やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 (T・A・P)
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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 壱

 魔法。

 それが伝説や御伽噺の産物ではなく、現実の技術となったのは何時のことだったのか。

 

 国立魔法大学付属第一高校。

 毎年、国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送りこんでいる高等魔法教育機関と知られている。それは同時に、優秀な魔法技能師をもっとも多く輩出しているエリート校と言う事でもある。

 徹底した才能主義。

 残酷なまでの実力主義。

 それが、魔法の世界。

 魔法教育に、教育機会の均等などと言う建前は存在しない。

 この学校に入学を許されたということ自体がエリートということであり、入学の時点から既に優等生と劣等生が存在する。

 同じ新入生であっても、平等ではない。

 だが、全ての生徒がエリートでありたいと思っているわけではない。

 

 

 

「比企谷君、その制服は何かしら」

「ヒッキー!」

 第一高校入学式の日、だが、まだ開会二時間前の早朝。

 入学式の会場となる講堂の近くで、真新しい制服に身を包んだ三人の男女が一人の男子に二人の女子が何やら詰め寄っていた。同じ新入生、だがその制服は微妙に、しかし明確に異なる。スカートとスラックスの違い、男女の違いではない。二人の女子生徒の胸には八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレム。男子生徒のブレザーには、それがない。

「なぜ、あなたは二科生なのかしら」

「あ? 入学試験で俺の実力が二科だってだけだろ」

 何を当たり前な事を聞いているんだと言わんばかりに、肩をすくめてそう答える男子生徒に二人はより一層詰め寄り、

「ヒッキー! 皆で一緒に頑張ろうっていったじゃん!」

「あなたが二科生なら、受験する全ての生徒が不合格よ」

 一人はほほを膨らませ見るからに怒っていますと言ったように、もう一人はクールに吹雪を拭きつけるがごとく静かに怒っていた。

「由比ヶ浜、頑張った結果がこれだ。どうにか合格できたってのを褒めて欲しいくらいだぜ。雪ノ下も言い過ぎだろ。昔から俺に対して過大評価しすぎるぞ」

 男子生徒は深くため息をつき、まだ納得のいかない二人をどうするかと悩んでいたが同じように新入生と思われる声が講堂の入口の方から聞こえてきた。

 

『納得できません!』

 

 声からして女性の声だったが、どこかで聞いたことのある声に似ていた。

「ゆきのん、喋った?」

「いいえ、私じゃないわ」

 目の前の少女、雪ノ下雪乃の声にそっくりだったのだ。

 普段なら覗きにいくことはないし今はそれどころではないのだが、どうやら好奇心が僅かに勝りこっそりと様子を見に声のする方へ近づく事にした。

 

『なぜお兄様が補欠なのですか? 入試の成績はトップだったじゃありませんか!

 本来ならばわたくしではなく、お兄様が新入生総代を務めるべきですのに!』

 

 そこには同じように真新しい制服を着た一組の男女が何やら言い争っていた。いや、言い争うと言うより女子生徒の方が一方的に詰め寄っていると言った方がいいか。会話の内容から察するにどうやら兄妹の様で、妹の方は今回の入試のトップだったようだ。

 親戚だという可能性もなくはないが、兄妹だとするならば。似ていない兄弟だった。

「見た目といい、成績といい、声といいそっくりだな」

 声の主を確認した三人はすぐにそこを離れ、比企谷は雪ノ下に声をかける。

「そうかしら」

「うん、あの子もゆきのんと同じで凄く綺麗だったし」

「由比ヶ浜さんこんなところで抱きつかないでもらえるかしら。そこの男にいやらしい目で見られてしまうわ」

 そう言っても雪ノ下は横から抱きついてきた由比ヶ浜を引きはがそうとはせずに、困った顔をしていた。少しだけ嬉しそうにも見えたが。

「さて、比企谷君。話はまだ終わってないのよ」

「ちっ、憶えていたのかよ」

「当然よ、あなたのその粗末な頭と一緒にしないでもらえるかしら」

「ほら、ヒッキーちゃんと説明しないとクッキーつくってきちゃうよ」

 その言葉に比企谷と雪ノ下の顔がギョッと恐ろしい物を見るように歪み、

「あの日は体調がマジで悪くて実力が出せなかったんだよ」

 バツが悪そうに頭を掻きながらしぶしぶと口に出す。

「あ、ごめんヒッキー。あの時そんなに体調が悪かったのに気がつかなくて」

 雪ノ下から離れ、本当に申し訳なく頭を下げようとして雪ノ下に止められた。

「由比ヶ浜さん、騙されちゃだめよ」

 やはり何かに気がついているなと、若干諦めた表情を見せてため息をつく。

「比企谷君、そろそろ本当のことを言う気になったかしら。まだこんな茶番を続けるなら、どうなるかは分かっているわよね」

「あ~分かった分かった。ここじゃなんだ、帰ってからにしようぜ」

「……そう、放課後はあなたの折檻をしましょうか」

「おい、やめろ」

 比企谷は片手で頭を抱え深くため息をつき、雪ノ下は腕を組みそんな比企谷を見て口元で笑い、由比ヶ浜はそんな二人を見て笑っていた。

 そんな三人の方へ一人の男子生徒が近づいてくるのが見えた。それは先程入口で見た男子生徒だった。彼は三人に気がつき歩きながら軽く目礼をして通り過ぎていった。

 それを二人は見送り、一人は彼の挙動の一つ一つに目を配っていた。その姿が見えなくなるまで見送り、時間までどうするかの話になった。

「てか、雪ノ下。お前集まるのが早過ぎだろ」

「遅刻するより早めにきておいた方がいいのよ」

 顔をそむけ、少し痛いところをつかれたような反応をしていた。

「いや、それはそうだがいくらなんでも早すぎじゃねぇか。さっきの二人は総代つってたから打ち合わせだろうが、俺らは別に何もねぇだろうが」

「ゆきのんも早くヒッキーの制服姿が見たかったんだよ」

「は、俺の?」

 由比ヶ浜の言葉に首をかしげ雪ノ下の方に顔を向けると、そっぽを向いている頬が少し赤らめていたのが見えた。

「本当は同じ制服が良かったんだけど、でも、また同じ学校に通えるからいいかな」

 同じ制服、エンブレムの有無。そんな少し残念そうな由比ヶ浜にむかってぶっきらぼうに、

「由比ヶ浜、制服似合ってるぞ」

 そう照れながら口に出した。

「あ…ヒッキーありがとう!」

 一気に笑顔の花を咲かせ、飛び上がらんばかりに喜んでいた。

「比企谷君、私はどうかしら」

「ああ、雪ノ下も似合っているぞ」

「そう、それは当たり前だわ」

 雪ノ下も口ではそう言ってはいるが、顔を見れば凄く嬉しかったのは一目瞭然だった。時間まで暇を潰そうと言う事で、どこか座れる場所を探すことになりその場を移動しようとすると先程男子生徒が歩いていった方から在校生とおぼしき女子生徒が数人歩いて近づいてきた。おそらく式の運営に駆りだされていたのだろう、その在校生の胸には一様に、八枚花弁のエンブレムが。数人の在校生が三人を通り過ぎた後、

 

―――ねぇ、あの子もウィードじゃない

―――ほんと、こんなに早くから。補欠なのに張り切っちゃって

―――自分のことスペアだって分かってないのかしら

 

 そんな言葉が三人の耳に入ってくる。

 

 ウィードとは、二科生徒を指す言葉だ。

 緑色のブレザーの左胸に八枚花弁を持つ生徒をそのエンブレムの意匠から「ブルーム」と呼び、それを持たない二科生徒を花の咲かない雑草(weed)と揶揄して「ウィード」と呼ぶ。

 

「先輩方、それはどういうことかしら」

 雪ノ下が在校生に向かって、後ろから声をかけた。比企谷と由比ヶ浜はその後ろ姿を見て、雪ノ下がどんな表情をしているのかすぐに分かった。比企谷は頭に手をやり『やれやれ、またか』と苦笑し、由比ヶ浜も『ゆきのんらしいね』と笑っていた。仮にも上級生に喧嘩を売っているのだが、二人は雪ノ下が口でも実力でも負けるとは思っていなかった。

「なに、何か文句でもあるの」

「見たところ新入生のようだけど、喧嘩売ってるの?」

「実力も分からないんじゃ、あなたもウィードから出直したら」

 などと、相手が新入生であり、自分達が上級生であり一科生というプライドがあるのだろう。微塵も自分達が上であるという立場を疑っていなかった。

 

 二科生を「ウィード」と呼ぶことは、建前として禁止されている。

 

「ええ、厚顔無恥で考える頭のない無知な先輩方に本当の立場というものを親切で教えてあげようと声をかけたのだけれど。その様子では、どうやら無駄のようね」

「…何様のつもり」

「新入生ごときが私達に敵うとでも」

 どうやら煽り耐性が低いようで簡単に冷静さを失ったようだ。

「あら、なぜ先輩方が上だと言えるのかしら。そんなのだから一科生という事だけで努力を怠り、あれだけ蔑んでいた二科生に追い抜かれているということになりそうね。

プライドだけが高く実力が伴わない事になるわね、先輩方」

 いい笑顔をしているのが後ろからでもよく分かる。そのどこまでも上からの態度で沸点の低い一人の生徒が反射的に自分の左腕に右手を伸ばした。CADを操作しようとしていたのだろう。しかし、そこにはCADなどありはしなかった。当然だ、学校内でCADの常時携行が許されているのは、生徒会の役員と特定の委員会メンバーのみなのだから。雪ノ下はそのあたりも計算に入れていた。そもそも、CADの所持を許されている生徒があんなことを言うはずがないと思ってもいただろう。もし、所有していたとしても必ず助けてくれる人間がそばにいるから、安心できていた。

 在校生はCADがない事を思い出し、強硬手段に打って出た。まぁ、泥臭い殴り合い、というよりは一方的な暴力を行使しようとしていた。

「なにをやっている!」

 と、大声が飛んできた。飛んできた方を向けば二人の女子生徒がゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。雪ノ下達はその二人の人物が誰なのか分かっていなかったが、在校生達は少し慌てた様子を見せていた。

「さて、何をしていたのかね?」

 仁王立ちでその場にいる全員を見渡していた。

「え、えっと、新入生が早く来ていたようですから少し学校のことを」

「そ、そうです。時間までもう少しありますから座れる場所でも、と思いまして」

 在校生は口々にあらかさまないい訳を並べ立てていく。

「わ、私達は準備がありますので」

 と、最後には逃げるように行ってしまった。

 この様子を見るとどうやら生徒会などの役職を持っているとすぐに三人は分かった。いや、由比ヶ浜はぽかんとしていたので雪ノ下と比企谷といった方がいいか。それに二人の左手にチラッとCADが見えているのも要因となった。

「さて、君たちにも話を聞かなければならないな」

「摩利、いいじゃないの。特に魔法を使ったんじゃないんだし」

「そうだな。だが、少しくらいは良いだろ」

 さっきのような厳しい声と顔を解き、冗談を言い合うような感じになっていた。そんな二人の様子をただただ眺めているだけだった。

「あ、申し遅れました。私は第一高校の生徒会を務めています、七草真由美です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。よろしくね」

 最後にウインクが添えられていても不思議のない口調だった。美少女なルックス、小柄ながらも均整のとれたプロポーションと相まって、高校生になったばかりの男子生徒が勘違いしても仕方ない蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。

 雪ノ下と由比ヶ浜は同じタイミングで比企谷へ肘鉄を喰らわせた。長い付き合いだ、鼻の下を伸ばしていることなど手に取るように分かったに違いない。『理不尽だ』という言葉はスルーされていた。

「それで、こちらが」

「風紀委員長の渡辺摩利だ。よろしく」

 生徒会長と風紀委員長はそんな三人の様子に『仲がいいな』と苦笑して笑っていた。

「私は雪ノ下雪乃です。これからよろしくお願いたします」

 雪ノ下がはじめに二人に向かって頭を下げ、名乗り返した。

「由比ヶ浜結衣って言います。よろしくお願いします!」

 今度は元気よく由比ヶ浜が頭を下げ、最後に、

「俺、いや、自分は比企谷八幡です」

 と、三人が三人とも自己紹介を終えた。

「雪ノ下さんと由比ヶ浜さん、それに比企谷くんね。無事、入学おめでとうございます」

 笑顔で三人を祝福していたのはよく分かった。雪ノ下と由比ヶ浜だけではなく比企谷にもというところから、雪ノ下はこの生徒会長は信用できると判断していた。が、今度は足を踏みつけていた。

「雪ノ下さんと由比ヶ浜さんは入試の結果で見ました。御二人ともその調子で努力に励んでください」

 雪ノ下は軽く会釈をし、由比ヶ浜は元気よく返事を返した。

「比企谷くんも二科生だからと卑下せずに頑張ってください」

「うっす」

 まぁ、言わずもがな、比企谷八幡に2Hit比企谷八幡は倒れた。

「まったく、君たちは仲がいいみたいだな」

 そんな様子を風紀委員長は笑いながら眺め、さっきのことはすでにどうでもよくなっていた。

「摩利、そろそろ行きましょうか」

「そうだな。じゃあな」

 スカートの裾をひるがえし講堂の入口に向かって戻っていった。

「ゆきのん。いい先輩だったね」

「そうね、信用できそうだわ」

 雪ノ下に好印象を抱かせる存在は珍しい。

「それよりも、比企谷君」

「ヒッキー!」

 嫌な予感がひしひしとして来た比企谷は逃げるために踵を返そうとしたが、時すでに遅く両手をそれぞれ掴まれていた。

「さて、いい訳を聞かせてもらおうかしら、デレ谷君」

「そうだね、まだ時間があるからそれまで聞かせてもらうよヒッキー」

「助けてくれーーーーーー!」

 と、絶叫が響いたとか、響かなかったとか。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 弐

 

 

 調教と名の言う矯正、もといい教育が長引いたせいで三人が講堂に入った時にはすでに半分以上の席が埋まっていた。座席の指定はないので最前列に座ろうが、最後列に座ろうが真ん中に座ろうが端に座ろうが、それは自由である。

 だが、新入生の分布には、明らかな規則性があった。前半分が一科生、後ろ半分が二科生。同じ一年生、同じく今日からこの学校の生徒となる身であるながら、前と後ろでエンブレムの有無が、綺麗に分かれている。

 誰に強制されたわけでもない、にもかかわらず。

(ったく、一科生だけじゃなく二科生の方もどうにかしないといけなさそうだ)

 比企谷は二人の歩きながら周りを見渡し、いろんな意味を込めて心の中でため息をついた。目の前の一人はこの状況に少なからず気がついてはいるだろう、一度だけ比企谷の方にチラッと目線を送っていた。もう一人は無邪気に空いている席が無いかあちこちに首を動かして、偶然にも前列の端から三つほど空いているのを見つけたようだった。

「ゆきのん、ヒッキーあそこ空いてるよ!」

「そう、じゃあそこにしましょうか」

「…へいへい」

 比企谷の内心は自分だけでも後ろの方に座れないかと思っていたが、さすがに今日のところは二人の意に背く事はやらないようにしようと決めていた。決して、折檻という名の一方的言葉と物理の暴力に屈したわけではない、ホントダヨ。

 最前列の席に行くまですでに座っていた一科生の視線が自分に集まっている事に比企谷は気がついてはいた。前にいる二人に目が奪われた後、その後ろからのこのこついて行く二科生の男に気がつき不快に思っている視線だ。数人が立ち上がるのを目の端に映し、そいつらがいちゃもんをつけようとしているのか、ストーカーに天罰をという暴力の正義を振りかざそうとしているのか、毎回同じ人間しかいないのかと呆れてため息が自然にこぼれてしまった。

しかし、以外にも誰も声をかけてこないことに少しだけ後ろを確認してみると、座ってた別の一科生に止められていた。意外にも冷静な奴がいるもんだと思っていたが、どうやら闇討ちの相談をしているようだった。

「ヒッキー早く早く!」

 由比ヶ浜が大声で比企谷を呼び、さらに視線を集め慌てて二人の元へ急いだ。

「おい、大声出すな」

「え~ヒッキーが遅いのが悪いんじゃん」

「ええ、相変わらず動きが緩慢ね。蝸牛谷君」

「おい、俺を迷子の怪異みたく言うな」

 今日なん度目かのため息をつき、雪ノ下の横、一番端の席に腰をおろした。

「ふふふ」

 由比ヶ浜の向こうの席にすでに座っていた女子生徒が、三人のやり取りを見て微笑ましそうに笑っていた。

「あ、ごめんなさい。みなさんの仲が凄くよさそうに見えたから、つい」

 そのまま微笑みながら、その女生徒は光井ほのかと名乗った。その奥に座っていた光井の友人の北山雫も無表情というか表情があまり出にくいのか、続くように自己紹介を終わらせた。

「私は雪ノ下雪乃よ。これからよろしくしてもらえると嬉しいわ」

「はいはい! あたし、由比ヶ浜結衣。これからよろしく」

 落ち着いた雰囲気の雪ノ下と元気いっぱいの由比ヶ浜、挨拶だけで二人の性格を少し理解したのか光井と北山は笑いながらよろしくと手を差し出してきた。

「それはそうと、比企谷君。あなたは満足に自己紹介もできないのかしら」

「あ? 俺は別にいいだろ。この先関わる確率が低いだろうし」

 我関せずといったように、肩口を指で叩く。それは、自分にはエンブレムがないと無言で言っていた。

「はぁ、比企谷君、そんなのはどうでもいい事よ。挨拶は人として必要な事なの、ああ、あなたは人じゃなかったわね、比企谷菌」

「おい、自己紹介をやらなかっただけでそこまで言われるのかよ。つか、比企谷菌って言うな!」

 いつものやり取りに笑ってみている由比ヶ浜と、今度はポカンとして二人のやり取りを見ていた。二人の言い合いは数回続き、どうやら雪ノ下の勝利で終わったようだ。いつものように。

「あ~比企谷八幡だ。みての通り二科生だから関わることが無いだろうから、特に憶えなくていいぞ」

 ぶっきらぼうな自己紹介に呆れてため息をついている雪ノ下だったが、そんな自己紹介にもかかわらず、

「ううん、これからよろしくね」

「よろしく」

 と、好意的に返してきて二人は比企谷の言葉に機嫌を害した様子はなかった。

 比企谷八幡は実のところ、この二人を試すためにあえてこんな事を口に出した。この二人が二科生というだけで態度を変えるのであれば、早々に切り捨てようと思っていた。自分のではなく、自分の横に座っている二人のために。まぁ、雪ノ下の被害者を減らすためってのも少しはある。

 そんな二人を見て比企谷は知らずに口角が上がっており、それに気がつきすぐ口元を手で隠した。幸いにも気がつかれた様子が無く安堵のため息をついた。雪ノ下と由比ヶ浜が二人と話している声を聞きながら、時たま振られる話に相槌を打ちながら式が始まるのを待った。

 

 

『ただ今より国立魔法大学付属第一高校入学式を始めます』

 生徒会長の声が講堂内に響いた。その声で先程まで雑談に興じていた新入生たちは雑談をやめ壇上に目を向けた。壇上には数人の見るからにお偉いさんが座っており、その一人一人からのありがたいお言葉を賜るようだった。

 そんな壇上の様子に欠伸を噛み殺して比企谷は眺めていた。どの偉い方も話しが長いくせに言っている事はほとほと同じで、『君たちは選ばれたエリートだ』だの『国のために頑張ってくれ』だの『自分の立場を忘れず勉学に励め』だの、どう聞いても一科生にだけ喋りかけていた。そのくせ耳触りのよい『平等』という言葉を巧みに紛れ込ませている事にうんざりして思考を注意すべき男子生徒に割いていた。

 

 

入学試験の当日、比企谷八幡は雪ノ下と由比ヶ浜と同じ一科生になるように言われていた。正確には雪ノ下のそばにいるように言われていたが、そこに由比ヶ浜を加えたのは比企谷自身の願いであった。

 比企谷はこの二人を護るために同じ一科生として入学する気でいたのだが、その日予想外の人物と遭遇してしまった。

魔法、魔法師の評価として採用されているのは『魔法発動速度』『魔法式の規模』『対象物の情報を書き換える強度』の三つである。しかし、比企谷はそんなことで魔法師としての実力が分かるとは思っていない。基準ではあるが、全てではなくそんなもので目を眩ませることを忌避していると言ってもいい。雪ノ下が素直にも比企谷の魔法技能を評価しているが、実際のところ比企谷の恐るべきところはそこではなく魔法とは別の所にある。比企谷は自分の使う魔法をそこまで重要視しておらず、技術として手段として信用はしているが信頼はしていない。唯一自分の中で信頼しているのが、人間観察の観察眼と勘のみである。あと加えるのなら、身体能力だろうか。

比企谷八幡の観察眼、勘、それ故の判断力は敵に回れば脅威である。この日の入学試験、危機回避能力が高くいち早く脅威を嗅ぎとる嗅覚は、一人の男子生徒を嗅ぎ分けた。

入学試験の実技はその場で結果が表示され、お世辞にも魔法技術が巧いというわけではなく周りは彼に見向きをしていなかった。(彼と同時に別のところで2位に大差をつけた少女に注目が集まっていたらしいが)しかし、彼の歩き方、体つき、立ち振る舞いからよほどに修練を積んでいるのがすぐに見て取れ、魔法行使に一切の無駄が見えなかったことからこの中で群を抜いて洗礼されている事実にたどりついた。

だが、それ以上に勘がささやくのを感じていた。いや、その前からだ、目の端にとらえた瞬間にどっと毛穴という毛穴から汗が噴き出る感覚が襲って来ていた。この人物から目を離してはいけないと本能で感じ取った。理性の怪物と言われたこともあったが、今ならそんなことちゃんちゃらおかしく感じる。いうなれば、囁くのさ、俺のゴー○トが。状態だろう。

比企谷八幡はその場で端末を取り出し、連絡を入れる。件の男子生徒のこと、自己判断で二科生となることを。最初は渋っていたが結果的に比企谷の判断に任せるという事になった。

ようやく比企谷の番が廻って来ると、本来の技術をコントロールしできるだけその男子生徒と同じような結果を叩きだした。

 

 

 さっきは知らない振りをしていたが、すでに裏からその男子生徒の名前と家族構成、そして入学試験筆記の成績などの情報を得ていた。

入学試験、七教科平均、百点満点中九十六点。魔法理論、魔法工学、両教科とも小論文を含めて文句のつけようがないほどに、満点。合格者の平均点が七十点に満たないのに、だ。比企谷もその小論文に目を通したが、穴が見当たらず恐ろしく頭が切れる事も理解した。

そんな彼がこんな挨拶に感銘を受けるはずがなく、自分と同じように退屈に思っているだろうと予測し、すでにこちらもマークされているだろうなと改めて心に刻んでいた。

そんなことを考えているうちに新入生代表挨拶となっていた。

『新入生 答辞』

 壇上の脇から一人の少女が真ん中まで歩いて出てきた。先程講堂入口で口論していた少女だった。

『新入生代表 司波深雪』

 司波深雪、入学試験で二位と大差をつけ合格し、比企谷が危険視している司波達也の妹。

「ねぇねぇ、ゆきのん。あの時のあの子だよね」

「ええ、そうね。司波深雪さんというのね」

 この二人でさえ司波深雪に目を奪われているのだ、周りの生徒のほとんどが少し前に乗り出すようにして少しでも近くからみようとしていた。

『この晴れの日に歓迎のお言葉をいただきまして感謝いたします』

 聞けば聞くほどに雪ノ下と声がそっくりだが、言葉づかいが同じというわけではないだろうなと少しだけ安堵し目を雪ノ下から司波深雪に戻す。

『私は新入生を代表し第一高校の一員としての誇りを持ち皆等しく! 勉学に励み魔法以外でも共に学びこの学び舎で成長することを誓います』

 そんな答辞に目を見開いて司波深雪を観察した。表情に変化はなく体の芯もぶれていない、心からそう思って言っているのが分かった。気がつかれないように周りの生徒の様子を探ってみるが気分を害している生徒はおらず、逆にアイドルに心酔しきっているファンの様になっていた。

 司波達也の成績と一緒に司波深雪の成績も得ており、それを見る限り悪くないのだがこの答辞から司波深雪はどこかしら危い感じがひしひしと伝わってきた。この兄妹はシスコンでありブラコンだろうか? と一応の判断で保留としておいた。

 つつがなく答辞も終了し、入学式を無事終える事ができた。

 式が終えると周りに座っていた一科生がすぐに立ち上がり、その場をあとにしていた。混雑が治まるまで座っていたがそこから階下が良く見え、すぐさま立ち上がった一科生は司波深雪が目当てだった事に気がついた。由比ヶ浜の横にいた二人も気がつけばおらず、どうやら彼女たちも同じだと結論を出した。

「ほんと、ゆきのんにそっくりだったね。えっと、司波さん」

「私としてはよくわからないのだけれど、彼女の答辞は好きよ」

 どうやら雪ノ下も答辞の意味は分かっていたようだ。

「うん、凄く堂々としてて、ゆきのんみたいにかっこよかった」

「ええ、彼女とは一度話しをしてみたいものだわ」

「ま、今は無理だろ。てか、これからも難しいんじゃないのか? クラスが同じなら別だろうが」

「あら、あなたも彼女に言い寄ろうとしているのかしら?」

 と、取り消せない自分の言葉に絶望した。

「ヒッキーまたなの!」

「おい、俺は別にそう言う意味で言ったわけじゃねぇ!」

「なら、どんな意味で言ったのかしら?」

 妖しく光る四つの目玉に冷や汗がとまらない。

「お前らが話してみたいって言ったからだろうが。一科生同士なんだからクラスが同じになる可能性が高いだろうって事だよ」

「そうね、あなたが実力を出せずに二科生でよかったわ。彼女に伸びる魔の手が一つ減ったのだから」

「ゆきのん、それくらいにしてクラス分けに行こうよ。放課後になったら時間はいっぱいあるんだし」

「ええ、由比ヶ浜さんの言う通りだわ」

「……怖ぇよ、放課後が来るのがめちゃくちゃ怖ぇよ」

「ほら、ヒッキーも行くよ」

「まったく、今度は遅れないようにきなさい」

「へいへい、分かったよ」

 由比ヶ浜と雪ノ下を先頭に講堂を出ようとしたが、雪ノ下の固有スキル【常時迷子】が発動し、結局比企谷がIDカードを交付する窓口へと連れていった。ちなみに、由比ヶ浜の固有スキルは【破滅料理】である。

 

 

 

 この学校ではクラス割を張り出すのではなく、個別にIDカードを交付しそこで自身のクラスが分かる。そして、IDカードは後に受講登録の時に必要となる。カードはあらかじめ個人別のカードが作成されているわけではなく、個人認証をおこなってその場で学内用カードにデータを書き込む仕組みとなっているからどの窓口でも手続き可能なのだが、ここでもエンブレムの壁ができてしまっている。

 比企谷は二人のカードを先につくらせようとしていたが、由比ヶ浜が強引につれていき結局三人一緒に作成することになった。周りからの嫌悪感たっぷりな視線を、雪ノ下のにらみつける攻撃で黙らせていた。何人か息が荒くなっていたやつがいたが、モウキニシナイデオイタ。

「ゆきのんは何組だった?」

「私はA組だったわ」

「やった! 同じクラスだ!」

 オーバーリアクションの由比ヶ浜を見るにどうやら雪ノ下と由比ヶ浜は同じクラスになったようだ。ヨカッタ、ヨカッタ。

「ヒッキーは?」

「俺はE組だ」

 この学校は一学年八クラス、一クラス二十五人。こう言うところだけは平等だ。

 もっとも、二科生(ウィード)はE組からH組と決まっており、一科生(ブルーム)と同じクラスになることはないのだが。

「ねぇゆきのん、これからホームルームに行ってみる?」

 由比ヶ浜はこれから所属するクラスを見てみたいようで雪ノ下を誘ったが、

「いいえ、由比ヶ浜さん。今日はこれで帰りましょう。もう授業も連絡事項もないようだし、比企谷君への拷問も残っているわ」

「あ、そうだった。じゃあ急いで帰ろう!」

「おい待て! 拷問って何だよ! 本当、俺はなにされんだよ」

 身の危険をひしひしと感じ、すぐにでも逃げれるように身構えたが周りの騒がしさにそれどころではなくなってしまった。

「っと、あぶねぇな」

 ゾロゾロと移動する人ごみを避けるように二人の近くに戻り、その中に取り込まれないように三人で広いところへ移動した。

「なんだろうね」

「おそらく、司波さんね。彼女のあとを追って移動しているんだと思うわ。本当に迷惑な人達よ、司波さんのことも考えたらどうなのかしら」

 チラッと見えた司波深雪の表情はうんざりとしており、そんな彼女の事情など知らずに付きまとっているのがすぐに分かった。

「ま、大丈夫だろ。生徒会長の姿も見えたしそんな大事にはならないだろ」

 相変わらず学習しないというか、うかつというか。

「へぇ、あの中に生徒会長いたんだ」

「あら、比企谷君。あなたはあれほどの人ごみの中から生徒会長をすぐ見つけれるほどに生徒会長の容姿を憶えていたのかしら。変ね、そこまで記憶力があるのなら私達の調きょ、教育も憶えているはずなのだけれど」

「そうだよね~ヒッキーは本当に理解してくれないよね~」

 比企谷八幡は両肩を掴まれて動けない、比企谷八幡は地獄を見た。具体的には別の世界戦の自分がなぜか地獄で働いている姿を見た。

「ねぇ、君たち。もしA組なら一緒にホームルームを見に行かないかな? そのウィードなんてほっといてさ」

 数人の男子生徒が雪ノ下と由比ヶ浜に声をかけた。そのにやけた表情を見る限りどうやら話しを盗み聞きしていたようだ。だが、相手が悪かったし、間も悪かった。

「なぜあなたたちごときと行かなければならないのかしら。そもそも、初対面の人間にその態度はなんなのかしらね。本当に第一高校の人間なのかしら、ここまで生徒の質が下がっているならこなければよかったわ。なに、まだ言われ足りないのかしら、私は今すぐにどこかへ行きなさいと言っているのよ。そう、言葉が通じないのねかわいそうに今すぐ小学生からやり直した方がいいわ。ついでにそのにやけた顔も直してもらいなさい」

「うるさい!」

 雪ノ下からは罵倒、由比ヶ浜からは一言だけの拒絶。そんなやり取りは目立ち周りの生徒達がひそひそと、クスクスと笑っている声が聞こえてきた。こうなるともうテンプレである。プライドを傷つけられた男子生徒達は、

「この、下手に出りゃいい気になりやがって!」

 などと、ベタな台詞を吐いて雪ノ下と由比ヶ浜に掴みかかろうとしていた。比企谷はすぐに動こうとしたが、その必要はないと傍観に徹した。

「さて、これはどういう状況かな」

 風紀委員の腕章をつけた男装の麗人(男装はしていないが)の風紀委員長、渡辺摩利が二人に伸びた腕を掴んでいた。

「どんな理由があれ、女性に手を上げるとは」

 風紀委員長は二人の男子生徒を睨みつけ、男子生徒は一気に顔を青ざめさせた。

「さすがに今回は見逃せないだろう。では君たちも来たまえ」

 どこからともなく数人の風紀委員が現れ、声をかけてきた男子生徒達をどこかへ連れて行ってしまった。その場には風紀委員長と、三人が残った。

「まったく、君たちも災難が多いようだな」

「また助けていただき、ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「どうも、ありがとうございます」

「いや、なに、これが私達の仕事だ。しかし、君も気が強いのはいいが少しばかり言葉を選んだほうがいいぞ。あんな言い方をしたらああなるのは分かりきっているだろうに」

「ええ、反省はしているのですが」

「なるほど。まぁ、そこにいる君が護っているのであれば問題はないか」

 なぁ、と面白い物を見る目で比企谷を眺めた。

「ひ、比企谷君が護ってくれなくても私は自分でどうにか出来たわ」

「ヒ、ヒッキーがボディガード……」

「くくく、やはり君たちは面白い。私が暇な時に風紀委員会本部に来たまえ、お茶くらいはだそう」

 そう言って笑いながら巡回に戻っていった。

「さて、比企谷君帰りましょうか」

「うん、ヒッキーかえろ!」

「へいへい、分かったよ」

 またさっきの様なことは勘弁だ、と覚悟を決めて二人のあとを追った。

「なぜ二科生になったのか、それだけで許してあげるわ」

「うん、ちゃんと教えてね」

 どうやら渡辺先輩のおかげで罰が軽くなったようだ。まぁ、罪が軽くなってないみたいだが。それでも、比企谷は心の中で再度お礼を言った。

「分かったよ、ちゃんと教えるさ」

 こうして、比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の高校生活が始まった。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 参

 

 

 やぁ、僕は比企谷八幡。本日は魔法科高校の入学式があり、入学式が終わった後に僕と由比ヶ浜は雪ノ下家におじゃまして入学祝いをしているんだ! テーブルには食べきれないほどの豪華な食事が並べてあり、立食式で食べて騒ぐ事になるのは火を見るより明らかだね! え? テンションが高いって? そりゃそうだよ!

 

ほんと、ごめんなさい。マジで、許してください。もう、両足がしびれて感覚がねぇんですよ。

 比企谷は雪ノ下家に着いてから今までずっと正座をして、一切身動きができずにお預けをくらっていた。

「さて、比企谷君。話してもらおうかしら」

 目の前には私服に着替えた雪ノ下と、事前に雪ノ下の部屋に置いてあった服に着替えた由比ヶ浜が仁王立ちで見降ろしていた。

「ヒッキー、私達も早くご飯を食べたいんだよ」

「ちょっと待て、その言い方じゃまるで俺がかたくなに理由を喋らないように聞こえるだろうが! 別に俺は喋らないと言ってねぇぞ!」

「黙りなさい」

 雪ノ下の背筋が凍るような声が響く。

「もう少し正座を続けたいのかしら」

「はい、すみませんでした」

 正座から土下座にクラスアップした。いや、見た目的にはダウンか。

 そう、雪ノ下たちは比企谷が喋ろうとするたびに黙らせ今の今まで床の上で正座をさせていた。まぁ、しかし、だ。正直なところ比企谷はこの程度ですんでよかったと、心の中でホッと胸をなでおろしていた。

 この二人が本気で怒った場合、命の保証が天文学的数字あっても足りなかっただろう。

「それで、そろそろいい訳を聞かせてもらえるかしら」

「あ~雪ノ下、その前に足を崩していいか?」

「……まぁ、いいでしょ。ソファに座っていいわ」

 それは雪ノ下には珍しく寛大な処置であった。おそらく、うすうすその理由に感づいているのだろう。その理由がふざけたものであるのなら正座のままだったかもしれないが、自分でも思うところと一致していたためそう強く罰を与えるのをためらわれたと思われる。まぁ、調教は別物だろうが。

「ああ、助かる」

 比企谷は感覚のない足をどうにか使い、引きずる足を投げ出してソファに座った。二人はそれを確認した後、挟むかのように両脇に座った。それに動揺することなく、慣れた手つきでしびれて感覚のない脚をもみほぐしそれが終わるのを横の二人は待っていた。

「んで、聞きたいのは、なぜ俺が二科生になったかって事でいいんだよな」

「ええ、そうね」

「うん」

 どうも、足がいつもと同じ感覚に戻るまでまだ時間がかかりそうなのを経験則で感じ先に比企谷の方が口を開いた。時間を有効に使うのと、先に問題を提示することで自分が何を喋るべきか、どれを喋らざるべきかのシミュレーションをするためだ。

「由比ヶ浜はともかく、雪ノ下は気がついてるんじゃねぇのか」

「ちょ、ヒッキーひどいってば!」

「ええ、そうね。うすうす気がついているわ」

 雪ノ下は甘そうなコーヒーの入った大きめのマグカップを手に持ちながらそう答える。そして、呆れたようなでも少し誇らしそうに『まったく、比企谷君は』と、だいたいの足の筋肉をほぐし終わった比企谷にカップを手渡した。

「すまんな」

「いいのよ」

「ちょっと、だからヒッキーどういうことってば!」

 若干一名はいまだに分からないのか、ハムスターみたいに頬をパンパンに膨らませて怒ってはいるのだが、どうも本気の迫力を知っている身としてはそよ風にしか感じていなかった。

「由比ヶ浜さん、私達以外の一科生を見て気がつく事はなかったのかしら」

「気がつく事?」

 人差し指を顎に当てて目線を上に向け今日あった事を思い浮かべているようなのだが表情から察するに、いや表情を見なくても長年の経験則から『あ、こいつ分かってねぇな』と手にとるように分かった。

「あ、ゆきのんがかっこよかった!」

「……さて、飯食おうぜ」

「ええ、そうね」

「え、何か変な事言った!?」

 立ち上がろうとしている二人の顔を交互に見渡し、いまだに何のことか分からず困惑していた。二人はいつものことだなと、再び座り直し比企谷は説明を始めた。

「お前でも分かりやすく説明をするとだな、一科生と二科生の間には目に見える格差と目に見えない格差が存在する」

 由比ヶ浜は何か言いたげだったが、静かに比企谷の話に耳を傾ける。

「目に見える格差ってのは指導員の有無だが、これは仕方がない。人員自体がたりてないから、こればっかりはどうにもならん。んで、だ。問題なのが目に見えない格差の方、俺が二科生になったのはこっちの問題のせいだ」

 一度言葉を区切り、コーヒーを口に含み咽の奥に流し込んだ。

 

 

 

「由比ヶ浜、一応聞くがブルームとウィードの意味は分かるか?」

「ヒッキー馬鹿にしすぎだし! えっと……ゆきのんなんだっけ?」

 そんな由比ヶ浜の言葉に笑いが漏れる。

「なんで二人とも笑っているの!」

「いや、ちょっとな。やっぱ、由比ヶ浜はそのままでいいな」

「ええ、由比ヶ浜さんはそのままでいて欲しいわ」

 二人は口にこそ出さないが、由比ヶ浜がそばにいるだけで精神的に救われており心の奥底から由比ヶ浜に感謝をしている。

「ちょ、ちょっとド忘れしただけだし! でも、凄くい嫌な言葉だってことは分かるよ」

「……まぁ、二科生に対しての差別用語だ。一応だが使うことは禁止されている、建前としてだが」

 笑みを消し、語り始める。

「一科生の大半はエリートとだと言うプライドを持って、二科生を格下に見ている。いや、見下していると言った方がいいか。お前らのように優越感に浸らない奴もいるだろうが、おそらく完全な少数派だと考えていい。

 これは別に悪いという事じゃなく、仕方がない。俺らの年でしっかりと自分を持つ奴の方が珍しいからな。自分に酔ったり、特別だと思いたい奴の方が普通だと言える。

 それに加えてやっかいなのが、二科生も二科生でそれを受け入れてしまっていると言う事だ。一年の段階ですでに一科生よりも下だと刷り込まれ、向上心を失うやつが多くなる。努力すれば一科生にも負けない二科生がいるにもかかわらずだ。

 雪ノ下的に言えば、全て才能のせいにして努力を怠り、弱い事を盾にして弱い立場でぬるま湯に浸かっている。と言う事か」

 比企谷は雪ノ下に視線を向け、それに気がついた雪ノ下は肯定の意を込めて軽く頷いた。

「そういう環境は雪ノ下の好むところじゃないし、由比ヶ浜、お前に嫌な物をみせてしまうかもしれない。俺はこの状況が気にいらなかった。

だから俺が一科生にならなかったのは、二科生にいなきゃできないことがあるからなんだよ」

比企谷は自分のためではなく、この二人のために動こうとしている。こんな自分と一緒に居てくれる二人のために。

「具体的に考えているのかしら」

「いや、一応のゴールは作ってあるがルートがまだだな」

「ゴールって?」

「一科生と二科生が対等になることだ。どっちが上か下かじゃなく、対等になるようにしなければ結局は同じ事の繰り返しになるだろ。最初の目標としては二科生全体に向上心を持たせなきゃいけないってところなんだが」

『それをどうするかまだ思い浮かばない』と、ため息交じりで呟いた。

「そうね、努力させない限りは無理でしょう」

「ヒッキー、手伝えることあったら言ってね!」

「ああ、その時は頼らせてもらうさ」

 カップに残っていた全てのコーヒーを飲み干し立ち上がる。

「そろそろ飯にしようぜ。腹が減った」

「そうね」

「賛成!」

「由比ヶ浜、魔法で料理を温めてくれ」

「うん、了解!」

 由比ヶ浜は自身のCADを操作し、机の上の料理に向かって起動した。

 使うのは振動系魔法、範囲は机の上ではなく温めるべき料理のみに限定して個別に作用する。その原理を簡単に説明をするならば、電子レンジで温めているのと同じと思ってほしい。

サラダなどの冷たい料理を避けて魔法を行使するため、机全体に行使する場合と比べれば格段に難易度が上がるが由比ヶ浜は涼しい顔で魔法を使用している。

「温め終わったよ!」

 使用していたCADをしまい笑顔で振り返った。

「由比ヶ浜さんの魔法はいつ見ても綺麗ね」

 雪ノ下は圧倒的な魔法力で他者を圧倒することを得意とし、由比ヶ浜はテクニックとセンスに秀でている。

「ゆきのんの魔法も凄くてあこがれるよ」

「ありがとうね、由比ヶ浜さん」

 いつものように百合百合している二人を、これまたいつものように温かい目で自分のやるべき事を心に刻んだ。

「んじゃ、また冷めないうちに食うとするか」

「ええ、そうね」

「うん!」

「「「いただきます」」」

 

 

 

 入学祝いが終わり、由比ヶ浜はそのまま雪ノ下家に泊まる事となり比企谷も誘われたがどうにか断ることに成功し(おそらく成功率は1%未満と比企谷は変な方向に自負している)今は帰宅途中だ。雪ノ下家から比企谷家の場所はそこまで離れてはいないが、それでも歩きでは少し時間がかかる。そんな帰宅途中、比企谷は不意に足を止める。

「どうも、お久しぶりです」

「うん、久しぶりだね。比企谷君」

 比企谷の後ろに一人の女性がいつの間にか立っていた。音も無く気配もなく、しかしそんな彼女に振り返ることなく言葉をかけた。

「資料、ありがとうございました。陽乃さん」

 振り向いた先には雪ノ下家の長女、雪ノ下陽乃が立っていた。その表情は相変わらずの笑顔で、いつもの優しく比企谷にだけ見せる笑顔だった。

「ううん、いいのよ。君が必要と思うものはいつでも揃えちゃうよ」

「今のところは特にありませんので、大丈夫です」

「あ、比企谷君は帰る途中なんだよね、じゃあ私と一緒にいこ。今日のこととか、いろいろ聞きたいこともあるし」

 雪ノ下陽乃は比企谷の腕を取り歩き出した。比企谷も比企谷で何も言わずにされるがままに歩き出す。

「あ、そうそう。入学おめでとう」

「…ありがとうございます」

「それで、どうだったかな?」

「どう、とは」

「もう、とぼけちゃって。分かってるくせに。

 君から見て第一高校の戦力はどう見えたのかな。雪乃ちゃんに危害を加える事ができそうな存在はいたのかな?」

 さっきと変わらない声だったが、一気に質が変化した。比企谷の腕を引いているため表情はうかがう事ができないのだが、どんな表情をしているのなんて事は手にとるように分かっている。

「実力、と言う点に目をつければそれなりにいましたね。まぁ、少なくとも立場上そう言うことになるとは思えない感じですけど、俺がいますよ」

「うん、なら大丈夫だね。それで、言っていた彼はどうなの」

「……まだ、分かりませんね。でも、陽乃さんが集めてくれた情報じゃ腑に落ちないことが多かったですから、それなりに警戒しておいて正解でしょう」

 その答えを聞いてから少し歩いて陽乃は立ち止りそれに引っ張られる形で、比企谷も立ち止った。

「……八幡、忘れてないわよね」

 腕を離し、比企谷の後ろに回り込んで抱きつく。

「ええ、忘れませんよ。恩も、約束も」

「うん、ならいいの」

 約束、比企谷八幡と雪ノ下陽乃との約束。恩、比企谷八幡と雪ノ下家との恩。

 実のところ、先程二人に話した説明は三分の一程度しか説明していない。

 あれは、表向きの目的。その裏に、司波達也の監視と言う目的が隠されている。しかし、比企谷八幡は魔法学校に入学した真の目的は雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣を無事に守り抜く事。それが、雪ノ下陽乃との約束。雪ノ下雪乃を守ることが雪ノ下陽乃との約束であるならば、由比ヶ浜結衣を守ることは比企谷八幡自身との約束。

 だが、比企谷八幡に隠された約束として比企谷八幡もその中に入っている。雪ノ下陽乃は自身の妹を守らせることにより、比企谷八幡をも護ることを思いついた。比企谷八幡は二人を守り続けなければいけなくなり、それは同時に比企谷八幡と言う存在は死ねなくなったと言う事だ。比企谷八幡が死ねば、二人を守ると言う約束は守れなくなる。だから、比企谷八幡の中から自己犠牲と言う選択肢を幾分か減らすことに成功した。

 必要のない人間だと言われていた、かつての比企谷八幡を見ている雪ノ下陽乃は今の比企谷八幡を好ましく思っているのだがそれでもどこか不安を隠せない。いつ、また、あの頃に戻ってしまうんじゃないかと。

「うん、じゃあ帰ろうか」

 雪ノ下陽乃は再び腕に絡みついてきた。

「あ~もう遅いんで俺一人で大丈夫ですよ。陽乃さんは何かある前に帰った方がいいですよ」

「え~大丈夫だって。そんなに離れてないんだし」

「いえ、俺が心配なんですよ、ほんと」

「ん~比企谷君がそう言うんなら今日は大人しく帰ろうかな。あ、じゃあ、次の休みにでもデートしようね」

 と、腕をほどいて比企谷の額にキスして何か言われる前にさっさと走り去ってしまった。

「………あ~くそ! こんなのされたら陽乃さんも守りたくなるだろうが!」

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 肆

 

 

 高校生二日目の目覚めは、いつものように静かなものだった。

 別に高校生になったからと言って、地球の自転周期やら公転周期が変わるはずもなくましてや一日が25時間になることもない。

 一階に下り洗面所で簡単に顔を洗った後に歯を磨き、寝間着のままリビングに向かい、冷蔵庫から夜の内に作っていた朝食を取りだした。冷えた朝食をレンジに放り込み、箱買いしているMAXコーヒーを取りだし机に置いてちょうど温め終わった朝食を取り出して椅子に座った。

 この家には比企谷八幡一人しか住んでいない。別に家族がいないと言うわけじゃない、比企谷八幡にはちゃんと両親がいて二つほど下に妹もいる。比企谷八幡とは別の場所で元気に暮らしている。

知っている限り両親は魔法を使えるが、なぜか妹は魔法を使えず魔法師になることは未来永劫ないと言うこと。父親がそんな妹を溺愛していると言うこと。妹が自分の兄のことを憶えていないと言うこと。幼少のころの数年だけ一緒に暮らしていたと言うこと。そんな三人家族が幸せに暮らしていると言うこと。

 比企谷は朝食を食べ終え使った食器を、ホーム・オートメーション・ロボット(HAR/ハル)に任せて自室に戻った。自室に戻りかけてある制服に着替え、その場に座禅を組んだ。時間的にはまだ余裕があり、二人が呼びに来るまで精神集中をおこなおうとしていた。

 目を閉じ、息を大きくはき、ゆっくりと空気を吸い込んだ。慣れたふうに一瞬で動きが無くなり、あたかも人形のように微動だにしなくなった。数分の集中の後に頭の中で自分の部屋を思い浮かべる。自分の位置、家具や小物の位置まで。そこからゆっくりと範囲を広げ、家の隅々、自宅の付近、そして雪ノ下家まで綿密で正確な立体地図を構築していく。そこからもう一つ先の次元に移行しようとした瞬間、家のチャイムが鳴り響いた。意識が浮上する前に、ガチャリと鍵と玄関が開く音が聞こえてきて、

「ヒッキー、やっはろーー!」

 いつもの様な元気のいい声が聞こえてくる。

「由比ヶ浜さん、いつも言っているでしょ。こんな朝早くに大声は近所迷惑だわ」

「あ、ごめんゆきのん」

「ゆ、由比ヶ浜さん。困った時に抱きつくのはやめてもらえないかしら」

「え~いいじゃん」

 どうやら玄関でいつもの百合の大売り出し中であるらしい。

「ちょっと待て、今すぐ行く」

 玄関まで届く声で声を返して、立ち上がり背筋を伸ばし鞄をひっつかんで一階に下りると想像通り百合の花が咲いていた。

「遅いわよ、比企谷君」

「まだ時間はあるだろうが」

「私が呼んだら40秒で来なさい」

「おい、どこのラ○ュタだよ」

「ヒッキー」

「なんだ?」

「おはよう」

「……ああ、おはよう」

 由比ヶ浜の笑顔にちょっと照れ、そっぽを向きながらぶっきらぼうに挨拶を返した。

「ほら、ゆきのんも」

「ちょ、ちょっと。そんなに押さないでもらえるかしら」

 由比ヶ浜は雪ノ下の背中を押して比企谷の目の前まで移動させ、雪ノ下は比企谷の目と目が合いその頬を赤らめながら、

「お、おはよう。比企谷君」

「お、おう。おはよう」

 このやり取りは中学の頃からやっているのだが、どうも慣れる事がなくそれどころか今の方が中学の頃より照れが大きいようだ。ナンデダロウネ。

「っと、そろそろ行こうぜ」

「ええ、そうね」

「今日から授業だよね。楽しみだな~」

 雪ノ下と由比ヶ浜が並んで歩き、その後ろから比企谷がついて歩いていく。

 

 

 通勤・通学の人並みが、停車中の小さな車体に次々と、整然と乗り込んで行く。

 満員電車、と言う言葉は、今や死語となっている。

 電車は依然として主要な公共交通機関だが、その形態はこの百年で様変わりした。

 キャビネットと呼ばれる、中央管理された二人乗りまたは四人乗りのリニア式小型車両が現代の主流だ。

 三人は自分達の番が回ってきて、四人乗りのキャビネットに乗り込んだ。徒歩の時と同じで、雪ノ下と由比ヶ浜が隣同士で座り後ろの席に比企谷が一人で座った。

「ねぇねぇ、ゆきのん。授業って何するのかな」

「そうね、系統魔法は一通りやるでしょうね。でも、初日の今日は見学がほとんどだと思うわ」

「見学か~ちょっと苦手かも」

「そうね。由比ヶ浜さんはやりながら憶える方が得意だものね」

「うん、やっぱり実戦あるのみだよ!」

 振動も無くすべるように進むキャビネットの中、二人は今日のことを肴に談笑をしていた。そんな二人の会話に入ることなく、比企谷は腕を組み目を閉じて一見寝ているように見えるがその実警戒態勢を取っている。確率が低いとはいえ、もしもの時にすぐさま対応できるように集中している状態だ。

「あれ、ヒッキー寝てるの?」

「いや、起きてるぞ」

「ねぇねぇ、ヒッキーは何が見たい?」

「見学の話か? 特にこれと言ってみたい物はねぇな。勝手に一人でぶらつくさ」

「じゃあ、三人で一緒に見に行こ!」

「……まぁ、できたらな」

「約束だよ!」

 席と席の間から後部座席を覗きこんだ上半身を元に戻し、嬉しそうな表情を浮かべて『早く着かないかな~』と今にもスキップをしそうな勢いだった。まぁ、安全性から経てないようになっているのだが。横にいる雪ノ下も見学のことに口を出さず、少しだけ表情を和らげていて嬉しそうであった。

 キャビネットは目的地につき、三人は降りて学校に向かった。

 

 

 登校したばかりの1年E組の教室は、雑然とした雰囲気に包まれていた。

 おそらく、他の教室も似たようなものだろう。

 教室を見回すと、すでに警戒対象が来ており数人のクラスメイトに囲まれていた。そこから察するにA組はちょっとした騒ぎになっているだろう。雪ノ下が何かやらかしていないといいのだが、と言う憂う表情を浮き出して雑談する小集団をかき分けて自分に割り当てられている机に向かった。

 それは偶然なのか、それとも彼女が根回しをしていたのかは分からないがその警戒対象、司波達也の後ろの席だった。目の前では資料にあった千葉家の子女とガタイのいい男子生徒が言い争いをしており、それを眼鏡かけた由比ヶ浜に勝るとも劣らない(どこがとは言わないが)女子生徒が仲裁に入っていた。

「確か、比企谷だったか」

 前の席から比企谷だけに聞こえる声が聞こえてきた。

「おいおい、なんで俺の名前を知ってんだよ」

「それはお互いさまじゃないのか」

「ったく、そこは知らない振りでもしておけよ。司波達也」

「俺のことは達也でいい」

 比企谷は『そうかい』と呟き、机の上に顔を伏せた。

「レオ、もう止めとけ」

 どうやら、目の前の言い争いは終わったようだ。

 

 

 

 予鈴が鳴り、思い思いの場所に散らばっていた生徒達が自分の席に戻る。

 このあたりのシステムは、前世紀から変わっていないが、そこから先は趣が違う。

 電源の入っていなかった端末が自動的に立ち上がり、既に起動していた端末はウィンドウがリフレッシュされる。同時に、教室前面のスクリーンにメッセージが映し出された。

〔――5分後にオリエンテーションを始めますので、自席で待機してください。IDカードを端末にセットしていない生徒は、速やかにセットしてください――〕

 比企谷は机から顔を上げメッセージを確認した後、胸ポケットに入れていたIDカードをセットした。

 本鈴と共に、前側のドアが開いた。

 遅刻した生徒ではなく、スーツを着た若い女性だ。

 誰が見ても、と言うほどではないにしろ、それなりに美人、それ以上に愛嬌の感じられるその女性は、せり上がってきた教卓の前に立つと、小脇に抱えていた大型携帯端末を卓上に置いて教室を見まわした。

 以外感に打たれた教室内は戸惑いが充満した。

 卓上端末を利用したオンライン授業が採用されている学校では、教師が教壇に立つと言うことは無い。諸事項伝達ならば、それこそ先程のようにメッセージとして伝えればよい事だ。故に、通所教師が教室に来る必要性は無い。

 しかし、この女性が教職員であるのは、訊いてみるまでもない事だった。

「はい、欠席者はいないようですね。

 それでは皆さん、入学、おめでとうございます」

 つられてお時儀を返している生徒が何人もいた。比企谷はそんなことより、その女性の素性を思いつく限りの可能性の候補を頭の中で整理していく。しかし、どれも可能性の順位が限りなく低くどうも掴み切れていなかった。

「初めまして。私はこの学校で総合カウンセラーを務めている小野遥です。皆さんの相談相手となり、適切な専門分野のカウンセラーが必要な場合はそれを紹介するのが私たち総合カウンセラーの役目になります」

(……ああ、そう言うのがいたな)

 元祖エリートぼっちの比企谷には誰かに相談すると言う思考自体が既に欠落しており、学校説明で適当に読み飛ばしていた。それからカウンセリング体制の説明が続き、説明の最後には、

「本校は皆さんが充実した学校生活を送ることができるよう、全力でサポートします。……という訳で、皆さん、よろしくお願いしますね」

 それまでの生真面目な口調が、一転して砕け柔らかいものになって閉めた。

 教室はそれによって、脱力した空気が漂った。

 比企谷は緊張と弛緩、自分の容姿まで計算に入れた中々見事なエモーションコントロールをを使うこの小野遥という女性も警戒人物の一人と数えた。目の前の男ほどではないが、大学出たてのような外見に似合わずどこか場数を感じさせる臭いを嗅ぎつけた。そして、自分とどこか近い物を感じてもいた。

「これから皆さんの端末に本校のカリキュラムと施設に関するガイダンスを流します。その後、選択科目の履修登録を行って、オリエンテーションは終了です。分からないことがあれば、コールボタンを押してください。カリキュラム案内、施設案内を確認済みの人は、ガイダンスをスキップして履修登録に進んでもらってもかまいませんよ」

 ここで教卓のモニターに目を落とした遥が、あらっ? という表情を見せた。

「……既に履修登録を終了した人は、退室してもかまいません。ただし、ガイダンス開始後の退室は認められませんので、希望者は今の内に退室してください。その際、IDカードを忘れないでくださいね」

 その言葉を待っていたかのように、ガタッ、と椅子が鳴った。

 立ち上がったのは、窓際前列、神経質そうな顔立ちの細身の少年だった。その少年に、教室の約半数がその少年の背中を目で追いかけていたが、すぐに卓上へ視線を戻した。

 その他に途中退場者はいないようだ。もし履修登録が終わっていたとしても、比企谷は目立つのを嫌いその場で時間を潰しただろう。適当に見流そうとガイダンスに目を向けようとした後、ふと、視線に気がつき顔を上げた。教卓の向こう側から、遥が司波達也を見ているのが見えた。

列が同じで席が後ろだから反応してしまったようだ、と目線を戻そうとした時、目の端で明らかにこちらにも目線を向けニッコリ微笑んだ遥が見えた。

 

 

先程の遥の行動の意味を考えてはいたのだが、やはり推測の域を出ずひとまずは置いておくことにした。

履修登録を終え昼までどうするか考えていた時、ポケットに入れていた端末が震えたのを感じて取り出した。開いてみると由比ヶ浜からメッセージが入っており、内容は教師の解説付きで見学できるらしくどうしたらいいか、だった。

そう言えば三人で見て回る約束をしていたなと今思い出したが、解説付きならそっちの方がいいだろうと言う事で、自分のことは気にせずに二人でしっかり見てこいと返事を返した。返してすぐ端末が震え『分かった。あとでヒッキーにも教えるね』と返信が来た。

それを確認し、食堂が開くまで適当にぶらつこうと席を立ち周りを見渡せば、もう教室内には数人しか残っていなかった。最後の一人になる前に教室から出ると、出入り口の横に立っている少年に気がつき立ち止った。

「何か用か、司波達也」

「俺のことは達也でいいと言ったはずだが」

「けっ、んな友人を呼ぶような呼び方をするかよ」

 目線を合わせず、横に並んで言葉を交わす。

「そうか、それは残念だ」

「おいおい、そんなことを言うならもっとそれっぽい声を出せよ」

「あいにくと、そう言うことは不得手でね」

「よく言うぜ」

 二人は口元だけで笑う。

「一つ、言っておきたい事がある」

「奇遇だな、俺もだ」

「もし、俺の妹に危害を加えようとしているのならやめておけ。俺がお前に、地獄を見せる」

「地獄か、とっくに見あきたぜ」

 底知れぬプレッシャーを物ともせず軽口で返す。いや、慣れたように返す。

「お前も俺の大切な奴を少しでも怪我させてみろ、生まれてきたことを後悔させてやるよ」

「…………」

「…………」

「……お互いさまという訳か。安心していい、俺から動くことは無い。そちらが何かをしなければ」

「おいおい、また奇遇だな。お前がなにもしなけりゃ、俺もめんどくさい事をしなくていいんだよ」

「少し話が長くなったな。悪いが、待たせている友人がいる」

 そう言って司波達也はその場から離れていった。

「……ったく、予想以上かよ」

 今頃になって背中から嫌な汗が噴き出てきた。今まで様々なプレッシャーを体験しているが、ここまでのは久しぶりだった。

 

 

 

 適当にぶらついた後、早めに食堂へ向かい苦労することなく食堂の端にある一人用のテーブルに座り先に食べ始め、徐々に食堂が混雑してきた頃には既に食べ終えて食後のMAXコーヒーをすすっていた。

食べながら食堂の入口を見ていたが、比企谷から少し遅れて司波達也たち入って来るのが見え、そこからまた少し経った後にハーメルンの笛吹きのごとく一科生をひきつれて入ってくる集団が目に入った。先頭には司波達也の妹、司波深雪の姿と今にも感情が爆発寸前の雪ノ下と曇り気味の表情をした由比ヶ浜の姿が見えた。他に入学式に講堂で隣にいた女子二人もその中に見え、同じクラスだったのかと集団を観察していた。

 なるべくばれないように観察していると、司波深雪は食堂内を見渡して兄である司波達也を見つけたらしくそのテーブルに近づいて行った。

司波深雪は兄と相席したいと思っていたのだろうが、周りのクラスメイトがどうやら騒ぎ立てているのを口の動きを読むまでもなく身振り手振りだけで分かった。それに比例するように、雪ノ下の表情が険しくなっていく。しかし、雪ノ下の口は開かれる事なくつぐんだままぐっとこらえていた。それは司波深雪の意思を尊重し、守るためのことだろう。

そうこうしている間に司波達也が立ち上がり、相席していたクラスメイトも追うように立ち上がって食堂をあとにした。比企谷はため息をつく、言っちゃ悪いがここまでの馬鹿な奴らだとは。

昼食も食い終わった事だしそろそろ一人になれそうな場所をまた探すか、と立ち上がる前にもう一度その集団のほうに目をやるとバッチリと機嫌の悪い雪ノ下と比企谷を見つけて笑顔になった由比ヶ浜と目が合った。

二人は司波深雪にだけ断りを入れて、つき添おうとした男子生徒を睨みつけ、一言二言の短い罵倒でその場にくぎつけて一直線に比企谷の元に向かっていった。比企谷は素直にその場に座り直し、空になった缶から数滴だけ落ちるコーヒーの雫を最後の晩餐とばかりに口に含んだ。

 

 放課後、比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜に甘い物を奢る事になり逃げられる前に捕まえに来た二人につれられて今は三人で校門の前まで来ていた。

「まったく、どこに行ってもああいう人間はいるものね」

「うん、聞いててあんまりいい気分がしなかった」

 どうやらいまだに昼間のことが腹にすえかねているようだった。

放課後、比企谷と合流する時に数人のしつこい男子が数人ついてこようとしたが、いつのも増して冷ややかの言葉で氷漬けにしていた。それはやつあたりと言えばやつあたりになるだろうが、A組の男子は昼間あの中に居たりとどうも自業自得感がして同情すら起きなかった。

「比企谷君、こうなったら徹底的にやらないと気が済まない……あら、あれは何をやっているのかしら」

 意識改革に熱を持って取り組もうとやる気を見せた雪ノ下だったが、それを最後まで言い終える前に言い争いをしている集団を見つけた。見つけたと言うか、かなり目立って下り遠巻きに見ている生徒が大勢いた。

「おい、なんかやばくねぇか」

「ヒッキー、凄く嫌な予感がするんだけど」

 険悪なムードが漂うその集団は、どうやら司波達也たちとA組の集団が司波深雪のことでもめているようだった。今は言葉だけで止まっているようだが、既に放課後となり学校側が登校時に預かっていた個人のCADは返却されている。感覚派の由比ヶ浜が嫌な予感を感じているならば、それは………

「同じ新入生じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れていると言うんですか?」

 それは大きい声ではなかった、しかしながらよく通る声であり離れていた三人にさえ聞こえてきた。

「って、そんな事言ったら!」

「比企谷君!」

「ヒッキー!」

 二人が名前を呼ぶ。

 それは信頼の証だ。比企谷なら、比企谷だったらなんとかしてくれると言う、心からの信頼の証。

 比企谷は魔法を発動させずに駆けだした。それが、自分の魔法ではなく比企谷八幡という人間を信頼している二人への答えだった。

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 伍

 

 

 比企谷達と、司波達との距離はそこそこ離れていた。

いくら比企谷の身体能力が高くても一瞬でたどり着ける距離じゃない。確実に数秒ほど必要だ。魔法を使って底上げすればより早くたどり着けただろう。しかし、その発動時間さえ惜しい状況ではこれが正しい判断だったろう。

 急ぎながらも、冷静で周りを見える早さを保ち、これからどう動かれても対処できる早さを見極め、的確に害意だけを排除できうる急ぎ方。

 比企谷八幡に託されたのは殲滅ではなく、どんな状況になっても誰もが無傷でその場を収めること。

 故に、比企谷八幡は立ち止まる。

 

走りながら小型拳銃を模した特化型CADを取り出した男子生徒を視界の中心に置いて観察する。この動きで、誰がどんな動きをするのか。

一番に動いたのは、司波と居たもう一人の男子生徒だった。その生徒は素手で発動中のCADを掴もうと手を伸ばす。とっさの判断で頭より手が先に出たのだろう、見た目通りの人間だと、視界の端に映る千葉家の子女を確認しさっきより余裕のできた頭で思う。

千葉は男子生徒の脇をすり抜け、どこから出したのか伸縮警棒をCADに向かって振り抜いた。小型拳銃形態のCADは弾き飛ばされ、地面に転がった。既に立ち止っていた比企谷八幡はその動きに感心する。

「警棒…じゃないな、おそらく武装一体にしては……いや、まさか刻印型か? だとしたら珍しい物を……流石、千葉家と言うことか」

 周りの人ごみに紛れて観察する。

 実のところ、比企谷八幡が立ち止ったのは千葉が動き出した時じゃなく、司波達也が右手を突きだした時である。ただそれだけの動作で、立ち止った。

そもそも、司波達也ほどの人間の一挙手一投足に理由がないはずがない。確実に、あれは何かをしようとしていた。それは、その場を収めるための、確実にその場が収まったであろう魔法を使おうとしていたと予想する。

 ふと、目の端に別の魔法が発動されようとしていたのが見えた。いったん思考を切り、そちらへ目を向ける。CADをたたき落とされた男子生徒の後ろに居た女子生徒が腕輪形状の汎用型CADを起動させていた。

 その女子生徒はサイオンをCADに送り込み起動式を展開していた。だが、比企谷八幡は動かなかった。動けなったのではなく、動かなかった。

 理由は二つある。

 一つは、その魔法が攻撃魔法ではなくただの閃光魔法であることが『分かったから』だ。

 二つ目は……

「止めなさい! 自衛目的以外の魔法による対人攻撃は、校則違反である以前に犯罪行為ですよ!」

 展開中の起動式が砕け散った。

 二つ目は、生徒会長と風紀委員長がすぐ近くまで来ている事が分かったからだ。

 生徒会長はサイオンそのものを弾丸として飛ばし、起動式のサイオンのパターンを攪乱させ霧散させた。魔法としてはもっとも単純な形態だが、起動式のみを破壊し術者本人にダメージを与えないとなると精緻な照準と出力制御が必要となってくる。そんなことをあっさりとやってのけた生徒会長の射手としての力量はすさまじいものだと、改めて感心する。

 比企谷が走りだして一分程度経ったくらいだろうか、雪ノ下と由比ヶ浜の二人が合流した。体感時間ではかなり経っている気がしていたが、気がつくとそれほど時間は経っていなかった事が分かる。(具体的に言えば一週間以上経ったような、気がする)

「何事もなくて良かったわ」

「俺は何もしていないがな」

「あなたはベンチに座っている選手が何もしていないと言えるのかしら」

「……そりゃ、言えねぇな」

「そう言う事よ」

「え? ゆきのん、どういうこと?」

 相変わらずの由比ヶ浜である。

「由比ヶ浜さん、ベンチに座っている選手は試合に出てはいないとしても、別にサボっているわけではないと言うことは分かるかしら?」

「え、えっと。うん、なんとか」

「比企谷君は表立って彼らを止めてはいないわ、でも何かあった時のために止める事ができるようにしていたと言う事よ」

「な、なるほど。やっぱりヒッキーは凄いね」

 どうにか理解したのか犬のようにはしゃぎ出した。

その間も比企谷は目の端に集団を置いて、どう動くのか少しでも多くの情報を仕入れようとしている。

情報収集の相手である司波達也は、風紀委員長を前に一歩も引かずそれどころか表情一つ変えずに渡り合っていた。自己判断、事後処理、等々。今日の数時間で、いずれ自分が対峙しうる可能性持った存在の厄介さを痛感していた。

どうやらあっちの騒動は収拾したようで、生徒会長と風紀委員長はちょうど校舎に戻ろうとしておりその二人の後ろ姿に全員が頭を下げていた。すぐに頭を上げず数秒そうしていただろう、ふと風紀委員長が顔だけを振り向いて司波達也に声をかけた。どうやら名前を聞いたようで、司波達也は頭を上げて簡素にクラスと名前を口にした。風紀委員長は満足したのか、そのまま生徒会長のあとを追った。

周りの野次馬は早々に散り始め、比企谷も二人を連れてさっさとこの場を移動しようと動こうとした時、視線を感じてその方向に目を向ける。

目を向けると、真っ先にCADを取り出した男子生徒に指を刺されている司波達也の姿があった。傍から見れば目の前の男子生徒と話しているように見えるが、視線と意識は比企谷の方へ向いていた。比企谷がそれに気がついたことが分かると視線と意識を切り、目の前の男子生徒へと移した。

どうやら、始めから比企谷がいる事は分かっていたらしい。

「ったく、厄介すぎるだろ」

 と、本当に誰も聞こえないような小さな声で呟いた。

「あれ、一緒に居るの光井さんと北山さんだよね、ゆきのん」

「ええ、そうね。詳しい話が聞けるかもしれないわ、行きましょう」

「ちょ、おい」

 雪ノ下と由比ヶ浜は連れ立ってその集団へと近づいて行った。

「ヒッキー、ほら早く!」

 

 

 

「なんだ、これ」

 率直な吐露だった。

 あれから司波達也達と不本意にも合流し、今は大人数で駅に向かう帰り道。

 司波達也を中心として、その隣を司波深雪となぜか光井ほのかが陣取っている。司波深雪側にE組の千葉エリカ、柴田美月、西条レオンハルトが、光井ほのか側には北山雫と雪ノ下と由比ヶ浜、そして釈然としないと言うか現実を直視したくないと言う逃避に似た表情を張り付けている比企谷八幡で新たな集団として歩いていた。

「……じゃあ、深雪さんのアシスタンスを調整しているのは達也さんなんですか?」

「ええ。お兄様にお任せするのが、一番安心ですから」

 光井の質問に対して、我がことのように得意げに、司波深雪が答える。

「少しアレンジしているだけなんだけどね。深雪は処理能力が高いから、CADのメンテに手がかからない」

「それだって、デバイスのOSを理解できるだけの知識が無いとできませんよね」

 そんな司波達也を中心として会話がはずんでいる中、比企谷だけはできるだけ気配を消し今はほぼ完全に近いくらいに気配を消している。

 雪ノ下は少しだがCADなどのデバイスを調整することができ、司波達也の話を興味深そうに聞きながら気になった部分を問い、由比ヶ浜は話の内容を理解はしていないみたいだがそれでも驚きながら聞いていた。

 今すぐにでもその集団と距離を置きたいと思っている比企谷ではあるが、気配を消し数歩後ろに下がって付いてきているのは目の前の二人がいるからである。

「達也くん、あたしのホウキも見てもらえない?」

 千葉がイタズラを思いついた子供のような顔で、司波達也の声をかけた。

「無理。あんな特殊な形状のCADをいじる自身はないよ」

「あはっ、やっぱりすごいね、達也くんは」

 他のメンバーは何のことか分かっておらず、なんのことだ? と言った風に首をかしげていた。

「比企谷、お前はどうだ」

 いきなり司波達也が後ろを振り向いて聞いてきた。声のイントネーションから疑問と言うより、確認の割合が多く感じた。しかし、それよりも司波達也につられて全員が後ろを振り返りその視線が痛いくらいに突き刺さる。その表情からは『え? いたっけ?』だとか『気が付かなかった』などの感情が簡単に読み取れた。それに加えて、雪ノ下と由比ヶ浜もそこに比企谷がいるのを忘れていたようで、今しがた思い出したような表情であった。

 まぁ、そんなのはいつものことのように数ミクロン単位で削れていく自身の何かを認識しながら、ため息をつく。

「俺に話をふるんじゃねぇよ。つか、何の話をしてんだ。主語をちゃんとしろ」

「ああ、それはすまない。比企谷はエリカのCADに気がついたと思ったんだが」

「はっ、別に魔法を発動してねぇんだ、千葉のCADかどうか完全に分かるはずがねぇだろ」

 司波達也は『やはり』と言ったように少しだけ口角を上げて笑う。それは馬鹿にしているのではなく、感心している。やはり、比企谷も分かっていたのか、と。

 比企谷は『魔法を発動していない』と言った、それはつまり『それが魔法を発動できる物だと知っている』と遠回しに言っていた。

そして、千葉エリカもようやく少しだけ気がついた。ついさっきまで比企谷八幡という存在に気が付かなかった事と、自身のホウキを看破した事の裏に潜んでいる重要さに。

 だが、千葉エリカは気が付かなかったふりをする。これから先に起こるかもしれない、もしもの場合を考えて。

「なぁ、達也。いい加減教えてくれねぇか」

「ああ、そうだな。エリカ」

 司波達也は千葉に声をかける。

「これがホウキだって分かったのは、達也くんくらいかな」

 柄の長さに縮めた警棒のストラップを持ってクルクル回しながら皆に見せる。

「えっ? その警棒、デバイスなの?」

 柴田が目を丸くして、警棒ではなくデバイスをよく見ようと目を近づける。その様子を見て千葉は満足げに頷く。

「普通の反応をありがとう、美月。

 みんなが気づいていたんだったら、滑っちゃうとこだったわ」

 その遣り取りを聞いて、西条がさらに、訝しげに問う。

「……何処にシステムを組み込んでるんだ? さっきの感じじゃ、全部空洞ってわけじゃないんだろ?」

「ブーッ。柄以外は全部空洞よ。刻印型の術式で強度を上げているの。硬化魔法は得意分野なんでしょ?」

 比企谷は『やはりか』と呟く。そして、千葉家の戦闘に対しての技術力を再認識する事になった。

「……術式を幾何学紋様化して、感応性の合金に刻み、サイオンを注入することで発動するってアレか?

 そんなモン使ってたら、並みのサイオン量じゃ済まないぜ。よくガス欠にならねぇな? そもそも刻印型自体、燃費が悪過ぎってんで、今じゃあんまり使われねぇ術式のはずだぜ」

 西条の指摘に、千葉は少し目を開いて、驚き半分、感心半分を表現した。周りも少し驚いた顔をしていた。

「おっ、さすがに得意分野。

 でも残念、もう一歩ね。

 強度が必要になるのは、振り出しと打ち込みの瞬間だけ。その刹那を捉まえてサイオンを流してやれば、そんなに消耗しないわ。

 兜割りの原理と同じよ。……って、みんなどうしたの?」

 感心と呆れ顔がブレンドされた空気が漂い、居心地悪げに千葉は訊ねた。

「エリカ……兜割りって、それこそ秘伝とか奥義とかに分類される技術だと思うのだけど。単純にサイオン量が多いより、余程すごいわよ」

 全員を代表して、司波深雪が答えた。

 何気ない指摘だった。

 だが千葉の強張った顔は、彼女が本気で焦っていることを示していた。

「達也さんも深雪さんもすごいけど、エリカちゃんもすごい人だったのね……

 うちの高校って、一般人の方が珍しいのかな?」

「魔法科高校に一般人はいないと思う」

「ええ、そうね」

 柴田の天然気味な発言と、それまで押し黙っていた北山雫がボソッと漏らした的確すぎるツッコミに少し笑いながら雪ノ下がのっかった。色々と訳ありの空気は核心が見えないままに霧散した。

 比企谷八幡は再びため息をつく、無意識に後ろを気にしている千葉エリカの態度に、意外に頭が回るガタイのいい西条レオンハルトの存在に、眼鏡をかけその異常な感度の目を押さえる柴田美月の特異性に。

 比企谷八幡はため息をつく。

 面倒だ、とため息をつく。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 陸

 

 

 第一高校生が利用する駅の名前はずばり「第一高校前」。

 駅から学校まではほぼ一本道だ。

 途中で同じ電車に乗り合う、と言うことは、電車の形態が変わったことにより無くなってしまったが、駅から学校までの通学路で友達と一緒になる、というイベントは、この学校に関して言えば頻繁に生じる。

 入学二日目の昨日もそういう事例を数多く見たし、今朝も先程から、そういう実例を何度も目にしている。

 そして、今目の前にしている光景も多聞にもれない中の一つだ。

「ねぇ、司波くんって生徒会長さんと知り合いなのかな?」

「あんだけ親しげに名前を呼びながら駆け寄ってんだ、そりゃそうだろ」

「そうね、他人相手にする態度ではないわね」

 三人の目の前には、司波達也に向かってさも恋人にするように名前を呼びながら手を振り駆け寄ってくる生徒会長である七草真由美の姿があった。司波兄妹は気後れすることなく挨拶をしていたが、その周りにいる千葉達は少し引き気味に挨拶をしていた。

 比企谷はおそらく生徒会への誘いだろうと予想をしていた。

生徒会は毎年、新入生総代を務めた一年生を役員として迎える。今年は司波深雪が新入生総代であり、その司波深雪を効率よく誘うとなれば本人に対しても対応が必要だが、兄である司波達也に対しての方が重要度としては高いだろう。

 人のよさそうな顔をしてやはりこの学校の生徒会長だと納得し、その中になぜか突撃する由比ヶ浜とそれに引っ張られた雪ノ下を置いて、無関係に無関心に一人で校舎に向かった。

 

 捕縛されました。

 

 できるだけ他人と関わりたくない比企谷であったが、こうなっては仕方がない。比企谷は由比ヶ浜を追加したその集団へ、雪ノ下にドナドナされて合流した。

「おはようございます」

 雪ノ下は生徒会長へ綺麗に頭を下げた。

「おはよう、雪ノ下さん」

 生徒会長はいつもの笑顔で挨拶を返す。雪ノ下に連行された比企谷にも、

「おはよう」

 と、変わらぬ笑顔を向ける。ただ、名前を口にしなかったと言う事は生徒会長的に見て自分はその程度だと安心していた。

「うっす」

 比企谷は無愛想に返事を返す。その挨拶に生徒会長は機嫌を損ねるどころか、少し嬉しそうにそれを笑みに還元していた。逆に雪ノ下と由比ヶ浜の機嫌が見る見る悪くなっていくのが手に取るように分かった。どうやら、さっきの態度が『綺麗な先輩にどう接していいか分からないから無愛想に返事を返した下級生男子』と映っていたらしい。比企谷八幡の3アウトチェンジが確定した。

「あ、そうそう。由比ヶ浜さんと雪ノ下さんたちも生徒会室でお昼ご飯をご一緒しない? 達也くんと深雪さんも一緒なんだけど」

 そんな誘いに由比ヶ浜と雪ノ下は目を見合わせた。由比ヶ浜は少しだけはしゃいで、雪ノ下はどこか遠慮をして二人は比企谷の方へ顔を向けた。

「ヒッキーはどうするの?」

「比企谷君はどうするのかしら?」

「……パスに決まってんだろうが」

 即答とは言わないまでも、既に答えというか返答は決まっていた。

「すみません、また別の機会ありましたら」

「ごめんなさい、遠慮させてもらいます」

 二人同時に頭を下げた。

「そうね、また別の機会にでも誘わせてもらうわ」

 二人の顔と比企谷の顔を交互に見て、ふっ、と笑みを浮かべた。

「じゃあ、私は行くわね。達也くん、深雪さん。またお昼に生徒会室でね」

 生徒会長は手を振って校舎の方へ小走りに去って行った。

 さて、逃げるか。と、昨日の下校時のように気配を限りなく薄く霧散させた。

「ヒッキー、どこへ行こうとしてるのかな?」

「比企谷君、無駄よ」

 両側からがっしりと腕を掴まれ、息の合ったコンビプレイによって校舎裏へと引きずられていく比企谷達を残りの五人は見送った。

「……おい、なんだったんだ」

「知らないわよ」

「でも、仲がいいですね」

「美月、それはどうかと思うが」

「お兄様、時間もない事ですので私達も行きましょうか」

 はてさて、解放されるのはチャイムが始まる前か後か。

 

 

 

 早くも昼休み。

 司波達也が妹を待っている間、いつもと言うにはそれほど日数が経ってはいないが、いつもの三人組みと雑談をしているその横を通って教室から脱出しようとしていた。その横を通る際、千葉が比企谷に気がつかれないよう横目でチラリとうかがっていた。比企谷は当然そのことを理解していたのだが、気が付かず分からぬふりをして歩みを止めなかった。

 横を通り過ぎ教室のドアを開けようと手を伸ばした瞬間、自動ドアのようにドアがいきなり開かれた。開かれたドアの目の前には、長い黒髪を揺らし透き通った肌を持つ司波深雪、ではなく雪ノ下が立っていた。その後ろには由比ヶ浜と司波深雪、それに光井と北山の姿があった。

「比企谷君、ちょうどよかったわ。今朝の話の続きを食堂でしましょうか」

 と、有無を言わさぬその双眼で射抜いていた。比企谷は完全に諦めた表情をうかべ、手錠をかけられた被疑者のように頭を垂れた。

 その頭を垂れた比企谷の向こう側にいた雪ノ下の後ろにいる自身の妹に気がついた司波達也は、三人と一緒に比企谷の後ろへと移動した。

「お兄様、お迎えにあがりました」

「ああ、すまない」

 うやうやしく頭を下げる妹に、笑顔と言うよりふっと緩んだ表情を返した。

「じゃあ、俺達は生徒会室に行くが……比企谷はどうするんだ」

「……お前、何言ってんだ?」

 本当に不思議そうに厄介そうに顔を司波達也に向けた。

「なに、考えが変わったのか聞いておきたくてね」

「っは、断る」

 片手を顔の高さでひらひらと振り、雪ノ下たちの横を通り過ぎて廊下に出た。廊下に出て自然に日常風を装いどこかへ行こうとして、

「比企谷君、どこへ行こうとしているのかしら?」

 と、振り向かなくても分かるほどに笑顔を湛えた雪ノ下がいるだろう。その後ろで、ハッと気がついた由比ヶ浜も急いで駆け寄ってきて。

「ヒッキー、逃げられると思ってるの?」

「光井さん、北山さん。それでは食堂の方へ行きましょうか」

「エリカたちも一緒にいこ!」

 苦笑を浮かべている司波兄妹と、茫然としていて一連の流れにのれていない五人の姿があった。

 

 比企谷八幡は考える。

 引きずられながら考える。

 なぜ司波達也が話を振ってきたのか。生徒会室に一緒についてきてほしくなかったのか、はたまたその逆か。声の様子では一緒に付いてくることを多少なりと望んでいたように思えたが、意図が測れない。

 なら、司波達也の行動原理から探ろうと再び思考をめぐらす。

 行動原理であり思考原理を突き詰める。つまるところ、優先順位だ。

 司波達也はおそらくだが、いや高確率で自身の命よりも妹を優先する。その順位の付け方は比企谷と被ってくるが故に、前提として正しいと言える。

 妹である司波深雪にとって有益であるのか。それか、護衛の際に有益であると判断したのか。なら、その有益とはなんだ。

 顔合わせをさせる事か? 比企谷八幡と言う存在を生徒会に認識させることなのか? 牽制という事なのか?

 少なくとも、あの生徒会長の保護下ではかなりの安全性は確保されるだろう。生徒会長である七草真由美は数字付き【ナンバーズ】なのだから。

 魔法師の能力は遺伝的資質に大きく左右される。

魔法師としての資質に、家系が大きな意味を持つ。

そしてこの国において、魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に数字を含む名字を持つ。

数字付き【ナンバーズ】とは優れた遺伝的素質を持つ魔法師の家系のことであり、七草家はその中でも、現在この国において最有力と見なされている二つの家のうちの一つだった。その、おそらくは直系の血を引き、この学校の生徒会長を務める少女。つまり、エリート中のエリートと言うわけだ。

その後ろにもう一人いるのだが、こっちもこっちで厄介な人物だと憶えている。事前に重要人物、危険人物などのデータを収集しいているが、実際に遭遇する時に知らない振りをするのは疲れるな、と心の中でため息をついた。

庇護下に置くか、監視してもらうか、監視対象とさせるか、おおよそそのあたりだろうと思考をいったん切る。

「雪ノ下、由比ヶ浜、ちょっと止めてくれるか」

「なに、逃がさないわよ」

「いや、ここまで来たら逃げねぇよ。ちょっと自販機でMAXコーヒー買いたいんだが」

「じゃあ、あたしが行ってくるから先にゆきのん達と行ってて」

 そう、由比ヶ浜が腕を離して買いに行こうとしていたが、すぐに比企谷は腕を掴んで引き止めた。

「おい、由比ヶ浜。MAXコーヒーについては譲れん」

 いつもの濁って腐って淀んだ目から想像できないくらいに情熱がその目に宿っていた。

「あ、うん、分かった」

 由比ヶ浜も雪ノ下も引いていた。ついでに言えば、一緒に付いてきている五人も結構引いていた。

 雪ノ下達はその背中を見送り各自昼食を取りに行き、比較的な大きなテーブルについた。並び的はE組とA組できっちり別れた、比企谷はもちろん雪ノ下と由比ヶ浜の目の前になるようにE組の方に椅子の空きを作った。

しばらくすると二本の缶をトレイに乗せた比企谷が現れた。比企谷は席の並びを確認し西条の横に開いた椅子を見て、近くにあった一人用のテーブル足を向け、

「座りなさい」

「はい」

 脅されました。

 

 

 

 結局、西条の横に座りトレイをテーブルに置いた。

「なぁ、比企谷。その見たことねぇやつはなんだ?」

 二本あるうちの一本目を手に取り、うまそうに飲んでいる比企谷の手元の缶を指差しながら西条は聞いた。

「なに、MAXコーヒーを知らねぇのか。これはな……」

「比企谷君、うるさいわ」

 優雅に箸を使っておかずを口に運んでいた雪ノ下に遮られ、不承不承ではあるが口を閉じて一気に残りをあおった。

「あ~少し飲んでみたかったんだが」

「西条君、悪い事は言わないわ。飲まない方が賢明よ」

「……そんなに、なのか」

 雪ノ下のその物言いに、驚きと引きとなぜか少しの羨望を混ぜた視線を比企谷に向け自分の食事に戻った。

「あの、雪ノ下さん」

「何かしら、柴田さん」

「ずっと思っていたんですけど、雪ノ下さんって深雪さんとよく似ていますね」

「あ、美月もそう思ったよね。実はあたしもそう思ってたんだ」

 と、それが口火となったのだろう。他のメンバーもそう口々にいいだした。

 それから雪ノ下に話題が振り、そこから入試次点である雪ノ下の魔法講座が繰り広げられた。どうやらかなり打ち解けたようで、これからこのメンバーに加え司波兄妹も追加された集団で行動するんだろうなと憂鬱な日々を想像しながら飲むMAXコーヒーはちょっぴり苦かった。

 まぁ、それのおかげで雪ノ下と由比ヶ浜の追求が無かったことに胸をなでおろした事も確かだ。

 

 

 昼休みが終わり、一年E組は実習授業の真っ最中だった。

 とは言っても、リアルタイムに質疑応答を行うべき教師はいない。E組の生徒たちは壁面モニターに表示される操作手順に従い、据置型の教育CADを操作している。今日の授業内容は入門編中の入門編として、授業に使うこの機械の操作を習得することだった。

 事実上のガイダンス、といっても、やはり課題はでている。監督している教師がいないのだから、課題の提出が唯一、履修の目安になる。今日の課題はこのCADを使って三十センチほどの小さな台車をレールの端から端まで連続で三往復させる、と言うものだった。言うまでもなく、台車には手を触れずに、である。

 E組の生徒達は数台の据置型の前に数人ごとに分かれて列を作り、課題をこなしていっている。比企谷は目立たないために列の人数が少ない端の方の据置型を使おうと移動しようとしていたのだが、西条が目ざとく発見し今はご存じのメンバーと一緒に並んでいた。

「風紀委員!?」

 昨日の下校時のように気配を薄めできるだけ無関係を貫こうとしている時、そんな大きめの声が聞こえてきた。盗み聞き、にはならないだろうが耳を澄ませて聞いていると、どうやら司波達也が風紀委員としてスカウトされたと言う話らしい。

司波達也自身は乗り気ではないようだが、周りの三人はそれなりに肯定的なようで司波達也はやれやれと言ったような態度を取っていた。少しの間その話で本人以外が盛り上がっていたが、司波達也の順番が回ってきたことで一旦途切れた。

 比企谷八幡は観察に入る。

 据置型の上面全体を占める白い半透明のパネルに掌を押し当て、サイオンを流した。返ってきた起動式に目の端の筋肉がピクリと動くか動かないかの、普通でも異常でも気がつかないくらいに脈動していた。返ってきた起動式から魔法式を構築し、台車に向けて放つ。台車は二、三度つまずくような挙動を見せた後、無事に動き出した。

 おそらく、司波達也は魔法の『実技』が苦手なんだろう。

 だが、魔法を使った『戦闘』はもう得意、不得意の次元にはない。呼吸をするように当たり前のこととして、つい数瞬後にでも体が動くだろう。

 しかし、さっきの筋肉の動き。普通でも、異常でもない、異端だからこそ気がついた動き。それが何を意味しているのか、比企谷八幡は答えを決めかねていた。ただCADのメンテが杜撰だったのか、自身の力量を再確認したからなのか、それとも別の要因があるのか。

 そこで思考を止めた。

 どうやら思考に意識を取られ過ぎて気がついたら順番が回ってきていた。

 さて、どれだけ情報を盗まれるか。と、据置型CADの前に立ち掌をパネルに置いた。

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 染

 

 

 放課後、司波達也は「頑張ってねぇ~」と司波深雪とともに送り出された。その表情はまったく乗り気ではないとはいえ、やるべき事だと飲み下して重い足を引きずっていた。

 そんな司波達也の後ろ姿を三人は見送り自分達も帰ろうとして、教室にいるはずの比企谷に声をかけた。

「比企谷、お前はど……あれ、もう帰ったのかよ」

「さっきまで居たはずなんですけど」

「まぁ、帰ったんならいいじゃん。あたしたちも帰ろ」

 教室内を見まわしたが比企谷の姿を発見することはなく、三人は連れ立って教室を後にした。

 実のところ比企谷八幡は教室内に残っていた。

「ったく、あんま関わってくんなよな」

 鬱陶しそうに頭を掻きながら教室を出る。

「やっぱり残っていたわね」

 教室を出ると、ずっと待っていたのか雪ノ下と由比ヶ浜が立っていた。

「さっきエリカたちと会ったんだけど、ヒッキーは教室にいないって言ってたから勝手に帰ったと思っちゃった」

「まったく、いい加減私達以外の人と関わったらどうなのかしら」

「そんなの面倒だろうが。てか、教室くらいはぼっちでいさせろよ」

 比企谷は二人を先導するように教室の前から移動し、預けていたCADを取りに行く途中だった。

「いいえ、あなたはいざという時に無茶をしすぎるのを自分で分かっているかしら」

「そうそう、ヒッキーは無理しすぎるよ。一人にしていたら絶対危ない事するんだから」

「俺がいつそんなことをやったんだよ」

「「3年前」」

「……オボエテネェナ」

 

 3年前、大亜連合と旧ソビエト連邦が沖縄と佐渡に侵攻してきた事件。始めは沖縄の方に加勢する手筈になっていたが、現地で優秀な援軍が偶然旅行で来ていたらしくすぐに制圧されたと聞かされ佐渡へと赴く事になった。佐渡に行くと後にクリムゾン・プリンスと呼ばれる事になる一条家の次期当主、一条将輝を目撃していた。

 比企谷は、その姿をまじかで見て思ったことがある。「こいつは使える」と。

 佐渡での一件では、一条の協力で佐渡侵攻事件が早期に解決されたとなっているが、一条があれほど派手に暴れ回っていた裏では、比企谷が敵の幹部を暗殺したことが一番の要因だった。比企谷は、敵からも味方からも、一条という隠れ蓑を利用し表舞台に出ると言う愚行を回避した。

 ただ、そのころは今に比べて未熟で最後の詰めを誤り、大けがをして雪ノ下と由比ヶ浜の元へ帰る事になった。二人には佐渡のことは秘密であったがなぜかあっさりばれてしまい、力試しに参加したら返り討ちにあったと嘘をついておいた。

 けがが治ったあと沖縄防衛戦の援軍の存在を調べてみたが、どうにも情報はいっこうに得ることはなかった。

 

「比企谷君、彼らは私から見てもいい人たちよ」

「そうそう、それに楽しそうじゃん」

 ああ、そう言えばこいつらに『お前ら以外の人間を信用できねぇ』とかなんとかでっち上げた理由を言ったことがあったな。と、思い出した。

「へいへい、考えるだけ考えておく」

 そう、気のない返事を返しちょうど保管室についた。そして、生徒会に行ったはずの司波達也が自分のCADが入っているであろうケースを受け取っているところに遭遇した。

 

 

 

 司波達也達の話を聞けば、どうやら司波深雪が売り言葉に買い言葉で司波達也が副会長と模擬戦をする事になったらしい。比企谷はその模擬戦を見てみたいと思ったが、自分が言えば断られる可能性が高いと感じ二人が言い出すのを待った。本命は由比ヶ浜、ってところか。こう無邪気に「模擬戦って何やるの、あたしたちも見てもいい?」というのが想像できる。

「司波君、その模擬戦を私達も見学できないかしら?」

 予想は外れ、雪ノ下が口を開いた。

「なぜ?」

「上級生の戦い方を見てみたいのだけれど」

 どうやら、目的は副会長の実力のようだ。

「それは……聞いてみないと分からないと思うのですが」

「なら皆で行こう!」

 司波達也は諦めたように第三演習場へと足を向けた。

 

 

「戻ってきた…いつの間にお前の兄妹は増えたんだ」

「渡辺先輩、分かっていて言わないでください。この三人が模擬戦を見学したいとのことですが」

「ん、良いんじゃないか。見られて困る事もないしな」

「そうですか」

 司波兄妹につられて比企谷達が演習場に入ってきた。

「渡辺風紀委員長、そのせつはどうもありがとうございました」

「ありがとうございました」

 雪ノ下が真っ先に頭を下げ、続くように由比ヶ浜と比企谷も頭を下げた。

「ん? ああ、なんだあの時の三人か。ならなおさら大丈夫だ、ゆっくり見ていくといい」

 再び三人はお礼をいい、邪魔にならないように部屋の端に移動した。比企谷は入ってくる特に、演習場の真ん中で準備をしている副会長からの視線に気がついた。完全に格下を見下している視線を無視して、持っていたケースを足元に置き始まるのを待った。

「しかし、意外だったな」

「なにがですか?」

 渡辺先輩が司波達也に声をかける。

「君が案外好戦的な性格だったという事が、さ。他人の評価などあまり気にしない人間だと思っていたからね」

「こういう私闘を止めさせるのが風紀委員の仕事だと思っていましたが」

「私闘じゃないさ。これは正式な試合だ。

 真由美がそういっただろう?

 実力主義というのは、一科と二科の間のみに適用されるものではないんだよ。むしろ、同じ一科生の間こそ適用されるものだ。

 もっとも、一科生と二科生の間でこういう決着方法がとられるのは初めてだろうね」

 そんな話が聞こえてきているが、渡辺先輩は楽しそうに司波達也は少し憂鬱そうな表情をしている。

「先輩が風紀委員長になってから『正式な試合』が増えたんじゃありませんか?」

「増えているな、確かに」

 その悪びれもなく言う態度に、司波達也だけではなく後ろに控えていた司波深雪や離れていた比企谷達にまで苦笑を浮かべさせた。

 と、渡辺先輩がいきなり司波達也に顔を近づけた。どうやら内緒話をしているようだがおそらくアドバイスか何かだろう。

 その間に控えていた七草会長が三人に話しかけてきた。

「あなた達、どうしたの?」

「突然すみません。私が上級生の実力を見ておきたい、と司波君に無理を」

「そうなの。まぁ、摩利が許可したんだからゆっくり見学していっていいわよ」

「ありがとうございます」

 と、ようやく始まるようでしゃがんだ司波達也がケースから拳銃形態のCADを取り出した。よくは見えなかったが、どうやら二丁入っているうちの一丁だけを使うようだ。CADにカートリッジを取り付け、立ち上がり準備は終わったみたいだ。

「よし、それではルールを説明するぞ。

 直接攻撃、関節攻撃を問わず相手を死に至らしめる術式は禁止。回復不可能な障害を与える術式も禁止。

 相手の肉体を直接損壊する術式も禁止とする。ただし、捻挫以上の負傷を与えない直接攻撃は許可する。

 武器の使用は禁止。素手による攻撃は許可する。蹴り技を使いたければ今ここで靴を脱いで、学校指定のソフトシューズに履き替えること。

 勝敗は一方が負けを認めるか、審判が続行不可能と判断した場合に決する。

 双方開始線まで下がり、合図があるまでCADを起動しないこと。

 このルールに従わない場合は、その時点で負けとする。あたしが力づくで止めさせるから覚悟しておけ。以上だ」

 司波達也と副会長の双方が頷き、五メートル離れた開始線で向かいあう。

 共に引き締まった表情をしているが、副会長の顔には明らかに余裕が垣間見えていた。まぁ、それは当たり前だろう。少なくとも司波達也より一年多く学び、しかも一科生である。それに加え実力は自他共に認めるものだ。自惚れ、油断と言ってしまえばそう言われるような心境だが、それは表面上に限っては当たり前の結論だろう。

「比企谷君、どちらが勝つと思うのかしら」

「あ~雪ノ下はどう思うんだ」

「そうね、普通に考えて服部副会長ね」

「あ、それならあたしも副会長が勝つと思う」

 由比ヶ浜もノッてきた。

「ええ、はんぞーくんは強いわよ」

 どうやら、この場にいる二人以外は副会長が勝つと思っているようだ。比企谷達と生徒会メンバーに挟まれる形で立っている司波深雪はそんな会話を涼しい顔で受け流し、自身の兄が負けるなど微塵も考えていなかった。

 そして、

「いや、司波達也だろ」

 1+1の答えが2、だという当然のことを言うように比企谷は淀みなく答えた。そんな言葉を少し怪訝な顔をしながら雪ノ下と由比ヶ浜、そして七草会長が覗き込むように顔を向けた。七草会長の奥にいる生徒会メンバーもその発言に少しだけ興味を見せていたが、特に追及はなかった。その中で、司波深雪だけは少し驚いた表情をした後、どこか誇らしげに開始を待っている兄に目を向けた。

「始め!」

 司波達也と服部副会長の「正式な試合」、その火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 一瞬だった。

 時間に直せば5秒もかかっていなかっただろう。

 司波達也がさっきまで服部副会長が立っていた場所に向けてCADの銃口を向け、服部副会長は開始場所から一歩も動けないままその場にうつ伏せで倒れていた。

「……勝者、司波達也」

 渡辺風紀委員長による勝ち名乗りは、むしろ控えめだった。勝者である司波達也の顔には喜悦はなく、ただ淡々と作業を行うかのようにそれが当たり前の表情であった。

 比企谷、司波深雪を除くメンバー達は驚愕が隠せないのか目を見開いていた。いや、比企谷も少しは驚いてはいたが、しかし、結果が見えていた勝負にそこまで驚くような個所はなかった。身体能力はもう少し上方に修正しておこうかと思ったくらいか。

「待て」

 妹の元に戻ろうとした司波達也を、渡辺風紀委員長は呼びとめた。

「今の動きは……自己加速術式を予め展開していたのか?」

 渡辺風紀委員長の問いかけに、司波深雪と比企谷以外が今の勝負を思い返した。

 

 

『始め!』

 合図を聞いた瞬間、服部副会長の右手がCADの上を走る。

 服部副会長の持つ腕輪形態の汎用型CADの三つのキーを単純に叩くだけとはいえ、その動作には一切のよどみがない。確実に試合慣れしている動作だ。

 

服部副会長の使う腕輪形態の汎用型CADは、司波達也の使っている拳銃形態の特化型CADより魔法の発動スピードに劣る。その分汎用型は多様性に優れてはいるが。

 まぁ、スピードが劣ると言ってもCADは道具でしかなく、使い手次第でその差は変わってくる。故に、服部副会長は重要視していなかった。

 本来、服部副会長が得意とする術式は、中距離以上の広範囲攻撃魔法。近距離、一対一の試合は、どちらかと言えば苦手としている。だが、それも「どちらかといえば」であり、第一高校入学以来の丸一年間、負け知らずだ。

 

 スピードを重視した単純な起動式は即座に展開を完了し、一瞬とも言える速度で服部副会長は魔法の発動態勢に入った。

 しかし、魔法は不発に終わった。

 起動式の処理に失敗したのではない。

敵の姿が、消えたのだ。

 

 司波達也は合図の後に走り出していた。

 魔法を使おうとする動きを見せず、単純な身体能力だけで服部副会長の目の前まで間合いを詰めていた。そこで服部副会長が慌てて座標を修正し、魔法を放とうとする隙をついて後ろに回り込んだ。相手には姿が消えたように見えただろう。

 連続して三波。

 服部副会長の意識は刈り取られた。

 

 

「そんな訳がないのは、先輩が一番良くお分かりだと思いますが」

 瞬間移動と見間違えるほどの、速力。

 生身の肉体には、為し得ない動きに見えた。

だが、渡辺風紀委員長は分かっている。審判としてフライングでCADが起動されていないか、隠し持つCADの存在を想定してサイオンの流れを注視していたからだ。

「しかし、あれは」

「魔法ではありません。正真正銘、身体的な技術ですよ」

「わたしも証言します。あれは、兄の体術です。兄は。忍術使い・九重八雲先生の指導を受けているのです」

 渡辺風紀委員長が、息をのむ。対人戦闘に長じた彼女は、九重八雲の名声をよく知っていた。渡辺風紀委員長ほど八雲のことを知らない生徒会長を含めた生徒会メンバーと雪ノ下や由比ヶ浜も、身体的技能のみで魔法による補助と同等の動きを実現する古流の奥深さに驚きを隠せずにいた。

 比企谷は『あのハゲかよ』と、誰にも聞こえないほどに小さな独り言を漏らしていた。

 もっとも、驚いてばかりではなかった。七草会長が新たに、魔法を学ぶ者としての見地から疑問を投げかけた。

「じゃあ、あの攻撃に使った魔法も忍術ですか?

 私には、サイオンの波動そのものを放ったようにしか見えなかったんですが」

 とは言っても、声も言葉遣いも硬いのはやはり、隠しきれない驚愕の故か。

「忍術ではありませんが、サイオンの波動そのものという部分は正解です。あれは振動の基礎単一系統魔法で、サイオンの波を作り出しただけですよ」

「しかしそれでは、はんぞーくんが倒れた理由が分かりませんが……」

「……比企谷、お前は分かったはずだ」

 急に話の矛先と、目線が比企谷の方に向いた。比企谷は鬱陶しそうな表情をして、司波達也を見返した。

「ったく、急に話しかけんな。びっくりするだろうが」

「それは悪かったな。それで、どうだ」

「はぁ、酔ったんだろ」

「酔った? 本当なの?」

「はい、酔ったんです」

「一体、何に?」

 全員が比企谷から目線を司波達也に戻し、説明を待った。

「魔法師は一般人には見えないサイオンを光や音と同じように知覚しています。それは魔法師には必須の技術です。

 しかし、予期せぬサイオン波にさらされた魔法師は、揺さぶられたように錯覚し『船酔い』のような状態になるんです」

「そんな、信じられない……魔法師は普段から、サイオンの波動に曝されて、サイオン波に慣れているはずよ。

 そんな、魔法師が倒れるほど強力な波動なんて……一体、どうやって……?」

 そんな、七草会長の疑問に答えたのが、市原生徒会会計だった。

「波の合成、ですね」

「リンちゃん?」

 その一言ではここにいるほとんどが理解できなかったようだ。無論、説明はそれで終わりではなかった。

「振動数の異なるサイオン波を三連続で作りだし、三つの波がちょうど服部君と重なる位置で合成されるように調整して、三角波のような強い波動を作りだしたんでしょう。

 よくもそんな、精密な演算できるものですね」

「お見事です、市原先輩」

 市原会計は司波達也の演算能力に呆れているが、それを初見で見抜いた市原会計の方がすごいではないのか、と比企谷はため息をついた。

 しかし、市原会計の本当の疑問点は、もっと別にあったようだ。

「ですが、あの短時間で三回の振動魔法、その処理速度で実技評価が低いのはおかしいですね」

 正面から成績が悪いと言われて、司波達也は苦笑していた。

 その代わり、先程からチラチラと落ち着きなく司波達也の手元を繰り返しのぞき込んでいた中条生徒会書記が、おずおずと推測の形で答えてくれた。

「あの、もしかして、司波くんのCADは『シルバー・ホーン』じゃありませんか?」

「シルバー・ホーン? シルバーって、あの謎の天才魔工師トーラス・シルバーのシルバー?」

 七草会長のその言葉で、中条書記の表情はパッと明るくなった。

「そうです! 『ループ・キャスト・システム』を開発した奇跡のCADエンジニア。その本名・姿・プロフィール。全てが非公開。

 そんな彼がフルカスタマイズした特化型CADが、このシルバー・ホーン! 最小の魔法力でスムーズな魔法発動、しかもこれは銃身が長いモデル!! 『ループ・キャスト』に最適化されているんですよ!

 言い忘れてましたが『ループ・キャスト・システム』とは、一回の展開で同じ魔法を、連続して、何度でも、連続発動できる起動式の事です! もちろん、魔法師のキャパシティが許す限りですが」

「ストップ! あーちゃん、ちょっと落ち着きなさい」

 息が切れたのか、胸を大きく上下させながら、中条書記は目をハート型にして司波達也の手元を見つめていた。

 一方、七草会長は新たな疑問に、首を傾げていた。

「でも、リンちゃん。それっておかしくない?」

 話を振られて、市原会計も頷く代わりに七草会長同様、首を傾げる。

「ええ、おかしいですね。

 ループキャストは『全く同じ魔法を連続発動する』ためのシステム。『波の合成』に必要な振動数の異なる複数の波動は作れないはず。もし振動数を変数化しておけば可能ですが、座標・強度・魔法の持続時間に加えて四つも変数化するなんて……

 まさか、その全てを実行したのですか?」

 今度こそ驚愕に言葉を失った市川会計の視線に司波達也は軽く、肩をすくめた。

「学校では、評価されない項目ですからね」

 七草会長と渡辺風紀委員長がマジマジと見詰めるその先で、司波達也はそれまでと変わらぬ醒めた口調でそう嘯いた。

「なるほどな。

 『魔法発動速度』『魔法式の規模』『対象物の情報を書き換える強度』

 学校の評価はこの三つで決まる。テストが本当の能力を示していないとはこういうことか……」

 呻き声をあげながら、司波達也のシニカルな言葉に応じたのは、半身を起した服部副会長だった。

「はんぞーくん、大丈夫ですか?」

「大丈夫です!」

服部副会長は慌てて立ち上がった。立ち上がった後、司波深雪に近づき、

「司波さん」

「はい」

 歯切れの悪いテノールに、答える。

「目が曇っていたのは私の方でした。許してほしい」

「わたしの方こそ、生意気を申しました。お許しください」

 二人は深々とお辞儀をしていた。

 おもむろに振り向いた。

 一瞬、たじろいた表情を見せるも、服部副会長はすぐに、強気な顔を取り戻した。

 結局、服部副会長は、司波達也と視線をぶつけ合っただけで踵を返した。演習場を出ていく際、比企谷と目が合ったが特に興味が無いらしくすぐに目線を外した。司波達也は認めたが、二科生はやはりまだ下に見ているのだろう。

「生徒会室に戻りましょうか」

 そう、七草会長が声をかけたが司波達也は首を振った。

「俺に、比企谷と正式な試合をさせてもらえませんか」

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。 捌

 

 

「俺に、比企谷と正式な試合をさせてもらえませんか」

 いきなりそんな言葉が司波達也の口から発せられた。

 生徒会のメンバー、雪ノ下、由比ヶ浜、そして妹である司波深雪も不思議だという顔をしていた。

生徒会メンバーは服部副会長を上回った司波達也が、一年のそれも二科生の生徒と試合する理由はないと思っている。

 雪ノ下と由比ヶ浜は司波達也の言葉の後にすぐ比企谷の方を向き、その表情が驚きではなく少し笑っている事に首を傾げた。

 司波深雪はすぐに表情を戻し、その言葉には兄しか分からないことがあるのだと納得していた。

「断る……と、いつもの俺なら言ってただろうな」

 司波達也に集まっている集団から少し離れた所から声をかける。

「そうか、それは助かる」

「ちょ、ちょっと待って。達也くん、理由を聞かせて」

 慌てて七草会長が二人の会話に入ってきた。その表情は困惑を浮かべ理由を求めていた。そんな中、渡辺風紀委員長は司波達也の言葉を聞いた後、口元がにやけていた。司波達也にここまで言わせる、比企谷という二科生に興味を持ったからだ。

「理由ですか。おそらく、試合を許可してもらえれば分かると思います」

「もう、そんなの理由になってないじゃない」

 生徒会長の立場としては、二科生である比企谷の心配をしているのだろう。しかしながら、司波達也も同じ二科生であることを既に忘れているようだ。まぁ、あれほどの戦闘センスを見せられたらそうなんだろうが。

「いいじゃないか、私も少し興味が出てきた」

「ちょっと、摩利まで」

 笑い顔を浮かべて七草会長をなだめてはいるが、完全に面白がっている。

「七草会長、私からもお願いたします」

 雪ノ下もどうやら見てみたくなったらしく、頭を下げる。

「あ、あたしからもお願いします」

「……もう、これじゃわたしが悪いみたいじゃない」

 熱意に押されてというか、しぶしぶと言った方がいいのか、七草会長は宣言する。

「生徒会長の権限により、一年E組・司波達也と……えっと…」

「一年E組・比企谷八幡っす」

 どうやら知らないで言い始めたらしい。

「生徒会長の権限により、一年E組・司波達也と一年E組・比企谷八幡の模擬戦を、正式な試合として認めます」

「生徒会長の宣言に基づき、風紀委員長として、二人の試合が校則で認められた課外活動であると認める」

「試合は非公開として、双方にCADの使用を認めます。ルールは先程のルールですが、よろしいですね」

 比企谷の頭に『合意とみてよろしいですね?』という白衣を着た教師の言葉のようなノイズが走った気がしたが特に気にせずにしていておいた。

「はい」

「うっす」

 司波達也はそのまま開始線に移動し、比企谷は持っていたケースの中が見えないように小型拳銃形態の特化型CADを取り出した。軽くCADの調子を確認した後、同じように開始線に向かった。

 五メートル離れて向かいあう二人の表情は、先程と比べればどこかしら余裕があり穏やかなものだった。両手をだらりとおろし、合図がかかるのを待つ。

 渡辺風紀委員長が定位置に立ち、上にあげていた手をおろす。

「始め!」

 

 

 

 先に動いたのは司波達也だった。

と、言えばバトルらしいが、開始直後は二人とも動かずにただ向かいあっているだけだった。数秒間向かいあっているだけの二人を訝しげに見ていたが、ようやく司波達也が比企谷に向けてゆっくりとCADを向けた。

比企谷はCADではあれど銃口を向けられたのだ、普通なら回避行動に移すのだが、一向に動こうとしなかった。

ピクリ、とトリガーにかかっていた指が動き、三つのサイオン波が比企谷に向かって放たれた。

あっけなく、これまたあっけなく終わりだと渡辺風紀委員長は内心拍子抜けしていた。七草会長はホッと胸をなでおろす。ケガがなくて良かったと。

雪ノ下と由比ヶ浜は比企谷が笑っているのに気がついた。ほんの少しだけ片方の口角が上がったのを見た。司波深雪は気を抜かずに見ていた。自身の兄が負けることはないと、しかし、苦戦を強いられるんじゃないかと。

波の合成とは、一点に波が集中することによってより強い波となる。しかし、その一点を過ぎれば、波はただの波へと戻ってしまう。

だから、比企谷は少し体の位置をずらすだけで回避して見せた。

驚愕が伝播する。

 最初から避ける動作をしていれば、それは避けれるだろう。しかし、ちょうど波ができるその瞬間に紙一重で避けて見せた。後ろからでもそうだが、前から来たとしてもその発動スピードは普通なら避けれるものではない。なら、偶然かと言えば、その表情から察するに分かっていて避けたとしか思えなかった。

 急いで避けられた司波達也の顔を見てみれば、驚き一つ見せず、逆に笑っていた。

 司波達也のこの一撃、三撃はただの挨拶だった。

 これを皮切りに、バッと二人は大きく距離をとった。司波達也は先程の身体技能をみて分かるが、同じように比企谷も同じくらいの距離を一足で取った。当然、自己加速術式などつかわずに、だ。

 ようやく、司波達也の言っていた事を理解し始めた。目の前の二人が同等の実力を持っていると言うことを。

 今度は比企谷がトリガーを引く。無系統魔法・幻衝(ファントム・ブロウ)と共鳴を織り交ぜた波状攻撃。しかし、司波達也は同種の無系統魔法で打ち消しながら少しずつ距離を詰め始めた。

同じく比企谷も距離を詰めながら、司波達也が放つ魔法と同種の魔法をぶつけて相殺していく傍ら、サイオン粒子塊射出を織り交ぜ始めた。

サイオン粒子塊射出は七草会長の得意とするもので、校門の一件で魔法を発動しようとした光井の起動式を破壊したものだ。

ちょうど司波達也の起動式に当たるように計算して放っていたが、これも相殺されてしまった。逆に同じように放ってきたサイオン粒子塊射出を同じように消していった。比企谷としても、当たったらラッキーくらいで放っていたのでそこまで問題はなかった。

問題があったとすれば、七草会長がサイオン粒子塊射出に反応してすぐに試合を止めようとしたことか。この、サイオン粒子塊射出は便利なように見えて下手をすれば起動式を破壊すると同時に、ダメージを与えてしまう一歩間違えれば危険な魔法なのだ。

しかし、渡辺風紀委員長は七草会長を押さえて試合を続行させた。

拮抗、というより鏡合わせにしたような試合だった。

 打ち合いのさなか、二人はタイミングと間合いを待っていた。肉弾戦が可能な間合いを測っていた。

 間合いが十メートルになっただろうか、二人は魔法の射線から横に飛び出した。まるで鏡を見ているように新しく打ち合いながら、円をえがいて中心に収束するように近づいて行く。

 残り五メートルにまで接近すると、同じタイミングで残りの間合いを一歩だけで零にまで詰めCAD同士をまるで刀をぶつけ合うように交差させた。

 勝負は互角、両者一歩も引かず長引きそうな雰囲気を醸し出していた。

 しかし、空気とは裏腹にあっけなく勝負はついた。いや、付かなかった。

 つばぜり合い、ならぬ銃身ぜり合いをしていた二人は、どちらからともなく急に互いのCADをおろして観戦者の所に戻ってきた。

 

 

 

「お、おい、どうした」

 審判である渡辺風紀委員長は困惑していた。

「すみません、あのままでは勝負がつかないと思ったので」

 全ての説明を司波達也に任せた比企谷は、CADを戻そうとケースに近づいた。

「比企谷君、お疲れ様と言いたいところなのだけれど、何かしらあの終わり方は」

「まぁまぁゆきのん。ヒッキーお疲れ様」

 試合に不満があるのか雪ノ下は不機嫌な顔をし、由比ヶ浜は笑顔でねぎらった。

 五分、それが試合の総時間だった。

「比企谷くん、ちょっと聞きたい事があるの」

 咎めるかのような表情をした七草会長が比企谷に声をかけた。

「なんですか」

「先程、試合の中でサイオン粒子塊射出を使ったのは間違いないわよね」

「ええ、使いました」

「サイオン粒子塊射出は無系統魔法では典型とされている魔法ですが、起動式を狙って放つことにより魔法式を妨害させることができます。

わたしの得意な魔法です。

ですが、下手をしたらとても危険な魔法なのはご存知ですか?」

「ええ、知っていますよ」

 比企谷はあっさりと言ってのけた。

「なら……」

 どうやら、七草会長は危険性を正しく教えながら説教をするつもりだろう。しかし、

「七草生徒会長、それは、俺が『二科生』だから言っている事ですか」

 比企谷はさえぎって口を挟んだ。サイオン粒子塊射出を使っていたのは比企谷だけではない、だが、注意をするのは比企谷にだけだった。

 その言葉に、七草会長は黙らざるを得なかった。司波達也は服部副会長にあそこまで圧勝して見せた。その司波達也に比企谷は引き分けて見せた。しかし、インパクトでは司波達也の方が上であった。

「……そうね、そうかもしれないわね」

 七草生徒会長は一科生と二科生の意識の撤廃を掲げている筆頭だ。故にそういう思考を持たないように気をつけているだろう。だが、だとしても、まったく待たないと言うことは難しい。

「あ~えっと、すみません、言い過ぎました」

 咎めるような視線が一気に比企谷に降りそそぎ、慌てて頭を下げた。

「ううん、いいのよ。でも、サイオン粒子塊射出を使う時は気をつけてね」

「心得てます」

 七草会長は笑顔を向けて司波達也の方へ向かった。比企谷は素早くケースにCADを戻しそのまま帰る体勢をとった。

「勝手ですみませんが、帰宅しても良いでしょうか」

「なに、もう帰るのか」

 どうやら聞きたい事があったらしく渡辺風紀委員長が反応した。

「一緒に生徒会室に来たらいいだろう。私からも色々と聞きたい事がある」

「いえ、やらなければならないことがあるので」

 有無を言わさない比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜の怪訝な顔をスルーしながら、三人でお礼を言って第三演習場の外へ出た。

 

 

 三人が帰った後の演習場では比企谷の話が飛び交っていた。

 といっても、司波達也に戦った感想を聞いていただけだが。

「達也くん、彼は本当にニ科生なの?」

 それは司波達也にも言えることだが、それに関してはすでに説明をしておいたので司波達也は特に気にせずにしていた。

「ええ、入学試験の結果に間違いが無ければですが」

 司波達也は面倒くさがらず七草会長に返答する。

「そうよね、わざと二科生になるとは思えないものね」

 おそらく、その稀有な存在ですよ、と口にはしなったが心の中で返す。

「戦った感想でよければ話しますが」

「本当、じゃあお願いしようかな」

 七草会長は手を胸の前で合わせて嬉しそうに笑っていた。

「それで、どうだったんだ」

 どうやら、渡辺風紀委員長も興味が尽きないようでせかしていた。

「まず、皆さんもお分かりかと思いますが、身体的な技術は俺と差がそこまであるとは思いません。それに加えて、まったく全力を出していなかったでしょう」

 これには全員が驚く。

「お兄様、それは本当ですか?」

「ああ。そもそも、CAD自体がメインで使っている物ではなかっただろう」

 司波達也だからこそCADに気がついただろう。

「え、えっと達也くんも手加減してたんだよね」

「ええ。ですが、打ち合いの時から少し忘れていました」

 生徒会メンバーは司波達也の時以上に比企谷八幡と言う存在を把握し切れていなかった。司波達也には一応ではあるが回答があった。しかし、比企谷にはその回答いや、質問自体がおこなえなかったからだ。

 今の心境を例えるなら、箱の中身を見ないように手の感触だけで探るような感覚だろう。

 司波深雪と言えば、そんな中でも兄である司波達也を信じて特に心を乱すことはなかった。

 その中で一人だけ、悪戯を思いついた子供のような笑い顔をしている渡辺風紀委員長がいた。おそらく、司波達也ともども勧誘したいようだ。

「あ、いつまでもいちゃ施錠もできないわね。生徒会室に戻りましょ」

 七草会長がようやく思い出したように声をかけた。

 

 

 

 司波達也は己の中にしまって、言っていないことがある。

 初見で市原会計が波の合成を暴いていたが、その前に比企谷はすでに気がついていた。少なくとも、知識面を見てもかなりのものだろう。そして、あの打ち合いは少しばかり押されていた。魔法発動速度と魔法式の規模、かなり抑えられていたが完全に二科生レベルではない。ルールがあったからあそこで終わったと言っていい。

他にも色々あるが、なにより、比企谷『八幡』という名前が引っかかっている。それが間違いでなければ……

 

 

 比企谷八幡は少なくとも、あのような場合は必ず断っていた。断れない場合は、わざと負けていた。

 それは、ぼっちがぼっちであるために必要な事だった。だが、今回は守るべき二人の事を考えると良くも悪くも生徒会に憶えていてもらった方がいいと判断した。目的としては、勝ち負けではなく、興味を持たせること。

最近、身の回りというより、住んでいる国自体がどこかきな臭くなっている。それが身に及ぶかどうかは置いておいても、警戒だけはしておかないといけない。

 生徒会は実力者ばかりであり、万が一の場合に保護下に置かれやすくなるだろう。その間に、動く事ができるように。

 全てが、雪ノ下と由比ヶ浜のために。

 比企谷『八幡』として生まれてきて、救われた恩を返すために。

 

 

 比企谷は帰宅後、CADの入ったケースを開ける。

 中から小型拳銃形態の特化型CADと腕輪形態の汎用型CAD、そして見たことのない形態したCADだった。

 比企谷八幡専用CAD、黒でも紺でもない比企谷の目の色と同じ、名状しがたい濁って淀んだ目の色をした薄手のグローブに、指の保護のためなのか金属板が張り付けて覆ってある。手首には腕輪形態のCADと似たような装置が付いており、それがCADだと分かる。それが両手分入っており、そして、比企谷八幡がメインで使っているCADである。脇に置いてある特化型CADと汎用型CADは完全にとは言えないが、ブラフでしかない。弱いと見せる時の。

 この専用CADに名前は無い。ただ、特殊型とシンプルに呼んでいる。

 使い方としては、指を特定の形にする事によって音声認識も入力もなく魔法を発動することができる。特化型のスピードを持ち、汎用型のように指の形が許せる限りの魔法式が入力できる。もちろん入力操作ができない訳じゃなく、普通の汎用型としても使うことができる。簡単に言えばショートカットキーが設定されていると言えばいいのか。

 普通、特化型と汎用型をつなげて使うことはできない。アーキテクチャ自体が別物だからだ。実例はあるが使うと言うレベルには達していなかった。

しかし、比企谷はその二つを同時に繋ぐために三つ目のアーキテクチャを開発した。一人だけの力ではないが、製作時に様々な奇策を発案したらしい。

比企谷はその専用CADを眺め、

「使わなくて良かったぜ」

 と、一人部屋で呟いた。

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  玖

 

 

 CADは伝統的な補助具である杖や魔法書、呪符に比べて高速、精緻、複雑、大規模な魔法発動を可能とした、現代魔法の優位性を象徴する補助器具だ。

 しかし、全ての面に置いて伝統的な補助具に勝っているかというと、そうではない。

 精密機械であるCADは、伝統的な補助具に比べて、よりこまめなメンテナンスを必要とする。

 特に、使用者のサイオン波特性に合わせた受信・発信システムのチューニングは重要だ。

 サイオンは千差万別、十人十色。百人いれば百通り、千人いれば千通り。サイオンの波動には一人一人微妙に異なる特性があり、ソレチューニングが合っていないCADは、使用者とのサイオンのやり取りが上手くできない。

 それ故に、CADの調整は魔工技師の仕事であり、腕の良い魔工技師が重宝される。

 実のところ、サイオン波というのは毎日変化している。身体的成長であったり、その日の体調であったり。だから、本来ならば毎日でも使用者に合わせて調整するのが好ましい。しかし、CADの調整にはそれなりに高価な専用の機器が必要になる。

 大きな組織ならまだしも、中小企業だったり個人レベルなら、月に一、二回の周期で専門店やメーカーのサービスショップで定期点検を受けるのがせいぜいだ。

 第一高校はこの国でもトップクラスの名門校だけあって、学校専用の調節施設を持っている。生徒は教職員と共に、学校でCADの調整を行うのが普通だ。

 だが比企谷宅には、ある特殊な事情から、地下に造られた隠し部屋に最新鋭のCAD調整装置が備わっている。

 

 

 夕食後、巧妙にカモフラージュしてある隠し扉をいくつもくぐりぬけ、地下の隠し部屋の一つである作業室にある作業机に座った。机の上にケースを置き、中から四つ、いや、二つと一組のCADを取り出した。

「いくつかいじっておくか」

 つい数時間前に使用した特化型CADを装置にセットし、起動式の追加とバグ取りをおこなった。あまり使っていなかったせいか、少々メンテに時間を食っていた。特化型CADが終わった後、今度は汎用型CADをセットしこっちはバグ取りだけをおこなった。

 特化型も、汎用型も、どちらもごくごく普通で典型的な起動式だけ入れていた。それは、目立たないようにするための対策であり、大規模な魔法を使う気はないと言う表れだ。結局、ぼっちがぼっちとしているために必要なスキルである。

 汎用型のメンテも終わらせ、特殊型を持って作業机から立ち上がった。

 比企谷は、作業室の隣にある訓練室に移動した。

 両手に特殊型をつけ、頭の中で仮想敵を思い浮かべる。今回は司波達也を思い浮かべ、試合の時と同じ立ち位置に設定した。おそらくではあるが、だいたいの身体能力と動きを想定し、それより数段上と仮定する。九重八雲の戦闘データを基準にして体術を想定する。魔法は今回使用した種類とだいたいの魔法力程度しか分からないが、なにかしらの切り札を持っていると判断する。

 これから投影する司波達也は、体術を主体とした司波達也であり、本物とは違うだろう。CADが二丁あったことから魔法主体が本来のスタイルだと考えられる。しかし、多少なりともデータから作りだした司波達也だ。いい訓練となるだろう。

 

 

 

 比企谷は訓練室の床に久しぶりにへたり込んでいた。

 想定した司波達也と比企谷八幡の体術に差がほとんどなく、拮抗し決定的な打撃を受ける事なく、入れる事ができずそのまま数時間も体を酷使して動かしていた。

 決して司波達也の想定を高くしすぎた設定をした訳じゃない。おそらく、これが本来の身体技能であると確信している。もしくは、これ以上か。

毎回、希望的観測を介入させないようにしているが、今回だけはすがりつきたくなるほどにすがりつきたかった。しかし、それだけはできないと、ため息をついた。

ようやく息が整い作業室に戻ると、両手のCADを外して机に置き汗が吸い込んで重くなった服を脱いで、ズボンに手をかけて、ふと手を止めた。

「ん? 私を気にせずに着替えて着替えて」

「………毎回、勝手に入るのをやめてくださいよ」

「いいじゃない。ほら、私と比企谷君の仲なんだし」

 そんなことをいいながら、その手にはちゃっかり一眼レフカメラを構えて部屋の紙魚に座っている雪ノ下陽乃の姿があった。さて、そのカメラでナニを取ろうとしていたんだろうね。まぁ、今も目に見えない早さでシャッターを押しているんだけど。

「はぁ、着替えるんで部屋を出ていってもらえませんか」

「大丈夫、大丈夫」

「俺が大丈夫じゃないんですよ!」

 シャッターを押す指は止まらない。

「てか、なんで毎回撮るんですか」

 呆れたように、諦めたように顔を覆うように手を頭に持っていってため息をつく。

「え? なんで撮らないって選択肢が出てくるのかな?」

 はい、そもそもの根本がもはや違っていました。

「…………はぁ、もういいですよ。それで、用件はなんですか」

「じゃあ、ズボン脱いでみようか!」

「そっちの用件じゃないんですよ!」

 どうやら満足したのか、いや、チラッと目に入ったが上限いっぱいまで撮り終えたようだ。ちょっと残念そうな顔をしている。

「まぁ、また今度でいいかな」

 カメラをしまいながら、さらっと恐ろしいことをいう。

「そもそも、次があると思っている事が怖ぇよ」

 比企谷はズボンを換えるのを諦め、乾いたシャツに袖を通した。

「あ、じゃあ私も見せたらいいのかな」

「勘弁してください、ほんと」

 土下座だ、綺麗な土下座だ。

「そんなに見たくないの、傷ついちゃうな~」

 頬を膨らませそっぽを向く姿を、少しだけ可愛いと思ってしまった。

「それで、そろそろ本題に入ってもらえますか」

 土下座から立ちあがって、作業机の椅子に座り雪ノ下陽乃の方へ顔を向ける。

「そうね、前に言っていたけど、今度の休みにデートに行こうか」

「…………」

「……じょ、冗談よ。だからその目はやめてね」

 いや、完全に本気だった。本気で言っていた。

「もう。その前に、さっきの組手相手は、誰かな?」

 一気に、言葉のトーンが押さえられ、さっきまでの軽い空気はどこかへ行ってしまった。

「司波達也、以前言っていたやつですよ」

「見ていた限り、八幡と互角みたいね」

「ええ、おそらくは。でも、体術に限っての想定なんで、魔法が絡めばかなりきつい相手だと思いますよ」

「そう。でも、八幡も普通じゃないでしょ」

 悲しむような表情を裏に隠して、笑いかける。

 一般人、つまり魔法を使えない人間からしたら魔法師及び魔法を使える者の方が普通ではない。ここで言っているのは、魔法師のカテゴリーだけで見た場合の普通じゃないと言うことだ。

「ま、そうですね。俺は異端ですよ」

 それが、なんでもないかのように軽く認める。

「……ごめんね」

 雪ノ下陽乃は、今の表情を見せないように俯く。

「別にいいですよ、俺は。今ここでこうしていれるだけ『アレ』を受けたかいがあるんですから。それに、弱いままじゃできないこともありますからね」

「……うん、ありがとう」

 俯いたまま、少しだけ表情を緩ました。

 

 

 

「本題だけど、最近第一高校の内部でエガリテが異様に動いているわ」

 エガリテ・白い帯に赤と青のラインを縁取ったシンボルマークを持つ。その中身は、政治色を嫌う若年層で構成された組織である。表向きには【ブランシュ】とは一切のつながりを持っていないと言われているが、実態はこの【ブランシュ】の下部組織だ。

その【ブランシュ】とは、魔法師が政治的に優遇されている現代のシステムに反対し、魔法能力による社会差別を根絶することを目的に活動する、というのが彼らの抱える理念だ。つまり、反魔法国際政治団体である。

 だがそもそも、この国には魔法を使える者が政治的に優遇されている、という事実が無い。むしろ、魔法師を道具として使い潰す軍や行政機関のやり方に、非人道的という非難が浴びせられているのが実情だ。

「ったく、テロ団体の下部組織が何をしようとしてんだよ」

 めんどくさそうに舌打ちを打つ。ブランシュの当人たちは市民運動と自称しているが、裏では立派にテロリストと言われるほどのことをしている。

「内部って事は、生徒もメンバーって事で考えていいって事か」

「ええ、愚かな事にね」

 魔法を否定する団体に、魔法師の卵がメンバーとして活動しているとは、これほど可笑しいことはない。

「どうせ、二科生の生徒が多いんだろうな。

勝手に自分を劣等生だと決め付けて、勝手に才能を持つ者に嫉妬して、勝手に相手を天才だからと決め付けて、勝手に努力を辞めた、そんな奴らの集まりだな。反吐が出そうだ」

本物の絶望を知っている人間からしたら、それはぬるま湯もいいところだ。

 自分に魔法の才能がないことに耐えられない生徒が、魔法から離れたくないと思いながらも一人前に見られないことに耐えられない。だから魔法による評価を否定する。

『平等』と言う幻想にすがり、囚われた集団だ。

「しかし、何をする気だ?」

「そこが分かったら、私としてもいろいろと動けるんだけどね」

「……仲間集め、ってわけじゃない。いや、それもあるのか……なら、そのあとに何か起こす気か…………」

 顎に手を当てて比企谷八幡は考える。

「あ~どんなに考えても結局予測にしかならないか」

「まぁ、情報はいろいろ集めてくるから、雪乃ちゃんたちをお願いね」

「ええ、分かってますよ」

 用事が終わった雪ノ下陽乃は立ち上がり、比企谷に近づいて、座ったままの比企谷に正面から抱きついた。

「ちょ、陽乃さん」

「充電だよ」

 比企谷は諦めたのか、抵抗をやめてそのままされるがままになっていた。

「…………うん、ありがとう」

 ようやく腕を解いて離れる。

「じゃあ、比企谷君。デートのコースは頼んだよ」

 そう言い残し、作業室から素早く出ていった。

「……はぁ、一応考えておくか」

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾

 

 

 色々と特殊なところのある魔法科高校だが、基本的な制度は普通の学校と変わらない。

 ここ第一高校にも、クラブ活動はある。

 正規の部活動として学校に認められる為には、ある程度の人員と実績が必要である点も同じだ。

 ただ、魔法と密接な関わりを持つ、魔法科ならではのクラブ活動も多い。

 メジャーな魔法競技では、第一から第九まである国立魔法大の付属高校の間で対抗戦も行われ、その成績が各校間の評価の高低にも反映される傾向にある。

 学校側の力の入れようには、スポーツ名門校が伝統的な全国競技に注力する度合いを上回るかもしれない。九校戦と呼ばれるこの対抗戦に優秀な成績を収めたクラブには、クラブの予算からそこに所属する生徒個人の評価に至るまで、様々な便宜が与えられている。

 有力な新人部員の獲得競争は、各部の勢力図に直接影響をもたらす重要課題であり、学校もそれを公認、いや、むしろ後押ししている感もある。

 かくして、この時期、各クラブの新入部員獲得合戦は、熾烈を極める。

 

「残念だったね~」

「ええ、残念だったわ」

 

午後の授業が終わり、事前に逃げないように言い含められてなおかつ、教室まで迎えに来た雪ノ下と由比ヶ浜につれられて、とある書類を提出するために教師のところへ行って来た帰りだった。

「てか、部員三人で通るわけがないだろ。それに、ここは魔法科高校だぞ」

 中学時代、奉仕部として活動してきた三人であり第一高校でも奉仕部を作ろうとしていた雪ノ下と由比ヶ浜だったが、人数不足と活動理念がカウンセラーと重複していると言う事から奉仕部創立案は流れる事となった。

 そもそも、一年生がそれも一人は二科生だと言うことも教師が苦い顔をした理由の一つだろう。

「じゃあ、ゆきのんどうするの? どこかの部活に入る?」

「そうね。比企谷君はどうするのかしら」

「あ? 帰宅部に決まってんだろ」

 一歩引いて後ろを歩いている比企谷に二人は顔を向ける。まぁ、二人は分かっていた答えだ。

「まったく、あなたは」

「あはは、ヒッキーらしいね」

 雪ノ下は少しあきれたように頭に手を当てて、由比ヶ浜はひまわりのように笑っていた。

「いいだろうが、部活に入って他人と関わるなら、入らない方がいいんだよ」

 窓から見下ろし、祭りのような部活勧誘競争を眺めながら口に出す。いや、祭りというより馬鹿騒ぎか、とため息が漏れそうになる。所々で魔法が発動しているを目の端にとらえているが、その発動目的がどうもガキだとしか言えないものばかりが多かった。

「あ、ゆきのん! 部活の様子を一通り見てみようよ、ほら、楽しそうだし」

 由比ヶ浜も比企谷が見ていた先に目をやり、その祭りのような部活勧誘に興味を持ってしまった。

「ゆ、由比ヶ浜さん、こんなところで抱き付かないでもらえるかしら」

「え~、いいじゃん」

「もう」

 目の前で百合の花が咲き乱れ、心の底からため息をついてどこかへ行ってしまいたくなった比企谷であった。

「わ、分かったわ。それじゃいきましょ」

 どうやら、行くことが決定したようだ。

「比企谷君、行くわよ」

「ヒッキー、いこ!」

「へいへい」

 

 

 

 さて、今の状況はなんだろう。

 いや、ちゃんと分かっている。ただ、分かりたくないだけなのだ。

「予想はしていたが、ここまでは予想外だっての」

 顔を少し赤らめた雪ノ下と由比ヶ浜の手を握って、追いかけてくる勧誘の波から逃げるために、いや、逃がすために全速力で逃げている。

 CADを携帯していな故に比企谷は身体能力のみで逃げており、後方にせまりくる勧誘者はCADを使い身体能力を底上げしている。しかし、距離は縮まずされど拡がらず一定の間合いを保ったままである。

 

さて、唐突だが雪ノ下と由比ヶ浜の様子を見てみる事にしよう。

 頬に少し赤味がさしている。これは別に走っている事によって体温が上がっている、ということじゃないだろう。なぜなら、走る前から既に赤かったことを目撃しているからだ。

なら、なぜ赤くなっているのだろうか。

なぜだろうねぇ、なぜだろうねぇ、いつから赤くなっていたんだっけ。

まぁ、簡単だ。比企谷に、手を握られた時からだ。

比企谷は二人との物理的接触を極端に避ける傾向がある。二人としてはそこのところが少し不満であり、一度だけ二人で示し合わして腕に抱き付いたことがある。その時、二人とも顔を真っ赤にしていたが表情は幸せそうだった。しかし、すぐにその表情は素に戻ることになった。

比企谷は、顔を真っ青にし、力を加減せず力いっぱい、目一杯、両腕を振りほどいてできるだけ距離を保つために壁際まで下がった。肩で息をし、片手で顔を覆い隠しその指の間から覗く両眼はいつもの、知っている比企谷八幡の瞳ではなかった。

ようやく状況を理解した比企谷は徐々に冷静さを取り戻し、二人に謝ってきた。二人は、比企谷に何かしらの事情があると言うことを知ったが、どうにもそのことを聞く事ができなかった。そして、彼を連れて来ていた姉の陽乃に聞いてみる事にしたが、彼女は話をはぐらかすばかりで肝心なことは一切聞き出すことはできなかった。

 

 そんな、比企谷八幡に手を握られているのだ、赤くならない訳が無い。

 まぁ、そんなことは今の状況には何の関係もないことだ。

 今の状況を脱出する方が先決である。どうにかして雪ノ下と由比ヶ浜を逃がす、もしくは隠すかしない限りこの追いかけっこは終わらないだろう。

 そして、今日を乗り越えれば明日からの計画は立てられる。比企谷八幡の魔法は、そういうことに特化しているのだから。

「さて、どうするか」

 普通の人間なら息が上がっているほどに走っているのだが、比企谷は見られ一つ見せずそれに加え喋る余裕がある。しかし、そろそろ引っ張ってきている二人の体力が限界に近い。てか、雪ノ下は本当にギリギリっぽい。

「……第二小体育館か、逃げ込むとするか」

 ちょうど第二小体育館――通称「闘技場」が目の前に見えてきた。外を走りまわるより、一旦身を隠すことができる建物内に隠れる事ができればどうにか脱出できる算段がつく。そう一瞬で考えた後、行き先を闘技場へ向け、二人を引きよせ荷物を持つように両脇で抱えて少し速度を上げた。

 あと数歩で闘技場につくと言う瞬間、闘技場の中からサイオンの波が放たれてきた。魔法を行使したと言うより、どうやら闘技場の中で何かトラブルが起きているらしいと直感的に分かった。なぜなら、サイオンの質等が司波達也のものだったからだ。

 そのサイオン波の発生に伴い、後ろで数人が立ち止ってそのまま立っていられずに崩れ落ちていた。どうやら、中からのサイオン波を浴びてサイオン波酔いを起こしたようだ。抱えている二人もどうやら少し当てられたみたいで、どっちにしろ休める場所か必要だった。

 比企谷は、闘技場の中へ入りどこか休める場所が無いか探しながら人垣の中で、風紀委員の腕章を付けた司波達也が剣道部か剣術部の部員の動きを全て見切って、いなして、かわし、あしらっているのが見えた。最後には全ての部員が司波達也に向かって頭を垂れていた。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾壱

 

 

 あの後、比企谷、と言うより雪ノ下と由比ヶ浜を追っていた部活の勧誘メンバーはすっかり司波達也の方へ興味を移していた。当然、雪ノ下と由比ヶ浜の興味も司波達也に向けられていたが、比企谷は『ああ、やってんな』と言う、猿が木をのぼることが当然のように興味を持たなかった。流石に比企谷も豚が木をのぼれば興味(警戒)を向けるのだが、今回はただ猿だったと言うだけのことだ。

 雪ノ下と由比ヶ浜はもう少し観戦したかったようだが、状況が状況と、うれし恥ずかし接触タイム故に文句は視線だけにとどめておいた。その視線を甘んじて受け入れている比企谷だったが、それよりも司波達也が使っていた魔法の方へ思考のほとんどをさいていた。CADを二つ同時使用し、遠巻きに魔法を発動しようとしていた生徒の起動式が破壊された。その現象を、いや、魔法を比企谷八幡は知っている。身にしみて、知っている。常時CADを二つ使用する、比企谷八幡だから知っている。

『まったく、厄介きわまりねぇな』

 声に出さないように、誰にも、それこそいまだあの場に居るはずの司波達也に聞かせないように唇を動かした。

 

 しばらく走り、闘技場からそこそこ離れた人目につきにくい校舎の影で抱えた二人をおろした。二人は少し残念そうな表情を浮かべたが素直に地面に足をついた。

「まったく、いきなり手を掴んだかと思えば荷物みたいに抱えるなんて、あなたの頭を切り開いてその中に本当に脳が入っているか確認したいわ」

「おい、なんでいちいち猟奇的なんだよ」

「ほんと、ヒッキーいきなりだよ!」

「あ~はいはい、悪かったよ」

 そんな比企谷に文句を言っている二人であったが、顔がつやつやしていた。今回の充電で満タンになったようだ。

「それにしても、彼が強いのは知っていたけどあれほどまでとは思わなかったわ」

「うん、すごかったね!」

 二人は比企谷の能力を知っている、魔法も、体術も、しかし、全てを知っているわけじゃない。二人は比企谷と引き分けた司波達也が比企谷と同等の強さである、と認識していた。つまり。比企谷=司波達也、と言う方程式が成り立つ。だから、二人は誤認していた、能力を隠匿している比企谷を知っているが故に。

 比企谷はさっきの光景について話している二人の横で、目を閉じて校舎にもたれかかった。頭の中で学校の敷地の立体地図を構築する。そこからもう一つ先、人間の位置をトレースする。目の中にある立体地図に人の姿が映し出されていく。

 

 

比企谷が使っているのは『知覚系魔法・傍観写』である。数ある知覚系魔法の中でレアな部類に入るが少しばかり使いづらい魔法だ。

無生物、つまり生きていない物に対しては万能的な魔法だが、有生物、生きている物に対してはもう一つプロセスが必要になってくる。無生物、建築物などの存在はそこに存在し続けるが故に変化が乏しく、一度イデアにアクセスすることで全ての構造が一瞬で理解できる。それは、傍観者故の観察眼に起因する。変化しない物は、観察しやすい。

しかし、生物は変化し、動き回る。だから継続的にイデアにアクセスしなければ動きに対処できない。アクセスとアクセスの間には必ずラグが発生し、そのラグが命取りになることもある。

そしてもう一つ制限があり、観察対象を分けなければならないと言う事だ。無生物は無生物で、生物は生物のイデアにアクセスしなければならない。

 

 

比企谷は追手が無いことを確認し、目を開ける。

「んで、これからどうすんだよ。帰るか」

「ヒッキー、すぐに帰ろうとするのはよくないよ」

「まったく、ヒキコモリ企谷君は……」

「あ~はいはい、お前その名前よく使うよな、好きなのかよ」

 いい加減聞きあきた名前をまた呼ばれ、ため息をつきながら雪ノ下の言葉を遮った。

「す、す、好きとかそういうのじゃないわ! た、ただ、あなたが全然成長しないから。そ、そう! あなたがいつまでたっても成長しないのだから何度も使うのはおかしい事ではないでしょ!」

「分かったよ。んで、これからどうすんだ? やっぱり帰るか?」

「ヒッキーだから!」

「あ? 現実的な考えだろうが」

 頬を膨らました由比ヶ浜に顔を向ける。

「さっきまで部活勧誘の奴らに追いかけられたばかりだろ。また見つかると碌な事になんねぇよ。見つかる前に帰るのが一番いいだろうが」

 そんな比企谷の言葉に一度頷いた雪ノ下であったが、ただ最後の方は承服しかねると言った表情を浮かべた。

「比企谷君、あなたの言う通りもう一度あそこへ向かうのは賛成しないわ。でも、これで帰宅するのはもっとないわね。司波君が使ったあの魔法、少し気になるのよ」

 雪ノ下はついてきなさいと言わんばかりに校舎の方へ歩き出した。由比ヶ浜は表情から『どこに行くんだろう』と言う考えがすぐに読みとれ、比企谷はというと。

「おい、どこに行くつもりだ」

「分かりきった事を聞かないでくれるかしら、司波さんのところよ」

「なら、生徒会室か」

「ええ、そうね」

「なら……」

 と、言葉を会話を区切って言う。

「生徒会室は、逆方向だぞ」

 雪ノ下の固有スキル【常時迷子】は健在です。

 

 

 

 どうにか比企谷に連れられて生徒会室についた三人は、雪ノ下を先頭にして生徒会室の扉の横にあるパネルをタッチした。

「1‐A雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣、1‐E比企谷八幡です。司波深雪さんに用があってきたのですが」

 雪ノ下がそうパネルに向かって喋りかけると、すぐに生徒会室の扉が開く音が聞こえた。おそらく扉を開けたのは司波深雪だと思っていたんのだがその予想は外れ、意外にも市原会計であった。市原会計は三人の顔を眺めてから口を開けた。

「雪ノ下さん、由比ヶ浜さん。司波さんに用があるのはお二人だと見えますが」

「はい、もしよければ司波さんと話をさせてもらえないでしょうか?」

「まぁ、いいでしょう。本日の業務はほぼ終わっていますので」

「ありがとうございます」

 雪ノ下は市原会計に頭を下げ、慌てて由比ヶ浜も同じように頭を下げた。ただ、比企谷だけは少し離れて、我関せずといった風にその光景を眺めていた。それと同時に、なぜ司波深雪が出てこなかったのかを考えていた。

まず、市原会計が直々に出てきた意味が分からない。雪ノ下は司波深雪の名前を出した、生徒会室は重要なデータが保管されており不用意に生徒会メンバー以外を入れたくないだろう、故に呼ばれた司波深雪が外に出てくる方が理にかなっている。

 あとは、生徒会が上下関係に厳しいかどうか分からないが、どちらにしろ司波深雪なら1年である事を理由に出てくる可能性があった。

 なら、市原会計が直々に出てきたのは、この三人の誰かに用事があったからだろう。なら、それは誰か。それも、さっきの言葉で分かった。

「では、司波さんは中にいますのでお二人はお入りください」

「あ、あの、ヒッキーは……」

 二人は比企谷の方に不安そうな顔を向けた。それは、二科生だから入ることができないのだろうか、と考えたからだ。

「彼には少し聞きたい事がありますので、少し借りさせていただきますが」

 市原会計はしれっと、そう口にした。

「そ、そうですか……ええ、お貸しいたします」

 雪ノ下は戸惑って言葉を詰まらすが、どうにか冷静さを取り戻すことができたようだ。そのあと、雪ノ下と由比ヶ浜は比企谷に釘を射す意味で、厳しい目線を突き刺した。比企谷はため息をつき、手をひらひらさせて分かったことを伝えた。

 二人が生徒会室に入る時に中が見えたが、中には司波深雪と中条書記の二人しかいなかった。七草生徒会長がいないと言う事は、何か生徒会室を開けないといけないほどのトラブルでも起こったかと推測したが、結局答えは出ないだろうと思考を目の前にいるクールな先輩に向けた。

「立ち話もなんですから、どこか座れる場所でも行きましょうか」

「うっす」

 ぼっちを知らない女性と二人っきりにするなよ、と心の中でため息をついた。

 

 

 二人は連れ立ってカフェに向かった。

 市原会計を先頭に、比企谷はそのあとをついていく。比企谷一人ならいつの間にかいなくなっていると言う事ができなくもないが、結局生徒会室の二人を迎えに行かなければならないので逃げる事を選ぶことはできない。これから面倒な尋問が始まると思うと、ごまかすのがより面倒だと心の中でため息をつく。

 二人は生徒会室の前からカフェへ向かう道中、二人の間には会話はなく無言で歩いていた。その光景は、生徒会役員が問題行動を起こした生徒を連行しているような光景に見えただろう。まぁ幸いな事に、その道中は一切人がいなかったからその手の噂が流れる心配はなかった。

ようやくカフェにつき、それぞれ飲み物を注文した。市原会計は自身の注文と同時に比企谷の注文も済ませようとしていたが、比企谷は『養われるつもりはありますが、施しを受けるつもりはありません』と自分でMAXコーヒーを購入した。

カフェでは道中と違いまばらに生徒が思い思いにすごしていた。そんな中、生徒会の市原会計と二科生の生徒が連れだって現れた事に興味を示さない生徒は、少数と表記できないほどに存在しなかった。

「市原先輩、こんな中で何を聞きたいんっすか」

 おそらく気が付いているであろう周りの視線と盗み聞きされる事を理由に、どうにかこの話をする機会を流そうと淡い期待で進言してみるも、

「いえ、その点にはおよびません」

 しれっと、比企谷の思惑を回避する。

「生徒会は常時CADの装着を許されていますので」

「ああ、そうでしたね」

 つまり、魔法により声を漏らさないように遮断することができると言っていた。それに、無理に聞こうとするなら相手も魔法を使用しなくてはならなくなり、その相手が生徒会となれば部活勧誘によりCADの許可が下りていても手を出せなくなる。もう一つそこに付け加えるなら、相手が二科生である事でその話が重要度の低い事を話しているのであろうと予想がつき、無理に聞こうとしようとは思わないと言う事か。

「さて、私もそこまで時間がありませんので本題に入りましょう」

 市原会計はCADを操作してから比企谷に向き直った。

「先日の司波君と服部君の試合で、あなたは司波君の魔法の正体を誰よりも先に看破していましたね。あなたがどうしてすぐに分かったのか、それを聞かせてもらえないでしょうか」

 まぁ、その時しか関わってなかったし、あの時盗み見られていたのを比企谷は気がついていた。

「偶然ですよ、偶然。偶然も偶然、偶然以外の偶然なんてないですよ。一科生で、それも3年の市原先輩の知識に勝つなんて、本当にもう偶然に頼るしかないですって。ですから、俺、もう行っていいっすか」

 話は終わりと言わんばかりに缶に残ったコーヒーを全てあおり、空になった缶を片手に椅子から立とうとした。

「そうですか」

 意外とすんなり帰ることができそうだと、比企谷はホッと胸をなでおろした。

「では、その偶然を起こすことができたあなたの知識の方をお聞きした方が早いようですね」

「………はぁ、分かりましたよ」

 若干浮かした腰を再び椅子におろし、完全に諦めた。

「まず、言っておきますけど本当に気がついたのは偶然です」

 嘘である。

「まだ魔法に慣れてない頃、結構サイオン波に酔ってたんっすよ。副会長の様子が、その時の俺と似ているのを偶然思い出して分かっただけですよ」

 自然に嘘をつく。

「司波達也が言っていましたよね『魔法師は予期せぬサイオン波にさらされると揺さぶられたように錯覚し『船酔い』のような状態になる』と。

まぁ、普通に考えて魔法師がサイオン波で酔うなんて考えませんよね。でも、逆に言えば魔法師が酔うほどのサイオン波が作れればそれは可能って事でしかないんですよね。

酔ったと言う結果がもう出ているんですから、それまでの過程がどんなにありえそうもない事でも完全に不可能な過程を潰していった結果残ったのであれば、それが真実だと」

 ニヤリと笑い、

「最後の言葉、世界一有名な探偵の言葉を借りました。実は俺、シャーロキアンなんですよ」

 

 比企谷八幡の使用する『知覚系魔法・傍観写』それは無生物に関しては万能な魔法である。故に、無生物である情報体である起動式も魔法式も読み取ることができる。司波達也が使った魔法も、光井が使おうとした魔法も、この知覚魔法にて読み取ったことで理解及び解析ができた。

 

「……分かりました。そろそろ時間もせまってきていますのでその説明で納得しておきましょう」

「本当の事なんで、俺はこれ以上話すことなんてないんですけどね」

 市原会計は再びCADを操作しどうやら魔法を止めたようだ。今度は市原会計の方が先に椅子から立ち上がった。

「では、生徒会室に戻りましょう」

「うっす」

 

 

 戻りも市原会計を先頭にして比企谷はその後をついて歩いていた。しかし、行きと違うのは市原会計から話しかけてきた。

「比企谷君、おそらくですが近いうちに勧誘を受けると思われます」

 振り向きもせず、前を向いたまま話しかけてくる。

「その勧誘を受けた時ですが、できれば私に報告してもらいたいのです」

 後ろからチラチラと視線を感じながらその言葉を聞く、聞くだけ、聞く。

 市原会計ほどの人間が、二科生を連れてカフェなどの人がいる場所に行けばどうなるのか、分からないはずがない。生徒会権限で空き教室だとか、簡単に入ることができるだろう。なら、どうしてそんなことをしたのか。

「あ~そう言えば、なんか腕に付けていた奴らがいましたね」

 今、後ろで二人をつけている存在の腕にもついている、白い帯に赤と青のラインを縁取ったシンボルマーク。

「なんかサークル勧誘でもしてるんでしょうか」

 いわゆる、釣りだ。

 やはり、市原会計は非常にしたたかな人間であるらしい。生徒会は反魔法国際政治団体「ブランシュ」のことを、そして下部組織の「エガリテ」のことも把握しているらしく、今回二科生である比企谷を連れて歩く事により、二科生を連れまわしていると見せたかったようだ。その連れまわされている二科生は、一科生に対して否定的な感情を持っていると見せる事ができるだろう。そう、比企谷の目ならね。

「…………」

 無言で前を歩く市原会計の背中は、これ以上情報を出す気はない、と言っているようだった。出す気はないと言うより、巻き込まないように情報を規制しているのだろう。

「分かりましたよ。もし、接触して来ましたら報告します」

「ありがとうございます」

「でも、」

 と、言葉を区切る。

「条件として、雪ノ下と由比ヶ浜の安全を保証してもらいますよ」

「……分かりました。約束いたしましょう」

 比企谷はその表情を見る事ができなかったが、市原会計は少し微笑んでいた。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾弐

 

 市原会計に連れられて比企谷は生徒会室に戻ってきた。市原会計はパネルに向かって認証確認を行った後、生徒会室の扉を開いて中に入った。市原会計は比企谷が入りやすいようにいつもより少し広めに扉を開けていた。しかし、結局比企谷は生徒会室の中に入ることはなく、扉が閉まるのを窓際に背中を預けて見送った。

 それからすぐに生徒会室の中からあわただしい音が聞こえ、勢いよく扉が開き由比ヶ浜と雪ノ下が生徒会室から出てきた。怒った風な表情をしながら、どこか悟った雰囲気を醸し出す二人は比企谷をジト目でにらみつける。開け放たれた扉の向こうには、少し困った表情の司波深雪と、どこか呆れたような雰囲気な市原会計、そしてあわあわと慌てている中条書記が見えていた。

「比企谷君、もし二科生と言う理由で生徒会室に入ろうとしなかったのなら、私は怒るわよ。由比ヶ浜さんと一緒に」

 由比ヶ浜は雪ノ下の言葉に強く頷いていた。

「そんなんじゃねぇよ。どうせそっちの用事は終わったんだろ、ならあとは帰るだけだろ。なら俺が入る必要はねぇじゃねぇか」

「ヒッキー、どれだけ帰りたいの……」

「比企谷君、残念だったわね。私の用事は司波君から直接聞く事になったわ、司波さんと一緒に司波君が来るまで待つわよ」

 雪ノ下は比企谷にどこかしてやったりという表情を浮かべて、腕を組んで言い放った。比企谷としては、学校内に残って色々と面倒なトラブルに巻き込まれる確率を下げたかったが仕方ないとため息をついた。別に学校外でトラブルが無い訳ないのだが、今の学校の方がトラブルの因子を多く抱えている。

「分かったよ。んで、いつまで待てばいいんだ?」

「そうね、司波君は今部活連本部で事情を説明しているらしいわ。そこから考えると、日が落ちるまでには来ると思うのだけれど」

 結局、詳しくは分からないらしい。ま、部活連と言う事は十文字家の次期当主がまとめているのだから、そこまで遅くないだろうと予想を立てた。

 その比企谷の様子を見て、完全に諦めたのを二人は感じた。

「じゃあヒッキー、一緒に生徒会室で待ってよ」

 由比ヶ浜は比企谷に笑顔を向けた。比企谷はため息を一つついて開け放たれた生徒会室の扉をくぐった。

 

 

 生徒会室の中は広く綺麗に整理整頓してあり、端には自動配膳機やら端末やらが置かれていた。中には端末を操作している司波深雪と中条書記、そして机に座って書類を片づけている市原会計が入ってきた比企谷達に顔を向けた。

 司波深雪と市原会計は特に気にしたふうもなく迎え入れていたが、中条書記はビクッと少々怖がっていた。

「雪ノ下、やっぱ俺外で待つわ」

「……そうした方がよさそうね」

 流石に中条書記の様子を見ていると、そうした方が良いと思ってくる。

「あ、あの!」

 比企谷がドアノブに手をかけると同時に、中条書記が立ちあがって声をかけた。

「わ、私は大丈夫ですから、ここで待っていても大丈夫です」

 勇気を出して声をかけたようだが、徐々に声のボリュームが下がっていっていた。

「あの、中条先輩。無理しないでください」

「だ、大丈夫です!」

 比企谷と雪ノ下そして由比ヶ浜は顔を見合わせ、比企谷は先輩の言葉に従った。ここで比企谷が生徒会室から出ていけば、中条書記の顔に泥を塗ることになると判断した結果だ。

「ありがとうございます」

 そう言って、比企谷は中条書記から一番離れた入口近くの席に腰をおろし、雪ノ下と由比ヶ浜はその正面の席に座った。

ここで、いつもだったら市原会計と二人っきりになったことに関して追及があるだろうが、二人は一切その事に触れずに雑談に興じていた。比企谷もいつもとは違うその事に関して疑問を感じる、ことはなかった。

 別に、雪ノ下と由比ヶ浜はどんな女性や女生徒に対して反応する訳じゃない。例えるなら、自分の容姿をちゃんと理解している女性に対してだったり、無差別に誘惑する女性に対して発動したりする。実のところ二人は厳しそうに見えて、ちゃんと最後は比企谷自身に任せている。比企谷が誰を選んでもそれを受け入れる覚悟はある。

 市原先輩のように、しっかりと自分という芯を持っている女性に対してならいちいち口に出したりはしない。あとは司波深雪のように思い人がいたり、中条書記のようにそもそも男性に対して免疫が無い女性に対しても同様だ。まぁ、比企谷自体そういう相手の事情を考慮する事を知っている事も要因の一つだが。

 それでも、二人は自分を選んでほしいと思っている。まぁ、今のところは、と付け加えるべきだが。

 

 

 

「えっと、比企谷君、でしたよね」

 端末での仕事が終わったのか、司波深雪が比企谷に話しかけてきた。比企谷としては話しかけられる心当たりがなかった。

「なんか用か?」

 不審がりながら、という訳ではないのだが、少しだけ心の中で首をかしげながら司波深雪に返答した。

「はい、少しばかり聞きたい事があるのですが、いいでしょうか?」

「まぁ、いいが」

 またか、と心の中で答えた。だとしたら、市原会計と同じような内容だろうとあたりを付けて、用意している言葉を咽の奥に隠した。

「お兄様と服部副会長との模擬戦で、服部副会長が勝利すると普通の方でしたら思うのですが、比企谷君はお兄様が勝利すると確信していました。その理由をお聞きしたいのですが」

 さて、司波達也が司波深雪に忠告していたのか、それとも司波深雪が自身で疑問に思ったのか。

「別に理由と言う理由はないぞ」

「あそこまで確信を持った言い方をするのであれば、何かしらの理由が無くては無理だと思いますが」

「……はぁ、あいつが妹を侮辱されて負けるわけがない、って思っただけだ」

 話を聞いていた全員が、タイミング良く、最初から打ち合わせしていたかのように息が合い、ひどく納得していた。

「それは納得せざるを得ないわね」

「うん、すごい説得力感じた」

 どうやら目の前の二人もあの時の小さな違和感が解消されたようだ。

「そんな、お兄様が私のために……」

 ああ、こっちもこっちでブラコンだったなと再確認した。

 しばらく悶えていた司波深雪であったが、ようやく現実に戻ってきて比企谷に頭を下げる。

「私の質問に答えてもらい、ありがとうございました」

「別にいいさ」

 と、すげなく手を振って何でもないように答える。

「……そろそろ時間ですね」

 市原会計が時計を確認し、五人に声をかける。その号令で司波深雪と中条書記はこまごまとした備品を片付けはじめすぐに、片付け終わり帰る支度を行いすぐに帰る準備が整った。

「では、施錠は私がしておきますのであがってかまいません」

「ありがとうございます」

「お疲れ様です」

 生徒会の二人と、比企谷達三人も市原会計に頭を下げ生徒会室を後にした。

 

 

 

 中条書記とは途中で別れ、司波深雪についていく比企谷達は昇降口に向かった。部活連本部は生徒会室のある本校舎とは別棟に置かれている。部活連本部から生徒会室へ行くには、一旦校庭へ出て昇降口に回らなければならない。故に、ここにいれば妹を迎えに行く司波達也と必ず出会えると言う分けだ。

 昇降口に到着してすぐに、西条と千葉が言い合いながら現れた。そしてその後ろに柴田がついてきていつもの三人がそろっていた。

「あ、深雪たちじゃん。達也くん待ってるの」

「ええ、エリカたちも今帰りなの?」

「そうなんだけど、深雪達と一緒に帰っちゃダメかな」

「それは良いけど」

「ありがと!」

 どうやら三人とも今日の事を聞きたいらしい。それから雪ノ下と由比ヶ浜も混ざり、女子は司波達也が来るまで雑談に花を咲かせ始めた。

「よう比企谷、山岳部に入らねぇか」

 そんな女子から離れ、西条はもう一人の男子である比企谷に話しかけるのは、必然だろう。

「断る、俺はどこにも入るつもりはねぇよ」

「そんなこと言うんじゃねぇよ。山岳部は楽しいぜ」

 西条は比企谷を勧誘し始めていた。その際、西条が比企谷の肩に腕を置こうとしてスルリと逃げられている光景は何度も続いていた。てか、完全に勧誘を忘れて男子高校生特有の勝負に発展していた。

 

 

 そろそろ日が落ちる時間になり、街灯に光が入り始めてようやく司波達也が昇降口に来るのが遠目で見えていた。

「あっ、おつかれ~」

「お兄様」

 真っ先に声を上げたのは千葉だったが、真っ先に駆け寄ったのは司波深雪だった。

 思いがけない機敏さに、他の面々は目を丸くしていた。

「お疲れ様です。本日は、ご活躍でしたね」

「大したことはしてないさ。深雪の方こそ、ご苦労様」

 腰の前に両手で提げる鞄を挟んだだけの間近から、自分の顔を見上げる司波深雪の髪を、眼差しでねだられたとおり、司波達也は二度、三度とゆっくり撫でた。

 司波深雪は気持ち良さそうに目を細めながら、兄を見詰める、その瞳を逸らさない。

「兄妹だと分かっちゃいるんだけどなぁ……」

 二人へ歩み寄りながら、気恥かしげな表情で、微妙に視線を外しながら西条が呟くと、

「何だか、すごく絵になってますよね……」

 その隣では、柴田が顔を赤らめながらも、食い入るように二人を見ている。その後ろでは、由比ヶ浜と雪ノ下がちょっと顔を赤らめて、比企谷を盗み見ていた。

 そして、そんな西条と柴田に、千葉が半眼にした両目を向けていた。

「あのね、君たち……あの二人に一体何を期待しているのかな?」

 千葉の言葉で二人は慌てて千葉に弁解するも、どうも動揺して言葉がうまく出てこず自分が今何を言っているのか分かっていないようだった。

 そんな三人と比企谷達へ、司波達也はようやく妹の髪から手を放して目を向けた。

 司波深雪も、名残惜しそうな顔を見せつつ、兄に倣う。

「すまんな、待っていてくれたのか」

「水くさいぜ、達也。ここは謝るとこじゃねえよ」

「私はついさっき、クラブのオリエンテーションが終わったところですから。

 少しも待っていませんよ?」

「私は私の用事で勝手に待っていたのだから、気にしなくていいわ」

 三者三様の態度で司波達也を出迎えた。

 事実が言葉と裏腹であることに司波達也はすぐに気がついたが、心遣いをあえて無にするような真似はしなかった。

「こんな時間だし何処かで軽く食べて行かないか? 一人千円までなら奢るぞ」

 現在の通貨価値は、二度のデノミネーションで百年前とほぼ同じ水準になっている。

 高校生にとって千円という金額は、少し高めではあるが妥当なラインだ。

 それ以上の謝罪を飲み込んだ、代わりの誘い。

 それが分からぬ者も、余計な遠慮を口にする者も、ここにはいなかった。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾参

 

 

 八人はカフェに入り、今日一日のこと――入部したクラブのこととか、退屈な留守番のこととか、勧誘に名を借りたナンパのこととか、色々な体験談に花を咲かせたが、やはり、最も関心を引いたのは、司波達也の捕物劇だった。

「――その桐原って二年生、殺傷性ランクBの魔法を使ってたんだろ? よく怪我しなかったよなぁ」

「致死性がある、と言っても、高周波ブレードは有効範囲の狭い魔法だからな。

 刃に触れられない、という点を除けば、良く切れる刀と変わらない。それほど対処が難しい魔法じゃないさ」

 さっきかっら手放しで感心しているレオに、やや辟易した表情で司波達也が応じる。

「でもそれって、真剣を振り回す人を素手で止めようとするのと同じってことでしょう?

 危なくなかったんですか?」

「うんうん! 怪我したら危ないよ!」

「大丈夫よ、美月、結衣。お兄様なら、心配いらないわ」

「随分余裕ね、深雪?」

 今更のように顔を曇らせた柴田と本気で怪我を心配している由比ヶ浜を宥める司波深雪の表情は、千葉が指摘したように不自然なほど余裕があった。

「確かに、十人以上の乱戦をさばいた達也くんの技は見事としか言えないものだったけど、桐原先輩の腕も決して鈍刀じゃなかったよ。むしろ、あそこにいた人たちの中では頭一つ抜け出してた。

 深雪、本当に心配じゃなかったの?」

 千葉に問われた、司波深雪の答えは、

「ええ。お兄様に勝てる者などいるはずがないもの」

 一分一厘の躊躇もない断言だった。

「――えーっと……」

 これにはさすがの千葉も、絶句するしかなかった。

 

 

 比企谷八幡はそんな誇らしげに話す司波深雪の話を一言一句聞き逃さないように、カップに入ったMAXコーヒーをすすっていた。適当に入ってみたカフェだが、まさかMAXコーヒープレミアムが置いてあるとは、と心底感動していた。失われていた発売当時の味を極限まで追い求め、ようやく再現が成功した唯一のMAXコーヒー。

それがMAXコーヒープレミアム。

それは、名前の通りプレミアム。販売、ではなくメーカーが懇意にしている店舗にしかおろしておらず、しかもその店舗情報が最高機密に指定されて完全なスタンドアローンで管理されている。比企谷はあらゆる手を使いその店舗を探したが、ようやく見つけた一軒は遠く離れた場所で営業しており、護衛をほっぽり出して行くことはかなわなかった。

 だが、今日、偶然にもその貴重な一店舗を見つけ司波達也達から少し離れたカウンターで至福の時間を堪能していた。

雪ノ下はもちろん一緒に座らせようとしたが、比企谷のMAXコーヒープレミアムに対する情熱を引き気味で、いや、引いて聞き、講義の序章で別行動を許した。

「どうだい?」

「ええ、最高ですね。まさか、プレミアムに出逢えるとは……一つ聞きますが、MAXコーヒーオリジナルも置いてないですかね?」

 MAXコーヒーオリジナル・それはプレミアムよりも伝説の一品。プレミアムが発売当時を再現した味だと言えば、オリジナルは開発当時の味を再現された始まりの味。

 オリジナルは、プレミアをおろしている店舗の中からほんの一握りの店舗にしか配布されていない、それこそ幻で伝説のMAXコーヒー。

「………………」

「………………」

「……あるよ」

 あった。

 比企谷は満面の笑みを浮かべた。

 オーナーはすでに用意していたのか、比企谷の前にカップを置いた。恐る恐るそのカップをのぞきこみ、慎重な手つきでカップを持ちあげ口に持っていった。普通のMAXコーヒーよりももっと白色に近いそれは、口の中に入った瞬間に甘さが爆発したように口の中に広がった。一口、その一口の後の二口目を忘れるくらい、口の中が満たされていた。

「驚いたかい」

「………ええ、これほどまでとは」

 ようやく現実に返ってきた比企谷は、思い出したように二口目を口に含む。

「オリジナルは美味いだろう。いや、美味すぎるんだよ。故に、今のMAXコーヒーに落ち着いたと言っていい」

「美味すぎる、故の劣化か……」

 比企谷はそう言って、ちょっとずつプレミアムとオリジナルを口に含んで味に酔いしれた。

 

 

 

「……達也さんの技量を疑う訳じゃないんですけど、高周波ブレードは単なる刀剣と違って、超音波を放っているんでしょう?」

「そういや、俺も聞いたことがあるな。超音波酔いを防止する為に耳栓を使う術者もいるそうじゃねぇか」

「単に、お兄様の体術が優れていると言うだけではないの」

 柴田と西条の懸念に答える司波深雪の表情は、失笑を堪えているようでもあった。

「魔法式の無効化は、お兄様の十八番なの」

 司波深雪の言葉に千葉がすかさず食いつき、雪ノ下は目線を向け持っていたカップを置き聞きの体勢に入った。

「魔法の無効化?」

 雪ノ下と司波達也以外の四人が首を傾げた。

「エリカ、お兄様が飛び出した直後、床が揺れたような錯覚を覚えたのでしょう?」

「そういえば」

 千葉はその時のことを思い出し、首を縦に振った。

「それ、お兄様の仕業よ。

 お兄様、キャスト・ジャミングをお使いになったのでしょう?」

 ニッコリと、作り笑いを向けてくる司波深雪に、司波達也はため息の白旗を掲げた。

「深雪には敵わないな」

「それはもう。

 お兄様のことならば、深雪は何でもお見通しですよ」

 苦笑と微笑、笑顔を見合わせる二人の間に、素っ頓狂な声で西条が割り込む。

「それって、兄妹の会話じゃないぜ? 恋人同士のレベルも超えちまってるって」

「そうかな?」「そうかしら?」

 ぴったりハーモニーを奏でた司波達也と司波深雪に、たっぷり一秒は硬直したあと、西条は力尽きたかの如くテーブルに突っ伏した。

「……このラブラブ兄妹にツッコミ入れようってのが大それているのよ。アンタじゃ最初から太刀打ちできないって」

「その言われ様は著しく不本意なんだが」

「いいじゃありませんか。わたしとお兄様が強い兄妹愛で結ばれているのは事実ですし」

 司波深雪がサラリと兄を宥めた。

 直後、今度は千葉が突っ伏した。

「ダメだこりゃ…」

「……深雪、悪ノリも程々にな?

 冗談だって分かってないのも約二名いるようだから」

 司波達也が苦笑しながら司波深雪をたしなめると、柴田と由比ヶ浜に視線が集まった。

「……あ! 冗談だったの?」

「……えっ? えっ? 冗談?」

 顔を赤く染めていた二人が、キョロキョロと自分を置かれている状況を確認しようと周りを見回していた。

「……そういや、キャスト・ジャミングとか言ってなかったか?」

 西条がこのどうにもし難い空気を変えるために、強引に話題を戻した。

「キャスト・ジャミングって、魔法の妨害電波のことだっけ?」

「電波じゃないけどな」

「慣用句よ」

「キャスト・ジャミングは魔法式がエイドスに働きかけるのを妨害する魔法――分類的には“無系統魔法”の一種だ」

 無系統魔法とは事象変更するのではなく、サイオンそのものを操作する魔法。キャスト・ジャミングは無意味なサイオン波を大量に散布することで魔法式がエイドスに働きかけるプロセスを阻害する技術。

「ただし、キャスト・ジャミングを使うには四系統八種類、全ての魔法を妨害できる特別なサイオンノイズが必要となる」

「それって特殊な石がいるんじゃなかったっけ? ええっと、アンティ……」

「アンティナイトよ、エリカちゃん。

 達也さん、アンティナイトを持ってるんですか?」

「いや、持ってないよ。そもそもアンティナイトは軍事物資だからね。一民間人が手に入れられる物じゃない」

「えっ? でも……」

 その司波達也の言葉にテーブルに座る全員が訳が分からないと言う顔をしている。

「…オフレコで頼みたいんだが」

 困惑した表情で間を取り、テーブルに身を乗り出して声を潜めた司波達也に、つられて身体を乗り出して真剣な面持ちで頷いた。

「正確には、キャスト・ジャミングじゃないんだ。俺が使ったのは、キャスト・ジャミングの理論を応用した『特定魔法のジャミング』なんだよ」

 司波達也の囁きを聞いて、柴田がキョトンとした顔で何度か瞼を瞬かせた。そんな中、由比ヶ浜の表情を見るかぎりあまりピンと来ていなかったようだ。

「えっと……そんな魔法ありましたっけ?」

「いいえ、柴田さん。そんな魔法は存在しないわ」

「それって、新しい魔法を理論的に編み出したってことじゃない?」

 千葉の口調は、感心や驚愕や賞賛より呆れたようなニュアンスが強く含まれていた。

「編み出したって言うより、偶然発見したと言う方が正確かな」

 千葉の正直な反応に、司波達也は笑いながら答えた。

「二つのCADを同時に使おうとすると、サイオン波が干渉してほとんどの場合で魔法が発動しない事は知っているよな?」

「ああ、俺も経験した事があるぜ」

 司波達也の言葉に頷く西条と、

「うわっ、身の程知らず」

 西条のセリフに呆れ声を漏らす千葉。

「何だと!」

「二つのホウキを同時に使うって、魔法を並列起動させようとしたってことなのよ?

 そんな高等テクができると思うなんて、身の程知らずとしか言いようが無い」

「うるせーな。できると思ったんだよ!」

「まぁまぁ、二人とも、今は達也さんのお話を聞きましょう? ねっ?」

「うん、そうだよ。ぜんぜん分からないけど、すごく面白そうだから!」

「………」

「………」

 それは、今までの言い争いが無かったことになるような気の合いようで、二人は由比ヶ浜に目を向けた。どうして一科生なんだろう、という視線を込めて。

「一方のCADで妨害する魔法の起動式を展開し、もう一方のCADでそれとは逆方向の起動式を展開、その二つの起動式を魔法式へ変換せず起動式のまま複写増幅し、そのサイオン信号波を無系統魔法として放てば、各々のCADで展開した起動式が本来構築すべき二種類の魔法式と同種類の魔法式による魔法発動を、ある程度妨害できるんだ。

 つまり、今回は『振動魔法のジャミング』を使用したと言うわけだ」

 西条が小声で「マジかよ……」と呟いた。他のテーブルにいた面々も、そんな西条と同じような表情を浮かべていた。そんな中、雪ノ下はその説明を頭のかなで反芻しており、難しい顔を浮かべていた。いわずもがな、と思うが由比ヶ浜はそれが難しく高度な事だということは分かったのだが、どれほど高度な事か分からずピンと来ていなかった。

「おおよその理屈は理解できたぜ。

 だがよ、なんでそれがオフレコなんだ?

 特許取ったら儲かりそうな技術だと思うんだがなぁ」

 そんな、西条の言葉に割り込む声があった。

「司波君、その特定魔法のジャミングは私も使えるかしら?」

 雪ノ下が、真っ直ぐに司波達也を見据えて問う。

「……CADを二つ同時に使う事に関しては訓練すれば可能だ。魔法に関しても発動中の魔法の系統が分かれば使用可能といえる。

 だが、俺は詳しい事を教える事はできない」

「それは、なぜかしら?」

 司波達也は全員の顔を見渡して口を開く。

「……一つには、この技術はまだ未完成なものだということ。

 相手は発動中の魔法が使えないだけで、しかもまったく使えないわけじゃなくて、使い難くなるだけなのに、こっちは全く魔法を使えなくなるんだからな。

 これだけでも相当な致命傷なんだが、それ以上に、アンティナイトを使わずに魔法を妨害できるという仕組みそのものが問題だ」

「…………」

「……それの何処に問題があるんだよ?」

 雪ノ下は硬く口を結び、西条は不満げに問う。難しい顔で考え込んでいた千葉が、そんな西条を割と本気の声で叱りつけた。

「バカね、大有じゃない。

 お手軽な魔法無効化のい技術が広まったりしたら、社会基盤が揺るぎかねないんだから」

「アンティナイトは産出量が少ないから、現実的な脅威にならずに済んでいる面がある。

 対抗手段を見つけられるまで、公表する気にはなれないな」

 ようやく得心がいったのか、西条は何度も深く頷いている。

「すごいですね……そんなことまで考えているなんて」

「お兄様は少し考え過ぎだと思います。そもそも、相手が展開中の起動式を読み取るなんて、誰にでもできることではありませんし。

 ですが、それでこそお兄様ということでしょうか」

「……それは暗に、俺が優柔不断のヘタレだと言っているのか?」

 妹の指摘に、司波達也は心底、情けなさそうな表情を作った。

「さあ?

 エリカはどう思うかしら?」

 素っ気ない態度を演じて、司波深雪が千葉に球を投げる。

「さあね?

 あたしとしては、美月と結衣の意見を聞いてみたかったり」

 千葉はわざとらしい口調で、二つに分裂させた球を渡した。

「え! ちょっとエリカ! 急に話しを振らないでよ!」

「ええっ?

 私は、その、ええっと……」

「誰も否定してくれないんだな……」

 そんな司波達也の恨めしそうな視線を各々が各々でかわし、助けはどこからも現れなかった。

 あと、比企谷はここの常連になることをひっそりと決めていた。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾肆

 

 

 司波達也は今日も走りまわっていた。

 新入部員勧誘週間(という名のバカ騒ぎ)も今日で四日目。「もう」と言うべきか「まだ」と言うべきか……とにかく、騒がしい。

 比企谷は校舎の上階からその様子を見降ろしていた。そこは、まったく他の生徒の姿が無く比企谷だけの姿しかなかった。雪ノ下と由比ヶ浜はこの週間だけ司波深雪の手伝いを請け負っていた。それは部活と認証されなくても、奉仕部としての矜持を持っている二人だからこそだろう。

 では、比企谷八幡はなぜこんなところに一人でいるのかと言えば二つの理由がある。一つは、中条書記に「また」怯えられたからである。雪ノ下と由比ヶ浜に連れられて生徒会室にいくと、入って一瞬で「また」怯えられた。

 もう一つは………

 眼下に広がっているバカ騒ぎを観察しながら、司波達也の動きを観察していた。おそらくはすでに比企谷の視線に気がついているだろう。動き回っている途中、チラリと比企谷の方へ視線を向け、視線の正体を確認していた。比企谷も比企谷で、最初から正体を隠す気はなかった。

 周りを警戒しながら見回しているところにどうやら連絡が入ったらしく、その場から急いで移動し始めた。上からでは木々が邪魔になり姿が見えにくいが、比企谷にとってそれはないも同然である。

 

『知覚系魔法・傍観写』応用編、と言うほどのものではないが比企谷はよく使う使い方がある。知っての通り、無生物と有生物のアクセスプロセスが違い無生物に関しては万能と言っていい。

 つまり、生物が無生物を身につけていれば動きが追える、と言う事だ。

 

 比企谷は司波達也の動きを追う。正確には、司波達也が身につけている制服の動きを追うと言った方がいいか。すると、進行方向に一人司波達也をうかがっているような人影が視えた。

 どうやら、司波達也に向かって魔法を発動させようとしているらしいが、おそらく無駄になるだろう。案の定、魔法が不発に終わった瞬間に人影は逃げ出したようだ。その人影を追うように司波達也は動いていたが、どうやら相手は移動魔法をすでに発動していたようでさすがに生身で追いつける速度ではなかった。

 比企谷はその人物の手首にリストバンドが巻かれてあるのに気が付き、一度魔法を切った。

 司波達也に接触があったのであれば、そろそろだと言う事かと比企谷はため息をついた。

「めんどくせぇ」

 そう、呟きながら。

 

 

 

 待つ事数十分、遠くで階段をのぼってくる足音が聞こえてきた。階段をのぼり終えた足音は、廊下を歩く音に変わりその足音をさせている主が現れた。

 筋肉質でがっしりとした体格、かけている眼鏡から霊子放射光過敏症であると予測は可能。などと言っているが、比企谷はすでにこの人物のプロフィールを知っている。雪ノ下陽乃が比企谷へ渡した資料に重要人物として載っていた。

「やぁ、探したよ」

 笑顔を貼り付けてはいるが眼鏡の奥の目には獲物を狙うような意思、そんな油断できない感情を読み取っていた。

「俺に何か用っすか?」

「いや、先日君が生徒会に連行されていたと聞いてね。ああ、自己紹介が忘れていたね、僕は剣道部の主将、3年の司甲。君と同じ二科生だ」

 司甲と自己紹介した彼は、肩あたりに指を向けた。

「君も言われのない事で連行されていたんじゃないのかな? 彼等が一科生と言うだけで、僕ら二科生を下に見る事はおかしいと思わないか」

 そんな聞きあたりの良い事を言っているが、言葉の一つ一つが胡散臭い。

「学校側もそうだ、魔法だけを重要視している。こんな世の中は根本的から間違っているんだ。

 だから僕達は、剣道部を中心として非魔法競技クラブで部活連とは違う組織を作り上げ、まずはこの学校からちゃんと評価される環境に変えていき、いずれは世の中も変えて行こうと思うんだ」

「んで、なんで俺に声をかけたんッスか」

「君なら、この理不尽さが分かると思ったからだよ」

 比企谷はどうせこの目のせいもあるんだろ、と心の中でため息をつく。

「俺にどうしてほしいんですか」

「剣道部に入ってくれないか」

「断ります。そもそも、俺はそんな事どうでもいいッスよ。正当に評価されなくても卒業できりゃいいですし、面倒な事に巻き込まれるのは面倒ですから」

 司は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、すぐに困ったような笑みを浮かべた。

「そうか、でも気が変わったらいつでも剣道部に来てもらえば歓迎するよ」

 そう言い残し、来た道を戻っていった。

「さて、」

 そう呟いた比企谷は周りに誰もいない事と、知覚系の魔法によって監視されていないかを確認した後、端末を取り出しどこかに連絡を入れていた。

「どうも、比企谷です。彼らからの接触かありました」

『そうですか、いったい誰が接触を?』

「剣道部主将の司甲、おそらく幹部クラス以上ですね」

『なぜそう思うのですか』

「勧誘が慣れ過ぎてましたからね。言わされている感が無いでもないですが、完全に勧誘側の立ち振る舞いでしたよ」

『……分かりました、監視をつけておきましょう』

「そうした方がいいですね」

『協力、ありがとうございます』

「条件通り、そっちの二人はお願いします」

『ええ、分かっています』

 通信を切って端末をしまうと、誰もいない廊下の角に向かって声をかける。

「小野先生、あとで陽乃さんに報告お願いしますよ」

 角で誰かが身じろいだ様子を感じながら、比企谷はその場を後にした。

 

 

 

 翌日の休日、比企谷はとある大きな研究所の端にあるこじんまりとした建物の中に入っていった。

 出入口だけの窓のないその建物には一見しただけではわからず、それこそ念入りに調べてもある事に気がつかないほどに隠匿された監視カメラがあちこちに設置してあった。比企谷はドアの施錠を行わず中に入ったが、ドアが閉まった途端にいくつもの物理的施錠と何重もの魔法的防御が勝手に働き、出入口自体が無くなった。

 建物中に入った比企谷はいくつかドアがあるうちの目の前にある扉を一度開き閉めた後、その握っているドアノブを【左】に回した。するとドアの向こうで何かか動く音が聞こえ、音がやんだ後ドアを開くとさっきまで廊下があった場所にエレベーターが存在していた。

 そのエレベーターに比企谷が乗り込むと自動的に下降を始めた。十秒もかからずに下降していたエレベーターは止まり、今度は背後の壁が開いた。その開いた先には広い部屋にいくつもの機材やモニターが広がっており、三人の白衣を着ている作業員が比企谷を迎えた。

「時間通りだね、八幡」

「よお、戸塚」

 比企谷を迎えた一人の作業員に、めったに見せない笑顔を向けていた。

「悪いな、学校じゃ声をかけれなくて」

「ううん、ここで一緒にいれるから大丈夫だよ」

「……ああ、そうだな」

「八幡、我は? 我は?」

「うるせぇ、材木座。さっさと研究成果見せやがれ」

 横合いからコートを着た上から白衣まで来ている少年が、片手をあげもう片手で自分を指差しながら口を挟んできた。

「ちょ、いつも我の扱いがひどくない?!」

「いつもじゃねぇよ、ずっとだ」

「よりひどくなった! 八幡、嘘だよね!」

「ハハハ」

「………はちま~~ん」

 材木座と呼ばれた少年は床にうなだれてしまった。

「まったく、あんたらは飽きないね」

「ああ、川崎。戦闘データの解析はどれくらい進んでいるんだ」

「あともう少しってとこだね。でも、あんたと同等の生徒が他にいるとは思わなかったよ」

 青みがかった髪のクールな少女が呆れながら比企谷に声をかけてきた。

「ま、同じ穴のむじなってやつはどこにでもいるからな」

 比企谷は挨拶もそうそうに、三人を連れて部屋の隅にある会議室へ移動した。

 

『スノー・ホワイト・テクノロジーズ』雪ノ下家直属の研究機関であり、後発ながら魔法工学部品やCAD本体の製造で急激に業績を伸ばしてきた会社である。

 比企谷達が今いる研究所は本社とは違う、研究のみの支社でありその一角は比企谷達に与えられた個人研究所である。

 研究員としてここに出入りするのは比企谷を除いて三人だけであり、その全員が第一高校の一年となっている。

 最初に比企谷に声をかけたのは、一年C組の戸塚彩加である。見た目は完全に女子にしか見えないのだが、まごうことなき男子である。ハード系を得意とし、比企谷のメインCADを作った張本人である。そして、彼は秘密を持っている。

 次に声をかけた小太りのコートと白衣を着た少年は、一年D組の材木座義輝である。彼は比企谷にすべなく対応されてはいるが、比企谷は彼の腕を信頼している。プログラム製作や解析などを一手に引き受け、この研究所の責任者と言っても良い。

 最後の少女は一年B組、川崎沙希。青みがかった長い髪をポニーテールにした少女で、ハードとプログラムのバランス調整や操作調整など最後の仕上げを担当している。

 そして、この研究所のトップが比企谷八幡であり、魔法術式のアイデアやテスターなど三人の作業の全般も請け負っている。ここで間違えてはいけないのは、この研究所で製品を製作しているわけではないと言う事だ。

 ここで作っているCADは全てワンオフであり、この四人が自分達で使うためだけのCADを開発している。全てが比企谷のために、つまりは雪ノ下達を守るためだけに。

 

 会議室に移動した四人はスクリーンに映し出された「ブランシュ」とその下部組織「エガリテ」の情報が映し出された。

「最近、学校内でエガリテが妙な動きを始めているのは、知っているだろ」

 三人は三人とも首を縦に振る。

「おそらく、近いうちに何か仕出かそうとしているのは明白だ。それは生徒会も感づいているだろう」

「八幡、つまり我たちが動いていいと言う事だな」

「いいの、八幡?」

「ああ、自分の判断で動いてくれ。だがその時はできるだけ存在を気取らせず、裏から収拾と護衛に動いてくれ。あいつらは首を突っ込むだろうからな」

「それで、比企谷はどうするんだい?」

「ああ、ちょっとばかり監視を、な」

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾伍

 

 

 一週間が過ぎた。

 新入部員勧誘週間は、比企谷にとってはなはだ面倒な日々だった。

 結局、比企谷達は部活に入ることなく新しい部活を立ち上げる事なく、学校非公式で個人単位の奉仕部を運営し始めた。と言っても、今のところ生徒会の手伝いだったり生徒会の要請で動く遊撃隊のような位置づけになっている。学校非公認と言えど、完全に学校非公認と言う訳ではないだろう。

 いつもの放課と同じように雪ノ下と由比ヶ浜が来るまで机に突っ伏して前に机で集まっている集団の話に耳を傾けていた。

「達也、今日も委員会か?」

 帰り支度中の司波達也に、鞄を手にした西条がそう訊ねた。

「今日は非番。ようやくゆっくりできそうだ」

「大活躍だったもんなぁ」

「少しも嬉しくないな」

 憮然たる面持ちでため息をつく司波達也を前にして、西条は明らかに、噴き出すのを我慢している顔だった。

「今や有名人だぜ、達也。

 魔法を使わず、並みいる魔法競技者を連破した謎の一年生、ってな」

「『謎の』ってなんだよ……」

「一説によると、達也くんは魔法否定派に送り込まれた刺客らしいよ」

 ひょっこりのぞき込むように顔を見せたのは、同じく帰り支度を済ませた千葉だった。

「エリカちゃん!」

「他人事だと思って…

 この一週間、誤爆のフリした魔法攻撃が何回も会ったんだぞ」

「でもデバイスの携帯制限も復活したんですし、もう落ち着くんじゃありませんか?」

「そう願いたいよ」

 柴田の掛けた慰めの言葉に、司波達也はここぞとばかり頷いた。

 その話を盗み聞きしている比企谷八幡はその時を思い出して心の底から、ため息をついていた。

新入部員勧誘週間中に司波達也を監視とは言えないまでも観察していた比企谷は、どこまでも一科生と言うブランドに浸り過ぎて完全に優越感を抱いて溺死している連中を見ていた。

一度ならず二度以上、一度制度をリセットした方がいいんじゃないかと思うほどに、あらかさまに、露骨に、醜悪とは言えないまでも醜く嫌がらせとしか言いようのない行為を繰り返している一科生の上級生にため息をついていた。この意識を改変する事を隠れ蓑としているが、それでも目的の一つである。しかし、ここまで上級生が無知であり無能だったとは逆に驚きだった。まぁ、茶柱が立った時のような驚きだったが。

 しかし、流石第一高校と言っていいのか、その手口の巧妙さは舌を巻くほどに優秀であった。能力の発揮する時と場所と目的が違うと言う点に目をつぶればだが。

 

 

 

 司波深雪が司波達也を迎えに来ると同じように、比企谷を迎えに雪ノ下と由比ヶ浜が突っ伏していた比企谷を引きずり起こし、司波達也達が苦笑する中売られていく牛のようにドナドナされていった。

「まったく、たまには比企谷君の方から私達を迎えにくると言う気はないのかしら」

「そうそう、たまには来てくれてもいいよね」

「ったく、だからってネコみたいに首元をつかむんじゃねぇよ」

 少し崩れた制服の襟首を直しながら二人の後ろをついていく。

「んで、今日はどうすんだ」

「今日も生徒会の手伝いよ。新入部員勧誘週間が終わっても後始末がまだ残っているらしいわ」

「そうそう、大変なんだよ」

「あなたは手伝わなかったから知らないのだけれど」

「手伝わなかったんじゃねぇだろ、あれは」

「そうかしら?」

「ヒッキーだしね~」

 二人は顔を見合って笑いながら相槌をうちあい、後ろからついてくる比企谷にもその笑っている横顔が目に入っていた。その二人の横顔を見ながら比企谷は一つため息を吐きつつ、これから起きるであろう騒動にどうやって巻き込ませない方法を模索していた。

 結局、自分達の方から巻き込まれに行くだろうと言う結果は予測以前に決定事項だろうと、特に事前対応には変更はないだろう。

 ふと、比企谷は端末の震えに気が付き端末を取りだした。そこに表示されている文章を読み終えたのち、元の場所にしまうと顔つきが一変していた。二人の後からついていっているおかげでその変化を悟られる事はなく、二人を生徒会室に送り届けた。

「さて、今日もやるわよ」

「ヒッキーもほら、早く」

 どうやら二人は今回から比企谷も生徒会の仕事を手伝わせようとしていたらしく、二人とも生徒会室の扉の前で振り返り比企谷を招き入れようとしていた。

「あ~悪い、雪ノ下に由比ヶ浜。ちょっと用ができた」

「嘘はよしなさい」

「嘘はダメだよ」

「嘘じゃねぇよ」

 そう言って、再び端末を取りだすと画面を二人に向けた。そこには学校のサインが書かれた添付がつけられているメールだった。つまり、学校からの呼び出しである。

「比企谷君、ついに何かやったのかしら」

「ヒッキー、ほら生徒会室が目の前だから自主しよ。大丈夫、分かってくれるって」

「うるせぇな、問題を起こした前提で話を進めんなよ」

 すぐに端末をしまい、渋い顔を表に現して踵を返した。

「ってことで、ちょっくら行ってくるわ」

「はいはい、終わったらちゃんと来なさい」

「帰っちゃだめだからね~」

「わかってるよ」

 後ろ姿の比企谷は片手を上げ、ひらひらと手を振っていた。

 

 

 

 比企谷が向かったのは、カウンセリング室だった。

「それで、全員呼び出したのはどんな用件があるんですか。小野先生」

 カウンセリング室に入ってすぐ中の様子を把握した比企谷は呆れたように、いつも以上の腐った目を向けた。いや、それが比企谷にとっては通常なのか。

「陽乃ちゃんからの指示よ」

「ま、でしょうね。俺以外じゃ、陽乃さんしか知らないですし……ああ、小野先生も知ってんのか」

 そう言って、脇に座っている三人に目を向けた。

「ごめんね、八幡」

「すまなかった」

「悪かったね」

 それぞれがそれぞれなりに比企谷に向かって頭を下げていた。

「いや、指示なら仕方ねぇよ」

「それにしても戸塚くんは元十柄家だし、材木座くんは昔有名だった裏の刀鍛冶一族でしょ。比企谷くんは、なにがしたいの?」

 戸塚家、いや、十柄家とは名の通り十の柄を表す。つまり、十種の刀剣を十種類の異なる刀剣を自在に操る魔法を使う。とはいっても、CADが発達している現在では複数起動は困難となっている。故に、一太刀で十の刀身を自在に操る。それぞれの刀身は四系統八種、そして無系統に系統外魔法を基点とした効果を纏っている。

 材木座家は古くから刀剣のみならず、武器と言う武器を製造していた。もちろん、表からかけ離れた裏の裏で秘密裏に。しかし、そんな老舗の武器屋と言えど時代の流れに押し流され続け、魔法が台頭してくると同時に徐々に廃業に追い込まれた一族だ。廃業に追い込まれた、いや、自ら廃業したと言った方がいいな。廃業したとしても技術の伝承は行われ続け、その間に魔法道具としての技術を確立させて言っていた。もちろん、材木座家が独自に作りだした技術だ。今ではほぼ忘れ去られた一族だが、忘れ去られているからこそ、ここまで生きながらえていたのかもしれない。

「別になにもする気はないですよ、俺からは」

 もう一人、川崎沙希。ここにいる四人を小野遥は個人的にも調べていた。そのうち、さっきも言ったように戸塚と材木座の事は調べがつく事ができた。普通ならその二人の情報を探り出すのさえ難しいが、そこはプロと言ったところだろう。

 しかし、それでも比企谷と川崎の二人の情報はついに調べがつかなかった。

 比企谷に関して言えば、完全に隠ぺいされて完璧に形跡が封鎖されているが故の事で手の出しようが無いのだが、それでも川崎の情報は簡単に調べがついていた。

 家族構成も、今までの足跡も、そっくりそのまま全て探り当てた。それでも、なにも出てこずなにも分からなかった。なぜなら、特に変わった経歴も変わった血族でもなかったからだ。当たり前だ、この中で唯一普通の居場所がある人間だから。しかし、調べる方はそうは考えない。普通じゃない人間の集まりなら、全員普通じゃない経歴があるはずだと。

 川崎沙希は普通に比企谷達と出会い、普通に三人の仲間なった。とは言っても、朱に交われば赤くなる、今ではちょっとばかり普通と言えないのだが。

「そう、私としてはなにもない方がいいんだけどね」

「それで、用件はなんですか?」

「そうね、本題に入りましょうか」

 そう言って、小野遥の表情が険しくなる。

「先日、比企谷くんに接触した司甲くん。彼を重点的に調べてみた結果、義理の兄がブランシュの日本支部リーダーを務めている事が分かったわ。それも、表も裏も関わっている、ね」

 比企谷達の表情も険しくなる。

「それと、ブランシュの拠点も調べがついてるわ」

「そうですか、ならその情報はそのまま持っていてください」

 今、その情報を受け取る気はないと遠回しに言うと、比企谷は手じかにあった椅子に座った。そして、目を逸らすことなく真っ正面から小野遥を見据える。

 そして、これからはこっちの本題に入ると言った風に口を開く。

「おそらくこの状況、陽乃さんは俺たちの顔合わせのために集めたんでしょうが、それは小野先生にこうも言ってるんですよ」

 四人全員の眼光が小野遥に向かう。

「裏切ればどうなるか、と」

 それは小野遥も分かっていた。少なくともこの中の二人は裏を知っている、裏道を知っている二人と、どれだけ調べても普通以上の情報が出ないどう考えても要警戒対象な少女。そんな三人を下に持つ比企谷八幡と言う存在は、命を脅かせるには十全な人間だと。

「ええ、分かっているわ」

「それならいいです」

 ようやく全員が目線を外し続けて何かを話そうとしている比企谷の方へ向ける。

「全員集まっているならちょうどいい。エガリテの目的……いや、ブランシュの目的はなんなのか、って話をしようか」

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾陸

「さて、いい訳を聞かせてもらおうかしら」

「だから言っただろうが、話が長引いたって」

「じゃあ、どの先生と話しこんでいたのかな~ヒッキー」

「あ~それは、だな……」

 あの後、四人で対策を練っているうちにいつの間にか下校時間まじかとなっていた。比企谷は大急ぎで生徒会室に向かうと、生徒会室の扉の前で二人が『いい笑顔』で比企谷を待っていた。

「比企谷君」

「ヒッキー」

「カウンセリング室にいました」

 例えば、『今から素手で鬼と戦え』と言われれば誰もが嫌だろう。しかし、この状態の比企谷に言えば、そっちの方が数倍も楽だと言うだろう。

 比企谷は入学式の時と同じように、雪ノ下家で床に正座して雪ノ下と由比ヶ浜に見降ろされていた。あれから、無言で笑顔の二人に連行されて雪ノ下家に連れて来られそれから一時間ほど正座させられて、ようやく雪ノ下が口を開いた。その一時間の間に比企谷も声をかけようと口を開こうものなら、監視している二人の鋭い眼光に発言権は封鎖されていた。

「カウンセリング室って……ゆきのんゆきのん」

「何かしら、由比ヶ浜さん」

「確か、カウンセラーって女の人じゃなかったっけ?」

「いいえ、カウンセラーは男女ペアだったはずよ」

 その雪ノ下の言葉で数ミクロンばかりの希望を見出した比企谷だったが、

「だからと言って、比企谷君が女性のカウンセラーと二人っきりじゃなかった、と言う事にはならないわ」

 そう、冷ややかな視線を比企谷に向ける。ダラダラと、冷や汗をかきつつ目線を徐々に横へ向け少しでも逃れようとしている比企谷であったが、それを見逃す二人ではなかった。

「さて、もう一度聞くわ。『どの』先生と話していたのかしら?」

「正直に言ってほしいなぁ~」

 完全に逃げ道をふさがれた比企谷は結局、

「お、小野遥先生、です………」

 すぐさま比企谷の口に出した名前からその姿を思い浮かべた雪ノ下の機嫌が、見る見る悪くなってきた。

「小野先生って……確か女の先生だったよね、ゆきのん? あれ、ゆきのん、どうしたの?」

 由比ヶ浜の方は覚えていないのか、それとも名前と顔が一致していないのか、雪ノ下に聞こうと振り向くとそこには完全に機嫌を損ねて由比ヶ浜でさえ声がかけられなくなっていた雪ノ下の姿があった。

 そんな雪ノ下がニッコリと笑みを作り比企谷に向かって、

「比企谷君、ずっと正座をしていて足が痺れたでしょ?」

「いえ! まったくもって痺れてなんかいません!」

「そう。でも、嘘はダメよ、比企谷君」

 そういうが早いか、比企谷の脚を重点的に踏み始めた。正座の体勢を崩すように踏みつけていたので、一分も経たないうちに崩れ落ちた比企谷のふくらはぎに狙いを変更して責め続けていた。

 

 

 

 脚の痺れが続く限り責め続けられた比企谷は、轢かれたカエルのようにそこらへんの床にのびていた。

 雪ノ下はと言えば、『やっぱり大きい方が……』などと、独り言を呟きながら胸元をペタペタと触っていた。そんな二人に対してどうしていいか分からない由比ヶ浜は、比企谷か雪ノ下が戻ってくるまで待つことに決めたようだ。

「……ったく、おもいっきりやりやがって」

 いつの間にかソファに座って、脚から痺れが取れた事を確認するために脚を揉んでいた比企谷が呟いていた。

「あ、ヒッキー、いつの間に」

 雪ノ下の方を見ていた由比ヶ浜は、床に比企谷の姿が無い事に気が付き周りを見渡してようやくソファに座っていた比企谷に気がついた。

「それでヒッキー、小野先生と何を話していたのかな?」

 自身の記憶と雪ノ下の様子を見て、どのような容姿をしているカウンセラーか頭に浮かべている由比ヶ浜のターン。

「陽乃さんの話だよ」

「……姉さんの?」

 完全に痺れが取れたことを確認し終えた比企谷は、体を休ませるためソファに背中を預けて由比ヶ浜に返事を返した。その言葉から、自分の世界にのまれていた雪ノ下が戻ってきた。

「あの先生、陽乃さんの知り合いらしくてな。聞いてもいないのに昔話とか、今何やっているか聞いていただけだ」

 心底疲れたような表情を浮かべ、腐った目も腐り落ちる寸前まで腐りつくしていた。

「あ、ヒッキー陽乃さんの事が苦手だもんね」

「まったく、そうならそうと言いなさい」

 由比ヶ浜は苦笑していて、雪ノ下は呆れながらため息をついていた。

「いや、有無を言わせずに正座させたのはお前らだからな」

 

 

 比企谷八幡は雪ノ下陽乃が苦手だ、と言うことは二人にとっては常識である。

 それは比企谷八幡と雪ノ下陽乃が二人に誤認させた常識である。

 

 雪ノ下家現当主である雪ノ下陽乃はその立場故に、比企谷八幡を実戦投入せざるをえない。そもそも、比企谷八幡の戦力的に雪ノ下雪乃の護衛につけている時点ですでに疑問の声が上がっている。当たり前だ、一枚岩である組織など、例外としての例外でさえこの世界には存在しない。

 そんな声を押し込め、比企谷八幡を護衛として運用している雪ノ下陽乃であれど、有事の際にはその任を解いて戦場に送らなければならない。

 その最たる事件が三年前の佐渡侵攻事件。それが、雪ノ下家に来て初めて比企谷八幡が実戦投入された大きな事件。戦績は申し分なく、『八幡』として生まれた比企谷八幡と言う存在価値としてもそのままその戦場に置いておきたい人材だが、雪ノ下陽乃は断固として手元から離さなかった。

 その事を雪ノ下雪乃は直接的には知らない。もちろん、由比ヶ浜結衣は想像さえしていないだろう。しかし、そんな二人でも比企谷八幡の事になればその一端を掴むことがある。実際二人は、比企谷八幡が雪ノ下家に所属している事に気がついている。しかし、どういう理由で所属しているのかはまだ知らない。

 比企谷八幡は自分の出自が、自分の存在理由が二人に知られてしまうのを心の奥底で恐怖している。まぁ、ばれたらばれたでいつものように関係をリセット、いや、デリートする事に躊躇が無いだろうが、それでもこの関係は維持したいと思っている。

 そのため、一端を掴ませないようにいくつかの印象操作を二人に仕掛けている。その中の一つが『苦手意識の誤認』である。

人間、好意を持っている人間相手の頼みはほとんどと言っていいほどに断らないだろう。しかし、それが苦手な存在からであったり、嫌いな存在からの個人的な頼みだとすればどうだろう。その頼みに合理性があろうとなかろうと請け負う義務も責任もなく、請け負わなければならない状況だとしてもそこに本意はなく不本意を孕んでいる。

 つまるところ、雪ノ下陽乃と比企谷八幡の二人に横たわる溝を明確化させ、雪ノ下家の命令は全てとは言わないが不本意でしかなく、それは比企谷八幡本人が望まぬ事であると誤認させる。

 比企谷八幡が『兵器』として生まれたことを覆い隠すための一つの嘘。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾柒

 

 

 翌日の放課後、比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜に連れられて、いや、連行されて生徒会室に来ていた。

 扉が開くと生徒会室にはすでに役員がそろっており、由比ヶ浜に背中を押され中に入ると少し空気に違和感を覚えた。それぞれがいつも通りにふるまっているように見えて、どこか警戒心が表情に見え隠れしていた。

「……ねぇ、ゆきのん」

「……大丈夫よ」

 どうやら雪ノ下と由比ヶ浜の二人も気がついたようで、由比ヶ浜は表情を曇らせ雪ノ下の腕を両手で握っていた。生徒会長はそんな三人の様子を見て、ため息をつき『まだまだね』と、自分に向かって言葉をはき出した。

「ごめんなさいね、ちょっとこっちで問題があって」

 三人に向かって申し訳なさそうに目を伏せ微笑みかけた。その笑みに雪ノ下と由比ヶ浜は少しホッとしたようで、体から余計な力が抜けたようだった。しかし、比企谷だけは厳しい目をしたまま生徒会長を見据え、視線をコンソールに向かって作業している市原会計に向けた。市原会計はその視線に気が付き、少し振り返って小さく頷いた。

 それは、その空気の原因が『エガリテ』でありその先にいる『ブランシュ』が関わっている事を肯定するものだった。その後、二人の方へ視線を向けて約束は必ず守ると無言で言っていた。

 比企谷もそれを見て体から余計な力を抜き、役員の様子を盗み見る。生徒会長、市原会計、司波深雪は不安を表情に出してはいなかったが中条書記は明らかにビクビクしていた。…………あ、比企谷がいるせいか。

「そう言えば副会長がいね―けど、どうした?」

「え、あ、ほんとだ。ゆきのん知ってる?」

「いいえ。でも、私達が手伝い始めた時から見なかったはずよ」

 三人が首を傾げる中、生徒会長の方も今頃気がついたみたいだった。

「そう言えば最近こないけど、リンちゃん知ってる?」

「ええ、最近生徒会室は女子ばかりになっていますので、居ずらいとのことです」

「……俺も帰っていいか?」

 踵を返そうと体を動かそうとすると、

「ダメに決まっているでしょ」

「ダメだよ!」

 と、両側から肩に手を置かれた。

「へいへい」

 逃げる事を諦め、手を上にあげてその場を移動して手近な椅子に座った。

「んで、なにすればいいんだ?」

「ちょうどよかった! 空き教室の片付けを頼んでいいかな?」

 雪ノ下に向けた言葉を生徒会長が拾い、嬉しそうに手を合わせて席から立ち上がり笑顔を向けた。

「あ~分かりました」

「うん、良かった。それじゃあ、リンちゃん“よろしくね”」

「……分かりました」

 コンソールでの作業に区切りをつけ、市原会計は立ち上がった。

「では、ついてきてください」

 特に比企谷に声をかけることなく、扉を開けてついてくるのを待っていた。ため息を付きながら立ち上がった比企谷は、

「んじゃ、行ってくるわ」

「いってらっしゃ~い」

「せいぜい、こき使われてきなさい」

 市原会計の後に続いて生徒会室を出て行った。

 

 

 

 いつかのように市原会計の後ろについて歩き、生徒会室から少し離れた場所にある空き教室の鍵を開け二人は中に入った。空き教室には数台の机と椅子が置いてあるだけで、片付けに男手がいるような様子はなかった。

「先に聞いておきます、あなたはどこまで知っているのですか?」

 後ろ手に扉を閉めた後、比企谷を見据えながら有無を言わせぬ口調で投げかける。

「主語をちゃんと言ってもらわないと分かりませんよ」

「…………」

 などと比企谷は嘯くが、そんな比企谷に厳しい視線を送り続けていた。そんな市原会計に折れたのか、比企谷が先に口を開いた。

「はぁ、一応言っておきますけど、『エガリテ』だったり『ブランシュ』の事は多少は知っていますよ」

 それは比企谷に協力を仰いだ時、リストバンドの事をわざとらしく口にした事から、うすうす感づいていた。

「あとは、そうですね。非魔法競技系クラブのほとんどと、二科生の幾人かがエガリテのメンバーだと言う事。くらいですかね」

 特に知っている事はないと言わんばかりに、わざとらしく肩をすくめて見せた。しかし、それでも市原会計は比企谷から射抜くような視線を外そうとはしなかった。

「本当に、それだけですか?」

「……ええ、俺が今知っている事はこれくらいですよ」

 明らかにそれ以上の事を知っている雰囲気をにおわしているが、その表情から決して話さないことはよく分かった。

「そうですか、分かりました。しかし、何かあればいつでも言ってください」

 話は終わったと、踵を返して空き教室から出ようとしている市原会計の背中にむかって、

「司甲。以前連絡した剣道部主将司甲から、目を離さない方がいいですよ」

「それは、なぜ」

「さぁ、俺の言葉を信じるかどうかは先輩次第ですよ」

 教室の暗さと相まって、妖しく不敵に笑う姿は市原会計でさえ恐怖を感じた。

「ああ、そうだ。もし、何かあると分かる時は俺にCADの所持を許可してもらえませんか?」

「……それは、私の一存では」

「有事の際、戦力は多い方がいいと思いますけどね」

「……いいでしょう、私がなんとかします」

 それは、これから何かが起こる事を、戦力が必要な事を確信してた。

 

 

 

 新入部員勧誘(争奪?)週間の終了で、入学関係のイベントは一段落。

 比企谷たちのクラスでも、いよいよ魔法実習が本格化した。

 本格的な魔法の専門教育は高校課程からだが、入閣試験に魔法実技が含まれていることからも分かる通り、生徒達は入学時点である程度の基礎的な魔法スキルを身につけている。

 授業もそれを踏まえて行われるから、いくらか基礎から体系的に教え直すといっても、実技が苦手な生徒は入学早々ついて行けなくなってしまうということも起こる。

 一科、二科の区分けは、ある側面から見れば、この格差を考慮して双方に悪影響が出ないようにする合理的なものだった。―――それが、一方の切り捨てであったとしても。

 

 

「960ms(ミリ秒)クリアだな」

 今日の実技は、基礎単一系魔法の魔法式を制限時間内にコンパイルして発動する、という課題を、二人一組になってクリアするのがその内容だ。

 起動式を読み込み、それを元にして、魔法師の無意識領域内に在る魔法演算領域で魔法式を構築して、発動する。

 これが現代魔法のシステム。

 起動式を魔法式に変換するプロセスを、情報工学の用語を流用して「コンパイル」と呼んでいる。コンパイルの確率で正確性・安全性・多様性を実現可能にしたのだが、その代償として念じただけで事象を改変する、「超能力」の持っていた速度を犠牲にした。

 魔法式の構築という余分な工程を介在させる以上、これはもう、どうしようもない事だ。

 しかし、魔法式の構築時間をゼロにすることはできないが、限りなくゼロに近づけることはできる。

 現代魔法が魔法式構築の速度を重視するのは、このような背景による。

 今回の実技は、ペアの一方がクリアできないともう一方も自動的に居残りとなる。

「吉田、開いたぞ」

「……ああ、分かった」

 比企谷とペアになっているのは吉田幹比古、古式魔法の名門である吉田家の直系である。少し前までは神童と呼ばれるほどの腕前だったが、事故により魔法力を失った、らしい。

「875ms、クリアだよ」

 二人とも一発クリアだったので、今日の課題は終わったことになった。

「えっと、比企谷だっけ。僕を呼ぶ時は、幹比古と呼んでくれないか。名字で呼ばれるのは好きじゃない」

「断る。下の名前で呼ぶのは友達みたいだろうが」

 いつものように、いつもと同じく断った。

「どうしても?」

「どうしてもだ」

 吉田はそれ以上、なにも言うことはなかった。

 

「九四〇ms。達也さん、クリアです!」

「やれやれ……三回目でようやくクリアか」

 

 少し離れた場所から、そんな声が聞こえてきた。

 盗み見るように目を向けると、司波達也と柴田のペアもようやくクリアしたのか柴田が喜んでいた。

 見ていた限り司波達也はクリアまで三回ほどかかり、その事からやはり実技は苦手だと再認識した。

 

「実践を想定するなら、達也さん、本当はもっと速く発動できるんでしょう?」

「……何故そう思う?」

「一旦構築しかけていた魔法式を破棄してましたよね? 最初の私技の時、起動式の読み込みと魔法式の構築が並行していて。だから、達也さんって、この程度の魔法なら起動式なしで直接魔法式を構築できるんじゃないかって」

 

 聞き流そうとしていた柴田の言葉で、比企谷はその場で目を見開き硬直してしまった。起動式を使わずに、つまりCADを使わずに魔法を行使する。知っている限り、その技術は秘匿するべき技術である。それを見抜く柴田の目の脅威、柴田の持っている霊子放射光過敏症の力。本当に注意すべきは柴田なのかもしれない、と心に刻んだ。

 だが、司波達也はフラッシュ・キャストが使える事は分かった。それは大きな情報であり、対策を立てる事ができる。

 司波達也が一通りごまかした後、ふと気がついたように柴田に質問していた。

「……一つ聞きたいんだが、比企谷はどう見えた?」

「比企谷くん、ですか? そうですね、見えませんでした」

「見えなかった? それはどういう意味だ?」

「えっと、確かに魔法は発動してたんですが、霊子が見えなかったんです。例えるなら、無色透明なんでしょうか?」

 本人もよくわかっていないようで要領を得ない答えを返す。司波達也はその言葉の意味を考え、いくつかの可能性を思い出したのかこっちもこっちで目を見開いていた。本当に厄介だと、比企谷は舌打ちを打った。

 

 

 

 そして昼休み。

 司波達也は千葉と西条に懇願されて、居残りをしていた。

 比企谷は昼食を取るため実習室を後にする時、横目でその光景を見ていた。昼食がかかっているのだ、かなり必死で二人は懇願していた。

 

 いつも通り二人と待ち合わせしている食堂に向かうと、司波深雪を中心に光井と北山、その三人と一緒に雪ノ下と由比ヶ浜がちょうど食堂に入ってきた。

「ああ、居たわ。比企谷君、こっちよ」

 雪ノ下の方も比企谷に気が付き、声をかけた。比企谷の方は最初から気がついていたが、どうしてもその集団に入りたくはなかった。気がつかないふりをして、その場から逃走したい気持ちでいっぱいなのだが、それをすればさすがに後が怖い。

「雪ノ下、一人で食って来ていいか」

「ダメよ」

「ダメだよ」

 その後、MAXコーヒー以外の味が分からないほど注目され比企谷は昼食を取る事となった。

 

 

 少し早めに昼食を食べおわり、引きずられながら購買に寄っていくつかサンドイッチを購入し、どうも実習室に移動しているようだった。おそらく、司波達也に言われ西条や千葉の昼食用に買っているのだろう。

 

「お兄様、お邪魔してもよろしいですか……?」

 司波達也は声で自分の妹だと、振り返らずとも分かっていた。そんななか、千葉は足音が司波深雪一人分だけじゃない事に気がついて振り返っていた。

「深雪、……と、光井さんに北山さん。あと、雪ノ下さんに結衣、どうしたの?」

「エリカ、気を逸らすな。

 すまん、深雪。次で終わりだから、少し待ってくれ」

「つっ、次!?」

 西条と千葉は司波達也の言葉に顔をひきつらせ、慌ててCADのパネルに向かった。

「もう失敗できないぜ!!」

 

「ようやく終わった~」

 千葉の歓声が、課題終了を告げる鐘の音となった。

 司波深雪を先頭に、入口のあたりに立っていた全員が司波達也達に近づいていった。

「二人とも、お疲れ様。

 お兄様、ご注文はこれでよろしいですか?」

「深雪、ご苦労様」

 司波深雪は購入してきたサンドイッチが入っている袋を渡し、その袋を西条達にかかげて見せた。

「ほらみんな、ここで昼食にしよう。食堂で食べていたら午後の授業に間に合わなくなるかもしれないからな」

「ありがと~。もうお腹がペコペコだったのよ!」

「達也、お前って最高だぜ!」

 現金な友人達に苦笑を浮かべながら、司波達也は近くの椅子に腰を下ろし、柴田にも遠慮しないよう声をかけた。

 和気藹々と、テーブル……は無いから適当に椅子を寄せて、遅い昼食を摂り始める司波達也たち居残り組一同。

 司波深雪たち差し入れ組も、飲み物だけ持って、その輪に加わった。ちなみに、比企谷の飲み物は……言うまでもないか。

「深雪さんたちは、もう済まされたんですか?」

「ええ。お兄様に、先に食べているように言われたから」

 気を遣ったのであろう柴田の問い掛けに司波深雪がそう答えを返すと、

「へぇ、ちょっと意外。深雪なら『お兄様より先に箸をつけることなどできません』とか言うと思ったのに」

 ニコニコ、と言うより、ニヤニヤと笑いながら千葉が茶々を入れた。

「あら、よく分かるわね、エリカ。

 いつもならもちろん、そのとおりなのだけど、今日はお兄様のご命令だったから。

 わたしの勝手な遠慮で、お兄様のお言葉に背くことはできないわ」

「……いつもなら、そうなんだ……」

「ええ」

「……もちろん、なのね……」

「ええ、そうよ?」

 笑顔が引き攣り気味になっている千葉に、司波深雪は真顔で小首を傾げる。

 妙な重量感を増して行く空気を振り払うように、柴田が不自然にトーンの高い声を発した。

「深雪さんたちのクラスでも実習が始まっているんですよね? どんなことをやっているんですか?」

「多分、美月たちと変わらないと思うわ。ノロマな機械をあてがわれて、テスト以外では役に立ちそうもないつまらない練習をさせられているところ。あれくらいの事を、手取り足取り教えられても……」

司波達也と比企谷を除いた全員が、ギョッとした表情を浮かべた。

淑女を絵に描いたような外見にそぐわない、遠慮のない毒舌に。

「ご機嫌斜めだな」

「不機嫌にもなります。あれなら一人で練習している方が為になりますもの」

 笑いながら、からかい気味に掛けられた兄の言葉に、拗ねた顔と声で、それも少し甘えていることが第三者にも分かる態度で司波深雪は答えた。

「でも、見込みのある生徒に手を割くのは当然よね。ウチの剣術道場でも見込みのない奴は放っておくから」

「千葉さんは…当然と思っているの?」

 そこへ、おずおずと口を挿んだのは、北山だった。

「私のことはエリカでいいよ。えっとそれで、一科生には指導教官がついて、二科生にはつかないこと? そうよ」

 一旦間をおいて自分に集中する全員を見渡す。

「例えばウチの道場ではでは入門して最低でも半年は技を教えないの。最初は足運びと素振りを教えるだけ、刀を振るって動作に身体が慣れないとどんな技を教わっても身につくはずないからね、後のやり方は見て覚えるの。教えてくれるのを待っているようじゃ論外なのよ」

「……ごもっともだけど、俺もお前もついさっきまで達也に教えてもらってたんだぜ?」

「あ痛っ!!

 それを言われると辛いなぁ」

 ふと、千葉は何かを思いついたように司波深雪に顔を向けた。

「……そう言えば深雪たちA組にあたしたちと同じCAD使ってるんでしょ?」

「ええ」

「ねぇ、参考までにどのくらいのタイムかやってみてくれない?」

「えっ、わたしが?」

 自分を指差し、目を丸くする司波深雪に、千葉はわざとらしく、大きく、頷いた。

「いいんじゃないか」

 苦笑いを浮かべながら頷く兄を見て、

「お兄様がそう仰るのでしたら……」

 躊躇いながらも、司波深雪は承諾の応えを返した。

 機械の一番近くに居た柴田が、計測器をセットする。

 司波深雪はピアノを弾くときの様に、パネルに指を置いた。

 

 計測、開始。

 余剰想子光が閃き、

「……235ms……」

「えっ……?」

「すげ……」

「さすがね」

 それぞれがそれぞれの反応を示していた。

「何回見てもすごい数値……」

 ため息を漏らすのは、A組の生徒も同じだった。

 ただ、その兄と比企谷だけは驚いていない。

 そして本人は、不満そうに眉を顰めている。

「旧式の教育用ではこんなものだ ろう。仕方がないよ、深雪」

「やはり、お兄様に調整していただいたCADでないと深雪の実力は出せません」

「そう言うな。もう少しまともなソフトに入れ替えてもらえるように、その内、会長か委員長から学校側に掛けあってもらうから」

 その光景をみても、いつものように、当てられることは無かった。

 目の前で見せられた実力と、兄妹の間で交わされた会話。

 この格差を前にすれば、嫉妬と言う感情自体が、バカバカしいものだった。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾捌

 

 

 それから何事もなく、一週間が過ぎた。

 

 その間、いつものように比企谷は雪ノ下と由比ヶ浜に生徒会室へ連行され、限定的ではあるが、雪ノ下と由比ヶ浜の二人に生徒会権限でCADの携帯許可が下りた。

 それは、雪ノ下と由比ヶ浜が自身のCADを生徒会室に持ってきた時の事だ。CADと聞いて中条書記が黙っているはずがなく、比企谷が近くに居るのもかかわらず二人の目の前で目を輝かせていた。

 雪ノ下と由比ヶ浜の二人はそれぞれ机の上にCADを置いた。

 二人とも汎用型と特化型の二種類所持しており、汎用型はSWT製(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)の市販されているCADで、雪ノ下は携帯端末型を所持し由比ヶ浜はブレスレッド型を所持している。もちろん二人は知らないことだが、外見は市販品ではあるが中身は比企谷達が極限までチューンナップしている。

 そして、ここで特筆すべきは二人の特化型であり、中条会計が食いついた特化型の話である。普通の特化型と言えば拳銃型が一般的なのだが、二人の特化型はそこからかけ離れていた。

 二人が所有している特化型はアーマーリング型だった。体力が少ない雪ノ下に合わせ限りなく小型化を目指し、人差し指の動きで使用するタイミングを操作できる特化型CAD。

 ここまでの小型化されたCADは他にはなく、それに加え発売どころか発表されてさえいない、完全に中条書記がよだれを垂らし、尻尾を振るレベルだった。

 中条書記はその二人と一緒に居る比企谷のCADも気になったのか、いつもの態度とは打って変わって話しかけた。比企谷は困惑しながら、SWT製の市販品を使っていると答えた。その時、中条書記の犬耳と尻尾が垂れるのをその場に居た全員が見た、様な気がした。

 

 

 授業が終わった直後、放課後の冒頭。

 これからクラブ活動の生徒はロッカーへ着替えや荷物の入ったバックを取りに、タブレットや紙のノートを持ち込んでいる生徒は机の横に懸かる鞄を手に、そのどちらでもない生徒はそのまま身軽に、各々がそれぞれの帰り支度を始めようとしたまさにその時、

『全校生徒の皆さん!』

 ハウリング寸前の大音声が、スピーカーから飛び出した。

「何だ何だ一体こりゃあ!」

「チョッと落ち着きなさい、ただでさえアンタはあつぐるしいんだから」

「……落ち着いた方が良いのは、エリカちゃんも同じだと思う」

 少なくない生徒が慌てふためく中、

『―――失礼しました。全校生徒の皆さん!』

 スピーカーからもう一度、今度は少し決まり悪げに、同じセリフが流れた。

『僕達は、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です』

「「有志ね……」」

 スピーカーから威勢良く飛び出した男子生徒の声を聞いて、司波達也と比企谷は同じタイミングでシニカルに呟いた。

『僕達は生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』

 その放送を静かに聞いていた司波達也は、内ポケットの携帯端末にメールの着信に気がついた。携帯端末を取り出し内容を確認すると立ちあがった。

「風紀委員長からの呼び出しがかかった」

 そう言い残し、放送に戸惑って誰も教室から出ない中、一人だけ教室を後にした。

 比企谷は司波達也が完全に教室から出ていったのを確認すると、席から立って教室の端に移動して携帯端末を取り出しどこかに連絡を取り出した。

「……ああ、放送室の方は俺が行く。お前らは二人の警戒に回ってくれ」

 携帯端末をしまうと、比企谷も遅れて教室を後にした。

 

 

 

「どういうことなの、これ!」

 比企谷が放送室前についた時にはすでに扉が開かれており鎮圧が完了され、放送室の中に入ると司波達也が剣道部の壬生に詰めよられていた。

 見るかぎり、放送室を占拠していたのは捕まっている四人と壬生を含めて五人。

 自由である壬生の手は、司波達也の胸元に伸びており、その手首を司波達也の手に掴まれていた。

「あたしたちを騙したのね!」

 手を振りほどこうともがく壬生を、司波達也はあっさり解放した。

 そしてなおも言い詰ろうとした壬生の背中に、声が掛けられた。

「司波はお前を騙してなどいない」

 重く、力強い響きに、壬生の身体がビクッと震えた。

「十文字会頭……」

「お前たちの言い分は聞こう。交渉にも応じる。

 だが、お前たちの要求を聞き入れる事と、お前たちの執った手段を認めることは、別の問題だ」

 壬生の態度から攻撃性が消えた。

 全課外活動を束ねる十文字の迫力に、壬生の怒りは呑まれていた。

「それはその通りなんだけど、彼らを放してあげてもらえないかしら」

 しかしその時、この言葉と共に、司波達也と壬生の間に小柄な人影が割り込んできた。

「七草?」

 十文字が訝しげな声を発し、

「だが、真由美」

 渡辺風紀委員長が反論の構えを見せる。

 しかし七草会長は、それを未発段階で遮った。

「言いたいことは理解しているつもりよ、摩利。

 でも、壬生さん一人では、交渉の段取りも打合せできないでしょう。

 当校の生徒である以上、逃げられるということも無いのだし」

「あたしたちは逃げたりしません!」

 七草会長の言葉に、壬生は反射的に噛みついた。

 しかし七草会長は、直接には壬生の言葉に反応しなかった。

「生活主任の先生と話しあってきました。

 鍵の盗用、放送施設の無断使用に対する措置は、生徒会に委ねるそうです」

 遅れてきた事情と、彼らが現在置かれている立場についての、さりげない説明。

「壬生さん。これから貴方たちと生徒会の、交渉に関する打合せをしたいのだけど、ついて来てもらえるかしら」

「……ええ、構いません」

「十文字くん、お先に失礼するわね?」

「承知した」

「ごめんなさい、摩利。何だか、手柄を横取りするみたいで気が引けるのだけど」

「気持ちの上では、そう言う、面も無きにしも非ずだが、実質面では手柄のメリットなどがないからな。

 気にするな」

「そうだったわね。

じゃあ、達也くん、深雪さん、貴方たちは、今日はもう帰ってもらっていいわ」

「……それでは会長、失礼いたします」

 意表を衝かれて生じた短い間。

 そこから先に回復したのは司波深雪の方だった。

 丁寧に一礼する司波深雪に続いて、司波達也も無言で一礼し、その場を後にした。

 比企谷は司波達也が出て行った後、少し間を開けて放送室から出て行き、そこから生徒会室までの通路にある角で市原会計が通るのを待った。そこで待つこと数分も経たず、市原会計が姿を現した。

「……何でしょう」

「いえ、明日からCADの所持を許可してもらおうと思いましてね」

「……分かりました、許可いたします」

「ありがとうございます」

 比企谷はそれだけ聞くと、教室に向かって歩き出した。途中、誰もいないのを確認して立ち止り、携帯端末を取り出した。

「こっちは終わった。そっちに異常はないか」

 比企谷は廊下の窓を背にしながら、周りを気にして話している。携帯端末を操作していない方の手が手持無沙汰なのか、制服の内ポケットの中から手に収まるくらいのスイッチのついた棒状のCADを取り出して手の中で回し始めた。

「……それで、明日からだがCAD所持の許可を取りつけた。それぞれ隠して持ち込んでおいてくれ」

 と、指示を出し携帯端末とCADをしまい、再び教室に向かって歩き出した。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  拾玖

 過去に例のない討論会が明日、開催されると発表された直後から、同盟(「学内の差別撤廃を目指す有志同盟」のことをそう呼ぶようになっていた)の活動が一気に活発化した。

 多数派工作、と言うには洗練されていないが、始業前、休み時間、放課後、賛同者を募る同盟メンバーの姿が校内の到る処に見られるようになった。

 彼らは皆、青と赤で縁取られた白いリストバンドを着けていた。もう隠す気もないのか、それともこのシンボルの意味を知らないのか……比企谷は後者だと確信している。もっとも、知らなければ罪は無い、という考え方に、比企谷は反吐が出る。

 だからと言って、同盟の行動を妨害しようという気にはならない、面倒だから。まぁ、二人に危害を加える場合はその限りではないが。

 しかし、目のおかげで話しかけられる事は無いが、廊下を歩くだけで騒がしくうんざりしながらMAXコーヒーを求めて食堂に向かっていると、目の前から眼鏡をかけ右手に例のリストバンドを巻いた三年生、司甲が歩いてきた。

 互いに横目で確認しあい、特に何のリアクションもなく通り過ぎた。

 通り過ぎた後、少し歩くと司波達也と柴田が話しているところに遭遇した。気配を消して横を通り過ぎる時に会話が聞こえてきたが、どうやら司甲は柴田を勧誘していたようだ。通り過ぎる際、柴田は比企谷に気がついていなかったが司波達也は気がついたようで、比企谷は顎で司甲の背中を示し、そのまま何も言わずその場を後にした。そして、MAXコーヒーを購入して飲んだ。

 

 

 早めの夕食後、比企谷は使い慣れた自転車を走らせ研究所に向かっていた。

 SWT(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)研究所につくと、定期的に変更される解錠操作で研究所内に入った。集合時間前についたがすでに三人がそろっており、どうやら比企谷が最後だったようだ。

「八幡、おつかれ」

 中に入っていち早く戸塚が比企谷に駆け寄ってきた。

「ありがとな、戸塚」

「八幡、全員分の専用CADの調整は終わっているぞ」

 材木座は向かっていたコンソールから椅子を回転させ、比企谷の方へ体を向けた。

「ああ、助かる」

「比企谷、明日は好きにして良いんだよね」

「相手次第だが。ま、武力行使してくるだろうがな」

 川崎は少し微笑み、どこか楽しそうにしていた。比企谷は川崎をしごき過ぎて少々好戦的になっている事に若干反省した。が、戦力的に問題が無いので特に何をする訳ではない。

 

 

 

 そして、公開討論会当日。

 全校生徒の半数が、講堂に集まった。

「意外に集まりましたね」

「予想外、と言った方がいいだろうな」

「当校の生徒にこれ程、暇人が多いとは……学校側にカリキュラムの強化を進言しなければならないのかもしれませんね」

「笑えない冗談は止せ、市原……」

 順に、司波深雪、司波達也、市原会計、渡辺先輩のセリフである。

「そうね、市原先輩の言う通り、カリキュラムを強化すれば一科生と二科生の実力差はなくなるわね」

「ねぇ、ヒッキー。ゆきのんが怖いよ」

「言うな」

 比企谷達は、舞台袖から場内を眺めていた。

 本来なら生徒会手伝いの比企谷達は舞台裏ではなく、講堂の場内に居るべきなのだが市原会計の言葉で生徒会と一緒に舞台裏で待機していた。七草会長は三人に今起こっていること、関わっている組織の詳細を教えた上で二人が選んだ。

 舞台袖に居ない七草会長は少し離れたところに、服部副会長と二人で控えている。

 反対側の袖には、同盟の三年生が四名、風紀委員の監視を受けながら控えていた。

「実力行使の部隊が別に控えているのかな……?」

 独り言のように、渡辺先輩が呟く。

 あくまでも「ように」であって、独り言ではないのは明らかだった。

「同感です」

 まさに司波達也も、同じ事を考えていて、それが分かった上での呟きだった。

 会場をざっと見渡す。

 その中に同盟のメンバーと判明している生徒は、十名前後。

 その中に、放送室占拠メンバーの姿は無い。

「何をするつもりなのかは分からないが……こちらから手出しはできんからな」

 これもまた、言わずもがな。

 先手は常に向こう側にあり、こちらは相手の出方を窺うことしかできない。

「専守防衛といえば聞こえはいいが……」

「渡辺委員長、実力行使を前提に考えないでください。……始まりますよ」

 まだ、何事か反論――と言うか、ぼやきかけた渡辺先輩だったが、市原会計の一言に、視線を舞台へ移した。

 

 

「これより、学内の差別撤廃を目指す有志同盟と生徒会の公開討論会を行います。同盟側と生徒会は、交互に主張を述べてください」

 パネル・ディスカッション方式の討論会が始まった。

 

「非魔法競技系よりも予算が明らかに多い!! 一科生優遇が課外活動にも影響している証です! 不平等予算はすぐに是非すべきです!」

「それは各部活動の実績を反映した部分が大きいからです。非魔法競技系クラブでも優秀な成績の部には、見劣りしない予算が割り当てられております」

 このように、同盟側の質問と要求に対し、七草会長が生徒会を代表して反論するという流れを辿った。

 とは言え、同盟側に何か具体的な要求があったわけではない。予算配分一つとってみても「平等に」と言うだけで、どこそこの部にいくら、あるいは何割増しの予算を加えるべき、といった要求は出せなかった。

 元々彼らは、司波達也に唆されて引っ張り出されたようなものだったのだ。

「二科生はあらゆる面で一科生よりも劣る扱いを受けている! 生徒会はその事実を誤魔化そうとしているだけだ!」

「あらゆる面でと言うご指摘がありましたが、施設の利用などは一科生も二科生も同様となっております」

 討論会は、やがて、七草会長の演説会の趣を呈し始めた。

「一科生(ブルーム)と二科生(ウィード)――――残念ながら多くの生徒がこの言葉を使用しています。……生徒の間に同盟の皆さんが指摘したような差別意識が存在するのは、否定しません。

 しかし、それだけが問題なのではありません。

 二科生の間にも自らを蔑み、諦めと共に受け入れる。そんな悲しむべき風潮が確かに存在します」

 いくつか野次が飛んだが、表立った反論は無かった。

 凛々しい表情と堂々とした態度で熱弁をふるう七草会長に対して、同盟の反論は、既に尽きていた。

「その意識の壁こそが、問題なのです」

 再び、野次が飛んだ。

 だがそれは、賛否双方を含むものだった。同盟の支持者が飛ぶ野次に対して、二科生が固まっている辺りから聞こえてきた「うるさいぞ、同盟」と言う声は、風向きの変化をハッキリと示すものだった。

「学校の制度としの区別はあります。しかし、それ以外での差別はありません。その証拠に、第一科と第二科のカリキュラムは全く同じで講義や実習は同じものが採用されています。

 私は当校の生徒会長として、現状に決して、満足していません。

 ですが二科生を差別するからと言って、今度は一科生を差別する、そんな逆差別をしても解決にはなりません」

 雪ノ下と由比ヶ浜は七草会長から比企谷に視線を向けた。建前とは言え七草会長と同じことを言っていた比企谷を誇らしく思ってなのか、それとも七草会長でも完全になくすことができないことをしようとしている比企谷を心配してなのか、そんな比企谷と共に歩んでいくことを覚悟してなのか。いや、少なくとも二人は覚悟しているだろう。

「一科生も二科生も、一人一人が当校の生徒であり、当校の生徒である期間はその生徒にとって唯一無二の三年間なのですから」

 拍手が湧いた。満場の、と表現するには手を叩いている者が少なかったが、まばらな拍手、でもなかった。手を打ち鳴らしている者に、一科生(ブルーム)と二科生(ウィード)に区別は無かった。

 拍手の潮が引き、場内に静寂が訪れた。一科生も二科生も、拍手していた者もしていなかった者も、壇上の七草会長を食い入るように見詰め、息を潜めて彼女の話しに耳を傾けていた。

 七草会長と同じ壇上で、同盟代表のパネリストが、彼女を口惜しそうに睨みつけていた。

「制度上の差別をなくすこと、逆差別をしないこと、私たちに許されるのはこの二つだけだと思っています。

 ……ですが、実を言うと、生徒会には一科生と二科生を差別する制度が一つ残っています。それは生徒会長以外の役員の使命に関する制限です。現在の制度では、生徒会役員は一科生から指名することになっています。そして、この規則は生徒会長改選時の生徒総会においてのみ改定可能です。

 私はこの規定を、退任時の総会で撤廃する事で、生徒会長としての最後の仕事にするつもりです」

 どよめきが起こった。生徒達は野次を飛ばすことすら忘れ、前や後ろ、右や左の生徒同士で囁きを交わした。七草会長はそのざわめきが自然に収まるのを無言で待っていた。

 比企谷はそろそろ討論会は終わりだろうと端末を取り出し連絡がないことを確認してから、すでに製作してあったメールを送り端末をしまった。

「……私の任期はまだ半分が過ぎたばかりですので、少々気の早い公約になってしまいますが、人の心を力づくで変えることはできないし、してはならない以上、それ以外のことで、できるかぎりの改善策に取り組んでいくつもりです」

 満場の拍手が起こった。

 七草会長が訴えたのは差別意識の克服。

 同盟の行動は、確かに、学内の差別をなくしていく方向へ足を踏み出すきっかけになった。ただしそれは、彼らが望む変革とは正反対のものだった。

 革新派は往々にして、目的の達成だけでは満足しないものだ。

 彼らは自らの思い描いた手段で目的を達成することに拘る。

 この結末は、同盟のメンバーよりもむしろその背後にいる者にとって、満足できるものではなかった。

――そもそも、彼らは、裏で壬生たち煽っていた黒幕は、最初からここで終わるつもりなどなかった。

 

 

 

 突如、轟音が講堂の窓を振わせ、拍手という一体行動の陶酔に身を委ねていた生徒たちの、酔いが醒めた。

 動員されていた風紀委員が一斉に動いた。

 普段、まともに訓練など行っていないとは信じられない、統率の取れた動きで、各々マークしていた同盟のメンバーを拘束する。

 窓が破られ、紡錘形の物体が飛び込んできた。

 床に落ちると同時に白い煙を吐き出し始めた榴弾は、白煙を拡散させずに、逆再生を見ているような動きで煙もろとも窓の外へ消えた。

 司波達也が賞賛を込めた視線を向けると、服部副会長は不機嫌そうに顔を逸らした。

 それを見た七草会長がクスッと笑いを漏らしている。

 渡辺先輩が出入口に向けて、腕を差し伸べていた。

 防毒マスクをかぶった数名の闖入者が、段差に躓いたかの様に一斉に倒れ、そのまま動きを止めた。

 予想されていた奇襲は、爆発物および化学兵器という予想外に過激な手段を伴っていたが、予定通り速やかに鎮圧されつつある。

 この場のパニックは、誘発未遂で収まりそうである。

「では俺は、実技棟の様子を見てきます」

「お兄様、お供します!」

「気をつけろよ!」

 渡辺先輩の声に送り出されて、司波たち兄妹は最初に轟音が聞こえた区画へ向かった。

 その様子をいっさい手を出さず傍観していた比企谷は、端末に三人からの連絡が入っているのを確認し、二人に声をかけた。

「雪ノ下、由比ヶ浜。俺も行ってくるわ」

「私も行くわ」

「わ、私も!」

「いや、お前らはここに残って生徒会の指示に従ってくれ」

「嫌よ、あなたは目を離すと何をするか分からないわ」

「ケガしたヒッキーはもう見たくない」

 絶対に一緒に行くと言わんばかりの視線を比企谷に向け、折れる気はないと語っていた。

「……大丈夫だ、すぐ帰ってくる」

 そう言って二人の頭を撫で出入口に向かって走った。

 比企谷は二人に直接触れることはほぼない。それに加え、頭を撫でることは年に一回あるかないか、ない方が基本である比企谷が、頭を撫でた。

「いいのか?」

 渡辺先輩が二人に聞く。

「……はい、それだけ彼にとっては大切な事だと思いますから」

「ヒッキーが帰ってくるって言ったから」

「そうか」

 少しだけ楽しそうに渡辺先輩は笑った。

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾

 司波達也と司波深雪の二人が実技棟に向けて走り出し、その二人を追うように比企谷は走り出した。司波兄妹は事態の収拾のために走り出したのだが、比企谷は司波達也の監視のために走り出していた。

 もし比企谷一人で動いていたのなら、どれだけ生徒会メンバーを信用していても信頼していないが故に講堂から、いや、二人のそばから離れなかっただろう。しかし、信用も、信頼もしている仲間がそばにいる。

 だから、比企谷はまかせられる。

 

 

 さて、講堂に榴弾が投げ込まれた時まで時間を巻き戻そう。

爆音が聞こえたと同時に、どこから湧いて出てきたのか、実験棟前にはテロリストの集団が押し寄せてきていた。急に現れたテロリスト集団に、生徒たちはその場から逃げまどい、CADこそ持たないがその場にいた数人の三年生を中心に魔法力でテロリストを圧倒し、応戦しはじめていた。

CAD無しで、武器をふるう敵に魔法で相対する技量は、さすがに将来を約束された魔法師の雛鳥たちだった。

そんな中、応戦している三年生の一番後方で端末を取り出しメールを送っている戸塚の姿があった。おそらくすでに文面は書いていたのだろう、送信した後すぐに端末をしまい、制服の裏に隠してあったCADを一つ取り出した。

 戸塚の手に握られているのはごく普通の市販されているCADではなく、刀身のない剣型のCADだった。戸塚はゆっくりと血振りするように剣を振るうと、動きに合わせて柄の中に収納されていた刀身が現れた。

 戸塚専用・武装一体伸縮剣型CAD『トツカノツルギ』

 戸塚はサイオンをCADに送り込み、魔法を起動した。

 起動されたCADの刀身が発光始め、戸塚は剣先をテロリストたちに向け、誰に向けるでもなく呟いた。

「八幡の邪魔はさせない!!」

 そう、凛々しい表情を浮かべて前線に躍り出た。

 

 戸塚の振るう伸縮剣の刀身にテロリストたちの持つスタンバトン触れた瞬間、接触した部分がへし折れていた。二撃目に振るった刀身がテロリストのわき腹に打ちこまれると、バットでボールを打つかのようにテロリストの体は打ちこまれた場所と反対側に向かって吹き飛ばされ、別のテロリスにぶつかり巻き込みながら無力化された。

 次々に襲ってくるテロリストたちに向かって戸塚が剣を振るうと、武器をへし折り、へし曲げ、切断し、テロリスト自身を吹き飛ばし、痺れさせ、押し潰して事態は沈静に向かっていた。

そんな流れるように次の相手に向かって剣を振るう戸塚の姿は、容姿と併せて天女が空の上で羽衣を揺らめかせながら優雅に踊っているようだった。

「ふぅ、全員倒し終わったかな」

 周辺を見渡しながらそう呟く戸塚は、CADにサイオンを送るのを辞めた。

「やっぱり、本命は図書館の方みたいだね。材木座くんなら大丈夫だと思うから、僕は護衛の方に向かわないと」

その後、講堂に向かうため足早にその場から離れた。

 戸塚がその場を離れてから少し経った後、戸塚に見とれていた三年生がようやく我にかえり、倒されているテロリストたちを一人残らず縛り上げるために動き出した。そして、事件が解決した後、数人の三年生(男女含む)を中心に『非公式ファンクラブ戸塚党』を立ち上げたかどうかは、本篇には全く関係ないことであるかもしれない。

 

 戸塚専用魔法『トツカノツルギ』

それは、戸塚専用の武装一体伸縮剣型CADの名前と同じである。比企谷が戸塚のために新しく作りだした魔法であり、『インデックス』に登録されていない、完全に戸塚のための魔法である。

 その名前と十柄家の歴史に紐つけ、刀身に四系統八種の系統魔法と系統外魔法、無系統魔法を発現させ、一太刀で十種の効果を発揮させる魔法。例えると、加重系魔法なら重力を操る剣になり、それこそ振動系魔法なら高周波ブレードを展開させる。

 そして、『トツカノツルギ』には奥の手が隠されているが、秘匿中の秘匿であり戸塚自身さえまだ完全に扱えきれていない。

 

 

 

 同時刻、大量の襲撃者が図書館にも押し寄せていた。

 他の個所よりも襲撃者の人数が多いことから、どうやらここがテロリストたちの目的だと思われる。そんなことは、比企谷達にとっては予想範囲内である。

 事前に比企谷達は図書館を本命と当たりをつけ、三人の中で最も強く、集団戦闘を得意とする材木座をそこに配置した。

「我が名は剣豪将軍、材木座義輝である!」

 制服の上に来ているコートの裏に両腕を伸ばし、コートから出てきた手には両指で二本ずつ刀身のない刀が握られていた。刀の柄を指で挟んだまま顔の前で腕を交差し、勢いよく下に向かって振るうと、隠されていた刀身が現れた。その四本の刀を地面に突き刺し、コートの裏からもう一本取り出すと今度は上に掲げ打ちおろすように振るって刀身を出現させた。持っている刀の切っ先を襲撃者に向け、

「我の友人にして、我が認めた男の邪魔はさせぬぞ!」

 そう、仰々しく大見得を切った。

 

 材木座の手と地面に突き刺さっている五本の武装一体型CAD、それぞれ名前を『童子切安綱』『鬼切国綱』『三日月宗近』『大典太光世』『数珠丸恒次』と銘打っており、この五本を使用するのが材木座専用魔法『天下五剣』である。

 材木座は手に持つ鬼切にサイオンを送り込む、否、鬼切に送り込まれたサイオンは同時に他の四本にも流れこんでいく。

 『世界システム』古くは電磁波を用いた無線送電システムの総称である。

それは魔法技術が確立されるはるか昔に考案されていた技術であり、この世界システムが材木座専用魔法の根幹に存在する。

 世界システムの実験は、電磁波の周波数が低すぎすぐに拡散してしまい電気密度が薄すぎるために失敗したのだという。しかし、それは近距離であれば成功するのではないか、と比企谷達は考えた。

 そして、比企谷達はサイオンで世界システムを再現することに成功した。

 

 五本すべての刀にサイオンが流しこまれ魔法が発動する。

 突き刺していた四本の刀が一本一本地面から抜け、材木座の周辺を浮遊する。飛行魔法ではなく、浮遊魔法。

 魔法の発動を確認した材木座は手に一本の刀と四本の浮遊する刀をひきつれ、襲撃者の集団に向かって走り出した。

 

 

 材木座がどれほど強者であれど、数の暴力にはどうにも一歩届かない。確実に数は減らしているものの、事態が収拾するのはまだ時間がかかりそうである。それに加え、実技棟の方から数人生徒側の応援が走ってきた。

 即座に材木座は後ろに下がり、魔法を解除して一本だけにサイオンを流しこみ魔法を発動させて応戦を続けた。

 サイオンによる世界システムを司波達也に理解させないためだ。

 しばらくすると西条を残し、図書館内に入ってく司波達也達を確認した後、再び『天下五剣』を発動させた。

 

 

 

 司波兄妹が講堂を飛び出し、その後を追うように比企谷も講堂から飛び出してきた。しかし、比企谷はすぐに二人を追うことはせず、講堂入口付近に潜んでいた女子生徒に声をかけた。

「頼むぞ」

「あんたの弟子がしくじるわけないだろ」

「ああ、そうだな。愛してるぜ、川崎」

 そう言って、比企谷は両手にCADをはめながら二人の後を追って行った。

「…………ばか」

 そう、走り去る比企谷の背中に向けて呟く川崎の声は届かず、声が足元に落ちていった。三人が走り去った後、比企谷に開戦を知らせるために見逃したテロリストの後を継いで甘いものに群がる蟻のようにわらわらとテロリストたちが現れた。

「あんたら、八幡の邪魔はさせないよ!」

 

 川崎は両手の手甲型CADを起動した。

 起動した瞬間に川崎の身体がブレ、いつの間にか一人のテロリストの腹部に拳をめり込ませた姿があった。拳を引いて体を横にずらすと、テロリストは重力に逆らわず前のめりで沈みこんだ。

 川崎はそれを確認すると鋭い目で、周りを見渡した。その光景を見たテロリストたちは一瞬ひるむ様子を見せたが、それでもひくことは無く集団で川崎に向かって行った。

 だが、片っぱしから正確に一発ずつ腹部に拳を叩きこみ、周りには動かなくなったテロリストが散乱していた。その動きはまるで襲撃者の動きが分かっているかのように、一手も二手も先んじた動きを見せていた。

 

川崎専用魔法『サキヨミ』知覚系魔法と自己加速魔法を併用した魔法である。知覚系魔法により対象の肉体の動きを観察し、次の動きを予測する魔法。

 

そして、その光景を講堂にいる同盟メンバーを完全に制圧し、現状を確認する為に外に出てきた風紀委員と風紀委員長である渡辺摩利が見ていた。その光景に見とれていた風紀委員たちだったが、一瞬向けた川崎の視線に我に帰り倒れているテロリストの拘束と撃破にそれぞれが向かった。

「……あれは、川崎さん?」

「え、あ、ほんとだ。サキちゃんだ」

「知っているのか?」

 遅れて雪ノ下と由比ヶ浜が入口に立っている渡辺先輩の横に移動し、その光景を目にして少しばかり驚いていた。

「中学が同じだったのですが、そこまで個人的な交流はありませんでした」

「あたしも同じクラスだったんですけど、あまり話した事はなかったです」

「……そうか」

「ゆきのん、知ってた?」

「いいえ、私たち以外が第一高校に進学していたのは知らなかったわ」

「うん、あたしも。ヒッキーは知ってたのかな?」

「どうでしょうね」

 しばらく見ていると実験棟の方から講堂に向かってくる人影が見え、後ろからテロリストたちを強襲していくのが見えた。

「あれは、戸塚くん?」

「まさか、さいちゃんも!」

「かの……彼も知り合いなのか」

 渡辺先輩は外見から女子生徒だと判断したが、制服を見て男子生徒だと認識しなおした。

「はい。ですが、そこまで知っているとは言い難いですが」

「さいちゃんの事だったら絶対ヒッキー知ってたよ」

 二人によってどんどん鎮圧されているテロリストたちを見て、終わったら比企谷に問い詰めようと決心していた。

 そんな中、

「今年の一年は豊作のようだな」

 渡辺先輩は笑顔でそう呟いていた。

 

 途中から風紀委員の援護が入ってきたが、ほぼ川崎と戸塚によって鎮静させられていた。CADの起動を止めた川崎と戸塚に渡辺先輩が声をかけた。

「ありがとう、助かったよ」

「あ、いえ、たまたまでしたから。それで、あの、何が起こっているんですか?」

 川崎は周囲を警戒しているので、戸塚が代わりに答える。

「ふむ、心配しなくても大丈夫だ。すぐに落ち着くだろう」

 さすがに一般生徒に、何が起こっているかを口にすることは憚られたため話を逸らすことにしたようだ。

「あ、そうなんですか。じゃあ安心ですね」

「あ、ああ」

 そんな事より、渡辺先輩はこの目の前の少年が本当に少年なのか、それが一番気になっていた。

 

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾壱

 司波兄妹が講堂を飛び出し、その後を追うように少し遅れて比企谷も講堂から飛び出してきた。しかし、比企谷はすぐに二人を追うことはせず、講堂入口付近に潜んでいた女子生徒に声をかけた。

「頼むぞ」

「あんたの弟子がしくじるわけないだろ」

「ああ、そうだな。愛してるぜ、川崎」

 そう言って、比企谷は隠していた特殊型CADを取り出し、両手にはめながら二人の後を追って行った。両手にはめ終わるとすぐに左手のCADを起動させ、一つの魔法を発動させていた。

 それは比企谷の得意魔法と言うよりは、比企谷唯一の魔法と言っていいだろう。

 

魔法名『消失』

 

仲間である三人と恩人である雪ノ下陽乃しか知らない魔法。いや『八幡』であった時代に遣っていた親も知っている魔法。

分類としては隠形魔法に分類されるが実際のところ、隠形の域を越えている。普通であればどんなに隠形が上手くても、必ずイデアにエイドスが記録されてしまう。それ故に、知覚系魔法に特化した魔法師がいる場合では高確率で発見されてしまうだろう。

しかし、この魔法はイデアにエイドスが記録される事が無い。いや、エイドスの記録が抹消される。イデアからも現実からもその存在を消しさる、だから『消失』魔法と呼んでいる。

ただこの魔法は、便利な魔法ではなく完全な欠陥魔法である。

自身のエイドスが一時的にイデアから抹消されているが故に、他の魔法が使用不可能になり他者からの攻撃に対する抵抗が手段が、無くなってしまう。

それが、三年前の佐渡侵略事件で敵の幹部暗殺を終えた比企谷が撤収する時、誤って一条将輝の『爆裂』の余波を浴び大ケガを負うこととなった原因だ。

だが、本来の『消失』はこんな欠陥魔法ではなかった。本来の魔法名は『不可視偽』といい、限りなく無色透明に近い比企谷八幡のサイオン性質があって初めて使用できる魔法である。『不可視偽』はイデアに記録されるエイドスを無色透明に変化させ、認識しづらくさせる隠形魔法だ。完全に存在を隠蔽できるわけではないが、対抗や反撃がしやすい使い勝手のいい魔法だった。

そう、だったのだ。

ならなぜ『不可視偽』魔法が『消失』魔法に変質したのか、それは比企谷のもう一つの魔法が関係してくる。いや、この表現は違う。正しくは、変質させられた原因が、もう一つの魔法にある。が、合っているだろう。

 

 

 

 司波兄妹につかず離れず後を追って行くと、壁面が焼け、窓にひびが入っている実技棟が見えてきた。どうやらさっき聞こえた轟音は、小型化された炸裂焼夷弾の爆発音だろう。壁面に付着し燃え続けている焼夷剤に、教師が二人がかりで消火に当たっていた。

「何の騒ぎだ、こりゃあ?」

 大立ち回りを演じている男子生徒が、司波達也の姿を見とめて大声で訊ねてきた。

 司波深雪の指が、しなやかに踊る。

 片手で携帯端末形態のCADを操り、一瞬で展開・構成・発動するサイオン情報体。

 西条を取り囲んでいた三人の男が一斉に吹き飛ぶ。電気工事の作業員のような格好をしたその三人は、明らかに生徒でも職員でもなかった。

「テロリストが学内に侵入した」

 司波達也は詳細を一切端折って西条に事態を説明した。

「ぶっそうだな、おい」

 西条はそれだけで納得する。今現在、重要なのは、排除すべき敵が存在するということであり、経緯の詳細など必要ではない事を分かっている。

「レオ、ホウキ! ……っと、援軍が到着してたか」

 その時、反対側、事務室方向から千葉が姿を見せる。司波達也たちの姿を認めて、千葉は走ってきた足を緩めた。

「派手にやったのねぇ。これ、達也くん? それとも深雪?」

 西条にCADを投げ渡しながら、呻き声をあげて這いずる侵入者を同情の欠片もない眼で眺めながら、簡潔に問う、

「深雪だ。俺ではこうも手際よくは行かない」

「わたしよ。この程度の雑魚に、お兄様の手を煩わらせるわけにはいかないわ」

 司波達也と彼の隣に戻って来ていた司波深雪の回答は、全く同時だった。

「それでこいつらは、問答無用で打っ飛ばしてもいいのね?」

「生徒でなければ手加減無用だ」

 居残り補修でもない限り、実技棟は放課後に生徒が用のある場所ではない。ふと、司波達也は何気なく疑問に思い、二人に問いかけた。

「ところで、こんな時間に実技棟で何をしていたんだ? 二人っきりで」

 真面目くさった声色。

 だが、誰よりも司波達也のことを理解している司波深雪には、兄が生真面目な表情の裏に人の悪い含み笑いを隠していると分かった。

 しかし、そんな事が分からない二人は非常に動揺していた。

「二人っきり! あたしが練習に来たらコイツが居座ってたの!」

「誤解だ! 俺は実技の練習をしてただけだ!」

「あー、分かった分かった」

 二人の反応で一度緩んだ空気になったが、司波達也は意識を切り替え話し始めた。

「他に侵入者は?」

「反対側は先生たちが、もうほとんど制圧してたわ」

 司波達也が真面目な声で問うと、千葉も動揺していたのが嘘のように、落ち着いた口調で答えた。

「オレが言うのもなんだが、こいつら、魔法師としては三流だな。

 三対一で魔法を練れないんだからよ」

 西条は何でも無いことのように言うが、そもそも三人を同時に相手取ること自体、容易ではない。

このクラスメイトは、思った以上にやれるようだ。

「エリカ、事務室の方は無事なのかしら?」

「あっちの方が対応は早かったみたい。あたしが到着した時には、先生たちが侵入者を縛り上げていたよ。

 やっぱり、貴重品が多いからかな」

 千葉の言葉に、司波達也は引っかかりを覚えた。

 事務室には多くの貴重品が保管されているから、襲撃の対象となるのは分かる。

 だが、実技棟には型遅れのCADが置かれているだけだ。

 建物が破壊されたところで、授業に影響があるくらいである。

 他に、破壊活動によって学校の運営に支障をきたす場所と言えば、すぐに再調達できない重要な装置や資料や文献が置かれている……

「……実験棟と図書館か!」

 

 

 

「……実験棟と図書館か!」

 どうやら、司波達也もテロリストたちの狙いに気がついたようだ、と比企谷は姿を消したまま、周りからの偶然による襲撃に備えつつ話を盗み聞いていた。

 テロと言っても、これは小さな戦争である。

武器や戦力も重要だが、最も必要であり、最も重要なのは情報である。なら、第一高校で襲撃対象となりうるのは、重要な実験装置や試料がある実験棟か、魔法高校でしか閲覧不可能な文献が保管されている図書館の二択である。

 実験試料や実験装置も価値は高いが、それ以上にこの国の最先端資料が収容され、公開されていない文献が眠っている図書館が対象となるだろう。だからこそ、比企谷は実力的に材木座を図書館に配置した。

 だが、それを素直に親切に話すべきではない、と比企谷は思っている。

 情報を公開し、共有すれば今回のような状況には到らなかっただろう。しかし、比企谷は仲間以外、誰も信用も信頼もしていないし、あの二人に余計な事を話して危険な事に巻き込みたくない。

 だから、比企谷八幡は何も語らない。

 情報漏洩は敵にしろ、味方にしろ、良い結果を招くことは無い。逆もまた然りであるが。

 

 

「では、こちらは陽動? もしかして、討論会へ結びつく抗議行動自体が陽動だったのでしょうか」

司波深雪の疑問に、司波達也は頭を振り否定した。

「いや、あれはあれで本気だったと思う。同盟も利用されていただけじゃないかな」

気の毒な、とは、司波達也は思わなかった。そう言ってしまえば、本気で差別の排除を叫んだ者に対する侮辱になるだろう。

「それより、これからどうするか、だが」

 二手に分かれるか、

 このまま実験棟に向かうか、

 このまま図書館に向かうか。

「彼らの狙いは図書館よ」

 決断は情報の形でもたらされた。

「小野先生?」

 かかとの低い靴に細身のパンツスーツ、ジャケットの下は光沢のあるセーター。

 今日の装いは、先日と打って変わった行動性重視。

 表情は厳しく引き締まり、別人のような雰囲気を醸し出している。

「向こうの主力は、既に館内へ侵入しています。

 壬生さんもそっちにいるわ」

 三人の視線が、司波達也に向けられた。

 司波達也は正面から、小野遥を見据えた。

「後ほど、ご説明をいただいてもよろしいでしょうか」

「却下します、と言いたいところだけど、そうもいかないでしょうね。

 その代わり、一つお願いしても良いかしら?」

「何でしょう」

「カウンセラー、小野遥の立場としてお願いします。

 壬生さんに機会を与えてあげて欲しいの。

 彼女は去年から、剣道選手としての評価と、二科生としての評価のギャップに悩んでいたわ。

 何度か面接もしたのだけど……私の力が足りなかったのでしょうね。

 結局、彼らに付け込まれてしまった。

 だから」

「甘いですね」

 だが司波達也はそれを、容赦なく切り捨てた。

 

 

 それは、比企谷も同じ結論だった。

 おそらく、壬生という先輩はその状況に絶望しているのだろう、地獄に見えているのだろう。そこまでいかなくても、正の感情は抱いていないのはすぐに分かる。

 それで、悩むのはいい。しかし、その程度で、ただ単に認められていないだけで、評価されないだけでテロリストの片棒を担いでいい理由にはならない。

 だから、比企谷八幡は声に出さずに呟く。

『あまえるな』

 

 

「行くぞ、深雪」

「はい」

「おい、達也」

 そして、切り捨てられない友人に、一つだけ、アドバイスをする。

「余計な情けで怪我をするのは、自分だけじゃない」

 それ以上のセリフは、時間が惜しい。

 走り出した彼の背中は、そう語っていた。

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾弐

 図書館前では、拮抗した小競り合いが繰り広げられていた。

 襲撃者は、CAD以外にもナイフや飛び道具を持ち込んでいる。一部に生徒も混じっているようだが、ほとんどが部外者――侵入者だった。

 三年生を中心とする応戦側は、CADこそ持たないが、魔法力で圧倒的に上回っていた。その混戦の中、司波達也は武装一体型のCADを使い応戦している生徒に目を向けていた。

「パンツァァー!」

そんな中、西条は雄叫びを上げ乱戦の中に突っ込んでいった。その咆哮には、西条なりの意味があった。

「音声認識とはまたレアな物を……」

「お兄様、今、展開と構成が同時進行していませんでしたか?」

「ああ、逐次展開だ。十年前に流行った技術だな」

「アイツって、魔法までアナクロだったのね……」

 手甲のように前腕を覆う幅広で分厚いCADで、振り下ろされた棍棒を受け止め、殴り返す。

 プロテクターを兼ねたCADなら、可動部分やセンサーの露出が必要ない音声認識を採用するのは当然だろう。

 とは言うものの……

「あんな使い方して、よく壊れないわね」

「あれは、CAD自体にも硬化魔法が掛けられているんだ」

 硬化魔法とは、物質を構成する『分子』の相対位置を固定する魔法である。つまり分子の位置が動かなければ、物質の形状に変化は起きない。西条のCADは外装が破られない限り、壊れることはないということだ。

「どんだけ乱暴に扱っても壊れないってわけか。

 ホントに、お似合いの魔法ね」

 乱戦の中、西条は何かの鬱憤を晴らすかの如く暴れまわる。

 黒い手袋に包まれた両手は、飛来する石礫や氷塊を粉砕し、金属や炭素樹脂の棍棒をへし折っていく。

 時折火花が上がるのは、スタンバトンが混じっている為だろう。

 かわしきれず突っ込んでくるナイフも、袖の下からだまし討ちで射掛けられるバネ仕掛けのダーツも、白と緑のブレザーを貫くことは無い。

「なるほど、身につけているもの全てを硬化しているのか。

 全身を覆うプレートアーマーを着込んでいるようなものだな」

 起動式の展開と魔法式の構築・発動が並列的に行われる逐次展開の技法により、継続される西条の硬化魔法相手には、素人に毛が生えた程度の駆けだしテロリストではその鎧を貫くことはできないだろう。

 そして、純粋な身体能力で振るわれる西条の拳は、移動術式や加速術式を使っているのと遜色は無い破壊力を生みだしていた。

「レオ、先に行くぞ!」

「おうよ、引き受けた!」

 司波達也は、この場を、西条に任せて先を急いだ。

 

 

「なんつー破壊力だよ……」

 そんな西条の戦闘スタイルを材木座の近くから眺めながら、比企谷は漏らすようにため息をついた。

「ぬ、八幡か」

 本来の消失魔法であれば姿形、音すら認識不可能となるのだが、比企谷は少しの間だけ音の相殺する術式を切っていた。

 材木座に話しかけるために切ったのだが、つい洩れた言葉に材木座が反応し、手を止めず後ろに向かって声をかけてきた。

「ああ、俺だ。悪いなこんな時に」

「ふん、こんな奴ら我の敵ではないわ!」

「おい、もう少し声のボリュームを落とせ。ばれるだろうが」

 周りには見えていないが、比企谷は苦い顔を浮かべて材木座に苦言を呈した。

「そうだったな。それでどうしたのだ?」

「もうすぐ沈静するがろうが、それまでお前が持つかどうかを見に来ただけだ」

 そんな比企谷の言葉に、材木座はフッと口元に笑顔を浮かべた。

「当たり前だろう! 我が名は剣豪将軍、材木座義輝であるぞ! この程度造作もないわ!」

 そんな材木座を見て比企谷は苦笑を浮かべつつ、術式を戻し図書館内に入って行った司波達也たちを追った。

 

 

 

 比企谷は司波達也たちが図書館の中に入ってから少し遅れ、図書館内に入らず入口から中の様子をうかがっていると、不意に見られているような感覚を受けていた。

「使っているな」

 どうも誰かが、いや、十中八九の確率で司波達也が知覚系魔法を使ったのだろう。他人がイデアに干渉している感覚は、比企谷にとって手に取るように分かる。

少しの間その感覚が続き、フッツリと感覚が消えた後少し間が開き、司波達也たちは行動を起こしていた。

おそらく受け付け用に作られていたカウンターの陰から、千葉が飛び出てきた。音もなく、気配もなく、すべるように階段への急迫。

手に持っている柄にCADを仕込んだ伸縮警棒はすでに進展済みで、待ち伏せていたであろう敵は逆に奇襲を受けた。

振り下ろされる警棒は、打ちこまれた瞬間、背後へ翻っている。

一瞬の間に、千葉は二人の敵を打ち倒した。

その音で、階上にいた二人の待ち伏せ要員が千葉に気が付き、一人が階段を駆け下り、もう一人がその背後で起動式を展開していた。

しかしその起動式は、サイオンの閃きと共に砕け散った。状況を把握しきれず呆然と立ち尽くす魔法師の卵は不自然に硬直したかと思うと、バランスを崩して階段を転げ落ちていった。

どうやらいつの間にかカウンターから出ていた司波兄妹が起動式の破壊と、動きを強制停止させ階段から転がしたようだ。

そんな中もう一人の伏兵は階段を駆け下り終わり、脇差のような本身の刀を振るって千葉に斬りかかった。

「ちっ……

 達也くん! ここはあたしに任せて先へ行って!」

「分かった」

 司波達也は力強く床を蹴り、司波深雪は軽やかに床を蹴った。

 司波達也の身体は壁を跳ね、司波深雪の身体は宙を舞った。

 二人は、一気に階上へ降り立ち突き当たりにある特別閲覧室に向かった。

「ひゅ~」

 その姿を目にし、千葉は口真似で口笛を吹き、呆気に取られた同盟の生徒は目を見開いていた。

「さて、俺も行くか」

 入口で一部始終を覗いていた比企谷もようやく図書館内に入り、二人の横をすり抜けて階上へ上がって行った。

 

 

 特別閲覧室では「ブランシュ」のメンバーが端末にハッキングをしかけていた。

 壬生紗耶香は目の前で行われているその作業を、複雑な心境で見つめていた。

 半年以上前に司甲の仲介である人物に引き合わされた。それが司甲の義理の兄、反魔法活動団体『ブランシュ』日本支部リーダー、司一。

 その司一から魔法研究の重要文献を持ち出す手伝いを言われ、壬生紗耶香はここにいる。

本当であれば討論会の方に参加したかった。だが、こちらの方が適役だと司一に説得され、鍵を無断で持ち出し、ハッキングの片棒を担いで……自分のしたかったことが分からなくなってきていた。

こんな事をして本当に差別撤廃につながるのか――と。

「……よし、開いた」

 三人の間で小さくざわめきが走った。

 慌ただしく記録用ソリッドキューブが準備される。

 そんな彼らの顔に、確かに「欲」が過った気がした壬生は、彼らから目を逸らした。

 目を、扉の方へ。

 だから、気がついたのは、彼女が一番早かった。

 

 

 

 比企谷は柱の陰に隠れつつ、目の前の二人の動向を観察していた。

 無駄のない動きで特別閲覧室に急ぐ二人を追うのは、比企谷でも容易ではなかった。消失魔法を使っているとはいえ、慎重に慎重を重ねなければ見破られてしまう可能性がある。ただ幸運だったのは、それほど長い距離ではなかったというところか。

 特別閲覧室の前に着くと扉は硬くしまっており、司波達也はおもむろにホルスターから拳銃形態のCADを取りだし、扉に向け引き金を引いた。するとさっきまで開く気配が微塵もなかった扉は、すんなりと、倒れた。

「……ちっ、マジかよ」

 そう、比企谷は心の奥底から呟いた。

「ドアが!」

 中から女生徒のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。

「バカな!」

 常識外の光景を目の当たりにしている男たちは、意識も動作も凍りついたように動けず、持っていた記録キューブが砕け散った。続けて、ハッキング用の携帯端末が製造工程を高速逆回転させたかの如く分解した。

銀色に輝く拳銃形態の特化型CADを司波達也は右手に構えている。

「司波君……」

 呟いた壬生の隣で、右腕を上げる動きが目に映った。

 降参のサインではなく、実弾銃を向ける。その光景に、壬生は無言の悲鳴を上げた。

 だが、その拳銃から弾丸が飛び出ることは無かった。拳銃を構えていた男は声を出す事ができないほどの激痛に、のたうち回っていた。その右手には拳銃を握ったまま、いや、拳銃がその手に張り付いていた。右手を紫色に腫れ上げながら。

「愚かな真似はおやめなさい。わたしが、お兄様に向けられた害意を見逃すなどとは、思わないことです」

 その口調は静かで、丁寧で……威厳に満ち溢れていた。

「おいおい、兄妹そろって厄介すぎるだろ。敵に回したくねぇぞ、おい」

 比企谷はすでに笑うしかなかった。

「壬生先輩。これが、現実です」

「えっ……?」

「誰しもが等しく優遇される、平等な世界などありえません。才能も適性も無視して平等な世界があるとすれば、それは誰もが等しく冷遇された世界。

本当は分かっているんでしょう?」

 壬生は、焦点の合っていなかった瞳の、焦点を結ぶ。

「壬生先輩、あなたは魔法大学の非公開技術を盗み出す為に利用されたんです」

「どうしてよ!

 なんでこうなるのよっ?」

 そう感じた瞬間、壬生の中で、彼女さえよく分からない感情が、爆発した。

「差別をなくそうとしたのが間違いだったの!

 平等を目指したのが間違いだったというの!

 差別は確かにあるじゃない!

 貴方だって同じでしょう!

 そこにいる優等生の妹といつも比べられていたはずよ!

 そして不当な侮辱を受けてきたはず!

 誰からも馬鹿にされてきたはずよ!」

 それは比企谷八幡がいる場所まで届いてきた。そして、比企谷八幡は呟き、

「だから、あまえるなっての」

 心底どうでもいいかのようにため息を付く。

「わたしはお兄様を蔑んだりはしません」

 静かな声だった。静かな声で、怒りを込められた声だった。

「たとえ、わたし以外の全人類がお兄様を中傷し、誹謗し、蔑んだとしても。わたしはお兄様に変わらない敬愛をささげます。

 私の敬愛は、魔法の力故ではありません。

 魔法の力ならば、わたしはお兄様よりも数段上。しかしそれは、わたしのお兄様への想いになんの影響も持ち得ません。

 そんなものはお兄様の、ほんの一部に過ぎないと知っているからです。

 誰もがお兄様を侮辱した?

 それこそが許し難い侮辱です。

 お兄様を侮辱する無知な者どもは、確かに存在します。ですがそのような有象無象の輩以上に、お兄様の素晴らしさを認めてくれている人たちがいるのです。

 壬生先輩、貴方は可哀想な人です」

「なんですって!」

 声だけは、大きかった。だがそれは反射的に口が動いただけで、その声には力も想いも感情も、空っぽだった。

「貴方には、貴方を認めてくれる人がいなかったのですか?

 魔法だけが、貴方を測る全てだったのですか?

 違うでしょう?

 お兄様は貴方を認めていましたよ。その美しさと、剣士としての強さを。

 結局、誰よりも貴方のことを劣等生と――『雑草』(ウィード)と蔑んでいたのは、貴方自身です」

 壬生は、反論できなかった。

 いや、そもそも反論しようとする考え自体が浮かばなかった。

 人は考えることを放棄した時、自らの意思も放棄する。棄てられた意思の抜け殻に、悪魔の囁きは忍び込む。この場合は、傀儡師の囁きか。

「壬生、アンティナイトの指輪を使え!」

 

 

 

 今の今まで、無様にも、十六歳の少女の背中に隠れていた男が突如叫んだ。

 悲鳴にも似た叫びと共に、床に向かって腕を振り下ろした。

 小さな発火音が聞こえ、部屋に白い煙が充満する。それと同時に、耳障りな不可聴の騒音が響いた。

 それはサイオンのノイズ――キャスト・ジャミングのはどうだった。

 三つの足音が煙の中から聞こえ、司波達也は手を突き出した。

 煙の中の掌底打ち。司波達也の目は閉じられていた。

 鈍い、肉を打つ音が、床を叩く音が聞こえてきた。

「深雪」

 司波達也は司波深雪に合図を出し、司波深雪はその合図の意図を分かっているのか、白い煙を吸い込んで行き、最後にはピンポン球くらいまで圧縮し視界はクリアになっていた。

 視界が回復した部屋には、三人の男が横たわっていた。

「お兄様、壬生先輩を拘束せずとも良かったのですか?」

 司波深雪は不思議そうに訊ねた。

「不十分な視界の中で無理をする必要はない。

それに――ここから出入口への最短ルートを考えてみろ、今の壬生先輩に他のルートを選択している余裕はない。必ず一階ホールに通じる階段下に出るはずだ。

そこにはエリカがいる」

 それよりも、と司波達也は後ろを振り返る。

「いつまで見ているつもりだ、比企谷」

 そう、誰もいないように見える廊下の先へ目線を向け、声をかけた。

「お兄様、どういうことですか?」

 司波深雪は兄から目線を外し、司波達也と同じ方に目を向けるがそこには誰もいなかった。

「俺が気がついていないとでも思ったか」

 そう廊下に先に向かって呼びかけるが、誰も姿を現す様子を見せなかった。

「……」

「……」

 二人はそのまま無言で立ちつくしているが、なにも起こらず時間だけが過ぎていた。

「やはり、食えない奴だ」

 何があっても対処できるように入れていた体の力を抜き、少し息を吐いた。

「誰もいないように見えましたが」

「おそらく、さっきまで比企谷がそこにいただろう。

いや、あいつのことだ、いなければおかしい」

その声、口調には確信がふくまれていた。

「俺の想像だが、あいつはなんらかの隠形魔法を得意としている。そしてこの状況を見逃すはずがないといすれば、俺を偵察する為にいなければおかしい」

「どうしてそんな事をするのでしょう」

「あいつも守るべき者がいると言うだけだ」

 転がしていた三人の男たちを拘束し終えた後、司波達也と司波深雪は一階ホールに向かって歩き始めた。

 

 

「いつまでも見ているつもりだ、比企谷」

 そう、司波達也の声が聞こえてきた。

「ちっ、やはり気がつかれたか」

 比企谷はその場から動かず、より慎重に柱の陰から様子をうかがっていた。

「俺が気がついていないとでも思ったか」

 今すぐにその場を離れるべきか、それとも姿を現すべきか。

無言でこちらに顔を向けている司波達也からどうやって逃げようかと頭の中で算段を比企谷は立てながら、意識が離れる隙を窺いながら司波達也を観察していると、ある事に気がついた。

「……いや、ハッタリか?」

 司波達也はその顔を比企谷の方へ向けてはいるものの、目線や視線は比企谷がいる場所に向いてはいなかった。司波達也は自身の勘や推論でいい当てたにすぎないと、比企谷は判断した。

「普通に逃げるか」

 比企谷はその場からごくごく普通に、しかし、慎重に離れた。どうやら予想通り、姿が見えていた訳ではなかったようだ。

 図書館を出る途中、千葉と壬生が打ち合いをしており、ちょうど勝負が決まるタイミングだった。しかし、比企谷はそんな事に目もくれず脇を通り過ぎ、いち早く図書館の中から出て行った。

 ただ、途中に落ちていたアンティナイトの指輪を回収して。

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾参

 市原会計経由で司甲が拘束されたことを知らされた比企谷は、三人に残党の探索と学園の警護を任した後、講堂に戻ると折檻を保留にしている雪ノ下と由比ヶ浜に引っ張られ、保健室で行われている壬生の事情聴取に参加させられていた。

 保健室での事情聴取には、七草、渡辺、十文字の生徒首脳陣が勢揃いしており、そこには司波兄妹の姿もあった。比企谷は司波達也に一瞥すると、それに気がついたのか司波達也の方も一瞥し返してきた。だが、それ以上何かあるわけでもなく比企谷は壬生が寝かされているベッドから離れた場所に陣取った。

さて、首謀者と目される司甲を拘束し、表だった騒乱を一通り鎮圧したとはいえ、詳しいことはまだほとんど分かっていない。学外からの侵入者は教職員が警察に引き渡すべく手元で拘束しており、生徒会長や部活連会頭や風紀委員長と言えど生徒と言う立場にある以上は手を出せない。司はまだ尋問ができる状態ではなく、故に壬生が今回の事件に関する詳しい事情を聴きだせる唯一の情報源であることから、七草たち三人が揃ってこの場にいるのも不思議ではない。

 話は壬生が彼らの仲間に引き込まれたことから始まった。

 去年、彼女が入学してすぐ司に声をかけられたこと。剣道部にはその時すでに司の同調者が少なからずいたこと。剣道部だけでなく、生徒の自主的な魔法訓練サークルを装って思想教育が行われていたこと。彼らが第一高校の内部に、想像以上の時間をかけて周到に足場を築いていたと言う事実は、七草たちにも驚きをもって迎えられた。

 ただ、司波兄妹と比企谷は予想道理という表情を浮かべていたが。

 その壬生の話に最も衝撃を受けたのは渡辺だっただろう。もっとも七草や十文字とは、衝撃を受けるポイントが違っていた。

「すまん、心当たりがないんだが……」

 目を白黒させている渡辺に、千葉が棘のある眼差しを向けていた。

「壬生、それは本当か?」

 狼狽のにじむ声で渡辺に問われ、壬生が俯いたのは一秒未満。

 顔を上げた壬生は、吹っ切れた表情で頷き、同じく吹っ切れた口調で答えた。

「今にして思えば、あたしは中学時代『剣道小町』なんて言われて、いい気になっていたんだと思います」

 そんな壬生の言葉にピクリと反応を示した比企谷だったが、その反応はごくごく微細なもので、司波達也にも気付かれる物ではなかった。

「だから入学したてすぐの、剣術部の新入生向け演武で渡辺先輩に見事な魔法剣技を見て、一手のご指導をお願いしたとき、すげなくあしらわれてしまったのがすごいショックで……。

 相手にしてもらえなかったのはきっと、あたしが二科生だから、そう思ったらとてもやるせなくなって」

「チョッと……チョッと待て。

 去年の勧誘週間と言うと、あたしが剣術部の跳ね上がりにお灸を据えてやったときのことだな?

 その時のことは覚えている。

 お前に練習相手を申し込まれた事も忘れていない。

 だがあたしは、お前をすげなくあしらったりしていないぞ?」

「傷つけた側に傷の痛みが分からないなんて、よくあることです」

「エリカ、少し黙っていろ」

「なに? 達也くんは渡辺先輩の味方なの?」

「だから少し黙って聞いていろ。非難も論評も、話を聞き終ってからだ」

 ピシャリと叩きつけられた叱責に、不満げな表情を浮かべながらも、千葉が黙りこむ。

 短い沈黙の後、壬生が少し辛そうに反論した。

「先輩は、あたしでは相手にならないから無駄だ、自分に相応しい相手を選べ、と仰って……。

 高校に入ってすぐ、憧れた先輩にそんな風に言われて……」

「待て……いや、待て。

 それは誤解だ、壬生」

「えっ?」

「あたしは確か、あの時こう言ったんだ。

 ――すまないが、あたしの腕では到底、お前の相手は務まらないから、お前に無駄な時間を過ごさせてしまうことになる。それより、お前の腕に見合う相手と稽古してくれ――とな。

 違うか?」

「え、あの……そう、いえば……」

「大体、あたしがお前に向かって『相手にならない』なんて言うはずがない。

 剣の腕はあの頃からお前の方が上だったんだから」

 ポカンとした表情で見詰め返す壬生に、渡辺はさらに言葉を重ねた。

「純粋に剣の道を修めたお前に剣技で敵う道理はない。

そりゃあ、魔法を絡めばあたしの方が上かもしれんが……」

「じゃあ…………あたしの誤解……だったんですか……?」

 居心地の悪い沈黙が保健室に忍び込み、ゆっくりと広がった。

「なんだ、あたし、バカみたい……。

 勝手に、先輩のこと誤解して……自分のこと、貶めて……。

 逆恨みで、一年間も無駄にして……」

 ただ、壬生の嗚咽だけが、沈黙の中に流れた。

「無駄ではないと思います」

 その沈黙を破ったのは、司波達也だった。

「……司波君?」

 顔を上げた壬生の瞳を真っ直ぐにのぞき込んで、司波達也は噛んで含めるような口調で、言葉を続けた。

「エリカから聞きました。『剣道小町』と呼ばれた中学時代とは別人のような剣技、その剣はまぎれもなく先輩が自分の手で高めたもの――。

 恨み、嘆きに負けず、己の剣を高め続けた一年が無駄であったはずがありません」

「司波君……」

 司波達也を見上げる壬生の目は、涙をぼろぼろ流し続けている。

 「お願い、そのまま動かないでね」

 壬生は司波達也の服を握りしめ、胸に顔をうずめた。

「うっ、うう……」

 嗚咽はすぐに号泣に変わった。

 壬生は大声で泣き始め、司波達也は無言でその細い肩を支え、司波深雪はそれを見て目を伏せた。

 

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻した壬生の口から、同盟の背後組織がブランシュであることが語られた。

「さて……ではこれからの問題は――奴らが今、何処にいるのか、と言うことです」

「……達也くん、まさか、彼らと一戦交えるつもりなの?」

「その表現は妥当ではありませんね。一戦交えるのではなく、叩き潰すんですよ」

 おそるおそる訊ねた七草に、司波達也はあっさりと、過激度を上乗せして頷いた。その発言に比企谷も同意なのか、軽く首を縦に振った。

「危険だ! 学生の分を超えている!」

 真っ先に渡辺が反対した。

「私も反対よ。学外の事は警察に任せるべきだわ」

 七草も厳しい表情で首を横に振った。雪ノ下たちも表情を硬くし、無言でその案に反対だと言っていた。

 だが、

「そして壬生先輩を、強盗未遂で家裁送りにするんですか?」

 司波達也の一言に、顔を強張らせて絶句してしまう。

「なるほど、警察の介入は好ましくない。

 だからといって、このまま放置にすることもできない。

 同じような事件を起こさない為にはな。

 だがな、司波」

 炯々たる十文字の眼光が、司波達也に眼を貫いた。

「相手はテロリストだ。下手をすれば命に関わる。

 俺も七草も渡辺も、当校の生徒に、命を懸けろとは言えん」

「当然だと思います」

 しかし、司波達也は、その眼光をものともせず、淀みなく答えた。

「最初から、委員会や部活連の力を借りるつもりは、ありません」

「……一人で行くつもりか」

「本来ならば、そうしたいところなのですが」

「お供します」

 すかさず飛び込んで来た妹の声に、司波達也は苦笑を浮かべた。

「あたしも行くわ」

「俺もだ」

「当然、私もよ」

「ゆきのんが行くならあたしも!」

 千葉、西条、雪ノ下、由比ヶ浜から次々と表明される、参戦の意思。そして、雪ノ下たちは比企谷にあなたもよと顔を向けた。

「司波君、あたしのためだったらやめて。

 あたしは平気よ、罰を受けるだけのことをしたんだから」

 慌てて壬生が止めに入るが、振り返った司波達也の表情は、彼女の誠意に応えるには、相応しからぬものだった。

「壬生先輩の為ではありません」

 冷たく突き放す口調に、壬生がショックを受けた顔で黙り込む。

「自分の生活空間がテロの標的になったんです。俺はもう、当事者ですよ。

 俺は、俺と深雪のい日常を損なおうとするものを、全て駆除します。これは俺にとって、最優先事項です」

 そこにいる全ての人物は司波達也が本音で語っていることが、なんとなく解った。

 氷刃の如き眼差しで、理解させられた。

 怒りでもなく、闘志でもなく、危険なテロリストの排除を確定された未来として語る司波達也の自信――あるいは決意――に、十文字までが言葉を発することができなくなっていた。ただ、例外なのは同じ事を考えていた比企谷だけだった。

「比企谷、お前もついてくるだろ」

「面倒だからパス――と言いたいところだが、今回はお前に貸しがあるからな。乗ってやるよ」

「貸しを作った覚えはないんだがな」

 こんな状況だと言うのに、司波達也は苦笑しながら比企谷に返事を返す。

「まぁ、俺が勝手に返すだけだ。気にすんな」

「そうか、なら気にしないでおこう」

「それでいいんだよ」

 比企谷もこの場にはそぐわない、いつも通りの態度だった。

「しかしお兄様。どうやってブランシュの拠点を突き止めれば良いのでしょうか?」

「そうだな。分からないなら、知っている人に聞けばいい」

 司波達也は出入口の扉を開いた。

 

 

 

「小野先生?」

「遥ちゃん!」

「小野先生でしょ!」

 七草の声に、困惑交じりの曖昧な笑みを浮かべたのは、パンツスーツ姿の小野だった。

「……九重先生秘蔵の弟子から隠れ遂せようなんて、やっぱり、甘かったか……」

 彼女が苦笑い混じりながらも、悪びれの無い声で話しかけた相手は、司波達也だった。

 司波達也は無表情ながらも、微妙に呆れ声で応えた。

「隠れているつもりも無かったでしょうに。

 あんまり嘘をついていると、その内、自分の本心さえも分からなくなりますよ」

「気をつけておくわ」

 司波達也に招き入れられる形で、小野はベッドの脇まで歩み寄った。

「ごめんなさいね、力になれなくて」

 首を横に振る壬生の肩に手を置いて、その瞳を少しの間じっとのぞき込んでから、小野はベッドサイドを離れた。

「小野先生がブランシュの居所を知っているんですか?」

「事ここに至って、知らないふりはありませんよね?」

 小野はチラリと一瞬だけ比企谷に目を向け、すぐに目線を戻した。おそらく司波達也は気がついただろうが、そのことに時間を割く余裕はないのか特に言及はしなかった。「地図を出してもらえないかしら。その方が早いから」

 司波達也は無言で情報端末を取り出した。

 スクリーンを展開し、地図アプリを呼び出す。

小野も端末を取り出し、指向性光通信を作動させた。

送信された座標データに従い、地図が立ち上がり、マーカーが光る。

「……何よ、これ! 目と鼻の先じゃない!」

「……ずいぶんと舐められたものね」

 千葉と雪ノ下が見るからに憤慨しているように、徒歩でもここから一時間はかからない距離だ。

そこは、街外れの丘陵地域に建てられた、バイオ燃料の廃工場だった。

「放置されているところを見ると、劇毒物の持ち込みはないようだな」

「ええ。私たちの調査でも、バイオ兵器は確認されていないわ」

 十文字の呟きに、小野が頷く。

「車の方が良いだろうな」

「魔法では探知されますか?」

「探知されるのは一緒さ。向こうは、俺たちのことを待ち構えているだろうから」

 テロリストは、非公開の魔法技術を強奪しようとした。ならば、司波達也の持つあの技術も、テロリストは狙っているに違いない。司甲が司波達也を襲撃したのも、あの技術の有効性を確認する為のテストだったのだろう。それが司波達也の推理だった。

「正面突破ですね?」

「それが一番、相手の意表をつくことになるだろうな」

 司波達也はともかく、司波深雪までもが当たり前に好戦的な台詞を口にして、二人で攻略方針を決めていく。

 それに十文字が賛同した。

「そうだな。妥当な策だ。車は、俺が用意しよう」

「え、十文字くんも行くの?」

 七草の疑問は、司波達也も共有するものだった。

 十文字は、配下の参戦を否定しながら、自分だけは前線に赴くタイプには見えない。

「十師族に名を連ねる十文字家の者として、これは当然の務めだ。

 それ以上に、俺もまた一高の生徒として、この事態を看過することはできん。

 下級生にばかり任せておくわけにはいかん」

「……じゃあ、」

「七草、お前はダメだ」

「真由美。この状況で、生徒会長が不在になるのは拙い」

「……了解よ」

 二人がかりの説得に、七草は不承不承ながら、頷く。

「でも、それだったら摩利、貴方もダメよ。残党がまだ校内に隠れているかもしれないんだから。風紀委員長に抜けられたら困るわ」

 そして今度は、渡辺が不承不承頷く番だった。

「なら、雪ノ下と由比ヶ浜も残った方が良いな」

 と、いきなり比企谷が口を開いた。ついていく気満々だった二人は眉をひそめ、比企谷に顔を向ける。

「それはなぜかしら? まさか、私たちが足手まといにでもなるといいたいの?」

「そうだよ、ヒッキー!」

「ちげぇよ。こんな状況なんだ、少しでも生徒会の手伝いが必要だろうが。また、襲われた時には多少なりと戦力が必要になってくんだよ」

 もっともらし言い訳である。

「そうね、比企谷君の言う通りかもしれないわ。雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、生徒会を手伝ってもらえないかしら?」

 そう七草がすかさず比企谷の援護射撃に入ったことで、言いかえそうとした二人は反論を言えなくなってしまった。自分はともかくとして七草も、女子生徒が戦場に向かうのは看過できないのだろう。

「……分かりました、生徒会を手伝わせてもらいます」

「う~分かりました」

 二人も不承不承に頷くと、真剣な表情で比企谷に顔を向けた。

「ちゃんと戻ってきなさい」

「ヒッキー、ちゃんと戻ってきてね」

「あ~分かったよ」

 そんな三人のやり取りに、少し場が和やかになり、十文字は司波達也へ目を向けた。

「司波、すぐに行くのか? このままでは夜間戦闘になりかねないが」

「そんなに時間はかけません。日の沈む前に終わらせます」

「そうか」

 司波達也の態度に、何事か感じるものがあったのだろう。

 十文字はそれ以上は何も訊こうとせず、車を回す、と言い残して保健室を出ていった。

「会頭と会長が十師族なのは分かったけどよ……遥ちゃんって、何者なんだ?」

「その話しは後だ。行くぞ」

 あえて誰も口にしていなかった西条の質問は、司波達也によって棚上げされた。

 

 車は、オフロードタイプの大型車だった。

 そしてその助手席には、追加のメンバーが座っていた。

「よう、司波兄」

「桐原先輩」

「あんまり驚かねぇのな」

「……いえ、十分驚いています」

「司波兄、俺も参加させてもらうぜ」

「どうぞ」

 司波達也はそのままオフローダーに乗車し、妹が、友人が、そして比企谷がその後に続いた。

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾肆

 茜色に染め上げられた世界の中、

 夕陽を弾いて疾走する大型オフローダーが、

 閉鎖された工場の門扉を突き破った。

「レオ、ご苦労さん」

「……何の。チョロイぜ」

「疲れてる疲れてる」

 時速数百キロ超で悪路を走行中の大型車全車体を、衝突のタイミングで硬化する等と言うハイレベルな魔法を要求された西条は、集中力の多大な消費にかなりへばっていた。

「司波、お前が考えた作戦だ。お前が指示を出せ」

 十文字に委ねられた権限と責任に、司波達也は尻ごみすることなく頷いた。

「レオ、お前はここで退路の確保。

 エリカはレオのアシストと、逃げ出そうとするやつの始末」

「……捕まえなくていいの?」

「余計なリスクを負う必要はない。安全確実に、始末しろ。

 会頭と桐原先輩と左手を迂回して裏口へ回ってください。

 俺と深雪は、このまま踏みこみます」

 そう言い終わり、言われた五人が首を縦に振るのを確認すると、顔を比企谷の方へ向けた。

「比企谷は……」

「俺は勝手にやらせてもらうぜ。ちょうど、避難通路が一本空いているしな」

「ああ、そうだな。頼む」

「頼まれたくねぇよ。俺は俺が思う事をするだけだ」

 割り振りが決まり、居残りを指示された西条と千葉も不満を漏らさず、抜き身の刀――ただし、刃引き――を手に提げた桐原が駆け出すとそれに十文字が悠然と続く。

 司波兄妹は、そこらへんにある店に入店するかのような足取りで、薄暗い工場の中へ入った。

 残された八幡は、頭を掻きながら面倒くさそうに非常口の扉を蹴り破ると、特に警戒せずに中へ進んだ。

 

 

 比企谷は両手にCADを嵌めつつ避難経路を進んで行くが、通路には敵らしい敵に遭遇することなく工場の奥へ奥へと足を運んだ。いくらか進むとようやく通路の終わりが見え、その先は少し広めのフロアにつながっていた。

 通路から中に入ると、目の前には死が待ち構えていた。

「ったく、面倒だな。ほんと」

 比企谷がフロアに入ると、銃器を手に持って待ち構えていたテロリストたちが、一斉に銃口を向けていた。

拳銃、アサルトライフル、サブマシンガン。構えている銃の種類は様々だが、どれもこれも人の命を奪うと言う点を見ればどれもこれも同じものだ。

 そんなテロリスト集団の後方には、指揮官だろう男が右腕を肘から先を上に向けている姿が見えた。その男と比企谷の目線が会うと、男は上げていた腕を躊躇なく比企谷に向けておろした。

「撃て」

 男の声に感情は無く、それは命を狩ることに慣れている人間の声だった。指揮官である男の命令を耳にしたテロリストたちは、命令に従いそれぞれ引鉄に添えていた指を少し動かすと、躊躇なく比企谷に向けて引鉄を引いた。

 

 

 

 さて、日本語には蜂の巣になる、と言った表現がある。

そこまで銃社会じゃなかった日本で、こんな言葉が生まれていると言うのは、なかなかに風刺が効いているとも皮肉を皮肉っているとも思えてしまう。

 まぁ、初期の初期は火縄銃社会ではあったし、歴史的には日本も銃を持っていた時期もあったのだから、そんな表現が生まれるのも不思議ではないと言えば不思議ではないのだろう。

 蜂の巣、蜂の巣、蜂の巣。

この場合、大量の銃弾を一斉に浴びて穴だらけになった状態の事を指す。

二十ほどの銃口を向けられそこから銃弾が発射されれば。

制限ある無制限の銃弾を一人の身をぶち込まれたのなら、蜂の巣になってもおかしくない。それどころか、部分的には原形を留めていないだろう。

 割れんばかりの大声。ウィズ涙、プロデュースドバイ悲鳴!

 こんなところでお終いだ! 比企谷八幡もこれまでか!

 長い間ご愛読ありがとうございました!

 

 

「まったく、戯言だ。

と、言った方が良いんだろうな、この状況は」

 テロリストたちは手ごたえのない引鉄を何度も引き、あるいは持っている銃を比企谷の目の前で慌てていじり始めた。

「チッ」

 銃を構えていたテロリストたちは何が起こったのか理解できず、銃弾を吐かないただの鉄屑と化した銃器をいまだ後生大事そうに抱えていた。ただ、指揮官だけは何が起きたのか、全ては理解できていないのだろうがそれでも断片は予想がついたのだろう。

「銃は捨てろ、ナイフを使え。 それと、キャスト・ジャミングだ」

 指揮官は自らアンティナイトの指輪にサイオンを流し込み、同じく指輪をつけている数人もアンティナイトにサイオンを注入してキャスト・ジャミングを発動させた。

 フロア内には不可聴の騒音が発生し、銃器を捨てコンバットナイフを取り出したテロリストたちは、比企谷にその鋭い切っ先を突きたてようと白兵戦に持ち込もうと襲いかかった。

 

 

「は?」

 そんな、腑抜けた声がどこからか聞こえてきた。それは誰であろう、指揮官の口からだった。

「これで、一対一か」

 今このフロアにあるのは、使えなくなった元銃器の鉄屑と理解が追いついていない指揮官、アンティナイトの指輪を指につけたまま転がっている数本の腕。

 そして、無表情で拳を握っている比企谷八幡だけだった。

「―――――――――――――――ッ!!!!!!!」

 指揮官は違和感を感じアンティナイトを使っていた腕に目を落とすと、そこにあるはずの腕が足元に転がっている光景だった。違和感どまりの鈍かった痛覚が徐々に正常に戻っていったのか、声にならない叫びを上げた。

「うるせぇよ」

 握った拳を開いた比企谷は、腕を指揮官に向けて再び握り直した。

 すると、指揮官の周りの空間が歪み、内に内に、中に中に収縮し始めた。

「消えとけ」

 収縮し終わった空間跡には、なにも残ってはいなかった。跡形もないのではなく、最初から何も無かったかのように。

 

 

 

「さて、回収しておくか」

 比企谷は落ちている肘から先の腕からアンティナイトを回収した後、腕を一ヶ所に固めて再び拳を握ると、同じようにその場から消え去った。

「銃器はどうするか、消してもいいがもったいねぇんだよなぁ」

 使い物にならないと言えどもそれは武器としての用途であり、銃弾は使用できる。それに消滅した個所は分かっているので、その部分を修理すれば治るものだ。

「なら、ぼくが回収しておこうかい?」

「……忍者だかなんだか知らないですけど、気配を消して俺の後ろに立たないで貰いたいんですけどね」

「気配を消して人の後ろに立つのが忍者なんだよ、八幡君」

 比企谷の背後には、いつものように胡散臭い表情をたずさえた九重八雲の姿があった。

「それで、なにしに来たんですか」

「いやいや、些細とはいえぼくも関わっていたからね」

 つまり、この事件の結末を見に来たようだ。

「はあ、そうですか。でも、俗世には関わらないんじゃなかったんですか?」

「そうだね、達也君だけだったらそうだったよ。でも、きみがこの件に関わると聞いてしまったからね」

 そんな九重の態度に再びため息をつくと、

「じゃあ、お願いしますよ」

 そう九重に言い残し、比企谷は入ってきた避難通路の正面にある別の出入口からそのフロアを出て音が聞こえる方に向かって通路を歩き始めた。

 

 

 比企谷が騒音の発生源とおぼしきフロアの前に到着するのと同時、フロアの中から絶叫が一声響いた。フロアの中に入ると、桐原がリーダーとおぼしき男の右腕を肘から切落としている瞬間だった。

 おそらく桐原が開けたであろう壁の穴から十文字の姿が見え、一瞬眉を顰めるとCADを操作し切り落とされた腕の断面を焼いて止血していた。

 

 

 

 

 



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やはり俺の魔法科高校入学はまちがっている。  貳拾伍 (完)

 事件の後始末は、十文字が引き受けてくれた。

 司波達也たちの行為は、良くて過剰防衛、悪くすれば傷害・および殺人未遂・プラス魔法の無免許使用だが、司直の手が彼らに伸びる事はなかった。

余談だが、比企谷はその範囲に入っていなかった。いや、別に比企谷だけ罪に問われたという意味ではない。

ただ単に、比企谷だけはあの戦場で『何もやっていない』事になっている。つまり、ただただ司波達也たちに付いてきて、気がつくと全てが終わっていたという事だ。

 閑話休題。

十師族の権勢は、司法当局を凌駕する。

 

『十師族』

 

それは、日本で最強の魔法師集団。

 かの集団は、決して政治の表舞台には立たず、表の権力者にはならない。

 むしろ、兵士として、警官として、行政官として、その魔法の力を使い最前線でこの国を支えている。

 その代わり――それ故に――表の権力を放棄した代わりに、政治の裏側で不可侵に等しい権勢を手にした。

 現在、十師族の中で最も有力とされているのが、四葉と七草の両家。

 それに続く三番手が、十文字。

 十文字家の総領が関わる事件に、普通の警察が関与できるはずもないのだ。

 

 

 今回起こった事件の後始末が全て終わり、徐々に日常が戻ってくる中、比企谷の姿はSWT(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)の個人研究所にあった。

今回の事件で偶然にも、幸運にも手に入れることができたアンティナイトを活用する為にここ数日間は帰宅後すぐに研究所に向かい、夜遅くまで、朝早くまで、新たな術式を組んでいた。幾つもの術式を組んでは破棄し、構築し直し、追加のプログラムを書き加える。

 数日かけてようやく完成の目処が立ち、深く椅子に座り疲れ混じりのため息をついていると、後ろから比企谷に近づく影があった。

「ねぇ、八幡。今度は何を作っているの?」

 久しぶりに研究所に顔を出した戸塚が、比企谷の後ろからモニターを覗きこみながら声をかけた。戸塚はモニターに映るプログラムをとりあえず目線で追っているみたいだが、やはり内容が解らず途中から首を傾げ誤魔化すような苦笑を浮かべた。

「ん、ああ、戸塚か。

手に入れたアンティナイトで擬似的な術式解体(グラム・デモリッション)でも作ろうかと、な」

 

『術式解体(グラム・デモリッション)』

 圧縮されたサイオンの塊を直接ぶつけて爆発させ、そこに付け加えられた起動式や魔法式と言ったサイオンを吹き飛ばす、超高等対抗魔法。

 領域干渉や情報強化では防げず、砲撃自体の圧力がキャスト・ジャミングも寄せ付けない。物理的作用は一切無いため、どんな障害物でも防ぐ事ができない。

 強力なサイオン流で迎撃するか、サイオンの壁を幾層にも重ねて防御陣を築く事でようやく無効化することができる。射程が短いこと以外に欠点らしい欠点が存在せず、実用化されている対抗魔法の中では最強と称されている無系統魔法。

 ただし、使用するには大量のサイオンを要求するため使い手は極めて少ない。

 

それを比企谷は、アンティナイトで擬似的ではあるが再現しようとしていた。

考え方としては、キャスト・ジャミングのノイズを術式解体と同じように圧縮し目標物に向かって射出する。射出された圧縮ノイズは目標物に達したところで弾けることによって、大量のサイオンノイズを散布することができる。

この魔法の利点は、術式の使用時に使用者の周りにいる他の魔法師が魔法の使用が可能だと言うこと。

本来の術式解体よりも射程距離が伸びること。

発動過程が術式解体に似ているが故に、ハッタリをかませられること。

ただ、使用時のタイミングが重要になってくるが、それを差し引いてもメリットが大きい。

 

「やっぱりすごいね、八幡は」

新しいプログラムの構想を話す比企谷に向かって、戸塚は優しく笑った。

「戸塚だって凄いだろ。俺ができないことができるんだからよ。

だからこそ、ハード系はほとんど任せてんだからな」

「ううん、そうじゃないよ、そうじゃない」

 そう言って、戸塚は首を横に振る。

 実のところ、比企谷は戸塚が言いたいことが分かっていた。誰かのために、二人のために頑張る比企谷の姿を、戸塚は凄いと言ったことを。

「……ま、なんだ。

 これが完成したら新しいCADの開発を頼むぞ」

「うん、まかせて!」

 困っているような、誤魔化したいような、名状しがたい表情を浮かべて頭を掻く比企谷に向かって、戸塚はひまわりのような笑顔を向けた。

「はちま~ん、銃器の加工が終わった……おお、戸塚氏も来ていたか」

 研究室の奥の部屋の扉がいきなり開き、顔や白衣に黒ずんだ油染みをつけた材木座が姿を現した。材木座は両手で大事そうに持っているサブマシンガンを比企谷に向けて掲げ、嬉しそうな表情を浮かべていた。

「ああ、できたか」

 材木座からそのサブマシンガンを受け取ると重さを確認し、ためしに誰もいない方へ銃口を構えて向けた。ブレることなく自然な動作で構えると、軽く引鉄を引く動作を交えて銃口を色々な方向に動かす。

「……悪くねぇな」

 構えを解いて銃の細部を確かめながら比企谷がそう言葉を漏らすと、その言葉に材木座は自然と得意気な表情になり、

「けぷこんけぷこん!

当たり前であろう、我が手ずから組み上げたのだぞ!」

 いつものように高らかな声を上げた。

そんな得意気な材木座の態度を比企谷は鬱陶しそうな目で見てはいるものの、今回ばかりは特に口を挟むことなく好きにさせた。

「それって、銃だよね?」

 そんな中、モニターに続いて戸塚は持っている銃に目を落とした後、比企谷に目線を向けるとコテンと首を横に傾ける。戸塚のその行為を見て、比企谷は少し微笑むと手に持っている銃を見えやすいように傾けた。

「まぁ、見た目は、な」

「見た目は?」

「ああ、見た目はだ。

 こいつは、魔法弾を吐きだすサブマシンガンってとこか」

 

 通常、特化型である拳銃形態CADは拳銃を模しているが、本来の拳銃と違い実弾を発射する訳ではない。これは少なくともCADであり、魔法を行使する為のデバイスであるためだ。

 そして、通常の銃器と言うのは実弾を発射させるためのデバイスであり、魔法を使用する為の道具ではない。

 この二つは外見としては似ているが、根本的な使用形態が異なる。それが、常識なのである。常識であり、普通であり、当たり前と言う事だ。

 だからこそ、銃器の見た目で魔法を行使する武器が有効になってくる。

 実弾と言う物は真っ直ぐにしか飛んで行かない。兆弾と言う方法を使えば曲げることも可能なのだろうが、基本的には直線移動である。ならば、その銃弾を防ぐ魔法はおのずと固定される。つまり、定石が決まっていると言っていい。

 そこに、隙が生じることを比企谷は理解している。

 例えば、物理的な攻撃手段である銃器の銃口から魔法弾が発射されたとしたらどうなるだろうか。例えば、それが曲がる銃弾ならば、それが空気中の二酸化炭素からドライアイスを生成し無制限に射出されれば、それがサイオンノイズを凝縮した塊だとすればどうなるか。

 見た目と言うのは重要なのだ。

 

「本当は実弾も使えればいいんだが、流石に弾がもったいないからな」

 そう言いながらマガジンを模して造られたカートリッジの着脱を試し、納得のいく出来だったのか、いまだ得意気な材木座に返した。

 

 

 

 時間は留まる事を知らず、水が高い所から低い所へ流れるように刻々と進み五月となった。

 本日は壬生の退院の日。

 比企谷は面識のない壬生の退院祝いに来る気はなかったのだが、雪ノ下と由比ヶ浜に連れられて病院を訪れた。

「壬生先輩良かったね」

 自分の事のように喜ぶ由比ヶ浜は、となりを歩く雪ノ下に笑顔を向けている。

「ええ、そうね。彼女も被害者なのだから、これからは幸せになってほしいわ」

 そんな由比ヶ浜の言葉に、雪ノ下は少し微笑みながら返事を返した。比企谷は目の前にいる二人の会話を聞きながら、帰りたそうな表情を浮かべているもののしっかりと二人のあとをついて行く。

 

 病院に付き中に入ると、入院着から普段着に着替えた壬生の姿があった。退院の準備を終えあとは帰るだけになっている壬生の周りには、桐原と千葉、それと司波深雪の姿があった。

 司波深雪の姿を目に収めた瞬間、比企谷は誰にも気がつかれないようにすぐさま周りに目を配り兄の司波達也を探し始めた。

 雪ノ下と由比ヶ浜はすぐさま壬生の元に向かい、

「壬生先輩、退院おめでとうございます」

「これ、私たちからです」

「わざわざありがとうね」

由比ヶ浜が退院祝いの花束を壬生に渡し、壬生は嬉しそうに二つ目の花束を受け取った。

「あっ、司波君。お父さんと何を話していたの?」

 由比ヶ浜が花束を渡してすぐ、司波達也と壬生の父である壬生勇三が病院の奥から歩いて戻ってきた。壬生勇三はすぐに自分の妻のところへ向かい、司波達也は妹の元に戻ってきた。

その際、壬生勇三の目が新たに増えている雪ノ下たち三人に向けられ、ふと比企谷の目を見て動きを止めた。

「……いや、思い違いか」

 などと、ひとりごちると頭を軽く振りその場を離れた。

「俺が昔お世話になった人が、お父上の親しいご友人だった、と言う話をしていたんですよ」

「へぇ、そうなの」

「ええ、世間は狭いですね」

「達也くんとさーやって、やっぱり深い縁があるのね」

 と、そこへすかさず千葉が絡んでいった。どうやら、さーやとは壬生のことらしい。

 比企谷はその面倒くさそうな空気を嗅ぎつけ、

「悪い、トイレに行ってくるわ」

「そう、分かったわ」

 雪ノ下に声をかけるとその場から離れた。

少し離れて比企谷は後ろを振り向くと、千葉から顔を逸らそうとその場で動いている壬生と、そんな壬生の顔を覗こうとして機敏に動いている千葉の姿が見え、その集団から離れようとしている司波達也がこちらを向くのが見える。

 

 

「比企谷、アンティナイトを持っていったのはお前だな」

「あ? 知らねぇよ」

 二人はトイレには向かわず、手じかな角を曲がると壁に背中を預けて並んで立っていた。無表情で比企谷に目を向ける司波達也と、心底心当たりが無いかのように振舞っている比企谷の腹の探り合いが静かに進行していた。

「壬生先輩が言うには、あの日アンティナイトを図書館の廊下に投げ捨てたといっている。だが、投げ捨てたはずのアンティナイトは見つかっていない」

「なら、誰かが持っていったんだろ。事件が終わった後に」

「いや、それはない」

「なんで言いきれるんだよ」

「投げ捨てた場所は俺も通ったからだ。

アンティナイトがあればすぐに気がつく」

 比企谷八幡と司波達也の目線がぶつかる。数秒間の静寂ののち、どちらからともなく壁から背中を浮かせた。

「安心しろよ、お前から手を出さない限りなにかをするつもりはねぇ。最初に言っただろうが」

「なら、俺ももう一度言っておく。

 俺の妹に危害を加えようとするのなら、お前を排除する」

「おい、よりひどくなってんじゃねぇか」

 疲れたような表情を浮かべ、ため息をつくように言葉を吐いた。

「さて、俺は戻るが、トイレは行かなくていいのか?」

 少し口角を上げて悪戯っぽい表情を浮かべる司波達也に向かって、苦々しそうな表情を比企谷は浮かべた。

「ケッ、分かっている奴に言う言葉なんてねぇよ」

「それはそうだ」

 二人はその場から離れ、並んで壬生たちの元へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、九校戦のメンバーを選ばなきゃいけないわね」



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