机上にて描く餅(短編集) (鳥語)
しおりを挟む

枠外の半妖

 深々と雪が降り積もり、店の周りを埋めつくしてしまっている。

 閑寂とした雪面には傷一つもないまっさらな白を広げ、辺りには人の気配どころか獣の気配すら感じとることができない。どこまでも静かで、冷えきった世界。

 多分、どこかで冬の妖怪か何かが猛威を振るっているのだろう。今年の冬は格別に季節の色が濃いものである。

 生物が活発に動き回るには、どうにも身体に優しくない寒さ。何処かしら頭の軽い妖精たちだって、こんな日は活動を自粛して住処である木々に引きこもっていることだろう。自然と密接に関係し、植物や生物の精気に具現している者なら当然……それらを食物として摂取し、肉体を動かすエネルギーに変換しているものならば、当たり前のことである。

 無論、氷や光といった無生物的なものから具現した妖精などもいるだろうが……あれらはある意味、生物とみなしていいのかすらも微妙なところだ。

 勘定に入れる必要もないだろう。

 こんな日は、本でも読んで外にでないのが生物のあるべき姿なのである。

 

「……」

 

 燃料の当てもつき、何とか日常使っている程度には機能を保っているストーブによって店の中の温度は程良い暖かさに保たれてはいる。

 しかし、やはり、店外のそれまでも溶かしてしまうほどの威力までは期待できない。もしかしたら、もっと大量の燃料と暖房器具があれば可能なのかもしれないが、それらを手に入れられる可能性は恐ろしく低い。

 精々、僅かな排気熱によって窓枠につららができる程度、逆にその処理に手を回される有様だ(大体は放って置いているが)。

 加えて、昨夜の大雪はどうやらこの店の積載量ぎりぎりの所まで迫っていたようで、何やらぎしぎしと木々の悲鳴のような音が時折聞こえてくる。

 まだまだ大丈夫だろうとは思うのだが、この冬の猛威から察するに、さらに連続して同じような大雪が降る可能性もある。

 そうなれば、危ういラインぎりぎりのところで保っているこの店も、耐えられずにその重さに押しつぶされてしまう。ひいては、その内にいる僕と貴重な道具の数々も。

 それは重大な損失だ。

 今のうちに、日がでている日中の内に、ある程度雪を降ろしておいて方がいいかもしれない。

 こんな状態ではお客もこれないだろうし。

 

 とはいっても、身体こそ丈夫であれど、僕はとんと肉体労働には向いていないのだ。

 屋根の上での雪かきなど、恐ろしい重労働にしか思えず、ついつい、尻込みしてしまう。

 昨年においては丁度よい労働源があって、(正当な取引の結果)それら取り除くことができたのだが……流石に、あのおっちょこちょいな少女も、もう一度落とし物をして、店の掃除に一役買ってくれるはないだろう。

 人(客ではない常連)づてに聞いた話によれば、この前にあった異変にも、何かしら顔を出していたらしいし、少しは成長もしているらしい。

 これもこの店で人生経験を積んだ結果といえるだろう。自らの失敗を労働によって対価として償う。それは古来より続く人としての了見を磨くことに繋がり、一種の精神修練とも呼べる代物でもあっただろう。

 だからこそ、彼女も立派に一人立ちをして、今や異変に関わるほどに強く逞しくなった。

 良いことをしたものである。

 しかし、そのためにもう一度同じ失敗をいて、再びこの店に訪れることはないだろう(いや、可能性もないではないが)。ならば、あの鼠の少女に今度は代金ではなく、労働を対価として請求するというのはどうだろうか。

 あんな徳高き代物を失ってしまうような主であるならば、他にも色々と失せ物をしているのかもしれない。

 それを見つけられれば……いや、その失せ物を探すにしても、やはり外出せねばならない。

 この極寒の冷気の中を当てもなく歩き回るなど、どうにもぞっとしない話である。

 よほど脳が天気な者でもなければ、今日のような日に出歩くことなどしない。

 

――カランカラン。

 

「よう! 邪魔するぜ」

 

 ……どうやら、そんな酔狂な輩もいたようだ。

 がしゃんと暴力的な音が立てて、店の扉が開かれた(蹴飛ばされたともいう)。

 

「魔理沙。去年もいったと思うけど、扉は静かに開けないと危ないよ。今回はちゃんと雪もあっただろうに」

「ああ、店の扉まで埋まってた。入るのに苦労したぜ」

 

 ……どうやら、本格的にこの店は埋もれてしまっていたらしい。道理で客がこないはずだ。

 

「寒いからって引きこもってるのがまる分かりだな。客も来ないし、私が来なかったらそのまま冷凍保存されてたんじゃないか?」

「失礼な。ちゃんと窓は開く程度に雪はかいているし、外に出ることのできる通路は確保しているさ」

 

 その窓自体は、ストーブの排熱に確保されたものだが、嘘は言っていない。いざというときの脱出はできる。

 

「はいはい」

 

 そういって魔理沙は、「おお寒っ」と両手を擦りながらストーブに近寄る。どうやら、自分の家にはない文明の利器を当てにしてここにやってきたらしい。

 いつの間にか、僕の前に置かれていた湯呑みをかすめ取り、ずずっと熱そうに啜っている。

 何処までも勝手な様子だ。

 

「まったく、ちゃんと新しいものを用意してくれよ。この寒さじゃお湯を沸かすのも一苦労なんだ」

「おお。もうちょっと温まったらな」

 

 そういって、急須の残りも独占される。

 まあいい。彼女の八卦炉ならば、お湯も一瞬にして沸かすことができる。すぐに追加の分も用意できるだろう。

 ほとほと、彼女にはもったいない代物だ。

 なるべく有用に使ってほしいものだが(作り手での意を酌んだ形で)。

 

「そういや、霊夢は来てないんだな」

「彼女なら昨日お茶を強請り(ねだり)にやってきたよ。今日はあの吸血鬼の館にでも行っているんじゃないかな。あんまりに寒いからパーティにでも潜り込もうかなんていっていた……あの神社は寒いからね」

 

 今頃、人の屋敷でのんびりぬくぬくと、勝手にやっているかもしれない。他人の家にずかずかと、代わりばんこに暖取りにでもいっているのか。

 相変わらず、自由気ままな巫女である。

「ふーん」と興味なさそうに答える魔理沙。

 しかし、わずかに考える様子を見せているのは、それがあの屋敷(正確にはその図書館)に忍び込むのに、吉とでるか凶とでるかの計算を計っているのか。

 何をするのだとしても、僕に火の粉が降り懸かるような事態を引き起こさないでくれればどうでもいいことだが。

 

「さて」

 

 そんなどうでもいいことはそれとして、そろそろ己の手元に目を戻す。

 そこにあるのは、外界の図書……正確には、外界から忘れられてしまった類の書物だ。

 以前に無縁塚で拾い集めた物をこの機会にと整理していたのだが、なかなかどうして面白い。前には、知っているものだとして、目を素通りさせてしまったのだが、なるほど、身近なところに変化という物は訪れているものである。

 

「何を読んでるんだ」

 

 そんな僕の僅かな興奮を察知したのか。

 魔理沙が隣からのぞき込んできた。

 

「うん? なんだこりゃ」

 

 そして、本の中身を見て首を傾げる。

 確かに、よく見なければ、それはわからないものだ。ぱっと覗いて見ただけで、その価値はわからないだろう。

 これはそういう類のものだ。

 

「なんで今更、こんなお伽話なんか読んでいるんだ?」

 

 予想通りに答えに、にやりと口端が持ち上がる。

 やはり、こればかりは外の世界に知識を持っている僕にしか理解できない話なのだ。

 

「これを見て……何もわからないかい? 魔理沙」

「何もって、普通の絵本じゃないか。私も子供の頃に読んだことがある」

 

 それはそうだろう。

 これは古来から広く言い伝えられてきた典型的なお伽話だ。もしかしたら、魔理沙が小さな頃、僕が読んでやったお話もあるかもしれない。

 子供の頃、誰もが聞いたことがあるような話ばかりがここにはある。

 

「そう、これは典型的な昔話さ……けれど、この本自体は外の世界の物だよ。その分、挿し絵がきれいだろう」

「また拾い物で商売か?」

 

 何やら微妙な表情をされたが、そんなことはない。

 これは非売品にする予定の物なのだから。

 

 そういうと、彼女は訝しげな顔をする。

 

「うん? あっちには貴重品しか残さないんじゃないのか」

 

 そういって指を指すのは店の倉庫。

 貴重品ばかりが眠る宝の山である(霊夢は失礼なことにガラクタの山だといっていたが)。

 

「そう。これは貴重品なんだよ。外界の文化を探るためのね」

「文化を探る? その子供用っぽい本が?」

 

 やはり、わかっていないようだ。

 この本の価値は、それがないことに意味があるのだから、ある意味では当然のことだが。

 しかし、その目が僅かにぎらついたのを僕は見逃していない。わからなくとも、それが価値があるというのなら、一応借りていってやるか、何てことを考えていても、魔理沙ならおかしくはないのだ。

 やれやれ、これはそういうものとしての価値はないのだと説明しておかなければならない。

 僕はため息をついて、その頁を開いた。

 

「子供の本……つまりは、幼児を育成する上に置いて、その根となる幼少時の知識。その道徳感の成長と文化的基礎の部分に影響を与えるものだ」

「それがどうかしたのか?」

 

 机の下にあるもう一方。

 この世界に昔から存在する方の一冊も取り出して、同じように頁を開く。

 そして、それを逆さまに向けて魔理沙にさしだした。

 

「その頁をよく見てくれ。それは昔からこちらに存在するものだし、君も読んだことがあるだろう」

「ああ。知っている場面だな」

 

 うんうんと懐かしそうにそれを眺める魔理沙。

 話のよっては知らないものもあるかもしれなかったが、どうやら大丈夫なようである。

 

「では、こちらの外界の物と見比べてくれ」

 

 先に開いていた方、先ほどまで僕が目を通していた方を渡す。頁は大体同じ量であったので、同じ場面にあたっているはずだ。

 

「それで、何か気づくことはないかい?」

「うん? んんん……ありゃ」

 

 しばらくして、魔理沙が何かに気づいたように声を上げた。

 どうやら理解したらしい。

 

「いくつか、なくなってる場面があるな」

「そう。そうだよ。それが重要なんだ」

 

 同じようにいくつかの本を取りだし、机の上に並べてみせる。どれも、同じように場面が削られていたり、変更点があったり……本によっては、結末自体が書き換えられてしまっているものすらある。

 

「削られた場面。書き換えられた結末。これらは、それを聞かせる幼児たち――引いては、次の世代を担う者たちに何を学ばせたいか。何を伝えたくなかったのか、という文化的な下地の変化を示している」

「下地?」

「つまりは、常識というものだよ」

 

 わけがわからないという表情をする魔理沙に、続きを話す。これは、僕がこの資料たちを見比べて理解した、外界で何が起こっているかという仮説だ。

 そう外れてはいないだろう。

 

「これらの削られた場面、書き換えられた内容には、一定の共通点がある。残酷性、道徳感、風土やしきたり……人々に常識として根付いていた文化の一歩目といった部分ともいえる箇所だ。その部分が大きく削られてしまっているんだよ」

「それじゃあ、何も教えられないじゃないか。これは道徳や常識を教えるためのものなんだろう?」

「ああ、それをあえて教えないでいる、ということさ」

 

 ますます、首を傾げる魔理沙。

 やはり、これは長く外の世界へと興味を持ち、その見聞を広めてきた僕だからこそ理解できることなのかもしれない。

 

「それじゃ、意味がないだろう?」

「いや、それでも学ぶところはあるんだよ。話の大筋は変わらないわけだからね」

「……?」

 

 また頁をめくる。

 今度は絵のついている部分。

 外界のものでは削られてしまっている箇所だ。

 

「そこから削られてしまっているということが重要なんだよ。今まで常識であったものが、そこから、削られて非常識の知識と変化している、ということだからね」

「常識と非常識」

「ああ、この幻想郷にも大きく関わる概念だ」

 

 忘れられたものと失われたもの。

 そして、忘れさせたものと失わせたものだ。

 

「この本を見れば、極めて能動的にそれが排除され、次の世代に受け継ぐことを阻止されていることが理解できるんだ」

 

 子供の頃。

 幼い記憶に残る誰もが知っているお伽話。

 その中から、ある一定の部分を引いておくことで、それがなかったことにしてしまう。人々の常識から外してしまおうとする。

 元を知っている人間たちも、その物語の大筋自体に大きな変化はないため、そうそう気づくことはない。それは、極めて巧妙に行われている。

 

「そんなことして、何の意味があるんだ?」

「さてね。もしかしたら、それを忘れさせることによって、自分たちがその恩恵や利益を独占しようとでもしていたのかもしれない」

 

 知識や記録を独占することで、自らたちだけのものとしてそれを利用する。自分たちだけだ、皆の知らないものを使って得をするのだ。 

 なかなかうまいやり方である。

 

 しかし、問題点もある。

 それは、その知っている自分たちがいなくなってしまえば、それらの力も一緒に忘れ去られてしまうということだ。正しく知識が伝えられていなければ、次の世代の者たちにとってはそれらは何の価値もないガラクタにしか思えずに、有用にも思えない。力は、力としての能力を失ってしまう。

 宝の持ち腐れ。猫に小判として、いつのまにか忘れられてしまう。

 だからこそ、これらの品はこの幻想郷に流れ着いたのだ。忘れ去られた、非常識のお話として。

 

「ふーん」

 

 魔理沙は生返事をする。

 どうやら、あまり興味を持てない事柄だったらしい。

 これだけ長々と説明させておいて、たったそれだけの返事しか返ってこないなど……あまり釈然としないが。

 まあ、本を持っていかれる心配がなくなったということでよしとしておこう。

 魔理沙は、何やら懐かしそうに頁をぺらぺらとめくっているだけ。多分、大丈夫だろう。

 

 僕は、さらなる発見のため、さらにじっくりと、その物語を見比べる。そこにあった変化、文化的な転換を探る上で、それは非常に興味深かった。

 

 

――

 

 

 

「そういえば、さ」

 

 しばらくしてから、また、魔理沙が声をかけてきた。

 挿し絵の細かな部分を確認する作業を止めて、顔を上げる。

 

「香霖、も……何か、苦労したことがあったのか」

 

 歯切れの悪い。

 いつもさばさばとした彼女に珍しい態度だ。

 その訝しさに目を細めて、問い返す。

 

「何がだい?」

 

 ぱたんと、お伽話の本を閉じて、魔理沙はこちらに顔を向けた。

 どこかばつの悪そうな、気のすすまなそうな様子を僅かに見せて――すぐにいつもの調子に戻っていった。

 

「いや、やっぱさ。半妖だとか何とか、色々と苦労したのかなーと、さ」

 

 その手にあるのは……古典的な物語の一つ。

 とある動物(もしかしたら、妖怪かもしれない)と人間の――俗に言う、恋物語だ。

 その後ろに重なっておかれているのも、そういう類。人と人ならざる者との関わりを描いたもの。お伽話にはよくある類の話だ。

 

「ああ、そういうことか」

「な、なんだよ」

 

 少々、焦ったようにその本たちを後ろに隠す魔理沙。

 そういうところは、まだまだ子供っぽい。昔から変わらない。

 

「人と獣、人と妖……人と人ならざる者。その関わりと、その関わりによってしか生まれない存在。つまり、僕のような半妖について、だね」

「……やっぱり、聞いちゃいけないことかな」

 話したくないならいいんだぞ、と何やら慌てた様子で両手をあげる魔理沙。

 

 ……何を想像したのかはわからないが、随分とまあ、偏った思考経路をたどったものだ。

 多分、あのお話たちに影響されたのだろう。

 

「まったく、子供じゃあるまいし」

「な、なんだよ」

 

 思わず吐き出した嘆息に、おどおどとする。

 こういうときだけは、妙にしおらしい。

 

「何を考えたかは知らないけど、魔理沙が想像しているようなことは、僕には当てはまらないよ」

「そう、なのか?」

「ああ」

 

 どこか安心したように、肩を落とす。

 それとも、面白い話を聞けなくてがっくりとしたのか。

 しかし、ないものはない。

 

 そもそも……

 

「そもそも、異類と人間の関わりというもの。そんな関係を材料として描かれた物語は悲しき結末を辿ることの方が多い」

「……」

「そんなことは嘘っぱちだよ」

 

「うん?」と訝しげな顔になる魔理沙。

 それを面白く眺めながら先を続ける。

 

「つまりね。それはお話なんだ」

「あ、ああ、そうだな」

「それは虚構。人が語るもの。人に聞かせるもの――つまりは、物語だ」

 

 こういうと身も蓋もないような気もするが、まあ、今はそういうものだということにしよう。本当にあったことだったにせよ、誰かの作り話だったにせよ、それは、誰かに話され、また読まれるための物語としての形態をもっていた。

 つまり……

 

「それは、人の口にあがるもの。皆が興味をもつ、それなりに聞きたくなる話。面白い話であったということだよ」

「面白い? これが?」

 

 意味が分からないといった感じの様子だが、それは事実だ。

 

「人がただ、『幸福』であったというだけでは物語にはならない、ということだよ」

 

 ただ、誰と誰が結ばれて、そのまま幸せに、平凡に暮らしました――では、お話にならないということだ。

 

「話の山と谷、めりはりや抑揚。そういった感じに、物語にはアクセントが必要なんだよ。人は、当たり前の話よりも、誰かの苦労や苦難の話。それを乗り越えたり、乗り越えられなかった話を好む」

 

 だからこそ、悲劇は悲劇と呼ばれるのだし、悲しい結末を迎えた物語の方が印象深く、後々の世まで人の記憶に残っている。

 それは、ある意味では、目立った者勝ち。悲しい話の方が……人々に『ウケる』もの。

 

「確かに、半妖という身において、それなりの苦労はあったさ――けれど、それ以上に利潤となる部分の方が多い」

 食事もあまり必要としないし、病気にもなりにくい(ならないことはないが)。その恩恵にあやかって、こうやって日がな一日本を読んでいることが出来るのだし……金銭的な実入りが少なくとも、それなりに生活していくことは出来る。

(こういうと、いつもなら「道楽商売だぜ」などといわれそうだが、「誰かさんたちがつけを払ってくれれば、もう少しましになるんだけどね」と返したい。)

 

「そもそも、君は半妖という存在がなぜ忌避される者、不遇な縁に縛られたものだと見なされるかわかるかい?」

「どういうことだ?」

 

 それは間の存在。

 人と妖怪を半々と得たもの。

 

「半妖という者は災いを招く。人と妖怪の間にある混ざりものとして迫害の対象となる」

「よくあるよな。パチュリーのところの本にもそんな内容の話があった気がするし」

 

 そういうことも、あったのかもしれない。

 そういう時代も、確かにあったのだろう。

 魔女や吸血鬼がおそれられ、その退治が盛んであった時代も確かにあったのだと聞いている。そういう存在、人と違う存在が認められないことも多くあった。

 しかし――それは常々、ごく一部の話だ。

 古来より、人々の口に上る話はその一番目立っている部分が切り取られて話されることが多い。それが、当たり前の日常、目立たない平穏であるならば、言葉に出す必要すらないのである。

 

「元々、古来より異類婚姻譚というものはその終わりは悲劇として、悲しきものとして綴じられる――そう語られるものとされているんだよ」

「語られる?」

 

 つまりは、この幻想郷にいるものたちと同じ。

 

「幻想……妖怪たちと同じ、語られることによって形を得たもの、ということだ。そして、語られる話というものは応々として脚色される。女が蛇となり、鬼となり、神となり、と変わっていくように」

 

 伝奇や伝説。説話や寓話に変化は憑き物だ。

 むしろ、そっちの方が本命といった方がいい。元々あったものが、人々の望まれる形に変わっていく。

 

「人が聞きたいもの。皆が楽しめるものに」

 

 時間をかけて、時代とともに変化する。

 先に述べた常識と同じように、誰かの意向によって変化を加えられることもある。

 

「そして、その中でも人の機微に触れたもの。面白いと楽しまれたもののみが残っていく」

 

 そこまで話したところで、先ほど、魔理沙が注ぎ直した湯呑みを傾けて、口を湿らせる。

 そう、こうやって、お茶を飲みながら口にされるような世間話程度のものに、正確さなど求められるはずがない。

 往々に、大袈裟かけて針も棒ほどの大きさとなる。

 

「人は、自らに訪れる災難や苦難を恐れながらも、それが別の誰かに訪れたものだというものならば、悲劇を聞きたがるという性質をもっている。美しいこと、素晴らしいことは、趣深く、また、儚きもののなかにこそ現れる。悲しみを負ってこそ、物語の中には起伏が生まれ、深みと重みを増す」

 判官贔屓という言葉もあるように、人は悲劇が美化されることを好むのだ。そういう物語が受けるものだというのは、歴史が事実として証明している。

 

「だからこそ、異類婚姻譚は悲しみに綴じられなければならない。そうでなければ、物語は成立しない。」

「どうして?」

 

 ここまで言っておいてわからないのか。

 それとも、ただ話をちゃんと聞いていないだけなのか。そろそろ口を動かすにも疲れてきた。

 

「――君は、誰かが普通に結納をし、普通に祝福され、普通に幸せに暮らし、普通に最期を迎えた。そんな話を面白いと思うかい?」

 

 彼女は、一瞬沈黙してから首を振る。

 

「つまりは、そういうことだよ」

 

 そう綴じて、説明を終える。

 

 そう、そういうことだ。

 そして、ここは幻想郷。

 忘れられたもの。幻となってしまったものが集まる場所。

 ならば、そういう話がいくら転がっていてもおかしくはない。当たり前過ぎるほどに、普遍に訪れる出来事で、その辺りに掃いて捨てるほどに転がっている。

 当たり前の幸せというものは。

 

「……だから、半妖だからといって絶対に不幸に見舞われている、ということはありえない」

 

 わかったのかわかってないのか。

 魔理沙は「ふーん」とだけ返事をして頷いた。

 まあ、これ以上語る気力も起きないので、それでもいいだろう。わざわざ無理に理解してもらう必要もない。

 今の幻想郷。現在に覗く(多少、危険なところもありながらも大体は)平和な姿は、人と妖の垣根がさらに下がっているということを表している。

 下手すれば、里人の中に半獣や半妖といった存在がどんどんと増えていく可能性だってある。その境界はかなり曖昧となって、人と妖は時代にあった新しい形へと変化していっている。

 それが迫害さえる時代など、とうに過ぎ去っている。もはや、古い時代の常識だ。

 この幻想郷においても。

 

 

「だから、大丈夫だよ」

 

 

 

 

 

 

 そんなことより、今考えるべきことは――

 

「……そういえば、入り口が埋もれていたといっていたな。それを、どうやってそれを掘り出したんだい?」

 

 魔理沙はいつものほうきしかもっていない。

 それでは雪を掻く作業などできないだろう。

 

「ああ、それは勿論」

 

 そういって、魔理沙が取り出したのは、先ほど自分で考えていたもの。なるほど、確かにそれを使えば、雪などすぐに溶かしてしまえる……多少、辺りが水浸しになってしまうが、まあ、このまま雪の重みにつぶされてしまうよりはましだろう。

 ならば、あとはどう宥めすかして、魔理沙を動かすか、だ。

 

「何か食べたいものはあるかい?」

「どうしたんだよ。急に」

 

 とりあえず餌で釣ってみることにして、空になった急須を手に、台所へと足を向けた。

 はて、何の材料が残っていただろう。魔理沙の好物はあっただろうか……なんて思考を巡らせて。

 

 

 ツケを盾にとってしまえばいいのに(借りがあるとはいえ、それを魔理沙は知らないのだから)、僕は、とんと魔理沙には甘いらしい。こういうところがあるから、僕はつけ込まれてしまうのだ。

 ただ、それでも……

 

「ああ、そういや茸ももってきたんだっけ」

 

 そういって一緒に台所の方に入ってくるこの少女は憎めない。霧雨のおやじさんには大きな恩があることだし、まだまだ、彼女は子供なのだ。

 

 なら、もう少しの間くらいはいいだろう。

 すこし綺麗になった気がする空気を吸いながら、そんなことを考えた。

 

 

 




 

  

 香霖堂風に(うまくできたかはわかりません)。
 物語と登場人物のやりとりと
 幻想郷においての半妖はそれほど苦労するのだろうか、という疑問から。
 物語になりえない話について


 裏設定
 霖之助が取り出した古い絵本は昔魔理沙に読んであげたものが混ざっている(本人も忘れている)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

塩の逃げ水

 短めですが、様々な書き方を練習件試しといったところ。
 毛色は違っていますが、よければお試しを。


 

 やあ、あなたが件の外来人か。

 初めまして、私は上白沢慧音。この人里で寺子屋を営んでいる者だ。いつもはそこで教鞭をとる立場にある。

 この度は、あなたを里に迎えるに従っての案内を務めさせてもらうことになった。宜しく。

 ……何、そう緊張することはない。

 何せ、こちらに居着くことになる外来人など珍しいものでな。最初はみんな、色々と外の世界の話を聞きたがってうるさいくらいかもしれないが……実際、私も色々と質問してみたいと思っていることがいくつかあるんだ。

 どうかな? 案内が終わった後にでも歓迎会も含め、里の居酒屋で一杯ぐらい。

 ……ああ、いや。少し話がずれてしまった。

 

 すまない。話を元に戻そう。

 まず、外来人である君がこの幻想郷で一体どうやって生活をしていくかということだ。この先ずっと里で生きていくのなら、まずは仕事を探さなくてはね。

 え、ここに住むことにした理由は聞かないのかって?

 ああ。それは別に気にするようなことじゃない。話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなくてもいい。

 まず、この幻想郷に訪れること自体が、いわゆる曰く付き……ある程度の事情があるということだからね。

 皆々、それぞれに特別な事情がある。

 自分のことを話したくないものも多いのだから、わざわざ相手のことを探ることもしない。

 それも、幻想郷(ここ)での一つの礼儀というものだ。

 ……無論、危険人物に関しては当てはまらないのだが。

 見る限りでは、君にその心配はなさそうだし。一応、しばらくの間は警戒されるかもしれないが、まあ、普通に暮らしていれば、大丈夫。皆そのうちに受け入れてくれるさ。

 それよりも、何をして暮らしていくのか、というのを今の内に決めておかないと……後々、面倒なことになってしまっては私も困る。

 働かざるもの食うべからず。

 これはどんな場所でも共通した概念だ。しばらくの間は、皆、君のことを歓迎し、世話も焼いてくれるだろうが……ずっとそれを期待することはできない。

 君も、いつまでもそんな状態じゃ肩身が狭いだろう。そのためにもまず、手に職をつけておかなければ。

 その仕事によって、住む場所なども追々決め手いけばいい。ずっと、里の集会所を使わせているわけにもいかないしね。

 それで、君は外の世界で一体どんな職業をしていたんだい。何か特技があるのならこちらでも……。

 何? 板前?

 なるほど、料理人か。

 外界の料亭で主に魚介を扱っていた、と。

 ああ、それなら、里にある料亭や食堂を回ってみれば、働き口が見つかるかもしれないな。

 外界の調理法に興味を持つ者もいるだろう。上手くいけば、店の宣伝にも繋がるし、歓迎してくれる可能性もある。

 まあ、腕にもよるだろうが……。

 よし! それではこうしよう。

 まず、今度の寄り合いで君の腕前の披露してもらう。丁度いい自己紹介になるし、どれほどのものかという試金石にもなるだろう。

 里の顔役たちは、勿論参加しているし。上手くいけば声がかけてくれることもある。

 

 どうだ、自信はあるか?

 ……なかなか乗り気のようだな。

 よし、ならばそうすることにしよう。私も参加するし、君の料理を愉しみにしているよ。

 

 ん? 材料の調達?

 ああ、そうだな。それは私が手配しておこう。

 何、寄り合いにでる料理は皆が里の管理のために集めた積み金からでることになっている。差し入れはいつものことだし、気にすることはない。半分は、疲れを癒すための宴会のようなものでもあるからな。

 里人なら誰でも参加可能だ。美味しいものであるなら誰も文句は言わない。

 おや、少し心配になったか。

 まあ、大丈夫。外来の料理人というだけで随分な話題性がある。もし、腕がなくとも見習いからということで雇ってもらえるさ。

 それは失礼だと? なら、頑張りなさい。

 

 

 では、肝心な材料だが。

 ……ああ。この辺りで手にはいるのは主に川魚や山菜の類、あとは里で栽培している米や野菜といったものだな。

 海に関するものは……うん。見ての通り幻想郷には海がない。しかし、それが絶対に手に入らないというわけでもないんだが。

 ああ、時期にもよるが……直接みてもらった方が早いかな?

 丁度、あっちに魚売りもきている。

 覗いてみよう。

 

 

 

 やあ、親父さん。

 今日の出入りはどんなものだい?

 ああ、山女に岩魚……これは鯉か。随分大きいな。なかなか型もいい。井戸にでも浸けて臭み取りすれば美味しいだろうな。

 ん? ああ、こちらが件の外来人だ。

 これから世話にもなるだろうし、顔を覚えてやってくれ。そう、君もちゃんと自己紹介しておきなさい。

 ……よろしい。

 それで、それにも関わることなんだが。

 どうだ? 最近にあれ(・・)の出現はあったのか。

 まだない、か。周期的にはそろそろだと思うんだが……いや、大丈夫。すぐに必要というわけじゃない。

 ああ、それは今晩のおかずにぴったりだな。彼を案内した帰りにでもまた寄らせてもらうよ。

 ありがとう。

 

 

 ……さて、どうするかな。

 どうやら、海産物の類は入ってきてないらしい。それ以外でも大丈夫か?

 なんとかなりそう、だと思うか。あまり自信はなさそうだな。

 ふむ、どうするべきか……ん、おやじさん?

 どうしたんだわざわざ?

 何、あれが現れた? 里から少し行ったあたり?

 ……君は、なかなか強運の持ち主のようだな。上手くいけば、取れたての新鮮な海の幸が味わえるかもしれないぞ。

 ほら、あっちに漁師の皆がかけていく。

 

 よし、どうせなら見に行ってみようか。

 君にも良い勉強になるだろう。

 

 ……この幻想郷をもっとよく知るためのね。

 

 

 

 

 

 ……。

 よし、あそこだ。

 だいぶ遠いが……なんとか追いつけそうだ。少し走るぞ。

 

 ん? あれは何かって?

 いい質問だ。ちゃんと疑問を人に尋ねることは君の成長に繋がる。その気持ちを大事にしなさい……ああ、いや、すまない。いつもの癖が出てしまった。

 何だか君が寺子屋の生徒たちをダブってしまってね。まあ、こちらに来たばかり。何も知らないという子供のような状態だからそう思ってしまったのかもしれない。

 ああ、いや、君を軽んじているつもりはないんだ。職業病からくるちょっとした癖のようなものさ。

 気にしないでくれ。

 ……私からすれば、みんな子供のようなものだからな。

 ああいや、何でもない。

 

 

 では、改めて。

 君は、『逃げ水』というものを知っているか?

 ああ、そうだ。決して捕まえられぬ水。近づいても近づいても近寄れない。幻の水、というものだ。

 蜃気楼の一種。目の錯覚による現実には存在しないものとされることもある。

 あれも、その一種だよ。ただし、捕まえられる逃げ水、というものだけれど。

 矛盾している? いや、厳密には逃げ水ではないからね。ただ、似ている。場所を変えて移動する水場というものだから、それに例えているというだけだ。

 何、わかりづらい?

 ……うん。よく生徒たちにもいわれるんだが、私の説明はそんなにも難解なんだろうか。だから皆、揃って面白くないと。

 ああ、いや、すまない。これは私事だ。忘れてくれ。

 それよりも……ああ、追いつけた。

 これが幻想郷における海の幸を得られる場所――漁師の仕事場だよ。幻想郷でとれるほとんど全ての海産物はここから採ることができる。

 ああ、ただの湖にしか見えないだろうな。

 しかし……少し掬って舐めてみてくれないか? 大丈夫、毒じゃない。

 

 ……。

 はは、ひどい顔だな。

 けれど、わかったろう。しょっぱいんだ。

 これは海の水。正確には、それに極めて近い水質の湖なんだよ。

 この中には、様々な魚介類。主に、海に住むものたちが暮らしている。この海のない幻想郷にはありえないはずの、海の幸が唯一生育している場所なんだ。

 ほら、向こうから漁師が網をもって走ってきているだろう。あれを使って、魚介を仕入れ、それを魚屋や料亭に卸す。この幻想郷で僅かにしか採れない海産物を扱う者たち、それを専門として働いている者たちだ。

 時折だけ現れるこの湖を出現を嗅ぎとって、その居場所を探り、成果を得る……長年築いた勘と経験がものをいう商売だ。

 ある程度時間が立ってしまえば、この湖はあとかたもなく消えてしまうからね。

 勿論、その中身も一緒につれて……まるで幻のように消えてしまう。それを探る術を持っているのは、彼らのような職業の者たちだけだ。

 生粋の玄人だよ。

 その姿勢は見習うべきものだな。

 

 ……うん? 結局この湖は何かって?

 ああ、先にも言った通り『逃げ水』……居場所を変えて、この幻想郷において、さまよう湖の一つ、というものだ。

 一説には、海のないこの幻想郷で塩を穫るため、海産物を得られるようにと妖怪の賢者が用意したとも言われているが……その前、この土地が隔離された場所になる以前から、あれは存在したという話もある。

 さまよう湖。移動する湖の中に、一つだけ存在する塩の湖。それは、その中にある昔話の臼が落ちているためだとか、湖自体が一種の妖怪であり、それがたまたまそういう性質を持ったのだと考えている者もいる。

 ……つまり、何もわかっていないということだ。

 わかっているのは、ただ、この湖が周期的に幻想郷を回っているのだということと、そこには大量の海の幸が眠っているということ。

 それに、それが、人々にとって大変と珍重されるものだということだな。

 昔、この湖の謎を明かそうと素潜りで潜ってみたものいるそうだが、何やら底の方ほど広くなっているようで何処に通じているのかすらもわからず、途中で諦めて帰ってきたらしい。

 もしかしたら、この底にはそれこそ人知を超えた何かが眠っているのかもしれない。私たちは、その僅かなおこぼれを授かって生きている……といってしまうのは過言か。

 とりあえず、これが私たちにとって便利で、命綱にもなっている大事なものだ、ということには違いない。

 たまにしか現れないが、得られる実りは計り知れないものがある。久しぶりに、美味しい海の魚介が食べられるし。

 生活として、また、文化や歴史の観点からしても、この湖は本当に貴重な存在だ。だから、皆、ある種の信仰すら持っているのかもしれない。

 怪しきもの、人知を超えたもの、素晴らしきもの、必要なもの――一説にはこれを神と崇めるものもいる。

 ああ、そうだ。

 八百万。この国の主要な概念の一つだな。

 うん。よく勉強している。

 

 

 ……と、忘れていた。

 

 では、材料調達といこうか。

 丁度いい。あの漁師たちに声をかけて、直接交渉してみるといい。上手くすれば、得意先の料亭なども紹介してもらえるかもしれないし、君にとっても、彼らに顔を知らせておくのはよいことだろう。

 まずは、行動してみることだ。

 頑張りなさい。

 よし、その意気だ。

 私はここで待っている。

 

 

 ……さて。

 そうなると、少し時間が空いてしまったな。

 彼が交渉を終えるまで、どうするか……ん?

 ああ、これはこれは。妹紅殿じゃないか。こんな所でどうしました?

 釣り? それなら、私もご一緒してよろしいですか?

 上手くいけば、釣った魚を美味しく料理してもらえるかもしれませんよ。

 ええ、後で私の家によってもらえれば。

 なに、焼いただけでいい?

 そんなことはいわずに。どうせまた、ろくなものを食べていないんでしょう。たまには、ちゃんとしたものを食べないと……。

 ああ、そういえばこの前里で売っていた筍の評判は良かったですよ……そんなに照れなくても、みんなもっと、里に来てほしいと思って。

 ああ、それにこの前案内してもらった者も……。

 ええ、元気に……。

 

 

 

 

 

 

 

 





 幻想郷に海がない。
 けれど、海産物が全然手に入っていないようにも思えない気がしましたので、このような妄想を。
 結局のところ、どうなんでしょうね。


 なんとなくの想像。

 慧音は相手が年上であったり、外向きの会話では敬語を使っている?(あくまでこの話のみの設定です)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖の境界

語り風三人称。



 降り注ぐ陽光と、ぽかぽかとしたぬるま湯のような気温の中、いつも通りと神社の縁側でお茶を啜っている。脳天気に息をつき、脳天気にぼやっとし、何も考えていない姿で、そこに座っている。

 暢気に平和な、その少女――自称・楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。

 幻想郷のパワーバランスの一角、というよりも、その中心として重要な役割を持つはずの博麗の、さらにその中でも飛びきりの才能を持っているといわれる……いや、ほとんど誰もそんなことは知らないのだけれど、そうであろうはずの彼女は、今日も今日とてのんびりと。

 いつものおざなりな掃除を終わらせて、やることもなさそうにぼうっとしていた。

 ずずっと、湯呑みを傾ける以外、まったくといってもいいほどに動かない。

 どうにも、ゆるい。

 

「……?」

 

 その彼女が、何かに気づいたようだった。

 ただでさえ人里離れた場所に存在し、妖怪の巣窟として人々に噂される神社において、ほんのわずかにだけにある数少ない来客の一人――金色の髪に、白と黒の衣装を纏う。

 

「お、おーう、れいむー」

「……」

 

 頭をぐらぐらとさせた、妙に不格好に背の高い。

 黒の帽子に黒のマントを着込んだ魔法使い。

 

「まりさだぜー」

 

 そうきりさめまりさ、その人で――

 

「あんたら、何やってんのよ」

「うきゃあ!」

 

 頭が吹っ飛んだ。

 そのまん丸い頭がごとりと音を立てて転がった。

 

「……わけのわかんない格好して、頼んだお使いはちゃんと済ましたの?」

 

 ごろんと落とされた首……残った身体の、その下から出てきたのは、肩車をした小さな身体が二つ。

 頭のすぐ上を霊夢の放ったお札が通り過ぎ、汗だくだくと顔を引きつらせた橙色とあたふたと言葉を失っている金色の、妖精二人。

 ついでに、その後ろでは飛んできたその生首に飛び上がる黒いのがもう一人。

 

「な、なんでばれ……」

「わからいでか! あんたらねぇ、本当にあれで化けているつもりなの?」

 生まれたばっかりの子狸だってもっと上手く化けるわよ。

 

 そんなことを言いながら、呆れ顔の巫女は、その橙色の額に向けて、ぴんっと指を弾いた。それだけで「わたたっ!」とバランスを崩してしまった二妖精はぐらりと傾ぎ、べしゃりと地面へと顔をぶつけて落ちた。

 当然ながら、痛そうに。

 

「いったあ、何してるのよルナ……ちゃんと支えて」

「い、今のはサニーがバランスを崩したから……いや、そんなことより」

 

 ぶつけた箇所を擦り擦り、文句を言いながら立ち上がった二人に、すっと指した影。笑顔ながらも、どこかしらとおっかなさを持ち合わせた表情で、巫女が立つ。

 

「で、お使いは?」

 

 その迫力に、びくんっと身体を震わせる二人。

 どうしようと後ろを振り向いても、すでにもう一人は逃げ出している。裏切りものである。

 

「こ、ここは……」

「ここは?」

 

 目を瞑って額に手を当てるリーダー。

 口を三角にして、その言葉を待つ相方。 

 

「戦略的撤退よ!」

「あ、待って……」

 

 一目散と背中を見せて逃げる主犯と、慌ててその後を追いかけて――ばたんと転び、涙目になりながら必死でかけていくドジな姿。

 何をしたかったのかもわけのわからない妖精たちのそんな背中を眺めて――巫女は、ほうっとため息をつく。

 流石に追い打ちは止めておいたようだ。

 

「まったく、何だっていうのよ」

 

 そして、ぶつくさと文句を言いながら、再び元の場所に座ろうと

 

「ふふふ、妖精に理由なんて求めても無駄よ」

 

 後ろを振り向けば――にこにこと、楽しそうに愉しそうに笑う少女。

 特長的な形をした白の帽子。そこから伸びる金色の髪は、陽光にきらきらと輝いて、人間離れと整った美麗な顔によく映える――その名の通りの色を主としたひらひらと靡くドレスを淑女然と着こなす少女。

 八雲紫がそこにいた。

 片手には、用意しておいたお茶受けのお饅頭と自分用の湯呑み。勿論、その中身は霊夢が煎れたもの。

 

「お邪魔していますわ」

 

 毒気なく――けれど、悪気たっぷりといった様子で微笑む。

 

「あんたも何を――」

「はい。これ、お土産よ」

 

 激昂しかけた、その眼前に突きつけられる『いきなり団子』というパッケージ。「むぐぐ……」と何かを飲み込むように止まる巫女。

 

「――お代わり用意しなさい」

「はいはい」

 

 「藍、お願い」と八雲紫は呼びかけて……こちらもいつの間にやら上がり込んでいたのか、ふさふさ尻尾の暖かそうな少女が奥から現れ、お盆に乗せたお茶を一組、新たに置いて下がっていった。

 それに……霊夢は、「はあ」と諦めの息を吐く。

 どうにも、こちらは相手が悪い――性質の悪い相手である。諦めた方が賢い身の振り方だろう。

 

 「仕方ないわ」と、霊夢は憮然と呟いて、どかっとその妖怪の隣に座る。そして、九尾の従者が運んできたお茶を一口口に含み……

 

「ああ、安いお茶っ葉しかなかったから勝手に用意しましたの。お気に召しましたかしら?」

「……」

 

 霊夢は何も答えず、ぷいと顔を背けて……そのまま、もう一口とお茶を啜る。それでも、すこしは機嫌が良くなったらしく、先ほどまでつり上がっていた目尻が、幾分と緩んでいた。

 それを目敏く見つめて、紫の妖怪は「ふふふ」と楽しそうに笑んでいる。

 

 それは、いつもの幻想郷の一日。

 とある日の何気ない会話。

 

 

――

 

 

 縁側に並んで座り、その間の盆の上に置かれた団子とお茶に手を伸ばす。

 

 美味しいお茶に舌鼓。

 甘い団子をお茶受けに。

 

 よく手を伸ばすのは、やはり巫女。

 

「――それにしても、相変わらずあなたは妙なのに好かれているわね」

 

 こちらはお茶を少しと傾けて、隙間妖怪は口を開いた。

 眺めているのは――先ほど、妖精達が置いていった白黒魔女を模す丸頭。帽子も飛んでカツラもとれて、もはやただの落書きされたボールにしか見えない。

 

「あの妖精たちのこと? ……なら、勝手に神社の裏に住み着いたから使ってやってるだけよ」

 思ったよりは役に立たなかったけど。

 

 紫の言葉に、団子をつまみながら面倒くさそうに答える霊夢。

 打算を持って使っているのに、どうにも採算がとれていない。その現状に、いささかげんなりとしているといった様子だ。

 やはり、妖精というのは使い勝手が悪いのだろう。

 

「神社の裏、ね」

 

 それを横目に眺めながら――八雲紫は、妖精たちの逃げ出した方向を眺めてすっと目を細めた。

 何かを確認するように。

 

「何よ?」

 

 その様子に霊夢は首を傾げた。

 あの少女達は、少々他と毛色の違う所もありはすれど、たかが妖精――幻想郷縁起にもあるように、調子に乗って無茶な悪戯を行うことはあっても、この胡散臭い大妖怪・八雲紫が気にするような存在ではない。

 

 けれど、その視線は妙に気になるものだった。

 まるで、値踏みするような……何かを危惧しているような、そんな気配が感じられたのだ。

 その疑念に

 

「いいえ、少し気になっただけ」 

 なんでもありませんわ。

 

 紫はふっと微笑んで返す。

 どこからか取り出した扇子で口元を隠し、いつも通りの調子で。

 霊夢はさらにと疑いに目を細めるが、紫は何処吹く風と笑ったままに答えない。疑い深く、胡散臭く、「秘密はあります。けれど、何も答えてあげる気はありません」といった具合にはぐらかそうとする。

 

 暖簾に腕押し。柳に風。

 大妖怪に本音を話せと迫る――それは土台無理な話だ。話したくなければ、梃子でも話さないのが、そういう輩というものである。

 特に、この八雲紫という存在は。

 

「……まあ、いいわ」

 

 何をいっても仕方ないと思ったのか、霊夢は早々に諦めた。

 良きにしろ悪しきにしろ、この妖怪との付き合いは随分と長いのだ。こういうとき、まともな方法で口を割らせることはできないのだと、彼女は知っている。

 

 だからこそ――

 

「それじゃあ、私が勝ったらってことで」

「え?」

 

 不意の一言。

 一瞬、怪訝と固まった紫の隙を見逃さず、右手を振りあげる。拳を固め、鋭い勢いに任せて――紫は、とっさに片手を握った。

 そして、にこりと、巫女の隠した左手(利き手)の形を見極めて

 

「ほい!」

 

 前へ出した。

 目の前にあるのは、固められた拳と親指と人差し指を伸ばした拳銃の形。

 

「あら……?」

「よし」

 

 勝ったのは巫女で、負けたのは隙間妖怪。

 そのまま出された右手に、裏読みをした左手の拳銃は撃ち負けた。紫の反応――その思考までを理解している、付き合いの長さによっての先読み。

 見事に引っかけられて、今度は巫女の方が一枚上手。

 

「さあ、話しなさい」

 

 「ふんっ」と鼻を鳴らし、にやりと頬を持ち上げる――その態度に、紫は「やれやれ」と首を振って呆れるが。

 一応、負けは負け。

 了承してからのもの(勝負)でなかったとはいえ、そんなことはこの巫女には関係がない。己は、勝てると思って応じてしまったし。

 ならば、やはりと負けなのだろう。

 

「仕方ないわねぇ」

 

 妖怪は精神で生きる存在。

 どんな勝負でも、受けてしまったのなら答えてやらねばならない。己の優位を保つため、己の矜持を守るために、決まり事の中でと遊ぶ。

 それを破るのは、己を貶めるのと同じ事。勝負しないのなら、最初から手を出してはいけない。

 

 だからこそ、紫は答えを渡す。

 

「あなたは気づいているのかしら」

 

 周りくどく、解りづらく、意地の悪くと遠回し。

 相手を迷わせ、言葉を狂わせ、答えが答えと確信できないような、霧の中へと落ち込ませる。それが、妖怪の答え――八雲紫の回答である。

 

「あの妖精達の、少しの特別さに」

「……?」

 

 その胡乱さに、霊夢は首を傾げる。

 彼女には、あの妖精達はその他大勢と全く変わらないものに見えているのだ。そこらにいる妖精たちより、少しだけ手強いだけの有象無象。

 

「確かに、何かの能力は持っていたとは思うけど……あんたが気にするほどのものだったかしら?」

 

 一度、あの三妖精が勝負を挑んできた時に、その力の程は味わっている……その詳細は忘れてしまっているが、少々変わっているだけで、それほどの凶悪なものでもなかった。

 わざわざ、追い出してしまうこともない。

 そういう存在だと、判断できるほどのもの。

 だからこそ、この神社の裏に住み着いているのも見逃している。

 

 けれど――大妖怪は笑う。

 

「ええ、今は」

 

 すいと指を動かし、その力によって開いた空間を空に遊ばせながら――にたりと怪しく微笑んだ。

 その隙間から覗くわけのわからない目玉たちも、じとりとした意志を持ってこちらを見つめているようで――霊夢は多少、居心地の悪そうに目を背ける。

 多少と慣れてはいても、あまりじっくりと眺めたいものではない。それは、彼女だからこそ扱えて、見つめていられるものなのだ。

 決して、人が覗くべきものではない――といっても、本当にこの巫女に影響を受けるのかどうかはわからないが。

 ただ、団子が不味くなる要素だとして、視界から外しただけということかもしれない。

 

「けれど……もし、それが強まっていくのなら」

 

 開いた隙間。

 手を伸ばし――ばちんっと、紫はそれを握りつぶした。それは、そこにはまるで何もなかったかのように消え失せて、内側から漂っていた妙ちくりんな空気も引っ込んだ。

 元の清涼な神社の空気が辺りに戻る。

 

「――あんなのが強くなったからって何の意味があるのよ」

 

 それにふっと息を吐いて

 

「いくら妖精の中で強くたって……どうせ、あの氷精程度のもんでしょ」

 

 霊夢はお茶を啜る。

 思い浮かべているのは、大蝦蟇が住むという池の縁でいつも見かけられる妖精の姿だろう。あの元気で間抜けな――妖精にしては、少々手強い氷精も、霊夢達にかかれば簡単に退治できてしまう相手。

 上手いこと使ってやれば、ただで氷が手に入る。その程度の感覚しか持っていない。

 

「そうね。あれも……」

 

 紫は畳んだ扇子の先端を口元に当て、意味ありげな目に細めた。深く、謎めいた空気を醸す、その妖艶な姿に……。

 

「はいはい」

 

 霊夢は「さっさと話しなさい」というようにぞんざいに片手を振る。

 横柄な態度で適当に対応する。

 

「……」

 

 紫はそれに深く息をついた。

 こんなにも己を適当そうに扱う存在など、他の誰にもいない。まったく大したものだと、呆れ半分と……愉しみ半分。いつもはないだろう感覚に少し微笑んで

 

「あなたは、本当に……博麗の巫女としての自覚はあるのかしら?」

「うるさいわねぇ。何もないならさっさとどこかへ行っちゃいなさい」

 退治するわよ。

 

 そんな間違っているようで間違っていない――ようでどこかおかしな気もする態度。

 妖怪(・・)を退治するのが博麗の巫女の本分だと、常日頃から彼女は宣っている。一応、それで合っている、ということなのだろう――随分と自分本位な線引きでそれを行っているようだが……。

 

 一応と片手の指に挟まれたお札に。

 「はあ」とため息をついて首を振る紫。

 

 その二人の間にある空気は――どうにも例えようもなく、緩く撓んでしまっている。

 彼女には形無しで、彼女には片手落ち。

 一笑に付してしまうようなぽやんとした雰囲気。

 相対するには、馬鹿らしい。馬鹿になってしまった気がするほどに、捉われないのが博麗霊夢という存在だ。

 だからこそ、彼女は彼女ではあり――それには、隙間妖怪も呆れてしまうほど。

 呆れて、やる気をなくしてしまうほど。

 

「彼女達は妖精……自然の結晶ともいうべき存在ですわ」

 

 少々、複雑な顔をしてから紫は口を開いた。

 なんだかんだと言いながら、結局は話すことにしたのだ。それはここにいたいと思っているからなのか、また別の理由なのか。

 自身でも、理解しているのかどうかという感覚を抱えながら――語り出す。

 

「そして、徐々にそれから外れている存在でもある――成ってしまう可能性を秘めている」

「……?」

 

 その可能性。

 不変なものが、外れてしまう。

 

「太陽の光、月の灯り、星の輝き――それらは自然現象というものの中でも、特にポピュラーな……普遍であり、人々の意識の中にありながら、そのまま無意識に見逃してしまうもの」

 

 なくてはならないもので、けれど、あることが当たり前のもの。忘れられないものでありながら、いつもは見えていることにすら気づいていない。

 ふと、気づかねば、それはわからない。

 意識せねば、思い出すことはない。

 

「特に、月の灯りは――」

 

 紫はそこで言葉を切って、一瞬だけ霊夢の方へと顔を向けて、それから空を見上げる。

 今はまだ青い、その向こう側にある見えぬ形を眺め――少しと目を瞑る。瞼の裏で、何かを見ているように、そして、何かを思い起こすように。

 

「あの三匹の妖精に……あなたは一体どんな印象を持っているのかしら?」

 

 瞼を持ち上げて、それから聞いた。

 

「……? どうって、ただの妖精でしょう。少しは面倒なところもあったけど、この前やっつけたときもすぐに終わったわ」

 

 確かに、三妖精の持つそれぞれの能力。

 各々が操るその力はそれほど強大なものではない。隠れ潜んで不意を打つことやこっそりとした悪戯に使うのにはもってこいなのだが、いかんせん地力が弱い。

 攻撃を繰り出しても、簡単に避けてしまえる。当たってもそう対した威力も持っていない。

 特に、この博麗の巫女は彼女らが行う『弾幕ごっこ』という遊びの中では無類の強さを誇り、しかも、その中で何をしているのかしていないのか、まったくといっていいほど当たらないことを得意としている。

 まるで、こちらから外してしまっているような、ほとんどすり抜けてしまっているような感覚で、それを避けてしまう。しかも、ほとんど勘のみで。

 そんなものに、たかが妖精が敵うはずがない。

 勝負を始めても、ものの数分持たずにやっつけられてしまう。

 

「そうね。あなたにとってはそうで、今はまだ、ただの妖精にすぎない」

「――今は?」

 

 引っかかる言葉に、霊夢は眉を寄せる。

 その反応に「そう、今は……」頷いて、紫は続きを語る。

 

「あれらは、いつか至るかもしれないもの――そして、あの中で一番それに近いのが」

 

 片手に持ち上げた扇。

 それをぱっと開いて見せて――その内に描かれた夜を見せつけた。

 紫と黒の下地に白の花と月が散った。

 美しく、妖しさを纏う色と図像。

 

「あの月の光を操る妖精――彼女じゃ、あの妖精たちの中で、一番私たち(妖怪)に近い」

「は? あの一番ドジそうなくるくる髪が?」

 

 疑わしげに上がる声。

 そう、あのくるくる髪――ルナチャイルドという妖精は、あの三妖精の中でも一番のドジで、悪戯の最中に置いてもいつも鈍くさくと遅れてしまう。

 そんな――

 

「いつも転んでばっかりの、一番間の抜けた奴じゃない」

「ええ、転んでばかり――何もない場所でつまづいてしまうような、そういう感覚を得てしまった」

 

 紫は笑みを深くする。

「だからこそ」だとでもいうように。

 

「……どういうこと?」

 

 それに何の意味があるのか。

 その『転ぶ』ということに、間抜けだということ以外に何の答えが出るのか。

 

「妖精は自然の結晶。大地に、風に、森林に。様々と、何かを媒介にしてしか、存在できない存在」

 

 辺り全体を指すように、紫はすっと目を細めて視線を回す。

 神社を囲う草木とそこに流れる空気と光の明陰、育む土と吹き込む風と――その全てに感じられるもの。自然が営むものを見つめる。

 

「それは生きている姿を持ちながら、ある一種の現象ともとれる存在。風雨や雷、霜や霧……そういったものと同じように、それが起こる環境さえあれば、勝手に現れる」

 

 何処にでもいて――けれども、いつのまにか消えている。

 形こそはあれど、その力は周囲の情景に倣ったもので、それ以上にもそれ以下にもならない。消えても現れ、消しても生まれ、巡り巡って元へと後へと。

 

「つまりは、その環境が揃っていなければ出現することさえできない」

 

 一回休み、また始まり。

 生まれ落ちて、再び戻る。

 

「――あなたは、なぜ妖精といった存在のほとんどが、あんなにも知識を保有していないものなのか考えたことがある?」

「知らないわよ。ただ、頭が軽いんじゃないの」

 

 天真爛漫――純真無垢に。

 思ったものを、感じたものをそのままに進む。

 

「ええ、とても軽い……何も持っていない存在」

 

 生きることも死ぬことも。

 食事をとることも、悪戯をすることも。

 

 そのままに等分と。

 

「思うままに、流されるままに生き、本能のままに動き回る――生まれた瞬間から、ずっとそのままに」

 

 動物以上に自然のままに。

 風の吹くままに、気も向いて。

 

「彼女らに積み重ねはない。経験を持ち、物事を知り、成功と失敗を繰り返しながらも――そこには、過去も未来も持つことができない」

 

 変わらない。

 変化しない。

 

「時間というものを、己で己を動かすという感覚を知らないから。ただ、自然と生きて、考えは進み、身体は動く」

 

 その必要がない。

 ただ、そうやっていた方が面白そうだと。

 

「妖精たちは、己が何で動いているのかを理解できない。実感を持つことができない。それに疑問を抱かない」

 

 頭は軽い。

 頭は空っぽに。

 

 生まれたまま時のまま。

 

「でも、あいつらは何だかんだと考えて動いていることはあるわよ……主に悪戯ばっかりだけど」

「勿論、時間とともに変わっていくこともありますわ」

 

 妖精も思考する。

 その思考はとても浅く、獣の浅知恵にも過ぎないものだが――それでも、その場限りと思い考える。

 次の日は、忘れてしまうことを。

 

「歳を得て、時間をかけて、万物は他へと変化する――種は芽に。蕾は花に。人は骨に」

 

 それでも、それが重なって――積み重なって変わることもある。

 

「――ふとしたきっかけで、鬼となることも」

 

 ある。

 そういうものが――

 

「……妖怪であり、怪異であり、私たち(規定できぬもの)

 

 自然のままに。けれど、それからはみ出していく。

 規定から外れ、現象から事象へと。

 わからぬものへと変化をとげる。それが怪へ至るということ。

 

 真っ白と生まれた妖精も、己という存在を覚えていく。己の色を知っていく。

 

「なら、妖精が妖怪となることも、何ら不思議ではない――よくある不思議の一つ」

 

 そういうことがある。

 そういうものがよく起こるのが、この幻想郷という楽園だ。

 曖昧なものが、不確定が現れる。

 

「――で、何であの子が一番それに近いの?」

「よく転ぶから、ですわ」

 

 霊夢の疑問に、ふっと笑って紫は応えた。

 冗談めかして――けれど、まっすぐと霊夢を見つめて

 

「それだけ、己の身体が動かしづらいものとなっている――何も考えずに動かせるはずの妖精の身体が、意識しなければ動かせぬものとなっている」

 

 その空論に彼女は何を受け取るのかということを探るように、言葉を重ねていく。

 

「徐々に、自覚も生まれるのでしょうね。触覚や視覚、聴覚にも変化が現れて、味の好みや好む香りも変わっていく」

 

 人の真似であったものが、己の好みというものに。

 好奇心であったものが、自身の望みを原動として。

 

「徐々に、彼女は彼女ではなくなっていく。彼女は、彼女自身を得ていく」

 

 自立し、自覚し。

 自戒し、自学し。

 

 変化する。

 

「いつかは、それは――」

 

 並ぶ三つの身体。

 それは――別の形へと。

 

 残るのか。失われるのか。

 どうなってしまうのかもわからない。

 

「良くも悪くも、彼女は可能性を得た」

 

 そう成れる。

 そう成ってしまう可能性――あの妖精達の中にはそれがある。今、一番早い可能性が彼女にあるだけで、もしかしたら、いつの間にか入れ替わっているかもしれない。

 なるかもしれないし、ならないかもしれない。

 

 それでも、確かにそこにあるのだ。

 

「大きく、『今まで』を捨ててしまう可能性が」

 

 紫は怪しく笑んで、それを言葉とした。

 そして、何かと何かを重ねるように空を見上げて目を瞑り――それから、隣へと向ける。

 博麗の巫女のその表情を眺めるために。

 

 可能性。

 それがいつか壊れるかもしれないと聞かされて――彼女は何を思うのか。興味深く――何か他のものを攪拌させた想いを重ねて紫は見つめる。

 

 そこにあるもの。

 それは――

 

 

「ふーん」

 

 興味なさそうに、空を見上げる少女。

 ずずっと一口とお茶をすすり、平和そうに息を吐く。

 

 いつもの通りのままの姿。

 

「だから?」

「え?」

 

 ほう、と息を吐き出して、霊夢はいった。

 何も変わらぬ――軽い調子に。

 

「だから、どうしたっていうのよ」

 

 最後となった団子を口に放り込み、名残惜しそうにしてから――ひょいっと、縁側を飛び降りる。

 

「あいつらが妖怪に変わったからって、私に何か関係があるの?」

 

 本当に、そんなに興味もなさそうに。

 「うーん」と気だるそうな伸びをして、その背中をさらす。

 

「まったく、三人一まとめになったってそんなに役に立たないんだから、少しくらい変わったって何の変わりもないわよ」

 

 適当な言葉を、適当なまま。

 そのままに紡ぐ。

 

 理屈も理由もなく、確信も信頼もないのだろうけれど――けれど、本当にそうしてしまうのだろう、という自信を見せつけて。

 

「同じように、そのままこき使ってやるわ。三人ともね」

 ま、逆らってきたなら、いつもの通り妖怪として退治してやるけど。

 

 そんなことを宣って、彼女は笑う。

 勝ち気に、何事にも捉われない気軽さで。

 

 それが、博麗霊夢――今世の博麗の巫女という存在。

 

「……」

 

 黙り込んだ八雲紫(大妖怪)

 その前で脳天気に、霊夢は「さて」と辺りを見回して――

 

「あんたたち! お使いはもういいから、境内の掃除を手伝いなさい。落ち葉がたまっちゃって仕方ないのよ」

「……!」

 

 向かい側の茂みへと呼びかけた。

 その言葉に、ぶるりとそれは揺れ――隠れ潜んでいた三妖精の姿が現れる。

 

 「わきゃ!」とか「ひえ!」やら「あらら」なんて素っ頓狂な声を上げて、それぞれを巻き込みながら転んでしまい、急いで慌てて立ち上がる。

 

 そうして――わたわたわたと、博麗の巫女の前まで駆けてきて

 

「了解です。霊夢さん!」

「わかりました!」

「ふふ、あとで集めた落ち葉でお芋でも焼きましょう」

 

 そういった。

 

 そうして始まる。

 妖精を扱う巫女の――噂通り、人以外の者ばかりが寄る光景。

 

 その状況に――

 

「ふふふ」

 

 紫は笑ってしまう。

 

 そう彼女は変わらない。

 たとえその三妖精が時を経て変化して、妖怪となり、害を持つ存在となったとしても――

 

「貴方にとっては、何の変わりもない。いつも通りにとっちめて、それでおしまい――ただ、それだけのこと」

 

 その程度のお話なのだ。

 彼女にとって――今の世の博麗の巫女にとって、相手が妖怪か妖精かなどということは何の関係もない。

 全て等閑に、平等にこらしめて、後は放ってしまう。

 それくらい、無責任で――気ままに、自由な存在なのである。

 

「だからこそ、誰も彼もが、垣根を感じない。なにも考えぬまま、この場所へと集まっていく」

 

 そういうことなのかもしれない。

 そんなことを朧に考えて、八雲紫は空を見上げた。

 お天道様は天気と暢気に、のんびりと雲に戯れている。今日も今日とて、妖精騒がしいいい陽気。

 

 幻想郷は、今日も幻想郷らしく――残酷で、それでいて美しい。

 

 そんな時間が続いている。

 

 

 

 そのまま、続いていく。

 

 

 




 
 妖怪と妖精の間、人と妖の間。
 過程と結果。

 色々と考えてこのように。

 少々語り足らず、といった印象かもしれません。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狸だより


 軽め感じの一人称。
 独自要素強め。


 

 

 片手をぶんと振る。

 手に持った柄杓の底を抜け、風がひゅるんひゅるんと通り過ぎていく。

 くるくると回す度、ぶんぶんと遊ぶ度。

 その感触と軽い音。

 

「ふーん、ふふふーん」

 

 その感触を愉しみながら歩を進める。

 鼻歌交じりに上機嫌。リズムよくと振りながら、時折指先くるりと回転。

 楽しげに振り回され続ける柄杓は、そのまま私のご機嫌な気分を表している。

 そう、今日は休み。

 久しぶりの一日まるごとのんびりできる休暇である。

 

「ああー、久しぶりに羽根が伸ばせる」

 

 降り注ぐ太陽を浴びて。

 幽霊としては少々きつい紫外線。

 

――まあ、それでもたまには恋しくもなるものね。

 

 あの幽霊――神霊騒ぎ。

 とある大昔の聖人とやらが蘇った大事件――そして、それが私たちの暮らす命蓮寺の真下から現れたこと、仏教と苛烈な因縁を持つ仙人なんてものだったこと……そんなものが重なって、大きないざこざとなった。

 訳のわからないいちゃもんをつけられ、どうたらこうたらと面倒事を持ち込まれ、「すわ決闘じゃ」「こりゃ焼き討ちじゃあ!」「やってやんよ!」「拳骨くらいなさい!」「うぎゃー!」「てー!」……と、もめにもめ。

 そんな滅茶苦茶な状況になってしまったところに、業を煮やした姐さん(と向こうの親玉)が、少々ときつい灸を据えて場を鎮静化させた。

 ついでにそこでお互いの力量も確認し合ったようで、何とかと会談は軟着陸、直接ぶつかり合うのは世の中に優しくないと、交渉と話し合いを重ねて取り組みを決め、やっとのところで、落ち着けた。

 

 そういう、忙しい日々だったのだ。

 

「うーん」

 

 ぐっと伸びをして、今までのぎすぎすとしていた空気を追い出す。どう転ぶかもわからないまま、ずっと気を張ったままに缶詰にされていた疲労を、今の空いた時間でリフレッシュするのだ。

 そのために、今晩の食事当番も一輪に代わってもらったのである。

 あとは、何をしてそれを為すか。

 

――どうしようかな……?

 

 とりあえず、いいお天気なのでということで外に出てみたのはいいものの、この先何をするかというのは決めていない。

 ただ、本当になんとなくと足を向けただけ。

 いつの間にか水場に近い方に向いているような気がするのは――まあ、本能のようなものだろう。

 

「――ん?」

 

 そうやって辿り着いた川辺。

 その辺で怪しげに何かを行っている赤黒青の特徴的な後ろ姿。

 

――あれは……。

 

「ぬえじゃない。何やってるの?」

 

 とても飛べなさそうな変な羽根が覗く背、少々、目に悪そうな配色の――現、妙蓮寺の居候……のようなものである正体不明の妖怪。

 封獣ぬえが、そこにいた。

 

「んえ?」

 

 間抜けな声を上げて、こちらに振り向く――と同時に、彼女の周りには何やらもやもやとした霧のようなものが多量に溢れだし、その姿を覆い隠していく。

 それは確かに何とも例えようがない、正体不明な何かであり、白だったり黒だったり、光っていたり回転していたり……何といえばわからないほどに、不安定にぼやけていく。そして、そのままじっと見ていれば、私がそうだと思う正体不明の何か、その代替え品へと変化してしまうのだ。私の認識を使って、その姿を正体不明と隠す。それがぬえの能力。

 その妙ちくりんな何か――彼女はそれを正体不明の種だといい、それを自由自在に操っては様々な悪戯に利用する。前に私たちが起こした異変……姐さんの復活のために頑張っていたときも、その力で色々と引っかき回してくれた。

 まあ、何も言わなかった私たちも悪かったのだが。

 

 それにしても――

 

――目がチカチカする。

 

 直視すれば目に悪い気がする。

 落ち着かなくさせられてしまうその何か。

 

「ああ、なんだ。村紗か」

 

 幸い、すぐに私だと気づいたようで、すぐにそれを取っ払い、元の小柄な少女の姿へと戻った……すぐに逃げだそうとはしないあたり、どうやら悪巧みというわけではないらしい。

 少なくとも、私に対してのものではない。

 

「なんだって何よ……って、あれ? そういえば最近見かけなかったわね」

 

 そして、そういえば、と思い出す。

 いつも食事時となればひょっこりと顔を出し、何だかんだと文句を言いながらも、姐さんや一輪が作った食事を美味しそうにほうばって、後かたづけも何もせずに逃げていく――その後で拳骨か説法を落とされる姿を、ここ最近は見ていない。

 忙し過ぎて見えていなかったのだろうか。

 

「ん、ああ」

 

 そんな私の疑問に、ぬえは煮えきらない調子で答えた。

 頭に手をやりながら、なんだか歯切れも悪く。

 

「何だか、最近忙しそうだったから――あいつらのせいで」

「え?」

 

 どうやら、本当にきていなかったらしい――何やら、後半にぼそりとつぶやかれたところがよく聞こえなかったが、「あいつら」だとか何とか……いったい何の事だろう。

 そう思って聞き直そうとしても「なんでもない」とすげなく返されてしまう。

 

――やっぱり……。

 

 何か後ろめたいことがあるのだろうか。

 だから、命蓮寺近づかなかった。

 

 そう考えて、訝しげな顔をする私に。

 

「い、いや、みんな元気かなーって……ほら、最近色々あったじゃない」

 

 慌てたように手を振って、ぬえは答える。

 確かに、その姿が見かけなくなったのはあの事件の前後ぐらい。しばらく、私たちが忙しく動き回っていたときあたりからである。

 色々と騒がしかった分、皆それぞれ仕事や手伝いやらと気忙になっていた。そのために、彼女が遊びに来ているのかどうかのすらもわからなかったのだ。

 

――もしかして……。

 

 遠慮、していたのだろうか。

 このはた迷惑な妖怪……それでも、確かに私の友人であり、どうやら姐さんにも少しずつ懐いてきているような気もする彼女が、一応と私たちに気をつかい、しばらくと来客を遠慮していた。

 邪魔をしてはいけないと、足を遠ざけていた。

 そういう可能性もある。

 

「な、なによ?」

 

 じろりと見ると、少々たじろぐ。

 なるほど、それが恥ずかしかったのだというのなら、先ほどの様子も多少は説明がつく。普段悪戯ばかりしている彼女だからこそ、そうやって気を使ったことがしれるのが嫌だったのだ。

 だから、それを誤魔化そうとして。

 

「……にしし」

 

 笑みが浮かぶ。

 もし、そうであるのだとしたら……随分と可愛らしくなったものである。

 あの封獣ぬえが、と――揶揄うのにうってつけ。

 

――これはぜひ確かめないと。

 

 もっと突っついて確かな証拠を。

 きっと楽しい暇つぶしになると。

 

 そう考えて、口を開こうとした。

 

 

 

 

 そこに――

 

リン、という音がした。

 

 

「……来た!」

 

 何だろう。

 その出所を捜して周りを見回したところで、ぬえが叫ぶ。

 

「なに……」

「黙って!」

 

「何か」と尋ねようとすると、「しっ」と人差し指を唇に当てて制された。

 そして、姿勢を低くしろと片手で指示し、自分自身も中腰となって屈み込む。

 

「……?」

 

 訳がわからないまま、一応と言われた通りに姿勢を低くする。

 そうして、ぬえの隣に並んでみると。

 

――ん……?

 

 ちくちくとする草むらの間から――覗くのは、川を挟んだ向こう側の光景。がさがさと揺れ、何か(・・)の気配を漂わせる林の様子。

 

「よしよし、こっちこっち」

 

 ぶつぶつと何事かを呟くぬえ。

 その視線とそのがさがさを結んでみれば、そこにある一つの物体――あれは、甘藷だろうか。

 

――そういえば今朝、用意して置いた材料が少しなくなったって……。

 

 そんなことを響子がいっていた気がする。

 なくなったのはほんの少しで、痩せたものばかり。どうせナズーリンが手下の餌にでもしてしまったのだろうと、誰も気にしていなかった。

 

「そうそう、そのままそのまま」

 

 けれど、そこに置かれているのは、確かになくなったそれらと同じ種類のもの。犯人は彼女であったのだ――と、頭の中で、冤罪を訴えていた鼠が妙な格好で指を指す。

 確かに、そうだったのかもしれない。

 けれど、それでは一体何のために、という疑問も浮かぶ。

 

――そんなことしなくても……。

 

 元々、それらは汁物に混ぜ込んで質の悪さを誤魔化してしまおうとしていた材料であったらしいし、あまり足しになるというほどの量もなかった。そのまま譲ってしまっても構わないぐらいの、誰かに言っておけば大丈夫だったはずのことである。

 それなのに、わざわざそれをこっそりと(きっと夜のうちに忍び込んだのだろう。)それを頂戴していった。

 まるで、何かばれたくないことでもあるように。

 

「……」

「ようし、いけるいける」

 

 隣で拳を握る。

 何をそんなに夢中となっているのか――訝しげに目を細める。

そして、再びその見つめているものへと視線を向けてみれば。

 

――あれは……。

 

 茶色い塊――それが、草むらから顔を出した。

 音も無く、するりと地面に降り立ち、そのすぐ側に置かれた獲物を睨みつける。

 辺りを警戒し、しばらくその周りをうろうろとうろついて――ゆるりゆるりと、そこに近づいて。

 

「……」

 

 息を呑むぬえ。

 その真剣な雰囲気に、思わず私もそれをじっと見つめて。

 

「――今!」

 

 その餌に食いついた瞬間、ぬえが片手を振り上げた。

 

 驚き、びくりと動き止めたその頭上に丸い形をしたふわふわと浮かぶ浮遊物体が現れて――ぽんっと、そのカモフラージュが解けて、大きな加護のようなものへと変化する。そしてそれはそのままと重力にしたがって落ちて――その茶色の塊『小さな狸』を閉じこめた。

 

「……」

 

「ぎぃ!」と驚きの声を上げる、哀れな獣。

「よっしゃ、成功!」と喜びの声を上げ、慌ててそれに重石をのっけに行く――一応、古の妖怪の一匹であるはずの少女。

 

 どうにも、よくわからない。妙な光景。

 いったい何をしているのか。

 

「……何してんの?」

 

 その喜びように、若干の混乱を感じながら、それを聞く――よくよくと辺りを見てみれば、同じように何かが落とされたような地面の跡と、ちぎれて微塵となった食べ物の残骸。

 この様子からして、何度もこれを繰り返し――ほとんど失敗していたのだろう。先ほどの鈴の音も、多分、林の方のどこかに結び付けているのか。

 一体何をやっているのだろう、この意味不明の妖怪は。

 

「ん、ああ」

 

 その私の胡乱な目に気づいたのか――ぬえは、ガッツポーズと持ち上げていた両手をぱっと下ろして……「おほんっ」と、少し恥ずしげな様子で咳払い。

 そして――

 

「なんでもないよ」

 

 にこりと笑っていった。

 

――……。

 

 あからさまに怪しげだ。

 何かを企んでいるのは、これで決まりだろう――私の直感はそう弾き出す(誰でも判るような気もするが)。

 まあ、それでも一応最初は信じてみるのが姐さんの教えだ。相手を疑わず、まず信じることから始める

 そのためにも――

 

「……そんなのどうするの?」

 狸汁ってんなら、うちは畜生喰いは御法度だよ。

 

 そう探りをいれるようにして探ってみる。

「そんなのしないって」とぬえは片手を振るが……私の目から疑いが抜けていないのを察したのだろう。

 すっと目をそらして、下手な口笛を吹いた。

 

――こんなに……。

 

 隠し事をするのが下手だったろうか、この正体不明のはずの妖怪は。

 

「……はあ」

 

 一息、何か諦めのような息が出て、それにぬえはびくりと震えた……それからそのまま、じっと視線を向けて、その姿を瞳に写し続ける。

 

「……」

「……」

 

 じりじりと射す日光のように――視線だけで訴えて、その肌を焼く。

「何を企んでやがる」「なんでもない」「お見通しだよ」「なんでもないって」「どうしても答えないつもりか」「何もないんだってほんとに」「……姐さんにいいつけるわよ?」「……」

 

 そんな感じでの、無言のやりとり。

 ぎろりじろりと視線をぶつけ合わせ……とどめに「南無三」と切り札を放ったこちら。

「うぐ」と焦った表情をするぬえに――勝った、と微笑む

 

――ま、そこらはみんな一緒よね。

 

 やはり、なんだかんだと言いながらも姐さんには弱いのだ。お説教を食らいたくはないし、嫌われたくもないのだ(そのくらいで嫌われるはずがないけれど)。

 結局のところは、みんな同じ。

 あの寺から離れない――姐さんの、傍でどうせなら笑っていたいと思う。

 

 だから、それはこの新入り居候の痛いところでもある。

 

「――ほんとなんでもないことなんだけど……」

「なら、別に話してもいいでしょ」

 

 最後にそうやりとりをして、ぬえは息を吐く。

 観念し、やっとそれを話す気となったらしい。地面にどさっと腰を下ろし、嫌そうにそっぽを向きながら口を開く。

 

「……ちょっとね。外の知り合いに連絡をとろうと思って」

「外の……って外の世界の?」

 

 明かされた目的に「うん?」と首を傾げる。

 外の――それは多分、この幻想郷の外、外界のことを言っているのだろう。私たちも地底の妖怪として、結構な年月を地上と切り離されていたのだが……それとはまた別の意味で隔絶しているのが、外の世界である。

 そこにいる知り合い――ということは、まだ幻想にもなっていない存在だ。しかも、この『鵺』が外にいたころとなると、一体いつごろの知り合いだというのだろう。

 そして、それに連絡をとるとは。

 

――そもそも……。

 

 そんなことをどうやって行えるというのか。

 

「ほら、こいつ」

 

 疑問に思った私に、ぬえはくいっと首を動かした。

 そうやって指すのは、先ほどの籠――そのうちにいる狸のことである。

 

「こういう間抜けなの……妖怪に化けることもない長生きしなさそうな奴を使えば、上手くいくかもしれないと思って」

「……どういうこと?」

 

 よくわからない。

 そんな何の力ももたないような狸風情が、一体どうやって妖怪の賢者が作ったというあの結界に太刀打ちできるというのだろう。

 そう質問すると「だから、対抗しないからいいんだって」と答えた。

 

「つまりね。こいつらはどっち(・・・)に居たってただの狸……幻想でも何でもない、ただの動物に変わりないから、ってこと」

 

 ぬえは、そう説明する。

 こういう間抜けな罠にかかる狸――長生きしそうになく、知恵も知識を決して身につけることはないだろう狸は、妖怪に化けるという可能性もほとんど持っていないといっていい。つまりは、こちら(幻想郷)に生まれ、そこで育った存在だというだけで、それは、外の世界にいる固体と何の変わりもないということだ。

 ただの狸のまま、ということなのである。

 

「それがどうし……あ!」

「ね。それなら、あの結界には引っかからないかもしれない」

 

 そういうことである。

 大結界を構成しているうちの一つであるという、常識と非常識を隔てる境界ともいうべきもの。それが私たちをこの世界へと引き寄せて、外の世界とを区分する要ともなっているとされている

 けれど、それは、私たち(幻想)には通じても、そうでないもの(当たり前のもの)には通じないという可能性もあるのだ。いや、むしろそれを異物として外に吐き出してしまうということもあるかもしれない。

確か、一瞬だけこちらに迷い込み、すぐに『何かを思い出して』、姿を消してしまったという外来人の話を聞いたことがある。

 それはつまりは、それが向こうの世界での常識の中にあるものならば、それが外に出ていってしまう可能性もある、ということではないのか。

 

「なるほどそれなら――」

「ね。いけそうでしょ」

 

 そういうことなら、もしかしたら。

 いや、けれど。

 

「――けど、それじゃ意味がないじゃない」

 

 そうだ。

 もし、それが外に出られるというのなら、そこには何の力もないということ。知恵も知識もない、ただの獣であるということになる。

 そんなものを使っても――使うことすらできない。それは訓練も何もされていない、ただの動物で、しゃべることも届けることも何もできないのだ。

 

「ああ、そうだね」

 

 そこで、ぬえはにやりと笑う。

 頬を持ち上げ、意味ありげに微笑んで――。

 

「だから、私はそれに手紙を括りつけておくだけしかしない」

 

 取り出すのは、宛名を表に小さく折り畳まれた書状――表には、何やら妙な文言が宛名として書かれている。

それは、妖怪相手というよりも、むしろ……。

 

「これをこうして」

 

 それを読み解く前に、ぬえは懐から取り出した布でそれを包んだ。そして、「きいきい」と暴れる狸を罠の中から取り出し、いくらかと苦労しながらも何とかと結びつける。

 微妙に能力を使っているのは、多分、それを勝手に解いてしまわないようにということだろう。獣程度なら、その認識を誤魔化しておけるはずだ。

 

「これで……よしと」

 あとは、こいつを結界の端辺りで放すだけ。

 

 そういって、そいつをまた籠の中に放り込む――大人しなったけれど、狸は一体何を見せられているのか。

 

「でも……それを誰が届けるのよ」

「まあ、多少は私の力を使っておいたし――それに気づくような頭が回る奴も少しは外にいるよ、多分」

 数打ちゃ当たるって、と。

 

 どうやらそれを何度も繰り返してことを為そうとしているようだった。

 確かに、もし、それがこの結界から出られたとして、一体それが何処に出るのか――もしかしたら、その時々によって出口が違うのではないか、ということを考えれば、その方が可能性もあるのかもしれない。

 けれど――

 

「気づいたからって、それが届くとは限らないじゃない」

 

 そんなものを届ける義理はない。なんだこんなもの、と破り捨てられてしまう可能性もある。そもそも、その拾った相手がその届け先である相手を知っているとは限らないのだ。それが届く可能性は限りなく――

 

「大丈夫」

 

 けれど、ぬえは自信満々と太鼓判を押す。

 それが届くと――届ける相手を知らないはずがないと。

 

「それが同族なら、必ずあいつを知ってる……それに、もし、それがその近くまで行ったなら必ず気づいてくれる」

 

 そう断言する。

 確信でもあるように、しっかりと。

 

「なんたって、狸たちの大親分――その縄張りでは、狐一匹見逃さないほど目がいいんだから」

 

 その自信――それに私は疑問と共に興味を覚えた。

 狸の大親分。

 この『鵺』に、そこまで言わせてしまえる存在。それだけの信頼と信用に値する、強力な力を持った妖怪とは。

 一体、どんな存在なのか。

どれほどの大物なのだろうか。

  

「……そんなに、強力なやつなの?」

 

そして、そんなものが、それほどの存在が、どうやって外の世界で生き延びているのかと。あの妖怪という存在すべてを消し去ってしまった外の世界で、一体どうやって自らの身を守り続けていられるのかと――そういう疑問を持つ。

元々、幻想が存在した外の世界ですら受け入れられなかった私たちであるからこそ、そうやって上手くやっているという妖怪が、とても気になったのだ。

 

「――ああ、強力だよ」

 

 それに対して、ぬえはにやりと凶悪に笑う。

 愉しそうに――悪戯っけと邪悪さ混みで。

 

「人にだって妖怪にだって――神様にだって化けられる」

 

 その強さ。その頼りがい。

 誇らしげに、まるで自分の力を示すように。

 

 

「十人程度じゃ、ぜんぜん足りないくらいね」

 

 

 そういった。

 

 

――……。

 

 少しの疑問。

 十人という単位と、安心しろとでもいうような、ぬえの言葉調。

 

「あんた……」

 

 それを尋ねようとしたところで――また、リンッという音。

 何かが近づく、鈴の音。

 

「よし、もう一匹!」

 

 ばっと音の元へと飛んでいく。

 何を考えているのかも正体不明な友人。

 

「……ま、いっか」

 

私は、ほうっと息を吐いた。

 何を考えているかはわからないが、きっと、寺のみんな(私たち)に迷惑がかかるようなことはしない。

そう、なんとなくに理解して――

 

「ま……姐さんに怒られないようほどほどにね」

「はいはい、わかってるわよ、とっ!」

 

 きいきいろと鳴き喚くその小動物の哀れな声を聞きながら、私はきびすを返す。

 

 あの楽しそうなぬえの表情――妖怪らしい悪い顔。

 どうにも、うずいて仕方ないのだ。

 

「少し――私も発散しにいこうかな?」

 

 そんなことをぽつりと呟いて、テンポよくと地面を蹴る。

向かうのは――どこかの水辺、()の浮かんでいそうな場所。

 

――まあ、ここらにはほとんど船なんてないし……。

 

 あったらあったで、それはとても運が良いことだ。

 それこそ、仏様の思し召しというぐらい。

 

――さてさて……。

 

 信心の成果が試される――なんて。

 

 

「だーれか、お船であそんでー、いませーんかー、と」

 

 

 そんなことを考えながら鼻歌交じりに歩く。

 今日はいい天気。

 

 

 

 絶好の――船沈め日和だ。

 

 

 




 まあ、妖怪はどこまでいったって妖怪。
 見上げ入道、船幽霊、いくら頑張っても本音は疼く。
 造作なく全てをこなせるなら修行などいらないのだと。
 とんちんかんにもそんな言い訳をする破戒妖怪。
 ぬすっと猛々しいながらもみんな(と自分)のために。
 得難い助っ人を呼ぼうと画策。方法は運任せに成否不明の妖。



 狸を捕まえるために何手と先まで読めばいいのかと。
 手読み、狸捕まえ、取り返しては再利用してその頭の先に。
 というお遊び込みで。

 少々、キャラ把握があまかったかもしれません――違和感を感じた方はどうぞご指摘をお願いします。

 読了ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異言の海

極短編。
実験作的な書き方をしています。
読みづらかった場合は申し訳ありません。


 

 

「お姉ちゃん、本を読むのが好きだよね」

「ええ、そうね」

「なんで?」

「……え?」

「なんで、好きなの?」

「……」

 

____________________________________ 

 

 

 

 真っ暗な世界。

 ぼっとした景色。

 

 

 

 思考というものが、一体どのようにして成されているか。貴方はどう考えますか。

 

 

「……」

 

 彼女はそれを問うた。

 ぼんやりと思考を回す。

 思い浮かんだ。

 

 

 貴方が今思い浮かべた答え――実は、その答えは私が本当に聞きたいこととはほとんど関係がないんです。それは一人一人の考え方、文化、知識などによって変化するのもの。その全てを共通した答えで納めてしまうのは、どんなことよりも難しいものです。

 決して、万人を納得させる答えは出ないでしょう。

 

 彼女はそう語る。

 

 では、先ほどの質問に何の意味があったのか。

 それを考えさせることで、何かを引き出そうとしていたのだろうか。

 

「……」

 

 ええ、そうです。

 今の質問は全く別の意図を持っています。

 答えを出すこと、それを成すために行われた行為――その前提としてある、手段というべきものを探るため。

 

 彼女はそう答えて。

 

 

 では、その答えを得るために、もう一つ質問を重ねましょうか。

 貴方はその質問に答えるために、何かを考えましたね。では、貴方がそのために何をしましたか。何を使って(・・・)、自分自身に尋ねたのですか。

 

 

「……」

 

 傾ける。

 それを考える。

 

 ええ、よくわからないでしょう。

 そう、それは当然のように行っている行為――無意識のままに、意識を紡いでいるものですから。それを掴むことは、普段日常的に交わしているものに意識を向けるという努力をしなければならない。

 そう、例えば今あなたが行っていること、何気ない呼吸といったものと同じです。

 

 彼女はそういって微笑む。

 

「……」

 

 さらに考える。

 考えることを行っている、自分というもの。

 

 

 わからないかしら。

 では、ヒントを一つ。 

 私たちは思考するために、まず、一つのものを組み合わせている。相手の口から放たれたものを耳で受け取り、それを頭の中で租借して理解して――その答えを探す。

 受け取り、噛み砕き、理解して……それから、返そうとしたもの。

 

「……」

 

 彼女が言っているもの。

 己が返そうとしているもの。

 

 

 そう、言葉。

 貴方は、まず言葉を受け取り、それを理解することで答えを探した。その言葉を己の中で置き換えて――そう、たとえば、『僕は、どうやって思考しているのだろう』という自問の言葉を使うことで、己の内を探った。

 つまり、思考するということは。

 それは、言葉という手段を介して行っているものであるということ。人は――言葉を得たものは全て、それを使うことで思考する。その形に置き換えることで、判断する。

言葉を纏い、言葉に縛られ、言葉に想いを託す。

それだけしかできない。

 

「……」

 

 本当にそうなのだろうか。

 それが全てなのだろうか。

 

 

 ええ、勿論、もっと単純な――原初的な感情によって、人が動くこともあります……それらの概念自体を知らず、言葉を使わぬままに行動している人間というのも、時と場合よっては存在するでしょう。けれど、それは私たちの知っている形での言葉ではないということ。

 言語が違う、文字が違う、文法が違う。ただ、置き換えた形が違うというだけ。思考を、そのまま行動と置き換えた――他に置き換えるものを知らなかった。

 そうも考えることができるでしょう。

 

 彼女は、そう説明する。

 

「……」

 

 でも、けれど。

 しかし、どうなのだろう。

 本当に。

 

 

 確かに、『無意識』というものもあります。

 何も考えず、とっさに身体が動く。訳のわからないままに、感情のままに突き進む。そういうことも、ままあることです。

 けれど、それは本当に思考した結果といえるのでしょうか。それは考えているのではなく、ただ本能のまま、心の中にある塊をそのままに吐き出しているだけ。

 それでは、思い、考えたということにはならないのではないでしょうか。

 

 

「……」

 

 わからない。

 けれど、語りは続く。

 

 

 なんとなくの行為。

 今までの行動から成った反射の集約。

 だからこそ、私たち『さとり』という存在は、それを感知できない。それは、心を動かした結果ではなく、心に刻まれた行動なのですから。

 原初の動。本能として感覚――心の動機。

 それは、確かに分かりやすく視てとれるものではあっても、より具体的な形をもって読み解くことはできない……その暇もない。

 だからこそ、無意識の『こいし』に当たってしまう。

 

 

「……」

 

 続いた言葉への疑問。

 彼女はそれを無視して先を語る。

 理解する前に、語られていく。

 

 

 

 ですから、私たちは、貴方の心を読んでいる――文字通り、読んでいるというのです。

 もし、貴方が異国の、全く別の言語を持つ文化に生きてきたのなら……私は貴方が思考するその文字を見ることができても、その編まれた内容を理解することはできない。たとえその内側を覗くことができても、その書かれた文字が解けないのなら、それを知ることはできない。

 意識とは、造り上げられていくものであり、初めから完成されているものではない。記憶は、言葉に置き換えられる。思考言語を鍵として、その光景を再現する――思い出す。

 思考とは、そういうもの。

 言語は、それを紡ぐための材であり、それぞれの文化、方法、能力に従って、心を一つの形を造り上げていく。

 

 だからこそ、私は本を読む。

 その心を――心の読み解き方を知るために。

 そういう部分があるのかもしれません。

 

「……」

 

 そうなのだろうか。

 そういうものなのだろうか。

 

 

 今、貴方はどうやって私の言葉を受け止めていますか。自分の中にある何かを使って、一つの体系としていませんか。

 私はそれが見えている。

 

 けれど、その言語を理解できなければ、知ることはできても、識ることはできない。全てを視るには、解っていなければならないのだから。

 だからこそ、私は知識を求めている――深めていく。

 より深く広く、それを識るために。

 

「……」

 

 そこまで語られておいてから、それに気づいた。

 そこまで知っておいて、ようやく気づいた。

 

 

 このような弱点を――明かしても良いのか、と。

 では、問いましょう。

 

 

『貴方は、私が何処まで識っていると思いますか?』

 

 

 

 くすくすという笑い。

 けたけたと揺れる声。

 

 

「……」

 

 

 ああ、話しすぎましたね。

 ここまで付き合ってもらってありがとうございました。

 では、そろそろあなたのいくべき場所へ案内しましょうか……大丈夫、怖いところではありませんよ。ただ、今までの貴方が精算されるだけ。今まで通りのことが、結果として返るというだけですから――全ては仕方ないで済ますしかない。

もう何をしても遅いというなら、諦めもつくでしょう。

 ほら、身体の方のお迎えもきました。

 

「……」

 

 

 最後に一つだけ質問を、と。

 いいですよ。

 なるほど、あっちに見える動物はどうなのか、ですか。

 それは――

 

 

 彼女は笑う。

 笑って、答えてくれる。

 

 

「……」

 

 

 もう、表情もない。

 口も開かない。

 

 

 ただの■■に向けて。

 

 

 

____________________________________

 

 

 

 

「うにゅにゅ……」

「何してるの、お空。早くしないと」

「わかんないけど、難しい話をしてるっぽいよ」

「……そんなこと気にしてないで、あたいたちはあたいたちの仕事をしてればいいんだよ。ほら、とびっきりの死体があるって私の鼻が囁いてんだから」

「そう……卵もあるかな!」

「……まあ、お仕事頑張ればご褒美にね」

「うん、頑張る!」

 

 

 







 心を読む程度の能力についての考察。
 独白の様な対話の様な。


 以下、加えようか迷ったエピローグ部分。
 冗長でしょうか、ね……。 
____________________________________


 知られているのか知られていないのか。
 見透かされているのか何もわかっていないのか。
 いるのかいないのか。
 わからない間が、一番怖い。
 

 自分の想いを確かめるためには、一度誰かに自分のことを話して見るというのも一つの手。言葉にして、語ろうとしてみて、形をしてみて初めて形となることもある。
 整理してみなければ、それは案外見えづらい。


 動物というものは、想ったそのままの方向へと進む。
 思考はまっすぐと、その結果だけへと向かう。


 ぱらぱらと風にめくれた紙には、そんなことが書き留められている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異言の海 ver2


 間違えて修正前のバージョンを投稿していました。
 すいません。

 なんか違うな、と考えてお蔵入り予定だったのですが――まあ、もう公開してしまったし。
 二種類含めて実験作ということで。

 ほとんど内容は同じですが、よければご閲覧を。




 

 

 ぼうっとしていた。

 

 何も考えず、何も思わず。

 ただただ、ぼうっとしていた。

 

 何かを忘れてしまったように。

 何かを忘れているように。

 

 それを思い出せずに、ぼんやりとそこにいた。

 何にも、わからないままだった。

 

「あら、こんなところに」

 

 そこに一つの声があった。

 暗い暗い闇の内、僅かの赤がぽつぽつとだけ灯。そんな荒涼とした大地の上に、そこに似合わぬ少女が一人。

 

「どうも、こんにちわ」

 

 少女はそういった。

 それは挨拶というもの。

 そういうものだった気がする。

 

「……随分と、時間がたっているようですね」

 

 ぼそりといった。

 何のことだろうと思ったけれど、よくわからない。

 霧がかかったように頭は働かない。

 

「連絡……はいらないようですね。そろそろ、あの子たちの見回りの時間ですし」

 放っておいても大丈夫でしょう。

 

 一人呟くように少女は語る。

 どこかへ行ってしまいそう。

 

 何だか、いやな気持ちを感じた。

 

「……まだ、一応の分は残っているのね」

 

 また、ぼそり。

 こちらを見つめて、何かを観察して、足を止める。

 

 そして、こちらに近づいて。

 

 

「ここで私が見つけたのも何かの縁でしょう」

 

 目の前に立った。

 小さな少女。けれど、どこか大きく見える少女。

 それがこちらに笑う。

 笑いかける。

 

「少し、お話でもしましょうか」

 

 

____________________________________

 

 

 

「お姉ちゃんは本を読むの好きよね」

「ええ、そうね」

「なんで?」

「……え?」

「何で、それが好きなの?」

 

 

____________________________________

 

 

「思考というものが、一体どのようにして成されているか。貴方はどう考えますか」

 

 彼女はそう問うた。

 

「……」

 

 ぼんやりと思考を回す。

 思い浮かんだ答え。

 

 それを浮かべる。

 

「――貴方が今思い浮かべた答え。実は……その答えは、私の聞きたいこととはほとんど関係がないんです」

 

 悪戯っぽく少女が笑う。

 

「それは一人一人の考え方、文化、知識などによって変化するのもの。その全てを共通した答えで納めてしまうのは、どんなことよりも難しいことですから」

 決して、万人を納得させる答えは出ないでしょう。

 

 そう語り、目を細める。

 じっと見る。

 

 それを見返しながら、では、先ほどの質問に何の意味があったのだろう、と考えた。それを考えさせることで、何かを引き出そうとしていたのだろうか。

 

「……」

 

 思った疑問。

 

「ええ、そのとおり」

 

 少女は肯定する。

 

「今の質問には全く別の意図があります……答えを出すこと、それを成すために行われた行為、その前提としてある手段というべきものを探るための質問――そして、それを自問させるためでもある」

 

 くるくると回る舌。

 ああ、そうだ。それが話すということだ

 

 少し、思い出した。

 

「――では、その答えを得るために、もう一つ質問を重ねてみましょうか」

 

 それに見惚れていたら、また尋ねられた。

 思い出したからなのか、今度はちゃんと考えることができる気がした。

 

「貴方はその質問に答えるために、何かを考えましたね。では、貴方がそのために何をしましたか。何を使って(・・・)、自分自身に尋ねたのですか」

 

 けれど、その尋ねは上手くつかめない。

 よくわからない。

 

「……」

 

 それを考えても、答えが出ない。

 

「ええ、わからないと思います。それは当然のように行っている行為――無意識のままに、意識を紡いでいるものですから」

 

 わからなくても仕方がない。

 肯定されて、少しうれしい。

 

 話は続いている。

 

「それを掴むことは、普段日常的に交わしているものに意識を向けるという努力をしなければならない……そう、例えば今あなたが行っていること、何気ない呼吸といったものと同じです」

 

 少女はそういって微笑む。

 そうか、呼吸をしないと。

 

「……」

 

 さらに思い出した。

 

 そして、考える。

 考えることを行ってる自分というもの。

 

「わからないかしら……では、ヒントを一つ」

 

 そういって、少女は指を指す。

 自らの頭を指して言う。

 

「私たちは思考するために、まず、一つのものを組み合わせている。相手の口から放たれたものを耳で受け取り、それを頭の中で租借して理解して――その答えを探す」

 

 それを身体に沿って下ろしていく。

 そうだ。これは食べ物を食べるのと同じだ。

 

 あれ、そういえば食べるとはなんだろう。

 

「受け取り、噛み砕き、理解して……それから、返そうとしたもの」

 

 疑問に思ったけれど、今は目の前のことを考える。

 

 彼女が言っているもの。

 己が返そうとしているもの。

 

「……」

 

 形にはならなかった。

 

 

「そう、言葉――貴方は、まず言葉を受け取り、それを理解することで答えを探した。その言葉を己の中で置き換えて――たとえば、『僕は、どうやって思考しているのだろう』という自問の言葉を使うことで、己の内を探る」

 

 けれど、少女は拾ってくれた。

 どうやっているのだろう。

 

「つまり、思考するということ。それは、言葉という手段を介して行っているものであるということ。人は――言葉を得たものは全て、それを使うことで思考する。その形に置き換えることで、判断する」

 それと同時に、言葉自体にも縛られている。

 

 最後に付け加えられた言葉。

 そこに何かを思った。

 

「……」

 

 本当にそうなのだろうか。

 それが全てなのだろうか。

 

 そういう疑問。

 

「ええ、勿論、もっと単純な――原初的な感情によって、人が動くこともあります……それらの概念自体を知らず、言葉を使わぬままに行動している人間というのも、時と場合よっては存在するでしょう。けれど、それは私たちの知っている形での言葉ではないということ」

 

 少しずつ考えられるようになっている。

 だから、彼女の言っていることも理解できてきた。

 

「言語が違う、文字が違う、文法が違う。ただ、置き換えた形が違うというだけ。思考を、そのまま行動と置き換えた――他に置き換えるものを知らなかった。そうも考えることができるでしょう」

 

 彼女は、そう説明する。

 その説明に――

 

「……」

 

 でも、けれど。

 しかし、どうなのだろう。

 本当に。

 

 なぜか、納得がいかない。

 

 

「確かに、『無意識』というものもあります」

 

 訳されて、わかりやすくなった。

 ああ、そうだ。そういうものなのだ。

 これがきっと、思考ではない感情というものなのだろう。

 そんな気がした。

 

「何も考えず、とっさに身体が動く。訳のわからないままに、感情のままに突き進む。そういうことも、ままあることです……けれど、それは本当に思考した結果といえるのでしょうか。それは考えているのではなく、ただ本能のまま、心の中にある塊をそのままに吐き出しているだけ」

 それで、思い、考えたということにはなるのだろうか。

 

 少女はそういった。

 

「……」

 

 わからない。

 けれど、語りは続く。

 

 

「なんとなくの行為。今までの行動から成った反射の集約……だからこそ、私たち『さとり』という存在は、それを感知できない。それは、心を動かした結果ではなく、心に刻まれた行動なのですから」

 

『さとり』。彼女はそういった。

 それが、彼女の名前なのだろうか。

 

「原初の動。本能として感覚――心の動機。それは、確かに分かりやすく視てとれるものではあっても、より具体的な形をもって読み解くことはできない……その暇もない。だからこそ、無意識の『こいし』に当たってしまう」

 

 それを知っている気がした。

 それは聞いたことがある気がした。

 ずっと昔、ずっと前――

 

「……」

 

 続いた言葉への疑問。

 彼女はそれを無視して、にこりと笑って、先を語る。

 理解する前に、語られていく。

 

「ですから、私たちは、貴方の心を読んでいる――文字通り、読んでいるというんです」

 

 読んでいる。 

 心を読む。

 

「もし、貴方が異国の、全く別の言語を持つ文化に生きてきたのなら……私は貴方が思考するその文字を見ることができても、そこに編まれた内容を理解することはできない。たとえその内側を覗くことができても、その書かれた文字が解けないのなら、それを知ることはできない」

 

 そうなんだろう。そういうことなのだろう。

 けれど、それは、人にできることなんだろうか。思い出してみれば、あれは別の何かを説明するために使われていたのではないだろうか。

 

 だんだんと、何かがわかる。

 

「意識とは、造り上げられていくものであり、初めから完成されているものではない。記憶は、言葉に置き換えられる。思考言語を鍵として、その光景を再現する――思い出す。思考とは、そういうものです」

 言語は、それを紡ぐための材であり、それぞれの文化、方法、能力に従って、心を一つの形を造り上げていく。

 

 

 それを語る少女。

 なぜ、こんなところに彼女のような人がいるのだろう――いや、その語りはそれのものではない。

似てはいる。けれど、彼女は――

 

「だからこそ、私は本を読む。その心を――心の読み解き方を知るために。そうなのかもしれない」

 

 自答するように彼女は呟いた。

 

 そうなのだろうか。

 そういうものなのだろうか。

 

「……」

  

 もはや、会話にはなっていない。

 もしかしたら、彼女はそれを考えるためにゆるゆると考えを巡らしていたのかもしれない。誰かに語ることで、己の考えを整理していたのかもしれない。

 

 いや、最初から会話をしようとしていたのだろうか。

 自分は、会話の通じる相手であっただろうか。

 

「……今、貴方はどうやって私の言葉を受け止めていますか。自分の中にある何かを使って、一つの体系として受け止めていませんか」

 

 私はそれが見えている。

 にこりと頬が緩む。

 

「けれど、その言語を理解できなければ、知ることはできても、識ることはできない。全てを視るには、解っていなければならないのだから――だからこそ、私は知識を求めている……深めていく」

 より深く、広くとそれを識るために。

 

 己を見る瞳は二つ――だけでなく。

 もう一つがある。

 

「……」

 

 そこまで語られておいてから、それに気づいた。

 そこまで知っておいて、ようやく気づいた。

 

 ああ、彼女は人ではないのだ。

 彼女は■■なのだ。 

 

 やっと、それが解った。

 じゃあ――

 

「このような弱点を――明かしても良いのか、と」

 

 疑問の前に、言葉が返る。

 言葉を放つ前に、疑問が知られる。 

 

「では、問いましょう」

 

 疑問に疑問。

 返るもの。

 

『貴方は、私が何処まで識っていると思いますか?』

 

 

「……」

 

 くすくすという笑い。

 けたけたと揺れる声。

 

 何かが、少しと寒くなる。

 

 

「……ああ、話しすぎましたね」

 

 そこで何かの音がした。

 向こう側を見ると、何やら二つの影。

 

「ここまで付き合ってもらってありがとうございました。では、そろそろあなたのいくべき場所へ案内しましょうか……大丈夫、怖いところではありませんよ。ただ、今までの貴方が精算されるだけ。今まで通りのことが、結果として返るというだけですから――全ては覚悟の上のことでしょう」

 

 最後の説明をされる。

 けれど、向こう側が気になる。

 

「ほら、身体の方のお迎えもきたようです」

 

 大きな翼があるからあれは鳥。

 あの耳の形は猫のもの。

 

 あんな形だったかはわからないけれど、多分そうだ。

 

「……」

 

 そして、さっきのことを考えた。

 それじゃあ、あれはどうなのだろう。

 

「……なるほど、あっちに見える動物はどうなのか、ですか」

 

 伝わった。

 どうやらこれで最後となるようだ。

 なんとなくだが、それがわかった。

 

 それを、思い出したから。

 

「それは――」

 

 

 彼女は笑う。

 笑って、答えてくれる。

 

 

「……」

 

 もう、表情もない。口も開かない。

 そんなもの。

 

 それが、そこにあること。

 そこが、それであったこと。

 思い出した。

 

 これで、全部――

 

 

「――そういうことですよ」

 

 

 話してくれた少女の最後の言葉。

 そのさほどを聞き逃してしまっていた。

 

 とても残念だ。でも、仕方がない。

 

 だって――。

 

 

「……」

 

 

 もう、最期も終わっていたのだ。

 だから、仕方がない。

 

 

「ええ、さよなら」

 

 さようなら。

 口はないけれど、それは伝わったはず。

 

 

____________________________________

 

 

 

「うにゅにゅ……」

「何してるの、お空。早くしないと」

「わかんないけど、難しい話をしてるっぽいよ」

「……そんなこと気にしてないで、あたいたちはあたいたちの仕事をしてればいいんだよ。ほら、とびっきりの死体があるって私の鼻が囁いてんだから」

「そう……卵もあるかな!」

「……まあ、お仕事頑張ればご褒美にね」

「うん、頑張る!」

 

 

____________________________________

 

 

 

 知られているのか知られていないのか。

 見透かされているのか何もわかっていないのか。

 いるのかいないのか。

 わからない間が、一番怖い。

 

 自分の想いを確かめるためには、一度誰かに自分のことを話して見るというのも一つの手。言葉にして、語ろうとしてみて、形をしてみて初めて形となることもある。

 整理してみなければ、それは案外見えづらいものだ。

 

 動物というものは、単純だ。

 想ったそのままの方向へと進むから。

 

 

 

 それだけを書き留めて、私はそれを閉じた。

 思いついたアイデアはちゃんとメモしておかなければ忘れてしまう。

たとえ、それが妄想や詭弁の戯れ言ばかりだとしても、それが本当にそれだけのものでしかないのかは、後になっていなければわからないのだから――一応、書き留めておくべきだと。

 

「……」

 

 今日は、いろいろと有意義な時間がとれた。

 ちょうどいい刺激が会った日。

 

 私の筆も、今夜はよく進められるかもしれない。

 

「……」

 

 そう考えて、私はくすりと笑った。

 そして、もう一つだけ。

 

 知らないままにいってしまうのと思い出させてからいくのでは、どちらがより恐ろしいのだろう――残酷なのだろう。

 

 そんなことを考えて――書いて留めた。

 

 






 読了ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

古都降る雪

 

 

 お使い。

 そういってしまうと何だかこどもっぽいが、漢字で表せば御使いにもなる。それも頭に『神の』と付ければ、多少はそれらしい感じにもなるだろう。

 暗い世界。

明るさの足りない焦げ茶色の地面の上、ある程度の高さを保って飛びながら、私はそんなことを考えていた。

 私に言いつけられた役割――いってしまえば、ただ手紙を届けるだけの、本当に子供のお使いのようなものなのだが……まあ、それでもそれはそれ。その書文は神の言葉を担う託宣とも言い換えられるものであり、その意志を伝えるための厳かな行為である。

 私が為すべき役割であり、神聖な儀式であるといってしまってもいい――多分、そのはずなのだ。そうでないと本当に何かテーマソングのようなものが聞こえてきてしまう。どこかのテレビ番組の、危なっかしい子供を見守るナレーションと共に。

 

「おっと」

 

 その妙な感覚をどうにか呑み込もうとしていたところに、視界を塞ぐ灰色の面。突き立つように聳える、天井からぶら下がった巨大な石柱。

鋭く尖ったその先は、これが映画じゃ何かであるならば、下を通ったとたんに、きっとぽきりと折れて落ちてくる……なんて映像が浮かんでしまう。

 流石にそんなことはないだろうけど。

 

「危ない危ない」

 

 そう呟きながら、速度を緩めた。

 風向きを変え、その柱の形を巻くようにして空を蹴る。

感覚的にはそこにある風の流れに対し、ただ身を寄せるだけといった感じ……勿論、その流れ自体を作り出しているのは私の能力であるのだから、それは確かに私が操ったものなのだが。

 

「ふーん、ふふーん」

 

 鼻歌交じりに、片手間でそれを操る。そうすることができる。

 昔はそうは振るう機会のなかった力が、こちらに来てからはその扱いにも随分と慣れてしまったものだ。

目立たぬよう、人目を憚って扱わなくてはならなかった外界……それとは違って、こちらではあけっぴろにそれを使うことができる。誰かに遠慮して、特別(それ)を我慢する必要もなく、存分にそれを発揮できるのだ。

それは、一つ枷が外れたような感じで……苦しいつもりはなかったけれど、それでもやはり、すっきりとした気分となった。

 

 空の中というのは心地よい。

 鳥の気持ちよさを味わえる。

 

 それを堂々と味わえる。

 

――まあ、そうはいっても。

 

 それは、私が特別ではなくなったということでもある。

 こちらでは、それくらいはできて当然といった人々が多く暮らしているのだから。

 

――本当に、不思議な世界……。

 

 この力――現人神として私が持つ特別なはずの力が、まるで特別なのだと感じられない。里の人々はともかく、私の周りの妖怪……人間も含めて、それくらいは簡単にやってのける者たちばかりがいる。その姿が簡単に思い浮かべられる。

 空を飛び、妖怪を退治し、弾幕を振りまき……それを日常とする。

そんな輩が、この幻想郷にはざらにいる。

 

私は遠慮する必要はない。

むしろ、そうしないとついていけないくらい。

 

――信仰を集めるにも工夫しないといけませんし。

 

 威光を示す。恩恵を下す。御利益を与える。

 その程度では……この世界で特別な力を持っているとはいえない。

いくら力が強くとも、同じように力を持つ者が他にも存在する――こちらより下でも、比較になるものがすぐ隣に存在する。同じ神が、妖怪が、人間が。

 こちら側に住む人々は、それらが身近にあるからこそ信心深い。けれど、それと同じように、だからこそ、その分そこに下される御利益というものに敏感で、何が得られるのかという選り好みをする。

 神様の利益にも――好みにもうるさいのだ。

 モビルスーツに詳しいからこそ、どのガンダムが好きなのか。どの武装、どの武器を使っているバージョンが好きなのか――そこにこだわるのと同じ。

 その気持ちは、私にもよく分かる。

 

 だから――

 

「私たちは、私たちのウリを見つけていかないと……」

 

 少し不信心かとも思うけれど、清いだけでは生き残れない。本当に人々に必要とされるからこそ、その存在は求められる特別なものと見做されるのだ。

 本物の信仰が存在する環境で、逆に俗にまみれてしまうなんて……なんだかおかしな話だとも思うが、案外、はるか昔もそういうものだったのかもしれない。

 神奈子様……諏訪子様の時代も。

 

「……と」

 

 また石柱。

 進路を変える。

 

――方向は見失わないようにしないと。

 

 吹き抜け、吹き溜まる地下の風――清涼とはほど遠い鬱屈とした感触のそれは、普段扱っているものよりも何だか重く、意志を伝えづらいように感じる。

 ある程度、余裕をもって動かないといけない。

 視界もあまりよくないのだから、しっかりと前を見据えて。

 

――……妖怪でも現れないかな。

 

 退屈でも、決してそんなことを思ってはいけない。

 それが私の任せられたこと、風祝としての大事な役目。

 

 なんて、思い込む。

 けれど――

 

「……はあ」

 

 それでも、息を吐いてしまう。

 気持ちの切り替えに失敗して、肩を落としてしまう。

 

「あーあ……」

 気合の入らない終え。

 

 辺りを見回して見えるのは、暗がりばかりのごつごつとした地面のみ。奥に潜んだおどろおどろしい何かに、僅かに見える灯りのような火のような、何だかよくわからないもの。

 怨霊、悪霊。亡霊、化け物。妖怪、妖精。

 すっかり慣れた、幻想の者たち。

 

 それが沸く暗い場所。

 そんなもので溢れた、暗い地穴の底。

 

「陰気臭いなぁ」

 

 あまり長居したくはない。

 そう思って、先を急ぐ。

 早く終わらせて帰ろう。

 そう思って速度を上げる。

 

 それでも、なんだか退屈してしまう。

 

「……地下に眠る超古代文明巨大ロボットでもいないかなぁ」

 絶対私が操縦してやるのに。

 

 

 

 そんなことを呟いて、気を紛らわす。

 

 

 

――――

 

 

 

「あ……」

 

  

 それは唐突に現れた。

 いや、落ちてきた。

 

 

「……」

 

 しばらく進んだ先。

 何か、ぽつぽつと建物のようなものが現れた辺りで、それは降ってきたのだ。

 白い塊。透明の粒。小さな結晶。

 それは――

 

「雪、だ……」

 

 しんしんと。まさに、そんな感じで降ってきた。

 果てしない空洞。けれど、確かにそこには天井はあって、空はないはずなのに……はらりはらりと、その白が。

 

――雲も、ないのに。

 

 天気雨……雪。

 真っ暗な空から、反射となって降り注ぐ結晶光。

 

 そして、それに沈んだ――

 

「ここが、旧都」

 

 古きい都が現れる。

 

 忌み嫌われたもの。この幻想郷でさえ、恐れ厭われた者たちが暮らす場所。

 古き世界――旧き地獄の名残が、そのままとそこに残っている。

 

「本当に、不思議な感じ……」

 

 瓦が並び、提灯が揺れ。

 障子が覗き、木戸が軋み。

 

――……。

 

 土の上に混ざり、石の畳に馴染む。

 焼かれた土は硬く染みず。積もらせ滑らせ、木枠の屋根の重みを除き、車など走るはずもなき人の道がまっさらと其の儘の白を晒して――古びた街がある。

 

 暗く、おどろおどろしくもあるけれど……それ以上に。

 

「きれい……」

 

 素直に、そう思えるもの。

 この世界では、それは当たり前にある光景なのかもしれないけれど――それでも、私はそれを見たことがなかったから。知らないものだったから。

 

 その本当()を見て、思わず、動きを止めた。

 

 

 

「――おや、お客さんかな」

 

 一つの点を見つけた。

 古き世界の色(光景)に見惚れていたところに声が響いた。

 芯のある、強い声が。 

 

「いつぞやと同じ……いや、服の色が違うか」

 

 気取ったものではない、柔らかな強さを持ったもの。

 女の人の、なんだか強そうな声。

 

「こんなところに訪れる物好きな人間も……案外、多いものなんだねぇ」

 地上の人間も変わったのかな。

 

 そういって、かっかっと響く。

 嫌みのないきっぷの良さがにじみ出た豪快な笑いが。

 

「……あなたは」

 

 そこにあるのは、白い地面。

 向こうに延びる一人分の足跡。

 

――あれは……。

 

 その真ん中に立つ――畏れ忌まれた強き者。

 堂々と塞いだ背の高い女性。

 

「どうだい、少し雨宿りでもしていかないかい?」

 

 

 朱色の大盃を片手にのせて、一本角が立っていた。

 鬼が笑って、そこにいた。

 

 

―――

 

 

 さくさくと、足跡が鳴る。

 地面に二対と続く。

 

「よし、あそこでいいだろう」

 彼女は何だか寒そうな――なんだか、体育の授業を思い出してしまうような姿で、その袖から覗く肌色の腕を持ち上げた。

 

――寒くないのかな。

 

 微妙に首を傾げながら、その手の先を見る。

 誘われるまま――何だか、その誘いを断る気にもなれずに、その後についてきてしまった。そうして、到着したのはどうやら本当に雪宿りできるていどのもの。他のものより大きめの屋敷の、その軒先。

 振り込まない程度に張り出された屋根の下に木組の縁台が置かれている。辺りには、ぼんやりとした灯りの提灯が等々とつり下げられており、ある程度の光量を保っている。

 彼女は、その一番近い位置にあったものに手を伸ばして、それを外した。

 あんなものをどうするのだろう、場違いにそんなことを考えながらそれを眺める――――ちょっと背伸びをしただけでそれを取ってしまうなんて、やっぱりと背が高い。

 

「ちょっと暗いが……これでも地獄の残り火だ。暖をとるには丁度いいよ」

 

 そういって彼女はそれを縁台の真ん中に置いた。

そして、どっかりと胡座をかいてそこに座りこみ、ちょいちょいっと指で示して、それを挟んだ反対隣に座るように私を促す。

 片手には、既に並々と酒が注がれた盃。

 文字通り、ここで腰を落ち着ける、という意味合い。

 

――……。

 

 一瞬迷う。

 

「どうした。座らないのかい?」

 

 邪気のなく――けれど、なんだかつまらなさそうに。

 こんなもんかと、侮るように。

 

「……」

 

意を決す。

 

「――どういう、つもりですか?」

 

 問いながら、こちらもどっかりと。

 胡座はかかないけれど、しっかりとそこに腰を置く。

 真ん中に置かれた提灯の向こう……確かに、暖かい炎を挟んだ向こう側へきっとした視線を向けて――。

 

「拐かしというなら……相手が悪いといっておきますよ」

 

 威勢を示すよう、強気に言い放った。

私は守矢神社の使い。侮られるわけにはいかない。

 そう力を込めて――相手の酒盃に対抗するため、懐から取り出した水筒(ステンレス製)から蓋にお茶を注ぐ。

そして、精一杯豪快に……ぐいっと一気に飲み干して。

 

「……ひやっ!?」

 

 びっくりした。

 そうだった。地下の方は暑いだろうからって神奈子が持たせてくれた、井戸水でよく冷やしたものだった。

こんなに寒いというのに――どうしてこんなものを。

 

 思わず、ぶるりと身震いし、両手で腕を擦りあわせる。

 身体が冷える。中から冷えてしまう。こんな寒さでは死んでしまうじゃないか。

 ただでさえ、かなりの薄着でここにきてしまったのに。

 

 寒さで頭が一杯になって――

 

「……」

 

 ぶるぶると震える私。

そんな、寒さに縮こまった現人神()の姿に、鬼はきょとんと目を丸くした。

 そして、思いっきり。

 

「は、はははっ!」

 

 吹き出した。

 膝をたたいて、腹を抱えて――それでも、片手の盃はなんとかこぼさないように耐えながら、ぶるぶると。

 

 楽しそうに、思いっきり笑う。

 

「いやいや、おもしろい人間だねぇ。こりゃ傑作だ」

 鬼をこんなに笑わせるなんて。

 

 なんて、目尻に涙を溜めるほど。

 その鋭い犬歯を晒しながら私を笑う。

 

「……」

 

 別に笑いを取りにいってもいないのに。

 無様を晒してしまったようで、恥ずかしさに頬が熱くなる。微妙に身体が暖かくなるが、そんなもの足しにもならない。もしかしたら、それが狙いだったのだとしても……許さない。それが神奈子様であったとしても、決して。

 

 そんなふうに、八つ当たりたくの想いが込む。

 なんだか罰が当たりそうだけれど。

 

「まったく、地上の巫女ってのはこんなのばっかりなのかね」

 

 楽しそうに。

 毒気を抜かれる様に笑う。

 

 そして、もう少しだけ近づく灯り。

 温かい提灯を、こちらに寄せてくれた――鬼の片手。

 

――……。

 

 目が丸くなった。

 

 すっと、何気なく行われたその行為。

 私を気遣っている様子の――彼女の親切。

 

 それに、何だか気が抜けそうになって――

 

 

――ゆらりと、その紅い切っ先が揺れた。

 

「……あ、っと」

 

 思い出す。今、目の前にいる相手が何なのか。

 

――いけない。

 

 抜けかけた気概――それを、深く息を吸うことで取り戻す。

 落ち着けて、向き直る。

 

「ありがとうございます」

 

 丁寧な――ふとすれば、冷たくも聞こえてしまうかもしれない慇懃なありがとう。

 少し、嫌味なことをしているようにも思えたけれど――でも。

 

――そうだ。

 

 それでも、彼女は鬼なのだ。

 鬼という……外の世界でも、酒好きに喧嘩好きとして有名な、悪逆非道を行う存在としての代名詞。諺などにもよくでてくる、これぞ妖怪というべき歴とした大悪党。

 歴史に刻まれ、なお外界での薄れぬ逸話を数多く持つ大妖怪なのである。

 

 それを忘れてはいけない。

 

「それで……何で私に声をかけたんです?」

 

 油断したら、どうなってしまうか。

気を引き締め直して、それをしっかりと見返す。

 人の隙間につけ込むのが妖怪というもの――そう、諏訪子さまも言っていた。時にそれは、神以上の力を持ち、それ以上の祟りをもたらす存在もいる、と。

 ここは地底の世界。昔、この幻想郷の中ですら切り離された者たちが暮らす場所。

なら、気を抜いていいはずがない。

 その恐ろしさは――まだ知らないけれど、確かにここは私がわからないもので出来上がっている世界なのだ。

 

「……これでも、守矢神社の風祝。それなりに闘えるんですよ」

 

 彼女は鬼だ。

 私もよく知っている鬼という存在と同じであるならば、多分、それが目的なのだろう。

 戦うことか、食らうことか。

 襲うということ自体か。

 

 それが妖怪ほとんどの気性というものだ。

それは山で出会う妖怪たちでよく知っている。

 

「――おや、相手してくれるのかい? あの……命名決闘法だったか」

 やはりと、笑みが変わる。

 獰猛な、恐ろしい顔が覗く。

 

 僅かに怯み――それでも、返す。

 

「ええ、どうしてもというのなら――受けて立ちます」

 

 片手に幣を伸ばしながら、そう答える。

 そう、あれ(・・)なら争い事に慣れていない私にも勝ち目がある。

 

 弾幕ごっこ。女の子の遊び。

 そういってしまうには少し物騒なものではあるが、確かにあれは人と妖怪とが対等に戦うことのできるルール。勝手も負けても、それ以上は追撃しないという安全性も、それなりにはある。

 

――結構、楽しいし……。

 

 ちょっとしたゲームをやっている気分で……以前なら霊夢さんや魔理沙さんに遅れをとっていたが、あのときよりもずっと力を使うことに慣れている。

 ここらで一丁、大物退治というのもいいだろう。鬼退治の逸話がある神社なんて、信仰を集めるのにはもってこい。

鬼退治は昔話の基本……妖怪退治は博麗神社の専売特許ではないのだと示すにも、絶好の機会でもある。

 

 だから、受けてたつ。そう覚悟を決めている。

 

 

 そうだった――のだけれど。

 

「ま、それもいいんだけどね」

 

 するり、それはつんのめった。

 覚悟の決意は、軽くうっちゃられてすり抜けた。

 

 それどころか――

 

「今日は、喧嘩するような気分じゃないんだ」

 

 喧嘩好き()にそんなことをいわれたしまった。

 ぽかんと、口が開く。

 

「なんだいその顔は、私たち()が年柄年中喧嘩ばっかりやっているってのかい?」

 

 

 私の驚きように「いや、間違っちゃいないけどね」なんていいながら、鬼はからからとおかしそうに笑った。

何だか笑ってばかりで……笑われてばかりで。

 

 流石に少し、むっとした。

 

「――それじゃ、いったい何なんですか」

 

 ぐっと、眉間に皺が寄る。

 一応、これでも神のお使い。はるばるこんなところまでその役目を果たすためにやってきたのだ。こんなに笑われてまでここに留まっている意味はない。暇もない。

私だって、早くこんなところから帰りたい。面倒くさい。早く帰りたい。

 

――ああ、もう。

 

 折角どうにか保っていた気分が崩れてしまった。

 様々な鬱憤が溢れて、八つ当たりのようにそこに相手に向かう。睨みとなって、私より頭一つ分高い位置にあるその顔へ――そんな視線に、「悪い悪い」と片手を上げて、彼女はその紅い盃を顔の位置まで持ち上げた。

 少し、申し訳なさそうな声で。

 

「ちょっと酒の……話の相手が欲しくなってね」

 丁度良かったからさ。

 

 なんてことを、空を見上げながらのたまった。

 降り落ちる、その白の粒が揺れる世界を眺めながら、飄々と。

 

――そんなことで。

 

 呼び止めたのかと。

確かに雨宿りとはいっていたけれど、本当にそれだけなのかと。

 

 そう文句をいいそうになったけれど。

 

「あ……」

 

 それは、ふっと散った。

 その姿に、溶けて消えた。

 

「……ああ、悪かったね」

 

 しみじみと言われた言葉。

 見上げながら、懐かしむように呟かれた、その雰囲気に。

 

 私の言葉が止まる。

 

「……」

 

 鬼の少女も、少しの間黙り込んだ。

 片手に朱染めの盃をのせ、人間以上の、その整った顔をふわりと緩ませて――綺麗な、その長い髪が風に靡く。その間から、強い瞳が空に向かう。

 

 そして。

 

「――あんたは、雪が溶けたら何になると思う?」

 

 彼女はそういった。

 吸い込んだ息を、その幻想的な空気の中に混ぜ込むようにして深く吐いて、そのさらに遠くを見通すように目を細めて――そんな問いを放った。

 

「……?」

 

 私は惑う。

 その鬼という呼ぶにはらしくない態度に……何故だか、絵になっていると思わされてしまう、その姿に。

 

 空っぽのまま、答えを口にする。 

 

「水に、なります」

 

当たり前の答え。

 何の雅もない答えを言ってしまって――鬼は、その言葉にまた息を吐いて肩を落とす。

 

「……えらく、つまんない答えだ」

 

 ふっと吐いて、彼女は近づいてきた雪片を散らした。

 それから、何か思い出すようにして何かを語る――私に語っているようで、その実、己に語っているようで。

 

「この雪――地の底に降る、旧き雪」

 

 空を見上げて、角が天を向く。

 金の御髪が揺れて、白い息が昇る。

 

「――それじゃ、この雪はどこからきたのか」

 

 自問の言葉。

 自らに問うように――どこかへ投げられる。

 

 それは何かと重ねられるように紡がれる。

 

「溶けた雪は何処へ流れ、何処へ消えていくのか」

「……」

 

 降り積もる雪。

 触れれば溶けて消える白。

 

 溶けた雪は水となり、水は地に染みて、地下に流れるものと重なって、木々や草花に引き上げられながら浄化して、また大地の流れへと合流し――何度も何度も繰り返しては、世界に満ちる。

 すべてが繋がり、システムとして整理されている。

 それはただの自然現象。既に科学的説明もなされ、解明された一つの摂理――けれど、この世界では、この旧き場所でそれは。

 

「この雪は、忘れられたもの」

 

 違うのかもしれない。

 

 雪は溶けるのではなく、消えて、どこかへいってしまう。大地に落ちて、いつの間にか姿を消して、水を遺してどこかへ消える。

 すり抜けて、さらにその下まで。消えて死んで、再びと輪廻の前に降り注ぐ。

 

 どこかへいってから――また帰る。

 

「どこかへ行ってしまった、姿を消した先にあるもの」

 

 彼女は語る。

 古を語る。

 

 この幻想郷という場所――旧き都に残った幻想を。

 

「それが落ちる――溜まって、いつかまた姿を現せるのかどうかを想いながら、ここに降り積もっている」

 

 何かと重ねているように。

 

 そこあるのは、それだけなのか。

降り積もっているのは、本当にそれだけなのだろうか。

 

「……」

 

 妙な疑問がこみ上げた。

 なんだかぽかんとした気持ちで、私も空を見上げた。

 

 暗い天井から落ちる雪。雲がちぎれて落ちて、さらに下へと落ちたもの。

 

 それは――何だったのだろう。

 

 雪が水と。

 溶けて消えるものでなく、土に染みて巡るものとして――ただの現象だと、説明できてしまう事象なのだと、皆がそう思った時、一緒にどこかへいってしまったもの。

 私が、知らない。

私の常識から外れた、囚われない答え。

 

「なんてね」

 

 冗談っぽくいって、(古の者)は笑った。

 少し微睡んだだけだというように、再び、その強い姿を見せて――

 

「少し呑みすぎたかな――いや、呑み足りないのか」

 

 ぐびぐびと、盃を傾けて――飲み干した。

 

 すっかりと、そこには赤ら顔。ちゃんと鬼らしき顔がそこに。

 酒臭い息が、白く曇る。

 

 

 

「……」

 

 

 それでも、私は想う。

 そこにある何かに、何かを考える。

 

 そして

 

 

―――

 

 

 

「ああ……そういえば」

 

 一つの言葉が浮かんだ。

 一つの答えを思い出した。

 

「うん?」

 

 鬼がこちらに顔を向ける。

 首を傾げて私を見つめる。

 

 私は、それに少し微笑んで――手を伸ばし、その幻想の欠片を優しく握りこんだ。

 冷たく広がり、消えていく。水と流れて、なくなっている。

 

 その感触。

 

「雪が溶けたら――」

 

 その後に残るもの。

 見えない答え。

 

 それは――

 

「春になる」

 

 広げた掌。

 暖かく濡れる掌。

 

「そう、いいます」

 

 季節は巡る。

 時間は移ろう。

 

 そして、再びやってくる。

 

――ああ、そうだった。

 

 何かで読んだのだったか。誰かに聞いたのだったか。

 それは忘れてしまったけれど。

 

――私は……。

 

 その言葉が好きだった。

 忘れていたけれど、確かに好きだったのだ。

 

 それを思い出した――想いを、知った。

 改めて。

 

「……」

 

 少しの沈黙。

 雪の積もる音。

 炎の揺らす風。

 

「そりゃあ、随分……」

 

 答えを噛み砕いて、鬼が口端を持ち上げる。

 はにかんで――呑み込んで。

 

「陳腐な表現だ」

 

 そういって笑った。

 

 そんなことを言いながら、まったくそんなことを感じていなさそうな顔をして、その大盃を掲げ、降り落ちる雪を掴まえて――嬉しそうに顔を綻ばせて。

 

 そして――

 

「なら、これも一種の花見酒――ということかねぇ」

 

 なんてことをのたまった。

 

 ひらひらと散る白の花片。溶けて消えて春の訪れ。

 それを、一緒に飲み干して。

 

「……」

 

 豪気で、男勝りな鬼女。

 恐ろしい――けれど、どこか美しい。

 

 雪の、冬の散り際を掴まえて、微笑む鬼の姿。

 

「――これも、風物詩っていうんでしょうか」

「うん?」

 

 首を傾げた鬼の姿。

 そこに浮かんだのは、昔話を読んだとき、思い浮かべた世界の話。

 見たことのない、古き時代のお姫様――それにしては、いささか豪快すぎるが、それでも、そんな姿を連想する……幻想してしまう、絵になった光景。

 

 昔――あの二柱の神が流れた原風景の、その頃を。

 

「なんでも、ありません」

 

 目を瞑って、幻と想う。今、目の前にあるそれと重ねる

 私がこれからずっと付き合っていくのだろう世界に――ふっと、綻ぶ。

 

 

「――私も、少しいただいてもいいですか?」

 

 口は勝手動いて、それを聞いていた。

 

「おや、いける口かい」

 

 訝しげに片目を閉じてから、彼女はそういった。

 

「鬼の酒はきついもんだよ」

 

そういって、気さくに笑う。

 対して私は――腕を組み、勝ち気に宣う。

 

「大丈夫です。これでも、小さな頃から御神酒を扱わないといけない立場でしたから」

 

 冗談っぽくと、けれど本気で。

 本当は、あちらでは口を付ける程度にしか触れることがなかったのだけれど。

 

――それでも、呑んでみたい。

 

 そう思ったから。

 

 それが、この世界への仲間入りなのだと。

 ここで暮らしていくことの、始まりなのだと。

 

 そう想ったから。

 

「それじゃ、一献」

「はい」

 

 隣に置いていたそれを拾い上げ、両手で包んで差し出す。

とくとくと、気持ちの良い音を立てて、水筒の蓋に透明が満ちる。

 酔いの香りが綻び、映りこんだ灯りが揺れる

 

 そして仕上げに――

 

「では――」

 

 手を伸ばす。

 雪を掬って水とする。

 

 もうすぐだ、もうすぐだと。

 冬を溶かして、春を想って。

 

 それを願って――祝いの水を。

 

「乾杯」

 

 

 ぶつけ合った杯。

 

 きーんと、きれいな音がした。

 

 

 

 

 









 そうして、きっと、次の日に後悔する。
 それがお酒というもの――ということで。

 呑みすぎ注意。無理矢理禁止。
 お酒は愉しく、楽しみながら呑みましょう。
 呑めなくても、その雰囲気を飲みながら笑えるように。


 そんな話だったっけな……
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

独り手に

 


 

 

 あなたはそれを覚えていない。

 あなたはそれを忘れました。

 あなたはそれを知りません。

 

 いらないものだと、もう必要のないものだと。

 なくても大丈夫、なくなってしまってもいいものだと。

 そうしました。

 そういうことになりました。

 

 だから、『初めまして』です。

 

 初めから、『やり直し』です。

 

____________________________________

 

 

 

 風が吹き抜けていく。

 葉々の欠片が散り混じり、花々がまき散らした塵のような粉末がくるくると空を舞う。

 

「……」

 

 それらは普通には見えないもの。

 目を凝らしても、捉えることはできないはずのもの。

 

 けれど――

 

「……おっと」

 

 私には見えるのだ。

 だから今も、その瞳に入りそうになった花粉を、ぱたりと瞼を下げることで防ぐことができている。

 

「そろそろ、春か」

 

 凝らした目。

 そこに捉えられたのは、春の芽吹きと冬の去り際。

 脆く乾いた木肌が剥がれ、その奥から現れた新緑が色の花を咲かせていく――その片鱗。

 

 透き通っていた空気が命をはらみ、雑多と溢れた細々が山林へと降り注いでいくのだ。

 それは一つの終わりであり一つの始まり。

 季節という流れの、一区切り。

 

「……ふわあぅ」

 

 温かくなってきた日差しに思わず欠伸がでてしまうほどの、微睡みの深い風。

 それにこみ上げた涙を押し込めるように両目を瞑る。

 

「――いかんいかん、まだ仕事中だ」

 少し疲れがあるというところもあるのだろう。

 ぐにぐにと、眼球を指で押し込むようにして揉み解す。

 いくら『千里先まで見通す程度』の能力を持つ私でも、あまりに酷使しすぎては流石に眼も曇る。休み休みと、休憩を取りながら。

 

「さて、と」

 それから、遠くへと凝らす。

 見えるのは、遥か先。

私がいる山の中腹から伸びる道の、その入り口から天辺までの全てをぐるりと見通して。

 

「異常なし」

 

 そう呟いてから、順繰りにと視界を回す。

 登りやすい場所、入り込みやすい位置、進みやすい経路――それらをじっくりと確認しながら、その季節巡りと洒落込む。

 花の色づき。虫の活発さ。

 緑の濃淡と草木の入れ替わり。

 全てを収めて――ほうっと息をつく。

 

 仕事と趣味の、その両立として楽しき見物を。

 

「ああ、にとりの奴か」

 

 ふと目に入った川の縁で、木盤を打つ姿。

 知り合いの天狗の、将棋を指す姿だ。

音こそ聞こえはしないが……随分と盛り上がっている局面なのだろう。大げさに片手を降りあげて、桂馬の駒が勢いよく振り降ろされて――ぱちりと、きっと小気味の良い響き。

 それが鳴って、ふふんと笑みが浮かぶ――けれど、すぐさま歩の餌食。

成り上がられて王手となって、「ひゅい!」なんて叫んでももう遅い。

完全に詰んでしまっている。

 

――相変わらず……。

 

 攻めに夢中になってしまって守りを忘れるやつだ。

 その情けない姿に、今度また私が揉んでやろうかなんて、そんな悪戯心もこみ上げる。

 思わずふっと笑んでしまうような、そんな光景だ。

 

それが、普段から見慣れた私の景色。

 そこから逸らして、また違う場所へ。

 眺める景色を、ぱちりぱちりと切り替えて。

 

「……」

 

 もっと遠くまではっきりと。

 そう意識して目を凝らせば、本当にそれを視界に収めることができる。

 それは他の新聞記者を担う天狗が持っているようなカメラと同じ。遠近の距離を調節し、焦点が合うように意識を合わせ、見定めてから……それを見ようとする、それだけの行為。

 目を凝らせば、それだけ遠く。

 じっと見つめていれば、それだけはっきりと。

 そうやって辺りを見回していけば、この山のほとんどを確認することができる。

 そうすればそうするだけ目は疲れるし、あまりに遠くに意識を向けるあまり、己の近場の方がおろそかになってしまうなんて難点はあるものの、それは私の仕事には非常に都合がいい――いや、だからこそ、私はこのお役目についているのだ。

 

――見通して、見透かして……逃さぬように。

 

山の全体をすぐさまに把握できるわけではない。

見えているからといって、視えているとも限らない。

いくらだって、見過ごしてしまうという可能性はある。

 だから、その点を常に意識して――丁寧にそれを続ける。

 

 それが、私の仕事。

 

「異常なし」

 

 再び呟きながら、また別の方向へ。

 横切った鴉にも、何かおかしな様子がないかを気にしながら、逃さぬように。

 細かに眼を凝らせば、その分気は使う。精神的に身体的にも疲労する。

 そんな面倒くさい作業で、皆が嫌うものでもあるけれど――

 

――それでも、これが私の仕事だ。

 

 だから、手を抜くわけにはいかない。

 

「……異常なし」

 ぐっと眉間に力を込めて、目を細める。

 異常なし、異常なしと、地道に可能性を潰していく。

 

 それが私の日課なのだ。

 

――……。

 

 生真面目過ぎる。

 そんな私を、確かあの放蕩な鴉天狗はそう称していた。

 お堅く小さくまとまって、細かなことばかりに目を向けてばかりのつまらない奴。

 一緒にいては疲れる、面倒くさい。何のネタにもならない。

 

 だから、嫌いだと。

 

――……なら、お前は軽すぎる。

 

 私がその場にいたのなら、きっと言い返しただろう。

 私よりもずっと長く生き、この天狗の世界(社会)の中で、その規範と結束の大切さを身に染みさせて生きてきただろうに。

 まったくといってもいいほどに、その重みを感じていない――感じさせない、自由すぎる天狗。

 新聞作りにネタ探し……それらだけならば、他の天狗たちも行っている。そのために山中を飛び回り、天狗仲間から話題を仕入れ、皆が知りたいだろう所を探ろうとする。それはそれで、面倒な相手だ。

 けれど、文々。新聞(あれ)はそれとも少し違っている。

 天狗の縄張りだけでなく、人の領域や他の妖怪の住処まで、そんな場所には誰も興味がないだろう場にまで、所構わず飛び回り、話を集める。雑多な妖怪、神々、人間……果ては妖精までもと口を利いて、私たち(天狗)には関係のない情報までも拾って、まったくといってもいいほど人気のない新聞を。

 そんなおかしな記者。妖怪の山をはみ出して、気ままに飛ぶ烏。

 だから、苦手で――気に障る。

 

――とことん、合わないのだろうな。

 

 正反対。

 だからこそ、互いに苦手意識をもつ。

 近寄りたくない、面倒な相手だと認識する。

 

「まったく……」 

 

 こういう性格だからこそ、私はこの任を担っているというのに。

 

――それに……。

 

 私は好きなのだ。

 こうやって山全体を……この幻想郷の風景をじっくりと眺めて、そこにある動物たちの営みや季節の花鳥へと目を向けるのだ。

 そのなんともいえない優美な光景。目を奪われる世界の変化。

 何度訪れようとも、飽きぬ万象に。

 

「――ん?」

 

 染み入る憧憬。

 ただ、そんなものを眺めていると、時折妙なものを見ることがある。

 今まで見たことない。よくわからない。理解できない。

 そんなもの。

 

 見え過ぎる――そんな私だからこそ、余計に出くわすこともあるのだ、

 どんなに小さなもので、些細な小事でも……見えてしまうのだから仕方がない。

見逃すわけにはいかないのが私の役割だ。

 見えてしまう。

 見えないような小さな粒も、それを認識できてしまうならついと身体は動いてしまうもの。

避けようと反射して。

(さが)としてついついと。

 そんなものを見つけてしまうこともある。

 

 だから、これもそういうものだろう。

 

 

「おや、見つかっちゃったか」

 

 それは見えていなかった。

 どこにもいないはずだった。

 

 なのに、突然そこにいた。

 

「いい目をしてるね。そこの天狗」

 

 

 二本の角が、ふわふわと。

 

 

 

_________

 

 

 昔は、それがあったのだという。

 社に祀られ、寺に飾られ、広場に開帳される。

 秘仏として、秘宝として、霊験あらたかなものとして縁起良く語られる。

 こんなに凄いものが、こんなに恐ろしいものが――こんな幻想が、ここにはある。

それは素晴らしきもの、語られるべき逸話を持つもの。

我らはその縁起を継ぐもの、その加護を授けるもの。

 挙って競って訪れよ。祈り捧げ奉れ。

 そうやって、財布も心も軽くなる。

 そんな語りが人の中に語られていた。人を集めて、交わされていた。

 集めるために、創り上げられていた――まるで、私たち(妖怪)と同じように。

 

 嘘も本当も、入り混じり。

そこにはそのままの幻想が。

 

 

 

_________

 

 

 鬼。

 かつての山の頂点であり、我々の上司であった……未だに頭の上がらぬ相手。地中奥深くに移り住み、そのままこの地上から忘れ去られてしまったはずの存在。

 人拐いの主犯。畏しき存在(もの)。怪異の代名詞。

 それ()が――。

 

「ばれてないつもりだったんだけどねぇ……まあ、少し油断しちゃったかな」 

 

 そこにいた。

 目の前に――すぐ、手の届く場所、私をすぐにでも握りつぶせてしまう場所で笑って、そこにいた。

 

――……。

 

 紫の瓢。小さき身体。赤く染まった頬。

 天にかぐわす酒香混じりの疎の姿。

 そこに浮かぶのは、一つの名――強大で巨大な、決して届かないもの。

 

「――失礼しました」

 

 驚きの音を何とかと呑み下し、直立不動に姿勢を正す。

 ぐいと頭を下げて、地面へと視界を向けて――震えを殺して絞り出す。

 

「伊吹殿と、お見受けします」

 声は僅かに上擦ってから――すっと落ち着いた。

 

 山の四天王。

 かつてのこの場の、頂点から五本の指に入っていたのだという存在。

 そんな規格外を前に。

 

「私は山の巡回を担っている白狼天狗の……」

「いいよ、そんな堅苦しいのは」

 

 萎縮した私を見下ろして、鬼は片手を振った。

 そして中空に浮かんだままだったものから、ふっと力を抜いて、すとんと私の前へと飛び降りた。

 それから、また片手を上げて

 

「私は、ちょっとここで酒を呑んでるだけだからさ」

 

 かちゃかちゃと鎖が揺れた。

 片手に持った喉焼く酒がかっ喰らい、もう片手の掌には巨大な岩を萃めて(・・・・)とって――。

 

天狗(・・)は相変わらず、へこへこと頭を下げるのが好きだねぇ」

 

 ふらりふらりと揺れながら、どしんとそこに下ろす。

 自らの身体よりも二回り以上は大きいだろうそれを背もたれに、腰を下ろして瓢を逆さに。

 ぷはーと吐いて、朱く染まる。

 

――……。

 

 ただの酒呑み。

 みてくれだけならそんなもの。

 気が抜けてしまう堂の入り方。

 

「……は、はあ、そうなんですか」

 情けなくと返した返事は、先ほどより落ち着いている。

 驚きを通り過ぎて、肝が冷えたのか。なるようになれと開き直ってしまったのか――ただただ、呆れてしまったのか。

 

――これが……鬼。

 

 豪放磊落。豪気に大雑把の勝手気ままな存在。

 機嫌しだいに、天国地獄となるもの。

 肩すかしを食らったような気分ではあるが……どうやら、今は大丈夫らしい。

何か目的があって、ここに現れたわけではなさそうだ。

とくに機嫌も悪くなく、本当に、ただ酒を呑んでいるだけ。

何もしなければ……何も、起こることはないだろう。

多分、大丈夫。

 

「しかし、ここらも変わったね」

「はい?」

 

 そうやって安堵したところで、ふいの声。

 その目を細く研がらせて、鬼が口を開いた。

 

「いやね――まさか、この妖怪(・・)の山にこんなにもよそ者がいっぱいいるなんてね」

「私たちのときは考えられなかった」と辺りを見回しながらそういった。

ずっと遠くを眺めるように――いや、実際に見ているのか。

 聞いたことがある。

伊吹萃香という四天王は、その身体を疎めることで、遠くのことを見ることができる……この幻想郷全体のことすら、見渡すことができると。私の千里を見る眼以上に万能で隙のない能力を――鬼である彼女が有しているのだと、そう聞いている。

 正に神出鬼没の、たった一人の百鬼夜行なのだと。

 

「まさか、神なんてものまで入り込んでるなんてさ」

 その恐ろしき存在は、自分の昔の縄張りに何を思うのか。

 特にその中途にある社――入り込んだ神という存在に対して、何を考えるのか。

 

「一応、彼らとは不可侵という取り決めを……」

 

 這い上がる嫌な予感に、思わず口を出す。

 あれは一応、ちゃんと一段落とついた話なのだ。

今更かき回され――いや、それ以上に、あの神々とこの鬼がぶつかれば、この山がどうなってしまうのかもわからない。天狗たち、ひいてはこの山に住むもの全体に関わる大事となってしまう可能性もある。

 そうなってしまえば、もはや……。

 

「いや、別に口を挟むかってつもりはないよ……今、ここは天狗のものだからね」

 好きにすればいいさ。あっけらかんと鬼は答えた。

 私の心配に、そんな小さなことなんてどうでもいいといった感じに――けれど、それもいいかな、なんてわずかに企んだ様子で。

 

「い、いえ、それならいいんです……あの社の神々とは、一応山の皆で話し合って決めた結果ですので」

「ああ、そうなの……でも」

「いや、本当に! 手を出さないといってくださって、本当にありがたい」

 

 遮るように大声を出して、それを誤魔化す。

 鬼は嘘をつかない。

 私がそう信じている考えてくれれば、きっと嘘にはしないでくれる。

 そう考えて――

 

「しかし……神社か。それも随分古いと」

 何も気にされていない。

 まるで、私はただの案山子……なんでもない路傍の石か何かのように、他に気がそれてしまえば放っておかれてしまう。忘れて、放り出されてしまう。

都合によって軽くと振り回すのだ。

 なるほどと、伝わった。

 鬼は空気など読まない。自らの産み出す空気の中だけに生きているということ――古き妖怪特有の面倒くささ。

 

「――もしかしたら、何かおもしろいものでも眠ってるかな?」

「面白いもの、ですか……?」

 

 勝手に話は進み、私はまた話相手へと戻る。

 いや、ただ相槌をうってくれる都合に良い壁か。

鬼は怪しげにほほ笑んで、「神社や仏閣といったら憑き物だろう」と語る。

古き者特有の昔話。

 

「縁起物――人が幻想を騙るために必要な証拠品だよ」

 凶悪な表情で犬歯を見せつける。

 嘲るように、おどけるように頬を持ち上げ、瓢を回す。

 結び付けられた紐によって、それはぐるぐると風を鳴らす。

 

「河童の妙薬や天狗の遠眼鏡とか」

 昔のこと。

幻想郷(ここ)でしか生活したことがなく、外に出たことのない者たちにはわからない昔にあったことを語る――彼らの尺度にある常識として存在するもの。

 

「河童や雷獣の木乃伊……人魚の干物なんてのもさ」

 

 そういうものがあったのだと。

 昔、そういうものをよく見た時期があったのだと、語る。

 神社仏閣……流行(はやり)のそれには、そういうものが憑き物だった。

 

 そして――

 

「他にも……そうさね」

 

 回っていた瓢を引き寄せて、また煽る。

 伊吹瓢――確かそういう名の、水を酒に変える酒虫のエキスを染み込ませた瓢箪。

 もしかしたら、今の動きは萃めた水をそれに馴染ませるためだったのかもしれない。さらにと、酒の匂いは濃くなっている――その気配自体が、少しずつ強まって。

 

「『鬼の腕』なんてのも、あったんだろうね」

 

 ぞくり、僅かに冷えた。

 なんだか、肌寒くなったような気がした。

 

「……鬼の」

 

 腕。

 その言葉を呟いて、何故だか彼女は大きくなったように見えた――その小さな身体が、私を呑みこんで――込み上げてくる何かを必死で振り払う。

 

「そんなものをどうやって……」

 

 逸らすように。

 どこかへ行ってしまうように祈りながら、語りの先を促して。

 

「……昔はね、人間の中にもたまに強いのがいたんだよ」

 

 鬼と戦うこと。それ自体が愚かなことだ。

 けれど、確かに過去には……はるか昔においては、それは行われていた。

 人は確かに鬼と戦い、鬼も望んでそれに付き合って――時には。

 

「私たちと対等に戦い、その意志を示す益荒男が」

 

 勝ちを拾うこともあった。

 ほとんどは、泥臭く陰惨なだまし討ち。弱点を突き、入念に準備を整えてから罠にはめるという恥を捨てた方法で。

そして、ほんのわずかな場合だけ、真正面から堂々と。

 

「それが勝ち取った戦利品……強大なものを通したという証として、奪い取らせてやったもの」

 まだ、それが外界にも残っているかもしれない。

 鬼はそう語る。

 昔、己らが暴れた場所に残るもの。兵どもが力を振るい、鬼退治にと血飛沫に紛れながらなんとか勝利を掴み取ったその残り火――夢の痕跡が、まだ、残っているかもしれないと。

 けれど、本当に。

 

「――外の世界で我々は非常識の存在なのだと……そのほとんどの存在をなくしてしまうほど否定されているのだと聞いています」

 なのに、それが残っているのだろうか。

 もし、それが残っているのなら、今でも外界にたくさんの妖怪や神々が姿を残し、恐怖や信仰を集めて猛威を振るっていてもおかしくはないのではないか。私たちが、この幻想郷という箱庭に逃げ込む必要もなく、この世界全体に、幻想が溢れていてもおかしくはなかったのではないのか。

そうではなかったからこそ、私たちはこの世界にいるのだというのに。

 

「そんなものは既に偽物、迷信だとして……すでに忘れられていてもおかしくはない」

 

失くなって――とっくにこちらへと。

 その方がずっと納得がいく。

 

「ああ、確かにそうだね――外界に、鬼はいないだろうさ」

 

 鬼はその答えを肯定する。

 確かにそうだと頷く――けれど。

 

「けれど、その残照は残っているかもしれない――鬼を忘れた、その片鱗だけが、ね」

 

 鬼は、そういった。

 

「……?」

 

 意味がわからない。

 鬼がいないのに、その力が残っている。本体が無いのにその力だけが残る。

そんなことがありえるのだろうか。

根も葉もないのに、花だけが咲いているなんてことが――そんな、おかしなことが。

 首を傾げる私に、また、ぐいと瓢を傾けて。

 

「――その身の丈よりも、その大元よりもずっと大きく、勝手に歩き出す物語もあるってことさ」

 

鬼は笑った。

 掌の上――その上に現れた同じ姿が、にこりと大小に。

 

「切り落とされた片腕が、その持ち主よりもずっと価値のあるものと――それだけが、縁起として受け継がれていくこともある」

 同じ姿。大きさだけが違うもの。二重の声。

 それを同じ姿をしたその小さな少女をにやりと笑って、同じ姿のものがぐしゃりと握りつぶす――そして、ふわりと霧が散る。

 

「その逸話が忘れられてしまおうとも、その戦いが失われてしまおうとも――価値だけが生きて、忘れられないものとして残ることもある」

 反響した声が響く。

 口は動いていない。ただ、酒を煽っているだけ。

 けれど、どこかから声が。

 

「何の腕であるかも、それが腕であるかどうかすら、関係がない」

 

 霧が語る。掴めないものが話す。見えないものが笑う。

 囲まれて、囲われて、囚われて――逃げ場もなく包まれて。

 

「ただ、『そこにある』ということに意味がある」

 

 濃くなった霧がその姿を隠す。

 霧に移った向こうに、何か大きな影が映る。

 笑っている。嗤っている。哂っている。

 

「そこにある逸話は、既に鬼のものではない……腕があることでもなく、妖怪がいたということでもなく、ただ、『話』の材として語られるもの」

 

 見えないけれど、それが恐ろしいものだということは分かった。

 見通せないけれど、それが恐ろしい力を持っていると感じた。

 とても大きな、凄いものだと。

 

「語るべき『形式』にこそ意味がある。だから、流れることはない」

 

 失われず、忘れられず。ただ、それだけに意味がある。

 その影だけしか見えなくても、それが畏しき力を持つものだとは知っている。

 

「鬼の腕という絶好の客寄せと、自分たちを大きく見せるためのその逸話」

 

 その威光は、いまだに私たちの中に。

 見たことはなかったけれど、一目でわかった。

 あれが『鬼』なのだと、伝わった。

 

「そういう本当()で構わないのさ――ちゃんと、美味しいところ(御利益)は残っているんだからね」

「……」

 

 私たちは知っている。

 けれど、それを忘れてしまった世界が、向こう側。

 知らないのなら、それが許されるのだろうか――そんな話が、罷り通るのだろうか。

 

「――怖さを忘れて、その恩恵だけを受け取りたいなんて」

 

随分と都合がいい。

 私はこんなに怖いのに。私はこんなに恐ろしいのに。

 それを知らないままで、受け取って。

 

 

「まったくだ。愚かなもんだよ。人間ってやつは」

 

 にたりとそれは――畏れるべき存在が――

 

「――まあ、だからこそ、脅かしがいがあるってもんだけど」

 

 ぱくりと、口が三日月に。

 真紅な色と白の棘。

 赤ら顔に酒呑んで、瓢箪傾け酔いの息。

 人を見下ろし、人を見下し――人を眺める。

 

――鬼。

 

 彼女らは忘れられたもの。いなくなったはずのもの。

 けれど、その恐ろしさは変わっていない。

 変わるはずがない。

 恐ろしく。怖ろしく。

 おどろおどろと。凶々と。

 

 

「さあ、今度はいつ――」

 

 

――遊びに行こうか。

 

 

「……」

 

 呟いたのは、ただの冗談なのか。

 酔いに任せた戯言なのか。

 

 そうでなければ、きっとただではすまないだろう。

何もかもが変わってしまう――戻ってしまう。

 彼女の気まぐれで、随分とここらの景色(世界)は様変わりするのだから。

 それが、旧都の支配者で、かつてはこの山を支配していた存在の、『鬼』という幻想なのだから。

 

――……。

 

 背中にあるぞっとした寒さ。

 どろりとした恐怖に呑まれそうになる。

 そうであるように。そうであってくれないように。 

 巻き込まれるのは人だけではない――私たち(天狗)ですら、その例外ではない。

だからこそ、私たちは彼の者らに障らぬよう……()れぬように、距離を空けたのだ。

 

 人も天狗も、妖怪も妖精も――

 

 彼の者等()が怖いことには、変わりないのだから。

 

 

「――またまた、ご冗談を」

 

 だから、私は口にする。

 嘘をつかない鬼に、それを口にさせてしまわないように――それを聞いてしまわぬうちに。

 

「では、私は仕事がありますので」

 

 そそくさと後にする。

 尻尾を巻いて、退散と。 

 

「おや、つれないね」

 

 鬼は、残念な声をしながら――小さく手を振って、退屈そうな欠伸へ変えた。

 別に、私に興味があったわけではない。ただ、そこにいたから話し相手と選んだだけ。

 それが人であっても天狗であっても、鬼にとっては関係ない。

 

 高さが違う。気位が違う。威光が違う。

 傲慢で、理不尽な正しさだけがある。

それを押し通す強さだけがある。

 それが彼女ら、なのだから。

 

「……失礼します」

 

 深々と頭を下げて、私は背中を向ける。

そうそうと。はやばやと。逃げようと。

 

「あ、そうだ」

 

 ぴたりと足が止まった。

 震えが頭か尻尾の先まで。

 

「一応、私がここにいたことは内緒にしといてよ」

 そういう約束だから。

 

 鬼はそれだけをいった。

 

「――はい。承りました」

 

 それだけ答えて、振り向かずに歩いた。

 その視線が届く先、その姿が見える場所。それを過ぎて――走り出した。

 速く、速く……その空気から逃れようと、呑まれてしまった世界から抜け出そうと走った。

 こわいこわい、と。

 いやだいやだ、と。

 

 早く、帰りたいのだと。

 

「……っうう、ああ」

 

 走って、走って――息を切らして。

 

「がはっ――っはあ、ああ」

 

 倒れ込んだ。

 森を抜け、林をかけて、草むらの真ん中まで走り出て、地面へと身体を投げ出した。

 

――……。

 

 ちくちくとした感触と冷えた空気。

 止まっていた時間が動きだし、麻痺した五感に火がいって。

 

やっとのことで落ち着いて。

 なんとかと、私に戻る。

 

「……ああ、っはあ」

 

 鉛のように重くなった肺から澱みが抜けて、代わりに新鮮な空気が流れ込んでくる。今まで吸っていたのは酸素などではなく、針を含んだ毒の霧だったのではないかというほど、身体から熱さが引いていく。

 

 その恐怖から、抜け出せたのだと、やっと実感する。

 

「ああ……」

 

 空を見上げて。

 星を眺めて。

 

「こわ、かった」

 酷く幼い声が出た。

 

 それほどに怯えていた。 

 ただただ、怖かった。

 

「よかった。大丈夫だった」

 

 両手を広げて、地面へと背中を預けて。

 自らの任(刀と盾)を放り出して、己の身体が存在することを実感する。

 

――ああ、生きている。

 

 それを、やっと思い出せた。

 何とか、生き残れた――まさに、生き返った気分だと。

 帰ってこられたことに、心が安堵する。

 

――本当に、人間は愚かだ。

 

 そうして改めて――そう思う。

 

 あんなのものを忘れてしまうなんて。あんな存在を、なかったことにしてしまうなんて。

 よくも、そんな大それた真似ができたものだと。

 

「あんなものを忘れている方が……知らないでいる方が、ずっと怖いじゃないか」

 

 あんなに怖いものいる。怒らせてはいけないものがいる。障ってはいけないものがある。

 それすら、知らない――そんなことすら、覚えていない。

 

「……その怖さを知らないなんて」

 

 きっと、彼らはそのまま動けない。

 気づかないまま、知らないまま――驚きに目を瞑ったまま、失ってしまう。

 命も何も、全てを一緒に。

 ああ、こんなものがいるのだと、何もわからぬうちに。

 

「あんなにも、怖いのに」

 

 それを忘れている。

 それをまた、初めて知る。

 

 それは、大層――

 

「……恐ろしいことだ。」

 

 

 暗い闇。

 目を凝らしてみる靄に、びくりと身体が震えた。

 あんな少しの時間に……短い邂逅で、すでにと私は怯えている。

芯の内から凍えて、刻み込まれてしまっている。

 

『ああ、怖い』と。

 

「……でも、私は逃げることができる――それを、知っている」

 

 いつか、きっとやってくる。

 いつか、訪れる。

 

 それでも、私はそれを知っているから、それを覚えているから――きっと、逃げられる。

 この目で見つけて。この鼻で嗅ぎつけて、全力で逃げられる。

 逃げるしかないと、知っている。

 

「……だから、きっと」

 

 なんとかなる。

 そう、想って――

 

「大丈夫」

 

 

 私は息を吐く。

 不安を吐き出し、不幸に備える。

 

 いつかくるその日のために。

 

 

 

 その刻み込まれた恐怖に感謝する。

 

 

 

 

____________________________________

 

 

 

「お久しぶり」

 

 そう聞いても、もうわからない。

 そう言われても、もう知らない。

 返し方も、帰ってもらう方法も、忘れてしまった。

 

「さあ、遊ぼうか」

 

 後悔しても、もう遅い。  

 忘れてしまった『貴方』が悪い。

 いらないといったのは、あなたたち、

 

 

 さあ、後ろを振り向いて。

 

 

「――――」

 

 

 ほら、もうおしまい。

 

 





 鬼はそこに。



 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

破れ目出づる

※東方鈴奈庵のネタバレを含みます。ご注意ください。


 

 温い陽が照っている。

 真っ昼間のかんかんお天道様からそれなりに傾き加減の熱量が、水平から斜めに当たって反射して。

 笠や帽子を被っても、それらは正面に立ってしまえば眩しく目に刺さる――まるで、溶けて崩れたような姿となって縦に伸びている。

 日の入りには随分早く。夕焼けにもまだ早く。それでも、確かに夕入りだと感じる時間。

 

「よいしょっと……」

 

 小鈴は、商品を整理していた。

 カウンターとしていつも使っている机の上にうず高く積まれた――それはいつものことでもあるのだが、今日はさらにと数段多い――書籍の山を、少しずつ切り崩し、うんうんと唸りながら汗水垂らして、種別の本棚へと並べていく作業。

 それはかなりの力仕事で、彼女のような小さな体にはあまり向いていないようにも見えて……けれど、案外本を扱う仕事というのは力仕事が多いものだ。本の厚さと重さは比例して、さらにそれが何冊もと束ねられていれば、それこそ鈍器にもなりえる重器ともなる。

 知識の重さに物理の重さ。

 それに押しつぶされるというのも、ままある話ではあるのだ。だからこそ、その扱いになれている彼女は、慣れた調子でそれを扱っている。

 決まった通りに、いつもの方法で――それでも、辛く腰に手をやりながら。

 

「――はあ……これで半分はいったかな?」

 

 ぽつりと呟くのは苦労と弱音の混じったもの。

 流石に、その数は平常を超えているのだ。

 普段の数倍以上……もしくは数十倍か。確かに、仕入れた分だけ実入りは多くなるのかもしれないが、彼女一人で扱えるキャパというものがある。それをすぎてしまっていては、ひいひいといくら息を切らして頑張ってみても、やはりと辛い。

 

「……今日はここまで、かな」

 

 そんな諦めの言葉も吐くというものだ。

 実際、それら全て今日中にやり遂げてしまわねばならないわけではないのだから、さも当然。それを急いでいたのは、ただ、小鈴自体がそれらに早く読みたいなんて、我欲に燃えていたというだけなのだ。

 やった、こんなにも本がある――そんな生粋の古書狂い(ビブリオマニア)の本能に従って。

 

「――邪魔するよ」

 

 チリンチリン……と、鈴の音。

 一緒に涼やかな声が入る。

 

 それは、すっかり馴染みとなった燻し銀のもの。

 

「……ああっ! いらっしゃいませ!」

 

 本に向かっていた首と声が跳ね上がった。

 疲れの表情は吹き飛んで、結んだ髪の先がまるで小犬の尻尾のようにひょこひょこと――さっきまでの調子が嘘のように、小鈴の顔が輝いている。

 格好のよい人。憧れる人。名無しの権兵衛風来人。

 そんなヒトの訪れに、らんらんと。

 

「やあ店主殿。達者なようじゃの」

 

 眩しき憧れに、眼鏡を押さえて片手でひょいと。

 大親分は片目を瞑って暖簾をくぐり、にこりと小鈴に笑いかけた。

 

「はい、御陰様で!」

 

 元気よくと返る答え。

 そんなところも格好がいいと、小鈴はますますと舞い上がり、愉しそうに迎える。

 いつの間にやら奥から盆を、とっておきの茶葉で煎れた茶器が揺れて……それに「すまんの」とこれまた渋く答えながら、机の前に置かれた椅子へと腰を下ろす。

 よっこらせと、まるで重いものでもぶら下がっているかのような大げさな仕草で。

 

「……今日は何かご入り用ですか?」 

 

 わずかに首を傾げながら小鈴は尋ねた。

 『みすてりあす』というのだろうか。

 この名も知らない謎多き女傑はたまによくわからない行動や言動をして、小鈴に不思議を感じさせる……まあ、そういうところが魅力であり、似合いではあるとは思っているのだけれど。

 

「いや」

 

 ずずっと一口茶をすする。

 ふむ、と一言呟いてから――その格好の良い人は語る。

 

「外で珍しいものを見かけてな……あれは確か」

 

 目線は今通ってきた入り口……その脇辺りに向けられている。指しているのは、そこの軒先に置かれた存在のことだろう。この鈴奈庵に溢れる本の――今日、ほんの少しそれが多い理由を運び込んできたもの。

 

「ああ、あれですね」

 

 頷いて小鈴もそちらへと視線を向けた。

 そこに停められているもの。そこから運び出されたもの――運んできたもの。

 店の前に止められている一つの車。文書を積み上げ、牽いて運ぶ役割を持つ道具。

 

「文車です。阿求の――稗田のお屋敷からの借り物で」

「ほう」

 

 感心したような声を上げて、その人は眼鏡を押さえる。

 文車――昔、貴族や豪族たちが貴重な書籍や教典を運ぶために使用していた車の一種で。牛車と似た形であり、同じく牛に牽かせていた類のものだ。

 今はすっかりと廃れて使われなくなってしまったのだが、昔は蔵書や文書を邸宅から運び出すための道具として見かけることもあった。儀礼用、緊急用、用途は様々であったが……今では、幻想郷ですらすっかり見かけなくなったもの。

外の世界ならば、精々祭り行列などに加わっている程度でしか残ってすらいないだろう。ましてや、こうして使用されているところをみられるなどほとんど存在しないといってもいい。

それくらいに、古のものである。

 

「なるほど、それでその中身がそこに積んでる古本の類か」

「ええ……これも、稗田のお屋敷の引き払い品なんですけどね」

 前に整理して、必要ないと判断されたものらしくて。

 

 そういって小鈴はその内の一冊を持ち上げて、そこに積もった埃を、ふっと息を吹きかけることで飛ばす。舞い上がった埃は、それだけその本が捨て置かれていたということ示す年月の証なのか。擦り切れた表紙にある号からは、『和訳……』としう部分的な文字しか読みとれない……きっと、中身も似たようなものだろう。

内容を読みとるには難があるほどに、それは古びて風化してしまっている。

 

「……」

 

 それを開き、懐から取り出した眼鏡をかけた小鈴は、そこに書かれた文字をそっと指先でなぞっていく。

ゆっくりと、じっくりと。

真剣な目でそれを続け――やがて。

 

「……流石にここまで紙魚が食っちゃうと、私にも読めないみたいです」

 

 困ったような顔に変って、残念そうにそういった。

 

「古いのは粗方やられちゃってるみたいで……これだけあっても、実入りは少しなんですけど」

 

 眼鏡をはずし、その本を机の片側に寄せながら残念そうに呟く。

 あの文車に乗せられてきたもののほとんどがその状態で――ある意味、それはお似合いだったのかもしれないと、小鈴は思ってしまう。

それに載せられてきた書物のほとんどが、そういうものだったこと……私たちに(幻想郷で)すら、使わなくなってしまったものにのせられてきたその子たち(書籍)の中身のほとんどが、さほど失われてしまっているということは。

 そんなことを考えてしまうくらいには、残念で。

 

「……しかし、読める部分もあるのじゃろう?」

 

 けれど、その珍客は愉しげに笑んでいた。

それら(その不要物等)を――面白いものを見つけたとでもいうように、眼を細めてながら眺めて。

 

「読めるところもあるなら、見当がつくところもあるだろうに」

 

 額にかけた眼鏡をくいと持ち上げて、小鈴が置いた虫食いだらけのそれを持ち上げる。

 開けば、埃と穴の開いた黄ばみ紙。

 描かれているもののほとんどは確かに失われ、意味など消失してしまっているといってもいい。

しかし、それでも所々と文字を拾っていけば、ちらほらと読める部分もないことはないと彼女は云う。無論、それは全体でもごく僅かの部分ではあるのだが。

 

「これを拾っていけば、大体の内容は掴めるんじゃないかい?」

「……ええ、そういうのも少し」

 

 そんな問い。

 それに――小鈴は頷いた。

 確かに、残りは想像で補えるという程度に文字を拾えるものも少しはあるのだ。それらの部分部分とに目を通せば、残りの内容の見当はつくということもあるだろう。完全に読み物としての価値を失ってしまっているわけではない。

 けれど、それでもそれは、そういう前提を知ってそれを読む者を対象とした場合、ということだ。それをすすんで行うような酔狂な人間がそう多くいるとは思えない。

 つまりは、客寄せ()にはならないということだ。

 

「一応、こっちは商品として扱うものなので」

 

 小鈴は指したのは二つの内の片方……段々と重ねられた知識の塔のその低い方である。そちらはわりかし綺麗な本が多く、少し手入れすれば、確かにこの古びた店に加えるのに丁度いいくらいにはなるだろうものが多く積まれている。中には、なかなか興味部下そうな題名のものあり、きっと人の気を引くだろうものである。

 では――そのもう一方の側はというと。

 

「――なら、そっちはどうするのかのう?」

 

 染みによれ。虫食いに破れなどと、簡単には修繕できぬだろうというほど破損した書籍の山である。そのとても商品としては並べられぬだろうぐらいに擦れてしまっているだろう方はどうするというのか。

 そこらの人間から見れば、それはただの紙くずの束程度にしか価値は見出せない。

 

「こっちは……」

 

 少々、困ったように小鈴は笑んだ。

 貸本屋として扱うのに足らぬだろう品々……なの、だけれど、小鈴はそれらを分別してはいても、処分しようとしているようには見えない。

 商品として扱うもの等と同じように埃を払い、分別整頓しながら重ねて並べ――捨てる気などさらさらないというのが、透けて見える程度に、それらを大切に扱おうとしている。

 

「私物として、ということかの」

「ええと……まあ、その通りなんですけども」

 

 つまり、商売人ではなく好事家として……ということである。

 小鈴がそれを分別していたのは、それらが不要品だからというわけではなかったのだ。ただ、店に置けるものと自分の隣に置いておくもの(非売品)とを区別して、置き場を考えていただけなのである。

 店に余剰の品を置くというのは商売品としてはどうか、ということもあるだろうが――まあ、自営業の個人経営。少しくらいは趣味に走ってもよいだろうと、同じように蒐集品が並べられているとある棚へと視線を向けて。

 

「同じ内容の原本が見つかれば修繕できるかもしれませんし……そういうものを拾い読みしていくのも結構面白いですし」

 

 染みと黴に、時間と虫にと食い破られて、それらがどれだけ破損した状態にあったのだとしても……小鈴にとってそれらが芥であるとは思えない。

 店には出せなくても側に並べておきたい稀覯本の一種として――ついつい、入れ込んでしまっては、また一角の棚が。

 

「まあ、本は本ですし」

 

 言い訳臭く言葉を濁しながら、視線を明後日に泳いで逃がす。

 カウンターの下に並ぶ、置く場所すらなくなってきた趣味の品を想いながらも、反省なしに。

 そんな小鈴に、かかかと笑んで。

  

「まあ、そうじゃのう」

 

 片目を瞑った視線が向かう。

 埃混じりの香りの先――歯抜けの題字の塔を眺めながら。

 

「無駄にものが多いのは見苦しいとはいうが、積まれた本と塵塚の塵はその例外ともいうことじゃし」

 

 ぱらりぱらりと、その一つを捲り、空いた穴、欠けた分を指して。

 

「こういうものを想像で穴埋めしながら呼んでいくというのも面白い」

「そうですよね!」

 

 憧れの人の同意にて、ぱっと笑み。

 読書家として、物読みとして、本の虫として――本居小鈴として当然の感覚として。

 

「こんな内容だったのかな。もしかしたら、こういうことだったのかなぁなんて」

 

 きらきらと小鈴は瞳を輝かせた。

 書の内から出づる物語の――その欠けた穴を補う創作の文字を浮かべ読むこと、想像と別像の物語が組み合って、また新たな物語として心を躍らせること。

 その愉しき空想に、また笑んで。

 

「夢のうちに思いぬ、か……」

 

 ふっと笑むのは古きモノ。

 彼女がその言葉を思い出したのは……以前に、それと似たようなものをこの場所(鈴奈庵)で見かけたからか。それは、とある絵師の空像を語ったことについての種明かしの証拠ともいえる結びの言葉であり――一つの予感を持たせる可能性の話。

 

「もしかしたら、そういう人の想念が形となって、新たな化生が現れるということもあるかもしれんがのう」

 

 わからぬものに足して描いた――その先にあるモノとして。

 

「妄想、空想の類から産まれる怪、ですか?」

 

 妖しき怪しき物の怪。

 破れた先に、失くした底に現れる(化ける)モノ。

 

「ああ、どこにでも生まれえるというのが怪異というものじゃろ?」

 

 懐からの手がすっと伸びて、机の上へ。そこに置かれた音盤に針が置かれて、ゆるやかに音が響き出す。店に響く、古びた音の波。

 

「どこかで聞こえる音。どこかで見かけたもの。どこかで聞きかじったもの――そんな曖昧な何か一つで、十分な理由にはなる」 

 

 仕組みは知らない、けれども音が。楽器はないのに、そこから曲が。誰もいないのに、どこかで歌が。そんな始まり(きっかけ)で、怪は始まるのだから――もしかしたら、こんなものでも。

 そう感じてしまうほどには、そういう本を小鈴は読みすぎている。知っている。

 

「私が思い浮かべられるのなんて……きっと妖怪になったとしても、ちょっとしたことしか起こせない妖精みたいなものになっちゃいそうですけど」

 

 軽口めいた小鈴の言に。

 そんな大物はにたりと笑う。

 

「なあに」

 

 くいと眼鏡(がんきょう)持ち上げて、薄く覗いた口元隠し……隠し切れない妖しをかぐわしながら、半眼の目は破れ目を覗く。

 ぽっかり空いた空白の、子供が落書きを描くには丁度よいだろうその空間の――潜む何かを眺めるように。

 

「そういうまっさらなのがまた、良い子分にもなるのさ」

 

 深く軽く、そう告げる。

 ふわりと羽織が舞ったのは、その内にある何かをゆるりと揺らしたからか。

 

「……」

 

 よくわからないまま、その雰囲気に呑まれて、小鈴は何だか呆然としてしまった――それに、彼女は「ああ、いや、何でもないよ」と取り繕うようにして慌てて手を振った。

 何でもない。何も起こってはいない。迷惑なんてかけないから……ここには何もいないのだと。

 

「まあ、どうせなら……その足りずを埋める部分を書いてみるというのも面白いかもしれないがのう」

 

 差し出す指で、前にそれがあった場所を。

 少ない頻度といえども、未だに現れる異物の怪の行列を差し示し――

 

「虚破れから描く、見たままに想い浮かべた話などとな」

 

 冗談めかして、それを誘う。

 たらりと、額に汗をかく少女に向けて。

 

「……いやいや、そんなことをしてもし本当に新しい妖怪なんかができてしまったりしたら、なんて」

 

 横目に剃らし、何にも知らないと自白して。

 小鈴は少しとそれを想像して。

 

「構うことなどなかろうて、この幻想郷にはくさるほどに妖怪がいるのだからのう」

 

 詭弁の言がそれを揺らす。

 なりたい。格好のよい。憧れてしまうその表情が覗いていて――それを面白そうに惑わしている。

 

「心配することはない――そういう新入りを躾て使ってやるのが、それこそいい大人(儂ら)の役目じゃしな」

「……?」

 

 不思議な言葉に、また首きょとん。

 ところどころの引っかかり――それはまた、新たな正体不明を産み出して。

 

「いやあ、なんでもない」

 

 知ってか知らずか。

 その当の相手は片頬を持ち上げ、意味ありなさげに片目を瞑り、小鈴の肩にぽんと片手を。にたりと大きく口あけ笑い――

 

「まあ、その時はその時。なったらなったで、博麗の巫女やら妖怪退治の専門家やらがすぐにどうにかしてしまうだろうさ」

 だから、安心して遊ぶといい。

 

 優しくいって、ふわりと離れた。

 一瞬だけ感じたおどろおどろしいような感じは、気のせいのように吹き飛んで。

 

「……」

 

 つかめぬ間に、それは離れていた。

 からりからりと草履が鳴って、帰るきびすと片手がひらり。今度は前の時(・・・)とは違って何も引き連れてはいない――けれど、そうも見える大きな背中で。

 

「何か面白そうなものが見つかったら教えておくれよ――代金は弾むからのう」

 

 そういって、暖簾に手を当てするりと抜ける……ひらりと、消えて。

 それを外まで追いかけたら……また消えているのだろうか――それとも、にこりと笑ってそんな小鈴の様子を見つめてくれるのか。

 それは小鈴にはわからないけれど――とりあえず、いることにして。

 

「はい!」

 

 大きな声で、小鈴はそういった。

 また、そのうち来てくれるだろうと楽しみにして――また、古びた本の整理へと戻った。

 

 外は既に暗闇の色。

 ぼうっと光る何かが通って――何かが、ぞろぞろと付いて行った。

 

 そんなこともあったのかもしれない。

 夢うつつのまま、誰かはそう想った。

 

 

 

 





 副題 文車妖妃

 ※
〈文車妖妃〉
 歌に、古しへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚(しみ)となりけり。かしこき聖のふみに心をとめしさへかくのごとし。ましてや執着のおもひをこめし千束の玉章には、か〃るあやしきかたちもあらはしぬべしと、夢の中におもひぬ。
(鳥山石燕『百鬼徒然袋』より「文車妖妃」の項 引用)
 

 ……もう少しひねれたかもしれません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

波のまにまに

 

 とぷん。ぷくん。波間に揺れる。

 ゆらん。ぐらん。波に呑まれる。

 ゆるん。ぐわん。さざ波越えて。

 

 

 はて、彼方。

 

 

____________________________________

 

 

 妖怪の山。

 幻想郷で一番の標高をもつその内から湧き出た大川の、その岐れた支流の一つ。人里近くをかすめるように流れるその河川は、人々の生活用水として使用され、日常一部の必需としてその存在を示している。飲料、原料、田畑に日常として、渡世の垢も日常非常の排出も、一手全てと引き受けて、下流へ下流へとを流し出す。

 こんこんとくとく、流れ続け湧き続け――がぷりと泡を呑み込んで、そして何処か彼方へと。

 

「……」

 

 そんな水の流れに沿うようにして一人の――一柱の少女が歩みを進めていた。

 禄全体が白のフリルに色彩られた赤い衣装に、長く伸びた翠色の髪が、同じく赤い色をしたリボンによって胸元で一つにまとめられているという一際変わった様相。足下にはすらりとした黒いブーツが伸びていて、その上方にあるスカートには渦を巻くような形をした不思議な文様が描かれている。

 不思議な……そもすれば、奇天烈な格好をしているともいえる少女。彼女の名は『鍵山雛』。妖怪の山に暮らす八百万の一柱の中の、いわゆる『厄神』と呼ばれる存在である。

 時には、妖怪みなされることさえあり(実際にとある巫女はそうみなした)、その身に渦巻く悪縁、疫病をもたらすものによって人々に忌み嫌われることもある。

 人の負を祓い、不幸を除いてその身へと集めて運ぶ――故に、そこに近づいた者には、不幸が訪れるという力。

そんな彼女は、今日も周りにおぞましき何かを纏って、澱んだ空気の中を歩いている。

 暗いもの。恐ろしきもの。忌むべきもの。

 不運。苦難。不浄。非業――その総てを一身に担い、下流へと進む。時折振り返り、上流の方を確かめるように目をやりながら、ゆっくりとその河原を辿る。

 ぼこぼこというのは、水が空気を呑んだため。

 ばしゃばしゃと撒き上がるのは、流れが岩とぶつかるため。

 

 そんな僅かな音に耳を澄ませながら、彼女は歩く。

辺りは誰もいない。動物さえも寄ってはこない。

 彼女は一人。彼女は独り。

 そういう役目を担ってそこにいる。そういう役目に産みれてそこに在る。

 厄を司る神。厄を運ぶ人形。請けて負いての流し雛。

 それは人のための神。だからこそ、恨むこともない――寂しく感じることもない。

 そういう、存在なのだから。そういうことに、なっているのだから。

 

 

「……」

 

 不意に立ち止まったのは、その流れが緩んだからなのか。

 川裾が広がり、水の流れが静かなものとなり、一つの円が留まってそこにある。

 大きなものではない。見れば、少し窪んでいた地形に水が流れ込み、ちょっとした深さまで溜まりこんでそうなった、という程度のものだろうか。

水の流れの、その少しの休憩地点といったような印象のものである。

 そして、その留まりには一つの影があった。

 

「うーむ」

 

 小さな、随分と小柄で細身の少女。

 泉の縁の地べたにどっかりと。だらしなく座り込んで見た目の年齢には見合わぬ真っ白な髪を無造作に地面へ放り出している。せっかくの綺麗な長髪であるというのに、ぼさぼさと土まみれ――そういうことに無頓着なのだろう。

 明るい朱の色をしたもんぺに片手をつっこんで、ぼうっと湖の方を向く。

視線の先にあるのは、竹で作られた簡素な竿だ。

見てみれば、少女の隣にこれまた竹で編まれた丸い籠が置かれている。

どうやらそういうことらしい。

 こんな人里離れた場所、恐ろしきが訪れる人外の縄張りに――たった一人で。

 

「……」

 

 なんて、命知らずな。

 雛はそう思った。この前に見た人間といい、どうしてこうもその身を危険に晒すのか――いや、それでも大丈夫だという自信がある人間なのか。少し前に訪れた災難を思い出し、少し逡巡して……それでも、やはり。

忠告ぐらいはしておくべきだろうとそちらへ向かう。

彼女は人を救う神なのだから。

 

「こんにちわ」

「……ん?」

 

 とりあえずは挨拶から。

 くるりと頭が振り向いて、その頭に着けられたリボンが揺れた。

妙な柄の……まるで、お札で貼り合わせているような生地のもの。

 

「お楽しみのところ、お邪魔で悪いけれど――この辺りに人間がいるのは危ないのよ」

 いつ何時とって食われてしまっても仕方がない。

 それほど、妖怪の場に近いのだと、少女にそう忠告する。

 何だか、きょとんとした様子でそれを聞いていた少女は、雛の言葉に目を細め――ふっと息を吐いて、面倒くさそうに頭を掻いた。

 釣り竿を引き、何もかかっていないのを確認してからまた投げて。

どうやら、ここから動く気はないらしい。

 

「……なに、あんた?」

 

 そっぽを向いたままで、雛へと返る問い。

ぶっきらぼうに乱雑な言葉。

 

「私は……ただの通りすがりよ」

 

 

「あ、そう――じゃ、そっちこそ早く帰った方がいいよ。私なら放っておいて大丈夫だから」

 

 どうでもいい。なんてことはない。

 そんなどうでもいいこと(己のこと)、気にする必要なんてない――そういう、自暴自棄めいた色が覗く。そこ(・・)にある澱みが、彼女には見えてしまう。

その重荷、背負った厄の重さ――穢れと覗く。

背負い、担いて流す性分が疼いている。

 そういう人間こそ放ってはおけない。暗い不運を、拭えぬ不幸を負う者にこそ、己の力は必要なのだと……ほんの少しでも、その重荷を肩代わりしたやるのが己なのだと、原型としての自分が。

 

「――どうせ、死ぬことなんてないから」

 

 小さく、聞こえぬ呟きをして、少女は片手を振る。

 そこにあるものは――厄神である雛ですら見たことのないものだ。

 永い時、遠き時間、気が狂うような日々を越えて熟成された――底知れぬ何か。

 

「あなたは――」

 

 食い下がるように口を開いた雛に……見せつけるようにして豪という音。

 その出所は少女の右手から。

やる気なさげに掲げられたその上に、明々とした火炎が舞い踊り――そして、消える。

 

「……」

 

 そこに含まれた妖気。只人ならぬ力。

 あの巫女や魔法使いと同じ、闘うことのできるもの。

 

「こういうことだから」

 

 放っておいてと、拒絶するように。

 私の心配はいらない。だから、早くいってくれ。

 込められたのは人払いの棘めいて。

 

「あんまり普通の人間ではなさそうね……似た色だし、この前の紅白巫女と同類なのかしら」

「――あの頭が天気な巫女とは一緒にしないでよ」

 私はただの健康マニアの焼鳥屋だ。

 

 面倒そうに返す言葉は、そうやって会話すること自体を厭む人煩いの意を含み――雛に、やはり、この少女は外れているのだと意識させる。

 そして、その少女があの博麗の巫女の知り合いなのだということにも。

 

――なら、大丈夫かもしれない。

 

 少しそう思って余裕ができたのは、その姿が浮かんだからなのか。

 外れていても、浮いたあの巫女とであったのなら――

 

「ごめんなさいね。私にも少し用事があって……少しここで待たせてもらっていいかしら」 

「……こんなとこ、釣り以外には何の用事もないでしょうに」

 勝手にすればと、これまたぶっきらぼうに。

 お言葉に甘えて、と雛は隣に並ぶ。

 近づきすぎなように気をつけて、その竿の先を眺めるように。

 

 沈黙と空閑。

 そして――揺れる浮き。

 

「ん……」

 

 くいっと手首を返して、少女が釣り竿を持ち上げた。

 丸い形の浮きは確かに沈んだ位置から揚げられる。

 

「何か釣れた?」

「――ああ」

 

 そういって引き揚げた糸の先にあるのは……黒ずんだ奇妙な形。

 長くと伸びて、良く安定してそうな――そんな長い靴。

 

「大量だよ」

 

 そういって放り投げた先には、色様々な二足三足。

 大量の長靴がずんぐりと山となっている。

 

「……え、ええ、そうね」

 

 どうしてそんなものが釣れるのだろう。

 己のせいだろうか、と雛は少し迷う。

 己の集めた厄が関わっているのだろうか。

いや、けれどもそれは長靴だ。もしそうなんだとしても、奇妙すぎる現象で。ただのごみですらなく、この幻想郷では見るのも珍しい長靴などと……。

 そう、水面を眺めて不思議に思い――上流へと視線を向けてそれに気付いた。

 そこにはあるのは、厄神である雛が、わざわざ妖怪の山から下りてきた理由。普段行わない、人に近づいていくような行動をとった、その訳である。

 

「――ごめんなさい。少しの間だけ、竿を引いておいてくれないかしら」

 

 雛の頼みに、少女は首を傾げた。

 それでも、何か意味があるのだろうと察し、ひょいと竿を引いてところに、やはりこの少女が悪い人間ではないだろうこと想う。

そして、回収した糸の先には無論、何もかかっては――いや、また長靴。

 

「……」

 

 妙な沈黙流れて。

 そして、しばらく。

 

「あれは……」

 

 過ぎた時間の後から、流れてくるもの。

 くるくる、ゆるゆる……流れに弄ばれながら。

小さな船に乗せられて、簡素ながらも綺麗なおべべに身を包むものたち。、飾りと供えに囲まれる一つの船団が通りかかる。

その数は、丁度人の数。

 

「そうか、今日は……」

 

 それが見て、少女は納得したようにつぶやいた。

 そういえば、この前人里で友人と会ったとき、そんな行事があるのだといっていた。日々の感覚がなく、暦など気にしていなかったために忘れていたが――そういえば、そうだったのだと。

 そう思い出してうなずいた。

 

「雛流しの日、だったっんだっけ」

 

 流れくる人形たち姿を眺めながら、少女はそう呟いた。

 雛流し……つまりは、流し雛。

 その風習は雛祭りの元となったともいわれ、同じように人形を使い、人の厄を祓うという意味合いを持ったもの。船に乗り流れくる人形たちは、雛壇に飾られるものたちと同じように綺麗な装束に身を包み、彩り明るく微笑んで――そして、流れて去る。

 ひな祭りと違うのは、雛人形自体を川へと流し、そのままどこかへやってしまうということ。人の厄を請け負う人形を作り、それを川へと流すことで厄払いするという形式だということだ。

 流された人形たちは川の流れに沿って進み――そして、姿を消す。

 どこか遠くへ流れたのか。船が返って沈んでしまったのか。はたまた、何か別のものによって壊され消えたのか。どうなったのだとしても、それは帰ることはない。

 言い換えてしまえば、己の代わりに難を擦り付けるための身代わりであり――そう考えてしまえば、少しと暗いもの。

 

「……」

 

 眉を顰めて、少女はその流れを見つめる。

 同じ人の形ながら、それらは違うものとして造られた――ただ、苦しみを負うためだけに造られたものを眺めて。

 

――……。

 

 そこにあるのは人の生から掃き出されたものだ。いらぬものだと捨て去ろうとされたものだ。

 穢れた存在。外れた人の形。

 それは、人の世にはいらぬもの。

 

「ふふ」

 

 吹き出すように笑んだのは、何かがこみ上げたから――少しだけ、胸の内にあるものが溢れたからだろうか。

 薄い笑みに宿るのは、くすぶる炎。

 少女が抱え――擦り切れた切れ端がそこにあるものと重なって、昔の記憶(誰か)が映っているようにも見えた。

吐き出され、捨てられて――外れたしまった。

 流した方か。流された方なのか。

 どちらとしても、形をなくしてしまったのは同じこと。外れたものであるのは似たような。

 だから――少しだけ。

 

「……この子たちも可哀想なもんね」

 

 愚痴を吐きたくもなった。心を吐露したくなった。

 思い出したくも――なってしまった。

視線を落とせば、あるのは空っぽの籠。

 何も得ていない、空の器だけ。

 

 少女はそれに息を吐き――

 

「厄払い……人の災難を肩代わりされて、どこか遠くへと厄介払いに流される」

 

 流れる船団に釣り竿を向ける。

 針は放たず、ただ指して――何も得られないことに息を吐く。

 

「――そうなの、かしら」

 

 それを隣で眺めながら、雛は聞いていた。

 自らと同じ使命……想いを込められた行列についてのことを。

 

「だって、そうでしょう?」

 赤と白の少女は答える。

 そのめでたい色の――向こう側。

 きらびやかな祭りの雅を負いながら、ほの暗い闇を内に秘めるその人形たち。その行方について。

 苦難に不幸、苦しみ悲しみ押しつけて、己だけは幸せに……代わりの誰かが、どこかで沈む。そんなこの世の習いを表すのだと――厄介者(いらないもの)を追い出して、幸を得るのだと。 

 

「それを綺麗に飾りたてただけ」

 

 薄い声でそう語る。

 こもった苦難を見据えるように――思い出すように。

 

「そんなものを負わされて――本当にいい迷惑だ」

 

 こもった声で、そう伝える。

 本当に、可哀想だと。

 

「……」

 

 そんな実感深き言葉に、その先(・・・)である少女は少し迷って――

 

「……そうとは限らない、と思うわよ」」

 

 それでも口を開いてみた。

 悪縁を担う自分という存在が出会った一つの縁。

 何だか疲れてしまっているような少女――自分と同じ存在に同情してくれた(心を寄せてくれた)少女と。

少しだけ、話をしてみたい。

 

「確かに、あのこたちは人の災い――苦難や不幸、苦しみとしての厄を受け取って、遠くへと運ばれるよりしろのようなもの」

 

 眉を顰めて振り返った少女。

 彼女があの子たちに己を重ねているのなら、それが少しでも軽くなるのかもしれないと。

 

「流され沈み、塵へと還るのがそのお役目」

 

 語るのはきっと同じものではない。

 成ってしまった己とは違う――その先のこと。

 

「けれど――それは、誰かの代わりに厄の先へというということ」

 

 違う未来の、その可能性。

 それを己の口から伝えようとする。

 

 それが雛にできる少女への厄払いだと。

 

「厄の、先?」

 

 妙な表現に、少女は目を丸くする。

 

「ええ、先――苦難を乗り越えた、その向こう側」

 わかるでしょう。

 

 そう雛は悪戯めいた笑みを浮かべて問う。

 それはあなたも知っているだろうと。

 それに対して少女は――

 

「……」

 

 しばらく考え、しばらく悩み、その意味をわかろうと頭を抱え――それから、わからなくて聞いた。

 厄神さまはふわりと笑う。

 

「――どういう意味?」

 

 意味がわからない。そんなものは知らない。

 持っていない、そう語る少女に。

 

「悪いことの後には、きっとよいことが訪れるってこと」

 

 おどけるように、軽やかと。

 当たり前のこと、それもまたこの世の習いなのだと。

 

「苦難を乗りこえれば、それだけの価値あるものを得る。試練に耐えきれば、きっと実りある祝福が訪れる――」

 

 努力は報われる。苦労はさらなる豊かさのため。試練は乗り越えた先で己の血と肉に。

 苦しみの先には、幸福が待つ――そこへ還るのだ。

 

「役目を終えて、厄を越えたその先へ」

 

 やり通して、終える。貫き通して、届く。

 与えられた全てをこなして、充実の中で。

 

 そして――

 

「川を――ずっと先の海を越えた先には、浄き土地があるという人間もいる」

 

 海を越え、そのずっと先には――それがあるのだと信じるものもいる。

流れすぎ、辿り着く場所があるのだと信じぬくものもいる。

 

「求めて、何の保証もない先へと漕ぎでて――どこかへと」

 

 そうやって船出していった者たちがいたのだと、聞いたことがある。

宛てもない海に漕ぎだして、そして、帰らなかった人間たちがいたのだと。

 彼らはきっと辿り着いた――その信仰の先に。

 

「それもまた一つの救い――ただ」

 

 それはごく一部のこと。信仰に身を投げ打ち、命すらも差し出すことができる人間の業。

 それは只人にはとても真似できるものではない。

 

「そんな勇気なんてない」

 

 その先の救いを求めても。

 

「だからせめて――己の代わりを。少しの穢れだけでも、浄土へと流してもらおうと」

 

 この幻想郷から海は見えない。

 けれど、この水の先に、それはきっと繋がっているのだ。

 だから――。

 

「私たちは、その想いを受け取っている」

 

 言いながら、雛は一歩を踏み出した。

 水の流れ、浮かべぬ上をまるで歩くようにすれすれに浮かびながら。

 

「……お疲れさま」

 

 ついと手を伸ばして、人形たちへと向ける。

 同胞への挨拶と労いの言葉を添えて――

 

「あなた達は先にいっててね」

 優しく笑って、目を瞑る。

 群がるように迫る何かに、また開く。

 

「あれは――」

 それは少女にもはっきりと見えた。

 何かが彼女へと集まっていく様が――少しを全て、受け取っているのが。

 

「……」

 

 くるくると回る――何かを纏い寄せるように。

 ゆるゆると舞う――何かを流し送るように。

 澱みを集め、一つの形へと。

 集めて、笑う。

 

「この子たちの役目は終わり」

 

 くるくると。ゆるゆると。

 波紋を広げ、波を揺らして――けれど、沈まず。 

 辺りの同胞たちも、それに呼応するように揺らめいて。

 

「厄を越えて進み、もっと先へとたどり着く」

 

 美しく、川面を染める。

 澱みの向こう側見える何かによって――彼岸は、より極楽染みて。

 

「たとえ、沈んでしまっても……」

 

 幾つかは、たどり着けずに沈んでしまっている。

 この水面の底、深く透明の先――それまた、向こう側。

 

「波の底にも都さぶらう、か」

 

 そう誰かはいったのだ。少女はそれを思い出した。

 雛はその呟きに少し驚き……そして、また笑った。

 そう。かの者は波の底にある都へと旅だったという。それはそういう旅であったのだと。

 優しい誰かはそういって。

 

「――ええ、きっと」

 

 にこりと、流されたものは笑っている。

 きっと、同じ場所へとたどり着くのだろう。

 

「抱えて沈み、波の底《都》へと」

 

 大厄はらいて身は軽く。

 水の底にて目を閉じて。

 

「そういう役目と……救いを果たす」

 

 先に行って、待っているのだ。

 苦難と不浄の世を抜けた先――穢れの先の彼岸にて。

 

 

 そんな儀式であったのだ。

 暗さだけでなく、きっと、蛍のような灯りを含む。

 願いを込めた短冊であったのだと――

 

「そう思っておくのも、信仰でしょう?」

 そういうことにしておいて。

 笑う彼女は、神ともなった――信じれば、それは叶うから。

 

「そう、かもね」

 

 そう思っておくのも悪くはない。

 ずっと先で、確かに少女の願いも叶ったのだから。

流れはいつか海にたどり着くのだから。

 

 

「……」

 

そうして訪れた沈黙。

先ほどよりも少しだけ居心地がよくなったもの。

 そこに一体だけ遅れて、船が一つ。

 川の真ん中辺りを流れて揺れて――ぐらりと、返って沈もうとした。

 

「誰だー! 川を汚す奴は私が尻小玉引き抜いてやる!」

 

 瞬間に、誰かの手によってそれは空へと持ち上げられた。

 飛び出してきたその影に少女たちは同様に驚いて――その人形とは逆の手にある古びた長靴……先ほど見たものとそっくりの物を眺めて。

 

――ああ、河童って悪戯好きだったなぁ。

 

 なんてことを思い出す。

 ああ、そうか、と。

 

「……時々は、どこかへたどり着いてまた現に戻るということもあるみたいだけど」

 

 それを思い出して、ぽつりと呟いた。

 少女もそれと同時に呆れた息を吐き――互いに見合わせ、ぷっと笑った。

 

「まったく、ほんとにどこにたどり着くかなんてわからないものね」

「ええ、どうなってしまうのかなんて……たとえ、神様だってわからないものよ」

 

 くるくる回り。よたよた揺れて。

 ぐらぐら狂い。ばたばた溺れて。

 泡となっても、空へと還り――何がどう作用するかはわからない。

 人生塞翁が馬。禍福はあざなえる縄の如し。

 それもまたこの世の習い。

 

「――さて、それじゃ」

  

 釣り竿を放り出し、よいっと力込めて少女は立ち上がった。

 そこには笑みがこぼれて……拳が握りこまれていて。

 

「私はちょっとあの罰当たりと弾幕ごっこでも営んでくるかな」

 

 恨みつらみを晴らすため、少女は手のひら打ち鳴らす。

 あのいたずら者を懲らしめるため。

 

「あ、でも」

 

 私の側にいたのだから。

 厄を集めた彼女はそれを思って――最悪を予想して。

 

「大丈夫」

 

 それを笑い飛ばして、少女は背中に炎を纏う。

 水と相反し、水面に返る灯りを翼と広げ――還らぬ身体を引き連れて。

 

「私は何度だってこっちに帰ってきちゃう……救われはしないけど、絶対に落ちることもない」

 

 己ごと、、纏った厄を焦がして笑う。

 その程度、どうということはない――いつもの殺し合いと比べれば、ほんの百分の一程度にも届かない。

 なんて、己で己に笑いをこみ上げながら。

 

「……健康マニアの焼き鳥屋だからね」

 

 

 そういって、不死鳥は飛んでいった。

 この世は地獄――そして、ここは幻想郷(楽園)で。

 昔ほど、悪くはないのだろうと。

 晴れた顔が空に昇った。

 

「――そうね」

 

 死ぬことはなき、ごっこの遊び。

 ならば、ここで厄を使ってしまうのもありだろう。

 

 なんて、誰かは笑った。

 

____________________________________

 

 

 

 風の吹くまま。流れるまま。

 どこへ行くのか。どこに着くのか。

 全ては神の(たなごころ)

 良きも悪きもその身の内に。

 

 

 流され流され人の形は、厄を背負いて清き場所へとたどり着く。

 

 





 少し推敲が甘いかもしれません。
 気になることがあれば是非ご指摘をお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

塵と積もりて、雪と咲く

※この作品は同名義にて東方創想話様にて投稿させていただいております。どうぞご了承のこと宜しくお願いいたします。


 

 さくりさくりと、白が鳴る。

 さらりさらりと、滴と流る。

 ざくざく、しゃりしゃり、ぎゅぎゅと鳴き。

 さくさく、ぱりぱり、きゅきゅと押し込め。

 

「……」

 

 振り積もった一面に対の跡。

 まっさらな新雪に初めの音を刻みながら、彼女は歩く。雲が全て振り落ちてしまったような真っ白な絨毯鳴らし、お気に入りの日傘がゆらゆら揺れる。

 目的があって一線と進んでいるのか。たまたま妨げるものがなかったために、ずっとまっすぐと進んできてしまったのか。

 刻まれた足跡はずっと長く、遠く、直線に。

 右足と左足の、ただ平行一対。一人きりでのんびり続く。沈んだ雪は彼女の重さの分だけで。

 

 

「……あら」

 

 ずっとそのままやってきて……そこでぶつかったのは一つの区切り。

 一面に広がった薄氷とその下に流れているのだろう水の音――流れのように続いていた一本の足跡は、やがて大きな湖へとぶつかって、ぴたりと流れを止めた。

「はあ」と一筋、白息昇り。

 細めた目で辺りを見回した少女がうんと頷いた。

 

「――やっぱり、簡単には見つけられないものね」

 

 ふっと、小さくこぼした言葉と置いて、開いていた傘がぱちりと閉じる。ぎゅっと棒のように小さく絞って体に傾けて、空いた片手で片手を持って――両手を上げてうんと伸び。

 伸び伸びと、白く染まった空気が雲へ。

 澄んだ空気は冷えに冷え、吸い込んだ肺すら凍らせて、白銀薄氷、まっさら白と透明氷が辺りを囲い――花の妖怪である彼女は、ぎゅっと地面を踏みしめた。

 ますます高まる寒さをものともせず、ただぐっと根を張る強さを持って、赤い紅をゆっくりと。

 

「……何かご用かしら、そこの妖怪さん?」

「――あら、気づいていたの」

 

 開いた唇に返る声。

 寒さに尖った風の中心に、ふわりと渦が落ちた。

 白の塊。雪の造形。

 そこにいるだけでさらにすっと寒さが増すような渦が巻き、けれど、それでいてとても温かそうな姿がそこに。

 薄く微笑む雪の少女が冷え冷えと。

 

「でも、そっちの方だって妖怪さんじゃないの」

 

 花の少女を見下ろして、すとんと隣へと降り落ちて、冷たい空気がなお寒く、膨らむように広がって――凛と佇む少女は大して気にした様子もなく。

 

「まあ、そうだけど……それじゃあ、何かようでもあるのかしら、そこの同属さん」

「同属っていうのも違う気はするけど――まあ、いいわ」

 

 言い直された言葉に少女は困ったようにまた首を傾げた。そして、うんとまた頷いて答えを返す。

 

「私はいつもお花ばっかり眺めている花の妖怪さんがどうしてこんなところに、と思ってね」

 ただの好奇心よ、そう雪妖が。

 物理的にも精神的にも温度の違った笑み。

 笑っただけで、また少し。

 

「気まぐれにしては迷惑な話ね。こんな寒さになるなら、マフラーでもしてくれば良かったわ」

「ええ、それがいいわよ。寒さは着飾るのにはもってこいの理由なんだから」

 

 笑みの度、増していく寒さ。

 それもまた冬の醍醐味なのだと笑う少女は、悪びれもない。

 

「そうね綺麗な花柄のとっておきでも……でも、濡らしちゃうと嫌だし、その原因を取り除いてからにしようかしら」

「そうねぇ。春を集めるっていうのなら前に半人前の子がやっていたわよ。その周りはもっと冷え込んじゃっていたけど」 

 

 それはいつかの長く続いた冬のことだろうか――確か、なかなか花が咲く季節にならなくて、やきもきしていた記憶が少女にはあった。

 咲きすぎるのも困るものだけど、時期になっても咲かせてあげられないというのも、また嫌なもの。もう少し長く続いていたなら自分が出張っていたかもしれない。それくらいには不機嫌だった。

 まったく、仕事が遅い――と浮かぶ暢気な紅白調。今度暇つぶしがてらからかいにでもいってあげようかしらと、そんな気持ちももたげてくる。

 そういえば、あの異変にいかにも関わっていそうなこの冬の妖怪は、あれに出会ったことがあるのだろうか。

 そんなことを少女は考えていて――

 

「冬も長く続きすぎるのも考えものね。あの時はついつい張り切っちゃったけど、その反動で今年は体が重いような気がするわぁ……」

 少し寝坊しちゃったし。

 

 そんな季節感のないことをいう季から生まれた妖怪になんだか肩を透かされる。

 どうにもゆるく、のんびりと。

 のらりくらりとした会話ばかり。

 それもまたこんな寒さに動きたくないなんていう冬特有の気分(怠情)からくるものなのか。確かに、それもまた象徴といえば象徴なのかもしれない、と。

 

「まあそれでも、こんな雪が降った後はやっぱり歩いてみたくなるわよね。まっさらな雪面はそこに初めに歩いてみたい、なんていう欲望を刺激する――あなたも、その類かしら」

「そういうことをするのは子どもかワンちゃんぐらいじゃないかしらね。冬の風物というなら、私はどちらかというと猫を押すけれど」

 こたつでゆっくり派。

 そういうと、「それもいいわねぇ」とまた雪女とは思えないことを――いや、冬の妖怪ということは、そんな醍醐味も季の内ということなのか。

 

「でも、それじゃあ結局何をしていたの?」

 

 また続く疑問。

 この寒さの原因というのなら少し相手して放り出してやろうか、なんて気分もすっかり失せてしまっていて、仕方なく少女は口を開いた。

 隠すことでもない。どうせなら話してしまって手伝わせるのもいいかもしれないと。

 

「私は、少し探しものをしていただけよ」

「探しもの?」

 

 当初の目的、目的というほどでもないただの気紛れ。

 暖を取りに向かった閑古鳥の鳴く古道具屋で目を通したゴシップ新聞を見て、ふと、目に入った記事。

 

「本当に存在しているのかどうかはわからない。けれど、それがあるのなら見てみたいと思うもの――美しい。けれど、それが本当なのかは誰も証明できないというもの」

 

 そういう見出しで飾られた。

 

「そんなものが偶然にも咲いてないかしら、と気が向いて」

「随分、暇なことをやっているのねぇ……」

 

 失礼にも、呆れた声。

 つまりそれは見つかるはずがない存在しないものなのではないか。そういう当然、常識(・・)の言葉が返る。

 そう、それはきっと有るはずはないだ――だからこそ、在るかもしれないものだ。

 

「わざわざこんな大雪の降った後じゃなくても」

「誰もいない。誰もいないはずの世界だからこそ意味があるのよ」

 

 想っているからこそ形を得て、描いているからこそ姿を見せる。一つ一つ違った同じ美しさに根ざして花を咲かせる空想の物。

 そういう、幻想――ならきっと。

 

「幻とは、誰もたどり着くはずのない秘境にこそ咲くものでしょう」

 

 そういうものの居場所は決まりきっているものだ。

 龍が滝壺深くに住むように、神器が海底(うみぞこ)深く隠れているように。

 

「――冬の花なら雪の上こそ咲くってことかしらね?」

「……何よ。知っているんじゃない」

 

 くすりと笑った冬の妖怪に、彼女は肩を落とした。

 折角ここまで勿体ぶったというのに……。

 

「あの天狗の新聞に乗っていたコラムだったかしら。確か、『幻の花』なんていう題名で」

「ええ、とても懐かしい話だったから、少し」

 

 だからわざわざこんな雪の日に。

 皆が咲いているかもしれぬと一筋想う、そんな幻想への想い火が強きときに――もしかしたら、と少女は歩いていたのだ。

 期待半分、気紛れ半分……少しの郷愁を共として。

 

「たとえ現実に存在しないといわれても、それを求める想いは失せることがない。むしろ、見たことがないからこそ、それはさらに美しきものとして想いを積んでいくもの」

 

 空想、妄想、予想、仮想……そして、幻想。

 夢の形の具現され、ただ精神の内に種を蒔く。それが芽吹くというのなら、きっと。

 

「会えぬうちが花、ということかしらね」

「見つけたいと願う美しさもまた、花の魅力であるということよ」

 

 幻想の美しさもまた、その存在が美しくあるからこそ。火があるからこそ、煙は香るのだ。在ると信じるからこそ、それは顕れるのだ。

 妖怪(・・)である彼女は、そう微笑んで。

 

「まったく、物好きなものねぇ」

 

 くすくすと、冬の妖怪は笑う。

 そんな彼女はそれを見たことがあるのだろうか――どこに咲くのかを、知っているのだろうか。

 そう少女が聞いてみようかと思うったところに。

 

「花というのなら、いくらでも周りに咲いているでしょうに」

 

 思わぬ言葉。

 うんと首を傾げてそちらを見返すと。

 

「冬の風物。冬季の象徴。寒気の顕れ――それが、氷雪という冬の花」

 

 膝を折り、少しの冷たさを掬い取る少女の姿。

 白い右手の上で溶けないまま、形を保ったままの透白がふわりとのって。

 

「咲き誇るというなら今日ほどそれが濃い時はない」

 

 それに少女がふっと息を吹きかると、きらきらとした細かな結晶が空気に混ざり込んでいくが見えた。雪の芯、その中心として型となったものがそのままの美しき形で広がった――

 

「――あなたは知ってるかしら」

 

 それを両手の上でくるくると、舞い上げるようにして少女は遊ぶ。

 六角と。ジグザグと。棘の形に鉱物調に。

 花のようにも葉々ようにも、咲いては散って、散っては舞って……氷晶が指先へと降り積もる。

 直線的なそれはとても自然のままとは思えないのだけれど、定型的なその型はまるで人工の陣のようにも思えるのだけれど――けれども、それは。

 

「雪はね。空の中にある不純を芯にしてできあがるの」

 

 ついと描かれた形は、冬そのままに生まれるもの。

 

「空気に混ざり込んだ小さな粒。息より軽い、そんな埃のような塵を凍えさせたら白雪の粒ができあがる」

 

 込めた力に彼女の周りにまた雪が降る。

 空気に含まれた塵を種として、丸い白と咲きほこり。

 

「――それが、どうかしたのかしらの?」

「混じりものがあるからこそ美しい、世とは得てしてそういうものだっていうこと」

 

 それを咲かせた少女がまたくすりと微笑んだ。

 意味ありげ……何だか少し癇に障って。

 

「特別な唯一ばかりを探していては見逃してしまうものもあるものよ」

 

 似合いの土壌(雪面)に咲いた花。

 妖怪という不純を指すモノから覗く純の欠片。

 

「綺麗なまますぐに消えてしまうよりも、少しくらい汚れてからの方がきっと――美しくはなくても面白いものが見える」

 

 見上げた空――冷えた氷上の空に見えるのはこの辺りを縄張りとする妖精だろう。それにしては少々撃っている段幕の威力が高めな気もするが、まあ、たまにはそんなものがいる。

 そして、そういうものは時折――

 

「純粋無垢な何かは、いつか美しい混ざりものになるかもしれない」

「それは……」

 

 呟いたのは冬の妖怪。

 奇せずして、同じように然の流れの中に産まれた存在。

 

「妖精が妖怪になるように?」

「想像が幻想となるように」

 

 種となって、花と咲く。

 塵が積もりて――いつかは山と。

 

「……」

 

 今落ちた氷の妖精。

 それもまた、この世にまみれて何かとなるのだろうか。

 少なくとも、その可能性をもつものであることにはかわりない――種を持っている、ということなのかもしれない。

 そう、少女たちはその先を想像して――

 

「――冬の種、ね」

「ええ、花というならそう呼んでしまっても」

 

 いいのかもしれない。

 互いにそれぞれ想う、その形。

 

「溶けた雪が遺した名残が、空に昇って再び雪に――巡った季節にまた芽吹く」

 

 それはまるで、彼女が愛するものと同じ巡り。

 いや、得てして世界とはそういうものなのか。

 繋がり連なり重なり巡り――隣を見れば気づけば知らぬ種と花があることも。

 

「そういうことも、あるのかもしれないわね」

 

 それは気づいていなかっただけなのかもしれないけれど、知らぬものだったならなかったことも同じ。

 見たことのない花なら一度愛でてみるのもよいかもしれないと――気まぐれに。

 

「冬もいいものでしょう?」

「たまにはね」

 

 ふっと笑った息を見上げて、空には粒。

 ひらりひらりと白が散っていた。

 花びらのようにまた降り始めた最初の粒が彼女が歩いてきた道を埋めていく。積み重なっていくのは種を芽吹かせる土と同じ。

 咲いて散ってまた染みて――いつか舞ってまた咲かす。

 

「そんな幻想もここには似合いかもしれないわ」

 

 

 見つからぬ花。

 青い鳥(幻想)がすぐそばにいたなんていうのは、よくあるおとぎ話(お話)だ。

 

「あら、あんなところに雪の花《本物》も」

「……」

 

 よくある話。

 揉めたら弾幕というのも、 この地では本当によくある話である。

 





試しにと東方創想話さまの方でも投稿させていただきました。
まったく同じものですのでどうぞお好きな方でよろしくお願いいたします。

読了ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡りて銭を

※この作品は同名義にて東方創想話様に投稿させていただいております。どうぞご了承のこと宜しくお願いいたします。


 水の音。

 どぷりと呑み込む大泡。こんこん染み抜く透明は見通せず。

 広く深く不明の光景と妙に軽やかな身体と気分。

 立ちこめる靄とも霧ともわからぬものが世界全体を包み込んでいて――ぼやけた感覚だけが、空《から》と満ちていた。

 何を思い出すこともない。何かを考える隙間もない。

 安堵していて、安心していて、眠っているようで、目が覚めたばかりのようでもあり。

 ただただ、のんぼりと漂っていく。それで、全て済んでしまうのだと。

 

 そう。

 

「おや、お客さんかい」

 

 そうやって、目を瞑ってしまおうかと思っていた所に声がした。

 何だか眠たそうに気だるげで、欠伸まじりに緩みきったもの――なんだか、ひどく場違いだと、そう思った。

 

「こりゃまた年配さんだね。最近は随分と多くなった」

 人間も生きるようになったんだねぇ。

 

 からからと、気風良さげな声が鳴る。

 嫌みのない。重さのない。その温風の様な日向声――この場に不釣り合いなそれに触れたからだろうか。

 ぼんやりとした意識が少し波だった。

 僅かと揺れて、波紋が広がり、とぷりと意識が浮き上がる。

『そういえば、私はなぜこんなところにいるのだろうか』と。

 

「……」

 

 過った疑問で揺り返す。

 透明だった水面に小石を投げ込んだように。

 ごぼごぼと泡が、もうもうと泥が――『自らが沈んでいることに今気づいた』というように、胸中が騒ぎたてる。

 どうして、どうして、わからない。

 なぜ、なぜ、と溢れ出る。

 ここは何処だ。これはなんだ。何がどうして。どうやって、私はこんなところにいるのだ。どうすれば、何をしたらあんな私を動かせるというのだ。

 だって、だって、私は――

 

「……」

 

 泥の底に見えたもの。

 散っていた意識が確かな形となり、その答えに私は――私、は。

 

 

「――よいっと」

 

 かたん、と。軽い音と声。

 手に持った棒状のもので引っかけるようにして、少女が乗っていた小舟から簡素な木の板が降りていた。

 ゆらゆらと水面に浮かぶ上からがたがたとした河原の砂利へと渡れるようにと襤褸の橋――見上げた私に少女は片目を瞑って、木船を叩き。

 

「色々疑問に思っていることも多かろうが――それはまあ、こいつに乗ってからにしてくれないかい?」

 

 招くようにとにこりと笑う。

 

「……」

 

 キイと、木の軋み。擦れあうような古い音。

 それは旧家の階段を踏んだときに似た――どこか懐かしく、揺れだした思考がすこしだけ落ち着いて。

 

「あたい的には、もうちょとここでおしゃべりしててもいいんだけどさ」

 この前叱られたばっかりでね。

 

「すまないねぇ」と困ったように顰められた眉――親しみやすい、あまりに日常的なその様子に。

己も『ああ、それは嫌だな』と、仕事が遅れ上司に怒られてしまった時のことを思い出してしまう。ついついと、話の合う客と話し込んで時間を忘れてしまった。ほんの少しのつもりがついついと話し込んでしまった。約束をすっぽかして、忘れてしまった。

 そんな、よくある他愛のない記憶。昔の、ずっと昔の若い頃のこと。

 

 思い出して、少し笑ってしまいそうになって――こんな気分になったのは、ずいぶんと久方ぶりのことだと、そう思いだした。

 とても懐かしい。そして、なぜだか新鮮で。

 こんなにも私の記憶は埃を被っていたのかという感覚に驚き、そんな気持ちになったのは一体いつ頃が最後だったかを思い出そうとした――そうだ、最後はあの場所に運ばれてしまう、そのずっと前ことで。

 まだ、私が元気であったころ――ちゃんと■きていたころ。

 

「――さあさ、考えごとはそこらへんで」

 

 ざぽんと、空気をはらんだ櫂があがった。

 そこにあった岸辺が遠く彼岸へと離れていく。

 水をかく先端もないというのに、水面を突くようにして小さな小船は波滑り、霧が満ちる向こう側へとその身を進めていく。

 少女の手によって、その気風に巻き込まれるようにして、ゆっくりと。

 

「――あとは、旅の内でといこうじゃないか」

 

 諭すように放たれた言葉を供として、私がその先へと運ばれていく。

 

 

 

――――

 

 

 

 ぷくりと、浮き上がる泡。

 淡く透明の様にも見えながら黒く濁った様に先を見通せない水面。その何が潜むかもわからない水音を上を滑るように船は進んでいく。

 櫂、というには明らかに違う形で、しかもその先端とおぼしき箇所ではなくその対となる側、ただの棒といった部分を水につける形で、するすると。

 それを不思議に想い、少女をちらりと横目で見つめてみるがあちらはごく当たり前だという表情で、鼻歌などを機嫌良くならしながら船を操っている。

 私を越えて向こう側、目的地であるその先が見えているかのように、深い霧の中へと瞳を向けて惑いなきまま。

 

「どうだい、この『三途のタイタニック』の乗り心地は?」

 

 降りてきた視線が私を捉えた。

 明らかにそのおんぼろ船とは不釣り合いなその名前を告げて、からからと楽しげに。明るく温かなそれは、やはりとこの場には不釣り合い。船の名前も合わせて余計に不吉に不明に。

 語り過ぎぬままに進んでいく。

 どこへ向かうかも、ここがどこなのかも、少女が何者なのかも――こちらがそれを呑みこむまでの時間を繋いでくれるように他愛なく、まるで日常の続きの様な気軽さで。

のんぼりと、船が進んでいく。

 

 それを理解して、それを思い出して。

己が――私がそれを呑みこむ。

 

 その時間。

 この船とあの河原。ここにいたこととここにいること。流れる場所。進む目的地。

 少女の姿。少女が持つもの。咲き誇っていた花に――きちんと動く体。

 

 そうだ。私は。

 

「……どうやらわかったようだね」

 

 こちらが腑に落ちるまで、待っていてくれたように。

 その巻きあがった泥が、ちょうど落ち着くといったところで彼女は続けていた世間話を止める。

茜色の二つの尻尾を揺らし、私の視線……じっとその櫂の先の部分を見つめていることに気づいて、うんと大きく頷いて、「やっぱりこいつは便利だ」とそれを叩く。

 変わった形なのだけれど、確かにその模した形のそれ――ああ、そうなのだと、なんとなくに納得してしまう。

噂されたままの持ち物にそのままの連想の形。

 いや、最初から分かっていたのかもしれないけれど、呑みこみ切るための、その最後のピースとしてすとんと落ちた。

 彼女はそう。

 

「そうさ。私は死神。死出の旅路の案内人」

 

 ひゅんと風を切る音。

 波うった金物がくるんと回って、滴を弾いた。

透明な粒。それは確かに己に向かったはずなのだけれど、いつまでたっても冷たさは感じにまま、そのままの形で私を通り過ぎてそれは落ちる。

 濡れたのは船底で、私はそのまま渇いたままで。

 

「おっと、すまないね――けれど、わかっただろう」

 あんたが死んだってことにさ。

 

 軽く言い放れた言葉がしっくりと、胸に落ちて沁みていく。

 そうか。私はあのまま、動けないままで逝ってしまったのか、と。

 

「……」

 

 俯きながらも騒ぎ立てぬまま。

 妙に落ちついた心持で私はそれを受け止めた。

 そうそれは理解していたこと。ずっと隣りにあった向かうべきもので。

 

「どうやら、元々ある程度の覚悟はあったようだね。まあ、その歳なら当然なのかもしれなけれど」

 悔いはないのかい。

 

 尋ねる少女に止まったままの私。

 悔いがないといわないが、私も長く生きていた。そろそろ、いつ迎えが来てもおかしくはないだろう。その想いは頭の片隅にずっとあったことだ。

 だから、来るときが来たというだけ。

 涙もでないし、嗚咽を漏らすこともない――わかってしまえばそれだけのことで。

 少しの寂しさの様なものを感じるだけ。ああ、終わってしまったのかと。

 

 しんみりと、それを噛みしめていて。

 

「さて、それじゃああんた代金はもっているかい?」

 

 だから、そんなことをいわれてしまって目が丸くなった。

代金という、あまりにもこの場に不釣り合いな言葉に驚き、先ほどまでのしんみりとした気分がふっとんで、わけもわからず首をかしげてしまう。

 一体どういうことなのかと。

 

「決まってるじゃないか。この川――この三途の川を渡るための渡し賃がいるってことは有名な話だろう?」

 悪戯っぽく笑う少女。

 

 確かに、三途の川の六文銭。それは私だって知っている有名な話だ。

 三途の河を渡るには料金がいる――しかし、そもそも六文銭とはいったい現在でいうどのくらいのものなのだろう。いや、どちらとしても、そんなものを持っているはずがない

。着の身着のまま――いや、最後は擦り切れた病院着に包まれた、ひどく落ちぶれた格好で私はそれを迎えたはずなのだ。小銭の入った財布すら持っているはずもない。

船に乗せてしまってからそんなことをいわれてもどうしようもないではないか。

 私は無一文。着の身着のままなのだから――のはずだったのだけれど。

 

「そうかい?」と楽しげに語尾を弾ませ、少女の目がこちらを見つめた。

にやりと持ちあがった口角と空を向いた手首がこちらを指して――私の、その背広の胸を指し示す。いつの間にか、私は私がいつもしていた格好をしていて……懐を探ってみれば何かにあたる。

内ポケット。懐の中。そこに何かが入っている感触。

 

「確かめてみなよ」

 

 首を傾げて、導かれるままそれを懐中に手を差し込んだ。

 じゃり、とした感触。

 音を立てるそれを取り出してみれば、そこにあったのは、昔妻に送ったはずの巾着。それなりの重さを持ったそれをひっくり返してみれば、結構な量の小銭と――昔、私が渡した蛇の抜け殻を模した金属性のお守り。

 よく物を失くす妻に、せめて財布ぐらいは失くさぬようにと贈ったもの。

 

「縁起物かい、洒落てるじゃないか」

 

 ひょいと、私の手からそれを持ち上げて、少女はしげしげと眺めていた。

蛇の抜け殻、金運をもたらすというそのお守りがここで何の意味があるのだろうか。後に残った小銭に手を出す様子もない。これでは対価に足らぬということだろうか。

疑問のままそれを見つめる。

 

 少女はただ、それを弄ぶように手のひらに転がしていて。

 

「成した行いによって人は財産を持つ。それは生きているうちのことであり、また死後にも連なって己を運ぶものとしての価値を持つもの」

 

 呟くようにそれを語る。

 くるくると、掌の上で回っていたそれは、まるで本物の蛇となって動き出したかのようにゆらゆらと揺らめいていて。少女の見詰める先で、ふらふらと、ぐらぐらと不鮮明に不確かに……徐々に形を変えていっているように、私からは見づらくなって。

 

「人の業の中、溶けた金が銭へと変わる。人の善行、人の悪行……あんたにとって、使いきれずに残った形のその一つ。悪意は溜まり、善意は返るってもんさ」

 

 くるくると、掌で廻る。

 するすると、船が進む。

 

 その中で私に少女が――死の導き手がそれを。

現世に置いて『いったい何を成してきたのか』ということを。

 

問うように。説くように。

 

私の胸の中にあったものを受け取って、形としてその場に晒す。

それは善行故の姿なのか。悪行として遺ったものなのか。

答えのわからぬ私を前にして、うんと頷く。

 押さえた胸でその巾着は、またちゃりんと音をたて――形となって清算されて、胸の内にと持たされて、この運ばれていく懐中に――つまりは、この小銭ぽっちが私の最後に残ったものということなのか。

 たったそれだけ。ほんの一瞬で使いきってしまえるような、その僅かが私の成果なのだろうか。渡りきれぬその額が――

 

「――よし、確かに」

 

 入っていた金子以外を握って、少女はこちらに見返した。

 私を見下ろし、その数少ない小銭を一瞥して――ひょいと、その掌のものを投げ上げる。

 

 

 そうして、一言。

 

「毎度あり」

 

 

 そういった。

 

 三途の川の渡し人、足りぬならば沼の底へと沈めてしまうという死の神が財布に残っら少しの小銭すらも受け取らぬまま。

そこに落ちてきた六文銭を受け止めて、にかりと笑う。

 

「随分と、いい金遣いをしたもんだ」

 

 くくっと喉を鳴らして、それを弾く。

 きんっと甲高い音。

 先ほどまでは持っていなかった幾枚もの六文銭を手の内で遊ばせて、「十分以上の渡し賃だ」と機嫌良く言い放つ。よし張りきっていくぞと、その短い袖を余計に捲くるように見せつけて、死神の鎌を水面へとつける。

 

 そこにあった蛇の形は消えていて、降ってきたのはワタシの銭。

 手品のように、変わったものがそこにあり。

 

「残した文より、遺したもんとね」

 独り言のように呟いて、少女はまた鼻歌を。

 

 するすると船は進んで、ゆるゆると風が過ぎて。

 笑み深く、軽くながらも沈みをまして――弄んだ銭がまた音を。

私が妻に贈ったものがいつの間にやら銭へと代わり ……銭代わりへと。

 

「後のものは精々後々の貯金にでもしときなよ」

 

 振り向いた少女がくるりと指を。

 向いた指が私から上方へ。

 指したのは天と地獄の中間点か、

 

「それはまあ、誰かがあんたのために使った銭。それを損と思わなかった誰かの贈り物だからね」

 

 そういって、死神は快活に。

 死出の旅路には似合わぬ様。明るい茜の花の様なその様で――何だかつられて、私も笑ってしまいそうになる様で、とてもうれしいことをいってくれたような気がして。。

 そうなのだろうか。

 こんな己にもその死を惜しんでくれた人が……その生を案じてくれた人がいたということなのだろうか。

 

 私の価値を見てくれた人がいたのだろうか、と。

 

 それが本当ならば、どんなに――そう、ついつい財布のひもが緩んでしまうくらいには。

 

「おや、いいのかい?」

 

 こみ上げる感覚のまま、残った分の銭も全て差し出して、うんと頷いた。

 現われた六文銭と比べても、きっと大盤振るまいとなるだろう量全て、わたしのための銭として。

気風よく、機嫌よく。

 他の誰かの分も払ったつもりとなって――もしかしたら、遠からずに訪れるだろう知り合いの分までもと僅かにだけ期待して、気前良くも宵越し持たず。

 

 

 渡した銭を渡し人に賽銭だと。

 

 

「――それじゃ、ぼちぼちいくとしようか」

 

 ふふんっと楽しげに笑った少女。

死神の手の先で、櫂が揺れる。

 とぷんぷくんと泡と波。置きざりにしてゆたゆたと。

 

 心地よい揺れの内、母親の腹の中にいるような安らぎを。

「ふわあ」と欠伸を一つ。

 

 

「ごゆっくり、このまま安全で快適な船旅さ」

 

 

 払った分だけの介を得て、柔らかに目を閉じる。

 撒いた種が芽吹いたことを――使ったモノが巡ったことを、少しながらも自慢に想い。

 死神少女の鼻歌を聞きながら、まだ少しの時間を微睡んで。

 

 

 

私が渡る。

 

____________________________________

 

 

 

 

 落とした銭が世を巡る。

 使った金が、世を富ます。

 いつか訪れ変わった世界――その場所で、また返って回る投資の銭と。

 

「地獄の沙汰も銭次第」

 

 

 とぷんとぽんと。

 沈んで浮かんで波のよう――金子の価値はその場で変わり、使い貯めて形を変える。

 

 

 そんな価値を稼ぐが人で。

 生きとし生きて、そして、死ぬ。

 その後のこと。その跡の事。

 生きた後に植えた後世。

 

 

 

「払い忘れは御座いませんか、とね」

 

 

 笑う死に神。茜の死に神。

 六文銭が心地よくに懐中で鳴いている。

 

 




前にも似たような話をしたような気もしますが、また違う場面として。
また、悪人が絞られた金の行方の話として。

一つ語りを。


読了ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。