【凍結】HSDDにて転生し、運命の外道神父に憑依しました (鈴北岳)
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01 言峰綺礼という名前で転生した男性について

 少しだけ、一人の男の話をしよう。

 

 物語には一切の関係の無い、五ページすら無い短いサイドストーリー。とある男の過去の過去の、今ここでは誰も知っているもののいない、既に無い話だ。

 

 男は普通の日本人男性だった。両親共に日本在住の生粋の日本人で、どこかの外国のハーフだとかクォーターだとかそういうのは一切無い。どこにでもいるような、中肉中背の童顔の男性だ。

 

 特に何かを為したわけではなく、ただただ社会の機構を動かしていただけの一人二人いたところで何の変化も無い、しかし必ず必要とされる類の種類の人物だった。時代の風潮に流されるまま、なんとなくで大人になってしまった、そんな感じの本当にどこにでもいるような男性だった。

 

 学生時代は友達を作って馬鹿をしてヘマをして勉強してサボって恋して、熱血はせず青春はせず、ただなんとなくでその場を切り抜けて大人になった。そしてそこでもすることは学生時代と一緒。ただ少し違うことは、自分のことを全て自分でしなければならないようになっただけだ。

 

 ただ――その男には一つの願望があった。夢があった。それは歳を経る毎に薄れて、しまいには青臭い話としてまだ人には言えないような恥ずかしいもの。

 

 それは人を助けることだった。ドキュメンタリー番組であるような、医者や救急隊員、自衛隊、看護師――職種は問わない。ただ、誰かが笑顔になってくれるような、それが実感できる仕事に就きたかった。そんな、おぼろげな夢。

 

 一時期は医者を目指そうとしていた。しかし、学力は低い、大変そう、なんだか自殺するような職場だわ、で、断念した。男は夢見がちだったが、愚かではなかった。自分の力量はある程度は弁えている。

 

 だがもしも、もしもやり直しができるのなら、一度はそれをしてみたいという願望は大人になっても持っていた。というよりくっついていた、というほうが正しいだろう。普段は思い出さないくせに、ふとした拍子に思い出す、その程度のものなのだから。

 

 これくらいだろう。この男について語ることといえば。それ以外は男のプライバシーの侵害といえる。

 

 まあ要は、男は、どこにでもいるような流されやすい人畜無害な人物だった、ということだ。

 

 そして、その男の話をしたのだから、必ずその男のことをこれから語るわけなのだが。

 

 男は交通事故にあって死亡した。

 

 享年二十五歳。働き盛りで、職場の同僚に淡い恋心を抱いていた時期だった。そこそこ仲の良い友人達から惜しまれつつ、そこの世界での生涯を終えた。

 

 終えて、転生した。

 

 転生してしまった。

 

「……………………………………………………おぎゃあ」

 

 眼が覚めて鏡に映った自分の姿を見た男が、まず最初に言った言葉はそれだった。どうしようもないほどに冷め切った棒読みである。

 

 幸い、その瞬間に周りには誰もいないし、監視カメラの類も無い。

 

 こうして、男の望まれぬ第二の人生は始まった。

 

 

 

 

 とりあえずまずは、俺の自己紹介からしようと思う。

 

 俺の今の肉体年齢は五歳。精神年齢は三十路かそこらだろう。まあ、これでおわかりだろうが、俺は前世の記憶と人格と自我をもって生まれてきてしまった。まったくもって傍迷惑な話である。主に俺が。次点で周囲の人々が。どうせなら記憶だけに留めて欲しかった。潔くない。

 

 俺の自我やらなんやらは、生まれて一日二日ほど経った後にはっきりとした。それまでは何故だがはっきりしなかった、何故だろう。どうでも良いけど。

 

 話を元に戻そう。

 

 俺は自我が生まれてすぐに、一つのことを決意した。それは目立たないことだ。理由としては、俺は演技が上手くないからである。絶対にどこかでボロをだす。それが高校生くらいなら問題無いが、小学生とかの時期はまずい。明らかに不審だ。異常である。ということで、ボロをださないために、とあるキャラを作ろうと決意したのだ。

 

 はたしてそれのキャラはなにか? 無口無表情である。まあ、赤ん坊の頃だと、あまり泣かない大人しい子供、というのが妥当だろうが。

 

 だが、だ。それでは逆に目立つだろう。考えてもみて欲しい。普段からまったく喋らず、顔の表情も変わらない子供を。気になるだろうっ? その子供がどうしてまったく喋ったり笑わなかったりするのか。それでは逆に注目を集める。

 

 そして、注目を集めれば、まず第一に、俺の行動が子供らしからぬことに気づくかもしれない。

 

 さらにだ、子供らしからぬ行動という言葉を考えた時、それは喋らなくても子供が知らない言葉で出された指示を完遂することもそれに当てはまると思ったのだ。

 

 となれば、博識な子供として周囲に認識させねばならない。よって、今生の俺の趣味が一つ確立された。読書である。いやあ、本って本当に便利なツールだよな。読む種類にも寄るけど、趣味が読書と答えると大抵の人は俺を良い方向に評価する。とはいえ、そのメッキは少しでも親密な付き合いをするとはがれるのだが。

 

 それともう一つ。注目を集めた場合の弊害その二。それは、その俺に興味を持ち、過多な会話を持ちかける人物がいるかもしれないことだ。

 

 自分のことはあれだ、よくわかっている。臆病だ。そして……、他者に依存しやすいのだ。認めたくないが、そうであると言わざるを得ない。結構な長時間、過去の記憶を振り返った結果なのだから。まあでも、これは読書を趣味とすることで解消されるだろう。わざわざ読書をしている奴に話しかける無遠慮なやつなどいるまい。

 

 ということを赤ん坊の頃から大人しい子を演じつつ、というかあまり喋ったり泣いたりせずに考えた。そして、何度も何度も推敲し練り上げたキャラの結果が、寡黙な研究者。先程までのそれを総合し、最も簡潔で最も近いイメージがそれだった。研究者になんぞなる気は更々無いが。

 

 とはいえ、だ。その甲斐あって、俺は大人しい子供という評価になっている。この教会内では。

 

「綺礼」

 

「はい」

 

 父さんが俺を呼んだ。よって、いつも通りに小さく、しかしきちんと聞こえるように返事して向かう。

 

「礼拝の時間だ」

 

 父さんはそう言って、俺を自らの隣へと導く。俺は導かれるがままに、父さんの隣に移動し、そして礼拝を始めた。俺と、俺の父さんはキリスト教っぽい宗教をしている。詳しい宗派は知らん。そこまで覚える気はない。

 

 多分だが、俺の将来は神父になることじゃないだろうか。……そうなると、良いな。神父をしつつ教師になるのも良さそうだ。もちろん仏頂面がデフォルト。生徒と仲良くなるなんてイベントは目指しません。恋仲になるなど言語道断。同い年の慎ましい奥さん迎えてまったりと死に逝きます。目指せ葛木先生。

 

 ……そーいや。俺の名前って言峰(ことみね)綺礼(きれい)なんだよね。

 

 絶対に外道神父にだけはなりません。ええ、なりませんとも。父さんみたいなさりげない優しさ溢れる神父様になりますとも、ええ。

 

「――Amen」

 

「Amen」

 

 考え事をしているうちに、朝の礼拝は終わった。この次にすることはわかっている。俺は父さんに、中庭へ先に行く、と簡潔に伝えて中庭へと向かう。

 

 服は既に着替えてある。動きやすい長袖と長ズボンの姿。することは決まっていた。というか俺がしてくれるように頼んだ。

 

 先に書いたように、俺はあまりものを言うことは無い。そしてこの教会という名の家は、漫画やゲームといった俗な娯楽品が一切無い。知的遊戯用の道具なら腐るほどあるが。チェスとか将棋とかオセロとかトランプとか。無論のこと賭け事は禁止。禁止されてなくともしないが。

 

 つまり俺は、暇だった。一応、俺はキャラ付けによる行動の副作用によって本の虫になり、父さんの書庫から色々と本をとってしょっちゅう読書をしているが、それは難しい。いや、知恵とか知識をつけるにはかなり良いのだけれども。ぶっちゃけつまらなくなってきた。

 

 だから、俺は頼んだ。父さんにあることを教えてくれと。普段はお願い事をしないこんな俺だからか、父さんはすぐに了承した。そしてそれは毎朝の行事となっている。

 

 中庭についた。俺は準備運動を始める。まずは体をほぐす為に、いっちにっいっちにっとストレッチ。そしてその後は地面に座って柔軟体操。おお、やっぱ柔らかい。大人になってもこの柔らかさを維持するよう努力しよう。

 

 その後は軽く跳んだり跳ねたり駆けたりと、体を温める。そうしているうちに、父さんが来た。

 

「準備は良いな?」

 

「はい」

 

 父さんと向き合って一礼し、父さんの構えの真似をする。そしてゆっくりとそこから体を動かす。無論、手本である父さんの通りに。

 

 俺が父さんに教えてもらっていること――それは中国拳法だ。動機は暇であったことと、単純に興味があったから。父さんが夜、中庭でしていたのを俺は偶然見て、それで教えて欲しいと頼んだのだ。

 

 まだ幼いということで筋肉をつけるようなことはしない。代わりにひたすら型の練習。ゆっくりと正確に、慣れてきたら少しづつ速く動かしていく。……片足立ちは辛いです。早く終われ。好きな型はもちろん両足でがっしりと地面を踏みしめているやつ。これはこれでまた足腰が辛いけども、片足立ちよりは楽。

 

「礼」

 

「ありがとうございました」

 

 練習終了。この後はクールダウンも兼ねての教会の掃除。なお、幼稚園には通っていない。通うくらいなら父さんと一緒に海外に各地の聖地の巡礼に行ったり、教会で勉強をしている。こらそこ、綺礼化乙とか言わない。俺は絶対に父さんみたいな人格者になるんだっ。

 

 教会の掃除を終えると少しの休憩の後、勉強。とはいっても算数とか考えることが大切なことはせず、音楽とか絵とか習字とか感性が必要なそのあたりをやらされる。というか自分から進んでしている。いやだって楽しいし。幼稚園でもこれくらいしているだろうよ。だから早期教育乙とか言って笑うなそこ。

 

 それが終わってようやく昼食。我が主に祈りを捧げてから、いただきますと皆で手を合わせて食べる。混ざってるけど気にしない。我が主への祈りと食べ物への感謝は別なのだよ。とはいえもはやそれは前世からの習慣なので、ここでもいただきますが一般的で良かった。うっかりやらかしそうで怖かったから。

 

 昼食を食べた後はお昼寝。とはいえ俺は眼が冴えまくっている。だから他の子供達が寝ている間、俺はずっと中国拳法の型の練習をしている。

 

 ああ、そうそう。ここでは孤児院、ではないけど託児所のようなこともしている。その親の宗派は問わない。ただし郷に入りては郷に従えということで、キリスト教の慣習をさせている。

 

 ぶっちゃけ最初はここは孤児院かと思っていたけど、よくよく考えればここは日本。孤児院なんて滅多にありません。というか基本ねえだろ。少なくとも前世の俺は見ていない。

 

 昼寝の後は運動だとかで教会の中庭でレクリエーション。シスターさんとか神父さんの見守る中、子供達は元気に遊ぶ。俺は毎度適当なグループに混ざって遊んでいる。さすがにコミュニケーション能力皆無だとは思われたくないから。

 

「ことみーってなんでもできすごいねー」

 

 そんなこんなで適当に負けず勝たずで遊んでいたら、そんなことを言われたことがあった。いやまあ、中身はお兄さんですから。ちょっと厳しいけど。っつーかおじさん? ああ、とうとう俺も魔法使いになっちまった。精神だけ。

 

 というか俺のあだ名がことみーで定着しつつあるんだが。どうすれば良いと思う?

 

 と、あの娘がここに通うまでは基本あまり他の子供と関わらず適当に寂しい年少生活をおくっていたのだ。とはいっても託児所の外にほとんど出ない、という意味でだが。基本、父さんの書庫にこもって読書してました。

 

 その娘は幼稚園児で毎日三時ごろに教会にやってくる。そして今の時刻は三時頃――チャイムが鳴った。

 

「綺礼君、イリナさんが来ましたよ」

 

「わかりました」

 

 それを伝えてくれたシスターさんに静かにお礼を言う。教会内ではいつもかけている十字架を外して、ポケットにしまう。別に自分が宗教やってることを卑下する気は無いが、子供がネックレスをつけるのはおかしいし、邪魔だ。

 

 紫藤は大抵ヒーローごっこをするんだし、あるだけ邪魔なのだ。

 

「やっほー! ことみー!」

 

「それやめろ」

 

 思わず顔をしかめてそう返した。正直嫌なのである。ことみーとか。キャラじゃない。あだ名はつけられたくなかった。からかいのネタが増える。

 

 で。

 

「なんの用だ紫藤」

 

 もちろん、訊かなくても用件はわかっている。だがここでなんの質問もせずに流されたらその時点で……あれ? なんになるんだろ。……ともかく、負けた気がするので毎回質問を返している。

 

「ヒーローごっこ。いつも通り、私とイッセーがヒーローね」

 

 うん、まあ、あれだ。

 

 ちょっと落ち着きたいから、状況説明をさせていただきたい。

 

 眼の前にいるのは二人の子供。幼稚園児。

 

 二人とも茶髪で、短パンに半そでシャツ。デザインは一緒、ということでそれは幼稚園の制服なのだろう。その上で、快活な容姿をした少し長い方の茶髪がイリナ、特に特徴の無い短い方の茶髪が兵藤一誠。

 

 幼稚園児二人は俺を期待の眼差しで見つめている。……まあ、精神年齢おっさんの俺にとって、その眼差しはかなり微笑ましいものであり、非常に庇護欲をかきたてられる。

 

 だから――屈しましたよ。

 

「わかった」

 

 ため息をついて、少なくとも乗り気ではないアピール。いや、内心じゃもうひゃっはーだけども。だって可愛いし、愛らしいし。自分よりも小さな子供を見たことがある人なら、この心境はおわかりいただけると思う。こう、なんつーか、特に何の意味も無く構ってやりたいという。だから、俺はロリコンではないし、ましてやショタコンではない。

 

 ぱあああ、とそんな効果音がつきそうなくらいに嬉しそうな表情をする二人。

 

 この後、何があったのかは言わない。ただ、童心にかえるのを必死に我慢して悪役を演じたということだけ言っておこう。

 

 ――これが、俺とこの世界の主人公の関係。

 

 幼稚園時代から始まった関係。教会という一つの接点で出会った友人、紫藤イリナから始まった関係。

 

 兵藤一誠。

 

 紫藤イリナ。

 

 二人とも、この世界で紡がれるであろう物語の主役。兵藤一誠はその物語の主人公。紫藤イリナはそのヒロイン。では、その二人の友人である俺はなにか。おそらく、物語に登場しないエキストラ――のはずだったもの。

 

 そして、俺である言峰綺礼はこの世界の物語であるハイスクールD×Dとは異なる物語、Fateの登場人物。あらためて文章に起こすと甚だしく奇妙だ。

 

 正直、嫌な予感しかしなかった。ただ無論のこと、俺には原作知識があるが、俺は原作崩壊なんて狙っていない。好きだな、というキャラはいてもどうしても会いたいとか、付き合いたいとかは思わない。まあでも、この二人とはうまくやっていきたいとは思うが。折角出会ったんだし、面白いし。

 

 だから、俺に嫌な予感がするというのは、まったくもって奇妙なものだった。それもその予感というものも奇妙だった。限りなく確信に近いもの、例えるのなら、星の重力に人は抗うことができないというような、そんなもの。

 

 くだらない。

 

 その確信にも似た予感はこの一言に尽きた。俺は原作を知っているから、自分を特別だと思いたいからそんな気違いじみた狂ったことを思っているんだろう。無意識のうちに。……中二病は既に脱却してると思ってたんだけどなぁ。

 

 

 それから一年ほど過ぎた六歳の頃、ちょっとした出来事が起こる。といってもそんなに大きな出来事ではない……わけでもない。

 

 その一年の間、いつも通りに俺は拳法の型を練習して、音楽とか美術とかを勉強して、聖書を読んで、紫藤と兵藤と一緒にヒーローごっこをしていた。最近では悪役も板についてきた。無駄に。紫藤に言峰以外に、カッコいい悪役は務まらないとか言われた。はっはっは、それは聖職者である俺に対するあてつけか? まあ、俺も結構ノリノリで楽しいから良いんだけども。

 

 ところでその出来事だが、小学校にあがる直前、紫藤は海外へと引っ越した。理由はわからない。ただ、教会の事情でなにやら海外に引っ越す用事ができたらしい。兵藤はその時、紫藤を泣いて見送っていた。やっぱり友人の別れというのは寂しいものだ。その気持ちはよくわかる――前世でそれを経験したから。

 

 でも今はそうでもない。未来にまたなんらかの形で再会するとわかっているから。というかその気になれば数年以内にまた会いに行けるのではないだろうか? 父さんの聖地巡礼の時はその土地の教会に泊まるから、もしその教会の近くにいるのなら、紫藤に会えることは会えるだろう。というか友愛は貴きものだから、父さんはそうなったら絶対に会わせる。

 

 

 それからまた一年ほど、紫藤がいなくなりつつも兵藤との交友は続き、俺は兵藤と一緒の小学校に上がった。

 

 兵藤はあの明るい紫藤といつも一緒にいたからか、人見知りせず積極的に友達を増やしていった。そしてするのはやっぱりヒーローごっこ。大勢で。

 

「言峰! いつも通り悪役!」

 

「えっ? 言峰?」

 

 ああ、うん。だから俺は逃げた。マッハで逃げた。目立ちたくないし、なにより友人は要らない。今は。親友は高校とか大学で作るんだっ! だから小学校と中学校はこれで通すんだ! こらそこ、ボッチ乙とか言わない!

 

 ちなみに逃げた場所は女子達のグループ。それもお絵かきが好きな、大人しめの。さすがにあのヒーロー好きの賑やか男子達は、女子と一緒にいるのは慣れないからか、根暗な俺は放っておいて兵藤と遊んでいた。ちなみに、兵藤はたまにこのグループに入ってきて、絵の上手い女子にヒーローの絵を描くように頼んでいる。ただ、いつも断られているが。だから偶に俺が描いてやったりする。恩はいつか返せよ。

 

「ことみー、絵上手いね。どうしたら上手に描けるの?」

 

「ことみーことみー、見て見てお花ー」

 

 ふぁっはっはっはっは! モテ期、到来である! ただことみー連呼するな。男子でもそれで呼んでくる奴増えているんだ。たまに兵藤も言うし。

 

 女子のグループとの関係は良好。それにほら、俺ってば勉強もできるから、勉強も教えてる。無論、兵藤にも。ただあいつは答えを訊いてくるが。その度に俺は根気良く、俺の語彙力を総動員して、興味を惹くように、かつ、わかりやすいように話している。そのせいか、最近、兵藤以外の男子も俺に訊いてくるようになってきた。近づくな。

 

「なあ、言峰」

 

 ある日、兵藤が一人で俺に話しかけてきた。なにか面白いことでも見つけたのか、かなり興奮している様子だ。ということは、それだけ聞いて欲しい話なのだろう。俺は児童書から手を引いて、机の中に仕舞う。

 

「おっぱいって、凄いんだぜ――!」

 

 気がついたら思いっきり手がでていた。こう、バシーンッ、と頭を叩いていた。ただ、あまり力は入っていないだろう。座っている姿勢だし、兵藤の頭は俺のより上のところにあったから。

 

「すまない」

 

「いった! なにするんだよ!」

 

「女子もいる場所でそんな話をするな」

 

「なんでだよ?」

 

「嫌な気持ちになるからだろう」

 

「おっぱいは素晴らしいものなんだ! オニをたいじしたし、じいさんを幸せにしたんだぞっ! だからおっぱいは嫌な気持ちにするものじゃない!」

 

 ああ、そうだろうな。男子なら。女子もある年齢に達した人は、喉から手が出るくらいに欲しくなるだろう。だけど今はそれじゃない。

 

 ――ふと、嫌な予感がした。

 

「キャァッ!」

 

「やめてっ!」

 

「やめなさいよ男子っ!」

 

 周りを見回すと――聖職者として非常に頭が痛い光景が広がっていた。兵藤の話に触発された男子――特に兵藤と良く遊んでいる男子が、クラスメートの女子の胸を触っているのだ。こう、結構な鷲掴みで。掴んだ上に、揉んでいる猛者も中にはいた。ただしそんな膨らみは無いために、なんだ。どんなことになっているのかわからない。

 

 女子は逃げ回っている。でもやっぱり小学生。どこか楽しんでいる節のある子もいた。ただそれは、比較的男子と交友のある女子で、俺のいるグループの女子は――真面目に嫌がっていた。

 

 ……まあ、大丈夫だろう。所詮小学生のお遊び。スカート捲りのようなものだ。後々笑い話になるようなそんな馬鹿騒ぎ。俺も前世でそんなことはしていた。女子との着替えが別教室になった時は、やんちゃな幼馴染と一緒にわざわざ覗きに行ったことがあるくらいだ。

 

 だから、まあ。俺もここで兵藤に同調して騒ぐのも一興――なのだが。

 

「やめろっ――――!」

 

 ――俺はそう叫んで、騒動の渦中に飛び込んでいった。

 

 いや、だって、ねえ? それなりに仲の良い子が泣きそうな顔をしていると、こう……胸が痛い。良心が痛む。そして、今の俺は感情が素直にでる子供に感化されてでもいるのか、感情の赴くままに行動したくなる。それに――それを頭では嘆きつつ、どこかそれが嬉しく感じられた、のかもしれない。多分。おそらく。

 

 千切っては投げ、千切っては投げみたいなそんなことはせず、とりあえず兵藤に触発された好奇心丸出しな健全健康活発に過ぎる男子達を、女子から遠ざけ女子達を一箇所に纏める。そうして、俺の加わった女子グループと、兵藤もいる男子グループが真正面からにらみ合う。

 

 その際の会話のような口喧嘩は省かせていただく。あまりにも幼稚過ぎた。いやまあ、小学一年生だから仕方ないのだけれども。

 

 その後、クラスに担任の先生が入ってきて、眼を丸くしながら俺達に事情の説明を求めた。一年生ゆえの要領の得ない説明を俺が細かく細くしつつ皆で語る。

 

 そして、微笑ましいものを見るような表情で苦笑して――男子達を叱った。とはいえそんなに激しいものではなかったが、これで充分にあの行為は女子にとって不快なものであるとは認識しただろう。実際これ以降、胸を揉むなどという男子(猛者)はいなかった。ただ、なぜだかその後にスカート捲りが流行った。解せぬ。

 

 というのが俺のいるクラスで起きた騒動の帰結と後の影響。俺自身に関しては何も無かった――と言いたいが、実際はそうではない。

 

「頑張れ委員長」

 

「委員長、どうしよう?」

 

 その後、なぜか俺に委員長というあだ名がついた。主に女子がつけた。――発端は知らん。知っていても何もできないし。委員長はちゃんと他にいるにも関わらず、だ。……悲しそうな顔してるぞ、本当の委員長が。ことみーが少なくなったのは良いけれど、なぜに委員長だし。

 

 そして、俺がクラスのまとめ役のような感じになってしまっていた。とりあえず話がこじれたら俺、のような流れにクラスではなってしまっている。女子が主導で。それに男子が乗せられた形で。

 

 ……とりあえず一言。

 

 解せぬ。

 

 

「――だからおっぱいは素晴らしいんだ!」

 

 兵藤はあれから、そんなことを叫んでいる。数年経って、三年になった今でもであり、それはあの時からずっと続いている。

 

 女性の方、お目汚し失礼。ただこれはこの世界の根幹に関わる台詞なので、あまり嫌わないで欲しい。むしろ微笑ましいものを見るような温かい眼で見守っていただきたい。

 

 兵藤エロ脱却作戦を、最近良く喋るようになった俺と似たような価値観を持つクラスメートと共に進めることはや幾年。兵藤にはこれっぽっちも脱却したような様子は見られない。というか日に日に強まっている。スポーツにその熱意を向けさせよう作戦は失敗。勉強の方に向かせようとしたのは言わずもがな。

 

 兵藤は順調におっぱい星人としての階段を上りつつある。いつかおっぱい聖人にでもなるのだろうか。なった暁には霊験あらたかなお祓いをしてやる。色欲の魔王と名高きアスモデウスさえも祓えるものを用意しよう、うん。というかあれだ、できることなら洗礼詠唱を使ってやりたい。

 

 それにしてもなぁ……俺はこれだけ見てるとすっげえだらしねえなぁ、とか思うんだけど。原作ではその熱意で世界救っちゃうから凄く意外。ちなみに、原作は多少覚えている。紫藤と会うまでは少しも意識していなかったから、ほとんどうろ覚えだけど。

 

 覚えているキャラは紫藤と誰かが聖剣使い、スイッチ姫は赤、堕天使な悪魔、ロリぃ小猫、影の薄いイケメンに、引きこもりな美少女。他にもいたような気がするが、覚えているのはそれくらい。まあ、いつか思い出すだろう。一応、おおまかなあらすじは覚えていたし、どんな人物かは想像がつく。

 

 もちろんのこと、ノートにもしっかりと書いた。書いて、表紙には見られないように「秘密のノート」と、デカデカと赤文字が踊っている。ん? そんなんじゃ見られるだろうって? チッチッ、甘いな貴様ら。小学生くらいの時はこれくらいの方が逆に良いのだよ。だってあの教会、子供に優しい方々ばっかりだから、ああいうふうにでっかく書いていたら絶対に読まない。それにこれなら見られた時に実は俺って子供っぽいんだぜアピールもできるから一石二鳥。はっはっは。まあでも、そうそう簡単に見つからないようにしているし、そもそもそのページはのりで貼ってとじているから大丈夫だろう。

 

「みんな席に座ってー」

 

 チャイムが鳴ると同時に一年生の時とは違う先生が悠然と入ってくる。この先生、かなり若く見えるのだが、実際は三十路で父子持ちらしい。バリバリのキャリアウーマンだとかどうとか。

 

 先生の手腕は見事なもので、鶴の一声よろしく皆が席につく。

 

 その後朝礼を終えて、少しの間の休憩時間。その間、俺は無論のこと、女子のマセた会話を聞いている。誰々が子供っぽいとか、兵藤は猿だとか、兵藤はエロいだとか、周りのことも考えろや、とかあって、言峰君私とつきあっては流石に無かった。ただ、色々と愚痴を聞かされたりしている。

 

 時に、松田という男子がなにやら一人の女子に告白したらしい。でも好きな人がいると言われ断られたとか。ちなみに、松田とは爽やかなスポーツ男児だ。丸刈りの。松田はたしか女子から結構人気があったんだけどなぁ……。

 

 残念だったな松田。まだ一度も会話したことが無いが、どことなく親近感を覚えるよ。前世の俺もお前と同じくらいに初恋の女子に告白してまったくの同じ理由で撃沈したから。

 

 ふと、ちらりと松田のほうを見る。松田の席は俺の席からよく見える位置にある。

 

 そしたら睨まれた。なぜだ。

 

 一抹の寂しさを感じて、喋っている女子に向き直る。女子はなぜだか松田を睨んでいた。……恨みでもあるのだろうか? 松田は特に女子から反感を買うようなことをしているはずではないのだが。

 

 解せぬ。

 

 というか、若干俺の立場が孤立しつつあることについて。三年の最初の方までは結構クラスの中心にいたんだけどなぁ。三年もそろそろ終わる最近は孤立しつつある。男子の大きなグループから。……。

 

 真面目に解せぬ。

 

 まあ、良いのだけれども。これなら中学校入学間際には、深くこちらに踏み込んでくるような友人はいまい。え? 女子はどうなんだって? ごめん、緊張して自分の素のままに話せない。どうしてもカッコつけてしまう。だから別に構わないし、そして構わなくて良いのだろう。こっちの方が都合が良いっちゃ都合が良い。

 

 いつも通りに授業を真面目に聞いて、記憶の中の知識とすり合わせる。するとわかるわかる、前世でなにが原因でわからなかったのかがよくわかった。やっぱり学のある人が考えたカリキュラムは凄いな、と再確認しつつ、授業を聞いて理解する。復習なんてしない。そんな時間があるくらいなら型の練習、もしくは聖書の拝読をしているのだ。そしてたまーに中学の勉強。といっても英語だけだが。

 

 昼食は班の子達と一緒に食べる。というかそうなっているし。昼休みはサッカーに参加させてもらい、男子と交友を深めようと努力する。幸いにも兵藤がいたからそれはそんなに難しくは無かった。

 

 兵藤と俺の関係は今は少し複雑である。片や女子の敵、片や女子の味方。ただ決して相容れないということは無く、多い頻度で遊んだりしている。サッカーとかスポーツで。ヒーローごっこはさすがにもうしていない。胸を撫で下ろした。

 

 学校が終わったら真っ直ぐに帰路につく。たまに兵藤と一緒に帰ることがあるが、今回はそんなのはない。

 

 家についたらまず宿題。その後は教会の仕事をして型の練習。最近は結構スムーズにできている。

 

 ――これが俺の、小学校高学年に上がる直前までの日常だった。



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02 白い少年と転生者の出会いについて

「綺礼、荷物の準備はできたかな?」

 

「はい」

 

 言葉少なく父さんの言葉に肯定する。

 

 小学校四年生に上がる直前の春休み、俺はその全てを海外で過ごすこととなった。なんでも、会って話をしてもらいたい人物がいるとか。ちなみに紫藤ではない。

 

 その人物とは俺と同い年の少年らしい。その少年は俺と同じく信心深い敬虔な信徒――だった。だったというのは過去形で、現在はとある事情により荒れに荒れているらしい。今では、以前の姿からはまったく考えられないような主への罵倒を叫びながら、十字架を踏んずけるとか。……、なにそれ怖い。

 

 どうも父さんはその少年と俺とを会わせて、その少年の矯正を図るつもりらしい。同時に、俺の英語の訓練だとか。……今現在、文法は怪しいが単語はたくさん覚えている。片言でなら一応のコミュニケーションはとれる。――もちろん、それだけではないが。

 

 おそらく、父さんは俺にその少年を反面教師としようとしている節もあるのだろう。常々として父さんは他人は自分の鏡である、と言っている。それの意味するところは、まあ、人の振り見て我が振り直せ、といったところか。簡潔に言うと。他人の取る行動は自分の取り得る行動でもある、そんな感じか。

 

 飛行機に乗って日本を出た。ちなみにいうと、機内食は正直微妙で寝心地も悪かった。できれば二度と空の旅はしたくない。

 

 飛行機から降りた後は車に乗っての移動。これもかなりの長時間で、それも悪路を行くために乗り心地は最悪だった。なぜなら山の奥深くに向かっていたからだ。

 

 山奥の教会……、嫌な予感しかしない。

 

「……父さん」

 

「なにかね? 綺礼」

 

「どうして山奥に教会が?」

 

「中国の修行僧の話は覚えているな? 達磨の話だ」

 

 それは覚えている。

 

 達磨は禅宗の開祖。なんでも何ヶ月間かの間、飲まず食わずで山奥にこもってずっと座禅を組んでいたらしい。それで悟りを開いたとか。まったくもってその根性には頭が下がる。俺がある意味で尊敬している人物の一人だ。

 

「ここはどちらかというとそのような者が集まる施設だ。迷いを持ち、長年悩もうとその迷いを吹っ切ることができない者が集まっている」

 

「……」

 

 正直、怪しい。

 

 キリスト教は巡礼こそあれ、そんな厭世的なことはしない。隣人愛とあるように、キリスト教は大衆向け、日常の中に愛を見出す。特権階級の考え方とは、本来は程遠い宗教だ。まあでも、やっぱり歴史では権力と癒着することもあるわけだが。若干俗で、人らしく生きて死後幸せになるというのが主。

 

 というわけでそれを理由にして問い詰めたいのだが……、ぶっちゃけ確証なんてないし、下手に突っ込めば厄介なことに巻き込まれかねない。

 

「わかりました」

 

 だから頷く。俺の平穏のためには、怪しいことに関わらないことこそが最優先。それに父さんは俺のことを大切に思っている。そればっかりは疑う余地の無い確定事項。だから俺は余計なことはしない。

 

 もし仮に、というか十中八九そうだろうが、その()()が世界の裏側に関わるものであるのなら、俺が望まない限りは巻き込まれないような配慮を必ず父さんはしている。

 

 だから大丈夫。

 

 俺は疑問をその言葉で打ち消す。父さんは俺のためを思っている。だから俺が危険になるようなことはけっしてしない。ましてや、命の危機に関わるのならばなおさらだ。

 

 それから数分後、俺は揺れる車の中、目をつぶって寝る。ここは俺に縁の無い場所。ならここまでの道のりを覚える必要はさらさら無い。かなり酷い揺れに意識をゆだねて、俺は寝た。

 

 

「綺礼」

 

 父さんの声が聞こえて、それまでとは違った揺れを感じて眼が覚める。眼を擦ってあくびを一つと伸びを一つ。それだけで俺の意識は完全に覚醒する。

 

 父さんと一緒に山奥の教会に向かい合う。

 

 どこにでもあるような、そんな教会ではなかった。教会の壁にはたくさんの名称不明な植物の(つる)(つた)が巻きつき、どことなく忘れ去られた教会といった風情だ。もっとも、建物自体の造りは、他の教会よりも少し小ぶりだということくらいか。

 

 ただ――。

 

「……」

 

 教会の前の地面には大小様々な何かの跡があった。車輪のものではない。もっと大雑把で大掛かりななにかの跡。……大方、ここはエクソシストの養成所なのだろう。ならば今から引き合わされるのはエクソシストである確立が高い。

 

 父さんの後ろをついて教会に入る。中の装飾は簡素なものだ。置物などはほとんど無く、あるのは祭壇に設けられた少々大きめの十字架。その前には長いすの列。まあ、普通っちゃ普通。

 

 中に入った俺達を一人の男性が出迎える。神父服を着た、やや暗い雰囲気の容姿の整った男性。どことなく浮世離れしているような、そんな印象が感じられた。少なくとも俺には。

 

 その男性はどことなく憔悴したような様子だった。はて? なにか問題でも起こったのだろうか?

 

「すまない。あの子がいつの間にか脱走していた」

 

 ああ、うん。やっぱり。なにか問題が起こっていたのね。

 

「璃正神父、すまないが子息と共に奥へと行ってくれ。道なりに行けば一人のシスターがいる。彼女に案内を頼んでいるから、ひとまず彼女の言う通りに部屋に荷物を置いてきてもらいたい。それからは私から連絡が入るまで好きなようにしてくれ」

 

 彼は一息にそういって、それでは、と足早に教会の外へと出て行った。

 

「綺礼、私の荷物も頼めるかな?」

 

「はい。気をつけて」

 

 父さんが理由を言うよりも速く、俺は無言で促した。この父のことは理解している。誰かが困っているようで、自分が手伝えるようであれば躊躇い無く手伝う。

 

 父さんは俺の頭をぽんぽんと叩き、彼のあとを追っていった。

 

 あの後の俺の行動は言うまでも無い。シスターさんに案内され、しばらく泊まるであろう部屋へと入って荷物の整理。そしてそこでじっと待つ。ただそれだけ。

 

 ……まあ、それだけなのですが。ぶっちゃけ膀胱がやばい。長時間の乗車はきつかった。……ええ、ですのでシスターさんに一言断ってトイレに行ったんだ。小さい方するために。でもなぜかシスターさんも一緒に。

 

「場所が場所ですから。それに、璃正神父の子息に万が一のことがあってはなりませんので」

 

 どんな場所にトイレがあるんだよっ!? どんな危険だよっ!? どんな羞恥シチュだよっ!?

 

 これが年配のおばさんとかだったらさ、まあ、まだマシだよ。でもねえ、それが若いシスターさん、それも二十歳より若く見えるような綺麗なシスターさんにってどんなアレだよ。

 

 ……結局、普通にしたんですけどね。男性用お手洗いの前まで案内されて、もちろんのことそれからは一人で。かなり恥ずかしかった。表情にはおくびにもだしてないだろうけど。

 

 お手洗いは礼拝堂から脇にそれたところにあった。……最初に行けば良かったといまさら後悔。

 

 シスターさんとぽつぽつ話しながら、礼拝堂を通って外と直接つながっている廊下を歩く。うむ、見事だ。でっかい樹木を中心にうっそうと草が生い茂っている。……どこの未開の土地だよ。

 

「――!」

 

 ――突然、シスターさんが俺を抱いて横に跳んだ。……はい?

 

 首の後ろと太股の後ろに手を回されて、きつく抱き締められる。どう考えても男性が女性にする力強い抱き方ですなわけがない。おそらく、俺の体が急な動きで揺れて関節を痛めないようにといった配慮だろう。幸い、俺は小柄でシスターさんに無理な抱き方をさせているわけではなさそうだ。荷物ではあるけども。

 

 正直、状況がつかめないが、俺は危険にさらされていて、シスターさんはエクソシストかそれに準ずる方だったというわけだ。

 

「私にしっかりとしがみついて」

 

 合法的に豊満な体に抱きつけるわけですね。修道服に隠れてわからなかったけどすっげえエロそうなというか肉感的な体でした。ゴチです。

 

 などと、ふざけたことはしっかりと抱きついてから考えた。

 

「――へっ、くだらねえ。そんなにそいつが愛しいかよ、ショタコン女郎」

 

 だから、だろう。シスターさんの体から急に力が抜けたのは。

 

 原因は明確。俺のすぐ眼の前を通過し、シスターさんの首筋を強打した白く短い棒――否、刀身の無い、柄らしきもの。

 

 俺を抱きかかえる腕が緩む。シスターさんの体はそれまでの速度を保ち、慣性の法則に従いつつ地面に激突――させるわけがない。

 

 視界は依然として開けている。すぐさま空中に踊る俺と彼女の位置を把握。そんなに高い場所ではない。したがって、進行方向と垂直になるよう体を回転。彼女の体が自分から離れないように、視界を遮らないように抱える。大きな胸が思いっきり顔に当たっているが気にすることができない。ちっ。

 

 片手で地面を叩き、体を回転。まず俺の体が地面に叩きつけられ、数回そのまま回転しようやくとまる。そして――俺は襲撃者の姿を視認する。

 

 白い少年だ。病的なまでに白い少年。髪も皮膚も服も白い。

 

「んー? 俺と同門――ってわきゃぁねえよな。じゃなきゃあのビッチが抱えて逃げるなんてわけねえ。っつーことは必然的に君はひなたもんってなるわけだが――」

 

 流暢過ぎて聞き取れない英語。ただ、口汚いのだろう。ビッチって言ってるし。

 

 白い少年は赤い瞳を爛、と輝かせ、白く光る刃を俺に向ける。

 

「――悪魔って、信じるか?」

 

「ああ」

 

 俺は彼女と少年の間に体をさりげなく移動させた。

 

 さっきの質問はなんとか聞き取れた。

 

「もう少し丁寧な英語をゆっくり話せ。聞こえない」

 

「それは失礼。なんせ俺ァまともな育てを受けた覚えは無いんでね。恨むならてめえの育ちの良さを恨みな」

 

 ケタケタと笑う少年。……何言ってるのかさっぱりだ。内容じゃなくて英語そのものが聞き取れない。

 

「まぁでも? ぶっちゃけた話? 正直、僕まだ捕まりたくないんだよね。捕まったら面倒なことさせられるし? だからよぉ――倒れとけよ」

 

 少年の姿が視界から消えた。よく漫画だとかで自分の視界から相手が消える、などという驚き方があるが、実際のところそうそう消えたりしない。だから――いや、だけど。

 

 だからといってそう簡単に攻撃をくらうわけではない。

 

 消えた場合、大概は下か上か後ろか――だが、後ろは開けた場所で彼女の倒れた体がある。そんな足元が不安定な場所で攻撃ができるわけがない。下からは俺の身長が低いから却下。つまり――残った場所である上から――!

 

「なわけねえよな」

 

 日本語でそう呟いて。()()からの攻撃を腕で受け止める。

 

 というかそもそもだ。正面の下からなんて見えるし、上からなんてそんなものは空気を足場にでもしないと不可能。だから必然的に、背後となる。足場がいくら悪かろうと。

 

「あン――、――――ッ!?」

 

 受け止め流して絡めとり――引き寄せ顔面への一撃と見せた、鳩尾への膝の一撃。上半身が折れ曲がり、頭が俺より低い位置にくる。同時、俺の片手がそれより上の位置にある。

 

 だから――後頭部へと肘を振り下ろし、意識を刈り取――ろうとしたのだ。

 

「――ぉぃ」

 

 怖気が奔った。すぐさま少年の体を突き飛ばして距離を取る。少年の手は低位置に有り、手の平は上へと向けられている。おそらくというか確実に性器を握りつぶすつもりだったのだろう。

 

 危ない。枯れたような人生をおくる予定とはいえ、不能もしくは精力減衰などという女性にとっても男性にとってもよろしくない状態にはなりたくない。性欲は今は無いけど、エロに関する興味は尽きないのだから、中学生あたりで盛るかもしれないのだ。彼女とかができてイロイロするかもしれないのだ。

 

 いやいや、ここは悪魔転生があるのだし、兵藤が世界平和を成した後に転生悪魔となってイロイロやりまくるのも美味しい。いやまあもちろん、それは父さんとか、俺の堕落しきった生活を見せたら叱られるような人がいなくなってからの話だけれども。となると五・六十くらいか? その頃に死んだように見せかけて冥界に亡命すると良いか。兵藤の従者の従者として悪魔に転生すれば良い。うむ、よし。それまでスマートでややアメリカンなマッチョ体型を維持しよう。いやあ、この世界の未来は明るいなぁ。

 

 生き残れば。

 

 ……やっぱ世知辛いなぁ。

 

「……テメエ、何者(ナニモン)だ?」

 

「君に言う名前は無い。狂犬」

 

「――、――上等ォ」

 

 少年は幽鬼のようにゆらりと体を揺らして、口を、上から食われた赤い三日月のように歪ませる。

 

「徹底的に叩きのめしてやる」

 

 その瞬間、ほんっとーに姿が見えなくなった。

 

 そして、ガンッと横合いから衝撃が来て吹き飛ばされる。

 

「ギゥッ――――!」

 

 予想だにしなかった一撃。続けて攻撃が俺を襲う。拳が鳩尾に突き刺さり、額に何かが打ち付けられる。感触からして相手の額か。

 

 そして一瞬の時間、少しの距離が離れる。明滅する俺の視界に白いのが映りこみ、咄嗟に肩を上げ首を護った。それは蹴り。それも俺の首筋を容赦無く狙ってきた、ともすれば命を刈り取るくらいに致命的なそれ。危なかった。これに反応できたのは僥倖だった。

 

 だが、その後には続けることはできない。

 

「ザァ・マァ・アァ――死ね」

 

 拳が顔面に叩き込まれる。その寸でで首を動かし、額でなんとか受け止める。鼻を折るのだけは勘弁したい。額から後頭部まで抜ける激痛の波を堪え、左手でその拳を掴もうとして失敗。白黒モノクロームの視界の中、灰色の何かがグルリと一回転し、即頭部に鈍痛。それが裏拳だとわかった瞬間には体は土に叩きつけられ、腹を蹴られて体が宙を舞っていた時だった。

 

 その直後に地面に叩きつけられる。土が口の中に入り込み、血の味が今更ながらに感じられた。頭は狂ったかのように熱を帯び、雑音や雑念の混ざった不明瞭極まりない振動という激痛を与えている。視界は半ばが閉じ、開いている部分は真紅に染まっている。額が熱い。おそらく裂けたか。そしてその血が眼に入り込んだのか。

 

「……」

 

 追撃があるかと身構えていたが、何も無い。

 

「おい、起きてるか?」

 

 明瞭な英語がノイズの嵐の俺の耳朶を打つ。一応、聞き取れはしたが答えることはできない。口は動けども、息すらままならないのだ。

 

「まあ、起きてよーと動けねえだろうがな」

 

 そう呟く声。足音が遠ざかる。何処へ向かう? 向かおうとしている? あのシスターさんのところへ向かっているのなら、なんとかしてでもなにをしてでも止めないといけない。

 

 動かない体に鞭を打ち、精々四肢を踏ん張って体を起こす。ギシギシという幻聴が骨を突く。

 

 いや、幻聴じゃないと思うのだけれども。やっぱあれだな、どうせならギシギシはアンアンというのと一緒に美人さんと是非是非ベッドの上で。できれば金髪巨乳さんを希望。金髪は豊満に限る。包容力があるのなら、なおさら。

 

 と、下らないことを考えてはみるものの、痛みは引かない。っつーか増しただけだ。視界は未だに明滅してるし、真紅だし。なんとか肘と膝を地面につけて体を動かすことができた。

 

「まあだやる気か?」

 

 少年が何か言ったような気がするけどウッドスピリッツ。あんどしゃらっぷ。ゆーあーばっどがい。

 

「――ッ――、――ッァ――――――」

 

 眼の周辺を擦ってぬめった血を取る。うわー、すげえ赤色。黒も混じってて気持ち悪い。視界は明瞭に。頭は死ぬ一歩手前のような激痛から、死にたくなるような激痛に。どっちにしろ大して変わらないし、最悪だくたばれこの外道鬼畜野郎。

 

「おいおい……」

 

 呆れたような声が耳朶を打つ。耳朶を打った振動は俺の脳で声という記号を形成し、その記号に合った印象を俺の意識に刻み込む。よーし、こんだけ無駄口を叩けるのなら、まだ戦える。勝算は作れる。

 

 震える四肢に力が僅かに戻る。その力を一気に解放して四足歩行の弱者という獣から、二足歩行の挑戦者という人間へ。さて、久しぶりの負け勝負だったからかなりメンタル的には大損傷。ぶっちゃけこのまま死にたい。

 

 ゆらゆら揺れる平衡感覚を駆使し、少年を見やる。少年は、シスターさんと俺の間に立っている。距離的には、俺に近いか。よし、これで決まった。この少年は今から俺の敵だ。シスターさんになにか手を出そうとするものなら断じて許さん。なにせ、豊満を堪能ではなく、助けてくれたのだから。

 

 足を開く。腰を落とす。両手を構えて、構えを作る。

 

「あーあー、あーあーあーあー……、そゆこと、そゆことねー。僕ちゃんあれだろ。中途半端に格闘技かじった口で、ド素人の僕にやられたくねーってだけだろ」

 

 全然違う。

 

「オッケー、なら、いっぺんどうしようもねえ敗北を味わってみろや」

 

 少年は無造作に俺に向かって駆け出した。そして真正面から拳を繰り出す。狙いは右ストレート。的は顔面。当然、防ぐ余力なんてものはなく、そのまま額にぶち当たる。そも、この少年の全力を捌けるほど俺は強くない。

 

 肉が更に裂ける湿った音がする。そこから更に連撃。さすがに金的は防いだものの、というか最初からそこだけは死守していたから防げたものの、それ以外は全てくらう。鳩尾、気管、肝臓、頭部へのそれら。なけなしの意地と意思で力を込めて、んでもって僅かに芯こそずらせたものの、即死攻撃が大損害攻撃になっただけでぶっちゃけ死ぬ。

 

 最後に忌々しそうなぞんざいな蹴りと共に、俺は再び宙に浮かされる。先程の再現。しかし、地面には倒れなかった。両脚に全神経を集中させて倒れない。

 

「しぶてえなぁ……!」

 

 再度、少年の一方的な攻撃が開始する。

 

 攻撃をくらえば踏ん張って、踏ん張れば攻撃をくらって。いつの間にだか意識の半ば以上が落ちたくらいの、俺の敗北の無限再現。どれくらいの時間、そうしていたかはわからない。

 

 だが、今こうして考えることができるというのは、意識から白さがとれかけているということ。ふと、思考が明瞭となる。それは少年の攻撃の手がようやく弱まった頃。少年は息を切らしていた。

 

「……いい加減、くたばりやがれ」

 

 少年の白い服には赤い斑点がついていた。……十中八九、俺の血だろう。

 

 僅かな小休止の後に、少年が俺に向かって疾駆する。最初の時より遅い。俺の顔面目掛けた左ストレート。

 

 俺の意識が朦朧としていた時、少年はずっと俺を殴ったりしたのだろう。作業染みた攻撃。もはやこなれたような、人を殴るのに最適なモーション。ああ、知っている。この軌道は、この速度は。何の巧拙も駆け引きも無いその挙動。知っているのだ。

 

 故に、掴むことなど造作も無い。

 

 俺の左手が少年の手首を掴んだ。少年の表情が驚愕の色一色に染まる。

 

 だから――手遅れだ。

 

 故に――ここからは挽回など()()()()

 

 そして、その隙を逃すわけもなく、俺は体を捻った。

 

 これはさながらクロスカウンター。かなりタイミングがズレてはいるが、まあ、結果は同じなのだ。気にすることは無い。

 

 体を捻り、溜めを作ったその直後、幸運にも前に出ていた右足を内側に回転。親指の付け根を支点に、体の捻りを解放する。ギシリ、と骨が軋んだ。主に膝と腰の関節なのだろうが、もっとも大きな軋みを生んだのは――右拳だろう。

 

 なにせ、これまでの返礼をするのだ。意識が飛んだくらいの、その攻撃分の返礼を。ならば、その音は必然。その音がするくらいに硬い拳を作らなければ。

 

 そう念じた次の瞬間には、拳が放たれていた。それは狙い過つことなく、およそ理想的な()()の軌跡を描く。柔らかな、確かな感触。俺の拳は少年の腹に深々と突き刺さり、その華奢な体躯を二つに折る。

 

 ――正直、俺は人を殴るのが好きではない。というか喧嘩すら好きではないし、むしろ、嫌いだ。忌み嫌っていると、そう断じてもなんら困ることは無い。

 

 っつーか、人を傷つけること自体嫌いだ。クエスチョン、ではなぜ俺はこの少年に暴力を振るっているのでしょう。アンサー、腹立つから。

 

 好きではないから、嫌いだから、忌み嫌ってすらいるから、腹が立つ。

 

 ここで俺が弁の立つ、知的で素晴らしく嫌味ったらしい性根の腐った奴なら、こうして暴力を振るう事無くこの少年の自尊心を叩きのめすことができるだろう。

 

 だが、だ。

 

 俺は弁は立たないし、知的ではないし、素晴らしく嫌味ったらしくもなく、性根の腐った奴ではない。残念なことに。そしてまた、正義に燃えるヒーローでもないのだ。非暴力不服従を謳い、死に瀕してなお恨み言の一つも吐かなかった正真正銘の聖人でもない。ああ、なんて中途半端。なんて青臭い十四歳。

 

 俺の本質は村人C辺りだろう。不平不満を漏らしつつ、力に媚を売って周囲の正義に迎合する軟弱小市民。間違ってもリーダーにはなれない。いや、求められれば応えるだろうけども。だがしかしそれもまた、周囲に流された結果にしか過ぎない。

 

 ふと、結局のところ本物の自分の自我とは何なのだろうか、といくら考えても共通普遍の真理は出ないことを思ってしまった。無論、それは隙。すぐさま頬に拳が当たる。

 

 負けじと、殴り返した。腹に。そこは俺が左手をきつく握っている為にあまり自由に動かせないのだ。

 

 少年も俺の左手を握り返す。それまでは抜け出そうともがいていたが、ようやく俺のほうの握力が強いということを察したのだろう。腹を括ったようで、左手の握り方をせわしなく変えて、俺の左手の骨を砕こうと画策している。俺もそれに応じ、しかし、握り方を変えることができるほど、今の俺に余裕は無いから、せめて石を握り砕く思いで握り返した。

 

 よし、これで更に緊張感アップ。そして慣れない事をしているから僕ちゃん怖いです。

 

「――……さて」

 

 膠着状態になったので口を開く。ここは呼吸を整えることに専念すべきだろうが、これは必要なことだ。

 

 聖職者とか、そういうのは一切合財忘れる。ここからは意地の世界。俺はこれまでの攻撃でダウン寸前、しかし泥まみれの接近戦に持ち込んだ。少年は俺の得意な距離にいる為に動きにくいが、ダメージは俺より少ない。長期戦でも短期戦でも、どちらが有利かは不明。よって、ここからはどちらが根性で立っていられるかが勝負。

 

「喧嘩をしようか」

 

 それがこれからの戦闘の合図。そしてそれは俺の宣誓。こいつを確実にはっ倒すという。血眼、血みどろ、血まみれ、泥まみれ、絶対にスマートでは無い熱血アニメでよくあるような殴り合い。しかし絶対やってはいけません。良い子は真似しないでね。

 

 そこからはただひたすらに少年と殴り合う。使うのは全て拳。武器なんて無い。そも、その選択肢そのものが。

 

 序盤は蹴りとか肘とかそういうのがあったけど、互いにそれを出したら互いに潰されたから今となっては既に使われない。ああでも、たまに頭突きはあるな。顔への拳はそれで相殺とかする。主に俺が。

 

 頭の中で火花が散る。ついでに血汗も散った。振り下ろした拳を上へと、顎へと奔らせ、しかしそれは少年の手の平に阻まれる。そこで頭突き。湿っぽい音と共に、それをくらった少年はわずかに蹈鞴を踏んだ。よって、俺に追撃を許すことになる。左半身を引いてこちらに少年を引き寄せ、突き出した右拳で腹を抉る。

 

 少年が苦悶の唸り声をあげる。獣のような威嚇の意思もこもったそれ。ともすれば恐怖で気が引きかねないが――既に慣れない喧嘩という恐怖で半ばハイになっちゃっていっちゃっている俺には無意味。

 

 むしろヒートアップする。そして――壊したくなる。

 

 ああ、怖い。怖い思いはしないに限る。冒険なんてせずに、布団や縁側で安穏とした日々を、麗らかな日差しと共に過ごしたい。

 

 俺が一番恐怖し、嫌悪するのは不快に感じることや危険な事態だ。前世で受けたいじめや、今現在進行形で起こっているこの喧嘩とかそういうの。見ているだけで、腹が立つ。腹が立って無くなれば良いのにと思うのだ。願うのだ。

 

 恐喝は怖い。喧嘩は怖い。怪我は怖い。傷害は怖い。殺人は怖い。されるのもするのも怖い。前者は単純な恐怖から、後者は仕返しがくるかもしれないという恐怖から。ああ、同じか。

 

 そうだ。ならば壊せば良い。その恐怖の元を壊せば、俺を脅かすものは何も無いのだ。

 

 ならば問おう。眼の前のこれは恐怖の根源か否か。――是、恐怖の根源である。

 

 ならば、壊す。

 

 壊せ、破壊しろ打破しろ。そうして俺は安穏を得ることができるのだ。

 

 二発の攻撃を甘んじて受ける。痛くない。その間にしっかりと握り締めた拳を、俺に二撃目が直撃し引いた瞬間に腹に叩き込む。が、わずかに芯をずらされて致命傷には至らず。

 

 額から血と汗が混ざったなにかが滴り落ちる。それは少年も同じ。服は若干ボロボロで、だけど、血のあとが凄い。あーあ、高かったのになぁ……! この服!

 

 腹への一撃と引き換えに、少年の左腕に拳を力任せに叩きつけて肘を曲げさせる。突如として俺と少年の距離がつまり――同時に互いに頭突きを繰り出し相殺となる。

 

 再度の火花が脳裏で散る。

 

 ――あぁ、可笑しい。不可解だ。恐怖は依然として心底にあるというのに、湧き出でるのは獰猛な闘争心。烈火というには程遠い、熱されたが未だ燃えないコールタールのようなそれ。可笑しいなぁ、可笑しい。今までの俺ならばそろそろダウンして負け犬の醜態を晒していたというのに。今の俺はこうしてほの暗い嗜虐心に満たされている。辛いだろう苦しいだろうそれは俺も同じで少年も同じ。あぁ、愉快極まりないよ素晴らしい――。

 

 その火花の散る刹那で、何故だか大笑いしたい衝動に駆られた。

 

 頭が可笑しくなりそうだ。いや、実際に可笑しくなっているんだろう。その証拠に――

 

 

「綺礼! なに笑って人を殴っておるかァ!!」

 

 

 ――笑っていたようで。

 

 ……って、さっきの声、父さん……だよな?

 

 そう思い至った瞬間、鳩尾に少年の拳が入る。――あ、ヤバい。

 

 体を痺れさせる鈍痛もあれだが、それ以上に致命的なものが俺の中でプッツリ切れた感じがする。崩れ落ちる膝、弛緩する体――嘲笑を浮かべる傷だらけの少年。

 

「ア――」

 

 それが視界に入った瞬間、もう一つの何かが切れた。プチッ、と。致命的ではないが、いや、ある意味では致命的な切れ、だろう。あれは。というかこれは。いや変わんないか。

 

 まあ、ともかく。それを見て、切れて、思ったわけですよ。

 

 

「――――死ィ――ねェ!」

 

 

 ――この白痴野郎がァ!!

 

 少年に懐に潜り込んでからの、真下から顎への頭突きをかます。

 

 俺の持てる限りの色々な全ての技術やら体力やら気力やらを総動員させて、それを妥協すること無く乗せたおそらく過去最高の会心の一撃。

 

 かなり変な音がしたけど気にしない。気にしてられっか。

 

 日本語でそう叫んだきり、プツリと、暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 眼が覚めて、最初に見たのは真っ暗な天井だった。

 

 体はだるく、どこか押さえつけられているようで正直きついし、かいた汗が不快だ。ともかく、俺は大怪我をしているということなのだろう。当たり前だろうが。あれだけの喧嘩をしたんだ。そりゃ骨だって折れる。それにアイツ人外染みていたし。

 

 なんだよあれ。両足ついていないのにバランス崩さないとか、他にもなんか変な光の剣を持っていたり。使ってなかったけど。使われなくて良かった。もしそうなっていたら俺は今頃お陀仏だったし。彼女も酷い目に遭わされていただろう。下手したらレイプ。ビッチとか言ってたし。あの人の処女は俺のものだ! 嘘です。とゆーか、こう、恋愛フラグ、というかエロいフラグ建たないかなー。そう、例えば可愛い子のパンチラが見えたり。……小学校で結構な頻度で起きてました。あーあ、あの人に添い寝してもらいたい。声の感じもなんとなくカッコよかったから、寝るまで子守唄っぽいの歌ってくれたら嬉しいなあっ。

 

 ……ごほんっ。

 

 代わりに、まあ、俺がその酷い目に遭うわけだけども。この喧嘩といい、その喧嘩の怪我といい、これの後にあるであろう父さんの慈悲深く長い説教が。ケッ。慣れてるけど。悲しいことに。

 

 深呼吸する。涼やかな空気が入ってきて気持ち良い。

 

 ゆったりとした弛緩した空気が流れる。頭は半分変な状態で覚醒していて、まどろみつつもある。夢見心地というか、そんな感じ。ここだけ俗世とは切り離されたような感覚がする。今ならアパテイアの境地に辿り着ける自信がある。

 

 まあでも、そんなことが実際にできるわけじゃないんで。それに――どうも世界は俺をそれに至らせる気はさらさら無いようで。

 

 ――風斬り音。

 

 ああ、もう、面倒だなぁ。だから動かない。俺はそのままの体制で眼を閉じつつ睡魔に身を委ねる。しばらくしても、その風斬り音――その元凶が振り下ろされるようなことは無かった。

 

「昼間のお仕置き、させてもらおうかしら」

 

「ゲッ……」

 

 なぜなら俺の近くにはあの女性がいる。

 

「うちの息子を襲ったことの弁解を聞かせてもらおうか」

 

 その上、父さんもいる。だから俺に危害なんざこれっぽっちもこないに決まっていた。あの昼間はともかくとして。

 

 明かりがついた。

 

 俺は一瞬薄目を開けて現状を確認――おお、シスターさんの胸のふくらみがドアップで俺の眼の前にあった。じっくりと鑑賞したいところだけれど、父さんがいるから自重。寝たふりを決行。

 

「起きなさい、綺礼」

 

「……はい」

 

 言外に起きているだろうというニュアンスが含まれていた。だったら起きないといけない。

 

 目を開けて、再度の胸ドアップ。それに戸惑いつつも――やっぱ閉じた。

 

「私は体が痛いです。ですので、私は寝転んだまま話をします。すみません」

 

 発音はそれなりに良いと評価された中学程度レベルの英語でそう返す。

 

「ああ、綺礼。わざわざ英語を話す必要は無い。自然と翻訳される術を行使していただいた」

 

 Oh、ここでカミングアウトかよ……。さらば、俺の神父様な自堕落な未来よ……。

 

 ここからはダイジェストにお送りする。白い少年の挑発は聞こえない振り。内心煮えくり返っているけど。

 

 まずは、この世界の真実。

 

 ここには人間以外の生物が存在している。そしてそれの大きな勢力として、次の三つが挙げられる。神が生み出したという天使、天使から堕ちた堕天使、神と対立し悪を象徴する悪魔。この三つの他にもいくつかの勢力があるが、それはおいおい。

 

 そして、人間以外の生物が存在するというのなら、無論のこと、人間の文明以外の技術がある。それが悪魔と魔法使いの使う魔法、天使と堕天使が使う光力、神が創ったという(セイクリッ)(ド・ギア)。他にも魔剣とか聖剣とか。

 

 と、この世界のことは一先ずこれくらいで良いだろう。

 

 白い少年の名前はフリード・セルゼン。少し前に悪魔をたった一人で斬り殺した、天才的な殺しの才能がある少年。ただ、その少年が悪魔を斬ってから、以前はしなかった乱暴な言動を取るようになったという。

 

 そしてそれに手を焼いたシスターだか牧師だかが、どうすれば良いか、というのを真面目に考えた。

 

 そこで、一つの仮説に至ったらしい。もしかしてフリードは何か悩みを抱えているのではないか、と。それがわからないために暴れているのではないか、と。それから更に考えた結果が、以下の通り。

 

 ――同年代の子と関わらせよう。

 

 ここのエクソシストの施設には、フリードと同年代の子供はもちろんのこといる。だが、ここでこうなったからには、この施設の子供と改めて関わることは極めて困難であるし、なにより新しい発見がすぐにできるわけではない。

 

 できるだけ速くその悩みを解決させる。それには新しいものに触れさせることが一番。しかし、彼を外にやるのは不安がある。

 

 だったら、ここにその子供を連れてこよう。

 

 穏やかで頭が良く、聞き分けの良い子供。その上で思考が柔軟で、敬虔な子供が良い。

 

 と、いうことで俺が選ばれたのだと。

 

 ……、ああ、うん。俺ができる子を演じてたのが駄目だったのね。できる子というか、まあ、聞き分けの良い子なのだけれども。おそらくあれだ。なんでもかんでもすぐ質問する姿勢が意欲的とかとられて、クラスを纏めるような立ち位置になっちゃったのが人を導く才能有りととられて、んでもって悪い点が無かったからこんなところに連れて来られたのね。内心すっごく汚いのに。コールタールも真っ青なくらいに。青くないけど。黒いけど。

 

 でもやっぱり父さん補正もかかっているのだろう。父さん、結構有名な神父だし。璃正神父の息子さんなら……! というノリは必ずあったに違いない。

 

 んで、実際にそのフリードと俺は互いに引き合わされた事情を改めて説明されて、向き合った。

 

 ――ら。

 

「死ねえええええええええええ!!!」

 

「――ハンッ」

 

 互いに一触即発、どころか一見爆発しました。警察主導の犯罪者との対面っぽく、間にガラスなんてものは無い。おそらく共に痛む体で、フリードはすぐさま俺に襲い掛かり、俺はそれを迎え撃ち、その騒動はすぐさまその場に待機していた人々によって治められた。

 

 ――その日の夜。

 

「……綺礼、そんなにフリードのことが嫌いなのか?」

 

「はい」

 

 割り当てられた部屋で、父さんにそう尋ねられた俺はすぐさまそう返した。

 

「人を易々と殺せる力量を持ちながら、それを敵でない者に軽々しく振るうなど人ではありません」

 

 できる限り淡々と話す。ここで正体がバレてしまったら元も子もない。

 

 そも、俺は人殺しは嫌いだ。というか人を傷つけるやつが大嫌いだ。憎いと言い換えても構わないし、むしろそれを推奨する。なにせ――……前世で、俺は一度イジメに遭ったことがある。あの時の屈辱、というよりは苦痛。それは今でも覚えているし、怖い。

 

「――綺礼?」

 

 父さんがどこか困惑した表情を見せる。

 

 はて。俺の言動のどこに困惑する要素があるというのか。誰だって嫌だろう、人に暴力を振るう奴は。死を振りまくならなおさら。

 

「ともかく、私は彼と相対したくありません。帰りましょう、父さん。ここには、居るべきではないです」

 

 俺はそう断言した。

 

「……綺礼」

 

 やや少しの間が在って、父さんが俺の名前を呼ぶ。

 

 何を言うのかと、俺は考える。パッと思いつく限りではフリードと仲良く、そうでなくとも普通に会話するようにしろ、それくらいだ。他は……、思いつかない。

 

 だが、俺はフリードと仲良くする気は更々無い。誰があんな狂人と好んで付き合いたいと思うのか。こればっかりはいくら父さんが俺のことを大切に思ってくれているとはいえ、無理だ。不可能だ。

 

「――しばらく、お前はここで過ごすべきだ」

 

「……はい?」

 

 その言葉の意味するところを、すぐには理解できなかった。



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03 教会での日常について

 

 

 

 あれからというもの、俺はここで中学校に上がるまで生活することとなった。

 

 ここで住むにあたって、一つ気づいたことがある。ここにいるエクソシスト候補生は全員、白い髪をしているのだ。父さんにそのわけを聞いてみたところ、より強い戦士を作る実験のためにこうなったとか。そして結果は成功。ただしその代わりに白髪になるらしい。……なんつーか、おじいさんになったらつるつるぴかぴかになっているのではないだろうか。

 

 まあ、そんなことはどうでも良い。問題なのは、そのエクソシスト候補生達が俺から距離を取っているということである。要は恐れられているらしい。どうも、フリードと相打ちになった俺も凶暴だとかそういう先入観があるようで。それはそれで楽だからそれを利用しているけども。ただ、それで起きるちょっとした弊害が面倒くさい。父さんの説教だ。

 

 だから――毎日毎日、こんなやつといるはめになる。

 

 白い髪、白い肌、赤い瞳。炯々と危ない光を称えた瞳の視線が、俺を容赦無く突き刺す。もう殺す気満々である。このフリード。

 

 というか、言っていることが――。

 

「おら死ね。早く死ね今すぐ死ね。死ねよ死ねや死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねさっさと死ねやオラァッ!」

 

 ずっとこれに似た単語の繰り返しである。そのせいか最近危うく死ねとか言いそうになる。くたばれそして死ね。というか子供の教育に良くない単語連発するなよ。ほら、場外で見ている子供が身を寄せ合って震えているぞ。

 

 フリードの両手に握られた木刀を、ただひたすらに両手を使って防御する。クリーンヒットなどただの一度としても出させない。怪我なんて真っ平ゴメンだ。ただでさえ、受けている両手が青あざで腫れているというのに。時々鼻先に剣先がかするというのに。うわ、木刀の先が目前まで来たよ。

 

 フリードは常に小回りの効いた攻撃を繰り出してくる。鋭く、速く、とにかく俺に当てようという気概で。しかし実際に俺はフリードの攻撃を一度も、……クリーンヒットは食らっていない。でもたまに腹とかにか当たる。その時は全部腹に力込めているからダメージは皆無に等しい。とはいえ怖いし疲れる。

 

「――シッ!」

 

 上から腕に叩きつけられた木刀を、腕を回して上から押さえ、膝に打ちつけ破壊する。木刀を破壊した膝の勢いをそのままに、上段蹴りへとシフト。無論、それを避けることができないフリードではない。木刀の破片を投げつけて俺の視界を阻害しつつ後ろへと跳躍。だがそれは、甘いと言わざるを得ないだろう。

 

 腰を捻り、上げた脚を即座に地面に打ちつけ床を振るわせる震脚。それと同時に父さんから新たに教わった歩法で、爆発的な緩急をつけて跳び出す。

 

 フリードが驚きの表情を見せる。そうだろう。なにせ、一時間近くも受けに回っていた俺が初めて攻勢に出たのだ。それも、一度も見せたことの無い技術を使って、一瞬緩んだフリードの意識の隙間を突いて。これ以上に無い真正面からの不意打ち。

 

 だから、この模擬戦闘は終局へと向かうことは必定。

 

 跳躍のさなか、拳を握り腰溜めに構える。狙うのは一撃必殺。もっとも打ち出しやすい正拳突き。というか、真正面から突っ込んだのに右フックとかあれだろ。どんだけ狙ったんだよっつー話。

 

 それを見て、何故だかフリードがニヤリと笑う。笑って、懐から白銀の拳銃を取り出した。

 

 それにどよめくギャラリー。もちろん、この模擬戦闘において、そのような殺傷能力の高いそれを使うことは禁止されている。だがその程度、どうってことは無い。(セイクリッ)(ド・ギア)を発現させ魔術を行使すれば、打撲程度に軽減できる。とはいえ、そのためにはこの攻撃を止めて、すぐさま防御用の魔術を行使しなければならないのだが。

 

 だがそんな気は毛頭無い。皆無と断言しよう。どうしてこんな奴に、こんな殴れる好機に、防御に徹さなくてはならないのだ。

 

 故に駆ける。だから殴る。駆け抜けて殴り飛ばす。それは決定事項。だから、ここで無茶無謀無理の南無三通して、一撃決める。ぶっ飛ばす。そしてくたばって死ねフリード。

 

 地面に足が突き、体が沈む。フリードの持つ拳銃の銃口もそれに伴い下に下がる。

 

 一瞬の間隙。

 

 俺は脚を撓ませて、フリードは指を動かす。絶望的なまでの速度の差。だが、これを凌げば耐えれば、そして一瞬も怯まず突貫すれば俺が勝つ。

 

 

「止めてくださいっ――――!!」

 

 

「あっ」

 

「あ゛」

 

 そこに割り込む甲高い声。それに俺は一瞬体がすくみ、フリードも俺と同じように一瞬硬直する。……最近、この声を聞くと体が硬直するのだ。

 

 しかし悲しきことかな。

 

 俺のこの勢いは本人の意思とは関係無い法則によって支配されているのだ。たとえこの世界の法則を操る魔法使いでもそんな法則を無視することは不可能であり――ってなにを考えてるのかよーわからん俺が下した結論。

 

「ぐへっ」

 

「ぅがっ」

 

 というか結論を述べるより前にその結論通りである、フリードとの激突が現実に起こってしまったのだがどうすれば良い? 正直気持ち悪いのだが。

 

「さっさと離れろ」

 

「てめえがおぶさってんだろうがっ!」

 

 そう言って俺を蹴飛ばしたフリード。蹴り返してやった。そしたら木刀を投げつけられた。手で弾く。危ない。

 

 俺は立ち上がって服についた汚れを払う。

 

 さて。

 

「仕切りなおしといこうか」

 

「おお、おお。やってやろうじゃねえか。さっきはあのクソアマのせいで狂っちまったが――」

 

「いいから喧嘩は止めてくださいっ!」

 

 ビクリッ、と体を一瞬震わせる俺とフリード。おそるおそる後ろを振り向けば、そこには、一人のシスター服を着た同年代の少女がいる。涙目の。

 

 長い金髪と碧眼の可愛らしい少女。名前はアーシア・アルジェント。神器「聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)」の所持者だ。

 

 アーシア、彼女もこの教会に呼ばれた。……俺とフリードがしょっちゅう喧嘩して大怪我が絶えないために。

 

 今現在、俺の年齢は十二歳。小学校六年生半ばである。どうして俺がここにいるのかというと、ここに来て初めてフリードと喧嘩した後に、父さんからここでしばらく生活をするべきだ、と言われたからである。地元の小学校には、急な父親の転勤により、海外の小学校に通うことになった、と説明している。説明しただけだ。

 

 数名、急なこの連絡に落ち込んでいるクラスメートがいるとかどうとか。手紙とかたくさん来て、ほんわかさせてもらった。今ではこの荒んだ生活には欠かせない清涼剤となっている。毎日父さんより朝早く起きて活力を貰っている。うん。大体一学期終わる頃くらいに手紙が来るのだ。それが今の俺の二つ目の楽しみとなっている。

 

 なお、一つ目とは言うまでも無く、アーシアである。純粋無垢な子供の姿が見れておじさん嬉しいよ。ここにはドス黒いのしかいないから。

 

「どうしてフリードさんと綺礼さんはそう飽きもせず毎日毎日毎日喧嘩ばっかりしてそう怪我が絶えないんですかっ!? こう、毎日痛ましい貴方達の怪我を診て治す私の身にも――って、うぅぅ~、話を聞いてくださいいい! 特に綺礼さんっ!!」

 

 そんなのこっちが知りたいよ。フリードが俺に突っかかってくる理由。

 

 んで。アーシアはどうも俺とフリードのお目付け役も任されているようで、大抵俺とフリードとアーシアの三人組で行動している。そして喧嘩をし始めるたびにアーシアちゃんの雷落下。うん、可愛いよアーシア可愛いよ。だから撫でてあげよう。無表情でだが。そのたび、アーシアはぷんすかという擬音つきで怒る。あはは、なにこの可愛い生き物。そんな感じで俺はアーシアを()()倒している。

 

 アーシアという緩和剤が入ったからか、フリードの気性も最近落ち着いている。言動は相変わらずだが、誰彼構わず暴れたりしない。俺とかを除いて。俺をそれに含めろ狂犬。もしくはくたばれそして死ね。

 

 ……まあ、今の俺の日常はこれだ。フリードとアーシアとこの狭い教会の中でエクソシストの戦闘訓練――アーシアは見学――を受けたり、フリードと喧嘩してアーシアが仲裁(泣きそうな表情)をしたり、アーシアのいない時にフリードと本気で殺し()合い()をして涙目アーシアに涙声で説教されつつ治療されたり。なんだかんだで、上手く回っている。

 

 最近、毎日が楽しくは無いが忙しく、しかし、どこか充実していた。ふむ、これが仕事疲れか。どうもフリードと殴りあい過ぎてとうとう頭が狂ったらしい。だがまあ、悪くは無い。むしろ良い。

 

 エクソシストの訓練も大分様になってきている。エクソシストの歴史の授業により黒鍵というものを見つけ、俺のたっての要望によりクラシックな黒鍵を製作してもらったが、それ以外は普通のエクソシストをしている。ただし黒い神父服で。白は無い。あんまりだ。前衛的過ぎる。ここのエクソシストはサイエンスフィクションチックな装備と戦い方だ。私的に、破魔弾入りの純白の拳銃は有りだが、ライトセイバーは無理だった。故に黒鍵。一生涯エクソシストする気は無いので、俺は若干古式なエクソシズムを学んでいる。父さんから。

 

 エクソシストの話題が上がったことだし、俺がどんなことができるようになったか記そう。黒鍵及び拳銃の命中率は高し。体が安定していたら動いていようと百発百中させる自信はある。あとは八極拳。一応、父さんから教わったことは全部再現できる。最近はそれの精度をあげようと奮闘中。あとたまに、他の格闘技に手を出したりしている。ボクシングとかカポエイラとか柔道とか合気道とか。マニュアル本を購入して暇な時に読みつつ型を練習していたり。そしてこれをフリードに使うのが楽しみだったりする昨今。ささやかな愉悦である。

 

「綺礼――」

 

「すまない、アーシア」

 

「うううう~~~!」

 

 父さんの声が入ったので無駄な思考は中断。

 

 ああ、アーシア。その拗ねた涙目も可愛いよ。抱き締めて撫で撫でしたい。この胸の張り裂けるような想いを以って愛でたい。だがしない。アーシアは兵藤がお似合いである。俺はアーシアが兵藤によって天然娘を発揮する様を、横でワイングラスに注いだブドウジュースを傾けながら眺めたいと思う。そしていつかアーシアの眷属にしてもらうんだ。

 

「綺礼。アーシアの話を聞きなさい」

 

「フリードと喧嘩をするな、ということでしょうか?」

 

 俺は父さんとアーシア、その二人に向けて確認するように言った。

 

 するとアーシアは泣きそうな表情から一転、喜色満面の表情になる。

 

「それは」

 

 無理だ――と、言おうとしたが、俺はその先を言えなかった。

 

「無理だ」

 

 なぜならフリードによって台詞がとられたからである。

 

「フリードさんっ!?」

 

「残念だが、アーシア。私とフリードはけっして相容れることは不可能だ」

 

「な、なんでですきゃっ!?」

 

 噛んだ。

 

 アーシアは泣きそうな表情でそう俺に詰め寄った。それを横で見たフリードが何故か舌打ちを漏らす。

 

「私はフリードが嫌いだ」

 

「俺も言峰綺礼が嫌いだ」

 

 だから、相容れない。俺とフリードはさながら可燃性油と可燃ガス。けっして混ざらないが、しかし、共に可燃という性質を持っているがために、闘争という名の炎によってその瞬間だけ結びつく。

 

 ギロリ、と俺とフリードがにらみ合う。アーシアを挟んで。とはいえ、俺は冷ややかに眺めているだけなのだが。

 

「これだけは気が合うようなぁ」

 

「ああ、それがせめてもの救いだ。主は困難には遭わせるが、それが追ってくるなどという性悪な趣向は用意しておられないようで安心した」

 

 もしもその口で、俺が好きなどとほざいたらその首に黒鍵を突き刺すところだった。絶対にできないけど。

 

「すみませんが璃正神父。そこの(フリ)(ード)、捕まえてください」

 

「ちょうど良い。私が拳骨でもせねばならないかと思いましたので」

 

 父さんの拳骨と聞いて、怖気が奔った。一度、父さんの拳骨を食らったことがあるが、アレはヤバイとしか言いようが無い。こう、一瞬真っ暗になって、目が覚めたら外も真っ暗になっていたんだ。そしてなんと、更に驚くべきことに、星が俺の近くで踊っていたのだ。いや、本当に。

 

「ゲェッ! くそっ――ってギャアアッ!? は、放せ離れろこの野郎ォ――!!」

 

 逃げ出そうとしたその瞬間を、父さんに捕まった挙句、ブンッと、もの凄い回転をかけられながら宙を舞うフリード。しかし流石かな、猫のように体を丸めて着地時の姿勢を整えようとしている。

 

 だが、それが仇となったなフリード・セルゼン。

 

「グェ、ニャッ!?」

 

 着地寸前、実はすっごくスタイル抜群な美人シスターさんに首根っこを掴まれる。子猫を運ぶように。だからフリードの足は地に着かず、すっごく笑える窒息した表情が見れた。

 

 父さんはそれを感心したように見ているので、俺はフリードに親指を下に立ててやった。そしたらフリードは親指を立てて首を掻っ切る仕草をし、シスターさんから拳骨を賜う。幸い、シスターさんに俺の行動は見られていなかった。はっ、ざまあみやがれ。

 

 そしたら後ろから急にぽかぽかと背中を叩かれる。アーシアである。

 

「握り拳が甘い」

 

 そう言ったら思いっきり叩かれた。いや、痛くは無いのだが。

 

 解せぬ。

 

 喚くフリードがシスターさんに連れて行かれ、隣から声がかかった。

 

「・・・袖、捲くって下さい」

 

「あぁ」

 

 俺はアーシアに言われた通りに、袖を捲くる。すると自分でも引くくらいに、青痣と擦り傷だらけの腕が現れる。アーシアはそれを見て、痛ましそうに表情を歪めた。

 

「服の上からでも効くだろう」

 

「綺礼さんだけが辛い思いをするのは駄目です」

 

 俺がそう言うと、途端になぜだか気丈にそう断言するアーシア。ううむ、もしかしてアーシアも俺とフリードと密かに張り合っていたりするのか。

 

「それならアーシアがより辛いはずだ」

 

 アーシアはいつも泣きそうな表情になっている。とはいえ、少なくともここに来た当初は笑顔だったのだが。瑣末なことで喧嘩し始めた俺とフリードを見た瞬間には、盛大に固まっていた。というか気絶してしまった。俺とフリードは他のエクソシストの方々に取り押さえられた。

 

 それからはアーシアにとって、受難の日々と言っても過言ではなかった。なまじ責任感が強いアーシアは、言いつけ通りにいつも俺とフリードと一緒にいた。つまりその度に俺とフリードの喧嘩を見るわけで、平和主義者で博愛的なアーシアには心労の酷い毎日だっただろう。

 

 ――といっても改善するつもりはないが。フリードは俺の目下の敵。向こうが攻撃するのを止めない限りは俺は永劫、フリードと相容れない。

 

「これは私とフリードの喧嘩だ。アーシアがそれを責任に感じる必要は無い」

 

 もしも一番、責を感じるべきが誰なのかを言うとすれば、それは他でもないこの俺だ。たかだか子供であるフリードの挑発にのってしまう俺が一番悪い。そしてそれを改善する気が無いというのが更に悪い。

 

 ……とはいえ、そもそもからして改善できそうに無い。フリードが挑発すると否応無く腹が立つ。それはなまじ、実力が伯仲しているからというのもあるのだろう。だが、肝心な理由がこれっぽっちもわかりゃしない。ただ、なんとなく、挑発に乗ってしまう。

 

「私はそれを止めるために()呼ばれたんです。フリードさんと綺礼さんが仲良くできるようにって。それに、私はこれをしんどいとは思ったことはありますが、一度も嫌だとは思ったことはありません」

 

 そう断言するアーシア。どことなく吹っ切れたようなそんな清々しさがある。少なくとも俺にはそう映った。

 

 しかし……、それはまた……。

 

「悲しき性だな」

 

 マゾだな、と本当は言おうと思っていたが、父さんの存在を思い出し自粛。というかなんだ、こんないたいけな子供にそんな暴言を吐く大人って。無論、フリードはその子供から除く。あれは悪童だ。

 

「どうしてです? 私は楽しいとも思っているんですよ」

 

 アーシアが解せぬ。

 

 誰が好き好んでこんな愛想の欠片も無い餓鬼どもの喧嘩の仲裁に入るのか。少なくとも俺はそう思う。思っている。俺は品行方正ではあるが、お世辞にも愛想があるような子供ではない。だから、アーシアから見たような、しょっちゅう厄介ごとを持ち込む上に頼りになんかならない俺なんかに、好意を持つ奴がいるなんて思っていない。というか思えない。不可能だ。

 

「――お友達ができたみたいで、嬉しいんです」

 

 ――だから、だろう。その言葉に思考が止まってしまったのは。

 

 数瞬止まり、しかして思考はすぐに巡る。

 

 俺は原作からとアーシア自身から聞いた話を思い出した。そうだった、アーシアには友達と呼べる対等な存在はいなかったのだと。周りにいたのは自分が癒すべき人か、自分に命令を下す人のみ。上下の関係は広がっていても、左右の関係は広がっていない。

 

 だから、アーシアにとってこの環境は新鮮なのだろう。そして新鮮であるが故に、それが楽しいと感じられる。なるほど。無知が及ぼす廃すべき弊害だ。

 

「――それは光栄だ」

 

 言葉を紡ぐ。

 

「ところでアーシア。友達とはどういう関係か知っているのか?」

 

「ええっと、一緒にいる時間が長い人のことが友達、でしょうか?」

 

 断言しよう。そんなことで友達ならば、この世の全員、リア充であると。

 

「対等の関係にあり、お互いに好意を持つ者同士が友人だ。助け助けられ、傷つけ傷つけられ――そんな風に互いに影響を及ぼし合う者達のことを指す。少なくとも、私はそう思っている」

 

 なにせ言葉を交わせば皆友達とか言う人もいるし、どちらかが友愛を感じれば彼らは友人であると言う人もいる。友人の定義に決まった形など無いのだろうが、少なくとも、対等の関係であるとは言えよう。

 

「じゃあ、あの……」

 

 ふと横を見ると、心なしかアーシアの顔が少し赤い。

 

「……綺礼さんは、私のこと、好きですか……?」

 

 はにかんでそんなことを尋ねるアーシア。

 

 はて。俺はいったいどこで恋愛フラグを建てたのだろうか。いやない。そんなことは断じて無い。ぶっちゃけ反語であり、ぶっちゃけそのフラグをぶっ壊すようなことしかしていないような気しかしないというより、それ以外の行動を取った覚えがない。

 

 っと、ここまで混乱して頭が一周したようで、これは友愛であるということを思い出す。危ない。危うく据え膳かと思って飛びつくところだった。いやしないけど。ここ教会だし。せいぜいが清いキスくらいなのだがって俺は何を考えているんだろう。

 

「ああ」

 

 とかなんとか考えているうちに、そんなことを口走っていた。……微笑んだりしていないだろうな。ここで微笑でもしたら俺のキャラに亀裂が走ってそこから崩壊するような気がしてならない。故待て。高校生になるまで待て。それからならどれくらいキャラを突き破っても構わない。

 

 アーシアの顔が満面の笑みになり、しかしすぐにぶすっとした不機嫌な表情になる。……あれ?

 

 俺はつい首を傾げてしまった。

 

「治療終了です。――綺礼さんはもう少し人のことを考えてください」

 

 アーシアは最初の態度とは打って変わって、俺から走って離れていく。そして、アーシアは後ろを振り向いて、俺にあっかんべーをした。その後、アーシアは曲がり角を曲がってその姿を消す。

 

 おそらく本人は大真面目にしているのだろう。気迫が凄い。が、そんな気迫すらもものっすごく愛らしく、可愛らしいために俺に効果は成さない。やっぱりアーシアは人の気分を害することはできないようだ。ちなみに、向かう先はフリードのいるであろう部屋だろう。あの防音の。術的にも科学的にも。

 

 それと入れ替わるように父さんが苦笑しながら俺に歩み寄ってきた。

 

「もう少し女性の扱いを学ぶべきだな、綺礼は。アーシアが可哀想だ」

 

「アーシアはまだ子供でしょう」

 

「あの年の少女は一端の女性だそうだ」

 

 父さんは苦笑を崩す事無く、俺の頭に手を置いて撫でる。

 

 それは至言、というものだろうか。しかし、俺にはまだアーシアが子供に見えて仕方が無い。あのあっかんべーも、俺の態度があまりに素っ気無いからそれに拗ねただけだろうとしか思えない。

 

 だが、もし仮にアーシアが俺にそんな感情を持っていたとして、果たして俺はどう対応するのか。わからない。もしかしたら受け入れるかもしれないし、受け入れないかもしれない。とはいえ、一つ言えることはあるだろう、さすがに。俺より良い人はいる、うん、これくらいは言うだろう。っつーか俺より良い人じゃないと認めねえ。

 

「一考します」

 

「そうすると良い。優れた人格者は様々な経験を通してやっと成れるものだ。綺礼、人の悩みを聞き導くことを誇りとしたいのなら、多くのことを経験し深く考えるべきだ。それが綺礼を成長させる糧となる」

 

 まさしく至言、だろう。なんとも含蓄のある深い言葉だ。

 

「父さん、手合わせをお願いします」

 

「アーシアを追いかけないのか?」

 

「フリードと会いたくありません」

 

 俺がそう言うと父さんは笑った。笑って、俺の頭をポンポンと軽く叩く。

 

 今、フリードと会って喧嘩したらアーシアの心労が不味いことになるだろう。どうも俺はさっきの質問に対する返答を誤ったようだし、ならばまた過つ必要は無いしそれは避けるべきであるから。

 

 俺は父さんに手合わせを頼む。父さんはそれに快く了承してくれた。脚を肩幅程度に開き、腰を落とす。父さんに対して半身に構える。父さんも俺と同じように構えた。

 

「璃正神父、教会から電話です」

 

 数秒後手合わせ開始というところで、フリードではない白髪の少年エクソシストが駆けて来た。父さんは彼から受話器を受け取り、俺に片手を立ててそれを耳に当てる。

 

 短い用件だったのだろう。父さんはしばらくしてから受話器を切り、彼に電話を返した。そして俺に言う。

 

「綺礼、着いて来なさい」

 

 俺はどことなく険しい顔をした父さんの後を着いていく。

 

 向かっている先は――談話室か? 少なくともフリードの説教が行われているであろう部屋ではないことはわかるが。お客さん……、という線は無い、……のかなぁ。電話の後で向かう先、といえば、その電話で何か大切なことを聞いて、それを俺に伝えるために防音の効いた談話室へ向かう、というのくらいしか思いつかない。

 

 というか、案の定談話室だった。考えているうちに着いた。

 

「――あ゛?」

 

「ん?」

 

 柄の悪いチンピラが俺の眼の前に現れた。フリードである。

 

「どういう手管を使ったかは知らんが、あのシスターからこんな短時間で解放されるとはな」

 

「あいにく、俺はテメーみてえな陰険根暗じゃねえんでね。テメエとは出来が違うのさ」

 

「まったくもってその通りだ。褒めてやろう、君の頭は素晴らしいと」

 

 視線を合わせた瞬間に飛び散る火花。口を獰猛に吊り上げて睨むフリード、冷ややかな嘲笑を浮かべているであろう俺、うろたえるアーシア。うん、アーシアはやっぱり可愛い。和む。

 

「綺礼」

 

 父さんから少し低めの声が降りかかる。俺は視界からフリードを外し、瞑目して口をつぐんだ。フリードは多分、俺を嘲笑っているところだろう。アーシアはわからん。

 

「三人とも、私の後に続くように」

 

 父さんが扉を開けて中に入る。

 

 俺は瞑目したままそこに突っ立って、フリードが入り、アーシアも入った後に中に入って扉を閉める。その間ずっと目は伏せ閉じたまま。

 

 だから気づかなかった。

 

 

「やっっっっはぁああ――――――!」

 

 

 ――待て。

 

 なんでそんな声が聞こえる。

 

 なんでアレから幼さを取り損ねたようなそんな声が聞こえる。

 

 というかアレから少しも変わってねえじゃねえの、この声。

 

 伏せた目を開けて前を見る。

 

 そこには――。

 

「グフッ――――」

 

 ゴツン、とまずは額で火花が散り、次いで背後の扉に後頭部をぶつけて二度目の花火。違った。火花。ああ、火花と花火って似てるよな。

 

 と、そんなどうでも良くない事は放っておいて。それよりもどうでも良くない事を拾おうと思う。

 

「退け、紫藤」

 

 俺はそう言って、突貫し抱きついてきた無邪気な紫藤イリナを引っぺがす。二房に括り分けた茶髪、快活そうなキラキラしてる表情。ああ、紫藤だ。嫌なくらいに紫藤だ。

 

「なによー、綺礼のくせに。ラスボスのくせに」

 

「離れろお転婆娘」

 

 あとラスボス言うな。

 

 紫藤は引っぺがしてもなお俺にしがみついている。猫か貴様は。

 

 ふと嫌な予感がしてアーシアを見てみると、なぜか機嫌が急降下。なお、フリードは知らん振り。我関せずってとこだ。だが、ちらちらとこちらに視線を寄越すようで、やはり気になるらしい。

 

「フリード、こいつを引っぺがすのを手伝え」

 

「ああっ!! なにその言い草! 初めての幼馴染の私をそんな扱いして良いと思ってるの?」

 

「たかだか紫藤だろう」

 

「ひ、酷いっ! 昔の綺麗な綺礼はどこに行っちゃったの!? 無愛想で可愛げの欠片も無かったけどそれでも甘えさせてくれた綺礼はどこっ!?」

 

 悪かったな、無愛想で可愛げが無くて。

 

 ギリギリと紫藤の顎を押し上げて離れさそうとする。アーシアも俺が本気で嫌がってるとわかったのか、紫藤の体を抱えて離そうとする。しかし離れない。恐るべし、この野郎。正確には女郎だが。あと、幼馴染では断じて無い。

 

「フリードさん、手伝ってあげてください」

 

「はあっ? なんだって俺が綺礼に――ああ、ああ、わかった、わかったから泣くなよクソッ」

 

 そんな会話が聞こえた。どうやらフリードはアーシアの尻に敷かれているらしい。

 

 ともかく、救援がくるそうで安心――。

 

「おらよ」

 

 ――できるわけがないよなー、フリードだし。

 

 俺の側頭部を目掛けた、素晴らしいまでに清々しい殺気のこもった蹴り。どうもこいつは俺から紫藤を引き離すのではなく、紫藤から俺を蹴り飛ばすらしい。というか蹴り殺すつもりらしい。

 

 すぐさま紫藤の顔から手を離して、紫藤の頭部を両腕を使って胸に押し付け固定する。そして肩を上げて首をすぼめて、フリードの蹴りを肩で受け止めた。

 

「……。エクソシストが悪魔ではない人を殺すところだったな」

 

「ハッ。テメエがんなことで死ぬタマだったら苦労しねーよ」

 

 この一連の暴挙というか暴動というか。アーシアと紫藤はそれに呆気取られたのか硬直して動かない。

 

「だが、快挙だろうな」

 

「キモイ止めろ。虫唾が走る」

 

 おいこらてめえどういう了見だ。

 

 フリーズした紫藤の両脇に手を通して持ち上げ、ソファーに置く。そしてソファーに座った。父さんを見ると苦笑いしている。あ、フリードの頭に軽く拳骨を落とした。だけどフリードは平然とした表情でソファーに向かい、そして座った。そして崩れ落ちた。

 

「フリードさんっ!?」

 

 忘我状態であったアーシアがそのフリードに駆け寄り、すぐさま聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)を使用する。淡い緑色の光がフリードの頭を包みこむ。……なんだかフリードが緑のアフロに見えてきた。

 

「……娘の暴挙を止めることができなくてすまない」

 

「あ、いえ」

 

 見覚えのある中年男性に頭を下げられたので咄嗟にそう言ってしまった。いや、しまったではないか。あと、この男性は紫藤の父さんのようだ。

 

「紫藤――イリナがそそっかしいのは知っています。だから大丈夫です」

 

「……すまない」

 

 娘に振り回される父親。お疲れ様です。そして俺もお疲れ様。

 

「ふむ、まあ……色々とあったがまずは君達を呼んだ理由を言おう」

 

 紫藤の父さんが咳払いをして場の空気を一旦引き締める。フリードはアーシアの尽力によって回復し、紫藤も気がついたようで佇まいを正す。フリード以外。

 

「とあるはぐれ悪魔を狩ってきてくれないか?」

 

 ……ほんっとーに単刀直入にそう言った。



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04 初めてのエクソシズムについて

 こうして、俺、アーシア、フリード、紫藤の四人は、はぐれ悪魔を狩りに行くということになった。

 

 ちなみに、まだまだ俺達はお子ちゃまなので、引率付き。引率は二人。あの実は凄いグラマーなシスターさんと、俺とフリードの先輩に当たる白髪のエクソシスト一人。前者はアーシアと一緒で、俺とフリードの喧嘩の仲裁役。後者は単純に安全の為にということで護衛役。

 

 とはいえ、今回のは本当にチュートリアルのようなもので、そんなに危険は無いようだ。

 

 悪魔の名前は覚える気が無いので割愛。ランクは中級悪魔で元人間の転生悪魔。罪状は主への反逆及び逃亡。悪魔の駒(イーヴィル・ピース)の種類は僧侶(ビショップ)。このことから魔法特化ということは容易に想像がつく。得意な魔法は治癒、という名の医術。なんでも、人間の時は医者だったらしい。おそらくその技術を流用しているのだろう。……どうでも良い事だが。

 

 治癒が得意だということは本人にはほとんど戦闘能力が無いのだということ。一応、レーティングゲームには参加したことはあるようで、逃げ足はそれなりに早いらしい。あと、これはまさに余談だが、この悪魔が逃亡して以来、敗北の確立が高くなったらしい。かなり優秀だったようだ。

 

 さて、現在いる場所はどっかの山奥。この山のある山脈にはぐれ悪魔は逃げ込んだらしい。……俺、どっかの山奥に行く確立が高いような気がしてならないのだが。蒸し暑い。

 

「んで、なんで(アマ)二人が来てんだよ。綺礼(コイツ)ならしぶてーから大丈夫だろうが、こいつら二人はどうなんだよ」

 

 白い髪と白い肌、そして炯々とした赤い瞳の少年――フリード・セルゼンがそうぼやいた。すると、待ってましたと言わんばかりに大きな声があがる。

 

「その言葉待ってましたぁ! ふっふーん、実はねー私はねー――ねーねー、聞きたい聞きたいー? 私の秘密!!」

 

 というか待ってましたと言った。言っちゃったよこいつ。

 

 フリードのぼやきに反応したのは、茶髪を二房に括り分けた俺と同年代の快活そうな少女――紫藤イリナ。俺の幼少期の知り合いであり、苦手な相手である。性格が性格だから、邪険にするのは難しいために、構わないといけない。無駄なハイテンションに。

 

「うぜえ。黙れ。犬っころ」

 

「なによー! このふりょー! そんな意地悪な性格してると女の子にモテないぞ――ってお母さん言ってたよ!」

 

「知るかボケ」

 

 ぎゃいぎゃいと口喧嘩を始める紫藤とフリード。

 

 フリードはいかにも楽しげに口元を歪ませている。本当に楽しそうだ。

 

 しばらくそれを眺めていたら、フリードの頭に拳骨が振り下ろされた。シスターさんだ。すると紫藤が勢いつけて、さらにフリードに悪口を言う。すると今度は紫藤に拳骨が叩き込まれる、シスターさんから。

 

「えっと……、仲、良いんですね。二人」

 

「誰がだ!」

「誰とよ!」

 

 アーシアが戸惑いつつも言った言葉を、共に頭をおさている二人は若干涙目で怒鳴った。アーシアはその剣幕に一瞬怯え、なぜか俺の後ろに隠れた。

 

「紫藤は嫌そうだな」

 

「ええ、嫌よ。こんな不良。なんでこんなやつがエクソシストなんてやってるのかしら?」

 

「と、紫藤は疑問に思っているようだが?」

 

「テメーが代わりに答えてやれよ。こいつ、お前には好意的なんだからよ」

 

 まあ、それもそうではあるのだが。俺個人としてはこんな面倒な雰囲気がしばらく続くのは嫌なのである。面倒だし、アーシアが涙目で可愛いし。・・・あれ? このままで良くね? このまま俺、癒しのアーシアちゃん独占できんじゃね?

 

「お前がソイツの相手をしとけよ。知り合いなんだろ? 積もる話とかそんなんがあんだろ。アーシア交えて交わっとけ色欲魔人」

 

 それは未来の兵藤のために取っておけよ、フリード・セルゼン。

 

 ――とはいえ、んなことはさせんがな。

 

「ちょっ!? 綺礼! なに刃物っ――はっ! も、もしかして綺礼も不良にっ!? あああアーシアちゃん、あの二人に近づいちゃ駄目よ! お母さんが言ってたよ、不良は獰猛な狼だって! ってなんでアーシアちゃんそんな達観したような悟ったような優しげな表情で二人を見てるのー!?」

 

 それは、多分。お前のせいだ紫藤。

 

 アーシアは若干というかしっかりというか、俺とフリードの険悪な空気の影響をモロに受けてしまいお花畑状態。そこに紫藤の混乱っぷりが混ぜられ混沌混乱状態しかして平然のお人形状態になってしまったのだろう。

 

 うむ。見事に自分でも言ってることが意味不明でござる。

 

「やめなさい、フリード、綺礼」

 

 臨戦状態の俺とフリードの間に割り込む白い影。白髪の見目麗しいエクソシスト――ジークフリート。赤い籠手を顕現させ、エクソシストに支給される白光の刃を俺とフリードに向けながらそう言った。

 

「僕達は悪魔を狩りに来たんだ。けっして仲間同士で傷つけあうためにここに集まったんじゃない」

 

「お決まりの文句ご苦労様ァ、セ・ン・パ・イ。なんなら混ざってみてみんのもイィんじゃねえの?」

 

「安い挑発だな。頭の程度が知れるというものだ」

 

 フリードが安い言葉でジークフリートを挑発し、そんなフリードを俺が挑発する。

 

 疑いようの無い三竦み。先に動いた方がやられるだろう。ジークフリートの目的はこの暴挙の鎮圧。フリードの目的は俺への攻撃。俺の目的はフリードを完膚無きまでに叩きのめすこと。

 

「そこまでっ――!!」

 

 ジリジリと高まりゆく緊張感を無視した声があたりに響き渡る。その直後に銀白の輝きが俺とフリードとジークフリートの三人の周囲に纏わり付いた。

 

 ある意味、これは妙手だ。動くに動けない硬直状態の時に、一切自分に注意を払わせずにしたこの行動。それも中途半端なものではなく、絶対的な威力を持つものでの鎮圧。

 

「チッ、聖剣使いか」

 

「そう。私は擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)の使い手。どう? これが私の切り札よ」

 

 得意げにそう言う紫藤。いやはや、大したものだと俺は思う。俺が咄嗟に動かなければ俺の首がさっくりいっていたことを除いては。

 

「……紫藤さん。制御が甘い」

 

「へ?」

 

「言峰君とフリード君が咄嗟に動かなかったら、首が胴体から離れていたわ」

 

 訂正。フリードの首を飛ばそうとしたのを含めば文句は無い。

 

「ケッ。てめえも避けやがったのかよ」

 

「残念だ。貴様に相応しい聖句を用意していたというのに」

 

「ほざけ。そりゃこっちの台詞だ」

 

「それもどうやら忘れてしまったようだ。……いや、貴様をこの手で天国へと召すことができたのならばあるいは思い出すかもしれん」

 

「おいおい、そんなことはやめろよ。永久に思い出せなくなるぜ? 具体的に言えばその毛の生えた邪悪な心臓に光の刃が鎮座するから」

 

「なるほど。自ら聖句を残し、自害する気か」

 

「斬新な解釈だなァ腐れ外道」

 

「なに。貴様ほどではないさ」

 

 不気味な笑い声を上げる俺とフリード。喉元にある糸のような聖剣は無視。幸い手首はギリギリ動く。そのため、黒鍵を撃ちだすには申し分ない。しかしそれはフリードも同じだろう。破魔刃を投げられるのは俺だけではない。

 

 なにやら紫藤が真っ青になって暴れているけど無視。それに構う余裕は無い。

 

 聖剣が紫藤の手元に戻ると同時、俺とフリードは動き出す。

 

 黒鍵の白刃と破魔の光刃とが、耳障りな金属音を立てて交差する。その直後に、ジークフリートから振り下ろされた刃が俺とフリードの間を分かつ。非常に不本意ながらも、俺とフリードが同時に拳銃を引き抜き、またしても同時に引き金をジークフリートに向かって引いた。ただ、もう片方の手がそれぞれ何をしていたのかは、別であるということは言うまでも無い。

 

 ジークフリートがその場から飛び退いて光弾を避ける。俺とフリードもそれをくらわないように避けて、しかし、その先には自分の位置に向かってきている光弾がある。フリードが俺が避けるであろう位置を推測して撃ったものだ。無論、それに返礼をしていない俺などではないので、フリードには都合三つの回転する黒鍵が飛翔してきていることだろう。

 

(セイクリ)(ッド・ギア)――聖杯の聖痕(スティグマ・エングレイヴァー)

 

 黒い僧衣の下でなにかが赤く光る。それと同時、体内に張り巡る水路が関を切ったように氾濫する。一瞬の疼痛。しかしそれはすぐに微かな鈍痛へと変貌し、俺の体を強化する。

 

 聖杯の聖痕(スティグマエングレイヴァー)。これこそが俺の所持する神器。俺がこれから先、エクソシストを続けるに当たって最も重要な道具だ。

 

 その能力は所持者の全身に、細かな魔術回路を発生させ張り巡らせるというもの。そしてそれは、悪魔とはまた異なるプロセスで魔術を発現させることができるのだ。……もうあれだね、俺ってすっげえ因果のもとに生まれてるよ。マジで。ここまでくると何か作為的なものを感じる。

 

 と、まあ、ぶっちゃけた話。この魔術が使用できる云々は、この神器の特性によるおこぼれである。この神器の本来の能力は、周囲の魔力を取り込み、所持者の体の一部に刻印として溜め込むというもの。だいたい一年につき一つができる。……正直、かなり微妙である。まだその刻印を一度も使ったことはないが、効果は凄いものだと信じたい。

 

 魔術回路が脈動し、黒鍵の存在密度が高まる。その黒鍵で光弾をかき消し、それを先の黒鍵を弾いたフリードに向かって投擲。

 

 フリードはそれを避け、続いたジークフリートの攻撃も避ける。どうもジークフリートはフリードを先に止めることを選択したようだ。……まあ、これで良し。おそらく、判断の基準はフリードの方が速いからだろう。

 

 よし、これで俺は一抜けた。

 

 黒鍵を仕舞い、麗しき女性三人のもとへと戻る。その時、シスターさんには軽く拳骨を落とされた。地味に痛い。

 

「き、綺礼! あああアンタなにしてんのよ! 私が後少し戻すのが遅かったらブスリってなってて私が泣いて主に叱られてしまう始末だったじゃないのー!!」

 

「綺礼さん! どうしていつもフリードさんと喧嘩ばっかりするんですかぁ! それとすぐにあの二人を止めてください! 怪我しちゃいます!!」

 

 鼓膜が痛いのである。

 

 拳骨が落とされた直後、アーシアと紫藤はそう言って詰め寄ってきた。双方、今すぐにでも泣き出しそうな表情である。

 

 あと、紫藤の場合は表情と台詞が合致していないような気がする。そしてもしも台詞が本音だったら、俺はちょっと紫藤との友人関係を考え直さなければならないに違いない。

 

 背後から襲い掛かってきた光弾を、黒鍵の白刃をもって斬り裂き散らす。まったく関係の無い話だが、この時の光弾の儚さといったら言葉にならないものがある。美麗なのだ。この時の清冽な光が。

 

「紫藤、大丈夫だ。アーシア、それは無駄だ」

 

 どうして、というアーシアの問いは黙殺する。黒鍵をしまわず、もはや変質的としか思えないような執念でこちらに射出される光弾を斬り裂く。

 

 視線の先では、ジークフリートがフリードを追い込んでいた。今はまだフリードの方が優勢に見えるが、あれは違う。フリードの単なる強がりで、そう見えるだけだ。

 

「あ、捕まった」

 

 紫藤の声が耳に届く。

 

 フリードが捕まえられ、シスターさんのもとへと連れられ、拳骨。フリードはそれだけで大人しくなった。気絶したようだ。はん、ざまみろ。

 

 フリードが気絶したので、また、昼飯時が近いこともあり、一旦皆そこで休憩。適当な木陰で皆思い思いに休む。

 

 といっても、アーシアはジークフリートと俺の切り傷を治癒させた後、フリードの治療を始めた。適当に美味しいやつをかっぱらって持ってっとく。……ついでに、フリードの分も。ついでに。あくまでついでに。

 

 胡坐をかき、そこに昼食を盛った皿を乗せ、十字を切って祈りを捧げる。その後、黙々と一人で食べる。都合、五分ほどで終了。味は弁当だということで追求はしない。

 

「ねえ綺礼、アンタって神器持ち?」

 

「そうだ」

 

「それってどんなの?」

 

 紫藤は俺が食べ終わると同時、神器について尋ねてきたので答える。意外にも大人しく、ふんふんと頷きながら聞いていた。

 

「擬似的な魔法の使用かぁ……。あれ? 悪魔の使う魔法とはどう違うの?」

 

「神器にも魔法と同じ効果を現す物があるだろう」

 

 炎やら氷やら闇やらを出して操る神器がこの世界には存在する。その神器はどうやってその異能を顕現させているのかというと、まあ、電気製品と同じ仕組みであるとしか答えようが無い。ただ、その電気製品とはあまりにも仕様が違うが。

 

「基本、それと同じ原理だ。ただ少し違うのが、これには様々な種類の魔方陣が内蔵されていることだ」

 

「内臓?」

 

 いくら内蔵の肉付きの方が良いからって内臓言うな。……いや、まあ、自分で言ってあれだが、意味わからん。

 

 とにもかくにも肉体に内蔵されている方の内臓じゃない。

 

 俺の神器のそもそもの能力は規格外な魔力の貯蓄。では、どうやってその魔力を使うのか? 答えはこうだ、使用者が望む効果に近い魔法のようなものを発動させることによってその魔力を使用する。

 

 魔力だけで魔法を顕現させることができるほど、人間は丈夫ではない。悪魔が魔力だけで魔法を発動させることができるのは、人間よりも強靭な肉体と人間よりも多大な魔力を持っているからだ。

 

 ではそれがない人間はどうやって魔法を発動させるのか? それは魔力を無理無く効率的に運用させることだ。かの大魔法使いマーリンは悪魔の魔法発動のプロセスを観察することで、それに叶う魔方陣を発見した。

 

 言葉にすると非常に簡単だ。微弱な魔力で宙に魔方陣を描き、その後にそこに魔力を通す。そうするだけで、魔法は発動する。注意すべきは魔力の操作のみだが、これが中々に難しい。その魔方陣がどれだけオリジナルに沿えるかで、魔法の威力と魔力の消費量は決まるといっても過言ではない。

 

 と、いうのがマーリン直伝の魔法で、もっとも悪魔の力に近い魔法だ。

 

 神器の魔法発動のプロセスは、それと少し違う。

 

 そも、神器とはどこに宿るのか。それは「魂」である。肉体という器に入る物質である魂に神器は宿るのだ。というよりも、魂と半ば融合する、というのが正しい。

 

 神器は所有者の思いによって進化する、それはこの中途半端な神器と魂の融合によるものだ。魂が震えるほどの思いでやっと神器は応える。応え、所有者が望む形に近づく。もちろん、それは神器の容量の枠内においてだ。

 

 そして、神器が変質するということは魂も変質することとなる。よって、自ずと魂に引っ張られて肉体も変化する。魂と肉体は相互関係にあるのだ。肉体が変質すれば魂は変質するし、魂が変質すれば肉体も変質する。

 

 と、いうことは神器持ちは自然と普通の人間の肉体とは若干違う仕様となっている。これが神器の能力を発動させるための大前提。

 

 それでは、お待ちかねの神器による魔法のような現象の発動のプロセスといこう。

 

 神器は聖書の神が創られたシステムに乗っ取ったものであり、人間の魂の一部である。ということは、人間は聖書の神の創られたシステムの末端となる。

 

「……ん? 主のシステムの末端……?」

 

「つまり、神器持ちはある意味で主とつながっているということだ」

 

 システムは聖書の神が管理していらっしゃる。そしてそのシステムは聖書の神がお創りになられた。また、神器を生み出したのも聖書の神だ。

 

 ということは、神器とは聖書の神の力によって発動させられる。天使を生み出しすほどの力のある聖書の神の力によって。

 

「ちょ、ちょっと待って! じゃあなんで魔剣創造(ソード・バース)なんてものがあるの!?」

 

 紫藤の疑問ももっともだ。なぜ聖なる力によって魔なる剣が創造されるのか。どう考えても、それは矛盾しているだろう。

 

 だが、実のところそう矛盾はしていない。

 

「紫藤、主はなんだ?」

 

「全知全能の全ての父――、あ……!」

 

 そう、主に不可能など無い。なにせ、数十倍もの悪魔の軍勢に一人で打ち勝つのだから。

 

 聖書の神にとって、聖なる力を反転させて、魔なる力を生み出すことなど容易いことだろう。どうして元天使である堕天使や悪魔達が魔なる力を生み出せるというのに、聖書の神が使えないというのか。

 

「ということは、神器の力は……!」

 

 頭の巡りが早くて助かる。

 

 つまり、神器は聖書の神の力を借りて発動させるための媒体。人の力と心意によって神威を振るう――まさしく、神の器と呼ぶに相応しいものだ。神の力の器、の方が正しい気もしないでもないがそれはそれ。

 

「――と、いうのが私の意見だ」

 

「綺礼の意見なのっ!?」

 

 あからさまにガビーンといった表情の紫藤。どこぞの少女漫画のモノトーン画になってんじゃねえよ。傷つくぞ。

 

「実のところ、悪魔の魔方陣と主の魔方陣を見比べたことが無いためになんとも言えん。だが、北欧魔術と悪魔の魔法は別物だと聞き及んでいる。つまり、この私の意見はまったくの嘘だということではない」

 

 はずだ。

 

 俺のこの理屈のような屁理屈に、紫藤は難しい表情になり、うんうんと唸る。

 

「……さすが璃正さんの息子ね。変に理屈っぽいから私にはわかんないや」

 

 おい。

 

 その紫藤の言葉によって、俺は内心で微妙な表情となる。とはいえ、一瞬のことだ。そう長い時間ではない。

 

「でも、凄いというのはなんとなくわかったわ。綺礼って頭良いんだね」

 

 そう言ってニカーと笑う紫藤。

 

 ふむ。しかし、なんとも不意打ち気味だ。常日頃から鉄面皮を貫いていなければ、俺の精神年齢が四十路に近づいていなかったら、社会人成りたての俺ならばこの笑顔にやられていた。ロリコンなにそれ状態になっていた可能性が高い。

 

 そして、なんともむず痒い。前世ではこうやって素直に褒められた覚えが無いので、なんとも言いがたい。きっと、今の紫藤は小学生男子にとって魅力的な女子だろう。中学に上がればますますそうだろう。

 

「――だああああああああ!!! うっせえェンだヨ綺礼のクソヤロウ! てめえはいつも通りに黙ってむっつりしてろ!!」

 

 俺の父性による感傷っぽいものを一瞬で不機嫌へと地獄に叩き落した蛇はフリードだった。ああやってピンピンしている様子からは、少し前から起きていたと思われる。

 

「ふ、フリードさん! 気絶してたんですから安静にしてください!」

 

「うっせェよ、アーシア。そんな程度でくたばる軟弱野郎がエクソシストをヤッてられッかてンだよ」

 

 フリードはそう言うと、アーシアの静止を振り切って立ち上がる。アーシアが俺に助けを求めてきた。すると、隣の紫藤が言う。

 

「そこの不良! アーシアちゃんが心配してあげてるんだから大人しく寝てなさい!」

 

 ビシイッと、男前な効果音が見えた。……どうも俺は疲れているらしい。

 

「うぜェ」

 

 うぜえって、お前は反抗期の息子か。

 

「綺礼、俺の武装をこッちに投げ渡せ。――早く」

 

 珍しく、フリードがこちらに一切の罵倒無くそんなことをのたまった。

 

 俺はシスターさんの手元にあった破魔刃の柄と、破魔弾の拳銃を投擲する。

 

 ――同時、五人の影の黒が深くなる。

 

「――――え?」

 

 それは紫藤のものか、アーシアのものか。呆然とした声が耳朶を打ち、その直後に視界がブレる。

 

 腰を捻り、地を削る。拳と掌を打ち合わせ背後へと、全体重を乗せた肘を奔らせる。それは右の背後の空間に在ったモノを容易く穿ち、そこから続く反動によって前方へと移動。それは俺の体を先とは逆に回転させ、一陣の台風へと変貌させる。

 

 左足が軸となり、黒き僧衣の下で全身の回路が氾濫する。それは一瞬の閃光と化し、螺旋からの直線を描く。俺の足が紫藤の背後のモノを、規格外の威力で蹴飛ばす。

 

 紫藤の背後に自然と庇うように立ち、残心。油断無く敵の使い魔を見据え、同時、アーシアがフリードによって護られたことを確認。

 

 フリードの口が、上から食われた赤い三日月へと――変貌する。

 

「――――――――――ギャハ」

 

 フリードの口から、無機質な音が漏れた。

 

「ギャハッ――――――! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――――――!」

 

 それは狂気に濡れて、もはや声は聞き取れない。轟々と鳴り響くのはフリードの狂気に凝り固まった哄笑。それは純白の黒風の軌跡に漂い、敵の使い魔の血霧と共に地面に落ちる。

 

 狂った白刃が竜巻の如くに吹き荒れ、切り裂かれた魔なる存在が虚無へと帰す。熊のような姿の使い魔が純白の黒風のもとに無謀にも立ちはだかり、一瞬のうちにその身を幾多もの肉の塊へと解体した。

 

 その凶器は止まるところを知らないのか、急に湧いて出てきた無数の異形の団体へと突っ込んだ。

 

「フリード!」

 

 ジークフリートがそう叫び、フリードの後を追って破魔刃を振るう。見事な太刀筋が軌跡を描き、異形を殺した。……んー、フリードと比べてやっぱ見劣りする。いや、技術はこっちの方が高いんだけどなぁ。

 

 俺はアーシアを護りながら、地中や空中から襲撃してくる敵を撃退していく。いや、凄く多いな。

 

「攻め込もうとするな、紫藤」

 

「わ、わかってるわよっ! 綺礼のくせにうるさいっ!」

 

 んな理不尽な。それに突っ込む気満々だったろ、絶対。接待じゃないぞ。どこぞのラスボスのネタじゃないぞ。……うわー、つまんねえ。

 

 まあ、こっからは普通に進んだ――わけがない。

 

「フリードのところに使い魔が集まっているな」

 

「ん? そうなの?」

 

 迫り来る無数の使い魔を拳で殴り殺す。しかし、どれだけの使い魔を作ったというのか。周りを見れば多種多様の使い魔達。人型があれば獣もあり、鳥や爬虫類の類もいる上、……。

 

 後ろを見る。アーシアが気絶していた。シスターさんに抱えられている。

 

 ……虫が多いのだ。というか大半が虫だ。それも異様に繁殖力の高い嫌われものばっか。ゴキブリとかその筆頭である。

 

「紫藤はよく平気だな」

 

「そうじゃないと聖剣使いなんてできないでしょ。……いやあ、なんか虫を見てると思い出すわ。聖剣使いに選ばれたんだから弱点は極力無くそうって努力したの」

 

「ふむ」

 

「で、真っ先に行ったのが昆虫博物館。なぜだかそこだけ生きた野生のゴキブリと触れ合おうっていう企画があってねー……」

 

 その先は言わなかった。ただ、紫藤にとっては珍しい憔悴しきったような苦々しい表情から、どんなことになったかは想像できる。

 

 十中八九パニックになったのは間違いないと見て構わないだろう。となれば、ゴキブリを踏み潰したりしたのか、ケースを壊して外に出してしまったのか。この先は紫藤のみぞ知るということで。

 

「怪我の功名か?」

 

「そうね。おかげで虫を潰すことになんの躊躇もなくなったわ。きっと、今では悲鳴すらあげないでしょうね」

 

 ああ。ということは踏み潰してしまったのだろう。その時の顔が見れなくなってしまって残念だ。さぞ面白いに違いないのに。

 

「主は紫藤に何らかの恩賞を与えるだろう」

 

 というよりも俺が与える。あまりにも不憫過ぎるのだ。

 

「……ぅう。綺礼、やっぱアンタって良い奴ね。ありがとう」

 

 さて、どうでも良い戯言は脇に置こう。

 

 フリードの方向へと向き直る。やはりおかしい。敵がフリードの行く先々に現れすぎだ。後続のジークフリートはさぞかし苦労していることだろう。

 

 逆に、俺のところには少ない。ああして会話できるほどの余裕がある。

 

 となれば――。

 

「紫藤、アーシア達を任せる」

 

「え? ちょっとなんで――」

 

 回路の巡りを体内にのみ留める。魔力のようなものが俺の全身を駆け巡り強化した。足音をたてないように静かに駆け出す。

 

 紫藤の文句が聞こえるが、まあ、無視しても大丈夫だろう。

 

 チラリと、フリードの方へ視線をやった。やはりフリードは狂喜しながら悪魔の使い魔を順調に刈っていっている。たまに殺し残しがあるが、それは後から続くジークフリードが確実に殺していっている。

 

 俺のところに悪魔の使い魔は来ない。というよりも俺は大きく迂回して、戦闘区域から外れた場所をひた走っているからだ。

 

 とはいえ、俺が一人であるということはかなりのチャンスに違いない。悪魔にとって天敵である聖剣の無いお子様エクソシストだ。そうそう殺される気などないが、文章に起こしてみれば子供とはいえエクソシストを葬るのには絶好のチャンスだ。

 

 だが、それでも向こうは俺に戦力を回さない。ということは、だ。そんな余裕が無いということ。そして戦力の大半がフリードに集中させられているということは――フリードが、使い魔を操る悪魔の位置に一直線に向かっているということだ。

 

 ……いや、まあ、憶測でしか無いけど。だが、フリードの突っ込んでいっている先々に集中的に現れるのはおかしい。

 

 よって、フリードの向かっている先へと先回りすることにする。

 

 服に木の枝などが引っかからないように、足音を立てないように気をつけながら駆ける。規制をするべきだと思うような奇声を上げるフリードの声の動きを頼りに、位置を探る。

 

 果たしてどれくらいの距離を走っただろうか。正直、フリードの声の動きからの推測で集中していたためわからない。だが、体感時間としては長かった。

 

 ――――いた。

 

 黒い僧衣の男だ。顔はフードに隠れてわからない。だが、気配でわかる。俺の今眼の前にいるこの人物は、悪魔であると。

 

 彼は走っていた。フリードから少しでも遠ざかろうとしているのだろう。だが、遅い。そんなものではいずれ使い魔が全滅し、フリードに一瞬で追いつかれてしまう。

 

 おそらく、彼が逃げるのが得意だったのは気配の断ち方だったのだろう。俺は彼を視認するまで彼が近くにいるとは思わなかった。……フリード様様である。非常に認めたくないが。

 

 さて、彼がフリードに一瞬で追いつかれるということは、俺よりも遅いということ。神器の回路を氾濫させ、身体に負荷をかけて強化。彼が弾かれたように俺のほうを向いた。だが既にそこに俺の姿はない。

 

「動くな」

 

 俺は彼の逃走経路の真ん中、つまりは、フリードと彼を直線で結んだ先に移動した。

 

 ここで初めて、俺は彼の顔を見た。

 

 白髪の男性だ。顔はやつれ、前髪で顔の半分を隠している。フードの隙間から覗く首には、引きつった跡がある。……主の下から逃げ出した悪魔の大半は、異形だと聞く。理由は不明だ。

 

「会話はできるか?」

 

 俺は彼に問うた。だが、彼はそれに答えない。それどころか周りに視線を必死に巡らせている。逃げる算段を考えているのだろう。

 

「……ふむ。悪魔よ、一つ助言をしてやろう。ここは逃げようなどと考えるべきではない」

 

 俺は構えを解いて、悪魔に一歩歩み寄った。それにより、悪魔の注意は俺に向く。

 

「今、私達はお前を追い詰めた。嗅覚の鋭い犬を以ってな。それも、かなり足の速い犬だ」

 

 ここでいう犬はフリード。

 

「君の足では到底逃げ切れるものではない。いや、転移術を使えばそうではないだろうが、それは得策ではないだろう。魔力の残り香で追跡されるだろうからな。そして、その犬は君の下僕では殺すことなどできない」

 

 フリードは依然としてこちらへと向かっている。

 

「つまり、今の君は万策尽きているわけだ。――――()()の策はな」

 

 悪魔の眼がこちらに注がれる。悪魔の興味を俺に引くことは成功。ならば、このまま語るのみ。

 

「ああそうだ。今の君に逃走という手札は無い。ならばどうするべきだ? 命乞いをするか? 交渉でもするか? いや、その手段はできないだろう。なにせエクソシストは悪魔を殺したくて殺したくてしょうがないのだ。せいぜい、喋るだけ喋らされて殺されるだけだな」

 

 濁った瞳に宿る僅かな理性の色が剣呑なものを孕む。もう少しだ。

 

「さて、再度の質問をしようか。君は会話はできるかね?」

 

 その言葉が引き金となる。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――!!!!!」

 

 悪魔が咆哮。同時に、俺へとその貧弱な人外の膂力を振るう。

 

 腕がボコリと不気味な音を立てて盛り上がり、黒い僧衣を破る。その下から現れたのは、線の細い悪魔には不釣合いな黒い豪腕だった。それも、竜の頭部を模したような悪趣味なものだ。

 

 それは豪速を以って振るわれる。

 

「――――っ」

 

 俺はそれを背後へと跳躍し回避した。だが、その膂力は圧倒的なもので、木々をなぎ倒し、大気を翻弄させる。その風に当てられて、俺の体はわずかに揺らぐ。

 

 片足を着いて着地。そこへ、もはや原型を留めていない黒い悪魔(キメラ)が俺に向かって跳躍してきた。

 

 まさしく悪鬼だった。頭部には黒い角が生え、その表情は様々な肉食動物のパーツによって歪められている。体の筋肉は盛り上がり、所々にいかにも硬そうな体毛。四肢は竜の頭部と鷹の足、虎の爪に馬脚。尻尾も生えていて、それは二股に分かれている。その片方は鰐の顎だ。

 

 ……いや、これってどこのびっくり生物だよ。

 

 四肢のそれぞれが別の生き物のように蠢く。それらは四方八方から俺に迫り来た。絶体絶命のピンチ。

 

 だが、若干遅かった。タイムアップ。

 

「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――――――!」

 

 その背に、白光の刃が突き立てられる。そしてその次の瞬間、純白の黒風が悪鬼の首を切り落とす。そして更に四肢を蹂躙――しようとして、尻尾に弾き飛ばされる。うわ、化け物だこいつ。首切り落とされて生きてやがる。

 

 フリードが吹き飛ばされる直前に、俺は六つの黒鍵を投擲。円弧を描いて白刃が飛翔する。無論、それらが狙い通りに悪鬼に傷を負わせられるはずが無く、一本が突き刺さったのみで他は弾かれた。

 

 その隙に、悪鬼の真下を潜り抜け、フリードをスライディングキャッチ。意識があるのを確認し、撒き餌にするために横へと軽く投げた。

 

 しかし狙いは外れ。悪鬼はこちらへと向かってきた。それも顎を開いた四肢が俺に襲い掛かる。うわあ、悪趣味極まりない。

 

 黒鍵を一つ強く握りしめ、それに魔力のようなものを纏わせる。腕を振りかぶり、全体重を乗せて投擲。ザ、見よう見まねの鉄甲作用。それは奇跡的にも避けられず、四肢の頭部になぜかついてあった目玉を刺し貫き、そして――それに幾筋もの裂傷を顕現させる。

 

「ア゛、ア゛っア゛ギィ――ア゛ア゛ア゛・ア゛ッ!!」

 

 悪鬼がその四肢の一本を抑え、その、傷口の開く痛みに絶叫する。

 

 ……非常に不本意なことに、俺のもっとも得意な魔法――のようなもの――は傷の切開である。それに気がついたのは自分で傷口の切開をした時だ。皮膚に少しばかり深く食い込んだ木片を、ちょっとした好奇心で魔力を指先に集めて傷口を切り広げて取り出した。それがあまりにもスムーズにいったので、もうびっくり。素直に喜べないこと、堂々の一位である。滅べ。

 

 ともあれ、悪鬼は痛みに耐性が無いのか、大きな隙ができる。

 

「――――ハァッ!」

 

 悪鬼の懐に小さく潜り込み、下から上へと腹を突き上げる。絶叫を寸断する苦悶の唸り声。そこからさらに体を捻り込み、密着。腐った肉の酸っぱい臭いが鼻をつく。が、それに構わず、手刀を作った。魔力を纏わせ自分の特性に沿った念を込める。それだけでその魔力は強制力を持ち――軽々と、俺の手刀を悪鬼の腹に貫通させる。

 

 再びの絶叫。

 

 そして、横合いからの衝撃。

 

 咄嗟に右腕でそれを受け止め、しかし弾き飛ばされた。若木の折れるような音が、激痛を伝える電流と共にシナプスを貫き、俺の視界を明滅させる。

 

 左腕で地面を叩いて悪鬼から距離を取る。右腕はぶらりと垂れ下がり、その手に握られていたのは赤黒い血液と、ピンク色の内臓、そして、白い欠片となった骨の残骸。

 

 被害甚大。だが、敵の足止めに成功。悪鬼は俺を視界に捉え、俺へと一直線に迫り来る。激突まで、約、三秒ほど。終わった。

 

 俺ではなく、悪鬼が。呆気なく終わってしまった。

 

「こォ――――レならどうヨぉ、悪魔さんよォ」

 

 無機質な声が、光の刃に串刺しにされた悪鬼に降りかかった。どす黒い鮮血が噴き出し、しかしすぐさま灰となる。

 

「タマ落として死なねえんならよォ……、串刺しなら死ぬか死ぬだろそうなんだろこの底辺のゴミ屑野郎がァッ! アー……、さっさところりと死んで消えて泣き叫べよこのサンギョウハイキブツ」

 

 いや、順序が違うだろう。泣き叫んで死んで消えるのが普通だ。

 

 フリードはそんなことをのたまいながら、破魔刃を持ってるだけ悪鬼に突き刺していた。……その数約二十本。どこにどんだけ携帯しているんだ。

 

 さすがに、そこまでの破魔刃を受けて生きていられるほど、悪魔は強くない。悪鬼の遺体は灰となって死んで消えた。……どことなく、呆気なく感じてしまったのは気のせいだろう。

 

 その後に残るのは血の染み付いた服の少年二人。一人は右腕を骨折、もう一人は胴体に大きな打撲。……おそらく。俺は絶対に右腕が折れてる。

 

 なんとも凄絶だ。今ここで俺とフリードが殺し合いをしていたと証言したら、誰もが信じて疑わないだろう。

 

「気は触れているな? フリード・セルゼン」

 

「心停止してんだな? 言峰綺礼」

 

 良かった。お互いに正気なようだ。とはいえ、どうしてそれの確認方法がこんなにも頭の悪い悪口なのか。頭が悪い悪口とは救いようが無い。扱いようはあるけども。

 

 そのまま地面に座り込む。触れて少しでも動かせば嫌な音しかしない右腕を固定する。

 

 さて。

 

 これにて、俺の初エクソシズムは終了。

 

 最後はフリードに持っていかれ、怪我の酷さ的には俺がかなりの貧乏くじを引いているような気がしないでもないが。

 

 その後起きた出来事は割愛。尺が足りないのだ。

 

 息を切らしたジークフリートがここに来て馬鹿二人に小言を言うまで数秒後。シスターさんに連れられて来た美少女二人組みがここにつくまで数分後。その内の一人が涙目になって治療を始め、二人で馬鹿二人に説教しながら泣き出すのは数十分後。元気になった俺とフリードが口汚く罵りあうのは一時間後。

 

 ……まあ、その、なんだ。

 

 ちょっと配役が違うだけで、しかし、結局のところいつも通りになってしまった。



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05 胸中について

 

 あの悪魔の本領は使い魔の作成だったようだ。後々知った。

 

 なんでも、自分の非力さを嘆いて使い魔作成に手を出したそうだ。自分が弱いのならば武器などをつくってそれを補えば良い、しかし、自分は武器の扱いはさっぱりだ、ならば、自分で考え行動する使い魔を創れば良い、との考えでそうなったようだ。そして、その過程で自分にその使い魔を寄生させ、いざという時にそれを発現させて身を守るということも考え、実行した。

 

 なるほど、悪鬼のような姿になったのはそれが起因していたのか、と納得。よし、転生悪魔になった時はそのアイデアを利用させてもらおう。使い魔を創るっていうのは楽しそうだ。……しかしそれの成れの果てがあれっていうのはなぁ……、いや、まあ、ありっちゃあありか。

 

 揺れる飛行機の中、半ば現実逃避気味に俺はそんなことを考えていた。

 

 俺は中学一年生となり、あの教会から出ることになった。もちろん、フリードとアーシアとは別れることになる。

 

 理由はこうだ。フリードの精神がシスターさんの手で充分に管理できるように落ち着いたから。それで俺は日本へと帰国、アーシアは元の教会にへと戻ることとなった。

 

 それに反対したのはアーシアだけで、俺とフリードは諸手を挙げて賛成した。無論、俺とフリードは互いに互いを頭の悪い言葉で罵り合いながら。

 

 いやあ、あの時は本当にせいせいした。ようやくあの狂犬と離れることができる。それを思うとあの腹の立つやり取りも一段と楽しかった。これまで考えてた罵詈雑言の数々を誰にも止められる事無く、全部吐き出せた。しかしそれは向こうも同じだったようで、そのフリードの言葉にはかなり腹が立って、未だに思い出すと言いたいことがかなりの量で出てくる。そして、お互いに言いたいことのストックが尽きれば、実力行使。どんなことをしたかはなぜだか思い出せないが、頭皮が痛かったことから髪を引っ張るというかなり低劣なことまでやったことが伺えるため、それがどれだけ苛烈だったかが想像……できるわけがない。ああ畜生、腹が立つ。会いたくは無いが殴りたい。あの腹立つ顔を殴り飛ばしたい。蹴り飛ばしたい。顔面に一発この拳を突き立ててやりたい。

 

「綺礼、貧乏揺すりは止めなさい」

 

「……はい」

 

 知らず、貧乏ゆすりをしていたようだ。深呼吸を一つして、フリードのことは脳裏から追いやる。そしてその代わりにアーシアの可愛い場面を思い浮かべようとして――。

 

「……」

 

 呼吸が止まる。全身が硬直する。

 

 思い浮かんだのが別れる直前のアーシアの泣き笑いの表情だからだ。俺の気休め程度の別離の言葉で、頭の悪い女よろしく言いくるめられたような振りをした時の、あの。

 

 ――いやいやとはいえ、それは俺の主観であるがために、それが真実や事実とは限らない。もしかしたらアーシアは本当に俺の気休め程度の、「いつでもまた会えるさ」的なノリの軽い言葉に言い包められたのかもしれない。本当は滅多に会えないということに、気がついていないのかもしれない。

 

 ……知らず、歯を噛み締めた。というか気づいたらそうしていた。鼻がつーんとする。

 

「父さん、聖書を取ってください」

 

「……今は読んでは駄目だ。眼が悪くなる。寝ておきなさい」

 

 父さんの声がわずかに硬くなる。

 

「――――」

 

 いつもの俺ならそこでそれに従うのだが、今は違った。無性に、そう簡単には諦めることはできなかった。

 

 多分、寝れないだろうし。そうなると、余計なことを考えそうで寝れそうにない。眠ることができたとしても、夢にも出てきそうで嫌だ。そんな後味の悪い夢を、今はどうしても見たくない。寝起きに醜態を晒しかねない。

 

「お願いします、父さん」

 

「………………」

 

 父さんが黙る。俺も黙る。

 

 どれくらい沈黙していたのか。俺は必死に自分の手元だけを見ていたのでさっぱりだ。

 

 ふと、無言で聖書が俺の手元に置かれた。

 

「ありがとうございます」

 

 機械的に礼を言って、聖書のページを捲る。それは見慣れた英語の文字列。あの教会で最初は日本語のものを使っていたが、英語に慣れろということで使い始めた聖書。

 

 そういえば、読めない単語の発音はアーシアに聞いていたっけ。……綺麗な言葉はアーシアから、汚い言葉はフリードから学んでいたような気がする。っつーかフリードの場合、その大半が悪口でそれも結構な俗語だった。ふぁっく。

 

 ……俺は、日本までの飛行機の中、ずっとこの聖書を読んでいた。日本につく数分前には全部読み終わっていて、それからは頭の中で聖書の言葉を暗唱した。

 

 ――ともあれ、非常に不本意だが、この聖書はしばらくの間宝物にしなければならないようで。

 

 あと、飛行機から降りた後の荷物確認で日本語で書かれていた聖書が無くなっていたのに気づいた。でも、それはアーシアにあげたんだと思い出してパニックにはならなかった。パニックになる一歩手前で思い出せれて良かった。

 

 アーシアには日本語の教材として俺の持っていた聖書をあげた。別れの餞別だ。フリードには黒鍵の投擲をくれてやった。紫藤には、というかイリナには、俺が気に入っていた十字架をやった。

 

 悪魔退治の後、紫藤のことはイリナと呼び捨てすることにした。んでもって、十字架をやった。建前としては上の二人と一緒の餞別、本音は虫に関することでどうしても労ってやりたかったから。その時のイリナの笑顔は凄く愛らしく良いもので、正直、俺の本音を言って機嫌を損ねてもらおうかと思ったくらいだった。だって、ねえ? 俺の本音は結構酷いし。同情だし。可哀想な子扱いだし。

 

 あの期間で俺の中のイリナの株が急上昇。普段は能天気、だけども真面目な頑張り屋さんに昇格。アーシア? もう好感度はマックスだよ。俺のオアシスだぜやっはー。……ああ、会いたい。

 

 がさごそと忘れ物が無いかと探し物を続行。すると、かちゃり、という音がした。その音を俺は疑問に思い、腕を一気に突っ込み、それを引き抜く。

 

 俺はそれを見て唖然とした。

 

 それは凄く見慣れたものだった。L字型の純白の物体で、その曲がった所には台形の枠があり、その枠の中にはノの字型の指にフィットするような形のもの。短い長方形の部分はしっくりと手に馴染む。

 

 視線をかばんの中に戻すと、一枚の白い紙切れがあった。俺はそのL字型の物体をかばんに戻し、その白い紙切れに乱雑に書き殴られた糞野郎の英語を読み解いて破り捨てた。その紙切れにはこう書かれていた。ふぁっく。曰く、「銃刀法違反で逮捕されて死ね」。ふぁっく。てめえこそくたばりやがれ。っつーか俺がこの拳で直々に引導を渡してやろうか。

 

 白いL字型の物体はあの白い拳銃だった。

 

 

 

 

 中学生になって、俺は普通の学生とエクソシストの両面生活をすることになる。

 

 といっても、仕事なんてほとんどない。たまにここの近くを治めている悪魔が取り逃がした無法者を狩る程度だ。強いことはあっても殺せないことはなかった。

 

 以上、異常無し。特に驚くような出来事は無かった。

 

 といってもそれはエクソシスト関連であり、中学校関連ではそうではなかった。

 

 俺が通うことになったのは、元々通っていた小学校と同じ地域にある中学校だ。ということは必然的に俺の知り合いが多いという事で、なにやら歓迎会みたいなことをすることになった。いや、何故だ。俺もさっぱりわからん。

 

 ともあれ、そんなことで俺は割安なバイキングのメニューのある店に来ていた。

 

「そんじゃ、あの委員長こと言峰の帰還を祝って転校生歓迎会を始める!」

 

 リーダー格っぽい男子生徒がマイク片手にそう言って、一斉に俺への質問が始まった。

 

 というか、コイツ中二病真っ盛りだ。台詞が。ノリが良いのは結構だが、黒歴史はそれ以上作るなよと無駄なことを胸中で呟く。

 

 質問は主に、海外での生活。おそらく訊かれるだろうと確信していたので、そのあたりは父さんと煮詰めた偽物の話で勝手に盛り上げさせとく。向こうの生活、習慣、英語どれだけ喋られる? 良いなーズリィなどなど、流れるように進んでいく質問と話題。

 

 ここで、ふと、こんな質問をされた。

 

「仲の良い子ってできた?」

 

 するととても、とても、不思議なことが起こってしまった。喉の奥に用意していた台詞が突っかかり、脳内が勝手に用意して、舌が勝手に紡いだ。

 

「仲が悪い奴ならできたな」

 

 俺のこの台詞に、店内が静まり返る。

 

 というか、何言ってんのさ、俺。

 

 そう思うも、どうしてか俺の脳は俺の意思を綺麗にすっぱりさっぱり無視してスルー。あれか? 俺は足元の虫か? 虫を華麗に無視ってか?

 

「最悪だった。出会い頭は最悪で打撲が普通の喧嘩をした。武道を嗜む身として、負けはしなかったが、それでも最悪だったことに変わりは無い」

 

 といっても、勝ったとも思ってもないが。今のところ全戦善戦全引き分け。ただし俺の味方にアーシアがいるから問答無用で俺の勝利。ふははは。俺が勝っていると思っていれば俺の勝ちなのだよ。アイツがどう思ってようと知らん。

 

 ……現実から逃げるのは止めよう。ともかく、この俺に注目した空気を払拭しよう。ついでに重い空気も。

 

「仲の良い人物もできた」

 

 ここで、アーシアのことを話す。語るのはアーシアの武勇伝……というか聖女伝。適当に明るい話題と暗い話題を織り交ぜながら話していく。

 

 そうしてアーシアのことを話していくうちに、茶髪の少年……っつーか兵藤がすっげえニヤニヤした表情になっている。

 

 奇跡的に、俺が転入したクラスは兵藤と同じクラスだった。なお、小学生の頃になんだかんだで一番気兼ね無く話ができたのは、意外にも兵藤だったりする。兵藤は馬鹿で素直で開けっ広げ、だけどもなんだかんだで人のプライベートは言いふらさない良心の持ち主である。ということで、休み時間には兵藤の席に行って会話をしたのだ。

 

 以下、会話の一部抜粋。

 

「あの時の宣言通り、彼女はできたか?」

 

「おぉうっ!? で、でででできたぜできた!! 年上のバインバインの女子高生!」

 

「それは良かった。なにせ向こうに行く時に一番気がかりだったのは兵藤、お前だったんだ。お前は馬鹿でアホでスケベだったから、皆に嫌われていないか心配だった」

 

「ふ、ふーん。ま、まあ俺のエ……じゃない、俺の手にかかればイチコロさ」

 

「見たところ、彼女だけでなく友達もいるようだ。羨ましいな。中学一年で交友関係が充実するとは」

 

「はははー、すげーだろー」

 

 ちなみにこの時、兵藤は俺の後ろを非常に気にしていて、とても小さな声で棒読みだった。ああ、楽しかった。しかし……、なんだ、手応えが無い。上手く行き過ぎて怖い。

 

「お前、その子のこと好きなのか?」

 

 その台詞で場の空気がまたしても俺に圧し掛かってきた。俺は内心、それに嘆息する。ああ、からかい過ぎたな、これは。

 

 これは兵藤なりの意趣返しなのだろう。この大勢がいる空間で、そんなことを訊くのは火薬庫の中に時限式の爆弾を置くような行為だ。

 

 さて、どうしようか。

 

 ここで俺がアーシアを好きだといえばもっとも早く終わるのだが、それはなるべくしたくはない。なぜか。それは俺に気軽に話しかける一つの要素になるからだ。こらそこ、そんな要素が今更増えたからって変わらねえだろ、とか言わない。

 

 中学生では女子が恋愛に本格的に興味を示し始める。また、一部の男子もその空気に釣られて恋愛に興味を示す。そしてその一部の男子というのは、そのほとんどがクラスの中心的グループ、賑やかなグループのメンバーであることが多い。つまり、彼らは少々大々的に恋愛をするようになる。となれば、残りもそれに釣られるのだ。つまり、中学では恋愛は一種のステータスになる。もちろん良い方向の。

 

 しかし、中学はまだ子供だ。大人になろうと背伸びをするような。そして、彼らにはその恋愛の経験が乏しいし、それを知っているような人物はといえば親であるが、そこは大人になりたい子供の性。そうそう簡単に親に恋愛を尋ねるようなことはできない。

 

 では、どうするか。ならば恋愛をしている人物とその話をすれば良い。至極明快単純だ。背伸びの性もそう簡単に鎌首をもたげはしない。

 

 以上、一秒以下でさっと考えた理論。武装ですらないただの小道具。役にこれっぽっちもたちやしねえ。だが、何かを言わないと気に食わないことに兵藤に一杯食わされたこととなる。それだけは勘弁だ。

 

 考えろ、考えろマクガイバー。頭中の糞ギア回せ。ゼロコンマ二秒で考えろ。色々混ざってるけど気にするな。

 

「――ああ、好きだとも」

 

 俺は諸手を挙げて降参した。どんな光景が今から起こるかは、まったくもって見たくないので眼は閉じる。

 

 瞬間、歓声が爆発する。

 

 がやがやがやがや。どんな会話が行われているのかも聞きたくは無い。だが、なぜだか眼の前の人物が非常に悔しそうに歯軋りをしているのは聞こえた。っつーかそれだけに耳を傾けた。ふはははは。俺の勝ちだ、兵藤。

 

 ふははは、はははははははは、ははははははははははははははは――!! どこぞの黄金閣下のように俺は内心で高笑い。もちろんイメージボイスは知る人ぞ知るあの人。運命と怒りの日の双方のキーキャラに声を当てた人。

 

「それでそれで!? 告白したの?」

 

 よし、この問いを待っていた。

 

 とある女子の問いに、俺は眼を開けて先と変わらぬ鉄面皮を作る。

 

「告白?」

 

「そう、告白! その子の返事はどうだったの? 遠距離恋愛っ?」

 

 近い。かなり近い。チキンな俺にはその距離は辛い。

 

「恋愛?」

 

「もう、とぼけちゃって! 恋人関係じゃないの?」

 

「そんなわけない」

 

「ってことは振られたの?」

 

「誰が振られたのだ?」

 

「えっと、その、言峰君が」

 

「そんなわけがない」

 

 俺のその答えに首を捻る同級生女子。他の人達も俺のこの口ぶりに気がついたのだろう。皆が聞き耳を立てる。

 

「あれ? 言峰君ってその子のことが好きなんだよね?」

 

「そうだ」

 

「告白したんだよね?」

 

「何を?」

 

「何をって……、ほら、……えーと、その……、『君のことが好きだ』的なっ!」

 

 顔をちょっと赤くしてキャーって言いながらうずくまる同級生。俺はそれを上から見下ろす。ううむ、つむじがお綺麗なことで。

 

「どうして言う必要がある?」

 

「えー……」

 

 ないわー、という表情を一様に浮かべる同級生達。俺は意味がさっぱりわからんといったような顔を作る。具体的には、眉間に皺を寄せる。

 

「私にとって彼女は好ましい友人だ。どうしてその彼女に対し、そんな今更なことを告白せねばならない」

 

「……つまり、言峰にとってその子は親友ってわけなんだな」

 

 げんなりとした表情で兵藤がそんなことを言った。

 

「そういうことだ」

 

 俺は皆に断って席を立つ。座っときなよ、俺らが取って来てやるからさ、という級友の嬉しい言葉に俺は、座っていると体が痛くなる、という理由で自分で食べ物を取ってくる。白ご飯は取らず、全て肉。焼肉用の。口臭を防ぐ奴は持ってきている。だからたくさん肉類を食っても大丈夫だ。

 

「……よくそんなに取ってきたな」

 

「海外ではたくさん食べる機会が多かったからな」

 

 若干ズレている答えを返して席に着く。皆一様に俺のとってきた肉の量に驚く。なにせ山盛りだ。正直なところ、俺でもびっくりしている。もちろんのこと、前世の記憶と照らし合わせた結果だ。

 

 豪快に肉を網の上にぶちまける。父さんが目撃したら雷を落としかねないものだが、今幸いにして父さんはここにはいない。ので、精一杯羽目を外させていただこう。

 

 その後は、特筆すべきことはなく、平坦に過ぎていった。適当にクラスメイトと会話をして、交友を深める。だけども簡単にはこちらには踏み込めないような、暗黙の了解も作る。

 

 これは父さんから言われたことでもある。超常の存在を知らない者と深く関わるな。表面上のお付き合いだけに留めろ、と。無論のこと、それは俺にとっては願ったり叶ったりなので、異論は無い。だが。やはり。

 

 俺は先ほど取った肉を全て一人で食い終わったので、はたまた席を立って取りに行く。俺の視界には仲良く談笑する一組のグループがいる。そのグループの内一人が俺に気づいて、良く食うなー、と笑いながら俺に話しかけ、俺はそれに、まだまだ食うぞ、とニヤリと笑って返す。

 

 やはり、こうもいきなり、一人になるのは寂しい気がする。なにせ三日ほど前まではいつも三人で行動していたのだ。耳に、聞こえるはずの無い声が張り付いているような気がした。

 

 自分で自分の気分を落ち込ませてしまったが、幸いにもそれは表には出なかったようで、クラスメイトから心配されるようなことはなかった。さすが鉄面皮。

 

 そしてそのまま、若干落ち込んだ気分で家路に着いた。

 

 

 外の日は既に落ちていた。眼鏡をかけた小学生が、少し大きめのかばんを背負って自転車をこいでいた。その表情は疲れているように見える。塾帰りなのだろう。

 

 俺の家と近くのクラスメイトはいない。だから俺は一人で自転車をこい……でいない。徒歩だ。自転車は買ってもらっていないのである。とはいえ、それでは怠慢に過ぎるので、ジョギング程度の速度で走っている。肉も食ったことだし。腹は結構膨れた。

 

 そのまま走っていた時、ふと、嫌な気配がした。この気配は馴染みのあるものだ。以前のような、正気を失ってしまった哀れな悪魔の気配である。ようは、はぐれ悪魔。それもかなり重症の。

 

 俺はいつも通りにそれを無視して帰ろうとして、だけど、その悪魔の気配のする方へと走っていった。

 

 いつもならたまたま気配を感じた悪魔は見逃している。しばらくすれば教会から討伐の命が下るか、それか逃げ出すからだ。正直なところ、こうやってたまに発見する悪魔に一々対処していてはいつか死んでしまうのだ。装備不十分などで。一度、それが原因で殉職したエクソシストを俺は知っている。

 

 だが、今日はなぜだかそれが無視できなかった。理由なんて言葉にするのはできないが、どうしてかイライラしてしまうのだ。今、はぐれ悪魔を見つけてしまうのは。このまま家に帰っては、素を出しかねない。そんな気がした。

 

 タン、と、地面を蹴って民家の屋根の上に飛び乗る。既に神器(セイクリッド・ギア)は顕現させていて、俺に疼痛を与えている。現在行使しているのは認識阻害と身体強化。この調子であと五分もすればはぐれ悪魔の居場所に着くだろう。静かに、俺は走り出した。

 

 着いた先は広い空き地だった。立っていた看板を見ると、ここにしばらくすれば工場が建つらしい。瓦礫の山と、中途半端に乱立する木々が目に付く。

 

 周囲の気配に神経を集中させ、はぐれ悪魔の正確な位置を探る。ここにいるのは既に確定事項だ。淀んで濁った錯綜する残留思念がそこら中にバラまかれているから。

 

 適当に空き地の中心地へと向かい、周囲から見えない場所へと着いた。つまりはすり鉢状の窪地へと進んだのだ。おそらく、ここに地価倉庫のようなものでも建設するのだろう。そこで俺は息を潜め、周囲の気配を探った。

 

 これ以上、探す必要は無かった。なぜならば、俺がここで動かなければ、はぐれ悪魔はきっと俺を襲うからだ。その狂った食欲によって、罠の可能性も考えずに俺に飛びつく。

 

 俺はすぐさまその場から跳び退いた。

 

 眼の前を灰色の四足動物が、下から上へと躍り出てきた。

 

 まさか、地面から急襲してくるとは。てっきり背後から襲ってくるかと思っていた。そのせいで少し、対応が遅れてしまっている。その灰色の獣は、空中で黒色の翼を広げて、俺へと突進してきた。

 

 ここで対応が遅れていなければ、紙一重で避けつつ拳の三つでも叩きこめるのだが、いかんせんこの整っていない体勢では反撃することは酷く難しい。よって、俺はその場から横転して攻撃を回避する。だが、四足の獣はまたしても空中で、というよりもすり鉢状の地面の起伏を利用して、方向転換。俺へと性懲りも無く突撃してきた。

 

「舐めるな」

 

 神器が鈍く赤い光を放ち、俺の体内で氾濫が起こる。その氾濫は俺の身体能力を強化するだけに止まらず、衣服すらも硬化する。

 

 背中に地面が着き、足が四足の獣の顎下を突く。突進の力の向きは上方向に僅かに修正され、同時に脳内を揺さぶり平衡感覚を失わせる。その時に獣が取った行動は至極単純な、四足を地面に着けるという行為だった。

 

 誰だってそうだろう。自分の足元がおぼつかない時は、できる限り安定できる姿勢を取ろうとする。普通の行動、しかし戦闘中はその行動が命取りになる。

 

 図らずも俺にのしかかってくる攻撃となるわけだが、その時の対処法は武術の基礎の基礎。蹴り足から力を抜き、相手のバランスを崩させ、その時の重心移動に合わせて獣を地面へと転がす。ついでに、指で眼を貫き抉る。

 

「が――!」

 

 苦悶の雄叫びをあげさせるより速く、空いている手で首を掴み、絶叫を寸断させる。疼痛が全身を駆け巡り、腕の部分を中心に赤い光が鈍く輝く。

 

「ハ――――アアアアァアッ!」

 

 首を掴んだまま獣の体を持ち上げ、地面へと強く叩きつけた。その際に獣は四肢を駆使して俺に攻撃してこようとしてくる。だが、俺は獣の首を捻ってそれを見当違いの方向へと逸らし、更に持ち上げて叩きつける。んーまー、あれだ。単なる八つ当たりだな。これ。

 

 翼をはためかせ、揚力を発生させて飛ぼうとしようが、四肢で俺を攻撃してこようが、俺は全てそれらを獣の首を捻り宙に浮かせて地面に叩きつけることで阻止した。その内、獣は動くなるかと思いきや――。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 瞬間、俺の腕に無数の牙が突き立った。

 

 悲鳴をかみ締め、その腕から力を抜いて獣から離れる。獣は何度か咳をして、四肢を以ってしっかりと地面に立った。

 

 その獣は灰色の狼だった。奇妙にところどころ、人間らしい部分の残った。俺はそれでこの獣がはぐれ悪魔だとしっかりと認識する。

 

 腕の魔力を氾濫させ、突き刺さった牙を無理矢理抜き落とす。同時、魔力に治癒の指向を持たせ、それを治療する。

 

 獣の周囲に、複数の魔方陣が展開した。

 

()()()()()()()()()()()

 

 魔方陣から複数の、魔力で編まれた狼が俺を襲う。恐るべき速度だった。俺には到底出すことのできない速度で俺に踊りかかってくる。はぐれ悪魔は翼を羽ばたかせ、宙に浮き、俺をその牙で噛み殺さんと牙を鳴らす。

 

「舐めるなと言ったはずだ」

 

 魔力で編まれた狼が俺の腕にかじりつき、しかし、その瞬間にその身は裂ける。否、切り開かれたと言うべきが正しい。

 

「甘い。杜撰に過ぎる」

 

 これならばまだ、エクソシストの光の銃弾の方が強い。

 

 しょせんこれは魔力で編まれただけのツギハギだらけの魔法生命体に過ぎない。傷だらけにしてもほどがある。こんなものでは俺に傷の切開をしてくれと言わんばかりだ。

 

 拳を握り、自分の起源を最大限にまで発揮させた魔力を纏わせる。魔力で余れた狼を、拳を振るって霧散させた。楽勝だ。この程度ならば、一分もしないうちに終わる。

 

 はぐれ悪魔の姿を視界におさめ、魔力で編まれた狼を解いてゆく。狼は少なくなる一方で、俺に少しの傷もつけることができていない。もしも、はぐれ悪魔があの術式を使うものなら、その隙を突き終わらせることができると断言しよう。

 

 狼の最後の数体が俺に襲い掛かり、俺はそれを拳で払ってみせた。さあ、駒はもう無く――。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 次の瞬間、俺の両腕に牙が突き立った。先ほどに食らったものの比ではない。びっしりと、余すところ無く両腕に牙が突き立っていた。

 

 だが、それも一瞬。俺はそれが瞬時に魔力で編まれたものだと判断し、その編まれた魔力の僅かな傷を広げて霧散させる。

 

 ……どうもしくじったらしい。この有様では腕を使えるまでに補強するのに時間がかかる。

 

 俺は狼の姿のはぐれ悪魔を睨む。

 

 してやられた。あのはぐれ悪魔は呪いに似た魔法を得手としていたようだ。その呪いの内容は、狼を傷つけた相手の部位に傷をつける、という至極単純な報復の呪い。それもその狼とは、魔力で編んだものも含むようだ。

 

()()()()()()()()()()()

 

 はぐれ悪魔の周囲に多数の魔方陣が出現し、その魔方陣から魔力で編まれた狼が姿を現す。はぐれ悪魔が大きく一咆え。それを合図に俺にいっせいに襲い掛かる狼の群れ。

 

 ……あ、終わった。俺の次の転生先の物語にご期待ください。まあ、ともあれ、せいぜい頑張って抵抗して相打ち程度には収めよう。

 

 そう決心した俺が一歩踏み出すと、一陣の風が俺の横を駆け抜けた。

 

「貸し一つ、ね。小さなエクソシストさん」

 

 幼い、しかし子供とは思えない声が空から降ってきた。俺は空を見上げようとして止めて、狼の群れを見据える。

 

「……なるほど」

 

 俺は目を瞑って天を仰いだ。おーまいごっど。じーざず。どうやら俺は神様じゃなくて悪女の従者に救われたようです。

 

 狼の群れは全滅していた。代わりにその先にあった光景は、銀髪の容姿端麗なお子ちゃまと、金髪の眉目秀麗なお子ちゃまがはぐれ悪魔を難なく討ち取っていたものだった。

 

「といっても、追い詰めていてくれて助かりましたわ。そのおかげで、無傷ではぐれ悪魔を討てましたもの」

 

 人影と呼ぶには憚られる者が合計四つ。

 

 俺は口を開く。開かねばならない。この悪魔の名前は知っているし、なにより、歳が近い。最低限の牽制、もとい、礼儀は尽くさねばならないのだ。

 

「……助太刀、感謝する。グレモリー殿」

 

「こちらこそ。助太刀に感謝するわ」

 

 俺は空に浮かぶ悪魔を見上げて、精一杯の虚勢を張った。というよりも、張らねばならなかった。主に教会の面子のために。エクソシストは強いんだぞ、と知らしめて少しでも悪魔勢に易々と人間を殺されないように。

 

 いや、でも、まー正直なところ。俺の正直で率直な感想を言いたい。

 

 金髪からくる凍てつく殺意の眼差しから、すぐさま逃げ出したい。

 

 俺を悪魔から誰か助けて。



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06 二人目の聖剣使いについて

……久しぶりの更新です。すみません。

久しぶりなので、おかしいところがあるかもしれません。
その時はすみませんが、感想で指摘していただければ、と思います……。






 

 

 

 

 

 ――あの時は「厄日」という一言に尽きた。

 

「……これはこれはグレモリー嬢。教会に何か御用ですかな?」

 

「挨拶も無しに用件とはせっかちですわね、神父様。――璃正神父の息子さんをお届けに」

 

 はぐれ悪魔を殺してもらった後、俺はあの悪魔達に護衛されて丁重に教会へと連れて行かれた。そこで父さんはまずグレモリー眷族を見て目を見張り、その後に俺の両腕を見て悪魔達にできる限り丁寧に感謝の念を伝えた。といっても傍から見ればぞんざいに過ぎるのだが、対立勢力という立場上どうしてもそうならざるを得なかったのだろう。俺も父さんと同じように感謝を示した。人間としての最低限の礼儀である。

 

「――話はあちらで聞かせていただく」

 

 で、その後は俺は治療ということで父さんとグレモリー眷属から離れた部屋に連れられ、父さんはグレモリー眷属と今日のことを話し合い報告書を作った。ちなみに、俺も事情聴取された。父さんとそれなりに親しい人物に。んで、その書類作成が終わったら、次は父さんにどうしてあんな無茶をしたんだと散々ばら叱られた。

 

「しばらくは安静になさってください。下手に動かせば取り返しがつかなくなります」

 

 もちろん、その次の日の学校は休み、怪我の治療に専念させられた。とりあえず、病欠ということにしたらしいので、傷跡が残らないことを最優先に治療。そのおかげで登校した日に、クラスメイトから尋ねられたのは病気は大丈夫か、という一点。それは大いに助かったのだが、完治しているのは皮膚だけだったので、一週間ほど、地味に鈍い痛みに苛まれた。

 

「言峰、勉強教えてくれ!」

 

 怪我が完治してからは俺はしっかりと中学生をしている。中間テストは楽勝、期末も楽勝。兵藤にちょっと泣きつかれたのは記憶に新しい。そして女子との交友も楽勝。背伸びした姿が微笑ましい。あと、男子とも良好だ。昼休みはサッカーで鉄壁キーパーとして活躍している。制服がその度に汗だくになって、授業中は眠くなるが、そこは鉄の精神。一度も居眠りなんざしていません。授業をしっかり真面目に聞いています。

 

 もちろん、鍛錬は欠かしていない。毎日かばんには全ての教科書を積み込んでいるし、靴には鉛を仕込んでいる。その上で、常日頃から神器を起動させ、体の動きを鈍くさせる呪いを自己にかけ続けている。だから能力の衰えはまず無いだろう。週末にはかなり辛いものをしている。食事もしっかりと適切な分を取っている。その甲斐あってか、それとも成長期があってか、俺の身長は順調に伸びている。成長痛は今のところは無い。

 

 エクソシストとしての仕事もしっかりこなしている。あれ以降、はぐれを狩ることは単独では無く、チームですることになった。あと、この周辺に住んでいる敵対勢力と、情報の交換をするようにもなった。ここら辺は結構複雑ないきさつがあったらしいが、共に公になることはよろしくないというのは共通意思だったので、その辺りを前面に押し出して、なんとか町の治安を守るために補助的な協力を相互にするという約束を取り付けたようだ。

 

 ……まあ。これくらいか。

 

 俺は飛行機の中で書いていた日記をパタン、と閉じた。このノートはあの秘密も書かれているノートだ。少し前の俺は、これだけのためにノートを使うのはもったいないと思い、それ以来このノートで日記をつけるようにしている。

 

 シャーペンを仕舞って、暇潰しにこのノートを読み返す。書かれていることは全て非常に短く簡潔だ。ぶっちゃけ一言日記といった方が正しいのかもしれない。その日に何があったかを適当に書いただけのものだ。

 

 いつかこの中に恋人ができた、という記述ができるように頑張ろう。できれば、一年の二学期の期末試験の辺りで。できれば聖夜、次点でお正月にエロいことを決行したい。……まあでも、父さんはかなり厳格だから、バレたら叱られそうだ。あーあ、身近に美少女な教会関係者がいたら良いのに。それなら少なくとも交際は認められるだろうに。

 

 今回の飛行機の座席は前回のとは違って素晴らしいものだ。値段は一緒らしいが……、そこら辺は航空会社の差なのだろう。

 

 さて、それでは一つクイズといこう。クエスチョン、俺がどうしてこうやって飛行機に乗っているのか。ヒント、今は終業式のあった日の午後。アンサー、エクソシストのお仕事です。

 

 ……期間は夏休み一杯。とある聖剣使いが参加する、はぐれ堕天使討伐の補助だ。そして、そのはぐれ堕天使のランクは低いもの。ぶっちゃけ俺一人でも討伐できるようなものだった。だというのに、どうして俺が付き添いをしなければならないのか。

 

 理由は簡単だった。俺はこれまで堕天使の討伐に当たったことがなかったからだ。ランクだけで言えば俺一人で討伐できるというのは嘘ではないが、俺はこれまで堕天使との戦闘をこなしたことがない。

 

 最終的にはエクソシストは辞める腹積もりだとしても、俺くらいの実力のエクソシストは全員こういうような経験はできる限り積まなければならない。まあ、あれだ。俺はそろそろ独り立ちできる実力のエクソシストであるらしい。といっても年齢が年齢なので、やっぱり付き添いはいる。父さんではないが。

 

 飛行機が目的地である、ユーラシア大陸の中央部に到着した。付き添いの方と一言二言交わして、荷物を手に取り空港から出る。途端、吹き付ける乾いた熱気。俺がそれに顔をしかめると、付き添いの方が言う。

 

「はいこれ。ここの辺りは風が強いからね」

 

 言うや否や俺の頭に布を巻きつけてくる黒衣の女性。ついでにとばかりに豊満な胸も後頭部に押し付けてくる美女。周りからの微笑ましい視線が痛いです。

 

「んふふ~、どう、苦しくない?」

 

 巻きつけ終えると、俺の肩をつかんで正面を向かせる毒婦。それはまるで幼い子供に言い聞かせるようなものだった。

 

「大丈夫です」

 

「そう、良かった」

 

 俺の返事ににっこりと優しげな、だけどどこか蠱惑的な笑みを浮かべる付き添いの方。そんな一々蠱惑的な仕草に内心欲情をしながらも、俺はそれに努めて淡白な表情を作る。

 

 ウェーブのかかった長い黒髪、大きな琥珀色の瞳、白い肌。顔立ちは穏やかな女性然とした色気に満ちたもので、体つきもそれに相応なものだ。くっきりとした谷間の見えるような、胸元が開いた服を着ている辺り、本人もそれに気づいている。総評、今すぐ物陰で性的にいぢめてください。

 

 そんなことを平然と考えられる辺り、俺はまだこの女性に本気でやられているわけではないのだろう。つまり、一目惚れはしていないということ。

 

 彼女の呼び名はジジ。無論のこと偽名だ。

 

 ジジは今回の俺の保護者にあたる人物だ。俺を迎えに来るというだけで日本にご足労していただいた。

 

 その辺り、本当に感謝している。今、俺の所属している教会は、新体制によって少々忙しいからだ。かといって俺に手伝えることは無い。そんなわけで、あそこは非常に居辛かった。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 ジジは笑って俺の手を取って歩き出す。それに何の抵抗もする事無く、俺は荷物片手にジジに引かれていった。

 

 あまりここに来る人はいないのだろうか。道路は思ったよりも閑散としている。その中にポツンと、白いワゴン車が止まっているのが目に見えた。スライド式のドアが開いていて、後部座席に誰かが腰掛けている。

 

 先行するジジが手を振ると、その誰かが小さく手を振り返す。どうも、あの人は教会関係者らしい。

 

 少女だった。すっぽりと顔を覆う白い布、ウィンプルをしていない。嫌いなのか。でもその割には群青色のシスター服をしっかりと着ているし、ヴェールもつけている。もう少し近寄ると、鮮烈な青い髪が見えた。珍しいな、と思う。というかありえねえ。

 

 俺とジジがワゴン車の前に到着すると、彼女はワゴン車から降りた。

 

「初めまして、言峰綺礼さん。私はゼノヴィアだ。しばらくの間だが、よろしく頼む」

 

 彼女は礼儀正しそうな外見とは裏腹に、実に男前に、ジジに手を引かれている俺に握手を求めてきた。細かいことは気にしない大雑把な性格なのか。少しも表情を変えない。

 

 ジジから手を放し、握手に応じる。

 

「こちらこそ」

 

「うん」

 

 互いに淡白な表情で相手を見る。俺はゼノヴィアを探るように見ているし、ゼノヴィアも俺を探るように見ている。

 

 そのまま数秒。

 

 隣でジジがニヤニヤしている。おそらく邪推でもしているのだろうが、それは見当違いだ。ぶっちゃけた話、握手を解くタイミングを見失った。向こうから放してくれれば助かるのだが、それは向こうも同じ――ではなさそうだ。

 

 ニギニギと探るように俺の手を握ってやがる、こいつ。

 

「少し力を入れてみてくれないか」

 

 それどころかそんな要求をしてきた。言われたままに全力で握ってやる。表情も変えずに平然と握り返された。こいつ、できるぞ。

 

 熱い握手の割りに涼しい顔で睨みあう。

 

 あ、ちょっと限界がきつつある。やばい、俺。なんとかして緩めさせなければ。

 

「今回、聖剣使い様が同行されるそうだが、どんな方だ?」

 

 良し、声は少しも震えていない。極々自然な質問だ。横でジジが更にニヤニヤしている辺り、非常に不安だが。断固として外に出すものか。

 

「私だ」

 

「それは失礼しました」

 

 ふっと力を抜いて隙間を作り、その隙間に指を入れて引き剥がす。傍目にはするりと抜けたように見えた、はずだ。ジジが横で笑いを堪えている辺り、非常に不安だが。断固として外に出すものか。

 

 ゼノヴィアの手はそれ以上追ってこなかった。当たり前だ。何を心配しているのだ。俺は馬鹿か。

 

「じゃあ、車に乗ってね」

 

 ジジはそう言って俺とゼノヴィアを車に無理矢理押し込んで隣同士で座らせた。ジジはすっごく楽しそうだった。何がしたいのだ。

 

 ちなみに、ジジとゼノヴィアはこれが初対面ではないらしい。俺を日本まで迎えに行く前、少し話をしたとか。

 

 ワゴン車の中で、ジジは非常にうるさかった。運転手さんはジジと会話をしてて、満更でもない表情だったが、少なくとも俺はもう少し静かにして欲しいと思った。ゼノヴィアがどう思っていたたのかは不明だ。

 

 ふと、ジジがこんな話を振ってきた。

 

「言峰君、今好きな女子いる?」

 

「いえ」

 

 バッサリと斬り捨てて見せた。いかにも興味ありません話しかけんなおらァ、みたいな感じで。

 

 しかしどうもそれが気になったのか、ジジは少し突っ込んだ話をする。気分を害して黙り込んでくれれば良かったのに。どうせ、これ以降会うような予定はできないのだろうから。

 

 そんなふうに考えつつ窓の外を眺めていると、ガラスにゼノヴィアがちらりと俺を見たのが映った。ちょうど、ジジが意地の悪い質問をしてきた時にだ。

 

 …………………………………………え、あれ。もしかして中身は意外と女子?

 

「もしかして、ゼノヴィアちゃんに惚れた?」

 

 あ、なんかゼノヴィアが俺を警戒した。なんか身構えている雰囲気がする。

 

「いえ」

 

 とりあえず、先と同じようにバッサリと斬り捨ててみる。

 

 あ、警戒が無くなった。ふっ、ちょろいな。嘘だけど。ちらりと、ゼノヴィアを見てみる。無表情。先と変わらない。……なんだろうか、少々悔しい。

 

 というか、ゼノヴィアは人の言葉を疑おうとは思わないのだろうか。

 

 ふとそんな疑問が浮かんだが、ここで尋ねてはジジにからかわれる。

 

 俺は、ジジの執拗な質問攻めに適当に答えながらワゴン車に揺られ続けた。

 

 

 

 

 ワゴン車が着いたのは寂れた教会だった。ところどころ風化して丸っこくなっているレンガが見える。周囲は砂と緑の混ざったもの。サバンナの草原を思わせる。

 

 体を解し、黒鍵の出し入れを行う。うむ、快調である。ちなみに、自分に負荷をかける魔術は飛行機に乗ったときから既に切ってある。無駄な魔力を使う必要は無い。

 

 教会から出てきたのは清潔な身なりの老婆だった。シスターだ。彼女は運転手さんも含めた俺達四人を各々の部屋へと案内し、簡単に今後の予定を伝えてもらった。曰く、今夜、ジジを案内にはぐれ堕天使の隠れ家に突入、ということらしい。それまでは仮眠を取るように、とのことだ。

 

 ジジはさっさと自室に入り、寝た。すごくマイペースな人だなぁ、とか思った。なにせ今は昼ちょっと過ぎ。とても眠れるような時間ではない。

 

 あてがわれた部屋で着替えを用意し、教会の外に出る。仮眠を取るにもいくらか疲労してからの方が良い。そちらの方が気持ち良く眠れる。

 

「言峰さんか」

 

 外には先客がいた。ゼノヴィアだ。体の線が浮き彫りになる……、えっと、あれだ、スクール水着のような格好の。その格好で布に包んだ剣を振っている。

 

「どうしてここに? もしかして私に何か用でも?」

 

 ゼノヴィアは剣を振る手を止めて、俺を見据える。

 

「無い。おそらく、君と同じ用件だ」

 

「そうか」

 

 ゼノヴィアはそれきり黙り、剣を振るう。大雑把な振り方だ。一撃で相手を粉砕することを前提にしたかのような斬撃。力の伝動だけが上手いようだ。まあ、それだけ、聖剣が強力なのだろうが。

 

 …………などと、心中で解説しているのには原因がある。

 

 あのさ、ゼノヴィアの格好、エロくね? あれってほとんどスクール水着だろ。いや、動きやすいだろうとは思うけどさ。

 

 そんなゼノヴィアに欲情しているわけではないが、気になる。どうしてそんな服装をしているのか。いやまあ、無駄な問答だとは思っているけども。

 

「…………」

 

 数秒、俺はゼノヴィアを見て黙考した。結論、君子危うきに近寄らず。意味が違うだろうが、放置の方向で。

 

 ストレッチを行って、動く準備をする。体は資本だ、大切に扱わなければならない。

 

 深呼吸をしながらゆっくりと体を動かす。八極拳の型の練習を何度も何度も繰り返す。少しづつその型を変えていく速度を速めながら、時折、技を折り込みそれらをつなげてみせる。狙うは急所。心臓、のどは無論、金的、こめかみ、肝臓、ぼうこう、みぞおち、あご。

 

 フェイントはとりあえず考えない。全部ぶち殺すつもりで打ち込む。そうでもしないと人外には勝てないのです。

 

 少し疲れを感じたところで止める。持ってきた携帯電話を見てみれば……もう少しした方が良さそうな時刻。ちなみに、携帯電話は買わされた。連絡用に、とのことで。

 

「言峰さん」

 

 ふと、声をかけられた。声の主はこの場にいるもう一人、すなわち、ゼノヴィアに他ならない。

 

「どうした」

 

「一つ、手合わせ願いたい」

 

 ゼノヴィアはそう言って――いきなり斬りかかって来た。

 

 咄嗟の判断。俺の体が俺の意思とは関係無しに反射的に動く。俺はそれと同時にゼノヴィアの脇に潜り込んでいた。

 

「!」

 

「――!?」

 

 ゼノヴィアの両目が見開かれる。驚きは両者、しかし戸惑いは俺だけのものだろう。普通ならば俺は後ろに後退するはずなのだ。聖剣と俺の火力では俺の敗北だから、相手のレンジから跳び退くべきだ。

 

 だが、どういうわけだか俺はゼノヴィアの脇に潜り込んでいて、こうして、思考している間にもゼノヴィアの喉元へと手を伸ばしている――!

 

 悪寒が背筋に迸る。冷や汗がどっと押し寄せる。肌はざわめき、理性と本能が主客未分の状態で警鐘を鳴らす。

 

 伸ばした腕を曲げ、直進するエネルギーを遠心力に変換。俺の曲げた腕はゼノヴィアの剣を持つ腕に衝突し、その反動で逆回転。目標物を脇に潜り込んだ俺に設定しなおされた聖剣が俺に迫る。手を着いて後退、その際砂を蹴り上げ、ついでに足払いをかけようとして、逆に蹴り返されて大きく距離を取った。蹴られた足がさり気なく痛いが、戦闘に支障は出ず。

 

 戦闘用の思考回路に切り替わる。ゼノヴィアの先程までの行動を思い返し、記憶する。

 

 腕を振るい、黒鍵を投擲。回転する刃と直進する刃。顕になった聖剣の刀身がそれらを一撃の下に撃ち砕いた。聖剣の種類は破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)。破壊力が最も凄まじいエクスカリバー。

 

 厄介な。

 

 ゼノヴィアが俺に突進しながら聖剣を振るう。その度に粉塵が巻き上げられ、掠ればひとたまりもないと直感した。というより、そんなものは前提条件だった。どうも頭がまだしっかりと働いていないようだ。

 

 クエスト、ゼノヴィアを倒せ。ルール、怪我しない怪我させない壊さない。

 

 なにこの鬼畜仕様。

 

 神器は既に起動しており、限界近くまで強化している。逆に言えばそこまでしてこの状況なのだ。勝てるはずが無い。

 

「はあっ――――!」

 

 聖剣の軌跡上に、試しに黒鍵の刃を添えてみる。一瞬で柄ごと持って行かれた。受け止めることは不可能。受け流すことも同様と考えた方が無難か。

 

 一方で思考は冴えている。十手先の自分の生存は確認できた。

 

 これならばこれ以上続ける必要は無い。

 

 破壊の聖剣が俺に振り下ろされ、俺はそれを避けて後ろに大きく跳躍。さっきまではそこから更に跳躍して相手との距離を取り黒鍵を投擲していた。だが、ここでは何もせずに前へと、全力で爆発的に距離を詰める。

 

 ゼノヴィアは俺との距離が離れた時に黒鍵を警戒し、速度を落とす。そこを突いた襲撃。ゼノヴィアの眉が吊りあがり、黒鍵を弾くのと同じように聖剣を振り下ろした。

 

 体の調子は通常、強化の出来は上々、思考の冴えは最上。

 

 聖剣の軌道は充分に見て取った。ここからの軌道の変更の確率は限りなく低い。故に、この程度の斬撃眼が見えずとも捉えることは可能――。

 

 あと一歩、あと瞬き一つ。たったそれだけでゼノヴィアの振るう剣と俺は激突する。双方共に、力の方向を転換させることなど不可能な全力。

 

 聖剣と激突すれば俺に勝ち目などない。この勝負は俺の敗北で決した。勝つには少年漫画でありがちな土壇場での覚醒だとか、実は俺は聖剣は効かないんだぜ、というような裏設定だとかが必要だが、生憎と俺にそんなものは期待するだけバカだろう。

 

 だから、作る。

 

 この俺の全力がゼノヴィアの全力に勝てるように、舞台を作る。

 

 上体は前へ。重心は前へ。地を踏みしめる足先には神器の力を。

 

 思考は依然として冴えている。これ以上に無いベストコンディション。

 

 ――限界を越えてその先へ。

 

 ただの一歩で、俺は俺を踏破する。

 

 ゼノヴィアの眼に、勝利への確信が映る。これでは避けようがないし、攻撃するには遅い。自滅覚悟の神風特攻。ゼノヴィアにとって、この攻防の結果は決まりきったことだ。

 

「甘い」

 

 俺の足元で地面が爆ぜる。

 

 比喩でもなんでもない、ただの爆発。粉塵が舞う。砂煙は俺の短い軌跡を描く。風を切る音が耳に痛いほど良く聞こえる。

 

 俺はゼノヴィアより速く動いた。動けた。聖剣より速く、ゼノヴィアの反射行動より速く。

 

 ――文字通り、俺は爆発的に加速した。

 

 がら空きの、しかしわずかな隙間でしかない懐に、蛇のように潜り込んだ。聖剣を握る手首を捕らえ、速度をそのままに回転。ただそれだけでゼノヴィアの平衡は崩れた。

 

 だが、さすがは聖剣使いというべきか。俺の行動に少し遅れて、痛烈な膝が俺の腹を抉る。

 

 苦悶の声が出る。苦痛の声を噛み殺す。ただそれだけ、ただその行動だけで、俺はその痛みを忘れた。

 

 親指を使い、ゼノヴィアの小指を引き剥がす。指の関節を少々極めつつ、そこからゼノヴィアの体重の振れる方向を捻じ曲げて、聖剣を落とさせようとした。が、落とさない。

 

 だから俺は手首を掴みなおして、ゼノヴィアを地面に叩きつけた。

 

「グッ――――――――ゥ……!」

 

「私の勝ちだな」

 

 そーいや、どうして俺はゼノヴィアとガチでバトったんだっけ?

 

「……完敗だ。だけど、もう少し優しくはできなかったのか?」

 

「聖剣相手にそんな余裕など無い」

 

「……」

 

 ゼノヴィアの甘え、というか拗ねたような台詞を斬り捨ててみる俺。なぜだろうか、勝ったのに気分が晴れない。

 

「………………………………聖剣相手、か。私は弱いな」

 

 唐突な質問。俺はそれにわずかに面食らう。

 

「どうしてそう思う」

 

「貴方は聖剣相手に、と言っただろう」

 

 なるほど。ゼノヴィア自身が暗に弱いと言っているのと同じか、その言い回しは。

 

 ……しまった。面倒な。

 

「さっきの貴方の鍛錬を見て思った。貴方はかなりの技術の研鑽をしたんだと」

 

 それはそうだ。そうしなければ殺されていたのだから。あの白髪の悪鬼に。

 

 あの殺気にいつも付きまとわれてみろ。地獄というのが実感できる。

 

「そんな貴方から見れば私の剣は児戯にも等しいだろう」

 

 ゼノヴィアはそう言って、俺に背中を向ける。寝転んだまま。服が汚れるけど、気持ち悪くないのだろうか。

 

 それきり、ゼノヴィアは動かず黙った。沈黙。

 

 いたたまれない空気。

 

 何か言うべきか、これは。数瞬の思考。結論、世話を焼こう。

 

「君は努力はしなかったのか?」

 

 とりあえず尋ねる。慰めるにも相手を知らなければどうにもならない。初対面のぐうたら坊主に頑張れといっても意味は無いのだ。

 

「したさ。貴方ほどではないだろうが」

 

 …………………………これって絶対拗ねてるだろ。

 

 これは知っているぞ。悪いことをして叱られた時の子供の口調だ。

 

 絶対ゼノヴィアは心中で頬を膨らませている。いいぞ、もっとやれ。……あれ?

 

「どうしてそんなことが言える? 君は私の過去を見てきたわけではないだろうに」

 

「見てはないけど話なら聞いたよ。貴方のご友人から。あの白髪の天才と互角に戦っていたんだろう?」

 

 はて、白髪とな。俺の知り合いに白髪の友人は――……いたなぁ、そういや。

 

「フリード・セルゼン」

 

「そうそう。そんな名前だった。八歳か九歳だかで悪魔を殺したフリード・セルゼンだ」

 

「…………なに?」

 

 俺はゼノヴィアから聞いたその話に驚きを隠せなかった。知らないぞ、俺は。そんな話、一度も聞いた覚えが無い。

 

「ん? 知らなかったのか? 仲の良い間柄と聞いていたのだが――」

 

「仲の良い間柄などではない」

 

「――ん、そうか。了解した。わかった。お二人の間柄はそんなに良くなかったのだな」

 

「そんなにだったらどれほど良かったことか。――あれとは仲良しの〝な〟の字すらない」

 

「………………了解した。ところで、詳しい話は聞くかい?」

 

「不要だ。あれのことを知る必要は無い」

 

 っつーか聞きたくねえ。あの狂犬のことを考えるとなんだかイライラしてきた。

 

「…………」

 

 ふと思い出した。そういえば俺はアイツから白い拳銃を貰っていたのだと。……あれ、どこにしまってたかなぁ?

 

「………………ゼノヴィア」

 

「…………なにかな?」

 

「今から私と組み手をしよう。無性にしたくなってきた」

 

「いやぁ……、悪いけど遠慮しておくよ。そろそろシャワー浴びて寝な」

 

「遠慮するな。自慢ではないが、私が師以外の人に組み手を申し込むことは滅多に無い」

 

「いやいや、この後堕天使との戦闘があるだろう。体力はだい」

 

「なに、心配する必要は無い。明日に悪魔の討伐があろうとなかろうと、あの天才と連日組み手をしていた私だ。ちょうどいい手加減は心得ている」

 

「いやいやいやいや」

 

 俺はゼノヴィアに詰め寄った。

 

 すると、ゼノヴィアはどういうわけだか顔を引きつらせて俺から逃げようとする。ジリジリとムーンウォークを今からするかのように。付け加えれば天敵に出会ったかのような表情もしている。

 

「逆にそれが心配だ。失礼だが今の貴方からは危険しか感じられない。貴方のことだろうから絶対、多分、きっと、堕天使討伐の時には支障が出ないようにするといいなと願うだろうが、その、なんだ。それはなんだか肉体的な面だけの話だけじゃないだろうかとか私はものっすごく今私は恐怖を感じているので逃げさせていただきます追いかけないでください頼みますから」

 

 ゼノヴィアは途中から早口になって、教会の中に脱兎の如く逃げ込んだ。

 

「屋内か」

 

 屋内ならば攻撃はできない。教会内の物を壊してしまう危険性がある。

 

「なるほど。今回の堕天使は逃げ足が速いと聞く。これはちょうど良い鍛錬になる」

 

 さあ、就寝前の軽い運動だ。

 

 鬼ごっこをしようではないか。

 

 

 

 

 あの後、鬼ごっこは騒音で眼が覚めたジジによって中断させられた。

 

 そして呆れたように滔々(とうとう)と説教され、強制的に風呂に叩き込まれ寝かしつけられた。

 

「時間だにゃん」

 

 そして寝起き様、ジジの艶美(えんび)な顔のドアップを魅せつけられた。びっくりした。

 

「…………退け」

 

 とりあえず、ベッドから体を起こし、顔を洗い歯を磨く。その間ジジは俺のベッドで寝転んでいて、その、非常に刺激てげふんげふんで恥ずかしかった。

 

 無表情だったはずだけども。

 

「綺礼ちゃんはポーカーフェイスが上手だにゃあ」

 

 あっさりと、見破られたようで。

 

「……それで?」

 

 できる限りジジの言葉は(はす)に構えて聞き流そう。どうせロクでも無いことだ。聞かないほうが有益に違いない。

 

 気を紛らわせるついでに、旅行かばんをひっくり返す。すると、白い拳銃が音を立てて床に落ちた。なるほど、あれ以来ここにずっとしまいっぱなしだったのか。

 

「今だって安心しているのに、それを表情に少しも出さないじゃにゃいの」

 

 白い拳銃を拾おうとした手が止まる。

 

 はて、ジジは先程なんと言ったのだろうか。たしか、あんしんしている、と言ったような。

 

「……………………安心?」

 

 心底その言葉が不思議でたまらない。どうして俺がこの白い拳銃を見つけて安心しているのか。

 

「それもその感情を捻じ曲げて捉えている。不器用にゃようで、器用にゃことをするんだにゃ」

 

 ま、どうでも良いか、とジジは俺のベッドから降りた。

 

 どうでも良いなら口にするな。

 

「……で、何が言いたい?」

 

 努めて冷静に声を出す。するとジジは笑みを浮かべる。

 

「私は仙術使いにゃんだよねぇ。周りの気配には敏感で、人の心の動きもある程度読める。だけどねぇ、綺礼ちゃんの揺れはとっても読みにくかったの」

 

 それはそうだろう。俺は元来淡白な人間だ。そうそう感情的になることは少ない。

 

 ……少ない、よな? 過去を振り返ってみると自信無いけど。

 

「それがおかしいんだにゃ。君くらいの年齢の子供って、もっと感情的にゃんだ。一見無愛想なゼノヴィアちゃんだって、君のこと、すっごく意識してたしねぇ」

 

 ――まるで訓練された大人の心を覗いているみたいだった、ジジはそう付け加えた。

 

「では、私は一人前の戦士だと?」

 

「まさかにゃ。あの程度で心乱す君が一人前のわけがないにゃぁ」

 

 はっきりと言うな。傷つくぞ。

 

「……綺礼ちゃん、君は戦士になるつもりかにゃ?」

 

「ああ」

 

「だったらさっきの言葉はショックだったと思うんだけどにゃー」

 

「ああ、そうだな」

 

「ダウト。君は傷ついてないにゃあ。蚊に刺された程度にしか思ってないにゃー」

 

 正解。そこまで繊細な精神をしているつもりはない。

 

 ジジはそう言って俺ににじり寄ってきた。

 

 俺は逃げる。詰め寄られる。逃げる。詰め寄られる。逃げようとして壁にぶつかった。逆壁ドン。というより壁むにゅ。柔らかいお胸が当たっております。

 

 湿った唇が艶めかしい。ジジのウェーブのかかった黒髪が頬に当たる。心地良いリズムを刻む心音が、優しく俺の心臓を打つ。

 

 ぺろりと、耳を()められた。

 

 (ささや)かれる。

 

「気持ち良いことする? 時間はまだ少しあるにゃん」

 

 なら起こさないで欲しかった。もう少し寝ておきたかったのです。

 

「むぅ…………、君の反応は悲しいにゃー。素っ気無さ過ぎだにゃー」

 

 だって、ねえ? 今ここで頷いたらなんか大変なことになりそうで。

 

 つまらないー、とか言って俺の首元触るの止めてください。くすぐったいし、ぞくぞくする。

 

「退け」

 

 俺はそう言って両手で肩をつかんで押し戻そうとする。それに対し、いやー、とか言ってしがみついて抵抗するジジ。

 

 コイツ犬か。猫のような容姿で、猫のような名前なのに犬かこいつ。

 

 っつーか地味に力強え。というよりも、力の使い方が巧い。正直振りほどける自信が無い。となると、精神的にこの責め苦に耐えなければならないのか。りせー保てるかなぁ。お父さん、僕に力を。

 

 不意に、こんこん、と扉がノックされた。

 

「言峰さん、起きているか?」

 

 それに壁をどんどんと叩くことで返す。するとガンッ、と扉が蹴り開かれ、眩い刀身が(あらわ)になった聖剣を構えてゼノヴィアが部屋に入ってきた。

 

 そして俺とジジを見て固まる。

 

「引きはが――――」

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

「――――……してくれ」

 

 ゼノヴィアは何も見ていない、というような無表情で部屋から逃げていった。

 

「今から?」

 

「…………討伐後」

 

 ジジの笑みを含んだ問いにそう返す。

 

 思えば最初からこう言えば良かったのだ。そうすればすんなりと引き剥がせたのだ。それに、討伐の報酬には丁度良い。などと、青少年らしい精気溢れたことを考える。

 

 さてと。もうゼノヴィアは人前に出られるくらいの準備はしているのだ。俺もそろそろ準備しないと。

 

 



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07 訓練が死線になった件について

少し行き詰ったところがありましたけど、なんとか四月中に書き上げられました……
次回の更新は五月だったら早いほうです。六月入っても更新されなかったら夏休みの中頃になりそうです(汗

そして少々無理矢理感がありますけど、基本大丈夫なはずです……
疑問点や矛盾点などがありましたら教えてください







 

 

 ゼノヴィアの誤解はなんとか解けた。

 

 それが解けるまでの、ゼノヴィアが汚物を見るような眼で俺を見ていた過去は、双方共に忘れたいものだったりする。その間、隣でジジがニヤニヤ笑っていたことも、この際ついでに忘れておく。

 

 夕闇の中、ジジを先導に岩山を上る。プロの登山者でも、いや、だからこそ絶対にしない所業だが、俺達三人にはそれは関係無かった。

 

 エクソシストの活動は基本的に夜が多い。それは異形の者共が好んで夜に行動するからだ。となれば夜目が効かなければ必然的にやってられないのだ。そんなわけで熟練のエクソシストであればあるほど、夜に強くなる。ということで夜の営みもげふんげふん。

 

 まあ、悪魔はそれを平然と上回るのだが。

 

「……」

 

 岩山に入ってからは常に沈黙を守っている。

 

 非力な人間は真正面から化け物と相対して勝ち目は無い。だから狙うのは初撃決殺。一撃で相手の行動を停止させ、そこから確実に急所を貫いて殺す――のがセオリーだが、これは訓練に近い。今回はゼノヴィアというジョーカー(ちゃぶ台返しの親父)がいるから、真正面から戦う。俺の苦手な真正面での対決だ。嫌だなぁ。

 

 不意に、ジジが振り向いた。

 

 いつもとは違う鋭い眼。そこから堕天使との戦闘が近いことが読み取れた。

 

 気を引き締める。正直、俺には一切堕天使の気配が感じられないが、ジジは凄腕の仙術使いだと聞く。それならば俺が感じられなくても、ジジが感じているというのならそれは本当なのだろう。

 

 

 ――だから、誤った。

 

 失敗した。

 

 死にかけた。

 

 そうやってジジの実力に全幅の信頼を置いていたが故に、壊滅しかけた。

 

 無様に、生死の境を彷徨ってしまったのだ。

 

 

 ――奔る白い弾丸が闇夜を切り裂く。

 

 それはジジの頭部へと一直線に飛んできていた。

 

 気づいたのはジジ以外。ゼノヴィアと俺が気を引き締めて、自分達なりに気配を探していたからこそ気がつけた。探し終えたジジが気がつかなかったのは気が緩んでいたからかもしれない。

 

 白い弾丸を俺の黒鍵の刃が切り裂く。ゼノヴィアと共にジジを背後に回し、ジジが殺されないように守る。

 

 だが、それがいけなかった。次の瞬間にジジの気配は消え去る。

 

 そして闇夜の中、出会ってはならない敵と相対した。

 

 ――男だ。

 

 白というには濃過ぎる、銀色の髪の男性。闇夜の中でも充分に視認できる、濃い銀色。

 

 人影はこちらにゆっくりと歩み寄ってきている。ゆらりゆらりと、不吉な運命でも暗示するかのように銀が揺れる。

 

 ゼノヴィアが体を強張らせるのを感じた。ゼノヴィアでさえ、警戒する大物。なるほど、俺では絶対に勝てない敵らしい。詰んだな、これ。俺の人生終わった。

 

 男は、月光で顔がきちんと視認できるくらいの距離で立ち止まる。この距離で立ち止まったということは、向こうにも自分達の顔が見えるということだろう。

 

 男は、煌びやかな少年だった。歳は俺よりいくらか上。高校生くらいだろう。

 

「君らのせいで逃げられた。どうしてくれる?」

 

 気だるそうに、少年は口を開いた。いかにも面倒くさい、茶番だ、とでも言いたげな口調だ。

 

「……誰に逃げられた?」

 

「黒歌。Sランクのはぐれ悪魔だ」

 

 隣でゼノヴィアが息を呑む。

 

 なるほど、それはそれは。笑えないけど、一周回って笑いたくなる。事情は飲み込めないが、俺は黒歌という犯罪者をまんまと逃がしてしまったらしい。

 

 ゼノヴィアから怒りの気配が立ち上り、すぐさまジジ――黒歌を追おうと駆け出した。

 

 が。

 

 そうは問屋が降ろさないようで。

 

「逃がすか」

 

 少年の、遠近感の掴めない青色の瞳がゼノヴィアを睨む。

 

 少年は神速とも取れる速さで、白銀の魔弾を繰り出した。

 

「なっ――――!?」

 

 ゼノヴィアから驚愕の声が漏れる。一拍遅れたもの、攻撃の気配に気づいたのだ。すぐさま体を捻り、魔弾を避けようとするが、どう見ても間に合わない。

 

 だから、俺がその魔弾を切り裂いた。

 

 既に神器は起動してある。

 

 急激に引き起こされた神器は、陸に上げられた魚のように体内をのた打ち回り疼痛をもたらす。その痛みで、死の恐怖がわずかに和らぐ。

 

 魔力が体内で氾濫を起こす。それらを無理に纏め上げ、体内の能力を飛躍させる。

 

「一応、名乗っておこう。私の名前は言峰綺礼、こちらは聖剣使いのゼノヴィア。今回ここに来たのは堕天使の討伐で、先程の女性の正体には今の今まで気づけなかった」

 

「知らんな。さあ、吐いてもらおうか。アイツとどこで落ち合うのかを」

 

 やっぱり。

 

 諦観と共に吐き出した供述は奴には嘘に聞こえたらしい。

 

「剣を構えろ、ゼノヴィア。奴は敵だ」

 

 俺がそう言い終えるより早く、青い彗星が銀の尾を引いて奴に向かっていった。

 

 ……フライングロケットスタート。

 

 ゼノヴィアはスイッチが入ると、どうあっても遠慮が無くなるらしい。覚えておこう。

 

 だが、それは奴には通用しない。聖剣は避けられ、横からの攻撃がゼノヴィアを襲う。のだけれども、その前に俺の拳が奴を襲った。

 

 ゼノヴィアのロケットスタートに隠れて、俺も数歩進んでいたのだ。

 

 俺はゼノヴィアと比べると、わかりやすい強い要素が何一つとしてない。せいぜいが神器程度だ。だから、俺は必然的に軽視される。軽視されるということは、相手の意識がいくらか俺に向かないということ。ならばその間隙を縫うのは定石だ。

 

 あの程度の距離ならば、一歩だけで充分に詰められる。それも、相手に悟らせない一歩でだ。ならば、この急襲は避けられない。避けようが無い。この、俺の全力を敵に充分に叩きつけられる。

 

 少年の青い眼が俺を見てわずかに驚く。すぐさま少年は回避行動と防御行動を取る。魔力で防壁を作り、離脱を図る。同時スタートなら負ける速さだが、生憎とこちらの方が早かった。故に、この拳は貴様を抉る。

 

 俺に操れる限界の魔力を纏わせた拳が少年の防壁にぶち当たり、亀裂を走らせる。だが、ぶち破るとまではいかなかったようで、少年の体がその衝撃分、後方に加速する。

 

 これでは、確実に少年が勝つだろう。

 

 ゼノヴィアが次に少年と距離を詰められるとは限らないし、俺のこの奇襲もまた通じるとは限らない。というよりも、通らないだろう。

 

 一度やられかけたのだ、警戒するのが普通だ。二度目は無い。

 

 だから、これで――――――

 

 ニイイィ、と口角が吊りあがるのがわかった。

 

 ――――――動けない程度には、死にかけてもらおう。

 

 魔力に指向性を持たせる。俺の起源は〝切開〟、傷を切り開くというもの。それが精神的なものであれ肉体的なものであれ――物質的なものであれ、〝傷〟があるならば〝切開〟してみせよう――!

 

 拳を伸ばし、抜き手を作る。少年の防壁の傷は切り開かれて、少年の無防備な体が晒される。訂正、腕が間に挟みこまれた。これでは、少年を貫くという芸当は無理だ。

 

 だが。

 

 その腕、貰い受ける。

 

 抜き手を捻る。肘を入れ肩を入れ、全身のばねを利用して捻る。狙うは奴の心臓――を守ろうとする腕だ。体を叩きつけるように踏み出す。

 

 乾坤一擲、玉砕覚悟の決死の一撃。

 

 この一撃に全てを賭ける――――――!

 

 少年が腕に防壁をまた形成した。一瞬の停滞。貫く。

 

 だが、その間に。

 

「――――――危なかった」

 

 少年は離脱していた。俺の射程圏外から。一歩では踏み込めない距離に。

 

 ……負けた。俺では傷を負わせることすら出来ない。

 

「さっきのは君の」

 

 少年の言葉が遮られる。

 

 俺の背後からゼノヴィアが突進し、全力全開の聖剣の一撃を叩きつけたからだ。しかし、展開された防壁はゼノヴィアの一撃を軽々と受け止める。

 

「……話をしている最中に斬りかかるというのは穏便じゃあないな」

 

「敵と話す必要は無い」

 

 冷徹に告げたゼノヴィアの台詞に、少年はいかにも好戦的な笑みを浮かべた。まるで、楽しくてしょうがないとでも言いたげだ。

 

「面白い。面白いついでに、俺の名前を教えておこう。ヴァーリだ」

 

 そう言い、ゼノヴィアに向かって拳を振るった。ゼノヴィアはそれを避けて、俺の隣に着地する。

 

「逃げろゼノヴィア」

「言峰さんは逃げろ」

 

 …………。

 

 こいつ、今なんつった?

 

「私があいつの足止めをする。その間に言峰さんは逃げて教会に連絡をしてくれ」

 

「却下だ。君にあれの足止めは不可能だ。だが、私ならばできる」

 

「相手はまだ本気をだしていない。あいつの本気に対応できるのは私だけだ」

 

「先の攻防をもう忘れたか。君とあれでは技術の出来が違う。君はまだまだ荒い。その隙をつかれてあっさりと負けるぞ」

 

「貴方こそさっきの攻防を忘れたか。貴方とあいつは地力の格が違う。あの速度と防壁で吹き飛ばされて頭を打って死んでしまう」

 

「直撃しなければどうということはない」

 

 視線はヴァーリに向けて、相手を見ずに言い合う。

 

 ゼノヴィアは勝算からそう言っているのだろうが、それじゃあダメだ。俺が生き残っても意味は無い。

 

 そもそもだ。俺とこいつは価値が違う。

 

 俺はちょっとしたお偉いさんの息子程度だが、こいつは聖剣使い。もし教会が俺とゼノヴィアとを天秤にかけたとすれば、必ずゼノヴィアを取る。

 

 だから、ここで俺が逃げ出して助かっても前途は無いのだ。むしろ貴重な聖剣使いを無くした愚図になる。

 

 それに、俺の精神衛生上の観点で、女性に守られるというのはかなり癪なのだ。

 

「ということは一度でも当たれば死ぬんだろう。いくら言峰さんとはいえ、それはできない」

 

「いいや、できる。私はできないことを言うほど酔狂ではない。――数時間程度ならばもちこたえてみせよう」

 

「それは奇遇だね。実はね、私もできないことは言えないんだ。――私は並の人より頑丈でね、奥の手もある」

 

 ヴァーリと名乗った少年を警戒しながら俺とゼノヴィアは言い合う。

 

 ……ところで、これは絶好の機会だと思うんだが、どうしてヴァーリは攻撃してこない。

 

「…………君ら、面倒くさいって人から言われた事は無いかい?」

 

「ああ、ある」

「私もあった」

 

 道理で。こんなに面倒くさいんだな、納得。

 

「ゼノヴィア、もう二度は言わん。逃げろ」

 

「私ももう我慢の限界だ。いい加減逃げろ」

 

 そう言うや否や、俺とゼノヴィアはほぼ同時に駆け出した。

 

 

 

 

 闇夜を二つの風が駆け抜ける。

 

 岩山の不安定な足場をものとせず疾駆する銀色の突風と黒色の疾風。それらは一人の銀色の少年――ヴァーリに向かっていった。

 

 ヴァーリは笑みを深いものにする。

 

 ――まだ様子見だ。あの程度ではまだ俺はやられん。

 

 魔力を全身に纏わせ、前途有望な幼い二人を観察する。

 

 先の攻防でわかったことは、二人の戦術は極めて両極端でありながら本質は同じ。即ち、一撃必殺。一人は防壁をものとせずに打ち砕く高火力を得意とし、もう一人はどういうわけだか防御を無効化して致命的な打撃を与えることを得意とする。

 

 聖剣使いはともかく、もう一人の方は長引かせると厄介だと判断する。あの手の輩は戦況が長引けば長引くほどに策を練り出し、圧倒的な集中力を以って敵を突破する。

 

 ヴァーリはあの手の輩の厄介さを身を以って知っている。幾度あれで辛酸を舐めさせられたことか。幾度イライラさせられたことか。

 

 ゼノヴィアが聖剣を岩山の地面に叩きつけ、岩の破片をヴァーリに弾き飛ばす。視界を防ぎ、次につなげるための役割も担う一撃。

 

 魔力で防壁を形成し、岩を弾く。同時に周囲に警戒を巡らし、ゼノヴィアが()()で真正面から突っ込んでくるのと、小さいが重大な違和感を知覚する。

 

 言峰がいない――。

 

 一旦引いたか、それともヴァーリの未知の方法で近くに隠れたか。その二択。逃げるという選択肢もあるだろうが、それは敢えて考えない。

 

 粉塵の中、飛び交う飛礫をものとせず破壊の銀光が奔る。それは上から降ってきた大岩を打ち砕いて新たな飛礫を作る。

 

「セィッ――――!」

 

 飛礫がヴァーリに到達するより早く、ゼノヴィアの聖剣がヴァーリに叩きつけられた。防壁が危険な軋みを上げ、そこから更に追撃を食らって砕け散った。先程の飛礫である。微々たる物ながら、しかし、聖剣を後押しするには充分だったようだ。

 

 ゼノヴィアの聖剣が再度振るわれ、防壁の無いヴァーリに襲い掛かる。ヴァーリはそれを紙一重で避け、蹴りを――繰り出そうとして、前進したゼノヴィアによって無効化された。

 

「甘いな」

 

 ゼノヴィアの至近距離からの拳を受け止める。それどころか迎撃すらも同時に繰り出していた。だが、それも有効打には至らない。

 

 ――頭突き。突きが出るより早く動き、その拳が威力を持つ前に押し留める。

 

「だから、甘い」

 

 だが、押し留めたところでどうだ。これでそちらの手札は無くなった。

 

 ヴァーリには魔弾がある。己の魔力を固めて撃ち出す銀色の魔弾。それに溜めこそあれ、必要不可欠な動作などない。

 

 ゼノヴィアの後頭部にその魔弾が形成される。

 

 ゼノヴィアの背筋に悪寒が走る。この状態では避けることは叶わない。逃げることは出来るだろうが、それは無駄だ。魔弾は方向を変えて、自分が逃げた方向へと撃ち出される。それはどうしても避けられない。

 

 後退は不可能。希望はどこかで身を潜めている言峰だけだが――。

 

 ――おかしい。

 

 その言峰の気配がヴァーリには感じ取ることが出来なかった。これは危機だ。絶体絶命のゼノヴィアの危機だ。

 

 ――まさか、逃げたか?

 

 そうとしか考えられない沈黙。ゼノヴィアが殺されれば、言峰が殺されるのも時間の問題だ。言峰だけではどうあがいてもヴァーリから生き延びることなど不可能――ただし、ゼノヴィアの決死の足止めがあるのならば、話は別だが。

 

 ヴァーリの思考に、もっとも思いつきたくない可能性が浮かび上がる。それは、言峰がゼノヴィアを囮にして逃げたという可能性――。

 

「ふざけるなっ!」

 

 ヴァーリから怒気が噴出する。

 

 岩山の沈黙はただそれだけで振り払われた。

 

 魔弾の形成を打ち消し、全身から魔力を撒き散らした。ゼノヴィアがただそれだけで弾かれ、闇夜の宙を舞う。

 

「逃がさんぞ言峰綺礼―――――貴様は俺の獲物だ!」

 

 ゼノヴィアは抉れた地面に着地し、ヴァーリの豹変に静かに驚愕する。

 

「ゼノヴィア、言峰綺礼は何処だ?」

 

「さてね。私は味方を売るほど愚かではない」

 

「その言峰綺礼は君を売ったようだが」

 

「やれやれ。君の耳は大丈夫かい? ――私が、言峰さんに何て言っていたかくらい覚えているだろう」

 

 ゼノヴィアが聖剣の切っ先を下げた。同時、背後の空間が揺らめく。

 

「上手くいったようだ。私のさっきの攻撃は君の気を引く、その一点にのみあった。だから、奥の手は出さなかった」

 

「御託はいい。いいから、吐け。奴は何処へ逃げようとしている」

 

「話を聞け、ハーフデーモン」

 

 ぴくりと、ヴァーリの眉が動いた。

 

「気づいたのか?」

 

「嫌でもね。私の鼻は良く効くんだ」

 

 まあでもS級の悪魔には効かなかったけど、とゼノヴィアは苦虫を噛み潰したような表情で唸る。

 

「ならば話は早いな。君と俺は地力が違う。さっき君は言峰綺礼にそう言っていたが、それは君にも当てはまることだ。――欠片から作った聖剣が、この俺に出力で敵うわけが無いだろう」

 

 オリジナルの聖剣を持ってきたとなれば話は別だが、ヴァーリはそう付け加えた。

 

「それは私も同感だ。さっきの魔力、どう足掻いても私の出力では及ばない。

 ――だから君に、一つの伝説を見せてあげよう」

 

 揺らめく背後の空間にゼノヴィアはぽいと、あまりにもぞんざいに破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)を放り込む。見る人が見れば卒倒しかねない光景だった。

 

「――――――――ほぅ」

 

 ヴァーリの青い瞳が爛と輝く。最上級の獲物を見つけた捕食者のそれ。それを受けてなお、ゼノヴィアは伝説の聖剣を取り出した。

 

 異空間から出てきたのは、圧倒的な存在感を振りまく煌びやかな剣。

 

 そこに在るだけで、周囲のものを破壊しそうなそれ。

 

 否、事実、ゼノヴィアの周囲の地面に亀裂が走っていた。

 

「――素晴らしい。凄まじいな。賞賛の言葉しか思えないよ。くっ……ははっ、それが伝説か……!」

 

「そうだ。――聖剣デュランダル。といっても、伝説にあるような大人しいものじゃない」

 

 ゼノヴィアがデュランダルを構える。ただそれだけの動作で大気が震える。

 

 ヴァーリの体が歓喜に打ち震えた。ヴァーリは闘争を好む。敵が強大であれば強大であるほどに、その闘争に歓喜する。

 

 まさか、こんなところで天然ものの聖剣使いに巡り会えるとは――!

 

「切れ味は伝説の通りだが――凄いじゃじゃ馬だ。紙一重で避けることを推奨する」

 

 ゼノヴィアはデュランダルを携えて疾駆する。その迫力は破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)の比ではない。

 

 ただ少し揺れるだけで、周囲の岩を削り、ゼノヴィアの軌跡を克明に残すのだ。全力で振るわれた場合の威力は想像を絶するに違いない――。

 

「避けるだと?」

 

 ヴァーリは歯をむき出しにして笑う。

 

「まさか。そんなつまらない真似はしない。――真正面から叩き潰す」

 

 ヴァーリの神器が起動する。

 

『ようやく出番か』

 

 その神器から聞こえた声は、はて、いったいなんなのだろうか。

 

 ヴァーリの背中から生じた白銀の翼が闇夜を照らし出す。

 

 苦々しいことに、ゼノヴィアはその姿を一瞬だけ天使と錯覚してしまった。それを打ち消すように、あの少年は悪魔の血族だと、自分に言い聞かせる。

 

 デュランダルに勝るとも劣らない圧倒的な存在感。あの神器はさぞ、高名なものなのだろう。

 

 だが所詮悪魔の使うそれ。聖剣デュランダルの前には消し飛ぼう――!

 

 ガキンッ、とヴァーリの魔力に覆われた手とゼノヴィアの振るうデュランダルがぶつかり合う。お互いに最高出力。故にその余波だけで、周囲の岩が弾け飛び、地面には歪なクレーターが穿たれる。

 

 拮抗する両者。

 

「おおおおおおお!!」

 

 このままでは押し切れないと悟ったゼノヴィアは、デュランダルの出力を未知の領域にまでに上昇させる。これまで自分が操ったことの無い、デュランダルのオーラが暴れ狂う。

 

「ぐっ……!」

 

 一方でヴァーリも自分の出力を上げていた。侮っていたわけでは無いが、やはり聖剣。自分とは素晴らしいまでに相性が悪過ぎる。

 

 時間にして一秒未満。

 

 先に音を上げたのはヴァーリだった。

 

「ハ――――アァッ!」

 

 腕を振りぬきデュランダルの軌道をそらす。

 

 デュランダルのオーラの制御に意識を割き過ぎていたゼノヴィアは、勢い余って前に転がる。

 

 絶好の好機。ヴァーリはゼノヴィアに向けて魔弾を形成。白銀の魔弾がゼノヴィアの視界の隅で収束する。デュランダルをそれより速く振りぬこうとして――振りぬけなかった。ゼノヴィアの剣の切っ先がだらりと下がる。

 

「手向けだ。誇れ」

 

 白銀の魔弾が収束し、撃ち出されようとしたその刹那。

 

 銀光の影で、黒い人影が動いた。

 

 

 

 

 絶好のチャンス――。

 

 それは耐えに耐え抜いた先でようやく掴むことができる、弛まぬ努力をし続けた者が唯一栄光を手に入れられる瞬間だ。

 

 ……長かった。

 

 いや、本当はそんなに時間は経っていないのだろうけども、体感時間だとかなり長かった。ゼノヴィアがヴァーリとかいう美少年と密着した時は大いに焦ったね。かなり羨まげふんげふん、かなり危ないと。

 

 それに、幻聴でなければあの声はヤバい。あれは絶対強者の声だ。この眼の前の銀白の少年もそうだが、あれは格が、というより次元が違う。

 

 心がざわつくのだ。殺し合いにはもう慣れたはずなのに、足が震えてしまいそうなほど。叶うことならば、今すぐこの場を放棄して逃げ出したい。

 

 伝説に残る異形の者共の中でもあれはヤバい。あれに比べればオリジナルの聖剣のなんと頼りないことか。ようやく、敵を傷つけられる武器になったとしか思えないほどにあれは危険だ。

 

 だから、その前に――殺さないと。

 

 背後から忍び寄って心臓を貫く。

 

 いや、それだけでは足りない。四肢を頭を潰して四肢すらも潰して、ズタズタに引き裂いてその肉片を隔離して燃やし海に流し棄てるまで想定しなければ。

 

 俺の起源は〝切開〟だ。傷があるのならばその傷を無理矢理こじ開ける。レイプ魔もびっくりなくらいにこじ開ける。

 

 ――ならば、細胞分裂の際の傷を切り開いて、細胞の結合を〝切開〟するのがベスト。なに、不可能なことではない。元々は一つの細胞だ。付け加えれば、そこから、くびれを作って裂いて別れてできた細胞の塊だ。その時の古〝傷〟を〝切開〟するなど、造作も無い――。

 

 停滞した時の中で、ヴァーリの心臓を背中から抉り取ろうとしたその瞬間。

 

 銀白の魔弾が俺の眼の前に現れた。

 

 ――戦慄。

 

 背骨に氷柱を叩き込まれたような怖気。恐慌状態に陥る寸前に、ヴァーリの声が聞こえてきた。

 

「――待っていた」

 

 その言葉で、俺の奇襲は予測されていたと気づいた。

 

 侮れんな、という呟きが耳を掠める頃には、俺は必死で防御体制を取っていて銀白の魔弾がぶち当たり――いつの間にか、宙を舞っていた。

 

 視界の大半を占めるのは憎々しいほどに高い空。その端で岩山の地面が危険を主張する。

 

「――は、ぅ…………!」

 

 両腕が痺れている。使い物にならないわけではないが、一分ほどはまともな打撃は期待できない。

 

 顔を上げれば、ヴァーリの後ろに片膝をついたゼノヴィアがいた。俺と同じような目に遭ったのか、額からは血が流れている。……いや、俺よりも酷い目に遭ったのだろう。流血している時点で俺とゼノヴィアは違う。

 

「……何時」

 

「ただの当てずっぽうだ。君のような手合いにはさんざばら痛い目に遭わされたのでね。まあ、君らと俺との戦闘経験の違いだ」

 

 なるほど。道理で。

 

 俺にとって最速の動作で黒鍵を投擲する。同時に、ヴァーリに向かって駆け出していた。

 

 投擲した黒鍵は難なく弾かれる。そんなことはどうでも良い。ただその間にいくらかの距離を詰められた。それだけで充分だ。

 

 それに、距離を詰められる余裕があるということは、ゼノヴィアがあの暴力的な聖剣を振るう時間があるということ。

 

 ヴァーリはデュランダルを弾き後退しつつ、再び迫る俺の黒鍵を銀白の魔弾で弾く。

 

 手首のスナップのみで三度の投擲。回転した黒鍵がヴァーリの動きをやや狭める。

 

 いや、本当に微々たるもので、ここまで戦力差があると笑えてくる。あいつみたいに笑えれば楽しいのだけれどもなー。

 

 一本、片手で握りしめたものに魔力を注ぐ。使う魔術は強化。この黒鍵は元々投擲用の、破魔刃。俺の起源と組み合わせれば、一発か二発の魔弾は突破できるだろう。

 

 ゼノヴィアのみに集中しないように攻撃の挙動と黒鍵の投擲を繰り返す。

 

「ふむ。神器を使うまでもなかったな、これは」

 

 使わずに逝け。それでも充分にお前は性能がバカ高いんだよ。なんだよ、オリジナルのデュランダルの波動を無傷で弾くとか。

 

 グ、と魔術を施した黒鍵に力を込める。黒鍵はあと少しで底をつきそうだ。もしも多めに持ってきてなかったらとっくに底をつきている。あの時の俺グッジョブ。

 

 片手に四本の黒鍵を持つ。筋力と思考速度を最大限に強化。急激な強化により、全身に形容しがたい疼痛が駆け巡り、膝をつきたい衝動に駆られる。

 

 深呼吸を一つ。

 

 今の俺にできる最高最速の黒鍵投擲。それらは回転し円弧を描いて、ゼノヴィアが離れたヴァーリに襲いかかる。ついでに、ゼノヴィアが俺の意図を察してくれたのか、地面にデュランダルを叩きつけて、ヴァーリに向かって土砂を弾き散らす。

 

 ギシリと体が軋む。

 

 次弾の発射準備は既に完了。問題は砲身である俺が保つかどうか。

 

 さっきまでの移動しながらの投擲ではない。地面をしっかりとつかみ、初弾の勢いを利用し体を捻る。全体重を黒鍵に乗せるように重心を移動させる。腰から腕へ、腕から手へ、手から黒鍵へ。加速した思考はそれまでの動作をより完璧にすべく、慎重且つ力強く体を操る。

 

 ヴァーリから笑った気配が感じられる。見抜いているのだ、あの白銀の少年は。天使のような面をした悪魔は。

 

 しかし、避けようとはしない。俺の必殺の一撃を、どうにかできるとあいつは思っている。

 

 ――後悔させてやる。

 

 咆哮を噛み殺す。奥歯を砕く思いで噛み締める。全身の筋肉が断裂したかのような激痛が脳髄を貫く。

 

 軽快な風斬り音。

 

 鳥が空を飛ぶようなそれ。

 

 赤く明滅する視界の中で、直進する黒鍵。

 

 その視界の中、ヴァーリの笑った青い眼が、妙に印象的だった。

 

「アルビオン」

 

『Divide』

 

 ヴァーリがその黒鍵に手をかざす。すると白い光が奔り、その黒鍵を包み込む。黒鍵に変化は無い。そのまま黒鍵はヴァーリへと飛んでいき、それを、ヴァーリは指二本で挟み込んだ。

 

 次の瞬間、そのヴァーリの指から鮮血が――飛び散らなかった。

 

「……切り傷程度とはいえ地味に痛いな。それに俺の防壁も軽く破った。正直、自信が無くなるね」

 

『避ければ問題は無かったはずだが? ヴァーリ』

 

「それは少しばかり癪だ」

 

 いや、血は流れている。地面に飛び飛びに落ちている円形の跡。それが、自分の想定していたのよりもはるかに少ないもので――。

 

 ああ、ちなみに、飛び飛びなのはゼノヴィアが何度か距離を詰め、デュランダルを振るったからだ。さすがにあのオリジナルの聖剣を受け止めるのはしんどいらしい。

 

 ゼノヴィアの小さい体が長大なデュランダルを振るう。ヴァーリはそれを魔弾で逸らし、ついでとばかりに拳を振るう。それをゼノヴィアはなんとか対処し、致命的な失敗だけは犯さない。

 

 街灯一つさえ無いこの暗闇の中、ヴァーリの銀白の魔力と、デュランダルの眩い閃光が闇を乱暴に引き裂く。

 

「――――」

 

 いかん。呆然としていた。

 

 すぐさま加勢に――。

 

「――一つ訊くが、さっきのが全力か?」

 

 耳元で、そんな声がした。

 

 どこかで絹を引き裂くような絶叫が聞こえる。

 

 その絶叫は、はて。

 

 何を叫んだのか。

 

 

 

 

 黒い僧衣が宙を舞う。

 

 これは二度目。一度目は防御していた。だが、二度目は違う。

 

 一瞬の隙。思考に埋没したその刹那。本当の本当に僅かな間隙。どんな達人でも通すことは至難を極めるような、そんな、小さな小さな空白の間。

 

 そこを縫われた。そこを通された。

 

 迎撃はもちろん間に合わない。焦点は銀白の少年をたしかに捉えていた。しかし、意識はそこを捉えていなかったのだ。

 

 ゼノヴィアの絶叫が響く。彗星染みたヴァーリよりも早く届けといわんばかりの絶叫はたしかに届いたが、間に合わなかった。絶叫とヴァーリはほぼ同時に言峰に届いた。

 

 ほぼ同時。

 

 リアクションは取れなかった。

 

 ヴァーリの高速の膝は言峰の腹の中心をしかと捉え、身体にダメージを通す。弛みの無い鍛錬で培われたそれなりに屈強な筋肉の鎧は、いとも容易く、それだけで瓦解した。

 

 宙を舞った僧衣が岩山で跳ねる。二転三転、危ない音は鳴っていなかったものの、あれではもう動けまい。

 

「おおおおぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――――――!!」

 

 ゼノヴィアが喉が張り裂けんばかりの声を絞り出す。現存する伝説の聖剣デュランダルが更に輝きを増していく――。

 

 闇夜はそれだけで打ち払われた。岩山は深海のような深い闇の中から引きずり出され、くっきりと、激しい戦禍を照らし出す。

 

「―――――――づ……!」

 

 ゆらりと揺らめく。デュランダルの神々しい輝きは、一定に保たれない。

 

「無茶をするな。それでは自身を傷つけるだけだ」

 

『忠告は意味を成さんぞ、ヴァーリ。あの娘、その声を聞くほどに余裕は無い』

 

「なるほど。――ならば敬意を示さねばな」

 

 ヴァーリは揺らめくデュランダルの波動を恐れる事無く、正面から向かい合う。

 

「伝説を見せてもらった、覚悟を見せてもらった」

 

 ゼノヴィアはもう、ヴァーリとの実力差は理解しているはずだ。しかしそれでもなお、諦めようとしなかった。

 

 ――ヴァーリ、ヴァーリ・ルシファーは生まれついての強者だった。

 

 魔王の血筋であるが故の膨大な魔力、半分人間の血筋であったことから手に入った、強力無比な神滅具(ロンギヌス)。どちらも狙って手に入るものではなく、それは、ヴァーリが必ず強者になることを示していた。

 

 非凡な能力に、類稀な武具。それに加えて、本人自身も戦闘向きの性格で、なにより、天賦の戦闘の才能があった。

 

 それ故にヴァーリは退屈だった。強くなることは楽しいが、強くなり過ぎた。個人ではほぼ最強。複数を相手しても、はたして負けるかどうか。だが――世界相手にはまだまだ遠い。

 

 ヴァーリは戦闘を好む。だが、だからといって破滅を好んではいない。全てを敵に回してはみたいが、その結果は既に見えている。手の一つも出ずに死んで終わり。そんな終わりはまっぴらごめんだ。

 

 だから甘んじている。それ故に飢えている。飽いている。

 

 今は退屈だ。骨のある奴とは殺しあってはならない。全力で殺しあっても良い敵は滅多にいない。

 

 この身に渦巻く獰猛な力を今すぐ解き放つことができればどれだけ嬉しいことか。だが、それは高望みだ。伝説に伝わる最強の一角の力を受け止められる、かつ、殺しあっても良い存在は五人もいるか。

 

 ならばせめて、解き放つとまではいかなくとも、この力を振るってもそう簡単には死なない敵がいれば。

 

 彼我の圧倒的な絶望的な実力差を前にして、怖気つかない敵がいれば。

 

 だが、そんなものは非凡だろう。滅多にいないだろう。だけど、それでも。

 

「だから俺はお前を強いと断言しよう。――――それらはどれだけ強く長く望んでも見られるかどうか怪しいものだからな」

 

 ――誰もが持ち得るとは限らないものこそ、価値があり強さがある。

 

 凡俗であるということは弱い。

 

 非凡であるということは強い。

 

 何故か。

 

 誰もが出来るということは、それはそれが普通であり、打倒すべき価値だから。

 

 誰もが出来るわけではないということは、それはそれが非凡であり、平凡を打倒したからこその非凡な価値だから。

 

 非凡であり続けることは、価値を更新し続けることに他ならない。

 

 価値を更新し続けることは、打倒し続けることに他ならない。

 

 しかし、もしもそれをどこかで妥当だとしてしまえば、その時点でそのものの価値は凡俗に落ちる。

 

 諦める――それは、誰もができることであるから。

 

 諦観は誰もが持ち得るものだから。

 

 珍しいものではないのだから。

 

「お前は伸びる。伸びる余地がある。それだけの波動を出せる覚悟がある。それだけの波動を御そうという意思がある」

 

 ゼノヴィアの息は荒い。デュランダルの制御にそれだけ苦労しているということだ。

 

「だから、俺も見せよう。――――生ける伝説を」

 

 ――――これから刻みゆく伝説を

 

 ヴァーリを中心に風が渦巻く。覇と力の権化が、その存在の一角を示す。その力を、その覇を、かつて世界を震撼させたその波動の一端をまき散らす。

 

(バラン)(ス・ブ)(レイク)――――」

 

 ――――ゼノヴィアの地面が爆ぜる。

 

 神々しい光の軌跡が、禍々しい爪跡を刻む。

 

 青い彗星は金銀の尾を引いて、力の権化である銀白の龍を打ち下さんと闇夜を引き裂く――――!

 

(ディバイン)(・ディバ)(イディン)(グ・スケ)(イルメイル)

 

『Divide――』

 

 銀白の鎧がヴァーリを包み込む。背中から銀白の光の翼が広がる。

 

 白い光が青い彗星を包み込む。銀白の翼が輝きを増す。

 

「再び、戦場で会えることを願う」

 

 勝敗は決した。

 

 未熟なローランでは白い龍(バニシング・ドラゴン)には勝てない。

 

『――DivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivide!!』

 

 デュランダルが輝きを失う。青い彗星の爪跡が途切れる。

 

 今にも死に絶えそうな表情のゼノヴィア。

 

 ヴァーリはそんな少女の刃を。

 

 

 

 

 ――発動条件を確認。これより、自動強制覚醒術式を起動。

 

「ギッ――――――――……!」

 

 全身が痛い。

 

 岩山に叩きつけられたか。

 

 記憶の前後がやや飛んでいる。意識の覚醒を優先。神器の能力を全て思考能力の回復につぎ込む。術式は無事成功。

 

 どうやら俺はヴァーリに思いっきりぶっ飛ばされたらしい。いやあ痛かった。死んだと思った。

 

 次。全身を修復。神器の刻印を二つ使用。とりあえず、体は動いても大丈夫なまでに修復完了。ただし全力は不可能。残り体力も少ないし、何より体が壊れる。過度の運動は禁物なのです。

 

 一つの方角から二つの力の高まりを感じた。そこに眼を向ければ、焼かれそうな極光が辺りを照らし出している。

 

 ゼノヴィアがこれまでに感じたことの無い密度の高い力を顕現させる。それはデュランダルから放たれていて、周りの風景をいとも容易く変化させる。

 

 それに対し、ヴァーリは悠然と構えている。俺の見当違いでなければ、あれだけの力の顕現を前にして歓喜している。あれだけのものをまともにくらえば跡形も無く消し飛ぶだろうに。よほど自分の力に自信があるのか。

 

 もはや二人の力は俺の想像の埒外だ。俺からすれば二人とも常識外れの火力を持っているということだけしかわからない。だから、どちらが勝つのかも見当がつかない。

 

 そのはずなのだが、俺はゼノヴィアが負けると確信している。

 

 理由はあの声。あの落ち着き払った化け物のようや存在の声。

 

 どういうわけだかヴァーリは化け物を飼っている。それも従えたように。考えられるのは神器だろうがあんな化け物が人間なわけがない。あれが人間だっていうのなら、俺は首を括る。俺の努力はいったいぜんたいなんだったんだ。

 

 ゼノヴィアの表情が苦しそうだ。まさしく死力を尽くしているのか。

 

 ……なら、俺も動かないと。

 

 刻印を更に消費。全身に魔力の糸を巡らせ、無理矢理に継ぎ接ぐ。

 

 辛うじて生きのびた体から深刻な通達。即ち、疼痛であるはずの激痛。意識を金槌で叩いて伸ばすような乱暴な衝撃に、歯を食いしばって耐える。眼球がうっかり外に出かねないほどの衝撃だった。

 

 それを実況できているあたり、俺も成長したなぁ、とか思ったりして気分が沈む。さようなら、平穏な俺。こんちにわ、バイオレンス俺。こちらからは頭の悪い痛くなるような痛々しい表現が多々ありますのでさっさと死にたくなる。

 

 うん。思考機能は相も変わらず絶好調なまでに廃スペックだ。死ね。

 

 その最中、なんかの余波が来てまたしても死にそうになったのは内緒。

 

 そしてその原因がゼノヴィアだと把握した時の脳内状況も内緒。

 

 力任せに発動したために、うっかり間違えて刻印を二つ消費してしまったことも内緒。ふぁっく。

 

「ゼ――――――――……!?」

 

 激痛で火花が散る。視界はアウト。

 

 故、聴覚と記憶と平衡感覚と経験頼りに、ゼノヴィアがいるであろう場所に突っ込む。

 

「の、ヴィア――……!」

 

 声を出しただけでこの様。無様滑稽極まりない。死にたい。

 

 細い棒のようなものをしっかりと手に取った。莫大な力の波動が蠢いているのが、背骨を悪寒で刺し貫く。

 

 間に合え。

 

 ――――。

 

「起きろ!」

 

 心臓が跳ね上がった。

 

 俺は今、どうなっている。視界は、暗闇。何も視認できない。

 

「生きているな!? 動けるか!?」

 

 喧しい。甲高い声が耳元で跳ねている。耳朶を削っている。

 

「時間を稼ぐ! 気張れ! なんとかして生きろ!」

 

 ――思い出した。

 

 思考が息を吹き返す。二度目の断線(ストライキ)していた思考が活動を始める。

 

 思考が戻れば後は早い。体に魔力の糸が巡り、全身を稼動させる。痛覚を改めて遮断。よし、喋ることはできるな。

 

 地面に伏せっていた体を引き起こす。

 

 状況を視界と聴覚で確認。隣にはゼノヴィア。なんとか救出は成功したみたいだ。そして眼前には絶対に勝てない白い翼の悪魔。もうこいつ白い悪魔で良いよ。化け物め。

 

「あの状態でも動けるのか」

 

 ヴァーリはそんな俺に関心を示す。野郎に関心を持たれたって嬉かねえよ。

 

「人間、死力を尽くせばなんとでもなる」

 

「ふむ、なるほどな。どうやら奥の手を使ったか」

 

 バレてやがる。

 

 残りの刻印を神器に意識を集中させて確認。残り八つ。

 

 さて、果たして、――どうすればコイツと刺し違えることが出来ようか。

 

「言峰さん、最初のプラン通りにいくぞ。貴方は逃げろ。私がコイツを足止めして、貴方は応援を――」

 

「それは承諾しかねる」

 

 俺の前へと出ようとしたゼノヴィアを引き止める。

 

「言峰さん!」

 

 そう言って振り返ったゼノヴィアの表情は絶望に塗れていた。今にも泣き出しそうなのを堪えた、見慣れた泣き顔。

 

 それを見て俺は、どうしてだかわけもなく落ち着いた。それで頭が一段と冷静になって、俺はヴァーリには決して勝てないことも理解する。同時に、ゼノヴィアも勝てないと。畜生め。幸せな夢くらい見させやがれ。

 

 こうなった時の子供は手に負えない。どんなに理屈でわからせようとしても、愚直に跳ね除ける。自分が正しいと信じて、その道を突き進もうとする。

 

 それを、眩しいと感じた。

 

 ゼノヴィアの顔を両手で挟み込み、その両手を引き寄せた。

 

 呆気ないほどゼノヴィアの顔が視界一杯に広がる。呆気に取られた表情のゼノヴィアの額に額を寄せ合わせた。

 

告げる(セット)――」

 

 神器を起動。

 

 弱っていた空白のゼノヴィアの精神に呪いを送り込む。とてもとても弱い呪いを。弱い故に、ゼノヴィアの弱さが際立つ呪いを。きっと、ゼノヴィアは俺を呪うであろう呪いを。

 

 額を離す。ゼノヴィアを背後に押しやる。たしか、ちょうど俺の後ろの方向には教会があったろう。都合が良かった。

 

「逃げるのはお前だ。ゼノヴィア」

 

「――何を、貴方は――!」

 

「逃げる呪いをかけた。お前はもうヴァーリとは戦えまい」

 

「……は?」

 

 ゼノヴィアが呆然とした声をあげる。

 

「疑うのならばアレに斬りかかるところを想像すれば良い。情けないほどに膝が震えるぞ」

 

 魔弾が放たれる様子は無いが、片手に黒鍵を構える。

 

 強者の余裕か、待ってくれているようだ。胸糞は悪いが、都合は良い。

 

「急げ」

 

 後先は考えない。戦術も保身も名誉も過去も未来も、一切合財考えない。夜明けまで待つつもりなぞ毛頭無く、明日まで耐えるつもりもない。白状すれば、そうするだけの実力がとてもあるとは思えない。勝算など一つもない。あるのは必ず負けるという漠然とした未来だけ。

 

 そんな未来を見通して、どうして考えることが出来ようか。

 

 だから俺は今回の俺を通す。後悔の無い〝俺〟であったと断言できるようなものではないが、少なくとも、全力を尽くさなかった〝俺〟ではない。やれるだけのことはした、全力は尽くした。

 

 その結果に後悔はある。こうしておけば、と思うこともある。だけど、それを恥とは思わない。

 

 ならば、今回の俺は誇れるものだ。

 

 その〝俺〟を通すためならば、命の一つや二つは惜しくは無い。

 

 それにおまけのような人生だ。ならばそのちっぽけな誇りを貫いて死ぬのも悪くない。

 

「……どうして…………っ! こんな、ことをっ……するんだ、貴方は……!」

 

 ゼノヴィアはとうとう泣き出した。そうやって吐き出した言葉の後に続くのはきっと、死の宣告だ。俺ではヴァーリに勝てやしない、と。殺される、と。

 

 その足は震えている。歯はカチカチと鳴っている。

 

 俺のかけた呪いは、まあ、なんというか、強がりを剥ぐ呪いだ。

 

 今のゼノヴィアの表情は本当に悲しいもので、そんな小さな体でそんな恐怖を背負っていたのかと胸が痛くなる。同時に、ふがいなくも。

 

 ゼノヴィアの問いに、独り言のように答える。

 

「助けた人に死なれるのは堪えるそうだ」

 

 そんな俺にゼノヴィアは質問をする。

 

「…………すまない。……堪えるって、……なんだ?」

 

「耐えられないわけではないが辛い、というところだろう」

 

 それで最後だった。

 

 ゼノヴィアは俺の答えを聞くと、デュランダルをしまって走り出した。あれは、ゼノヴィアなりの強がりだったのかもしれない。

 

「ふむ。感動の場面のところ悪いが――逃がすと思うか?」

 

「追わせると思うか、白龍皇?」

 

 俺とヴァーリが正面から対峙する。

 

 フルフェイスの下の表情は伺えないが、きっと、獰猛な獣のような笑みを浮かべているのに違いない。

 

 



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08 動機とetcについて


久しぶりの投稿でございます
半年以上お待たせして申し訳ありませんでした……









 

 

 

 

 ――死線が交差する。

 

 銀白の魔弾がかつてないほどの物量を以って、黒き僧衣を押し潰さんと襲い掛かる。

 

 白銀の刀身がかつてないほどの速度を以って、銀の平面を切り開かんと斬り伏せる。

 

 銀白と白銀が煌き閃き儚き光の欠片をまき散らして幾重にも折り重なり、紡がれ織られて荒涼とした岩山を彩り消える。月明かりの無い無明の闇夜、幻想的な光景が瞬く間にいくつも輝く。

 

 その光の裏側で、死神が大鎌を研いでいると知らず。

 

 闇の中で冥府の悪鬼共が舌なめずりをしていると知らず。

 

 人知れず死闘は死線をいくつも形成し切り裂かれる。

 

 もっとも。

 

 その死線を作るのは銀白の龍皇で、それを断つのは僧衣の信徒でしかないのだが。

 

「――――――は」

 

 闇夜で閃く銀白の光の残滓に黒い僧衣の少年の姿が映し出される。

 

 汗は既に干からびて、肌を濡らすのは己の血潮。今すぐにでも死にそうな青ざめた顔で、紫色の唇が苦しげに蠢く。眼はとうに限界を迎えたか、冥府の亡者のように血涙が滴り落ちる。

 

 どう見ても、戦える状態ではなかった。動ける状態ではなかった。

 

 動いてはならない負傷だった。

 

 だがそれでも僧衣の少年は動く。四肢を繰り、死線を斬り拓き死から逃れる。

 

 死からの逃避、死への対峙。相反する二つの行為を纏め上げ、死ぬよりも辛い状態にありながらも死へと逃げようとしない。それはありえないと断言できる処刑台への行進。死を理解しながらも、なお進もうと足掻く愚者の足取りだ。

 

 だからこそ――解せない。

 

 ヴァーリは闘争を好む。好むからこそ、敵対する人物の分析を詳らかに行う。能力はもちろんのこと、その人物自身のことすらも。どのようにすれば勝てるか、どのように煽れば挑んでくるか。その策を模索するためならば、その手間には力を抜かない。

 

 だから、今のこの少年の行動と感情は理解できない。

 

 ――この少年はヴァーリと初めて相対した時から何も変わった様子は無い。

 

 ――最初と同様。僅かな諦観と、強靭な精神力。

 

 ――まるで、老成した人物と相対しているよう。

 

「解せんな」

 

 ヴァーリは攻撃の手を止めた。

 

「貴様、どうして殺意が無い」

 

 殺意――というよりも、そもそも、この少年からは意思が感じられなかった。

 

 何か物事を為す時、もっとも重要なことは為そうという意思である。人を殺すのならば殺意を、人に尽くすのならば善意を、人に害なすのであれば悪意を。意思持たぬ生者などこの世には存在しない。

 

 ヴァーリの唐突な質問に対しても平然とした態度は崩さない。肩で息をしながらも、死に掛けの表情をしていながらも。

 

 それが当然とでも言うように。

 

 答えは無い。当然だ。敵は既に死に体。答えるだけの気力と体力があるのならば、それを全て戦闘につぎ込む。それは戦士としての当然の能力であり、責務だ。

 

 ああ、そうだ。当然だとも。

 

 気味が悪いほどに、この敵の行動は理にかない過ぎている。

 

 だからこそ不愉快。

 

 だからこそ不可解。

 

 ――どうしてそこまで人形のように徹することができるのか。

 

 ――どうしてそうまでして死に急ごうというのか。

 

 疑問は尽きない。これに近いタイプの敵とは戦ったことはあるが、眼の前のこれに、あの敵ほどの気迫は無い。殺意も信仰も使命感も。何もかもが無い。

 

 あるのはただ、薄らぼんやりとした不気味な何かだけだ。

 

「――――ふん」

 

 ヴァーリはそこで思考を断ち切る。

 

 いかにも無駄なことを考えていたとばかりに、先程までの思索を忘却する。

 

 ああそうだ。今、それは関係無い。敵にいかに信念が有ろうと無かろうと、己はこれまでそうしてきたのだ。故に、今もそうだ。

 

 魔弾では仕留めきれない。かといって接近戦ではあの切り裂く術が待ち構えている。その上、なんらかの武術を会得している。

 

 遠距離では仕留められず、近距離では逆転の可能性がある。

 

 常套手段で行けば遠距離だ。わざわざ遠距離は苦手だという敵の手札がわかった上で接近戦を挑むなど愚の骨頂。

 

 ――だが、それではつまらないのも事実。

 

 全身装甲の下、ヴァーリの口元がつりあがる。

 

 言峰は不穏な気配を感じて。

 

 

 ――――――瞬間、空間が激震する。

 

 

 音速の壁を超えて、白い彗星が夜を蹴散らす。

 

 人ではけっして超えることの出来ない速度。それは、悪魔の血筋と二天龍の力があればこその力技。

 

 避けられない防げない。

 

 音速を超えた攻撃というものは、常人にとってはそんなものだ。視認できるかどうかすら怪しい。ましてや、それに対応するのは普通ならばできやしない。

 

 だからこそ願う。

 

 この少年が普通ではないことを。

 

 

――/――

 

 

 実際、言峰綺礼はどうあがいても普通ではない。

 

 一度死に、一度生き返った。

 

 死んだ時の感覚は鮮明に覚えている。

 

 死に逝く時の感覚を覚えている。

 

 大事な何かが流れ出る喪失感と、煩雑な何かが消えゆく解放感。

 

 冷えた体が温かな水底に落ちていく――そんな、もの。

 

 死ぬ直前の感覚も覚えている。

 

 蛇に睨まれた蛙の金縛り。内臓が腹の底から震え上がった。

 

 とても平静になんていられやしない。

 

 ――――――だからこそ、今この瞬間、死ぬ直前と同じ感覚を味わっているこの瞬間。

       死に逝く時と、それと同じものを味わってはいけないと思った。

 

 

――/――

 

 

(バラン)(ス・ブ)(レイク)――(ヴェニ) (・グレ)(イル・)(スピリ) (トゥス)

 

 ガシャン、とガラスが砕け散るような音がした。

 

 同時に二人ともが、後方へと吹き飛んだ。

 

 だが、二人ともが同じような衝撃を感じたのではない。双方ともに同様に顔を苦悶に歪めているからこそ、同じ衝撃を味わったのではない。物理的にも、精神的にも。

 

 黒い影はすぐさま空中で体勢を立て直し、しかし、白い影は未だ体勢を立て直すことができていない。またとない好機だが、飛来する黒鍵は無く、代わりに、鮮やかな火炎の爆撃がヴァーリを襲った。

 

「チィッ――」

 

『DivideDivideDivideDivideDivideDivide!!』

 

 だがそれもすぐさま霧散する。視線を向け、体に炎が接触した瞬間に何重もの半減吸収を発動。残った火は吹けば消えるほどの微々たるもの。ヴァーリは悪魔の翼を顕現させ、空中に止まった。

 

 ――いない。

 

 言峰の姿を探した。だがいない。耳を澄まそうとも、息が上空で聞こえた。

 

『ヴァーリ!』

 

「な――!?」

 

 空中に黒の僧衣。得物は何一つとして持たず、無機質な光を灯す黒い瞳が炯々と輝いている。否々、銀白の光によって映し出されている。

 

 ヴァーリが驚愕に眼を見開くと同時、言峰の手元で聖なる光が燦然と輝き――眩い刀身の、聖剣が姿を現した。その柄に掌底をぶち当て、ヴァーリの鎧を打ち貫かんと刃が走る。だが、その刃は銀白の鎧に当たると同時に砕け散る。強度が足りない。

 

 放たれる銀白の魔弾。ヴァーリが言峰の頭蓋へとそれを打ち出す。するとまたしても言峰の手元が燦然と輝き――現れた刃が、魔弾を切り裂き、砕け散った。

 

 銀白の軌跡を残して蹴りが奔る。それを片手で受け流したついで、その反動で言峰の姿が闇夜に落ちて消える。途端、ヴァーリの頭上より飛来する炎。

 

『DivideDivideDivide!!』

 

「――アルビオン、いったい何が起きている?」

 

 この力の検討はつく。数度見たことのある力――すなわち、神器だ。だがだからこそ解せない。どうして、四つもの神器を持っているというのか。追憶の鏡、白炎の双手、闇夜の大盾、聖剣創造。それも、四つのうち三つは珍しい神器だ。

 

『おそらく禁手だろう。能力は他の神器の能力の使用とみた。――厄介な』

 

 アルビオン――白龍皇は過去を思い出し苦々しく呟く。規模はともかく、これではまるで、聖書の神を相手取るようなものだ。

 

「なるほど」

 

 血が滾る。未だに相手に殺意が無いのが気に食わないが、これはそれを補って余りある。だってそうだろう。神器所持者は少ない上に、それを使う戦士は少ない。神器所持者と戦うだけでも幸運だというのに、その神器を複数扱う敵と戦う?

 

「面白い」

 

 獰猛に口元が吊り上がる。

 

 神器を複数扱えるということは、更に少ないパターン――つまり、神器の能力を補完し合った行動があるということ。これを未だ不服だと言うのなら、世の中はあまりにもつまらない。

 

 ヴァーリの眼前に魔方陣が浮かび上がる。本来ならば人間相手には使わない術式。それを以って。

 

「そこだッ!」

 

 闇に紛れた不届き者へと、銀白の魔弾を奔らせる。同時に炸裂する銀白の翼、超音速を以って僧衣へと迫る。それを迎え撃つのは聖剣の山。魔弾はその大半を砕き尽きて、ヴァーリがその残骸を薙ぎ払い、黒い僧衣へと肉薄する。

 

 音速の拳を辛うじて避け、その腕へと聖剣を奔らせる。しかし一瞬でそれは半減吸収され、儚く消える。僧衣が闇に落ち、背後に現れる。それを回し蹴りで退け、魔弾を放つ。避けられる。同時、ヴァーリの眼前で猛火が猛った。視界が塞がれる。言峰の気配が消えた。

 

 思考する。この次の行動を。

 

 今、ヴァーリは視界が塞がれている。視界に入るのは目に痛い紅蓮を放つ猛火。視覚は役に立たない。常套手段としては、破壊力の高い攻撃でその猛火諸共吹き飛ばす。だがその気配は無い。神器の特製上、ヴァーリは力の流れに敏感だ。第二案としては背後からの急襲。これも無い。そもそもこんな思考をさせている時点でこの可能性は潰える。第三案としては、闇の大盾を利用しての逃走。だがこれも無い。空間に揺らぎは感じられない。

 

 ヴァーリの思考はここまでで止まる。これ以上時間は無く、案も咄嗟には思い浮かばない。

 

 だから、一切合財を薙ぎ払う。

 

 魔力を集中させた。自分を中心に渦を巻かせて臨界点に無理矢理引き上げた。

 

「――――――ズァッ!!」

 

 全方位三百六十度、臨界点を突破した魔力の暴力を叩き込む。内から外へと広がる爆発。膨大な熱量が急激に外に広がり、一瞬の停滞の内、その空いた空間へと急激に空気が沈み込む。

 

 局所的な擬似台風。それは周囲の全てを飲み込む。

 

 そこに黒い僧衣が紛れた気配は無い。――上空に、影が差すまでは。

 

 ヴァーリの眼下で光が迸る。正視に耐えないほど清純で清らかな光。下からの光にヴァーリの背後に影が差す。

 

 ――いた。

 

 黒い僧衣の少年がそこにいた。ヴァーリはすぐさま一筋の彗星の如く突進する。その余波だけで人間が蒸発しかねないほどの加速。やはり呆気無く音を置き去りに、空気分子を焼け押し退けて。

 

 黄金の槍を携えている。

 

 清純な光源。誰もが求めてやまなかった神の奇跡。

 

 聖の概念を体現したモノ。かつて、かつてないほどの聖人の血を吸ったとされる奇跡の槍。

 

 その、あまりの聖なる様に、死にたくなるほどの。

 

「――――面白い」

 

 ――――黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)

 

 ――――神滅具の頂点にしてその原点

 

「それすらも持ち出すか――――!!」

 

 それが、少年の手の内にあった。

 

 魔力がヴァーリの拳に集約される。聖なる力が槍の一点に集約される。

 

 ――両者共に超火力。神滅具の中でも危険とされるその二つ。

 一方は仮初とはいえ、崩壊した秩序の産物。イレギュラーという点では同格ゆえに――

 

 

 

 

「――――――ハ」

 

 激戦直後の荒野は暁を迎えていた。

 

「――――――ハハ」

 

 朝日が照らし出した先に、元の情景は既に無い。

 

 あるのはすり鉢状に抉れた大地。地層が見えるほどに深く深く抉れたクレーター。隕石が降ってきたからこうなったと言われたら納得しそうなほど。

 

「――――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 その荒野の一角。クレーターの中心でヴァーリは大の字に寝転びながら哄笑していた。

 

 銀白の鎧は既に無い。故にヴァーリの服装は普段着のそれと大差無い。モノトーン調の、容姿に見合うお洒落なものだ。

 

 ――それが、()()()()血に汚れていた。

 

「く、くくく、はははははは…………! あー――――痛い」

 

 血だらけになりながらも、満面の笑みを浮かべて幸せそうに笑っていた。

 

 あの戦闘は非常に有意義だった。いくつか不満は残るものの、それは後々の楽しみとしていた方が何かと都合が良い。

 

 最初はあの聖剣にしか興味が無かった。デュランダル。全てを切り裂き、かつ、刃こぼれの無い理想の剣。たしかに噂に違わぬ破壊力だ。惜しむらくは所持者。あの年齢にしては大したものだが、物心ついたときから所持していたにしては、いささか拍子抜けだった。まったく、中途半端はこれだからよろしくない。だが、心意気は良い。これからの精進に期待。

 

 元々、少年を殺し、あの聖剣所持者を怒らせて戦う予定だった。だって劇的だろう。力は無いが質実剛健で敬虔な同僚の死。後で聞けば一目置いていたというのだから、なおのことドラマチックだ。強者に相応しい物語(トラウマ)だ。この後、きっと彼女は素晴らしい進化を遂げるに違いないと、この計画を画策した時は思っていた。

 

 だが結果はどうだ。これだ。この地に伏した傷だらけの自分の体だ。

 

 遊んだ帰りに遭遇、間違えて戦闘、そして圧勝。というストーリーが台無しだ。

 

 これでは苦戦も良いところ。

 

「まったく、楽しいにも程があるだろう……!! 嬉し過ぎる誤算だ! ッ……ッズ……! 本当に、素晴らしい…………!」

 

 予想外だった。

 

 まさかあの暗殺者風情がここまでするとは。

 

 闇討ち上等のエクソシスト。集団戦において最も警戒が必要と評判の戦士。たしかにそこまで言うだけの価値はある。あの隠行は習ってそうそうできるものではない。決定力も素晴らしい。何度食らっても防ぎ方の見当がつかないあの術。ここまで徹底して素晴らしい術は初めてだ。

 

 加えて禁手の多様性。こちらは決定打にやや欠けるかと思いきや、またしてもそうではない。まだまだ甘いが、それなりに筋は良かったと言えよう。結果はどうあれ、特にあの神滅具はびっくりだ。あれを主戦力とするならば、天使はともかく、堕天使や悪魔はひとたまりも無い。

 

 天使陣営の尖兵としては、優秀過ぎるにも程がある。

 

「――惜しいな」

 

 ふと、ヴァーリは呟いた。先ほどまでの楽しげな表情と声音は無い。言峰と相対してわかったことだが、あれは典型的とは言えないが、元々の性根は修行僧そのそれに近い気がする。

 

 だからこそ言峰綺礼は聖職者のまま一生涯を終える。教会にとって都合の良い殺しを引き受け続けて、いつか父のように家族を持って安らかに死ぬ。

 

 我欲の乏しい人間だ。

 

 だからこそ、言峰綺礼は上位争いに食い込むことはけっして無い。

 

 加えてあの脆弱な肉体。あの程度で限界を迎えるなど、脆弱に過ぎる。

 

「願わくば、転生悪魔になってほしいものだ」

 

 心底からそう願う。

 

 だが、きっと彼は転生しない。彼は人間として生き、人間として死ぬ。生涯に疑問を持つ事無く、心は平らなまま永遠に平静に違いない。

 

 だが、もしも、と思う。

 

 もしも彼が悪魔に転生するのならば。

 

 悪魔の肉体と時間を得た言峰綺礼ならば。

 

「必ず――――」

 

 

 

 

 目が覚めた。

 

 ら、月光に照らされた白い天井が見えた。

 

 どうやら、俺は生きのびたらしい。心臓は温かに波打っているし、右腕に刻まれているいくつかの刻印の疼きが感じられるから。

 

「――――告げる(セット)

 

 身体を解析。大きな手術でもあったのか、体のほとんどが物理的にツギハギだらけ。他人の臓器はさすがに無いが、他人の血液が五割以上を占めている辺り、奇跡だとしか言いようが無い。治癒魔術も用いたのか、他者の魔力の痕跡が気持ち悪いほど残っている。

 

 俺が寝ていた日数は一日から二日の間。アーシアの力の残滓が無いことから判断しての予測だから、正確さには欠けるだろうが、父さんの性格から考えてアーシアを呼ばないということは無いだろう。

 

 あれだけの戦闘でこの怪我ならば儲け物だろう。

 

「――――ふぅ」

 

 深呼吸を一つ。したらピリリと体が痛んだ。ツギハギになっているせいだろう。意識すると少し痒い。

 

 腹に力を入れてみる。痛くない。右手を動かしてみる。痛くない。左手を動かしてみる。何やら重い。範囲は肘から下。何か暖かい物が乗っている。

 

 視線を動かす。

 

 ……青い髪の少女がいた。寝ている。少し、驚いた。

 

 時刻は何時だろうか。さすがにこの気温で風邪を引くことは無いだろうが、子供がこうやって寝ているのはダメだろう。きちんとしろよ、大人たち。

 

 上体を起こす。

 

「――――――」

 

 軽い痛み。だけど体の芯に響く。鈍器で殴られた後のような感覚に近い。

 

 力の入らない右腕を動かす。左腕はゼノヴィアの枕になっているので、動かすことはできない。右手でゼノヴィアの肩を触った。子供らしい高めの体温と滑らかな肌。熟睡している。無理も無い。あの戦闘の後だ。しばらく体は本調子にはならないだろう。

 

 肩を揺らそうと腕に力を込めて、――――止めた。

 

 このまま熟睡しているのならこのままが良い。

 

 代わりに、というか、何というか、ゼノヴィアの頭に右手を置いてみた。良くドラマであるような、よくやった、のサイン。軽く振動を与えないようにポンポンと。月光を微かに反射する柔らかな髪。ついでに優しく髪を触ってみる。

 

「…………」

 

 今は誰もいない。この病室に起きている人間は誰もいない。

 

 少し強い風が室内に入る。物の擦れる音、耳の捉える風の音。

 

「……よく、頑張った」

 

 勇敢な少女へ祝福を。

 

 聞かす気の無い無意味な言葉。自己満足にも程遠く、この場面ならこう言った方が良いかな、とかいう何ともな理由で言った言葉。何とも無い、ありふれた言葉。

 

 脈絡無く、言ってみる。

 

「――――二日ぶりかな、ジジ」

 

 視線の真逆。強い風の吹きつけてきた窓の外。

 

「にゃんだ、気づいてたの」

 

 有り得ない方角からの声。右手を離し、視線を窓へ。

 

 白いカーテンに黒いシルエットが映っていた。時折波打つカーテンの間から和服の袖が視界に映る。

 

 風が止み、現れたのは妖艶な女性。豊かな黒髪の琥珀色の瞳を持つ、最上級の猫の妖怪にして転生悪魔。

 

「白々しい台詞はよせ、化け猫。よもや、私が気づかないとでも」

 

 誰でも気づく。不特定多数の魔力の残り香。その中でも一際の異色をそれは放っていた。明らかな異物でありながら、明らかな特効薬。それは俺がジジと接触して感じていた仙術独特の気配。

 

 つまるところ、この化け猫は俺に仙術を使っていたのだ。

 

 そうでもなければあの激戦の後でこんなに早く目が覚めるわけが無い。

 

「にゃはは。やっぱり君はおかしいにゃ」

 

 普通はそんなものには気づかない、ジジ――改め、黒歌はそう断言した。

 

「周りが必死でないだけだ。それに、私自身暇だった。こういう細かいすることをするのには慣れている」

 

「慣れているからってできるもんじゃにゃいんだけどにゃぁ」

 

 いやいや、世の中、慣れでできることって結構あるぞ。

 

 実際細かいことに気をつけていなかったら、俺は教会の中で細切れになっていただろうし。あの白髪のせいで。ふぁっく。

 

「――――どうして、白龍皇があそこにいた?」

 

「私を追ってたからじゃにゃいかにゃ? 私、人気者だからにゃー」

 

「白々しいな、化け猫。大方、グルだったのだろう、貴様らは」

 

 ザァ、とカーテンが音を立てて揺れる。琥珀色の瞳から初めてからかう色が消える。

 

 確信を持った俺の言葉に、黒歌はからかう姿勢を一時中断したのだ。

 

「理由は彼の性格からして、掘り出し物を探す、もしくは将来有望な戦士の成長を促すためのパフォーマンスだろう」

 

 所詮、今思いついただけの理由だが。一番の理由は原作知識だけど、そんなの口が裂けても言えないからねぇ。

 

「――――――正解」

 

 心底から楽しげな声だった。

 

「大胆だな。ともすればヴァーリはグリゴリから除名されかねんというのに」

 

「冗談は程々にするにゃん。ヴァーリは二天龍にゃ」

 

 そう、ヴァーリは二天龍。加えて魔王の血族。スペックは過去最高の白龍皇であり、本人の気質も戦士として最上だ。アザゼルはそれを良く理解している。仮にセラフから身柄引き渡しの要求があっても、何としてでも、ある程度の損失を覚悟でヴァーリを擁護するに違いない。

 

 そして、セラフはきっとヴァーリを強く糾弾することはできない。たかだか聖剣使い程度が、ヴァーリに見合う価値があるはずがないのだ。

 

「そうだな。だから貴様は私の前に顔を出した」

 

 否。

 

 そんなことで俺の前に姿を現したりしない。

 

「他に何か用事があるのだろう、私に」

 

「ヴァーリからの伝言にゃ」

 

 …………うわぁ。

 

 嫌だ、すっげえ嫌だ。

 

「にゃふふふ……、ご愁傷様にゃ。言峰綺礼君、君はヴァーリに目を付けられちゃったにゃん」

 

「………………………………。バカな」

 

 危うくなんでさと言いかけた口を閉じて汎用性の高い台詞で代用。

 

 いやー、言峰がなんでさってなんでさ。

 

 俺の台詞が笑いのツボに入ったのか、黒歌は本当に楽しげに肩を震わせていた。若干咽ているような声が聞こえてきているので、本当に面白おかしいのだろう。ああ、本当に。畜生め。ふぁっく。

 

「……ぶふっ」

 

 おいこらてめえ、何時かふんじばってあんなことやこんなことしてやるから覚悟しとけや。

 

 左手の上のものが若干震えていることには無視したいです、はい。

 

「ヴァーリは君の事を非常に気に入ったにゃん。本当に。転生悪魔になれと伝えて来い、とまで言わせたくらいにゃんだから」

 

 断固として断る。

 

 ……あぁ、いや。ハーレムは欲しいです、ハーレム。悪魔になってにゃんごろしたいです。

 

 畜生、この世に神様はいないのか。俺の人生、何故か詰みかけているぞ。老後の楽しみがガリガリと恐ろしい速度で死亡フラグに立て換わっていってやがる。本当に何故だ。俺の体内に龍がいるとかそういうオチだけは本当に勘弁してくれよ、こんちくしょう。

 

「――まあ、でも」

 

 スゥッ、と黒歌が俺の上に馬乗りになっていた。

 

 着崩れた着物の間から豊満な谷間が覗く。男なら誰もが陥落しかねない色気を俺の眼の前で振りまきながら、白魚のような指で、俺の首筋に触れた。

 

「――――ここで殺して、死体をグレモリーに送りつける」

 

 艶美な瞳に、冷徹なものが宿る。

 

 何度も見てきた、殺害を躊躇わない戦士の眼光。

 

「という案もあるんだけどにゃ――ぁ」

 

 スウ、と指は蠱惑的に首筋をなぞって俺の顎を持ち上げる。露になった喉笛に、黒歌の唇が触れた。次いで、ザラリと湿った舌が舐める。

 

 皮膚が削られている。

 

「聞けば、グレモリーの一族と親しいそうじゃにゃいか? 愛情深いグレモリー、まだ未熟なグレモリー――リアス。彼女にゃら、お前を悪魔に転生させる」

 

「二天龍も堕ちたものだな。よもやそのような世迷言を抜かすなど」

 

 やけに喉の辺りの皮膚が冷たい。顎の裏側まで舌が這う。

 

「息子の亡骸を前に泣き崩れる父親。敬虔な信徒として有名な璃正神父。彼が涙ながらに頼み込めば?」

 

「それも有り得んな。父はその程度の悲しみに魂は売らん」

 

「――――悲しいにゃ、お前は」

 

 大きな胸が押し付けられる。黒歌の顔は俺の後ろに移動し、耳を食む。

 

 囁くように。

 

「――ガランドウ。〝愛〟のにゃんたるかを知らにゃい愚か者」

 

「――――ハ」

 

 心臓が燃え上がる。かつてないほどの、激情が渦巻いた。

 

「流石に妹のために犯罪者となった者は言うことが違う」

 

 時が止まる。

 

「愛を知らない愚か者? それは貴様だ、黒歌」

 

 動揺する気配が耳朶を打つ。

 

 暖かな者が俺から離れる。代わりに、冷たく恐ろしいものが首に巻きつけられた。琥珀色の瞳は、美術館の展示品の無機質だ。

 

 それに、唇が吊り上がる。

 

「愛とはな、相手を不幸にさせたくないという強い感情だ。我が父は、それを知っている。愛とは何たるかを心得ている。父さんは、俺が父さんの魂を売って欲しくないことを知っている」

 

 言峰璃正は偉大な聖職者として生涯を終える――今の俺はそれを望んでいる。

 

 だって貴いだろう。俺よりも遥かに貴い。息子に全幅の信頼を置き、信用している。そして同時に、大切に思っている。思ってくれている。こんな俺なんかに対して、本当に。

 

 人を信じるということは、弱さを曝け出すということだ。俺にはそんな覚悟は無い。だというのに、父さんはそれを実行している。俺がヘマをしても、悪魔と接触しても、裁かれないようにしてくれた。きっと苦労したはずだ。聖職者が悪魔に助けられるなんて噴飯ものだというのに。

 

「俺が信じていなくとも、父は私を信じている」

 

 だから俺は、きっと、この先ずっとこの世界に関わり続ける。父さんが生きている限り、ずっと。

 

 父さんは〝私〟を信じた。〝私〟を価値あるものとして信じた。

 

 俺はそれを裏切りたくない。偉大な人物を裏切る価値なんて俺には無いから。

 

「それに比べて貴様はどうだ? なまじ優れていたために、妹を不幸にした救いようの無い女よ」

 

「――――お前は、バカだにゃ。あそこにいたら酷いことになるってわからにゃい?」

 

 黒歌の唇が残忍に捲れ上がる。笑みの失敗作の見本。

 

 内に秘めた激情が丸出しも程がある。底を知らさずに怒るというのが、最も優れた脅しだというのに。それができないところで、お前は俺に負けている。

 

「バカは貴様だ、女」

 

 お前は、俺を怖がっている。

 

「私には見えるぞ。貴様が愛する妹に嫌われていると知りながら、一縷の望みを捨てきれずに持ち続けているのを。何とも滑稽だ。当たり前のことを当たり前とは思えないとは」

 

 ギリッ、と首に力が加わる。白魚が俺の首を断とうとしているのだ。

 

 左手で、左手の上で動く人間を押し止める。

 

「妹に愛する姉を恨ませるということがどれだけの不幸か認識していないな、貴様は。――裏切ったのだよ、黒歌という愚者は。愛する妹の愛を。最善だと思った策が次善だと気づかずに、貴様は、己の善性に酔って愛した者を傷つけた」

 

 愛する者の裏切りほどの悲劇は無い。

 

 黒歌はそれに気がつかなかった。

 

「愛する者の幸せを奪うこと。それは最悪の罪科だろう」

 

 脳裏に過ぎるとあるワンシーン。

 

 男が妻子を殺している。無価値なもののために、自分にとって大切なものを悲しませた。絶望させた。己と同じ、己と同じ絶望を味あわせた。

 

 胃が蠕動する。気持ち悪い。思考がぐらぐらするには最適に過ぎる映像だ。

 

「妹の年齢はいくつだったかな。私には化け猫の年齢などとんと検討がつかんが、外見通りとすれば中々酷な事をする。人間では愛に飢えてしょうがない年頃だろうに」

 

 黒歌の表情は変わらない。氷のように凍てついている。

 

 

「――――ああ

 貴様の妹は今、どれだけの()()を抱えていることか」

 

 

 殺意が宿る。

 

 琥珀色の瞳が混乱のまま俺を殺せという精神状態をそのまま投影している。

 

 白魚のような指に力がこもる。迸る殺意と共に、力がこもる。

 

 ――――数秒後の死

 

 それを、聖なる光が切り裂いた。

 

「――――――ッ」

 

 行動は素早かった。青い彗星が黒い魔物を断ち切る前に、黒歌は病室の窓枠に移動していた。着物の袖が、大きく切り裂かれていた。底から覗く白磁の肌に切り傷は無い。

 

「深追いはするな」

 

「了解した」

 

 俺を守るように、ゼノヴィアが二振りの聖剣を交差させて構えていた。付け焼刃の剣術も甚だしいが、そこに俺が加わるとなれば、この空間ならばなんとか機能する。

 

 俺を呪い殺さんばかりに睨みつける黒歌。それに、冷ややかな視線をぶつけてみる。

 

「気に障ったかね。障ったのなら謝罪しよう。まだまだ私は未熟でね、相手の機微がわからない」

 

 嘘だけど。

 

 まあ、未熟なのには変わりない。だってあの程度のことで、喧嘩腰になるなんて精進が足らな過ぎる。

 

「だが、懺悔がしたくなればまた来ると良い。私はこの通り未熟だが、心は広くあろうと思っている。相手が何者であれ、救いの手を差し伸べよう」

 

「――」

 

 無反応。

 

 というか、怒りのあまり思考がグチャグチャで何を言うべきか迷っていると見た。わずかだが、仙術に綻びが感じられる。

 

「――――お前は」

 

 ザァ、と風が吹きつけた。砂漠特有の乾いた風。黒歌の言葉は風に浚われてしまう。

 

 白いカーテンが一際大きく動いた。それが黒歌の姿を完全に隠す。次の瞬間には、黒歌は消えていた。

 

「剣を仕舞って構わん」

 

「ああ」

 

 俺の言葉に大人しく従うゼノヴィア。

 

 そういえば、俺はまだあの呪いを解いていないのだが、大丈夫だったのだろうか。俺の少し疑問を含んだ視線に気づいたのか、ゼノヴィアは自分の脚を指差した。震えていた。

 

 …………よくもまあ、それで前衛をしようとする気になれたな。後衛がこんな様だって言うのに。

 

「凄いな、言峰さんは」

 

 唐突に、ゼノヴィアがそんなことを言い出した。

 

「まさしく文武両道していらっしゃる。強い戦闘スタイルだけでなく、あのような深い思想を持っておられるとは」

 

 危うく噴出しかけた。

 

 ゼノヴィアの敬語が拙過ぎて面白過ぎる。不慣れなのが前面に出ていて、すっごいアレだ。こやつやりおる。俺を笑い死にさせる気か。

 

「敬語はよせ。似合わない上に必要が無い」

 

「いや、敬語は必要でしょう。私は今、凄く言峰さんを尊敬している。賞金首相手に、怖がることなくあそこまで言うなど、並大抵ではない――と、思います」

 

「御託はいいからとにかく止めろ」

 

 不自然過ぎて会話に集中できない。少し睨んで強く言ってみる。

 

「……はい」

 

 シュンと垂れる犬耳を幻視した。

 

 ……いかん、頭が悪い。今すぐゼノヴィアに抱きついてムツゴロウしたいとかカット。

 

 悪過ぎるだろう俺の頭。

 

 表情筋を見習え。まだ鉄面皮だぞ。

 

「…………言峰さん、すまなかった」

 

 しばらくして、またしても唐突に謝られた。

 

「私が……、もっと強ければ」

 

 沈痛な表情で、ゼノヴィアはそう言った。他にも何か言おうと言葉を探しているようだが、あまり見つけられていないようだ。

 

 それでも、俺の指示に従っておけば、と言わない辺り流石だと言える。

 

 優秀だという点で。

 

「構わない。私も同じだ」

 

 まあまあ本音。それに相手が悪かった。だけどここで甘やかすようなことを言うと、少しばかり大変な予感がするから慰めるような言葉はいらないだろう。

 

「ところで」

 

 ふと、一つ疑問が浮かび上がった。

 

 ゼノヴィアが起きている事に気づいたのはバカな事件である。あの時こいつは笑い出しやがったのだ。それには嫌でも気づくのだが……。

 

「いつから起きていた」

 

 これが疑問である。

 

 少なくとも俺が言うまでには起きていたはずだが、それ以前に起きていたような気配は全然無い。今思い返してもまったくわからないのだ。

 

「むぅ……」

 

 俺が尋ねるとゼノヴィアは少し黙り込んで、薄っすらと頬を赤く染めた。……待て、今のやり取りの何処に照れる要素がある。

 

「それにはモクヒケンとやらを行使したいのですが」

 

 そんな表情のまま生真面目にそんなことをのたまうゼノヴィア。心なし表情は堅い気がするし、態度も若干警戒気味だ。けれど重ねて尋ねればきっと素直に白状するだろう。

 

 俺は黙り込んでみせる。視線はゼノヴィアに固定。数秒すると、ゼノヴィアの視線があっちこっち。

 

 ……正直、凄く気になるのだが、追究はよしておいた方が良い気がした。

 

 

 



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09 望まぬものについて



あらすじっぽいの
 言峰綺礼という名前の転生者は、フリードと出会い喧嘩してしまったがためにエクソシストになってしまう。そこで喧嘩のし過ぎにより、仲裁役兼医療部隊としてのアーシアとも出会う。中学校に上がるくらいにその二人と別れる。優秀なエクソシストとして活動していたため、ヴァーリの趣味につき合わされ大怪我を負う。黒歌の仙術と適切な治療により、意識を取り戻す。







「言峰さん、私が体を拭こう」

 

「言峰さん、私が食べさせてあげよう」

 

「言峰さん、面白い話をしよう」

 

「言峰さん、子守唄を歌ってあげよう」

 

 

 ――何だコレは

 

 おいそこの看護婦、早くこの青い犬をどうにかしてくれないか。ほら、そう微笑ましいものを見るような眼は止めて、コイツも一応病人と同じ扱いなのだろう。何? 動いても大丈夫だから? それでもだ。こんなのは職務怠慢じゃないのか。何? 職業体験だって? 無資格の人間、それも少女にやらせる仕事じゃないだろう。ちゃんと監視してるから大丈夫? ……まあ、本職の方がしっかりと監修しているのなら、まだ良い――わけがあるかバカ者。

 

 どこでどう間違えたのか、この青い犬――ではなく、ゼノヴィアは俺に甲斐甲斐しく世話を焼いていた。俺が世話に焼かれて死にそうになるくらいに。

 

 上記の台詞は昨日で嫌と言うほど聞いたものである。

 

 俺の体は今現在ツギハギのフランケンシュタインモドキで、できる限り動いてはならないそうだ。本来なら助かる見込みはなかったそうだが、魔術やらのおかげで何とか一命を取り留めているらしい。治療費は考えたくない。

 

 あの黒歌との一件の後、すぐにナースコールがゼノヴィアによって押され、丑三つ時だった病院は上から下への大騒動。三十分ほど前の電話越しに聞いた父さんの声は涙声で、加えてゼノヴィア曰く入院して一日目は面会謝絶状態だったらしいのだから、これがいかほどの奇跡か想像に難くない。看護師さん曰く、何時目覚めるかわからなかったとか。

 

 で、そんな重態な俺である。

 

 当然、男の尊厳を色々と無視している至れり尽くせりが待っていた。

 

 それに便乗するゼノヴィアも待っていた。

 

「言峰さん、ほら、あーん」

 

 無言の仏頂面で差し出されたリンゴを頬張る。青森の特産品。ゼノヴィアが調理担当の蜜入りリンゴ。何だろう、美少女お手製に加えたバカップル御用達のアーンだというのにこの屈辱感……!

 

 黒歌カムバック。すぐに俺の肉体を治してくれ……!!

 

 そんな俺の内心とは裏腹の喜色満面のゼノヴィア。背後に微笑ましいものをみる歳若い看護婦共(オバタリアン)

 

「言峰君、何か失礼なこと考えなかった?」

 

「いえ」

 

 俺の担当の看護婦さんが唐突にそんなことを尋ねてきた。リンゴを口に頬張ったまま仏頂面で迎撃。

 

 うーん? と首を捻るエスパー看護婦。侮れない。

 

「喉は渇いてないか?」

 

「いや、充分だ」

 

「そうか。――ところで、言峰さん。ドラグソボールという漫画を知ってるか?」

 

 何処でそんなものを知った。

 

 反射的にそう突っ込みかけた。

 

「……知っているが、読んでいない」

 

「――なんと。それはもったいない。日本の人気作品というだけのことはあるぞ。アレは素晴らしい」

 

 うんうん、と一人頷くゼノヴィア。

 

「加えて、聞けば日本は優れた作品が多いそうじゃないか。私は作品らしいのは各地方の神話しか読んだことがない。ので、言峰さん」

 

 真摯な眼差しで俺を見るゼノヴィア。真剣そのものの表情でキリッとしていて清々しい。

 

「お薦めを教えて欲しい。金ならきっとすぐできるので、その時に購入しようと思う」

 

「……今現在の貯蓄は?」

 

「無い。私は報酬の管理を全て教会に任せていてね、余分なお金の持ち合わせが無い」

 

 ……どうしてこう、俺の出会う教会の戦士達は、揃いも揃ってマトモなのがいないのだろうか。

 

 ゼノヴィア然り、フリード然り、イリナ然り。ジークフリートはまだマトモな方かと思われるが、アレは戦闘狂だ。知ってるよ、俺。アイツが悪魔を斬り殺そうとしていた時の表情。魔剣に好かれる奴がマトモだなんて思えない。

 

「……宝塚治の黒男、烏山昭のDr.ランプあれれちゃん、田上弥彦のグラムダンク、辺りか。どれも傑作とされる」

 

 ため息を噛み殺し、話題に出してもおそらく問題無いと思われる古めの作品を述べた。ゼノヴィアは生真面目なことに、それらをメモに取っている。

 

 正直、那須トマトの装飾障害切断を一番にお薦めしたいところだったが、アレはぶっちゃけ小学生には鬼畜過ぎる。

 

「漫画ではないが、もし日本のアニメ映画を見るのなら、矢崎隼人製作のものを薦める。非常に完成度が高い」

 

 ふむふむ、と青い髪を揺らしてメモるゼノヴィア。いちいち犬みたいな仕草だ。

 

「見所は?」

 

「私とゼノヴィアの感性は異なる。故に、それを述べることはゼノヴィアにとって益ではない」

 

「むぅ……。その理由はどのようなものだ?」

 

「偏見は良くない、人を見かけで判断してはならない、というところだろう。偏見(色眼鏡)は世界から、君本来の世界(真実の色)を奪う」

 

「なるほど」

 

 三度メモるゼノヴィア。……待て、何故か中二チックな表現を使ったがよもやそれに書き込んでなかろうな。……まあ、良いけど。さり気なくあの台詞は決まってると思うし。

 

 ふと、少し大きめのパタパタというスリッパの音が聞こえてくる。

 

 ゼノヴィアに静かにというジェスチャーを送り、耳を澄ます。普段ならまったく反応しないのだが、今回のばかりはどうしてか反応すべきだと思ってしまった。

 

 音の感覚と大きさからして足音の主は平均的な少女。……いや、少し痩せ気味か。手には重たいものを抱えているのか、足音が少し危なっかしい。

 

 既知感がある。この足音には非常に既知感がある。

 

「……ゼノヴィア」

 

「どうした」

 

「廊下を見てきてくれないだろうか。何か重たいものを抱えた少女がいるはずだ」

 

 ゼノヴィアの眼が尊敬に満たされる。キラキラしていて子犬のようだ。

 

「委細承知したっ!」

 

 フリスビーを投げられたワンコの如く。病室から静かな早歩きで退出するゼノヴィアもとい青い犬。

 

 思わず安堵のため息を吐いてしまう。ついでに耳を澄ましてみる。

 

 張りのあるゼノヴィアの声が聞こえてくる。ううむ、面倒そうだ。対する少女は困惑している様子だった。嫌がりはしていない。ゼノヴィアは恐らく半ば強引に重たいものを引き受ける。少女は恐縮しながらもゼノヴィアに謝意を示し、歩き始める。ゼノヴィアはそれに付き添うように歩く。

 

 ふと、視線を感じた。見れば見回りの看護婦だ。

 

「いやー、言峰君も罪作りな男の子だこと」

 

 ……俺の顔を見て楽しそうにそんなことをのたまうエスパー看護婦。ニシシというチシャ猫くさい笑みを俺に向けている。

 

 無言で抗議。逃げられる。

 

 入れ替わりに、ゼノヴィアの姿が見えた。

 

 廊下の少女を一時追い抜いてきたのか、褒めて褒めてオーラをお見舞いの品である果物を抱えながら示していた。親指を立ててみた。同じようにグッと返された。

 

「ここが貴女の?」

 

 可愛らしい声が聞こえる。廊下の少女がゼノヴィアに話しかけたのだ。

 

「うむ。ここにいる。大怪我をして動けないようでね、だから代わりに私が動いた」

 

「そうなんですか」

 

 驚きの口調。ゼノヴィアは廊下の少女に道を開け、少女がこちらの病室を覗き込む。

 

「わざわざありがとうございます。おかげで助かりました――」

 

 姿を現しお辞儀した廊下の少女と視線が合う。長い金髪が緩やかに揺れて綺麗に光を反射した。

 

 パチクリと、少女が眼を瞬かせる。

 

「久しぶりだな、アーシア」

 

「……き、綺礼さんっ!?」

 

 口をパクパクさせて俺とゼノヴィアを交互に見るアーシア。

 

「む、知り合いか。金髪といえば――ああ」

 

 ゼノヴィアは頷いた。委細承知と言いたげである。

 

 ゼノヴィアは空いているスペースに色とりどりの果物が盛り付けられたソレを置いた。そしてアーシアの手をガッシリと取った。

 

「紫藤イリナから話は聞いている。君がアーシア・アルジェントだな。私はゼノヴィアだ。言峰さんとは今回コンビを組ませてもらった仲だ」

 

「え、えっと、はい! アーシア・アルジェントです、ゼノヴィアさん!」

 

「ゼノヴィアで結構だ。私もアーシアと呼ばせてもらうよ」

 

 ブンブンと嬉しげに握手を上下させる。

 

「いや、イリナに聞いた通りだ。君とは長く交友を持ちたい」

 

「こ、こちらこそお願いします。ゼノヴィアさん」

 

 尻尾があればブンブンと振っているに違いない。非常に上機嫌だ。

 

「むう、ゼノヴィアで良いというのに」

 

「えっと、癖なんです」

 

「なるほど。ならば仕方ないか」

 

 ゼノヴィアはそう言うと、俺のベッドの脇からパイプ椅子を一つ取り出し、アーシアを座らせる。その後で少し慌てたように、時間はあるかと尋ねる。アーシアはそれに笑顔で、はい、と答えた。

 

 その何だか微笑ましいやり取りを見た後、俺は尋ねた。

 

「父に聞いて来たのか?」

 

「はい。璃正神父から話を聞いたときは凄く驚きました」

 

 笑顔が悲壮に陰る。

 

 俺の予想通りだ。父さんは俺が意識不明の重態だとアーシアに知らせた。そのついでに、おそらくこちらに来て治療して欲しいとも頼んだと思われる。というかこっちが本題だろう。

 

「まだ動いてはならないそうだが、寝ている分に痛みは無い。一週間もすれば、傷口は塞がるだろう」

 

 慌てて、しかし努めて平然と俺はそう答えた。

 

 悲しい思いはさせるべきではない。アーシアの表情が幾分か和らぐ。ゼノヴィアは気まずそうな表情だった。

 

「……アーシア、すまない」

 

 そのままの表情で、ゼノヴィアはポツリと零した。

 

 そして、決壊したダムのように、そのまま滔々と話し出した。

 

「その、謝るのが遅くなってしまったこともすまない。今の言峰さんのこの姿の責任は私にある。私がもっと強ければ、言峰さんはここまで酷いことにはならなかったはずだ。……何だか、友達だと言ってからこんなことを言うのは我ながら卑怯だと思うが、その、それは私がバカでアーシアの気持ちを――」

 

 口を開く毎にゼノヴィアの表情に悔恨の皺が刻まれる。

 

 本当に苦しそうだし、実際にゼノヴィアは心苦しいだろう。原作知識というのもあるが、第一印象からしてゼノヴィアは大雑把なくせに繊細な部分がある。話す度に重い口調になるのは、本当に現在進行形で申し訳なさが雪だるま式に増えているのだろう。

 

「――大丈夫です」

 

 そんなゼノヴィアの懺悔を、アーシアはやんわりと制止した。

 

「看護婦さんから聞きました。同じように怪我をした子が、今病室にいて看病してくれているって。私、その話を聞いてとても嬉しかったんです。だってそれは、綺礼さんのことを大切に思ってくれているっていうことなんですから」

 

 ……あ、ヤバイ。

 

 ちょっと俺、アーシアたんに赤面しかけた。ストレート過ぎて、捻くれた性根にはとても心臓に悪い。だってちょっと心臓跳ねたもん。どきっとした。

 

 ゼノヴィアも感じるところがあったのか、アーシアの台詞に少々遅れて赤面した。

 

 多分、少し理解が遅れたんだと思う。だって、これ、あまりにも真っ直ぐ過ぎる。

 

「それだけで充分です。むしろ私の方から貴女とお友達になりたいと思ったんですから、謝らないでください」

 

「む、ぅ」

 

 アーシアは真っ直ぐにゼノヴィアを見ている。赤面したゼノヴィアはそんなアーシアの視線から逃れるように、顔を逸らしていた。

 

 ちらりと俺を見る。助けが欲しいような、欲しくないような、そんな視線だった。

 

 ゼノヴィアの性根もアーシアと同じように真っ直ぐだ。だから真っ直ぐなアーシアの気持ちに同じく真っ直ぐに向かいたいのだろうけども、責任感とかそういう繊細なものがゼノヴィアを恥ずかしく感じさせ、真っ直ぐには向かえないのだろう。

 

 俺は眼を閉じて、ゼノヴィアを肯定する意を示す。

 

 ゼノヴィアがアーシアに真っ直ぐ向かえるように。

 

 ついでに、安心しろ、俺も恥ずかしいのだ、とか内心呟いて。内心の呟きが届かないように祈りつつ。でも届いて欲しいなーとか思ったり。

 

「――――」

 

 息を吸う音が聞こえる。

 

 視界は閉じていて、ゼノヴィアの表情は伺えない。だが、きっと、ゼノヴィアの表情は真っ直ぐなものだろう。

 

「ありがとう。――そう言ってくれて、私もとても嬉しい」

 

 ゼノヴィアの笑顔が瞼の裏に浮かんだ。ついでに、アーシアの微笑みも。

 

 うむうむ、仲良きことは良いことだ。俺も嬉しい。ちょっと心臓がドキドキしてて、あまりこういうことはやって欲しくないのだが、……うん、何ていうか、非常に複雑な気持ちだ。

 

 こうして初々しくも穏やかな時間が流れる――かに思われた。

 

 アーシアが、口を開くまでは。

 

「綺礼さん、人の事を考えてくださいって言いましたよね?」

 

 眼を開ける。アーシアの顔が視界に映る。

 

 ……あ、ヤバイ。

 

 ちょっと俺、アーシアたんに赤面しかけた。

 

「私、何度も言ったはずですよね。人の気持ちを考えてくださいって」

 

 アーシアの表情がさっきまでのと違う。さっきまでは後光が差すような笑顔だったのに、今は心臓をぶち抜く勢いの、泣きかけの表情だった。

 

 その落差にどきっとする。うん、心臓が痛い。

 

 アーシアたんこそ人の心臓の事を考えるべきだと思う。

 

「いっつもそうです。綺礼さんは平気で無茶するんです。私が何度止めてくださいって言っても、平気で危険なことをするんです。ええ、フリードさんとは特にそれが顕著でした。大怪我しないでくださいって言っても、そのことをわかってるかわからないような無茶をするんです」

 

 あ、涙声になってきてる。

 

 隣ではゼノヴィアがおろおろしている。

 

「酷いものでした。擦り傷切り傷打撲は当たり前、骨折も多かったです。酷い時には、口から血を吐いたり――」

 

「だ、だがな、アーシア。あれは仕方なかった。白龍皇が相手だったんだ。むしろ、生きているだけ良かったんだ。だから、な。泣かないでくれ、アーシア」

 

 ゼノヴィアがアーシアを慰めるように、おろおろしながらもそう言った。

 

 しかしそれでも止まらない。むしろ本格的に泣きが入り始めた。

 

「それはわかってます。どうしても大怪我する時はあるって。今回はそうだったってわかってます。わかってるんです。けど、けど……」

 

 涙が流れる。

 

 本格的に泣き出した。

 

「けど、辛いんです。とても苦しいんです。私は――綺礼さんが好きなんです。好きな人が傷つくのは嫌なんです」

 

 そう言って、泣きじゃくる。

 

 服の袖で流れる涙を拭いながら、声を押し殺して泣きじゃくった。ゼノヴィアはいよいようろたえて、アーシアを優しく抱きつつ背中をさすりながら、俺に視線で助けを求めてきた。その視線には少し涙が混じっていて、ゼノヴィアもいつか泣き出すのでは、と俺は戦慄した。

 

 ゼノヴィアはどうも俺は平静を保っていると思っているようだが、そうではない。かなり動揺しているのだ。これでも。鉄面皮のおかげでそうは思われていないのだが。

 

 ぶっちゃけ、好きっていう単語に動揺している。激しく。

 

 とりあえず、アーシアは友人アーシアは友人、と、心の中で唱えている。

 

「――アーシア」

 

 できるだけ優しく、できるだけ強い思いを込めて呼びかけた。

 

 アーシアの顔が見える。流れている涙が見える。

 

 心臓が跳ねる。口から飛び出そうなほど、心が暴れている。ガシガシガシと頭が混乱している。

 

 深呼吸する暇は無い。過呼吸になりそうな横隔膜を意識して強く保ち、必死で言葉を手繰り綴る。

 

「――――すまない」

 

 何を? 何がすまないのだ言峰綺礼。

 

 ただ泣き止んで欲しさの謝罪はダメだ。それは不誠実だ。真っ直ぐな言葉には、真っ直ぐな言葉で返さなければならない。だってそうだろう。言峰綺礼は誠実でなくてはならないのだから。

 

「――――心配をかけて、すまない」

 

 アーシアは泣いている。

 

 何故? 言峰綺礼を心配しているからだ。ならばそれに報わなければならない。アーシア・アルジェントは誠実に言峰綺礼を心配している。ならば、それに応えないと。

 

「だが、許して欲しい。私は、こう在りたい。具体的なことは言えないが、私は、これまでの私を少なからず誇りに思っている。これが言峰綺礼なのだと、私は言峰綺礼であると定義している。そう在るようにと願っている」

 

 それは本心か?

 

 本心である。

 

 続けろ。本心を告げろ。誠実には誠実を。そう在るべくして俺はそう在ろうとしているのだ。

 

「すまない、アーシア。私はこれからもこう在り続ける。だから――君の願いには、決して応えられない」

 

 なんて酷い。

 

 心が痛い。激しく暴れている。

 

 アーシアの泣き顔に酷く心が揺さぶられている。理想じゃない。こんなの理想じゃない。揺らいではならない。揺らいでしまっては理想の自分を保てない。

 

 俺の理想は誰からも干渉されないことだ。この世界を認識した時に俺は何を目指そうとしたのか。どんな自分を理想としたのか。

 

 心を冷やせ言峰綺礼。俺は世界に異物だと認識されたくないがために、今の自分を形作ろうとしてきたのだろう。干渉させるな、興味を持たせたとしても、俺に踏み入れさせるな。縋ってはならない泣いてはならない、――ああ、そうだ。

 

 俺は誰かに頼られても、誰かに頼ってはならない。

 

 だって、頼ることは自分の脆さをさらけ出すことだろう。自分にその脆さを補強できないから、他者にその脆さを補強してもらう。それはダメだ。俺の脆さは異質な脆さだ。決して知られてはならない。知られたら、自分がどうなるかわからない。

 

 だから――――

 

「だが」

 

 力を込める。

 

 未だ泣き顔のアーシア。アーシアは俺が心配だから泣いている。俺はアーシアに泣かれると心が痛い。痛くて、縋ってしまいそうになる。それはダメだ。ダメ、だから。

 

「心配する必要は無い」

 

 屁理屈でも何でも良い。とりあえず、アーシアの心配を取り除け。アーシアが俺を心配する理由。それは怪我をして欲しくないからということ。

 

 ならばどうして、アーシアは俺が怪我をすることを恐れるのか。

 

 アーシアの精神を分析しろ。この子がどうして怪我を恐れるのか。

 

 怪我はアーシアの精神に何を及ぼしているのか。

 

「アーシア、君はどうして私が怪我をすることを恐れる」

 

 ――曰く、怪我は痛いでしょう

 

「そうだな。痛い。それは当たり前だ。だが、私は痛いことには慣れている。それを気に病んだことは一度も無い。――だから、心配は要らない」

 

 ――曰く、痛いことは危険なことでしょう

 

「そうだな。痛みは危険のサインだ。だから人間はそれを忌避する。だが、私はこれまでその危険にちゃんと対処している。こうして生きているのがその証明だ。――だから、心配は要らない」

 

 ――曰く、だからといって、次もその危険に対処できるわけじゃありません

 

「そうだな。未来は私にはわからない。だから何時か私はその危険に命を奪われるだろう。だが、だからといって、私はその危険に立ち向かってはならない理由にはならない」

 

 ――曰く、それはわかっています、けど

 

 アーシアはそう言った。駄々なのだと理解しているのだ、この少女は。

 

 でも、理解しているからといって、心が軋まないわけではない。心が痛くないわけではない。耐えられるわけではない。だからアーシアはこうして泣いている。俺が危険を避けるようになるかもしれないという、限りなく低い可能性に賭けているとも言える。自覚の有無に関わらず、こうして願っているという一点において、それに釈明の余地は無い。

 

 それはきっと、時の経過と共に慣れ薄れていく。けど、その間に感じた痛みは減らない。そしてその痛みはアーシアを泣かせ、そんなアーシアに俺はこれまでの俺を辞めさせられかねない。

 

 それはダメだ。初志貫徹。今生の俺はそうだった。そんな俺が好きだ。愛していると言っても過言ではない。理想の自分を手放すことは、俺にとって一番怖い。

 

 ゼノヴィアを視界に入れる。言峰綺礼を尊敬している少女。

 

 右腕に刻まれた神器の証を認識する。体に巡る魔術回路のようなものを認識する。鍛え上げた己の肉体を認識する。――俺の過去を、認識する。

 

 退いてはならない。

 

「アーシア」

 

 優しい声音を意識する。

 

「その心配は嬉しい。だが同時に、その心配から生まれる涙は悲しい。アーシア、教えてあげよう。君のその心配は、私が死ぬかもしれないという恐怖によって生まれたものだ」

 

 俺のせいでアーシアが泣いている。その涙によって俺が揺らいでいる。ならば、アーシアを泣かせてはならないことは確か。ならば。

 

「ならば、私が私である代償として、君の心配を取り除かなければならない。聖職者は人を癒すためにあるのであって、決して人を悲しませるものではない」

 

 ――――その傷口を切開し、患部を摘出する。

 

 俺の根幹を揺らがせる患部。それはアーシアの涙に他ならないのなら。

 

「だから私は主に誓おう。――私は決して死にはしない、と」

 

 嘘か? 否々、嘘ではない。

 

 だって、俺は死にたくない。

 

 

 

 

 妙な雰囲気のあったお見舞いは終わった。

 

 あの後、気を利かせたゼノヴィアが少々強引に日本の作品の話題に移動させた。正直あれは話の流れをぶった切っているようなものだったけれど、凄く感謝している。それに乗っからせてもらって、俺は気まずい雰囲気を払拭しようとした。

 

「……失敗だったな」

 

 一人、呟く。

 

 ゼノヴィアはアーシアのいる教会に一緒に帰っていった。私は大丈夫だ、という言葉を根気強く何度も繰り返して一緒にいてもらった。正直、俺なんかよりアーシアの方が傷ついているし。アフターケアよろしく、みたいなことを言えば、何とか納得してもらえた。

 

 らしくない。

 

 まったくもってらしくなかった。

 

「当てられたか」

 

 黒歌のあの〝愛〟の台詞は俺に予想以上のダメージを叩きだした。こうかはばつぐんだ、に加えて、きゅうしょにあたった、なんて洒落にならない。

 

 そのせいであの様だ。軽く終わらせるべきだったアーシアとの会話を重くしてしまった。こうなる展開は予測していたはずなのだ。中途半端に揺らいでしまって、中途半端に本音が混じってしまった。本音、きっと本音。

 

 ああ、もう。

 

 本当に嫌になる。

 

 瞼を閉じた。

 

 思考は闇に満ちる。何か考えようにもまとまらなくなる。

 

 神器を起動させる。使うのは睡眠導入のためのとある暗示魔術。精神の解体清掃(フィールドストリッピング)

 

 とあるはぐれ魔法使いを討伐した際、その魔法使いの家に侵入した。そこでインディジョーンズびっくりのドキドキトラップショーを潜り抜け、激闘の末に捕縛。その後時間が余ったので、適当にその家の蔵書を漁ってみたところ、これが見つかった。

 

 試してみたところ、フリーウォールとマッサージを同時に経験したような複雑な気分に。それ以降、どうしても寝付けない時に使用している。

 

 今がまさしく寝付けない時だ。

 

告げる(セット)

 

 疼痛が全身を走る。若干引きつる痛みがあったが、そんなものはすぐに消えうせた。

 

 

 

 

 入院生活は一週間ほどで終わった。時間のある時、アーシアが聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)をしてくれたおかげである。

 

 その一週間の間に聞いた話だが、どうも俺の治療は一エクソシストにしては過ぎたものだったらしい。父さん、すまない。というわけで、さぞお金が動いただろうと思いきや、まったく動いてなかった。いや、動いたには動いたそうだが、お金の減った形跡が無い。

 

 ついでに、俺の体にも後遺症は診られない。

 

 そのことにファンタジーな裏の世界に精通する医者はかなり首を傾げていた。ファンタジック技術を駆使しても、俺のこの経過はあまりにも異常らしい。その原因は黒歌の仙術だろうけど、喋っていない。ゼノヴィアにも口止めしておいた。ゼノヴィアはそれに渋い顔をしていたが、何とか口八丁で押し止めた。いつか恩返しをしないといけない。

 

 俺の見舞い客は知人が少なく、逆に初対面の方々が多かった。ゼノヴィアとイリナの師匠だというグリゼルダ・クァルタがその筆頭だと言えよう。他は教会のちょっとしたお偉いさん方。もう少し砕けた話にして短くして欲しかった。

 

 ――さて、これまでが俺の入院中の主な話だ。

 

 ここからは今現在進行形で起こっている出来事になる。

 

 場所はとある国の高級レストラン。クラシックが流れていて、西洋風の落ち着いた内装だ。高層ビルの最上階にあり、ここから見える夜景はそうそう見れるものではない。正直俺がいるには場違いだろうとは思うが、周りを見れば子供連れの客がいることからそうでもないことに安堵。

 

 夜景が良く見える位置に俺とゼノヴィア、グリゼルダさんと父さん――そして、あと二人が一つのテーブルを囲んでいた。

 

「好きなコースを選んでくれ。なに、ここの代金は俺持ちだから気にするな」

 

 前髪を金髪に染めた黒髪の秀麗な男性。黒いスーツを着ているせいか、マフィアのボスといった印象が強い。外見年齢は二十代頃と推測される。高級ながらも、子連れがいるような場所には相応しくない人物だ。

 

「ふむ。なら俺はこのSコースを選ばせてもらおうか」

 

 その男性の隣でメニューを持っていた少年が言った。

 

 ……非常に見覚えのある少年だった。濃い銀髪のまたしても秀麗な少年。

 

 男性と合わせたのか、こちらも黒いスーツ……なのだが、どうも執事服で有名なかの燕尾服だった。というか、よくよく見ると男性のスーツもところどころ俺に見覚えのあるものと違う。いかにも高級そうだった。

 

「お前は遠慮しろ。この問題児。平然と一番高いメニューを頼もうとするな」

 

「好きなコースを選べと言ったのはお前だろう」

 

「お前は別だ、ヴァーリ」

 

 執事服改め燕尾服の少年はヴァーリである。その隣に座る男性は少し頭を押さえていた。

 

「……コントでも見せに来たのですか? ――アザゼル総督」

 

 グリゼルダさんが緊迫した声でそう尋ねた。

 

「悪いな。こちとら堅苦しいのは苦手なんだ。これでもちゃんとコントじゃなくて、誠意を見せているつもりなんだがな」

 

 堕天使のグループ、〝神を見張る者(グリゴリ)〟のトップ――総督、堕天使アザゼル。

 

 今日俺がこの場違いな場所にいるのは、ひとえにこの集団から、直接謝罪をしたい、ということで招かれたからだった。

 

 一応お偉いさんが来ることは聞いていたが、総督直々に来るとは想定外だった。

 

「まあ、そっちに打診したとおり、謝罪の品はもうそっちにあるだろ? 治療費も俺ら持ちで、その上で賠償金も渡した。これでうちはもういっぱいいっぱいなんだ。後はもう、誠意を見せるしかないってことで」

 

 アザゼルがテーブルに置かれた水を飲んだ。

 

「こうして、招待させてもらった」

 

 いや、絶対にそんな理由じゃないだろ。

 

 だったら俺を見るんじゃなくて、話してるグリゼルダさんを見ろ。ほら、父さんとグリゼルダさんが怒って、じゃなくて、呆れてる。呆れてるぞ。けっして、あ、切れてる、とかじゃないからな。

 

「しかしそういえば、お互い自己紹介がまだだったな。一応、名前と顔はそれぞれ知ってるが、挨拶するのが礼儀だ。俺はアザゼル。堕天使主体のグループ〝神を見張る者(グリゴリ)〟の総督をしている」

 

「ヴァーリだ。現在の白龍皇で、〝神を見張る者(グリゴリ)〟に所属している」

 

「言峰璃正です」

 

「……グリゼルダ・クァルタです」

 

「ゼノヴィアです」

 

「言峰綺礼です」

 

 畏まって言うと、アザゼルは少々気まずい表情になった。

 

「おいおい、今は上下関係は抜きにしようぜ。不敬だの何だのこの際気にしねえからよ。ただヴァーリ、お前は敬語な」

 

「……俺だけ扱いが酷いだろう。今回の件は反省していると何度言ったら……」

 

「お前、今回の罰は謹慎だけじゃないってわかってるか?」

 

 苦言を呈したヴァーリが苦虫を噛み潰したような表情になる。それをアザゼルは楽しそうに見ていた。凄くニヤニヤしてる。

 

「ほら、叩き込まれただろ? シェムハザに。――そら、やれ」

 

 本当に楽しげだ。ヴァーリはアザゼルを睨み殺さんばかりに睨みつけている。それでもあの時の殺気より薄い辺り、二人は本当に仲が良いのだと思う。

 

「……………………………………。わかっ――わ、……わか、り、まし、た」

 

 んー? と楽しげに続きを促すバカ総督。大人二名は舐められているのかと若干イライラ、ゼノヴィアはヴァーリのしおらしさに驚いている。

 

「…………………………………………………………………………。

 ………………………………………………………………ご主人様」

 

「――ぶふぉあっ!」

 

 目をつぶり、途轍もなく小さな声で紡がれた言葉に、アザゼルを除く、その場にいた全員が眼を丸くした。

 

「ひ、ひひひ、くくく、ふふふふふふふふふ……! ふはっ、ひっ、ひっ――!」

 

 アザゼルは呼吸困難に陥りそうなくらい爆笑している。のをこらえている。場所は弁えているようだ。笑い死ぬのではないだろうか。アザゼル総督、死亡。死因、笑死。笑止千万も甚だしい。

 

 かくいう俺も、眼を丸くせずにはいられなかった。

 

 ヴァーリは周りの反応を知りたくないとばかりに眼を閉じている。

 

 悪戯心を刺激された俺、一言。

 

「哀れだな、ヴァーリ」

 

 たっぷりと情感を乗せて言ってやった。すると、俺が言ったことに驚いたのか、ヴァーリは俺を眼を丸くして見た。

 

 目尻を下げて、憐れみの表情を作ってやる。

 

 ヴァーリの情けない表情が愉快で愉快で堪らなかった。内心だけで笑う俺、相変わらずの鉄面皮。アザゼルはもう喉を抑えて声が出ないようにしているくらいだ。

 

「ヴァーリ。どうしてその格好をしている?」

 

「…………………………アザゼルがやれ、と」

 

 それ以上は喋らんとばかりにそっぽをヴァーリ。アザゼルは咳き込んでる。若干涙目になってる辺り、本当に面白過ぎて苦しかったんだと思う。

 

「こいつ、今、俺の護衛、兼、秘書。これまで、放置してたんだが、さすがに、な。ついでに、ひひっ、遊び心を入れて、みた。……ふぅ、……ふふっ。最近の漫画じゃ、こんなのが流行ってるらしいじゃねえか」

 

 特に日本、と、口の端をひくつかせつつ、アザゼルはそう言った。ゼノヴィアの気配が一瞬揺らぐ。漫画に反応しよったな、こいつ。

 

 そして、なぁヴァーリ、と話の中心に何とかヴァーリを引き寄せようとするアザゼル。ヴァーリはそれに投遣りかつ早口に言葉を返した。

 

 非常に良い笑顔だ。誰がとは言う必要が無いので割愛する。

 

「ところで、話はまた振り出しに戻るが、メニューは決めたか?」

 

 緊張感の途切れた空気を察してか、アザゼルは出し抜けにそう言った。この一連の流れは計算してのものか。それとも趣味か、鬱憤晴らしか。ともあれ、この場の主導権は完全にアザゼルのものだ。財布は俺らのものだろうが。

 

「……げ、皆Sコースかよ。こりゃあ、俺も同じのを頼んだ方が良いか。――ヴァーリ、お前は?」

 

「俺もSコースが良いと言っただ――、――でしょう。満場一致にしない手は無い。……かと」

 

「んー?」

 

「……ご主人様」

 

 最早諦めの境地に達した様子。アザゼルは満足気に頷き、ウェイターにSコースを六つ注文した。

 

 さて、とアザゼルは仕切りなおすように浅く息を吸った。

 

「この度はうちのヴァーリが迷惑をかけてすまなかった。重ね重ね謝罪する」

 

 先ほどまでのふざけた態度から一変。微かに眼を伏せ、真摯に謝罪した。

 

「特に言峰綺礼。意識が戻ったと聞いた時は、本当に良かったと心の底から思ったよ。あのまま死んでたら寝覚めが悪い」

 

 グリゼルダさんと父さんが息を呑むのを感じた。ゼノヴィアは少々うさんくさいものを見る目でアザゼルを見ていた。それを察してか、アザゼルは少し苦い笑みを零した。

 

「もちろん、組織としての利益とか損失もあるがね。正直に話して、俺は――君の年齢を見た時、とても大きな罪悪感に襲われた」

 

 ふと、アザゼルの表情に悲しいものが混ざった。堕天使の総督としての風格が揺らいだと表現しても構わない。

 

「親子の情は深い。まだ君みたいな子供の年齢なら、なおさらな。俺は子持ちでも親持ちでもねえから、深くは理解していないが、それでもそれがとても辛いものだっていうことは想像がつく」

 

 ほら、部下の気持ちがわからなかったら組織のボスなんてやってられねえからな、と。

 

 その台詞にはっとしたのか、三人は少し考えるような表情になる。俺は変わらず鉄面皮。ヴァーリは観察するような眼差しだった。ううむ、熟練の戦士ならぬ熟練の執事を思わせる。

 

「ま、そんなわけだ。今回、俺がこうして会話の機会を設けたのは。直に少年の無事を確認したかったのさ」

 

 そこでアザゼルの瞳が少し違う色になる。真剣な色だ。とはいえ、これまで真剣だったかと問われれば真剣であると答えるしかないのだが、まあ、なんだ。違う意味での真剣さである。

 

「ついでに、面白そうな神器を持っていると聞いてな。できれば、その話も聞かせてもらいたい」

 

 あ、父さんとグリゼルダさんの不快度が上がった。機嫌も、こう、急降下。

 

「俺は今、神器の研究をしている。それも組織全体を上げてだ。そっちがその気なら、報酬次第で情報を渡してやっても良い」

 

 悪魔の尻尾が背後に見える。こやつ、堕天使と悪魔のハーフではなかろうか。

 

 皆の視線が俺に突き刺さる。全員の了見はわかっている。俺に何を求めているかは。天使陣営は断れと俺に求め、堕天使陣営は俺に取引しろと求めている。

 

 特にヴァーリからの視線は強烈だ。熱烈であると言っても良い。まったく、不意打ちの相打ちにしか持ち込めないような男に何を求めているんだか。

 

 返答はもちろんお断り。俺は天使陣営なのです。











最終更新からほぼ半年、お待たせしてすみません(汗
今回と同じく次回の更新も未定です、すみません(汗


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10 原作開始、秒読み開始

前回までの簡単なあらすじ


HSDDの言峰綺礼という名前の人物に、我々現実世界の住人が転生憑依
言峰綺礼の経歴をだいたいなぞりながら、しかしイリナと兵藤イッセーと出会い、HSDDの世界だと認識しつつ迎えた小学校時代
立派な神父になるための海外研修Part.Xの途中で白髪エクソシストから襲撃を受け、なんやかんやとマジ狩る八極拳で相打ちKO。自身の神器の存在もわかり、エクソシストと学生の二重生活を(強制的に)送ることに
はぐれを狩っている途中、ピンチになり、それがきっかけでグレモリーとただならぬ関係を持つハメに……
加えて白龍皇の策略(笑)にはまり、デュランダル持ちと共同戦線を張りながらも、途中で一騎討ちに
なんとか生き残ると次は、入院中、深夜の病室での密会途中に、黒歌の逆鱗に触れてしまい、地雷危機一髪
退院すると中二総督アザゼルさんと面会。色々奉仕され、愉悦を白龍皇に感じた(意味深)

とりあえず、キーキャラクターとは全員遭えたかな、というところで、原作開始前のプロローグという名前のお遊び、はっじまっるよー♪


 物語の歯車はかみ合う。

 

 兵藤一誠は共学になり始めた駒王学園への進学を決意し、アーシア・アルジェントはディオドラ・アスタロトを癒した罪で追放され、フリード・セルゼンは他のエクソシストを殺した罪で追われるように。

 

 確定的に動き出したのはこの三人。

 

 そしてもう一人。この三人と関わり合いのある人物。

 

 何の因果か三人がほぼ同時期に先述の通りになった頃、その人物もまた大きな節目を迎えていた。迎えてしまっていた。

 

 

 

 

 我ながらどこぞの漫画だと思う自覚はある。しかし、こうでもしなければならぬ要因ができてしまっては、言峰綺礼としては泣き言を言うことはほぼ不可能の領域である。

 

 ――狭い視界。そこに一筋の汗が伝う。通常ではありえない熱気で歪む視界の中、俺の眼球は熱の波に揺らぐ世界を歪み無く認識する。平時通りにクリアな視界。無論のことこれは神器の恩恵に他ならない。

 

 担当医師から全快の報告を受け、鈍った体を解し始めて一日目、俺は途轍もない問題に直面したのだ。なんて無様なのだとその日を呪ったことは無い。今にして思えば、あの黒歌相手によくもまああんな喧嘩を売れたものだと背筋が凍る。

 

 ――軋む音。体内で行われる不断の苦行。通常ではありえない負荷を担う骨と肉、俺の心は音を上げる体を弛緩させることなく苛め抜く。平時通りに動かす体。無論のことこれは本来してはならぬ所業。

 

 結論から言おう。現在十五歳である俺の戦闘能力は、過去十三歳の俺に劣る。たかだか二年の差。しかしこの年代の二年は大きい。単純な基礎身体能力の向上度合いを鑑みて。

 

 しかしところで、どうしてエクソシストが悪魔を単独であろうと狩ることができるのか考えたことは無かろうか。

 

 人間は悪魔に比べ、非常に非力である。中には特殊な技能を用いて、そういった超常生物を屠る人間もいるが、エクソシストはそのような技能は基本持っていない。

 

 では、どうして非力なエクソシストが悪魔相手に戦えるのか。それは聖書の神の<システム>に由来する。

 

 聖書の神は人間の因子を持つ者に対し、神器(セイクリッド・ギア)を先天的に与える<システム>を構築した。これは聖書の神が人間が悪魔などの超常生物に完全敗退しないためにあると考えられる。

 

 だが、それだけでは一部の選ばれた人間しか戦えない。

 

 だからこそ、もう一つの<システム>が存在するのだ。

 

 その<システム>は三つの条件で対象の人間に作用する。まずは超常生物を知っているということ、次はほぼ純粋な人間であるということ、最後は――聖書の神を心底から信奉しているということだ。

 

 効果は単純、人間の能力の十全なバックアップ。身体能力の底上げである。悪魔などと戦えるまでに人間の能力を上昇させる。

 

 ここまで言えばおわかりだろう――俺は、その<システム>の恩恵を受けられなくなったのだ。

 

 悪魔や天使や堕天使は知っている。俺は純粋な人間であると診断されている。

 

 ならば答えは一つ――俺はどうも、聖書の神を信奉していないらしい。

 

 ――苦行を切り上げる。体は限界寸前。一応、神器の能力によって正常な状態は保たれてはいるものの、細胞レベルでの正常さは保てない。精々が肉や骨や神経が不恰好にならない程度に補強する程度だ。

 

 さて、困った。

 

 エクソシストとしての仕事は俺にはもう回されなくなっていた。父さんの威光により、エクソシストとしての籍は残っているものの、凍結されている。それももう厳重に。事実上の解任である。

 

 シャワーで汗を流し、身だしなみを整える。あの白龍皇との一見以降、俺は任務に着かない代わり、体を徹底的に鍛えていた。そのために。

 

「――」

 

 姿見の鏡に映る自分の姿が見える。

 

 茶色がかった黒髪に黒く光沢の無い瞳。証明写真でも取るかのような無表情。これらはまあ、俺の過去と大して変わらない。大きく変わったのは体格だろう。身長は百八十に迫り、服に覆われていない首や腕は、隆起した肉によって陰影を落としている。筋骨共々に逞しいことが見て取れる。

 

 無言で長袖のシャツとズボンを身につける。可能ならば首も隠したいが、いかんせん今の季節は夏。それも夏休みという夏真っ盛り。周囲に暑苦しさを与えないよう、服装は涼しげなものにしているものの、どれほどの効果があるものか。

 

 かばんを引っさげ外に出る。向かう先は兵藤のマイホーム。

 

 かの兵藤は相も変わらずエロエロドスケベ根性丸出しである。そんな彼の部屋に行くとしたら普通、AV鑑賞会くらいしかないのだが、俺があ奴の部屋へ向かう理由はそんなことじゃありません。

 

 勉強を教えに行くのである。兵藤はこの地域にある私立駒王学園への進学を決意したのだ。理由は単純、元女子高だったから。加えて、女子の容姿レベルも高いということから、兵藤のやる気メーターはうなぎのぼりである。

 

「――あら、綺礼じゃない」

 

 ふと、声が聞こえた。女の声である。それも相当に聞き覚えのある。

 

 声の方向へ視線を向ければ、そこには紅色の鮮やかな美……少、女、うん。美少女がいた。

 

「リアスか」

 

 リアス、リアス・グレモリー。未来においてスイッチ姫という、名誉とは口が裂けても言えない異名を持つことになる奇特な人生の持ち主である。

 

「二ヶ月振りくらいかしら? 相変わらず暑苦しいわね」

 

「そうだな、暑苦しい。息をするにも少し厳しいな、今年の夏は」

 

 リアスの眉間に皺が寄る。それを見て俺は薄っすらと笑みを浮かべてみせる。

 

「……もう、ホントに嫌になるわ。何でそんなに性根が腐ってるのよ、アンタは」

 

「聖職者に対してその言い分はあんまりだと思うがね。これでも私は立派な息子だと言われているというのに」

 

「外面だけは非常によろしいですもんね、綺礼さんは」

 

 リアスはこれ見よがしに深々とため息をついてみせる。お決まりとなりつつあるリアスの行動だ。

 

「そんなことよりアンタ、またラブコールが着てるけど、色好い返事は要らないわよ?」

 

 ラブコール、というのは俺に転生悪魔にならないか、という悪魔陣営のスカウトのことである。

 

「誘っているのか誘っていないのかはっきりしたらどうだ、リアス」

 

「そんなのできるわけないでしょ」

 

「だろうな」

 

 俺はリアスの言葉に首肯する。リアスはご覧の通り俺を好いてはいない。

 

「私の立場を知っててその発言をしてるなら、消し飛ばすわよ?」

 

 リアスは片手で作ったピストルを俺に向ける。その白い指先に薄っすらと黒く揺らめくものが見て取れた。

 

 表情は非常ににこやかだが、俺にのみ向かって放たれる気配は背筋に悪い。

 

 本気だ、この女。

 

「冗談に決まっている。どうして勝てもしない相手に挑発などするものか」

 

 とはいえ、これもまた毎度のことなので変わらずに対応。俺とリアスが出会えば口喧嘩くらいしかすることがないのである。リアスが面白いくらいに俺のことを好いて無いので。

 

「リアス」

 

「何よ?」

 

「私を呼び止めた理由は勧誘だけか?」

 

「それだけに決まってるでしょう? 私とアンタが話すことなんてこれくらいしかないじゃない。私、アンタのことどうしても好きになれそうにないし」

 

 理由無き嫌悪ほど厄介なものは無いと思う。それはつまり解決策が無いということであり、自分ほど直感に自信が無い人間にとって、これほど心の警戒を解き難い相手はいない。手がかりの一つでもつかめたのなら、そこから解けるのだが、いかんせん、ガードが硬い。……というよりかは、在り処がわからないというほうが正しい。

 

「それもそうだ」

 

 リアスは俺が嫌いだが、悪魔陣営は俺が欲しい。今のところ、白龍皇とやりあえる俺との関わりがあるのはリアスだけである。それ故に、悪魔転生への誘いのメッセンジャーとして、リアスに白羽の矢しか立たないのだ。

 

「ところで、最近の調子はどうかね? これでも人間側の神職者だ。悩みがあれば、人道に沿う解を与える程度のことはできるが」

 

「私とアンタの間柄にそんな会話は無いわよ」

 

「私個人を信用する必要は無い。人格者とされる父を持つ息子を信用すると良い」

 

「だからね、いくらこの町での不可侵、及びはぐれの共同討伐協定を結んでいるからといって、天使陣営と悪魔陣営が話して良い道理は無いのよ」

 

「リアス。それは君の頭が固いだけだ」

 

 俺はこれ見よがしにため息をついてみせる。リアスの顔が苦いものになる。ここからの展開をリアスほど知っている人物はこの世にいないからだ。

 

「三竦み、大いに結構。ただし、君は忘れてないかね? この世の中はたった三つだけの勢力で成り立っているのではない。その三つの勢力に及ばないながらも、ここ日本でも妖怪の一族は存在する。少し海外に眼を広げてみれば――――」

 

「カット。アンタの話は長い。言いたいことはわかるから、黙ってちょうだい」

 

「君は過去の大戦の影響が比較的多いとはいえ、まだ平和的な悪魔の一派の若手だ。それ故に選択肢の幅は広く――」

 

「――だから、黙りなさいって言っているでしょう?」

 

 ――周囲の空気分子が死滅する。熱源を失い、希薄となったこの一帯の空気は寒気を帯びる。

 

 心なし視界が暗くなっていることはあまり考慮したくない。ただでさえ、頭が凍りそうな殺気が突き刺さっているのだ。眼の前の未熟な女性が力を行使しているなんて本当に考えたくない。

 

「そうか」

 

 内心ビクビクドキドキ、だけど変わらず鉄面皮。警戒のそぶりを一切見せず、されど次の瞬間には心臓を抉れるように想定する。

 

 見詰め合うこと数十秒。リアスはいつもの通り、怒りの矛先を収めてくれた。ありがたい。

 

「精神修行が足らない。そんなことでは呆気なく殺されるぞ」

 

 俺の経験からして。感情に頭が支配された瞬間、弱者は死ぬのである。

 

「それに力の収束も甘い。無から有を生み出すつもりでコントロールに励めば君はより強くなる」

 

 俺のその言葉にうんざりしたような表情になるリアス。

 

「アンタって本当に不気味よ。どうして敵にそんなことが言えるのよ」

 

 そんな理由は単純明快。

 

「私は聖職者だ。故に――衆生を導く義務がある」

 

 それもあるけどもう一つ。

 

 俺、誰も敵だなんて思ったことありません。

 

「――――。アンタ、バカって言われたことは?」

 

「そんな覚えは無い。君はどうだ、リアス」

 

「決まってるじゃない、私も無いわ。そうならないように努力しているんだから」

 

「それは重畳。是非、今後ともそれを続け給え」

 

 そう言って踵を返す。

 

 いくら楽しいからって時間をかけ過ぎた。これ以上は兵藤が怒る。

 

「当然よ。アンタこそ、そうやって真人間になりなさい」

 

「私は真人間のつもりだがね。だからこそ、こうして君に期待している」

 

「――何でよ」

 

 歩みは止めない。背中にかかる声は徐々に小さくなっている。

 

「君は情愛深く、そして、善く在ろうとしているからだ。そういった人物ほど、聖職者に向いている」

 

 声は沈黙した。代わりに、遠ざかる靴の音がする。問答は終わった。

 

 これでやっと――――。

 

 

「――久しぶりだな、言峰綺礼」

 

 

 ――今日は厄日であろうか。

 

 悪魔が去ってまた悪魔。俺の通り道に一人の銀白色の美青年が立っておられました。真っ黒な服と、真っ白な肌と銀色の髪とのコントラストが眩しい。ついでに、金色の瞳も。

 

 っつーか、美男美女多過ぎなんだよ。地味で死んでる容姿の俺の周囲に来るなヨ。

 

「どうしてあの話を受けなかった? 聞けばその待遇は上級悪魔に匹敵するほどだそうだが」

 

 爽やかに見えて、その実獰猛でしかない笑みを浮かべる美青年。もとい、ヴァーリ・ルシファー。

 

「今からでも遅くはない。今すぐあの紅髪の女の後を追え。そうすればお前は素晴らしい動乱の世(生涯)を過ごすことができるぞ」

 

 動乱の世と書いて生涯と読むな。それは死亡フラグの乱立した地雷原を駆け抜けるようなものだろうが。

 

「断る。私は悪魔に成るつもりは毛頭無い」

 

 今のところは。悪魔転生するにしても、原作キャラ(あんた達)原作(動乱の世)を終わらせてからだよ。

 

 その言葉にヴァーリは笑みを深くする。爽やかそうに見えて以下略。白銀の荒ぶる龍を連想させる。神々しき暴力と評そうか。つまるところ、かなり怖い。

 

「――超エリートコースだ。貰える領地は広大で、首都に近い。上級悪魔としては平均を下回るが、下級の転生悪魔にしては破格の給料、十年ほどかければこの人の世の快楽を全て制覇できる。加えて、二年以内には中級悪魔になるための試験、それに受かれば六年以内には上級悪魔になるための試験を受けることができる」

 

 ――――ちょっと揺らいだ。

 

 やべえ、魔界の事情を知っている我が身としてはその条件は旨過ぎる。それって人間に例えるなら、大企業の社長の椅子が確約されているようなもんだ。

 

 悪魔の世界では世襲制が未だ主流だ。最近は実力も重視されてきて、中にはその拳一つで上級悪魔に至った転生悪魔がいるというのは割りと有名な話だ。ただそれは、凄く特別な場合だ。平々凡々で割とボンボンな我が身ではそこまで至ることはまずありえない。

 

 だが、この条件ならば少々の労苦はあるが、先述の上級悪魔ほどの努力は必要無い。割と真面目にやっていれば、簡単に上級悪魔までいける。難易度としては、自分が社長のベンチャー企業が大成功するというのが、国家公務員試験の一種に受かるっいうくらいに下がってる。……いやまあ、これもこれで辛いんだけどね。ある程度自分の精神状態を操ることができる我が身としては、まだ許容範囲だ。

 

 俺の反応を見て手応えを感じたのか、ヴァーリ。

 

「俺の見立てではな、お前は()()()()()を手に入れられる。富も名声も権力も女も、――力も」

 

 悪魔のような笑みを浮かべて、そう言った。

 

「言峰綺礼、脆弱で未熟な人の肉で、この俺を追いつめることのできるお前ならば。

 人にとっては永久に等しい時と、人にとっては神々に等しい体を手にいれたお前ならば。

 ――あるいは」

 

 ヴァーリは恍惚と陶酔したように獰猛な笑みを浮かべている。

 

 一体全体この男の脳内ではどのような妄想がなされているのか。俺という人間はそういった力への意思とはまったくの無関係だというのに。というか、そういうのは俺の一番苦手とするところだ。世界の全てを手に入れるなんて、俺にとっては夢のまた夢。現実感など皆無に等しい。

 

「――――――第二の聖書の神に至れるだろう」

 

 ――だというのに。

 

 ヴァーリは告げる。まるで俺が時代の傑物だとでも狂信するかのように。

 

 勘違いも甚だしい。盲信も甚だしい。俺という男はそんな器ではない。正直ヴァーリにここまで言われるとなると、俺自身も勘違いしてしまいそうだが、ここは自制。簡単に山一つ吹っ飛ばす赤龍帝のエピソードなど思い出して無理だと自分に言い聞かせる。

 

「それはお前の妄想だ。ヴァーリ。私はそんな器ではないし、聖職者だ。背徳者ではない」

 

「<システム>の加護を受けていない身分で何を言う」

 

 俺の台詞が面白かったのか、ヴァーリはクツクツと笑った。

 

「今のお前は立派な背徳者だ。皆が信じるべき対象を信じていない。それを背徳といわずして何と言うか」

 

「そう言われては立つ瀬が無いが、こうとは考えられないのかね? ヴァーリ・ルシファー。たしかに私は<システム>の恩恵を受けていない。それは私の信心が至らぬ――というわけだが、私はそう思ってはいない」

 

「ほう? では、どう思っているのだ、聖職者」

 

「――主は私に試練を与えたもうた」

 

 俺がそう言うと、ヴァーリが停止する。信じられないものでも見たかのような表情だ。

 

「これより先、私には艱難辛苦が降りかかるだろうと、主は思ったのだろう。そのために、主は私に試練を与えた。他者の不理解と、不信。人は人との仲で生き、自らに社会的価値を見出している。それこそが人として生きるということであり、それこそが我らと獣とを分ける分水嶺だ。だからこそ、この不理解と不信はこの世――人の世において大きな障害と成り得る。その大きな障害が我が人生の内に生じることを見越した主は、まだ私の理解者が在る内に、この試練を与えたのだ」

 

「――」

 

 ヴァーリは沈黙して、俺を凝視した。どうも本当に信じられないらしい。

 

 俺が本心からこれを信じている()()()思えるのが。

 

 八割がた出任せではあるが、ヴァーリは疑いはするものの、理性では完全に理解しているし、そうであるが故に、この答えに七割ほど納得している。

 

 後の納得していない三割は恐らく、彼自身の勘だろう。シックスセンスとか、野生の、とか、そういうの。どっかの白夜叉の襲撃経験からくるそういう危機察知能力しかない非才の我が身としては、それがとても羨ましい。

 

「――ふん、下らんな」

 

 ……目算で七割がた納得、というのはさすがに期待しすぎたらしい。ヴァーリの機嫌は急降下、ついでに周囲の気温も怪しくなってきている。

 

「そんなものは試練とは呼ばん」

 

 吐き捨てるように、ヴァーリはそう言った。

 

「この世で信じられるのは、真に頼ることができるのは己――己の力のみだ。いかに言葉を交わそうと、いかに共に時を過ごそうと、――いかに、いかに深い()()()()があろうと。この真実は揺るがない。信用など、信頼など、そんなものは力を前にしては塵にも劣る」

 

 ヴァーリの獰猛ながらも涼やかだった相貌に、初めて濁ったものが過ぎる。獰猛ながらも純粋な白には相応しくない、混濁した黒と赤。コールタールのような、溶岩のような。

 

「その力を奪っておいて、何が試練だ」

 

 ヴァーリはそれまで斜に構えたものを取っ払い、本当の意味で俺の眼前に立つ。

 

「神は言峰綺礼を見捨てた」

 

「否、主は私を見捨ててはいない。我が父がその証明だ」

 

「それはお前の力の可能性をまだ買っているからだ。お前がこの先も、そのように非力な存在であると知れば、予言してやる。お前はただ奪われるだけの存在に堕する」

 

「否、それは在り得ない。我が父が私が無力だった時代から変わらないことがその証明だ」

 

「二度も言わせるな、それはお前の力の可能性を買っているからだ。この言い回しの意味に、気づかないお前ではあるまい」

 

 可能性は時間でもある。時間がより多い者ほど、可能性が存在するのだ。

 

 そんなことはわかっている。そんなことは。子供であれば、ほとんどの者はそこに秘められた可能性に希望を託す。俺がこうしてまだ守られているのは、その可能性を信じているからだ。

 

「是、気づいている。気づいた上で、そう言っている。――この言い回しの意味に、気づかないお前ではあるまい」

 

 子供であるということは、価値に直結する。有能であることが、価値をより高めるということは自明の理だが、たとえ無能であっても価値はある。子供は白紙であるが故に、白紙の状態に近い故に、理想を描き易い。その無能が、ただまだ白紙であるからなのか、それとも雑多に染まってしまったからなのかは、自分を表現できる大人になってからしかわからない。……まあ、中には表現できない名ばかりの大人もいるわけだが、それはそれ。

 

 理想とは希望であり、見えぬ未来への活力だ。だからこそ、人は生きることができる。力を出すことが出来る。その理想が実現する可能性――これは、誰もが欲しがってやまないものだ。

 

 だが。

 

()は、信じている」

 

 父さんはそういったものを抜きにして、息子である私を永久に信じてくれると。

 

 その信頼には報いねばならない。その信用には報いねばならない。

 

 なぜなら、信じるという行為はこの世でもっとも難しいことだからだ。盲信でも、狂信でもない信じるということ。理性でそのメリットとデメリットを把握し、デメリットが多くとも信じる。今の俺はデメリットの塊であり、つまるところ不良債権である。早々に手放すべきであるこの俺を、まだ父さんは手持ちにし、そして、以前と変わりなく信じてくれている。

 

 俺の人生経験はそう薄くは無い。濃くもないが。

 

 けれど、この父がそうまでして俺を信じていること、それはこの世で最も幻想に近いが、しかし現実に在るモノだと俺は認識している。

 

 儚く尊く、一時は唾棄せども、生涯は捨てられぬソレ。

 

 ――ヴァーリの顔が歪む。

 

 それが憤怒によるものか、それとも悲壮によるものかは、ヴァーリについてほとんど知らぬ俺には判別がつかない。しかしどちらにせよ悪感情。

 

 俺が言外に告げた、ヴァーリは持たざるであろうソレは、ヴァーリにとっては忌むべきものか。

 

 忌むべきものなのだろう。力こそ全て、とか言っている辺り、(手段)に振り回されているだけだ。獣と何ら変わらない。生存の意義がそのままその生存になってしまっている。

 

「翼を捨てろ。地に堕ちてこそ、見えるものもある」

 

「既に堕ちた。堕ちたからこそ、今の俺がいる」

 

 ならば仕方ない。心の奥底に疑心暗鬼の住まう悪魔にこれ以上言っても詮無きこと。

 

「――――」

 

 しばし視線を合わせ、互いの内心を読み合う。

 

 ヴァーリは今ではすっかり落ち着いている。先程までの苛烈さは既に無く――無いからこそ、異常だといえる。恐らく、心底に飲み下しているのだろう。心に蓋をしているに違いない。

 

 そこまで推測して、不意に一つ思い出した。

 

「ヴァーリ」

 

「……。何だ」

 

「私は悪魔になる気は無い。ここまでの問答を通してこうならば、これ以上は互いに時間の浪費だと考えるが、どうだ」

 

 兵藤をすっかり忘れていた。約束の時間はもう既に大分過ぎている。やばい。ご機嫌を何か取らねばまずいような。

 

「…………フン。それもそうだな。これ以上は浪費だ。俺もお前も退く気が無い以上、ムダだ」

 

 そう言ってヴァーリは俺の隣を通って行く。

 

 ああ、帰るんだな、と俺が安堵した。その時。

 

 

「テメエ、綺礼! やっと見つけた!!」

 

 

 不意に、後ろから声が聞こえた。

 

 やけに聞き覚えがあるのである。

 

「兵藤か」

 

 俺は振り向きながらそれに応える。

 

 茶髪の少年、兵藤一誠は肩で息をしながら、怒りながら俺の方へ向かってきた。銀髪の美青年に一切の注意を払うことなく、銀髪の美青年もまた一切の注意を払うことなく。

 

「おい、どういうことだ。めちゃくちゃ約束の時間オーバーしてるじゃねえか! 受験まで後僅かなのに!!」

 

「――」

 

「……って、おい。何かあったのかよ」

 

 何でだろう、凄く面白い。面白いぞ、この状況。

 

「ハハハハハハハハハ――――――!!」

 

 笑いを堪えきれなくなり、爆発。というか暴発。まったくカミサマ、アンタってやつはサイコーだ。

 

 腹を抱えて狂ったように笑う。いやだってやべえだろ、この状況。白龍皇と赤龍帝がとんだニアミスだぜ? それで双方気づかないときた。因縁もここまで堕すると笑えてくるさ。

 

「兵藤、お前は最高だ。お前を見ていると、世の中が面白くてしょうがない」

 

「おい、それは皮肉か。皮肉だろ。暗に俺を見て笑ってやがることを隠すなお前」

 

「いや、すまない。ここまでくると、もはやアレだ。――素晴らしい」

 

「へーへー、そりゃあ良かったでござんすね、この遅刻魔。

 ――殴ってやる。そこになおれ」

 

 いやあ、ここまでくると皮肉だね。

 

 運命は。

 

 

 

 

「――――――ふゥ」

 

 切り刻んだ肉片の飛び散る赤い土地。さすがに大っぴらに市街戦なんざしねえので、盾がなくてひたすら面倒だったが、何とかまあ片付いたか。

 

 黒いコートに視線を落とす。黒いコートは赤黒く、血色が強い。

 

 いやあ、やっぱり人間を斬るのは一苦労だ。まず最初に精神的なダメージがでかいのが最悪だ。でもまあ、それも戦ううちに削がれ落とされるので終局は変わらない。

 

「っつぅか、あいつら頭わいてんじゃねえの、マジで」

 

 俺は化け物共を追いつめまくってるってのに、どうして俺が裁かれなきゃならん。この世で一番ゴミ掃除をしているのは俺だというのに、どうして俺がこうして同門殺しをやらなきゃならん。

 

 たしかにまあ、傍目から見れば見境無く殺していると取られる自信はある。けれど個人ならともかく、でっかい組織でそりゃねえよ。

 

 地面に落ちている血に染まった白い服。白い神父服。エクソシストの制服だ。つまり、俺がさっきまで斬り殺していたのは、ご同輩だということになる。俺にこれだけ回す人数がいるのなら、その分を化け物に向けるべきだ。奴らは人類の敵なのだから。油断ならぬ敵なのだから。

 

 生温いんだよ。化け物に余力を与えてどうする。奴らは必ず俺ら人間より強いんだから、最初から殺す気で行かないといけないというのに。

 

 ――その点、あいつのあの姿勢には感服を覚える。

 

「――」

 

 不意に、遠い知人を思い出した。

 

 それも二人同時に。一人に関しては心当たりがあるが、もう一人に関しては心当たりが無い。

 

 舌打ちを一つ。エクソシストは戦いの道具であり、神の尖兵だ。そこに感情を挟む余地などまるで無く、ましてや悪魔や堕天使などの異形の化け物に対して人情を感じてはならない。

 

 感じては成らず、感じては成らず。――だからこそ、頭蓋が軋む。

 

 どす黒いものが胸からせり上がってくる。嘔吐感にも似たその悪感情、その行き場など殺意にしかないと悟っているから、ギリギリと歯を噛み締めるしかない。

 

 

「――やあ、はぐれのエクソシスト君。同僚を殺した気分はどうかな?」

 

 

 噛み締めるしかない、噛み締めるしかないからこそ――その、さえずるような、その声に

 

 唇が捲れ上がる。上から食われた真っ赤な三日月。怒りより憎しみより、狂気を湛えたその赤色。持ってるだけで暴発するほどメンテナンス不足な拳銃、それこそ今の俺のこの状態に相応しい。

 

 体が一陣の風を断ち切る感覚。速度を身上とするこの身には幾度と無く感じた馴染み深いもの。

 

 気がつけば、破魔刃を振るっていた。手応えは無い。

 

「悪いね、気に障ったのなら謝ろう。俺は君と戦いに来たんじゃないからね」

 

 視界にいるのは中華風の装飾品を身につけた、学生服の少年。年齢は同じくらいか。

 

「誰だテメェ」

 

「俺は曹操。曹孟徳」

 

 曹操――三国志においての大国の一つを建国した英雄。情に流され難い判断力を武器とした優れた将軍だ。とはいえ、その曹操に不老不死なんていう化け物染みた能力など無い。となると、この眼の前にいる人物は曹操の偽者になる。

 

 なるのだが、この世において、そうした偉人の名を語るのは大きな意味がある。それは自身が英雄の子孫であると示すことであり、非凡な人間であると告白していることだ。

 

「ハッ、親七光りか」

 

 だが、そんなものなんてどうでも良い。

 

 問題は、俺に声をかけるまで存在を知覚させなかったことだ。いくら人間とはいえ神器持ち、さんざんばらそれと切り結んだ記憶のある俺には馴染み深い気配だ。その気配は手が伸びる範囲にまでいたら詳細にわかるというのに、曹操のは相対して初めて気づいた。

 

 となると曹操の神器は瞬間移動系か結界系のはずだが、放つ雰囲気がそういった戦闘補助に携わる奴のじゃない。逃げより攻め、違いはあるが、分類としてはあいつ寄りだ。

 

「親七光りとは手厳しい」

 

 学生服はそう笑う。にこやかな表情だが、その眼は本当には笑っていない。

 

 笑みは一種の威嚇行為らしいが、曹操のはまさにそれだ。威圧する気満々。こやつ、権力を握ったら確実に独裁だ。つまり権力志向が強い。力への意思って奴だ。素晴らしいね、斬りたくなる。

 

「で、ご用は? まさかお喋りしましょうってわけじゃねえですよなァ」

 

 だったらkill。人の不機嫌突いたから私刑だ。

 

「勧誘さ。俺達、英雄派へのね」

 

 不意に、曹操の手に槍が握られる。

 

 それが奴の神器であることは明白だ。溢れ出る生々しい神々しさが、<神器システム>とつながっていない聖剣や聖槍と段違いだ。

 

 ――黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)

 

 神器の頂点、神殺しの代名詞。我が主の息子を刺し貫くも、祝福を与えられた槍。

 

 どうも、ただのボンボンではないようだ。

 

「化け物を、倒したくはないかい?」

 

「抜かせ、殺し尽くすのさ」

 

 剣を構える。口角が吊り上げる。上から食われた赤い三日月。首を切り取る乱獲の刃。

 

 何を腑抜けたことを抜かしやがる。何をとぼけたことを抜かしやがる。じくじくと傷口が疼く。ぞぞぞぞと憎悪がもがく。笑い出したい衝動。殺し尽くしたい衝動。

 

「ああ、そういえば、神器使いを殺せば、その神器が残ることがあるんだってなァ」

 

「まったく、口説き文句を間違えたみたいだ」

 

 とんだヘマをしちまったもんだ、と呟く獲物。聴覚は機能せど、前頭葉は機能せず。言葉の意味がさっぱりわからない。

 

 

「――槍を置いていけ、臆病者

 強大な力は、俺にこそ相応しい」

 

 

 鎖はいらない。楔はいらない。

 

 我ら霊長に、より上位の(ケダモノ)はいらず。

 

 その獣を殺し尽くす気概の無い軟弱者は、俺にその力を寄越して死ね。迷惑だ。

 

 

 

 

 寒い、この季節はこの一言に尽きます。

 

「うぅ、どうして私はコートを持っていないのでしょうか」

 

 数日前の出来事を思い返す。

 

 その時、私は路上で一人のご老人が寒さに震えていたのを見たのです。ホームレスだと推測されるその方の唇は紫色で顔色は悪く、とてもその日を生きて過ごせそうにありませんでした。私は急いでその方に聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)での応急処置を施し、着ていた安物のコートを着せたのです。

 

 その後、私は寒さに震えながら急いで近くの教会に走ったのでした。寒さに凍えて死にそうなご老人がいると伝え、その直後に魔女だと叫ばれたのでした。

 

 ……それからは必死で逃げたのでした。路銀は乏しかったのですが、命には代えられず、形振り構わずタクシーに乗り込み、襲われかけ、教会の戦士達二人から教わった撃退術で退けつつ。

 

 退け、つつ、山奥に迷い込んでしまったのでした。

 

「労苦を厭わず、あのご老人を教会の前まで運ぶべきでした……。きっと朝までは保ちましたから、それなら私もご老人も穏やかに過ごせましたのに……」

 

 こういうのを「ふくすいぼんにかえらず」と言うのでしょう。後悔は先に立たないそうです。だからこそ、後に悔いるという意味での後悔だそうな。

 

 季節は春に入りかけているとはいえ、まだまだ冬真っ盛り。寒くないわけが無いのです。神器の力で何とか生命維持活動をキープしていますが、こんな中で眠ったら神器が起動を止めるので、本当に死んでしまいます。

 

 うぅ、人里から少し離れた山奥になら、山小屋の一つか二つはあっても良いと思うのですが……。

 

 そうして山小屋やら洞窟を探しながらさまようことしばらく、私は一つの洞窟を見つけました。急いでその中に入り、雪を払い落とします。そしてすぐに中に落ちていた枯れ木や葉を集め、かじかむ手でライターで火をつけました。

 

 雪に湿った衣服を傍に転がっていた岩にかけ、火に当てます。その間私はどうしても薄着になるので、とても寒いです。眠くなるくらいに。ここで寝たらとても楽なのでしょうが、寝たら天国です。本当に洒落にならない方向の。

 

 私には、まだすべきことが残っているのですから。

 

 火に当たりながらも、未だ一向に痺れの取れない指に息をかけて、重い瞼を必死に持ち上げます。冷たい指先は体のどこに当たってもすぐに意識を覚醒させますが、眠気はまったく減衰する兆しがありません。

 

 朦朧とする意識。夢現に現れる教会での日々。それはいつもいつも気が休まらなくて、休む間すら惜しませて。

 

「……、――熱っ、い!?」

 

 額に灼熱。地面にまたしても額をぶつけたのかと思うと、眼前は真っ赤な景色。すぐそこにあった炎はありがたいことに私から一瞬で眠気を追い払ってくれました。

 

「あたっ!?」

 

 後頭部に追い討ち。今度は違う意味で眼が開けられませんでした。固い岩に頭をぶつけ、痛みに数秒悶絶してやっと、私は自分の神器を使うことができました。……こんなことなら神器の訓練を綺礼さんに教えてもらうべきでした。

 

 綺礼さんの顔が横切ってすぐに、フリードさんの顔が出てきました。

 

「……どうして、あの方は」

 

 ぱちぱちと火の弾ける音。薄暗く寒い闇が周囲に漂う。そこに浮かんでくるのは、悪魔を殺していた時の、フリードさんの悲しい顔でした。

 

 ――どうしてこうなってしまったんだろう。

 

 あの教会での、和やかとは言いがたい、けれど満ち足りた日々。それが崩れ始めたのは、私が悪魔を神器の力で治療した時からでしょう。

 

 その行為に悔いはありません。魔女と蔑まれる今でも、もし私がもう一度同じ状況に出遭ったとしても、私は必ず同じように治療を施すでしょう。悔いは無い。悔いは、無い、けれど。

 

 背筋から悪寒が這い上がる。ガチガチガチと歯が不揃いにぶつかり合う。体は完全に冷え切っているのだから鈍く動くはずの心臓は、これっぽっちもおかまいなしに全身に血を叩きつける。

 

「――……は、ァ」

 

 走っても無いのに、走っても無いのに。頭がくらくらする。息苦しい。空気が淀んでいる。暖かな光を放つはずの焚き火が、どうしようもなく不気味に思えてしまう。……思えて、しまいます。

 

 ――息を、整えました。きっと、風邪を引いたのでしょう。それで少し呼吸がおかしくなったんです。私の神器なら、この程度の病、長くとも一日休めば完治させます。

 

「……」

 

 風の音がしています。冷たい風の音。それに乗って、ざくざくと、動物の足音が聞こえてきました。

 

 その足音は徐々に徐々にこちらに近づいてきていて、私はすぐに生乾きの服を着て、洞窟の奥の方の岩陰に身を隠しました。息が漏れないように、息を止めて、そして、洞窟に入ってきたモノをそっと覗きました。

 

 ……大きな、熊でした。ここの洞窟の主でしょう。焚き火のある異常事態に警戒しているのか、洞窟の入り口の方で唸っています。

 

 うぅ、そのままどこかへ去っていってくれないでしょうか…………。一日だけ、一日だけ貴方の洞窟を貸してください……。

 

 そんな祈りはまったく通じず、熊はゆっくりとした足取りで洞窟を進んできました。その行動に、私はすぐに腹を括って、腰を落としました。……とりあえず、焚き火の炎を武器としましょう。動物は火に弱いはずだと聞いてますので、松明モドキを使えば、少なくともこの洞窟の熊から逃げられるのではないでしょうか……。

 

「意外に骨はあるようね。だけど、少々お(つむ)が足りないわ」

 

 ザクン、と熊が光の槍で貫かれました。

 

 私はすぐに熊に近寄りました。光の槍はすぐに消え失せて、傷口からは熊の血液がどくどくと流れ出しています。

 

 私の眼の前に、黒髪の美しい女性が現れました。彼女は背中から黒い翼を生やしていて、否応無く、私は彼女の正体がわかります。

 

「私はレイナーレ。〝神の()子を()見張()る者()〟に所属する堕天使よ」

 

 

 

 

 ――――不意に、心臓が脈打つ。

 

 鎖につながれ、楔を打ち込まれたはずの意識が鎌首をもたげる。

 

 しかしソレは未だまどろみの中にいた。深い混濁の底から、その浅瀬まで意識が浮上したものの、まだそのまどろみからは逃れられない。

 

 ソレはあくびを漏らし、一言、寝言を呟いた。

 

「殺してやる」

 

 

 









謹賀新年、今年もよろしくお願いします


いやホント、本当に申し訳ありません
ここまで更新が遅れたのは偏に慣れない新生活が始まったからだと思いたいです
……思いたいです



これまでの私の所業に関わらず、この話を最後まで読んでくれた優し過ぎる方々、一言聞いていただければ幸いです

ありがとうございます





そしてごめんなさい……




PS.
始めた理由がかなり昔に解決しましたので、暁様との二重投稿をやめます
今日から一週間の間に、タグの整理などをしようと思います


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11 三者三様。あるいは四者四様

本当に凄く凄く簡単なあらすじ
 名前が言峰綺礼というだけで、ノリと勢いと原作知識で生きている転生者。平穏を求めつつも、原作キャラとの遭遇が相次ぎ、変な意地が祟りエクソシストになっちゃった☆
 デュランダル使いとの遭遇、白龍皇との死線と三途の川を渡った結果、神様の<システム>の加護を失い弱体化。それに付随する諸々の問題によってエクソシストとしての籍を凍結される。
 一方で物語は動き出す。ちょっと違うのははるかに早い曹操とフリードの接触






 

 

 

 

 

 

 駒王学園の入学試験において、言峰綺礼が新入生代表を務めたのはあまりに有名な話である。

 

 全教科及び内申が満点。面接試験においても最高評価。駒王学園きっての才媛、リアス・グレモリーと支取(しとり)蒼那(そうな)に次ぐ、期待の優等生である。彼のいる授業を担当する教師は皆、口を揃えて「問題児とは違う意味で、授業に緊張する」と言っているそうな。

 

 教師、先輩後輩同期と関わらず、彼と関わった人物は皆、彼のことを賞賛する。――一部を除いて。

 

「……………………」

「……………………」

 

 ここは屋上。そこには二人の人物がいる。一人は紅色の長く美しい髪の、美女然とした美少女のリアス・グレモリー。もう一人は見るからに洒落っ気の無い、大人然とした少年の言峰綺礼。

 

 男女二人きりの屋上ともなれば、誰もが垂涎のシチュエーションである。思春期、それも学生時代。そんな甘酸っぱい青春をおくりたいと、そう願った人物はそれこそ星の数ほどいるだろう。

 

 この二人だって例外ではない。例外ではないのだ。

 

 

 ――たとえ、この場にいる数十分の間、倦怠期の夫婦のような気配を撒き散らしていたとしても、だ。

 

 

「グレモリー」

 

「何よ」

 

「体の良い人除けのためとはいえ、この状況は私にとってかなり辛い」

 

「私だってそうよ。どうしてアンタみたいに死魚のような男と……」

 

 一年生の頃はクラスメイトと楽しく談笑しながらランチを取っていたのに……、とリアスは心中で続ける。

 

「婚約者がいると、私の陣営ではやや注目を集めているが。その点はどうなっている?」

 

「…………」

 

 途端、リアスの顔が嫌悪によってコミカルに歪んだ。そして冥府の瘴気に当てられたかのような声音で告げる。

 

「遠距離恋愛だけど上手くいっているわ」

 

「そうか。それはよろしくないな」

 

 どうとも思ってないような口調で彼は応える。非常に事務的だ。

 

「……」

「……」

 

「…………ところで、アンタ。アンタの女性の好みは?」

 

「心の清い女性だ。敬虔な信徒でさえあれば良い」

 

「アーシア・アルジェント、彼女みたいな女性が好みなのね」

 

「……さて、彼女は悪魔を癒したのでな。果たして清い女性かどうか」

 

「酷い男ね。私の聞いた噂だと、将来の仲まで誓ったって聞いているのに」

 

「噂は所詮噂に過ぎん。色恋沙汰におけるその手の噂は、好きな異性を意識させるための手管にしかなりえんよ」

 

 会話する内容はお互いの色恋沙汰ではあるが、非常に事務的である。

 

 ではなぜこの二人が、こんな倦怠期の夫婦のような雰囲気を醸し出しながらもこうして二人でいるのか。それには簡単だが深い事情とがある。

 

 双方とも、情報がほしいのである。リアスは綺礼の好物を、綺礼は悪魔陣営の情報を。ある意味でリアスの支払う情報の方が重要度が高すぎるのだが、どうも当の悪魔陣営はそう思ってはいないらしい。曰く、その程度ならば許す、だそうだ。

 

 それを聞いた時のリアスの心情は、まるで冥府への片道電車に乗ってしまったものらしい。俗に言う、ストレスでマッハという状態である。

 

 リアス・グレモリーは言峰綺礼が嫌いである。理由はまだわからない。何時から嫌いになったのかもとんと見当がつかない。ただ一つ言えることは、言峰綺礼のことを考えるだけで、悪感情に襲われる、ということである。

 

 リアスはちょくちょくそれを親友である支取(しとり)蒼那(そうな)に話すのだが、一向にそれが解明される気配がない。

 

「ふうん。じゃあ、あんたは彼女が好きだったってこと?」

 

 リアスの視線が綺礼に集中する。

 

「友人としては好ましい。ただ、異性として一度も見たことは無い」

 

「じゃあ彼女が好きだったのかしら?」

 

「少なくとも好ましい友人としては見られていただろう」

 

「あんたから見て、そういう可能性はあったの?」

 

「さて。ただ、私は割と優良物件だからな。加えてあの年頃ならば、周囲が(はや)し立て、意識される可能性はあっただろう」

 

 リアスはしばし黙考し、ふーん、と気の抜けた声を出した。そしてそれきり黙り込む。しばらくして、昼休みの終わり五分前を告げるチャイムが鳴った。

 

 二人はそれぞれに伸びをして体をほぐし、友人としては少し近過ぎる距離にお互いを置いて歩く。リアスが上級生の階段を上るために綺礼から離れる。

 

 不意に。

 

「やはりまだ少女だな。恋愛事には興味津々、ということか」

 

 綺礼がリアスの耳元に口を寄せ、そう囁いた。リアスはその言葉に一瞬ピシリと固まり、次の瞬間には黒い陽炎を綺礼の首筋に突き付けていた。頬をわずかに紅潮させながら。

 

「リアス、照れ隠しにそういうのはどうかと思うが。善良な一市民として」

 

 表情筋を必死に怒りから笑みへ変えた。リアスは陽炎を消して綺礼の耳を引っ張り、同じように囁いてみせる。

 

「私は真っ当な少女ですから。けど私、馬鹿にされるのは嫌いなの」

 

「腐っても次期当主という自覚はあるか。それは失礼した」

 

「……試したのね」

 

「無論。なにせ最近()()()()。努々、その緊張を忘れてくれるな」

 

 リアスは複雑な、しかし真剣な表情で綺礼から手を放す。そして無表情の綺礼を見上げる。リアスは眉間にしわを寄せ、絞り出すように言った。

 

「ありがとう」

 

「気にするな。詳しいことは追々共有する。あぁ、礼ならば君をからかわせてもらえたことで充分だ。これ以上は何も望まない」

 

「……ねぇ、綺礼。私は常々思うのよ。貴方と私、どっちが偉いかを示す必要があるって」

 

「比べるまでもない。君は私よりも偉い。ただ、私は狡く立ち回っているに過ぎない」

 

「態度の話よ!」

 

 リアスは綺礼に言葉をたたきつけて、授業の始まる教室へと歩いて行った。リアスが見えなくなるのを見届けてから、綺礼は教室に入る。

 

 すると、茶髪の少年が満面の笑みで綺礼の前に現れる。

 

「どうした、イッセー」

 

「聞いて驚け。――俺、春到来」

 

 鼻高々に声高にそんなことをのたまった。のたまわれた綺礼は簡潔に、礼賛の言葉を述べて通り過ぎる。

 

「おいこら待て、この腹黒。その冷めた反応はいったい――」

 

「次はテストだ。五十分ほど待て。その後にしっかりと言祝(ことほ)ごう」

 

 授業開始まであとわずか。ピシリと固まる花畑の脳味噌。とんだアイスフラワーである。

 

 それを尻目に綺礼は自分の席に着く。一誠は慌てに慌て同じく自分の席に戻り、テスト勉強を始める。しかし世の中は無情かな。鳴り響く授業開始を告げるチャイム。教室の扉を開けて入ってくる教員。いまいちぱっとしない教員は告げる。今からテストを始めます。筆記用具以外の物はしまってください――

 

「ちくしょー! てめえらの血は何色だー!! どーしてテストのこと教えてくれなかったんだよォ!!」

 

「ふ、愚問にも程があるぞ」

「ああ、愚問だな」

 

「「彼女の自慢なんかしやがってこのアイスフラワーヘッド!!」」

 

「頭突くぞてめえらァ!!」

 

 変態三人組の乱の勃発である。愉快かな愉快かな。綺礼は鉄面皮の下でほくそ笑んだ。

 

 醜いとっくみ争いは五分ほど続き、リア充の敗北で幕を下ろした。捨て台詞を非リア充な変態二人に吐きつつ、リア充はリア充に話しかけた。

 

「助けろよ!」

 

「何故だ」

 

「同じリア充だろ!」

 

 クラスメイトから「お前と綺礼さんは同じじゃねえよ。格が違うんだよ、格が。単細胞生物だった遙か遠くの前世からやり直せ」とか言いたげな視線が突き刺さる。そんな視線に気づかないケダモノ一匹。真リア充はそれを見て内心、醜悪に笑う。

 

「はっはっは。何の冗談かな。たしかに私はリアスと親しいが、イッセーのような関係ではない」

 

 そうだよそうだよ。清い交際をしているんだ、あの二人は。あれ、でもあの人婚約者がいるって噂。噂だろ、そんなの。略奪愛、略奪愛? キャー! きっと大学も一緒で、卒業したら即入籍、一年後に第一子。きっと清廉な美少年が産まれるんだろうなぁ。……逆光源氏。じゅるり。警察どこだ。こいつ、お巡りさんの親戚です。運命は残酷だ。

 

 邪推する人々の声を聞き取りながらも、綺礼は特に弁明しない。変態三人組を適当にあしらいつつ、リアスの内心を推測する。

 

 ……非常に愉快だった。特に、こう。表面ではきつく否定せず微笑みながら流しつつ、内心では悪感情で鬱屈する様を想像するのは。

 

「言峰綺礼! 貴様もその羨望の対象であるということ、ゆめゆめ忘れるなよ!」

 

「あのグレモリー先輩と二人きりでランチってなぁ――死ねこのむっつり聖職者!」

 

「ふはは、かかってくるが良いぞ、非モテ組。俺と綺礼のモテ組が相手取ってやろう。フ。――命を賭けろ。或いは、この身に届くかもしれん」

 

「「生意気だ! このイッセーめ!」」

 

「俺の名前を悪口そのもののように扱うな馬鹿二人!!」

 

 まだだ、まだ終わらんよ。醜い争いは。あの程度の争いはまだ序の口だ。いずれ第二第三の大戦が起きるだろう。

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ馬鹿三人。その様を見て、笑いそうになる表情筋を必死に統制するパッとしない女子生徒。彼女はこの三人のバカ騒ぎを見て思う。夫婦喧嘩は犬も食わぬと。

 

 

 

 

 陽が傾き、影が長く伸びる。授業終わりの部活の時間、リアスは部室へと歩いていた。廊下の窓沿いを歩きながら、運動部や下校中の生徒たちの姿を見遣る。何気ない日常の風景。自分が人間であれば当然の如くもたらされていたその光景に、リアスは笑みを零す。

 

 リアスはこの光景、額縁に飾りたくてしょうがないこの世界に身を置くために努力した。だからこそ、この何気ない日常が愛おしくて堪らない。

 

 ふと、青年と呼びたくなるほどに体格の良い少年が視界に入る。その近くには良く問題を起こす三人組だ。生徒会長が彼らの所業に時折愚痴を零しているのを知っている。

 

 一人と三人は一緒に下校しているようだった。以前、あの体格の良い武闘派聖職者に、仲の良い友人は誰かと尋ねたことが在る。彼はその問いにどう答えたのだったか。

 

「……アイツ、もしかして本性はあの三人組と一緒なのかしら」

 

 返答は少し沈黙してからの、兵藤一誠、というものだった。意外と言えば意外だが、そうでないとも言えなくは無い。デコボココンビなんて別に珍しくない。

 

 静かな言峰綺礼と賑やかな兵藤一誠。学内における評価で、この二人が類似する部分など全く無い。

 

 しかしそれでも長く付き合いがあるということは、何かしらの理由が在るのだろう。あの聖職者はあの問題児に何かしら憧れているのではないだろうか。

 

「ま、彼はいつも楽しそうだから、憧れるのもわからないでもないけど」

 

 時折見かける一誠のことを思い出す。彼はいつも楽しそうにしている。何やら肌色の多いパッケージ――蒼那曰く猥雑なもの――を持っている時が一番楽しそうだった。大勢の女子に追いかけられている時もそうだ。かなり必死の形相をして逃げているが、そこまでしてでも楽しいことに忠実なのだろう。健全な欲望に忠実なのは良いことだ。その結果は善なる世界において成り立つものだ。

 

 視界を校舎内に戻し、部室までの道を歩く。

 

 部室に着けば仕事だ。英気は既に養われている。学校での生活はとても充実している。眷属と過ごす日々は楽しい。悩みの種は尽きないけれど、前向きに頑張れないわけではない。

 

 部室の前に着き、部室の扉に手をかける。さあ、今日も今日とて人々の欲望を叶えよう。

 

 そう意気込んで、ふとあの聖職者のことが脳裏を過ぎる。

 

 仮に、言峰綺礼が兵藤一誠に憧れていたとして。その理由があのあけっぴろげさだとしたら。あの色欲に忠実な様だとしたら。

 

 その欲望の対象は果たして。

 

 ――リアスは本日特大の悪寒を感じた。

 

 

 

 

「あだだだだ! 勘弁、勘弁! 止めてくれ!!」

 

「答えんしゃい。――誰に言われて俺を尾けた?」

 

 とある国の薄暗い路地裏。そこで、真っ白な神父服に真っ黒なコートを羽織った少年が、一人の男性の関節を極めていた。四十代ほどの男性だ。彼は関節の痛みと、濃密な死の気配から脂汗をかいていた。

 

「お、俺の意思だ! 誰からの依頼でもねえ!!」

 

「信用できないぴょんねぃ」

 

「アーシア・アルジェント!!」

 

 その声を聴くや否や、少年は男の関節にさらに力を込める。死の気配がより一層濃密になる。

 

 男は泣きたくなるが、一人の聖女の笑顔を思い浮かべて踏みとどまる。そうだ、俺には果たさなければならない約束が在るのだと――

 

「かの、じょ……からの! 手紙、だ!」

 

 死の気配の進行はそこで一時留まる。関節への力も少し緩くなった。

 

「何だよぅ、それを早く言いなってば」

 

 その言葉と共に、男は解放された。痛む関節をさすりつつ、懐の内ポケットから手紙を取り出し、少年に手渡した。

 

 少年はそれを受け取り、数秒ぶつぶつと呟いた後にそこそこに分厚い手紙を開封。十秒ほどで読み終え、何の手品か、その手紙をあっさりと燃やしてしまった。

 

「あ、あんた……!?」

 

「む。なんだいおっさん、向こうの人かい。そりゃあ失敗したねい」

 

「な、な、な、何を!?」

 

「魔法だよ、魔法」

 

 うろたえる男性を見て、少年は内心でアーシア・アルジェントに毒づく。神秘の世界をこんな一般人に見せやがって、と。こちら側の住人ならば、さっきの手紙の焼却にいちいち驚いたりなどしない。

 

「な!? き、君は、フリード、フリード・セルゼン! 神父だろう!! 神父が魔法を使って――!?」

 

「黙りな。とりあえず、黙らなきゃ殺すどすえ?」

 

 少年――フリード・セルゼンは殺気を男性に叩き付け、恐怖から黙らせる。そして男性にフリードは簡単に語り始める。無機質に淡々と。この世界の裏側を跋扈する異形のものどものことを。

 

「なるほど……。ああ、うん。ジャパニーズの漫画でもあるな、そういうのは。異形の者共を倒すのに、その力を使うのは普通だ、うん」

 

 フリードにとってそれはとても我慢ならない事柄であるが、滅ぼすためには仕方が無い。仕方が無いのだが、どうしようもない憎悪赫怒がフリードの臓腑を焦がしている。

 

「で、用はこれだけか?」

 

「いいや、もう一つ」

 

 男性は極められていた関節をさすり動かし、体調を確認する。途端、それまでの情け無い気配が消え去り、戦士特有の油断ならぬ気配に満ちた。フリードは彼の戦意に呼応し、頭蓋を冷徹な氷で覆う。

 

「君を試させてもらう」

 

 刹那、彼の腕が奇妙に蠢く。悪鬼羅刹のフリードの眼を以ってして奇怪に映るその拳。ただ、着弾点の予測は済んでいる。微かに首を傾け、その拳を完全に――

 

「――テメエ」

 

 ――躱し、切れない。

 

 わずかにフリードの頬を掠める。カミソリで少し失敗したかのように皮膚がひりつく。たかだか薄皮一枚――されど、これは証明だ。四十代ほどのこの男性は、フリードを傷つけうる稀有な一般人であるということの。

 

 男性の眼が見開かれる。彼にとってこの一撃は必殺の一撃だ。別に次の業が無いわけでは無い。だがしかし、男性はフリードの刹那の表情の変化を読み取っている。僅かな警戒からの驚き、そして、今では先とは比べ物にならない集中を見せている。――恐ろしい。この少年の観察眼は男性の全盛期を既に追い抜いている。

 

 次の一手。男性はわざと伸ばし切らなかった腕を固定。鞭の様にしなった腕に芯を通し、拳を握りこんでいる。次の銃弾の装填は既に済んでいる。足腰は既にボクシングのフックを放てる状態だ。狙いはこめかみ(テンプル)。人体の急所の一つ。ここを撃ち抜かれ、平然とできる人間はいない――

 

「――莫迦な」

 

 狙い過たず、男性の拳はフリードのテンプルを撃ち抜いた。骨と骨が衝突し、硬質の音を響かせる。男性にとって会心の一撃だ。この一撃は、自身の生涯において最高のものだと誇れるほどの。

 

 ――しかし、それは必殺になり得ない。

 

 呆然とする。眼前にはその衝撃から首を微かに傾げる白い少年。走馬灯のように遅く流れる時間。その刹那の時間の中で、男性は生涯で初めて。

 

 ――赤い。血のように赤い。狂い三日月。上から食われた赤い三日月。

 

 悪鬼がいる。白い髪の隙間から、黒い赫怒を宿した瞳が覗く。

 

 時の流れが元に戻る。男性の全身は脂汗に塗れている。

 

 フリードがゆっくりと手を伸ばす。幽鬼のように白い手だ。微かに血管が透けて見える。それは骸骨を連想させ、死神を――

 

 ガシリと頭を掴まれた。動作は緩慢だ。だが振りほどけない。男性はフックを撃ち抜いた体勢のまま、成すがままにされるまま。男性の頭蓋が軋み、体が持ち上がる。在り得ない。成人男性を軽々と持ち上げる少年など在り得ない――

 

「痛えな。何しやがった」

 

「……フリッカージャブからの、テンプルを狙ったフックだよ」

 

「ボクシングのチャンピオンかい?」

 

「まさか。どこにでもいる、武闘派万屋だ」

 

 少年はこめかみから血を流しながら、悪鬼の如く凄絶に笑う。笑い、手を放す。男性は尻もちをついて、路地裏にへたり込んだ。

 

「悪鬼のような少年だな、君は」

 

「カハハ。悪魔殺しが悪鬼とはミイラ取りも末だ」

 

「とんだ悪魔殺し(デモンキラー)だ。確認するまでも無かったか」

 

 男性は哀愁漂うニヒルな表情になる。脳裏に過るのは聖女然とした純粋無垢な美少女。出会いからして夢やら奇跡やらとしか呼べない現実味の薄いものであったが、その衝撃は未だに瑞々しく鮮烈に記憶に焼き付いている。たとえ地獄に落ちようとも、この記憶は決して消えないと思えるほどに。

 

 嗚呼さらば、私の恋。私の少年心よ。どうか安らかに眠っておくれ。

 

 男性は胸中で自身の恋心の冥福を祈った。老兵やら敗者やらはただ立ち去るのみである。

 

「これでも〝魔弾の射手〟と恐れられていたのだがね……」

 

「ああ、見事な一撃だ。相手がただの人間――異形に関わってねえ奴らなら一撃だな」

 

「君は優しいな」

 

「優しけりゃ人の業をわざと食らって平然としねえよ」

 

 フリッカージャブの時点で蹴り倒してる、とフリードは言って笑う。男性はその言葉に戦慄する。

 

 男性のあのフリッカージャブは奇襲だ。意識の間隙を上手く衝いた、開戦の狼煙も兼ねた奇襲。それに見てからでも対応できるとは、いったいこの少年はどのような存在と戦っているのか。

 

「ところで一つ気になったんだが、お前。万屋って何ができる?」

 

「話を聞かないことにはどうにもねえ。ま、守秘義務は万全だから安心して話しな。何せ、仕事は信用が第一だ」

 

「そうか。じゃあ――」

 

 フリードは告げる。一つの望みを。

 

 男性はその望みを一にも二にも請け負った。タダで。

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのよね?」

 

「慎重ですね、貴女は。大丈夫ですよ。教会の眼はここまで広げる余裕は無い」

 

 黒髪黒瞳のスレンダーな美少女――堕天使レイナーレは、ローブのフードを目深に被った不気味な青年に何度も確認した。

 

 場所は廃教会の地下講堂。元々荘厳であっただろうその場所は、神聖さの欠片も無く、ただただ神への冒涜に満ちていた。その場所にたむろするのはレイナーレの他の三人の堕天使と、多くのはぐれエクソシスト達そして――一人の金髪の魔女である。

 

「……そう。けど、何だって私達にこの場所を強く勧めたのかしら? 教会の力の及ばない場所なんて、他にもあるでしょうに」

 

「隠密が大事です。無人の地では目立ち、大衆の地ではあからさま。でしたら、ほどほどに監視されたこの地が適切でしょう」

 

 きな臭い、レイナーレはその青年に対しそんな感想を抱いた。

 

 青年はいかにも魔法使いらしいローブを着ている。中肉中背、特に目立つところは無い。――その背に背負う、厳重な封印の施された太い包みさえ無ければ。

 

 レイナーレの背後で、ゴシックロリータ姿の少女が尋ねる。

 

「……あれ、どう考えてもヤバいやつっすよね?」

 

「黙れ。無駄口を叩くな」

 

 それに応えたのは紳士然とした屈強な大男である。彼はその廃教会内の無事な長椅子に座り、本を読んでいる。しかし、彼の意識の全てはローブ姿の青年に向けられている。

 

 微かな、しかし有無を言わせぬ重圧に、少女はローブ姿の青年を挟んだ大男との直線状に立つ煽情的な女性に視線を向ける。返答は、こっち見るな、と唇を動かしただけだ。

 

 少女は落ち着かない気持ちで、長椅子の背に腰かけ、足をぶらぶらさせる。

 

「何も、大きく動くわけでは無いでしょう。戦力を細く強大に集めつつ、儀式までの時間を稼ぐ。ブラフを張ればより確実ですが、ここには魔王の親族と教会最悪が居る」

 

「なら、なおさらどうしてこの土地を?」

 

「何、単純なことです。ただの慢心ですよ」

 

 ローブ姿の青年は、ここで薄く笑みを零した。

 

「有望な上級悪魔、秀才である元エクソシスト。戦力として、これほど頼れるものはない。――しかし、若輩だ」

 

 曰く、騙し合いで勝てるものか、と。

 

「一方に至っては、縛られている。事情は確かに事情だが、それにしても、狡猾な兵の頭脳すら使わず神話の存在に勝てるものか――と、若輩めは想像しますが、いかに」

 

「のせるのが上手いわね。伊達にそれだけの危険物を得物としているわけではないようね」

 

「おや。さすが――」

 

「世辞は良いわ。で?」

 

 ゾ。と。

 

 レイナーレの双眸が(すが)められる。堕天使の翼こそ出していないものの、この廃教会に威圧が満ちる。それに呼応し、少女、大男、女性からも威圧が放たれる。

 

 ローブ姿の青年は薄い笑みを顔に張り付けながらも、臓腑がやや竦み上がるのを感じた。首筋に氷の刃が突き付けられている。無論、現実にそんなことは一切無いが、それくらいにはこの四体の堕天使に恐怖した。

 

「貴方、どこの人間かしら? 三大勢力の所属ではなさそう――いえ、元三大勢力の所属かしら」

 

「断言はしかねますね。――この程度はただのかまかけでしょう」

 

「ええ、三大勢力は大きいですからね。といっても、テストも兼ねているわ。――ね、貴方のお名前は?」

 

 レイナーレ達からの威圧が弱まる。この程度は意味が無いと青年を測った。それでも威圧を完全に消さないのは、どんな間違いにも全力で即座に対処するためだ。

 

 青年は腹の中でなるほどとこの四体の堕天使達への評価を下した。下した上で、答えた。

 

「シグルド。未だ無名ですがお見知りおきを」

 

 フードは脱がず、恭しく一礼した。

 

「ええ。後々また頼らせてもらうわ、シグルド。ここを紹介してくれてありがとう」

 

「こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。では、これで失礼させていただきますね」

 

 こうして、レイナーレの一団は駐屯することになる。

 

 ローブ姿の青年はいっそ無警戒とも言える足取りで廃教会を後にし。その扉が閉まり、数分の緊張状態の後にレイナーレは言う。

 

「使い魔を」

 

「もう送ってるわ」

 

 簡潔にそう応えたのは女性だ。レイナーレはそれに頷き、女性――カラワーナが出した使い魔の視界の画面を注視する。

 

 

 ローブ姿の青年は無防備に歩いてみせている。

 

 内心で下した評価を再度反芻する。この警戒心の高さは高評価。頭の回転も時期を見る目も悪くない。ただ――実力はありきたり。

 

 背負った空の包みを宙に放り投げる。それは使い魔の視覚から一瞬だけシグルドの姿を隠す。

 

 刹那、使い魔は斬殺される。

 

 一秒にも満たない、空の包みが落下し始めるより先に終わった出来事。後に残るのは使い魔の死骸。

 

 ――そして、あまりに濃い破滅の残滓。

 

「おっと」

 

 その余波でフードが脱げる。白髪が月光を反射する。そのフードを直そうとして。

 

「もう無意味か。――ではさらばだ。哀れな堕天使よ」

 

 これから起こる戦乱に心躍らせ、歯もむき出しに笑う。

 

 ――さあ、早くギャランホルンの音を聞こう。









ごめんなさい、ごめんなさい
更新がこれだけ遅れて本当にごめんなさい


理由を挙げれば作者の怠惰が真っ先に上がるのですが、部活に入っちまった大学生ということを考慮していただければ、と思います

文字数少な目な上、次回の更新が何時か約束できず重ねてすいません


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12 針は遅く。されど運命は近づき

めっちゃ簡単なあらすじ

パンピーがハイスクールD×Dに言峰綺礼って名前で転生したで
英才教育(笑い)でめっちゃハイスペックやで
フリードとアーシアと幼馴染やで。アーシア可愛い
ゼノヴィアprpr>モクヒケントヤラヲ
神器万能ヤッター! でも神滅具には敵わないよ……
バトルマニア(けつりゅうこう)に 眼 を 付 け ら れ た
リアスと綺礼は仲良し。なお、リアスはオモチャにされてる模様
神父悪鬼フリード。曹操とは別行動の模様。おじさんはアーシアに恋をする
日本に忍び寄る至高の堕天使(予定)の魔の手
シグルド……いったいジー誰ードなんだ……
すまない、皆目見当がつかない、すまない



※注意
 デート描写有り
 爆ぜろリア充のシナプス








 

 

 

 ――バイバイ

 

 堕天使はそう言って、一誠の心臓を貫いた。

 

 一誠は呆然としている。なにせ、自分の恋人が人間以上の存在であり、あまつさえ自分を殺したのだ。それまで見せていた恋人らしい表情を一切見せずに、いっそ清々しいほど通り魔のように一誠を殺した。貫かれた今でも、ドッキリであることを期待している。

 

 なんと残酷なことか。通じ合っていた愛は偽りで、そもそもその愛すらただ観察するためだけの演技。実験室のモルモットと同じだ。仮説を検証するためだけの存在。用済みすなわち死。

 

 ああ――何と腹立たしい。

 

 綺礼は夕暮れの公園に隠蔽して(仕掛けて)いた隠しカメラからの映像を見て眉根をひそめる。

 

 この結末は知っている。このような死に様も何度も見たことがある。己自身の手でこなしたことすらもある。その時は何一つとして感慨を抱かなかったが、なるほど。殺人という行為は、俯瞰で見る分にはいささか以上に不快なようだ。

 

 ――嫌だ

 

 嫌だ、と。声に出さずに一誠はそう訴えていた。ここで死ぬのは何かの間違いだと、これはただの夢で、この冷たい痛みは幻痛なのだと。赤い夕暮れ。日常の終わりに希う。死にたくない、生きていたいと。

 

 心の底から。真実。

 

 瞬間、紅の閃光が黄昏を追い払う。その紅は漆黒の翼を広げ、夕闇に落ちる夕陽から一誠を遮って。そして。

 

 憤怒と悲哀を顕にした。

 

 映像越しに綺礼はその感情に心動かされた。普段見慣れている一学年上の人間ではない女子生徒。綺礼はその少女の悪感情ならば誰よりも見ているというおぼろげな認識を持っていた。しかし、それは違う。あの憤怒と悲哀は何よりも激しく深く優しい。

 

「ごめんなさい」

 

 少女――リアスはそう言って一誠に謝罪した。一切自分は何も悪くないというのに。これは不幸な事故だ。リアスは何ら一切その兆候は知らなかった。むしろ、この事件こそが兆候だ。自らの管理する土地――駒王町に狼藉を働く者がいるということの。

 

「貴方は何も悪くない。悪いのは私よ。だから、生きなさい」

 

 その欲望は正しい。故に生きよ人よ。

 

 たとえ、どのような存在と成り果てようとも。

 

 果たして物語は動き出す。いや、正確には一誠が駒王学園にいる時点で始まってるっちゃあ始まってちゃいるのだが。

 

 綺礼は隠しカメラからの映像を切り、しばし瞑目する。

 

 友人の死とその復活。否、悪魔転生。それらを一度に見た心情を落ち着かせ、これからの動きを脳内で反芻する。正直、かなりやばい不確定要素の比重が大き過ぎて「頭痛が痛い」のだが、それに関しては自身が出張ることで天秤の均衡を図ろう。

 

 ――良し、何も問題は無いな。

 

 頭をガンガンと打ち付ける白髪鬼が憎たらしいのだが、マンホールの蓋を閉じることで強引に解決させる。当面はリアスからの連絡を待つことになる。ここで言峰綺礼が動くのは不自然であり、下手すれば首が飛ぶ。物理的に。怖いなぁ。

 

 綺礼は頭痛の種を少なくともリアスに言われるまでは忘却することにし、自衛官養成所のような普通の学生生活を続行することにした。

 

 翌日の昼休み。

 

 いつも通りの笑顔の、しかし尋常ならざる覇気を纏ったリアスに連れられ、今日も今日とて屋上にたむろする倦怠期の夫婦。離婚経験者ならば離婚調停は近いと評するだろう。

 

「駒王学園の兵藤一誠君が殺されたわ」

 

 普段ならば頼まない言峰綺礼の神器(セイクリッド・ギア)の副産物である疑似魔術による人払いと認識阻害を、いつもの秘匿結界の上から行使させ、その上でリアス・グレモリーは淡々と簡潔に告げた。

 

「そうか」

 

 友人が殺されたというのに、綺礼は一つ頷いただけだった。リアスはその反応に、腹の底にしまい込んだ憤怒を視線に込めた。

 

「気づいていた。悪魔に成っていたことなどな。君のことだ。理由が無いわけではないだろう」

 

 その言葉に視線から憤怒を収める。しかし代わりに、嫌疑を込めた。

 

「……随分と淡白で、私を信用しているのね。私が兵藤君を手駒欲しさに転生させた、とは思わないの?」

 

「リアスに限ってそれは在り得ない。君は、悪ではないだろう」

 

「私は悪魔だけど?」

 

「蝙蝠の翼と例えようの無い尻尾を生やしている、特殊能力を持ち長命なだけの種族だ。主は元から悪しき存在など生み出していない」

 

 特に表情を動かさず、それが当然だと言うように言峰綺礼という神父は断言した。その言葉態度共に、一切の揺らぎは無い。その凄まじい鉄の精神に、リアスは色々なものを揺らがせた。本当に色々なものを。

 

「貴方、とことんおかしいわね」

 

「そこは世辞でも論理的だと言うのが人間的だ」

 

「貴方相手に虚飾は無意味でしょう」

 

 リアスは視線を切り、遠くを眺める。校庭では友達と昼食を取っている学生がいる。

 

「随分としおらしいな」

 

「当然でしょう。私の失態よ、こんなの」

 

「君は知らなかっただけだ。無知を知っている人間が無知を嘆くな。悲観論が過ぎる」

 

 リアスはその言葉に黙り込んだ。食事の進みも遅い。よほどダメージは大きいようだ。

 

 綺礼が食べ終わった頃、リアスは口を開いた。

 

「……ねえ」

 

「何だ」

 

「面倒くさいわ。あんたの言い回し」

 

「理解できないリアス・グレモリーではないだろう」

 

「ついでに、気持ちが悪いほど優しいわ」

 

「二文節ほど余分だな」

 

「気持ち悪い」

 

「はっはっは。そうきたか」

 

 綺礼の言葉はこんな時だと言うのに、事務的な色が抜けていない。何だかんだと会話を楽しんでいる気配は感じられる。冗談もそれなり以上にというか腹立つほど挟んでくるので、楽しんでいないという可能性は低いだろう。その楽しみ方がリアスにとって愉快なものかどうかはさて置いて。

 

「学園生活は、楽しい?」

 

「職場より楽しませてもらっている。不満は無いな」

 

「私を慰めているの?」

 

「そうだな。早く立ち直ってもらわなければ狼藉者に殺されかねん」

 

 

「――言峰綺礼。あんたは何を隠しているのかしら?」

 

 

 ふと。空気が凝固した。

 

 綺礼はそのリアスの気迫を平然と受け流し、尋ねる。

 

「理由を訊いても?」

 

「その胡散臭さ、と言いたいけど。あんた、力が落ちているとはいえ、神器が戦闘向きではないとはいえ、ただの一般人に殺されるわけがないでしょう」

 

「私は人間だ。殺されれば死ぬ」

 

「緊急の術式くらい準備しているでしょう。お姉さまが言っていたわ。あんたは危険だって」

 

 お姉さま。綺礼はリアスに血のつながった姉がいたかと思い返す。たしか、魔王である兄の一人だけだったはずだ。兄ではなく、姉を指すならばそれは。

 

 ――グレイフィア・ルキフグス。魔王ルシファーの女王にして妻。魔王ルシファーほど強くは無いが、その背中を預けられるほどには強い。つまるところ。血統や才能、努力、そして運を山積みにしてようやく勝てるか勝てないかの強者だ。

 

 それだけの大人物のお墨付きが在るのならば、リアスにとって綺礼の戦闘能力は見過ごせるものではない。

 

「買被り過ぎだ。それに、あんなものはただのジョークだ」

 

「嘘ね。あんた、どうでも良いジョークはすぐに収めるでしょう。少なくとも、真面目な話の間、私が――怒りを堪えている時は」

 

 さて困った。綺礼はここにきて下手を踏んだか、と悩む。表情は変わらずだが、内心では相当に焦っている。リアスは綺礼が複雑な事情で話すべきかと迷っているのか、と考えているが。さすがにどう誤魔化そうか、とか考えてるとは思わないようだ。というより思えないようだ。

 

 リアスの綺礼に対する評価は実のところ高い。嫌いに嫌っているが、利害が合致している間の仕事仲間としては――まあ、少しの躊躇いはあれど――それでも、背中を任せても良いとは思っている。弱みは見せたくないが。知られたくないが。だが、それでも、信用できる。約束事に全力で取り組む姿勢を知っている。妥協を許さない実直な姿を知っている。真面目な話しぶりに感心している。だからこそ、信用できる。

 

 そんなことは露知らず、綺礼は必死で誤魔化す言葉を考えていた。が。

 

「――――」

 

 リアスの真面目な眼を見て、諦めた。諦めてどうやって話すべきかを考えて、話し出す。

 

 どうもこの姫君、しおらしくなったのではなく、種々の事柄を一度無理やりに詰め込んだだけらしい。腹に詰め込んで涼しくなった頭で、物事を全力で整理していたようだ。

 

 綺礼はこれだから頭の良い奴は、と。友好を深めるためにとしてみたチェスの内容を思い出して苦笑いする。さすがのリアス・グレモリーだ。異端の傑物達をまとめることになる将軍だ。

 

「まあ、付き合いの長い友人の初めての、念願の彼女だ。気になって少しだけ探した。――が、残念なことに誰も天野夕麻の詳しいことを知らなくてな」

 

「それで、後をつけたわけ?」

 

 リアスの眼差しに非難と疑問の色が宿る。どうして一誠を助けなかったのかとの非難と疑問だろう。

 

「つけたわけだ。即席の使い魔と小型カメラを使った。申し訳ないが、きな臭い相手に手を出せるような身分ではなくてな」

 

「……はあ。熾天使(セラフ)はあんたの扱い方を絶対に間違えているわ」

 

 リアスは嘆息した。嘆息して数秒後、ふと思い出したように。

 

「私達なら、貴方の能力を最大限に使ってあげられるけど、どうかしら?」

 

「魅力的なお誘いだが、断っておこう」

 

 リアスはすっごく綺麗な笑顔を綺礼に向けていた。とても不気味だった。綺礼の脳内で自分を使って左団扇にしているリアスの姿が再生された。リアスの脳内では綺礼はリアスに一切関係の無い場所で馬車馬の如く働かされていた。似たり寄ったりだった。

 

「それで。何をしてほしい?」

 

「彼を気にかけてあげて」

 

「どの範疇で?」

 

「付き合いの長い友人として」

 

「了解した」

 

 

 

 

 空港のバス乗り場に、白髪の少年と中年の男性がいた。ちょうど多くの旅客を乗せた飛行機が着いたのだろう。昼間であることもあって、多くの人に溢れていた。

 

「いや、裏の世界というものは凄いな。嘘が真実で真実が嘘。情報社会での虚実の見極めは重要だと知っていたが、いやはや。ここまで徹底されていたら、その見極めも意味を成さないな」

 

 男性は改めて権力の偉大さを思い知った。危ない橋を渡った経験は何度もある。小国の政府も侮れないことを知っている。――けれど、どこかで侮っていた。

 

 こうしておけば大丈夫だろう、とそんな頭があったのだ。

 

「経験は油断のもと、だな。そう思わないか、神父さん」

 

「重々承知だ。で、なぜあんさんまで来てるんしゃい」

 

「君、日本は初めてだろう」

 

「日本語は話せるぜ」

 

「……驚いた。語学も完備か」

 

「いいや。気に食わねえ奴に、日本人がいた」

 

「――コトミネキレイ、かな」

 

 神父はその言葉に眼を見開いた。

 

 たしかに、アーシア・アルジェントの追跡に当たり、様々な情報を渡した。裏の情報の収集の仕方も教えた。だが、その程度で――。

 

「いや、辿り着くか」

 

 この三人組は有名だ。はぐれと魔女と不信人者。この歪な三人組は一時世間を賑わせた。特に、白龍皇と相打った事件が出回った時期は凄まじかった。事件の顛末を聞き、魔女とはぐれとの関係を聞けば、それはもう話題性は高い。スキャンダルの火薬庫だ。加えて、そこまで秘するべき情報でないということも話題性を煽った。

 

「彼は今、グレモリーとシトリーの血族の経営する高校に通っている」

 

「……知っているサ」

 

 表向きははぐれに対する迅速な解決のためとなっているが、少数意見では融和の一環だと噂されている。一部の戦争に嫌気の差した集団がそう流している。

 

 ただまあ、信心深い言峰綺礼のことだ。はぐれによる被害を防ぐため、という頭もあろうが、何より。はぐれ悪魔の悪辣さを暴くためにしたのだろう。聞けば、冥界でもはぐれ悪魔への対処を考えているとのこと。敵から無能が減るのは都合が悪いが、悪魔転生の数が減るのならば良い。無辜の人間を殺さずに済む。なにせ、悪魔は人の都合などお構いなしなのだ。

 

「いち一般人として、確執が少なくなるのは嬉しいよ。なにより、この確執に決着が着けば、君達三人は何のしがらみも無く友人に戻れる」

 

「――」

 

 友人じゃねえよ、と返そうとして言葉に詰まった。脳裏に過るのはアーシアの笑顔と、綺礼の背中。アーシアは幸せそうに笑っていて、綺礼は顔だけこちらに向けている。ああ、それは、一般に幸せと呼ぶのだろう。

 

「――無理だねぇ。なにせ、()り過ぎだ」

 

「そうか。それは悲しいな」

 

 男性は顔を曇らせる。神父はその同情に苛立ちと殺意を覚えた。

 

 人は少しづつ減っていっている。

 

「で、なんで唐突に?」

 

「だって、君と彼女と彼――はどうかは怪しいけど、君たちそれぞれは独りじゃないか。独りは悲しいものだろう」

 

 訊いて返ってきたのは普通過ぎる言葉だった。普通過ぎて、逆に新鮮な言葉だった。

 

 そうか、と独りは悲しいものなのか、と神父は考える。考えて、違う、と結論付けた。人は、独りでも悲しくはない。そんな人間を知っている。だってそうだろう。たとえ本当は独りであったとしても、独りではないと思えるのなら、それは悲しくない。

 

「まあ、そう言うおじさんも独り身なわけだが。これがなかなか堪えてね。筋の良い子供を養子にしようと思っているんだ」

 

「結婚の望みは薄そうだからなぁ。頭と同じで」

 

「馬鹿を言え。見給えよ、この髪の量を」

 

「かつらだろ、それ」

 

「……なぜわかった」

 

 不自然なんだよ、と神父は男性に笑って返す。途端に男性は前髪を触り出し、周囲を見回した。

 

「あれ、人が少ないな」

 

 男性はここではたと気づく。喧騒が遠い。不自然なほどに。ここは――空港のバス乗り場だろう。

 

「運が良いな。ゆっくりと眠れそうだ」

 

 神父の言葉が男性の耳朶を打つ。男性は神父を直視できなかった。不穏な気配。死神の気配。いつの間にか、間違った断崖絶壁に立たされたかのような違和感。

 

「――あんたは、何も知らない」

 

 脳を掴まれた。心臓を掴まれた。

 

 殺される。死なされる。これまでの自分、これからの自分その全て。殺される、失ってしまうと錯覚した。

 

 振り向きながらに拳を振るう。裏拳。出が見えぬが故に、距離感を狂わせる不意打ち。素手における居合斬りと言っても構わない。そこから更に、蛇のようにしなるフリッカージャブに変化する。奥の手の奥の手。並ならば初見殺し、並でなくとも手傷を負わす射手の魔弾――。

 

 それを、悪魔殺しは難なく掴む。一度見た、それで充分だ。と禍々しい瞳は語る。

 

 そうして情報屋の世界はグルリと回り。

 

 

「――あれ」

 

 かつらを被った万屋は、どうして日本に来たのかを思い出した。

 

 そうだ。路地裏でたまたま出会った白服の神父が原因だ。その神父は酷く酔っていて、そして、自分に息子がいれば同じくらいの年齢の少年の神父だった。どういうわけか、変な感傷か、万屋はその少年神父の愚痴に付き合って――

 

「――そうだよ、それで日本行きのチケットとか無駄に買わされたんじゃねえか!!」

 

 日本に仕事は無い。一切無い。用事なんて皆無である。それをどういうわけか、というより一緒に酒を飲まされて、そのテンションでチケットを買ってしまい、ただ何だかんだ日本って初めてなんだよな、と少しウキウキしつつ、しかし腹の奥底に怒りを仕舞い込んでここに来たのだ。やけっぱち気味の観光だ。

 

 バス乗り場で、バスの行先を確認する。日本語は少し不慣れだが、英語が書かれている。ありがたい。

 

 ふと、視界の隅に白いコートを着た少年が見えた。その少年はバスに乗ろうとしている。その少年の横顔を見て、あの少年神父を思い出した。酷く似ていた、酷く似ていたので、怒鳴りつけようとしたが――。

 

「くっそ、人違いだ。畜生め。あれだけ物騒な奴を、あんな呑んだくれと間違えるなんてどうかしている」

 

 あれは違う。別物だ。そもそもあれは普通ではない。万屋という職業柄で良く見かけている。あれは鉄砲玉だ。誰かの掌の上で踊るようなタマじゃない上に、ああいう人間がもたらすのは破滅と死だけだ。そんな人間の死んだという知らせ、誰かを道連れにしたという話は良く知っている。

 

 嫌なものを見た、と顔をしかめる。不機嫌だ。あまり気分は良くない。

 

 ふと顔を背けた先で、可愛らしい金髪の少女を見つけた。若いのに敬虔なシスターなのだろう。こんな辺鄙な土地でも、使い込まれたシスター服をきちんと着用している。

 

 きっと複雑な日本の地理に、苦しめられているのだろう。普段ならば手助けするが、今はそこまでの余裕は無い。

 

 さて。日本の飯はやや高めだが、値段以上に旨いこともあるというので、さっさと飯を食おう。

 

 

 見事に暗示にかかった万屋の様子を白髪の神父は見送った。

 

 <システム>の加護によって向上した視覚。渡された神器によって生み出した超能力。その二つを以って、白髪の神父は万屋を監視し切った。

 

 人の好い万屋だった。能力がそれなりに高いということもあったが、何より、分を弁えられる頭があったことが素晴らしい。それでもって人の好さをきちんと残している。非常に好い人物であると言える。

 

 バスの座席に深く腰掛けながら、瞼を下ろす。

 

 迎えは無かった。

 

 忌まわしい頭領の言葉を思い出す。

 

 ――自由に動いて構わない。俺らはまだ、仲間集めの最中だ。フリーランス大いに結構。だがね、動向は教えてくれよ。知らぬ間に相打ちなんて、そんなことは寝覚めが悪いからね。

 

 動向は伝えた。目的も伝えた。協力や援軍は不要と伝えた。

 

 同じ派閥の奴が、自分の向かう土地で仕事を請け負ったと聞いた。けれど、助太刀の要請は無かった。状況を見る限り絶望的であるというのに。――つまり、その土地では好きに振る舞って構わない、ということだ。

 

 臓腑に燻ぶる何かを感じた。知っている。知っている。これは憎悪と呼ばれるものだ。これは憤怒の糧となるものだ。黒を赤へ。燃料を火炎へ。

 

 早く、早く、早く――早く。

 

 今は燃やせない。故に早く。待て、待て、待て、と。

 

 燃え上がる心臓とは対照的に、体から力を抜いていく。脱力して脱力して。決して。この感情を暴発させないように。

 

 

 

 

 端的に言うと。

 

 兵藤一誠は命の危機に晒された。

 

 超常の敵ではなく、同級生に。

 

「死、死ぬかと思った……」

 

 ぜーはーぜーはーと息を切らし、呼吸を整える茶髪の少年。兵藤一誠である。今日も今日とて学生服の下に着た赤いTシャツが鮮やかだ。艶やかでもある。大量の汗で濡れているために。

 

「まったくだ。……しかし、私の声でも落ち着かんとはな」

 

 幸いなるリアスめ、とその隣にいる青年のような少年、言峰綺礼は内心で独り愚痴る。同時に、敬愛する友人がこれほどまでに慕われていることを少し喜ばしく思う。

 

「そりゃあな。俺、お前の彼女を寝取ったようなもんだからな……」

 

「彼女ではない。話が合うだけのただの友人だ」

 

 春の日差しは暖かだった。桜の花びらは既に散っている。どこにも見かけることはできない。

 

「……そういえばさ。部長からお前のこと聞いたんだけど」

 

「ああ、盛大に顔をしかめていたことだろう」

 

 綺礼は意地悪くニヤリと笑った。一誠はそれを見てリアスに親近感を覚える。

 

「何をしたんだよ? 俺、あの人からはあんな表情を想像できなかったんだけど」

 

「イッセーへと同じ対応をした。今のところ連戦連勝だ」

 

 うわー、と兵藤一誠は心底から同情する。こんなに性格が悪く頭の良い秀才に目を付けられるとは不幸極まりなかった。

 

 兵藤一誠はリアス・グレモリーを善良な人だと思っている。そして、その善性を信じている。だからこそ、この異端の聖者とはとことんまでに相性が悪いとわかってしまっていた。

 

「ははは。お前とリアスが結婚するならば、私が神父をしてやろう」

 

「冗談がきつい。お前にだけは絶対に頼みたくねーし、俺らまだ学生だっての」

 

 それを聞き、更に愉快そうに神父は笑った。一誠は思う。このラスボスにはこれからリアスと二人で立ち向かわねば、と。その健気さが神父の愉悦を更に深くしているのだと気づかずに。哀れ。

 

「学生結婚というのもなかなかに乙だろう」

 

「本音は?」

 

「さっさと人生の墓場に行き着くが良い。多くの女を抱きたいお前にとっては、それこそが一番の不幸だろう」

 

 その言葉に、一誠は言葉に詰まる。

 

 よくよく考えればそうなのだ。まだリアス・グレモリーは兵藤一誠の恋人ではないが、ゆくゆくはそうなりたいと思っている。彼女が欲しいというのは紛れも無い本音であるが、同時に、結婚したくないというのも紛れも無い本音である。一人の女性にいれこむのは怖い。

 

「しかし、お前の女運の無さはここまでくると呪われているとしか思えんな」

 

 その言葉から、いつかの夕暮れが一誠の脳裏を過る。

 

「――そうだな、本当に。まさかお前と親しい先輩と初登校するなんてなー」

 

 震えそうになる声を押し殺して絞り出した。平然と、平静を装って。

 

「まあ、大半はお前の自業自得に因るところが多いが」

 

「オデ悪くない。悪いの、オンナ」

 

「なぜ片言だ。オークか貴様」

 

「クッ、殺せ! 慈悲など要らぬ! エロをくれ!」

 

「よろしい。ならば性戦だ」

 

「やめろよ、絶対にやめろよ? ……いいか。絶対に、だぞ?」

 

 校舎裏、登校が終わってしばらくの朝の時間。追求受けて逃げた先で馬鹿をする二人の男子生徒。一定の特殊な趣味を持つお方々には垂涎のシチュエーションである。

 

 しばらくふざけ倒していると鐘が鳴った。予鈴は逃げている途中に鳴っていたので、これはもうホームルームの始まりを告げるものである。

 

「あ」

 

「もう時間か。……ふむ。どうする?」

 

「んー……。面倒だなー、ホームルーム」

 

「今日の授業そのものだろう、本音は」

 

「わかる? っつかわかるよねー」

 

 ふける? ふけちゃう? と悪魔の囁き染みた一誠の攻撃。

 

「ふけるか」

 

 会心の一撃。聖職者は気を失った。

 

「え、良いの? 言峰綺礼さん」

 

「構わんだろうさ。――騒動を大きくしそうな元浜と松田には連絡をきちんと入れておけ。今回はクラス規模だからな。下手をすると私とお前がいじめを受けた、などという法螺がでっち上がる」

 

「あ、そりゃまずいな。んー、じゃあ、桐生にも連絡しといた方が良いか」

 

「そうだな。彼女は悪ふざけの境をきちんと理解している。それに、女子への抑止力になるだろう」

 

「じゃあ、俺が元浜と松田に連絡する。綺礼は桐生に」

 

「了解した」

 

 ぽちぽちとスマホを操作する二人。送信をしてしばらくすると着信。桐生は上手いこと先生に言ったとのこと。

 

「よっしゃーイ! 今日は遊ぶぞー!!」

 

「声を落とせ。これから先誰かに見つかると面倒だ」

 

「あ、ですね。ハイ。綺礼、チーズだ」

 

「何?」

 

 綺礼がスマホから顔を上げ、一誠を見ると、シャッター音が鳴り響いた。音の原因は一誠のスマホである。

 

「和解写真」

 

「和解も何も、喧嘩などしていないだろうに」

 

「だとしてもいるだろ、こういうのって。ほら、チョキと笑顔の用意だ」

 

 内カメラを起動したまま、一誠は綺礼に近寄った。一誠は空いた片手でピースを作り、自分たち二人をフレーム内に収めた。

 

「はい、チーズ」

 

 快活な笑顔と静かな笑顔が画面に収まり記憶される。ついでに二つのピースも。

 

「これ、俺から桐生達に送るぜ?」

 

「ああ、それが楽だ」

 

 送信する。着信が来る。『┌(^o^ ┐)┐ホモォ……』とのこと。

 

 三通全て一緒だった。元浜と松田からのも一緒だった。

 

「絶対に示し合わせてやがる……」

 

「薄い本が厚くなる、というやつだな」

 

 はは、コノザマァ、と独り言ちる。

 

「やめろ、怖い」

 

「食うか? 辛いものでも」

 

「 食 べ な い 。 絶対にだ」

 

 こうして二人は隣町へと繰り出す。

 

「ところでイッセー、大き目のズボンとシャツはあるか? 私が着られるような」

 

「無えよ。俺とお前の体格差、やべえっての」

 

「……イッセー。私服に着替えた後、駅前に集合だ。三十分以上、音沙汰が無ければ、私のことは忘れろ」

 

「あっ」

 

 一誠は察した。

 

 綺礼の父親は厳しいのである。

 

 

 

 

「綺礼、どうだったの?」

 

「特に何も問題は無かったな。リアス。そちらは?」

 

「こちらもよ。ええ、凄く安心しているわ」

 

「そうか。それは良かった。――だが、それは表面上だ。内側にしっかりとトラウマがある。心の距離を詰めるのは結構だが、詰め過ぎると発症する」

 

「そう……、やっぱりね。ただ不慣れなだけじゃなかったのね」

 

 綺礼とリアスは互いの状況を報告し合っていた。

 

 無事に一誠と綺礼は隣町に繰り出した。そして開き直ってツーショットを大量に撮りまくり、三人に送り付けた。ついでに綺礼のツテを使い美味しそうな店に入り、一誠と綺礼の共同食レポを作成した。酷い飯テロである。怨嗟の声が途絶えなかったのは言うまでもない。桐生が内心で綺礼の女子力――美味しいスイーツ発見力――に戦慄したのも言うまでもない。

 

 なお、一誠はそのバカ騒ぎの後、オカルト研究部に顔を出している。顔を出して、悪魔の説明を受けた。

 

「不慣れなのもあるだろう。それが良い具合に覆い隠している」

 

「まったく。どうして私の眷属は揃いも揃って……」

 

 愚痴るような内容とは裏腹に、その言葉は慈愛に溢れていた。綺礼はそれに少しばかり憧憬を覚えた。

 

「そういう星の巡りだろう。ああ、君は聖職者にとことん向いているな」

 

「それ、褒め言葉じゃないから」

 

「まったく、素直じゃないな」

 

「アンタに言われたくないわよ。素直に情愛深いって言いなさいよ」

 

「――ハ」

 

「笑ったわね、今鼻で笑ったわね……! 良し。明日覚えてなさい。思いっきり引っ叩いてやるから」

 

「それは怖い」

 

 クツクツと愉快に笑う外道神父。電話の向こうでは絶世の美少女――オトナ体型過ぎるのでカッコハテナの付く――が顔を真っ赤にしているだろう。

 

「ところで、リアス。ハーレム王という言葉に聞き覚えは?」

 

「……ええ、あるわよ。本当に元気ね、あの子」

 

 楽しそうな口調だった。

 

「ああ、元気だろう。私の自慢の友人だ」

 

「――」

 

「どうしたのかね? 急に黙り込んで」

 

「ん、いえ。ごめんなさい。ちょっとね」

 

「ふむ、疲れか。気を付け給え。今の君に代わりはいないのだからな」

 

「……ええ、そうね。ありがとう」

 

「いや、随分としおらしい。明日は槍でも降るかな」

 

「そうね、鬼の霍乱ってやつかしら」

 

「ほう、ならば洗濯せねばな。――では、お休み。リアス・グレモリー」

 

「ええ、お休み。言峰綺礼」

 

 通話が切れる。

 

 リアスは手の中の携帯電話を眺めながらポツリ零した。

 

「驚いた。本当に自慢の友人なのね」

 

 呆気無く夜闇に言葉は溶けて。

 

 リアス・グレモリーはちょっとだけ穏やかになった心で眠りに着いた。

 

 

 

 

 








※注意
 なお、男女のそれではない
 ざーんねーんでーしたー!
 はは、このざまぁ





本当に久しぶりの更新です
ふいんき()を思い出すために読み返すのが辛かったデス
クッ殺したくなりました。なんだあのギャグセンス。目も当てられない駄作ぶりだな、と内心で突っ込みました

遅れた理由に関しては、リアルの方が原因でもあるのですが、言い訳を連ねることが許されるのなら、スランプに陥っていたこともあります
前の話とその前の話と構成っぽいものが被っているのはそのせいです
今回の話も若干被ってしまい、本当に申し訳無く思っています。すまない、本当にすまない

次回の更新も例の如く未定です
ただ多分、展開は駆け足になるかと思われます
ついでに書き方も変化すると思われます
お手元に原作の一巻を用意し、長らくお待ちください


この作品の後書きの最後まで読んでくださった方に改めて感謝を
ありがとうございます




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