波濤の戦士たち (小湊拓也)
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第1話

 無論、フランスでは地獄の6年間を過ごした。

 だがそれ以前の、城戸邸での日々に比べれば。海斗は、そう思う。

 フランスでの地獄の6年間は、城戸沙織の声を聞かずに済む、辰巳徳丸の顔を見ずに済む6年間でもあったのだ。

 聖闘士となって聖衣を入手し、日本へ持ち帰る事。それがグラード財団から下された厳命である。

 6年に及ぶ修行の末、正規の青銅聖闘士たる資格を取得し、聖衣を与えられた。

 そこで海斗は、初めて気付いたのだ。

 地獄のような修行の末に、自力で入手した聖衣。わざわざ日本へ持ち帰って城戸光政に献上しなければならない理由など、一体どこにあるのか。

 6年間、海斗を鍛え上げてくれた師匠は言った。ギリシアへ、聖域へ行けと。

 急遽、聖域の防備を強化する必要が生じたのだという。

 一方、日本のグラード財団は、一刻も早く聖衣を持ち帰れと言ってくる。

 どちらを優先すべきかは、考えるまでもなかった。

 だから海斗は今、ギリシアにいる。

 聖闘士の総本山とも言うべき聖域で、警護の任務を遂行中である。

 一体この聖域を、何から警護しなければならないのか。いかなる者の魔手が、聖域に迫っているのか。それは全く聞かされていない。

 ちらり、と海斗は見上げた。

 ほとんど山と言ってもいい、岩の高台。その上に辛うじて見える、白羊宮の入り口。

 本来ならば、自分のような青銅聖闘士が警護する必要などないはずの場所である。

 白羊宮をはじめ、聖域の中枢をなす十二宮にはそれぞれ1名ずつ、最強の戦力たる黄金聖闘士が配備されている。それが正しい状態なのだ。

 しかし今、白羊宮は無人である。守り手たる牡羊座の黄金聖闘士が、聖域に不在なのだ。

 聞くところによると、他にもいくつか無人の宮があるという。

 12人いなければならない黄金聖闘士に、欠員が生じているという事なのか。

 聖域に攻撃を仕掛けて来た敵が、まず最初に陥落させなければならない白羊宮。

 最初の守りを受け持つ牡羊座の黄金聖闘士が、しかしいない。

 だからこうして海斗のような青銅聖闘士が、白羊宮の入り口近辺を守っている。

「俺たちに、黄金聖闘士の穴を埋めろと……そういう事、なのかな? いやいやいや」

 自分の言葉を、海斗は激しく否定した。

 漁牙が、にやりと笑う。

「願ってもねえ話じゃねえか。俺たち青銅が、十二宮を守るなんてよ」

「お前、冗談でもそういう事言わない方がいいぞ。白銀の人たちにでも聞かれたら」

「なあ海斗。ここだけの話なんだけどよ」

 漁牙が、その大きな体をいくらか屈め、声を潜めた。

「……白銀の連中ってホント、そんなに強えのかな? 例えばトレミーとかジャミアンみてえなのより、カシオス先輩の方が強えんじゃ」

「あー聞こえない。俺は何にも聞こえてないからな」

 海斗は両手で耳を塞いだ。

 それでも、聞こえてきてしまうものがある。

 弦楽器の調べ、であろうか。優雅な音色が、鼓膜で、脳で、直接感じられてしまう。

「海斗も漁牙も……少し、気を抜きすぎじゃないのかな」

「のんびり楽器いじってる奴に、言われたくはねえなあ」

 漁牙が睨みつけた、その視線の先では、勇魚が石段に腰掛けている。手つき優雅に、竪琴を弾きながら。

「知っているだろう? 僕が奏でるのは小宇宙の調べ……敵の力を封じるための、武器なんだ。それはもちろん、オルフェ先生の足元にも及ばない技だけど」

 勇魚が、微笑んだ。

 かつては瞬と同じくらいの弱虫だった彼が、本当に不敵な笑顔を見せるようになってしまった。

「君たちを眠らせる……くらいの事は、出来るよ?」

「……面白え、やってもらおうじゃねえか」

「やめろよ、2人とも」

 海斗は割って入った。

「聖闘士同士の私的な喧嘩は、重罪なんだぞ。まあ戦闘訓練って名目なら、出来ない事もないけど……今やる事じゃあないだろう。俺たちは、十二宮の入り口を守らなきゃいけないんだ」

 自分は何を言っているのだ、と海斗は思った。

 青銅聖闘士が、十二宮の入り口を守る。白羊宮の黄金聖闘士を差し置いてだ。

 羅針盤座の海斗。竜骨座の漁牙。艫座の勇魚。

 3人の青銅聖闘士が今、聖衣をまとった姿で、白羊宮の入り口近辺を警護している。

 牡羊座の黄金聖闘士を、差し置いてだ。

「そう、それだよ海斗。俺たちゃ一体、何から十二宮を守ろうとしてんだ」

 漁牙が訊いてくるが無論、海斗に答えられるわけがない。

「聖域に、どっかのどいつが攻めて来やがるってのか。大昔のハーデス軍とか」

「これは噂だけどね」

 ポロン……と弦をかき鳴らしながら、勇魚が言う。

「……グラード財団の連中が、いよいよ聖域に喧嘩を売ろうとしているらしいよ」

「そんな馬鹿な……」

 一笑に付そうとして、海斗は失敗した。

 全く有り得ない話、ではない。

 聖衣を持ち帰れ、などという命令を発する事自体、全ての聖闘士及び聖衣を管理する聖域への、挑戦とも言えるのだ。

 6年前。グラード財団は、海斗たち100名の孤児を、世界各地の聖闘士修行場に送り出した。

 財団総帥・城戸光政は、あの頃から、聖域に対する何かしらの敵対行動を企てていたのかも知れない。

 聖域と戦うための力として、聖闘士の軍団を育成し、手元に置く。

 そんな野望があったのだとしたら、あまりにも愚かであるとしか言いようがない。

 聖域と戦う事の出来る聖闘士など、いるはずがないからだ。

 聖域に、教皇に、そして黄金聖闘士たちに、拳を向ける。

 そんな聖闘士を育成する事など、いかにグラード財団の力をもってしても不可能だ。

 世界各地の修行場で育成を行っているのは、聖域から派遣された聖闘士たちなのだから。

「グラード財団の連中が攻めて来やがんのか。だったら大歓迎だな」

 漁牙が、左掌に右拳を打ち込みながら笑う。

「辰巳のクソ野郎は、俺がぶち殺す。止めんなよ?」

「よく考えなよ漁牙。本当にグラード財団が攻めて来るとしても、辰巳や沙織お嬢様が直々に来るわけないじゃないか。基本的に、威張るだけで何にも出来ない人たちなんだから」

 勇魚が嘲笑う。漁牙を嘲笑ったのか、辰巳や城戸沙織を嘲笑ったのか。

「攻めて来るとしたら……僕たちと同じ、100人のうちの誰かしらだろうね」

「俺たち以外にも聖闘士になった奴らが、そりゃ何人かはいるだろうけど」

 言いつつ、海斗は思う。

 100人いたのだ。10人や20人くらいは聖闘士に成れただろう。何しろ、自分でも成れたのだから。

「けど、そいつら全員……馬鹿正直に聖衣を日本に持ち帰って、グラード財団の兵隊になっちまうのかな。それで聖域に喧嘩を売ってくる? ちょっと考えらんないなあ」

「例えば星矢あたりなら、やりかねないと思うよ」

 勇魚が、懐かしい名前を口にした。

「勇魚は……そう言えば、ここで星矢と一緒に修行してたんだよな」

 100人の孤児が、世界中の聖闘士修行地に送り込まれた。

 だが1人1人、違う場所に送られたわけではない。聖闘士の修行地は、100カ所も存在しないのだ。

 実際、海斗の修行したフランスにも、他に2人が送られた。

 1人は死に、1人は失踪した。あの師匠に認められ、聖衣を与えられたのは、海斗1人だけだ。

 ギリシア枠も、確か4つか5つほどあったはずだ。

 聖闘士に成れたのはしかし、星矢と勇魚の2人だけだ。

「一緒に修行してたわけじゃあないよ、師匠が違うから。僕は幸運にもオルフェ先生の教えを受ける事が出来たけど……星矢を鍛えていたのは、あの魔鈴さんだからね」

「い〜ぃ女だよなあ魔鈴さん。いや、そりゃ顔は見えねえけどさ」

 漁牙が、鼻の下を伸ばした。

「あああ、素顔見せてくんねえかなぁあ。めちゃくちゃキツめの美人に違えねーぜえ」

「お前だから本当にやめとけ、冗談でもそういう事言うの。殺されるから、マジで」

「星矢も殺されかけてたよ、毎日」

 勇魚が、懐かしんでいる。

「彼はでも見事、生き抜いてペガサスの聖衣を手に入れた。それで、すぐ日本に帰っちゃったけどね……お姉さんに、会うために」

 懐かしみながら、勇魚が竪琴を爪弾く。

 琴の音が、いくらか重苦しく響いた。怒りの音色だ、と海斗は思った。

「お姉さんを人質に、星矢を聖域と戦わせる……グラード財団なら、そのくらいの事は平気でやるだろうね」

「辰巳だけじゃねえ、本当クソ野郎ばっかだったからなあ。あの財団は」

 鼻の下を伸ばしていた漁牙が、表情を険しく一変させた。

「……城戸光政の野郎、もう何年も前に老衰で死んじまってたんだってな。俺が、ぶっ殺したかったぜ」

「沙織お嬢様が、後を継いだらしいな」

 フランスで修行している最中でも、そんな情報は何となく耳に入ってきたものだ。

 城戸沙織。幼い暴君であった彼女の振る舞いが、海斗の脳裏にまざまざと蘇ってくる。忘れたくても、忘れられない。

「俺たちと同い年、だったよな。だから今は13歳か……さぞかし高慢ちきなお嬢様に、育っちゃってるんだろうな」

「俺たち、オモチャにされてたもんなあ……」

 漁牙が、空を見上げた。

「……誰だっけ? あん時、馬にされてたの」

「馬? ああ……星矢じゃなかったかな」

「それはない。星矢は誰よりも、辰巳や沙織お嬢様に逆らってたじゃないか」

 勇魚が言った。

「多分、那智とか蛮とか、その辺りの誰かだったと思うよ。僕も、よく覚えてないんだけど」

「ま、思い出したい事でもないしな」

 城戸邸で過ごした日々を、忘れられる。グラード財団から、解放される。

 海斗にとって、フランスでの6年にも及ぶ修行の日々は、今思えば、そのためだけにあったのだ。

 今、海斗は晴れて青銅聖闘士となり、羅針盤座の聖衣を取得し装着している。

 女神に忠誠を誓う、聖域の戦士となったのだ。

 忠誠を誓う対象は女神であり、その代行者たる教皇であり、聖域そのものである。グラード財団や城戸沙織などでは、断じてない。

 聖衣を日本に持って来いなどと、偉そうに命令される筋合いはないのだ。

「おい、交代の時間だ」

 声がした。

 人影が2つ、石段を登って来たところである。大きな人影と、細く小柄な人影。

「あ……カシオス先輩、ご苦労様っす」

 漁牙が頭を下げる。海斗も、それに倣った。

 ああ、とカシオスがいつも通り、いささか不機嫌そうに応える。

 このカシオスという大男、聖闘士ではない。青銅の資格すら持たぬ、雑兵の身分である。

 だが漁牙も海斗も、正規の聖闘士であるにもかかわらず、雑兵であるこの巨漢に逆らえない。敬意を失う事が出来ない。

 戦闘訓練において、海斗も漁牙も、カシオスに勝った事が1度もないからだ。

 聖衣を装着した状態で臨んでも、カシオスの生身の巨体にいつも圧倒される。容赦なく、叩きのめされる。

 これほどの男が、青銅聖闘士にすら成れない。

 それが聖闘士の本場、ギリシア聖域という場所なのだ。

 お前たちはまだ実戦をした事がないからな、というのは時折、特別師範として訓練場に姿を見せるアイオリアの言葉である。

 このカシオスという男、なまじな黄金聖闘士よりも、敗北の痛みと屈辱を知り尽くしている。聖衣なしの戦いならば、このアイオリアとて不覚を取るかも知れんぞ。

 黄金聖闘士・獅子座のアイオリアはそう言うが、さすがにそれは謙遜のし過ぎというものだろう。

 それでも、このカシオスという巨体の雑兵が、海斗や漁牙のような新米青銅聖闘士を遥かに上回る実力の持ち主であるのは間違いない。

「ちゃんと仕事してた? また、くだらない馬鹿話ばっかしてたんじゃないでしょうね」

 カシオスと一緒に歩いて来た1人の少女が、そんな言葉を投げてくる。

 小柄な細身に、水着のような青銅聖衣をまとった、仮面の少女。

「聖域に敵が攻めてきたら、真っ先に戦うのは、あんたたちやあたしなんだからね。びしっとしなさいよ、もう」

「敵が来たら……ま、ナギを頼りにさせてもらうよ」

 青銅聖闘士・帆座のナギ。

 海斗たち3人より1つ年上の14歳。城戸光政やグラード財団とは無関係の少女である。

「どういう敵が攻めて来るのかな、って話をしてたとこでね。ま、どんな奴が来てもナギやカシオス先輩がいれば大丈夫だよなって話もしてた」

「ねえ海斗。あんたまさか、あたしの背中に隠れて何にもしないつもりじゃないでしょうね」

 ナギが、仮面越しに睨みつけてくる。

「言っとくけど。実戦になったら、足手まといな奴なんて守ってあげないからね。むしろ漁牙、あんたみたいに図体のでかいのが、あたしたちの楯にならなきゃいけないのよ」

「ここは俺に任せて、先に行けとか早く逃げろって役? たまんねえなあ」

 漁牙が、頭を掻いた。

 今ここにいる青銅の少年3名のうち、ナギとどうにか互角に戦えるのは勇魚だけであろう。

 漁牙も海斗も、戦闘訓練ではカシオスに叩きのめされ、ナギには遊ばれている。

「ま、この竜骨座の聖衣は確かに頑丈だけどよ。中身の俺は、実はそんなに頑丈ってわけじゃねえんだぜえ」

「そんな事はない。お前の打たれ強さは、俺が保証する」

 カシオスが、じろりと漁牙を観察しながら言う。

「俺はな、相手がお前だから、本気でぶちのめす事が出来るんだぜ」

「勘弁して下さいよカシオス先輩、何かいっつも俺ばっか狙ってるじゃないですか。たまには海斗や勇魚に、その剛拳を食らわせてやっちゃあどうなんです」

「勇魚の野郎はな、俺の拳をまともに食らったように見せかけて、どっかでダメージを逃がしてやがる。そして海斗。お前は自分じゃ気付いてねえようだが、場所取りが上手い。気がつくと俺の死角に立っていやがる。そこからどう攻撃するかが、まあ課題だな」

 言いつつカシオスが、漁牙の大きな肩を容赦なく叩いた。

「俺が一番、気持ちよくぶん殴れるのは、だからお前なんだよ漁牙」

「マジっすか〜」

「ま、せいぜい壁になる練習を怠らない事ね。あんたが雑魚敵にボコられてる間、あたしが優雅に華麗に、敵の親玉を片付けてあげるから」

 ナギが、ころころと笑う。

 勇魚が、竪琴を軽く爪弾いた。

「気になっていたんですけど……カシオス先輩は、もう聖闘士選抜試験を受けないんですか?」

「ち、ちょっと勇魚……」

 ナギが、仮面の下でいくらか顔色を変えたようだ。

 構わず、勇魚は問う。

「僕たちよりも、ずっと強いカシオス先輩が……青銅ですらないなんて、やっぱり違和感がありますよ。持ち主の決まっていない聖衣、まだいくつかあるんでしょう?」

「勇魚お前、あの試合を見てたんなら、わかるだろう」

 カシオスの巨体から、炎のようなものが立ちのぼった、ように見えた。

 小宇宙だ、と海斗は思った。

「俺はな……あの野郎をぶちのめすまで、聖衣なんざぁ恥ずかしくって着れねえんだよ」

「そんな事言われたら……カシオス先輩より弱いのに聖衣着てる、俺たちの立場がなくなりますが」

 海斗が言うと、カシオスは牙を剥くように笑った。

「お前らはお前らだ。俺がただ、つまんねえこだわりを捨てられねえってだけの話よ」

「こだわり、ですか……」

 勇魚が俯いた。

 星矢がカシオスを破り、ペガサスの聖衣を入手した。

 その試合を目の当たりにした数日後に、勇魚も聖闘士として認められ、艫座の聖衣を与えられた。

 それを勇魚はしかし、師匠と共に喜ぶ事は出来なかった。

 勇魚の師匠である白銀聖闘士、琴座のオルフェは、数年前に姿を消している。修行途中の勇魚を、聖域に残してだ。

 その後は、何人かの聖闘士が、入れ替わり立ち替わりで勇魚を指導したようである。

「一番熱心に僕の面倒を見てくれたのは、アイオリア先生だった」

 竪琴を片手に、勇魚は空を見上げた。

「黄金聖闘士の指導を受ける事が出来たのは、もちろん身に余る光栄……だけど僕は、この艫座の聖衣をまとった姿を、オルフェ先生に見ていただきたかった。それが僕の、つまらないこだわりです」

 羅針盤座の聖衣。何ともまあ、聞きしに勝る地味さ加減だ。美しさにおいて、この私の足元にも及ばんな。

 海斗の師匠は、与えられた聖衣を初めて身にまとった弟子の晴れ姿を見て、そんな事しか言わなかったものだ。

「勇魚……わかってるだろうが、仮にオルフェが生きて聖域に戻って来たとしても、感動の再会では終わらんぞ」

 カシオスが、口調重く言った。

「事情は関係なく、あの男は聖域からの脱走者だ。いくら高位の白銀聖闘士でも、処罰は免れん」

「……そうでしょうね」

 勇魚が、感情を押し殺す。

 琴座のオルフェに関しては、海斗も噂くらいは聞いている。白銀聖闘士でありながら、その実力は黄金聖闘士以上、と言われている人物だ。

 美しさにおいて、この私に迫り得る聖闘士。あえて名を挙げるとすれば、まずは魚座のアフロディーテ様、次いで琴座のオルフェであろうな。だが無論、私の方が美しい。

 それも、海斗の師匠の言葉である。

 横暴な師匠ではなかったが、とにかく一緒にいると疲れる男だった。

「……とにかく、交代の時間だから。ゆっくり休みなさいよ勇魚、海斗に漁牙も」

 ナギが言った。こういう優しい声も出せる少女なのだ。

「白羊宮の入り口は、あたしとカシオスさんで、きっちり守るから」

「そう言えばカシオス先輩。白羊宮の黄金聖闘士様は一体どこに」

「訊くな」

 漁牙の質問を、カシオスは叩き斬った。

「訊いてはいかん事というものがある……お前らも、そのうちわかる。生きていればな」



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第2話

 城戸光政がギリシアから、1人の赤ん坊を拾って来た。

 その赤ん坊を、自分の孫として育て始めた。

 父もいよいよ耄碌したかと、城戸義政は密かに喜んだものだ。

 その赤ん坊が今、生意気な小娘に成長し、グラード財団を私物化しようとしている。

 財団の主だった者たちが、あの小娘にことごとく籠絡されてしまったのだ。

 城戸家の血を引いているわけではない、単なる捨て子に過ぎないはずの小娘にだ。

「こんな馬鹿な話があるかあああっ!」

 1人、豪奢な自室に籠もったまま、城戸義政は酒を呷り、空になったグラスを床に叩きつけた。

「ギャラクシアン……ウォーズ、だと? そんなわけのわからん催し物のために、私の手がけた事業を台無しにしおって……!」

 酒は、かなり入っている。だが素面になったとしても、この怒りが醒める事はない。

「息子だぞ……私は、城戸光政の……その私の事業を、あの小娘の一存で……!」

 家系図を書けば、あの小娘は光政の孫、つまり義政の娘という事になる。

 当然、血は繋がっていない。父と娘の会話など、した事はない。

 光政と義政との間にも、実の親子らしい交流などなかった。

 思い返してみても、あの父は、実の息子である自分を疎んじていたとしか思えない。

「お互い様だ、父上……私とて、貴方にはついて行けなかった」

 特に晩年の城戸光政は、冗談抜きで、おかしくなっていたとしか思えない。

 あの老人が、自身の年齢を考えず遊び回っていた事は、義政も知っている。

 遊び回った結果、100人もの子供が生まれてしまった。

 その子供たちを、光政はこの屋敷に集めたのである。全員、義政にとっては腹違いの弟だ。

 その弟たちとは当然、交流などなかった。

 光政としては、父親の責任というものに目覚めたつもりであったのか。あるいは義政を不肖の息子と見限り、新たに後継者を育てるつもりであったのか。

 結局、面倒を見切れずに100人ことごとくを再び城戸邸から放逐する事になった。

 6年前の事である。

 その6年の間に城戸光政は故人となり、あの小娘がグラード財団の全てを受け継いだ。

 城戸家の血など1滴も流れていない、捨て子の小娘が、光政の嫡子たる城戸義政を差し置いてだ。

 そして今。放逐された100人のうち、10人が帰って来るという。世界各地で、おかしな格闘技を身に付けて来たらしい。

 10人の少年に、おかしな格闘技の試合をさせ、それを見世物にする。巨費を投じて会場を造り、グラードコロッセオなどと名付け、客を集めようとしている。

 光政同様、あの小娘も、正気を失っているとしか思えなかった。

 許せないのは、グラード財団の幹部重役ことごとくが、正気を失った小娘に唯々諾々と従っている事である。誰1人、異を唱えようとしない。

 あの小娘には確かに、何やら得体の知れぬカリスマ性のようなものがあった。それは義政も認めざるを得ない。

 義理のとは言え父である自分が、あの小娘の前に立つと、何も言えなくなってしまう。そんな事が、幾度もあった。

 それを良い事に、あの小娘は、さらなる横暴に踏み切った。

 グラードコロッセオ建造の費用を捻出するため、それまで財団が手がけていた事業の1つを打ち切ったのである。

 義政が中心となって進めていた事業であった。

「どこまで……どこまで、この私を蔑ろに……! グラード財団、真の総帥たる私を……!」

「グラード財団を、正当なる総帥の手に」

 声がした。冷たいほどに涼やかな、女の声。

「……いいでしょう。力を貸して、差し上げますわ」

「な……」

 義政は息を呑んだ。

 扉を開ける音など、聞こえなかった。足音もだ。

 なのに、その少女は、そこに立っていた。

 ゆったりとした黒衣と、長い黒髪。その暗黒の中で真っ白く浮かび上がる美貌。

 どこか、あの小娘に似ている。義政はまず、そう思った。

「何だ……貴様は……」

「私の正体など、ご存じないままの方が貴方のため」

 黒衣の少女が、微笑んだ。

「そんな事よりも……理不尽に打ち切られてしまった、貴方の事業。再開するお手伝いを、して差し上げましょう」

「……資金でも、出してくれると言うのか」

「お金では駄目。貴方がたの技術では、いくらお金をかけたところで……あの鎧に、あれ以上の性能を持たせる事など出来ませんわ」

「鎧……だと……」

 酒気を帯びていた義政の顔が、青ざめてゆく。

「お前は……あの事業の内容を、知っていると言うのか……」

「鎧のように装着する事で、人力を数百倍に強化する……拳や蹴りで、爆撃と同規模の破壊をもたらすための兵器。銃弾やミサイルをも跳ね返す、機械の甲冑」

 少女が言った。

 どこから情報が漏れたのか。義政は、それだけを懸命に考えた。

「グラード財団の、死の商人としての新たなる一歩に、ふさわしい兵器事業ですわね」

「そうだ、兵器だ……だが兵器の何が悪い!」

 義政は叫んでいた。

「兵士自らが装着し、排除すべきものと守るべきものを細かに選定する事が出来るのだぞ! 空爆などに一般市民を巻き込んでしまう事もなくなるのだぞ! 核やBC兵器よりもずっと良心的ではないか! なのに、あの小娘……良心的な兵器など存在しない、などと綺麗事を!」

「身にまとうだけで、単なる兵士が超人へと変わる。まさしく……鋼鉄の聖衣、とも言うべきもの」

 聖衣。その単語に、義政は聞き覚えがあった。

 父・光政が、赤ん坊と一緒にギリシアから持ち帰った、わけのわからぬアンティーク。あれが確か、聖衣などと呼ばれてはいなかったか。

「おやりなさい。最強の鎧をまとう軍団を支配下に置き、グラード財団をその手に取り戻すのです」

 少女の言葉が、義政の耳から脳に、心地良く染み入ってゆく。

「私たちが、力を貸して差し上げます。そうすれば……栄光ある冥闘士を作り上げる事は不可能でも、聖闘士程度であれば、貴方がたの技術でも量産する事が出来るでしょう」

 少女の冷たい眼光が、義政をじっと捕捉する。

「作り上げるのです……鋼鉄の、聖闘士を」

 

 

 場所取りが上手い、などとカシオスは言ってくれた。

 自分に言わせれば、単に逃げ回るのがいささか巧みなだけである。

 カシオスの巨大な拳が、暴風の如く頭上を通過して行くのを感じながら、海斗はそう思った。

 その拳が、漁牙を直撃していた。

 竜骨座の聖衣をまとった大柄な身体が、吹っ飛んで倒れる。

 直撃の瞬間、しかし漁牙が左右の腕を交差させ、とっさに防御の構えを取ったのを、海斗は見逃さなかった。

 漁牙は漁牙で、少なくとも防御の技術は少しずつ上達させている。それでも吹っ飛んで倒れてしまったわけだが。

 ともあれ海斗は今、カシオスの懐に飛び込んだ格好となった。この巨漢の容赦ない攻撃から逃げ回っているうちに、こうなってしまったのだ。

 それならば、一撃を叩き込むべきであった。

 そう思って拳を構えた、その瞬間。傍に、軽やかな気配がふんわりと降り立った。

 直後、衝撃。

 海斗も吹っ飛び、漁牙のすぐ近くに落下した。

「はい残念……2対2の組手だって事、忘れちゃってた?」

 ナギが、右足を優雅に着地させる。

 倒れたまま、海斗は呻いた。

「ナギの蹴りは……人を、殺せるなあ」

 羅針盤座の聖衣を身に着けていなかったら、死にはしないまでも、内臓破裂は免れなかったところだ。

「今更、何言ってんのよ。聖闘士なんだから。あんたの拳だって、普通の人間に当たったら大ごとよ? もっともカシオスさんには通用しないだろうけど」

 そんな事を言っているナギに向かって、カシオスがいきなり拳を振り下ろした。

 隕石のような拳が、しかし空を切った。

 全く体重を感じさせない動きで、ナギは跳躍していた。

 帆座の聖衣をまとう少女の細身が、空中で軽やかに翻る。スリムな左脚が、高速でしなって弧を描き、カシオスを襲う。

 その蹴りが、カシオスの巨大な掌で弾かれた。

 弾き飛ばされた少女の肢体が、しかし海斗の眼前で、しなやかに着地する。

 カシオスが、舌打ちをした。

「まったく……星矢の野郎みてえに動きやがる」

「あたし、その星矢って人、知らないんだけど」

 ナギが、仮面の頰に指を当てた。

「……聖衣なしでカシオスさんに勝ったって、凄くない?」

「逸材だった。それに、魔鈴の指導も優れていた」

 応えながら歩み寄って来たのは、アイオリアだ。

 当然、今は黄金聖衣など着ていない。雑兵同然の格好だが、カシオスの巨体を人並みに圧縮したかのような筋骨たくましい身体は、聖衣など必要ないと思わせるほどに力強い。

「海斗に漁牙よ。お前たちの師匠は……いくらか、甘やかし気味の指導をしていたようだな」

 言いつつアイオリアが、左肩に担いで来たものを、訓練場の石畳の上にそっと下ろして横たえた。

 聖衣をまとった、少年の身体。外傷こそないものの、力を使い果たしているのは間違いない。

 ナギが、声をかけた。

「勇魚……大丈夫?」

「ああ……」

 勇魚が、弱々しく身を起こす。

「アイオリア先生……ご指導、ありがとうございました」

「無理をし過ぎだ。焦っても強くはなれんぞ、勇魚」

 勇魚が、何を焦っているのか。アイオリアはそれを、いくらかは察しているようである。

 それを、はっきりと口に出したのは、別の男だった。

「琴座のオルフェはな、死んじまった……のかも知れねえぞ」

 禍々しい小宇宙が、海斗の全身を打った。

 倒れていた身体が、思わず起き上がってしまうほど、凶悪な小宇宙だ。

「死んじまった女の後を追って、な……噂くらいは聞いてんだろうが」

「デスマスク……!」

 アイオリアが、咎めるような声を投げる。

 歩み寄って来た男は、アイオリアと同じく、黄金聖衣を着てはいない。

 雑兵のような装いをした、その全身に、暗黒そのものとも言うべき小宇宙が満ち溢れている。

「勇魚とか言ったな小僧。死んだ人間を追いかけてると、お前まで黄泉比良坂に迷い込んじまうぞ」

「はい……」

 勇魚が俯いた。

 アイオリアが、軽く溜め息をつく。

「デスマスク……お前、勝手に巨蟹宮を抜け出して来たのか?」

「お前に、それを言う資格はねえよ」

「俺は教皇より許可をいただいて、こうして戦闘師範の務めを果たしているのだ」

「お前の指導はな、甘いんだよ。俺に任せれば、このガキども全員、1週間で白銀並みに強くしてやれるぜ? 1週間、生きていられたらの話だがなあ」

 デスマスクが、凶悪な笑い声を発した。ナギが、さりげなくカシオスの背後に身を寄せる。

 黄金聖闘士の中でも獅子座のアイオリアは、仁智勇を備えた聖闘士の鑑と言われている。

 蟹座のデスマスクは、聖闘士にあるまじき外道と言われている。

 正反対とも言える両名、しかし海斗の見たところ、仲は悪くないようであった。

 アイオリアが1度、言っていた。

 自分たちが聖人君子の顔をしていられるのは、デスマスクが様々な汚れ仕事を片付けてくれるからだ、と。

「もっとも何だ。白銀並みと言ったところで、最近の白銀どもはどいつもこいつもブッたるんでやがるからなあ」

 言いながらデスマスクが、ちらりと海斗を見る。

「海斗とか言うの。お前、確かフランスだったな? お前の師匠はまあ、今の白銀じゃあマシな方だ」

「はあ……確かに、強い人でした。だけどアイオリア先生の言う通り、ちょっと甘やかされてたかも知れません」

「だがな、お前の逃げの上手さは、なかなかのものだぜ」

 デスマスクが、人差し指を立てた。

「お前なら……積尸気からも、逃げられるかも知れねえな。試してみるか?」

「いい加減にしておけ」

 アイオリアが、デスマスクの肩に手を置いた。

「……まあ、お前の言う通りではある。白銀聖闘士たちを、少し鍛え直す必要はあるかも知れん」

「女みたいな奴1人、それに女2人。白銀でマシなのは、そいつらだけだな。あとの男どもは全員まとめて、黄泉比良坂に叩き落としちまってもいいくらいだ。そこのカシオスを昇格させちまった方が、いくらかは戦力になるぜ」

 デスマスクが、漁牙と同じような事を言っている。

 その漁牙が、ようやく身を起こした。

「うー……いててて」

「ほら、いい加減に起きろ漁牙。黄金聖闘士の人が、2人もいらっしゃるんだぞ」

「なあ海斗。俺、こないだギリシア神話ってやつを一通り読み返してみたんだけどさあ」

 漁牙が言った。

「あのアテナって神様……はっきり言って、ろくなもんじゃねえな」

「お前だからいい加減にしろよ、冗談でも言っていい事と悪い事」

「ふっ……ははははははははははは! いい事言うじゃねえか小僧。まったく、その通りだぜ」

 デスマスクが、凶悪な笑い声を発した。

「そうよ、神様なんざぁ基本ろくなもんじゃねえ……人間が聖人君子でいなきゃならん理由なんぞ、どこにもねえんだぜ」

 凶悪な事を平気で言う、このデスマスクという男が、しかし海斗は嫌いではなかった。

 少なくとも城戸沙織や辰巳徳丸よりは、ずっとましな人間だ。



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第3話

 アイザックが死んだのは自分のせいだと言って落ち込む氷河を、慰め、叱り、励まし、どうにか立ち直らせるのは、はっきり言って黄金聖闘士同士の戦いよりも大変であった。

「お前を1人、シベリアへ残して来て……果たして本当に、良かったのだろうか」

 宝瓶宮にて今、水瓶座のカミュは1人、沈思している。

 聖域から、帰還命令が届いた。

 氷河を伴って来る事も考えたが、しかしあの少年には、そろそろ師匠から離れて独り立ちする事を覚えさせなければならない。

 だから、シベリアへ残して来た。

 それならばそれで今頃また、師匠の目がなくなったのを良い事に、好きなだけ海底へ潜っている事であろう。アイザックが死んだと言うのにだ。

 そんな事をしている限り、聖闘士として独り立ちなど、出来るわけがない。

「お前の大切なものを……私は、奪うしかないのか。氷河よ」

 この場にいない弟子に、カミュは語りかけていた。

「お前のように独り立ち出来ぬ者が何故、聖闘士になど成ろうとしたのだ。氷河よ」

 独り立ち出来ず、聖闘士の修行にもついて来られない、単なる弱虫であったのなら、むしろ良かった。

「このカミュの裁量で、お前を東シベリアのどこかの村で、ひっそりと暮らさせてやる事も出来た。聖域ともグラード財団とも関わりなく、な……だが氷河よ。お前は聖闘士として、とてつもない素質を持ち過ぎていた」

 成長の早さは、アイザックの方が遥かに上であった。

 だが最終的には間違いなく、氷河の方が強くなっていただろう。

「そしてお前は、私の課した修行にも見事、食らい付いて来た。私はお前に、小宇宙を身に付けさせてやる事は出来た。だが氷河よ……私はお前に、心の弱さを克服させてやる事までは出来なかった。心の弱さを抱えたまま、お前は聖闘士になってしまったのだな」

 カミュは目を閉じた。

「聖闘士としての戦いは、お前の弱い心を大いに苛むだろう。敵に殺される前に、お前は自滅してしまうかも知れん。本当の意味でクールにさえなれれば、お前に勝てる聖闘士などいなくなる。だが氷河よ、お前は……お前を永久氷壁の強さへと導いてやるために、私はやはり、お前の大切なものを奪わねばならんのか氷河よ」

「……随分と惚れ込んでいるのだな。その氷河という弟子に」

 声がした。

 カミュは目を開き、睨み据えた。

 まばゆい黄金色の輝きが、まず視界に入った。カミュの全身を包むものと同じ、黄金聖衣の輝き。

「貴様、勝手に……」

「訪いは入れたのだがな、何度も」

 石柱にもたれたまま、蠍座のミロは微笑んだ。

「よくシベリアから帰って来てくれた。安心したぞ。何しろジャミールへ行ったきり帰って来ない男もいるからな」

「……いつからそこにいた貴様。先程通り抜けたが、天蠍宮にもいなかったな。勝手に自分の宮を空けているのか」

「アルデバランが金牛宮で頑張ってくれているからな。どこぞの聖衣職人と違って、十二宮最初の守りを、しっかりと務めてくれている。敵の侵入などあり得んよ。天蠍宮あたりが一時的に空になったところで問題はない」

 言いつつミロが、人差し指を向けてくる。

「それよりカミュよ。愛弟子の事で物思いにふけるのは良いが、その間、隙だらけではないか? 思わず一発目の毒針を打ち込んでしまうところだったぞ」

「……気をつけよう」

 カミュは、そんな事しか言えなかった。

 確かにミロが敵であったら自分は今頃、アンタレスを打ち込まれているところだ。

「黄金聖闘士の中で最もクール、と言われていながら実はそうでもない男が、しばらく聖域から離れている間に一層、情に脆くなってしまったようだな……まあ立派な仕事をしている、とは思うが」

 ふっ……と、ミロは笑った。

「弟子を育てるなど……俺には到底、真似が出来ん」

「我々とて、いつ命を落とすかわからんのだぞ。後を継いでくれる者たちは必要だ」

「あの何とかいう財団が送り込んできた子供を、黄金聖闘士が時間を割いて育て上げる。いくらか腑に落ちない話ではあるな」

 シベリア、だけではない。

 世界各地の聖闘士修行地に、グラード財団から100人もの子供たちが送り込まれた。

 カミュや魔鈴といった正規の聖闘士が、彼らの面倒を見る事となった。

 グラード財団と聖域との間に、何らかの取引がなければ、起こり得ない事態である。

 いかなる取引であるのかは、カミュもミロも知らされていない。

 知っているのは教皇だけではないのか、とカミュは思う。

 グラード財団前総帥・城戸光政と、教皇本人との間に、何かしら密約のようなものが交わされたのではないか。財団の送り出した子供たちを、聖域の名のもとに、正規の聖闘士として育て上げる。そのような密約が。

 権力者同士の密約など関係なく、氷河はしかし聖闘士となった。

 純粋な志を抱いて修行に励み、聖闘士となったのは、氷河だけではない。

「……白羊宮の入り口で、挨拶を受けたのだが」

 カミュは思い返した。

「聖域に揃ったのだな。南天のアルゴを成す、4つの星座が」

「ふっ……カミュよ、お前はまさか信じているのか? あの言い伝えを」

 竜骨座、艫座、帆座、羅針盤座。

 数ある青銅聖衣の中でも最弱の部類に属する4つが、しかし一度揃ってアルゴ号を成した時、黄金聖闘士にも匹敵し得る小宇宙を発揮するという。

「……真実であれば頼もしい、と思うだけだ」

 白羊宮の入り口で、カミュに挨拶をしてくれた4人の少年少女。

 頼もしさとは程遠い、新米青銅聖闘士たちであった。全員、真面目に修行はしているようだが、才能においては氷河にもアイザックにも遠く及ばない。

 ここ聖域で、もう一つ厳しく指導してやる必要はあるだろうが、それはアイオリアあたりの仕事であろうか。

(やはり……氷河よ、お前を伴って来るべきだったのかも知れん)

 この場にいない弟子に、カミュはまたしても語りかけていた。

(母親のいない場所で、同じ青銅聖闘士たちと競い合う。その経験が、お前には必要かも知れん……競い合い、共に戦う仲間を、お前は自力で見付ける事が出来るか?)

 

 

 ナギが惚けていた。

 仮面の下で、うっとりと呆然としているのがわかる。

「あの人……誰?」

「だから黄金聖闘士、水瓶座のカミュ様だろ」

 先程、石段を登って行った青年の姿を、海斗は思い返していた。

 黄金の輝きをまとう、細身の若者。その秀麗な顔が、海斗たちの挨拶を受けて、にこりと微笑む。

 それだけでナギは、こんな有り様になってしまった。

「素敵……あの人になら、あたし素顔見せてあげてもいいのに……」

 哀切な、琴の音が流れ始める。

 勇魚が、切ない恋の曲なのであろうものを奏でていた。

「その仮面は、女である事を捨てるためのものだって聞いたけど……女を捨てるなんて、ナギには無理そうだね」

「あたしね、聖域に来る前は本当ときめいてたのよ? 黄金聖闘士は美形の男の人ばっかりだって聞いてたから。けど実際はねえ。アイオリア先生はいい人だけど、脳筋っぽさが顔に出ちゃってるし。デスマスク様は怖いし、ミロ様は綺麗だけど……あれ見ちゃったら、ちょっと」

 数日前。蠍座のミロが珍しく訓練場に現れ、アイオリアを相手に模範戦闘を見せてくれたのだ。

「あの蠍のポーズ? 俺カッコいいと思うけどなあ、あれ」

 漁牙が言った。

「俺も真似してみようかなあ。竜骨のポーズ……ところでさ、竜骨ってドラゴンの骨?」

「お前知らないのかよ!」

 アルゴ号を成す4つの星座は、揃った時とてつもない力を発揮する。そんな噂は海斗も耳にしているが、船の骨格たる竜骨座の聖闘士がこの様では、そのような奇跡など期待出来そうになかった。

「まあ、そんなこんなでね。黄金聖闘士の人たちにあんまり幻想抱くのも失礼かな、なぁんて思い始めてたとこなのよ。だけどカミュ様! ああんカミュ様、一対一でお稽古つけて欲しいっ! でね、戦闘訓練の最中に偶然、仮面が外れちゃうようなシチュエーションを」

「ところでナギさぁ。名前すら出て来なかったアルデバラン様は、問題外」

 漁牙の口を、海斗は右手で塞いだ。

「……なあ勇魚。この2人を黙らせる曲とか、弾けない?」

「練習中のデストリップセレナーデでも、試してみようか」

 勇魚が微笑み、その顔をすぐに引き締めた。

「それより海斗……はるばるシベリアから、黄金聖闘士が1人帰って来た。どういう事だと思う?」

「まあ比べ物にはならないけど、俺もフランスから呼ばれて来た。漁牙もナギも、聖域に呼ばれて来た」

 海斗は腕組みをした。

「……聖域の守りを固めなきゃいけない事態が、迫ってるのかもな」

「噂通りグラード財団が何かしようとしている、と思うかい?」

「だとしても……黄金聖闘士がシベリアから呼ばれるほどじゃない、とは思うけどな」

 そもそも聖域に現在、黄金聖闘士は何名いるのか。

 海斗と面識があるのは、まず獅子座のアイオリア。蟹座のデスマスクに、蠍座のミロ。そして先程、白羊宮を通り抜けて行った、水瓶座のカミュ。

 魚座のアフロディーテは、海斗も師匠から名前だけは聞いている。

 牡牛座のアルデバランとは、漁牙がいくらか親交に近いものを持っているらしい。

 アイオリアの兄である射手座のアイオロスは、13年前に反逆者として不名誉な死を遂げた。

 双子座の黄金聖闘士は、それと同じ頃、行方不明になったと聞く。

 天秤座の黄金聖闘士は、それよりもずっと昔から、聖域には不在であるという。

 山羊座の黄金聖闘士は、聞くところによると裏切り者の始末のような仕事をしており、多忙で聖域にいない事が多いようだ。

 その他、最も神に近い男などと呼ばれる人物もいるらしいが、海斗は知らない。

 そして白羊宮。

 十二宮最初の砦を守らなければならない牡羊座の黄金聖闘士が、相も変わらず不在である。最後に近い宝瓶宮の黄金聖闘士が、帰還したと言うのにだ。

 帰還命令は、出ているのだろうか。それが無視されている、のだとしたら。

 黄金聖闘士が少なくとも1名、聖域の敵に回ろうとしている、のだとしたら。

(グラード財団が攻めて来る……どころの話じゃないぞ、それは)



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第4話

 ロドリオ村の雑貨屋には、包帯を買いに来ただけだ。

 店番をしていた少女が、にっこりと微笑んでくれた。

 それだけで、勇魚の頭の中から、胸の内から、一切が消えて失せた。

 アテナを守る聖闘士としての使命も、海斗ら仲間たちの事も。行方不明の師・オルフェの事すらも。

 自分が守らなければならないのはアテナではなく、地上の平和でもなく、この少女ただ1人なのではないか。

 ほんの一瞬にせよ勇魚は、そんな思考で頭の中を、胸の内を、満たしてしまったのだ。

「僕は……聖闘士として、失格だ」

 溜め息をつきながら勇魚は、竪琴を爪弾いた。

 ロドリオ村の近くを流れる川。その岸辺の岩に、腰を下ろしながらだ。

 川辺に、竪琴の調べが流れ響く。

 それを、勇魚は止めた。

「駄目だ、オルフェ先生には遠く及ばない……こんな曲、あの子にはとても聞かせられない……って、何を考えてるんだ僕は!」

 思わず、竪琴を岩に叩きつけてしまうところだった。

「女の子に、曲を聴いて欲しい……なんて……僕の竪琴は、戦いの力を奏でるためだけにあるんだぞ!」

「そんな悲しい事を言ってはいけない」

 声がした。

 その瞬間、勇魚が感じたのは、川のせせらぎと調和した穏やかな小宇宙である。

 この小宇宙の持ち主が敵であったら、自分など一瞬にして、不意打ちで命を奪われているところであろう。勇魚は、そう思った。

「竪琴に限らない。楽器とは本来、人の思いを奏でるためのもの……戦いに用いるなど、本当は許されない事なんだ」

 声と共に、竪琴の音色が静かに響き流れる。

 小宇宙そのものが、奏でられている。今は静かな曲調が、激しく変わった時、聴く者全てが粉砕されるだろう。

 息を呑みながら、勇魚は振り向いた。

 白銀の輝きが一瞬、視界に満ちた。

「お前が今、奏でていた音楽……切ない思いを宿した、とても良い曲だと思う。好きな女の子がいるのなら、聴かせてあげればいいじゃないか?」

 竪琴を携えたまま、木陰で微笑んでいるのは、1人の白銀聖闘士だった。

「聴いてもらえないかも知れない。それでも、いいじゃないか。僕だって最初のうちはユリティースに、耳を傾けてももらえなかったんだ」

「オルフェ先生……」

 勇魚は呟いていた。

「これは……夢……幻覚……?」

「フッ……確かに、幻覚のようなものかな。今の僕は」

 オルフェが、竪琴を爪弾く。

 小宇宙の音色が、勇魚の全身を優しく包み込む。

 幻覚ではない、と勇魚は感じた。今ここにいるのは本物の、白銀聖闘士・琴座のオルフェだ。

「僕は、ここにいるはずのない人間だ。今は、ある人の従者として地上に来ている。いくらか自由時間をもらったのでね」

「地上に、来ている……? まるで普段、地上にいないかのような……」

 勇魚の声が、震えた。

 蟹座のデスマスクが言っていた事は、正しかったのか。

「オルフェ先生……貴方は……」

「そう。僕は今、冥界に……ハーデスの側に、身を置いている」

 聖域の関係者としては禁忌に近い単語を、オルフェは口にしていた。

「もはや聖域に顔を出せる身分ではない。だけど勇魚……お前にだけは」

「ユ…………」

 ユリティース。その名を口に出す事が、勇魚には出来なかった。

「お前にだけは、詫びておかなければならない……軽々しく謝罪出来るような事ではないと、わかってはいるんだ。勇魚、本当に……すまなかった」

「許しません! ……許すわけ、ないでしょう」

 叫び、声をひそめながら、勇魚は周囲を見回した。

「……それはそれとして先生、早く逃げて下さい。こんな所にいては駄目です」

「勇魚、お前もこんな所にいてはいけない。戻って、聖域の防備を固めるんだ」

 オルフェは言った。そして、微笑んだ。

「……立派な聖闘士に、なったな」

「まだ修行中の身です。先生に、途中で放り出されて……ずっと修行中ですよ」

「僕が教えられるような事なんて、もう何もないさ」

 微笑んでいたオルフェの表情が、引き締まった。

「……勇魚。誰かに尋問でもされたら構う事はない、ロドリオ村の近くで琴座のオルフェに会った、と包み隠さず話してしまうんだ。いいね」

「先生!」

 オルフェの姿が、木陰に消えた。

 追いかけ、探しても、その姿はもうどこにも見えなかった。

 

 

「なあ海斗。お前って、どっち派?」

 訓練場の石畳に腰を下ろしたまま、漁牙が意味不明な事を訊いてくる。

「どっち……って、何だよ」

「だからぁ、魔鈴さん派かシャイナさん派か」

 漁牙は本気で、思い悩んでいるようであった。

「魔鈴さんの方がクールビューティーだとは思うのよ。けどシャイナさんの、何かこう、げしげし踏ん付けてくれそうな感じ? イイよなぁ〜。ああでも魔鈴さんの方が、ゴミを蔑むようにクールにねちねち踏んでくれそうで、たたたまんねえ」

「……お前、そろそろ黙れ。本当に黙れ」

「ま、優しいのは魔鈴さんの方だとは思うけどな。こう、冷たい中に垣間見える優しさっての? きゅんと来ちゃうよなあ。シャイナさんはひたすら横暴で暴虐で、それはそれで」

 殴ってでも黙らせなければ、この男の舌禍に巻き込まれて自分は死んでしまうかも知れない。海斗は本気で、そう思った。

「……わかってないのねぇ、男どもは本当に」

 呆れたように言いながら歩み寄って来たのは、ナギである。

「シャイナさんって、すっごく優しいのよ? 魔鈴さんの方が全然、恐いんだから」

「そ、そうなんだ」

「いや本当……シャレになってないから、あの人」

 ナギが、己の身体を抱くように身震いしている。

「どっちが強いかは、わかんないけどね……あのお2人の、本気の戦いなんて、想像しただけで寒気するわ」

「うーん……胸は、魔鈴さんの方がちょっと上かな」

 漁牙が、命知らずな事を言っている。

「お尻から太股にかけてのラインは、シャイナさんに軍配が上がるかな。魔鈴さんは、ちょっとガッチリムッチリし過ぎてんだよなあ。そこへいくとシャイナさんは、脚はスラーっと伸びててお尻はふっくらしてて、たまんねーなァもう」

「……組手をやろうか」

 巨大な手が、背後から漁牙の肩を掴んだ。

 太い五指が、竜骨座の聖衣のショルダーパーツを、今にも凹ませてしまいそうである。

「か、カシオス先輩……くくく組手は今さっき、死ぬほどやったばっかじゃないッスか」

「お前、まだまだ元気そうだからな」

 言いつつカシオスが、漁牙の大柄な身体を容赦なく引きずって行く。

「遠慮するな。げしげし踏んで欲しいんだろう? 俺がいくらでも踏んでやる」

「いやその、カシオス先輩に踏まれても痛くて苦しくて死んじまうだけで……おおい海斗にナギ、助けてくれ〜!」

「漁牙、頑張れ」

 海斗は拳を握って見せた。

「お前の見事なぶっ飛ばされっぷり、参考にさせてもらうから」

「アテナの御加護を信じなさ〜い」

 引きずられて行く漁牙に向かって、ナギがひらひらとハンカチを振る。

「……まったく、相変わらずな事をやってるな。君たちは」

 いつもは優雅に竪琴を鳴らしながら現れる勇魚が、ただ歩いて訓練場に入って来た。

 何かあったのだ、と海斗は思った。そんな足音を、勇魚は立てている。

「この聖域に、敵が攻めて来ようとしているんだぞ。もう少し緊張感を持ったらどうかな」

「……この面子じゃあ1度、本当に敵が攻めて来ない限り、緊張感なんか持てないと思うけどな」

 グラード財団が攻めて来るかも知れない、とは勇魚が言っていた事である。

「それより勇魚……何か、あったのか?」

「別に……ほら、包帯を買って来たよ。この分じゃ全部、漁牙が使う事になりそうだけど」

 苛立っている、というのとは少し違う。海斗は、そう感じた。

 焦っている、悩んでいる。どうすれば良いのか、わからずにいる。

 今の勇魚は、そのどれにでも当てはまるようでいて、どれでもない。

 とにかく、ロドリオ村で何かがあった。わかるのは、それだけだ。

「勇魚……」

 聞き出すべきか、そっとしておくべきか、海斗は躊躇った。

 直後。海斗は、真っ二つになった。

 錯覚である。だが今、自分は確かに、叩き斬られた。羅針盤座の聖衣もろとも両断された。海斗は、そう感じた。

 ナギも、それに勇魚も同様であろう。

 2人とも息を呑み、己の全身を見下ろしている。首や胴が繋がってる事を、確認している。

 まるで抜き身の刃のような、鋭利な小宇宙を発している男が1人。いつの間にか、そこに佇んでいた。

 雑兵のような身なりをした、細身の青年。無駄な肉を徹底的に削ぎ落とした身体つきである。

 鍛え込まれ、研ぎ澄まされた刃。その男を言葉で表現するならば、それしかない。

 聖衣は着ていないが、間違いなく聖闘士だ。

 それも海斗たちとは格が違う。違い過ぎる。

「青銅聖闘士……艫座の勇魚。そうだな?」

 海斗やナギを一瞥もせず、鋭利な眼光を勇魚1人に向けながら、その男は言った。

「かつて白銀聖闘士・琴座のオルフェより指導を受けた。間違いはないか」

「はい……琴座のオルフェは、僕の師匠です」

 勇魚が、どうにか言葉を発した。

「あの、貴方は……僕に、何か?」

「お前に訊きたい事がある。素直に答えてくれれば時間は取らせん」

 素直に答えなければ、どうなるのか。

 それを無言で、あるいは雄弁に語る、鋭利な眼光。刃のような小宇宙。全てが今のところ、勇魚1人に向けられている。

「オルフェの居場所に、心当たりはあるか?」

「何故……」

 何故、そんな事を知りたがるのか。それを知って、どうするのか。

 琴座のオルフェに、いかなる用があるのか。

 それらの質問は、発せられる事なく、勇魚の喉の奥で凍りついてしまったようだ。

 だが、細身の男は答えてくれた。

「聖域からの脱走者を、生かしておくわけにはゆかん。まして高位の白銀聖闘士となればな」

 そして、名乗ってもくれた。

「俺は山羊座のシュラ。聖域の掟に背く者は、手短に裁く。忙しくなりそうなのでな」



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第5話

 黄金聖闘士が、青銅聖闘士に質問をしている。

 それはつまり、命を賭けて答えなければならないという事だ。

 いい加減な返答でごまかす事など、許されない。

 正直に答えるにせよ嘘をつくにせよ、命を投げ出さなければならない。

「……ありません、心当たりなど」

 勇魚は命を投げ出して、師匠を守る道を選んだ。

「琴座のオルフェは、数年前に行方をくらませたきり……弟子の僕に、連絡をくれた事もありません。僕はオルフェ先生に見放されたんです。あまりの未熟さに、愛想を尽かされたんです。居場所の見当なんて」

「軽々しく他人を庇うなよ、小僧」

 言いつつ山羊座のシュラは、青銅聖闘士3人とは若干、距離を置いて佇んでいる。

 にもかかわらず海斗は、喉元に刃を突きつけられたような気分になった。

「白銀でありながら実力では我ら黄金聖闘士をも上回る、とまで言われる男がな、下手をすると聖域と敵対する勢力に身を投じているかも知れんのだぞ。お前たち青銅よりも、遥かに聖域の内情を知る男がだ」

 出会ったのだ、と海斗は確信した。

 ロドリオ村で勇魚は、琴座のオルフェと、短い再会を果たしたのだ。

「そのような者を庇い立てされては……新米青銅に対して、俺もあまり優しくはなれんぞ」

 鋭い眼光が、小宇宙を宿している。

 それを直接、向けられている勇魚は、恐らく己の身体を滑らかに切り刻まれているような錯覚に陥っているだろう。

 瞬に似て女の子のようでもある容貌が、血の気を失って蒼白である。

 艫座の聖衣に包まれた細身が、硬直している。まるで刃を突きつけられたかのように。

 そんな勇魚に向かって、シュラはなおも言った。

「もう1度だけ問う。琴座のオルフェの居場所に、心当たりは?」

「…………」

 勇魚の唇が、硬直しつつも微かに動いた。

 ありません、心当たりなど。

 その言葉が、今にも紡ぎ出されそうである。紡ぎ出された瞬間、勇魚の首は宙を舞っているだろう。

「あ、あの」

 海斗は言った。何を言うべきか、頭で考えていては間に合わない。

「勇魚は確かに、オルフェの居場所に心当たりあると思います。俺が、それを聞き出しておきます。だから、その……山羊座のシュラ様。この場は、どうか」

「出来るのか」

 シュラの眼光が、初めて海斗に向けられた。

「黄金聖闘士を相手に命がけで師匠を庇っている男の口を、割らせる事が出来るのだな? 貴様」

「そ、それは……」

「俺は、出来もせん事を口に出す奴が嫌いでなあ」

 叩き斬られた、と海斗は思った。

「……そこまでにしておけ、シュラよ」

 力強く、優しく、だがどこか強張った声。

 それを聞いて海斗はようやく、己の身体が真っ二つになっていない事を確認する余裕を持つ事が出来た。

 海斗を背後に庇う格好で、いつの間にかそこに立っていたのは、アイオリアである。

「お前の行い、端から見れば単なる弱い者いじめでしかない。自覚はあるのか」

「弱者に対する慈悲など、とうの昔から持ってはおらんよ。何やらシャカのような言い草になってしまうが」

 シュラが、微笑んだ。

 これほど陰惨な笑顔を、海斗は見た事がなかった。

「アイオリア、貴様も知っての通り……俺はな、この世で最も敬愛する男の命を奪ったのだぞ。今更、誰に対して慈悲の心を持てと言うのだ」

「…………」

 アイオリアは何も言わない。シュラの鋭利な眼光を、真正面から受け止めている。

 シュラの眼光を刃に例えるならば、アイオリアの眼差しは炎だった。

 憎悪や怒りの炎、ではない。

 そのような安直な言葉では語れぬ、感情が、因縁が、この黄金聖闘士2名の間にはある。

 それだけが、海斗には何となく感じられた。

「……勇魚を責め立てたところで、意味はあるまい」

 ようやく、アイオリアは言った。

「琴座のオルフェだぞ。仮に聖域を裏切り、脱走したとしても、弟子に掴まれるような手がかりを残すわけがなかろう」

「……そういう事に、しておこうか」

 目を逸らせたのは、シュラの方からである。

「この場で千日戦争をやらかすつもりは、ないのでな……だが勇魚よ」

 背を向け、歩み去りながら、シュラは言った。

「オルフェは、お前に言ったと思う。尋問でもされたら、正直に答えてしまえとな」

「…………」

 俯いた勇魚に、シュラがなおも言葉を投げる。

「命を落としてまで、庇い続ける……それが果たして師匠の望みであるのかどうか、考えてみるがいい」

 

 

 シュラの後ろ姿が見えなくなったところでナギが、石畳にがくりと両膝をついた。

「海斗あんた……死ぬつもりだったの!?」

「そ、そんな事は」

「アイオリア先生が来て下さらなかったら、あんた間違いなく殺されてたのよ」

「……迷惑だよ、海斗」

 勇魚が呻いた。

「僕の事、庇ってくれたつもりだろうけど。これは僕とオルフェ先生の問題だ。聖域に来たばっかりの君に、うかつに首を突っ込んで欲しくはない」

「勇魚! あんた何言ってんの!」

「まあまあ」

 怒鳴るナギをなだめながら、海斗は勇魚と向き合った。

「俺は勇魚を庇ったわけじゃあない。シュラ様にも言った通り……俺は、お前に口を割らせなきゃいけないんだよ勇魚。琴座のオルフェと、どこで会って来たんだ? どんな話をしたんだ」

 ロドリオ村から帰って来たのだから、あの村の中か近辺で会ったに決まっている。

 それを、勇魚自身に、はっきりと言わせなければならない。

「シュラ様に、尻尾振って報告しようって言うのかい」

 勇魚が嘲笑い、海斗に背を向けようとする。

「辰巳さんにいろいろ告げ口してた連中と、君も大して変わりはしないな海斗……心配しなくても、シュラ様に殺されるのは僕1人だ。君たちを巻き添えにするつもりはない。躍起になって保身を図る必要はないよ」

「……いい加減にしなさいよ勇魚。海斗はねえ、あんたの事心配して」

「まあ何とでも思えよ」

 ナギを黙らせるように、ずかずかと足音を立てて、海斗は勇魚に追いすがった。そして、肩を掴む。

「シュラ様が言ってたよな、出来もしない事を口に出す奴は嫌いだって……俺も同じさ。言っちまった以上、俺はお前からオルフェについて聞き出さなきゃいけないんだ」

「どうやって? フランスあたりでぬくぬく過ごしてた君が、ここ聖域で鍛えられてきた僕から、何をどうやって聞き出すつもりなのか」

 海斗の手を振り払いながら、勇魚が振り向く。

 振り向いた全身から、敵意に満ちた小宇宙が立ち上る。

「……大いに、興味があるな。試してみるかい?」

「俺もな、あの先生に……そこまで甘やかされてたわけじゃあないんだ」

 海斗は拳を握った。

 艫座と羅針盤座。2人の青銅聖闘士が、聖衣をまとった状態で対峙する。

 その間に、ナギが割って入った。

「やめなさいよ2人とも! 聖闘士同士の私闘は禁止だって」

「もちろん私闘はいかん。だが戦闘訓練ならば、むしろ大いにやるべきだ。あの2人のようにな」

 そんな事を言いながらアイオリアが、訓練場の一角に親指を向けた。

 カシオスと漁牙が、戦闘訓練に励んでいる。実戦形式の組手である。

 組手と言うよりカシオスが、漁牙の身体を雑巾代わりに使って、石畳や石柱を拭いているようにも見えた。

「このアイオリアが立ち会ってやる。さあ戦え、海斗に勇魚。繰り返すが、これは私闘ではなく正規の戦闘訓練である」

「いや、止めて下さいよアイオリア先生!」

「ナギ、お前も聖闘士ならばわかっているはずだ。こういう事はな、どうしても起こる」

 アイオリアが言った。

「所詮、殴り合いで物事を解決するのが我ら聖闘士だ。安心しろ、どちらかが死にそうになったら止めてやる」

 

 

 海斗も、ナギも漁牙も、思いのほか腕を上げた。

 聖闘士の本場、ギリシア聖域で鍛えられた勇魚と比べると、3人とも最初のうちは、いささか見劣りがしていたものだが。

「お前も、うかうかしてはいられんな? 勇魚よ」

 俯く少年の右肩に、しっかりと包帯を巻いてやりながら、アイオリアは言った。

 13歳の割には鍛え込まれているものの、腕も肩もやはりまだ細く頼りない。

 聖闘士にとって、闘法の要は小宇宙である。筋肉の力は、そこまで重要ではない。

 とは言え肉体を鍛えなければ、小宇宙というものは高まってゆかない。

「お前は技に重点を置きすぎだ。走り込みや岩の持ち上げといった、地道な体力鍛錬の割合を少し増やしてみろ。音速で動いても壊れない身体を、作らなければな」

「……はい」

 勇魚が、か細い返事をした。

 海斗との勝負は、まあ痛み分けといったところであろう。

 海斗も漁牙も、少し離れた所で倒れている。

 倒れた2人にナギが、ミイラでも作るかのように包帯を巻きつけている。何やらガミガミと説教をしながらだ。

 か細い声で、勇魚が謝罪した。

「アイオリア先生……申し訳、ありません」

「気にするな。聖闘士とは殴り合いをするもの。俺もお前たちくらいの頃には、ミロやデスマスクあたりと大いにやらかしたものだ。仲裁に入るのは、主にカミュやアルデバランの役割でな」

「いえ、そうではなく……」

 勇魚が一瞬、口ごもった。

「僕は……ロドリオ村で、琴座のオルフェに会いました」

「それを何故、海斗に話してやらなかった?」

 アイオリアの問いに、勇魚は俯いたまま答えない。

「脅されて口を割るような形になるのが、癪だから。そうだな?」

「…………わかって、いるんです」

 勇魚は言った。

「海斗は何も、シュラ様に告げ口をしたいわけじゃない……本当に、僕の事を心配してくれて」

「無論それもあるだろうが」

 アイオリアは、ちらりと海斗の方を見た。

「……あいつもな、意地になっていたんだ。出来もしない事を口に出す奴、などとシュラに言われてな」

 だから躍起になって、勇魚の口を割らせようとした。ただ、それだけだ。

「オルフェ先生は言っていました。聖域の防備を固めろ、と」

 勇魚が言った。

 シュラでは聞き出す事の出来なかった情報を、結果としてアイオリアが聞き出した事になる。

「オルフェ先生は……琴座のオルフェは……冥王ハーデスの配下に、身を置いています」

「ハーデス軍が何かしら行動を起こすから用心しろ、とでも伝えに来たのか。忠告、と言うよりは密告だな」

 ふっ、とアイオリアは鼻で笑って見せた。

 こういう仕草が様になるのは、アフロディーテやシャカである。自分では、今ひとつ様にならない。

「勇魚よ、もう1度オルフェに会うような事があれば伝えておけ。貴様に言われるまでもなく聖域は常に臨戦態勢、我らアテナの聖闘士が万全の守りを固めている。来るなら来てみろ、とな」



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第6話

 聖闘士たちは聖域で、古代ギリシア人のような生活をしているわけではない。

 当然、テレビくらいは見る。

 青銅聖闘士の身分では、1人1台というわけにはいかない。住居を与えられるのは白銀以上の聖闘士だけだ。

 海斗も漁牙も勇魚も、ここ聖域ではまるで学生の如く寄宿舎に詰め込まれ、共同生活を強いられていた。

 石造りの時代がかった寄宿舎だが、電気は通っている。

 テレビが置いてあるのは食堂だけで、今は漁牙が独占していた。

 そう言えば十二宮に電気は通っているのだろうか、と海斗は思う。

 黄金聖闘士たちの大部分は、二十歳前後の若者である。霞を食うような生活をしているわけではないだろう。

 電気代その他諸々の経費は、一体どうなっているのか。

 そもそも教皇や黄金聖闘士といった聖域上層部の人々は、どのような収入源を持っているのか。

 これはあくまで噂だが、黄金聖闘士12名の中には、例えばシベリアにおける石油・天然ガス関連の利権をいくつか所有していたり、ブラジルに大規模なコーヒー農園を持っていたり、シシリーマフィアと経済的な繋がりがあったり、インドを中心とする宗教関連の利益を全て掴んで莫大な富を築いていたりする人物もいるらしい。

 あくまで、噂である。

 ともかく海斗や漁牙のような青銅聖闘士が、ここ聖域において、経済的な心配をする必要は無いという事だ。

 いくらか生命の危険はあるものの、普通に生活してゆける。時には、こうしてテレビなど見ながらだ。

「おお見ろよ海斗。グラード財団の連中、ついに始めやがったぜえ」

「お前、何見てんだよ!」

「だから銀河戦争だって。いやー惜しかったなあ、蛮の奴」

 漁牙の目が、キラキラと輝いている。

「ほらほら見ろよ、あれ那智じゃねえか? 若年寄の紫龍もいる。市の野郎は全然変わってねえなあ。檄は残念、さっき星矢にやられちまった」

「最初から見てたのかよ、まったく……」

 呆れつつ海斗も、画面に見入っていた。

 懐かしさは無論、ある。

 懐かしい仲間たちが、しかしグラード財団の見世物にされてしまっているのだ。

「優勝したら黄金聖衣がもらえるんだってよ!」

「本物のわけないだろうが」

 いらいらと言いながら、海斗は舌打ちをした。

 かつての仲間たちが、偽物の黄金聖衣を巡って、見世物の戦いをしている。

 そんなものが全世界向けに放送され、こうして聖域関係者の目にも触れてしまっている。

 もはや宣戦布告に等しい、と海斗は思う。

「グラード財団の連中……本気で、聖域に喧嘩を売ってきたな」

「なー。どうなっちまうんだろうな一体」

 他人事のように、漁牙が言う。

「俺たち、下手すりゃこいつらと戦う事になんのかなあ。俺、ちょっと星矢に勝てる自信はねえぞ。このメンツで、俺あたりが楽勝に勝てる相手……ま、弱虫瞬ちゃんくれえかな」

「何だって……おい、瞬がいるのか!?」

「ビックリだろ? 一体どこのお師匠聖闘士が、どういう甘やかし方をしやがったのやら」

 美少女のような聖闘士が、ちらりと画面に出た。

 間違いない。あれは、確かに瞬だ。

「瞬がいる……って事は、一輝もいるんじゃないのか」

「おおおおい、思い出させんなよアイツの事なんざあ」

 漁牙の大きな身体が、震えて縮み上がった。

 海斗は思う。自分でさえ、聖闘士に成れたのだ。

 一輝が、聖闘士に成れないはずはない。

 見たところ、銀河戦争の出場者たちの中にはいないようだ。

 あの男がグラード財団に従うとは思えないが、例えば瞬を人質にされたりしたら、わからない。

 一輝が、そして姉を同じく人質に取られた星矢が、財団の尖兵となって聖域に攻め込んで来る。

 それは海斗にとって、血も凍るような事態であった。

「お……み、見ろよ海斗。沙織お嬢さんだぜええ」

 震え上がっていた漁牙が突然、元気になった。

「大きくなったよなあ沙織さん、胸とか胸とか胸とか。とても俺らと同じ年たぁ思えねえよなあ。た、たたたたまんねえよなあああ」

「……ま、確かに綺麗にはなったけど」

 高慢そのものの美貌が、大映しになる。

 女王として振舞っているのだろう、と海斗は思った。辰巳徳丸をはじめグラード財団の男たちを、顎で使っていい気になっているに違いない。

 海斗は、呻いた。

「……こんなのより、ナギの方がずっとましだ」

「それは、どうもありがとう。よくわかんないけど」

 ナギが、ずかずかと食堂に歩み入って来た。勇魚を引きずりながらだ。

「ふうん、これが何とか財団のお嬢様? あんたたちが飼われてたっていう」

「な、何だよナギ。男子の宿舎に、勝手に入って来て」

「大事な用事よ。ほら」

 引きずって来た勇魚の身体を、ナギは海斗の眼前に放り出した。

「仲直りしなさい、今すぐに。あれから一言も口きいてないでしょ?」

「仲直りって……別に、元から仲良かったわけじゃないし」

 ぷいと横を向いたまま、勇魚がそんな事を言っている。

 まったくその通りだ、と思いながら海斗は言った。

「……ごめんな勇魚、ボコボコにしちゃって。手加減、足りなかったみたいだな」

「……それはこっちの台詞。まあ生きてて良かったね、海斗。あんまり手応えないから、つい殺しちゃったのかと思ってたよ」

「手加減の練習も、必要だと思うからさ……もう1回、やろうか? 戦闘訓練」

「せっかくアイオリア先生に助けてもらった命、もう少し大切にしたほうがいいと思うけど」

「……琴座のオルフェに、会ったんだろ? ロドリオ村で」

 海斗はいつの間にか、勇魚の胸ぐらを掴んでいた。

 双方とも、今は聖衣を着ていない。衣服を掴み合う事が出来る。

 勇魚も、海斗の胸ぐらを掴んでいた。

「そう思うんなら、シュラ様に告げ口でもすればいい……その前に僕が、海斗を殺すけど」

「ああもう、いい加減にしなさい! あんたたちは!」

 掴み合う少年2人の間に、ナギが無理矢理、割り込んで来た。

「殴り合えば仲直り出来るってアイオリア先生は言ってたけど、何これ余計こじれちゃってんじゃないの! 意外とあてになんないのよね黄金聖闘士の言う事も!」

「まあまあ。お前ら一緒に銀河戦争でも見て、仲良くしろよ」

 漁牙が、暢気な声を発している。

「ほら、氷河の野郎やっと会場入りしやがったぜ。相手は市か、顔だけ見りゃあ勝負は決まったようなもんだけどな……お、また瞬が映った。懐かしいだろ勇魚、お前こいつと仲良かったもんなー」

「やめてよ漁牙……僕は瞬の事、大嫌いだったんだから」

 勇魚が吐き捨てた。

「あいつの性格……最悪なんだから」

「勇魚お前! 檄や那智にいじめられてた時、瞬に助けてもらった事あったよな!?」

 海斗は怒鳴り、再び勇魚の胸ぐらを掴もうとしたが、ナギに止められた。

「あの時、瞬がお前の代わりに殴られてたよな!」

「僕はあいつの、そういうところが大っ嫌いだったんだよ!」

「そこまでにしておけ」

 カシオスが入って来て、容赦なくテレビを消した。漁牙が泣きそうな声を出した。

「ああっ、市の試合……」

「休憩時間は終わりだ。聖衣を着ろ。いつも通り、白羊宮入り口の警備につけ」

 漁牙の首根っこを掴みながら、カシオスは言った。

「実際に敵が攻めて来れば、嫌でも仲直りをせにゃあならなくなる。攻めて来るといいな?」

 

 

 カシオスの言葉を、アテナかゼウスが聞き入れてくれた……のかどうかは、わからない。

 とにかく大柄な人影が1つ、白羊宮への石段を登って来る。よろよろと、覚束ない足取りでだ。

 白銀聖闘士、であろうか。着ている聖衣の重みに耐えかねている、かのような弱々しい歩調である。

「あの……どなたですか? まずは所属とお名前を」

 まずはナギが、いくらか警戒しつつ声をかける。

「教皇に御用ですか? それとも、この先の黄金聖闘士のどなたかに? お手数ですけど、あたしたちがお言伝する事になってます。白羊宮の方は、その、ちょっとお留守なので」

「金牛宮のアルデバラン様に、俺から伝えておきますよ。だから……何の用か、まず言ってくれませんかねえ」

 言いつつ漁牙が進み出て、さりげなくナギを背後に庇う。

 足取りの覚束ない、この大柄な白銀聖闘士に、何か不穏なものを感じているのだろう。

 それは勇魚も同じようだ。

 海斗から最も離れた所で石段に立ち、海斗と目を合わせず言葉も交わさず、無言で白銀聖闘士を見据えている。

 いや。本当に、白銀聖闘士なのか。そもそも聖闘士なのか。

 その大柄な身体にまとっているのは、本当に聖衣なのか。

 聖衣と言うより、機械である。機械仕掛けの鎧。そのように見える。

 そんなものを着用した男が、白羊宮入り口を警備する青銅聖闘士4人に、ぎろりと眼光を向けた。

 憎悪の眼差しだった。

 血走った眼球の中で、暗い炎が燃え盛っている。

 そう感じながら、海斗は叫んだ。

「……そいつから離れろ、ナギ! 漁牙!」

 いくらか遅かった。

 機械の鎧をまとった、その男は、すでに攻撃態勢に入っている。

「どこだ……どこだぁ……どこにいるぅう……」

 大柄な全身から、禍々しい小宇宙が立ち上り、燃え上がった。怒号と共にだ。

「一輝はどこだ! 俺から全てを奪った、あの小僧はどこだぁあああああああ!」

 男の周囲に、炎が生じていた。

 激しく渦巻く熱風が、ナギと漁牙を吹っ飛ばす。

 吹っ飛んだナギが、空中でくるりと体勢を直し、海斗の近くに着地する。

 吹っ飛んだ漁牙が、石段に激突し、だがすぐに起き上がる。

「おいおい……今、何て言った? 誰の名前を言いやがったんだあ? あんた」

 一輝。

 この男は今、確かに、その名を叫んだ。

「一輝はどこにいる……貴様ら、知っているなら隠し立てするなよ」

「あいつなら、デスクィーン島にいるはずだけど」

 海斗は言った。

「……それより、あんたは誰だ? 聖域に、何の用かな」

「俺はジャンゴ……ハーデス様より新たなる命をいただき、暗黒聖闘士として……否、最強の鋼鉄聖闘士として蘇ったのだ!」

 渦巻く炎の中で、男は吼えた。

「パンドラ様はおっしゃった! 聖闘士どもを皆殺しにしてアテナの首を獲れば、この新たなる命を永遠のものにして下さると! そうよ、一輝を殺すのはそのついでで良い。まずは貴様らが死ね青銅ども!」



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第7話

 このジャンゴという男が何を言っているのか、海斗は完全に理解出来たわけではない。

 だがアテナの聖闘士として聞き流す事の出来ぬ単語を、少なくとも2つ、この男は確かに口にした。

「ハーデス……それに、暗黒聖闘士……あんた今、そう言ったよな間違いなく」

 白羊宮に向かって、のしのしと石段を登って来るジャンゴの眼前に、海斗は立ち塞がった。

 ハーデス。それは聖域において、最も忌むべき固有名詞。

 そして暗黒聖闘士。聖闘士でありながら邪悪に堕ち、アテナからも見放された者たち。

「アテナの首を獲る……そんな事も言ってたよな。冗談でも、許しておくわけにはいかないぞ。おい、まずは止まれ」

「どけ、海斗!」

 漁牙が叫んだ。

 竜骨座の聖衣をまとう大柄な身体から、気迫に満ちた小宇宙が立ち昇る。

「聖闘士ってのは基本、1対1で戦わなきゃいけねえんだろう! そいつぁ俺に任せろ。こないだカシオス先輩にぶちのめされながら考えた必殺技、かましてやっからよおおッ!」

 その小宇宙が、巨大な怪物の形に固まり、牙を剥く。

 肉食恐竜の骨格、のような怪物である。

 漁牙が拳を振るい、叫んだ。

「行くぜ必殺! スカルドラゴン・クラッシャァアアアア!」

「お前……竜骨をドラゴンの骨と勘違いしたまんま、技まで作っちゃったのか」

 呆れる海斗の視界の中、小宇宙で構成された巨大な骸骨竜が、猛然とジャンゴに襲いかかる。

「フッ……青銅のガキが。技というものはな、こうやるのだ」

 聖衣、と呼ぶにはあまりにもおぞましい機械の鎧が、禍々しい輝きを発する。

 ジャンゴの周囲で、禍々しい小宇宙が炎となり、渦巻き荒れ狂い、燃え上がった。

「喰らえ! デスクィーン・インフェルノ!」

 紅蓮の嵐が、吹き荒れる。

 骸骨の竜が、焦げ砕けて灰と化す。

 漁牙の全身が、炎に包まれた。大柄な少年の身体が、竜骨座の聖衣の上から焼かれつつ、錐揉み状に吹っ飛んで行く。

 アテナの聖闘士の戦いは、正義の戦い。常に正々堂々たるべし。

 いかなる邪悪が相手であろうと、1対1で戦わなければならない。

 聖闘士であれば必ず教わる、戦闘時の心構えである。

 アイオリアは言っていた。なかなか、そうもいかないのが実戦というものだと。

 実戦。そう、これは実戦なのだ。

 それに気付いた時には、海斗も吹っ飛んでいた。

 羅針盤座の聖衣の上から、炎が全身に絡みついて来る。

 勇魚も、ナギも、同じような目に遭っているのだろう。

 石段に叩き付けられながら、海斗は小宇宙を燃やした。

「うっ……ぐ……ッ!」

 全身から溢れ出した小宇宙が、まとわりつく炎を弾き飛ばす。

 炎は消えた。が、叩き付けられた際の衝撃まで消す事は出来ない。

 石段の上で海斗は、いや漁牙も、ナギも勇魚も、立ち上がる事が出来ずにいた。

「ふん、しょせん青銅はザコよ」

 嘲笑いながらジャンゴは、すでに石段を上りきっていた。そして、守護者不在の白羊宮へと踏み入って行く。

「……ま……待て……」

 海斗は弱々しく立ち上がった。いや、立ち上がりきらぬ姿勢のまま、よろめくように歩み出した。

 よろよろと石段を上り、ジャンゴを追う。

「白羊宮には……入らせない……!」

 そうは言ったが、ジャンゴの姿はすでに白羊宮の内部にある。

 禍々しい機械の聖衣をまとった異形の姿が、石畳の上で立ち止まり、海斗の方を振り向く。

「死に損ないがぁ……楽にくたばっておれば良いものを!」

 炎の嵐が、再び吹き荒れた。

「ならば魂までも焼き尽くしてくれる! このデスクィーン・インフェルノでなああ!」

「聖闘士に……同じ技は……ッ!」

 海斗は、前方に両手を掲げた。

 師匠から教わった、防御技術である。使うのは初めてだ。

「2度と、通用しない!」

 左右の掌を、海斗は高速で旋回させた。

 掻き回された空気が渦を巻き、気流を成す。

 それは、空気の防護幕であった。

 海斗の眼前で、炎が飛沫のように砕け散る。

「よ、よし出来た! 先生に、見せたかった……」

 などと言っている場合ではなかった。

 炎の塊が、空気の防護幕を突き破って海斗を襲う。

 ジャンゴの拳であった。

 機械の聖衣の右腕、ナックル部分が、炎をまとったまま隕石の如く、海斗を直撃する。

「あまり小賢しい真似をして、俺を苛立たせるなよ小僧……楽に、死なせてやらんぞ?」

 ジャンゴの声を聞きながら、海斗は宙を舞っていた。

 師匠なら、こんな拳は問題なく跳ね返していただろう。

 そんな事を思いつつ海斗は、白羊宮の石畳に、顔面から落下していた。

 鮮血が、飛び散った。

「折れた肋骨で、臓物を切り裂いてやろうか……?」

 倒れた海斗の脇腹に、ジャンゴが左足で蹴りを入れる。

 前屈みに身を折り、血を吐きながら、海斗は見た。

 蹴り込まれて来た、機械の聖衣の左足部分。そこに、見覚えのあるロゴマークが刻印されている。

「……グラード……財団……」

 海斗は、血まみれの歯を食いしばった。

「あいつら……こんなのを、聖域に……!」

 ポロン……と、優美な弦の調べが聞こえた。

 細身の人影が1つ、白羊宮に歩み入って来る。竪琴を、爪弾きながら。

「ひどい目に遭ったね、海斗」

 同じように火だるまで吹っ飛んでいたはずの、勇魚である。

「ボロ雑巾みたいになるまで、まあよく頑張ったと思うよ。あとは僕に任せておくといい。ゆっくりお休み?」

「……余裕見せてるなよ。お前だって、ボロ雑巾になってたくせに」

 血を吐きながら、海斗は悪態をついた。

「大人しく、死んだふりでもしてれば良かったんじゃないのか」

「それは、こっちの台詞。弱い君が、そこまで無理して痩せ我慢して頑張る必要なんてない……僕が、終わらせるから」

 竪琴の調べが、激しさを増した。

 嵐のような曲調に合わせて、小宇宙が溢れ出す。

「オルフェ先生には遠く及ばない、だけど聖闘士の紛い物を打ち砕く事くらいは出来る! この、ストリンガー・ノクターンで!」

 勇魚の小宇宙が音と化し、旋律を成して流れ響き、ジャンゴを直撃した。

「ぐわああぁ!」

 機械の聖衣をまとった身体が、吹っ飛んで宙を舞う。宙を舞いながら、歪み捻れてゆく。

 太い手足が、おかしな方向にねじ曲がる。胴体が、骨の砕ける音を発しながらへし折れ、ありえない回転をしている。

 そんな状態のまま、ジャンゴは翼を広げていた。刃物のようでもある、金属製の翼。

「何…………!」

 余裕を見せていた勇魚が、息を飲みながら硬直する。

 翼を広げながらジャンゴは空中で、人間ではないものと化していた。

「ゲェーハハハハハハァアア! こっこれが鋼鉄聖衣の、ジャンゴの力よぉお!」

 航空機、である。

 機械の聖衣が、中身の人体を捻じ曲げ折り畳みながら、戦闘機に変形したのだ。

 人間大の、とは言え戦闘機である。機銃を備えている。ミサイルも搭載している。

 それらが、一斉に放たれた。

「砕け散れ小僧ども!」

 銃撃・爆撃の嵐が、白羊宮内部で吹き荒れた。

 聖衣をまとっている状態であれば、聖闘士はほぼ無意識に小宇宙の防護幕を発現させている。海斗もそれで、拳銃弾程度なら跳ね返せる。

 その防護幕の上から、機銃弾の豪雨が、小型ミサイルが、容赦なくぶつかって来る。

 海斗は吹っ飛んでいた。

 羅針盤座の聖衣が、全身でひび割れている。目に見えぬ小宇宙の防護幕が、ズタズタに裂けているのがわかる。

 同じような有様で勇魚も吹っ飛び、石柱に激突していた。

「勇魚……!」

「お、おい海斗! 大丈夫かよ!」

 ナギと漁牙が、白羊宮に駆け込んで来る。

 来るな、と叫ぼうとして、海斗は血を吐いた。

 その間にも、ジャンゴによる銃撃と爆撃の嵐は容赦なく吹き荒れる。

 立ちすくむ漁牙の眼前に、ナギが立った。

 水着のような帆座の聖衣をまとう細身が、小宇宙を立ち上らせ、揺らめかせる。

 防護幕……と言うより、それは小宇宙で組成された、巨大な帆であった。

 そこに、銃撃・爆撃の嵐が激突する。

 無数の機銃弾が、ミサイルが、小宇宙の帆に……吸い込まれてゆく、ように見えた。

「帆は……風を受けて、船を動かすもの……」

 左右の細腕を広げ、小宇宙の帆を懸命に維持しながら、ナギが呻く。

「敵の攻撃を受けて、自分の力に変える……それが、あたしのセーリング・カウンター……くっ、うぅ……ッ!」

 帆座の聖衣に、細かな亀裂が走った。

 後方によろめくナギの細身を、漁牙が背後から支える。

「おいナギ……!」

「ぼさっと突っ立ってないで……ほら、あたしが受け止めたもの! きちっと返してやんなさいよね!」

 ナギの細い肢体から、漁牙の大柄な身体へと、小宇宙が流れ込んで行く。

 ナギが小宇宙の帆で受け止めたもの。その全てが、漁牙の体内に移って行く。

「う……おぉ……よっしゃ見てろ、スカルドラゴン・クラッシャー!」

 漁牙の拳から、先程よりも巨大な骸骨竜が出現し、炎の塊を吐いた。

 ナギの受け止めた銃撃・爆撃が全て凝縮し、1つの火力の塊と化したもの。

 それが骸骨竜の口から発射され、空中のジャンゴを直撃する。

「ぐはぁあ……!」

 人間大の戦闘機が墜落し、石畳に激突し、潰れた。

 いや。潰れたように歪みねじ曲がり、再び変形してゆく。

 今度は、自動車であった。4輪の装甲車である。

 それが白羊宮の石畳を蹂躙しながら駆け、漁牙を轢き、ナギを撥ねた。

 漁牙の大きな身体が、聖衣の細かな破片を散らせながら錐揉み状に回転し、頭から落下する。

 ナギの細身は、壁に激突し、ずり落ちていた。

 聖衣の破片、らしきものが海斗の近くまで飛んで来た。

 否、聖衣ではない。

 それは、砕けた仮面であった。

「グフへへへ……や、やってくれたなあぁ小娘……」

 装甲車が、人間に戻ってゆく。めきっ、バキバキッ……と骨を鳴らしながらだ。

 人間ではない。生きた人間の、肉体ではない。

 兵器に変形する聖衣など、生きた人間に装着出来るものではないのだ。

 このジャンゴという男、まさしく冥王ハーデスより何らかの恩恵を受け、人外のものと化している。

(グラード財団の連中……よりにもよって、冥王ハーデスと手を組んで……)

 血を吐きながら、海斗は呻いた。

 立ち上がれない。折れた肋骨が、体内のどこかに刺さっている。身体が動かない。

 ジャンゴがナギを、髪を掴んで引きずり起こす。その様を、なす術なく傍観しているしかない状態だ。

「おい小娘。女の聖闘士ってのは素顔を見られたら、見た相手を愛するしかないそうだなぁ? 俺に尽くしてみるか? んん?」

「や……やめて……」

 髪を掴まれ、揺さぶられながら、ナギが弱々しく両手で顔を隠す。

 その細い五指と掌を、ジャンゴが強引に引き剥がそうとする。

「ほら見せてみろぉお、俺に全てを捧げてみろおおギャッハハハハハハハ! それとも実は、とてつもない不細工だったりしてなああああ!」

「いっ……嫌……嫌よぉ……やめてよぅ……」

 ナギが、泣きじゃくっている。

「やめろ……」

 海斗は立ち上がった。折れた肋骨が刺さっている、などと言っている場合ではない。

「やめろよ、お前……」

「何だ小僧。下っ端とは言え聖闘士らしく、格好をつけようと言うのか」

 ジャンゴが、ナギの身体を放り捨て、海斗と向き合った。

「残念だがな、これ以上ガキどもの遊び相手をしている暇はない。一刻も早く、アテナの首を獲らねばならんのでなああ!」

 機械の聖衣のあちこちから、機銃が現れた。小型のミサイルが、迫り出して来た。

「デスクィーン・インフェルノを上乗せした銃撃と爆撃! 喰らうがいい!」

 ジャンゴの全身で、いくつもの機銃が火を噴いた。無数のミサイルが、立て続けに発射された。

 銃撃・爆撃の嵐の中を、海斗は踏み込んで行った。

 機銃弾が、身体の各所をかすめて走る。

 小型ミサイルが、頭の横を、脇腹の近くを通過する。そして白羊宮の壁を、柱を、石畳を誤爆する。

 場所取りが上手い。敵の死角に入り込むのが、上手い。カシオスに、そう褒められた事がある。

 海斗としては、そこまで巧みな事をしているという意識はない。ただ、逃げ足は速いのかも知れない。

 敵の攻撃から逃げ回っているうちに、気が付いたら、反撃するのに都合の良い場所にいた。そんな事が多いだけだ。

 己の行く先を巧みに正確に選び抜く。まさしく羅針盤だな、というのは師匠の言葉である。

 お前は冷静に小宇宙を操る事さえ出来れば、敵のいかなる攻撃をも見切ってかわせるだろう。そこからの反撃が課題だ。回避だけではなく、もう少し攻撃の力を身につけろ。あの師匠には、そうも言われた。

「攻撃は……すみません、先生の技もらいます!」

 ジャンゴの背後に回り込みながら、海斗は叫んだ。

「小僧……!」

 攻撃を全てかわされ、踏み込まれ、回り込まれた事にようやく気付いたジャンゴが、振り向こうとする。

 その前に、海斗は拳を繰り出していた。

「喰らえ! マーブルトリパー!」

 小宇宙が激しく渦を巻き、ジャンゴを吹っ飛ばした。

「ぬぐぅううっ! く、クソガキがぁああああ!」

 吹っ飛んだジャンゴが、しかし石畳を粉砕しながら踏みとどまる。

「くっ……駄目か、やっぱり付け焼刃じゃあ……」

 海斗はよろめいた。

 よろめいた身体を、誰かが支えてくれた。

「まったく……弱いくせに頑張り過ぎなんだよ海斗は。痩せ我慢ばっかりして」

 勇魚だった。

「身の程知らずなところ、あったよね昔っから……一輝とまともに喧嘩したのって、星矢の他には海斗だけだったような」

「……あったかな、そんな事」

 おぼろげながら、海斗は思い出した。

 瞬を、少し過保護にし過ぎなんじゃないのか。確か、そんな事を言ったのだ。

 一輝は烈火の如く怒り、殴りかかって来た。当然、互角の殴り合いになどなるはずもなく海斗は一方的に叩きのめされた。

 止めてくれたのは、紫龍だった。

 取るに足らない記憶が、蘇ってくる。自分はもしかしたら死ぬのではないか、と海斗は思った。

「思い出した……俺も思い出したぜー」

 漁牙が、いつの間にか立ち上がっていた。

「あん時、馬にされてたの……邪武だよ確か」

「走馬灯の思い出にしちゃ、お粗末だな」

 海斗は笑った。漁牙も、勇魚も笑った。

 ジャンゴは、怒り狂っている。

「何がおかしい小僧ども! 頭がイカれたか! 壊れかけた脳みそなら、いっそブチ砕いてくれる!」

「それはこっちの台詞だってのよ、このイカれ野郎……!」

 ナギが近くに来たので、漁牙も勇魚も慌てて顔を反らせた。

 海斗は少しだけ、ナギの横顔を見てしまった。

 端正な輪郭が、すっきりとした鼻梁の線が、一瞬だけ視界に入った。見た、というほどではない。海斗は、そう思った。

 城戸沙織よりずっと綺麗だ、とも思った。

 今現在、ナギの素顔を正面からまともに見ているのは、ジャンゴだけである。

「女の聖闘士はね、素顔を見た相手を、愛するか殺すしかない……この場合、一択よね」

 ナギのしなやかな全身から、怒りの小宇宙が立ち上る。

「ほら、不細工かどうかよく見なさいよ! 最後の眼福、堪能しときなさい!」

 ナギ、だけではない。

 漁牙が、勇魚が、燃え盛るような小宇宙を溢れ出させている。

 そして、海斗もだ。

 全身で、小宇宙が燃え上がっている。負傷の痛みも、消え失せてしまうほどにだ。

 噂で、聞いた事はある。

 竜骨座、帆座、艫座、羅針盤座。

 南天でアルゴ号を成す4つの星座が揃った時、黄金聖闘士にも匹敵し得る力が発現するという。

 単なる噂話である。そこまで自惚れるつもりは海斗にはないし、ナギにも漁牙にも勇魚にもないだろう。

 4人揃えば最強、と言うよりも揃わなければ何も出来ない。4人がかりでなければ、この怪物を仕留められない。

 それが、自分たちの現状なのだ。

 聖闘士らしく正々堂々、1対1の戦いなど、現時点では夢のまた夢と言っていいだろう。

 4人がかりであろうと何であろうと、今はこの敵を倒すしかないのだ。

 漁牙、勇魚、ナギ、海斗。4人の小宇宙が、激しく燃え猛りながら渦を巻き、1つになった。

 1つになって、迸った。叫びと共にだ。

「アルゴ・エクスクラメーション!」

 巨大な戦船が、そこに出現していた。

 戦いの波濤を蹴立てて進む、英雄たちの戦船。

「ひっ……あ、わわわわ……ぱ、パンドラ様! ハーデス様……お力を、もう1度お力を! ハーデスさまああああああああああ!」

 波濤の飛沫と共に、ジャンゴは砕け散り、跡形もなく消えて失せた。

 銃撃と爆撃で破壊され尽くした、白羊宮内部。その廃墟の如き有り様だけが、残された。

 青銅聖闘士4名が、がくりと崩れ落ちる。

 海斗と勇魚は、肩を貸し合ったまま両膝をついた。漁牙は、仰向けに倒れた。ナギは、崩れた石柱を背もたれにして座り込んでいる。

「勝った……って事で、いいのかな……」

 呆然と、海斗は呟いた。

 誰も応えない。全員、もはや声を発する気力もない。

 体力も気力も、それに小宇宙も、燃やし尽くした。4人とも、死にかけた肉体を、ひび割れた聖衣に包んだ状態で、立ち上がる事も出来ずにいる。

 足音が、聞こえた。

 雑兵の群れ、であろうか。皆、ようやく異変に気付いたのか。

「……違う……」

 勇魚が呻いた。何が違うのか、海斗はもはや考える事も出来ない。

「違う……これは……」

「おい……」

 漁牙が、続いてナギが、声を発する。

「嘘でしょ……」

 禍々しく足音を響かせ、白羊宮に踏み入って来た者たち。

 それは聖域の、雑兵の一団ではなかった。青銅聖闘士や、白銀聖闘士でもない。

 鋼鉄聖闘士の、軍勢であった。

 ジャンゴと同じく、機械の聖衣をまとった怪物の群れ。

「……そりゃ、そうか……」

 自分でも驚くほど冷静な言葉を、海斗は発していた。

 冷静なのは、全てが終わったからだ。もう何もしても無駄だからだ、と海斗は思った。

「聖域に戦争を仕掛けようって連中が……1人だけで来るわけ、ないよな……」

 やはり誰も応えない。

 勇魚も、漁牙もナギも、立ち上がれぬまま呆然としているだけだ。

 もはや屍も同然の青銅聖闘士4名に、軍勢を成しながら歩み迫る鋼鉄聖闘士たち。

 ある者は戦闘機に変形し、ある者は装甲車に変形し、ある者は人型のまま……全員が機銃を生やし、小型ミサイルランチャーを展開する。

 それらが、一斉に火を噴いた。ハーデスの恩恵を受けし怪物たちの、不気味な呻きと共に。

「……スチール……ハリケーン……」

 機銃弾の豪雨が、降り注ぐ。小型ミサイルの嵐が、吹き荒れる。

 そして、消え失せた。

 無数の銃弾が、ミサイルが、全て消滅したのだ。

 聖衣を装着した聖闘士は、確かに小宇宙の防護幕を発生させる事が出来る。拳銃弾程度では、致命傷を負う事もない。

 だがこれは、そんなレベルの現象ではなかった。

 拳銃弾よりもずっと殺傷力の高い機銃弾の嵐が、ミサイルの群れが、一瞬にして分解され、原子に還ってしまったのだ。

 自分がまだ生きている事にすら、海斗は気付かなかった。

 無論、自分は何もしていない。他の3人も、呆然と死にかけたままだ。

 こんな真似の出来る小宇宙の持ち主など、この場にはいない。はずであった。

 背後から、足音が聞こえて来る。

 重々しく力強い、それでいて鈍重さは感じられない、頼もしい足音。そして声。

「よく頑張ったな、お前たち」

 黄金色の輝きを、海斗は感じた。

 金色の光を伴う、雄大なる小宇宙が、いつの間にか白羊宮を満たしている。

 この中では、もはや銃弾も爆弾も、原子の塵と化すだけだ。

「怠け者のムウに代わって、これからも白羊宮を守ってみるか?」

 背後から歩み寄って来た何者かが、穏やかに、雄々しく、微笑んだ。

 白羊宮の背後、すなわち金牛宮からの来訪者。

「何にせよ、あとは……この、牡牛座のアルデバランに任せておけ」



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第8話

 自分の技に、最も足りてないもの。それは速度であると、水瓶座のカミュは思っている。

 速度においてはカミュの上をゆく黄金聖闘士が1人、宝瓶宮の入り口で偉そうに佇み、磨羯宮の方角を見下ろしていた。

「下の方で、何かあったようだが……?」

「また何か攻めて来たのだろう。冥王ハーデスと関わりある者どもか、それとも邪神エリスの一党か……いや。エリスはお前が倒したのだったな、ミロよ」

「…………」

 大殊勲である、と言っていいだろう。

 だが蠍座のミロは、それを誇ろうともしない。

 蠍の牙と尻尾を備えた黄金のマスクで、凛々しく彩られた美貌。その横顔には、苦悩に近いものが滲み出ている。

 邪神エリスとの戦いは、この男がほとんど1人で終わらせたと言って過言ではない。伝え聞く限りでは、そうだ。

 カミュが伝聞でしか知らない、その戦いにおいて、ミロがどれほど悲痛な思いを味わったのか。それを知る者はいない。

 そのような事を、人に話す男ではないのだ。

 酒でも飲ませてみれば、話してくれるかも知れない。

 そんな事を思いながら、カミュは問いかけてみた。

「なあミロよ……光速で動く我ら黄金聖闘士12名、その中でも最速の技を持つ者は一体誰だと思う?」

 オーロラエクスキューションは、全てのものを凍結させる。が、発動時に小宇宙の溜めを必要とする。

「例えば私の技は、速度において、お前のスカーレットニードルには遠く及ばない」

「……スカーレットニードルは、15発当てねば雑兵の1人も殺せはせんよ。3発目か4発目を撃っている間に、お前に凍らされて終わりだ」

 ミロはそう言うが、この男がその気になれば、15発をほぼ同時に撃ち込む事も出来る。その威力は、邪神エリスを……完全な状態ではないとは言え、神を葬り去るほどだ。

 それを誇るでもなく、ミロは顎に片手を当てた。

「最速か……速度と言えば、アイオリアのライトニング・プラズマだが」

「確かにな。あれを全てかわすのは、私でもお前でも不可能だろう」

「……所詮は手数の技だ。1発や2発、辛うじて当てたところで、お前たちを倒す事など出来んよ」

 そう言って石段を登って来たのは、アイオリア自身である。

 ミロ、カミュと同じく、黄金聖衣をまとっている。一応は臨戦態勢という事だ。

「アイオリアよ。下で一体、何が起こっているのだ?」

「大した事ではない。俺がのんびり聖衣を装着している間に、終わっていた」

 ミロの問いに、アイオリアは答えた。

「カミュの言う、最速の技を持つ男がな、終わらせてくれていた」

「ほう、誰だ。お前ではないのか」

「1秒間に1億発などという手数は必要なしに、初弾の一撃で全て終わらせてしまう男がいる」

「そう」

 カミュは言った。

「速度と破壊力を併せ持った……居合いの、拳だ」

 

 

 超高密度の筋肉を、黄金聖衣に詰め込んだ巨体。

 太い両腕をどっしりと組んで佇むその姿は、牡牛に化身した大神ゼウスを思わせる。

 もっともゼウスが牡牛に化けたのは美女エウロペをかどわかすためであったが、このアルデバランという巨漢が牡牛座の聖衣をまとっているのは、戦うためだ。

 否、戦いになどなっていない。

 黄金聖闘士・牡牛座のアルデバランは、ただ腕組みをして立っていただけだ。

 海斗の目には、そう見えた。

 だが鋼鉄聖闘士の軍勢は、1人残らず砕け散っていた。

 アルデバランがいつ、どのような攻撃を繰り出したのか、海斗は全くわからなかった。

 勇魚にしても、漁牙、ナギにしても同様であろう。

 海斗に見えたのは、黄金色に輝く巨大な猛牛が、角を振り立てながら白羊宮内を駆け抜ける、その一瞬の幻影だけである。

 鋼鉄聖闘士たちは、金色の猛牛に踏み潰され、吹っ飛ばされ、砕け散って原子の塵と化した。

 破壊された、白羊宮内部の有り様だけが、そこに残された。

「あ……あの、アルデバラン様……」

 漁牙が、呆然と声を発する。

「俺たち、白羊宮の中……こんな、滅茶滅茶にしちまって……」

「気にするな。こんなものは、ムウに自分で直させれば良い」

 アルデバランは静かに、溜め息をついたようだ。

「まったく、勝手に己の宮を留守にしおって……このままでは、我々でも庇いきれなくなるぞ」

 ムウというのが、どうやら本来この白羊宮を守るべき牡羊座の黄金聖闘士の名前であるようだ。

「あの……」

 今まで口をきいた事もない黄金聖闘士に、海斗は問いかけてみた。

「そのムウという人は、一体どこに……どうして、聖域にいらっしゃらないんですか?」

「気になるか。代わりに白羊宮を守らされた身としては、確かに気になるであろうなあ」

 いくらか思案した後、アルデバランはにやりと笑った。

「お前たち新米の青銅聖闘士に経験を積ませるため、わざと留守を長引かせている……という事にしておこうか」

「はあ……確かに、実戦を経験する事は出来ましたけど」

 海斗はうつむいた。

「1人の敵に4人がかり、っていうのは……アテナの聖闘士として、どうなんでしょう」

「贅沢をぬかすな。初の実戦で生き延びた、それだけで良しとしておけ」

 力強い両腕を組んだまま、アルデバランが言う。

 この腕組みの体勢から一体どのような技が繰り出されたのか、結局わからなかった。見えなかった。

 竜骨座、艫座、帆座、羅針盤座。南天のアルゴ号を成す4人の青銅聖闘士が揃った時、黄金聖闘士にも匹敵する力が発現するという。

 出来過ぎた噂話だ、と海斗は思う。

(俺たち4人、どう小宇宙を振り絞ったって……この人たちと同じ事なんて、出来るわけがない……)

「まあ、お前たちはよくやった。ゆっくり休め。無理をするな、今にも気絶したくて仕方がないのであろうが?」

 アルデバランの言葉通り、と言うべきか。

 勇魚もナギも、漁牙も、すでに気を失っている。

 ナギはうつ伏せで、少し覗き込めば素顔が見えてしまう状態である。

 そんな少女の身体に、アルデバランが己のマントを布団のように被せている。

 ナギ1人が、まるで戦死者のような扱いを受けているのを眺めながら、海斗もゆっくりと気を失っていった。

 

 

 城戸義政が、机の上に突っ伏している。

 すでに息をしていない。朝になれば変死体として発見され、この城戸邸は大騒ぎになるだろう。

 琴座のオルフェは問いかけた。

「……殺してしまわれたのですか? パンドラ様」

「生かしておいたところで、もはや役立つわけでもなし……」

 黒衣の少女が、冷ややかに嘲笑う。

「思った以上に、役に立たぬ男であった。お前の言った通りであったな、オルフェよ」

「ええ、本当に……無駄な事をなさいましたね、パンドラ様」

「見通しが甘かった事は認めざるを得まいな。よもや十二宮の、最初の宮すら抜けずに全滅するとは」

 パンドラの笑みが、オルフェに向けられた。

「白銀聖闘士でありながら、その力は黄金聖闘士をも凌ぐという……琴座のオルフェよ。そなたであればどうか、と思わなくもないが?」

「同じ事です。私の実力が黄金聖闘士以上などと、一体誰が言い始めたのかは知りませんが……私が勝てる黄金聖闘士など1人もいませんよ。十二宮を守っておられるのが、どのような方々であるのか、いくらかはパンドラ様にもおわかりいただけたと思うのですが」

「確かにな。あれほど容易く殲滅されるとは、思ってもいなかった」

 綺麗な口元に綺麗な片手を当てながら、パンドラが思案している。

「牡牛座のアルデバラン……十二宮を陥落させるに際しては、あの男を無力化する事をまず考えねばならんか。何にせよ、百八の魔星の目覚めを、やはり待たねばなるまい」

 この少女は黄金聖闘士しか見ていない、とオルフェは思った。

 アルデバランが現れる前の白羊宮において、いかなる戦いが繰り広げられていたのか。それを彼女は知らず、知ろうともしない。

 命を懸けてハーデス軍の先兵と戦った、4人の青銅聖闘士を、パンドラは見ようともしないのだ。聖域には、黄金聖闘士しか戦力が存在しないと思っている。

(それでは、仮に十二宮を抜く事が出来たとしても……アテナの首を獲る事は出来ませんよ、パンドラ様)

 そんな事を言う代わりにオルフェは、ぽろん……と竪琴を爪弾いてみた。

 この音色がもはや届かぬ少年に、心の中で語りかける。

(勇魚、よく生き残ってくれた。アテナの聖闘士として、これからも頑張って欲しい……なんて、僕が言える事ではないけれど)

 人が1人、机上に伏したまま死んでいるのを、オルフェは思い出した。

「パンドラ様……弔いの楽曲を奏でる事、お許し下さいますか?」

「許す……ふふふ。ハーデス様も御存じないところで、そなたの竪琴を堪能出来るというわけよな」

 この少女は今、人を殺したのだ。

 殺されたのがどのような人間であれ、正義を重んずるアテナの聖闘士としては、怒りに打ち震えるべきところであろう。だが。

(今の僕は、アテナの聖闘士ではない……)

 思いつつオルフェは、竪琴に指を走らせた。

 悲哀に満ちた、弔いの調べが、小宇宙と共に流れ出す。

 パンドラが、うっとりと目を閉じた。

 この少女は誰よりも、オルフェの竪琴を高く評価してくれる。

 今の自分は、アテナの聖闘士ではない。

 こうして、ただ竪琴を奏でるだけの存在だ、とオルフェは思った。



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最終話

 聖衣を修復する技術を持った人物が、中国とインドの中間辺りに隠棲しているらしい。

 この世でただ1人の、聖衣職人。そんな人物が何故、聖域にいないのかは謎である。

 破損した聖衣を直すには、はるばるアジアの奥地まで出向いて、その人に修理を依頼せねばならないのか。それ以外に聖衣を修復する手段はないのか、と言うと、そういうわけでもない。

 黄金・白銀・青銅を問わず、全ての聖衣には自己修復機能が備わっている。中には、一握りの灰から瞬時にして再生を遂げてしまうものもあるらしい。

 羅針盤座の聖衣は、そこまでの逸品ではない。共に破損した竜骨座、帆座、艫座の各聖衣と同じく、ゆるやかな自己修復を待つしかないのだ。

 その間、出来る事と言えば、戦闘訓練くらいである。

 傷が完治したわけではないが、身体は動く。

 だから海斗は、訓練場にいた。

 そこで、1人の白銀聖闘士と再会を果たす事となった。

「地味な青銅が、そこそこの働きを見せたようだな?」

 身にまとう白銀聖衣、以上にきらびやかな美貌が、海斗に微笑みかけてくる。

「自らも傷つき、血を流し、肉体を汚すような戦いであったのだろう。私がいれば、美しく完璧な戦いの手本を見せてやれたのにな」

「ミスティ先生……」

 海斗は息を呑んだ。無論、懐かしさはあるのだが。

「先生も、聖域に呼ばれたんですか?」

「教皇より、畏れ多くも直々に勅命を賜った」

 白銀聖闘士・蜥蜴座のミスティは言った。

「久しぶりに稽古をつけてやりたいのは山々だが、私はこれから日本へ向かわねばならん」

「日本……まさか」

 どのような勅命を受けたのかは、詳しく聞いてみるまでもなかった。

 グラード財団が、宣戦布告にも等しい事をしたのだ。

 10名もの青銅聖闘士を集め、偽物の黄金聖衣を餌にして、愚かな見世物の大会を催した。

 それだけではない。事もあろうに冥王ハーデスの勢力と手を結び、聖域に尖兵を送り込んで来たのだ。

 反撃が、これから行われようとしている。

「弟子のお前が、それなりの働きを見せたのだ。私が戦わぬわけにはゆくまい?」

「まあ……それなりの働き、なんでしょうかね」

 海斗は頭を掻いた。

「4人がかりで、やっと1人を倒しただけですけど」

「フッ……お前のような地味な新米青銅が、私ではあるまいし、最初から華麗にして正々堂々たる戦いなど出来るとでも思っているのか」

 ミスティが、アルデバランと同じような事を言っている。

「初の実戦で、生き延びた。まずは、それが出来なければ話にならん……よくやったぞ、海斗」

「先生……」

「私がフランスで教えたのは、基礎中の基礎だ。帰って来たら、もう一段階上の戦いを教えてやる。美しく完璧な戦いをな」

「日本から帰って来たら……って事ですよね」

 ミスティが日本で、誰と戦うのか。それは考えるまでもなかった。

 グラード財団は壊滅し、星矢たちは死ぬ。その運命は、もはや変えられない。

 財団は、聖域に戦いを挑んでしまったのだから。

(あんたのせいだぞ、沙織お嬢様……あんたのせいで、みんな死ぬ。星矢も、邪武も、紫龍も那智も……一輝と瞬も……)

 いくら一輝や星矢でも、蜥蜴座のミスティに勝てるわけはない。

 この師匠が、青銅を相手に実戦で不覚を取るなど、万に一つも有り得ないのだ。

 わかっていながら、しかし海斗は言った。

「ミスティ先生……気を付けて下さいよ。先生、自分に酔って油断する所ありますから」

「お前に、それで1本取られた事があったな」

「模擬戦の最中なのに『神よ、私は美しい』なんてやってるからですよ!」

「仕方がないのだよ海斗。私は、私の美しさに……どうしても、心が乱されてしまう」

 物憂げに、ミスティは溜め息をついた。本気で思い悩んでいる様子だ。

「これもきっと、アテナが私に与え賜うた試練なのだろう」

「はあ……」

 やはり疲れる男だ、と海斗は思った。

 

 

「さっき訓練場にいた、あのちょっとケバい感じの人?」

 白羊宮内部。

 崩れかけていた石壁に、特殊な漆喰を鏝で塗りたくりながら、ナギが言う。

「ふうん、あれが海斗のお師匠なんだ」

「ケバいとか言うなよ。本人は、美しいってつもりでいるんだから」

 同じように鏝を動かし、壁塗りをしながら、海斗は応える。

 少し離れた所では漁牙が、倒れた石柱を独力で抱き起こしていた。

 勇魚が漆喰を塗り、その石柱の固定を試みる。そうしながら、言う。

「海斗のお師匠だけじゃあない。白銀聖闘士が10人くらい、日本へ向かったらしいよ」

「つまり……みんな殺されちまう、って事だよな。蛮も那智も、檄も、市も、弱虫瞬ちゃんも」

 漁牙が言った。

「一回戦負けした連中だけは許してやってもらいてえなあ。聖域にケンカ売るなんて、あいつらに出来るわけねえよ」

「そう言えば、何かトラブルがあって中止になったらしいな。銀河戦争」

 海斗も、詳しい事は知らない。

 何でも優勝商品である黄金聖衣が、何者かに強奪されたらしい。それも、出場選手である聖闘士たちの眼前で。

 青銅とは言え複数の聖闘士を相手に、そんな真似が出来る者。同じ聖闘士以外には考えられない。

 聖域が、ミスティたちとは別に、白銀聖闘士でも派遣したのであろうか。黄金聖衣を奪うために、あるいは取り戻すために。

 だとしたら。海斗が偽物とばかり思っていた黄金聖衣が、実は本物であったという事か。

「でもまあ……大丈夫じゃねえかなって気がする」

 石柱を支えながら、漁牙が言った。

「だって相手は白銀の連中だろ? 大丈夫大丈夫、星矢たちなら」

「はい黙れ。お前もう何にも喋るな」

 海斗が、漁牙の口に漆喰を塗り付けようとした、その時。

 白羊宮に、黄金色の輝きが差し込んで来た。足音、それに声と共にだ。

「精が出るな、小僧ども。ついでに巨蟹宮の修繕も、やってもらおうか」

 禍々しい小宇宙に全身を打たれ、海斗は息を呑んだ。

「デスマスク様……」

「お前ら腰抜かすぞ? 巨蟹宮へ来たら」

 蟹座のデスマスクが、凶悪ながらどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 聖衣をまとった黄金聖闘士は、もう1人いた。

「やめろデスマスク。巨蟹宮はな、純朴な新米青銅が足を踏み入れる場所ではない……お前たちも、こんな事はムウに自分でやらせろ」

 アルデバランと同じような事を言っているのは、山羊座のシュラである。

 2人分の黄金の輝きが、白羊宮を満たしていた。

 瘴気にも似た禍々しい小宇宙、刃のように鋭利で剣呑な小宇宙と共に。

「シュラ様……」

 勇魚が声を発する。海斗も、何かを言いそうになった。

 シュラが無言で、じっと眼光を向けてくる。

 俯き加減に、海斗は勇魚と顔を見合わせた。

 1つ、わかった事がある。

 琴座のオルフェに関して、意気揚々と告げ口などしようものなら、海斗はその場でシュラに斬り殺されていただろう。

「……この度、白羊宮においてハーデス軍との初戦が行われ、我らはこれに勝利した。紛う事なき、お前たちの勲功である」

 軽く咳払いをした後、シュラが言った。

「直々のお言葉を、賜るが良い」

 言いつつ、道を空ける。シュラは左に、デスマスクは右に。

 そこで海斗は、ようやく気付いた。

 とてつもなく強大な小宇宙が、もう1つ、近付いて来ている。

(黄金聖闘士が、もう1人……? だけど、これは……)

 上だ、と海斗は感じた。

 シュラの鋭利な小宇宙よりも、デスマスクの禍々しい小宇宙よりも。アルデバランの雄大な小宇宙よりも。

 アイオリアの、優しくも猛々しい小宇宙よりも。

 これまで知り合った何名かの黄金聖闘士たちを、上回る小宇宙の持ち主が、白羊宮に歩み入って来る。

 白い法衣が、まず見えた。

 黄金聖闘士2名の放つ、金色の輝きをも凌駕する、眩い純白の衣。

 王冠のような兜からは、長いプラチナ色の髪が溢れ出している。

 顔は、よく見えない。

 仮面を着けているわけではないが、兜の内側に不可思議な陰影が生じ、素顔を覆い隠している。端整な輪郭と鼻梁の線だけが、辛うじて見て取れるようだ。

 しかし海斗は、その人物の素顔を見て確かめる事が出来なかった。

 海斗だけではない。漁牙も、勇魚もナギも、いつの間にか跪いている。

 4人とも、もはや立っていられなくなっていた。全員、白羊宮の床に膝を屈し、頭を垂れている。

 荘厳なる小宇宙が、青銅聖闘士4名を圧倒する。

 この人物の前では、偉そうに立ってなどいられない。まして素顔を見つめる事など、許されない。

 自然に、そんな心持ちになっていた。

「顔を上げるが良い。お前たちが拝跪すべきは、私ではなくアテナに対してであろう」

 その人物が、言った。

 これほど優しく穏やかで、それでいて威厳に満ちた声を、海斗は聞いた事がなかった。

「便宜上の序列はある。だが本来、大いなるアテナの下に我らは対等であるべきなのだ。同じ、聖闘士なのだからな」

「教皇……」

 勇魚が呟く。

 教皇。海斗が、1度だけ遠目に見た事のある人物である。

 今はこうして、会話が出来るほど近くにいる。もちろん直接の会話など、許されるわけがない。

 そんな相手が、言葉をかけてくれる。

「青銅聖闘士、羅針盤座の海斗。艫座の勇魚」

「は、はい!」

 海斗と勇魚の声が、いささか間抜けな感じに重なってしまう。

 教皇は、微笑んだようだ。

「帆座のナギ」

「はい……」

「竜骨座の漁牙」

「ういっス……」

「お前たち、よくぞ十二宮最初の砦を守り抜いてくれた。お前たちがこの白羊宮で死力を尽くしてくれた、そのおかげでハーデス軍の先遣隊を撃滅する事が出来たのだ。教皇として、礼を言う」

「そ、そんな、お礼なんて……いやでもっ、その」

 しどろもどろになりながら、海斗は辛うじて言った。

「鋼鉄聖闘士の大群を、実際にやっつけてくれたのはアルデバラン様で……俺たちは、何にも」

「そのアルデバランが言っていたのだ。勲功第一は、お前たち4名であるとな」

 教皇は言った。

「初めての実戦だ。思い通りに戦えなかった、という悔いがあるだろう。無様な戦いであったと己を責める気持ちが、お前たちの心の奥底では渦巻いているかも知れない……だが、お前たちは生き延びてくれた。教皇として、何よりもそれを誇りに思う」

「教皇……」

 海斗は、思わず見上げた。

 ゆったりとした法衣の上からでも、美しく力強く鍛え込まれた体格は見て取れる。並大抵の鍛え方ではない。

 同じ聖闘士。教皇は、そう言った。

 無論、同列であるはずがない。それでも海斗は、思ってしまう。

(この人も……聖闘士なんだ……)

 胸が、熱くなった。

 それを、漁牙が台無しにした。

「あの……教皇様って、何座の聖闘士なんスか?」

 次の瞬間、漁牙の大柄な身体がズドッ! と前屈みにへし曲がった。

 ナギが、蹴りを叩き込んでいた。

「す、すみません教皇様! このバカほんと口の利き方知らなくて!」

「フッ……いずれハーデス軍との本格的な戦いが始まれば、私も聖衣をまとって前線に出る。お前たちと、共に戦う事になるだろう。その時の楽しみにしておけ」

 教皇が微笑んだ。

 その口調が、微かに変わった、と海斗は感じた。

「そう、私の星座……私の、守護星座はな……くっ……う……ッ」

「教皇……?」

 美しく力強く鍛え込まれた長身が、崩折れかけている。

 荘厳な小宇宙が、揺らいでいた。

 海斗の知る黄金聖闘士たちの誰よりも強大な小宇宙が、危うい揺らぎ方をしている。

 目の錯覚だろうか、と海斗は思った。

 教皇の兜から溢れ出すプラチナ色の髪に、一瞬……黒色が混ざった、ように見えたのだ。

 闇よりも黒い、と感じながら、海斗は恐る恐る言葉をかけた。

「あの……教皇……」

「近付くな!」

 教皇が怒鳴った。

 小宇宙を帯びた怒声が、海斗の全身を萎縮させる。

 崩折れ、俯きながら、教皇は声を震わせていた。

「…………すまない……」

 兜の内側の陰影の中で、何かがキラ……ッと光を発する。

 涙だ、と海斗は感じた。

「教皇、あの……もしかして、お身体の具合が……?」

「まあ、そんなようなものだ」

 言いつつデスマスクが、右側から教皇の身体を支えた。左側からは、シュラが。

「ここまでにいたしましょう、教皇。前線の聖闘士たちを労いたいというお気持ち、わからぬではありませんが……貴方はやはり、あまり教皇の間を離れるべきではありません」

「十二宮の一番奥で、どっしり構えてりゃいいのさ。あんたはな」

 シュラとデスマスク。この両名が、黄金聖衣をまとった姿で教皇に追従し、ここへ現れた。

 その理由は何か。教皇の護衛、それもあるだろう。

 だが、と海斗は考えた。

 教皇の小宇宙は、揺らいでいた。上手く説明はできないが、とてつもなく危うい揺らぎ方をしていた。

 あの揺らぎが、止められないところまで達した時。何かが起こる。そんな気がする。

 その何かに対処するには、完全武装の黄金聖闘士が最低でも2名は必要。そういう事ではないのか。

「お前ら、白羊宮の修理なんざ適当に切り上げちまえよ。身体が動くんなら、組み手の1つもやっておけ。殺し合い想定のやつをな」

 そんな事を言いながらデスマスクが、シュラと共に教皇を支え、立ち去って行く。

 足取りの弱々しい教皇の背中を、じっと見送りながら、勇魚が言った。

「僕が、ここ聖域で艫座の聖衣を勝ち取った時も……教皇は、直々に労いのお言葉を下さった。訓戒もしてくれた。その時から何となく、変な感じはしてたんだ。教皇は……もしかしたら、病んでおられるんじゃないかって」

「……じゃあ、何か……グラード財団の奴ら……」

 ナギに蹴り倒され、うずくまっていた漁牙が、怒りの小宇宙を燃やしながら起き上がる。

「教皇が病気だからって、ここぞとばかりに攻めて来やがったってのか!」

「沙織お嬢様が、そこまで情報を掴んでるかどうかは知らないけど……」

 海斗は考えた。

 教皇が病気で、黄金聖闘士も何人かが不在。

 アテナと敵対する勢力にとって、これは確かに聖域を攻撃するチャンスとは言える。

 今の教皇の状態が、厳密に病気と呼べるものであるか否かはともかく、アテナの聖闘士として正常に力を振るえる状態ではない事は確かであろう。

「あたしたち……もっと、強くならなきゃね」

 ナギが、ぽつりと言った。

「黄金や白銀の人たちに、頼ってばっかじゃ駄目なのよね」

「守るぞ。漁牙、ナギ、勇魚」

 海斗は言った。

「この聖域を、教皇を……俺たちが、守るんだ」

 

 

 大勢の少女が、巨蟹宮の壁で、しくしくと泣きじゃくっている。

「聖アカデミー殲滅の任務……見事、成し遂げたようだな。相変わらずの仕事ぶりだ」

 山羊座のシュラは、皮肉ではなく言った。

「……俺が行っても、良かったのだぞ?」

「お前じゃ無理だ」

 死者たちの泣き声に、うっとりと聴き入りながら、デスマスクが笑う。

「お前の聖剣じゃ、女子供は斬れねえよ」

「……変わったな、デスマスク」

 シュラも、微笑んで見せた。

「驚くべき変わりようだ。毎日、磨羯宮へ寝泊まりに来ていた頃のお前を知っている、俺に言わせればな」

「言うんじゃねえよ」

 デスマスクが睨む。

「……ああ認めるさ。俺にもな、あの青銅のガキどもより未熟な時期が確かにあった」

「それが悪いと言っているわけではない」

 もちろん実力はあったが、とにかく気の弱い少年であった。こんな男が何故、黄金聖闘士に成れたのだと思うほどに。

 巨蟹宮の壁に初めて人面が浮かび上がった時の、デスマスクの取り乱しようを、シュラは決して忘れはしない。

 あの時はまだデスマスクなどという大仰な名前ではなかった少年が、新米の青銅聖闘士でもこんな様は見せないだろうと思えるほど怯え、泣き喚き、恐慌に陥っていた。

 自身の住居である巨蟹宮で眠る事も出来ず、ほとんど磨羯宮に居候をしていたものだ。

 そんな少年がやがて、様々な汚れ仕事を平気でこなせるようになった。

 死者に対する恐怖が消え去り、自身の奪った命に対して、いささかも動揺する事がなくなった。

 泣きじゃくる人面に囲まれながら巨蟹宮で寝起きし、平然と酒を飲めるようにもなった。

 良くも悪くも、強靭な男に成長したと言っていいだろう。

(やはり、あの男の影響か……)

 先程、自分で歩けると言って黄金聖闘士2名の支えを振りほどき、1人で教皇の間へと帰って行った人物に、シュラは想いを馳せた。

 あの男は今、ある意味、かつてのデスマスクよりも取り乱し、怯えている。自分自身にだ。

 自身の内に潜むものを相手に、孤独な戦いを強いられているのだ。

 いや。それは今や、あの男の内に潜んでなどいない。表に出ようとしている。

「それを抑え込む事が出来れば……」

 シュラは巨蟹宮の天井を仰いだ。死人たちと目が合った。

「あの禍々しいものを、自力で抑え込む事さえ出来れば……あの男は間違いなく、最強の聖闘士となる。いや聖闘士などという枠に収まらぬ、最強の存在となるだろう。もはや神など要らぬ、アテナの存在すら必要なくなるほどにな」

「……逆だな、俺の考えは」

 デスマスクが、にやりと笑った。

「俺はな、あれに賭けてるんだ。あれに、もっと表に出て来てもらいてえ。あの聖人君子面をブチ破ってなぁ……く、くっくくく……聖域に、化け物が誕生するぜえ……ハーデスやポセイドンなんざぁ問題にならねえほどの、バケモノがよ……」

 笑いながら、デスマスクは震えている。怯えている。怯えながらも、待ち望んでいる。その化け物の誕生を。

 この男は、力を崇拝しているのだ。

 それは聖闘士の歩むべき道として、むしろ正しいのではないかとシュラは思う。

 存在すら不確かなアテナなどではなく、確かにある力を信仰する。力を求め、力で全てを守る。

 自分もまた、その道を歩んでいるのだ。引き返す事など出来はしない。何故ならば。

(俺は……貴方を……)

 最も敬愛する男に、シュラは心の中で語りかけた。

 デスマスクに劣らぬ殺戮を、これまで行ってきたつもりである。

 なのに磨羯宮には、人面など浮かびはしない。

 自分が殺してきた者たちと、会う事が出来ない。

 あの男にも、会えないのだ。

(俺は、貴方の命を奪った……もはや、この道を引き返す事は出来ない……)

 

 

 双子座の聖闘士である、と言っても自分の身体が2つあるわけではない。

 自分がもう1人いるならば、それに悪しきもの禍々しいものを全て押し付ける事が出来る。

 かつては、いた。自分の半身とも言うべき、弟が。

 その弟に、悪しきものを全て押し付け、闇に葬る。

 そんなつもりで、あの弟を叩きのめし、スニオン岬の岩牢へと幽閉した。

 自分の中から悪しきものは消え去った、とサガは思った。

 無論、そんな事にはならなかった。

 悪しきものは消え去るどころか、日に日に強さを増し、心の中で暴れ狂う。心のみならず、肉体まで支配しようとする。

「私は……」

 教皇の間には、他に誰もいない。思う存分、懊悩する事が出来る。

「私は……アテナの聖闘士なのだぞ……! 正義のため……地上の平和のために……!」

 嘲笑が聞こえた。自分の、中からだ。

「黙れ!」

 広大な教皇の間に、サガの怒声が響き渡る。

 いや、怒声ではなく悲鳴か。

「私は……正義のために……生きたいのだ……ッ!」

「どうぞ」

 突然、目の前にティーカップが差し出されて来た。ローズヒップの香りが、ふわりと漂う。

 他に誰もいないと思われていた教皇の間に、その男はいつの間にかいた。玉座の傍に、佇んでいた。

「少し、落ち着かれてはいかがですか?」

 男、と呼ぶには美し過ぎる。

 その身を包む黄金聖衣の輝きすら霞むほどの美貌が、優しく微笑む。

「……すまぬ」

 サガはティーカップを受け取り、中身を啜った。温かな芳香が、体内に満ちてゆく。

 黄金聖闘士・魚座のアフロディーテは、少し呆れたようだ。

「不用心ですね。私がハーデス軍の刺客であったら、どうするのです? その紅茶に毒でも入っていたら?」

「私は……死ぬだろうな……フッ、その方が良いかも知れん……」

「最強の力と最弱の心を持つ御方、貴方に死なれては困るのですよ」

 アフロディーテの優雅な口調が、いくらか剣呑な響きを帯びた。

「我々は、貴方に賭けているのですからね」

「……偽りの教皇である、この私にか」

 真の教皇シオンは、すでにこの世にはいない。

 それを知る僅かな者たちが、こうして偽りの教皇を擁立せんとしているのだ。

「貴方が偽りの教皇である事は、いずれ聖域の全員が知るところとなるでしょう」

 アフロディーテは言った。

「その時が来たら、なに構いません。最強の力を持つ真の教皇として開き直り、傲然と振る舞い、地上を支配なさって下さい。私も、シュラもデスマスクも、その時を待ち望んでいるのですから……しかし今はまだ、その時ではありません。用心深く行動していただかなければ困ります」

 その美貌が、ニヤリと不敵に歪む。

「……浴場の入り口に、雑兵の死体が転がっていましたよ」

「何……」

 アフロディーテが何を言っているのか、サガは一瞬、理解出来なかった。

「……私が……殺した、とでも……?」

「御心配なく、私が片付けておきました。死体を肥料にするとね、ピラニアンローズが良く育つのですよ」

 アフロディーテの綺麗な片手に、黒い薔薇が手品の如く出現した。

「聖闘士の死体が手に入れば理想的なのですけどねえ……アンドロメダ島では惜しい事をしました。ダイダロスの死体を回収する余裕が、なかったのですよ」

「何……死んだのか? アンドロメダ島のダイダロスが……」

 サガは思わず、玉座から腰を浮かせた。

「アフロディーテ、貴様……殺したのか、ダイダロスを! 何故……」

 浮いた身体が硬直した。

「…………私が……命じたのか……?」

「受け入れて下さい、双子座のサガ。貴方が頑なに忌み嫌い続けているそれは、紛れもなく貴方の本質なのです」

 アフロディーテが背を向けた。

 マントのはためきに合わせて、薔薇の芳香が漂った。

「どうか、お忘れなきように。我々と貴方は一蓮托生、死ぬ事は許しませんよ。十二宮最後の砦を司る者として……私が、貴方を守ります」

 黄金聖衣のもたらす優雅な足音が、遠ざかって行く。

 サガはいつの間にか再び、玉座に身を沈めていた。

 アンドロメダ島のダイダロス、だけではない。

 聖域の魔鈴やオルフェ、フランスのミスティ、五老峰の童虎、シベリアのカミュ。

 世界各地の聖闘士のもとへ、グラード財団から孤児たちが送り込まれた。聖闘士としての、修業のために。

 当然、財団と聖域との間に合意があっての事である。

 合意をしたのは、他ならぬサガ自身だ。

 教皇として、アテネ某所で密談の場を持った。グラード財団代表者たる、とある人物とだ。

 その人物も、もはやこの世にはいない。

 もはや答えてくれない相手に、サガはしかし問いかけていた。

「城戸光政……貴方の子供たちが、私を……止めて、くれるのだろうな……」



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