キャロルと不器用騎士 (へびひこ)
しおりを挟む

第一話 アスラの少女

 

 都市の外、都市のエアフィルターによってかろうじて汚染物質から守られているエリアで戦いがおこなわれていた。

 

 目の前で巨大な化け物が暴れ狂う。

 長い首をくねらせ、ワイヤーに絡め取られた翼はそれを引き千切らんと動かしている。

 物語に出てくる竜のような姿の化け物。

 

 数十人の大人の武芸者たちが包囲して化け物の動きを封じ、攻撃を加えていた。

 ワイヤーが打ち込まれ、身動きを封じられながらもなお暴れる。

 

 闘争都市アスラの武芸者たちが決死の覚悟で動きを止め、対汚染獣用のワイヤーを打ち込んで汚染獣から飛行能力を奪った。

 そして今は遠距離からの攻撃で汚染獣の気を引き、その隙を突いて接近戦を挑みダメージを蓄積させている。

 

 すごいと思った。

 みんなすごいと素直に思えた。

 

 キャロル・ブラウニングは後方から大人たちの活躍を見て目を輝かせていた。

 

 あの中には父もいる。

 父はとても強い。

 父の仲間たちもすごく強い。

 きっと汚染獣なんてあっという間に倒してしまうと信じていた。

 

 戦場に出るのだからと武器である錬金鋼(ダイト)をもたされたが、使うことはおそらくないだろう。

 

 そう思えるぐらい安全な後方に彼女たちは置かれていた。

 周囲には幼さの残る武芸者の子供たちが汚染獣との戦いを見学していた。緊張に身を固め、それぞれの表情で汚染獣と戦う大人たちを見つめている。

 

 いつかは自分たちが戦うことになるのだと誰しも理解していた。

 そのための武芸者であり、その義務があるからこそ武芸者は都市に手厚く保護され優遇されている。

 闘争都市アスラを治めるのは優秀な武芸者から選ばれた人物たちであり、また武芸者であるというだけで生活に不自由することはまずない。

 

 それは目の前の脅威に対抗する戦力であるからだ。

 汚染獣。

 ごく希に都市を襲撃する人類の天敵。

 汚染物質で生物がろくに生きられなくなった世界に生きる化け物たち。

 

 その巨大な体躯、強力な力は並の人間では相手にもならない。

 熟練の武芸者たちが戦術を練り、罠にはめてようやくまともに渡り合えるほどの脅威だ。

 

 武芸者がいなければ、都市は守れない。

 

 敵は汚染獣だけではない。

 他の都市とおこなわれる戦争でも武芸者は重要な戦力だ。

 

 生まれながらに剄という普通の人間にはない特殊な力を持つ武芸者たち。

 彼らは都市の戦力であり、都市の住民を守る守護者であった。

 

 突如目の前の戦況が激変した。

 汚染獣の動きを阻害していたワイヤーがちぎれたのだ。

 

 行動の自由を得た汚染獣は、周囲の武芸者を吹き飛ばし不遜にも自分の身体に傷をつけた小さな不埒者たちに制裁を加えるかのように暴れ狂った。

 

 前線が、崩れた。

 すぐ側にいた観戦組の監督である大人が叫んだ。

 

「おまえたちは都市に戻れ! 見学は終わりだ!」

 

 しかし子供たちの動きは鈍い。

 目の前の汚染獣の迫力に飲まれて身動きがとれない者が大半だった。

 そんな子供を殴り飛ばして正気に戻し、大人の武芸者は怒鳴った。

 

「逃げろ! 死にたいのか!」

 

 その剣幕にようやく自分たちが足手まといになりかねないと理解した子供たちが都市方向に走り出す。

 

 しかしキャロルは動けなかった。

 目が離せない。

 人が、とても強いはずの武芸者がまるで人形をはじき飛ばすように吹き飛ばされている。

 

 死んだ。

 死んだのか?

 みんな死ぬのか?

 あの化け物に殺されるのか?

 

 父は?

 父はどこだ?

 

「おい! 君もはやく逃げるんだ!」

 

 身体が熱い。

 燃えさかるような熱がキャロルの身体を焦がした。

 呼吸が荒くなる。

 莫大な熱が身体中を駆け巡り今にも身体が爆発しそうだった。

 ついに耐えきれなくなってキャロルは地面に突っ伏した。

 

「だいじょうぶか! すぐに都市に連れて行ってやる! だいじょうぶだ。必ず俺たちが守ってやる!」

 

 大人たちは恐怖のあまり動けなくなったと考えて近づいてきた。

 しかし次の瞬間彼らはすさまじい圧力を叩きつけられ吹き飛ばされた。

 

 幼い少女の身体からありえないほど莫大な剄が漏れている。

 それは物理的な破壊力さえもって周囲を荒れ狂った。

 

「なんて剄だ!?」

「驚くのは後だ! なんとか落ち着かせて都市に待避させろ!」

 

 周囲の声も少女には届かない。

 

 父が死ぬ。

 みんな死ぬ。

 

 優しくて、厳しくて、大好きな父が死ぬ。

 まるで虫けらのように蹂躙されて死ぬ。

 少女の幼い精神はその光景を、父の死を幻視して狂った。

 

 錬金鋼を手に少女が駈ける。

 

 まるで大地を爆破するような勢いで少女が走る。

 少女の踏みしめた大地が轟音を立てる。

 少女の身体が宙を舞った。

 

「レストレーション」

 

 うめくような声。少女の手の錬金鋼が剣に姿を変える。

 莫大な剄が込められた剣を手に少女は敵に襲いかかる。

 その光景に周囲の武芸者たちは目を見張った。

 

 まるで流星が汚染獣に落ちていったような錯覚さえ感じた。

 見たこともない莫大な剄がそう錯覚させた。

 

 白銀の剣から剄の刃がのびた。

 

 汚染獣の巨体に見劣りしない剄の大剣。

 汚染獣がすさまじいエネルギーに脅威を感じたか少女の方を向いた。

 少女は一切かまわずに突進。

 

 一閃。

 

 汚染獣の首を斬り落とした。

 周囲の人間は目を疑った。

 あれほど頑丈な汚染獣の皮膚が、あれほど太い汚染獣の首が、まるで紙を裂くかのように幼い少女の一太刀で斬り落とされた。

 

 なによりあのすさまじい剄。

 この場にいる誰もあれほどの剄は出せない。

 誰かが叫んだ。

 

「その錬金鋼を捨てろ! それはもうもたない!」

 

 少女はその言葉に従ったのか、あるいは手が滑ったのか周囲の人間には判別のつかない動作で剣が手からこぼれ落ちた。

 

 少女の手から離れた白金錬金鋼の剣が剄の過負荷に耐えきれずに爆発する。

 その爆風に少女の小さな身体が吹き飛ばされた。

 我に返った武芸者の一人がその身体を空中で受け止めて着地する。

 

「運の良い子だな。まるで無傷だ」

 

 そう周囲に話しかけると武芸者たちに笑いが起こった。

 

「どこの子だ?」

「汚染獣の首を一撃で斬り落とすとは、将来が楽しみじゃないか」

 

 すべての力を使い果たしたのか、眠るように意識を失った少女。その周囲に武芸者たちが集まる。

 すでに汚染獣は完全に生命活動を停止しており、武芸者たちの顔には安堵と隠しきれない好奇心があった。

 

 観戦組の子供が戦場に乱入したのは問題だ。だがここはなにより実力重視結果重視の闘争都市アスラだ。見事汚染獣にとどめを刺した少女にはそれにふさわしい賞賛が与えられるべきなのだ。

 

 結果さえ出せば多少の命令無視など問題にならない。

 ましてやこの場合危機にあった仲間を身を挺して救ったのだ。責めるわけにはいかない。

 なにより彼女の行動の原因は自分たちが弱かったことにあるのだから。

 それが闘争都市アスラの考え方だった。

 

「コンラッド、君の娘はすごいな。君よりも強いんじゃないか?」

「まだまだ未熟だ。自分の剄に振り回されるようではな」

 

 少女の父親はどこか憮然とした表情をしながらも、武芸者たちに囲まれて眠る娘を愛おしそうに見つめていた。

 

 これがキャロル・ブラウニングが英雄となった日だった。

 

 

 

 

 世界はすでに人類を拒絶していた。

 大地は荒廃し、そこには植物も動物たちの姿もない。美しい大自然など資料映像でしか残されていない。

 

 荒廃した大地だけがただ広がる。

 

 そこにあるのは汚染物質と呼ばれる目に見えない有害物質。

 汚染物質が充満する世界で人類は生きていくことはできなかった。

 生身で汚染物質に触れれば苦しみもがきながら絶命する。

 

 いまだに人類が生き残っているのは自立型移動都市(レギオス)の存在があるからだ。

 エアフィルターによって汚染物質から守られ、自由に移動できる足でもって危険を避けてくれる自立型移動都市。

 都市によって守られた人類は、都市というゆりかごの中で生き続けることができた。

 

 しかしその都市も汚染獣に襲われてはひとたまりもない。

 その汚染獣から都市を守るのが武芸者といわれる生まれながらに『剄』というエネルギー回路を持って生まれた特殊な人類『武芸者』である。

 

 

 

 

 学園都市ツェルニ。

 学生たちが集まり、学生によって運営される都市。

 

 毎年各都市からの留学生を受け入れ、ここで学び、卒業して自分たちの生まれ育った都市へ帰って行くという特殊な都市。

 同じような学園都市は他にも多数存在しており学園都市同士の戦争、都市戦もある。

 

 その入学式に若干緊張した表情の少女がいた。

 十五歳になったキャロル・ブラウニングだ。

 

 講堂に集められた新入生の列に並び、前方で新入生の入学を歓迎するという趣旨の演説をしている上級生を眺めている。

 

 腰までかかる明るい金色の髪。

 白い肌は緊張のせいか頬がうっすらと赤く染まっている。

 身長が周囲の女生徒より頭一つ分低く、華奢な四肢と相まって幼く見えた。

 ツェルニ武芸科の制服を着ているが着慣れていないためか、若干不似合いに見えた。

 

 すぐ隣が一般科の生徒であり、妙にこちらを気にして先ほどから数人がちらちらと見てくる。

 理由はだいたいわかるのでキャロルは気にしなかった。

 

 彼女は武芸者に見えないのだ。

 小柄で筋肉もそれほど目だたない。

 武器をふるって戦うよりもむしろ紅茶でも飲みながら読書でもしていそうな深窓のお嬢様に見える。

 武芸科の女生徒たちと比べればあきらかに体格で見劣りする。

 

 キャロル・ブラウニングは『世間勉強』のために学園都市ツェルニに留学した。半ば親の強制だった。

 彼女は出身都市では有名な存在だ。

 もはや英雄といっていい。

 

 十歳で汚染獣を倒し、都市戦やその後の汚染獣との戦いでも活躍している。

 もはや同年代では彼女に勝てる者は存在せず。ベテランの武芸者たちでさえ彼女に勝てる者は希であった。

 

 闘争都市アスラ。

 その名の通り戦いを尊ぶ都市において強いということはそれだけで尊敬の対象であった。

 

 故にキャロルには彼女を慕う人間は多くいても対等な友人などはいなかった。

 娘の人間関係を見て危機感をもった両親がこのままでは歪んだ大人になりかねないと都市上層部にかけあって学園都市への留学を認めさせた。

 

 上層部も一般人も都市最大戦力の一人といっても過言ではないキャロル・ブラウニングの都市外への留学には否定的であったが、彼女の今までの功績を考えれば数年の留学くらいは認めないわけにもいかずに渋々認めた。

 

 キャロル自身は『友人をつくってこい。人間関係を学べ』と言われて送り出されたが、いったいなにをどうすれば良いのかわからずに入学式で緊張している有様だった。

 

 ここできちんとやっていけるだろうか?

 故郷ではそれなりの実力者だという自負があるけど、ここではどうだろう?

 いや、そもそも友人なんてどうやってつくったらいいのだろうか?

 

 人間関係って誰に教われば良いんですか?

 一人で前途多難な未来図を想像してすっかり萎縮していた。

 

 不意に気配が乱れた。

 すぐ近くで争いの気配を感じてキャロルは視線を向ける。

 右手が腰のあたりをさまよう。

 舌打ちしかけた。

 学園都市の規則で新入生はしばらくの期間錬金鋼の所持が認められなかったのだ。

 

 二人の武芸者が争っている。

 手に錬金鋼を握り、それを武器に復元して睨みあっている。

 新入生のはずなのに錬金鋼を持っている。

 規則違反だ。

 

 止めなければ。

 ここには一般人がいる。

 一般人が武芸者同士の争いに巻き込まれたら、最悪命がない。

 キャロルは駆け出し、そして止まった。

 

 いままさに激突しようとした二人の武芸科の少年はたった一人の少年にたたき伏せられた。

 大人が子供をあしらうようなものだった。

 圧倒的実力差で錬金鋼ももたない少年に二人の武芸科の少年はのされていた。

 

 一般教養科の制服を身につけたやや眠たげな目をした少年。

 どこか後悔するように茶色の髪を乱暴にかき上げてため息をついている。その藍色の瞳がこちらを向いた。

 

 一瞬お互いの視線が合う。

 藍色の瞳に若干の好奇心が浮かんでいたように見えたがすぐにそれは消えて視線をそらされた。

 

 不思議な目。

 実力はありそうだ。それに自信をもっていそうだ。

 なのにまるでそれを煩わしく思っているように感じた。

 まるで嫌なことを見られたと言いたげな目。

 

 実力を隠したかったのか。

 あるいは武芸者であることを隠したかったのか。

 一般教養科の制服を着ているということは、多いにありそうな話だ。

 

 でもどうして。

 あれだけの実力があるのに。

 その自負もあるだろうに。

 不思議な人だ。

 

 それがキャロル・ブラウニングとレイフォン・アルセイフの出会いだった。

 




 どうもにじファンから移転してきたへびひこです。
『キャロルと不器用騎士』を掲載させてもらいました。

 原作はなんだかもはや学園都市なんて舞台を飛び越えて、世界を救うためにがんばっていますが。
 この作品では基本的に世界を救うなんてだいそれた事を考えずにツェルニを守るために戦いながら、恋愛モノを書いていけたらいいなと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 ツェルニの友人

 

 入学式が乱闘騒ぎで中止になり、キャロルは教室に向かった。

 先ほどの少年のことが少し気になる。

 生徒会の役員に連れて行かれたようだったが、だいじょうぶだろうか?

 彼が乱闘をおこしたわけではなく、むしろそれを周囲に被害を出さないうちに鎮圧したのだから処分などということはないと思うのだが。

 

 ふと自分が見ず知らずの他人の心配をしていることに不思議な気分になる。

 はっきりいえば彼が処分を受けようと、仮に退学になろうと関係ないはずだ。

 なのに少し気にかかる。

 

 あの藍色の目が記憶に刻みつけられていた。

 どこか暗く、なにかに迷い屈託しているような目。

 あれはなんだったのだろう。

 

 キャロルはそんなことを気にしながら席に着いた。

 教室の中には武芸科もいれば一般教養科もいる。異なる制服の学生が同じ教室にいる光景はキャロルには不思議に思えた。

 武芸科なら武芸科で一般科は一般科で分けて授業をすれば良いのではないかと思うが、もしかしたらこれはツェルニがむやみに武芸者と一般人との間に壁を作らないという意思表示なのかもしれないと考え直した。

 複数の好奇の視線を感じるが、わずらわしいので無視しているとやがて教室が騒がしくなった。

 

 一人の男子生徒が入ってきたのだ。

 先ほどの一人で武芸科二人を鎮圧した少年だった。ただし今度は武芸科の制服を着ている。

 三人の少女たちに囲まれて、おどおどしている姿に先ほどの凄みはどこにもない。

 

 どうにも彼も武芸と日常で落差の激しい人物のようだ。

 自分が武芸以外の日常のことに割とうといという自覚があるのでキャロルは少し親近感を感じた。

 

 あとで彼と話をしてみようか?

 それはいい考えのような気がした。

 なぜ一般教養科だったのか、それがなぜ武芸科の制服を着ているのか。

 その理由も聞けるかもしれない。

 

 キャロルは困惑していた。

 例の彼に話しかけてみようと昼食時に声をかけたら、なぜか三人娘もやってきて彼共々一緒に喫茶店で昼食を取ることになった。

 

 味がしない。

 

 サンドイッチを口に運びながら味がまったく感じられないことに戦慄する。

 自分はなぜここまで緊張しているのだろう。

 たかがクラスメイトに昼食に誘われただけだ。

 ただそれだけなのだ。

 

 お互い自己紹介しながら和やかな昼食。

 そのはずなのだが、キャロルはまったく食事の味がわからないほど緊張していた。

 気のせいかお腹のあたりが重苦しい。

 

 彼はレイフォン・アルセイフ。

 元々は一般教養科として入学したそうだが、あの騒動で生徒会長から武芸科への転科を命令されてしまったらしい。

 見た目普通、よく見ればそれなりに整った顔。

 けれどいまは女の子に囲まれての食事ということでキャロル以上に緊張し、おろおろしている。

 

 レイフォンを囲む三人娘。

 おとなしいメイシェン・トリンデン。

 すっきりした印象のナルキ・ゲルニ。

 よくしゃべるミィフィ・ロッテン。

 

 なんでもあの騒動でメイシェンがレイフォンに助けられたらしい。

 そのお礼を兼ねての食事会なのだろう。

 なぜ自分も同席しているのかキャロルは首をかしげるがナルキが「あなたも彼らを止めようとしてくれただろう」と一言で理由付けしてしまった。

 レイフォンに一歩遅れてなにもできずに終わったが、ナルキはキャロルが素早く暴れている生徒を押さえるために動いていたことを見ていたそうだ。

 

 なんというか意外に目敏い女性だと思ったら将来は警察官志望なのだそうだ。

 きっと向いているだろうと確信した。

 キャロルと同じ武芸科の一年でこの場ではキャロルと彼女、あと急遽転科となったレイフォンが武芸科生徒と言うことになる。

 

「キャロは物静かなタイプなのね」

 

 ミィフィにまじまじと顔を覗き込まれてキャロルはなんと答えていいか返答に困ったが、見栄を張っても仕方がないと正直に答えた。

 

「いままで友人というものがいなかったので、どうしたらいいのかわからないのです」

「意外だな。キャロは男女問わず人気がありそうなタイプに見えるが」

「そうだよね。可愛いし、なんとなく親しみやすそうな気がするし」

 

 ナルキとメイシェンも意外だという。

 しかし『キャロ』という愛称は確定なのだろうか?

 

「私は故郷では少し特殊な立場にいたので、対等な友人というのがいなかったのです」

「いいところのお嬢様とか?」

「いえ、どちらかといえば『英雄』というのが近いです」

 

 ミィフィの言葉に少し自虐的に笑う。

 

 英雄には違いない。

 たった一人で汚染獣を倒せる。

 たった一人で百人からの敵都市の武芸者を蹴散らせる。

 今から振り返れば自分はあの都市の人間にとっては実に便利な駒だっただろう。

 

「英雄? なにかしたのか?」

「汚染獣を一人で殺したとか他にもいろいろ」

「うっそー!?」

 

 ミィフィたちが目を丸くする。

 レイフォンも驚いたような顔をしている。

 

「そんなわけで故郷の都市では私を尊敬してくれる人は大勢いましたが対等な友人などいませんでした。両親はこのままでは私の成長によくないと学園都市への留学を決めたらしいのですが、正直なにをどうしたらいいのかわかりません」

「つまりキャロはツェルニに友人をつくりに来たのか?」

「そう言われています。友人をつくれ、人間関係を学べ。そう言われて送り出されましたが、正直どうしたら良いのか」

 

 ため息をつく。

 ふとレイフォンの目がどこか同情するような羨むようなどこか屈折した感情を浮かべていた。

 

「それならもうだいじょうぶじゃん」

 

 ミィフィが輝かんばかりの笑顔で手を叩いた。

 

「もう私たち友達でしょ?」

 

 その言葉にかすかに苦笑にしてナルキとメイシェンが肯く。

 

「友達ですか」

 

 三人の顔を見て、少しだけ考える。

 

 これが友達なのだろうか。

 会ったばかりで、互いのことはまだほとんどなにも知らなくて。

 それでも一緒に食事をする。

 

 これが友達。

 いや、これから友達になるのだろうか。

 

 注文した唐揚げを軽く口に放り込む。

 油っぽく安っぽい唐揚げがなぜかおいしく感じられた。

 

「あ、キャロがようやく笑った」

 

 ミィフィがそう笑う。

 

「やはり美人はどんな表情をしても絵になるな、男だったら一発だろう」

 

 ナルキがどこか羨ましそうにつぶやき、メイシェンも同意するようにため息をつく。

 そしてレイフォンは不意打ちで視界に飛び込んできたキャロルのはにかむような笑顔に顔を真っ赤にして下を向いてしまっていた。

 

 気がつけばお腹の不快な重苦しさはさっぱり消えてなくなっていた。

 初めての同世代のお友達。

 キャロルは三人娘の話に自分なりにがんばって答えながら、入学早々友人ができたことを喜んでいた。

 

 そんな四人の女の子に囲まれてレイフォンは遠慮して自分は席を立った方がいいのか、それとも会話に加わるべきかと真剣に悩んでいた。

 

 友達ができた。

 それも女の子と男の子両方だ。

 ミィフィたち三人娘は同じ都市出身の幼なじみらしく息の合ったところを見せるがけして排他的ではなく、自分という異分子を陽気に受け入れてくれた。

 

 レイフォンも次第に会話に加わり、というよりもミィフィやナルキに質問攻めをくらって会話の中心に引きずり込まれ、いろいろと話した。

 

 彼はどうも武芸者として生きるのに積極的ではないように感じた。

 武芸科に転科させられたのも不満そうだった。

 ため息をついて自らの状況に嘆く様子は武芸科二人をあっという間に鎮圧した勇壮さは欠片もなく、ただただ悩み悔やむ一少年という印象だった。

 

 レイフォンは機関掃除のアルバイトをするといっていたが、自分もなにかアルバイトをやった方がいいのだろうか?

 武芸者として武芸科に入学したためかなりの奨学金が出ており、実家からの仕送りもあってお金には困っていない。

 けれどアルバイトをすればそこでも他人と接する機会が増えるだろう。

 キャロルに課せられた使命である『人間関係を学ぶ』ためにはアルバイトというのもいい方法だと思った。

 

 ツェルニでは学生の就労が認められている。

 才能があり気合いの入った学生は自ら起業してしまうほどだ。

 なにかしらお店をもってみるのもおもしろいかもしれない。

 

 どうせ武芸科の授業なんて、故郷でやってきた修行の復習程度でしかないらしい。

 事前に故郷で学園都市に留学経験のある武芸者に聞いてみたが『ちょっとした学生気分を味わえる程度のもの』と言われた。

 

 留学先のレベルに過度の期待はするな。

 しょせん学生が運営する都市だ。

 教師も熟練の大人がいない。すべて生徒たちがおこなっている。

 だからおまえが学園都市に行っても武芸に関しては学べることはほとんどないだろうと。

 むしろキャロルの実力なら講師を任されるかもしれないと留学経験のある彼は言っていた。

 

 キャロルは武芸者として自分はすでに一流に近いと自負している。

 けれど最強などではない。

 

 実際故郷でも状況を限定されれば勝てない強者も多くいた。

 キャロルの強さは莫大な剄と、それを操るセンスだ。

 常人ではありえないほどの剄で肉体を強化し、卓越した速さと威力を武器に戦う。

 

 純粋な戦闘技術ならキャロルを上回る者も故郷には結構いた。

 彼らもキャロルの素質と努力を認め、『じきに追い越していくだろう』と認めてくれたが、それは現時点の純粋な戦闘技術ではまだまだ上達の余地があるということなのだ。

 

 キャロルは自分の力を高めることをごく当然の行動と受け止めている。

 強くなければ、死ぬからだ。

 生き残りたいなら強くならなければならない。

 弱い武芸者など、戦場に出たら死ぬだけなのだから。

 

 レイフォンはどうだろう?

 あの時一瞬で二人を無力化した動きから見てかなりの技量を持つだろう。

 けれどあれが本気とは限らない。

 いやまずありえない。

 おそらく周囲に被害を出さないように精一杯加減したはずだ。

 本気で暴れ回ればあの時の比ではない戦闘力を見せるだろう。

 

「今度機会があれば模擬戦をして欲しいかも……」

 

 キャロルの勘では、なかなかいい戦いができそうな気がする。

 故郷の大人たちにさえレイフォンは引けを取らない気がした。

 

 ツェルニでの住処になるマンションを外から眺めてキャロルは一人満足していた。

 なかなか趣味の良いマンションだ。

 真新しい壁は綺麗で周囲の清掃も行き届いている。

 立地も良いし、広さもなかなかだ。

 それに外観の趣味が良い。聞けばセキュリティーもしっかりしているらしい。

 娘の一人暮らしを心配した両親がかなりの額の仕送りをくれるので結構な高級マンションが借りられた。

 今日からここが私の家だ。

 

 マンションを正面から眺めてこれからの学生生活を想像していると不意にやや険のある声がかかった。

 

「なにを人の家の前でニヤニヤしているのです? 邪魔です」

 

 振り返ると銀髪の少女がいた。

 背丈はキャロルと同じぐらい。

 整った容姿とやや無表情じみた表情のせいで人形じみた美しさが感じられる。

 その雰囲気にキャロルはふと母の面影を感じた。

 

「すみません。今日からここに住むことになる新入生のキャロル・ブラウニングです」

「ああ、新入生ですか。新しい生活でも想像していましたか? 楽しそうで結構なことですね」

 

 無表情でぶっきらぼうだが不思議と嫌な気がしない。

 

「あの、ひょっとして念威繰者の方ですか?」

「……そうですがそれがなんです?」

 

 武芸科の制服。

 けれどもどう見ても武器を振るうには向かない小柄な身体。

 見覚えのある感情の欠落した無表情に、言動。

 やっぱりと納得した。

 

 武芸者の中でも特殊な存在。

 念威繰者。

 剄の代わりに念威という力を用い。情報の伝達などをおこなう戦場の伝令、情報収集役だ。

 戦場の有利不利を決定づける存在とも言われるほど重要な存在でもあり、念威繰者の実力次第で不利な戦局もひっくり返ることをキャロルは経験で知っている。

 

「母が念威繰者なんです。母に印象が似ていたからもしかしてと思いました」

 

 少しだけ銀髪の少女は言葉に迷ったようだった。

 

「では、あなたも念威繰者ですか?」

「いえ私は武芸者です」

「そうは見えませんね」

「よく言われます」

 

 苦笑する。

 実際外見だけでキャロルを実力のある武芸者と認識できる者は皆無といっていい。

 むしろ外見だけなら念威繰者といわれた方が周囲は納得できるという評価だった。

 あまり感情的にならないところも感情の欠落しがちな念威繰者の特徴に合うし、なにより武器を振るうよりも後方にあって情報のやりとりをする方が向いているように見えるそうだ。

 

 念威繰者は莫大な情報を取り扱うため頭が良い。

 そしてあまりに莫大な情報を処理し続けるために感情表現が希薄になりがちだった。

 キャロルの母もその傾向が見られ、周囲に『美人だがまるで人形のようだ』と陰口をたたかれていた。

 

 だからといって念威繰者に感情がないわけではなく。

 普通の人間と同じように怒り泣き喜ぶ。

 ただその表現が少し苦手なだけなのだ。

 母も感情表現が苦手だったが、内面の感情は豊かだった。

 だから目の前の無表情な少女に対してもキャロルは普通に応対した。

 無表情に見えても、心の中では普通に感情があるのだとわかっているから。

 

「あなたは変わった人ですね」

「そうですか?」

 

 そんなキャロルに少し戸惑ったように銀髪の少女はじっとこちらを見つめる。

 

「ここに住むのでしたね。ならこれからはご近所です。私は二年のフェリ・ロスです。ここには兄と二人で住んでいます」

「よろしくお願いします。フェリ先輩」

「こちらこそよろしく。あなたも武芸科のようですね」

 

 自分の制服を見下ろして肯定する。

 

「ええ、そうですね。ところでフェリ先輩から見てツェルニの武芸者はどんな感じですか?」

 

 念威繰者ならば後方から武芸者の動きを見る。

 そのぶん客観的に武芸者の実力を評価できると思って問いかけたが、その質問にフェリ・ロスは少しだけ口元をつり上げた。

 

「最低ですね」

「……最低ですか?」

「実力もない。頼りにもならない。あんな武芸者たちならいなくても同じです」

 

 そこまでひどいのか。

 学園都市のレベルに期待はするなと言われてはいたけれど。

 念威繰者からしてみれば自分たちがどれほど必死になって情報を回しても前線に立つ武芸者が頼りないのでは腹が立つのだろう。

 

 念威繰者が頭脳ならば武芸者は手足だ。

 頭脳がどれだけ優れていても弱い手足では勝てない。

 弱い武芸者は念威繰者から見たら嫌悪どころか憎悪の対象にもなり得るかもしれないとふと思った。

 

「あなたはぜひこの都市のろくでなしどもとはちがうということを期待しています……無理でしょうが」

 

 くるりと長い銀髪をなびかせてフェリ・ロスはマンションの中に入ってしまった。

 どうやら欠片も武芸者に期待する気が無いらしい。

 それほどツェルニの武芸者の質がひどいということなのだろう。

 

「学ぶこと、あるといいなぁ」

 

 武芸科の先行きに不安を感じつつ、キャロルも部屋に入っていった。

 なんとロス家の隣の部屋だった。

 

 仲良くできればいいな。

 銀色の髪の少女を思い浮かべてキャロルはそんなことを考えていた。

 どことなく母の面影を感じる先輩。

 ふと涙がにじんできて、慌てて頭の中の母の姿を追い払う。

 

 初日からホームシックでは先が思いやられる。

 引っ越し業者によってしっかりとコーディネイトされた部屋に入り、ふとこれから先のツェルニでの生活に不安を感じるキャロルだった。

 




フェリ大好きなへびひこです。

男主人公だったらヒロイン確定は間違いないでしょう。
今作ではお友達になれたら嬉しいなと思っています。

キャロルもフェリもお友達少ないですし。
相性も良さそうに思いますし。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 エリート

 

 なんとレイフォンが第17小隊の小隊員になった。

 

 最初それがどういう事なのかよくわからなかったが、ミィフィが興奮気味に説明してくれたおかげでキャロルにも事情が飲み込めた。

 小隊とは都市戦で武芸科生徒の中核を成す存在であり、要するに武芸科から選び抜かれた実力者が集まる場所なのだ。

 小隊に所属するということはツェルニの武芸者の中でも最高位の実力を持つと目される。

 

 当然のようにエリート扱いであり、武芸科生徒にとってはいつか自分もと胸に誓う憧れの立場なのだ。

 当然実力重視で選ばれるため、小隊員は上級生が多い。

 それに一年生で、しかも入学直後に小隊にスカウトされたレイフォンは異例の大抜擢ということらしい。

 

「すごいね。レイフォン」

 

 他人事なので無責任に賛辞を送るとレイフォンが恨めしそうな顔をした。

 

「僕は武芸者として活躍したくなんてなかったんだ……」

「しかたがないよ。レイとん、入学式で大活躍だったから」

 

 ミィフィに指摘されてレイフォンが崩れ落ちる。

 

「僕は、僕はただ平穏な学生生活を……」

 

 ぶつぶつと呟いている。

 少し不気味だ。

 

「レイとん。そういうことはあまり人にいわない方がいいよ」

 

 ミィフィの忠告にレイフォンはなぜという顔をした。

 

「武芸科の生徒なら小隊員は憧れの的だよ? それに選ばれておいてそんなものになりたくなかったなんていったらきっと周囲からいろいろいわれるよ」

 

 彼女は真剣な顔でいうがレイフォンは今ひとつわからないという顔だった。

 

「ミィフィのいうとおりだよ。他人の嫉妬は怖いよ」

 

 キャロルも同意する。

 今のレイフォンの立場で『小隊員になんてなりたくなかった』と触れ回れば、多くの人間が反感を持つだろう。

 小隊員になりたくてもなれない人間からしたらこれ以上の嫌味はちょっとない。

 小隊に属する生徒は増長と取るかもしれない。

 

「わかった。気をつけるよ」

 

 そう肯きながらもレイフォンはそんなことがなぜ重要なのだろうと考えるような顔をしていた。

 

 アレはわかっていない。

 キャロルはそう思った。

 キャロルも十歳にして英雄扱いされた経験がある。

 当然当初は他人の嫉妬というものはあった。

 

 もともと闘争都市アスラは実力主義だ。

 実力さえあれば評価されるし、結果を出せば賞賛される。

 それでも成功した者への嫉妬はあった。

 

 幼い天才というのも過去に例がないわけでもない。

 それほどひどい目に遭った記憶はないが、それでも自分に同年代の友人ができなかったのは嫉妬という感情が当然のようにあっただろうとキャロルは今にして思う。

 

 いくら実力主義、結果主義といってもキャロルは幼すぎ、ましてややったことは退避命令を無視しての暴走だ。

 その件をつついて、『武芸者としての冷静さが足りない』とか『自分の実力を過信してチームワークを乱すようでは困る』などと小言を言われることもあった。

 まったく反論できない事実でもあるので以後は戦場ではなるべく冷静に、命令には従うように行動していた。

 

 それ以外にも『あいつは普通ではない』『あいつは俺たちとは違う』とささやかれて、同年代の武芸者の交流の輪にはいれなかった。

 さらに実力をつけ、実績をあげていくことでささやき声は減り、賞賛と羨望に変わっていったが、やはり距離は置かれた。

 

 自分たちとは違う。

 あいつは天才だ。自分たち凡人とは違う。

 

 故郷ではキャロルは賞賛されたが、どこかで一歩距離を置かれた。

 自分たちとは違う天才。

 誰もその一歩を踏み出してキャロルの横に立ってくれる人はいなかった。

 

 キャロルのその経験がレイフォンの危険を感じていた。

 レイフォンの異例の抜擢に彼がこの先羨望と嫉妬の視線にさらされることを危惧した。

 もっともレイフォンはとある事情からそんなものはすでに慣れっこでどうとも感じなかったのだが、そんなことはキャロルは知らない。

 だからキャロルはレイフォンが心配だった。そしてこの抜擢に不自然さを感じていた。

 

 確かに入学式の乱闘騒ぎを鎮圧したレイフォンの実力は素晴らしかった。

 武芸科の上級生がそれを見てレイフォンを小隊員にと望んだのだろうか?

 たったあれだけのことで?

 フェリ・ロスは言った。武芸科は頼りにならないと。

 たったあれだけの活躍でも大抜擢するほど人材が不足しているのだろうか?

 

 わからない。

 キャロルは首を振った。

 あとでフェリ先輩に会えたら聞いてみよう。すでに一年この都市で暮らしている先輩なら自分よりこの都市のことに詳しいだろう。

 

 授業は比較的楽だった。もともと頭の回転はいい方だ。

 さすがにトップクラスの成績は無理だろうが、よほど手を抜かなければ落第ということはないだろう。

 ちらりとレイフォンを見てみると教科書と教師役の上級生が書き連ねる黒板を睨んで唸っていた。

 後方の窓際の席からレイフォンの背中はよく見えた。どうやら武芸ほどには勉強はできないらしい。

 今度一緒に勉強しようとでも申し込んでみようか?

 

 模擬戦もしてみたいけれど小隊員という立場になってしまった以上、一般武芸課生徒と模擬戦をするのは問題があるかもしれない。

 自分が模擬戦を挑んでレイフォンがそれを受けたら、他のレイフォンになんらかの含みがある人物や、自分の実力を示して小隊員の座を狙う連中が束になってレイフォンに模擬戦を挑むかもしれない。

 さすがにそれはレイフォンに迷惑になる。

 やめておいた方がいいだろう。

 

 それにしてもレイフォン・アルセイフという人物は見ていると退屈しない。

 どこか茫洋としているくせに底が知れない面があり、見ていて飽きない。

 おもしろいおもちゃでも見つけたような感覚でキャロルはレイフォンを眺めていた。

 

 

 

 

「小隊の訓練はいいの?」

 

 今日の放課後はツェルニ内を散策してみようと学校から帰る途中挙動不審な知り合いを見つけた。

 わざわざ殺剄を使って気配を消し、物陰に隠れるようにこそこそと学校から離れる武芸科生徒レイフォン・アルセイフ。

 通学路は他に人影がない。

 ほとんどの生徒は放課後の時間を自分なりに有意義に過ごしているのだろう。授業終了と同時に自宅へ向かう者は希だ。

 

「キャロか……驚いた。あの人に見つかったのかと思った」

「あの人?」

 

 誰だろう?

 

「小隊の隊長。むやみにやる気があって正直ちょっとついて行けないんだよ」

 

 レイフォンが苦笑する。

 これは素直にその隊長がやる気に満ちあふれていると取るべきか、レイフォンのやる気が水準よりはるかに低いと受け取るべきなのか。

 

「この間もいきなり小隊の訓練所に連れて行かれて模擬戦やらされたし」

「勝ったの?」

「負けた」

 

 レイフォンが負ける?

 その隊長はすごいのだろうか?

 キャロルから見たレイフォンは少なくとも故郷のベテラン武芸者並には強いと思うのだけれど。

 

「その隊長さん、強いんだ?」

「そうだね。学生としてならそこそこだと思うよ」

 

 その言い方に、キャロルは微妙に眉を傾けた。

 ひょっとしてレイフォンは、本気を出さなかったのだろうか?

 学生としては。

 その一言に自分をその範囲に入れていないように感じた。

 

「もしかしてわざと負けた?」

 

 レイフォンの表情が固まる。

 嘘のつけない人だとキャロルは苦笑した。

 

「そんなに目立つのが嫌い? 確かにむやみに目立つのもうっとうしいと思うけど」

「そうじゃないんだ。僕は武芸以外の生き方を見つけようとここに来た。なのにみんな戦えという。僕はそれが嫌なんだ」

 

 武芸者が武芸以外の生き方を望む。

 別に珍しいことではないとキャロルは思った。

 長年武芸一筋に生きてきた歴戦の武芸者がある日突然『俺はパン屋になるのが夢だったんだ』と言ってパン屋を開業したことも故郷ではあったし。

 

 もちろん好まれる生き方ではない。

 武芸者は戦ってこその武芸者だという意見が故郷でも一般的だ。

 それでも才能に恵まれない者や気質的に戦いに向かない者、あるいは長年戦い続け戦いに飽きた者。

 そういった者は武芸者である優遇措置をすべて返上して一市民として生きることが故郷ではできる。

 もちろん非常時には協力を要請されたりもするが日常では一般人と変わらない生活を送ることができる。

 褒められる生き方ではないが、そういう生き方もあると認められていた。

 

 闘争都市アスラは戦いを尊ぶ。

 故に戦う意志のないものは武芸者といえど戦いの場には入れるべきではないと考える。

 戦いを望まない者に戦いを強要しない。

 質の高い武芸者を多数抱えるアスラだからこそできるやり方かもしれない。

 レイフォンのいた都市ではそういう生き方は認められなかったのだろうか。

 

「レイフォンはグレンダン出身だっけ」

「うん」

「グレンダンでは武芸者が戦わないという選択をすることは許されないの?」

 

 レイフォンはなにを言われたのかわからないという顔をした。

 キャロルは少しだけ都市の違いというものを感じ取って苦い気持ちになった。

 きっとアスラは武芸者にとって恵まれた都市だったのだろう。

 戦いを望む者にも、望まない者にも。

 

「アスラでは武芸者として特権を返上することで、戦わないという選択ができるよ」

 

 そう教えるとレイフォンは驚いた。

 

「武芸者なのに戦わなくてもいいの?」

「戦う気のない者を戦わせる必要はない。うちの都市はそんな感じ。もちろん非常時になれば協力を依頼されることもあるらしいけど、普通に日常を送ることはできるよ」

「そっか……そんな都市もあるのか」

 

 考えたこともなかったとレイフォンはわずかに遠くを見る。

 今もこの広い世界には無数の自立型移動都市が生きている。

 それぞれの都市にはやはり違いがあり、中にはレイフォンの望みを簡単に叶える都市もあるだろう。

 

「武芸以外の生き方。それがレイフォンのやりたいことなら思い切りやってみればいいじゃない」

「え?」

 

 意外そうな顔でこちらを見る。そんなことがこのツェルニでできるのかと言いたげだ。

 キャロルは少しだけ笑った。

 

「ここは学園都市だよ? みんなここになにかを学びに来ている。レイフォンはここで『武芸者が武芸以外の生き方をする』事を学べばいい。文句を言う人はいるかもしれないけど、それがレイフォンの学びたいことなら止めることはできないでしょう?」

「でも、僕は……」

「ここは学園都市なんだよ。生徒ががんばって学ぼうとすることを邪魔するようなら文句を言ってやればいいよ」

「それはそうだけど」

 

 そう簡単じゃないよと苦笑された。むっと頬が膨らむのを感じた。

 

「なぜそんなに簡単に諦めるの? 別に小隊員になったからといって武芸にすべてを費やしてツェルニを守ることを第一に生きなければならないわけではないでしょう? 小隊員だって生徒だよ? 自分の生き方を探してなにが悪いの」

「小隊員をやりながら、武芸以外の生き方を探すということ?」

 

 レイフォンは肩にある第17小隊隊員の証であるバッチを見つめながらぽつりと呟く。

 

「出来ないわけはないでしょう? あなたはツェルニの生徒なんだよ。自分の生き方を模索してなにが悪いの?」

「そうか、そうだね。小隊員になったからって僕が何か変わるわけではないんだ」

「そう、あなたはあなたの好きなようにこのツェルニで学べばいいんです」

 

 そう胸を張って断言するとレイフォンの表情が少し明るくなった。

 それを見てキャロルは自分のことのように嬉しかった。

 

 なぜレイフォンが戦いを望まないのかは知らない。

 けれどもし本当に戦いを望んでいないのなら、それ以外の生き方を探すことをしてもいいはずだ。

 武芸者に生まれても、武芸者として生きられるかどうかは別なのだから。

 

「今日私はツェルニを散策しようと思っていたの。よかったら一緒にどう? なにか興味を引くものがあるかもしれないよ」

「そうだね。僕もまだあまり出歩いていないんだ」

「では行きましょうか。第一次ツェルニ探検へ」

「探検か……それもおもしろいかもしれないね」

 

 レイフォンの表情にようやく笑顔が浮かんだ。少し眩しいものを見るようにキャロルを見つめる。

 そんなレイフォンに微笑みかけ、二人はツェルニの市街地へと歩いて行った。

 




キャロルはレイフォンと順調に仲良くなっています。
なんだかレイフォンに余計な入れ知恵をした感じです。

でも鋼殻のレギオスの世界では武芸者は基本武芸者としてしか生きられない感じですよね。
能力があまりに低い者、気質的に戦いに向かない者なんかはどういう扱いなんでしょう?

そんなわけでオリジナル都市である闘争都市アスラでは特権の返上により一般人とそう変わらない生き方ができることにしました。
それでもやはり武芸者くずれとして、あまりいい目を見ない立場だと思いますが。
戦いたくなかったり戦う能力がないのに戦うことを強制されるよりかはいいのではと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 カリアン・ロス

 

 あれからレイフォンは小隊の訓練にもそこそこ真面目に顔を出すようになった。

 訓練内容に関しては『加減がわからない』とこっそりぼやいていたが。

 

 レイフォンは隊長であるニーナ・アントークと組んで戦うように訓練をしているらしいが、どうもレイフォンはニーナのレベルに合わせるのが大変なようだ。

 追いつけないという意味ではなく、下手に全力を出せばニーナを置いてきぼりにしかねないという意味で。

 

 レイフォンのそういう武芸者としての愚痴を聞くのはキャロルの役割になっていた。

 小隊内の仲間に話せる内容ではなく、キャロルは多少なりともレイフォンの実力が傑出していることを知っている人間である。

 

 話しているうちにキャロルはまだレイフォンが実力を隠していることを察した。

 そして困っていることがあるならば相談に乗ると言ったのだ。

 レイフォンにとってはありがたい話だっただろう。

 自分の実力を見抜いたとしてもそれを利用することも吹聴することもなく、ただ話を聞いて相談に乗ってくれる存在。

 そんな人物はツェルニでは彼女だけだ。必然レイフォンが愚痴をこぼせるのは彼女ぐらいになった。

 そのキャロルにしてもレイフォンの実力のすべてを知っているわけではないし、レイフォンが武芸者以外の道にこだわる理由も知らない。

 いずれ気が向いたときにでも話してくれるだろうと考えていた。

 

「はぁ……」

「またため息? 幸福に逃げられるよ」

 

 学校近くの喫茶店で二人向き合って座りながらキャロルは少し呆れたような視線を向けた。

 最近のレイフォンはキャロルと二人で会うとこんな感じだった。

 普段からぼんやりした印象だが、それに輪をかけて気が抜けた態度を見せる。

 

「対抗戦のことかな?」

 

 ここ最近対抗戦に向けて無駄にやる気を出す隊長と、まるでやる気を見せない隊員たち。

 その中に放り込まれたレイフォンは小隊内ではずいぶん気苦労しているらしい。

 

「どのくらいやればいいのか、さっぱりわからなくて」

「どのくらいならやれるの?」

 

 キャロルの問いにレイフォンは気まずそうに口ごもった。そして少しだけ好奇心を見せて尋ねた。

 

「キャロならどの程度できる?」

 

 その質問に少しだけ考え込む。やがて首を振った。

 

「小隊員の戦闘力がレイフォンのいうニーナ・アントーク程度であると仮定すれば、小隊の最大人数七人いたとしても一人で殲滅出来ると思う」

 

 すでにレイフォンから第17小隊の戦力がどの程度かは聞いている。

 自分ならばレイフォン・アルセイフという不確定要素さえなければあっという間に殲滅できるだろう。

 断言したキャロルにレイフォンは納得したような表情で肯いた。

 

「学生武芸者七人程度、汚染獣より強いって事はないからね」

 

 すでにレイフォンはキャロルの故郷での戦歴を聞いている。

 幼い頃暴走ぎみに汚染獣の首を斬り落としたこと。

 都市戦で百人の敵都市の武芸者を蹴散らしたこと。

 再び襲ってきた汚染獣を大人たちの援護があったとはいえほぼ一人で倒したこと。

 信じてもらえないだろうと半ば思いながら話す内容をレイフォンは真面目に聞き、『信じる』と言い切った。

 

 レイフォンから見ればキャロルはあきらかに並みの武芸者ではないらしい。

 身体を流れる剄が並の武芸者とは異様なほど違う。

 身体の動かし方も洗練されており、上級生の武芸科生徒などよりも動きに無駄がない。

 むしろ彼の知る一流を超えた武芸者たちのそれに近いのだとレイフォンは言った。だからレイフォンはキャロルの語る戦歴を信じた。

 キャロルもまたレイフォンが並の武芸者どころではない実力を隠しもっていると察している。

 下手をすれば自分でも勝てないのではないかとキャロルの直感が訴えていた。

 

「僕がそんなことをしたらみんながなんていうか……」

 

 それはレイフォンもキャロルの言ったようなことができるという肯定の台詞だった。

 

「普通に優秀な武芸者程度に振る舞えば? 向かってくる相手を二、三人倒せば結果的に勝てるだろうし」

「それでいいのかな?」

「なにかいわれても熟練の武芸者ならこのくらいは出来るといえばいいし、それでも文句をいうようならそんなに不満なら辞めてやるといえばきっと泣いて引き留めますよ」

 

 実際それほどの実力者に特に理由もなく去られたということになったら隊長のニーナ・アントークの面目は丸つぶれだろう。

 そして他所の小隊がこれ幸いと大型新人の獲得に動くのは目に見えている。それがわからないほどニーナ・アントークは愚かではないだろう。

 内心がどうであろうとレイフォンを引き留めて自分の戦力として活用したがるはずだ。

 

「なんだか隊長に悪い気がする」

 

 キャロルの考えを聞いてレイフォンは少し罪悪感を感じたように表情を暗くした。

 

「実力を隠している時点でいまさらです。私並みかそれ以上の戦力であるならば隊長どころか武芸長や生徒会長だってあらゆる条件を提示して協力を頼んできますよ」

「生徒会長か……」

 

 どこか皮肉っぽくそう呟いた。

 キャロルはそんなレイフォンの様子にふと気がついた。

 

「ひょっとしてもう生徒会長の接触があったの?」

「僕を武芸科に入れたのは生徒会長だよ?」

 

 忘れたの? という感じで武芸科の制服を指さす。

 

「ということはもしかして生徒会長はレイフォンの実力を知っている……?」

 

 まさかと思う。

 自分だってすぐには気がつかなかった。

 

 最初は故郷の熟練武芸者に匹敵する身のこなしと思っていた。

 それがしばらく観察し、レイフォンとの会話から彼が実力を隠していると察することができたのだ。

 熟練の武芸者ならともかく生徒会長は一般人だ。隠されたレイフォンの実力なんて気がつくはずがない。

 

「どうも僕の事を知っていたみたいでね」

「有名人だったの?」

「……それなりに」

 

 レイフォンは気まずそうに声を落とした。

 レイフォンの過去。

 興味がないといえば嘘になるが、こんな傷ついた表情の彼にそれを聞くことはできなかった。

 なので話題を変える。

 

「ならますます強気で交渉すればいい。あなたの後ろには生徒会長がいるのだから、あの人は絶対に戦力としてのあなたを手放したりしないはずです」

「あの人を知っているの?」

「噂程度は聞いているよ。かなりあくどい人らしいですね」

 

 お隣さんなのだが、あいにくまだ会ったことがない。

 生徒会の仕事で忙しいらしくあまり帰ってこないらしい。

 

 フェリ・ロスから聞いた話では『陰険で自分が勝つためならどんな卑怯なことでもする悪党』だった。

 驚いたことにフェリ・ロスはレイフォンの入った第17小隊のメンバーだった。

 それもレイフォンと同じように生徒会長命令で無理矢理武芸科に転科させられた口らしい。

 かなり兄のことを恨んでいるようだった。

 それでも同じ部屋に住んでいるのだから実は仲は悪くないのでは?

 そう思うが、面と向かっては聞けなかった。

 

 

 

 

「結局はなるようにしかならない……私も役にたちませんね」

 

 レイフォンと別れたあと、ふらふらと様々な店を眺めて回り自宅に戻った。

 もう日が暮れようとしている。正直、どんな店を覗いたのか記憶がない。

 

 レイフォンはツェルニを存続させるため都市戦で勝利し、セルニウム鉱山を得るために生徒会長に利用されている。

 現在ツェルニの所有するセルニウム鉱山はたった一つ。

 次の都市戦に負ければ、その鉱山を失う。すなわち都市の滅亡だ。

 自立型移動都市の動力であり、それがなくなることは都市の緩やかな死を意味する。人間で例えれば餓死だ。

 

 それ自体はキャロルにとってはどうでもいい。

 故郷ならともかく学園都市が一つ滅んでもキャロルの心は痛まない。故郷に帰ればいいだけだし、必要ならまた別の学園都市に行けばいい。

 けれどそれに友達が利用されている。戦力になる。ただそれだけの理由で。

 

 もしかしたら自分も同じ立場に立たされていたかもしれない。

 少なくともレイフォンの話を聞く限り、自分レベルの武芸者は貴重な戦力になるはずだ。

 そんな想いがレイフォンへのやや過剰なほどの感情移入になっていた。

 

 軽いノックの音にキャロルは思考の海から戻った。

 そういえばまだ制服のままだったと少し迷ったが、別に恥ずかしい格好ではないと思って玄関の扉を開けた。

 

「すみません。お時間よろしいですか?」

 

 そこにいたのは白いワンピースに軽くピンクの上着を羽織ったフェリ・ロスだった。

 

 

 

 

「やぁ、挨拶が遅れて申し訳ない。私はカリアン・ロス。フェリの兄だ」

 

 フェリ・ロスに連れられてロス家にお邪魔すると、そこにはにこやかな笑顔を浮かべた理知的な男性がいた。

 すらりとした長身にフェリを思わせる長めの銀髪。軽く眼鏡をかけた瞳は柔らかい笑みを浮かべている。

 女性にもてそうだなぁとキャロルは思った。

 

「食事はまだかな?」

「帰ってきたばかりなので」

「それはよかった。実は食事を用意していてね。どうぞ食べていって欲しい。近所のレストランのものだが味はなかなかだよ」

 

 軽く肩に手を添えられて食堂にエスコートされる。

 そんな扱いを受けたことがないのでキャロルは戸惑い、フェリ・ロスに視線で助けを求めたが彼女は不機嫌そうに沈黙するだけだった。

 わざわざ椅子をひいてくれたので拒否するわけにもいかずに席に座る。

 目の前にはそれなりに値の張りそうなメニューが並んでいた。

 

「どうぞ遠慮無く。冷めないうちにどうぞ」

「あの」

「なんだろう?」

「私はあなた方にこんな歓待をされるおぼえがありません」

 

 はっきりという。

 フェリ・ロスとは顔見知りのご近所程度の付き合いだし、カリアン・ロスとは初対面だ。

 特に親しいわけではない。

 

「ご近所に新入生がやってきた祝いというのでは不足かな?」

「新入生は私だけではありません」

「だが我々の隣人となったのは君だけだ。歓迎に夕食に誘うぐらいは別に問題ないだろう?」

 

 そういう間にフェリ・ロスは黙って席に座って食べ始めている。

 そして小さく言った。

 

「無駄ですよ。兄は自分の思ったとおりにしか動きません。逆らっても無意味です」

 

 カリアン・ロスはそんな妹の言葉にも顔色を変えずに微笑んでいる。

 隣人を歓迎する食事。拒否する理由はとくにない。

 それに強引に席を立つには目の前の青年は怖い。

 穏やかな表情の彼はある意味この都市の最高権力者だ。逆らってもいいことはないだろう。

 諦めて食事をはじめる。

 カリアン・ロスはそんな様子を満足げに眺めて自分も食事をはじめた。

 

 静かな食事風景だった。

 会話もなく、ただ静寂と食事の音だけがわずかに聞こえる。

 あらかた食事が片づいた頃カリアン・ロスが思い出したようにしゃべり出した。

 

「そういえばキャロル・ブラウニングさん。あなたの入学書類におもしろいことが書かれていたよ」

「なんでしょう?」

 

 入学書類を用意したのは都市上層部だ。

 ツェルニとの交渉もすべてそちら任せだったのでキャロルは詳しいことをなにも知らない。

 

「あなたは汚染獣との戦闘経験がある。それも抜群の働きをしたそうだね」

 

 その言葉にフェリ・ロスが驚いたように兄とキャロルを見た。

 キャロルは少しだけ驚いたがすぐに平静に戻り、目の前の生徒会長の目をまっすぐに見つめた。

 

「正直信じられなかった。なのであなたの故郷に確認を取っていた。だから今まで時間がかかった」

 

 ツェルニを支配する青年は笑顔を浮かべながらもまっすぐキャロルの目を見返した。

 その目は冷静に冷徹に目の前の戦力を吟味しているようだった。

 

「その情報はまったくの事実だった。それも一度ではなく二度。しかも都市同士の戦争でも一騎当千といっていい働きをしたらしい」

 

 目の前の青年が笑った。

 キャロルはそれに獲物を前にした蛇を連想した。

 狡猾で油断すれば獲物を噛み殺す蛇。女性のように綺麗な外見だが、その内面は故郷の都市上層部の大人にも引けを取らない腹黒さだと。

 

「実に素晴らしい」

 

 どこか満足げにカリアン・ロスは微笑した。

 彼の頭の中ではレイフォン・アルセイフとキャロル・ブラウニングという二人の傑出した戦力を手の内にする方法を考えているのだろう。

 

 どうやら他人事ではなくなったらしい。

 無理矢理武芸課へ転科させられ小隊に配属されたレイフォンを思い浮かべ、キャロルはどんな無理難題を吹っかけられるのかと思わず身構えた。

 




ツェルニのボス。カリアン登場の回。
カリアンも好きですよ。
個人的にはなんの戦力も持たない一般人でありながら、レイフォンを操り学園都市を動かし、ツェルニを守ろうとする。
並の人物じゃありませんよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 対抗戦

 

『よく考えて返事を欲しい』

 

 ロス家での夕食から数日。キャロルは悩んでいた。

 

 カリアン・ロスはキャロルに協力を要請した。

 このツェルニを守るために次の都市戦を勝利してセルニウム鉱山を得る。

 この都市の戦争で勝利するために可能な範囲で尽力する。それは別に問題はない。

 

『できればこれからもレイフォン君の精神面のケアをお願いしたい。彼は当初はそれほどやる気がなかったようだが、君と話すようになってからやる気を出してくれたようだからね』

 

 カリアンは自分にレイフォンの手綱を取れと、彼を戦わせるようにコントロールしろと注文してきた。

 どうやら自分たちは、あるいはレイフォンは見張られていたらしい。

 

 別にキャロルはレイフォンに戦って欲しいわけではない。

 ただ『武芸者以外の生き方を探す』という彼の目標に実現可能な方法の一つを教えたに過ぎない。

 そのこともカリアンには伝えた。

 フェリ・ロスは少しその発言に驚いたような顔をしていた。

 カリアンはキャロルの発言を肯定的に受け止めた。

『結果を出してくれるのなら一生徒が将来を模索するのを止める権限は自分にはない』と。

 

 自分が戦うのはかまわない。

 いまさらだ。

 今から思えば故郷ではさんざん戦力として期待され、利用されてきた。

 都市を守りたいと武芸者ではないカリアンが強く願うなら、強力な武芸者を味方につけたいと思う気持ちも理解出来る。

 

 一般人が都市を守ろうと思ったら武芸者に頼るしかない。

 一般人は武芸者に守られる存在だ。

 

 彼らが武芸者を頼りにし、時に利用するのは仕方のないことだとキャロルは考えている。

 けれどこの提案を受け入れることはこれから先もレイフォンを戦わせることになる。

 カリアンはそう望んでいる。

 キャロルの存在によってレイフォンが都市を守るための戦いに前向きになるように願っている。

 自分一人の問題ではない。だからキャロルは悩んでいた。

 

 

 

 

「キャロ、なにか最近元気がない?」

 

 唐突にそうレイフォンに見つめられてキャロルの心臓が跳ね上がった。

 ぼうっとしているようで妙に鋭いところもあるのかと目の前の男を再評価した。

 

「僕で良かったら相談に乗るよ」

 

 ごまかしきれる自信もないので詳細はごまかして少しだけ問題が起きたとを告げる。

 するとレイフォンは若干顔を赤くして言った。

 

「ほ、ほら。キャロにはいろいろ相談に乗ってもらったから僕で良かったら今度はキャロの相談に乗るよ」

 

 いつもの喫茶店で二人で向き合う。

 最近は日課になっていた。

 主にレイフォンの愚痴を聞き、彼の相談に乗るだけだが。

 

「対抗試合が終わったら、少し話を聞いてもらえるかな?」

 

 そう、今はいい。

 対抗試合も間近のレイフォンにこれ以上重荷を感じさせる必要はない。

 

「うん、訓練も最近は上手くいくようになったし。キャロの言うとおり適当にやることにするよ」

 

 試合が終わったら話そうと約束する。

 

 試合が終わったら、なんといって話そう?

 自分がレイフォン同様戦力として期待されている。それはいい。

 けれど自分がレイフォンを戦わせる方向へ誘導する存在として期待されていることを言うべきだろうか?

 そんな話を聞かされてもレイフォンは自分に友人として接してくれるだろうか?

 少しの間二人の間に沈黙の時間が流れる。

 ためらいながら、レイフォンが口を開いた。

 

「実は僕も対抗試合が終わったらキャロに話したいことがあるんだ」

「なにかな?」

「うん、そのときに話すよ。全部を」

 

 ひどく思い詰めた顔で苦しそうに呟く。

 彼はいったいなにを話そうというのだろう?

 

 

 

 

 対抗試合当日。

 まるで都市中がお祭り騒ぎのような状況にキャロルは驚いた。

 人であふれかえり、商魂たくましい者はテントを引っ張り出して路肩で飲食品を売っている。

「なんですかこの騒ぎは?」

「ん~、小隊の対抗試合って言ったらツェルニでは名物っぽいからね。観戦客もいっぱいいるし、結構盛り上がるんだよ」

「すごい、人たちだね」

 

 ミィフィの解説にメイシェンも目を丸くする。

 そういえば故郷でも大きな大会は結構注目されていたっけと思いだし、キャロルは納得した。

 

 ツェルニでは小隊対抗試合はツェルニ最高峰の武芸者たちの試合なのだ。

 知らぬ顔で通り過ぎることはないだろう。

 なにしろ自分たちを守る武芸者の実力を実際に目にできる機会なのだから。

 

「賭けも結構すごいらしいよ。結構なお金が動くって先輩が言ってた」

「賭け? 武芸者の試合を賭け事にするのか、けしからんな」

 

 ナルキが生真面目に言うがミィフィはそれを笑顔で受け流した。

 

「お祭りみたいなものなんだから固いこといいっこなしだよ。ねぇキャロもそう思うよね」

「というかうちの都市では武芸者の大会で賭け事って普通にあったから特に悪い事とは思わないかな」

「そうなのか?」

 

 ナルキが意外だと言いたげな顔をする。

 

「都市公認の賭博場もあるし、無認可の賭け試合も結構あったらしいよ」

「都市も違えば常識も変わるというわけか」

「そちらでは一般的ではないということかな?」

「ああ、あまり一般的ではないな。もちろん裏でやっている連中ぐらいやはりいたのかもしれないが」

 

 警察官志望ということでナルキは少し頭の固い部分があるらしい。

 賭け試合というものにあまり好意的な顔はしなかった。もっとも大半の武芸者はナルキ側の考えをするだろう。

 武芸者はその力を天から授かった力だと神聖視する傾向がある。キャロルの故郷でさえそういう考え方の人間はいた。

 しかし闘争都市アスラではより武芸者と一般人の距離を縮めるために一種のヒーローとして武芸者を試合で活躍させて一般人は彼らに多少の金銭を賭けて彼らの勝敗に一喜一憂し、また勝ってくれとか次こそは勝てよとか応援するのだ。

 

 自身もそういう試合に出たことがある。

 その幼さからは想像もつかない実力に結構な人気が出て、ファンクラブまであった。

 世間勉強として父親によって参加させられていたが、キャロルの感覚では体の良い見世物程度の感覚しかなかった。

 賭けがおこなわれていることも特に嫌悪することはなかった。

 勝敗に金銭が賭けられたからといってキャロルにとって別に不利益は起こらなかったからだ。

 過去に賭博を巡って多少トラブルもあったらしいが幸運にもキャロルはそういうトラブルには遭わなかった。

 

 賭け試合というのは一般人の娯楽。キャロルはそう認識していた。

 

 もともと闘争都市アスラではこう教わる。

 

『諸君らの武芸者の力は天から都市を、そしてそれに住む人々を守るために授かった力だ。だが力はしょせん力に過ぎない。どう振るうかは君らの心構えと誇り次第だ』

 

 力はしょせん力。

 それを振るう者の心次第。

 要するにすべては自分次第なのだと。

 

 道を踏み外して犯罪者になるのも、ただ都市を守るために日々研鑽に励むのも、あるいは力を捨て一般人として生きるのも、すべては自分で決めろと。

 

 もちろん犯罪を犯した武芸者は容赦なく罰せられる。

 だが武芸者だからとむやみに高い理想やモラルを押しつけられることもない。

 よくよく武芸者にとっては居心地のいい都市だったのだなとキャロルは思う。

 

 試合場は人でごった返していた。

 キャロルと三人娘は人混みをかき分けるようにしてようやく観客席の一角に腰を落ち着けた。

 人混みで乱れた髪を手でなでつけながらキャロルは少し忌々しそうに呟いた。

 

「暇人の多いことですね」

「まぁ、これ以上のイベントはなかなかないからね」

 

 そういうミィフィも少し疲れた顔だ。

 メイシェンも今にも死にそうな顔をしている。

 手にはレイフォンへの差し入れのバスケットを持っているが試合開始前の面会はできない規則らしく落ち込んでいた。

 四人の中では長身ということもあり被害の少なかったナルキがキャロルの長い金色の髪を見てふと尋ねた。

 

「その髪、短くしないのか? 武芸をやるのには邪魔だと思うが?」

 

 するとミィフィが大声でそれを否定した。

 

「ナッキ、わかってない!」

「な、なにが?」

「キャロはこんなにお人形みたいに可愛いんだよ? それがナッキみたいに色気の欠片もない格好したらものすごく残念な感じになるじゃない!」

「ほう、誰が色気の欠片もないと? そういうことをいう口はこの口か?」

 

 ナルキがミィフィの口を引っ張って引き延ばしている。

 仲が良いなぁとそれを少し羨ましく見ながらキャロルはナルキの疑問に答えた。

 

「別に邪魔にはならないよ? 髪が邪魔になるような動きはしないから」

「ほぅ……前から思っていたがキャロは結構な実力者だろう? キャロから見て今日のレイとんの試合はどう思う?」

 

 少し考えて、自分の考えを話す。

 

「なにせ即席チームだからね。チームワークや作戦勝ちなんて狙っても無意味だろうから……あとは個々人の能力をどれだけ発揮出来るかにかかっていると思う」

「チームワークが無理なら個人プレイでか、レイとんの17小隊はどんな感じだったかな?」

 

 ようやく口を引っ張られるのをやめてもらえたミィフィが話し出す。

 雑誌社にアルバイトをはじめ、雑誌記者を目指すミィフィはこの中で一番の情報通だ。

 

「そうだね。隊長のニーナ・アントーク先輩は一年で小隊入りした才能の持ち主だし、シャーニッド・エリプトン先輩は以前は第10小隊で活躍した名狙撃手、フェリ・ロス先輩はよくわからないけどなんでも生徒会長の推薦で小隊入りした逸材らしいよ。それに期待の大型新人レイフォン・アルセイフがいるんだから個人の能力では負けていないっていうのがだいたいの評価かな」

「……勝てるのかな?」

 

 メイシェンが控えめに聞く。

 ミィフィは少し話しづらそうに続けた。

 

「個人能力では優れているだろうけど、キャロがいったとおり即席チームで連携もとれていないだろうって事で17小隊が勝つと思っている人は少ないみたい」

 

「なら勝てば大もうけだね」

 

 キャロが手にした第17小隊勝利に賭けたチケットをぴらぴら振るとナルキが目をつり上げた。

 

「賭けたのか!?」

「賭けました。友人としては買ってあげるべきでしょう?」

「違法だぞ?」

「知りませんでした。というかかなりの人数が買っていたよ? 全員を捕まえる気?」

「無理だよ。対抗試合の賭けは黙認状態なんだからキャロを捕まえて連れて行っても余計な仕事を増やしたって怒られるだけだよ」

 

 ミィフィが親友をなだめる。

 

「まったく仕方のないやつだ」

「というかこれだけ大規模な試合で賭け事を禁止しようというのがおかしいです。禁止したところで誰かがやるんだからいっそ公式に取り仕切ってしまった方がトラブルは減りますし、収入にもなります」

「それがアスラの考え方か」

「そんなところですね」

「合理的な都市なんだねぇ」

 

 ミィフィが感心するが、あの都市が合理的なのかどうかはキャロルにもよくわからない。

 わかっているのはあまりうるさいことをいわない気風であるということだけだ。

 

「儲かったらおごってあげます」

「賄賂は禁止だ」

「友人からのささやかな幸福のお裾分けだよ」

「仕方のないやつだ」

 

 ナルキは柔らかく苦笑した。

 

「勝つとは限らないんだぞ」

「そのときは盛大に落ち込みますから慰めてください」

「断る。賭け事なんかに手を出す方が悪い」

 

 手厳しく拒否したあとナルキはそれが冗談だと宣言するように笑いだした。

 キャロルも微笑む。

 悪くない。

 こういう会話も悪くない。

 故郷ではこんな会話をする相手もいなかった。

 

 ……本当に、悪くない。

 胸が温かくなるような友人に会えた。

 自分はきっと幸運なのだろう。

 このあとレイフォンと大事な話があるという胸の重みも今は忘れることができた。

 

 

 

 対抗試合は第17小隊が攻撃側だった。

 隊長が戦闘不能になるか時間切れとなれば第17小隊の負け、敵小隊を全滅させるか、敵本陣のフラッグを破壊すれば第17小隊の勝利。

 

 試合は割と平凡なはじまり方だった。

 試合開始と同時に試合会場である野戦グラウンドをニーナ・アントークとレイフォンが走り出し、周囲の耳目を集める。

 シャーニッド・エリプトンはいつの間に野戦グラウンドのどこかに姿を消し、おそらく敵フラッグを狙撃できる位置へ気配を消して接近しているのだろう。

 フェリ・ロスは後方から動かずに念威端子を野戦グラウンドに散開させて情報収集に努める。

 

 相手小隊は十分な罠を張ったのだろう。

 守備陣形をしいて第17小隊を迎え撃つ構えを見せた。

 野戦グラウンドは平坦な地面ではない。実際の戦場を想定し、坂もあれば樹木も茂っている。視界は必ずしも良くない。

 だからこそシャーニッド・エリプトンは姿を隠しつつ敵フラッグに接近を試みられるのだが。

 

 それがニーナ・アントークとレイフォンにとってはいつ敵の襲撃があるかわからない状況に陥らせていた。

 優秀な念威繰者ならば相手の位置をすぐに特定できるだろうが、相手にも念威繰者はいるため当然妨害をするだろう。

 順調に戦場である野戦グラウンドを突き進んでいたニーナ・アントークとレイフォンの前に三人の小隊員が立ちふさがった。

 

 一人がレイフォンの押さえに、二人がニーナ・アントークに向かう。

 彼らにしてしまえばニーナ・アントークを倒せば勝利なのだから当然の選択だった。

 またまだ一年に過ぎないレイフォンならば一人で足止め、あるいは倒せると考えたのだろう。

 

「いけ、レイフォン」

 

 試合を見守っていたキャロルはそう呟いた。

 ふと隣に座っていたメイシェンが不思議そうな顔をしてキャロルを見た。

 そして少しだけ身震いした。そこにはまるで人形のような少女がいた。

 普段のキャロルは確かに『人形のように整った容姿の少女』だが感情表現は派手ではないが割と豊かだ。

 控えめに笑い、不機嫌になり、どこかぽけっとした顔もする。

 そのキャロルがまったく感情を見せない目で戦場を見ていた。

 口元に若干の笑みを浮かべている。

 けれど楽しんでいるわけでも喜んでいるわけでもない。ただそういう顔をしているだけにしか見えない。

 まるで等身大の人形がそこに座っているかのような錯覚にメイシェンはどこかで恐怖した。

 

 ……これが武芸者としてのキャロの顔なんだ。

 メイシェンはそう感じた。

 

 熟練の職人が丹精を込めて造りあげたような美しい人形。

 金糸のようなさらさらの髪。

 宝玉のように深い蒼色の瞳。

 思わず触れてみたいと思わせる滑らかな白い肌。

 小柄な身体が大人と子供の中間のような清楚さと危うい色香を感じさせる。

 清楚で上品で、それでいて誇り高い魂を感じさせる人形。

 

 彼女がもしあのグラウンドで戦っていたら、それはどんな光景なのだろう。

 メイシェンはそう想像して、自分の想像力の限界を知った。

 彼女が戦う光景がどうしても想像できない。

 とても美しい姿のような気もするし、とても怖い姿のような気もする。

 

 闘争都市アスラの少女。

 学園都市に来てできた新しい友人。

 とても優しくて、引っ込み思案な自分のことも何の変わりもなく接してくれる大切な友達。

 それを怖いと感じてしまった自分にメイシェンは自己嫌悪を感じた。

 きっと自分は彼女の美しさに嫉妬したのだと。

 

 女性なら誰しも羨むような美貌の持ち主だった。

 その髪も肌も、見る者を引き寄せてやまない優しい瞳も。

 最近彼女がレイフォンと親しいことは聞いている。だからきっと自分は嫉妬してあんな事を感じたのだとメイシェンは思った。

 彼女はただレイフォンの活躍に集中していただけなのだ。きっと、そうに違いないのだ。

 

 歓声が上がった。

 野戦グラウンドに目を向けると、三人の武芸者が倒れていた。

 

「すごい!」

「ああ……今のはすごかったな」

 

 ミィフィとナルキも興奮気味だ。

 メイシェン一人がよくわからずにおろおろしていると隣から優しい声がかかった。

 

「レイフォンが相手の武芸者三人をあっという間に倒したんだよ」

 

 その言葉に振り向くと蒼い瞳が優しく自分を包み込むように向けられていた。

 

「レイとんが?」

「そう、一瞬の早業だったね」

 

 先ほどの無表情が嘘のように穏やかな笑みを浮かべている。

 さっきは幻覚でも見たのだろうかとメイシェンは不安になった。

 

 そして試合終了のサイレンが鳴り、アナウンスが第17小隊の勝利を告げた。

 シャーニッド・エリプトンによってフラッグが狙撃されたらしい。

 

「勝った」

 

 キャロルはにっこり笑って手のチケットを振った。

 

「ではお裾分けを期待している」

「ナッキってば現金!」

「それはそれこれはこれだ」

 

 先ほど賭けを非難していたのを忘れたようなナルキの態度をミィフィがからかう。

 それを開き直ってかわすナルキ。

 不意にキャロルがグラウンドに向かって手を振った。

 

「どうしたの?」

「レイフォンと目が合ったら手を振ってくれたから」

「さすが武芸者、目がいいのね」

 

 ミィフィが驚いたようにいって遅まきながらも手を振っている。

 

「ああ~、中に戻っちゃた。もう! キャロもすぐに教えてくれれば良かったのに」

「ごめん、まさかこの観客の中から見つけるとは思わなかったから」

「レイとん。この観客の中から私たちを見分けたのか? 偶然にしてもすごいな」

 

 ナルキが感心する。

 

 ふとメイシェンはレイフォンが見つけたのは私たちではなくてキャロではないかと考え、そんなことを考える自分にさらに自己嫌悪を感じた。

 

 

 

 小隊対抗試合初戦は誰しも意外な形で終わり。

 都市は新しいスーパールーキーの誕生に沸き返った。

 




 レイフォン、三人瞬殺。
 それでも思いっきり手加減してこれなんでしょうが。

 原作みたいにうじうじ悩んでいないのですぱっと叩きのめしました。

 メイシェン、普通っぽい感じがいいですよね。
 フェリもリーリンもあんまり普通っぽくないから、普通キャラは貴重です。
 三人娘はこれからもキャロルのいい友人でいて欲しいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 秘密

 

 対抗試合の終了後、すぐに着替えて出てきたレイフォンと合流して少し歩いた。

 対抗試合の余韻でかすかに残る熱気を感じ、ときおり向けられる好奇の視線にレイフォンはくすぐったそうな顔をする。

 

 二人は人影のまばらな公園でゆっくりと向き合った。

 

「まずは勝利おめでとう。大活躍だったね」

「あれでよかったのか、まだ自信がないんだけどね」

 

 キャロルの賛辞にレイフォンは頭をかいた。

 なんでもあのあとニーナ・アントークがかなり不機嫌になりなにか言われる前に逃げてきたらしい。

 きっと今頃はレイフォンを探して走り回っているだろう。

 

 日頃の訓練ではレイフォンは普通の学園武芸者レベル。はっきりいえばニーナ・アントークのレベルに合わせていた。

 それがいざ試合になったら彼女をはるかに超える実力で小隊員を三人も瞬殺したのだ。言いたいこと聞きたいことが山ほどあるだろう。

 

「生徒会長の望みは都市戦に勝ってツェルニの存続を守ること。それさえしっかりこなせばレイフォンが武芸以外の生き方を探そうが干渉はしないよ」

 

 だからそのための実力があることを見せつけたのは間違いではなかったとキャロルは考える。

 

 あれだけの実力がある武芸者に『武芸以外の生き方を見つけるなんて言っている暇があったら鍛錬しろ』などといえる武芸者が果たしてこの都市にいるだろうか?

 自分よりはるかに格上の相手に『もっと努力しろ』『余計なことをしている暇はない』などといえるだろうか?

 そんなことを言えば自分たちこそもっと努力しなければならないと反論されるだけだ。

 

「そんなに上手くいくかなぁ」

 

 キャロルの考えを聞いてもレイフォンは自信が持てない。

 

「結果さえ出せば一生徒が将来を模索するのを干渉する気はない。そう生徒会長自身が言っていたからだいじょうぶだと思うけど」

 

 レイフォンが微妙な顔をした。

 少しためらったあと口を開く。

 

「もしかして生徒会長と話したの?」

「家が隣だったから夕食に招待されたよ」

「それだけ?」

 

 心配そうにこちらの瞳を覗き込む。

 胸の中の迷いもすべて見透かされるようでキャロルは視線を落とした。

 

「私のことを知ったらしくて、それで私にも協力して欲しいという話だった」

「……あの陰険眼鏡!」

 

 普段温厚なレイフォンらしからぬ言葉遣いでレイフォンはカリアンを罵った。

 

「誤解しないで、私はそれに関しては悩んでいないから」

「でも、あいつに利用されるなんて」

 

 どうもレイフォンはカリアンのことがあまり好きではないらしい。

 彼が受けた仕打ちを思えば当然かとキャロルは納得した。

 

「武芸科の生徒ならどのみち都市戦には出なければならない。私にとってはあまり変わりはないからね。多少所属都市のために働くぐらいならたいした手間でもないよ」

 

 もともと一般科として入学したレイフォンとは立場が違うのだと。

 それでもレイフォンは少し腹立たしそうな顔をしていた。

 自分だけでなく友人までカリアンに利用されるのが気にくわないのだろう。

 

「私は彼を特別嫌ってはいない。確かにレイフォンに関しては強引なやり方だったけど、一般人である彼が都市を守りたいと思ったら強い武芸者に頼るのは当然のことだからね」

 

 レイフォンはそう言われて初めて気がついたような顔をした。

 

「生徒会長は一般人なんだよ。どれだけ都市を守りたいと願っても、例えこの都市の支配者として君臨しても実際に自分の手で守ることはできない。どうしても頼りになる武芸者を探してその力を借りるしかない。それがレイフォンであり私だった」

 

 だから仕方がないのだと。

 武芸者は一般人を守る者であり、一般人は武芸者を頼る。

 それは普通のことだから。

 

「キャロが納得しているなら……」

 

 レイフォンは必ずしも納得していない表情でキャロルの意思を尊重した。

 

 キャロルは緊張のあまり唾を飲み込んだ。まるで喉が裂けるかのように痛んだ気がした。

 身体がこわばって指先の感覚が感じられない。

 怖い。

 嫌われるのが、拒絶されるのが怖い。

 それでも。

 言うべきか、言わなければならないだろう。

 これを隠してレイフォンのそばで笑っていられるほど自分は器用ではないのだから。

 

「それと頼まれたことがあるんだ。むしろこっちが向こうの本命かも」

「他にもなにか?」

「私にレイフォンの精神面のケアをして欲しいって」

 

 よく意味がわからなかったのかレイフォンは微妙な表情でキャロルの顔を覗き込んだ。

 

「どういうこと?」

「私にレイフォンが前向きに戦うように誘導しろということだと思う」

 

 レイフォンの顔色が変わった。

 怒り出す直前のような。叫び出す寸前のような顔だった。

 けれど一つ息を吐くと、レイフォンは少しだけ落ち着いたように力なく呟いた。

 

「それで最近キャロは元気がなかったのか」

 

 力なく肯く。

 レイフォンが本当は戦いを望まないことを知っていて、戦うように誘導する。

 カリアン・ロスはそれをキャロルに望んでいる。

 

「そんなこといまさら気にする必要もないのに」

 

 驚いて顔を上げるとレイフォンは穏やかに微笑んでいた。

 

「だって武芸者として戦いながらでも武芸者以外の生き方も探せると言ったのはキャロだよ? いまさら戦うななんて言われても困るよ。もうやっちゃったし」

 

 武芸者としての義務は果たす。都市戦でも勝って見せよう。

 けれど自分は武芸者以外の道も探す。今はまだなにもわからないけれどきっと探してみせる。

 レイフォンはそう力強く宣言した。

 

「だからキャロが気にする必要なんてなにもないんだよ」

 

 そう微笑むレイフォンの笑顔に身体中に温かい安堵が広がっていった。

 そんなキャロルにレイフォンは今度は少しぎこちなく笑った。

 

「今度は僕の番だね」

 

 

 

 

 レイフォンは語った。

 自分がグレンダンで十二人しかいない天剣授受者であったこと。

 それはグレンダンの最高位の武芸者であること。

 そして自分はそんな立場を利用して賭け試合で金を稼いでいたこと。

 天剣授受者の肩書きを持って出場する賭け試合は通常よりはるかに報酬が良かったと。

 そしてそれをグレンダンの孤児たちを救うために使っていたこと。

 

「僕は孤児だったから、それでも僕は武芸者だったから他の子供たちよりも優遇されていた。だから僕は仲間のためになにかやりたかったんだ」

 

 けれどそれも長くは続かなかった。

 非合法の賭け試合に出場していることをとある武芸者に知られ脅迫を受けた。

 

「彼は僕に御前試合で負けろと言ってきた。負けて自分に天剣を譲れと」

 

 天剣になる方法は女王の開催する御前試合で女王に認められること。そして天剣を倒すこと。

 彼はレイフォンに八百長を強要した。

 そしてレイフォンはその試合でその武芸者を殺そうとしたと。

 彼を殺して口を封じてしまえば、すべて上手くいくと信じて。

 

「でも殺せなかった。そのあと彼の告発で僕はグレンダンを追われた」

 

 それが自分がここに来た理由だと。

 故郷から追放に近い扱いを受けて、天剣も剥奪され、名誉もなにもかも失い。人々の罵声を受けてツェルニに来たのだと。

 引き止めてくれたのはほんのわずかだったと自嘲した。

 

「僕を軽蔑するかな?」

 

 そういったレイフォンはすべてを諦めたようなどこか投げやりな顔をしていた。

 

 嫌われても仕方がない。

 そう思っていた。

 けれどどこかで彼女ならばこんな自分でも許してくれるのではないかという期待もあった。

 だから話してみようと思った。

 判決を待つかのようにレイフォンは緊張した。

 

 ぺちりと軽くキャロルはレイフォンの頬を両手で叩いた。

 キャロルの手に頬を挟まれてレイフォンは呆然としている。

 

「あなたは馬鹿ですか?」

「へ?」

「なぜ脅迫されたときに、その姑息な卑怯者のことを女王に訴えなかったのです?」

 

 冷静にこちらを責め立てる口調にレイフォンは狼狽した。

 

「だって、僕は闇試合で」

「だからといってあなたはグレンダン最高峰の十二人の一人だったのでしょう? 女王の性格は知りませんがそんな重要な立場に立っているレイフォンと脅迫でもしなければ天剣になれもしない卑怯者と女王がどちらを重要視すると思うのです?」

 

 レイフォンは訳がわからないように目を白黒させた。

 

「天剣授受者という最強の武芸者をわずかでも大事に思うなら女王はそんな事件は全力でもみ消したでしょう。あるいは女王が潔癖な人物だとしてもすべては孤児たちを救いたかったゆえの行動でどのような責めも負うと潔く罪を認めればけして悪い扱いはされなかったでしょう」

「そんなことをしたらお金が」

「レイフォンが罪に問われたら、せめてもの慈悲を願って以後孤児たちへの支援を女王に頼めば良いのです。場合によっては天剣を返上すると言ってもいい。自分は責任を負う。その代わり孤児たちへの支援を願う。よほど薄情な女王でなければ、孤児政策を考え直すでしょう」

 

 そんなことは考えもつかなかった。

 レイフォンは呆気にとられたようにキャロルの顔を見つめていた。

 

「私が言いたいのはそのぐらいかな。まったくあなたはどうしようもない馬鹿なのですか?」

「キャロは、僕を軽蔑しないの?」

 

 おそるおそるレイフォンが問いかけてくる。

 その問いになにを馬鹿げたことをとキャロルの目が据わった。

 

「なにを軽蔑しろと? 言っておきますがうちの都市では賭け試合なんて普通におこなわれていました。さっきの試合でも私はレイフォンの小隊に賭けて大もうけしましたよ。なにか問題がありますか?」

 

 絶句したレイフォンに少しきつすぎかなと反省したキャロルは優しく微笑みかけた。

 

「人によってはレイフォンの行為を責めるかもしれません。武芸は神聖なものだ。賭け事なんてもってのほかだという風に。でも私はこう教わっています『力は使う者の心次第だ』と、レイフォンは孤児たちを助けたかったのでしょう? 仲間の力になりたかったのでしょう? だったらその心だけはけして恥じてはいけません。その心だけは間違いなく尊くて美しいものだと私が認めます」

 

 相変わらずレイフォンの顔を両手で挟んだままで彼の藍色の瞳を覗き見、一言一言刻みつけるように告げる。

 

「背を伸ばしなさい。胸を張りなさい。世の中の誰が責めても自分は仲間のために戦ったのだと誇りを持って歩きなさい。例え間違った方法であったとしても自分なりに戦ったのだと前を向き続けなさい」

 

 レイフォンの目が見開かれ、その瞳が揺れた。

 涙がゆっくりと流れ落ちた。

 

「誰かに責められて辛い目に遭ったら私のところに来なさい。慰めるぐらいなら私がしてあげます。私はあなたが仲間のために戦ったのだと認めます。その心が尊いものであるのだとあなたに何度でも言い聞かせてあげます」

 

 レイフォンは言葉も無くただ自分が涙を流していることに呆然とした。

 

 そんな言葉、誰も言ってくれなかった。

 

 自分は卑怯者で、天剣の名を汚した愚か者で、孤児院の仲間たちの期待を踏みにじった裏切り者だったはずだ。

 それを目の前の少女は真剣な表情で『仲間のために戦ったあなたは尊いのだ』と言う。

 

 唯一レイフォンをかばってくれた幼なじみの少女の面影が脳裏に思い浮かぶ。

 レイフォンに向けられる憎悪や嫌悪に真っ向から立ち向かってくれた。自分が孤児院の仲間のために戦ったのだと理解してくれた。

 

 彼女は幼い頃からずっと一緒の兄妹のようなものだった。

 だからわかってくれる、かばってくれるのだと思った。

 けれどこのツェルニに来て知り合ったばかりの少女が彼女と同じようなことを言う。

 

 そして自分に胸を張れと。

 仲間のために戦った自分に誇りを持てと言ってくれた。

 胸が熱かった。

 こらえきれないほどに胸が熱く、言葉が出なかった。

 ただ涙が止めどもなく流れた。

 悔しかった。悲しかった。辛かった。どこかで自分は世の中にいてはいけない人間なんだと自暴自棄にもなりかけた。

 

 目の前の少女はただ武芸から逃げようとしていた自分の価値観をひっくり返した。

 武芸をやりながらでも武芸以外の生き方を探せると。

 そしてまたレイフォンの胸の奥にこびりついていた暗いものを引っぺがしひっくり返して見せた。

 

 例え間違っていたにしても、あなたは仲間のために戦ったのだと。

 それを認めると。

 他の誰に責められても何度でも言ってやると。

 

『その心は尊いのだ』と。

 

 仲間のために、孤児院の仲間のためにと必死になったあの頃の自分。

 誰にも認められず。蔑まれた自分を。

 間違ってはいても仲間のために戦ったのだと。

 その心は尊いのだと。

 

 そう認めてくれた。

 

 うれしい?

 そんな言葉では足りない。

 天剣に任命されたときの充足感など比べものにならない。

 身体も心も剄ではないなにか不思議なエネルギーで満たされたような気分だ。

 今なら孤児院の仲間たちに会って自分がなにを考えてあんな事をしたのか、しっかりと話すことさえできそうだ。

 

 かつての自分はそんなことさえできなかった。

 孤児院の子供たちの裏切り者を見るような目がつらくて逃げ出した。

 例え裏切り者と蔑まれても、失望されても自分は彼らのためになにかしたかった。

 彼らのために戦ったのだ。

 

 独善かもしれない。

 自分の独りよがりな考えかもしれない。

 けして許してはもらえないかもしれない。

 

 それでも今度手紙を書いてみようと思った。

 読んでもらえないかもしれない。

 破り捨てられてしまうかもしれない。

 それでも自分がなにを考えてあんな事をしたのかきちんと伝えたいと初めて思えた。

 

 彼女はすごい。

 どんな困難も彼女にかかれば吹き飛ばしてしまうようなエネルギーがある。

 それはきっと心の強さなのだろう。

 彼女は強い。

 きっと自分よりはるかに強いのだ。

 小さな身体で胸を張り、こちらをじっと見つめている。

 蒼い瞳はまるでどこまでも深く自分を包み込むような慈愛に溢れていた。

 

 ああ、病気で寝込んだとき。

 幼なじみのリーリンがこんな目をしていた。

 最後までグレンダンで自分の味方だったリーリン。

 彼女は外見は似ていないけれど、自分を守りただ一人味方してくれた幼なじみを思わせた。

 

 ただ涙を流す自分を優しく抱きしめて、彼女はささやき続けた。

 

「胸を張って前を向いて生きなさい。そうすれば次はきっともっと上手くやれるはずです」

 

 ああ、次こそはきっと。

 次こそは失敗しない。

 大切なものを守ってみせる。

 きっと、きっと。

 

 

 

 

 涙を流すレイフォンをキャロルは優しく抱きしめた。

 昔母が泣いている自分にしてくれたように。

 感情を浮かべるのが苦手な母がこれ以上ない優しい表情と口調で幼いキャロルを抱きしめて、何度も言ってくれた。

 

『胸を張りなさい。前を向いて生きなさい。私はあなたが尊い心を持つ強い子だと知っています。だから何度でも泣きなさい。そのたびに私はあなたが尊い心を持つ強い子だと言い聞かせてあげます』

 

 涙を流すレイフォンに少しだけ憐憫の情がわく。

 彼は、こんな言葉をかけてくれる相手がいなかったのかと。

 

『レイフォン君の精神面のケアをお願いしたい』

 

 カリアン・ロスの言葉が思い出される。

 いいだろう。

 引き受けよう。

 こんなに頼りなく、心のもろい彼を一人で放っておくことなんていまさらできない。

 自分にできる範囲で彼のサポートをしよう。

 対人関係などろくにわからない自分がどこまで出来るのか自信が無いが、愚痴を聞いてあげるだけでもきっと違うだろう。

 

 強いくせに、弱くて不器用な少年。

 これからもきっと悩み迷い、時に泣くかもしれない。

 自分がそばにいてほんの少しでも力になれるなら、それもいい。

 だいじょうぶ、きっとできる。

 今はそう信じよう。

 

 

 

 

 桜の花びらにも似た薄紅色の念威端子が空を舞った。

 

「お母さんに甘える息子といった感じですね」

 

 自分より小さな女の子にすがりつくように泣くレイフォンの姿にそう呟く。

 フェリは離れた場所から念威端子でレイフォンとキャロルの様子を盗み見ていた。

 喫茶店の屋外席で紅茶を飲みながら堂々と覗きをおこなっていた。

 

 まるで褒められることが楽しみといった風情でうきうきと外へ出て行ったレイフォンの様子が気になって念威端子を一つつけておいたが、なんとも妙なものを見てしまった。

 

「彼女が彼が変わった原因ですか」

 

 当初小隊入りしたレイフォンはまるでやる気がなかった。

 最初の模擬戦であきらかに手を抜いてニーナに敗北し、訓練もどこか上の空で受けていた。しまいには訓練をサボってもいた。

 

 最初は彼も自分と同じなのだと思った。

 あの兄に無理矢理武芸科に入れられ、本当は武芸などしたくないのに強要されている。

 密かに共感していた想いは突然裏切られることになる。

 ある日からレイフォンは突然今までのやる気のなさが嘘のように真面目に訓練をこなすようになった。

 相変わらず手を抜いていそうだったが、訓練では上手くニーナに合わせて拙いながらも連携らしきものを完成させつつあった。

 

 ああ、この人は兄の言いなりになる程度の人だったのかと内心失望していたが先日のキャロル・ブラウニングを招かれた夕食で驚くべき事を聞いた。

 彼を変えたのが彼女だと。

 そして彼女も単身汚染獣と戦える優れた武芸者だというのだ。

 ただの隣人と特に興味もなかった少女がレイフォンを変え、兄に頭を下げさせた。

 しかも彼女は武芸者をやりながらそれ以外の生き方を探すという主張をしてそれを兄に認めさせた。

 

 そんな発想は自分にはなかった。

 ただ念威繰者として扱われる自分が嫌で、念威繰者以外の自分になりたかった。

 だから一般科に入学した。

 それも兄によって武芸課へ転科させられてしまい兄を恨んだが、よく思い出せば兄は武芸以外やってはいけないとは一言も言っていない。

 

『義務を果たせば一生徒が将来を模索するのに干渉はしない』

 

 あの時兄はあきらかに自分のことを見ていた。

 都市戦でツェルニを勝利に導くという義務さえ果たすなら念威繰者以外の道を探すことを邪魔はしない。

 そういうことだろう。

 

 あの兄らしいとは思う。

 自分の目的に協力してくれるのならそれ以外には関知しない。

 レイフォンは彼女にそう説得されてやる気を出したのだろう。

 つまりとっとと勝利して、他人に文句を言わせずに自分のやりたいことをやる。

 

 実力を見せつけるというのも一つの方法なのかと盗み聞いていて目から鱗が落ちる思いだった。

 今まで実力は隠すべきだとばかり思い込んでいた。

 実力を知られれば期待される。余計な責任が生じる。

 けれど彼女は逆のことを言う。

 実力の差を見せつけろ。

 そうすれば好きなことをやっていても誰も文句は言えなくなると。

 

 確かにこの都市で自分に念威能力を教えられる者がどれだけいるだろう?

 上級生の念威繰者だって自分は力尽くで押さえつける自信がある。

 ツェルニ程度のレベルで学べる念威能力なら故郷ですでに身につけた。

 それ以上のことだって片手間で学べるだろう。

 実力を隠しているから隊長などが口うるさく訓練しろという。

 実力の差を見せつけたらどうなるか? あのやる気ばかりみなぎっている隊長もなにも言えなくなるのではないか?

 

「一考の価値がありますね」

 

 フェリは少しだけ口元をほころばせた。

 どうやらあの新入生とはよく話した方がいいらしい。役に立つ知識をまだ持っているかもしれない。

 さいわい同じマンションの住人だ。接触する機会などいくらでもあるだろう。

 

 レイフォンの過去話については特に感じる部分がなかった。

 強いていえばキャロル・ブラウニングの言葉に密かに肯いていた。

 

「本当に馬鹿なのでしょうか、彼は?」

 

 聞けば十二人しかいない最高峰の武芸者であったという。だとしたらもっとやりようがあったはずだ。

 そんな立場なら当然権力もあり、味方もいただろう。

 衆人環視の元で口封じなどあきらかに馬鹿のやることだ。

 

「もっともあまり吹聴していい話ではなさそうですね。隊長あたりはうるさそうです」

 

 あの正義感とやる気の塊の隊長はきっとレイフォンを責めるだろう。

 

 もしそうなったらレイフォンはどう動くだろう。

 また彼女に泣きつくだろうか?

 だとしたら彼女はどう彼に入れ知恵するだろう。

 話を聞く限り殴られておとなしくしているような気弱な少女ではない。

 殴られたら相手を噛み殺しかねない。そんな過激な面があるように思える。

 

「……少しおもしろくなりそうですね」

 

 おもしろい人間がいる。

 フェリはキャロル・ブラウニングが今後なにをしでかすのか多いに楽しみにしようと思った。

 




 実際なんでレイフォンは天剣という立場をもっと上手く使わなかったのでしょう?
 もし天剣であるレイフォンが孤児政策の不備を指摘していたら、あるいはレイフォンが資金を稼ぐ必要もなく状況は改善されたかもしれないと思うのですが。
 そうなっていたら物語がはじまらないのですけどね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 実力者

 

 対抗試合初戦も終了し、あの日のお祭り騒ぎが嘘のように日常を取り戻したツェルニ。

 キャロルは生徒会長室に招かれていた。

 生徒会棟に行き、受付に来訪目的を告げると綺麗な女生徒に生徒会長室へ案内された。

 来客用のソファーを勧められて遠慮無くキャロルは腰を下ろす。

 対面に生徒会長が腰を下ろした。

 先ほどとはちがう女生徒がテーブルにお茶を出していく。今度もかなりの美人だ。

 彼女たちが退出し、落ち着いた室内でこの部屋の主と向き合う。

 

「対抗試合は予想以上だったよ。まさか小隊員三人が瞬殺されるとはね。これも君のおかげなのかな?」

 

 温和な表情に若干の困惑を浮かべてカリアンは切り出した。

 さて、なにか彼に不利益になるようなことがあっただろうかとキャロルは事実をそのまま告げる。

 

「レイフォンに実力を見せつけろとは言いました。実力差を知ればレイフォンにあれこれいえる者はいなくなりますから」

「確かにそうだね。レイフォン君がもし武芸者以外の道を探していると知られても、その才能を惜しむ者はいてもその行為をとがめる者は少ないだろう。彼はあきらかにツェルニの武芸者としてはレベルが違いすぎる。ここで学ぶことなどないのではないかと誰もが思うだろう」

 

 しかしと少しだけ表情をゆがめた。

 

「若干やりすぎた感があるね。あれではツェルニの小隊のレベルが、ひいてはツェルニの武芸者の質が低いのではないかと思われてしまう。特に一般人、今年入学したばかりの生徒はそう感じたかもしれない」

 

 初めて見たツェルニ最高の武芸者の試合で一年生が上級生三人を圧倒的実力で叩きのめしたのだ。

 ツェルニの武芸者の質に疑問を持つ者がいても不思議ではない。

 

 これがレイフォンが苦戦しつつも三人の武芸者を倒したというのなら、レイフォンの才能を讃えつつ、そんな期待の新人相手に奮戦した先輩武芸者の顔も立っただろう。

 しかし現実にレイフォンは怪我一つなく、苦も無く先輩武芸者を一蹴した。

 カリアンとしては得た駒が予想以上の威力を持つことを喜びつつもツェルニ全体を思うと頭が痛いのかもしれない。

 

「それはレイフォンに多くを求めすぎです。実力は発揮して欲しい。けれど相手の顔も立ててくれというのは虫が良すぎるのでは?」

「そう言われると返す言葉もないが、一応レイフォン君にはお願いしておいた。レイフォン君の実力は小隊員三人を圧倒できる程度だということにしてくれとね。彼が本気を出したら一人で小隊を全滅させかねない」

「おそらく可能でしょう。予想よりもレイフォンの実力は高いようです。そしてツェルニの武芸者は予想以上に弱い」

「耳の痛いことを言ってくれるね」

 

 カリアンは苦笑して腕を組み、その上に顎を乗せてため息をついた。

 

「武芸者の質の低下は我々も把握している。現にここまでツェルニが追い込まれたのもツェルニの武芸者が弱かったせいだ」

「素直に現実を直視させたらどうです?」

「それはできない。来年度の新入生の激減につながりかねないし、下手をしたら武芸科への不信感が増大する」

「それで期待の大型新人ですか」

「そういうことだ」

 

 対抗試合直後から様々な雑誌が期待の大型新人としてレイフォン・アルセイフを特集し、彼を持ちあげていた。

 

 ツェルニは最強の武芸者を迎えた。

 彼の実力はツェルニ一かもしれない。

 そんな内容でレイフォンのことを絶賛していた。

 

 レイフォンをヒーローとして持ちあげることで一年に惨敗した先輩武芸者の印象を薄れさせようというのだろう。

 レイフォン・アルセイフが強かっただけ、武芸科は弱くない。

 そういうことだ。

 

「一般人はそれで良いでしょうが、武芸科の人間までそれと同じでは困ると思いますが」

「もちろん武芸科へは別の対応をしているさ。ヴァンゼ武芸長が檄を飛ばしている。一年に後れをとるなとね」

「私は耳にしていませんが」

「まずは小隊からだ。それから徐々に武芸科全体に向上心を持つように仕向ける」

 

 いきなり全体を煽れば武芸科自体が混乱しかねないと続けた。

 生徒会長は大変だなと素直に思えた。

 

「上に立つ人間はいろいろ大変ですね」

「まったくだよ。しかしこれで事態は少しでも前へ進む。やりがいはあるさ」

「小隊の反発は?」

 

 カリアンはその質問に軽く肩をすくめた。

 

「思っていたよりない。どうも武芸者の実力主義の面がいい方に働いたようだ。だからレイフォン君が恨みを買うようなことは心配しなくてもいい」

 

 その言葉にキャロルはほっと息をついた。

 唯一心配だったのが、突然現れた実力者に対する嫉妬や反発だったがカリアンの言葉を信じるなら深刻な状態ではないらしい。

 

「ただ」

 

 そうカリアンは顔をしかめた。

 

「第17小隊は少しひどいな」

「レイフォンの小隊が?」

「小隊というよりも、隊長のニーナ・アントークがというべきかな」

 

 ニーナ・アントークは将来を期待された小隊員でありながら、三年生という若さで新たな小隊を立ち上げることを強行した。

 ツェルニの最上級生は六年。

 通常の小隊長は四年以上が普通であるのに、いまだ下級生扱いされる三年での小隊長への就任。

 ツェルニを守るという使命感に燃え、ツェルニの基準で言えば実力もある。

 おそらく自分の力でツェルニに勝利をもたらすと気負っていただろうと。

 

 そこにレイフォンが現れた。

 正確にはカリアンがレイフォンを彼女に預けた。

 当初ニーナ・アントークはレイフォンを鍛えて一人前の小隊員にしようと努力しただろう。

 ところが対抗試合でレイフォンはそんなニーナ・アントークに規格外の実力を見せつけた。

 今まで実力を隠していたことと、自分では足下にも及ばない彼の実力にニーナ・アントークはずいぶん荒れているらしい。

 

「ずいぶん文句を言われたよ。レイフォン君の実力を知っていたのか、知っていたのならなぜ教えなかったとね」

「見抜けなかったニーナ・アントークが間抜けだと言ってやれば良かったのでは? 一般人ならともかく小隊の隊長を務める人間が部下の実力も見抜けなかったなど笑い話にしかなりません」

 

 くっくっとカリアンは笑った。

 

「君はなかなか辛辣だね」

「すみません。気分を害しましたか?」

「いや、そういう物言いは妹で慣れている。だが他の人間にはもう少し穏やかな物言いをした方がいい。余計なトラブルは君も嫌だろう?」

「はい、別に不快感を与えようとしているわけではないのですが」

「わかっている。君のことを調べたのだからね。君が対人関係。特に同年代の人間に対することが苦手であることは知っている。学園都市への留学もそういった人間関係を学ぶために来たということも」

 

 カリアンは思慮深げな視線をキャロルに向けた。

 

「私としても可能な範囲で君に協力しようと思う。ここは学園都市だ。学ぶ意志のある者が自分に必要なことを学ぶのを推奨するのは当然の行為だ」

「ありがとうございます」

「そこでだ。君も小隊に所属してみないかね?」

 

 小隊に?

 私を?

 

「それは難しいのでは? 私はなんの実績も示していません」

「君の授業態度は聞いているよ。武芸科の授業でも手を抜かずにしっかりとやっているらしい。きちんとツェルニのレベルに合わせたつもりだろうが、少々ツェルニの武芸者を甘く見たね。教師役の上級生は君を絶賛している。レイフォン・アルセイフに匹敵できる一年生はキャロル・ブラウニングだけだとね」

 

 少しだけキャロルは苦々しげな顔をした。

 上手く手を抜いたつもりだったが、実力を隠しているのが見抜かれていたらしい。

 

「一年生のスーパーヒーローが誕生したばかりだが、もう一人ぐらい一年生から取り立てても少しばかり期待される程度で済む。君なら周囲を失望させることもないだろう」

 

 カリアンは少しばかり笑みを含んだ視線でキャロルを見た。

 

「ちなみにこれは拒否権がない。教師役の生徒たちが君は小隊員にふさわしいと推薦しているのだからね」

「かくしてヒーローが二人ですか?」

「そうなるといいと思っている」

 

 にこにことカリアンが肯定する。

 

「配属先は第17小隊、レイフォン君のいる隊になる。あそこはただでさえ規定人数ぎりぎりだ。一年に有望な人材がいるのなら取り入れてもどこも不審には思わないだろう」

 

 隊長が三年である以上、四年から六年の上級生の加入は期待できない。

 プライドの高い武芸者が年少の隊長につくことは希であるだろうからだ。

 傑出した実力があればそんな不満も抑えられるだろうが、ニーナ・アントークのレベルは小隊長としてはけして上位の存在ではない。

 ならば下級生から人材を集めるしかなく。教師陣がそろって推薦する生徒を迎えても誰も不自然とは思わない。

 

「レイフォンのパートナーを期待しているのですか?」

「それもある。レイフォン君の横で戦うにはニーナ君ではいささか実力不足のようだからね」

「私でもレイフォンのパートナーとしては力不足かもしれませんよ」

「君の実力はニーナ・アントークに劣るかい?」

 

 キャロルの視線が自然に厳しくなる。

 キャロルとて武芸者だ。自分の実力にはそれなりの自負がある。

 

 模擬戦で見たニーナ・アントークの醜態。

 三人の小隊員に強襲されて、退いて守るかいっそ強行突破するというとっさの判断すらできずに奇襲を許し、護衛であるはずのレイフォンと易々と分断された。

 

 レイフォンが普通程度の実力しか持っていなかったら、あの戦いは負けていただろう。

 二人の小隊員相手にニーナ・アントークはそれを撃退することも振り切って後退することもできずに防戦一方だったのだから。

 レイフォンが敗れ三対一になれば結果は見えている。

 

 いくら狙撃手がフラッグを狙っているといってもそれまでに隊長が倒されれば負けだ。

 あの時点でニーナ・アントークは多少みっともなくとも目の前の小隊員など無視して単身逃げを打って時間を稼ぐべきだった。

 レイフォンと連携して退くなり、場合によってはレイフォンを捨て石にしても良かった。

 

 けれど彼女はなにもせずにただ目の前の敵と交戦した。

 自分が負ければ小隊の敗北だというのにだ。

 あの戦術判断のなさと自分が小隊員二人の攻撃をさばけないという自己判断すらできない。あの醜態にキャロルはニーナ・アントークの評価をレイフォンが言うよりも下げて考えていた。

 

 そのニーナ・アントークにすら劣るのかという問いかけはキャロルの自尊心を刺激した。

 

「私ならあの状況でも小隊員二人を撃破できました」

 

 怒りをこらえて声を絞り出す。

 目の前のカリアンは少し驚いたような顔をしてから表情を改めた。

 

「いやすまない。君を侮辱する気はなかった。だからこの何ともいえない重圧感を消してくれると嬉しい」

 

 気づかず殺気を放っていたらしい。

 見るとカリアンは額に汗をかき、若干頬を引きつらせている。

 

「すみません。わざとではないのです」

「いや私も君を侮辱するようなことを言ったのだから仕方ないよ。君の実力ならニーナ・アントークに劣るのかなどといわれれば気分を害するのは当然だ」

 

 殺気も制御出来なかったと落ち込むキャロルをカリアンがなだめる。

 

「話を戻すが私が君に期待するのはレイフォンのパートナーという面ともう一つある」

「なんでしょう? 以前のお話なら受けるつもりでここに来ましたが」

「それはありがたい。感謝させてもらう」

 

 カリアンは生真面目に礼をいってから改めて説明をはじめた。

 

 現状第17小隊は機能していない状況にあると。

 原因はレイフォンとニーナ・アントークの不仲だ。

 どうもお互いに避け合っているらしい。

 そのせいで小隊の雰囲気は最悪であり、残りのメンバーもろくに活動できていないと。

 

 キャロルは少しばかり疑問に思った。

 

「実力を隠していたことがそこまで問題になりますか?」

「それなんだけどね。試合のあとニーナ君はレイフォン君に本気での勝負を挑んだらしい」

「なぜです?」

「以前模擬戦で手を抜かれたことと、改めてレイフォン君の実力をはかろうとしたのだろう」

 

 その結果、ニーナ・アントークは開始直後に瞬殺されたらしい。

 キャロルは頭を抱えそうになった。

 レイフォン……なにも仲間内でそこまで馬鹿正直に本気を出さなくても。

 

「それだけなら良かったのだが、そこまでの実力を持ちながら都市を出て学園都市に留学したということがニーナ君には引っかかったらしい。普通優秀な武芸者はよほど事情がなければ都市外には出したがらないからね」

 

 それはわかる。

 キャロルの留学もかなりもめたと聞いている。

 結局キャロルの過去の功績と、まだ幼いのだから見聞を広げるのも結果として都市にとってプラスになると許可をもぎとったらしいが、反対派はやはりいたらしい。

 

「それでレイフォン君は自分が過去になにをしたのか第17小隊に明かしたらしい」

「は?」

「君は知っているかな?」

「聞いています」

「その感想を聞いて良いかな」

「私にとってはどうでもいいことです。ただレイフォンは馬鹿なのだと思いましたのではっきりと本人に伝えました。もっと上手くやる方法がいくらでもあったでしょうに」

 

 カリアンは若干憂鬱そうにため息をついた。

 

「彼女もそう思ってくれれば良かったのだけどね。しょせん過去のことだと。それにレイフォン君にはレイフォン君の事情もあったらしいし」

「反発されましたか」

「拒絶されたといっていいね。私はこの話を妹から聞いたが妹は特に嫌悪感はないようだった。妹の話ではシャーニッド君も特に気にしてはいないようだ」

「なら問題はニーナ・アントークですか」

「そう、彼女はその場でレイフォン君に言ったそうだよ。『貴様は武芸者の風上にも置けない男だ』とね。彼女は正義感が強い。それに良いとこ育ちのお嬢様でもある。レイフォン君の事情は彼女には理解出来なかっただろうね」

「それと実力を隠された件と、レイフォンの実力への嫉妬でもありましたか」

「それもあるかもしれないね。かくして第17小隊は空中分解寸前、せっかくレイフォン君が実力を振るう気になったのにその場がなくなってはこっちはたまらない」

 

 そこで君だとカリアンは目を光らせた。

 

「君と話すのはこれで二度目だが、君は非常に理知的だ。それにおそらく自然と人を惹きつけるカリスマもあるだろう。レイフォン君が君に自然と頼ったところから見ても根拠のないことではないだろう」

「私になにを期待しているのです?」

「君は人間関係が苦手だと考えているようだが私に言わせれば単なる経験不足に過ぎない。君自身はかなり人を思いやり、自然につきあえる。人づきあいの良いタイプの人間だ」

 

 他人に自分という人間を目の前で評価されてキャロルはやや居心地が悪かった。

 

「そうでしょうか?」

「今まで多くの人間を見てきた生徒会長を少しは信じてくれたまえ」

 

 カリアンは笑みを含んだ目でキャロルを見つめた。

 彼から見ればキャロルは世間知らずの子供に見えるのかもしれない。

 

 対人関係が苦手な人間ではなく。

 対人関係の経験が不足している人間。

 元々は社交的といっていい人格だとカリアンはキャロルを評した。

 

「君には第17小隊に入ってもらう。そうすれば小隊人数は五人になり最悪一人抜けても小隊は維持できる」

 

 小隊の最低人数は四人。そう規則で決まっている。

 その言葉にキャロルは若干目つきを厳しくした。

 

「私になにをしろと?」

「別にニーナ・アントークを追い出せとは現段階では言わない。それは君の役目ではないしね」

 

 現在の第17小隊混乱の原因は小隊長が隊長として機能していないことだ。

 ならば最悪ニーナ・アントークを切ればいい。

 そのあとは最上級生になる四年のシャーニッド・エリプトンを隊長にしてもいいし、いっそレイフォン・アルセイフという手もある。

 カリアンはそう仮定の考えを説明する。

 

「君は故郷で部隊を率いた経験もあるそうだね」

「小隊形式の試合で隊長を務めたことはあります」

「非常に優秀だったと聞いているよ」

 

 彼はいったいどこまで自分を調べたのだろうとキャロルはげんなりした。

 名目上最上級生のシャーニッド・エリプトンを隊長にし、副隊長として指揮はキャロル・ブラウニングが取るという方法もある。

 

 名目上の隊長ということならその実力が周囲に認知されれば実力で選出したとしてレイフォン・アルセイフをもってくることもできる。

 そうなればカリアンにとってニーナ・アントークの必要性は低い。

 有害なら切り捨てるという手が使える。

 

 あくまで仮定の話と前置きをした上でカリアンは第17小隊再生のプランを示した。

 

「もちろんなにがなんでも彼女を切りたいわけではない。彼女は彼女なりに有能だ。君にはできればレイフォン君やニーナ君を説得し、小隊を維持する方向で動いて欲しい」

 

 そのために小隊に入れという。

 全力で遠慮したかった。

 他人のいさかいをおさめるなんてなにをどうしたらいいかわからない。

 

「君が失敗したら、生徒会長として武芸長と相談の上『小隊長でありながら小隊を機能不全にした』としてニーナ・アントークを解任する。後任人事はそのときの情勢次第だな」

 

 どうやらニーナ・アントークの首が自分の手腕にかかっているらしい。

 

「私としてはぜひ無事に第17小隊を正常の状態に回復して欲しい。ニーナ・アントークを君が補佐し、レイフォン・アルセイフと共に戦うのがツェルニにとっての最上だ」

 

 引き受けてくれるかなと微笑む。

 拒否権はないとか言っていたクセに。

 キャロルは陰鬱な気分で確認した。

 

「支援くらいはしてもらえるのでしょうか?」

「君が面会を望めばいつでも応じるように話を通しておこう。私で力になれることならなんでもいってくれ。ヴァンゼ武芸長にも話を通しておく、最大限君に協力するよう頼んでおこう」

「断るという選択肢はないのでしょうね」

「このままだとレイフォン君はかなりまずい状況になると思うけど、彼を見捨てる気かい? 今はまだ第17小隊がおかしいことを一部の者しか知らない。けれど話が広がればそうなった原因を知ろうとする者が出る可能性もある。当然レイフォン君の過去を小隊の誰かが話してしまう可能性はあるだろう」

 

 ツェルニの武芸者いや生徒たちがレイフォンの過去を受け入れるだろうか?

 むしろその実力に嫉妬し、羨望が憎悪に変化して彼を排斥しようと動き出さないだろうか?

 カリアンはキャロルの目を覗き込むように推論を語った。

 悔しいことにそれはキャロルの想像する今後の可能性と一致した。

 

「まったくあの馬鹿は……」

 

 あの過去話を小隊の連中に打ち明ける必要なんてなかった。

 適当にごまかせば良かっただろう。

 都市の支配者である生徒会長ならともかく、一生徒に過ぎない第17小隊の面々にグレンダンで起きた事件を知る方法などない。

 誰しもが受け入れてくれるわけはないと釘を刺したのを聞いていなかったのだろうか?

 再戦を挑まれても、木っ端微塵に相手の面子を潰す必要はない。

 適当に戦いその上で勝てば納得しただろう。

 手を抜きすぎれば疑われるだろうが、なにも瞬殺する必要はない。

 

 まったく、最近上機嫌でいるからてっきり上手くいっているのかと思ったら、大騒動を巻き起こしているとはどこまでも手のかかる友人だ。

 こちらをおもしろそうに観察するカリアン・ロスに若干苛つきながらキャロルは覚悟を決めた。

 

「わかりました。可能な範囲で努力します」

「ありがたい。こちらも可能な範囲で協力する。第17小隊は戦力として機能してくれないと困るからね」

 

 ため息をつき念のために確認する。

 

「一応聞いておきたいのですが」

「なんだろう?」

「多少荒っぽくなってもかまいませんよね?」

 

 その口調になにかを感じ取ったのか、カリアンは顔を引きつらせた。

 

「……できるだけ穏便に頼むよ」

「善処します」

 

 さてどうやってニーナ・アントークを説得(・・)しようかとキャロルは頭を回転させた。

 正義感が強く、使命感が強い。

 典型的な『自分が選ばれた存在である』と考えるたぐいの武芸者に近いと考えて良いだろう。

 武芸者として授かった力を神聖視し、自らの使命は神聖なものだと思い込む。

 そういう連中は往々にして現実が見えない。

 周囲にある生々しさを見て見ぬふりをする。

 ただ自分は正しいのだと、正義のために戦っているのだと誇らしげに胸を張る。

 そういう人間にはレイフォンは受け入れられないだろう。

 正義も名誉もすべてを捨ててでも仲間のためにと願う人間は理解出来ないだろう。

 

「さて、大変ですね」

 

 どこか他人事のような気楽な口調で呟くキャロルにカリアンは心配そうな顔をした。

 

「大丈夫だろうね?」

「最悪ニーナ・アントークを壊しても問題ないのですからなんとかなるでしょう」

「いや、できれば穏便に丸く収めて欲しい」

 

 頼る人材を間違えたかと若干後悔していそうなカリアンを眺めてキャロルは微笑んだ。

 

「だいじょうぶですよ。ちょっとした生徒指導をするだけですから」

 

 その笑顔にカリアンはなぜか背筋に震えが走った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 小隊

 

 練武館。

 ツェルニの小隊が使う訓練所はそう呼ばれる建物だった。

 広い建物の中は仕切りがしてあり、それぞれの小隊のスペースが用意されている。

 簡単な訓練なら小隊に割り当てられた訓練室でできるほどだ。

 より実践的な訓練なら申請すれば訓練用のグラウンドと設備を借りられる。こちらは他の小隊と上手く調整して共用しているらしい。

 小隊に所属することがおよそ決定されたキャロルはツェルニの小隊に関する情報を集めた。

 

 苦労はしなかった。

 生徒会に説明と資料の閲覧を頼んだらあっさりと許可され、生徒会に所属する上級生に小隊の成り立ちや普段の活動や設備、予算などを丁寧に教えてもらえた。

 申請すれば誰にでも教えているのかと疑問に思って聞くと、どうやら生徒会長がキャロルが小隊のことを知りたがると考え事前に話を通してくれていたらしい。

 

「武芸科での評価は聞いているよ。君にはみんな期待しているからね」

 

 生徒会の生徒はそう上機嫌にキャロルに応対していた。

 

 かくして今日は第17小隊の訓練室へとキャロルは足を運んでいた。

 第17小隊隊長による採用試験がおこなわれるらしい。

 事前にフェリに聞いたところ、『実力のわからないものは採用できない』とニーナ・アントークが生徒会に噛みついた結果らしい。

 なら自分で実力を確認すればいいと生徒会側はあっさり彼女の要求を入れたという。

 

「あなたが負けることはありえないと兄は考えているのでしょう」

「レイフォンが出てこなければ、たぶん負けませんね」

 

 どうやらフェリ・ロスは今回の件でキャロルに協力するように兄であるカリアンから頼まれているらしい。

 現状の第17小隊の状況を聞くと。

 

「隊長がふてくされているだけです」

 

 と短く吐き捨てていた。

 レイフォンは当事者のくせに知らぬ顔をしており、シャーニッド・エリプトンもレイフォンほどの実力者を敬遠するニーナに呆れているらしい。

 過去がどうであれ、第17小隊が戦力を手に入れたのは喜ぶべきだと説得していたそうだが、ニーナ・アントークは頑なにレイフォンを避けているそうだ。

 

 どうやらニーナ・アントークの方が小隊では孤立ぎみらしい。

 正直レイフォンが今回のことで小隊に居づらくなるのではと心配していたので、実力があるのならば認めるべきだと小隊の最年長者のシャーニッド・エリプトンが主張していると聞いてキャロルは安堵した。

 

 そして第十七小隊に割り当てられた訓練室で小隊メンバーを前にしてキャロルはどこか他人事のように自分の運命はこんなものだと半ば諦めていた。

 故郷では英雄扱い、実質都合の良い戦力として扱われ。

 留学先でもやはり利用できる駒として生徒会長の手先になっている。

 目の前でおっかない顔をして睨みつけてくる金色の髪を短くした凜々しいと表現してもいい女性ニーナ・アントークとその背後に並ぶ小隊メンバーの自己紹介をききながらため息をこらえていた。

 

 

 

 

「よっ、お嬢さん。俺としては綺麗どころは大歓迎だ。歓迎するぜ」

 

 狙撃手の四年生。シャーニッド・エリプトン。

 軽薄な印象の男性だったが、キャロルは不快には感じなかった。

 彼が前の試合で実に堅実に自分の役割を果たしたことは見ているし、故郷にも『女性の顔を殴ることは誇りにかけてできない』などと言って実際に女性相手だとけして顔に攻撃はしない女好きの先輩武芸者などを知っていたからかもしれない。

 その人物も軽薄に見えるがいざとなると果断な決断力と行動力をもつ男性で実力も若手ではかなりのものだった。

 シャーニッドという人物もそういう人物ではないかと思えた。

 

「改めましてフェリ・ロスです。念威繰者をやっています……いまさら自己紹介というのも変な感じですね」

 

 怪訝な顔をする周囲に部屋が隣同士ですでに面識があると短く告げた。

 二年生の念威繰者フェリ・ロス。

 銀髪を長くのばしたキャロル以上に人形じみた美貌をもつ少女だ。

 無表情に見える目がどこかこちらに同情しているように感じられるのはきっと気のせいではないだろう。

 彼女はキャロルが実の兄の手先となって利用されていることを知っているのだから。

 カリアンの話では故郷でも屈指の念威の才能を持っているらしいが、前回の試合ではあまり目立たなかった。

 単に指揮官が彼女の情報を上手く扱えなかっただけかもしれないが。

 

「じゃあ僕も、改めましてレイフォン・アルセイフです。キャロルが仲間になってくれるなら心強いよ」

 

 そうレイフォンが屈託なく笑う。

 とても小隊を空中分解一歩手前に追い込んだ人物には見えない。

 手入れのあまりされていないぼさぼさの髪を照れたようにかいている。

 いまさら自己紹介というのも照れくさいのだろう。

 外見はごく平凡な少年だ。

 特別強そうにも見えず。特別な雰囲気を感じるというわけでもない。

 けれど彼が間違いなくツェルニ最強の武芸者であることはカリアンとキャロルの共通認識だ。

 

「えっと僕は錬金鋼の整備を担当しているんだ。武芸者じゃないけどこの小隊の仲間だと思ってくれると嬉しい」

 

 三年のハーレイ・サットン。

 錬金科の三年生でニーナ・アントークの幼なじみ。

 彼女の錬金鋼は一年の時から彼が整備をしていたらしい。

 第17小隊の資料にはそう書かれていた。よほど腕前を信頼されているのだろう。

 レイフォンの話では錬金鋼整備の腕前はかなりのものらしい。

 

 武芸者の武器である錬金鋼は専門の技師が調整、製造する。

 自分の武器は信頼できるものであって欲しいと思うのは普通の感情で腕の良い錬金鋼技師は引っ張りだこといっていい。

 自分もこの小隊に所属したら彼に錬金鋼のことを頼むことになるだろう。

 

「私はニーナ・アントークだ。この第17小隊の隊長を任されている」

 

 最後にニーナ・アントークが名乗り、キャロルも丁寧に自己紹介する。

 それを満足そうに眺めてニーナ・アントークは言った。

 

「先ほどおまえを歓迎するという発言もあったが、私はまだおまえを我が小隊の仲間と認めていない」

 

 そうでしょうとも。

 目がおまえはここに来るのにふさわしい人間かと強烈に問いかけている。

 

 素直でまっすぐで隠し事に不向きな人。

 キャロルはレイフォンの評価を思い出して、まったくその通りだと胸の中で肯定した。

 

「教師たちの推薦があるそうだが、私は自分の目で確認しなければ納得しない。そこで私と今ここで手合わせをしてもらいたい」

 

 少しほっとした。

 もしレイフォンを出されたらどうしようかと思っていたのだ。

 それなりに戦えるとは思うが、正直勝てる気がしない。

 武芸の本場グレンダンの最高位。

 アスラも武芸者の質が高いと評判だが、グレンダンには及ばないだろう。

 もっともレイフォンとそこそこ戦える時点でツェルニの小隊員としては十分な実力があると判断されるだろうとは思うが。

 

「ではさっそくやるぞ。武器を取れ」

 

 部屋の片隅に置かれた訓練用の武器を手にとって眺める。

 壁にも結構な種類の武器が並んでいる。

 その中から刃のない、模擬剣を手にとって軽く振るう。

 

 わずかに顔をしかめた。

 バランスが悪い。

 もう一度振るう。

 間違いない。この剣はわずかだが重心が狂っている。

 

 安物を使っているなぁと他のめぼしい武器を探す。

 もう一本剣を取って振る。

 こちらは長すぎる。

 キャロルの体格では振り回すのに取り回しが悪い。

 重さはなんとかなるがこの不慣れな長さは実力のある武芸者ならその隙をつけ込んでくるだろう。

 

 困った。

 どうにも満足できる武器がない。

 

「さっさとしろ。武芸者なら不慣れな武器でもきちんと使いこなして見せろ」

 

 ニーナ・アントークに苛立たしげに催促されてキャロルは不機嫌に沈黙した。

 手に合わない武器を使って、万が一加減をし損なったときのことが怖いのだ。

 キャロルは今まで武器に関してかなり恵まれていた。

 実家が裕福だったので専属の技師がキャロルの技量と体格に合わせた剣を制作、整備してくれていた。

 おかげで慣れない武器で戦うという経験がほとんどない。

 キャロルの実力なら刃がないことなど気休めにもならない。

 人間程度、力加減を間違えたら容易に斬り裂くだろう。

 

「これなんてどうかな」

 

 悩んでいるとレイフォンが一振りの剣を差しだした。

 小ぶりで細く、やや短く感じる。

 キャロルの体格を考えれば違和感はないのだろうが、普段キャロルが使う剣よりも短いということは普段慣れた間合いが狭くなることだ。

 若干不満だったが手にとって振ってみると、さすがレイフォンと言うべきか。

 この剣は重心バランスが良く扱いやすい。

 

「これにしましょう」

 

 レイフォンに勧められた剣を片手に部屋の中央で待つニーナ・アントークの元へ歩いて行く。

 

「不慣れな武器であることは考慮するが、武芸者なら負けたいいわけを武器のせいにするような無様なことをするなよ。戦場では愛用の武器を使えない状況だってありえるのだからな」

 

 武器選びに長く時間をかけた皮肉かと思ったが、その表情を見る限りどうやら本気で年長者として忠告しているつもりらしい。

 意外と親切な人なのかもしれない。

 そう思うと同時に脳裏にうさんくさい笑顔を浮かべてこちらを見る青年の顔が浮かんだ。

 これはあの銀髪眼鏡。私の情報をなにも伝えていないな。

 そう確信した。

 

 さてどの程度やるべきだろう。

 負けるのは論外だろう。

 それではレイフォンと同じ事を繰り返すことになる。

 ここで負けてニーナ・アントークの顔を立てても試合で活躍してしまえばかえって屈辱に感じるだろう。

 目的はニーナ・アントークとレイフォンの和解。

 ニーナ・アントークが隊長としての自覚を取り戻して小隊を正常の状態に戻すこと。

 負けるのは下策だ。

 ならば勝つしかない。

 適当に打ち合って、技術で少し上回ってみせるのが良いかもしれない。

 そうすればこちらの実力を認めさせられるし、瞬殺されるよりかはプライドも傷つかないだろう。

 うん、そうしようと考えているとニーナ・アントークが不意に問いかけてきた。

 

「おまえのもっとも得意な戦い方はなんだ?」

「え?」

 

 得意な戦い方?

 キャロルは言葉につまった。

 なんと答えるべきかわからない。頭の中が混乱して声が出ない。

 

「聞いているのだ。答えないか」

「速度を生かした一撃離脱?」

 

 睨みつけられて思わずそう口に出してしまう。

 ニーナ・アントークは納得したように肯いた。

 

「そうかどう見てもパワータイプには見えないからな。スピードタイプか。よしそれでかかってこい。おまえの全力を見せて見ろ」

 

 そう言って微笑む。

 きっと胸を貸してやる的な気分で言っているのだろうが、キャロルにしてみればとんでもない提案だ。

 

 無茶言わないで!

 キャロルは悲鳴を上げそうになった。

 ああ、確かに高速の一撃離脱戦法をキャロルはもっとも得意としている。

 ただしそれは自分より戦闘技術の高い人間を相手にするために編み出した戦法だ。

 いわば格上に挑む戦法なのだ。

 幼い頃から大人相手に挑み続けたキャロルが体格の不利と腕力の不足を補うために編み出した速さで相手を圧倒する戦闘スタイルだ。

 この戦い方で上手い具合に手加減するなどできない。

 手加減することを想定したことがないのだ。

 手加減が必要な戦いなら、真っ正面からの戦闘技術の競い合いを選んできた。

 それなら上手い具合に手を抜くことも、格下相手に同等の戦いを演じることもできる。

 試合で見たニーナ・アントークの動きでは自分の一撃を回避することも防御することも出来そうにない。

 この模擬戦はレイフォンと同じ瞬殺というニーナ・アントークのプライドを粉砕する形で決着がつくだろう。

 

 キャロルは頭の中が空っぽになりそうになった。

 なんとかしなくてはと気持ちばかりが焦り頭の中になにも思い浮かばない。

 

「さあ、はじめるぞ!」

 

 呼吸が苦しくなり、心臓が痛いほど激しく鼓動を繰り返す。

 シャーニッド先輩は気楽に応援しているし、フェリ先輩はどこかおもしろそうな顔をしてみているだけ、レイフォンは気の抜けた表情でこちらを見守っている。と思ったらその目は怖いくらい冷徹に自分を観察していた。

 今まで話しか聞いたことのない自分の実力に興味があるのだろう。

 ハーレイ先輩も『気後れせずにがんばれば大丈夫だよ』と応援してくれるがそういう問題ではないのですと叫びたかった。

 開始を告げたもののニーナ・アントークは武器である両腕の鉄鞭を構えもせずにこちらの動きに注目している。

 どうやら最初はこちらの動きを見守るつもりらしい。

 

 レイフォンに負けた経験があるのにありえない油断に見えた。

 レイフォンのような実力者はそうはいないとたかをくくっているのだろうか。

 だとしたら。

 だとしたらその油断に乗じて勝ったことにしてしまおう。

 圧倒的速度で度肝を抜いてこちらの実力を印象づけ、負けた理由は油断という退路を残す。

 そう考えをまとめて全身に剄を満たす。

 片手で剣を軽く構えて、踏み込む。

 一瞬の早業だった。

 ずだんと床を蹴る音が響いた瞬間、ニーナ・アントークははね飛ばされたように吹き飛び壁に激突した。

 小隊の皆が唖然とする中レイフォンだけはこちらに笑顔を向けた。

 

 彼には見えたのだろうか?

 おそらく彼には見えていただろう。

 瞬間移動じみた速さでニーナ・アントークの懐に飛び込み片手で剣を一閃、外力系衝剄の一撃でニーナ・アントークを吹き飛ばした光景を。

 

 その速さは闘争都市アスラにおいても随一といわれたキャロル・ブラウニングだ。

 キャロルよりも剣技に優れた達人はいた。

 キャロルよりも実戦経験豊富で戦闘技術に優れたベテランもいた。

 そんな彼らと並び立ち、場合によっては勝利してきた理由の一端がこの速さだった。

 どれだけ優れた技術があろうとも視認不可能な速度で一撃離脱を繰り返されたら防御も反撃もろくにできない。

 開けた場所において自由に駆け回り飛びまわるキャロルに追いつき、対応できる武芸者はいなかった。

 そのキャロルに得意のスピードを見せろというニーナ・アントークが無謀としかいいようがないのだ。

 

 

 

 

「ああ、こりゃダメだ。完全に目ぇ回してやがる」

 

 気絶したニーナ・アントークの様子を見たシャーニッドはそう言って首を振った。

 

「これで一年に二敗か。またまた荒れそうだな、うちの隊長は」

「……すみません」

「キャロルちゃんが謝ることじゃないな。全力でかかってこいっていったのはニーナで、しかもニーナは変に余裕かまして構えてすらいなかった。事前にスピードに優れていると聞いていたのにだ。これは完全にニーナの油断が招いたことでキャロルちゃんが悪いわけじゃない」

 

 シャーニッドはそうキャロルに優しい目を向けた。

 

「まぁ、気にするな。うちの隊長はこう見えてそう悪い人間じゃない。別に根に持ったりはしないさ……まぁ、例外はあるみたいだけどな」

 

 後半少し困ったような口調になった。

 レイフォンが毅然と自己主張する。

 

「僕は少なくともツェルニや隊長たちには悪い事はしていませんよ」

「わかってるさ。おまえさんを責められるとしたらグレンダンの連中だけだ。おまえさんがやらかしたのはグレンダンでであってツェルニではない。それにおまえさんの事情も聞けばそう責められないしな」

 

 シャーニッドは聞いていたとおりレイフォンの過去をあまり気にしていないようだった。むしろ同情的にさえ見えた。

 

「こんな学園都市に放り出されるような武芸者が品行方正のやつらばかりのはずがない。そのあたりのことがうちの隊長にもわかればいいんだけどな」

「ニーナはちょっと自分にも他人にも厳しいところがあるから」

 

 おずおずとハーレイがニーナを弁護する。

 

「他人の過去の失敗をいつまでもネチネチと引きずるのは厳しいのではなく単に女々しいだけだと思いますが」

 

 フェリがそう切り捨てるとハーレイは笑って逃げた。

 

「それにレイフォンは別に罪を犯して逃げてきたわけではありません。きちんとグレンダンで処分を受けた上でツェルニに来たのです。その過去の罪状を持ち出してあれこれ言うのは筋が違うでしょう」

 

 すでに裁かれ罪を清算している人間に、おまえは罪人だと責めるのは間違っているとフェリは主張する。

 その主張はきっと正しいとキャロルも思う。

 けれどその過去はきっとこれかもレイフォンにつきまとうだろう。

 もっとも致命的な罪を犯したわけでもない。

 

 レイフォンの罪は禁止されていた賭け試合に出場したこと。

 そしてそれを脅迫してきた相手を試合で殺そうとしたことだろう。

 前者に関しては都市によっては賭け試合そのものが違法でない都市もある。キャロルの育ったアスラがそうだ。

 後者に関しては公式なレイフォンの罪状にはないことらしい。

 あくまでもレイフォンが罪に問われたのは天剣授受者という都市の頂点に位置する武芸者でありながら禁止されている賭け試合に出場していたという一点だけだ。

 その罰としてレイフォンは天剣授受者の資格を失っている。

 ツェルニに来たのはレイフォンが望んだからであって、別にグレンダンを追放されたわけではないらしい。

 それなら望めばグレンダンに帰ることもできるだろう。

 

 レイフォンはツェルニを卒業したらグレンダンに帰ることを望むのだろうか?

 人々が一つの事件を忘れるのに六年という年月は十分有効だ。

 レイフォンがツェルニを卒業する六年後にはグレンダンではレイフォン・アルセイフの賭け試合の事件など『そんなこともあった』程度で済むかもしれない。

 

 六年後のレイフォン、六年後の自分。

 想像しようとしたが、上手く想像できない。

 そんなことより生徒会長に頼まれた使命の方が重要かとキャロルはのんきに気を失っている第17小隊隊長の安らかな寝顔を見下ろした。

 

 さて目を覚ました彼女はなにを言いだし、どんな行動をするだろうか?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 小隊長

 予想通り、ニーナ・アントークはあのあと生徒会長室に怒鳴り込んだらしい。

 あの日、肝心の隊長が気絶しているため自然にその場はお開きになり、ニーナの面倒は幼なじみのハーレイが見ることになった。

 目覚めたニーナはあの模擬戦でなにがおこったのかハーレイに問いただすと生徒会長室に怒鳴り込んだらしい。

 

「どこも欲しがりそうな貴重な戦力を優先して回したというのになぜ私は何度も責められなければならないのだろうね?」

 

 そうカリアンは少しばかり納得がいかないと顔をしかめた。

 よほど責められたのだろう。

 

 夜にロス家に招かれ、第17小隊の様子はどうかと尋ねられたキャロルは返答に困った。

 

「基本的な問題は単純です。ニーナ隊長がレイフォンを受け入れればすべての問題は解決するでしょう」

「レイフォン君には問題はないかな」

「あるはずがありません」

 

 キャロルではなく同席していたフェリが口を挟む。

 

「そもそも一方的に隊長がレイフォンを避けているのです」

「歩み寄ろうとか、理解されようとか努力しないレイフォンも問題なのかもしれませんが」

 

 フェリの主張にキャロルが付け足す。

 しかしあのレイフォンが機嫌を悪くしたニーナを上手くなだめられるとはどうしても思えない。

 

「レイフォン君も不器用そうだからね」

 

 カリアンはそうため息をつき、視線をキャロルとフェリに向けた。

 

「それでなんとかなりそうかな」

「さいわい私はさほど嫌われていないようです」

 

 あのあとキャロルはニーナから小隊員として認めることと第17小隊に歓迎することが直接伝えられ、『頼りにさせてもらう』とまで言われていた。

 模擬戦でのことはなにも言われなかった。

 もっとも内心ではなにか思うところがあるかもしれないが。

 

「なら動きようはあるか」

 

 カリアンはそう呟いて少し目元を指で押さえた。

 

「お疲れですか?」

「ああ、多少ね。今年は都市戦もある年だし生徒会もいろいろあってね」

「生徒会長なら働くのは当然です」

 

 まったく兄を労ろうとしないフェリにカリアンは苦笑し、キャロルは複雑な顔をした。

 どうにもこの兄妹の関係が理解出来ない。

 仲がいいわけではない。

 けれど致命的に仲が悪いようにも見えない。

 少し距離を置いて兄を罵倒する妹を困った顔をして黙ってみている兄。

 そんな感じだ。

 

「それでは当分はキャロル君の手腕に期待させてもらうよ」

「私が対人関係の経験が不足していると指摘したのはあなたですが」

「いい経験になるだろう?」

 

 まったく悪びれずにそう返してくる。

 

「あなたがきちんと隊長に言い含めればすむ話ではないですか」

 

 フェリが突き放すように主張する。

 

「もう説明はした。レイフォン君にも事情があったことだし、あくまでグレンダンの事件でツェルニには関係ないとね。それでもニーナ君はレイフォン君を認められないと主張する。お手上げだ」

「なぜ認められないのでしょう?」

 

 それがわかれば和解の方法もわかる気がする。

 

「私には武芸者の考えを完全に理解できないだろうが、私は根底にあるのはレイフォン君への嫉妬と見ているがね」

「嫉妬?」

「そうだよキャロル君。若くして一都市の頂点に立つほどの才能を持つレイフォン君への嫉妬だ。ニーナ君もそれなりに自分の実力に自負のある武芸者だろう。故郷でも将来を期待されただろう。だけど彼女は故郷で最強の称号を得ることなどできなかった」

「それなら私も同じような条件になりますが」

「レイフォン君とキャロル君の致命的な違いはレイフォン君はそれだけの栄誉を得たにもかかわらずその座を追われるような失態を犯した。君にはそういったたぐいの汚点がない」

 

 要するにニーナ・アントークの潔癖な部分がレイフォンを拒絶しているのだという。

 そしてその感情を後押ししているのがレイフォンの実力への嫉妬だと。

 あれほどの力を持ちながらなぜと。もし自分にそれだけの力があればと。

 

「要するに隊長のわがままということですね」

「個人的な感情で隊長という役職を軽んじているという意味なら、そうだろう」

 

 フェリの辛辣な断定に苦笑しつつカリアンは同意する。

 

「ヴァンゼ武芸長には話をつけた。最悪の場合ニーナ・アントークを切ることも承諾させた。後任人事に関してはまだ合意していないが、彼は少なくとも一年を隊長にするのは反対のようだ。上級生の誰かを隊長に引き上げるか、シャーニッド・エリプトンを選ぶのが現実的だろう」

 

 自分が失敗すればツェルニにおけるニーナ・アントークの経歴はそこで終わると言っていい状態らしい。

 念のために尋ねる。

 

「万が一小隊長を罷免された場合。ニーナ・アントークの扱いはどうなります?」

「小隊員に戻るという選択肢は残す。もともと彼女のいた小隊は彼女が小隊員として復帰することを望んでいたしね。ただしそれを選ぶかどうかは彼女次第だが」

 

 プライドの高そうな彼女が隊長を辞めさせられ、自分の小隊を取り上げられて再び一小隊員に戻れるだろうか?

 そんな疑問を感じたがカリアンは若干冷たい表情で断言した。

 

「どういう結果になろうともこれはもともと彼女が犯した失態の結果だ。君が必要以上に気にすることではない」

 

 もちろん丸く収まるならそれにこしたことはないがねとカリアンは見る者を安心させるような微笑みを浮かべて見せた。

 けれどキャロルの表情は晴れなかった。

 

 

 

 

「材質は白金錬金鋼で、形状は剣か……大きさは模擬戦で使ったくらいがいいかな?」

 

 ハーレイは自分の研究室にキャロルを招いて彼女の錬金鋼について確認する。

 魔窟と表現できそうなほど雑然とした部屋にキャロルがびくびくしていると笑って『大丈夫、危険なものは手に触れるところにはないから』とあまり安心できないことを言った。

 

「あれよりも少し長めでお願いします。私の戦闘スタイルは基本的には速度を生かした一撃必殺です。武器を打ち合わせるような戦いはあまり好みませんから強度よりもむしろ剄を上手く扱えるようにして欲しいのですが」

「そうはいっても武器だからね。やっぱりそれなりの強度はいるよ。けれどこのデータはすごいね。レイフォンもすごかったけど、それに匹敵する」

 

 錬金鋼を作るためにキャロルの握力や剄のデータを取ったのだが、ハーレイはそれに目を輝かせていた。

 

「この剄の量はすごいね。普通の錬金鋼だと全力には耐えられないんじゃないかな?」

「実戦では複数の錬金鋼を予備にもって使い捨てるのが基本でした」

「そうなるだろうね。対抗試合程度なら問題はないだろうけど都市の戦争や汚染獣となったら錬金鋼がもたない」

 

 ツェルニならそんな機会はないだろうけどと付け加えながらデータを入力する。

 

「そういえば知り合いがおもしろい錬金鋼を開発していてね。君やレイフォンならもしかしたら使えるかもしれない。もしかしたらテストを頼むかもしれないけどそのときはよろしくね」

 

 かまわないと答えるとハーレイは嬉しそうな表情をした。

 

「うん、こんな感じかな」

 

 するとキャロルが両手で握っていた棒が剣の形に変わった。

 両手持ちの細身の剣。

 片刃だが反りがなく、切っ先だけ両刃になっている形状はキャロルが指定した。

 斬ることにも突くことにも使える剣。

 

「どんな感じ?」

「いい感じですが、もう少し厚みのある方がいいかもしれません」

「少し重くなるけどいい?」

「見た目より腕力はあるので平気です」

 

 ハーレイが素早くデータをいじると剣が再び変化して、今度はやや肉厚の片刃剣になった。

 これなら安心して叩き斬れると安心感を感じさせるような頑丈そうな外見だった。

 

「うーん、イメージ的にはもっと軽い剣を望むのかと思ったから意外だね」

「もう一度言いますが見た目よりも腕力はあるのです」

 

 キャロルも武芸者だ。

 きちんと身体を鍛えているので実は結構力持ちなのだが、外見からはそうは見えない。

 

「けど片刃剣って変わっているね。だったらいっそ刀にする? そっちもできるよ?」

「刀ですか……」

 

 使えなくはない。

 キャロルの習った剣術は刀にも応用できる流派だった。

 というか使用する剣自体が刀に近い形状をしていた。

 なぜいっそ刀を使わないのかと疑問に思って尋ねたら、元々は純粋な剣術流派から斬撃を究極まで高めることを目的に分派した一派だから剣に刀の特徴を持たせているのだという答えだった。

 刀に持ち替えないのは元の流派が剣術であることの名残なのだそうだ。

 

「私個人は特にこだわりがあるわけではないのですが、うちの流派はこういう片刃剣を使ってきましたからこれでいいです」

 

 自分が習った流派の説明をするとハーレイは少し興味深そうな顔をした。

 

「斬撃を追求した剣術流派か……斬ることに特化するならもう少し反りをもたせた方がいい気がするけど」

「そうすると今度は突きの感覚が変わってしまいますから」

「じゃあ、これでいい?」

「これでお願いします」

 

 わかったとハーレイはデータの保存を開始する。

 

「割とすぐにできるからできたら渡すよ」

「はい、楽しみにしています」

 

 本当に楽しみだった。

 故郷ではよく錬金鋼を作ってもらったがツェルニでは初めてだ。

 笑顔で楽しみにしていると言われたハーレイは顔を赤くして頬をかいた。

 

「……うん、期待にそえるものを全力で作るよ」

 

 急にそわそわしだしたハーレイをキャロルは不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 

 ハーレイの研究室を出て訓練所に顔を出すとニーナが一人で鉄鞭を振るっていた。

 両手に一本づつ鉄鞭を持ち、それを自在に振り回している。

 重い鉄鞭を両手にもって振り回し、まったく体勢を崩さないのだからその基礎体力は相当のものだ。

 客観的に見てニーナの実力は年齢を考えればけして低いものではない。

 もう少し経験を積み、技術を磨けば十代の武芸者としてなら十分な実力を得るだろう。

 

「……ああ、来ていたのか。悪いが今日は集まりが悪くてな。せっかく来てもらったのにすまないが自主練ということにしてくれ」

 

 キャロルに気がついたニーナが見られていたことが少しばつが悪いのか若干早口で告げた。

「一人で自主練ですか?」

「ああ、少しでも強くならなければならないからな」

 

 ここいらで少し話し合うべきだろうか。

 さてなにを言ったらいいかと考え、結局ストレートに告げることにする。

 

「レイフォンに対抗してですか?」

「なにがいいたい?」

 

 剣呑な目を向けてくる。

 けれどキャロルとしては重要な部分だ。

 機嫌を損ねるのを恐れて口をつぐむわけにもいかない。

 

「レイフォンの実力をどう思います?」

 

 そう問いかける。

 ニーナは話題をそらされたと感じたのだろう。

 若干不愉快そうにしながらも律儀に答えてくれた。

 

「傑出した才能だと思っている」

「不足です」

 

 彼女の評価を一言で否定した。

 

「あれは単身で汚染獣に挑める実力者です。戦争なら一人で大軍を殲滅しうる戦力です」

 

 ニーナは目を見開いた。

 

「私自身もその評価に当てはまります。その私をもってしてもおそらくかなわないと感じさせる人間がレイフォン・アルセイフです」

「だから……私ごときが努力しても無駄だといいたいのか?」

「隊長はなんのために強くなりたいのですか?」

 

 一瞬口ごもったが力強く断言する。

 

「このツェルニを守るためだ」

「だったらツェルニの生徒であるレイフォンは味方です。張り合う必要はないでしょう。まして隊長にとっては部下です。その実力を有意義に使おうと考えるのが普通です」

 

 ニーナは大きく息を吐き出した。

 若干落ち着いた口調で問いかける。

 

「おまえは私に何を望んでいる? いやこう言い変えようか? なにをしにこの小隊に来た」

「あなたが小隊の隊長としての自覚を持ち、第17小隊を戦力として回復させるためです」

 

 生徒会長の差し金かと呟くニーナにキャロルは黙って肯いた。

 

「なるほどそれでどこも欲しがるだろう期待の新人を二人も私のもとに寄越すわけだ」

「生徒会長は第17小隊がレイフォンと私を使いこなし。都市戦で勝利することを望んでいます」

「私はおまえたちの引き立て役か」

「私たちの指揮官としてあなたが選ばれたのでしょう」

 

 暗く自嘲するニーナの言葉をキャロルは静かな口調で正す。

 

「なぜ私なんだ?」

「おそらくあなたが新米の隊長であるからでしょう。第17小隊も設立したばかりと聞いています。ツェルニレベルの武芸者の指揮になれた小隊長ではレイフォンや私は逆に使いづらいでしょう。戦力が違いすぎるのですから根本的に他の小隊員とは使用法が異なるはずです」

「小隊の指揮に不慣れな私の方が、逆におまえたちの扱い方に慣れるのが早いと言うことか」

「初めて指揮する小隊員なのですから、少なくとも変な先入観なく素直な戦力として使えると判断したのでしょう」

 

 確証はない。

 けれどあの生徒会長がなんの思惑もなく新米隊長にレイフォンを預けるわけがない。

 考えられるのは今語った新米ゆえに規格外の小隊員の扱いに慣れるのも早いだろうということだろう。

 

「高く評価されたものだな」

 

 自分を嘲笑うようにニーナは視線を天井に向けた。

 

「私は前回の対抗試合でまったくいいところがなかった。一人の武芸者としても隊長としてもだ。勝てたのはレイフォンが強かった。ただそれだけの理由だ」

「最初から上手くできる者などいないでしょう。試行錯誤するだろう事は生徒会長も織り込み済みだと思いますが」

 

 ニーナはきつく目を閉じた。

 泣くのを耐えているようにキャロルには見えた。

 

「私は自分が不甲斐ない。私はあの男を軽蔑している。しかし現実にはあの男のおかげで私は勝った。勝たせてもらった。そしてこれからもあの男の力で私は勝利者の地位を譲られるだろう」

「レイフォンのしたことが許せませんか?」

「当然だ。武芸者としてあってはならないことだ」

 

 迷いない断言だった。

 けれどキャロルはその言葉と意志を受け入れない。むしろ真っ向から否定する。

 

「私はそうは思いません。レイフォンは自分の大切なもののためにすべてを捨てて戦ったのです。間違った方法であったとしてもその想いを否定することはしません」

「想い?」

 

 意外な言葉を聞いたようにニーナは困惑した表情を見せる。

 

「レイフォンは孤児たちを、仲間を救いたかった。仲間の力になりたかった。そのためなら誇りも名誉も捨ててかまわないと思えるほど仲間たちが大事だったのでしょう」

「それでも武芸者として守るべきものがあるはずだ!」

「それはなんですか? 誇りですか? 法ですか? それとも理想ですか?」

 

 毅然とキャロルを睨みつけニーナは断言した。

 

「武芸者が武芸者としての誇りを忘れてどうする!」

「誇りがあればレイフォンの仲間たちは、両親の庇護のない孤児たちは生きていけるのですか?」

 

 ニーナの瞳が迷いに揺らいだ。

 

「レイフォンは武芸者の誇りさえ捨てれば仲間を助けられるというのならば躊躇なく捨てたでしょう。レイフォンにとって仲間たちは誇りなどといった漠然としたものよりはるかに現実的で、自分が全力で守らなければならない大事なものだったのでしょう」

「だが奴は結果として罪に問われた。それは奴の行動が悪だという証明ではないか!」

「悪だとなにか問題があるのですか?」

 

 ニーナは絶句した。

 キャロルはいつの間にか胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。

 激しい怒りが、憎悪が胸を凍てつかせる。

 

 思い出すのは斬り裂いた敵都市の武芸者の断末魔の悲鳴。

 血まみれの自分の手。

 周囲の憎悪の視線と次々と自分を殺そうと襲いかかってくる敵武芸者たち。

 そして戦争に勝利し、賛美される自分。

 

 そして目の前には無邪気に武芸者の誇りを口にし、武芸者が悪を成すなどありえないと言いたげな、無知な子供。

 無性に腹立たしかった。

 なにもかもぶちこわしてしまいたいくらいの憎悪が身体中に広がるのを必死に押さえた。

 我慢しなければならない。

 自分はここをぶちこわしに来たのではない。

 託された使命を思い出して少しだけ心を落ち着ける。

 

 けれど言わなければならない。伝えなければならない。

 そうしないと彼女はレイフォンも、このキャロル・ブラウニングも理解出来ないだろう。

 

「私は戦争で敵都市の武芸者を殺しました。少なくとも数十人単位で死んだはずです」

 

 無表情に人を殺したと告げる少女にニーナは気圧された。

 

「レイフォンの罪など私から見たら笑えるほどたいしたことがない。私は人殺しです。罪の重さではレイフォンなど比べものにならない」

「それは、戦争なのだから仕方ないだろう?」

「仕方ない? 殺された武芸者の家族たちがそういって私を許してくれると本気で思っていますか? 子供の名前を呟きながら息絶えた武芸者が私を許すと思いますか? その子供が私を憎まないと思いますか?」

 

 ニーナは唾を飲み、目の前の少女を見た。

 まるで人形のような美しさ、そして無機質さを感じさせる無表情に口元は笑みを浮かべて、その桜色の唇から毒を吐き出す。

 それを聞いてはいけないとニーナの感性は訴えた。

 聞いてしまえば自分の信じていたものが崩壊すると。

 

「返り血まみれで故郷に戻った私はみんなに褒められました。良くやった。すごい活躍だったと。私にはなぜ褒められるのか理解出来ませんでした」

 

 人を殺してきたのに、みんなが笑顔で賞賛する。

 汚染獣を退治したわけではない。

 別の都市で生きていた人間をこの手で、この剣で斬り裂いてきたというのにみんなが褒め称える。

 当時のキャロルにはその光景が理解出来なかった。

 戦争の意味も、人を殺す重みもなにも理解することのない幼さで戦場に投入された少女は家に戻って発狂したように喚き散らし泣きだした。

 父に取り押さえられ、医師が呼ばれて鎮静剤を打たれた。

 意識が戻ったとき母がそばにいた。

 母は言った。

 

『人が生きていくというのは誰かを、なにかを殺して踏みにじって前へ進むことなのよ』と。

 

 そしていつものようにキャロルが落ち着くまで抱きしめて慰めてくれた。

 

 

 

 

「隊長はツェルニを守るという。立派です。誰もがそう認める目標でしょう」

 

 艶めかしい桜色の唇が動く。ニーナはそこから目が離せなくなった。

 彼女の言葉が耳にこびりつき自分の足をつかんで奈落に引き込もうとしているように感じ恐怖した。

 

「ええ立派です。ツェルニの存続のためなら他の学園都市から鉱山を奪い、滅ぼしてもいいと考えているのですから」

 

 その瞬間ニーナの中でなにかが砕かれた。

 

 なぜ気がつかなかった?

 学園都市同士の戦争は戦死者など滅多に出ない。

 ルールの決められた競技のようなものだった。

 お互いの都市を守り、お互いの本陣の落としフラッグを破壊するだけの競技。

 

 だがその結果はどうか?

 都市戦に負け続けたツェルニは滅亡の一歩手前にいる。

 今度の都市戦で勝利すればツェルニは助かる。ツェルニを守れると考えていた。

 間違ってはいない。

 しかし、その結果どこかの学園都市が滅ぶかもしれないのだ。

 今のツェルニのように所有する鉱山を減らされ、最後にはなくなり滅ぶかもしれないのだ。

 

 ツェルニが守られれば他の学園都市が滅びてもいいのか?

 私は他の学園都市を、そこに存在するだろうツェルニと同じ電子精霊を殺す覚悟があったか?

 ただツェルニを守りたいとそれだけしか考えていなかったのではないか?

 その結果どうなるのかなど、想像したことさえなかったのではないか。

 

「わかりましたか? 武芸者の誇り、武芸者の理想。それはそういうものなのです。他者から奪い、他者を踏みにじり、他者を殺して自分たちの安全を確保する。それが誇り高き理想の武芸者です」

 

 愕然と立ち尽くす。全身がけだるい。

 まるで全力で戦ったあとのような疲労感が身体を蝕む。

 そして敵はそんなニーナにゆっくりと近づいてくる。

 

「来るな!」

 

 ニーナは錯乱した。

 両手の鉄鞭を振り回して怪物の接近を阻もうとした。突きつけられた現実を振り払おうと武器を振るう。

 しかし長い金色の髪をわずかに揺らした怪物は、軽く手を振るうだけで手品のようにニーナの両手から鉄鞭をはじき飛ばした。

 

 なんだこいつは?

 

 レイフォンの実力を脅威に感じた。

 傑出した実力に嫉妬した。

 その過去の罪状に自分の部下にふさわしくない人格の持ち主と軽蔑した。

 しかし目の前の怪物はそんな彼がまるで無害に思えるほどの恐怖をニーナの魂に叩き込んだ。

 

 ニーナの今まであたりまえに存在した常識が、誇りが、自尊心が。

 怪物の毒で見る影もなく粉砕された。

 ぺちんと怪物の手のひらがニーナの両頬を叩いた。柔らかく小さな手のひらに頬を挟まれて蒼い瞳にじっと覗き込まれる。

 

「人は大事なものを守るために、それ以外を切り捨てられるのです。それはツェルニを守ろうとしている隊長なら理解出来るのではありませんか?」

 

 優しい声だった。

 目の前の少女は小さな子供に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 

「レイフォンは仲間のために武芸者の誇りも名誉も切り捨てた。隊長はツェルニのためにそれ以外の学園都市を切り捨てようとしている。その想いは両方ともとても尊いものです」

 

 尊い?

 他の学園都市の被害など欠片も考えなかった自分が?

 

「大事なものを守りたい。その想い。その心はとても尊くて美しいものなのです。もう一度ゆっくり考えてください。あなたがなにをすべきか、あなたはなにをしたいのか」

 

 間近で見つめると少女はまるで無垢な少女のような瞳をしていた。

 穏やかな微笑みを浮かべて、温かい手のひらからその体温がニーナの身体に流れ込んでくるようだった。

 

 身体の緊張が抜けた。

 目の前にいるのは怪物ではない。

 自分よりも大人で、武芸者としての勤めを理解している少女なのだと理解出来た。

 そして自分はなにも知らない子供であったのだと思い知らされた。

 

「よく考えてみてください。それは隊長にとってきっと重要なことのはずです」

「あ、ああ……わかった。考えることにしよう」

 

 それだけ言葉にするのが精一杯だった。

 気を抜くと涙が溢れそうになる。まるで母に叱られたような気分だ。

 キャロルは穏やかに肯いてニーナから離れる。その背中になにか声をかけなくてはならない気がした。

 

 このままでは彼女は、自分の前に二度と立ってくれない。

 意を決して声を振り絞る。

 

「キャロル!」

 

 予想外の大声に自分でも驚いているとびっくりしたように目を見開いてキャロルが振り向いた。

 

「いつでもここに来てくれ、まとまりが悪い上にこんな情けない隊長だが、それでもここがおまえの所属する小隊だ」

「はい、お世話になります」

 

 なんのわだかまりもないような温かい笑顔を残してキャロルは去って行った。

 

 

 

 一人になってニーナは床に寝転んだ。

 

「私はまだまだ未熟者だな……」

 

 一年で小隊員になり期待されているうちに少し増長していたのかもしれない。

 一人でツェルニを守れるはずがない。

 だからこそ小隊を立ち上げたのだ。

 そして優秀な人材が自分の元へ集まってくれた。

 自分がやるべき事は彼らに訓練しろと怒鳴りつけることではなく、誠心誠意頭を下げて協力を願うことだろう。

 

 それだけの人材たちなのだ。

 こんな未熟者が頭ごなしに怒鳴りつけて動くような連中ではない。

 

「まだ間に合うはずだ。私はきっとよい隊長になってみせる」

 

 あの少女に、自分のように上辺だけの武芸者の誇りを語るのではなく武芸者の影の部分も体験してきた少女に認められるように。

 

 他の学園都市を犠牲にする。

 そのことはまだ割り切れない。

 けれどそれしかツェルニを救う方法がないのなら、自分は迷わない。迷ってはいけない。

 ツェルニを死なせることだけはけして許容できないのだから。

 

「なんだ……レイフォンもこんな気持ちだったのかもしれないな」

 

 武芸者の誇りは大事だ。

 けれど仲間の孤児たちには誇りではなく金銭が必要だった。

 だから誇りを切り捨てた。

 

「武芸者の誇りとは……なにかを守るという事なのか」

 

 やはり自分は未熟者だ。

 素直に謝れば彼は許してくれるだろうか?

 そんなことを考えながらいつの間にかニーナは心地よい眠りに誘われていた。

 




原作では割とすぐに和解するニーナとレイフォン。
けれどもしあの時汚染獣襲来がなかったら?
身の危険をかえりみずに汚染獣を倒しにいったレイフォンの姿をニーナが見なければ?
二人は決裂したままだったのではないかと考えます。

そんな考えで書かれたニーナとレイフォンの仲違い編でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 少年の想い

 

 休日のツェルニの街並みはたまの休日を有意義に過ごそうと考える学生たちがそれぞれの余暇を楽しんでいた。

 対抗試合の時のように人混みでごった返すというほどではない。

 どこかのんびりとした空気の中でほどよい人並みで街が動いている。

 行き交う人々が思い思いの休日を過ごしているのが一目見ただけでわかる。

 

 急ぎ足でどこかへ行こうとしている人はなにか予定があるのだろうか。

 女生徒が集まってお店の品揃えを見て騒いでいる。

 友人たちとショッピングだろう。

 男子生徒が一人缶コーヒーを飲みながら周囲を眺めている。

 ただ目的もなくぶらついているのだろうか。

 

 最近友人に教えてもらった喫茶店にやや急ぎ足で向かうキャロルは窓越しに彼がすでに待っていることに若干驚いた。

 これでも時間に余裕を持たせてきたつもりなのだ。

 少年もこちらに気がついたのか軽く手を振って見せた。

 待たされた不快感など感じさせない笑顔だった。

 入店して声をかける。

 

「お待たせ、レイフォン。これでも早く来たつもりなんだけど」

 

 ノースリーブのワンピースに薄地の上着を羽織ったキャロルは少しすまなそうな様子だった。

 そんな彼女に着慣れたシャツにスラックスという気軽な格好のレイフォンは笑顔で気にすることはないと告げる。

 

「僕が少し早く来すぎたんだ。部屋にいても落ち着かなくて」

 

 そういって苦笑する。

 

「私も、男の子と出かけるなんて初めてだから落ち着かなかった」

 

 お互いに苦笑しあうと店を出る。

 自然にレイフォンの隣を歩くキャロルを見て、レイフォンは口ごもった。

 

「あの、その……私服姿を見るのは初めてだけど、よく似合っているよ」

「ありがとう。私はあんまり服はもっていないの。センスがないから実家では母任せだった」

「そんなことはないと思うけど」

 

 普段と違うキャロルを見下ろしてレイフォンは頬を赤くさせる。

 

「僕もあまりファッションとか気にしたことがないから……変じゃないかな?」

「だいじょうぶだよ。レイフォンはいつも通りだから」

 

 その言葉は褒め言葉なのかどうかと思案する顔でレイフォンは少し沈黙した。

 

「さあ、行こう? 一日は短いんだから!」

 

 楽しそうなキャロルの顔を見ていると些細なことはどうでも良くなってレイフォンはキャロルと一緒に歩き出した。

 

 

 

 

 数日前。

 

「お願いがあるんだ!」

 

 いつになく気合いの入った声に目の前の友人たちは目を丸くする。

 

「なんだ? 金でもなくなったか? レイとんなら少しぐらいは貸してもいいが」

 

 ナルキが冗談っぽく話し出す。

 放課後行きつけの喫茶店に呼び出され、いきなり頭を下げられて少女たちは困惑していた。

 

 ナルキ・ゲルニ。

 ミィフィ・ロッテン。

 メイシェン・トリンデン。

 

 レイフォンの数少ない友人たちだ。

 入学式で暴れる武芸科生徒を鎮圧し、その後小隊に加入して大活躍したレイフォンはややクラスメイトから距離を取られていた。

 別に避けられているわけではないが、突然現れたスターにどういう態度で接したらいいかわからないというのがクラスメイトたちの素直な心情だったろう。

 

「……なにか困ったことでもあったの?」

 

 メイシェンが心配そうな声を出す。

 

「もしかして小隊がらみの話? だったら私たちよりもキャロの方がいいんじゃないかな?」

 

 ミィフィはメニューを眺めながら気軽な声を出す。

 キャロルが第17小隊に加入したのはもうみんな知っている。

 周囲の反応は『まあ順当だろう』というものだった。武芸科生徒ならば一年の武芸科でキャロルの実力が傑出していると評価されているのを知っているし、一般生徒もそれを伝え聞いている。

 レイフォンのように活躍するのではないかという声と、さすがにそこまでは無理でも数年後は小隊の中枢メンバーになっているだろうとかいろいろ噂されている。

 

「いや、できればキャロには内緒でお願いしたいんだ」

「内緒? キャロにか? 悪いがレイとんとは友達だがキャロも友達だ。場合によっては断るぞ」

 

 ナルキが生真面目に答える。

 

「まぁまぁ、ナッキ。話だけでも聞いてみようよ。さぁ話してみなよ。悪いようにはしないから」

 

 ミィフィが好奇心に目を輝かせる。

 キャロルには内緒という一点が好奇心を刺激したらしい。

 そんなミィフィを感心しないというような顔でナルキが肩をすくめ、メイシェンがミィフィの袖をくいくいと引っ張って抗議の意を示す。

 

「実は……」

 

 レイフォンの話は簡単だった。

 キャロルにはなにかと世話になっている。

 その恩返しがしたいと思うのだが、なにをしたらいいのかわからない。

 

「どうしたらいいだろう?」

 

 その言葉にナルキとミィフィは顔を見合わせ、ほんの少しメイシェンの顔色をうかがう。

 二人の視線に気がついたメイシェンは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 レイフォンはまったく気がつかない。

 

「やっぱり贈り物とかかな? でもなにが好きなのか知らないし、いきなり贈り物なんかされても迷惑なんじゃないかなと思うし」

「あーとりあえず落ち着け、レイとん」

 

 もはや頭の中が回転しすぎて熱を発していそうなレイフォンをナルキが適当になだめる。

 

「話はだいたいわかった。レイとんはキャロに日頃の感謝をしたいんだな?」

「あくまで感謝だけ? 他にもあったりしない?」

「え? お礼をしたいだけだけど、やっぱりダメかな?」

 

 ナルキとミィフィに詰め寄られてレイフォンは困惑する。

 

 日頃相談に乗ってもらっただけではなく。自分の過去も受け入れてくれた。

 しかも小隊内のトラブルもどうやらキャロルが解決してくれたらしい。

 あのあとニーナが自分の態度とレイフォンに向けた言葉を詫びて、改めて第17小隊の力になってくれとレイフォンに頭を下げた。

 レイフォンとしてはわかってもらえたのなら特に問題はない。

 むしろ生徒会長命令で小隊に放り込まれたレイフォンとしてはニーナが受け入れてくれるというのなら非常にありがたい話だ。

 

 キャロルは文句を言われたら辞めてやると言えばいいと主張したが自分の立場で小隊を辞められるとは思えない。

 あの生徒会長が許すはずがないとレイフォンは思っていた。

 

 そんなわけで多大な恩があるキャロルにレイフォンはいまさらながら自分はキャロルを頼るだけで彼女のためになにかしたことがないことに気がついて愕然とした。

 さんざん一人で頭を抱えたが、やはりない知恵は絞れない。

 誰かに相談しようにも、一番の相談相手はキャロルだ。

 キャロルのことをキャロルに相談する。

 それはまずいだろうと考える程度の常識はレイフォンにもある。

 かくして数少ない友人であり、キャロルと同じ女性でもあるミィフィたちに相談しようと決めたのだが。

 

 メイシェンは下を向いて沈黙し。

 ミィフィとナルキは困った奴だと言いたげな目でレイフォンを見ている。

 なぜか責められている気がして落ち着かない。

 

「まぁ……レイとんだからな」

「レイとんだしねぇ……」

 

 ナルキとミィフィに呆れられている気がする。

 よりによってメイの前で他の女へのお礼の仕方など聞いてくれるな。

 ナルキの唇がかすかに動き、その音をレイフォンは敏感に聞き分けた。

 優秀な武芸者であるレイフォンには造作もないことだが、意味がわからない。

 なぜメイシェンの前でキャロルにお礼をする話をしてはいけないのか?

 さっぱり理解出来ないで不思議がるレイフォンを見て二人はため息をついた。

 

「まぁ、まだ勝ち目がないと決まったわけじゃないからそう気落ちするな、メイっち」

「そ、そんなのじゃないよ……」

 

 ミィフィに肩を叩かれてメイシェンがか細い声で抗議する。

 

「まぁ、真面目な話。それほど難しく考える必要はないだろう。一緒に遊びにでも行って帰り際になにか手頃なプレゼントでも一緒に買って贈れば十分だろう」

「どこに行けばいいんだろう?」

「本気で聞いているのか? ……本気なんだなレイとん。すまない私が悪かった。まさかここまでとは思わなかった」

 

 ナルキになぜか謝られてしまった。

 どこか不憫な子という感じに見られている気がする。

 

「まぁ、ここは私に任せなさい。私はメイっちの親友だが、キャロも大事な友人だからね。基本中立で行くつもりだから」

 

 意味がわからない。

 だがそんな困惑顔のレイフォンなどまったく気にせずにミィフィは胸を張った。

 

「レイとんに女性のエスコートの仕方をしっかり伝授してあげよう!」

 

 まるで熟練武芸者が秘伝の奥義を伝授しようというような力強い威圧感に思わずレイフォンは姿勢を正した。

 

 

 

 

 そんなことがあったとは知らないキャロルはレイフォン任せのお出かけを気楽に楽しんでいた。

 映画館で映画を鑑賞し、そのあとは様々なお店を二人で冷やかして回る。

 レイフォンが映画館で睡魔と必死に死闘を繰り広げたことも、道を歩いていてもキャロルの反応を伺い、背に汗をかくほど緊張していたことも知らない。

 同年代の友人と出かけたことのないキャロルは、なにもかも新鮮で楽しかった。

 見る者の心が温かくなるような幸せそうな笑みを浮かべてキャロルはレイフォンを連れ回していた。

 そんなキャロルの笑顔に目が離せなくなり、腕を掴まれて引っ張られると真っ赤になってしまうレイフォンの態度のおかしさなんて彼女はまるで気がつかなかった。

 レイフォンは対抗試合以来有名人だ。

 ときおり好奇の視線が注がれるが二人を見ると微笑ましそうな顔をするか、今にも天を呪いそうな顔をして舌打ちするか、周囲の反応は様々だった。

 周囲からは初々しいカップルと見られていることなどもちろんキャロルは気がつかない。

 そもそも異性と一緒にお出かけするということが世間一般ではデートということすら認識していなかった。

 初めての友人とのお出かけで浮かれている上に、そういう経験がまるでないキャロルはレイフォンでさえ唖然とさせられるほどの鈍感ぶりを発揮した。

 

 

 

 

「レイフォン! あれ可愛いよ!」

 

 すっかり浮かれて舞い上がっているキャロルを眺めてレイフォンは密かに安堵していた。

 どうやら喜んでもらえたようだ。

 映画は女性が好みそうなドラマにした。

 レイフォンはあくびを噛み殺し、睡魔に耐えるだけの内容だったがキャロルは興味深そうに見つめていた。

 その後の気軽に街を散策するという行動も、内心退屈させてしまうのではないかと心配だったがキャロルは大喜びだ。

 ちょっとした発見をレイフォンに報告してレイフォンの返答を聞き出して嬉しそうな顔をしている。

 子供っぽいところもあるんだな。

 しっかりしたところしか今まで見ていなかったが、意外に子供っぽい無邪気な一面もあるようだ。

 レイフォンはその笑顔を見るたびに胸の動機を隠して平静を装うのに苦労した。

 可愛いなぁ。

 思えばレイフォンは今まで同年代の女性との付き合いがあまりなかった。

 強いていえば幼なじみのリーリン・マーフェスという存在がいるが、彼女との関係は家族や兄妹といったもので異性という感じはあまりしない。

 少なくともリーリンに異性を感じたことはあまりない。

 目の前の異性以外の何者でもない少女。

 彼女が浮かべる世界中で一番幸福そうな笑顔を向けられると心臓が跳ね回り頬が熱くなる。

 ゆったりとしたワンピースの胸元に視線を向けるとその感触を想像しそうになり、ふとすでにそれを知っていることに驚愕した。

 彼女に抱きしめられ、泣いたのだ。

 彼女の柔らかさ、暖かさは忘れられない。

 ……小柄だけど意外に胸はあるな。

 

「どうしたの?」

 

 そんなことを考えているとキャロルが不思議そうな表情でこちらの顔を覗き込んできた。

 近い!

 そう悲鳴を上げたくなった。

 少しこちらが近寄れば唇が触れあってしまいそうな距離だ。

 唇?

 グレンダンを出る前に一度だけ交わされた幼なじみとの口づけの柔らかく温かい感触を思いだしてレイフォンは多いに慌てた。

 なんで彼女はこうも無防備なのだろう?

 リーリンもそうだったが、彼女の場合は一緒に住む家族だったから妙に意識することはなかった。

 けれどこの小柄な少女は家族ではない。初めての異性の友達だ。

 

「いや、な、なんでもないよ」

 

 そういうと小首をかしげてキャロルが顔を離す。

 ほっと息をつく。

 正直、彼女に密着されて彼女の身体の感触や体温を感じたり、彼女の吐息を感じたり、彼女の香りが鼻をくすぐったりすると理性が飛びそうになる。

 その場で彼女を抱きしめて、その感触を思う存分味わってみたくなる。

 いきなりそんなことをしたら痴漢か変態だ。

 間違いなく嫌われる。

 二度と話しかけてもらえなくなる。

 近づくことさえできなくなるだろう。

 レイフォンとしては男性の本能からくるであろう誘惑に理性を総動員して必死に防戦しているのだが、困ったことに彼女はそんな男心を理解してくれない。

 欲望が加速しそうなことばかりしてくる。

 気軽に腕をつかんでくる。

 かと思えば手を握ってくる。

 なんの警戒もなく顔を近づける。

 商品を見るときなどほとんど身体が密着するような体勢になったこともあった。

 

「もうこれって誘惑されていると思っても不思議じゃないよね」

 

 小声でぼやいた。

 けれど彼女は本当に無邪気に笑い。楽しそうにレイフォンを連れて歩く。

 その姿にどこか記憶を刺激されるものがあったのだがようやくレイフォンは思いついた。

 

「昔のリーリンみたいなんだ」

 

 まだ男女の差などなかった頃の幼なじみ。

 お互い幼かったあの頃。

 リーリンは無邪気に笑い。そして無邪気にレイフォンに抱きついていた。

 歳をとるごとにそういった行動はしなくなり、ある程度の距離感を取るようになっていったが、今のキャロルは幼い頃のリーリンを連想させた。

 男女がつきあうということの意味も知らなかった頃の幼なじみ。

 不意にキャロルは誰にたいしてもこうなのかと想像して胸の奥に暗い感情が重苦しく感じられた。

 

「キャロはいつも男の人とこうして歩いているのかな?」

「初めてだって言わなかったっけ?」

 

 若干とげのある口調に心底不思議そうな声が返ってくる。

 不意にレイフォンは死にたくなった。

 自分はなんてことを口走っているんだ。

 彼女は今日最初にそういったじゃないか、『男の人と出かけるなんて初めて』だと。

 それを彼女が他の男に同じような態度で接するところを想像して勝手に嫉妬して、しかもその感情を相手にぶつけるなんて!

 

「いや、うん。そうだったね……」

 

 だめだ。上手いごまかし方もわからない。

 

「変なレイフォン」

 

 そう言って彼女は楽しそうに笑った。

 

 ああ、彼女は。

 たぶん、いやきっと。

 すごく鈍感で、そのくせ無意識に男を魅了する小悪魔みたいな存在なんだ。

 

 レイフォンは楽しそうなキャロルの笑顔に惹きつけられるものを感じつつ、冷静な部分でそう思った。

 とんでもない女の子だ。

 とうてい自分の手に負えない。

 けれどどうしても惹かれてしまう。

 どうしても頼ってしまう。

 そしてどうしようもないほどに彼女の笑顔を見ることが幸福に感じられる。

 

 だめだ。

 これはきっと。

 自分は恋をしたのだろう。

 この天使の輪っかと翼を持っていそうな外見で、無自覚な小悪魔の尻尾を隠しもっていそうな女の子に。

 

 キャロル・ブラウニング。

 頼りになって、頭が良くて、強くて。

 子供っぽくて、どこか幼くて、無自覚にこちらの心をかきみだす。

 

 こんな女の子は初めてだ。

 どうしたらいいんだろう?

 リーリンなら、なにか良いアドバイスをくれるだろうか?

 これは本当に恋なのか。

 恋だとしたらどうしたら良いのか。

 こんな事を聞けるのはレイフォンには故郷の幼なじみ以外にはちょっと思いつかなかった。

 




原作レイフォンなら軽く流しそうですが、うちのレイフォンは意識しまくりです。
そしてキャロルはまったく意識していません。
お友達とのお出かけを純真に楽しんでいます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 先輩

 

 放課後の第17小隊の訓練所で一人キャロルは剣を構えていた。

 他の小隊の仲間はすでに帰宅しているだろう。

 専用の錬金鋼を受け取りに行っていたキャロルは遅れて訓練所に訪れ、こうして一人で居残っている。

 白金錬金鋼の剣を両手で握って軽く剄を通す。

 素直に刀身に剄が通る。

 故郷で使っていた錬金鋼となんの遜色もない。

 ハーレイの技術に感心し、かつ感謝した。

 これならば問題ないと。

 

 全身に剄を流し、身体能力を向上させる。

 すっと音もなく剣が振るわれる。

 上段からの斬り下ろし。

 下段からの斬り上げ、すっと剣を引き刺突を放つ。

 剄が刀身を渦巻き前方に弱い突風を発生させた。

 再び上段に構え、刀身に剄を込める。

 ただ鋭く、ただ斬り裂くために。

 空気を裂いて剣が振り下ろされる。

 室内に突風が起きる。

 斬り裂かれた空気が壁や天井に反射して突風となったのだ。

 キャロルは軽く息を吐くと。

 自分専用に作られた白金錬金鋼の剣を見た。

 反りのない片刃剣。

 切っ先だけは両刃になるようになっており、突きも不得意としない。

 キャロルの腕の長さより少し長めの刀身は振りやすく扱いやすい。

 幅広で頑丈な作りになっていて、剄の伝導率が高いが強度の点で劣るとされる白金錬金鋼でも十分な強度がある。

 対人戦なら不足はない。

 汚染獣戦なら複数の錬金鋼を予備として持ち、使い捨てる戦い方をすればいい。

 不満はない。

 むしろ学生しかいないツェルニでここまでの錬金鋼ができるとは思っていなかった。

 

 胸の奥がざわめいている。

 錬金鋼の問題ではない。別の問題だ。

 

『レイフォンとのデートはどうだった?』

 

 無邪気に、かつ好奇心たっぷりに聞いてきた噂好きの友人を思い出す。

 デート?

 自分はデートをしたのだろうか?

 そういえば異性が一緒に出歩く行為はデートといえるかもしれない。

 けれどそれは恋人同士とかの場合ではないだろうか?

 レイフォンは友人だ。

 なにかと手間のかかる友人だが、嫌いではない。

 むしろ好感を抱いてはいる。

 なぜと問いかけると。

 なんとなくとしか答えようがない。

 なんとなく放っておけない。

 心配で、目を離すと不安で、頼りなくて。

 強いことには強い。

 けれど精神面はかなり不安定だ。

 理想の異性か?

 そう問いかけられたら間違いなく違うと断言できる。

 今まで恋愛というものを真剣に考えたことがなかった。

 今でもよくわからない。

 それでも漠然と自分が恋する男性は父のように何事にも動じず。母のように包容力のある人だろうと想像していた。

 

 レイフォンはどうか?

 彼が何事にも動じない落ち着きがあるようには見えない。

 包容力はあるか? むしろ包容力を求めそうな頼りなさがある。

 理想の異性像からはほど遠い。

 では自分はレイフォンを恋愛対象とは見ていないのだろうか?

 たぶんそうだろう。

 あの日のお出かけは楽しかったが、初めての友人とのお出かけということでずいぶんはしゃいだ。

 あくまでも友人とのお出かけのつもりだった。

 恋人とのデートのつもりはなかった。

 

「レイフォンはどう考えているんだろう?」

 

 ふと聞いてみたい気がしたが、なんと聞いていいのかわからない。

 まさか自分に恋愛感情を持っているかなどと問いかけるのは非常識だろう。

 少し苛々してきた。

 なんで自分はこんなつまらないことで悩んでいるのだろう?

 思い切り剣を振り下ろす。

 剄もろくに込めていないのに空気を裂く感触が伝わってきた。

 

「居残りか? ずいぶん熱心だな」

 

 振り向くと訓練所の入り口にいつの間にかシャーニッドが立っていた。

 いつの間に来たのだろう?

 まるで気がつかなかった。

 それだけ気が抜けていたのだろうとキャロルは反省した。

 

「ほいよ。運動のあとは水分を取らないとな」

 

 そう言ってシャーニッドが缶ジュースを手渡してくる。

 

「ありがとうございます」

「それにしてもすごい太刀筋だったな。レイフォンもすげぇと思ったが、キャロルちゃんもとんでもないな」

「レイフォンにはかなわないと思いますよ」

 

 自然に苦笑する。

 対抗試合で見せたレイフォンの動き、そして太刀筋。

 あれで全力ではない。

 いや全力にはおそらくほど遠い。

 自分でもあの程度の動きはできる。

 けれど全力を出したレイフォンに追いつけるかどうかは自信がない。

 それぐらい武芸者としてのレイフォンは底が知れない。

 精神面もそれぐらい頼りになれば、限りなく理想像に近くなる気がする。

 

「先輩面できるほど俺は出来がいいわけでも品行方正でもないんだが」

 

 そう前置きしてシャーニッドは優しい目をこちらに向けた。

 

「後輩の悩みを聞くぐらいはできる。もしなにか胸に抱え込んでいるなら話してみてもいいぜ。別に無理強いはしないがね」

 

 一瞬息がつまった。

 

「……悩んでいるように見えますか?」

「なんとなくな。なんとなくなにかを気にしているようには見えるな」

 

 まさか密かに悩んでいたことを察せられていたとは思わなかった。

 思ったより勘のいい人らしい。

 普段は軽薄な態度でフェリやキャロルに『今日も可愛いね』などと軽い台詞を投げかけていて想像できないが、彼はあきらかにツェルニのレベルでは上位の狙撃手だ。

 その実力は対抗試合で見ている。

 戦場に潜み、誰にも知られずに目標に接近して撃破する。

 基本に忠実な狙撃手だ。

 ただの軽薄な男性ではないと思ってはいたが、それでもどこかで彼を軽く見ていたのかもしれない。

 思えば彼は四年生で年長者だ。

 自分などより人生経験豊富なはずだ。

 キャロルはどちらかといえば特殊な環境で育ったため、どこか世間にうとい面がある。

 頭が悪いとは思わないが、どこか世間一般の常識になじめずにそれを察せられない一面があることは故郷にいたときから指摘されていた欠点だ。

 要するに年齢相応の経験をしたことがなく、そういった面ではまるで子供のようになにもわかっていない。

 そういうことらしい。

 

 相談、してみようかな?

 

 ふとそう思った。

 長く伸ばした髪を後頭部でくくり、垂れ目がちな目と常に緩ませている口元が軽薄な印象を与えるが、この長身の青年は自分が悩んでいることを見抜いた。

 ただの軽いだけの男のはずがない。

 

「自分でもなにに悩んでいるのかよくわからない状態なのですが」

 

 それでも相談に乗ってもらえるかと尋ねるとシャーニッドはどこか寂しげに苦笑した。

 

「悩みなんて大抵そんなもんだな。自分で考え込んでいるといったいなにが問題なのか、なにをしたらいいのかわからなくなっちまうもんだ」

 

 そう言って立ち上がった。

 

「場所を変えようか。キャロルちゃんにはちょっと早いかもしれないが良い店を知っているから、そこでシャーニッド先輩による人生相談教室としゃれこもうじゃないの」

 

 そう言ってにやりと笑う彼の顔にはもう先ほどのどこか影のある表情は欠片も残っていない。

 まるで人生のすべてをおもしろおかしく楽しんでいそうな笑顔で彼はキャロルに手を差しのべた。

 少し迷ったが、差し出された手にキャロルは手を伸ばした。

 顔の印象とは違って大きくてどこか父を思わせるような無骨な手がキャロルの手をつかんだ。

 

 

 

 

 薄暗い照明。

 ぼんやりとした青い光が目を引く。

 地下だというのにそこそこの広さがあり息苦しさは感じない。

 いくつかの席には上級生らしい人たちが静かにグラスを傾けている。

 カウンター席に腰をかけ、シャーニッドが笑った。

 

「いい店だろ? 雰囲気も良いし、のんびり飲むには最高の店だ」

 

 彼の前には注文もしていないのになぜかグラスが置かれていた。

 琥珀色の飲み物を彼はなんの問題もないという態度で飲んでいた。

 シャーニッドがカウンターの向こうにいる店員になにか話しかけると自分の前にもグラスが置かれた。

 赤い色が鮮やかな飲み物。

 

「ノンアルコールだから心配しなくてもいい。それとも酒の方がよかったか?」

「お酒はあまり好きではありません」

 

 そう答えつつおそるおそる赤い飲み物を口に含む。

 すっきりした甘さが口に広がった。

 なにかの果物のジュースだろうか?

 シャーニッドが意外そうな顔をした。

 

「飲んだことがあるのか? 意外だな」

「以前先輩たちに無理矢理飲まされました。正直二度と飲みたくありません」

「そのうち飲みたくなるさ。酒の味と飲み方がわかるようになったらな」

 

 そう言って笑う姿は彼が年上の男性なんだとキャロルに再認識させた。

 キャロルにはいまいちなじめない店の雰囲気にもよく似合っているし、お酒を口に運ぶ姿も様になっている。

 

「お酒に飲み方なんてあるんですか?」

「それはあるさ。馬鹿みたいに騒ぐ奴もいれば、こうして静かに飲む奴もいる。人それぞれの個性みたいなものだな。意外な性格がわかって結構おもしろいもんだぜ」

「シャーニッド先輩は静かに飲むのが好きなのですか?」

「俺か? そうだな。その日の気分といったところだが、たまにはこうして一人で静かに飲みたくなる。今日は一人じゃないけどな」

 

 なんとなく自分は邪魔のように感じられてキャロルは居心地が悪くなった。

 そんなキャロルを見透かしたような目で眺めてシャーニッドは意地悪そうに笑った。

 

「それで、可愛いお嬢さんはなにをお悩みかな? 今ならシャーニッド先輩のためにならねぇ人生相談が無料で受けられるぜ」

「ためにならないのですか?」

「俺の戯れ言を聞いてそれを生かせるかどうかなんて俺に保証できるわけないだろ」

 

 あたりまえのように肩をすくめてみせるが、言われてみれば確かに彼の助言を生かせるかどうかは自分次第だろう。

 キャロルは少しためらったあとぽつぽつと話し始めた。

 レイフォンと二人で出かけたこと。

 それはとても楽しかったこと。

 自分にとってレイフォンは大切な友人であること。

 そして友人にそれを『デート』と指摘されたこと。

 

「私にはわからないのです。なにを悩んでいるのか、なにがわからないのかさえ」

「青春だねぇ」

 

 シャーニッドは目を細めてキャロルを見つめた。

 どことなくおもしろがっているようにも見える。

 

「まぁ、はっきり言っちまえばくだらない悩みだな」

「くだらないですか?」

「そう。誰もがあたりまえに感じて、それがなんなのか気がついたときはそんなこともあったと笑い飛ばせる程度の話だ」

 

 いやとシャーニッドは苦々しく顔をゆがめた。

 

「人によっては洒落にならないほど苦しむ場合もあるが、それは自業自得だな。大事なことから目をそらして気がつかない振りをし続けていればそうなるのは自業自得だろう」

 

 キャロルにはよくわからない。

 あとで笑い飛ばせる話であり、あとで苦しむこともある。

 それはなんなのか?

 

「キャロルちゃんは難しく考えすぎるところがあるみたいだな。そう言われたことはないか?」

「昔、両親や先輩たちに」

「そうだろうよ。普通のキャロルちゃんくらいの女の子なら友達と笑いながら話してそれで終わるようなことだからな。それができないって事は友達もいない寂しい奴か、友達に話せないような不器用な奴か、あるいはなにもわかっていない救いがたい馬鹿かだな」

 

 どこか嘲笑うように最後の一言を吐き出した。

 

「私は馬鹿なのですか?」

「その可能性はある。もっともこれからも気がつかなければ救いようもない愚か者だが、気がついちまえばそう悪いことでもない。少しばかり鈍いって程度の話だ」

「私は、なにに気がついていないのですか?」

「思い当たるふしはないのか?」

「あったら相談していません」

「本当に?」

 

 どこか嘲笑するように唇をつり上げる。

 その表情にキャロルは若干気分を害した。

 

「わからないからわからないと言っているのです!」

「俺には『わからない』じゃなくて『わかろうとしない』ように見えるぜ? 友達にそれはデートだろうって言われたときなにを感じた? そのあとレイフォンのことをどう思った? まさかなにも考えなかったわけじゃないだろう」

 

 デートだと言われてなにを感じたか?

 そんなことは決まっている。

 あれはデートではない。

 レイフォンのことをどう思ったか?

 彼は友人であって、恋人ではない。

 あたりまえのことだ。

 悩むことなど何一つない。

 なのに胸がざわめく、なにかに気がつけと胸の奥で自分に訴えているものがある。

 

「レイフォンは友人です。デートとは恋人同士でするものでしょう」

 

 キャロルの回答にシャーニッドは喉の奥で笑った。

 

「なにがおかしいのです?」

「まるで小さな子供のような模範解答だな。そう怒るなよ。だんだん俺にもキャロルちゃんのことがわかってきたよ」

「私のなにがわかるというのです?」

「さて、一言で言えば『お子様』だな。良くも悪くもなにも知らない」

 

 キャロルの頬に朱が差した。

 そんなキャロルの頭にシャーニッドは手を置いてなだめるように頭を撫でる。

 

「そう怒るなよ。別に馬鹿にしているわけじゃない。しいていえば俺にはない純粋さを見て少し眩しく感じちまったというところかな」

「よく意味がわかりません」

「だいじょうぶだ。キャロルちゃんはまだ取り返しがつかないところまではいってねぇ。ただ入り口で戸惑っているだけだ」

 

 入り口?

 なんの入り口だろう?

 

「難しく考える必要はないさ。普通に感じたことをそのまま感じ取ればいい。キャロルちゃんにとっての現段階での答えが『レイフォンは友人』っていうのならそれも別に間違っちゃいないんだろう。ただキャロルちゃんの中で別の可能性もあるって考えている少しだけ大人な自分のことをまだ受け入れられないだけなんだろうからな」

 

 別の可能性?

 少しだけ大人な自分?

 

「シャーニッド先輩ははぐらかすのが上手なようですね。答えを知っているだろうにそれを教えようとしない」

 

 優しい目でキャロルを見つめながら、壊れ物に触れるように繊細な手つきでキャロルの頭を撫でる。

 

「いきなり答えを他人に教えてもらうのはズルだろう? 自分で考えて、悩んで、感じて、そして気がつくんだよ。ああ、そうだったんだなってな」

「シャーニッド先輩がそうだったんですか?」

 

 手が止まった。

 

「ああ、俺は馬鹿だったからな。気がつくのが遅かった。いや運も悪かったのかもしれねぇ。なにせ状況が最悪だった」

「最悪?」

「ああ、そして今の俺はそれを思い出して過去の自分を笑うのさ。俺は救いようのない愚か者だったとね」

 

 自嘲するように、いやどこか自分自身を切り刻むように表情を歪ませるシャーニッドを見てキャロルは胸が痛んだ。

 自分の頭の上の手を取って胸の前で握る。

 体温で暖めるように、小さな手のひらで大きく無骨な男性の手のひらを抱きしめるように。

 

「そういう顔は嫌いです。過去が愚かだったならこれからは利口に生きればいいのです。いえ愚かでも一向にかまわない。自分がそのときにできることをして一生懸命生きたと信じていればそんな顔はしなくてすみます」

 

 シャーニッドは少し驚いたように目を見開いた。

 

「シャーニッド先輩は私の相談に乗れるぐらいにそのことを理解しています。少なくとも現在の先輩は愚かではありません。そしてそんな先輩が過去に失敗していたとしてもそれは今の先輩を否定することにはなりません。なぜならそのときの先輩もきっと必死にがんばったはずだからです。だからそんな顔はだめです」

「……俺は今どんな顔をしている?」

「つい先ほどまで、昔の自分を殺したそうな顔をしていましたよ。そういう顔はだめです。過去を恨んでも呪っても、それは今の自分を責めるだけです」

 

 もう片方の手でシャーニッドは顔を覆った。

 

「まいったな。いつの間にか俺の方が説教されているぜ」

「シャーニッド先輩の言いたいことはまだ完全にはわかりません。でも私は考えてみようと思います。毎日をしっかり生きて、後悔しないように考えて生きていこうと思います」

 

 手のひらの中の鍛えられた無骨な手を撫でながらキャロルは言葉を紡ぐ。

 

「シャーニッド先輩は、胸を張ってください。背筋を伸ばしてください。前を向いてください。自分は自分にできることをして生きてきたと誇りに思ってください。いまの先輩は少なくとも私には愚か者には見えません」

 

 キャロルの言葉を聞き終えてシャーニッドは大きくため息をついた。

 

「さっきの言葉は訂正する」

 

 穏やかな瞳がキャロルの青い瞳を覗き込んだ。

 

「おまえは『お子様』じゃない。十分『いい女』だ。いやいい女になる素質があると言うべきかな、まだ今は」

 

 キャロルの方に手を伸ばしかけ、不意にその手を止める。

 そしてかすかに苦笑して、キャロルに握られていた手を引っ込める。

 

「いい女になれよ。おまえならきっとなれる。俺が保証してやる」

 

 

 

 

「やばかったなぁ……」

 

 そろそろ時間も遅いのでキャロルを帰らせ、一人でシャーニッドはちびちび飲み続ける。

 女の子の一人歩きには遅い時間だが、仮にも小隊員に選ばれる武芸者だ。

 なんの問題もないだろう。

 むしろキャロルの実力ならちょっかいをかけた方がもれなく不幸になると確信できた。

 送っていこうとも思ったのだが、今の自分だとかえってその方が危険かもしれないと自制した。

 あのとき無意識に彼女を抱きしめそうになってしまった。

 手のひらを温める体温を全身に感じてみたいという欲求に自然と手が出てしまった。

 

「まだまだお子様かと思ったら、あれは反則だろう」

 

 こちらを思いやる穏やかで深い色をした瞳。

 引き込まれそうな抗いがたい魅力があった。

 綺麗な色をした唇から紡がれる妖精のささやきに似た甘い誘惑。

 自分のすべてを許されるような。認められるような。受け入れられるような錯覚。

 彼女の手のひらの感触の残る右手を見つめて苦笑する。

 武芸者とは思えない。柔らかく肌触りのいい小さな手のひらだった。

 髪は柔らかく、まるで血統書つきの美しい猫でも撫でているような心地よさだった。

 あのままそばに置いておいたら、なにをしていたか自分でも自信が持てない。

 

 おそらくまだ恋も知らない純粋無垢な少女。

 そのくせすべてを受け入れるような深く温かい心を持つ女性。

 

「やばかった……」

 

 繰り返す。

 あれを意識せずにやっているからタチが悪い。

 別に彼女には好意があるわけでも下心があるわけでもない。

 ただ純粋に自分を心配し、そんな自分にかけるべき言葉をささやいたに過ぎない。

 

「あれは男殺しだろう」

 

 ため息しか出ない。

 このシャーニッド・エリプトンさえ陥落寸前にいった魅力だ。

 言ってはなんだがレイフォン如きでは太刀打ちできないだろう。

 彼は武芸は天才的だがそれ以外は意外に未熟だ。

 あんな風に見つめられ、ささやかれたら一発でころりと参ってしまうだろう。

 あるいはすでにぞっこんかもしれないと想像して、少し複雑な気分になる。

 恋愛という感情さえまだ自覚できずに持てあましている少女と、未熟で不器用な少年。

 どう考えてもごく自然につきあえる組み合わせではないだろう。

 

「前途多難だな……」

 

 レイフォンであの少女に恋愛感情を自覚させることができるか?

 そもそも彼女は男としてのレイフォンを受け入れるか?

 

「まぁレイフォンがその気と決まったわけでもないか」

 

 自分の先走りに気がついて笑い飛ばす。

 そんなシャーニッドに知り合いの店員が声をかけてきた。

 

「ようシャーニッド。あの可愛らしい新しい恋人はどうした? ふられたのか?」

「馬鹿いえ、あれはただの可愛い後輩さ。年長者として人生相談に乗ってやっただけさ」

「おまえが人生相談? いたいけな少女に悪い事を吹き込むのは感心しないな」

「おいおい、俺をなんだと思っているんだよ」

「節操なしのナンパ野郎だろう?」

「きついね。俺だってたまには真面目に後輩の面倒だって見るさ」

「後輩の手を握ってか? どうせ相談に乗るとかいって口説くつもりだったんだろう?」

 

 ……信用がねぇ。

 そう笑いながらもシャーニッドの脳裏にあの蒼い瞳が鮮明に刻まれていた。

 すべてを受け入れ許すような慈愛の少女。

 彼女ならもしかしたらこんな自分でも……。

 軽く頭を振って笑い飛ばす。

 馬鹿馬鹿しい。

 このシャーニッド・エリプトンが年下の少女に甘え、頼り、許しを与えられて満足する?

 なんの笑い話だ。

 

 それでもあの優しい蒼い瞳が胸の奥から消えない。

 

 シャーニッドはグラスに残った琥珀色の液体を一気に喉に流し込んだ。

 刺激と酩酊感が、ほんの少しあの暖かさを忘れさせてくれた。

 




シャーニッド、大好きです。
かっこいいですよね。
ひょっとしたらレイフォンよりかっこいいかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 エース

 

 アナウンスの声が興奮を帯びて高まる。

 はるか前方ではレイフォンが敵小隊員と接触、戦いを開始している。

 事情は聞いている。

 レイフォンは全力を出すことを生徒会長カリアン・ロスから禁じられている。

 それをやれば試合にならなくなるという理由でだ。

 この対抗試合は小隊が互いに競い合い自らを高めていく意味合いもある。

 圧倒的な戦力差で蹂躙するような試合内容は生徒会長も武芸科の代表でもある武芸長も望まない。

 故にレイフォンが敵小隊員二人と接触したあとじりじりと引きつけられ放されていくのもやむを得ない。

 彼らはレイフォンとまともに戦おうとはせずに、足止めに徹しているようだ。

 そして少しずつレイフォンをこちらから引きずり出していく。

 見事な手腕だと感心した。

 

『隊長、二人が隊長のもとに、もう一人が隊長たちを迂回してフラッグへ向かいます』

 

 第17小隊の念威繰者フェリ・ロスから淡々と戦況の変化を告げられる。

 

「シャーニッドに任せられるか?」

『仕留めてやると言っています』

「なら任せる」

 

 大丈夫だ。

 戦況はおおかた『彼女』の読み通りに動いている。

 

『彼女』がおよそ現状の第17小隊攻略法としては正攻法と称した戦法だ。

 複数の陽動でレイフォンを足止め、しかる後に隊長である自分か、あるいはフラッグを狙う。

 今回防衛側で戦う第17小隊に勝つには自分を倒すか、フラッグを撃破する。

 そのためには最大戦力たるレイフォン・アルセイフを倒せずともこちらの指揮下から無力化し、フラッグを狙うことでシャーニッド・エリプトンを引きはがす。

 残るのは目標である自分と、加入したばかりの一年生。

 今頃第14小隊の隊長シン・カイハーンはしてやったりとほくそ笑んでいるだろう。

 シャーニッドが自分の護衛に動けばフラッグを落とす。

 彼がフラッグの防衛のために動かなければ。

 

「ニーナ! 悪いが勝たせてもらう!」

 

 シンがもう一人小隊員を連れて自分に向かってくる。

 彼らが自分を倒す。それで彼らの勝利が決まる。

 シンは手練れだ。

 ニーナでも一騎打ちでは勝てないかもしれない。

 二対一ならなおさらだ。

 

 彼らの作戦は間違っていない。

 彼らの持つ情報から作戦を立てるとしたらそれが最善手だと『彼女』が認め、ニーナも納得した。

 だが、彼らは間違っている。

 第17小隊の戦力を間違えている。

 ニーナは余裕をもって笑った。

 両腕の鉄鞭を構えながら、そばにいるもう一人に声をかける。

 

「やれ、キャロル」

 

 横に控えていた少女が爆発音のような音を立てて加速した。

 ニーナの視界に黄金の髪がきらめくのが見えた。

 シンと共にこちらに向かってきた小隊員が吹き飛ばされる。

 なるほど、自分はアレにやられたのかとかつての敗北を思い出した。

 神速の踏み込みからの斬撃。

 あれを初見でかわせるものなどツェルニにはいない。

 レイフォンならもしかしたらかわせるかもしれないが。

 一瞬で仲間を倒されたシンの顔が驚愕で染まる。

 いつもの穏やかな表情など欠片も見せない黄金の髪の少女は舞うように片手で剣を振るった。

 白金錬金鋼の片刃剣から放たれた剄の衝撃波がシンを襲う。

 シンの身体が宙を舞い。地面に叩きつけられた。

 

 第14小隊隊長の戦闘不能が確認され、戦闘終了のサイレンが鳴り響く。

 アナウンスがうるさいぐらいに第17小隊の勝利を連呼する。

 

「よくやった。キャロル」

「はい、がんばってみました」

 

 笑顔で互いの片手を打ち合わせる。

 

『すごい! すごいぞ第17小隊! 前回鮮烈なデビュー戦を飾ったレイフォン・アルセイフを彷彿させるようなもう一人の一年生エース! 第14小隊の隊長シン・カイハーンをものともしませんでした!』

 

 アナウンスが絶叫するようにその名を叫ぶ。

 

『教師陣の推薦を受けて小隊入りした期待の新人キャロル・ブラウニング! レイフォン・アルセイフ対策をしてきた第14小隊も思わぬ伏兵の前に敗れさったぁ!』

 

 はにかむように笑うキャロルの頭をニーナは乱暴に撫でた。

 

 今回の配置、作戦は『彼女』の助言があった。

 ニーナは当初キャロルをレイフォンと組ませて戦わせるつもりだった。

 二人の戦闘力ならいいコンビネーションを発揮出来るのではないかと考えたのだ。

 

 しかしキャロルは反対した。

 敵はおそらくレイフォンを警戒している。

 初戦であれだけの実力を見せた武芸者を警戒しないわけがないと。

 ならば敵はどうするか。

 全力でレイフォンをつぶしにかかるか、あるいは最低限の戦力で足止めしてその隙に勝利条件を満たすだろうと。

 レイフォンを倒すのにはあきらかに戦力を消耗する。現実的なのは後者だ。

 つまり隊長の撃破かフラッグの破壊。

 故にこちらはレイフォンをおとりとして敵の戦力を引きつけ、敵がフラッグを狙うようならシャーニッドによる狙撃で撃破。

 隊長を狙うようならば護衛として自分をそばに置けばいいと。

 

 そして対抗試合はキャロルの想定したとおりに動き、終了した。

 第17小隊の勝利という結果で。

 

 よい部下を持った。

 自分よりよほど優れた隊長にもなれるだろう。

 だから学ばせてもらう。

 そうニーナは開き直っていた。

 ツェルニを守るために。

 そのためには自分のちっぽけなプライドなどたいした意味はない。

 彼女の力と知恵を借り、そこから自分は学び強くなっていく。大切なものを守るためならばプライドぐらい切り捨てられる。

 ぐちゃぐちゃになった髪を手で直しながら憮然とした顔をする少女を見て、ニーナは笑った。

 

「これからもよろしく頼むぞ!」

 

 黄金の髪をぐちゃぐちゃにされた少女は少しふくれっ面だったが素直に『はい』と応じた。

 

 

 

 

「いや、実に見事なデビュー戦だったね。推薦した教師たちも驚いていたよ」

 

 夜にロス家に招かれてキャロルは機嫌のよいカリアンの笑顔にどこか落ち着かない気分になった。

 別にカリアンが苦手なわけではない。

 むしろツェルニではごく自然に話せる人物だ。

 なぜだろうと考え込むと。

 自分とカリアンの関係が友人とか先輩後輩というよりも上司と部下の立場に近いせいかと思い至った。

 

 生徒会長の手下たる自分に少しばかりなぜこうなったかと不満も感じるが、カリアンは上司としては話がわかり、有能な人物だ。

 おかげで話しやすく。特に応対に困ることもない。

 対等の友人こそいなかったが、上下関係は故郷でもごく当たり前にあった。

 なのでカリアンを上司と考えて向かい合うと他の人たちとは違って落ち着いた態度で話せる自分がいる。

 しかし今日はなぜか落ち着かない。

 なぜだろうとカリアンを見るとその目が笑っていないことに気がついた。

 

「もしかしてやりすぎましたか?」

 

 その可能性に思い至って尋ねるとカリアンは視線を若干緩めた。

 

「多少ね。仮にも小隊長を一撃で倒したのは……責める気はないが次からはもう少し相手の顔も立てて欲しいね。まぁ、彼も一撃で部下をやられて動揺したところをやられたようだから納得のしようもあっただろうがね」

「フラッグを狙う敵がいました。時間をかけるわけにはいかなかったのです」

「戦術的に間違ってはいない。それはわかっている。フラッグの防衛にシャーニッド・エリプトンを残しているとはいえ、彼が確実に敵を押さえるという保証はない。君の行動は第17小隊の隊員としては最善のものだ」

 

 そう認めながらもカリアンは続ける。

 

「しかしだ。君やレイフォン君にはできればもっと広い視野で考え、行動して欲しい。それだけの影響力が君たちにはあるのだからね」

「負けていた方が良かったと?」

「場合によっては対抗試合で負けてもかまわない。本番は都市戦だ。対抗試合で負けることで戦力の向上、はっきり言ってしまえば他の小隊の士気が上がるならばそちらの方がツェルニの利益になる」

「勝ちすぎるなと?」

「予想以上に反響が大きくなりすぎた。第17小隊の二人の一年生エースはもうツェルニの話題を独占していると言っていい」

 

 あまりそれを歓迎していない口調でそう告げる。

 

「それが武芸科の士気向上に役立つうちはいい。けれど君たちが勝ち続け、他の武芸科や小隊の人間が君たちには勝てないのだと萎縮されては困る」

 

 そうなればそれは士気の低下につながり、やがては第17小隊への不満となるだろう。

 戦力が均等ではない。

 あきらかに第17小隊だけが強すぎると。

 

「面倒な話ですね」

「面倒な話だ。だが無視はできない。私は都市戦では君とレイフォン君は共に動くべきだと思っている。おそらく二人が組めば敵を蹴散らすのも容易ではないかな?」

「単独でもある程度の敵ならば可能ですが」

「私としては君たちを第17小隊で使いたい。今のところ君たちのような傑出した実力を受け入れる余地がある小隊が他にない。レイフォン君や君についていける武芸者はおそらくツェルニにいない」

「都市戦は私たち二人を決死隊として特攻させるつもりですか」

「見事敵陣を食い破ってくれると期待しているよ」

 

 そうにこやかに笑う。

 キャロルとしては面倒きわまりない。

 実力は発揮して欲しい。ただし他の武芸科や小隊の意欲を削いでは困る。

 適当に負ける必要があるだろう。

 現在最強の小隊は第1小隊となっている。

 少なくともそこと互角かあるいはそれよりも一段下の戦果をあげるくらいがちょうどいいだろうか?

 そう尋ねるとカリアンは満足そうに肯いた。

 

「そうしてくれると嬉しい。ニーナ君には私から話しておこう」

「いえ、隊長にはこういう後ろ暗い話は向かないと思います。また反発されますよ」

 

 八百長をやれと言われているにひとしい提案をされればニーナの性格では反発するだろう。

 それは生徒会長への不満になり、それがきっかけでまた小隊内の雰囲気が悪くなる可能性を指摘した。

 

「ではどうするのかな?」

「放っておいても他の小隊も馬鹿ではないでしょう。次からはレイフォンと私を対象にした対策を組むはずです。その結果としての敗北であれば仕方がないかと」

「勝てるかな?」

「弱点を突けば、第17小隊に勝つことは他の小隊でも可能です」

「その弱点を聞いてもいいかな」

「対抗試合では隊長が戦闘不能になれば敗北が決まります。レイフォンも私も倒す必要はないのです」

 

 今回の試合のように足止めに徹し、徐々にニーナから引きはがして本命がニーナ・アントークを強襲する。

 それだけで勝ててしまう。

 むろんレイフォンや自分が十分に手加減していることが前提だが。

 カリアンは納得したように一つ肯いたあと少し考え込んだ。

 

「そういう負け方をしたあとニーナ君は大丈夫かな?」

「わかりません。自分が小隊の弱点と認識されていることに気がつけば、あるいは荒れるかもしれません」

 

 ニーナ・アントークの実力はツェルニでは上位のものだ。

 だがレイフォンのように三人の小隊員を一蹴するような実力はない。

 自分のように小隊長を一撃で戦闘不能に追い込むことも不可能だ。

 ならば複数の実力者で包囲してしまえばニーナ・アントークには勝てる。そしてそれは第17小隊への勝利につながるのだ。

 他の小隊がそれに気がつかないはずがない。

 

「そのときはまた君に頼むことになるかもしれないね」

「私が引き受けたのはレイフォンの精神面のケアです。隊長のケアまで含まれているのでは話が違います」

「そう言わずに頼むよ。こういうことを頼めるのは第17小隊では君だけだからね」

 

 ニーナは潔癖すぎる。後ろ暗い話は嫌うだろう。

 シャーニッドはやる気に欠ける。自分から厄介ごとを背負い込むことはしないだろう。

 フェリも同じだ。彼女にしてみれば小隊で念威繰者として働いているだけでも感謝しろという態度だろう。

 レイフォンは強さでは傑出するが、こういった配慮のできる性格ではない。彼は不器用な人間だ。こんな話をされても困るだけだろう。

 

 キャロル・ブラウニングだけが十分な戦闘力を持ちながら、後ろ暗い話も受け入れられる度量を持ち、また周囲に対する配慮もできる人間なのだとカリアンは評価した。

 

「持ちあげて見せても調子に乗るような人間ではないですよ」

「わかっているよ。そういう人間だからこそ信頼していろいろ頼んでいるんじゃないか」

 

 キャロルはため息をついた。

 もはや自分は完全に目の前の青年の手駒らしい。

 今まで黙ってソファーで求人情報誌を熱心に読んでいたフェリが少しからかうように声をかけてきた。

 

「おめでとうございます。これであなたは腹黒生徒会長の腹心ですね。いっそ権力とかお金とかいろいろ要求したらどうです? 大抵のことはなんとかなるのではないですか?」

「権力なんてどうしろというのです? そもそも謝礼なんて受け取ったらますます深みにはまるではないですか、いやですよ私は」

「そうとも、軽率に形に残るものを送ったら明るみに出たとき言い逃れが出来ないじゃないか。こういうことは信頼だけあればいいのだよ」

 

 どす黒い政治信条を語る生徒会長をフェリとキャロルが冷めた視線で見つめる。

 

「こういう人間が偉くなるなんて世の中間違っています」

「協力はしますけど、別に心から信頼したり尊敬したりはしていないですからそこの所は勘違いしないでくださいね。迷惑です」

 

 妹と年少の協力者に悪党を見るような目で切り捨てられてカリアンは少しだけ傷ついた。

 

「今のは一般論であって別に私に後ろ暗いところがあるというわけではないよ。そこの所は勘違いしないでくれるかな」

 

 カリアンが背筋を伸ばし真面目な顔で主張するが二人の少女は取り合わない。

 

「ここはいいと思いませんか? 初心者歓迎でしかも時給が良いです」

「待ってくださいフェリ先輩。小さく資格持ち優遇と書いてあります。きっと本心では資格持ちしか雇わない気です」

 

 いつの間にかキャロルも一緒になってフェリと求人情報誌を読んで意見交換している。

 無視される形になったカリアンは小さく肩を落とした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 強者

 

 訓練用グラウンドでは二人の武芸者が向き合っていた。

 青石錬金鋼の剣をもつレイフォンと白金錬金鋼の片刃剣をもつキャロル。

 グラウンドの隅から第17小隊の面々がその光景を固唾を飲んで見守っている。

 

 いったいどちらが強いのか?

 二人の本当の実力はどれほどか?

 

 ニーナの視線は期待に輝いており、シャーニッドも表情はゆるめだが目は二人から離さない。

 フェリはいつもの無表情だがどこか興味深そうな視線を向けている。

 ハーレイは二人の傑出した武芸者に自分の整備した錬金鋼がどれほど役に立つのかと緊張していた。

 

 まずキャロルが動いた。

 爆発音のような踏み込み。

 神速の移動法からの斬撃。

 ニーナを倒し、対抗試合で小隊員を瞬殺した技だ。

 レイフォンは冷静に一歩踏み込み、間合いを外されたキャロルの斬撃を剣で受け止める。

 

「まさか踏み込むとはな」

 

 ニーナが感嘆の声を上げた。

 普通なら避けるか、間合いを離すかだろう。

 それをレイフォンは踏み込むことでキャロルの斬撃が本来の威力を発揮する間合いから一歩接近しその威力を半減させた。

 並の胆力と技量ではないとニーナは改めてレイフォンの実力を感じ取る。

 

 初太刀を防がれたキャロルは、特に動揺することもなく流れるような歩法で間合いを変えてさらに斬撃を加える。

 レイフォンはそれを剣で受ける。

 片手で剣をもっていたレイフォンは少し顔をゆがめて、すぐに両手持ちに切り替えた。

 予想以上に一撃の重さが厄介だった。

 片手では防御をはじかれてしまいそうだと感じた。

 

 キャロルは舞を踊るような軽やかな動きでレイフォンが両手でなければ防げないと感じさせる斬撃を何度も繰り出す。

 キャロルは斬撃の瞬間は必ず両手で剣をもっている。

 一撃に確実な威力を込める戦い方だとレイフォンは分析した。

 

 そしてそれは正しい。

 キャロルはこう習っている。

 

「我が流派の基本は斬撃だ。そしてその奥義もまたただ一撃の斬撃なのだ」

 

 斬撃に特化した剣術流派。

 渾身の斬撃。

 必殺の斬撃こそがキャロルの武芸の基本であり、その究極の完成形なのだ。

 

 数度のキャロルの攻撃を受けきったレイフォンは感心したように口を開いた。

 

「すごいね。この連続攻撃を受けきれる武芸者はたぶんツェルニにはいない」

 

 まずキャロルの速度に対応できない。

 対応できたとしてその威力を防げない。

 一撃二撃と防げても次第に武器を持つ手が持たなくなり武器をはじき飛ばされるだろう。

 レイフォンとて内力系活剄で肉体を強化していなければ、つまり油断していれば一撃で剣をはじかれたかもしれない。

 ツェルニにはいない。

 そう言ったがグレンダンでもおそらくこの連撃を完全に防げる武芸者は少ないだろう。

 速さと威力。

 確かにこれだけの実力があるのならば故郷でも有望視されるだろうと納得した。

 全力を出せば汚染獣の頑丈な外皮さえ斬り裂くだろう。

 

 しかしレイフォンの賛辞にキャロルは不機嫌な顔をした。

 

「目の前に涼しい顔で防ぎきった人がいるけど」

 

 そう言われて苦笑した。

 キャロルが言うほど余裕があったわけではない。

 油断もあった。

 キャロル相手にどれほど実力を出せばいいかという迷いもあった。

 それにしてもかつて天剣をこの手に握ったものが危うく剣をはじかれるところだったのだ。

 そんなことができる武芸者はおそらくツェルニでは彼女だけだ。

 彼女を傷つけずに無力化する。

 レイフォンはそのつもりでこの模擬戦を引き受けたが、それが非常に困難であるということも理解した。

 油断すれば彼女の牙は容赦なく自分を引き裂くだろう。

 そういう怖さと迫力がある。

 真剣に自分と向かい合ってくれている武芸者にこれ以上の余計な手加減は失礼になるだろう。

 レイフォンは意識を切り替えた。

 目の前の少女は自分の親しい女の子ではなく。

 自分と対等にすら戦える武芸者なのだと言い聞かせた。

 

「じゃあ、僕もいくよ」

 

 防戦一方だったレイフォンが踏み込んだ。

 

 

 

 

「すごいな」

「ああ、すげぇな」

 

 ニーナが興奮したように呟くと、どこか気の抜けたような口調でシャーニッドが同意した。

 

「槍殻都市グレンダン最強の十二人の一人だった人物と、闘争都市アスラで英雄ともてはやされた人物です。この程度なら驚くほどではないでしょう」

「いや、驚くよ。武芸者じゃない僕でもすごいってのがわかるもの」

 

 フェリの冷たい言葉にハーレイがもはや目が追いつかないのか二人の姿を追うのを諦めて、座り込んでいた。

 

「というかあんなすごい戦い方して錬金鋼が持つかな? さすがにあんなすごい戦い方は想定してないよ」

「錬金鋼が持たなくなったら終わりか」

「そうなるんじゃないかな?」

 

 ニーナの問いに『今後はもっと錬金鋼に強度を持たせた方が』と思考に没頭しかけたハーレイが答える。

 二人の戦いは一言で言えば高速の剣撃戦だった。

 グラウンド中を飛びまわり、ニーナたちの目ですらとらえられない速度で攻防入れ替わりつつ武器を打ち合わせている。

 剄技ではなく、剣技の戦い。

 いったいどれほどの内力系活剄を使えばあれほどの動きができるのかニーナには想像もつかない。

 内力系活剄を使えば、武芸者はその身体能力を飛躍的に向上できる。

 それは武芸者の身体の鍛え方にもよるし、内力系活剄の熟練度にもよるし、なにより剄の量にもよって違う。

 二人はどれほどの鍛錬をしてきたのだろう。

 自分はどれだけ鍛錬すればあの領域に上れるのだろう。

 

 もともとこの模擬戦はキャロルが望んだものだ。

 そして小隊の仲間が見ることも望んだ。

 理由は簡単だった。

 

「私が全力で挑めるのはおそらくこの都市ではレイフォンだけです。そしてレイフォンの実力を引き出せるのも私だけでしょう。お互いに互いの実力を知ることになりますし、それを見れば隊長たちにも私たちという存在が理解出来るはずです」

 

 本来の実力を知れば、どう動かせばいいか隊長として考えるきっかけにもなる。

 しかし。

 こんな奴らをどう指揮しろというのだ?

 ニーナの偽らざる心境であった。

 二人は強い。

 それこそ一人で小隊を全滅させるぐらい余裕だろう。

 けれどそれは生徒会長や武芸長に止められているためできない。

 それにニーナも二人の戦力だけをあてにして勝ちたいわけではない。

 具体的にはレイフォンは小隊員三人程度、キャロルは二人程度に抑えるように言われているらしい。

 

 それでも彼らは強すぎるのだ。

 実力を抑えた彼らを指揮し、もし劣勢になった瞬間自分が思うことはおそらく『彼らが本気を出してくれれば』だろう。

 それが簡単に想像できてしまう。

 

 小隊員を三人瞬殺したレイフォン。

 向かってきた小隊員を瞬殺し、小隊長を一撃で戦闘不能にしたキャロル。

 

 この二人の実力なら、本気さえ出せば対抗試合など問題にならない。

 けれどそれはできない。

 二人の力だけ利用して自分は無力なままでいることにはやはり耐えられない。

 今は無理でもいずれ十分に戦える実力を得たい。

 それに対抗試合は小隊がお互いの実力を確認し、さらに切磋琢磨する場だ。

 実力の傑出した個人が蹂躙して勝つという方法は問題がある。

 それでは対抗試合の意義が失われる。

 

「遠いな……」

 

 ニーナはぽつりと呟いた。

 かつて最強の称号を得た武芸者のなんと遠いことか。

 それでも自分は努力するしかない。

 ツェルニを守るために、自分も強くなりこの二人を隊長として使いこなす。

 やはり遠い。

 ニーナはわずかに影の差した表情で自嘲した。

 

 

 

 

 自分はレイフォンをどう思っているのか?

 あるいは自分はレイフォンに何を望むのか?

 友人だろうか、あるいは対等な武芸者だろうか、もしかしたら恋人という立場を望むだろうか?

 シャーニッドのアドバイスを受けたキャロルが考え続けていたことだった。

 レイフォンは友人だ。

 初めてできた同年代の友人の一人だ。

 

 そして今回の模擬戦を望んだ。

 ニーナに説明した理由は嘘ではない。

 そういう目的もある。

 お互いの実力を理解し、自分たちの実力を小隊の仲間に周知させる。

 必要なことだと思う。

 今はお互いに漠然と相手の実力が傑出していると理解しているだけであり、小隊の仲間も学生武芸者のレベルではないと感じているに過ぎない。

 それではいずれ本当に戦う必要ができたときに仲間たちは自分たちを理解出来ない。その行動が納得できず無茶と見る。

 それでは自分たちの行動が制限されすぎる。

 本当に必要なときには全力が振るえるように。

 今から実力を知ってもらうべきだ。

 さいわいにもお互いに全力に近い実力で戦える武芸者がいる。

 ならばやるべきだと。

 

 そしてかなうことならこの戦いで自分にとってレイフォン・アルセイフがどんな存在なのか知りたい。

 自分は不器用だ。

 特に同年代の対人関係はもはやなにをしていいのか理解出来ないレベルだ。

 だから戦ってみようと思った。

 その中でわかることもあるのではないかと考えた。

 

 そしてレイフォン・アルセイフは自分がどれだけ斬りかかってもけして斬ることのできない壁のような感触を得た。

 そしてレイフォンの剣を受け止め、避けていくうちにレイフォンがわずかだが手加減していることを悟った。

 

 自分ではレイフォンを本気にはできない。

 一瞬怒りが心を満たした。自分の胸にある誇りが凶暴な叫びを上げた。

 

 けれどすぐに納得した。

 高速移動術をおそらく見ただけで模倣してしまったらしいレイフォンと高速戦闘を繰り広げているうちに彼の目を見てしまった。

 

 それはとても楽しそうで、優しい目だった。

 お互いにもてる限りの技量で剣を振るい。相手の剣をさばく。

 

 楽しい。

 

 それがすごく楽しいのだとキャロルは気がついた。

 この都市に来てからキャロルが全力で戦える相手はいなかった。

 今も全力の剄は振るえない。それは錬金鋼が持たない。

 それに都市内でそんな威力の攻撃を繰り出したら被害が相当なものになる。

 それはできない。

 それでももてる技量のすべてを叩きつける相手がいる。

 それをさばき続けられる相手がいる。

 それが嬉しく、楽しかった。

 

 授業中頭を抱えながら必死に授業内容を理解しようとするレイフォン。

 気の抜けたような顔で愚痴を言い、相談してくるレイフォン。

 ツェルニの町中を二人で歩き回り、はしゃぎまわる自分を優しそうに楽しそうに眺めるレイフォン。

 そしてお互いの技量を持って剣をあわせられるレイフォン。

 

 そうか、私はレイフォンといると『楽しい』のだ。

 彼を眺めているのが楽しい。

 彼と話しているのが楽しい。

 彼と一緒にいるのが楽しい。

 彼と戦えるのが楽しい。

 それはとても幸福なことのような気がした。

 

「レイフォン。あなたは私よりも強い」

「いや、そうでもないよ。キャロの速さに追いつくのだってぎりぎりだ」

 

 そう速さでは自分はレイフォンに勝る。

 それでも。

 

「剣技ではあなたの方が上だよね」

 

 レイフォンは困ったような顔をした。

 手を抜いていると責められたと思ったのかもしれない。

 

「それでも私はあなたと戦えて楽しかった。レイフォンはどうかな?」

 

 レイフォンは少しだけ考え込んだ。

 

「そうだね。こんなに遠慮無く身体を動かしたのは久し振りだから、僕も楽しかったかもしれない」

「私は楽しかった。あなたといると楽しいことばかりだからとても嬉しい」

 

 白金錬金鋼の片刃剣はすでにかなり損傷している。

 もともと強度よりも剄の扱いを重視してもらった剣だ。

 これほど打ち合うことなど想定していない。

 今度はもっと強度のある剣に調整してもらおうと決めた。

 

「錬金鋼がそろそろ限界かな。最後に一撃勝負といきましょう」

 

 返事を待たずに剄を練り、白金錬金鋼の片刃剣に剄をまとわせる。

 レイフォンも無言で青石錬金鋼の剣に剄を通す。

 彼の剣もあちこち損傷している。

 こちらほどひどくはないがこれ以上戦い続けるのはお互いに意味がない。

 実力はわかった。

 技量で自分はレイフォンに及ばない。

 勝てるのは速さぐらいだ。

 レイフォンがその気ならば、おそらく勝負はもうついていただろう。

 自分では勝てない。

 不思議とその事実が楽しかった。

 グレンダン最強の一人は、やはりすごいのだと。

 

『外力系衝剄』

 

 身体強化などに使われる身体の内部で剄を扱う技術である『内力系活剄』に対して、身体の外に放出して攻撃などに使われる剄技はそう呼ばれる。

 

 キャロルの斬撃が最も高い威力を出すのは外力系衝剄による斬撃だ。

 レイフォンならば大丈夫だろうと確信できる。

 なので錬金鋼がもつ限りの剄を込めて、一撃必殺の斬撃を繰り出す。

 

 外力系衝剄剣技『雷刃』

 

 白金錬金鋼の剣を覆うように剄による刃が形成される。

 莫大な剄によって作られた刀身をもってキャロルはレイフォンに基本にして奥義たる斬撃を叩き込んだ。

 神速の踏み込みから繰り出される斬撃。

 レイフォンは刀身にこちらも莫大な剄を送り込みキャロルを迎え撃った。

 二人の剣が交差し、お互いの錬金鋼がさらに損傷する。

 そのとき二人にとって予想外のことが起きた。

 今までのダメージの積み重ねか、この一撃に耐えきれずにキャロルの片手剣が砕け散った。

 レイフォンの目に焦りが浮かぶ。

 レイフォンの青石錬金鋼の剣は莫大な剄を内包したままキャロルの身体に叩き込まれた。

 小柄なキャロルの身体が吹き飛ばされる。

 まるで風に煽られた木の葉のように小さなキャロルの身体が宙を舞いグラウンドに落下した。

 

 

 

 

 レイフォンは真っ青になった。

 あれだけの剄を込めた一撃を受けたら、どれほどのダメージを負うかわからない。

 ツェルニの武芸者の錬金鋼には安全装置がかけられており相手を傷つけることはないという触れ込みだが、そんなものはレイフォンやキャロルほどの技量と剄の持ち主から見たらなんの意味もない。

 寸前で振り切らずに剣を止めたがその衝撃波だけでも人が殺せる威力だっただろう。

 

「キャロ!」

 

 レイフォンは剣を投げ捨ててキャロルの元へ走った。

 その胸にどす黒い後悔が重くのしかかっていた。

 もしキャロルが怪我をしたら、もしキャロルが死んでしまったら。

 そんな考えが頭をよぎっただけでレイフォンは絶望しそうになる。

 グラウンドに倒れたキャロルを抱きしめて、レイフォンは錯乱したようにキャロルの名前を呼び続けた。

 




キャロルではレイフォンに勝てません。
レイフォンって剄量では天剣トップクラスで、サイハーデン流の免許皆伝みたいなもので、あげく他の天剣の技も使えるという戦闘チートですからね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 僕の大切な人

 

「あまり驚かせないで欲しいものだ」

「すみません」

 

 あれからレイフォンたちによって第17小隊の訓練室に担ぎ込まれたキャロルだったが、周囲が『病院に!』とか慌てる中、平然と自分は無事だと告げると蜂の巣をつついたような騒ぎがぴたりと収まり周囲の視線が突き刺さった。

 きちんと防御したこと、かつ攻撃を受け流したことを告げると皆一斉に息を吐き、安堵した。

 そして次に来たのは隊長であるニーナの説教だった。

 いくら模擬戦とはいえやりすぎだと。

 こっちがどれほど心配したのかわかっているのかと。

 怒っているような、安堵しているような微妙な表情でニーナに叱られたキャロルは素直に謝罪した。

 戦闘中の錬金鋼の破損。

 しかもかなりの威力をぶつけ合っているさなかの出来事だ。

 普通なら武器を失い。相手の攻撃を受け重傷を負っていてもおかしくない。

 

 けれどキャロルは戦闘中に錬金鋼を失うということに慣れていた。

 他ならないキャロルの父が相手の錬金鋼を破壊する技をもっとも得意としていたからだ。

 

 あの場合は剄による防御。さらに後方に自ら飛ぶことで攻撃の威力を受け流した。

 おかげで盛大に宙を舞うことになったが、レイフォンの攻撃の本来の威力のほとんどを受け流すことに成功している。

 

「本当に怪我はないんだな?」

「ええ、ちゃんと受け身も取りましたし、こう見えて結構頑丈なんですよ。私は」

 

 なぜか盛大にため息をつかれた。

 そんなニーナの様子にシャーニッドが笑う。

 

「まぁ、あの光景を見れば大怪我どころか死んだんじゃないかと思うさ。見事に吹っ飛ばされていたからな」

「あの程度、父との鍛錬なら珍しくありません」

 

 なにせ武器破壊を仕掛けてきた上で、必殺の斬撃をぶちかましてくれる実に容赦のない父を師にしていたのだから、キャロルはなぜ周囲がこれほど心配したり怒ったりするのかが理解出来ない。

 もし仮にレイフォンの錬金鋼が砕けていても、きっとレイフォンはたいした怪我を負うこともなく切り抜けていただろうと思っている。

 

 直撃すれば大怪我だろう。それだけの威力があった。

 だったら直撃しなければいい。

 

 ただそれだけだ。

 実際キャロルが喰らったのはレイフォンの攻撃の余波のようなものだけだった。

 それによって後方に飛んだキャロルは吹き飛ばされる羽目になった。

 本来の威力そのものに関しては避けきったという感触がある。

 

 そのことで不愉快なのはレイフォンが取り乱したように駆け寄ってきたことだ。

 血相を変えて駆け寄り抱きしめて名前を連呼された。

 あの程度の攻撃もしのげないと思われたのかと思うと腹が立つ。

 あれはレイフォンの全力であるはずがない。

 お互いに十分に対処可能な範囲内での威力のぶつけ合いだったはずだ。

 それをいくら錬金鋼が破損したとはいえ、あれほど取り乱すとはレイフォンはどうやら自分の実力をあまり信用してはいないらしいと内心不愉快に感じていた。

 

 そのレイフォンは訓練室の隅でじっとこちらを見ている。

 声をかけたそうな。それでいてそれをためらっているような煮え切らない態度でこちらを申し訳なさそうに見ていた。

 それが余計にかんに障る。

 お互い合意の上の模擬戦で、力比べをしただけだというのにこの男はなにをそんなにびくびくしているのだろう?

 

「とりあえず二人の実力はよくわかったし、怪我もない。とりあえずはもういいんじゃないか。なぁニーナ?」

 

 シャーニッドの問いかけにニーナは少し不満そうにしながらも肯いた。

 

「キャロルちゃんも、自信があるのはわかるがもしどっか調子が悪かったらすぐに病院に行けよ? なんといっても女の子なんだから身体は大事にしないといけないぜ?」

「わかりました」

 

 どうやらまだ心配されているらしい。

 多少不満だが、気遣われて悪い気もしない。

 シャーニッドの穏やかな目を見てキャロルは実力を疑われているのではなく、本当に気遣われているのだと納得した。

 

「レイフォンはキャロルちゃんを無事家まで送ってけ、大丈夫そうだがあれだけ派手な一撃くらわしかけたんだ。そのくらいは男として当たり前の義務だろう」

「え? あ、はい!」

「私は別に平気ですが」

「そう言うなよ。このくらいは男の甲斐性ってやつさ」

「私と同じマンションなのですから、私が送ればいいと思いますが?」

 

 フェリの言葉にシャーニッドはかすかに苦笑した。

 

「なぁフェリちゃん。男って奴には面子や意地ってものがあるんだよ」

 

 女の子に大怪我おわせかけて、知らぬ顔をするのは男の面子に関わるとシャーニッドは力説する。

 

「さっぱりわかりませんが、要は三人で帰れば良いのでしょう? 別にかまいませんよ」

 

 その様子にフェリはそう妥協した。

 別にレイフォンの同行を強硬に拒む理由もなかったのだろう。

 

「では、さっさと支度をして帰りましょう」

 

 表で待っていますと銀髪をなびかせてフェリは出て行った。

 部屋の隅ではレイフォンの肩を抱きシャーニッドがレイフォンの耳元になにやらささやいているのが見えたが特に気にすることなくキャロルは着替えに向かった。

 

 

 

 

 キャロル、フェリ、レイフォンの三人で帰宅する。

 よく考えてみればこの三人で歩くことは初めてかもしれない。

 フェリは自分並みかそれ以上に周囲との協調性がなく、団体行動を毛嫌いしている節がある。

 フェリとは隣同士で交流があるし、レイフォンとは友人だが、レイフォンとフェリはどうだろう?

 ろくに会話しているところさえ見たことがない気がする。

 それにレイフォンの様子がなにやら変だ。

 なにか話しかけようとして口を閉じること数回。

 いい加減苛々してくる。

 

「本当に大丈夫そうですね」

 

 不意にフェリがそう呟いた。

 キャロルは若干不機嫌になった。どうにも自分が過小評価されている気がして気にくわない。

 

「だから言っているではないですか。あの程度ならなんとかできます」

「普通は無理だと思うのですが」

「無理だと思ったらあんな事はしません。決闘でもあるまいし」

 

 それもそうですねとフェリは納得したように肯いた。

 

「あの、ごめん。あんな事になるとは思わなくて」

 

 レイフォンが突然謝罪してきた。

 キャロルはどう反応して良いかわからず。フェリは興味深そうに二人を眺めていた。

 

「なぜレイフォンが謝るの?」

 

 不思議に思ってキャロルは問いかける。レイフォンは別になにも悪い事はしていない。ただ模擬戦の最中に錬金鋼が砕けた。それだけだ。

 どこに彼が謝罪する要素があるというのだろう。

 

「だって、僕のせいでキャロルが怪我をするところだった」

 

 キャロルの表情が不機嫌になってくる。

 彼もか。

 彼も、私を理解しないのか。

 

「模擬戦で怪我ぐらいしても仕方のないことです。それにあの一撃を申し出たのは私です。強いていえば自分の錬金鋼の状態を見極められなかった私に非があります。レイフォンが謝罪する理由はありません」

 

 固い口調でレイフォンの謝罪を拒絶する。

 

「でも、僕は……」

 

 さらに言いつのろうとするレイフォンを睨みつけ、キャロルは足早に去って行った。

 

 

 

 

 去って行くキャロルの後ろ姿を見て、身体が凍りついたように動かなかった。

 追いかけなければ、追いかけて謝らなければと思うのだが身体が動かない。

 

「あなたはやはり馬鹿ですね」

 

 そんな言葉に振り返るとフェリがこちらを見上げていた。

 

「私には武芸者の考えはよくわかりませんが、彼女は誇り高い一面があるようです。一撃勝負で結果として負け、しかも勝った相手に謝られるというのは武芸者にとっては屈辱的なことではないのでしょうか?」

 

 その言葉にレイフォンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 ただキャロルのことが心配だった。

 自分がキャロルを傷つけてしまったかもしれないことで罪悪感に押しつぶされそうだった。

 

 けれど彼女も武芸者なのだ。

 自分の実力に自負を持ち、誇りを持つ武芸者なのだ。

 あの模擬戦で自分は勝ちキャロルは負けた。

 そして勝った自分が頭を下げている。

 怪我をさせてしまうところだったと。

 

 もし自分がそんな扱いを受けたら。

 あるいは相手がよく知る天剣授受者たちだったら。

 

 激怒することだろう。

 馬鹿にするなと。

 

 仮に自分が天剣授受者と模擬戦をして敗北したとする。

 

「もう少しで怪我をさせるところだったな。すまなかった」

 

 などと言われたら……不愉快に思うだろう。

 というか嫌味としかとれない。

 もっと手加減するべきだった。もう少しやるかと考えていた。思ったより弱かった。

 自分はそんなことを彼女に言ったのか?

 彼女はそう受け取ったのか?

 

 だとしたら自分はどれほど馬鹿なのだろう。

 彼女を心配して、本当に心配していた。

 けれどそれは彼女から見たら、見下されたと取られたとしてもおかしくない言葉だった。

 

「フェリ先輩」

「なんですか?」

「僕は……ただキャロのことが心配だっただけなんです。馬鹿にするつもりなんてなかったんです」

「そんなことを私に言っても仕方がないでしょう」

 

 フェリの冷たい反応にレイフォンは肩を落とした。

 その通りだ。

 本当にその通りだ。

 謝らなければならない。

 自分はただキャロを傷つけたくなかっただけなのだと。

 伝えなくてはならない。

 気がつけばレイフォンは駈けだしていた。

 

 このままではいけない。

 このまま彼女に嫌われたくない。

 そんなことになったら、自分はもうどうしていいかわからない。

 

 明るい金色の髪。

 その後ろ姿を見つけたのはすぐだった。

 特徴的な小柄な身体と武芸科の制服、腰に普段あるはずの錬金鋼は修理のためにハーレイに預けてしまい今はない。

 

「キャロ!」

 

 走りながら、叫ぶ。

 周囲の視線が何事かと向く。それすら気にせずにゆっくりと振り返った彼女を抱きしめていた。

 

「……レイフォン?」

「ごめん、ごめん。そんなつもりはなかったんだ……ただ僕はキャロを傷つけたくなかった。自分が傷つけてしまうことが怖かった」

 

 傷つけたくなかった。

 守りたかった。

 どんなものからも、どんなことをしても。

 彼女だけは守りたかった。傷つけたくなかった。失いたくないと心から思った。

 

「僕は君を守りたいんだ。傷つけたくないんだ。傷ついて欲しくないんだ」

 

 無我夢中で彼女に胸の内を吐き出す。

 当惑した様子のキャロルはそんなレイフォンを見て小さく笑った。

 

「レイフォンは泣き虫だね」

 

 言われて初めて自分が涙を流していたことに気がついた。

 

「そんなに気にしなくてもいいよ。大丈夫だから」

 

 そう言って背中をぽんぽんと叩かれる。

 大丈夫だから。

 その一言で心が凍るようだった恐怖が氷が溶けるように消え失せた。

 

「大丈夫だよ。レイフォンが私のことを心配してくれていたのはわかったから」

 

 大丈夫だよ。

 そう言ってくれる少女にレイフォンはまた涙を流した。

 大丈夫、まだ失っていない。

 まだ彼女を失ってはいない。

 

 だからまだ僕は大丈夫だ。

 

 キャロルの優しい眼差しをその暖かさを感じながらレイフォンは心に誓った。

 

 キャロル・ブラウニング。

 強くて、優しくて……そして誇り高い。

 僕の大切な人。

 ツェルニで見つけた。

 もう二度と失いたくない大切なもの。

 

 僕は守ろう。

 彼女を。

 彼女を害するすべてから。

 

 もう二度と大切なものを失わないように。

 




レイフォン、キャロルを明確に守るべき対象として自覚しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 熱愛報道

 

『レイフォン・アルセイフとキャロル・ブラウニング。第17小隊の期待の新人コンビ、二人は私生活でもあつあつのパートナーであった!』

 

 これは、なに?

 キャロルは友人が満面の笑みでさしだした週刊誌を半眼で読み、ため息をついた。

 

 それには数日前二人が路上で抱き合っていたことや、入学直後あたりから二人で良く会っていること、レイフォンのデビュー戦であった対抗試合で試合終了後に二人で会っていたことなどが書き連ねられており、いったいどこで調べたのかとあきれ果てた。

 

「で、実際の所はどうなの?」

 

 週間ルックンのアルバイト記者ミィフィ・ロッテンは笑顔で追求してきた。

 キャロルは雑誌から視線をあげて目を輝かしている友人を見る。

 そこには好奇心が魂から輝いていた。

 

 記者ってたぶんミィフィには天職だよね。

 キャロルはいろいろと納得した。

 

 教室の雰囲気がおかしいことには気がついていたが、小隊に参加したあたりから注目を浴びるのには慣れてしまいとくに気にとめなかった。

 しかし昼休みにミィフィに腕を掴まれて強引に連行された喫茶店で、注目を浴びることになった元凶の記事を見せられた。

 

 なんと、レイフォンと自分が恋仲であることが半ば事実としてツェルニ中に認知されているらしい。

 

 人目がある中で男女が抱き合っていれば、そういう噂も起きる。

 しかも二人とも有名人となればなおのこと。

 

 うかつだったのだろう。

 もっと人目を気にするべきだったのだろう。

 そうしていればこのような事実無根の記事を書かれることもなかったのだろうから。

 

「ねぇ、友人として気になるだけなの。記事にしたりしないから教えてよぉ」

 

 そう好奇心を全身で溢れさせている友人に迫られ、キャロルは再びため息をついた。

 

「私はレイフォンの恋人じゃないよ」

「ちがうの?」

「ちがいます」

「じゃあこの記事に書いてあることはうそ?」

「それはおおむね事実だね」

 

 ミィフィの目がなにか言いたげに細められた。

 

「毎日のように会ったりしたんだよね」

「相談に乗っていただけだし、毎日というわけでもないけど」

「デビュー戦のあと会ったのは?」

「話すことがあったから」

「路上で抱き合っていたのは?」

「……別に抱き合っていたわけじゃないんだけどなぁ」

 

 泣いているレイフォンを慰めていただけだ。

 しかし男の子が人前で泣いて女の子に慰められるなど周囲に知られたら恥ずかしいだろう。レイフォンのことを思うと公言しない方がいい気がした。

 

「ねぇ私、思うんだけどさ」

 

 ミィフィはなにやら深刻そうに口を開いた。

 

「キャロってレイとんのことをどう思っているの?」

「友人だね」

 

 即答する。

 今のところそれ以外にない。

 ミィフィは小さく首を振った。

 まるで頭痛をこらえるかのように。

 

「友人として忠告するけどさ。普通ただの男女の友人が抱き合ったりしないと思うの。しかも衆人環視の場で」

 

 それを言われるとキャロルは弱い。

 確かに常識的に考えて、あきらかに普通の友人の範囲から外れる接触状態だ。

 精神的に数歩後退したキャロルにミィフィは追い打ちをかける。

 

「傍目に見てもキャロはレイとんと仲良すぎ、親しすぎ、あれで普通の友人ですっていわれても誰も信じない。実際この記事が出る前から結構噂になっていたんだよ?」

 

 知らなかった。

 ミィフィが言うには女子生徒の間では二人がつきあっているのではないかという噂が結構以前からあったらしい。

 

「そんな噂があったから、たぶん二人が一緒の時はそれとなく記者が尾行していたりしたのかも」

 

 自分とレイフォンの二人に気がつかれずに尾行するとしたらそれはどれだけ追跡スキルの高い記者なのか。

 きっと一流武芸者レベルだろう。

 

 周囲から見て、自分たちはどうやら恋人同士に見えるらしい。

 確かに親しい。

 クラスも一緒。小隊も一緒。

 何かにつけて相談に乗っているし、一緒に出かけたこともある。

 

 それがただの友人か?

 確かに親しすぎる。

 

 自分としては初めてできた異性の友人を大事にしていただけだが、周囲からはそうは見えない。

 そもそも自分が友人というものをもったことがなかったと知っているのは親しい人間以外にはいない。

 さらに人付き合いの経験が浅く、苦手であることを知っているのは限られている。

 

 なら誤解されても仕方ない。

 誤解されるような行動を自分がしているというのならそういうことになる。

 そして目の前の友人の目から見て、自分は誤解されるような行動をしていたらしい。

 

 ならどうすればいいか?

 レイフォンと距離を置いた方がいいのか。

 距離を置くにしてもどのくらい離せばいい?

 会わないようにするのは、無理だろう。クラスも小隊も一緒なのだから嫌でも顔を合わせる。

 では会話をしない?

 でもいきなり話さなくなるのは不自然ではないだろうか?

 今まで普通に話していたのに。

 

「私は……どうしたらいいのでしょうか?」

 

 思わず途方に暮れて呟いていた。

 それを見たミィフィはどこか納得したような、疲れたような顔をして口を開いた。

 

「とりあえず今まで通りでいいんじゃないかな。記事が出たからって付き合い方を変えたりしたらきっとレイとんが傷つくよ」

「レイフォンが?」

 

 なぜ?

 内心が顔に出ていたのか、ミィフィは露骨に呆れた顔をした。

 

「だってレイとんはきっとキャロのことが好きだよ」

 

 当たり前のように言われた台詞が理解出来ずにキャロルは無表情に沈黙して、子供のように首をかしげてしまった。

 それを見たミィフィはさらに重いため息をついた。

 

 

 

 

 レイフォンが私のことを好き。

 つまり異性として好意を持っている。

 

 そうなのだろうか?

 確かにレイフォンと自分は親しい。

 好意を向けられているのもわかる。

 けれどそれは友人としてだと思っていた。けれど違うという。

 レイフォンの好意は一人の男性としてキャロル・ブラウニングという女性に向けたものなのだと。

 

 そんなことをいきなり言われても困る。

 

 そもそも友人を作りに来た学園都市で、いきなり恋人なんて出来てもどうしたらいいかわからない。

 いや、まだ恋人ではないだろう。

 たぶん。

 

 けれどレイフォンが自分を想っているのなら、それに対してどうすべきかさっぱりわからない。

 受け入れる?

 どうやって?

 拒絶する?

 なんで?

 思考がぐるぐる回り、だんだん気持ち悪くなってくる。

 

 そもそも自分はレイフォンをどう思っているのだろう?

 友人であると以前は即答できた。

 けれど異性として想われていると知った今では、そう答えられない。

 なんて答えていいかわからない。

 

 レイフォンは大切な友人だ。

 それは変わらない。

 

 けれどレイフォンの想いは『友情』ではなく『恋慕』であり『愛情』であるのだろう。

 自分はレイフォンに『友情』より深い感情を持っているだろうか?

 

 嫌いではない。

 むしろ好意を持っている。

 そうでなければここまで世話を焼いたりしなかった。

 

 では自分はレイフォンと恋人になる事を望むだろうか?

 

 誰よりも強く、そして脆い男性。

 側にいて支えなければ崩れてしまいそうな危うさとはかなさ。

 利害など考えずにいつの間にか側にいて支えてきた。

 それが当たり前のように。

 

 利害。

 それを考えると、おそらく利益はある。

 レイフォンはグレンダンで頂点に君臨した武芸者の一人だ。

 彼を故郷に連れ帰れば実力主義の故郷は歓迎するだろう。

 武芸者として生きることを拒否したとしても、その血筋は歓迎される。

 つまりアスラで英雄扱いされた自分と、グレンダン最強との間に生まれた子供はおそらく二人の才能を受け継ぐだろう。

 レイフォンが戦う必要はほとんどない。

 彼の血筋だけでも、十分故郷に貢献できるのだから。

 

 けれど、そんな打算でレイフォンを受け入れたくはない。

 レイフォンもそんなことを考えているはずがない。

 自分と結ばれれば、卒業後はアスラに行ける。そこならば武芸者以外の生き方も容認される。

 まさかあのレイフォンがそんなことを考えて自分に近づこうとしているとは思えない。

 

 そもそも本当にレイフォンはこんな自分に好意を持っているのだろうか?

 

 確かに見た目は良いらしい。

 武芸者としての実力もそこそこだ。

 けれどそんなことでレイフォンが相手に選ぶだろうか?

 

 外見ならフェリ・ロスなど自分より上がいる。

 武芸者としての実力ならグレンダンにならおそらくいるのだろう。いないと考えるのはうぬぼれが過ぎる。

 他にもレイフォンの周囲に女性は割と多い。

 ミィフィ、ナルキ、メイシェン、フェリ、ニーナ。

 それぞれ個性的で魅力的な女性たちだ。

 他にも小隊のエースとして活躍したレイフォンを慕う女生徒は多い。

 

 その中でなぜ私、キャロル・ブラウニングなのだろう。

 なにかの間違いじゃないのか?

 

 いや、仮にレイフォンが本当に私を想っていてくれたとして自分はどうすべきなのだろう?

 

 さっぱりわからない。

 

 どんな顔をしてレイフォンに会えばいいのかもわからなかったから、午後の授業にも出ず。小隊の練習にも顔を出さずにぶらついていた。

 どのくらい歩いたのか。そもそもどこを歩いたのかさえ記憶にない。

 誰かに声をかけられた気もするが、返事もしなかった。

 ただただ思考の深みに身を置き、歩き続けた。

 

 気がつくと身体が冷えていた。

 

「雨?」

 

 見上げるといつの間にか暗くなった空から雨が降りそそいでいた。

 エアフィルター越しの雨。

 濡れて熱を奪われた身体が冷えていく。

 

 私はいったいなにをやっているのだろう?

 

 気がつけば周囲に人気はなく。ただ雨音だけが耳に響く。

 帰ろう。

 とぼとぼと歩き始めると。

 不意に目の前に誰かが立っていた。

 

 たれめがちの目を見開いてこちらを見ている。

 右手の傘を差しだして、雨を遮ってくれた。

 

「まったく、なにやっているんだよ。まるで迷子の子猫のようだぜ」

 

 そう言ってシャーニッドはキャロルの頭を撫でた。

 大きな手のぬくもりと、こちらを見つめる穏やかな瞳にキャロルはなぜか泣きたくなった。

 




 ハーメルンでの初更新。
 前話でにじファン投稿分は終わりです。

 久し振りに書けました。
 最近調子悪かったですからね。

 熱愛報道!
 注目の一年生二人が往来で抱き合っていたら目立つと思うのですがどうでしょうね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 少女の心

 

「風呂入って温かくして寝ろよ」

 

 家にまで送ってもらい。そう言われたのになにもする気になれずに適当に髪を拭いて寝てしまったのが悪かったのか。

 

 キャロル・ブラウニングは風邪をひいた。

 

 学校を休んでベッドで横になっているキャロルをシャーニッドが呆れた顔で見下ろしている。

 わざわざ見舞いに来てくれたのだ。

 しかも午前中のうちに、授業をサボって。

 

「雨にあたって、風邪ひいて寝込んで、おまえはなにがやりたいんだ? 悲劇のお姫様かなにかか?」

 

 皮肉が心に痛い。

 

「先輩。授業はいいんですか?」

「別にかまわないさ。人がせっかく相合い傘までして送ってやったにもかかわらずに風邪ひいた馬鹿の顔を拝む方が楽しそうだったしな」

 

 ニコリともせずにさらに毒を吐く。

 キャロルは憮然としつつ、目をそらした。

 今日は実によく晴れている。昨日の雨が嘘のようだ。

 窓の外には晴れ上がった青い空がある。昨日も同じ天気だったらこんな事にはならなかったのにと少し恨めしい。

 

「それで、今度はなにに悩んでいたんだ? シャーニッドお兄ちゃんが聞いてやるからさっさと吐け」

「別に……」

 

 シャーニッドはいよいよ呆れたと言わんばかりにわざとらしくため息をついて見せた。

 

「しかたがない奴だな。朝飯は食ったのか?」

「食欲がないので……」

「本当にしかたがない奴だな。台所を借りるぞ」

 

 そう言って台所へ向かって歩いて行く。

 食事の支度をしてくれる気なのだろう。

 ……彼は料理が出来るのだろうか?

 とんでもないものが出てくるような気がして、なんとなく居心地が悪かった。

 

 居心地が悪いといえば、昨日なにも聞かずに家まで送ってくれて、今日は学校を休んでいるのを知ったら即座に見舞いに来てくれたらしい。

 なぜそこまでしてくれるのかがわからずに、少々困惑していた。

 朝からベッドで休んでいたため今はパジャマ姿だ。

 そんな格好で男性を部屋に招き入れているというのはいくらキャロルでもいささか気恥ずかしい。

 おかげでベッドから出られない。

 ふかふかの羽毛布団をかぶって姿を見せないようにしている。

 汗もかいているし、正直あまり男性に見られたくない姿だ。

 けれどわざわざ学校を抜けてまで見舞いに来てくれた先輩を追い返すことも出来ない。

 

 なぜこれほど気を遣ってくれるのだろう?

 小隊の後輩だから?

 それとも実はすごく面倒見のいい人なのだろうか?

 

 熱で鈍っている頭で必死に考えるがわからない。

 後で聞いてみようと思いつつ、意識がうっすらとしてくる。

 

「出来たぞ~。寝てんのか?」

 

 ふいに人の気配とおでこにあてられた手のひらの感触に目を覚ました。

 見るとシャーニッドがお盆片手にこちらを覗き込んでいた。

 

「まだ熱がひかないな。とりあえずこれを食べろ。後は薬も一応買ってきたからそれも飲め」

 

 枕元に椅子を用意してそこに座るとお盆にのった皿を差しだした。

 

「お粥だ。とりあえずまずはこれを食え」

 

 言われるまま身体を起こしてお盆を受け取る。

 パジャマ姿を見られるのが恥ずかしくてもじもじしているとシャーニッドはふんと鼻で笑った。

 

「病人相手に欲情するような変態じゃないから安心しろ。というか病人が変な気を回すな。なにも考えずに食え」

「……なにか不機嫌じゃありませんか?」

「別に、今は気にするな。話は食い終わってからだ」

 

 食事が終わるのが怖い気がする。

 お粥は普通においしかったのがとても意外だった。

 正直に言うと「飯ぐらいは作れる」とどこか苛立たしそうに言われた。

 

「それでおまえさんはなにを考えてあんな馬鹿なことをしたんだ?」

 

 食事が終わり食器を片付けると尋問がはじまった。

 

「いいじゃないですか別に」

「ほう、雨の中わざわざ送ってくれた相手にそう言うのか?」

 

 言葉につまる。

 

「あげく風邪までひきやがって、どうせ俺の忠告も聞かずに濡れたまま寝てたんじゃないのか?」

 

 事実に近いところがあるのでなにも言い返せない。

 目の前で力一杯ため息をつかれた。

 

「こんな事なら昨日無理にでも部屋に入って話を聞くべきだったな。女の子の部屋に押し入るのを遠慮するなんてらしくない気を回したせいでこれかよ。気なんて使うもんじゃねぇな」

 

 苛立たしげに指で膝を叩く。

 

「で、今度はなにを悩んでいるんだ? どうせレイフォンがらみだろう?」

 

 いっそ話してしまおうか。

 前回も相談に乗ってくれたし。

 そう考えて話してみる。

 するとシャーニッドはいよいよ顔を手で覆った。

 

「おまえさんは……本当は馬鹿だろう?」

「いい加減失礼ですね」

 

 シャーニッドの不機嫌に当てられてキャロルも苛々してきた。

 

「本当に気がついてなかったのか? まったく前回の相談はなんだったんだか」

 

 レイフォンが自分に好意を持っているらしい。

 それも異性として。

 

 自分がレイフォンに好意を抱いていることはうすうす感じていた。

 なにしろレイフォンといると楽しいのだ。

 他の男性にそんな感情を抱いたことはない。

 

 けれど今度はレイフォンも自分に好意を抱いているらしいと聞いた。

 そこでキャロルの心の処理能力は歯車が吹き飛んで停止してしまった。

 

 これはどういう事だろう?

 どうしたらいいのだろうと。

 

「馬鹿真面目もここまでいくとただの馬鹿だな」

 

 シャーニッドが心底呆れかえったという顔でこちらを見ている。

 

「だってどうしたらいいのかわからないんです」

 

 ふてくされたようにそっぽを向く。

 呆れたような視線がつらい。すごく居心地が悪い。

 

「別になにもする必要はないだろうが」

 

 意外な言葉にキャロルは振り向いた。

 するとシャーニッドは優しそうな目をして言った。

 

「おまえさんは友達からレイフォンがおまえさんを好きかもって聞いただけだろう? 別にレイフォンに告白されたわけでもない。もしかしたらその友達の勘違いって可能性だってある。その状況でなにをするつもりなんだ?」

 

 そういえばと思う。

 たしかにただミィフィに言われただけだ。

 それもただ「噂を聞いたからってレイフォンとの付き合い方を変えるのは良くない」と言われただけだ。

 別にレイフォンと付き合えとも、答えを出せとも誰に言われたわけではない。

 ぽんとシャーニッドの大きな手がキャロルの頭に置かれる。

 

「おまえさんは真面目すぎる。そんなに自分を追い込むな。もっと適当でいいんだよ」

 

 まるで母か父に言われている気がした。

 故郷の両親を思わせる優しい口調に涙が溢れる。

 風邪で心が弱っていたのか、涙が止まらずにそのまま泣き始めてしまう。

 シャーニッドは優しい笑みを浮かべてキャロルの頭を撫でていた。

 

「そんなに気にしすぎるな。男と女の仲なんてなるようにしかならないからな。そんなに自分を追い込むほど悩むことはない」

 

 声を押し殺すように泣くキャロルが泣き止むまで、シャーニッドはずっとそばで頭を撫でていた。

 まるで優しい兄のような姿であり、キャロルもなぜか安心して泣くことが出来た。

 

 不思議な人だと思う。

 優しくて、なんでも聞いてくれて、いろいろ教えてくれる。

 兄がいたら、こんな感じなのだろうかと思う。

 ふとフェリとカリアンを連想して、あの二人とは少し違うかなと苦笑した。

 フェリ先輩は、兄に相談して泣いたりはしないのだろうか……しなさそうだ。

 

 他人の前で泣くなんてずいぶん久し振りな気がして少し恥ずかしい。

 けれど嫌な感じはしない。むしろ安心出来て気持ちも落ち着いた。

 

「すみません。泣いてしまって」

「別にかまわないさ。泣きたくなったらいつでもこのシャーニッドお兄ちゃんに言いな。慰めてやるから」

 

 冗談めかして片目をつぶる。

 その様子に胸が温かくなるような気がして自然と表情を綻ばせた。

 

 

 

「……こう言うのは普通彼氏の役目だと思うんだがな」

 

 薬を飲んで休んでいるキャロルに安静にするように伝えて部屋を後にしたシャーニッドが小さく呟く。

 自分はいったいなにをしているのか。

 落ち込んだ様子で雨に濡れていたキャロルを見つけた。

 部屋まで送ったが、声をかけづらくて時間をおくことを選んだ。

 そして翌日教室に顔を見に行ったら風邪で休んでいるという。

 自分の馬鹿さ加減に腹が立った。

 昨日のあの様子ではまともな思考さえ出来るか怪しい。

 彼女を一人にするべきではなかった。せめて話を聞き落ち着かせるべきだったと後悔し、自分の馬鹿さ加減に苛ついていた。

 

 そしてレイフォンにも苛立っていた。

 一応心配しているようだったが、今も普通に授業を受けていると思うと殴りたくなる。

 自分の惚れた女がこれほど悩んで心を弱らせているのだ。なにをおいてもそばにいるべきだろう。

 おそらくレイフォンは知らないのだろうが。

 八つ当たりと思いつつもレイフォンに対するいらだちが募る。

 学校へも練武館へも今日は近寄らない方がいいかもしれない。

 もしレイフォンがいつものようにへらへらしていたら殴ってしまいそうだ。

 

「本当にあいつはわかってねぇな」

 

 自分がどれほど女性としての魅力があるのか、まるでわかっていないとしか思えない。

 確かに大人の色気という意味ではまだまだだろう。

 けれど可憐な少女という意味では十分男の庇護欲と嗜虐心をそそる女なのだ。

 守ってやりたい、けれどいじめてもみたい。

 熱に顔を紅潮させ、潤んだ目を恥ずかしげに伏せ身体を隠そうとする姿など思わず理性が飛ぶかと思ったほどだ。

 

「俺が鋼鉄の自制心をもつ紳士じゃなかったら襲って食ってるぞ、まったく」

 

 ぶつくさ文句を言いつつ歩く。

 ふと最近顔も会わせていない女性の顔が浮かぶ。

 

「あいつとはまるで正反対なんだがなぁ」

 

 どこかで心ひかれる。

 無性に手を焼きたくなる。守ってやりたくなる。

 そばにいて慰めてやりたくなる。

 

「女の趣味が変わった……とは思いたくねぇな、まだ」

 

 彼女への想いはまだ胸の内に残っている。

 それがあるうちはあの少女に本気で惚れるなどということはありえないと思いたい。

 これでも自分では節操のある男のつもりだ。

 彼女との関係を清算しないまま別の女に本気になるなどありえない。

 

「俺も人のことは言えないな……救いようのない馬鹿だ」

 

 想っても意味のない女性を想い。

 かといってなにか行動するわけでもなく、後輩にはそれらしいことを語っている。

 自分もなにも出来ないでいるくせに。

 そんな自分のことは棚に上げて偉そうに。

 

「何様だよ。俺は……」

 

 ふと彼女のいるアパートの方角を振り返る。

 ちゃんと寝ているだろうか、もう悩んでいないだろうか。

 

「妹でもいれば、こんな感じなのかね」

 

 妹のような女。

 露悪的に喉で笑う。

 自分をごまかすのにこれほど陳腐な言葉はないだろう。

 けれどもうしばらく、もう少しの間は……。

 

「いいお兄ちゃんでいてやるのも悪くないな」

 

 せめてあの幼い心を持つ少女が自分なりの答えを見つけるまでは『優しいお兄ちゃん』でいてあげるのも悪くないだろう。

 

 そのときレイフォンと幸せになっていればそれでいい。

 もしそうでないときは?

 そのときのことを想像しかけて、小さく首を振るとシャーニッド・エリプトンはいつものたまり場へ向けて歩き出した。

 この時間からでも開いている店もある。

 アルコールの心地よさがこんなふざけた思いを忘れさせてくれるだろう。

 




女性主人公が複数の男性に想いを寄せられるのは定番だと思います。
定番、王道、大好物です。

さらに複数の男性に想われ、大事にされながらも最終的には最初の相手との想いを貫くのは重要だと思います。
逆ハーレム? 純愛の方が好きです。

でもシャーニッドを書いているとついつい浮気したくなります。
おかげでしばらく書けませんでした。

初期案ではシャーニッドの部屋(もしくはシャーニッドが懇意にしている店の部屋)などに連れ込んでお話しする予定でしたが、そうすると心が弱くなり、雨にうたれて震える主人公をシャーニッドが口説いて食う光景しか浮かびませんでした。
ずいぶん迷ったおかげでしばらく書けませんでしたよ。
結局しばらくは『お兄ちゃん』でいこうと決めましたけど。

アレですね。妄想が暴走しました。
普通に相談にのるだけのはずが、どう考えても優しく慰めながら抱きしめて強引に唇を奪うルートへ直行しそうでした。
この段階でそれをやったら物語が変わっちゃうので自制するのに時間がかかりました。

これからもゆっくりとした更新でしょうが、楽しんでもらえれば嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 想定された敗北

 

「五分五分くらいかな」

 

 フェリの念威端子から伝えられた戦況を分析したキャロルはそう呟いた。

 歓声がうるさいくらいの試合会場で白金錬金鋼の剣を構えながらキャロルは想定通りだとまず安心した。

 前衛のレイフォンとキャロルが積極的に前に出て敵と交戦する。中衛に隊長であるニーナが敵の突出を抑える。フラッグの防衛に狙撃手のシャーニッド。すでに定位置と化している後方に念威繰者のフェリ。

 防衛側の対抗試合。フラッグを落とされるか隊長を倒されれば負けだ。

 そして戦況は五分だと考える。

 勝敗を決めるのは、自分ではない。

 

 あれからシャーニッドのいうとおりに安静にしていたのが良かったのか、風邪はあっという間に快癒してこうして対抗試合にも無事に参加している。

 ニーナには「体調管理も武芸者として重要なことだぞ」と説教されたが、なにはともあれたいしたことがなくて良かったと笑顔で頭を撫でられた。

 レイフォンもずいぶん心配していたらしいが、病気で寝込む女性の部屋に男がお見舞いに行ってもいいものか悩んでお見舞いは断念したらしい。

 

 それにはキャロルとしても助かった。

 シャーニッドでさえあれほど緊張して、恥ずかしかったのだ。レイフォンが来ていたらもう顔もあわせられないほど緊張しただろう。

 どうやらそういう気遣いを吹き込んだのはミィフィたちらしい。

 彼女たちはレイフォン一人でお見舞いに行かせたらこの朴念仁はどんなデリカシーに欠ける行動をするかと心配して辞めさせたらしい。

 自分たちについてくればいいと妥協案を出したらしいが、レイフォンは悩んだらしいが結局来なかった。

 ミィフィの「パジャマ姿のキャロが見られるよ」という言葉に顔を真っ赤にしたところからすると恥ずかしがったのだろうとお見舞いに来た三人は楽しげに話していた。

 

 あれからキャロルはレイフォンに対しても以前と変わらぬように接している。

 むしろレイフォンの方がおどおどしているくらいだ。どうやら噂を知ったらしい。

 それでいてなにか言うでもなく、キャロルの顔色をうかがい、ときどき周囲を気にかけながらもキャロルの側から離れることはしない。

 彼はなにを考えているのか? 自分をどう思っているのか?

 その態度からは読み取れなかった。少なくともキャロルには。

 

 気合いの声をあげて試合相手の小隊員が二人、時間差をつけて襲いかかってくる。

 一人が槍を振るい。それを避けるともう一人が剣を振るって追撃してくる。

 それを避けて反撃しようとすると二人そろって間合いを離して追撃を避ける。

 つかず離れず。さっきからこればかりだ。

 いい加減うっとうしくなってきたが、我慢しなければならない。

 少し離れた場所で戦っているレイフォンもおそらく忍耐を強いられているだろう。

 

 今回の対戦相手の作戦はシンプルだった。

 第17小隊が防衛側であることを意識して、最大戦力であるレイフォンとキャロルをそれぞれ二人がかりで足止めに徹し、小隊長自らが突貫する。

 

 フラッグを目指せばシャーニッドによる狙撃がおこなわれる。

 小隊長ともなればシャーニッドの狙撃でも易々と倒れはしないだろう。だが足止めを受ければ引き返してきたニーナと挟まれ二対一の状況になる。

 しかしここで隊長であるニーナを狙えば、シャーニッドがフラッグの守りを捨てて援護に来る可能性は低い。

 シャーニッドが離れればそこに残るのは戦闘能力の低い念威繰者のフェリだけだ。

 防衛側としては最後の防衛戦力であるシャーニッドはぎりぎりまで動かしたくないだろう。

 ニーナが苦戦するようなら、シャーニッドを動かすかもしれない。

 前線に突出ぎみのレイフォンとキャロルは足止めを受けている。動かせないだろう。

 隊長が倒れればフラッグを守っていても意味がない。敗北だ。

 第17小隊がシャーニッド投入を決断する前にニーナを倒してしまえば勝ちだ。

 これが敵小隊の作戦だろう。

 

 相手の小隊長は決死の覚悟でニーナを仕留めるべく突撃してくる。時間をかけられないという思いがますます彼の戦意と集中力を高くしている。

 ニーナが相手の小隊長と一騎打ちをして勝てる可能性は五分程度。キャロルはそう見る。

 

 小隊長としてのニーナの評価は高いものではない。

 先輩小隊長たちに比べると隊長としての経験と知識が不足しており、個人戦力としてみても見劣りすると思われている。

 第17小隊の快進撃もその原動力は二人の一年生の個人的武力だと判断されている。

 チームとしての完成度でも隊長の指揮能力でもなく。強力な駒を二つも抱えているため勝てるのだと。

 

 その評価はニーナも知っている。

 それぐらい一般的な評価であり嘘偽りない周囲の正直な感想なのだ。

 第17小隊が戦力として活躍しているのはレイフォン・アルセイフとキャロル・ブラウニングの存在があればこそだと。

 

 その声が大きくなり出したため生徒会長が動いた。

 カリアンは今回の試合に注文をつけた。

 レイフォンとキャロルの二人は活躍してはいけない。

 今回の試合で勝利するならばそれはニーナ・アントークかシャーニッド・エリプトンの奮戦によるものであって欲しい。

 そうすれば第17小隊の評価も変わる。レイフォンとキャロルに頼り切りの小隊ではないと認識させられる。

 

 結果として負けても良い。

 そのときはいくら強力な戦力を持っている相手にでも戦い方一つで勝てるのだと他の小隊の士気をあげることが出来ると。

 

 二人を呼び出し、カリアンはそう指示を出した。

 キャロルもそろそろ危ないと感じていたため承諾した。

 他の小隊のキャロルたちを見る目が変わってきたことに気がついていた。

 彼らの内心はキャロルにもわかる。彼らは小隊としての第17小隊の能力を評価していないのだ。

 第17小隊が強いのではない。あの二人が強すぎるだけだと。

 レイフォンは嫌そうな顔をしながらもキャロルが承知するのならと受け入れた。八百長じみたことをカリアンから命令されるのが気に入らないらしい。

 しかし、このまま勝ち続ければ第17小隊は実質レイフォンとキャロルさえいれば勝てる隊になってしまう。

 

 そして現実にそうなのだ。

 それほどの力量差が二人とツェルニの学生武芸者の間にはある。

 それは表沙汰にしたくない。

 

 カリアンとしては少なくとも都市戦までは二人にはほどほどの強さで対抗試合を乗り切って欲しいと考えている。

 そしてカリアン自身が情報を操作して二人に追いつけと武芸科全体の意欲を向上させていく。

 そうすれば都市戦に万全の状態で挑めるはずだ。

 そういう考えをキャロルが説明してレイフォンには納得してもらった。

 

「隊長は知っているの?」

「教えていない。だって隊長はこういう話が嫌いそうでしょう?」

 

 その言葉にレイフォンは蚊帳の外で試合さえいじられているニーナを哀れに感じた。ニーナの対抗試合への意気込みを知るだけにその思いは強い。

 けれど下手なことをすれば自分たちの立場が悪くなると聞けば、ニーナへの同情も蓋をして見ぬ振りをするしかない。

 自分たちがツェルニの武芸者にとって害になると判断すればあの生徒会長は自分たちを切り捨てることさえためらわないかもしれない。

 そうでなくても下手に目立ってはツェルニでの生活が息苦しくなるのは想像出来た。

 今でさえツェルニ最強候補としてかなり面倒な思いをしているのだ。

 これがツェルニの小隊など問題にもならない強さがあるなどとしれたら、身の置き場がなくなる可能性もある。

 

 グレンダンでは強者には相応の尊敬と敬意が払われた。

 アスラでも実力があれば認められた。

 しかしツェルニでもそういう扱いになるという保証がない。

 

 強すぎる武芸者として忌避され、戦力として認められても仲間とは見なされない。

 多いにありえそうな話だとレイフォンは表情を暗くしたものだ。

 

『隊長が一騎打ちを始めました』

 

 念威端子からのフェリの声にキャロルは意識を試合に集中する。

 あからさまに手を抜くことは出来ない。

 ほどほどに懸命に戦っている様子で、目の前の二人をあしらい、かつ持てあまして見せなければならない。

 面倒な話だ。

 いっそすべてぶちのめせといわれた方が楽だ。

 このストレスにはきっとレイフォンも同意するだろう。

 

「戦況は?」

『押されています。まったく普段気合いばかりはあるクセにだらしのない』

 

 フェリの悪態にもなれた。

 これで特に悪意やなにか相手に含むところはないのだ。

 ただ思ったままに不満を口に出しているだけ、いまは普段威勢のいいニーナが肝心な場面で小隊の足を引っ張っていることに不満を感じているのだろう。

 

「負けるかな?」

 

 問いかけるとフェリはしばらく沈黙した。

 

『負けた方がいいですか?』

 

 その言葉に胸の奥を見透かされたようでキャロルは息をつまらせた。

 自分は敗北を願っているのだろうか?

 そうではないと言いたいが、否定しきれない。

 ニーナでは一騎打ちに持ち込まれたら勝てる可能性は五分程度、確実ではない。なのになにも手を打たなかった。

 ニーナはキャロルを信頼して作戦などいろいろ相談してくれる。その信頼に応えるならキャロルはこの場合にどうすればいいかニーナに話して策を用意すべきだったのだ。

 自分はニーナの信頼を裏切っているのだろうか。

 それは小隊の仲間を裏切っているということにもなる。

 レイフォンがカリアンの提案に乗り気でなかったのもきっと仲間を裏切ることが後ろめたかったのだろうといまさら気がついた。

 私は仲間を裏切っているのか。

 胸が痛む。

 必要なことだと言い聞かせても罪悪感は薄れない。

 自分のために、レイフォンのために、そしてツェルニの武芸者全体のために。

 必要なことだとしても、それでも自分は信頼してくれた人を裏切っている。

 笑顔で頭を撫でてくれた人を道化に仕立てている。

 

『別に責めているわけではありません。どうせ兄の命令でしょう? 最近勝ちすぎましたから』

 

 黙り込んだキャロルをいたわるようにフェリが言葉を重ねる。

 

『兄はけして好意は持てませんが非常に合理的で無駄のない人です。あの兄が必要というのなら必要なことなのでしょう。あまり気にしないことです』

 

 今からでも駆けだしてニーナを救いに行きたいという感情が胸の内で暴れる。

 それでもこれは『必要なことだから』とその場に踏みとどまる。そしてそれはやってはいけないことだからと。

 目の前の二人を無力化し、すぐさまニーナの元へ駆けつけ、敵小隊長を倒す。

 それをすればますますキャロル・ブラウニングの実力が周囲の目を集め、ニーナの無力さが悪目立ちするだろう。

 もはやサイは投げられたのだ。

 キャロルに出来ることはニーナが勝利することを祈るだけだ。

 勝利できれば誰しもニーナを認めるだろう。

 最大戦力を封じられても自力で勝利をもぎ取った小隊長。

 その評価はニーナの立場をなによりも強化するはずだ。

 第17小隊を見る人たちの目も違ってくるだろう。

 

「……勝って欲しいですね」

『隊長にはぜひ日頃の無駄に有り余った元気を発揮してほしいものですね』

 

 なぜかそのとき平坦なフェリの声がかすかに笑ったような気がした。

 

 

 

 やがてサイレンが鳴り響き、アナウンスが興奮したように第17小隊の初黒星を告げ、勝利した小隊の健闘を称えはじめる。

 

「最強の武器を持っていても使い手が凡人じゃどうしようもないという話だな。まぁ、今回は俺らの作戦勝ちだ。お嬢ちゃん」

 

 対峙していた小隊員がそう誇らしげに声をかけてくる。

 見下した様子はない。純粋にツェルニ最強クラスといわれる武芸者の足止めに成功し、作戦通りに勝てたことが嬉しく、誇らしいのだろう。

 それでも聞き逃せない評価にキャロルは敏感に反応した。

 

「隊長は凡人ではありませんよ」

 

 そう言ったのは罪悪感からか、それとも本心か。自分でも判断がつかない。

 もう一人の小隊員が怒らせる気はないと示すように大人びた笑顔を浮かべた。

 

「すまない、悪気はないんだ。けれどニーナ・アントークが君やアルセイフに比べればあきらかに見劣りすると考えているのは俺たちだけじゃない。それが今の評価なんだ。だけど彼女はまだ三年生だ。まだ先がある。これから鍛えていけば将来は君たちを十分使いこなせる隊長にもなれるだろう」

 

 キャロルの怒りを感じたのかそうなだめるように言葉をかけて二人は去って行く。

 彼の言葉は正直なニーナの評価なのだろう。

 現段階ではニーナはレイフォンとキャロルを使いこなせていない。

 二人の個人戦力で勝ってきたが、隊長としてみれば未熟だと。

 そして将来的には二人を使いこなせるようにもなるだろうと。

 現状では未熟、けれど将来性はある。

 それがニーナ・アントークの評価なのだ。

 

「失敗したかもしれません……」

 

 キャロルは小声で自身を責める。

 カリアンの注文には最低限応えられた。

 彼はこの結果を最大限活用するだろう。最強の戦力を持つ小隊にも工夫次第で勝てる。

 武芸科の生徒たちは諦めることなく努力を続けて欲しいと。

 武芸科の士気はあがるかもしれない。

 けれどその結果、ニーナの未熟を周囲に定着させてしまったかもしれない。

 

「勝って欲しかった……」

 

 身勝手だと思いつつそう思わずにいられない。

 ニーナはけして弱くない。

 レイフォンやキャロルとの稽古の経験から格上相手に挑む戦いにも慣れている。

 勝っていれば彼らもニーナの実力と努力を認めただろうに。

 

 足取りも重くニーナの元へ向かう。

 小隊のベンチに入ることもせずにニーナはただ立ちつくしていた。

 彼女は青白い顔をして拳を握りしめている。

 その表情は怒りをこらえるようにも、泣いているようにも見えた。

 悔しいのだろう。

 自分のせいで負けたと思っているのだろう。

 なんと声をかけたらいいかわからない。

 慰める? この敗戦を裏で手引きしたような自分がどの面下げて?

 謝罪する? 自分のしたこともあかさずになにを謝るというのだ。そもそもあかせるはずがない。必死に勝つために努力している彼女に向かってわざと負けるようにしたなどと言えるはずがない。

 

「いまはそっとしておけ。心を整理する時間ってのは必要だからな」

 

 シャーニッドがそう声をかけて肩を抱くようにキャロルを控え室に連れて行く。

 自然な動作だったので声をかけようか迷っていたレイフォンはなにも言えずに二人の後に続いた。

 キャロルも男性に密着されているというのに抵抗することさえ思いつかずにシャーニッドに導かれるように控え室に戻った。

 そこにはすでにフェリが椅子に座って待っていた。

 その視線が軽くシャーニッドを一睨みして小さく「セクハラですね」と呟いた。シャーニッドは笑って「スキンシップだよ」と悪びれずにキャロルを抱き寄せる。

 

「で、今日のあの有様はカリアンの旦那の指図か?」

 

 びくりと身体が震える。シャーニッドの顔を見上げ、その瞳がやや険しい光をさせていることに身体がこわばった。

 

「シャーニッド先輩、キャロは別になにも……」

「レイフォン、おまえもだ。おまえたちが試合に手を抜くのは仕方ない。全力を出したら試合にならねぇってのも理解している。けれど勝ちたいと思っているのなら相手を振り切ってニーナの援護に戻れたはずだ」

 

 二人の小隊員が追撃をかけてくるだろう。けれどこちらはニーナが負けたら終わりなのだ。

 ニーナと合流して二対三の状況に持っていけばまた違った結果になったかもしれない。

 その言葉にレイフォンが沈黙する。

 勝ちたいと思うなら、負けたくないと思うならそれをするはずなのだ。

 けれど二人は動かなかった。

 フェリはその様子に兄の介入を確信し、シャーニッドは二人がなにかの思惑に縛られていることを推測した。

 その程度の判断は出来る人物だと二人は評価している。

 キャロルはニーナから作戦の相談を受けるほど小隊の運用に詳しい。

 レイフォンは普段は抜けているように見えるが戦いとなると別人のように勘が鋭い。

 その二人がニーナの危機に、小隊が敗北に直面しているというのになにも思いつかずにただ敵に拘束されていたというのは正直信じられない。

 

「……生徒会長の指示です」

 

 黙っていることも出来ずにキャロルは正直に話した。

 彼らはすでに半ば確信している。否定は無駄だろう。

 

「ならしかたないな。カリアンの旦那がボスなら命令には従わないと怖そうだ」

 

 そう肩をすくめてシャーニッドはキャロルの肩から手を放した。

 呆気なく納得するシャーニッドにキャロルは少し驚く。

 てっきり責められると思っていた。

 

「俺が聞きたいのはあと一つだけだな。おまえさん、ニーナが一騎打ちをはじめたときにどう思った?」

「……勝って欲しいと思いました」

 

 勝って欲しかった。

 それがニーナにとっても小隊にとっても最善だった。

 そして勝てる可能性はあった。

 最近のニーナは強くなったと思う。個人の戦闘力なら他の小隊長と比べてもそうは劣らないとキャロルは思っている。

 少なくともあんな風に屈辱をこらえて立ち尽くすニーナは見たくなかった。

 その答えを聞くとシャーニッドは優しげに目を細めた。

 

「ならいい。おまえさんはおまえさんなりにツェルニのために動いている。そして小隊の仲間のことを思っている。ならそれでいい」

 

 そう言ってキャロルの頭を優しく撫でる。

 

「ただおまえさんもレイフォンももう少し周囲を頼れ、なんでも自分たちで抱え込むな。こう見えて俺たちはおまえたちよりも年上で一応先輩なんだぞ?」

 

 穏やかに笑うシャーニッドにキャロルは言葉が出ずにただ黙って彼の大きな手が自分の頭を撫でるのを見ていた。

 なぜ彼は怒らないのだろう?

 なぜ彼はこんなに自分に優しくしてくれるのだろう?

 そして彼の手のひらはなんでこんなに心地よいのだろう?

 困惑して呆然とシャーニッドを見つめた。

 その瞳はまるで父のような穏やかな優しさを感じさせた。

 




 小隊の初敗北。
 裏ではカリアンが暗躍しています。
 最近シャーニッドがいいところを持っていくのでレイフォンが出番がないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 勝利するために

 

 第十七小隊の初敗北から数日ニーナは考えていた。

 自室でだらしなく着崩した部屋着でぼんやりとしている。

 小隊の訓練にすら顔を出さず。授業が終わると逃げるように寮に戻って部屋にこもっている。

 心配をかけているだろうとは思うのだが、今の精神状態で小隊に顔を出す気にはなれない。

 

「……いったいなにがいけなかったのか?」

 

 第十七小隊の戦力はよその追随を許さないものであるとニーナは考えている。

 レイフォン・アルセイフ。

 キャロル・ブラウニング。

 二人とも単独で小隊を殲滅出来る武芸者、破格の戦力だ。

 

 しかしそれ故の枷もある。

 生徒会長の命令で二人は全力を出せない。『普通より強い』程度の戦力で戦わなくてはならない。

 それでも各小隊のエース級を上回り、小隊長さえ単独で撃破出来る戦力だ。

 

「十分すぎる戦力と言っていい」

 

 よその小隊のエース級が二人もいると考えれば制限されていてなお強力な味方だ。

 さらにシャーニッド・エリプトン。

 彼も間違いなく優秀だ。

 常に戦場を把握し、冷静におのれの任務をまっとうする。

 狙撃手としてならおそらくツェルニのトップにいるだろう。

 人格面も安定しており、小隊の運営や対人関係でなにかと至らない自分をサポートしてくれている。

 実質第十七小隊の副隊長と言っていい。

 

 さらに念威繰者のフェリ・ロス。

 他の小隊の知り合いに話を聞いてわかったことは彼女がいかに優秀だったかと言うことだ。

 小隊同士の意思の疎通、索敵、敵の妨害、戦場の把握。

 念威繰者に求められることすべてをフェリはごく簡単にやってのける。

 当初はやる気のなさに苛立ったものだが、キャロルが加入した頃には相変わらずやる気はないがその仕事ぶりには目を見張るようになった。

 彼女が興味のなさそうな顔でやりとげていることがよその小隊の念威繰者ならそれこそ必死になってこなすことなのだと知った。

 他の念威繰者が心血を注ぐような行為をまるで当たり前のように処理してしまう。

 間違いなく優秀なのだ。彼女も。

 

「戦力に不安はない。いや、私は恵まれている」

 

 だとすれば足りないのはなにか?

 それは隊長であるニーナ・アントーク自身だろう。

 戦力としてはせいぜい中堅どころの小隊員。

 指揮官、隊長としても未熟、おそらくキャロルやシャーニッドの方が優れているだろうとニーナは考える。

 

「あの時、私は間違えた」

 

 ベッドに寝転がり、天井を睨みつけながら思い起こす。

 あのまま押し込めば勝てると考えた。

 レイフォンとキャロルはじきに目の前の敵を倒すだろう。

 そしてそのまま前進し、敵を殲滅する。

 あの時ニーナの考えた戦術はそういうものだった。

 しかし相手は隊長同士の一騎打ちに持ち込み、勝利をもぎ取った。

 自分が負けたから。小隊も負けた。

 前線で必死に戦っていたレイフォンやキャロルの努力は無駄になり、小隊の全勝記録は止まった。

 

「ならば強くなればいいのか?」

 

 当たり前の結論に行き当たる。

 それはそうだろう。

 自分がレイフォンほど強ければ負けることなどありえない。

 一騎打ちに持ち込まれようが、複数で包囲されようが軽く突破出来るだろう。

 

「だが、そう簡単に強くなれたら苦労はない」

 

 あの二人を基準に考えることは間違っていると思う。

 キャロルは戦争さえ経験した熟練の武芸者。

 レイフォンも、グレンダン最強の『天剣』とやらだったのならおそらくかなりの経験を積んだ武芸者だったのだろう。

 才能に恵まれ、努力を重ね、経験を積んで今の彼らがいる。

 経験といえば模擬戦がせいぜいという自分が比較になるはずがない。

 今から自分がどれほど死にものぐるいで努力しても本命である都市戦までに彼ら並みの、いや彼らの半分の実力も得られないだろう。

 おそらく才能で劣るだろう。

 今まで積み重ねてきた努力でもかなわないだろう。

 経験など、彼らから見たら自分はまさに子供に過ぎないに違いない。

 

「努力を怠る気はない……ないが、アレと比べるのは間違っていると思う」

 

 眉をしかめる。

 正直、嫉妬という感情さえへし折れるほど隔絶した実力差がある。まさに立っている世界が違う。

 思い起こされるのは二人の模擬戦。

 もはや同じ人の技とは思えなかった。

 努力すればなんとかなるなどあれを見てしまえばいかに軽い言葉かと笑えてくる。

 

「なら、私はどうすべきか」

 

 あの時、もしキャロルがその立場にあったらどう行動しただろうか?

 自分と同じように動いただろうか?

 

「ありえない」

 

 断言出来た。

 キャロルの戦局を見る目、その判断は確かだと評価している。

 しかも彼女は堅実だ。勝てるかどうかわからない一騎打ちに持ち込まれて勝敗の行方を賭けるようなことはしないだろう。

 おそらくキャロルなら自分が狙われたのなら即座にシャーニッドを動かしたのではないかと思う。

 フラッグの防衛を外すのは問題だが、隊長である自分がやられれば同じ事だ。

 シャーニッドと二人がかりなら、敵小隊長を押さえ込めた。いや勝てたかもしれない。

 勝てないまでも敵小隊長を足止め出来たなら、レイフォンかキャロル。どちらかを強引に呼び戻して敵小隊長を討たせる。これで勝利だろう。

 

「なんだ。ちゃんと勝てるじゃないか」

 

 小さくため息をつく。

 なぜ今の考えに試合中に思い至らなかったのだろう。

 目の前の敵と戦うことに必死になって小隊の指揮を放り出していたのだと気がつき、自己嫌悪で死にたくなった。

 

「キャロルなら、気がついたのではないか?」

 

 そう考えるが、すぐに再び自己嫌悪の穴に落ち込む。

 確かにキャロルは頭がいい。

 きっと状況が悪いことを察していただろうし、その対処法も考えていただろう。

 だが彼女は小隊員に過ぎず隊長は自分だ。

 彼女が自分を通さずに小隊に指示を出すなどありえない。今までだって一度もなかったことだ。

 

「あの子はなんだかんだで私をたててくれるからな……」

 

 隊長である自分の面目を潰してまで勝利しようとは思わないだろう。

 ただでさえ自分の評価は微妙なのだ。

 そのうえそこに『お飾りの隊長』などという評価が加わることを彼女は決してしないに違いない。

 未熟と評されるのはしかたがない。事実なのだから。

 だがお飾りとまで言われては我慢出来ない。

 

「あの時の私にキャロルからの助言を聞く余裕などあるわけがない」

 

 目の前の敵に手一杯で、小隊の指揮すら忘れていたのだ。助言など聞いている余裕はなかった。

 

「結局、私の未熟がすべての原因か……」

 

 一人の武芸者としても、小隊を指揮する隊長としても。

 これほどの人材を任されているというのに不甲斐ない限りだ。

 さてどうしたものかと考え、結局はそうするより他にないと決断した。

 

「プライドより勝利を願うべきだろう」

 

 あれほどの逸材を指揮しているのだ。彼らには勝利をこそ与えてやりたい。

 そしてなによりツェルニを守るために必要なのは勝利であってプライドではない。

 

「よし! ……いささか情けない気もするが、私が彼らに及ばないのは事実だ」

 

 こうしてニーナは決断した。

 

 

 

 

「私を鍛えてくれ」

 

 数日ぶりに練武館に顔を出したニーナの言葉にキャロルは目を丸くした。一緒にいたレイフォンも少し驚いている。

 

「頼む」

 

 頭まで下げられてしまった。

 

 

 

 

 小隊の敗北。

 しかも自身が原因の敗北。

 ニーナが荒れるのはキャロルやカリアンには予想されていたことだった。

 数日練習に出てこないで引きこもっていたが、この程度ならまだおとなしい方だろうとカリアンは語っていた。

 

「自暴自棄になられるのが一番困る。彼女にはぜひ小隊長としての責任をまっとうしてもらいたいものだ」

 

 美貌をどこか陰らせながらカリアンは言った。

 

「彼女は良くも悪くもまっすぐだ。おそらく実力不足を痛感しただろうから次に取る行動をおおよそ見当がつく、彼女が無理をしないように気にかけてやって欲しい」

 

 責任感の強いニーナが、一度負けたぐらいで小隊長の立場を投げ出すことはありえないとカリアンは見ている。なによりその立場はニーナがツェルニを守るために必要だからこそ望んだものだ。自分から手放すはずがない。

 となれば考えられるのは自分が強くなろうとすることだろう。

 けれど自尊心もそれなりに強いニーナが、年少であり、部下であるキャロルやレイフォンに素直に教えを請うとはカリアンは考えていない。

 

「おそらくひたすら自分をいじめ抜いて強くなろうと努力するのではないかな?」

 

 それで壊れてもらっては困ると苦笑いした。

 

「だから君の方から彼女が無理をしないように、上手く成長できるように誘導してくれると助かる」

「無茶を言わないでください」

 

 すでに事情を知る生徒会関係者からは生徒会長の腹心と見られているらしいキャロルは憮然と文句を言った。

 

「私にそんな器用なことが出来ると思っているのですか?」

「何事も経験だよ。キャロル君」

 

 正体のつかめない笑顔で無理難題を押しつけてくる。

 

「なぜ私ばかりがこんな役割を……」

 

 結局、カリアンの説得に負けて『一応努力はする』と引き受ける羽目になり、なぜフェリがあれほど実の兄を嫌うのかがなんとなく実感出来てきた最近のキャロルである。

 

 

 

 

 そしてさてどうしようと頭を痛めていたら、これだ。

 予想外だった。

 けれど都合が良いとも言える。

 あのカリアンが読み違えたと思えばいっそ愉快でもあった。

 けれどそこで少し困ることがある。

 

「私、人に教えることが出来るのでしょうか?」

 

 キャロルは優秀だった。

 客観的に見ても天才の称号に値した。

 だから大抵のことはすぐに学べたし身についた。

 

 逆に言えば修行の苦労を知らず。努力の苦しさを知らず。伸び悩む絶望を知らない。

 はっきりいえば実力不足で悩むニーナの心を本当の意味で理解することが出来ない。

 

 実力が足りない? 修行すればいいんじゃない?

 どう修行すればいいかわからない? 別になんだっていいんじゃない?

 

 天才体質のキャロルは実力不足に嘆き、さらなる力を切望し、その方法がわからずに苦悩する凡人が理解出来ない。

 理解出来ないのだからその方法を提示することも出来ない。

 

 ニーナが頭を下げて頼んでいるのだ。力になりたいと思うが、なにをどうしたらいいのかわからない。

 剣術を教えればいいのか? いやニーナの武器は鉄鞭だ。しかも両手で振り回すものだ。剣術の技からはほど遠い。

 基礎ぐらいなら教えられる。どの武器を使おうが土台となる基礎は同じようなものだ。

 けれどニーナが望むのはさらなる実力であって、今まで習ってきたことの復習ではないだろう。

 

「やはりだめだろうか?」

 

 悲しそうな顔をされても困る。

 

「そうではないのですが、なにを教えたらいいのか……」

「強くなる方法を頼む」

 

 そんな漠然としたことを力強く言われても……。

 困り切ってうろたえるキャロルを不思議そうに見ていたレイフォンがようやく気がついたように口を開いた。

 

「キャロはもしかして人に教えたことがないの?」

「……はい」

 

 恥ずかしそうに肯定する姿にニーナは少しだけ驚いた顔をした。熟練の武芸者である彼女なら他人に手ほどきぐらいしたことがあるだろうと自然に思い込んでいたのだ。

 

「なら僕が教えましょうか? 養父が道場の師範をしていたから、その手伝いで多少は経験もあります。隊長さえいやじゃなかったらですけど」

 

 レイフォンの実力はキャロル自身が自分より上にいると保証しているのだ。ニーナにとっては断る理由はない。おそらく現状ツェルニ最強、グレンダンでも最強の武芸者の一員だった人物なのだから不満はない。むしろ自分を受け入れてもらえるのかが不安だ。

 

「いいのか? 私は以前レイフォンにひどいことを言ったと思うのだが」

 

 いまではレイフォンの過去も『仕方がないこと』と受け入れられるようになったが、当初は実にひどい態度を取ってしまった。小隊の仲間として振る舞ってくれるようになっただけでもありがたいのだ。そのうえ武芸を教えてくれるほどに自分が認められていると思うほどニーナは図々しくない。

 するとレイフォンは柔らかい笑みを浮かべて、もう気にしていないと言った。

 

「僕の説明が悪かったのもあるし、実際に僕のしたことは問題がありますから、こうして受け入れてくれるだけで十分感謝しています」

 

 邪気のない年相応の笑顔に不意に顔が熱くなるのを感じてニーナは慌てた。

 

「そ、そうか……なら頼まれてくれるだろうか?」

「ええ、僕に出来るかぎりさせてもらいます」

 

 おたおたしているうちに話がまとまりキャロルは若干複雑な心境になったが、指導未経験の自分より、経験者であるというレイフォンの方が適任だろうと納得した。

 けれど顔を赤らめてうろたえるニーナに笑顔で話しかけるレイフォンの姿はどこか不快感があった。

 なんでだろう?

 よくわからないが後でレイフォンを蹴飛ばせばすっきりしそうな気がした。

 




 ニーナの自爆ルート回避。
 普通に考えれば自分より強い武芸者がいるのだから教えを請う方が強くなれると考える……と思います。
 原作では一人で暴走してぶっ倒れましたが、正直理解出来ません。
 はじめからレイフォンに頼めよ。という感じです。
 見知らぬ他人ならともかく、同じ小隊の仲間で仲だって悪くないのだから。

 うちのニーナはすでにつまらない見栄や自尊心はぽっきり折られているので年下の部下に頭を下げることを躊躇しません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 アルバイト

 

 喫茶ミラ。

 可愛らしいウェイトレスがヒラヒラふりふりな制服に身を包み笑顔で接客する男性に人気の喫茶店。

 メニューも豊富で味もよく女性客もいるが主力は男性客である。

 その店のことは情報通のミィフィから聞いて知っていた。

「女の子を客寄せに使っているけど料理は本格派」だと。

 

 割と高評価だったがキャロルは遠目にお店を見ただけで店内に入ることはしなかった。

 容姿の整った女性たちが笑顔を浮かべ、妙に可愛らしさを強調する制服できびきび働く姿はなんとなく同性としては近寄りがたかった。

 

「恥ずかしくないのかな?」

 

 なんとなくそこで働く女性たちの感性を疑ったりもした。

 それがどういうわけだが。

 

 

 

「よく似合っていますね」

「……そうですか」

 

 目の前にはお花の妖精とでも呼びたくなるようなフリルたっぷりの制服を着たフェリ・ロスがいた。

 もともと人形のような美貌を持つ少女だ。とてもよく似合っている。同性のキャロルでさえこんな人形が売られていたら購入して部屋に飾りたくなるだろうと思わせた。

 それだけなら他人事のように「可愛いですね」と褒め称えるだけですんだだろう。問題はその制服を自分も着ていることにある。

 

 しかも、だ。

 キャロルは基本的にあまり着飾ったことがない。

 ましてやこんな少女趣味丸出しの上に妙に胸元を強調し、スカートが短く太ももを晒すような服とは縁がなかった。

 

「フェリ先輩は恥ずかしくないんですか?」

「恥ずかしいに決まっているでしょう」

 

 念のため聞いてみると色白な彼女の頬がわずかに紅く染まった。

 わかりきったことを聞くなと言わんばかりのきつい口調で断言される。だったら着せないで欲しいと切実に思った。

 

 そもそも。

 

「なんでわたしはここにいてこんな制服を着せられているのですか?」

 

 その見るからに恥ずかしい制服をキャロルも着ている。

 二人並ぶとまるで姉妹のようだ。

 容姿は若干ちがうが小柄な体格と雰囲気が似通っている二人なので並んで歩くと姉妹に見える。大抵はフェリが姉に見えるらしい。何事にも動じないフェリとどこかぽやっとして見えるところのあるキャロルが並ぶと相対的にフェリがしっかり者の姉に見えるらしい。

 

 唐突にフェリに捕まり「一緒に来なさい」と手を引っ張られ、この店に連れてこられたら更衣室に押し込まれ制服も押しつけられて「さっさと着替えなさい」と命令された。もう何が何だかわからない。

 フェリはおまえはそんなこともわからないのかと馬鹿を見る目をした。

 

「もちろんあなたがここで働くことになったからですがなにか?」

「……なぜ?」

 

 確かにアルバイトには興味があった。彼女が見ている求人情報誌を一緒に見たこともある。だが、この制服はないのではないだろうか?

 

「私が働くことになったからです。いい機会でしょう。感謝してくれてかまいません」

 

 いっそ清々しいほど傲然と開き直るフェリ。

 意訳すると「一人は心細いから道連れが欲しかった。おまえもバイトを探していただろう? 世話してやったのだから感謝しなさい」だろうか?

 

「なぜ、ここに?」

 

 せめてもう少しマシな場所はなかったのかと問いたい。

 その言葉にフェリは口元を引きつらせた。彼女が念威繰者でなかったら盛大に顔を歪めていただろう事は直ぐに想像がついた。

 

「あの馬鹿の紹介です」

 

 言葉少ない答え。はて馬鹿とはだれだろうと思うがこう言うからには共通の知り合いなのだろう。

 実の所キャロルとフェリはそれほど親密な関係ではない。

 カリアンがらみでよく部屋に行くから顔を合わせることは多いし、そもそも同じ小隊の仲間だ。言葉を交わすこともある。

 けれど親しいかと言われれば疑問を感じる。むしろ嫌われているのではないかとさえ感じていた。一度シャーニッドに相談したが「フェリちゃんは誰に対してもあんな感じだ。というかむしろおまえさんとはよく話す方だと思うぞ」と心配する必要はないと言ってもらえたが何というか距離というか壁というか温度差のようなと言うべきかとにかくなにかちがう。

 

 ミィフィたちと比べるとあきらかに「私にかまうな」という無言の圧力を感じるのだ。

 というわけでフェリとの共通の知り合いなどカリアンか小隊の仲間ぐらいしか心当たりがない。その中でフェリが「馬鹿」と呼ぶ相手は。

 

「シャーニッド先輩ですか?」

「他に誰がいます?」

 

 逆に問いかけられたが馬鹿といえばレイフォンもかなりのものだし、彼女とその兄カリアンとの仲の悪さはひしひしと感じるところである。

 まぁ、レイフォンにこんな女の子だらけの職場を紹介する伝手などないだろうし、カリアンが手を回すとしたらもう少しまともなところな気がする。よくよく考えてみればこのお店はいかにもシャーニッドが好みそうだ。以前ファンクラブの女性に囲まれてにやけきっていた光景を思い浮かべて密かに納得した。

 

「わかったなら行きますよ。お仕事の時間です」

 

 まるで戦場にでも乗り込むように闘志を燃やして歩くフェリの後ろ姿を見て「このまま着替えて帰るのはだめかな」と怖じ気づく。

 

 この格好で人前に出る?

 無理。

 でもせっかくアルバイトを紹介してもらったのに。

 

 実はキャロルのアルバイト探しは難航していた。

 理由は彼女が有名人過ぎたからだ。彼女は今やツェルニのスターである。

 二、三カ所アルバイトの話を聞きに行ったことがあるがどこも遠回しに拒否された。

 

「武芸科のエースがうちなんかで働く必要はないんじゃない?」

「ごめんね。うちは小規模なお店だからあなたみたいな有名人はちょっと」

「俺はいいんだけどね。他の子たちが萎縮しちゃうから……わかるだろう?」

 

 有名人過ぎて雇ったらどんなトラブルが起きるかわからないと拒否された。

 カリアンに愚痴ったら「有名人にトラブルはつきものだからね」と笑われた。

 キャロルほどの有名人を客寄せに使いたい店は多いだろう。ただ彼女を広告塔に使えばその効果がどう出るかがまだ不透明なのだとカリアンは言う。

 

 キャロルは人気がある。それは事実だ。

 主に男子生徒を中心に人気があるが、すべての人間に受け入れられているかと言えばそんなことはありはしない。

 その人気に嫉妬する者もいるだろうし、他の女生徒のファン、たとえばフェリのファンからしたらキャロルの人気など他人事だろう。他人事ならまだいいがこれが敵意に変わったら目も当てられない。

 

 なによりキャロルがツェルニに来て人気が爆発してからまだそれほど間がない。これからその人気がどうなるかわからないし、キャロルの立場もどう変わるかわからない。

 看板娘に据えて、人気が急落したり余計な敵をつくったりしたら目も当てられない。

 

 似たような立場のレイフォンは人気が出る以前からバイトを決めており、しかもそのバイト先は都市の機関掃除だ。完全な裏方であり表に顔を出すことはない。しかも報酬はいいがきつい労働でありなり手が少ない。

 そんなバイト先でレイフォンは小隊員として人気が出てからも変わらずに真面目に働いているらしい。おかげで彼は信頼されている。

 

 その信頼がキャロルにはない。

 外見が良いのは知っている。強いのもよくわかっている。だがどんな人間なのかを知るものは少ない。

 一緒に職場で働く者として信頼できるのか、人気を背景にわがままを言って場を乱すような人間ではないのか。その当たりの判断がつかないのだ。

 

「それに小隊員でアルバイトというのも珍しいからね」

 

 そうカリアンは苦笑する。

 小隊員と言えば武芸科のエリートだ。当然ツェルニからの奨学金も高額であり、なにより実力のある武芸者であるならば実家もそれ相応の家である事が多い。

 当然親からの仕送りもあるだろうし、よほどのことがない限り小隊員になるほどの武芸科の生徒がお金に困ることは少ないのだと。

 例外は実家から家出同然でツェルニに来たらしいニーナや孤児であり親からの支援のないレイフォンのような存在だろう。

 

 そこにいくとキャロルは仕送りも十分受け取って奨学金ももらっている。お金には困っていないのだ。

 そんな彼女が働きたいと希望しても特にこれといった特技もなく、なりたい職種もない現状では相手の方もどれだけ本気か判断しかねるのだろう。

 遊び半分なら邪魔になるだけ。

 普通の学生ならば好奇心から働きたいといっても通用するだろうがキャロルの場合は背後に背負ったものの影響力が強すぎる。よほどの理由がない限り雇う側もためらうだろう。

 

「なに世間勉強は就労だけではないし君はまだ一年生だ。気長にやればいい」

 

 カリアンはやはりというべきかあまり世間のことに知恵の回らないキャロルにそう教えてくれた。

 一年か二年経てばキャロル・ブラウニングという存在はより明確に認識される。

 その人柄やツェルニ入学の動機なども知られていくだろう。就労活動はそれからでも遅くないし、その頃には彼女を受け入れる人間も増えているだろうと。

 

 そのことを思うとこれは好機だ。

 そう思うもののやはりこの制服は恥ずかしい。

 ぐずぐずと決断出来ないキャロルを見て「意外に度胸がありませんね」とフェリは呆れたように無理矢理にキャロルを引きずっていった。

 

 

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 どことなく気品を感じさせるおしとやかな笑顔を向けられてゴルネオ・ルッケンスは思わず言葉につまった。

 ここに来れば彼女に会えると噂に聞いてきたが、まさかいきなり会えるとは。しかも声をかけてもらえるとは。今日は運が良いらしい。

 

 キャロル・ブラウニング。一年生で小隊入りした少女だ。外見だけなら武芸者などよりも落ち着いた別荘で紅茶でも楽しんでいそうな少女である。

 普段は綺麗な金の髪を背中に流しているが今はまとめている。かすかに唇が赤い気がした。紅を差しているのだろうか。その瞳は優しげな暖かみに溢れていて心が温かくなってくるようだった。

 

 噂を聞いてやってきたが想像以上だ。

 

 フリルをあしらった白いブラウスにピンク色の可愛らしいスカート。白いストッキングをはいていてスカートとストッキングの間にちらちら見える白い素足が艶めかしい。

 胸元を強調する衣装を着ているせいか普段よりも胸が大きく見える。彼女の服装といえば試合中の戦闘衣か制服しか知らないゴルネオは新鮮な驚きを胸一杯に感じていた。

 

 第5小隊の小隊長であるゴルネオと彼女の間に特に交友関係はない。試合経験さえない。もうしばらくしたらあたるだろう。そのときを実は楽しみにしている。

 最初はいろいろと思うところのあるレイフォンを見に行ったのだ。その試合で彼女の動きに魅せられた。

 彼女は美しかった。

 戦場を駆け抜け剣を振るう姿にゴルネオは魅了された。気がつけばレイフォンの対策を立てるために見学に来たはずが一ファンとして彼女の試合を鑑賞するようになっていた。

 前回は惜しくも負けたが、ゴルネオとしては少々引っかかるものを感じている。いつもに比べると彼女の動きが精彩を欠いていた気がしてならないのだ。しかし常に好調子を保つことの難しさを知っているだけに次の試合ではぜひ彼女の美しい戦いをまた見たいと思っていた。

 

 お一人様ですかと問われて小さく肯き返す。緊張して言葉が出ない。

 普段はべったりとついてくる少女がいるのだが今日は彼女をゆっくり見たいがために撒いてきた。どうにも自分が彼女に興味を示すのが気に入らないらしくむやみやたらと彼女への敵意を燃やしている。一緒に連れてきたら確実に騒動になっただろう。

 彼女のこんなレアな格好を鑑賞する安らぎの時間を邪魔されたくはない。きっと後で盛大に文句を言われるだろうがこれが見られただけで収支は黒字だ。

 ゴルネオは目の前で微笑む少女の温かい雰囲気に包まれて幸福に浸っていた。

 

 

 

 

「キャロルちゃんもだいぶなれたみたいねぇ」

 

 フリル付きスーツを着た青年が微笑みながら話しかけてきた。

 悪趣味一歩手前のスーツとオカマ言葉が妙に似合っているこの店の店長だ。

 本業は服飾関係でこの店は主に可愛い女の子に自分の服を着せるために営業しているらしい。

 

「フェリちゃんもがんばってくれているし。本当に二人に来てもらってよかったわ」

 

 すでに一週間近く働いているが二人はまず優秀と言っていい勤務態度を見せていた。

 最初の数日こそは勝手がわからずにあわあわと慌てていたがそんなものは「新人なら当然」のことらしく特に強くは叱られなかった。

 フェリは当初笑顔を作れないことを少し問題視されたがキャロルが念威繰者の特徴であり短期間で改善させることは不可能だと弁護したら「それじゃあしょうがないわね。いっそクール系でいこうかしら」とあっさり受け入れてくれた。でもできれば笑顔の練習もしてねとは言われたが。

 他のバイトの女子生徒たちもそれなりに親しく接してくれる。やはり当初は有名人ということでどこか距離をおかれていたがそれでも仕事のやり方や上手くやる方法などを教えてくれた。

 親切でいい人たちに囲まれてキャロルは幸せだった。

 少しばかり男性客の視線が気になるが、これも仕事と割り切るようにしている。

 

「機嫌が良さそうですね」

 

 不意にフェリが声をかけてきた。めずらしい。アルバイト中にフェリが話しかけてくることはほとんどなかった。フェリが店長直々に笑顔の特訓を受けさせられそうになったところを弁護したときも「余計なことを」といいたげな目で睨まれた。

 フェリとしては自分の力でアルバイトを成功させたいのだ。それに愛想よく接客しそつなくこなすキャロルをライバル視している節もあった。

 なのでどこか複雑な感情を込めた目で見られることになったのだが、キャロルは気がついていなかった。キャロル自身も初めてのアルバイトに精一杯でフェリの心情まで思いやっている余裕はなかったのだ。

 なので屈託無く答える。

 

「ええ、けっこう楽しいです」

「それはよかったですね。私は正直約束の期間が来たらもう二度と来る気はありませんが」

 

 もともと短期間の応援でありその期間はもうすぐだ。

 

「フェリ先輩はこの仕事はいやでしたか?」

「……やはりこの服が着慣れません。次はもっとまともな制服の場所にしようと心に決めています」

「それは、たしかにそうですね」

 

 確かにこの制服は冷静に考えてみるとやはり恥ずかしい。かすかに苦笑するキャロルにフェリがどこか見透かすような目をした。

 

「機嫌は直ったようですね」

「え?」

「最近あなたが落ち込み気味だと心配していましたよ。だからあなたを誘えと私に頼んで来たのです。気分転換になるだろうと」

 

 誘えと頼まれた? 誰に?

 いや、このアルバイトはシャーニッド先輩の紹介だった。

 

「シャーニッド先輩が?」

「ええ、たいそう気にかけているようでしたよ。あなたは幸せ者ですね。あれほど心配してくれる人がいて」

 

 自分はそれほど落ち込んでいたのだろうか?

 確かに前回の試合は不本意な結果になった。それも自分の手引きの結果だ。

 それを気にしていなかったわけではない。

 それに最近のレイフォンの態度にも苛ついていた。

 口を開けばニーナとの訓練の話ばかり、小隊の訓練でもニーナにつきっきりで一緒にいる時間などほとんどない。

 レイフォンが熱心にニーナを鍛えていることはわかる。その相談相手として話しかけてくれるのもわかる。けれどそれ以外の話がまるでなくなったのはどうしたわけだろう。

 別にそのことを責める理由はない。そもそもニーナに鍛えるように頼まれたのは自分で、それができないからレイフォンが代わりに引き受けてくれたのだ。それを熱心に取り組んでもらっているのだからむしろありがたいとお礼をいうべきなのだ。

 それでも何故か苛つく。

 胸の奥が重苦しくなり八つ当たりしたくもなる。

 それを我慢して、なぜそうなるのかと悩んで。

 それを見抜かれていたのだろうか?

 あの人なら見抜くかもしれない。とも思う。がそれが無性に恥ずかしい。

 

「本当に羨ましいですよ。あなたは周りに愛され心配されて、それが当たり前であるかのように振る舞う。まるでお姫さまですね」

 

 フェリはそう笑った。自嘲するように、嘲笑するように。

 複雑な内心をその瞳に揺らめかせて。

 

「……私にはそんな人はいません。誰も私を気にかけたりしない」

 

 フェリの悲しいような諦めているような寂しげな視線に射貫かれてキャロルはなにも言えなかった。

 

「私はあなたが羨ましい。できればあなたのようになりたかった」

 

 ぽつりと呟くような声を残してフェリは去って行った。

 キャロルはその後ろ姿をただ呆然と見送ることしかできなかった。

 

 彼女がそんな風に自分を見ていたなど想像もしていなかった。

 




お久しぶりな更新です。

しばらく調子が悪くて何も書けませんでした。
気分を変えて別のを書けばいいのではと思ってもやっぱり書けないとぐずぐず落ち込んでいましたが、ようやく書けました。

この作品を書き始めた頃、主人公とフェリを親友にと考えていたはずなのに。
何故かだんだん距離が空いていきます……。

キャロルはフェリが憧れてもおかしくない少女な気がします。
優れた武芸者でありながらそれ以外の生き方も許容し、また出身都市ではそれが許される。
友人に囲まれ、先輩には心配され、上司には信頼されている。才能があり、またその才能を受け入れていながらそれに囚われていない。
客観的に見て『幸せな世界のお姫さま』なキャロルです。

いや、彼女にも悩みはありますし、彼女を敵視する人もいるだろうし、それほど幸せですべての人に認められているわけではないのですが。
まぁ僕が知っていても書かなければわからない話だなぁと一つ学びました。
けど主人公も実は嫌われていますよアピールは正直読んでいてうっとうしいだけなのであまり好きではないのです。
気軽に読めて、すっきりできる小説が僕の理想です。現実は理想にいまだに追いついていませんが。

当初は「私はあなたが大嫌いです」と嫉妬全開で宣言する展開だったのですが、そんなことをしたらフェリのイメージが悪くなると撤回して「羨ましい」程度に修正しました。
それでもフェリの親友ポジションはまだ遠いです。

数ヶ月放置したのにいまだに読んでくれている人がいることに驚きました。
がんばって書き続けたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 隊長はくじけない

 

 片刃でありながら反りがあまりなく、切っ先は両刃になっている特徴的な片手剣が空を斬る。

 力みのない体勢から繰り出された斬撃はそよりとも風を動かさずに目の前の空間を斬り捨てた。

 

「おもしろい訓練ですね。これは」

 

 自然体の斬撃をはなったキャロルは鉄球の上に立っていた。その足は床を踏んでいない。

 拳よりも小さな鉄球が第十七小隊の訓練所に無数にばらまかれていてキャロルはその上にごく自然に立ちながら剣を振るっていた。

 

 球形の物の上に立つなどよほどのバランス感覚がないと不可能だ。立てたとしてもふらふらと不安定なものになるだろう。

 キャロルも当初は困惑したがすぐになれた。もともと重心制御の技術は剣術の基礎として父に叩き込まれている。これがその応用技術であると気づいてしまえば大地を踏みしめて立つのと大差ない安定感を得るのに時間はそれほどいらなかった。

 

 それを見てこの訓練法におおいに苦戦したニーナはどこか虚ろな苦笑いを浮かべた。

 

「やはり天才というのは違うな」

「いえ、これは基礎的な技術ですからあまり才能は関係ないですよ。日頃の鍛錬の結果でしょう」

 

 凡才と天才の差を感じて力落ちしたニーナにこれは積み重ねた努力の差だとレイフォンが口を挟む。

 きっと彼女はその基礎を徹底的に叩き込まれていたのだろうと。

 

「これが私とおまえたちの差か。一騎打ちで勝てるはずもないと思っていたがこういった基礎から差がついていたのだな」

 

 きっと幼い頃から自分よりよほど厳しい訓練を受けてきたのだろう。

 少し危なっかしい雰囲気ながらも鉄球の上に立つニーナはほろ苦く現実を噛みしめた。

 目に見えてわかる技術で劣っているのははっきり自覚していたがこうした目に見えにくい基礎技術でも差があったと知ればもう言葉もない。だが負の感情は少ない。今は差が大きいが自分もしっかりと鍛え直せば少しでも差が埋まることをここ最近の訓練で自覚していたからだろう。

 

 レイフォンへの師事は正解だったとニーナは確信している。

 基礎訓練ばかりやらされたことに最初は不満を持ったものだが、やってみれば自分がいかに基礎をおろそかにしていたかがよくわかる。いや自分なりに基礎はおさめたつもりだった。だが本当に「つもり」でしかなかったのだと思い知らされた。

 訓練を受ける前と比べて攻撃の振りや防御する受けの姿勢が以前より遙かに安定してきたのだ。

 鉄鞭を振り回す腕は以前よりもコンパクトになり速度と威力が加わった。敵の攻撃を受け止める防御はより重くなりそう簡単に押し負けなくなった。足運びはより軽快になり動きに機敏さとキレが加わった。

 訓練の結果自分の実力が順調に伸びていくことにニーナは感動すら胸の内にわき起こったものだ。自分一人で自主訓練をしていてはこうはのびなかっただろう。

 

 レイフォンの訓練が予想以上に効果的だとニーナは実感し、その訓練法を小隊の訓練に取り入れることをレイフォンに提案するのに躊躇はなかった。どうせなら小隊全体のレベルアップをはかるべきだと判断したのだ。

 

 そして放課後の訓練室で第十七小隊はレイフォンの指導による特別訓練を受けていた。

 この『鉄球の上で立つ』というのはその基礎訓練だ。

 

「おおっと、こりゃ意外と大変だ。おわっ、あっぶねー」

 

 シャーニッドはおっかなびっくり鉄球の上に立っている。普段飄々とした彼のうろたえる様など実に珍しい。フェリは「念威繰者ですから」と訓練を拒否した。まぁ彼女がこの訓練をする理由は低いから仕方がない。

 

 キャロルはすぐにコツを飲み込み、レイフォンは当然のように普通に立っている。というか彼の場合はこの状態でも平然と剣を打ち合えそうだ。

 

「やはり二人は傑出しているな」

 

 そんな二人の姿に悔しさを感じないと言えば嘘になる。だがそんなふうに妬むぐらいならば彼らから技術を吸収した方がよほど為になるとニーナは割り切っていた。もっともそう割り切れるまでに自室で一人百面相やら転げ回ったりやら醜態をさらしたが、誰も見ていないのだから問題はない。ニーナはむろんその事実は誰にも明かすつもりはなかった。出来れば墓まで密かに抱えていきたい。

 

「これから私たちは強くなる」

 

 そう無条件に信じられた。いつかレイフォンの隣で戦えるほどになれたら、いやそこまではいかなくてもせめて足を引っ張ることはないようにしたい。汚染獣でも襲ってこない限りは実現可能な目標だろう。対抗試合も都市戦も相手はニーナと同じ学生武芸者なのだから。

 

 まさかレイフォンやキャロルのような一流レベルが他の都市にいたりしないだろうかと少し不安に思った。絶対にいないとは言い切れないが可能性は少ない気がする。

 言っては悪いがこの年齢であの強さは化け物級だ。大人だってかなわないだろう。そうそういるとは思えない。

 それを考えるとこの二人が他の都市に留学して敵としてあたらなくて本当に良かったと思う。正直敵にしたら勝てる気がしない。

 

「む?」

 

 ふとニーナは違和感を覚えた。

 なんだろうと周囲を見渡す。レイフォンはいつも通りだ。どこかぼんやりしているように見えて実は周囲によく気を配っているのがわかる。シャーニッドはなれない訓練に四苦八苦している。いやそういえば彼は最初やけにキャロルを気にしていなかったか? キャロルは無心に剣を振るっている。無心? そうだろうか? 彼女は訓練の時あんなに張り詰めた顔をしたことがあっただろうか? フェリはフェリで周囲のことなど気にならないと言わんばかりに椅子に腰掛けて本を読んでいる。いつものことだと視線をはずしかけて彼女がちらりとキャロルの様子をうかがったことを目にとめる。

 あまり他人の感情の動きに敏感な方ではないニーナもどこか空気がおかしいことに気がついた。

 

 レイフォンとの訓練にかまけていて最近は小隊の把握をおろそかにしていた。きっとなにかあったのだろう。後でシャーニッドにでも聞いてみるかと考える。

 自分が他人の感情の機微にうといという自覚はある。そんな自分が闇雲に動くより意外に細かな気配りのきく小隊の最年長者の意見を聞くべきだろう。

 以前なら隊長である自分こそがそれをやるべきだと使命感に燃えて突き進んだだろうが、レイフォンとキャロルという優秀すぎる部下を抱え込んでいろいろ悩んだ結果考えを変えた。

 自分がなにもかもやらなければならないという事はないのだと。

 必要ならば仲間の力を借りてもいい。自分より優秀な人物がいるのならば力を借りることは悪い事ではない。

 そうとでも思わなければ自分よりはるかに実力のある部下をどう扱っていいかさっぱりわからない。

 今でも正直、彼らの隊長として自分がふさわしいと胸を張ることなど出来ない。というかそんな人物ツェルニにいるのだろうか? いたら会ってみたい。きっと自分など足下にも届かない素晴らしい人物だろう。

 

 ふと腹黒生徒会長が眼鏡を光らせてほがらかに笑う光景が浮かんだが、アレは少し違う気がする。きっと二人もアレを自分の上司にふさわしいと全面的に受け入れるのには抵抗があるはずだ。優秀なのは認めるがなにかとやり口が反発を感じさせるのは問題だろう。

 少なくともニーナはカリアンを生徒会長として認めてはいても理想の上司かと言えば明確に否定する。能力はあり人望もある。だがやはり反発がある。胸の内で「もう少しやりようがあるのではないか」とぼやく羽目になるのだ。それもしょっちゅう。

 

 武芸においてツェルニのレベルを鼻で笑えるくらいに隔絶している二人だが、当然のように完璧なわけはなく冷静に見てみると意外に人間面では不安定な事に気がつく。

 レイフォンは武芸の面では文句のない人材だがそれ以外に目を向けるととたんに平均を割る程度の男になる。グレンダンで事件を起こしたのも彼の未熟さの証明だろう。人品卑しいわけではないがあまり頭の回らない男ではある。

 キャロルも容姿端麗、武芸優秀と欠点などない完璧超人に見えがちだが身近に付き合ってみると欠点が目に付くようになる。

 どうも彼女は人との付き合いに苦手意識があるらしく、他人とのコミュニケーションが上手くない。きっちりとした目的意識があればいくらでも饒舌になれる人物だがそうでない日常の何気ない会話など何度も言葉をためらいながらようやく口に出している場面が最初の頃はよく見られた。聞いてみれば故郷では友人というものがいなかったらしい。ニーナも友人が多い方ではないが世間話程度は簡単にできる。それすら困難というのはいささか問題に思えた。

 武芸も一流で小隊の運営も詳しい。自分より隊長にふさわしいと一時期思っていたが今では彼女に小隊員をまとめる事ができるかというと疑問を感じる。

 小隊員は武芸科のエリートだ。当然自意識が強く、個性の強い人材も多い。大人の武芸者ならば私的な内面を押し殺して従ってくれるかもしれないが学生武芸者にそこまで大人な態度を求めるのは無理だろう。人との接し方が不器用に見える彼女がそれをやるには相当な努力が求められる事になる。レイフォンと衝突した自分がでかい態度で言えることではないが。

 

 他にも欠点はいろいろある。

 レイフォンは周囲のことに無頓着で鈍感だ。一人の武芸者としては一騎当千でも周囲との協調性だとか人間関係の調整能力は欠落している。キャロル以上に小隊長などの人をまとめる立場は不向きだろう。

 キャロルは大人びて見えるが素の顔は意外に幼い。普段は背伸びして自分の役目を果たそうと努力しているのだろうが、精神面でまだ幼く頼りない一面が見える。言い替えれば人生経験がある方面で足りない。

 

「二人を鍛えるのも私の役目か」

 

 武芸に関しては二人に鍛えられる立場だが、他の面では自分は二人のよい相談役であり先達でなくてはならない。泣き言や恨み言を言っている立場ではないのだ。

 

「精進せねば」

 

 ニーナはなにやら問題を抱えていそうな後輩を慈しむような目で見つめて一層心身を引き締めた。

 

「うぉお!」

 

 みなぎらせた決意に水を差すように足下の鉄球が転がり身体が宙に投げ出される。

 気負ったのが悪かったらしい。やはりまだ意識していないとバランスがとれない。レイフォンが言うには無意識の自然体で立っていられるようにしなければならないそうだから先は長い。

 情けないと思いつつ、いやこれから努力していくのだと意気込みながら再び挑戦する。

 

 ニーナ・アントークはくじけない。

 くじけている暇はない。

 落ち込むのは寮の自室に帰ってからだ。あそこならどれだけ羞恥に転げ回ろうとも誰の迷惑にもならないし恥をかくこともない。

 

 ニーナ・アントークはくじけない。人目のあるところでは特に。

 

 

 

 さてなんと声をかけたものか。

 訓練後シャワーで軽く汗を流し、タオルでキャロルの髪を拭ってやりながらニーナは必死に頭を働かせた。

 フェリはシャワーも浴びずに帰ってしまった。いつものことだ。なんでも「不埒な輩に覗かれそうでイヤです」らしい。キャロルもそんなことを聞けば嫌がるかと心配したが彼女は逆に信頼しているらしい。

 

「シャーニッド先輩は本当に女性が嫌がることはやらない気がするし、レイフォンはそもそもそんな根性はないでしょう。願望くらいはあるかもしれませんがきっと行動できないタイプです」

 

 なにげにシャーニッドの評価が高い反面レイフォンの評価がひどいことがニーナは意外だった。レイフォンとは実力が近く仲もよいからもっと評価が高いかと思っていた。

 だがなんだかんだ言いつつキャロルが二人を信用していることは嬉しかった。同じ小隊の仲間を痴漢扱いするよりかはニーナ的に正しいことだ。

 

「なにかあったのか?」

 

 思い切って正面突破。残念なことに絡め手はなにも思いつかなかった。小隊長としてはもう少し思考の幅を広げなければならないなと反省する。やはり先にシャーニッドに相談するべきだったかとちらりと後悔した。

 キャロルはうすうすなにか聞かれると身構えていたのかとくに動揺はしなかった。

 

「なにかあったのなら相談ぐらいはのる。こう見えても私はおまえより年長者だぞ。まぁ説得力に欠けるかもしれんが」

 

 実力で及ばず。以前小隊長や武芸者としてのありようで説教された身だ。頼りないと思われてもしかたがない。

 

「たいしたことではないのです」

「そうか」

 

 そう言われればそうとしか言いようがない。自分の不器用さに頭を抱えて唸りたい。これではキャロルのことを言える立場ではないではないか。

 

「私は……」

 

 キャロルの口から漏れた小さな声にニーナは意識を切り替えた。自省は自室に戻ってしっかり鍵をかけてからすればいい。万が一あの状態の時に寮の誰かが扉を開けたら、自分は死を覚悟するかもしれない。

 

「私はフェリ先輩が理解出来ている。いえたぶん小隊の誰よりも理解出来ているとうぬぼれていました」

 

 妙なことを言いだした。さて彼女とフェリは親しかっただろうか? 隣近所なのだから親しかったのかもしれない。

 

「母が念威繰者だから、念威繰者のことは理解しているから、フェリ先輩のこともわかるとそう思い込んでいました」

 

 初めて聞いた事実だが身内に念威繰者がいるのならば念威繰者であるフェリのことを身近に感じても不思議はない。

 

「でも私はなにも理解していなかった……」

 

 力ない口調に彼女の苦悩が感じられる。それほど悩むことなのかとも疑問に思うが彼女にとって「理解出来ていた」という考えが思い込みに過ぎなかったと知ることはそれなりに衝撃だったのだろう。

 フェリ・ロスの常に変わらぬ無表情なすまし顔を思い描きニーナは自然と眉をしかめた。

 

「アレを理解するのは相当骨だぞ? 隊長である私が言うのは本来違うのかもしれないが、実際アレは理解しがたい面があるからな」

 

 ニーナとてフェリを理解しているとは思っていない。なにしろ向こうが相互理解や歩み寄りの姿勢を見せないのだから、せいぜい優秀な念威繰者でやる気があまりない美人程度しか知らない。あとは生徒会長の妹だが兄を嫌っているらしいというのは察しているぐらいか。

 話しかけてもろくに会話の続かない相手を理解するのは難しい。結局ニーナに出来たのは最低限のコミュニケーションを取りつつ深入りはしない程度だ。

 あまり深入りしたことを口にするとフェリはあっという間に不機嫌になってこちらの言葉を受けつけなくなる。きちんと念威繰者の仕事をしてくれるならそれでいいと放置するしか手がない。

 小隊は友達の集まりではない。馴れ合うことがなくてもきちんと役割を果たしてくれるのならばそれでいいとニーナは割り切ることにしたのだが彼女はどうも違うらしい。

 

「なにか言われたのか?」

 

 ニーナの問いにキャロルは答えなかった。

 これは意外に根が深いのかもしれんと頭痛すら感じた。前線を支えるエースと念威繰者の不仲など隊長としては想像したくない。共に小隊の要だ。二人の諍いが試合などに思わぬ影響を与えないと考えるのは楽観視だろう。それほど感情というのは始末のつきにくい上に影響力が強い。

 

「ともかくその気になったら相談には乗るから話したくなったら話せ、こんな未熟者だが私はおまえたちの隊長なんだからな」

「……ありがとうございます」

 

 はっきりとしたお礼の言葉に彼女が嬉しそうに微笑んでいる空気を感じた。

 少しは隊長らしき事ができたなら良いのだが。

 やはり先にシャーニッドに相談すべきだったか、やはり自分はこういうことに向いていないらしい。しかし向いていないからと努力を怠るわけにはいかない。

 なにかしら手を考えるべきだろうか。

 

 

 

 

 翌日、シャーニッドに会いに行きキャロルとフェリがなにかあったらしいことを伝えると彼は自分が少し話してみると言った。だがニーナは自分が話を聞くと主張した。キャロルもフェリも女性だ。男性であるシャーニッドに女同士の交友関係のトラブルは話しにくいだろう。

 しかもフェリはシャーニッドを嫌っている。まだ自分の方が話が出来るだろう。

 心配するシャーニッドになにかあればすぐに相談すると約束してニーナはフェリの元へ向かった。

 

「大丈夫なのかね。うちの隊長」

 

 シャーニッドの心配はどちらかといえば妙に張り切りだしているニーナに向けられていた。どうもやる気が空回りしているように見える。自覚なしに暴走するのが自分たちの隊長だと把握しているのでかなり不安になる。

 

「俺もそれとなくフォローするか、レイフォンの時のようなことはごめんだしな」

 

 まっすぐで気持ちの良い人物だとは思うが、あまり器用な人間ではない。全面的に信頼するにはどこか不安がある。せめてもう少し余裕をもって周囲を見ることが出来ればかなり安心出来るのだが。

 なんで俺がこんな気を回さなければならないんだと嘆きながら、またなにかトラブルを起こしたらしい後輩のことを思って少し呆れた。

 

「うちのお姫さまはどいつもこいつも……」

 

 自覚のない暴走女に毒舌ツン娘、そして頼りになるのか頼りないのかわからない純真無垢なお姫さま。騎士役の男は腕っ節なら最強でも不器用でまったく頼りにならない。

 小さく肩を落としてシャーニッドはまた一波乱あるのを覚悟した。

 

 

 

 足早に校舎内を移動し、教室でつまらなそうに本を読んでいたフェリに話しかけキャロルとなにかあったのかと聞くと彼女は少しばかり不愉快そうな顔をしたあと何でもないことのように言った。

 

「彼女が羨ましいと言っただけです。隊長にどうこう言われることではありません」

 

 どうやら余計なことに首を突っ込んだと思われたようだ。

 

「隊長は余計なことに気を使わずに訓練でもしていたらいいでしょう。ただでさえ弱いのですから」

 

 にべもない拒絶と批判をくらってすごすごと退散したニーナはどうしたものかと途方に暮れた。相談に乗ろうと思っていたら手厳しく拒絶された。よく考えてみればあのフェリが素直に胸の内を明かしてくれることを期待する方が間違っていたと気がついたのは放課後になってからだった。

 

「私は馬鹿なのか……?」

 

 思わず頭を抱えてしまう。少し考えればわかることではないか。

 武芸者として道を示すことが出来なくてもよい隊長に、よい先輩になろう。

 そう情熱を燃やしていたが、あいにくやる気だけでは対人関係はどうにもならない。根性出せばどうにかなるものではない。

 

「どうしたらいい……」

 

 とりあえずシャーニッドに相談しようと思いつくまでニーナは頭を抱えたまま固まっていた。

 




更新遅くなりました。
なかなか書けなかったのですが、方向性をかえたらあっさり書けて驚きました。

今回ニーナ視点が多いです。
そういえばニーナはあまり書いていないなと思って書いてみました。

面倒見がよくてよい隊長だと思うのですけどね。原作でレイフォンが依存しきるぐらいには。
どちらかといえば主人公体質だなと思います。
原作でもなんか廃貴族つけて活躍しましたしね。
使命に燃え、努力を欠かさず。そして未知の力を手に入れる。
……やっぱり主人公っぽいですよねぇ。

うちのニーナはよい先輩であろうとがんばる年長者です。シャーニッドが自然に年長者として振る舞うのとは逆に意識してそうであろうと努力するのがニーナです。
努力ってニーナによく似合う気がします。あと根性も。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 フェリと

 

「あの時言ったことは気にしないでください。たいして意味のないただの愚痴ですから」

 

 朝登校しようとしたキャロルを待ち構えていたかのようにさえぎってフェリはそう告げた。

 マンションの玄関口で目を白黒させながらキャロルはそんなフェリに目を向ける。

 いつもと変わらない制服姿にどこか不本意そうなへの字口。かなり不機嫌そうだった。少なくともすすんで後悔から謝罪に来たという雰囲気ではない。

 

「なにかあったのですか?」

「しらないのですか?」

 

 聞き返されたが特に心当たりはない。

 フェリはひどく重たいため息を吐くと事情を説明しはじめた。

 

「昨日隊長が私の所に来ました」

 

 話を聞くとニーナはフェリと自分がトラブルでも起こしたのかもしれないと心配してフェリに事情を聞きに行ったらしい。すげなく追い返したらしいが。

 

「うっとうしいことこの上ないので問題を解決してしまうことにしました。あなたも変に気に病んでびくびくしないでください。私は気にしてません」

 

 問題が解決されるまできっとあのやる気のみなぎっている隊長はつきまとうにちがいないのだからとうっとうしそうに首を振る。

 どうやら自分がニーナに軽くもらした言葉で迷惑をかけたらしい。

 

「すみません。隊長に少し愚痴をいってしまって」

「気をつけてください。あれはお節介でうっとうしい人間なのですから」

 

 心底うんざりしたらしい。ニーナはいったいなにを言ったのだろうと恐ろしくなった。

 話はそれだけですとフェリは身を翻して去って行こうとした。慌ててその後を追いかける。

 

「なにか用ですか?」

「ついでですから一緒に学校に行きませんか?」

 

 勇気を出してそう提案する。思わず緊張して背筋が伸びていた。

 そんな後輩の様子になにを物好きなといいたげな目でフェリは一睨みする。が、結局は「かまいません」と鷹揚に承諾した。特に断る理由もなかった。

 

 キャロルはどこか不機嫌そうな彼女の隣を歩き、そして言葉に詰まった。

 

 なにを話していいかわからない。

 

 もともと自分から会話を振るという行為が苦手だ。ミィフィたちとだって大抵彼女たちの会話に乗っかる形でなんとか参加できている。

 メイシェンは引っ込み思案を恥じ、そんな自分と親しく話してくれるキャロルに感謝している節があるがキャロルはメイシェンを笑うことなど出来はしない。自分だって同類に近いのだから。むしろキャロルの方が感謝したい。実際親しい友人はミィフィたち三人娘しかいないのだ。

 

「あの時言ったことは本心です」

 

 唐突にフェリが口を開いた。

 

『私はあなたが羨ましい。できればあなたのようになりたかった』

 

 誰からも心配されて愛されている。

 自分にはそんな人はいない。

 

 なにを言ったらいいのか言葉が浮かばない。そんなに恵まれてばかりではないと言えばいいのだろうか? それで彼女は納得するのだろうか。

 悶々と思考する。こうして考えすぎるから他人と話すのが苦手なのだと本人は気がつかない。

 

「私はあなたが羨ましかった。今でもそう思います。けれどあなたに当たるのはただの八つ当たりだったと反省してもいます。人が自分と違うのは当然のことなのですから」

 

 フェリはキャロルに視線を向けてかすかに頭を下げた。

 

「あなたがあれほど思い悩むとは思いませんでした。正直意外です。あなたはもっと物事に動じない強い人だと思っていました」

 

 だからといって八つ当たりしていいというわけではありませんがと続ける。

 心底自分の醜態を悔いている様だった。眉を寄せて今にも呪詛を吐きそうな目をする。

 

「醜態でした。いくらストレスがたまっていたとはいえ、この私があんな愚劣な……」

 

 よほど自分の行為を見苦しいものととらえているのか、フェリは怒りさえにじませて震えた。

 そこまでの事とは思わないのだが、どうもフェリ的には自尊心の許さない愚行だったらしい。

 

「仕事を辞めた後、じっくり考えましたがやはりあの行為は見苦しかった。あなたには迷惑をかけてしまいました。人に頼まれたとはいえあなたを巻き込んだのは私であるのに」

 

 いいえ、気にしていません。だから気にしないでください。

 そう言うのが適切であるだろうとわかっていた。けれどキャロルはその言葉を口にする事ができなかった。

 胸の内にある重く暗いものがざわめく。それはフェリにあの言葉をかけられてからずっとキャロルの胸にたまっているネガティブな感情だった。

 

「フェリ先輩は私が羨ましいですか?」

「そう言っているでしょう?」

 

 不思議そうにそう問い返される。

 

「便利な戦力、便利な手駒。どこに行ってもそんな扱いをされる。それほど羨むものでしょうか?」

 

 キャロルは自虐的な笑みを浮かべた。そのらしくない暗さにフェリは思わず目を見張る。

 

 そういえばと思わずにはいられない。確かに目の前の後輩は人に恵まれてはいる。けれどその立場はどうか。故郷では英雄扱い、それは裏を返せば都市の都合の良い戦力としてみられたということだろう。汚染獣、戦争、強い武芸者を都市は歓迎する。そして利用するのだ。都市と都市に住む人間を守るために。

 

 そしてツェルニに来てどうだったかわざわざ思い返すまでもない。彼女をツェルニを守る戦力として利用しようとしたのは自分の兄カリアンだ。

 その妹が、事情をすべて知っている自分がなにも知らぬ顔で彼女に言ったのだ。

 

「おまえは恵まれている」と。

 

 戦力に数えられているのはフェリも一緒だが、なにしろ首謀者の妹だ。兄と一緒くたに恨まれても本来文句は言えないとフェリは思う。兄は兄、自分は知らない。そんな顔を出来るほど面の皮は厚くないつもりだ。

 いまさらながら自己嫌悪で死にそうだ。出来れば過去に戻ってあの時の自分を拉致して余計なことを言わせないようにしたい。

 

 暗い空気をまとって顔を伏せたフェリにキャロルも言葉が過ぎたと感じて落ち込んだ。なんで自分はこうダメなのだろう。不快にさせるつもりはなかったのに。

 

「……ごめんなさい、言い過ぎました。忘れてくれれば嬉しいです」

「いえ、そうですね。あなたを便利な手駒にしているのは私の兄ですね。あなたが怒るのも当然です」

 

 胸の内で兄を罵倒しながらフェリはまた頭を下げた。彼女は彼女の目的があって学園都市に来たのだ。表面上従順に従っているが、それはカリアンの目的に共感したわけではないだろう。都市の最高責任者の命令に逆らえるはずもないのだ。内心がどうあろうとも従わざるを得ない。

 そう考えれば彼女も自分と同じように不本意な学園生活を送っているのだ。

 

「あなたも苦労しているのですね」

 

 フェリは重苦しい空気のなかでしみじみと呟いた。同類だと思うと何故か以前よりも彼女が身近に感じられる。同族意識というものかもしれない。

 女二人で朝の通学中から暗い空気を振りまいてお互い申し訳なさそうな顔をしている。幸福というものが人間の周りを飛びまわっているとしたら自分たちの周辺からは一匹残らず逃げ去っているだろう。

 

「やめましょう。朝から気が滅入ってきました……とにかくお互いがんばるとしましょう」

 

 それはフェリの精一杯の励ましと和解のサインだった。それに気がついたキャロルはこの人も不器用そうではあるなと同類を見た様な気持ちで彼女に同意した。

 

「お互いいろいろ大変そうですけど、がんばりましょう」

「ええ、そういえばまだアルバイトは探すつもりですか?」

「フェリ先輩も?」

「今度はもう少しまともなところを探します」

「店長さん。いい人だったんですけどね」

 

 変なセンスとオカマ言葉の人だったが、店長はいい人で店のスタッフも親切だった。あれで制服がもう少しおとなしければずっと働いてもいいと思ったかもしれない。

 

『また助っ人で来てちょうだい。なんならずっと働いてもいいから』

 

 期限が終わるときにそう笑顔で誘ってくれた店長。本当にいい人だと思う。あれで制服さえもう少しまともならとキャロルは残念がった。正直アレは恥ずかしすぎて羞恥心ががりがりと音を立てて削れていくのが聞こえてくるようだった。体力的にはまったく問題ないが精神的疲労がひどいことになる職場なのが本当に残念だ。

 

「今度はアルバイト経験ありになりますから条件が少しよくなるはずです」

「短期ですけど経験者には違いないですね。でもそれって同じような職種じゃないと意味がないのでは?」

 

 またウェイトレスをやるのかと問われてフェリはかすかに頬を引きつらせた。正直ウェイトレスはもういやだ。自分には向かないと痛感している。なぜ仕事で笑顔を振りまかなければならないのだろう。食事をしたければ食べればよい。休憩するのならば多いに休め。ほら自分が笑顔になる必要性はない。

 

「まぁ時間はあります。検討しましょう」

「そうですね。時間はありますし」

 

 なにせ六年間通うのだ。時間などいくらでもあるだろう。フェリも先輩とは言えまだ二年生だ。卒業までいくらでも時間がある。

 気がかりと言えばもうすぐ都市戦が始まるらしいことだろう。対抗試合もそのためにやっているのだから。

 

「都市戦が始まったら忙しくなりますかね?」

「さぁ、私は知りません。都市に出会ったら戦えばいいのではないのですか? 私はそれ以上する気はありません」

 

 さすがにフェリも都市戦には詳しくないらしい。前回の都市戦を経験していないのだから当然かもしれないが。

 そのあたりはカリアンかニーナに聞くべきだろう。カリアンは最高学年で都市の責任者、ニーナは前回の都市戦の経験者だ。きっと詳しいだろう。

 

「あなたは都市戦に不安はないのですか? それともどうでもいいのですか?」

 

 あまりに平然としていたためにフェリにはそれが自信なのかそれとも無関心なのかわかりかねたようだった。

 

「レイフォンと私がいてフェリ先輩が情報をくれるなら負けはしないでしょう。私並みの実力者が向こうにいれば別ですけど。数は互角なのですから破格の個人戦力を持つツェルニが普通に有利です」

 

 都市戦は軽く聞いた限りではフラッグを落とせば勝利らしい。レイフォンと自分なら障害を蹴散らしてまっすぐフラッグを落とすことも出来るだろう。罠や敵の情報はフェリがいれば問題ないはずだとキャロルは考えている。

 

 汚染獣を倒すよりかは数百の学生武芸者の方が気楽だ。

 数の暴力という言葉はあるが、突き抜け過ぎた戦力は頭数を意味のないものにしてしまいかねない。数の暴力とは最低限の質で追いすがっていなければ成り立たないと思う。汚染獣戦で未熟な学生武芸者がどの程度役に立つかと想像すれば汚染獣に傷一ついれられずに蹂躙される様子しか思い浮かばない。キャロルには納得できる話だ。

 ましてや都市戦は二人だけで戦うわけではない。極端な話ツェルニの他の武芸科生徒をすべて防衛につけて敵の侵入を防ぎ、レイフォンとキャロルの二人を突貫させれば勝ててしまうだろう。

 

 そんな話をかいつまんでするとフェリはかすかに笑ったようだった。

 

「レイフォンとあなたは汚染獣並みですか」

「その気になれば大怪獣並みに暴れ回れますよ。たぶん」

 

 きっと二人に突撃されたら大怪獣に強襲されたようなものだろう。迎撃しようにも軽く蹴散らされ、学生武芸者のなかでエースと誇る腕自慢が次々に宙を舞う光景はパニックすらおこしかねない。

 カリアンにはそれを期待されているのだろうが、相手の都市には気の毒なことだろう。大怪獣を二匹放り込まれただけで負けてしまったらきっと納得できないに違いない。

 

 そこまでやって良いのだろうかと不安に思う。

 対抗試合に注文はつけられたが都市戦で手加減してくれとはまだ言われていない。そしてたぶん言われない気がする。

 少なくとも最初の一戦は『勝ってくれ』としか言われないだろう。そこでやりすぎだと判断すれば第二戦からは『もう少し控えめにお願いするよ』と言われるかもしれないが。

 

「あの兄が敵に容赦するなどありえません。勝つために確実な方法を選ぶ人です」

 

 フェリがそう断言する。

 すなわち大怪獣襲来による蹂躙戦がおこなわれる可能性は極めて高い。と実の妹が保証した。

 

「そうなったらいよいよあなたはツェルニの英雄ですね」

「いやなことをいわないでください。これ以上目立つのはイヤです」

 

 キャロルは眉を寄せて抗議した。自分はこのツェルニに人間関係を学ぶために来たのだ。断じて名を売り有名になるためではない。

 もはや手遅れのような気もする。最初からもっと上手く実力と経歴を隠すべきだったのだろう。そう後悔してももうどうしようもない。

 書類に余計なことを書いた都市上層部とそれを目敏く見つけたカリアンとなにも考えずに故郷の戦歴を語ってしまった自分が恨めしい。

 

「なんならすべてレイフォンに押しつけてしまえばいいじゃないですか。あれはあなたより強いのでしょう?」

 

 フェリはそううっすらと笑う。キャロルとしてはそれも悪い気がする。

 でも最近のレイフォンの態度を思うにそれぐらいしてもかまわない気にもなった。

 そういえばレイフォンと遊びに行ったのはあれが最初で最後だ。それからはまったく誘われていない。どういう事だろう?

 

「レイフォンは……最近訓練が楽しそうですね」

「弟子をとって浮かれているのでしょう。師匠気取りでいいご身分ですね」

 

 どこかほの暗いモノを感じさせるキャロルをおもしろがるようにフェリの口調に笑みが含まれる。本当にこの後輩は見ているだけならおもしろい。

 確かに後進の指導はやりがいのある仕事だと聞いたことはあるが、それにかまけて友達をないがしろにするのはどうだろう。もし自分がレイフォンの恋人だったらひっぱたくくらいしても誰も責めない気がする。

 

「フェリ先輩……」

「なんです?」

「なんだか無性にレイフォンを殴りたくなりました」

「……そうですか」

 

 おとなしそうな顔に物騒な笑顔を浮かべる。

 そんな様子に少し引いたフェリをみてキャロルは頭の片隅でふとした疑問がわく。

 

 フェリ先輩と自分ははたして友達なのだろうか?

 

 仲がよいといえば悪くはないと答える。

 付き合いがあるかといえばそれなりに。

 共通の話題もあるといえばある。アルバイトに誘ってくれる程度には親しいのだろう。たぶん。

 

 でもここで「私たちは友達ですよね?」などと聞いたらあの馬鹿を見るような目で一撫でされたあと『なにをくだらないことをいっているんだ』と呆れられそうだ。

 でも実際どう思われているのか非常に気になる。

 

 どうする? どうする? と悩む。

 

「あの馬鹿はがつんとやらないときっとわからないでしょう。がんばることです」

「あ……はい、そうですね」

 

 世間話をしながら並んで歩く二人は普通に友人同士に見えた。

 

 

 

 

 そして小隊内の人間関係のトラブルに悩んでいた小隊長が仲良く登校するフェリとキャロルの姿を目撃して自分の苦悩はなんだったのかと落ち込むことになる。

 

「まぁ、女なんてそんなものだ。あまり深刻にならない方がいいぞ」

「私も女なのだが……」

 

 シャーニッドのアドバイスに憮然とするニーナだった。

 




当初は親友を想定していたのに、どこかつかずはなれずなキャロルとフェリです。

友情を結んだわけではなく。面倒ごとを避けるための関係修復。
打算的です。物語にいやな現実を持ち込んだ気分です。

キャロルには親友がいないのですよね。
こう、女の子が主人公の小説なら同性の親友がいてなにかとバックアップしてくれたり引っかき回したりというのは定番なのではと最近思いましたが。
そういうキャラがいません。強いていえばミィフィか?

フェリは一歩離れたところで無言で見ているイメージです。そばに立っていろいろ世話してくれるには友好値が足りません。序盤の選択肢できっとミスしました。

そしてレイフォンに対する不満が徐々にキャロルのなかでつもっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 我が都市を救うために

 実況を担当する生徒の意外そうな叫びが響く。

 

『おおっと!! これは予想外の展開だ! 今まで第十七小隊の攻略法として鉄板だった方法をあえて無視して第十小隊と第十七小隊のエースたちとの正面決戦!! これは第十小隊の自信の表れか!?』

 

 試合会場にその叫びが響き渡り、観客である生徒たちがどよめく。

 ある意味当然かもしれない。今まで第十七小隊に勝つためには二人のエース。レイフォンとキャロルをいかに戦力として無力化してフラッグもしくはニーナを狙う展開が多かった。極端な場合ほぼ全戦力をニーナに叩きつけてきた試合もある。

 

 それらの戦法で各小隊は第十七小隊から勝ちを拾ってきたのだ。第十七小隊の攻略法としてもはや定番となっていた。試合の見所はその思惑をいかに第十七小隊の隊長であるニーナがいち早く看破し正しく対処することでその思惑を阻むかという隊長としての指揮能力が最大の見所になってきていた。

 

 エースに対してエースで挑むというある意味普通の展開は第十七小隊に対してもちいた試合はそれこそ最初のうちだけだ。すぐに各小隊は『それでは勝てない』と事実上第十七小隊のエースに対して普通に勝つという選択肢は捨ててきたのだ。

 

 久し振りに実現したエース同士の激突に観客がどよめき歓声をあげるのも仕方がない。

 

 

 キャロルの前には豪奢な金髪をした美しい女性が突撃槍を構えて立っている。第十小隊の副隊長ダルシェナ・シェ・マテルナだ。

 その攻撃力、突破力には定評があり彼女の突撃を止められる者などいないと評判の第十小隊のエース。

 おそらくレイフォンの元には第十小隊の隊長自らが挑んでいるのだろう。

 

 承諾した以上は命令は遂行する。それはキャロルにとって当たり前のことだ。

 あとのことはすべて任せろとカリアンも請けおってくれた。

 自分がここで期待されていることは一つだけ、でもそれでも困ることがある。キャロルはこの『命令』をどのように実現したらよいか実はわからなかったのだ。

 

「一騎打ちを望みたい。受けてもらえるな?」

「はい。頼まれましたからね」

 

 そう答えるとダルシェナは少し複雑そうに笑った。

 

「期待している……私たちではなくお前たちがツェルニを守れる実力があるという事を証明して見せろ!」

 

 そう叫び大型の突撃槍を構えて突進する。その勢いと速度、気迫は並の武芸者ならば何人立ちふさがろうと蹴散らすと全身で主張していた。

 

 少しだけキャロルは感心した。

 確かにこの突撃ならば、大抵の相手には負けないだろうと。

 

 そして思った。

 また面倒な事になった気がする……と。

 

 

 

 

「俺はお前達の本当の実力が知りたい。だから頼む。俺に見せてくれ。そして信じさせてくれ。お前達がツェルニを守れる人物だと」

 

 真摯な態度で向き合い。そう頭を下げた先輩の姿が忘れられない。

 

 第十小隊小隊長ディン・ディー。戦闘能力よりもむしろその頭脳をこそ評価されているタイプの武芸者だ。あのカリアンが認める頭脳というのだから並ではないのだろう。

 その戦闘能力も低くはない。むしろツェルニでは上位だろう。でなければ小隊長などつとまらない。

 

 試合の前日にわざわざ会いに来た彼はそう言ってキャロルとレイフォンに頭を下げたのだ。

 本当の実力を知りたい。そして信じたい。ツェルニを守る実力があると。

 その言葉には誠実さとなによりツェルニを想う心で満たされていた。

 

 すぐにキャロルはカリアンに面会して事態を告げた。

 自分たちで決められることではない。なにしろ自分たちに枷をつけたのは生徒会長である彼なのだから。

 

 それを聞いた彼は若干困ったように笑いながらも「潮時か」とため息をつくように言葉を吐き出した。

 

「君たちの実力が疑われ始めている」

 

 そうカリアンは語る。

 

 つまり実力を隠しているのではないかと気づいた者たちが出始めたのだ。主に小隊長や各隊のエース級。ツェルニの実力者たちはレイフォンとキャロルに不審を抱いた。

 

 その実力を疑ったと言うよりも、実力を出し切っていないという事を感じ始めたのだ。

 ある程度の実力があり、冷静に観察していればいずれは出る疑惑だった。

 

 レイフォンもキャロルもその戦闘能力は傑出している。だが演技上手な人間ではない。

 二人が試合においてまるで手が出せないように膠着状態に陥ってもどこか違和感が出てしまう。

 

 強いていえば追い詰められたものの必死さがない。なんとしても勝とうとする執念が薄い。

 

 冷静に観察していれば素人でもわかる。事実カリアンは早い時期から二人に演技の才がないと苦笑したものだ。

 

 そしてついに小隊長たちは集まって話し合うほどになった。あの二人はもしかして実力を出し切っていないのではないか。だとしたらなぜだと。

 

 出てきた結論は簡単だ。やる気がないのかあるいは上から止められているか。おおよそこの二つしかない。

 

 そして武芸科の責任者である武芸長ヴァンゼ・ハルディに尋ねた。というより真実を明かせと詰め寄った。

 

 やる気がないのならば仕方がない。それは個人の問題であとはやる気を出すように説得するぐらいだ。

 だがもし上からの命令で実力が押さえられているとしたらどういう事か。それはあの二人にとって屈辱ではないのか? 実力があるのにそれを振るえない。中途半端な試合しか出来ない。我が身に置き換えれば憤りしかわかない。

 

 さすがの剛胆なヴァンゼも往生した。なにしろ小隊長のほぼ全員が詰め寄ってきているのだ。これでなお事実を隠せばどうなるのか。考えるだけでうんざりする未来しか思い浮かばない。

 

「確かにあの二人には事情があって全力を出させていない」

 

 もはや認めるしかなかった。その上で口止めする。詳しいことはあとで生徒会長から説明があるとさりげなく責任を友人に押しつけた。なによりも実際にあの二人を勧誘し、小隊員にした上でさらに実力に枷をはめた。すべて実行者はカリアンだ。彼はせいぜいそれを追認したにすぎない。罪悪感はまったくわかなかった。

 

 すべての黒幕扱いされたカリアンは事実なだけに怒るようなことはせずにむしろ困った。

 彼としてはもう少しもつと考えていたのだ。だがツェルニの強者たちは敏感に二人の異質さを嗅ぎ分けて見せた。

 

「予想以上にツェルニの武芸者の質が良かったと喜ぶべきか……都市戦までは隠したかったが」

 

 だがばれてしまったならもう隠すのは不利益しか生まない。

 出来れば都市戦前にあの二人に頼り切りになる風潮を生む土台を造りたくなかった。

 

 だがここで隠せばどうなるか。まず自分と武芸長ヴァンゼの二人に不満と不信を持つだろう。そしてそれはその手駒となり唯々諾々と従っているレイフォンとキャロルにも向くことになる。

 

 都市戦で最大戦力たる二人を武芸科の戦力の中核メンバーが信頼しないという状況になりかねない。それでもあの二人ならなんとかするかも知れない。けれどその時点でツェルニの武芸科はばらばらになるだろう。信頼が失われ自信が失われ、自分たちがいなくてもあの二人が戦えばいいとやる気を失う。もはや瓦解状態だ。

 

 それでもし何かの事情で二人が戦えなくなったりいなくなったりしたらどうする?

 キャロルほどの武芸者だ。理由をつけて呼び戻すことは十分ありえる。彼女が六年間ツェルニで過ごせる保証は実はない。途中で呼び戻される可能性の方が高いだろうとカリアンは見ている。

 

『十分に学生生活を楽しんだだろうからもう戻ってこい』

 

 その一言で彼女の学生生活は終わる。向こうの都市から見ればキャロル・ブラウニングにツェルニ卒業という経歴は必要ではないのだ。

 

 おそらく二年か三年程度が限界だろう。故郷の都市も当然のように都市戦、しかも学園都市のようなゲームのような都市戦とは違う本物の『戦争』がある。

 

 キャロルほどの武芸者を外で遊ばせておくのはもったいないと誰もが思うだろう。

 戦争の周期は二年に一度、六年間不在ならば三回もの戦争に参加出来なくなる計算になる。アスラに他に人がいないとも思えないが、遊ばせておく理由もまたないだろう。

 

 学園都市の武芸者の質は全体的に低い。大人やベテランがいないのだから当然だ。彼女ほどの武芸者をそんな成長が望みにくい環境に放り込んだまま放置するとは思えない。少なくともカリアンが都市上層部ならそう考える。

 

 レイフォンも同じだ。故郷を追放されたに等しい扱いだが、なにかの事情で赦免される可能性もある。グレンダンといえども最強の称号に等しい『天剣』を手にできるほどの武芸者は貴重なはずだ。

 

 あるいはキャロルが都市に帰るときに一緒についていくと言いだすかも知れない。

 彼がキャロル・ブラウニングに特別な感情を抱いているのは明白に思える。彼女がいなくなったツェルニに彼を引き止めるものが果たしてあるだろうか?

 

 しかも調べた限りアスラはそれこそレイフォンにとっては理想の場所だろう。

 あそこではレイフォンの過去の罪などおそらく罪にもならない。なにしろ賭け試合自体が合法な都市だ。レイフォンがアスラで必要以上に責められるとは考えにくい。

 しかも実力主義の都市。レイフォンほどの実力者なら歓迎されるだろう。さらにあそこは武芸者であっても戦わないものは戦わなくてもいいという常識外れな法がある。武芸者以外の道を探していたレイフォンにとってまさに望みうる限りの条件を備えた新天地だ。

 

 仮にレイフォンがキャロルの婿としてアスラに行けば、たとえ戦わなくてもその血筋だけで歓迎されるだろう。強い武芸者同士の子はやはり強い武芸者の素質を受け継ぎやすい。彼の種だけでも十分アスラにとっては利益になる。

 

 今回勝利しても次で惨敗しては意味がない。いや次にはまだ二人はいるかも知れない。あるいは勝つかもしれない。しかしその次はいない可能性が高い。

 

 カリアンの計画では今回勝利したならば二人にはツェルニの武芸者の質の向上に尽力してもらうつもりだった。だがその二人が信頼されていないのでは話にならない。

 

「潮時か……上手くやらなければならないな」

 

 彼らの実力を認めさせつつ、それに依存しないでむしろ追いつく勢いで士気を保つ必要がある。実際に追いつけるとはカリアンは思っていない。そう思える武芸科生徒も少ないだろう。

 だが少しでも近づこう。自分を高めようという姿勢をもってくれるだけで十分だ。次やその次の都市戦ではそうして努力した武芸者たちが活躍してくれるだろう。

 

 なのでカリアンは二人に頼んだ。

 

「君たちの実力の片鱗でもいい。見せてやってくれ。そして君たち二人がツェルニの主力なのだと誰の目にもはっきりさせてくれ。あとの面倒ごとはすべて私がなんとかする」

 

 二人はまた面倒になると言いたげな顔をしたが引き受けてくれた。

 なんともお人好しだと思える。それにつけ込んでいる自分は外道のたぐいか。妹に嫌われても仕方がない。

 

「彼らには恩しかない……なにかしら恩返しがしたいものだが、私に出来ることがあるのか?」

 

 なにもありはしないだろう。ツェルニの生徒会長と言ってもただそれだけの男にすぎない。

 アスラと交渉してキャロルが無事卒業するまで手出しさせないようになど出来ない。グレンダンと交渉してレイフォンが無事故郷に帰れるよう道をつくってやることなど不可能だ。

 

「無力だな。私は……」

 

 苦笑さえ浮かばない。自分を嘲笑う気力さえわかない。

 ツェルニを守りたいと願っても自分ではなにも出来ずに他人を利用し、その相手にまともな謝礼すら渡せない。

 

 せめて自分がこのツェルニにいる間はこの手で守ってやるぐらいしか出来ない。しかもそれもあとわずか、今年だけの話だ。カリアンは六年生。今年いっぱいで卒業しツェルニを離れる人間だ。せめて物わかりが良く二人に配慮してくれる後継者でも見つけないことには顔向けさえ出来ない。

 

「私はあまりにも非力すぎる……」

 

 無力を嘆くなら力を、才を磨かなければならないだろう。だがそれもおそらく間に合うまい。あの二人にはたぶんなにもしてやれない。

 その事実がカリアンにはただ悲しかった。

 

 

 

 

 ダルシェナの突撃にキャロルは少し驚いたものの脅威とは思わなかった。

 するりと差しだした手からすり抜ける木の葉のような歩法で彼女の真横をすり抜けざまに一撃入れる。

 

「くっ!!」

 

 ダルシェナが苦悶に顔を歪めた。

 そして自分の左腕を見る。まるで斬り落とされたように感触がない。ただ力なくぶらりと垂れ下がったままぴくりとも動かない。いったいどんな技を食らったのかすらわからなかった。

 

「腕が斬り落とされたかと思ったが……今の一撃はなんだ」

「本来は相手を無力化するための技です。衝撃を通して身体を麻痺させます」

 

 その説明にダルシェナは納得より屈辱を感じた。

 

「なぜ左腕を狙った。その技なら一撃で私を戦闘不能に出来たはずだ!」

 

 キャロルは困った。実力を見せろと言われたがさてどうすればいいのだろう。どこまでやってよいのだろう? 圧倒的実力で瞬殺する? それでいいのだろうか。

 

 キャロルも馬鹿ではない。馬鹿ではないが基本的にキャロルの周囲にいた人間はわざわざ見せつけなくてもキャロルの実力を理解出来る者ばかりだったのだ。いまさら未熟な学生武芸者にもわかるように実力を披露しろと言われても困る。

 技術で圧倒するには未熟すぎる。力でねじ伏せるには弱すぎる。どれだけ圧倒的な勝利を得ても実力の片鱗すら見せられないだろう。

 

 だからまず左腕を奪った。

 我ながら性格が悪いと思う。きっとこの試合のあとでこの人からはとんでもなく嫌われるだろうと思うと憂鬱になる。

 

 武芸者はたとえ獲物が片手武器であっても全身でバランスを取って動く。片腕が突然失われたに等しい状況になれば実力は半減するだろう。片腕の感覚を奪われてなお身体のバランスを崩さず戦えるほどツェルニの武芸者の質が高いとはキャロルは思わない。

 

「あなたは私の実力が知りたいのでしょう? なら一撃でなにもわからないまま終わったら困ると思っただけです」

 

 まるでいつでも倒せるとでも言わんばかりの態度だった。

 わざと傲慢な態度を取ってみた。内心で彼女にひたすら謝罪しながら。

 

 案の定ダルシェナは屈辱と怒りで顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけた。おまえなど敵ではないと言っているようなものだ。それは怒るだろう。キャロルは泣きたくなった。なぜ自分はこんな事を引き受けたのだろう。どう考えても貧乏くじだ。彼女はきっと今後自分を毛嫌いするだろう。

 

「余裕のつもりか?」

「だから言っています。実力が見たいのでしょう? 相手をしてあげますからかかってきてください」

 

 どこまでも傲慢に見下すようにキャロルは言い放った。人形のような美貌の中で瞳がまるで相手を侮蔑するように輝く。今の彼女はおそらく今までの生涯で一番その演技力を輝かせているという確信がある。意外に弱者を踏みにじる悪役に適性があったのだろうか。だとしたら嫌な自分を発見した気分だ。

 

 しかし内心ではひたすらこの先輩に謝っていた。あとで事情を話して謝罪しに行こうと心に決めた。ただこのときにこの女性相手に実力を見せつける方法がひらめいた。もしかしたらこれならいけるかも知れない。思わずうっすらと笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 ダルシェナは今度こそ怒りに身体が震えた。

 傲慢といってよい台詞はなんとか許容できた。それだけの実力がある。

 

 だがその後のこちらを見下した瞳、そしてうっすらと浮かべたまるで人形が笑ったような笑みがひどく気に障った。彼女から見たら自分は敵にすらなれない弱者なのだと思い知らされた。そして可愛い顔をしてひどい性格をしているとも胸中で悪態をつく。

 

 だがダルシェナも第十小隊の副隊長を務める小隊のエースだ。今の一瞬の交差でわかってしまった。互いの実力差はそれこそ大人と子供ほど、いやそれ以上かも知れないと。

 少なくとも自分の動きでは彼女をとらえられない。そしてこれまでの試合を見る限り彼女の本領は高速の斬撃だ。あの動きから放たれる斬撃。かわせる自信など持てない。現にいつ技を繰り出したかもわからないレベルで左腕を無力化されている。

 

「ディンの言っていたことは正しかったか……確かに実力は本物だ」

 

 性格は悪いがなと内心つけ足す。

 だが武芸者としては別に珍しい性格ではない。実力主義の武芸者には自分より実力の劣る者に興味を持てない、あるいは軽蔑さえする者もいる。

 

 自分だって人の事はあまり言えない。あきらかに自分より弱い人物が身の程知らずにも挑戦してきたら返り討ちにした上で『この身の程知らずが』と罵声の一つも浴びせるかも知れない。そういう意味ではまるで自分の姿を鏡で見せられるようでますます不快だった。

 

 それにダルシェナは元々この少女が好きではなかった。

 ダルシェナ自身はもう友人とは思っていないと公言しているがそれでも元は仲間だった男がなにかとこの少女の世話を焼いているという噂を聞いたからだ。

 自分たちを裏切った男が気に入り熱心に世話をする少女。ダルシェナとしてはそれだけでこの人形みたいな女が気に入らない。

 

 それでもダルシェナは確かに目の前の少女とレイフォン・アルセイフの実力が高いことを認めていた。その実力を押さえているのではないかという疑惑も持った。

 

 だがそれでも自分たちこそがツェルニを守るのだと思いたかった。それが三人(・・)の誓いだったのだから。

 

「私はしょせんここまでの女だったか……」

 

 もはや勝てないだろうとわかっている。左腕の感覚がない。これでは突撃槍の威力は半減する。片手でも操れるが感覚がないというのが厄介だ。身体に違和感を覚える。いつも通りの動きはもはや出来ないだろう。

 

 おまけに全力の突撃、全力の刺突を容易くかわされたのだ。それ以下の実力でどうにか出来る相手ではない。

 万全の状態でもおそらく手も足も出まい。小隊すべてで囲んでようやく勝負になるかという所か、あるいはあの動きで翻弄されたら小隊ごと全滅しかねない。

 

「よく見ていてください。あなたがこれから身につけるべき技術の一つでしょうから」

「なに?」

 

 なんのことだと問い返す暇などなかった。

 地面が爆発するような音を立て、直後に身体に激痛が走る。一瞬の浮遊感を感じ背中から地面に叩きつけられた。

 

 一瞬。

 本当に一瞬だが見えた。

 

 まるで人形のような少女の踏み込み。

 とても力があるようには見えない小柄な少女の突撃から繰り出される剣撃が。

 

「見えましたか?」

「……ああ、美しかったな」

 

 場違いな言葉かも知れないがダルシェナにはそうとしか表現出来ない。地面に仰向けに転がりながら先ほどの光景を思い起こして陶然とする。

 目の前の少女はどうにも虫が好かない要素が多すぎるがあれは素直に美しいと称えることが出来た。

 

 あれは美しかった。芸術だと言われたらいくらでも値段をつけてしまいそうな一撃だった。

 余計な力などない自然体からの渾身の踏み込み、神速と言っていい速度で接近してその勢いのまま斬り裂く。

 そこには無駄などどこにもない。すべての動作に意味があり、その力はただ一点に収束されて最大の威力を発揮する。その動きは自然であり流れるように無理も無駄もない。

 

 いったいどれほどの修行をすればあの動きが出来るのか、もし許されるなら頭を下げて教えを請いたいほどだ。だがまずこの女に頭を下げるなど自分には不可能だし、彼女も受け入れないだろうが。

 

 まるですべての動作が一つであるかのような突撃の理想型に思える。もしあの動きを自分が出来たならばどれほどの実力を発揮出来るだろう。

 

「私にも出来るだろうか?」

「きっと出来るでしょう。そもそも似たようなことはすでに出来ているではないですか」

「そうか、そうなのか」

 

 その言葉で察した。

 あれは自分の未熟な突撃をより磨き上げた一つの形なのだと。

 

 そして少しだけ目の前の少女の評価を変えた。おそらく未熟な自分にわざわざあの技の完成形の一端を見せてくれたのだ。意外に親切な女なのかも知れない。あるいはお節介なのか。

 

 あの男が世話を焼く理由が少しわかった気がする。きっとあの男もこの女のこういう気遣いにやられたのだろう。あるいは惚れているかも知れないと思うと無性にそれをネタにあの男をからかってやりたくなる。

 

 しかしなんと頂の遠いことか。しかし自分はそれをほんの少しでも登っているのだ。ならば登り続ければいい。努力し続ければいずれ頂点も見えるだろう。

 

「感謝する。私の負けだ」

 

 そろそろまぶたが重い。ダメージが大きすぎて身体が耐えられないのだろう。言葉を交わせるだけの余裕があった事こそ信じられない。いや、そう手加減されたのか。

 

 いつかこの身で実現させてみせる。

 あの美しい突撃を。

 

 そう決意してダルシェナは意識を失った。

 

 

 

 

 それからさほど時間が経つこともなく第十七小隊の勝利が告げられた。

 

 第十小隊の小隊長ディン・ディーがレイフォン・アルセイフに敗れたのだ。二人の小隊員を巧みに指揮し、自身はワイヤー型の錬金鋼を操り前衛をサポートしてレイフォンに挑んだ。

 他の小隊員はニーナとシャーニッドの足止めに徹した。勝利を望んだというよりもただ最強と名高い第十七小隊のエースたちに挑戦したとしか思えないその姿に会場はおおいに盛り上がった。

 

 しばらくは様子を見るように攻撃を受け流していたレイフォンだがキャロルの勝利を知った瞬間に攻勢に出た。

 瞬く間に二人の小隊員が斬られ戦闘不能。ディン・ディーのワイヤーもまるでどう動くか予測出来るかのような正確さで斬り捨てられ、ディン・ディーも一刀のもと斬り捨てられた。

 

 それを一カ所に集まって観戦していた各小隊長はそれぞれに納得の表情を見せた。

 

「これでは勝負になっていない」

 

 そう嘆くように呟くほどだ。

 

 素人目には最強と名高いエースたち相手に善戦したように見えたかもしれないが、レイフォン・アルセイフはあきらかにキャロル・ブラウニングが勝つまで待っていた。いつでも勝てるのに待つ余裕があったのだ。

 

 自身に置き換えれば三対一の防戦一方でなんとか味方の救援を待つので精一杯だっただろうと思える。それほどの攻勢を涼しい顔で受け流し続けたのだ。実力差ははっきりしている。

 

「これではっきりした。あの二人はツェルニ、学生武芸者のレベルじゃない。生徒会長の言うように一都市で最強に名を連ねることの出来る一流だ」

 

 すでに小隊長たちはカリアン・ロスから二人のおおまかな戦歴と評価は聞いている。

 戦争経験者。汚染獣を単身撃破する実力者。故郷で将来を期待された天才。本来ならば学園都市に来る人材ではないだろうと思うが、戦闘ばかりに突出し人生経験が足りていないという評価になるほどと肯く。

 つまりあの二人は戦闘技術を学びに来たのではなく学生生活を送るために来たのだと。詳しいことはさすがに生徒会長も把握していないと言っていたがその話だけでもとてもではないが自分たちの及ぶ相手ではないと思えた。

 

 ダルシェナをまるで敵にもしなかったキャロル・ブラウニング。

 ディン・ディーの指揮する小隊員二人を含む三人を無造作に斬り捨てたレイフォン・アルセイフ。

 

「心強い味方と思いたいが……俺たちの無力さを痛感させられるのがつらいな」

「一層励む必要がありそうだ。ツェルニにはあの二人しかいないなどと言われては生徒会長の言うように笑いものになるだけだろう」

 

 小隊長たちは一層心を引き締めなければならないと決意した。

 若干その視線に嫉妬と羨望が混じるのは仕方がないだろう。あれほどの実力を自分がもっていたならば。そう思わないものはこの中にはいなかった。

 

 あの二人を上手く使いこなせれば、勝てるかも知れない。

 

 小隊長たちは期待の視線を二人に送る。能力も十分、人格もおそらく聞き知った限りでは問題ない。十分敬意を払うに値する武芸者だ。

 幸いニーナ・アントークもずいぶん成長した。あの二人の指揮を任せても問題はないだろう。

 

「勝つぞ」

 

 誰からともなくそんな力強い声が起こる。

 皆笑顔を浮かべて視線を合わせ、より一層の努力を誓い合って歩き始めた。

 

 

 

 

「ようディンいい格好だな。実に似合っている。いい色男ぶりだ」

「ふん、貴様こそいい格好だったそうだな。狙撃手が拳銃両手に白兵戦をやるとは実に無様だ。それもみっともなく逃げ惑いながらな」

 

 病室のベッドで横になっているディン・ディーの元にシャーニッドがノックもなしに個室に踏み込みへらへらと嫌味を飛ばす。するとディンも鼻で笑いながら無様を晒したかつての友を嘲笑う。

 

 あの試合からもう一日が過ぎている。

 ダルシェナもまだこの病院のベッドの上だ。別に重体というわけではない。ただの検査入院だ。明日か明後日には帰宅出来るだろう。強いて言えば遠慮なしに食らったおかげで打撲気味らしい。ディンも同様だ。二人とも痛みが思いのほかひどいので念のため検査してもらっている。都市戦も近い時期に負傷を長引かせるわけにはいかない。どうやら第十七小隊のエースは二人そろって力加減を間違えたようだ。

 

「けっ……銃衝術も知らないのかよ? 達人が使う技だぜ。かっこいいだろう?」

「おまえはただ格好つけたいだけだろう。格好をつけるのと格好いいのは別の話だ。阿呆が」

 

 嫌味を応酬し合いながらも口元には互いに笑みを浮かべている。

 

「で、どうだった?」

「あれは俺たちとは次元が違う。それがよく理解出来た。ああいうのが世界に選ばれた存在というのかもしれない」

「それはおめでとう。身の程を知る男ディン・ディーってか? クソ食らえだな」

 

 シャーニッドはそう顔をしかめた。

 

「あいつらがいくら強くてもしょせん二人だ。二人で都市戦は戦えない。誰かがあいつらと一緒に駆けてやらなくちゃいけない。誰かがあいつらが安心して前へ突っ走れるように後方を守らなくちゃいけない」

 

 真剣な眼差しがぶつかり合う。

 

「ディン。おまえがやらないで誰がやるんだ?」

「ふん、貴様に言われるまでもない。主役は譲ったが戦いを放棄するわけではない」

 

 珍しく真顔で問うシャーニッドにディンは負けじと言い返す。事実そのつもりだ。あの二人を戦力として最大活用するためにはどう動けばいいのか。すでにディンの中にはいくつか案がある。

 

「……俺はもう少しで道を踏み外すところだった。そんなときに希望を見た。しかも同時期に二人だ。まるで過去の俺たちを見ている気分だった」

「そうかい」

 

 なにをやらかそうとしていたのかなどと問わない。シャーニッドはただ肯いて先をうながした。

 

「俺が無理をする必要はないのだと悟った。もしかしたらこの二人は希望になり得るかも知れないと見守り続け、挑むことで試した。結果は期待以上だ」

「そりゃめでたいな」

「ああ、だが同時にこうも思った。あれほどの力が俺にあったならばと」

 

 ディンは少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

「なあシャーニッド。俺はやはり力が足りなかったのか? おまえに見限られるほどに」

「おまえほど優秀な奴なんざいないさ。俺がおまえの元を離れたのはただの俺のわがままだ」

 

 互いに視線を交わし。その瞳の奥まで見通そうという視線がぶつかり合う。

 わずかにディンの目が細められる。彼は自分の目になにを見たのかと少し不安になるが表情には出さない。むしろ不敵に笑ってみせるのがシャーニッド・エリプトンという男だ。

 

 ディンはその旧友の笑みに釣られるように微笑を浮かべて話題を変えた。

 

「そうか……いつか、そうだな都市戦が終わったら三人で祝杯でもあげるか」

 

 気が早いとシャーニッドは笑わない。むしろ勝つつもりで挑むくらいでちょうどいいと考える。負ければ都市が滅ぶと悲壮な覚悟を固めるぐらいなら勝ってすべてを奪い取ってやると物語の海賊のように勇ましく獲物に食らいつく方が好みだ。

 

「シェーナが承知するかね?」

「あいつも和解のきっかけをつかめずに苛立っていただけだ。今のおまえは隊長の夢を叶えるためにもっともいい位置にいる。シェーナも理解してくれるさ」

「隊長か……」

 

 ディン・ディー。ダルシェナ・シェ・マテルナ。シャーニッド・エリプトンは共に一人の隊長の下に集った同志だった。

 一緒にこのツェルニを守ろうと誓い合った仲間だった。

 

 しかしその隊長がツェルニを卒業していなくなりシャーニッドが理由も告げずに去ることで三人の関係は終わった。

 ダルシェナはシャーニッドを裏切り者と蔑み。ディンも親友であり同志と信じた男の突然の心変わりが理解出来なかった。

 

 だがその男がまるで運命とでもいうように新しくツェルニに現れた若い英雄たちのそばにいる。この男がそばについているのならばあの二人が道を間違うことはないとディンは信じられる。

 

「その時は理由を話してもらえるか?」

 

 その問いがディンから投げかけられることはこの病室に来ると決めたときに覚悟していたが、やはり内心動揺してしまう。なにを言っているのかわからないととぼけることも出来る。だがそれではこの場に来た意味がないとシャーニッドはまだはっきりと形にならない気持ちをこぼす。

 

「さてな……どうなんだろうな。俺も迷っている。腹の中に貯め込んでいても意味はない。いっそぶちまけてしまった方がいい結果になるかも知れないと」

「なら言って欲しい。俺は結局わからなかった。おまえがただ心変わりしたとも思えない。なにか理由があったはずなんだ」

 

 シャーニッドの脳裏に浮かぶのはかつて想いを寄せた女性ではなかった。その事が意外でありごく当然のことかも知れないと受け入れられた。

 

 柔らかな手触りのいい金色の髪をした少女。思わず母にすがる息子のように甘えて頼ってしまいたくなる雰囲気を持つまだ心の幼い少女。アンバランスで頼りになるのか頼りないのか、賢いのか馬鹿なのか今ひとつ判断しかねるところがある。

 

 自分が恋い焦がれた女性とはまるで違う。けれど不思議と目が追っていることに気がつくことがある。あの小柄な身体を思う存分抱きしめたいと想いを募らせる夜もなかったとは言えない。

 

 そもそも彼女にえらそうなことを言った自分がいつまでもびくびくして二の足を踏んでいるのもみっともない。

 

「俺は臆病者だからな。もう少し待ってくれないか」

「……ふん、いつまでもは待たないぞ」

 

 その言葉を最後にシャーニッドは病室から去った。

 互いに別れの挨拶などしない。

 

 この男との間にそんなものは必要ないのだから。

 不思議と気持ちが昔に戻った気がする。三人で駆け抜けて戦ったあの頃に。

 

「過去を恨んでも呪っても仕方がない……確かにその通りだ。俺もそろそろガキじゃない。前を向かなければいけないのかもしれないな」

 

 ぽつりと呟く。

 まったくあの小娘はこうして自分の心に潜り込んでくるのだからタチが悪い。

 将来は悪女になるんじゃないか? 少し心配だ。

 

 どうも最近レイフォンとの仲がいまいちしっくりいかなくなってきたらしい。あの馬鹿が女を放り出して訓練ばかりに明け暮れているせいだと容易に想像がつく。しかも訓練相手もまた別の女だ。あの幼い少女は自分の心を持てあまし理解出来ずに悶々と不満ばかりためているのだろう。

 

「さて、どうしてくれようか」

 

 不敵に笑う。このまま手をこまねいているようならあの幼く、これから大輪の花を鮮やかに咲かせるだろう少女にあの男はふさわしくない。

 

 その時は横から花嫁をかっさらう悪党のように奪い取ってしまえばいい。

 

「しっかりしろよレイフォン。そうでないと可愛いお姫さまが悪い男に食べられちゃうぞ」

 

 露悪的に口元を歪めてシャーニッドは笑った。

 




久し振りの更新です。皆さんお元気ですか?

なんだか文章が長くなる癖がついたようです。一万二千文字。七千文字くらいを目安に書いているつもりなのだけど。

シャーニッドに焦点を当てた以上ディン・ディーのイベントは外せないとねじ込みました。
初期ではこのイベントはなかったことにされるはずだったのですが、シャーニッドを語るのにディン・ディーは必要だろうと。

うちのディンは綺麗なディン。
無理する必要なく勝てる可能性があるなら危険な薬物なんて使わないよね普通。
原作では『自分の力で』ツェルニを救いたいと暴走した気もするのですが、この作品では新たに現れた英雄に主役の座を明け渡す覚悟で勝負を挑みました。

原作と違って最初から圧倒的実力を示しましたし。しかも二人だし。

ディンが剄脈加速薬に手を出すイベントにすると、物語が一気に深刻になりそうなのでなんとかそれに手を出さない理由をひねり出しました。説得力があるかどうかちょっと不安。原作のディンはかなり思い詰めている雰囲気でしたからねぇ。

そして一部に二人の実力と戦歴の一部が開示。もちろんレイフォンの過去の汚点なんて話しません。
カリアンがそんな不利益にしかならないことするわけがない。ゴルネオはなにか言いたげだったかも知れませんが。

今回の話も書き方を少し変えるだけでバッドエンドを連想させるものになりかけたので、慌てて修正。
僕はハッピーエンドが大好きです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 少年の決意

 

 学生寮の自室は本来は二人部屋なのだがルームメイト不在のためレイフォンが独占していた。

 

 部屋を一人で独占できる事をひそかに喜んでいるレイフォンだが、彼に支払われている奨学金などの学園側からの金銭とバイト代を使えば一人部屋を借りる事など簡単なのだ。

 カリアンによって最高待遇を受けている上に小隊員だ。その報酬もある。さらに体力を使うが実入りのいいバイトもしている。むしろなんでこんな寮にいるのか不思議なほどだ。

 

「一人部屋って憧れていたんだよなぁ」

 

 孤児院育ちなレイフォンとしてはささやかな贅沢を楽しみたいがそのためにお金を無駄に使いたくもない。結構貧乏性な男ではある。

 さらにいえばカリアンからの『好意』はいつまで続くか不明であるという疑惑もある。

 

 レイフォンはまだカリアンを全面的には信頼していない。それこそ都市戦が終わったら用済み扱いされて奨学金などどこかへ消えてしまうかも知れない。

 

「キャロはだいじょうぶって言ってくれるけどどうもあの眼鏡は信頼できない気がするんだよな……キャロもなんであんな奴のいう事を素直に聞くんだろう?」

 

 そのためにもバイトでお金を稼ぎつつ蓄財に励んでいるのだ。

 なにしろ孤児院育ちでお金の大事さは痛いほど理解している。無駄遣いなどむしろ身体が拒否してしまいそうだ。

 

 その孤児院出身の幼馴染みから手紙が来た。

 

 リーリン・マーフェス。

 故郷で最後までレイフォンの味方であり続けた幼馴染みの少女だ。同じ孤児院で兄妹のように育ち、姉とも妹とも思っている。頭のよいしっかり者で雰囲気は違うがどこかキャロルと重なる部分がある気がした。

 レイフォンにとってキャロルを除外すればもっとも頼りになる相手だ。

 

 都市の意志によって世界中を動き回る自立型移動都市の性質上どうしても都市間の流通状態は良いとは言えない。都市同士の移動さえ命がけの旅なのだ。

 

 それでも交易の旅を続ける放浪バスが運んでくれる郵便はレイフォンの手元に故郷グレンダンに住む幼馴染みの手紙を届けてくれた。

 

 故郷との手紙のやりとりはツェルニに来た当初からおこなっていた。

 最初は幼馴染みだけだったが、幼馴染みに孤児院のみんなや養父への手紙を託したら彼らも手紙をくれるようになった。

 

 その手紙の暖かさにレイフォンは涙した。

 みんなレイフォンの謝罪を受け入れ、レイフォンをそこまで追い詰めた事を謝罪し、受け入れてくれた。

 

 孤児院の子供たちには、

『俺らだってやれるんだよ。別にレイフォン兄に頼り切りになんかならない。もっと俺たちを信用しろ』

 と叱られ。

 

 養父には、

『おまえをそこまで追い詰めた責任は私にある。すまなかった。もし許されるならばまた私の元へ戻ってきて欲しい。おまえは私の大切な息子だ』

 胸が熱くなる言葉をもらえた。

 

 彼らとの手紙のやりとりは最近のレイフォンの楽しみの一つだ。

 

「前回の手紙は読んでもらえたかな? その返事だと嬉しいけど」

 

 踊るような足取りで机に向かい封を切る。

 広げられた相変わらず丁寧な文字に頬が緩む。頼りになる幼馴染みなのだ。今のレイフォンの悩みもきっと解決してくれるだろう。

 

 しばらく無言で手紙の文字を追う。ふと首をかしげた。

 ときどき文字が妙に乱れている気がする。なんというか力が入りすぎたというか、なにか無性に苛立ちながらそれでもそれを押し隠して書いたような。

 

「リーリン……なにか嫌な事でもあったのかな?」

 

 返事の手紙でそれとなく近況を聞いてみようと決めた。

 

『レイフォンが元気で暮らしている事はとても嬉しいです。でもレイフォンに好きな女の子が出来るなんてすごく驚きました。私に似ているそうですがもしかしてレイフォンは私みたいな女の子が好みだったのかな? だとしたら嬉しいです』

 

 なんか最後の方が文字がにじんでいる。水でもこぼしたのだろうか?

 

 前回の手紙では意を決してキャロルの事が好きなのだけどどうすればいいかと頼りになる幼馴染みに相談した。

 その返答は簡潔だった。

 

『レイフォンがもしその女の子を本当に好きならきちんと想いを伝えた方がいいよ。学園都市にいられる期間は限られているし、もしかしたら都合でいなくなる事だってあるかも知れない。だからきちんと気持ちを伝えた方がいいと思う』

 

 やっぱりそうか。

 レイフォンは少しばかり緊張した。あのキャロルに自分の想いを告げる。想像しただけで身体がこわばる。もし拒絶されたらどうしよう? そんな感情はもてないと言われたら?

 

『手紙を読む限りではその女の子もレイフォンの事を悪く思っていないようだからきっと大丈夫。あとレイフォンに気の利いた口説き文句なんて絶対に無理だから必ずストレートに言う事。変に格好つけたらきっと失敗するから、だってレイフォンだし』

 

 さりげなく幼馴染みに罵倒されている気がする。

 

『では上手くいってもいかなくても報告してね。どうなったかわからないのが一番苛々するから。もしうまくいったら『おめでとう。お幸せに』って言ってあげるからその女の子とどこへでも行けばいいよ』

 

 ますます文字の乱れがひどくなった。なんだか苛々しながら書き殴ったような文字だ。

 

『じゃあね。レイフォン。その女の子とお幸せに』

 

 祝福する文面だが、なんだか文字から怨念がにじみ出ている気がする。

 レイフォンは少しだけ首をかしげた。やはりなにか嫌な事でもあったのだろうか?

 

 手紙を丁寧にしまい。とりあえず幼馴染みの心配は後にして自分の事を考える。

 

「告白か……やっぱりそれしかないか」

 

 最近どうもキャロルの態度が妙なのだ。

 話しかけても少しだけだが不機嫌そうにしているし、一緒にいてもどこか苛々しているように思える。

 

 シャーニッドに相談したら馬鹿を見る目で見下されて『おまえはもう少し相手の立場に立ってものを考えた方がいいな』と説教された。

 さっぱり意味がわからない。自分がいったいキャロルになにをしたというのか。

 

「いや待て、もしかしたら気がつかないうちになにか怒らせるような事をしているのかも」

 

 自分でも女の子の気持ちを理解出来るとは思っていない。なにせ女の子とまともな付き合いなどした事がない。故郷ではひたすら修行と実戦の日々だった。

 

 親しい女の子などリーリンぐらいだ。しかも彼女は家族で、他人となるとますますわからない。

 リーリンでさえときどき理解出来ない事で不機嫌になったりしたのだ。家族でさえわからないのに他人などもっとわからない。

 

「よし、ここは……」

 

 レイフォンは決断した。

 頼りのなる幼馴染みの助言はきっと正しい。ならば自分のやる事は決まった。

 

 けれど。問題はどうやったらいいかさっぱりわからない事だろう。

 しかしツェルニに来てレイフォンは一つ成長した。自分の能力が不足しているなら頼りになる人に力を借りればいいと。

 

 

 

 

 前回お世話になったミィフィに頭を下げて『告白のやり方』を尋ねたのだが、なぜかすごく白けた目で見られた。

 

「というかレイとんってまだ告白もしてなかったの? ……そりゃキャロだって不機嫌になるよね」

 

 ミィフィはため息をつき、ナルキは肩をすくめて小さく「馬鹿なのかコイツは」と吐き捨てた。メイシェンは涙の浮かんだ瞳でじっとレイフォンを睨んでいた。

 

 思わぬ袋叩きにレイフォンはひるんだ。

 なんでこんなに責められるのかさっぱりわからない。

 

「あのね。レイとん。どうもわかっていないみたいだけど二人はもうツェルニでは公認カップルなの。もう付き合っている事前提で周囲は見ているの。なのにまだ告白もしていないって……そりゃキャロだって怒るし不安になるよ」

「えっと、なんで?」

「周囲から付き合っていると噂されているのに実際にはなにもない。肯定もしないし否定もしない。そのくせすぐ近くにいる。私なら苛ついて張り倒すな。どういうつもりだと」

 

 実際に苛ついた口調でナルキが言うとメイシェンも口を開く。

 

「キャロが可哀相だよ。だってデートもしたんだよ? でもあれから誘ってもいないんでしょう?」

 

 そういえばキャロルと遊びに行ったのは最初の一度きりだった。

 

 メイシェンがじっとレイフォンを睨んでいる。そしてふっと目をそらしてため息をついた。『ああこの人はダメだ』と言いたげな仕草に地味に傷つく。

 

 というか悪いのは自分なのか? 無責任に噂を流した奴らが悪いのでは? というかキャロルだってなにも言わなかったのになんで自分だけが責められるのだろう。

 

「レイとん。男として責任を取りなよ」

「まだわかっていないならはっきり言ってやる。男ならはっきりしろ。優柔不断な男なんて最低だ」

「レイとん……男の子としてそういう態度はどうかなって思うよ?」

 

 ミィフィ、ナルキ、メイシェンの三連撃。レイフォンは内心ひどくショックを受けた。

 どうやらこういう場合一方的に男が悪いらしい。少なくとも彼女たちにとってはそれが常識なのだろう。

 つまり自分がはっきりしないのが悪いと。

 

「でもキャロルだってなにも言っていなかったし……」

 

 悪手だと思いつつも自己弁護。とたん予想通り視線がさらに冷ややかになった。

 

「女の子から告白させようとか、ありえないし」

「女に告白させるのが趣味なのか? だったらファンクラブの女子生徒に愛想良くすればいい。いくらでも言い寄ってくるぞ」

「……女の子からそういう事言うのはちょっと恥ずかしいと思う」

 

 さらに追撃の三連撃。

 そうか、告白は男がするものなのか……それをしなかった自分が優柔不断だったのか。

 

 実際はそこまで一方的な常識はないのだが相談相手が悪かった。なにせ全員女性。しかも思春期の少女たちだ。男には男らしさを当然のように求める。女性の側から告白しなければなにも出来ないような男なんて彼女たちから見たら『男らしくない』の一言で終わるのだろう。

 

 これが女子からの片思いならばまた事情が違うが、もともとレイフォンは『告白するにはどうすれば?』と相談したのだ。どう見てもレイフォンが口説く側だ。

 そして公認カップル扱いされていたのにいまだにそれが出来ていない。さらにその方法もわからない。あきらかに駄目な男だろう。

 

「とにかくデートにでも誘って告白したら?」

「デート……」

 

 ミィフィの投げやりな助言にレイフォンは唾を飲み込んだ。告白にふさわしいデートとはいったいどんなものかレイフォンには想像も出来ない。

 

「もしかしてデートのやり方も教えないと駄目?」

「……お願いします」

 

 三人がいっせいにため息をついた。もう視線がダメ男を見るそれだ。

 レイフォンは泣きたくなった。

 

 

 

 

 デート当日のキャロルは上機嫌だった。

 その事にレイフォンは胸をなで下ろした。今日も不機嫌だったらどうしようと眠れないほど不安だったのだ。

 

 休日に彼女をデートに誘い。少し足を伸ばして動物たちが放牧されている自然豊かな牧場にピクニックに来ていた。

 場所の選定は自分でおこなった。いくつかの候補は教えてもらえたが『レイとんが決めなきゃ、キャロが可哀相だよ』とレイフォンにはよくわからない理屈で決定は自分でするように要求された。

 

 あとでメイシェンがこっそり教えてくれた。『男の子が誘ってくれるなら……やっぱり男の子が選んでくれた場所に行きたいと思う』その男の子が自分のために連れてきてくれた場所が実は他の女子の入れ知恵だったと聞けばキャロルががっかりすると。

 

 なるほどそういう考えもあるのかと納得しお礼も言ったが、メイシェンはなにか言いたげな顔をした後『やっぱりいい』と言って去って行った。

 

「……変な事言ったらレイとんだって困るよね。それにもうレイとんはキャロに告白するつもりなんだし……やっぱり勝ち目なんてなかったなぁ」

 

 そんな残念そうな、悲しそうな囁きはレイフォンの耳に届かなかった。

 

 

 牧草でおおわれた緑の景色は心なしか普段いる場所とは空気さえ違う気がする。

 大人しい家畜が無警戒に草を食んでいる光景は最近訓練ばかりで高揚しがちだった心を落ち着けてくれる。

 

「のどかだね……もうすぐ戦争だなんて思えない」

 

 キャロルは薄い青を基調にしたワンピースを着て白い上着を羽織っている。金色の髪が風に吹かれてさらさらと宙を舞う光景にレイフォンは目を奪われる。

 

 蒼い瞳を心地よさ気に細めて微笑んでいる。最近の不機嫌が嘘のようだ。

 

「戦争か……都市戦って言っているけど実際は戦争だよね」

 

 どう言いつくろっても『戦争』なのだとレイフォンは思う。

 なにせ負ければ都市が滅ぶのだ。錬金鋼に安全装置をつけているから戦死者が出ないという事など気休めにもならない。たとえゲームのような戦いでも勝敗は都市の生死に関わるのだから。

 

「私は戦争は嫌い……」

 

 そう呟くキャロルの瞳に魅入られる。自己嫌悪の暗い瞳。

 自分にも覚えのある目だ。ふと鏡を見ればあんな目をしていた。あれは賭け試合を始めた直後だったか。

 

「人を斬るのが好きなんて奴はそうはいないよ」

 

 故郷に戦闘狂といっていい知り合いがいるが、あの手の輩はきっと嬉々として相手をぶちのめすのだろう。それを彼女に求めるのは酷な気がする。

 

 キャロル・ブラウニングは確かに強い。心構えも学生武芸者に比べればはるかに出来ているように見える。けれどまだ十代の少女なのだ。本来はまだ大人の武芸者に守られているべき子供だ。

 

 そう子供なのだ。

 改めてレイフォンは彼女や自分の立場に愕然とする思いだった。

 

 彼女は『英雄』と呼ばれ、戦争に駆り出された。

 自分は『天剣』を授かりグレンダンの武芸者の頂点に立った。

 

 どちらも子供にする事ではない。自分が天剣になったとき養父がそれほど喜ばなかったのはその事を感じていたからだろうか。

 

 普通なら自分の弟子が、サイハーデン流を継ぐ義理の息子が天剣になるなど踊り上がって喜んでも不思議とは思われないだろうに。

 

 彼女の両親はどう考えていたのだろう。それが気にかかった。子供を学園都市に出す事を許すほどだ。あるいは彼女の境遇に同情してつかの間であっても普通の子供らしい生活をと望んだのかも知れない。

 

 特になにかの話題で盛り上がる事もない。

 二人でのんびりと自然を感じさせる空気の中でくつろぐ。最近都市戦に向けて武芸科全体がぴりぴりしだしていた。だからなおさらこんな穏やかさが心地よい。

 

 ただ静かな風の音だけが二人の間に流れていたが少しも居心地の悪さを感じなかった。

 ただレイフォンの胸にはあらためて彼女を守るという決意が固まった。

 

 もし彼女が戦場にと望まれたのなら、自分が代わりに戦ってもいい。

 それでも彼女が戦場に出されるなら自分も共に剣を振るおう。彼女は正しいのだとそばで言い続けよう。

 

 都市を武芸者が守るために戦うのは当たり前で、常識的で、とても正しい行いだ。

 

 彼女が戦場に立たせられるというのに自分が戦いから逃げるなどもうレイフォンには出来ない。

 武芸者以外の生き方に興味がないわけではないが、それも結局は『武芸で失敗したから他の事を』という単純な逃避だったのではないかと今のレイフォンには思える。

 

「キャロ……僕は君をずっと守るよ」

 

 気がつけばレイフォンは自然にキャロルを抱きしめていた。

 背後から抱きしめたその身体は小さくて柔らかくて、とても自分と互角に戦いうる武芸者とは思えない。

 

「僕は君のそばにいる。君のそばにいたい。そしてずっと君を守り続ける。君が悲しいと思う事から全部守ってあげる」

「……レイフォン?」

 

 戸惑ったような弱々しい声。こちらを不思議そうに見上げる瞳がなにかに揺れている。それがなんなのかはレイフォンにはわからない。

 

「僕は君が好きだ。僕はキャロル・ブラウニングを愛している」

 

 勢いでやらかしてしまったがレイフォンに後悔はない。予定では夕焼けでも見ながら雰囲気を盛り上げてなど考えていたが、もうこうなったらこの勢いのまま押し切る。

 

「僕は武芸以外なんの取り柄もない男だ。けどそんな僕でも君のそばにいたい。戦う事しか出来ないなら君の代わりに戦う。君と共に戦う。僕はずっと君と一緒にいたい」

「レイフォン……私も武芸以外なにも出来ない女だよ?」

 

 うつむいてしまったキャロルの表情はわからない。彼女の温かい手がそっとレイフォンの腕に触れる。

 

「そんな私を本当に好きでいてくれるの?」

「君は自分を過小評価しすぎる。君は十分僕を助けてくれた。僕がツェルニで無事生活出来るのも君のおかげだよ」

 

 本心だ。キャロルがいなければ自分は生徒会長の命令に反発しながらも逆らえず。かといって素直に従えず。中途半端なままくすぶっただろう。それはきっと今とは比べものにならない薄暗い生活に違いない。

 

 キャロルがいるから前向きになれた。

 キャロルがいるから夢を見る事も出来た。

 キャロルのためなら躊躇なく剣を振るう事さえ出来る。

 

「愛しているよ……キャロル」

 

 首筋に顔を埋めると鼻腔をくすぐる甘くて女の子らしい香りに脳がしびれる。そのまま彼女の頬に唇をつけた。本当はキスをしたいがこの角度では届かない。無理矢理顔を上げさせるのは強引すぎる。

 

 彼女がむずかるように身体をよじったが逃がさない。ここが押し所だとレイフォンはリーリンの助言を思い起こす。

 

 どこまでもストレートに自分の気持ちを正直に告げる以外に自分に出来る事などない。

 だから逃がさない。自分の気持ちを聞いてもらう。受け止めてもらう。ここで逃げるなんて選択肢は与えてあげない。

 

「私は……他人を好きになると言う事がまだよくわからない。それでもレイフォンは愛してくれるの?」

「僕がきっとキャロルに理解させてみせる。『レイフォン・アルセイフを愛している』って」

 

 いつもなら出ないような台詞も今日はすらすら出てくる。今日の自分は絶好調らしい。あるいはキャロルの女の子らしい身体の感触と頭がくらくらするような香りにネジが吹っ飛んだのかも知れない。

 

 しばらく後ろからキャロルを抱きしめたまま沈黙する。彼女が今どんな表情をしているのか見えない事が少々不安だった。

 

「……レイフォン」

 

 不意にキャロルがなにかを決意したような力のこもった声を出した。

 レイフォンは内心怯えた。まさか拒絶されるのだろうか? 強引すぎただろうか?

 

 キャロルは器用にレイフォンの腕の中で身体を反転させてレイフォンに向き合う。その瞳からは涙の跡がふっくらした頬を流れている。

 

 泣かせてしまっていた事にレイフォンは多いに狼狽したが根性で踏みとどまって彼女を放さなかった。のちに人生最大のファインプレーと自画自賛した行為だ。

 

「私はたぶんあなたの事が好きなのだと思う。でも今はまだよくわからない。こんな情けない女の子でもレイフォンは受け入れてくれますか?」

 

 その言葉が頭に染み渡っていくとレイフォンの心が歓喜に沸き立った。

 答えなど決まっている。ああ、決まっている。

 

「もちろんだよ。きっと君に僕を愛していると言わせてみせる」

「がんばって、私もきちんと理解出来るようにがんばるから」

 

 レイフォンは一層力強く愛しい女性の身体を抱きしめた。

 愛おしさがあふれかえって、幸福に浸ったまま死んでしまいそうだ。

 

 そしてレイフォンは今度こそ彼女の薄紅色の唇に自らの唇を重ねた。

 ぴくりとキャロルは震えたが、拒絶はされなかった。

 

 キャロルの手のひらがすがるようにレイフォンの服を掴んだ。

 




レイフォンの告白。

地味に女子三人組からの評価が下がっているレイフォン。
公認カップル扱いされてなにもしない男って、ねぇ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。