーアと呼ばれる砲戦パッケージを送られたラウラはIS戦のどこに砲戦が必要なのか理解に苦しんだが、届いた手前何もしないわけにはいかない。ラウラは仕方なく砲撃に努めることにした。

 

「では、それぞれ分かれて始めろ」

 

 千冬が手を叩いて行動を促すと、生徒たちはよくできた軍隊のようにパッと動き出した。どの顔も真面目の一言で説明できるが、ラウラはこの顔が数分も続くまいと思った。

 

「ああ、それから。篠ノ之はこっちに来い」

 

 砲戦パッケージを装備するための作業に移ろうとするラウラはピタリと止まった。千冬が手招きで箒を呼び寄せることの違和感に引っかかりを覚えたのだ。真面目を装った生徒たちも千冬の声に何事かと箒に顔を向けている。

 箒は周りの視線を受けてたじろくことなく千冬のそばへと向かっていた。表情は硬い。だが、口元は僅かに緩んでいる。溢れ出る愉悦を硬い顔で必死に抑え込んでいるように見えた。

 教師に呼ばれて喜ぶような人間ではないだろう。さして箒を知らないが、多少なりとも机を並べて学ぶ仲にある。ラウラはニヤつきたいけど我慢している箒の顔を気持ち悪いな、と容赦なくぶった切った。

 

「お前に渡すモノがあるらしいのだが」

 

 寄って来た箒に、歯切れの悪い言葉を紡ぐ千冬。人の心を抉りかねないほどはっきりモノを言う千冬にしてはぎこちない。

 何かある。ラウラはそう思った。人よりも鋭敏な耳が異物が接近する音を捉えたことが更に考えを肯定した。

 砂浜を足を取られることなく走り寄る音が聞こえ、その音の正体をラウラが確認してみると、エプロンドレス姿で全力疾走してくる女性が見えた。接近スピードはただ鍛えているだけでは済まされない。普通の人間ではないだろうとラウラは判断した。そして、あの女が箒に何かを渡そうとしている人物だと予想した。

 チラリと千冬の表情を盗み見ると、呆れた顔をした千冬が唇を僅かに振るわせて呟いていた。

 

「やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっほーーーーーーーーーーー!!」

 

 全力疾走と平行して大声を張り上げる女性。驚異的な肺活量を持っている。千冬のそばまでくると、ブレーキをかけて砂を撒き散らしながら停止した。巻き上がった砂は千冬に襲い掛かり、彼女を砂まみれにしてしまった。千冬は無言で手を伸ばし、女性の顔面を砂浜に沈めた。

窒息寸前まで砂に押しつけてから解放したが、女性は懲りた様子もなく笑っていた。

 

「ご挨拶、ご挨拶じゃあないか。ちーちゃんはいつも他人の気持ちを慮ることが出来ていないよね」

 

「お前に言われるとはな。もう一度砂に沈むか」

 

 教師が手本にならないような暴力を振るっている。ラウラはIS学園の教師の質を疑ってみたが、このようなトンデモ教師がいなければ成り立たないのだろうと勝手に納得した。

 ラウラはトンデモ教師によって再び砂に顔を押しつけられた女性を見る。砂まみれになった顔には覚えがあった。直接ではなニュースか何かで見たのであろう。だとしたらどのような内容のニュースで見たのか。この手の輩はどうせ犯罪者なのだから、刑事事件のニュースで逃走中の容疑者写真で見たに違いない。

 

「えへへ。全く気が短い。そう思わない、箒ちゃん」

 

「それよりも例のモノを」

 

「ぶー。お姉ちゃんなのにね。ずいぶんと他人行儀なんだから。もしかしてお姉ちゃんに会えて照れてる? 照れ隠しで冷たい態度取ってるのかな? だとしたらいくら天才で通ってる束さんも脳がトロトロに溶けてアイラブユーだよ!」

 

 話の内容に女性の正体があった。篠ノ之束。稀代の天才であり、世界最凶の問題児として知られているISの生みの親だ。それならどこかで見るわけだ。各国が彼女の頭の中にあるIS関連の知識を欲して、いまだに指名手配をかけているのだ。

 それにしても、とラウラは思う。テレビで映る写真は若いころのものであるが、目の前にいる束は写真の姿と何ら変わりない。

 さきほどの走り方といい、もしかしたら普通の人間の範疇から抜け出してしまっているのかもしれない。だが、ラウラは負ける気はしなかった。自分だってそれくらいのことはできる。砂浜で全力疾走など簡単だ。競走したっていい。父親の英知の結晶である自分がどうして負けるいうのだ。

 対抗心の生じ始めたラウラを他所に、束と箒の会話は進む。ラウラが正気に戻った時には、箒が真っ赤なISを纏って空へ飛び立っていた。

 ああ、お姉ちゃんに泣きついたのか。空中で独りで熱くなっている箒を眺めるラウラの目は酷く冷めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型IS『紅椿』といい、第四世代型とカテゴライズされるまさしく最新鋭のISだった。素人に持たせるにはいささか豪勢な気がしないでもないが、身内の欲目が箒に最新型を与えたのだろう。

 ラウラは畳張りの上に片膝を立てて座り、千冬が話す内容を話半分に聞き流していた。戦力がどうとか、相手のISはなんだとか、装着者の制御を離れているとか。開いているだけの耳は音を拾いはしても、中枢機関が働かないために逆方向から抜け出していくだけだった。

 篠ノ之束がISを持ってきて、妹である箒が受け取った。少し慣らし運転した後に異常事態が発生した。アメリカとイスラエルで共同開発していたISが試験運用中に突如暴走。何を思ったのかこちらへと向かってきているらしい。

 今は千冬が件のISについての情報を提示・解説を行っている。手元の資料に目を走らせて出力や武装といったスペックを赤裸々にしていく。

 ラウラはぼんやりと旅館内の大宴会場を見まわした。宴会場に相応しい天井の高さが、圧迫感を消し去り、いかにも広い空間であることを演出している。教師たちが運び込んだ空中投影ディスプレイの装置が小さく見えてしまう。

 ディスプレイに表示された情報。IS名やパイロット情報が当たり障りない程度に載っている。実際に運用している動画があれば、視覚情報によって敵の特性をよりよく知る事ができるのだが、開発国の技術者がそこまで手の内を見せるわけがない。資料でしか敵を知れないことは、具体的な対策が取り辛く、この度の問題を難しくしていた。

 

「敵は高速で動き回っている。このまま人里にでも向かわれてしまえば危険であることは諸君も知っての通りだ。最速最短で無力化する。一夏、お前は決定だ。お前の零落白夜が切り札となる。それと、無駄なエネルギーを使わせない為に一夏を領域まで牽引するISが欲しい。ボーデヴィッヒ、高速戦闘パッケージはあるか?」

 

「ない。よって出撃する気はない。存在したとしても出撃しないがな」

 

 聞かれたラウラは行儀の悪い格好のまま作戦参加を拒否する。今の身分はあくまで学生なのだ。学業以外の七面倒くさいことはしない。教師が率先して取り組めばいいのだ。

 

「いざとなれば出ろ。キサマの我が儘に付き合うつもりはない。凰はどうか?」

 

「ありません。武装強化パッケージだけです」

 

「他にいないか。オルコットの強襲用高機動パッケージが最適だが、アイツは欠席しているからな。専用機のパッケージだから互換性もない」

 

 意図的に箒を話から外している。千冬の態度を見たラウラはそう判断した。賢明な判断だ。IS学園で授業を受けてきただけの奴がいきなり実戦など、それも来たばかりの専用機で立ち回れるわけがない。もしもできたとしても、相手を無力化することは無理だ。

 だが、もしもあの機体が高速戦闘が可能な機体であれば運び屋くらいはできるだろう。

 ふん、と鼻を鳴らしたラウラはブリーフィングが終わるのをただただ待った。自分には関係のない話だ。暴走するだけの機体とぶつかり合う熱意はない。

 

「うへへ。そんな時は紅椿の出番だよ」

 

 深刻な事態を馬鹿にするかのような明るい声が天井から響いてくる。天井裏で盗み聞きしていた束が落ちてくる。畳の上に着地すると箒の方へと向かい無理矢理立たせた。

 

「紅椿は私が開発した第四世代型ISだから、ちょっとプログラムを弄るだけで高速戦闘に対応できちゃうのさ」

 

 打開策を見つけられない教師たちを尻目に、束が一本の蜘蛛の糸を垂らした。相手はもっともはた迷惑な存在。浜辺でのやりとりで常識を基本理念として生きている人間でないことも判明している。しかし、状況を円滑に進めるためには糸に手を伸ばさずにはいられないな。ラウラは教師たちの動きに注視したが、彼女達は誰もが動かずにいた。大人たちの大好きな責任という言葉が判断を下せない。ゴーサインを出して問題が起きた後、責任を取らされる可能性があるのだ。気軽に手を伸ばすことはできるはずもない。

 しかし、かつては友人だったらしい千冬は浅く頷くと「すぐに取りかかれ」と指示を飛ばす。義務からか、それとも友人を信じてか。千冬は誰もが敬遠した責任に手を伸ばした。

 信じるか。私もセシリアを信じよう。記憶を取り戻して、無償の愛情を向けてくれることを。パパとママに包まれる人生を。



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鬼退治に

「頼む。力を貸してくれ!」

 

 ブリーフィングが終わってから数時間後。作戦は失敗して、皆意気消沈している中で、ラウラは仰向けに寝転んで時間が過ぎるのを待ち続けていた。身体を拘束されたわけではないが、教師たちから留まるように言われ、その教師たちは作戦失敗後にあちこちを駆けずり回り、大宴会場にはラウラを含め三人の人物しかいなかった。

 その内の一人。今回の作戦に参加し、見事敗北して帰ってきた箒が土下座していた。額を畳に擦りつけ、声を震わせて懇願してきた。

 何をどう力を貸せというのか。上体も起こさずにいるラウラは溜息を吐き出した。箒の背中がぴくりと震えるのを感じ通ったが、それは本人の心構えの問題だろうと無視した。

 

「断る。力を貸す必要性を感じない」

 

 ラウラは一も二もなく断りの返事を出す。土下座から一転して顔を上げた箒が睨みつけてきた。要求が受け入れられないとなると、すぐに不機嫌な顔をするところは幼稚すぎる。それほど気持ちが張り詰めていると言えなくないが、ラウラは寝返りを打って背を向けた。相手にしない態度を見せることで返事を強調した。

 ことの発端は何だったか。束が自らの妹を作戦に抜擢したことから始まったのだろうか。それとも最新型のISが箒の手元にやってきたところから始まったのか。ラウラにも判断がつかないが、作戦開始に向けて逸る箒に危機感を感じていたのは確かだった。長くなりそうだ、予定通りの日程には帰れないかもしれない。こちらはすぐにでもセシリアに会いたいというのに。

 作戦に不安が纏わりついていることを千冬も気がついていたようだった。こっそりと一夏ヘ注意を呼び掛けていたのを見た。箒に言わなかったのは、浮ついた心に口酸っぱく言ったところで聞き入れはしない。事実、ラウラが直球で苦言を投げかけたが「大丈夫だ」「私はいつでも冷静だ」と嘘ばかりを並べ立てる始末だ。

 作戦が開始され二人が飛び交った後に、ラウラと千冬は自然と顔を合わせていた。この作戦、高確率で失敗だな。目と目で会話できた瞬間だった。

 そして危惧した通りに作戦は失敗。一夏は重傷を負って今は治療を受けている。千冬は感傷に浸る暇なく各所に指示を飛ばして対策を練り、作戦に参加しなかった専用機持ちたちは待機命令を受けた。

 おかげでラウラは暇を持て余して船を漕いでいた。耐え切れなくなり横になると時期は過ぎ去って眠くなくなってしまったのが腹立たしい。

 背を向けていると背中を蹴られる。痛くはなかった。断られたのを根に持って蹴ってきたのだとしたら器量の小さすぎることだ。ラウラが文句を言おうと箒へと向き直れば、そこには箒だけではなく鈴も居た。

 

「アンタねぇ。少しは代表候補生としての自覚と誇りを持ったらどうなのよ」

 

 蹴ったのは鈴だった。ラウラは冷めた目で彼女を見上げた。

 

「ないな。国など知らない。私は身内のことだけで十分だ。それに自覚と誇り、キサマもないだろ。今のお前たちにあるのは復讐だ。織斑一夏を傷つけたことに対するな。恋愛感情がそうさせている。そこに自覚と誇りはないだろう?」

 

 ぶわっと鈴の背中から怒りが溢れ出るのを見た。図星を突かれたことで理性の箍が外れ、鈴は鬼の形相でラウラにのしかかってきた。

 

「うっさいわね。復讐の何がいけないっていうのよ。それにアイツを止めなきゃいけないことには変わりなんだから、ちょっとくらい私事が入り乱れても誰も文句言いやしないわ」

 

「違いないな。だが、崇高な理由を押しつけて協力を取りつけようとするのは気に入らない。少しでも思っているのならともかく、欠片もないで言われても張りぼて具合がよく分かる」

 

「……それなら、改めて頼む」

 

 鈴の体重に呼吸が多少苦しくなるのを感じていたラウラに、箒が再び土下座をする。洗礼されたフォルムの土下座は情けなさよりも、芸術的な美しさを醸し出している。この姿にちゃんと土下座しろよ、と追い打ちをかけることはできない。

 

「一夏の仇を討ちたい。アイツを傷つけた敵を倒したいんだ。どうか力を貸してほしい!」

 

 畳に額を擦りつけて再度助けを求める箒に、さすがに鈴もこれはまずいと思ってラウラの上から退いた。小柄とは言え肉の塊が退いたことで、ラウラは深呼吸して肺に空気を取り込めるようになる。

 しかし落ち着けたのも一瞬で、仰向けに寝ていたラウラは鈴に無理矢理正座させられてしまう。

 

「で、答えは?」

 

 背後に立って威圧してくる鈴。前門の土下座に後門の仁王立ち。間に置かれた正座姿のラウラは俯いていた。もはやカオスと言わざるを得ない光景に、実は部屋の隅に控えていた山田真耶は何も言えずに事態を見守るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 押し切られる形となった。紅椿に牽引されているラウラは嘆息を漏らした。眼下に広がっているのは青い海だ。海の上を高速で飛んでいることは、箒の協力要請を受け入れたことを表していた。

 

「にしても。既に敵は移動しているはずだ。進路変更している可能性がある以上、当初の予測進路は当てはまらない。だというのに、ここまで愚直に飛んでいいのか。敵の位置は分かっているのだろうな?」

 

 あの後、大宴会場に潜んでいた真耶を気絶させ、無断出撃を敢行した箒たちだったが、ラウラは情報もなく行き当たりばったりな出撃でないかを不安視した。箒が何も言わずに牽引してきたのが気になる。もしも、勘で飛んでいるというのなら、いますぐにでも回れ右して撤退する。じゃあ、ここいらで分かれて探そうか、などと言うのであれば箒と鈴を撃墜して引っ張って帰るのも辞さない構えだ。

 

「ケータイに敵の位置が送られてきた。送り主は不明だが、おそらくあの人だ。今思えば先の作戦は不可解な点があった。領域封鎖が行われた海域に密漁船が出てくるなどと。掴みかけた勝利を、見事に挫くタイミングだった。全てあの人の手のひらで踊らされている気がしてならない」

 

「あの人? キサマの姉か。だとしたらはた迷惑だ」

 

「全くね。だからって、一夏の奴をあそこまで酷い目に遭わせるなんて。同じ人とは思えない!」

 

「同じ人間と思うことが間違いだ、鈴。あの人の頭の中には人を思いやる気持ちはない。結果が何を生み出すのかを理解できていないんだ。目の前の結論だけで満足して、周囲に撒き散らされた被害の種を見ようともしない」

 

 箒の手から伸びる牽引ワイヤーが揺れる。怒りに身体を震わしているのだ。戦場に狂わせるような感情を持ち込むなどと、いかに箒が戦い慣れしていないかが分かる。剣道の大会での優勝がまぐれなのではないか。

 ラウラは右手に掴んだ牽引ワイヤーを左手で叩いて揺らし、振動で箒に冷静になるよう注意を促す。これから戦うというのに血を昇らせてどうする気だ。

 さらにラウラは背後に視線をやり、同じように頭に血を昇らせている鈴を目で威圧した。冷静にならないと潰す。背中を蹴られたことを根に持っていた。

 

「進路が合っていることは分かった。私は基本的に援護に集中するから、お前たちで存分に痛めつけろ」

 

 協力はする。しかし、メインを張る気はない。今回の作戦はあくまで箒と鈴がアタッカーなのだ。怨念を晴らす戦いに第三者がしゃしゃり出ることは変な恨みを買ってしまう。

 さらに、ラウラの今の装備は砲戦パッケージだ。砲身の長いレールカノンを二門背負って近接戦闘など無知の戦い方になる。装備を存分に生かす戦い方をするためには、ラウラは遠距離からの砲撃をしているのが一番いい。

 暫く、会話もなく飛んでいると、ラウラは遥か遠くに敵ISを見た。アメリカの元代表選手が操るIS『シルバリオ・ゴスペル』は膝を折りたたみ手で抱え込む様に停止していた。暴走している割には大人しい。

 

「先制する。お前たちは海面に潜め」

 

 ラウラは牽引ワイヤーから手を離すと、レールカノンを射撃モードに移行させる。こちらも相手も100メートルも離れてしまえば手のひらに収まるサイズでしか見ることはできない。ハイパーセンサーの補助を受けたラウラの視力は常人どころか射撃の天才すらも上回る。ラウラの肉体もスイッチが入り、生身の状態でも並の人間を大きく超えている。肉眼では見ることのできない位置にいるシルバリオ・ゴスペルの、装甲に包まれた指先まで確認できる。

 箒と鈴が素直に潜水するのをハイパーセンサー越しに見たラウラは、目を細めるとレールカノンで狙撃を開始する。

 電磁加速された弾丸を撃ち放つ。長い砲身から発射された弾丸は大気を切り裂いて前へと進んでいき、静止するシルバリオ・ゴスペルの頭部を圧倒的な力で殴りつける。

 弾丸と共に吹き飛ばされた敵機は瞬時に体勢を立て直して、ラウラに居る方向を見つめる。

 

「来い、暴走IS。戦い方を教えてみせろ」

 

 言葉に呼応するかのようにシルバリオ・ゴスペルの頭部ウイング・スラスターが火を噴く。スラスターが爆発的な加速力を生み出し、高速で空を駆け抜ける。

 思っていたより速いな。寄られれば逃げきれないじゃないか。ラウラは交互にレールカノンを撃ち放ち、敵の動きを乱す。彼女の目は敵の僅かな動きを捉える。一発目のレールカノンを避ける方向を、わずかな動きで見切って二発目を回避方向に向ける。一発目は囮として使い、二発目でダメージを与えに行く。

 だが、シルバリオ・ゴスペルは暴走しているとはいえ、これまでのISの性能を凌駕する新型の機体だ。頭部のウイング・スラスターが驚異的な運動性能を生み出して、ギリギリで弾丸を回避していく。命中させるつもりで撃った弾はほとんど避けられてしまった。

 第一射の時にあった彼我の距離は詰められたが、ラウラは顔色一つ変えずにレールカノンで攻撃をする。距離が縮まったことで命中率が上がっているのだ。距離を離す暇を全て射撃に費やし、見事に命中させる。

 

「任せる」

 

 後少しで接触するというところでラウラが後ろに下がる。加速性能の差から逃げることは不可能なのだが、気にせずに後退した。ラウラの元居た位置まで敵ISが来ると、海面が盛り上がり、海水の膜を突き破って箒が飛び出してくる。

 

「もらった!」

 

 日本刀を模したブレードが慌てて退いたシルバリオ・ゴスペルの膝を掠める。舌打ちした箒を敵機がエネルギー弾を発射して狙い撃つのだが、箒の奇襲に紛れて距離を稼いだラウラが砲撃で体勢を崩していく。

 思うように攻撃ができない敵機に人間並みの意志が宿っているのであれば、きっと歯ぎしりして悔しがるだろう。残弾を確認しつつ、ラウラは敵を嘲笑う。

 ラウラの砲撃が攻撃の手鼻を挫き、頭上を陣取った箒がブレードからレーザーを発射して攻撃を加える。

 

「だっしゃぁぁぁあああっ!!」

 

 上からの攻撃に海面近くまで追いたてられたシルバリオ・ゴスペルを、箒同様海中から飛び出してきた鈴が襲い掛かる。青竜刀で敵を殴りつけると、手にした牽引ワイヤーを投げつけ、腕に巻きつける。

 

「その羽落とす!」

 

 牽引ワイヤーを引っ張って敵を引き寄せる。四門に増えた衝撃砲を銀色の装甲に叩きつけ砕いていく。

 シルバリオ・ゴスペルはワイング・ユニットを鈴に向ける。エネルギー弾を至近距離から浴びせるつもりだ。しかし、相手は鈴だけではない。上空を封鎖していた箒が両手それぞれにブレードを構えて落下してくる。

 

「宣言通りにな!」

 

 一瞬の油断が命取りになるんだ。ラウラが胸の内で呟くと、銀色の機械翼が大海原に没した。



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行くと言って

 主兵装であるウイング・ユニットが斬り落とされたシルバリオ・ゴスペルが海面へと叩きつけられる。水柱を上げて姿を消した敵機を、三人は警戒の色を宿したまま海面を見下ろす。

 

「やったのか?」

 

「……あー。多分やってないんじゃない?」

 

 神経の摩耗に荒い呼吸を繰り返す箒が海を見据える。意識しなければISの能力を走らせることができないようで、自分の目しか頼っていない。

 深い溜息を吐き出した鈴は投げやりに返す。箒が「どうして言える?」と問いかけたが、鈴は無言で首を振るだけで詳しくは答えなかった。

 二人より離れた場所で警戒を露わにしているラウラは、ハイパーセンサーでシルバリオ・ゴスペルの水没地点を調べる。様々なセンサーを駆使して、敵がまだ息を止めていないことを知ると、二人に警戒するよう言って上昇する。今は海面近くに居る方が危険であると判断したのだ。

 二人がラウラに倣って海面から離れる。すると、海面がぼんやりと光り輝く。普通のISが見せる反応ではない。スペックにもこの手の光を出すような兵器は搭載されていなかったはずだ。 アメリカが情報の全てを開示したわけではない。断定などできるものか。ブリーフィングで見た情報を鵜呑みにすることができなかったラウラはハイパーセンサーによる情報収集を行う。眼前に様々な観測データが表示され、光の正体を少しずつ暴いていく。

 

「本番はこれからというわけだな」

 

 収集したデータを元にして光の正体がISの進化のモノだと判明した。敵は戦闘の真っ只中で突然進化を始めたのだ。

 セカンド・シフト。頭の中を過ぎった言葉に、手強くなることを理解した。負けはしないが、機体の損傷は覚悟すべきだな。

 海面に浮かんだ光の円がゆっくりと収束していく。光の円は海に溶け込んでいくように小さくなり、やがて消失してしまった。文字通りに消失してしまえば越したことはないが、実際っはセカンド・シフトの終わりを告げただけだ。敵は失ったエネルギーと装甲を全て回復している。

 しつこいだけの相手ならマシなのだがな。ラウラが嘆息を飲み込んで身構える。目で見て相手の動きを判断しているために、海の底からやって来る相手には完全に後手に回らざるを得ない。

 緊張の一幕が下りたのは、ラウラが真下に敵の反応を捉えた時だ。海水を纏った銀色のISが飛びあがり、身体中から生えたエネルギーの羽を飛ばしてきた。

 避け切れるか、とラウラは回避運動に入る。高速のエネルギー弾の隙間を縫って被弾を免れたが、敵はラウラを一番の脅威と認定したようで、周囲を飛び回りながらエネルギーの羽を散らせる。

 

「ラウラ!?」

 

 箒の声がエネルギー弾の嵐に混じって聞こえてくる。救援に向かうが、敵は予測もつけられないような軌道で接近も射撃も許しはしなかった。

 

「邪魔だ」

 

 近すぎる距離感にラウラは惜しみなくレールカノンを捨て去る。物々しいテクノロジーの筒を切り捨てたことで被弾面積は減るが、同時に最大火力を喪失する痛手を負う。

 ラウラは前後左右の物理シールドの裏側からハンドガンを取り出す。レールカノンとは比べられない火力の低さは心許無いが、素手で相対するよりかはマシだ。

 ハンドガンを片手に、ラウラは目をギョロつかせて暴力の雨粒を掻い潜る。隙を見てハンドガンの引き金を引くが、火薬によって撃ち出される弾丸は電磁加速されたレールカノンに劣る。シルバリオ・ゴスペルは非力さを飛び回って嗤う。

 

「囮になってやる。やれ」

 

 エネルギー弾が視界を掠めていく。弾幕の密集し始めている。こちらが最小限の回避運動をしていることにようやく気がついたのか。感情のない敵からの表情のない殺意に、ラウラは少しずつ押され始めていた。ハンドガンに予備弾倉を装填して牽制弾を放つ。風に乗って飛んできたゴミだな、とラウラは思った。銃口をシルバリオ・ゴスペルに向けるが、目の前でエネルギーの羽同士が接触して爆発が起こり、視界を潰されてしまった。

 細やかな真似を。舌打ちして爆発の火球から離れるが、敵は既に正面から移動していた。背後からのエネルギー弾の群れが殺到する。ラウラは振り返るなり回避に専念しようとするが、振り返り様にハンドガンが被弾し、爆発によって使い物にならなくなった。爆発の衝撃で体勢を崩したラウラを後に続いたエネルギー弾が降り注ぐ。

 二枚の物理シールドがわずかに抵抗を見せるが、ダメージが飽和した盾が爆発にひしゃける。ラウラは裏に装備していたアーミーナイフを手に取ると、役目を終えたシールドを投げ捨て身を軽くする。

 

「すぐに離れなさいよ!」

 

 鈴が衝撃砲を連射して、ラウラに迫るエネルギー弾を相殺する。

 

「忘れるな、三対一だ」

 

 箒がブレードで斬りかかる。シルバリオ・ゴスペルは急加速で回避したが、ラウラはその隙をついて接近、アーミーナイフを銀色の装甲に突き立てる。開いた手で敵の首を掴み、何度もナイフを突き刺してダメージを与えていく。しかし、相手もただ刺されることはせず、自爆覚悟でエネルギー弾をぶつける。

 

「無茶をする!」

 

 背後から斬りつけることは卑怯とされることだが、箒は逡巡を見せずにシルバリオ・ゴスペルの背中を斬る。背中から生えてきたエネルギーの羽が箒を吹き飛ばすが、彼女はブレードを投擲して食い下がる。

 

「アンタもでしょ!」

 

 炎を纏った弾丸が空気を焼き払う。連結させた青竜刀を回転させて衝撃砲の後に突撃する。ラウラが引っ付いて離れない中で、箒に背中を付け狙われる中で、シルバリオ・ゴスペルはさらに鈴の攻撃に晒される。全身からエネルギーの羽を生やしてハリネズミのように弾幕を張る。

 海域が小さな爆発に満たされる中で、三人は喰らいついて離れようとはしない。エネルギーの爆発に身体を痛めつけられようとも、箒と鈴は復讐の念で引き下がろうとはしなかった。ラウラには二人ほどの熱意はなかったが、戦いが始まった以上はすごすごと諦める気はなく、二人に負けない勢いがあった。敵の首を掴んで離さず、一心不乱にアーミーナイフを突き立て続ける。爆発によってナイフがへし折れると、武器を捨てて拳を叩きつけて攻撃を続行した。

 シルバリオ・ゴスペルは正面に引っ付いて離れようとしないラウラを、加速力で振り落とそうとする。その間にもエネルギー弾を撒き散らして、迫る二人を牽制する。

 シルバリオ・ゴスペルの拳がラウラの腹を打ち据える。速度でも爆発でも噛みつきをやめない相手に、今度は拳で叩き落とそうとする。

 

「畜生めが!」

 

 三発、四発と拳を受けてISが悲鳴を上げる。エネルギーの限界が近いことを警告で知ったラウラは悪態をつく。離れても遅く、このまま攻撃を続けても敵を倒せる可能性は低い。どっちを選んだところでラウラ自身はリタイアせざるを得ない。後は、敵が生身の人間を放っておいてくれるかどうかだ。

 最後のエネルギーを犠牲にしてラウラは拳を放つ。同じタイミングでシルバリオ・ゴスペルの拳も迫り、互いの拳が互いにダメージを与える。

 そこが限界だった。ラウラのISは粒子となって消え去り、待機状態に戻ってしまった。再び敵の拳が放たれ、生身の身体に突き刺さった。強化された肉体であってもISの拳は重い。戦闘で疲労し尽くした身体はまともに受け止めることもできず、ラウラの意識を刈り取って海面へと叩き落としたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで。どうして大した怪我もなく夕食を食べてんのよ!?」

 

 大宴会場に鈴の叫び声が響き渡った。端にいた生徒までもが何事かと顔を向け、教師たちが「騒ぎ過ぎですよ」と注意をする。千冬が無言で睨み付けると、鈴は顔を俯けて視線を逸らした。

 しかし、追及の意志は折れたわけではないようで、すぐさま顔を上げて小声で怒鳴り込んだ。

 

「心配させておいて、どうして平然と飯食ってんの。ちゃんと精密検査は受けたのよね!?」

 

 キンキンと五月蠅い。ただ切って置かれただけの魚、刺身と呼ばれる海の幸を口に運んだラウラは隣人を疎ましく思いつつも、下手に苦言を寄こせば加熱してしまうと黙って好きにさせていた。二切れ目の刺身にわさびを乗せて口に運び、あまりの刺激に心身共に黙らなくてはならなくなった。

 

「あ、アンタねぇ。そんなに沢山わさびを乗せたら駄目じゃない」

 

 追及の姿勢が一転して、鈴は蹲って唸るラウラの心配する。鼻の奥がツンとして息をするのが辛い。涙が止まらない。多くの留学生がそうであるように、ラウラもまたわさびを甘くて見て痛い目を見た。二度とわさびは使わない。ようやく復帰したラウラは心の中で決意して、わさびを遠ざけた。

 

「ええと。大丈夫?」

 

「大事ない。わさびを甘くみた私の責任だ。もう二度と食べるものか」

 

「何を子供みたいな宣言を。それより質問に答えてよ」

 

「丈夫だから」

 

「それで済む問題じゃないでしょうが」

 

「済む」

 

 凡庸な肉体とは違い、父親の夢の実現によって強化された身体は体格差のあるレスラーの攻撃だって易々と耐えられる。空腹時は弱まるが、そうでなければ耐久力は並ではない。ISの拳を受けたのは初めてだったが、父親の夢は伊達ではなく強かった。

 生きて帰ってきたことが示す通り、戦いはラウラたちの勝利に終わった。

 シルバリオ・ゴスペルに殴り飛ばされた後、ラウラは意識を失った。気がついたら鈴の抱きかかえられていて、どんでん返しの戦いは終了していた。ISを身に着けた一夏が居たために、おそらく一夏が敵を倒したのだろう。撃墜時に負った酷い火傷が見えないのが気になったが、空腹に脳みそが運動停止したラウラにはどうでもよかった。

 倒されたシルバリオ・ゴスペルの装着者は、箒に抱きかかえられて気を失っていた。確か名前はアリス・ステイススだったか。彼女は今、暴走によって後遺症が生じていないかの検査を受けていたハズだ。

 同じく検査を受けなければならない目にあったラウラは、大宴会場でのんきに飯を食っている。事実、何の問題も怒ってはない。骨が折れた感触はなく肉体の違和感はない。事情が事情だから精密検査は学園に戻るまではできないということもあり、ラウラは食事に精を出していた。空腹が限界値を迎えているために、スルスルと飯が喉を通る。

 

「アンタ、よく食えるわね。アタシなんて疲れて食べきれないっていうのに」

 

「腹が減れば食う。当たり前だろ。要らないのなら寄こせ」

 

「はい、わさび」

 

「それは要らない」

 

 わいわいガヤガヤと賑わう生徒たちの中に、時折こちらを盗み見てくる者たちが居ることをラウラは確認した。此度の事件は一般生徒たちには伏せられている。事件が起きたことは告げられていたらしいが、それ以外の情報は一切降りて来ず、好奇心を刺激された生徒たちは真相を知る人間に聞き込もうとしているようだ。しかし、現在は教師たちの目があり、また情報をペラペラ話すような口の軽い人間はいない。箒と一夏は教師側に近い席で食事を取ることで追及を免れ、教師から遠い席にいる鈴は、話しかけ辛いラウラと一緒に居ることで生徒たちを近づけさせない。

 上手く利用されているのをラウラは感じながらも、鈴の分の食事を得られたことでチャラにする。これで隣がセシリアなら最高だったかもしれない。

 

「なんていうか。セシリアが居ないせいか、アンタも本音もちょっといつもより元気がないわね」

 



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家を飛び出していきました

 食事が終わり、空腹を満たしたラウラは昨日と同じように砂浜に来ていた。昨日とは違い、砂浜は頭上の月に照らされていた。視界の明るい砂浜はゴミはなく清掃と自然保護の行き届いた綺麗な場所だった。

 旅館を離れるように歩く中でラウラは履物に鬱陶しさを感じた。旅館で貸し出されているビーチサンダルは履き慣れているものではなく、歩く度に不愉快な感触が足元から這い上がって来る。ラウラは嫌になってビーチサンダルを道中で脱ぎ捨てた。忘れてなければ帰り際に回収すればいいだろう。

 足の裏に砂粒が引っ付く。歩いていけば付いたり離れたりを繰り返し、なんとも言えない心地よさを感じ取る。砂を蹴飛ばすと風に吹かれて散乱していく。

 風呂上りの火照った身体に潮風が張り付いてくる。涼しいとは感じるが、しばらくすれば肌のべた付きに、また風呂に入らなければならないだろう。

 ならいい。ラウラは仰向けに倒れる。旅館で配られた浴衣が砂に汚れるのを気にせず、空を見上げる。

 考えてみれば、過去の自分は夜空を見上げたことはなかった。見る者と言えば母親の友人だという男の顔と、血に沈む敵の身体くらいだった。景色を注視する余裕がなかったのかもしれない。知らずに失ったママの恨みを晴らすだけに生きてきた。それは今日見た箒や鈴と変わらない姿だ。あれほど醜いものなのか、と思うと同時に、ラウラはかつての自分も醜かったのかと過去を振り返った。復讐の念に駆られ、敵を殺して歩いた日々に変則的にやってきた頭痛は感じなくなった。あれは、もしかして復讐はいけない、とママが忠告してくれていたのかもしれない。醜い私を救うために頭痛という形で呼びかけていたと思いたい。男の持ってくる薬に頼っていたけど、頼らないほうがママを感じられたのか。

 外気に身体が冷え切る。だけど、寒いとは思わない。砂浜に四肢を投げ出して、そのまま眠っても構わない。風邪を引いたらセシリアが全てを思い出してくれるかも分からない。思い出すきっかけでも十分だ。

 風と波の音に瞼が下がる。穏やかな時間が流れる。

 しかし数分もせずに、砂浜を踏みしめる足音がラウラの耳に入り込んでくる。位置は遠い。旅館方向からこちらに近づいてくる。音の具合から判断したラウラは、だからといって何かするでもなく仰向けの姿勢を崩さなかった。

 月明かりが砂浜を明るくしているとはいえ、注視しなければ認識できない。近づいてくる人物たちは、離れた位置にいるラウラに気がつかず、岩場のある方へと向かって行った。

 

「何をするつもりだ?」

 

 ぼんやりと浮かび上がった人影の顔が箒と一夏ということもあり、ラウラは立ち上がって砂を払うとひっそりと後をつけた。

 逢引という奴か。奴らはこれから不純異性交遊でもするのか。好奇心と脅迫材料の採取に背中を押されているラウラは展開を気にして、岩場に背中合わせで座りだした二人に見えない位置で聞き耳を立てる。

 だが二人の会話を聞いていると、どうやら一夏の心配や何やらで面白い話は一つも飛び出さなかった。つまらない、というのが正直な感想だった。男女が揃えば発情して、勢いのままわんわんにゃーにゃーするものだと思っていたラウラは肩透かしを食らった気分だった。これ以上に聞き耳は徒労でしかないだろう。

 付けてきた時と同じく、足音を立てずにその場を離れる。旅館方向へと向かうと、先ほどまで寝転がった場所で仰向けに倒れた。

 夜の空気で砂が冷え切っているのを感じると、ラウラはあくびをして夜空を観察する。澄んだ空気が見せる空は、果たして過去の世界にあっただろうか。夜空を見上げることのなかったことを悔やんだ。

 暫くぼんやりと過ごす。気がついたら目の前を人影が全速力で駆けて行った。後頭部で纏めた髪の毛がはためくのを見て、箒だと当たりを付ける。何を急ぐ必要があるのか、とラウラは両腕を支えに上半身を起こすと、旅館向けて走り去る箒の背中を見送った。さきほど岩場でロマンスな雰囲気を見ただけに、あそこまで無粋なダッシュをする意味が分からなかった。

 セシリアが言っていたな。あの朴念仁に振り回されている姿が面白いと。ラウラはケータイを取り出して朴念仁の意味を調べようとする。しかし、全てのモノを旅館に置いてきたことを思い出して諦めた。今手元にあるのは修理を必要とする待機状態のISくらいだ。

 朴念仁とは何か。分からないなりに予想してみる。暫く考えてみても答えは出てこない。

 ケータイくらいは持ってくるべきだったか、と旅館方向に目を向ける。そろそろ戻るか、と腰を上げて体中についた砂を払い落としていく。

 

「あれ? ラウラか。何やってんだ?」

 

 ラウラが歩き出そうとすると、声がかけられる。振り向けば平然とした顔の一夏がいた。髪の先端から水滴がぽたぽたと滴っているのを見るに、一度海に飛び込みでもしたのだろう。

 

「こんな時間に泳いだのか?」

 

 ラウラは質問には答えずに問いかける。

 

「いや、箒に投げ飛ばされた」

 

「……何を言ったんだ?」

 

「特に何も」

 

「アイツはアレか。通り魔的なのか」

 

 クラスメイトの隠された危険思考を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨海学校三日目は撤収だけの時間だった。生徒も教師もIS関連の荷物をトラックに詰め込む作業に追われて、二時間後にようやく準備を終えた。体育会系ではない生徒たちが息も絶え絶えにバスの座席に身を預けている中で、ラウラはあくびを噛み殺していた。生徒たちがてんやわんやしている時に、ひっそりと姿を消してサボっていたために疲れを見せていなかった。元々身体の出来が違うために、二時間ぶっ通しで動き回っていたとしても疲れはしないのだが、やはり自分に関わりのないことには関与したくなかった。

 窓側の席ということもあり、車内の有り様に背を向けて外を見る。場所が旅館の近くのために旅館しか見えない。

 

「らうらう~。場所代わってよ」

 

 通路側の席に座っている本音が背中を叩いてくる。誰もラウラのオーラに耐え切れないために、唯一オーラをものとしない本音が隣人として選ばれていたのだ。ラウラからしてもればセシリアと仲良くしている感じが気に入らないために、この席割に内心では不服を申し立てていた。さらに言えば、背中を叩くんじゃない、と振り向き様に肘を叩きこんでやりたい衝動に駆られていた。

 窓の外は晴天で雲一つない。だというのにうら若き十代の少女たちがこぞって車内で死んでいるのはどういうことだろうか。というか、そもそもなんで文科系の本音が元気を余らせている。

 

「サボったか?」

 

 背を向けたまま本音に問う。自分のことは棚に上げていた。

 

「え? サボってないよ。えへへ、私は私で真面目にやってたんだよ~」

 

「嘘だな。労働の跡が見えない」

 

「こっちを見ずに言えることじゃないと思うよ。私の仕事は書類仕事だったから、肉体労働系じゃないんだ~」

 

 衝撃の事実にラウラは「書類って始末書か」と本音が何か悪いことでもしたのかと疑った。セシリア関係のせいで、本音を敵としか見れないラウラは悪い方向にばかり思考を向けがちになっていた。

 ラウラの棘のある言葉にも本音はほんわかした雰囲気を崩さずに「生徒会関係なんだよ」と言ってのけた。周囲は一方的に溢れ出す険悪なムードに、肉体だけでなく精神までも疲労していた。

 



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それから

 空が青い。夏休みの足音が徐々に近づいてきている。臨海学校から帰ってきた生徒たちはまだ潮の香りを鼻腔に残しているのか、授業に身が入っていない姿がちらほらと見える。今日が通常授業だからかもしれない。ISの授業と比べて教師の態度は軟化しているから、少しくらい気持ちが入っていなくて良いと思われてしまっているのか。それとも、男である俺を見下しているから身が入っていないのか。どちらにせよ、教える側としては気分を害する光景だった。

 教師としての職務に誇りは持っていないが、ある程度のやりがいを持っている。生徒のやる気ない態度に、授業が苦行に感じられてしまう。ディスプレイ上の公式を本当に理解してくれているのかも分からない。そもそも公式として認識できているのかを気にしてしまう。かつては俺も授業を受ける側の人間だったので、そりゃあサボりたいだ早く授業終われだと舐めきった態度を取っていたこともある。だけど、教師になって今はよくないと理解できる。やっぱり教え教えられの関係なんだから、礼節を大事にすることが大事だと思う。授業を受けたくないならどっか行け、授業を受けるならせめて表面的だけでいいから態度を改めろ。

 一学年のボケきった連中に授業をする苦痛。しかも、普通授業だって言うのに更識簪が居ない。日本の代表候補生だか、姉に負けない為に独りでISを作っているだか知らないが、通常授業ぐらいは出ろ。何を朝一番の授業でサボってんだ。

 朝から苛々させんなよ。パソコンを操作して新しい公式をディスプレイ上に映し出す。キータッチが多少乱暴になっているが、とりあえず壊れなきゃいいだろ。どうせ私物なんだから。

 俺自身、授業態度が悪くなっている。心がとげとげしてくるのをマズい、と思っていたらポケットに収まるケータイが震えだした。授業中ということもありヴァイブレーションは最少になっていて、熱中していれば気がつかないのだが、集中力が散漫になっているので気がついた。

 生徒たちの目を盗んで受信を確認する。メールが一件届いていた。送り主は不明。おそらくフリーメールだ。内容は『あんまり怒るな(怒)』の一文だけ。広場天子の仕業に違いない。ところでなんで(怒)なんだ。怒るなと他人に言っておいて、なんで勝手に怒ってんだアイツは。

 変わったメールに頭を悩ませながら授業を進める。何だかんだあのメールのおかげで冷静さが帰ってきた。おかえり。

 授業はそのままやる気のない奴らに根気強く公式を解説するので終わってしまった。教えられなかった悔恨よりも、ようやく終わった解放感が強い。

 一年四組の教室を出ると、俺は三つ隣の教室へと足を運ぶ。授業が終わったばかりの教室からは現国の教師が溜息を吐き出しながら姿を現し、そのまま意気消沈の背中を見せながら職員室へ続く廊下を歩んでいった。彼女もおそらくやる気の回復していない生徒たちを相手に暖簾に腕押しの気分を味わったのだろう。

 いいや。もしかしたら詳細は違うかもしれない。

 当初の目的通りに、ぐったり教師の出ていった扉から教室内部を覗き込む。着替え中の生徒がいたらラッキースケベ通り越して犯罪者になるので、そこは気をつける。どこを気を付けるかと言えば、俺が授業をする教室の付近の時間割を確認して、覗き魔の誹りを受けないよう気をつけているとこだ。

 教室を覗いて見えるのは、どこか腑に落ちない表情を浮かべている生徒たちだ。先の授業で理不尽なことでも言われたのかと疑問を持ったが、すぐに違うと首を振る。

 

「よっす、オルコット」

 

 俺は何気ない様子で教室に入り込むと、手を挙げてこの原因を作り出している元凶を呼ぶ。そいつは自分の席に大人しく座っていた。机の上に勉強道具が一つもないことからきっと授業を真面目に受けてはない。アイツの日頃からの態度を考えればすぐに分かる。

 

「よお、是っ清。どーした、ナンパでもしに来たのか?」

 

 声をかけると、緩慢な動作で顔を向けてきたセシリアが手のひらをプラプラさせて返事を返してきた。目上の人間に対する態度ではないと思ったが、そこで説教の一つでもたれようものなら、試したことないけど冗談抜きで指をへし折られる。

 生徒たちの納得がいかない顔をする原因は、やはりセシリアなのだろう。彼女の一挙一動に全員がおかしいくなるくらい注視していた。

 そうなるのも仕方がない。臨海学校から帰ってみればクラスメイトの様子が違っているのだから。別に宇宙人みたく毒電波を送受信しているわけではないのだが、なんとなく雰囲気が違う。前のセシリアは手の付けられない獣といった感じの雰囲気を出していた。

 しかし、今のセシリアは理性的な猛獣といった感じになっている。おそらくセーブしてあれだ。出会ったばかりの頃は、広場天子の顔を殴りまくったすぐ後だったのか、今目の前にいるのよりも危険な匂いを漂わせていた。血の匂いと言えばいいか。全身を返り血だらけのサイコパスに出会った気分にさせられるというべきか。分からないけど、要は人智を超えた恐怖をビシビシと感じられた。

 

「別にそうじゃねえよ。現国の教師が疲れ切った顔で出ていったから、ちょっと原因を探りにな」

 

「仲間意識が強くてなによりだ。隠蔽するには打ってつけの友情だぜ」

 

「ははは。残念だけど興味本位なだけさ。べっつにそこまでべたべたした関係性を持とうとは思わないって」

 

「で、興味を満たすものはあったか?」

 

「おお。お前が原因だって分かった。オルコット、もしかして威張るだけで能無しなんで、気合を入れてやったとか言うんじゃないだろうな。それしたらあの先生は二度と学校に来なくなるぞ」

 

「何言ってんだ? 馬鹿じゃねーの」

 

 俺の渾身のギャグは見事に打ち砕かれた。そういや、俺とコイツは居た世界が違ってたな。じゃあ、俺の世界で通じていた笑いの多くが通じないじゃないか。

 

「そういう時は愛想笑いで流してやるのが大人だ」

 

 一年一組の生徒たちの前で奇妙なことを言ってしまったが、羞恥で赤面しない自分を褒めたくなった。あのオヤジギャグで有名な一夏でさえ奇妙な視線を向けてくるが、俺は自分を褒めたい。世界で一人だけ生き残ってしまった気分だったが、自身の生存を褒め称えたい。

 

「じゃあ、とりあえず次の授業があるから帰るわ」

 

 真セシリアと出会ってから、俺の中の真面目に取り繕う部分がぶっ壊れている気がする。真面目を演じるのが異常に面倒に思って、その通りに面倒になってやめてしまっている。今の俺は不真面目な先生と烙印を押されてしまっている。だが、落ちるところまで落ちれば、評価の低下を怯えることはなくなるので、今はもうこれで構わない。

 だからお前らもちゃんと授業を受ける準備をしろよ。教室内を見渡して目で釘を刺しておく。そう思わせておいて、実は特定の生徒たちの様子を窺った。

 一人は主役こと織斑一夏。なんというか平和ボケした日本人みたいだった。実際は平和とは程遠い場所で生活しているのだがな。主観ならなんでも言えるのさ。

 一人はヒロインその一こと篠ノ之箒。なんというか一夏をチラチラ見ながらも不機嫌そうな顔をしている。臨海学校で嫌なことでもあったのか。細かいことまで覚えてないから、コイツの機嫌の悪さの理由が分からない。

 一人は転生者ことラウラ・ボーデヴィッヒ。なんというかセシリアの様子の変化に目を輝かせて身体をうずうずさせている。どうした? マジでどうした? もしかして好敵手登場とでも思ったのか。馬鹿なのか?

 一人は生徒会こと布仏本音。なんというかセシリアの変化に、いつもほわほわした顔が硬くなっている。ヤバいな。あの触り心地の良さそうな頬も硬くなってるのか。ちょっと確認させてくれないかな。

 確認するものを確認し終えた俺はそそくさと一年一組から出ていく。セシリアの変化は確実に何かをもたらしている。

 

 

 

 

 

 

 昼休みになると、俺はいつも通り備品室に引きこもって飯を食う。購買の弁当の中で一番ボリュームのある弁当を買ってきたが、これが量だけでなく質も揃っていて美味い。箸が進む美味さに、この学園に務めて良かったと思う。

 しかし、悪いこともある。この学園に務めたせいで女教師たちにこき使われて奴隷根性が培われてしまったこと。人外の化け物たちと知り合ってしまったこと。

 

「うーん。もうちょっと掃除した方がいいんじゃないですか?」

 

 そして生徒会長に目を付けられてしまったことだ。水色の髪を外に跳ねさせた楯無は快活な女子を見せつけながら、裏では策士の部分で色々とやっているのだがら質が悪い生き物だ。笑顔に騙されて、迷惑ごとに巻き込まれても結局は許してしまえる恐ろしさがある。

 俺はトンカツを咥えながら「男所帯でね」と義理で返事を返す。我がオアシスが学園の強力な権力に脅かされつつある状態で、ウェルカムムードなど出せるはずもない。かといって強く拒絶の意志を見せられるほどの度胸はないので、ちょっとした言葉選びで小さな拒絶を忍ばせる程度のことしかできない。

 

「なら掃除でもしてやればいいじゃない。自称学園最強の生徒会長様」

 

 代わりに、同じく備品室を当たり前の場所にしつつあるセシリアが攻撃的な言葉を投げつけて、わざとらしく扇子で口元を隠した楯無を挑発する。惣菜パンにかぶりつく姿は女子らしくないワイルドさで惚れ惚れしてしまう。

 

「うぅっ!? それに関しては強く言い返せないわね」

 

 扇子を持つ手を振るわせる楯無は、数日前の大敗によって学園最強から自称学園最強となってしまい、ISの実力関係では猛威を振るえなくなった。あの試合は圧倒的だったが、そもそも原作の楯無が強かったかどうかも定かでなかったから、俺としては最初から自称最強だった。

 楯無からしてみれば自分の実力が疑われることは避けたいようだが、セシリアはそんなことなど知ったもんか、と攻撃の姿勢は崩さずにいる。前セシリアの恨みを引き摺りまくっているのかもしれない。

 ちなみに、セシリアにブレーン的な立ち位置にいる広場天子は、楯無の訪問を事前に察知していたのか、飲み物を買ってくると宣言して出ていったきり帰ってきていない。きっと楯無が居なくなるころに帰って来るはずだ。

 

「それよりもさ。どーしてお前がここに来るんだよ。綺麗な生徒会室で大人しく書類仕事でもやってな」

 

「ふふふ。一体全体どうして居るのでしょうね」

 

 扇子で口元を隠したまま不敵に笑う楯無だったが、左耳のすぐそばを高速で通り抜けていった何かに、笑顔を引き攣らせて背後を振り返った。背後に壁があるだけだった。彼女は視線を落とすと何かを拾い上げた。

 

「冗談にならないわよ」

 

 拾い上げたの先端が潰れた爪楊枝だった。楯無のそばを通り抜けていったのは凶器に成り得る物体だった。セシリアの人間離れした力がたかが爪楊枝を危険な武器に変えてしまったようだ。余裕の笑顔を取り繕う楯無を見れば、あれが鍛えている人間からしてみてもおかしいものだって分かる。

 

「コイツは勘がいいぞ。本当のこと言えよ」

 

 助け船を出す。俺なりの優しさだ。

 

「正直に言うわね。セシリアちゃんにはぜひ生徒会に入ってほしいの」

 

「……はぁ?」

 

 セシリアの反応は俺の気持ちも代弁していた。急に何を言っているんだコイツは。

 

「その反応は予想できたわ。でもね、ちょっと考えれば分かることなの。セシリアちゃんみたいな強い子を野放しにしておくほど生徒会は寛容じゃない。隠してもバレそうだし言うけど、監視の意味もあるのよ。既に上層部には伝えておいたから公式なもの」

 

「監視ってなぁ。それで止められるとでも思ってんのかよ?」

 

「思ってないわ。直接試合をしたから分かる。この学園内で貴女を物理的に止められる人はいない。正直そのパンを食べてなんともないなら、毒で封じ込めることもできなさそうだし」

 

 楯無はやれやれと深く息を吐き出すが、俺はそんなことよりもセシリアの手にある、ほとんど食べきった惣菜パンを見つめてしまった。楯無の言い方からすると、この惣菜パンに毒が仕込まれていたことになる。問い詰めるように楯無に視線を向けると「普通の人なら半日は苦しむ毒よ」と暗に肯定された。

 

「ああ、やっぱり毒入ってたんだな。だとしたら残念なお知らせだ。その毒入りパンはこっちだぜ」

 

 俺の心配を他所に、セシリアは背後からビニール袋を引っ張り出すと、中から今食べているのと同じ惣菜パンを取り出してきた。彼女は毒入りだというパンの包装袋を破ると、毒のことを忘れたのかパンにかぶりつき始めた。

 

「もっと残念なことに、アタシにこの程度の毒は効かねえぜ」

 

 規格外の化け物が楯無の仕掛けた毒入りパンをムシャムシャと胃袋に収めていった。

 

「あ……あははは。どうしましょう?」

 

 楯無が渇いた笑い声を漏らした。



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しばらく

 セシリアが教室に入ると臨海学校以来の顔合わせになるクラスメイトたちがこちらを見る。時間帯は朝のSHRが始まってすぐのことで、唯一遅刻してきたセシリアに視線が集まるのは当然の結果だった。

 教壇に立つ千冬が鋭い視線を突き刺してくる。時間にも授業態度にも厳しい彼女は、堂々と遅刻をするセシリアの後ろめたさのない表情に出席簿を振り上げる。クラスのほぼ全員がセシリアの頭にクリーンヒットする出席簿を想像したが、セシリアは一呼吸よりも早く振り下ろされた出席簿を軽々と受け止める。

 周囲が息を飲むのを感じ取ったセシリアはこの程度の速さで驚くなよと思った。頭を叩かんと振り下ろす力を発揮し続ける千冬の腕を簡単に押し退けると、セシリアは遅刻の謝罪をせずに席に向かった。

 

「ええと。こ、これから出来るだけ遅刻は控えてくださいね」

 

 固まったまま動かない千冬を見た真耶が慌てて注意するのを、セシリアは片手を挙げて応えた。

 SHRを終えると、真耶は固まる千冬の背中を押して教室を出ていった。セシリアは一時限目の授業までを寝て過ごすことにした。教科書もノートも机の上に出すことなく、代わりに上半身を乗っけて眠りの体勢を取った。別に昨日夜更かししていたわけではなく、単に授業中にやることがないから眠るだけなのだ。

 

「セシリア」

 

 突っ伏して腕で顔を覆い隠したセシリアに、ラウラが近寄って来る。

 これから眠ろうと言う時に声をかけられ、セシリアは不機嫌そうに「あん?」と顔を上げた。眼前にラウラが映り込むと、不機嫌そうな顔を夢いっぱいの笑顔に変える。

 

「よぉ。どーしたんだ、ラウラ」

 

 親友同士の会話。普段の二人を知らなければ仲良しの会話に見えなくないが、周囲はセシリアのラウラ嫌いを知っているために何かを企んでいるのでは、と思った。

 セシリアは周囲の危惧も知らずに、気さくな態度でラウラと会話をしていた。

 

「風邪はもういいのか?」

 

「ああ、まぁな。別に大したものじゃねぇし」

 

 ああ、そういえば病欠扱いにされてたんだな。天子によって欠席届けを出されていたことを思い出したセシリアは話を合わせることにした。ラウラが嬉しそうな顔をしているように見えるのが気になったが、ひとまず放っておくことにしよう。

 

「ならいい。お前が元気ならそれでいい」

 

「ふん。気持ち悪いくらいにアタシを心配してくれるじゃないか」

 

 タッグトーナメント以降、何かと引っ付いてくるラウラに、セシリアは獣のような笑顔をはめ込んで対応する。内心では、ふざけんじゃねえよ、と悪態をついていた。人の身体をいいように使って、挙句にボロボロにしたムカつく奴だ。気が済むまで殴らないと怒りが収まらないが、今はその時ではないとセシリアはぐっと堪えていた。過去のセシリアと違って、自制心も強くなっていたから、ラウラの前で笑顔を浮かべることなんて簡単だったが、その裏では着々と怒りの感情を溜めこんで自制心に負けないくらいに強くなっていた。

 

「アタシ……? まさかママの記憶が」

 

 ラウラがブツブツと呟く。ママ、という単語に引っかかりを覚えたが、妄想でも語っているのか、とセシリアは気にしなかった。長く話を続ける気がなかったこともあり、机に突っ伏すして話を切り上げた。

 

「また来る」

 

 気を使ったのかラウラはあっさりと居なくなった。また来るのかよ、とセシリアは伏せた顔を呆れさせて眠りについた。

 意識が浮上してきたのは教師が授業の終了を告げた時だった。勉強という前世では考えられなかった苦行を回避したセシリアは、寝起きでぼんやりとした頭を振って姿勢を正した。

 あくびをしていると、教室の前方の扉から是っ清が顔を出した。教室内をぐるりと見渡すと、セシリアに目を合わせて「よっす、オルコット」と教師にしては軽率な挨拶を繰り出してきた。生徒たちがギョッと目を見開いて是っ清に注目した。

 セシリアは億劫そうに手を挙げる。

 

「よお、是っ清。どーした、ナンパでもしに来たのか?」

 

 そんな度胸はないんだろうけど。まぁ社交辞令だ。

 

「別にそうじゃねえよ。現国の教師が疲れ切った顔で出ていったから、ちょっと原因を探りにな」

 

 苦笑して答える是っ清。かつての彼は笑顔の裏に大きな恐怖心を抱えていたが、今は吹っ切れたのか小さな恐怖心しか抱いていない。同じく吹っ切れたのか、日頃の嘘くさい真面目が剥がれ落ちて、今はやる気のない不真面目な顔をしている。その証拠に生徒の前であくびをしていた。コイツはもう真っ当な教師じゃないな。

 

「仲間意識が強くてなによりだ。隠蔽するには打ってつけの友情だぜ」

 

 隠蔽という単語にクラスメイトたちが僅かにざわつく。日々のニュースで不祥事が起こっていることを知って敏感に反応したのだろう。セシリアはそう結論づけてクツクツと笑った。この教師に教師間の仲間意識を期待するのは無駄だ。こき使われてムカつくとか言っているような奴だからな。

 

「ははは。残念だけど興味本位なだけさ。べっつにそこまでべたべたした関係性を持とうとは思わないって」

 

 愛想笑いではなく、心から本当に笑って否定する是っ清。だろうな、とセシリアは思った。母親の呪縛から解放されてようやくクリアになった視界と、持ち前の勘の良さが過去のセシリアには感知できなかったことまで知れるようになっていた。

 勘が告げたのは味方。是っ清と天子は味方で、本音も生徒会が関わらなければ味方だ。目を合わせれば分かる。好意と後ろめたさがごっちゃになった感情を感じとれた。

 

「で、興味を満たすものはあったか?」

 

 味方と分かる相手に無駄な暴力は振るわない。かつてセシリアと名乗る前と同じように、分別を持って接するセシリアに、是っ清は態度を軟化させていた。

 

「おお。お前が原因だって分かった。オルコット、もしかして威張るだけで能無しなんで、気合を入れてやったとか言うんじゃないだろうな。それしたらあの先生は二度と学校に来なくなるぞ」

 

「何言ってんだ? 馬鹿じゃねーの」

 

 セシリアが可哀想な者を見る目をすると、是っ清はバツの悪そうな顔を見せる。大方、受けると思ったことが受けなくて気恥ずかしくなったのだろう。セシリアはあえて視線の色を変えずに見つめ続けてみた。

 視線の圧力に耐え切れなくなったのか、是っ清は取り繕うように笑顔を見せると「そういう時は愛想笑いで流してやるのが大人だ」と言って、セシリアのみならずクラス中に言い聞かせるように語った。

 セシリアは思わず一夏に視線を向けた。彼がくだらないギャグを言う癖があることを知っていたからだ。もしかしたら是っ清の言いたかったことが分かるんじゃないかと思ったのだが、一夏の何とも言い難い奇妙な表情に、ギャグの類いではないことが分かった。

 

「じゃあ、とりあえず次の授業があるから帰るわ」

 

 場の雰囲気を微妙な温度に変えた是っ清が何食わぬ顔で告げる。恥ずかしくなって逃げ出すつもりだな、とセシリアは感づいたが、武士の情けという言葉もあると追い打ちはかけないことにした。

 是っ清は何か言いたげな視線でクラス内を見渡すと、そそくさと教室から出ていった。

 一夏に箒、ラウラ、本音の順に視線を止めたのをセシリアは見た。探る目で一瞬だけ視線を止めていた。もしかしたら何かを確認するために足を運んだのかもしれない。考えたセシリアは、すでに是っ清の口から答えが出てきていたことに気がついた。

 

「アタシか」

 

 是っ清はセシリアの変わり様によって、教室内がどう変化を見せたのか気になって顔を出した。それもおそらく興味本位の類いで。踏み込み過ぎない謙虚さと、踏み込む勇気のない小心者具合にセシリアは悪くないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みにもなるとクラスメイトたちは、いい加減セシリアの変わり具合に慣れたようで臨海学校前と変わらない様子になっていた。恐いのは相変わらずだが、以前よりも親しみやすくなった気がする、と何人かがこそこそ話しているのをセシリアの耳ははっきりと聞いた。

 セシリアは彼女達の言葉に特に気分を害したということもなく、立ち上がると昼食を買いに教室を後にする。

 

「せっしー」

 

 ふらりふらりとおぼつかない足取りで歩くセシリアを、後ろから本音が駆けてくる。駆けてくるとは言っても亀のように遅い足取りだ。セシリアの歩行速度と変わらない。

 

「おっ、本音か。なんだ?」

 

 振り返ると、ぎこちない分かる笑顔を浮かべた本音が居る。いつものほんわかした柔らかい頬はわずかに強張っていて、セシリアは珍しいものを見た。原因は自分にあるのだろう。過去のセシリアと今のセシリアは雰囲気が大きく変わっている。整形した別人なのではないかと疑ってかかる人間が居ても不思議ではないほどに。

 

「三日ぶりのせっしーだから、一緒にご飯食べたいんだよ~」

 

「たかが三日だけどな」

 

「むぅ。その三日が長いんだよ。男子三日会わざれば刮目して見よー、なんだよ」

 

「よく分からないけど、きっと使いどころ間違えているだろ」

 

「ええと、私にも分からないから大丈夫。それよりもご飯食べようよ。生徒会室開けておくから」

 

 生徒会室、という言葉にセシリアは浅く溜息をつく。勘が、楯無が何かしら考えているに違いないと注意を呼びかけていた。おそらく、何となくの提案ではない。本音は思惟を持って生徒会室での食事を提案した。表情を見る限り、提案せざるを得ない状況に陥っているとも取れるが。どちらにせよ、情になどに絆されて頷くことはセシリアにはない。

 

「悪いな。今日は遠慮しておくぜ。アタシはパンの気分だからな」

 

 本音の頭頂部に手を置いてひとしきり髪をかき乱すと、セシリアは廊下の先へと向かった。

 廊下の曲がり角付近で足を止めると、ポケットからケータイを取り出して素早くメールを送る。送信のメールを送ると、間を置かずに返信メールが送られてきた。内容は『本音君が楯無君に任務失敗、と連絡しているよ』と、本音の行動が記されていた。

 やっぱりな、とセシリアは頷くと購買へと向かった。購買は学食で食事を取れないような生徒たちが殺到していた。部活動の打ち合わせや、委員会活動に追われる生徒たちは重宝しているとのことだ。

 

「げ、オルコット!?」

 

 一人の生徒がセシリアに気がついて声をあげると、購買の前を陣取っていた生徒たちが真っ二つに割れて道を作り出す。前のセシリアの時から行ってきた行為が、彼女たちに恐怖を植え付けて特定の場面において絶対服従を強いていた。

 

「お、わざわざ悪いじゃんか」

 

 出来上がった道をさも当然のように抜けたセシリアは、手作りであろう惣菜パンの群れを眺める。コンビニ等で置いてあるようなパンもあるが、味に雲泥の差があるために居残りを決め込むことが多い。セシリアも居残り組には興味がなく、二つの惣菜パンを手に取って購買を仕切る恰幅の良い中年女性に手渡す。

 

「おお、上手く空いてるな」

 

 背後からぬっと手が伸びてきて、パンコーナーの隣にある弁当をヒョイと持ち上げる。周囲が息を飲む音が耳に入って来るので、セシリアは振り返って弁当を掬い上げた人物を確認する。視界に映り込んだのは是っ清だった。

 

「いやいや、オルコットが居ると空いてるよな」

 

 わざとらしく周りを見渡す是っ清の足の上に自らの足を乗せたセシリアは、少しずつ体重をかけて制裁を加える。是っ清は数秒は耐えたが、セシリアがぐっと力を入れると顔を、痛みに顔を真っ赤にしてギブアップした。

 まぁ、もった方かな。痛みに悶える是っ清の姿に免じて足を退けてやったセシリアは、購買の中年女性からパンの入ったビニール袋を受け取ると金を投げ渡した。

 一応のためにビニール袋の中を確認して、セシリアはニヤリと顔を歪める。中年女性を一瞥すると、購入した惣菜パンの一つと全く同じものを手に取った。

 

「これ追加で買ってくれ」

 

 踏まれた足先を抑えて蹲る是っ清の頭に惣菜パンを乗せると、セシリアはビニール袋を引っ提げて購買に背を向けた。

 

「変なもん入れんよー」

 

 それだけを言うとセシリアは備品室へと向かって行った。購買の中年女性が奇異の視線を向けていることを肌で感じながら。



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男の子は

 臨海学校から帰ってきたまず行ったことは中破したシュヴァルツェア・レーゲンの修理だった。整備士たちに待機状態のISを預けるだけのことなので、ラウラが四苦八苦する必要はない。よって、ラウラは翌日の午後に完璧に直ったISを受け取るだけだった。

 夜はセシリアの部屋に忍び込みたいのを我慢して床につき、翌日は通常より早く起床したラウラはこれまたセシリアの部屋に突撃したいのを抑えつつ、いつもより早い朝食を取った。

 人間は考えすぎると知恵熱が出る。脳の酷使に身体がドクターストップをかけるように熱を出し、休眠体勢に入るのだ。セシリアも同じような理由で病欠したのではないだろうか、言えばぶん殴られることをラウラは真面目に考えている。箸が口元まで行かないほどに熟考していて、現実世界が著しく疎かになっていた。

 もしや、ママとしての記憶を取り戻そうとして脳に負担がかかってしまっていたのでは。そうだとすれば私としても申し訳がない。そこまで危険を冒してまで私の為に記憶を取り戻すとしてくれているなんて、きっと頑張っているのを気取られるのを恥ずかしがって表に見せられずオーバーヒートしてしまったのだろう。

 娘として母親に無理を強いてしまった。焼き魚のほぐし身を頬に押し当てながら、ラウラは自らの不甲斐無さに溜息をつく。

 普段の起床時間でないためか、食堂内を見渡してもセシリアの姿は確認できない。残念と思っているとケータイが静かに震えた。学園に来てから一切の活躍を見せることのなかったケータイの活躍に、ラウラは焼き魚の塩加減に満足いきながらも首を傾げる。箸を咥えたままケータイを操作し、一件メールの受信を確認した。食事中のケータイ使用はマナー違反ではあるが、その程度の常識を乗り越えたラウラはメールの中身を表示する。差出人は不明。メールのやり取りをしる相手がいないために、メールアドレスに心当たりもない。

 不明だらけのメールを不審に思いながらも、ラウラはメールの本文を見てみることにした。害意があるかどうかだけでも確かめる必要がある。ボタンを押すとメールが開き、『残念だったな、バカ』という一文を黙読した。

 イラッとした。思いのほか苛立って、ケータイを物理的にセパレートタイプへと機種変更させてしまいそうになった。

 

「なんだ、コレは?」

 

 ケータイを折りたたんで制服のポケットに突っ込む。人の心でも読んだのか、と疑いたくなるようなグッドタイミングのメールに嘲笑われている不快感が募った。舌打ちをしたラウラはイライラを解消する為に朝食を荒々しく胃袋に収める。それだけでは足りず、食器の乗ったトレイを持って全品のおかわりを要求しに行った。暴飲暴食をすることによって苛立ちを収め、同時に日常生活をスムーズに過ごす為の燃料補給を行う。

 朝食を詰め込んだラウラは暫く食堂で時間を潰したが、それでもセシリアが姿を現さないので諦めて教室へと向かった。道中に一夏や箒に出くわしたが、ラウラは特に声をかけるようなことをせず黙々と廊下を歩いていく。一夏は数日前の撃墜劇が脳みそから吹き飛んでいるのかへらへらとしていたし、箒は箒で同じく数日前の浜辺で何かをやったのか機嫌悪そうにしていた。浜辺で何があったのか多少興味はあるが、どうせくだらない恋愛沙汰だろうと結論づけた。

 三日ぶりの教室はいつも通りの光景で、ラウラには懐かしいとも思わなかったが、後に続くクラスメイトたちは口々に「懐かしい」や「久しぶり」と数年ぶりの来訪を楽しむかのような調子だった。いまだに臨海学校の気分が抜けきっていない証拠とも言える。

 席についたラウラは頬杖をついてセシリアの席を眺める。もしかして、まだ風邪が治っていないのかもしれないな。それなら今日は諦めるしかない。生徒たちがちらほらと席を埋めていくのを横目に、ラウラは溜息をついて今日という日が早く終わることを願った。

 結局、SHRが始まるまでの間にセシリアはやってこなかった。SHRでは織斑千冬が臨海学校の余韻が抜けていない生徒たちに活を入れる。なにやら脅しをかけるような言葉を選んでの演説に、数名の真面目な生徒たちは姿勢をぴしりと整えていたが、ラウラを含め多がピクリとも反応していなかった。夏の海は魔的な魅力を持っていると言われても違和感がない状況だった。

 ふにゃふにゃと締まりのない雰囲気に包まれた教室であったが、教室前方の出入口が音を立てて開いたのを機に態度を一転させた。頬杖の姿勢を貫いていたラウラも、扉を開けて入ってきた人物を見るなり、思わず姿勢を正してしまった。

 遅刻しておいて堂々とした立ち姿を見せるのはセシリアだった。血色は良く、風邪は完治したのだろう。ラウラはホッと胸を撫で下ろした。

 千冬が遅刻者への制裁を行ったが、セシリアは難なく防ぐと悪びれもせずに席についた。そして場の空気が凍り付いたままSHRは終了した。

 動かなくなった千冬を引っ張っていく真耶の背中を見送ると、ラウラは立ち上がってセシリアの席に向かった。机に上半身を預けて眠りの体勢を取とうとするセシリアを呼び止めることに気が引けたが、それでもとラウラは「セシリア」と声をかける。三日会わなかっただけだというのに、ラウラは顔を上げたセシリアを別人のように感じていた。この前までの彼女がどういった雰囲気を纏っていたのか。思い出せなくなりそうになる。

 ラウラに声をかけられたセシリアは眠そうな顔をこれでもかと言わんばかりの笑顔に変えた。

 

「よぉ。どーしたんだ、ラウラ」

 

 ぞくっ、と背中を何かが抜けていった。理由の分からない身体の反応に、ラウラはもしかして母と子の共鳴か、と思った。

 

「風邪はもういいのか?」

 

「ああ、まぁな。別に大したものじゃねぇし」

 

 笑顔で応じるセシリアに、ラウラは態度の軟化を疑問に思った。いつものセシリアならば素っ気ない態度で応じていた。笑顔だって意地の悪い笑顔以外見せたことはなかったはずだ。だが、目の前のセシリアは常に笑顔を絶やさずにいる。そして、普段なら顔も向けてくれないというのに、今のセシリアはラウラの顔をきちんと見ていた。

 もしかしたら、少しずつ記憶を取り戻しているのか。そう思うとラウラは心なしか頬を緩ませた。

 

「ならいい。お前が元気ならそれでいい」

 

「ふん。気持ち悪いくらいにアタシを心配してくれるじゃないか」

 

 ニヤリといつもの様でいつもらしくらしくない笑顔を見せるセシリア。ラウラはその表情も気になったが、それよりも彼女が自分のことをアタシと言っていたことの方が強く気になった。セシリアの一人称は常に『わたくし』だった。それなのにたった三日で『アタシ』と変えた。

 

「アタシ……? まさかママの記憶が」

 

 脳みそがフル回転する。もしや、もしや、もしや、もしや、と同じ言葉が思考を埋め尽くしていく。セシリア・オルコットは前世の記憶を取り戻した。そうとしか考えられない。愛しむかのような笑顔を向けてきて、きちんと受け答えをしてくれていることを考えると、ママとしての記憶を取り戻したとしか思えない。

 どうやって甘えようか。ラウラの脳みそは既にセシリアを母親であると認定し、これからの柔らかい付き合いについて想いを巡らせていた。まずはおはようのキスから始めるべきではないか、とセシリアの方を見ると、彼女は机に突っ伏して顔を伏せてしまっていた。

 もしや、まだ本調子ではないのだろうか。完全に治さないと風邪は何度もでもぶり返してしまう。セシリアの身体を気遣い、ラウラは「また来る」とだけ言い残して席へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わると例によって食事の時間を迎える。多くの生徒たちは雑談しながら学食へと向かう。人によっては弁当を持参して教室や屋上で食事を取る。そんな中で弁当も持たず、かと言って学食でどうこうできるほどの余裕のないラウラは、ただただセシリアを見つめていた。彼女がどのような行動を取るか見守っているのだ。

 午前中、セシリアはずっと机に突っ伏したまま眠りこけていた。病み上がりだというのに、無理して授業に参加しようとしたのだろう。しかし、結局は風邪にやられて動けないままだった。ラウラは心配して授業が一つも身に入らなかった。普段から真面目に授業を受けているわけではないが、その普段よりも不真面目になってしまっていた。真面目なのはセシリアを気遣う心だけと言っても差支えない。

 おもむろに立ち上がり、よたよたと頼りない足取りで教室を出ていくセシリアを、ラウラは追いかけようと席を立った。声をかけて一緒に食事でも食べよう、と誘うつもりだった。近くにいれば何かあっても対応できるからだ。

 しかし、ラウラが教室の外へ出るよりも速く、本音がセシリアを追って廊下へと飛び出す。よく見るのんびりとした速度だった。追い越すことは容易だったのだが、ラウラはポケットに潜ませたケータイの振動に気を取られてしまい、本音の先を行くことができなかった。

 忌々しい。空気の読めない機械だ。荒々しく手を突っ込んでケータイを引っ張り出すと、素早く着信を確認する。また、メールだった。おそらく同じ差出人だろう。メールの中身は『妄想お疲れ』の一文だけ。妙に人の神経を逆なでする一撃に、ラウラはまたもケータイをセパレートタイプに進化させてやりたくなった。

 そうこうしている内に本音が誘ってしまう。急いで廊下へ出ると、ちょうど本音の頭に手を乗せて髪をぐちゃぐちゃにかき乱しているセシリアを見た。羨ましいとラウラは思った。きっと気持ち良いのだろうな、とも。

 ひとしきりなで終わったのか、セシリアは本音を置いてきぼりにして曲がり角に姿を隠してしまった。

 残された本音はブカブカの袖からケータイを取り出すと、何かしらの操作をしてからケータイを袖に戻してしまった。メールを打ったな。もしや、差出人不明のメールはアイツからか、と本音を疑うのだが、一向にケータイが震えないために考えを切り捨てた。

 セシリアを見失いメールの送り主も不明のまま、ラウラは学食に足を運んだ。もしやセシリアが居るのではと希望を抱いたのだが、学食に居たのは一夏と箒、鈴の三人だった。その集まりにセシリアの姿がないことにがっかりしたラウラは、そのもやもやした気持ちを払拭するために、一夏に昼飯をたかった。

 三人と義務的に雑談を交わした後、ラウラは整備課へと顔を出し修理の終わったシュヴァルツェア・レーゲンを受け取った。特に労いの言葉をかけずに整備課を出ると、またもケータイが着信を受けて震えた。

 

「今度は何だ?」

 

 文面を見る前から苛々し出したラウラがケータイを荒っぽく開いた。メールを確認するためにキー操作を行い、メールの文面だけをディスプレイに映し出したラウラは、メールの内容にまずは首を傾げ、次には敵意を持ち、最後には嘲笑った。

 

『挑戦状を叩きつける。本日放課後に第三アリーナまで足を運ぶように言っておく。ISを用いてラウラ・ボーデヴィッヒを打ち倒すことを宣言する。IS学園最強の座(非公認)をかけて勝負しろ。勝利は必ず我が手にあるが故に負けることはなし』

 

 廊下にケータイを折りたたむ音だけが響いた。



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帰ってきませんでした

 毒入りパンを平気な顔して平らげたセシリアは規格外だと思う。学園最強(自称)が冷や汗をかきながら困ったように笑うのを見ると、どれだけ規格外なのかが判断できる。これで五分後に苦しみだせば笑い話になるのだが、セシリアの確信めいた言葉に、その可能性の低さが窺い知れる。

 常人を遥かの超えるセシリアの横で、表向き平然と飯を食える俺はけっこうな大物なのではないか。自画自賛でもしたくなる。そうでもしなきゃ、俺は既に狂っているようなもんだ。いいや、転生とか痛いこと経験している時点で狂っているし、いまさらはみ出し教師になっているのも十分に狂っている。なにより、セシリア側についていることが一番狂っているものだ。

 弁当をバクバクと食べる。胃袋が満たされている感じがする。感覚すらも麻痺してしまえば、おかしな光景を目撃しても平気で飯だって食える。他人よりも自分の幸福を取りたいと思う人間だってこともあるのだが、今はそんなことどうでも良い。

 

「まぁ、なんだ。飯持ってきてるみたいだしな。ここで良いなら食え」

 

 片手にトレードマークの扇子を持ち、もう片手に弁当が入ったビニール袋を引っ提げている楯無に場所を提供してやる。掃除した方がいい、とか言っている奴に貸したいとは思わないが、所詮は宮仕えの身分でしかない俺には拒否はできない。

 

「ふん。弱者に気を使ってやるのも強さの秘訣だからな。ほれ、座れよ」

 

 そもそも俺が拒否するかどうかの問題ではない。我がオアシスに後発でやってきておいて、先住民である俺を隷属させた絶対王者なセシリアの意志が一番に尊重されるものである。一番年上なのに一番下に位置していることがちょっとだけ辛い。

 俺は弁当を食べ終わると空き容器をビニール袋に包んで床に投げ捨てる。備品室にはゴミ箱がないから、後で外のゴミ箱に捨てに行かなければならない。セシリアも食べ終わって出たゴミをビニール袋に包むと、何故か俺の顔面に投げつけてきた。所詮は袋なので痛くはないが、どうしてか心が傷ついた。尊厳を傷つけられた気分になった。どっちも嘘だけど。俺は思わず顔を俯けて溜息を吐き出した。別に心も尊厳も傷ついていない自分自身が末期な気がしてきた。奴隷根性が限界値を突破しているに違いない。もしくは隠れマゾだったかだ。

 

「そうね。同じ屋根の下でご飯を食べれば少しは情が湧いてくるものね。ゆっくりと生徒会に勧誘でもするわ」

 

 商魂逞しいならぬ、生徒会魂逞しい楯無が眩しい。なんだよ、生徒会魂って。生徒悔恨の間違いじゃないのか。

 隅っこからパイプ椅子を引っ張り出した楯無が腰を下ろし、ビニール袋からのり弁を取り出した。俺の買ったボリューム重視の弁当とは違い、おしとやかな弁当模様だった。これが男女の差なのかもしれない。

 どうでもいいことを考えていると、ふいに胸ポケットに入れておいたケータイが震える。常々、胸ポケットに入れたケータイの着信が心臓に過負荷を与えて命を奪うんじゃないかと思ってしまう。それなのに、ポジションを変えずに入れ続けているところに、自分自身のマゾ加減が判明した。俺は生粋のマゾなのかもしれない。

 ケータイを取り出して着信を確認する。差出人の名前は機密保持の為に登録されていないが、メールアドレスを確認してみると、差出人はセシリアとは違うベクトルで規格外の広場天子からだった。楯無の存在が、彼女を備品室から遠ざけていることは確かだとして、一体何用でメールをしてきたのだろう。また、おちょくるような内容か。

 メールを確認してみると『いますぐ生徒会室に来てほしい』という趣旨の内容だった。

 なんで生徒会室なんだ。楯無を一瞥するが、全く理由が分からない。楯無不在の生徒会室に俺が踏み込んで、一体何をさせたいのだろうか。

 広場天子の思惟はメールからは読み取れない。だからといってメールを無視して過ごす選択肢はなかった。下手に逆らえば個人情報の流出による社会的抹殺の刑に処されてしまうのだ。誰が好き好んで無視などするか、という話になる。

 

「悪い。ちょっと用事ができたから戻るわ。後よろしくな」

 

 二人に断りを入れ、床に捨てた自分のゴミとセシリアにぶつけられたゴミを摘み上げて備品室から退散する。

 後ろから楯無が付きまとってきていないことを確認すると、まずはゴミを捨てに行ってから生徒会室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノックで確認を取ったが、不在のようで返事はない。生徒会室は無人であるようだから、俺は遠慮なく扉をスライドさせた。広場天子のことだから、鍵などとうに開けてしまっているだろう。音漏れを防ぐためであろう厚みのある扉をスライドさせると、生徒会室らしい威厳に満ちた室内が目の前に広がる。生徒会長専用の椅子に布仏虚がガムテープでぐるぐる巻きの状態で座らされているのが見えないこともないが、きっとアレは影武者か何かで本人ではないだろう。口もガムテープで塞がれ、意味のある言葉を紡ぎ出せない虚と思われる人物が「うー、うー」と唸っているが、こう見えて俺は日本語しか分からないので意志疎通はできない。

 

「さすがにまずいな」

 

 後ろ手で扉を閉め鍵をかけると、まずは部屋中に視線を走らせ、監視カメラの類いを探した。忙しなく視線を走らせて、ここに監視カメラがないことが分かった。ひとまずホッとした。見られたらおしまいだ。女子高生を拘束した男性教師の図は弁解不可能だ。絶対に追放されてしまう。

 虚が怯えた目を見せてくることが、関係ないはずなのに罪悪感を引きずり出してくる。このまま見つめられ続けることに精神の危機を感じた俺は、ケータイを取り出して広場天子に連絡を取ろうとした。とにかく詳しい説明をしてもらう必要があった。ケータイを操作する間、虚が必死に唸る。快楽犯じゃない限り女子高生の悲痛な声は堪える。

 

「ずいぶん慌てているじゃないかい」

 

 今まさに電話をかけようとした瞬間、聞きたい声が室内から響いてきた。抑揚のない落ち着き過ぎた声音が、少しだけ思考を冷静にさせてくれる。

 

「どこだ?」

 

 いいから早くでてこい。祈りを込めて訊ねると、虚の座らされている椅子の後ろから広場天子がひょっこりと顔を出してきた。セシリアにボコボコにされた顔は数日ですっかりとよくなり、広場天子の本来の顔がよく分かる。目鼻立ちの整った可愛らしい顔の少女だ。残念なのは中身がプライバシー侵害者だってことだな。

 

「ここだよ~」

 

「ふざけてないで説明!」

 

「……ちっ」

 

 舌打ちしたいのはこっちだ。幾らなんでも巻き込まれ過ぎた。俺は不幸の星の元に生まれてきたのか。転生で運を使い果たしてしまったのか。

 広場天子は椅子の後ろから全身を露わにすると、紙パックの野菜ジュースをチューチュー吸いながら、空いている席に着席した。

 

「ま、見て分かる通りのことをした。布仏虚をガムテープで縛って椅子に置いておいた。それだけさ、やったことはね。これからやることに関しては役者が揃い次第進めていく。ちなみに町田先生を呼んだのは数合わせだ。だから安心してほしい」

 

「じゃあ呼ぶなよ」

 

「ふむ。ま、気にしないでほしい。これから最後の役者を呼ぶから、俺の真向いの席にでも座って深呼吸でもしていれば構わない」

 

 広場天子が着席を促すので、俺は素直に従うことにした。真向かいの席に腰下ろすと目の前の広場天子の顔が良く見える。相手に悟らせない表情をしている。笑っているわけでも、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない顔だ。無表情というには表情が露わになっているが、じゃあどの表情が一番強く出ているかの判別はできない。まったくカオスな出来の表情と言える。

 俺が大人しく席に収まるのを確認した広場天子は、ケータイを取り出すとメールを打ち始めた。指でキーを押すカチカチという音と、虚のくぐもった悲鳴しか聞こえてこない。

 

「それ、送信」

 

 一人呟く広場天子に俺はなんて声をかければいいのか分かなかった。どんな言葉を吐き出せばいいのか、口をもごもごさせてからようやく一つ言葉を紡ぎ出せた。

 

「誰にだ?」

 

 虚の方は見ない方向で話かける。アレを見ると拭いきれない犯罪に追いたてられてしまう気がした。いいや、見て見ぬふりしている時点でだいぶアウト臭いが。

 

「数分もすれば分かる」

 

 答えをはぐらかされてしまった。サプライズ演出をしようとしているのなら、出来る限りやめてほしかった。

 頬杖をついて、窓の外を眺める。正午の陽気が朗らかで睡魔がゆっくりと忍び足で迫ってきていた。今この状況が夢だったら最高なのにな、と思いながらうっつらうっつらとしてくる。腹いっぱいになって満たされると、どうしても眠くなってしまうのは子供も大人も変わらない。

 ああ、電源落ちそうだ。眠気に意識を奪われかけた時に、生徒会室の扉がガタガタと揺れる。切羽詰まった音に俺の眠気は一気に吹き飛んでいき、犯罪紛いの状況から生まれる罪悪感に支配されてしまった。

 思わず腰を浮かせて後ずさる。扉を揺らす音が消えると、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。生徒会室の鍵が各生徒会員に渡されているのだとしたら、この場に入ることができるのは三人だけになる。更識楯無と布仏姉妹だ。布仏虚はここで拘束されているから二人の内のどちらかだ。

 楯無が相手だとしたら、いくら性別差があっても勝てない。それだったら本音が来てくれればマシだ。アイツなら難なく拘束できそうだし。

 軽く犯罪的な事を考えていると、扉がスライドして楯無が姿を現した。表情は怒りを必死に抑えているといった感じだった。広場天子の奴が一体全体どんな内容のメールを送ったのか気になる。

 

「まずは説明してもらいましょうか」

 

 後ろ手で扉を閉め、鍵をかけて脱げ道を塞いだ楯無が表向き落ち着いた声音で釈明を求めてくる。ここで失敗すれば闇夜に消されてしまうのではないだろうか。

 俺は頭の中で必死に広場天子に呼びかける。早く、セシリアを呼ぶんだ。殺されてしまうぞ、と。身内に手を出しておいて保身なんてできるわけがないので、俺は途切れさせることなく広場天子に呼びかけ続けた。

 想いが届いたのであろう。広場天子は椅子に座ったまま俺を見上げて頷いてくれた。その頷きがあまり信用できない気がするのだが、それは杞憂だろう。

 

「ま、座ったらどうだい?」

 

 広場天子が心身ともに落ち着いた様子で着席を進めてくる。俺は素直に従い着席する。俺には場を動かす力はない。流されるだけで精一杯だ。

 

「どうして、広場さんが居るのか気になるけど。とりあえず座るわ」

 

 楯無もさしたる反論もなく着席した。やはり生徒会長として生徒たちの動向に気を配っているのだろう。名乗りもしていないのに広場天子の名前を言い当てた。

 

「ところで、こちらからのお願いなんだけど。虚の拘束を解いてくれないかしら?」

 

「断る。彼女は未知のウイルスに侵されている」

 

 楯無の要求に対して、堂々と嘘をつく広場天子。ウイルス云々は嘘だとしても、実際に俺たち全員は未知の寄生虫によって個人情報保護法という壁を粉々に打ち砕かれている。プライベートは赤裸々告白しなくても自然とばれているのだ。

 

「ああ、最初に言っておこう。布仏虚にはまだ何もしていないから安心しろ」

 

「まだ、って言うけどね。どう見ても身体の自由と言論の自由が奪われている気がするんだけど」

 

「……あー。ま、それはともかくとしてだな。俺は別に君たちと敵対する気はない。だから安心しろ。悪い様にはしない」

 

「うん。虚が拘束されている時点で敵対しているし、安心もできないわよ」

 

「器の大きさでカバーしろ。本題に入るが、協力しろ」

 

「直球過ぎてイエスもノーも言えない」

 

「さっきも言ったが敵対の意志はない。むしろこれからは協力してやってもいい。だから今は従順に従ってもらおう」

 

「協力って言葉が消えたね。激しく上下関係が生まれちゃったね」

 

「従わないと酷いことが起こるぞ」

 

「挙句に脅すわけね」

 

 不毛な会話に聞こえてくる。蚊帳の外にいる俺はどうすることもできずに聞き役に徹していた。呼ばれた理由も判明せずに、ただジッとしている。

 馬鹿な言葉選びをして神経を逆なでしてくる広場天子に、楯無は大人らしく付き合っているのだが見る限り沸点の限界は近いと思われる。

 広場天子は不敵な笑みを見せると「脅しじゃないんだな」と言ってくしゃみをした。タイミングの悪さに神の悪意を感じないでもない。

 

「今日の放課後に最悪殺人事件が起こる。学園の危機だ。危機管理能力を問われる危機が降り注いでくるぞ。それは、生徒会長である楯無君にも責任が生じかねない事件だ。そして同時に、この事件を防げるのは楯無君だけだ」

 

「事件だぁ?」

 

 楯無よりも先に、俺が口を開いてしまった。唐突に予言染みたことを言うのだ。素っ頓狂すぎて言葉を漏らしてしまうのはしょうがなかった。

 

「そうだよ。町田先生だって火種は知っているはずだ。セシリア・オルコットとラウラ・ボーデヴィッヒ。この二人が……いいや、どちらかというとセシリア君の方が火種というべきか」

 

 セシリアにラウラ。一体どういうことだと思ったが、そういえば臨海学校の初日の備品室でセシリアがラウラを嫌う発言をしていたのを思い出した。そして、暴力沙汰を起こしそうなことを言っていた。関係があるのだろう。

 

「どうして二人が原因だというのかしら。確かにセシリアちゃんもラウラちゃんも対立ばかりしていたわ。でも、ここ最近はその限りではないと聞いているわよ。それなのに事件が起きるのかしら?」

 

「起きるね。その舞台を整えるのが俺だから。放課後に二人はISで試合を行う。それも本気でな。おそらくセシリア君が勝つ。それは間違いない。問題はその後だ。彼女が無防備な相手を素直に見逃すかどうか」

 

「おいおい。幾ら嫌っているとはいえ、そこまではしないだろう」

 

 そう言いつつも、備品室でのやり取りの中で、俺の殺すつもりかという質問に、セシリアは分からないと答えていた。自分でもどうなるか分からないと。だけど、最初から決まっていたが、反対され止めに入られるのを嫌って嘘をついたとしたら。最初から殺すつもりだとしたら。広場天子は相手の見聞きしていることや体験してきたこと、何を考えてるかを一個人という壁を突破して読み取れるのだ。あの時に全て知ったとしたら、このようなことは言わないだろう。

 

「そうだね。その通りだ、町田先生」

 

 俺の考えていることを読み取った広場天子が肯定をする。つまりセシリアは殺意を持っているだけではなく、殺意に身を委ねる気でいるのも事実ということになる。

 

「どういうことかしら?」

 

 楯無が真剣な顔で聞いてくる。備品室にはセシリアと、俺、広場天子の三人しかいなかったのだ。俺たち三人以外には話の意味が分からないだろう。現に楯無は全く分かっていない様子だった。

 

「分からなくてもいいから従え」

 

 セシリアの味方だと豪語する広場天子は、彼女を殺人犯にしたくはないのだろう。

 

「IS学園女子生徒、というのは俺だ。棄権を犯してまで姿を現したのには、情報が確かであることと、そうでもして止めたいことがあるからだ。自分を晒してまで止めたいと思っている。だから、事情は詮索せずにも協力してほしいな」

 

 そう言って椅子から立ち上がった広場天子は、地べたに這いつくばって土下座した。



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なので

 放課後。部活動や委員会活動、ISや整備の練習の為に教室に残る生徒は少ない。部活動や委員会活動に精を出すような状況下にないセシリアも、彼女たちに倣って閑散とした教室から抜け出して廊下を行く。ISの訓練も無縁な身にあり、整備などは門外漢。常日頃のセシリアには放課後を義務や努力に費やすという選択肢は存在しない。ぼんやりとやる気なく校舎を歩き回り、一夏たちを見かければ適当に引っ掻き回し、本音と出会えば生徒会室でのんびりと時間を潰していた。

 しかし、今のセシリアは確かな目的を持って廊下を歩いていた。一歩一歩進むにつれて内々から膨れ上がって来る想いが、彼女の歩みを後押して歩行速度を速めていた。

 ラウラ、ラウラ、ラウラ、ラウラ、ラウラ・ボーデヴィッヒ。アタシの身体を弄んだ馬鹿。他人のものを持ち主の許可なく使っていた不届き者。挙句に持ち主の返さずにぶっ壊してくれた。許せないな。許せるはずがない。

 廊下の先に居る生徒たちがギョッとした顔をして脇に避ける。そこをセシリアはずんずんと重い何かを含んだ足音で進んでいった。腕に覚えがある生徒ほど顔色を変えてセシリアに道を譲る。邪魔をすれば腕の一本二本では怒りを鎮めることはできない、という確信があった。

 我慢はしてやったんだ。ちょっと夢見させてやったんだ。こっちの僅かばかりの慈悲は終わったんだ。そうだ、慈悲は終わったんだ。アタシから大切なものを奪っておいて、馴れ馴れしくべたついてきてさ。だから、今日は盛大に暴れてやる。暴虐の限りを尽くし、アイツの全てを奪ってやるさ。

 殺すのも構わない。理性を外せば法律という枷が見えなくなっていく。セシリアの視界は既に血の色に染まっていて、正常な世界が見えなくなっていた。前世から持ち込んだ恨みつらみが血液の代わりに体内を循環していて、人間らしい情が失せていく。吐く息は身体の中から出てきたものとは思えない極寒の息吹だ。血の暖かさはない。

 歩みは更に速くなり、セシリアの接近に気付いた生徒たちがギリギリでしか避けられなくなっていた。彼女が突き進んだ後には、血の気の引いた少女たちが残されるばかりだ。

 目的地の第三アリーナは既に手回しが済んでいるのか、僅かな人気しかなかった。セシリアは止まることなくアリーナへと入ると、更衣室へと向かった。

 更衣室で着替えを済ませてフィールドへ出る。観客席には広場天子がちょこんと座っているだけで誰もいない。姿の見えない是っ清は放送席で試合の合図を送る役についているのだろう。

 そして、フィールドの中央にはISスーツ姿のラウラが居た。セシリアを見る目が驚きを多分に含んでいることから、対戦相手を伝えられなかったのだろう。それがどうした、とセシリアは吐き捨てて中央へと進む。ラウラの顔が大きく見えるようになると、セシリアの内側では暗い感情が暴れ回り、今すぐにも拳を叩き込めと指令を送っていた。

 

「来たかい、ラウラ。既に何をするか聞いているはずだよな」

 

 セシリアは問う。手違いがなければ天子がメールを送っているはずだ。サプライズの為にセシリアが対戦相手であることを伏せさせつつも、試合を申し込むような内容を送った。果たしてラウラはISスーツを着ていることから、メールの内容はきちんと理解しているようだ。

 

「聞いたが、セシリアが相手とは聞いていないぞ。どうしてお前なんだ?」

 

 こてんと首を傾げるラウラ。理解が追いついていないわけではないが、あまり納得はしていないといった顔だ。

 

「どうしてかな? 分からないだろうな」

 

 セシリアも合わせて首を傾げてみせる。笑顔というには害悪しか感じられない表情と合わさって不気味だった。

 

「知っているか、加害者には被害者の気持ちが分からない。だから、酷いことを平気で出来るもんなんだよ」

 

 加害者と被害者の関係。セシリアからしてみれば堪ったものではない。彼女は常に加害者に立つ存在なのだ。奪われ虐げられるような被害者になるなどと、彼女の全てが許せなかった。そして、奪われたものが自分にとって大切であったが為に、加害者に罰を与えるというような生易しい考えは浮かびあがってこない。やり過ぎを超えても、やり過ぎたという思いは出てこないだろう。

 

「被害者? 加害者? 本当に何を言っているんだ?」

 

 分からない、と目が揺れ動いている。見えているのに見えていない。ラウラが息を飲んで身構えるのを、肌で感じたセシリアはISを展開する。真っ青で血の気のない装甲が身体を包み込んでいった。

 

「前世の縁だな。お前が考えてることは聞いた。なんでも、アタシのことをママとか思っているとか」

 

「その通りだろう。お前は私のママだ。だってそうだ。あの確信したんだ。お前がママなんだって」

 

 必死に訴えるラウラに、セシリアは大きく笑った。間抜けすぎて涙が出来てきた。こんな愉快な人工物相手に、枷のついた状態とはいえ負けたのか。

 ママなはずがない。どうせ、ろくでもない研究者に記憶操作でもされたんだ。アタシの肉体に新しい人格を植え付け、上手く記憶改ざんを行い、拒否反応は様々な方法で押さえつけていたのだろう。

 蔑みの視線がラウラを刺す。肉を突き破り骨を砕き貫く強力な意志。セシリアの瞳に圧倒されたラウラは一瞬言葉を詰まらせたが、重い吐息と一緒になんとか言葉を紡ぎ出した。

 

「私とママは瓜二つだった。ママの友人とかいう男は、私を助けようとして死んでしまった、と言っていたんだ」

 

「それならソイツは役者だ。中々にな」

 

「違う! 真実なんだ。ママなんだ」

 

 聞き分けの悪い子供だった。ラウラは叫び声を上げてまで否定をする。天子の言っていた通りだ。前世のラウラは母への強い情を受け付けられ、上手く操られていた。それをいまだに引き摺っている。マッドなパパだけで十分だろうが。

 執着を見せるラウラについて、是っ清が強化人間みたいだ、と漏らしていたのを思い出す。肉体は父親であるボーデヴィッヒ博士によって造りだされ、精神も前世で男に弄られた少女は言い逃れができないほどに強化されていた。

 

「前世の頃にも今にも、アタシにはテメェーみたい餓鬼の面倒を見たことはない。そもそも腹を痛めて産んだ経験もない」

 

 相手を傷つけるための言葉を次々と吐き出していく。言葉の刃は攻撃の為に放たれたものだが、その内容は全て事実である。ラウラのような子供の面倒は見たことはなく、誰かと結ばれて子宮に子供を宿す幸せも覚えがなかった。

 

「違う……違う、違う違う違う! 私は確かに貴女の子供なんだ。唯一の子供だ。貴女だって私の為に命かけてまで救ってくれた! だから、私は貴女のことが好きなんだ。今だって、その記憶がきちんと存在しているから! だから分かった。出会った時に感じたんだ。最初は分からなかったけど、でもちゃんと分かった。それなのに、それなのに違うなんてことはない!」

 

 黒い装甲がラウラの四肢を包み込む。試合開始の合図もなく飛び上がり、ワイヤーブレードを解き放った。遅れて試合開始の合図が鳴り響くが数秒遅い。慌てて鳴らしたのが見え見えである。

 真実を受け入れる気がないのだろう。行き詰った思考が取り出した打開策は、彼女からしてみれば嘘を吐き続けるセシリアを叩き潰し、自分の持つ真実で屈服させることだ。

 多方向から牙をむくワイヤーブレードは軌道を悟らせないために我武者羅に動き回り、セシリアの装甲を抉りに来る。どれも遅い。六つの内、四つを素手で弾き飛ばし、二つを片手でまるごと掴み取った。

 

「降りて来い」

 

 掴んだワイヤーを手繰り寄せピンとワイヤーを張らせると一気に引っ張って空中に居るラウラを引き摺り下ろした。力任せに引っ張ればラウラは耐え切れず落ちてくる。セシリアは近づいてきたラウラの後頭部を掴んで、怒りの感情を込めて地面に押しつけた。

 

「本気でやれよ」

 

 かつてラウラに言われたことを、今度はセシリアが投げつける。地面に押しつけていたラウラの頭をサッカーの容量で蹴飛ばすと、右手にショートブレードを、左手にレーザーライフルをコールする。

 

「分かったら、なるべく足掻いて満足させろよ!」

 

 凶悪な笑みを浮かべて、セシリアが空へ舞った。



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セシリアさんと

 空中に身を晒した身体の各所からワイヤーブレードが射出される。狙いは一点、青い装甲に包まれたセシリア。一秒にも満たない時間差で放ったワイヤーブレードが次々とショートブレードに打ち払われていく。最後に向かって行ったワイヤーブレードに至っては彼女の振り下ろした肘と、振り上げた膝に挟み込まれてぐしゃりと装甲を歪ませた。ブレードを叩き込まれても傷を負わないはずの装甲が、落花生の殻を割るかのようにいとも簡単に破壊された。強化された肉体を持つラウラに出来なかったこと、セシリアは軽々と出来てしまった。

 違う。ラウラは歯を食いしばった。使えなくなったワイヤーをパージして、生きているワイヤーブレードで追撃を行う。前戦った時とは違い、セシリアのガードを潜り抜けられない。隙を見てレールカノンを撃ち込んではいるのだが、当たる気配を見せてはくれず、ラウラを怯えさせた。

 ママは間違っている。きっと、死んでしまった時のショックで記憶がすっ飛んでしまっているんだ。いまだに思い出せていないんだ。それと、誰かがママに何かを吹き込んだんだ。そうじゃなきゃ、絶対におかしいんだ。

 ママは私の為に命を張って死んでしまったんだ。私はママの仇を討つ為に、敵組織の構成員を殺してきたんだ。困惑する大男も、達観した顔をしたチビも、憎悪の視線を向けてきた少女も、誰彼かまわず殺してきて、それで死んでようやく今会えたのに。なのに、誰かが邪魔をする。ママを誑かして戦わせている。私を否定させている。

 プラズマ手刀を稼働させて接近する。両腕がプラズマで輝き、セシリアを操る闇を断ち切ろうと振りかぶる。

 

「救ってみせる!」

 

 救いようのない思惟だとは知らずに、ラウラは雄叫びを上げる。勝てば全てが戻って来ると信じていた。勝って、黒幕を探し出して倒せば全てが丸く収まるのだと。

 振るわれた腕に乗った間違った想いは、セシリアの構えるブレードに防がれ、押し出すように弾き飛ばされる。意思を無視するように腕が後方に弾き飛ばされ、引きずられるように身体も僅かに後退する。。ワイヤーブレードを圧潰した力の前に、シールドバリアーがなければ腕がへし折れていた。最悪千切れていたかもしれない。強化された肉体が悲鳴を上げていることに、ラウラは舌打ちをした。父親によって与えられた力がまるで通じない。

 レーザーライフルから伸びた光軸がラウラの頬を掠める。長い銃身を見て、近距離では使わないだろう、と先入観があったために虚をつかれる思いだった。

 

「くそっ!」

 

 焦っていることを自覚できるが、だからといって冷静さを取り戻せるほどの余裕はなかった。ラウラは撃たれたことにばかり気がいき、レールカノンによる攻撃を選択をする。電磁加速した弾丸は命中せず、ただセシリアに焦っている姿を見せつけるばかりだった。

 視界に立ちふさがるセシリアから発せられる恐怖。身体中に冷気が絡みついて筋肉を硬直させる。それは神経さえも脅かし、ラウラの敵意を察知する能力を麻痺させた。

 肩のレールカノンが鉛筆で悪戯されたように真っ赤な線を描く。銃身がレーザーの照射で溶かされ爆発した。

 やられた、とラウラは思ったが正面に居るセシリアはレーザーライフルを持つ左手はだらりと垂れさがっており、そこからの攻撃ではなかった。では何が攻撃したかとハイパーセンサーを駆使すれば、周囲を青い板状の物体が飛び交っているのが確認できた。

 ブルー・ティアーズ、第三世代兵装か。セシリアのISのスペックを思い出したラウラは失念していたことに顔を歪める。所詮は出来損ないの兵器だと侮っていたのが間違いだった。

 いいや、違う。気圧されて気づけなかったのだ。セシリアの全身から溢れ出している狂気的な空気と威圧感に圧倒されて感覚が極端に鈍っている。この空気を跳ね除けたくてもそれができず、それでも負ける訳にはいかないとラウラは弱気を圧殺して飛びかかる。

 

「ほらほらぁ! ちょっとは通せないのか。全部効いてないぜ!」

 

「五月蠅い!」

 

「ふひゃひゃひゃ!」

 

 一進一退の攻防にはならず、ラウラは始めから今まで押されっぱなしだった。タッグトーナメントとは真逆の状態にラウラは焦燥する。

 

「ひゃはひゃひ、うひゃひゃひゃひゃあ! ぶっ殺ぉす! ほれほらほれれほれぇ!」

 

 時間の経過と共に常軌を逸した言葉を吐きだしていくセシリアは、気がふれているのではないかと疑いたくなるほどに異常な雰囲気を出していた。しかし、狂った話し方とは違って、動きは洗礼されていた。ラウラの両腕のラッシュを右手だけで防ぎ切り、隙を見てはレーザーライフルの引き金を引く。さらに周囲を飛び交うブルー・ティアーズが距離を取らせないように逃げ道を塞いでいた。ブルー・ティアーズの操作には集中力が必要であり、操作中は自身の動きが疎かになる。そのはずだが、セシリアはブルー・ティアーズの操作と自分自身の動作を平行して行っていた。

 常人を超える集中力と、平行して考えられる脳を持っているのか、とラウラはワイヤーブレードを飛ばしてブルー・ティアーズの排除にかかるが、ブルー・ティアーズは意志を持っているかのように動き回ってワイヤーブレードを避けるどころか、飛び交う四基が一本のワイヤーに集中照射を浴びせて焼き切ってしまう。それを二本三本と焼き切って行き、僅か数十秒で全てのワイヤーを溶断してしまった。ラウラはなんとか熱線から逃れようとワイヤーを複雑に動かしたが、寸分の狂いのない照射の前に逃れきることはできなかった。

 残った武器は両腕のプラズマ手刀だけになる。しかし唯一の武器もセシリアの前では全く歯が立たない。八方塞がりの状況にラウラはそれでも勝利への道筋を探す。虎の子の停止結界がないわけでもないが、二本の腕で止められるのは二つだけ。本体のセシリアとブルー・ティアーズを一基止めても、残り三基のブルー・ティアーズに追いたてられるだけだ。停止結界の使用は集中を要するだけでなく相手を視界に収める必要もある。少しの乱れでも拘束力を失ってしまうのだ。

 

「だがな!」

 

 相手の意表を突く程度の効果があればいい。瞬間的に身体が止まる感覚に、集中力を乱したところを一気に突き崩す。左の手のひらを突き出し相手を止めようと意識を集中させる。一瞬怯んだ隙に、セシリアの首にプラズマ手刀を叩き込んで優位を突き崩し、後はその勢いに任せて勝ちをもぎ取る。

 

「無駄だい!」

 

 突き出した手のひらが、抑え込むようにかぶさってきた手によって丸め込まれてしまう。怯ませるはずなのに、怯んでしまったラウラは「まだだ」と右手を突き出そうとするが、手首を掴まれ手のひらを天へと向けられてしまった。後は最初に破壊されたワイヤーブレードと同じ末路を歩んだ。丸め込まれた拳の上から圧力がかかり、指の装甲が悲鳴を上げてひび割れていき、同じように掴まれた手首の装甲もバキバキと酷い音を立てて砕けていく。

 圧倒的だった。まだ何とかなるという気持ちは装甲と一緒に砕かれていく。堪えられない恐怖が喉をせり上がる。吐瀉物と一緒に吐き出したくなったが、喉元を掴まれてどちらも吐き出すことはできなかった。

 セシリアの顔が近づいてくる。いいや、ラウラの顔が近づいている。喉を掴む腕が引き寄せたのだ。

 ママ……じゃない。セシリアの、真っ当な人間には見るに堪えない表情に、ラウラは自らの正気を疑った。この人間を超越した化け物の顔を見て、いまだに意識をぶれさせていない自分自身が信じられなくなっていた。

 

「いいザマだ。ザマザマザマザマだよな。くひゃひゃ。面白おかしくぶっ殺してやるぜ。ひゃひゃひゃひひゃひゃっ!」

 

 喉を押さえられていることもあるが、目の前の脅威に返す言葉がなかった。化け物の瞳には理性が一欠片もなく、ただ一つの大きな熱意だけに染め上げられている。熱意は視線に乗ってラウラの瞳に入り込んでいき、脳を麻痺させ判断力と恐怖に耐えようとする理性を締め上げた。

 セシリアの瞳の凶悪さに、ラウラは暫く視線を外せなくなった。恐いけど逸らせない。喉にかけられていた手が離れ、受け身も取れずに地面に転がり落ちてから、ようやく視線を外すことができたのだが、その時には戦意は一ミリも残っておらず、後はセシリアの暴力に晒されるだけだった。



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ラウラさんは

 殴るのが楽しいと思ったのは何時頃だったかも思い出せない。ただ、目の前で這い蹲る人工物を殴ったり蹴ったりすると気持ちが高揚してくる。もっと殴って、もっと蹴って、前世と今世に続けて生きている厚顔さを恥じさせてからぶち殺してやりたい。

 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。肉と血の詰まった皮を叩く時に聞こえてくる音が、頭の中で絶え間なく鳴り響いてく。ぐちゃぐちゃ、と飯でも食ってんのか。いいや、これから食うんだ。噛みついて振り回して肉を引き千切って噛み砕いてやる。血の匂いが最高のスパイスだ。スパイシーなんだ。

 全身に回った熱が何もかも溶かしていく。凝り固まった筋肉も、カルシウムの集合体みたいな骨も、至る所に張り巡らされた血管も、全てを司る脳みそまでがドロドロのシチューみたいになっていく。

 揺れ動くのはなんだ。手をぶらぶら、足をぶらぶら。ちょっと力を入れれば黒色の人工物がぽーんと飛んでいく。地面に身体を打ちつけて力なく倒れ伏している。足をぷらぷら近寄れば、ほら不思議と人工物の近くに行ける。ようやく顔を上げて見上げてきた顔を鷲掴みにして地面に何度もスタンプしてやれば、心地よい悲鳴が聞こえてくるじゃないか。

 くひゃひゃ、と高笑いをあげる。まだ足りない。どす黒い感情が次から次へと溢れてくる。肉も骨も血も神経も脳も、皮以外の全てがドロドロに溶けきっている中で、感情が全てに代わって身体を動かしていた。

 身体中力がみなぎっている。シールドバリアーがなければ最初の一撃でラウラは天国へと旅立っていたことだろう。しかし、シールウドバリアーの存在によってラウラは長い長い恐怖に身を浸し続けていた。

 ここまで怒ったのは初めてだ。頭の片隅に冷静な感想が浮かび上がったが、怒りの感情に飲み込まれて消えていった。もしかしたら唯一残った理性だったのかもしれないが、今のセシリアにはもう関係のないことだった。拳を振るって痛めつける以外に思考する価値はない。それ以外の何に思考を裂けばいいというのだ。

 フィールドにはセシリアとラウラしか居ないが、アリーナ内には少なくとも天子と是っ清が居る。その二人がどのような想いで試合を見守っているのかも思惟が回らない。

 何度も何度も殴り続ける。興奮が行き過ぎて手元が狂い、ラウラの顔をすり抜けて地面を殴りつけるミスを犯しながらも。

 やがて、ラウラのISが粒子になって消え去ると、セシリアは一歩後ろに下がって立ち上がる様子のない彼女を見下ろす。

 次に攻撃は右足を潰す。そんで左だ。終わったら今度は右手のひら、左手のひら。小刻みに第一関節、二の腕、肩の順番で潰していく。そんで次は腹だ。致命傷避けて痛みを与え続けて、泣き叫んで謝ったら首を踏み砕いて終わらせてやる。それが、アタシたちの復讐だ。アタシにとって大切な二つに対しての復讐が終わるんだ。

 

「ふひゃひゃひゃひゃ!」

 

 自分でもどうしてこんな笑いが湧き上るのか分からずに、セシリアは大口を開けて笑う。怯えるラウラが笑いの肴だった。

 

「……私は」

 

 フィールド内に響く不気味な笑い声に混じって、か細く頼りない声が聞こえる。小さくて弱々しい声を、セシリアの耳は苦も無く拾い上げたが、笑い声は意図的に収めることはできず、内側からの要求に応え続けていた。

 

「私はラウラ・ボーデヴィッヒなんだ。パパが求めた最強の娘なんだぞ」

 

 意識を保たせている最後の防壁なのだろう。ラウラは瞳を揺らしながらも言葉を紡いで自分に言い聞かせていた。

 セシリアはスッと笑いを止めて、必死に生き足掻いているラウラの全身を舐め回すように眺めた。これから壊していく身体は面積的に小さく、思っているより長く楽しめるか気掛かりだった。

 

「だから?」

 

 首を傾げて突っぱねる。右足を高く振り上げて、ラウラの右足の付け根に狙いを定めた。後は力の限り振り下ろしてぶった切るだけだ。傷口から溢れ出す鮮血を止めるために、ブルー・ティアーズを付近に待機させる。傷口はレーザーで溶接すれば血もでない。

 最大の楽しみが始まる。復讐を終えるための最後の段階までやってきてしまったことは寂しいが、これを終えれば胸のつっかえは取れ、晴れ晴れしい心で生きていることができるだろう。

 殺人の汚名も考えられなくなっているセシリアが、今まさに足を振り下ろそうとした時に、フィールドの雰囲気ががらりと変わる。憤怒に支配されている彼女でさえも感じ取れる変化は、フィールドの両端にあるピッドから飛び立ったISが証明した。その数は五機。その内の三機はセシリアの知っているISだったが、残り二機は知らないISと装着者だった。

 

『えー、セシリア・オルコット。聞こえているかな? 聞こえているならそのまま何もせずに聞いてほしい』

 

 フィールド上に設置されたスピーカーから楯無の声が聞こえてきた。普段聞くような明るい声音ではなく、問い詰めるような冷静なものだった。

 何が起きているのか。セシリアはそっと足を下ろすと、周囲を囲み出した四機のISをぐるりと見渡す。箒に鈴、知らないのが二人。

 もう一人はどこだ。フィールド内に視線を走らせると、純白のISを纏った一夏がラウラを抱きかかえて遠ざかっていた。

 

『これ以上の戦闘行為は生徒会長として容認できません。直ちにISを待機状態に戻して、遠くに投げ捨てなさい。これは命令です』

 

 たった四人で止められるものか。セシリアが怒気を孕んだ視線を各々に向ければ、それぞれが緊張した面持ちに冷や汗を浮かべてわずかに身動ぎする。この程度で気圧される相手に負ける道理はない。

 

『言っておきますが、こちらは貴女を止めるためにどのような手段も使う覚悟があります。貴方の正面に居るダリル・ケイシーさんの奥を見てください。観客席ですが、手を振っている私が見えるでしょう』

 

 正面で武器を構えている少女の後方には、確かに楯無が手を振っているのが見えた。見えたが、セシリアはそれよりも彼女の隣に居る天子の方に視線を向けていた。

 

『言葉を飾らずにいうなら人質を取っています。広場天子さんです』

 

 天子の首筋に当てられた注射器から目が離せなくなっていた。色味の悪い液体が揺らめいていた。

 

『この注射器には致死性の液体が入っています。貴女の行動次第では注射することになります』

 

 脅しだ。冷静なセシリアが判断するが、感情的なセシリアは歯噛みして本気だとしたらどうする、と判断を鈍らせていた。人質が関係のないような第三者ならば、彼女はすぐにでもハッタリと決めつけて周囲を地面に沈めていくが、天子が人質であれば安易な行動は取れない。

 ぐぐぐ、と歯を食いしばって打開策を探すが、一向に見つからない。冷静さを欠いた思考回路が理路整然に論じることなどできるはずもなく、関係のないことさえも思い浮かんではこなかった。

 

『時間は十秒。過ぎれば敵対行動と見なし注射します』

 

 無表情で固めた楯無が宣告する。人質になっている天子は目を閉じていた。微かに肩を震わせているのを見たセシリアの心は激しく揺れ動く。

 

「くひゃひゃひゃ」

 

 負け惜しみの笑い声が空気を震わせると、セシリアはISを待機状態に戻してダリル・ケイシーの背後に投げ落とした。すると、彼女以外がセシリアに近づくと地面に押さえつけた。

 

「フォルテ。てめー、しっかり押さえつけろよ」

 

 何度もセシリアの方を振り返りながら、待機状態のISを確保するダリル。地面に押さえつけられているセシリアを、まだ無力化できていないのではないか、という不審感があるのか、警戒の視線を張り巡らしていた。

 

「そういう先輩こそ、手を滑らしてISを与えちゃ駄目っス」

 

 セシリアの上に乗っかって体重をかけるフォルテは、彼女の身体が身動ぎする度にヒヤリとしていた。現状は有効な人質を取っている為に拘束を振り払う素振りは見せてはないが、いざ本気を出されればISを装着していても振り払われてしまうかもしれない。そう思わせる力をセシリアは無意識の内に垂れ流していた。

 

「ちょっと、大人しくしなさいよ!」

 

 右腕を抱きしめるように押さえつけていた鈴が焦りを浮かべる。ISの力に抗える人間が千冬以外に居るのか、と背筋が凍り付く。

 

「……一夏の奴。あんなに密着して。ふしだらだ」

 

「あ、アンタねぇ。ずいぶんと余裕じゃないの!」

 

 箒と鈴のやり取りを聞きながら、セシリアは無言で地べたにうつ伏せになっていた。遠ざかり、フィールドから一夏とラウラの姿はなくなり、追いかけて復讐を果たそうにも天子が人質に取られて動き出すことそのものができなくなっている。そうでなければ、身体を押さえつけている三人など吹き飛ばしてやるものを。

 どうすることもできない。獣に似た呻り声を上げてフィールドを覆うシールド越しに楯無を睨み付ける。拘束役の三人の押さえつける手が一瞬震えた。

 

『大人しくなってようですね。では、その従順さに免じて広場さんの声を聞かせてあげましょう』

 

 スピーカーが優劣を決めつけてくる。互いの高低差がそのまま現状の立ち位置を表していた。セシリアは血が垂れるほどに歯を噛みしめ、それでもとスピーカーから流れてくる言葉に耳を傾けた。天子が何を話すのか、意識を集中させる。

 

『……セシリア君』

 

 スピーカーから抑揚のない声が聞こえてくる。極度に緊張している様子ではない。かと言ってリラックスしきっているものでもなかった。程よい緊張と程よい脱力感、その二つが上手く共生できている。

 緊張の理由は何だろう。脱力感の理由はなんだろう。天子の声を聞くなり、じわじわと冷静さを取り戻してきたセシリアは目を口内に溢れる鉄くさい液体を飲み込んで、自制を働かせ始める。いまだにラウラを殺し尽くしたい想いがとめどなく溢れてはいるが、理性も同じくらい血中を巡り始めていた。

 冷静になった頭で天子の次の言葉を待つ。聞き終わって全てがそれなりに終わったら、まずは楯無をマウントでボコボコにしよう。ちょっと先の未来を片隅に追いやって耳に意識をやる。

 数分の沈黙。スピーカーは震えない。楯無に針なしの注射器を当てられている天子は言葉を選んでいるようでもごもごと口を動かしていた。

 ようやく言葉を決めたのか、天子が口を開いてマイクに吹き込む。

 

『大丈夫ですから』

 

 一言。数分を労して選び抜いた言葉は一呼吸で言えてしまう短いものだった。それはセシリアにとって十分過ぎる言葉だった。独りよがりに近かった肩の荷がストン地面に落ちていき、それと同時に意識も投げ捨てた。

 誰もが天子の言葉を聞くなり身構えてしまった。人質である自分は大丈夫だから、気にせずに暴れてほしい。そう取れる言葉だった。隣にいた楯無もギョッとした顔で天子に視線をやるほどだ。

 しかし、彼らの危惧したことに反して、セシリアは動かずにいた。うつ伏せのまま、天子に向けていた顔も俯かせてピクリともしなくなった。嵐の前の静けさなのでは、と疑いをかける三人をよそに、セシリアは目を閉じて眠りについたのだった。



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いつも通り

「これでよかったのか?」

 

 うつ伏せのまま眠りについたセシリアに、彼女を取り押さえていたフォルテたちはあっけない幕切れに尻餅をついて荒い息を繰り返していた。セシリアの出す刃の混じった空気に精神をsらず知らずの内に痛めつけられたのだ。額から溢れ出す玉のような汗が恐怖からの解放にうれし涙を流しているかのように見える。

 放送室にてリンチを静観していた是っ清が呟く。たった一言で事態が収拾してしまったことに、納得がいっていなかったようだ。もっと涙混じりの説得か、必死の懇願でもすると考えていたようだ。様々なマンガやアニメのヒロインと呼ばれる役割のキャラを想像していれば、あっけなく感じてしまうはずだ。

 是っ清の体内に潜んでいる寄生虫が彼の全てを送信してくる。本人も忘れているような記憶や見てきたもの、今考えていることなどが手に取るように分かる。不必要な事柄も全てが自分の手のひらにあった。

 それは隣で針のない注射器を仕舞い込む楯無にも言えることだ。彼女は周りと同じように安堵の表情を浮かべ、続いてこの小さな事件をどう報告するかを思案していた。事件を終わらせた後に、天子を生徒会に引き入れようとし、上手く説得してセシリアをも生徒会に組み込もうと思惟を巡らせていることも、天子には顔色を窺わずにも理解ができてしまう。

 考えが読めてしまう。しかし、それによって自分以外の人間が愚かしい生き物だとは思わない。人間は千差万別で、自分には考えつかないようなものを頭に思い浮かべる。それをどうして愚かしい生き物と侮蔑せねばならないのか。むしろ、それぞれの人間を尊敬すべきだ。かと言って尊重すべき、とまでは考えを向かわせない。それはそれ、これはこれだ。その線引きを明確にすることが自分自身を縛りつけない一番の手段だ。

 そういう意味では今回の企みは、セシリアに誓った言葉に違反するものではない。俺はセシリアの味方だ。天子は確かにそう言った。

 だけど、どの全てを肯定するようなイエスマンじゃない。相手の意に反することをしてでも守ろうと考える味方だって居る。

 セシリアは復讐を求めていた。ラウラをぶち殺したいと思っていた。その気持ちはとても強く、天子もできる限り叶えてあげたいと動いた。

 できる限りだ。全てを叶えさせるつもりはない。全てを叶えさせれば、セシリアは国を巻き込んでの犯罪事件によって二度と会えなくなってしまう。たとえ成就によって彼女の中にあるどす黒い感情が全て消え去るのだとして、許しきれる想いではなかった。

 では、どうすればいいか。簡単だ。死ぬ寸前まで痛めつけさせればいい。100の快感は与えられないが、80くらいまでならなんとかなる。後はトドメを刺そうとする彼女をどう止めるかだ。幾ら天子が止めても冷静さを欠いた状態では聞き入れもしないだろう。

 そこで天子はちょっとした策を思いつく。今回の人質を利用するやり方だ。成功した暁には生徒会に所属するという口約束で楯無を巻き込み、彼女の力を使って学園内のセシリアとラウラ以外の現状稼働可能な専用機持ちたちを集めさせた。

 是っ清の知識では学園内の専用機持ちは十人。その内、シャルロット・デュノアは学園を去り、更識簪は未だに専用機を未完成のままにし、事件の中心人物であるセシリアとラウラは当然頼れるはずもない。その結果、招集をかけられる人数は心許無いものだった。

 しかし、この場合は人数などどうでも良かった。セシリアの復讐の念を収められなければ、武力を以て抑え込むことができないのだから。

 

「あんなことを言うなんて、私もちょっとヒヤっとしたわね」

 

 生徒会長権限を行使して舞台仕掛けを整えた功労者が深く息つく。改めて、大した被害もなく事態を収拾できたことが、いまだに信じられないようで、地べたで眠るセシリアと天子を交互に見比べて現実を確認していた。

 

「アレが一番良い言葉だと判断しただけ。俺だって探り探りだった」

 

 本当かしら、と内心で呟きながらそれを感じさせない疲れた笑顔を見せる楯無。今日はもう何もしたくない、と思っているようだが、この事態の報告に頭をフル稼働させていた。

 

「そうね。ま、結果良ければ全て良し、ということにしておきましょう。まずは保健室にでも運ぼなきゃね。ラウラちゃんは部活棟の方だから校舎側の保健室かしら。あ、頑丈なワイヤーで縛った方が良かったりするのかも」

 

 一人ぶつぶつと疲れ切った息を吐き出す楯無を置いて、天子はひっそりとアリーナから立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上してくるのを感じて、天子は瞼を開いた。保健室は清潔な空間を維持している。全体的に目に馴染みやすい色合いでほんのりと飾られた室内は、来訪者が心を落ち着けられるように配慮されていた。それでも、天子の心は落ち着いてくれないが。

 訪れる怪我人を想った部屋模様に感心しつつ、天子は目的の為にソファーから立ち上がった。立ち上がる際に保健養護教諭が貸してくれた文庫本が床に落ちたが、そんなことは気にせずに傷病人用のベッドに向かう。

 仕切りのカーテンを潜り抜けると、ベッドの上にはセシリアが眠っていた。憤怒の表情が抜け落ちた綺麗で可愛らしい顔をしている。時折ピクリと動く眉を見た天子はセシリアの顔に手を当てて、眉間をぎゅっと摘まんだ。すべすべした肌が吸い付いてくる。なんと甘美な瞬間か。

 

「おい、コラ」

 

 眉間を抓られたセシリアがギラリとした瞳を見せる。微細な動きから狸寝入りをしていることは分かっていた。そもそも、天子に対しては嘘の一つも役に立たない。相手の全てを常に知っているのだから。

 セシリアも分かっていたことで、ペロリと舌を出して「無理だよな」と無謀さを顧みていた。

 セシリアが上体を起こすと、彼女の身体にかけられていたタオルケットが床に落ちる。事件後睡眠体勢に入ったセシリアの姿はISスーツのままだ。天子は落ちたタオルケットを拾って彼女の下半身にかけ直す。

 部屋の隅に置いてある椅子を引っ張ってきて、セシリアのベッドに横づけした天子。暫く口を噤み、あえて彼女から送られてくる情報を無視するして言葉を待った。

 怒られるかもしれない。少しドキドキする。悪い意味で心臓が躍動している。

 セシリアが視線を向けてくると、天子はゆっくりと視線を合わせた。瞳の奥は透き通っているように見えた、もう悪いモノに意識を取られてはいないように見える。

 それでも心臓が暴れ回るのは後ろめたさがあるからだ。セシリアの為とはいえ、やはり彼女に嫌われかねない行動をしたのだ。線引きとかなんだを理由に釈明したところで、所詮は自分の中のルールでしかない。そんなものでは相手を納得させられるわけがないのだ。

 セシリアが深く息を吐くと、天子は身を竦ませて思わず視線を逸らしてしまう。母親にしかられることを、ビクビク恐れる子どもみたいだった。一挙一動に感情が振り回されている。

 

「わっ!」

 

「ひゃあ!?」

 

 セシリアが大きい声を出すと、びっくりした天子は椅子から転げ落ちた。意識的に相手の情報を読まないようにしていた為に、咄嗟のことに全く心の準備ができていなかったのだ。平静を装って椅子に座り直してみたものの既に遅く、セシリアが腹を抱えて大爆笑していた。

 羞恥心が顔中に回って熱くなる。キッ、と睨み付けると、セシリアは「悪い、悪い」と頭を撫でまわしてきた。頭頂部に感じる人肌の温もりに天子は目を細めて享受した。

 

「その反応は変わんないな」

 

 セシリアは包み込むような柔らかい笑顔を浮かべて、天子の頭を撫で続けた。

 

「そ、それはそうだ。俺は……わたしは変わらないんだから」

 

 天子は一瞬言葉を詰まらせた後に、話し方を変えて応えた。怯えの感情も心臓の過剰な鼓動も安心感に溶けてなくなっていく。

 セシリアは少しだけ驚いた顔を見せると、再び優しい笑顔を浮かべる。

 

「だな。全く初めて聞いたぜ。まぁ、そこはいいとしてだな。よくもまぁ、あんな茶番を考えついたもんだな」

 

「あんなことでもしなきゃ、セシリアはわたしの言葉を聞いてくれないと思ったんだ。言い換えれば、冷静になる瞬間を作りだせればなんとかなると思ったの」

 

「確かに多少は冷静にはなれたけどな。どっちかって言うと楯無の持っていた注射器に針がついてないことに呆れて冷静になったんだよな」

 

「……思うんだけど、一ミリの厚さもない針の有無を確認できる視力は凄いね。あたしには真似できない」

 

「できなくていいんだよ。こっちが化け物染みているだけだ」

 

「ううん。セシリアは化け物じゃないよ。普通の人よりも強いだけの人間なだけだから。化け物であるがはずがないんだよ」

 

「ありがとな」

 

「人間だから、わたしの大切な人だから、ラウラを殺して犯罪者になってしまうことが嫌だった。だから、怒られること覚悟でフィナーレをぐちゃぐちゃにしたの。だってそうすればきっと、セシリアはこの世界で人殺しにならなくて済むから」

 

 喜怒哀楽全てを内包した形容し難い顔が崩れ落ち、喜の感情だけが前面に出てくる。セシリアの人生を突き落としかねない状況を、阻止したことで生まれた喜びが後ろめたさに勝っていた。セシリアの顔に嫌悪感が見られないことが喜びを後押ししている、ということもあるのだが、確かに天子は今回の結果に喜びを感じていたのだ。

 初めて見た心からの笑顔に、セシリアは苦笑して天子の頭を抱きしめる。

 

「アタシはなぁ。復讐をしようとしたけど、お前の大丈夫、ってことを聞いて全てが終わったんだ。望んでないんだ、って分かっちまったから。ああ、でもアタシ自身の恨みはまだ抜けきってないし、たとえ抜けたとしてあの人工物は許しゃあしないぜ」

 

「それでいいよ。わたしもラウラを好んではいないから」

 

 セシリアの胸に顔を埋めた天子は、彼女をママと言って求めるラウラを、いつかは消し去ってしまいたいと思った。臨海学校のようなチャンスが巡って来ることを期待しながら。



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暮らしましたとさ

 春は入学シーズンだ。新しい少年少女が新生活に一喜一憂しながら学び舎の門を潜り抜ける。そして、そこに待ち受けるものを飲み込んでいきながら成長していく。そう、成長だ。誰だって成長するんだ。春は成長が分かる季節なのかもしれない。

 

「それでは生徒会長の話はここで終わらせてもらいます。皆さん、入学おめでとうございます」

 

 凛とした佇まいで新入生祝いの言葉を述べた楯無が檀上から降りていく。常日頃に見る人を食った笑顔は鳴りを潜め、学生たちの代表としての頼りがいのある上級生の顔を張り付けていた。気苦労も絶えないことだろうが、それでもちゃんとやってきているのだ。彼女も俺みたいな怠け者からしてみれば化け物と変わらない。ちゃんとこなす化け物だ。宇宙人と言ってもいいかもしれない。

 拍手に迎えられた楯無が席に着くと、今度は新しく生徒会副会長の座に収まった広場天子が挨拶を始める。この学園は来賓の言葉が少ない代わりに、生徒会長と副会長の祝いの言葉がある。普通は会長だけのはずだというのに変わったことをするな。

 広場天子は一度咳払いをすると、祝いの言葉が書かれた紙を読みだす。スラスラと抑揚のない話口調は、言わされている感が出ていて無理矢理の副会長職についてしまったことを訴えているかのようだった。喜怒哀楽の全てがぐちゃぐちゃに混ざり合った言い表しようのない表情が拍車をかけている。

 話が終わるのはきっちり五分だった。大勢の前で注目される状況下で顔色も変えず、声の震えも見せないで五分も絶えずに話した広場天子の精神力はいかほどのものか。さすがセシリアに殴られても泣きわめくことのない女だ。ま、相手の心の内が読めるんだ。化け物染みた精神力も頷ける。

 話し終わり、原稿を懐に仕舞い込んだ広場天子は俺の方に一瞬視線を向けると、綺麗に頭を下げてから檀上から立ち去った。きっと考えていることを読まれたな。

 会長、副会長のスピーチが終わり、あとちょっと校長が話をして入学式は終わった。式が終われば一学年はぞろぞろと新しい教室へと向かって行く。その中に俺は物珍しい存在を発見した。後でちょっかいでもかけに行こう、と心の中で誓ってみた。

 生徒たちが去った入学式会場こと体育館は物静かになった。いまだに冬を引き摺った気候のせいで肌寒いのだが、これから一学年の座っていたパイプ椅子の撤去をするので、そこまで寒くはなくなる。むしろ熱くなるだろう。周りを見渡せば、教師たちはこぞって体育館を出ていく。まるで、こんな重労働は男がすればいいんだ、と言いたいように。

 最初に男女平等を叫んだのはお前らで、男と同じ扱いを望んだのもお前らだろ。女尊男卑が役割もひっくるめての変革なら、お前らが今まで男がやってきた肉体労働をしやがれ。代わりにお茶くみはやってやるから、なんて叫びたくもなる。

 SNSの脅威にでも晒してやりたい。広場天子に頼んで個人情報を集めてみようかな。パイプ椅子を畳んで重ねて台車に乗せて。それを延々と繰り返す。単純作業が合わないらしい俺には苦痛の時間だった。見かねた性格美人保健先生が手伝ってくれたから、その苦痛もちょっとだけ和らいだけど。それでもやっぱり苦痛だった。

 ま、激動の一年の犠牲者であり、暗躍者一味であり、傍観者でもあった過去を振り返れば……やっぱりパイプ椅子の撤去の方が数段辛い。

 最後のパイプ椅子を台車に乗せ終わったのは入学式終了から30分後。俺が四割、性格美人保健教師が四割、いつの間にか参加していた人殺しの目つきをした教師が二割という内訳だ。

 性格美人保健教師に礼を言って、一年の間に第二会議室となってしまった備品室へと駆け込み、そこで一息ついてから受け持ちの授業に出かける。

 備品室の中は以前の雑多に積まれた備品の山はなくなった。分別の行き届いた部屋模様で出迎えてくれるようになっていた。そして本来なら生徒会室で捌けばいい書類等が置いてあり、防犯上機密上非常に心配になる。天子が生徒会副会長に就任し、自然と楯無や本音も備品室に集まるようになってしまったからと言って、ここまで無防備でいいのか、疑問を投げかけてやりたくなる。まぁ、誰も備品室に重要な書類が置いてあるとは思わないだろう。俺だって身内じゃなけりゃ気がつかないもんな。

 

 

 

 

 

 

 

 午前中最後の授業は三年の教室だった。しかも楯無生徒会長様が跋扈している最悪の現場。人事部の目の前で授業をするのと何も変わらない。と言っても今更首切りに怯えるほど人間が出来ちゃいない俺は、どうしようもない反骨精神を発動し、教師らしくない口調で中途半端に丁寧な説明をポロポロと口から吐き出していく。

 原作と同じようでそうでなかった一年の事件に、ぶっ壊れた真面目な自分は修復不能どころか、貫通して素顔までも傷つけ、気がつけば楯無に対しては授業もけっこう適当になっていた。そりゃあ、教師としての誇りは持ち合わせてはいない。それは断言できる。やりがいもちょっとは感じている。それも断言できる。でも、そんなもので立派で高潔な教師になんてなれるわけもない。親の見ている前だと恥ずかしがる子供みたいに適当な授業をホイホイと展開していき、授業が終了すればスイスイと出ていく。聞きたいことがあれば、他の数学教師でも捕まれてくれ。楯無のいる前で俺に頼んなよ。

 さささ、と競歩選手の端くれにはなれそうな歩みで廊下を行くと、ちょうど出会いたい人物が挙動不審に首をあちこちへ向けていた。爆弾を仕掛ける場所でも探している、と言われても納得できてしまう不審者ぶりに、俺は教師として声をかける。そもそも教師だし。

 

「何をするだー!」

 

「なんでそれなんだよ!? ……あ!?」

 

 馬鹿が網にかかった。俺はニヤリと笑みを浮かべて、世界で二人目に見つかったISを使える男子の首に腕を回して引き寄せる。どっちかというともやし系な少年だ。今年入ってきたばかりの何にも知らない餓鬼だ。きっとこれから扱かれて泣きを見るはずだ。

 

「ふっふっふっ。オマエ、オレ、ナカマ」

 

「なんで片言ぉ!?」

 

「そ、それはぁ……あー」

 

「返答に困るようなこと言ってないし!?」

 

「おう。じゃあまずは歩こう」

 

「じゃあ!?」

 

 いちいちツッコミを入れてくる少年の首っ玉に腕を回したまま連れ去る。数人のそこそこ器量良しの生徒たちが残念がる声を聞いたが知らない。

 人気のない場所を探してみたが、やはり備品室以外に場所がないことが分かった。よって備品室にいたいけな男子を連れ込んでみた。字面のいやらしさはとんでもない。

 

「……どこだよ!?」

 

 察しの悪い少年を床に放り投げると、俺は壁に背を預けて不敵に笑った。セシリアにでも披露しようものならボコボコにされるのは目に見えているから、こんな見知らぬ少年でしか試せない。

 

「二番煎じ男子め。お前、転生者だな」

 

「二番煎じ、って言うなよ。真似したみたいでカッコ悪いじゃん!」

 

「はいはい。で、なんでやってきたんだ」

 

 死因と、この世界にやってきたきっかけを聞く。俺の時は友人とドライブに行って、行きだか帰りだかに事故って死んだ結果の転生だった。神様転生でも転生トラックとやらでもない。原因不明の転生だ。よって、訳の分からない使命感や、転生したことの意味に思い悩んだことはない。これは良いことだ。

 この少年は一体どんな死を迎え、どんな横槍で転生に至ったのか。好奇心を刺激される。

 

「ええと……車で」

 

「ふーん。じゃあボケは滑ったということで、死因と転生方法を教えてくれるかな? ほら、これ以上ボケられる手が出そうだし」

 

「……自殺した。そしたら神様じゃない何かと出会って、願いを叶えてやるって言うからISの世界に転生したい、って言ったら叶ったんだよ。一年遅れだけど」

 

 少年がムッとした顔で答える。自分の死因と転生の経緯を思い出したことで気分を害したらしい。一年遅れの転生が原因か。

 少年の機嫌の降下も気になったが、それよりも少年を転生させた奴が気になった。神様じゃない何かとは何者だ。神様転生と違うのか。うっかりミスで殺されて、そのお詫びの転生とかじゃないということになるのか。

 

「神様じゃない何か、って何だよ?」

 

「分からないよ。俺だってパニくってたんだから。ただ、妙に人間味のない女だった」

 

「なんじゃそりゃ? まぁ、いいか。それで、あんなところで挙動不審になっていた理由でも聞こうかな?」

 

 分からないことは置いておく。後で広場天子に聞けばいいことだ。

 少年は「挙動不審じゃねぇよ」と訂正を入れてきたが、あんなものはどう見たって挙動不審だ。セシリアが見たらドロップキックでもするほどに。

 

「……アンタも転生者なら分かってもらえるはずだよ。箒たちを見てみたかったんだよ。でも不慣れで二年の教室がどこにあるか分からなかった。ただそれだけだよ」

 

「夢見てんなー。この幸せ者め」

 

「夢って。なんか気になる言い方だな」

 

「それよりもお前。敬語使えよ、俺は年上なんだから」

 

「……気になる言い方ですね」

 

「見れば分かるよ。というわけで来い。現実を見せてやっから」

 

 疑問符の浮かんでそうな顔をする少年に手招きをして、俺は備品室から出ていく。現実は物語通りに行かないということコイツにも教えてやらないとな。親切心が相手を滅ぼすかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついてこないことも考えたが、少年は警戒の色を見せながらもきちんとついてきてくれていた。並ぶほどには信頼されてはいないが、何かしら使えるとは判断されたようだ。昼食時の廊下は学食や購買に向かう生徒たちが慌ただしく走り回り、スムーズに目的地に向かうのは中々難しい。

 それでもゆっくりではあるが少しずつ屋上へ続く道を行く。途中背後の少年が波に流されていないか心配になったが、一定の距離を保ちながらついて来ていたので杞憂に終わった。

 屋上にはテラスがあり、そこで優雅にキャッキャッウフフと食事を取る奴らもいる。屋上と言えば主人公たちの定番の場所だが、この世界の主人公もどうせここにいるのだろう。

 屋上への扉の前で止まると、それとなく顔を突き出してテラスを確認する。お目当ての人物たちは入り口から少々遠い場所に陣取って食事を取っていた。

 

「ほれ、向こうにいるぞ。お前の探している箒たちが」

 

 背後で様子を窺っている少年を呼び寄せ、テラスの一点を指さす。一つの丸テーブルに鈴と箒、簪が黙々と食事をしていた。時折、少し離れた位置の丸テーブルに射殺さんばかりの視線を向けている。視線に晒された丸テーブルには一夏とシャルロット・デュノアが居て、シャルロットが巧みな箸使いで一夏にアーンしていた。羨ましい限りだ。

 

「え!? あれ!? なんでカップルみたいなことやってんの!?」

 

 驚く少年。気持ちは分からんでもない。あの朴念仁で突発性難聴に陥る瞬間のある一夏が、シャルロットのアーンを照れながらも受け入れているのだから。

 

「ま、お前の知っている原作の流れと違うってことだ。シャルは原作二巻終了時点でフランスに帰った。理由について俺はあんまり詳しくは語れないけど。そっから冬休み明けぐらいに帰ってきて、一夏と付き合いだしたんだよ。なんでも学園を去る前日に馬鹿でも理解できる直球で告白して、次会う時に返事を聞かせてほしい、なんて言ったんだとよ。しかも、その時にキスしたとか。さすがに一夏もきちんと意味を理解して、結果は付き合う方向で今の状態になっているわけさ。あの三人は恥ずかしがったりして想いを伝えられなかった負け犬たちさ」

 

 原作乖離が起きた。色々と省いた説明をするとこんなところだ。シャルロットの一人勝ちだが、これに文句を言える人間はいないだろ。たとえ一夏のファースト・セカンド幼馴染であっても行動に移せなかった以上、文句一つ言うこともできない。

 

「さて、勝者と敗者の図は見たから……次は予想外の一幕をお見せしようか」

 

 屋上にもう用はなく、俺はすたすたと階段を下りていった。

 少年が見たくないものを見た、と言いたそうな顔でついてくるのを、俺はちらりと振り返って確認すると来た道を戻る。目的地は出発点だ。

 ある程度、昼休みが過ぎたからか、廊下は少しだけ人気が少なくなっていた。行く手を遮るモノのない廊下はストレスレスで良い世界だった。

 

「……そういえば、セシリア、ラウラ、刀奈の三人が居なかった」

 

「お、楯無の本名を言うか。アイツのことは気にすんなよ。全然変わりなくてつまらないから。というと怒られるか。ま、変わらないから安心しな」

 

 原作の奴に気苦労を足されただけだ。

 原点である備品室にたどり着くと、ドア越しにギャアギャアと騒がしかった。既に集まっているらしいので、俺は二回ノックしてから扉を開ける。案の定、セシリアがラウラを足蹴にしているところだった。地面に倒れ伏すラウラの頭部を足で押さえつけながら、自由な両手で惣菜パンを頬張っていた。

 SMの場面を目撃してしまったかのように気まずい顔をする少年。笑える顔をしていた。

 

「よっす、セシリア」

 

 ぶっ壊れたイメージと人間関係と、新しく繋がれたイメージと人間関係。俗に言う二次創作のような変わり様に、俺は果たして心の底から絶望したことがあっただろうか。

 暴力的を通り越して化け物にまで昇格されたセシリアに、俺はイメージの崩壊を感じ、その全てを否定しただろうか。

 セシリアをママと慕い常にボコボコにされるようなラウラに、俺はイメージの方かいを感じ、その全てを否定しただろうか。

 思ったことなんてない。自分自身が一番最初のイレギュラーだって言うのに、棚に置いた発言なんてできるはずもないし、今は今で十分に楽しめる世界だから、今となって否定する必要なんてない。

 セシリアとラウラ。この二人の違いが原作を大きく塗り替えた。

 転生者な二人は結局、俺の知っているセシリアとラウラじゃないんだ。

 

「どうだ。これが現実だ」




 酷い作品となってしまいましたが、皆さまが根気強くお付き合いしてくださったことに御礼申し上げます。
 やはりプロットというものを作ってから始めるべきなのでしょう。おかしな部分を幾つも作り出しながら、本作はガタガタな軌道を描いて完成してしまいました。
 このような完結の仕方の悪さを嘆きながらも、それでもこの後書きに目を通してくださった皆さまに再度御礼申し上げます。
 お付き合いくださってありがとうございました。
 そして、このようなグチャグチャな作品を作ってしまい、どうも申し訳ありませんでした。


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