【完結】京‐kyo‐ ~咲の剣~ (でらべっぴ)
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プロローグ「出会い」

ジャッキーの笑拳みたら思いついたので書きました。
でも作者はゲーセンの脱衣麻雀をクリアする為にルールを覚えたので闘牌シーンはお察しです。
麻雀バトルではなく格闘バトルにしたい。


プロローグ「出会い」

 

 

 

「ロン! それだ京太郎、16000だじぇ!」

「ぐはぁ! またトんだ!」

 

九月中旬。

未だ茹だるような残暑の中、清澄高校麻雀部は平和な日常を展開している。

 

「……なんか全然アガれないんだが、お前らイカサマしてねえ?」

 

麻雀部の黒一点。

ここのところ毎日トばされまくっていた京太郎は、あまりにも勝てない状況に不満タラタラである。

 

「そんなわけありません」

「京ちゃんボロボロ危険牌出すんだもん。そりゃ勝てないよ」

「まったく。被害妄想にしても情けなさすぎだじょ、この犬は」

「へいへい。そりゃ全国優勝チームのメンバーだからな、俺が勝てないのも分かってますよ」

 

夏のインターハイ、清澄高校は団体戦優勝を果たした。

個人戦は白糸台の宮永照が頂点を制したが、清澄高校麻雀部もまた、まごうことなく頂点に輝いたのだ。

 

「今度は僻みか? いじける前に練習しろ、このアホ犬め」

 

そんなチームの先鋒、副将、大将三人と打って、初心者が勝てるわけもない。

 

「そうじゃねーよ。なんつーか、インハイ前も勝てなかったけどインハイ後はもっと勝てなくなったというか……」

「そりゃそうだ。全国前に特訓しまくったからな」

「それに激戦を潜り抜けた経験が、私達を一段上に引き上げたのかもしれません」

「うん、それはあるかも。確かにインターハイ前よりも牌がよく見えるし」

 

現在、部室にいるのは京太郎、咲、優希、和の一年生四人のみ。

部長であった竹井久は早々に引退し、インターハイ後の取材やら祝賀会やらの事後処理や、学生議会長の引き継ぎへと奔走している。

染谷まこもまた、家の手伝いや新部長としての業務引き継ぎで忙しかった。

 

「おいおい、ただでさえあった差がもっと開いたのかよ? そりゃ勝てんわ」

 

インターハイから二週間ほどが経ち、ようやく平和な日常が戻ってきたのだが、勝てない。

益々強くなってしまった同級生三人に、京太郎は今日もボコボコにされていた。

 

「そこで諦めてどうする! 大会も終わったし、今度はお前を鍛える番だじぇ!」

「そうですね。国麻を目指すのは無理でしょうが、秋の新人戦には間に合うようがんばりましょう」

「いっぱい練習して、来年は京ちゃんも自力で全国へいこうよ。私も一生懸命教えるから」

 

優希、和、咲達のその言葉に、京太郎はありがたいと思うよりも尻込みしてしまう。

 

「お、おう。け、けどお手柔らかにな。くれぐれも、くれぐれもお手柔らかに頼むぞ?」

 

毎日毎日トばされまくってんのはそのせいかと、三人の気遣いが痛い。

 

「まかせとけ、毎日死なない程度に加減してやるじょ!」

「インターハイで裏方に回ってくれた須賀君は、圧倒的に対局経験が足りませんからね」

「牌効率とか何切るとかの勉強は一人でもできるから、皆がいる時はとにかく打たないと」

「ア、アハ、アハハハハハ……。よ、よろしくお願いしマス……」

 

同じ部員仲間の為に皆で協力する。

『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE』を地で行く清澄麻雀部はとても仲良しだ。

 

「おー、みんなやっとるのう」

 

とそこで入り口から顔を出す女子生徒。

 

「あ、染谷先輩が来たじぇ」

「染谷部長でしょう、ゆーき?」

「ああ構わんよ、和。わしもまだ実感ないき、好きに呼べばええ」

 

新部長の染谷まこが入ってきたのだが、妙に疲れていた。

 

「なんかお疲れですね、染谷先輩?」

 

そんな咲の言葉に、空いていた椅子に腰かけながら答える。

 

「久はやり手じゃったからな、あれの仕事を引き継ぐっちゅうのは結構しんどい」

 

肩に手を置き首を回すしぐさが酷く年寄り臭かった。

 

「染谷せんぱ~い。なんか飲みますか~?」

「おう、すまんな京太郎。お茶をたのむ」

 

そんなお疲れの先輩を労わるべく、既に京太郎は給仕係へと変身している。

野球部の一年が玉拾いから始めるように、新入部員の在り方は前部長竹井久からきちんと叩きこまれていた。京太郎限定で。

 

「あー!? すみません染谷先輩!」

 

しかし、そんなポットで湯を沸かし始めていた京太郎はいきなり声を上げる。

 

「どした? なんぞあったか?」

「お茶っぱ切れてます!」

 

なんだそんな事か、と拍子抜けしたまこは手を振った。

 

「別に紅茶でもえ――」

「紅茶もさっき切れました! コーヒーは夏休み前に部長が持って帰ってから補充してません!」

「み、水でええから……」

 

そしてそのままガックリと肩を落とす。

なぜか疲労が倍加した。

 

「バカ犬は気が利かねえじぇ。お疲れの先輩を労わる事もできんのか?」

「俺のせいか!? お前もできてねえだろ、チビタコス!」

「なにおー!」

「ああもう、暑苦しいからケンカするな。明日までにわしが補充しとくけぇ」

 

うんざりしながら溜息を吐く姿に京太郎は、この半年で培われた雑用魂に火をつけた。

ここが歴史の分岐点。

 

「いやいや、染谷先輩にそんな事させられないっすよ! 俺が帰りに買ってきますから!」

 

お疲れの先輩を労わる何気ない一言。

 

「ほうか? なら頼んでもいいかの?」

 

これが京太郎の未来を激しく変える事となる。

 

「この須賀京太郎におまかせあれ!」

 

京太郎の旅は、まさにこの一言から始まった。

 

「第一、雀卓とデスクトップ担がされる事に比べれば手間でも何でもないんで……」

「久ェ……」

「部長……」

「前部長ですよ、ゆーき……」

「京ちゃんは力持ちさんだから……」

 

久は少し反省すべきだろう。

 

 

 

    ※

 

 

 

買いだしの為にみんなより早く部室を出た京太郎。

 

「日が落ちるの、だんだん早くなってきたなー」

 

バスで商店街へ向かい、買いだしを済ませると、買い物袋と学生鞄を手にそのまま家へと帰るつもりだった。

九月中旬の夕方6時前。

薄暗くなり始めてはいるが、まだ視界の利かぬ闇夜という時間帯ではない。

 

「一瞬で何もなくなる……。自然豊かと言えば聞こえはいいけど、ただ田舎なだけなんだよなぁ……」

 

バス停までしばらく歩いただけで文明の臭いが薄れた事に、地元が田舎である事を実感してしまう。

 

「中心部との落差が激しすぎるのはいかがなもんか……ん?」

 

長野の行政についてあれこれ考えていると、前方に人影が目に入った。

あちらも買い物袋を提げているので、京太郎と同じく商店街からの帰りなのだろう。

 

「……あっ、おい!?」

 

京太郎は声を上げた。

なぜなら、前方の人影がふらりとよろめいたと思ったら、そのまま蹲ってしまったからだ。

京太郎は慌てて駆け寄る。

 

「大丈夫ですか!?」

 

基本的にお人よしな京太郎は、鞄と買い物袋を放り出して件の人物の背をなぜる。

蹲ったというより、片膝をついて眉間を押さえる人物は、どうやらかなりご年配なようだ。

 

「一端横になりましょう! それとも救急車呼びましょうか!?」

「……いや、大丈夫だ」

 

バタバタと慌てる京太郎だったが、どうやらそこまで心配はいらないようである。

老人は軽く頭を振ると、意外としっかりした動作で立ち上がった。

 

「すまんな、坊主。一瞬立ちくらみがしただけだ」

「そ、そうっすか……。それならいいんすけど……」

 

京太郎の目の前に立つ老人。

さすがに182センチの京太郎よりは低いが、そこそこの長身であり、肉付きもいい。

真っ直ぐ背筋を伸ばすと、目算で175センチ程はありそうだった。

 

「家も近いから心配はいらん。そろそろ日が落ちる、坊主も早く帰りな」

 

そう言いつつ、老人は地面に落ちた自身の買い物袋へと手を伸ばす。

その瞬間。

 

「おっと……」

「!?」

 

体がふらつき、足がもつれた。

 

「とっとっと……」

「危ね!」

 

京太郎は素早く老人を支える。

どうやら急に動くのはNGらしい。

 

「ちょっ、まだ動いちゃ駄目っすよ!」

「大丈夫なつもりなんだが……どうやらつもりなだけらしい。歳は取りたくないな」

 

京太郎は老人を支えながらキョロキョロと辺りを見渡す。

そして50メートルほど先に小さな酒屋を見つけた。

ラッキーな事に、並んだ自販機の横にベンチが備えてあるではないか。

 

「よし。お爺さん、俺におぶさってください」

「あ?」

 

京太郎は足元の己の荷物を持つと、屈んで老人の前に背中を見せた。

 

「馬鹿を言うな。見ず知らずの坊主にそんな真似させられん」

 

老人は苦い顔で拒否。

 

「すぐそこっすよ。あそこのベンチまでですから」

 

それを京太郎はさらに拒否する。

 

「年寄り扱いはやめろ。てめえの事くらいてめえででき――おい何をする!」

「年寄りじゃなくて病人扱いなんで」

 

京太郎は強引に背負うと、そのまま歩き出した。

嫌がる老人に無理矢理強制するなど、一歩間違えれば老人虐待なのだが、15歳の京太郎もまたギリギリで少年法に守られているのだ。

 

「チッ……、随分とおせっかいな坊主だ」

「病人のお年寄り見捨てたなんて、逆に親に殴られますよ」

「年寄り扱いはやめろと言った筈だ」

「ういっす」

 

会話は少なかったが、目的地のベンチはすぐそこ。

あっという間に辿り着いた京太郎は老人をベンチへ降ろし、自身も隣に座る。

 

「この酒屋もう閉店してるよ……、水でももらおうと思ったのに……」

「ああ、ここは五時回ったら閉めやがる。営業努力という言葉を知らん店だ。だがまあ、酒の自販機があるから重宝はしているがな」

 

お爺さんに水を飲まそうと思っていた京太郎は当てが外れたのだが、自販機で買ったものを素直に受け取る爺様でもあるまい。

ベンチの背に大きくもたれ一息つくお爺さんを見て、この後どうするか悩んでいると、当の本人から帰宅を促された。

 

「礼は言っておく。手間をかけさせたな、坊主。だが、もういいから帰れ。子どもは夜に出歩くな」

 

と言われても、しばらく様子を見ないと心配だ。

このまますぐ帰って、万が一明日の新聞で死んだなんて事を知った日には後味が悪すぎるではないか。

 

「俺も疲れたんで、ここで2、30分休んでから帰りますよ」

「……………………」

 

とてもいい気遣いだった。

しかし、その気遣いは老人の溜息を呼んだ。

 

「坊主はお人よしだな。将来女に騙されて地獄行きせんよう気をつけろ」

「ひどい!?」

 

京太郎の強引さに観念したのか、お爺さんも会話を振る。

そして五分ほど会話すると、共通の話題が出てきた。

 

「いやーこれが前部長の人使いの荒い事荒い事。美人でスタイルもよくて話しやすくて、なんかエロく見える先輩なんですけどね?」

「既に騙されていたか」

「別に麻雀勝てなくても元は取ってるかなーと」

「麻雀?」

「ええ、俺麻雀部に入ってんすよ」

「それは奇遇だな」

「えええ!? お爺さんも麻雀部なんすか!?」

「馬鹿か坊主。俺は麻雀で飯を食ってる」

「ええええええ!?」

 

京太郎は驚いた。

心の底から驚いた。

 

「……だ、代打ちとかっすか? ヤクザの方だったんすか!?」

 

妙に雰囲気のある老人に、京太郎は腰が引けてしまった。

 

「正真正銘の馬鹿だな、坊主は。れっきとした表のプロだ、シニアリーグのな」

「マジで!? お爺さんプロ雀士なの!?」

「ああ。代打ち稼業は40年くらい前に足を洗った」

「やっぱやってたんじゃん!」

 

ククク、と口の端を歪めて笑う老人に、高校一年生の京太郎はビビリまくりである。

 

「……あれ? でもなんでこんな田舎にいるんすか? 確かもうプロリーグ始まってますよね?」

 

オフシーズンはインターハイ終了までの筈。

京太郎は疑問に思い、口にする。

 

「……ウチのフロントが故障登録しやがったっ」

「お、おおう……ッ」

 

が、出てきたのは老人の怒気である。

 

「開幕先鋒として先発が決まっていた。だが、開幕直前で肩に違和感を感じてな」

「そ、そうなんすか……」

「チームマネージャーが医師の検査結果と麻雀協会の規定を真に受けた」

「そ、それは残念というか、なんというか……」

「肩の筋を痛めた程度で三週間も欠場させやがって、馬鹿ヤロウが……ッ」

「ば、馬鹿っすよね、アハハ……」

 

選手の健康にとても敏感なシニアリーグならではの沙汰なのだが、それに相当不満があるらしい。

一流の勝負師から放たれる百戦錬磨の気が周囲を威圧。

京太郎は委縮しながら愛想笑いを浮かべる事しかできない。

 

「ホームで療養しようにも取材やら何やらが煩わしいんでな。知り合いのプロが遠征に行ってる間、そいつの家を間借りしてる」

 

という事らしい。

空気と水と酒がうまいから文句はないと、老人は徐々に怒気を収めた。

 

「それで? 坊主はどこの麻雀部だ? 俺はホームが九州なんでな、ここらの地理には疎い」

「あ、清澄っす」

 

この爺さん恐えー、と思いながらスルリと答える。

別に隠す様な事でもない。

 

「清澄? インターハイ優勝校のか?」

「はい、そこですよ」

 

目を瞬(またた)かせながら老人が京太郎へ顔を向ける。

そして、ほう、と面白そうに笑った。

 

「あの清澄の部員か。なら坊主もそこそこ打てるというわけか」

「いやいやいやいや。俺全然弱いっすから。というか高校入るまで麻雀知りませんでしたから」

 

多大な勘違いをされ、京太郎は手をブンブン振る。

 

「そうなのか?」

 

虚をつかれたかのような顔で眉をひそませてくるが、インターハイで一回戦すら突破できない実力なので見栄を張ってもしょうがない。

 

「ようやくルールと点数覚えた程度っす。インハイの個人戦でもすぐ負けたんで、ずっと女子の雑用してました」

「そうか。まだ初心者か」

「そうっす」

 

京太郎の答えに、老人はフムと顎に手をやり聞く。

 

「清澄のあの面子に初心者ではきついだろう、辛くはないのか?」

「別に辛くはないですよ? 俺入れて六人……いや今は五人ですけど、みんなよくしてくれますし」

「そうか。麻雀は打てるものと打てないものの差が如実にでる。正しく学ばんと初心者は辛いだけだからな」

 

杞憂だったかと、老人は内心安堵した。

 

「俺を強くするってんで、最近みんながよく打ってくれるんですよ」

「……なに?」

 

ただし、その安堵は早計だったが。

 

「いい奴らなんですけど、容赦なくトばしてくるんですよねー」

「……………………」

「インハイ後からあいつらさらに強くなったみたいで、ここんとこ南場へ入る前にトばされるんすよ? もっと手加減しろっつーの」

「……………………ハァ」

 

老人は大きく溜息を吐いた。

 

「ど、どうかしました?」

 

やれやれとでも言うように、顔に手のひらを当てる姿は、京太郎の疑問を呼んだ。

 

「坊主。今のお前がそいつらと打ったところで無駄だ」

「は?」

「全国を制覇したという事は、そいつらは全国トップクラスの打ち手達だ。それは分かるな?」

「も、もちろん。そりゃそうでしょうね」

「段階というものがある。今の坊主がその面子と打っても、1ミリたりとも強くはなれんぞ?」

「…………ぇ?」

 

疑問が解け始めると、今度は驚愕が広がっていく。

 

「酷な事だが、坊主には借りがあるからハッキリ言ってやろう」

「え? え? え?」

「まさしく、時間の無駄だったな」

「えええええええええええ!?」

 

京太郎は悲鳴を上げた。

 

「あ、あいつらと打つのって意味無いんですか!?」

「意味はある。百万回打っても強くはなれんという意味がな」

「それは無意味って事でしょおおお!」

「いや、叩きのめされすぎて、ある日突然坊主が悟りを開くという可能性もないわけではない」

「悟ってどうすんの!? 麻雀が強くなるだけでいいんですけど!?」

 

混乱の激しい京太郎はツッコむ事しかできない。

 

「ならしばらく対局するのはやめろ。ある程度地力をつけるまでは本でも読んでいた方がいい」

 

しかし、その言葉で混乱は収まった。

 

「あ、そうか。強くなってからなら一緒に打っていいんですね。どれくらいっすか?」

「坊主の実力が分からんからなんとも言えんが、死に物狂いで一年といったところか」

「一年!?」

「そいつらが何をやっているのか欠片も理解できんのだろう?」

 

もちろん収まったのは一瞬だけである。

 

「初心者と全国優勝者達では力の差が大きすぎる。それでも足らんくらいだ」

「い、一年……」

 

長すぎる期間に、京太郎の心は沈んでいった。

これが誰か他の人物から言われたのなら反抗もしたのだろうが、相手はプロ雀士だ。

しかも自分の何倍も生きてきた先達。

おそらくは正しい事を助言してくれているに違いない。

だが。

 

「……ありがとうございます。けど、さすがに一年間もあいつらと打たないってのは無理です」

 

ちょっと呑めない。

咲を麻雀部に誘ったのは自分だし、みんなが善意で対局を増やしてくれている。

それが間違った善意だとしても、一年も一緒に打たないのでは彼女達も悲しむだろう。

 

「プロの方にアドバイスしてもらって何なんですけど、俺はあいつらと打ちたいっす」

 

第一、麻雀は対局しなければ面白くない。

たとえ負けっぱなしだとしても、やっぱり対局するのは楽しいのだ。

 

「強くなって俺も全国行こうとかちょっと考えてましたけど、対局できないくらいなら全国行けなくてもいいです」

 

勉強だけしかできないのであれば、きっと麻雀を嫌いになってしまう。

 

「だから申し訳ないんすけど、俺これからもあいつらと打ちます」

「慌てるなよ、坊主。借りがあると言っただろう?」

 

だが、捨てる神あれば拾う神あり。

 

「はい?」

 

京太郎が色々なものを諦めた時、老人が口を開いた。

 

「対局できないその一年、大幅に短縮する方法がある。それこそ十分の一以下にな」

「マジっすか!?」

 

詐欺師の上手い話に飛びつく愚か者の如く、京太郎は目をむいて食いついた。

 

「一年というのは独学での期間だ。ここに、あと十日ほど暇を持て余したプロがいるぞ?」

「おぉぉぉ……ッ!」

 

どんよりと分厚い雲の隙間から光が差していく。

 

「さて、初心者の小僧に教えるなんぞ手慰みにもならんうえ、面倒な事この上ないが、どうしたもんか……」

「師匠! 肩凝ってないっすか! 俺肩もみには自信あるんすよ!」

 

目を瞑り、顎に手をかけて悩む老人を逃がしてはならない。

まさしく光明なのだから。

 

「いらん。72年生きてきて肩なんざ凝った事がない。それに弟子もとったことはない。だから師匠と呼ぶな」

「人生で初めての事なんていくらでもありますって! ここに一人、将来有望な若者がおりますが!」

「有望か……」

 

揉み手をしながらニコニコと愛想笑いする京太郎を、老人はシゲシゲと眺めた。

そして自身が商店街で買ってきた買い物袋に目を落とす。

中身はスルメだ。

 

「坊主、曲がりなりにも俺はプロだ。分かっているか?」

「もちろんですよ! 師匠は麻雀のプロ!」

 

京太郎はこの人生の大チャンスを生かそうと必死である。

インターハイ前に、咲と和がプロと対局してケチョンケチョンにされたのは聞いた。

 

「麻雀がメチャクチャ強いプロ雀士って奴なんですよね!」

 

ならば、そんな人種に教わる事ができたのなら己も強くなれるに違いない。

もしかしたら咲や和をケチョンケチョンにできるくらいに。

 

『御無礼。12000。これで終了ですね』

『う~ん……やられたじぇ~……』

『京ちゃん強すぎるよぉ……』

『さすが京太郎。個人戦全国一位は伊達ではないのう』

『素敵! 抱いてください京太郎君!』

『素敵! 私も抱きなさい京太郎!』

 

だから、(心の中ではうへへと欲望塗れだったのはおいといて)京太郎は必死に拝み倒すのだ。

 

「その通りだ。俺は麻雀で金を稼いでいる。だからこそプロ」

「へ? ……そ、そうですね。プロなんだからそれが仕事っす……」

 

なにやら雲行きが怪しくなってきたが、それでも愛想笑いは崩さない。

 

「お前今いくら持ってる?」

「金取んのかよ!」

 

しかし現実は厳しい。

京太郎は嘆くしかなかった。

 

「プロがコネもなしに無償で教えるわけにもいかん。そんな真似をすれば他の人間にも迷惑がかかる」

「そ、そうなんすか?」

「ああ、世の中とはそういうものだ」

 

一人のプロが無償で教えだしたら、他のプロ達も無償にしろと騒ぐ馬鹿がでてくるだろう。

善意が悪意を呼ぶなど珍しい事ではないのだ。

これは祖父が孫を構う事とは次元が違う、世の中の仕組み。

 

「しかし坊主には借りがある。そこを見てみろ」

「?」

 

老人が指差したのは自販機だった。

田舎故に年齢確認の為のsake‐passカードを認識する機能などない、お酒の自動販売機。

 

「ワンカップを二本買え」

「は?」

「買い物帰りならそれくらいは持っているだろう?」

「あ、ありますけど……」

 

一本230円、合わせて460円。

 

「それで一日半荘一回分だけ手ほどきしてやる。明日以降も習いたいならその都度二本。それが坊主への指導料だ」

「い、一日460円っすか。十日で4600円、小遣い足りっかな……」

「これ以上はまからんぞ。普通のプロでもこの50倍はいく。トッププロなら100倍以上だ」

「100倍っすか!?」

 

どうやら京太郎は恐ろしく幸運な出合いを果たしたようだ。

 

「貸し借りなんぞできるだけ早く清算するに限るからな。で? どうする?」

 

このチャンスを逃す手はあるまい。

 

「もちろんお願いします!」

「そうか、ならとっとと買ってついてこい。家はもう少し先だ」

「はい師匠!」

 

完全に日の落ちた道で、酒を買った京太郎は急いで老人を追いかける。

そして、追いついた直後に尋ねた。

 

「そういえば、師匠の名前なんて言うんですか? 俺は須賀京太郎です」

「ああ、まだ名乗っていなかったな、大沼だ。大沼秋一郎」

 

かつて5年連続で守備率1位達成という経歴を持ち、現在は延岡スパングールズに所属する往年のスタープレイヤー。

 

「名前でも苗字でも好きに呼べ」

 

『The Gunpowder(火薬)』の異名を持つトッププロの一人と、京太郎は出会った。

この出会いが何を意味しているのか?

 

「えーと、大沼さん……秋一郎さん……いえ、やっぱ師匠で。なんか言い難いですし」

「……坊主。お前はいい奴かもしれんが、正直なら何を言っても許されるわけではない事を知れ」

「す、すんません。何かまずい言い方しちゃいましたかね? 幼馴染みにもデリカシーがないって言われるんすけど、よく分かんなくて」

「……まあいい」

「あ、そーだ。師匠ってプロの中じゃどれくらい強いんですか?」

「……………………」

「俺麻雀に興味持ったの半年前なんで、テレビで見るの女子プロばっかなんすよ。だから男子プロの試合とか見た事ないんです」

「……初心者である事と女子プロにどんな因果がある」

「瑞原プロとか戒能プロとかが好きなんすよ、おもち的に」

「餅だと……?」

「美人で大きなおもち持ちのお姉さま雀士。くぅ~、一回でいいから一緒に打ってもらいたいなあ」

「ああ、そういう意味か。若いな」

「師匠。もし師匠が対戦する時があったら教えてください。俺必ず応援に行きますから」

「どっちの応援をするつもりだ……」

「もちろん師匠っすよ! けど、おもちに目を奪われるのは許してください。これは俺が背負う業みたいなもんですから」

「坊主が馬鹿なのは分かった。だからもう妄想を垂れ流すのはやめろ。耳が腐る」

「……師匠、クールっすね」

「坊主に比べればな」

 

今のところ、この出会いはただの豚に真珠でしかない。

これが京太郎にとって珠玉の出会いへと変わるのは、五日後の土曜日の事である。

 



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「初心者」

「京ちゃん? なんで麻雀牌なんて持ってるの?」

 

火曜の昼。

京太郎は咲、和、優希と一緒に昼食をとっている。

 

「ほんとだじぇ。もしかしてそれが昼飯か?」

「食うわけねえだろ!」

 

本日の弁当はサンドイッチ。

京太郎は左手でツナサンドを食べ、右手に9索を一枚持っていた。

 

「お行儀が悪いですよ、須賀君」

 

そんな京太郎に女子達から疑問が飛ぶ。

和に至っては注意される始末だ。

 

「あーいや、俺にもよく分かんねえんだけど、いつも牌触ってろって師匠の命令でさ……」

「「「師匠?」」」

 

歯切れの悪い口調に、さらに疑問が返ってくる。

しかし、京太郎にもこれになんの意味があるのか分からない。

昨夜の事を思い出しながら、京太郎はサンドイッチを頬張った。

 

『坊主。毎日ちゃんと牌に触れてるのか?』

 

昨日普通の一軒家へ案内された後、手積みの卓で師との初めての対局が終わり、そう言われたのを反芻する。

 

『は? いや、部活で触ってますし、ここでもこうして触ってますけど?』

『そうじゃない。飯を食ってる時も、勉強してる時でも、常に牌には触れていろ』

『なんすかそれ!? なんか意味あるんですか!?』

『初心者には特に効果がある』

『……えーと、おまじない的な意味ですかね?』

『分かっていないようだな、坊主。牌の扱いに慣れていない奴が、どうやって牌に応えてもらうつもりなんだ?』

『え? は?』

『触れていなくても牌の形や重さをイメージできるようになれ。実際に持っているかのようになるまでな』

『は、はあ……』

『いいから牌が完全に馴染むまでやれ。これは命令だ』

『わ、分かりました』

 

だが、やはりよく分からない。

結構高齢だし、もしやボケちゃってんだろうか? と失礼な事を考えてしまう。

 

「師匠ってなに? 麻雀の?」

「まあな。昨日買いだしの時に運命的な出会いをしてさ、拝み倒して弟子にしてもらったんだ」

 

どんなに頭をひねっても分からない京太郎は、モシャモシャと咀嚼しながら咲の疑問に答えた。

 

「……おい犬。まさかキレーなお姉さんに無理矢理強要したんじゃないだろうな?」

「サイテーですね、須賀君」

「違ぇーよ! 見た目がちょっと恐いお爺さんだよ! 俺の事どんな目で見てんだ!」

 

日々の信用がいかに大事なのかがよく分かる会話だ。

 

「それで、そのお爺さんが牌握ってろって言ったの?」

「そうなんだよ。何の意味あるんだこれ?」

「お前の師匠の考えをなんでこっちに聞くんだじぇ……」

「お年寄りらしいので、少しボケてしまっているのでは?」

 

何気にひどい和。

考える事が京太郎と一緒だと知ったらどうなるのだろうか。

 

「だよなぁ……」

 

う~んと、京太郎だけでなく女子三人も首を捻る。

 

「あっ、もしかして和ちゃんのエトペンみたいなものかな?」

「「「エトペン?」」」

 

そこで咲が閃いた。

 

「こう、和ちゃんの『のどっちモード』みたいな効果があるとか……」

「おおっなるほど! 俺が『京ちゃんモード』を発動してパワーアップするわけか!」

 

京太郎はポンと右拳を左手に乗せて頷く。

 

「あるわけねえじょ」

「そんなオカルトありえません」

「そうだよね。自分で言ってて無理がありすぎると思ったよ」

「少しは夢を見させろよ!」

 

しかし、さすがにそんな都合のいい話などこの世にはない。

 

「まあいいさ。なんか意味あんだろ。なくても別に損になるわけじゃねえし」

「お前の中ではそうなんだろうな、お前の中では」

「牌は雑菌だらけだから食事中はやめた方がいいよ」

「お行儀が悪いのは損ですよ、須賀君」

「お前ら本当に俺の友達なのか!?」

 

こんなやり取りをしながら昼食タイムは過ぎていった。

そして放課後。

部活の時間だ。

 

「今日もいっぱい打とうね、京ちゃん」

「よし、かかってこい京太郎!」

「染谷部長、お先にどうぞ。ここのところあまり打っていませんでしたし」

「ほうじゃの。ならお言葉に甘えるとするか」

 

今日はまこも最初から参加の、清澄フルメンバーが揃っていた。

 

「すまんみんな。染谷先輩もすみません。俺しばらくみんなと打てないんだよ」

「「「「は?」」」」

 

しかし、京太郎は両手を合わせて謝る。

己の師から、『自分が長野にいる間は誰とも対局するな』と言われている。

強くなる為に必要な事だと言われれば従うしかない。

 

「どういう事じゃ?」

「そうだじぇ! お前が一番打たなきゃ駄目だろーが!」

「どこか怪我でもされたんですか?」

 

突然の事に、まこ、優希、和が聞く。

 

「もしかして、師匠って人の指示?」

 

昼間の事を覚えていた咲は正解に辿り着いていた。

このへんはさすが幼馴染みと言ったところだろうか。

 

「そうなんだよ。師匠が今対局しても無駄だって言ってさあ」

「師匠?」

「ああ、あれかぁ……」

「お昼にそんな事を言ってましたね」

 

一緒に昼を取っていないまこはともかく、優希と和も理由に思い至る。

 

「なんじゃ師匠って?」

 

みんなについていけないまこは素直に口にした。

 

「実は昨日師匠ができまして」

 

と、京太郎は昼と同じ説明。

まこは京太郎の説明を聞き、なるほどのうと頷くが、難しい表情で京太郎へ視線を飛ばす。

 

「その師匠とやらが言わんとする事は分かる。じゃが、麻雀なんぞ打ってなんぼじゃろ? 強くなるまで打つなっちゅうんはのう……」

「染谷先輩の言う通りだじぇ。麻雀は負けて強くなる。打って打って打ちまくるしかねえじょ」

「私もそう思いますね。もちろんセオリーを覚える事は重要ですが、明確な定跡というものがありません。経験こそが力になります」

 

まこの苦い顔に、優希と和も追随してきた。

京太郎はしどろもどろになりながらも、

 

「あーうん……、でも、俺ってまだその段階にもいってないらしいんだけど……」

 

そう返す。

なにせプロの指導だ。

どちらを信用するかと問われれば、どうしても師の言葉を信じてしまう。

これは仲間達との信頼とは別次元の話である。

 

「ねえ、京ちゃん。その師匠って麻雀強い人なの?」

 

そんな中、咲が表情を消して聞いてきた。

幼馴染みの京太郎には分かる。

これは咲が怒っている時の顔だ。

 

「そりゃ強いよ。メチャクチャ強い……と思う」

 

慌てて肯定するも、そういや師匠がどれくらい強いのかは知らねえな……、と語尾が弱くなってしまった。

 

「と思う?」

「いやいや強い! そりゃあもう超強い! アホみたいに強いよ!」

 

ピクリと眉の跳ね上がった咲の表情に、京太郎は手を振り回して言い直すしかない。

まあシニアリーグとはいえ相手はプロだ。ここにいる誰よりも強いだろう。きっと。多分。

そんな事を思いながら肯定するのだが、師の大沼が聞いたらぶん殴られるに違いない。

麻雀部に所属していながら往年のスタープレイヤーを知らない京太郎は、確実にアホだった。

 

「ふーん、どんな人? そんなに強いなら私も指導してもらおうかな?」

「え?」

 

そして咲の言葉に困った。

プロだと言ってもいいのだろうか?

昨夜、無償でプロが教えるのはまずい事だと言っていた。

京太郎は一回の指導料として460円分のお酒を渡しているが、そんなもの建前で実質無償と変わるまい。

そこまで大げさになるとも思えないが、少しでも師に迷惑がかかるような事態は避けたほうがいいだろう。

 

「な、内緒だ!」

 

だから勢いで隠す事に決めた。

 

「なんで?」

「お、俺だけの師匠だからだ!」

「別に紹介するくらい構わないでしょ?」

「ひ、秘密特訓で強くなるつもりだからな! みんなより強くなる為に俺以外を会わせるわけにはいかない!」

「へえ?」

「な、なんだよ? 本当だぞ?」

 

咲の目が据わってきた事に焦る。

 

「……京ちゃん」

「な、なんすか?」

 

何をそんなに怒っているのか。

普段はボケボケしてるのに、年に数回こうなる事がある。

 

「お昼に優希ちゃんが言ってた事が当たってるわけじゃないんだよね?」

「昼?」

 

そう言われ、京太郎は昼の記憶を巡らせた。

 

”まさかキレーなお姉さんに無理矢理強要したんじゃないだろうな?”

 

そして思い至る。

こいつまさか、俺が本当に犯罪を犯していると思ってんのか? と、イラッときた。

 

「ああ、そう言う事か」

「……?」

 

だからニヤリと笑ってからかってみる。

 

「なんだ、お前やきもち焼いてるのか。素直にそう言えよ」

「そんなわけないじゃん!」

「そんなオカルトありえません」

 

咲が顔を真っ赤にして怒りを爆発させるが、こっちの方が精神的に楽だった。

どこからか第三者の声も聞こえてきたが、それは無視していいだろう。

 

「言っとくけど、ほんとにお爺さんだぞ? なんか療養の為にこっちにきたんだと」

「療養?」

「おう。そんな大したもんでもないらしいんで、来週には九州へ帰るらしい」

「九州の人なんだ」

「十日後……つーか水曜に帰るらしいから九日間は対局すんなってよ。だからもうあと八日だな」

「八日? ずっとじゃなくて? 強くならないと打てないなら一生打てないわけじゃないの?」

「当たり前だろ! ずっと打てないなんて俺が嫌だよ!? というか強くなるから! お前なに失礼な事言ってんの!?」

「なーんだ。それを先に言ってよ。それなら京ちゃんの好きにすればいいと思うよ」

 

どうやら京太郎と麻雀が打てなくなると思いこんで怒ったらしい。

麻雀部の仲間として大事に想ってくれてるようだと胸が暖かくなる。

 

「なーんだ、じゃねえよ!」

 

だがそれはそれ、これはこれだ。

京太郎は素早く咲の後ろに回り込むと、右手で頭を掴み、左手の指で頬をグリグリする。

 

「さらっと毒を吐くな! しかもいつも俺限定で! 咲のくせに!」

「あううう、やめてよ京ちゃん……」

 

涙目で嫌がるが容赦はしない。

最近調子に乗ってるようなので、ここらで本来の力関係を思い出させなければならないだろう。

そんなじゃれつく二人を見る外野は。

 

「咲でも怒る事はあるんじゃのう」

「まあ八日間なら好きにさせるじぇ。縛り付けても犬は逃げ出すからな」

「ああ、あれうらやましいです。でも私のキャラではないのでできる気がしません」

 

こちらも好き勝手な事を言っていた。

清澄は今日も平和である。

 

 

 

    ※

 

 

 

部活で本やパソコンを使い牌効率や捨て牌読みの勉強をし、お茶くみしたり雑用したりお茶くみしたりお茶くみした後、師の元へ向かう。

昨夜師との対局で二時間近くかかった為に、昨日と同じくみんなより早めにあがらせてもらった。

契約通り自販機でお酒を二本買った京太郎は、17:30には師と卓を囲んでいた。

 

「師匠?」

「なんだ?」

 

ジャラジャラと牌をかき混ぜつつ、京太郎は愚痴を零す。

 

「昨日も思いましたけど、なんで手積みなんですか? 時間がかかる上に超面倒くさいんすけど?」

 

そう、京太郎への指導は、ちゃぶ台の上に麻雀マットを敷き、自身の手で山を積むところから始まるのだ。

 

「しかも全部俺が積むとかどんな拷問っすか……。師匠も少しは手伝ってくださいよ」

 

さらに四人分。

京太郎は手積みなどほとんどしたことがなかった。これでは時間が相当かかって当然である。

 

「つべこべ言うな。これも牌に慣れる為には必要な事だと理解しろ」

 

師は弟子が買ってきた酒を呑みながらスルメをかじる。

どうやら京太郎が山を積んでる間はお酒タイムらしい。

 

「最終目標は40秒以内だ、さっさと積め」

「一山40秒っすか。それは相当きついっすね」

 

今の京太郎では、一山17とん34枚を積むのに一分はかかる。

自動卓とネット麻雀に慣れた現代っ子にはきつい注文だろう。

だが。

 

「面白い冗談だな。馬鹿な事を言ってないで四山全て40秒で積め」

「んな無茶な!? そんなのできるわけないでしょう!」

 

72歳の師の教えは現代っ子の甘えなど簡単に叩き壊すのだ。

 

「いいか、見ていろ」

 

京太郎の悲鳴を聞いた師は、まだ洗牌中の卓上へと両手をかざす。

そしてジャラリと牌をかき混ぜた瞬間、一気に手元へ集め出した。

 

「うおおっ!?」

 

京太郎が驚く。

なぜなら2、3枚、あるいは4、5枚の牌が手の中で並びながら集まるからだ。

 

「なにそれ手品!?」

 

あっという間に二列34枚の牌を集めると、全くの無音で重ね上げる。

そして少し斜めにしながら山を前へと押し出した。

この間五秒とかかってはいまい。

 

「牌が馴染むとはこういう事だ。たとえ目を瞑っていても同じ事ができる」

 

傍らに置いてあったお盆からカップ酒を掴み、そのままチビリと一口。

どう考えても裏の世界が似合う男だった。

 

「ス、スゲー……、なんでそんな事できるんすか? コツとかあります?」

「そんなものはない。坊主はとにかく牌に触れろ、それが最初の一歩だ。さあ、とっとと積め」

「う、うす!」

 

京太郎は全速力で残り山を積もうとするも、一枚一枚裏返しながらなのでやはり時間がかかる。

三山積むのに三分近くかかっていた。

 

「うおぉぉ……肩が重いぃ……」

「安心しろ。三日もあれば慣れる」

 

牌を積むなど所詮はキャッチボールにすぎない。

クク、と笑う師は、指導を開始した。

 

「昨日の対局で坊主の力は分かった。本当にまるっきりの初心者だな」

 

昨夜も同じように四人分の山を積ませた後、一人十八順の二人麻雀を行った。

ただし、京太郎の手牌は開いた状態でだ。

それを半荘分もやれば、プロには京太郎の地力や思考、そして嗜好なども丸裸にできる。

 

「いやまあ、その通りっすけどね……」

 

丸裸にされた方は苦い顔だ。

 

「まあ、残り八日もあれば中級者にはなれるだろう」

「そうなんすか!?」

「変な癖もないのは幸いだった。清澄でもそこそこ打てるようになる筈だ」

「マジで!? さすが師匠! 一生ついていきまっす!」

「ついてくるな」

 

プロの、というより大沼秋一郎の力は凄いらしい。

たった九日間で咲達に追いつかせてくれるとは、その指導力は尋常ではないだろう。

 

「基本的にこれからは四人打ちをする」

 

チビリと酒を呑んだ師は、スルメを咥えながら言った。

 

「四人? ここには俺と師匠しかいませんけど?」

「ああ、お前が三人分打て」

「は?」

「俺は一人分の手牌。坊主は三人分の手牌を見ながら打つ」

「そんなの俺が超有利なんですけど……」

 

その通り。三倍もの情報量があれば、さすがにプロでも勝つのは厳しい。

 

「ただし、絶対に俺へ振り込むな。振り込んだ時点でその局はやり直しだ」

「やり直しっすか!?」

 

しかしその条件だといかに上手くオリられるかが重要になる。

 

「まあ、今の坊主じゃ百年打っても終わらんからな。制限時間は設けてやる。牌を積む時間も合わせて二時間だ」

「二時間……」

「できれば、坊主は一度も振り込む事なく終局を目指せ。こいつは防御中心の読みの練習、まずは読みと押し引きの感覚を覚えろ」

「分かりました! お願いします!」

 

元気よく気合を入れた京太郎。

サイコロを振り、起家が師で始まった。東一局の親は当然己の師匠だ。

京太郎は師の対面に座りながら、自身の上家と下家の配牌もとっていく。

 

「い、意外と大変っすね、これ……」

「無理な体勢だからな、腰と肩と腕に負担がかかる。だが、それもじき慣れる。弱音を垂れる前に早く理牌しろ」

「うっす」

 

しかし、三人分はかなりの重労働だった。

 

「(えーっと? 俺が四シャンテン、上家が三シャンテン、下家も四シャンテン……であってるか?)」

 

既に親の師は第一打を切り終え、カップ酒を片手にスルメへと手を伸ばしている。

京太郎は上家の分の第一ツモを引くと字牌切り、続く自身と下家もツモっては字牌を切った。

 

「(やっぱ三人分の手牌が見えてると楽だな。最初から役牌とか切りやすいし、死に面子とかも予測しやすいし)」

 

こんなので本当に練習になるのかと思いつつ、二順目。下家が一枚持っている東を河へ捨てる。

 

「(俺と下家が一枚ずつ持ってるし、師匠が持ってる確率は低いよな? なら、師匠が二枚重ねる前にさっさと切り飛ばそう)」

 

しかしそれは甘い考えだった。

 

「ポン」

 

親の師が鳴く。

 

「(やべっ、最初から二枚持ってたのかよ!)」

 

これで師は場風自風のダブ東を手に入れた。

そしてその時、不思議な事も同時に起きた。

 

「「「あれ? ここどこだ?」」」

 

気がつくと、いつのまにか荒野に立っている。

 

「「「うおっ!? なんで俺が二人も増えてんの!?」」」

 

しかも目の前に自分が二人増殖しているというおまけつきだ。

 

「慌てるな、ここは深層意識の世界だ」

「「「師匠!?」」」

 

さらに少し離れた場所に師までいるではないか。

 

「実力者が対局するとこういう事がよくある」

「「「どういう事っすか!?」」」

 

京太郎(達)は混乱するが、師は構わず続けた。

 

「お前達は、俺から見た下家、対面、上家の坊主だ」

「「「はあ?」」」

「ここでは麻雀ではなく普通に戦闘が行われると覚えておけ。まあ、覚えたところで現実の自意識には知覚できんがな」

「「「意味が分からない!?」」」

 

そりゃ分からないだろう。

 

「つまり、ここでの攻防は現実の麻雀と連動しているという事だ。いや、現実の麻雀がここでの攻防と連動しているが正しいか?」

「「「なにそのオカルト!?」」」

 

咲‐Saki‐世界ならではの世界観だ。

 

「おい、いつまでも呆けてないでかかってこい。時間は有限だ」

「「「本気っすか!?」」」

「こないならこちらからいくぞ」

 

と、師が口にした瞬間、既に目の前にいた。

 

「「「ッ!?」」」

 

驚きの声を上げる間もなく、師の右手の甲がスパンと京太郎の鼻っ柱を打ちすえる。

 

「ロン」

「マジでぇっ!? もう張ってたんすか!?」

 

僅か五順。師から見て下家が九萬を捨てた瞬間発声が飛んだ。

 

「ダブ東のみ。親で2900だ。この東一局はやり直し。そら、とっとと山を積み直せ」

「アガるの早過ぎですよ、師匠!」

「運も良かったが、今のは最速を目指したからな」

「さすがにあんな速度じゃ読みもくそもないんですが!?」

 

と、現実で泣きごとを吐いている裏では、

 

「痛でででで!」

「「は、速すぎて全然見えねえ!?」」

「なら今度は少し速度を落としてやる。……おい、いつまで痛がってるつもりだ、さっさと立て」

「は、鼻血っす! 師匠、鼻血でました!」

「知った事か。俺は坊主が無抵抗だろうが殴るぞ。痛い思いをしたくなければ必死で躱せ。いくぞ」

「「「ひぃぃぃぃぃぃ! 助けてぇぇぇぇぇ!」」」

 

同じように泣きごとを吐いていた。

 

「ロン」

「うそぉ!?」

「ロン」

「まだ八順目っすよ!?」

「ロン」

「なんでそれ単騎なんすか!?」

「ロン」

「六面待ちとか初めてみたんですけど!?」

「ロン」

「どうして溢れ牌が分かんの!?」

「ロン」

「ぐはぁっ……」

「ロン」

「うごごごご……」

「ロン」

「麻雀とはなんだったのか……」

「ロン」

「もうやめて……」

「ロン」

「ロン」

「ロン」

 

師が狂ったようにアガリ続け、そして二時間経過。

 

「結局東一で終了か。まあ最初はこんなものだろう」

「……………………」

 

京太郎は卓に突っ伏していた。

 

「大丈夫か、坊主」

「……こ、心が死にそうです。あと、肩と腰と腕が死にました……」

 

ピクリともしないが、どうやら生きているようである。

しかし心と体、両方の疲労で動けないらしい。

 

「ならそのまま聞け」

「ういっす……」

 

師は助けるでもなく、二本目のカップ酒の残りを飲み干す。

 

「スジやカベ、それらを組み合わせた完全安牌の仕組みは理解できたな?」

「なんとなくは……」

「あとは残り枚数を逆算して相手の手牌を想定しろ」

「逆算して想定……」

「麻雀は役がなければアガれん事も忘れるな」

「役……」

「まずは役を絞り込み、それを元に逆算した牌を重ねていけ」

「最初は役……次に逆算……」

「想定しきれん事などいくらでもあるが、全く読めない時は潔くオリろ。たとえ役満を張っていてもだ」

「無理っす……。役満アガった事ないんで、テンパッたら全ツッパっす……」

「クク、まあそれもいい。選択するのは坊主自身だからな」

 

ほとんど睡眠学習の域だが、師は弟子に叩き込んでいった。

 

「そろそろ帰れ。遊びの時間は終わりだ。俺は飯を食ってから他チームの牌譜研究で忙しい」

「ういっす……」

 

のろのろと起き上がった京太郎は、全身をパキパキと鳴らしながら玄関へ向かった。

その動きはもはやゾンビだ。

 

「ありがとうございました、師匠……」

「ああ。夜道は車に気をつけろ。ドブに落ちたりするなよ? 早く帰って飯を食って風呂に入って寝ろ。学校の勉強は後で取り戻せ」

「はい……、また明日きます……」

「そうか。あと七日、どれだけ伸びるかは坊主しだいだ」

「ういっす……」

 

フラフラになりながら出ていった京太郎の姿に、

 

「さて、明日もくるだけの根性があの坊主にあるか?」

 

師が人相悪く笑う。

療養中の暇つぶしには十分だった。

 

 

 

    ※

 

 

 

「ど、どうしたの、京ちゃん? 大丈夫?」

 

次の日の朝、登校した京太郎は机の上で死んでいた。

 

「……両腕が筋肉痛になって肩と腰がパンパン。全然大丈夫じゃない」

 

たった二時間。

されど濃密な二時間でボロボロにされ、一晩経っても疲労は抜けない。

 

「なんでそんな事になったのさ……」

 

しかし、心配よりも呆れを向けてくる咲の態度に、まだ幾分の余裕はあるのだろう。

 

「師匠と半荘打ったらこうなった」

「麻雀打ってそうなったの? 何を言ってるか分からないんだけど?」

 

テーブル競技でここまで肉体を消耗するとは何事か。

咲には京太郎が何を言っているのかさっぱりだった。

 

「しかも東一局しかない半荘だった」

「余計に分からないよ。東一局でトんだって意味?」

「いや、東一局を二時間打った」

「どうやったらそんな事できたの? それもう違う競技だよ」

「自分で何を言っているのか俺にも分かんねえけど、多分麻雀だった。ちょっと自信ないけど、麻雀だったらいいなとは思う」

 

もちろん、当の本人にだってさっぱりである。

残り一週間。

京太郎は学校で体力を回復させつつ、師の元へ向かう。

これが延々続くとなれば現代っ子には耐えられなかったであろうが、期間はあと一週間と短い。

合宿みたいなものだ、秘密特訓のようなものだ、と歯を食いしばった。

 

『御無礼。12000。これで終了ですね』

『う~ん……やられたじぇ~……』

『京ちゃん強すぎるよぉ……』

『さすが京太郎。個人戦全国一位は伊達ではないのう』

『素敵! 抱いてください京太郎君!』

『素敵! 私も抱きなさい京太郎!』

 

今の京太郎を支えているのは単(ひとえ)に、男子高校生の果てなき欲望だったのは言うまでもない。

そして地獄特訓は続く。

 

「「「ギャーーーーー!」」」

「毎回毎回手を目いっぱい広げてどうする。少しは安牌を残す努力をしろ」

 

意外と根性あるなと、師匠に勘違いされた日も。

 

「「「イヤーーーーー!」」」

「見ろ見ろ見ろ、じっと目を凝らして俺の手牌を見ろ。どこから何が出てきたのか、どこに入ったのかを決して見逃すな」

 

もう駄目だと思っているのに、師からさらに無茶振りされた日も。

 

「「「キャーーーーー!」」」

「バタバタと逃げ回るな。下がる時はもっとうまく跳べ、見苦しい」

 

鬼の様な師がニタリと追い回してきた日も、毎日毎日必死に頑張る。

その甲斐あってか、

 

「ほお……」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

師と出会って五日、本格的な指導を受けて四日目の金曜の夜、京太郎はようやく時間内に終局を迎える事に成功した。

 

「思ったより早かったな」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

ほとんどの局がノーテン親流れ。

しかし、満身創痍ながらも三位一体で師の攻撃から逃れ続けた京太郎の瞳には、碧の火がチロチロと浮かんでいた。

 

「喜べ坊主。坊主にもたった一つだけ優れているものがあった」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

もはや足腰立たず荒野でへたり込んだ京太郎へ、師が顎を撫でながら祝辞を述べる。

 

「目だ」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

師を囲むようにへたっているものの、京太郎は師への視線を切る事はない。何度も何度も口酸っぱく言われたからだ。

 

「そのつもりで鍛えてはみたが、存外いい感じに仕上がっている」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

碧が揺らめくその両眼は、きっとこれからの京太郎を支える力となるに違いない。

 

「たった一つだが坊主は武器を手に入れた。もう初心者ではあるまいよ」

「「「ぶはあ! ぶはあ! ぶはあ!」」」

 

荒い呼吸はまるで治まらなかったが、京太郎の顔には笑みが広がっていった。

 

 

 

    ※

 

 

 

対局後、京太郎は牌を集めて片付けの準備をする。

若い肉体故に順応力は抜群。既に体の痛み等はない。

 

「いいか、坊主。麻雀でアガるには『見切る』事が重要だ」

 

湿らせた布で洗牌(せんぱい)していると、突然師の言葉が飛んできた。

 

「見切る?」

 

京太郎は牌を磨きながらきょとんとした顔を向ける。

 

「たとえばアガリ牌が全て河に出ている状況で、坊主はそこで待つか?」

「いやいやいや、そんな事すんのウチの部長くらいっすよ」

 

久が使う『悪待ち』は、もはや驚天動地の技なのだ。

 

「そんな馬鹿が近くにいるのか……? まあいい、どうせおかしな感覚持ちだろう。坊主の参考にはならん」

「あー、たしかにそうですね。部長の打ち方は俺には理解不能です」

 

師弟揃って呆れ顔である。

 

「話を戻すぞ? この『見切る』とは、なにも実際に目で確認した事に関してだけではない」

「……?」

「手牌読み、山読み、心理読み。さらには流れ読みや感覚読み等の第六感にも適応される」

「はい? 俺そんなのできないっすよ? しかも第六感って……、超能力じゃあるまいし」

 

何言ってんだこの師匠……、と師の頭を心配する弟子は、そのありがたみを欠片も分かっていなかった。

 

「ああ。さすがにそこまで期待してはいない。ただ、アガる為にはアガれる待ちにしろという事だ」

「はあ? どういう意味っすか? アガるにはアガれる待ちにしろって……それ当たり前の事ですよね?」

「その当たり前の事ができてない人間が多すぎる。坊主に至っては、わざとアガれない待ちを選んでいるとしか思えんな」

「えええぇぇぇ……」

 

師は師で酷い事を平気で言うので、どちらにせよどっちもどっちという事だろう。

 

「打ち続けていればいつかは分かるようになる」

「そうなんすか?」

「明日か、それとも50年後かは知らんがな」

「期間がアバウトすぎる!?」

 

ニヤリと笑う師の表情に、弟子は悲鳴を上げるしかなかった。

微妙な顔をしながら牌を片付ける。

 

「じゃあ師匠、帰りますね。ありがとうございました」

「ああ。気をつけて帰れ」

 

しかし、京太郎の心は沈んではいない。

なぜなら今日、師から初心者脱出を告げられたからだ。

自身もようやく中級者の仲間入り。

師の説明では、高校生の中に上級者などほとんどいないという話だった。

上級に手が届いているのはトッププレイヤーの中のさらに一部のみであり、それ以外は団子状態らしい。

 

『プロからすれば中級者など皆五十歩百歩。誰が勝つのかと問われても、”誰にでもチャンスはある”と答える事しかできんな』

 

つまり、咲達が上級者なのかは分からないが、さすがに全員そうだというわけではないだろう。

 

「もうそろそろ、打ってもいいんじゃないか……?」

 

帰り道。

星が降りそうなあぜ道でポツリと呟く。

自身も中級者ならば、勝てるチャンスはあるという事だ。

師には、自身が九州に帰るまでは対局するなと言われている。

しかし、今日褒められた言葉は『意外に早かった』だ。

 

「たった五日で初心者脱出できたし、もしかして俺才能あったりして」

 

むふふふふと、鼻を膨らませながら京太郎は妄想する。

頭の中では、水着姿の和が笑顔でアイスクリームを食べさせてくれていた。

というか全員が水着姿で順番待ちだった。

 

「同じ土俵なら勝負は時の運。そうだよ、たとえ勝てなくても勝負にはなる筈だ。……つーか勝ったりしてな!」

 

明日の部活。師との出会いから五日後の土曜。

京太郎は対局する事に決めた。

インターハイを制した、日本の頂点である清澄麻雀部の女子メンバー達と。

 

「あいつらきっと驚くぞ、俺スッゲー強くなったし。ヤバイ、俺の妄想が現実になる日も近いぜ!」

 

崩壊の時は近い。

 



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「翻弄」

思ったより闘牌シーンが長くて二話に分けましたが、続けて投稿しますので。


土曜日、完全週休二日制ではない清澄。本日は半ドンである。

午前の授業を終え、みんなと一緒に昼食をとった京太郎は、今日もお茶くみに精を出していた。

もちろん、牌効率や捨て牌読みの問題を解いたり、お茶くみしたり雑用したりお茶くみしたりお茶くみしたり。

ここ四日ばかり師匠の言いつけを守り地力上げに勤しんでいたのだが、しかし今日は違う。

 

「染谷先輩、次の半荘俺入ってもいいっすか?」

 

五日ぶりに対局するつもりなのだ。

とりあえずみんなが半荘を三回打った後、ずっとそわそわしっぱなしだった京太郎はまこに言う。

 

「ん? おんし、あと四、五日は打たん言うとったじゃろ? ええんか?」

「ええまあ……」

 

歯切れは悪く返すも、もう早く打ちたくて仕方がない。

プロに教えてもらってまだ五日しか経っていないが、なぜか初めて対局した時の様に胸がドキドキする。

練習の成果を試せる事に、京太郎は終始笑顔だった。

 

「あまりに下手すぎて師匠から愛想つかされたのか?」

「んなわけあるか!」

 

優希の揶揄にマジでキレそうになる。

 

「京ちゃん、もう打ってもいいの?」

「もう我慢できねえんだよ。俺も打ちたい」

 

咲の疑問にはいい笑顔で答えた。

 

「その気持ちは分かりますけどね」

 

和も苦笑する。

 

「やる気があるのはいい事だじぇ! よし座れ! この優希様が特訓の成果をみてやろう!」

「お前どんだけ上から目線なんだよ……」

 

と呆れるも、打ちたくて堪らない京太郎はニコニコ顔を崩さない。

 

「ほうじゃの。ならわしが抜けるけぇ、おんしらで打て」

「いいんですか? 染谷部長も対局数が足りていないと思いますが……」

 

和が遠慮するも、新部長はいろいろと忙しいのだ。

 

「構わんよ。溜まっちょった牌譜の整理もせんといかんしの」

「そうですか。では次の対局が終わったら私も手伝いますので」

 

とかなんとかやり取りしつつ、一年生四人の対局が決まった。

京太郎はまこと交代し、早速場決めの牌を集める。

 

「たった五日で何が変わるわけでもないじゃろうが、まあ気張りんさい」

「ういっす」

 

ポンと肩を叩いて去っていく新部長に答えながら、京太郎は燃えていた。

 

(おっしゃ! 特訓の成果をみせてやるぜ!)

 

表はニコニコ、裏ではメラメラ。

 

「私が起家だ! 久しぶりの対局だけど手加減はしねえじぇ!」

「なんだか京ちゃんと打つの久しぶりな気がするよ」

「五日ぶり程度なんですが、不思議ですね」

「俺もそんな感じ。けどま、お手柔らかにたのむぜ」

 

起家が優希、南家咲、西家京太郎、北家和の席順でスタートした。

 

 

東一局0本場 親優希 ドラ{⑨}

 

 

京太郎配牌。

 

{一二三四六④5678西白白}

 

五日ぶりの配牌は幸先良く、なんとリャンシャンテンの好配牌だった。

第一ツモは{東}。

 

(おおっ、いきなりいい配牌きた! まあ、ノミ手しか見えねーけど……)

 

と思いつつも、久方ぶりに対局するのは楽しい。

京太郎は頬を緩ませながら{西}を切った。

そして手なりで進めつつ、五順目。

 

「開局初っ端、先制リーチだじぇ!」

 

親の優希が{白}を切ってリーチ。

 

(早っ!? なんで配牌リャンシャンテンで先制されてんの!?)

 

優希のスピードに内心で文句を垂れつつも、

 

「ポン」

 

鳴く。

 

「うおっ、い、一発消された……。京太郎の奴、特訓の成果がでてやがるじぇ……」

「一発消しの特訓なんかしてねーよ!」

 

東場の優希は普通に一発ツモったりするので、京太郎はとりあえず一発消し。

 

{一二三四六56788} {白横白白}

 

そして嵌{五}でテンパッた。

しかし次順。

 

{一二三四六56788} ツモ{赤⑤} {白横白白}

 

無スジの{赤⑤}が食い流れてくる。

 

(おいおい……、{④}切っちまったっつーの……)

 

さすがに切れるわけがないので、泣く泣く現物の{一}を捨てた。

だが結局は無駄。

優希は七順目、

 

「ツモ! 裏はないけど、タンピン三色で6000オールだじぇ!」

 

軽々とツモアガってしまう。

 

{三四五八八③④⑤⑥⑦345} ツモ{⑧}

 

綺麗な手を超高速でモノにし、優希は開始早々18000点を手に入れた。

 

(なんじゃそりゃ!? 五順でタンピン三色張るとかどうなってんの!? しかも一発食い取らなきゃ親倍かよ!?)

 

あまりの理不尽さに、心の中で絶叫するしかない。

 

「うわー、綺麗な手だねー」

「とんでもない手が入ってますね」

「なにせ東場の神だからな!」

「いくらなんでもツキすぎだろ……」

 

京太郎は白目をむきながら点棒を支払った。

 

(……切り替えよう、倍満が跳満になったんだ。親倍なら優希との差は32000、それが24000差ですんだ。十分に価値のある鳴きだった)

 

そうやって誤魔化さねば心がもたない。

そして次局。

 

 

東一局1本場 親優希 ドラ{東}

 

 

四順目。

 

「親でアガリ続けるじぇ! リーチ!」

(またかよ!? つーか早すぎ!)

 

驚愕しつつ、優希の捨て牌に視線を飛ばす。

 

{一六④横7}

 

(字牌が一枚も出てねえ……チートイか?)

 

元々やる気満々だった京太郎。

 

(いや調子づいてる優希のことだ、ドラ暗刻って事もありえる……けど、それならダマか?)

 

両目からチロチロと碧の火を燻らせ、そろそろエンジンをかけていく。

 

(ダブ{東}のドラが頭で索子の三面待ち、もしくはシャボ待ちが濃厚。最後に出てきた{7}の周りと{東}。筒子の上も切りたくねえな)

 

師匠との特訓を生かすべく、頭をフル回転させながら現物の{一}を切った。

 

「チー」

 

すると、和がそれをチー。

元の手牌はこうだった。

 

{二三四五六七八①④赤⑤⑤中中}

 

和も四順目とは思えない程の手広いリャンシャンテン。

面前なら跳満まで見える。

 

(良形のリャンシャンテンですがゆーきが早すぎます。幸い安牌はありますから役牌と一通の両テンビンに受け、最悪{中}の対子落としで回りましょう)

 

本来ならこの手を序盤で鳴きたくなんかないが、相手の速度に合わせる為にギアを最速に切り変えた。

 

{四五六七八④赤⑤⑤中中} 打{①} {横一二三}

 

そしてスジの{①}を切る。

 

「グエ……、また一発食われたじぇ……」

 

二連続で一発を消されて優希の口から愚痴が洩れるも、そんな事に構っちゃいられない。

 

({一}チー……? 和はデジタル打ちだ、勝算がなければ親につっかかったりはしないはず)

 

和が動いた事で、京太郎は必死になって読みの精度を引き上げる。

燻っていた種火に火がつき、両目が碧く揺めく。

 

(優希は一鳴きじゃ止まらない。和は役牌が本命で次点がチャンタ、もしくはイッツーってとこか……ならここだ!)

 

京太郎、打{九}。

 

「チーです」

(よし!)

 

和さらにチー。

 

{四五六赤⑤⑤中中} 打{④} {横九七八} {横一二三}

 

現物の{④}を切った。

 

「またぁ!? おい京太郎! 少しはしぼれ!」

「知るかよ。現物とスジ切っただけだっつーの」

「ゆーき、対局中に相手の打牌へ口をはさむのはマナー違反ですよ」

「そーだそーだ。マナー違反だぞ、タコス。いいからさっさとツモれ」

「グヌヌヌヌ……。京太郎のくせに生意気だじぇ……」

「ゆ、優希ちゃんも京ちゃんも仲良くね?」

 

これで和もテンパイ、{⑤中}待ちだ。

その直後。

 

「ロン」

「うえっ!?」

 

優希、{中}を掴まされる。

 

「中イッツー赤1。1本場は4200です」

「うええ……、東ならまた跳満だったのにぃ……」

「リーチ棒もいただきますね」

(うわぁ……。和ちゃんの鳴きがなかったら一発で東ツモってるよ、しかもまた東引いてるし……。優希ちゃんすごいなぁ)

(よし、いける! これでトップの優希との差は18800!)

 

優希のリーチを潰す為にわざと鳴かせたのは酷い気もするが、とりあえずは読み通り。

 

(ちゃんと戦えてるし、必ず優希をまくってやるぜ!)

 

手ごたえを感じた京太郎は、卓の下でグッと拳を握った。

次局で驚愕が待っているとも知らずに。

 

 

東二局0本場 親咲 ドラ{三}

 

 

「リーチ!」

 

優希がまたも八順目にリーチ。

 

(何回リーチすれば気がすむんだよ!? と、とにかく危険牌は……)

 

などと考える暇もなく。

 

「カン」

 

親の咲がツモってきた牌を暗槓。

 

「ツモ。嶺上開花」

 

そのまま難なくツモアガる。

 

「は?」

 

京太郎は間抜けな声を出してしまった。

 

「ドラ1は、3200オール」

 

{二三四七八九⑥⑨⑨⑨} ツモ{⑥} {■22■}

 

(な、なんだよそれ……なんなんだそのアガリ!?)

 

驚愕するしかない。

なぜなら咲は、前順に{⑦}を切っているのだ。

 

「あああ……、またリー棒とられたぁ……」

「ごめんね、優希ちゃん」

「なんというか、咲さんは本当にすごい所で待ちますね」

(今まで気にもしてなかったけど、改めて考えるとスンゲーおかしい……)

 

{⑤⑧}待ち、もしくは{⑦⑧}待ちを拒否しての{⑥}単騎。

 

(こんなアガリ、それこそ王牌が見えてて、必ず槓子が作れて、偶然テンパイ形が嶺上牌待ちにならなきゃ絶対できない……)

 

初心者を脱し、京太郎はようやく異常に気づいた。

 

(しかも咲にはずば抜けた点数調整能力まである。持ち点を29600から30500点以内に必ず調整できるなんて尋常じゃないぞ)

 

みんなに遅れる事約半年。

遅すぎる気もするが、久、まこ、和、優希の四人と心を一つにする事ができた京太郎は、これで正真正銘の仲間になれたとも言える。

 

(信じらんねえ……、こいつホントに人間か?)

 

そんな風に青褪めていると、当の本人から気遣われた。

 

「ん? どうしたの京ちゃん? なんか顔色悪いよ?」

「い、いや、なんでもねえよ……。ちょっと寝不足でさ……」

 

人間かどうかはよく分からないが、いい奴なのは間違いないのでとりあえず誤魔化しておく。

 

「もう。また遅くまでゲームしてたんでしょ?」

「ア、アハハ、まあな」

「まったく、このダメ犬はホントに駄目だじぇ」

「誰が犬だ! このタコス!」

「なにおー!」

「ハァ……。対局中ですよ、二人とも」

「そうだよ。ケンカしないで仲良くやろうよ、京ちゃんも優希ちゃんも」

「チッ、二人に免じてここは退くじぇ。感謝するんだな、アホ犬」

「こっちのセリフだ、馬鹿タコス」

「「……ハァ」」

 

和と優希も普通にしているし、きっとおかしなことではないのだろう。

京太郎は驚愕を無理矢理呑みこんだ。

 

 

東二局1本場 親咲 ドラ{北}

 

 

続く東二局の京太郎。配牌がボロボロで、最速でチートイ四シャンテンという手の悪さ。

気合でなんとかチートイイーシャンテンまでこぎつけたものの、七順目。

 

「ようやく入ったじょ!」

(クッ、優希からまたリーチがくる。東場のコイツはホントに早ぇ……追いつけるか?)

 

対面のテンパイ速度に驚きを通り越すも、

 

「通らばリーチ!」

「通しません。ロンです」

「じぇえええ!?」

(ええ!? 和も張ってたのか!?)

 

やっぱり驚かされてしまう。

 

「ピンフのみ」

「おおう、安くて助かったじょ」

「何を言ってるんですか、振り込んだ時点で助かっていませんよ。1000点の一本場は1300です」

「のどちゃん、きびしいじぇ……」

(和も和でどんな速度で張ってやがんだよ! ちくしょう、コイツらマジで強ぇ……ッ)

「あ~ん、親流れちゃったよぅ」

 

何もできずに終わった。

そして次は東3局。京太郎の親だ。

 

 

東3局0本場 親京太郎 ドラ{⑨}

 

 

(原点から9200点沈みのラス。トップの優希とは16500点差。二位の咲とは13800点、和とは6500点差か……)

 

ここで京太郎は、実力以上の頑張りを見せる事になる。

 

(この親でなんとしてもアガってやる! いい配牌こい!)

 

その願いが通じたのか、なんと手牌は役牌対子、ドラ暗刻の二シャンテン。

 

{五五六八⑨⑨⑨128西北白白}

 

確実に勝負手だ。

 

(きた! 少し窮屈だけどドラ暗刻の勝負手! {白}が鳴ければ十分勝ち目はある!)

 

ここまで四局やって見せ場なし。しかし、ようやく戦える手がきた事に京太郎は興奮した。

必死に平静を装いつつ、第一打を{西}切り。

そして次順。

 

{五五六八⑨⑨⑨128北白白} ツモ{白}

 

(うおおおおおおおお! {白}暗刻ったああああああああ!)

 

望外の{白}をツモる。

これでイーシャンテンだ。

当然、京太郎の指は{北}へと伸びた。

 

(……いや、待てよ)

 

しかし、ここでふと思い出す。

 

 ”毎回毎回手を目いっぱい広げてどうする。少しは安牌を残す努力をしろ”

 

(そうだ、防御しないのは基本的にリーチの時だけだった)

 

師の言葉を思い出した京太郎は、対面の優希が第一打に捨てた{北}を残す事を選択。

 

(面子は足りてる。{7}をピンポイントで引かない限り、{8}の優先度は{北}とほとんど変わらない。ならこれだ)

 

{五五六八⑨⑨⑨12北白白白} 打{8}

 

が、これがモロに裏目。

次順。

 

{五五六八⑨⑨⑨12北白白白} ツモ{7}

 

なんと{7}ツモ。

{8}を捨てた以上ツモ切るしかない。

 

(裏目った! 素直に{北}を切ってれば……ッ)

 

そして信じられない事に──

 

{五五六八⑨⑨⑨12北白白白} ツモ{6}

 

──四順目に{6}をツモってきてしまう。

 

(うそ……だろ……、なんだよこのツモは!?)

 

あまりの理不尽さに罵声を上げそうになるも、京太郎は僅かな理性をかき集めてゆっくりとツモ切った。

 

(ちくしょう……)

 

なんたる無様な捨て牌。

己の目に映る捨て牌があまりにも無様で、{6}を切る指が微かに震える。

 

{西876}

 

たった四順で河に並べられた一面子。

異様。だがよくある事。

 

「なんじゃそりゃ。もしかして無理染めにでも走ったのか?」

 

そう、麻雀ではよくある事だ。

 

「……ん? 面子被りなんて麻雀やってりゃいくらだってあるだろ?」

 

だから京太郎は、荒れ狂う心情を表に出すまいと、全身全霊を持って優希のチャチャを受け流した。

 

「そんなんだからいつまで経っても初心者なんだじぇ」

 

だが、抑えられる気がしない。

分かっている。分かってはいるのだ。

口は悪いが、優希は出来の悪い己に指導しようとしているだけ。

そんな事は十分理解している。

しかし、たった五日間とはいえ、自分は必死に努力した。

確かに皆と比べれば微々たる努力に違いない。

けれど必死こいて一生懸命頑張ったのだ。

その努力は実を結び、もう初心者ではないと師が太鼓判を押してくれた。

自分はもう初心者ではない。

まだまだ下手くそで失敗だらけかもしれないが、それでも、もう初心者ではないはずなのだ。

 

「四順で1面子捨てるくらいなら手なりでいけ──」

 

分かり切った事を言おうとする優希に、京太郎の目の前が屈辱と恥辱で真っ赤に染まる。

 

――うるせえな! そんな事分かってんだよ! いいからその口を閉じやがれ!――

 

「ゆーき! さっきもマナー違反だと言ったでしょう!」

 

だが、大切な仲間であり、大事な友人でもある少女へ罵詈雑言をぶつけるという事態は、なんとか回避された。

 

「おおう!?」

「今は対局中ですよ! 対局中に私語は控えてください! 検討なら対局後に行います!」

 

真面目で頑固な巨乳少女が、己の代わりに眉を吊り上げたからだ。

 

「の、和ちゃん。そんなに怒らなくても……」

「咲さんは黙っててください! 対局中は集中しなきゃ駄目です!」

 

原村和。

スタイル抜群の超絶美少女ではあるのだが、そのクソ真面目さは欠点と言えば欠点なのかもしれない。

 

「の、のどちゃん真面目すぎだじょ……」

「ゆ、う、き?」

「わ、分かったじぇ! 終局するまで黙って打つじょ!」

 

特段、京太郎をかばったというわけではないだろう。その言葉の通り、なあなあで対局するのが許せなかったに違いない。

だがそれでも、京太郎は深く息を吐きながら安堵していた。

和がコンマ数秒早く声を上げてくれたおかげで、決定的な破局を迎えずに済んだのだ。

さっきまでの己は、怒りにまかせて何を口走ったか分からなかった。

 

「はい、分かっていただけたなら構いません。これを打ちきったらたくさんお喋りしましょう」

「う、うん!」

 

ならば、怒鳴った相手をニッコリ微笑んで許す姿に、『和マジ天使』と胸中で絶賛し続けるしかないだろう。

 

「ううう……、私まで和ちゃんに怒られちゃったよぅ……」

「優希の味方ばっかするからだ。たまには俺の味方もしろっつーの」

 

それにしてもと、京太郎は訝しむ。

あの程度の言葉で逆上するとはどういう事か。

自身を温厚な性格だと思っていただけに、自己嫌悪が湧きあがってしまう。

それが、麻雀に対して妥協できなくなったせいだという事を、今の京太郎には気づく事ができなかった。

負けたくない、上手くなりたい、強くなりたいという気持ちは、あるいはこの瞬間芽生えたのかもしれない。

 

「してるよ!? 何回レディースランチ買いに行かされたと思ってるのさ!」

「さ、き、さん? 集中してくださいと言いましたよね?」

「あうぅぅ、ゴ、ゴメンナサイ……」

 

一人苦い顔でヘコんでいる幼馴染みが{2}を河へ切った後、なんとか平静を取り戻した京太郎のツモもまた{2}だった。

 

 

{五五六八⑨⑨⑨12北白白白} ツモ{2}

 

 

(よし、一順前に咲が切っちまったけど、{2}{五}のシャボ受けができた)

 

四面受けのイーシャンテン。

 

(しかも四暗刻まで見える。もうこの手はオリない、防御無視の全ツッパでいく)

 

覚悟を決めた京太郎は、打{北}で目いっぱい手を広げる。

 

(もう何が出ても鳴くぞ。{2}{五}はもちろん、上家の咲から{3}{七}が出ても鳴いて12000テンパイだ)

 

形振り構わぬ事を決意して続く六順目。

開き直った事で麻雀の神様が微笑んだのか、京太郎は鬼引きを見せた。

 

{五五六八⑨⑨⑨122白白白} ツモ{2}

 

(ぐっおおおおおおおおお!? まさかの面前三暗刻テンパイ! 役牌三暗ドラ三、{1}切ってダマッパネ!)

 

僥倖と言っていいだろう。

二順目に{8}を切っていなければ、おそらくは三順目に{1}か{2}を切って内に寄せていたはずだ。

今の京太郎の実力では、河に{876}が並ぶか{222}が並ぶかの違いでしかなかったのは間違いない。

師の教えが親跳満を呼んだとも言える。

 

(チ、{七}はまだ一枚も出てないよな……?)

 

{1}に指を掛けながら、京太郎は三人の捨て牌へと視線を飛ばした。

 

「ッ!?」

 

そして凍りつく。

 

(萬子が一枚も出てねえ……)

 

現在は六順目。親は京太郎なので、場には20の牌が並べられている。

しかし、並べられているのは字牌と索子筒子だけであり、萬子は河のどこにもなかった。

 

(す、素直に嵌{七}に受けていいのかコレ……?)

 

これもまたよくある事。序盤で一色が見えないなど日常茶飯事だ。

中盤以降にサクッと出てくる可能性も当たり前のようにある。

 

{五五六八⑨⑨⑨1222白白白}

 

(アガリてぇ……。これ、どうしてもアガリてぇ……)

 

だが、京太郎は確実にアガリたかった。

たった六順で張った高速跳満。しかも親。

十分だ。今までのように終始振り込みマシーンと化して、何もできないまま終わるという事はなくなる。

18000を手土産に、みんなと同じ土俵に立つ事ができるのだ。

しかし、だからこそ甦る師との会話の記憶。

 

”麻雀でアガるには『見切る』事が重要だ”

”見切る?”

”この『見切る』とは、なにも実際に目で確認した事に関してだけではない”

”……?”

”手牌読み、山読み、心理読み。さらには流れ読みや感覚読み等の第六感にも適応される”

”はい? 俺そんなのできないっすよ? しかも第六感って……超能力じゃあるまいし……”

”ああ。さすがにそこまで期待してはいない。ただ、アガる為にはアガれる待ちにしろという事だ”

”はあ? どういう意味っすか? アガるにはアガれる待ちにしろって……それ当たり前の事ですよね?”

”世の中はその当たり前の事ができてない人間が多すぎる。坊主に至っては、わざとアガれない待ちを選んでいるとしか思えんな”

”えええぇぇぇ……”

 

意地悪く笑う師の姿が脳裏に浮かび、京太郎は下家の和の捨て牌へ視線を向けた。

その目からチロリと碧の火が揺らめく。

 

{①⑥59④}

 

(……ヤベェ、萬子だけじゃなく字牌もでてねえ。間違いなく萬子に染めてる)

 

そして対面の優希の捨て牌にも視線を飛ばす。

 

{北東①4⑤}

 

(おいおい、タンピンっぽい上にもう中張牌整理してんじゃねえだろうな? いやまて東場の優希だ、上の三色まであるぞ)

 

最後に上家の咲。

 

{南東⑨21}

 

(三順目にドラ切ってやがる……。絶対に重ならない事を察知したのか? しかも四順目で辺張落とし……咲の手も早そうだ……)

 

悪い予感が膨らんだ。

本来なら京太郎の手、最速ならばすでにツモっている。

 

{五五⑨⑨⑨222678白白白}

 

この形で跳満ツモ。

たらればを言えばきりはないが、リーチして裏でも乗れば三倍満まであった。

もちろん、今の京太郎の実力ではこの最終形に辿り着くなど99%不可能ではあるが。

 

”アガる為にはアガれる待ちにしろ”

 

だからこそ、予感は確信へと変わる。

 

(この嵌七萬、誰も出さないし俺には引けない気がする……)

 

最悪の予感に愕然と固まっていると、首を傾げた和の声が耳朶を打った。

 

「……? どうしました? 須賀君の切り番ですよ?」

「あ、ああ、悪い。そっか、俺の切り番か。そうだったそうだった、俺が切る番だったな。ハハ……」

「何ボーっとしてんだじぇ、この犬は」

「ゆ、優希ちゃん、また和ちゃんに怒られるよ?」

「その通りです。今度はゲンコツですよ、ゆーき」

「うっ、すまねぇじょ……」

 

悩んでいる時間はない。

長考は対局者へ迷惑がかかるし、不審に思われてテンパイを察知されるのも嫌だ。

 

「悪ぃーな、今切るからよ」

 

表面上はヘラヘラと、しかし歯を食いしばって切りだす。

 

{五五六⑨⑨⑨1222白白白} 打{八}

 

打{八}。

須賀京太郎、人生初の『親ッ跳テンパイ崩し』。

18000を棒に振る打牌など、麻雀歴半年の京太郎には初めての試みだった。

 

(受け入れは{13}、{四七五}。鳴ける牌が出たらもちろん鳴く)

 

京太郎は激しい喉の渇きを覚えながらも脳をフル回転させる。

 

(筒子を引いてきたら{1}切って、場に出やすそうな筒子待ちに焦点を合わせよう。万が一裏目って{七}引いたら{五}切って索子待ちだ)

 

大丈夫、まだ六順目。いくらでも挽回できるはずだ。

そんな風に焦燥を誤魔化した瞬間、京太郎の心臓は止まりかけた。

 

「よしきた! 東場はとことん攻めるじぇ!」

「ッ!?」

 

対面から、東場の神を自称する少女の声が。

 

「リーチ!」

「……ゆーき。リーチ発声前の余計な前振りはいりません」

「アハハ。優希ちゃんはいつも元気だね」

 

{九}を切ってリーチする姿に、京太郎は心底恐怖した。

 

(こんな序盤でまたリーチ!? 東場のコイツはホントにどうなってやがんだよ!)

 

ギリギリと奥歯を噛みしめながらも、しかし混乱した頭で待ちを推測する。

たとえ全ツッパでいくつもりでも、思考を放棄する事などできない。もう初心者ではないのだから。

 

({九}切りリーチ。もし仮テンからのくっつきだとしたら{五八}がある)

 

だから一つ一つ丁寧に。

 

(そういやさっきはタンピンだって読んだんだよな。上の三色もあるって思ったっけか?)

 

両目に碧の火を灯し、相手の特性すら読みに含めた。

 

(捨て牌と俺の手牌から筒子なら{⑥⑨}、索子なら下はオール通し)

 

ある程度読みを絞りつつ、追いついてくれと祈りながら山に手を伸ばす。

しかし七順目に引いてきた牌は、最悪な事に生牌の{中}だった。

 

(な、なんだよこれ……、なんでこんな危険牌一発で引かされるんだよ……)

 

未だ己の読みに自信があるわけではない。

ようやく初心者を脱した者の読みなどたかが知れている。

しかも己の手牌は縦に伸びているのだ。もし極端な対子場であるなら役牌とのシャボ待ち、または七対子なども十分に考えられる。

 

(……真っ直ぐ染めに走ってる和にも切り辛い。ちくしょう、振りたくねぇ……)

 

弱気になった京太郎は、スジの{1}へと手を伸ばす。

しかし、ここでさらに気づいた。

 

(まて、ここで何もしなきゃ、下手すると優希のやつ一発で引き上がるんじゃねえか?)

 

インハイ地区予選、そして全国大会で何度も見てきた光景。

 

(もしここで倍満の親っ被りなんか喰らってみろ、もう挽回なんてできないぞ。第一、この局はオリないってさっき決めたじゃないか)

 

京太郎はゴクリと唾を飲み込むと、覚悟を決め{中}をツモ切り。

 

「ホラよ、当たれるモンなら当たってみやがれ。でも頼むから当たらないでくれ、お願いします」

「「「ぶふっ……ッ」」」

 

心の底からの声に、三人娘が全員吹き出した。

 

「強気なのか弱気なのかハッキリしろ! まあ通るけどな」

「日本語がおかしいよ、京ちゃん」

「そ、それ、ポン、ですっ」

 

ツボに入ったらしい和が必死に笑いを堪えて{中}を鳴き、打{東}。

 

「また一発消された……。のどちゃん容赦なさすぎだじょ……」

 

ガックリしながら、優希は{南}をツモ切り。

咲が手の内から現物を河に捨てると、迎えた八順目の京太郎のツモは、なんとまたしても生牌である{発}だった。

 

(もう笑うしかねえな。コレ振る確率50%はあるだろ)

 

笑うどころか、京太郎の顔は泣きそうである。

 

「でも切る。ここでオリるくらいならさっきの{中}でオリてるっつーの」

 

しかし強打。

 

「じええっ!?」

「ちょ、いくらなんでも暴牌すぎるよ、京ちゃん」

 

男須賀。自殺に等しい暴牌二連続叩き切り。

 

「ポ、ポンです!」

 

リーチ者がいるのに生牌が連続で出てきてビックリしたのだろう。和の声は若干上ずっていた。

 

「ぎょえええええ!?」

「うわぁ……大三元が見える……」

 

リーチをかけたせいで逃げられない優希は、京太郎を睨みつけた。

おそらく和にゲンコツだと警告されていなければ、『お前何切ってんの!? 馬鹿なの!?』と大声で非難してしまったに違いない。

咲もまた困り顔で京太郎に視線を向けていた。

まあ、京太郎からしてみれば白は自身で三枚抱えているので特に問題はない。幸い振らずにすんだわけだし。

しいて問題があるとすれば、これで確実に和もテンパッただろうという事だ。

実際、二鳴きした和の手牌がこれ。

 

{一三六六七八九} {横発発発} {横中中中}

 

嵌{二}でホンイツ発中の満貫。勝負手である。

ちなみに優希の手牌はこうだ。

 

{③③⑥⑦⑧678三四赤五六七}

 

高め{八}のタンピン三色。しかも{二五八}の三面待ち。

偶然にも、京太郎の読みは的中していた。

さらに言うなら、安目ではあったが、本来一発でツモあがるはずだった{二}は咲へと食い流れている。

 

「うおえ……ッ!」

 

花も恥じらう乙女としてあるまじき事だが、優希が嘔吐きながら牌をツモ切った。

切ったのは{三}。

萬子に染めている和の超ド級の危険牌だった。

まあ同テンなので振る心配はないのだが、そんな事を優希が知る由もない。

最悪役満まであると思っている彼女にとって、{二五八}以外の萬子を引く事は胃を直接鷲掴みにされんばかりのストレスなのだ。

 

「んぴゅ……ッ!?」

 

これまた現役女子高生として聞こえてきてはいけないのだが、咲は危うく鼻水を吹いてしまいそうな音を出す。

あわやヒロイン降板の危機だった少女の手牌はこれだ。

 

{②②③③二二二四四四西西西}

 

なんと、咲はシレっとツモリ四暗刻を張っていた。

次順に{二}を暗槓して、リンシャンから{②}を引き上がろうと画策していたのだ。

しかしその前に引いてしまった牌が、これ。

 

{②②③③二二二四四四西西西} ツモ{白}

 

ツモ{白}。

そりゃ鼻水だって出そうになるというもの。

さすがに{発中}を鳴いている相手へこれは切れない。

自身の能力で王牌を探るも、どうやら{白}はないようだと泣きそうになる。

咲はアウアウ言いながら{③}を切った。

 

「う~、なんか京ちゃんに殺意が湧いてきたよ……」

「まったくだじぇ……。さっきの{三}、もし振り込んでたらきっと殴りかかってたじょ」

「お前ら酷すぎだわ。そんなに心がせまいからおもちも小さいんだよ」

「なにをー!」

「京ちゃんサイテー!」

「咲さん、ゆーき、落ち着いてください。須賀君も勝負手のようですし、いくら納得できなくても暴力は駄目です」

「ほれみろ。和は心が広いから、お前らとはおもちの大きさも比べ物にならないんだ」

「須賀君は間違いなくサイテーなので黙っててください」

 

九順目、京太郎のツモは無駄ヅモの{4}。

場に二枚出ている事もあり、{5}を引いたところでフリテンになる以上、当然のツモ切り。

和は{3}ツモ。もちろんツモ切り。

 

「おえっ! おええええ……ッ!」

 

激しい吐き気と共に、優希は{一}をツモ切った。和には無スジだった。

そして咲。

感覚通りに槓材の{二}ツモ。

咲と言えば槓、槓と言えば咲。だからとりあえず槓してみる。

 

「{二}カン」

「んぶふっ!?」

 

咲が発声した瞬間、和は少々はしたないくしゃみをした。

 

「おええええ……ッ! おええええええええ……ッ!」

 

優希は待ちの一つがなくなり、胃へのストレスがシャレにならなくなったらしい。まあ、和の待ちは純カラだが。

 

{②②②四四四西西西白} 打{③} {■二二■}

 

咲は嶺上牌から{②}を引き、そして当然の{③}切り。

つまり四暗刻、{白}単騎待ちだ。

 

「(和ちゃんに{白}は切れないし、うん、仕方ない。でも京ちゃん大丈夫かな? {白}引いたら、盲牌間違えて切っちゃうかも……)」

 

過保護すぎる。

いくらなんでも白を盲牌し間違えたら逆に天才だろう。

幼馴染みを心配する姿は美しいし勝負を諦めないのも立派だが、京太郎が暗刻で抱えているので百年待ってもでない白単騎である。

 

(あーもう、また無駄ヅモだ! せめて筒子の一枚くらいは引かせてくれよ!)

 

十順目、京太郎は怒りの{南}ツモ切り。

ツモが四順空ぶり、怒りと焦りで顔が紅潮し始めた少年と同様に、下家の和も徐々に頬の赤みが増していた。

 

「(さすがです、咲さん。こちらのアガリを一瞬にしてつぶしてくるとは。そして引いてきた牌がこれですか)」

 

{一三六六七八九} ツモ{八} {横発発発} {横中中中}

 

「(これは切れません。ゆーきの反応からして十中八九このスジでしょう。萬子の本命は{五八}でした。つまり下まで伸びた三面待ち)」

 

瞬時に判断した和は、現物切りの打{三}。

純カラの嵌{二}をはずし、テンパイを崩す。

 

{一六六七八八九} {横発発発} {横中中中}

 

「(まあ、{八}の周りを引いてくればまだ戦えますしね)」

 

そして優希はまたもツモ切り。

 

「もういっそ殺してくれ……」

 

白目をむきながら捨てた牌は{九}。もちろん和の無スジだ。

咲もまた、引いてきたラス{九}をそのままツモ切る。

優希が盾になってくれた事に、テンパイが維持できてホッとしていた。

さて、運命の十一順目。

 

(ぐおおおおおおお! キタキタキタキッターーーーーー!)

 

京太郎のツモは、鬼ヅモを超えた神ツモだった。

暴牌としか言えない生牌連打で優希のツモをズラし、優希と和のアガリを封じ込めた咲のアガリを、さらに封じ込めているという超偶然。

そんな奇跡の様な偶然を起こした彼に、運命の神はご褒美を与えたのだろう。

半分死体と化した優希を尚も蹴りまくるが如き、四枚目の{五}だった。これで優希の待ちの内、{二五}が消える。

 

{五五六⑨⑨⑨1222白白白} ツモ{五}

 

(これ高めだとスッタンってやつだろ!? こんなの初めて張ったぞ!)

 

同局で二人が四暗刻単騎をテンパイするという珍事。

{1}を切れば{四七六}待ち。

{六}を切れば{13}待ちである。

京太郎は凄まじい速さで鳴る心臓を落ち着ける為に、ゆっくりと深呼吸した。

 

({1}切った方が安全だよな? 萬子だと三面待ちだし……。でも萬子はほとんど死んでる気がする)

 

京太郎の推測は当たっていた。

{四}と{六}は純カラ。残りは{七}二枚のみである。

対して、{13}は五枚も山に眠っているのだ。

京太郎は場を見た。

前順に和が{三}を、優希と咲が{九}を切っている。

 

(アガるなら索子だ。{六}はスジで通るか? でも染め手の和にスジもくそもない。しかも生牌だし、咲が槓するかも……)

 

なんという事か。

ようやく初心者を卒業した者が嶺上開花や責任払いまで計算に入れなければならないなど、それは本当に麻雀と言えるのか。

咲の業は深い。

 

”アガる為にはアガれる待ちにしろ”

 

脳にこびりついた師の言葉。

 

(……そうだな。もう何回もメチャクチャな牌打ったし、この局は最後までツッパろう。ここは気合入れの――)

 

京太郎は{六}を振りかぶると――

 

「リーーーーチ!」

 

――渾身の気合入れリーチ。

これなら安目をツモっても親倍確定だ。

しかし、この高目四暗刻のリーチが、京太郎崩壊の序曲だった。

 



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「魔物」

「リーーーーチ!」

 

京太郎渾身の気合入れリーチ。

 

{五五五⑨⑨⑨1222白白白} 打{六}

 

危険牌の{六}を強引に叩き切る。

 

「ポン」

 

そして間髪いれずに鳴かれる。

 

「「「ッ!?」」」

 

京太郎と咲、そして優希の三人は、和の発声に驚いた。

 

(和の奴まだ張ってなかったのかよ!?)

 

京太郎の心の叫びは咲と優希、二人と全く同じ困惑である。

しかし、直後河へ出された{一}に、咲と優希は疑問を氷解。

 

「({三一}落としって事は、咲ちゃんが槓するまで{二}待ちだったのかぁ)」

「({白}通ってたんだ……いやいや、そんなの関係ないよ。鳴いてたかもしれないし……でもそうなると私のアガリが先だったかな?)」

(でも{六}通ってラッキー! これ絶対にアガれるぞ! 何切っても振らなかったし、間違いなく神様がアガれって言ってるわ!)

 

一人だけ温度差の激しい京太郎はさておき、{六}を鳴いた和の手牌はこうである。

 

{七八八九} {横六六六} {横発発発} {横中中中}

 

みっともない中膨れの{八}待ち。

デジタル雀士としていかがなものかとも思うが、{六}を迷いなく鳴いた和は一瞬にして考察を終えていたのだ。

 

――須賀君は優希のリーチに全ツッパでした。最初からドラが固まっていたんでしょうね。しかも大三元が恐くないからリーチ――

 

恐ろしい事に、京太郎がリーチと言った瞬間ドラの{⑨}と{白}が暗刻だと看破。

 

――{八}を切ってから{六}の切り出しが遅すぎます。ゆーきの手牌から{六}は純カラ。{六}切りな以上{四}の重なりがなく{五五六八}からの{八}切りが濃厚――

 

さらには優希への手牌読みを土台に京太郎の牌姿予測を深めていく。

 

――{五}も暗刻。{四}は三枚咲さんか山。{二六九}が純カラで{三}三枚、{八}三枚、{七}二枚が見えてます。萬子待ちの可能性は低い――

 

同時に咲の手格好も読んでいった。

 

――{③}対子落としは危険牌を引いたから。あの大袈裟な反応ならば{白}でしょうね。大好きな咲さんを私が見誤るはずありません――

 

絶大な自信はもはや病みレベルである。

 

――右三番目から{③}が出てきました。多分右の二つは{②②}。左三枚は配牌から動きませんので間違いなく配牌暗刻の字牌です――

 

ジュニアミドルチャンプにして、インターハイ優勝チームの副将原村和。

その『読み』たるや下手なプロを軽く凌駕するのだ。

 

――嶺上牌を右端に置きました。{②}が暗刻。きっと牌姿は{二}暗槓の{②②②四四四西西西}で、四暗刻{白}単騎。凄いです咲さん――

 

凄いのは『のどっちモード』の和だった。

 

――ゆーきの手牌に索子の下はありませんし、須賀君の本命は{123}辺りでしょう。筒子の上はやや危険と言ったところですね――

 

『気合入れ』などという京太郎が不用意に行った『リーチ』により、三人の牌姿は一瞬で看破されてしまった。

 

――索子の下を引くまではオリる必要ありませんし、ゆーきとは同テンのめくり合い。ならば{六}を鳴いてテンパイにとります――

 

ここまでが、京太郎のリーチ宣言から鳴くまでの、デジタル天使の思考である。

期待値の計算のみでなく、常人とは一線を画す遥かな高みで稼働する演算能力は、原村和の唯一の武器にして最高の防具でもあった。

 

「東三局でもう『のどっちモード』とか勘弁してほしいじぇ……」

「泣きごとを言ってる暇があるなら早くツモってください。いいかげんにしないと本当にゲンコツですよ?」

「ゲンコツも嫌だけど、役満くらうのはもっと嫌だじょ……」

 

あまり頭のよろしくないタコスガールは無駄ヅモをツモ切り。

 

「(京ちゃんもリーチ掛かっちゃったし、そろそろオリ時かなぁ)」

 

咲も引いてきた安牌をツモ切る。

 

「一発はないけどツモっちまえ!」

 

高め役満テンパイにドキドキの京太郎はツモ山に手を伸ばす。

しかし無駄牌の{⑦}。

 

「あー駄目だぁ、和の一発消しでツキも一緒に消えたかもしれね~」

 

期待が大きかっただけに思わず愚痴る。

 

「そんなオカルトありえません」

「そうだじぇ。京太郎が即ヅモなんてオカルト、あるわけねえじょ」

「なんで俺が即ヅモしたらオカルトなんだよ! 別に俺が即ヅモしたっておかしくないだろうが!」

「「「え……?」」」

「なんで咲と和まで驚いてんの!? しまいにゃ泣くぞ!」

「冗談です」

「冗談だじょ」

「冗談だから泣かないでね、京ちゃん」

「君達どんどんタチが悪くなっていきますね!?」

 

京太郎がヤケクソ気味に強打する姿に女子三人が軽く頬を緩ませつつ、十二順目の和、ツモ{七}。

 

{七八八九} ツモ{七} {横六六六} {横発発発} {横中中中}

 

一瞬の淀みなく{九}を切った。

 

{七七八八} 打{九} {横六六六} {横発発発} {横中中中}

 

これが最終形。ホンイツトイトイ{発中}の跳満、12000点。

当たり牌の{二}を槓され、一時はアガリ目なしとなったにも拘わらず、僅か数順でさらに高打点で復活。

中学生大会とはいえ、全国一位とは技術だけで獲れるものではない。

持って生まれた強運と高い技術。その二つが見事に融合しているからこそ、和は世の魔物達と対等以上に渡り合えるのだ。

そして逆に、京太郎は運と技術をミックスさせる感性に乏しかった。

和が今ツモった{七}。もしも{1}を切ってリーチしていれば、京太郎は和に食い流される事なく一発でツモアガっていた。

 

”坊主に至っては、わざとアガれない待ちを選んでいるとしか思えんな”

 

まさしく、何度もアガるチャンスがあったこの局で、京太郎は全ての裏を選択してしまったのだ。

 

「この待ち引けないのはショックだじぇ……」

 

優希、{5}ツモ切り。

 

「あちゃー、もう駄目だ。悔しいけどオリるよ」

 

咲、京太郎の当たり牌である{1}を引かされ、暗刻である{西}を切る。

和の鳴きがなければ優希が打ちこんでいた{1}だった。

 

「山にいるはずだろ、ツモれ――あ」

 

そして、十三順目、京太郎ラス牌の{八}を掴まされる。

 

「……………………」

 

京太郎の読みでは100%振り込む牌。

リーチしている以上、アガリ牌でなければツモ切るしかない。

京太郎は恐る恐る河に置いた。

 

「それだじぇ! ロン、高めだ!」

「残念でしたね、ゆーき。ロン、頭ハネです」

「じょおおおおおおおおおおお!?」

 

ダブロンなしのために上家取りされた優希は、そのまま力尽きるように卓へ突っ伏す。

だが、本当に倒れたいのは京太郎の方だった。

人生初の『親ッ跳拒否』なんて真似をし、人生初の四暗刻単騎をテンパイする事ができた。

アガれると思った。アガる為に力を振り絞った。

けれどアガれなかった。

アガれない役満などまさに絵に描いたモチだ。何の意味もない。

初めて皆に一矢報いる事ができたはずなのに、全て水泡に帰してしまった。

京太郎の頭がグラリと揺れる。

 

「跳満ですので、12000です」

「……………………」

「……須賀君?」

 

アガれなかった手牌を見詰めたまま身動きが取れない。

 

「どうかしたの、京ちゃん?」

 

そんな京太郎の顔を、咲が覗き込んだ。

 

「お、おおう!? い、いや、なんでもねえぞ!」

「そう? なんかボーっとしてたけど?」

「いやいや、ホントなんでもねーから! あ、12000だっけ? いやーやっぱ和は強ぇーわ」

 

我に返った京太郎は慌ててバタバタ手を振り、和へ点棒をし払う。

 

「いえ、最後の{八}は偶然です。誰が引いてもおかしくありませんでしたし、須賀君の当たり牌が先にいた可能性もありました」

「ア、アハハ。そっか、俺がアガる可能性もあったかぁ」

「ええ、確率的には須賀君のアガリの方が上だったと思います」

 

そうだろうか? 本当にそんな可能性はあったのか?

今までで一番頭使って打った実感もあるし、絶対にアガれるって俺も確信してたんだぞ?

これでアガれないなら、じゃあ、いつならアガれるんだ?

京太郎の心に澱の様なものが溜まっていく。

 

「どーれ、京太郎。お前はどんな手でリーチしたんだじぇ」

 

そう言って、対面から優希が手を伸ばしてきた瞬間――

 

「やめろ! 見るんじゃねえ!」

「ヒッ!?」

 

――怒鳴り散らして牌を伏せてしまった。

 

「ぁ……、ス、スマン」

 

いきなりの大声に驚く優希へ反射的に謝罪しつつも、京太郎はガシャリと手牌を崩し河とかき混ぜる。

優希は驚くというより怯えていたようだったが、手牌を確認できないようにする事の方が遥かに優先度が高かった。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「きょ、京ちゃん? ど、どうしたの?」

 

一瞬で気まずい空気になってしまった空間。

しかしそんな中、欠片も躊躇わずに咲が口を開いた。

おそらく滅多にない姿を見せた京太郎への疑問の方が強かったのだろう。ポカンとした顔で問う。

 

「あー……いや、その、スマン。いきなり大声上げちまって、優希にも謝るわ。ほんとゴメン、優希」

「う、べ、別にいいじぇ……」

「あーあれだ、その……恥ずかしくて見せられなかった……」

「「「恥ずかしい?」」」

 

京太郎はしどろもどろになりつつも謝罪した。

皆大事な仲間で友達だ。

こんな八つ当たりみたいな事でケンカなんてしたくないし、これからも仲良くやっていきたい。

だから自分の非を認め素直に口にする。

 

「俺のさっきの手、実はな……」

「「「……実は?」」」

「ノーテンだった……」

 

だが、出てきた言葉は全くのデタラメだった。

 

「「「は?」」」

「よく見たら張ってなかったんだよ! あんなにツッパっといてノーテンリーチとか恥ずかしすぎて見せらんねーよ!」

 

何故だろうと思う。

ワザとらしくおどけながら言い訳するも、京太郎にもどうして自分が嘘を吐いたのか分からなかった。

 

「「「……………………」」」

「……な、なんだよ、その呆れたような目は?」

「実際に呆れてんだじぇ! ド素人か! 特訓はどうした!」

「もう、脅かさないでよ京ちゃん。間違える事なんて誰にでもあるんだから」

「そうですね。切り間違いや見間違いを0%にする事はできませんから」

 

『恥ずかしい』は合っている。

『恥ずかしいから見せたくなかった』も合っている。

けど、張ってた手は『四暗刻単騎』の役満だ。凄い手だ。

決して『ノーテンリーチ』なんていうショボイ上にみっともない手なんかじゃない。

 

「特に今の須賀君のレベルでは無理もありません。これから一緒に練習して強くなればいいんです」

「ぁ……」

 

そして京太郎は気付く。

なんて事のない和の言葉。

 

「うん、大丈夫。頑張れば京ちゃんだって強くなれるよ、私がそうだったわけだし」

「しょーがないから、この優希様が弱っちぃ犬を全国レベルまで引き上げてやるじぇ。お礼はタコスでいいじょ」

 

咲と優希の言葉。

ありがたい話だ。

弱い己を皆で鍛えてくれて、全国へ行けるほど強くしてくれるらしい。

別に上から目線だとは思わない。実際に自分は弱いのだ。

大事な仲間達は良い奴らばかりだから、きっと心の底から『京太郎』の力になろうとしているのだろう。

そう、『初心者で、麻雀をよく知らなくて、すごく弱い京太郎』の為に。

 

「おー、頼むわ。だがタコスは断る。じゃ早速続き打とうぜ。東ラスで和の親からだっけ?」

 

――でももう俺は初心者じゃない――

 

「ええ、ではサイコロ回します」

 

――弱いのは知ってる――

 

「最後の東場だから気合入れてくじぇ!」

 

――みんなと差があるのも理解できてる――

 

「なんで優希ちゃん、この元気が南場までもたないんだろう……?」

 

――けどちゃんとおまえらと戦えるはずだ、俺はちゃんと強くなっている――

 

京太郎の内に芽生えていたのは闘争心だ。

弱いままだと思われている事に我慢できない。気遣わなければならないと、そう皆が思っている事が許せない。

先程恥ずかしかったのは、アガれると確信した手をアガれなかった事。

ミスもしたが相手と場をきちんと読んで、運も引きこんで、アガれると確信したのなら、手牌を晒すのはアガった時だけだろう。

ノミ手だろうと役満だろうと、アガれなければノーテンと同じ。

つまりあの四暗刻単騎はノーテンと同じなのだ。

そんなのを晒して、『四暗刻単騎張ってたんだ、すごいね京ちゃん』なんて言われた日には羞恥と憤怒で爆発しかねない。

子どもの頭を撫でるような真似など許して堪るものか。

京太郎は本日、雀士としての一歩を踏み出した。

相手が自分より強い事を認めても、負けまで認めたりはしない。

 

――みてろよ、オーラスまでにひっくり返してやるぜ――

 

そして、京太郎が雀鬼へと変貌する原因となった、運命の東四局が始まる。

 

 

現在持ち点

 

優希  31300

咲   29600

京太郎  2800

和   36300

 

 

東四局0本場 親和 ドラ{八}

 

絶対に挽回すると気合を入れた北家の京太郎は、この東ラスでのスタンスを決める。

 

(残り2800点しかねえからな。ここは凌いで優希の力が弱まる南場で勝負だ。とにかく1000点でもいいから早い手を作る)

 

南場に入れば勝機はあると、トばされる前に死に物狂いで親を蹴る覚悟。

そしてもらった配牌はこれだ。

 

{二五六七九①②⑨29東西白}

 

(なんじゃこりゃ!? とてもアガれるとは思えねえよ!?)

 

シャンテン数を数えるのも馬鹿馬鹿しい程の、目を覆いたくなるような配牌。

 

{二五六七九①②⑨29東西白} ツモ{発}

 

しかも第一ツモは{発}だった。

 

(おお、もう……。どうせなら九種九牌にしてくれよ……)

 

八種しかないので、九種九牌で流す事もできない。

 

(こうなったら役牌大事にして重ねるしかねえな……)

 

それでも諦めずになんとか生きる道を探り、牌を切る。

 

{二五六七九①②⑨2東西白発} 打{9}

 

(もし流局しても一人ノーテンならトんじまうからな、全力でテンパイを目指すぜ!)

 

東四局、京太郎は第一打{9}でスタートした。

そして場は進み七順目。

 

「チー」

 

咲が上家の優希から{⑨}をチーする。

 

(チー? ポンやカンはよくするけど、咲がチーから入るのは珍しいな……)

 

京太郎は咲の捨て牌に目を向けた。

 

(ん~、筒子に染めてる風でもないし、チャンタかイッツーか役牌……いやいやコイツには嶺上開花って役があったわ)

 

そして読むのは不可能と判断。

嶺上開花が常時計算に入るなど、もはや麻雀とは何だったのか。

 

(んでもって優希は索子のホンイツまっしぐら。和はタンピン系っぽい……?)

 

中盤に差し掛かり、捨て牌から色々と情報が零れてくる。

京太郎は両目に小さな碧の火を灯らせ、皆の手を推測し始めた。

そんな京太郎は未だ三シャンテン。

 

{五六七七九①②②④東白白発}

 

なんとか{白}を重ねるも河に一枚切れ。{東}も一枚切れの上、{発}はすでに二枚切れだった。

しかし、咲の鳴きで東が流れてくる。

 

{五六七七九①②②④東白白発} ツモ{東}

 

これで役牌が二つ重なった。

 

(うおっ、ナイス咲! これで{白}か{東}のどっちかが鳴ければアガリも夢じゃねえぞ!)

 

咲に喝采を送りつつ、打{④}。

面子は足りてるので、安全そうな{発}を残す。

そして八順目。

 

{五六七七九①②②東東白白発} ツモ{②}

 

すごく、{②}。

 

(お見事! 咲のツモはほんとお見事だわ! こんな生き生きとしたツモならそりゃいくらでも勝てますよ!)

 

咲のツモ筋になった途端{東}が重なり、さらに{②}が暗刻る。

あのボロボロの配牌が八順でイーシャンテンになったのだ。

京太郎は咲のツモ運に嫉妬しつつも、ホクホク顔で打{①}。

 

{五六七七九②②②東東白白発}

 

しかしラッキーはここまで。

 

「リーチ」

 

九順目、下家の和から親リーが飛んできた。

 

(ヤッベ! 親の和にツモられたらトんじまうぞ!?)

 

京太郎はビクリと肩を震わせつつ、和の捨て牌に視線を飛ばす。

 

(二順目にダブ{東}切って索子を{821}で整理。萬子バラ打ちで{⑤}切りリーチ……、ピンフ手なら{①④③⑥⑨}は切れねえな)

 

碧に燃える瞳で必死に待ちを読んだ。

これが惜しいところまで当たる。

和の八順目までの手牌。

 

{三三四四五五④⑤⑤⑥⑦⑦⑧}

 

このイーシャンテンから{⑦}をツモり、

 

{三三四四五五④⑤⑥⑦⑦⑦⑧} 打{⑤}

 

打{⑤}でリーチ。

 

「(私の待ちは誰も持っていません。山に生きてる枚数は残り九枚、三順以内に確実にツモりますね)」

 

{③⑥⑨⑧}の四面待ちリーチである。

 

「(ダマツモでは須賀君がトばないので私のトップが確定しません。ここはリーチして満貫ツモを狙います)」

 

ツモを確信して即リーした和は、京太郎をトばす気満々だった。

デジタルの天使は心もデジタルなのだ。

そして南家の優希のツモは生牌の{北}。

 

{4556678中中中南南南} ツモ{北}

 

なんと、優希は僅か八順でメンホンをテンパッていた。待ちは{58}。

京太郎がこれを見たら発狂しかねなかった。

 

「(ぐぬぬぬ……、{北}は生牌だじぇ。のどちゃんには通るだろうけど咲ちゃんには危険牌。カンされたら死ぬじょ……)」

 

槓されて死ぬとはどういう事か。

まるで槓したら必ずアガれてしまうみたいではないか。

 

「(でも{8}はのどちゃんの現物。咲ちゃんと京太郎がすぐ出してもおかしくない。最後の東場だしここは勝負だじぇ!)」

 

生牌とはいえ、オタ風の字牌を歯を食いしばって強打。

清澄の麻雀に救いはない。

 

「ポン」

「ヒィッ!?」

 

そして咲がポン。

オタ風の{北}を鳴いて{東}を切る。

 

「び、びっくりしたぁ……。ポンでよかったじょ、カンだったら心臓止まってたじぇ……」

「大げさだよ、優希ちゃん……」

 

胸を押さえる優希の姿に呆れかえる咲だったが、京太郎も胸を押さえてビビリまくっていたので全然大げさじゃなかった。

 

(カンじゃなくてポンか……、でもすぐ{北}カンして嶺上ツモっちまいそうなんだよな……)

 

京太郎は顔をしかめつつも、最後まで足掻く。

 

「その{東}ポン」

 

そして安牌の{発}を切った。

 

{五六七七九②②②白白} 打{発} {横東東東}

 

 

ドラの嵌{八}待ち。

どう考えても出ない待ちだが、それでもクソ配牌からなんとか辿り着いたテンパイだ。

 

(和はリーチしてるし、掴めば出る。ギリギリまで待って、筒子引いたら{白}切ってなんとか回ろう)

 

京太郎は自身にできる全てで精いっぱい頑張っていた。

十順目、和は不要牌の{①}をツモ切り。

次の優希。

 

{4556678中中中南南南} ツモ{⑥}

 

和のアタリ牌である{⑥}を掴まされてしまう。

 

「(ぐえ……、とんでもないのが食い流れてきた……これはさすがに切れねえじぇ……)」

 

泣く泣く現物の{8}を切り、{⑥}筒単騎に受けた。

 

{⑥455667中中中南南南} 打{8}

 

とりあえず仮テンにとり、{⑥}周りを引いてきて二面待ちにしようと画策。

ここら辺の押し引きをきちんとするあたり、清澄高校先鋒として全国のエース級達と鎬を削っただけの事はあるといえよう。

そして咲。

引いてきた{②}をツモ切り。

 

「(うん、次だね。次のツモで{北}を引いてきて、嶺上で{七}をツモアガリだよ)」

 

自身の超感覚が次順のアガリを確信し、現物{⑤}のスジを追った。

もはやただの超能力者である。

 

(あ~やっぱ誰も出さねえかぁ。ここでスルッとドラの{八}引いてこねえかなぁ……)

 

祈る様に山へと手を伸ばす京太郎。

しかし。

 

(……ん? 待て、ちょっと待てよ!?)

 

山へ手が触れる前に気がつく。

 

(咲が捨てた{②}……、でも親がリーチしてるのにそんな馬鹿な事していいのか……?)

 

悩んだのは一瞬。

 

(いや、和のアガリは阻止できないかもしれないけど、咲のアガリなら確実に阻止できる!)

 

両目に宿る碧の火が、ボッと炎へと噴きあがった。

 

「カンッ!」

 

京太郎は咲が捨てた{②}を大明槓。

 

{五六七七九白白} {横②②②②} {横東東東}

 

通常、親がリーチしている状況で大明槓などありえない。ドラを増やして喜ばれるだけだからだ。

 

「ぇえ!?」

「うはっ、よくやった犬」

 

しかし、それは通常の麻雀だった時の話。

超能力者がいる時点で、この卓は麻雀とは違う競技へと変貌しているのだ。

今度は咲が驚き、目を見開く。

優希は喝采を上げた。

 

{五六七七九白白} ツモ{七} {横②②②②} {横東東東}

 

咲の感覚通り、嶺上牌は{七}。

 

(これか! この{七}が咲のアタリ牌!)

 

京太郎はニヤリと笑い、チラリと咲に目を向ける。

驚いて目を丸くしている姿に、

 

(どうだ! 一泡吹かせてやったぜ!)

 

と満足感が広がった。

 

(これで{九}を切れば、{白四七}の変則三面待ち! 咲とは同テンだ!)

 

ツモってきた{七}を手の内に入れ、{九}を掴む。

 

(咲のアガリを止めてやった! どうだ! 俺だって強くなってんだよ!)

 

そして満面の笑みで河へ放った。

その瞬間。

 

「「「ッ!?」」」

 

優希と和も感じた凄まじい重圧。

嶺に咲く花へ無邪気に手を伸ばした瞬間その腕を掴まれ、体ごと引っこ抜かれたと思った刹那には抜き手で心臓をぶち抜かれている。

 

「か……は……」

 

京太郎はあまりの出来事に呼吸ができなくなった。

 

「……カン」

 

この世のものとは思えない闇色の声。

咲は京太郎が切った{九}をさらに大明槓する。

 

「ツモ。嶺上開花」

 

そしてごく当たり前のようにツモアガリ。

己の支配領域に土足で入ったものを許す筈もなく、逆鱗に触れた京太郎を一撃で即死させると、そのまま投げ捨てた。

 

「ドラドラで6400」

 

責任払いで京太郎がトビ、咲のトップが確定した。

咲のアガリ形はこれ。

 

{八789} ツモ{八} {九九九横九} {横北北北} {横⑨⑦⑧}

 

そして京太郎が大明槓する前の咲の手牌はこうだ。

 

{八九九九789} {横北北北} {横⑨⑦⑧}

 

{七八}待ちのチャンタ三色ドラ一。ドラの{八}では役無しでアガれず。

しかし、魔物にそんなものは関係ない。

普通の人間が小細工をしたところで強引にアガリをもぎ取ってしまう。だからこそ魔物。

 

「はぁ、びっくりしたぁ。京ちゃんいきなりカンするんだもん」

「……………………」

「さ、咲ちゃんキツすぎ、というか恐すぎだじぇ!」

「偶然の嶺上開花とはいえ、全国優勝してからの咲さんのアガリは何か貫禄が出てきましたね」

 

トんだ京太郎はまるで動けず呆然自失の状態だ。

 

「そ、そんな事ないよ。一瞬やられたって思ったし、運がよかっただけだよ」

「……………………」

「いーや。最後のカンでぞわ~ってなった。まだトリハダやべえじょ」

「そういえば少し寒気がしました。汗をかいて冷えたのかもしれません」

 

してやったと思った瞬間にトばされたのだ。当然だろう。

女子三人が騒ぐ中、京太郎は自問自答を繰り返していた。

 

(なんだこれ……。こんな事ってあるのか?)

 

初心者を脱し、意気揚々と臨んだ対局。

 

(俺は咲のアガリを阻止したと思った。いや実際にアタリ牌を止めた。なのになんでいきなり振り込んだんだ?)

 

しかし終わってみればいつも通り。

 

(これが本当に麻雀なのか? 俺だけみんなと違う事してるんじゃないのか? 全然理解できない……)

 

一回アガる事さえもできなかった。というか、南場へ突入する事すらできずにまたトばされてしまった。

 

(こんなに? こんな、全く理解できない程に差があんのかよ?)

 

一週間前より10倍強くなった実感はある。

だが、100倍の差が10倍になったところで、咲達が遥かに強い事に変わりはない。

 

「京ちゃん?」

「どうかしましたか、須賀君?」

 

――ナンデ普通ニ話ス事ガデキンダヨ――

 

「オイ、死んだのか? いい加減目を覚ませ、犬」

「お、おお。大丈夫、起きてるぞ」

 

――優希ト和モサッキノ見タダロ?――

 

「まあ咲ちゃんの必殺技くらったからな、生きてるだけで儲けものと思え」

「やっぱ必殺技だったか~。確かに殺されたかと思ったわ」

 

――アレ見テ何トモ思ワネエノカヨ?――

 

「実際にトんでライフ0になってるじぇ!」

「必殺なんだろ? インターハイで何人殺したんだ、咲のやつ」

 

――コイツラ三人共バケモンダ――

 

「もう京ちゃん!」

「麻雀に必殺技なんてありません」

 

――追イツケル気ガシナイ――

 

 

終局

 

優希  31300

咲   37000

京太郎 -3600

和   35300

 

 

この後、京太郎は普通に帰った。

 

「さすがに五日間の特訓じゃまだ勝てなかった。というわけで今日も特訓してくるわ」

「五日特訓してノーテンリーチとか、ほんとに特訓してるのか」

「うっせ。メチャクチャがんばってるっつーの」

「ほんとか~?」

「師匠が宮崎帰っちまうまで、練習できるのあと四日しかねえんだよ。怠けてられるわけねーだろ」

「京ちゃん、その師匠って誰なの?」

「あ、それ私も興味ありますね」

「絶対に内緒だ。お前らに勝ったら教えてやるよ」

「じゃあ一生知る事ができねえじょ」

「言ってろ。んじゃまたな~」

「うん、またね。京ちゃん」

「さようなら、須賀君」

「四日経ったらちゃんと帰ってくるんだじぇ。帰巣本能を忘れるな」

「犬じゃねえよ!」

 

こんなやり取りの後、少々早いがそのままバスに乗り、師匠の元へ向かう。

いつものようにバスを降りて、いつものように自販機へ寄り、いつものように酒を二本買ったあと、いつものようにチャイムを押した。

 

「…………どうした坊主」

「じじょう……ッ、俺をもっどづよぐじでぐだざい……ッ」

 

京太郎、雀鬼への道を踏み出す。

 

 

プロローグ カン



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「修行」

「……だから打つなと言っただろう」

「……………………」

 

ちゃぶ台の前で俯く弟子。

言いつけを守らなかった馬鹿弟子に、師は大きく溜息を吐いた。

 

「いいか、初心者とは良くも悪くも鈍感だ」

「……鈍感?」

 

本来なら怒鳴りつけてもいいのだろうが、既に相当へこまされてきたのは見れば分かる。

だから師は、怒るというステップを飛ばした。

 

「そうだ。鈍感故に相手の大きさが分からん。良い悪いの問題ではなく、ただ単に認識的な意味でだ」

「…………」

「だが、坊主はもう違う。相手の姿形を多少なりとも認識できるまでに成長した。いや、してしまったと言うべきか」

「……まずい事なんすか?」

「言った筈だ。善し悪しの問題ではないと」

「…………」

 

諭してくる師に、京太郎の陰鬱は益々深くなるばかりだ。

 

「しかし、認識できるようにはなったが、その分坊主は余計に分からなくなった」

「…………」

「相手の力、自身の力、やってきた事の意味、これからもやっていく意味。自信は砕かれ、この先のスタンスすら何も見えん」

「…………」

「坊主の内情は、おそらくこんなところだろう」

「…………」

 

さすがは人生経験豊富なお年寄り。千々に乱れる心情を的確に言葉にしてくれた。

だがまるでありがたくない。羞恥で死にたくなる。

どう聞いてもただの甘ったれだ。

約束を破った自業自得なのは分かるが、弟子がボロボロになって帰ってきたのだから、こんなときくらいは容赦してほしい。

京太郎は小さくなってまた泣きそうになってしまった。

 

「勘違いしているようだがな、中級者になるのはそれほど難しい事ではない。才能のあるなしも意味を持たん」

「そうなんですか!?」

 

しかしこれには声を上げざるをえない。

なら、初心者を卒業して浮かれていた己はただの馬鹿ではないか。

 

「二流三流の中級者などごまんといる。どんな競技にも言える事だ」

「…………」

「一流へあがる為には資格を手に入れねばならんが、その条件も方法も、坊主に教えた覚えは俺にはないな」

 

ああ、なるほど。やっぱり自分はただの馬鹿だったのか。

京太郎は自嘲も通り越し、穴を掘って埋まろうと決心する。

 

「さらに言っておくが、初心者から中級者へ上がるのは何もいいことばかりではない。どうしても失うものがある」

 

だが、師の追い込みは止まらない。

 

「……失う? 俺は何かなくしたんですか?」

「初心だ」

「初心……?」

「失くしてはならん事は誰もが知っている。また、初心者ならば誰もが皆大事に持っている」

「…………」

「なぜか中級者はすぐに失くすがな。坊主みたいに」

 

師の言葉が胸に突き刺さった。

結局は、調子に乗った京太郎が生粋の愚か者だったというだけの話。

 

「坊主の疑問に答えてやろう。『生兵法は怪我の元』、が正解だ。くだらん自惚れから付け焼刃で傷を負ったにすぎん」

「……そう、ですね。きっとそうです……」

 

羞恥もここまでくれば繕う事もできないだろう。

 

「――が、誰でも一度は通る道とも言える」

「……ぇ?」

 

しかし、まだ数日とはいえ弟子は弟子。

面倒な事この上ないが、馬鹿弟子のメンタルケアもまた師の役目なのだろう。

 

「力をつけたなら試したい、努力したなら結果が欲しい。小僧なら思って当然」

「し、師匠にもあったんすか!?」

 

案の定、馬鹿弟子は食いついた。

 

「……坊主。まさかとは思うが、俺が生まれた時からジジイだと思ってはいないだろうな?」

「いえいえいえいえ! そんなの思ってないっすよ!」

 

みるみる元気を取り戻していく。

 

「でもそっかぁ……、師匠にもそういう事はあったのかぁ……」

「……………………」

 

そんな過去も確かにあったが、師と仰ぐ者の恥を目の前で喜んでどうする。

段々とご機嫌斜めになっていく師に気付けない京太郎は、やはりデリカシーが足りなかった。

 

「一年を短縮してやるとは言った。だが、どれだけ縮められるかは坊主次第とも言った」

 

けれどお師匠様は大人なので、内心の怒りをグッと堪えて助言を与える。

 

「残りあと四日だ、とっとと牌を積め。今日から攻撃の型に入る」

「う、うっす! よろしくおねがいします!」

 

大沼秋一郎が良い男なのは言うまでもない。

 

 

 

    ※

 

 

 

「これまでは坊主が三人分打ったが、これからは逆だ」

「逆? という事は、師匠が三人分打つんすか?」

「そうだ」

 

積まれた山を前に、師から新しい練習の説明を受ける。

 

「そんな無茶な。俺が三人分でも逃げ回る事しかできないんすけど……」

 

一気に弱気になるが、

 

「ある程度力は落とす。さらに、俺は坊主への直撃でしかアガらん」

「は? ……つまり師匠はツモアガリしないし、俺以外の他家からもアガらないって事っすか?」

「そういう事になるな」

 

このルールだとどちらが有利なのか、京太郎には判断できなかった。

 

「ん、ん~?」

 

三対一は確かに不利だが、その分師はツモアガリと他二家への放銃が封じられ、恐ろしく窮屈な麻雀を強いられるに違いない。

 

「坊主は三人への振り込みを防ぎつつ、とにかくアガれ。アガれなければやり直しだ」

「またやり直しっすか!?」

 

甦る無限地獄の悪夢は、京太郎に悲鳴を上げさせる。

 

「強くなりたければ黙ってやれ。残り四日だという事を忘れるな」

「う、ういっす!」

 

だが、強くなる為だと覚悟を決めた。

 

「お願いします!」

 

特訓開始。

 

「「「躱せ躱せ。躱せなければガードして力を逃がせ」」」

「うひぃぃぃぃぃぃぃ!」

「「「馬鹿め、後ろに下がるな。追撃されてじり貧になるだけだ。前に出て躱せ」」」

「む、無理っす、師匠! 速過ぎてついていけません!」

 

まあ、開始した直後から覚悟が鈍りそうになったのは言うまでもないが。

 

「「「泣きごとなんぞ知らん。いいから直撃しない事だけ考えていればいい。躱せ躱せ躱せ」」」

「ひぎぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

無意識下の荒野では、京太郎は三人の師から嬲られまくっていた。

もちろん、現実でも同様だ。

 

「ロン」

「うっ……」

「ロン」

「ぐはっ……」

「ロン」

「やっぱ三対一は無理だって!」

「ロン」

「誰がテンパッてるかも分かんないぃぃぃ!」

 

どこが攻撃の練習なのか。

京太郎は終始振り込みマシーンと化していた。

 

「「「まずは対三戦闘に慣れろ。一人に集中するな」」」

「うわわわわ!?」

 

両手、そして両足を鎖で繋がれている筈なのに、師の三人から繰り出される攻撃が激しすぎる。

 

「「「意識を固定するなと言っているだろう」」」

「ぐえ!? ちょ!? ぶはっ!? 待っ!? ぶへえ!?」

 

滑る様に近づいてきたと思ったら既に打たれているのはどういう事だ。

 

「無理無理無理無理! 無理だからーーーーぶへんっ!」

「「「一人見るのも三人見るのも同じだ」」」

 

無茶を言いつつ、師は弟子を叩きまくった。

 

「「「攻防は分ける事に意味がない。躱して打つ、打ったら躱す、それだけだ」」」

「もっと! もっとヒントを!」

「「「脇をしめろ、腕をたため。膝もだ。窮屈だろうがそれが一番力が入る」」」

「痛だだだだだだだ!? もう殴らんといてぇぇぇ!」

「「「体勢を崩すな。頭の天辺から大地へ突き刺さる鉄芯をイメージしろ。体が流れてもそれは変わらん」」」

「何言ってるか分かんないぃぃぃ!?」

 

そして二時間後。

 

「……………………」

 

初めての時と同じように、京太郎は卓に突っ伏して死んでいた。

 

「いいか、テンパイした者を注視するのではなく卓全体を掌握しろ」

 

結局一度もアガれなかった弟子へ、師は本日のまとめの教えを授ける。

 

「……さ、三人の手を同時に読めって事っすか?」

「状況も流れも心理も思惑も情報も運も、卓上に渦巻いているもの全てだ」

「んな無茶苦茶な……」

 

突っ伏したままだが、弟子は師の説明を呑みこもうとがんばる。

 

「慣れればどうという事はない。次からは全員分の手牌読みから始めろ」

「うぃっす……」

 

師との別離まであと四日。

京太郎はフラフラになりながら帰宅した。

明けて日曜。

本日は部活も休み。しかし、京太郎は朝から部室へと足を運んだ。

 

「……やっぱみんなスゲェな」

 

職員室で鍵を借り、部室で牌譜を眺める。

 

「咲もそうだけど、部長の打ち方もわけ分かんねえ。つーか染谷先輩もたまにおかしな事してるぞ……」

 

県予選、そして全国での闘牌を改めて確認し、一人、部室で眉根を顰めた。

 

「対戦相手もおかしなのが結構いるな……」

 

インターハイチャンピオンを擁する白糸台だけでなく、永水や宮守等を見ては頭が痛くなる始末だ。

しかし頭を悩ませてばかりもいられない。

超常の闘牌を確認して脳がゆだるたびに卓へ向かい、全力で牌を積む。

 

「ぬおおおおおおお!」

 

自動卓で手積みの練習とはこれいかに。

壁に立てかけられた時計の秒針で計りながら、崩しては積み崩しては積みを繰り返す。

師匠との特訓の時間まで、京太郎は一人黙々と牌を積んだ。

 

「脳と五感を直結させろ。三人の手牌を瞬時にイメージできるようになれ」

「うごえええ……ッ、こんがらがる! あ、頭がおかしくなりそうですよ師匠!?」

 

そして一生懸命がんばる。

 

「それでいい、おかしくなった奴こそが麻雀打ちという生き物だ」

「業が深いいいいい!?」

 

師の無茶ぶりに絶叫した日も。

 

「つああああああ!」

「「「そこで踏み込め!」」」

「しっ!」

「「「打て!」」」

「せい!」

「「「…………」」」

「…………」

「「「……まあ、いいだろう。今の拍子を忘れるな」」」

「っしゃあああ!」

 

初めて攻撃がカスって大喜びした日も。

 

「「「俺の腹に全力で打ちこんでこい」」」

「え? でも……」

「「「いいから早くしろ」」」

「じゃあ……、おらぁっ!」

「「「……なんだこのへっぴりパンチは? もっと力を込めろ」」」

「うっ……、お、おりゃあああ!」

「「「……力の入れ方を知らん奴だな。こうだ、こう。こう打つんだ」」」

 

枯れ木のような腕から繰り出された爆発する拳が、

 

「おごえぇっ!?」

「「「……まともに食らってどうする。ガードはどうした」」」

「じ、じぬ……死んじゃいまずよ……じじょぉ……」

「「「…………ハァ」」」

 

腹にめり込み吹っ飛ばされた日も。

一生懸命がんばった。

そして最終日の火曜の夜。

 

「時間だな」

「ぐっ……」

 

最後の特訓時間も終わり、いよいよ師が明日帰ってしまう。

 

「終局に辿り着く事はできなかったが、まずまずだ」

「…………」

 

しかし、最後の修行は完遂できなかった。

京太郎は歯を食いしばって俯くしかない。

 

「そんな顔をするな、坊主。元々クリアするとは微塵も思っていなかった」

「そうなんすか?」

 

慰めだろうかと思いつつ、師に視線を向ける。

 

「最初の目的を忘れたのか? 言った筈だ、一年という期間を短縮すると」

「……?」

 

それでも、何を言いたいのか分からなかった。

 

「たとえ全国クラスだろうが所詮は高校生。坊主との力差など微妙すぎて、もう俺には分からん」

「……ぇ」

 

しかし理解した。

 

「期間は埋めた。元より坊主の勝ち負けになど興味もない」

「マ、マジっすか……?」

 

それは、清澄のみんなに追いついたという事。

 

「あとは好きに打て」

「あ、ありがとうございます! 師匠!」

 

うれしさを隠すことなく、京太郎は頭を下げて礼を言う。

 

「最後に牌を積んでみろ」

「うっす!」

 

牌を指差してきた師。

京太郎は元気よく答え、卓上にかざした手へ意識を集中させる。

そして一気に積み始めた。

 

「…………」

 

次々に積まれていく牌を、師は黙って見続ける。

 

「積みました!」

 

積み終わった山を見て、

 

「50秒といったところか……、まだまだだな」

「おう!?」

 

駄目だし。

 

「わ、分かってます! ちゃんと練習しますんで!」

「当然だ」

 

そんな出来の悪い弟子へ、師として最後の贈り物をする事に決めた。

 

「坊主も知っているだろうが、特殊な力について教えておこう」

「特殊? 王牌が分かったり、必ず海底であがれるみたいなやつですか?」

 

どうやら指導はまだ続くようだと、京太郎は真剣な表情で身を乗り出す。

 

「そうだ。能力を持つ者は意外といる。しかも千差万別故に、初見では手に負えん場合もある」

「反則っすよね……」

 

咲の嶺上開花を思い出し、ブルリと身を震わせた。

 

「明確な対処法などないが、例として俺の能力を一つ見せる」

「師匠も持ってんすか!?」

「プロは大抵持っている」

「プロ恐ぇぇぇ!」

 

咲だけでなく、プロの世界にも慄くしかない。

 

「これから見せるのは鏡だ」

「鏡?」

 

師がサイコロを振り、山から四つ牌を持ってくると、京太郎も続けて牌をとる。

 

「鏡というのは使い勝手がいい。映す、覗く、真似る、様々な使い方がある。プロにも何人か使ってる奴がいる」

「師匠もその一人ってわけですね」

「ああ、俺のは防御兼反射だ」

 

どうやら二人麻雀が始まるらしい。

 

「反射っすか?」

 

師が第一打を切り、京太郎もツモっては不要牌を河へ並べた。

 

「口で言っても分からんだろう。とりあえず全力で手を作ってみろ」

「うっす」

 

そして十二順目。

 

「リーチ!」

 

京太郎が牌を曲げる。

 

{二三四五六七八九東東東南南}

 

{一四七}待ちのテンパイ。

そして京太郎は見た。

 

「は?」

 

渾身の力で打ちこんだ瞬間、気付けば師の前に全身を隠す程の、豪奢で大きな姿見が現れているではないか。

拳は止まらない。

自身の驚愕した表情めがけ、京太郎はフルパワーで腕を突き出してしまった。

 

{一二三三四五六七八九西西西}

 

師の手牌。{三六九}待ちのこの手から、

 

{一二三三四五六七八九西西西} ツモ{一}

 

京太郎のアタリ牌を掴まされるも、打{西}。

 

{一一二三三四五六七八九西西}

 

次順京太郎、{二}を引く。

 

「ロン」

「ぶふっ……!?」

 

師の発声と共に、京太郎は弾き返された。

 

「見た通りだ。いったん受けてそのまま相手へはじき返す」

「ス、スゲー……。なんでそんな事できんの?」

 

目を見開いて師の手牌を凝視するも、これで終わりではない。

 

「もう一度積め」

「あ、はい」

 

言われた通り山を積み直すと、再び二人麻雀が始まる。

 

「今から少し強めに坊主へ打ちこむ」

「は?」

 

師が荒野で構えをとった。

 

「返してみろ」

「どうやって!? 何も教わってないっすよ!?」

 

弟子はびっくり仰天である。

できるかあ! と叫ぶも、師の気が膨れ上がった事にビビるしかない。

 

「能力とは技術ではなく生み出すものだ。既に下地はできている」

「マジで言ってんすか!? いや、師匠の事だからきっとマジなんでしょうけどもね!?」

 

これやだモー! と、もはや泣きそうだ。

 

「後は手のひらに集中させて鏡を生み出せ。いくぞ」

「ちょっとおおおおおお!」

「ふん!」

 

巨大な拳が眼前に迫った。

 

「リーチ」

「うげ!?」

 

九順目に発せられた師の声。

 

{一九①⑨1東南西北白発発中}

 

{9}待ちテンパイ。

 

(幺九牌が一枚も出てないって、まさか国士!? 手の内八枚も幺九牌で埋まってんだぞ!?)

 

チュートリアルなので分かりやすい捨て牌。

そしてテンパイを教える様にリーチ。

 

{一一二二⑨⑨77899発発} ツモ{9}

 

{8}単騎だった京太郎は、見事に最悪な牌を掴まされた。

 

「ひぃぃぃっ!」

 

恐怖で悲鳴を上げながらも、両手を重ね合わせて前方へ突き出す京太郎。

あまりに巨大な拳に『これじゃ防げない』と絶望した瞬間、

 

「あぎぃっ……!?」

 

衝撃が全身を貫いた。

 

{一一二二⑨⑨78999発発} 打{7}

 

それでも飛ばされない。

 

「うぎぎぎぎ……!」

 

師の拳を受け止める手のひらの中に何かがある。

手のひら大の、何の変哲もない小さな鏡。

それで受け止め続ける。

 

{一一二二⑨⑨78999発発} ツモ{⑨} 打{二}

 

{一一二⑨⑨⑨78999発発} ツモ{三} 打{一}

 

「ほう……」

 

師は感心するような声をだし、力を抜いた。

 

「ツ、ツモ」

 

{一二三⑨⑨⑨78999発発} ツモ{9}

 

京太郎は、ツモってきた{9}と手牌を倒す。

 

「反射までは無理だったか……。だが、そんな小さな鏡でよく受けた」

 

その指は震えていた。

 

「こ、これが咲達みたいな特殊能力……」

 

自身の手を凝視しつつ、行使できた力に心が震える。

しかし、その様を見た師が吹き出して笑った。

 

「能力と言うにはショボすぎる。危険な牌に対して少し勘が働いただけだ」

「なんでそんな事言うんすか! 少しは夢を見させてくださいよ、夢を!」

 

クククと笑う姿に自尊心が傷付けられる。

本当に容赦のない師匠だ。

 

「その鏡は餞別だ。えらくショボイが、坊主の身を守るくらいはできるだろう」

「ウ、ウス。ありがとうございます……」

 

未だ馬鹿にしたような笑みを見せてくるので憮然と返すしかない。

そんな弟子へ、表情を正した師が最後の言葉を送る。

 

「麻雀の根幹をけして忘れるな」

「麻雀の根幹?」

「アガれるかどうかは所詮運。だが、意志なくして運は引き寄せられん。どれだけ人事を尽くしたかで天命が決まる」

「意志……」

 

最後の言葉はただの精神論だったが、それでも、京太郎の心には深く刻まれた。

生涯忘れる事はないだろう。

 

「さて、これで俺の暇潰しは本当に終了だ。俺がお前に教える事は二度とない」

 

そんな言い方をされたらウルッときてしまう。

正味九日間という短い期間ではあったが、本当にたくさんの事を教えてもらった。

辛くてきつかっただけだとしても、もう二度と教わる事ができないというのは酷く寂しい。

 

「あとは勝手に強くなれ。一番の近道は自分より強いものと打つ事だ、いろんな奴とな。経験こそが坊主を鍛えるだろう」

「ありがとうございました! このご恩は一生忘れません!」

 

だから頭を下げた。

額を床に擦りつけて感謝を示す。

 

「それはさっさと忘れろ。男に一生覚えられてても気色悪いだけだ」

「あ、あいかわらずクールですね……」

 

しかし、感謝のし甲斐はなかった。

 

「さっさと牌を片付けて帰れ。俺は荷物をまとめるので忙しい」

「いつも通りすぎて逆に恐いっすよ! 弟子との別れに感傷とかないんすか!?」

「そんなものはない」

 

それが大沼秋一郎という男だからだ。

京太郎はブチブチ文句を言いながら片づけを始める。

 

「明日何時に出発するんですか? 俺見送りにいきますよ」

「くるな。学校へいけ」

 

たしかに明日は水曜。

普通に平日だった。

 

「なにか恩返しがしたいんですが、してほしい事とかありませんか?」

「小僧にできる事など何もない。でかい口は稼げるようになってからにしろ」

 

身も蓋もないとはこの事だ。

十五歳の子どもに言ってはいけないだろう。

 

「そーだ! 俺もプロになりますからいつか対局しましょう!」

「笑い殺す気か? 坊主がプロになれるなら、この世はプロで溢れかえるだろうよ」

 

師だからこそ、弟子の才能をよく知っている。

人生が壊れない様に、甘い戯言だと切って捨てるのもまた師の務めに違いない。

 

「今度会う時に俺の成長を見せます。とりあえず全国一位を目指しますから」

 

片づけを終え、玄関で靴を履きながらそう言うも、

 

「俺は死ぬまでプロとして生きる。坊主と道が交わる事は二度とあるまい」

 

背後からの声は淡々としていた。

 

「体には気をつけてくださいね、師匠」

 

京太郎は振りかえり、ボロボロと涙を零しながら最後に頭をさげた。

 

「お前も達者でやれ――」

 

師は下げられた頭に手を乗せ、

 

「――京太郎」

 

名前を呼んだ。

 

「ありがとうございました! 大沼師匠!」

 

師は己の戦場へと帰った。

そして、師との別れを経験した京太郎は、覚悟を決めた。

シニアリーグのトッププロ、「The Gunpowder」の弟子として、己もまた自身の戦場へ向かう覚悟を。

 

 

特訓編 カン

 

 

 

 

 

「部長!」

 

次の日の清澄高校。三年の教室。

 

「ど、どうしたの、須賀君? というか部長はまこであって、私はもう部長じゃないわよ?」

「お話があります!」

「近い! 近い近い! ちょっと、顔が近いわ!」

「そんな事どうでもいいんです!」

「よくない! いいから少し離れなさい!」

 

「おー、なんか竹井のやつ一年に迫られてんぞー?」

「え、なに? 久コクられんの? 一年生をたぶらかすなんて、あいかわらずやる事がえぐいわねぇ……」

「おいおいマジかよ? 誰か止めてやれ、かわいそうじゃねーか」

「悪い事は言わないからやめとけ一年。これはお前の為だ。そいつの中身は奴隷商人と変わらんぞ」

「久もやめたげなよ。一年生なのにかわいそうじゃない」

「「「「「そーだそーだ」」」」」

 

「うるさい! そんなんじゃないわよ!」

「周りはいいですからこっちを見てください!」

「ちょっ、な、なによ? だから顔が近い……ってなんで手を握るの!?」

「部長、大事なお話があります」

「え? ……え? ……ぇえ!?」

 

「うそぉ……、なんかマジでコクりそうな雰囲気なんだけどぉ?」

「上級生のクラスにきて告白する勇気は認めるが、ただの自殺にしか見えんな……」

「フラれてもOKされても未来ないもんね……」

「なんて因果な女なんだ……」

 

「あ、あのね、須賀君? その、なんで手を握ってるのか……」

「部長に逃げられない為です」

「…………そ、そう」

 

「……あれあれ? なんか久、意外に好感触っぽいんだけどぉ?」

「マジかよ、あの竹井に恥じらうなんて感情があったのか……」

「それでも全く未来が見えないのは久らしいよねー」

 

「部長、俺に……」

「う、うん……」

 

「「「「「(ゴクリ……)」」」」」

 

「俺に加治木さんの連絡先を教えてください」

「……は?」

「鶴賀学園の加治木ゆみさんの電話番号を教えてほしいんです! 今すぐ!」

「…………」

「抜け目のない部長の事! 一緒に合宿した人達の連絡先は入手してる筈です!」

「……………………」

 

「てっしゅー」

「あの一年馬鹿か? 虎の尾の上で踊りまくってやがるんだが……」

「いいから逃げろ。とばっちりを食うぞ」

 

「だから加治木ゆみさんを紹介してください! お願いします、部長!」

「…………………………………………」

 

 

もいっこ カン



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幕間「始動」

京太郎は逃げていた。

校則なんて知った事じゃないとばかりに、校舎の中を全速力で駆け抜けていく。

 

「ああ、ちくしょう! 絶対部長に殺される!」

 

泣きそうになりながら、荷物がある自身のクラスへと突っ走った。

 

「もう後戻りできねえぞ! ちくしょー!」

 

さて、京太郎に何が起こったのかというと、事は昼休み。

久のクラスへ加治木ゆみの連絡先を聞きに行ったのが始まりだった。

色々条件を付けられるだろうとは思ったが、それでも教えてくれるだろうと軽く考えていたのだ。

しかし、

 

『……駄目に決まってるでしょ。馬鹿な事言ってないでさっさと教室に戻りなさい』

 

酷く冷たい視線で一刀両断にされてしまう。

 

『な、なんでですか!?』

『なんでも何も、あなたはゆみと面識ないでしょう? 全国の激励の時にチラッとすれ違っただけじゃない』

 

まさか久からあんな冷たい目を向けられるとは思いもしなかった。

 

『ぶ、部長が紹介してくれればいいじゃないですか!』

『嫌。絶対に断るわ』

『な、なんでそんな冷たい事言うんです!? 可愛い後輩の頼みっすよ!?』

『別に可愛くないからいいのよ』

『ひどい!』

 

なぜあんなに怒っていたのだろう? もしかしてあの日だったのだろうか?

 

『な、なら部長が電話して俺に代わってください! 用件を伝えられればいいんで!』

『用件ってどんな?』

『そ、それは言えません……』

『へえ?』

『か、加治木さんには直接会ってお話ししますんで』

『ふ~ん?』

『い、いや、だからですね? 部長に仲介役をしていただけないかと……』

『だから、絶対に嫌よ』

『なんで!?』

 

取り付く島もないとはこの事だろう。

 

『あのね、須賀?』

『須賀!? いきなりなぜこのタイミングで呼び捨て!?』

『あら、先輩が後輩を呼び捨てにするのはそんなにおかしな事かしら?』

『い、いえ! 全然おかしくないっす! どうぞ部長の好きなように呼んでください!』

『そう。あのね、須賀?』

『は、はい……』

『ゆみは他校の女子生徒なの、分かる?』

『も、もちろんです。加治木さんは鶴賀学園の生徒っす……』

『つまり、問題が起きたら私の力じゃどうにもならないの。分かった?』

『も、問題っすか?』

『部室で年がら年中発情してるような男子なんて、危なくて紹介できないでしょう?』

『酷すぎっすよ!? なんでそんなデマ言うんすか!?』

『毎日和の胸に釘付けなのは誰?』

『うぐっ……!』

『たまに私のも』

『はうっ……!』

『でもどちらかと言えば、私の場合は足に興奮するのよね?』

『ああっ! さわやか京ちゃんの秘密が全部バレている!』

『男の視線に気付かない女なんてこの世にはいないの』

『ぅああぁぁぁ……』

 

まさかバレてるとは思わなかった。

 

『だから駄目よ。他校の女生徒に訴えられたら麻雀部が潰れちゃうもの』

『信用がまるでない……』

『信用されたかったら女の子の胸とか見ないように』

『そんなの無理です。息するなって言われた方がまだマシです』

『どこまで馬鹿なの!?』

 

だから実力行使に出てしまったのだ。

 

『部長……』

『なにかしら?』

『どうしても駄目ですか?』

『どうしても駄目よ。諦めなさい』

『そうですか……』

『……?』

『スミマセン部長!』

『きゃ!?』

『スンマセンスンマセン!』

『ちょ、なに抱きついて……ッ』

『ほんとスンマセン!』

『こ、こら、どこ触ってんひゃぁ!?』

 

『おいおい……、ポケットに手ぇ突っ込むとか無茶しすぎだろ、あの一年。確実に死んだぞ?』

『それならまだマシなんじゃないかな。きっと一生ドレイとかにされちゃうよ、ATM的な』

『ムゴすぎんだろそれ……』

『生かさず殺さずが信条だものねぇ、久ってば』

『なんとか逃げ切ってほしいもんだが……』

『『『『『無理無理』』』』』

 

『こ、ここか……? いやこっちか……?』

『あん! バ、バカ! なんてとこ触って――』

『あった!』

『え?』

『ぶ、部長! これあとで返しますから!』

『え、あっ、返しなさい!』

『スミマセン! ほんとゴメンナサイ!』

『こら! 待ちなさい! このっ須賀京太郎!』

『全部終わったら好きにしていいっすからーー!』

『止まりなさい! 許さないわよっ京太郎ーーーーー!』

 

完全に犯罪だった。

 

「これ泥棒……っつーか強盗だよ!」

 

痴漢も追加されるだろう。

京太郎は己の真っ暗な未来に、半泣きで教室へ飛び込む。

 

「あ、京ちゃん、探したよ……ってどうしたの? そんなに息切らして」

「お、おぅ、咲か……」

 

そして近づいてきた幼馴染みから隠すように、素早く久の携帯をポケットへ突っ込み呼吸を整える。

 

「いや別になんでもないぜ? ちょっと危ない橋を渡って俺の人生が終わったかもしれないってだけだから」

「なんでもありすぎるよ!? なにがあったのさ!?」

 

心配掛けさせない為にニッコリと笑顔で言うも、その表情はとても儚かった。

 

「それでなんか用か?」

 

そう尋ねつつ、京太郎は急いでカバンを手に取る。

早くこの場を脱出しなければならないのだ。

久を撒くように迂回してきたが、すぐにでもここへくるのは間違いない。

相手はあの学生議会長にして麻雀部を全国優勝へと導いた部長、『竹井久』。

少々頭に血が上っていようとも、きっとあと5分もあれば完全封殺されてしまう。

そうなる前に、可及的速やかに高速で離脱しなければ。

 

「あ、うん。京ちゃん二日続けて部活休んだし、お昼一緒に……ってどこ行くの!?」

 

そうなのだ。

実は京太郎、月曜と火曜は麻雀部へは顔を出さずに、師との特訓の時間まで自宅で修行していたのだ。

インターハイのDVDや牌譜を見たり、牌効率の勉強をしたり、買ってきた牌を積みまくっていた。

もっとも、部活に出なかったのはそれだけが理由ではないのだが……。

そんなこんなで心配になった咲は、今日一日京太郎と話すチャンスを窺っていた。

 

「体調不良なんで俺帰るわ」

「そ、そうなんだ……」

 

教室に駆けこんできたのにそんなわけないだろうと思いつつも、咲は反論しない。

幼馴染みの態度がおかしいのは分かっている。

けれど、その理由にもなんとなくは想像がついていた。

師匠とやらに出会ってからおかしくなったのだから、きっと麻雀関連に違いあるまい。

だから正面から聞くのを恐れ、切っ掛けとして昼食を一緒にとろうと思ったのだ。

 

「き、京ちゃんさ」

「なんだよ? 今相当切羽詰まってるから手短に頼むぞ」

「その、麻雀好きだよね?」

 

家族麻雀が原因で長い間打つ事のなかった少女にとって、遠回しに聞けただけでも及第点だろう。

大会で仲直りしたが、姉との事は今でもトラウマものだ。

いつでも対局できる環境なのに対局できていない。いきなり部活を休みだした。

『今は打たない』が『お前とは打たない』、もしくは『俺に幼馴染みはいない』なんて事になったらきっと泣く。

そんなのは絶対に嫌だ。

 

「当たり前だろ、お前何言ってんの?」

 

しかし、京太郎はそんな咲の不安など軽く吹き飛ばした。

頭大丈夫? と言わんばかりのムカつく顔が安心を広げていく。

 

「言っとくがな、師匠は帰っちまったけどまだ秘密特訓中なんだよ」

 

しかもニヤリと笑う仕草が憎たらしくて仕方ない。

 

「そ、そうなの?」

「おう、だから悪りーけど、打たない期間少し延ばすから」

「えええ? 今日から打つって言ってたじゃん!」

 

憎たらしくて仕方ないから文句を言ってもいいだろう。

 

「今週いっぱいにしてくれ。今最終調整してっからさ」

「もう! ほんとに来週からは対局しなきゃ駄目だよ!」

「分かってるっつーの。というわけで俺は腹が痛いから帰る。先生にはそう言っといてくれ」

「成績落ちても知らないからね」

「はいはい、じゃーなー」

「うん、じゃーねー」

 

弾丸のように去っていく背中を見ながら、咲はホッとして安堵を漏らした。

 

「よかったぁ。なんか考えすぎちゃったよ」

「京太郎ーーーー!」

「わぁ!?」

 

その安堵は一瞬にして吹き飛ばされたが。

 

「咲!」

「は、はい! ど、どうしたんですか、部長?」

 

バンッとドアを全開にし、グルリと部屋を見渡した久に睨まれ、咲はビクビクと怯えてしまう。

 

「あのアホはどこ!」

「ア、アホですか? 誰?」

「アホなら京太郎に決まってるでしょう!」

「き、京ちゃん? お、お腹痛いって帰りましたけど……?」

 

恐る恐る言うも、なぜ京太郎を名前で呼んでいるのか疑問に思った。

 

「逃げたわねぇ……ッ!」

 

さらになぜそんなにブチギレているのかも教えてほしい。

 

「あ、あの、部長?」

「なに!」

「そ、その、なんで京ちゃんの事名前で呼んでるのかなーって、アハハ……」

「ん~? 先輩がアホな後輩を名前で呼んだらいけないのかしら~? 宮永さん~?」

 

眼光がヤバイ。人はここまで怒りをあらわにできるものなのか。

 

「い、いえ! 私も京ちゃんも、名前で呼んでほしいですぅっ!」

「なら問題ないわよね~?」

「ハイ! もちろん! 全然まったくないです!」

「よろしい。それから、咲?」

「な、なんでしょう?」

「明日朝一で私のところにくるよう、京太郎に連絡しときなさい」

「ハ、ハイ……」

「今なら丸坊主で許してあげるともね」

「坊主ですか!?」

「ええ。あのアホは誰を怒らせたのか分かっていないみたいだから」

「わ、分かり、ました……」

「じゃあ頼んだわよ、咲」

「ハイサヨウナラ部長」

 

京太郎に続いてまたも去っていく背中を見ながら咲は、

 

「何をしたのさ、京ちゃん……」

 

と、己の幼馴染みの人生が終わった事を確信するのだった。

 

 

 

    ※

 

 

 

全力で靴を履き替え、全力で校門を飛び出し、全力で走り続けた京太郎。

 

「こ、ここまでくればいいだろ……ッ」

 

全力疾走した時間は五分程度だろうが、元ハンドボール地区予選決勝進出者の走力は、きっと久の魔の手から逃がしてくれたに違いない。

 

「は、早く! 早く電話しねーと!」

 

昼休みが始まってから25分が経過している。

他校の時間割は分からないが、向こうもまだ食事中であってくれと祈りながら戦利品のメモリを開いた。

 

「あった! 加治木ゆみ!」

 

京太郎は迷わず通話ボタンを押す。

そして、待つ事数秒。

 

『どうした久。昼にかけてくるとは珍しいな』

 

どうやら意外と連絡を取り合っているらしい。

口調がフランクだ。

けどそんな事に構っちゃいられないのだ。

 

「あ、あの! すみません! 部ちょ、竹井さんじゃないです!」

『なに? 君は誰だ?』

 

訝しむ声。

女の番号から男が出たのだ、そりゃ当然だろう。

 

「ああああの、お、俺、須賀京太郎っていいます!」

『…………』

「ああっとっ、そのなんて言えばいいかっ、実は加治木さんにお願いがあってですね!」

『…………』

 

全力疾走直後、久の恐怖、そしてほぼ初対面の女子と話す事に頭はパニック状態。

未だ呼吸の整っていない京太郎は、荒い息でハアハア言っていた。

どう考えてもヤバイ。

 

『おい、貴様。久をどうした』

「えええ!?」

『いいだろう、貴様の要求は全て飲む。だから久には指一本触れるな』

『オ、オイゆみちん!? それ何の電話なんだー!?』

「ちょっ!?」

『言っておくが、交渉とは人質が無事である事が前提だ』

「ちょちょちょちょっ!?」

『久の身を盾にするという事は、貴様の命を盾にしている事だと理解しろ』

『けけけ警察かー!? まず最初は警察に連絡するべきだよなー!?』

「待ってくださーーーい!」

『興奮するな。そちらの要求は全て飲むと言った筈だ』

「違うんです違うんです違うんです! 俺清澄麻雀部の部員です! 誘拐犯じゃありません!」

 

久に殺される前に国家権力に殺されてしまう。

もう泣きそうだ。

 

「信じてください! 本当なんです! 部長の後輩ですからぁ!」

『…………おい蒲原、ちょっとまて。もう少し話を聞いてからだ』

「駄目です! 警察は絶対無理でず! 本当にぶじょーにはなにもじでまぜんがらぁぁぁ!」

 

いや泣いた。泣いちゃった。

十五歳の高校生にはチビリそうな程恐ろしい出来事だった。

話がこじれるだけなので、痴漢と強盗には今だけ目を瞑ってあげてほしい。

 

「麻雀じだぐでぇ! 加治木ざんど麻雀じだぐでぇ!」

『…………』

「でもぶじょーが駄目で言っでぇ!」

『…………』

「直接だのみまずって言っでも電話じでぐれなぐでぇ!」

『…………』

「おもぢ見るなとか酷い事言っでぇ!」

『…………』

「でもどーじでも加治木ざんど麻雀じだぐでぇ!」

『…………』

「ぶじょーのポッゲがらゲーダイ取っでぇ!」

『…………』

「怒りぐるっだぶじょーに追っがげられでぇ!」

『…………』

「明日ぶじょーに殺ざれるぅぅぅうぇっうぇっ!」

『……その、すまない。とんだ勘違いをして……、だからその、そんなに泣かないでくれ……』

 

どうやら危機は去ったようだ。

泣きやむまで3分ほど要したが、誤解を解く事に成功した京太郎は目を真っ赤に腫らしながらもゆみと対話する。

 

『あーその、須賀君だったか?』

「……はい、須賀京太郎といいます」

『だいぶ無茶をして久の携帯を手に入れたのは分かった。褒められた事ではないが……』

「はい……、明日潔く部長に怒られますので……」

『……そうだな』

「はい……」

『ああ、なんだ……、その点では力になれんが、麻雀くらいなら付き合っても構わんぞ?』

「ほんとですか!?」

『もちろんだ。そんな真似をしてまで私と打ちたいのだろう?』

「はい! 是非あなたと打たせてください!」

『では日時を決めようか』

「できれば今日お願いできませんか?」

『今日? 随分と急だな……、だが私の方に問題はない。放課後の四時以降であれば構わないが?』

「分かりました。あ、それと面子なんですが、俺の方一人なんですけど……」

『ふむ、ならばそれもこちらで用意しよう。大丈夫だとは思うが、用意できない時は君が持ってる久の携帯に連絡する』

「本当にありがとうございます。待ち合わせはどうしましょう? そちらの都合のいい場所へ俺が出向きますが?」

『そうだな……、ならあとで君が校内に入れるのか確認してみよう。一応生徒手帳を持参してくれ。外来許可証と引き換えになる筈だ』

「分かりました。では四時過ぎに鶴賀学園の正門前でいいですか?」

『ああ、それで構わない』

「何から何まで本当にすみません。ありがとうございます」

『いや、まあ……お詫びの面も強いんだ。さっきは本当にすまなかった。その、あんなに泣かせてしまって、申し訳ない……』

「い、いえいえいえいえ! 気にしないでください! こっちこそいきなり泣きだしちゃって……なんか、スンマセン……」

 

なんとなく最後はしんみりしてしまったが、京太郎はゆみと対局する約束を取り付ける事に成功した。

通話時間は10分少々とかなりスムーズだった事を考えると、どうやら『災い転じて福となす』が起こったらしい。

一歩間違えれば逮捕という危険な橋を渡ったのだから、これくらいのリターンはあってもいいだろう。

京太郎は無事通話を終えた。

 

「あやうく警察沙汰だったな……、加治木さんがいい人で助かった……」

 

携帯をポケットに仕舞った京太郎は、最初の関門を突破した事にホッと息を吐く。

 

「けど初っ端からこんなんで大丈夫か……?」

 

しかし、幸先がいいんだか悪いんだか分からなさすぎて弱気にもなった。

 

「……まあ、突っ走るって決めたんだけれども!」

 

それでも顔を上げ、京太郎は走り出す。

 

「俺は『The Gunpowder』の弟子だ! きっとやりきってみせるぜ!」

 

旅はまだ始まったばかりなのだから。

 

「まず家帰って鶴賀の場所調べて金下ろさねーと……ってか他も調べとくか? やべえ! 時間全然足んねー!」

 

これはタイミングの問題。そして心の問題。

師が動き出したタイミングで、心のモヤモヤを晴らしにいこう。

ウダウダ考えるのはもう飽きた。

全てを周る事はできないけれど、一人旅ならちょうどいい。

頼れるのは己だけ。ならば師がくれた力を鍛えるのみだ。

清澄高校麻雀部員『須賀京太郎』、発進。

 

 

ケータイ事件編 カン

 

 

 

 

 

「なあ、ゆみちん。今の大丈夫だったのか?」

「ああ、まあな……」

「それで? どうして頭抱えてるんだ?」

「……勘違いで男子を泣かせてしまった」

「あー、それはゆみちん駄目だー……」

「分かっている、分かっているとも。だが、向こうにも多少の非は……」

「ワハハ。それも駄目だなー。自分が悪いと思ったなら、相手が悪くても反省しないとー」

「……ああ、そうだな。その通りだ……」

「結局通話相手は誰だったんだ?」

「清澄の男子部員らしいな」

「清澄? ああ、あの荷物担いでた一年の子か」

「知ってるのか?」

「激励行った時、女子の後ろにいた子だろー?」

「……まったく記憶にない」

「ワッハハー。……酷いなゆみちん」

「うっ……、ど、どんな男子だ?」

「ん~、背が高くてイケメンに見えるかもしれない金髪君だったかなー?」

「イケメンに見えるかもしれない……?」

「顔にしまりがなかったよ。ワハハー」

「お前も十分酷いぞ……」

「泣かしたゆみちんには負けるぞー?」

「い、言わないでくれ……、彼の泣き声を思い出して胸が痛む……」

「そんなに泣いたのかー?」

「ワンワン泣いた。それはもう、慈悲にすがる罪人の様というか、親に捨てられた子どもの様に泣きわめいてしまった」

「…………ワハハ」

「だ、だが、久の番号で全く知らない男が出たんだぞ!? しかもハアハア荒い息でだ! 普通勘違いしてしまうだろう!?」

「…………そうかもなー」

「おい待て引くな蒲原! 分かっている! もちろん私が悪い!」

「…………そうだなー。年下の少年を泣かすゆみちんが悪いなー」

「そ、その通りだ。だからお詫びに向こうの要望をだな……」

「ワッハハ。麻雀とか言ってたやつ?」

「ああ……。それで蒲原、今日の放課後は空いているか?」

「いいよー」

「わるいな。昨日睦月が辛そうだったから、無理はさせたくない」

「あー……、そういう日もあるなー」

「おそらく練習試合的なものを望んでいるんだろう。なら、まだまだ初心者の妹尾よりモモと私達の三人で相手をしてやりたい」

「罪滅ぼしも大変だな、ゆみちん」

「……………………」

 

 

もいっこ カン

 



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「憧憬」

長いので鶴賀編も二話に分けます。
続けて投稿しますが、ストックが切れたので更新速度が落ちます。


「はじめまして……ではないんですけど、初めてお話しますね。須賀京太郎です」

「ああ、知っているだろうが加治木ゆみだ。よろしく、須賀君」

 

時刻は夕方の四時過ぎ。

京太郎は鶴賀学園の正門前で、目じりを凛々しくするゆみと合流した。

 

「加治木さんがすぐ来てくれてホッとしました」

「ん? なぜだ?」

 

と言うように、ゆみの登場で京太郎は心底安心している。

別にすっぽかされる事を心配したわけではなく、女子高の前で立っている事に居心地が悪かったのだ。

 

「下校中の女子がジロジロ見てくるんですけど、俺の格好変ですかね?」

 

もし校内に入れるなら学生服の方がいいだろうと考えた京太郎は、逃亡時と同じくそのままの姿。

おかしくない筈なのにやたらと好奇の視線に晒され、冷や汗を垂らしながらずっと引きつった笑いを浮かべていた。

ゆみの登場はまさに地獄に仏だった。

 

「鶴賀は女子高だからな。男子の君が珍しかったんだろう」

 

ゆみが薄く笑って答える。

 

「そうなんですか? ずっと共学なんでいまいち想像できないんすけど……」

「女子高とはそういうものさ。君も女子高に通えば分かる」

「そこは男子高でしょ!?」

 

京太郎はツッコんだ。

珍しい自身の冗談が素早く返され、ご満悦になったゆみがハハハと笑う。

ファーストコミュニケーションとしては上々だろう。

 

「お前が須賀っすか。今日は相手してやるから感謝するっす」

「こら、モモ!」

 

上々すぎて、そこにいたもう一人の機嫌を損ねてしまったようではあるが。

 

「あ、そっちもはじめまして。須賀京太郎です。東横さんですよね? 今日はよろしく」

 

いきなり失礼な口を叩いたのは鶴賀麻雀部一年、東横桃子。

ゆみが後輩を叱るが、京太郎は気にした風もなく挨拶した。

この程度で腹を立てるようなら、優希の相手は務まるまい。

 

「鶴賀の一年、東横桃子っす。相手してやるけど、先輩に近づくんじゃないっすよ」

「ア、アハハ……」

 

だが、恐ろしく無礼だった。

初対面相手にこんな口を利くとは、桃子のゆみへの愛は果てしない。

ある程度経緯は聞いたが、男が大好きな先輩に近づいたのだから、桃子の警戒は当然と言えた。

 

「すまないな、須賀君。モモにはあとできつく言っておく」

「いえいえ、気にしてないですよ」

「――しかし驚いたな」

「へ?」

 

ゆみは京太郎に頭を下げつつ、続けて自身の驚きを言葉にする。

 

「君はモモの姿が見えているんだな」

「あ!」

 

と、気付いた桃子も驚きの声を上げる。

 

「はい? そこにいるんですから見えるの当たり前なんじゃないっすか?」

 

分からないのは京太郎だ。

桃子の能力、『ステルス』については咲から聞いていた。

予選決勝卓副将戦での猛威も確認している。

牌譜や映像ではいまいちよく分からなかったが、数字上は凄い事になっていたのできっとスゴイ能力なのだろう。

 

「もしかして『ステルス』ってのと関係あります?」

 

きちんと予習してきたものの、京太郎には桃子の私生活など知るわけもなかった。

 

「ああ。能力的に、モモの姿を認識できない人間もいてな」

「大半がそうっすね」

「そうなんすか!?」

 

能力が実生活に影響を与えている事に驚かざるをえないが、どちらの顔にも悲壮感が見られないので安堵する。

 

「よく一緒にいるせいか、私にはかなり認識できるようになった。しかし、能力を高められると私でもモモの姿を見失ってしまう」

「なんつー因果な能力なんですか……」

 

それでも周りから認識されないのはかわいそうだなと、京太郎は顔をしかめてしまった。

 

「もう慣れたっすよ。それに、加治木先輩なら見えなくても私を見つけてくれるっすから」

「モモ……」

 

しかし直後展開される百合空間。

モモがゆみの手をとり、じっと目を見つめ続ける。

 

「……………………」

 

手を取りあう二人を見た京太郎は、

 

『え!? そういう事なの!? 女子高にはよくあるって聞くけどそういう事!? でもなんかドキドキするのはなぜだ!?』

 

と新しい世界を開こうとしていた。

桃子は結構なおもち持ちなのだが、こんなおもちを見るのも悪くないと胸が暖かい。

 

「んんっ。それでは案内しよう。一度受付の事務室で外来許可証をもらってから部室へ行く。ついてきてくれ、須賀君」

「う、うっす。よろしくおねがいします」

 

じーっと眺める京太郎の視線に気付き、ゆみは取りつくろうように歩き出した。

どうやら男子でも鶴賀学園の敷地に入るのは可能らしく、京太郎は慌ててゆみの後を追う。

 

「おい、お前。先輩から二メートルは離れるっす。不用意に近づいたら噛みつくっすよ?」

「あーもう、分かったって……」

 

しかし、ゆみの腕に抱きつきながら後ろを振り返る桃子には溜息を吐くしかない。

素の口調が出てしまった。

 

「いい加減にしろ、モモ! 初対面の須賀君に失礼だろう」

「うぅ……、だって……」

 

ゆみの厳しい叱責に、留飲が下がってしまう。

 

「だってじゃない。須賀君に謝るんだ」

「うぅぅぅ……」

「モモ?」

「……分かったっす。須賀……君、悪かったっす」

 

だいぶ言い難そうではあったが、桃子は謝った。

 

「気にしないでくれ、東横さん。ウチのタコス娘に比べたら全然だから」

 

もっとも、『大きなおもちに謝ってもらえるなんて、今からの対局は期待できるな』と意味不明な事を思っていたので謝り損だった。

 

「私からも後輩の無礼を詫びる。すまないな、須賀君」

「いえいえいえいえ! 加治木さんに謝られたらどうしていいか分からないです! 無理なお願い聞いてもらったんですから!」

 

ゆみに頭を下げられて慌てるも、ゆみはゆみで泣かした負い目を多分に含んでいるので、こちらも同じく慌て損だった。

三者の内心が外面と一致するには、まだもうしばらくの時間が必要らしい。

遠慮なく心からの言葉を出せるよう祈るばかりである。

 

 

 

    ※

 

 

 

「お、きたなー」

 

三人が部室へ辿り着くと、中にいたのは一人だけだった。

 

「ああ。こちらが清澄の須賀君だ」

「どうも、須賀京太郎です。今日は無理言ってすみません」

「別にいいよー。こんにちわ、須賀少年。元部長の蒲原智美だ。今日は私達三人がお相手するよ」

 

智美はニコニコと笑顔で京太郎を歓迎する。

いつも無駄にニコニコしているのは置いといて、残りの部員、二年の妹尾佳織と津山睦月はいなかった。

京太郎が知る必要のない情報だが、女の子の日である睦月が辛そうだったので、心配した佳織が付き添って帰ったという次第。

鶴賀学園麻雀部もまた、みな仲良しなのだ。

 

「はい、よろしくおねがいします」

 

京太郎は智美へ深々とお辞儀をする。

予選決勝卓で中堅を務めた『蒲原智美』。

久の悪待ちが場を支配してはいたが、彼女もかなり打てる事を牌譜で確認済みだ。

 

(ついてる。鶴賀の上位三人ならまぎれも起きにくい)

 

頭を下げながら、京太郎は最高のメンバーだった事に喜ぶしかない。

本命は加治木ゆみだったが、残りの二人は能力者の東横桃子と部長の蒲原智美だったらいいなと思っていたのだ。

自身の望みがとても迷惑になる事を考えると、他メンバーまで指定する勇気はなかった。

加治木ゆみと打てるだけで僥倖だっただけに、京太郎は『昼と明日の分の運をここに集めたのかぁ……』と納得してしまう。

きっと明日は久にボコボコにされるに違いないのだから。

 

「ワハハ。あの清澄で麻雀打ってるんだもんなー。きっと須賀少年も強いんだろー?」

 

幸運なんだろうけど不運なんだよなぁ、と考えていると、智美が尋ねてきた。

 

「あの久に逆らってまで出稽古の真似事だからな。しかし、この行動力は見習いたい」

「……フンっす」

 

ゆみまで勘違いしている事に、京太郎は慌てて手を振る。

 

「い、いえ違います! 強いかどうかはまだ分かりません!」

「「「は?」」」

 

そうだ。まだ分からない。

師匠には清澄のみんなと打てるくらいにはなったと言われた。

けど、あれからまだ一度も対局していない。

強くなれたかを試すのはこれからなのだ。

 

「まだ分からんとはどういう意味だ?」

 

当然、ゆみ達には意味不明だろう。

京太郎は正直に話した。

 

「俺高校から麻雀始めて、五日前まで初心者だったんです。インターハイの個人戦も、予選前の振るい分けすら突破できませんでした」

 

しかしこれは、なにも京太郎が正直者だったからというわけではない。

 

「五日前までというのもよく分からんが、そうか、まだ麻雀に触れて日が浅いのか」

「そっかー。いやごめんごめん。清澄の名前で勘違いしちゃったよ」

「なにが『五日前まで』っすか……。麻雀歴半年じゃまだまだ初心者っすよ」

 

このメンバーに本気になってもらう為だ。

それも全力の全力。

こちらを叩きのめそうと思うくらいの、超本気で打ってもらう。

 

「麻雀の師匠に十日前出会って特訓してもらいました。だから試さないと強いかどうかは分かりません」

「「「…………」」」

 

丁寧語ではあるが、とても不遜な言い方だった。

初心者がたった十日練習した、だからその成果を試しに来た、と言ったに等しい。

三人が絶句する。

 

「あと、加治木さんも勘違いです」

「……勘違い?」

 

もう後戻りはできない。

無礼千万迷惑千万は百も承知。

 

「出稽古にきたんじゃありません。鶴賀を倒しにきました」

「「「ッ!?」」」

 

心臓バクバク、喉カラカラの京太郎は、鶴賀来訪の目的を告げた。

あんなによくしてくれたゆみにこんな事を言うのはとんでもなく心苦しい。

 

「……練習試合でもしたいのかと思ったが、道場破りだったのか」

「そうです」

 

それでも突っ走ると決めたのだ。

顔をしかめるゆみへ、京太郎は真っ直ぐ目を見て答える。

 

「……まだ対局は始まっていない。ここで断ると言ったらどうする?」

 

ゆみは憮然として言った。

泣かせてしまった借りがあるから取りやめるつもりはないが、智美と桃子に不快な麻雀を打たせる事になる。

正直、恩を仇で返された気分だ。

その時、京太郎はごく自然な動作で跪くと、額を床に擦りつけた。

 

「「「ちょっ!?」」」

 

あまりの失礼さにポカンとしていた智美と桃子も、これには驚くしかない。

 

「とても失礼な事も、恩知らずな事も承知しています。それでも、打ってください。おねがいします」

 

土下座するくらいなら最初から言わなければいいだろう、と思うも、なにか事情でもあるのかと勘ぐってしまう。

 

「おいおい、須賀少年。男が簡単に土下座とかしないでくれよー」

「分かったから頭を上げてくれ。というか下げないでくれ。こちらが悪者になった気分だ」

「なに考えてんすかね、コイツは」

 

そう言われ、京太郎は頭を上げる。

そして正座したまま聞いた。

 

「練習ではなく、本番の時と同じように打ってくれるでしょうか?」

 

そんな京太郎に、ゆみは溜息を吐くしかない。

 

「君は注文が多い。だがまあ、手を緩めたりはしないと誓おう」

「いやあ、なんか面倒事に首突っ込んだみたいだなー」

「自分からボコボコにしてほしいとか、マゾっすか?」

 

智美はニコニコ顔を崩さず(もしかしたら崩せないのかもしれないが)、なにやら事情があるならがんばるかと気合を入れた。

桃子は『所詮は雀歴半年の初心者』と、少々侮っている。

しかし最初からボコボコにつもりだったので全く問題なし。

 

「皆さん、ありがとうございます」

 

京太郎は満面の笑みで立ち上がった。

 

「ではさっそく打とう。全員場決めの牌を引いてくれ」

 

旅打ちの最初の相手、鶴賀学園麻雀部との対局開始。

 

 

 

    ※

 

 

 

サイコロを振り、決まった席は東家京太郎、南家ゆみ、西家智美、北家桃子となった。

起家が京太郎でスタートする。

 

 

東一局0本場 親京太郎 ドラ{4}

 

 

京太郎配牌。

 

{一三五六②赤⑤⑥⑨247南中白}

 

無理をすれば三色も見えてきそうな四シャンテンをもらう。

 

(悪くない。ツモが乗れば十順以内には張れそうだ……)

 

と思いつつ、打{南}。

 

(やっぱ対局はいいな。楽しーわ)

 

京太郎はニコニコしながら旅打ち最初の牌を切った。

そして八順目。

 

「リーチ」

 

対面の智美からリーチがかかる。

 

「ワハハー。東一局で先制リーチなんてツイてるなー」

(こっちも結構いい手だったんすよー。でも{中}切り遅れたっすー)

 

リーチ棒を場に置く智美に心の中で会話しつつ、京太郎は早々にオリる事を決意。

 

{一一三五六七赤⑤⑥4567中}

 

配牌からあった{中}を延々切らず、切り遅れた手格好だ。

三色になれば親跳も軽いだろう手だったが、京太郎は無理をするつもりはなかった。

その四順後、十二順目。

 

「ツモ」

 

智美がツモアガリ。

 

{六七八①②③③④⑤88中中} ツモ{中}

 

リーヅモ{中}。{8中}待ちの高い方を引いた。

 

「1000・2000だなー。開局早々ツモアガリとは、今日は勝てそうだ」

 

アガられた手牌にチラリと視線を飛ばし、親の京太郎は2000点を支払う。

自身の読みと相手の待ちに満足しつつ、東一局が終了した。

 

(ふむ。きちんとオリたのにツモられた、にしてはずいぶんと嬉しそうだが?)

 

なにやら訳ありらしい事もあり、とりあえず東一局は『見』に回ったゆみ。

妙にニヨニヨしている京太郎に疑問を持つ。

 

(麻雀を始めて半年か……。私も対局できるだけで楽しかったな……)

 

無理する事なくオリた事に感心しつつも、京太郎の心情が理解できてなんかホッコリしていた。

そんなゆみが親の東二局。ドラ{⑧}。

 

「ロン」

 

ゆみの凛々しい声が飛ぶ。

 

「あちゃ、もう張ってたすか」

「ああ、今テンだ。5800」

 

九順目に桃子からロンアガリ。

 

{五六六七七①②③④⑤⑥⑧⑧} ロン{八}

 

親だし安目でも5800点なら十分、{④⑦}引きでマンガンが確定すれば尚よしと黙テンに受けたのだ。

即打ち込んでしまった桃子は不運だったが、後半『ステルス』になれば無双しかねないのでデバサイだろう。(※デバサイ=出場所最高)

京太郎がじっとゆみのアガリ手牌を見詰めつつ、東二局0本場終了。

次は東二局1本場。

 

「ツモ。一本場は1400・2700だな」

 

と、智美がリーヅモピンフドラ1をツモアガった。

 

「ワッハハー。今日はツモ運がいいからこのままトップで終わらせるぞー」

「そうやって調子に乗るとすぐラスだぞ」

 

上級生二人のやりとりを聞きつつ迎えた東三局。

 

「ツモったっす。2000・4000」

 

{一二三四五六⑨⑨11白白白} ツモ{1}

 

十一順目に桃子が、ドラの{白}が手の内暗刻のインスタントマンガンをツモアガる。

 

「痛たた。隠れドラ3で親被りは心にくるなー」

「振らなかっただけマシだな。{1}は掴めば切っただろうから、私的にはありがたい」

 

『ステルス』に向けて徐々に存在感が薄くなり始めている桃子はともかく、京太郎も黙って和了者のアガリ形を見続けていた。

今回は特訓後の初対局。

自身の読みがどこまで当たっているのかを確認し、また三人の打ち筋でのズレを修正していく。

元々東場は丸々捨て、自身の特訓の成果を確かめる為に費やすつもりだった。

そして東四局。

 

 

東四局0本場 親桃子 ドラ{9}

 

 

十二順目、ゆみの手牌。

 

{二三三四四②②②45678} ツモ{五}

 

安目ではあるが、{②}を切って{369}の三面待ちテンパイ。

しかし、

 

(私からは{58}が三枚ずつ見えている……、にも拘らずドラの{9}も{3}も一枚も見えん)

 

どちらも他家が二枚以上抱え込んでいると予測した。

 

(配牌からあった三面張がここまで引けなかった。なら死に面子の可能性が高いな)

 

故に、ドラ受けとピンフの三面待ちを拒否する打{8}。

 

{二三三四四五②②②4567} 打{8}

 

ノベタンの{47}に受けると次順の十三順目。

 

{二三三四四五②②②4567} ツモ{7}

 

即座に{7}をツモった。

 

「ツモ500・1000」

「その手で{8}切るのかー。なんかゆみちんらしいな」

 

点数は2000点と安いが、自身でも満足できるアガリだ。

こういうのがあるからやめられない。

ゆみはちょっとドヤ顔で言う。

 

「まあ、配牌から動かん形だったからな。ツモれたのは運がよかった」

「それでもまだ私の方が2900差でトップ。大きな顔はまくってからの方がいいぞー。ワハハー」

「ではそうさせてもらおう」

 

二人がそんな会話をする中、京太郎はやはりゆみの倒された手牌に目を向けていた。

 

(という事は、俺の手牌を読んだんじゃなくて状況に対応したのか……。やっぱこの人の対応力はズバ抜けてんな)

 

と感心する京太郎の手牌。

 

{①③④⑤⑥33999発発発}

 

なんと{3}対子と{9}暗刻の形でテンパイ。

しかも待ちは{②}だ。

役牌ドラ3をシレッと張っていたあたり、もはや一週間前の京太郎とは別人だろう。

 

(コイツ、アガれもしなければ鳴きもしないっす。初心者ならしょうがないっすけど、恐ろしい程存在感ないっすね)

 

どこぞのステルスさんの感想には苦笑するしかない。

 

 

東四局終了時の点棒状況

 

京太郎 18600

ゆみ  27100

智美  30000

モモ  24300

 

 

アガリもせず、振り込みもせず、鳴きもせずで迎えた親。京太郎の南一局。

 

(須賀少年、東場はまったくいいとこなかったなー)

(振り込む事こそなかったが、いきなり無スジを切ったり赤ドラを切ったり少々危なっかしい。きちんとオリはできるようなんだが……)

(私らを倒しに来たとか、ビッグマウスもいいとこっすね)

 

ラスの京太郎にチラリと視線を向け、三人がそれぞれ好き勝手な事を思う。

しかし当の本人は、

 

(久しぶりに東場でトばなかった……。スッゲーうれしいけど、やっぱ咲達よりは弱いんだろうなぁ。まあ、あいつら全国優勝だしなぁ)

 

と、こちらも好き勝手だったのでお互い様だ。

そして南一局0本場の六順目。ドラは{①}。

南家のゆみは高速テンパイを入れていた。

 

{七七九九②②⑧⑧東東南南中}

 

チートイツの{中}単騎。

子なので1600である。

 

(即リーでもいいだろうが、{中}は生牌。止められやすいし誰かに暗刻られていても面倒だ。役牌以外の字牌かドラの{①}を待とう)

 

そして下家の智美がこんな手牌。

 

{二三五六⑤⑥⑦5678西西} ツモ{8}

 

{8}を引いてくる。

 

(ワッハハー。いいとこ引いた。{西}は一枚でてるし、鳴けたところでノミ手くさいしなー。夢はでっかくタンピン三色だ)

 

まだ六順目という事もあり、ピンフもタンヤオもつかない自風の西を外した。

 

{二三五六⑤⑥⑦56788西} 打{西}

 

これでタンピン三色のイーシャンテンだ。

しかしこれが罠。

七順目のゆみのツモがこれ。

 

{七七九九②②⑧⑧東東南南中} ツモ{西}

 

既に二枚切れだが、ゆみの思考は冴えていた。

 

(ふふふ、蒲原。場に一枚切れた自風など安牌としては優秀だろう? タンピンくさいその捨て牌、もう張ったのか?)

 

というより黒かった。

 

(いいや、六順目ならお前は迷わず即リーするはずだ。つまりそれは対子落とし。そうだろ、蒲原?)

 

まさに外道。

何度も打ったチームメイトの打ち筋を読み切り、ベロリと舌なめずりする。

 

「リーチ」

 

{七七九九②②⑧⑧東東南南西} 打{中}

 

もちろん顔には出さない。微塵も出さない。

それどころか若干ポケーっとした表情で何気なく発声する。

 

「うわー。こっちが早いと思ったのになー」

 

と残念がりつつ、智美のツモ。

 

{二三五六⑤⑥⑦56788西} ツモ{四}

 

もはや喜劇のようなツモ{四}。

 

「よーし絶好だぞ。ワハハー。悪いなゆみちん、追っかけリーチだ」

 

三面待ちに勝利を確信し、いつものニコニコ顔がさらにニコニコ。

打{西}。

 

「ロン」

「うええええええ!?」

 

智美は跳び上がって驚いた。

 

「う、裏はなしで、6400……ぶふっ」

「あー! ゆみちん狙ったなー!」

「な、なんの事だ? チ、チートイの字牌地獄待ちは、い、いたって普通の戦術だろ? ぶふふっ」

「嘘だ! むぎー! 悔しすぎるー!」

 

リーチ一発チートイのロンアガリ。

ゆみが顔を背けて笑いを堪え、智美がギリギリと悔しがる。

 

(はー。今回は状況と相手の嗜好から対子落としを読んだのか。あいかわらず油断も隙もない打ち方すんなぁ)

 

ゆみの手牌を眺めながら、京太郎は予選決勝大将戦を思い出していた。

たった二局でいきなり『宮永咲』の嶺上開花に対応し、怪物『天江衣』へ11600を直撃するという離れ業を披露した『加治木ゆみ』。

牌譜やDVDを見るたび、『あーこれ俺もやってみてー。その嶺上とる必要無し! とか咲に言ってみてー』と何度も思ったものだ。

 

「加治木さんって……」

「うん?」

「凄いっていうか、おもしろい読み方しますよね?」

 

ついポロッと、感嘆が零れ出た。言い方はちょっと失礼だが、まぎれもなく感嘆である。

 

「これを読みと言っていいのかは疑問だがな」

 

そんな京太郎に、ゆみは怒るでもなく苦笑で返す。

 

「手牌読みにそれほど自信があるわけではないから、あるものを必死にやりくりしていたらこうなった」

「そうなんですか?」

 

それは謙遜だろう。

読みに自信のないものが決勝へ進めるわけもない。それもチームの大将でだ。

 

「私も君と同じく高校から麻雀を始めたんだ」

「ッ!?」

 

それには驚かされる。

 

「そんな者の読みなど、他の経験者と比べれば甘いに決まっているだろう?」

「いやー、そんな事ないと思うけどなー」

『そうっすよ、先輩はすごく麻雀強いっす』

 

愚直と言っていい心構えに、京太郎は『これが初心を忘れない中級者かぁ、俺もこうできてりゃなぁ』と感心しきり。

どうでもいい事だが、一人が消え始めたようである。

 

「だが、もちろんそのままにするつもりはない。甘いのなら辛くなるまで鍛えればいいだけの話だ」

 

眉をキリリとさせながら、とてもいい事を言った。

 

「私は麻雀が好きだからな。好きでいるうちはとことんまでやるつもりだ」

『はぁ……、やっぱ先輩素敵っすねぇ……』

「勝手な言い分だが、私は君にもそうなってほしいと思う。こんな事をするくらいなんだから、須賀君だって麻雀が好きなんだろう?」

「もちろんです。俺、麻雀大好きっすよ」

 

この場にいる一年二人の内、一人をメロメロ、一人を笑顔に変える。

加治木ゆみとはとても素晴らしい先輩なのだ。

 

「私は全国へ行けなかったが、君にはあと二年ある。初心者だとかそうじゃないとかは気にするな。努力すればいいだけだからな」

 

何度でも言おう。加治木ゆみは本当に素晴らしい先輩なのである。

だから、京太郎は満面の笑みで言った。

 

「分かりました。俺の九日間の努力を見てください。がんばって鍛えた読みで、加治木さんを倒しますから」

「……………………」

「……………………」

『……………………しね』

 

とりあえず、三人を絶句させる事には成功。

一人毒を吐いた者もいたが、ゆみは苦笑いするしかない。

 

「なんというか、君は少し足りないな……。配慮とかデリカシーとか、なんかそういうものが」

「うぐっ……、それよく言われるんですけど、そんなに俺って無神経なんすかね?」

「ああ。背も高いし顔の作りも悪くないのに、君はモテなさそうだ」

「イケメンかもしれない金髪君じゃなくて、イケメンになれない金髪君だったなー。ワハハ」

「ひどい!」

 

互いに互いを傷付けつつ、南二局が始まった。

 

 

南一局終了時の点棒状況

 

京太郎 18600

ゆみ  33500

智美  23600

モモ  24300

 

 

南二局0本場 親ゆみ ドラ{2}

 

 

(読みのズレもだいたい修正できた。この局からいくぞ)

 

南一局は速攻で終わってしまった為に親を無駄にしてしまったが、それでもあと三局もあればいけると確信する京太郎。すぐさま攻撃態勢に入る。

両目に碧の火を灯し、師に叩き込まれた構えをとった。

ここからはずっと京太郎のターンだ。

 

{八①③⑤⑤⑦23344南北} ツモ{白}

 

北家の京太郎の第一打。

 

{八①③⑤⑤⑦23344南白} 打{北}

 

打{北}でスタートする。

配牌ドラ1で、イーペーコーが見える手。

ツモが噛み合えばあっさりマンガンをアガれておかしくない三シャンテンだ。

 

(配牌いいし、最低でもマンガンを狙う)

 

次順は{一}をツモ切り、三順目にシャンテン数の上がる{⑥}を引く。

 

{八①③⑤⑤⑦23344南白} ツモ{⑥}

 

そして上家が切ったのに合わせ、打{南}。

四順目は{9}ツモ切り。

五順目も{二}引きでツモ切り。

五回中四回もツモが空ぶり、京太郎は『ヤッバ……』と少し焦った。

 

(ツモ悪ぃ……誰か鳴いてくれー)

 

そんな他力本願な事を考えていると、願いが届いたのか親のゆみが{1}をポンする。

京太郎の目に宿る碧火が火力を上げた。

 

({1}ポン? {6}と{8}切ってるし染め手じゃない。役牌かトイトイ……どっちにしてもドラの{2}持ってるな。{白}は簡単に切れない)

 

次順、{3}ツモ。

 

{八①③⑤⑤⑥⑦23344白} ツモ{3}

 

(二シャンテン変わらず。少しでも内に寄せて、と……)

 

{①③⑤⑤⑥⑦233344白} 打{八}

 

孤立した{八}を切り飛ばす。

さらに次順、ツモ{⑤}。

 

{①③⑤⑤⑥⑦233344白} ツモ{⑤}

 

(うん、ナイス鳴き。けど{1}ポンする前の{④}打ちとポンした直後の{①}打ち、おそらく筒子の下がない。ここは二シャンテンに戻す)

 

{③⑤⑤⑤⑥⑦233344白} 打{①}

 

両眼に宿った碧火を揺らめかせ、京太郎は冷静に読みを展開。

次のツモは四枚目の{3}だった。

 

{③⑤⑤⑤⑥⑦233344白} ツモ{3}

 

(今{白}を鳴かれたら不利すぎるからな。イーシャンテンでドラ抱えてる奴と勝負はできないし、{白}はギリギリまでしぼる)

 

{⑤⑤⑤⑥⑦2333344白} 打{③}

 

ゆみが{白}を鳴くと確信している京太郎は、{③④}の受けを捨ててまで防御を意識した。

師に何度も何度も叩きこまれた防御。

 

”攻防は分ける事に意味がない。躱して打つ、打ったら躱す、それだけだ”

 

たとえ攻撃態勢であろうとも、それを忘れる事はない。

九順目は{六}をツモ切り。

十順目も{8}ツモ切り。

そして十一順目、うれしいドラの{2}を引いた。

 

{⑤⑤⑤⑥⑦2333344白} ツモ{2}

 

(よし絶好。{⑤⑧}待ち。この形なら戦える。ここで{白})

 

{⑤⑤⑤⑥⑦22333344} 打{白}

 

{⑤⑧}待ちでテンパイし、ここで絞りに絞っていた{白}を切る。

筒子が変化すれば倍満まで見える手だ。

 

「ポン」

 

そして案の定ゆみがポンし、{⑨}を捨ててきた。

 

(おそらくポンテン。トイトイなら待ちは{⑧}か{⑦}、十中八九{⑧}の方。それと、ドラだ)

 

両目に碧の火を揺らめかせる京太郎。

次順、引いてきた牌にニヤリと口をゆがめると、

 

「リーチ」

 

{3}を切り飛ばしてリーチした。

ゆみの手牌は、

 

{②②②⑧⑧22} {横白白白} {11横1}

 

こんな形の{⑧2}待ち。

親で12000確定の勝負手である。

 

{②②②⑧⑧22} ツモ{5} {横白白白} {11横1}

 

しかし、引いてきたのは{5}。

 

(チッ、一発でドラスジとは……キツイところを引かされる)

 

京太郎のリーチに一発で無スジの{5}を引かされてしまった。

 

(しかも{①③}の切り順が逆だ。{④⑦}はもちろん、{⑤}スジも切れない)

 

読みを展開したら手の内が危険牌だらけ。正直勘弁してほしいと言いたい。

 

(六順目に鳴いてイーシャンテンだったんだが……。親番な事と、ドラと役牌の対子に目がくらんで焦りすぎたな)

 

しかしアガっていない以上は何かを切らなければいけない。

 

(どうする? 勝負なら{5}ツモ切り、回るなら{⑧}対子落とし。しかしどちらも危険度は変わらない)

 

ゆみ、迷いつつ打{5}。

高目をツモれば親の跳満手、しかも危険度が変わらないなら強気で勝負するしかないだろう。

 

「ロン」

 

しかしそれが裏目。

一発で振り込んでしまった。

 

「くっ、{⑧}切りで回るのが正解か……。やはり私はまだまだだな」

 

親で攻めたのが仇となり、ゆみは自身の甘さを痛感する。

 

「いえ、どっちでも同じでした」

「なに?」

 

だが倒された京太郎の手牌はこれだ。

 

{⑤⑤⑤⑥⑦22333444}

 

リーチ前に引いたのは{4}。{⑤⑧25}の変則四面張。

 

「メンタンピン一発イーペーコードラドラ」

「な!?」

「裏はなしで12000です」

「お、同テン……ッ」

 

ゆみの手牌の内、半分以上がアタリ牌だった。

打ち込まないのは暗刻の{②}のみ。

しかも{⑧}打ち込みでもメンタン三暗刻ドラドラで点数変わらず。

これで京太郎はラスから一気にトップ。逆にゆみはトップから一転、ラスへと叩き落とされた。

 

「加治木さんとは違うやり方で直撃を狙ってみました」

 

そんなニッと笑う表情に、ゆみは瞬時に理解する。

 

「それが、君が鍛えた読み……」

 

これが偶然ではない事をだ。

 

「はい。師匠に嫌という程叩き込まれた、俺の努力の結晶です」

「……………………」

「……………………」

『……………………』

 

ゆみだけでなく、智美と桃子も目を見開いて呆然となる。

五日前まで初心者という話はどうした。たった四日でここまで化けたとでもいうのか。

 

「……まいったな」

 

ゆみは肩を落として溜息を吐くしかない。

 

「まいりましたか?」

 

京太郎はうれしそうに聞き返す。

 

「ああ、まいった。不用意に鳴いたとはいえ、まさか手牌を読み切られてしまうとは」

 

その通り。

京太郎はゆみの手牌を完全に読み切っていた。

危険牌を掴めば、{⑧}切りと迷うだろうと考えたのだ。

最悪でも同テンな以上は打ち込む心配がない。

とても失礼なのは分かっているのだが、読みが完全に当たった京太郎は笑みが零れてしまう。

 

「いやあ、加治木さんみたいな強い人に褒められると自信つきますね」

「よく言う。そういえばこの半荘、君は一度も振り込んでいなかった。読みには相当自信があったんだな?」

 

胡散臭そうなゆみの視線に苦笑しながら返してしまうのだが、許してほしい。

京太郎は本当にうれしいのだ。四日前よりも確実に強くなっている事に。

 

「そんな事ないです。特訓後の最初の対局ですから、本当に強くなれてるのか半信半疑でしたよ」

 

普通は数日の特訓なんかで強くなったりしない、と大声で叫びたいゆみは、それでもグッと堪える素晴らしい先輩だ。

 

「過去系か? 今は自信たっぷりと言いたげだな」

 

それでも皮肉の一つくらいはいい筈。

生意気な一年だと思い口にするが、しかしデリカシーの足りない京太郎は皮肉に気付かず素直に受け止めてしまう。

 

「はい。県予選決勝卓、大将戦を戦った人に通用するんです。なら、俺の力は県予選決勝程度はあるって事じゃないですか」

「……いや、私を基準にしても意味はないぞ? 所詮は力及ばなかった側の人間だからな、私は」

 

ゆみが苦い顔で否定するも、無駄だ。

なぜなら京太郎は、鶴賀学園大将『加治木ゆみ』の力を信用している。

化物二体が暴れ回る中、常に冷静に突破口を探していた姿を見ていたからだ。

 

「いいえ、あの決勝大将戦での加治木さんの読みと対応力は誰よりも凄かった。魔物が二人もいたなんて、正直不運ってだけですね」

「それを君が言うのか? 片方は清澄産の魔物だという事を忘れないでくれ」

「その魔物へ槍槓するわ、イーシャンテン地獄で跳満アガるわ、しまいにゃ11600食らわすわ、やりたい放題だったじゃないですか」

「……だ、だがやはり負けた事に変わりはない。天江衣や宮永咲もそうだが、風越の池田華菜のような火力も私にはないからな」

 

妙に褒めてくる京太郎に、ゆみは居心地が悪くなってしまった。

 

「ワハハ。なにやらゆみちんの事ベタ褒めだなー」

『当然の事っすけどね。まあ、先輩の凄さが分かるだけでも大したもんっす』

 

だが、京太郎の褒め言葉はとどまる事を知らない。

 

「他の三人も確かに凄かったです。けど、最近見た牌譜と映像で、俺にはあなたの姿が一番強く印象に残りました」

「なっ!?」

「おー、言うなあ、須賀少年」

『あ? いきなり何言い出してんっすか? 先輩が一番なんて言われるまでもなく知ってるっすよ? バカなんすか?』

 

頬が染まったゆみと、ワハハーと驚いてるんだか笑ってるんだか判別不能の智美。

一人ギリギリと歯ぎしりしながら京太郎を睨む少女もいるのだが、その子は既にステルスモードへ突入している。

 

「『加治木ゆみ』の麻雀は俺が進む方向と同一です。だから会いにきました。どうしても最初にあなたと打ちたかったんです」

 

それが理由。

久を怒らせるのが分かっていても、それでも対局したかった。

 

「……そ、そうか。それはなんというか、その、光栄だ……」

 

旅の最初の一歩は、『加治木ゆみ』と一緒に踏みたかった。ただそれだけなのだ。

 

「いやー、女子校だからかな? 知り合いが男子に口説かれてるとこうドキドキするなー」

『こういうハレンチな男は絶滅すればいいんすよ。間違いなく下半身でしか考えられない生き物なんすから』

 

しかし女子達はそんな事情なんか知らないし知ったこっちゃない。

 

「だーもう! さっきから茶化さないでくださいよ! 別に口説いてませんからね!? 素直な気持ちを言っただけですから!」

 

女子高の潔癖さに辟易した京太郎は、対局を再開する。

 

「とりあえず始めましょう! 次は南三、蒲原さんの親です! というかほんとに口説いてませんから!」

「あ、ああ、すまない。蒲原、サイコロを振れ」

「ワッハハー。ごめんなー須賀少年。私もゆみちんもあんま男子に耐性がなくってなー」

「いやもうほんとその話題いいですから……」

『私は騙されないっすよ。先輩はこの身を挺してでも守ってみせるっす』

 

次は南三局、智美の親。

確認を終えた京太郎は力を抑える筈もなく、師との時間を信じて益々加速する。

全国の頂点たる仲間達と同等の力を得た以上、そうやすやすと流れを断ち切られるなどありえない。

止められるとすれば、凡人とは異なる理を操る『能力者』。

『東横桃子』は、既に消えていた。

 

 

鶴賀を選んだ理由編 カン

 

 

 

 

「うぅぅ……、京ちゃんケータイの電源切っちゃってるよぉ」

「なんじゃ咲、知らんのか? 京太郎は今週いっぱい部活休むらしいぞ?」

「いえ、それは知ってるんですけど……」

「? なんぞ用でもあるんか?」

「その、部長が……」

「わしが?」

「あ、いえ、竹井先輩がすごく怒ってて、京ちゃんを丸坊主にするって……」

「坊主ぅ!? 久がそう言ったのか!?」

「はい……」

「あの犬なにやらかしたんだ?」

「私も知らない。京ちゃんお昼に早退しちゃったし」

「逃げたっちゅう事か?」

「きっとそうです。そのあと竹井先輩が怒鳴りこんできましたから」

「あの竹井先輩が怒鳴りこんだんですか? それはよっぽどですね」

「すごく恐かったよ。『あのアホはどこ』って凄い目してた。しかも京ちゃんを名前で叫んでたもん」

「久をキレさせるとは……、馬鹿な事したのう」

「竹井先輩を激怒させるなんて、須賀君いったい何をしたんでしょう?」

「きっとエロい事だじぇ! あいつはエロ犬だからな!」

「ん~、京ちゃんにそんな度胸ないと思うけど……」

「そうですね、というかそうでなければ困ります。私の胸を見てホッコリするのは実害がないから許せていただけですので」

「ご、ごめんね和ちゃん。京ちゃんにはきつく言っとくから」

「まあ何したか知らないけど、あのアホ死んだじぇ」

「そうじゃな。死んだわ」

「や、やっぱりそうかなぁ?」

「いい友人でした。胸さえ見なければ」

 

 

もいっこ カン

 



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「決意」

南二局終了時の点棒状況

 

京太郎 30600

ゆみ  21500

智美  23600

モモ  24300

 

 

南三局0本場 親智美 ドラ{一}

 

前局の12000直撃によりトップ目に躍り出た京太郎。

この局、京太郎は手を緩めるつもりも、守備的になるつもりもなかった。

次のオーラスは桃子が親だ。

県予選決勝卓副将戦で和よりも収支が上だった、『東横桃子』。

しかも『ステルス』しっぱなしの後半戦は、和には効かなかったにも拘わらず、なんと+24300も稼いだのだ。

オーラスは必ず卓上から消えるのは間違いない。

咲から聞いただけでは『ステルス』の破壊力をいまいち想像できなかった京太郎は、この南三局で貯金を貯えるつもりだった。

前局のアガリで流れに乗った京太郎、十順目の手牌。

 

{二二三三四五六六①②③23}

 

ピンフ三色、またはピンフイーペーコーイーシャンテンの形から{3}をツモる。

 

{二二三三四五六六①②③23} ツモ{3}

 

集中力が高まり、両目の碧火を益々滾らせた京太郎はノータイムで打{六}。

役を追ってついつい五萬に手をかけてしまいそうなところで、きちんと牌効率を優先させた。

{五}切りは、三色とイーペーコーのどちらも確定しないままに受けは6種。

しかし{六}切りは三色をほぼ諦めてはいるものの、その受けは8種である。

 

(ピンフイーペーコー、もしくはドラ1でも十分。萬子が伸びれば絶好。ドラの{一}引けば三色はいらない)

 

他家の手牌を読みながら、萬子の下、とくに{一}は山にいるとの判断だ。

そして次順{三}ツモ。

 

{二二三三四五六①②③233} ツモ{三}

 

安目を引く。

 

(安目。ピンフイーペーコーが崩れた。和からヌルいと言われそうだけど、ここはツモのみのダマテンに受ける)

 

既に中盤を過ぎている以上デジタルならば即リーしそうな手だが、{3}を切ってあえてダマ。三人の手が遅いと読んだ。

次順、十二順目。

 

{二二三三三四五六①②③23} ツモ{1}

 

テンパイ即ヅモの{1}引き。

{五}を切っていれば辿り着けなかったアガリだ。

しかし。

 

(ここだ!)

 

残りのツモは五回。

{一}は絶対山にいる。

 

「リーチ!」

 

京太郎は迷わず{二}を切ってフリテンリーチした。

 

{二三三三四五六①②③123} 打{二}リーチ

 

{一四七二}待ちだが、他家からアガる事はできない。

 

「ここでリーチか……仕方がない」

「う~ん、困ったなー。親でいくつもりだったから危険牌が残っちゃったぞー。とりあえず安牌で」

『こっちもイーシャンテン。もうステルスは発動してるっす。引いて追っかけるっすよ……って無駄ヅモっすか』

 

三人がリーチに警戒しつつ回ってきた十三順目のツモ。

 

{二三三三四五六①②③123} ツモ{一}

 

なんと一発でドラの一萬を引く。

 

「ツモ! メンピン一発三色ドラ1。そして……裏が乗りました。4000、8000です」

 

さらに裏ドラが{2}だった。

 

「ぐっ……、フリテンか……」

「あいたたた。倍満の親被りは痛すぎだなー。というか強欲すぎないか?」

『トップ目なんすから、無理する必要無いじゃないっすか……』

 

三人はやられたという顔をしつつも、なんで無理してフリテンリーチするのかが分からない。

ラス前トップならほぼ二着以上が確定するのだから。

もちろん、京太郎は二着以上ではなくトップしか狙ってはいない。

だから目的は『対ステルス』の貯金ではあるのだが、

 

「俺の読みでは山に八枚アガリ牌が眠っていました。ドラの{一}は三枚山です。ツモのみが跳満に化けるなら勝負したくなりません?」

 

それ以上に引く自信があったのだ。

 

「これはまた凄い自信だな」

「あーでもその気持ちは分かるなー。でかい手アガリたいもんなー。ワハハー」

 

会心のアガリに笑顔で言うと、ゆみと智美は揃って苦笑した。

 

『フン、そんなの偶然っすよ。ただの偶然』

 

大好きな先輩が笑顔を見せたので、どこかのステルスさんは仏頂面である。

 

「……? まあ、これで俺のトップは盤石です。加治木さんは倍直三倍満ツモ、蒲原さんは倍直もしくは役満でなければ届きませんよ?」

 

現在二位の桃子はラス親なので、跳直倍満ツモ条件。

それ以下でもアガれば連荘でチャンスは続く。

京太郎をまくる可能性がもっとも高いのは桃子で間違いない。

『ステルス』の性能は牌を見えなくしてしまう事。

誰にも振り込まないし、無警戒で直撃し放題なのだ。

まさにこの状況は、その為の『ステルス』です、と言わんばかりの状況だろう。

 

「確かに、これはきつい条件だ。だが、だからこそ面白い。ウチのエースも黙ってはいないだろうが、私も楽はさせんよ」

「よーし、おもいきって役満狙うぞー」

『ここからはステルスモモの独壇場っすよ』

「……? では、オーラス。よろしくお願いします」

 

京太郎は頭を傾げつつ、頭を下げた。

 

「ああ、こちらこそよろしくお願いします」

「よろしくなー」

『……っす』

 

そして始まる南四局。親は『ステルス』全開の東横桃子。

このオーラス、京太郎は驚愕する事になる。

 

 

南三局終了時の点棒状況

 

京太郎 46600

ゆみ  17500

智美  15600

モモ  20300

 

 

南四局0本場 親桃子 ドラ{東}

 

 

十一順目の桃子の手牌。

 

{三四五③④⑤44445東東} ツモ{東}

 

京太郎に直撃させようとダマテンの{36}待ちだったとこに、なんと自風のドラを暗刻らせる。

 

『くっくっくっす。これでダマ跳、安目でも12000の三面張。先輩に色目を使うその面へ、これをぶち込んでやるっすよ』

 

悪い笑みを浮かべながら、桃子は京太郎の捨て牌に目を向けた。

典型的なピンフ手。

しかも九順目から{52}と索子を切り、なにやらテンパイ気配がプンプンするではないか。

{14}は超危険牌だ。

 

『けれど私の姿は誰にも見えないっす。この{4}も安牌と同じっすよ、死ね須賀』

 

桃子は{4}を掴み、ゆっくり河へと手を伸ばす。

そして京太郎は幻視した。

ダンボールを頭から被り、左手側からコソコソと近づいてくる桃子の姿を。

 

京太郎手牌。

 

{二三四五六七①①⑦⑧⑨23}

 

{14}待ちのピンフのみ。

京太郎は、赤ん坊の頭ほどもある石を握りしめて近づいてきたダンボールのてっぺん目掛けて、

 

『こら』

『あいたっ』

 

手刀を振り下ろした。

 

「ロ、ロン……」

 

桃子が捨てた牌へと向けられた発声。

 

「なん……だと……っす……」

 

驚愕によりゆっくりと京太郎へ顔を向ける桃子。

恐ろしくゆっくりな動きに合わせ、目も、口も、鼻の下も広がっていく。

京太郎も全く同じ動作だ。

あまりの驚愕に脳の処理が追いつかない。

 

――おい、『ステルス』はどうした? 『ステルス』って何だったんだよ?――

――お前なんで見えてんすか? 『ステルス』は『ステルス』で『ステルスモモ』っすよ――

 

アイコンタクトで会話するも、互いにゴリラみたいな変顔で固まっている。

 

「……これは、驚いたな。須賀君にもモモの『ステルス』が効かないのか」

「ワッハハ。原村といい宮永といい、清澄はどうなってんだろうなー? というかモモが凄い顔してるぞー」

 

あまりの変顔で存在感の増した桃子の姿は、二人の目にもはっきりと映る。

二人の言葉で、桃子と京太郎の金縛りが解けた。

 

「なんで!? お前もなんかおかしな能力持ってんすか!? とんだ卑怯者っすよ!」

 

それを桃子が言っては駄目だろう。

『ステルス』は十分以上に卑怯だ。

 

「んなもんねーよ! つーか『ステルス』ってなんなの!? 見えなくなるんじゃなかったのか!?」

 

謂われのない濡れ衣に、京太郎も騒ぐ。

 

「見えないっすよ! 普通は見えない! 見える奴は異常っす! つまり須賀は変態って事っすね!」

「誰が変態だ! 大体元から眉つばだと思ってたんだよ! なんだ消えるって!? 元々人間は点いたり消えたりしねーんだよ!」

「人を嘘吐きみたいに言うなっす! 私の『ステルス』は本物っすよ!」

「んなわけあるか! ずーっとボソボソボソボソ俺の悪口言いやがって! どこが『ステルス』だ! 俺の『ストレス』が増大したわ!」

「聞こえてたんすか!?」

「当たり前だろ!? 真横にいるんだぞ!? 俺もたいがい失礼だと思うけどお前は無礼すぎる!」

「ハンっす! 女の茶目っ気に目くじらたてるとか、恐ろしい器の狭さっすね! 驚愕したっすよ!」

「どんだけ口が悪いんだよ! その立派なおもち、さては偽物だな! おもちの大きさは心の広さに比例するから間違いねえ!」

「ぎゃーー! やっぱ変態っす! コイツ私の胸ばっか見てたに違いないっす! 助けて先輩ーー!」

 

ギャーギャー騒ぎながらゆみの背中に隠れる桃子。

 

「…………ぁ」

 

そんな姿を見ながら、京太郎はポンと手を重ねた。

 

(そういや、槓材だから見えたのかもって咲のやつ言ってたな……)

 

強烈に執着する牌(もの)だったから見えたとするとつじつまが合ってしまう。

 

(東横さんの手牌を読む時、必ずおもちに目がいってから牌に注目してた。だからか?)

 

咲と嶺上=京太郎とおもち。

凄まじきはおもちへの愛だった。

 

「となると、俺が東横さんの姿を見失う事はないわけか……」

「……ぇ」

 

ポツリと呟いた京太郎の声に、桃子が小さく反応する。

京太郎からしてみれば、桃子は対能力者戦の経験として打ちたかったのだ。

だが、どうやら自身には効かないらしいという事が分かりガックリきてしまう。

なんとかおもちを見ない様にすればいけるのだろうが、そんな真似は麻雀で咲達に勝つ事よりも難しいだろう。

一瞬で自身には不可能だと判断した京太郎は、勘違いで怒鳴ってしまった事を素直に謝った。

 

「疑ってごめん、東横さん。俺には絶対に『ステルス』効かないみたいだ」

「ええ!? う、嘘……ッ」

「というか、きっとどうやっても東横さんの姿を見失えそうにない」

「うぐっ……」

「おいおい、今度はモモを口説くのかー?」

「須賀君、いくらなんでも節操というものをだな……」

「違いますから! そういうんじゃないですから! つーか少し耐性なさすぎですよ!? このまま社会に出ちゃ駄目ですからね!?」

 

鶴賀学園麻雀部員の将来を心配するしかない。

 

「と、とりあえず、最後は締まりませんでしたけど、俺のトップで終了ですね」

 

またおかしな方向へ行く前に、京太郎は話を戻した。

 

「ああ、君の勝ちだ。正直悔しいが、完全に力負けしたよ」

「いやー強いなー須賀君。これで麻雀歴半年とは大したもんだと思うぞー」

「ま、まあ、多少はやるっすね」

「ありがとうございます。皆さんと打てて、俺も楽しかったです」

 

なぜか桃子の顔はまだ赤かったが、ゆみと智美から絶賛されて顔がほころぶ。

 

「それとですね……、図々しいのは百も承知で一つお願いがあります」

「「「?」」」

 

京太郎は深く頭を下げた後、真剣な顔を上げた。

 

「俺のわがままでわざわざ打ってくれたのに、さらにこんな事をお願いするのは心苦しいんですが……」

 

しかし言い難いのか、モゴモゴとはっきりしない。

ゆみは、ふむ? と顎に手をかけ促した。

 

「言ってみてくれ。せっかくできた縁だし、清澄に貸しを作るのも悪くない」

「あっ、いや、この借りは俺に付けといてください。たとえ断られたとしても、今日の恩を返す為なら俺なんでもしますんで」

「なんでもとは破格の言質を取ったな。ではこちらも誠意を見せよう。さすがになんでもとはいかないが、できる事なら協力する」

 

ニヤリとするゆみに『やべっ、早まったかも』と思ったが、どうせ突っ走ると決めたのだ。

京太郎は己の望みを口にした。

 

「風越の福路さんか池田さんと連絡を取っていただけないでしょうか?」

「なに?」

 

ゆみはどういう事かと怪訝顔だ。

 

「ワハハ。今日みたいに風越女子とも打ちたいって事でいいのかー?」

「さすがワハハさん。その通りです」

「誰がワハハだー。年上をからかうならつまみだすよ?」

「ス、スンマセン! 加治木さんの目が鋭すぎてビビっただけです!」

「ほう。本当につまみだされたいようだな」

「ま、間違えました! お顔が凛々しすぎて少し和まそうとしただけなんですぅ! ほんとスンマセン!」

「やっぱこいつアホっすね」

 

ガバッと土下座した京太郎に、桃子の白い目が飛ぶ。

しかし昼に危うく逮捕されそうになったので、この態度も仕方ないだろう。

 

「だが君が自分で連絡すればいいんじゃないか? 私に電話したみたいに」

 

久の携帯を持っているんだろう? という疑問に、京太郎は苦い顔だ。

 

「部長の携帯は一回だけしか使わないと決めてました。通話料もかかりますし、何より部長にかかる迷惑がハンパじゃないんで」

 

下手すると明日殺されるかもしれません、と答える。

 

「それはそうだろうが……ならば尚の事、久とはきちんと話し合って、それから連絡してもらえばそれで済むだろう?」

「いえ、部長には……、というか清澄のみんなには内緒にしたいんです」

 

ゆみの目が途端に鋭くなった。

 

「……なぜだ?」

 

何かやましい事でも考えていなければ、秘密にするなどありえないだろう。

 

「……理由は言えません。今日も理由を言わなかったから、加治木さんと連絡とってくれなかったんです」

「なるほど……」

「おいおい、でもそれじゃあこっちだって協力できないぞー?」

 

智美の対応はもっともだ。

同じ部の部長でも駄目なのに、ほぼ初対面且つ外部の人間ならもっと駄目に決まっている。

 

「理由は言えませんが、俺がこれから何をするつもりなのかは言えます」

 

京太郎は真っ直ぐゆみの目を見た。

そこに曇りは一切ない。

 

「聞こう。言ってみろ」

「風越で福路さんと池田さんに対局してもらいます」

「だろうな」

 

それぐらいは想像できる。

 

「そして倒します」

「ふむ」

「倒したら、今度は福路さん達に龍門渕を紹介してもらいます」

「なに?」

「それで、天江衣を倒します」

「「「……………………」」」

 

京太郎の強い決意に、ゆみ、智美、桃子の三人がポカンとなる。

 

「本当はその後岩手と鹿児島にも行きたいんですけど、そんな金も時間もありません。だから大阪へ向かいます。一直線で行けますし」

「……待て、待て」

「北海道も無理ですので東京の――」

「いいから待て!」

 

ゆみが強い口調で遮った。

 

「風越、龍門渕を倒して岩手、鹿児島、大阪だと? まさか宮守女子、永水女子、姫松か?」

「はい」

「最終目的地は白糸台であっているな?」

「はい」

「それは……」

 

それは清澄が全国の頂点へ辿り着くまでの軌跡だった。

臨海女子や有珠山にも行きたいのだろうが、さすがに北海道も無理。時間的な猶予で東京は二校も周れないだろう。

第一、英会話もろくすっぽできないのに、留学生だらけの臨海女子へ行く勇気などない。

奈良の阿知賀女子は、和へ話が行く可能性が高いのでアウト。

 

「……一体何のつもりだ?」

「言えません」

「男子の君が女子へ挑む事に何の意味がある?」

「それも言えません」

「天江衣と愛宕洋榎を倒して、白糸台の大星淡と宮永照もまとめて倒すと? 常に三対一の状況で?」

「その通りです」

「馬鹿か君は!」

 

ゆみの罵声が飛んだ。

 

「ワッハハ、底抜けの馬鹿だなー」

「勝てるわけないっすよ。運よく風越に勝てても次で確実に負けるっす。天江衣と龍門渕透華の二人同卓とか、ただの罰ゲームっすね」

 

智美と桃子の呆れも呼ぶ始末。

 

「勝ちます。俺には勝たなきゃならない理由があります。だから、必ず勝ちます」

 

しかし京太郎は譲らなかった。

どこからどう見てもドンキホーテとしか思えないが、どうやら本気らしい。

 

「……それを私が承諾すると思っているのか?」

 

京太郎が行きたがっている場所は、どこもかしこも女子校だった。

不祥事を起こさなかったとしても、さすがに相手校への迷惑は尋常じゃないだろう。

 

「お願いします。なんでもします。俺に力を貸してください」

 

無茶な事を言っている事は十分分かっている。

京太郎はまたも床に額を擦りつけて頼み込んだ。

 

「……言っておくが、土下座はただの暴力だ」

「これを断るのは胸が痛いなー」

 

二人は苦い顔で困り果てるしかない。

特にゆみは深刻だった。

あれだけ泣かせてしまった相手なのでできる限り力になってあげたいが、望みが高すぎる。

自身の力ではどうやっても叶えてあげられそうにない。

 

「先輩、ヤバイっす。最近では相手に土下座させると強要罪で罪になるっすよ」

 

と、横から辛い現実を教えられ、ゆみは益々渋い顔だ。

こういうのは裏技が得意な久の領分だろうと、正攻法しかできない己の愚直さを呪う。

 

「もう風越に丸投げしてもいいんじゃないっすか?」

 

そんな中、桃子があっけらかんと口を開いた。

 

「おい、モモ……」

「それはさすがになー」

「どうせ次で終わりっすよ。さすがに長野一位の福路美穂子より上とは思えないっす」

 

どうやら京太郎の援護射撃をしているようだ。

 

「……………………」

 

何やら風向きが変わってきた事に、京太郎は土下座を維持しつつ『さすが大きなおもち持ち! がんばれ東横さん!』とエールを送る。

もし桃子の能力が『ステルス』ではなく『テレパシー』だったなら、この時点で望みは叶わなかったに違いない。

 

「……実はクリアしなければならない問題があってな」

 

しかし、それでもゆみは難しい顔を崩さなかった。

そもそも丸投げする事が困難な事を、最初から知っていたからだ。

 

「須賀君がこの学園内で打てたのは、ウチが弱小校だからだ」

「ワッハハ、校風も緩いしなー」

「部員80名を超す名門風越。そんなところの規則がウチ並みに緩いはずもない」

 

それこそ管理と言っても過言ではないだろう、と続けた。

 

「? 別にどっかの雀荘で打てばいいんじゃないっすか?」

「モモの言う通りではあるんだけどなー……」

 

と、元部長の智美も(表情はともかく)語尾を濁す。

 

「風越では雀荘へ行くのも部内活動の一環とされるらしい。つまりコーチの許可がいる」

「マジっすか!?」

 

モモが声を上げて驚くが、土下座したままの京太郎も同じく驚いていた。

しかし、多数の部員を抱える名門校では珍しい話でもないだろう。

 

「許可が取れたとしても、部活終了後では時間が遅い」

「時間っすか?」

「健全なノーレートの雀荘でも、保護者同伴でなければ高校生は18時までだ」

「ミッポが言うには、夜間外出とかにも結構うるさいらしいんだよー」

 

人数が多すぎて端まで目が届かない以上、規則で一人一人縛りつけた方が面倒がなくていい。

一部の馬鹿のせいで出場停止なんて事になったら目も当てられないのだから。

 

「だから正直、須賀君が風越女子と打つのは難しいと言わざるをえない」

 

風越女子麻雀部に友人でもいれば家を借りる事もできただろうが、京太郎にそんなコネはない。

 

「……………………」

 

ゆみの結論に、京太郎はくっと歯を食いしばるしかなかった。

どこかで躓くかもとは思ったが、僅か二校目にして頓挫するとは。

 

”あとは勝手に強くなれ。一番の近道は自分より強いものと打つ事だ、いろんな奴とな。経験こそが坊主を鍛えるだろう”

 

しかし正真正銘の化物がいる龍門渕へ挑むのは、『天江衣』と対戦経験のある者達と打ってからだと決めていた。

予選決勝卓大将『池田華菜』、そして長野個人一位の『福路美穂子』とはどうしても対局したい。そして勝ちたい。

この二人を諦めたら、『天江衣』に勝つ事など到底できはしないだろう。

そんな、師の教えを思い出しながら凄まじい葛藤を繰り返していると、

 

「それならウチら鶴賀の名前で練習試合でも申し込むしかないっすね」

 

またもあっけらかんとした声が飛んできた。

 

「む?」

「ん?」

「……え?」

 

モモの案に全員の目が集中する。

ゆみと智美の視線は若干ズレていたが、京太郎の視線だけはモモの目を捉えて離さなかった。

ステルス少女には新鮮すぎる視線だ。

 

「それでコイツも連れていけばいいんじゃないっすか? ウチらの身内として」

 

珍しい体験をさせてもらったのだから、多少融通しても構うまい。

さすがは『ステルスモモ』。

彼女と一緒ならばどんな厳重な場所にも潜入できそうだ。

 

「コイツが粗相しない様に、風越では私達で見張ってればいいっすよ」

「そう、か……。それならいけそうか……? 福路自身に協力してもらえばなんとか……」

「ワハハ。ミッポなら協力してくれるかもなー」

 

結局、この折衷案が決め手となった。

自身で手綱を握れるなら多少の誤魔化しも仕方あるまいと、ゆみは妥協する。

 

「うおぉぉ……ッ、あ、ありがとう東横さん!」

「勘違いするなっす。面倒事をとっとと片付けたかっただけっすよ」

「それでもありがとう!」

「ま、まあ、全力で感謝するんすね」

 

とかなんとか微妙にラブコメってる下級生二人を尻目に、上級生は行動を開始。

 

「とりあえず福路に電話してみよう」

「おお、ゆみちん覚悟をきめたのかー?」

 

即断即決がゆみの長所だろう。

すでに携帯を取り出している。

 

「……ああ。とても不安だが、風越までなら手を貸してやるさ」

「加治木さんもありがとうございます!」

 

しぶしぶながらの声だったが、京太郎は上機嫌で感謝した。

現金なものである。

 

「だがいいか! 絶対に不祥事を起こすなよ! とりあえず私達も監督役としてついていくが、絶対に私の傍から離れるな!」

「ありがとうございますありがとうございます! この須賀京太郎、絶対に加治木さんのお傍を離れませんので!」

「おおう、今度はゆみちんが須賀少年を口説き始めたなー」

「そんなっ、先輩浮気っすか!? 男なんて駄目っすよ!」

「東横さんは特にありがとう! やっぱ大きなおもちは優しさのバロメーターだった! 俺の理論は間違ってない!」

「ぎゃーー! コイツやっぱりただの変態っすよ!」

「んーー? なら私の事を冷血だと思っているのかなーー? 須賀少年はーー?」

「ヒィッ!? め、滅相もございません!」

「やかましい! 福路に連絡するから少し静かにしろ!」

 

とまあ、またも安いラブコメ展開を踏破しつつ、ゆみは美穂子へ電話をかけた。

 

「ああ、福路か? 私だ、加治木ゆみだ。しばらく……という程でもないが、久しぶりだな」

 

美穂子はメールも打てないくらいの極度の機械音痴なのだが、通話ボタンを押す程度はなんとかできるので幸いである。

 

「すまないが、実は折り入って頼みたい事ができてな。なんとか福路の力を借りたい」

 

簡単にではあるが、ゆみは美穂子へと説明した。

ここで京太郎にとって幸運だった事がある。

風越女子の元キャプテン福路美穂子は、男の理想をこれでもかと詰め込んだ、想像を絶する超絶良い子だったのだ。

そんな良い子が、頼ってきた友人を無碍にするわけもなく、一度電話を切って監督と交渉してくれるらしい。

一度電話を切り、そして15分後に再び携帯が鳴ると、

 

「そうか。すまない、骨を折らせてしまった。この埋め合わせは必ずしよう。……ああ、もしなにかあれば私が全責任を負う。では明日」

 

どうやら上手くいったようだ。

 

「福路に感謝するんだな、須賀君」

「じゃあ大丈夫なんですね!」

「ああ。コーチとどんな交渉をしたかは知らんが、明日の部活終了後、半荘一回だけなら許可してくれたそうだ」

「よっしゃあ!」

 

無茶な願いが叶い、京太郎はガッツポーズ。

 

「夜七時に風越正門前で……いや駄目だ。君は風越の三百メートル圏内に立ち入るな」

「えええ!?」

 

しかしすぐさま驚愕の悲鳴を上げる。

それではいったいどうやって風越で麻雀を打てばいいと言うのか。

この難問は一休さん以外には解決できないかもしれない。

 

「いいか? 十五分前には付近のどこかで待機していろ。待ち合わせしてから一緒に行くんだ。不審者と思われんよう制服でこい」

「あ、ああ、なるほど……」

 

だが、ゆみは頭がいいので解決策など直ぐに用意できてしまう。

 

「君の携帯をよこせ、番号を交換しておく。私が連絡したらすぐに出ろ。何かあったら必ず私に連絡するんだ」

 

しかも恐ろしく慎重だった。

 

「一緒に正門まで辿り着いたら外来許可証をもらいに行く。いいか? 私の傍から決して離れるなよ? 張り憑くぐらいでちょうどいい」

「う、うすっ」

「頼むぞ? 本当に頼むぞ? 私は推薦を狙っている。何かあれば破滅だからな? その時は君にも破滅してもらうからな?」

 

この念の押し様に、京太郎も酷く真剣な表情で答えるしかない。

信用してもられるならどんな事でもする覚悟だ。

 

「こ、この須賀京太郎におまかせあれ!」

 

ドンッと力強く胸を叩く。

 

「ほんとに頼むぞおおおおおおおお!?」

 

京太郎の胸倉を掴んで振り回す姿は、なにやらとてもテンパッていた。

 

「ワハハー。なんかゆみちん、初デートでどうしたらいいか分からない不器用な乙女みたいになってるなー」

「うぎぎぎぎぃ……、須賀ぁ……」

 

のんきな智美と桃子の歯ぎしりをBGMに、京太郎、まずは鶴賀を撃破。

 

 

鶴賀編 カン

 

 

 

 

「あ、そ、そういえばっす。その、す、須賀……君?」

「ああ、別に呼び捨てでいいぜ? 須賀でも京太郎でも好きに呼んでくれよ。同じ一年なんだし」

「そ、そうっすか。じゃあ、京太郎……京さんと呼ばせてもらうっすよ」

「なんでそんないきなりフレンドリー!?」

「ま、まあいいじゃないっすか、同じ一年っすし、清澄は知らない仲じゃないっすし、私の事もモモでいいっすし」

「なんかお前語尾おかしいぞ!?」

「そんなのいいから私とも番号交換するっすよ」

「番号? 携帯のか?」

「そうっす」

「別に構わないけど、なんだよいきなり?」

「私を完全に認識できる人間なんて多分日本に何人もいないっすから、とりあえず記念に」

「珍獣扱いかよ! でもまあ、おもちの大きな女子の番号だから問題なしだな」

「ぎゃーー! どう考えてもこいつ変態っすよ! こんなのに認識されるとかキモすぎっす!」

「酷い事を言うな! 俺のおもち理論が崩れるだろうが! そのおっきいおもちに謝れ!」

「サイテーっすよ! こいつ本気でサイテー!」

「ここが既に最高なんだ! これより上はないと知れ!」

「恐ろしい生き物っす! やっぱ男は駄目っす! 先輩助けてーー!」

 

 

もいっこ カン

 



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幕間「約束」

「で? 何か言いたい事はあるかしら?」

 

ホームルームが始まる20分も前の、早朝の清澄高校。

昨日鶴賀を撃破した京太郎は、家に帰り携帯の電源を入れると受信メールの多さにびっくり。

どれもこれも死を暗示する幼馴染みの文章に顔を青くさせられた。

そして一晩過ぎた朝、震える膝を叱咤しつつ久の教室へ向かい、ガタガタと落ち着かない体で流れるように正座した。

恐る恐る両手で携帯を差し出すと、とても冷たい声で問いかけられたのである。

 

「ああああのっすね、ぶぶ、部長……?」

「なあに、京太郎君?」

 

口調は柔らかく、昨日までよりも親しさが跳ね上がっている。

なのに、他人どころか性犯罪者を見るような視線はどういう事だ。

京太郎は震えあがるしかない。

 

「すすすすみっ、すみませんでした!」

 

182センチのでかい体を必死に小さくして土下座する。

 

「うん? それだけでいいの?」

 

しかし足りない。

鶴賀の面々から大幅な譲歩を引き出した必殺技も、どうらや久にはまるで足りないようだ。

 

「いいい色々とっ、じじょ、じじょ、事情がありまして!」

 

慌てて言い訳を追加する。

 

「勘違いしちゃ駄目よ、京太郎」

「はははい……?」

 

が、久は甘い女ではなかった。

 

「言い訳を聞いてるんじゃないの。私は命乞いを聞いてるの」

「い、命乞い!? 俺を殺すんすか!?」

「決めかねているわ」

 

携帯を奪われたのはまだしも、抱きつかれ、全身をまさぐられた。

それを謝罪一つで許す程安い女ではない。

京太郎は必死すぎて気づいていなかったが、あの時久の胸を掴んだり、お尻に触れたり、あろうことか股ぐらを擦ったりしたのだ。

乙女的に完全アウト。

どれだけ残虐な仕返しをしても許されるに違いない。

 

『おいヤベーぞ。竹井のやつ本気だ』

『あちゃ~。久ってば思ったより純情だったんだあ』

『さすがに殺人はマズイ。いよいよとなったら誰か止めろ』

『じゃあアンタがいけばぁ?』

『うっ……、お前いけ』

『馬鹿言え。お前いけ』

『じゃあ俺いくわ』

『なら私がいくよ~』

『それなら俺がいこう』

『ダチョウか!』

 

周りの生徒達も固唾を呑んで見守っている。

 

「ほら、早く言いなさい。それが京太郎の命を繋ぐかもしれないわ」

「ううぅぅぅ……」

 

京太郎は涙目だった。

だって目がマジなんだもん。虫けらを見るようなとは、きっとこんな眼差しに違いない。

だから一生懸命命乞いをする。

 

「許してください部長! 何でもしますからぁ!」

「何でも?」

「はいぃ! ずっと部長のパシリしますぅ!」

 

必死に拝んで許しを請うた。

 

「そう。それなら……」

 

そんな憐れな姿に満足したのか、久が笑顔でポケットに右手を突っ込む。

 

「頭だして」

「……ぇ?」

 

京太郎が訝しむ暇もなく、久は取り出した物のスイッチを入れた。

ヴィィィィィィィィィィィィ。

 

「手早く終わらせるから」

「ヒィィィィィィィ!?」

 

久の右手にあるバリカンから無情な音が響く。

京太郎は悲鳴を上げた。

 

『おいヤベェ! 本気で抹殺するつもりだぞ!』

『ん~、でも坊主くらいならいいんじゃない?』

『坊主頭がカッコイイ人ってテレビでも見るしねぇ』

『馬鹿言え。ああいうのはプロの美容師がちゃんとカットしてるからそう見えるんだよ』

『素人の五厘刈りはどこまでいってもただの五厘だ』

『竹井の事だからな、髪が伸びるたびにまた刈るつもりだぞ、きっと』

『夢と希望に満ち溢れた一年になんてムゴい事すんだよ……』

『『『『『でもそれが久だし』』』』』

『『『『『そうだな。それが竹井だな』』』』』

 

周囲はみな諦めた。

 

「部長! ぶちょお! ぶぢょおぉぉぉ!」

「なあに? ホームルームまで時間がないのよ」

 

しかし京太郎は諦めるわけにはいかない。

必死に、それこそ師との特訓の時よりも必死に抗う。

坊主は無理だ。ただでさえモテないのに、いがぐり頭になったらどうなってしまうのか。

はたして丸坊主の田舎者が高校生活をエンジョイできるものなのか。

中学から高校へあがり、きっとバラ色のスクールライフが待っているのだと思っていたのに、こんなのはあんまりすぎる。

女の子にモテたいのだ。可愛いくておもちの大きな彼女とかがほしいのだ。

 

「昨日の事は必要な事だったんですぅぅぅ!」

「だから?」

「許してくだざいぃぃぃ!」

 

だから目に涙をいっぱい溜めて許しを請うしかない。

 

「あのね、京太郎?」

「はいぃ!」

「昨日私にした事は性犯罪なの」

「あぐうっ……!」

「私に痴漢するのが必要だったって言いたいの?」

「あううう」

「警察に通報されないだけマシでしょ?」

「ぞうなんでずけどもお!」

 

しかし久は正しかった。

とことん正しかった。

十五歳の少年を絶望へと叩き落とす程に正しかった。

 

「俺の目的の為にはどうしても必要でぇ!」

「目的? それは何かしら?」

「そ、それはちょっと言えなくてぇ!」

 

ヴィィィィィィィィィィィィ。

 

「ヒィッ!」

 

口を噤もうとするも、目の前に出されたバリカンが恐ろしくて仕方ない。

 

「言いなさい。これが最後よ」

 

とても冷たい声。

本当にこれが最終通告だと、本能で理解した。

 

「い、色々理由はあるんですけどっ、一部だけなら言えますっ」

「一部~?」

 

途端眼光が鋭くなる久。

そんな甘えを許すとでも思っているのかと言わんばかりだ。

 

「ゆ、夢というかっ、ど、どうしても叶えたい目標ができましてぇっ」

「……夢?」

 

しかしその言葉で、久はとりあえずバリカンのスイッチを切った。

可愛くないとは言ったが、本当は可愛い後輩だ。

ずっと独りだった部室に集ってくれた、大事な後輩。

初心者である事を差し引いても、女子が思う存分戦えるよう一生懸命雑用をしてくれた。

感謝もしてるし、そりゃ可愛くないわけがない。

 

「言ってみなさい」

「うっ、でも……」

 

京太郎は遠巻きに見ている先輩達が気になってしょうがない。

こんな不特定多数がいる場所で夢を語るなど、いくらなんでも恥ずかしすぎるではないか。

 

「早く」

「ヒッ!? 分かりましたからバリカンしまって……ッ」

 

まあ、バリカンを目の前に出されれば従うしかないのだが。

 

「あ、あの、周りに聞かれると恥ずかしいんで、耳かしてください」

「……まあいいでしょう。ただし、エロい事したら殺すわよ」

「しませんよ!」

 

信用が地の底にまで低下している事を実感しつつ、久の耳元へ口を持っていく。

 

「だ、誰にも言わないでくださいね……」

「ちょ、息がくすぐったいわ。喋ったりしないから早く言いなさい」

 

眉をしかめて身をよじる久へ、京太郎は小さな声で言った。

 

「……俺、プロ雀士になります」

「は?」

 

久がポカンとした目を向ける。

それに構わず、京太郎はさらに耳元で囁く。

 

「その為にも、とりあえずインターハイで全国一位を獲ります」

「……………………」

 

自身の目標を話した京太郎は、久から離れると言い訳した。

 

「それだけじゃないですけど、昨日加治木さんに会ったのはその目標の為でもありました」

「……………………」

「だから許して下さい、部長」

「……………………」

 

まじまじと見つめてくる久に、深々と頭を下げる。

大笑いされると思ったが、どうやらその気配はなさそうだ。

 

「本気で言ってるの?」

 

それどころか真面目な声で聞いてくる。

 

「冗談であんな事できません」

 

だからこちらも真剣に答えた。

 

「どうして急にそんな事を考えたわけ?」

「約束したんです」

「約束? 誰と?」

「名前はまだ言えません。けど、俺の師匠です」

「師匠? 麻雀の?」

「はい。十日くらい前に出会って、でももう九州に帰っちゃいましたけど」

「ふ~ん、約束か」

「まあ、俺の一方的な約束なんすけどね……」

 

何やら考えている久と、そんな彼女に力なく答える京太郎。

 

”俺もプロになりますからいつか対局しましょう!”

”笑い殺す気か? 坊主がプロになれるなら、この世はプロで溢れかえるだろうよ”

 

きっとあのクールな師は、あの言葉を約束などとは欠片も思っていないに違いない。

 

”今度会う時に俺の成長を見せます。とりあえず全国一位を目指しますから”

 

けれど、たとえ一方的だろうと約束は約束だ。

だからあの時の言葉を必ず実現させてみせる。それ以外に恩返しする方法など思い付かないのだから。

 

「分かったわ」

 

と、考えをまとめた久が口を開いた。

どうやら許してくれる気になったらしい。

 

「ほ、ほんとですか!」

 

京太郎はホッと安堵する。

 

「二年待ってあげる」

「……はい? に、二年っすか?」

 

その安堵は早計だったが。

 

「ええ。とりあえずの方の目標は、どうがんばってもあと二年間しか時間がないでしょう?」

「ま、まあそうっすね」

 

インターハイに出れるのは高校三年生の夏までだ。間違ってはいない。

 

「とりあえずの目標が達成できなかった時は、改めて坊主という事でいいわね?」

 

久なりの譲歩なのだろう。

京太郎の実力ではどう頑張っても不可能だろうが、それが二年間のモチベーションに繋がるというのなら、先輩として譲歩してもいい。

 

「そ、それでお願いします!」

 

もちろん京太郎は飛びついた。

そんなありがたい話に飛び付くなという方が無理だろう。

 

「言っておくけど、私が卒業して反故になるなんて思っちゃ駄目よ?」

 

久はしっかりと釘を刺した。

自分がいなくなったからといって、約束まで忘れてもらっては困るのだ。

乙女の体を触りまくった罪は償われなければならない。

 

「二年後のインハイはバリカン持って応援にいくわ。いいわね、京太郎」

 

だからニヤリと、このお調子者の後輩へきっちり釘を刺しておくのだ。

 

「大丈夫ですよ、部長」

「ん?」

「二年も待たせません。秋の新人戦は部長も在学中ですから」

「…………」

「清澄高校生『竹井久』の目の前で獲ってみせます」

 

不覚にもちょっとときめいてしまった。

 

 

 

    ※

 

 

 

「待たせたな、須賀君」

「待たせてごめんなー、須賀少年」

「来てやったっすよ」

「いえいえ、今日はありがとうございます。加治木さん、蒲原さん、あとストレス」

「だれがストレスっすか! 『ステルス』っすよ『ステルス』! というかモモでいいって言ったっすよ!」

「ああ、そうだった。スマン間違えたわ、モモ」

「絶対わざとっす!」

 

時刻は18:30。

風越女子近くの駅で、京太郎は鶴賀学園麻雀部の三人と待ち合わせしていた。

例によって妹尾佳織と津山睦月はいない。

これは体調云々ではなく、余計なリスクを負う事はないと、ゆみと智美が連れてこなかったのだ。

本当なら桃子も置いてきたかったのだが、昨日の当事者でもあるので断固参加を希望。

加治木先輩にだけ危ない事はさせられないと、智美には少々憐れな理由で強引についてきたのである。

 

「須賀君、久から連絡があったんだが……」

 

と、ゆみが言い難そうに口を開く。

 

「ええ!? つ、鶴賀に対戦申し込んだ事言っちゃいました!?」

 

京太郎は慌てて聞き返した。

久に言ったのは理由の半分だ。

あの抜け目のない部長ならどんな情報から真意を暴いても不思議じゃない。

現在の行動はなるべく知られたくなかった。

 

「いや、それは言っていない。君が昨日、清澄のメンバーには内緒にしたいと言っていたのでな」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 

それを聞き、ホッと一安心だ。

ゆみは京太郎と違い、とても気遣いのできる女性なのである。

 

「ただな……」

「?」

 

言い難そうなのは、どうやらそういう事ではないらしい。

ゆみは困った顔で言う。

 

「ウチの男子部員を誑かさないように、と釘を刺されたぞ? 君はいったいどんな言い訳をしたんだ?」

「なんすかそれ? というか部長の事だからただの軽口だと思いますけど?」

 

しかし京太郎は普通に受け流した。

相手をからかって悦に浸るのは、もはや久の習性みたいなものだ。

そんなのを一々真に受けていたら身が持たない。

 

「いや、そんな感じでもなかったような……」

「絶対そうですって。もう部長の話はやめましょう。バリカンを思い出しますから」

「「「バリカン?」」」

 

尚もいい募ろうとするゆみを遮り、さっそく出発する。

 

「七時までもうすぐです。早くいきましょう。ささっ、早く早く」

 

あんな恐ろしい体験など忘れるに限るのだ。

 

「わ、分かった。分かったから引っ張るな!」

「ちょっ、なに先輩の手握ってんすか! その手を離すっすよ!」

「痛ぇ! 蹴るな!」

「この! この! ハレンチな生き物めっす!」

「止めろ! このストレス! ストレスモモ!」

「死ね!」

「ワハハ。もう夜だから騒ぐなよー」

 

とまたも軽いラブコメをはさみつつ、一行は風越へ。

風越女子に到着した四人は事務室で許可をもらい、麻雀部へと歩を進める。

廊下を歩いてる間、ゆみが京太郎の襟をずっと握りしめっぱなしという一幕もあったが、とくに関係ないので割愛。

時刻は夜の七時だ。

ほぼ全ての部活が終了し、校内はとても静かだったが、辿り着いた室内は未だ何人もの部員がいた。

たくさんの女子部員達に気圧されキョロキョロと落ち着かない京太郎を引きずり、ゆみが風越のコーチである久保貴子の前へと進む。

 

「本日は無理を言ってすみません。鶴賀の加治木ゆみといいます」

 

自身の頭を下げつつ、京太郎の頭も無理矢理下げさせた。

 

「お、俺、いや僕は須賀京太郎です。よろしくお願いします」

 

京太郎が慌ててゆみに倣い、智美と桃子も同じく挨拶する。

 

「ああ、こちらこそよろしく。福路から話は聞いている。練習試合をしたいそうだな。なぜか男子が一人混じるらしいが」

 

貴子は人一人軽く殺しそうな視線で頷いた。

久保貴子。

表情から視線から言動から、何から何までとんがっている彼女は、風越では鬼コーチとして生徒達を支配する女傑だった。

 

「い、いえ、その、練習試合ではなくてですね、風越を倒しにき――」

「黙れ馬鹿!」

「あぐっ!?」

 

危ない。

京太郎が恐ろしくヤバイ橋をブレイクダンスしながら渡ろうとした時、ゆみの拳が後頭部に突き刺さった。

 

「ああ? そっちの男子、今なんか言ったか?」

「「「いえいえいえ。なんでもありません(っす)」」」

 

ゆみだけでなく、智美と桃子も冷や汗をかきながら手を振る。

いきなり粗相をしでかしかけるとは何事かと、愛想笑いの裏では京太郎への呪詛で満ち満ちていた。

 

「風越へようこそ、鶴賀の皆さん」

 

とそこへ、片目を瞑りながら微笑む女子が近づいてくる。

 

「遠くからよく来てくれたわ。半荘一回だけだけど、お手柔らかにお願いします」

 

福路美穂子。

インターハイ長野個人一位の実力者であり、風越女子麻雀部元キャプテン。

とても穏やかな性格と、他者へすぐ感情移入してしまう清き心の持ち主であり、その為部員達から絶大な信頼を得ている。

 

「ウチらに挑んでくるとはいい度胸だし。せいぜい揉んでやるし」

 

そしてその隣に張りつく現キャプテン、池田華菜。

美穂子を抜かせば校内ランキングトップという、こちらも相当な実力を持つ雀士だった。

語尾がおかしいのと、少しばかりうっとうしいのには目を瞑ってあげたい。

 

「池田ァァ!」

「ハ、ハイィ! な、なんでしょうコーチ!」

「テメェ何調子に乗ってんだぁ! わざわざ来てくれた鶴賀学園さんに失礼だろうがぁ!」

「ハ、ハイィ! ス、スミマセン!」

 

瞑ってあげたいのだが、鬼コーチは年中目を見開きっぱなしである。

 

「ったく、馬鹿が……」

 

貴子は華菜を睨みつけると、コーチとして指示を出す。

 

「もう時間も遅い。さっさと始めろ」

 

おっかないコーチに震えあがっていても、京太郎には呑めない指示だったが。

 

「鶴賀さんの方はちょうど四人だ。池田、吉留、深堀、文堂、二人ずつ卓に入れ」

「「「「ハイ」」」」

 

堪らず声を上げる。

 

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

それだとここにきた意味が何もない。

 

「あ?」

 

貴子に鋭い視線を向けられながら、京太郎は必死になって勇気をかき集めた。

どうやらこちらの意図がうまく伝わっていないようなので、冷や汗を垂らしながらも鬼コーチの前に立ち、言う。

 

「お、俺一人で、池田さんと吉留さん、それから福路さんと打たせてください!」

「ああん?」

 

ゆみ達がここまでセッティングしてくれた。

なら後は自身ががんばって交渉しなければならないだろう。

もちろん、ゆみ達三人はハラハラドキドキだ。

しかし、ゆみはとてもいい先輩なので崖に飛びこむ覚悟で援護する。

 

「すみません、コーチさん。私からもお願いします。どうか打たせてやってはもらえないでしょうか」

「…………」

 

他校の生徒二人から頭を下げられた貴子は面食らうしかない。

どういう事だ? ただの練習試合じゃなかったのか?

 

「オイ、福路。いったいどういう事だ?」

 

だから話を持ってきた美穂子に問いかける。

 

「すみません、コーチ。私にもよく分かりませんが、そちらの須賀君が私達と打ちたいそうなんです」

「はあ? どうして男子が女子と打ちたがる?」

「くわしくは聞いていませんが、どうも事情があるらしくて……」

「事情だあ?」

 

貴子は目の前に出された後ろ頭に視線をむけると、二人に頭を上げるよう命令した。

 

「二人とも顔を上げろ。他校の生徒に頭下げさせて問題になったらどうしてくれるんだ」

 

最近の教育委員会は教師にとても厳しいのだ。

 

「須賀って言ったか、で? どんな事情だ?」

 

鬼コーチとは言っても本当の鬼ではない。

子どもを導くのは聖職者として当然の義務である。

 

「い、言えないっす」

「ああんっ!?」

「ヒィ……ッ」

 

しかし、聖職者の顔が一瞬で般若のようになった。

京太郎がどこまでがんばれるか見物だ。

 

「オイテメェ。他校の生徒だからって舐めてんのか?」

「と、とんでもありません!」

「鶴賀は女子校だった筈だ。いったいどこの生徒だ、あん?」

「き、清澄っす! 清澄の麻雀部員です!」

 

すぐ降参する。

ガンを飛ばされながら『テメエどこ中~?』と聞かれたに等しいので、京太郎に耐えきる事など不可能である。

 

「清澄ぃ? その清澄の部員がどうしてここにいる?」

「か、風越を倒しにきました……」

「「「「「ッ!?」」」」」

 

しかしがんばった。

京太郎は涙目で震えながらがんばった。

風越の女子部員達は全員絶句。

だがそれは自分達を倒しにきた事にではなく、あのコーチにそんな言葉を吐いた勇気に驚愕した為だ。

あまりにも無謀。

 

「ほう、面白い事言うじゃねえか。天下の清澄って事で調子に乗ってるわけだな?」

 

貴子の目が危険域へと突入する。

 

「違います違います! 全然違うんですぅ!」

「何がだ?」

 

京太郎は慌てて手を振り否定するも、人殺しのような目はまるで和らがない。

 

「俺初心者だったんですけどっ、と、十日ほど前に師匠に麻雀教えてもらいましてっ」

「十日だぁ?」

「先週の金曜日に初心者を卒業できました!」

「…………」

 

いきなり身の上話を始めた京太郎に、『コイツは何を言ってやがんだ』と貴子の顔面が歪んだ。

 

「師匠にまだ対局するなって言われてたんすけどっ、調子に乗って次の日咲達と打っちゃいましたっ」

「…………」

 

しかし涙目で怯える姿に、もう少し聞いてみようかと思い、黙って聞く。

 

「そしたら何もできずに東場でトばされました!」

「…………」

 

京太郎は必死だ。

師にボロクソ言われてとても恥ずかしい思いをした。なので誰にも言いたくなかったのだが、さすがに鬼コーチの眼力の前には言うしかない。

 

(そんな事があったのか……)

(というか須賀少年をボッコボコにできるとか、やっぱ清澄は異常だなー。ワハハ……)

(リンシャンさんとおっぱいさんの鬼畜さが悲劇を生んだんっすね……)

 

ゆみ、智美、桃子の三人は、京太郎の事情が分かってなんとなく納得。

 

「だから風越を倒しにきました!」

「……ああ?」

 

話がいきなり飛んで、貴子は益々眉をひそめる。

だからの部分がまるで繋がっていない。

 

「鶴賀は昨日倒しました! 今日風越を倒したら、俺に龍門渕を紹介してください!」

「…………」

 

涙目で震えながらも一気に言った京太郎は、超迷惑なヤツだった。

だいぶ端折られた感はあるが、つまり道場破り兼修行という事なのだろう。

そんな個人的な事情になぜこちらが付き合わなければならない。

 

「お、俺にできる事ならなんでもします! おねがいします! 打たせてください!」

「…………」

 

しかし、またも頭を下げてくる姿は、貴子に考えるという行動をとらせた。

 

「……池田ァァァ!」

「ヒィッ! な、なんで華菜ちゃんに飛び火するんだし!?」

 

そして華菜が怒鳴られる。

跳び上がった華菜は心臓が破裂する程びっくりだ。

 

「福路!」

「ハイ」

「吉留!」

「ハ、ハイ」

「お前ら三人、こいつの相手してやれ! 全力でだ!」

「分かりました、コーチ」

「「「「「…………」」」」」

 

微笑みながら返事した美穂子はともかく、鶴賀勢を含めた皆がポカンとする。

今の話のどこが貴子の琴線に触れたというのだろう。

 

「頭上げろっつったろが、須賀ァ! 問題になったらどうすんだ!」

 

同じく放心状態の京太郎もポカンとしている。

 

「とりあえず龍門渕に連絡とるかは対局のあとだ。初心者のテメェが勝てるとも思えねえからな」

「…………」

「だが、お前みたいなのは嫌いじゃねえ。自分の生徒ならタダじゃおかねえが、ガキは無茶するぐらいでちょうどいい」

 

どうやら貴子理論ではアリなようだった。

もう京太郎は本日の運を使いきったかもしれない。

対局に影響しなければいいのだが。

 

「さっさと卓につけ。何もかも、対局後に決める」

「…………」

 

やたら姉御くさい事を言いながら、貴子は席へ促した。

思考が戻ってきた京太郎はお礼を言いまくるしかない。

 

「ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

「いいから早く場決めしろ。どれだけ残業させるつもりだ」

 

第一の関門突破。

あとは勝つのみである。

京太郎はグッと拳を握り、美穂子、華菜、未春が待つ卓へと向かう。

長野個人戦一位の『福路美穂子』と、予選決勝卓風越大将『池田華菜』。

次鋒の『吉留未春』は、個人戦で咲と対戦し同卓していた個人戦5位の南浦数絵を押さえ、咲には負けたがプラスの二着で終局するほどの実力者。

相手にとって不足はなかった。

 

「私は『東』ね」

「華菜ちゃんは『南』だし」

「私は『北』です」

「じゃあ俺は『西』という事で」

 

名門風越との対局は、東家美穂子、南家華菜、西家京太郎、北家未春でスタート。

ギャラリーにゆみ、智美、桃子、そして貴子を背負い、京太郎の風越戦が始まる。

 

「皆さん、よろしくおねがいします」

「「「おねがいします」」」

 

京太郎の真価が問われる一戦なのは言うまでもない。

 

 

優しい鬼コーチ編 カン

 

 

 

 

「ねえ、まこ」

「なんじゃ?」

「私引退したけど、しばらく部に顔出してもいいかしら?」

「なんじゃそんな事か。あんたぁが守った麻雀部じゃろ? 好きにしたらええ」

「そう? 悪いわね」

「じゃけんいきなりどうした? なんぞやり残しか?」

「う~ん、そうねぇ……。やり残しといえばそうかもね」

「ふむ。京太郎か?」

「……まこって結構するどいわよね」

「そりゃずっとあんたの下におったけぇ」

「そうね。そう言えばそうよね」

「ほんで? 京太郎に激怒したっちゅうのと関係あるんか?」

「ま、そんなとこかしら」

「まさか惚れたち言わんじゃろうな……」

「アハハ。ないない、それはないわ」

「ほうか。ならええんじゃけど」

「なにそれ? まさかまこ、あなた……」

「さすがに久に惚れられたら京太郎がかわいそうじゃろ」

「どういう意味よ!?」

「そのまんまじゃ」

「ど、どいつもこいつも私をなんだと……」

「そんな今さらな事ええから、京太郎へのやり残しってなんじゃ?」

「元とはいえ、部長としてあの子に何をしてあげられたのかが思い付かないのよ」

「……なるほどのぅ」

「とりあえず、新人戦で一勝くらいはできるようにしてあげたいわ」

「ほうじゃの。なにやら最近一人でがんばっとるようじゃし」

「ええ。京太郎も可愛い後輩には違いないしね」

「…………」

「? なに?」

「……京太郎?」

「な、なによ? みんなの事を名前で呼んでるんだから、別におかしくないでしょ?」

「久……あんたぁまさか……」

「違うから! ほんとにそういうんじゃないから!」

「…………」

 

 

もいっこ カン

 



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「脅威」

東家美穂子、南家華菜、西家京太郎、北家未春で始まった東一局。

相手は名門風越女子。

京太郎は最初から全開で臨む。

 

 

東一局0本場 親美穂子 ドラ{⑥}

 

 

西家の京太郎配牌。

 

{一四七九①②③④⑥赤5東南白}

 

{⑥}と{赤5}のドラ2がある配牌四シャンテン。

第一ツモは、シャンテン数の上がる{白}だった。

 

(ツイてる。いきなり役牌が重なってドラが2枚。もう他の手役はいらない)

 

このまま手なりで進める事を決め、第一打は{南}。

 

{一四七九①②③④⑥赤5東白白} 打{南}

 

京太郎の風越戦は、第一打{南}でスタートした。

そして手なりで進めた八順目。

 

{六七七②③④⑥⑦赤55東白白} ツモ{中}

 

生牌の{中}をツモる。

 

(まいったな、字牌の絞りが超きつい……)

 

楽な麻雀なんぞ打たせんとばかりに、{白}が出る気配がまるでない。

まあ、京太郎も{東}を延々絞っているのでお互い様ではあるのだが。

 

(下家の吉留未春は守備的な打ち手だし、対面の福路美穂子は読みが普通じゃないしな。こんな展開もあるか)

 

と考えつつ打{七}。

 

{六七②③④⑥⑦赤55東白白中} 打{七}

 

やたらと静かな立ち上がりなので、京太郎も守備的に打ってみた。

その四順後。

 

「ツモ」

 

十二順目の下家から声が上がる。

 

「役牌赤1。1300・2600です」

 

未春の手牌。

 

{三四五①②③赤⑤⑤999発発} ツモ{発}

 

{⑤発}のシャボ待ち。

いいのをツモったというところだろう。

 

(ありゃ、{発}だったかぁ……。なら{中}は上家かな? {東}は序盤から親が持ってた筈だし)

 

自身の読みが少しズレていた京太郎は素早く微調整。

脳内のイメージを再構築し直した。

美穂子の手牌。

 

{⑥⑥⑦⑧111678東東白}

 

華菜の手牌。

 

{一一二二二三四赤五六八中中白}

 

表面上は静かな立ち上がりだったが、裏では二人ともマンガンのイーシャンテン。

京太郎が簡単に{東}や{中}を切っていればあっという間にアガっていたかもしれない。

 

(……初心者にしちゃ防御力が高いな。配牌のドラ2枚と役牌対子に惑わされると思ったが……)

 

後ろで見ていた鬼コーチが少し感心する。

貴子が言うように、初心者は防御がおろそかになりがちだ。

しかし、そこは五年連続守備率一位の大沼師匠。

まず防御。とにかく防御。何が何でも防御を一番最初に叩き込んだのだ。

防御にかぎって言えば、京太郎の力は風越メンバーに引けを取っていなかった。

そして続く東二局。

 

 

東二局0本場 親華菜 ドラ{一}

 

 

親を迎え、最高目麻雀の華菜がエンジンを全開にする。

華菜配牌。

 

{一一一六①②②③⑤269西北}

 

配牌四シャンテンだが初っ端からドラが三つ。テンパイする事ができれば親満確定の手だ。

これが九順後、アホみたいな破壊力になる。

 

{一一一二三①①②②③③29} ツモ{3}

 

{14}待ちテンパイ。

 

(ふおおお! 完璧だし!)

 

高目の{1}だとピンフ純チャン三色イーペーコードラ3で指が十本折れる。

安目{4}でもダマ満、ツモ跳確定という怪物手。

しかし華菜は、『リーチせずにはいられないな』とか言っちゃうくらいリーチが好きなので、

 

「リーチ!」

 

当然、打{9}でリーチ。

 

(初心者のくせに華菜ちゃんを倒すとか意味分かんないし! 一撃でトバしてやる!)

 

彼女はいつだって自信満々。

 

{一一一二三①①②②③③23} リーチ

 

これで裏ドラが乗れば倍満役満当たり前という、凄まじい火力だった。

風越大将『池田華菜』。

龍門渕の天江衣に嬲られるだけ嬲られ、宮永咲に必殺点数調整『倍満差し込み』をかまされてもすぐ元気になっちゃうポジティブガール。

彼女の心を折れるのは唯一鬼コーチだけであり、また全国でも類をみないほどの火力持ちでもある。

お前一体何回役満テンパりゃ気がすむの? と言わんばかり打撃系女子、それが『池田華菜』だ。

そんな恐ろしいリーチがかかった十順目の京太郎手牌。

 

{五六七赤⑤⑤3赤5555678} 

 

嵌{4}待ちでタンヤオ赤2の5200テンパイ。

貴子相手に運を使い果たしたかに思えたが、どうやら今日は赤が集まるほどツイてるらしい。

しかし、

 

{五六七赤⑤⑤3赤5555678} ツモ{1}

 

高目アタリ牌の{1}を一発で掴んでしまう。

 

「ヤバ……ッ」

 

京太郎はとっさに『鏡』を手の中に生み出すと、全力で突進してきた華菜を左手で受け止めた。

 

{五六七赤⑤⑤13赤555678} 打{5}

 

親リーとかそんな事関係なしに、この{1}はデス牌だと直感。槓子の{5}を一枚切って嵌{2}へと受け変える。

だがなんと、次順に引いてきた牌がまたもアタリ牌。

 

{五六七赤⑤⑤13赤555678} ツモ{4}

 

鏡に防がれても愚直に拳を叩きつけてくる華菜の姿に戦慄してしまう。

 

「クッ、この……ッ」

 

京太郎はさらに右手のひらを重ね合わせて全力防御。

 

{五六七赤⑤⑤134赤55678} 打{5}

 

テンパイを崩す。

次順、十二順目に引いたのは{9}。そしてさらに打{5}。

京太郎は河へ{5}を三枚並べた。

 

「無スジの暗刻落としって、何考えてんだし……」

 

と、親の華菜から呆れの揶揄が飛ぶも、次順。

 

「ツモ!」

「な!?」

 

華菜が驚愕に目を見開く中、京太郎の発声が部屋に響く。

 

{五六七赤⑤⑤134赤56789} ツモ{2}

 

{14}を止めつつ{2}ツモアガリ。

 

「イッツー赤2。2000・4000です」

「ぐっ……」

 

嵌{2}の待ちと{5}暗刻落としでアタリ牌を止められた事を悟り、巨大手を躱された華菜は顔を歪めた。

しかし、根が単純な上に直情なのでへこたれるそぶりなどまるでない。

 

「フン、意外とやるし。というかそうでなきゃつまらないし」

 

腕を組みながら偉そうに鼻を鳴らす。

 

「いやあの……、池田さんは親なんで、4000点もらっていいっすか?」

「ぁ……わ、分かってるし!」

 

ツモられたくせに点棒を払い忘れてふんぞり返っていた華菜は、少々、というか結構うっとうしい性格なのだ。

 

(なんだ今のは? なんで{14}待ちが一点で読めやがった? このガキには池田の待ちを読む材料はなかった筈だ……)

 

京太郎の後ろで見ていた鬼コーチ貴子。

何か見落としたかと頭を捻るも、確かに京太郎に読めたのは索子か萬子の下待ちだろうというところまで。

{25}だって十分に危険牌だった。

 

(まさか直感か……? だが直感を身に付けるにはセンスと時間がいる。つい最近まで初心者だったってのと矛盾する……)

 

その通り。

それが『鏡』の特性。

師の大沼が京太郎に生み出させた『鏡』は、強者ならば当たり前に持っている指運、または直感が形になったものだ。

これこそが二流を突破する為の鍵であり、最低限身に付けていなければならない必須条件。

 

”一流へあがる為には資格を手に入れねばならんが、その条件も方法も、坊主に教えた覚えは俺にはないな”

 

一撃で殺されてしまう牌、または勝負を左右する牌を嗅ぎ分けられなければ話にならない。

故に師は、餞別として分かりやすくその感覚を味わわせたのである。

まあ結局は感覚を掴むだけで終わってしまい、特殊な能力に発展しなかったのでショボイと吹き出したのだが。

 

「次は俺の親ですね。サイコロ回します」

 

それでも師が与えた『目』と『鏡』は、京太郎が強者と闘う為の武器足り得ている事は言うまでもない。

本来なら様々な紆余曲折を経て身に付ける筈の技能。それを最短最速最効率で叩き込まれた京太郎。

師の大沼秋一郎には足を向けて寝られないだろう。

そんなトップに立った京太郎の親。東三局0本場。

 

「ツモ! タンピン三色イーペーコードラドラ! 4000・8000だし!」

 

華菜の発声が十順目に響く。

 

{二三三四四②③④23477} ツモ{二} ドラ{二}

 

前局の鬱憤を晴らすかのような倍満ツモアガリ。

ドラ待ちである為ダマテンだったが、最高目である{二}を軽々と引き上がった。

 

(くっそ、剛腕すぎんぞ……ッ)

 

防御などいらぬとばかりに超攻撃特化の麻雀で、京太郎を唸らせる。

 

「フフン。振らないならツモるだけだし」

 

しかも得意満面の顔が恐ろしく鬱陶しかった。

 

(池田ァァァ! って叫びてぇが、今は対局中だ。耐えろ。っつーか、なんであのガキはすぐ調子に乗るんだ? 馬鹿は治せねえのか?)

 

鬼コーチのボルテージまで上がる始末。

親被りした京太郎は一瞬でトップから三着転落だが、一つ深呼吸して自身を落ち着かせる。

 

(火力だけなら池田華菜は天江衣より上だ。この火力を押さえ込む)

 

これが、風越の『池田華菜』と対戦したかった理由。

龍門渕の『天江衣』も高火力の打ち手だが、華菜の火力はそれを上回る。

おそらく、火力だけなら全国トップクラスだろう。

 

(福路美穂子がおとなしい。きっと東場は俺の打ち筋を観察してるに違いない。池田華菜を黙らせるには次の東四局しかねえな)

 

京太郎は自身がまだまだだという事を理解している。

調子に乗ってボコボコにされたのは五日前。くだらん自惚れだと言った師の、阿呆を見る目が忘れられない。

 

(まずは池田華菜を叩く。次に福路美穂子との読み勝負にも勝つ。これで一段上へ行ける筈だ)

 

だから鍛えるのだ。

実戦の中で強くなりながら勝利するのが、きっともっとも成長するであろうから。

いつか師へ成長した姿を見せる為、京太郎はさらにギアを上げた。

ここからは字牌を絞っての直接的な防御ではなく、攻撃重視の読み防御へと切り替えていく。

 

 

東四局0本場 親未春 ドラ{8}

 

 

京太郎配牌。

 

{一五七九④赤⑤24568西中}

 

配牌四シャンテン。

 

(悪くない。ドラの{8}が孤立せずにすめばスルッとマンガンまでいける)

 

{8}をどう使うか思考錯誤していた京太郎の第一ツモ。

なんと。

 

{一五七九④赤⑤24568西中} ツモ{8}

 

ドラが重なった。

 

(もらった……)

 

僅かに口を歪めながら、打{西}。

両目の碧火が一気に勢いを増し、京太郎は全員の一打一打に注意を払う。

どこに牌を入れ、どこからどんな牌が出てきたのかを正確に記憶していった。

そして九順目。京太郎の手牌。

 

{五六七②③④赤⑤456688}

 

十三面受けの手広いイーシャンテン。

軽く跳満が狙えそうな手格好だ。

 

(下家の吉留未春は{4}切ってカモフラージュしてるけど索子染め。でも、左側五枚の字牌はおそらく対面の福路美穂子が殺してる)

 

中盤を回り、京太郎は相手の手牌を丁寧にイメージしていく。

 

(福路美穂子は上の三色。左三枚は字牌。生きてる字牌は{東}と{発}。どちらかが対子で、片方は自分がテンパイするまで絞るつもりだ)

 

そう読んだ二人の牌姿。

美穂子手牌。

 

{六七八⑥⑦⑦⑧678東東発}

 

未春手牌。

 

{11678999東東発発北}

 

ドンピシャである。

 

(上家の池田華菜はきついな……。右十一枚が萬子。左二枚は索子。萬子待ちだと読み切れねえぞ……)

 

華菜への直撃を狙い筒子と索子に待ちを合わせるつもりなのだが、萬子を引かされたら逆に殺されかねない。

そんな西家華菜の九順目のツモ。

 

{一二二三三四四赤五六七八57} ツモ{一}

 

{一}を引き、{五八}のどちらかを切れば嵌{6}でテンパイ。

 

(ん~、こっちかぁ……。多分みはるん染めてるくさいし。しかも下家の初心者、{2}切ってから索子止めてるっぽい。待ちある?)

 

しかし華菜の読み通り、この嵌{6}は他家が四枚とも使いきっており純カラである。

 

(ちょっと危ないけど、萬子は場に安いし何引いてもテンパイ……)

 

というより、最高目麻雀の池田華菜がこの手をイーペーコーのみにするわけがなかった。

 

(ここは勝負するしかないし!)

 

未春のスジでありドラ表示牌の{7}を先に強打。

 

{一一二二三三四四赤五六七八5} 打{7}

 

瞬間、京太郎の目が火力を上げた。

 

({7}……? 対面は678の三色。下家は索子の下が対子で、俺と対面の手牌と河から逆算して{9}暗刻の{567}か{678}が濃厚)

 

{7}が出た瞬間索子の枚数を逆算し、華菜の手中に一枚だけある索子牌を絞り込む。

 

(九割方{6}と{8}は純カラ。{7}も表示牌に一枚、下家と対面に一枚ずつ。対子落としもありえない。つまり、{75}の処理ってか?)

 

瞬時に正解へと辿り着いた。

 

(その二枚の索子は雀頭じゃなきゃ駄目だったよ。最高目を作る嗅覚は凄いけど、ちっと防御が甘いぜ。池田華菜)

 

口の端を上げた京太郎は、

 

「チー」

 

即座に華菜の{7}をチー。そして{②}を捨てた。

次順華菜、{四}をツモる。

 

{一一二二三三四四赤五六七八5} ツモ{四}

 

これで{三六九五八}待ちのテンパイ。

{九}引いてきた日には三倍満、いやリーチしようものなら役満まであるまたも強烈な手だ。

 

(さすが華菜ちゃん! 凄いとこ引いたし! こんなの確実に一発ツモだし!)

 

華菜は自身の鬼ヅモを自画自賛しつつ、

 

「リーチ!」

「ロン」

 

振り込む。

 

「なぁ!?」

「タンヤオドラ2赤1で、7700です」

 

京太郎のアガリ形がこれ。

 

{五六七③④赤⑤4688} {横756}

 

華菜の溢れ牌を完全に読みきった嵌{5}である。

 

「お、お前、華菜ちゃんを狙ったなあ!」

「そんなメンチン、アガらせるわけにはいかないですよ」

 

ギリギリと悔しがる華菜へシレッと返すも、三局続けて怪物手をテンパる強運には脱帽するしかない。

 

(それにしても、倍満以上をポコポコ張るってどうなってんだ? 優希もそうだけど、頭悪そうな人ほど運が強いのかなぁ……)

 

と、大変失礼な事を考えていた。

そんな京太郎の背後では、

 

(あの形から{7}鳴いた時は何事かと思ったが、{75}落としの一点読みだったのか……)

(あの十三面受けイーシャンテンで鳴く勇気が凄いなー。そうかもと思っても、きっと私には鳴けないよ。ワハハ)

(やりたい放題っすね。ここまでくると読みも一種の能力っすよ)

(……………………)

 

ゆみ、智美、桃子の三人が感心し、コーチの貴子が難しい顔で考え込んでいる。

師が唯一褒めた『目』。

これは京太郎の攻防の要にして自信の源だ。

 

(これで俺の読みは全国クラスの火力でも押さえられる事が証明できた。あとは福路美穂子に読み勝つだけだ)

 

褒められた後もさらに鍛えに鍛えた『碧火の目』は、京太郎を支える土台として確立している。

同じ右目を持つ美穂子もまた、ゆみ達同様驚いていた。

 

(凄い読み……。華菜の溢れ牌を完全に読み切ってたわ。本当に最近まで初心者だったのかしら? 彼の師匠がすごく気になる……)

 

この感想は、ほぼ貴子と同じである。

読みとは地力だ。

地力だからこそ対策を立てる事が困難で、もちろん急激に上げる事も難しい。

本来なら何年も何年も地道に積み重ねるしかないものなのだ。

それを京太郎は一足飛びに身に付けてしまっている。

これは京太郎の才能もあったかもしれないが、大沼秋一郎がいかに凄まじい雀士なのかという証だろう。

 

(初心者のガキを十日かそこらでここまで仕上げるだあ……? いったいどんな化物がどんな指導しやがった……ッ)

 

貴子の中にあったのは嫉妬だ。

名門校のコーチとして、指導には当然自負があった。

しかし、京太郎の姿を見てそんな自負など粉々に砕かれてしまった。

おそらく美穂子と同レベルの読みだと確信し、どうやればそんな指導ができたのかと歯ぎしりするしかない。

 

「クッソー! 絶対トップとり返してみせるし!」

「ふっふっふ。もう池田さんにはアガらせないっすよ」

「ぐあーー! 年下のくせに生意気だし! 必ずトバしてやる!」

 

華菜はかなり低いレベルで歯ぎしりしていた。

京太郎はデリカシーがないので低レベルに煽っていた。

 

(うわー、この子結構強いなぁ)

 

未春はのほほんと思いつつ、若干空気と化していた。

そして南入。

 

 

東四局終了直後の点数状況

 

美穂子 16400

華菜  27000

京太郎 32400

未春  24200

 

 

南一局0本場 親美穂子 ドラ{4}

 

 

(二度目の親。ここは大事にいかないと)

 

現在ラスの美穂子。

京太郎の打ち筋をずっと観察していた彼女は、ここから長野個人戦一位の力を見せる。

美穂子配牌。

 

{二三①①③③12278東北白}

 

かなり窮屈な三シャンテンだ。

 

(チートイ、イーペーコー、三色、チャンタが見える。ツモが乗ってくれるといいのだけれど……)

 

そして瞑っていた右の蒼目を開き、打{北}でスタート。

 

(ようやく右目を開いた。映像と牌譜見た感じだとあれが全力の合図だ。いくぜ、読み勝負!)

 

美穂子が一打目から読みを展開するのに合わせ、京太郎も両目を点火。

前局と同じく全力で他家の手を読み進めた。

そして八順後。

これが長野個人一位の運なのか、美穂子のツモが配牌にうまくマッチした九順目。

 

{一二三①①③③123789} ツモ{②}

 

{①③}待ちのツモのみテンパイから、高目六飜アップの強烈な{②}引き。

{③}を切れば、{①}でピンフ純チャン三色が追加される。

 

(引いた。{①}は二枚とも山、{④}も二枚生きてる。だけど対面の彼の方が早いかもしれない)

 

しかし不利を悟り、とりあえず打{③}でダマテンに受けた。

 

(あそこから{③}……。福路美穂子は下の純チャン三色。{③}切りな以上、筒子四枚は{①}暗刻の形じゃない)

 

京太郎は美穂子の打{③}から待ちを正確に絞り込む。

 

({③}はこれで場に二枚、俺が一枚。{④}は俺が一枚、上家に一枚。十中八九{①①②③}の形、待ちは{①④}。僅かに嵌{②}。勝ったな)

 

脅威的な読みを展開させる京太郎の手牌はこれ。

 

{三三四四五五③④⑤4445}

 

前局のアガリが効いてるのか、なんと八順目には高目タンピン三色イーペーコードラ3の大物手を張っていた。

しかも{365}の三面待ちだ。

勝ちを確信して当然だろう。

 

(純チャンなら掴めばでる。コイツを直撃させて、俺の読みが上だって証明してやるぜ)

 

力の入る京太郎の九順目のツモは字牌。もちろんツモ切りだ。

そして十順目。

美穂子、待ち枚数の差から先に京太郎のアタリ牌を掴まされてしまう。

 

{一二三①①②③123789} ツモ{5}

 

最安目の{5}だが、切ればタンヤオイーペーコードラ3へズドンだ。

 

(駄目。本命は{36}だけど、シャボやドラ暗刻の可能性もある。この{5}は打てない)

 

しかし、右目を開いた美穂子の読みもまた脅威的だった。

 

(けれど{①}切りの{5}単騎じゃ勝ち目がない。ここは同テンを狙うわ)

 

上家取りすら計算に入れ、勝負を五分に引き戻そうとする美穂子。

 

{一二三①①②1235789} 打{③}

 

{①}を雀頭固定の打{③}でテンパイを崩した。

 

(打{③}ッ!? まさかドラ傍引いて回ったのか!?)

 

京太郎は驚くも、諦めない。

 

(絶対に逃がさねえ!)

 

己の読みが上だと証明する為に追う事を決意し、両目に碧の火――いやもはや炎を噴き上がらせる。

ここが勝負どころだと更に集中力を高めた十順目のツモ、{②}。

 

{三三四四五五②③④⑤444} 打{5}

 

{5}を切り飛ばし、{②}に狙いを定める。

 

({5}ッ!? 待ちを変えた!? まさかこちらの{②}溢れを読んでいるの!?)

 

今度は美穂子が驚愕する。

そしてツモ{4}。

 

{一二三①②12345789} 打{①}

 

またもテンパイを崩し{①}の対子落としで回る構え。

 

(これも躱すのかよ!? こうなりゃ意地でも直撃してやる!)

 

ツモ{④}。

 

{三三四四五五②③④④444} 打{⑤}

 

{⑤}切り。

 

(また待ちを変えた!? 今度は{①}狙い!?)

 

ツモ{6}。

 

{一二三①123456789} 打{②} 

 

{②}切り。

 

(フリテン単騎だあ!? 読み間違えてる可能性もあるんだからとっとと切れよ!)

 

ツモ{1}。

 

{三三四四五五②③④④444} 打{1}

 

{1}ツモ切り。

 

(駄目……{①④}は絶対に切れない!)

 

ツモ{赤五}。

 

{一二三①123456789} 打{赤五}

 

{赤五}ツモ切り。

 

(嘘だろ!? 無スジの{赤五}強打してまでフリテンの{①}止めるか普通!?)

 

ツモ{東}。

 

{三三四四五五②③④④444} 打{東}

 

{東}ツモ切り。

そして十四順目、美穂子。

 

{一二三①123456789} ツモ{①}

 

{①}ツモ。

 

「ツモ! 3900オール!」

「ッ!?」

 

なんと、フリテンの{①}単騎ツモアガリ。

 

「マ、マジかよ……」

 

京太郎は呆然である。

 

「ええ、ごめんなさい……。フリテン単騎ツモなんて、みっともないアガリを見せてしまって……」

 

最初の純チャン三色テンパイの時点で山にいると予測していたが、こんなアガリになるとは思ってもなかった美穂子は申し訳なさそうだ。

 

「そ、そんな事ないですよキャプテン! どんな形でもアガった方がエライんです!」

「「……………………」」

 

その姿に華菜がフォローを入れるも、愚形のアガリを見詰めたまま声が出ない京太郎。そして押し黙る美穂子。

 

「おいお前! キャプテンに失礼な態度とるな!」

 

キャプテン大好きな華菜は、無言で美穂子を傷付け続ける京太郎に怒鳴るしかない。

 

「……そうじゃないのよ、華菜。このアガリはただの偶然。逃げ回ったあげくの結果なの。須賀君の態度も理解できるわ……」

「違います……そうじゃないっすよ……」

 

しかし違った。

京太郎は非難していたのではなく、感動していたのだ。

 

「……え?」

「凄えアガリだ……。自分の読みに絶対の自信がなきゃ、こんなアガリできるわけねえ……」

 

未だ美穂子の手牌を見詰めたままゴクリと唾を呑みこみ、右手の甲で口元を拭うと、その下から笑みが現れた。

 

「これが長野個人一位の力か……ハハッ、凄すぎ……」

 

笑みというより歓喜だろうか。

 

「凄すぎっすよ! 『福路美穂子』超スゲー!」

 

胸のドキドキが止まらない。

読み切って、全力で追ったのに捕まえられなかった。

つまり向こうの方が上。

けれどまだ南場は始まったばかり。

終局までに捕まえる事ができれば、それは開局前よりも強くなれたという事。

なら、残り四局で倒すまで。

 

「ありがとう、須賀君。あなたの読みも『超スゲー!』だったわ」

 

京太郎の絶賛の笑みは、美穂子の笑顔も呼ぶ。

柔らかく微笑む姿がとてもうれしそうだ。

 

(おい、節操と言う言葉を本当に知らんのか? 私をベタ褒めした事を忘れたんじゃあるまいな?)

(ワッハハー。須賀少年は誰でもすぐ口説くなー……あれ? 私は口説かれてないぞ? ま、まさか、む、胸……)

(どこまでハレンチなんすか、この男は。……ステルス全開なら、私だって福路美穂子に負けないっすよ)

(見ごたえはあったが正直自信をなくす。十日の指導で初心者が福路とタメかよ……)

 

背後のギャラリーはあまりうれしそうじゃなかったが。

 

「福路さん」

「なにかしら?」

 

まあ、卓外の思惑など知ったこっちゃないので、ニコニコ顔の京太郎はニコニコ顔の美穂子へ挑戦状を叩きつけた。

 

「俺、この半荘で必ずあなたから直撃してみせます」

「あら、これでも読みには自信があるの。そう簡単には振り込まないわ」

「お前なんかにキャプテンが振り込むわけないし」

 

美穂子も笑顔で受けて立つ。

 

「嫌です。絶対に、絶対にあなたの読みの上をいってみせる。覚悟してください」

「あらあら。それは楽しみね。本当はさっきのもとてもドキドキしたの。次も私が勝たせてもらうわ」

「キャプテンの上をいくとかちょーし乗んなし。覚悟するのはお前の方だし」

 

二歳も年上の上級生に恐ろしく生意気な言葉だが、美穂子は凄く心が綺麗なのでまるで気にしない。

 

「あ、そうだ。その右目、隠すのやめてください」

「え!?」

 

しかしこのお願いには参った。

右が青色のオッドアイはコンプレックスなのだ。

できれば読みの時だけで勘弁してもらえないだろうか。

 

「多分、その目が全力のスイッチになってるんですよね?」

「え、ええ、そうね……」

 

だが、

 

「なんでそんな綺麗な目を隠すのか知らないっすけど――」

「……ぇ」

 

押す。

京太郎はグイグイ押す。

 

「出し惜しみはなしでお願いします。全力の『福路美穂子』とやらせてください」

「……………………」

 

母性的な性格同様、一部とても母性的な部分を持つ少女を一生懸命口説く。

 

「……………………」

「……? 駄目なんすか?」

「……わ、分かったわ」

「? ええ、お願いします」

 

おもちの大きな女の子を口説くのは、もはや京太郎の本能なのだろう。

 

「コラー! 何キャプテン口説いてんだしー!」

「ええっ!? 全力で麻雀打ってくれって言っただけっすよ!?」

「キャプテンと喋るなし!」

「さっきから何なのこの人!?」

                     

華菜が鬱陶しいのもまた本能に違いないので、みんなもそこだけは目を瞑ってあげよう。

美穂子が全力を約束しつつ、次は南一局1本場。

美穂子の親連荘でスタートする。

持ち点は全員20000点台。京太郎が美穂子と400点差の微差トップ。

しかし、長野一位の実力はここからが本番だった。

京太郎が勝つには師の教えを昇華しなければならない。

 

 

華菜ちゃんはウザカワイイ編 カン

 

 

 

 

 

「…………」ボグッ

「痛っ!?」

「…………」

「な、なんすか、加治木さん? 今対局中なんすけど?」

「…………」ボグッ

「痛っ!?」

「…………」

「ちょっ、今殴ったのお前かモモ!? なんで殴った!?」

「…………」ボグッ

「痛っ!? どうして蒲原さんにまで殴られんの!?」

「…………」ボグッ

「痛い!? なんで!? 俺が何したんすかコーチさん!?」

「……三人が殴るからついつられた。いいから早く再開しろ」

「理不尽すぎる!?」

 

 

もいっこ カン

 



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「開眼」

決着は実際に作者がアガった手筋です。


南一局1本場 親美穂子 ドラ{⑤}

 

 

読みで長野個人一位を上回ると改めて決意した京太郎、その配牌。

 

{四九九①②④⑥36南北白発}

 

目を覆いたくなるようなボロボロの五シャンテン。

対して親の美穂子の配牌。

 

{二三赤⑤赤⑤⑤⑥⑦1378東西白}

 

なんとドラ爆の配牌リャンシャンテンである。

下手すると序盤で親倍をアガリそうな手牌だった。

 

(配牌ドラ5。これは、決定打になるわ……)

 

そんな確信の元、美穂子の第一打は{西}。

 

{二三赤⑤赤⑤⑤⑥⑦1378東白} 打{西}

 

そして西家京太郎の第一ツモ。

 

{四九九①②④⑥36南北白発} ツモ{⑧}

 

嵌張受けが増えただけでシャンテン数の変わらぬ{⑧}だ。

 

(これはきつい……)

(役牌重ねるくらいしかする事ないなー)

(私ならチートイ考えながらオリってとこっすね)

(さて、何を切る? どれを切っても正解で、どれを切っても不正解になりそうだが……)

 

背後でギャラリーが好き勝手な事を考えてる中、両目に碧の炎を宿した京太郎は、

 

{四九①②④⑥⑧36南北白発} 打{九}

 

でスタートした。

 

({九}だと!?)

(いきなりシャンテン数落とすっすか!?)

(それは一番ないと思ってたなー)

(なんだぁ……? 配牌オリにしちゃまずはドラ傍周りからの筈……)

 

ゆみ、桃子、智美、貴子が首を傾げつつ、五順経過。

六順目の美穂子手牌。

 

{二三四五赤⑤赤⑤⑤⑥⑦⑧78白} ツモ{④}

 

{④}をツモり、{白}を切れば八面受けのイーシャンテンになる。

 

(思ったより時間がかかる。でも三順以内には必ず張るわ)

 

当然の打{白}だ。

瞬間、京太郎の両目が火力を増した。

 

(手の内の孤立した役牌を切ってきた。おそらく多面受けの好形イーシャンテン。ドラもごっそり持ってやがる。そろそろ限界だな)

 

六順目のツモは{北}。

 

(よし、絶好!)

 

京太郎は自身の運が切れてない事に安堵する。

 

{四七九②③④⑥⑧56北白発} 打{北}

 

そしてそのままツモ切り。

 

(なぜテンパイへ向かわない!?)

 

と、ゆみだけでなく他の三人が思った瞬間、

 

「ポン」

 

下家の未春が発声した。

当然、美穂子の読みが加速する。

 

(これで下家はイーシャンテン。対面の手は、左三枚が配牌から動く気配のない字牌、多分{発}が配牌暗刻。右三枚の萬子も完成してる)

 

しかし、京太郎の牌姿だけおかしな読み方をしていたが。

 

(須賀君もイーシャンテンだとは思うけど、張っていれば本命は{47}ね)

 

京太郎は美穂子の脅威的な読みを逆手に取り、第一打から必死になって幻想を植え付けていた。

間違いなく美穂子だからこそ通用したブラフであろう。

そして七順目、美穂子が無駄牌をツモ切り。

偶然ではあろうが、この時、絶好のテンパイ牌である{6}が華菜へと食い流れていた。

そんな必死な京太郎の七順目のツモ。

 

{四七九②③④⑥⑧56北白発} ツモ{②}

 

引いてきた{②}を手の内に入れ、

 

{四七九②③④⑥⑧56北白発} 打{②}

 

手牌にあった{②}を切る。

つまり空切りだ。

 

(筒子が整理された。間違いなく張ったわね。でもその{②}は……)

 

美穂子が僅かに顔をしかめた。

 

「チー」

 

なぜならこれで、未春もテンパイを入れてしまったからだ。

未春手牌。

 

{二三四五六⑨⑨} {横②③④} {横北北北}

 

本来薄い筈のドラスジを処理して、{一四七}の三面待ちテンパイ。

 

(まさかこの手で先制されるとは思わなかったわ。しかも二人も……)

 

それはそうだろう。

まだ七順目だ。

それで二人もテンパイされたら親は不運を嘆くしかない。まあ片方はブラフなのだが。

そんな溜息を吐きそうになる美穂子の八順目ツモ。

 

{二三四五④赤⑤赤⑤⑤⑥⑦⑧78} ツモ{③}

 

{③}引きでテンパイした。

 

(なんとか追いついたわね)

 

ホッと安堵し、打{二}。

 

{三四五③④赤⑤赤⑤⑤⑥⑦⑧78}

 

{69}待ち。出アガリダマ跳。{6}をツモれば親倍の超巨大手だ。

しかし、

 

「ロン」

 

京太郎がツモ切った{一}に未春が発声。

その声に京太郎はヘラリと苦笑いする。

手の内から{四}を差しこもうと思っていたが、ちょうどいい牌がきたのでそのままツモ切ったのだ。

 

「1000の一本場は1300です」

「あ、はい」

 

美穂子に意図を気付かれないようにする為とはいえ、引きつった困り顔は恐ろしく下手くそだった。

 

「なにがキャプテンに勝つだし。いきなり負けてるし」

「あはは……」

 

華菜の揶揄にも乾いた声をだすのだが、美穂子の顔がポカンとなっている。

そんな顔を見ながら『”ハア?顔”のおもちは愛らしいな』と、新たな発見に頬が緩んだ。

 

(そうか、元々差しこんで親を蹴るつもりだったのか……)

(手筋が変だったのはミッポを騙す為かー)

(うわ、下家さんの手牌にもドラがないっす。どう考えても対面に固まってたっすね)

(オイオイ、マジでこのガキの師匠ってのはナニモンだあ? こんなの初心者に仕込むには時間が足りねえだろが、時間がよぉ)

 

後ろで納得する面々を余所に、美穂子が声をかけた。

 

「大丈夫、須賀君? もしかして疲れたのかしら?」

 

これは別に大物手を蹴られた嫌みとかではなく、心優しき清き少女は本心から京太郎を心配しているのだ。

 

「いえいえいえ! 師匠の教えを自分なりに解釈したら振り込んだだけですから! 全然元気ですんで!」

「そ、そう? それならいいのだけれど……、何かあったら遠慮なく言ってちょうだい」

「う、うすっ、ありがとうございます」

 

あまりに心が清過ぎて、恐縮してしまったのはご愛嬌だろう。

 

”いいか、テンパイした者を注視するのではなく卓全体を掌握しろ”

”……さ、三人の手を同時に読めって事っすか?”

”状況も流れも心理も思惑も情報も運も、卓上に渦巻いているもの全てだ”

 

京太郎はこの教えに従い、状況や情報を掌握し、相手の読みをズラせないか試してみたのだ。

 

(きれいなおもちに嘘吐いたみたいで気分良くないけど、だいたいの感じは掴めたな。相手をうまくミスリードできれば操れる)

 

現時点での地力が及ばない以上、『福路美穂子』へ直撃かますには総力戦にもっていくしかない。

師から教わった『読み』が、ただ情報だけを読むのではない事を思い出し、京太郎は次のステージへと上がる。

長野一位の脅威的な力が押し上げてくれたとも言えるだろう。

 

「じゃ、次は池田さんの親ですね。サイコロどうぞ」

 

南一局1本場。この時、京太郎は確かに美穂子の上をいった。

それに気付いているのは自身と後ろの四人のみ。

 

「よーし、この親でお前を吹っ飛ばしてやるし」

「いえ、アガらせませんから」

「生意気言うなし!」

 

京太郎は確かな手ごたえを感じ、場は南二局へと進む。

 

 

南二局0本場 親華菜 ドラ{北}

 

 

「あら、ごめんなさい。仮テンをツモってしまったわ。ツモドラドラ。1000・2000」

「早っや!? 読みとかまるで関係ねえ!」

「早過ぎて何もできません……」

「うえぇぇ、華菜ちゃんの親が四順で終わったしぃ」

 

華菜の親番は光の速さで過ぎ去った。

長野個人一位の運は凄いのだ。

 

 

南三局0本場 親京太郎 ドラ{南}

 

 

そして、いろいろと試しながら直撃を奪おうとする京太郎の南三局、九順目。

 

(マズイな……、多分福路美穂子はもうテンパッてる。待ちは{2}か{3}で三色。しかも左二枚の字牌、あれドラだわ……)

 

ドラの{南}を頭に、勝負手を張っていると予測した。

そんな美穂子の手牌はこれ。

 

{三四五③④⑤13345南南}

 

集中力が高まりまくっている京太郎の読み通り、{2}で三色のテンパイ。

{南}引きか、もしくは索子の形を変化させる為にダマテンである。

{2}は場に一枚見えていた。

 

(なんとか索子の下に照準を合わせたいんだけど……下手すると俺が打ちこんじまう)

 

と考える京太郎の手はこうだ。

 

{七八九①②③11399東東}

 

チャンタイーシャンテン。

しかし美穂子の待ちを読み切れず、{3}の処理で苦しんでいた。

 

(ふふ。困っているわね、須賀君。ならその{3}、通してあげる)

 

京太郎同様、完全に集中している美穂子の九順目のツモ、なんと三枚目の{南}。

 

{三四五③④⑤1345南南南} 打{3}

 

そして{1}単騎待ちに切り変えた。

 

({3}!? つまり今は{1}単騎!? なんだそれ!?)

 

こちらが楽になるだけの打牌に意図が読めず、京太郎が驚く。

が、次の華菜の凄まじい鬼引きにもびっくりだ。

 

{①①①赤⑤赤⑤⑥⑥⑥⑧⑧北北南} ツモ{⑤}

 

メンホンのツモリ四暗刻テンパイ。

 

(きたし! {北}は枯れちゃってるからリーチはしないけど、出アガリでも倍満! というかツモってコイツに親被らせるし!)

 

意地悪な事を考えつつも、当然{南}を切る。

 

{①①①赤⑤赤⑤⑤⑥⑥⑥⑧⑧北北} 打{南}

 

{⑧北}待ちだが、{北}は場に二枚でているのでダマに受けた。

というか、こんな手をもらったら待ちが丸生きでも普通はダマだろう。

華菜ちゃんはちょっとオツムが足りないので、もしかしたらダマ数え役満でもリーチするか悩んでしまうのかもしれない。

 

(おいおい、池田華菜まで張っちまった。しかもまたクソデケェ手……多分待ちは筒子の上。{⑧⑨}辺り掴んだら死ぬな……)

 

とかなんとかうんざりしてると、京太郎もテンパッた。

 

{七八九①②③11399東東} ツモ{東}

 

十順目のツモは{東}。

 

{七八九①②③1199東東東} 打{3}

 

{1}は美穂子に打ち込んでしまうので、もちろん{3}を切る。

 

(けど福路美穂子は何考えてんだ? その{1}単騎、下家が一枚持ってるから純カラだぞ……?)

 

その通り。京太郎が二枚、美穂子が一枚、未春が一枚使っているので、もう{1}はないのだ。

 

(しかも俺のアタリ牌だから動かせねえし……、なんで俺のアタリ牌を残したんだ?)

 

まるでわざとこちらの待ち牌に合わせたようで、なんだか気持ち悪い。

 

(吉留未春は三色とイッツーの両テンビン……あっ!?)

 

と、ここでようやく気がついた。

 

(まさか俺にも{3}を切らせたかったのか!?)

(麻雀は二人の勝負ではないわ。四人でやるものよ、須賀君)

 

美穂子が{3}を切り、それに合わせて京太郎も同じく{3}切り。

連続で捨てられる{3}を見た未春の思考はこうだ。

 

(多分キャプテンの手の中にもう一枚{3}がある。イッツーは待ちが薄い)

 

十順目の未春の手牌。

 

{七八九⑦⑧1224赤5679} ツモ{⑦}

 

なんという不運な少女か。

イッツーを選択するといつかは打{⑧}で死ぬ。

三色を選択しても打{1}で死ぬとは、かわいそうにも程があるだろう。

 

({3}がないし、華菜ちゃんにも筒子が打ちにくいしね)

 

場に連続で{3}が出てきた為にイッツーを諦め、三色固定の五面受けイーシャンテンを選択してしまった。

 

{七八九⑦⑦⑧224赤5679} 打{1}

 

「ロン」

「あうっ」

 

美穂子の注文通りだ。

 

「役牌三色ドラ3で、12000ね」

「{1}単騎ッ!? さ、さすがキャプテンです……」

 

アタリ牌を引きずり出された未春はうな垂れるしかない。

 

「ギリギリまでイッツーの可能性を残したかったのは分かるけれど、少し欲張りすぎたわね」

 

そんな彼女に美穂子は元キャプテンとして指導する。

もちろんニッコリと優しく、諭すようにだ。

きっと他人を不快にさせる機能をお母さんのお腹に置いてきてしまったのだろう。

 

「ハイ……。私からは{2}が三枚見えているので壁を過信しすぎてしまいました……」

「ええ。それが分かっているなら、吉留さんはまだまだ強くなれるわ」

「はい、キャプテン」

「……あ、あのね? 私じゃなくて、今は華菜がキャプテンよ?」

 

美穂子はちょっと困った顔で訂正する。

 

「そ、そうでしたね、そういえば」

「全然いいんですよ! キャプテンはずーっとキャプテンです! 一生キャプテンでいてください!」

「な、何を言ってるのかわからないわ、華菜……」

 

華菜は美穂子が大好きなので、特に脳を使う事なく、隙あらば会話に混ざろうとするのだ。

そんな仲良し風越部員達のやりとりを聞きながら、京太郎は歯を食いしばっていた。

 

(くそっ、まんまと利用された……。あの打{3}、あれで俺の打牌を操作して吉留未春の思考を誘導したんだ)

 

そう、これこそが福路美穂子の真骨頂だろう。

凄まじい読みを元に、他者の打牌を誘導して自身のアガリへと結びつける。

気付けば、卓上の全員美穂子の掌の上だ。

 

(読みの深度では負けてないのに、どうしても一手負けちまう……)

 

京太郎は視線を落とし、頭ハネで上家取りされた同テンの手牌を僅かに見た後、牌を伏せた。

 

(さすが長野個人一位。南一局1本場で須賀君が上かと思ったんだが、やはり強い……)

(これは須賀少年悔しいだろうなー)

(やりたい放題は向こうも一緒っすね)

(経験の差がでちまったな。こればっかりは数こなすしかねえ)

 

と背後の面々が改めて美穂子の力を再確認していると、またも華菜の揶揄が飛んだ。

 

「やっぱりキャプテンの勝ちだし。身の程知らずもほどほどにするんだな」

 

美穂子の手柄を我が物顔で偉ぶる華菜は、やはりうざかった。

これにはさすがの京太郎もイラッとする。

 

「はい。池田さんみたいに簡単には倒せません」

「なあっ!?」

 

だからニッコリ言ってやった。

 

「い、一年のくせに本気で生意気だし! というか倒されてないし! まだ終わってないのにもう勝ったつもりか!」

「それ、そのまんま俺が言いたい事っすよ」

「華菜ちゃんはいいんだし!」

 

しかし華菜ちゃんはお馬鹿なので打てば響く。

 

「キャプテンがお前なんかに振り込むわけないだろ!」

「もう、華菜。須賀君に酷い事言っちゃ駄目よ」

「華菜ちゃんが悪かったし。お前も最後まで頑張って打つし」

「ほんとに何なのこの人!?」

 

恐ろしく響くのだ。

美穂子が諭せばこの通りである。

京太郎が華菜の恐ろしさに戦慄しつつ、越えるべき壁へと宣言する。

 

「これで17900点差ですね。でも跳満程度の直撃で逆転できますから、正直ホッとしてます」

「まあ。あくまで直撃狙いなのね?」

 

その宣言はやはり美穂子の笑みを呼んだ。

きっと楽しくて仕方ないのだろう。

 

「もちろんです。あなたの読みの上をいく算段もつきました。必ず直撃で俺が勝ちますよ?」

 

名門風越とはいえ、美穂子の読みは他の部員とは次元が違う。

こうやって同レベルでの読み合戦など早々できないに違いない。

 

「なら私は絶対に振り込まないわ」

 

美穂子もまた、麻雀が好きで好きでしょうがないのだ。

 

「次はオーラス。最後の勝負です」

「ええ。全力でやらせてもらうわね」

「はい。皆さんもよろしくおねがいします」

「「「おねがいします」」」

 

泣いても笑っても最後の一局。

京太郎は卓を掌握する事を心に決めた。

 

 

南四局0本場 親未春 ドラ{八}

 

 

京太郎、風越戦最後の配牌。

 

{一一一八八①②89東南北発}

 

七種九牌。しかし、ドラ{八}対子の三シャンテン。

 

(化けそうな手ではあるが、重いな……)

(字牌とドラの対子がどうなるかだなー)

(跳満が必要っすからね。萬子の染め手かチャンタにするしかないっす)

(だがそれだと読まれやすくなっちまう。いい配牌だとはとても言えねえ……)

 

ゆみ、智美、桃子、貴子が見守る中、京太郎の第一ツモ。

 

{一一一八八①②89東南北発} ツモ{八}

 

強烈なドラ引き。これで二シャンテンだ。

 

((((ッ!?))))

 

背後の四人が息を呑む。

これでいきなり三飜クリア。跳満までもう三飜。いや、リーチを数に入れるなら残り二飜だ。

少し長考した京太郎の第一打、

 

{一一八八八①②89東南北発} 打{一}

 

なんと暗刻外しの打{一}。

 

(((ッ!?)))

 

ゆみ、智美、桃子の三人が驚愕する。

 

(そうか、狙いはチートイ。チートイの単騎待ちなんぞ、さすがに読み切れるもんじゃねえからな)

 

貴子だけは京太郎の狙いに気付いたようだ。

しかし、京太郎の次順第二打。

 

{一一}

 

またも{一}。

河に{一}が二枚並んだ。

そして三順目の第三打。

 

{一一一}

 

一体何が起こっているのか、京太郎は河へ{一}を三枚並べるではないか。

 

(なんだそれ!? いきなり手出しで{一}三枚とか何考えてんだし!?)

(ん~? 無理矢理染めてるのかなあ?)

 

華菜が驚き、未春が頭を捻る。

 

(なるほどね。『決め打ち』で河を作って、読み難くするつもりなんだわ)

 

美穂子は瞬時に京太郎の意図を看破した。

しかし、その三順後。

 

{一一一八八八}

 

なんとドラまで三枚河へ並ぶ始末。

 

「「「……………………」」」

 

全員唖然である。

 

(馬鹿だしコイツ。その二面子もって萬子に染めてれば跳満なんてすぐだったし)

(う、う~ん……、でもとりあえず萬子しか出てないわけだし、字牌は簡単に切れないなぁ……)

 

華菜と未春は頭を捻るが、美穂子は必死になって京太郎の意図を探っていた。

 

(極端な捨て牌だけど、間違いなく萬子以外の染め手。{赤⑤}か{赤5}の対子があるチートイツが本命ね。ツモが乗れば高速で張れるわ)

 

最後の読み勝負で読みを放棄するわけにはいかない。

絶対に読み切ってみせると、京太郎が作ろうとしている跳満手を推測する。

 

(私達に字牌を絞らせて時間を作り、メンホンチートイ赤1。もしくはリーチメンホンチートイでこちらの溢れ牌を捕まえるつもりなんだわ)

 

チートイツが跳満に直結しやすい事、そして待ちが読み難い事を考え、京太郎の意図を絞り込んだ。

そして二順後。

 

{一一一八八八}

{二④}

 

七順目に{二}をツモ切りした後の、八順目{④}ツモ切り。

この瞬間、美穂子の目が鋭さを増す。

 

(あの{④}はきっと罠。索子染めじゃなくて筒子のメンホンチートイ)

 

京太郎の思惑を一点読みした。

 

(正体現したし。華菜ちゃんの下家で筒子と字牌が鳴けると思うなよ)

 

ニヤリとほくそ笑む華菜はほんとうざかった。

 

{12233444789南西} ツモ{赤⑤}

 

{赤⑤}を引き、

 

{赤⑤1223444789南西} 打{3}

 

{3}を捨てる。

筒子で一面子作るつもりだ。

さらに二順後。

 

{一一一八八八}

{二④8北}

 

京太郎は手の内から{8}と{北}を切った。

 

(うわ、どうしよう。索子染めか筒子染めか分からないけど、どっちも出た上に字牌まで出てきちゃった)

 

と未春が困る。

 

{三四五五③④⑤2345白中} ツモ{①}

 

しかし、

 

(でも、彼は跳直倍満ツモ条件だから私からはアガらないよね? 三元牌は小三元があるから切れないけど、これくらいなら……)

 

{三四五五③④⑤2345白中} {①}ツモ切り

 

なんとなく押してみた。

親なので、{白中}のどちらかを重ねて三色とかアガってみたいのだ。オーラスで早々オリるわけにもいかないわけだし。

そして十一順目の美穂子。

 

{六七八九九⑦⑧⑨6789発} ツモ{発}

 

{発}を重ねる。

 

(上家と下家の手を読んでもやっぱり本命は筒子の数牌。みんなが絞ってるから読みにくいけど、彼が持ってる字牌は六枚で完成してる)

 

そして{6}を切ってテンパイ。

 

{六七八九九⑦⑧⑨789発発}

 

おそらく{発}は持ち持ちと読み、未春の溢れそうな{五}に狙いを定め、{四七}引きに期待する。

シャボである{九}の方は場に二枚切れな事もあり、筒子の数牌を持ってきたら{六九}切りで回るつもりでもいた。

京太郎の十一順目は{5}ツモ切り。

十二順目の美穂子も{7}ツモ切り。

そして京太郎の十二順目。

 

「リーチ!」

 

ツモ牌を中に入れ、手牌から{②}を叩き切ってリーチ。

 

{一一一八八八}

{二④8北5横②}

 

さあ読んでみろと言わんばかりに、美穂子へ碧炎の視線を飛ばす。

親の未春が『(あ~、結局{白}と{中}切れなかった~)』と内心ガックリしつつ打{五}。

次の美穂子のツモは、{⑥}だった。

 

(これだわ……。{⑥}は華菜の手牌に一枚あるだけ。待ち頃の牌ね)

 

上家の華菜と下家の未春の手牌へチラリと目を向け読みを確認。

さらに捨て牌から完全安牌を探す。

 

({発}は万が一があるけど{六九}は絶対に通る。{八}は純カラ、{九}は場に二枚。完全安牌)

 

読みを終了させ、あとは{⑥}周りを引くだけである。

 

{六七八九⑥⑦⑧⑨789発発} 打{九}

 

美穂子は{九}を切った。

 

「ロン」

 

そして一発で振り込んでしまった。

 

「えっ!?」

 

驚愕が全身を駆け抜ける。

 

「そんな! だってそれじゃ……ッ!」

「俺、初めてなんですよ」

 

驚愕する美穂子に、京太郎はうれしそうに手牌を倒す。

 

「役満アガったの」

「国士……」

「はい。国士無双、32000です」

 

倒された京太郎の手牌。

 

{一①⑨19東東南西北白発中} ロン{九}

 

京太郎が引いてきた牌は順に、{八一白西⑨東二④1北5中}。

 

「跳満作ると思ったでしょう?」

「…………」

 

とても人の悪い笑みを浮かべながら京太郎が言う。

 

「当たり前の条件だとどうしても上いかれちゃうんで、わざと条件不利にして福路さんの読みをズラしてみました」

「…………」

 

美穂子は驚きすぎてあいた口が塞がらないようだ。

一打目からの{一}三連打とリーチで、国士無双が完全に頭から消えていた。

 

「お、お前! 卑怯だぞ! 跳満直撃するって言ってたし! シャミセンだ!」

「言いがかりっすよ。跳直程度で逆転できるからホッとしたって言ったんです。俺別に跳満でアガるなんて言ってませんもん」

「そ、それをシャミセンって言うんだ!」

 

まあ確かに卑怯臭い会話だったので、華菜の怒りも理解できる。

しかし、

 

「あ~ん、もう! 悔しい~!」

 

振り込んだ本人の叫びに遮られた。

 

「なんで跳満に限定したのかしら! 変な読み方しちゃったわ!」

 

美穂子が両手で頭を抱えながら悶絶する。

 

「こ、こいつですよキャプテン! このシャミセン野郎が嘘吐いたんです!」

「? 何を言っているの、華菜? どんな手を作るのかは自由でしょう?」

 

そんな華菜の言いがかりなど、心の綺麗な美穂子に届く筈もない。

 

「こんなに凄い捨て牌を作った須賀君を嘘吐きなんて言っては駄目。怒るわよ、華菜」

「心から悪かったし。華菜ちゃんちょっと勘違いしちゃったし」

「ほんとどうなってんの、この人……」

 

逆に改心させてしまう始末だ。

 

「あの点差でまさか役満を狙ってくるなんて思わなかったわ。完敗よ、須賀君」

 

まさに『そんなん考慮しとらんよ』状態だろう。

 

「ですよねー。まあ、俺も一か八かだったんで、読み勝負に勝ったとも言えないんですが……」

「そんな事ないわ。私は読み切ったと思ってたのに、全然見当違いな読みをさせられてたんですもの。ひどいわよ」

「でもアガれたのは完全に運ですよ? 最終形が{九}待ちでなければ直撃できませんでしたから」

「それも違うわ。確かに麻雀は運の要素が重要ではあるけれど、あなたは確実に私の読みの上をいった」

 

美穂子はとても良い子だ。

だから負けたら負けたと言うし、相手が素晴らしければ素晴らしいと言う。

 

「このオーラス。運も含めて、須賀君は読みでも私に勝ちました」

「ありがとうございます。そう言ってくれるとうれしいです」

「いいのよ。とても素晴らしい麻雀だったもの」

「ちょっ、キャプテンに近づくなし!」

 

相当悔しいが、それでも納得はしているのだ。

そんなニコニコとしている聖母を、京太郎は更に悔しがらせたくなった。

 

「あ、そうだ。南一局1本場の事覚えてます?」

「え……? ええ、もちろん。須賀君が振り込んだ局ね」

「あの時実は、俺の手ボロボロだったんすよ。テンパイと勘違いしたでしょ?」

「嘘!? じゃああれって差し込みだったの!?」

「そっす」

「あ~ん、もう! ひどいわ! 二回も騙したのね!」

「ほんとにヒドイ奴だし! だからキャプテンから5メートル以上離れろし!」

 

『悔しがるおもちも微笑ましいなぁ』と、京太郎のホッコリが止まらない。

 

「第一打{一}の後は、見ていてずっとハラハラだった」

「いきなりドラ3の二シャンテン崩すとかビックリしたよー。ワハハー」

「結果的に、たとえ{北}が鳴けてもテンパイどまりだったすね」

 

終局したので、ゆみ、智美、桃子も話に加わる。

 

「南場はずっと福路さんが場を支配してましたんで、多分真っ直ぐいっても勝てないって思いました」

「なるほどな。それで周りを縛りつつ、福路の読みの土台を壊しにいったのか」

「それでも{一}とドラの暗刻落としって凄いなー。私には絶対できないよ」

「誰にもできないっすよ。できた京さんが変態ってだけっす」

「誰が変態だ!」

 

対局の緊張感が欠片もなくなり、そんなグッドコミュニケーションを展開していると、貴子が口を開いた。

 

「おい、須賀。お前の師匠ってのは誰だ?」

「……え?」

 

腕を組みつつ、鬼コーチはとても恐ろしい眼光を向ける。

 

「たった十日で初心者にここまで仕込むなんざ、一体どこのバケモンなんだって聞いてんだよ」

「うっ……」

 

チビリそうになりつつも、京太郎は口を割らなかった。

 

「い、今はまだ言えません」

「ああん?」

 

が、鬼コーチの前では黙秘権などない。

貴子はどんな手を使ってでも聞き出すつもりなのだ。

 

「おい須賀。テメエ、何でもするって言ったよなあ?」

「うっ……」

「口だけか?」

「そ、そうじゃなくってですね……ッ」

 

進退極まるとはこの事だろう。

京太郎に逃げ場なし。

 

「さ、咲達と互角に打てるようになるまでは、誰にも言いたくないっす」

 

しかしがんばった。

 

「あ? ウチの福路に勝ったってのにそんな口叩くのか? 福路の方が劣るって言いたいんだな?」

「いやいやいやいや! 違います違います! 全然違います!」

「ならどういう意味だ?」

 

慌てて両手を振り否定するも、貴子の目がまたも危険域に突入しようとしている。

 

「し、師匠には、もう咲達とも戦えるって言われました」

「だろうな」

「でも、俺……クリアできなかったんです……」

「あ? クリア?」

 

京太郎は俯きながら言うが、貴子には言ってる意味が分からない。

 

「師匠は最初からクリアできるとは思ってなかったって言ってましたけど、最後の課題を俺、半分しかクリアできませんでした……」

「…………」

 

師が三人分打ち、親連荘なしで京太郎が八回アガリきる。

この特訓、京太郎は二時間で四回アガるのが精いっぱいだったのだ。

 

「今の俺の実力は、きっと師匠が想定してたのより弱いんです」

「…………」

「だからまだ咲達とは打ちませんし、残りの半分を埋めるまでは恥ずかしくって師匠の名前出せませんよ」

「…………」

 

これは京太郎の心残りである。

 

「でも今週中に必ず埋めますから、来週まで待ってください」

 

『The Gunpowder』大沼秋一郎の弟子だと胸を張って言うのは、師の課題をクリアしたと思えてからだ。

 

「……なるほどな」

 

どうしても譲れない事だと分かり、貴子は別の事を聞く。

 

「なら、どんな指導をしたのか教えろ。それで龍門渕と話つけてやる」

「はい? 指導っすか?」

 

京太郎は目をパチクリさせるが、貴子がもっとも興味あったのはそれだ。

もちろん、美穂子達風越部員だけでなく、鶴賀メンバーの三人も興味津々だった。

 

「コーチって立場上業腹だが、さすがに形振り構ってられねえ。清澄の女子部員が全員その『読み』を身に付けたらシャレじゃすまん」

 

なにせ初心者が十日で長野個人一位を上回るのだ。

そんなお手軽特訓があるなら知りたいに決まっている。

 

「ん、ん~、まあそれくらい別にいいっすよ」

 

ちょっと迷ったが、京太郎は了承した。

別段おかしな事をしていた記憶はない。

手積みの牌を使い、二人で四人打ちをしていただけだ。

普通の麻雀だったかと言われると自信はないが、それは師匠がおかしなほどアガリ続けるのでそう感じただけだろう。

 

「まず最初は、牌を手で積むところから始まりました」

「自動卓を使わず手積みという事か?」

「そうです。師匠が九州へ帰るまでの九日間、ずっと手積みで練習してましたね」

「そりゃまた随分とアナログだな」

 

そんな感じで、京太郎は九日間の特訓内容を話す。

しかし、やった事は初日が確認の二人麻雀。

その後から四日間自身が三人分の手牌を見て打ち、残りの四日は師が三人分の手牌を見て打っただけ。

説明するのに五分もかからなかった。

 

「……それだけか?」

「ええ、そうです」

「本当にそれだけなのか?」

「はい。誓ってそれだけです」

 

貴子は京太郎の説明に考え込む。

理屈はなんとなく分かるが、それだけではやはり時間が圧倒的に足りないだろう。

 

「……どういう事だ? 須賀が常識外れの天才だったってオチか?」

「まさか。師匠には一回褒められた事があったって程度です。最後もショボイって酷い事言われましたし」

 

貴子がなにやら勘違いしだしたので慌てて否定する。

そんな天才であるなら、咲達に延々ボコボコにされ続けてはいないだろう。

 

「……駄目だ、分からん」

 

こめかみを押さえて悩み続けるも、そりゃ当然分からないだろう。

分かったところで大沼にしかできない指導なので意味もない。

実は大沼、毎回京太郎が最善の一手を打たなければ、打ち込んだりアガれなかったりするようにしていたのだ。

更に前日よりも確実に強くなるよう、徐々に脳へとかかる負荷を増やしていった。

どこまで打ち込んだら壊れないかをギリギリで見極め、無理矢理牌を導く。

指導ではなく、強制的にそう思考できるように仕向ける。気付いたらそういう風に打牌しているようにだ。

つまり、特訓中の京太郎はただの操り人形。

壊れたりしないように大沼が細心の注意で操った、マリオネット京ちゃんだったのだ。

『頭がおかしくなりそうです、師匠!』という京太郎の言葉は、師の思考に汚染されてまさにおかしくなっていただけ。

教えると見せかけて洗脳していたとは、本当に恐ろしい爺様である。

 

「まあ、いいだろう。その指導法は後でじっくり考察してみる」

 

といいつつ、貴子は携帯を取り出した。

時計を見ると20:00前。

 

「龍門渕にはたしか監督はいなかったが、さすがに顧問の方はいる筈だ」

 

連絡してアポを取る、と早速龍門渕へと電話した。

 

「夜分にすみません。風越女子麻雀部のコーチで久保と言います。そちらの麻雀部顧問の方はまだ学校にいらっしゃるでしょうか?」

 

などとちゃんと敬語も使える事をアピール。

教師が定時で帰れる事など滅多にないので普通に取り次いでもらう。

そしてしばらく話していると、なにやら不穏な会話が流れてきた。

 

「そうなんですか? ……いえ、明日明後日にでも練習試合をと思ったんですが、それでは無理そうですね」

「ッ!?」

 

京太郎が目を見開いて貴子を凝視した。

無理ってなんだ無理って。

どうやら風越へ連絡した時と同様、またも問題が発生したらしい。

 

「ど、どういう事っすか!」

 

貴子が電話を切った瞬間、京太郎が慌てて聞く。

 

「あーそのな、スマン須賀……」

「なにが!? どうしたんですか!?」

 

とても言い難そうな顔で貴子が言う。

 

「社会科見学で二年生は全員いないらしい」

「社会科見学ぅ!?」

 

これもまた『そんなん考慮しとらんよ』だろう。

 

「パリだそうだ」

「……へ?」

「さすが金持ち学校は違うな……、たかが社会科見学でフランスへ行くとは……」

 

龍門渕マネーはグローバルに使用されるのだ。

 

「パリイイイイイイイイ!?」

 

なにはともあれ風越を撃破。

師の教えをようやく血肉にする事ができた京太郎は、ほぼ完成の域にある。

しかし、魔物と戦う事はできても勝つにはまだ何かが足りない。

怪物『天江衣』と戦えなかった事が吉と出るか凶と出るか。

それは旅の終わりに分かるのだろう。

ちなみに、フランス編は始まりません。

 

最終収支

美穂子 12100

華菜  21100

京太郎 58200

未春   8600

 

嫁にするなら美穂子だよな編 カン

 

 

 

 

 

「だいぶ落ち込んでたなー、須賀少年」

「そうだな。だが、さすがに海外では手も足も出ん」

「お嬢様は信じられない世界に住んでるっす」

「それにしてもあんな理由で旅打ちに出るって、やっぱ男の子は違うなー。ワハハ」

「まだ全部話したわけじゃなさそうっすけどね」

「しかし、師匠とやらの輪郭は見えてきたな」

「そうなのか、ゆみちん?」

「さすが先輩っす」

「『弱いままでは恥ずかしくて弟子だと言えない』という事は、おそらく誰でも知っている有名なプロなのだろう」

「おーなるほどー」

「しかも、初心者を十日で全国レベルにできる程麻雀に造詣があり、手積みでの古風な指導から、師匠はかなり年配な方だと予想される」

「そこまで読むっすか! さすが先輩!」

「長野で該当するなら南浦プロだと思ったんだが、今はシーズン中。さらに須賀君は、師匠は九州に帰ったと言っていた」

「ん~? 九州って言っても広いぞー?」

「シニアリーグで一人、開幕出場を逃したトッププロがいる」

「まじっすか!?」

「ああ。須賀君のあの読みと防御力。大沼秋一郎プロは雀界でも指折りの防御の名手であり、読みの達人だ。怪しいだろう?」

「すすす、すげーっす! 先輩凄すぎっす!」

「ゆみちんの洞察力もミッポに負けてないなー」

「須賀君には月に何度か鶴賀にきてもらおう。トッププロの指導をもっと詳しく聞きたいしな」

「そう言えば何でもするって言ってたなー。ならかおり達も強くしてもらおう。ワハハー」

「……ま、まあ鶴賀麻雀部の為には仕方ないっすし。二年後のインハイまでは月二、いや週一ペースで利用してやるっすし」

「「…………」」

「…………他意ないっすし」

 

 

もいっこ カン

 

 

 

 

 

「おそらく須賀の師匠は延岡スパングールズの大沼プロだな」

「そうなんですか、コーチ?」

「短期間であれだけ仕込むのは普通のプロじゃ無理だ。雀力だけの問題じゃねえから、小鍛治健夜あたりのトッププロでも無理だ」

「あれで初心者とか反則だし」

「どんな妖術使ったか知らねえが、何十年も馬鹿みたいに牌握ってきた妖怪だからこそだろうよ。私みたいな小娘にできる事じゃねえ」

「「「「「小……娘……?」」」」

「ああ! なんか言ったかテメエら!」

「「「「「な、なんでもありません!」」」」」

「あらあら。でも須賀君の番号はげっとできたので、次は私が勝ちます。スカウトしていただいた大学の為にも、もっと強くならないと」

「おう。たまに連れてこい。いい練習台になる」

「ちょ、キャプテンいつのまに!? あれに近づいちゃ駄目だし!?」

「はぁ……早くまた打ちたいわ……」

「ひぃぃ! 殺すし! 須賀ぶっ殺してやるしー!」

 

 

さらに カン

 



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「勝負」

姫松編を二話投稿します。
闘牌描写に疲れましたので、姫松は肩の力を抜いた完全なギャグ回。
ギャグが嫌いな方は飛ばしても問題ないかと思います。
ずっと即興でしたけど、即興で半荘分の闘牌シーン考えるのはキツすぎる……。
闘牌描写は最終決戦だけのつもりだったのになぜこんな事になったのか……。



風越を撃破したものの、龍門渕との対戦が絶望的となった京太郎。

咲と交わした『来週からは麻雀部に顔を出す』という約束を守るため、現在、特急しなので一路大阪へと向かっていた。

 

「また授業サボっちまった……。しかも明日もだし……」

 

本日は金曜日。午後の15時である。

鬼コーチ貴子のツテを頼り、土曜日に姫松の部活へ参加できる事にはなった。

しかし交通費や移動時間、そして電車の時刻表を確認した結果、前日の昼出発がもっとも効率的だったのだ。

 

「父さんが賛成してくれなかったら姫松も危なかったな……」

 

学校を休んでまで麻雀を打ちにいくなど、そりゃ親が許すわけがない。

当然、母親は烈火の如く怒った。

だが、『男にはやらなきゃならん時がある。これでうまいモンでも食ってこい』と一万円渡しながら父が許してくれた。

 

「一応通帳から五万下ろしてきたし、ホテルとかに泊まらなきゃ大丈夫だよな? 交通費は四万以下で済むはず……」

 

父がくれた一万円を合わせ、まだ五万円以上入った財布の中身を確認しつつ、初めての一人旅に不安になる。がしかし、そんな心配はいらない。

貯金はまだ十万ほどあり、不測の事態に備え、母が携帯を肌身離さず身に付けている。

ペットにカピバラを飼える程、結構裕福な家庭で育ったボンボン。それもまた京太郎の一面なのだ。

背が高く、顔も意外と端正、さらにボンボンとくれば、どう考えてもコイツは勝ち組だろう。

ポテンシャル的にはそこらのエロゲ主人公に匹敵するのは言うまでもない。

 

「咲にはあの言い訳で通用したと思うんだけど……、ボケッとしてるようであいつ意外と鋭いからなぁ……」

 

と溜息を吐きつつ、昼のやり取りに思いを馳せた。

 

『咲ー。俺今日も午後サボるわー』

『ええ!? またあ!?』

『あと明日も休むからー』

『なにそれ!? 駄目に決まってるじゃん! 京ちゃん不良だよ!』

『違ぇーって。自分探しの旅に出るだけだから』

『なにその十代の病気!? 探さなくてもちゃんとそこにいるでしょ!』

『おもちとは何なのかをもう一度見つめなおしてくる』

『サイテー!? 思った以上にサイテーな自分探しだった!?』

『じゃ、そういう事で』

『あ、こら! ちょっと! え、嘘、本気!? 捕まっちゃうよ京ちゃん! 待ってよ! きょーちゃーん!』

 

酷く心配そうな幼馴染みを振りきってきたのだ。

それはもうドラマのワンシーンのようだった。

誤魔化せたとは思うが、この旅打ちの理由の半分は咲達、というか咲に直結している。

あのポンコツな幼馴染みに知られるわけにはいかない。

 

「待ってろよ、咲。絶対に追いついてやるからな」

 

師に言われた通り、いつもポケットの中に入れている牌を握りしめ、京太郎は決意と共に大阪へ向かう。

到着は午後18時を過ぎるので、そこから宿探しだ。

決戦は明日の土曜、午後13時から。

そして日曜には東京の白糸台へ挑む予定。

龍門渕を飛ばしてしまったのは心残りだが、京太郎は着々と仲間達の軌跡を追った。

 

 

 

 

    ※

 

 

 

 

「長野の清澄からきました、須賀京太郎と言います。今日はよろしくおねがいします」

 

何らかの出会いやトラブルを期待していたのなら申し訳ない。

しかし、結構ビビリな京太郎は夜の大阪を歩きまわる度胸など欠片もなく、駅近くの漫画喫茶へすぐさま突入。

田舎者故に都会の喧騒に怯えながらリクライニングシートで夜を明かした。

運よくシャワーまで完備されていたので、しっかりと身支度を整えたあと制服で姫松高校へと向かった次第。

備え付けのPCで麻雀関連を漁りつつ、夕飯朝食昼食込みの16時間が五千円以下で済んだのだからまずまずだろう。

せめて昨夜の夕飯、もしくは昼食くらいは大阪の味を楽しめと言いたいが、チキン+田舎者なのでしょうがなかった。

 

「遠くからようきたな~。貴子ちゃんから聞いとるよ~。今日一日~ウチらの練習に参加したいんやってな~」

 

三校目なので手際もよく、事務室で許可証をもらい麻雀部へとスムーズに進んだ。

京太郎の礼儀正しい挨拶に返したのは赤阪郁乃。

 

「はい。風越の久保コーチに無理言っておねがいしました。姫松のみなさんにもご迷惑をおかけしてすみません」

「ええよええよ~。結構な打ち手や聞いたし~、こっちも練習になるさかいな~」

 

姫松高校麻雀部監督代行の郁乃はとても可愛らしい女性なのだが、なぜか頭が悪く見えてしまうかわいそうな人物でもあった。

いい大人がなぜ語尾を伸ばす、なぜ間を開けて喋る。たまに出る腹黒さは天然なのか計算なのかどっちなんだ。

そんな人物である。

 

「なんや、あの清澄からくる言うとったの、女子やなくて男子かいな」

 

京太郎が郁乃と会話していると、一際大きな声が聞こえてきた。

たくさんの女子部員の中でも存在感が際立って高い女子。

姫松元中堅、三年生の愛宕洋榎。

全国大会では中堅を務めたが、姫松ではエースを中堅に据えるという伝統がある。

麻雀部元主将にして全国屈指のプレイヤーであり、地元のみならず関係者からの評価は高い。

激戦区の大阪で、一、二をあらそう程の実力者だ。

 

「最近の男子は強い奴おらんて話やろ? ウチらの練習についてこれるんか?」

 

これは揶揄ではなく純粋な疑問であり、しかも独り言である。

インターハイの対局中、宮守の鹿倉胡桃から『うるさいそこ!』と注意されてヘコむ程の、やかましい系女子なのだ。

 

「あかんよ~、洋榎ちゃん~。一年の子ぉなんやから~もっと優しぃしたげて~」

「一年? 一年のくせに長野からはるばる打ちにきたんか? そら根性はいっとんなあ。というか学校どないしてん? 今日土曜やぞ?」

 

などなど、呆れるやら感心するやら疑問に思うやら。

姫松は週休二日ではない。長野からの距離を考えると朝の授業はどうしたのかと不思議に思ってしまう。

そんな疑問に京太郎が答えた。

 

「今日は学校サボりました」

「何堂々と言ってんねん。悪いやっちゃな~」

 

学校をサボってまで大阪に来る理由があった京太郎は、ニヒヒと笑う洋榎へその目的を告げる。

 

「あなたに会いにきました、愛宕洋榎さん」

「……は?」

「あなたに会いたくて会いたくて、学校なんて行ってられなかったんです」

「「「「「ぶふうっ」」」」」

 

女子全員がビックリ仰天。

いきなりの告白に、乙女としてはしたなくも吹き出してしまう。

 

「な、なんや!? ついにウチの時代がきたんか!? おもろ顔て言われ続け、姉やのにずっと絹の日陰者にされてきたウチの時代が!」

「そないな事思とったんかお姉ちゃん!?」

 

ガクガク震える洋榎は、まるで産まれたての小鹿の様だ。

姉の心の闇を聞き、妹の絹恵はさらに驚愕するしかない。

 

「いやいやいや! どんな勘違いしてんすか!? 愛宕さんと麻雀打ちたかったって意味ですよ! 恋愛的な意味じゃないですから!」

 

京太郎は大慌てだ。

おかしな勘違いをされ、ブンブンと手を振りまくる。

美少女だとは思うが、正直好みではない。

非常に残念ながら、洋榎におもちはないのだ。

 

「うん……知っとった……。背の高い年下のイケメンから想われるやなんて……そんなんウチの妄想の中だけの事やもん……」

「お姉ちゃーん! しっかりしてやー!」

 

崩れ落ちる姉を必死に支える妹の姿。なんと美しい姉妹愛であろう。

しかし絹恵はかなりのおもち持ちだった。

ちなみにこのおもち持ちの妹、大阪の名門姫松高校で副将を勝ちとるだけの力を持ったプレイヤーである。

 

「須賀君~ひどいわ~。洋榎ちゃんも女の子なんやから~言葉に注意したげて~」

「俺のせいっすか!?」

 

確実に京太郎のせいだろう。

旅もついに全国編となり、少々テンションが上がりすぎである。言葉が足りないにも程があった。

 

「出会って数分、いきなり洋榎をヘコましたのよー」

 

そう言って感心したのは、インターハイで次鋒を務めた三年の真瀬由子。

 

「凄いですね、あの男子。最初から飛ばしてますよ」

 

先鋒で二年の上重漫。

 

「主将……いや元主将は、顔やなくて行動がおもろいからモテないだけやと……そう思ってあげなかわいそうすぎます」

 

そして、咲の悪魔的『点数調整』、姉帯豊音の怪異的『先負』、石戸霞の爆乳的『絶二門』にメゲらされた元大将の三年、末原恭子。

二年の漫はともかく、由子と恭子は引退したため本来ならここにはいないはずである。

しかし、洋榎のプロ試験に向けての調整で、二人はちょくちょく部活に駆り出されていた。

姫松麻雀部もみんな仲良しなのだ。

 

「す、すみません愛宕さん! なんか勘違いさせちゃったみたいで、ほんと申し訳ないっす!」

 

郁乃にデリカシーのなさを指摘され、またやってしまったのかと京太郎は慌てて洋榎へ駆け寄る。

 

「洋榎や……」

「は、はい?」

 

妹に支えられた洋榎がなんとか声を出すも、その姿はとても弱弱しい。

 

「苗字やと妹の絹と紛らわしいから、洋榎でかまわんよ……」

 

しかし、やかましい系女子は面倒見がよかった。

一日とはいえ後輩となったものの面倒をみるなど当たり前の事。

大阪女の情が深い事は、世界でも常識なのである。

 

「そ、そうですか。すみません洋榎さん、なんか俺無神経らしくって。俺の事も京太郎でいいっす」

 

京太郎は本当に申し訳なく頭を下げた。

己の無神経さがここまで女性を傷付けるなど思ってもみなかったのだ。

だから誠心誠意謝った。

 

「なんやええ子やん。別に気にせんでええよ、ウチが勝手に夢を見ただけや。謝るくらいなら彼氏になってや、京太郎」

 

洋榎は冗談交じりに許す。

 

「ごめんなさい。それは断固としてお断りさせていただきます」

「ぐはぁっ!」

「お姉ちゃーん!」

 

だが、情の深い女は心に深い傷を負って撃沈した。

京太郎のおもちへの愛が深すぎた為に起こった悲劇、ただそれだけの事。

 

「トドメをさしたのよー」

「ムゴすぎですやん……」

「ハッキリ言いすぎや。血も涙もないんか、あの子」

 

しかしそんな馬鹿話をしていても埒があかないので、京太郎はもう一度言い直した。

 

「今日は俺、あなたを倒しにきました」

「……あん?」

 

不遜。

初対面相手に失礼な事この上ないが、今は突っ走ってる真っ最中なのだ。

この旅がどこまでいっても他人の迷惑にしかならないなど、最初から分かりきっている。

 

「全国屈指の麻雀打ち、『愛宕洋榎』。ウチの部長の『悪待ち』ですらあなたには通用しなかった」

 

久の『悪待ち』は強力な能力だ。

理に適った打ち方と理を裏切る『悪待ち』。

この二つを、あの人の裏をかくのが大好きな『竹井久』が最適に使い分ける。

インターハイで猛威をふるったのは『嶺上使い』だけではない。

『悪待ち使い』もまた、清澄最多得点プレイヤーとして暴れ回ったのだ。

 

「……なんや、かたき討ちかいな」

 

ポリポリ頭を掻きながら、洋榎の目に力が戻っていく。

 

「全然違います」

「ん?」

「『愛宕洋榎』の麻雀は自信の麻雀。その実力に裏打ちされた圧倒的な自信が、とんでもない安定感を生んでいる」

「そらまあ、ウチほど強いんは中々おらんからなあ」

 

首をコキコキと鳴らしながら立ちあがった。

 

「その自信を手に入れにきました。正真正銘の化物と戦う前に」

「正真正銘の化物ぉ? 誰やそれ?」

 

京太郎は両眼に碧の火を灯し、力強く言う。

 

「インターハイチャンピオン、『宮永照』」

「「「「「ッ!?」」」」」

 

洋榎以外の、監督代行の郁乃を含めた部員全員が息を呑む。

同じ関西圏の天才雀士、荒川憩に『ヒトじゃない』と言わしめた人物。

目の前の男子がどれだけ強いのか知らないが、そこらの一年生に勝てる相手ではない。

 

「おもろい事言うやっちゃなあ。この『愛宕洋榎』を前哨戦扱いかいな」

 

怒りなのか、喜びなのか、洋榎の顔には獰猛な笑みが浮かんだ。

 

「その通りです。あの化物と戦う前に、どうしても確たる自信がほしい。だからあなたと打ちにきました」

 

京太郎にも。

 

「『愛宕洋榎』と打ちたくて打ちたくて、逢いたくて逢いたくて逢いたくて。学校なんて行ってる場合じゃないんです」

「ハッ! なんちゅう熱烈なラブコールや!」

 

洋榎は傍の椅子に腰かけ、目の前の卓を指差す。

 

「ええよ、この卓座り。身の程わきまえん奴は嫌いやないねん。徹底的にヘコましてビービー泣かしたるわ」

「ありがとうございます、洋榎さん」

 

気持ちいいとはこの事だろう。

不遜極まりない挑戦を真正面から受けて立つ。

京太郎の言葉にテンションを一気に上げられ、お返しとばかりにテンションを上げさせる。

互いにテンションガン上げ状態で最初からクライマックスだ。

 

「絹、お前も入り。こんだけでかい口叩くんや、ええ練習になるやろ」

「わ、分かったわお姉ちゃん! ヘコまされたお姉ちゃんの仇は私が取ったる!」

「……いや、そういうんやなくてやな……」

「なら最後の席は私がもらいますよ、元主将。あの『宮永咲』と毎日打ってるんですから、そら結構な打ち手なんでしょうし」

「……なんで頑なに元主将って呼ぶん? もしかしてウチの事嫌いなん?」

 

同卓するのは愛宕絹恵と末原恭子。

絹恵はいきなりフラれた姉の仇を取る為、恭子は純粋な興味から参戦する。

 

「うれしいですね。お二人の力も牌譜で確認しました。相手にとって不足なしです」

 

他校の上級生相手に恐ろしく失礼な口利きだが、京太郎の目は益々火力を増していく。

 

「インターハイ地区予選一回戦敗退、一週間前に東場で咲達にトバされたこの須賀京太郎が、あなた達三人を倒します」

「「「「「どっからその自信がきたああああああ!」」」」」

 

満場一致のツッコミを受け、京太郎の姫松戦がスタートする。

東家絹恵、南家京太郎、西家恭子、北家洋榎。

絹恵の起家で対局開始。

 

 

東一局0本場 親絹恵 ドラ{⑤}

 

 

南家京太郎の配牌。

 

{二三五九②③赤⑤⑤224南北} 第一ツモ{4}

 

いきなりドラ3の三シャンテンをもらう。

既にテンションMAXの京太郎は碧の炎を滾らせ、

 

{二三五九②③赤⑤⑤2244北} 打{南}

 

姫松戦最初の一打を{南}とした。

 

(この一年生何を考えてんねや……ほんまのアホなんやろか……)

(あんな全力のツッコミ、人生で初めてかもしれん……)

(身の程知らずにもほどがあるやろ。まあ、ボケの才能は中々のもんやけどな。長野もあなどれんで)

 

そして絹恵、恭子、洋榎がそんな事を考えながら迎えた八順目。

京太郎、早くもテンパイ。

 

{一二三①②③赤⑤⑤2244北} ツモ{3}

 

打{北}で嵌{3}待ちのイーペーコードラ3だ。

 

{一二三①②③赤⑤⑤22344} 打{北}

 

当然の{北}切り。

全員の手牌を読みつつ、既にアガリを確信していた。

次順、絹恵の手牌。

 

{四五五六六赤⑤⑤122東東東}

 

こちらも強烈な勝負手。

ダブ東が暗刻のドラ3、高目イーペーコーのイーシャンテン。チートイのイーシャンテンでもあるし、トイトイや四暗刻まで見える。

 

(引いてよし、鳴いてよし。初っ端からええ手もらったわ)

 

こちらもアガリを確信した九順目のツモ。

 

{四五五六六赤⑤⑤122東東東} ツモ{4}

 

不要牌なのでそのままツモ切りする。

 

(残念。運がなかったな、愛宕絹恵)

 

僅かに口の端を歪めた京太郎が、

 

「ポン」

 

発声。

そして打{2}。

 

「それポンや」

 

親の絹恵もすかさず鳴く。

 

{四五五六六赤⑤⑤1東東東} {22横2}

 

これでダブ東ドラ3、親満の12000をテンパッた。

 

(東一局九順で親満テンパイ。今日はツイとる)

 

緩みそうになる頬を引き締め、打{1}。

 

{四五五六六赤⑤⑤東東東} 打{1} {22横2}

 

しかし、絹恵が拳を振りかぶった時には既に京太郎が懐に潜り込んでいる。

高速の掌打が絹恵の腹にめり込んだ。

 

「ロン」

「な!?」

 

オープニングヒットは京太郎。

 

{一二三①②③赤⑤⑤23} ロン{1} ポン{横444}

 

{2}を食わせて{1}を引きずり出した一点殺し。

 

「三色ドラ3で、7700です」

「か、片アガリ三色やて……ッ」

 

絹恵の口から驚愕が零れ出た。

洋榎と恭子も目を見開いている。

{4}を鳴く前の形を瞬時に理解し、{1}を引きずり出したという事に気付いたからだ。

 

「絹ちゃんの手牌を読みきったんか……?」

 

恭子は半信半疑で口にするが、洋榎は口を釣り上げた。

 

「なんや、そこそこ『読み』は達者やんけ」

 

どうやらさっきのボケは冗談だと思ったらしい。

コキリと首を鳴らす仕草に、京太郎は鋭い視線を向けた。

 

「早くエンジンかけてください。でなきゃ、全局俺がアガっちゃいますよ?」

「ハハッ、上等や」

 

『愛宕洋榎』に火を着け、真っ向勝負の殴り合いが始まる。

 

 

東二局0本場 親京太郎 ドラ{三}

 

 

東一局の京太郎が見せた一点読み。

強豪姫松インターハイメンバー三人の目を覚まさせるには十分だった。

十一順目、恭子手牌。

 

{二三四④④赤⑤⑥345777}

 

タンヤオドラ1赤1の5200テンパイ。待ちは{④⑦}。

 

(親の一年は真っ直ぐチャンタや、しかももう張ってるくさい。待ちはおそらく萬子。筒子のど真ん中は掴めば出る)

 

自身を凡人だと、どこか達観したところのある恭子だが、やはり強豪校の大将を務めるだけの力は持っていた。

京太郎の手牌。

 

{七八九九①①②②③③789}

 

ずばり待ちは萬子の{六九}。純チャンピンフイーペーコーのテンパイ。

高目が薄いのでダマに受けている。

そして十二順目のツモ。

 

{七八九九①①②②③③789} ツモ{⑦}

 

恭子のアタリ牌を引かされた。

チラリと恭子の手牌へ視線を向けた京太郎は、

 

{七八九①①②②③③⑦789} 打{九}

 

待ちを変え、純チャンを捨てる。

{⑦}はアタると確信し、789の三色へと路線を変更したのだ。

 

({九}ッ!? 筒子引いて回ったんか!?)

 

驚く恭子のツモ、{8}。

 

(ならこれや!)

 

{二三四④赤⑤⑥3457778} 打{④} 

 

{④⑦}待ちから{698}待ちへと変化させた。

 

(筒子待ちと読んだんなら、索子は止められへんやろ?)

 

そんな京太郎の十三順目。

 

{七八九①①②②③③⑦789} ツモ{9}

 

作り変える事なく勝負手を張り返した事に安堵し、京太郎は少し笑みを見せる。

 

{七八九①①②②③③7899} 打{⑦}

 

同テンの{69}。

 

(嘘やろ!? 私が{④}切ったからスジで{⑦}切っただけやないんか!?)

 

京太郎の脅威的な読みに戦慄するしかない。

 

(この『読み』で予選一回戦敗退!? 長野はどんな魔境なんや!)

 

心の中でツッコミながら、引いてきた{六}をツモ切り。

瞬間、意識の外から顎を跳ね上げられる。

 

「それロンやで。8000や」

「ッ!?」

「どこ見てんねん、恭子。集中せーや」

 

洋榎からの憮然とした声を聞きながら、捨てた牌が超危険なスジだという事に漸く気づく。

洋榎手牌。

 

{三四四五五六六44赤5566}

 

ドラスジ待ちのタンピンイーペードラ1赤1。

終盤で切ってはいけないだろう。

 

「す、すんませんでした、主将。ちょっと呆けてました……」

「元主将やって……いやちゃう! 名前で呼べや! 頼むから!」

 

京太郎に集中しすぎてありえないボンミスをしてしまい、恭子の声に力がない。

仲間のらしくない打ち方にイラッときたものの、それでもノリツッコミを忘れないのは大阪の呪いだろう。

 

「すまんなあ、京太郎。けど運も実力の内や言うし、この{六}捕まえれんそっちの実力不足っちゅう事で頼むわ」

 

自身が一番納得できないアガリだったが、これもまた勝負の結果だと堂々と言い放つ。

小さな事に拘らないのが洋榎のいいところだ。

 

「全然問題ありません。これで末原さんは全力になります。意地でも俺達には振り込まないですね」

「お、分かっとるやん。そや、恭子はこっから強いでえ」

「……………………」

 

天然なのかわざとなのか、京太郎がプレッシャーをかけ、洋榎がそれに乗っかる。

恭子は無言で顔を強張らせた。

なんて卓に着いてしまったんだと、卓外の戦友達へ助けを求めるしかない。

 

「恭子の顔面が汗だくなのよー」

「末原センパーイ。油性マジック、新しいのだしときました~」

 

しかしまるで役に立つ気がしない。

目をかけた後輩には裏切られる始末だ。(姫松には負けるとデコにマジックという粋な習慣がある)

 

「メゲるわ……」

(わ、私もミスしたらマジックなんやろか? ううぅ……これがメゲるいう感覚……、メゲたない……)

 

恭子と絹恵がメゲたところで東三局へ。

ここから京太郎と洋榎の激しい打撃戦へと突入する。

 

 

東三局0本場 親恭子 ドラ{九}

 

 

「ホイ入った。ツモ率100%の、リーチや!」

 

洋榎が三人に突っ込む。

絹恵の顔面向けて左拳を叩きこみ、瞬時に腰を回転させ京太郎へ右拳を叩きつける。

後退した二人に目もくれず、身がまえた恭子めがけて後ろ蹴りをぶっ放した。

 

「これ一発くるでえ……って来ぉへんのかい!」

 

しかし全員きちんとガードしている。

 

「ほんでもさすがに二発目はくるわな、ツモ!」

 

{四五六七八①②③⑥⑥678} ツモ{九}

 

「アカン、裏ドラ乗らへん。まあドラツモったしサービスしとこか。1300・2600や」

「三面張とはいえドラツモったのに不満タラタラですね?」

「こない横に広い手やもん。せめて一枚くらい乗って欲しいんが人情ってもんや」

「そこは自信って言ってくださいよ。人情じゃなくて自信をもらいにきたんすから」

(元主将うるさいなあ。いつにもまして雀荘のオヤジみたいになってますよ……)

(お姉ちゃんテンション上げすぎやわ。そんなんやからおもろい言われんのに……)

 

 

東四局0本場 親洋榎 ドラ{5}

 

 

「リーチ」

「七順目リーチて、いくらなんでも早いわ」

 

今度は京太郎が突っ込んだ。

恭子と絹恵のガードの上からお構いなしに両腕を叩きつける。

空いたスペースに体を滑り込ませ、洋榎の顎めがけて掌底を跳ね上げた。

 

「一発もないし安目ですね、ツモです」

 

もちろんガードされる。

 

「残念ながら裏も乗りませんでしたので、リーヅモドラ1。1000・2000」

 

{三四五③④⑤⑦⑧⑨46東東} ツモ{5}

 

「ドラ嵌張ツモってなに文句垂れてんねん。というか高目安目関係ないやろ。七順でそれならもっと高めてってツッコミが追いつかん!」

「え? でもだれも{5}持ってませんよね? なら25%の確率で赤引くじゃないですか」

「計算おかしない!? 絶対そんな高ないって!」

(アカン、須賀君が元主将に汚染されてきとる……)

(なんやろ……、なんか意外とお似合いに見えてきた……)

 

 

南一局0本場 親絹恵 ドラ{南}

 

 

(あードラの{南}が邪魔くさすぎるー。京太郎ダブ南やしー誰も出さんしー。三元牌も絞ったから手が進まへんー)

(……終盤入って気付いたんは遅すぎた。ど、どうしよ……これ完全にマジックや……メゲる……)

(アカンアカン! ドラと三元牌止めてチートイなんて親でやったらアカンかった……ッ。これマジックや……)

(…………珍しい役できたな)

 

全員が全く動きのない中、京太郎が突如動いた。

いきなり襲いかかった京太郎に驚いたのか、洋榎は慌てて防御。

恭子は余裕を持って、洋榎は間一髪、絹恵はもとより覚悟を決めてガードする。

 

「流局か。ウチはノーテンや。全員字牌の絞りきつすぎやで」

 

京太郎は一撃ずつ入れていった。

 

「「「……………………」」」

「な、なんやみんな? そないけったいな顔して……」

「末原さんの事言えないじゃないですか。もっと集中してくださいよ、洋榎さん」

「へ?」

「元主将……、2000・4000ですよ……」

「へ? へ? へ?」

「須賀君流しマンガンや、寒いでお姉ちゃん……」

「へ……? あ、ああぁぁぁ……」

「漫ちゃーん。マジックの用意しといてやー」

「もうできてますよー、末原センパーイ」

「ちょ、かんにんや……頭からスッポリ抜けとっただけやねん……」

「元主将、しっかりしてください」

「お姉ちゃんプロになんねやろ」

「慢心じゃなくて自信を学びにきたんすよ、俺」

「うがーー! わーっとるわ! ちゃんと見せたるわ!」

 

 

南二局0本場 親京太郎 ドラ{②}

 

 

「おらあ! リーチや!」

(くっそ早いな。おそらく待ちは筒子の上。下手すると三色まである)

(六順リーチて早すぎですよ。追いつける気がしません。怒りでパワーアップてどないなってるんですか)

(さっきから全然参加できへん……。お姉ちゃんと須賀君のアガリ見とるだけや……)

 

怒りの洋榎、渾身のパンチ。

パンチ。

パーーンチ。

 

「ツモや! タンヤオ三色赤1裏1! 跳満は3000・6000!」

 

ガードごと叩き潰すかのような強烈な拳が三人に突き刺さる。

 

「どや! これが『あたごひろえ』の麻雀や! 心底まであったごー(熱ったこー)なったやろ!」

「「「……………………」」」

「ちょっ、黙って点棒渡さんでくれ! なんかウチがスベッたみたいやん!?」

「「「……………………」」」

「……あの、本当に申し訳ありませんでした。少し調子に乗ってしまったみたいで……」

「……東京弁なっとるで、お姉ちゃん」

「……なんや? 東京に魂売るつもりなんか、洋榎?」

「ちゃ、ちゃうて! みんながウチの事無視するから誠心誠意謝っただけや! その、ほんま、スマンかった。このとおり、許してや」

「一回だけやで、お姉ちゃん」

「気をつけてくださいよ、洋榎」

「おおきに。おおきに。恭子はこれからも名前で呼んでや」

「なんで麻雀中にコントすんだよ……。大阪恐いよ……」

 

わけの分からないギャグはここまで。残り二局は本気の本気だ。

京太郎と洋榎の叩きあいのみで進んだ六局。

点数状況はこうだ。

 

絹恵   8000

京太郎 37400

恭子   8400

洋榎  46200

 

明らかに他の二人より抜きんでている。

点数的には8800点差と少し開いているが、京太郎と洋榎がアガった回数は共に三回ずつ。

両者の間に差はほどんどないと言えるだろう。

しかし、次局には涙が待っていた。

絹恵の涙。

京太郎の涙。

そして……。

笑いと涙とド根性こそが姫松高校麻雀部。

たった一日とはいえその輪に入った京太郎は遂に完成する。

姫松編、次回完結。

 

 

洋榎が恋人だったら楽しいだろうな編 カン

 

 

 

 

 

「しっかし、ウチの学校むちゃくちゃだよな」

「そうだね。社会科見学でフランス行くとは思わなかったよ」

「何を言っているのですか純、一! 我が龍門渕の生徒ならば目を養わなければいけませんわ! それも一流の目を!」

「そ、そうだよね、透華」

「それでアガタとカルティエの工房直接見に行くってどうなんだよ……」

「本物を本場で直に見なくてどうしますか! 龍門渕の社会科見学ならばこれくらい当然!」

「……宝石、綺麗だった。けど疲れた……」

「まあ、智紀! あなたは室内に籠ってばかりだから体力がないんです! もっと運動なさい!」

「ま、まあまあ透華。飛行機の中だし、寝てる人もいるからさ」

「そうだぞ、透華。衣が起きちまうじゃねえか」

「そ、そうですわね。はしゃぎすぎて力を使いはたしていましたわ」

「……衣、楽しそうだった」

「ボクも楽しかったよ」

「ま、たしかにな。食いもんもうまかったし」

「当然ですわ。龍門渕が選んだホテルはシェフがグランプリを取っていましてよ」

「……どんだけ金つかってんだよ」

「皆さんも早くお休みなさいな。成田へ着いたらわたくし達は別行動だという事を忘れていませんわよね?」

「そこがきついっつーの。海外帰りなんだから少しは休ませろよ」

「確かに少しハードだよね」

「気合をお入れなさい! わたくし達が全国へ行く為には休んでいる暇などありません!」

「さすがに一日くらいあんだろ……」

「まあせっかくだしね。これも社会科見学の続きだと思えば」

「……衣も楽しみにしてる」

「その通りですわ。このスケジュール調整にどれだけ手間がかかった事か」

「へいへい、わーってるよ。日本についたら起こしてくれ」

「ボクも寝るよ。おやすみ透華」

「……おやすみ」

「ええ、しっかり力を蓄えてくださいまし。戦いは既に始まっていましてよ、オーホッホッホ!」

「うるさい」

「ご、ごめん、透華。もう少し静かにね」

「……寝られない」

「…………申し訳ありませんでしたわ」

 

 

もいっこ カン

 



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「出撃」

南三局0本場 親恭子 ドラ{七}

 

 

京太郎はオーラスまでになんとか追いついておきたい。洋榎はここで引き離したい。

そして、恭子は親故にここで挽回したい。絹恵は大きな手で一気に巻き返しを図りたい。

 

(狙い目は愛宕絹恵。大物手を作ろうと読みやすい手になる。跳満を直撃できればトんで俺の勝ち。マンガン以下でもオーラス勝負)

 

様々な思惑が交錯する中、京太郎が取った方針は絹恵を狙う事だった。

 

(愛宕洋榎と対戦して確認できた。レベルが一定以上を超えたプレイヤーは普通のやり方じゃまず振らない)

 

それが読みなのか勘なのか運なのか、それとも能力なのかは分からないが、福路美穂子戦を経てそう結論付ける。

 

(師匠が言った通り、相手の攻撃を躱して攻撃する。攻撃したら躱す。本当にそれだけだった)

 

如何に相手をかい潜ってアガるのか。

その単純な事が常時できるなら、『読み』も『技術』も『勘』も『能力』もいらない。

極端な話、圧倒的な『運』さえあれば他に何もいらないのだ。

師が言った『運を引き寄せるのは意志』。愛宕洋榎はこれの体現者。

確かな実力に対する絶対の自信が、洋榎を強者たらしめている。

ならば化物達と互角以上に戦う為には、『絶対に諦めない事』、『最後まで勝ちを疑わない事』こそがもっとも重要となるだろう。

 

(『絶対に諦めない池田華菜』を超えてきた。『最後まで勝ちを疑わない愛宕洋榎』はここで越える。もうあとは、勝つだけだ)

 

クリアできなかった課題の半分、師の教えを全てクリアしたと確信できた京太郎の第一打。

 

{三八九九⑥⑧⑨⑨23東南南} 打{西}

 

完成した京太郎は、長く長く続く、それこそ気の遠くなるほどの道のりが続く強者への扉を、漸くこじ開けた。

十順目、西家絹恵のツモ、{赤五}。

 

{六七七七八赤⑤⑥⑦133赤56} ツモ{赤五}

 

ドラの{七}3枚、赤2枚からさらに赤を引いてくる。

 

(これでドラ6や。三色も絡めば三倍満も夢やない。けど、下家の須賀君は明らかにチャンタ。端牌がどれも切り難い)

 

切る候補は{七八13}。

しかしチャンタ相手にどれが鳴かれてもおかしくはない。最悪振り込みさえありえる。

 

(もうラス前や……、この手をここでいかないついくねん)

 

{赤五六七七七八赤⑤⑥⑦33赤56} 打{1}

 

残り8000点しかない絹恵は最高目優先を選択した。

 

「チー」

 

瞬間、京太郎の鳴き。

 

(アカン、これで張ったかもしれん……。須賀君は{赤⑤}をツモ切りしとる。ドラはあっても一枚。恐いのはドラ周りと索子染めだけや)

 

{1}をチーした京太郎は{九}を河に捨てる。

 

(まずいで。打{九}てことはチャンタなら萬子の上は超危険や。{七}はドラやし……{六九}引いたら回らなあかん……)

 

自身の怪物手もイーシャンテン。しかし読んだドラ周りを勝負しなければならないのが痛すぎる。

そして十一順目のツモ。

 

{赤五六七七七八赤⑤⑥⑦33赤56} ツモ{七}

 

なんとこれでドラ7。しかも{八}を切れば{47}待ちでテンパイ。

 

(た、助かったわぁ。ドラの壁で嵌{八}もない。場に二枚でとるからあるとすれば{八}単騎やけど、それやとチャンタが消える)

 

{7}をツモればダマ三倍満という超巨大手だ。

 

(万が一打ち込んでもドラなしの役牌、もしくは鳴きイッツーか鳴き三色。最大2000にしかならん地獄単騎で待つアホはおらん)

 

それなら生牌の{九}単騎にする筈なのだから。

 

(お姉ちゃんとの点差考えたらオーラスまでに3900以上は欲しいやろ。ならこんなもん通るに決まってる)

 

絹恵は{八}を掴み、

 

{赤五六七七七七赤⑤⑥⑦33赤56} 打{八}

 

切った。

 

「ロン」

「嘘やん!? なんでそんなアホな単騎で待ってんねん!?」

 

泣きそうだ。

挽回するための勝負手をゴミ手で蹴られ、思わず叫んでしまった。

 

「いやそこ高目ですし」

「高目やて!?」

 

そんな馬鹿な。

高目も安目もあるか。それは{八}単騎の筈だ。

驚愕しつつ凝視した倒される手牌。

 

{八九九九⑨⑨⑨南南南} ロン{八} チー{横123}

 

{七八}待ち。

 

「役牌三暗刻。こっちだとテンパネして6400です」

「槓子外し……ッ!」

 

打{九}は隠れ暗刻の隠れ蓑。

しかも絹恵は瞬時に気付いた。

 

「{七八}のどちらかが必ず溢れるんも読み切ってたんか……」

 

だからこその{七八}待ち。

 

「はい」

 

{赤五}を切れば回避できた待ちだが、点棒が残り少ない絹恵にドラと三色をまとめて切り捨てる打牌などできないと読んだのだ。

京太郎は絹恵の心の中まで読み切っていた。

 

「なんやそれ……きつすぎや……」

 

年下の一年生に良いように手玉に取られ、絹恵の顔が下を向いたまま動かなくなってしまう。

 

「顔上げ、絹! まだ勝負終わってないやろ!」

 

姉から厳しい叱咤を受けるも、その言葉は届かない。

なぜならそれは、強者の言葉だからだ。

 

「私、新しい主将やのに……、こんな弱い主将なんておらんよ……お姉ちゃん……」

「絹……」

 

なお悪い事に、現在の姫松の主将は愛宕絹恵だったのだ。

 

「何もできひん……。お姉ちゃんと須賀君の麻雀にまるでついてけんよ……」

 

この対局、絹恵は二度の振り込みの上にノーホーラ。

京太郎に6400点振り込んだ事により現在の点棒は僅か1600点しかない。

これでは心が折れてもおかしくなかった。

 

「それは私も同じや、絹ちゃん」

「末原先輩……」

 

これはまずい、と感じた恭子はすぐさまフォローする。

自身も才能の無さに悩んだ口だ。

普通の麻雀しかできないものは、その普通を極限まで鍛え上げるしかない。

しかし心が折れたら自身を鍛える事すらできなくなってしまう。

 

「元大将がなにもできずに残り8400点。たいして変わらへんよ」

「…………」

「でもここが終わりやない。どうすればこの差が埋まるかを考えんと」

「…………」

「絹ちゃん、きつい言い方やけどそれは甘えや。やる事は最初から一つしかない」

「…………」

「私らみたいな凡人は、練習して練習して、ここにいる化物共の何倍も練習するしかないよ」

「だれが化物やねん!」

「洋榎。今大事な話してんねん。ちょっと黙っとき」

「あ、はい。いたらん姉でご迷惑おかけします……」

 

同じ人種として諭す恭子へ、絹恵が口を開いた。

 

「でも、主将としては今すぐ強くならないとあかんやないですか……」

「それは……」

 

強豪校の宿命だ。

求められるのはまず強さ。弱小校とは事情が違う。

恭子が言っている事は正しいが、絹恵もまた正しい事を言っている。

 

「何倍も練習して強なるて、それじゃすぐに強くはなれませんやん!」

「なれますっ!」

「「「「「ッ!?」」」」」

 

みんなが驚いたのは絹恵の声だったのか京太郎の声だったのか。

まあ、絹恵もビックリしたので京太郎の声にだろう。

 

「こ、高校生になってなんとなく麻雀部に入りました!」

 

いきなり人生を語り出したのだが、実はおかしくない。

京太郎は、6400を直撃した女子が俯いて鼻声になった瞬間パニクッたのだ。

迷惑になる事は重々承知していたのだが、久が危惧したように女子相手に問題を起こしてしまった。

あれほどゆみが注意してくれたのに完全な不祥事である。

先程までずっと黙っていた京太郎の思考はこう。

 

『おおおおもちっ、おもっおもっおもちを泣かせてしまったっ、おおお俺が、ここここんな綺麗なおもちををををを――』

 

己がしでかしたあまりの罪深さにブッ壊れていたのだ。

 

「面白いけどなかなか役覚えられなくてっ、点数計算もインターハイの直前にようやく覚えました!」

 

そして人生を語り出したという次第。

 

「毎日毎日トバされまくってっ、インハイ予選のふるい分けすら突破できずっ、ほとんどトビまくりです!」

 

故に何もおかしくはない。

 

「だからインハイでみんなが全国優勝するまでずっと雑用してました! おもに部長と優希の使いっパです!」

「さっきの話ほんまやったんかい……」

 

憐れな記憶を口にしても全然へっちゃら。

 

「自動卓担いだりデスクトップ担いだりタコス買いに行かされたり、みんなの為にがんばりました!」

「なんやそら!? いじめか!? 部長てウチと戦ったあの中堅やろ!?」

「マナーも悪かったですけど、中身相当エグイですやん……」

「須賀君いつ練習したんよ……」

「さすが優勝校なのよー。私達にはない残酷さが差に現れたのね」

「そんなん嫌ですよ……。今でも十分辛いのに……」

 

いかん。誤解から久の悪評が全国へと広まろうとしている。

事実しか言っていなかったとしても、真実は人の数ほどあるのだ。

 

「インハイ後はあいつらさらに強くなっててっ、東場で何十回もトバされ続けました!」

「インハイ後て、ついこの間やんけ」

「どないな拷問食らってるんですか、この子」

「ひどい……」

「恐ろしいのよー。清澄は鬼の城なのよー」

「私の扱い全然マシですやん。でこにマジックがご褒美に思えますわ」

 

シャレにならん。

久どころか咲達の悪評まで拡散寸前とはどういう事か。

 

「そしたら12日前に麻雀の師匠と出会って特訓してもらいました!」

「「「「「12日前?」」」」」

 

さあ、ここからが佳境だ。

 

「スゲー辛かったですけどがんばって特訓した結果っ、五日目でもう初心者じゃないって師匠に言ってもらえました!」

「ほー。ずぶの素人から五日で初心者脱出か、そら中々のもんや」

「よほどええ師匠やったんでしょうね」

「がんばったんやなぁ、須賀君は」

「絹ちゃんもらい泣きしてるのよー。私も感動で胸がいっぱいよー」

「いやそれにしたって早過ぎませんか!? 五日て!?」

 

次の挫折こそが雀鬼誕生秘話。

 

「師匠からまだみんなと打つなって言われてたんすけど! 初心者脱出して調子に乗った俺はっ、次の日咲達と対局しました!」

「「「「「アカンアカンアカン! アカンて!」」」」」

 

姫松の部員達は、既に結果を予測済みだった。

 

「また東場でトバされました! 咲の嶺上開花防いだと思った瞬間っ、なぜか責任払いでトんでました! もちろんノーホーラです!」

「「「「「だからアカンってー……」」」」」

 

もう目に映っているかのように、光景が頭に浮かぶ。

酷い話だ。

 

「咲達の前ではヘラヘラしてましたけどっ、学校を出たら涙が止まりませんでした! ちょうど一週間前の出来事です!」

「なんちゅう凄惨な人生歩んどんねん……」

「だれかこの子の涙を拭いたげて……、私のハンカチはもうびしょ濡れやから……」

「分かるぅ! すごくよく分かるぅ! その涙は私の涙やぁ!」

「もうどうやったらこの子の傷を癒せるか見当もつかないのよー!」

「なんでそんな酷い事ができるんですか! 人の形をしてるなら人の心を持つべきでしょう! 私の言うてる事間違うてます!?」

 

たくさんの同情と一人の共感。そして怒りに震える一人のテンションが超やばい。

 

「俺ぇ! みんなに追いつきたくてぇ! 俺だって麻雀打ちだって言いたくてぇ! 師匠との残りの四日間っ死に物狂いで特訓したぁ!」

「安心っせぇよぉ! 京太郎は立派な麻雀打ちやで! ウチが保証したるわ!」

「だれかこの子を助けたってくれ……! もう見てられん……ッ!」

「うええぇぇぇぇぇぇん! うえええぇぇぇぇぇん!」

「涙で前が見えないのよー!」

「私が倒したりますよ! 来年のインハイ見ててください! ええ、この上重漫が清澄をボコボコにブッチめてやりますわ!」

 

号泣。

感情が高まりまくった京太郎の熱い魂は、自身と姫松部員全員の号泣を呼んだ。

 

「最後にぃ! じじょうがぁ! だぐざんの強い奴と打でっで言っだがらぁ! 強い人がいるがっごう行っで全部だおずぅ!」

「おう! えらいゴンジョーモンや! だおぜだおぜ! うぢが許ず! 『宮永でる』も『宮永ざぎ』も全部倒ざんがい!」

「ごの子に力貸じでぐれぇ……ッ! 麻雀の神がいるならごの子にぢがら貸じでやっでやあ……ッ!」

「びぃぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! びぃぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「水分と塩分が足りないのよおおお! 涙で干がらびるのよおおおおお!」

「ぐぞお! ぐぞお! ぐぞお! ぐぞおおおおおおお!」

 

みんなの涙で水没しないよう早くなんとかするべきなのだが、全員が狂ったように泣き喚いているのでどうにもならない。

 

「ごれがぁ! 俺がじじょうにでぎるぅ! 唯一の恩返じだと思うがらあああああ! ぜっだい強ぐなるんだああああああ!」

「ブラーーボゥ! ブラーーーボゥ! ブラーーーーーーボゥ!」

「ええ子ずぎで涙どまらないですわーーーー!」

「わだじも強ぐなるううううう! ずが君みだいに死に物ぐるいでずぐ強なっだるうううううう!」

「人はごごまで強ぐなれるのよおおおおおおおおお!」

「十倍やああああああああ! 十倍がえじやああああああああ!」

 

絹恵のモチベーションを元に戻した京太郎はいよいよオーラス、南四局を迎える。

トップの洋榎とは微差の2400点差。二飜40符、2600点をアガれば無条件で逆転。

『愛宕洋榎』を超えるべく、運命の一局が始まった。

 

現在の点棒状況

絹恵   1600

京太郎 43800

恭子   8400

洋榎  46200

 

 

南四局0本場 親洋榎 ドラ{⑧}

 

 

洋榎がサイコロを回し、全員が配牌を取っていく。

 

(気持ちはわかった。やから尚の事手は抜かんで、京太郎)

(精一杯やらせてもらいますわ)

(もうどうやっても逆転はできん。けど、みっともないまま終りたない。強くなる為の麻雀を打つんや)

(絶対に勝つ)

 

そして配られた手牌がこれだ。

親の洋榎手牌。

 

{一二四赤五九②赤⑤赤⑤⑧⑧17発} ツモ{発}

 

配牌三シャンテン。

 

(おっも!? 1000点でええっちゅうのになんやこの重い配牌!?)

 

{発}が重なったはいいが、赤を合わせてドラが5個もある。

 

(こらまいった。時間かかるでぇ……)

 

しかも中張牌の対子がドラスジの{⑤⑧}。

ここら辺を面子にするのはきついと、洋榎は泣きすぎて真っ赤にった目を鋭くしながら第一打を{1}でスタートした。

南家の絹恵手牌。

 

{二二44799東南北白中中} ツモ{二}

 

こちらはチートイリャンシャンテン。

 

({二}が暗刻った。ここはもう迷うとこやない。真っ直ぐや)

 

絹恵もまた、真っ赤な目とかみすぎて赤くなった鼻のまま、第一打を{北}とした。

西家の京太郎配牌。

 

{一一六六九35667南西西} ツモ{白}

 

京太郎もリャンシャンテン。

 

(安いのに手が重い!? 二飜40符で勝ちって時にチートイなんか狙ってられねえぞ!?)

 

京太郎の感想は洋榎とほぼ同じ。

時間がかかる事を予想しながら、まずは手を目一杯広げる事を決意した。

真っ赤になった両目に碧の炎を灯し、第一打{白}ツモ切り。

恭子手牌。

 

{一三五八①②③19東北白発} ツモ{東}

 

八種九牌。

役満ツモでなければトップを取れない。であれば、このゴミのような手も好配牌と化す。

 

(ええ配牌や。国士四シャンテンと考えれば悪ぅない)

 

恭子第一打、{五}。

もちろん目は真っ赤だった。

そして十順後、十一順目の洋榎。

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧78西発発発} ツモ{①}

 

(重い上にツモがきかん……ッ)

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧78西発発発} 打{①}

 

同じく十一順目の絹恵。

 

{二二二4447799白中中} ツモ{8}

 

絹恵イーペーコーテンパイ。

 

(張った。けどイーペーコーのみアガってもなんも意味無い)

 

しかし、ダントツラスである以上はせめて四暗刻を目指す。

 

(末原先輩の国士にもそろそろ切らなヤバイし。このまま重くなっててや……ッ)

 

{二二二44477899中中} 打{白}

 

同順の京太郎。

 

{一一一六七356678西西} ツモ{八}

 

(くはっ、やっと入った……ッ。けどどうする? リーチのみじゃ役が足りない。{47}もほぼ待ちなし……)

 

他家を読んだ限りでは、待ちの残りは{4}ただ一枚。しかもツモらなければ逆転不可。

このままリーチはいくらなんでもリスクが高すぎた。

 

(くっそー、{123}は山にいる筈だから{3}残したのに、まるで引いてこねえ。まさかほとんど王牌なのかよ……)

 

しかし既に十一順目、この重さでは{56}落としが間に合うとは思えない。

 

(西が鳴ければまだ活路はある。ここはテンパイにとるしか道はねえな……)

 

京太郎は重い{3}を、歯を食いしばって河に捨てた。

 

{一一一六七八56678西西} 打{3}

 

恭子の十一順目。

 

{一九①①⑨1東東南北北白発} ツモ{9}

 

(これでイーシャンテン……、このまま全員重いままでいてや……ッ)

 

{一九①⑨19東東南北北白発} 打{①}

 

十二順目、親の洋榎のツモ。

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧78西発発発} ツモ{⑧}

 

さらに重い方を引いてくる。

 

(なんでそこ!? 頼むでスパッっとテンパッてくれ!)

 

しかしイーシャンテンは変わらないのだが、受けが倍にはなった。

 

(……しゃあない、ここが勝負どころか。恭子から幺九牌が出てきたし、京太郎にも限界くさい)

 

洋榎も歯を食いしばって、

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧⑧78発発発} 打{西}

 

打{西}。

 

「ポンッ!」

 

そして京太郎、役無しテンパイから自風の{西}をポン。

 

{一一一六七八6678} 打{5} ポン{西横西西}

 

打{5}で待ちを変える事に成功する。

 

(やっぱ京太郎の奴{西}持っとったか。これで確実に張った。もう一役あれば出アガリオッケーやな……ラス牌の{⑧}持っとるか?)

 

場に{赤5}が出ていたので、ドラはほぼ洋榎が握りつぶした形。

最後の{⑧}を持っているなら非常に厄介だと洋榎の顔が歪む。

 

({35}切りやと{3556}か{3566}からの{35}落とし……、いや{356678}からって形もあるか。索子の上は切られへんな)

 

しかし最後は枚数を逆算してきっちりと読んだ。

恭子の十二順目は無駄牌をツモ切り。

そして洋榎の十三順目のツモ。

なんと、

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧⑧78発発発} ツモ{七}

 

無駄ヅモ。

 

(嘘やろおおお!? {西}勝負は失敗かいな!?)

 

あまりの重さに心の中で絶叫する。

 

(いやいやいや焦るな、まだ終わったわけやない。こうするんや。次順張ったらウチの勝ち、張れへんかったら京太郎の勝ち。ええな?)

 

しかし、自分に相当都合のいいルールを設定し、その自信には微塵の揺らぎも見えない。

もちろんツモ切りだ。

十三順目の絹恵のツモ。

なんと、

 

{二二二44477899中中} ツモ{9}

 

ツモリ四暗刻テンパイ。

 

(きたで! この四暗刻ツモっても須賀君には勝てん、けどお姉ちゃんには勝てる! これが今の私の精一杯や須賀君! お姉ちゃん!)

 

真の悲しみを知った絹恵は、姉と違って無駄ヅモではなかった。

なにやら京太郎の株が大幅に上がっている気もするが、自身の可能性を信じ、

 

{二二二44477999中中} 打{8}

 

打{8}。

{7中}待ちだ。

 

「チー」

「え!?」

 

瞬間、京太郎が{8}を鳴いた。

 

(なんやのそれ!? {5}切っとるやん!?)

 

絹恵の疑問はごもっとも。

前順、京太郎は{5}を切っているのに、{横867}で鳴き返したのだ。

 

(もしかして鳴き三色やろか……?)

 

恭子も頭を捻り、

 

(ははーん、さては役が足らへんな? そっちはそっちで二飜40符作るのに苦労しとるっちゅうわけか。お互い大変やな、京太郎?)

 

ドラをガメてる洋榎は直感した。

ラスドラの{⑧}を持っていず、さっきまで一飜の手だったと予測したのだ。

その直感は当たっている。京太郎の手にドラはない。

しかも、これで{6}は場に三枚見えた。

 

(絹に{9}が固まっとるし索子の上が待ちや思とったけど、これで本命は三色がらみ一本。ウチの手牌から筒コロの上で確定や)

 

と、京太郎の鳴き返しによって更に読みの精度を引き上げる。

そして二順続けて恭子がツモ切りした直後の洋榎のツモ、十四順目。

 

{四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧⑧78発発発} ツモ{三}

 

重い重い手をなんとかテンパイへとこぎつけ、{7}に手を伸ばす。

{69}は待ちがなく、{⑤⑧}を京太郎へ切るのは自殺行為だからだ。

しかしその{7}も、

 

(絹には超危険牌。やけど絹の手ぇはツモリスーアンや。アタリたくてもアタれへんやろ)

 

と考える通り、絹恵のアタれないアタリ牌。

危険な筒子を止め、とりあえずは{8}単騎へと受ける。

 

{三四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧⑧8発発発} 打{7}

 

萬子か筒子を引いての多面張にする腹積もりだった。

 

(ぐっ……、お姉ちゃんそれアタってんで! 意味無いからツモらん限りはアガらへんけど、でもそれアタってんで!)

 

出アガってもトイトイ三暗刻の8000点。

ウマもないしせめて二着連対でなければ格好がつかないだろう。

出アガったところで三着確定。喜ぶのは二着の京太郎のみだ。

いや、オーラスにそんなショボイ事されたら京太郎も喜ばないに違いない。

あの涙はただ勝ちたいのではなく、強くなる為の涙だったのだから。

 

(分かってて切ったんやろうけど、私が鬼やったら容赦なくアガっとったわ! 優しい妹に感謝してや!)

 

そんな怒り心頭の絹恵をチラリと見た京太郎は、『怒りながらも一生懸命なおもちは愛らしい』とニヒルな笑みを浮かべる。

 

(ツモったれ!)

 

と気合を込めるも、愛らしいおもちは無駄ヅモ。

 

(あかんかった……)

 

落胆する絹恵を尻目に、京太郎も{③}ツモ切り。

 

(私の運も捨てたもんやないな……)

 

そして、遂に恭子が追いつく。

 

{一九①⑨19東東南北北白発} ツモ{西}

 

さすがは激戦区大阪の名門、姫松高校麻雀部の元大将。

 

(ラス牌二枚の内一枚もってきたわ。おそらく残り{中}三枚の内二枚は、絹ちゃんの手牌の中やろ)

 

最後は見事に逆転の手を入れてきた。

 

{一九①⑨19東東南西北白発} 打{北}

 

{中}は場に一枚、絹恵が二枚持っていたが、最後の牌をツモれば文句なく逆転だ。

 

(おうおう、さすが恭子や。きっちり張ったくさいな)

 

仲間の強さを再確認しつつ、それでも洋榎は自身の勝ちを微塵も疑わない。

それこそがエースというもの。そしてだからこそ『愛宕洋榎』なのだ。

 

{三四赤五赤⑤赤⑤⑤⑧⑧⑧8発発発} ツモ{⑦}

 

洋榎の十五順目のツモ、三面待ちとなる{⑦}。

 

(ほれぇ! この待ち何枚生きとる思てんねん! 残りの牌山みーんなウチのアガリ牌や!)

 

もちろんそんなわけはない。

しかし、その自信は素晴らしいと言うしかないだろう。

まさに洋榎の麻雀は自信の麻雀だった。

 

(こら三暗ついて倍満までいってまうな!)

 

洋榎は{8}を掴み、

 

{三四赤五赤⑤赤⑤⑤⑦⑧⑧⑧発発発} 打{8}

 

切る。

 

「ロン」

 

そして室内に声が響いた。

 

「……なん、やて?」

 

真っ赤な両目に碧の炎を宿し、ニヤリと笑みを見せる姿に呆然とするしかない。

 

「俺の『読み』は愛宕洋榎すら上回った。ならきっと化物だって倒せる『読み』だ。それを心の底から確信できました」

 

倒された手。

 

{一一一六七八8} ロン{8} チー{横867} ポン{西横西西}

 

河へ切ったスジの{8}を鳴きかえし、それでも更に待ちになっていた{8}単騎。

 

「役牌のみ。テンパネして1300。200点差で俺の勝ちです」

「で、出来面子食っとったんか……ッ」

 

一飜40符の直撃。

京太郎が鳴く前の形はこう。

 

{一一一六七八6678} ポン{西横西西}

 

この時点でも一飜40符あるが、洋榎が{69}を持っていない。

しかも全国クラスであるならば、索子の上待ちだと容易に看破されてしまう。

だからその読みをズラした。

待ちもズラした。

全員の心理を卓上ごとズラした。

 

「おととい長野個人一位を倒した時に感じは掴んだんで、今回もうまく騙せると思いましたよ。洋榎さん」

 

場の掌握。

師の教えを、京太郎は完全にものにしていた。

しかし、ニヨニヨと洋榎を見る姿は本当にデリカシーがない。

 

「あー……なんちゅうかこう、負けるなら負けるで、もっとこうスカッと……あかん、なんやこれ!? なんか悔しすぎるでえ!?」

 

うがー、と頭を掻き毟る姿が、二日前の美穂子を彷彿とさせる。

これは悔しいだろう。

なにせ騙されて、自信満々にアタリ牌を叩き切ったのだから。

 

「私も索子待ちはない思ったわ。須賀君さすがやね」

「こら悔しすぎて今夜は眠れんちゃいますか? 洋榎?」

「騙すなや! もっと力で上回ってくれ! なんか気持ち悪い!?」

 

洋榎の滑稽な姿に絹恵と恭子も苦笑をもらすしかない。

 

「須賀君強いな~。貴子ちゃんが~相当打てる言うたんよう分かるわ~」

 

今さら出てきた監督代行の郁乃。

絹恵が折れた時、一人でちゃんと立ちあがれるかな? と主将としての自覚を促そうとしていた。

その後は京太郎の話に、部員達と一緒にビービー号泣していたのである。

化粧を直すまでは出る事ができなかった。

 

「真っ向勝負の叩きあいで洋榎に勝つのは凄いのよー」

「ほんまですね。清澄帰っても、もう嬲られる事はないんちゃいます?」

「いやいや別に嬲られてませんからね!? あいつら人格はいいやつらばかりっすから!」

 

と慌てて誤解を解こうとするも、

 

「「「「「……………………嬲られとったよ」」」」」

 

全員が一斉に反論してくる。

 

「ほんとあいつら友達っす! いじめとかそういうの全然ないですから!」

「「「「「……………………」」」」」

「ただちょっと加減を知らないというか、全力攻撃しかできないというか……」

「やめーや! また胸が痛なるやろ!」

「もうお腹いっぱいですよ。須賀君はこのまま幸せになってください」

「ほんまやで! 須賀君は幸せにならないかん! 何かあったらすぐ連絡してや! 魔王相手になにができるとも思わんけど……」

「とても立ち向かえる気がしないのよー」

「私はやりますよ。とりあえず春季大会をみたってください」

「いや、ほんとそういうんじゃないっすから……」

 

どうやら誤解が解けるのはもう少し後らしい。

誤解なのか真実なのか判断できないところが微妙だが。

 

「そういえば~、須賀君は明日白糸台に行くんやろ~?」

「はい、そのつもりです」

「おう、ならもう一局どや? 宮永照、大星淡、弘世菫の三人相手なんや、いくら練習しても足らんやろ」

 

京太郎は一日参加の、いわば今日だけ姫松麻雀部員だ。

洋榎は面倒みよく、特訓相手を務めるつもりだった。

もちろんうれしい申し出だ。

これに京太郎は喜んで飛びつこうとする。

しかし、

 

「でも今日明日の二日間は~合同練習って聞いとるよ~? 須賀君も参加するん~?」

「は?」

 

郁乃の言葉に頭が混乱してしまう。

 

「なんや代行、その合同練習て?」

 

洋榎の疑問に、郁乃が説明。

 

「他校の何校か呼んで~交流試合やって~。ウチら姫松にも声かかっとったんよ~」

「ほうなんか!? 全然聞いてへんで!?」

「インハイ後やもん~。東京まで遠征するお金ないよ~」

「金の話かいな!」

 

その話を聞き、京太郎の顔は青くなった。

もともとアポなし。

この姫松で、なんとか連絡をとってもらえないかと甘い事を考えていたのだ。

しかし、さすがに他校と合同で試合している日に潜り込めるわけがない。

迷惑の度合いが今までとは比べ物にならないだろう。

 

「か、監督さん!」

「なあに~?」

 

京太郎は駄目元で言ってみる。

 

「お、俺をそこに参加させる事ってできないでしょうか!」

 

無茶なお願いだ。

 

「ん~、さすがに無理やわ~。申し出を断った手前もあるし~白糸台だけなら連絡してもええけど~、何校にも迷惑かけられへんよ~」

「……ですよね」

 

そうだ。それが世間の常識だ。

落ち込んだところで無理なものは無理なのだ。

 

「来週じゃあかんの~?」

「いえ、今週までです……。俺が好き勝手するのは今週いっぱいまでって、咲と約束しました……」

「どういうこっちゃ? 一度帰って、もう一度別の日に白糸台行けばええやろ?」

 

洋榎の疑問はみんなの疑問である。

部活がない日、もしくは一日だけ休んで日曜日にでも東京へ行けばいいだけではないか。

 

「今はまだ咲達とは打てません。打てない理由があるんです」

「なんや、トバされたっちゅう話から一度も打ってないんかい。その理由て聞いてええんか?」

「すみません……」

 

しかし、どうやら京太郎の内面的な問題らしい。

 

「咲達にも、誰にも知られたくないっす……」

「別にええて。話せん事の一つや二つあるやろ」

 

洋榎は気にした風もなく続ける。

 

「けどそうなると、やっぱ明日は潜り込むしかないなあ。代行、なんとかならんやろか?」

 

みんなで一緒に泣いた仲だ。なんとか力になってやりたい。

洋榎の中で、京太郎は既に仲間だった。

 

「無茶やって~。たしか参加校が~永水女子と龍門渕や言うてたし~。どっちも超お金持ちのお嬢様校やもん~」

「おおう、あの二校か……。たしかに規則とかしきたりとかにはうるさそうやな……」

 

そんな会話を聞き、京太郎の心臓がドクリと大きく跳ねた。

 

「龍門渕……? 永水もなんですか?」

 

自身で声が震えているのが分かる。

 

「天江衣と神代小蒔もくるんですか……?」

「そらそやろね~。あの二人が龍門渕と永水女子の目玉なんやし~」

 

姫松の前に戦う筈だった化物、『天江衣』。

場所的に戦う事を諦めた化物、『神代小蒔』。

そして、インターハイチャンピオンにして正真正銘の化物、『宮永照』。

その三人が一堂に会すというのか。

 

「そ、そこのパソコン貸してください!」

 

京太郎は了解を待たずに、部屋の隅に設置されていたPCへと飛びつく。

 

「……………………」

 

そして夢中でキーボードを叩いた。

 

「アハッ……、アハハハハ……」

 

そして歓喜の声を上げた。

 

「ど、どないした、京太郎?」

 

ちょっと尋常じゃない様子に、引き気味の洋榎が聞く。

 

「今日、満月です」

「は? 満月?」

 

京太郎の目に炎が宿る。

 

「『天江衣』が最大の力を発揮できる日なんですよ!」

 

ポカンとする洋榎に目もくれず、壁時計を見た。

時刻は14:15。

 

「……まだ間に合う」

 

時間を確認した京太郎は、もう覚悟完了だった。

 

「いきます! いますぐ倒しにいきます!」

「……京太郎、お前ほんまアホなやっちゃなぁ」

 

洋榎が呆れながら苦笑するしかない。

 

「その前にその卓貸してください! 一分だけ!」

「ええよ、好きに使い」

 

何をするのか知らないが、心おきなく行けるようにしてやらなければ。

京太郎は今まで使っていた卓に座り、時計を見ながら洗牌する。

そして秒針が12を指した瞬間、

 

「シッ!」

 

凄まじい速度で牌を積みだした。

 

「うおっ! メチャメチャ早いがな!?」

「す、すごいですね」

「私手積みは苦手や」

「手積みの練習なんてしないのよー」

「あれも練習なんですかね?」

「えらい古風な事してんねんな~」

 

洋榎、恭子、絹恵、由子、漫、郁乃が感心する中、

 

「フッ!」

 

最後の山を音もなく積み上げ、少し斜めに前へ出した京太郎。

時計の秒針を見る。

 

「37秒……」

 

一山10秒かからずだ。

 

「これで全部クリアしましたよ、師匠」

 

ニヤリと口を吊り上げた後、満面の笑みで言う。

 

「愛宕洋榎さん、そして姫松の皆さん、ありがとうございました!」

 

京太郎は一路、東京へ向かう。

弾丸のように走り出した少年を止めるすべはもうない。

コネなし、アポなし、何も無し。白糸台へ入れるのかすら分からない。

しかし、そこには三人の化物達がいる。

この胸の澱を拭い去る為に、戦うと決めた化物達が。

 

 

心のモヤモヤを晴らしにいこう。

ウダウダ考えるのはもう飽きたから。

全てを周る事はできなかったけれど、一人旅だから許してほしい。

頼れるのは己だけじゃなかった。

師がくれた力を、みんなが鍛えてくれた。

だから、清澄高校麻雀部員『須賀京太郎』、最後の地へ向けて、発進。

 

 

姫松大好き編 カン

 

 

 

 

 

 

「なんや、鉄砲玉っちゅうんはまさにアレの事やな」

「それでも好感はもてます。あの行動力は尋常やないですね」

「私も須賀君みたいにがんばって、お姉ちゃんの後を継げるようにならな」

「その意気よー。絹ちゃんなら洋榎より主将らしくなれるのよー」

「愛宕先輩は強い分、おかしな行動ばかりしてましたからね」

「どういう意味や漫! そんなんしてへんわ!」

「「「「え!?」」」」

「な、なんや……、え? してへんよ? ウチおかしないよな、絹?」

「お姉ちゃん……」

「なんで目ぇそらす!? え!? ウチっておかしいんか!?」

「自覚なかったんですか、洋榎……」

「だからおもろいって言われるのよー」

「麻雀強なると、人として大事なものが無くなっていくんですかね……」

「そ、そんな事ないやろ? ウチかて普通の女子高校生や。ごく普通の乙女なんやから」

「「「「…………」」」」

「ま、まあその話はええて。見解の相違っちゅうやっちゃ」

「「「「…………」」」」

「き、京太郎大丈夫なんかなあ……」

「誤魔化し方が下手すぎるのよー」

「そやな。須賀君が心配や」

「絹ちゃんも乗るんやね……」

「姉妹ですからね。思考回路そのものは単純なのかもしれません」

「あーなんかほんまに心配になってきたわ」

「白糸台の警備員に捕まったりせんやろか……」

「それは、あるかもしれませんね。けど大丈夫ですやろ」

「おいおい、やばいんちゃう?」

「あわわわわ……、須賀君の幸せが遠のいてまう……ッ」

「……なんか洋榎と絹ちゃんが心配しすぎなのよー」

「ホレたんちゃいますか?」

「まさかなのよー。でも、姉妹で男をとりあう修羅場を生で見れるならそれもありなのよー」

「……輝く笑みなのに黒いですね、真瀬先輩」

「そしてそれを横からかっさらうのも楽しそうなのよー」

「「「「「黒すぎる!?」」」」」

 

 

もいっこ カン

 




おそらくあと二話。
多くても三話完結です。
もうひと踏ん張りなので、皆さんも最後までお付き合いください。


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「真実」

最終決戦は三話連続投稿で。
書く前は全体で六話くらいのつもりだったのに……小説書くのって難しい……。


「ツモりましたわ! 四暗刻は16000オール! これでわたくしのトップですわね!」

「2000点差なのになんで役満狙ったんですか……」

「それをアガらせてしまう私達も私達だが……」

「あー……どうもすんません。薄墨さんが小四喜アガったんで、透華のやつ妙な対抗意識燃やしちまったみたいで……」

 

場所は東京の白糸台高校。

日が落ち始めたこの名門校では現在、多くの麻雀部員達がしのぎを削っていた。

 

「そうではありませんわ、純! 子の役満が出たんですのよ? ならそれ以上のインパクトは親の役満以外ないではありませんか!」

 

広い遊技室で何台も稼動している自動卓。

その一つが終局する。

 

「それを対抗意識って言うんだっつーの。デジタル打ちがアガリトップで48000アガるなよ」

「手なりで打ったらこうなってしまっただけです。ええ、完全に手なりでしたわ。ですからこれもまた完全なデジタルですわね」

「嘘つけ、一面子落としてんじゃねーか。よそ様に招待されて目立とうとするな、頼むから」

「…………裏目っただけですわ」

 

こめかみを押さえて溜息を吐く井上純と、フイッと視線を逸らす龍門渕透華。

同卓していた弘世菫と薄墨初美は顔を引きつらせて愛想笑いするしかない。

 

「透華お嬢様」

 

そんな微妙な空気を入れ替える執事。

 

「どうしました、ハギヨシ?」

「お嬢様にお電話が入っております」

 

気配を完全に殺して控えていた萩原が、持っていた携帯電話を両手で差し出す。

 

「わたくしに? ですがこの携帯はわたくしのではありませんわよ?」

 

その通り。

執事が差し出した携帯はお嬢様のものではなかった。

 

「はい。これは私めの携帯でございます」

「は? どういう事ですの?」

 

意味が分からない。

自分に用事のあるものが、なぜ執事へ連絡する。もしかしたら電源が切れてしまっているのだろうか。

 

「申し訳ありません、お嬢様。執事としてあるまじきことですが、これは私めの私事でございます」

「私事? ハギヨシの?」

「嘘だろ……。パーフェクト執事の萩原さんがそんな事するなんて、明日は雪が降るのかよ……」

 

人生初となる従者のわがままを耳にし、透華はポカンと口を開けた。

純に至っては天変地異の前触れかと慄く。

菫と初美にはよく分かっていなかったが、どこからともなく現れた執事に目を見開き続けていたので、とりあえず全員驚愕だ。

 

「お電話の相手は須賀京太郎君といいまして、清澄麻雀部の男子部員でございます」

「清澄の男子……?」

「ああ、あいつかぁ」

 

萩原の説明に記憶が繋がらない透華と、すぐ思い出した純。

お嬢様は下々の事には疎いのだ。

 

「ほら、プールの時にも会っただろ? タコスチビに纏わりつかれてた金髪君だって」

「……ああ、たしかにそんな方がいましたわね」

 

しかし、純の言葉でうっすらと記憶をよみがえらせる。

 

「全国大会の折、宿舎で偶然お会いした彼にタコス作りを指南させていただきました。少々縁のある少年でございます」

 

完璧執事は、主が疑問を口にするより早く簡潔にまとめた。

 

「なにやら透華お嬢様へお願いがあるとか」

「お願い? このわたくしにですの?」

 

コネとすら言えない薄い縁。

これが京太郎に残された最後の糸だった。

 

「はい。相当切羽詰まっている様子でしたので、お叱りを承知でお繋ぎする事にいたしました。罰はいかようにもお受けいたします」

「かまいませんわ。わたくしに関わる事であるならば、わたくし自身が話を聞かなければ判断できません。不問とします」

「寛大なお言葉、ありがとうございます。透華お嬢様」

 

携帯を差し出したままの体勢なのに、深々と頭を下げる姿は見事なものだった。

菫と初美は、『これがマジモンの執事か……』と初めて目にしたセレブ世界にビビるしかない。

 

「貸しなさい、ハギヨシ」

「はい、お嬢様」

 

透華は椅子に腰かけたまま受け取る。

 

「代わりましたわ。龍門渕透華です」

 

そしてしばらくやり取りする様を、同卓している純、菫、初美が黙って見ていた。

五分ほど話をすると、透華は難しい顔をしたままチラリと菫へ視線を向ける。

 

「……?」

 

視線には気付いたものの、相手は電話中だ。

菫は首を捻る事しかできない。

 

「……その願いはわたくしの権限を超えています。ホストはあくまでも白糸台。頼む相手を間違っていますわ」

 

しかしそんな透華のもの言いに、どうやら自身にも関わりがあるようだとあたりを付ける。

 

「そうですわね。そこまでおっしゃるのであれば、白糸台部長弘世菫さんへの取り次ぎはいたしましょう」

「…………」

 

部長としての最後の仕事で、問題ごとが発生したのだと確信した。

 

「あとはあなたの交渉次第。今からそちらにハギヨシを向かわせますが、おそらくあなたの願いは叶いませんわよ?」

 

と言って電話を終了させる透華。

 

「ハギヨシ」

「はい、お嬢様」

「聞いた通りです。ここまで案内してさしあげなさい」

「かしこまりました、お嬢様」

 

そして一瞬で姿を消す執事。

瞬動術は執事の基本技能の一つだ。

 

「まずは謝罪いたしますわ、弘世さん。招かれた立場でありながら勝手な事をしてしまいました。申し訳ありません」

「あー、どうやら問題が起こったようだな」

 

頭を下げる透華に、菫は少し困った顔をする。

 

「インターハイ優勝校の清澄、そこの男子部員があなたへお話があるそうです」

「そこが分からん。私とは完全に初対面だろうに、いったい何の用なんだ?」

 

透華の電話でのやり取りで、どうやら他校の男子生徒が自身に用事があることくらいは推測できていた。

この合同練習は、部長職を亦野誠子へ引き継がせる前の最後の仕事である。

全国の強豪校との顔つなぎはもちろん、連絡方法や合宿のノウハウを新部長や二年生全員へ学ばせる為のものだった。

さらに三年の送別会、壮行会的な意味合いもあるので、余計な厄介事は御免被りたいのが本音なのだ。

 

「どうやらこの場に参加したいようですわよ?」

「なんだと? この合同練習にか?」

「ええ」

 

肩をすくめて言う透華に、はあ? と意味が分からない菫。

 

「おいおい……。無茶しやがんなあ、あの一年。そんなもんできるわけねーだろ」

「一年生なんですか? まあ私は構いませんけど姫様は純粋培養ですからねー。男子の参加に霞ちゃんが賛成するとは思えないですよー」

 

純は苦笑し、初美もまた苦笑する。

 

「何を考えているんだ、その須賀とかいう男子は……」

 

菫は眉間を押さえて溜息を吐くしかない。

 

「申し訳ありませんわ。ですがおそらく電話の向こうでは土下座していましたので、無下にするのも憚られてしまいましたの」

「だからといってこちらに丸投げしないでくれ」

 

あっけらかんと言う透華に、益々頭が痛くなってしまう。

 

「透華、おまえ面白そうだと思ってやがるな?」

「人聞きが悪いですわね。断る権利も了承する権利も、わたくしにないのは事実でしょう?」

「嘘つきやがれ。ハデ好きなおまえの事だからな、なにかハプニングを期待してるんだろうさ」

「おいおい……」

 

もはや勘弁してくれだ。

 

「主としてハギヨシの顔も立てねばなりませんし、ホスト役である弘世さんの仕事を奪うわけにもいきません。苦渋の選択でしたわ」

「それを面白がってるっつーんだよ。弘世さんも災難に」

「ご愁傷様ですよー」

 

ニヤニヤしている龍門渕メンバーと永水女子メンバー。

 

「終局してないのはあと一卓か……。ちょうど食事休憩に入る時で助かったな……」

 

そんな視線に気付きつつ、溜息を吐いて周囲を見渡す。

他校への迷惑だけは避けられそうだと、菫は僅かに残った運で自身を慰める以外にできる事がなかった。

雀鬼到着まで、あと三分。

 

 

 

 

    ※

 

 

 

 

「こちらの遊技室に皆様いらっしゃいます」

「ありがとうございます、萩原さん!」

 

京太郎は走った。

全速力で走った。

 

「迷惑ばかりですみません! 本当にありがとうございます!」

「いえ、お気になさらず。礼ならば透華お嬢様へお願いします。第一、須賀君の望みはまだ叶ってはいません。これからですので」

 

久の携帯を強奪した日からこの場所へ辿り着くまで、一直線に駆け抜けた。

 

「それでも萩原さんが取りなしてくれなかったらここには来れませんでした! 龍門渕さんはもちろん、あなたにも感謝します!」

 

タコスなどという小さな縁を針とし、目の前の扉へと打ち込む。

京太郎は大きく深呼吸した。

 

「このご恩は一生忘れません。萩原さん」

「ご武運をお祈りします、須賀君」

 

完璧な礼をとる執事を背に、鍛え上げた両手で扉を開く。

そして胸を張り、腹の底から声を出した。

 

「清澄高校一年! 須賀京太郎と言います! 今日はお願いがあってきました!」

 

急な大声にビックリしたのだろう。

室内にいた全女子達の視線が集中する。

 

「その前に龍門渕透華さん! あなたにお礼を! あなたのおかげで中に入る事ができました! ありがとうございます!」

 

人数が多くてどこにいるのか分からなかった京太郎は、その場で深々とお辞儀。

 

「構いませんわ! ですがこれ以上の手は貸せません! あとはこちらの白糸台部長、弘世菫さんと交渉なさい!」

 

異常に目立っている京太郎へ対抗意識が生まれたに違いない。

透華は負けじと大きな声を出す。

 

「なんでそこで対抗すんだよ……」

 

立ちあがってふんぞり返る姿に、純は透華の頭を心配するしかなかった。

透華の声で場所を特定した京太郎は、特大の決意で菫の下へ向かう。

もちろん菫は微妙な顔だ。

厄介事が近づいてくるのだから当然だろう。

 

「なになに? なんか面白そうな事はじまってるよ?」

 

目をキラキラと輝かせたのは大星淡。

彼女もまた魔物の一人であり、白糸台の一年生でありながら宮永照の後継者と目されている。

性格に少々難のある困った少女なのだが、意外とおもち持ちの美少女だった。

 

「はじめまして、弘世菫さん。須賀京太郎と言います」

「あ、ああ、はじめまして、須賀君。弘世だ――おいっ!?」

 

菫に挨拶した京太郎は、流れるように必殺の土下座を敢行。

久にはまるで通用しなかったとはいえ、この必殺技は数多の敵を葬り去ってきたのだ。

出し惜しみすることなく、京太郎は最初から菫を殺しにかかっていた。

 

「お願いします、弘世さん。一度だけ、半荘一回だけ俺にも打たせてください」

「頭を上げてくれ! 見てる! 男子を土下座させる女だと全員が私を見ている!?」

 

菫は悲鳴を上げるしかない。

いったい何の恨みがあってこんな事をするんだと、目の前の後ろ頭を踏みつぶしたくなった。

 

「とても失礼な事も、無茶を言っているのも重々承知しています。それでもお願いします。俺に一度だけここで打たせてください」

「分かった分かった。半荘一回だけだな? 分かったから顔を上げてくれ。なんなんだ君はいったい……」

「ほんとですか!?」

 

菫は簡単に折れた。

事情は知らないが、さすがにこんなに人目が集中している状態では断れない。

ここで断ったら鬼女として認識されてしまうではないか。

菫はガックリきながら了承してしまう。

 

「ああ、幸いこれから食事の時間だ。君の相手は次期部長の亦野がする」

「ちょっ!?」

 

しかし、他校へ迷惑さえかからなければ問題は内々で処理してしまえばいいと、あらかじめ考えてはいた。

 

「ついでに渋谷と大星もつけよう。食事の時間を犠牲にして君と対局させる」

「ご飯抜き!?」

「……悪魔という人種を私は何人か知っている。弘世先輩もその一人」

 

最初に誠子の悲鳴、そして淡の悲鳴と渋谷尭深の憎しみを生み、菫は見事問題解決だ。

 

「すみません、それじゃ駄目です」

「は?」

 

もちろん、全く解決していないのだが。

ぬか喜びした京太郎は正座したまま告げる。

 

「白糸台の宮永照さん、龍門渕の天江衣さん、永水女子の神代小蒔さん。この三人と打たせてください」

「「「「「ッ!?」」」」」

 

当然みんなビックリ仰天だ。

色々とツッコミたいが、なんかもうそんな言葉を吐いた事にビックリである。

一瞬ポカンとした菫は、再度溜息を吐いた後で視線を鋭くした。

 

「……たまに君みたいなのがいる。まあ、男子でというのは初めてだが」

 

なんとなく京太郎の目的を察した菫。

 

「腕に覚えのある者ほど力を試したい。当然と言えば当然なんだろう」

 

だからはっきりと言った。

 

「悪いが帰ってくれ。君みたいな人間を全て相手にしていたら時間がいくらあっても足りん」

 

怒りか呆れか失望か。

とにかく様々な感情を乗せ、菫は切って捨てた。

 

「おねがいします。なんでもします」

「駄目だ。ウチの照だけならば事情次第で一考したかもしれん。が、君の手前勝手な事情に他校まで巻き込むわけにはいかない」

 

再度の土下座は既に必殺足りえない。

菫には部長としての責任がある。

それは個人的感情など入る余地はないのだ。

 

「どうしてもおねがいします」

「駄目だ。そこまでするぐらいだからよほど訳ありなのは見てとれる。しかし、これは白糸台部長としての決定だ。覆さんよ」

 

額を擦りつける姿を苦い顔で一瞥し、菫は席を立った。

 

「亦野。みなさんを食堂へご案内しろ」

「え、あ、はい。分かりました」

 

これは別に菫が無情というわけではない。

至極当たり前の事なのだ。

もちろん菫の胸はとても痛んでいるし、できる事なら事情を聞き、力になってやりたいとも思っている。

しかし他校まで巻き込んでしまうなどできるわけがない。

今までが幸運に恵まれたんであって、菫の対応は全く正しかった。

 

「あー、まあ……、なんつーか、顔上げろって」

「……………………」

 

土下座したまま動かない京太郎へ、純が屈んで声をかける。

 

「ほら、同じ長野だしよ。清澄と練習試合でも組んで、そんときお前もこいよ。衣とはそれで打ちゃいいだろ?」

「……………………」

 

純アニキはとてもアニキだ。

空気が恐ろしく悪い中、頭を下げっぱなしの少年を放っておく事などできはしない。

面白がって協力した透華のせいもあると、当の本人に非難の視線を送るくらいの気遣い女子なのだ。

透華は透華で、想定の斜め上をいく事態に冷や汗が止まらなかった。

 

「そ、そうですわね、元気をお出しなさいな。ま、まだ一年生なのですから、打つ機会などいくらでもありましてよ?」

「……………………」

 

いつもの態度のでかさはどこにいったというのか。

京太郎のしでかした迷惑は、目立ちたがりのお嬢様にも多大なダメージを与えてしまう。

 

「……俺、麻雀弱いんです」

 

と、土下座したままの京太郎から弱弱しい声が出た。

 

「今年のインターハイは予選一回戦負け。咲達に勝った事も、一回もありません……」

 

しかし場の空気が重すぎて、弱い声は室内に響いてしまう。

 

「けど、たとえ勝てなくてもよかったんです。麻雀面白いし、みんなと打つのも楽しいですし、対局できるだけで十分でした」

 

京太郎は顔を上げ、誰にともなく心情を吐露する。

 

「だけど二週間近く前に、プロ雀士の大沼秋一郎師匠と出会って考えが変わりました」

 

その言葉は全員の興味を引いた。

シニアリーグのトッププロ。「The Gunpowder」の名を知らない部員など、この場には一人もいないのだから。

 

「ちょっとした偶然で弟子にしてもらって、九日間特訓してもらったんです」

 

虎の威をかるなんとやらだが、もう京太郎には師の名前を出す以外に状況を打破するすべがないのだ。

 

「その時はラッキーって思いましたよ。いつもトばされまくってたけど、プロに教えてもらえるなら強くなれるんじゃないかって」

 

京太郎は立ち上がる。

 

「師匠凄いんすよ? 高校から始めたばっかの超初心者の俺を、たった五日で初心者脱出させてくれたんですから」

 

これは自慢だ。

自分の師匠がどれだけ凄い雀士なのか、世界中に言いたくて仕方がない。

 

「俺は駄目です。もう初心者じゃないって言われたのがうれしくって、浮かれて調子に乗って師匠の言いつけ破るくらい駄目な弟子っす」

 

そう。あれがなければ、きっとこんな事はしていない。

 

「まだ打つなって言われてんのに、アホな自惚れで咲達と打ちました。ちょうど一週間前です」

 

周囲に視線を飛ばした京太郎は、牌山がセットされたばかりの卓を見つけると、一歩踏み出す。

 

「初心を忘れた馬鹿な弟子は、根拠のない自信を引っ提げ、いつものように何もできず、いつものようにトばされました」

 

卓上にセットされた、牌の背中しか見えない四つの山。

 

「ものすごく悔しくて、はらわた煮えくり返るほどムカついて、何もかもが許せなくて……」

 

京太郎は鏡を生み出すと、その牌山を睨みつけた。

 

「けどそれはあいつらにじゃねえ!」

 

両眼から碧の炎を一気に燃え盛らせ、その中の一枚へ無造作に手を伸ばし――

 

「あいつらについていけない俺自身にだ!」

 

ダンッ、と卓に叩きつける。

 

「あまりにも差がありすぎて、みんながスゲー遠くに感じました。けど、俺だって清澄麻雀部の一員だ。みんなの仲間なんだ」

 

卓上に一枚だけめくられた牌は、『東』。

 

「必ず追いつく。あいつらが倒した人達を、俺も倒せるんだって証明してみせる」

 

ギラギラと威嚇する京太郎の目からは、ボロボロと涙が零れていた。

京太郎は叩きつけた『東』を両指にはさみ、相手へ確認できるように見せる。

 

「場決めです。俺は『東』。宮永照さん、天江衣さん、神代小蒔さん、引いてください」

 

つまりは皆においていかれたくないだけの、たんなる子どもの駄々だ。

泣き喚いて無関係な人達に多大な迷惑をかけている。

だが、そんな事は百も承知でこんなところまできたのだ。

 

「……随分と自分勝手な事を言うんだね」

 

溜息を吐いたたくさんの女子達の中から京太郎を非難する声が。

『宮永照』がゆっくりと進み出た。

あまりにも勝手な言い分に呆れたのかもしれない。

しかしなぜか卓へ近づきそのまま牌山へと手を伸ばすと、京太郎と同じく残り135枚の中から一枚裏返す。

 

「私は『西』」

 

清澄高校麻雀部の男子部員。妹と同じ部の一員であり、友人。

仲直りしてからの電話でたまに出てくる『京ちゃん』とは、きっとこの子の事なんだろう。

妹をたくさん傷つけた姉として、ここで一肌脱ぐのは多少の慰めになるだろうか。

咲を妹に持つ照には、京太郎は少しばかり縁のある相手だった。

 

「烏滸(おこ)の沙汰、と口で言うは易し。闇路にのたうつ後生を導くのもまた、先達の務めであろう」

 

次に前へ出たのは『天江衣』。

衣は残り134枚の牌山へと腕を伸ばし、そのまま四つある牌山の一つを至極乱暴に払いのける。

しかし、払いのけたのは二段になった牌山の上段部分だけ。

現れた下段の十七枚から無造作に一枚を掴むと、卓へと叩きつけた。

叩きつけられた牌は、『北』。

 

「わーい! 衣は『北』だー!」

 

衣には、京太郎の言う弱者の気持ちなど欠片も理解できなかった。

だが、おいていかれる気持ちはこれ以上ない程理解している。

幼い頃に両親が黄泉路へと旅立った記憶は、今も褪せる事なく深い悲しみとして刻み込まれているのだから。

ならば『年上のおねーさん』として、困った年下の子の面倒は見てやるべきだろう。

 

「では私は『南』ですね」

 

『東』『西』『北』が出た以上、引くまでもなく残りは『南』。

小蒔はそのまま京太郎の下家へと進む。

 

「えっと、事情はよく分かりませんが、私が一緒に打てば貴方の涙は止まると、そういう事でよろしいのでしょうか?」

「そ、そうです。あーでもですね……さっきは感情が高ぶりすぎただけなんで、もう泣いたりとかしませんから……ほんとスミマセン」

 

少々天然さんなので相手を困らせてしまう事もあるが、根はとても心優しい少女だ。

学校は違えど、同じ麻雀を嗜む後輩が泣いているのならば、できるだけの事をしてあげたい。

一緒に麻雀を打つだけで涙が止まると言うのなら、何十何百何千回と共に打とう。

 

「いえ、大丈夫ですよ。私は本気で打てばいいんですね?」

 

『東』の京太郎を起点に、上家へ衣、対面へ照が腰掛けた後、小蒔は下家に座った。

 

「はい、ありがとうございます。神代小蒔さんだけでなく、宮永照さんと天江衣さんも全力でお願いします」

 

そう言って深々と頭を下げる京太郎。

 

「分かりました。もちろん、全力以上であたらせてもらいます」

「元々手加減は得意じゃないから」

「贄か供御となるかは貴様しだい。安心するがいい、元より加減など知らぬ」

 

それが開始の合図。

これより京太郎は、化物三人へ戦いを挑む。

打たれ、蹴られ、振り回され。

抉られ、嬲られ、絞めつけられ。

何度も何度も叩きつけられる、そんな戦いへと。

 

 

被害者は菫編 カン

 

 

 

 

 

 

「見ろ、これで悪者は私一人だ。私にどんな恨みがある、龍門渕? そんなに私が憎いのか?」

「……これは予想外の展開ですわね」

「予想外ですむか! これで私は鬼女決定だ! シンデレラの継母も裸足で逃げ出す女として語り継がれるぞ!」

「実際鬼のような仕打ちにドン引きいたしましたが……」

「せざるを得ん状況を作ったのはお前だろう……ッ! 責任を取ってくれ……ッ!」

「おいおい、弘世さん涙目になってるぞ」

「これがほんとの鬼の目にも涙ですかねー」

「泣きたくもなるわ! なんで私がこんな目に……ッ。いつもそうだ……ッ、いつも貧乏くじばかり……ッ」

「責任と言われましても……、なにかいい案はありませんの? 純?」

「当の須賀に責任とってもらえばいいんじゃねえの?」

「それもそうですわね」

「あのクソガキがいったい何をしてくれるというんだ!」

「結婚してもらえばいいですよー」

「「「なん……だと……?」」」

「幸い見た目は悪くないですし、一生かけて償ってもらうです」

「ナイスアイデアですわ!」

「さすが永水の鬼門使いだな」

「どこがだ! 初対面だぞ!? 名前しか知らん! あいつはいったい何者なんだ!?」

「誰でもはじめは初対面ですわ」

「行動力も並じゃねえし、将来性はありそうじゃん」

「ウチの神社で式を挙げてください。友人価格でお安くしとくですよー」

「もうやだコイツら……」

 

 

もいっこ カン

 



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「本気」

起家を決める賽の目は京太郎を指し、そのまま変わらず東家京太郎、南家小蒔、西家照、北家衣となった。

白糸台の広い遊技室では、現在使用している卓はたった一台だけ。

京太郎達四人が座る卓の周りに、白糸台、永水女子、龍門渕高校の部員全員が観戦している。

照の背後には白糸台の部員が、小蒔の背後には永水女子が、当然衣の後ろには龍門渕メンバーが控えていた。

しかし、京太郎の背後にも何人かの物好きな観戦者が立っている。

全員白糸台の部員だったが、その物好きの中には部長の弘世菫、大星淡、渋谷尭深の姿もあった。

だが、チーム虎姫全員が照から離れてしまうのはかわいそうだと、次期部長の亦野誠子だけはインハイチャンピオンの後ろである。

そして対局。

 

 

東一局0本場 親京太郎 ドラ{一}

 

 

「ツモ」

 

対局が開始されて十二順目。

 

「ツモピンドラ2。2600オールです」

 

この魔物卓での最初の和了者は、意外な事に起家の京太郎だった。

 

{一一三四五④⑤⑥⑦⑧234} ツモ{⑨}

 

しかし、これは意外でも何でもない。

照の常道は照魔鏡とも言うべき鏡の能力を使い、開始直後の一局目は『見』に徹する事。

衣はその持って生まれた強者の余裕から、序盤は様子見をする癖がある。

姫様はまだ寝ていない。

 

「ふむ。開始直後の親、その手でリーチにいかぬとは、無骨の徒と見分けがつかぬぞ?」

 

己に挑んできた輩がどれだけのものなのか、意外と興味津々だった衣は腕を組みながら首を傾げた。

 

「初っ端の天運を信じられるほど俺は強くありません。この和了は宮永さんの『見』と、あなたの油断が引き起こしたただの偶然です」

 

そんな上家から聞こえてきた絶対強者の疑問に答える。

トラッシュトークなどするつもりはないが、思った事を素直に口にしたらこうなった。

 

「む? 衣が油断していると?」

「前もそれで負けたじゃないですか、咲に。あれは風越の池田さんを嬲ったばかりに自滅したってだけですよ」

 

丁度いいので早めに本気になってもらおう。

 

「ほう、言うではないか」

「あなたの弱点は勝つ事に飽きている事です。楽しければ負けてもいいんでしょう? だから今日、俺という凡人に天江衣は敗北する」

「……ふん、生猪口才な。衣を知ったつもりか? そんな口上は衣を楽しませてから言うがいい」

 

こんな会話をしていれば心穏やかな小蒔が仲裁に入りそうなものだが、彼女はじっと卓を見詰めている。

どうやらいきなり寝ているらしい。

いくらなんでも早過ぎな気もするが、もしかしたら超危険な卓だという事を本能で感じ取ったのかもしれない。

ちなみに、衣の後ろで観戦していた龍門渕麻雀部の面々は。

 

(あら、この方意外と分かってますのね。失礼な挑発には少しだけ目を瞑ってさしあげましょう)

(へー。でもそれだけで勝てるってんなら、誰も苦労はしねーんだけどな)

(まあ衣の場合、楽しめても楽しめなくても基本みんな蹂躙しちゃうんだけどね)

(今の内にこの対局をネットに拡散する。……自殺志願者なう、っと)ッターン

(おやおや。須賀君、あまり衣様にきつい言い方をされては困りますよ?)

 

結構好感触だった。

それはそれとして、続く東一局1本場。

 

「どうも早々に衣の力が見たいとみえる。少々大人気ないが、御戸開きといこうか」

 

京太郎の挑発を分かった上で、衣は薄く笑う。

 

「うおっ!?」

「「……………………」」

 

咲との対局以来の、一週間ぶりに味わう強烈な『牌に愛された子』の威圧感に、京太郎は面食らった。

照と小蒔は僅かに顔をしかめたものの微動だにしない。

 

「清澄の。存分に味わってくれ」

 

ここからが、京太郎にとって地獄の麻雀の始まりである。

 

 

東一局1本場 親京太郎 ドラ{②}

 

 

前局のアガリが効いているのか、京太郎、配牌リャンシャンテンでスタート。

 

{一三五④⑤⑥⑦12345発} 打{西}

 

タンピン三色まで見える絶好の配牌。

これが僅か四順でこの形。

 

{三五④⑤⑥⑦⑧222345}

 

十面受けのイーシャンテン。

むしろどうやったらテンパイしないの? と言わんばかりの形である。

 

(あーもー、全っ然動かねえ……)

 

しかし既に場は十一順目、京太郎は7回ほどツモ切りを繰り返していた。

 

「どうだ、清澄の? 身動きとれまい」

 

とそこで、イライラしながら焦れていると、急に衣が話しかけてきた。

 

「はい。知ってるのと実際に体験するのとじゃ大違いです」

「……そうか」

「……?」

 

なので素直に感想を述べたのだが、つまらなそうに会話を終了されてしまう。

どういう事なのだろうと不思議に感じ、ピクリともできない水の底で思いを巡らせた。

そして思い至った。

京太郎は、ああそうかと前振りしつつ、今度は自分から話しかける。

 

「大丈夫ですよ?」

「む?」

 

どうせこの局はテンパれないし鳴けもしないだろう。

 

「この局は最初から手なりで打って、あなたの能力を体感するだけのつもりでしたから」

「そうなのか?」

「はい」

 

しまいには天江衣が海底でアガるに違いない。

 

「なぜだ? 衣の打ち筋など、清澄の部員ならば疾うに知っていよう」

「お返しです」

「お返し?」

 

そんな分かりきった事よりも、この水の底に引きずり込む魔物へ、力を緩めないよう挑発する事の方がよっぽど大事だ。

どうやら衣は、あまりにも手応えのない京太郎に失望したらしい。

口先だけの凡夫だと判断して興味をなくしてしまっていたのだ。

 

「いやだなぁ、さっき2600オールアガらせてくれたじゃないですか」

「……………………」

「だからお返しです。どうぞ好きなようにアガってください」

 

だから、ニッコリと笑顔で言う。

全国トップレベルの化物へ無条件にアガりを譲ると、京太郎ははっきりと言ってやった。

言われた本人はポカンとした顔だ。

対面に座る照も妙な表情。

周りの観戦者達も全員『信じられない……』と、あいた口が塞がらなかった。

いや衣の背後で一人、そして京太郎の背後からも一人、「ぶふっ……」と口を押さえて肩を震わせている者達がいる。

 

「……ほ、ほお? この衣にアガリを恵んでやると、そう言うのか?」

 

モデルばりに長身の女子、龍門渕先鋒井上純と、この卓に着いていない白糸台の魔物の一人、大星淡だった。

 

「そんな、恵んでやるだなんて……。俺はただ、天江さんが負けた時に言い訳してほしくないから対等の条件をですね……」

 

ついさっきまでつまらなさそうだった小柄な体が、一瞬にして怒気に包まれる。

 

「あっ、間違えてドラ切っちゃったぁー」

 

更に駄目押し。

ツモってきたドラの{②}をスルリと河に放る。

 

「ポンッ!」

 

案の定、衣が鳴いた。

天江衣はイーシャンテン地獄や海底撈月だけでなく、高火力な打ち手としても有名なのである。

 

「いいだろう、よくぞそこまで吠えた! 全力でトばしてやろう!」

 

{北}を河へ強打しながら、さらに圧力が強まった。

衣は普通に良い子なので、ここまで怒らせたのはきっと京太郎が初めてに違いない。

 

「ええ、お願いします」

 

内心冷や汗が止まらないが、京太郎はなんとか笑顔でそう返した。

そして次順。

京太郎のツモは{北}。

 

(……これだ)

 

京太郎は上家である衣の河に視線を飛ばし、たった今切られた筈の{北}が、彼女の欲しい牌だと確信する。

 

(だけどツモってくるのが早すぎる。怒ってクールダウンしたら真剣になってくれると思ったのに……)

 

京太郎は{北}をツモったまま目を閉じた。

そして、プライドの高い彼女がこれを鳴くだろうかと自問自答する。

鳴いてほしい。

鳴いたなら海底でアガり、開始直後の局がチャラになる。

 

「「「「「…………?」」」」」

 

正真正銘混じりっ気なしの、超本気モードになってほしいのだ。

動かない京太郎に、周りからも訝しげな視線が集中した。

 

「どうした! 早く切れ!」

 

その怒声に目を開くと、数秒前までとはうって変わって酷く真剣な目をする京太郎。

そのまま衣の目を見詰める。

 

「な、なんだ?」

 

少し気圧された衣の姿を見て、意図を気取られれば鳴かないと判断した。

 

「すみません。さっきの事は謝ります。挑発が過ぎました」

「ぬ?」

 

天江衣ならばこちらの意図に気付いてしまう。

ならばもう素直にお願いするしか選択肢はないだろう。

 

「俺は本気の『天江衣』と戦いたいんです」

「衣はちゃんと本気で打っている!」

「いいえ違います」

「何がだ!」

「開始直後の前局、天江さんが本気なら俺にアガれたはずはない」

「む……」

 

始まる前に涙を見せたのがいけなかった。

諭してやろう、吐き出させてやろう、受け止めてやろう、そんな気持ちを三人からひしひしと感じた。

優しい人達だ。

特に、天江衣は気分屋で子どもみたいな外見なのに、年上の包容力をきちんと備えている。

 

「力の差は理解しています。まともにやったら俺が競り勝つなんてありえません」

「…………」

 

けれどそうではないのだ。

自身が望むのは、ただただ本気の天江衣との真剣勝負。

咲達とインターハイで全国の切符を賭けた時の様に、死力を尽くして戦ってほしいだけなのだ。

我が儘な希望だというのは分かっている。けれど、そうでなければたとえ勝ったとしても意味がない。

真の目的はここで魔物達三人に勝つ事ではなく、仲間達と肩を並べて一緒の景色が見たいだけなのだから。

 

「もう一度お願いします。勝手なお願いですけど、全力で俺と戦ってください」

 

京太郎は衣に、額を卓にぶつけるほど深く頭をさげると、祈る様に{北}を河へ強打した。

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

衣と同じく、龍門渕メンバー全員が驚愕に目を見開く。

もちろん、全員が一瞬で京太郎の意図を看破した。

 

「……そうか、読めているのか」

「はい」

 

衣の呟きに、気負いなく答える。

 

「ならば食わねば逆に不遜となろう」

 

――ポン!――

 

衣の声が卓上を走り、自身で捨てたばかりの{北}を鳴き返す。

 

「どうやらそこそこはやるようだな、清澄の」

「いいえ、まだまだです。何もできずにトばされたのはつい一週間前の事ですから」

 

そして不要牌を切り飛ばした。

周りの観戦者達は京太郎の言葉に、『清澄が魔窟すぎる』と恐れ慄くしかない。

 

「許せ。初心を脱してより如何程も経たぬと聞き、よしよしと頭を撫でてやるつもりだった。少々驕慢がすぎたな」

「とんでもないです、無理を言ってるのは俺の方なんで」

 

京太郎はツモ切り。

小蒔、照も同様だ。

 

「これより衣には微塵の驕りもない。存分に力比べといこう」

「はい。お願いします」

 

更に数順、衣の海底。

 

「ツモ! 海底撈月! 1本場は3100・6100!」

 

ここから場は緊迫していく。

 

 

東二局0本場 親小蒔 ドラ{7}

 

 

北家の京太郎がもらった配牌。

 

{八九①②③④④⑤⑦⑨2白発} 第一ツモ{⑥}

 

ここから打{⑨}とした。

衣の支配は強烈だ。まず間違いなく筒子のホンイツ、そして一気通貫は完成しないと読んだのだ。

筒子は二面子で固定、などという事も考えない。

 

(オリよう……)

 

京太郎はこの手、どうあがいてもアガれないと確信した。

せめて対子が二つ以上ならチートイツ、幺九牌が七種以上なら国士無双を狙ったのだが、凡人の力では天江衣には対抗できない。

 

(天江衣は海底だけじゃなくて普通にアガる事もできる。全員の手牌を読みつつ、中盤以降に誰かが鳴けるであろう牌をあつめよう)

 

衣は西家。照のツモ筋を食いとられると、また海底でアガられてしまう。

 

(宮永照もそこら辺は重々承知してるはずだ。天江衣の上家である宮永照と下家である俺の二人がかりなら、きっと封殺できる)

 

京太郎はこの局アガりを諦め、凡人にできる精一杯の事、つまり衣のツモ筋をいつでもズラせるような手作りを心がけた。

しかしあの天江衣に対して、それは甘い考えと言わざるをえない。

 

「チー」

 

終盤に差し掛かり、衣が照から鳴く。そしてドラの{7}切り。

これで海底コースインである。

 

(くっ……、絞りきれなかったのかよ、インハイチャンピオン!)

 

しかし、それは無茶と言うものだ。

次順、衣はチーした同じ牌を手から切りだす。

 

(ドラ切ってまで出来面子鳴いたのか!? しかも俺が鳴ける牌全然ださねえし、誰かが鳴ける牌も結局引いてこれなかったし……)

 

そのとおり。既に終盤に差し掛かる前には、衣は京太郎が鳴けそうな牌は全て先切りし終えていた。

しかも出来面子までしぼるというのはそう簡単にできる事ではない。

たとえばこんな手牌。

 

{三四五②③④⑤⑥⑦4568}

 

こんな感じの手牌だった日には止める事など不可能なのだ。

鳴けない牌は、{一七八九⑨1289}と字牌だけ。

十八面待ちテンパイと何も変わらない。切るなと言う方が無茶だろう。

終盤ともなれば、鳴かれてしまう牌で溢れかえっている事請け合いである。

更に『天江衣』であれば他家の手を高精度で読んで、溢れ牌に焦点を合わせてきてもおかしくはない。

しかも更に更に悪い事に、照の上家の姫様はお眠中。

自動麻雀マシーンと化している為、他家と協力するという選択肢が存在しなかった。

 

(くっそー、駄目だ変えられなかったー!)

 

そして海底。

 

「ツモ! 海底撈月! タンヤオドラ2赤1は2000・4000!」

 

またも響く衣の声。

 

(ドラ何枚持ってんの!? 阿知賀のドラゴンロードをどうする気なんすか!?)

 

さっきドラを切り飛ばしたのにまだ三枚も持っていた。

高火力麻雀なのは知っていたが、いくらなんでも理不尽すぎるだろう。

京太郎は心の中でツッコむしかない。

そして次は東三局。照の親だ。

 

「侮る気は微塵もないが、皆大人しいな。歯ごたえが足りん」

 

照がサイコロに手を伸ばした時、今度は衣の挑発が飛ぶ。

 

「変化がなくば人は飽く。そうではないか? 宮永照」

 

早く仕掛けて来いと言いたいのだろう。

どうやら衣は京太郎の為に打つのではなく、自分が楽しむ為に全員叩きのめす事を選択したらしい。

 

「……三度も同じ事ができるとは思わない方がいい」

「ほう?」

 

話しかけられた照は、配牌を取りながら何の気負いもなく返す。

 

「その手の力には慣れてるから」

「……ああ、絶対安全圏だったか?」

 

白糸台大将大星淡。

『牌に愛された子』の一人であり、こちらもまた正真正銘の魔物。

似たような能力を持つ後輩と何度も打ち、そして勝ってきたのだ。破るなどたやすい。

 

「二局続けて出したのは失敗。合わせて三十五順力を溜めたから、もうそれは効かないよ」

「おもしろい。精々衣を楽しませてみよ」

 

化物二体が威嚇し合っている。

その気に中てられた京太郎は、ゴクリと息を呑みながら配牌をとった。

 

 

東三局0本場 親照 ドラ{6}

 

 

{一三四五五六③⑤⑦667東西}

 

第一ツモに{三}を引いてきた手牌は、ドラ対子の三シャンテン。

 

(もらった!)

 

京太郎は内心で歓声を上げた。

あの『宮永照』がイーシャンテン地獄を破ると言ったのだ。ならばこの局、衣の支配は必ず崩れる。

 

(化物二人が噛み合ってるうちに横からかっさらわせてもらうぜ!)

 

これが京太郎の基本戦略。

凡人の己ではどうがんばっても化物には太刀打ちできない。

しかし麻雀は1対1の勝負ではないのだ。

化物には化物をぶつける。そして横から勝利をかすめ取る。

少々セコいが、これが凡人の限界なのだから仕方なかった。

 

(正面からぶつかってもブッ飛ばされるだけだしな。勝ち目が少しでもあるならめっけもんだ)

 

正しい。

京太郎のこの認識は激しく正しい。

ただ惜しむらくは、化物とはどういう生き物なのかを正確に理解していなかった事だ。

一打目に{西}を切った京太郎、二順目。

 

{一三四五五六③⑤⑦667東} ツモ{⑥}

 

嵌張ずっぽしのツモ{⑥}。

 

(絶好! 三色まで見えてきた!)

 

そして打{東}。

次の三順目のツモ。

 

{一三四五五六③⑤⑥⑦667} ツモ{6}

 

三枚目のドラ{6}を引いてくる。

 

(キッターーー! それ最高のところ!)

 

なんと僅か三順にして、高目タンピン三色ドラ三のイーシャンテンだ。

 

{一三四五五六⑤⑥⑦6667} 打{③}

 

嵌張と{一}受けを残し、八面受けになるよう京太郎は{③}を切った。

――ドプン。

 

(……あれ?)

 

違和感。

京太郎は異和感を感じつつ、四順目に無駄ツモの{9}をツモ切り。

五順目に{2}、六順目に{⑨}をツモ切る。

 

(いきなりツモがよれた……って水の底じゃねーか! 天江衣がバリバリ支配してますよ、インハイチャンプさん!)

 

破るんじゃなかったのかと、京太郎は理不尽な怒りを照にぶつける。

そして七順目、ツモ{三}。

 

(……駄目だ。この支配の中じゃ、手なりで受けになった{一四七二五}と{587}は死に面子。作り変えるしかねえ……)

 

まだ中盤に差し掛かったところ。

 

(出来面子でもなんでも食って、無理やり食いタンにしてやる)

 

京太郎はアガリを諦めずに、打{一}。

 

「ロン」

 

瞬間、誰も身動きがとれない水の底にも拘わらず、全身に風を纏った化物が眼前で拳を繰り出しているではないか。

スパンと、京太郎の顎が跳ね上がった。

実はこの振り込み、差し込みを別にすれば師との別離後初の打ち込みである。

 

(あぐっ……ッ!?)

 

顎を跳ねあげられながらも京太郎はみた。

風の化物は水の中でも全く濡れていない。

 

(ズ、ズルイ……。効かないって、自分だけ無効化すんのかよ……)

 

風で水を弾きながら普通に行動していた。

 

「ピンフのみ。1500点」

 

照の手はこう。

 

{二三四五六六六⑥⑦⑧345}

 

京太郎が萬子に手をかけた瞬間、即座に打ちとれる形になっていた。

どうやら読みの力も京太郎と同等かそれ以上らしい。

 

「は、はい……」

 

点棒を支払いながら、京太郎は目論見が崩れた事に動揺する。

衣の支配を壊すのではなく、自分だけ無視できるなど最悪だ。

 

(宮守の臼沢塞みたいに打ち消してくれるもんだと思ってた……。やべぇ、ちっと甘かった……)

 

このままでは身動きできないまま化物達になぶり殺しにされてしまう。

 

「満月の衣の支配を僅か二局で無効にするとは。全国一位は伊達ではないな、宮永照」

「……ありがとう」

 

当の化物達は何でもない事のように会話している。

 

「ではこちらも一端力を溜めるとしよう。これより始まる連続和了、今度は衣が止めてみせる」

「うん、やってみて」

 

まだ強くなんのかよ!? と京太郎は慄きながらも、次なる打開策を模索した。

 

(天江衣が力を溜めると言った。なら一時的にせよ支配が弱まるかもしれない。というかそうであってくれ)

 

願望交じりの模索ではあったが、凡人は常に希望的観測でしか困難に立ち向かえないのだ。

そして始まる東三局1本場。

京太郎は、とにかくできる事をいろいろ試そうと臨む。

しかし。

 

「ツモ。ピンフ。700オールの一本場は800オール」

 

僅か五順。

 

(ばか早ええ!?)

 

京太郎が四回河に牌を捨てただけで終わってしまった。

何かをする暇もない。二度のアガリで、照の腕に竜巻が発生し始めているではないか。

ここで京太郎の弱点を説明しよう。

京太郎の根幹ともいえる脅威的な読み、それは結局はただの読みでしかない。

である以上、情報が出そろわない早い順目の高速テンパイにはどうしても精度が落ちてしまうのだ。

京太郎が勝つには、せめて中盤以降にまで勝負がもつれこまなければならなかった。

ヤバイヤバイと京太郎が焦燥に駆られつつ、続く東三局2本場、ドラは{八}。

 

(宮永照はそろそろ張ってるくさいな、もう六順目だし……ってまてまて、まだ六順だぞ!? なんだこの麻雀!?)

 

両目に碧炎を滾らせた京太郎は、対面の化物が既にテンパイしていると予測。

しかしあまりといえばあまりの麻雀に、自分自身にツッコミを入れるしかない。

そして、七順目にツモってきた牌を見て歯を食いしばる。

 

(くっ、この{赤⑤}は……ッ)

 

ハッとした京太郎の目の前に、風を纏った拳を振りかぶる照がいた。

京太郎はとっさに右手の中に鏡を作りだし、それで攻撃を防ぐ。

 

(なら{7}だ!)

 

直撃をなんとかやり過ごすも、駄目。

攻撃を防がれた照は即座に飛びあがり、上空から風の塊を振り下ろした。

 

「ツモ。タンヤオ赤一。2000オールは2200オール」

 

{三三三四五六赤⑤⑤45666} ツモ{3}

 

軽々と相手にダメージを与えていく照。

まさしく舞うが如くだ。

 

({3}もアタるのか……ッ。くそっ、止めても簡単にツモりやがるし……ってなんで{④}切ってんの!? そこは三色でしょ!?)

 

連続和了の打点制限とはいえ、わざわざ窮屈にしているのに易々とアガリ続ける様は、いくらなんでも理不尽すぎた。

次の東三局3本場。

京太郎はたまげた。

 

「ロン。ダブ{東}イーペーコー。7700の三本場は8600」

「これはやられた、まさかの北単騎か。暗刻外しが裏目に出たな」

 

なんとあの『天江衣』が普通に振り込んだではないか。

 

(マジで!? いや誰だってあの北単騎は読めないんだろうけれども、でもマジかよ!?)

 

裏をかいたとかそういう事ではなく、龍門渕の怪物に普通に振り込ませた。

京太郎は知っている。

天江衣は相手のシャンテン数や手の高低が自然と分かるらしい。つまり超能力者だ。

そんな化物の読みを普通に外せるなど尋常な事ではないだろう。

衣から直撃を奪うには、一捻りも二捻りもしなければならないと覚悟していた己が馬鹿みたいではないか。

 

(あっちもこっちも化け物だらけ……、どうやって止めりゃいいんだ?)

 

京太郎は途方に暮れるしかない。

 

「……は!? あ、あれ?」

 

とそこで、眠り姫が目を覚ました。

 

「す、すみません、私ったらついウトウトと……。全力以上でとお約束したのに……あ、今は何局でしょうか?」

「安心するがいいぞ、神代小蒔。まだ東三局、力を振るう機会はいくらでもある。存分に打つがいい」

「そうですか。ご丁寧にどうもありが……ああっ、東三でもうこんなに点が削れています!」

 

現在の点棒状況はこう。

 

     東二局直後  東三局3本場直後(現在)

京太郎  24700  →  20200

小蒔   15300  →  12300

照    17300  →  36400

衣    42700  →  31100

 

 

連続和了が始まったとたん逆転したのだから、照の能力がどれだけ反則なのかが分かるだろう。

 

「宮永照が随分と暴れるのでな」

「そ、そうですか。さすがは宮永さんです」

 

衣は楽しそうに言うが、京太郎としては笑い事ではない。

どうやっても照の連続和了を止められる気がしないのだ。

だが、それは凡人にはというだけの話。

 

「なに、もう止まる。次あたりこの衣が止めてみせよう」

 

気炎を上げて自信満々に言う衣。

 

「三十五順とはいかぬが、衣も三局力を溜めさせてもらった。覚悟するがいい」

 

そう笑みを向けるも、照はコクリとうなずくだけだった。

中てられたのは小蒔。

 

「私も一生懸命がんばります。昨日、対宮永さんの作戦をたくさん考えましたので。いつもとは違う事をいろいろ試しますよー」

 

グッと両手を握り、ハムスターのようなやる気を見せる。

 

「いえ、神代さんはそのままの神代さんでいてください」

「うむ、そのままいくがいい」

「あなたはそのままが強いから」

「ええ!?」

 

しかし一瞬で却下された。

まあ素の実力はお話にならないので、三人からしてみたらとっとと寝てくれという事だろう。

 

 

東三局4本場 親照 ドラ{③}。

 

 

照は打点制限により、次は9600点以上の手を作らなければならない。

さすがに二飜90符の8700を狙ったりはしないだろう。そんなのを狙うのは、どこぞの嶺上マシーンだけである。

場は八順目。

 

「リーチ!」

 

南家の衣がドラの{③}を切ってリーチ。

有言実行が衣のスタイルだ。

 

(親は索子の染め手。宮永照のアガリ牌を止めるだけで精いっぱいだっつーのに、天江衣からもリーチ。もうどうにもなんねえわ)

 

不要牌の索子を二連続で引かされた京太郎はオリる。

 

(高火力の天江衣に打ち込んでもヤバイからな。ここは化物二人で潰しあってもらおう)

 

戦略の全てが瓦解したわけではない。

最後に勝っていればいいのだ。

互いの親番など、化物同士で流しあってくれ。

京太郎は最終局へ辿り着く為に必死である。

 

(そういや、いろいろ試すとか言ってた神代小蒔がおとなしい……ってもう寝てる!? あなたのび太君ですか!?)

 

チラリと見た小蒔は、卓上をジーと見詰めたまま動かなくなっていた。

九順目は衣がアガる事もなく、全員が安牌切り。

天江衣の事だから一発ツモもあるかなー、とドキドキしていた京太郎は一安心だ。

そして十順目。照のツモ番。

 

{1234555666北北北} ツモ{7}

 

恐ろしい事に、照は七順でメンホンの高目三暗刻を張っていた。

{14365}の五面待ち。安目でも9600クリア。

ここで{7}をツモる。

 

(……索子の下は下家と対面に止められた。天江は火力が高い。索子を止めつつタンピン系に仕上がってる。なら上で待つ)

 

今の待ちでは不利と悟った照。

 

(こっちに{56}が固まってる。本命は筒子だけど、止められた以上索子の下も逆に危険。ここは安全に行く)

 

ツモってきた{7}を手の内に入れ、親満確定の{47}へと待ちを切り変える事を選択した。

 

{12345556667北北} 打{北}

 

暗刻の{北}を一枚外す。

 

「ロン」

 

瞬間飛んだ衣の声。

照は驚愕に目を見開いた。

 

「前局の借りは返したぞ?」

 

ニヤリと倒された手牌。

 

{④④⑤⑤22334488北} ロン{北}

 

チートイツ、{北}単騎。

なんと{③}を残して{北}切りリーチならば、タンピンリャンペーコードラドラで倍満という怪物手だったのだ。

 

(ア、アホだこの人! 前局暗刻外しで振り込んだの根に持って六飜も下げてやがる! ウチの部長かよ!)

 

京太郎もまた、目を見開いて驚きまくっていた。

まさしく『悪待ち』。

清澄元部長竹井久は、河に全てのアガリ牌が出ているのに辺張待ちでリーチするという、相当変わった性癖の持ち主なのだ。

 

「さすがに読めまい。3200の四本場は4400」

 

だが、当の衣は会心のアガリだとでも言うようにフフンとのけ反って胸を張った。

 

「そんなのまで読んでたら麻雀にならない」

 

憮然とした顔で点棒を払う照。

どうやら相当くやしいようだ。

 

「負け犬の遠吠えとはこの事だな。得意の連続和了を止めた上に直撃。どう見ても衣の勝ちではないか」

「負けてない。私もそっちの支配を破って直撃させた。しかも8600点で今のより点数が高い。だからどちらかといえば私が勝ってる」

「今の合計点は衣の方が上だぞ!」

「今はね」

 

というかどっちも子どもだった。

 

(まあ、それでも宮永照の連続和了を止めたのはスゲーな。さすが天江衣。こっちもとんでもねえ化物だわ)

 

一順先を見るとかいう完全エスパーの園城寺怜が、他家と協力しながら更にぶっ倒れるというリスクをおって漸く止めた『連続和了』。

そんなものを楽しそうに単独で止める衣に戦慄するしかない。

 

(これで次は東ラス……ここを必ず越えてみせる……)

 

しかし、京太郎はそれ以上に、東ラスという状況に緊張していた。

 

「ん? どうした、清澄の? 随分と表情が硬いぞ」

 

そんな緊張など化物にはすぐ分かってしまうらしい。

衣の、そして照からの窺うような視線を受ける。

 

「ここが俺の最初の正念場ですんで」

 

別に隠す気はないのでそのまま口にした。

 

「? 衣の親だが、そういう事か?」

「いえ、ここでトばされたんですよ。一週間前、咲達に」

「……そうか」

 

衣は微妙な表情だ。

そりゃそんな情けない事を言われても、なんて答えればいいか返答に困るだろう。

 

「この面子でトぶ事なく南場へ進む事ができたのなら、一週間前の俺より強くなったっていう証明になりますから」

 

しかし京太郎は大まじめなのだ。

 

「悪いですけど、天江さん」

 

あの時越えられなかった壁を前にして、どうして平然としていられようか。

 

「どんなにみっともなくても全然構わない。死に物狂いであなたの親は蹴らせてもらいます」

 

少々入れ込み過ぎだが、京太郎は炎を宿した目で衣を睨みつけた。

 

「そうか。しかし衣は親が好きだからな、そう簡単には渡さんぞ?」

「望むところです」

 

ニヤリと笑う化物へ、気迫に満ちた返事を返す。

自身の全能力を駆使する事を誓った少年の姿は、この場にいる全員に凡人の足掻きを予感させた。

そして迎えた東ラス。

 

 

東四局0本場 親衣 ドラ{六}

 

 

配牌をとった京太郎は口をポカンとあけて固まった。

そんな様子に気付かず、衣は第一打を捨てる。

京太郎は苦い顔のまま第一ツモ。

 

{一二六九⑦⑨15南西北白中} ツモ{③}

 

そのまま手牌を倒した。

 

「スンマセン……、九種九牌デス……」

「「「「「……………………」」」」」

 

死ぬ空気。

凡人の足掻きなどどこにもない。

配牌がクソすぎて勝手に流れただけだった。

衣だけでなく、皆が呆然としている。

 

「ふふっ……」

 

どこからか笑い声が聞こえた。

 

「ご、ごめん……でも、ぶふっ……」

 

インターハイチャンピオンが顔を背けて笑いを堪えていた。

 

「あー、いいっすよ。どうぞ笑ってください。カッコ悪いの自覚してますんで」

 

苦い顔で言う京太郎に、「アハハハハハ」とそこかしこから笑いが起こる。

 

「なんというか……、格好のつかん奴だな」

 

衣は呆れかえるばかりだ。

 

「ええ、まあ……。でも構わないっすよ。カッコ悪いですけど、これで南入です。俺は一週間前より強くなりましたから」

 

京太郎は思い出す。

一週間前のあの時、配牌は八種八牌。

つまり、一牌分だけ、あの時よりも強くなったという事。

ならそれは喜ぶべき事だ。どんなにカッコ悪かったとしてもだ。

 

「確かに。目に見える形で成長を確認できたのは僥倖だろう。今日はめでたいな、清澄の」

「はい。きっと俺は今日の事をジジイになっても忘れないと思います」

 

皮肉なのか揶揄なのか、それとも本当に祝福してくれているのか。

どれでも同じな京太郎は満面の笑みで起家マークをひっくり返す。

 

「では、ここから南場に入ります」

 

そしてサイコロを回した。

次は京太郎の二度目の親。

化物達が本性を表す南場突入である。

 

 

南一局流れ1本場 親京太郎 ドラ{⑨}

 

 

八順目、京太郎手牌。

 

{三四赤五七八⑥⑦⑧78南南北} 打{一}

 

{8}引き込み三色イーシャンテンの、ナイス手牌だった。

 

(天江衣の支配が効いてるのかどうかはまだ分かんねえ。けど、萬子のホンイツから三色に変化させてみた。これでなんとかなるか?)

 

この親、配牌のよかった京太郎は随分工夫していた。

捨て牌には{東}と{一}の対子が並んでいる。

手牌の{78⑥⑧}は引いてきたものだった。

 

(所詮は凡人の浅知恵かもしれないけど、やらないよりマシだ)

 

と、必死に状況を打破する為あがいていると、不意に眠り姫の声が飛んできた。

 

「リーチ」

 

{南}を切りつつ、場に出された1000点棒。

 

(ヤバイッ!)

 

瞬間、頭の中で警報が激しく鳴り響く。

 

「ポン!」

 

自然に鏡が現れ、口が勝手に発声している。

 

{三四赤五七八⑥⑦⑧78} 打{北} ポン{南南横南}

 

そして打{北}。

 

(鳥肌ヤベーッ!? これ鳴かなきゃ絶対一発で大物手を引き上がってた! 間違いねえ!)

 

京太郎はこの感覚を知っていた。

初めて味わったのは咲にくらった責任払い。

次に味わったのは師が鏡を与えてくれた時。

 

(けどこれでとりあえずはズレた筈だ。一発は消したし、ツモれたとしても多分安目だろ……)

 

二度の経験が間一髪京太郎を救ったと言えるだろう。

が、

 

「なぜそこで安堵を漏らす……」

 

衣の失望に心臓を鷲掴みにされる。

 

「ツモ」

 

体がビクリと震え、脳裏にイメージされたのは筒子の染め手。

 

(嘘だろ!? まさかこの速度でメンチンかよ!?)

 

そして倒される小蒔の手牌は、

 

{①①①②③④④⑤⑥⑦⑧⑨⑨} ツモ{③}

 

なんと高目九蓮宝燈。

 

(なんだそりゃ!?)

 

ガードしたところで無駄。

強烈な一撃でガードごと吹き飛ばされる。

 

「リーチツモチンイツドラ2――」

 

更に裏表示牌が{⑧}。

 

「――裏2。1本場は6100・12100」

 

三倍満の親被りである。

 

(一つズレてたら数え役満だと!? たった八順で!?)

 

京太郎は慄きながらも、本来の小蒔のツモ牌へと視線を飛ばした。

 

({⑨}は誰も持ってない……じゃあ、あの牌は……)

 

一発で{⑨}を引いていたと確信し、禍々しい気配を発している牌に冷や汗が止まらなくなる。

 

(ふざけんなよ! まじめに打ってる俺が馬鹿みたいじゃねえかよ!)

 

手なりで高速九蓮宝燈など、いくらなんでも理不尽が過ぎるだろう。

 

「そこまで怯える必要もあるまい。あれだけの運気、再び集めるには相応の時間がかかる」

 

何でもない事の様に衣は言うが、それは化物だから言えるセリフだ。

これで全員の持ち点は、

 

京太郎  8100

小蒔  36600

照   25900

衣   29100

 

と変動し、死にかけの凡人に怯えるなと言うのはただの無茶ぶりである。

 

(……落ち着け、まだだ。天江衣の言う通りなら、あれを毎局出せるってわけじゃない。次はもう南二局。あと一度あるかないかだ)

 

しかし、京太郎はその無茶ぶりに乗っかった。

非常に都合のいい希望的観測だが、愛宕洋榎戦で学んだ以上、己の勝利を信じないのは愚か者のする事だろう。

 

(あと三局。必ず逆転する)

 

が、更なる悪夢はここから。

南二局0本場、親小蒔。

 

「ツモのみ。300・500」

 

インハイチャンプの連続和了地獄が再び始まる。

京太郎、残り7800。

 

 

南三局0本場 親照 ドラ{2}

 

 

六順目。

 

「ツモ。ピンフドラ1。1300オール」

 

{五六七①②③③④⑤23西西} ツモ{4}

 

(くそっ早過ぎる……。まるで追いつけねえ……ッ)

 

京太郎、残り6500。

 

 

南三局1本場 親照 ドラ{白}

 

 

九順目。

 

「ロン。タンヤオ三色。1本場は8000」

 

小蒔打ち込み。

 

{二三四②②②③④23488} ロン{8}

 

(ちくしょう、止められねえ……ッ。あっというまにトップへ返り咲きやがった……ッ)

 

 

南三局2本場 親照 ドラ{9}

 

 

十順目。

 

「ツモ。リーチ役牌ドラ2。2本場は4200オール」

 

{七八九④⑤⑥77799白白} ツモ{白}

 

(どうなってんだよ!? どうやりゃこの化物止められんだ!?)

 

残り2300点。

 

 

南三局3本場 親照 ドラ{⑤}

 

 

連続でアガるたびに点数がアップしていく化物チャンピオン。

 

(マズイマズイマズイ! もう後がない……ッ!)

 

次にアガるとすれば親の跳満で18000は確実だった。

そして四順目。

照手牌。

 

{①③123一一二二三九九北} ツモ{三}

 

もはや暴風。

 

{①③123一一二二三三九九} 打{北}

 

あまりの風圧に京太郎の全身が強張る。

 

(対面からの重圧がハンパじゃねえぞ!? まさかもう張ってるのか!? クソッ、ツモられても振り込んでもトんじまう……ッ!)

 

既に鏡は出っぱなし。両目の碧炎も火力MAX。

 

{①②⑤⑦⑨四五七八八南南西} ツモ{北}

 

それでもどうにもならない。

京太郎は嵌張だらけの三シャンテンなのだ。

 

(……いやまて違う、脇から出アガリされてもオワリだ。役満直撃でも逆転できない点差になっちまうぞ……)

 

しかも、誰かが振り込んだとしても差が約70000点になり、親がない以上勝ち目など極限まで消し飛ぶだろう。

 

(残り2300点……ここで賭けにでないと負け確定……)

 

ここが死地だと確信した京太郎は、心を落ち着かせる為、目を閉じて一つ深呼吸した。

そして極限まで集中力を高め、上家の捨て牌と手牌へ炎の視線を飛ばす。

 

{①①③③③④579南南西西}

 

睨みつけた両目から碧の炎を噴きあがらせ、

 

(天江衣はリャンシャンテン……ッ!)

 

衣の手牌を頭の中で構築すると、

 

(ここだ!)

 

覚悟を決めた京太郎は対子の{南}を強打。

 

「ポン!」

 

衣ポン。

 

{①①③③③④79西西} 打{5} {南南横南}

 

衣の鳴きにより、小蒔、照のツモ番が飛ばされる。

 

(限界までツモ番は回さねえ!)

 

京太郎、即座に打{西}。

 

「ポン!」

 

またも衣ポン。

 

{①①③③③④9} 打{7} {西西横西} {南南横南}

 

京太郎は照にツモらせない為に、無理やり衣へ鳴かせていく。

 

(相手はインハイチャンピオンっ、二つズラしてもきっとツモアガる! ならこれでどうだ!)

 

今度は打{①}。

 

「ポン!」

 

三度ポン。

衣は一瞬でチャンピオンに追いついた。

 

{③③③④} 打{9} {①①横①} {西西横西} {南南横南}

 

この形でテンパイ。

待ちは{②⑤④}の三面待ち。

{赤⑤}か{④}をツモると、衣が二着終了で京太郎がトぶ。

あのプライドの高い天江衣が二着に甘んじるアガリなどするわけがないという、京太郎渾身の読みだった。

 

(さあ、三つズレたぜ? アガれるもんならアガってみろよ! 宮永照!)

 

そして安牌である{南}を切る。

無理な鳴かせで手の内はボロボロ。だからもうこの局はオリるしかない。

衣が照より早く、さらに京太郎以外からアガる事を願った、須賀京太郎一世一代の賭け。

そんな暴牌としか言いようのない執念が実を結んだのか、次順照、ダブドラの{赤⑤}を引かされた。

 

{①③123一一二二三三九九} ツモ{赤⑤}

 

ツモ切れば衣に跳満を直撃されてしまう。

しかし、見え見えのホンイツにその色を切るほど、インハイチャンピオンの麻雀は腐ってはいない。

当然、打{九}の対子落としで回った。

その直後。

 

「ツモ!」

 

衣、和了。

 

{③③③④} ツモ{②} {①①横①} {西西横西} {南南横南}

 

三つの鳴きがなければ照がツモアガっていた{②}を食い取ってのアガリ。

 

「3本場は、2300・4300!」

 

ツモられはしたが、京太郎は辛うじて生き残った。

 

京太郎  0

小蒔 20300

照  47200

衣  32500

 

しかし、京太郎の持ち点は、ゼロ。

インターハイルールで続行とはいえ、本当にトばなかったというだけの話だ。

 

「心意気は買うが口ほどにもなかった。オーラス、衣達の邪魔だけはするなよ?」

 

衣の揶揄が京太郎へ飛ぶ。

 

「まだ対局は終わってませんよ」

「あにはからんや。点数計算も出来んのか? 役満ツモでは宮永照に届かん。直撃したところで今度は衣に届かんぞ?」

 

衣の言う通り、たとえ役満をツモったとしても照には7200点足りず、トップの照へ直撃しても衣に500点足りない。

 

「既に生路無し、可能性は万に一つもない」

「麻雀は四人の思惑が複雑に絡み合います。可能性が0%なんてオカルトありえません」

 

気丈に反論するも、しかしこの時点では京太郎の逆転への道は完全に閉ざされていた。

 

「もう一度言いましょう、それがあなたの弱点だ。だから俺が勝つ」

 

それでも京太郎は諦めない。

何がなんでも諦めない。

 

「この卓へ辿り着くまでに、鶴賀、風越、姫松を倒してきました」

「ほう?」

「倒した人達の力は全て俺の身になっています」

 

衣は面白そうに笑うが、周りの部員達は驚きだ。

そこらじゅうに迷惑をかけてきたというのもそうだが、大阪強豪校の姫松の名前が出てきたのが大きな原因だろう。

 

「天江さんに分かりやすく言うと、俺は池田さんも倒してきましたよ」

 

『池田華菜』のように諦めず、『愛宕洋榎』のように勝ちを疑ったりしないのだ。

 

「そうか。それでは仕方ない。池田は諦めるという事を知らん奴だからな」

「そうです、仕方ないんです」

 

麻雀は終わってみるまで何が起こるか分からないと、骨の髄まで知っている。

奇跡のような闘牌を、己の仲間達が何度も何度も見せてくれたのだから。

 

「清澄の、名前は何と言ったか?」

 

いきなり名前を尋ねられて訝しむも、やっぱ俺の名前なんて覚えるわけないよなぁと思いつつ答える。

 

「須賀京太郎です」

「中々いい名だな。衣は天江衣という」

「……は?」

 

何故か名乗り返された。

 

「……私の名前は宮永照」

「へ?」

 

恐ろしく有名なインハイチャンピオンからも。

 

「…………」

「あ、この子は神代小蒔よ。ごめんなさいね? 今の小蒔ちゃん、ちょっと降りてるものだから」

「……い、いや、皆さんの事は知ってますけど?」

 

神降ろしでトランスってる胸の大きな子の代わりに、もっと胸の大きい子が名乗ったのはご愛嬌だろう。

 

「この状況で心折れぬとは見事。終局を迎えるまでもなく、京太郎の力は十分咲達に伍すると、この衣が認めよう」

「うん、強い。本当ならさっきの局で終わってた」

「きっと小蒔ちゃんも同じように思っているわ」

 

よく分からないが、急に優しい言葉をかけられて、京太郎は頭が混乱する。

しかしすぐに思い至った。

まさかトぶ事を確信して、落ち込まない様に慰めているのか? 力の差は理解しているが、いくらなんでも馬鹿にしすぎだろう。

途端、不機嫌が面に出てしまう。

 

「勘違いするな。衣達は京太郎の足掻きを憐れんでいるわけではない」

 

しかしその言葉に、余計何が言いたいのか分からなくなってしまった。

 

「気息奄奄では辛かろう? 故に、衣の手で一思いに弑(し)そうというのだ」

 

が、ニヤリと笑った衣の体から突如吹き出す圧倒的な重圧。

 

「ゥギッ!?」

 

いや、衣だけではなかった。

 

「そうだね。須賀君は強いから、私が負ける前にトばすよ」

「……………………」

 

照と、そして二人に中てられたのだろう小蒔も、常軌を逸した気を放ちだす。

 

「ぅ……ぐ……」

 

まさに全身全霊全力全開。

 

「ぁ……りがとう、ございます……っ!」

 

だから京太郎はお礼を言った。

 

「これが、俺の旅の、最後の一局……っ!」

 

三人の気迫に呑まれないよう、背筋を伸ばし、腹の底から声を出す。

 

「全力以上でお願いしますっ!」

 

そして最終局へ。

 



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「咲の剣」

運命のオーラス。

全員が1本場に進む事はないと確信し、衣のラス親がスタートした。

 

 

南四局0本場 親衣 ドラ{①}

 

 

なんと小蒔と照、共に三順でイーシャンテンという超速の手牌。

 

小蒔手牌

 

{①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨西}

 

しかも小蒔は筒子なら九種、何を引いても九蓮宝燈テンパイという凄まじさ。

 

照手牌

 

{七八567⑥⑦北北北白白白}

 

照は、{六七八九⑤⑥⑦⑧}の八種を引けばテンパイ。

異常な速度で多面受けイーシャンテンを手に入れた二人は、やはり正真正銘の魔物と言えるだろう。

 

(くっ、上家の宮永照はまだしも、対面の神代小蒔から噴き出す運気が尋常ではない……っ)

 

しかし、オーラスにより極限まで集中力の高まっている衣は即座に危険を察知。

 

(だが舐めるな!)

 

瀑布が如き怒涛の水。

衣は己が支配に持てる力の全てを注いでいく。

それはここから照と小蒔の、長いイーシャンテン地獄が幕を開ける事を意味していた。

魔物二人を強引に、力尽くで卓ごと海底へと叩き落とし、超絶な水圧で封じ込めた衣。

強者故に満ツモ、もしくは8700以上の直撃条件ではなく、出アガリ可能な跳満を目指す彼女の手は脅威的な伸びを見せる。

 

衣三順目の手牌

 

{一二八九34489東南南中}

 

これが七順後には、

 

{八九九44488南南南中中}

 

この形。十順目で四暗刻イーシャンテン。

二体の化物を封じ込めつつ、さらに得意の高打点麻雀を維持する。

天江衣もまた化物の一人である事の証左だ。

しかし、その支配も六順で力尽きた。

さすがに照と小蒔、自身と同クラスの化物二人を抑えきるのは無理だったのだろう。

 

「ふっ!」

 

北家の照の十順目のツモ番、四順から九順の間に貯めた力で一気に水を吹き飛ばしテンパイ。

 

{七八567⑥⑦北北北白白白} ツモ{⑧}

 

照は{⑧}を引きこむと、瞬時にアガり枚数と安牌を選択する。

 

({七}と{八}は山に一枚ずつ、だけど{六九}は山に六枚眠ってる。{北}も{白}も完全安牌。……勝った)

 

流れるように、打{白}。{六九}待ち。

アガリトップである以上、当然ダマテンに受けた。

 

(化物めっ、衣の支配を何度力ずくで破れば気がすむ! しかし勝つのは衣だ!)

 

化物なのはお互い様だというように、十一順目開始直後、衣が{中}を引きテンパイ。

 

{八九九44488南南南中中} ツモ{中}

 

そしてノータイムで{八}を切り捨てた。

{九}同テンの{8}シャボ。出アガリ親っ跳、ツモり四暗刻の、文句なしの逆転手である。

 

({8}は場に一枚、{九}は山に丸々生きておる! 残り三枚、必ず引いてみせる!)

 

しかし、ここで衣が{八}を切ったという事は、照がミスをしたようにも見える。

もし一手前に{白}切りではなく、{七}切りの{八}単騎に受けていたなら衣を打ち取っていた。

だがそれは仮定の話であり、もし{八}単騎にしていても、感覚が鋭敏になっている衣はおそらく{九}切りで回避していただろう。

所詮はIFという事だ。

 

(あと一手……頼む、こい!)

 

水面下でそんな激しい攻防が行われていた十一順目。この時、京太郎もまた起死回生の四暗刻イーシャンテンだった。

本来なら序盤で照か小蒔のアガリによりトんでいた筈の京太郎。

彼の命をここまで繋いだのは、皮肉にも衣のイーシャンテン地獄である。

前局の衣との共闘が、最悪である筈の支配を有利に作用させたのかもしれない。

 

{222赤555①②②発発発中} ツモ{六}

 

が、ツモったのは{六}。

一発で照のアタリ牌を掴まされた。

{中}は生牌、筒子は小蒔に恐ろしい。{六}は無スジだ。

もう既に十一順目の今、誰が張っていてもおかしくはない。

京太郎には化物達に匹敵する脅威的な『目』があるが、照と小蒔は三順以降ツモ切り。

さきほど照が一枚手替わりしたのみなので、京太郎の武器である読みが十全に発揮されない状態なのだ。

絶体絶命とはこの事か。

 

(……いや、間違いなくこれだ。この{六}を切ったら即死する……)

 

しかし、まだ武器はある。強者達と戦えるようにと師から贈られた、生死の牌を直感できる『鏡』が。

化物三人との最後の一局。

両目から碧の炎が噴き出しっぱなしの京太郎もまた、その感覚は研ぎ澄まされていた。

彼の読み、第六感、そして指運は、{六}が運命の牌だと満場一致で告げている。

 

”馬鹿め、後ろに下がるな。追撃されてじり貧になるだけだ。前に出て躱せ”

 

一週間前の京太郎なら即死していただろう。

 

(前に踏み込め!)

 

もっとも、一週間前の京太郎ならだ。

 

{222赤555①②②六発発発} 打{中}

 

京太郎、魂を投げ出すかのような打{中}。

 

(おのれっ、入り目を打たれた!)

(……止められた、かな?)

 

一手前の衣のツモが{九}か{8}なら18000直撃で死んでいた。

衣と照、二人の隙間を縫うかのような超暴牌。

 

(通った! あとは{②}を引きこんで{六}単騎に受けるだけ! ドラの{①}は死んでも通す!)

 

そして下家の小蒔のツモ。

 

{①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨西} ツモ{⑤}

 

照より一順遅かったが、小蒔もとうとう衣の支配を打ち破り、待望の筒子。

僅か一周で化物三人がテンパッた。

 

(ぐっ、神代小蒔も衣の支配を突破したか……っ)

 

テンパイを察した衣は顔を歪めてしまう。

小蒔の体から尚一層噴き上がる気勢。

 

「リーチ」

 

{西}を河へと並べ、自動九蓮製造機と化している小蒔は決められたプログラムに従うかのようなリーチ。

 

小蒔 リーチ(-1000)

{①①①②③④⑤⑤⑥⑦⑧⑨⑨}

 

{⑤⑨}待ち。(残りの{⑤}は二枚とも{赤⑤})

{⑨}で九蓮宝燈、{赤⑤}をツモればリーチツモチンイツドラ4の三倍満。

安目はツモ条件、もしくは照直撃なら文句なく逆転である。

しかも、裏表示牌が{④⑧⑨}なら数え役満なので安目出アガリでも条件を満たしてしまう。

 

(小蒔ちゃんが勝ちましたね)

(勝ったですよー)

({⑨}はドラ表示牌に一枚。けど残りの待ち三枚は山です。これは引きます)

(……南一局と同じ、いつものように姫様がツモるパターン)

 

小蒔の後ろで見ていた霞、初美、巴、春の六女仙が確信する。

しかし、ここで歓喜の声を上げる者がもう一人いた。

 

(きた! 他家からのリーチ棒! これで逆転への道が開けた!)

 

京太郎である。

たしかに、場へ1000点棒が出た事により、照へと役満を直撃すれば微差でまくれる。

だが、京太郎の手で役満を直撃させるには四暗刻単騎にするしかない。

運よく{②}を暗刻らせたところで、{六}は照と同テンだ。実質、トップ目の照への直撃は不可能となった。

十一順目の照は、無駄ヅモである{西}をツモ切り。

小蒔のリーチ宣言牌なので安牌である。

そして場は十二順目へと突入する。

ちなみに、現時点での全員の持ち点と手牌はこうだ。

 

十一順目終了時点。ドラ{①}。場にリーチ棒1本(1000)

 

小蒔 19300  {⑤⑨}待ち

{①①①②③④⑤⑤⑥⑦⑧⑨⑨}

 

照  47200  {六九}待ち

{七八567⑥⑦⑧北北北白白}

 

衣  32500  {九8}待ち

{九九44488南南南中中中}

 

京太郎  0  イーシャンテン

{222赤555①②②六発発発}

 

 

運命の十二順目。親の衣に、もう一度たりともツモ番が回ってこない最後の順目。

照と同じく、衣も引いてきた無駄ヅモである{西}をツモ切りする。

小蒔から始まった三者連続の{西}打ちは、三人の力が拮抗している為に違いない。

では拮抗していない者のツモはどうなのか?

十二順目の京太郎のツモ番。

ここで京太郎は、凡人にはどうしても越えられない壁の存在を知る。

 

{222赤555①②②六発発発} ツモ{赤⑤}

 

なんと、照に続きまたしても一発で小蒔の当たり牌を引いてきてしまったのだ。

 

「ヒッ!?」

 

京太郎は見た。

先程照と衣の攻撃をかわし、まだ戦えると闘志を燃やした矢先に、横合いから巨大な龍が顎を開けて迫ってくるのを。

 

”その鏡は餞別だ。えらくショボイが、坊主の身を守るくらいはできるだろう”

 

「くあっ!」

 

京太郎はとっさに両手を重ね合わせると、手の中の小さな鏡を前へと突き出した。

そして全身で踏ん張った直後に凄まじい衝撃をうける。

 

「うぐぅっぅぅぅ……」

 

鏡の斥力によりなんとか龍の突進を防ぐも、手のひら大の小さな鏡はビシビシとひび割れていく。

鏡が砕ける時、それは京太郎の心が砕けた時だ。

 

({赤⑤}は駄目だ絶対駄目だ死しかない! ならどれだ{六}は打てない筒子も打てない他の暗刻を切ったらこの手は死ぬ死んじまう!)

 

許容量を超えた心理的圧迫に、京太郎は折れる寸前である。

『牌に愛された子』の一人、神代小蒔から向けられたのは絶対強者の圧力。

 

(神代小蒔は出アガリ役満ツモ三倍満に倍直条件そうだよ俺からなら役満以外は見逃すいやほんとにそうか?あの自動操縦状態で?)

 

なんとか思考をまとめようとするもまるで纏まらない。

 

(もし二着確でもアガったらどうすんだよまてまて第一役満じゃない保証もないどんな手だ?え?九蓮?九蓮宝燈?なんだそれ!)

 

ガチガチと歯が鳴り始めながら防ぎ続けるも、小さな鏡はボロボロと崩れていく。

 

(おかしいおかしいおかしいおかしいそんなのおかしいだって九蓮ってアガったら死ぬらしいぜ?え?神代小蒔死んじゃうの?嘘?)

 

思考がおかしな方向にループしだした京太郎は、右手にあるツモってきた{赤⑤}を見たままピクリとも動かない。

そんな京太郎を見詰める者もいる。

 

(もう筒子は打てん。この手は詰みだ。が、随分と長考しているな……諦めきれないか……)

({六}が先に出ちゃうかな? ま、がんばったとは思うけどねー)

(……この卓はどう考えても魔卓。オーラスまでもっただけで十分だよ。お疲れ様、須賀君。後でお茶をいれてあげるからね)

 

後ろで観戦していた白糸台メンバーの、菫、淡、尭深。

少々照が憐れな気もするが、チャンピオンとはいえ部員仲間の闘牌など腐るほど見てきた。

ここは風変りな男子の打ち筋を見たいと思っても許されるだろう。

と、その時、京太郎の右手がゆっくりと動いた。

 

「「「ッ!?」」」

 

三人の顔が驚愕に歪む。

何故なら、京太郎が右手の中にある{赤⑤}をそのままツモ切ろうとしているからだ。

 

(……駄目だ……切る牌がない……勝つ為にはこの{赤⑤}はいつか必ず切らなきゃいけない……なら今切っても同じだ……)

 

勝負を諦めないのなら、どうしても切らなければならない{赤⑤}。

鏡が砕けたわけではない。

心が砕けたわけではない。

だが京太郎は、出口の見えない迷路で、ほんの少しだけ楽になろうとしてしまった。

京太郎は鏡を構えた両手をゆっくりと下ろしていく。

 

(緊張の糸が切れたか……)

(あっちゃー、最後の最後でだっさい麻雀打っちゃったよコイツー)

(君は悪くない。悪いのは大人気ない悪魔達三人だから。後で何杯でもお茶を飲んで、ゆっくり養生するといいよ)

 

アガリを諦めた一打ではなく、思考を放棄した一打でもなく、逃げる為の一打でもなかった。

しかし楽な一打ではあった。

が、

 

――京ちゃん――

 

手が河に伸びようとした体勢で止まる京太郎。

俯いたまま構えた鏡を下ろそうとした京太郎は、誰かに呼ばれた気がして顔を上げた。

 

 

長野県清澄高校麻雀部室

 

「京ちゃん今何してるのかなぁ……」

「どうせくだらない事だじぇ。自分探しの旅ってなんじゃそりゃ。っと、リーチだじょ」

「旅が悪いとは言わんが、学校サボったっちゅうのは感心せんのう。お、それポンじゃ」

「いーじゃないの。大会ではずっとサポートだけだったんだから、しばらく好きにさせておきなさい。ほい、現物っと」

「それをおんしが言うんか……。それチーじゃ」

「そうだじょ。元部長が散々こき使ったから、きっと疲れすぎて体を休めに旅立ったんだじぇ」

「優希ちゃんも言っちゃダメだと思うんだけど……」

「ほんとね。タコスタコスって、どれだけ京太郎を走り回らせたと思ってるの?」

「それを言うなら咲ちゃんが迷子になるたびに駆けずり回ってたから、おあいこだじょ」

「うっ……、い、いやでも、私のは迷いたくて迷ってるわけじゃ……あ、それポンです」

「んじゃぁ、久が悪いから京太郎が旅に出たっちゅう事で異存ないの?」

「賛成だじぇ」

「じゃ、じゃあ私もそれで」

「ハイハイ私が悪い私が悪い、ぜーんぶ私が悪い。おっかけリーチ!」

「あ、それカン。もいっこカン。さらにカン。リンシャンツモ。親倍です」

「なによそれ!? やめてよ、トラウマになっちゃうでしょ!」

「うるさいですよ皆さん! ネトマに集中できないじゃないですか! 麻雀中にガールズトークしないでください!」

「「「「おおう!?」」」」

「大体なんで竹井先輩が打ってるんです! 受験勉強に集中するんじゃなかったんですか!」

「や、やーねぇ。息抜きよ息抜き。息抜きに京太郎に麻雀教えようと思ったらいないんだもの」

「息抜きはともかく、先輩、須賀君に教える気あったんですか?」

「人聞きが悪い事言わないでね!? 初心者の京太郎でも春季大会には間に合うように、ちゃんとプラン作ったんだから!」

「「「「…………へぇ」」」」

「なによあなた達、その目は。ほんとだからね?」

「ならそのプランっちゅうのを聞いてみようかの」

「フフ、清澄を全国優勝に導いた名将、この竹井久の『須賀京太郎強化計画』は凄いわよ?」

「いいから言いんさい」

「まずある程度打てるように基礎を叩きこむでしょー」

「「「「ふむふむ」」」」

「そしたら私の『悪待ち』を教えるのよ!」

「「「「は?」」」」

「インターハイで裏方に徹してくれた京太郎には、私の後継者として直々に『悪待ち』を伝授するわ!」

「できるわけねえじぇ……」

「さすがに無理ですよ」

「あんなの悪影響にしかなりません」

「久は京太郎に近づくな」

「ひどい!?」

 

 

京太郎が顔を上げ、視線を向けた先には、見覚えのある四人の後ろ姿が。

 

「優希、和……それに染谷先輩と部長……?」

 

ボロボロだった鏡が消え、その代わりに仲間四人が、突き出した腕で龍の突進を食い止めている。

 

「ぇ……」

 

目を見開き呆然としていると、背後から二本の腕が首に巻きついてきた。

そのままギュッと抱きしめられる。

 

「……ぁ……さ、さ……き……」

 

ポロリと自然に涙が零れるまま、京太郎は勢いよく振り返った。

 

「咲!」

 

しかしそこには、麻雀がくそ強い幼馴染みではなく、一本の剣が佇んでいるだけ。

 

「……ぁあ?」

 

どういう事かと混乱し、己を守ってくれている皆に再び振り返ると、視線の先には碧光を放つ真新しい四枚の鏡が。

それらは龍の攻撃を完全に防ぎ続けていた。

 

「……ぉお……ッ」

 

まだ戦える。

 

「……ああ……ッ」

 

楽なんかさせないと、皆が言っている。

 

「ぅおああああああああああああ!」

 

京太郎は剣を握りしめた。

 

{222赤555①②②赤⑤六発発発}

 

捨てようとした{赤⑤}を素早く手牌の内に入れた京太郎。

 

({⑤}を引くまでは{①}は通すと決めていた。なら初志を貫徹する!)

 

{222赤555②②赤⑤六発発発} 打{①}

 

渾身の気迫で打{①}。

{①②②⑤}からの打{①}は、京太郎の背で観戦している菫達三人を驚かせた。

 

(ッ!? なにそれ!? オリずに結局筒子ツッパるの!?)

(筒子を処理だと!? ドラの{①}が通ったとはいえ、いやだからこそ{⑤}は確実に打ちこむぞ……ッ!?)

(うわぁ、すごい勇気……というか無謀すぎな気がするけど)

 

だが、彼女達の驚愕はここからだった。

十二順目の小蒔のツモは{発}。

アガリ牌でないので当然ツモ切りだ。

その瞬間、

 

「ポン!」

 

京太郎の発声が響き渡る。

 

(((はあ!? 四暗刻は!?)))

 

菫、淡、尭深は目を見開いてしまった。

周りに分かってしまうほど表情に出すなど、観戦者としてのマナーを著しく欠く行為なのだが、まあ仕方あるまい。

逆転には役満が絶対条件であるのに、京太郎はいきなりそれを投げ捨ててしまったのだから。

 

(チンイツ麻雀の神代小蒔が{発}をツモ切った。天江衣の支配を突破してテンパイしたのにだ。おそらく三人の力が変に拮抗してる)

 

{発}が河にでた瞬間、迸った京太郎の思考はこう。

 

(つまり俺以外は全員テンパイ。化物達の事だ、待ちは山にわんさか眠ってるんだろう)

 

手牌や心理読みではなく、相手の特性だけを考え読みを展開する。『加治木ゆみ』のようにだ。

 

(でもこいつらは化物だから、そう簡単には振り合わない。割りを食うのはいつだって俺みたいな凡人だ)

 

自身と相手との力の差すらも読みの範疇に入れた。

 

(つまり、俺が引いてきた{六}と{赤⑤}は100%アタリってわけだ。となると、これから先俺がツモればその牌は全部アタリ牌)

 

あまりの暴論だが、『牌に愛された子』達の力は牌を書き換えているとしか思えない。

 

(正面から向かっていっても勝ち目はない。これ以上順目を迎えてもアタリ牌を引かされるだけ)

 

だから京太郎は、そんな流れを鳴いて捻る事にした。

 

(十三順目を迎えない為だったら何でもする。俺にイーシャンテン地獄を破れない以上ノーテン罰符でトぶんだから、足掻くだけだ)

 

そう、何か確信があって鳴いたわけではない。

十三順目になれば死ぬ。

正常な流れでは誰かがツモって死ぬ。

たとえ誰もアガらなくても流局までいけば死ぬ。

どうやっても死ぬ。

だからとっさに鳴いたのだ。

 

{222赤555②②赤⑤六発} {発発横発}

 

そして京太郎はここから、

 

(うおらぁっ!)

 

打{②}。

 

(((ぶふぉ!?)))

 

100%アタリと読んだスジの、何が何だか分からない身投げの様な打{②}である。

あまりの事に菫達が吹き出す。

 

{222赤555②赤⑤六発} 打{②} {発発横発}

 

掟破りのリャンシャンテン戻し。

超超超ド危険牌を切り飛ばしたのに、リャンシャンテンに戻すとはどういう事か。

もう無茶苦茶だ。

しかし、この無茶苦茶は化物達の感覚を狂わせる事に成功した。

 

(……{発}ポン? {①②}と危険牌を処理した以上はテンパったね。でも大三元と字一色はできないよ?)

(京太郎の手はイーシャンテンだったはず。なのに鳴いてもテンパイ気配を感じん。というより屍になったような……?)

 

照は京太郎の鳴きに違和感を感じ、衣は自身の感覚が狂ったのかと戸惑う。

特に、衣に至っては意味不明だっただろう。

『イーシャンテンでポンしたらリャンシャンテンになりました』は、いくらなんでもおかしすぎるのだから。

しかし、京太郎の中ではおかしくはない。

『天江衣』のイーシャンテン地獄はアガリに向かう鳴きはできないのだ。

という事は、アガリに向かわない鳴きならできるという事。

 

(さあこい、鳴ける牌をだせ!)

 

両目から碧い炎を轟々と噴き上がらせ、全身から気迫を漲らせる京太郎の姿。

それに牌が応えたのか、小蒔の引いた牌は不要牌の{2}。

 

「ポン!」

 

鳴く気満々の京太郎は当然ポン。

 

{2赤555②赤⑤六発} {22横2} {発発横発}

 

ここからさっき通った{②}を、血走った目で切り飛ばす。

 

{2赤555赤⑤六発} 打{②} {22横2} {発発横発}

 

これで更に、照と衣の感覚がズレた。

 

(まだ張ってなかった? {2}ポン? ……そうか、緑一色。でもこの土壇場でもう張れてるかな?)

(二鳴き……、しかしやはりまるで力を感じん。第一、衣の手に{4}の暗刻と{8}の対子がある。緑一色はできんぞ……え、どゆこと?)

 

照は衣の{4}暗刻を読む材料がなかった為に、京太郎の手を緑一色だと確信。

衣は衣で京太郎の無茶苦茶に振り回されて、普段使った事がないような語尾になってしまった。

 

(……まさか緑一色に見せかけたブラフか?)

(他に考えられないけど、でもノーテンでもトぶよねこれ)

(メチャクチャやってる様にしか見えない……。けど全然諦めてる感じがしないのはなんで?)

 

実際に後ろで見ている菫達は頭を抱えるしかない。

この鳴きも、リャンシャンテンをリャンシャンテンのままにするというわけの分からない鳴きだ。

勝ち目が無くなってトチ狂った様にしか見えないが、なぜか目の前の背中は気迫で満ち溢れている。

そして終わらない十二順目。小蒔三回目のツモ。

京太郎の悪運もここまでか、誰にも使えない{1}をツモ切った。

 

(あとは宮永照がツモアガらず、なお且つ俺の鳴ける牌を切ってもらうしかない……)

 

おそらくはその牌で全てが決まる。

生か死か。

アガられればそこで終わり。

たとえ誰もアガらなくても、自身が鳴ける牌でなければ終わり。分が悪すぎる。

しかし十三順目に突入した時点で負けなのだ。

 

(頼む……)

 

京太郎は拳を固く握り、更に勢いを増した炎眼で照を睨みつけた。

 

(凄い気迫……。あの様子じゃどう考えても張ってるね)

 

実際にはリャンシャンテンなのだが、全国の猛者達と同等か、あるいはそれ以上の気を感じた照。

京太郎の狂った打牌のせいで、その高校麻雀界最高の感性が明らかに誤作動を起こしていた。

 

(私はトップ目。悪いけど振り込まないよ。全力で打つって約束したからね)

 

その通り、照は別にリーチをかけているわけではない。

オリないにしても、危険牌を引けば回す事ができる。

そんなまるで隙のない、インターハイチャンピオンのツモ。

 

{七八567⑥⑦⑧北北北白白} ツモ{8}

 

{8}だった。

 

(うっ……)

 

照は内心呻いた。

自身の類い稀な超感覚が、この{8}を死の牌だと直感させたからだ。

 

(凄い……。この{8}は確実にアタリ牌。この土壇場で緑一色を作り上げて、なお且つトップ目の私に掴ませた。凄いよ須賀君)

 

そして感嘆する。

ありえない事だが、もしリーチをかけていれば死んでいた。

持ち点0という重圧の中で、勝つには役満を直撃させ、さらに場にリーチ棒がなくてはならないという厳しい条件をクリアしたのだ。

あとたった一歩というところまで。

これが一年生。しかも最近まで初心者だったなど信じられない。

 

(本当に凄い。これだけの力があるなら、君はいつか必ず頂点に立てる)

 

何もかも全て、誤作動を起こした照の勘違いである。

その{8}は京太郎ではなく、衣のアタリ牌なのだ。

衣の形はこれ。

 

{九九44488南南南中中中}

 

{九8}待ち。

しかも実はこの照が引いてきた{8}、京太郎が二回無理鳴きしなければ、京太郎自身が引かされていた牌なのである。

なんと信じられない事に、京太郎は照、小蒔、衣のアタリ牌を三連続で引かされていたのだ。

 

(でも悪いけど振り替えさせてもらう。私も負けたくないから)

 

京太郎が化物に蹂躙されるだけの凡人である事は、どうあっても覆せない事実だった。

 

{七八5678⑥⑦⑧北北北白白}

 

だがまあ結果的に、衣のアガリ牌を一つ潰した事に変わりはない。

 

({5}は……うん、大丈夫。これはアタリ牌じゃない)

 

そう、{5}は誰のアタリ牌でもない。

 

{七八678⑥⑦⑧北北北白白} 打{5}

 

アタリ牌ではないから、照は、{5}を切った。

 

 

 

 

 

――それですよ、インハイチャンピオン――

 

 

 

 

 

静まり返った室内に、京太郎の声が木霊する。

全員の視線が集中する中、京太郎は、遂に剣を抜いた。

 

「……ぇ?」

 

きょとんとする照に構わず、透き通った碧光の花弁を振り撒く剣を構え、そしてこちらへの攻撃を止めない龍へと一気に斬りかかる。

 

「カンッ!」

 

京太郎は暗刻の{5}を大明槓。

そして流れるように王牌へと指先を伸ばす。

めくられた新ドラは{①}だ。

つまり、新ドラ表示牌も{⑨}。小蒔の高目のアガリが消えた。

 

(ああ!? 小蒔ちゃんの{⑨}が……ッ)

(姫様の九蓮宝燈が消えたですよー!?)

(でもこれでドラ7確定です!)

(……出アガリでも数え役満)

 

永水メンバーが驚愕する中、王牌のドラ表示牌に{⑨⑨}が並べられる。

京太郎が振るった剣は、龍の首を一撃のもとに叩き落とした。

 

{2赤⑤六発} ツモ{六} {赤55横55} {22横2} {発発横発}

 

嶺上から引いてきたのは{六}。

京太郎が100%振り込むと確信して止めた、照のアタリ牌。

これで純粋に連続三回アタリ牌を掴まされる。

 

(三人の力は王牌には及ばない――なら、ドラ表示牌に引きずりだしてやるっ!)

 

龍の首を落とした京太郎は、今度は水を操る化物へと即座に斬り込む。

反撃の隙など与えない。最速で斬り殺すと決めた。

 

「もいっこカンッ!」

 

手の内にあった{2}を連槓する。

そして新たにめくられたドラは{一}。つまり表示牌は{九}だ。

衣に残された二枚のアガリ牌の内、その一つが消える。

 

{赤⑤六六発} ツモ{六} {赤55横55} {222横2} {発発横発}

 

さらに嶺上から引いてきたのはまたも照のアタリ牌、{六}だった。

 

(そんなに俺に振り込ませたいのか! いいぜ、どんどん引いてこいよ! ただし! まとめてなあ!)

 

これで四連続アタリ牌を掴まされる。

 

「「「「「な!?」」」」」

 

トランス状態の小蒔を除き、卓上卓外の区別なく全てのものが息を呑んだ。

知っていた。この流れを全員が知っていた。

槓を自在に操る、ここにはいないもう一人の化物。

 

(王牌の支配者はこの世でただ一人――)

 

清澄高校麻雀部大将――

 

(――俺のポンコツ幼馴染みだけ!)

 

――宮永咲。

 

「さらにカンッ!」

 

手の中の{発}を送り槓。

水の化物は慌てて大量の水で壁を作るも、無駄。

なぜなら、京太郎が手にしている剣は、一度その化物を討った『咲の剣』なのだから。

 

「こ、衣の待ちが……ッ!」

 

衣は悲鳴を上げた。

新ドラはまたも{一}。

表示牌に並べられた、{⑨⑨九九}の四枚の牌。

これで衣の待ちは全てなくなった。

京太郎が突き出した剣は水の壁を易々と貫き、水の化物を突き殺す。

 

「そ、そんな……、それは咲の……ッ」

 

風を操り竜巻を起こす化物が慄いている。

しかし知った事ではない。

 

”体勢を崩すな。頭の天辺から大地へ突き刺さる鉄心をイメージしろ。体が流れてもそれは変わらん”

 

攻撃動作は師がこの身に叩き込んでくれた。

相手が動揺しようが、たとえ自身が動揺しようが、その型が崩れる事などありえない。

だからお前も斬り殺す。

 

「があああっ!」

 

京太郎の口から吐き出される獣の咆哮。

魂を震わせながら嶺上牌をツモる。

 

{赤⑤六六六} ツモ{六} {赤55横55} {222横2} {発発発横発}

 

嶺上から三枚連続で引いてきたのは、{六}。

これで五連続アタリ牌を引かされる。

無防備な風の化物が、その身を晒していた。

 

”分かっていないようだな、坊主。牌の扱いに慣れていない奴が、どうやって牌に応えてもらうつもりなんだ?”

 

馴染む。本当によく馴染む。

手にした剣(牌)が自在に動かせる。

 

「カンンンッ!」

 

目は血走り、こめかみに血管が浮かび、バキリと奥歯を砕く鬼の形相。

京太郎、六萬暗槓。

 

{赤⑤} {■六六■} {赤55横55} {222横2} {発発発横発}

 

京太郎は神速をもって一刀両断にし、風の化物を即死させた。

この{六}暗槓により照の待ちは全て消え、小蒔と京太郎、共に{赤⑤}ただ一枚。

二人倒した。

だがもう一人いる。

龍(神)なんてものを呼び出す正真正銘の化物が。

 

(あと一歩……ッ。あんなに遠いと思えた場所が、あとたったの一歩……ッ)

 

だから前へ。

 

”アガれるかどうかは所詮運。だが、意志なくして運は引き寄せられん。どれだけ人事を尽くしたかで天命が決まる”

 

(尽くしたっ。俺ができる事、持ってるもの、新しく生み出した力、全部絞り尽くしたっ。もう何もないっ!)

 

京太郎の両目に浮かぶ碧の炎が凝縮し、玉へと変じていく。

いや、嶺上牌へと手を伸ばすその全身が変じていった。

 

(なら――)

 

両目に宿る八尺瓊勾玉と、

 

(この牌は――)

 

周囲を浮遊する四枚の八咫鏡。

 

――タコス食うか?――

 

――こちらもどうぞ――

 

――来年頑張ればええんじゃ――

 

――みんな仲間でしょ? 恥ずかしいなんて思わないで――

 

そして後ろ腰に草薙剣を携え、白く輝く神御衣(かんみそ)に身を包む、清澄高校麻雀部員『須賀京太郎』。

 

――京ちゃん、元気だして――

 

王牌に残った最後の嶺上牌を高々と掲げ、

 

「ツモォッ!」

 

叩きつける。

京太郎は持てる力の全てを絞り尽くして、最後の化物を斬り捨てた。

 

{赤⑤} ツモ{赤⑤} {■六六■} {赤55横55} {222横2} {発発発横発}

 

ツモ{赤⑤}。地に塗れた死に体リャンシャンテンからの、嶺に咲く花まで一気に駆け抜けた嶺上開花。

 

「「「「「……………………」」」」」

 

砕けた奥歯から血が溢れ、口端からポタポタと流れるに身をまかせながら、京太郎は終局を告げる。

 

「四槓子。連槓からの責任払いで32000は――リーチ棒を含めて、500点差で俺の勝ちです」

 

そして霞む目を天井のライトへ向けると、全身の力を抜いた。

 

「照が、負けただと……?」

「ス、スゴー……、テルーがラス引いたの初めてみた……」

「というかあの悪魔……もといあの人、役満振り込んだのも初めてだよ、きっと」

 

白糸台のチームメイト、菫と淡の呆然とした呟きはもう聞こえなかった。

それどころか耳鳴りが酷くて何も聞こえない。

 

「へへ……見たか……」

「……うん、負けました」

「うむ、見事なアガリだった。天晴れというほかない」

「……………………」

「あらいけない。早く小蒔ちゃんを祓わないと」

 

やり切った余韻に浸った瞬間、急速に目の前が暗くなる。

 

「たとえ、化物でも……倒そうと思えば……倒せる……」

「……それは、まあそうだね」

「衣も無敵というわけではない」

 

京太郎の呟きは、同卓している化物二人の耳に届いた。

 

「……だから……恐くない……」

「…………?」

「…………?」

 

しかし、朦朧としている言葉は支離滅裂である。

 

「……恐がったら……きっと、泣いちまう……」

 

一週間前の対局で心臓をぶち抜かれ、恐ろしいと感じてしまった。

でも、もうあの時ほどは感じない。

 

「……ああ、そういう事」

「惻隠の情を催す慟哭。結局は痴話の類いであったか。犬も食わんな」

 

恐がられてきた二人には理解できた。

恐がってきた周りの者達の多くも、そういう事だったのかと納得する。

対戦しなかった魔物は「ふーん、それだけの為にこんな無茶するんだ……、合格かも」と、何が合格かは分からないが少し顔が赤かった。

 

「……これ、で……」

「?」

「む? 京太郎、どうかしたか?」

「というか血が出てるですよー。大丈夫ですかー?」

「唇でも切ったか? すぐ医務室まで案内しよう」

 

白糸台の元部長、弘世菫が京太郎の肩に手を置いた瞬間、その体は前のめりに倒れていく。

 

「……帰……れ……る……」

 

ガシャリと牌をなぎ倒す姿に何人もの悲鳴が上がるも、京太郎にとって幸運だった事が一つ。

 

「ハギヨシ!」

「はい、透華お嬢様。既に救急車の手配は完了しております。到着まで気道を確保し、氷を包んだガーゼで傷口を押さえておきましょう」

 

万能執事にできない事など何もないのだ。

 

最終収支

小蒔  19300(雀技:神降ろし『九面』)

照   15200(雀技:照魔鏡・連続和了)

衣   32500(雀技:海底撈月・イーシャンテン地獄)

京太郎 33000(雀技:凡人奥義『アタリ牌六連続引かされ』)

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの人達に迷惑をかけまくった京太郎の旅。

最後は気絶して病院送りなどという事態にまで発展してしまったが、パーフェクト執事のパーフェクトな処置により事なきを得た。

方々に謝りまくった後で長野に帰還した京太郎は、月曜日の朝を迎える。

奥歯の違和感に顔を顰めつつ、いつものように通学路を歩いた。

 

「あっ、京ちゃん!」

 

そして幼馴染みに出くわした。

いつものように軽く挨拶するも、なにやらご機嫌斜めらしい。

週末どこに行っていただの、おもちの事ばかり考えちゃ駄目だの、朝っぱらからプリプリと怒っている。

せめてもう少しだけでもおもちがあればと思いながら、己にだけ強気な幼馴染みへ締めの言葉を言う。

 

「ただいま、咲」

 

いきなりな言葉に不意をうたれたのか、幼馴染みはキョトン顔だ。

そして大きく溜息をついた後、しぶしぶ返してくる。

 

「おかえり、京ちゃん」

 

ちょっとはにかんでしまったのは、きっと照れたからに違いない。

 

「もうっ、そんなんじゃ誤魔化されないからね!」

「へいへい」

 

清澄は今日も仲良しだ。

 

 

京‐kyo‐ ~咲の剣~ カン

 




幕間「始動」で咲が感じていた不安。伏線回収完了。
約一月、お付き合いありがとうございました。
これで終了。
あとは、蛇足的なエピローグを書こうかどうか迷ってまっす。
疲れたんで書き切った余韻に浸りつつ、要望があれば一週間後にでもエピ書きますね。


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エピローグ「繋がり」

蛇足的なエピローグです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


一週間ぶりの部活。

 

「それだ、和。ロン」

「あ……」

「ふっふっふっ。和は綺麗な手作りするから読みやすいぜ」

「のどちゃんが犬に振り込むとか、明日は雪だじょ」

「だれが犬だ! これが特訓の成果なんだよタコス!」

 

「京ちゃんアガったの久しぶりに見たね。あ、それポン」

「須賀君、『読み』が鋭くなってます……」

「加カン」

「その嶺上取る必要なし。ロン」

「うえええ!? き、京ちゃんに槍槓されちゃった!?」

「ふへへ、言ってやったぜ! その嶺上取る必要なし。く~、カッケー!」

「ほ、ほんとに強くなってますね……」

「あうぅぅぅ……、私の嶺上開花……」

 

「ほう。少しは『読み』を鍛えてきたみたいだな、京太郎」

「少し? ちっちっちっ。俺の『読み』は全てを読むぜ!」

「ならこれを読んでみろ! リーチ!」

「馬鹿め! そんな見え見えのチートイ! 字牌とドラ以外はオール通しだ優希!」

「ロン一発! 8000だじぇ!」

「ぶふぉ!? なんだその{6}単騎!? なんつー馬鹿な待ちしてやがんだよ!」

「ふはははは! 甘いじょ犬! これぞ全国の強敵達を打ち破る為に編み出した読み殺し、『タコマージャン』だ!」

「く、くそっ、さすがにやりやがる……ッ」

 

「う~、カンカンカン! ツモ!」

「「「ぶふぉ!?」」」

「8000オールだよ!」

「お、お前、暗槓から入るなよ……、それじゃ防げねえだろ……」

「槍槓されたくないもん。しょうがないじゃん」

 

「では私もリーチです」

「くっ、せめて和だけでも防ぐぜ……ッ」

「ツモりました。3000・6000です」

「おおう、五面待ちじゃさすがに阻止できねえ……」

「多面張にしてツモれば読みも鳴きも関係ありません。麻雀は所詮確率です」

 

「ちくしょう、こうなったら……。カンカンカンツモ!」

「「「ぶふぉ!?」」」

「3000・6000だ!」

「コ、コイツ咲ちゃんみたいなアガリしやがったじょ!?」

「これぞ師匠の『反射鏡』と対をなす奥義! 『アタリ牌連続引かされ』だ!」

「「「アタリ牌連続引かされ……?」」」

「アタリ牌を掴んでしまう凡人の特性を利用したミラクル必殺技なんだぜ!」

「なんて情けない必殺技なんだじょ……」

「京ちゃんかわいそう……」

「麻雀に必殺技はありません」

 

「元気じゃなぁ、アイツら。京太郎も意外と強くなっとるし、言う事なしじゃ」

「これで私の『悪待ち』を会得すれば新人戦には間に合うわね」

「それはやめえ言うたじゃろ」

 

 

清澄はやっぱ魔窟編 カン

 

 

 

 

 

 

一ヶ月後。

 

「やったっすね、京さん!」

「おめでとう、須賀君。見事だったよ」

「これで長野一位だなー。ワッハハー」

「フン、キャプテンに勝ったんだからこれくらい出来なきゃおかしいし」

「県予選優勝おめでとう、須賀君」

「ありがとうございます、皆さん。モモと池田さんも全国出場おめでとう」

「華菜ちゃんの実力なら当然だし」

「天江衣が団体戦しか出なかったのはラッキーだったっす。後半『ステルス』で上位陣を狙い撃ちっすよ」

「……お前、咲を狙いすぎだろ。親の仇みたいに直撃しやがって、なんか恨みでもあんのかよ……」

「……幼馴染みの嶺上さんは、ちょっと恵まれすぎっすから」

 

「う~。ギリギリで届かなかったよぉ」

「東横さんの戦略が一枚上手でしたね。団体戦は龍門渕が取りましたし」

「まさか咲ちゃんとのどちゃんが落ちて私が全国とは。京太郎なんて一位通過だし、新人戦は荒れるじぇ」

「鶴賀の東横のせいで火力特化型しか生き残れんかったの。じゃけん、ウチからは二人全国じゃ。優希と京太郎にがんばってもらおう」

「……なんで京太郎の周りにゆみ達集まってんのよ」

 

「うぎぃぃぃ! このわたくしが個人七位! 原村和は六位! おのれ東横桃子ーー!」

「……最終戦ラスに落とされたのが痛い」

「ま、まあまあ、透華。全国には団体戦で行けるんだから」

「まさかタコスチビが二位とはなあ……。そういや須賀のやつ予選一位らしいぜ?」

「然もあらん。地区予選程度では京太郎を阻める者などおるまい」

 

 

もいっこ カン

 

 

 

 

 

 

二ヶ月後。

 

「ロン。三色ドラ1は5200」

 

『決まったーーー! トップ目の暗刻の{西}が吸い込まれたーーー! 北家のリーチ棒込みで、これでキッチリ逆転だーーー!』

『素晴らしいアガリですね。対局者の手牌はもちろん、全員の心理も流れも完全に読み切っていました』

『そうなの、すこやん?』

『それやめてよ……。ええ、今のオーラス、須賀選手は間違いなく卓全体を掌握していました。男子高校生の中では図抜けた実力です』

『ではこの新人戦優勝はまぐれではないと?』

『そう思います。春の選抜、来年のインターハイでも頭角を現してくるでしょう』

『それは凄い! 今年度の夏の女子インハイ優勝校、清澄は男子も魔物だったーーー!』

 

「……まずは一つ。必ず辿り着いてみせますよ、師匠」

 

「京ちゃんやった!」

「マジか、あの犬……。ほんとに全国一位獲りやがったじぇ……」

「見事な『読み』でした。さすが京太郎君ですね」

「「……………………」」

「…………いえ、優勝したら名前呼びにしてくれと言われまして。他意はまったくありませんよ?」

「「……………………」」

 

「強ぅなったとは思うちょったが、まさかここまでとは……。のう、久」

「……………………」

「……久?」

「え? え、ええ、そうね。ドキドキしたわ。たしかに少しカッコ良かったかもね」

「誰もそんな事聞いちょらん」

 

「京太郎のヤツやりおったで!」

「凄いで、凄いで……、ようやったで、須賀君……」

「絹ちゃんが泣いてるのよー」

「まさに我が事のようですね」

「それに比べて私はまた不発です……。団体戦は準決で足引っ張って敗退、個人では荒川憩と大星淡にボコられる始末ですし……」

「よっしゃ! お祝いにウチが京太郎のカノジョになったるか!」

「無理ですよ、洋榎には」

「須賀君はオッパイ星人らしいのよー」

「一度完膚無きまでにフラれたやないですか」

「……………………」ズーン

「だ、大丈夫やお姉ちゃん! 私の貸したる! 私の胸もついてくるて言えば勝負できるで!」

「うぅぅ……。なんてできた妹や。おおきに、おおきにやで、絹」

「……それでええんですか」

「絹ちゃんもちょっと頭おかしいのよー」

「さすが姉妹ですね……」

 

「あーもお! 神代には勝ったのに荒川に負けちゃったー!」

「個人全国二位なら立派だよ。私なんか部長なのに団体戦でも振るわなかったし……」

「……龍門渕と臨海が強すぎたね」

「それでも全国団体戦三位、個人準優勝なら立派な成績だ」

「……うん、みんなよくがんばった。おめでとう」

「違うよテルー。キョータローが優勝したのに私が優勝できなかったのが悔しいんだってば」

「……どういう事?」

「だって私のお婿さん候補は優勝したんだよ? これじゃカッコつかないじゃん」

「「「……………………」」」

「ちょっと待て、淡。須賀君は私の結婚相手らしいんだが……」

「なにそれ!? いつのまにそんな事になってたのさ!」

「私が言ったんじゃないぞ!? 龍門渕がそう言ったんだ! しかもネットで一部始終拡散されて……私だって責任とってほしいんだ!」

 

 

さらに カン

 

 

 

 

 

 

 

七年後。

 

「久しぶりだな、坊主」

 

女子プロリーグ、そしてシニアプロリーグとの交流戦。

男子プロリーグでは、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた者がその卓に着く事ができる。

 

「いや、『The Kaiser(皇帝)』だったか? 仰々しすぎる称号だ」

 

目の前の階段を登れば、そここそが夢見た場所。

 

「だが、インターハイ二年連続優勝。インターカレッジ無敗。なみいる実業団相手にも不敗とくれば、そんな二つ名もアリかもしれん」

 

階上から降ってくる声は、七年ぶりに会った師のもの。

 

「実は迷惑してんすよね、その『The Kaiser』っての。そんなチャチなもん、俺一回も名乗った事ないです」

 

歓喜と興奮と緊張で、魂が震えてしまう。

 

「くくく……。あの時ピーピー泣いてた小僧が、でかい口を叩くようになったな」

「俺は凡人です。師匠が判断したんですから、間違いなく凡人。だから驕る事なく、一つ一つ、丁寧に積み上げてきただけです」

 

故にこそ、ここまで辿り着く事ができた。

 

「それでも大したもんだ。あの『アタリ牌連続引かされ』なんぞという馬鹿馬鹿しい技。まさか弱さすら武器にするとは思わなかった」

「あいかわらず辛辣っすね……。死に物狂いで手に入れた力なんですけど……」

「貶しているわけではない。言ったはずだ、大したものだと。プロにはなれんという俺の予想が外れた時、あまりの事に言葉を失った」

「『The Gunpowder』の弟子だって胸張って言い続ける為に必死だったんですよ。それに、師匠との約束が俺を支えてくれました」

 

”そーだ! 俺もプロになりますからいつか対局しましょう!”

 

あの時の口約束を守る事、それが師へできる最高の恩返しだと信じて。

 

「……俺は、あまりうれしくはない。わざわざ鬼の道を選ぶ事はなかった。やはり坊主は馬鹿弟子だったな」

 

それは後悔か。失望か。

しかし、そんな自責の念など見当違いも甚だしい。

 

「まあいい。早く上がって卓につけ『The Kaiser』。馬鹿弟子を叩きのめすのは師の役目だと、昔からのならわしだ」

 

こちらは引導を渡しに来たのだから。

 

「俺、どうしても欲しいものがあるんです」

「ん?」

 

攻撃態勢に入る為、腰を落とす。

師に叩き込まれた絶対不動の構え。

 

「今日から名乗ります。俺の二つ名は、Second(二代目)――」

 

両目に浮かぶ勾玉。

体の周りを衛星の様に回る四枚の鏡。

 

「『The Second Gunpowder』、須賀京太郎。あなたの全てを継ぐものです」

 

たなびく神御衣の後ろ腰に右手を回し、剣の柄を握り込む。

 

「……フハッ! 笑い死にさせるつもりか、坊主? だがまあ、俺が死んだらくれてやるさ。すきにしろ」

「いいえ、師匠には長生きしてもらいます。だから今日もらうんです。あなたをぶち倒して」

 

師を越える事。

技を伝える事。

そして、労わる事。

 

「あとは俺に任せてください」

 

それこそが弟子の使命だ。

 

「十年早い。いいからとっととかかってこい」

 

全身に纏う碧の炎を足に集中。

 

「いくぜ、師匠――」

 

そして一気に爆発させた。

 

「これが俺の全てだ!」

 

これは弟子と師匠の物語。

 

”チッ……、随分とおせっかいな坊主だ”

 

偶然の出会いと別れを経由して、必然の出会いへと繋がった物語。

 

”マジで!? お爺さんプロ雀士なの!?”

 

力のない少年は、力しかない老人と出会い、そしてたくさんの絆を育んだ。

 

”そういえば、師匠の名前なんて言うんですか? 俺は須賀京太郎です”

 

全てはあの日の出会いから。

 

”ああ、まだ名乗っていなかったな、大沼だ。大沼秋一郎”

 

すれ違う筈の運命が交差した時から。

 

”もちろん師匠っすよ! けど、おもちに目を奪われるのは許してください。これは俺が背負う業みたいなもんですから”

”坊主が馬鹿なのは分かった。だからもう妄想を垂れ流すのはやめろ。耳が腐る”

 

二人はきっと仲良しだ。

 

 

スーカンツ

 




これで全~部終~了~。
ジャッキー見たら最終決戦の闘牌シーンが浮かんで、後は整合性の為に後付け後付け。
大沼秋一郎が便利すぎてご都合能力の説明がスムーズに行く事行く事。
即興で走りきれたのは大沼秋一郎のおかげでした。
あと、感想や評価をくれたたくさんの方達のおかげでもあります。
優しい感想ばかりで、みんなホントありがとうねー。
それじゃ。

次は京太郎のドロッドロの仲良し(笑)清澄とか書いてみたいなぁ……。


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