口下手提督と艦娘の日常 (@秋風)
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番外編
番外編 龍の帰還 其の一


 ※このお話は以前取り下げた『龍の帰還 其の一』を修正、改稿したものです。
 内容を纏め切る目途がつきましたので、再投稿させて頂きました。

 新しい話を期待されていた方には申し訳ありません。
 そういえばこんな話あったな、と暇つぶし程度に読んで頂けたら幸いです。
 
 追記(2019.8.6)

 試験的に章を分けました。
 提督の過去話や設定に付随する話はこちらに投稿してみます。

 内容的には然して変わらないので試験的ですほんとに。


「司令官、こっちこっち! ここの上にもまだスペースあるよ!」

「む……うむ。こんな感じでどうだ、暁」

「うんうん! 良いと思うわ!」

 

 隣に立つ暁から満足そうな表情と共に合格サインを貰い、提督は手に持っていたセロハンテープを右ポケットに仕舞った。

 視界に映るのは入口から続く色とりどりの装飾。何を隠そう、この日のために駆逐艦組が真心籠めてせっせと作成した渾身の折り紙飾りだ。

 

「どうかな? これ、皆と一緒に一生懸命作ったんだけど、天龍さんと龍田さん喜んでくれるかしら?」

「懸命さが伝わる素晴らしい出来だ、きっと喜んでくれるに違いない。それにしても、定期的に折り紙の表裏を間違えている箇所が見られるのが逆に良いアクセントになっているな」

「べべべ、別にそれは暁じゃないし!? 違うよ!?」

 

 誰とも言ってないのに慌てる暁を宥めながら、提督は再度部屋内の様子をぐるりと見渡してみる。

 

 ――施された飾り付けは三割程。概ね、事前に設定された進行計画通りの進み具合か。

 

 以前から予定されていた行事の準備に、鎮守府内の至る所から喧騒が響き、本会場であるこの場所だけでも慌ただしげに少女達が駆け回っているのが頻繁に窺える。

 と言えど、ここは割と人手が足りている方なだけで、今頃厨房などは鉄火場の如き忙しさを見せている事だろう。専門職の場であるため人員配置が難しい場所だが、手が空けば優先的に手伝いに行く必要のある場所筆頭だ。

 

「後で様子を見に行かねばな」

 

 ふむ、と何時もの仕草と共に現場総監督としての役目を果たすために、提督はこれからのタイムテーブルを頭の中で組み上げていく。タイムリミットは夕方の七時。成功を望む彼女達のためにも遅延は許されない。

 

「司令官ちょっといい? テーブル配置の事で確認したい事があるんだけど」

「うむ、今行こう」

 

 駆け寄ってきた敷波に促され、早々と思考を纏めた提督は部屋の中央へと歩を進めていく。

 

 九月。木々が色付き、天高く馬肥ゆる実りの季節。四季の中では比較的過ごし易い時期に大別される初秋に当たる今日この日、鎮守府では天龍と龍田の帰還を祝うための準備が着々と進められていた。

 

 

 

 

「はいワンツー! ワンツー! ほらー大井っちー、表情が硬いぞー!」

 

 穏やかな水面に那珂の伸びのある大きな声音が響き渡る。

 敷地に四つある演習場の内、最も使用頻度の高い第二演習場。潮風に角を削られて若干丸みを帯びた、備え付けの防波堤に置かれた幾つかの機器からは小気味良い音楽が大音量で流れている。

 

「……気易く呼んでんじゃないわよ」

「大井っちー、顔が引き攣ってるよー。可愛い顔が台無しだー」

「ごめんなさい北上さん!」

 

 空をゆったりと流れる雲のように間延びした指摘で大井の機嫌を取りながら、北上は音楽に合わせながら海上を舞うように滑っていく。

 見上げた先には季節の移り変わりを象徴するかのような一面のうろこ雲。

 

 そんな秋空の下、鎮守府が誇る色物軍団である球磨型軽巡姉妹一同は現在パーティの余興で披露する舞の練習真っ最中だった。

 

「ク、クマ? 次はどっちだったクマか?」

「おわわ! 球磨姉なんでこっちに……ったあ!」

「ふんふんにゃんにゃん~」

「こらーストップストップ! 球磨にゃん進む方向が逆だよ! あと多摩にゃん勝手に振付変更しなーい!」

「はっ!? つい盛り上がってしまったにゃ」

 

 指導役である那珂から本日何十度目かのカットがかかり音楽が止まる。ちなみに今回のミスは球磨が進む方向を間違えて木曾とぶつかった事と、気分がハイになった多摩が急に振付にない盆踊りを踊り出した事である。

 

「多摩にゃんは少しフリーダムすぎるね。ポップミュージックの途中で『あ~よいよい』とか言い出した時は流石の那珂ちゃんも衝撃でした」

「無限の可能性を感じたかにゃ?」

「絶望ならひしひしと。タイムリミットまでもう時間ないんだから、真面目にお願いします」

「多摩は常に真面目だにゃ」

「余計駄目じゃん」

 

 多摩とのやりとりにがっくりと肩を落とす那珂をよそに、少し離れた所では木曾が手振り身振りを踏まえて球磨に振付の確認を行っている。

 木曾らしい実に熱心な指導に、こくこくと神妙に頷く球磨。しかしその頭上でアホ毛が見事なクエスチョンマークを描いている事実に木曾は全く気付いていない。

 

「……なにやってんだか」

 

 額を流れる汗を無造作に服の袖で拭いながら、大井は呆れた表情で前髪を掻き上げた。

 初秋とは言え、夏の名残とするには些か元気すぎる太陽光がじりじりと肌を焼いているような気がする。半ば強引に余興の練習へと参加させられているだけでも面倒だと言うのに、季節外れの日焼けなんて勘弁してほしいものだ。

 

「……あー暑い」

 

 そんな日差しに眉を顰めたまま、大井は上手い事壁で影になっている防波堤の端にどかっと腰を下ろす。

 ふと頬に何か冷たい感触を感じ、顔を上げた視線の先に女神がいた。

 

「お疲れ様、大井っち。朝からぶっ続けだし、ちょっと休憩しよーさ」

 

 否、北上である。

 海水に濡れた髪を潮風に揺らしながら、缶ジュースを手渡してくる姿が今日も神々しい。

 

「ありがとうございます、北上さん」

「んー」

 

 缶を傾けたまま、礼に対しひらひらと手を振ってくる北上。その姿にじわり、と喉の渇きを実感した大井も同じように缶のプルタブに手を掛ける。

 穏やかに揺れる水面にカシュッという間の抜けた音だけが響き、暫く無言で喉の渇きを潤す事に集中する。

 

 ――あー何やってんだろ、私。

 

 ひんやりと冷たいアスファルトにどさっと身を投げた大井の視界一杯に澄んだ青空が広がる。

 舞で火照った頬を薙いでいく風を感じながら、視界の端ではなおも熱心に天然素材の姉二人を相手取る末っ子が映っている。

 

「ホント、よくやるわね」

「そりゃまあ、木曾が言いだしっぺだからねえ。前からフフ怖さんとは特に仲良さそうだったから、何かしてあげたかったんじゃないの?」

「それはいいですけど、『姉貴達と一緒に何かやりたい』って……巻き込まれるこっちの身にもなれって話ですよ」

「お姉ちゃんも大変だねー」

 

 いやいや北上さんもでしょ。と呆れた表情で突っ込みを入れる大井の反応を見ながら、北上はからからと楽しそうに笑っている。

 事の発端は木曾の何気ない一言だったが、なんだかんだ言いながらも最後まで付き合っている二人は傍から見れば実に面倒見の良い姉に見えている事だろう。

 

「それにしてもだよ、大井っち」

「な、なんですか北上さん」

 

 突然の話題の転換と、ニヤニヤとこちらを見つめるような北上の視線に大井は一人身構えた。

 北上と旧知の中である大井は本能的に理解していた。今の北上の怪しげな笑みは九割九分、相手を弄るときにしか見せない類のもので、且つ割と洒落にならない精神的威力を秘めている事を。

 かつての被害者としては一か月前程に阿武隈の前髪が、次に一週間前に阿武隈の襟足が、そしてつい先日阿武隈のモミアゲが尊い犠牲となった。いや、別に切られたりして無くなった訳では無いが。

 とりあえず対抗策は只一つ、変に意識して大きなリアクションを取らない事。飽き性な北上はそれですぐに興味を失ってくれる。

 

 心拍が上がりそうになるのを腹に力を込める事でぐっと耐える。表情には日頃から鍛えた猫被り笑顔を貼り付け、大井は余裕綽綽と言った様子で北上の次の言葉を待った。

 

「あんなにこの提督指定のジャージに文句言ってたのに、着崩せるようになるまで使い込んでんじゃん」

「……な……あ」

 

 全然駄目でした。

 北上の指摘に口をぱくぱくさせながら、奇妙なポーズで全身を隠そうと躍起になる大井。しかし残念ながら、全く隠れていない。

 

「愛だね、愛」

「べ、別に違います! これは木曾がお揃いなんだから着ろって煩いから仕方なく着ているだけで……ってその恵比寿様みたいなのっぺりした笑顔止めてください!!」

「いいじゃんいいじゃん。似合ってるんだし、可愛いよ大井っち」

「お世辞なんていりません!」

 

 『んー、お世辞じゃないんだけどなー』と呟く恵比寿北上から逃げるように大井は口元をジャージの裾で隠し、その場に蹲ってしまう。

 誰が好き好んでこんなクソダサいジャージなんか、とぶつぶつ口を尖らせながら大井は改めて北上の全身を横目に、

 

「そんな事言いながら北上さんだって着てるじゃないですか、その赤のジャージ」

「いやーだって確かに見栄えはダサいけどさ、いざ着てみるとこれが中々どうして着心地良いんだよね。伸縮性も生地も悪くないから寝間着にも使えるし、流石提督が選んだジャージ、機能性重視っていうのが渋いよねー。ダサいけど」

 

 果たして二回言う必要があったのかなどと思案しながら、大井は改めて自分の衣服へと意識を傾ける。

 赤を基調とした伸縮性のある生地に、両袖から襟にかけてとズボンの両外側に細い白のラインが二本。チャック一発で着脱可能な手軽さを擁した機能性に溢れるスポーツウェア――通称ジャージ。

 

 曰く、木曾が司令室に舞の申請を打診した直後の休日に提督が一人店に赴き、自費で用意してくれた物のようで、後日五人分のスポーツドリンクと共に部屋に届けられた。

 

 達筆で書かれた『風邪と怪我に気をつけなさい』という手紙を添えて。

 

 お世辞にもお洒落とは言えない品ではある。木曾以外、店で見かけても誰も買おうとは思わないだろう。それでもこうして五人で集まって舞の練習をする時は決まって全員この芋ジャージ姿でやってくる。

 

「全く何がそんなに良いんだか」

「いやいや、やっぱ機能性って重要だよ大井っち。多摩にゃんと球磨クマーも最近ずっとこれで寝てるらしいしさー」

「趣味悪いですね」

「おお、ばっさりだ。ちなみに木曾キソーは週一回は必ずこれ着て執務室に行ってますが」

「正気の沙汰とは思えませんね」

 

 辛辣な大井の台詞にけらけらと楽しそうに笑う北上。

 

「そだねー。それにしても提督もあとちょっとセンス良いの選んでくれたら大井っちも助かったのにねー」

「? どういう意味ですか?」

「だってそうすればわざわざ私が夜間遠征とかで居ないときを狙って、大井っちがこっそりこれ着て寝るなんて健気な苦労しなくても良くなるじゃん?」

 

 同時にズゴンと激しく鈍い音が周囲に木霊する。

 それはそれは見事な頭突きだった。隣りに延びていたポールに顔面から突っ込んだままぷるぷる震える球磨型の四女。流れるような長髪の隙間から見える両耳がジャージと同じように真っ赤に染まっている。

 

「……誰から聞いたんですか?」

「鎮守府のパパラッチ」

「青葉コロス」

 

 おおう、なんて見事な連想ゲームなんだと北上は素直に感心した。勿論、感心する前に青葉の部屋に魚雷発射管の狙いを定めている大井を宥めるのが先だというのは言うまでもないが。

 

「ま、個々人思う所は色々あるとは思うけどさ」

 

 今にも暴走を始めそうな大井の背をトンと叩きながら防波堤の端に並ぶブロックにひょいと飛び乗った北上が、くるりと振り向き笑う。

 

「あの提督が私達姉妹のために選んでくれたって事が嬉しいんじゃん。ね、大井っち」

「……そんな所に立つと危ないですよ。ほら向こうで木曾が呼んでいます。怒られる前に行きましょう」

「あ、待ってよ大井っち」

 

 否定も肯定もせず、相変わらずの仏頂面ですたすたと木曾達の居る方向へと歩いていく大井の背を見ながら、北上は一人苦笑を零した。

 

「ま、これはこれで大井っちらしい回答かな」

 

 あれはきっと天邪鬼で気まぐれな相方なりの肯定の言葉なのだろう。

 そんな都合の良い事を考えながら、北上もまた潮風の舞うアスファルトの上を駆けて行った。

 

 

 

 

「予定時刻まで残り四時間でーす! 繰り返します、予定時刻まで残り四時間でーす!」

 

 副料理長である伊良湖の追い打つような報告に、元々慌ただしかった厨房が更に激しさを増す。

 鉄同士を打ち鳴らしたかのような激しい金属音に加え、数多の調理機器が吹き鳴らす蒸気に厨房内の温度は尚も上昇を続けていく。

 

 常時ならば間宮と伊良湖、加えて妖精さんで運用されているここ食堂内の厨房も、今日ばかりは大勢の臨時スタッフ達で溢れ返っていた。

 

「鳥の唐揚げ五十人前上がりました! 運搬行けますか!?」

「よーそろー!」

「妖精さんこちらもお願いします!」

「ま、まかされたし!」

 

 臨時で設置されたステンレス製の台座に次々置かれる料理群を、幾人もの妖精さんが目を回しながら飛ぶように運んでいく。

 誰もが額に汗を滲ませながら、割り振られた役割を着々とこなしていく間宮食堂。祝宴を彩るにふさわしい料理が次々と並べられていく中で、じわじわとタイムリミットも近付いてきている。

 

 その最前線。全ての要と言える第一調理部隊の中心で自らも鍋を振りながら、総料理長である艦娘――間宮は一人内心で悩んでいた。

 

「間宮さん、指示通り全部隊微調整完了しました」

 

 背後からの伊良湖の声に、一度鍋の火を止め振り返る。

 

「ありがとう伊良湖ちゃん。進捗具合は順調かしら?」

「そうですね。若干のメニュー変更はありましたが、鳳翔さん達第一調理部隊の素早い対応のおかげでなんとか間に合いそうです」

「そう、流石は鳳翔さん率いる精鋭部隊ね。頼もしいわ」

 

 そんな伊良湖の報告に間宮は一つ小さく息を吐いた。とりあえずは予定通り、と言った所である。

 ちなみに第一調理部隊とは鳳翔や大鯨など、日頃から料理を嗜んでいる者達のグループの事だ。彼女達には今回メイン料理となる品々を担当して貰い、その他の前菜や副菜などは第二調理部隊が担当する事になっている。

 

 などと口では簡単に言えるが、約百五十人分の料理を質の高い状態で尚且つ半日で作る事の困難さは重々理解している間宮だけに、予定通りに進めている事は安堵以外の何物でもなかった。

 

「後は榛名さん達、第二調理部隊の方ね」

「そちらも特に問題はありません」

「あら? 初めての事だし少しぐらいトラブルが起きるかもって覚悟はしてたんだけど、優秀ね」

「はい。ちょっと日向さんが瑞雲を模したパンを延々と焼き続けてたり瑞鳳さんが用意していた卵を使い切る勢いで卵焼きを作り続けてたり、赤城さんがいつの間にか何処かに消えてたり、隼鷹さんが作った料理をつまみながらお酒飲んでたりしますけど大丈夫です」

「伊良湖ちゃん……あなた、疲れてるのね」

 

 どうやら厨房全体の舵取り役は伊良湖にはまだ荷が重かったようだ。

 よくよく見れば、笑顔は引き攣り瞳の光は完全に失われてしまっている。おそらく真面目な伊良湖の事だ。問題児軍団に真正面からぶつかり、常人には理解不能な理屈で論破されてしまったのだろう。

 

「大役を任せてしまってごめんなさい伊良湖ちゃん。あなたは少し休憩してなさい。お昼もまだだったでしょう? 何か作って持って行ってあげるから、座って待ってて」

「ふぁい」

 

 何とも気の抜けた返事でふらふらと歩いていく伊良湖。

 そんな彼女と入れ替わるように、一人の大柄な、よく見知った人物が姿を現した。

 

「忙しいところすまない間宮君、今大丈夫か?」

「提督!」

 

 驚きの余り零れた比較的大きな声に周囲の視線が一気に集まるのを背中に感じ、間宮は慌てて口に手を当て塞いだ。図らずとも現れた提督の存在に、厨房内の熱気が更に一段階上昇したようにも感じる。

 同時に間宮の胸中に疑問符が浮かび上がる。

 

 ――何かあったのだろうか?

 

 今までの経験上、一度誰かに一任した専門の仕事場に提督が再度一人で現れる事は稀だ。勿論緊急時や必要時など例外はあるが、基本的に提督は無駄な介入を好まない。

 提督の性格を熟知している間宮からすれば、何か問題が起こり、それを伝えるためにこの場に現れたと判断したのも自然の流れと言える。

 しかしそんな間宮の問いに、提督は何処か言い辛そうに首を横に振った。

 

「いやなに、少し手が空いたのでな。何か手伝える事はないだろうかと思ったのだが」

 

 若干の気恥ずかしさからか、後ろ髪を触りながら返答を待つ提督のそんな言葉に間宮は自分の頬がみるみるうちに緩んでいくのを自覚していた。しかも全然抑えきれない。

 これは一体どういう風の吹き回しか。明日は雪でも降るのではないだろうか。

 などと本気で思ってしまう程に、あの提督が自らの意志でここまで踏み込んできてくれるなんて初めての事だった。

 

「ま、間宮君? な、何がそんなに嬉しいのだ?」

「嬉しいですよ! それはもう本当に凄く!」

 

 柄にも無くはしゃいでしまった。それこそ無意識の内に両手で提督の手を強く握っていた事で周囲に殺気が混ざり始めた事に遅れて気付く程度には年甲斐も無く。

 そんな自分に終始目を白黒させていた提督は心を落ち着かせたのか、周囲へと視線を移した。

 

「まあ、そういう訳だ。配膳でも食器洗いでもできる事なら何でもしよう」

「何でも? ……では無く、そうですね」

 

 提督の台詞に無駄に反応しつつ、間宮は一人考える。

 本人はああ言っているが、流石にこの場で提督に皿洗い等の雑用を頼むような事は厨房を預かる者として、出来うる筈もない。

 それに折角の機会だ、提督が来てくれたことで他の皆にも喜んでもらえるような何かをしてもらうのが望ましい。

 そこまで考えて、何かに閃いたように間宮はふと顔を上げた。

 

「提督って昔、自炊されてたんですよね?」

「む? ああ、まあ自炊と言えど簡単な出来合いの物ばかりだったが」

 

 それがどうかしたのかという表情の提督に、間宮は楽しそうにはっきりとお願いを口にした。

 

「でしたら提督も何か一品、作って祝宴を彩ってくださいな」

「な……そ、それはしかし」

「駄目ですか?」

「駄目ではない……が、折角君達のような本職の者達の料理が並ぶ中で私のような者の不出来な代物を出すのはどうかと思うが。何より味の保証が出来ない」

「成る程、じゃあ味の保証が出来たら良いんですか?」

「まあ……そうだな」

 

 そんな間宮の提案の下、今からここで腕を振るってもらい、間宮と伊良湖の双方の判断で最終決定という形に落ち着いた。

 提督は出来の悪さを心配していたが、瑞雲パンや卵焼きピラミッドが既に存在している時点で景観は損なわれる事確定のため取り越し苦労と言えなくもない。

 そんな思考に耽っていた間宮の前に、服を着替え材料を手にした提督が戻ってくる。

 

「提督のエプロン姿なんて初めて見ました」

「似合ってないだろう。まあ仕方のない事だが」

「そんな事ないですよ。ただ新鮮でなんだか休日のお父さんって感じイイですね」

 

 あ、じゃあお母さんは私になっちゃうのかな? などと一人漫才を続ける間宮を余所に提督は用意していた各種野菜を刻み、フライパンに油を引いて熱し始める。

 予想以上に慣れた手つきに少しだけ驚きつつ、間宮は邪魔にならない程度に工程を見守る事にした。

 

「これはもしかして炒飯ですか?」

「うむ。私が失敗せず作れて、かつ量を作るのに比較的手間のかからない料理と言ったらこれくらいしか思い浮かばなくてな」

 

 言いながら提督は卵を先にご飯とかき混ぜ始める。こうする事によってパラパラとした触感を作り出せる事を提督は知っていたようだ。

 それにしても、だ。

 

「なんだか普通の炒飯の具材と比べて野菜が多いように見えますね」

 

 人参、玉ねぎ、レタスに加え、数種類のパプリカも入っている。

 なんとなく予想外だった。普通の男の人ならもっと油多めで肉類中心のこってり系になると思っていたが、意外や意外、野菜中心のどう見てもヘルシー料理だ。

 更に提督の取り出した材料に間宮は少なからず驚きを露にした。

 

「ここで梅……ですか」

「ああ。知っているとは思うが梅には疲労回復や食欲増進の効果がある。カリっとした歯ごたえも意外と合うしな」

「驚きました。完全に健康を前提としたヘルシー炒飯ですね。もっとがっつりとした男の料理を予想してましたよ」

「私が食べる分にはそれでもいいが、君達は女性だからな。色々と気にする事もあるだろう。駆逐艦の子達には不評かもしれないが」

「……提督」

「さあこれで完成だ」

 

 そんな提督の言葉と共に、一人分の出来立て炒飯が皿に盛られ差し出される。鶏ガラの芳しい香りも然ることながら、ふわりと漂う梅の爽やかな香りが、忘れていた空腹を刺激してくる。

 ごくり、とまるで漫画の世界のように喉を鳴らしながら、間宮は添えられた蓮華で炒飯を一掬い、口に運ぶ。

 

 瞬間、少量加えられたごま油の香りと梅の清涼感溢れる味わいが溢れ出し、間宮は図らずとも感想を口に出してしまっていた。

 

「……優しい味。パサつき過ぎず、べたつき過ぎず……美味しいです、本当に」

「そうか、口に合ったようで何よりだ」

 

 対照的に相変わらず反応の薄い提督ではあるが、どことなく表情は満足そうで、もしかしたら彼なりに何か思う所があったのかもしれない。

 ともあれこれは最早伊良湖に聞くまでも無く採用で文句はない出来の代物である。

 などと既に結論を出した間宮は早速伊良湖の待つテーブル席へ赴こうと炒飯に手を伸ばそうとしたところで異変に気付く。

 

「…………」

「…………」

 

 提督と間宮の立っている丁度真ん中、その下から蓮華が炒飯に伸びていた。サラサラと流れる桃色のツインテールと共に。

 

「はっはー! ご主人様の愛の籠った手作り炒飯は貰ったー!」

「さ、漣ちゃん!? あ、え? あ! 私の炒飯!」

「こんな神に等しきご褒美を独り占めなんて許せませんな! よって漣も頂いちゃいます! ってウマ!? なにこれウマー!」

 

 突如現れて間宮の炒飯に蓮華を滑り込ませた漣。そのまま流れる動作で蓮華を口に入れた後、よく分からないポーズで叫びだしてしまった。

 そんなやりとりをぽかんと眺めていた提督は、ふいに服の袖を誰かに引かれたような気がして振り返った。

 

「……照月、その皿は」

「……っ! だ、ダメですか?」

「いや、駄目なんてことはないが。熱いから気を付けなさい」

「やったあ!」

 

 そこに行儀よく紙皿と箸を手に立っていた照月。まるでサンタを信じる子供のような輝く瞳で提督と炒飯を交互に見つめていた照月は了承の言葉に満開の笑顔で提督に抱きついた。

 その後我に返り、羞恥と申し訳なさで真っ赤になりながらも幸せそうに炒飯を頬張っている。

 

「私も含めて三人。これでもう十分な結果ではないですか?」

「……間宮君」

「これでもまだ心配ならもう一品作ってもらってもいいですけど?」

「い、いや大丈夫だ。そうだな、折角の機会だ。私も皆に日頃の感謝と共に振る舞わせて貰おう」

 

 厨房から見えるテーブルで仲良く炒飯を食べる二人を眺める提督。こうして自分の作ったもので誰かが笑顔になってくれるのも嬉しいものだ。

 と、ほんの少しではあるが間宮達料理人の気持ちを理解できたような気がして、それだけでも来た甲斐があったというものだ。

 その旨を間宮に伝えると何故か頑張って下さいという激励と共に後ろを指差され、振り返ってみると――

 

「は、榛名にも出来ればその」

「提督の手料理、楽しみですね」

「ふむ。提督の炒飯にはやはりこの瑞雲パンが相応しいと思うのだがどうだろうか?」

「いやいや。卵が入ってるんだから卵焼きの方がいいよ絶対! ね? 提督!」

「む、むむ」

 

 ――長蛇の列が出来ていた。まるで遊園地のアトラクション待ちのような長い列が。

 

「ふふっ、頑張って下さいね提督」

「……むう」

 

 間宮の楽しそうな声音を聞きながら、提督は静かに料理人の厳しさの片鱗を感じたような気がした。

 結局この後、厨房メンバー全員に炒飯を振る舞った上で、改めて祝宴用の炒飯を作り直した提督であった。

 

 ちなみに提督の炒飯を食べたメンバー全員がその後の仕事で二倍以上の仕事量を熟したらしい。

 




 今更ながらにヴァイオレット・エヴァ―ガーデンを視聴しました。
 涙で目玉が転げ落ちるかと思いました、まる。


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番外編 龍の帰還 其の二

 穏やかな気候に、穏やかな水面。

 頭上では時折吹きすさぶ潮風の助けを借りるように、カモメがゆったりと空の波に揺られている。まるで小春日和、そんな形容が良く似合う海上に少女が二人。

 夕立と時雨。彼女たちは現在鎮守府正面海域の警備担当の任に就いているところだった。

 

「…………」

「…………」

 

 片やふてくされたような、片や苦笑じみた表情の二人の視線の先には見慣れた鎮守府が。中では今日の一大イベントの準備がさぞ盛大に行われているようで、正面玄関では先ほどから慌ただしく入れ代わり立ち代わり誰かが出入りしている姿が見て取れる。

 仕事にもイベント毎にも常に全力で取り組む鎮守府だ。きっと中はこれ以上ないくらいの活気に満ち溢れていることだろう。

 そう思うと自然と頬が緩む時雨だったが、事現在に至って言えば問題なのはそこではなかった。

 

 先ほどから妙に静かな隣へとさり気なく視線を移してみる。

 

「……ぽい~」

「ゆ、夕立、顔が……」

 

 梅干しみたいになってるよと言いかけてやめた。流石に乙女に対してその表現はどうなんだと、時雨の良心は提督が絡まなければとても模範的なのだ。

 しかしこれはこれで困った事態である。

 

「ねえ夕立、提督と部屋の飾り付け部隊が羨ましいのは分かるけど、ちゃんと前見てないと怪我するよ」

「無理っぽい限界っぽい! 春雨も村雨もずるいっぽい~! 夕立も提督さんと部屋の飾り付け部隊が良かったよ~」

「いやまあ気持ちは分かるけどじゃんけんの結果だからね、仕方ないさ」

 

 なおも服の裾をぎゅっと握りしめながら涙目で唸る夕立に時雨はやれやれと頬を掻いた。

 本心で言えば時雨もできれば提督と一緒にパーティーの準備ができる方が良かった。貴重なのだ、仕事以外で提督と一緒に何かができる機会など早々あるものでもない。

 しかし当然、祭事中と言えど周辺海域の警備を怠ることはできないし、そもそも飾り付け部隊に駆逐艦全員は流石に人員配置が過剰すぎる。

 結果、各隊から半数は飾り付け部隊へ、残りの半数が別の任へという通りすがりの大淀の提案により、過去類を見ない大規模大戦並の気迫の籠ったじゃんけん大会が催されたのだ。なお二人の戦果は推して知るべし。

 

 いかに時雨と言えど負けて悔しい気持ちがなかった訳ではない。だがこればかりは仕方がない。公平公正な勝負の末の結果なのだ。文句のつけようがない。

 どっかの桃色ツインテール駆逐娘のように『三回勝負だから』『あっちむいてホイだから』などと小学生の地団駄のような恥を掻き捨てる蛮勇など持ち合わせてはいない。しかしそれでも負けるのだから神様はちゃんと見ている。

 

「ま、もう少しで交代の時間だからそれまで頑張ろ。ね、夕立」

「……無理っぽい。提督さん成分が枯渇して夕立の生命の危機っぽい。だからちょっときゅうけい~」

「なんなのさその怪しい成分は……もー仕方ないなあ」

 

 ふらふらと左右に揺れながら防波堤の端にべしゃりと倒れ込む夕立の隣に時雨も腰かける。

 そのまま暫くぼーっと穏やかな海を眺める二人。時折どこからか軽快な音楽と共に某アイドル系お団子頭軽巡洋艦の響き渡るような声音が聞こえてくる。

 

「ぽいぽい! 見て見て時雨、球磨さん達みんな同じジャージ着てるっぽい! 北上さんも大井さんもお揃いなんて珍しい~」

「ああ、あれ提督がプレゼントしたらしいよ」

「なーにーそーれー! ズルい羨ましいっぽい~」

 

 防波堤の上で仰向けのままジタバタと羨ましがる夕立。なんとなく気持ちは分かるので、時雨もまあまあと宥める程度で煩わしさなどは一切ない。

 一頻り動いた後、そんな夕立は急にパタリと動くのを止め、代わりに可愛らしい音がお腹の辺りから鳴り響いた。

 

「……お腹空いたっぽい」

「もう一時だもんね。後十分くらいで交代だから、終わったら食堂で何か食べようか」

「……夕立、提督さんが食べたいっぽい」

「そうだね……ってちょちょっと夕立!?」

「間違えたっぽい。提督さんと食べたいっぽい」

「いや、そこ一番間違えたら駄目なやつだから」

 

 一体何を想像したのか少しだけ頬の赤い時雨と、完全に天然で間違えた提督のこと以外何も考えていない夕立。普段性格的に大人びている時雨は周囲から夕立のお目付け役として見られがちだが、実際振り回されているのは時雨の方である。

 しかし提督と食事とは魅力的な提案だが、この鎮守府の様子では不可能に近いだろう。艦娘ならいざ知らず、全体のタイムスケジュールを担っている提督にこの状況で暇があるとは思えない。

 時雨たちだってこの後まだ担当している仕事が残っている。今日に至っては悠長に昼食を楽しんでいる時間はない。

 

「そうと決まれば早く行くっぽい! ちゃんとお仕事してきたって提督さんに褒めてもらうっぽーい!」

「駄目だよ夕立。交代まであと十分あるんだから」

「うえー時雨細かいっぽーい。消灯時間見回り中の霧島さんみたーい」

「僕が細かいんじゃなくて夕立が大雑把すぎなの。そんな事言ってたら後で霧島さんに怒られるよ」

「ぶー時雨だって提督さんに褒めてもらいたいくせにー」

「なんとでも言えばいいよ。僕は提督に頼むってお願いされてるからね。後十分と言えどお仕事を途中で放り出すなんてことは……うん?」

 

 とそこまで言いかけて時雨は言葉を区切った。

 原因はスカートに入れていた携帯が振動した事だった。バイブが二回で切れたということは電話ではない。となれば急用ということでもなく、わざわざメールを入れて来る理由はなんだろうか。

 とりあえず考えても仕方がないので、時雨はおもむろにポケットから携帯を取り出して画面を開くことにした。

 

「漣からメール? 件名は……神チャーハンキタコレ?」

 

 そこにはそんな意味不明な件名と共に、照月と一緒に満面の笑みでチャーハンらしきものを頬張っている漣の姿が。

 しかし時雨にとって何よりも重要だったのはそんな写真でも件名でも無かった。わざとらしく開けられた空白ののち、最後に注釈としてひっそりと書かれていた一文。その文字が時雨の動悸を何倍にも跳ね上がらせた。

 

 

 ※提督の限定手作りチャーハン、試食会中。大大大好評につき、残り僅かダヨー。漣より。

 

 

「…………」

「……時雨? どうしたっぽい? お手紙誰から?」

 

 後ろからは夕立のそんな声。だが最早時雨には何も聞こえていない。見えているのは提督の手作りという魅惑の六文字のみ。

 

「ごめん夕立。僕ちょっと先にお手洗いに……」

「待つっぽい。時雨さっきも途中でお手洗い行ったっぽい」

 

 ぐわしっと肩を掴まれ振り返った先には、それはそれは夕立のとてもとても訝しそうな視線。普段はお気楽ご気楽星人の癖にこういう時だけ鋭くなるのは提督忠犬部隊の一人だからか。

 しかし悲しきかなそれは時雨も同じ。

 さっきまでの凛々しい時雨はどこへやら、あと五分残っている任務も忘れてひたすらそわそわもぞもぞと鎮守府へ視線を泳がせるだけである。

 

 ……ああ、早くしないと提督のチャーハンがっ!

 

 既に時雨の頭はそんな焦燥感でいっぱいだった。流石は提督が絡むと駄目になる艦娘筆頭である。

 

「ごめん夕立!」

「あっ! 時雨待つっぽい! 秘密なんてズルい夕立にも教えるっぽーい!」

 

 もはや我慢の限界とばかりに駆け出す時雨の後を夕立が追いかけていく。

 いつもとは立場が違う、時雨が逃げて夕立が追いかけるという奇妙な光景に、しかし本人たちは脇目も振らず鎮守府へと一目散に駆けていく。

 

 ちなみに途中、交代のために防波堤へと向かっていた響と電がその光景を楽しそうに写メっていたのだが、そんなことを今の二人が知る由もなかった。

 

 

 

 

 また同時刻、鎮守府から少し沖に出た場所では――

 

「釣れましたか赤城さん?」

「いえ、さっぱりです」

 

 何故か赤城と加賀が釣りをしていた。

 ゆらゆらと手漕ぎの小舟に揺られる鎮守府随一の航空戦力を持つ誇り高き一航戦。海人と書かれたTシャツに芋ジャージ、加えて麦わら帽子を加えた姿は正に田舎のおばあちゃんだが気にしてはいけない。

 ちゃぷちゃぷと揺れる波間に釣り糸を垂らす赤城は思う。

 

 どうしてこうなった。

 

「あの、撒き餌中すいません加賀さん」

「なんですか?」

「どうして私たちは釣りをしているのでしょうか?」

 

 本来ならば赤城は今頃厨房担当として間宮たちと作業をしているはずだったのだ。それが今朝急に加賀に呼び出された結果がこれだ。『緊急任務です』と加賀がやたら真剣な表情で言うものだから、慌ててついてきたというのに……これでは暇を持て余した休日のお父さんと変わりないではないか。

 

「? 赤城さん、魚苦手でしたっけ?」

「大好きですけど……ってそうではなくて、鎮守府全体が忙しい中どうして私たちはのんきに釣り糸なんか垂らしているのかって聞いてるんですよ」

 

 きっと今頃厨房全体は火の車となっているに違いない。只でさえ人手不足を気合で乗り切ろうとしていたのだ、一人と言えど人員が減るのは大打撃。だというのに諸悪の根源である加賀は、分かってませんねえとでも言いたげに口の前でちっちっちっと人差し指を振っている。いいから、とりあえず撒き餌を止めて下さい。

 

「赤城さんは思いませんか」

「何がです?」

 

 水面にぷかぷかと浮かぶ撒き餌を眺めながら、適当に相槌を返す。加賀は何処となく真剣な口調だが、だからと言って考えてることまで真剣とは限らない。この人はそういう人なのだ。

 

「今日は鎮守府の仲間が長い任務期間を終えて帰投する大切な日。それを祝うために私たちは提督主導の下こうして額に汗を流して準備しているわけですが」

「傍から見れば休日に家を追い出された定年間際のお父さんですけどね」

「しかし私は思ったのです」

 

 あ、聞いてませんねこの人。

 

「確かに提督の指揮は淀みなく間宮さん考案の料理は素晴らしい。このままでも会は十分に成功するでしょう。ですがそれだけでいいのか、と。受け身ではなく私たち一人一人が二人を祝うために行動することが一番大切なのではないか、と」

「……はあ」

 

 なおも無駄に熱い加賀の演説は続く。

 

「朝食の鮭の切り身をほぐしつつ、間宮さんが考えた今日の祝い事用メニューを眺めながら私は必死に考えました」

「それで?」

「そして思ったのです、新鮮な魚がお腹一杯食べたい、と」

「さ、帰りましょう」

「あ、ちょまっ」

 

 手漕ぎ用のオールを手に有無を言わさず漕ぎ出す赤城。後方では何かが盛大に転んだような音がしたが気にしない。

 ぷかぷかと揺れる船はゆっくりと前進を開始する。

 

 ――? 何か打ちあがるような、これは……?

 

 ふいに、赤城の耳に何かが射出されたような、鈍く乾いた爆発音が届き、思わず空を見上げる。

 が、視界に映るは晴れやかな青と白のコントラストのみで他の遮蔽物は見当たらない。謎の音の答えを得られず、赤城は一人、はてと首を傾げる。

 

 もう一度集中して聞いてみようか、と目を瞑る赤城だったが、直後ぶすくれた加賀に背中からワカメを放り込まれそれどころでは無くなり、結局、音の正体を確かめる事なく二人は鎮守府へと戻っていった。

 

 

 

 

 更に赤城が加賀とワカメの入れ合いをしている丁度その頃、鎮守府の裏の中庭では――

 

「うーん、やっぱりちょっと色味が足りませんかねー」

「そうですか? 私はシンプルで統一感あって良いと思いましたけど」

 

 明石と夕張が夜のイベント用の花火造りに勤しんでいた。二人共つなぎ姿で、手も顔も煤だらけのまま云々と腕を組んで頭を捻っている。年頃の乙女としてその姿はどうなんだと言われそうだが、提督が居るわけでもなく、普段から割と同じような格好なので特に気にする事もない。

 

 少し離れた場所では頭にねじり鉢巻きを巻いた妖精さん達がせっせと玉貼り作業に精を出していた。もごもごと口いっぱいに飴玉を頬張っているあたりに、買収された気配をうかがわせる。

 

「ま、後は調整だけですし、少し休憩しましょうか」

「そうですね」

 

 朝からぶっ続けの作業に一息入れるべく、明石の提案に夕張が頷く。近くに置いてあったクーラーボックスから飲み物を手に取り、蓋に手を掛けつつ木陰へと腰を下ろす二人。

 さらさらと凪いでいく風を頬で受けながら、明石は喉を通して良く冷えた水分が体中を潤していく事を実感する。九月とはいえ、昼時はまだまだ暑さは健在だ。隣では夕張がシャツを団扇代わりに、パタパタと扇いでいる。

 

「あ、提督」

「ひょわぁっ!?」 

「と、思ったけど気の所為でした」

「って……ちょっと、明石さん?」

 

 ちょっとした悪戯心で揶揄ったつもりが、夕張からは恨みを込めたジト目を頂いてしまった。

 まったくもう、と若干赤い顔で呟きながら、せっせとズレたシャツの裾を直している。先ほどまで首元から覗いていた健康的な薄緑色のスポーツブラは、今はもう見えない。

 

「それはそうと、ずっと付きっ切りで手伝って貰っちゃって、夕張さんは予定とか大丈夫でしたか?」

「いえ、全然そんな。何処に手伝いにいけばいいか迷っていたところに声を掛けて貰えてよかったです。わざわざ飲み物まで準備してもらっちゃって」

「ああ、それは私じゃなくて、提督が前もって準備してくれていたものですよ」

「えっ!?」

 

 驚きの言葉を発する夕張に、明石は苦笑気味に笑う。

 

「飲み物だけでなく、そこの花火に使う材料も資材も、妖精さん用のお菓子その他諸々、全て提督が用意してくれたんです」

「ま、まさか自費ですか!?」

「いえ、流石にそこは経費ですが」

 

 明石の言葉に夕張がほっと胸を撫で下ろす。

 先ほどまで割とバカスカ打ち上げていた試作品の材料費が、後から提督の懐から出ていたなんて言われた日には、きっと自分も今の夕張みたいな顔になるに違いない。

 何を大袈裟な、少し考えれば分かる話だろうと言われればそれまでだが、彼には以前、自分への褒章を皆のため大量のスイカに代えるという前科があるため油断ならないのだ。

 

「まあ、二人の帰りを盛大に祝いたいっていう皆の我儘に経費を回してくれている時点で、提督の懐からっていうのは、あながち間違いではないんですけどね」

 

 そしてそれこそが、提督の艦隊運用の在り方でもある、と明石は思っている。

 経費と言えば聞こえはいいが、結局それは提督に与えられた鎮守府運営用の予算であり権利の一つだ。そしてそれは当然、無限に湧き出て来るものではない。

 限られた予算の中で、鎮守府の運営を回さなければならない。

 だがそれは同時に、提督の匙加減一つで全てが決まるという事の裏返しでもあるのだ。

 

 とある鎮守府の提督は予算の大半を私的欲求を満たすために使い込み、別の鎮守府では監査時に使途不明金が大量に発覚し大問題となった。

 金は人を変える。

 その人となりはお金の使い方を見れば分かると言われるのが其の所以だ。それが基地一つを運営する程の大金となると、なおの事。

 

 提督は浪費家ではない。では倹約家かと言われれば、そうでもない。

 勿論無駄にとか、個人的に使うといった話ではなく、使うべきだと判断したところにはしっかりと使う、提督はそういう人だ。 

 別に提督に限らず、そういう人は多いだろう。

 ただ一つ、提督が他と違う要素を上げるとすればそれはきっと――そう、自分たち、艦娘への比重の重さに他ならない。

 国のため、市民のためという大前提は別として、それ以外は全て艦娘の――命を賭して国を守る仲間達のために。

 

 事実、今回の会に関する部下の少女達の、ある意味で我儘ともとれる様々な提案に、提督は二つ返事で了承し、それぞれに予算を充てた。

 決して余っていたわけではない貴重な鎮守府運営の予算を、さも当然であるかの如く、平然と。

 

 ――私としては、もう少し提督自身に目を向けて欲しいんですけど。

 

 だが、それが彼の、他ならない提督が考える艦隊運用の在り方なのだ。

 だとするならば、せめてその想いに応えるべく最高の結果を、とこうして夕張と頭を悩ませられる事も、ある意味ではとても幸せな事なのかもしれない。

 

「こんなことを私が言えた立場ではないのかもしれないけど、提督にはもう少し自分の事を考えて欲しいです」

「……っふふ」

「な、なんで笑うんですか!」

「いえ、やっぱりみんな同じ事想ってるんだなあって」

 

 そのまま、明石は青々と茂る芝生部分にぼすんと身を投げ出した。

 頭上に広がる枝葉の隙間からは、陽光がきらきらと輝いている。ザアァァ――と潮風が木々を揺らしていく葉音が耳に心地よい。

 ふと、隣からもどさっと身を投げる音が聞こえた。

 

 二人して暫し、大自然の息遣いに身をゆだねる。

 

「……今頃、天龍さん達に迎えが出てる頃ですかね」

「……そうですねー」

 

 先ほど、材料を取りに戻った時に玄関先に黒塗りの車が止まっていたので、たぶんそれで間違いない。

 出迎え役の大淀が珍しく化粧をしてたから、軽く揶揄ってやったら恐ろしく冷淡な目で危うく店の予算を大幅カットされかけた。職権乱用とはなんて奴だ。仕返しに、今度隠れて撮った写真を提督に送り付けてやろう。

 

「そういえば、知ってますか明石さん」

「なんですかー?」

「向こうの提督さん、海軍学校時代の提督の後輩だったらしいですよ」

「みたいですね。詳しくは知りませんが、お顔は本営発行の提督目録にも載ってますし、直接大淀から写真を見せて貰った事もあります」

 

 結構前の話だが、写っていたのが前線勤務の提督職としては珍しい年若い女性だったのでよく覚えている。

 口元に浮かべた微笑に、穏やかだが意志の強そうな秘めた瞳を携えた姿から、どことなく提督に似ている雰囲気と印象を当時から受けた。

 綺麗な人だな、と思った。

 後輩というだけあって、それなりに提督とも接点があったのだろうけど――

 

 なんとも微妙な表情で、隣の夕張が呟く。

 

「……美人さんですよね」

「……」

「……週刊提督に載ってる自己紹介文の尊敬する人物欄部分に『軍学校時代の先輩』って書いてるし」

「…………」

「……今回の派遣任務に二人を送ったのも、依頼に対して珍しく提督が自分から志願した結果って噂ですよ」

「………………」

「……もしかしてお二人、良い仲だったりして」

 

 暫しの無言の後、お互いにまっさかーと笑い合って、そして二人して大きな溜め息を吐く。

 他人の恋路を勝手に捏造して妄想して、挙句の果てに辿り着いた結果に勝手に落ち込んでいたら世話も無い。

 

「私たちの持ってる女子力ってなんでしょうね」

「うーん、少なくともこの真っ黒な手と顔の事ではないのは確かですね」

 

 煤だらけの両手を見比べ、夕張と苦笑を交わす。

 お淑やかさや貞淑さとはまるで縁遠い話だ。

 それでも昔、別の場所で汚らしいと疎まれ蔑まれたこの姿も、今となっては揺るぎない自分の誇りだと胸を張って言える。

 

 提督はこの汚れた手を握ってくれるのだ。働き者の、皆を守ってくれる手だと褒めてくれるのだ。

 今はそれで良い。うん、今はそれだけで頑張れる。

 

「……何か嬉しそうですね。何か思い出してたんですか?」

「いえいえ、なんでも」

「ええー、教えてくださいよー」

 

 夕張の追撃を無視して、立ち上がった明石は大きく伸びを一つ。

 たわいもない話でリラックスできたのか、頭も体も不思議なほど軽くなっている。

 

「さて、そろそろ再開しましょうか」

「あ、ちょっと待ってください! もー、今度鳳翔さんの店で飲むときにでも教えてくださいね!」

「はいはい」

 

 後ろから慌てて付いてくる夕張に適当に声を掛ける明石。

 そのままあれこれ話ながら、二人は花火造りの仕事へと戻っていく。

 

 その向かい側、鎮守府正面玄関から敷地外へと続く道路の先では、今まさに一台の黒塗りの車が走り出そうとしていた。

 



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本編
第一話 出迎え


 カリカリと筆を進める無機質な音だけが司令室に響く。

 時刻は昼の三時前。そろそろ早朝に出した遠征部隊が帰還する頃だ。そう思い、筆を置き報告書に印を押し席を立つ。

 

「司令官、いつものお出迎えかい?」

「ああ」

「それなら私も行くよ」 

 

 そう言って目を通していた書類を置き、隣に駆け寄って来るのは今日の秘書艦である響だ。まるで光の粒子を纏っているかのような流れる銀髪に幼いながらも強い意志を秘めた瞳を持つ駆逐艦の少女だ。

 

「特に面白いこともないし、無理してついてこなくてもいいぞ」

「無理なんかしていないよ。むしろ司令官と一緒で私は嬉しいよ」

「……そうか」

「そうだよ」

 

 気恥ずかしさからか、ついそっけない返事になってしまう。そんな自分の態度に気にした素振りを微塵にも見せず彼女は隣を鼻歌交じりに歩いている。

 

 昔から女性とは縁のない生活をしてきたせいか、自分は女性とのコミュニケーションが少し、いやかなり苦手だ。

 海軍学校時代、極力女性との接触を避けていたせいか同期の間で『創眞には男色の気があるのでは?』という不名誉極まりない噂が流れたほどには。

 そんな自分にこの『提督』という役職を、立場を利用して強引に辞令を出した元帥曰く。

 

『創眞、お前は女性に関心がなさすぎじゃ。もっと周りの視線や好意を感じとらんかい』

『む? 自分では特に問題ないと考えておりますが』

『……お前この前――二月十四日に何か貰わんかったか?』

『その日はなぜか丁寧な包装がされた包みや箱が私のロッカー付近に置いてあったため、きちんと落し物として届け出ました』

『……お前というやつは』

『何か問題が?』

『もういい、とりあえず来月末の辞令を楽しみにしておけ。そこなら嫌でも接する機会があるじゃろ。話は以上じゃ』

『よく分かりませんが、失礼します』

 

 今考えれば、このときに元帥は自分の辞令を確定させたのではないかと疑ってしまうが、今さらそんなことを言っても仕方がない。

 

「司令官、どうかしたかい?」

「いや、大丈夫だ」

 

 あまり感情表現が豊かではない自分の微細な変化を感じ取ったのか、響が手を後ろで組みながら顔を覗き込んでくる。いかんいかん、思考の渦に呑まれてしまうのは悪い癖だ。直そう。

 

「っふふ」

「どうした?」

「いや、司令官は優しいなと思ってね」

「む? ……うむ?」

 

 突然の響の発言に思わず狼狽してしまう。話の流れが見えない。世のコミュ力の高い男性諸君は、今の会話だけでも相手の意図を理解するのだろうか。だとしたら私には一生無理な気がする。

 

「司令官は私たちの帰りをいつも直接迎えてくれるからね」

「すまない」

「なんでそこで謝るんだい?」

「すまない」

「エンドレスかな?」

 

 彼女たちが戦場へ赴くのを見送り、無事帰ってくるのを出迎える。これはもう自分の中での決め事のようなものになっている。

 自らの命を賭して戦っているのは自分ではなく彼女たちであり、私にできることは指示を出し、彼女たちの無事を祈ることだけだ。

 そんな彼女たちを想っていると自然と足が動いていたのだ。

 

「迷惑だったらすまない。その、なんだ。私などに迎えられても気分のいいものでもないだろうし」

「司令官はたまに見当違いな方向に思考がいくね。それもマイナス方向に」

「……むう」

「迷惑どころかみんな楽しみにしてるんだよ。雷なんて司令官に出迎えてもらうために遠征がんばるわっていつも本当に嬉しそうに出ていくよ」

「……そうか」

 

 少なくとも嫌悪感は抱かれていないようで内心ほっとしてしまう。この鎮守府には多くの艦娘がいて、その性格も多種多様だ。昔密かに買った『女性との接し方 お話編』すら実践できていない私にはこの人数は少々荷が重い。

 それでも最初はあまり乗り気ではなかった子が、最近は素直に遠征に出てくれるようになったりと少しずつだが良好な関係を築けていると思うが。

 

「まあでも大方の目的は司令官の『ハグ』だろうけどね」

「なにっ!?」

「司令官はいつも帰ってきた私たちを一人ずつ抱きしめてくれるだろう? 最近ではそれを目的に遠征に乗り気な艦娘も多いって噂だよ」

 

 一番最初の遠征帰還時に無事に帰ってきてくれたことの安堵感により、無意識に抱きしめてしまったことが事の発端であるが、なぜかその後も『ハグ』の要求が絶えず今や遠征帰還時の恒例となってしまっている。

 

「この前金剛が雪風の服を着て『ヘーイテイトクー! 駆逐艦金剛風デース! 遠征に行ってくるデース』とか意味不明だったんだが」

「ハラショー。それは相当だね」

「戦艦に遠征は不向きだと何回も説得したんだが」

「それでどうやって説得したんだい」

「それがなぜか後日一緒に買い物に行くという約束をしたら急に嬉しそうになって帰って行ってしまった」

「……」

「響?」

「Урааааа!」

「む? 急に怒ってどうした」

「司令官は私たちをもっと平等に扱うべきだね」

「ど、どういう意味だ?」

 

 なにか彼女の心の繊細な部分に触れてしまったのか、機嫌をそこねてしまったようだ。こういった場合の対処法など女性とのコミュ力ゼロの自分が持ち合わせているはずもなく、かといってどんな言葉をかければよいかも分からない自分が情けなくなる。

 

 母港が目の前まで迫り、このまま気まずい雰囲気で遠征組を出迎えるのは避けたいなどと思っていると、ムスっとした響が右手を差し出してきた。怒っている響には申し訳ないが、その年相応な可愛らしい表情につい苦笑してしまう。

 

「なんで笑ってるのさ司令官」

「すまない」

 

 その右手を取り、手を繋ぎながら一緒に母港まで歩いていくうちにいつの間にか響はいつも通りの響に戻っていた。

 

 女性の心というのはやはり難しい。

 



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第二話 帰還

 

 寄せては返してを繰り返す波と広大な海の景色と共に、時折強い潮風が髪を靡かせていく。

 

 今ではすっかり見慣れたそんな光景を横目に、自分と響は母港の脇に伸びたコンクリート造りの防波堤の中心に二人して腰掛けていた。

 

「風が気持ちいいね、司令官」

「そうだな」

 

 風に靡いた髪を慣れた仕草で掬い上げながら、目の前に座る響が気持ちよさそうに伸びをする。その動きに呼応するかのように近くにいたカモメが鳴き声を上げながら飛び去っていく。

 あんな風に大空を飛べたらさぞ気持ちいいのだろうな、などと考えてしまうほどには穏やかな天気だった。

 

「それにしてもだな、響」

「なんだい司令官」

「なぜ響は私の膝の上に座っているんだ?」

 

 この場所に着いて先に腰かけたのは自分だが、そのまま流れるかのように膝の上にポスンと腰を下ろしてきたので声をかける余裕がなかった。

 ……いや正直に話そう。なんて声をかければよいのかタイミングも何もかも分からなかったのだ。

 

「迷惑だったかい?」

「いや、そんなことはない」

「それならよかった」

「うむ」

「……」

「……」

 

 会話が終わってしまった。

 隣ではカモメがまるで情けないと言わんばかりに大声で鳴いている。これでも着任当初よりはいくらかましなコミュニケーションを取れているのだと一人心で弁論を広げてみてもまるで意味はなかった。

 

 やはりこんなコミュニケーション能力が不足している男が大勢の少女たちの、ひいては艦隊の指揮を執っているなど許されてはいけないのだろう。

 

「明日、大本営に辞表を出すか」

「何をどうしたらその結論に行き着くんだい司令官」

「響は私のような者の下で本当に良いのか?」

「司令官でないと嫌だよ」

「……そうか」

 

 呟くような声の大きさとトーンだったが、なぜか響の言葉はすっと耳の奥の、心の中心にすとんと落ちたような気がした。

 当の本人はなぜか帽子で顔を隠してうずくまってしまっているが。

 ……これからはもう少し彼女たちと深く接することができるようになろう。

 

「! 司令官、帰ってきたよ」

「時間通りだな。方角は?」

「北西に一キロメートル、陣形は単縦陣、先頭から雷、電、朝潮、能代さんの順だよ」

「ありがとう響」

 

 よし、きちんと朝に指示した陣形を維持して帰ってこれたようだ。

 響には引き続き到着まで変わったことはないか情報収集を指示する。どうやら最近開発に成功した新型電探の効果は良好らしく情報伝達もスムーズだ。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ていとくさんていとくさん。たのまれていたかいはつかんりょうしたですはい」

「こんかいもいいしごとでした」

「もうおもいのこすことはないですはい」

「いつもありがとう妖精君たち。工廠に休暇届を持っていかせるから息抜きに使ってくれ」

「か、かみさまがこうりんなされた」

「なんてほわいとちんじゅふ!」

「もういましんでもいい」

 

 工廠や建造でお世話になっている妖精君たちが開発の完了報告をしてくれている間に雷たち遠征部隊が帰ってきた。ちなみに妖精君たちは響の頭の上でなぜか悶絶している。

 

「しれーかーん! ただいま! 帰ったわ!」

「た、ただいま帰りましたなのです」

「駆逐艦朝潮、只今戻りました!」

「提督、お出迎えいつも感謝です。旗艦能代報告致します。道中の損害なし、資源は予定数確保完了です。道中二回ほど索敵に反応がありましたが、交戦はありませんでした」

「うむ、みんなお疲れ様。特に朝潮は初の遠征参加で疲れただろう。各自入渠、補給後ゆっくり休んでくれ。響、念のため加賀に鎮守府近海に艦載機を飛ばしておくよう伝えておいてくれ」

「了解だよ」

 

 いつも通りの報告と事後処理を終え、各艦娘に指示を送る。同時にさりげなく彼女たちの身体状況に違和感がないか確認しておく。中には損傷を我慢してしまう子がいるためこれも日課となっている。

 

(ふむ、雷と電は特に問題はないな。朝潮は流石に初遠征とあって少し疲れているな。小さな裂傷に結構汗をかいている。後で水分を十分にとるように伝えておこう。最後に能代は――)

 

「司令官! 早くいつもの! みんなそれを楽しみに帰ってきたんだから!」

「雷が一番楽しみにしていたのです」

「なによ! 電だって最後の方ずっとにやけていたじゃない?」

「はわわ! そんなことないのです! にやけてなんかいないのです!」

「はいはい。朝潮なんか初めてだから今日が記念日ね!」

「は、はい! 朝潮いつでも司令官に抱いていただける覚悟です!」

「あ、朝潮ちゃんその言い方はちょっと誤解を生んじゃうかも」

「? 能代さんも今回たくさん朝潮を助けてくれました! だからきっと司令官に褒めてもらえるはずです!」

「わ、私は今回いっぱい汗かいちゃったからいいかなーなんて……あはは」

 

「さあ司令官!」

「……むう」

 

 やはり今回もハグを要求されてしまった。もしかしたら、いやおそらく中には嫌がっている子もいるだろうから今回を期に遠慮したかったのだが。

 しかし事の発端は自分なのだ、と腹をくくり、なるべく不快にならないように抱きしめていく。

 

「お疲れ様、雷。いつも快く遠征にでてくれて、その……感謝している」

「いいのよ司令官! もっと雷を頼ってくれて!」

「い、いかずちさんがいっきにきらきらじょうたいに!?」

「流石司令官だね」

 

「電もお疲れ様。いつも雷のことを見てくれて助かっている。ゆっくり休んでくれ」

「はにゃ……電も司令官さんのお役に立てて嬉しいのです」

「いなずまさんまで……」

「これもうMVPとかいらないんじゃないかな」

 

「朝潮、初遠征もしっかりこなしてくれてありがとう。疲れただろう、しっかり水分を取って休んでくれ」

「は! はふあ……」

「へんじがない、ただのしかばねのようだ」

「死んでない、死んでないよ」

 

 なぜか倒れてしまった朝潮の介抱を雷と電に頼み、先にドッグへ行くように指示をする。それにしても朝潮はそんなにショックだったのだろうか。やはり私などが――ん?

 今日何度目かの思考の渦に囚われそうになっていると、なぜか電が戻ってきており、ふいに耳打ちを促してきた。

 

「司令官さん、今回の遠征、電たち能代さんにたくさん助けてもらったのです。能代さんが一番疲れていると思うのです」

「そうか」

「能代さん、出発する前から司令官さんに褒めてもらおうと意気込んでたのです。でも遠征でいっぱい汗かいちゃったからってすごく残念そうな顔していたのです」

「そうか」

「で、でもだからこそ能代さんにいっぱいぎゅってしてあげてほしいのです!」

「……ありがとう電」

 

 心の優しい電だからこそ気にかかったであろうことにお礼を言いつつ頭を撫で、再度入渠を促す。

 私の言葉に満足してくれたかどうかは分からないが、電はふわりとほほ笑んだ後、雷たちの向かった方向へ駆けていった。

 さて。

 

「能代」

「は、はい!」

 

 返事の返ってきた方向、能代を改めて見て見ると確かに彼女は他の子たちよりも多くの裂傷を受け、多量の汗をかいているようだった。

 

 思い返せば当たり前の話である。

 今回の遠征部隊は駆逐艦三人に対し旗艦である能代は軽巡洋艦に分類されるタイプの艦娘だ。確かに高速艦四隻で機動性には優れているが、その分万が一敵と相対したときの火力不足は明らかだ。

 もちろんそんなことにはならないように事前に情報収集をした上で指示をだしてはいるが、絶対安全ということはない。

 それに加え今回は初遠征である朝潮もいたため、能代の索敵量は普段よりかなり大きかっただろう。部隊編成を鑑みて今回に限り隊列まで指示したのがかえって能代の負担になってしまったかもしれない。

 

 それでも最後まで文句も一つも言わずにここまで帰ってきてくれた能代を前に、自然と足が動いていた。

 

「あ、あの提督、私今回たくさん汗かいちゃってますしそれに髪の毛だって乱れて……あう」

「無事に帰ってきてくれてありがとう。そしてみんなを守ってくれてありがとう能代」

「いえ、そんな」

「私は感情を伝えるのが、と、得意ではないし見た通りどうしようもない人間だから上手くこの気持ちが伝わるか分からないが……いつも感謝している」

「そんなことないです。提督のこと私はいつも……その尊敬しています」

「……そう言ってもらえる私は幸せ者だな」

「あ、あの!やっぱり私汗かいてて汚いですし……」

「私は今の能代も綺麗だと思うが」

「あうう」

 

「の、のしろさんがすーぱーきらきらもーどに!?」

「それよりも長くないかな司令官」

 

 その後なぜか真っ赤になってしまった能代に入渠を促し、司令室に戻り執務にとりかかったのだが、その頃にはまたも響の機嫌が悪くなってしまっていた。

 そのためか今日の執務が終わったのは普段よりも二時間ほど遅れた午後八時。

 その間なぜ響が怒ってしまったのかを考えていたが、今の私には一向に分からなかった。

 

 女性の心は本当に難しい。

 




 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 なんとも拙い文章ですが少しでもほっこりしてもらえれば嬉しいです

 あかつきぇ……


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第三話 一航戦 加賀

 

「提督、先日依頼されていた報告書です。ご覧になりますか」

「すまない加賀。見せてくれ」

 

 大量の書類の山と鎮守府全体の財形整理を同時並行で片づけていると、一段落した絶妙のタイミングで加賀が報告書の見分を具申してくる。

 ……ふむ。やはり能代の報告にもあったように北方海域方面に敵艦隊の反応が多数出ているみたいだな。

 

「加賀、引き続き北方海域方面への索敵を行ってくれ」

「ええ。もう既に数回の索敵機を飛ばしているわ。変化があればすぐに報告できるように」

「流石だな。助かる」

「優秀な子たちですから」

 

 本日の秘書艦である加賀。彼女には航空部隊の中心として私の指示がなくともある程度自己判断での艦載機運用を許可している。

 

 一航戦、加賀。それが彼女の名前だ。

 艦載機の扱いと航空火力に秀でた正規空母の艦娘で、この鎮守府に初期から配属されていた古株だ。そのおかげか自分自身、彼女のことは比較的意思疎通を図りやすい相手だと思っている。……おそらく。

 私が言うのもなんだが、綺麗な顔立ちをしていると思う。サイドに括った髪は彼女なりのオシャレなのだと同じ一航戦の赤城が言っていた。

 その風貌と立ち振る舞いから憧れる艦娘も少なくないという。ただなぜか五航戦相手になると言動に棘が生まれるのでそこは仲良くしてもらいたいものだ。

 

「……私の顔に、何かついていて?」

「いやすまない」

「別に謝るようなことではないのだけれど」

「気が回らず申し訳ない。私のような者の不躾な視線を送ってしまい、さぞ不快だっただろう」

「むしろもう少し見ていてもらってもよかったのだけれど」

「何か言ったか?」

「なんでもないわ」

 

 なんでもない、という割にはなかなかに不満そうな顔を浮かべている。やはり不快だったが上司の手前口には出せず顔に出てしまったといったところだろうか。

 などと思考がいつも通りの方向へ進もうとしていたその時、ふいに加賀が座っている方向から控えめだがはっきりと主張した音が鳴り響いた。

 

 

 ……くぅ

 

 

「……」

「……」

 

 耐え難い静寂が流れる。こういう時の対処法を私は知らず、ただ鈍く重いこの空気に汗が滲み出てくるだけだ。我ながらなんとも情けない話である。

 当の本人である加賀は表情を僅かに朱色に染めながらぷるぷると震えていた。

 ちらりと執務室に掛けてある時計に目を向けてみると時刻は十二時半を少し過ぎていた。どうやら執務に没頭しすぎたせいでお昼を過ぎていたことに気が付かなかったようだ。

 

「ごほん、すまない加賀。執務に集中しすぎて気が付かなかった。お昼にしよう」

「別にあなたのせいではないわ。ですがそうしましょう」

 

 先ほどまでまるで深海棲艦のごとき暗い顔をしていた加賀の表情がぱあっと明るくなる。

 しかし秘書艦の身体状態も把握できないようなものが提督とはやはりあってはならないのではないのだろうか。

 

「それでは提督、行きましょう」

「む?」

 

 改めて自分の提督としての無能ぶりに我ながら辟易としながら、普段通り執務室に置いてあるファンシーな戸棚(金剛にむりやり置いて行かれた)から即席食品を引っ張りだそうとしていた自分に加賀から声をかけられる。

 行く? いったいどこに行くというのだろうか。

 

「……提督、その手に持っているものはなんですか?」

「ああ、これか」

 

 声をかけられ、振り向いた私の手に持っているものを見て加賀の表情が一気に苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「これは即席食品と言ってだな、お湯を入れて三分待つだけで食べられる優れモノだ」

「それは知っています。赤城さんがよく夜中に食べていますから」

 

 赤城は夜中にそんなことをしているのか。

 

「そうではなく、提督はいつもお昼にそればかり食べているのかと聞いているんです」

「そ、そんなことはないぞ。今日はたまたまとんこつ味だったが、しょうゆや味噌、カレーなどレパートリーには事欠かなくてだな」

「……はあ」

 

 どういうことか私は弁明をしているはずなのに、その話を聞いていた加賀の表情がどんどんといけない方向に進んでいき、最終的には盛大な溜息と共に顔を手で覆ってしまった。

 昔、父が母によくこんな態度をとられていたような気がするが今は関係ない。

 

「提督、提督はなぜ食堂をあまり利用されないのですか?」

「む、そ、それはだな」

 

 突然の加賀の問いかけに上手く言葉を返せず、軽くどもってしまう。

 

 確かにこの鎮守府には食堂が存在する。といっても他の鎮守府にも食堂くらいはあるだろうが。

 基本的には給糧艦である間宮君と伊良湖君が妖精君たちとともに一日の食堂業務を賄ってくれている。たまに他の艦娘が臨時で手伝ったりしているようだが。

 その味は大本営の高級レストランのシェフをも唸らせたといわれるほどであり、我が鎮守府内でもお昼は常に賑やかな光景が見られるほど好評である。

 

「この前も間宮さんが、『提督がなかなか来てくれない』と落ち込んでいましたよ」

「む……むむう」

 

 確かに、間宮君や伊良湖君には出会う度に『待っていますね』と声を掛けられているにも関わらず、ほとんど行けていないのには申し訳ないと思っているが。

 

「……折角の休憩時に会いたくもない上司が近くにいたら休まるものも休まらないだろう」

「……」

「ましてや私のような面白みのない人間が近くにいても気を遣わせてしまうだけだろうし」

「……」

「その、だから、なるべく君たちの邪魔にならないようにだな」

 

 そこまで言って、加賀に盛大に溜息をつかれてしまった。本日二度目である。

 しかし実際にも他の鎮守府ではスキンシップが行き過ぎて憲兵のお世話になる提督が後を絶たないというし、彼女たちも年頃の子が多いためそういった部分は私が気に掛けるべきだと常々思っている。

 

「提督が前回食堂を利用したのはいつごろですか?」

「た、確か、二か月くらい前だったと記憶しているが」

 

 その時もなるべく人がいない三時過ぎごろにお茶を飲みに行ったつもりだったが、なぜか間宮君たちがにこにこしながら大量の甘味を出してきたため、一時間ぐらい長居してしまったような気がする。

 あれはやはり折角ピークを過ぎて落ち着いたのに私が来てしまったため気を遣わせてしまったのだろう。

 

「提督はやはり一度周囲からの自分への評価を改めるべきですね」

「そ、それよりも加賀はお昼はいいのか?」

「そうですねそろそろ私も限界です。それでは行きましょうか提督」

「そ、袖を引っ張るのはやめたまえ」

 

 これは確定事項です、と言わんばかりの加賀に手を引かれながら私は、どうすれば食堂の空気が不快にならないかを必死に考えた。

 が、やはり何も思いつかなかった。

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

実はこの話の続きは一緒に載せるつもりだったのですが予想以上に長くなってしまったためキリのいいここで切らせてもらいました。

少し短いですが次話は早めにあげられると思うのでお許しを。


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第四話 間宮食堂

 

「そりゃ! その鮭は貰ったクマー!」

「うにゃ! 卵焼きいただきにゃ!」

「あ! おい球磨姉多摩姉そりゃないぜ!」

 

「はい北上さん、あーん」

「ダメだよ大井っちー。恥ずかしいよー」

「ふふ。恥ずかしがってる北上さんも可愛い」

 

「潮……あんたまた育ったんじゃない?」

「あ、ああ! ダメだよ曙ちゃん、そんなに触らないで~」

「こ、この揺れと弾みは!? ぐう……なんも言えねえ」

「確かに、これは反則」

 

 

 

「提督、何をしているんですか? 早く入りましょう」

「……うむ」

 

 食堂への扉を前にして立ちすくねる私を他所に、加賀は若干嬉しそうに扉に手をかける。

 今日もお昼時とあってか食堂は大繁盛のようで、扉越しからも楽しそうな声が聞こえてくる。今からこの輪に自分が入っていくと思うと胃が痛くなってくる。

 だが、加賀が扉を開けるのと同時に漂ってきた空腹を刺激する匂いに思わず歩を進めてしまう。

 

「あ! 加賀さんお疲れ様です!」

「あら、吹雪。今日も元気そうね」

 

 食堂に入った途端に一人の駆逐艦の少女がこちらに駆け寄って来る。

 正義感が強くいつも元気で頑張り屋さんな彼女は特型駆逐艦一番艦の吹雪だ。今日は午前中に演習があったためほんのりと頬が上気しているが元気そうでなによりだ。

 

「加賀さんも今からお昼ですか?」

「ええ。今日はこの人と一緒に食べようと思って」

「え? でも赤城さんはもうあそこでお昼を……って司令官!?」

 

 吹雪の心から驚いたというような声と共に一気に食堂内の雰囲気が変わる。

 ある者は瞬時に大人の男一人が座れる空間を隣に作り、ある者はどこからともなく鏡とメイク道具を取り出し身だしなみを整え始める。ある者は握っていたカツ丼の食券を握り潰し、サラダとスープのセットに切り替える。

 様々なところであらゆる乙女心が吹き荒れるが、その中心にいる男は何一つ気づいていないのだから報われない。

 

「司令官もお昼ですか!? 珍しいですね食堂にいらっしゃるなんて!」

「あ、ああ。たまにはいいかなと思ってな」

 

 ここで加賀に無理やり連れてこられたなどと言える訳もなく、妙にテンションの上がっている吹雪に相槌を打ちつつ、改めて食堂全体に視線を向ける。

 

 ――やはり普段から親交のある子たち同士でお昼を共にしているようだな。

 

 奥から球磨姉妹、大井と北上、第七駆逐隊の四人。反対側には妙高四姉妹や潜水艦の子たちもいるようだ。

 その他にも様々な子たちが思い思いの仲間と共にお昼を楽しんでいるようだった。

 

「大井っち、チャンスだよー。ここは一発頑張ってー」

「ななな何を言ってるんですか北上さん!? 私は北上さんがいればそれで――」

「えーじゃあ私が誘っちゃおうかなー」

「き、北上さん!?」

 

「これは提督と親密になるチャンスクマ! さあ行くクマ……木曾!」

「にゃ! 提督の膝の上にのれるチャンスにゃ! 早く行くにゃ……木曾!」

「な、なんでいっつも俺なんだよ! ずるいぞ姉貴たち!」

 

「あら? 足柄、さっきあなたカツ丼を頼んでなかったかしら?」

「なんだサラダとスープ? どうしたんだ足柄、熱でもあるのか?」

「こ、これはあれよ! たまにはバランスの良い食事をと思って! 別に提督が来たからとか関係ないわよ!」

「足柄姉さん……墓穴を掘っちゃってます」

 

「曙ちゃん急に鏡を取り出してどうしたの?」

「う、うるさい! 潮だってさっきから髪の毛をしきりに触ってるじゃない!」

「こ、これはその……って漣ちゃん何してるの?」

「ぐくくっ! 今日に限って子供っぽいイチゴ柄なんて! これじゃご主人様を悩殺できない!」

「漣の体系じゃあどっちにしろ悩殺は無理だよ。……たぶん」

「……ところでボーロはどうしてこっちに詰めてくるの?」

「……特に意味はない。……たぶん」

 

「珍しいでち、提督が食堂に来てるでち」

「はあー、提督今日もかっこいいのね!」

「イクちゃん唐揚げ転がっていったよ?」

 

 なんだか自分たちが来てから更に騒がしくなったような気がするが、今までの経験上ここで深く考えるべきではないと思考のシャットアウトを試みる。先程から各方面から視線を感じるのも気のせいということにしておこう。

 

「あ、あの司令官! もしよかったら私たちと一緒にお昼どうですか!」

 

 いつの間にか右手を握られながら吹雪が一点を指差しながらそんなことを言ってくる。

 指された方向に視線を向けるとぺこりと頭を下げてくる白雪と、にかっと笑ってひらひらと手を振ってくる深雪の姿が見えた。

 

「ごめんなさいね。提督とは執務のことで少し話があるのよ」

「あ、そうでしたか」

 

 吹雪の提案にどう答えたものかと思案していたら、隣でメニューを吟味していた加賀が助け舟を出してくれる。しかし目線はメニューから離れていない辺り、相当限界が近いようだ。

 

「そうとは知らず、すいません」

「いや、わざわざ誘ってくれてありがとう」

「はい」

「……君たちが良ければ次はご一緒させてもらってもいいかい?」

「! はい!」

 

 私なんかと一緒で本当に良いものかと思ったが、吹雪は私の提案にぱあっと向日葵が咲いたような笑顔と元気な返事を返してくれた。

 最後に『約束ですよ司令官!』という言葉を残して吹雪は白雪たちの席に戻って行った。やはり駆逐艦の子たちには元気が一番だな、などと感じてしまう辺り私も若くはないのかもしれない。まだ二十代だが。

 

「提督、ずっと入口で立っていては邪魔になってしまいます。間宮さんのところに行きましょう」

「そうだな」

 

 先程吹雪が私を誘ってくれた瞬間、食堂内が殺気で満たされたような気がしたが、しかしすぐに思い直す。大事な仲間たちが集うこの場所で殺気を向けるような子がいるわけがない。

 ……実際には九割の艦娘が吹雪に怨念と殺気を放っていたのだが。

 

「間宮さん伊良湖さん、お疲れ様です」

「あら加賀さん……っと提督!? ……ああ」

「ま、間宮さん大丈夫ですか!?」

「ま、まみやししょうがいちげきで!?」

「あいかわらずていとくさんのそんざいがきゅうしょですか」

「まえにきたのはにかげつまえだからしかたないですはい」

「だ、大丈夫かね間宮君」

「ああ、苦節二か月。提督にお声を掛け続けた甲斐がありました」

 

 メニューの注文をするために間宮君と伊良湖君のところに向かったのはいいが、顔を合わせただけで間宮さんが崩れ落ちてしまった。私が来たことがそこまで心身のストレスになってしまったのだろうか。

 

「ていとくさんがまたくじゅうのかおをしてるです」

「あれはまたせいだいにかんちがいしてるかおです」

「あいかわらずやさしいけどざんねんなひとです」

 

 間宮君と伊良湖君の周りでは妖精君たちが可愛らしいコックの服装を身に纏いながら、なにやらワイワイと話し込んでいた。それにしても艦娘の建造、開発、整備云々だけでなく料理にも精通しているとは妖精君たちはいったい何者なのだろうか。

 

「提督、すいません。間宮さん、提督が来てくれるのずっと待っていましたから」

「すまない」

「いえ、私も来ていただいて嬉しいですから」

「伊良湖君はここにもう慣れただろうか?」

「はい! 憧れの間宮さんと同じ職場で働けて提督には感謝しています!」

「何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ」

「あ、なら毎日食堂に来ていただけますか?」

「む……そ、それは」

「冗談ですよ。提督が私たちのことを気にかけてくれているのは知っていますから」

「すまない」

「でも、もう少し来てくださいね。間宮さんも喜ぶと思いますから」

「ああ、そうさせてもらおう」

「伊良湖さん、そろそろ注文をいいかしら」

「あっ! すいませんどうぞ!」

 

 いい加減限界も限界のようで少し目が据わってきている加賀に笑顔で応えている伊良湖君を見て少し安心する。 着任当初は前の鎮守府での扱いもあったのか、どこか元気がなく一人でいることが多かったが、これも間宮君の持ち前の明るさのおかげだろうか。彼女には近いうちにそれも含めてお礼をしなければいけないな。

 

「ありがとう伊良湖ちゃん。もう大丈夫よ。提督、お久しぶりですね」

「う、うむ」

 

 実際には食堂以外でそれなりに顔を合わせてはいるのだが、ここ食堂で実際に客として顔を合わせるのは二か月ぶりだ。

 ……やはり怒っているだろうか。

 

「何度も誘われていたのに来るのが遅れて、すまない」

「本当ですよ。もしかしたら二度と来ないのかと思っちゃいました」

「間宮さん、提督の口に自分の料理が合わなかったんじゃって一か月ぐらい落ち込んでたんですから」

「あ! 伊良湖ちゃんそれは内緒って言ったのにもー!」

「えへへ、すいません」

 

 お互いに本当に楽しそうに笑う二人を見て、今さらながらにこの二人に食堂業務を任せて良かったと感じる。

 

「そんなことはない。間宮君の料理は大本営で食べた高級レストランよりも美味しいと今でも思っている」

「……っそ、そんな」

「大げさなどではなく、可能ならば毎日間宮君の作った料理を食べたいと私は思っている」

「……ふわあ」

「だ、ダメです提督! それ以上は間宮さんが大破してしまいます」

「む?」

 

 長いこと誘いを無碍にしてきたせめてもの償いとして、嘘偽りのない素直な言葉を並べてみたのだが、なぜか伊良湖君に怒られてしまった。

 やはりまだまだ女性心というものが自分には分かっていないらしい。

 

「これがてんねんじごろってやつですか」

「そんなことよりていとくさんのうしろのくうきがやばいですはい」

「ここまでか。おもえばみじかいじんせいでした」

 

 その後、どういうことか加賀の機嫌も悪くなっており、注文を受け取るまで冷やかな視線を常に向けられるという事態に悩まされてしまった。

 

 ……私は何をしてしまったのだ?

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「隣、空いているか?」

「むぐっ……って提督!? ど、どうぞ」

 

 料理を受け取り、加賀の誘導に沿って少し進み『あそこにしましょう。私はお冷をもらってきますので、先に座っていてください』という言葉に視線を移すとそこにはすでに一人の艦娘の少女がお昼を満喫していた。

 思わず感心してしまうほどの料理の量と共に。

 

「少しばかり失礼する。それにしても相変わらず赤城の食べっぷりは見ていて気持ちがいいな」

「す、すいません」

「なぜ謝るんだ?」

 

 自分の問いに赤城は少し赤くなりながら『大して働いていないのに食べてばかりいて……』と申し訳なさそうに箸を置こうとしたのを慌てて止める。全く箸を止める必要はないし、残った分を諸悪の根源であろう自分が食べきる自信は全くもってない。

 

 一航戦 赤城。それが彼女の名だ。

 加賀と共に一航戦として様々な戦いに参加し、その全てで高い戦果を上げている彼女だが、本人にはあまりその自覚はないらしい。

 その高い能力の代償というべきか、加賀も含め彼女たちは少々燃費が悪い。言い換えれば、本当によく食べるのだ。それこそ駆逐艦の十倍といっても言い過ぎにはならないくらいには。

 その事を本人は気にしているらしく、たびたび我慢して食べる量を抑えては演習でガス欠と非常に提督としては看過できない事態に何度か陥っている。

 

「赤城、前から何度も言っているが君たちは命を賭して我々の平和のために戦ってくれているんだ。そんな君たちに食事の量云々で何か言うつもりもないし、言わせるつもりもない」

「……ですが他では私たちの運用で財源が枯渇したとか」

 

 確かに他の鎮守府でそういった話をたまに聞くが、それはおそらく提督の財源管理に難があったためであり、決して艦娘たちのせいではないはずである。

 そもそも大本営からそれなりに潤沢な財源が毎月送られてくるため、そう滅多に財政難に陥ることはないのである。

 

「だから赤城には安心して食事を楽しんでほしい」

「……提督」

「それに私はいつも本当に嬉しそうに食事をする赤城の顔を見るのが好きなのだ」

「……そ、それはその」

「提督、いつもそうやって赤城さんに致命傷を与えるのはやめてください」

「……む?」

 

 赤城たちの働きがどれだけ自分たちの助けになっているかを理解してほしくて話していたら、いつのまにか加賀が戻ってきていた。両手の盆の上には赤城に勝るとも劣らない量の料理が並んでいる。

 加賀ははあと溜息をつきながらお冷を手渡し、自分を赤城と挟むように席に着いた。

 

「致命傷とはどういうことだ? 私は何もしていないが」

「自覚がないところが更に困り者ね。赤城さんを見てみなさい」

 

 そう言われて赤城の方を向くと、赤城はその流れるような髪で真っ赤になっている顔を必死で隠そうとしながら黙々と箸を口へと運んでいた。時折、こちらをチラチラと見ながらなぜか恥ずかしそうに箸を進めている。

 

「かなり顔が赤いようだが、体調は大丈夫なのか?」

「提督はたまに本当にバカになりますね」

「むう」

 

 どういうことか全く分からない。自分はなぜこんなにも加賀に叱責をされているのだろうか。

 思い返してみても、思い当たるところがない辺り余計に混乱を促してくる。

 

「と、とにかくだ、私は君たちがこの鎮守府で……せめてこの鎮守府内では何の気兼ねなく過ごせるように全力を注いでいるつもりだ。だから赤城も私を信頼してほしい」

「提督……ありがとうございます」

 

 気持ちを言葉にするのが得意ではない私の言葉では、彼女にどれほど届いたかは分からないが、目尻に少しの光を浮かべながらも赤城は微笑みを返してくれた。

 

「だから夜中に即席食品など食べないでもいいようにしっかり食べてくれ」

「げほっ! ごほっ! て、提督がなぜそれを」

「先程加賀からちょっとな」

「か~が~さ~ん!」

「流石間宮さんね。今日の料理もすごくおいしいわ。流石に気分が高揚します」

 

 赤城の恨みめいた視線と言葉に加賀はどこ吹く風といったように間宮さんの手料理に舌鼓を打っていた。

 なんだかんだ言ってこの二人は仲がいい。

 

「さて私もいただくとしよう」

 

 折角の間宮さんの料理が冷えてしまってはもったいないと箸をとり、長かったここまでを振り返りながら今日の昼食を開始する。

 

 久しぶりに食べた間宮さんの手料理は相も変わらず凄く美味しかった。

 



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第五話 大井と北上

「……」

「……」

「……む」

 

 大本営への報告書作成途中にペンのインクが切れたため、新しいものを取り出す。

 ふと顔を上げると時刻は既に午前十時を回っていた。普段の執務消化の時間と比べると若干ではあるが遅れている。

 まあそれも想定済みではあるのだが。

 

「んあ? 提督、終わったー?」

「いや、ペンのインクが切れたため取り替えていた」

「そっかー」

 

 そんな間延びした声を真後ろからかけてくるのは最近重雷装巡洋艦に改装完了した北上だ。

 大井との要望により二人同時期に改装を施したのだが、その雷撃性能の高さたるや演習相手を務めた青葉に『気付いたら大破判定になってました』と言わしめたほどである。

 非常に優秀で助かってはいるのだが、彼女が秘書艦の日は決まって執務が遅れ気味になる。

 というのも、

 

「なあ北上、やはりダンボールのミカン箱で執務を行うのは効率が悪いと思うのだが」

「えーいいじゃん。渋いじゃん。それに椅子だと私が提督にもたれられないよー」

 

 という理由が一つである。

 元々初期艦組である北上はこの鎮守府に十分な物資が揃っていない頃、平たく言えば司令室にダンボールのミカン箱しかなかった頃から苦楽を共にしてきた最古参の艦娘である。

 そんな彼女だが、どういうことかこのダンボールのミカン箱での執務をお気に召しており、彼女が秘書艦の日は半ば強引にこの状況での執務を迫られる。

 おかげで普段とは使い勝手が違い、筆は滑るわ判子は滲むわで執務に遅れが生じているのである。

 と言っても致命的な遅れではなくあくまで許容範囲内の遅れであるため特に大きな問題ではないのだが。

 一度こっそりと普段の状態で執務を行おうとしたら、夜まで無言で司令室の床に寝転がっているという暴挙にでられたため(それでも秘書艦業務はこなしてくれた)諦めた。

 

「私の背中なぞ居心地悪いだろうに」

「んー? 私は嫌いじゃないよ。むしろ好き? かも」

 

 愛用の五連装酸素魚雷を磨きながら北上は楽しそうに笑いながらその顔を覗き込ませてくる。もしかしたら気を遣わせてしまったかもしれない。

 それでもこの程度で執務に大きな影響を及ぼすほど提督としての手腕が低いわけではないが、問題はもう一つの方にある。

 それが、

 

「もー、北上さんったら冗談も上手いんだから」

「んー、別にそんなに冗談ってわけでもないよー、大井っち」

 

 そう、大井の存在である。

 北上あるところに大井あり、とは木曾の言葉だったか。北上が秘書艦の日にはどこからともなく現れる、それもいつ現れたのか分からないほど自然にとけこんでくるのだ。司令室のどこかに隠し扉があるのではと疑ってしまうほどには自然に。

 

「大井、確か君は今日は非番では」

「そうですよ。だからこうやって北上さんに会いに遠路はるばるやってきたんです。何か問題でも?」

「いや、別にいいのだが」

「大井っちー、私の前に提督とが抜けてるよー」

「おほほほほもー北上さんったらおほほほほ」

 

 北上に何かを言われたのか大井が少し焦りながら、なぜか私の肩をピシピシと叩いてくる。まったく痛くはないが、字が歪むので控えてほしい。

 こうして大井が来たことによって、元々あまりこういう雑多な仕事が得意ではない北上の秘書艦業務の進行速度は目に見えて遅れていくのだ。

 

 だがしかし、自分自身このことに関して北上や大井に何か言おうというつもりは毛頭ない。

 そもそも普段の執務は最初は自分一人で行っていたのだ。その様子を見ていた彼女たちが自ら秘書艦業務を、と具申してくれたため今に至る。

 その厚意だけで自分には十分であり、ましてや命を懸けて戦前に出ている彼女たちにこれ以上の負担を掛けたくはないというのが正直なところである。

 では何が問題なのかというと――

 

「ところで提督はさー、大井っちのことどう思ってるのさ?」

「どう……とは」

「ちょちょちょちょちょ! き、北上さん突然何を!?」

「いいじゃんいいじゃん。やっぱりこういうの気になるしさー」

 

 ――これである。

 普段の二人ならば本当に相手のことを想いあっているのだろう、まるで阿吽の呼吸とでも言えるかのような親密度なのだが、現在のこの状態に限ってなぜかお互いを試すような発言ばかりするのだ。

 それだけならばまだいいのだが、大井も北上もなぜか私に意見を振ってくるため、この手の話に疎い私にとっては執務以上に難問なのである。

 

「どうと言われてもだな……気の置けない大切な仲間だと思っているが」

「提督も律儀に答えなくていいです!」

「す、すまない」

「謝ってんじゃないわよ!」

「む……うむ」

「大丈夫だよー提督ー、大井っちがタメ口で話すのは心を開いてる証拠だからー」

「北上さーん!?」

 

 北上曰く心を開いてくれているであろう大井は困惑と羞恥で頬を染めながら、私のことをまるで親の仇のように睨み付けている。

 あの場では答えないことが正解だったのか、経験値の低い私ではどの選択肢が正解だったのかすら分からない。

 

「それにしても今の答えは私が聞きたかったのとは若干違うなー。よし、妖精さんカモン」

「よんだですか?」

「おしごとですか?」

「なにかごようです?」

 

 私の答えに微妙な反応を返しながら、北上が何かを思いついたように右手の指をパチンと鳴らす。

 同時に北上の髪の中からポンっと妖精君たちが三人現れ、そのままなにやら話し込み始めてしまった。妖精君たちは北上の髪の中で昼寝でもしていたのだろうか。

 

「上手くいったらドーナツ焼いてあげるからお願いねー」

「どーなつのためならいたしかたなし」

「きたかみさんのやくどーなつはせかいいち」

「おおいさんゆるせ」

「えっ!? っちょ、何ですかっ!? むぐーっ!」

 

 謎の会談が終わったと思いきや、北上の号令のもと妖精君たちが一斉に大井に襲い掛かる。そしてあっという間に各々が両手と口に張り付き身動きを封じてしまった。

 

「ごめんね大井っち。んでさ提督」

「なんだ?」

「さっきのはさ、仲間としてってことだよね。それはそれで悪くないんだけどさー。やっぱり大井っちの親友の私としては、提督が女の子としての大井っちをどう思っているか聞きたいんだよね」

「いや、しかしそれは」

「ほら私たちもいつかはお嫁に行くかもしれないしさー、男の人が自分のどういうところに惹かれるのか把握しておきたいしねー」

「……そういうものか」

「ぜったいそんなことかんがえてないですはい」

「あのかおはだれがみてもすごくたのしんでいるかおです」

「でもていとくさんはわかってないですはい」

「むぐー!」

 

 確かに北上の言うことには一理ある……のかもしれない。

 自分の強みを知ることは良いことであるし、それが客観的なものとなると信憑性も増す。だがしかし、私のような気の利かない男の意見では参考にもならないのではないだろうか。もしかしたら安易に大井を傷つけてしまうだけかもしれない。

 

「ほらほらもう観念して言っちゃいなよー」

「……むう」

 

 こうなってしまった以上、自分の思っていることを素直に口にするしかあるまい。

 もはや退路は無し。そう腹を括り、口を開く。心なしか妖精君を含めた全員の視線が熱いような気がするが気にしている場合ではない。

 

「大井は綺麗な髪をしていると……思う。こう言ってはあれだが、海上に出ているときの大井は……潮風に揺られる綺麗な髪も相まってまるで……絵画の一ページでもあるかのように思う事もあった」

「……」

「性格は……一見するとキツめに見えるが、戦闘時以外でもさりげなく周りをフォローできる優しさと、いざという時には皆を引っ張れる強さを持っていると感じている。そういうところが、そのなんだ……私は大井の魅力だと思うのだが」

「……」

「……北上?」

「はっ!? ああそうだね! 大井っちのいいところはいっぱいあるよね! ありがと提督」

「う、うむ」

「……思ったよりガチでこっちまでドキドキしちゃったよー」

 

「さすがていとくさん、きれあじがぱないです」

「もはやことばのぼうりょくですはい」

「ごちそうさまでした」

 

 普段から感じていたことを言葉にしただけではあるが、やはり気恥ずかしいものがある。しかしこうして相手の良いところを口に出して話すというのは存外悪いものではないのかもしれない。

 そう思いながら、そういえば大井は大丈夫だろうかと振り返る、と。

 

「おおいさんのかおがうれたとまとみたいに!?」

「これはもしかしなくてもきんきゅうじたいでは」

「わがしょうがいにいっぺんのくいなし」

 

 そこには若干瞳に涙を浮かべ、肩をわなわなと震わせながら頭から盛大に蒸気を放っている大井がいた。

 嘘や誇張は決して言ってはいないのだが、やはり怒らせてしまったようだ。

 

「き、北上」

「あちゃー、ごめん提督やりすぎちゃったかも」

 

 たははと冷や汗交じりにぼやいてくる北上はなぜか私の服のそでをぎゅっと握ってくる。死なばもろとも、毒は食らわば皿まで、旅は道連れ共に逝こうという言葉の表れだろうか。

 

「うがーっ! もう許さないっ! こんな屈辱初めてよっ! そこの妖精!」

「はっ!」

「はっ!」

「はっ!」

「あとでいくらでもマドレーヌ焼いたげるから、今すぐ北上さんと提督を捕まえなさい!」

「ま、まどれーぬのためならいたしかたなし」

「お、おおいさんのやくまどれーぬはうちゅういち」

「きたかみさんていとくさんゆるせ」

「ちょちょちょ!? う、うらぎりものー、提督助けむぐー!」

「……捕まってしまった」

 

「さーて北上さん、提督覚悟はいいかしら?」

「い、いや、できれば遠慮したいのだが」

「ふふふうふふふふふ」

「むぐー!」

 

 その後、天元突破してしまった大井によるやられたらやり返すという言葉を体現したかのような行為は、大井が満足するまで三時間に渡り続いた。

 その間、北上が羞恥のあまり意識を失い、その介抱を任された私の執務はやはりその日中に終わらなかった。

 

 後日、一連の騒動を実はパパラッチしていた青葉が盛大にスクープとして新聞に載せたため、鎮守府をあげた鬼ごっこが巻き起こったのは別の話。

 



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第六話 川内と夜戦

 

「提督、第一艦隊帰還したよ。旗艦川内報告するね」

「ああ、頼む」

 

 ここ数日、大本営からも注意をするよう連絡があった北方海域へ出撃指示を出した第一艦隊の帰還を出迎え、旗艦である川内に報告を促す。

 時刻は既に二十一時を回っており、本日の執務もこの報告で終了だ。

 

「敵艦隊と二度交戦になったけど、こっち側に大きな被害は出てないよ。指示にあったように今回は北西の方角にも索敵を行ったけど、めぼしい反応はなかったかな」

「そうか」

 

 前回の能代の報告と大本営の注意喚起、更には加賀の索敵機による調査も踏まえた上で今回はそれなりに深くまで海域進行を指示したのだが、どうやら今回も収穫は得られなかったようだ。

 それにしても急に反応があったかと思えば、ぱったりと消えてしまう辺り、妙な胸騒ぎがする。

 

「何か変わったことはなかったか?」

「うーん、そう言えば途中航行してた民間漁船のおっちゃんが変なこといってたような気がする」

「変なこと?」

 

 海の上を進んでいれば航行中の漁船や商船に出会うこともよくある。基本的には大本営から危険な海域には出ないように通達が行くが、そうではない場合適度に情報交換や、気の良い方からは海の幸を分けて貰って帰ってくることもある。

 

「なんかね、離れの離島みたいなところに小さな女の子がいたって言ってたよ」

「実際に見たのか?」

「いや、遠目から双眼鏡で覗いたらしいんだけどシルエットしか見えなかったって」

「ふむ。他に何か言ってたか?」

「一応音声も拾ってたらしいんだけど、雑音が激しくてよく聞き取れなかったんだって。ただ……」

「ただ?」

「……レップウ! レップウ! って言ってたように聞こえたって」

「レップウとはあの烈風のことか?」

「そこまでは分かんないけど」

「そうか」

 

 離れの離島。海図には載っていなかったはずだが、万が一ということもある。明日にでも航空部隊に索敵を行うように指示を出すか。

 だが、敵の規模も場所も分からない今、むやみに動くのはいたずらに彼女たちを危険にさらすだけでこちらに利はない。そう考えた上で川内に今後の指示を出す。

 

「報告ありがとう。傷付いたものは即座に入渠、その他の者は明日の自分の担当を確認しておくように伝えてくれ」

「了解」

 

 先程の戦闘で彼女自身被弾したのだろう所々傷付いた状態で、それでも川内は溢れんばかりの笑顔で敬礼を返してくる。気のせいか徐々にキラキラしてきているような気さえする。

 そうして、くるりと振り返った川内は嬉しそうに艤装を展開させながら司令室の扉へと向かっていこうとする。

 

「待ちたまえ川内」

「ん?」

 

 急な呼びかけにも動じず、川内は艤装を展開したままこちらを振り返ってくる。その瞳はまるで何かに憑りつかれたかのようにギラギラと光っており、こちらに向けられた主砲が今にも火を噴きそうで非常に恐ろしい。

 

「今帰還したばかりだというのに君は艤装を展開してどこへ行こうとしてるのだ?」

「どこって決まってるじゃん。夜戦だよや・せ・ん」

「……そんな指示は出してはいないが」

「ええ!? 提督今朝夜戦してくれるって約束したじゃん!」

「毎回言っていると思うが、夜戦は必要に応じた時のみだけだ。今回はすまないが控えてくれ」

「そんなー」

 

 鎮守府きっての夜戦好きと称される彼女は少々の損害なら軽く無視して夜戦に突撃しようとするため、妹の神通、那珂共々よく監視しておかなければすぐにぼろぼろになって帰ってくる。

 出撃するのは鎮守府正面海域付近のみだが、それでも心配になるから控えてほしいのだが。

 

「そんな……じゃあ私は今から何をすれば」

「入渠して休んでくれないと私が困るのだが」

「何言ってんの提督! 夜は長いんだよ! これからがいいところなのに!」

「……むう」

 

 出撃後はどの子たちも疲労であまり元気がないのだが、川内だけはむしろ出撃後の方が元気が良い。

 その分朝は弱く、よく神通たちに注意されているのを見かける。そして夜に騒がしくなり、部屋が隣接している子たちから苦情が殺到するのが常である。

 

「夜戦が必要な時は必ず来る。その時までその溢れる勇士は残しておいてはくれないか」

「……ちぇ、分かったよ。夜戦に行くのは諦める」

「すまないな」

 

 夜戦への道を絶たれた川内はぶすっとしながらも艤装の展開を収めてくれる。とりあえずこれで川内がこれ以上傷付く心配は無くなった。

 

「その代り、提督と夜戦することに決-めた!」

「なっ……!?」

 

 今日の彼女は聞き分けがいいと油断していたのが仇になったのか、急に飛び掛かってきた川内を避けきれずに押し倒される形になってしまう。

 咄嗟に川内が下にならないように抱えるように背中から倒れることになってしまったため、衝撃が直接背中に響いてとても痛い。

 

「せ、川内。いったい何をするつもりだ」

「何ってナニに決まってるでしょ?」

 

 身体全体で密着してくる彼女の頬は蒸気しており、瞳は妙に潤んでいる。更に力の掛け方が上手いのかなかなか振りほどくことができない。かと言って力づくで振り解いたら彼女に怪我をさせる恐れがあるためそれもできない。

 なんとか窮地を脱しようと反撃を試みるが、所々はだけた彼女の服が今にも破れてしまいそうでどうにも力が入らない。

 そうこうしているうちに川内はおもむろに自分の胸元に手を掛け始めた。

 

「私ってあんまり大きくないけど形は良いんだよ?」

「やめたまえ……やめたまえ」

「そこまで拒否されると逆に燃えてきちゃうよ?」

 

 まるで野獣のようにギラギラと目を光らせる川内には私の言葉など何の説得材料にもなってはいない。むしろヒートアップしているだけのように感じてしまう。

 これは最早無理やりにでも振り解くしかない、と川内の肩に手を置いたその瞬間、執務室の扉が開け放たれ二人の人影が姿を現した。

 

「提督お疲れ様です……って川内姉さん!?」

「川内ちゃんお疲れー♪ 御飯一緒にってええええ!?」

 

 入ってきたのは同じ川内型軽巡洋艦二番艦の神通と三番艦の那珂で、当たり前だが突如目に入ってきた光景に驚いている。

 が、それも一瞬のことで流石は華の二水戦、第二水雷戦隊を率いたと称される通りすぐに那珂が川内を引き剥がし、神通が背中を支え起こしてくれる。

 

「ちぇ、いいところだったのになー」

「川内ちゃんダメだよっ! 提督のセンターは那珂ちゃんなんだからっ!」

「提督、大丈夫ですか?」

「ああ、すまない二人共。助かったよ」

「よくも私の提督をっ! 川内姉さんと言えど許せませんっ!」

 

 二人とも未だ混乱しているのかよく分からない怒り方をしているが、当の本人はさして気にしていないそぶりで二人からの尋問をあしらっている。

 しかし、川内には適度に夜戦を許可しないとストレスでどういった行動に出るか分からない危険性がある、と今回身を以て経験した。今後彼女には護衛付きで夜戦を許可する必要があるかもしれない。

 

「あともう少しでイケると思ったんだけどなー」

「いっちゃダメだよっ! もー那珂ちゃん不機嫌だよっ!」

「わ、私ったらさっきなんて大胆なことを」

「でも提督の身体、見かけよりがっちりしてて抱かれたとき少し本気でドキドキしたよ」

「川内ちゃんなんて羨ま……じゃない! 本当に何やってるのもー!」

「提督に抱かれたってどういう意味ですか川内姉さん」

「いや別にそのままの意味だから! 特に深い意味はないから! 神通怖い! 顔が怖い!」

 

 普段から仲の良い三人だがこうやって話をしているところを見ると、改めて三人の絆の深さが垣間見えるようで自然と頬が緩む。

 が、いつまでも彼女たちをこんな場所に留めておくわけにもいかない。特に神通は明日の早朝の遠征部隊のメンバーだったはずだ。そのことをやんわりと伝えると神通からはお礼を、残りの二人からは『私のことは心配してくれないの?』というニュアンスの反応をされてしまった。

 

「まー結構すっきりしたからいいや。さっ神通、那珂、御飯いこ。提督、また続きは今度しようね!」

「だからダメだって言ってるじゃん! あ、待ってよ川内ちゃん!」

「あ、て、提督すいません。失礼致します」

 

 嵐のように現れて、嵐のように去って行った川内型の三人を見送り、金剛の置いて行った紅茶を飲むためにお湯を沸かしながら一息つく。今日は最後が一番疲れたような気がする。

 明日は早朝から遠征部隊の見送りや戦艦と空母の大規模演習など忙しい一日になるだろう。

 そう考えながら紅茶に口をつけ、川内からの報告をまとめるために気持ちを切り替える。

 

 はて? 何か忘れているような気がするが気のせいか?

 

 

 その後、帰還した第一艦隊への指示伝達をすっかり忘れた川内による待ちぼうけを食らった艦隊メンバーたちは次の日盛大に寝坊した。

 当然川内は怒りの集中砲火を浴びた。

 




 提督の部屋が金剛の私物に侵略され始めている気がする。
 まだ金剛登場すらしてないのに。


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第七話 食事処 鳳翔

「む、しまった」

 

 普段は目の前にあるべきものが見当たらず、思わず声が漏れてしまう。

 時刻は二十時を過ぎようとしており、夕食の即席食品を取り出そうとして在庫が切れていることに今気が付いた。

 少し前までならば一か月は在庫の心配をしなくてもよかったのだが、この前加賀に指摘されてからというもの、どこから広まったのか見つかれば即座に回収されてしまうようになってしまった。

 おかげであまり在庫を持てず、切らしてしまうことがしばしば起こるようになっていた。

 

「食堂は……今日は止めておくか」

 

 おそらくこの時間帯は一番忙しく、間宮君たちはさながら戦場のように厨房の中を駆け回っていることだろう。

 そんな中私が出向いてしまってはいらぬ気を回させてしまうだけである。ちなみに今日の秘書艦は電だったが、基本的に駆逐艦の子たちの秘書艦業務は十八時までとしている。今頃は第六駆逐隊の仲間と共に夕食を満喫している頃だろう。

 

「ふむ。今日はあちらにするか」

 

 即席食品も駄目、食堂も駄目となると今の私に思い当たる食事場所は一つしかなかった。

 時刻はまだ二十時過ぎと若干早いが、逆にこの時間の方があそこは人が少なく都合が良いかもしれない。

 

 気が付けば、上着を羽織り歩みは司令室の扉へと向かっていた。

 どうやら無意識の内に私は彼女の料理に胸を躍らせていたようだ。そんな自分に少し驚きながら、司令室の扉を開け、目的の場所へと歩き始めた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「お待ちしておりました提督」

「急にすまない鳳翔」

「謝らないでください。私としては毎日来て頂いてもいいのですよ」

「それでは私が太ってしまうな」

「あらあら。あ、上着お預かりしますね」

 

 出迎えから今まで、絶えず微笑を崩さず常に癒しの空間を提供してくれる彼女の名は鳳翔。軽空母にあたる艦娘だ。

 物腰は柔らかく、誰からの相談も親身になって聞いてくれるその優しさから慕う艦娘は多い。特に駆逐艦の子たちからはよく『お母さん』と呼ばれ間違えられている。

 

「いつもすまないな」

「それは言わない約束ですよ」

「そうだったか」

「はい」

 

 食事処 鳳翔。それが彼女の営んでいるこの店の名前だ。

 半年ほど前鳳翔から相談を受け、開いたこの店は昼は皆の憩いの場として、夜は酒好きの艦娘の御用達の店として現在も多くの者が利用している。

 定期的に訪れる大本営からの使いの者は昼は間宮食堂で、帰りはここで一杯やってから帰るのが習慣となっている。

 

「人手が必要なときはいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます。でも今は大丈夫ですよ。ここには可愛らしい優秀なスタッフがいますから」

 

 この規模の店を一人で切り盛りしている彼女はその大変さをおくびにも出さす、テキパキと料理の下処理を進めながらふわりと優しい微笑を向けてくる。そんな彼女を裏で表で支えているのが――

 

「ていとくさんおしぼりどうぞです」

「おひやもどうぞです」

「ああ。ありがとう妖精君たち」

 

 ――店の中をぱたぱたと駆け回る妖精君たちの存在である。

 

「この子たちには本当に助けてもらっています」

「彼女等にはいつか纏まったお礼をしなければならないな」

「そのしんぱいはごむようですはい」

「すでにいただいてますゆえ」

「? そうなのか?」

「しごとあがりのほうしょうさんのでざーとのあじはまたかくべつ」

「そのためならなんだってできるこころもち」

「ふふ。今日は白玉餡蜜をご用意していますから、頑張りましょうね」

「な、なんとかんびなひびき。なにやらみなぎってまいりました」

「さすがにきぶんがこうようします」

 

 鳳翔の言葉に妖精君たちが光輝いている。

 どうやら既に報酬は用意されていたようだ。それにしても鳳翔の白玉餡蜜とは何とも気になってしまうな。頼んだら私にも出してくれるのだろうか。

 

「それでは提督。本日は何に致しましょう」

「ああそうだな。む……このサバの味噌煮定食というのは」

「あ……それはその」

 

 鳳翔に促され、妖精君から手渡されたお品書きに視線を落とす。その二枚目最後の欄に、他とは違い直接達筆で書かれた文字を見つけ、問いかける。

 その問いかけに、鳳翔はどこか期待していながら少し不安であるかのような奇妙な態度を見せる。心なしか体温も上がってるように見えるが大丈夫なのだろうか。

 

「それはていとくさんせんようめにゅーですはい」

「私専用?」

「はいです。ほうしょうさんのあついおもいがこもったとくべつめにゅーです」

 

 私の鳳翔の体調への心配をよそに何人かの妖精君が呟きかけてくる。

 私専用とは一体どういうことだろうか。

 

「ていとくさんまえにきたときさばのみそにがこうぶつだっていってたです」

「でもそのときはめにゅーになかったです」

「……確かにそうだったな」

 

 以前ここを訪れたときに聞かれた問いかけに、確かにそういったことがあったような記憶はある。

 その時はまだ店を開けて間もない頃だったため、お品書きも今よりずいぶん簡素だったように思う。

 だが、だからと言ってそう簡単に新メニューとしてお品書きに並べられるほど料理とは簡単ではないはずであるし、なによりも鳳翔が中途半端な料理をお品書きに載せるはずがない。

 

「それでは、私のためにこのメニューを?」

「ほうしょうさんほぼまいにちしたまちのあさいちにいっていたです」

「みせがおわってからもしさくにしさくをかさねるまいにちでした」

「そうか」

 

 私の何気ない一言のせいで鳳翔に多大な苦労を掛けさせてしまったことに申し訳なく思いながら、同時にそこまで真剣に考えて、向けてくれる優しさに自分は本当に幸せ者なのだなと改めて実感する。

 ふと顔を上げると、鳳翔が頬をほのかな桜色に染めながら、少し困ったといったような表情を見せていた。どうやら話を聞かれていたらしい。

 

「ていとくさん。めにゅーはきまりましたですか?」

 

 妖精君たちのもうわかっていますが、と言いたげな催促に内心嬉しく思いながら対面に立つ鳳翔に今日の夕食の注文をお願いする。

 

「鳳翔。サバの味噌煮定食を一つ、頼む」

「はい」

 

 腕を捲り静かに対面に立つ鳳翔の微笑は、今までの彼女のどの表情よりも素敵なもののように私には感じられた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「いよーっす。鳳翔さん来たよーって提督じゃん! ラッキー!」

「鳳翔さんこんばんわってあら? 提督もお酒を飲みに?」

「邪魔するぞ鳳翔。ん? 提督じゃないかこんな時間に珍しいな」

「飛龍に黙ってきちゃった。あ、ていとく~」

 

 食後に鳳翔が出してくれたデザートの白玉餡蜜に舌鼓をうっていると、入口の方から何やら賑やかな声が聞こえてくる。

 どうやら今日も彼女たちはここに一日の疲れを癒しに来たようだ。

 

「相も変わらず君たちは賑やかだな。隼鷹、千歳、那智と……蒼龍が酒を飲みにくるなんて珍しいな」

「私お酒弱いですけど、みんなでわいわいする雰囲気は好きなんです」

「そんなこと言って提督がここにいるの実は知ってたんじゃないですか? ふふ」

「そ、そんなことないよ! も~千歳さん飲んでないのにからかわないで!」

「隼鷹、あなた今月はもう手持ちがないって言ってたじゃないですか」

「いやーだから今日は軽くで我慢しようと思ったんだけどさ。来たら提督がいるからホント今日はついてたよ」

「提督にたかる気満々だな貴様は」

 

 彼女たちの訪れで店内の雰囲気が一気に居酒屋へと変貌していく。これも、ここ食事処鳳翔の一つの顔である。

 カウンター内では妖精さんたちが慌ただしく酒の準備を始めている辺り、彼女たちは今日も盛大に飲むのだろう。

 

「楽しむのもいいがほどほどにな。それでは私はここで失礼する」

 

 美味い料理と丁寧なおもてなしでつい長居してしまった。彼女たちも来たことだしそろそろ私は帰ることにしよう。もしかしたらこの後も夜食をつまみに来る子がいるかもしれないしな。

 そう思い鳳翔に勘定をお願いしよう……としてできなかった。

 

 なぜならどうしてか隼鷹に右肩を、那智には左肩を、千歳には右手を、蒼龍には服の裾をそれぞれ掴まれていたから。

 

「つれないぜ~提督。ここでそれはないっしょ~」

「四人で飲むのも悪くないが、折角だ付き合え。一度貴様と飲んでみたかったしな」

「提督、私がお酌しますから、ね?」

「私も提督と飲んでみたいな~」

「ぬ……むう」

 

 まさかの事態に鳳翔に助けを求めるも『少しだけ付き合ってあげて下さい』と苦笑交じりにやんわりと断られてしまった。

 明日も執務があるのだが仕方ない。これも一つの対人会話能力の向上のためと考えておこう。

 

「少しだけでよいのなら」

「よっしゃ! そうこなくっちゃな」

「貴様ならそう言うと思っていた。さあ今日は飲もう」

「ふふ。なんだか楽しくなってきちゃいました」

「やった~」

 

 私が交じったら楽しめるものも楽しめなくなってしまうのではという不安はあるが、この子たちも明日はそれぞれに仕事がある。流石に無茶はしないだろう。

 

 この時の私はそんなことをぼんやりと考えていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「らかららんかいもいってふらろ~。らいじょぶらってひっく」

「つまりだ、貴様になら羽黒をっておい聞いているのか」

「うふふふふ。提督の身体逞しくって素敵です」

「提督こっち向いてくれないとやだあ!」

「ぬ……ぬ……むう」

 

 甘かった。

 彼女たちの酒癖はある程度は理解していたつもりでいたが、あまりのハイペースに止めるタイミングを完全に見失ってしまった。

 周りを見れば、転がっている酒瓶を鳳翔と妖精君がせっせと片付けてくれている。すまない。

 

「そ、蒼龍君。君はあまりお酒が強くないのだろう。そろそろ帰って休んだ方がいいのでは」

「やだやだやだあ! 今日は提督と一緒にいる!」

「あらあら、子供はそろそろ寝る時間かしら? さ、提督もう一杯どうぞ」

「ふへへへへ~」

「だからだな、羽黒は本当に愛いやつでだな」

 

 酒とはこんなにも人格を変えてしまうのか、普段冷静で気遣いのできる優しい千歳や蒼龍が相当酔っているのかやけに絡んでくる。同時に着ている衣服が乱れてきているため視線のやり場に非常に困ってしまう。

 那智に限ってはひたすらに妹の羽黒のことを褒め、なぜか勧めてくる、私自身羽黒の良いところは十分理解しているつもりなのだが。隼鷹は……まあ普段とあまり変わらない。

 

「鳳翔。すまないがお冷を一杯もらえないか」

「どうぞ提督。申し訳ありません。こんなことになるなんて」

「いや鳳翔が悪いわけではない。途中で止められなかった私の落ち度だ」

 

 横では妖精君たちがやれやれといった仕草で片づけを始めていた。考えたくはないが、まさか彼女たちはここに来るたびにこのようなことになっているのではないだろうな。

 もしそうならば鳳翔のためにも少し制限を掛ける必要があるかもしれない。

 

「蒼龍、水だ。飲めるか?」

「提督に飲ませてほしいなあ」

「ぬ? むむ……零さない様にゆっくりと……飲みたまえ」

「んっ……んっ……えへへ」

 

 心なしか言動が幼くなってしまっている蒼龍に水を飲ませる。支えるために腕が色んな所に触れてしまいそうになるのを必死で調整する。酔いが醒めて私に触れられたと知ると不快な気持ちにさせてしまうだろうから。

 

「提督、そろそろお開きに」

「そうだな」

 

 あまりの状況に鳳翔が解散の提案をしてくれる。流石にこれ以上は明日の執務に響いてしまう恐れがあるため正直助かった。

 

「のむだけのんでねてるです」

「きょうもあらしのようなのみっぷりでした」

「ていとくさんこうかでりょうもばいぞうですはい」

 

 気が付けば、隼鷹も那智も千歳も蒼龍も安らかな寝息を立てていた。

 軽く起きるよう促してみるが誰一人として起きる気配がない。仕方がないので一人ずつ部屋まで背負って送り届けようと鳳翔に提案したら、妖精さんも手伝ってくれるということで私は蒼龍一人を背負って帰ることになった。

 

「今日は本当にすまなかった鳳翔」

「いえ、確かに騒がしくもありましたが、私も提督に来て頂けて嬉しかったです」

「また近いうちにお邪魔する」

「はい。いつでもお待ちしてます」

 

 次に来るときはもう少し早い時間に来た方がいいかもしれないな。

 後ろ手に蒼龍を背負いつつ、元来た道を少しふらつく足取りで歩きながら次に訪れるときのことを考えていた。

 思っていた以上に自分自身あの空気を楽しんでいたのかもしれない。

 背中では蒼龍が気持ちよさそうに寝息を立てているのが聞こえた。

 

 翌日、もれなく全員が二日酔いに苦しまされたことは言うまでもない。

 




 鳳翔さんは可愛い。


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第八話 成果と対価

 基本的に提督がいるときは一人称視点で進みますが、提督がいないときや艦娘がメインの話のときは三人称視点になります。

 ご了承下さい。


 その日の鎮守府の雰囲気は明らかにいつもと違っていた。

 時刻はお昼時、普段ならば艦娘たちの賑やかな喧騒に包まれている間宮食堂も、どこか落ち着かないふわふわした空気に包まれていた。

 

「まさか赤城さんがおかわりをしないなんて」

「これは天変地異の前触れでしょうか」

 

 間宮自身、なんとなく落ち着かない雰囲気に苛まれながら隣に立つ伊良湖が普通に失礼なことを口にしているのを聞いて少し笑ってしまった。

 だが、様子がおかしいのは赤城だけではなく鎮守府全体に言えることでもちろん自分も例外ではない。

 

 

「集会っていったいなんだろうね敷波ちゃん」

「べ、べっつに~。アタシは綾波と違って特に気にしてないし」

「……敷波ちゃん、お箸でヨーグルト食べるの?」

「うわあ! 間違えた!」

 

「鈴谷先程からあなた、何をそんなにそわそわしてるんですの?」

「そ、そわそわなんてしてないしっ! 熊野だって今朝提督の顔横目でチラチラ見てたじゃん!」

「お、大きな声で何てこと言うんですの!?」

「ほら熊野だって気にしてるんじゃん」

 

 

「みんなやっぱり気になってますね。今朝の話」

「ええ、でも提督が全員を一同に集めるなんて滅多にないから、気になるのも仕方ないわよね」

 

 事の発端は今朝の伝令にあった。

 

「え? 今日の午後六時に第一演習場に集合……ですか?」

「はい。これは提督直々のご指示です。各人は午前中の内に同室の子へと伝えてください」

 

 毎朝恒例のミーティング終了後、本日の秘書艦である大淀がどこか声をはずませながら指示を伝えてくる。

 同時に聞いていた周りの子たちも『なんだなんだ』と騒ぎ始める。

 

「まさか……提督結婚しちゃうクマか?」

「…………」

「お、お姉さま!? 金剛お姉さま! しっかりして下さい! ヒ、ヒエエエエエ!」

「司令を……ぐすっ……お祝いしましょう」

「不知火……あんた泣きながら何言ってんの?」

「ぐすっ……陽炎だって涙目になってます」

「不幸だわ姉さま」

「不幸ね山城」

 

 ところどころ阿鼻叫喚になりかけている状況を無視して大淀は『あまり気にしすぎないでください。そんなんじゃないですから』と言い残し、他の子のところへと去って行ってしまった。

 

「気にするなって言われてもねえ」

「やっぱり気になります」

 

 よく見れば鎮守府の至るところで様々な憶測が飛びかっているのか、食堂内でも噂話に興じる艦娘たちで溢れていた。

 

「まみやさんちゅうもんはいってるです」

「きょうもかがさんがじゅうにんまえたのんできたです」

「あ、ごめんなさいね。さっ伊良湖ちゃん仕事仕事」

「は、はい!」

 

 まあそれも午後六時になれば分かること。そう切り替え間宮は自分の仕事へと戻って行った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ひーふーみーっとこれで全員分ですね。提督、確認をお願い致します」

「ああ。面倒事を頼んですまないな大淀」

「これぐらいへっちゃらですよ」

「そうか。だがありがとう」

 

 書類整理の傍ら、二時間以上かけて纏められた大量の封筒を受け取りつつ大淀にお礼を言う。

 当の本人は少し照れながらも全く疲れた様子を見せないまま次の秘書艦業務に取り掛かっている。こんなことを思うのもあれだが、書類相手ならば私なんかよりもよっぽど彼女の方が優秀である。

 

「それにしても提督は本当にお優しい方ですね」

「ぬ……うぬ?」

 

 突如振られた大淀の言葉に思わず筆が滑る。

 その姿を見られたのか、大淀はくすくすと笑いながら隣の椅子に腰を下ろす。彼女たちの言葉の意図がすぐに理解できない辺り私は提督としてまだまだだということだろう。

 

「普通いませんよ。自分の鎮守府の艦娘全員に毎月給金を払うなんておっしゃる提督は」

「むう……そうなのか」

 

 大淀の少し嬉しそうな言葉に戸惑いながら、手元にある封筒に視線を移す。

 

 基本的に彼女たちに給料という形での対価は支払われていない。

 大本営から各艦に毎月少しばかりの費用は支払われているが、そのほとんどは生活必需品や艤装の手入れなどに消えていく。残るのはいくばくかの小銭だけだ。

 もちろん鎮守府での生活にはお金が必要ではないようにしているが、それは最低限という話であって、とても年頃の少女たちが満足できる水準では決してない。

 たまの休みに街に出ると、もの欲しそうに商品を遠目から眺める彼女たちをよく目にすることがある。

 

「本当はもう少し早く用意してあげたかったのだが」

「あまり無理をされないで下さい。ただでさえ提督は自分のことを後回しにするんですから」

 

 一年以上前から、大本営から送られてくる運営費用と私個人への勲章報酬などの割り振りを見直し続け、今月になってやっと全員に給金を用意できる水準まで持ってくることができた。

 苦労と時間は掛かってしまったが、これで少しでも彼女たちの生活に楽しみができるのならこれ以上嬉しいことはない。

 

「君たちには、いつも貰ってばかりで何も返せていないからな」

「……提督」

 

 気が付けば大淀が自分の手に両手を重ねてきていた。気のせいか見つめてくる表情に熱がこもり、瞳が潤んでいるようにも見える。

 そのまま徐々に顔を近づけてくる大淀を見て少し焦ってしまう。い、いったいどうしたのだ大淀。

 

「提督の身体を思いやるのはいいけど、それはやりすぎではないかしら大淀」

「っ!? か、加賀さん! し、失礼しました提督」

「う、うむ」

 

 突如振ってわいた声に大淀がビクンと肩を跳ねさせる。

 その張本人である加賀は、なぜか少し不機嫌そうな顔で真っ直ぐに私の方へと歩み寄ってくる。やはり給金を皆に配る役を任せてしまったことに不満があったのだろうか。

 

「提督、第一演習場の用意が完了しました。そろそろ準備をお願いします」

「そうか、わかった。ありがとう加賀」

「お礼を言いたいのはこちらなのだけれど」

 

 気が付けば時刻は午後五時半を回っていた。

 

 本日の秘書艦である大淀と皆に給金を渡す役である加賀には今日のことを事前にすべて話を通してある。

 別に私としてはここまで大事にしなくても良かったのだが、二人に『提督は自分の行為の大きさを実感するべきです』というよく分からない理由により他の子にはギリギリまで内容を伏せることとなった。

 

「他の子たちの様子はどうだ」

「何人か不安を拗らせている子がいるみたいだけれど、特に問題はないわ。ただ――」

「ただ?」

「――金剛が今にもここに飛び込んできそうなのを妹たちが必死に止めているから早く行きましょう」

「わ、わかった」

 

 不安を募らせてしまった子には後でお詫びをしなければならないな。

 右には加賀が、左には大淀が、それぞれ少し後ろを歩きながらついてきているのを横目に今後のことを考える。

 実は彼女たちが内心嬉しくてたまらないことに気が付かないまま、三人で第一演習場へと歩いて行った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「提督、みんなを集めてどうしたのかなあ」

「てやんでい! 今日はすっげえ大切な日じゃねえか! て、てい……ていとくに……ぐすっ……てやんでい!」

「涼風ちゃんなんで泣いてるの?」

 

「提督さん、結婚してしまうって本当じゃろうか」

「浦風は気になるのですか?」

「うん。うちは提督さんが好きじゃからね、浜風は違うん?」

「い、いやそれは……その気に……なります」

 

「ちっ! 提督が結婚なんて聞いてねえぞクソが!」

「うーんたぶん私は違うと思うんだけど。摩耶落ち着いて」

「クソ……ちくしょお……」

 

 

 ……なんだこの状況は。

 

 司令室から北にある第一演習場の前に来ると既に大半の子たちが到着しているのが見え、同時に彼女たちの会話が耳に入ってくる。

 

「加賀、私が結婚するとは一体どういうことだろうか」

「おめでとうございます」

「いや、するもしないも相手がいないのだが」

「そう」

 

 どういうわけか私の結婚話でざわついている演習場を横目に加賀に疑問を投げかけてみるが、上手くはぐらかされてしまった。ついでに加賀に相手がいないことを笑われてしまった。

 

「さあみんな席についてください。今から大切な話があります」

 

 決して大声ではないが、伸びのある確かな声で加賀が用意されていた席へ着席を促す。

 その声につられるように、各々が自分の席へと戻っていく。なにやら後方から『テイトクー! ワタシを置いて行かないでクダサーイ!』という声が聞こえたが、今は仕方がない。

 

「全員揃っていますね。では提督お願いします」

「うむ」

 

 人数確認を終えた加賀からマイクを手渡される。同時に、じっと視線を外さずに集中して聞いてくれている彼女たちを見て身が引きしまる。

 私はこの子たちの命を預かっているのだ、と。

 一度肺の空気を入れ替えて、マイクを握りなおし、言葉を発する。

 

「単刀直入に言おう。君たちに今月から給金を支払うことにした」

 

 室内の空気が急に変わるのを感じながら言葉を続ける。

 

「君たちに大本営からいくばくかの費用が支払われているのは知っている。だがこれは生活用品や艤装の個人点検のためのもので君たち個人の働きに対するものではない。それに支払われていると言っても個人の娯楽のために残る額としてはあまりに少ない」

 

 ここで一度言葉を区切り、続ける。

 

「私は君たちの働きを知っている。成果に値する対価をというには君たちが明らかに働きに対して評価されていないことも理解している。だからこそ、この給金を胸を張って受け取ってほしい。自分はそれだけの働きをしているのだと」

 

 徐々にざわつきが大きくなるのを加賀が制しているのを横目に、最後の言葉を発する。

 

「君たちがこれまで我慢してきた人並みの幸せをこれで埋められるとは到底思えないが、少しでも君たちの生活の助けになればと思い用意させてもらった。是非とも有意義に使ってくれたまえ。以上だ」

 

 ふう、と最低限の言葉を伝えられたことに安堵し、マイクを置く。

 同時に爆発したかのような歓喜の渦が室内全体から巻き起こった。

 

「うお"ーっ! うお"ーっ! 提督一生ついていくクマー!」

「く、球磨姉うるせえ」

「青葉感動して写真がずれちゃいました。あれ? なんでか画面が滲んでよく見えません」

「ぽい~ぽい~、提督さんいい人すぎるっぽい~」

「ほら夕立これで涙を拭きなよ」

「時雨も感動して泣いてるっぽい~」

「え!? そ、そうかな? ……そうだね提督は本当に優しいね」

「姉さま、私今幸せです」

「そうね山城、本当に私たちの提督があの人でよかった」

「ほんま提督はいけずやな~。こんな嬉しい話ここまで内緒にするなんて。なあ鳳翔さん」

「そうですね。私はお給金よりも提督のお心遣いが本当に嬉しいです」

 

 いつまでも止みそうにないざわめきに少し戸惑いながら、用意されていた席に着く。

 どうやら喜んでもらえたようでほっと胸を撫で下ろす。

 

「提督お疲れ様でした」

「ああ、ありがとう加賀。後は頼む」

 

 加賀から手渡された水を飲みながら、本日最後のメインである給金を配る作業を加賀に依頼する。

 

「本当に私からでいいのですか?」

「ああ、私からだと身構えてしまう子も多いだろうからな。すまないが頼む」

「分かりました」

 

 こうして鎮守府全体をあげた提督による艦娘たちへの一大イベントは幕を閉じた。

 ちなみに一番最初に貰った給金を使い果たしたのは島風だったとか

 

「だって私が一番速いもん!」

 



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第九話 提督の休日 球磨編

 

「よし、行くとするか」

 

 前日の内に用意しておいた道具一式を肩に担ぎ、騒がしくならないように注意を払いながら部屋をでる。

 時刻はまだ朝の五時だ。他の子たちはまだ寝ている時間だろう。

 

「今日は快晴になりそうだ」

 

 まだ薄暗い空を窓から見上げながら、誰もいない廊下を歩く。昼間あれだけ騒がしいここも今は静寂に包まれている。普段の喧騒も悪くはないがこれはこれで新鮮でいい。

 

「あれ? 提督クマ? こんな朝早くから何してるクマ?」

「む? 球磨か」

 

 曲がり角からふらりと出てきた彼女は球磨型軽巡洋艦一番艦の球磨だ。寝起きなのか髪がピョコピョコ跳ねている。着ている服もパジャマで柄はもちろん熊だ。

 

「おはようクマー。そう言えば提督今日は珍しくお休みだったクマね」

「おはよう。久々に釣りにでも行こうかと思ってな」

 

 自分自身気付いていなかったのだが、今月まともに休みをとっていなかったらしく大本営の元帥から直接『明日休め』という命令をされてしまったため仕方なくこうして趣味に精を出しているというわけだ。

 ちなみに基本的に提督が休みの日は鎮守府警備の艦娘以外全員非番となる。

 

「それ球磨も行っていいクマ?」

「別に構わないが、折角の非番なのに私と一緒でいいのか?」

「提督と一緒で嬉しくないことなんかないクマ。ふっふー、今日の御飯は新鮮な魚が食べられそうだクマ」

 

 どうやら目当ては食欲の方らしい。これも球磨らしいと言えば球磨らしいか。

 それに普段は彼女たちとゆっくり会話をできる時間も少ない。この機会に少しでもコミュニケーションがとれるように頑張ろう。

 

「ふんふん♪ 提督と二人っきりなんてついてるクマ。たまには早起きしてみるもんだクマ」

「何か言ったか?」

「なんでもないクマよー」

 

 なんでもないという言葉とは裏腹に、球磨は鼻歌を歌いながら時折くるりとステップを踏んで実に楽しそうだった。どうやら新鮮な海の幸が相当楽しみらしい。

 これは坊主で帰るわけにはいかないなと気合を入れて、球磨の着替えを待ち、ボートが借りられる下町の知り合いの場所へと向かう。

 

「……提督何か勘違いしてないクマ?」

「ぬ?」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「風が気持ちいいクマー。サンドイッチでも持って来れば良かったクマ」

「新鮮な魚はいいのか?」

「むー、提督は球磨を食いしん坊か何かと勘違いしてないクマ?」

「む? 違うのか?」

「うお"ーっ! 傷付いたクマ! 今、球磨の心は多摩に顔で爪とぎされた時より傷付いたクマ! お詫びになでなでを要求するクマ!」

「うむ……む……これでいいのか」

「あー良いクマーそのまま続けるクマー」

 

 知人に借りたボートの上で、なぜか私は球磨の頭を撫でていた。一瞬自分がこんな沖にまで何をしにきているのか分からなくなるが、たまたま視界に入ってきた釣り道具を見て我に返る。

 

「そ、そろそろ始めよう。折角時合の時間に合わせてきたんだから有効に使わねば」

「時合ってなんだクマ?」

「有り体に言えば魚の食事の時間だ。そこを逃すとなかなか釣れなくなってしまう」

「提督は物知りだクマ―」

 

 と言っても私自身、知り合いの釣好きに聞いただけの半端な知識だがないよりはマシだろう。

 そう思いながら仕掛けのセッティングに集中する。

 隣では球磨が物珍しそうにこちらを見ているのが見えた。

 

「球磨は……普段釣りとかしないのか?」

「木曾がやってるのによくついていくけど釣ってるの見たことないクマ」

「そ、そうか」

 

 それならば次は木曾を誘ってみてもいいかもしれない。あくまで迷惑でなければの話だが。

 そんな事を考えているうちに準備が完了した。

 

「さて、始めるか」

「時間はたっぷりあるし気長に行くクマ」

 

 まだ始まったばかりだが、球磨の言うとおり気長に待つのも悪くない。

 直接ボートの床に腰掛けながらぼんやりと思考を動かしていたら、釣竿と身体の間に球磨がするりと身体を入れてきた。端的に言えば、あぐらの上に球磨が座っている、という状況だ。

 

「つ、釣りにくいのだが」

「安心するクマ。クマも一緒に持っといてやるクマ」

「……頼む」

 

 このままの状態では釣り上げるのが困難なように思えてくるが、にこにこと嬉しそうな球磨の顔を見て、まあいいかと身体の力を抜く。

 響といい球磨といい、最近膝の上にのってくる子が増えたような気がする。私の膝の上など気持ちのいいものでもないだろうに。

 

「あー、幸せだクマー」

「そうだな」

 

 ゆったりと行き来する波の流れにゆっくりと上下するボートの上で、まるでゆりかごのように身体を揺らされながら穏やかな時間を堪能する。

 こうして眺めていると、いつも見慣れているはずの海の広大さに改めて気付かされる。

 

「提督、いつもありがとうクマー」

「ぬ……突然どうした」

「提督は普段なかなか球磨と一緒にいないから、いい機会だし日頃の感謝の気持ちを伝えてみたクマ」

「むむう……」

 

 一緒にいない、という部分に若干の申し訳なさを感じながら、球磨の気持ちに心が温かくなるのを感じる。

 これからはもう少し彼女たちと共にいる時間を増やせるように努力しなければ。

 

「最近の鎮守府での生活はどうだ」

「凄く充実してるクマ。それにここに来てから多摩も木曾も凄く明るくなったクマ」

「それは良かった」

「最近多摩が七色の猫じゃらしを三本も買ってきたから思わず怒ったクマ! 多摩はすぐ無駄遣いするから駄目クマ! 木曾は服のセンスがダサいからお姉ちゃん心配だクマ」

「彼女たちもいい姉を持って幸せだな」

「意外に優秀なクマちゃんって、よく言われるクマ」

「それは私もよく知っている」

「……」

「どうした?」

「……提督の自然な笑顔、初めて見たクマ」

「む……むう」

 

 ぽしゅっと急に頬を桜色に染める球磨を見て心配になる。少し潮風に当たりすぎてしまっただろうか。

 目の前で球磨は『……今のは反則だクマ』と何やら呟いていたが、いまいち意図がつかめず誤魔化すように空を見上げるしかなかった。

 

「普段から笑えていると、思うのだが」

「あれは笑顔とは言わないクマ。ただの苦笑いクマ」

「そ、そうなのか……む?」

 

 本物の笑顔への道のりは遠い。

 球磨に駄目出しをされつつそんなことをぼーっと考えていたら、竿が急に引っ張られるのを感じ腕に力を込める。

 

「か、かかった!」

「ク、クマ!? 本当かクマ!?」

「あ、ああ。この引きは……大物だ」

 

 今までに感じたことのない引きに圧倒されながら、球磨が怪我をしないようにゆっくりと立ち上がる。釣りでは意外と怪我につながる事故が多いため余計に気を配る。

 

「ク、クマ! 提督頑張るクマ! 球磨は何をしたらいいクマ!?」

「あ、危ないので下がって――」

「それは断るクマ! 球磨の優秀なところ提督に見せるクマ!」

「う……ぬ。ならば私が転ばないように後ろで支えていてはくれないか」

「よ、よしきたクマ!」

「……ぬぬ。別に抱きつく必要はないのだが」

「こうしないと支えにならないクマ♪」

 

 前の引きだけでなく後ろの引きにも困惑させられながら、釣れれば今日のオカズの一品になるであろう目の前の強敵に意識を集中する。

 

 二十分の激闘の末、立派なカツオを釣り上げる頃には自分も球磨も完全に目が覚めていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「結構釣れたクマねー」

「今日は潮の流れが良かったみたいだな」

「これどうするクマ?」

「そうだな。折角だ、鳳翔のところで台所を借りて私がさばこう」

 

 大き目のクーラーボックスの氷の上に並べられた本日の釣果を眺めながら、球磨は瞳を輝かせていた。

 折角釣れた魚を無駄にはできないため、鎮守府に帰ってから自分でさばくことにしよう。

 

「提督の手料理クマ!? 球磨も一緒に食べたいクマ!」

「ああもちろんだとも」

 

 今日のこの釣果は球磨と共に手に入れたものだ。私の拙い腕では満足のいく料理にはならないかもしれないが、素材が新鮮なのでそこまで酷いものにはならないだろう。

 

「提督。魚見てたらお腹空いてきたクマ」

「そうだな。そろそろ朝ごはんの時間だ、戻るとしよう。ボートを動かす準備をしてくるのですまないが竿を持っていてくれ」

 

 了解だクマ、と敬礼してくるクマに竿を預け、ボートを動かすために船内へと入る。

 おそらく普段から綺麗に整備してあるのだろう、古いながら汚れ一つない操縦室のエンジンをかけようとしたその時、船外から球磨の慌てるような大きな声が耳に届いた。

 

「ク、クマ~!」

「どうした!?」

「て、提督! 竿が勝手に暴れるクマ~!」

 

 見ると、明らかに魚がかかっているであろうしなりを見せながら、昔父に買ってもらってそのまま使い続けている釣竿が球磨を右へ左へと翻弄していた。

 慌てて船内から飛び出し、後ろから球磨を抱え込むように釣竿を掴む。

 

「大丈夫か?」

「焦ったクマー。球磨が魚に釣られている気分を味わったクマ」

「大丈夫そうだな」

 

 額の汗を拭いながらふいーと息を吐く球磨の無事に安堵しつつ、本日最後であろう勝負に力を込める。

 

「球磨、せーので引くぞ。いけそうか?」

「任せるクマ! 提督と球磨の初めての共同作業クマ!」

 

 未だに煽られたせいか言動がよく分からないことになってしまっている球磨に落ち着くよう指示しながら、釣り上げる一瞬のタイミングを計る。

 ふっと魚の抵抗が弱まり、ここしかないというチャンスと同時に球磨に合図を送る。

 

「今だ! せーの!」

「クマー!」

 

 ざぱあっという水しぶきと共に、キラキラと光り輝く本日二匹目のカツオが水面から顔を出す。同時にぶちっという鈍い音が耳に届き、感覚的に魚と糸を繋ぐ仕掛けが切れたことに自然と気付く。

 思わず転びそうになるのを堪えながら、球磨に怪我はないかと視線を移すと――

 

 ――そこには逃げたカツオを追って、大海原へ果敢に飛び込む球磨の姿があった。

 

「うお"ーっ! 逃がすかクマー!」

「く、球磨!?」

 

 あまりの光景に頭がフリーズしかけるが、すぐに気を取り直してボートの端に駆け寄り球磨が飛び込んだあとを注視する。

 しばらくして、全身ずぶ濡れになった球磨がぷはあと海から顔を出す。

 

「流石に無理だったクマ」

「大丈夫か?」

 

 なぜ飛び込む前に気付かなかったのか、というつっこみを飲み込みながら球磨に手を差し伸べる。

 その手を握り返しながら、球磨がボートへと戻ってくる。……凄く悔しそうだ。

 

「とりあえずこれで身体を拭きなさい。風邪を――」

「提督、どうしたクマ?」

 

 気付いてはいけないものに気付いてしまい、すぐに自分の上着を脱いで目の前の球磨に着せる。

 当の本人は今だ自分の着ている白い服の状況を理解していないようで、ぽかんとした顔をしている。

 

 もう一度言おう。球磨の今日の上の服の色は『白』だ。

 それが海の水にさらされてべったりと肌に張り付いてしまっているのだ。

 いきなり上着をかけてきた自分に疑念を抱いたのか、球磨はここで初めて自分の服の状況を把握する。

 

「……あ」

 

 ぼしゅっという音が聞こえてきそうなほど真っ赤になってしまった球磨は、プルプルと目尻に涙を浮かべながらこちらに顔だけ向けてくる。

 正直凄くいたたまれない雰囲気で、なぜか汗が滲み出てくる。

 

「見た……クマ?」

「……すまない」

 

 この場で見ていないと言えるほど自分は心が強くもなく、素直に謝る以外思い浮かぶ選択肢はなかった。

 

「クマー!」

「く、球磨! せめて身体だけでも拭いて……むう」

 

 羞恥心に耐えられなくなったのか、球磨は両手で顔を隠しながら船内へと消えて行ってしまった。

 ぽつんと残された仕掛けのない釣竿を見ながら、自分のデリカシーのなさに呆れてものも言えず、床を見つめる他にどうしようもなかった。

 最終的に、また二人で出かけるという約束を条件に機嫌を直してくれた球磨に感謝しつつ、釣った魚をどう調理するか考えながら来た方向へ戻ることにする。

 

「まあたまにはこういうのも悪くはない」

 

 球磨には申し訳ないことをしたが、良い気分転換にはなった。帰ったら、非番の子たちと話をするのもいいかもしれないな。

 昔の自分では決して考えなかったであろう自分の思考に少し驚きながら空を見上げる。

 

 今日も空は晴天だ。

 




 球磨は普段はあんなんでも、根は乙女だと信じてやみません。


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第十話 得たもの

「……う……ぬ」

 

 じっとりと滲む汗が背中に広がり、奇妙な浮遊感が身体全体を襲う。心なしか、視界がぼやけているような気さえする。

 集中しなければ。頭を振って気持ちの切り替えを図るが、どうにも上手くいかない。

 

「むう……私は駄目だな」

 

 普段は彼女たちに体調管理をしっかりと行うように指示しているというのに、自分がこの体たらくでは何の説得力もない。

 頬を流れる汗を拭きながらそんな自嘲に自己嫌悪しながら、本日三本目となる栄養ドリンクを飲む。

 なぜこんな状況になってしまったかにはいくつか理由があるが、それも言い訳にしかならない。

 

「それよりも工廠が爆発とは……怪我人がでなかったのが幸いか」

 

 五日前、我が鎮守府の隣に当たる鎮守府で爆発事故が起きた。

 幸いにも怪我人はいなかったそうだが、その鎮守府の機能が回復するには最低でも一週間は必要だという判断が大本営から下された。

 一週間と聞けば短いと感じるかもしれないが、その間その海域をほったらかしにするわけにもいかず、結果として我が鎮守府がその期間そこの海域を請け負うこととなった。

 簡単に言えば執務や艦隊指揮、その他の仕事が全て二倍に増えた、ということだ。

 

「……大本営の命とは言え、彼女たちには無理をさせているな」

 

 守護する海域が増えたことで当然出撃や遠征、索敵に周る彼女たちの任務量も跳ね上がった。それに加え、壊れた鎮守府機能の早期回復のため妖精君たちを派遣していることで人手が足らず、どこもてんやわんやの大騒ぎだ。

 当然、秘書艦にあたる子も出撃に向かわせているため、現在執務室には自分一人である。

 

「五日程度で……本当に情けない」

 

 鎮守府爆破事件から今日は五日目。その間睡眠はほぼ取っておらずまともな食事すら口にしていない。が、身体を張って傷付きながら、それでもなお海の平和のために全力で戦っている彼女たちに比べて自分はどうだ。

 ただ指示を出し艦隊運営を考え、部屋に籠って書類整理しているだけでダウンとは、情けなくて泣けてくる。

 

「む……いかん。気が弱っている。顔でも洗って気合を入れなおすとしよう」

 

 バチっと頬を叩き、ひよっている心を奮い立たせるため洗面所へと向かい――

 

「……む……う」

 

 ――その途中で目の前が闇に染まった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「て、提督が倒れた!?」

「鈴谷さん、声が大きいぞ」

「あ……ごめん」

 

 南西諸島への遠征帰還後、次の出撃の時間までに食事をしておこうと間宮食堂でカレーを食べていた鈴谷は長月の知らせに心臓が止まりそうな衝撃を受けた。おかげで寿命が三年は縮んだような気がする。

 

「え、でもでも大丈夫なの!?」

「少し落ち着きなさい鈴谷。提督が倒れられた理由は連日の激務による過労よ。命に別状はないわ」

「せや。提督が心配なのは分かるけど、そんなに動揺してたら次の出撃で怪我するで」

 

 心なしか前のめりになって長月を問い詰めるような口調になっていた鈴谷に、同じく出撃後の加賀と龍驤がお昼を手に注意を促す。

 加賀の盆の上が龍驤の五倍ほどの高さになっているが、既に見慣れている鈴谷にとってはいつもの光景なので特に何も言わない。

 

「む? だが先程提督の知らせが届いたとき加賀さんかなり動揺して海面に思いっきり艦載機を突っ込ませていたような」

「……」

「……それはきっと私の姿をした龍驤ね」

「なあ、ナチュラルに人のせいにするのやめてくれへん?」

「あなただって動揺して着艦に失敗して、盛大に濡れ鼠になっていたのではなくて?」

「そ、それなら長月やって焦っておしぼりやのうて運んできたドラム缶持っていこうとしてたやん!」

「な……なにをでたらめな!」

 

 目の前で急に暴露大会を始めてしまった三人に若干呆れながら、鈴谷は一先ずほっと息を吐く。どうやら重症というわけではないようだ。それでもやはり心配なのには変わりないが。

 

「提督ずっと鈴谷たちの指揮をとってくれてたもんね。それに執務も一人であの量をこなしてたんでしょ? 頑張りすぎっしょホント」

「それなのになんで少し嬉しそうなんですか」

「まあ気持ちは分からんでもないけどな」

「それでも五日ほぼ徹夜はやりすぎだ。今は無理にでも休んでもらわねば」

 

 実際のところ鈴谷ら自身、提督の指示のおかげで非常に効率よく海域を周回することができており、見た目ほど疲れも溜まっておらず、人数も揃っているせいかそれなりに休憩の時間もあった。

 丁度次の出撃まで時間がある。

 壁にかけてある時計で時間を確認し、鈴谷はよしと席を立つ。

 

「鈴谷ちょっち提督のところ行ってくる」

「待ちなさい鈴谷」

 

 意気揚々と出ていこうとしたところ、出鼻を挫かれた鈴谷はがくっと体制を崩しながら加賀の方を見る。

 当の加賀は身体全体から抜け駆けは許しませんというオーラを放ちながら鈴谷に視線で牽制を送っている。

 その混乱に乗じてすっとどこかに行こうとした龍驤の肩を長月ががしっと掴み、無言でにっこりと笑いかけている。その表情は『行かせないぞ』という長月の心の内を伝えるには十分な迫力を醸し出していた。

 

「鈴谷、あなた提督の看病に行くつもりのようだけど、ちゃんとできるのかしら」

「す、鈴谷を舐め過ぎじゃん? おしぼりとか提督の汗とか拭いてあげればいいっしょ?」

「そしてあわよくば提督の寝ている隙に唇を……ですか?」

「そうそう折角のチャンスだし……って違うっつーの!」

「やはりそう。そんな邪な思考の娘を提督の傍に行かせるわけにはいきません」

 

 羞恥と怒りと焦りが綯交ぜになったような表情で唸る鈴谷を見ながら、加賀は『私が行きます』と静かに席を立った。なぜか腰の帯を緩め、若干胸を強調させながら。

 

「なんや加賀さん、やけに自身満々やな。何か提督を癒す方法でも知ってんのかいな」

「ええ……疲れには人肌が一番だと聞きました」

「司令官が危ない。すぐに憲兵を呼ぼう」

「……冗談です」

「今の間はなんやねん」

 

 明らかに更なる問題を起こしそうな雰囲気の加賀を止めつつ、龍驤がふっと笑う。

 まるでここはウチの出番やなと言いたげな顔で、自分の胸に手を当てる。

 

「ここは安心感を与えることに定評のあるウチの出番やろ」

「……安心感?」

「鈴谷お前どこ見て言うとんねんコラ」

 

 女性としては少し控えめな龍驤の身体の一部分を注視しながら、鈴谷は首をかしげる。

 アレで安心感を与えられるのなら、鈴谷だって超余裕なのではないか、と。

 

「長月はすぐに出撃だったっけ?」

「ああ、羨まし……司令官が心配だがこればかりは仕方ない」

「そうですね。今は提督の回復を祈るのが最優先です。看病は手が空いたものが真面目にすることにしましょう」

「せやな」

 

 流石に悪ふざけがすぎたと感じたのか、急に真面目な顔に戻りながら今後のプランを四人は立てていく。

 だが、彼女たちは気付いていなかった。

 同じ場所に、始めから聞き耳をビンビンに立てていた少女達が大勢いたことを。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ぬ……」

 

 鈍い節々の痛みに、反応のなかった身体の感覚が徐々に戻ってくる。薄暗い意識の底から、途切れつつあった記憶を縫い合わせ、現状の自己分析を開始する。

 

(そうか、私は倒れてしまったのだな)

 

 長いこと暗闇にいた視界が光に照らされて照準を失い、またも視界全体がぼやける。

 その視界に光が戻るその少し前に、優しげな、それでいて心配を込めたような言葉が頭上から降ってくる。

 

「提督、お気分はどうですか?」

「……榛名か」

「はい」

 

 完全に光の戻ってきた視界の先にいたのは、金剛型戦艦三番艦の榛名だった。

 普段から優しげな微笑を常に崩さない彼女の表情が今は少し眉尻を下げている。どうやら心配させてしまったようだ。

 

「すまない、もう大丈夫だ」

「ダメです。まだ熱もあるんですから横になっていて下さい」

「だ、だが私がずっと榛名の膝の上にいては邪魔だろう」

「いえ、榛名は大丈夫です」

「む……う」

 

 感覚が戻ってきてやっと気付いたが、どういうわけか自分は今榛名の膝の上に頭をのせて横になっている状態という、非常に申し訳ない形で会話をしていたようだ。

 一体いつからこの状況になっていたかは分からないが、どうしてか榛名がどくことを許してくれないためこのままでの会話となる。

 

「艦隊指示はどうなっている」

「現在は前線指示は長門さんと金剛お姉さまが、後方指示は大淀さんと霧島が担当しています」

「状況に変化はないか」

「提督の指示のおかげで特に問題はありません」

「被害状況はどうだ」

「小破艦は何名かいますが、他はほぼ無傷で帰投中です。小破艦には各自順に入渠を指示しています」

「遠征部隊に問題はないか」

「皆、提督に指示されたルートを順守して順調に資材を確保しています」

「索敵機に反応はあったか」

「小さな反応が南西諸島で確認されていましたが、現在はありません」

「そうか」

 

 彼女たちの状況を心配したせいか矢継ぎ早になってしまった質問に、榛名は一つ一つ素早く的確に答えを返してくれる。

 優しいだけでなく、常に冷静に周囲の状況を読み取り柔軟に行動することができる、それが彼女という存在だ。

 

「ありがとう榛名。今から私は大本営に伝文を――」

「もう提督! どうしてあなたはそう自分のことを後回しにするのですか!」

「――む……むう」

 

 起き上がろうとする私の頭をぐっと抑えながら、今の言葉にぷくっと頬を膨らませながら榛名は眉を少し上にあげる。普段あまり怒るということをしない榛名だけに軽く面食らってしまった。

 

「もう少し自身をご自愛ください」

「ああ、心配かけてすまない」

 

 私の言葉に安心したのか、榛名は一言『もう少し身体を休めて下さいね』と言い残し、司令室を出て行った。

 その榛名が出て行った扉の隙間から入れ替わるように一人の少女が姿を現す。

 

「あの、その提督、身体の調子は……どう?」

「天津風か。なんとかこの程度には回復した。心配かけてすまない」

 

 私の言葉に無言でぶんぶんと横に顔をふる天津風の髪を撫でる。

 少し頬を桜色に染めながら、嬉しそうに笑う天津風を見て改めて心配して様子を見に来てくれたことに感謝する。

 そのまま、どこか戸惑いながら天津風が後ろ手に持っていたものを差し出してくる。

 

「これは?」

「提督あまり食べてないって聞いたから……そのお粥作ってみたの」

「……そうか」

「あ、あたしあんまり料理とかしたことないから美味しくないかもしれないけど」

「いただこう」

「……あ」

 

 脇に添えられていたれんげで一掬いし、口に運ぶ。

 ふわりと梅の香が口一杯に広がり、疲れていた身体が少し軽くなるのを感じる。同時に我慢の限界であった胃が急に活発になり、空腹感が襲ってくる。

 

「ありがとう天津風。本当に凄く……美味しい」

「ほ、ほんと!?」

「ああ」

「や、やった! 一杯作ったからおかわりもあるわ!」

 

 まるで向日葵の花が咲いたような笑顔を見せる天津風に心が暖かくなりながら、本日一回目のおかわりを所望する。

 

「待ってて司令官! すぐに持ってくるわ!」

「頼む」

 

 お粥のお椀を抱えたまま嬉しそうに駆けていく天津風を見送りつつ、今日一日の反省と得たものを思い出す。

 

「私は本当に多くの者に支えられてここに立っているのだな」

 

 今になって改めて実感したことをしっかりと胸に刻む。天津風が帰ってきたら素直な感謝の気持ちを言葉にしよう。そう決心しながら私は、天津風の帰りを待つことにした。

 



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第十一話 第六駆逐隊の休日

 

「え? 司令官と恋仲になりたい?」

「見かけによらず大胆なんだな電は」

「あ、暁だって一人前のレディなんだから当然同じことを考えていたわ!」

「はわわ! 違うのですそんなこと言ってないのです! 仲良くなりたいって言ったのです!」

 

 何気なく自分が口に出した小さな願望のどこをどう聞き間違えたらそうなるのか。

 電は羞恥に自分の体温がぐんっと上がるのを感じながら慌てて否定の言葉を挟みこむ。その様子を見ながら、隣で料理雑誌を読んでいた雷は気付かれないようにほっと胸を撫で下ろす。

 これ以上ライバルが増えることは、流石の雷としてもなるべくなら避けたい事案ではあるのだ。

 

「ん? 違うのかい? それなら良かった」

「ちょ、ちょっと響、それどういう意味よ」

「どうもこうもそのままの意味さ」

「ダメよそんなの! 司令官は雷の司令官なんだから!」

「私の司令官でもあるさ」

「暁の司令官!」

「い、電の司令官でもあるのです!」

 

 昼下がりの週末、部屋中にお菓子や雑誌を広げながら第六駆逐隊の四人は司令官談義に花を咲かせていた。

 久々に取れた四人纏めての休みに喜びつつ先程までごろごろと休日を満喫していたのだが、ぽろっと電が零した一言に部屋の空気が変わる。

 

「それで、電はどうしてまた急にそんなことを?」

「はう……それが」

 

 自分でもよく分からないのです、と言いながら電は恥ずかしそうに、それでいて少し嬉しそうな表情で言葉を続けた。

 

「最近司令官さんのことを考えると胸がどきどきするのです。それだけじゃなくて、頭を撫でられたり言葉をかけてもらうときゅーって胸が苦しくなるのです」

「あ、それ暁もあるよ。嬉しいのに苦しいって変な感じよね!」

「そ、そうなのです!」

「……響、これって」

「……間違いないね」

 

 わいわいと最近の自分の感覚の不思議さに盛り上がる長女と末っ子を眺めながら、雷と響は盛大に溜息を漏らす。ただでさえ多いライバルが一気にここで二人も増えてしまったことに肩を落としつつ窓の外を見上げ、その雲一つない空模様にまたしても溜息が出る。

 

「だから司令官ともっと仲良くなりたいと、そう思ったわけね」

「……どうして雷と響が落ち込むのです?」

「お腹でも痛いの?」

「痛いのは……しいて言うなら心かな」

 

 意図せずしてライバルに多大な重圧を与えながら、電と暁はぽかんと二人の様子に首を傾げる。

 そんな無自覚な恋の波動にもやもやとしながら、それを振り払うかのように雷はがばっと身体をベッドにダイブさせた。

 

「でも秘書艦業務はなかなか回ってこないし、司令官さんお仕事で忙しいからなかなかお話できないのです」

「そうよねー。司令官全部自分でやろうとするから困っちゃうわ。もっと雷を頼っていいのに」

「今度ボルシチを作って差し入れにいこうかな」

「暁は一人前のレディだから、大人の雰囲気で司令官の日頃の疲れを癒しちゃうんだから!」

「それは暁にはまだ早いかな」

「にゃにおう!」

 

 お互いがお互いに感じていることを口に出しながら、司令官のどこがダメだのどこが良いだのわいわい盛り上がりながら、広げられたお菓子を食べる。

 その様子は、姉妹でもありながら親友同士でもあるかのような錯覚を見るものに与えるほど和気藹々としており、彼女らのせいで憲兵のお世話になる者が急増したという話もあながち嘘ではないように感じられる。

 

「あ! そう言えば響、あなたこの前の能代さんとの遠征のとき、どさくさに紛れて司令官にハグしてもらってたじゃない! ずるい反則だわ!」

「あれは遠征のご褒美じゃなくて秘書艦のご褒美さ。私だけのね」

「むむむ!」

「ず、ずるいのです」

 

 ふふんと得意そうに鼻を鳴らす響に非難めいた三人の視線が突き刺さる。しかしまるで相手にならないなと、響は当時のことを思い返しにやけながら、余裕の表情で紅茶をすする。

 

「なによ……私なんか司令官と二人っきりで鎮守府の外にデートに行ったことあるんだから」

「ぶふぉっ!」

「つ、冷たっ!?」

「暁、大丈夫なのです!?」

「……う、嘘だね」

「嘘じゃないわ、証拠にここに記念にとった写真があるわ」

 

 まるで私の時代だとでも言いたげに得意になる雷に三人は懐疑の視線を向けながら、差し出された写真を見る。

 そこには確かに、洋服店と思しき店の前で手を繋ぎながら満面の笑みでピースしている雷と、少し困ったような表情を浮かべる司令官の姿が写っていた。

 

「いつの間にこんな羨ましいことを」

「暁も行きたい!」

「はうう……羨ましいのです」

 

 実際は大本営への定例会議のために秘書艦としてついて行った帰りに、用事で寄った際に撮ったものなのだが、三人には効果絶大なようだ。当の雷もまた当時のことを思いだしていたのかふにゃっとにやけながら写真を大事そうに仕舞い込んでいる。

 

「それなら暁だって司令官に誘われて二人で御飯食べに行ったことあるわよ!」

「え、嘘!?」

「あの司令官が食事に誘うなんて」

「……電も行きたいのです」

 

 もはや完全に司令官と自分との出来事を自慢する大会のような雰囲気になってしまっているが、本人たちは相手の予想外の言葉に内心羨ましく思うばかりで、一向に優劣がつく気配はない。

 

「それはそうと電は司令官とどこかに行ったことはないの?」

「……ないのです」

 

 雷の問いに若干落ち込みつつ、でも、といつも愛用している髪留めに触れながら未だ自分の話をしていなかった電が最後に特大の爆弾を落としていく。

 

「この髪留めは電が初期艦としてここに配属になったときに、司令官が記念にプレゼントしてくれたものなのです。あの日の記憶は電の一生の宝物なのです」

「……」

「……」

「……」

 

 全身から幸せオーラを放っている電とは対照的に、残りの三人はまるで特別酸味の強い蜜柑を食べた時の様な苦い顔をしつつ、悔しそうに拳をぶるぶると力一杯握っている。

 

「これはもう直接雷と司令官の絆の深さを見せる他ないわね」

「ほう、そこまで言うなら見せてもらおうじゃないか」

「四人は迷惑だろうからここは電の実力を見せてもらうわ!」

「はわわ!」

 

 もう我慢できないといったような雷の言葉と共に四人同時に立ち上がる。

 司令官は現在執務中で自分たちは今日非番であるということをすっかり忘れている彼女たちだが、それを気付かせられるものは今はいない。

 

 そうして四人は足早に司令室へと駆けて行った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ふむ。資源に少し偏りがあるな。遠征ルートの見直しをしなくては」

 

 先程、秘書艦である霧島から受け取った報告書の内容を手に取りながら、そこに書かれていた数値に脳を回転させる。今週は南西諸島よりも鼠輸送へと変更した方が効率がよさそうだ。

 丁寧に纏められた内容に感謝しながら次の書類へと視線を移す。ちなみに霧島は現在所用で席を外している。

 

 いつも通りのいつもの時間、新しく目を通した書類に確認印を押したのに少し遅れて司令室の扉がノックされる。

 

「入るわね司令官!」

「雷か。どうした? 何かあったのか?」

「司令官! もっと私に頼ってもいいのよ?」

「ぬ…?」

 

 突然の来訪と突然の言葉に上手く言葉を返せず、筆も止まる。今日は彼女は非番だったはずだが、いったいどうしたことだろう。

 何か自分はしただろうか、と思い返し先日倒れてしまったことが頭をよぎる。もしかしたらそのせいで彼女を心配させてしまっているのかもしれない。

 

「何か私にできることはない? 何でも言って」

「そうだな。それじゃあお茶を一杯もらえないか」

「! 任せて司令官! うんとおいしいのを入れちゃうんだから!」

 

 先日の榛名の言葉を思い出し、無理をしなくていいという言葉を飲み込み、素直に厚意に甘えることとする。

 自分は今まで少し考えが卑屈だったのかもしれない、と気付けたことで心に余裕を持つことができた。

 

 人の心とは難しいな、と苦笑いをしているとふいに後ろから食器の割れるような音が聞こえ、背中が濡れたような感覚が走る。

 雷の身に何かが起きたのかと心配して振り向くと、割れた湯呑と青い顔の雷がそこに立っていた。

 

「し、司令官ごめんなさい! すぐに片付けるから」

「大丈夫だ、落ち着け雷。それよりも怪我はないか?」

「……うん。躓いてこけただけだから。それより湯呑が!」

「気にするな。とにかく雷に怪我がなくて良かった。湯呑は私が片付けておくから念のためドッグで見てもらいなさい」

「で、でもあの湯呑は司令官のお母様が昇給祝いに買ってくれたものだって」

 

 ショックと焦りで涙目になりながら訴えてくる雷を抱きしめながら落ち着くよう頭を撫でる。責任感の強い雷のことだ、私が使っていた湯呑を壊してしまったことが相当堪えたのだろう。

 

「いいんだ雷。モノはいつか壊れるが、私のためにと祝ってくれたあの日の母の想いは私の中に残っている。だから気にしなくてもいいんだ」

「でも! でも!」

「そうだな。それなら今度私と一緒に湯呑を買いに行ってはくれないか。そこで新しいものを雷が選んでくれると嬉しい」

「……うん、本当にごめんなさい司令官」

「大丈夫だ。ほら行ってきなさい」

 

 どうにか落ち着いたのか、雷は素直に頷いてドッグへと向かっていった。

 とりあえず湯呑を片付け、濡れてしまった服を乾かすついでにシャワーを浴びようと浴室へと向かう。

 

「下着は……そのままでもいいか」

 

 濡れてしまっていたのは背中だけでなく、下着もであったためどうせ洗濯をするからと下着のまま浴室に入る。

 この時間は誰も入ってくることはないためということもあるが――

 

「あの……司令官さんお背中流します……です」

「ぬ!?」

 

 ――と思っていたら電が頬を真っ赤に染めながら入ってきた。

 しかもなぜかイクやゴーヤが着用しているような紺の生地の水着を着用した状態で、だ。

 これはいけない、と電に退出を促すが頑として受け入れてくれず、仕方なく私の方から出ようとしたら瞳一杯に涙を浮かべた状態で引きとめられてしまった。

 

「ど、どうですか司令官さん」

「あ、ああ。丁度いいよ。ありがとう電」

 

 んしょんしょと懸命に私の背中を洗ってくれる電にお礼を告げる。

 時々、滑るのか背中に伝わる柔らかい感触に罪悪感を感じながら、それでも電の優しさに心が暖かくなる。

 十分をかけて念入りに背中を洗ってくれた電に再度お礼を言うと、今度は逆に恥ずかしそうな顔で髪を洗ってほしい旨を告げられ、困惑しつつシャンプーを手に取る。

 

「不快だったらすぐに言ってくれ」

「そんなことないのです。凄く気持ちいいのです」

「そうか」

 

 女性の髪など洗ったことのない自分が本当にいいのだろうか、とも思ったがとても気持ちよさそうに返してくれる電を見て、少し安心する。

 同時に着任したての頃、初期艦であった電と二人きりだったころを思い出す。

 あの頃は何もかもが初めてで随分電にも迷惑をかけたような気がするな。

 

「電の髪は今も昔も変わらず綺麗だな」

「は、はわわ!?」

「今でも私の送った髪留めを使ってくれているだろう? ありがとう電」

「覚えていてくれたのですか?」

「電と過ごしたあの日々は、私にとって忘れられない大切な思い出だからな」

「……はい」

 

 その後、ぽろぽろと涙を流し始めてしまった電を必死で慰めようと奮闘し、どうにか落ち着いて部屋に返す頃には既に夕刻の時間を過ぎていた。

 

 それにしても彼女たちは急になぜ訪れてきたのだろうか?

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「私司令官のためにもっともっと頑張るわ!」

「電も司令官さんのお役に立てるようにもっと頑張るです!」

 

 部屋に戻ってきて、急に元気になった二人とは対照的に、響と暁はお互いに苦虫を噛み潰したような表情をしながらぼそっと呟いていた。

 

「……私が行けばよかったよ」

「……別に羨ましくなんてないんだからね!」

 

 

 今日も鎮守府は平和である。

 



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第十二話 金剛のお茶会

 第六駆逐隊による司令室突撃事件から一夜明けた次の日、司令室から少し離れた艦娘宿舎のある一室に三人の少女が集まっていた。

 

「……」

「えーと、砂糖はどこだったかしら」

「こっちの戸棚の上ですよ、霧島」

 

 言いながら、はいと砂糖の入った小瓶を手渡してくる榛名にお礼をいいつつ、霧島は三人分の紅茶をカップに注いでいく。

 ふわりと香る茶葉の匂いに頬を緩めながら、今日は久々の休日を満喫するためクッキーなどに合うアールグレイを選択して正解だったと一人満足する。

 

「金剛姉さま、紅茶が入りました」

「今日はお姉さまお気に入りのアールグレイです」

「二人ともありがとうデース。さっそくティ―タイムにするネー!」

 

 読みかけていた本を置いて、金剛は紅茶を入れてくれた榛名と霧島にお礼を告げながら、今や恒例となった妹たちとのお茶会に心弾ませながらウキウキとした足取りでソファーへと向かっていった。

 久々の休日が始まる。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ンー! やっぱりテイトクの顔を見ながら飲む紅茶は最高デース!」

「お姉さま、いくら司令とお茶する機会がないからと言って、毎回司令の写真立を見つめながら紅茶を飲むのはどうかと」

「あはは」

 

 お茶会が始まって数分、ごそごそとどこからともなく取り出した提督の写真を眺めながら幸せそうに紅茶を飲む姉に、霧島が呆れたような顔を見せる。

 

「いつも寝る前にテイトクの写真を枕の下に入れてる霧島にだけは言われたくないデース」

「な、なぜそれを!?」

「可愛い妹のことならなんでもお見通しヨ。姉に隠し事なんて百年早いデース。ネー榛名」

「あ、や、はいお姉さま」

 

 突然会話を振られて、榛名は紅茶の入ったカップを落としそうになる。

 まさか密かに自分が提督の写真に毎夜おやすみのあいさつをしていることまで知られているのでは、と緊張したが金剛の口からそれ以上の言葉は出てこず、ほっと息を吐き出す。

 

「それよりも比叡は今日はどうしたのデスカ?」

「比叡はどうやら今日も鳳翔さんのところですよ」

「ホーショーのところ?」

「最近比叡お姉さま、磯風さんと一緒によく鳳翔さんのお店に行っているみたいです」

「フーン。まあ仲間とのコミュニケーションは大事デース」

 

 別にこのお茶会は強制参加というわけでもなく、むしろやることがなく暇だからこうしているだけである。

 そのため金剛は素直に妹の比叡が何かの趣味を持ち始めたことを嬉しく思いつつ、二杯目の紅茶に口をつける。

 普段は提督のことしか考えていないように思われがちだが、その実、しっかりと妹たちのことを気にかけている辺り、姉としての自覚は高いらしい。

 

「それよりも金剛姉さま。そろそろ例のアレを」

「榛名も、そろそろ、その」

「フフ、了解ネー。ちょっと待つデース」

 

 自分の言葉に待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す妹二人を見て、最初に自分がこれを手に入れたときの興奮を思い出しながら、一冊の雑誌を取り出す。

 

 その雑誌の表紙に載っている軍服に司令帽姿で若干表情に硬さを残す人物に口元を緩ませながら、金剛は妹たちの前に汚れないようにそれを広げる。

 

「こ、これが噂の」

「提督、この表紙のお姿も凛々しいです」

「手に入れるのに苦労したヨー。なんせ発売と同時にわずか一時間でどこも完売したって話だったカラ」

 

 題名に『今、話題の鎮守府~寡黙ながら男気のある提督、その能力の高さの秘密にせまる~』とある雑誌の表紙を見てごくりと唾を飲み込む霧島と榛名を見ながらどこか金剛は得意げに、入手までの経緯を熱く語る。

 が、当の二人は表紙に載る自分たちの提督の姿に夢中で姉の話なぞ全く聞いていない。

 

「でもあの司令がよくこんな取材にオーケーを出しましたね」

「提督は基本的にあまり注目されるのを好みませんからね」

「大本営の元帥に強制的に受けさせられたらしいデース。全ての鎮守府対象だからどっちにしろ受けるはめになるカラ今受けとけって言われたみたいデース」

「ははあ、なるほど」

 

 提督と元帥は親の関係で旧知の仲だそうだが、なるほど提督の性格をよく知っていらっしゃると霧島は内心感心していた。

 おそらく今回取材として受けさせていなかったならあの提督のことだ、おそらく『自分が出ても迷惑になるだけだから』とか言って断っていただろう。

 

「それじゃあ心の準備はイイ? 言っとくけどこの雑誌の破壊力はフラグシップ並だからネ」

「了解です」

「は、はい」

 

 初めてこの雑誌を開いたとき、興奮で鼻血が止まらなくなったことを思い出しながら金剛は榛名と霧島に予防線を張る。

 霧島も榛名も姉の忠告にぐっと下腹に力を込めながら真剣な表情で頷きを返している。

 心なしか、出撃時よりも真剣な顔をしているような気がするが、誰も指摘するものはいない。

 

 が、そんな金剛による予防線も空しく、一枚目に載っていた幼少期の提督の姿を見た瞬間二人の理性は弾け飛んだ。

 

「こ、これはいけませんお姉さま! 至急カラーコピーの準備を!」

「か、可愛いです! 提督可愛いすぎです!」

「だから言ったデショ。気持ちは分かるけど二人とも落ち着くネー」

 

 今にも雑誌を持ったまま下町の印刷所に走り出しそうな霧島と榛名を諌めつつ、金剛自身その衝撃的とも言える破壊力に思わず顔がニヤけてくる。ちなみに写真は提督の母親が快く提供したらしい。

 そんな提督の成長記録を三人でにやにやしながら読み進めていき、高校生ぐらいになったところでまたしても二人は理性という名の心の枷を放り投げていく。今回は金剛すらも一緒に。

 

「な、なんでしょう。この凛々しいながらも幼さを残す司令の顔を見ていたら興奮が」

「こんな提督を見ることができる日が来るなんて! 榛名感激です!」

「何度見てもカッコいいデース! この少し困ったような目元なんて……ホント堪りまセーン!」

 

 当の本人が聞いたら困惑で倒れてしまうであろう言葉を並べながら、三人は雑誌を読み進めていく。

 途中興奮のあまり霧島のメガネが割れそうになったり、榛名が熱でもあるかのように顔を真っ赤に染めたり、金剛が新婚旅行の計画を立てはじめたりしたが。

 

「あれ? 金剛姉さまこれは?」

「袋とじになっていますね」

「それは付録みたいネー。折角だから二人と一緒にと思ってまだ開けてまセーン」

 

 雑誌の途中に挟まっていた薄い封筒のようなものに目を移しながら、三人は期待に胸を膨らませる。

 付録だというぐらいなのだからきっと素晴らしいものが入っているのだろうと。

 

(もしや司令が使い古した万年筆とかが)

(提督愛用のハンカチとかでしょうか)

(ケッコンユビワに違いありまセーン!)

 

 各々が様々な想像と妄想を綯交ぜにした思考に囚われながら、金剛がゆっくりと封を切っていく。

 そうして現れたそれのあまりの衝撃に三人は一瞬意識を失った。

 

「こ、この写真の提督……なんて自然な笑顔なの!?」

「こんな提督の表情見たことありません。……榛名凄くこの写真欲しいです」

「……」

 

 未だ意識を取り戻さない金剛を起こしながら、霧島と榛名は改めて出てきた提督の写真を眺める。

 場所はどこかの海辺だろうか、近寄ってきた猫を優しく撫でながら微笑している提督の写真が付録には入っていた。

 

「……あまりの衝撃に気を失ってしまいマシタ。この写真は家宝にするデース」

「金剛姉さま。後で印刷所へ行きましょう」

「あの、は、榛名にもその」

「その気持ち、痛いほど分かるのでオーケーデース。でも他の子には内緒だヨ」

 

 普通だったら断ることでも、姉の金剛はあっさりと首を縦に振ってくれる。

 いつも自分の気持ちを前面に押し出す金剛であるが、その実周りの気持ちを汲み取り、配慮できるその懐の大きさを持っているため彼女を慕う人は多い。

 

「ありがとうございます姉さま」

「ありがとうございますお姉さま」

「他でもない妹たちのお願いデース。断るなんてありえまセーン」

 

 心の底からそう思っているであろう姉の表情に感謝しながら、いつのまにか最後となっていたページを捲り、そこに載っていた最後のインタビューへの提督の答えを読む。

 

 Q、最後に自身の鎮守府の艦娘の子に一言お願いします。

 

 提督:……あまり話すのが得意ではないため伝わるか分からないが、私は君たちに出会えて本当に良かったと思っている。いつの日かこの海に平和が戻ってきたときに、一人たりとも欠けずに笑ってそれぞれの道を歩いていけるようこれからも全力を尽くしていこうと思う。その時まで改めてよろしく頼む。

 

「……」

「……」

「……」

「なんだか司令らしすぎて力が抜けてしまいました」

「本当に優しい人です。本当に」

「なんだか読んでいたら俄然やる気が出てきたヨー! 榛名、霧島! 印刷所まで走っていくデース」

「え? ちょま! 待ってください姉さま!」

「はい! 榛名は大丈夫です!」

 

 自分の言葉に焦りながらも楽しそうについてくる妹たちを太陽のような笑顔で見守りながら金剛は駆けだしていく。

 時折窓から優しく吹き込んでくる風に背中を押されながら。

 

 

 

 後日、噂の雑誌を一目見ようと金剛の部屋に長蛇の列ができたのは別のお話。




 提督不在……だと!?


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第十三話 五月雨の秘書官奮闘記

 

「……今日の秘書艦は五月雨だったな」

 

 前日の内に目を通しておいた今日の執務内容を改めて確認しつつ、秘書艦のところに書かれた名前に視線を移す。

 時刻はまだ朝の六時前。後三十分後には早朝の遠征部隊が出発する。そのための最終指示の確認をしようと二枚目の書類に視線を落とすと同時に司令室の扉がノックされる。

 

「し、失礼します! 五月雨、本日の秘書艦業務のため参りました! よろしくお願いします!」

「む……うむ。おはよう五月雨、よろしく頼む」

 

 流れるような長髪を綺麗に後ろで束ねながら、少し緊張した面持ちで本日の秘書艦である五月雨が部屋に入ってくる。

 ここに着任している艦娘たちの中では比較的最近着任した方の部類に入る彼女は、確か今日が初めての秘書艦だったはずだ。いろいろと教えてやらねばならないな。

 朝のあいさつをしながら頭の中で五月雨の秘書艦指導もスケジュールに追加しながらそんなことを考える。

 だが、今はそれよりも、だ。

 

「五月雨、秘書艦業務は九時からでいいのだが」

「ふえ?」

「一応、事前に渡しておいた確認事項の書類にも書いてあったと思うのだが」

「はっ!? す、すみません~」

「あ、謝る必要はないぞ」

 

 耳まで真っ赤にする五月雨をなんとかフォローしながら、前日のうちにもう一度伝えておくべきだったと反省する。

 恥ずかしさからか、ぺたりとその場に座り込んでしまった五月雨は『張り切り過ぎて忘れてました~』と何やら自己嫌悪に苛まれてしまっていた。

 

「まだ朝も早く眠いだろう。隣の私の部屋に布団が余っているからもう一眠りしてくるといい」

「そ、そんな! 提督の布団だなんて……大丈夫です!」

「そ、そうか」

 

 実際は自分の部屋にある予備の布団のことだったのだが、なにやら五月雨は深く逡巡しながら、戻りかけた顔色を今度は桜色に染めながらなぜか勿体なさそうな顔と共に否定の言葉を返してきた。

 

「無理はしなくていい。途中眠くなったら仮眠をとりなさい」

「ありがとうございます提督。一生懸命がんばります!」

「よろしく頼む」

「はい! あ、これ本日の執務スケジュール表です」

 

 早速と言わんばかりに差し出してくる計画表を受け取りながら五月雨にお礼を言いつつ、どこか普段のものとは違うような気がするそれを開く。

 そこには可愛らしい絵とともに、こんな文章が書いてあった。

 

 【四月二日(火) 晴れ】

 今日初めて移動先の鎮守府で提督とお会いしました。最初は少し緊張しましたが、そんな私の頭を優しく撫でながら緊張をほぐそうとしてくれた提督に、お会いしたばかりなのにドキドキしてしまいました。

 明日からお仕事頑張ろうっと。あ、あと明日も少しでいいから提督とお話できたらいいなあ。

 

 

「五月雨、そのこれは……」

「ほわあああああああ!」

 

 私の困惑に気付いたのか、自分が渡したものの正体を見直し、目を見開きながら五月雨が物凄い勢いで手にあったそれを引っ手繰ってくる。そしてそのまま地面に崩れ落ちてしまった。

 

「うう……表紙の色が似てたから間違えちゃいました~」

「その、気付けなくてすまない」

「あう……提督はお気になさらないでください」

 

 こういうときにどのような声をかけていいのか分からなくなるところが私の駄目なところなのだろう。

 朝からお互いに自己嫌悪に悩まされながら、それでもしっかりと立ち直る五月雨の真面目さに嬉しく思う。

 

「提督、最初は何をしたらいいですか?」

「そうだな。遠征部隊の指揮までまだ時間がある。それまでこの書類の報告に不備がないか確認をお願いしたい」

「了解しました! もうドジっ子なんて言わせませんから!」

 

 早速の秘書艦業務に五月雨はふんすと可愛らしくやる気を見せている。

 そのままぱたぱたと秘書机と椅子を通り越して、普段あまり使うことのない私のすぐ隣に置いてある来客用の椅子に五月雨はポスンと腰を下ろしてきた。

 

「む……その五月雨。秘書机は向こうなんだが」

「ふえ? ……うわああん!」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「む……もうこんな時間か」

 

 現在の資材状況と先月の資材消費量を見比べながら、今後の運営プランを構築していると壁に掛けてある時計がお昼の十二時を知らせてくる。

 

「五月雨、そっちはどうだ?」

「はひ、すいません。頭が爆発しそうです」

「……そうか」

「あう、笑われちゃいました」

「すまない。後は私がやっておこう。それよりもう十二時だ、お昼にしよう」

 

 先程から書類とにらめっこしてはうんうん唸っていた五月雨の様子に苦笑しながら、お昼の提案をする。

 お腹がすいていたのか、五月雨はその提案にぱあと表情を明るくさせ、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。

 

「提督は今日のお昼のご予定はありますか?」

「うむ。今日は即席食品のカレー味にしようと――」

「ダメです」

「――むう」

 

 最近では加賀を筆頭に更に即席食品への風当たりが強くなっているようで、即座に却下されてしまう。おかげで最近は戸棚にいれてある即席食品がただの肥やしと化してきているような気がしてならない。

 あの味はたまに無性に食べたくなることがあるのだが、と未練がましい気持ちでいると五月雨が満面の笑顔で一つの提案を促してきた。

 

「それなら間宮さんのところで一緒にどうですか?」

「お昼まで私などと一緒では気が休まらないだろう」

「そんなことないです! さあ行きましょう!」

「ぬ……むむ」

 

 持ち前の明るさをこれでもかと発揮する五月雨に少し振り回されながら司令室の扉を開け、外に出る。

 途中で無意識のうちに手を繋いでいたのであろうことを白露にからかわれ、真っ赤になる五月雨を落ち着かせながら歩いているとすぐに間宮食堂が見えてきた。

 

「あ、ていとくさんです」

「さみだれさんもいますです」

「もしやしょくどうでーとですか」

「あ、提督と五月雨さんいらっしゃいませ」

「ああ妖精君に伊良湖君、忙しいのにすまないな」

「で、でーとじゃないです!」

 

 今日も今日とて活気に溢れている間宮食堂のカウンターで妖精君と伊良湖君が出迎えてくれる。

 そこで先程買った食券を手渡していると、厨房の中から割烹着姿の間宮君が顔をだしてきた。

 

「こんにちわ提督、五月雨さん」

「ああ。相変わらず忙しそうだな」

「こんにちわ間宮さん!」

「この時間はいつもですから、腕が鳴ります。それよりも提督、たまには私とデートしてくれてもいいんじゃないですか?」

「うぬ? ……ぬ」

「冗談ですよ。そんなに悩まないで下さい」

 

 そう言いながら、うふふと笑う間宮君の表情になぜか五月雨が『いいなあ。私もあれくらい』とか呟いていたが、よく意味が理解できなかった。

 

「でーとのことばにぜんいんのみみがはんのうしてるです」

「とくにおおいさんとこんごうさんがぱないです」

「こころなしかちかづいてきてるきさえするですはい」

 

 間宮君の横では、妖精君たちが例のごとくワイワイと楽しそうに密談に花を咲かせている。

 その様子を眺ながら、伊良湖君から今日の注文品であるかき揚げうどんを二人して受け取り、空いていた窓側の席へと腰を下ろす。

 

「それにしても間宮君の冗談にはいつも悩まされるな」

「あれ、冗談じゃない気がしますけど」

「む? 何か言ったか?」

「い、いえ! さあ熱いうちにいただきましょう!」

「う……む!? さ、五月雨、それは掛け過ぎではないかね!?」

「え?」

 

 わたわたと左手を振りながら、右手にあるモノを持ちながら盛大にそれをうどんへと振りかけている五月雨を見て慌てて止めに入る。

 だが、時すでに遅しとはこのことか、五月雨のうどんは七味唐辛子の大群で赤く染まっていた。

 

「わ、私ってばホントにドジばっかり」

「……大丈夫だ」

 

 気落ちする五月雨に声をかけながら、さりげなく自分のうどんと入れ替える。

 間宮君に言えば取り替えてもらえるだろうが、ここの鎮守府を預かるものとして食べものを無駄にするわけにはいかない。

 その行為に五月雨は慌てて止めようとしてきたが、実は辛い物が大好物なのだと半ば強引に赤いうどんに口をつける。

 咀嚼した瞬間、ビリビリと刺激が口中に広がってくるがこれを五月雨に食べさせるわけにはいかないと食べ進める。

 

「提督、ありがとうございます」

「なに、気にすることはない。五月雨も熱いうちに食べなさい」

 

 初めは申し訳なさそうな表情だった五月雨も、流石は間宮君の料理と言ったところか食べ終わる頃には普段通りの笑顔が似合う五月雨に戻っていた。

 

「さて、戻ると……む」

「……(こくりこくり)」

 

 食事を終え、食器を返して席に戻ってくるとこくりこくりと船をこいでいる五月雨がそこにいた。

 朝早くからの慣れない執務に加え、お腹が満たされたことにより一気に眠気が襲ってきたのだろう。そんな五月雨の姿に苦笑しつつ、起こさないように背中に背負う。

 

「さて、執務室に戻って隣から布団をとってこなければ」

 

 五月雨を背負いつつ、夕方まで寝かせといてやろうと午後の執務計画に五月雨のお昼寝を加えながら、間宮食堂を後にする。

 後ろでは気持ちよさそうに眠る五月雨の寝息が聞こえていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「…………ん、あ」

「おはよう五月雨」

「あ、おはようございます提督……ふあ」

 

 数時間ぶりに目を覚ました五月雨の顔を見ながら、簡単に挨拶を返す。

 意識がまだ覚醒しきっていないのか五月雨は少し乱れた髪を触りながら、ふわふわとした返事を返してくる。

が、布団にもぐっている自分の姿を見て徐々に自分が何をしていたのかを理解したのか、どんどん顔が青くなっていく。

 

「……もしかして私寝ちゃってました、か」

「ああ。とても気持ちよさそうな表情だったな」

「ちなみにどれくらい……?」

「今が夕方の六時前だから五時間ぐらいか」

「うわあぁん! す、すみません~」

 

 羞恥と申し訳なさからか、べしゃっと布団に顔を埋めながら謝ってくる五月雨を慌てて慰める。

 自分としても、あれだけ健やかな寝顔を見せられたら怒る気力など全く沸かないといったことが正直なところである。

 そもそも朝に仮眠を提案していたわけだから怒る気など初めからなかったのだが。

 

「そんなに気にすることはない。今日は初めての秘書艦業務で疲れたのだろう。反省は次に活かせばいい」

「……はい」

 

 それでもなお申し訳なさそうに俯く五月雨の頭を撫でながら、今日一日の感謝を込めて五月雨にお礼を伝える。

 

「今日は五月雨が秘書艦で助かった。朝早くから秘書艦業務をこなしてくれたし、お昼は良い気分転換になった。午後はそのおかげで随分と執務が捗り、既に今日の分は終わってしまった」

「……少しでもお役に立てたなら嬉しいです」

「ああ。それに五月雨の健やかな寝顔も見れたことだしな」

「だ、駄目です! それは忘れて下さい!」

 

 ぽすぽすとお腹の辺りを叩いてくる五月雨を見ながら、普段の五月雨に戻ったことに安堵する。やはり元気一杯な彼女が一番彼女らしい。

 

「さあもう六時になる。秘書艦業務の時間は終わりだ。先程涼風が夕食に誘いにきてたから行ってあげなさい」

「……はい! 今日はありがとうございました! 次はもっと提督のお役に立てるよう頑張ります!」

「ああ、期待している」

 

 見ていて下さいね、と言いつつぺこりとお辞儀を残して指令室から出ていく彼女を見送り、ふうと一息入れ椅子に腰を下ろす。

 

「そう言えば私も昔は書類が苦手だったな」

 

 ふいに自分が提督になりたての頃を思い返しながら、本日最後の仕事である遠征部隊の帰還のため、上着を着て外に出る。

 ふと窓の外に視線を移すと、涼風と共に楽しそうに笑いながら歩いている五月雨の姿が見えた。

 




 五月雨はドジっ子。


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第十四話 青葉と取材

 

「突然ですが皆さん、司令官の情報に興味ありませんか?」

 

 鎮守府二階の東側、そこに立ち並ぶ部屋の一室で衣笠と古鷹は『また始まった』と怪訝な顔と訝しげな視線を声の主に送る。

 

「青葉、あんたまた変なこと考えてるでしょ」

「いやいやこれはれっきとした取材ですよ!」

「それで、提督の情報がどうしたの?」

「おやおや古鷹さんは興味深々みたいですねえ」

「そ、そういうわけじゃないけど」

「で、今回は何を企んでるの?」

 

 相変わらず表情と言葉に感情がでやすい古鷹が青葉にいじられるのを見ながら、衣笠が続きを促す。

 表向きには特に興味なさそうに振る舞っている衣笠だが、内心は内容を聞きたくてうずうずしていた。それでも表情を普段通りに保つ辺り、流石は青葉の妹である。

 

「いや、実は昨日駄目元で司令官に取材のお願いに行ったらオッケーもらえてしまいまして」

「いつもは断られるのにね」

「それは青葉の日頃の行いのせいでしょ」

「きょーしゅくです!」

「褒めてないわよ!」

「提督にはなんてお願いしたの?」

「夕張さんにもらった他の鎮守府での提督と艦娘のコミュニケーションの平均時間を載せた紙を見せながらお願いしたら一発でした」

「うわあ」

「……外道ね」

 

 胸を張りながら戦果を自慢してくる青葉に若干衣笠と古鷹は顔を引き攣らせる。密かに提督が気にしているところを突いていく辺り、取材のためなら手段を選ばないという周囲の評価も頷ける

 

「ですが、断られると思っていたので、青葉取材内容を何も考えてなかったのです!」

「なんで得意げなのよ」

「まま! そこはおいといて、いい機会なので我々が気になっていることをどーんと司令官に聞いてみちゃおうと青葉は考えたわけです!」

「それが提督の情報?」

「二人は聞いてみたくありませんか?」

 

 青葉の問いに二人の視線が重なる。お互い頬が赤く染まっているように見えるのは部屋が暑いだけが理由ではなさそうだ。

 

(どうしよう凄く気になる)

(でも青葉の前でそれを認めるのはなぜか凄く危ない気がするわ)

 

「お二人ともその顔は凄く気になっていますね」

『あ、あう……』

 

 羞恥のあまり真っ赤になる二人を横目に、青葉が取材場所と時刻を書いた紙に加え『質問内容』と小さく書かれた余白の大きい用紙を手渡してくる。

 

「なんで私たちにも取材場所と時間が必要なの?」

「今回は題材が題材なので気になる方も多いと思いまして、生放送でお送りしたいと思います」

「え? それって大丈夫なの? 提督帰っちゃうんじゃ」

「そこは青葉に任せてください。既に手は打ってあります」

「こっちの紙は?」

「折角なので今回の取材内容は皆さんから事前に集めた司令官への熱い質問を青葉が選んで聞いてみようと考えてます! だから二人もこの機会に気になってたことをどしどし書いて下さい!」

「質問者の名前は出るの?」

「ご安心を! 全て匿名でやらせてもらいます! あと生放送の件は司令官には話していませんのでくれぐれも内密にお願いします」

 

 いつの間にか、ノリノリになってしまっている衣笠と古鷹の質問に答えながら、今回は良い記事が書けそうですと青葉は内心怪しい笑みを浮かべていた。

 

 その後、この青葉の悪巧みとも言える取材話は瞬く間に鎮守府中に知れ渡り、取材前日までに届いた提督への質問内容を書いた用紙は千枚を軽く超えたという。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ささ! 司令官、こちらの椅子にどうぞ」

「む……うむ」

 

 取材日当日、青葉に手をひかれ鎮守府の西側にある一室に提督は通される。その表情はまるで大学受験を明日に控えた学生のように険しい表情をしていた。

 

「司令官、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ! それにここには私しかいませんので安心して暴露……じゃない質問に答えてくださいな」

「ぬ……お手柔らかに頼む」

 

 言いながら、青葉は四方に見える横長の大きな鏡を見ながら《その向こう側》に誰も映っていないことを確認し、ニヤリと口角を上げる。

 

(流石は妖精さん。完璧な仕事です)

 

「あーあーこちら青葉。皆さん聞こえますか?」

「こちらAブロック加賀、視界音声共に良好よ。問題ないわ」

「はいはーい。Bブロック愛宕。問題ないわ~」

「し、Cブロック大鳳です。よく聞こえてます」

「Dブロック雷よ! 問題ないわ!」

 

 こちらの問いかけに、頭から耳にかけて取り付けているヘッドセットから明瞭な答えが返ってくる。

 どうやら全て上手くいったようで、そのことに青葉はほっと安堵の息を吐いた。

 

 結論から言うと、この四方の鏡の周囲にはもう一つ部屋があり、そこに艦娘たちが大勢待機していたのである。もちろんその事実を提督は知らないが。

 ある者は胸に期待を膨らませ、ある者は自分の質問内容を何回も読み返してはにやけながら行儀よく並べられた椅子に座っている。前方には青葉と提督の姿がはっきりと映っている。

 これは青葉が今日の取材を成功させるために仕掛けた策のうちの一つで、実はこの四方の鏡、全て妖精さんによりマジックミラーへとすり替えられていた。

 

「それにしても青葉の取材に掛ける意気込みは相変わらずだな」

「ふふふ、そうね。まさか部屋ごと改造しちゃうなんてね。しかも全部自費だし」

 

 流石に少し呆れた表情で長門と陸奥がお互いに苦笑を交えている。

 実は今回の取材に掛かっている費用は全て青葉持ちで、その額は結構なものとなっている。

 

「いいですか皆さん。くれぐれも興奮してこちらに突撃なんてことはないようにお願いしますよ」

 

 提督の返答次第では、暴動が起こることは十分にありえる。そのために事前の忠告は念入りに行っておく。

 更に、興奮のあまり意識を失ってしまった艦娘用に後方で妖精さんが担架を用意してくれている。これで警備も万全だ。

 

「さて、時間も限られていることですし始めていきましょう!」

 

 この日のために口を動かさずに言葉を発する練習を積み重ねてきたおかげか、提督に怪しまれている様子はない。

 耳元で待ってましたと言わんばかりの大歓声を聞きつつ『取材用です』と言って改造したヘッドセットを提督に手渡す。

 そうして青葉は高鳴る胸の動悸を抑えつつ取材を開始した。

 

「それでは改めまして司令官。今日は青葉の取材に付き合ってもらっちゃって恐縮です!」

「気にしないでくれ。私も随分と断ってきてしまったからな。そのお詫びではないが今日は誠心誠意可能な範囲で応えさせてもらおう」

「ありがとうございます! 今回の取材は事前に大本営にて纏められた一般の方々の提督への質問内容を青葉がランダムに選んで答えていただこうといった趣旨のものです」

「私などに質問など来ない気がするのだが」

「それは気付いていないだけで、意外と一般の方からも人気ですよ司令官」

 

 実際にはここの鎮守府の艦娘から集めた質問だが、例の雑誌のおかげで提督の認知度が上がっているのであながち間違ってもいない。

 ごそごそと上部に穴の開いた箱から紙を取り出しながら、青葉はそんなことを考える。

 

「それでは記念すべき第一の質問いってみましょー! これはこれは初めにはしては最適な質問が来ましたよ!」

 

『Q1 提督の好きな食べ物はなんですか?』

 

「むう、いくつかあるが」

「特に好きなものでお願いします」

「……最近では鳳翔の作るサバの味噌煮が凄く私の口に合っているように感じるな。身も柔らかく濃すぎない味噌の風味が鳳翔の気遣いを感じるようで私は好きだ」

 

「……流石は鳳翔さん」

「私も負けていられないわね」

「ふむふむ提督はサバの味噌煮が好きと」

「私も卵焼き以外の料理練習しないとなあ」

 

 提督の答えに早速部屋中がざわざわと騒がしくなる。

 その片隅で『あらあら、なんだか恥ずかしいですね。でも嬉しいです』と鳳翔は頬に手を当てながら熱くなった顔を恥ずかしげに覆っていた。その少し潤んだ瞳はしっかりと提督を捉えながら。

 

「流石は鳳翔さんと言ったところですかねー。さて次にまいりましょー。おやこれまた可愛らしい質問ですねえ」

 

『Q2 提督の好きな動物はなんですか?』

 

「動物、か」

「ちなみに動物を飼われたことはありますか?」

「いや、飼っていたことはないが……そうだな、猫は好きだな。見ていて和む。それにあの自由気ままな生き方に惹かれる部分もある」

 

「……ふっ」

「多摩、その勝ち誇ったような顔はなんだクマ? なんか無性に腹立つクマ」

「多摩じゃないにゃ、猫にゃ」

「意味分からんけどむかつくから早くなんとかするクマ、木曾」

「だから何で俺なんだよ!?」

「猫……弥生も好き……です」

「うーちゃんも好きだぴょん! 今度司令官と一緒に猫見に行くぴょん!」

「……うん」

 

 ウサギじゃないんだという疑惑の声とは裏腹に弥生と卯月が楽しそうに次の休日の計画を立てていく。

 その横で木曾が荒ぶる多摩と球磨に新手の末っ子いじめを受けていた。

 

「青葉も猫は大好きです! さてさて次の質問はっと……これはなかなか気になる質問が出てきましたよ!」

 

『Q3 提督は女性の髪型で好きな髪形とかはありますか?』

 

「ぬ……それぞれ個人の自由だと思うのだが」

「その中でもしいて言えばでお願いします」

「むう……こう言ってはあれだが青葉君のように後ろで束ねられた髪形は快活で清潔感があり良いと……思う」

「あ、え!? あ、その……あ、ありがとうございます」

 

「……敷波ちゃん嬉しそうだね」

「な、何言ってんのさ! 綾波だってにやけてるじゃん!」

「ンー、なんだかこの部屋暑いネー。髪が邪魔だから仕方なく後ろで括るデース」

「ち、違うのじゃ! これはたまたま片方の髪留めが切れただけ仕方なくで! 止めろ筑摩、そんな顔で姉を見るでない!」

「赤城さんも括ってみたら似合うのではなくて?」

「わ、私はその……後で」

 

 気付けばほぼ全員がすっとどこからか髪留めを取り出し髪をいじり始める。逆に普段から髪を括っている子たちは満面の笑みで嬉しそうに騒いでいる。

 

「はーいきなりで動揺してしまいました。青葉、顔が熱いです。ではどんどん行きましょー」

 

『Q4 提督は気の強い女性はどう思いますか?』

 

「あ、大井っちの質問だー」

「ききき、北上さん!?」

「え? あれ大井さんの……」

「あれ大井が……?」

「本当にあの大井が……?」

「見てんじゃないわよ!」

 

「どう、と言われても困るのだが」

「まあまあ、感じていることを素直に言っちゃって大丈夫ですよ!」

「……私は見ての通りこのような性格なためそう言った女性に憧れる気持ちは少なからずある。そんな女性に隣に立っていてもらえるのは……正直心強いと感じる」

 

「……良かったね、霞」

「は、はあ!? 急に何言ってんの馬鹿じゃないの!?」

「曙ちゃん、嬉しそうだね」

「な、何言ってんのよ潮! 嬉しくなんか……このクソ提督!」

「あらあらうふふ、満潮ったら嬉しそうな顔しちゃって」

「な、なにそれ意味わかんない! ……き、嫌いじゃないけど」

 

 きつめの言葉を口に出しながら、それでも緩んでしまう頬を必死に隠しているそれぞれの姿を見て、霰、潮、荒潮の三人はほくほくとした表情をしている。

 隣では妖精さんが齧っていた砂糖を盛大に吐いていた

 

「流石は司令官、心が広いですねー。おや……これは!?」

 

『Q5 提督はやっぱり胸の大きな女性の方が好みですか?」

 

 青葉が読み上げるのと同時に、一部の少女達の瞳のハイライトが消えうせる。

 その状況下のなか、匿名で本当によかったと大鳳は自分の胸を周囲に気付かれないようにほっと撫で下ろしていた。

 

「な、なんだか質問内容に偏りが見られる気がするのだが」

「いやいや気のせいですよ気のせい! この際ですのでばっと打ち明けちゃってください!」

「ぬ……う。……私からしてみればそのような身体的な特徴よりもその人の心や振る舞いが大切だと思っている」

「ふむふむ。では司令官は小さくてもイケる、とそういうことですかね?」

「そ、その言い方には語弊があるのだが」

 

「なんだか嬉しそうね瑞鶴」

「しょ、翔鶴姉!? う、嬉しくなんかない……こともないかも」

「ちょ、ちょっと隼鷹、龍驤が無言で涙を流してて怖いからなんとかしてよ」

「いやー流石のあたしもあれはちょっと無理かなー。飛鷹あとは頼んだ」

 

 今まで生きててよかったといったような表情で涙を流す龍驤には誰も触れず、身体的に一部が控えめな艦娘の士気が急上昇し、終いにはキラキラし始めている。

 そんな状況を耳で感じながら青葉は胸の動悸を抑えつつ口を開く。

 

「……ちなみに青葉くらいのは司令官的にはどうかなーなんて」

「む? すまない聞こえなかった。もう一度頼む」

「あ、あはは! なんでもないです次いっちゃいましょー!」

 

『Q6 提督には結婚願望はありますか?』

 

「これは……難しい質問だな」

「なんだか意外ですね! 司令官はあまり結婚には興味ないように感じてましたけど」

「昔、まだ海軍学校にいたころはそうだったのだがな。今はたまに会う父と母を見て、家庭を持つのも悪くはないのかもしれないと思うようにはなった」

 

 まあそれもこの海に平和が戻ってからの話だろうが、と付け加える提督を見つめる少女達の瞳には大小あれど期待に満ちた色合いが多分に混ざっていた。

 

(私もいつか提督といっしょにあの店を……なんて過ぎた願いですね)

(これはチャンスデース! テイトクのハートを掴むのはワタシデース)

(私も頑張れば、いつか提督の一番になれるでしょうか)

(提督と結婚か……って僕は何を考えているんだ)

 

 各々が自分の想いと向き合いつつ、その答えが出るのは随分先になるであろうことに溜息をつきながら、それでも少しは積極的になってもいいのかもしれないと顔を上げる。

 せめて自分にだけは正直にいようと。

 

 その後もテンションの上がった青葉の機関銃のような質問の嵐のせいで、提督が解放されたのは取材が始まって五時間後のことだった。

 翌日以降、どういうわけか全員がキラキラ状態になっていたことに提督は驚いたが、その理由はいくら考えても分からなかった。




 これ以上は今の私では無理でした。スマヌ……スマヌ。
 またいずれ番外編等でこのネタはやろうと思うので今回はこの辺で勘弁してつかあさい。
 神よ私に文を纏める力を下さい。


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第十五話 時雨の気持ち

 

「それでは失礼します」

 

 最後にもう一度、元帥に敬礼を送り部屋を出る。

 扉が閉まり切ったことを確認し、終始体中を纏っていた緊張感が抜けていくのを感じながら一つ小さく息を吐く。

 

「お疲れ様、提督」

「ああ。待たせてすまないな、時雨」

「僕は平気さ。それより今日はこれで終わりかな」

「そうだな。それでは帰るとしよう」

 

 部屋のすぐ横に設置してある椅子にずっと掛けていたのであろう、時雨は目を瞑りながら少し伸びをしている。

 周りでは同じように、提督と護衛艦であろう艦娘たちがそれぞれ帰り支度を始めていた。

 

「それにしても今日の定例会議は普段より少し長かったけど、何かあったのかい?」

「北方海域の件で少しな」

 

 月に一度、各所の提督が大本営に集められて行われる会議に出席するため、秘書艦の時雨と鎮守府を出たのが朝の七時前。

 遠方から訪れる提督もいるため、早いうちに始まり、早いうちに終わるのが定例となっているのだが、最近不穏な動きを見せる北方海域の調査の報告に少し時間が掛かってしまった。

 

「随分暇を持て余してしまっただろう。この建物内に休憩できるような場所があればよかったのだが」

「待つのには慣れているから大丈夫だよ。それに金剛さんから借りたこの雑誌もあったしね」

 

 そう言って手に持った紙袋を見せてくる時雨の表情はどことなく上機嫌なように見えた。

 しかし時雨も気に入る雑誌とは一体どのようなものだろうか。金剛から借りたと言っていたから紅茶関係の雑誌かもしれないな。

 

「ん? どうしたの提督。もしかしてこの雑誌が気になるの? でもゴメン、この雑誌だけは提督には見せられないんだ」

「む、そうなのか」

「本当は僕も欲しかったんだけど時間がなくて……でもこうやって見ることができたから良かった」

「そう言われると気になってしまうな」

「ふふ、ゴメンね提督」

 

 出口へと繋がる通路を二人で歩きながら他愛もない話に花を咲かせる。

 少し前に夕立と共に改二への改造が完了した時雨だが、それを機に前は少し消極的だった性格が前向きになっているように感じる。

 

「なんだい提督? 次は僕に興味があるの? いいよ、なんでも聞いてよ」

「いや、少し嬉しくてな。気にしないでくれ」

「ずるいよ提督。そう言われるとなおさら気になるじゃないか」

「あ、あまり引っ付きすぎると歩きにくいのだが」

「あっ、ご、ごめん提督」

 

 急にずいっと近づいてきた時雨に思わず足がもつれそうになるのをなんとか堪える。最近どことなく同部屋の夕立に行動が似てきたような気がするが気のせいだろうか。

 それでもどこか遠巻きに遠慮するような態度だった昔の時雨に比べれば、喜ぶべき変化であることには変わりはないのだが。

 

「そんな顔されるとやっぱり気になるよ」

「すまない」

 

 少し不満そうな時雨に言葉を返していると、いつの間にか外への出口へと到着していた。

 腕に嵌めた時計に視線を移し、帰りの便へまだ時間があるのを確認する。それまでどこか甘味処にでも寄ろうかと提案すると、時雨は少し逡巡したのち、困ったような仕方がないといったような表情をこちらに向けてきた。

 

「ごめん提督。実は夕立に昨日からお土産をお願いされてるんだ。もし迷惑でなければ少し時間を貰えると嬉しいんだけど……駄目、かな」

「そのお願いを断ると、後で夕立に怒られそうだな」

「それじゃあ」

「ああ、もちろん良いとも」

「ありがとう。やっぱり提督は優しいね」

 

 なんだかんだ言いながらも、夕立のお願いを無碍にできない辺り、時雨の面倒見の良さがよく出ているように思え、自然と頬が緩む。

 確か、近くに雑貨屋があったはずだが。

 その旨を時雨に伝えると、彼女は楽しそうにくるりとこちらに向き直り手を差し出してきた。

 

「それじゃあ行こうか提督」

「ああ、そうだな」

 

 差し出された手を握り返しながら、時雨の隣に立って歩き始める。

 他の子たちにも何か買って帰ってやらなければな、と割とどうでもいいことを考えながらのんびりと二人で目的地へと向かうことにした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ここかな提督?」

「ああ、早速入るとしよう」

 

 少し古ぼけた立て看板に『雑貨屋』と無造作に書かれたそれを見つけ、二人して店全体を見上げてみる。

 どこか年期の入ったように見える店構えにどことなく懐かしい気持ちになりながら、早速と扉に手をかける。

 ガラリと扉を開け、足を踏み入れた自分たちの視界にまず飛び込んできたのは整然と並べられた多種多様な小物類。その思わず見て回りたくなる光景に隣に立つ時雨が『うわあ』と感嘆の声を上げていた。

 

「あんたが来るなんて久しぶりだね。いらっしゃい」

「ご無沙汰しております」

 

 早速目の前の動物を模った小さな置物に目を奪われている時雨にどこか夕立の姿を重ねていると、店の奥から一人の女性が姿を現し、声を掛けてくる。相変わらず気だるげそうな雰囲気は変わっていない。

 

「提督、知っている人かい?」

「ああ、この店には実は何回か来たことがあるんだ。この人はこの店の女主人だよ」

「こんにちわ。君は初めてだね。古臭いところだけど自由に見て行ってね」

「ありがとう。僕の名前は時雨って言うんだ。ここは……うん、凄く心地いい場所だね」

「相変わらずあんたのところの子はできた子ばかりだね。といってもここに来る提督なんてあんたくらいだけど」

「む、もしや迷惑だったか」

「かー! どうしてあんたはそうなるんだい? 時雨ちゃん、こいつは普段からこうなのかい?」

「実はそうなんだ。だからみんなヤキモキしてるんだ」

「根は凄く良いやつなのに、残念な男だねえ」

「ぬ、ぬう」

 

 自己紹介の流れからいつの間にか私への評価へと話が変わってしまっていた。この場合どういった反応をすればいいのか非常に困ってしまう。

 そんな私の反応を楽しむように、女主人はけらけらと笑いながら『ゆっくり見て行ってよ。買う時は声かけてくれればいいから』と言い残し、店の裏へと消えていった。

 

「面白い人だね」

「ああ、ここに来ると私はいつもからかわれてばかりだが」

「あはは、でも凄くいい人だよ」

「そうだな」

「それで、提督はいったい誰と二人でここに来てたんだい?」

「うぬ?……ぬ」

「ごめん冗談だよ提督。そんな困った顔しないで。それじゃあ見て回ろうか」

 

 先程の女主人を真似たのか、楽しそうに笑う時雨を見ながら、今後彼女が時雨に悪影響を及ぼさなければいいがと無駄な心配をしつつ、夕立への土産を探し始める。

 

「あ、これなんてどうかな」

「綺麗なマフラーだな。だが、これから梅雨を過ぎれば夏がくる。マフラーはその後でもいいんじゃないか」

「そう言われてみればそうだね。ところで提督」

「ぬ?」

「その後ってことは、また僕を一緒にここに連れてきてくれるってことかな?」

「……私となんかでいいのなら」

「本当かい? 凄く嬉しいよ。約束、だね」

 

 あれだけ待たせてしまった会議の後だというのに、時雨はまるで気にしていないといった感じで指きりを促してくる。

 それでも自分のために自ら護衛を務めてくれようとしていることに私は感謝するべきなのだろう。

 

「お楽しみのところ悪いが、ちょっといいかい」

「わっ!」

「どうしたんですか急に」

「ちょっとあんたたち、というか時雨ちゃんに頼みたいことがあってね」

「頼みごと、ですか?」

 

 急に現れた女主人に時雨が珍しく大きな声を出してこちらの服を掴んでくるのを支える。その様子に謝罪の言葉を入れながら、女主人が頼みごととやらの内容を申し訳なさそうに話し始める。

 

「実は今裏で娘に着物の着付けを教えてるんだけど、私の身長じゃ着物のサイズに合わなくてね」

 

 言いながら、ふうと溜息を吐く女主人を見ながら内心なるほどと納得してしまう。

 確かによく見なくても、女主人は女性にしては背丈が大きい方だと言えるだろう。控えめに言っても、百七十は超えているはずだ。それならば着物のサイズが合わなくても仕方がないかもしれない。

 

「代わりに時雨にモデルをやってほしいと、そういうことですか?」

「え? 僕が?」

「時雨ちゃんの身長ならぴったりだろうし、美人さんだから衣装映えすると思うんよ。申し訳ないけどお願いできないかねえ」

「時間にはまだ余裕があるから問題ないが、どうする時雨」

「あ、えっと……僕なんかでよければ」

「本当かい!? いやー助かったよありがとう! 着付けが終わったら記念に二人の写真を撮るからね!」

「え? あの、えっと」

「さあさあ時雨ちゃんはこっちに。すまないけど少し時間が掛かるからあんたは適当に店の中見といてくれ」

「ああ、そうさせてもらおう」

 

 未だ少し困惑する時雨を半ば強引に店の裏に連れて行く女主人を眺めながら、どことなく隼鷹を思い出す。あの掴みどころのなさと、あっけらかんとしたところは彼女にそっくりだ。

 

「今のうちに、夕立と皆の土産を見繕っておくか」

 

 おそらく暫くは時間が掛かるだろう。それにこうやって静かな雰囲気で何かを眺めるのも嫌いではない。

 久しぶりに訪れた穏やかな一人の時間を堪能しながら、商品を吟味していく。

 時折聞こえてくる時雨の恥ずかしそうな声は聞こえなかったことにしながら。

 

 

「いやーお待たせ。すまないね、時雨ちゃんがあまりにも着物似合うもんだからつい本気になってしまったよ」

「いえ、私もついさっき選び終えたところでしたから」

 

 つい熱中して商品選びをしていたら、一仕事やり終えたというような清々しい表情と共に女主人が裏から現れる。ふと時計に目をやると既に一時間が経過していた。

 

「まあそれも、あの姿の時雨ちゃんを見ることができるんだから許しておくれ。さ、出ておいで」

「あの……やっぱり少し恥ずかしいや」

「……おお」

 

 女主人の言葉と共に、おずおずと言った感じで登場した時雨に思わず声が漏れてしまう。

 普段から物静かで落ち着いた雰囲気の時雨に牡丹柄の着物がよく似合っており、後ろで綺麗に纏められた髪も新鮮さを前面に押し出していた。

 女主人の腕がいいのか、ほんの少しだけ化粧しているのだろう表情もその姿と相まって思わず見入ってしまった。

 

「どう、かな提督」

「ああ、よく似合っている。本当に」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「世辞などではなく、本当に。言葉足らずだが、綺麗だと思う」

「や、やめてよ、恥ずかしいじゃないか」

 

 恥ずかしがりながら否定の言葉を入れてくる時雨を前にしても、不思議とこちらに困惑する気持ちはなかった。それだけ心からの感想を述べることができていたということだろうか。

 『どうしよう。顔が熱くて提督の顔が見れないや』という時雨を隣でからかいながら、女主人がこちらに手招きを送ってくる。

 

「ほら、写真を撮るからあんたもこっちに来な」

「む? 時雨一人のほうがいいんじゃないですか?」

「何言ってんだい馬鹿。あんたが入った方がいいにきまってんだろ。ねえ時雨ちゃん」

「……うん」

「そうか」

「ほらそんなに離れてたら入らないだろう? もっと寄って。そうそういいね。ほら笑って」

 

 実に楽しそうにこちらにカメラを向けてくる女主人になんとか笑顔を返しながら、視線だけを時雨に送る。

 その視線に気付いたのか、時雨もちらりとこちらを見て、小さく笑いかけてくる。

 

 その表情は昔のどこか遠慮したようなものではなく、本来時雨がずっと持っていたであろう心優しい笑顔であるように私には感じられた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「今日はありがとうね。またいつでも来なよ」

「こちらこそ、お土産をタダにしてもらってすいません」

「いいってことよ。時雨ちゃんにはそれだけいいものを見せてもらったからね。娘も俄然やる気が出たみたいだし」

「僕も忘れられない大切な思い出になったよ。ありがとう」

 

 店の前で、両手一杯になってしまったお土産袋を下げながら、女主人に別れの挨拶を述べる。

 その言葉に笑いながらひらひらと手を振り、女主人は店の中へと消えて行った。別れの時までさっぱりした人である。

 

「なんだか夢のような時間だったよ」

「そうだな」

 

 来たときとはまた違う感動を胸に終いながら、時雨は小さく『また来るよ』と呟いていた。

 時雨のその姿に一瞬目を奪われながら、来た道へと視線を移す。

 

「さあ提督。みんなのところへ帰ろう」

「ああ」

 

 言いながら、時雨は手に持っていた写真を大切そうに鞄へと仕舞い込み、来た道へと歩を進め始める。

 次に来るときにはどんな話をしようか、そんな期待に胸を膨らませながら。

 



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第十六話 明石の何でも屋 前編

 

「……よし。全部揃っているわね」

 

 目の前に並べられたダンボールと手に持った紙とを見比べて、明石は一人頷く。どうやら今日入荷した商品に欠品はないようだ。

 以前は販路も小さく、取り扱っている商品も少なかったため作業は楽だったが、こうして多くの商品を手掛ける大変さもやりがいがあって悪くはない。

 

「でも毎朝この時間は流石に肩が凝るわね」

 

 未だ朝の六時にすら届かない針をちらりと見ながら、重くなった肩をこきこきと鳴らす。

 

 明石が今いる場所、それはこの鎮守府唯一と言っていい『道具屋』だ。

 開発や建造に必要な道具はもちろん、燃料や弾薬といった資材まで取り扱う提督御用達の店に加え、艦娘たちの娯楽品としてトランプやボードゲーム、お菓子なども置いてある。他にも雑誌や様々な生活用品も置いてあるため最近では『何でも屋』と言われているらしい。

 

「自分で言うのもなんだけど、置き過ぎですねこれは」

 

 商品棚の上に所せましと並べられたあれこれを眺めながら、明石は小さく肩を竦める。

 あの右上のビデオカメラとか、左上のスクール水着とか購入する人が非常に限られていると思うのだが、需要があるのだから仕方がない。

 

「まあ需要と言ったらこれ以上のものはないですけどね」

 

 普通のダンボールの横の、極秘と書かれた段ボールの山の一つを開きながら明石はニヤリと口角を上げる。

 その中に入っていた見覚えのある司令服の男性が写っている写真立をいそいそと自分のカバンに仕舞いながら、裏メニューと書かれた商品ボードを準備する。

 

「例の雑誌の販売開始以降、グッズの開発速度が目に見えて上がって嬉しい限りです」

 

 ぶつぶつと何か怪しげに呟きながら、明石はタグに『司令官グッズ』と書かれた商品を表から見えない場所へ移動させていく

 今日は忙しくなりそうな予感を胸に抱かせながら。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ねえ聞いた熊野。今日明石さんのとこ、アレ新しいの入荷したらしいじゃん?」

「……ほ、本当ですのそれ」

「まだ噂っぽいけど信憑性はあるみたい」

「鈴谷、もしあなたの方が早かったらわたくしの分も」

「了解! 熊野もよろしく!」

 

「あー今日に限って遠征なんてついてないねー大井っちー」

「…………」

「しかも遠征も大井っちとばらばらだし」

「…………」

「あのー大井っちー?」

「…………」

「ダメだ、完全にキレちゃってる」

 

「島風、あなたなんでそんなに朝から落ち込んでるの?」

「……お給金全部使っちゃった」

「それでアレ買えないから落ち込んでるのね。でも自業自得よ」

「うう~! だってだって! お願い天津風ちゃん、ちょっとだけ貸して!」

「嫌よ、私だって買いたいし余裕ないもの」

「ケチ! ドケチ! 天津風ちゃんのごうつくばり! ツンデレ吹き流し娘!」

「ど、どういう意味よ!?」

 

 普段は朝早くはあまり混まない間宮食堂だが、なぜか今日は早い内から朝食を済ませる艦娘たちで席が埋まっており、皆どこか急いで任務に出ようとしているように見えた。

 その様子を不思議そうに眺めながら、満潮は本日の秘書艦業務のスケジュールを確認しつつ隣で朝食を食べている荒潮に半ば独り言のように声を掛ける。

 

「ねえ荒潮。アレってなんのこと?」

「あらあら、満潮は前回、前々回と遠距離哨戒で司令官グッズのこと知らなかったのね」

 

 例にも漏れず、さっと朝食を済ませようとしている荒潮の答えに若干むっとしながら、満潮はいつも以上につっけんどんとした態度に変わる。

 内心では荒潮の零した一つのキーワードに惹かれながら。

 

「なに? その司令官グッズって」

「言葉で説明するより、見せた方が早いわねえ」

「……司令官の写真?」

「うふふふふ」

 

 口に手を当て、少し悩む素振りを見せながら荒潮はどこからか一枚の写真が入ったペンダントのようなものを取り出す。それを眺める荒潮の嬉しそうな表情に、満潮はふんっと顔を背ける。

 また自慢が始まった、と。

 

「なによ、また自慢でも始める気?」

「それもあるけど、今回は違うわ~」

「……あるんじゃない」

 

 荒潮の勿体ぶる様な態度に辟易しながら、満潮は改めてペンダントへと視線を移す。

 司令官の少し困ったような表情の写真が嵌められた卵型のペンダント。

 いつの間にか荒潮が持っていたもので、ことあるごとに取り出しては自慢してくるため満潮はその羨ましいやら悔しいやらの気持ちを全て司令官にぶつけていた。言うまでもなく八つ当たりである。

 他にも持っている子を見かけたため、一度それとなく入手経路を聞いたのだが、からかわれただけで教えてはもらえなかった。

 

「実はこれ、明石さんのお店で買ったものなのよ~」

「え? 嘘……だって私何回も言ってるけどそんなの一度も」

「うふふ、そう。だって滅多に出回らない裏メニューなんだから」

「……裏メニュー」

「そ。それが司令官グッズ」

 

 曰く、何か月かに一度不定期に明石さんが独自のルートで入手してくる、この鎮守府でのみ売られる希少商品であるらしい。

 曰く、それは全て司令官に関わるもので、驚くことに許可は全て取ってあり歴とした売り物であるらしい。

 曰く、商品の質は最高クラスで、プレミア級の写真に加え、司令官をデフォルメにしたような人形など充実のラインナップらしい。

 曰く、購入するためには任務をこなす必要があり、任務報告書が購入のカギとなるらしい。

 曰く、数に限りがあり貴重な商品のため、お一人様三点までらしい。

 曰く、早いもの勝ち、売り切れ御免の壮絶なサバイバルレースらしい。

 

「前回は確か、最後の一つを巡って長門さんと金剛さんと加賀さんの壮絶な演習合戦が行われたんだったかしら」

「それはまた凄いわね」

「まあ結局、その間に任務を終えた雪風ちゃんが買ったんだけどね~」

「なんて無駄な資源の浪費を……」

 

 『流石は幸運艦筆頭ね~』などと言っている荒潮をよそに、満潮は逸る気持ちを抑えながらそっとスカートのポケットに入っている紙へと手を伸ばし、その存在を確認する。

 そう、今朝たまたま早い内に秘書艦業務としてこなした司令官印の入った報告書であるそれを。

 

「ちなみに、報告書ってどんなのでもいいわけ?」

「基本的に司令官印が入ってたらオッケーよ~。あ、でも勿論当日のじゃなきゃ駄目だから注意してね~」

 

 言いながら流れるように去っていく荒潮に一応お礼を伝え、その存在が完全に食堂から消えるのを見計らって満潮は思い切り駆けだした。

 その右手に報告書を握りしめながら。

 

 

 

「あかしさんざいこちぇっくおわったです」

「ありがとうございます妖精さん」

「きょうはいそがしくなるですか?」

「そうですね、例のアレがあるので確実に。妖精さん今日もよろしくお願いしますね」

「がってんしょうち」

「うでのみせどころです」

「いっていたらさっそくおきゃくさんです」

「あら満潮ちゃん。いらっしゃい、今日はお早いのですね」

「いや別に……その……これ」

 

 朝一番だと言うのになぜか汗だくの満潮から一枚の紙を受け取りながら、明石は内心で今回の一番は満潮さんでしたかと、一人頷いていた。前回、前々回と買うことができていなかったから今回は頑張れと勝手に思っていたので嬉しい限りである。

 

「はい。確かに本日の報告書ですね。裏メニューのラインナップをご確認されますか?」

「お願いするわ」

「みちしおさんどうぞです」

「あ、ありがとう」

 

 走ってきたせいかどきどきと勝手に早鐘を打ち付ける心臓を落ち着かせながら、満潮は手渡されたメニューボードを開く。

 瞬間、視界に入ってきた写真入りの商品群に思わず『ふわっ』っという声が漏れる。

 

 裏メニューラインナップ

 

 一、司令官の秘蔵写真付きフォトスタンド ①休日編 ②演習指揮編 ③その他

 二、司令官デフォルメ人形 (小・中・大・特大)

 三、目覚まし時計~司令官の生ボイス入り~

 四、デフォルメ司令官キーホルダー

 五、司令官の顔写真入りお守り

 六、司令官タペストリー お得な三枚セット

 七、司令官語録~実際にあった一度は言われたい言葉総集編~

 八、司令官と私たちの変遷BOOK~着任一年目から現在~

 九、抱き枕カバー(司令官プリントVer)

 十、等身大司令官パネル 一点限り

 

 etc

 

 想像していた以上の商品ラインナップに満潮の喉がごくりと鳴る。写真の質は言うまでもなく、デフォルメにされた商品もしっかり司令官の特徴を捉えており、思わず頬が緩むのを慌てて抑える。

 

「それにしても本当に良い写真ばかりね。あれ? この写真ってもしかして」

「そうですよ。全部で百五十枚ほどありますが、全て一枚限りのその人だけの司令官の写真です」

 

 自分だけの、という言葉に勝手にキラキラ状態になっていることに満潮自身気付いておらず、普段しかめっ面ばかりの満潮のその様子を明石がにこにこと見ている状況はある意味レアな状況であると言えた。

 

「でも本当に大丈夫なのこれ」

「もちろんですよ。なんていったって大本営承認ですからね」

 

 例の司令官特集の雑誌販売開始以降、大本営は海軍のイメージアップのために様々な取組を行ってきた。その中で大ヒットと言えるまでに成長した司令官雑誌に便乗して、今度は大量の司令官グッズを売り出したという。

 なんて安直な、と満潮は呆れたがそれがなければ目の前のこれもないわけで、ある意味ナイスと言わざるを得なかった。

 

「そのサンプル提出のために司令官も仕方なく協力したってこと?」

「そう、物凄く苦い顔してましたけどね。実際に市場に出回っているのは誰か分からないように作成されたモノだけど、向こうの開発さんにちょっと知り合いがいまして」

「でも司令官怒……りはしないか。あの司令官だもんね」

「ちゃんとこの売り上げの一部は資源や修復材として提督に還元してますし、みんなも喜ぶからウィンウィンの関係でしょう?」

 

 ペロリと舌を出す明石に商売人の魂を垣間見る。ちなみに写真は全て青葉提供らしい。

 

(それにしても……悩むわね) 

 

 今回はたまたまこんなに早くに来れたが、次も来れるとは限らない。そんな考えが満潮の頭の中をぐるぐる回っていると明石が『触ってみますか?』と司令官デフォルメ人形を手渡してくれる。

 

「ふ、ふわあ! な、なにこのふかふかの手触り」

「気持ちいいでしょう? 飾ってよし、眺めてよし、抱きしめてよしのおススメの一品ですよ」

「……お金いくら持ってたかな」

 

 触らせてもらった人形を抱きしめながら、いそいそとポケットから愛用のピンクの財布を取り出す。

 その中身を確認して、満潮は少し残念そうな表情を浮かべた。

 

(八番以降は、ちょっと手が出ないわね)

 

 各商品に付けられた値札を見ながら小さく溜息を吐く。九番は欲しかったけど、司令官が自分たちのために出してくれている給金を一気に使ってしまうことはしたくはない。……九番は欲しかったけど!

 

「みちしおさん。たおれるときはまえのめりにです」

「きっとあすにはぜんぶうりきれているですはい」

「つぎにゅうかするのはいつかわからないです」

『だから』

「……うるさい」

『あう』

 

 頭の周りをふわふわと漂いながら、明石に仕込まれたのであろう商売根性と共に悪魔の言葉で購入を促してくる妖精さんの囁きを首を振って振り払う。

 同時に満潮の両方で括られた髪の毛がムチのようにしなり、妖精さんたちをノックダウンしていく。

 

「でも妖精さんの言うことも……一理ある、か」

 

 もう一度眺めていた写真の中から一番初めに目に入ってきたものを見つけ、よしと心の中で決心する。

 

「注文は決まりましたか?」

「一番の……演習編のこの写真と二番の大サイズ、それから五番をお願いするわ」

「ありがとうございます。妖精さん包装をお願いしますね」

「あいあいさー」

 

 注文された写真をファイルから取り出しながら明石はあることに気付き、満潮に分からないようにくすっと小さな笑みを漏らす。

 

(笑顔の提督と他の演習メンバー、その中心に一人恥ずかしそうにそっぽを向く満潮ちゃんが一緒に写ってるなんて良いもの見つけたわね)

 

 これはきっと一番に仕事をこなしてきた満潮へのご褒美だろう。

 おそらく演習勝利時のワンシーンを抑えたであろうその写真を丁寧にフォトスタンドと共に包み、他の商品と共に満潮に手渡しながら明石はそんなことを思っていた。

 代金を支払い、一度部屋に帰ろうとする満潮の足取りは軽い。

 

「仕方ないから、今日は司令官に美味しいお茶を入れてあげようかな!」

 

 今日の執務で少しは司令官に素直になれたらいいなとそんな想いを秘めながら、満潮は秘書艦業務へと戻って行った。

 



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第十七話 明石の何でも屋 後編

 今回前半少しコメディ色強くなっていますので苦手な方は気を付けてどうぞ。


 

「よっしゃ! 狙い通り! 作戦成功!」

「漣ちゃん前見て前! 報告書見ながら走ってたら危ないよ!」

 

 満潮が明石の店で頭を悩ませているのと同時刻、同じく店に続く西側通路を全力で掛ける少女が四人。その手にはもれなく報告書が握られている。

 

「それにしてもよくあんなのでクソ提督が報告書四人分も出したわね」

「提督はまめだから、ちゃんと判子まで押してくれる」

「一番目の朧は良かったかもしれないけど、四番目の私はかなり司令室に入りづらかったのよ!」

「でも曙、ちゃっかり提督に頭撫でられてたね」

「あ、あれはあのクソ提督が勝手に」

 

 走りながらわいわいと騒いでいる曙と朧を見ながら、よく疲れないなあと潮は心の中で感心する。隣では漣が何かよく分からない言葉を呟きながら不思議な踊りみたいな走り方をしていたがいつものことなのでそっとしておく。

 朝から第七駆逐隊のテンションは最高潮だ。

 

「それにしても漣ちゃん、提督宛てのお手紙を四回に分けて届けにいくなんてよく思いついたね」

「ふふふ、ご主人様のことなら漣にお任せあれ! ご主人様なら漣たちの厚意を絶対に無碍にはしないからね!」

「でも提督、連続で手紙を届けに来る朧達を不思議そうに見てたよ」

「私の時なんて『どうしたのだ? 喧嘩でもしたのか?』とか言ってくるんだからかなり焦ったわよ。ホント漣の作戦は碌なものがないわね」

「んん~? じゃあボノはその報告書いらないんですかね~? ほいっ!」

「い、いるに決まってるじゃない! 引き受けた仕事は最後まで責任を持つのが……って奪おうとすんな!」

 

 噂を聞いた漣の作戦で朝から提督に手紙を届け、報告書に印をもらった四人だがその方法は他の子から見れば少々強引であると言えた。

 それもそのはず、毎朝提督に送られてくる様々な手紙や梱包物を四人で分けてそれぞれが持って行っただけなのだから。

 

「これもしばれたら絶対やばいよね」

「とにかくこれでご主人様のグッズはモロタも同然! くう~! 早起きして郵便屋さんを待った甲斐があったってもんだよ!」

「確かにこの時間なら売り切れてることもないはず……たぶん」

「…………」

「前回は欲しいものが売り切れていて三日間落ち込んでいた曙さん、今の気持ちをどうぞ」

「死ね」

「あいたー! ツンデレご馳走様です!」

「あはは、漣ちゃんいつにも増してハイテンションだね」

「でもその気持ち凄く分かる」

 

 『もしかしたら今回は一番かもね』『ご主人様とのツーショット写真に期待、wktk!』などと各々が期待に胸を膨らませながら、足を急がせる。

 だが、司令室から明石の店までの道中、何回目かの曲がり角を曲がったところで四人の視界に突然一人の人影が飛び込んできた。

 

「げえ!? こ、金剛さん!?」

「嘘!? 金剛さん今日は確か第一艦隊旗艦で午後から出撃予定のはずじゃ!?」

 

 右手に一枚の紙を握りしめながら、一心不乱に全力疾走をしながらどこかへ向かう金剛を視界に捉え、四人が狼狽する。どうやら金剛はまだ彼女たちに気付いていないらしいが。

 

「……あ」

「どうしたの朧ちゃん?」

「そういえば今朝、金剛さんが町の方向に出かけて行ったのを見たような」

「……はっ!? もしや週一回の生活用品の買い出しか!?」

「くっ……やられたわね。そんな方法があったなんて」

「どうする? 撃つ?」

「気持ちは分かるけど落ち着きなさい朧」

「ボーロって普段常識人っぽいのにたまに壊れるよね」

「あはは」

 

 『そんなこと言っている場合か』と曙に叱られながら、漣は心の中で焦りを必死で抑えていた。

 なぜならば相手はあの金剛なのだ。お一人様三点までという制約なんて彼女の前ではあってないようなもの、下手したら一人で全ての商品を抱えて走り去って行ってしまうかもしれないのだ。

 

(このままでは漣のご主人様に囲まれて常時キラキラ計画が崩れてしまう!)

 

 実際には金剛がそんな非人道的なまねをしたことは一度もないのだが、絶賛動揺の渦中真っ只中の今の第七駆逐隊の思考回路に正常という言葉などは微塵も存在しない。

 それどころか、もはや金剛を見る目が深海棲艦を見るそれと同じである。

 

「くっこのままじゃ! 誰かいい案持ってない!?」

「えっと、金剛さんとお話して一緒に行くのはどうかな」

「却下、そんな悠長な時間はないわ!」

「Ktkr! ボノが金剛さんを抑えてる間に漣たちがあいたー!」

「殴るわよ!」

「もう殴られてるんですけど!?」

「やっぱり撃つ?」

「潮! 朧が撃っちゃわないように抑えてて!」

 

 お互いがお互いの意見をぶつけ合いながらも走ることは止めない四人を置いて、金剛は真っ直ぐに明石の店へと向かっていた。

 商品購入の権利は明石に報告書を渡した順に与えられるため、店に到着してしまえばそれでお終いである。

 その事実が四人を更なる混乱の渦へと誘っていく。

 

「誰か少しでも金剛さんの足止めできるようなもの持ってない!?」

「ないね」

「ないよ」

「即答って少しは探す努力をしなさいよ! 潮は!?」

「え、えと、昨日の内に買っておいた石鹸ならあるけど」

 

 言いながら潮はスカートのポケットから可愛らしいうさぎが袋に描かれた石鹸を見せてくる。

 石鹸なんて何に使えばいいのよ、と曙が頭を抱えそうになる前に『それ使える』と朧が封を破り、中身を取り出す。

 そうして狙いを定め『ここっ!』という言葉と共に前方へと石鹸を思い切り滑らせる。

 丁度、最後の曲がり角を曲がろうとした金剛の軸足を目掛けて。

 

「ホワイッ!? ななななんですカ!? 身体が勝手に滑って……待つデース! そっちじゃないデース! 誰かヘルプミー!」

 

 自分の意志とは裏腹に真っ直ぐひたすら真っ直ぐ滑って行く金剛を確認し、四人は一斉に今の内だと明石の店へと雪崩込んでいく。

 鎮守府の朝に漣の歓喜の絶叫が響いたのはその五分後だったという。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ふー。ようやく少し落ち着きましたね」

「どとうのれんぞくでした」

「まさかごぜんちゅうではんぶんなくなるとは、ていとくさんのにんきにだつぼうです」

「それよりなにくわぬかおでながとさんが『とくだい』のにんぎょうをかってかえってましたですはい」

「でも午後はもっと大変だから、気合入れて頑張りましょうね妖精さん!」

「これよりさらにうえが?」

「あなおそろし」

 

 午前中の営業で既に疲労困憊の妖精さんを労りながら、明石は既に半分ほど空になったダンボールを眺める。

 予測していた通り、満潮さんが来てから雪崩のように他の子たちが司令官グッズ目当てに訪れてきたため、一息つく暇もなくお昼の時間を過ぎてしまった。

 

(金剛さんが小破状態でやってきたときは流石に驚きましたけど、お目当てのモノ(司令官パネル)が買えてたみたいなのでいいとしますか)

 

 一体ここに来るまでに何があったというのか、あまり考えたくはないことに表情を引き攣らせていると、視界にちらりと人影が映る。

 どうにもこちらを気にしているようだが、近づいてくる気配がない。

 

「お買いものですか、赤城さん」

「!? あ、えと……お願いします」

 

 仕方がないのでこちらから声を掛けてみると、おっかなびっくりといった様子で赤城が姿を現してきた。その右手にしっかりと握られた報告書を受け取り、代わりに裏メニューを手渡しながら明石は赤城に言葉を続ける。

 

「赤城さんもそんなに遠慮なんかしないでもっと早く堂々と来て下さいよ」

「そんな、私なんかが他の方を差し置いて提督のグッズを買うなんて」

「でも毎回来てくれてますよね」

「そ、それはその……はい」

 

 耳まで真っ赤にしながらメニューボードで顔を隠してしまう赤城を見ながら、少しからかいすぎたかなと明石は反省する。

 だが、それでも愛おしそうに提督の写真を見つめながら、控えめに一枚の写真を注文してくれる赤城の姿に元気を貰いながら明石は午後の修羅場へと身を投じていく。

 

 

「ぽい~! 提督さんの写真どれもかっこよくて迷うっぽい~」

「そうだね。でも僕は今回は写真は遠慮しておこうかな」

「ぽい? いっつも買ってたのになんか怪しい! 時雨、何か隠してるっぽい!」

「そ、そうかな? 何も隠してなんかないけど」

「なんで目逸らすっぽい!? 大人しく吐きなさい~」

「あ! や、やめてよ夕立! そ、そんなところ触らないで……ひゃあ」

 

「ん~、やっぱ提督のお守は外せないな~って日向、あなた同じもの三つも抱えてどうするつもり?」

「いや、この提督人形の手触りが思いの外良くてな。伊勢も一つどうだ」

「確かに惹かれるものはあるけど、三つも買う必要はないんじゃない? それに日向のベッドの周り瑞雲で埋もれてるから更に足の踏み場がなくなっちゃうよ」

「まあ、そうなるな」

「……掃除をしなさい」

 

「ふわあぁ、あの司令官のお人形可愛くておっきいね~。……あうう~お金が足りない」

「おい皐月、お前今いくら持ってる?」

「ちょっと待ってね長月。えと、うんボクはまだ余裕あるから大丈夫だよ」

「そうか、菊月はどうだ?」

「私は……うむ、問題ない」

「よし、今から少し私は我が儘を言うが、借りた分は必ず返す。だから……」

「もー何言ってんのさ長月。来週の文月の着任一周年記念にあの特大の司令官人形プレゼントするんでしょ? 一人でかっこつけてないでボクらにも手伝わせてよ」

「そうだ、皐月の言うとおりだ」

「お前ら……ありがとう」

 

「あれー雪風ー。もしかしてしれーのタペストリー部屋に貼るのー?」

「はい! しれえとってもカッコいいです! これで雪風たちの部屋もカッコよくなります!」

「ほうほういいねいいね! じゃあ時津風も買っちゃおうかな!」

「流石時津風です! これでしれえといつでも一緒です!」

 

「見て見て大井っちー。このキーホルダー提督にそっくりだよ。記念に買わない?」

「き、北上さんが言うなら……買います」

「いやーでも間に合ってよかったねー。これも全部大井っちが資材を高速で運んでくれたおかげだよー」

「私は別に、北上さんのために早く鎮守府に帰って甘いものでも一緒に食べようかなって」

「それでもありがとねー大井っちー」

「……はい」

 

「いひひっ! やったのね提督の抱き枕カバー買えたのね! あ~この提督に包まれているかのような感覚が最高なのね~」

「ちょ、ちょっとイク。恥ずかしいから止めてよね」

「まったくイクは周りの迷惑を考えないから駄目でち」

「……同感です」

「イクと同じようにしっかりと同じもの抱えてる三人に言われたくはないの」

『!?』

 

「わっ、見てよ飛龍。誰かこんなこと提督に言われたことあるみたい。羨ましいなあ」

「そっちもいいけどこっちも凄くない蒼龍? あーあ、私ももっと活躍しないとなー」

「うわー、こんなこと言われたら私倒れるかも」

「……私も艦爆をはみ出せばあるいは」

「え? 何か言った飛龍?」

「な、何も言ってないよ」

 

「ねえ加古。この目覚まし時計、提督が私の名前呼びながら朝起こしてくれるんだって」

「へえーすごいじゃん古鷹。じゃあおやすみ」

「ああ! こんなところで寝ないでよ加古! そ、そうだこんなときにこれを!」

『おはよう……古鷹』※青葉厳選提督生ボイス

「…………あふあ」

「お、おい! 急に加古と古鷹が倒れたぞ!」

 

 午前から更に勢いを増す人の流れに若干妖精さんが目を回しながらも、なんとか明石はほぼ全ての在庫をわずか半日で消化させることに成功した。

 加賀が提督の休日の写真と人形、更にお守りを買っていったのを最後に誰もいなくなった店の周りを見て思わずその場に座り込む。

 

「はあー、今回は今までで一番忙しかったですね」

「…………み、みず」

「さんそが……たりない」

「…………」

 

 もはや虫の息と言ってもおかしくはない妖精さんたちに感謝の言葉を伝えながら、疲れた身体に鞭を打って店の中を片付けていく。売上は過去最高クラスになっているはずだ。

 今日は少し早いが、これで店じまいにして妖精さんたちと間宮さんのところにでも行こうか。

 そんなことをぼんやりと考えていた明石の前に、一人のよく見知った女性が現れる。

 

「……鳳翔さん」

「こんにちわ明石さん」

 

 穏やかな微笑を携えながら声を掛けてくる鳳翔に明石は一気に肩の力が抜けていくのを感じる。

 鳳翔とは同じ店を営んでいるもの同士、共通する部分が多く一緒にいて楽な相手だと感じており、こうやって店を訪れてくれることにも強く感謝している。もちろん明石もよく鳳翔の店にお邪魔しているのだが。

 

 その訪れた鳳翔の左手には控えめに報告書らしき紙が握られていた。

 

「すいません鳳翔さん。もうほとんど売り切れてしまっていて」

「あらあらそんなに悲しそうな顔をしないでください。こんな時間に来ているのは私ですから」

「……鳳翔さんなら毎日店を開けるための報告を朝一番に提督に行っているのですから、もっと早くにこれるはずなのにどうして」

 

 明石の言葉に少し困ったような表情を浮かべながら、鳳翔はそれでも大丈夫といった表情で言葉を紡ぐ、

 

「あの人にはそれ以上のものを貰っていますから。これ以上何かを求めるのは贅沢になってしまいます」

「……鳳翔さん」

 

 自分もいつかこんな風に思える日がくるのだろうか、と明石は少し複雑な気持ちになりながらふと下ろした視線の先に一つのモノを見つけ、鳳翔へと差し出す。

 

「これ、最後に残ってた八番の商品です。よければどうぞ」

「あらあら、これは本当に……素敵なものですね」

 

 明石から手渡されたそれを見て、鳳翔の瞳が軽く揺れる。

 この中には、私の知らないあの人のことがたくさん載っているのでしょうね、と年甲斐もなく胸を高鳴らせてしまっている自分をおかしく思いながら明石に代金を支払う。

 最後にもう一度お辞儀を返してくる鳳翔を見送りながら、明石は小さく『よし』と声を出す。

 

「私ももっと頑張らないといけませんね!」

 

 今日の自分の働きに満足しつつ、明日は今日よりも更にいい笑顔でみんなを迎えられるように。

 そう決意しながら明石は後片付けを再開していく。

 

 店を任されたあの日の表情と同じ笑顔のままで。

 




ちなみに後日、第七駆逐隊は菓子折りを持って金剛に謝りに行った模様。


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第十八話 海外艦とお寿司

「う~、やっぱり日本語って難しいよ」

「レーベは少し難しく考え過ぎね。ニュアンスを捉えないと」

「そうよ、マックスの言うとおりもっと頑張りなさい! じゃないと私みたいにアトミラールと親密になるなんて夢のまた夢よ! ねえ提督!」

「ぬ? 最後だけ日本語で言われても困るのだが」

 

 途中までドイツ語で話していたであろうビスマルクが急に日本語で話しかけてきたので、一応返事をしてみたもののドイツ語は専門外なため内容が分からず困惑する。

 空いた時間を使って少しずつ勉強はしているのだが、話せるようになるにはまだ時間が掛かりそうだ。

 

「提督もドイツ語くらい話せるようになりなさい。そうすればお互いに楽でしょう? そう思わない? レーベ、マックス」

「そうだね。そうなってくれると僕も嬉しいよ」

「期待、しているわ」

「むう……精進しよう」

 

 本日の秘書艦であり、海外艦であるビスマルクに叱咤激励されながら書類を片付けていく。

 彼女が秘書艦の日はなぜか必ず、同じ海外艦であるレーベ(Z1)とマックス(Z3)を連れてくる。どうやら、まだ少し日本語に不自由しているレーベのために日本語講座を開いているらしい。

 

「君たちのその努力を応援したいと私も思っている。もし秘書艦業務が邪魔になるようならしばらく外すことも検討するが」

「そ、それは駄目よ!」

「ぬ、なぜだね?」

「それは……そう! レーベが提督の前じゃないとやる気が出ないからよ!」

「ええ!? ぼ、僕はそんなこと言ってないよ!」

「でも、提督の前だと集中力が増しているのは事実ね」

「マ、マックスまで止めてよ! 恥ずかしいよもう」

 

 『酷いや二人とも』と不貞腐れてしまったレーベをビスマルクが慌てて慰めているのをなんとはなしに眺めていると、いつの間にかマックスが隣の椅子に膝立の状態で顔を近づけてきていた。

 自分と同じというと失礼だが、あまり感情を表に出さない彼女が今何を考えて近付いてきているのか分からず少し焦ってしまう。

 

「マ、マックス、急にどうしたのだ」

「ふーん。提督、あなた男性の割に凄く清潔な香りがするのね。そういうの嫌いじゃないわ」

「そ、そうか」

「ちょっとマックスそんなに提督に顔を近づけて何をやっているのかしら!?」

「別に。いい匂いがしたから嗅いでみただけよ」

「とにかく離れなさいな!」

 

 ビスマルクの静止にマックスが満足したといったような表情で離れていく。そのことに一息つきながら、着任当初よりは彼女たちとも良好な関係を築けつつあるのだろうかと少し悩んでしまう。

 む、関係と言えば、だ。

 

「三人とも、こちらの生活には慣れただろうか」

「そうね、最初は向こうとの違いに戸惑うばかりだったけれど今は快適に過ごせているわ」

「鎮守府の皆も凄く親切だから凄く助かってるよ」

「足りない知識を補ってくれる仲間がいるのは心強いわ」

 

 三者三様の返答だったが、概ね上手く馴染めているようで安心する。

 分からないことが多いだろうから、皆も手を貸してやってほしいという自分の言葉を周囲もしっかりと理解してくれているようだ。

 

「それと、鳳翔と間宮が作る日本の料理にも驚いたわ。白いお米があんなに美味しいだなんて知らなかったわね」

「朝はお味噌汁と御飯だけで満足できるのは凄い」

「僕も二人の料理大好きだよ。あ、でもお箸とナットーだけはまだ苦手かな」

 

 海外艦の舌まで唸らせるとは流石の二人だな、などと感心しながらそういえばお昼がまだだったことに気付く。

 時刻は既に十三時に迫ろうとしている。この時間なら丁度いいかもしれない。

 

「君たちは何か食べてみたいものとかがあるのかね?」

「そうねえ……そう! お寿司とやらを一度食べてみたかったのよ!」

「それは私も興味ある」

「お寿司ってあの綺麗な色がたくさん並んでるやつだよね。美味しいのかなあ」

「寿司か、寿司なら鳳翔のところで出してくれるものがあったはずだ。お金は私が出すから今日のお昼はそこで済ませるといい」

 

 余程お腹が空いていたのか、それとも寿司が食べたかったのか、目の前で顔を輝かせる三人に少し圧倒される。流石は日本を代表する料理だ。海外艦にも魅力的に映っているらしい。

 ならば私も日本を代表するもう一つの料理、即席食品に手を出すとしよう。

 

「そうと決まれば善は急げ……だっけ? 行くわよ提督!」

「……ぬ?」

「あなた、まさか私たちだけで食べたことのない寿司を食べろと言うの?」

「僕たち何も知らないから、いろいろ教えてくれると嬉しいな」

「……なるべく努力しよう」

 

 ぬう……今日こそはカレー味が食べれると思ったのだが。

 手に掴んだ即席食品に後ろ髪を惹かれながらも、まだ見ぬ未知の食べ物に胸を弾ませる三人に囲まれて『たまにはいいか』と気持ちを改める。

 これを機に彼女たちが更に日本に愛着を持ってくれるのならば、とそんなことを考えながら四人で鳳翔の店へと向かうことにした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「おや、どうもこんにちは」

 

 歩くこと十数分、軽く談笑しながら鳳翔の店へと到着する。

 その扉を開けて鳳翔に挨拶を済ませていると、奥に座っていた一人の男性から声をかけられる。

 

「いつもお世話になっております。鳳翔に仕入れのお話ですか?」

「いえいえ、話という程でも。いつもの仕入れのご案内のついでに鳳翔さんのところでお昼を頂いてました」

「ご贔屓にありがとうございます」

「そんな、私も彼女の料理の一ファンですから」

 

 人の良さそうな控えめな微笑を携えながら『また来ます』と小さくお辞儀を残して男性は扉へと向かっていく。その途中、ビスマルク達三人に目を止めて微笑ましそうに挨拶を交わし――

 

「おやおやこれはもしやご家族で食事ですかな? 美しい奥さんに聡明そうな坊ちゃんとお嬢さんだ……ああ、邪魔して申し訳ない。それではこれで」

 

 ――とんでもないことを言い残して、去って行った。

 

「……僕は……僕は……やっぱり男の子にしか見えないんだー!」

「お、落ち着きたまえレーベ。マックスもビスマルクも見ていないで」

「……美しい奥さん……ふふ、ふふふ」

「提督の娘……ふーん……そう」

 

 レーベが密かに気にしていることを言われ涙目になってしまうのをどうにか落ち着かせようと奮闘する。

 その隣で同じく男性の言葉を聞いていたであろう二人は、私の助けの言葉など全く聞いてはおらずどこかにトリップしてしまっていた。

 

「僕だって……女の子なのに! 女の子なのにー!」

「そ、そうだな! レーベはどこからどう見ても立派な女の子だな!」

「そんなこと言って提督も心の中では僕のこと男の子だって思ってるんでしょ!」

「な、何を言っているのだレーベ」

「そこまで言うならいいよ! 提督の納得がいくまで触って確かめてよ!」

「お、落ち着きたまえ! 会話が繋がっていないぞ!」

 

 まるでこちらの話など聞いてはいないレーベが思いっきり私の腕を自分の身体に触れさせようと引っ張ってくる。

 このままでは大変なことになってしまうと焦りに身を包まれているとカウンターから鳳翔がぱたぱたと駆けてきてそのままレーベを優しく抱きしめる。

 

「あらあらレーベさん、ゆっくり落ち着いて深呼吸して。大丈夫、あなたは心の優しい魅力的な女の子ですよ」

「……うう、でも」

「それなら提督に聞いてみましょう? ね、提督」

「ああ……レーベは私から見てもとても魅力的な女性に映っているよ」

「ぐす……ごめんなさい」

「大丈夫、もっと自分に自信を持って。だから駄目ですよ? いくら提督と言えど、女の子が軽率に身体を殿方に触らせてはいけません」

「うん、気をつけるよ。ありがとう鳳翔」

 

 鳳翔の言葉にレーベがいつもの彼女に戻っていく。

 そのことに安堵しながら、目線だけで鳳翔にお礼を伝える。同じように目線だけでお気になさらずと返してくる鳳翔にそのまま注文を伝え、あまり役に立たなかった二人の目を覚ましながらやっと席に着く。

 寿司を食べに来ただけだったが、とんでもないことになってしまうところだった。

 

「あら? 提督、この緑の塊は一体何かしら?」

「ああ、それはわさびと言って……ってそのままはいかん!」

「へえ、いい香りじゃない。試しに一口――っつ!? 辛っ! な、何よこれ!? 物凄く辛いわよ提督!」

「それは寿司に適量つけて風味を楽しむ薬味の一種だ。間違えてもそのまま食べるものではない」

「へ、へえそう。でもこの程度の辛さ、私にはどうってことないわ。良いのよ?もっと褒めても」

「……とりあえずこれで涙を拭きたまえ」

 

 表情と言葉がリンクしていないビスマルクにハンカチを手渡す。

 しかし見ず知らずのものなのにいきなりあの量を箸に掴むなんて流石はビスマルク、怖いものなしである。

 たぶんビー玉ぐらいはあったな。

 

「ねえ提督、これは何かしら」

「ああ、それはガリと言って口直しや箸休めの役割を担うものだ。気になるなら食べてみるといい」

「ふーん、そうするわ。……不思議な味。少しザワークラウトに似ている気がする」

「あ、本当だ。僕は割と好きかも」

 

 ザワークラウトとはドイツの保存食の一種だったか。いつだったか、マックスが持ってきてくれたことがあったが、酸味が強くサンドイッチにウインナーと挟んで食べると美味しかった覚えがある。

 そのことを思い出していると鳳翔が料理を出してきてくれる。妖精さんの姿が見えないので聞いてみると、鳳翔曰く休憩中らしい。

 

「お待たせ致しました。今回は何がお口に合うか分かりませんでしたので、一般的なネタをご用意させてもらいました。あ、わさびは抜いてありますので安心してどうぞ」

「ああ。ありがとう鳳翔」

「これがお寿司……流石は鳳翔ね、見た目も素晴らしいわ」

「美味しそう」

「うわ~、凄い綺麗だね」

 

 目の前に置かれたそれを見て、各々が感想を口にする。

 ネタは鳳翔の言うとおり、まぐろやえび、サーモンやアナゴなど一般的な寿司屋になら必ずあるようなもので纏められていた。その隣にはたまごやかっぱ巻きなど抵抗が少なそうなものも置いてあり、鳳翔の心遣いが感じられる。

 

「実際寿司には食べ方がいくつかあるが、今回は素直に味を楽しむとしよう。自由に食べてみたまえ」

『いただきます!』

 

 律儀に日本式で手を合わせる彼女たちを見ながら、鳳翔と顔を見合わせて笑う。

 彼女たちもすっかり日本の文化に馴染んできたようだ。

 

「ん~! 初めて食べたけど生の魚とお酢の御飯ってこんなに合うのね! 美味しいわ!」

「ふーん、新鮮な味。ガリともよく合うわね」

 

 初めて食べる味にビスマルクとマックスは驚きながら次々と箸を進めている。口に合ったようでなによりだ。

 一方、レーベはと言うと――

 

「あ、あれ? うう~お箸ってやっぱり難しいよ」

 

 ――慣れない箸に苦戦して、なかなか寿司を掴めないでいた。

 

「無理しないでいい。ほら」

「あ、ありがとう提督。……うん凄く美味しいよ」

 

 ころりと転がっているまぐろを使っていない箸で掴み、特に何も考えずレーベの口へと運ぶ。

 どこか驚いた様子で、それでも素直に食べてくれるレーベの感想を聞きながら一人満足する。やっぱりこうして自分の国のものを受け入れてもらえるのは嬉しいものだ。

 

「……提督、実は私もとてもお箸が苦手なの」

「さっきまでひょいひょい食べていたではないか」

「そんなことないわ。ほら全然掴めない」

「むう、ほらこれで食べられるか」

「Danke」

「て、提督! 私なんてこんなにお箸が苦手で……」

「食べ物で遊ぶのは感心しないぞビスマルク」

「……なんで私だけ」

「それとレーベ、食べにくいのだったら直接掴んで食べるといい。それなら食べやすいだろう」

「え? でもいいの?」

「ああ。寿司にはそういう食べ方もあるからな」

 

 私の言葉に急激にテンションが下がるビスマルクをよそに、再度レーベに声を掛ける。寿司の食べ方は何も箸一つではない。それが寿司の良いところの一つでもあるのだから。

 その後も嬉しそうに箸と手を進める三人と共に、自分も久しく食べていなかった寿司に舌鼓をうちながらお昼を満喫する。そうして全員のお腹が満たされる頃には、全ての寿司が綺麗さっぱり無くなっていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「あー美味しかったわね。最後の温かいお茶も最高だったわ」

「日本の料理は見た目も凝ってていい」

「僕も次は箸で食べられるように頑張るよ」

 

 鳳翔の店からの帰り道、初めての寿司の感想をわいわいと言い合う三人の後ろを歩きながら、連れてきて正解だったなと一人満足する。

 

「次はあの子も連れてきてあげたいわね」

「ああ。もちろんいいとも」

 

 あの子と呟くビスマルクの言葉に同意の言葉を返す。

 今回は任務と被ってしまって無理だったが、次はあの子にも日本の寿司の美味しさを教えてあげられる機会があればなおよし、だ。

 

「私は次はラーメンというものが食べてみたいわ」

「あ、それなら僕は天ぷらがいいな」

 

 食べたばかりなのに既に次のことを考えているレーベとマックスに苦笑しながら、歩き慣れた道を四人で歩いていく。

 次までにもう少し知識を蓄えておかなければな、とそんなことを考えながら。

 




 なんかこの提督食べてばっかりですね。


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第十九話 大和の憂鬱

 勢いのままに書いていたら、よく分からないものが出来ていた。
 それでもいいという方のみお進み下さい。


「…………はあ」

 

 司令室から東側に少し離れて建てられた艦娘用宿舎のとある一室にて、一人の少女が憂鬱そうに大きく溜息を吐いていた。

 その端整な横顔はそれだけなら一枚の絵画にも見えるほどだが、今の彼女にはそんなことよりも一つの悩みで頭が一杯だった。手には本を持っているが、上の空なのか一向にページが進む気配がない。

 

「折角の休日だというのに、朝っぱらから姉上は何をそんなに溜息をついているのだ」

「あ、ごめんなさい武蔵。あまり気にしないで……はあ」

「気にするも何もそうまでされるとこっちまで憂鬱になるのだが」

 

 大和型戦艦一番艦の大和と、その二番艦である武蔵。

 この鎮守府でも一、二を争う高い火力と装甲を誇る彼女たちの久々の休日は、主に姉の大和のせいで朝から陰鬱たる気配を漂わせていた。

 

「なによ、どうせ悩みとは無縁のお気楽武蔵には大和のこの深い悩みなんて理解できないでしょうね!」

「そうでもないさ。姉上のことだ、どうせ提督がなかなか構ってくれないとかそんなところだろう?」

「…………」

「図星か」

 

 あまりにもあっさりと当てられてしまったことにぷるぷると震えていた大和だったが、その後すぐにべしゃっとテーブルに崩れ落ちてしまう。

 これが出撃時のあの凛々しい彼女と同一人物だと言うのだから驚きである。

 

「だってだって! 最近は出撃ばっかりで提督とお話する機会もほとんどないし! 秘書艦業務だって次は何日後になるかすら分からないし!」

「いいじゃないか。出撃で提督の役に立てているのならそれで本望じゃないか」

「戦闘馬鹿の武蔵と一緒にしないで。大和はもっと提督と絆を深めたいんです」

「ならばもっと普段からアピールする必要があるだろう。お昼に誘ったり休日の予定を聞いたり」

「そ、それはだって……大和にも心の準備というものが」

 

 怒っていたと思ったら急に恥じらいだす姉を見て、武蔵は顔を歪めながら心の中で思っていた……超めんどくさいと。

 演習や出撃時では頼もしい姉だというのに、提督が絡むと途端にこれである。もしや霧島たちのところも毎回こうなのだろうか。だとしたら彼女たちの苦労に同情せざるを得ない。

 

「と言っても、提督は執務や艦隊指揮で忙しい身だし、彼の傍には常に誰かしらついているからなあ」

「そこに大和がいないのはなぜかしら?」

「出撃してるからじゃないか?」

「……出撃拒否の嘆願書を出してきます」

「いいから座れ。落ち着いて頭を冷やせ馬鹿姉」

 

 我、天啓を得たりと言った表情ですっと立ち上がる大和を強引に座らせる。

 そんなことをしたら提督が丸一日『私の艦隊指揮に何か問題があったのだろうか』と胃を痛めてしまうではないか。

 

「さっきから大和のことばっかり馬鹿にしてくれてるけど、武蔵の方こそどうなのですか」

「ん? 提督のことか? もちろん好きだぞ。あれほど優秀で我等のことを想ってくれる提督は他にいないからな」

「なっ……だ、駄目です!」

「何が駄目なのだ?」

「そ、それは……と、とにかく駄目です! 提督のこと好きって言うの禁止です!」

 

 なんて我が儘な姉なのだ。この姿を駆逐艦の少女たちが見たら幻滅どころでは済まないのではないか。

 武蔵は痛む頭を押さえながら、このままでは折角の休日が姉の世話で終わってしまうと助言を必死で考える。

 

「そう言えば、提督はあまり女性と接することが得意ではないらしいな」

「え? でも大和が見た感じそこまでおかしな感じはしてませんけど」

「それは我々の命を預かっているんだ。艦隊指揮などでヘマをする人ではないさ、意識的な問題だろう。実際に私が秘書艦のときに後ろから背中に胸を押し当ててみたら面白い反応していたしな」

「……何やってるんですか武蔵」

「じょ、冗談だ。だから主砲は止めてくれ姉上」

「もうっ! でもそれは提督が女性に慣れていないということかしら」

「だろうな。だが逆にそれはチャンスでもある」

「はっ!? つまりそれは提督がまだ大和の魅力に気が付いていないということ!?」

「言い方はアレだが、まあそういうことだ。ちなみに今日の秘書艦である文月が風邪を引いてしまったので提督は今、執務室に一人だぞ」

 

 武蔵が言葉を言い終わるや否や、何かを思いついたかのように大和は衣類が入っている箪笥を開け、次々と服を引っ張り出し始める。

 そのがさごそという音を耳だけで聞きながら、武蔵はやっと静かになるなとごろりとベッドに横になり雑誌の続きを読み始める。

 隣で姉が何をしているのかに気が付かないまま。

 

 

 

「む? 空いているぞ」

 

 自分の筆を滑らす音以外、静寂に包まれている司令室に三度ノックの音が響く。

 今日は訪問予定はなかったはずだが、風邪を引いてしまった文月の様子を誰かが伝えに来てくれたのだろうかと、提督は一度筆を置き扉へと声を掛ける。

 

「失礼します提督」

「ああ、大和か。どうし――っつ!? や、大和、その恰好は!?」

 

 そうして入ってきた大和の服を見て、提督の表情がビキっと固まる。

 そう、大和の、やもすれば下着が見えてしまいそうなシースルーのネグリジェ姿を目の当たりにして。

 

「た、たまにはこういうのもいいかなと思いまして」

「た、たまには? その服は就寝前に着るものだったように把握しているが」

 

 もしや寝ぼけてしまっているのでは? と極力大和に視線を送らないようにしながら気が気でない提督をよそに大和自身も表情を耳まで真っ赤に染めながらそれでも平静を装おうと必死である。

 黙って眺めれば、艦娘に淫らな衣服を強要する変態提督とそれに嬉々として応える変態艦娘の完成である。

 

「ま、まさかその姿のままでここまで来たのかね?」

「いえ、扉の前まではこれを羽織ってました」

 

 言いながら、手に持ったローブのような上着、恐らくは雨風を防ぐレインコートのようなものを見せてくる大和に提督はほっと安堵の溜息をつく。

 もしあのままの姿でここまで彼女が来ていたらと思うと心配とストレスで胃に穴が開きそうになる。

 

「それで、ど、どうですか提督。この大和の姿、女性らしいと思いませんか?」

「むむむ」

 

 ある意味もっとも女性らしい姿で、どこか期待の眼差しと共にキラキラと瞳から星を飛ばしてくる大和に胃を締め付けられる感覚に苛まれながら、提督は何とか感じていたことを口にする。

 

「じょ、女性らしいかどうかは分からないが、その服だけで今後自室から出ない様に。駆逐艦の子たちにはその姿は見せられない」

「…………」

 

 ひたすら大和から視線を外しながら、提督は鎮守府の風紀の強化を最優先する。

 その言葉を聞いた大和は、無言でさらさらと砂になりながらふらふらと司令室を出て行っていた。

 

 

「これは一体どういうことですか武蔵!」

「それはこっちのセリフだ馬鹿姉! この身内の恥さらしが!」

 

 いつの間にか部屋を出て行っていた大和が呆然としながら帰ってきたことに驚き、そのコートの下の姿に更なる衝撃を与えられた武蔵が苦悶の表情を浮かべながら身体を捻っている。

 一体どこで何を間違えたらこんな答えに辿り付くのか、武蔵は実の姉に戦闘以外で初めて戦慄を覚えていた。勿論悪い意味で。

 

「うう~、あんなに恥ずかしい思いしたのにこれじゃただの痴女じゃないですか」

「否定の言葉が見つからないのだが」

「はあ……提督、大和に興味ないのでしょうか」

「あの姿に興味を持ったらそれはそれでマズイだろう」

 

 姉の独り言のような呟きに律儀に答えを返す武蔵の心労をよそに、大和はまたアンニュイな表情をしながらぶつぶつと独り言を呟いている。

 

「よく考えて見ろ姉上。姉上だって提督がいきなりパーカーにトランクス一丁で部屋を訪れてきたら身構えるだろう?」

「あ、あら? それはそれでアリかもしれませんね」

「無しだよ」

 

 これはもう手遅れかもしれないと天を仰ぎながら、それでも武蔵は姉に付き合うことを止めない。

 なんだかんだ言いながらこんな穏やかな休日を姉である大和と過ごすのも嫌いではないのだ。そもそもこの程度でヘタっていては大和の妹など務まらない。

 

「姉上はもう少し、癒しの雰囲気を身に着けるべきだな」

「……癒し?」

「ああ、提督は日夜この鎮守府の運営に全力を捧げているからな。それを支えてやるためには戦闘としての力に加え、鳳翔や間宮の店のような癒しも大切なのだろう」

「癒し……それです」

「あ、おい姉上! 急にどこへ行くのだ!?」

 

 またしても弾かれたように部屋を飛び出していく大和に武蔵が声を掛けるが、そのまま駆けて行ってしまう。

 どこか胸騒ぎのする武蔵は、大和の後を追いかけるように部屋を出て行った。

 

 

 

「大和、急にいなくなるから心配したぞ。大丈夫か?」

「はい。先程はお見苦しいものをお見せして申し訳ありません」

「いや、見苦しいなどとは決して思っていないが」

 

 本日二度目の大和の再来に少し身構えながらも、普段の落ち着いた彼女の様子に提督は心の中で安堵の溜息を漏らす。

 やはり先程のあれは何か彼女なりに意図があってのことだったのだろうと、勝手に一人納得しながら。

 

「それはそうと提督。連日の提督業務に加え、的確な艦隊指揮、本当にお疲れ様です」

「む、そんな気を使う必要はない。私などよりも君たちのほうがよっぽど過酷な戦いに身を投じているのだ。それを思えばこれくらい訳はない」

「それでも提督は少し働きすぎです。少し床にうつ伏せになってください」

「む?」

 

 どこから取り出したのか、厚めのタオルを床に敷きながら大和が半ば強引に提督をうつ伏せに寝かせる。

 その上にまたがり『気を楽にしていて下さいね』と大和が提督の背中を指で押し始める。どうやら大和仕込みのマッサージで提督の日頃の疲れを癒そうという算段のようだ。

 

「どうですか? 痛くないですか?」

「あ、ああ。丁度いいよ」

「そうですか。ふふ、喜んでいただけて何よりです」

「あまり無理はしなくていい」

「無理などしていませんよ」

 

 指で提督の背中を押し続けているせいか少し息が荒い大和に気を遣いながらも、その気持ちよさに身体の力が抜ける。その様子に気をよくしたのか、大和から伝わる感触が徐々に増えて行っているようにも感じる。

 

「そ、そろそろいいんじゃないだろうか。十分楽になったよ大和」

「いえ……はあはあ……もう少しほぐさないと……はあはあ……いけません」

「だ、大丈夫かね? 息が上がっているようにも聞こえるが」

「大和は大丈夫です……はあはあ……提督の身体逞しいです……はあはあ……もっともっと」

「や、大和? 大丈夫かね?」

「だ、大丈夫です! 大和は大丈夫――」

「このすっとこどっこい! 早く提督から離れろ!」

「――きゃう」

 

 何やらぶつぶつと呟き始めてしまった大和の顔を横目で覗くと、瞳をぐるぐると回しながら頭から盛大に蒸気を放っている大和が見え、提督の顔に動揺の色が走る。

 そのまま混乱しながら密着してくる大和の頭を、突如乱入してきた武蔵がスパコーンと叩いて引き離す。

 

「すまない提督。姉が迷惑をかけた」

「い、いや構わないが」

「私たちはすぐ帰るから、提督は執務を続けてくれ」

「あ、武蔵。そんなに引っ張らないで」

 

 一体今のはなんだったのだろうか。

 怒涛のように捲し立てながら、大和を引きずっていく武蔵に呆然としながら、提督は何気に軽くなった肩を回しながら、執務へと戻って行った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「一体何をやっているのだ姉上は全く」

「……ごめんなさい」

「折角提督が信頼して背中を向けてくれたというのに」

「提督の背中を眺めてたら頭が一杯になって……」

「生娘か!」

 

 司令室から自分たちの部屋へ戻ってきた途端、武蔵による大和への説教がマシンガンのように放たれる。

 当の大和も自分の行為に反省してか、なぜか正座で縮こまってしまっていた。

 

「本当にどうして姉上は戦闘ではあんなに冷静で頼りがいがあるのに。提督の前ではああなってしまうのだ」

「本当にごめんなさい」

「あーもういいさ」

 

 怒り疲れた、といったように溜息を一つつきながら大和の隣にどかりと武蔵が座り込む。こんな騒がしい日常も、この鎮守府に来なければ得ることもできなかったのだ。

 そう思うと、一気に怒る気力も霧散し、代わりに苦笑が漏れてくる。

 

「でもこれで分かっただろう。提督は一筋縄ではいかないってことが」

「そうね。焦っても仕方ない、今はこの日常で満足しておきます」

 

 窓の外を流れる雲を眺めながら、二人は同時にふーと息を吐き出す。

 

「なんだか怒ったら腹が減ったな」

「何か食べに間宮さんのところにいきましょうか。今日は武蔵に迷惑かけたのでお姉ちゃんの奢りです」

「お! それならいつもの倍は食えるな!」

「少しは遠慮しなさい!」

 

 暖かな日光に照らされる昼下がり。超弩級戦艦と呼ばれる二人の少女の休日はゆっくりと時間が過ぎていく。

 時折、窓から吹き込んでくる穏やかな風のように。

 



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第二十話 提督の休日 那珂編

「提督! 那珂ちゃんはユニットを組みたいと思います!」

「……ぬ?」

 

 大本営厳命の週一回の休日である今日。

 最近休日の恒例になってきている自室の掃除をしていたら突然那珂が勢いよく部屋に入ってくる。

 元気が良いのはいいが、ノックぐらいはしてほしいものだ。

 

「おはよう那珂。相変わらず元気だな」

「もちろんだよ! アイドルの基本は元気一杯の笑顔だからね!」

 

 手に持っていた雑巾をバケツの端にかけ、手を洗いながら那珂に朝の挨拶をする。その言葉に、那珂はくるっと一回転してポーズを決めながらキラキラした笑顔を返してくる。

 

「それでユニットとは明日の遠征の編成のことか? それなら」

「もー! 違うってば提督! 地方巡業も大切だけどそのお話じゃありません!」

 

 自分なりに彼女の言葉の意図するところを汲んでみたつもりだったのだが間違えてしまったらしく、那珂は両手をぶんぶんと振りながら頬を膨らませてしまった。

 てっきりユニットとは遠征の艦隊編成の事だと思ったのだが。

 

「ユニットって言ったらアイドル活動関係に決まってるじゃん!」

「そ、そうなのか」

「もちろん見せ場は那珂ちゃんのソロだけど、時代が求めているのはユニットかなーって」

「な、なるほど」

 

 急にペラペラと饒舌に語り出してしまった那珂の言葉の意味が分からないことに若干の申し訳なさを感じながら、とりあえず相槌だけでもうっておこうと話を合わせる。

 そんなごまかしが伝わってしまったのか、こちらを見る那珂の表情が徐々に訝しげなものへと変わっていく

 

「……提督、その顔はもしかしなくてもアイドルのことよく分かってないんだね?」

「そ、そんなことは……ない」

「じゃあアイドルってなに?」

「それはアレだろう……そうつまり……車のエンジンをかけたまま駐車するあの」

「それはアイドリング」

「……すまない」

 

 あるはずのない知識で窮地を乗り切れるはずもなく、あっさりと無知が露見してしまう。当然隣の那珂は『そんなんじゃダメだよ!』と怒り顔だ。

 私ももう少しアイドルとやらの勉強をした方がいいのだろうか。

 

「今日はもう予定が入っちゃってるから提督へのアイドル講座は後日になっちゃうけど、それまでにちゃんと予習しといてね!」

「りょ、了解した」

 

 一体どこから取り出したのか、ずいっと那珂から手渡される謎のDVDを受け取りながら後日の約束を取り付けられる。

 DVDのケースには『那珂ちゃんコンサート in 鎮守府』と大きく書かれている……これはやはり見ないと怒られてしまうのだろうか。

 

「と言う訳で今日は那珂ちゃんのユニットメンバーを探しにいきたいと思います」

「そうか、頑張りたまえ」

「もー! 頑張りたまえじゃなくて! 提督は那珂ちゃんのプロデューサーなんだから当然一緒に行くんだよ!」

「わ、私は提督なのだが」

「提督兼プロデューサー! それではレッツゴー!」

 

 いつの間にか二足の草鞋を履いてしまっていたことと、その認識がどこまで広がってしまっているのかということの両方に動揺してしまう。

 まだ掃除の途中なのだが、という小さな抵抗も空しく那珂に腕を引っ張られながら部屋を後にした。

 

 

 

「それで、そのメンバーとやらはどうやって集めるのだね?」

「とりあえず片っ端から出会った子をテストしながら勧誘していこうかな! 今日はみんなオフだから暇な子が一杯いるはず!」

 

 自室から艦娘宿舎やその他の施設へと続く廊下を歩きながら、乗り掛かった船だと暫く那珂に付き合うことにする。

 まあ、特にこれといってやることもなかったためこれはこれでいいコミュニケーションになるだろう。

 

「そんな行き当たりばったりでいいのかね? 何事もメンバー選びは大切だと思うのだが」

「ふふん、那珂ちゃんの審査基準の高さを舐めて貰っちゃ困るよ。いくらこの鎮守府でもそうそう那珂ちゃんのお眼鏡に――あ、加賀さーん」

「む?」

 

 ユニットメンバーとやらの選出に対して持論を語り出した那珂の話に耳を傾けていると、前方に加賀が歩いているのを見つけ即座に那珂が駆け寄っていく。

 まさか、加賀をアイドルとやらに誘うつもりだろうか。

 

「あら? 那珂……と提督。おはようございます」

「ああ、おはよう加賀」

「今日は提督はお休みではなかったかしら。こんなところで何を?」

「いや、少し、な。加賀は朝食か?」

「はい。今日は週に一度の間宮さん特製朝定食の日ですから、ここは譲れません」

 

 いつもは物静かで冷静な加賀だが、朝食へ向かうのが相当楽しみなのか今は少しキラキラしているように見える。

 それにしても今日は週に一度の間宮さん特製朝定食の日だったか。そうとは知らず既に朝食は済ませてしまったのだが、惜しいことをしたな。

 心の隅でそんなことを考えながら、よければ提督もご一緒されますかと誘ってくれる加賀にすまないと断りを入れていると、突如那珂がびしっと加賀を指差して大袈裟なポーズを取り始める。

 

「加賀さん、笑ってみてください」

「……突然何かしら」

「加賀さんの無愛想でクールキャラは需要があるからそこは那珂ちゃん的に合格! あとはアイドルの基本である笑顔! それが何より重要! さあ笑って!」

「何だか凄く失礼な事を言われてる気がするのだけれど。提督、これは何かしら?」

「すまない、何も聞かず少し付き合ってあげてはくれないか」

「……提督がそう仰るなら」

 

 説明しようにも自分自身いまいち理解できていないため、那珂の言葉をそのまま加賀に促すことしかできない。

 それでも加賀は『笑顔はあまり得意ではないのだけれど』と言いながらも、少しだけ頬を染めながら彼女なりの笑顔を形作る。

 その表情を見ながら那珂は――

 

「どんまいだよ加賀さん! 次!」

 

 ――とんでもない感想を言い残しすたすたと歩いていってしまっていた。

 

「…………」

「お、落ち着きたまえ加賀! 無言で艦載機を那珂に向けるのはやめたまえ!」

 

 那珂の言葉に頭にきましたと言わんばかりに、今にも全機発艦してしまいそうな加賀を見て慌てて止めに入る。

 もしあのまま発艦していたら、鎮守府の半分は吹き飛んでいたかもしれない。……那珂よ、その言葉はあまりにあんまりではないだろうか。

 

「提督、この屈辱はどう晴らしたらいいのかしら?」

「……これで次の休みにでも赤城と一緒に何か美味しいものを食べてきなさい」

「あら? 提督は傷付いた私の心をほったらかしにするつもりですか?」

「……君たちさえよければ、その時は私もご一緒しよう」

「やりました」

 

 初めからなぜか楽しそうな雰囲気の加賀の言葉にちくちくと胸を刺されながら、それでもこちらが全面的に悪いため遠回しの要求を呑むしか道はない。

 私がいては食事が楽しめないと思ったのだが、直接詫びを入れろということか。世の中そこまで甘くはないのだな。

 

「それなら許しましょう。それにあの子と違って私に笑顔が似合わないのは知っていますから」

「む、それは違うぞ。人それぞれ大小はあれど、自然と現れる笑顔というものは素晴らしいものだ。私は加賀の遠征帰還時に駆逐艦の子たちに時折見せる穏やかな微笑みが好きだが」

「……そう」

「朝食前に引き留めて申し訳ない。それでは食事を楽しんでくれ」

 

 言いながら、随分と前に行ってしまった那珂に呼ばれているのに応えつつ加賀と別れる。休みだというのに疲れが溜まっているように思えるのは気のせいだろうか。

 

「……私も笑顔の練習をした方がいいのでしょうか」

 

 後方で、加賀が何か言っているような気がしたが、那珂の声にかき消されその言葉が耳に届くことはなかった。

 

 

 

「那珂、私が言うのもなんだがもう少しオブラートに包んだ物言いを心掛けてくれ」

「ええー、十分包んだつもりだったんだけどなー」

 

 食事中の子たちで賑わう間宮食堂を抜けて花壇や植え込みがある中央広場へと足を進めながら、那珂にそれとなく注意を促す。

 加賀の後にも何人かと同じようなやりとりをしたが、どうやら那珂のお眼鏡に適う子はいなかったようだ。

 

「それにしても改めて考えると、常に笑顔でいるということは大変なことなんだな」

「なになに? 提督もついに那珂ちゃんの魅力に気が付いちゃった? きゃは!」

「そうだな。その笑顔は間違いなく那珂の魅力の一つだ。私もいつも那珂の笑顔に元気を貰っている」

「え、あ……えと……その……アリガト」

「どうした?」

「な、なんでもないよ! 那珂ちゃんちょっとお花摘みに行ってくるね!」

 

 普段の那珂からしたら珍しく言葉に詰まっている様子を珍しく眺めていると、その視線から逃げるように那珂が駆けて行ってしまう。

 その先の少し横に視線をずらすと、中央広場の噴水の石段に腰掛けながらじっと空を眺めている一人の少女の姿が見えた。

 

「こんにちは、ユー」

「Admir……じゃなかった……提督、Guten Morgen」

 

 言いかけた言葉を言い直す彼女は少し前に着任した潜水艦のU-511、ビスマルクたちと同じドイツ海軍所属の艦娘であり、親しみを込めてユーと呼んでいる。

 真っ白な髪に純白の肌、その儚げな瞳を少し動かしながらユーはこちらに挨拶を返してくる。

 

「今日は天気もいいし一人で散歩か?」

「うん……提督も座る?」

「そうさせてもらおう」

 

 じっと視線を外さずに見つめてくるユーが小さく隣をぽんぽんと触りながら開けてくれるので、お言葉に甘えることにする。

 昼に近くなり、太陽の熱で温かくなった石段の上に腰を下ろし、穏やかなひと時を楽しむ。

 

「……よいしょ」

 

 気が付けば、ユーが隣から私の膝の上へと移動していた。なぜだ。

 

「なぜユーは私の膝の上に?」

「? でっちが提督と一緒にいるときはこうするのが普通だって」

「むう」

「郷に入っては郷に従えって聞いたけど……」

「むむう」

「ゆー……なにか間違えたかな」

「……大丈夫だ、ユーは何も間違っていない」

 

 儚げに瞳を揺らしながらじっと見つめてくるユーの純粋無垢な表情に観念し、白旗をあげる。ゴーヤたちにいろいろ教えてあげるようにお願いしたのだが、教えなくてもいいことまで伝わってしまっているのではなかろうか。

 私の言葉に安心したのか身体を預けてくるユーの頭を撫でつつ、気持ちよさそうに目を細めている姿を見ながらそんなどうでもいいことを考える。

 

「今日はゴーヤたちはどうしたんだ?」

「……昨日みんなでたくさんお話したから、まだ寝てる……です」

「どんな話をしたんだ?」

「……いろいろあるんです。いろいろ」

「そうか」

 

 どうやら彼女にもいろいろあるらしい。

 何はともあれこの鎮守府に馴染めているようで一安心だ。なんだかんだ言いながら、ゴーヤやイク達も面倒見がいいため初めから心配などはしていないが。

 

「異国の地での生活は慣れないことが多くて大変だろう」

「でもこの鎮守府で……Admiralやでっち達に会えて良かった……です」

「困ったことがあったらいつでも言ってくれ。私に言いにくいことだったら仲間に相談しなさい。必ず助けになってくれるから」

「Danke……ありがとう」

「あー! 提督こんなところに! もー那珂ちゃんをほったらかしにするなんてダメだよ! あ、ユーちゃん!」

 

 ユーも日本語が随分上手くなったものだと感心している間に那珂が戻ってくる。

 那珂の挨拶にユーもぺこりと頭を下げながらお互いに軽く言葉を交わす。どうやら二人はそれなりに親交があるようで他愛もない話に興じている。やはり那珂のコミュニケーション能力は見習うべきものがあるようだ。

 

「ユーちゃんもう鎮守府には慣れた?」

「はい……みんな優しいので……ありがとうです」

「うんうん、それは良かった! そうだ今度那珂ちゃんのライブに招待するから来てね!」

「那珂ちゃんさんのライブ? ……?」

「きっと楽しいからゴーヤたちと一緒に行ってみるといい」

「うん……楽しみにしてる、Danke」

 

 『那珂ちゃんさん』と親しいのかそうでないのか判断し辛い呼び方ながらもユーの表情は楽しそうだ。

 誘った張本人である那珂は楽しみと言われたのが相当嬉しかったのか、スカートのポケットから何かの機材を取り出し音楽を流し始める。

 そのままユーの手を引きながら歌い始めてしまった。

 

「ほらほらユーちゃんもダンスダンス! ステップ踏もう!」

「え……えと」

「はいここでターン! 一歩下がって一回転!」

「ふえ……Ad……Admiral」

 

 目の前で困惑しながらも懸命に那珂を真似てたどたどしくステップを踏むユーに頑張れと声援を送りながら、こんな休日もたまにはいいものだと、外に連れ出してくれた那珂に心の中で感謝する。

 ふと空を眺めてみると、様々な形の雲がゆっくりと流れていた。

 

「……もうすぐ夏だな」

 

 燦々と照りつける太陽の光に目を細めつつぼそっと呟きながら、楽しそうに踊る二人の少女へと視線を戻す。

 少しずつ近づいてくる、新しい季節の足音を感じながら。

 




 結局那珂ちゃんのユニット相手は見つからなかった模様。


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第二十一話 赤城の心

 今回最後の方、少ししんみりとした感じになっています。
 まあ、あくまでほんの少しですが、苦手な方はご注意下さい。


「……これは少し派手かな……こっちは地味すぎですね……うう」

 

 艦娘用宿舎の間取りの中では比較的広い部類に入る自室の箪笥の前で赤城は頭を抱えていた。

 両手と周りには箪笥から引っ張り出したのであろう衣類が散らかっており、普段マメな赤城にしてみれば珍しい光景とも言えた。

 

「赤城さんそろそろ提督との約束の時間ですが」

「……加賀さんはいいですね」

「なにがですか?」

「なんでもないです」

 

 隣の化粧台からひょこっと顔だけ出してくる加賀に適当に返事を返す。どこかつっけんどんな言葉尻になってしまったが当の加賀はさして気にしたそぶりも見せず化粧台へと戻っていく。

 

「それにしても急に提督とお食事なんて……加賀さん提督に一体何をしたんですか」

「普通に失礼ですね。私はむしろされた側です」

「あの提督が加賀さん……というか誰かに何かするのを想像できませんが」

「では赤城さんは提督と食事に行くのが嫌だと?」

「……すいません」

「よろしい」

 

 赤城の降参の言葉にどこか加賀の声は得意げだ。そのことに若干歯噛みしつつ赤城は再度目の前の衣類へと視線を戻す。

 ほんの一時間前に急に加賀から『今晩提督と食事にいきます』と言われ、慌てて箪笥の中身をひっくり返したのだが全くもって着ていく服が決まらないのだ。

 

「こんなことなら新しい服を買っておけばよかったです」

「別にどんな服でも赤城さんなら似合うと思いますが」

「……加賀さんに言われると嫌味にしか聞こえません」

「何か言いました?」

「なんでもないです」

 

 先程と会話の流れが同じです、と呆れながら、ちらりと加賀の方を見る。

 普段とは違いサイドアップする形で纏められた髪と少しだけ施された化粧が加賀の魅力を更に引き立たせている。更に抜群のプロポーションに加え私服はボーダー柄のワンピースにカーディガンと完璧、表情まで楽しそうときては勝負する気すらおきないのは自分のせいでは決してない筈。

 ついには鼻歌まで歌いだしてしまう相方に白旗を振りつつ、赤城は一番マシと思えるブラウスとプリントスカートのセットへと手を伸ばす。

 

「それはそうと今日は鳳翔さんのところではないんですよね?」

「ええ、提督は昔からの馴染みのお店だと言っていましたが、私も詳しくは知りません」

「初めての店で提督とお食事……少し緊張しますが、流石に気分が高揚します」

「赤城さんそれ私の台詞……っとそろそろ出ましょう。提督をお待たせする訳にはいきません」

 

 お互いがお互いに良い意味で遠慮のない言葉を交わしながら、ふと時計に視線を移すと時刻は既に七時五十分を回っていた。約束の時間までもう十分もない。

 最後にちらりと自分の恰好を姿見で確認し、赤城は小さく握り拳を作りながら加賀と共に部屋を出て行った。

 

 

 

 

「加賀、赤城。遅れてすまない」

「大丈夫です。時間ぴったりですから」

 

 鎮守府の正面玄関で待つこと数分、右腕に司令服の上着を掛けたまま提督が謝罪の言葉とともにやってくる。

 加賀と共に提督に労いの言葉を返しながら、赤城は一瞬、自分が邪な想いを抱いたことを慌てて振り払う。そう、今の提督の姿が仕事帰りの夫に見えてしまったことなど。

 

「赤城、遅れそうになったことは謝る。だからどうか怒りを収めてはくれないか」

「は!? あ、いえ、決して怒っていたわけではなくそのあの!」

 

 気を抜いたら緩みそうになってしまう頬に力を入れて耐えていたらあろうことか、提督に怒っていると勘違いされてしまった。

 かと言って本当のことを言うわけにもいかず、あたふたしていると加賀が私に任せてと視線だけで頷いてくる。

 流石は同じ一航戦、頼りになりますと赤城は心の中で加賀に感謝する。

 

「提督、赤城さんは怒っているのではなくお腹が空いたから早くいきましょうと言っているのでしょう」

「む、そうなのか」

「そ、そうでもなくて……もう加賀さん!」

 

 これではまるで自分が食事しか考えていない食いしん坊女みたいではないですか!

 数秒前の感謝の気持ちを返してくださいと怨みの波動を加賀に送る。すると彼女は無言で親指を立てて小さくウインクを一つ。……駄目ですこの相方何も理解していません。

 

「赤城も楽しみにしていてくれたようだし、行くとしよう」

「加賀さん……今日のお礼に来週のケーキバイキングを私が奢る件、やっぱり無しの方向で」

「!? そ、そんな!?」

 

 待ってください赤城さんと、ふらふら追いかけてくる加賀を無視して赤城は提督の隣へ。

 その様子を見ながら提督は『君たちは本当に仲がいいのだな』となぜか満足そうな顔をしていた。こっちはこっちで大概である。

 

「提督、今日はありがとうございます。でも良かったのですか? 執務の方忙しかったのでは」

「む、いや、執務の方は早めに終わったのだが、出る直前に金剛に見つかってしまってな」

「……ああ」

「どうしても解放してくれなかったので、正直に君たちと食事に行くと言ったら泣きながら走り去っていってしまった」

「あはは……相変わらずですね金剛さん」

 

 ぽつぽつと等間隔につらなる街灯が照らす道を歩きながら、赤城は提督との会話に言葉を重ねる。

 決して大きくはないが、言葉の端端から提督の優しさが滲み出ているようで凄く心地よい。このままいつまでも話をしていられたらとそこまで考えて、赤城は顔を振る。高望みをしてはいけない。

 

「それで提督、今日行く予定の場所はどんなお店なのですか?」

「ぬ……そう言えば加賀にも言ってなかったか。そこは昔から何度も訪れたことがある店でな、大きくはないが、落ち着けるいい店だよ」

 

 後ろからひょこっと追いついてきた加賀に提督が答える。

 どことなく『昔』の言葉に強い何かを感じながら赤城は、そろそろ見えるはずだと提督が指差した方向へと顔を向ける。

 そこには小さく食事処と書かれた提灯を屋根の端に下げながら、一件のお店がひっそりと明かりを灯していた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 店に入り赤城が一番最初に感じたこと、それは『綺麗なお店だな』だった。

 三人掛けのテーブルが四つ、それにカウンターが七席。決して大きくはないが窮屈さは全く感じない。自分たち以外客がいないこともあるだろうが、それを差し引いても狭いとは感じないだろう。

 濃い斑模様の木材が使用されているであろう床や壁、店内に三か所だけの光源である瓢箪型の電球。ごちゃごちゃとした装飾は一切なく幾つかの造花と写真が飾ってあるだけの店内に、赤城はどことなく鳳翔の店を思い出していた。

 

「突っ立ってないで座ったらどうだ」

 

 加賀と共に店内の雰囲気に気を取られていると、カウンターの奥からあまり抑揚のない低い男性の声が耳に届く。顔を向けると、使い込まれた白のコックコートに腰からも少しくたびれた白のエプロン姿の男が何か作業をしながら視線だけをこちらに向けていた。

 髪は真っ白で無愛想な表情の五十代後半のように見える男の口調はお世辞にもいいとは言えないが、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ店の雰囲気とも合っており悪くないと思えるほどには。

 

「こんばんは、お久しぶりです庄治さん」

「ああ」

 

 提督の言葉に、庄治と呼ばれた男は短く返事をする。そのやりとりに赤城は、短いながらも二人の間に確かな繋がりがあるように感じていた。まるで自分と加賀の間にあるような何かが。

 

「赤城、加賀、こちらはこの店の店主の庄治さん。愛想は悪いけど良い人だよ」

「赤城です。今日はよろしくお願いします」

「加賀です。この店の雰囲気は落ち着いていて良いですね」

「……まあゆっくりしていくといい」

 

 提督の紹介に庄治がお前にそれを言われるとはなと、どこか楽しそうにしながらカウンターの席へと案内してくれる。その中央三席にそれぞれ腰掛ける。勿論提督は真ん中だ。

 

「他のお客が見当たりませんが」

「征史郎、今日はお前たちの貸切だ」

(征史郎?)

(提督の下の名前ですよ赤城さん)

 

 カウンター越しに会話する提督の後ろで赤城と加賀が器用にひそひそと情報交換を行う。何気に提督の名前を知らなかったため赤城はその三文字を心のノートに書き留める。その表情に笑みが零れているのを本人は気が付いていないが。

 

「ぬ? なぜです?」

「そこの御嬢さんらは見かけによらず食うのだろう? 十人前は行くと言ってきたのはお前だ。料理には下拵えもある、それと同時並行で他の客を捌くのは一人では無理だ」

「……提督?」

「……流石に頭にきました」

「す、すまない! 決して悪意があったわけではなく君たちが満足できるようにと……すまない」

「別に責めているわけではない。お前さん達のおかげで俺達住民はこうやって平和に過ごせているんだ、これくらい何でもない」

 

 それに、とそこで一つ言葉を区切り、庄治は赤城と加賀をちらりと見る。その光景にどこか懐かしさを覚えながら。

 

「こいつはこう見えて誰よりもお前さん達のことを考えている。そこらへんは言われずとも分かっているだろうが」

「それは……はい」

「勿論です」

 

 言いながら赤城は隣で気難しそうな顔で頬を掻いている提督の表情を見て笑う。

 そのまま庄治が簡単に飲み物の注文を促してくるので、メニューボードを見ようとしたがそれよりも先に加賀が手を上げる。

 

「そうですね。とりあえず生を三つお願いします」

「ちょちょちょ! か、加賀さん!」

「? 赤城さんビールダメでしたっけ?」

「好きですけど……って違います! 仮にも提督がいらっしゃるのにそんないつもの飲み会のようなノリで……」

「私のことは気にしなくていい赤城。君たちのための時間なんだ、好きに頼むといい。料理はお任せにしてあるが」

 

 軍人の関係性を考えると本当にありえない提督の言葉と優しさに、赤城は言葉にならない感情が湧いてくるのを抑えきれず身悶える。

 この人はっ! 本当に! 人の心をかき乱してくるんだから!

 自分でもよく分からない感情を抑えようと、おしぼりに手をかけようとしたら既にそこには三杯のビールと山盛に盛られたサラダが置かれていた。

 慌ててカウンターの向こう側に視線を移すと、何食わぬ顔で庄治が次の料理の準備を始めていた。

 

「それじゃあ乾杯しようか」

「流石に気分が高揚します」

「……本当にもう!」

 

 右手にジョッキを持った二人がさあと促してくる。

 一番尊敬している上司と一番信頼している同僚に囲まれて、笑いながら溜息を一つ。

 そうしてジョッキを掴み、赤城はそれまでの全ての心のもやもやを吹き飛ばすような大きな声と満面の笑みで乾杯の音頭をとった。

 

 

 

「はー、なんですかこのお肉の柔らかさは」

「私今、最高に幸せです」

 

 乾杯してから一時間は経っただろうか。

 普通ならここいらで箸の進みも落ち着いてくる頃なのだが、庄治の料理の味の良さに二人の動きが衰える気配は一向にない。

 その姿に内心感心しながら、庄治が静かに口を開く。自分から客に関わることは滅多にない庄治にしてはかなり珍しい出来事だと言えた。

 

「征史郎、楓さんと龍之介は元気か」

「はい、二人とも相変わらず騒がしいですが元気にやっています」

「そうか」

 

 簡単な会話だったが、庄治の言葉にはそれ以上の何かが籠っているような返事だった。

 聞き慣れない名前が出てきたことに赤城と加賀が頭を捻っていると、庄治が無言で壁に掛けてある一枚の写真へと視線を移す。

 そこに載っている司令服の男性と椅子に座る着物姿の女性を指差しながら庄治が二人へ一言。

 

「あそこに写っているのはこいつの父親と母親だ」

「……へ?」

「……へ?」

 

『……ええええええええええ!?』

 

 突然明かされた衝撃の事実に二人の絶叫が店に木霊する。

 その絶叫に庄治はさして驚いた様子もなく、平然と掛けてあった写真を外し持ってくる。横では提督が『も、持ってくる必要はないのでは』と何やら困惑していたが無視する。

 

「こ、これが提督のご両親」

「提督……お父上とそっくりですね。あ、でも目元は母上似かもしれません」

「うぬ……ぬう」

 

 写真に被り付くように見入っている赤城と加賀をよそに提督は庄治に『なぜ教えたのですか』と視線で抗議をしてみたが、素知らぬ顔で跳ね返されてしまった。

 相変わらず考えが読めない人である。

 

「もしかして庄治さん、提督のお父上のご友人だったのではないですか?」

「友人と言う程緩い関係ではなかった気がするがな」

 

 庄治のその言葉に赤城は苦笑する。間違いなく嘘だ、絶対にこの人と提督の父上は今でも固い絆で繋がっている。

 そう確信させるほどのものが庄治の言葉には詰まっていた。

 

「なるほど。だから提督は昔馴染みのと言ったのですね」

「ああ、この店には子供のころからお世話になってきたからな」

「ちなみにその当時の写真がこれだ」

「うわあ! 提督可愛いですね! あはは、この頃から難しい顔していたんですね!」

「これは貴重な写真です。あの金剛さんの雑誌にも載っていなかった……流石に気分が高揚します」

「な、なぜそんな写真が一緒に……それに雑誌とはいったい」

 

 今日の庄治さんはどこかおかしい。普段はこんな人をからかうような人ではない筈だが。

 そんな提督の心の疑問なんてどこ吹く風と、一航戦の二人は二枚の写真に無我夢中である。その様子を庄治はどこか満足そうに眺めていた。

 

「こうしていると昔を思い出す」

「昔……ですか?」

「ああ、龍之介のやつもよくここにお前さんらのような娘を連れてきては、からかわれていた」

「え……それって」

「もしかして……まさか」

「ここまで知られたら仕方がない。父は昔、海軍大将の肩書と共にここで提督をやっていたのだ」

 

 

『……ええええええええええ!?』

 

 二十年も前の話だが、と付け加える提督の言葉など今の赤城と加賀の心境には何の鎮静剤にもならない。

 そんな提督の何気ない言葉に、本日二度目の絶叫が店に木霊した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「……う~ん」

「加賀さんすっかり酔っ払っちゃいましたね」

「……加賀は見かけによらずお酒に弱いのだな」

 

 すっかり酔い潰れてしまった加賀を背中に背負いながら、提督と赤城は鎮守府への帰り道を歩いていた。

 あの後すっかり気分が高揚してしまった二人は庄治に促されるまま、楽しんで……否、楽しみ過ぎてしまったのである。

 その結果が今のこの状況だ。ちなみに赤城はほんのりと頬が上気しているだけで足取りもしっかりしており、言葉もいつも通りだ。

 

「……提督はどうして黙っていたのですか?」

「父と母のことか?」

 

 提督の返しに赤城はこくりと頷きだけを見せる。別に言う必要も義務もないのだが、どうしてかこの時の赤城は聞いてみたかった。

 

「言う必要はないと思ったのだ……確かに父は尊敬に値する人物だが、私は私だからな」

 

 どこか独り言のように聞こえるそれを聞きながら、赤城は提督の言葉の続きを待つ。

 

「それに……君たちに余計な心配をかけたくはなかったのも事実だ」

「それでも……それでも私は提督の事がもっと知りたいです」

 

 普段の赤城らしからぬ、少し強めの口調に提督は少し驚いた。同時に心の中に温かいものがじわりと広がる。

 

「提督は私たちにとても優しいです……でもその優しさがたまに凄く……不安になります」

「……赤城」

「提督は楽しいことや嬉しいことを沢山私たちに与えてくれています。でも……辛いことや悲しいことは全部一人で背負いこんでしまいます」

「……むう」

 

 赤城の言葉に返す言葉もなく押し黙ってしまう。言われてみれば昔からどこか自分はそうやって辛いことや悲しいことを自分の中に押し込めてしまっていたような気がする。

 

「全てなんて言いません。ほんの少しでもいい……私たちに提督と同じ道を一緒に歩ませてください」

 

 目を逸らさず、真っ直ぐにひたすら真っ直ぐに瞳を向けてくる赤城にただ一言『ありがとう』と伝える。今の提督にはこれが精一杯だったが、赤城はふわりと笑ってくれた。

 差し出された右手をゆっくりと、だが、しっかりと握り返しながら赤城の隣を歩く。

 

「帰ろうか、赤城」

「はい」

 

 空には無数の星々が三人を照らすように輝いていた。

 




 なんとも言えない感じに仕上がりました。
 だが後悔はしていない。


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第二十二話 ユーと水着

「う~ん、やっぱりビキニタイプの水着も捨てがたいのね」

「イクの選ぶ水着は派手すぎでち。少し動いたら胸がポロンしそうになる水着なんて提督に見せられないでち」

「いっひひ! あの提督にはそれくらいが丁度いいのね! ユーもそう思うのね?」

「…………?」

 

 ジメジメとした梅雨が過ぎ、代わりに全身からじわりと汗が出始めるようになってきた七月の頭。

 艦娘宿舎の最北、二階の一番奥の部屋で潜水艦の三人は水着雑誌を囲みながら、夏到来の準備を始めていた。

 要するに、今年の水着をどれにしようか考えているだけなのだが、外出用の水着を持っていないユーにとってはそれすらも新鮮な話のように感じられた。

 

「イクもでっちも水着持ってるのに……買うの?」

「あれは任務用の水着なのね。あれはあれで良いけど、夏といえば可愛い水着! 今年こそイクの魅力と新しい水着で提督もメロメロなのね! いっひひひ!」

「でっちじゃないでち! ゴーヤ! 何回言ったら分かるでち!」

「ごめんなさい……でっち」

「~~~~っ!」

 

 ユーの言葉にゴーヤが一人身を捻って悶絶する。

 着任当初こそよそよそしかったユーだが、今となってはこの通りすっかり潜水艦の一員として休みの日に仲間と談笑できるようになっている。

 特に同部屋のゴーヤに懐いているようで、彼女のことをでっちと呼んで慕っているようだ。本人は気に入っていないようだが。

 

「まあまあその名前も可愛いのね、でっち」

「やめて! そうやって広めていくのはやめるでち!」

「それはそうとユーは任務用以外の水着持ってるのね?」

「持ってない……です」

 

 イクの問いにユーの言葉尻が萎む。

 ドイツにいたころは今みたいな定期的な休みもなく、外出用の水着など買っても着る機会がなかった。

 そもそも必要性を感じていなかったし、興味もあまりなかったのだが。

 

「ユーはこういうの興味ないでち?」

「少し……」

 

 日本に来てから……Admiralやゴーヤ達に出会ってからたくさんの楽しいことを教えてもらった。

 そうしている内に少しずつ自分の中の何かが変わって行っているような気がしているが、ユーにとってはそれも心地良いもので、決して悪いものではないと納得している。

 事実、目の前に広げられた水着雑誌を見て、欲しいと思う自分がいるのだから。

 

「少しでもあれば十分なのね! 楽しいことはいつでも少しの好奇心から生まれるの! ユーもこの雑誌みたいなセクシー水着買って提督を悩殺するのね!」

「あ……えと……その」

「やめるでち! ユーがあまりの刺激に目をぐるぐるさせてるから!」

「え~? そんなこと言って二人は自分の水着姿で提督を喜ばせたくはないのね?」

「これ着たら……Admiral喜ぶ?」

「それはもう大歓喜なのね! 提督にキラキラ付いちゃうの!」

「わかった……頑張る」

「頑張らなくていいでち! そんな恰好のユーを見たら提督胃痛で倒れるでち!」

 

 上下共にきわどい水着を指して勧めてくるイクに、ユーが可愛らしく握りこぶしを作っている様子を見ていたゴーヤが慌てて止めに入る。

 純粋無垢なユーに年中煩悩の塊であるイクはやっぱり危険すぎるでち、とゴーヤは今日もユーの保護者全開だ。

 

「夏は目の前! こうなったら善は急げ、今から提督と水着買いにいくのね!」

「今からって無茶でち。ゴーヤたちはお休みでも提督は今日もお仕事中でち」

「いひひ、そこはイクにお任せなの! 提督のスケジュールは全部イクの頭の中に入っているなの! と言う訳でユー」

「…………?」

 

 怪しげな笑みと共に肩に手をポンと置いてくるイクに、ユーは小さく首を傾げている。

 また何か嫌な予感がしながらも、ゴーヤはイクを止めようとはしない。なぜなら彼女も密かに提督と水着を買いに行きたいと思っていたから。

 乙女心は複雑なんでち、と自分の心を誤魔化しながら密かにイクの作戦が成功すればいいなあと期待しているゴーヤをよそに二人はひそひそと会談を続けている。

 

 窓の外ではカモメが気持ちよさそうに空を飛んでいた。

 

 

「シオイ、そろそろ出ようと思うのだが準備できそうか」

「あ、あとちょっと待って!」

「うむ。まあ町長との約束の時間にはもう少しある。焦らせてしまいすまないな」

「そんなことないよ! こっちこそごめんなさい!」

 

 イク達三人が部屋で会談を行っているのと同時刻、司令室にて提督とシオイは外出の準備を始めていた。

 今日は下町の町長のところへ恒例の近況報告と挨拶のために午後から鎮守府の外に出る予定なのだが、シオイは中々自分の髪のセット具合が気に入らないのか何度も鏡の前でやり直していた。

 

(う~折角の提督とのお出かけなのに髪が纏まんないよ~)

 

 久々の秘書艦の日に提督と外出できるなんて本当にラッキーだなどと考える一方、町長に挨拶に行くのに提督に恥は掻かせられないと身だしなみに気を使っているのだがなかなか納得のいく出来に纏まらない。

 その様子に『髪の毛の手入れに時間をかける苦労は女性特有のものだな』などと提督が考えているとふいに扉がノックされ一人の少女がとてとてと入ってくる。

 

「む、ユーか。おはよう」

「あ、ユーちゃん。おはよう」

「シオイ、Ad……提督、Guten Morgen」

 

 突然の彼女の訪問に提督は何か問題があったのかと勘繰るが、ユーの表情から察するにそういう訳でもないらしい。

 右手に何やら雑誌を持っているようだが、ユーはそのままシオイの方へと近寄っていく。

 

「どうしたの? 今日はイムヤとはっちゃんとまるゆ以外お休みじゃなかった?」

「うん……だから水着の話……一杯したよ」

「わっ、その雑誌今人気の水着特集のやつだね! 私も後で見たいな……ってその雑誌をここにユーちゃんが持ってきたのって」

「イクの……作戦だって」

 

 なにやら話し込んでいる二人を横目に、提督は左手に嵌めた腕時計へと視線を移す。時間的にはまだもう少し猶予はあるがそろそろ出ても問題ないだろう。

 二人には申し訳ないが、続きの話は帰ってきてからにしてもらおうと声をかけようとしたところで、シオイがぐるりと勢いよくこちらに顔を向けてくる。

 なぜかとても瞳が輝いているような気がするが気のせいか。

 

「提督、今日の町長との会談の後時間あるって言ってたよね?」

「そうだな。特に問題があったわけでもないし、会合自体そんなに長くは掛からないからな」

 

 町長との会合といっても、定期的に行っているものであるためそこまで重要性の高い話をするわけでもない。

 深海棲艦による被害状況も上がってきていないので今回はそんなに時間は掛からないだろう。

 提督が鎮守府不在の場合、艦隊は出撃させず遠征のみだ。その遠征も帰ってくるのは夜に近くなってからで仕事と言えば執務処理ぐらいになる。

 

「だって。ほら、ユーちゃん」

「あ……えと、Ad……違った。て、提督!」

「ぬ、うむ」

 

 シオイに促され、ユーが手に持っていた雑誌を提督に差し出す。

 普段はおっとりとしてあまり感情を表面に出さない彼女だが、今は瞳に力が籠っており、少しだけ頬も桜色に染めながら手渡してくるそれを提督も真面目に受け取る。

 その肌色が強い表紙にかなり困惑の色を見せながら、それでも提督はユーの期待するような表情に押されページを捲る。

 

(提督の顔、艦隊決戦のときみたいに厳つくなってるなあ)

 

 普通男の人だったら少しは鼻の舌ぐらい伸びそうなものだけど、と水着雑誌を黙々と捲りながらどんどん険しくなっていく提督の表情にシオイは呆れる。

 ユーはユーでそんな提督に期待の視線を向けているのだからシュールだ。

 五分ぐらいは経っただろうか、まるで医学書でも読み終えたかのように険しい表情のまま、提督は無言でユーへ雑誌を返す。

 そして――

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………良い……水着写真だった」

 

 ――かろうじてそれだけを口から絞り出した。

 そこだけ切り取ればかなり危険な言葉だが、ユーの意図を理解できていない提督なのだから仕方ない。

 

「いや提督、そういうことじゃないよ! もっと察してあげて!」

「ぬ……むむ……ユーもシオイもこういう可愛らしいのがきっと似合う……と思うが」

「え、本当かな? えへへありがと……って違うよ! 嬉しいけどそういうことじゃないって!」

「……ゆーに似合う……かな」

 

 察しろとの言葉に提督は何を思ったのか、慣れていない様子で二人を褒める。

 シオイとしても予想していなかった棚ぼた的な言葉に思わず喜んでしまうが、今はそうじゃないよと被りを振る。隣ではユーが提督の指したページを見ながら何か呟いていた。

 

「ダメだ。もう直接お願いするしかないよ。ほらユーちゃん」

「う、うん……えと……提督」

「うむ?」

「ゆー……その……新しい水着が欲しい……です」

 

 おそらくこういうことに慣れていないのだろう、ユーの言葉はとても小さく語尾も消えそうなぐらい儚げだった。

 きっと今まで自分から誰かに何かを欲しいと言ったことがなかったのだろうな、と提督はユーの心境を考え少し眉尻を落とす。

 それでも今こうやって素直に自分の気持ちを口にしてくれたことが嬉しくて、つい頭を撫でてしまう。

 

「確か、会談の場所と鎮守府との間に一軒、水着を取り扱っている店があったな」

「! ……提督!」

「ああ、そこで自分に合った水着を選ぶといい」

「Danke……ありがとう提督!」

 

 彼女にしては珍しい、本当に嬉しそうな笑顔を返してくるユーに提督は少し苦笑しながら、もうすっかりこの鎮守府の一員だなとゴーヤ達に感謝する。

 隣ではシオイが盛大にガッツポーズをとっていた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ふわ~! 凄いのね! 新作の水着がこんなにあるなんて夢みたいなのね~!」

「鎮守府の近くにこんな穴場の店があったなんて……不覚でち」

「……カラフルだね」

 

「なんとなく予想はついていたが、イクやゴーヤまで来るとは……シオイ」

「ごめん」

 

 町長との会合の後、店の前でユーと待ち合わせにしたはずなのだが、なぜかそこにはイクとゴーヤが手を振りながら立っていた。

 キラキラと瞳を輝かせながら今にも店に飛び込んで行ってしまいそうな二人をよそに、隣に立つシオイに一言声をかける。

 間違いない、シオイは初めから気付いていたのだ、二人が来ることを。

 

「まあいいさ。折角だ、四人で気のすむまで選んでくるといい。私はそこの茶屋で待っているから欲しい水着が決まったら呼んでくれ」

 

 四人にそう伝え、反対側にあった茶屋へと向かおうとして――できなかった。

 

「なに言ってるの! 提督はイクの水着を一緒に選ぶの!」

「ここまで来たのにそれはないよー。一緒に行くでち」

「……いこ?」

「み、水着を選ぶ際に男性の意見って重要だって言うから……ね?」

「……ぬう」

 

 背中にイク、前の裾をゴーヤ、右手にユー、左手をシオイにそれぞれ包囲されそのまま店へと強制連行される。

 幸い、店の中には客はおらず店員と思われるお婆さんだけだったのが救いだが、提督でなくても女性水着コーナーに男が一人というのは胃にくるものがあるはずだ。

 

「あ、これ可愛いの! 早速試着してくるのね~!」

「ユー、気になるものがあったら着てみるでち。ほらこのワンピースタイプとかユーに……ってここで服を脱ぐ必要はないでち! 試着室があっちにあるでち!」

「うん……?」

「私はやっぱりセパレートかなー」

 

 店に入るや早速といった形で各々が気になる水着に手を伸ばしている。男性の水着よりも種類が豊富な分選び甲斐があるのだろう、彼女たちの視線も真剣そのものだ。

 折角来たのだから自分も見ておくか、と提督が男性水着コーナーに向かおうとしたら後ろからイクの呼ぶ声が聞こえてくる。

 振り返ると、試着室から顔だけ出したイクが笑顔で手招きをしていた。

 

「提督、早速着てみたから見てほしいのね!」

「うぬ……うむ!?」

「じゃーん! 新作のスリングショットなの! どう? イクの魅力に声もでないなの~!?」

「い、いや! その水着は少し肌色が強すぎるのでもう少し布面積の大きい水着の方が」

 

 試着の感想を求めてくるイクがばっとカーテンを開ける。そこに映った彼女の水着の布面積の少なさに提督は思わず狼狽する。

 あ、あれではほぼ紐なのではないか? あの水着を作成した開発者は何を考えているのだ?

 その今にもポロンしてしまいそうなイクの水着姿に視線を逸らしていると、イクの頬が風船のように膨れていく。

 

「むー! どうして目を逸らすなの! ちゃんと見てほしいの!」

「す、すまない。だがその水着は少し刺激が」

「分かったなの! それならこっちのもっと刺激的なやつで……って痛いの!」

「止めるでち! 提督が無実の罪で憲兵にしょっぴかれるようなことはやめるでち!」

 

 今の水着ですらギリギリだと言うのに、更に危ないそれを手にしたイクの頭を横で試着していたゴーヤが飛び出してきて叩いている。

 

「ありがとうゴーヤ。そのピンクのフリルがついたビキニ姿、よく似合ってて可愛いぞ」

「あ、え?……えとその……褒めても何もでないでち!」

 

 イクの襲来から助けてくれたことに感謝しつつ、提督なりにゴーヤの水着姿を素直に褒めてみたのだが、顔を真っ赤にして怒られてしまった。

 やはりまだまだ女性の心の機微というのが自分には分かっていないらしいと落ち込む横で、ユーがイクの水着を珍しそうに眺めていた。

 

「むー、ゴーヤは分かってないのね。女の子の魅力は布面積の少なさに比例するのに」

「馬鹿丸出しでち。その考えはただの痴女でち」

「……布面積の少ない」

「止めるでち! ユーにスリングショットなんて早すぎるでち! お願いだからその水着から手を放すでち!」

「……似合わない……かな」

「似合ったらもっと困るでち!」

 

 わいわいと騒ぎながらも楽しそうな三人から逃げるように、提督はシオイが吟味しているセパレートタイプのコーナーへと移動する。

 

「う~ん、ビキニもいいけどやっぱり胸がアレだからセパレートかな……って提督!?」

「む、驚かせてすまない」

「いや別にセパレートにしようとしてるのには胸がアレでこうだからとかじゃなくてね!」

「ぬ? よく分からないが、こういう水着は明るく元気なシオイによく似合ってると私は思うが」

「そ、そうかな? えへへ……ちょっと試着してみるね」

 

 提督の言葉に少しはにかみながら、初めから気になっていたであろう一着の水着を手にシオイが試着室へと駆けていく。

 その数分後。少し恥ずかしそうにしながらシオイが試着室のカーテンを開け、水着姿を披露してくる。

 

「ど、どうかな? あんまり自信ないけど」

 

 上は空色のタンクトップ型で胸に小さく花の刺繍が入っており、下は紺色のホットパンツのような形状の水着姿にシオイ自身少し頬が赤い。

 少し派手かな? というシオイの言葉とは裏腹にその水着は良く似合っていると言えた。

 

「む……私の言葉などで良いのか分からないが、シオイのはつらつとした元気良さと可愛らしさが全面に押し出されててよく似合っていると感じるが」

「ほ、ほんと? よし、提督が似合ってるって言ってくれたからこれにしよ!」

「そ、そんな簡単に決めていいのかね?」

「いいのいいの! ああ今年の夏が楽しみだなあ!」

 

 シオイらしくあっさりと購入する水着を決めた彼女は『お会計お願いしまーす』と店員のお婆さんのところへ向かって行く。

 まあシオイがよければそれでいいが、と思っていると急にクイっと裾が引っ張られるのを感じ後ろを振り向く。

 

「ぬ? ユーか。どうだ? その右手の水着が気に入ったのか?」

「……うん」

 

 提督の言葉にこくりと頷きを返してくるユーの右手には一着の水着が握られていた。

 そのまま提督に小さく『ここにいてね』と伝え、そのまま試着室へと向かって行く。良かった、彼女も自分に合った水着が見つけられたようだ。

 若干の衣擦れの音が終わりを告げ、控えめに試着室のカーテンが開けられる。

 その場には真っ白なワンピースタイプの水着を身に纏ったユーが立っていた。

 

「どう……ですか?」

 

 おそらく軍指定の水着以外を初めて着るのだろう、若干の戸惑いと期待を瞳に映したまま自分の姿をしきりに見渡しては不安な顔をするユー。

 その姿があどけない年相応の普通の女の子に見え、提督は苦笑する。

 

「似合って……ないですか?」

「そんなことはない。その真っ白な色も腰回りに小さくあしらわれたリボンも、ユーの優しさと相まって本当によく似合っていて、とても可愛らしいと私は思う」

「そう……ですか。良かった……ありがとう」

 

 月並みの言葉しか言えない提督だが、それでもユーは嬉しそうで何度も自分の水着姿を鏡で見返している。

 これを機に、ユーも自分の気持ちをもう少し言葉にしてくれると助かるのだが、と心の中で感じつつ提督はイクやゴーヤ達の水着のお会計のためにカウンターへと向かっていった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ん~! スリングショットじゃなくて藍のビキニにしたのは少し残念だったけど、これはこれで可愛いから満足なのね~」

「当たり前でち。あんなので砂浜を歩いていたら逮捕されるでち」

「そう……なの?」

「あはは、まあ可能性はあるよね」

 

 鎮守府へ戻る帰り道の途中、四人は水着の入った袋を手にわいわいと談笑に興じている。

 それぞれ気に入った水着が見つかって良かったなどと思いながら、提督はその横をゆっくりと歩く。

 ふと右手に何かが触れるのを感じ視線を移すと、ユーがいつの間にか横に並んで歩いていた。その左手を提督の右手に触れさせたまま。

 

「今日はありがとう……です。この水着……宝物にします」

「お礼なんていいさ。私はいつも君たちに助けられているからな」

 

 本当にそう思っていなければ出せない提督の言葉の優しさに、ユーはどこか胸がきゅっとなるのを感じ困惑する。なんだろうこの気持ち。

 その気持ちの答えが分からないまま素直に想ったことを口に出してみる。

 

「こんなにドキドキしたの……初めてでした。楽しかった……です」

「そうか。きっとこれから先もたくさん楽しいことが待っているさ」

「そのときもみんなと……Admiralと一緒が……いいです」

「ああ……そうだな。私もそう願っている」

「うん……えとこういう気持ち日本語で……なんだっけ」

「む?」

 

 繋いだ右手をギュッと握り返したまま、ユーが『えっと』と頭を捻る。

 そうして、はっと何かを思い出したのかふわりと微笑んだまま言葉をかけてくる。

 

「大好き……ゆーはAdmiralのこと……大好きです」

「……そうか。私もユーの事が大好きだ」

 

 最近覚えたであろう言葉を嬉しそうに反芻しながら伝えてくるユーを微笑ましく思いながら、鎮守府への帰り道を手を繋ぎながらゆっくりと歩く。

 ふと視線を感じ、後ろを振り向くと今にも飛び掛かってきそうな三人と目線がかち合う。

 

「ちょっとちょっと! それどういう意味なの!? 提督! イクには!? イクにも大好きって言ってほしいの!」

「ユーのくせに提督と手を繋ぐなんて羨ま……生意気でち! よって左手はゴーヤのものでち!」

「ふーん? 提督ってば私にはそんなこと一言も言ってくれないのになー。ふーん」

「い、いや、別に深い意味では……」

 

 それぞれの言葉にあたふたと慌てる提督の姿を見ながら、ユーも一緒に楽しそうに笑う。

 

 夏の到来を感じさせる蒸し暑いとある日の午後。

 空には青い空と大きな入道雲が風に揺られてゆったりと動いている。時折吹く温かい風がそれぞれの髪を靡かせていく。

 

 夏はもう目の前だ。

 




 なお後日イムヤたちにばれてもう一度提督は同じ店に同行した模様。


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第二十三話 朝潮の疑問

 

「満潮はキスをしたことがありますか?」

 

 突然だった。

 対面に座る朝潮はまるで世間話をするかのようにさらりと問いを投げかけてきた。

 普段の真面目な朝潮からは考えられないその突然な質問に、満潮はスプーンで口に運びかけた里芋がころりと滑り落ちるのにも気づかず、ポカンと口をあけたままフリーズしている。

 

「……朝潮あんた熱でもあるんじゃないの」

「朝潮は至って健康ですが」

 

 自分のでこと朝潮のでこ両方に手を当てながら、満潮はとりあえず互いの体温を計ってみる。

 されるがままに、朝潮はむっと口をへの字に結んだまま二の腕に力こぶを作る仕草で自分の体調の良さをアピールしてくるが、綺麗な肌が見えるだけで何の説得力もない。

 別に体調不良による思考力低下が原因って訳でもなさそうね、と順調に間違った方向へと深刻そうに考え始める満潮をよそに朝潮は普段と別段変わらない様子で味噌汁を啜っている。

 

「それで、突然なんなのよ。その……キ、キスがどうとか」

「満潮はしたことがありますか?」

 

 雑誌やTVなどでよく目にする筈のキーワードを実際に口に出そうとするとなぜか気恥ずかしく、ごにょごにょっと濁してみたがそんな小細工は朝潮に通用せず、繰り返される問いに満潮が『うぐう』と塞ぎ込む。

 

「……ないわよ。ええございませんとも! 悪かったわね経験なくて!」

「いえ、別に謝る必要はありません。ただ知っているのなら少し聞いてみたくて」

 

 軍所属で鎮守府配属。そんな圧倒的に異性と知り合う機会のない現状、経験がないことは当たり前ではあるのだが、その事実を認めるのがどこか悔しく満潮は半ばヤケになりながら問いに答える。

 その様子に朝潮はさして落胆することもなく、そうですかと一言。

 なんだか自分だけ変に意識しているのが馬鹿らしく、反撃のつもりで朝潮にも同じ質問をぶつけてみるが、即答で『ないです』と返されてしまった。

 

「はあ。本当になんなのよもう。真面目な朝潮らしくないんじゃない? 何かあったの?」

「実は昨夜荒潮と映画を見ていたのですが、その中にそういうシーンがありまして」

「何を見てるのよ何を」

「荒潮おススメの恋愛ものだったのですが、そのシーンでの登場人物の二人の表情が本当に幸せそうだったので気になってしまって……やっぱり変ですか?」

「……別におかしくはないんじゃない? 実際そういう効果を狙って映画とかは作られてるわけだし。もちろんそれだけではないだろうけど、実際に朝潮がそういう気持ちになったってことは、それだけその映画の質が高かったってことなんじゃないの?」

 

 小鉢の中の里芋を転がしながら満潮は感じたことをそのまま口にする。その言葉に当の本人は納得したようなそうでないような判断に困る表情を浮かべていた。

 まあすぐに納得できるような疑問ならこんなに悩まないんでしょうけど、と内心で感じながら満潮は傍に置いてあった水の入ったコップを手に取り口をつける。

 

「では満潮はキスをしてみたいと思ったことはありませんか?」

「ぶふぁ! げほっごほっ!」

 

 とりあえず窮地は脱したかと満潮が肩の力を抜こうとしたところに追い打ちを掛けられ、盛大にむせる。

 元々疑問は解消するまでとことん突き詰める性格の朝潮だが、本日の彼女の好奇心はこの程度で尽きるものではないらしい。

 まるで荒潮にからかわれているときのような渋い表情をしながら満潮は口元をハンカチで拭っている。本当になんなのよもう。

 

「そんなの簡単に言えるわけないでしょ!」

「そうなんですか? 荒潮は『お互いが大切だと感じているなら自然に感じることよ~』と言っていましたが」

「それはおでことか頬とかにする話で朝潮が気になってるのは……その、口と口のやつでしょ」

「そうですが、何か違うのですか?」 

「一部の例外を除いて、そういったのは異性同士じゃないと成り立たないのよ。言葉で説明するのは難しいけどそういうものなの!」

「なるほど。では満潮にはキスがしたいと思える異性がまだいないということですか?」

「っ! そ……そうよ、当たり前じゃない!」

 

 言いながら、満潮は大袈裟に被りを振る。

 朝潮の問いにむくむくむくと勝手に浮かび上がってきた司令服の男性の姿を耳まで真っ赤に染めながら、慌てて掻き消すようにぶんぶんと両手を振っている満潮に朝潮が首を傾げる。

 彼女たちも思春期真っ盛り、年頃の女の子なのだから仕方ない。

 

「違う今のは違う……別にそういう意味で想像したわけじゃなくたまたま近くにいた異性が司令官だっただけで」

「満潮、大丈夫ですか?」

「……ええ。ごめんなさい、大丈夫よ。それで、朝潮は結局キスがしてみたいの?」

 

 どうにも要領を得なかった朝潮の態度にしびれを切らした満潮が本題とも言える問いを返す。その問いに朝潮は暫し黙考しながら小さく『分かりません』とだけ口にしてきた。

 その表情と言葉にはごまかしだとか羞恥とかそういうものはなく、本当に朝潮自身分かっていないのだろうと満潮に感じさせるぐらいの純粋さが含まれていた。

 

「今までそういう感情を抱いたことはありませんでした。そしてこれから先もないのだろうなと根拠も確信もなくぼんやりと思っていたのですが――」

「今はそうじゃない、と」

「――はい。どうしてかあの二人の姿が頭から離れてくれません。アレは映画の中での作り話だと理解はしているのですが……どうしてかこう胸の奥のモヤモヤが消えないんです」

 

 自分の胸に手を当てながらどうしてなんでしょう、と自問自答する朝潮に曖昧に言葉を返しながらも、満潮は内心で嬉しく思っていた。

 良くも悪くも朝潮はいつも真面目で、なんでも一人でやろうとする気質の持ち主だ。真面目で実直、常に努力を惜しまない姿は尊敬に値するが、どこか常に肩肘を張って生活しているように満潮は感じていた。

 だが、朝潮が今感じている疑問は任務でもなく仕事とも関係ない、普通の女の子が誰しも一度はぶち当たる思春期の壁みたいなもので、そんな朝潮の心境の変化が満潮には嬉しかった。

 それもこれもやっぱりこの鎮守府の仲間と、なによりアイツが司令官であるおかげなのかな、と満潮は滅多に見せない柔らかな微笑と共に最後の一つである里芋を口に収める。

 

「その疑問を解消するためには私たちだけの力では無理ね。圧倒的に経験値不足だわ」

「はい。お時間取らせてしまいすいませんでした」

 

 そのまま少し残念そうに話を終わらせようとする朝潮の言葉が終わる前に、満潮が口を挟む。

 先程までとは違い、どこか楽しそうな口調で。

 

「だから聞きに行くわよ」

「え?」

「私たちで駄目ならもっとそういう経験を積んでいそうな人たちに聞けばいいのよ。こんだけ人がいるんだから一人や二人いるでしょ」

 

 

 

(少々困ったことになりました)

 

 間宮食堂から少し西に歩いたところにある食事処鳳翔の店のカウンター内で、鳳翔は困惑していた。

 目の前にはどこか期待しているような眼差しを向けてくる駆逐艦の少女が二人。数分前に突然訪問してきた可愛らしいお客さんではあるのだが。

 

「えっと……キスをしたことがあるかどうかの質問でしたよね」

「はい! いつも優しく大人なお母さん……間違えました鳳翔さんならきっと知っていると思いまして!」

「私からも是非お願いするわ」

「え、ええと」

 

 先程の問いは何かの聞き間違いかと再度聞き返してみるが残念なことに合ってしまっていた。

 鳳翔としてもできることならば彼女たちの疑問に答えてあげたいという気持ちで一杯なのだが、如何せん質問の相性が悪すぎた。

 

(どうしましょう……やはりこの年でキスの経験がないというのはおかしいのでしょうか)

 

 キラキラと飛ばされる期待の光線にあらあらと頬に手を添えたまま内心で戸惑う。

 鳳翔自身にそういった経験が皆無だったのだ。ここの鎮守府に着任するまでは空母指導教官として任務に没頭していたしそのような感情に身を委ねている余裕はなかった。そもそも男性にそういった感情を持ったことがなかったため一般論として気にはなっても相手がいなかったというのが正直なところ。

 なので、手にメモとペンを持った朝潮とそわそわとしている満潮にどう答えたものかと悩んでしまっている訳である。

 

「鳳翔さん、なにか悩んでいますね」

「きっと私たちの想像も及ばないような大人な経験をしてきている鳳翔さんだから、どの話をしようか悩んでいるのよ」

「なるほど。流石は鳳翔さんです」

 

 何も言っていない筈なのにいつの間にか経験豊富な女性にされてしまっています、と鳳翔は眉尻を下げながら、もしかして鎮守府での共通見解なのでしょうかと心配そうに首を傾げている。

 普段の落ち着いた物腰や言動からよく誤解されやすい彼女だが、少し上なだけで大して他の皆と変わらない筈なのにと、密かに鳳翔の悩みの種だった。

 

「あいしているよじょせふぃーぬ。んー」

「わたしもよへれん。んー」

「止めましょう」

「わー」

「きゃー」

 

 隣でこれ見よがしにお遊戯会のようなキスシーンを再現している妖精さんの間に鳳翔がすっと手を入れて打ち切りにしている。その手に摑まりながらなおも引き裂かれた二人を熱演する妖精さんは今日も楽しそうだ。

 その様子に毒気を抜かれたのかやはり見栄を張ってもダメですね、と鳳翔は悩むのをやめ正直に話すことを決意する。

 

「朝潮さん、満潮さんごめんなさい。実は私もそういった経験がほとんどないので、納得のいく答えを用意することができないんです」

「そうなんですか」

「意外……いや、身持ちの固そうな鳳翔さんだからこそなのかしら」

「お役に立てなくてごめんなさいね」

 

 期待に応えられないのには申し訳ないが、ここは正直に話すのが彼女たちにとっても一番であるように鳳翔は考えていた。

 二人は今、女の子として成長する一つの大きな転換期を迎えようとしている。そこで得た経験や知識は後々の彼女たちを形成する多大な要素になるだろう。その多感な時期の純粋な疑問のアドバイザーとして自分を選んでくれたのなら、正直に返答するのが礼儀であり、少し先を経験している女性としての役割なのだと。

 

「そんなことないです。なぜか分からないですけど、鳳翔さんの女性としての気配りや魅力を改めて教えて頂いたような気がします」

「そうね。何か心に感じるものが確かにあったわ」

 

 鳳翔の思い遣りが届いたのか二人は気落ちした様子は全くなく、むしろ納得したといった表情でお礼を告げている。

 これなら大丈夫。きっと二人は魅力的な女性になるでしょうと鳳翔も普段通りの穏やかな表情へと戻っていた。

 と、ここで話が終わればいい話だったで解決していたのだが、今や好奇心の塊となっている朝潮がここで大人しく帰るはずもなく『では』ともう一つ質問を放り投げる。

 そう、先程満潮にしたのとほぼ同じような内容のソレを。

 

「鳳翔さんには今、そういった行為をしたいと思える異性の方がいますか?」

「え、えと、それはその……いないと言えば嘘になるというか……何と言いますか」

 

 またしても困惑させてしまったかと満潮は即座に謝りそうになるが、そこで鳳翔の表情が先程とは違うことに初めて気付く。あまり他人の心の機微というものを察するのが得意ではない満潮でもその鳳翔の変化には一目で感付くことができた。

 羞恥と困惑。

 おそらく半々と言ったところか、困ったような表情は先程と同じだが頬は明らかに桜色で言葉もどこか曖昧だ。瞳も少し熱を帯びて、時折誰かを思い出すようにして『いけません』と手の平で顔を覆っている。

 満潮はその光景を見ながら思っていた――これがさっきの私か、と。

 

「鳳翔さんには気になっている人がいるのね」

「……はい」

 

 満潮の予想に鳳翔は『やっぱりこういうのは恥ずかしいですね』と上気した頬を抑えながら、それでも確かに肯定の言葉を紡いでくる。

 その反応にこれが大人の女性か、と満潮は自分との差に少し気落ちする。自分の心を素直に口に出せる鳳翔にはそれだけの人生経験が詰まっているようで少しだけ悔しかった。

 

「そうですか。鳳翔さんにはいるのですか」

「とは言っても私の一方的な片思いですけどね」

 

 キラキラとした瞳のままで呟く朝潮に鳳翔は少し寂しそうに言葉を返している。

 しかし鳳翔さんのように優しく気配りができて料理上手な女性の想いに気が付いていないその男とやらは相当見る目がないらしい。もしくは極度の鈍感男か、と満潮は効果のない怨念をその男に送ってみる。

 

「その人のこと、聞いてもいいですか?」

「そうですね……優しい人、それでいてこちらが心配になってしまうぐらい実直な人、ですね」

「真面目すぎるのも考えもの、というやつですね」

「アンタがそれを言っちゃう?」

「ふふっ。それなのに気持ちを言葉にするのが凄く下手で……でもそれでもあの人なりにいつも懸命に想いを伝えようとしてくれて……そんな思い遣りに溢れた人ですよ」

「思い遣りに溢れた……凄く魅力的な人なのですね」

「なんだかどっかの誰かに似てる気がするわね」

 

 話を聞きながらぼんやりと浮かんできた人物と重ね合わせながら、満潮がぶつぶつと一人呟いている。

 その姿を横目に、朝潮は満足した様子で鳳翔に深々と礼を重ねている。『他の人には内緒でお願いしますね』とどこかお茶目な表情を見せる鳳翔に朝潮は約束の指切りを交わす。

 店の扉の前で最後にお辞儀を返してくる二人を見送ったあと鳳翔はふうと溜息を一つ。

 ふと嫌な視線を感じ振り向くと、そこにニヤニヤと笑いながら妖精さんが二人、さっきの演劇をしていた彼女たちだ。

 

「ふむふむやはりほうしょうさんはていとくさんのことが……むふふ」

「さっきのほうしょうさんのかお、まるでこいするおとめのようでごちそうさまでしたはい」

「…………」

「でもていとくさんにはらいばるがいっぱいです」

「これはもじどおりひとはだぬいでみるというのは」

「……どうやら二人は今日のデザートはいらないようですね」

「はいすいませんちょうしにのりましたほんとうにごめんなさい」

「それだけはそれだけはごかんべんをなにとぞ」

 

 そのまま耳まで真っ赤にしながらすたすたと厨房に歩いていってしまう鳳翔を二人の妖精さんが必死に追いかけている。

 周りでは言わなくてよかった、と密かに他の妖精さんが胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

「それでどう? 少しは疑問が晴れた?」

「はい。全部とは言いませんが少し胸の支えがとれたように感じます。やっぱり鳳翔さんは凄いです」

「そうね。私も見習いたいところが沢山あったわ」

 

 食事処鳳翔を出た二人はそんな会話を広げながら、あてもなくぶらぶらと鎮守府の廊下を歩いていた。

 どうやら朝潮の疑問が少し解消されたようで、そのことに満潮も心の中で安堵する。彼女自身にも感じるところはあったし、鳳翔のところに行ったのは正解だったようだ。

 

「で、どうするの? 今日は非番だし時間はまだあるけど」

「そうですね。折角なのでもう少し他の人の意見が聞いてみたいです」

「それならもう手当たり次第行ってみるわよ」

 

 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる戦法に二人は良しと頷く。

 そこからはもう本当に滅茶苦茶だった。

 

「き、キスなんてそんな! 私には経験なんて」

「あら~? 高雄、そんなに顔を赤くして誰か想像しているのかしら? やらし~」

「ななな! そんなこと言って愛宕だってそんな経験ないんでしょう!? どうなの!?」

「ぱ、ぱんぱかぱーん」

 

「あらあら、二人ともそんなことが気になるお年頃なのね。お姉さんが教えてあげてもいいけど生憎今までいい男がいなくて……まあ今は一人いるけど。長門はどう?」

「な、なぜ私に……いや別に動揺している訳ではなくこのビッグセブンたる私がそんな浮付いた考えでいては示しがつかないというか」

「あら? じゃあ長門の部屋にある巨大提督君人形は――」

「ふんっ!」

「――いった!? ちょっと急に正拳突きはやめなさいよ!」

「うるさい! いらん口を開く陸奥が悪いのだ!」

 

「ワタシはテイトクならいつでもウェルカムデース! ていうかもっと構ってほしいデース!」

「キス、ですか。榛名にもそんな場面が訪れるでしょうか」

「大丈夫デース。毎晩テイトクの写真におやすみしている榛名には朝飯前ネー」

「わわっ! 金剛お姉さまなんで知って……って少し拗ねていらっしゃいます?」

「むー! 別に拗ねてなんかないヨー!」

 

「キス……そんな幸せそうな行為が私なんかに来るわけが……はあ、空はあんなに青いのに」

「お姉さま! 扶桑お姉さましっかりしてください!」

「どうしたの山城。ほら空はあんなに青いのだから私は大丈夫」

「上はただの壁ですよ! ああお姉さまが不幸のあまりどこかの花園へ逝ってしまわれてる! 仕方ないこうなったら奥の手です! 扶桑お姉さま、提督の写真です」

「まあ、提督を見ているとこんな私でも少し幸せな気持ちになれるわ。ありがとう山城」

「よかった……還ってきてくれた」

 

「キスだって大井っちー。なんだかそう言われると少し恥ずかしいなー」

「私は別に北上さんがいればそれで」

「あれー? 大井っち目が泳いでるよー。あ、さては提督を想像したなー」

「な!? そんなわけないですよ! なんで私があんな奴とき、キスなんてしなくちゃいけないのよ……」

「あはは、実は私は何回か想像したことあるよー。うわーやっぱり恥ずかしいやー」

「き、北上さんしっかりして下さい北上さん!」

 

「したいっぽいー! 夕立提督さんとちゅーしたいっぽいー!」

「お、落ち着いて夕立。駄目だよこんな場所でそんな大きな声で」

「時雨は提督さんとちゅーしたくないっぽい?」

「いや僕は……今はこれで幸せだからそれはまだ、ね」

「むー! やっぱり時雨前の秘書艦の日からどこか余裕に見える! こうなったら時雨の机とベッドを徹底的に調べるっぽい!」

「あ、や! だ、駄目だよそんなことしたら写真が!」

「やっぱり何か隠してるっぽい! 吐きなさい~」

「ひゃん! や、止めて夕立! そこは弱いんひゃう!」

 

「……いろいろ聞いて回ったはいいけど」

「全く参考になりませんでした」

 

 手に持ったメモ帳を広げながら、ばっさりと悲しい言葉を口にする朝潮に満潮がげんなりとした顔を向ける。

 まあ、ここでは異性と言えば司令官ぐらいなので、キスの相手に彼を想像するのはある意味で仕方ないのかもしれないが、それでも満潮は少し気に食わないのか憮然とした表情を浮かべている。

 

「結局、参考になったのは最初の鳳翔さんの話だけね」

「はい、でも楽しい話が出来て朝潮は嬉しかったです。満潮、今日は本当にありがとうございました」

「お礼なんていらないわよ。こんなことなら別にいつでも付き合ってあげるわ」

 

 気恥ずかしさからか素っ気ない態度になる満潮だが、慣れている朝潮には関係ない。素直に満潮の気持ちに感謝しつつ改めてお礼を告げる。

 

「なんだか歩き回って少し疲れたわ。今日はこの辺にしといたら?」

「はい。朝潮は最後に、一番信頼している異性である司令官に実践をお願いしに行こうと思います!」

「はいはい頑張ってね」

 

 流石に歩き通しで疲れた満潮は朝潮の言葉をよく理解もせず、適当にひらひらと手を振って別れる。

 その瞳に期待の光を宿しながら駆けていく朝潮をぼーっと眺めながら、見えなくなるのを確認し部屋に戻って一眠りでもするかとそこまで考えて、満潮の足が止まる。

 そのままゆっくりと振り返り、吹き出てくる冷や汗と共に辛うじて一言だけ口から言葉が漏れた。

 

「…………は?」

 

 その後、朝潮にキスをお願いされた司令官が最終的に断腸の思いで『でこ』にそっと唇を触れさせたという話が瞬く間に鎮守府中を駆け巡り、かなりの数の艦娘が修羅と化したとかなんとか。

 

 ちなみに朝潮はそれ以降少し女の子らしくなったそうである。

 



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第二十四話 木曾の好奇心

 

 夜が白々と明け始めようとしている午前四時半。

 鎮守府の片隅にひっそりと建っている柔道畳が敷かれた修練場、その中心に提督は立っていた。

 

「…………」

 

 瞼は閉じられ、両腕を下に伸ばしたまま交差させた状態で微動だにしない。服装もいつもの司令服ではなく、使い古された道着に黒の帯を腰に巻いている。

 

 ――静寂。

 

 まるでそこだけ時が止まったかのように錯覚させるほどのピンと張り詰めた空気の中で、提督は静かにふっと小さく息を吐く――瞬間、提督の身体がゆらりとゆれた。

 否、ただ動いただけだった。右手、左手、右足、左足――身体全体を使って、流れるような体捌きを繰り返す。

 決して速いわけでも激しいわけでもないが、気が付けば別の場所へ移動している。それほどまでに滑らか且つ自然な動きだった。

 

「…………ふう」

 

 時間にして約十分。たったそれだけであるのに、提督の額からは玉のような汗が流れていた。極度の集中とイマジネーションによる緊張からくる必然的な現象だが、提督は『まだまだ鍛錬が足りんな』と再度集中しようと瞳を瞑る。

 一人演武――これは提督が着任当初から自主的に行っている早朝鍛錬で、主に集中力強化を目的としている。毎日の執務や艦隊指揮には相応の集中力が必要であり、週に何度かここでひっそりと行っているのだ。

 

「今日はまだ時間に余裕があるな」

 

 今朝はなぜかいつもよりかなり早く目が覚めたせいで、執務にはまだ時間がある。ならばもう一度、と提督は静かに動きを作り始める。

 その様子を少し離れた扉の隙間から一人の少女が食い入るように眺めていることに気付かないまま。

 

「……凄え」

 

 緑がかったミドルロングの黒髪に水色のラインが入ったセーラー服、右目には眼帯を付けた少女――球磨型軽巡洋艦五番艦の木曾は少し興奮した面持ちで言葉を漏らしていた。

 傍から見れば完全に覗きをする不審者だが、そんなことよりもと視線は提督に釘付けだ。

 

「やっぱり何回見ても凄いな。あんな動きどうやったらできるんだ」

 

 先程と同じように演武を行っている提督を目で追いながら、木曾は初めてそれを見た時と同じ衝撃を受けていた。

 遡ること一か月前、たまたまお手洗いのため早くに目が覚めた木曾は廊下の窓から道着を持ったままどこかに行こうとする提督を見つけ、好奇心のままその後を追い、その時初めて目の前の光景を知ったのだ。

 その時の衝撃が忘れられず、今もこうやってこっそりと見に来ているという訳なのだ。

 

「こうやって見ると提督やっぱカッコいいよな。けどかなり集中してるし、俺が声かけても迷惑になるだけだよなあ」

 

 言いながら、右手に握られた真っ白な道着と帯の存在に小さく溜息をつく。

 意気揚々と休みの日に道着を買いに行ったまではいいが、いざ提督に声を掛けに行こうとなると邪魔になるのではと躊躇してしまってそのまま今日に至る。普段はもっと堂々としている木曾なだけに、思い悩む今の彼女の姿は珍しい光景と言えた。

 

「ふむふむ。つまり木曾は提督に手取り足取りあんなことやこんなことを教えてもらうつもりなんだクマ?」

「そして提督との秘密を二人で共有しようって腹だにゃ?」

「まあそうなればいいなって……うわあ! 球磨姉多摩姉いつの間に!?」

「ふふん。最近木曾がやけに早起きだったから気になってつけてみたら案の定だったクマ」

「こんな美味しそうな光景を独り占めだなんて木曾も強欲だにゃ」

 

 突然現れた姉二人に木曾が目を白黒させているのを余所に、パジャマ姿の球磨と多摩がその上から修練場の中を覗き込む。そのまま『なにクマあの動きは!?』『提督が一瞬二人に見えるにゃ!』などと歓声を上げていた。

 

「はあ、普段の穏やかな表情もいいけど、真剣な表情もやっぱり堪らんクマ」

「これがギャップ萌えってやつかにゃ」

「お、おい、あんまり大きな声出すなよ。提督が気付いたら邪魔になるだろ」

「クマクマ~? 木曾は元から提督とくんずほぐれつするためにここで覗きをしてたのにそんなこと言うクマ?」

「な!? そ、そんなわけないだろ!」

「じゃあその右手に大切そうに持っている新品の道着はなんにゃ?」

「こ、これは…………俺の新しいファッションだ」

 

 名案閃いたとばかりに道着を突き出してくる末っ子に二人の視線が生暖かいものに変わる。普段はクールだの冷静だの言われている木曾だが、姉達からしたら失笑ものだ。煽り耐性がないためすぐに焦り始める木曾はいつも姉達の暇潰しの恰好の的にされる。

 

「ならこれから外を歩くときは常に道着クマか。ある意味かなり男らしくて姉ちゃん少し困るクマ」

「そのファッションセンスに脱帽にゃ。写真撮ってファッション誌に送るにゃ」

「あーもう分かったよ正直に話せばいいんだろ! そうだよ、あわよくば提督と親密になって普段できない趣味とかそんな話ができる関係になって休日に一緒に買い物にいければなとか思ってたよ! 下心満載ですいませんね!」

 

 半ばやけになりながらそこまで言い放つ木曾に、球磨と多摩はポカンと口を空けたまま言葉を失う。少しからかってやろうとしただけなのに末っ子自ら自爆とはやはり木曾である。

 

「……そこまで下心があったとは思ってなかったクマ。てっきり興味を惹かれただけかと」

「なんかごめんだにゃ。木曾の乙女心を踏み躙ってしまったにゃ」

「~~~~~~っ!」

 

 足のつま先から頭のてっぺんまで綺麗な桜色に染めながら涙目で木曾は身悶えている。

 いつもいつもこの破天荒な姉たちに振り回されてばっかりの木曾だが、流石に堪忍袋の尾が限界を迎えたのか反撃の狼煙を上げる。

 

「なんだよ! 球磨姉だってこの前休みの日に提督と釣りに行って顔真っ赤にしながら帰ってきただろ!」

「うお"ーっ! その話は止めるクマー!」

「多摩姉こそ前回の秘書艦の日、仕事もせず一日中提督の膝の上で寝てたらしいじゃないか!」

「うにゃ!? なんでそのことを木曾が知ってるにゃ!?」

「全部青葉に聞いた」

『アオバーー!!』

 

 今にも実体化した怨念を某重巡洋艦の少女へ送り込みそうな姉達と共にあれやこれやと騒いでいると、ガラリと後ろの扉が開く音。

 その開け放たれた扉から出てきた人物は、目の前の状況をいまいち理解できていない様子で額の汗をタオルで拭っている。

 そのままなぜかジトっとした視線を送ってくる三人に一言。

 

「……こんなところで君たちは何をしているのだね?」

 

 

 

「ふむ。自身の精神力向上のためにこんな早朝にまで鍛錬方法を探していたのか。本当に木曾の自己に対する厳しい姿勢は尊敬に値するよ」

「いやその……ただの好奇心というか下心というか」

「そのために道着まで用意するとは、私も見習わなければならないな」

「う、うぐう」

 

 提督に促され入った修練場の畳に座りながら、木曾は罪悪感にちくちくと心を苛まれていた。決して下心だけでここに来ていたのではなく、集中力云々の話も事実考えていたのだが真面目な木曾には贖罪のカケラにもなりそうにない。

 横では球磨と多摩が二人のやり取りにゲラゲラと笑い転げている。妹をフォローするという優しい心なぞ露ほども持ち合わせてはいないらしい。

 

「球磨と多摩は何をそんなに笑っているのだ?」

「はひー。いや気にしないでほしいクマ。こっちの話クマ」

「それよりも提督、木曾の道着姿に何か思うところはないのかにゃ?」

「……ふむ」

 

 多摩の言葉に提督は今一度木曾へと振り返る。その姿は先程までのセーラー服ではなく、上下とも真新しい道着へと変わっていた。

 綺麗なミドルロングの髪を指で弄りつつ口を尖らせながら『あんまりじっくり見るなよ』と呟くが、顎に手を当てながら真剣に木曾の全体を眺める提督には聞こえていない。こんなときまで真面目な提督に木曾の心臓が激しくビートを刻む。

 

「普通道着を着始めた頃は着られている感が強く違和感があることが多いのだが」

「やっぱ似合わないか?」

「いや、逆にそういった違和感が全くない。見事な着こなしだ、私なんかよりよほど似合っている」

「そうか……なら、それだけでも買ってよかった」

 

 提督は嘘を吐かない。それは仕事中でもプライベートでも、だ。当然言葉は濁すがこういった時本当に似合ってなければ提督が適当に褒めるということは決してない。

 そのことを知っているからこそ、木曾は今の提督の言葉をはにかみながら心の中で喜びを噛み締めていた。

 

「我が妹ながら外見だけはイケてるからクマ」

「黙っていれば最高にイケメンなのにゃ」

「聞こえてるぞ、パジャマ着共」

 

 畳の上に全身をだらりと投げ出しながら、だらしない恰好の姉二人の妬みの波動をさらりと受け流す。

 提督のお墨付きという援護射撃を貰った今の木曾には余裕の表情さえ生まれている。ならば仕方ないと二人は提督の方へとごろりと向き直る。よほど畳が気に入ったのかだらりとした恰好のままで。

 

「それで、提督は木曾にその一人演武とやらを教えるつもりクマ?」

「正直に言って、それは難しいな」

「それまたなんでにゃ?」

 

 多摩の疑問に提督は言葉を続ける。

 

「実際私も武術こそ幼い頃から父親に教えられてきたとはいえ、この演武にしてもほぼ独学に近い。私自身が集中力を高めるために昔から行っている拙いものでとても人に教えられる代物ではないのだ」

「難しいものなのかにゃ?」

「演武とは元々、基本的な動作を身体に染み込ませた上で行うものだからな。単純に集中力を高めたいだけなら演武じゃなくてもいいだろう」

「でも提督は続けてるクマ。なんでそこまでするクマ?」

「君たちが命を懸けて戦っているときに指揮する私の集中力が保ちませんでしたでは話にならないだろう。ただの凡人な私にできる数少ない小さなことがこれだっただけだよ」

「拙いって……アレでか」

 

 提督の断りに木曾は落胆ではなく驚きの表情を浮かべていた――いや、落胆するレベルまで自分が追いついていなかったと言った方が正しいか。

 武術の心得がない木曾にすら美しいと思わせる動作一つ一つを目の前の提督は拙い独学のものと言った。

 決して武術の才能があったわけでも身体能力に優れていたわけでもないだろう、高名な武術者のもとで修業を受けたわけでもない。そんな余分な要素を全て削ぎ落とした上で木曾の心に純粋に残った要素それが――時間。

 おそらく何年も何十年も掛けて、少しずつ手探りで進みながら提督はその膨大な時間をたった十分の動きへと昇華させたのだ。

 

「なんか悪い。提督」

「ぬ? なぜ謝るのだ」

「いや、武術のことなんか何も考えずにただ好奇心だけで来ちまった自分が恥ずかしくて。……はは、俺ってホント馬鹿野郎だな」

「そんなことはない。そんなことは決してないぞ木曾」

 

 自嘲した様子と擦れた声で自分の行動を悔いているのだろう木曾の肩を提督が正面からがっと掴む。その提督らしからぬ行動に木曾の口から『ふえっ!?』と天然記念物並の可愛らしい言葉が漏れるのを球磨と多摩がどこから取り出したのか、すかさずレコーダーで録音に成功する。

 そんなことには目もくれず提督は言葉を続ける。

 

「誰でもきっかけは小さな好奇心からだ。そこに大層な理由などいらない。今回はたまたま趣旨に向いていなかったというだけで決して木曾の申し出を無碍にしたわけではないのだ。事実、私は木曾が道着を持ってここに来てくれたことを嬉しく思っている」

「……提督」

「だから自分を責める必要はない。木曾のその気持ちは誇りこそすれ、決して責められるようなものではないのだから」

 

 最後にぽんぽんと頭の上に手を置いてくる提督に木曾は『やっぱ敵わねえなあ』と心の中で思いながら身体を預ける。少し慌てながらもしっかりと受け止めてくれる提督の温かさに触れながら。

 

「さっきから木曾ばっかりズルいクマ! 球磨もなでなでを所望するクマー!」

「提督の膝の上は多摩の特等席にゃ! そこだけは譲れないにゃ!」

 

 その様子に口をへの字にした球磨と多摩が二人を引き裂くように勢いよく飛び込んでいく。憤りの理由が全く意味不明だったがいつものことだと木曾は気にも留めていない。

 そのまま畳に転がるように四人は身体を投げ出した。

 

「それで結局木曾の道着は本来の用途には使われずファッション誌行きになるのかにゃ?」

「そうだな、折角なのに使わないというのもな……ファッション誌?」

「いいから! 提督もそこ食付かなくていいから!」

 

 むくりと起き上がった提督の膝の上でいそいそと丸くなる多摩の口を木曾が慌てて押さえている。その横で相変わらず女性の会話には疑問符ばかりの提督の右手を強引に自分の頭にのせながら球磨がそれならと口を開く。

 

「組手ならどうクマ?」

「組手か……ふむ」

 

 球磨の提案に提督がまた思案顔へと逆戻り。だが今回は検討の余地あり、という前向きな表情が見てとれた。

 組手、という言葉には木曾も聞き覚えがあった。というより艦娘であるが軍所属であるため何度か海軍学校の授業の助っ人として組手を経験したこともあるのだ。

 

「でも組手ってお互いの力量が同じくらいじゃないと成り立たないんじゃないのかにゃ? 提督と木曾じゃ瞬殺もいいところにゃ」

「まあ一概にそれだけが組手ではないのだが」

 

 多摩の言葉に木曾の頬がヒクっと引き攣る。

 

「木曾があまりにもへぼすぎて提督の時間の無駄かクマ。提案して悪かったクマ」

 

 球磨の言葉に更に木曾の口角が上がる。

 

「いや、私も手加減を知らないわけではない。もちろん木曾が怪我をしないように配慮はするが」

 

 そんな提督の言葉を最後に木曾の中で何かがプツンと切れる音がした。そのまま『へへへ』と不気味な笑いを発したかと思うと、突然提督を指差して高らかに言葉を言い放ち始めた。

 

「さっきから聞いてれば人のことを瞬殺だのへぼだの言いたい放題言いやがって! 俺だって本気になれば提督を組み伏せるぐらいできるぜ!」

「ほう? なんだか自信満々クマね?」

「そこまで言うなら一つ賭けをしないかにゃ?」

「ああいいぜ! ここまで言われて黙ってるわけにはいかねえ! その話のってやる!」

 

 売り言葉に買い言葉と感情に任せた言動を続ける木曾に姉二人はニヤリと笑う。

 隣では当事者であるはずの提督が『私の意見は考慮されないのか』と一人困惑しているが関係ないと三人は話を進めていく。

 

「ならまずは木曾の要求を聞くクマ」

「提督の背中を一回でも地面につけたら木曾の勝ちだにゃ。その時は提督が男らしく木曾の要求を飲んでくれるにゃ」

「本当になんでもいいのか?」

「提督も男だクマ。男に二言はないクマ」

「ならもし俺が勝ったら……次の休みにい、一緒に服を買いにいきたいんだが……いいか?」

 

 なぜか少し頬を染めながら、木曾らしくないはっきりしない言葉で要求を投げかけてくる。

 全て言っているのは球磨のはずなのに、なぜか有無を言わさぬ無言の圧力が提督を襲っていた。ここで断れば提督としてだけではなく、男としての尊厳やら何やらまで失ってしまう、そんな気がしてならなかった。

 

「分かった。その時は喜んで同行させてもらおう」

「本当か!」

「ああ。約束しよう」

 

 まだ勝負を始めてすらいないのにガッツポーズを作っている木曾をニヤニヤと眺めながら、球磨と多摩がそれではこっちの要求をと口を開く。

 

 ――制限時間内に提督が木曾の攻撃を受け切った場合、その後の執務は明石屋謹製の『メイド服』で行ってもらうと、そんな要求を。

 

 予想もしていなかった二人の要求に木曾の顔から大量の汗が溢れ出る。

 

「ちょ、ちょっと待てよ、そんな要求飲めるはずが」

「おやおや? あれだけ大見得張って担架切った木曾さんがこれくらいのリスクも背負えないなんて言わないクマね?」

「ちなみにその間、提督の呼び方は『ご主人様』で統一するにゃ」

「うぐぐ……」

 

 いかにも楽しんでますという表情の二人に涙目になりながら、木曾は苦悶の表情を隠せない。

 冗談じゃない。あんなふりふりの恰好で今日の秘書艦業務を提督と二人っきりなんて考えただけで羞恥で死ねる。よりによって絶対似合わないメイド服なんて何考えてんだあのバカ姉は。青葉に写真なんて撮られた日には一週間は引きこもれる自信がある。

 そこまで考えてなお、木曾は前に踏み出そうとしていた。

 

(だって提督は二つ返事で俺の要求を飲んでくれたじゃないか)

 

 こんな時に持ち前の男らしさ(女だが)を発揮してしまう木曾はやっぱり木曾である。

 そのまま堂々とした姿勢で姉達二人に了承の意を返す。要は勝てばいいのだ。そんなある意味楽観的とも言える感情は次の多摩の指摘であっさりと崩れ去る。

 

「提督、分かってると思うけど情けや手加減は無しにゃ。それじゃ意味ないにゃ」

「分かっている。木曾のその決意しかと見届けた。私も持てる全てで迎え撃とう」

「あ……はは」

 

 こんなときまで大真面目な提督に木曾が乾いた笑いを漏らす。

 ああもうどうにでもなれ。

 

「それじゃあ制限時間は十五分クマ。始めるクマ!」

「ええいままよ!」

 

 号令と共に木曾は駆ける。相対する提督は静かにすっと構えをとる。

 その表情はどことなく嬉しそうで、どこか楽しそうな、そんな風に見えた。

 

 

 

「お、お茶が入った……入りました。ごごご、ごしゅ……ご主人様」

「…………うむ。ありがとう木曾」

「だあー! やっぱ無理! こんなの恥ずかしくて死ぬ!」

「き、気持ちは分かるが壁に頭をぶつけるのはやめたまえ。怪我をしてしまう」

 

 身体にメイド服、頭にフリルのついたカチューシャ、手には白い羽根つきの手袋を身に纏った木曾が入れてくれたお茶を啜りながら提督が今日何回目かの気遣いを向ける。

 木曾は結局負けた。それはもう完膚なきまでに。

 

「結局勝負には負けるし球磨姉たちには死ぬほど笑われるし……まあ全部自業自得だけど」

「そのなんだ、すまないな」

「提督が謝る必要はないぜ。それになんだかんだ言って最後の組手は楽しかったしな」

「うむ。手に汗握る実にいい攻撃だった」

「よく言うぜ。全部交わされるか受け流されるか、やっと道着を掴んだと思ったら気が付けば身体が宙に浮いてるし。しかも地面に叩き付けられる前に優しく背中を支えられるとかもう」

 

 そこまで言いながら、色々と提督と身体を密着させていたことを思い出しむぐっと口を紡ぐ。提督といると冷静でいられなくなくなるから困ると近くに置いてあった自分用の水をぐいっと飲む。

 

「しかしあれで良かったのか? 木曾は集中力を高める何かを探していたんだろう?」

「そうだけど、ある意味目的は達成できたからこれはこれでいいさ」

 

 空になったコップへ水差しから水を注ぎながら、木曾は笑う。

 提督とこうやって他愛もない話をできるような話のタネを見つけることができた、それだけでも十分すぎる進歩だと木曾は満足する。

 

「まあ木曾が納得しているならそれでいい。もう何も言うまい」

「ああ、そうしてくれると助かる」

「それより、もう球磨も多摩もいないのだから、無理してその服を着ている必要はない。着替えたいなら着替えてきたまえ」

「いや、そうしたいのはやまやまなんだが……それだとなんか負けたみたいで悔しくて」

「木曾は律儀だな」

「てい……ご主人様ほどではないですーだ!」

 

 敬語なのかどうなのか微妙な言葉遣いで下をベーと出してくる木曾に提督は苦笑する。こういう機会でもなければ見ることができなかった彼女の新しい一面を知ることができ提督としても嬉しい限りであった。なるほど木曾は意外とユーモアに溢れているのだな、などと一人勝手に頷いている。

 

「まあ約束は約束だしな。提督にも見苦しいもの見せて心苦しいが今日だけ付き合ってくれ」

「む? 私は木曾が嫌そうだから着替えを提案しただけで決して見苦しいなどとは思っていないが」

「…………え?」

「メイド服とやらにどのような付属効果があるのかは分からないが、白を基調としたそのデザインも可愛らしくあしらわれたそのフリルも清潔感溢れる木曾によく似合っている。上手く言葉にできないが、その服は木曾の魅力をしっかりと引き立たせていると思うが」

「わ、分かったもう十分だ! それ以上は止めてくれ!」

「ぬ、すまない。少しデリカシーに欠けていたようだ。本当に申し訳ない」

「いや別に嫌だったわけじゃなくてむしろ嬉しかったんだが……う~もう着替えてくる!」

 

 顔を両手で隠したまま木曾はバタンと執務室を出て行ってしまう。

 目の前に誰も居なくなってしまったことと、失言してしまったかという悩みに頬を掻きながら提督は後日お詫びに木曾の買い物に付き合おうとスケジュールを埋めていく。

 

 その後、着替えて帰ってきた木曾にしばらくつーんとそっぽを向かれて、その夜提督が女性の扱いを鳳翔のところに相談しに行ったのは別のお話。

 




 なんだか木曾のキャラがぶれているような?
 まあいいか(適当


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第二十五話 一航戦と五航戦

「むう……」

 

 提督は困っていた。

 右手には一枚の紙。左上に出撃報告書と書かれたそれの中心には今回の出撃メンバーの一覧表。その一番上にある『加賀』の名前の横には赤字でMVPと達筆で書かれている。

 今日は執務も遠征指揮も出撃指揮も滞りなく、最後に出撃を終えた艦隊を出迎え執務室で本日の旗艦である加賀の報告を聞いて、最後に目の前の書類に判を押してそれで終了。

 そうなる筈だったのだが――

 

「瑞鶴、あなた今日の出撃に何か思うところはなくて?」

「あら? 加賀さんこそ私に言うべき言葉があるんじゃないの?」

「言うべき言葉? MVP欲しさに勝手に暴走して派手に中破しかけたどこぞの五航戦なんかにかけてあげる言葉はないわ」

「だから! これは旗艦である加賀さんを庇ったから被弾したんです! それがなければ瑞鶴がMVPだったんだから感謝の一言ぐらいあってもいいんじゃないの!?」

「別にあの程度、庇ってもらうまでもなく避けることは容易だったわ。自分の失態を棚上げして他人のせいにするとは……やれやれ、やはり五航戦は五航戦ですね」

「むぐぐ! いつもいつも五航戦五航戦って馬鹿にして! そんな捻くれた性格してるから『一航戦の頼りづらい方』なんて揶揄されるんですよ! この鉄面皮!」

「……なんですって?」

「なによ!」

 

 ――どういうことか提督の目の前では加賀と瑞鶴が互いに激しく言い争っていた。

 と言うのも、普通にいつも通り艦隊を出迎え、旗艦である加賀には報告のため執務室に出向いてもらったのだが、出撃中に一悶着あったのか随伴艦だった瑞鶴と言い争っている内に二人一緒にここまできてしまった、という流れである。

 

「すいません提督、赤城さん。またうちの瑞鶴が……もう」

「いや、翔鶴が謝る必要はないぞ」

 

 提督の右隣では本日の秘書艦であった翔鶴が胃の痛そうな顔で謝罪の言葉を挟んでいる。いつも明るく元気な妹の瑞鶴とは違い、性格は穏やかで気配りの出来る人物なのだが、その分気苦労は絶えないらしい。まあそれでも本人は姉である自分の役目と屈託のない笑顔で言うのだから姉妹仲は良いのだろう。

 提督としてはそのまま加賀とも仲良くしてもらいたいと常々感じているのだが、そう上手くはいかないのが世の常である。

 

「そうよ翔鶴。たぶん悪いのはうちの加賀さんも一緒なのだから」

「赤城もわざわざ来てもらってすまないな」

「いえいえ。駆逐艦の子が慌てながら部屋に飛び込んできたときは何があったのかと思いましたが」

 

 翔鶴の謝罪に、提督を挟んで反対側に立っていた赤城が苦笑交じりに同意の言葉を返す。

 おそらく、加賀と瑞鶴の間に不穏な空気を感じとった駆逐艦の誰かが呼んできてくれたのだろう、赤城はすぐに執務室へと駆けてきてくれた。

 あまりこういう諍い事が得意ではない提督は心の底で呼んできてくれた駆逐艦の少女に感謝していた。

 後で間宮君のところでパフェでもご馳走しよう、と。

 

「それにしても加賀さんも瑞鶴も今日は一段とエキサイトしてるわね」

「瑞鶴、昨日の夜から『明日は絶対MVPとって提督さんに良いところ見せるんだ』って張り切ってましたから」

「ああなるほど。なのに自分が庇った加賀さんにMVPとられてなんだか納得いかないって感じかしら」

「私としては瑞鶴が無事に帰ってきてくれることが何よりも重要なことなのだか」

「相変わらず提督は女の子の心と言うものが分かっていませんね」

「……むう」

「ふふっ。でもいつもだったらあんな子供みたいにごねたりしない子なんですけど」

「加賀さんも頑固だから瑞鶴に庇ってもらったことを素直に認めたくないみたいね……まったく」

 

 もうっ! と可愛らしく頬を膨らませる赤城の後輩にあたる正規空母の翔鶴。

 その怒っているのになぜか愛嬌を感じてしまう表情に和みつつ相方の頑固ぶりに呆れながら、たぶんそれは相手が加賀さんだから、と赤城は喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込む。余計な火種になりそうな言葉は控えるのが吉と、流石は一航戦の頼れる方、状況判断は的確だ。

 実際仲が悪いのは瑞鶴と加賀だけで、赤城と翔鶴はよく一緒にご飯を食べたりと関係は良好だ。周囲からは互いの相方の保護者と認識されているとかなんとか。

 

「そんな事情があったとは、なにか瑞鶴には申し訳ないことをしてしまったな」

「いえそんな、提督が気にされることでは」

「だが、加賀を今回の戦果の一番の功労者として選んだのは私だ。その事に異議のある者の言葉に耳を傾ける義務は当然あるだろう」

 

 MVP制度。いつからかそう呼ばれるようになった出撃の際の士気向上のための功労者決めは、大本営により常に必ず選出するよう各提督に言い渡されている。

 MVPを選出するか否かで、その後の戦果に大きな影響を与えているという調査結果が理由だそうだ。

 別にMVPに選ばれたからどうなるというものではないが、自己の働きを誰かに評価されるということはそれだけで嬉しいものである。他の鎮守府ではMVPを取った艦娘には好きな日に休暇を取れる権利を与えたり、全員にスタンプ帳を配りMVPを取るごとに一つ、全部溜まれば提督が好きなものを一つ買ってくれるなど実益を兼ねているところもあるという。

 ここではそういったことは行っていないが、その分提督は曖昧な基準で決定しないように、彼女たちには必ずMVPに値する理由と感謝の言葉をその場で伝えるようにしている。

 ただやみくもに相手を撃破した数だけでMVPを決めているわけでは決してない。

 

(出撃中は無線と通信映像だけなのに、本当によく見てくれているんだなあと実感できるからこそ、MVPを目指してしまうんですよね)

(提督の言葉ってなんであんなに心にくるものがあるのかしら? この前大鳳が初めてMVPに選ばれた時なんてキラキラで直視できないぐらい輝いていたのを覚えているわ)

 

 ひそひそと口を手で隠しながら談笑する翔鶴と赤城。

 よもや自分の話をされているとは思っていない提督は相変わらず険しい顔で苦悶の表情を浮かべている。

 

「やはり前線で戦っている君たちの評価の決定権が私などにあることが間違っているのだろうな」

「そんなことはないですよ」

 

 提督の呟きに赤城は微笑みながら、

 

「提督が私たちの事を誰よりも想ってくれている事は皆十分に理解しています。だからこそ頑張りたいんです。MVPが欲しいんじゃない、提督に返したい想いがあるから皆頑張れるんです。だから提督は胸を張って評価してください。それが私たちの何よりの誇りになるのですから」

「……そうか」

 

 提督の返事は短い。だが、その返事に赤城は『そうですよ』と笑顔のまま後ろに手を組んで満足そうだ。

 赤城の言葉に頷きながらそのやり取りを見ていた翔鶴は、少し羨ましそうな瞳で口をきゅっと結んでいる。今の自分と赤城との差、そして提督との距離。

 決して単純な物差しでは計れない全てがその言葉に詰まっているようで少し悔しかった。隣に並んで歩くにはまだまだ遠い。

 だからだろうか、無意識の内に翔鶴の口から零れた言葉には自嘲の入り交じった感情が少しだけ含まれていた。

 

「赤城さんの言う通りです。だから私も瑞鶴ももっと頑張りますね……赤城さんや加賀さんの代わりとしてはあまりに未熟な私達ですけど」

「それは違うぞ、翔鶴」

 

 提督としては珍しい、あまりにもはっきりとした否定の言葉に翔鶴は思わずぴくんと肩を揺らす。

 ちらりと動かした瞳には、普段と変わらない穏やかな様子の提督。その視線の先で相変わらずいがみ合う瑞鶴を見据えたまま、

 

「私は一度たりとも翔鶴と瑞鶴の事を赤城と加賀の代わりなどと思った事はない。それはこの鎮守府の誰にでも言えることで、私にとってここにいる者達は、誰一人代わりになることのない大切な仲間だと思っている」

 

 なおも穏やかな表情を崩さず提督は続ける。

 

「翔鶴には翔鶴の、瑞鶴には瑞鶴にしか持ちえないものが必ずある。事実、瑞鶴が旗艦時の艦隊は出撃から帰還まで士気が落ちることはない。それだけ瑞鶴が常に明るさと元気を周りに与え、他の者もそれに応えているということだろう。それは加賀も持ちえない、間違いなく瑞鶴だけの強みだ」

「瑞鶴は努力してますから」

「それは加賀も知っているだろう。口ではああ言っているが、本当に信頼していなければ瑞鶴を艦隊の殿に据えたりはしない。あの二人がいるから私も安心して帰ってくるのを待っていられる」

「……自慢の妹です」

 

 飾り気のない真っ直ぐな言葉で瑞鶴を評価する提督に、翔鶴も嬉しそうに頷く。

 それだけで満足といった表情の翔鶴に提督は『翔鶴は気付いていないようだが』と前置きをして、

 

「瑞鶴だけではない。翔鶴、君が旗艦の時は艦隊の被害が常に軽微で抑えられているということに気付いているだろうか。しかも任務は常に達成した状態で、だ」

「それは……提督の指示が的確だから」

「私の指示は局所的なものでしかない。逐一変化する激しい戦闘の中で、大きな被害もなく全員が帰投できるのは紛れもない、旗艦である翔鶴、君の力だ。仲間の無事を最優先に考えられるその広い視野と優しい指揮に私はいつも感謝している」

「本当、ですか?」

 

 嘘や慰めでは決してない、と頭では理解しているのに聞き返してしまうのは期待してしまっているからか。

 私はずるいなあ、と心の中で思いながらも翔鶴は早鐘を打ち付ける鼓動を抑えることができない。

 

「ああ、だから自信を持ちなさい。君たち二人は誰に恥じることのない、立派な働きを見せてくれている。誰が何と言おうと翔鶴と瑞鶴はこの艦隊に必要な、それでいて私にとってかけがえのない大切な仲間なのだから」

「……提督」

 

 普段滅多に見せることのない自然な微笑みと共に、提督はポンと翔鶴の肩へ優しく触れる。

 その瞳から視線を外せないまま翔鶴は、未だかつてない胸の高鳴りとせりあがってくる熱と衝動に身を委ねてしまいそうになる。

 

「こほん……良い雰囲気のところ申し訳ないですが、加賀さんと瑞鶴を止めるのが先決なのでは?」

「ひゃあ! す、すいません赤城先輩!」

 

 とろんとした瞳で提督の首に腕を回そうとしていた翔鶴を赤城が一刀両断。両手を胸の前で組みながら、その瞳はいつの間にかジトっとしたものに変化していた。

 

「翔鶴、その呼び方は恥ずかしいから止めてって言ったでしょう」

「す、すいません」

「先輩、か。なんだかそういうのも二人の関係が感じられていいな」

「何を呑気な事を言っているんですか。提督はもっとご自身の言葉の殺傷力を自覚された方がいいのでは?」

「あ、赤城、何か怒っていないか?」

 

 感慨深げにうんうんと頷いている提督の胸に赤城の容赦ない指摘が突き刺さる。

 言葉の端々に棘があるような、そんな物言いの赤城に提督が恐る恐るといった感じで尋ねてみる。間接的ではあるが結局のところ、原因は提督にあるため、その言葉は火に油を注ぐようなものでしかないが。

 

「怒ってませんよ。私をほったらかしにして翔鶴ばかり気にかけている提督に怒ったりなんかしていませんよ」

「む……ぐ。す、すまない」

「あーなんだか間宮さんの特製パフェが食べたい気分ですねー」

「……後でご馳走しよう」

「やった。約束ですよ提督」

「う、うむ」

 

 前回の飲み会の一件以来、何か吹っ切れたのか、良い意味で遠慮のなくなった赤城は一人唸る提督に指切りを迫ったりと実に楽しそうな表情を浮かべている。  

 その輪に翔鶴も加わり、実に穏やかな空気が漂ってきそうな雰囲気を、先程から騒ぎ続けている全然穏やかではない顔をした問題児二人が切り裂いた。

 

「ねえ! 提督さん聞いてってば! 加賀さんが酷いんだって!」

「提督、この瑞鶴では話になりません。何とか言って頂けませんか」

「ひょ、ひょっと! 痛ひっては! 放ひてくだひゃい!」

「あなひゃこひょ力の入れ過ぎではにゃくて? 今ひゅぐ放しなひゃい」

 

 お互いがお互いの頬をぐにっと引っ張りながら、上司である提督の目の前で子供みたいに意地を張り合う二人の姿に赤城と翔鶴が盛大に溜息を一つ。

 その様子を眺めていた提督はすっと執務用の椅子から立ち上がり、無言で瑞鶴の方へと近寄って行く。

 そのまま、怒られると思ったのかぎゅっと目を瞑って身体を強張らせている瑞鶴の肩へ、自分の上着を羽織らせるようにふわりとかける。

 

「とりあえず二人共落ち着きたまえ。特に瑞鶴は被弾しているのだから、騒ぎ過ぎは身体に障る」

「もしかして提督さん、瑞鶴の事心配してくれてるの?」

 

 中破とはいかないまでも、それに極めて近い被害の瑞鶴の衣服は至る所が破れており、普通の男性にとっては非常に反応に困る状態なのだが、提督は至極真面目な表情を崩さない。

 提督とてれっきとした男なので全くの無反応という訳にはいかないが、彼女たちのそれは戦闘の余波によるものと鋼のような理性が意識することを許さないのだ。

 ある意味では紳士、ある意味ではへたれと取られかねない提督の行動に、それでも瑞鶴はキラキラと期待の眼差しを向けている。

 

「当然だろう。瑞鶴たちが無事に帰ってきてくれる。私にとってはそれが何よりの朗報だ」

「えへへ。提督さんはやっぱり提督さんだね! ありがと!」

「う、上着に顔を埋めるのはやめたまえ」

 

 提督からかけられた上着をぎゅーっと抱きしめながらすんすんと鼻を鳴らし、恍惚の表情を浮かべる瑞鶴。その様子に翔鶴がポツリと『いいなあ』と呟いていたことは誰も気が付かなかった。

 咄嗟に羽織らせてしまったが、臭いとか大丈夫だっただろうかと見当違いな心配に動揺している提督の肩にポンポンと感触が伝わる。

 振り返ると、赤城が少し青ざめた表情で瑞鶴のいる場所とは反対方向へ指差していた。

 怪訝に感じながら指された方向へと提督は視線を移し、そこでぎょっと目を見開く。

 

「…………私の顔に何かついていて?」

「い、いや、そのなんというかだな」

 

 そこには風船のように両頬を膨らませた加賀が不機嫌そうに立っていた。前髪を弄りながら提督へ妬みの視線を遠慮なく送りながら。

 少しリスみたいで愛嬌があるな、と提督は思ったが勿論口にはしない。今そんなことを言ったら無言で艦載機を遠慮なく放ちそうな加賀が目の前まで迫っていたから。

 

「今回MVPを取ったのは私なのだけれど」

「いつもは『MVPなんていらない。皆が無事ならそれでいいの』と言っているではないか」

「……今回MVPを取ったのは私なのだけれど!」

「むむう……いつも助かっているよ加賀」

「そう、ならいいの」

 

 ずずいと口をむっとへの字に曲げたまま加賀が提督へと顔を急接近させる。

 いつもあまり感情に起伏のない加賀だが、今日はなぜかやけに絡んでくる彼女に提督は息が詰まりつつもそっとその艶のある髪に触れ、暫く撫でる。

 そのまま離れようとしない加賀に瑞鶴が我慢できないと言った表情で一言。

 

「……このわがまま一航戦」

「……提督の上着に発情する色情狂の五航戦よりはマシだと思うけれど」

「上等! 今すぐ決着をつけてもいいんですよ!」

「望む所です。一航戦と五航戦の格の違い、ここではっきりと見せてあげます」

 

 まさに堂々巡り。またもやスタート地点に戻ろうとする瑞鶴と加賀に、翔鶴と赤城から『いい加減にしなさい』と檄が飛ぶ。

 本当に似たもの同士な二人組に提督は肩を竦める。実はとても仲がいいのではと疑ってしまうぐらいに。

 

「もう瑞鶴! これ以上提督を困らせないで! 後その恰好ではしゃがないの! 提督の上着は私が責任を持って洗ってお返しするから早く入渠してきなさい!」

「え? でも翔鶴姉、別に提督の上着は私が洗うから」

「は・や・く!」

「は、はい! 五航戦瑞鶴! 入渠してきます! 提督さん失礼します!」

「ほら加賀さん、あなたも軽微とは言え傷付いてるのだから瑞鶴と一緒に。報告はその後でもいいですよね提督」

「うむ、構わない」

「で、でも赤城さん、入渠まで瑞鶴と一緒なんて私には」

「これ以上わがままを言うのなら、この後仲直りの印に提督と四人でパフェを食べる計画、加賀さんだけ仲間外れになりますけどいいんですか?」

「!? すぐ入渠してきます!」

 

 笑いながら告げられる容赦のない言葉に加賀はびしっと敬礼した後、慌てるように瑞鶴の後を追って司令室を出て行った。

 加賀の足音が聞こえなくなり、司令室は暫しの静寂に包まれる。その数秒後、赤城と翔鶴の口からぷっと吹き出すような笑い声が。

 

「あはは! 見ました今の加賀さんの顔! 自分が中破したときより深刻そうな顔してましたよ!」

「ふふふっ。瑞鶴と同じ顔でしたよ。やっぱりあの二人は似た者同士ですね」

 

 やいやいと楽しそうな二人に、提督は心の中で『君たちも人のことは言えないぞ』と思ったが口にはせず、机の上をせっせと片付けていく。

 その様子を少し不思議そうに眺めていた二人に提督は、

 

「こんなところで立ち話もなんだ。今日はこれで仕事も終わりだ、瑞鶴と加賀の入渠が終わるまで間宮君のところにでも行こう」

 

 何気に初めて提督から誘われたことに二人は思わずお互いに顔を見合わせる。そうして向日葵のようにぱあっと笑顔を弾けさせたまま提督の隣へと駆けていく。

 

「私、間宮さんの新作のケーキが食べてみたかったんです!」

「さっきはパフェがどうとか言っていなかったか?」

「それは二人の入渠が終わってからの楽しみにとっておきます」

「どっちにしろ食べるんですね」

「翔鶴だってそうでしょう?」

「あはは、やっぱりばれてましたか」

「……まったく」

 

 両隣からわいわいと聞こえてくる元気な声に提督は若干呆れながらも、その足取りは軽い。そのまま司令室の扉を出て間宮食堂へと歩を進める。

 なんだかんだ言って今日も彼女たちは仲良しだ。

 




 以上、出撃はおろか、最後まで司令室から出ないただの日常話でした。
 ん? 普段と変わらない? まあいいか(諦め

 ※活動報告にて今後の方針についての皆様のご助力をお願い致しております。
 お時間があればそちらにも目を通していただけると幸いです。


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第二十六話 提督の休日 北方棲姫編 前編

 今回は前後編のためキリがいいところで切っているので少し短めです。


 

 提督は目の前の光景が信じられなかった。

 何かの間違いだ、と何度も何度も目を擦ってみるが瞼がひりひりするだけで目の前の光景は変わらない。

 

「……私は夢を見ているのか」

 

 死後の世界を信じているわけではないが、目の前の光景が現実なら、よほど死後の世界云々の方が信じるに値する事のように今の提督には思えた。

 

「おう嬢ちゃんどうした? なんだウチの店のたい焼きが食いてえのか? 仕方ねえなあほらよ」

 

 場所は下町の商店街の一角、表通りの東側に位置する入口のすぐ近く。一週間越しの休日に、提督は日々の細かい生活用品などを買うため町に出向いてきていた訳だが。

 熱した鉄板からクリームのいい匂いを漂わせているたい焼き屋、そこの店の店主であろう、気のいい四十代ぐらいの男性が先程からたい焼きを見つめる一人の少女へと熱々のそれを手渡す。

 まるで海の底からやってきたような真っ白な肌と髪、どこまでも深く沈んでいきそうな赤い瞳をしたその少女へ。

 

「出来立てで熱いから気をつけろよ」

 

 店主の気遣いと共に、ぱあっと嬉しそうにそれを受け取った白髪の少女とふいに目があった。

 

「…………ポ!」

「……ぬう」

 

 そこには、見覚えのない深海棲艦であろう少女が、たい焼き片手になぜかこちらに向けて手を振っていた。

 

 

 

 数分後、まるで断食一週間目の修行僧のような険しい表情をした提督がそこにいた。

 その提督が腰掛けている商店街の外れのベンチの隣では例の少女が、一心不乱に熱々のたい焼きを頬張っては歓喜の声を上げている。

 というのも、

 

『おお、アンタは鎮守府の! この子あんたのとこの子だろ? あんまりウチのたい焼きを見る目が輝いてたもんでついやっちまったけどいいよな? よせやい礼なんて! ほらちゃんと手繋いでやんねえとまた迷子になっちまうぞ』

 

 という半ば強引なたい焼き屋の店主の言葉と、周りの好奇の視線に成す術も無く、致し方なく少女を引き取る形になってしまったというわけである。

 つまり、あそこにいた人々は目の前の少女を鎮守府配属の艦娘だと思っていたのだ。

 故に、あの場面で『私とは関係ありません』と言えるほど提督の精神は鋼でも強靭でもなかった上、純粋な瞳で手を差し出してくる隣の少女を無視できるほど度胸のある人間でもなかった。

 ほかほかのたい焼きが入った紙袋の熱を感じながら、提督は一人考え込む。

 

(なによりも、彼女がもし本当に深海棲艦で交戦の意思があった場合、人気が一番多い商店街の入り口に一人残しておくのはあまりにも危険すぎる)

 

 そこまで考えて、提督はいやと被りを振る。

 もし、本当にその意思があったのならば自分が到着する前に事は起きていただろうし、例え鎮守府狙いだったとしても、提督である自分が今現在も無事であることが疑惑の否定を表している。その気があったら出会った瞬間問答無用で撃たれていた筈だ。

 そのまま思考の渦に呑み込まれそうになる提督の耳に突如、隣から慌てたような声音が聞こえてくる。

 

「ウワア! アツイアツイ!」

「む、大丈夫かね? これで零れたクリームを拭きたまえ」

 

 見ると、たい焼きの尻尾側から零れた熱々のクリームが少女の両手と太もも辺りを襲っていた。

 その熱さにあたふたする少女へハンカチを手渡しながら、頬にもついたクリームをティッシュで拭き取っていく。

 

「ハァー……アツカッタ……タイヤキハウマイケドキケンダナ」

「たい焼きを食べたのは初めてか?」

「ウン。アンナウマイモノガコノヨニアルナンテ」

「まだいくつか残ってるが、食べるか?」

「イイノカ!?」

「ああ、折角だ。餡子と食べ比べてみたまえ」

「アンコ! ヨクワカラナイケド、イイヒビキダ!」

 

 両手をぶんぶん振りながら瞳を輝かせる少女に紙袋から取り出した餡子入りのたい焼きを手渡す。

 まだほかほかと湯気を放つそれを、懸命にふーふーしながら夢中で食べる少女、その様子を眺めつつ提督は心の中にあった予想を確信へとシフトさせていく。

 

 ――敵意はない。

 

 あくまで目の前の少女限定の話ではあるが。

 少なくともこの白き少女からは、普通映像からでも伝わる他の深海棲艦の敵意や憎悪といった類の物が全く感じられない。

 もちろん百パーセントではないが、何年も前線で戦い続けてきた提督にとって自己のその感覚は現状、何よりも信頼に値するもののように思えてならなかった。

 

「君の名前は何と言うのだ?」

「ホッポ! ホッポ!」

「ほっぽか。君に合った良い名だな」

 

 気が付けば提督はほっぽと名乗る少女の髪を撫でていた。

 そのままたい焼きを食べていた手を止め、気持ちよさそうに目を細めるほっぽの様子に鎮守府の仲間達を思い出す。

 そんな提督に、ほっぽが同様の質問を投げかける。

 

「私か? そうだな……私はここから西にある鎮守府の提督だよ」

「テートク……テートク!」

「ほら、また餡子が零れてるぞ」

「ン、テートクハイイヤツダナ!」

「そうか」

 

 たい焼きを全て食べ終えたほっぽは満足そうにむふーと自分の右手でお腹の辺りを擦っている。

 またもや口元にべったりとついている餡子を拭いてあげながら、提督は努めて穏やかな口調でほっぽに質問を投げかける。

 

「ほっぽはどこから来たんだ?」

「アッチノズットムコウノウミカラキタ」

「やはり海から、しかも北方海域の方角か……ふむ、一人で来たのかね?」

「ウウン、コウワンネーチャントイッショ」

「その人と二人で来たのか?」

「ウン! ホッポハイツモコウワンネーチャンとイッショ!」

「仲が良いのだな」

 

 ほっぽの話に相槌を打ちながら、提督は同時に頭の中で思考を巡らす。

 海という表現と容姿から推測しても、やはり彼女は深海棲艦で間違いはない。普通ならここで大本営に連絡を入れ然るべき手を打ってもらうのが妥当な判断なのであろうが、今の提督の頭には、ある一つの大本営からの報告が浮かんでおり、それが連絡用機器へ手を伸ばすのを拒んでいた。

 数週間前に通達された北方海域調査の最新の伝文の片隅に載っていたその報告。

 それが――

 

『艤装を持たず、戦うことをしない深海棲艦が存在する』

 

 ――という一文。

 おそらく大本営自身眉唾ものと考えていたのであろうその片隅の表記に、それでも提督は何か言いようのないものを感じたのを覚えている。

 だからだろうか、もう少し目の前の少女と話してみようと思えたのは。

 

「その人はどんな人なんだ?」

「エト……オッパイガデカクテメツキガワルイ! デモヤサシクテ……オッパイガデカイ!」

「そ、そうか」

 

 なんだか印象に残っている部分に偏りが感じられるが、提督はとりあえず話を進めてみることにする。

 

「そのコウワンネーチャンとは一緒じゃないのか?」

「コウワンネーチャン、ホッポニスナハマデアソンデロッテイッテカイモノイッタ」

「買い物? ここの町でか?」

「ソウ! キョウハカレーノヒ! カレーハタイヤキトオナジクライウマイカラタノシミ!」

「……驚いたな」

 

 ほっぽの口ぶりから察するに二人は町と言うものを経験することが初めてではないようで、それだけでも驚きなのに、コウワンネーチャンとやらは普通にこの町でカレーの具材を購入しているようだ。

 深海棲艦もカレーを食べるのだな、などと提督は混乱する頭を整理しつつ、一つ気になったことを口にする。

 

「む? では、なぜほっぽはたい焼き屋の前にいたのだ?」

「スナハマデアソンデタラ、キュウニイイニオイガシタカラ」

「したから?」

「キガツイタラアソコニイタ……フシギ」

「それは不思議だな」

「ソレモゼンブタイヤキノイイニオイガワルイ! ホッポナニモワルクナイ!」

「ふむ、だがそうなるとコウワンネーチャンはほっぽが砂浜にいないから今頃困ってるんじゃないのか?」

「…………ハッ!?」

 

 提督の何気ない指摘にほっぽはぴたっと動きを止めたかと思うと、次の瞬間にはぶるぶると震えながら冷や汗らしきものをダラダラと流し始る。

 そのまま水に映った月のように揺れる瞳を提督に向け、

 

「……ドウスルテートク……ホッポハドウシタライイ?」

「むう、今からでも砂浜に向かうのが一番だと思うが」

「コウワンネーチャンハオコルトコワイ……イマカエレバオコラレナイ?」

「……怒られるかもしれんな」

「イ、イヤダ! テートクタスケテ!」

 

 ばふっと自分のお腹辺りに顔を埋めながら助けを求めてくるほっぽを宥めながら、提督はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 こういう時に赤城や鳳翔がいてくれたらと、無意味な望みを心に馳せてみるが当然隣には誰もいない。

 提督は左腕に嵌めた時計に目をやり、ふうと溜息を一つ。

 

「ほっぽはコウワンネーチャンの事が好きか?」

「ウン……デモオコルトコワイ」

「そうだな。でもそれ以上にコウワンネーチャンは今、ほっぽがいなくて心配してると思うぞ」

「……ホント?」

「ああ、だから勇気を出して戻ってみないか。そこでコウワンネーチャンが怒っていたら二人で謝ろう」

「イイノ!?」

「うむ、約束しよう」

 

 危険はある。だが、それは今ここでほっぽと別れたとしても同じことで、むしろ彼女たちの存在が曖昧なままで終わってしまうためそっちの方がより危険だ。

 それになにより、提督自身が確かめたいと感じていた。本当に戦意のない深海棲艦がいるのかどうか、その事実を。

 

「ジャアセントウハテートクニマカセタ!」

「いいのか? もしかしたら後ろからコウワンネーチャンがやってくるかもしれないが」

「ダ、ダメダ! ソレハキケンスギル! テ! テ、ツナイデ!」

「むう」

 

 目的も決まったところでベンチから腰を上げ、一言一言にころころと表情を変えるほっぽと手を繋ぐ。遠くに見える時計台の針は午後一時を指そうとしていた。

 そのほっぽの手の温かさに心の中で少し驚きながら、提督は彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。

 

「テートクハイイヤツダケド、コーワンネーチャンノコワサニカテルカ?」

「それはどうだろうな」

「テートクガマケタラホッポハオコラレルシカ……テートクガンバレ!」

「むう、ほっぽは一緒に頑張ってはくれないのか?」

「ム、ムムム……ガ、ガンバル! ホッポモガンバルカラ!」

 

 うおーと迫力よりも愛嬌が溢れる仕草でふんすと気合を入れるほっぽ、それでも瞳は少し不安げに揺れている。

 その様子を穏やかな足取りと共に眺めながら提督は、

 

「それならお土産にたい焼きでも買っていくか」

「タイヤキ!? イイゾ! ソレハスゴクイイカンガエダ! ソレナラコウワンネーチャンモキットオコラナイ!」

「……涎が垂れているのだが」

「タイヤキハシカタナイ! アレダケウマカッタラヨダレモデル!」

「そうなのか」

「ナニヤッテルテートク! ハヤクタイヤキヲカイニイクゾ!」

「う、腕を引っ張るのは止めたまえ」

 

 なんだか提案の方法を間違えた気もするが、と提督は考え込みそうになるがすぐに『まあいい』と改める。

 そのまま無邪気にぐいぐいと腕を引っ張ってくるほっぽに連れられるように、提督は商店街の中心へと歩を進めていく。

 遠くからは午後一時を知らせる鐘の音が間延びするように響いていた。

 




 と言う訳でほっぽちゃん登場。
 片仮名ばかりで読みにくかったらすいません。でもやっぱりこれが一番しっくりくるような気がします。

※前回の活動報告への返答は一週間程度を目途にと考えております。
 まだ目を通されていない方は、一度そちらも覗いていただけると幸いです。


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第二十七話 提督の休日 北方棲姫編 後編

 今回は少し真面目なお話。


 

 結論から言うと砂浜に行くまでもなく、その人物はすぐに見つかった。否、見つかったという表現より、目に入ってきたと言った方が正しいか。

 それはなぜかというと――

 

「ア、アノスイマセ……ア……。エト……コノコヲミマセンデシタ……カ……ウウ」

 

 ――その人物は商店街の中心で人探しをしていたから。

 

 男性と比べても大柄な体型とほっぽと同じような白い肌、つば付きの紺のキャスケットからは流れるような綺麗な銀髪が靡いている。夏目前だと言うのに両手には布製の大きな手袋が嵌められており、その先には買い物袋が二つ程下げられていた。

 服装はリブ生地のワンピースに、下には焦げ茶色のフレアスカートを身に纏っている。元より大人しげなその表情は今、悲しみに暮れるように眉尻を下げている。

 

「コ、コノコヲサガシテ……アア」

 

 遠目から見ても目立つその風貌の人物は何度も道行く人に声を掛けようとしては失敗して肩を落としていた。周囲の人間はその姿に訝しげな視線を向けながら手渡されそうになる紙を無視して去っていくばかりだ。

 ヒラリ、と彼女の手から風に舞って流れてくるその紙を提督が拾い目を通すと、そこには『ほっぽという子を探しています』という文字と共に、拙いながらも良く特徴を捉えたほっぽによく似た少女の似顔絵が手書きで描かれていた。

 どうやら彼女がコウワンネーチャンなる人物で間違いないようだ。 

 だというのに、だ。

 

「ほっぽはなぜ私の後ろに隠れているんだ?」

「カクレテナンカナイ。チョットヨウスミテルダケ」

「……要は怒られるのが怖いんだな?」

「ウン」

 

 提督の背中に隠れるように身を隠すほっぽは、傍から見れば悪戯がばれた子供のようで実に幼く見える。

 駆逐艦の少女たちでさえ自分の身に余るというのに、と提督はどう対応してやればいいか眉間に皺を寄せるばかりで何も進展する気配がない。

 しかし、いつまでもこうしていては何の解決にもならないと提督は鈍る足を無理やり前へと動かしていく。

 

「忙しそうなところすまない、少し話をする時間を貰えないだろうか」

「……ア」

 

 近づいてみたはいいものの、どう声を掛けていいか考えておらず咄嗟に口から出てしまった言葉に提督は内心で唇を噛む。これでは怪しいキャッチセールスみたいではないか、と。

 そんな提督とは裏腹に、はっと顔を上げた目の前の人物は絶望の中に一片の光を見たと言ったように下がり切っていた眉尻を復活させている。

 例えどんな言葉だったとしても、長時間無視され続けた今の彼女にとって声を掛けられたという事実は何よりも嬉しい事に代わりはなかった。

 

「ソレデ、ハナシトイウノハ」

「ああ、すまない。実は話があるのは私ではなく、この娘なんだ」

 

 提督の言葉に背を押されるように緊張した面持ちのほっぽが後ろからひょっこりと顔を出す。その両手はしっかりと提督の両腿辺りのズボンを握っており、揺れる瞳はしきりに眼前の女性の顔色を窺っていた。

 怒られたくないという気持ちからか距離をとっていたほっぽだが、その努力も空しく彼女はにゅっと伸びてきた目の前の女性の腕の中に吸い込まれていく。

 

「ホッポ! アアヨカッタ!」

「ク、クルシイ! オッパイガジャマ! テートクタスケテ!」

「……頑張りたまえ」

 

 控えめに表現しても豊満と言わざるを得ないその身体に埋もれながら、ほっぽはジタバタともがきつつ提督に助けを求めるが、返ってきたのは無慈悲な激励の言葉だけだった。

 そのままの状態で数分が経過し、最後に一際強く抱きしめたかと思うと、女性はすっと立ち上がりゆっくりと提督を見据える。

 思わず身構えた提督だったが、目の前の女性の表情は努めて穏やかで、それだけでも気が抜けてしまうのにあろうことか恭しく頭まで下げてくる。

 

「ホッポガメイワクヲカケタヨウデ、モウシワケナイ」

「いや、迷惑だとは思っていないが」

「ソウダ、ホッポとテートクハイッショニタイヤキヲタベタナカダカラナ!」

「コラ、チャントオレイヲイイナサイ」

「アリガトウテートク! タイヤキウマカッタ!」

「イヤ、ソッチモダケドソウジャナイ」

 

 まさか謝られると思っていなかった提督は、目の前で繰り広げられるふわふわしたやり取りにすっかり毒気を抜かれてしまう。

 彼女たちは本当に深海棲艦なのか、と思考が逆戻りを始めたところを狙い澄ましたかのように女性が言葉を添える。

 

「ジコショウカイガオクレタ。ワタシノナハ、コウワンセイキ。カンジデカクトコウ」

 

 漢字も書けるのか、と内心感心してしまう提督に見えるように、どこからか紙とペンを取り出した彼女は皮手袋の上から器用に文字を走らせていく。

 港湾棲姫――それが彼女の名。もっともその名が我々人間によってつけられたものなのか、それとも彼女自身が元々持っていたものなのかは与り知らぬところではあるが。

 

「ホッポノナマエハコウ!」

「……うむ、実に味のある良い文字だ」

「ムリシテホメナクテモイイ。ホッポノジハキタナスギテヨメナイ」

「コウワンネーチャンハアタマガオカシイ。コンナニキレイナノニ」

「……カエッタラカンジノオベンキョウ、ニジカンネ」

「イ、イヤダ! テートクナントカシテ!」

「……頑張りたまえ」

「サッキカラソレバッカリダ! テートクヤサシイケドヤクニタタナイナ!」

「ぬ……すまない」

 

 図らずとも役立たずの烙印を押され、肩を落とす提督を庇うように港湾棲姫がほっぽを叱っている。

 この場面で、やはりもう少し対人会話能力の訓練が必要だな、と密かに決心を固めてしまう提督も大概ではあるのだが。

 そんな後ろ向きな思考に捉われそうになりながら、提督は自分が名乗っていないことに気付き、

 

「む、失礼。私は――」

「コノマチニアルチンジュフノ、テイトク、ダロウ?」

「……知っていたのか」

「ホッポガソウヨンデイタシナ。ソレニ……」

 

 港湾棲姫はそこで言葉を区切り、そのルビーのような輝きを放つビジョンブラッドの瞳で提督を真っ直ぐ見据えたかと思うと、すぐにイヤと視線を伏せる。

 まるで、言う必要もないと言ったその仕草に提督も開きかけた口を閉じる。

 そのまま、港湾棲姫は実に穏やかな表情と口調で、提督がこれまで一番警戒していたことをさらりと言ってのけた。

 

「ワレワレハテイトクタチノイウトコロノ、シンカイセイカン、トイウヤツダカラナ。ソウイウノハ、ナントナクワカル」

「……そういうものか」

 

 港湾棲姫の言葉に、表面上は普段通りの提督だったが心の内ではかつてないほどに驚いていた。

 が、それは彼女たちが本当に深海棲艦だったという事実にではなく――ソレを立場上、敵である自分にまるで《とるに足りない情報》であるかのように伝えてきた事実に対して、だ。

 大本営の伝文、現在の状況、彼女たちの様子、それら全ての情報が滝のように押し寄せてくるのを、提督は一つ一つ頭の中で紐解いていく。

 本人としては至極真面目に、鎮守府を預かる一提督として思考を巡らせているつもりだったのだが、目の前の豊満な深海棲艦のお姉さんは至極のほほんとした表情で向かいにある喫茶店を指差しながら、

 

「コンナトコロデタチバナシモナンダシ、ホッポノオレイモカネテ、アソコデオチャデモシナイカ?」

「ソレハイイナ! ホッポハオナカガスイタ! テートクハヤクイクゾ!」

「…………うむ」

 

 あまりにも気の抜けたその提案に提督は頭の中からいろんなものが零れ落ちていくのを感じながら、同じように気の抜けた返事を零す。

 深海棲艦と喫茶店でお茶会……ありえるのかそんなことが。分からない、分からないがその事象は現実として今、目の前で起こっている。

 

(この事を加賀達に言ったら何て言われるか)

 

 多分、怒られるだろうなと思いながらも提督の足は喫茶店へと向かって行く。

 その視線の先では、真っ先に走っていったほっぽが実に楽しそうな表情で大きく手を振っていた。

 

 

 

「お待たせいたしました。アイスコーヒーとアイスレモンティー、それとお子様ランチでございます」

「アリガトウ。ホッポ、コボサナイヨウニキヲツケテ」

「ダイジョウブ! オオ、コレガオコサマランチ! ゼンゼンオコサマジャナイナ! ナンダコレハカタイ!」

「それは旗を模したおまけで食べ物じゃないぞ」

 

 喫茶店に入って注文を終え、待つこと数分、二十代前半ぐらいの女性店員が注文品を手慣れた仕草でテーブルに並べていく。

 途中、港湾棲姫のお礼の言葉にもにこやかな笑顔で接する女性店員の接客魂に提督は感心するが、去り際に『その仮装、似合ってますね』と言い残したのを聞き、なるほどそういう見方もあるかと納得する。

 人は誰でも自分の理解の及ばぬところには、適当に納得のできる理屈を並べ都合のいい解釈をするが、目の前の出来事がいい例だ。

 周囲の人たちは誰も、彼女たちのことを海の平和を乱す深海棲艦だとは思っていない。

 

「テイトクハ、カンガエゴトガスキダナ」

「ぬ?」

「ミケンニシワガヨッテイル。ソンナニナヤマナクテモ、シツモンガアレバコタエヨウ」

 

 目の前のアイスコーヒーに視線を固定したまま、微動だにしない提督へ港湾棲姫が苦笑交じりに助け舟を出す。

 考え事をすると眉間に皺が寄るのは癖であり、普段から艦娘の少女たちにからかわれることもあるため、直そうと思ってはいるがこれが中々に難しい。

 

「ダイジョウブダテートク! コウワンネーチャンモ、カイモノスルトキヨクミケンニシワガヨッテイルカラ!」

「ヨケイナコトハイワナクテイイ」

「ポ、ポポ! カ、カオガコワイ!」

 

 ほっぽに痛いところをつかれたのか港湾棲姫は少し眉を動かすが、提督の視線が自分に向けられていることに気付き、すぐに佇まいを正す。

 事前に『一つだけ』と前置きをしてから、提督は艦隊を指揮するときのような至極真面目な表情で口を開いた。

 

「君は――君たちの中には、私達と刃を交える気持ちが微かでも残っているのか?」

「ナイ。スクナクトモワタシトホッポニハ、ナ。ドチラニシロ、ギソウヲステタワタシタチニ、タタカウスベハノコッテイナイ」

「艤装を捨てる……そんなことがあり得るのか」

「ワカラナイ、ガ、ジジツワタシトホッポハアルヒヲサカイニ、ギソウノテンカイガデキナクナッタ」

「なぜ、そんなことを?」

「タタカウリユウガミツカラナイ、ソレデハダメカ?」

 

 明瞭簡潔。打てば返る振動のごとき、まるで一点の迷いも濁りもない港湾棲姫の返答に提督はそうか、と一言呟いたかと思うと、手つかずであったアイスコーヒーへと口をつける。まるで、それが聞ければ十分だと言ったように表情は穏やかなものに戻っていた。

 そんな提督の様子に対面に座る港湾棲姫は、ぽかんと口を空けたまま、

 

「ソレダケカ?」

「む? どういう意味だ?」

「イヤ、テッキリジンモンノヨウニシツモンゼメニサレルノダロウナ、トオモッテイタカラ。イチオウワタシタチハテキドウシ、ナノダロウ?」

 

 港湾棲姫の言葉に、提督は思わず息を飲む。

 彼女は決してお礼のためだけにこの場所にいるのではない。自身の置かれた状況を理解し、自らを深海棲艦だと公言した上でなお、敵の本拠地であるこの場所に留まっていたのだ。

 たった一人の小さな仲間を探すために、艤装を捨てたその身一つで。

 

「……君たちに戦意がないことは今までの言葉と振る舞いからよく分かった。それだけで今の私には十分だ」

「ソレガテイトクノセイギ、トイウヤツカ?」

「正義だ悪だなんて言葉は見方によって立ち位置を変える。私は、私の大切な者たちを守りたい、ただそれだけだよ」

「……テイトクハヘンナヤツダナ」

「むう」

 

 軍人としては失格なのだろうな、と自分の考えの甘さを引き締めていると、そういえばほっぽが静かになっていることに違和感を覚えそちらに視線を移す。

 そこで、頬袋を膨らませたリスのような表情をしたほっぽと目が合う。

 

「サッキカラフタリデバカリタノシソウナハナシシテ、ズルイ!」

「ゴメンネ、ホッポ。ホラクチノマワリヲフイテ」

「お子様ランチは美味しかったか?」

「ウマカッタ! ホッペタガオチルカトオモッタ!」

「そうか、この店はパフェが人気だそうだが、他の料理も質は高いのだな」

「パフェ!? イイゾテートク、ホッポノオナカハマダダイジョウブダ!」

「コラ、スコシタベスギダホッポ。ユウハンガハイラナクナルゾ」

 

 横から挟まれる静止の言葉にほっぽは何を思ったのか、いそいそとテーブルの下をくぐり抜け、そのまま対面に座っていた提督の膝の上にちょこんと座りなおしてしまう。

 まるで港湾棲姫に徹底抗戦を仕掛けるような仕草でむふーと鼻を鳴らしている。

 

「コウワンネーチャンハキビシスギル! テートクナントカイッテヤレ!」

「まあ、たまにはいいんじゃないか? 港湾棲姫も一つどうだ、疲れた身体に甘いものはいい」

「ハア、テイトクハスコシアマスギルナ。タマニハキビシクセッシナイト、イゲンガナクナルゾ」

「……肝に命じておこう」

「テイトクスゴイ! アノオニノヨウナコウワンネーチャンニカッタ!」

「……キョウハカレーニヤサイヲイッパイイレヨウ」

「ポ、ホポポ! テートクデバン! ガンバッテ!」

「……野菜は身体にいいからな、仕方ない」

「ヤッパリテートクゼンゼンスゴクナイ! ヨワイ!」

 

 膝の上でワイワイと騒ぐほっぽに謝りながら、対面では港湾棲姫が先程の女性店員にパフェのオーダーを取り付けている。

 なんだかんだ言いながら、彼女も相当甘いのではなかろうかと思いながら提督は今日一日の出来事を心に刻む。

 平和を望む深海棲艦も極少数ながら、存在する。

 その事実を知ることができただけで、今は満足としておこう。焦って先走っても仕方がない、と提督は一人言葉を漏らす。

 

「お待たせしました。DXパフェ、三点でございます」

「スゴイ! オッキクテオイシソウ!」

「ホッポ、チャントスワッテタベナサイ」

 

 今はこの平和な時間に身を委ねるとしよう。

 ふう、と提督は一度息を吐き、目の前の綺麗に飾り付けられたパフェにスプーンを一掬い、そのままゆっくりと口に運ぶ。

 その味は、今日一日の悩みを全て溶かしていくかのように甘く、それでいて冷たかった。

 

 

 

「キョウハタノシカッタ! アリガトウテートク! マタクルナ!」

 

 最後にほっぽがそう言い残して、二人は海へと帰って行った。

 そんな実にさっぱりとした別れの後、提督は一人鎮守府の近くの海の見える丘に立っていた。両手に買い物袋を下げたまま容赦なく照りつける太陽に目を細めつつ、最後に港湾棲姫が零した言葉を頭の中で反芻する。

 

『ナゼ、ワタシタチハタタカッテイルノダロウナ』

 

 昔、同じような言葉を元帥に投げかけたことがあるが、その時も明確な答えは返ってこなかった。

 この先、その答えが見つかるかどうかすら今の自分には分からない。移り変わって行く時代の中で、もしかしたらこの先もその答えは見つからないのかもしれない。

 だが、変わらない想いというものも確かにある。

 

「私は、私の大切な者たちのために戦う。その想いは今も昔も変わってはいない」

 

 その先にいつか、平穏な海が待っている。

 一度伏せ、再度顔を上げた提督の表情に迷いの色は残っていない。

 

 丘の上に一際強い潮風が吹きすさんでいく。その先では、途切れることのない藍の水平線が空と交わるように、どこまでも広がっていた。

 




 重くならず、かと言って浅すぎるのも避けたい。
 そうして出来上がった文章がコレ。

 深海棲艦も意思があるなら、こういうこともありえるのではというお話。

 ※活動報告にて前回の意見募集についての回答を載せています。
 よければそちらにも目を通して頂けると幸いです。


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第二十八話 夏到来

「……ちくま~、暑いのじゃ~」

 

 フローリング式の地面にべちゃっと身を投げ出したまま、姉である利根が弱弱しく名を呼んでくる。

 見れば、トレードマークのツインテールは無造作に跳ね、着ている服は汗で滲み、ちらりと覗く鎖骨が艶めかしい。それでいてパタパタとチャイナドレスの下部分のような服をうちわ代わりとして扇いでいる。

 いつもならここらでやんわりと注意を促す筑摩だが、今回に限っては姉のぼやきに全面的に同意だった。

 

「昨日も暑かったですけど、今日は一段と暑いですね」

「熱すぎて干からびそうじゃ……」

「本格的な夏に入ったようですよ。とりあえず冷たい麦茶入れますね」

「助かるのじゃ~」

 

 筑摩自身、汗で張り付く前髪をかき分けながら、冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出す。空になったコップに氷を適量追加しながら麦茶を注ぎ、手渡すと姉はそれをぐいっと一気に飲み干した。

 同じように筑摩も良く冷えたそれを一口。

 冷たい麦茶が全身に染み渡り、熱が引いていくのが心地いい。だがそれも一瞬、すぐにべたつくような不快な汗が全身を覆ってしまう。

 

「う~! 七月も後半に入るっていうのに扇風機一つでこの暑さをどう乗り越えろっていうのじゃ!」

「ね、姉さん下着が丸見えですよ。それにしても昨今の節電事情が厳しいとはいえ、来週までエアコン禁止というのは正直つらいですね」

「つらすぎるのじゃ!」

 

 昨今の節電重視という風潮に押され、大本営からエアコン禁止令が出されたのが一週間前。

 当然爆発的なブーイングが報告場所であった演習場を飛び交ったが、その場を収めるべく提督が『すまない』と頭を下げた瞬間、全員が押し黙り、以降誰一人として文句を零す者はいなかった。

 

「大本営の命では仕方ないですよ姉さん。それに、この状況で一番辛いのは提督ですから文句は言えません」

「……確かに執務室は特に暑いからのう」

「それに加え、この暑さで何時間と書類整理をこなし、私たちの艦隊指揮に常に頭を働かせてくれて、遠征帰還時も欠かさず出迎えてくれています。仕事とはいえ当然、毎日毎日。そう考えると」

「わかっとる、わかっとるんじゃが」

 

 それでも暑いのは苦手なんじゃ~と涙目で再びへたり込む姉に、筑摩は困った表情ながら口元を緩ませる。

 意地っ張りで見栄っ張りなこの姉は、提督の前では良い所ばかり見せたがるのだ。その反動かどうかは定かではないが、その分自分と二人きりの時は行動と言動に幼さが割って入る。

 本人は無意識だろうが、心を許してくれている。そう実感できて筑摩はなんとなく嬉しかった。

 

「こんなに暑いのに筑摩はなんで笑ってられるんじゃ」

「姉さんと提督のことを考えていましたから」

 

 提督の二文字に利根の肩がぴくっと反応する。が、反応しただけで身体はへたり込んだままだ。いつもならすぐに食付いてくる話題だが、まだ暑さが勝っているらしい。

 それならば、と筑摩は小悪魔的な表情で、

 

「知ってますか、利根姉さん」

「……なんじゃ」

「どうでもいいことですが、提督の右の首筋に一つ、そして背中の肩甲骨から尾骶骨にかけて三つ。そこに男らしい傷跡があるんですけどあれってどうしたんでしょうね」

「……ほー」

 

 と、気の抜けた返事が数秒。次いでがばっと顔を上げた利根の表情には焦りと困惑。

 

「な、なぜ筑摩が提督のそんな情報を知っているのじゃ!?」

「さて、なぜでしょうね」

「だ、ダメじゃぞ! ち、筑摩にはまだ早い! 姉としてそんな破廉恥な……」

 

 わたわたと瞳を泳がせる姉を見る筑摩の表情はなぜか蠱惑的で、実に楽しそうだ。

 なおも筑摩の姉弄りは続く。

 

「破廉恥? 私はただ青葉さんから聞いただけですが」

「……ぬぐ」

「利根姉さん、破廉恥ってどういう意味ですか? 一体私と提督で何を想像されたのですか?」

「ぐ、ぐぬぬぬ」

「あら? もしかしてヤキモチですか? 私と提督に――」

「そんなんじゃないのじゃー! 筑摩のあほー! そんなんじゃないのじゃー!」

 

 妹の怒涛の攻めに成す術も無く敗北した利根は、どぱっと涙を流しながらベッドに顔から突っ込んでしくしくと泣き寝入ってしまった。相変わらずの豆腐メンタルである。

 流石にやりすぎてしまいました、と反省しながら筑摩は姉のメンタルの修復作業に入る。

 

「ごめんなさい。困った顔をする姉さんを見ていたらつい楽しくて」

「……別にいいのじゃ。どうせ吾輩は上司である提督で妄想してしまう破廉恥女じゃからな」

「お詫びとして間宮さんのところで冷たいものでも食べませんか。ご馳走します」

「本当か!?」

 

 筑摩の提案に、一転利根は嬉しそうに身を乗り出してくる。

 実のところ、筑摩は最初からこの切り札を用意した上で姉を弄繰り回していたのだが、当の本人は嬉しそうな表情で気づく気配もない。

 まるで菩薩のような穏やかな表情で筑摩は続ける。

 

「今丁度、暑さ対策のためにかき氷を振る舞ってくれているらしいので一緒に行きましょう」

「かき氷か! 吾輩は勿論ブルーハワイにするのじゃ!」

 

 子供のようにはしゃぐ利根に引っ張られながら、筑摩は心の中で思う、姉さんの元気が出て良かったと。

 そのまま二人は軽やかな足取りで間宮食堂へと向かっていった。

 

 

 

 間宮食堂はその性質上、単に食事場としての役割だけを機能としている訳ではない。

 時には迷える子羊のお悩み相談所として、時には猛り狂う大食漢たちの決戦場として、その用途は駆逐艦の微笑ましい交流会から戦艦空母のおぞましいフードファイトまでと実に幅が広い。

 それも全て食堂の主である間宮の人徳か、大小はあれど営業中の間宮食堂から人の気配が消えることは滅多にない。事実今も、各テーブルは涼を求める少女達で埋め尽くされている。

 その中心に吹雪と白雪は座っていた。テーブルの上に特大のかき氷を鎮座させながら。

 

「……暑いね、吹雪ちゃん」

「……そうだね、白雪ちゃん」

 

 試しにスプーンでかき氷を一口。シャリっと小気味いい音と共に一瞬涼しくなるがそれだけだ。涼を求めるというにはあまりにも儚いその感覚に二人は思わず天井を見上げる。

 

「ここなら多少はマシかと思ったけど、甘かったね」

「っていうより、人口密度が物凄い分こっちの方が暑い気がするよ」

「うん、確かに」

 

 吹雪の言葉に白雪がげんなりとしながらぐるりと周囲を見渡す。そして、ひとしきり見終わった後で見なきゃ良かったと後悔した。

 死屍累々、屍の山、まるでゾンビのように呻く仲間達で溢れ返っていたからだ。あまりの暑さにみな着衣が乱れ、かなり扇情的な光景が広がってしまっている。

 丁度姿を現した航巡姉妹の姉の方なんか、ドレスのような下の服をうちわ代わりに堂々と入ってきている。提督がいないからといって、みな乙女心を放り投げすぎではないか。

 

「もしもし? 初雪ちゃん大丈夫?」

「……無理」

「かき氷溶けちゃうよ?」

「……むむ」

 

 姉妹艦で、立派なゾンビと成り果てている初雪が死にかけの蚊のような声で吹雪に返答している。

 姉妹の中でも特に面倒くさがりで出不精の初雪にとって、この暑さは拷問に等しいと言えた。趣味のゲームですら手についていないなんて前代未聞である。

 初雪の隣では深雪が顔面をかき氷に突っ込んだまま機能を停止しているが、誰も触れようとしない。

 

「この暑さでエアコンなしなんて拷問。大本営は私たちを殺す気」

「そうだね。でも大本営もエアコンつけてないみたいだから我慢するしかないよ」

「夜も暑すぎてゲームに集中できない。これは由々しき事態」

「そんなこと言いながらも初雪ちゃん、司令官との約束は一度も破ったことないよね」

 

 白雪の指摘に初雪は前髪を弄りつつ、もごもごと口ごもりながら『司令官に迷惑はかけたくないから』と小さく呟いた。

 ものぐさで面倒くさがりな初雪だが、心根は真っ直ぐでいざという時はしっかりと働くのが彼女という存在だ。働かないときはとことん働かないのも彼女という存在だが。

 

「まあそれでも、他の鎮守府も同じ状況で私たちだけってわけにもいかないよね」

「噂では全員水着で生活している鎮守府もあるみたいだよ」

「……提督は?」

「もちろん水着」

「私だったら引き籠もってる。間違いなく」

「あはは、そうだよね。流石にそれはちょっとね」

「……いいなあ」

『え!?』

 

 白雪の零した一言に二人はどっちだ? と戦慄した。自身が水着を着て生活する方か、提督の水着姿に対してか、前半だとしてもそれなりなのに後半を想像しての言葉だったとしたら……。

 そこまで想像して二人は考えるのを止めた。全てはこの暑さのせい、そう無理やり結論づけて。

 隣では深雪が、元はかき氷だったソレに顔面を突っ込んだままぶくぶくと気泡を上げていた。

 

 そんな楽しげな様子を少し離れたテーブルから眺める人物が三人。

 

「いいわねえ。駆逐艦の子たちはこの暑さでも無邪気で楽しそうで」

「あ、足柄姉さん、足閉じた方が……他の子も見てますし」

「胸元もおっぴろげすぎよ足柄。少しは淑女としての嗜みを覚えなさい」

 

 妙高型姉妹の妙高と足柄、羽黒。彼女たちも例に漏れず間宮食堂に涼をとりに来たのだが、額から流れる汗がその効果の全てを物語っている。

 部屋にいるよりもむしろ暑い。それでもかき氷が食べられるだけ幾分かマシ、そう三人は結論づけていた。

 

「そんなこと言ってるけど、羽黒も妙高姉さんも少し胸元はだけてるわよ」

「え、えと」

「こ、これくらいはいいんです! あなたのそれはやりすぎです!」

「仕方ないじゃない。この暑さだもん、少しぐらい大目に見てよ」

「で、でも下着が見えちゃいそうで」

「提督がいるわけでもないし別にいいじゃない。それに私ぐらいになると魅せる下着で魅力も倍増。まだまだイケるわよ!」

「なんで泣いてるんですか。まったく、あなたは少し那智の勤勉さを見習うべきですね」

「この暑さの中、野外訓練に行っちゃう那智姉さんも大概だとは思うけど?」

 

 ここに来る前に『少しいい汗をかいてくる』そう言い残し、那智は灼熱の太陽のもと嬉しそうに野外演習場へと歩いて行ったのだ。

 足柄は姉の奇行に戦慄したが、何か言うと巻き込まれそうだったので無言で見送った。触らぬ神に祟りなし、アレは狂気の類に違いない。

 

「それにしても本当に暑いわね。こんな状況で書類相手に何時間も仕事してるなんて提督ってやっぱり凄いのねえ」

「でも、前の隣の鎮守府のときみたいに無理されてないか心配です」

「そうね。今夜にでも冷たいものを作って差し入れに行こうかしら」

 

 二人の心配そうな表情に何を思ったのか、足柄が急に妙高と羽黒を抱き寄せ、至る所を弄りはじめる。

 

「うふふ。二人とも乙女の表情しちゃって。この際だから聞いておきたいんだけど、羽黒と妙高姉さんって提督のことどう思ってるの?」

「あ、や、ダ、ダメ! 足柄姉さんそんなとこ触っちゃ……んあ!」

「ちょ、ちょっと! 足柄止めなさひゃう! ど、どこ触って……んっ」

「ほらほら正直に吐いちゃいなさい。じゃないとどんどん触っちゃうわよ~」

 

 耐え難い暑さのせいでオーバーヒートしてしまったのか、足柄の酔っ払いのような絡みはどんどんとエスカレートしていく。

 くんずほぐれつすったもんだの密着戦を繰り返す内に三人の衣服はどんどんはだけて、いろいろと危ない領域まで突入してしまっている。

 たまたま近くにいた青葉が、今が好機とばかりにシャッターを連射するが三人はそれどころではない。

 

「足柄、いい加減に――」

 

 ぬるぬると絡みつく汗の不快さと、極限を極める衣服のはだけ具合に妙高の堪忍袋の尾が切れそうになったそのとき、誰かが間宮食堂の扉を開ける音が静かに響き渡った。

 次いで、入ってきた人物と三人の視線がぴったりと重なる。

 彼女たちにとって不幸だったのは、その場所が入口に一番近い場所だったこと。

 

 遠くで誰かが呟いた。

 

「あ、提督だ」

 

 同時に、鎮守府全体を揺るがすような羞恥の悲鳴が間宮食堂に木霊した。

 

 

 

 妙高と羽黒による足柄への説教はこれから夜まで続くらしい

 周りで囁かれる物騒な話に内心で三人に謝りながら、提督は間宮にかき氷を貰うべくカウンターに向かっていた。

 

「提督、あんまり気にしんとき。あれは足柄さんが全面的に悪いけえ」

「いや、しかし私も中の様子を確認ぐらいするべきだった」

「本当に提督は真面目やねえ。ま、そこが良い所でもあるんじゃけど」

 

 今日の秘書艦である浦風が額の汗をぬぐいながら横にぴったりと引っ付きながら歩く。

 先程鎮守府を揺るがした三人は羞恥に燃え上がりながら、提督に謝罪の言葉をひとしきり並べ、逃げるように去って行った。妙高による一撃で気絶した足柄を引きずりながら。

 

「それにしても今日はぶち暑いのう。全然汗が止まってくれんわ」

「こんな日に秘書艦を頼んですまない。浦風のおかげで今日の執務は普段より進みが早い。だからこの後は無理に秘書艦の仕事をする必要はないぞ」

 

 提督としては浦風の体調を考えての言葉だったが、当の本人はむっとしかめっ面で、

 

「何を言うとるん? うちはこの日を何よりも楽しみにしてたんよ? 提督、普段全然うちらのお茶会に参加してくれんのやから、今日ぐらい一緒にいてもええやろ?」

「そうか……そうだな、そのためにかき氷を食べに来たんだったな、いつもありがとう浦風」

「ええんよ。なんやったらずっとうちが秘書艦の仕事やったげてもええんじゃけえ」

 

 駆逐艦にしては豊満な一部が自然と触れるのを気にせず浦風は提督に密着する。周りでは今にも暗黒面に堕ちてしまいそうな少女達が迸る怨念を惜しみなく彼女に送っているのだが、浦風は全く気づいていない。

 自分の気持ちは声に出して真っ直ぐに、それが信条の浦風は提督へのアプローチに遠慮がない。影ではその積極性から”青いライオン”と呼ばれ、ある界隈からは要注意人物の筆頭に挙げられている。

 

「そんなに引っ付いては暑いだろう」

「もう、提督さんはいけずやねえ」

 

 それでも一向に努力が実を結ぶ気配がないのだから、本当にこの提督という男は残念である。

 カウンターで間宮と伊良湖に挨拶をした二人は、それぞれが頼んだかき氷を手に、空いている中央寄りのテーブルに腰掛ける。

 同時にわらわらと艦娘の少女たちが寄ってくる。

 

「提督おっそーい! もっと早く来るって言ってたじゃん!」

「このクソ提督! 来るならもっと早く来なさいよね!」

「いいねー提督渋いねー。宇治金時なんて最高じゃん。あ、大井っちと一緒だ」

「な、なんでマネしてんのよ!」

「待ってましたヨーテイトクー! さあ一緒にバーニングラブな食べ比べするネー!」

「お、お隣失礼します。はい、榛名は大丈夫です」

 

 数分も経たない内に提督の周りは賑やかな少女たちで囲まれた。

 少し前は滅多にこういう場に姿を現さなかった提督だが、最近はこれもコミュニケーションをとる上で大切な一つの方法なのだと実感できているため、可能な限り時間を捻出して顔を出すようにしている。

 差し出される大量のスプーンに困惑しながら、提督は思い出したかのように一枚の紙を取り出した。

 

「折角これだけ集まっているのだ。君たちに一つ報告しておくことがある」

 

 提督の言葉に室内が静まり返る。

 向けられる瞳にはもしかして、という期待の輝きが漫然と秘められていた。

 一つ咳払いをして、口を開く、

 

「この半年の君たちの働きが評価されたおかげで、我が鎮守府は大本営から慰安の意味もかねて軍管轄のプライベートビーチへ招待されることになった。日頃の疲れも溜まっているだろう。皆、存分に羽を伸ばしてくれたまえ」

 

 言い終わるや否や、地鳴りのような大歓声が部屋全体を包み込んだ。

 皆が皆、先刻まで襲っていた暑さを完全に忘れて喜び合っている。中には外に飛び出して行ってしまうものもいた。

 

 そんな様子に満足しつつ、提督はかき氷を一掬いし口に含む。

 開け放たれた窓からは、セミの鳴き声と射すような太陽光。その視線の先では大きな入道雲が青空を泳ぐように流れていた。

 

 

 鎮守府に、本格的な夏が到来した。

 




 とりあえず投稿。
 感想返信はまた明日。


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第二十九話 運

 


 待ちに待った軍管轄のプライベートビーチへの慰安旅行を翌日に控えた今日この日、出撃その他もろもろの通常任務を終えた全ての艦娘が鎮守府内のとある一室に集まっていた。

 旅行前の残務の最終処理のためか、提督の姿は部屋にはない。

 真っ白なテーブルクロスがかけられた五人掛けの丸テーブルが合わせて二十以上。それぞれのテーブルとセットの椅子全てが、ざわつく少女たちで埋め尽くされている。

 普段は滅多に使われない来賓へのおもてなし用の大広間は今、かつてない熱気で包まれていた。

 

「谷風さん、一号車の二十三番」

「かぁー惜しい! でも悪くはないね!」

 

 全員が座っている場所の前方、大きなスクリーンが映し出された壇上の上で、大淀が読み上げた番号に谷風が面白い反応を見せている。

 同時に周りは『危ねえ!』だの『いいなあ!』だのと実に楽しそうな歓声で沸きあがっており、部屋の雰囲気はさながら軽いお祭り状態だ。

 そんな彼女たちが、現在何をしているのかというと、

 

「提督と同じ一号車だからと言って、バス内ではあまり騒ぎすぎないようにお願いします」

「がってん! よっしゃあ! これで明日は勝つる!」

 

 旅行先へ行って帰ってくるために乗るバスの席順決めである。

 招待されるプライベートビーチはここから距離のある大本営周辺の海辺にあるため、送迎がつくのだ。時間にして二時間と少し。文字通り、大本営直々の特別待遇だ。

 が、当然百人を超える大所帯である我が鎮守府の全員が一台のバスに乗れる筈がなく、計三台のバスが手配されることになっている。

 二日前に提督がさらりと告げた事実に、初めは誰もがそうですか、とさして重要ではなさそうな反応しか示さなかった。

 しかし、とある駆逐艦の少女の幼い口から発せられた一言で事は一変した。

 たまたま近くにいた雪風の、本当に何気ないその一言で。

 

「じゃあ、しれえはどのバスに乗るんですか?」

 

 戦慄、そして沈黙。

 言葉がでなかったのではない。全員、大規模戦闘の最前線時ばりに頭をフル回転させていたのである。

 そうだ、これはチャンスじゃないか。バスといえば二人席、そして提督の隣には誰かが座る。それは二時間以上もの間、提督と合法的に密着できることを示している。

 更に、急な揺れで、

 

『大丈夫かね?』

『は、はい。あ……そこは』

『ふむ、念のため応急修理が必要みたいだな』

『あ……そこはまさぐっちゃ駄目……ああん』

 

 的なオプションまで可能とくればそれはもう楽園と言っても過言ではない。

 個々人に差はあれど、概ねそんな感じのお花畑的思考がもれなく全員の脳内を駆け巡った。

 とどのつまり雪風の言葉は、その場にいた全員の妄想を最大限に掻き立てたのだ。どのくらいかというと、英国かぶれと一航戦の頼りづらい方、栄光のビックセブンと宇宙戦艦が同時に鼻を押さえて上を向く程度には。

 

「私は一号車の一番前でいい。隣は誰かが座ってくれると嬉しいが……まあそんな物好きもいないだろう。席順は君たちで好きに決めなさい。私の隣は空席でいいから」

 

 もし元帥がこの場にいたら、無言でチョップをかましていたであろう言葉を残して提督はその場を去っていった。

 提督は気付いていない。『嬉しい』という自分の言葉が彼女たちの理性を吹き飛ばしたことを。

 艦娘たちは感動していた。提督がわずかながらでも自分たちの誰かの存在を求めてくれたことを。

 その後の展開はまあ察しの通り、話し合いでは解決する気配が微塵も感じられなかったため、公平にくじ引きでということになり、今に至る。

 

「比叡さん、二号車の十八番」

「ひ、ひえ~」

 

 壇上ではなおもモニターに表示されたバスの座席が、読み上げられた番号と共に次々と埋まっていっている。

 一人が引くたびに、安堵と悲鳴の声。そんな歓声の輪の中、部屋の片隅に陰鬱たる気配を漂わせるテーブルが一つ。

 その中心で、装甲空母の艦娘である少女――大鳳は静かに自分の番を待っていた。

 

「大鳳、大丈夫? 何か凄く思い詰めた顔してるけど」

「あ、いえ! 大丈夫です! 本当に全然」

「そう? なら良いけれど」

 

 モニターに注視しすぎていたのか、向かいに座る翔鶴に表情を指摘され、思わず上擦った反応になってしまう。

 それでいてなお、視線は壇上から外さない大鳳の瞳は期待と不安に揺れている。なんのことはない、彼女もまた提督の隣を狙う大勢の中の一人なのだ。

 

「そんなに気にする必要はないわよ、大鳳」

「……陸奥さん」

 

 ふいに右隣に座る陸奥が大鳳の肩に手を添える。

 戦艦、陸奥。かのビッグセブンの妹である彼女は提督への誘惑時を除けば非常に優秀な艦娘だ。提督の性格を熟知した上で、身体と口を巧みに使い、繰り広げられる誘惑の数々はとても大鳳では真似できそうにない。

 そんな彼女の瞳のハイライトは現在、失われている。

 陸奥はそのまま、テーブルに座るメンバーである山城、扶桑、翔鶴、大鳳を順に見やり、悟ったように呟いた。

 

「くじ引きで、私たちが提督の隣になることなんて絶対にないから」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 重すぎる空気に誰もが無言となる中、追い打ちをかけるように陸奥が一枚の紙をテーブルに置く。

 そこに書かれた無慈悲の数字に何人かが思わず顔を逸らしている。

 

『三号車、四八番』

 

 悪魔の数字だ、と大鳳は思った。

 提督の隣である一号車の二番とはまるで真逆。くじ引きの開幕投手だった陸奥は全員が見守る中、いきなりこれを引き当てたのだ。その心中を察するのはそうそう容易ではない。

 四人の憐みの視線を盛大に受けながら陸奥は、静かに机に突っ伏して泣いていた。

 相当悔しかったらしい。

 

「ああ陸奥さん、なんて痛々しい姿に」

「陸奥さん、扶桑姉さま、これで涙を拭いてください」

「でも、あの陸奥さんがこんなになるなんて」

「……大鳳さん、この気持ちは引いてしまった人物にしかわかりません。そういうものです」

 

 実は既に引き終わっている翔鶴が『三号車、四十番』と書かれた紙を手に、どこか遠い目を窓の外に向けていた。

 今更だが、この人員配置には何か悪意を感じてしまう大鳳だったが今更なので無理やり飲み込んだ。

 

「私だって少しは期待していたんですよ? 提督はこんな私でも信頼していると言って下さいますし、いくら運が悪いと言っても確率的な問題だから今回はもしかしてって。でもやっぱり駄目なんですね、これはもう私には提督の隣にいる資格はないということですかそうですかそれなら私はもう――」

「しょ、翔鶴さん! ほら次、瑞鶴さんの出番ですよ! 応援してあげましょう!」

「あら?」

 

 あまりのショックに暗黒面に堕ちてしまいそうな翔鶴だったが、妹の登場と共に瞳に光が戻る。

 翔鶴さんって意外と深く考え込むタイプなんですね、と心のノートにメモりながら壇上に登る瑞鶴へと視線を移す。

 前方に見える瑞鶴は右手と右足が同時に動いており、遠目からでもがちがちに緊張しているのが見て取れた。

 くじの箱の前で一度大きく深呼吸し、意を決したように瑞鶴は一気に一枚の紙を引き抜いた。それを受け取り、司会進行役である大淀が紙に書かれた文字を読み上げる。

 

「瑞鶴さん、一号車の五番」

「や……やったー!!」

 

 瑞鶴の歓喜の声に少し遅れて、部屋中が一気にどよめいた。

 無理もない、と大鳳は思った。一号車の五番と言えば提督の真後ろの席であり、もしバスの座席が回転式なら提督と向い合せで会話が可能な優秀なポジションだ。

 周囲の反応から察するに、この席を狙っていた艦娘も少なからずいたようで、みな肩を落としている。

 向かいでは翔鶴が『ああ、よかったわね瑞鶴』と満面の笑みで拍手を送っていた。

 

「おめでとうございます瑞鶴さん」

「ありがとうございます! ん~嬉しい! これが五航戦の力よ! 翔鶴姉! どこぞの一航戦の鉄面皮さんとは違うってところ見てくれた!?」

「流石に頭にきました」

「か、加賀さん抑えて抑えて!」

 

 真後ろからぶーんという艦載機発艦の音が聞こえてくる。が、とりあえず聞こえないことにした。

 あの一航戦と五航戦が絡んだときの解決法は専門業者に頼むこと。後は後方からの爆撃が頭に直撃しないことを祈るのみ、大鳳はそう結論づけて無言で赤城を応援した。頑張ってください赤城さん。

 

「あら? 大鳳さん何か落としましたよ……お守り?」

「え……あ!」

「なになに……開運招福のお守り?」

「あ、いや、その……それは」

 

 しまった! と思うも束の間、山城のニヤニヤした視線が突き刺さる。

 この状況で開運のお守りを所持しているところの意味合いはどう考えても一つしか思い浮かばない。

 大鳳は自分の体温が急上昇するのを感じ、あまりの恥ずかしさに耳まで真っ赤になっていることを自覚する。

 

「大人しそうな顔して、意外と独占欲強かったりしちゃいます?」

「そ、そんなことないです!」

 

 いけ今だ加賀さんの艦載機、山城さんの記憶を消してしまえ、と願ってみるも残念ながら効果はない。

 いっそのこと自分で発艦しようか、と思考が物騒な方向へと傾きかけたところで姉の扶桑が山城を諌めるように会話に入ってくる。

 

「駄目ですよ山城。あなただって不幸艦同盟の立派な一員、大鳳さんの気持ちも痛いほど理解できるでしょう」

「はっ!? すいません大鳳さん!」

「……いえ、別にいいですけど」

 

 それよりも不幸艦同盟ってなんですか、それ間違いなく私も入ってますよねと聞き返そうとするよりも前に、二人は椅子を引いて席を立った。

 どうやら彼女たちの番が回ってきたらしい。

 

「言いたいこと聞きたいこと、いろいろあるでしょう。それも全て、私が無事帰ってきたときに、ね」

「扶桑姉さま、この流れでなんてフラグを……」

 

 なぜか自信に満ちた表情の扶桑の後ろで山城が戦わずして敗北を悟っていた。

 少しずつ小さくなっていく二人の背を見ながら、大鳳はそれでも諦めない。

 不幸艦と噂される自分たちでも、今の自信溢れる扶桑ならばもしかしたら、と気のせいかもしれないが、確かにそう感じたのだ。

 

「扶桑さん、三号車の五十番」

「…………」

 

 本当に気のせいだったようだ。

 

「おい! 扶桑が無言で大破したぞ! 妖精さん担架を!」

「まってました」

「ひさびさのでばんです」

「扶桑お姉さま! しっかりして下さい! おのれ……この恨み私が晴らして見せます!」

「山城さん、三号車の四十九番」

「…………」

「くっ! 扶桑に続いて山城までっ! 誰か提督から高速修復剤の使用許可を! このままでは明日の出発時を二人ともドッグで迎えることになる!」

 

 そんな馬鹿な話があるか、と全員の呆れた視線に晒されながら扶桑と山城は担架でドッグへと運ばれていった。

 去り際に扶桑が『せ、戦略的撤退よ』と呟いていたが、誰がどう考えても完全敗北で異論はない。今頃、事情を聞いた提督が頭を抱えてしまっているかもしれない。

 大規模戦闘時でも滅多に出ない大破者がでたというのに、壇上の大淀は涼しい顔で次の人を呼び、くじ引きを再開させている。

 

「金剛さん、一号車の七番」

「オー! グレイト! 隣ではなかったケド、凄くイイ番号ネー! ムフフ、この機会に絶対テイトクのハートを射抜いてみせマース!」

「長門さん、二号車の二十八番」

「馬鹿な!? 私は栄光のビッグセブンだぞ!?」

「長門さん……文月の隣……イヤなのかなあ?」

「あーもう提督の隣と同じくらい最高の席を引いてしまったな! はっはっは!」

「時津風さん、三号車の十三番」

「んなバカな!」

「由良さん、一号車の二十四番」

「あら? ふふふ、それじゃあ提督に由良のいいところ、見せちゃおうかな?」

「三隈さん、二号車の四十一番」

「く、くまりんこ!」

「大和さん、三号車の一番」

「…………」

「この馬鹿姉! 無言でもう一枚引こうとするな! 諦めて壇上から早く降りろ!」

「武蔵さん、一号車の十四番」

「ほう……いや待て姉さん。そんなに震えながら主砲をこちらにいやいや待て待て待て!」

「白露さん、二号車の一番」

「いっちばーん! だけど全然嬉しくないよー!」

 

 壇上での大抽選会はまだまだ続く。

 

「響さん、一号車の三十二番」

「ハラショー」

「日向さん、二号車の四十六番」

「……まあ、そうなるな」

「イムヤさん、一号車の十番」

「やった! 司令官と同じバスでしかも近くなんて嬉しいな!」

「足柄さん、三号車の六番」

「んにゃ!? んにゃー!!」

「漣さん、二号車の二十二番」

「メ、メシマズ!」

「摩耶さん、一号車の十九番」

「よっしゃあ! って違う! 別に提督のことなんてあたしは……おい鳥海なんでビデオ回してんだよ!」

「黒潮さん、三号車の二十一番」

「あかーん! それはあかんて!」

「高雄さん、二号車の四十番」

「じ、自分に馬鹿め……と言って差し上げますわ! うう!」

「プリンツさん、一号車の十二番」

「Danke gut! わわっ! ビスマルク姉さま、なんでそんなに怖い顔してるんですか?」

「綾波さん、一号車の三十番」

「や~りま~した~!」

 

 どのくらい経過しただろうか。握りしめた両手にはじわりと汗が滲んでいる。

 既にスクリーンに映ったバス席の三分の二ほどは艦娘の名前で埋まっている。しかし提督の隣は依然、空白。

 綾波に次いで、パッとモニターに映された自分の名前に、大鳳が立ち上がる。

 

「大鳳さん、頑張って」

「はい。行ってきます」

 

 翔鶴に背中を押され、大鳳は歩き出す。

 壇上が近くなるにつれて、緊張が増しているのがわかる。心臓の鼓動を抑えることができない。

 

(ただのバスの席順を決めるだけで、こんなに緊張しているのは私だけよね)

 

 今の自分の姿に軽く自嘲しつつ、少しだけ恥ずかしい気持ちが込み上がる。

 それでも大鳳は願わずにはいられない。

 半年以上前に着任してからずっと描き続けた提督の隣が、空いているのだ。そこに辿り付くチャンスが少しでもあるならばなりふりなど構ってはいられない。

 運が悪く、今までこういったことで願ったものを一度も手に入れたことのない自分だ。引ける確率は万に一つもないかもしれない。

 

(でも、何もしないで諦めるのはもっと嫌だ)

 

 顔を上げた大鳳の目の前に壇上が迫る。動悸が激しい。息が苦しい。きっと駄目だ。でももしかしたら。せめて提督と同じ一号車を。

 制御できない思考の渦が汗となって頬を伝う。

 散漫となった意識の端でどこからか聞き覚えのある声を掛けられているような気がした。

 

「大鳳さん! これ落としましたよ!」

 

 いつの間に落としてしまったのだろう。

 差し出されるお守りと緊張のピークに相手を確認しないまま、礼だけを伝え壇上を駆けあがる。

 

 ――今のは誰だったのだろう?

 

「さあどうぞ、大鳳さん」

 

 目の前にくじの箱が差し出される。

 大鳳は今一度、お守りを強く握りしめたあと、静かに箱へと手を差し入れる。

 いつのまにか緊張は消え、不思議と迷うことはなかった。

 まるで誰かに促されるように一枚の紙を取り出し、大淀に手渡す。

 

 そこに書かれた数字に大淀が一瞬目を見張るが、すぐに変わらぬ声音で読み上げる。

 

「大鳳さん、一号車の二番」

 

 瞬間、驚愕と悲鳴の入り交じった絶叫のようなものが部屋中に響き渡った。

 

 

 

 大鳳は暫く、大淀の言葉の意味を理解できなかった。

 しかし、提督の隣に表示された自分の名前を見て、やっと自分が大当たりを引けたことを認識する。

 

「やった……やった……やった!」

 

 大鳳の歓喜の声に合わせて、部屋から拍手の音が響き出す。それはまぎれもなく大鳳を祝す号令で、見れば部屋中の仲間達が大鳳に惜しみない拍手を送っていた。

 一発勝負の公平な勝負の末、大鳳が勝ち取った結果だ。そこに悔しさはあるが、異論はない。

 なんだかんだいってここの少女たちは、勝ち取った仲間を祝うことのできる潔い心を持っているのだ。

 それも全て、提督と過ごした時間があってこそではあるが。

 

「なんだか夢のようだわ」

 

 壇上から降りた大鳳は未だ、浮付いた足取りで自分の席へと向かっていく。

 その途中で一人の駆逐艦の少女と目が合う。

 

 そこで大鳳は全てを理解した。理解した上でなお少女に近づき、大きく、それでいて陽気に微笑んでみせた。

 

「ありがとう雪風。お守りを拾って届けてくれたのはあなただったのね」

「はい! おめでとうございます大鳳さん!」

 

 お守りと共に、幸運のカケラを届けてもらった不幸艦である少女、大鳳。

 小さな善意から、幸運のカケラを届けた幸運艦筆頭である少女、雪風。

 

 二人の間を隔てる壁はない。

 あるのは、心からの祝福とそれに対する感謝の言葉だけ。

 

「明日が楽しみね、雪風」

「はい! 大鳳さんとも一緒に遊びたいです!」

 

 こうして、提督不在の中、艦娘たちの夏の前夜祭ともいえるイベントは幕を閉じた。

 ちなみに雪風はその後、しっかりと瑞鶴の隣を引き当てたのだが、それはまた別のお話

 




 水着回だと思った? 
 残念、ただの前日でした! 
 なんだか思ってたのより後半がしみじみしてしまった。もう少しはっちゃけた話になる予定だったのですが、まあいいか。

 扶桑と山城には後でちゃんと出番あげるから許して下さい。


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第三十話 出発

 実は今回も水着回ではない……すいません!
 少しテンションが上がってしまい、少し長めです。
 それでもいいという方のみお進みください。


「短い時間ではございますが、快適な陸の旅をお約束致します」

 

 嬉々としてバスに乗り込む少女たちに相好を崩したまま、一号車担当であろう運転手は提督に向かってそう告げた。

 小さく軍章の刺繍が入った制服に皺はなく、両手にはめられた白の手袋の先では制帽が下げられている。

 早朝であるとはいえ、夏のこの時期に汗ひとつかかずに恭しく頭を下げる白髪の男性に、提督は感謝の意をもって同じように頭を下げた。

 

「よろしくお願い致します」

 

 見れば、男性の後ろに立つ二号車と三号車の運転手もこちらに向けて礼を返している。

 旅行は行って帰ってくるまでが旅行だとよく言われるが、この人たちがそれを一番よく理解しているのだろう。

 何事も初めと終わりが重要なのは変わらない。

 

「提督、全員の乗車が確認できました」

「ありがとう大淀。よし、これで出発できるな」

「といっても、私は二号車ですけどね」

「な、なぜ少し不機嫌そうなのだ?」

「別になんでもありません」

 

 なんでもありませんと言っているわりに、大淀にしては珍しいふくれっ面で、恨めしそうに一号車を眺めている。

 が、昨日の大抽選会に参加していない提督にとっては彼女の心の内がわかるはずもなく『もしや出発前のメンバーの最終確認を任せたことが気に障ったのだろうか』と見当違いなことに頭を悩ませている。

 ある意味いつも通りの光景である。

 そんな提督の心境に気が付いたのか、大淀ははっと顔を上げたかと思うと何度も謝りながら逃げるように二号車のバスへと消えて行ってしまった。

 

「ほっほ。随分と慕われているようですね」

「いえ、彼女たちには気を遣わせてばかりで。情けない話ですが、支えられているのはいつも私の方です」

「人ひとりを支えるには相応の努力と『支えたい』という想いが何より重要。幹の細い支えはすぐに折れてしまうもの。この老いぼれの目からも、ここの少女たちは皆、人ひとりを支えるには十分な幹をお持ちに見えましたが」

「……私も精進します」

 

 提督の巌のような表情と言葉に運転手は苦笑しながら去り際に、老いぼれの戯言だから気にしないように、と付け加えて運転席へと戻って行った。

 

「ヘーイテイトクー! なにしてるネー! そんな暑い所にいつまでもいないで早く出発するヨ!」

「こ、金剛、重いからのしかからないでくれるかな」

「ノー! ワタシ重くないデース! 時雨よりは重いかもですケド……平均値なんだからネー!」

「ご、ごめん、そういう意味で言ったわけじゃ……提督、みんな待ってるから早く行こ、ね」

 

 金剛と時雨の催促に連なるように、他の者達も窓を開けて騒ぎ始める。後ろを振り返れば、一号車だけでなく二号車や三号車からも声がかけられていた。

 こちらはこちらで、

 

『一号車よりも二号車の方が快適だよ』

『三号車には美味しいお菓子が一杯あるよ』

 

 と、最後まで地味な努力を続けている辺り、諦めが悪いというか逞しいというか。

 そんな健気な彼女たちをいつものように、すまないと一言で意気消沈させた提督は、一度だけ鎮守府の方を振り返った。

 夏の朝陽に照らされる鎮守府に一礼だけ添えて、すぐにバスへと向き直る

 

「それでは行くとしよう」

 

 誰に告げるでもなく、短くそう呟いて、提督はバスへと乗り込んでいく。

 総勢百名を超える我が鎮守府の夏の一大イベントともいえる、一泊二日の慰安旅行へ向けて。

 

 いざ、出発!

 

 

 

 バス内は提督が想像していたよりも遥かに快適だった。

 適切な温度に保たれた空調、ゆったりとしたリクライニング付きのシート、各座席に取り付けられたモニターは映画などの視聴のみならず外部との通信も可能となっている。前方に取り付けられた二つのスクリーンもモニターと同じ機能を備えている。

 更に、座席を回転させれば四人での談笑もできて、バス特有の騒音や振動もほとんど感じられない。

 快適さだけでいえば、新幹線にも引けをとらないだろう。

 

 だというのにバスの最前列――提督と大鳳の座る席の間には、なんというか微妙な空気が流れていた。

 

「大鳳、落ち着かないようだが大丈夫か」

「え、あ! いえ大丈夫です!」

 

 提督の問いかけにぶんぶんと両手を振って否定する大鳳だが、その様子は明らかにおかしかった。

 両足はぎゅっと閉じられたまま足先だけが何かを求めるようにもぞもぞと動いており、両肩には力が入りっぱなし。何か言おうとしては空気だけが吐き出される口元に加え、視線はしきりに提督を気にしているのが窺える。

 そんな様子の大鳳を横目に提督は一人思案顔。

 

(体調が悪いわけではなさそうだが……やはり原因は私か。いくら心根の優しい大鳳といえど、ずっと上司の隣では気疲れするのも当然。ここは私がさり気なく立つべきだな)

 

 原因としては間違っていない、間違った思考のまま立ち上がろうとする提督の服の裾が何かに引っ張られる。

 

「た、大鳳?」

「……駄目です」

 

 違和感を感じた裾を大鳳が握っていた。ぷるぷると左右に振れている表情は耳まで真っ赤に染まっている。

 短い言葉ではあったが、大鳳の発した一言に提督は深く反省した。このネガティブな思考は自身を信頼してくれている艦娘に対する裏切りだと先程学んだばかりではないか。

 一度強く拳を握ったあと提督は静かに座席に座り直し、そのまま大鳳の絹のような髪をゆっくりと撫でる。

 

「ありがとう大鳳」

「ひゃえ!? あ、えと! こちりゃこそ! いつも感謝しておりますです!」

 

 提督の突然の行為と礼に大鳳は嬉しさと焦りを通り越して、言語に異常をきたしていた。頭からはぼふんと蒸気のようなものが舞い上がっている。

 いきなり馴れ馴れしすぎたかと心配するが、大鳳の表情に嫌悪感はなく、提督は先程までの違和感が消えたことに安堵の息を漏らす。

 

「最近鎮守府ではどうだ? きちんと休養はとれているか?」

「は、はい。少し前は艦載機の錬度もまだまだだったのですが、最近は上手く波長を合わせられるようになってきたと思います」

「大鳳は真面目だな。そこが君の美点でもあるのだが」

「ふふっ。提督にそれを言われるとは思いませんでした」

「ぬぬ?」

「休暇もきちんと頂いています。最近近くに美味しいおぜんざいを出してくれるお店を見つけたんですよ」

「む? それは興味深い話だな」

「本当ですか! でしたら今度の休日にでも一緒に――」

 

 こんな時こそ親睦を深めようと、渾身の一撃で放った提督の、まるで親戚のおじさんが言いそうな会話の種に大鳳が花開いた向日葵のように明るい表情で応えていく。

 ここにきてやっと旅行の様相を呈してきた雰囲気に穏やかな表情を見せる提督は気がつかない。

 席を挟んだ横と後方に四十八の魑魅魍魎が、今にも爆発しそうな表情で二人の話に耳を澄ませていることに。

 怨嗟の念でねじ曲がりそうな空間に一人の少女が立ち上がる。

 

「ヘーイテイトクー! 真面目で素直で可愛らしい大鳳のお相手もいいですケド! ワタシたちを忘れたらノーなんだからネー!」

「む? 金剛か」

 

 声の主は言わずと知れた金剛型戦艦姉妹の長女、金剛だ。鎮守府一のお騒がせ娘と名高い彼女の印象は提督の脳内にも焼き付いており、姿を視認するまでもなく声だけで反応する。

 隣では褒められた大鳳が素直に頬を染めているが、今問題なのはそっちではない。

 

「別に君たちを忘れているわけではないのだがな」

「とのことデスガ、皆さんどう思いますカー?」

 

 提督の返しに金剛がニヤリと笑い、煽るように周囲へと反応を促している。

 

「いやっぽいー! 夕立にももっとかまってほしいっぽいー!」

「蒼龍にも自慢できるから私もお話したいかなーなんて」

「べ、別にこの叢雲を差しおいて他の娘と話したって別に……ってなんでみんなこっち見てニヤニヤしてんのよ!」

「昔みたいに提督と話するのも北上さん的にはありかなー」

「私もたまには提督さんとお話がしたいです……いえすいません! では、私はこれで……」

「雪風はしれえの膝の上がいいと思います!」

「提督とは一度腹を割って話がしたかったところだ。あのバカ姉のことでいろいろ思うところもあるだろうしな」

 

 バス内の至る所からクマクマニャーニャーキソ―と騒がしい主張の声が響いてくる。

 そのどれもが提督の落ち度にはならないただの願望に満ちた要求であるのだが、場の雰囲気が提督に謎の責務を押し付け、思考を鈍らせる。

 あまりの圧力に唸る提督にすかさず金剛が本題へと話を持っていく。こういう時まで優秀でなくてもいいのだが彼女の脳内には提督の二文字しかないのだから仕方ない。

 

「聞きましたカーテイトクー? 皆、テイトクとのスキンシップが足りなくて悩んでいるデース。そうデスヨネー時雨?」

「そ、そうだよ! 提督はもう少し僕らとコミュニケーションをとるべきかな!」

 

 普段あまり主張の強くない時雨の指摘が効いたのか、提督はぐうっと更に呻いている。

 その裏で金剛が時雨に右手の親指を立てていた。間違いない、この二人、事前に示し合わせていたのだ。

 証拠に時雨が小さく『ごめんなさい提督』と呟いているが本人には聞こえていない。

 

「そんなテイトクのために素敵なクイズを用意したヨー! 名付けて『提督はどれだけ艦娘を見てくれているかなクイズ』デース!」

「な、なんだそのいかにも怪しそうなクイズは」

「フフ、それはとりあえず彼女たちも揃ってから説明しマース」

 

 言いながら金剛は車両前方に取り付けられた二つのスクリーンを軽快な仕草で操作していく。

 数分後、画面一杯に見慣れた顔が映し出された。

 

『ほう、本当に提督が映っているぞ。走行中でも通信が可能とは、流石のビッグセブンである私も驚いたぞ』

『あらあら、到着まで提督とお話するのはお預けかと思っていたけど、金剛もたまにはやるじゃない』

 

 映し出された映像は二号車と三号車のバス内の映像。同時に音声まで耳に届く。

 長門と陸奥の後ろからは大勢の仲間達がこちらに向けて手を振っている。通信が可能とは聞いていたが、ここまで鮮明な映像と音声を送れるとは大本営の技術も並ではない。

 意外なところで海軍の技術力の高さに舌を巻いていると、金剛が一枚の用紙を手渡してくる。

 その内容を読み終え、提督は珍しく不敵に微笑んだ。

 

「なるほど、このクイズはさながら君たちから私への挑戦状というわけか」

「流石はテイトク、察しが早いネー」

 

 同じく楽しそうに笑う金剛を見ながら、提督は内心で感心していた。

 形はどうあれこれは、鎮守府の全員が楽しめるレクリエーションの要素を多分に含んでいる。人数の都合上どうしても三台のバスに別れざるを得ない状況で、きっと彼女たちが必死で考えたのだろう。

 本当に仲間想いの良い子たちばかりだと内心で称賛を送りながら、提督はクイズの概要を頭の中で整理する。

 纏めるとこうだ。

 

 一、このクイズは事前に艦娘側が用意した問題を提督が答える一問一答式で行われる。

 二、内容は全て明確な答えのある問題になっており、抽象的な回答が答えとなることはない。

 三、問題内容は提督がこの鎮守府に着任してから本日までの全ての期間、全ての出来事を範囲とする。

 四、回答は全て、艦娘本人かそれに付随するものに限定され、提督の知らない事は問題とならない。

 五、あくまで旅行中の娯楽なので提督が覚えていなくても怒らない。

 六、提督は三回まで質問をパスできる。

 七、回答時間は三十秒。ゲームは三十分一本勝負。

 八、制限時間内に三回間違えるか、パスを全部使い終わった後に一回でも間違えると提督の負け。三十分経過した時点で提督の勝ち。

 九、罰ゲームは勝った方がその場で考える。

 

 改めて考えても、提督に不利なゲームといってしまって間違いはないだろう。

 ようは提督の記憶力と艦娘との信頼関係を問うクイズなのだが、いかんせん期間と範囲が広すぎる。普通なら不公平だと騒ぎたくなるものだが。

 あろうことか提督は静かに、それでいて自信に満ちた声音で驚くべきことを言ってのけた。

 

「私にパスはいらない。それと最後の罰ゲーム、もし私が勝っても別に要求するものは何もない。君たちが旅行を楽しんでくれたらそれでいい」

 

 無茶な、と誰もが思った。

 だが、提督の表情は不敵に微笑んだままで誰も口を挟む者はいない。スクリーンの奥で誰かが『カッコいい……結婚して』と呟いていたが誰もツッコまない。

 

「オー! いつにも増してカッコいいですネ! でも後悔先に立たず、ワタシたちが勝ったらどんな要求が待っているかわかりませんヨ?」

「男に二言はない。その時は私の身をもって全ての要求に応えてみせよう」

 

 全て、という単語にバス内とスクリーンがざわつく。

 どうやら煩悩にまみれた何人かがよろしくない妄想を働かせたようで、一部分が血に濡れている。スクリーン内では同時に『また大和(加賀)か』という呟きが響いている。

 

「それでこそワタシのテイトクデース! 時雨、準備はイイですカ?」

「うん、司会は金剛さん、質問は僕が担当するからね」

「ああ、いつでも大丈夫だ」

「それでは、ミュージックスターット!」

 

 金剛の張りのある声に続いて、バス内に陽気な音楽が流れ始めた。

 ふと時雨と視線が重なる。今、その綺麗な蒼の瞳に、容赦の色は存在しない。

 一度小さく頷いて、時雨は首にかけた銀時計のスイッチを押す。

 

 勝負が始まった。

 

「質問、この鎮守府に最初に着任した艦娘は誰?」

「電だ。彼女が初期艦で良かったと今でも私は思っている」

「正解」

 

 即答。

 周囲からはおおっと感嘆の声が上がっている。

 二号車の奥では電がうるると涙目になっているが、提督からは遠すぎてわからない。

 

「まあこれくらいは常識的な範囲かな? どんどん行くよ」

「うむ」

「質問、一週間前の南西諸島への出撃でMVPをとったのは誰?」

「羽黒だな。中破した仲間を庇いながらの奮闘は見事だった」

「正解」

「し、司令官さん、覚えていてくれてるんだ」

 

 またしても即答。

 一週間前とはいえ、ここまで覚えているものなのかと周囲のざわつきが大きくなる。

 当初の予定では、この機会に提督に無理難題を吹っかけて甘えちゃおうというのが命題だったのだが、若干雲行きが怪しくなってきている。

 金剛と時雨は視線だけで『遠慮はいらないデース!』『了解!』と意思疎通をはかっているようだ。

 どう考えても二人とも煩悩にまみれているが、指摘するものは誰もいない。

 

「ここからちょっと難易度上がるよ」

「任せたまえ」

「質問、今では恒例となっている月一回の間宮さん手作りのデザート新作発表会ですが、その第六回に出された新作デザートとは何だったでしょう?」

「自家製ミルクを使った濃厚バニラアイス、だな。当時はその名前のせいであらぬ噂が流れて大変だった覚えがある」

「せ、正解」

「て、提督! それは忘れてくださいっていったのに!」

 

 間宮の珍しい大きな声に周囲が驚いている。

 いったいどんなものだったのか近くに座る磯風が尋ねるも、耳を真っ赤にしたまま首をぶんぶん振って何も答えようとはしない。

 流石にこれを即答されるとは思っていなかった司会の二人の瞳から余裕の色が消える。

 そこからはもう怒涛の質問攻めだった。

 

「質問! 毎回使用に提督の許可が必要な野外演習場、今までで平均して一番使用頻度が高いのは誰!?」

「一番は神通、二番が朝潮、次いで那智だな。三人とも自分に厳しい尊敬に値する人物だ」

「正解!」

「そ、そんな……顔が火照ってしまいます」

「朝潮の心は常に司令と共にあります!」

「ほう? 三番目とは嬉しいものだな。どうだ貴様、今夜にでも一杯」

 

「質問! 各艦毎に性能の異なる艦娘ですが、駆逐艦のなかで一番戦果をあげているのは誰でしょう!?」

「戦果でいうと夕立だな。キス島沖での撤退作戦での彼女の活躍は今でも鮮明に覚えている」

「正解!」

「提督さん覚えててくれたっぽい!? 夕立感激して涙がでそう~!」

 

「質問! 三か月前、南方海域への鼠輸送遠征において大成功をおさめた立役者は誰だったでしょう!?」

「皆頑張ってくれていたが、立役者は鬼怒だ。彼女がドラム缶と共に奮闘してくれたおかげで大成功といえる物資の補給ができた」

「正解!」

「提督の顔見ると、やる気が出てくるからね! マジパナイよ!」

 

「質問! 我が鎮守府の中でも練度の高い金剛型四姉妹ですが、演習時において一番被弾率が高いのは誰か!?」

「それは金剛だな。普段の出撃ではそうでもないのに、なぜ演習時にあそこまで被弾するのか私にも原因がわからないのだが」

「正解!」

「……それって」

「……つまり」

「単に金剛お姉さまが提督に良い所を見せようとしすぎて空回りしているだけでは?」

「ちちち、違いマース! ワタシはちょっとダケ、そう、ほんの少しテイトクの視線が気になっているだけデース!」

 

「質問! 我が鎮守府でも無類の航空戦力を誇る空母機動部隊ですが、その中で一番最初にMVPに選ばれたのは誰か!?」

「鳳翔だ。今でこそ前線を離れて店の運営とサポートに回ってくれているが、当時はまぎれもなく我が艦隊の筆頭空母だった。今でもよく空母の子に指導をしてくれている。あの凛々しい表情が私の記憶から消えることはない」

「正解!」

「なんだか照れてしまいますね。でも提督にそう思って頂けて私は本当に幸せ者ですね」

 

「質問! 昨年の夏の大規模戦闘での祝賀会で酔い潰れて大泣きしたのは誰!?」

「蒼龍だな。彼女は酒に弱いが雰囲気を楽しむためによく飲んでいるみたいだが、あの時は流石に驚いた。女性の大粒の涙を見たのは久々だったから一瞬硬直してしまった」

「正解!」

「や、やだやだやだあ! 私そんなことしてた!? 記憶にないんだけど本当なの飛龍!?」

「本当っていうか、自覚なかったの蒼龍?」

 

「質問! 間宮さんすら配属されていない最初期時代、食事は提督が作っていたこともあるそうですが、そこで一番最初に艦娘に出した手料理は何!?」

「チャーハンと出来合わせの野菜炒めだな。今考えてもあれを料理と呼ぶことに抵抗があるぐらい不出来な代物だったと記憶している。電と加賀と北上には申し訳ないことをした」

「正解!」

「いえ、あの日は素晴らしい一日でした。流石に気分が高揚します」

「提督のチャーハン、ハイパーな北上さんになった今でも覚えてるよー。アレは美味しかった」

「なのです! 司令官さんの野菜炒め、電は大好きなのです!」

『三人だけずるくない!?』

 

「質問! 全艦娘の中で一人だけ、間違えて提督用のシャワー室を使用したことのある人がいますが、誰でしょう!?」

「……大和だな。あの時はたまたま私が使用したあとだったから良かったが……まあ間違いは誰にでもあるだろう」

「正解!」

「確信犯だ!」

「確信犯にゃ!」

「確信犯クマ!」

「ち、違います! 大和は決して不埒な想いで提督のシャワー室を……ってそんな目で見ないでください!」

 

 どれだけ答えただろうか。

 その後も矢継ぎ早に繰り出される質問に、提督は一問たりとも黙することなく答え続けた。

 結果、

 

「も、もう無理だよ。提督の勝ちでいいよね金剛」

「し、仕方ないデース! 周りも叫び過ぎと褒め殺しでノックダウンしてますネ……今回は勝ちを譲るデース」

「む?」

 

 一時間を超える延長の末、司会進行役が根をあげるという結末でクイズ大会は幕を閉じた。

 改めて周囲を見渡しても、にやけたまま荒い呼吸を繰り返す艦娘たちで埋め尽くされており、いかにこのクイズ大会が危険だったかを物語っている。

 スクリーンの奥でもほぼ同じような光景が広がっており、生き残っているのは鳳翔や榛名など自制心を保つことができた精鋭のみ。

 

「最後の方は最早質問でもなかった気がするが……む?」

 

 途中でふらりと提督側に身体を預けてきてそのまま眠ってしまった大鳳を介抱しつつ、窓の外に映った光景に提督はふうと溜息を一つ。

 どうやら思った以上に時間が経過していたらしい。

 

 すぐ後ろで、クイズ大会を最後まで楽しんでいた雪風がなおも元気な声で提督の脳内の言葉を代弁する。

 

「しれえ! 海です! とっても綺麗ですね! 雪風、わくわくが止まりません!」

 

 雪風の陽気な声にあてられたのか、次々と窓の方へ少女達が集まってくる。

 そのまま、示し合わせたかのように全員が満面の笑みと共に、大きな声を張り上げた。

 

 

『海だー!!』

 

 

 いつも見慣れている光景とは違う、透き通った蒼の世界。

 視界一杯に広がる白い砂浜を眺めながら、提督はむくりと起き上がった大鳳へ定番の挨拶を一つ。

 

「おはよう、大鳳」

 

 天気は晴天、空は快晴。

 絶好の海水浴日和に提督は思わず頬を緩ませる。

 そのまま四十八人の少女と一人の提督を乗せたままバスは目的地へと向かって行く。

 

 窓の外ではカモメが二羽、全員を歓迎するようにゆったりと飛んでいた。

 




 ただのバス回。

 でも旅行の時ってこういう時間が楽しかった覚えありませんか?
 ともあれ今回も水着回ではなかったことは申し訳ないです。
 この一連のお話は前々から書きたかったものの一つなため、じっくり丁寧に書いていたら遅々として進まない(悲

 次はきっと水着が登場するはずなので! たぶん!
 それまでゆっくりとお待ち頂けたらと思います。

 ※前話までの感想返信は今日か明日には必ず。
 
 


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第三十一話 夏の慰安旅行 其の一

 毎年、夏場の大本営管轄のプライベートビーチには、休暇を取得した多くの軍関係の人々が憩いを求めて訪れる。

 プライベートビーチと一概にいっても敷居は低く、申請さえ通れば誰でも使用することが可能な、いわば海軍専用の娯楽施設のようなものだ。夏の後半には海軍の認知度を広げようと様々な催しを開き、一般開放も行われている。

 水質は非常に高く透明度でいえば、かの伊豆半島周辺の海にもひけをとらないほどで、少し歩いたところの海の家ではシュノーケリング用の機材を借りることもできる。

 海周辺にはこれまた軍所有の大型ホテルが営まれており、値は多少張るが質の高い料理とサービスを堪能できるため休暇はここで過ごすという軍人も少なくない。

 そして毎年この時期にやってくる、大勢の艦娘を引き連れた鎮守府御一行様の慰安旅行もここの夏の風物詩。

 

 他の休暇客とは別に設置された専用の大型更衣室で、そんな海の守護者の少女たちはなぜか全員座っていた。先程までの衣服ではなく、今は上下共に薄い一枚の布地という非常に露出の高い姿で。

 言うまでもない、全員水着姿だ(一部上にTシャツを着ているが)。

 白、黒、赤、青、緑、黄、ピンク、ボーダー、ストライプ、水玉、瑞雲等々。そのまま水着で虹が作れそうな――一般男性視点から言わせてもらえば楽園的な――そんな光景が広がっている。

 全員が全員、誰に見られることを想定してか、この日のために選んできましたと言わんばかりの気合の入った水着と表情だ。

 総勢百名以上、その煌びやかな集団の中から一人の艦娘が前に出る。

 

「いいですか、皆さん」

 

 凛としてよく響く声の主――正規空母筆頭である加賀は静かに唇を動かす。

 最近、真面目な皮を被った残念空母と評価を落としかけている彼女だが、今の姿と表情だけ見ればそれでも十分魅力的だ。

 上は白を基調に枠色が青、下は枠色と同じ青色の、紐でくくるビキニタイプの水着。シンプルなデザインだが、それが逆に彼女のスタイルの良さを際立たせている。

 

「やっぱり戦艦や空母のみなさんはスタイルが良い人たちばかり……それに比べて私は……はあ」

「大丈夫だよ磯波ちゃん! そのセーラー服タイプの水着すっごく可愛いよ!」

「吹雪の言う通りだぜ。この日のために貯めてた給金で買ったんだろ? 自信持とうぜ!」

「吹雪ちゃん、深雪ちゃん……うん、ありがとう」

「つっても本当に見てもらいたいのは、アタシたちじゃないだろうけどな。シシシッ!」

「み、深雪ちゃん! か、からかわないでよお!」

 

 集団の前方では自分の胸を触りながら肩を落とす磯波をフォローする吹雪と深雪の三人。セーラー服タイプ、ワンピースタイプ、タンクトップタイプと三者三様だが、似合っていないなんてことは全くない。

 三人につられるように徐々に騒がしくなる室内を加賀が制し『皆、わかっていると思いますが』と前置きしてから本題へと移る。

 

「今から私たちはこの姿、つまり水着姿で提督の前に立つことになります」

 

 加賀の言葉に部屋の温度が一気に増した。

 顔を赤くする者、緊張する者、余裕そうな者、姿見で何度も自分の姿を確認する者、胸を触り、静かに瞳からハイライトを消す者、反応は様々だ。

 中央では何を想像したのか大和が、身に着けている真っ赤なビキニ姿と同じ色に全身が染まっていたせいで、部屋がサウナになりかけたのを武蔵の手刀が止めていた。

 

「あはは、わかってはいたけど、改めて考えるとちょっち緊張しちゃうね」

「そんな露出の高いマイクロビキニ姿で何を言ってますの? それでいて明るめな緑のボーダーって流石に攻めすぎですわよ鈴谷」

「……熊野だって提督が好きな色が青色だって知っててその色なんじゃん? しかもホルタ―ネックで胸を強調って鈴谷より狙ってるっしょ。胸元にリボンまでついてるし」

「た、たまたまですのよ! それに強調なんてしてませんわ!」

 

「……日向……その水着の模様……なに?」

「よくぞ聞いてくれた、伊勢。何を隠そうこの模様は全て瑞雲だ。この日のために特注で頼んでおいたのだよ。これで提督も瑞雲の素晴らしさを再度認識することだろう」

「うん……まあ……日向がいいならいい……かな」

「伊勢の水着は白に赤紐のフリル付きか。どれその余った部分に瑞雲を書いてやろう」

「や、やめて! これは提督のために買った水着なんだから……ってうそうそ! 今のうそ!」

「まあ、そうなるな」

「~~~~~~ッ!」

 

「阿賀野姉! いくら胸元が開くタイプの水着だからってそれは開けすぎ! お願いだから提督に恥をかかせるようなことだけは止めてよね!」

「えー? でもこの水着可愛いでしょ? きっと提督さんも男の子だからこれくらい大胆な子の方が好きだと思うけどなー」

「て、提督はそんなこと……多分……ないはず」

「いやいや、わかんないよ? ほら能代も提督に喜んでほしいでしょ? 折角お揃いの水着、姉妹で揃えたんだからもっと胸元開けよ?」

「提督が喜ぶ……提督が喜ぶ……提督のためなら」

「ぴゃあ! 能代お姉ちゃん大胆! ぴゅう……酒匂、全然胸ないよう」

「見ちゃダメよ酒匂。あの姉二人を参考にしたらダメ。あなたにはあなたの良さがあるから」

「……矢矧お姉ちゃんも胸元開いてるよ?」

「!?」

 

 なおもざわつく仲間達を眺めながら、加賀は小さく肩を竦めて苦笑する。

 提督のこととなると本当にどうしようもないぐらい騒がしくなるのは毎度の事。それでいて提督に関する話ならどんな状況でも聞き漏らさないのだから呆れてしまう。

 加賀自身そうであるため、多少の気恥ずかしさを感じつつも話を続ける。

 

「みんなの提督とスキンシップをとりたいという気持ちもよくわかります。ですが、昨日の最後にみんなで話し合った決め事も忘れないで下さい」

「ノープロブレムデース! 相変わらず加賀は心配性ネー。ワタシたちほど節度のある行動を心掛ける艦娘はいませんヨ!」

 

 どこからか微妙なイントネーションと共に聞き慣れた耳によく響く声が返ってくる。

 やけに自信ありげなその返答にぴくっと眉尻を動かしながら、加賀は声の主に向かって冷たく言い放つ。

 

「あらそう? なら金剛、今あなたの着ているTシャツの裏に馬鹿みたいに大きく『提督LOVE』と書かれているのは、節度のある行動からくる結果なのかしら?」

「オウ! ベリークールな表情デスネ加賀! 女の嫉妬は犬も食べまセーン!」

「…………」

 

 加賀のすぐ近くで、鏡相手に自分の水着姿の最終確認を真剣に行っていた赤城は後に語る。

 あの時の加賀の瞳には鬼が宿っていた。もしあのまま気づくのがあと少しでも遅れていたら、加賀の艦載機は金剛と共に瑞鶴の水着も破いていただろう、と。

 

「か、加賀さん! こんなところで発艦はマズイですよ!」

「ひ、比叡姉さま、榛名! 早く金剛姉さまのTシャツを脱がして!」

「ひええ!」

「金剛お姉さま失礼します!」

「オウマイシスター!? ノー! そのTシャツは提督に愛を込めてって榛名、ロッカーにしまうのは止めるデース!」

「妖精さん、この鍵、ホテルに戻るまで預かっていてもらえますか?」

「はるなさんのたのみとあらば」

「よ、妖精さん待ってクダサーイ!」

「いざゆかん、ていとくさんのもとへ」

 

 一部始終をきゃっきゃと楽しそうに見ていた妖精さんに榛名が鍵を渡し、そのまま外に飛んでいくのを見届けて、そこで諦めたように金剛はがくっと膝をついた。

 首から胸を通り背中をクロスして肩で止める形の上に、際どいラインをなぞる薄いオレンジ色の下と大胆なデザインの水着の金剛に、絹の素材でできた柔らかい質感の黒色ボーダービキニの比叡。

 光の当たり方で波のように見える素材が使用された、足首近くまで広がる蒼色のパレオ付き姿の榛名に、ホットパンツと薄桃色のワイヤービキニの霧島。

 性格が全然違えば水着のチョイスも全然違うのは当然だが、各々が自分の魅力をよく理解して選んでいることは誰の目にも明らかだ。

 四人の騒動と赤城の制止に冷静さを取り戻しつつ、加賀はそれかけた話を修正すべく頭の中を整理する。

 

「ごめんなさい。提督を待たせている事ですし、決め事だけ最後に確認して本番といきましょう」

 

 そう、決め事。

 昨日の大抽選会の後にみんなで決めた提督のための休戦協定であり、全員が等しく平等にこの旅行を楽しめるように考えた六つのルール。

 

「島風」

「一つ! 提督が本当に困ることはしない!」

「よろしい。扶桑」

「二つ、提督の艦娘である自覚をもった行動を。恩を仇で返すような行為はもってのほかです」

「よろしい。夕張」

「三つ! 水着は女の武器! 振り向いてほしければ行動で示せ! ただし強引すぎるのは禁止です!」

「よろしい。愛宕」

「四つ、提督の独占禁止。一緒にいたいからってずっと離れないのはマナー違反よ~」

「よろしい。瑞鶴」

「え!? 私? えと五つ! 以上を踏まえた上で提督と一緒になれたときは素直に甘えよう!」

「帰りなさい」

「な、なんでよ!?」

 

 間違ってないでしょ!? とわめく瑞鶴に冗談よ、とすまし顔の加賀。

 なんだかんだ言って、加賀本人もこの慰安旅行に胸を躍らせているらしく、瑞鶴への対応も普段より随分と柔らかい。

 そのまま一度わざとらしく咳払いした後『最後はまあ言わなくてもわかっていると思いますが』と呟いて、加賀はチラリと全員を見やる。

 そろそろ我慢の限界なのか既に中腰になりかけている目の前の少女達は、互いに高揚を隠せない表情のまま頷き合い、せーのの掛け声とともに最後の一つを飛び跳ねるように宣言した。

 

 

『六つ! 全力でこの旅行を楽しもう!!』

 

 

 

 一方その頃、男一人早々と着替えを済ませた提督は、白い砂浜の上にシャツに半パンというラフな格好で全員が使用する拠点作りに勤しんでいた。

 

「みな、後はこのテントを立てれば終わりだ。すまないがもう少し頑張ってくれ」

『はーい!』

 

 元気のよい返事と共にテントの隙間からひょこひょこっと顔をのぞかせてくるのは四人の潜水艦の少女達。

 普段から水着を着なれている彼女たちは初めから下に水着を着こんでいたため、更衣室に寄る必要がなかったのだ。

 そのため一足早くビーチへと出た彼女たちは和気藹々と拠点作りを手伝っていた。

 

「まるゆ、どうだ? そっちの脚が上がれば完成なんだがいけそうか?」

「うう~、す、すいません~」

「無理はしないでいい。どれ一緒に、せーの」

「んや!」

 

 まるゆの可愛らしい掛け声とともにガチャっと音を立てて最後のテントが組み上がる。

 計五つの大型テントと十数脚のベンチにパラソル、三十分以上かけて完成させたそれらを横目に提督は一息つきながら額の汗を拭う。

 

「た、隊長。ありがとうございます。まるゆ全然お役に立てなくてその」

「謝ることなどどこにもない。まるゆの働きは十分私を助けてくれたよ」

「そ、そうですか……えへへ良かった~」

 

 色の白い肌を震わせながらふにゃと相好を崩すまるゆの姿は普段の白いスクール水着ではなく、水色と白の水玉模様が可愛らしいワンピースの水着姿。

 どこか小動物を連想させるそんな姿に和みつつ、頭を撫でていると提督の背中に『どぼーん』という声と誰かが抱きついてきたような感覚が走り抜ける。

 

「ぬぬ……ユーか?」

「違いますって! 今はローちゃんです!」

「うぬ、すまない。そうだったな」

 

 数日前までユーだったローが頬をぷくっと膨らませながら首に腕をからませてくる。

 日本語が多少おかしなことになっているが、提督も未だ、改装後の彼女のあまりの変貌ぶりに押されっぱなしなため気にした方が負けである。

 

 呂500、それが今の彼女の名前だ。

 肌は日頃の遠征任務のためか小麦色に焼け、提督と買いにいった白のワンピースの水着の隙間からはくっきりと日焼け後の境界線が覗いている。

 性格も以前の彼女とは比べものにならないほど明るく社交的になっており、提督としても日本文化にすっかり馴染めたようで一安心……といいたいところだが、少し馴染み過ぎなのではと思わなくもない。

 ひと夏の経験が少女を変えるとよく言うが、一夜の改装でいったい彼女の身に何が起こったのか。 

 以前、同室のゴーヤにそれとなく聞いてみたのだが、一瞬にして仁王像のような表情に変化したためすぐに取りやめた。本当に何があったというのだろうか。

 

「提督、お疲れ様ですって! ローちゃんも一生懸命頑張りました! はい!」

「ああ。本当に助かったよ。ありがとうロー」

「ふふーん。Danke……ちがった、ありがとうございます!」

「く、首筋を甘噛みするのはやめたまえ」

「やーです!」

「ま、まるゆも噛んでみます!」

 

 ローの癖なのか、親愛表現なのか、よく彼女は提督に背中から飛びついては首筋をはむはむと甘噛みする。

 決して嫌悪感を抱くものではないが、どことなくむず痒い気がしてそれとなく注意するが一向に止める気配はない。それどころかまるゆまで右手をついばみ始めてしまった。

 そのまま右手をまるゆに、背中でローを支えている提督の懐に更に二人の少女が入り込んでくる。

 

「司令官! 一応イムヤも頑張ったんだけど、見ててくれた?」

「あそこのパラソルははっちゃんが立てました」

「う、うむ。イムヤもハチも良い働きだった。後で飲み物をご馳走しよう」

 

 提督の提案と共に真下に膨らませた浮き輪を二つ置き、そこに腰掛けながら砂浜に座っている提督に二人は思いっきりもたれかかる。

 おへそ部分が開いたスポーティな水着のイムヤと、水着使用の花柄キャミソールにハーフパンツのハチ。

 計四人に寄り掛かられながらも普段鍛えてるせいか、提督はぐらつくことなくしっかりと受け止めている。

 

「あれ? シオイとイクとでっちは?」

「飲み物の買い出しかな。流石に全員分は無理だけど」

「まるゆもお手伝いしたほうが良かったでしょうか?」

「別にもうすぐ帰って来るでしょ。それにあの三人は私とハチとまるゆに内緒で提督と水着を買いに行ったからその罰よ。ね? 提督、ローちゃん?」

「イ、イムヤ……目が笑ってないかなって」

「ぬぐ……すまない」

 

 一応、彼女たちが今着用している水着は全て提督と買いに行ったものではあるのだが、やはり後半組の視線がちくちくと痛い。

 やはり公平、皆平等という言葉は尊いものなのだな、などと現実逃避を始めた提督の視界に買い出し組の三人の姿が映る。

 

「あー! 四人ともそんなに提督と密着して凄く楽しげなのね! イクのいないところでズルイの!」

「ロー! 提督の首筋を甘噛みするのをやめなさいって何回言ったらわかるでち!」

「えっと、それなら私は提督の空いてる左手を貰っちゃっていいのかな?」

 

 三人とも以前提督と買いにいった水着姿で、そのままあろうことか遠慮なく飛びこんできた。

 おかげで流石の提督も七人分の少女を支え切ることは不可能だったようで、べしゃっと情けない音を立てながら白粒の砂流へと倒れこむ。

 

「油断も隙もあったもんじゃないのね」

「普段から提督を誑かしてるイクが言えた言葉じゃないわよ」

「ロー、いい加減提督から離れるでち」

「でっち! 買い出しお疲れ様ですって! そのピンクのゆるふわビキニ可愛いね!」

「ひ、人の話を聞くでち!」

「まるゆもハチも新しい水着凄い似合ってるね。可愛い」

「シ、シオイさんも空色のセパレートが凄くお似合いです!」

「ダンケ。私もまるゆと同意見」

「さんなんてつけなくていいよまるゆ。でも二人ともありがとね」

 

 砂浜に身を投げ出したまま笑い合うイク達の表情は実に和やかで、提督の心には早くも来れて良かったなどという親心のような違うような不思議な気持ちが湧いていた。

 そんな自分に気が早いなと苦笑交じりに一人一人手を差し伸べて起こしていく。

 

 ふと名前を呼ばれたような気がして後ろを振り向いた。

 そこに映る百を超える少女たちの大波。

 遠くから少しずつ近づいてくる大勢の仲間たちを見て、提督を除いた七人は同時に顔を見合わせて笑う。

 

「みんな、さっきのイク達と同じ顔してるの」

「後で何してたのか根掘り葉掘り聞かれそうな気がするわ」

 

 言いながら、七人も同じように白い砂浜を駆けていく

 視線の先には虹が一つ。

 

 

 これからが本番だな、とひとりごちながら提督はゆっくりと七人の後を歩いて行った。

 




 話が進んでないですね。
 この回書くだけで無駄に水着に詳しくなってしまったような気がします。

 先に言っておきますが、この旅行編凄く長くなりそうです。
 なるべく多くの艦娘に出番をあげられるよう頑張りますのでどうかお付き合いのほどお願い致します。

 ※前回までの感想返信は明日中には必ず。


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第三十二話 夏の慰安旅行 其の二

 仕事で遅くなりました。申し訳ありません。


 まるで一本の虹がかかったみたいだな。

 目の前に立ち並ぶ少女達の姿を見渡していた提督は、一人そんなことを感じていた。

 

 隣では大淀が全体に向けて簡単な注意事項と、集合時刻の最終確認を行ってくれている。それさえ終われば後は自由行動になるためか、半数以上の意識は既に海へとフライングスタート気味ではあったが、概ね真面目に話を聞いている状態だと言えるだろう。

 あくまで表面上は、だ。よく見ると、大多数の視線が大淀に向かっておらず、すぐ隣に立つ提督に集中していた。

 では何が問題だったのかというと、それは提督の今の姿にあった。

 更衣室から出て、一番初めに提督の姿を見た時、少女達は少なからずがっかりしてしまったのだ。

 

『提督はなんで水着じゃないの?』

 

 いったい彼女たちは何を期待してしまっているのか。だが、男性だって海に来たら少なからず女性の水着姿に期待するように、もしかしたら女性も男性の水着姿を期待するものなのかもしれない。

 なんでと言われても、そうだからとしか言いようのない、艦娘たちの謎の心のモヤモヤに勿論提督は気づいていない。

 一応彼女たちの名誉のために言っておくが、決して全員が気落ちしたわけではない。ないが、もれなく八割ががっかりしたのだから、それはもう全員と纏められても仕方がない。

 数の暴力、理不尽な世の中、そんな少女達の不満感を背景に、まとめ役の大淀が最後の質問タイムを設けた瞬間、駆逐艦雪風が花柄ワンピース姿で抜錨した。

 

「はい!」

「どうぞ、雪風」

「しれえはなんで水着じゃないんですか?」

「……ぬ?」

 

 雪風の勇敢さにもれなく皆、心の中で拍手を送る。

 純粋な雪風は単純に、提督と一緒に遊びたいという気持ちから質問をしただけなのに、なぜかその頭を周りの少女達が次から次へと撫でては元の位置に戻っていく。下心満載の褒め方が実に残念である。

 当の本人は意味もわからず、くすぐったそうにはにかんでいるだけなのが唯一の救いか。

 一方、まさか自分にそんな質問が飛んでくるとは夢にも思っていなかった提督は実に珍しい、完全に力の抜けた表情を、どこからかぬるうっと現れたカーゴパンツと黄緑色のタンキニ姿の青葉に激写されている。

 きっと後で高値で売買されるのだろう。

 

「水着は一応、ズボンの下に履いている。だが見て楽しいものでもないだろうし、ここで脱ぐ必要も――」

「提督」

 

 途中まで言いかけた提督の言葉の上から、誰かが更に言葉を被せてくる。

 数秒後、集団の後方から現れた二人の少女が真っ直ぐに提督へと近づき、あろうことかそのまま彼の右手と左手にそれぞれ腕をからませてしまった。

 一瞬、場が騒然となりかけるがすぐに何か考えがあってのことだと思い直し、皆押し黙る。

 

「ち、千歳と陸奥、どうしたのだ?」

 

 一応聞いてはみたが提督の脳裏では既に警鐘が鳴り響いていた。

 千歳の妙に艶めかしい視線。これはアレだ、宴会などで酔ったときに見せるあまりよろしくない類の視線だ。

 このままでは何か凄くよからぬ事が起きると提督はなんとか腕の開放を試みる。

 しかし、千歳もさることながら逆側の陸奥から伝わる柔らかい何かが提督の強引さを吸収してしまう。彼女は薄い素材の水着を着用しているのか、その破壊力は抜群だ。

 ちらりと陸奥の方を振り向いても、妖艶な瞳でぱちりとウインクを返されてしまいどうすることもできない。

 

「提督。私たちは今、水着姿です」

「う、うむ。そうだな」

「そこのところ男性として何か思うところはありませんか?」

「ぬう……みな、可愛らしくもあり、魅力的だなと……感じていたところだ」

「ふふっ。ありがとうございます」

 

 やや強引な千歳の誘導ではあったが、提督の言葉は正直な気持ちであった。それが伝わったのか一人ひとり、頬をかいたり、素直に喜んだりと個人差はあれど、嬉しそうである。

 しかし二人とも引っ付きすぎではないかという妬みの視線を一蹴したまま、千歳は短いフリル付きの水着を強調させるように耳元で囁く様に告げた。

 

「ここは海です。そして私たちも水着。となれば当然提督も脱いじゃいますよね?」

「むむう」

 

「いやそのかんがえはなにかがおかしい」

「ていとくさんだまされちゃだめです」

「いやあれはだめなかおですね。さきにてぃっしゅをよういしてくるです」

「せんりゃくてきてったいですか」

「むねん」

 

 少し離れたところで妖精さんが懸命に提督を応援していたが、五秒で諦めてテントにティッシュを取りに飛んでいく。実に合理的な判断だが、提督の名誉のためにも、あと十秒ぐらいは応援してあげてもよかったのではないだろうか。

 別に提督としてもすぐ脱ぐつもりではあったのだが、人間こうも急かされ注目されると逆に脱ぎ辛くなってしまうもので、なんとかこの場は穏便に収めて後で静かに一人で脱ごうと画策している。

 まずは二人を落ち着かせようと、一番前で成り行きをはらはらしながら見守っていた電に助言を求めて声を掛けてみる。

 

「君たちの水着姿ならまだしも、私の水着姿などここで披露する価値のあるものでは到底ない。電もそう思うだろう?」

「はわ!? え……えと……その」

 

 急に話を振られた電は瞳を白黒させながら少しだけ逡巡したあと、頬を朱色に染めつつ言い放った。

 

「い、電も司令官さんに脱いでほしいのです!」

「…………うむ」

 

 予想だにしなかった発言だ。加えてどこからか憲兵が現れても何ら不思議ではない危険性すら含まれている。

 駆逐艦電の大人なレディ的発言に千歳も陸奥も戦慄し、思わず提督の腕を放してしまっている。電の隣では暁がなぜか地団駄を踏みながら悔しがっていた。

 そのまま、提督は滝に打たれた修行僧のように険しい表情で静かにシャツの裾に手をかける。

 納得したわけではない、ただ諦めただけ。

 

 幼い駆逐艦の少女にとんでもない発言をさせてしまった罪悪感と、意固地にならずさっさと脱がなかった自分自身の女々しさを恥じながら、提督はシャツを堂々と捲り上げていく。

 もう一度確認しておくが、ただ提督が水着姿になるかならないかというだけの話である。

 それだけで、提督の表情が艦隊決戦時ばりに厳つく変化し、その姿を見つめる艦娘の顔が世界平和一歩手前の大興奮状態になるというのが、この鎮守府の日常なのだ。

 提督はそのまま潔く下に履いていた半パンも脱ぎ捨てる。

 

「これで私も水着だ」

 

 遂に水着姿を披露した提督のその身体は実に均整がとれていた。

 上半身は必要以上に筋肉がついている訳ではなく、しかし明らかに鍛えているのが一目でわかる肉付き。筋肉をつけようとして鍛えたわけではなく、鍛錬を通して自然と出来上がった身体、そんなイメージが一番しっくりくる。

 ところどころ身体に傷跡があり、特に首筋から背中にかけて目立つ傷が三つ。しかしその傷跡を隠す仕草もなく堂々としている姿はどこか、その傷に誇りを持っているようにさえ見えてくる。

 下に履いた水着は競泳用のモノに極めて近く、派手な柄もない青いラインが二本入ったシンプルなデザインだが、提督の性格も相まって違和感もなくフィットしている。

 同性から見ても羨ましくなるような身体を見せながら、提督は少し気恥ずかしそうに後ろ髪をかきながら反応を待った。

 が、いくら待っても何の反応もないため、提督が少し不安になったところで案の定、最前列にいた雪風が瞳を輝かせながら笑顔で褒め言葉を伝えてくれた。

 

「しれえ! 雪風が思ってた通りすっごくすっごくカッコいいです!」

「そうか……ありがとう、雪風」

「えへへ!」

 

 こういうとき素直に想いを伝えてくれる雪風の強さと優しさに救われたような気持ちになる提督。同時に少女達が無理やり押さえつけていた衝動が氾濫した川のように溢れだした。

 

「え? 嘘、マジ? 提督めっちゃカッコいい身体してんじゃん! 鈴谷的に超好みなんだけど!」

「鈴谷の好みはおいといて、確かに素敵な身体ですわね。鍛えてらっしゃるのかしら?」

「なになに~? なんか淡白な反応じゃん熊野。らしくないなー」

「鈴谷こそ、ここが公衆の面前だって自覚しての発言ですの?」

「……!? やだ……マジ恥ずかしい……見ないでってば!」

 

「んー、やっぱ提督のアレって毎日デスクワークしてる身体じゃないよねー」

「別にムキムキでもナヨナヨでも私からすればどうでもいいですけどね」

「そんなこと言いながらも視線は提督の身体から外さない大井っち、いいねー痺れるねー」

「な、何を言ってるんですか北上さん! 私はハイパーな北上さんのハイパーボディが見られればそれでいいんです!」

「そっかー」

 

「青葉ちょっと撮るの止めなさい! 提督に失礼よ!」

「なに言ってるんですか衣笠! こんな美味しい機会年に一回あるかないかなんですよ!? これを撮らずして誰が鎮守府カメラマンか!」

「あんたいつからカメラマンに転職したのよ……」

「一枚二百円」

「三枚貰うわ」

 

「はわわわわ! 秋雲のスケッチの手が残像を生み出してます~!」

「話しかけないで巻雲ちゃん。今、提督の身体を手と脳裏に焼き付けているところだから」

「ああ、真剣な表情なのに言動が意味不明ですぅ」

「よし完成! ほら見てよ、提督のカッコよさがよく描けてるでしょ?」

「へやぁ!? なんで司令官様の水着がブーメランパンツになってるんですかぁ!?」

「そこはほら、より独創性を追求した結果というかさ」

「秋雲のばかぁ!」

 

「こんごうさん、てぃっしゅです」

「Oh……ソーリー……ありがとうございマース」

「かがさん、てぃっしゅです」

「……鎧袖一触よ。問題ないわ」

「びすまるくさん、てぃっしゅです」

「ダンケ……提督もなかなかやるじゃない」

「やまとさん、といれっとぺーぱーです」

「あ、ありがとう……はあはあ……ございます」

 

 キャーキャーと騒ぐ者、視線だけで焼肉が焼けそうな程見つめる者、目をぐるぐるさせたまま激写する者、高速でスケッチする者、鼻を押さえながら幸せそうな表情で妖精さんの配るティッシュに手を伸ばす者。

 反応は様々だが、がっかりした様子ではないことに提督は少しだけ安堵する。

 どんな状況であれ、彼女たちの上に立つものとして誇れるような人間でありたい。たとえそれがどんなに小さく、取るに足りないことであっても。

 

「すまないな、大淀。これ以上私なんかに時間を使うのも勿体ない」

「…………」

「大淀?」

 

 先程からチラチラと視線だけをこちらに向けてきていた、前から見たらワンピース、後ろから見たらビキニというモノキニ姿の大淀だが、なぜか提督の呼びかけに反応しない。

 どうしてか妙に自分の身体を注視されているようで、気が気ではない提督が仕方なく肩に手を置くことで『ふひゃあ!』という奇妙な反応をいただいてしまった。

 

「す、すみません! つい見惚れてしまって……いや違います!」

「む、こちらこそ不躾に触れて申し訳ない」

「いえそんな! それはそうと質問ももうないようですし解散してもいいですよね!」

「ああ。長くなってしまったが自由行動としよう」

「了解しました!」

 

 最後まで大淀らしくないハイテンションのまま、彼女は全員に自由行動オーケーの旨を、まるで先程までの激しい動悸を押さえつけるかのように高らかに宣言した。

 

「海と水着という組み合わせはどこか人をおかしくさせる危険なものなのだな」

 

 大淀の宣言に歓声をあげる少女達を眺めながら、顎に手をあてつつ提督は、静かに的外れなことを呟いては一人頷いていた。

 

 

 

 提督はこの旅行への招待の知らせを受けるにあたって、人知れず、ある一つの決心を胸にやってきていた。

 これを機会に、もう少しだけ深く彼女たちとコミュニケーションをとろう、とそんな決意を。

 

 創眞征史郎という人物は良くも悪くも真面目で実直な人間だ。口数は少なく、気持ちを言葉にするのが苦手な無骨な人間像。仕事上では問題はないが、それ以外では特に女性相手とコミュニケーションをとることに難色を示している。 

 そのため、周囲からは真面目だが面白みに欠ける人間と判を押されることも少なくない。

 そんな彼が、百人を超える少女たちを相手に自らコミュニケーションをとろうと考えている。

 

『その思考に提督が到達しただけで感無量です』

 

 昔の提督を知っている加賀が今の彼の胸の内を知れば、きっと目尻に涙を浮かべていただろう。

 それだけ提督が成長してきたとも言えるだろうが。

 

 大淀の自由行動許可宣言を受けて、弾かれたように海へと散っていく少女達を眺めながら、いつになく明るい表情で提督はそんなことを考える。

 昔の自分から見れば考えられない思考に頬を緩めながら、なんとなくだが今の自分ならば少女達と上手くコミュニケーションがとれるような気さえしてくる。

 今日は若干跡になってしまっている眉間にこれ以上皺が寄ることもないだろう。

 

「ていとくさん、なんだかたのしそうです」

「そう見えるか」

「はいです」

 

 感情が顔にでていたのか、肩にちょこんとのっている妖精さんも一緒になって微笑んでくれる。

 脱ぎ捨てた半ズボンのポケットに入っていたチョコレート(買い出し組が買ってきてくれた)を妖精さんに手渡しながら一人気持ちを高揚させている提督の後ろから一人の少女が声をかけた。

 

「て、提督!」

「む、神通か」

 

 振り返るとそこにはどこか思い詰めた顔の神通が立っていた。

 上下ともにハイビスカスの花模様が入った水着に加え、腰回りには空色のパレオが夏の日差しを浴びてきらめいている。

 このままの姿で、夕方の防波堤を髪を掻きあげながら水平線を眺めていたならばきっとそれだけで一枚の絵になるのだろう。

 そんな提督の穏やかな思考を打ち破るように神通が瞳を潤ませながら、

 

「私なんかがこのようなお願いを申し出ていいのかわかりません……ですが、どうか聞いてはいただけませんか?」

「そんなに畏まらなくても大丈夫だ。私にできることならいつでも手伝おう」

 

 提督の言葉に笑顔を見せながらも、神通はなおぎゅっと両指を胸の前で交差させ、祈るように提督を見つめている。

 彼女がお願いをしに来るなんて珍しいなと思いながら提督は、早速コミュニケーションをとれる機会が訪れたことに内心で喜んでいた。

 何をお願いされるかわからないが、日頃のお礼も兼ねて全力で手伝わせてもらうとしよう。

 やはりどこか普段とは違い、余裕すら見え隠れする表情で提督は静かに神通の次の一言を待った。

 

 そうして神通は一度こくりと喉を動かした後、初めから手に握っていたであろう小瓶を提督に差し出しながら震える声で言い切った。

 

 

「わ、私にサンオイルを塗ってくださいませんか!?」

 

 

 数秒後、そこには眉間に深い縦皺を三本刻みながら、思考停止した提督の頬をぺちぺちと叩く妖精さんの図というなんとも情けない構図が完成してしまっていた。

 




 今回も話が進まないですね。
 このまま夏が終わったらどうしよう。
 
 それでも少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 夏イベ、想像以上に鬼畜でした……とりあえずE‐6までは突破しましたが。
 風雲だけ出てくれないのですがそれは。

 
 ※前回までの感想返信は明日中には。


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第三十三話 夏の慰安旅行 其の三

 ある意味妖精さん回。


 

 人は自己が経験したことのない出来事にいきなり直面したとき、咄嗟にどのような思考に陥るのか、一度振り返ってみてほしい。

 碌に頭が回らなかったと答える人もいれば、頭の中が真っ白になったと答える人もいるだろう。もしかしたら思考そのものを放棄して、成り行きに身を委ねた強者もいたかもしれない。

 中には冷静に対処できたキレ者も存在するかもしれないが、それはほんの数パーセントの割合でしかない、所謂『偶然』の要素が強い例外と言ってしまっていい。

 結局何が言いたいのかというと、それぞれに微妙なニュアンスの違いはあれど、共通していることは一つだけ。

 

 まず間違いなく、そういった場面で人は『正常な思考回路ではなくなる』ということだ。

 

 

 

 燦々と降り注ぐ夏の太陽光を避けるように移動した、ドーム状の休憩用テントの中で神通は静かに自分の髪を結っていた。

 サンオイルを塗るために首筋や肩を露出させる必要があり、その事前準備ではあるが、チラチラと見え隠れするそれらと元々の肌質の良さからか、やけに艶めかしい。

 即興で作成したタオルカーテンの向こう側には提督がいると思うとやはり落ち着かないのか。

 じわりと汗が滲み出てくるのは室内の暑さだけが原因ではなさそうだ。

 

『わ、私にサンオイルを塗ってくださいませんか!?』

 

「あうう」

 

 数分前に自分が発した言葉を思い返してか、神通は一人顔を両手で覆ってしまう。今はアップにまとめられている絹のような黒髪の間から覗く耳は熟れたトマトのように真っ赤に染まっている。

 

「いくら提督とお話ができる機会が欲しいからって……私はなんてお願いを」

 

 改めて考えてみても、大胆すぎたのではないか。

 火照る顔を手で仰ぎながら、髪を束ねるのを手伝ってくれていた妖精さんにどうだったか聞いてみたら、ニヤニヤした表情で親指を立てられた。

 からかわれてますねとお返しにお腹をつついてみるも、けらけらと笑いながらじゃれついてくるだけで効果は薄い。

 もうっと頬を少しだけ膨らませながらも、神通はそれでも喜びを隠しきれず表情を緩ませる。

 

「でも……断られませんでした」

 

 神通という少女は控えめに見ても、大人しい性格の艦娘だ。個性的な仲間が集うこの鎮守府で、時には埋もれてしまうこともあるだろう。

 それでも神通は自分の性格を嫌いだと思った事はなかったし、後悔した事もなかった。

 ただ少しだけ、日頃から提督と楽しそうに談笑できる姉の川内や妹の那珂の積極性が羨ましかった。

 

 だから少しだけ勇気を出してみよう。

 海に着いたら、一番に提督に声を掛けてみよう。

 

 あの提督のことだ、きっと断られるだろう。神通にとってはむしろそれで良かった。断られた後に少しだけ提督と話ができればそれで十分。

 人間、駄目だと理解しながらの行動の方が一歩を踏み出しやすい時もある。

 数日前に那珂と一緒に見た雑誌に加え、夏の日差しとハイビスカスの水着が彼女の背を押した。

 

 だからこそ、神通は提督に首を縦に振られた時には盛大に焦った。

 想定していなかった事態に思わず『ふあ』と声なのか息なのかよくわからない反応をしてしまったものだ。

 一連の流れを固唾を飲んで見守っていた周囲の視線が、なにかよくない方向へと変化していくのをなんとなく背中で感じ、妙な危機感すら生まれた。

 そんな場の空気に耐えられず、そのまま始球式のボールをホームランした提督の手を引きながらテントへと駆け込ませたのも自分。

 改めて振り返ってみても大胆どころの話ではない。

 

「…………」

「じんつうさんのひゃくめんそう、おもしろかったですはい」

 

 今日何度目かの蒸気を上げる神通の膝の上では妖精さんが、実に満足そうな表情でチョコレートを頬張っていた。

 

 一方その頃、カーテンの向こう側で提督は何をしていたのかというと――

 

「いいですかていとくさん、まずさんおいるはひやけどめとはすこしちがいますです」

「む? そうなのか?」

 

 ――なぜか妖精さん主催のサンオイル講座に真面目な顔で参加していた。

 実にシュールな光景ではあるが、一応理由はある。

 確かに男である提督にとってサンオイルや日焼け止めなどという商品に詳しくなかったことは仕方のないことと言ってしまっていい。

 頼まれたからには最善の努力を、と足りない知識を補うため、神通が準備している間に誰かにサンオイルについて教えてもらおうと行動したことも理解できる。

 しかしここで他の女性である鎮守府の仲間たちに、それを聞いてしまうのはマナー違反かと踏み止まったことも大いに評価しよう。

 問題は残った選択肢が妖精さんしか思い浮かばなかったことか。どうやら表情には出ていないが、提督は提督でいっぱいいっぱいだったらしい。

 

「さんおいるははだをきれいにやきたいひとがつかいますです」

「日焼けを防止するのが日焼け止め、皮膚へのダメージを抑えて、綺麗に焼きたい人が使用するのがサンオイルということか」

「さすがていとくさんです。りかいがはやいです」

「君たちの説明が上手いからだよ」

「おなじことをせんだいさんにせつめいするのにいっしゅうかんかかりましたです」

「……そうか」

 

 そんなこんなで、一見判断ミスのように思えた妖精さん講座ではあったが、提督にとって嬉しいことに彼女たちはなぜか非常に詳しかった。

 他の鎮守府ではどうかわからないが、ここの妖精さんは非常に好奇心旺盛で提督とも艦娘とも非常に親しい関係を築いている。

 駆逐艦の少女たちと一緒に町に買い物に行き、酒が好きな艦娘と一杯やり、提督と艦隊版チェスに興じるなど趣味嗜好も幅広い。この前など夕張と共に夜な夜な深夜アニメ鑑賞会を開いていたというのだから驚きだ。

 サンオイルについてもきっと雑誌やテレビから情報を得たのだろう、説明前にもぞもぞと取り出して装着した付け髭と指揮棒がどこか自慢げだ。

 

「じんつうさんははだがしろいですから、ぬりもれがあるとあとでひりひりしますです」

「むう、それは責任重大だな」

「ていとくさんにもさんおいるぬるですか?」

「私が日焼けしても仕方ないだろうし、遠慮しておこう」

「ぜつぼうだー」

「このよのおわりですか」

「もはやこれまで」

「むねん」

「……よろしく頼む」

『よーそろー!』

 

 自分の一言一言に身体全体で反応する妖精さんたちに、提督は振り回されながらお礼もかねてチョコレートを配る。

 本人たちはそれを『ありがたやー』と神の恵みのように大袈裟に感謝しながら、嬉しそうにもごもごと口一杯に頬張っていく。

 どこか小動物を思わせる目の前の光景に、後でもう少しチョコレートを買っておこうと提督の思考が移ろぎかけたところで、室内を区切っていたカーテンが控えめに開けられた。

 

「提督、お待たせ致しました」

「じゅんびばんたんです」

 

 現れたのは勿論神通と妖精さんだ。

 普段とは違い、丁寧にアップで纏められた髪形とハイビスカスの水着姿が新鮮で、提督の鼓動が少しだけ早くなる。

 綺麗な肌は言わずもがな、首筋から鎖骨のラインにかけての絶妙な黄金比は世の男性を魅了するには十分な艶やかさを醸し出していた。事、肌の艶と綺麗さで言えば、神通は艦娘の中でもトップクラスの水準を誇っている。

 勘違いされやすいが、鋼の理性を持っているだけで提督とて立派な男である。このような場面で何も感じない程、淡白な人間では決してない。

 

「あ、あの、なにかおかしなところがありますか?」

「いやすまない。なんでもない」

 

 ここでさらっとで褒め言葉の一つでも出てくるのがデキる男の嗜みなのだろうが、そんなものはこの男に期待するだけ無駄である。

 他人に促されての褒め言葉ならいざ知らず、自ら切り込んでいくのはまだまだハードルが高いらしい。

 周りで『いけやれ押し倒せ』と興奮気味に騒いでいた妖精さんにチョコレートで口封じを計りながら、提督は予め引いておいたベンチ用のマットへ神通を誘導する。

 

「あまり上等なマットではないから、少し居心地が悪いかもしれないが」

「い、いえそんな……こんなものまで準備して頂いてありがとうございます」

 

 ぱんぱんと敷かれたマットの最終確認を行っている提督に神通はなんとか感謝の言葉を紡いでいる。どれだけ緊張を隠そうとしても、胸の動悸が抑えられない。たぶん、顔も赤いままだ。

 カチッという音が響いた。

 提督が振り返った先には、水着のホックを外し、手で支えただけの神通がそこにいた。

 

「ぶらぼー」

「ないすばでぃ」

「か、からかわないでください!」

「そんなじんつうさんにていとくさんからひとことどうぞです」

「ぬぬ……私としてはとても綺麗だ……と思ったが」

「あの、その……あのっ……顔が火照ってしまいます」

 

 妖精さんの介入で怪しくなってきた雰囲気を断ち切るように、提督は神通をうつ伏せに寝るよう指示を出す。

 よく考えればサンオイルを塗るだけなのに、なぜこうもギクシャクしてしまうのか。マットの横では妖精さんがどこからともなく機材を用意して穏やかな音楽を流してくれている。

 自分たちをリラックスさせるための妖精さんの配慮に感謝しつつ、提督は今一度気を引き締める。

 塗り手である自分が動揺していては神通もリラックスできないのだ、と自分に言い聞かせながら小瓶からサンオイルを適量垂らし、手の平に馴染ませる。

 

「不快だったらすぐに言ってくれ」

「だ、大丈夫です。よろしくお願いします」

「ではいくぞ」

「は、はい。来てください」

 

 提督の視界が神通の白い肌で埋まる。

 イメージだ。川を流れる葉のごとく柔らかなタッチを意識しろ。なればきっと神通に妙な感覚を与えることもない筈だ。

 まるで自分がアロマセラピストにでもなったような面持ちで提督はゆっくりと、それでいて静かに白い柔肌へと手の平を滑らせる。

 

「んっ……!」

 

 とんでもなく艶めかしい声が神通の口から漏れた。

 予想以上に過敏に反応してしまったことと、とんでもない声を発してしまった自分が恥ずかしすぎたのか、神通は近くにおいてあった枕へ顔を完全に埋めてしまっている。

 ここに青葉がいなくて本当に良かったと神通は心の底から安堵した。

 同時に提督の手がびくっと止まり、表情が見る見るうちに変化していく。最終的に金剛力士像並に厳つく変化したところで、思わず妖精さんが開いた口にチョコレートを放り投げた。

 

「す、すいません、なんでもないですので……気にせず続けて下さい」

「う、うむ」

 

 この状況で気にするなとは、流石は花の二水戦、第二水雷戦隊を最も長く率いたとされる彼女の精神力は並ではない。

 加えて、この空間で一番興奮してもれなく全身を赤く染めているのが妖精さん達なのだからもうどうしようもない。

 口に入ったチョコレートを舐め溶かしながら、提督は今度こそとサンオイルを手の平に垂らしていく。

 

 その後、同じような展開を五回ほど繰り返しながら、二人と妖精さんたちによるサンオイル実践講座は実に慌ただしく進んでいった。

 

 

 

 同時刻、テントの外では――

 

「妖精さんお願い! ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから那珂ちゃんに覗かせて! お願い!」

「おことわりです」

「那珂は駄目でもいいからこの川内にちょっとだけ、ね?」

「川内ちゃんなにそれどういう意味!?」

「どっちもだめですはい」

 

 ――数人の艦娘が出歯亀行為を行おうと群がっていた。

 テントの周りでは提督の指示で『一応神通のために』と怪しげな人物が入ってこない様、前もって見張りを頼んでいた妖精さんが隊列を組んで堅守を見せている。

 別に仲間ならいいのではと思わなくもないが、今の彼女たちは若干瞳が据わっており、行動も怪しげなため妖精さんに不審者認定を受けて覗かせてもらえない。

 丁度今、金剛の突撃を妖精さんがスクラムを組んで止めている。

 

「クッ! 見た目はお饅頭みたいに柔らかそうナノニ! どこからそんなパワーが出てくるデスカ!?」

「ていとくさんのしじはしんでもはたすのがわれわれのしめい」

「そのためならひのなかみずのなか」

「こうしょうできたえたこのちから、いまこそはっきすべきとき」

 

 金剛の呻きに対応するように妖精さんバリケードがゆらゆらと揺れている。想像以上の堅守ぶりに出歯亀娘達も思わず苦戦を強いられているようだ。

 折角旅行に来ていると言うのに、海にも入らずテントの周りで右往左往する彼女たちを他の休暇中の人々が不思議そうに眺めては去っていく。

 後日変な噂が流れてしまいそうな行為だというのに、諦める気配は微塵もない。

 

「加賀サン! 何か手はないですカ!?」

「任せなさい」

 

 静かに惚れ惚れする様な流麗な仕草で、加賀が非常に残念な思考の元、彩雲を発艦させようと弓を捻る。

 彼女たちはいったい何と戦っているのか。疑問点は多々あるが、悲しいことに加賀と金剛の表情は既に勝ち誇っていた。

 艦載機ではるか上空からテントの中の索敵を行えば、流石に防がれないだろう。

 無駄に無駄を重ねた加賀の熟考に、遠巻きに様子を窺っていた『強引にはなれないが気にはなる』出歯亀予備軍の少女達の期待も高まる。

 不敵に『やりました』と盛大にフラグを立てながら、万感の想いで放った加賀の彩雲は主人の気持ちに応えるようにぐんぐんと上昇――せず、目の前にボテリと落下した。

 

「…………」

「…………」

 

 死んだ魚のような目をしたまま落ちたソレを眺めていた加賀はそこで初めて一つの事に気が付いた。

 彩雲にパイロットが乗っていない。

 嫌な予感がして、加賀がちらりと視線をテントの前へと移し、そこに映る光景を見て思わずがくっと膝から崩れ落ちる。

 しっかりと交ざっていた、バリケードに。加賀の相棒である彩雲のパイロットの妖精さんが実に楽しそうに。

 

「私に任せて下さい」

 

 失意の底に沈む加賀の前に一人の人影が映りこむ。

 綺麗に束ねられた長髪を靡かせるその女性は、なぜか水着の上からエプロンを装着していた。

 間宮である。

 意外ではない。普段は大人のお姉さんのように思われがちだが、彼女の積極性は時に提督を困惑の檻へと誘ってしまう程にはアグレッシブなのだ。

 今のその姿もきっと提督のニッチな趣味嗜好(あるかどうかはおいといて)をどうにか探るために準備したものであろう、エプロンの下から見え隠れする肌色から推測してもかなりきわどい水着で間違いない。

 後ろでは伊良湖が必死にエプロンの裾で身体を隠そうと涙目になっていた。

 

「妖精さん、どうしても覗かせてはもらえませんか?」

「まみやさんのたのみといえど、ここはゆずれないです」

「そうですか。なら覗くとはいいません。中の音だけ聞かせてはもらえませんか?」

 

 言いながら間宮は肩にかけていたクーラーボックスのようなものから何かを取り出して妖精さんに差し出す。

 

「これ、今月の新作のデザートの試作品で、チョコレートとバニラとイチゴのアイスなんですよ」

「おお」

「なんたるかがやき」

「これをくれるですか?」 

「それは妖精さんたちの返答次第といったところですね」

 

 黒い。真っ黒だ。妖艶に微笑む間宮に伊良湖がジト目を送っている。このために暑い中、急いでアイスを準備したのかと。

 突然の買収劇に周囲の艦娘もごくりと唾を飲み込んでいる。流石は鎮守府の胃袋管理者、発想が尋常ではない。

 だが、先程まで戦艦の突撃にも屈しなかった妖精さんがこれしきのことで折れるのだろうか。

 一瞬だけ行われた会議の末、妖精さんは凛々しい表情で、

 

「おとだけならゆるすです」

 

 あっさりと買収された。口元からは涎が垂れている。

 提督と妖精さんの鉄のような信頼関係も間宮アイスの前では成す術も無く敗れ去ってしまった。提督が聞いたら落ち込んでしまうかもしれない。

 一斉にアイスへと群がる妖精さんバリケードを抜けて、栄光への架け橋へと金剛たちが雪崩込み、一瞬でテントの周りが少女で覆い尽くされていく。

 いつに間にか、駆逐艦の少女達も交じっている。思春期真っ只中の彼女たちにとっては気になって仕方がないのだ。

 一体中で提督と神通は何をやっているのか。そのベールが脱ぎ捨てられるときがついにやってきた。

 祈るような表情で数十人の耳がテントへと近づいて、やがて触れた。

 

 穏やかな音楽に続いて、断片的な声が聞こえてくる。

 

『……とても綺麗だ』

『……顔が火照ってしまいます』

『……いくぞ』

『……来てください』

『んっ……!』

 

 数分後、大和が寝ている救護施設に数十人の艦娘が運ばれた。

 状況説明を聞いた医師はどこか遠い目を窓の外に向けて一言『夏ですな』と呟いていた。

 ちなみに神通はテントから出た後、取り囲まれて根掘り葉掘り質問タイムに一時間は費やした。

 

 夏の日差しを浴びながら、それでもその表情はどこか嬉しそうで、満足そうに見えた。

 




 夏が終わる(絶望
 そして話は終わらない(遠い目

 ※感想返信は明日までには。


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第三十四話 夏の慰安旅行 其の四

 更新遅れて申し訳ありません。
 少しネット小説を読み漁り、勉強しておりました。
 その影響か、少し文体が変わっているかもしれません。

 なるべく読みやすいように意識はしたつもりですが、読み辛かったら申し訳ありません。


 

 毎年、夏の大本営直轄のプライベートビーチでは多くのカップルが誕生する。

 真夏の太陽と青い海という実に開放的な組み合わせに、多少そういった関係に発展する男女が増えても別段おかしくないのではと思うかもしれないが、実情はそんなに甘い話でもロマンチックな話でもない。

 理由としてはいくつかあるが、その背景には大本営で働く人々の男女間の年齢差、突き詰めて言うなれば出会いのなさが起因しているのは間違いない。

 

 どこの企業や組織でもそうであるように、権力の集中する本部と言われる場所で働く人物というのは総じて年齢層が高いことが多い。それも歴史があればある組織ほどその傾向は顕著に見受けられる。

 中には例外的な集団も存在するだろうが、全体から見ればまだまだ若手主体の組織集団というのは継続的な意味でも信頼的な意味でも少数派である事実は否めないだろう。

 それら全てはこの日本という国の年功序列という、ある意味では尊崇思考な、ある意味では古臭いと見て取れる組織体系に集約されるのだ。

 

 そしてそれは海を守護する一大組織であるここ、大本営でも例外ではない。

 結論からいうと、女性陣は比較的若い年齢層が大多数を占めているのに対して、男性陣が年を食い過ぎているのだ。元帥を始め、大本営を支える骨組みとなっている男性陣のほとんどが少なくとも四十を過ぎており、その年代特有の油ギッシュな空気を漂わせながら日々業務に励んでいる。

 そんなむさ苦しい職場の空気に毎日心で涙しながら、若い女性職員や軍人たちはとにかく出会いの機会を切望しているのだ。

 勿論、若い男性軍人が全くいないわけではない。が、彼等は所属が大本営というだけで、与えられる仕事は基本的に外回りで滅多に大本営に在中することはない。その他の大多数の若き男性軍人は、基本的に各地に点在する海軍支部の下っ端として研鑽の日々を送る毎日だ。

 二十代で将校を冠することですら相当シビアな世界で、若くして海軍大本営の重鎮の一人に名を連ねることの困難さを考えたら仕方のないことではあるのだが。

 

 ならば一般の人間にと狙いを絞っても、軍関係という身の上と様々な規則やルールに加え、そもそも出会う接点すらないのだからどうしようもない。

 だというのに、事務作業や広告アピール、世間体の問題でそれなりの若き女性職員や軍人が大本営に必要不可欠な人材だというのだから皮肉な話である。

 

 故に、年一回の夏のプライベートビーチ開放時期は男に飢えた大本営所属の若き女性たちが砂浜近辺の至る所を魍魎跋扈することになる。

 休暇を利用して、日頃の疲れを癒そうと訪れた将来有望そうな若き男性軍人に狙いを定めて。

 

 

 

「わざわざ落し物を拾って届けてくれるなんてお優しいんですね」

「若くて誠実……顔も悪くない……そして逞しい身体……じゅるり」

「お兄さんも休暇ですか!? よければそこの海の家でお礼も兼ねて休憩しませんか!? 奢っちゃいますよ!」

「うぬ……ぬ」

 

 自分たちのホームテントのある場所からそれなりに離れた、砂浜とホテルの間を繋ぐ整備された歩道の途中で提督は窮地に立たされていた。

 目の前には水着姿の女性が三人。若くはあるが成人には達しているであろう姿と、会話内容からおそらく大本営勤務の女性職員といったところだろう。

 三者三様の愛嬌のある笑顔の裏からロックオンするような視線を集中的に向けられた提督の両腕は、現在彼女たちの柔肌によって拘束されている。

 

 神通との一件を無事(?)乗り越え、数十人が倒れたという知らせを聞いて医務室へと様子を見に行った帰り道、歩道で一枚のタオルを拾ったことが事の発端だった。ちなみに提督が医務室を訪れた時には既に全員海へと戻っていた。倒れるのも早ければ、立ち直るのも早いのがこの鎮守府クオリティである。

 たまたま落とし主が数メートル先を歩いていたこともあり、落し物という問題自体は事もなく解決することができたのだが、提督と目が合った瞬間三人の表情が変わり、なぜか取り囲まれ、現状に至る。

 

「わざわざといっても拾った先に君たちがいたのだから、手間というほどでもない。お礼と言われるほどのことはしていないのだが」

「ふふっ。謙遜されるお姿も素敵です。やはり殿方は気配りできてこそですね」

「……この肉体美こそ至高」

「なにいってんの? この女性慣れしてなさそうなのに懸命に対応しようとしているところがいじらしくていいんじゃない? 母性本能をくすぐられるよ」

 

 それとなく開放してほしい旨を伝えてみるが、微妙にずれた反応を返してくる三人娘に困惑を隠せない提督。

 昔に比べればマシになったとはいえ、女性の扱いは相変わらず不得意な提督にとって、現状を即座に打破する方法など思いつくわけがない。

 これがもし絡まれているのが自身の鎮守府の艦娘で、相手が数人の男という状況ならまず間違いなく間に割って入る程度の度胸を持っているというのに、自分のこととなるとてんで駄目になるのだから呆れ物だ。

 提督はこのままだといつか悪い女に引っかかってしまうのではないかと密かに艦娘の少女たちが心配しているのだから相当である。

 

「もしかしてお兄さんには彼女がいらっしゃるのですか?」

「いや、いない……そもそもいたことすらないのだが」

「! ……初物!」

「ああ~! ときほぐしたい! 自分にそんな存在は勿体ないとか思ってそうなその頑なに実直な心を二人っきりでときほぐしたい!」

 

 自分で言っていて虚しくなる言葉に、なぜか女性たちが盛り上がる。

 左端のふわふわした雰囲気を纏ったウェーブのかかったミドルロングの髪の女性はまだましだが、中心の一番背が低く、高校生と言われても納得できそうな少しジト目で小柄の女性と、右端のお団子頭の活発そうな女性は言葉も行動も危険すぎる。

 彼女たちの言動の半分以上は理解できない提督だが、向けられているギラギラとした視線と、妙に艶めかしく身体を触られていることに危機感を感じずにはいられない。

 

 対して、提督にとっては残念なことに、三人からすれば提督はこれ以上ない好物件だった。

 容姿は跳びぬけて素晴らしいという訳ではないが、それなりで収まっており、肉体は言わずもがな。彼と会話をすれば誰もが感じる実直さと誠実さに加え、落し物を届ける気配りも好ポイントで、現在彼女なし。

 この時期に大本営のプライベートビーチへと休暇に来れるということは、それなりに高い地位にいることを示し、同時に真っ当に上層部から評価を受けている事を表している。

 そして何より若い。二十代前半の自分たちよりは流石に上だろうが、そういくつも離れているということはないだろう。毎日顔を合わせる、油てかてか身体だるだるの将校達と比べたら本当に同じ人間かと言いたくなるほどで、眺めているだけでも仕事が捗りそうだ。

 出会いに飢えた彼女たちにとって提督はまさに理想の彼氏候補だったのだ。

 

「すまないが、私は今はそのようなことを考えることのできる立場ではない」

「うふふ、真面目な顔も色男ですね」

「……綺麗に割れた腹筋が最高……じゅるり」

「はあはあ……駄目だ。困った顔と真面目な顔のギャップが……はあはあ……たまらない」

 

 誘いを断る断らないの問題以前に、言葉の意思伝達が上手くいっていないような感覚に苛まれる提督を余所に、実に不穏な擬音を発しながらじりじりとにじり寄ってくる三人娘。

 正直な話、休暇中の身であるのだからこの三人とお茶をするぐらい何も問題はないのだが、鎮守府をあげての旅行中に一番上の立場の人間が、自身の鎮守府の少女達をほったらかしにして他の人間と交流を深めるのはあまり褒められたものではない、と頑なに拒否してしまうぐらいには提督は艦娘の少女達の事を考えている。

 そもそも、少なくとも多少の信頼と一緒にここまで行動を共にしてくれていると感じている彼女たちを差し置いて、他の女性にかまけるなどという非常識な考えは提督の頭にはカケラも存在しない。

 

 艦娘の少女達が聞けば、間違いなく喜ぶであろう提督の決断ではあるがゆえに話は平行線を辿っている。

 いや、むしろ三人娘の様子が変態的な眼つきに変化し始めているところを見ると、提督の貞操はもはや風前の灯だと言ってしまってもいいかもしれない。

 

 そしていよいよお団子娘の震えた指先が提督の海水パンツという秘密の花園へと触れようとしたその瞬間、提督にとっては聞き慣れた、間延びした声音が周囲に木霊した。

 

「あー提督いたいたー。もー探したんだよー。こんなところで何やってんのさー」

「北上……に大井も一緒か」

「私も一緒で悪いですか?」

「いやそんなことはないぞ」

 

 駆け寄ってきたのは北上と大井。二人とも胸元にさるげなくリボンのついた上と、控えめにあしらわれたフリルつきの下というお揃いの水着を着用している。違うのは北上が透き通るような水色で、大井が予想に反して可愛らしいピンク色の水着だったという程度か。

 予想に反してというのは単に普段の大井の言動からピンク色というのが少しだけ意外だっただけで、水着そのものはこれ以上ないくらいに似合っている。

 二人ともまだまだ成長期だからか凹凸に関してはそれなり程度だが、全体的な曲線美は既に十分魅力的な雰囲気を醸し出している。

 

 二人の登場に珍しく安堵の声音の入り交じった返答を返す提督。

 正直これ以上は無理やり振り解くぐらいしか解決策を見出せていなかった提督にとって、二人の登場は非常にありがたい展開だったのだ。

 突然の二人の登場に怪訝な視線を向ける三人娘に一通り視線を移した後、小柄の女性とお団子頭の女性の腕が提督の腕に触れているのを見た北上の表情がむっと不機嫌そうに変化する。

 普段はあっけらかんとしてのほほんとしている北上ではあるが、見ず知らずの女性が提督に無遠慮に触れているという現状には流石に思うところがあるようで、そのままぺしぺしと二人の腕を叩いて無理やり提督を開放する。

 

「……痛い」

「あいたたた」

「なんかよくわかんないけど、提督に手を出す悪い虫は成敗してくれる」

 

 おもむろに叩かれた腕を抑えながら呻く二人の女性をよそに、北上がするりと提督の右横に入り込み、その手にぎゅっと指を絡ませる。まるでもう触らせないと牽制するかのような北上の態度に三人娘もたじたじだ。

 隣で急にしっかりと指を絡ませられた提督は初めこそ多少動揺したものの、北上とは長い付き合いで信頼関係もあるせいか、すぐに自然体に戻っている。

 ちなみに今の提督と北上の手の繋ぎ方は所謂恋人繋ぎというやつで、後から知った北上がどこからか情報を仕入れた青葉により皆の前でネタにされて、顔を真っ赤に染めるという珍事件が起こるのだが今は関係ない。

 

「あらあら、ご挨拶ですね」

「ちょっと! 突然現れてなんなんだよう!」

「……暴力反対」

「あなた達の方こそ私達の提督にどんな御用ですか?」

 

 突然の出来事になおも食い下がろうとする三人の職員を、北上と反対側へと移動してきた大井がばっさりと切り捨てる。

 『私達の』という部分を特に強調するように放たれた大井の言葉に返す言葉もなく押し黙る三人。

 北上と一緒の時以外、日頃から割と不機嫌顔で有名な大井だが、今の彼女はとにかく虫の居所が悪いらしい。夏だと言うのに凍えそうな視線を向けられた三人はぶるりと身震いを起こしていた。

 北上に触発されたのか、空いた提督の左手へと触れそうで触れない大井の右手が妙にいじらしい。どうやら大井の中でなにがしかの葛藤があるようだ。

 

「ここは一度大人しく退いた方がよさそうですね」

「あ、諦めないからね!」

「……あいるびーばっく」

 

 妙に小物臭のする捨て台詞を残して、かしまし三人娘は提督たちのホームテントがある方向とは逆方向へと走り去っていく。

 去り際にきっちりタオルを拾ったことに対する礼を残していく辺り、普通に常識的な部分は弁えているらしい。もっとも、ただの変態に常識が加わったところで常識的な変態が生まれるだけで、なお厄介になるだけだが。

 ともあれ、とりあえず窮地を脱した形になった提督は走り去っていく三人を眺めながら、心の中でほっと胸を撫で下ろすのであった。

 

 

 

「まったく、提督もあの程度自分でなんとかしなさいよね」

「そだねー。このままじゃいつか変な女にぱっくりいかれちゃいそうで北上さんも心配だー」

「むう……すまない」

 

 メインビーチからは少しだけ離れた、古き良き駄菓子屋のような場所の前に設置されたベンチに三人で腰掛けながら発せられた大井と北上の苦言に、しょぼくれる提督。

 普段はとかく落ち着いていて、何事にも冷静に処理する提督からすれば、これはこれで珍しく貴重な姿だと言えた。

 提督から手渡された昔ながらの棒アイスを舐めながら、久方ぶりに提督の駄目な部分が見れてご機嫌な北上が鼻歌交じりに提督に擦り寄っていく一方、大井はむすぺろむすぺろと不機嫌を隠すことなく一人アイスを舐めている。

 

 大井がご機嫌ナナメの理由自体は先程の一件が関係していることは間違いない。が、提督の手間を取らせたという類の見解と、大井本人が感じているイライラの理由には少しばかり齟齬があった。

 別に提督を助けたという事実に関して、大井は煩わしさのようなものをカケラも抱いてはいない。元々提督を探しに来たわけであって、大幅に時間を食われたわけでもなく、自分や北上に何か被害があったわけでもない。

 提督は性格からか妙に気にしてはいるが、この程度でへそを曲げ続けるほど大井の心は狭くない。

 

 では何がと聞かれそうだが、それはもう大井の心の問題としか言いようがないだろう。あけすけに言ってしまえば、少しばかりの独占欲と嫉妬心、それが全てだ。

 かしまし三人娘が提督に密着しているという事実に、大井の心は自分でも理解し難い程度にざわついてしまった。そのような類の感情に今まで縁がなかった大井は当然、この感情が何なのか理解できず、また発散の仕方もわかっていない。

 加えて、ほんの少し、本当にちょっとだけ期待していた、提督が新調した水着に触れるといったイベントもないことが大井のイラつきを増幅させた。

 なんだ只のわがままかと言われそうだが、その通りである。

 

 断っておくが、別に大井は提督に対して明確な恋愛感情を抱いているわけではない。が、その種子は間違いなく芽生えており、今回の一件は、男女関係なく思春期真っ盛りの人間が抱くある意味至極当然の感情なので、彼女が悪いわけでもなんでもない。

 まあ普段から好き好きオーラを放ちまくっている金剛達の気持ちにすら、微妙に誤解している節がある残念提督が大井の感情を察するなどあり得ないという点から大井はもっと怒ってもいいと思う。 

 

「……大井」

「なによ」

「いや……すまない」

 

 以上のやり取りを計三回。大井の不機嫌が自身にあることだけは理解している提督がどうにか関係修復を図ろうと諦めずに声をかけているが、女性関係に限りキングオブヘタレな提督は大井のジト目一発で大破撤退だ。

 口調が本当に親しい人間にしか見せない、敬語を取っ払った完全に素な状態であることも、現状に限っては残念なことにマイナス要素にしかならない。

 体勢を立て直すためか、アイスのごみを捨てるために提督は一度店の中にあるゴミ箱へと向かう。

 

「今更だけど、提督って基本優秀なのに女性関係だけ残念なのがホント心配だよねー」

「いい加減私達にぐらい遠慮するの止めろっていうのに」

「まあ、昔に比べたら見違えるほどマシになってるんだけどねー」

「それはそれでなにかイライラします」

「この水着にも触れてくれないし、チョイスミスったかなー」

「北上さんのハイパーボディは今日も最高です。あの甲斐性なしな提督には期待するだけ無駄なだけですよ」

「ありがとね。大井っちも可愛いよー。でもやっぱり一言感想ぐらいほしいよー」

「……はあ」

 

 容赦なく照り付ける太陽に手の平で影を作りながら、一連のモヤモヤを溜息にのせて解消しようと試みる大井。

 日焼け止めを塗っているとはいえ、暑さを解消できるわけでもない。戻ったら思いっきり海に飛び込んでやろうと決意を新たにしているところで二人の頭に何かが被せられ、同時に焼けつくような日差しが緩和される。

 

「気休めにしかならないだろうが」

「……麦わら帽子?」

「わざわざ買ってくれたんだ。ありがとね提督」

 

 いつの間にか戻ってきていた提督の心遣いに北上は満面の笑みで、大井は小さくぼそっとお礼を返している。

 女性関係はとことん不得意なくせにこういうとこでの気配りは絶対に忘れないのだから、提督という存在の業の深さが見て取れる。

 一拍置いてから差し出された清涼飲料水を受け取りながら、大井は提督に再度視線を送ってみるもその表情に明確な変化はない。提督を挟んで隣に座る北上を見ると苦笑交じりの表情を返してきている。

 もはや期待するだけ無駄だと、小さく溜息を吐きながら、二人は渇いていた喉を潤すために手に持った飲料にぐいっと口をつける。

 そんな二人をぼんやりと眺めながら、提督が何気なく言葉を発する。

 

「それはそうと二人とも可愛らしい水着だな。よく似合っている」

 

 同時に二人の口からぶはっと盛大に水しぶきが飛び、綺麗な虹が浮かび上がった。

 

 数秒後、大井の渾身の右ストレートが提督の脇腹へと突き刺さっていた。

 




 久方ぶりに自分の中で大ヒットと思えるネット小説を見つけ没頭して読んでいたら更新を忘れていました。オイ!

 一話と比べると、地の文が圧倒的に増えてますし、読み辛くなければいいのですが。

 あと感想返信が滞っており申し訳ありません。が、全部しっかりと目を通しておりますので。
 なにぶん、一話更新ごとに感想返信に二時間ぐらいかかってしまうのが嬉しい悲鳴でございまして(嬉泣
 時間があるときにゆったり返信していきたいと思いますので気長にお待ち頂ければと思います。

 それではまた次回で。 


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第三十五話 夏の慰安旅行 其の五

 

「スイカ割りだ、提督」

「……む?」

 

 何かの鬱憤を晴らすかのように北上と大井が海に飛び込んでいくのを見送った直後。とりあえず一息つけるためにホームテントへと戻ってきた提督を待っていたのは、そんな長門の言葉だった。

 上下が分かれたスポーティな、白地メインで側面に黄色のラインが入った水着を見事に着こなしながら、握りしめられた右こぶしとやけに活力に溢れた表情が実に眩しい。

 

「スイカ割りか。別に構わないが、長門にしては珍しい提案だな」

「ああ、いや、私がやりたいわけではなくてだな」

「やりたがってるのは文月ちゃん達で、私と長門姉がその実行委員長ってとこかしらね」

「ふむ。なるほどな」

 

 長門の後ろからウインク交じりに現れた陸奥の言葉に提督がなるほどと頷く。いつも通りとはいえ、陸奥としては他の男には絶対やらない、さりげなく男性受けしそうなポーズとウインクまで飛ばしているのに、全く興奮した様子もなく無反応で返されるのだから不憫である。

 そんな陸奥の健気な努力を無意識で受け流しながら、提督は頭の中に浮かんだ予想をぽつりとつぶやく。

 

「おそらくだが、文月たちはスイカ割りをしたことがないのだろうな」

「ああ、ここに来る前に海でできる遊びを一通り予習したらしくてな。スイカ割りはその中の一つだそうだ」

 

 提督の言葉に苦笑しながら補足を付け加える長門。

 文月たちぐらいの年齢から考えれば、スイカ割りという遊びに興味を示しても別段おかしなところは何もない。そもそもスイカ割りは確かに夏の海での遊びの代名詞のように捉えられがちだが、事実、その準備と実行した後のスイカの処理と片付けの煩わしさからか、思っている程実行しようという人間は少ないのだ。

 にもかかわらず、駆逐艦年少組の小さなわがままのためにそれを実現しようとしている長門や陸奥は、傍から見れば実に面倒見の良いお姉さん役だと言えた。

 

「すまんな。本来はそういった役目は私がやるべきなのだが」

「これぐらいなんでもないわ。それにこう言っちゃアレだけど、あの子たちの希望に一つ一つ提督が絡んでいくとそれだけで提督の旅行が終わっちゃうわよ」

 

 陸奥の妙に説得力のある言葉に思わず唸ってしまう提督。いくらなんでも大袈裟な、と言いたくなる内容だが、駆逐艦の少女だけで述べ五十人を超えているのだからあながち間違っていないところが悩ましい。

 流石に全員が全員、提督に対してストレートに欲求をぶつけてくるほど積極的なわけではないが、せっかくの機会なのだから少しぐらい提督との思い出が欲しいと考えてしまうのも仕方のないことだろう。

 

 ちなみに、常日頃から物静かで思慮深い神通が先陣を切って事を起こしたことにより、普段は遠慮と羞恥心から事を遠巻きに眺めることが多い大人しめの少女たちが、無駄に勇気を振り絞ろうとしてしまっていることを提督は知らない。

 いろいろと事情はあるが、事実として提督は現状に至るまで海に入ってすらいないのだから、陸奥の心配は正直真っ当なものであることは間違いないのであった。

 

「君たちが楽しめるのであれば、別に私はそれでも構わないのだが」

「駄目よそんなの。本来なら一番の功労者である筈の提督が真っ先に日頃の疲れを癒すべきなんだから。少しは自分の事も考えなさいな」

「陸奥の言う通りだぞ提督」

「ぬう」

 

 提督としては素直に思ったことを口にしただけなのに、予想以上の反撃を二人から食らってしまい少しだけ落ち込む。とはいえ、以前働きすぎで倒れた前科があるため、反論しようにも説得力がないのだからどうしようもない。

 多少の反省と共に陸奥たちの思い遣りに感謝しつつ、提督は逸れ掛けた話題を本筋へと戻すために口を開く。

 

「ともかくスイカ割りに対して私からの異論はない。それにこんな時にまで私の許可をとる必要はないぞ?」

「それは私も長門姉も思ったんだけど、文月ちゃん達がやけに提督と一緒にやりたいって訴えてきてね。まあそれは別に大した事じゃなかったんだけど」

「他にも何か問題があるのか?」

「うむ、肝心のスイカがな、無いのだ」

 

 提督の疑問に、話題を根本から崩しかねない発言をぽろりとする長門。

 ここが他の鎮守府で相手が別の提督だったならば、馬鹿にしているのかと叱責されても別段不思議でもなんでもない発言をこうも堂々とできる長門は流石のビックセブンだと言っていいかもしれない。とはいえ、言われた側である提督も『ふむ』と気の抜けるようなおおらかすぎる対応をしている辺り、心配するだけ無駄ではあるのだが。

 

 補足しておくと、既に長門達は砂浜近辺のスイカを置いてそうな店は訪れており、売っていないことはその目で確認済みだ。

 一応スイカと呼べる物はいくつか売ってはいたのだが、どれも既に切り分けられたものやパック詰めにされた物ばかりで肝心の丸々一玉というものはどこも置いていなかったのだ。が、それもこれも元々そういった用途や需要が皆無のこの場所では、置いていないのは商売的に当たり前であり、その事に文句を言うのは筋違いであるため二人とも素直に提督に相談に来たと言う訳である。

 

 海の家の主人の話によれば、ここから北の道沿いを一時間ほど歩けば大きなデパートがあり、そこになら売っているらしく、駆逐艦至上主義を密かに掲げる長門は勿論走る気満々だ。

 文月たちの人数を考えれば一玉では足りないのは明らかで、行きはいいが帰りはどうするのだと陸奥は思ったが、口にすると巻き込まれそうだったので普通にスルーしている。中々に姉に対してドライな妹のように見られそうだが、今の長門の変身してしまいそうな変態的輝きと迸る情熱を前にすれば妥当な判断だと言わざるを得ない。

 

 とりあえずあまりにも無理そうな時はそれとなく宥めようと考えていた陸奥だが、彼女の思考やその他諸々の問題点は次の提督のあまりにあっさりした一言で杞憂へと変わることになる。

 

「スイカならあるぞ」

「だろう? いくら提督と言えどいきなりこんな事を言われて困るのも当然だ。なのでここは私がひと肌脱いで……何?」

「え? あるの? スイカが本当に?」

「ああ。とりあえず人数分に足る程度にはな。数でいうとざっと百玉くらいか」

『ひゃ!?』

 

 探していた物があるという驚きもさることながら、提示された数に脳がフリーズする長門と陸奥。

 あまりに突飛すぎる提督の言葉に若干怪訝な表情になる陸奥と長門だが、長い付き合いの中で提督が嘘を吐いたことは一度もない事を思い出し揃って首を横に振る。なによりここで嘘を吐く意味など、提督の立場からしたら微塵も存在しない。

 とりあえず驚いていても話が進まないので、どうにかこうにか長門が再度確認の意味も込めて口を開く。

 

「本当に……あるのか?」

「ああ」

「でも昨日の晩にも確認はしたけれど、荷物の中にはそれらしきものはなかったわよ?」

 

 提督の頷きに呼応するように新たな疑問を投げかける陸奥。

 昨日の晩にも、出発前にもそれらしき荷物は見当たらなかった。そもそもスイカ百玉などが置いてあってそれに気が付かないわけがない。仮に別ルートで運んだとしても、ここまで責任者である提督が一切関わった痕跡がないのだからそれも考えにくい。

 

 余談ではあるが、陸奥と長門には出発前の荷物の最終チェックを行う役割が割り当てられていた。折角の旅行を台無しにしないためにも事前に何重にもチェックを掛けたのだ。その中にスイカ百玉の存在があったかどうかなど聞くまでもないことだろう。

 結論として、提督は大本営経由で直接現地へスイカを用意してもらうよう手筈していたのだから、この二人はおろか、鎮守府の誰もが気付かないのも当然ではあったのだが。

 ある意味でサプライズ的な事実を聞かされ、呆気にとられる二人。そこで何かに気付いたように長門が顔を上げる。

 

「いや待て提督。スイカがあるという事実はよく分かった。だが、その費用はいったいどこから捻出したのだ? まさか……」

「ちょっと待って提督。それはいくらなんでもやりすぎよ」

「ああ、心配しなくても私が自費で購入したというわけではない。そんなことをしたらかえって君たちに気を遣わせると思ったからな」

 

 一瞬脳裏をよぎった予想を明確に否定されて胸を撫で下ろす二人。もしここで提督が自分達艦娘のために自費でスイカを百玉購入していたなんて事実が発覚していたならば、感激と同程度の申し訳なさが生まれていただろうことは間違いない。

 嬉しいことは間違いないが、その事で提督の負担になるのは艦娘の少女達にとって一番辛い事であり、考え方に若干の違いはあれど、この点については提督も十分に理解している。

 

「それなら良かった。提督の事だからもしやと思ってしまったぞ」

「そうね。提督のことだからまさかと思ったわ」

「むう。私も少しは君たちに信頼されてきたかと思ったが、どうやらまだまだのようだな」

「ふふ。そう言った面で提督は私達の事を考え過ぎるくらい優しいから、少しぐらい裏切った方がいいかもね」

「それは言えてるな。で、結局そのスイカはどのような経緯で手に入れたのだ?」

 

 嵐の後の晴れやかな空模様のように一気に弛緩した空気の中。珍しく提督が弄られる側という状況で長門が半分どうでもよくなったような口調で聞きそびれた理由を促している。

 長門と陸奥からすれば提督が自費で購入する以上の衝撃的理由はないだろうと高を括っていたこともあって、事も無げに発せられた提督の次の言葉に暫く反応することができなかった。

 

「ああ、今回の表彰は大本営直々の大規模なものだからな。知っての通り、今までの例に倣って一つ大本営に対して希望を出すことができたのだ。時期的に丁度いいということもあってそれを百玉のスイカにして準備しておいてもらったのだ。君たちに相談する時間がなかったため私の一存になってしまったのが申し訳なかったのだがな」

「……は?」

「……え?」

 

 あまりにも軽い口調で発せられた衝撃的事実に、目を見開きながら辛うじて疑問符のような音だけを漏らす長門と陸奥。

 海軍に属しているのなら誰もが知っており、同時に憧れる褒賞制度。毎年数多の軍人が狙っては散っていくソレを、目の前の上司はスイカ百玉のために使ったと言うのだから二人の反応も無理はない。

 

 大本営の定める褒賞制度にはいくつか種類がある。その中でも今回半期間の中で特に優秀な戦果を収めた鎮守府の代表である提督に与えられたモノは最上級の特別褒賞であった。

 内容は単純に大本営に対して様々な希望を出せる権利となるのだが、その範囲が実に広いことが特別褒賞が求められる理由にもなっている。

 物ならば大概揃えてもらえるし、休暇が欲しければ半年程度ならば融通を効かしてくれる。その間に実務は大本営が責任を持って請け負ってくれるのだから心配することもない。

 

 だが、それよりもなによりも軍人にとって一番魅力的なのが昇進に対して便宜を図ってもらえることだ。便宜を図るといっても実際は一階級昇進が約束されると言っていい。

 通常の褒賞と比べると破格ともいえる制度ではあるのだが、年間で一人でるかどうかといったレベルなので大本営からしてもどんな要求をされたところで痛くもかゆくもない。

 

 実際過去に受賞した人間は、ほぼ全員が昇進か、物欲へと流れていった。そんな凡例を嘲笑うかのように突如要求されたスイカ百玉だ。報告を聞いた海軍元帥があまりの衝撃に高熱を出して三日間寝込んでしまうのも無理はない。

 ともあれ大真面目な表情で発せられた提督の言葉に、呆れを通り越して笑いすら浮かべている長門と陸奥。

 

「……提督は馬鹿なのか?」

「ええ……多分世界一の大馬鹿ね」

「むう。なんだか酷い言われようだな」

 

 若干困ったような表情の提督に長門がそれとなく理由を問う。そのまま少しだけ考え込んだ後、提督はさも当然といったような口調で胸の内を打ち明ける。

 

「この広い海で私ができることなどほんの一握りでしかない。それこそ私一人では深海棲艦を退けることも、一般市民をその脅威から守ることもできない。そんな私が今もこうして提督という職務に全力を注げるのも、全ては君たちが私の背を支え、時には進むべき道を示す灯台となってくれているからだ」

 

 とつとつと話す提督の言葉はお世辞にも流暢とはいえないものであったが、一言一言が提督という人物を形づくるピースのように感じられて長門も陸奥も聞き入っている。

 

「大本営から見れば悲しいことに戦果は全て私に対する勲章となっているみたいだが、私からすれば与えられる評価や褒賞はすべからく我が鎮守府の仲間全員に等しく与えられるべきものだと思っている。私個人からすれば特別褒賞などは単なる飾りにすぎない。大事にするべきはそれまでの心の軌跡とそこに至るまでの過程だと私は父に教わった」

 

 最後まで口下手に、つまりながら少し恥ずかしそうに後ろ髪に手をやりながらも提督は、言い終わった後に今まで見せたことのないような表情で微笑んでみせた。

 

「だからこそ特別褒賞は全員で共有できるものをと私なりに考えてみたのだが。まあ、そこまで悩んで考え付いたのがスイカでしかなかったのは、我ながら情けない話ではあるのだがな」

「そんなことない! そんなことないぞ提督!」

「ええ、本当に。柄にもなく本当に嬉しくて少し涙が出ちゃった」

 

 言い終わった提督の右手を自分の両手で握りしめながら号泣する長門と、目尻に浮かんだ滴を拭っている陸奥。

 人の中には口先だけで行動が伴わない人間が多々いるが、提督の場合その逆で、行動には一本の信念が通っているのに説明不足すぎて大幅に損をするタイプなのだ。

 しかしそれも提督と長く付き合っている人物ほど、その部分を彼の美徳として理解することになるのだが。

 

「とにかくそういうわけだから、文月たちが喜んでくれる糧となるのならスイカも本望だろう」

「ちゃんとシートも敷いて間宮さんも呼んでるから、食べる分にも安心ね」

「ああ! これで文月たちの喜ぶ顔が見れるわけだな! 想像しただけで胸が躍るな! 提督もそう思うだろう?」

「む? ああそうだな。駆逐艦の少女達の笑顔は明るく元気でいいものだ」

「! そうだろうそうだろう! 駆逐艦はなんといってもあの小さくて無邪気なところが最高に胸が熱いのだ! 文月達のような抱きしめたい可愛さもある一方で、暁達年中組も背伸びしたい盛りのいじらしさが正直最高だと思うのだがどうだろう!? そんな中で少し大人びた雰囲気の秋月達年長組にはその年頃でしか出せない雰囲気というものがあってもう堪らないわけで――」

 

 何気なく同意してしまった提督に気をよくしたのか突然駆逐艦についての愛を語り出した長門。

 ひたすら話しながらも無理やり提督を座らせて、どこからかお茶の準備を始める変態。あまりの急展開に瞳を白黒させながらも律儀に相槌を打っている提督は実に付き合いのいい上司である。

 長門が一拍おくためにお茶を飲んでいる隙に提督が陸奥へ困惑しながら耳打ちを促している。

 

「陸奥、長門はいったい何を言っているのだ?」

「安心して提督。分からないことが普通だから」

「むう。すまないが私の代わりにスイカを持ってきてもらうように大本営に電話してくれないか? この携帯で直通で繋がるはずだ」

「はいはい。お礼は後で二人きりのシュノーケリングで手をうつわ」

「ぬう……了解した」

 

 提督から手渡された携帯を手に、さりげなく約束を取り付ける陸奥。こういった事に隙がないのは流石としか言いようがない。もっとも先程から長門と提督が傍から見れば楽しそうにしているのを見て、内心では嫉妬の炎を燃え上がらせていたわけで。

 いっそのこと横から提督の頬にキスしてやろうかとも考えたりしたのだが、流石にまだ早いかと自重するあたりは姉と違い理性的と言えなくもない。

 

 

 なにはともあれ数十分後、文月達のもとにみずみずしくまんまると太ったスイカが届くのであった。

 




 もうこの際、夏が過ぎたとか気にせず思いっきり海編を書いてやろうと思いました、まる。
 まあ、この後夏祭り編も考えてたんですけどね! こりゃお蔵入りかな?

 前回、感想について少し書きましたが、感想をいただけること自体はとても嬉しいので気兼ねなく書いてもらえると作者としても嬉しいです。

 返信は遅くなるかもしれませんが、必ずしますので気長にお待ち頂けると幸いです。

 それではまた次回で。


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第三十六話 夏の慰安旅行 其の六

「たやー!」

 

 なんとも可愛らしい掛け声と共に、一本の木製の棒がスイカ目掛けて振り下ろされる。

 刹那、これまた割るという表現には似つかわしくない気の抜けるような音を返しながら、ごろりと半分に割れるスイカ。露わになった断面からはスイカ独特の甘い香りと、瑞々しい汁気を帯びた実と種が覗いている。誰の目から見ても一目で品質の良さを見て取れる程度には美味しそうだ。

 

「どうかな? どうかな?」

 

 手応えを感じたのか、両目を塞いでいた布をいそいそと取り外し、高揚した面持ちで目の前の戦果を確認する文月。そのまま見事に割れたスイカを見て、幼い身体全体で喜びを表現するようにぴょんぴょん飛び跳ねている。

 純真無垢、天真爛漫、振り撒かれる彼女の笑顔にはそんな言葉がよく似合う。最近、大本営の一部を中心に文月教という怪しげな宗教が広がりつつあり、大天使文月なる謎の合言葉が浸透しているらしいところから見ても、憲兵はもう少し働くべきである。

 

「文月ちゃんいいよー!」

「カッコいいぞー文月ー!」

「ナイスヒットふみちゃん!」

 

 先程まであっちだこっちだと楽しげに誘導していた艦娘仲間たちも綺麗に切られたスイカ片手に文月へ称賛を送っていた。スイカ割りに参加している駆逐艦の子達を囲むように敷かれたビニールシートの上で、微笑ましい視線を送る年上組の姿も相まって、まるで授業参観のような様相を醸し出している。

 ちなみに駆逐艦至上主義の長門は文月がスイカを割った瞬間、甲子園で優勝した高校球児のように見事なガッツポーズを決めて号泣していたことは言うまでもない。

 

「はいどうぞ若葉さん、初霜さん」

「この瞬間を待っていた!」

「ありがとうございます間宮さん、伊良湖さん」

 

 娯楽としての役目を終えたスイカは間宮と伊良湖の手によって綺麗に整えられ、盛大に振る舞われている。が、騒ぎにつられた休暇中の人々の物欲しげな視線に料理人根性を刺激されたのか、立ち寄る人々全員に配っているため、周囲は軽いお祭り状態だ。

 とはいえ本人たちが実に充実した表情で動き回っており、図らずも二人の水着の上からエプロン姿という恰好が男性軍人の士気の上昇に一役買っているため文句を言う者は誰もいない。

 スイカを配ることに関しても事前に提督に了承を得ている辺り、間宮の食べ物に対する懐の深さは相当なものだと言えるだろう。

 

「司令官、スイカをお持ちしました」

「ああ、ありがとう三日月」

「ほら、望月もいつまでも司令官の膝の上でダラダラしないで一緒にスイカ食べましょう」

「んあー。あんがとー」

 

 三日月から手渡されたスイカを受け取りながら、お礼を言う提督と望月。提督の膝の上にだらりと上半身を投げ出している望月に呆れながら、三日月も空いている提督の隣へと座る。

 

「もう……すいません司令官。望月がご迷惑をかけてしまって」

「ぬ? いや、この程度迷惑の内に入らないさ」

「あー。司令官の膝の上でスイカ食べながらダラダラすんのサイコー。やっぱり休暇はゆっくりしないとねー」

「ゆっくりってあなた普段と何も変わってないですよ」

「うわーひでー」

 

 気心の知れた相手だからか割とストレートな物言いの三日月に明らかに適当に言葉を返している望月。あーだこーだ言いながら、一向に提督の膝の上から起き上がろうとしない辺り余程気に入っている様子である。

 こんなところでもゴーイングマイウェイな望月を半ば呆れ顔で、少しだけ羨ましく感じつつ三日月はスイカを一口。同時に口内に広がるスイカ特有の甘い香りを堪能しながら、強張っていた肩の力を抜く。望月のようにとまでは言わないが、確かに休暇中にまで肩肘を張る必要はないのだ。

 

「美味しいですね、司令官」

「そうだな。甘すぎることもなく、水分量も適量で種も少なく食べやすい。流石は大本営が選んだだけのことはあるな」

「うあー。横向きながら食べるのめんどくせー。司令官食べさせてー」

「ぬ? ほら、これでいいか?」

「あんがとー」

「こら望月、いくらなんでも甘えすぎです! ちゃんと座って食べなさい!」

「いやーそれが、司令官の膝の上が思いの外心地よくて。三日月も試してみなってホント」

 

 注意していた筈が、逆に提督の膝の上を勧められてしまいドギマギしてしまう三日月。興味津々だが、真面目を地で行く彼女にはなにがしかの葛藤があるらしく悩み始めてしまう。隣では自分の膝の上の有用性を微塵も信用していない提督が同じように渋い顔をしている辺り、二人は似た者同士と言えるかもしれない。

 

 余談ではあるが、実のところ提督の膝の上は駆逐艦を中心に密かに絶大な人気を誇っている。響を始め、ろーちゃんや雪風など提督の膝の上を定位置としたがる少女はなにかと多い。

 いくら前線で戦う力があるといえど、それを除けば彼女たちは一般の子供たちと何も変わらない。まだまだ愛情が必要な年頃であり、毎年戦いで心を摩耗してしまった艦娘が各地のメンタルケア施設を訪れる事例が後を絶たず、大本営も頭を悩ませているのだ。

 故に最近では彼女たちのメンタルケアが可能かどうかも、提督として選ばれる者の大切な一つの指標になっている。反面、スキンシップを自身の欲望の隠れ蓑とする輩が非常に多いことなどから、大本営も提督業に就く者の選定は必要以上に注意を払っている。

 もしこの大本営の努力がなければ今頃、世の憲兵は休日返上で毎日ロリコンと変態との出会いを余儀なくされていたかもしれないと噂される程度には案件が多いのだ。

 

 一方で着任した提督が極度の堅物だったり、既に悟りを開いている等々。逆に提督側の問題によりスキンシップが足りないという艦娘側の不満問題も全体の一割以下ではあるが発生している。実際、何事にも例外は存在するものだが、毎回、その一割以下の筆頭に同じ鎮守府の名前があがってくるため、調査隊の方の目が生温いものに変化していたりするのだが。

 結果として、相手が来ないならこちらから行けばいいじゃない精神でコミュニケーションが苦手な提督に、積極的にスキンシップを図ろうとする彼女たちの行動はある意味で自然な事であると言えるのだ。

 

「えと……司令官」

「……私の膝などでよければいつでも貸そう」

「! し、失礼します」

 

 三日月の期待と申し訳なさ半々と言った表情と上目遣いに観念したように折れる提督。自分の膝の上なんか良いモノでもないだろうにと思いかけて、幼い頃、母ではなく父に同じようにしてもらったことがあることをふと思い出す。母とは全然違う筈なのに、妙な安心感からすぐに眠ってしまった覚えがあることから、彼女たちが求める気持ちもなんとなくわかるようになったのが最近なのだ。

 本人に自覚はないが、結婚すらしていないのに着々と父性だけが育ちつつあり、このまま枯れ果ててしまうのではないかと周りを無駄にハラハラさせているのだからどうしようもない。

 

「なんでしょう……うまく言葉にできないのですが凄く心が落ち着きます」

「ほら言ったっしょ? これはもう一家に一人提督が必須だよ」

「私は大型家電か何かなのか……」

 

 お互い軽口を叩きあう提督と望月をよそに、弛緩していく四肢に瞼が重くなってくる三日月。丁度太陽が雲で隠れていることもあって暑さも和らぎ心地よい風が頬を撫でていく。

 無意識の内に提督が三日月の肩に手を添えながら、子をあやすようにポンポンとリズムを刻むにつれて完全に身を預けてくる三日月を眺めながら微笑みを見せる提督。

 あまりにも自然な微笑みだったため、少し離れたところで密かに提督のベストショットを狙っていた青葉がレンズ越しに思わず魅入ってしまい、直後、折角のシャッターチャンスを逃した後悔から砂浜を転がりまわるという怪奇現象に発展していたが、三人は気づいていない。

 もし娘がいたらこんな感じなのだろうかと縁側でお茶する爺様のような思考を巡らす提督の元に、スイカ割りを堪能した文月が子犬のように駆け寄ってくる。

 

「しれーかーん! スイカ綺麗に割れたんだけど見ててくれた~?」

「うむ。見事な一刀だった。流石は文月だな」

「えへへ~。しれーかんに褒めてもらえるように頑張ってよかった~」

「楽しめたのなら何よりだ」

「すっごく楽しかった! しれーかんありがと~」

 

 ぱたぱたと尻尾が幻視できそうなほどニコニコと満面の笑みを向けてくる文月の頭を撫でる提督。提督が全身から穏やかな空気を発しているのと同じように、文月にはどうにも頭を撫でてやりたくなる何かが発散されているような気がしてならない。

 提督のすぐ右下ではポンポンがなくなった望月が無言で不満の視線を送り続けている。が、反応がないので口をへの字に曲げたままふて寝へと移行する。諦めが早い所が実に彼女らしい。

 

「ほわ~、望月ちゃんも三日月ちゃんもいいな~。しれーかんのお膝の上気持ちよさそう~」

「だいじょぶだいじょぶ。文月のためにちゃんと真ん中開けてるから。だよね司令官?」

「ぬ……ぬ?」

 

 先程の仕返しか、悪戯を思いついたような顔で三人目を迎え入れようとする望月。彼女の言葉に困惑する提督を余所に文月の表情がみるみるうちに歓喜の表情へと変わって行く。

 駆逐艦の中でも特に幼い文月ではあるが、その分誰よりも自分の感情に素直で真っ直ぐで、それがもろに表情に出る。今の彼女を見てNOと言える人物がいるのならば、それは恐らく人間ではない。

 そんなこんなで許しを貰った文月が、望月とは逆側で静かに寝息を立てている三日月を起こさないように器用に提督の胡坐の上へと飛び込んでいく。

 傍から見れば完全に娘と戯れるお父さんだが、実情は彼女すらいない二十八歳の口下手な男なのだから笑えない。

 

「えへへ~。海って楽しいねしれーかん」

「そうだな。折角来たのだから命一杯楽しむといい」

「んあー。司令官スイカおかわりー」

「もうすぐお昼だから食べすぎると入らなくなるぞ?」

「望月ちゃんアタシの分けてあげる~。半分こしよ~」

「ん、あんがとー」

 

 お互いが完全にリラックスした状態で穏やかなひと時を楽しむ望月と文月。姉妹艦ならではのやりとりに和みながら、提督は目が覚めたのであろう三日月に小さくおはようと声をかける。遊ぶことは意外とエネルギーを使うため、眠たくなるのも仕方がないと、しきりに謝ろうとしてくる三日月を宥めているところで、新たに三人の少女が現れる。

 

「さっきから見ていれば三人だけで提督と楽しそうにワイワイと! そんな裏切り者はこの正義の使者である艦隊レンジャーが成敗してくれる! グリーンライト参上!」

「私が菊……違う。同じくホワイトライト参上!」

「お、同じく……ううやっぱちょっと恥ずかしい……イ、イエローライト参上!」

 

 いきなりよく分からないテンションと言葉で現れた長月と菊月、皐月の三人。全員が台詞の後にキメポーズをとっているが、妙に様になっている長月、やけに楽しそうなドヤ顔の菊月、恥じらいが逆に可愛らしい皐月と三者三様でばらばらだ。

 そして何よりも、胸に平仮名でそれぞれの名前が書かれたスクール水着という姿が危険な香りをぷんぷん漂わせている。先程までは気にしない様にしていたが、六人揃ってスク水姿というのは流石にどうしてこうなった感が満載で、しかも見事に似合ってしまっていることで逆に反応し辛いのだ。狙っているのか、天然なのかコミュ力不足の提督には予想すらも立てられない。

 

「ふはは! 性懲りもなく現れおったか艦隊レンジャー! 我等悪の結社ダークナイトムーンが返り討ちにしてくれる!」

「も、望月?」

「あれだけ痛めつけてあげたというのに、まだ向かってきますか。諦めの悪い人たちですね」

「み、三日月?」

「ほわ~、カッコいい~! アタシも頑張るからしれーかんも頑張って~!」

「りょ、了解した。が、何を頑張ればいいのだろうか」

 

 長月たちの登場で突如始まった特撮ヒーローごっこのノリに盛大に巻き込まれる提督。傍から見れば娘たちに知らないアニメごっこに無理やり付き合わされ、戸惑うお父さん風で微笑ましいのだが、本人は割と必死である。

 周囲の空気から察するに、提督に求められているのは悪の親玉的役回りだろう。まあ実際こんな、日がな一日縁側でお茶を啜ってそうな雰囲気の悪の親玉などいないだろうが、そんなことは関係ない。少女達からすれば提督と遊べれば内容なんてなんでもいいのだ。

 文月の激励と共にありったけの期待の眼差しを向けてくる六人のスク水戦士達。相変わらず菊月だけシュバっと次から次へとポーズをとっているのが妙に可愛らしい。

 提督としても折角の楽しそうな雰囲気を壊したくなかったので、とりあえず頭に浮かんだ言葉を発言してみることにする。

 

「よ、よく来たな長……ではなく艦隊レンジャーよ。か、歓迎しよう」

「なに!? か、歓迎してくれるのか!?」

「いやいや、悪の親玉めっちゃいい人じゃん。一気に親戚のお兄さんぐらいの貫録になったなー」

「うふふ、司令官に悪い人役は向いてませんね」

「頑張れ~しれーかん」

 

 必死で振り絞った言葉に味方から駄目出しを食らい、少しだけへこむ提督。しかし、対面では艦隊レンジャーがふらふらとこっちに近づいてきそうな空気だっただけに効果はあったようだ。

 

「落ち着け、グリーンライト。これは相手の策略」

「はっ!? 司令官の優しい表情に騙されるところだった! 流石は悪の親玉か! しかしもう同じ手は通用しないぞ! なあイエローライト……ってイエローライト!?」

「皐月の分もスイカがあるが一つどうだ?」

「いいの? ありがとう司令官! 実はまだボク食べてなかったんだ!」

「おいホワイトライト! イエローライトが簡単に買収されてるぞ!?」

「これが司令官の戦略……流石」

「……もうキメポーズはいいんだが」

 

 あっさりと敵の手に堕ちる皐月となおもキメポーズをキメルことに余念がない菊月に若干げんなりした表情で力なく項垂れる長月。なんとも平和を守れそうにない正義の使者である。

 開幕と同時に仲間が一人寝返るというとんでもない展開は予想できなかったが、仕方ないと仕切り直す長月。そう簡単に正義が倒れるわけにはいかないのだ。

 

「ホワイトライト、お前は私に力を貸してくれるか?」

「勿論だ」

「ありがとう」

 

 菊月の力強い言葉に長月の萎みかけていた気持ちが前を向く。相変わらずキメポーズ姿の菊月だが、もはやそんなことはどうでもいい。

 ちなみに提督以外の四人は既に仲良くスイカをつついており、最後まで付き合っている提督は実に忍耐強い性格をしていると言えた。が、あまり長引いて喧嘩にでもなったら大変なのでとりあえず目が合った菊月へと提督が声をかける。

 

「菊月はもうスイカは食べたのか?」

「いや、甘すぎるのはあまり得意ではない」

「ふふ、甘いモノが苦手な菊月に買収など通用しないぞ提督!」

「一応塩も用意している。塩分が甘みを抑えてくれてほどよい感じになるのだが」

「そうなのか……司令官も食べるのか?」

「え?」

「ああ、折角なので一緒に食べよう」

「! 共に行こう!」

「ええ!?」

 

 謀反二人目。

 あまりにあっさり仲間が籠絡されてしまった事実に膝からがくっと崩れ落ちていく長月。ちらりと五人の方に視線をやると、ニヤニヤとこちらを窺っている姿が見えた。まるでいい加減意地張ってないでこっちきなよと言っているようで、思わずぐぬぬと涙目になる長月。何かよく分からないが凄く悔しい。

 ある種、この年代の少年少女にありがちな素直になれない気持ちと皆のところに行きたい気持ちに右往左往する長月に提督がすっと手を差し伸べる。

 

「初めの登場シーン、カッコよかったぞ長月」

「ほ、本当か?」

 

 差し出された手を握り返しながら伝えられた言葉に、素直に嬉しそうな顔を見せる長月。こういうところは年相応の少女で実に微笑ましい。

 

「ああ。あれは三人で考えたのか?」

「……司令官に見せようと思って、な」

「見事に様になっていたよ。流石は長月だな」

「! そうだろう? 駆逐艦と思って侮るなよ!」

 

 一緒に手を握りながら砂浜の上をゆっくり歩いていく。隣で楽しそうに話をする長月はどうやらいつも通りの長月に戻っているようだ。そのことに一安心し、提督も相槌を打ちながら夏の日差しを浴びる。

 

「長月ちゃん早く~」

「待っていろ! すぐ行く!」

 

 視線の先からかけられる声に、長月が弾ける様に駆けていく。

 なんだかんだ言って、彼女たちは今日も仲良しだ。

 



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第三十七話 夏の慰安旅行 其の七

「お疲れ様です、提督」

「む、すまないな、鳳翔」

 

 鳳翔から手渡されたタオルを受け取り、軽く顔を拭く提督。海水に含まれる塩分が髪をパサつかせているため、掻き上げることで普段とは違う無造作な髪形となっており、日頃の提督の穏やかさを抑えて、ワイルドな雰囲気が表に滲み出てきている。

 

「ぬ? どうかしたのか?」

「あ、いえ、なんでもありません」

「そうか」

 

 視線を感じたのか疑問を投げかけてくる提督に被りを振る鳳翔。語彙のイントネーションが若干上擦っていたが、さして気にするでもなく提督は身体を拭く作業に戻る。鳳翔としては視線を”向けていた”のではなく”外せなかった”のだが、深く追求されなかったところを見ると提督はいつも通り通常運行のようだ。

 

「いまあきらかにていとくさんにみとれていたですはい」

「まるでじゅんじょうおとめのようなしせんでしたはい」

「これがぎゃっぷもえというやつですか」

「いとをかし」

「……この旅行が終わったら暫くデザート作りは控えましょうか」

『!? な、なにとぞおかんがえなおしを!』

 

 先の事を考えない蛮行を見せる妖精さんズに無慈悲な一言で形勢をひっくり返す鳳翔。大人げないと言えなくもないが、鳳翔とて一人の女性なのだ。からかわれれば反応するのは人として当然であり、むしろズザザッと目の前で一列に並び土下座する妖精さんズの学習能力に難があるのだ。最早この流れは様式美になりつつある。

 とはいえ、普段の言動や行動のせいで見落としがちだが、元々提督は見た目だけならワイルドな部類に入る。加えて仕事柄、こういった変化を見れることはそうそうないため、鳳翔が今の提督に対して新鮮味を感じることはある意味で当然ではあるのだが、妖精さんがそこまで考察する訳がない。

 物凄い勢いで頭を上げ下げする妖精さんと鳳翔の関係を微笑ましく思いつつ、自覚無き元凶である提督が口を開く。

 

「しかし子供というのは凄いな。あの小さい身体のどこからあのような活力が生まれてくるのか」

「ふふっ。長月ちゃん達、久しぶりに提督と一緒に遊べて凄く楽しそうでしたね」

「私も一応身体を鍛えてはいるが、彼女たちのパワーには勝てそうもないな」

「あらあら」

 

 子供の持つ遊びに対する活力を身をもって体感し、あっさりと白旗を振る提督。

 スイカ割りが無事終わり、対応してくれた大本営に対して礼を伝えた後、提督は一時間近く長月達と遊んでいたことになる。水かけ遊びから水中鬼など意外と海でできる遊びは多く、隙あらば飛び掛かってくる少女達に提督は終始圧倒され続けた。途中どさくさにまぎれて金剛が飛び込んで来たのを、姉妹艦の霧島が容赦なく吹き飛ばすという事件も勃発したが。霧島曰く『金剛姉さま、それは規約違反です』とのことらしいが提督にはよく意味が分からなかった。

 

「鳳翔は海に入らなくていいのか?」

「折角なので後で少しだけ砂浜を歩こうと思います。ですが今はこの子がいますので」

「……本当に気持ちよさそうに寝ているな」

「遊び疲れて眠くなってしまったんでしょう」

 

 自分の膝の上で静かに寝息を立てる少女の前髪をそっと撫でる鳳翔。薄紫色の髪に、三日月を模した髪飾りが特徴の睦月型三番艦弥生。透き通るようなディープグリーンの瞳は今は閉じられ、小さな口からはすやすやと寝息が漏れている。

 駆逐艦の中では絶大な支持を誇る提督の膝の上だが、こと安心感の観点で見れば鳳翔の膝の上も勝るとも劣らない。まるで本当の親子のように錯覚してしまうのは偏に鳳翔の持つ雰囲気の成せる業であろう。

 

「こうしてみると鳳翔は本当にこの子達の母親だな」

「…………」

「ど、どうした鳳翔?」

「……提督まで……提督まで私をそう呼ぶのですね」

 

 何の気なしに口にした単語に呼応するように、鳳翔が今まで見たことのない表情へと変化していく。むっと結ばれた控えめな口にジト目ともとれる視線。怖いというより明らかに可愛らしさが勝っているが、今そこを指摘できるほどの余裕は提督にはない。

 

 実際、鳳翔は雰囲気が落ち着いていることと、立ち居振る舞いが物静かであることから母親のように慕われているだけで年自体は皆とあまり変わらない。自分の中ではせめてお姉さんと呼んでほしいと思っているのだが、一度定着してしまった印象を覆すのは中々に難しく難航しているのだ。

 それでも慕われていることが実感できるため、艦娘の仲間たちにそう呼ばれるのはまだいい。許容範囲内ではある。だが、提督にそう呼ばれるのはどうしても嫌なのだ。はっきりとした理由は分からないが嫌なものは嫌なのだ。

 自身の失言に気がついた提督は素直に頭を下げる。

 

「すまなかった鳳翔。女性に対してあるまじき発言だった」

「いえ、私の方こそつまらないことで意地を張ってしまって申し訳ありません」

 

 お互いが自分の非を自覚しているため謝ることしかできず、微妙な空気が流れている。なおも膝の上で気持ちよさそうに眠る弥生の髪の上で、空気を和まそうとチャルメラを吹こうとした妖精さんAが妖精さんBに静かに吹き飛ばされていた。空気を読め、ということらしい。

 そんな光景に毒気を抜かれた二人はお互いに顔を見合わせふっと笑みをこぼす。

 

「お詫びでもないが、そうだな。鳳翔」

「はい、なんでしょうか」

「もし君がよければだが、一緒にお昼にでもいかないか?」

「……え?」

 

 まさかの提督からのお誘いに一瞬反応が遅れる鳳翔。

 確かに時間的には丁度お昼のピークが過ぎたあたりで、今ならどこも待たずにすんなり入れる時間帯であろう。いやしかし、今はそんなことはどうでもいいとばかりに鳳翔の動悸が激しくなる。

 

 初めてだったのだ。純粋に提督に何かに誘われることが。

 

 そもそも提督はどこか艦娘に遠慮している節があるため、滅多に自分から何かに誘うということがない。大概が艦娘からのアプローチか、場の流れによる突発的事例がほとんどだ。たまに大和や金剛が提督に誘われてデートに行ったなどと吹聴しているが、周囲はまるで小鳥の囀りかのように聞き流している。それくらい提督の誘いとは現実味のない話であったりする。

 

「……やはり私には向いていないか。こういうのは」

「あ! いえ、決してそういうわけでは!」

 

 思考が顔に出ていたのか提督に苦笑で返されてしまい、慌てて否定の言葉を返す鳳翔。そんな彼女に提督は『気にしなくていい』といいながらどこか穏やかな表情で空を見上げつつ口を開いた。

 

「特に大きな理由はない。ただ、君たちに貰ってばかりのモノを少しずつだけでも返していきたい、そう思っただけだよ」

「……提督」

「それに鳳翔にはいつも店で世話になっているからな」

 

 提督にしては本当に珍しく、まるで少年のように屈託のない笑顔を返され、鳳翔は胸の奥からじわりと疼きのような熱さがせり上がってくるのを自覚する。普段は不器用で口下手なのに時折本当に芯に残る言葉を残していくのだから困り者だ。

 

「提督は本当にズルイ人ですね」

「む? どういう意味だ?」

「ふふっ。内緒です」

 

 夏の陽気を運ぶように吹く風に髪を靡かせながら、鳳翔は珍しく茶目っ気のある表情で実に楽しそうに笑った。

 

 

 

 

「いらっしゃいませ。何名様でご来店でしょうか?」

「四人だぴょん!」

「かしこまりました。こちらの席へどうぞ」

 

 卯月の弾けるような笑顔に気圧されることもなく、ニッコリと笑顔のまま、身体に染み付いているのであろう丁寧な仕草で席まで案内してくれるウエイターに促されるように席に着く。壁がガラス張りになっていることでビーチが一望できる大本営運営の人気のある店で、常連客も多いという。

 

「しれ~か~ん、たまたまうーちゃんが近くにいたからよかったけど、やよぴょんだけ御飯に誘うなんてずるいな~」

「むう。そういうわけではなかったのだが」

「卯月、司令官を困らせたら……ダメ」

「ぷっぷくぷ~」

「あらあら、二人は本当に仲が良いのですね」

 

 店までの道中、ひょっこりと現れたのは弥生と仲の良い卯月だった。まるで狙いすましたかのように――というより実際は、ずっとこっそり陰から出るタイミングを見計らっていたわけだが、なぜこの微妙なタイミングで現れたのかには実は理由があった。

 

「卯月はいつも司令官を困らせる事ばかり……よくない」

「それは仕方ないぴょん。うーちゃんは司令官の困った顔が一番好きなんで~す」

「ぬ?」

 

 突然の卯月の告白に呆気にとられる提督。まるで意味がわかっていない、そんな表情で二人を眺めている。

 

 卯月の趣味は悪戯だ。悪戯といっても彼女にとってソレは一種のコミュニケーションであり、明確な悪意や怪我に繋がるものでは決してない。いわば彼女なりの挨拶に当てはめられる。しかし、程度がどうあれそういった行為に対して怒り、もしくは冷淡な態度、無視といった反応を見せる人物も少なくない。

 だが提督は違う。どんなにつまらなく、些細なことでもちゃんと反応してくれて、声を返してくれるのだ。いつも少しだけ困ったような表情で名前を呼んでくれる、そんな提督の表情が卯月は大好きだった。

 

「卯月ちゃんの気持ち、私も少し分かる気がします」

「ほーら見たぴょん? ほーらほら?」

「……むむむ」

「う、卯月、弥生、喧嘩はよくないぞ」

 

 頬に手を添えながらしみじみとした鳳翔の発言に気をよくした卯月が、弥生のほっぺたをつついてこれでもかと煽っていく。卯月はその性格と行動からウザさと可愛らしさの両方を兼ね備えており、巷ではウザ可愛いと評判だが、現状可愛らしさはどこぞへ消え、まるでウザさの権化みたいになっている。相手が摩耶や天龍なら既に手が出ていてもおかしくない程度には。とはいえ。卯月も相手が弥生だからこその行動ではあるのだが、目の前で弥生のほっぺたが膨らんでいくのを見せられている提督は気が気ではなかったりする。

 

「まあやよぴょんは真面目だから、うーちゃんみたいなのは難しいぴょん」

「そんなことない……です」

「およよ?」

「……分かりました。これからは弥生も頑張って司令官を……困らせてみせます」

「なぜそうなるのだ……」

「あらあら」

 

 これからの目標が決まったとばかりにふんすと小さく握りこぶしを作る弥生。なにがどうなってそうなったのかさっぱり理解できない提督が一人項垂れているのを鳳翔が愛おしげに眺めている辺り、彼女もそれなりに染まっている気がしないでもない。

 弥生は今のままでも十分魅力的な心を持っているのだから、無理しないでいいと伝えようとしたところでウエイターが皿を運んでくる。

 

「お待たせいたしました。当店はビュッフェ形式のバイキングとなっております。お飲物はあちらにございますジューサーバー等、セルフサービスでご利用下さい。ご要望がございましたらなんなりとお申し付け下さいませ。それでは失礼致します」

 

 丁寧な仕草で皿を並べ、一通り店の仕様を丁寧に説明してくれるウエイター。最後にお辞儀をした後ニコリと笑顔を残して下がっていくあたり、厳しい接客指導がされているのだろう。大本営の女性職員が率先して見習うべき淑やかさがここにはあるようだ。

 

「それじゃ卯月ちゃん。私と一緒にお料理をとりにいきましょう」

「了解だぴょん。卯月、抜錨で~す」

 

 自分の皿を持って軽い足取りで料理を取りに行く卯月。その後ろについていこうとする鳳翔と一瞬目が合う。そのまま鳳翔はすぐに向き直り卯月の元へ歩いて行く。言葉はなかったが、提督は鳳翔の言わんとすることが分かり、やはりこういった部分では彼女には敵わないなと肩を竦めた。

 

「私達も行こうか、弥生」

「……はい」

 

 提督の言葉で皿を取り、立ち上がる弥生。彼女の表情に表面上違和感はない。が、初対面の人間ではまず気が付かない微細な変化を提督は確かに感じていた。先程はああ言っていたが、おそらく卯月の言葉に思うところがあったのだろう、少しだけ思い詰めた表情に見える。この弥生の違和感に鳳翔は気が付いていたため、さり気なく卯月と席を外したのだろう。つまり『弥生ちゃんのフォローをお願いします』という意味があの視線には込められていたわけだ。流石は鳳翔、気配りの仕方が自然で無理がない。

 

 こういった場合、こちら側から聞くよりも本人が話す気になるまで待った方が問題を解消しやすい。そう判断し、提督は料理をとりわけながら、弥生の隣を歩く。皿の半分程が埋まったところで、少しずつ弥生の口から言葉が零れ始める。

 

「……弥生は感情表現が苦手……です」

「そうか」

「自分では笑ったりしてるつもり……なんですが……怒ってるの? とか言われます」

「…………」

「毎日笑顔の練習……してます。本も買って……みました」

「頑張ってるんだな」

「でも……上手くいきません」

 

 とつとつと話す弥生の言葉に頷いたり、相槌をとりながら提督は心の中である種の親近感にもよく似た感情が広がっていくのを感じていた。

 

(本当に……弥生は私に似ているのだな)

 

 感情表現が苦手で、口下手。反面、他人の事は良く見ており自分より他人を優先するところなど、実にそっくりである。昔から自身の性格のせいで苦労してきたことも多い提督にとって、弥生の悩みは他人事とは到底感じられなかった。

 

 人の持つ性格や感情はそう簡単に変えられるものではない。それらは長い時間をかけて、様々な経験や体験から自然と形成されていくものだからだ。他人に危害を加えるモノなど例外はあるにしても、”違い”は各々の個性として認められていくべきものである。少なくとも提督は、両親にそうやって育てられてきたと思っている。

 だからこそ提督は弥生に具体的な言葉は与えない。これからの自分を形作っていくのは他でもない弥生自身だからだ。

 

「弥生は今の自分の性格が嫌いか?」

「嫌い……ではないです。真面目なのは……弥生の良い所だと思うから」

「そうだな」

 

 弥生の言葉に心の中で安堵する提督。大丈夫だ、弥生は自分の性格を受け止めるだけの強さを持っている。

 というのもこういった問題の場合、少なからず自身の性格をコンプレックスにしてしまうからだ。一度ついてしまったマイナスイメージを払拭することは容易ではない。重要なのは自分という存在を認めて受け入れること。難しい事だが、弥生はしっかりと自分を理解した上で悩んでいるのだ。

 ならば自分のやることは一つ、と提督はデザートコーナーのある料理の前で弥生を隣へと呼んだ。

 

「弥生はこの料理、見たことあるか?」

「見たことは……あります。でも名前は……知りません」

「そうか。この料理はフルーツポンチって言う名前なんだ」

「……はい」

 

 何故呼ばれたのか、提督の意図するところが分からないまま目の前のフルーツポンチへと視線を巡らせる弥生。大きな器の中に色とりどりにフルーツが入っている。イチジク、タピオカ、蜜柑、葡萄、ブルーベリー、マスカット、桃、さくらんぼ、パイナップルに加え、杏仁豆腐の白色など思わず楽しくなる色合いだ。子供から大人まで人気なのも頷ける。

 

「凄く綺麗……だと思います」

「そうだな。それを踏まえた上で、隣の蜜柑だけの器を見てどうだ?」

 

 言葉と共に、隣の器を指差す提督につられるように視線を横へ移動させる。

 

「なぜかはよく分かりませんが……少しだけ……寂しいような気が……します」

「そうか。……私は、人の性格もこれと同じようなものだと思っている」

「え?」

 

 弥生のぽかんとした反応に苦笑しながらも、少しだけ楽しそうな表情で提督は言葉を続ける。まるで心の底からそう思っているかのように本当に嬉しそうに。

 

「さくらんぼの赤色は元気一杯な睦月かな。蜜柑のオレンジ色は優しい文月か、マスカットの緑色はさっぱりした性格の長月が似合いそうだな。パイナップルの黄色は素直な皐月、桃のピンク色はたまにすっぱいのがあるから二面性のある卯月っぽくないか? タピオカの黒色は物静かな三日月、杏仁豆腐の白色は純粋で真っ直ぐな菊月にぴったりだ。葡萄の紫色は大人っぽい如月、イチジクの茶色はマイペースな望月みたいだな」

「……ブルーベリーの青色……は?」

 

 隣で静かにじっと聞いていた弥生の、提督の言葉を噛み締めるかのような沈黙の後、もう答えは出ているであろう問いに提督はあえてその先へと話を進めた。

 

「弥生はフルーツポンチを綺麗だと言った。私は君たちの性格や物事に対する感情も同じように素晴らしい個性だと思っている。卯月の明るい性格は勿論素晴らしいものだが、弥生の物事に対して真摯で真面目な性格も比較できない魅力的なものだ」

「…………」

「自分を変えようと努力することは大切なことだ。だがそれと同時に、今の自分をないがしろにしたり否定したりしてはいけないということを心の隅に留めておいてほしい」

 

 柄にもなく、諭す様な言葉になってしまったことに少しだけ気恥ずかしくなってしまい、誤魔化すように苦笑しながら弥生の頭を撫でる提督。自分などの言葉でどこまで弥生の助けになったかは分からないが、今の自分が伝えられることはこれで全てだ。弥生のこれからを誘導するのではなく、未来の可能性の幅を狭めないように支えてやること、これも全て自分自身が両親にしてもらったことだ。

 

 頭を撫でられながら、弥生はじっと瞑っていたディープグリーンの瞳で真っ直ぐに提督を見つめた後、今まで悩んできた答えが見つかったような晴れやかな表情でふわりと微笑んだ。

 

「卯月は……ああ言ってましたけど……弥生はやっぱり司令官の笑った顔が好き……です」

「実は私も笑顔は苦手なんだがな」

「知って……ます」

「そうか」

 

 料理の乗った皿を片手で支えながら、空いた手で提督の手を握る弥生。『今度一緒に笑顔の練習をしましょう』と楽しそうに話かけてくる表情にはすでに不安の影はない。

 

「あ……司令官のお皿、真ん中に……ブルーベリーが一つだけのって……ます」

 

 弥生の指摘に少しだけ得意そうな表情で提督は伝える。

 

「ブルーベリーの青色は真面目で落ち着いた弥生にぴったりだな」

 

 直後、左手が少しだけ強く握られたことを感じつつ、提督は弥生と共にテーブルへと戻っていった。

 



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第三十八話 夏の慰安旅行 其の八

 

 提督が弥生達と共に昼食を満喫しているのと同時刻。彼らの居る所から少し離れた海上レストランで同じように昼食に入ろうとする艦娘の少女達の姿があった。

 メンバーは大和武蔵組、金剛霧島組、扶桑山城組、浜風浦風組の計八人。面子に特に意味はなく、たまたま近くにいたのを金剛が誘っただけだ。彼女の周りにはいつも人が集まってくるが、それは単に金剛の底抜けに明るい性格の成せる業であるのは間違いない。

 レストランのテーブルが四人掛けだったため自然と二組に別れることになり、各々が席へと散っていく。そのまま、もう我慢の限界ですといった様相で一人の少女が口を開いた。

 

「圧倒的に提督成分が足りません」

 

 席に着くや否や目の前の戦艦娘大和の発言に、浜風は表面上いつも通りに、しかし内心で頭を抱えてしまった

 平常時から提督が絡むと途端に面倒くさくなる彼女が、提督がいないこの場で既に面倒くさくなりつつある。表情はアンニュイで物憂げだが、言動に刃こぼれが生じていることを見逃してはいけない。提督成分が足りないとは一体何事か。おまけに大和の両隣で紅茶戦艦と不幸戦艦の長女が神妙に頷いているのだから、浜風の頬が引き攣ってしまうのも仕方がないと言えるだろう。

 

 チラリと隣のテーブルに視線を移すと、浦風たちがメニュー片手に楽しそうに談笑している姿が。昼食に来ているのだから当然の光景な筈なのにやけに眩しく見えてしまいますね、と再度視線を戻す浜風の視界に飛び込んできたのは、メニューの代わりに一枚の提督の写真を眺めながら盛大に溜息を吐く三人の主力戦艦の姿。たぶんきっと三人は何か悪い病気にかかっているんだろう。そうして浜風は一人静かにメニュー表を眺め始めた。

 

「ムー、テイトクこっちに来てから駆逐艦の子とばかり遊んでマース。ロリコン提督の疑いありデスヨまったく」

「私なんか提督に会うどころか、砂浜に落ちていた貝殻で足の裏を切ってさっきまで医務室のお世話よ……ああ不幸だわ」

 

 絶賛イジケモードと不幸モードに突入している金剛と扶桑の二人。浜風は黙々とメニューを捲る振りをしながら、心の中で反論を考えていた。駆逐艦と遊んだらなぜロリコン疑惑が浮上するのか、自身が駆逐艦としての加護を受けている浜風からしたらなんとも納得できない話である。提督は別に駆逐艦だけではなく全員に優しいし、自分だってもうロリコンに入る部類の幼さなど持ち合わせていない筈だ、と浜風の脳内でモヤモヤとした暗雲が立ち込める。視線は既にメニューなど見ていないのに、パラパラと捲れる音が実に物哀しい。

 

 勿論金剛としても冗談半分での物言いだった訳だが、この世界では残りの半分で憲兵が出動してくる可能性が捨てきれない。それぐらい過去の案件が多い話の内容であることを、あろうことか四人は大本営が目の前に見えるレストラン内で愚痴っているのだから恐ろしい。

 

「神通さんにオイルを塗って、文月ちゃんにスイカを振る舞い、長月ちゃん達と楽しく水遊び。提督はここまで皆のお願いをちゃんと叶えてくれています。ならばこの大和の迸りそうな熱い恋慕の情から湧き出るリビドーもきっと受け止めて下さるに違い――」

「すいません注文お願いします!」

 

 提督が危ない。大和の呟きに全身で彼の危機を感じた浜風が絶妙なストップを挟む。見れば大和も金剛も扶桑も何を想像したのかとろんとした表情でふへへと艶めかしい笑みを浮かべている。元の姿だけで判断するならば三人共かなりの美人に分類され、艦隊決戦時ではバリバリの主力を担う提督の剣となりうるが、現在はご覧の有様だ

 少し前の七夕の余興で、駆逐艦に憧れの人物を募った用紙の中に彼女達の名が少なかったのも、今の状況からすれば妥当だと言えてしまう。それくらい今の三人の表情は緩み切っていた。

 

(提督の身の安全はこの浜風が守り切ってみせます!)

 

 放っておけば今にも提督の元へ駆けていってしまいそうな駄目戦艦三人を相手取りながら、浜風は一人握った拳に力を入れる。実のところ、真面目な性格の浜風の思考と慕っている想いのベクトルの方向性が違うだけで、四人の提督への情の寄せ方に大きな差がないことに浜風本人すら気が付いていない。

 それぞれの注文を受けたウエイターが去っていくのを確認し、一先ず一難が去ったことに胸を撫で下ろす浜風の耳に扶桑から新たな話題が放り込まれる。

 

「それはそうと先程の提督といえば逞しい身体だったわね。元々体格は良い方だと感じてはいたけれど、やっぱり鍛えていらっしゃるのかしら?」

「ンー、前に朝の間宮食堂で誰か軽巡の子が何か興奮して話していた気がするケド、ちゃんと聞けなかったカラネー」

「大和的には鎖骨がとてもポイント高いと感じました」

 

 こうして数人の艦娘が集まる機会はそれなりに多いが、大抵一回は話題に提督が登場する。何事にも限らず、お互いの共通認識というものは得てして話題に上がりやすく、盛り上がりやすいからだ。浜風としても卑猥な内容が看過できないだけで、提督の話題には人並みに興味を持っている。ただ、自他ともに認める真面目気質がそういう話のノリに付き合うことを阻害し、悶々と悩む夜を過ごしてきた。浜風も悩めるお年頃なのである。

 

「浜風……その顔は何か知ってますネ?」

「あ、いや、それはその」

「ここまできて隠し事はイケズよ浜風。もし話してくれたら私達からも提督の丸秘情報を教えるから、ね?」

「浜風! お願いです! 大和に提督成分の補給を!」

「や、大和さん土下座は止めてください! 恥ずかしいですから!」

 

 目の前でがばっと土下座の体勢に入ろうとする大和を慌てて止めに入る浜風。金剛と扶桑の二人が大和の奇行に対して無反応なのは単に慣れているからなのか。だとすると大和は日頃から割と頻繁に艦娘としてのプライドを放棄していることになるが、浜風はそれ以上深く考えないことにした。隣のテーブルでは浦風がこちらを指差しながらお腹を抱えて爆笑している姿が見える。非常に腹の立つ顔だ。

 

「べ、別にそんな貴重な情報でもないと思いますが。提督が意外と逞しい身体をしているっていうのは前から知っていましたし……私の他にも気が付いている人は結構いると思いますが」

「な……扶桑は知っていましたカ?」

「いえ、初耳よ。大和は?」

「知っていたら土下座なんてしません」

 

 確かにその通りだ。

 何を馬鹿な事を言っているんですか、と言いたげな大和に馬鹿なことをしているのはそっちだと言いたい金剛と扶桑だったが、面倒くさくなりそうなので飲み込むことにする。今は宇宙戦艦の相手をしている場合ではないと、視線を浜風に戻す二人に当事者である銀髪の少女はなぜか少し戸惑っていた。まるで内緒にしていた秘密がばれたときのようなそんな表情で、視線が宙を泳いでいる。心なしか頬も赤い。

 

「浜風……他の子が知っているではなく『気が付いている』というのは?」

「ですからそれは……提督は遠征から帰ってきたら必ず抱きしめて下さいますし……となれば必然的に提督のお身体にも密着することになりますから」

 

 だからそういうことですと早口に語尾を切って、ぷいとそっぽを向いてしまう素振りは照れ隠しか。つまり浜風はこう言ってるのだ。『遠征から帰ってきたら提督が抱擁をしてくれるので、自分と同じようにその時に気が付いた子もいるのではないか』と。

 蓋を開ければ単純な話ではある。確かに遠征に頻繁に出る艦娘からすれば毎度の事に気が付く事もあるだろう。事実浜風は、自分よりも古参の一人である金剛ですら知らなかった事に首を傾げていた。だが浜風は一つ重大な要素を見落としていたのだ。

 

 戦艦は遠征には不向きだと言うことを。

 

「ずるいデスずるいデスずるいデース! そんなの不公平ネー!」

「これは駆逐艦から戦艦に対しての宣戦布告と見なしていいのかしら? マズイわね……今夜にでも戦艦会議を開かないと」

「…………」

 

 浜風の言葉に三者三様の反応を返す戦艦三人娘。金剛と扶桑はまだ分かるが、大和に至っては口から蒸気を漏らしながら意識を保つことを放棄している。主力がこれでこの鎮守府は本当に大丈夫なのかと心配になる程度には残念な姿だ。

 尤も、提督が遠征から帰還した艦娘を抱擁で出迎えるというのは最早この鎮守府の恒例になりつつあるが、それは頻繁に遠征に出る駆逐艦や軽巡洋艦の艦娘限定の話だ。この件に関しては度々、重巡や空母、戦艦のお姉様方から不満が噴出しているのだが、それで提督が抱擁をしなくなってしまっては元も子もない。要は自分達も同様の恩恵が欲しいがために、強く出るに出られず、指をくわえて羨ましがることしかできないのだ。

 

「い、一応言っておきますが、提督の抱擁がある日とない日では遠征の戦果に大きく差がでてますから!」

 

 なんとも言い訳に捉えられそうな浜風の反論だが、あながち間違っているとも言い切れない。いくら提督と言えど、緊急時や大本営の命などで必ず遠征組を出迎えられるわけではない。そのような場合事前に通達がいくか、遠征途中に艦載機で情報を得ることになるが、同時に目に見えて戦果が落ち込むのだ。落ち込むと言えど、目標の数値は回収してくるから大きな問題にはならないが、差が出ているのは過去の数値からも一目瞭然だ。

 なんとも現金な話だが、現在でも他の鎮守府では軽視されがちな遠征任務がここでは希望制にしたら、収拾がつかなくなるほどの人気の仕事になっているのだから、世の中分からないものである。

 

「やっぱり、出撃帰還時にも提督はワタシ達をハグするべきデス」

「目下の目標はそこね。問題は提督が何より入渠を優先する人だということだけど」

「目標達成のためにはほぼ無傷で帰投する必要があるというわけですか。いいでしょう、大和型の本当の実力を持ってそのミッション完遂してみせましょう」

 

 浜風の仲間の名誉を慮っての反論を当然のごとくスルーしたまま、三人はなにやら謀の真っ最中だ。至極真面目な表情で実に生産性のない会話を続けるポンコツ戦艦共に呆れた表情を見せつつ、浜風は少しだけ羨ましいとも感じていた。

 

(三人共、提督の話になると本当に楽しそうですね)

 

 浜風にとっての提督とは尊敬する上司であり、同時に慕う気持ちが本人の自覚とは別に日々膨らんでいることは間違いない。そうでなくても毎日提督LOVEな浦風と行動を共にすることが多いのだ。毎日任務を終えて、就寝するまで浦風は同室の浜風に今日の提督はどうだったと本当に楽しそうに話を振ってくる。就寝前の提督談義は二人の密かな楽しみになっているのだ。

 

 浦風も金剛も扶桑も大和も、性格は違えど提督に限って言えば実に積極的だ。触れ合うことに躊躇がない。遠征帰還時の提督の抱擁で未だに胸が爆発してしまいそうなほど緊張する浜風からすれば信じられない大胆さだ。一度秘書艦業務中、脚立で資料を取ろうとして誤ってバランスを崩して落下しかけたところを、提督に受け止めてもらって事なきをえたことがある。が、謀らずも二人して抱き合う形になってしまっただけにその夜は悶々として一睡もできなかったほどだ。

 浜風からすれば『触れ合いたい気持ちはあるが、やはり恥ずかしい』というのが現状なのだ。通常、こっちが普通の思考回路だが、この鎮守府には常識が当てはまらない肉食系女子が多すぎるのだから仕方がない。

 

「金剛さんは特に提督と親しいスキンシップをとっているように見えますが、周囲の目とか気にならないんですか?」

「? 好きな人に触れたいと思うことはそんなにおかしいことデスカ?」

 

 疑問に疑問で返すという金剛の高等テクニックと自信に満ち溢れた回答に浜風はぐうの音も出なかった。提督に対する誠実な想いはそれなりに持っているつもりだったが、それすらも負けているような気がして非常に悔しい。というか、何もしていないし言っていない大和と扶桑が勝ち誇ったような顔を浜風に向けているせいで、余計波風を立てている。

 

「な、なんですかその顔は」

「いえ、出撃時はいつも凛々しい浜風が珍しく悔しそうにしているから、ね」

「普段からそうやっていろんな表情見せてる方が可愛いですよ、浜風」

 

 二マニマと実に楽しそうな二人の戦艦に浜風の口がへの字に曲がる。誤解されないように言っておくが、浜風は根が真面目で冷静なだけで、別に気が弱いとかそういうわけではない。むしろ言うべきところは、はっきり言うタイプであり、間違っても言われっぱなしで黙っているタイプではないのだ。

 

「そうですね。では、次の遠征帰還時には最大限の笑顔で提督にぎゅってしてもらうことにします」

 

 普段慣れない挑発めいた言葉を使ったからか、頬がほんのり染まり言動に変な擬音まで交じっている。内心で提督に今の言葉を知られたらどうしようとか考えているあたりが実に浜風らしい。

 対する戦艦三人娘の表情は意外と余裕に満ちていた。浜風の言葉にフッと歯牙にもかけないような素振りで優雅に手元のティーカップを傾けている。なんだかんだ言っても彼女達は鎮守府が誇る百戦錬磨の立役者達だ。この程度の煽り耐性など当の昔に身に着けていても何もおかしくはない。

 右手を椅子にかけ、足を組み、優雅にアールグレイの紅茶を一口。不敵な笑みを見せながら、先程の浜風の挑発に対して金剛が口を開く。

 

「今日のランチは浜風の奢りデスネ」

『異議なし』

 

 前言撤回。彼女達に煽り耐性などない。金剛の意味不明で嫉妬心にかられた言葉に浜風は空を仰ぎながら、静かに思考を放棄した。

 

「助けてください……提督」

 

 隣ではいつの間にか現れていた青葉が高速でシャッターを切りながら、浦風と一緒に大爆笑していた。

 



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第三十九話 閑話其の一 天龍と龍田

 

 規則的な動きを繰り返す水面に突如として水柱が立ち昇る。

 予期していなかった轟音に、やや乱れた陣形を崩させまいと駆逐艦の少女達がお互いに檄を飛ばし合う。が、怒声と揶揄しても遜色ない程度の声量全てが、新たな砲撃の衝撃波にかき消される。幾本もの突き出した岩礁を縫うように、水面を駆ける少女達の表情に余裕の色は一切無い。

 

 演習。

 彼女達が現在行っている訓練は基本的にそう呼ばれている。文字通り実践を模した訓練であり、其れ自体はどこの鎮守府でも行われている基本鍛錬の一つだ。しかし”基本”と言えど、軍の鍛錬である事に違いは無い。

 幾ら爆薬が使われていない演習弾とは言え、実践を想定して開発された物である。圧力によって破裂する仕組みに設計されている着弾時の衝撃波と轟音は、慣れていない者ならば失神しても可笑しくはない程度には高威力だ。当然当たった時の痛みも"痛い”では済まされない。

 一発一発に明確な敵意が込められた砲撃の流星弾雨。常人ならばまず絶望を、百戦錬磨の先人達でさえ眉を顰める目の前の状況に、天龍型軽巡洋艦一番艦、天龍は一人笑みを浮かべていた。

 

「二人同時に相手は難しいと悟って、定石通り標的を俺一人に切り替えたか。ハッ! ちゃんと前回の反省が活かされてるじゃねえか!」

 

 瞬時に身を屈め、先頭の砲撃を避ける。そのまま横に跳ね、岩礁を身代りにしながら、天龍は嬉しそうに口角を釣り上げチャームポイントの八重歯を光らせる。龍田ならば写真に残し、額に入れ、自室の壁に飾るぐらい良い表情ではあるが、残念ながら、別に天龍は自身が的にされて歓喜するドMでも、激しい争いに興奮する戦闘狂でもない。

 天龍の胸中にあったのは親心に近い何か。この五ヵ月もの間、寝食を共にし、自分と龍田を信じてここまで歯を食いしばって地獄ともとれる訓練を乗り越えてきた目の前の少女達。初日、あまりに過酷な訓練内容に涙を零し、嗚咽していた少女達が今、決意を秘めた瞳で、自らの意志で水面を駆けている。

 過去、自身の鎮守府で同じ道を辿ってきた”先輩”として”一人の艦娘”として、天龍は少女達の成長に笑みを隠せなかった。

 

「分かってるって龍田。だからそんな目でこっち見るんじゃねえよ」

 

 少し離れた所で円を描くように滑走しながら、龍田が視線だけをこちらに向けていた。相変わらず踊るように砲撃を避けつつ、薙刀で華麗に砲弾をいなす姿に天龍はやれやれと溜息を一つ。姉妹でどうしてこうも華やかさに差が出るのか。近接戦ウェルカムの天龍ではあるが、あそこまで流麗に砲撃をかわされると流石に思うところがあるらしい。

 距離が開いている上に、砲撃の着弾音でお互いの声は届かない。それでも龍田と視線が重なった瞬間、相手の言わんとしている事が理解できたのは二人の関係性故か。

 

『気持ちは分かるけど情に流されちゃ駄目よ~、天龍ちゃん』

 

 二対六。編成人数から鑑みても圧倒的不利な筈の現状況下。それでいてなお、龍田は情に脆い天龍が少女達に華を持たせる可能性に先んじて釘を刺した。要は手を抜いて負けてやるかもしれない、という危惧に対して、だ。

 何も知らない者が聞けば嘲笑に伏すであろう龍田の懸念。だが、其れは人数的優劣の外側に位置する要因を考慮していない者の、底の浅い思考に他ならない。

 

 ここは口下手で無骨な提督が率いる鎮守府でもなければ、彼の信頼に応えるために破竹の勢いで海域を進撃する見慣れた仲間達のいる場所でもない。

 在るのは未だ海風に晒されて老朽化していない新設の鎮守府に、最近やっと安定して正面海域をパトロールできるようになった眼前の艦娘の少女達。加えて、彼女達のために日々執務をこなし、夜遅くまで艦隊指揮の指南書を読み込む新人女性提督が一人だけだ。

 彼の提督の元に着任してから、幾度の大規模戦闘に身を投じてきた二人からすれば、現在の数的不利など些細な問題にも当てはまらない。それほどまでの差が、両艦隊の間に確として存在していた。

 

「お前達は努力してるよ。五ヵ月の間ずっと訓練教官をやってる俺が言うんだ。それは間違いねえ」

 

 これがスポーツならば、彼女達の努力に実を結ばせるのが指導する者の役目だろう。しかし、時として理不尽に、時として容赦なく全てを奪い去っていく最前線の脅威を経験している天龍の手は緩まない。

 なおも続く砲弾の雨に、そろそろ決着を付けに来ている感覚を肌で感じた天龍は、ふと昔、自身の訓練教官であった榛名に言われた言葉を思い出して、笑った。

 

『勝つことに執着するのは構いません。ですが私達の戦いは”護るべき”戦いであることを忘れないで下さい。勝ち戦の時には見えない本当に護るべきものは、敗戦濃厚時にこそ色濃く鮮明に映し出されます』

 

 

 ”天龍さんにも護りたい大切な何かがあるでしょう?”

 

 

 勝利は求められるもので、勝とうという想いは大切な資質だ。だが、時としてそれは本当に大切な何かを見失わせる。ここは発足してから半年足らずの若い鎮守府だが、艦娘は提督を深く信頼し始め、提督は艦娘に対して常に真摯であろうとしている。

 なればこその龍田の懸念。人は勝ち鬨を上げた時に隙が生まれ、経験が浅いほど後々に影響する。

 しかし何より――

 

 身体に纏う艤装の感覚に意識を集中させ、天龍は下半身に力を込めたまま不敵な表情で呟いた。

 

「お前達が本当に護りたいものは、こんなちっぽけな勝利じゃねえだろう?」

 

 同時に、一際大きな水柱が水面を駆け昇り、少し遅れて演習の終了を示すフラッグが上がる。演習時間、一時間と二十一分。

 其れは今までの演習で一際長く、駆逐艦の少女達が水面を駆けた何よりの証であった。

 

 

 

 

 

「今日もお疲れ様~、天龍ちゃん」

「おう。龍田もな」

 

 龍田から手渡されるタオルで乱雑に濡れた髪を掻きあげながら、天龍と龍田の二人は司令室に向かう廊下を歩いていた。シャワーを浴びた後なので水気が残るのは仕方ないが、髪の手入れまで完璧の龍田に比べて、上着を腰に巻き付けてインナー一枚、加えて生乾きの髪のままズカズカと歩く天龍の姿はまるで風呂上りのおっさんそのものである。

 ちなみに演習に参加していた駆逐艦の少女達は今頃、湯船の中で泥のようにぐったりとしている頃だろう。反省会と称しての湯浴みではあるが、重度の疲労で、最早その体を成していないのは言うまでもない。

 

「にしても、天海提督も律儀だよな。指導教官として派遣されてる俺達に日頃の礼がしたいからって、そうほいほいと他の鎮守府の奴を執務室に招くかね」

「そう~? 私はそれも含めてあの提督らしいと思うけどな~」

 

 天海とは、ここの鎮守府の提督の名だ。女性らしい包容力と落ち着いた雰囲気に満ちており、同時に艦娘に対しての理解と真摯な想いを持っている優秀な人物とは、彼女を提督に押した元上司の言葉だ。

 だが、元々人手が足らず、かと言って新人提督に新人艦娘だけでは流石に不安が残ると言う事で、半年の艦娘派遣要請を受けたのが創眞提督の鎮守府であり、彼が天龍と龍田の二人を推薦し、現在に至る。

 

「それに天海提督とウチの提督、どことなく纏う空気が似てる気がするのよね~」

「確かに二人とも超が付くほどのお人好しだからな……」

 

 頭に浮かぶ二人の提督の顔に天龍は若干呆れた表情で視線を動かした。片や笑顔が苦手で口下手なお人好し、片やいつも微笑みを崩さない、心配性なお人好し。大半の人が想像する軍人像とは正反対にあるといってもいい二人の人柄だが、天龍と龍田の表情に不満の色は露程も見えない。

 

「まあ身内贔屓を差し引いても、俺達もあいつらも提督には恵まれてんだろ。それこそ、これ以上は無いって確信できるほどにはな」

「それはそうね~」

 

 尤も、彼に関して言うなれば、もう少しこちらにグイグイ攻めてくる程度のフランクさは見せてほしいものだが、周囲では勘違いした提督が艦娘に対して不埒な行為をしでかす案件が急増しているだけに、逆に守りを固めているのだから頭が痛い。

 一度、提督が入浴中、順番にタオル一枚で突撃してしまおう案の可否が大ホールで行われ(勿論提督は知らない)ギリギリ理性を保った半数の艦娘のおかげで否決となった事を思い出し、いっそのこと賛成しとけばよかったか、などと今更ながらに天龍が思い直す辺り、提督の堅物も相当だ。

 

「提督と言えば、今頃皆は海で楽しめてるかしら~」

「あの面子で楽しめない訳ないだろ。どうせ今頃、提督に構ってほしい連中が問題の一つや二つ起こしてるんじゃねえか?」

「そうかもね~。でも意外だったな~、天龍ちゃんから海に行くのを辞退するなんて」

「いや、行きたくない訳じゃなかったけどよ。アイツラにとっても大事な時期だったし、それに――」

 

 ――今回、俺は何もしてねえからな。

 怠惰、懶惰、横着、懈怠。この鎮守府に其の類が一つでもあったなら天龍は迷わず海を選んだ。誠意には誠意を、想いには想いを以て応えるのが天龍の在り方だ。故に彼女がここに残っている事実が何を示すのか、自ずと、この鎮守府の在り方も見えてくる。

 其れとは別に、また理由もある。

 

「今回の派遣任務が半年間、提督の鎮守府の働きが評価された期間とほぼ一致してるもんね~」

 

 つまりはそういう事だ。

 龍田の指摘に天龍がフンッと鼻を鳴らす。まるで我が家が自分達が不在でも順風満帆な事が気に食わないとでも言いたげに、見事なしかめっ面である。

 

「だったら俺が海に行くのはなんか違うんじゃねえかって思っちまってさ」

「天龍ちゃん何かカッコいい~」

「だろ?」

「でも、提督は私達が参加できるよう褒賞が決まった瞬間から手配してくれてたらしいけどね~」

「うぐっ……」

 

 意図の見えない龍田のボヤキから逃げるように天龍は顔を背ける。情に厚い天龍の事だ。経緯はどうあれ提督の、自分と龍田への想いを断ってしまったという事実に思う部分は少なくない。少なくないが、故に決断した心に憂いも後悔もない。

 

 褒賞に値する半期間、天龍と龍田が上げた直接の戦果は無い。提督が二人に与えた任務とはそう云うもので、派遣任務とは得てして視認できない評価を内包するものだ。勿論提督からすれば艦娘に与える任務に差などないが、こればかりは天龍自身の考え方の問題だ。

 今回の慰安旅行は、提督と仲間達の歩みが評価され形になった証だ。そこに今の天龍が交ざるのは他でもない自分が許さなかった。

 

 ”半年間、頼む”と、提督は二人にそう告げた。

 

 其の半年はまだひと月残っている。提督が選んだのは自分達二人だ。なればこそ、最後までやり通して帰るのが現在の鎮守府と、提督の信頼に対する誠意になる筈だ。

 

「なんか俺の我が儘に付き合せちまって、龍田には悪いことしたな」

「ううん。天龍ちゃんが良ければ私はそれでいいの~」

 

 なんと出来た妹か。天龍は思わず緩みそうになった涙腺を誤魔化すようにへへッと笑いながら下を向いた。普段は実に楽しそうに笑顔で姉を涙目にする妹の風上にも置けない龍田だが、時と場合はしっかりと弁えている。

 流石は自慢の妹だ。姉である自分をいざというときはしっかりと立て、言葉無くとも理解し合える様はまさに理想の姉妹だとい――

 

「あ、でも折角買った新しい水着が一度も着れないのは勿体ないかな~」

 

 ――うん?

 

「それに電ちゃんや雷ちゃん、第六駆逐隊の子達がすっごく寂しそうな顔してたって電話で鳳翔さんが言ってたな~」

 

 ――あれ?

 

「提督に新しい水着の話したら”きっと似合ってるのだろうな”って言われたっけ~。あれ~? そんな渋い顔してどうしたの天龍ちゃん」

「……龍田お前。実は海に行けなかった事、すげー根に持ってないか?」

「ん~? そんなことないよ~?」

 

 天龍の問いに龍田はニコリと笑顔で答える。切れ長の瞳と妖艶な口元でうふふと笑いながら、言外で意図を伝えてくる龍田の表情に映るのは期待の影。

 天龍は知っている。こんな時、龍田が何を欲しているのかを。そして其れを実行するのはいつも自分であることを。皆が割と知らない事実、龍田は意外と我が儘なのだ。

 

「へいへい、帰ったら六逐の奴ら誘ってどっか甘味処にでも連れて行ってやるからよ。それで勘弁な」

「ん~? もう一声欲しいかな~」

「だああ! わかったよ! 提督も誘えばいいんだろ!? くそっ! なんか恥ずいんだよな提督誘うのって!」

「さっすが天龍ちゃん~」

 

 互いが気の置けない相手だからこそ見せる遠慮も裏表もない表情で、二人は汚れの目立たない廊下を笑顔で歩いていく。前に、前に、と進む足取りは軽い。

  離れていても想いは伝わり、また還ってくる。静かに、ゆっくりと、そして確実に。

 

 ――そう。其れはまるで寄せては返す海波のように。

 




 戦闘描写って難しい。


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第四十話 夏の慰安旅行 其の九

「それでは緊急会議を始めたいと思います」

 

 開口一番、部屋の上座に位置する場所で切り出した大淀の発言に一同は揃って眉を顰めた。

 ホテルの応接用の一室を借りて即席で用意された会議用のテーブルを囲むのは、各部屋の代表者達。チェックインを終え、各々が部屋に荷物を運び入れた直後のためか、服装は皆一様に軽装だ。

 

「チェックインを終えて一息つく間もなく、おまけに夕食まで一時間とない現状での招集……余程の緊急事態ですか」

「そうですね。ある意味では最高ランクと言ってもいいかもしれません」

 

 大淀の返答に普段嫋やかな赤城の顔が盛大に引き攣る。いや、赤城だけではない。部屋にいるメンバーほぼ全員、例外なく顔が青く染まっていた。

 最高ランクの緊急事態。赤城の記憶では過去、大淀の口からその単語が零れたのはたったの一度を除いて他にない。

 誰もが忘却の彼方へと強制的に忘れ去りたい忌まわしき過去の大事件。当時の鎮守府で多数の犠牲者(仮)を出したそれは、伊良湖が未だ着任しておらず、間宮が体調不良で寝込み、鳳翔が遠征代理で不在というある意味で奇跡的なタイミングで発生した。否、現れた。

 

 エプロン姿の比叡と磯風の二人が。間宮食堂の厨房に忽然と。

 

 理由は単純だった。間宮がいないので昼当番は二人でやろうと結論に至っただけ。全ては十割の善意からであり、仲間を想っての行為であったのは間違いない。そうして二人は禁断の領域へと足を踏み込んでしまった。

 今でこそ、暗黒物質(ダークマター)作成請負人と名高い二人の真価が発揮されたのが、奇しくもこの時だった訳だが、振る舞われたカレー(偽)を間宮が前もって作り置きしたカレー(真)と勘違いした周囲にも少なからず問題はあったのだろう。

 更に、見た目が普通のカレーであったことと、その日に限って早朝ミーティングが昼前にずれ込んだことの二つの要素が被害をさらに大きくしてしまい、ほぼ全員が一斉にカレー(偽)を食べ、そして卒倒した。

 

『脳が痺れた』

『噛んだら痛みが走った』

『ルーがコリコリしてた』

 

 カレーを食べた感想としては些か不適切な迷言が数多く生まれたこの大事件は、大本営へと出向いていた提督と、遠征から帰還した鳳翔の必死の看病の甲斐あって、数日で全員回復の路を辿り事無きを得た。ともあれ、大淀の発言から全員の脳裏に過去の大惨事が甦ってきた事は顔色から鑑みても、最早言うまでもない。

 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音すら聞こえそうな静寂の中。険しい表情を保ったまま、大淀は隣に座る加賀へと視線を横にずらす。

 

「加賀さん、状況説明をお願いします」

「ええ、分かったわ」

 

 大淀に促され、席を立つ加賀に周囲の視線が集中する。まるでお立ち台に立つスポーツ選手のような状況に、然して気にした様子も見せず加賀は静かに口を開いた。

 

「単刀直入に言うわ。今晩提督が泊まられる予定だった部屋が、急遽使えなくなってしまったの」

 

 途端に場がざわつき始める。

 提督という単語に対して露骨なまでに反応を見せる同僚達が落ち着くのを待つ加賀。どうやら未だ真意を図りかねているのか周囲の空気は困惑に近い。確かに問題ではあるが、最高レベルの緊急事態というには些か足りないのではないかという疑念が見て取れる。

 

「あの、加賀さん。どうして急にそんな事になってしまったんでしょう」

「大きな原因は水漏れ、だそうよ」

 

 白雪の疑問に、加賀は先程フロントで得た情報を踏まえて具体的な内容を説明し始めた。

 

 原因は実に単純で、部屋の掃除に入った人物がバスルームの清掃の際に蛇口を捻ったまま忘れて退室してしまったためだった。使用前はカビ防止のため流しにゴム製の留め具を装着するのが決まりになっていたのだが、湯の溜まり具合の確認だけだったため取り外さなかったのが事故に直結してしまったようだ。

 故に、溢れだした水がそのまま部屋に侵入してしまい、気が付いたときには手遅れになってしまっていた、と言う事だ。

 

「となるとあれか。提督の部屋が別の階に変更になるかもしれないということか」

「半分正解、もう半分は不正解、といったところかしらね」

「? どういう意味だ」

 

 自身の結論に対して要領の得ない、曖昧な返答を返してくる加賀に武蔵は怪訝な表情で眉を顰めた。

 

「提督の部屋が変更になるのは間違いないわ。問題はその”場所”なのよ」

「……場所?」

「そうね。説明するよりもこれを見た方が早いわ」

 

 言いながら、加賀はテーブルに一枚の資料――どうやらこのホテルの見取り図のようだ――を広げ始める。

 一階から三階までがロビーや食事処、休憩室に加え、一般浴場。四階から八階までが客室、九階には娯楽施設など基本的な設備の概要が書かれている。それぞれの客室は予約が入っていれば赤色、空き部屋なら緑色で表示されるようになっているようだ。

 特に変わった点も見当たらない、と加賀の意図に疑問符を抱く武蔵だったが、客室の部屋割りへと視線を移したところで、突如として表情が驚愕へと変わる。

 

「まさか……」

「気が付いたようね。そう、見ての通りここに書かれている客室の色は全て赤。つまり現在空き部屋――言い換えれば、提督が今夜泊まれる部屋がこのホテルには無いという事になるわ」

 

 加賀の言葉に、近くにいた数人が息を飲む音が聞こえた。阿武隈、能代、五十鈴だ。

 考えてもみれば、確かに現在は休暇シーズンのど真ん中。特に注目度、人気共に高いプライベートビーチ付きのホテルとなると空き部屋などある方が可笑しいのだ。

 

「で、では、提督はどうなるのですか!?」

「ここから車で一時間半程行ったところに、別の大本営直轄のホテルがあるらしいの。そこになら空きがあるらしくて、その話を今提督が支配人としているわ。ホテル側の話ではこの後すぐに発って、戻ってくるのは明日の朝になるみたいね。勿論全てホテル側が手配してくれるわ」

「この後すぐって……じゃあ」

 

 能代の言葉の続きを苦虫を噛み潰したような表情で、加賀が紡ぐ。

 

「そうね。このままだと、夕食以降に予定していたイベントは全て提督不在になってしまうわ」

『ええーー!?』

 

 先程のざわつきとは比較にならない怒声に近い悲鳴が部屋中に響き渡る。

 特に駆逐艦組からのブーイングが凄まじく、思わず身を乗り出した漣がバランスを崩し、勢い余ってテーブルに前転、そのまま華麗に地面に落下するという離れ業を披露していた。

 あまりの痛みに悶絶しながらも、震える右手を必死に加賀へ伸ばして抗議の意志を訴える貞子スタイルの漣。まるでホラー映像のような彼女の雄姿に追随するかのように雷が前へ出る。

 

「そんな! それじゃあ御飯の後の花火はどうなるの!?」

「その場合残念だけど、提督に参加して頂く事は難しいと思った方がいいわ」

「し、司令と花火ができない……まさか不知火に何か落ち度が」

「あやー、しれーとの花火、雪風メッチャ楽しみにしてたんだよねー。時津風さんとしてもショックー」

 

 駆逐艦一同の合同企画である夜の花火大会。表面上では日頃の疲れを癒す慰安イベントではあるが、彼女達の内心では積極的に提督に甘えられるまたとないチャンスでもあったため、流石にショックを隠しきれていない。

 こんな時、鎮守府の良心である鳳翔ならば彼女達の心を癒す事も可能だっただろうが、残念なことに現在隣にいるのは鎮守府内で”キングオブKY”の異名を持つ隼鷹だ。期待するだけ無駄である。

 

「おーおー、ちびっ子達は大変だねえ」

「なんでそんなに楽しそうな顔なのよ! 隼鷹さんは提督いなくてもいいの!?」

「そりゃ居て欲しいさ、勿論残念だよ。でもお酒はなくならないからね。提督とはまた別の機会にでも飲むさ。二ヒヒ」

 

 雷の噛み付く様な言葉と表情を、隼鷹は柳に風の如くけらけらと笑って受け流す。酒さえあれば他は割とどうでもいいと思っていそうな表情はまさに”こんな大人になりたくないランキング”上位の常連の風格だと言っていいかもしれない。尤も、彼女の持つ良さはその割り切った思考に内包されるものでもあるのだが、敏い雷から見ても只の呑兵衛に見えているのだから、彼女の日頃の行いが容易に想像できるだろう。

 

 そんな二人のやりとりを溜息交じりに眺めていた大淀が、抑揚のない口調で隼鷹へと口を開いた。

 

「ちなみに当然ですけれど提督が移動された場合、飲酒は全面的に禁止となりますので」

 

 慈悲もなければ救いもない分析官の一言に、隼鷹は盛大に膝から崩れ落ちた。死刑を宣告された囚人でさえここまで絶望した表情は見せないだろう。心なしか魂が肉体を手放しているような気さえする。

 周囲をよく見ると、少し離れた場所で似たような状況の人物が同じように椅子から転げ落ちている。千歳と那智、説明するまでもなく隼鷹の呑兵衛仲間である。

 

「な、なんでそんな悪魔のような所業が許されるのさ……」

「当たり前でしょう。万が一何か問題を起こせば、責任は全て管理不行届で提督が負うことになるのよ。最悪の場合、提督としての進退問題にも発展しかねない。そうならないために自制するのは、提督の部下として当然でしょう?」

「……そだな」

 

 加賀の言っている事は正直、大袈裟ではあった。旅行に来て飲むなというのも酷な話だと理解もしている。実際、加賀自身飲むことは好きな方で、決して飲酒に理解を示していない訳ではないのだ。

 だがそれも全て提督が居てこそ、である。提督にとっての優先順位の筆頭が艦娘であるのと同様に、彼女達の判断基準もまた提督を中心に回っている。だからこそ隼鷹は素直に退いた。提督がいなくなればこの心地良い空間も全て消え失せてしまうと理解しているから。

 隼鷹が自分の席へと腰を下ろすのと入れ替わるように、控えめに手を上げた綾波に加賀が視線だけで発言を促す。

 

「えと、部屋が空いていないなら、私たちのどこかの組の部屋を司令官に譲ればいいのではないでしょうか?」

「おお! その手があるじゃん!」

 

 綾波の案に敷波が相槌を打ち、周囲の空気が若干軽くなる。

 が、どういう訳か加賀と大淀の表情に前向きな変化が見受けられず、綾波は背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを一人感じていた。こういう時の予感は大体当たってしまうのが世の常だ。

 まさか、いやでもあの司令官ならもしや、と思考する綾波に内心で謝罪しつつ、大淀はハイライトの消えた瞳で静かに口を開いた。

 

「残念ですが、その案は既に提督本人に断られていますので不可能です」

「……一応聞くけど、理由は?」

「”折角何日も時間をかけて決めた部屋割りなのだろう? きっと部屋でのひと時を心の底から楽しみにしている子も居る筈だ。それに私がいない時間があった方が君たちも羽を伸ばせるだろう”だそうです」

「あんの鈍感提督……」

 

 全く似ていない提督の真似を披露する大淀ではあったが、しかし容易に想像ができてしまう台詞に霞は髪を掻き乱しつつ、悶々とした心の内を隠せない。

 提督は優しく穏やかな人物だ。それはそれでいい。彼女達もそんな提督を慕っている。だが心とは我が儘なもので、満たされればそれ以上が欲しくなってしまう。それこそ偶には提督からスキンシップをとってくれるような積極性を望んでしまうのだ。ハグとか、ハグとか。

 

「さて、現状は大体理解できたようね。それじゃあ本題に入るわ」

「え? 本題って……会議は終わりじゃあ?」

「何言ってるの? 大切な旅行なのに提督と離れ離れなんてそれこそ冗談じゃないわ。そうでしょう大淀?」

「当然です。とは言え部屋に空きは無く、私たちも移動できない。ならばどうするか」

 

 そこで大淀は一度考え込む。否、考え込んだフリだけだ。答えは当に決まっている。

 

「答えは簡単です。提督に私達の誰かと一緒に”一夜”を明かしてもらえばいいんですよ」

「その部屋を決めるための招集なのよ、これは」

 

 ――え?

 初めは皆、理解が追い付かず呆然としていた。少しして頭の回転の早い者数名が理解し、頬を真っ赤に染める。次に、遅れて把握した数名が何を想像したのかニヤけ始める。そうして気が付いた頃には場は桃色の空気で満たされてしまっていた。

 提督も提督なら、彼女達も彼女達で大概であったりする。

 

「え? ちょっとマジで? 本当にそれっていいの? いや、鈴谷的には全然構わないんだけどさ!」

「鈴谷あなた、涎が垂れてるわよ。それにいいも何も、それ以外に何か提督を残す方法があるの?」

 

 あるのなら今ここで教えて下さいと付け加える加賀に、誰一人として口を開く者はいない。

 確かに時間もない現状、加賀の言っている案が妥当なラインであることは間違いないだろう。憲兵的な問題も、本人たちの同意があれば即解消できる話ではある。

 残す問題はたったの一つ。だが、その壁が途方もなく高い事は彼女たちの表情が物語っていた。

 

「でもそれって本当に提督が首を縦に振ってくれるのでしょうか?」

「そうなんです。磯波さんの言う通り、今回の件はバスの座席の時とは状況が違います。最優先で考えるべきは”提督が自然体でいられるメンバーの部屋を選ぶ”ということになります。そのため私情を挟んだ意見は控えるようにお願いします」

「ちなみに、ここにいるメンバーは基本的に理性的か否かで選ばせてもらったわ。そして残念だけれど、現時点で候補から外れる部屋が幾つかあるわ」

 

 ――金剛と大和の部屋だな。

 奇しくも全員の思考が見事に一致したのが、この瞬間だったのは決して偶然ではないだろう。

 あの二人のどちらかがいる部屋で提督と一夜を明かすなど、ライオンの檻にウサギを放り込むようなものである。同じ鎮守府の仲間である彼女達の二人に対する認識は概ねこんな感じなのだ。どうしてこの場に彼女達が呼ばれなかったのか、理由としてはこれ以上ないくらいの説得力があった。

 ちなみに二人の部屋の代表である武蔵と榛名が静かに虚空を眺めている事に触れようとする勇者はいないようだ。

 

「となると私達の部屋も駄目ですね、加賀さん。人数的に」

「残念ですけどそうなりますね。ごめんなさい赤城さん」

「な、なんで謝るんですか!?」

 

 耳まで真っ赤にしながら膨れる赤城をさらりと流して加賀は涼しい顔だ。

 赤城達の部屋は二人に加え、二航戦、五航戦の四人と大鳳の計七人。基本六人で想定されている部屋に八人目の提督が入るのは流石に無理があった。

 同様の理由から候補を外れる部屋が幾つか除外され、残った部屋から選ぶ流れとなる。

 

「妙高さんと那智さんの部屋とかどうですか?」

「無理ですね。足柄がいますから」

「無理だな。足柄がいる」

「……足柄さん、そんなに切羽詰っているのですか?」

「……最近は”飢えた狼”の異名の意味が変わってきているような気がするな」

 

「名取さんの部屋はいけるんじゃないですか?」

「ふええ!? え、えとその! す、すみません……」

「無理よ。あまりの緊張で名取が禿げちゃうわ」

「は、禿げないよ! 五十鈴ちゃん!」

 

「夕張さんのところは……無理ですね」

「ちょ、ちょっと! 諦めるの早くない!?」

「だってあなたきっと、妖精さんと工廠談義で朝まで盛り上がるでしょう?」

「うぐう……否定できない」

 

 次々と候補が潰れていく事態に溜息を隠せない大淀と加賀の二人。

 ある程度理解していたが、改めて考えると、どこの部屋にも一人は問題児が隠れているため中々決まらない。どうやらこの鎮守府は想像以上にイロモノキワモノが揃っているらしい。

 せめて一人、穏やかで安心感があり、且つ周囲に自然と影響力を持っているような人物がいる部屋ならば、とそんな空気が流れたところで、誰かがポツリと言葉を漏らした。

 

「あ、鳳翔さん」

 

 瞬間、部屋中の視線が本人不在のため、代理である同部屋の主へと注がれる。

 まるでそんな流れなど蚊ほども意識していなかった当人である議事進行役である少女――大淀へと一斉に。

 

 

「……え?」

 

 

 こうして提督の本日の宿が決定したのだった。……本人を無視して。

 




 気が付いたら秋イベが始まっていたという。


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第四十一話 夏の慰安旅行 其の十

 今回少しだけシモイ感じの話題が含まれています。
 それでも良いぞ、と言う方のみお進み下さい。


 

 ――これは少し旗色が悪い、かな。

 

 自身を取り巻く現状を分析しながら、明石は内心で一人大きく溜息を吐いた。

 対面では目下、彼女の悩みの種である人物が顎に手をやりつつも真剣な表情で何かを思案中である。相も変わらず思考の渦に吞まれると眉間に皺が寄る癖は直っていないらしい。

 両隣ではなぜか妙に楽しそうな間宮と、責任感と緊張で瞳がバタフライしている大淀が同様に眼前に座る人物の返答を待っていた。両者共に正反対とも言える反応ではあるが、二人の瞳には一貫して共通した色合が含まれている事に明石は当然気が付いている。

 

 ――やっぱり私も肯定してくれる事を期待しちゃってるなあ。

 

 なぜなら、明石自身も二人と同じ想いを自覚しているのだから。

 我ながら欲深いなあ、と苦笑を零す明石の隣で、緊張が臨界点を突破したのか大淀が胸元で両手を合わせ祈りを捧げ始めている。何か怪しい宗教でも始めたの? と言いたくなる行動だが、普段は思考を理論で固めてから行動する事を身上としている大淀にとって、この局面はあまりに唐突すぎた。理論派の彼女は無茶ぶりに弱いのである。

 そんな彼女達の思考を更にどん底へと落とし込むかのように、対面に座る人物――提督は困ったような表情で口を開いた。

 

「君たちの提案は理解した。だがしかし私が君たちの部屋に、というのはなあ……」

「提督が私達の部屋で一夜を明かされる事に何か問題がありますか?」

「いや……と言うよりなぜ間宮君はそんなに笑顔なのだ」

 

 間宮の強気且つ大胆不敵な攻めに提督は相変わらず押されっぱなしである。しかし、強引過ぎても意味はない事を理解している間宮は提督の問いに微笑みをただひたすら返すのみだ。まずはこちら側に提督に対する遠慮や無理な気遣いがない事を理解してもらわなければならない。

 押す時は押し、退くときは退く。相手は遠慮と優しさの権化のような人物、駆け引きに焦りは禁物だ。

 とまあ、頭では実に冷静な間宮ではあるが、笑顔の裏に隠された肉食獣のようなギラギラとした何かが所々漏れ出しているため、提督が微妙に退いている事に間宮自身気が付かない。彼女は彼女で割と残念気質の持ち主だ。

 

 さて、現在彼女達が何をしているのかと言えば、提督同部屋連行作戦の実行真っ最中だ。

 先刻の緊急会議で選ばれた部屋の主である大淀が、早急に提督を説得するよう会議に参加していた艦娘から要請を受けたのだが、そこには無責任にも程があると言えてしまう大きな問題があった。

 その時の一部始終がこんな感じだ。

 

「わ、分かりました。なんとか提督を説得できるように頑張ってみます。ですので何か説得のための妙案があればご助力頂きたいのですが……」

「そうね。では僭越ながら私から一つ」

「……加賀さん!」

「押して押して押しまくりなさい。以上よ」

「……え?」

「提督は優しい上に、穏やかな方よ。そして少し押しに弱いところが正直堪らな……があるわ。だから押しなさい、徹底的に。そうすれば間違いなく頷いてくれるわ」

「い、いやそれは流石に……」

「なら色仕掛けもアリだな」

「む、武蔵さん!? 突然何を!?」

「突然も何もないさ。提督だって男だ、それらの欲が皆無って訳でもないだろう? そこを普段はしっかり者の大淀みたいな人物が潤んだ瞳で甘えるように囁けば流石の提督と言えど何も感じない事はないさ」

「む、無理! そんなの私には無理ですよ!」

「あら、そろそろ時間ね。では大淀、後は任せたわよ。この旅行の命運はあなたに懸っているわ。頑張って」

「あ! ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 以上。

 混乱と羞恥だけを大淀の心に残して、仲間達は部屋を出て行った。あまりの適当さに大淀は静かに瞳のハイライトを消して頭を抱えるしかなかった。が、ある意味では仕方ないとも取れる一連の状況であった事を一応記しておく。分析官として日頃活躍している大淀ですら提督にどの部屋に泊まってもらうかで頭が一杯だったのだ。説得内容なんて誰も考えていなかった事は火を見るより明らかな事実。相変わらず提督の事になると駄目駄目になる部下達ではあるが、本人達は至って真面目なのだからどうしようもない。

 

 気が付いたら大淀は明石と間宮に土下座して、提督の説得を手伝ってくれるよう頼み込んでいた。まさか人生初の土下座が今日この場所だとは微塵も予想していなかった大淀であるが、走り寄ってきた大淀がそのまま流れる柳のように土下座へと行動をシフトするのを目の当たりにした間宮と明石の驚きは、きっとその比ではなかっただろう。

 後に一連の事件は大淀にとって黒歴史となってしまうのだが、彼女の身体を張った行動を伝え聞いた同僚の評価に”いざという時は身体を張れる意外に逞しい人”という項目が追加されるのだが、今の彼女には知る由もない。

 ちなみに残りのメンバーである鳳翔と伊良湖は夕食の準備の手伝いのため、席を外している。

 

 だからこそ、この作戦は必ず成功させなければならない。仲間達の想いを裏切らないため、そして何より大淀の土下座を無意味なものにしないためにも。

 最早退路は残されていない。進まなければ、待っているのは悲しみに暮れた表情で線香花火を囲む自分達の姿。今この瞬間三人の表情は、過去の艦隊決戦、そのどの最終局面の真剣さを超えた。

 

「一つお聞きしたいのですが、提督が私達の部屋で一夜を明かす事について考えておられる問題とはなんでしょう?」

「それはまあそうだな……あれなんだが」

 

 間宮の問いに対する提督の反応に、明石はおや、と小さな違和感を感じ取る。

 彼にしては実に珍しい歯切れの悪い言葉もそうだが、それ以上に、何かを誤魔化すように髪の後ろを触るなど、どこか気恥ずかしそうな空気を纏っている提督を見るのは初めてだ。

 普段の様子から、物静かで落ち着いた雰囲気に慣れているからか妙に新鮮味があって、三人共つい前のめりのなって提督に言葉を急かしてしまう。

 自分は今、彼女たちに一体何を求められているのか全く分からない。分からないからこそ提督は、感じている危惧を正直に話すことを決意する。

 

「……君たちのような年頃の女性の部屋で、私のような男一人が共に一夜を明かすなど……そのなんだ……風紀的に考えても、やはり、な」

「……まあ」

 

 最終的に察してくれ、と萎んでいく提督の視線と言葉に、口元を手の平で隠しながら間宮は実に嬉しそうな反応を見せた。なぜこの場面で急に彼女はキラキラし始めたのか、疎い提督にとってはさっぱり理解できず不安で仕方がない。

 更に、並び座る明石と大淀も奇妙な反応だった。お互いに顔を見合わせた後、提督の視線と交差した大淀はほんのりと頬を染め、慌てるように顔を逸らしたのだ。対して、明石は内心を提督に悟られまいと表情こそ普段通りに振る舞っていたものの、両耳が茹蛸の如く真っ赤に染まっていた。 

 言わずもがな、三名共、提督が暈した意図の真意を汲み取った結果である。

 

 つまりはそう言った可能性を提督は危惧している。有り体に言ってしまえば、夜の男女による営み的なあれこれに付随する問題を、だ。

 

 当然ではあるが、提督本人にその気は無い。彼が不安視しているのは鎮守府以外の人物による偽報道(デマ)――パパラッチ被害を彼女達が受けはしないかといった程度のものだ。

 確かに最近、民間の間でも注目を浴び始めている海軍鎮守府ではある。加えて、艦娘の少女達の見目麗しい外見も在ってか、スキャンダルのように週刊誌に載る鎮守府も少なくない。今回のように、提督と艦娘が同じ部屋で寝泊まりをする話などは確かに、如何にも彼らが食付いてきそうな内容ではあった。

 まあ補足しておくと、ここは大本営管轄のホテルのため無断でそういった輩が侵入する事はまずないのだが、施設のセキュリティ関係など提督が知る由もない。

 

 しかし、間宮達にとっては、どういう経緯であれ提督が自分達を異性として把握してくれていることが素直に嬉しくもあり、驚きでもあった。もしこの場に金剛と大和がいたのなら、間違いなく彼を押し倒していたと確信できる程度には、乙女心を擽られてしまった。

 

「でも安心しました」

「……む?」

「普段そういった話に提督があまりに淡白なため、一時期食堂で、提督は男色か不能なのではないかという妙な噂が流れていたので」

「あー、あったあった。あまりに真剣だったから海域突破の作戦会議でもしてるのかと思ったなあ」

「……君達は食堂で一体何を話しているのだ」

 

 大淀と明石の掛け合いに提督はがっくりと肩を落とす。その手の分野が不得手なのは自覚しているが、熱く議論される程酷いものなのか、と思わず顔を覆ってしまう。

 誤解されがちだが、当然提督は決して男色でも不能でもなく、普通に異性に対する感情を持っている。湯浴み後の加賀を美人だと思うこともあれば、作戦前の大和の凛々しい表情に惹かれる事も多々ある。金剛に迫られれば緊張だってするし、鳳翔の慈愛の表情に癒されることだって勿論あるのだ。気付かれないのは単に、理性が人一倍強く、表情に出難いからで、決して彼女達に対する感情を何も所持していない訳ではない。

 何が嬉しいのか、終始ニコニコした表情で間宮が悪ノリにも似た雰囲気を振り撒きつつ、駆逐艦の娘らには聞かせられない爆弾を明石へと放り投げた。

 

「うふふ。でも工作艦の加護を受けている明石さんなら提督が不能でもなんでも即メンテ、できちゃいますよね?」

「ふえ!? え……ええ!?」

「そうですね。明石なら不能だろうがなんだろうが、自前のそれらで即メンテ完了、ですよね?」

「お、大淀まで!? え、えとその……うええ!?」

 

 実に楽しそうな間宮と大淀の言い回しに、まるで酔っ払った中年のオヤジのようだ、と提督は思ったが勿論口にはしない。うら若き乙女が不能なんて言葉を連呼するのもどうかと思うが、巻き込まれるので口にはしない。

 急に標的にされた明石は頭からぷしゅーと蒸気を上げながらわたわたおたおたと不可思議な動きを続けている。時折涙目でチラリと提督を窺い見ては”うあー!”と唸りながらよく分からない事を呟いたりと落ち着かない様子は少し新鮮でもあった。

 

「あれ? 工作艦ともあろう人が提督のメンテ一つできないんですか?」

「明石さんともあろう方がその程度なんて……残念ね」

 

 これまでの鬱憤を晴らすかのように笑顔で煽る大淀に便乗する間宮。おそらくこれが彼女達の素の付き合いではあるのだろうが、三人共、目の前に提督がいることをすっかり忘れている。

 あまりの理不尽な責め苦に何かが吹っ切れたのか、明石は突然握り拳を作り、涙目のまま半ばヤケクソに言い放った。

 

「な、何を言ってるんですか! 他ならぬ提督のためならこの明石、何時でも何処でも全身全霊でメンテさせて頂きます! 不能だろうがなんだろうがどんと来いですよ!」

「いや、気持ちは嬉しいんだが、私は不能でもないし大丈夫だ。すまない明石」

「……振られたわね」

「……振られましたね」

「ふ、振られてないし……振られてないし!」

 

 そっちから話を振っておいてこの仕打ちはあんまりだ、とテーブルに突っ伏してしまう明石。流石にやりすぎたと反省したのか、大淀は苦笑しながら明石に言葉を掛けている。

 一方の間宮はと言うと、大淀と同じように一度明石を慰めた後、どこか穏やかな微笑を浮かべながら提督へと姿勢を正した。

 

「……提督、私たちだけじゃありません。皆寂しがっています。折角の旅行なのに提督がいないのは、やっぱり寂しいですよ」

「……むう」

 

 自分の言葉を聞いて心の底から困ったような表情を見せる提督に、間宮は少しだけ頬を緩めた。本当にどんな時でもお人好しが抜けきらず、艦娘の事となると一大事の如く悩み始めるのだから、と。

 でも、そんな提督だから一緒にいたい、一緒に楽しみたいと思う心も芽生えるのだ。だからこそ間宮は正直な気持ちを提督にぶつける事に決めた。それで断られてしまうのなら、仕方がない。

 暫しの黙考の後、先に口を開いたのは提督だった。

 

「……鳳翔と伊良湖君はこの話を了承してくれているのか?」

「鳳翔さんならいつもの数倍ニコニコした表情で”後で秘蔵の一本を仕入れてきますね”と仰ってましたね」

「伊良湖ちゃんはなにか物凄い勢いで”提督と何を話しよう”ってメモしてたなあ。滅茶苦茶キラキラしててかなり眩しかったですよ」

「皆、直接は言いませんが、もっと提督と話がしたいと思ってるんですよ。それが簡単な雑談でも、力になるんです」

「そうか……」

 

 いつの間にか復活していた明石と大淀の補足に、提督は短くそれだけを返す。そのまま小さく頷いた後、顔を上げた彼の表情に、最早困惑も憂いもなかった。あるのはどこか前向きな、そんな表情だけだ。

 

「あ、そうだ。そう言えば駆逐艦の皆から提督宛てに伝言があるんでした」

「む? 伝言?」

「えっと読みますね。『司令官へ。もし今夜一緒に花火してくれなかったら、明日から毎晩駆逐艦の誰かがベッドに潜り込みに行くので覚悟しててね。 駆逐艦一同より』ですって」

「ふふ……それは怖いですね」

「との事ですが、如何ですか、提督」

 

 先程の提督の表情から何かを読み取ったのか、既に答えは決まっていますよねと言いたげな表情で三人娘はズズイと彼に近づいて返答を求めた。駆逐艦一同の伝言といい、ここの年少組はこの年長組の影響を多大に受けていると言っても大袈裟ではないだろう。

 まるで鬼の首でも獲ったかのように瞳を輝かせながらにじり寄ってくる部下三人に、提督は観念したように両手を上げ、一言”了解した”と小さく告げた。

 

『やったあ!』

 

 目の前でお互いに手を取り合いながら喜ぶ明石達の声を聴きながら、提督は三人に見えないように小さく笑う。

 

 ――私もいい加減、成長しないといけないな。

 自分には他人を笑わせるユーモアも、会話の中で楽しいと思わせるコミュニケーション能力もない。一緒にいて不快ではないが楽しくもなく、親しくなるには物足りないという、昔の周囲の判断は今もなお正しいのだろう。

 だがそれでも、だ。

 

 ――こんな私でも、一緒に居てくれる人達はいる。

 ――ならば自分だけ前に進まない訳にはいかないだろう。

 

 きっといつかそれが彼女達の助けになると信じて。

 

「ほら、何やってるんですか提督! 行きましょう!」

「ふふ。任務完了です。これで伊達眼鏡の軽巡なんて言われる事もないですね! さあ提督、夕食です!」

「ん~。それじゃあ布団の割り振りどうしようかしら。っと、提督、お手を」

「ああ、ありがとう」

 

 間宮から差し出された右手を同じように右手で掴み、提督は立ち上がる。

 そうして四人は歩いていく。来た時とは違う、実に楽しそうな、そんな表情を振り撒きながら――。

 



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第四十二話 夏の慰安旅行 其の十一

 秋イベなんてなかった。


 風呂に入る、という行為に対して異を唱える者は、この日本と言う国では少数派だ。

 夏は暑く、冬は寒い。それはつまり、身体がそれだけ外的環境の変化に晒されている訳であり、土地由来の埃が舞いやすい気候風土も影響してか、日本では一年を通して入浴する事が当たり前となっている。

 本来は沐浴の一種である禊の意味で行われていた行為ではある。しかし、科学技術の発達した現代では、身体の清潔を保ち心身共にリフレッシュできる入浴を道楽と捉えて、各地の有名温泉場へと足を延ばす人々も年々増加傾向にあるようだ。

 昨今ではサウナや足湯、果てはスチーム風呂や砂風呂なるものまで普及している辺りに、現代人の入浴への関心の度合が窺い知れるだろう。

 兎にも角にも、日本は風呂文化が栄えている国と言ってしまっても過言ではない。

 

 そして意外な事にもこの男――提督も風呂の持つ魔力に魅了された人間の一人だったりする。

 

「…………ふう」

 

 一通りの所作を終え、貸切状態の湯船に浸かり提督は一人静かに溜息を吐いた。口から吐き出された空気と共に一日の疲労が抜けていくようで、瞳を瞑れば少しばかりの微睡が競り上がってくる。

 

「この程度でこの有様とは……私も若くはないということか」

 

 どう考えても二十代の発言とは思えない呟きを零しながらも、提督は先程までの楽しげな喧騒を思い出し、小さく脱力した。

 楽しい時間は過ぎ去るのが早く、旅行とは同時に多大なエネルギーを必要とする。だと言うのに思い浮かぶ彼女達の表情に一切の疲労が見えないのは、上司として嬉しくもあり、呆れる話でもあったのだ。

 ちなみに先程、とは大宴会場での夕食の席での一件である。

 提督の席を巡って第六駆逐隊と第七駆逐隊が争いの火種を切って落としたのを皮切りに、駆逐艦全員を巻き込んだ”第一回提督争奪大食い大会”が開催されてしまった事が発端だ。

 提督としてはどうしてそうなった感満載の流れであったが、眼前の少女達の決意に満ち満ちた表情に気圧され、何を言う事もなく賞品席への着席を余儀なくされてしまった。その折、即座に両隣に腰を下ろしたのが扶桑姉妹だった訳だが、彼女達も案外抜け目がない。

 

 ――しかし、壮絶な戦いだったな。

 

 提督の胸に、ある種の感嘆のような感情が湧き上がる。

 あの時雨が、あの綾波が、あの秋月が。普段は理知的で穏やかな気質の彼女達までが、汗で張り付く髪を払う事もせず、一心不乱に箸を進める姿に提督は終始ハラハラと心配で胃を痛めていた。

 一方で、一人また一人と限界を迎え、倒れていく年少組の少女達を軽巡以降のお姉様方が一人ずつ介抱する姿など、提督が目指す鎮守府の姿が垣間見れ、頬が緩んだりもしたのだが。

 どんなに些細でつまらない事でも、提督が絡めば国家事変の如く真剣に取り組む彼女達の気質は良いのか悪いのか。それでも本人達は実に楽しそうなのだから良いのだろう。

 

「時雨たちがあそこまで本気になるとは……旅行の解放感とは侮れないものだ」

 

 そして、争いの原因である人物がこの有様なのだからどうしようもない。最近では向けられる好意にこそ気が付くようにはなってきた提督ではあるが、全てを親切心や上司への気遣いに分類している辺り、彼の駄目さ加減が窺える。つくづく情の受け取り方が下手な人物だ。

 艦娘の想いに提督が気付くのが先か、艦娘の我慢が限界を迎えるのが先か。水面下で壮絶なチキンレースの標的とされている彼の表情は実にのほほんとしている辺り、先は長そうである。

 

 ちなみに大食い大会を制したのは意外な事にも霰だったりする。他が次々と倒れていくのを横目に、ひたすらパクパクと箸を進める姿はある種画一的で、彼女の奮闘に会場はどよめいた。まさかあの霰が、と言った感じである。

 普段はあまり目立たない彼女ではあるが、その瞳にはしっかりと闘志の炎が宿っていた。隣でいつの間にか倍以上の料理を笑顔で平らげていた赤城に勝るとも劣らない輝きを放ちながら、霰は静かに勝ち鬨を上げ、倒れた。

 結果として夕食を提督と共にする事は叶わなかった霰であったが、介抱に向かった提督の膝の上で実に嬉しそうに横になりつつ、至福のひと時を満喫している姿は、誰が見ても勝者であっただろう。

 結局それらも、我慢しきれなくなった夕立が涙目で飛び込んで来るまでの事であったが。

 

 経緯はどうあれ何かに必死になれる事は良い事だ、と孫の成長を喜ぶ爺のような表情で湯に浸かる提督の元に、小さな来訪者が一人、二人、三人――数えきれない。

 

「ていとくさんていとくさん、ごいっしょよろしいですか?」

 

 頭にタオルを、腰に風呂桶を。まるで下町の銭湯でよく見かけるオヤジのようなスタイルでぞろぞろと入ってくる妖精さん御一行。見る者が見れば、面の皮の厚い、と顔を顰めるやもしれぬ行為に、しかし提督は穏やかな瞳で以て答える。

 

「ああ、勿論良いとも。存分に日頃の疲れを癒してくれ」

「ありがたや、ありがたや」

「しつれいしますです」

「かたじけなし」

 

 律儀に提督に頭を下げてから、一人また一人と湯船に浸かっては、ほにゃらと表情を崩して溜息を一つ。

 足が底に届かない事を見越してか、持参した浮き輪を巧みに使いながら脱力する姿は実に用意周到で意味不明だ。ちなみに全員可愛らしい水着姿である辺り、提督の心身への配慮は忘れていない模様。

 他の鎮守府では分からないが、ここの妖精さんは一々仕草が人間臭くて憎めない。どこを探したら旅行先の温泉で嬉々として酒盛りを始める妖精さんが居ると言うのだろうか。

 

 ともあれ、貸切だからこそできる浴場での贅沢である。公共の場であれば諌めているだろう提督も今回ばかりは苦笑で済ませている。

 

「ていとくさんにもおさしあげです」

「む? いいのか?」

「ていとくさんにのんでいただけるのならほんもうですゆえ」

「そうか。では頂こう」

 

 どこからかぬるうっと出てきた一升瓶。妖精さんの背丈の二倍はありそうなそれを器用に傾けながら、中身が注がれた塗り盃を受け取り、提督はこくりと嚥下する。

 

「うまいな」

「おくちにあってよかったです」

 

 鼻孔を擽る独特の香りも然ることながら、口内から喉を刺激する酒本来の味わいに提督は久々に酒の美味しさを感じたような気がした。彼自身、立場上普段は嗜好品の類を控えているが、本来酒には滅法強く、休みの日には、隼鷹や千歳に連れられて鳳翔の店などで飲むこともしばしば見受けられる。

 その度に彼女達は秘蔵の一品と称して値の張る酒を一本持ち寄って来るのだが、今味わった酒はそのどれにも勝るとも劣らない一品であるかのように感じられた。

 

「とても質の良い酒のようだが、銘は何と言うのだ?」

「”妖精のたれ”ですが?」

「……なるほど」

 

 何が”なるほど”なのか。

 酒なのにたれとはこれ如何に、と提督は思考の渦に吞まれかけるのを頭を振って踏み止まる。そもそも妖精さんとは人知を超えたスケールを擁する不可思議的存在だ。例えネーミングセンスが遥か未来を走っていたとしても、きっとそれは彼女達の中では常識的範疇に過ぎないのだろう。きっとそうに違いない。

 

「ささ、もういっぱいどうぞです」

「ああ、すまないな」

 

 今日はやけに積極的な妖精さんに促され注がれた酒を、今度は一度舌で転がしてから喉を通らせる。

 先程とは違いストレートに喉へと通さないため刺激こそ抑え目だが、その分鼻孔へと抜ける爽やかな香りに思わず頬が緩む。同じ種類の酒でも、飲み方一つで感じ方が変わってくるのだから面白い。

 気が付けば、提督の肩や頭の上で居心地良さそうに妖精さんも酒を嗜んでいる。一部既に出来上がっている妖精さんが隣の妖精さんにねっとりと絡んでは嫌がられている姿など、似なくて良い所まで人間そっくりだ。

 夕食に引き続き賑やかになりつつある雰囲気の中、提督はよい機会であると、改めて日頃の礼を彼女達に述べた。

 

「私達が今日までやってこれたのも、単に君達の支えがあってこそだ。本当に感謝している。ひいては何か要望があれば言ってくれ。可能な限り叶えられるように手配しよう」

「ていとくさんはかみさまですか?」

「もはやそのおきもちだけでわれわれはじゅうぶんですはい」

「われわれもしょくにんとしてのほこりがありますゆえ」

 

 小さくてもそこは職人気質の何某かに触れるのか、提督の提案にきっぱりと断りを入れる妖精さん一同。彼女達にとって鎮守府を支える事は当然であり、そこに対価を求めるのは本意とする所ではないのかもしれない。

 普段あまりに彼女たちが甘味に目がないので、最近艦娘の間で妖精さんの正体は実は大福――ほっぺが大福のように柔らかいから――の化身なのではないかと言った噂が信憑性を増していた。

 が、今の妖精さん達のシブイ職人としてのニヒルな表情と台詞を見れば、最早噂の真偽など確かめるまでもない事案だ――

 

「そうか。もし要望が多ければ、間宮君、伊良湖君の二人と間宮食堂で妖精君達用の甘味メニューを作ろうかと相談していたんだが」

『われわれもいまちょうどそれをていあんしようとしていたところですはい』

 

 ――と思ったがやっぱり大福の化身かもしれない。

 一瞬で先刻の自分たちの言葉を無かった事にして、瞳を輝かせながら涎を垂らす妖精さんに流石の提督も動揺を禁じ得ないのか頬を掻いている。

 昔一度、木曾が間宮製の新作デザートの残りであった特製プリンを開発前の妖精さんに渡した事があった。提督が依頼した資材数は丁度艦載機四機分。当時の秘書艦は着任したての瑞鳳だったこともあり、練習がてら零戦が一機できれば御の字だろうと提督は考えていた。

 だが数時間後、どこか挙動不審ながら報告のためにと執務室に入ってきた瑞鳳が抱えているそれを見て提督は思わず自身の目を疑った。

 

 烈風が二機と紫電改二が二機。

 

 初回の開発任務としてはあまりに余剰戦果すぎた結果に、涙目でおろおろする瑞鳳を落ち着かせるために一緒に卵焼きを食べる羽目になった事は今でも鮮烈に提督の記憶に残っている。

 なぜ卵焼きだったのかも大きな謎だが、以降はこれと言って驚くべき開発成果が無く安定しているだけに、この一件に関しては未だに謎だらけである。

 

「とりあえず了解した。他に何かあれば聞いておこう」

「めにゅーのさいしょをかざるのはみたらしだんごがいいかと」

「やつはしこそしこうのいっぴん」

「ぷりんのないかんみやはかんみやにあらず」

「さんめーとるぐらいのぱふぇをおよぎながらたべたし」

 

 欲望と唾液に塗れた妖精さん達の提案を提督は一つ一つ記憶に書き留めていく。彼女達には人間と同じように個性があり、それぞれの好みもまた当然異なる。こうして定期的に言葉を交わし、意見に耳を傾ける事も良好な鎮守府運営を継続するために欠かせない要素なのだ。

 だというのに、艦娘達から”妖精さん達に比べて自分達へのコミュニケーションに割く時間が短いのではないか”なる抗議文が毎月提督の元に届いてしまうのだから不憫ではある。ぶっちゃけなんでもいいからもっと構って、という本音が盛大に透けて見え、隠れてすらいない。

 

「よし。今挙がった案は私から間宮君に伝えておこう」

「なにとぞよしなに」

 

 あらかた意見も出終えた所で、一先ずの方向性を定める。最後まで神妙な面持ちと共に、提督の手に自分の手を合わせる妖精さんの甘味に賭ける想いは相当な物だ。間違いなく開発の時より力が籠っている。

 大分酔いが回ってきたのか赤みの指した頬のまま、ゆらゆらと身体を揺らしている妖精さんが何かを思い出したかのように両手を打ち付けた。

 

「それはそうとていとくさん、れいのさんぷるのけんについてはどうしますですか?」

「…………何の話だったかな」

「だいほんえいからおくられてきたゆびわのさんぷるのけんですが?」

 

 具体的な内容を指摘され、提督は思わず頭の上のタオルで顔を覆ってしまう。

 理由は只一つ。前回の大本営での全体会議で一番の焦点となり、数時間を費やしてなお、全国の提督を戦慄させた新たな艦娘強化策。

 

 ――ケッコンカッコカリ。

 

 名前を考えた人間は一度、本気で病院に行った方がいいと思ってしまう程に場違いなネーミングを付けられた其れは――しかし提督にとって残念な事に――今後の戦況を左右する上で非常に重要な役割を担っていた。

 練度の限界を迎えた艦娘の制限解除(リミットブレイク)。まさに人類にもたらされた革命と言っていい大本営の発表だ。当然提督達は大いに奮起し、瞳に熱意を燃やした。そしてその後聞かされたネーミングと指輪を渡すと言う方法に、奮起が欲望へ、熱意が興奮へと見事に変貌した。この国はもう駄目かもしれない。

 唯一の救いは発表こそすれ、今回送られてきた指輪は未だサンプル状態だということか。現在指輪の開発は最終調整の段階で、今回の物の持続効果は一時的なものに過ぎないとの事だ。その分、サンプルに限り練度が上限に達していない艦娘でも装着できる仕組みになっているらしいが。

 

 問題はそんな所ではないだろうと思う提督ではあったが、来月末までに効果についての報告書を大本営に提出しなければならないが故に、一人唸っていると云う状況だ。

 

「何故よりによって結婚と指輪なのだ……」

「あたらしいでんぽうによれば、じゅうこんもかのう、とのことです」

「……未だかつてない無駄な電報だなそれは」

 

 新たに浮上した悪意すら感じる情報に、提督はどうしたものかと天井を見上げた。

 渡す事が嫌な訳ではない。むしろ本心では今すぐにでも渡したいと思っている。そうする事で彼女達が無事に帰還できる可能性が上がるのならそうするべきなのは百よりも承知だ。

 しかし同時に、精神的な問題が発生する懸念もあるのだ。いくら戦力向上のためとは言え、いきなり上司からケッコンと称して指輪を渡されれば困惑するのは目に見えている。最悪の場合、精神的トラウマに直結してしまう可能性だって考えられるのだ

 

 あまり深くまで考え過ぎるのも問題だが、かと言っておいそれと簡単に決められる事案でもない。こういう時、自分の決断力の無さと、慎重になりすぎる性格が心底嫌になるな、と提督は瞳を瞑りぽつりとぼやいた。

 

「――ままならんなあ」

「きぶんてんかんに、ろてんぶろにでもいってみるとよいですが?」

「それもそうだな」

 

 言われるがままに、提督は少しだけのぼせた頭で露天風呂へと続く扉へと歩いていく。

 そんな悩める後姿を、妖精さん一行はどこか含みの籠ったニヨニヨとした笑顔で見守っていた。

 

 まるで扉の先で一波乱ありそうな、とそんな楽しげな表情で。 

 




 夏の慰安旅行編は後二、三話で終わる予定です。
 少し間延びした感があるやもしれませんが、もう少しだけお付き合い下さいますと幸いです。

 それではまた次回。


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第四十三話 夏の慰安旅行 其の十二

 

 ――ああ、気持ちいいなあ。

 

 夏の星空の下、月夜に照らされて神秘的な光を放つ海を眺めながら、アドミラル・ヒッパー級三番艦の少女――プリンツオイゲンは感嘆の溜息を漏らした。

 耳を澄ませば細波の音。昼間あれだけの活気と喧騒を見せる広大な海と砂浜も時間と共に、その帳を静かに下ろしていく。少しばかりの寂寥感こそ感じるひと時ではあるが、湯船に浸かる彼女の瞳に憂いの色は一切無い。

 現在、プリンツが腰を据えているのはホテル自慢の露天風呂の一角。言わずもがな、彼女の本国であるドイツと同様に、温泉大国である日本が誇る伝統的入浴文化の一つだ。

 ごつごつと張り出した岩壁や生い茂る草木等々。元来の自然の景観を損なう事無く設計されたであろう空間に、プリンツは満足げに一人大きく伸びをした。

 

 まるで自然の贅沢なる場所に現在プリンツは一人だけ。

 夕食後、昼間の疲れによるものか眠気に襲われた彼女は少しばかり仮眠の時間を取った。その所為で他の者と入浴の時間がずれ込んだ故の結果だ。仲間達と一緒に入れなかったのは残念だが、こうして一人静かに星空を眺めながら、というのも案外悪くない。

 後でビスマルク姉さまを誘ってもう一度来ようかな、などと思考する彼女の元に聞き慣れた二人の声音が届いた。

 

「部屋にいないと思ったら一人でこんな贅沢していたんだね」

「あなたが一人なんて珍しいわね。ビスマルクはまた提督の所かしら」

「わあ! レーベ! マックス! いらっしゃい!」

「ふふっ、いらっしゃいって。プリンツも随分日本に染まったね」

 

 鎖骨から太腿辺りまでを覆うバスタオル姿で現れたレーベとマックスに、日本式歓迎法で嬉しそうに迎えるプリンツ。漢字や片仮名にこそ未だ悪戦苦闘する三人だが、日常会話で使う単語や慣用句などは考えずとも口にできる程度には日本という国に染まっている。

 そのまま二人はプリンツが空けた二人分の空間に足を滑らせる。ゆっくりと、しかし確実に包まれていく温かさに知らず知らずの内に口元からは笑みが零れていた。

 

「ああ……日本のお風呂ってどうしてこうも気持ちがいいのかな」

「ドイツのお風呂はあまり熱くないもの。私は日本の身体に染み渡るような熱めの湯船が好きだわ」

「一日の疲れが抜けていくような気がするよねー」

 

 ドイツに居た頃も温泉はよく利用していた三人ではある。あるが、国が変われば文化が変わるように、当然温泉としての在り様は祖国の其れとは大きく異なっていた。中でも特に驚いたのが湯の温度の差である。

 ドイツの温泉は身体を温める目的も兼ねる日本とは違い、張られている湯の温度はあまり高くない。つまりぬるいのだ。日本で言う所の温水プールに近いそれはそれで、別の気持ち良さがあるのだが、疲れた身体を癒すという意味では日本の温度の高い湯に勝るものはない。

 

「それより二人は他の皆とは一緒に入らなかったの?」

「……私とレーベ、さっきまで砂浜を散歩してたのよ」

「なんでまたこんな時間に?」

「あはは……流石にちょっと胃がもたれちゃってね。すぐにお風呂に入る気になれなかったんだ」

 

 どこか言い辛そうに語尾を萎める二人を眺めつつ、プリンツは内心で――ああ成る程と苦笑した。レーベもマックスも駆逐艦の一員であり、夕食のひと時を盛り上げた当人達でもある事を思い出したからだ。

 表情こそ笑顔を取り繕っているが、まるで雪のように艶やかな白肌の指で、お腹の辺りを擦るレーベとマックスの表情はお世辞にも良いものとは言えなかった。むしろ、どちらかと言うと”げんなり”に近い。

 要は食べ過ぎただけなのだが。賞品こそ豪華で思わず参加してしまったという背景を踏まえても、胃もたれという代償は思いの外二人を苦しめたようだ。

 

「霰、本当に嬉しそうな顔してたもんね。私もちょっといいなって思っちゃった」

「僕もいつか提督の膝の上に座ってみたいなあ」

「響が言っていたけど、アロマ効果と安眠効果が期待できるらしいわ」

 

 手の平で湯溜りを作りながら、期待に満ちた表情で夏の夜空を見上げるレーベと、最近絆を深めた同僚に聞かされた実体験を、羨望の籠った瞳で口にするマックス。鎮守府外の人間が聞けば眉唾物、と聞き流す提督に関しての噂も、実情を知っているプリンツからすれば別段可笑しい話ではないのか、神妙に頷いている。

 まあそれらの話も、最近提督の膝に座った駆逐艦娘五人中四人がその場で眠ってしまった事を考えれば、あながち間違っているという訳でもないが。

 

 他では知らないが、この鎮守府では提督の膝に座る事が駆逐艦娘の中での一種のステータスになっている。

 やれ私は提督の膝に何回座っただの、やれ私は頭を何回撫でてもらっただの。野生を忘れた少女達の意地の張り合いは、川内が夜戦をねだる回数と同程度には日常茶飯事な出来事だ。

 だが、数多いる駆逐艦の中でもレーベとマックスの着任時期は後発組。故に中々チャンスが回って来ず、こうして希望を口にしては溜息を漏らす日々を送っている。早くあの意地の張り合いに参加したいと考え始めてしまっている辺り、二人ともしっかりとこの鎮守府に染まっている。

 

 ちなみに本人が自覚しておらず、公表していないから誰も知らないが、提督と触れあっている回数は全艦娘を差し置いて、初期艦である電が一番であったりする。

  

「提督とっても優しいから、レーベもお願いしてみたらいいんじゃないかな?」

「無理無理! 恥ずかしいよそんなの!」

「レーベは意気地なしね」

「う、うるさいなあ!」

 

 ひょんな事からよろしくない方向へと傾いてしまった天秤にレーベは慌てて反論を考えたが、悲しい事に口から出たのは負け惜しみのような一言のみだった。

 羞恥からか耳の先を赤く染めつつ、口元まで湯船につけながらレーベは怨みの視線をマックスへと送る。

 

 ――マックスだって提督の膝に座りたいくせに。

 いつも一緒にいるレーベは知っている。目の前の澄まし顔の相方が、実は人一倍提督と触れ合いたがっている事を。

 提督に褒めてもらうために箸の練習に精を出し、廊下ですれ違えばいつまでも目で追いかけ、提督の好きな食べ物を好きになろうと日本食に挑戦し、話す機会があればさり気なく帽子を外し、いつでも撫でてもらえるよう準備に余念がない。秘書艦前日には当日のスケジュールをキラキラしながら何度も読み込む相方。それがレーベの知っているマックスという少女だ。

 

 無表情で口数が少ないせいか周囲からはクールで大人っぽいと評されているが、とんでもない。内に秘める子供っぽさは六逐の暁に比肩する、と割と本気でレーベは思っている。違うのは、暁が感情を素直に表に出すタイプなのに対して、マックスは内に秘めるタイプという点だ。

 自らの性格を消極的、と自覚するレーベにとって暁の天真爛漫な感情表現は眩しくもあり、同時に一つの目標であるからこそ分かる両者の違い。要は暁の全身から迸る子供っぽいオーラを内面に集約したのがマックスという感じだ。

 しかし実際、彼女達は子供っぽいのではなくまだ子供なのだから、甘えたくなるのも当然である事にレーベ本人が気づいていない所に、年頃の少女の心の機微が感じられる。

 そして、そんな本人すらうやむやな少女の心を彼の提督がどう捉えているかなど、言うに及ばず、最早語る必要性を感じない。

 

 と、内心で反論の皮を被った照れ隠しを色々と考えているレーベであるが、過去の経験からマックス相手に口喧嘩では勝ち目がない。仕方がないので話題を変える事で場の好転を促そうと試みる。

 

「でも僕はすぐリタイアしちゃったけど、マックスは頑張ってたよね」

「私とビスマルク姉さまのためにも頑張ってくれたんだよね。ダンケダンケ!」

「別に。料理が思っていたより美味しかっただけよ」

「相変わらず素直じゃないなあマックスは。そうそう前に提督も褒めてたよ。マックスは我慢強い子だって」

「……ふーん、そう」

「素っ気ない態度で誤魔化してるけど、顔がニヤけてるよマックス」

「……うるさい」

 

 場の好転大成功。予期せぬ方向からの攻撃が功を奏したのか、マックスの恥じらう顔にニヤニヤが止まらないレーベ。普段の嫋やかな一輪の花の如き表情が、悪戯を思いついた小悪魔的表情に変化している。こんな些細な事で一喜一憂する辺り、やはりレーベもまだまだ子供らしい。

 

「い、いひゃいよマックス」

「……うるさい口は塞ぐべき」

「本当に二人は仲がいいねー」

 

 図星を突かれたマックスがレーベの頬をむにっと掴む。負けじとマックスの頬をレーベが掴もうとする様子を、プリンツは微睡にも似た表情で穏やかに眺めている。

 場は完全にリラックスモード。三者共、湯の温かさと心地良い空間に気を緩め、心底油断していた。だからこそ気が付かなかった――誰かが露天風呂へと続く扉を開けた音に。

 一拍置いて入ってきた人物が湯船に近づいてきて初めて、プリンツは人の気配を察しゆるりと振り返った。本当に何気なく、あっさりと。

 

 

 そうして現れた人物――提督と視線が重なり、穏やかに流れていた四人の時が止まった。

 

「…………む?」

「…………え?」

「…………っ!」

「…………わあ!」

 

 困惑、疑問、緊張、歓喜。四者共、ある種突然の遭遇に口では小さく、心の中で大きな反応を見せた。特に提督の反応は芳しくなかった。表情は青ざめ、やってしまったと言わんばかりに眉に皺を寄せて硬直している。

 当然である。公衆浴場で突然異性と出くわして驚かない者など、この日本という国には存在しない。ましてや普段立場上特に注意している入浴関係で、あろうことか半裸で部下である少女達と遭遇するなど、提督からすれば最も犯してはならない大罪に分類される出来事だ。

 

 ふと顔を上げた先にパネルボードを持った一人の妖精さんが。

 そのパネルに書かれた文字を見て、提督は自身の考えの至らなさに苦悶し、片手で顔を覆った。

 

 ――混浴。

 

 可能性はあった。露天風呂へと続く道の途中で、腰に長めのタオルを巻いて入浴する旨の注意書きが立てられていたのだ。しかし混浴の文字はなく、提督本人も”そういうものか”と然して気にせず通り過ぎてしまった。普段の提督ならもう少し深くまで考えが及んだかもしれないが、ほろ酔い状態では無理からぬ事であった。

 そもそも普通であれば、混浴である事は事前にホテル側から案内が入るのだが、今回に限って言えば、提督の部屋が浸水した事による処理に追われ、案内係との打ち合わせが省かれた事が大元の原因だ。

 

 それでも一応混浴の案内が無い訳ではなかったが、一部の艦娘が事前に情報を全て密閉してしまった事により、提督が知る術は全て無くなってしまっていた。

 唯一の救いはプリンツ達が案内にあったであろう通り、全身をバスタオルで覆ったまま入浴していてくれた事か。もしこれが生まれたままの姿だったなら、提督はそのまま大本営に辞職表を提出し、その足で憲兵の所へと自首していたかもしれない。

 

 ――とにかくまず謝罪をしてから、すぐにこの場を離れなければ。その後、正式にもう一度謝罪の場を設けよう。

 こんな時でも判断だけは冷静な自分に心底嫌気が差しつつ、謝罪のために頭を下げようとする提督に、しかしそれよりも早く入浴中の三人が動いた。

 

「提督! 提督もお風呂入りに来たの? 今日一日楽しかったけど疲れたよね? 僕らと一緒に温泉に浸かって疲れをとろ? ね、ダメ?」

「あなたはいつも頑張りすぎね。良い機会だから一緒にゆっくりしていって」

「Adm……提督だ! うわー提督だ! 提督提督! わあ!」

「む……むむ」

  

 提督の右腕にレーベが、左腕にマックスがするりと両腕を絡ませる。話の中心人物が突然現れたはいいが、即座に去りそうな空気を敏感に感じ取ったが故に、逃がさないための咄嗟の行動なのはいいが、反射的行動なので本人達も少し動揺して瞳が泳いでいる。

 少しばかり遅れを取ったプリンツに至っては、よく分からないテンション高めの言葉を漏らしつつ、なぜかペタペタと提督の鍛えられた身体を遠慮なく触っている。まるで見事なセクハラ行為である。

 

「い、いやすまない。君達がいるとはついぞ知らなかった。私はすぐに出ていくから改めて入浴を楽しんでくれ」

『ええ…………』

 

 何故そこで世界の終りのような悲しい表情をするのか。

 両腕に感じる力が一層強くなったような気がして、提督は尚更唸ってしまう。どうして彼女達はここまで異性との入浴に抵抗がないのか、そこまで考えて提督は一つの回答に辿り着く。

 

「そうか……確か、ドイツの温泉文化では混浴が主流だったな」

「そうだよ。でも日本にも同じような文化があるよね?」

「そうそう。金剛から聞いたけどハダカノオツキアイって言うんだよね?」

「服を脱いで、腹を割って話をする事で信頼関係を結ぶ日本の古き良き伝統ね。だから提督も心配せずに私達と一緒に疲れを癒したらいいの」

「……金剛は英国生まれの帰国子女ではなかったか?」

 

 海外娘への日本文化の教えに若干の偏見と偽りが見え隠れし、不安になる提督。なおも両腕を捕縛された上、プリンツに期待の視線を向けられて、提督の心はしな垂れる植物の如くへたりと折れた。

 幸いな事に妖精さん情報では、殆どの艦娘は入浴を終えており、これ以上誰かが入ってくる事はまずないらしい。三人の雰囲気から、ここでの入浴ルールもしっかりと守ってはくれそうだ。そしてなにより、レーベとマックスが首を縦に振るまで離してくれそうにない。

 提督は決断する。ここで退いても彼女達との関係に溝が生まれるだけならば、いっそ進んで彼女達の知るドイツ文化の一端に触れる方が有意義かもしれない、と。

 肺に溜まっていた空気を吐き出して、提督は諦めにも似た表情で苦笑しながら口を動かした。

 

「……君達が不快でない、と言うのなら少しだけ時間を共にしよう」

「不快な訳ないよ! 僕、提督に聞いてみたい事が一杯あったんだ!」

「ん……レーベの言う通りよ。さあ入りましょう」

「やったあ! 提督とおっふろ~おっふろ~」

「あ、あまりはしゃぐと滑って転んでしまうぞ」

 

 両腕、背中をぐいぐいと押されて気が気でない提督を余所に、三人娘は実に楽しそうに湯船へと足を踏み入れる。そしてそんな提督の心労や気苦労も、露天風呂という癒しの空間により雲散霧消して消えていく。

 暫しの無言。まるで示し合わせたかのように、四人は瞬く星々を見上げ同時に脱力する。

 

 やはり風呂は偉大だ、と一人爺臭い感傷に浸る提督の膝の上に、突然重さと柔らかさが綯交ぜになった妙な感触が走り、慌てて閉じていた瞼を開くと――

 

「マ、マックス……顔が近いのだが」

「ふうん。やっぱりあなた、凄くいい匂いがするのね。凄く落ち着く匂い……」

 

 ――そこにマックスが居た。胡坐の上に行儀よく座りながらすんすんと鼻を鳴らして提督の匂いを嗅いでいる姿はまるで、飼い主と犬そのもので実に微笑ましい。これがもし提督が幼女でマックスがオッサンだったならば、一気に事案成立となるのだから世の中不公平である。

 鼻先が身体に触れそうな程密着してくるマックスの深い臙脂色の瞳に見つめられ、狼狽した提督はとりあえずマックスの頭を撫でた。駆逐艦娘膝の上着席対応時の癖になりつつある行為だが、なんと満足率九〇パーセントを誇る。これでマックスも満足してくれるだろうかと提督は内心で願い、静かに祈りながら頭を撫で続ける。

 

「て、提督……僕も」

「むう……」

 

 なんと次が来た。

 照れ笑いを見せながらいそいそと空いている提督の右膝に収まり、頭を撫でられる感触にほにゃりとレーベは相好を崩した。そんな微笑ましい光景とは裏腹に、膝の上に二人の少女をのせて両腕で頭を撫でる提督の今の姿は最早カオスに近い。

 だが、それよりも何よりも今の提督を苦しめる要素は別にある。

 

 ――ふ、二人が動く度に何か柔らかい感触が全身を襲う……!

 忘れているかもしれないが、現在レーベ達の身体を包むのは長めの薄いバスタオル一枚だけだ。当然動けば密着している提督の身体にも色々と当たる。そう、色々と。

 ふにゃん、ぽよん、ふにふにと。かつての電シャワー室乱入事件の倍近い罪悪感に襲われつつ、それでも気にしてしまう男の性に提督は今日一番の自己嫌悪に苛まれた。

 しかしここで興奮でもしようものなら、提督としてだけではなく人として何もかも終わる。危機感を感じた提督は一人静かに素数を数え始めた。混乱しているのは間違いない。

 

 半ば虚ろっている提督の視線が、なぜかキラキラした瞳で近づいてきたプリンツと交わる。

 

「提督! 次は私の番ですか!? 次は私の番ですね!」

「プリンツ流石に君は…………すまない」

「わあ……」

 

 露骨にがっかりして項垂れるプリンツの頭を、せめてもの侘びとして提督は優しく撫でた。レーベやマックスならばまだ許容範囲内だが、流石に今の姿のプリンツを膝にのせるのは提督の精神衛生上無理がある。

 なおもぷくっと頬を膨らませて拗ねるプリンツの表情が妙に子供っぽくて、提督はつい口元を綻ばせてしまった。

 

「むー! なんで笑ってるんですか!?」

「いや何少し、な」

「それじゃあ罰として髪! 私の髪洗って下さい提督!」

「ぬう。経験がないから上手くやれるか分からないが、それでもいいのなら」

「本当ですか!? やったー!」

「あ、いいなー」

「……美味しいとこどり」

 

 無難な所で折衷案を承諾した提督にプリンツが諸手を上げて喜びを露にする。

 その姿を羨ましそうに見ていたマックスとレーベの視線が提督の背中に刺さるのに、そう時間が掛からなかった事は然るべき現象であったと言うべきか。

 結局、その後提督は三人の髪を洗う事になり、誰の髪が一番綺麗かについて逆上せるまで問い詰められたりしたのだが、それもまた提督業を生業とする者の宿命なのだろう。

 

 

 ちなみに、最後の最後で注意書きを無視したビスマルクが堂々と素っ裸で提督達の前に現れ、以後暫く提督とまともに顔を合わせられなくなった事は別のお話。

 




 クリスマスとか知らない。


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第四十四話 夏の慰安旅行 其の十三

 未だかつて無い難産でした。
 そして久々のしみじみ回。


 夜の砂浜に七色の火花が舞い上がる。

 遠くで小さな衝撃音が鳴り、見上げた夜空に火の花が咲いた。

 

 ――誰かが打ち上げ花火でも上げたのだろうか。

 

 パラパラと静かに消えていく残火に少々の儚さを覚えつつ、重巡洋艦の加護を受けた少女――高雄は物憂げに一人溜息を吐いた。口から漏れた空気は夏の夜風に流されて海へと消えていってしまう。

 周囲ではあちこちで歓声と共に灯りが燈っており、駆逐艦の少女達の楽しそうな顔が離れていてもよく見えた。

 誰かを探しているのか、高雄はそのまま視線を横に滑らせ、ある一点――詳しくはある人物を視界に捉え――で動きを止めた。

 

「司令官司令官! 暁達とこれ一緒にやろー!」

「提督さん! あっちで打ち上げ花火やるっぽい!」

「しれえ! 向こうで島風がしれえとロケット花火の早打ち勝負をしたがってました!」

「あ、あの、提督。よければあちらで潮達と線香花火やりませんか」

「司令、不知火に花火の御指導ご鞭撻を」

「提督さん、ウチと花火見ながらロマンチックな一夜を過ごしてくれてもいいんじゃけえね?」

「提督!」

「司令官!」

「お、落ち着きたまえ君達。あまり服を引っ張るのは……ッ!? きゅ、急に飛び込んで来ては駄目だ夕立、怪我をしてしまう」

 

 そこに彼が居た。

 とりわけ多くの少女達で賑わう輪の中心でもみくちゃにされる提督。ほんの数メートル歩けば触れ合える距離。しかし高雄は動かない。遠巻きにじっと提督の横顔を見つめている。

 

「あらら、相変わらず人気者ね~」

「……愛宕」

「やっほ」

 

 ハーフパンツに薄手の半そでシャツという簡素な出立で現れた愛宕に、高雄は意外そうに瞳を瞬かせた。

 別に妹の服装に何かを思って、という訳ではない。煌びやかな外見とは裏腹に、普段から愛宕は割とシンプルな服を好んで着る。本人曰く動きやすいからとの談だが、その分身体の一部が更に強調されてしまっている事に本人は恐らく気付いていない。

 かつて同じような服装をしていたら、とある軽空母に突然喧嘩を売られた高雄ではあるが、軽装が動きやすいのは周知の事実。現在、自身も似たような服装であるからか、高雄は特に気にせず話を続けようと口を開いた。

 

「自由参加だから、てっきり愛宕は部屋でごろごろしてると思ったわ」

「そうしようと思ったんだけど、部屋に居たら呑兵衛軍団が急に現れてね」

「……その言葉で大体理解できたわ」

「でしょ? とりあえず摩耶と鳥海が連行されていく隙に逃げ出してきちゃった」

「摩耶、鳥海……後で骨くらいは拾ってあげるわ」

 

 恐らく今頃二人は、どこかの部屋で地獄を味わっていることだろう。

 夏なのにぶるりと身体を襲う寒気に身震いしながら、高雄は再度視線を漂わせ、先程と同じところでぴたりと止めた。

 

「残念だけど、今の提督の傍に高雄の入り込める隙間はなさそうね」

「何馬鹿な事言ってるの。この花火の場はあの子達が一生懸命考えた催しなのよ。そこに強引に割って入るなんて大人げない行動する筈ないじゃない」

「ふ~ん。じゃあ後ろのあの人達は大人じゃないんだ」

「……後ろ?」

 

 言われて、くるりと振り返った先にある光景を見て高雄は唇を戦慄かせた。

 

「Hey! mysisters! どうして姉の邪魔をするのデース!? テイトクとのLoveromanceへの道を開けてクダサーイ!」

「いけませんお姉さま! このまま行ってしまえば、時と場合を弁えない駄目戦艦の異名を不動の物としてしまいます!」

「いくら金剛お姉さまと言えど、提督の安らぎの時間を壊す者は榛名が許しません! ついでに提督と一夜を過ごすまたとないチャンスを、戦わずして失わせたお姉さまの日々の行動! 今この場で悔い改めて頂きます!」

「榛名、気持ちは分かるけど艤装を展開するのは駄目よ。後で司令にご迷惑が掛かるわ。ここは一つ穏便に拳で解決しましょう」

 

「ちょっと! どうして姉の邪魔をするのですか、武蔵! いい加減そこを通して下さい!」

「阿呆! そんなギラギラと欲望で染まった瞳をした危ない人物を提督に近づかせられるものか! 姉上の日頃の行いの所為で大和型は変態と一括りにされる私の身にもなれ! この馬鹿姉が!」

「変態とは心外ですね! 大和はいつ何時提督の身に危険が迫ろうとお守りできるように、傍に控えておこうとそう思っているだけです! ……じゅるり」

「じゅるりってなんだ!? そもそも姉上そのものが提督専用の徹甲弾のような存在の癖して寝言を抜かすな! 兎に角、私の瞳が黒い内は提督には決して近づかせんぞ!」

「提督専用だなんてそんな……大和照れてしまいます」

「くそう! 思考は奇天烈な癖して性格は超ポジティブなんて相変わらず面倒臭いなこの姉は!」

 

「加賀さん、そこに正座。正座です正座して下さい。……全く、今の時間は駆逐艦の子達と提督との大切な触れ合いの時間だとあれだけ言ったじゃないですか! なのにこっそり提督に近づこうとするなんて……」

(提督、駆逐艦の子達に猛アタック掛けられていっぱいいっぱいのようね。そんな少し困った表情も悪くないわ)

「加賀さん! 聞いてるんですか!」

「はい、聞いてます赤城さん」

「大体加賀さんは提督との距離が少し近すぎます。只でさえ私達女性ばかりの職場で気を遣って頂いてばかりだと言うのに、それ以上の負担を掛けるなど以ての外ですよ。あの時だって加賀さんは……」

(ああ! 幼さに物を言わせて提督の胸に飛び込むなんて! 侮れない子ね夕立……後で感触を聞いておきましょう)

「加賀さん! 分かってるんですか!」

「はい、その通りですね赤城さん」

 

 ――見なかった事にしておこう。

 高雄は今見た光景をそっと胸の奥に仕舞い込み、何事もなかったかのように愛宕へと向き直った。本人からすれば完全に無かった事にしたつもりだったが、愛宕から見れば瞳のハイライトが半分消えかけているのが丸分かりなため、専ら動揺は隠せていない。

 

「で、どう?」

「どうもこうも、行く訳ないでしょう?」

「じゃあ代わりに私が行って来ようっと」

「まちゅ……待ちなさい愛宕」

「冗談よ。そんな怖い顔しないで。愛宕お姉ちゃん困っちゃう」

 

 最初から冗談だったのか、愛宕はすぐに振り返り胸の前でぱたぱたと手を振った。

 高雄はそんな妹の軽い仕草を暫くしかめっ面で見つめた後、地面に向けて大きく溜息を吐いた。

 

 今、私は苛々している。

 客観的に自身の心と向き合える冷静さを持つ高雄は砂浜を見つめながら、もどかしそうに眉を顰めた。苛々の理由が分からないからではない。むしろこれ以上ない位、理解できてしまうからこその心の反応に自己嫌悪してしまったからだ。

 

 ――提督と一緒にいたい。

 

 どんな言い訳や綺麗事を並べてみても消えてくれない心の奥に潜む制御不能な燻りの炎。

 

 高雄は自嘲する。

 結局は一緒なのだ。背後で争う同僚達とも、目の前ではしゃぐ駆逐艦の少女達とも。行動が違うだけで、根幹にある想いのベクトルに差異はない。

 否、想いに無理やり蓋をして、あたかも提督の事を慮った振りをし続けている自分は何者でもない。この場の誰よりも卑屈な、只の臆病者だ。

 ズボンの後ろポケットに入っていた折り畳み式の簡易椅子の袋の数は二つ。

 何も行動しない癖に、期待だけは一人前の自分自身が滑稽で、高雄は一人夜の星空を見上げた。

 

「まーた何か自己嫌悪してるなー、顔が暗いよ高雄。はいこれ」

「……ありがとう」

 

 わざわざ買いに行ってくれたのか、愛宕から差し出された飲み物を受け取り、高雄は素直に礼を述べた。そうして手渡されたのはおでん缶。しかも冷たい。今言った礼を返せ。

 と、思わずツッコみそうになった高雄ではあるが、夏である今この状況で熱いのを手渡されても困るなと考え直し、寸での所で踏み止まる。確かにその通りだが、そもそもの問題はそこではない。

 

「うわっ凄い。ビックリするほど美味しくないねこれ」

「……買う前に気付きなさいよ」

 

 予想できた感想に、しかし高雄はプルタブに手を掛ける。例え手渡された物がどんなキワモノであっても妹の好意である事には違いない。それに食べ物を粗末にすることは道理としてよろしくない。

 隣から漂う芳しいおでん臭に頬を引き攣らせながら、高雄はぐっと缶を傾け、喉へと流し込む。暫く咀嚼した後、口をへの字に曲げた高雄は、訝しげな瞳でパッケージを眺めながらぽつりと呟いた。

 

「不味いわね」

「でしょ? 誰がこんなの夏の自動販売機で売れると思ったのかしら」

 

 買った人物が言っていい台詞ではない、と思ったが高雄は勿論口にしない。多分これは自分の気持ちを紛らわせるための、妹なりの気遣いなのだから。

 本気でパッケージを見つめつつ何かを呟く妹に、先程の悩みを忘れる様に高雄は頭を左右に振った。そうして各々が持参した簡易椅子を広げ――一応誰かが来てもいいように余分にもう一つも広げつつ――二人は腰を下ろす。

 視線の先ではなおも少女達と提督が楽しそうに戯れていた。

 

「あはは。霞ちゃん、提督の傍で緩みそうになってる顔を必死で耐えてるせいか凄いしかめっ面になってる。可愛い~」

「左手は花火持ってるけど、右手はしっかり提督の服を掴んで離さないわね」

 

 年少組の少女達と提督との温かな触れ合いを眺めながら、高雄は眼の前の光景がどこか遠い物のように感じられた。

 前方では島風がはしゃぎすぎて飛ばしたロケット花火が天津風の髪を掠め、提督の周りを追いかけまわる鬼ごっこが始まっていた。

 

「高雄もたまにはあれくらい提督に甘えてみてもいいんじゃない?」

「ばか……できる訳ないでしょ」

 

 愛宕の言葉に、高雄の緋色の瞳が力なく揺れる。自身が柔軟性に欠けるお固い性格なのは他ならぬ自分が一番よく分かっている、とでも言いたげに。

 まるで諦観にも似た高雄の言葉に、しかし愛宕は強い光の宿る瞳で以て姉の言葉を否定した。

 

「できるよ。少なくとも提督はちゃんと受け止めてくれる。私達を見てくれる。そうやって自分の気持ちに蓋をして逃げた先でまた苦しんで……高雄はこの先もそれでいいの?」

「…………」

 

 透き通った藍色の瞳で真っ直ぐに見つめられ、高雄は言葉を返す事ができなかった。

 しかし目は口ほどに物を言うという諺にもあるように、表情にはしっかりと答えが出ていたのか、愛宕はやれやれと、しかしどこか嬉しそうに肩を竦めた。

 

 

 高雄は今の自身を取り巻く環境を好ましく感じている。

 駆逐艦から戦艦まで、誰もが等しく前向きで、海を守るための日々の努力を怠らない。かと思えば、イベント事や些細な日常の中で可能な祝い事には、足並み揃えて全力投球で楽しむのを忘れない。

 時には泣いて、その倍笑って。今を包む穏やかで居心地の良い空間は、幾多の困難を乗り越え、全員で築き上げた鎮守府の軌跡の上に成り立っている。

 そしていつもその中心には提督が居る。

 

 不思議な人だと高雄は思う。

 温厚で口下手で不器用で。どうしてこんな人が軍人なんかやっているのだろうかと着任当初は疑問に感じた程に穏やかで――それでいて誰よりも艦娘の事を想ってくれる人。

 鍛錬を怠った事は一度も無い。あの人が守りたい物を守るための努力に、嘘偽りなど無い事を、今の自分なら胸を張って言える。

 

 ――なのにどうしてこうも不安を感じてしまうのか。

 

 それでも生真面目な高雄は考えてしまう。自分は提督が必要とする艦娘に成り得ているのだろうか、と。

 自分には何も無い。大和のような大型主砲も無ければ、加賀のように艦載機も載せられない。五十鈴みたいに対潜装備も積めないし、島風の如く海原を縦横無尽に駆け回る事もできない。

 提督を補佐する秘書業務も、いくら努力しても大淀や霧島には敵わない。改二への実装ができればと切に願うが、そんな都合のいい話がある筈もない。

 

 無い無い無い。自分には本当に何も無い。妹のような明るさも、古鷹のような可愛らしさも、何もかも――全て。

 

「……ふふ」

 

 ぽつりと乾いた笑いが砂浜に零れた。

 いつからこんなにも弱い心の持ち主になってしまったのか。

 

 高雄は一人首を振る。

 本当はもう分かっている。こんな物は只の言い訳で、自分は心の奥に潜む結論を只々怖がっているだけだ、と。

 

 ――取り柄のない自分は、いつか提督から見放されてしまうのではないかという恐怖に。

 

「…………」

 

 瞳から零れた一粒の滴が頬を伝って砂浜に染み込んでいく。

 ふと肩を叩かれ、顔を上げた先で愛宕が眉を顰めたまま、高雄の頬をむぎゅっと握った。

 

「まーた一人で何か暗い事考えて。どうせまた”私は提督の役に立てているのでしょうか”とか考えてたんでしょ?」

「……あひゃごいひゃい」

「もーなんでそう高雄って自己評価が低いのかしら。そんなに気になるなら直接本人に聞いてみればいいじゃない。ほら」

「…………あ」

 

 愛宕が指差した方向から一人の人物が歩いてくるのを視界に捉え、高雄は動悸が早くなるのを即座に感じた。

 瞼を拭い、潮風で乱れた髪を急いで整え――そうこうしている内に眼前まで迫ってきていた人物に、高雄は極力いつも通りになるよう頭を下げた。

 

「お疲れ様です、提督」

「ああ、高雄は一人か?」

「え?」

 

 提督の問いに慌てて横を見る高雄。しかしそこに愛宕の姿は既に無かった。どうやらいらぬ気まで回してくれたらしい妹に、高雄はもにょもにょと微妙な表情で口を動かした。

 

「は、はい。お風呂で身体が火照ってしまったので少し夜風に当たろうかと」

「そうか。流石に私だけでは島風達全員を見ている事はできないから、助かる」

「い、いえいえそんな。あ、隣空いているので休憩がてら一息入れられませんか」

「ああ、ありがとう。そうさせてもらうよ」

 

 まさかここでおでん缶片手に自己嫌悪に苛まれてました、とは口が裂けても言えないため咄嗟に出てきた高雄のお誘いに素直に首を縦に振る提督。口を滑らせた後で、かなりの至近距離と二人きりという状況を把握し、高雄は思わず全身をカチコチに強張らせた。

 傍から見ればまるでトイレを我慢するかのような姿勢だが、勿論トイレに行きたいわけではない。

 

「しかし雷達の遊びに注ぐ力の入れ具合には流石に参った。昼間あれだけはしゃいでいたと言うのに、よくもまああそこまで走り回れるものだ」

「皆、提督の事が好きで、一緒にいるのが楽しくてたまらないんですよ」

「むう……先程なんとはなしに霞の頭を撫でたら、火のついたねずみ花火を投げられたのだが」

「うふふ……霞ったら」

 

 他愛もない会話に花を咲かせながら、高雄は二人を纏う空間に確かな居心地の良さを感じていた。

 同時に競り上がってくる幾つもの不安を、さりげなく提督の横顔を眺める事でなんとか押し留めようと必死になる。せめて提督と居る時だけはいつも通りの自分でありたい、と。

 そんな高雄をよそに、駆逐艦娘の戯れを穏やかな瞳で眺めていた提督は優しげな口調で告げた。

 

「高雄は何か悩んでいるのだろう? こんな私でも、話を聞く位ならできると思うが」

「……ッ! ど、どうして」

「瞼の下が腫れている。それにここ最近ずっと元気な姿が見受けられなかった。日課である早朝の花壇の手入れもどこか上の空のようだったしな」

 

 提督の指摘に高雄は慌てて瞼を両腕で擦る。

 見られていたという羞恥心と、見てくれていたという嬉しさが綯交ぜになった心で暫く悶えていた高雄は、そのまま諦めたかのように盛大に肩を落とした。

 提督はなおも穏やかな瞳を保ったまま前を見据えている。

 

「……最近、少し不安に思ってしまう事があって。私は鎮守府の皆の役に立てているのかなと、その自信がその……持てなくなってしまったと言いますか」

 

 ”提督の”ではなく”皆の”と言ったのは高雄なりの強がりなのか。

 両手と唇を強く引き結ぶ高雄に、提督は何かを考え込むかのように顎に手を当て、常の様相で言葉を続ける。

 

「任務と私生活その両方において、高雄は常に模範的行動をしていると私は思うが」

「……真面目である事しか、取り柄の無い私ですから」

 

 乾いた声で自嘲気味に苦笑する高雄は内心で覚悟した。もしかしたらこれで、面倒臭い奴だと愛想を尽かされてしまったかもしれない、と。

 

 暫しの無言。

 どれ位時間が経っただろうか。ポツリと、しかし確実に胸に響く声音で以て、提督は高雄に笑い掛けた。

 

 

「それで、十分じゃないか」

「…………あ」

 

 

 たった一言。どこか自分に言い聞かせているかのようにも聞こえる一言に、高雄は胸の奥が温かい何かで満たされていくのを感じた。

 モノクロだった世界が、急に色付いた様に輝きを放ち始めたかのような感覚に戸惑う高雄をよそに、提督は続ける。

 

「確かにこの世界は生真面目な者にほど厳しい世の中だ。どれだけ直向きに努力したとしても”あの人は真面目だから”で済まされてしまう事もあっただろう。一芸に秀でた者と比較されて、平凡と判を押される事もあっただろう」

 

 ――ああ、そうか。

 

「真面目で在り続ける事がどれ程の苦難の道であるか、理解されるのは難しい。だがそれでも、見てくれる人はいる。認めてくれる人はいる。だから高雄もそんなに自分を卑下しなくていい」

 

 ――きっとこの人は私なんかよりずっと昔から。

 

「少なくとも私は知っているぞ。高雄が早朝に花壇の手入れをしてくれていることや、宴会の後に必ず残って掃除をしてくれていること。出撃時には誰よりも守るための戦いを念頭に行動してくれていること、その他にも色々、な」

 

 ――同じ想いと向き合いながら、それでも真っ直ぐにここまで歩いてきたのだろう。

 

 柄にも無く語ってしまった事と、下を向いて反応が分からない高雄に困惑してしまったのか、提督は髪の後ろを触りながら、どこか気恥ずかしそうに視線を外した。

 

「……まあ、それでも何か我慢できない事があったらいつでも私の所に来るといい。二人で飲める場所を何件か知っている。その時は高雄の気が済むまで何時間でも付き合おう」

 

 そんな天然記念物並の提督の誘いに、高雄は表情を見せないまま問い掛ける。

 

「……本当ですか?」

「ああ、本当だとも」

「私、結構飲みますよ」

「大丈夫だ。私も酒には自信がある」

「愛宕曰く、酔ったらかなり絡むらしいんですけどいいですか?」

「む、むう。勿論最後まで相手するとも」

「そんなに優しくされたら……私、毎日執務室に行っちゃいますよ?」

「む、むむ……ぜ、善処しよう」

「……ふふっ。冗談ですよ。でも一回は連れて行って下さいね。約束ですよ?」

 

 目尻に涙を浮かべながら、楽しそうに左手の小指を差し出してくる高雄に苦笑めいた表情を浮かべながらも、提督は同じように小指を差し出し、絡ませた。

 高雄の表情に先程までの憂いの姿はもう見えない。

 

 紡いだ小指を愛おしそうに胸に抱きながら、高雄はこれからの決意表明を告げる。

 

「提督、私頑張りますね。いつかあなたが誇れるような――共に歩めて良かったと思えるような、そんな艦娘になれるように」

「そうか。まあ私としては高雄のような美人で聡明な人物と、こうしてひと時を共にできるだけでも既に役得ではあると思っているのだがな」

「え、あ、その……ありがとうございます」

「ぬ、む、いやこちらこそ変な事を言ってしまった。忘れてくれ」

 

 真面目な提督としては千年に一度の精一杯のからかいのつもりだったのだが、同じく生真面目な高雄に素直に頬を染められ、即座に止めておくべきだったと後悔の波に吞まれていく。

 一際強く吹いた潮風が高雄の黒髪を靡かせては消えた。

 

 ――やっぱりここは居心地がいい。

 

 とんっと踵を鳴らして立ち上がった高雄はそのままくるりと提督の前に立つ。両腕は背中で組まれ、若干前かがみになりながら、今日一日の感謝を込めて――これからの期待を乗せて高雄は大きく笑った。

 

「提督。私の提督が貴方のような素敵な人で本当に良かったわ」

 

 後ろでは見事な三連打ち上げ花火が夏の夜空を彩っていた。

 

 




 今年一年お世話になりました。
 来年も宜しくお願い致します。

 高雄可愛い。


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第四十五話 夏の慰安旅行 其の十四

 


「……これはまた凄いな」

「す、すいません。まさかこんな事になるなんて思わなくて」

 

 花火の後片付けを終えて、砂浜から戻ってきた提督は本日の宿である部屋の扉を開け、部屋に充満する甘い香りに思わず言葉を漏らした。隣では水を買いに出ていた伊良湖が買い物袋片手に、頻りに頭を下げている。

 度の強い焼酎でも開けているのか、絶賛甘い香りの漂う不穏な室内。しかし、ここで足踏みしていても仕方ない、と一歩足を踏み入れた瞬間、弾かれたように飛び出してきた人影に提督は成す術も無く押し倒された。

 

「……ッ!」

「て、提督!」

 

 後方で伊良湖が小さな悲鳴を上げつつも、助け起こそうと必死に手を伸ばしてくれているのが分かる。

 しかし今はそれどころではない。

 

 焼酎らしき芋の香りと混ざって、全身を襲う女性特有の甘い香り。加えて至る所を圧迫する柔らかい感触に全身から警報が鳴り響く。これはいけない、この状況は非常に不味い。

 兎に角、落ち着かせなければ。

 耳を擽る衣擦れの音を理性で押し留めながら、提督は断片的に集めた情報を下に相手の名を呼んだ。

 

「き、君は……間宮君か?」

「んふふ、流石提督ですね~。そうです、あなたの間宮ですよ~」

「……よ、酔っているのか」

 

 もぞもぞと胸の上で動かされた先でもぞりと出てきた締まりのない表情の間宮。普段の知的で気さくなお姉さん的雰囲気は完全に鳴りを潜め、代わりにセクハラ給糧艦が顔を出している。

 ”酔っていませんよ”と当人は言っているが、頬を朱色に染め呂律も回っておらず、とろんと微睡んだ瞳で妖艶に提督の鍛えた腹筋を弄っている姿を見て誰が信じるだろうか。

 一つ二つと提督の割れた腹筋を嬉しそうに指で数える残念な先輩を前に羨ましいやら恥ずかしいやら、伊良湖は羞恥のあまりその場から逃げたくなったが、ここで提督を見捨てる事は出来ないと下腹にぐっと力を入れて踏み止まる。実に健気な後輩である。

 このままでは提督の格納庫にまで魔の手が伸びるやもしれぬ緊急事態に、鎮守府の良心である伊良湖の懸命な助けもあって、提督はなんとか九死に一生を得るかの如く抜け出すことに成功した。

 

「んもう、伊良湖ちゃんのいけず」

「いいですから早く着崩れた浴衣を直して下さい! 提督にご迷惑ですよ!」

「あらあら? 伊良湖ちゃん、もしかしてジェラシー?」

「……しょ、しょんなわけにゃいじゃないですか! とりあえず間宮さんは顔でも洗ってきて下さい!」

 

 何処か言葉選びが古い間宮の稚気に、伊良湖が焦りながらも水を差し出しながら部屋へ戻るように促す。着任当初は薄幸美人然とした伊良湖が今では実に頼もしい。

 立ち上がった提督に礼と共に頭を撫でられ伊良湖は一気に気分が高揚し、次の提督の一言で静かに申し訳なさの底に沈んだ。

 

「間宮君には申し訳ないが、伊良湖君がいてくれて助かった。酒に酔った女性と上手く話を出来るほど器用ではないが、鳳翔達もいるし、まあ大丈夫だろう」

「あ、いや、その……それが」

 

 何故か歯切れの悪い伊良湖に疑問符を浮かべた提督は、部屋へ続く襖を開け、視界に広がった光景に言葉を失った。

 

「あ~、提督やっと帰ってきた~」

「んん? おかしいですね。提督が三人に見えます」

「あらあら、うふふ」

 

 酔っ払っていたのは間宮だけではなかった。明石と大淀、そしてあの鳳翔までもが頬を桜色に染めている。流石に部屋中に酒瓶が転がっている惨事と言う訳ではないが、綺麗に並べられた大量の空き瓶が逆に恐ろしい。

 

「……伊良湖君、やはり私は今日は外で寝た方が」

「逃がしませんよ~」

「さあさあ提督。存分に日頃の鬱憤を私達で晴らしてください」

「晩酌するのは慣れている筈なのに、なんだか緊張してしまいますね」

「両手に花ならぬ全身に花ですね、て・い・と・く」

 

 身の危険を感じた提督の全身を、四人の四肢が纏わりつく様に絡みついていく。普段の理性的な彼女達はどこへやら、抵抗虚しく提督は布団の敷かれた部屋へと引きずり込まれていく。

 後ろでは伊良湖がちゃっかりと提督の背中を押していた。

 

 

 

 

 誤解の無いように言っておくが、間宮達は決して羽目を外しすぎた訳ではない。

 死屍累々の地獄と化している隼鷹達の部屋とは違い、少量のお酒を、節度ある行動で以て静かに楽しんでいた筈なのだ。提督が帰ってくる前に缶を開けたのも、前以て緩やかな雰囲気を作っておく事で彼のストレスを可能な限り無くす為であり、決して酒に飲まれるような失態を犯すつもりなど無かった。

 

 全ての始まりは一本の酒。

 そう――目の前の惨劇は、第三者によってもたらされたのだ。いつの間にか会話に交じり、頬を真っ赤に染めながら一升瓶を煽っている妖精さんの皮を被った悪魔達によって――。

 

 

(……原因はアレか)

 

 突然の宴会に引きずり込まれた提督は、部屋の中心に置かれた見覚えのある物体を視界に捉え、一人納得した。

 零れないように盆の上に置かれたそれは、場違いとも言えるような強い香りと輝きを放っており、誰に飲ませる気か、現在、鳳翔が酌をしようと手を伸ばしている。

 

 ――妖精のたれ。

 

 見覚えがありすぎる銘柄に、提督の脳裏に風呂での一件が鮮明に浮かび上がる。思い返せば、アレを口にしてからの思考に慎重さが欠けている気がしてならないのだ。万が一それがあの酒の強すぎる度数による影響ならば、この場にあるのは色んな意味で不味い。

 とにかくあの酒の管理は素面である自分の責務だと、提督は即座に手を伸ばし、

 

「はいどうぞ、提督」

「う……ぬ、すまんな」

 

 見事に満面の笑みを浮かべる鳳翔に阻まれた。まるでこの時を待っていましたと言わんばかりにお酌したいオーラが表情から滲み出ていて実に眩しく、これを断れる胆力は提督にはなかった。

 ちらりと唯一の素面仲間である伊良湖に期待の視線を向けると、彼女は既に水を持ってスタンバイしていた。飲む前ではなく飲んだ後の介抱の準備とはこれまた実に斬新である。

 言外に諦めて早く飲めと伝えられ、提督は止む形無しと一気に煽った。

 

「お味の方は如何ですか」

「ああ、美味いな」

 

 先程と同じ刺激を味わいながら、提督は内心で思った。

 

 ――やはり強すぎる、と。

 普段あまり飲まない為あまり知られていないが、実の所、提督は酒には滅法強い。

 それこそ、その気になれば一晩中飲んでいられる程で、今までも付き合いや宴会等で散々飲まされてはきたが、一度足りと酔い潰れた事はない。

 庄治曰く、ザルを超えたワク。そんな提督が塗り杯二、三杯程度でほろ酔いになれる酒を普通の人物が飲んで素面でいられる訳がない。

 

「流石提督。良い飲みっぷりですね」

「よーし、こっちも負けてられないなー」

「それならコレも開けちゃいましょうか。私は追加のおつまみを作ってきますね」

「あ、あの、皆さんはそれぐらいにしておいた方が」

「何言ってるの伊良湖ちゃん、提督との熱い夜はこれからよ。鳳翔さん私も手伝います」

「なにがはじまるですか?」

「わくわくがとまりません」

 

 だと言うのに本人達にはその気は無く、次から次にカパカパと栓を開けていってしまう。ついで、と言わんばかりに鳳翔と間宮が備え付けの台所へとつまみを作りに行く辺り、まだまだ終わりを迎える様子もない。

 提督としては彼女たちが楽しめるのは大いに結構なのだが、身体の限界というのもある。それになんだか嫌な予感もするのだ。明日、他の娘達に会った時に盛大に怒らしてしまいそうな、そんな宛ての無い嫌な予感が。

 

「伊良湖君は、大丈夫なのか?」

「あ、はい。私はお酒があまり飲めませんので……折角の機会なのにすいません」

 

 問いかけに対し、申し訳さそう眉尻を下げてくる伊良湖に手元にあった飲料を手渡す。アルコールの入っていないオレンジジュース、果汁百パーセントのおまけ付きだ。

 

「何を謝る事がある。飲める飲めない関係なく楽しめればそれでいい。本来の宴会とはそうあるべき物だ。それに今回ばかりは伊良湖君が素面でいてくれて助かった。正直、私一人でこの場を収めるのは少々……いや、かなり荷が重いのでな」

「あはは、皆さん日頃の疲れも忘れて楽しそうではあるんですけど」

「……日頃の疲れ、か」

 

 伊良湖の呟きに提督はその通りだな、と小さく返した。

 現在この場にいる艦娘は少々他の者とは立場が違う。鳳翔と明石は店を、間宮と伊良湖は食堂を、大淀は秘書統括としての仕事をそれぞれが毎日こなしている。仕事そのものに差をつける気など毛頭ないが、他の者とは違った気苦労を掛けているのも事実。気付かぬ内にストレスを溜め込ませてしまっていたのかもしれない。

 

 提督は思い直す。

 ならばこの場は一つ、彼女達のストレス発散のための良い機会になり得るのではないだろうか、と。多少無茶があったとしても、提督である自分が判断を誤らなければ済む話で、決して酔わない自信はある。

 先程のような過度なスキンシップもあるかもしれないが、それはまあ、ある程度理性で以て彼女達が不快にならないように注意する必要があるだろうが。

 

 などと、日頃の感謝の意を伝えるためにも提督は静かに缶を手に取り、伊良湖へと向けた。

 

「……提督?」

「まあ、今日くらいは多少羽目を外しても罰はあたらないだろう」

「……はい!」

 

 カチンとお互いの缶を鳴らし、提督は一度に半分以上の量を嚥下する。既にそれなりのアルコールを摂取しているであろう大淀達だ、残りはできる限り自分自身で消化していきたい。

 提督のそんな隠れた配慮とも言える行動をテンションが上がってきたと勘違いしたのか、浴衣をだらしなく着崩した明石が布団を転がりながら這い寄ってくる。

 

「提督ぅ、さっきから見てれば何やら伊良湖ちゃんと楽しげですねぇ。そろそろ私に構ってくれてもいいのよ? キラキラ!」

「むう、顔が真っ赤だぞ明石。少し飲む量を控えた方がいいのではないか」

 

 耳から首筋にかけて、明石は既に真っ赤だった。緩んだ帯のせいで所々直視できない姿に困惑する提督に構う事なくずるずると近付いていく。

 

「それじゃあ提督に介抱してもらおうっと。よいしょ」

「あ、明石? なぜ私の懐に潜り込んで来るのだ?」

「それで両手をこうして、微調整完了っと。ああ~提督に包まれてる感じがして癒される~」

 

 そのまま提督の胡坐にするりと入り込みつつ、勝手に鍛えられた両腕を自分の肩越しから前にもってきて満足そうに破顔させる明石。普段から割と茶目っ気たっぷりの明石ではあるが、ここまで大胆な行動にでるのも珍しい。

 酒を吞むと幼くなるというこの第二次蒼龍現象、正直提督は苦手である。が、先程の決意の手前、それとなく離れてもらう事もできず視線を彷徨わせる。

 

「いつも暁ちゃん達が遠征帰りに提督のハグについて嬉しそうに話し合ってるから何かと思ったら、こんな癒し成分があったんですね~。これは癖になっちゃうかも」

「……人をマッサージ機のように言うのはどうかと思うが」

「ほらほらもっとぎゅっとして下さいな。でないと次の遠征部隊のメンバーに私も立候補しちゃいますよ? チラチラ」

「……降参だ」

 

 酔いとはかくも人格を変えてしまうものなのか、暴君明石による強制ナデナデの刑を沈痛な面持ちで実行する提督。相変わらずの押しの弱さであった。

 まるで離れる様子のない明石にどうしたものかと頭を捻る提督に近づいてくる人影が一つ。

 

「明石、あなた少し理性を放り投げすぎですよ。提督もお困りのようです。離れなさい」

「……大淀」

 

 救世主大淀の登場である。

 執務補佐に関して並ぶ者はいないとされる程の敏腕と、規則を破る者は戦艦相手でも容赦しない真面目気質を持っている彼女の登場に、提督の表情も安堵の色に変わる。

 明石と仲が良く頭の良い大淀の事だ、明石を傷付ける事なく言葉を選んで諭してくれる事だろう。

 ふさふさとした明石の揉み上げを無意識に触りながら、提督は黙って大淀と明石のやりとりを見守る事にした。

 

「いいじゃない大淀のケチ眼鏡。日夜油と煤に塗れて働いてる私には提督成分の補給が必要なんです」

「いいえ、許しません。事前に定めた提督へのおさわりの規定を早速破ったあなたの罪は重いですよ」

「……何の規定だそれは」

 

 急に飛び出した不穏なワードに思わず横槍を入れてしまう。真実を求めて隣の伊良湖に視線を移すも、慌てて顔を背けられてしまう辺り答えは永久に謎のままだろうが。

 若干場の流れに乱れを感じつつ、提督はなおも二人のやりとりを静かに見守り続ける。

 

「仕方ないなあ。じゃあ大淀と代わってあげるから許してよ」

「いいでしょう。あなたの英断に免じて今回は不問にします」

「何故そうなる?」

 

 提督の冴え渡る突っ込みも無視して、明石と入れ替わるように大淀が一言”失礼します”と腰を下ろしてくる。

 明石とはまた違ったほのかに甘い香りと、風呂上りの艶やかなうなじから発せられる妙な空気。かつて見目麗しい女性を前に、ここまで苦渋の表情を見せた男はいただろうか。流石の提督も限界が近い。

 とすん、と身体を預けてくる大淀を支える提督は触れた部分に少しばかりの熱を感じ、眉を顰めて問う。

 

「大丈夫か? 身体がかなり熱いぞ大淀」

「夏ですからね。それよりもう少しこう強く包み込むような感じでお願いします」

「いや、そういう意味ではないのだが……」

「なによなによ! 大淀だって結局一緒じゃないの! このムッツリ眼鏡!」

 

 表情や身体に出ていなかったのは体質なだけであって、やはり大淀も酔っていた。口調こそは普段の大淀と大差ないが、言っている事は先程の明石と変わらない。

 後ろで明石が何やら喚いているが、振り向けないため相手のしようがない。

 

「大体ですね、提督は少し私達と距離を置きすぎなのですよ。最近は駆逐艦の子達にこそスキンシップをとられるようになってきましたが、艦隊士気向上の側面からももう少し軽巡以上の子達とも触れ合うべきです。提督がそういった事に苦手意識を持っている事は重々承知ですが、真面目であまり積極的になれない子達のためにもこう男らしさを見せつける勢いで……あ、手はそのまま握ったままでお願いします」

「ちゅうもんのおおいりょうりてんですか?」

「しかもあいだによくぼうをはさむのをわすれてないです」

「さすがめがね」

 

 大淀の指摘に身に覚えがあるのか項垂れる提督の頭の上で楽しそうに会話する妖精さん御一行。大福のように白かった肌は酒に酔ってか、綺麗な桜饅頭のように色付いており、言動もかなり怪しげだ。

 まさか執務補佐や出撃以外の面でもここまで大淀に心労を掛けていた事に立つ瀬の無い提督は、時折挟まれる素の要望に律儀に応える以外できる事はない。

 そのまま一通り提督を堪能した大淀は何処かツヤツヤした表情で満足そうに伸びを一つ。

 

「ん~、エネルギー充電完了です。さあ次は伊良湖ちゃんの番ですね。どうぞ」

「え!? いや私は別に……その」

 

 あろう事か次を呼んだ。この眼鏡を掛けた艦娘、提督を心労で殺す勢いである。

 

「あらあら、何だか楽しそうですね」

「いいじゃないの伊良湖ちゃん。折角の機会なんだし、思いっきり甘えちゃいなさいな」

「……そ、そんな事言われても」

 

 まるで伊良湖の逡巡を後押しするかのように、盆に置かれた十種以上のつまみを手に二人が戻ってくる。そんな二人を待ってましたと言わんばかりに涎を垂らし始める妖精さん一同。極小サイズのお猪口片手につまみを凝視する姿は実にオッサンであった。

 

「んふふ~、伊良湖ちゃんが行かないなら代わりに私が」

「! て、提督! し、失礼します!」

「お……おおう」

 

 間宮の言葉に何を焦ったのか、伊良湖は半ば抱きつく様に提督の胸へと飛び込んだ。しかしそこは流石武術に精通している提督か、怪我させないように且つ変な所を触らない様極力最小限のタッチで伊良湖を見事に胡坐の上に座らせる。

 小柄な伊良湖の体型も相まってか、その光景は仲睦まじい兄弟のようにも、年の離れた初々しいカップルのようにも見えて実に微笑ましい。出会い頭のセクハラ先輩とはまさに雲泥の違いである。

 

「どうかな伊良湖ちゃん。なんだか安心感、ない?」

「……はい、とても。それになんだか……凄く落ち着きます」

「それは良かった……にしてもこうやって座ってるところを見るとよく分かるけど――伊良湖ちゃんって着やせするタイプだったんだね」

「…あ、明石さん?」

 

 身体の一部を明石に凝視されて思わず提督の両手ごと、ぎゅっと胸の内に収めてしまう伊良湖。その背後で何やら間抜けな声が吐露している事に誰も気づいていない。

 伊良湖が力を込めるせいで中々手の位置をずらせず、場所が場所なだけに無理やり外す事もできない。なおも断続的に迫り来るマシュマロのような柔らかい感触に、提督は内心で血の涙を流しつつ耐え続けた。不意に訪れたある意味幸福な出来事に、しかし罪悪感が優先される辺り、提督らしいと言えばらしかった。

 なおもピンク色のガールズトークは続く。

 

「そうなんですよ。伊良湖ちゃん、脱いだら意外と凄いんですから」

「あうう……」

「あらあら。でもそれも素敵な魅力だと思いますよ」

「……くっ!」

 

 鳳翔の気遣いに気が軽くなる伊良湖と、何故か悔しそうに呻く大淀。彼女が向ける伊良湖の胸部装甲への視線は最早深海棲艦を見るそれと変わりない。彼女自身そこまで悲観するものでもない気はするが、ここは触れない事が最善だろう。触らぬ神に祟り無しである。

 

「あ、ありがとうございました、提督。おかげで明日からもしっかり頑張れそうです」

「それは……何よりだ」

 

 代わりに精根尽き果てたと言わんばかりの表情の提督に鳳翔から水が手渡され、一気に飲み下す。酒と度重なる動揺で乾ききった身体に染み渡り、無味な筈なのに正直かなり美味しいと感じた。

 ついでにおつまみでも如何ですか、と勧められ、箸を手にしようとした提督よりも先に何故か鳳翔がそれを手に取り、

 

「はいどうぞ。提督」

「ほ、鳳翔、別にそこまでしてもらわずとも自分で……」

「どうぞ」

 

 にこにこと鳳翔ならではの慈愛の微笑みでもって差し出されるつまみ。俗に言う”あーん”である。

 笑顔であるのに有無を言わさぬ迫力を醸し出す鳳翔の前に成す術無く、口を開けて提督は差し出されるつまみを待った。

 

「お味はどうですか?」

「……美味い」

「それは良かったです。お次はこちらをどうぞ」

「う、うむ」

 

 まさか全てを食べるまで終わらないつもりなのか、と戦慄する提督を余所に鳳翔はどこか楽しそうにつまみを取り分けていく。心の底からリラックスできているのか、普段の遠慮がちな微笑はどこにも見えない。

 

 遠慮しすぎですよ、と言外に伝えられた気がして提督は一人苦笑する。

 

 ――これを機に、もう少し自然体で触れ合えるようにならなければいけないな。

 

 布団の上に置かれた提督の右手に、鳳翔の手が優しく添えられる。そこに四人と妖精さんが加わって、気が付けば小さな輪ができる。

 明日からはまた戦いの日々が帰ってくる。だがそれもこの輪よりも大きい皆との輪があれば、きっと乗り越えていける。

 

「明日からも、また皆の事宜しくお願いしますね、提督」

「ああ」

 

 鳳翔の言葉に、提督は呟くように返事を返す。

 開け放たれた窓からは、微かに波の音が響いていた。

 

 

 余談ではあるが、次の日の帰りのバス内で四人は激しい二日酔いに苛まれ、不審に思った周囲の仲間から嵐のような質問攻めを受ける事になるのだが、内容については決して口を割らなかった事をここに記しておく。

 ちなみに提督だけ一人涼しい顔をしていたのは、お察しの通りである。

 




 これにて夏の慰安旅行編終了です。
 なんだかかなり間延びした形になってしまいましたが、とりあえず一区切りです。

 次話からはまた暫く艦娘一人(もしくは数人)がメインの話となります。

 では。


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第四十六話 霞と着任記念日

 

 着任記念日、というものがある。

 誰が考えたのか、記念日と名は付いているが別に大袈裟なものではない。単に各々の艦娘が着任した日から一周年を祝う、所謂誕生日的行事だ。

 発端は提督が着任して一年を迎えた電へ、短い感謝の言葉を送った所まで遡る。

 

「電、いつも助かっている。これからも宜しく頼む」

「こちらこそありがとう、なのです。不束者ですが、これからもどうかよろしくお願いしますね」

「うむ……だが、その言葉は何と言うか、危ない気がするな」

「は、はわわ!?」

 

 そんな些細なやり取りから生まれた記念日は、気が付けば少女達にとっての密かな楽しみとなっていった。

 当日の様子は様々だ。提督にここぞと愛を囁く者、べったりと甘える者、すっかり忘れている者、休みや遊びなど実利を取る者、逆に提督を労わろうと張り切る者、特別な瑞雲を催促してくる者等々。中には、同じ日に着任したメンバーで飲み会を開いたりと、大所帯ならではの楽しみ方をしている者達もいる。

 

 何気ない日々の中にあるささやかな特別を求めて、少女達は思い思いの一日を過ごしていく。

 そして今日もまた一人の少女が、ある決意を胸に特別な一日を始めようとしていた。

 

 

 

「ねえ、霞。アンタ今日、着任記念日じゃなかったっけ?」

 

 急に振られた満潮の言葉に霞はトクンと心臓が跳ねるのを感じ、思わず手に持ったトーストを落としかけた。そのまま動揺を悟られないよう一度咳払いをして、極力平静を保った表情で短く言葉を返す。

 

「それが、なに?」

「いや、別に深い意味は無いけど。もしそうなら一応おめでとうくらいは言っておこうかなって。ねえ朝潮」

「はい。霞、着任一周年おめでとうございます」

「あっそ」

 

 満潮に促されるように、隣に座って卵焼きを口に運んでいる朝潮がぺこりと頭を下げてくる。

 場所は間宮食堂。時刻は未だ朝の七時を過ぎた辺りな所為か、周囲に人影は少ない。朝から相変わらず不機嫌そうな霞の態度は何時もの事だと流しながら、満潮は愛嬌のある勝気な瞳を細めながら欠伸をしてみせた。

 

「それにしても、着任記念日と秘書艦の仕事が被るなんて珍しいわよね。二週間前までに申請すれば調整できるんだから、変えてもらっても良かったんじゃない?」

「別に。着任記念日なんかに現を抜かして仕事を蔑ろにするなんて馬鹿のする事よ」

「む? ですが朝潮の記憶によると一か月前には既に、秘書艦カレンダーの今日の日付に霞の名前が書いてあったような――むぐ?」

「あ、朝潮! あんた達、今日これから遠征でしょ!? しっかり食べとかないと途中で倒れるわよ! 私のトースト半分あげるから感謝しなさいよね!」

 

 それ以上はいけない、と霞は咄嗟に朝潮の口に自分のトーストを突っ込んだ。ほのかにエメラルドグリーンのグラデーションがかかった毛先を揺らしながら、瞳を吊り上げる姿はさながら毛を逆立てる猫である。

 幸いな事に今の会話は最後まで満潮の耳にまで届いていなかったようで、彼女の矛先は黙々とトーストを咀嚼する朝潮に向けられていた。

 

「朝潮、アンタ……まさか毎日秘書艦カレンダーまでチェックしてるわけ?」

「体調不良などで秘書艦が急に欠員になった時の早期把握のために、備えておくのは当然の事です。司令のお役に立てるならばこの朝潮、何時でも秘書艦任務をこなす覚悟です」

「それって遠回しにずっと提督の傍にいたいって言ってるようなものじゃないの……」

「? その通りですが、二人は違うのですか?」

「うえぇ!? ど、どうなのよ霞」

「きゅ、急に私に振ってんじゃないわよ!」

 

 手痛い反撃を受け、しどろもどろになるツンツン娘二人を前に、朝潮は可愛らしく小首を傾げて疑問符を浮かべている。そんな純粋無垢で真っ直ぐな長女を前に、霞は最近芽生えた小さな危機感を思い出し、即座に首を振った。

 

 と言うのも一応、理由はある。例の提督とのデコキス事件以来、朝潮の提督に対する振る舞いや仕草が明らかに変化しているのだ。有り体に言ってしまえば、女の子らしくなった、である。

 以前の朝潮は良くも悪くも忠誠心の塊のような少女だった。いつもぱたぱたと提督の後ろを付いて回る姿はさながら忠犬のようで、彼に向ける視線はひたすらに尊敬――それ以外の要素は無かったように思う。

 

 それが例の事件を機に変わった。

 

 提督との触れ合いに人並みに恥じらいを見せるようになり、私生活において、実に自然に笑うようになったのだ。本人は無自覚かもしれないが、身だしなみを気にする時間が増え、荒潮の私物であるファッション誌にも目を通すなど、以前の任務一筋の朝潮からすれば考えられない事に興味を持つように変わり始めている。

 提督に向ける視線に芽生え始めた尊敬以外の何かに戸惑いながらも、本人がそれを大切に育もうとしているのは、誰の目にも明らかだった。

 

 意識が変われば、周囲からの評価も変わって行く。自分達と変わらないと思っていた朝潮が、急速に魅力的になっていく姿に、霞は一人置いて行かれたような気がして不安で仕方がなかった。そう、彼女も思春期である。

 朝潮だけではない。元々大人っぽい荒潮は兎も角、同じ穴の貉だと思っていた満潮も、最近は提督に対して良い意味で遠慮が無くなったような気がする。提督の随伴任務中に、視線を泳がせつつも口元を緩ませながら仲良く手を繋いで帰ってきた時なんか、思わず口に入れていた飴玉をかみ砕いてしまった程だ。

 

 だから霞は決心した。

 兎に角、提督には素直にありがとうと言えるようになろう、と。捻くれ者で頑固な自分の性格がすぐには変えられない事は分かってる。でも、せめて日頃の感謝の気持ちくらい、言葉にしたい。偶には素直に頭を撫でさせてあげるのもいいだろう。うん、仕方ない。

 そうして迎えた今日この日。周囲に疑問を抱かせないよう周到に準備を重ね、記念日と秘書艦の日付を合わせる事についに霞は成功した。後は今日一日、密かに重ねた特訓の成果を提督に見せるだけである。

 

「おっと、もうこんな時間。朝潮、艤装の最終チェックのために一度工廠に行くわ。霞、照れ隠しだからって司令官にあんまり厳しく当たっちゃ駄目よ」

「分かりました。では霞、行ってきます」

「はあ!? ふざけた事言ってんじゃないわよ! あんた達こそ、出迎えのハグばっか気にして資材を持ち帰るのを忘れない事ね!」

「なっ!? べ、別にハグなんて気にしてないし! ねえ朝潮?」

「あ、朝潮は司令の事は尊敬していますし、その」

「……なんか滅茶苦茶キラキラし始めたわね」

 

 

 とりとめのない軽口を叩き合いながら、二人は食器を片づけ、工廠へと続く出口へと歩いていく。一人残された霞は嘆息し、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。気が付けば食堂の席は半分ほどが埋まり始めており、平時の楽しげな喧騒が耳に届いてくる。

 現在の時刻は八時前。秘書艦任務は九時からだが、一度部屋に戻って身嗜みと今日の執務スケジュールをもう一度確認しておいた方がいいかもしれない。

 

 ――よし。

 

 一度小さく頷いて、立ち上がる。

 そうして霞が食堂を後にする頃には、鎮守府は何時もの穏やかな雰囲気に包まれていた。

 

 

 

 

 

 霞の様子がおかしい。

 提督がその違和感を覚えたのは、昼を過ぎて一時間が経ってからだった。

 午前中は出撃や演習指揮などで別々に行動する事が多く気が付けなかったが、今日の霞は何処か変だ。常にそわそわしているし、頻りにチラチラとこちらの様子を窺っている。

 

「霞、先月の資材管理報告書だ。最終確認後、不備が無ければ本営に送っておいてくれ」

「……ん」

 

 杞憂の可能性も鑑みて、確認印を押した書類を差し出しながら再度彼女の反応を窺う事にする。が、しかし霞は首を縦に振るだけで書類を受け取り、そそくさと秘書机に戻ってしまった。

 やはり、どうにも違和感が拭えない。

 霞に悟られないよう様子を見ながら、提督は一人思案する。

 

 駆逐艦霞はどんな相手にでも物怖じしない性格で有名な艦娘である。

 良く言えば叱咤激励、悪く言えば罵詈雑言。彼女の小さな口から飛び出す数多の言葉に、初対面の者ならば心を圧し折られる事請け合いな、割と他の者と衝突しすい気質の持ち主だ。

 

 事実、前の鎮守府でその性格が災いして、半ば厄介払いされる形で異動してきた彼女との日々に、しかし提督は煩わしいと感じた事は一度も無い。

 提督は知っている。霞は他人にも厳しいが、それ以上に自分にも厳しく、いざ出撃となれば仲間の無事を第一に考え、行動できる心優しい少女だと言う事を。

 確かに着任当初は容赦なく浴びせられる罵詈雑言に面食らったりもしたが、数多の戦場を共に駆け抜けてきた今となれば、それも含めて霞なのだと理解出来る。

 

 だからこそ分からない。

 今の霞は静かすぎる。いつもなら十分に一回は飛んでくる叱咤激励が、ここまで一度もない。

 

 ――やはり、着任記念日と秘書艦任務が被ってしまった事が原因なのか……?

 

 唯一思い当たる節がそれだ。しかしカレンダーに名前が書いてあった以上、本人が希望したのは間違いない。

 本来なら執務開始前に記念日を祝う言葉を送るつもりだったが、霞があまりにも思い詰めた表情で現れたため、タイミングを逸してしまったのだ。

 

「ねえ……ちょっとアンタ! ねえってば!」

「む……すまない。少々考え事をしていた。どうしたのだ?」

 

 思考に耽り過ぎていたのか霞の呼び声に反応が遅れ、慌てて顔を上げた先に霞の綺麗な黄色の瞳があった。まさかここで来るか、と身構える提督を余所に、霞は何故か彼方を向きながら空になった提督の湯呑を指差していた。

 

「……お茶」

「む?」

「う゛ー! なんで分かんないの!? 新しいお茶入れてあげるって言ってんの!」

「お、おお、そうかありがとう。宜しく頼む」

「ふんっ! 日頃から仕事ばっかのアンタにうんと美味しいの入れてやるんだから、覚悟しなさいよね!」

 

 最後に判断に迷う捨て台詞を残して、備え付けの戸棚へ茶葉を交換に向かう霞。隠れた右手で小さくガッツポーズを取っているが、残念ながら背中越しの提督からは見えていない。

 ”やはり霞は激励あってこそだな”と満足げに頷く提督を余所に、入れ直した湯呑と何枚かの書類を手に霞が戻ってくる。

 

「ほら、わざわざ私が入れてあげたんだから感謝して飲みなさい。それとこっちの書類もついでに片付けといたから、さっさと確認して次の書類に取り掛かれば?」

「わざわざすまんな。ありがとう霞、茶も美味いぞ」

「わ、わざわざ言わなくていいから! アンタに褒められると身体がムズムズして……あーもう!」

 

 急に机に突っ伏して身悶える霞に苦笑を返しつつ、提督は手渡された書類に視線を落とし、

 

「おお、凄いな霞。数値、報告文共に不備がない。執務関係の書類をここまで処理できるのは駆逐艦の中でもそういないぞ」

「こんなの全然大した事ないわよ。他がだらしないだけなんじゃない?」

 

 嘘である。

 と言うのも霞はこの日までの一ヵ月、秘書統括である大淀に頼み込んで、密かに執務補佐のイロハをその身に叩き込んできていた。全ては提督の役に立つためであり、その成果は無事彼に見せられたようで、頬が緩みかけているのをそっぽを向いて耐えている。

 このままだと緩んだ顔を見られてしまう、と早足に背を向けて秘書机に戻っていく霞に提督から一言。

 

「いや、それでもこの成長は素晴らしい。流石は大淀に師事を仰いだだけの事はあるな」

 

 その言葉に驚いた霞がべしゃっと地面に転がる。こけた拍子にエメラルドグリーンに白のストライプが入った下着が露になるが、当然見せつけている訳ではない。

 そのまま恥ずかしそうにスカートを両手で抑えつつ、つかつかと戻ってきた霞が真っ赤な頬と共に涙目で吠えた。

 

「ななな、なんでその事をアンタが知ってんのよ!? 誰にも言ってなかったのに!」

「な、何故と言われても直接大淀に聞いたとしか。霞が事務仕事の楽しさに芽生えてくれたと心底嬉しそうに話してくれたのだが……もしや聞かない方が良かったか?」

「……あーもう、バカばっかり」

 

 肩肘張っていた力が抜け、霞はその場にぺたんと座り込んでしまった。

 霞は分かっている。これは自分の落ち度だ。内緒にしておきたいがために、大淀にも本当の理由を言っておらず、適当に”ちょっと興味が湧いただけ”と伝えていたらこうなってしまうのも仕方がない。

 だが悔しいものは悔しいのだ。司令官も普段は驚くほど周囲を見ているのに、こういう時だけ鈍くなるなんて馬鹿ではないだろうか。

 

「むう……察してやれず、申し訳ない。だが、感謝の気持ちに嘘はないぞ」

「それで、なんで頭撫でてんのよ!」

「すまん、つい癖で……霞はこういうの嫌いだったな」

「嫌いだなんて一言も言ってないわよ!」

 

 何勝手に止めようとしてんのよ、と瞳で訴えられた提督は透き通るような霞の髪を撫でながら、静かに隣に腰を下ろした。開け放たれた窓の外からは演習の砲撃音に混じって、秋を告げる微風が流れ込んでくる。

 どれくらいそうしていただろうか。呟くように、しかし意思の籠った言葉で提督は告げる。

 

「着任して一年、おめでとう霞。未だ不甲斐ない上官だが、これからも宜しく頼む」

 

 突然振られた感謝の言葉に、霞は咄嗟にいつもの調子で反抗してしまいそうになった。しかし、提督の穏やかな瞳に心を揺さぶられ、思考が纏まらないまま口だけが動いてしまう。

 

「べ、別にそんなのどうでもいいけど……一応お礼は言っておくわ。司令官……いつもありがと」

「……霞にそう呼ばれるのは久々だな。そういえば昔はクズだとか無能とか言われて――」

「む、昔の事を今更掘り返すなんてみみっちい男ね本当に! あの頃の事は本当に悪かったって思ってるんだから忘れなさいよ!」

「いや、怒ってなどいないさ。ただ懐かしい思い出として胸に残しておくのも悪くないと思ってな」

「想い出とか……ば、馬鹿じゃないの!? いいからさっさと仕事に戻るわよ!」

 

 そう言って早足で秘書机に向かう霞。言動こそ怒気が混じっているが、今の霞の表情は何か憑き物が落ちたかのように晴れやかで、提督も一安心と執務に戻っていく。

 

 着任記念日は艦娘にとって大切な一日である。しかしそこに置かれる言葉の比重は然して重くない。おめでとう、と一言。それで次からまた頑張れる。覚えてくれている事が嬉しいのだ。

 

「冷蔵庫に昨日の本営帰りに買ったケーキがある。後で一緒に食べよう」

「……アンタがそうしたければそうすればいいじゃない」

 

 素っ気ないフリを続けながら霞は考える。

 

 ――来年は何かプレゼントでも用意したら、アイツも喜んでくれるかな。

 

 次への期待が、新たな活力を生む原動力となる。

 既に思考は来年へと移り変わりかけている霞は、ふと、窓の外から流れ込んでくる風に髪を掻き上げた。

 

 季節は夏から秋へ。

 窓の外では蜩が、夏の終わりを告げるかのように鳴いていた。

 




 戦犯=大淀


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第四十七話 とある日の早朝

 遅くなりました。
 そして異様に長くなりました。

 許してヒヤシンス。


 

 夏が終わり、季節は秋の入り口へと差し掛かろうとしているとある日の早朝。

 普段はあまり使われていない空き部屋へと続く鎮守府の廊下を、時雨は霧島と二人歩いていた。

 

「流石にこの時間だと鎮守府も静かだね」

「そうね。この時間だと流石の川内も大人しいから良いわ」

「あはは。霧島は騒がしいのは金剛で慣れてると思ってたけど違ったんだ」

「好みと慣れは別物よ……それを言うなら時雨、あなたにも夕立がいるじゃない。あの娘も結構なお騒がせ娘だと思うけれど」

 

 何か嫌な思い出でも思い出したのか渋い顔での霧島の反論に、返す言葉も無いと時雨は苦笑と共に頬を掻いた。

 金剛と夕立は川内同様鎮守府随一の頼れる戦力にして、同時に凄腕のトラブルメーカーでもある。中でも特に金剛は提督関連限定で言えば”歩く無法地帯”と恐れられる程であり、過去の逸話は数知れない。

 夕立は夕立で幾度となく突拍子の無い行動に出てはハラハラさせられたものだが、思考が無駄に大人な金剛の御守りとなると霧島の苦労も一入だろう。時雨は内心でいつもお疲れ様と一言付け加えておいた。

 

「それでも金剛の事は信頼してるんでしょ?」

「当然よ。金剛姉さまは私達姉妹の事を誰よりも想っていてくれてるもの。あなたにとっての夕立だってそうでしょう?」

「そうだね。その通りだよ」

 

 うんうんと何度も頷きながら、時雨は霧島に満面の笑みを返した。

 発言が少し気恥ずかしかったのか頻りに眼鏡の縁を触りながら明後日の方を向く霧島には申し訳ないと思いながら、鼻歌交じりに歩く足取りは軽い。

 こんな朝早くから急遽霧島に呼び出された時は何事かと思ったが、見て取れる表情や仕草からそれ程緊急な要件ではないらしい。

 と、そこまで考えて、今こうして向かっている先に何が待っているのか、自分は何故呼ばれたのか聞いていない事に気付き、時雨はふと歩みを止めた。

 

「それはそうと今日は僕に何の用事なのかな?」

「…………行けば分かるわ」

 

 おや? と時雨は思った。

 同時に盛大に嫌な予感がびりびりと足の裏から頭の天辺へと走り抜けていく。今の間は一体何かな? と。

 そんな時雨の怪訝な態度を察したのか、急に霧島が両肩をがしっと掴み顔を近づけてくる。その表情はまるで深海棲艦と対峙した時のように逃がさないと言っているようで、ギラリと鈍色に光る眼鏡に時雨は思わず小さな悲鳴を漏らした。

 

「な、なに!? なんなのさ一体!」

「大丈夫よ時雨。別に難しい事ではないわ。貴方には少し彼女達の相談にのってあげて欲しいだけ」

「じゃあなんでそんなに僕の肩を鷲掴みしてるのさ!? って言うか彼女達って誰のことなの!?」

「それこそ行けば分かるわ」

 

 戦艦の鋭い眼光に晒され涙目の時雨に構う事無く、最近頭脳派に見せかけた脳筋と評価を改めている眼鏡戦艦はそれだけを告げる。その姿はまるで退路を断たれた兵隊のようで何故か表情が煤けて見えた。

 やっとのことで開放された時雨はいっその事このまま逃げてしまおうかなどと考えたが、それより前に冷静さを取り戻したのか、霧島が深いため息と共に説明を口にし始める。

 

「ごめんなさい。少し気が昂ぶってしまったわ」

「いや、昂ぶったというか……まあいいや。それで相談って何の話なのさ」

「説明すると長くなるからそれは部屋で、とりあえず提督関連とだけ言っておくわ」

 

 提督、と言う単語に時雨の肩と髪がぴくんと跳ねる。

 これはズルイと時雨は思った。霧島は大淀と共に情報処理を任されているため、艦娘一人ひとりにも詳しいのは周知の事実。そのため、艦娘の心のカウンセリングを二人が中心となって行ったりもしている。故に誰がどんなキーワードに関心を持っているのか彼女は知っているのだ。

 霧島の性格からその情報を私利私欲に使おうとする人物ではない事は知っている時雨だが、今の彼女は明らかに普通ではない。証拠に目が血走っている。

 

 ――でも提督の話なら聞きたい、かな。

 

 我ながら欲深だと思いつつも、一度芽生えた興味の炎を消すことは中々に容易ではない。

 それでもこのまま流されてイエスとしてしまうのはなにか悔しいと、時雨は懸命の反抗戦へと突入する。

 

「でもそれなら僕じゃなくても霧島が相談にのってあげればいいんじゃないのかい?」

「私では彼女達の条件を満たしてあげる事ができなかったと言うべきかしらね。その点時雨の話なら間違いなく彼女達も納得してくれると思うわ」

「そんなに買い被られても……っていうかそれならその彼女達には申し訳ないけど、断っても良かったんじゃ」

 

 時雨の言葉に、霧島の表情が苦渋の色に染まる。

 まるで世界がそれを許してくれなかったかのように唇は戦慄き、瞳は絶望を写すように儚げなまま、霧島は全てを諦めたかのように脱力し、口を開いた。

 

「……ひよこ饅頭って知ってる?」

「? それって確かひよこの形をしたお菓子だったような」

「それをね貰ったのよ。今回の相談を引き受けてくれるお礼だって。二箱あったんだけど、一箱は相談会のその時に食べましょうって」

 

 そのまま、霧島は懺悔を行う罪人の如く諦観した表情で、

 

「だというのに……比叡姉さまが出してしまったの。金剛姉さまと榛名とのお茶会の茶菓子として全部」

 

「…………」

「…………」

 

「バカじゃないのかい?」

 

 時雨の歯に衣着せぬ正直な物言いに霧島は音も無くその場に崩れ去った。

 肩は震え、右手は口を押えたまま嗚咽を漏らす霧島。傍から見れば思わず駆け寄りたくなる可憐さだが、実に下らない実情を知っている時雨の視線は冷たい。

 しかし何故、置き場所を考えなかったのか。そもそも何も書置きをしていなかったのか。分析を得意とする霧島としてはあまりに杜撰な管理である。

 

「許せない! こればかりは流石の私も許せない!」

「まあまあ、別に金剛達も悪気があって食べた訳ではないだろうし」

「どうして……何故! よりにもよって私が出撃で不在の時に三人だけでお茶会を開いたのかッ! ひよこ饅頭が私の好物だと知っていて提督との想い出話に花を咲かせるなんてッ!」

「あ、そっちなんだ」

 

 霧島の慟哭に呆れつつ、その気持ちは分かるかもと内心で同情してしまう時雨ではあった。

 どうやら食べてしまった行為自体には、自分の管理不足を感じているからかさほど怒っている様子も無く、割とあっさり立ち直る霧島のメンタルは意外にも逞しかった。

 

「食べちゃった事は怒ってないんだ」

「それに関しては半分は私の落ち度よ。誤算だったとすれば、包装に書いて置いた『進物用』という単語の意味を比叡姉さまが全く理解できなかったという事くらいかしら」

「それはそれで問題じゃないのかな?」

「肝心なのは受け入れる事よ、時雨」

 

 右手に持ったカステラと書かれた紙袋――恐らくひよこ饅頭の代わりに買ってきたものだろう――を右手に哲学めいた台詞を吐きながら歩を進める霧島の後ろ姿を眺めながら、時雨はやれやれと苦笑を漏らした。

 なんだかんだ言いながらも、鎮守府の仲間の悩みを捨て置けない面倒見の良い性分の霧島である。きっと色々と悩んで自分に声を掛けてきたに違いない。

 なればその手助けをするのが今回割り当てられた自身の役目なのだろう。

 

「……もしかしたら提督の思いがけない情報が手に入るかもしれないしね」

 

 そんな淡い期待を胸に時雨は前を行く霧島を追って、人気のない鎮守府の廊下を足早に駆けて行った。

 

 

 

 

 

 霧島は言った。

 今回の時雨の役割は提督との関係に悩みを持っている者達へのアドバイザーであると。

 確かに鎮守府での生活に置いて、提督と良好な関係を築く事はスムーズなコミュニケーションを図る上でも重要な事柄であり、日常生活を円満に過ごすためにも欠かせない要素であることは間違いない。

 

 鎮守府の最奥、海側に面した部屋の一室。開け放たれた窓から流れ込んでくる潮風が、何処か懐かしさを感じさせる木製の椅子に腰かける時雨の黒髪を静かに薙いで行く。

 

「それでは皆さんお集まりと言う事で、早速”第八回 提督と仲良くなるための集い”を開催したいと思います。まずはお配りの資料に目を――」

 

 既に隣の壇上では霧島が何やら前口上を述べ始めており、予め配っておいた資料内容へと話を進めている。眼前では同じように熱心に資料を読み込む艦娘が四人。

 既に八回開催されている事はこの際置いておくとして、成る程彼女達が今回の件の依頼人と言う訳か。と時雨は改めて霧島に自己紹介を促されている四人へと視線を傾けた。

 

「な、名取です。今日は宜しくお願いします」

 

 ――一人目は長良型軽巡洋艦三番艦の彼女か。普段は穏やかで控えめな性格の名取がこういった会に参加しているのは少し意外だけど、本当は地道に前向きな努力が出来る凄い人なんだよね。

 

「あ、あの、潮です。もう少し提督と仲良くなれたらいいなと思って参加しました。あ、曙ちゃん達には内緒でお願いしますね」

 

 ――二人目は潮。恥かしがりで大人しい印象を受けがちだけど、潮って実は積極的なんだよね。こういう会にもちゃっかり参加してるし、僕も見習わないと駄目かな。

 

「まるゆです! いつもご迷惑かけてばかりの隊長に何かお返しがしたくて参加させていただきました! よろしくお願いします!」

 

 ――三人目はまるゆだね。いつ見てもあの白い水着がぴったりだなあ。巷の噂では潜水艦の水着は提督指定とか言われてるけど……まさかね。

 

「加賀よ。今日も提督を堕と……仲良くなるための貴重なアドバイスを期待しているわ」

 

 ――いや、うん? いやいやいや……え? なんでいるの?

 

 時雨は困惑した。

 前者の三人はまだ分かる。奇奇怪怪な性格の人物が蔓延る我が鎮守府の中でも比較的大人しく、物静かな良識のある人物たちだ。今回の提督とのコミュニケーションを図るという議題に参加した背景も良く理解できる。

 だが、思いもよらぬ四人目の登場に動揺を隠せない。

 

 名取、潮、まるゆときて――そして加賀。

 

「……こんなの絶対おかしいよ」

「時雨、大丈夫? 急に頭を抱えて体調でも悪いの?」

「あ、いやごめん。なんでもないんだ」

「そう、ならいいけど。それはそうと時間も限られてるし、そろそろ壇上に立ってもらってもいいかしら」

「分かったよ」

 

 出鼻を挫かれた感じは否めないが、任された仕事は責任を持ってやり遂げるのが筋だ。霧島に促されて壇上へと上がった時雨はこほんと一度咳払いをし、四人の前に立つ。

 

 ――さて、何を話そうか。

 

 時雨は思案する。

 今回時雨は、提督と密に関係を築けている艦娘の一人としてその経験談を語るという趣旨の下、白羽の矢が立った。勿論、時雨の真似をすれば提督と関係を築けるかと言えば、必ずしもそうではない。だが、何かしらの参考にはなるだろう、と。

 正直に言って恥ずかしい思い出や秘密にしておきたい想い出もあるだけに、話題は慎重に選ばなければと思っていると名取がおずおずと言った形で手を上げているのが見え、発言を促してみる。

 

「えと、今日は私たちのために来てくれてありがとうね、時雨ちゃん」

「いや、そんな。気持ちは十分に分かるし、僕に手伝える事があるならなんでも言ってよ」

 

 ここに来るまでは色々あったが、時雨の言葉は本心からの物であった。改装前はあまり自分に自信が持てなかった時雨にとっても名取達の健気で前向きな想いは他人事とは思えなかった。

 そんな時雨の言葉にふわりと微笑む名取の表情は十分に魅力的で、提督の前でも同じように接すれば間違いなく良い雰囲気になるというのに、いざ提督の前となると緊張で強張ってしまうのだから世界も優しくない。

 

「……名取が本気になったら手強いライバルになりそうだ」

「ふえ? それってどういう――」

「ううん。ごめんこっちの話。それで名取は今日はどんな話を聞きたくて来たんだい?」

「う、うん。あのね、提督さんってどんなジャンルの食べ物が好きなのかなって。サバの味噌煮が好きなのは知ってるけど、もう少しこうジャンルとか味付けとか知れたらなと思って」

 

 両手の指を絡ませながら恥ずかしそうに問うてくる名取に、時雨はすぐに彼女が何に挑戦しようとしているのかを理解した。

 

「成る程、名取は提督に手料理を振る舞おうとしてるんだね」

「う、うん。提督さん忙しくてあんまり食堂に来れないみたいだし、いつも即席食品みたいだから。間宮さんや鳳翔さんみたいには無理だけど、少しでも栄養の取れる物を用意してあげられたらなって」

 

 恥かしそうに両手で口元を隠しながらも、癒しのオーラを溢れさせる名取の正体は実は天使か。

 そう錯覚させる程には慈愛に満ちている名取に時雨は思わず表情を綻ばせた。後ろでは霧島が孫の成長に思わず涙するおばあちゃんみたいになっている。

 

「……名取さん素敵です」

「……まるゆ、感動です!」

「そ、そんな、これが想い遣りの心だというの……それに比べて私は……ぐふっ!」

 

 気が付けば隣に座る潮とまるゆもキラキラと熱い視線を向けている。恐らくではあるが、二人も名取とそう大差ない想いを胸にここに訪れたのだろう。私も、と拳に力を込める姿が見える。

 若干一名、名取の聖なる光に浄化されつつある穢れた心の持ち主がいるがここは触れない方が吉と、時雨は改めて名取に向き直った。

 

「うん、凄く素敵な考えだと僕も思うよ。そうだね、提督は特に好き嫌いはないけど、ジャンルで言ったら和食を良く頼んでるのを見るかな」

「えと、和食……和食と」

「和食かあ……私も朧ちゃんみたいに料理の練習始めようかなあ」

「カ、カレーは和食に入るのでしょうか」

 

 自分の言葉を真剣な表情でメモに取る名取。潮は何か思う所があるようで人差指を顎に当てたまま何やら呟いている。まるゆは何やら哲学の世界へと一人耽り込んでいるようだ。

 

「量は少し大目に作った方がいいよ。早朝とか提督よく鍛錬に出かけてるし、やっぱり男の人だからね。あ、でも味付けはあまり濃いのは好きじゃないみたいだね。あくまで素材の味を生かした料理を食べてる時の方が嬉しそうに見えたよ」

「…………」

「ん? 急に驚いた顔してどうしたんだい?」

 

 カリカリと走らせたペンを止めて、こちらに視線を向けてくる名取の意図が掴めず時雨は一人疑問符を浮かべる。

 何かおかしな事でも言っただろうか、と思い返してみても特に問題もない。

 

 そんな時雨に名取が感嘆とした口調で一言。

 

「凄いね時雨ちゃん。なんだか提督と夫婦って言われても納得しちゃうぐらい、あの人の事知ってるんだね」

「ええ!? そ、そんな僕なんかが提督とふ、夫婦だなんて……あうう」

 

 一体いきなり何を言い出すのか、この天使は。

 あまりに急な出来事に体温がぐんぐん上昇していくのが分かり、時雨は思わず両手で顔を覆った。顔が熱く火照るのを止められない。一方で犬耳のように跳ねた髪が嬉しそうにピョコピョコ動いているのは本人の無意識的に成せる業だったりするのだろうか。

 何故か潮とまるゆも同じように恥ずかしそうにしているのはそう言う話に本人達の免疫が無かったからか、加賀に至ってはむすっと勝手に一人拗ねている。

 

「ふふっ。ごめんね、提督の事を話す時雨ちゃんがあんまり楽しそうだったからつい」

「……名取って繊細に見えて、実は凄く逞しいよね」

「そうかな?」

「そうだよ」

 

 なおも”んー?”と悩みながら改めて感謝の言葉を告げてくる名取に時雨はひらひらと白旗を振った。

 鎮守府内だけでも鳳翔と間宮という双璧がいたため、今まで誰かがしそうでしなかった手料理を提督に振る舞うという行為への挑戦といい、今の発言といい、名取も随分と積極的になってきているような気がする。

 

 ――僕はもう少しからかわれる事に耐性を付けた方がいいかな。

 

 思わぬところで見えた反省点に頷きながら、時雨は続いて二人目へと視線を移動させる。

 

「それじゃあ気を取り直して。次は潮かな」

「え、えと、私は……出来ればこの上がり症を治せたらなとか思ったりして。時雨ちゃん、提督と一緒にいても常に自然体で凄いなあと思って……何かコツでもあれば教えてほしいんだ」

 

 潮の質問に、時雨は再び思案する。これまた難題だ、と。

 最近潮が自分の性格を変えようと努力している事は知っている。提督を花火に誘ったり、一緒に日用品の買い出しを申し出たりと積極的になろうとしている姿を良く見かける。

 時雨としてはそれを続けていけばいいと思うのだが、本人は納得していないらしくこうして自分に助言を求めてきている。同じ駆逐艦として、出来る事なら力になりたいとも思っている。

 だがしかし、だ。彼女は一つ勘違いをしている。

 

(……周りからは冷静に見えるかもだけど、僕も提督と一緒に居る時は何時もいっぱいいっぱいなんだよ、潮)

 

 内心でズーンと沈む時雨だが、周囲がそれに気付く様子はない

 周りに人がいればそうでもないが、二人になるとどうしても色々と想像してしまって緊張してしまうのは時雨も一緒だった。

 提督は常に艦娘の事を考えてくれている。それに応えるためにも相応しい行動と振る舞いを、といつも思うのだが、距離が近くなればなるほど何も考えられず頭が真っ白になってしまうのだ。

 だがそれでは潮は納得しない。仕方がないので、感じている事をそのまま伝える事にした。

 

「コツってほどでもないけど、意識してることならあるかな」

「それって……」

 

 まるで被せる様に食付いてくる潮に苦笑しながら、時雨は静かに思考を言葉に変換する。

 

「……潮にはさ、何かコンプレックスってあるかな」

「えとコンプレックスって程じゃないけど……」

 

 そう言いながらも、潮の視線は自身の身体の一部へと注がれていた。が、時雨はあえてそこには触れず、話題の転換を試みる。

 

「ん。じゃあ質問を変えるけど、潮は提督に触れられるのは嫌かい?」

 

 時雨の問いかけに潮は勢いよく首を横に振った。遠征後のハグや秘書艦の時に頭を撫でられる事など、提督とのスキンシップ時は例外なく緊張するが、嫌悪感は全くない。むしろ温かい気持ちになるので嬉しかったりする。

 そんな潮の態度を見やりながら、時雨は諭す様な口調で語りかける。

 

「自分では隠してるつもりでもさ、心の底で気にしてる事って親しい人には分かっちゃう物なんだ。潮さ、提督が他の子には普通にハグするのに、なんで自分の時になると一瞬躊躇するのかって悩んだ事ないかな?」

「……あ」

 

 心の奥で密かに悩んでいた事を指摘され、潮は思わず息を吞んだ。

 

「提督ってさ不器用だけど、僕達の事は誰よりも見てくれてるよね。だから言葉にしてなくても、潮が気にしてる事、提督は気付いてるんだと思うよ。あの人は底抜けに優しいからさ、きっとそんな潮に無遠慮に触れてしまっていいのか判断に迷ってる。その葛藤が一瞬の躊躇の答えに繋がるんじゃないかな」

「そうなの……かな。てっきり私、提督に嫌われてるのかなって思ってたんけど」

 

 あまりに的外れな潮の言葉に、時雨を含めた全員がその場で思わず吹き出した。教壇の後ろで今の言葉は年末の面白台詞大会に出そうと霧島が画策しているのを余所に、全員から笑われた潮が可愛らしく頬を膨らませる。

 

「あはは、ごめん潮。それに限っては天地がひっくり返ってもないよ」

「……むうう」

「要はさ、本当の意味で心を開けるかどうかだと思うんだ。コンプレックスがある事が悪いんじゃない。誰しも自分の好きな部分嫌いな部分はあるだろうしね。大事なのはそれを含めて相手に心を開けるか。大切な人に嫌いな部分を見せるのは怖いけど、本当に想ってくれている人ならそれを含めて受け入れてくれると僕は思ってる」

「……そっか」

「とか偉そうに言ってるけど、僕も提督の前では情けない事に恰好つけてばっかりなんだけどね、あはは」

 

 と、おどけながら潮の様子を窺うと、彼女は言葉の意味を咀嚼するように何度もうんうんと頷きながら”ありがとう時雨ちゃん。私、頑張ってみるね!”と感謝を口にしてくれた。

 コンプレックスを克服するのには時間が掛かるだろうが、これならもう大丈夫だろう、と時雨は一拍置いて次の人物へと視線を移した。

 

「さ、次はまるゆの番だね」

「は、はい! まるゆは隊長さんにいつも御迷惑をお掛けしてばかりなので、何かお役に立てることはないかと考えてたんですが……」

「ですが?」

「……どれだけ考えてもまるゆがお役に立てる事が思いつかなくて」

 

 エベレストの頂上からマリアナ海溝の最深部ぐらいの高低差でテンションが下がるまるゆに苦笑しながら、時雨はなんとなく今のまるゆが昔の自分に重なっているようで少しだけ親近感を覚えた。

 実際まるゆは本人が思っているように鎮守府のお荷物ではなく、むしろ誰もが踏鞴を踏むデコイとしての役割(提督は指示していないが)を率先して請け負ったり、遠征をまめにこなしたりと非常に働き者であったりするのだが、本人の意識的にはそういう事ではないのだろう。

 

 何か一つきっかけさえあれば前を向けるのだが、そのきっかけが見つからない。そんな感じだ。

 提督に伝えて一言何かを言って貰えば解決はするかもしれないがそれはまるゆの意志に反する行為だろう。効率よりも情や気持ちを重視する時雨はまるゆと一緒に悩むことを決めた。

 

「僕はまるゆが役に立ってないなんて思ってないけどな。この前改装してもらって、魚雷だって詰めるようになったじゃないか」

「正面海域で十回連続大破するまるゆに魚雷なんて資源の無駄です」

「……あはは」

 

 これは何やら闇が深そうだと戦闘面での話題を避ける事を決めた時雨。名取と潮と一応加賀がまるゆを慰めてくれている事に感謝しながら、時雨は思考を巡らせる。

 別に大それた事なんかじゃなくてもいい。大切なのはまるゆの気持ちなのだ。

 

「まるゆがマグロでも捕まえてくれば、隊長さんも喜んでくれるでしょうか?」

「えと、多分提督さん、まるゆちゃんがマグロ漁に出たって聞いたら心配で仕事が手につかなくなると思うけど」

「マグロって凄く力強い魚だって漣ちゃんが言ってたけど、まるゆちゃん大丈夫かな?」

「まるゆがマグロを捕まえるどころか、マグロがまるゆに気付かず太平洋の真ん中ぐらいまで連れて行かれそうね」

「……ふええ」

 

 三人の心配してるのか弄っているのか判断に困る発言を聞きながら、ふと時雨はまるゆの首に下げられた綺麗な色をしたガラス細工のようなものを発見し、おもむろに問いかけた。

 

「まるゆ、その首に掛けてる綺麗な首飾りって何処かで買ったのかい?」

「これですか? これはまるゆが遠征の帰り道とかに拾った石や貝殻を妖精さん達と一緒に作った飾りですが」

 

 そう言って恥ずかしげに見せてくる深緑色の首飾り。半透明な石の中に、散りばめられた貝殻がアクセントとなって素晴らしい出来栄えとなっている。売り物と言われても納得してしまうくらいには良い出来であった。

 

「本当は隊長さんにプレゼントしようかと思ったのですが、こんな物貰っても邪魔になるだけだと思いまして」

「いや、いいんじゃないかな? うん、凄く良いと思うよ」

「……え?」

 

 手に持った首飾りをまるゆに返しながら、時雨は良いものを見せてもらったと表情を綻ばせてまるゆへと破顔する。

 

「これって置物としてもう一つ作れるかい?」

「あ、それは大丈夫です。こういうの集めるのはまるゆの趣味でして、ストックは沢山あるので」

 

 まるゆの発言に素敵な趣味だなと思いながら、時雨は提案を続ける事にする。

 

「じゃあそれを日頃の感謝の印として提督にプレゼントしよう」

「え、でも隊長、気に入ってくれるでしょうか?」

「ふふっ。まるゆは知らないかな? 提督ってさ、実はこういう眺めてて心が落ち着く小物が好きみたいなんだ。前に雑貨屋に一緒に行った時も真剣にこれと似た物を眺めてたし、きっと喜んでくれるさ」

「ほ、本当ですか!? じゃあまるゆ、この後早速工廠に行って妖精さんにお願いしてきます!」

 

 先程と一転して表情を明るくさせるまるゆ。これできっとまるゆも自分に自信が持てるきっかけになる筈だと時雨は思わず自分の事のように嬉しくなる。

 可能ならば、自分にも一つ作ってもらおうと心に留めながら、時雨はなんだか気持ちが晴れやかになっているのに気づき、ふと笑う。

 

 ――やっぱり皆が笑ってるのっていいな。

 

 目の前では名取と潮とまるゆの三人が楽しそうに笑い合っており、時雨はそれだけで今日は来てよかったと思える事が出来た。

 

 さて――

 

「……一応聞くけど、加賀も何かあるのかい?」

 

 可能ならばここで締めにするのが最良なのだが、人間が出来ている時雨は窓際サラリーマンと化していた加賀に問いかける。

 そんな待望の時雨の台詞に加賀が待ってましたとばかりに立ち上がる。相変わらず無表情ではあるが、気分が高揚しているのかサイドに括られた髪が頻りに揺れている。

 

「そうね。では僭越ながら私も一つ質問させてもらうとしましょう」

「はいはい。で、何が聞きたいのさ」

「決まってるでしょう? どうしたら提督とすったもんだの開幕夜戦に突入できるかと言う事なんだけれど――」

 

 などと、なおも続けようとする加賀を余所に、時雨は無言で他の三人を集め、寝ている霧島を起こしそのまま出口となる扉へと歩いていく。

 そのまま固まっている加賀に向けて、時雨は今日一番の笑顔を形作り一言。

 

 

「君には失望したよ」

 

 

 そうして栄えある一航戦の片割れを残して、第八回、提督と仲良くなるための集いは幕を閉じた。

 結局数時間後、赤城が加賀を発見した時、部屋に涙の川が出来ていた事は彼女達だけの秘密である。

 

 

 ちなみに後日、まるゆが提督にプレゼントした深緑色の飾り物は大層提督に喜ばれ、執務室に飾られたそれらを発見した艦娘からひっきりなしにまるゆが注文を受ける様になったのはまた別のお話。



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第四十八話 ローマの休日

 リベッチオは中破してもどこにも日焼けしてない場所が見つからない事に疑問を持ってしまい夜も眠れません。
 誰か教えてください。


 窓から吹き込む風は、潮の香りと少しの水気を部屋に運んできた。

 差し込む陽の光に照らされて、未だ生活感の伴わない部屋に僅かな温かさが加えられるのを感じ、自然と少女の頬が緩む。

 

「…………」

 

 艦娘宿舎のとある一室。

 その丁寧に塗装された木製の扉から現れたのは一人の艦娘の少女。

 肩辺りまで伸びた焦げ茶色の癖毛にやや形状の珍しい丸縁の眼鏡。やもすれば相手に緊張感を抱かせそうな切れ長の瞳を持つ少女――ローマは一人、当ても無く鎮守府の廊下を歩いていた。

 

「……向こうからこの鎮守府に来て、もう一ヵ月か」

 

 演習場からの喧騒にふと足を止め、窓枠に手をつきながらぼんやりと外を眺める。

 祖国イタリアからこちらに着任して早一ヵ月。未だ文化の違いや言葉の壁に困惑する事はあるが、姉とリベッチオもいる上、他国からの海外艦も一足先に着任しているおかげで割と問題なく生活する事ができている。

 姉が頻りに心配していた周囲との関係も、着任日の夜に開かれた歓迎会にて全て杞憂に終わった。鳳翔と間宮主導の豪華な手料理に加え、艦娘一人ひとりによる一発芸や歌唱大会に巻き込まれ、遠慮やよそよそしさなどは早々に吹き飛んでしまった。むしろあまりにグイグイ来られる所為でこっちが引いてしまったぐらいなのだ。

 

「なんでここの人達ってあんなに世話焼きばっかりなのかしら」

 

 視線の先で雪風がこちらに向けて大きく手を振っているのに肩肘を付きながら小さく手を上げて応える。

 誰も彼もがおせっかい焼きのお人好し。まるで鎮守府を預かる彼の穏やか過ぎる性格が周囲に伝播しているかとさえ思えてしまう。

 

「給金も出て、休日は取らないと逆に叱られるなんて、ここの提督は本当に変わってるわね」

 

 踵をトンと鳴らしながら、呆れた口調のローマ。だが言葉とは裏腹に表情には笑みが零れている。

 付き合いはまだ浅いが、少なくともここの提督は新参者の自分達に対して、他と変わらぬ態度で接してくれている事ぐらいは理解できる。部外者と爪弾きにせず、腫れ物扱いする事も無く、鎮守府の一員として真っ当に受け入れてくれている。

 

「……ふふっ」

 

 基本しかめっ面の彼女にしては珍しい愛嬌溢れる微笑を一つ。

 油断。一人で陽気に鼻歌を歌うなど、普段の彼女からは考えられない姿を見られたのは間違いなく油断していたからだろう。

 そしてそういった時に限って人が通りかかるのは世の常であったりする。

 

「あらあら? あなたにしては珍しく随分とご機嫌そうだけど何かいい事でもあったのかしら?」

「ローマさんこんにちはです」

「…………あなた達はドイツの」

 

 突然の来訪者に引き攣る顔を抑えつつ、なんとか言葉を返す。

 現れたのは自分と同じ海外であるドイツから着任している戦艦と重巡。確か名前は――

 

「あなたはオイゲン……と」

「わあ! 覚えててくれたんですね! 嬉しいです!」

 

 名を呼ばれた事でぱあっと花が咲いた笑顔で右手を握ってくる金髪ツインテール重巡。彼女はどうにもコミュニケーションが物理的に近いようにも思えてしまい、パーソナルスペースが広いローマとしては慣れるのにもう少し時間が掛かりそうだった。

 加えて次は私の番ねと言わんばかりに既にドヤ顔のブロンド戦艦はどう対処したらいいのか。

 

 とりあえず最近覚えた日本語の練習も兼ねて、先のプリンツの会話に便乗することにした。

 

「名を覚えるのは共に戦場に立つ者としては最低限の礼儀よ。ねえチョロマルク」

「そうね。とりあえずあなたはもう一度、礼儀と言う日本語の意味を調べ直した方がいいわよ」

「惜しい!」

「惜しくもなんともないわよ! ビスマルクよビスマルク!」

 

 胸の前でパチンと指を鳴らすオイゲンの肩をビスマルクが容赦なく揺すっている。どうやら良く耳にする”ビスマルクはチョロい”という言葉を誤変換してしまっていたようだ。

 チョロいという日本語の意味はよく分からないが、響きからしてもこの戦艦にぴったりな気がしないでもない。

 

「それで、あなた達はこんな場所で何を?」

「私とビスマルク姉さまは午前中模擬戦でしたので、汗を流すために部屋でシャワーを浴びてました」

「今日は模擬戦参加の子達が多くて備え付けのシャワー室は込みそうだったから、こっちに戻ってきたのよ」

「ああ、どうりで」

 

 不作法にならない様にローマは視線だけで二人の全身を見据え、一人納得した。

 先程から漂うほのかな甘い香りはシャンプーの所為か。窓から差し込む陽の光に照らされて、二人の綺麗な金髪が粒子を纏っているかのように流れている。

 素直に綺麗だな、と思うのも束の間、次いで同じ疑問がビスマルクの口から発せられる

 

「それよりあなたこそ何してたのよ?」

「別に。私は今日は休日なんだけど……向こうでは休日なんて滅多に無かったから何をしたらいいか分からなくて」

 

 休日というのは思った以上に厄介なものである。

 今まで給金は愚か、休みすらまともに取れなかった。そしてそれを当たり前だと思ってきただけに、いざ休日となると何をしていいか分からないのだ。

 お金と時間を同時に与えられて、やる事が見つからないなんて言ったら姉であるリットリオに怒られそうだが。というより同じように休みである筈の姉は一体何処に消えたのか、相変わらずフットワークの軽い姉である。

 

「あー、その気持ちはよく分かります。うんうん」

「確かに最初にいきなり休みって言われても、何をしたらいいか分からなくなるわよね」

 

 どうやらこの悩みは海外艦にとって避けては通れぬ試練の門のようで、二人も何やら神妙に頷いている。

 

「私はあんまり暇だったから、休みの日はいっつもAdmiralさんの部屋にいってたなあ」

「ちょ、ちょっとプリンツ。あなた私に隠れて一体何をしているの?」

「むっ? ビスマルク姉さまだってこの前、私に内緒でAdmiralさんとお出かけしてたじゃないですか!」

「あ、あれはマックス達がどうしてもお寿司を食べたいって言ったからで……」

「え? お寿司? 日用品の買い出しじゃなくて?」

「あ、そっち?」

 

「え?」

「え?」

 

 目の前で視認できそうなほど不穏な空気が流れる。

 みるみる内に瞳のハイライトを消していくオイゲンだが、口元は笑ったままというのが余計怖い。

 

「ちょっとビスマルク姉さま。その話詳しく」

「さっ! この話はここで終わりにしましょう!」

「Admiralさんとお寿司ってどういうことですか~! 正直に吐かないとこうですよっ!」

「あ、ちょ! どこ触ってるのプリンツそこは駄……んっ……ひゃあ!」

「真昼間から金髪美少女同士の濃厚な絡み発見……これは売れる!!」

 

 質問された側を完全に無視して繰り広げられる乱痴気騒ぎ。オイゲンの右手がビスマルクの中々に危ない所まで伸びているが、ここで介入する武勇などローマは持ち合わせていない。

 更に、逆側から二人を激写する青葉はいつの間に現れたのだろうか。ジャパニーズニンジャの片鱗を垣間見てしまったような気がする。

 とりあえず巻き込まれては堪らないと、視線を逃げる様に窓の外へと向ける事にする。

 

 窓の外では時津風が天津風のワンピースを捲り上げていた。

 

 

 

 

「相変わらず、ここはいつ来ても盛況ね」

 

 扉を開けた途端、鼻とお腹を擽る良い香りと活気に満ちた喧騒に迎えられ、ローマは感心した表情でそう呟いた。

 数少ない鎮守府内での食事処――通称間宮食堂。時刻的にお昼にはまだ少し早い筈なのに、席は既に半分程は埋まっていた。その内の半数程がコーヒーや紅茶片手に談笑へと興じている。

 食事処としては勿論だが、こうして皆の憩いの場として日頃のストレス発散の一助になっている事がここの最大の魅力だと言っていいだろう。

 

「ローマさん、こんにちは」

「鳳翔。珍しいわね、あなたがここにいるのは」

 

 扉の前に立っていたのを見かねたのか、近くのテーブルを拭いていた鳳翔がわざわざ声を掛けてきてくれる。

 もう一つの食事処の店主である彼女がこの時間にここにいるのも珍しい。

 

「今朝は少し仕込みの手伝いをしていたのですが、忙しくなりそうでしたので微力ながらお手伝いさせて頂いていました」

「ふーん。働き者ね、鳳翔は」

 

 海外艦であるローマにも分かる嫋やかな仕草で”好きでやっている事ですから”と微笑を崩さない鳳翔。先程の痴態に塗れた場面と比べたら何と心洗われる出会いか。

 が、それよりも何より目を引くのが――

 

「その服装……いつものとは少し違うわね。それも和服とか言うやつの一種なのかしら」

 

 白を基調にした、袖口に余裕のある膝丈までの不思議な形状の衣服。普段間宮や伊良湖が身に着けているものとよく似ており、和服を常としている彼女にしては珍しい姿だった。

 突然指摘された事に面食らったのか、鳳翔は僅かに赤みの差した頬のまま説明を加えてくれる。

 

「これは割烹着という日本生まれのエプロンですよ。どうやら間宮さんのポリシーみたいで、ここで働く人は皆割烹着着用が義務みたいなので」

「成る程ね。じゃあ店中を忙しなく飛び回っている妖精さんが身に着けてるのも」

「可愛らしいですよね。全員分、もれなく間宮さんの手縫いの専用割烹着です」

 

 職人魂恐るべし。

 その分野でもそうだが、ポリシーのある店というのは総じて評価の高い店である事が多い。このカッポウギとやらにどのような付属効果があるのかは分からないが、確かに何処か目を惹かれるものがある。

 和服といいこれといい、決して露出が高いわけではない。むしろ減っているというのに、妙に艶めかしく感じてしまい実に不思議である。

 

 何かを思うようにじっとその姿を見つめるローマ。

 

「あ、あの、どうかされましたか?」

「鳳翔、あなたのその姿は危険よ。何故だか分からないけど、無性にムラムラしてきたわ」

「そ、それは困りましたね」

 

 引かれた。

 以前長門が駆逐艦を眺めながら普通に”ムラムラするな!”と日常的に口にしていたため使ってみたが、この場には相応しくない言葉だったようだ。

 

「そ、それはそうとローマさん。少し早いですがお昼にされませんか」

「そうね。そのつもりで来たんだし、間宮の所に行きましょう」

 

 見事に話を逸らす鳳翔に促され、立ち止まっていた歩を進める事にする。

 やはり当面の課題は日本語の習得に尽きるわね、と再確認した所で急に食堂の一角が騒がしくなり、横目でそちらの方向へと視線を向ける。

 

「何かあったのかしら?」

「ふふっ。今日は珍しく提督がいらっしゃっていますからね」

「……提督、来てるんだ」

 

 視線の先には人だかりが出来ていた。割合としては駆逐艦がほとんどで、その中心に見慣れた上官の姿が覗き、ローマの口からポロリと言葉が零れる。

 提督はお昼の最中のようだが、矢継ぎ早に駆逐艦の少女に絡まれて全然箸が進んでいない所が妙に微笑ましい。

 輪の中にはリベッチオの姿も見え、他の娘と共に楽しそうに提督との会話に交ざっている。元々天真爛漫で明るい性格のため心配はしていなかったが、上手く馴染めているようだった。

 

「リベッチオも元気そうね。これで姉さんに良い報告が出来るわ」

「あら? リットリオさん先にいらっしゃってましたよ。確か提督の隣に」

「え゛!?」

 

 慌てて視線を戻すと、確かにそこに居た。

 腰まで伸びたウェーブのかかった明るめの茶髪に、たれ目気味の優しげな瞳。百人に聞けば九十九人が癒されると答えそうな温和な微笑みが常の姉は、あろう事か提督の隣で共にお昼を満喫しているところだった。

 

「ちっくしょう…………はっ!?」

 

 無意識に零れた言葉に慌てて頭を振る。

 今のは別にそんなんじゃない。提督と楽しそうに談笑する姉を見て、先を越されたような気がしたとかそういうのでは断じてない。

 これはそうアレだ、提督が姉やリベッチオを邪な目で見ているかもしれない事に対する牽制みたいなものだ。だから全て提督が悪い。

 

「…………」

「…………なに?」

「いえ、少し嬉しくて」

 

 何を想像したのか、横でニコニコしながら視線を向けてくる鳳翔と顔を合わせられず、素っ気ない態度を取ってしまうローマ。

 彼方を向きながら右手で癖毛を弄る仕草に年相応の少女っぽさが垣間見れるが、本人は依然として不満顔だ。

 そんなローマを微笑ましく思いながら、鳳翔が持ち前のさり気ない気遣いを発揮する。

 

「さあ、ローマさんも」

「私は……別に」

「そこは提督を助けると思って、ね? あの人、見ての通りコミュニケーション下手ですから、ローマさんから行ってあげて貰えると喜ぶと思うんです」

 

 ”でも、そこが魅力的でもあるんですけどね”と付け加える鳳翔は苦笑と共にメニュー表を手渡してくる。

 それを受け取りながらローマは、言葉では渋々といった感じで、しかし表情には笑みを滲ませながら、

 

「……全く仕方ないわね!」

 

 まるでリズムを取るかのように、足早に間宮の元へと向かって行った。

 

 

 

 

「あ、ローマ~」

 

 注文を終え、食器を手に目的の席へと向かうと真向いからやや間延びした声が耳に届いてくる。

 同時に隣に座っていた提督と視線が合う。

 

「おはようローマ」

「ええ。隣、いいかしら?」

「ああ、勿論だ」

 

 短くそれだけ交わし、空いている姉とは逆隣りの席に腰を下ろす。

 ほんの少しだけ早くなった動悸を提督に悟られない様に、小さく深呼吸。少し素っ気なさ過ぎただろうか、と横目で様子を窺うも、別段提督に変わった様子は見られない。

 

「わあローマさんいいなー、和食頼んでる! 美味しそう~!」

「リベッチオ、あなたはもうお昼を食べたんじゃないの? それに何処に座ってるのよ」

 

 ひょこっと顔を出したリベッチオにローマが呆れたように嘆息する。あろう事か彼女は食事中の提督の膝の上にちょこんと座っていたのだ。

 食事をするには明らかに邪魔になる場所だというのに提督は然して気にした様子も無く、自分のハンバーグを器用に切り分けてリベッチオの口元へと運んでいる。

 

「熱いから気を付けて食べるといい」

「やったー! ありがとう提督さん、はひほひ、おいひい~」

「リベッチオは食べ盛りなのだから、遠慮せず食べなさい」

「も~! 提督さん違うってば~。リベって呼んでって言ってるのに~」

「む、すまん。リべ」

「ふひひ!」

 

 天真爛漫なリベッチオの甘える攻撃が提督に炸裂。同時に周囲の駆逐艦娘にクリティカルヒット。羨ましげな視線度数五割増し。

 そんな穏やかなのかそうでないのか分からない空間で、なおもきゃっきゃっとはしゃぐリベッチオは実に楽しそうだ。

 

「うふふっ、こうして見ると提督はお父さんみたいですね」

「……私はそんなに老けてみえるのか」

「雰囲気がってことでしょ。姉さんが言いたいのは」

「パパ~」

「……むう」

 

 眉間をやや中央に寄せながら、リベッチオの頭を撫でる提督の姿は見紛う事無き休日の父親のようで、リットリオとローマは思わずぷっと吹き出した。

 ぼそりと私ももう若くはないと言う事か、と呟く提督の言葉の端々からは哀愁が漏れ出してしまっている。まだ二十代なのに。

 

 そんな提督に追い打ちをかけるかのようにリベッチオが純粋な瞳で疑問を投げかけた。

 

「ん~? リべが提督さんの子供ならお母さんは誰になるの?」

 

 ある意味当然といえるリベッチオの疑問。子供とは時として物事の核心に迫る質問をするものだ。

 当然この手の質問に答えはない。だと言うのに、何を思ったのかリットリオは悪戯を思いついた子供のような表情でローマの顔を見て、次いで提督へと視線を移す。

 

「そうですね。ちなみに提督は私とローマ、どちらがいいですか?」

 

 瞬間バキっと云う鈍い音が食堂内に響く。

 合わせた両手を頬の横に添えながらニッコリ笑顔で爆弾を投下した姉の逆隣りで、ローマが箸を握りつぶした音だった。

 耳まで真っ赤に染めながら、梅干しを食べた後のように口を引き結んだローマの視線は実に恨めしそうに姉へと注がれている。

 

「姉さんは馬鹿なの?」

「あら? 割と本気よ?」

 

 冗談かどうか判断のつかない微笑で返され、ローマは今日一番の大きなため息を吐いた。こうなってしまっては墓穴を掘る前に退くのが最善策か、とずれた眼鏡を整える。

 一方、話題の中心である提督は早々に思考を放棄してリベッチオへの餌付けとなでなでを繰り返す事で心の安寧を図っていた。つくづく残念な男である。

 

「まったく姉さんは……いただきます」

 

 天然な姉は放っておいて、目の前の焼き魚の身をほぐし、口に含む。同時に口内に広がる優しい味に頬が緩むのが自分でも分かり、霧がかっていた気分が晴れていく。

 歓迎会で初めて和食を口にしてから、特にローマはこの焼き魚を扱った料理を好んで食べている。素材の味を活かした素朴な味わいが好みにとても合っていた。

 

「和食の味はどうだ?」

「美味しいわ。見た目は素朴だけど、優しい味がして私は好きね。イタリアにも様々な料理があるけれど、和食はそのどれとも違って新鮮だわ」

「そうか」

 

 相変わらず口数は少ないが、提督の言葉には嬉しさのようなものが混じっていた。

 どんな経緯であれ、自分の生まれ育った国の物を受け入れてもらえる事は嬉しいものだ。実際提督本人がよく和食を好んで食べているだけに、二人の料理に関する好みは似ているのかもしれない。

 

「鎮守府の近くに美味しい和食料理を振る舞ってくれる食事処がある。君達さえ良ければ、今度紹介しよう」

「やったー! 提督さん絶対だよ! 約束だからね!」

「まあ。これはデートのお誘いかしら?」

「……考えておくわ」

 

 三者三様の答えに提督は少し気易かったか、と頬を掻いている。

 しかしこうしてゆっくりと日本の文化に触れる事で、三人に少しでもこの日本という国に愛着を持ってもらえるならばこの行為も決して無駄ではないだろう。

 などと、まるで観光大使の如く思考を巡らす提督の横で、またしてもリットリオが妙案閃いたとばかりに手の平に拳を打ち付けた。

 

「あ、でしたらお礼に今度は私たちの祖国であるイタリア料理を提督に振る舞いますね」

「いいのか?」

「勿論です。提督にもイタリアを好きになって貰えるように腕によりをかけて作っちゃいますから。ね、ローマ?」

「え!? ……ええ、そ、そうね」

「リべもー! リべもお手伝いしますー!」

 

 急に話題を振られたローマの顔が岩のように固まり、右頬がひくひくと引き攣る。

 そのまま、提督に悟られないようリットリオへと抗議の視線を投げつける。

 

 ――ちょっと姉さん! なんでよりにもよって料理なの!? 私が料理苦手なの知ってるでしょ!?

 ――あらあら? じゃあ提督に喜んでもらうためにも練習しなくちゃね。

 

 やられた、とローマは思った。

 初めから姉は自分に提督に料理を振る舞わせるつもりで会話を誘導したのだ。料理好きな姉が料理嫌いな妹へその楽しさを教えるために、そしてお世話になっている人へ贈る恩返しの一つの方法として。

 

「提督さん! リべがうんと美味しい料理作ってあげるから楽しみにしててね!」

「そうか。それは楽しみだ」

 

 風雲急を告げる。既に外堀は埋められ、退路は断たれた。

 ならばどうするか?

 

 そんなの既に答えは決まっている。

 

 ――いいわよやってやろうじゃないの! 絶対に提督に美味しいって言わせてみせるんだから!

 

 開き直ったローマは、残っている昼食を勢いよく平らげていく。その瞳は既に先程のような覇気のないものでなく、彼女本来の闘志に満ちた色合いで染まっていた。

 同時並行で箸を進めながら、これからの予定を着々と組み上げていく。

 

 休日というのは思った以上に厄介なものである。

 やる事が見つからない時は無限に思える時間も、いざやりたい事が見つかれば、どれだけあっても足りない様に感じてしまう。

 

 だが、それでいいのだ。何故なら――

 

「……とりあえず次の休みには料理用の本を買いにいかないといけないわね」

 

 

 ――次に訪れる休日をこんなにも待ち遠しく感じられるのだから。

 

 

 



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第四十九話 鹿島、頑張ります!

 お久しぶりです、そして間が空きすぎましたすいません。
 とりあえず軽い報告だけさせてもらいます。

※前話の『第四十九話 龍の帰還其の一』ですが勝手ながら削除させて頂きました。
 理由としては単純に間が空きすぎて筆者自身が続きの流れを忘れてしまったせいです。お許しを……。

 ですので龍の帰還のお話は再度構想を練ってから改めて投稿しようかなと、正直いつになるか分かりませんが……まったり待っていてもらえると助かります。

 以上報告でした。
 


 

 

 世の中の社会人に休日があるように、鎮守府の艦娘たちにも非番という日がある。

 定義上では戦闘による疲労や怪我の回復のため、戦果を高めるためのうんたらかんたらとあるが、ぶっちゃけただの休日である。

 制度化の背景としては海軍の世間体を加味した艦娘の待遇イメージ向上とされているが、実情はそんな綺麗なものではなく――

 

 ――ただ単に艦娘の不満が爆発しただけだった。休日をよこせと、主に潜水艦の。

 

 のちに『オリョクル革命』と呼ばれるその事件の首謀者たち。つまるところ当時の潜水艦娘たちの”オリョクルはもう嫌でち!”という謎の隠語の御旗のもと、やもすれば深海棲艦化してしまいそうな血と汗と涙とその他諸々のどす黒いあれこれが混ざったデモ行為に慌てた海軍の上層部は咄嗟に真顔で彼女たちに提案した。

 

 ――あい分かった。じゃあオリョクルは止めてバシクルに行こう、と。

 

 失言だった。それも過去最高レベルの。

 資源が枯渇する不安や焦燥、オリョクルに代わる資源取得の方法、目の前に広がる見た事も無い数のスク水艦隊に思考が混乱していたとしても酷すぎた。

 もはや火に油どころかキャンプファイヤーに油田そのものを突っ込んだようなそんな発言に、当時の本部の屋根が半壊した程度で済んだのはある意味奇跡だったのかもしれない、というのは当時現場に居合わせた職員の弁。潜水艦の機雷恐るべし。

 

 等々、そんな海軍側と艦娘側(主に潜水艦)の文字通り体当たりなやりとりの末制定されたのが艦娘の休日であり、今では多くの艦娘が割り当てられたその日を自らの趣味や娯楽の時間へと当てている。

 

 そして今日もまた一人の艦娘が休日を満喫しようと準備を始めるのだった。

 

 

 

「ふんふ~ん」

 

 とある口下手な提督が率いる鎮守府、その中庭へと続く廊下を一人の艦娘の少女が鼻歌交じりに歩いていた。

 ゆるくウェーブのかかった銀髪を二カ所でまとめ、上は正肩章付きの礼装、下はプリーツスカートに黒のハイソックス。大きく愛嬌のある瞳は綺麗な青色で、スカートから伸びる健康的な生足が少し艶めかしい。

 

 少女の名前は鹿島。姉の推薦と本人の能力を買われ本部から最近配属された艦娘の一人である。

 

「ん~、お休みがあるっていうのは香取姉から聞かされてたけど、実際ちゃんとこうしてお休みが取れるのはありがたいものですね」

 

 そんな鹿島も今日はお休み。表面上では制度化された非番とはいえ、まだまだ現場では浸透しきっていない名ばかりの休日制度だが、実際自分がこうして恩恵を受けてみるとやっぱり嬉しいもので、姉がこの鎮守府を頻りに推薦したがっていた理由もよくわかる。

 危惧していた出遅れ感や妙な上下関係もないし、仲間たちもみな優しい。たまによくわからない暴動に巻き込まれたりもするが、それはそれで良い刺激にもなる。加えて驚いたことに毎月給金も出るし、正直これ以上ないくらい手厚い待遇を受けていると思っている。

 

 ただ。

 ただ、それでもだ。

 

 たった一つ、もはや我儘と言ってもいいほどの些細な不満。姉に言ったら何を軟弱なと鬼の練習航海に連れていかれそうな小さな小さな不満が鹿島にはあった。

 もやもやと胸の内に湧いたもどかしい妙な感情に、鹿島はその綺麗な銀髪に顔を埋めながら窓枠に持たれるようにため息を一つ。

 

「……問題は提督さんとお話できる機会が少なすぎるってとこなんですよねえ」

 

 そう、それは提督との遭遇率だ。

 というのも実のところ、鹿島は着任前の段階では男である提督と接する機会は多くなると予想していた。下世話な話、鹿島は性格容姿ともに男受けがいい。それは今までの職場でもそうであったし、鹿島自身男性が女性をそういった目で見ることは仕方のないことと割り切った上で、そんな人たちとも上手く付き合っていけるように努力してきた経緯もある。

 

 セクハラ紛いの扱いを受けた経験も一度ではないし、姉には悪いがほんの少しだけその可能性もあるかもと覚悟を決めての着任だったのが正直なところ。

 

 だというのに、だ。

 

「まさか私の方が提督さんとお話できる機会に頭を悩ませることになるなんて」

 

 実に滑稽な話ではある。

 だがそれも仕方がない。普段の提督のガードが固すぎるのだから。なにより他の娘との信頼関係が強固すぎるのだ。ごく稀に食堂に現れたりとチャンスがないわけではないが、瞬きする間に周りの席が埋まるので中々近づけない。もはや分身である。この鎮守府では残像を残す事が必修科目なのかと思うほどには皆速い。

 

 ゆえに鹿島は提督と関係を深める機会を中々掴めないでいた。

 

「こんなことなら鎮守府を案内してもらってるときにもっと積極的にお話しておけばよかったです……」

 

 いつの間にか手のひらの上で苺大福を頬張っている妖精さんのほっぺたをつつきながら鹿島は当時の事を思い出し項垂れる。

 チャンスはあった。着任当日、鎮守府案内という名目の下、大チャンスが。

 しかし当然その時はまだ提督の事を何も知らず、まだまだ警戒心も残っていた。それにまさか提督直々に鎮守府を案内されるとは誰が思おうか。しかも給金や休みの話を全て説明された後である。おかげで緊張のあまり自分が何を話したのかすら覚えておらず、挙句の果てには何もない廊下で躓いて盛大に下着を御開帳だ。どこの痴女ですか本当に。

 

 それでもまだ鼻の下でも伸ばしてくれたら救いがあったかもしれないのに、手を引かれ起こされて申し訳なさそうに話題を変えるなど気まで使われてしまったら残るのは魂が抜けた後の鹿島だった何かだけ。

 

「唯一の救いは、下着が清潔感のある白だったってことでしょうか」

「ほんとうにもんだいはそこです?」

 

 どう考えても違う。が、絶賛黒歴史から逃避行中の鹿島の耳には妖精さんの冷静なツッコミなど届かない。そのままそそくさと鹿島のスカートに潜り込み『……きょうはくろか』と呟く妖精さんにも気づかない。

 ともあれその後も何度か提督と接する機会こそあったので、なんとなく人となりは掴むことができている鹿島である。

 

 ――不器用な人、でもそれ以上に優しい人。そして何より艦娘の事を本当に大切に想ってくれてます。口数は少ないけど、聞き上手でどんな話でも最後までちゃんと聞いてくれますね。基本的にしっかりしてて大人っぽいと思います。けど誰もいない執務室でこっそりカップラーメン食べてるところを見つかって、ばつが悪そうにしてるところなんかちょっと子供っぽくて……そういうギャップも魅力かなと。あ、別に執務室を覗き見してたわけではないですよ? たまたま報告することがあって……って本当ですから! なんでそんな生温かい目で見てるんですか妖精さんっ!

 

 なんとなく、である。

 

 などなど、妖精さんの頬を引っ張る鹿島はぶっちゃけ提督に興味津々だった。

 もとより雷に勝るとも劣らない世話焼きが性分の鹿島が、基本的に他人を優先して自分の事を蔑ろにしがちな提督を前にうずうずしないわけがなかった。

 普通なら秘書艦任務である程度発散できる欲求だが、相変わらず的の外れた提督の善意により新人の鹿島はそれすらも許されていないのだからどうしようもない。

 

「初めは覚える事が多くて負担になるだろうからって……気持ちはありがたいのですけど、なんでよりにもよって秘書艦任務を……」

「どんまい」

 

 元気だせよと食べかけの大福を差し出してくる妖精さんに笑顔で礼を言って、一度顔をふるふると振った後、よしと気合を入れるように拳を握る鹿島。

 そうだ、落ち込んでばかりいられない。

 

 今は無理だとしても、秘書艦として提督のお傍に立てるときはきっと来る。その時のために前もってやるべきことはたくさんある。

 幸いにも今日は休日で、他にも自分と同じように暇を持て余している人がいるはずだ。言うなれば秘書艦としての先輩から提督の情報を仕入れておくのも提督の艦娘として必要なことではないだろうか。

 

 などと持ち前のポジティブさを発揮して、歩き出す鹿島。

 戦闘では無理でも、提督のお役に立てることがきっとあるはずなのだ。

 

「そうと決まれば早速行きましょう! 善は急げ、迷ったら進め、です!」

「よくわかりませんがおもしろいことになってきたです」

 

 などと適当なことをのたまう饅頭をよそに、とりあえずは中庭かなと鹿島は軽くなった足取りで廊下を歩いて行くのだった。

 

 

 

 

 

 澄み渡る青空にパシンパシンと何かを打ち合うような軽妙な音が響き渡る。

 視線の先には軽装姿の電と暁が。あっちにいったりこっちに行ったりとラケット片手に楽しそうに駆け回っている。そんな二人をひとしきり眺めたかと思うと、手に持っていたカップを置いて響はこちらへと視線を向けてきた。

 

「それで、鹿島さんは司令官の話が聞きたくてここまで来たのかい?」

「はい。この機会に色々とお話を聞けたらなと思って……もしかしてご迷惑でしたか?」

 

 響の吸い込まれそうな蒼色の瞳がじっとこちらを向く。どこまでも透き通る空色のような、それでいて響のミステリアスな雰囲気もあって鹿島は思わず言葉尻を萎めてしまった。ピクニック用のビニールシートの上で鹿島の視線がゆらゆらと泳ぐ。折角の第六駆逐隊の団欒のひと時にずかずかと踏み入ってきた空気の読めない新入りなんて思われていたらとても不味い。

 こういうとき姉の香取なら自然と輪に溶け込めるような会話の一つでもできるのだろうが、相手を上手く避ける方法ばかり無駄に会得してきた鹿島にそんな上級技能などない。

 

 と、一人あうあう唸る鹿島の横で、しかし響はカップに紅茶を注ぎ今日のために焼いたクッキーを幾つか添えて、穏やかな笑みと共にそれを差し出してくれた。

 

「あ、ありがとうございます」

「折角来てくれたんだし、ゆっくりしていったらいいよ。私の知ってる範囲でよければ司令官の事も教えてあげられる。それに鹿島さんに聞いてみたいこともあったしね」

「私に聞きたい事、ですか」

 

 はてそれは何だろうか、と鹿島が思考を巡らそうとするや否や、ビニールシートに落ちる影が一つ。

 

「話は聞かせてもらったわ! 鹿島さん、司令官の事ならこの雷に任せて!」

「よ、よろしくお願いします!」

「いい返事ね! ちなみに司令官は和食が好きよ! 中でもサバの味噌煮が好物みたいでよく頼んでいるわ!」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいメモを……」

 

 突然現れて貴重な情報を得意げに話すこの八重歯がチャームポイントの少女、雷の勢いに押されて慌ててメモとペンを用意する鹿島。ここまで走ってきたのか雷はやや息が荒く、どういうわけか割烹着姿に身を包んでいる。……いや、似合っているがここでその姿はどうなのだろう。

 

「遅かったね雷。それで、今日は何を手伝ってきたんだい?」

「この姿見てわからない?」

「ついにロリおかんに目覚めたのかな?」

「違うわよ。間宮さんの食堂よ食堂。今日は伊良湖さんが研修でいないから手伝ってたの。報酬として食券二千円分も貰っちゃった。いらないって言ったんだけど、対価はきちんと受け取りなさいって、だから後で五人でアイスでも食べにいきましょ。奢るわ」

「……五人?」

「勿論鹿島さんも一緒に」

 

 至極当然とも言わんばかりの雷の表情に鹿島は震えた。

 なんだろうこの圧倒的包容力は。まるで私が守ってあげるわと慈愛に包まれているような恐ろしいまでのオーラに、鹿島は思わず駄目になってしまいそうになるのを寸でのところで踏み止まることができた。気質的に同類だったから耐えられたものの、常人だったら速攻骨抜きにされているところだ。

 

「凄い……これが本部も一目置く鎮守府の艦娘の実力」

「いや、雷がこうなのは司令官と出会ったその時からだから。初めからこんなんだから」

 

 響のさらりとしたツッコミにあ、そうなんですかと少しだけ安心する鹿島。しかし良く考えてみたらそれはそれで凄いのではと思わなくも無かった。

 そこから軽く自己紹介をして、茶菓子と金剛お勧めの紅茶片手に談笑へと興じる三人。既に鹿島と二人に間に妙なぎこちなさは無く、穏やかな時間だけが過ぎていく。

 

 と、ここでいかにして司令官の世話を焼くか持論を語っていた雷が急に会話を止め、まじまじと視線を鹿島へと向け始める。

 

「それにしても改めて見ても鹿島さんって美人よね。髪の毛もふわっふわだしスタイルもいいし……正直羨ましいわ」

「うふふ、ありがとう。でも私から見れば天真爛漫で真っ直ぐなお二人の方が素敵だと思います。それに……外見だけ良くても内面を磨かなければ、繋がりはすぐに切れてしまいますから」

「? どういう意味だい?」

 

 鹿島の言葉に不思議そうに首を傾げる響。向けられる純粋な疑問の問い掛けに、鹿島は自嘲の入り交じったような苦笑と共に『自業自得なんですけど』と前置きした上で、これまでの自身が経験してきた経緯を二人に話した。

 

 本部勤めだったため周囲は常に男性ばかりだったこと。初対面の人間にお誘いを受ける事が日常茶飯事だったこと。セクハラ紛いの行為を受けたのは一度や二度ではないこと。艦娘ということでおざなりな扱いを受けたことなどなど。

 

 そのような経緯もあってか、悲しきかな鹿島は相手をあしらう事だけが上手くなってしまっていた。加えて唯一友人と言ってもいい同僚の女性にあろうことか――

 

『鹿島ってお誘い断るときなんか小悪魔的な表情するよね? あれじゃ男は誘ってると勘違いしちゃうと思うよ?』

 

 ――などとブロッコリー片手に言われた日には思わず机に頭を叩きつけてしまった程だ。なるべく相手を傷付けないよう配慮した笑顔が誘ってるなんて勘違いされたとなっては流石に救われない。

 しかし、だ。

 

「確かに鹿島さんって普通にしてても妙な色気があるわよね。なんかこう、動作一つ一つが魅惑的というか……」

「ぶっちゃけ存在がエロい」

「うわーん! 正直な意見有難うございます!」

 

 事実なのだから仕方がない。

 響のドストレートな物言いにおよよと泣き崩れる鹿島。本人は無自覚なのだろうが、腰はしなりうるうると潤む瞳でしなだれる姿はやはりどう見ても小悪魔である。同性でまだ幼い雷と響ですらごくりと喉を鳴らす圧倒的魅力……正直二人が何かに目覚めてしまってもなんらおかしくはない。

 

「で、でもほらここの司令官は外見だけで人を判断する人じゃないわ! むしろ私たち全員カボチャにでも見えてるんじゃないかってぐらい等しく平等に接してくれる人なんだから!」

「自分で言ってて涙目になるぐらいなら言わなければいいのに……それに司令官はちゃんと女性に興味あるよ。ただちょっと精神が鋼の上からウルツァイト窒化ホウ素で塗装されてるだけさ」

「そうですね……」

「だ、だだだ大丈夫よ! そんなときこそ秘書艦任務! 一日司令官と一緒にお仕事すれば嫌な思い出なんて吹き飛ぶわ!」

「ハラショー、いい提案だね雷。まずは秘書艦任務でお互いの事を知り合うといいんじゃないかな?」

「……それが私、現在提督さんのご厚意で秘書艦任務を省かれてまして……慣れない環境で大変だろうからと」

『……ああ』

 

 ずずーんと表情に影を落とす鹿島に、雷と響が遠い目で空を見上げる。

 確かにあの司令官なら言いそうだ。今でこそ秘書艦にある程度仕事を割いてくれるようになったが、もともと司令官は書類関係は何事も全て自分でやろうとしてしまうタイプ。お茶を啜ってるだけで秘書艦としての一日が終わってしまったと綾波が嘆いた話はあまりにも有名である。

 

 さてどう慰めたものかと思案する二人の横で、しかし鹿島は一度両頬をパンっと叩くと相好を崩して、

 

「でもいいんです。色々と遠回りはしましたけど、香取姉と素敵な仲間達と提督さんのいるこの鎮守府に着任できましたから。これから時間は沢山ありますし、それに――」

『……?』

「――こうして気兼ねなくお話できるお友達もできましたから、ね?」

 

 そう言ってふわりと笑う鹿島に二人も顔を見合わせて、すぐに同じように頬に笑みを浮かべる。

 なんとなく気恥ずかしい事を言ってしまった気もして少しだけ頬が熱くなる鹿島だが、悪い気は全然しない。何事も前向きに捉えられるのも鹿島の長所の一つなのだ。

 

「それはそうと、響さん。さっき私に聞きたい事があるって言ってましたけど、なんですか?」

「え? 何の話? 響?」

「聞いてもいいのかい?」

「はい、なんでもどうぞ」

 

 鹿島の許可を得て、響が至極真面目な表情で一言。

 

「どうやったらそんなに胸が大きくなるのか詳しく教えてほしい」

「ぶっ!? けほっこほっ……ちょ、ちょっと響! 突然何を……」

「何って純粋な疑問さ。素敵な大人の女性になるために聞いておいて損はないだろう?」

 

 真剣な顔で暁のようなことを言う響。言ってることはまともだが、手がわきわきしてるせいで全てが台無しです。

 

「だ、だからって聞き方ってものが……」

「そ、その話電にも聞かせてほしいのです!」

「大人のレディと言ったら暁よね! で? なんの話?」

「ちょ、ちょっと二人ともいつの間に!? 駄目よ私たちにはまだ早いわ!」

「うふふ、そうですねえ」

「鹿島さんもここで小悪魔の顔しないで! 付き合ってくれなくていいのよ!?」

 

 耳まで真っ赤な雷の必死の静止にもかかわらず、鹿島はわざとらしく人差し指をチロリと出した舌につけて意味深にウインクをパチリ。

 ふっきれた鹿島だからこそできる軽い冗談みたいなものだが、はっきり言ってふっきれすぎである。

 

「私の場合は当てはまりませんけど、友人の話では好きな人に触ってもらうと効果ありみたいですよ」

「ちょっと行ってくる!」

「響いぃぃぃぃ!」

 

 何処に行くのか今にも飛び出そうとする響に引きずられる雷。そこに電と暁と鹿島も加わって、中庭に五人の楽し気な声音が広がっていく。

 今日はとても良い日だ。そして明日はもっと良い日になる予感がする。

 

 ここに来て感じていた日々の充実感をそんな風に更に強く感じながら、鹿島はスキップ交じりの軽い足取りで四人の後についていくのだった。

 

 

 

 そんな光景を執務室の窓から眺める人物が一人。

 

「どうかしたか香取。何か嬉しそうだが」

 

 背後から名を呼ばれ、香取は何処か嬉しそうな表情のまま声の主――提督へと向き直った。

 

「いえ、窓の外から少し楽しそうな声が聞こえたので」

「そうか」

 

 香取の穏やかな微笑に提督もふっと相好を崩す。

 

「それはそうと提督」

「む?」

「そろそろ鹿島にも秘書艦任務を通じて補佐として成長してもらいたいのですが、如何でしょう?」

「ふむ……そうだな。丁度遠征の配置変更で三日後の秘書艦が空いているところだ。鹿島のスケジュールに都合が付きそうならばそこでお願いするとしよう」

「ありがとうございます。鹿島にもそのように伝えておきます。では私は本営へこの報告書を出してきますので、少々失礼します」

「ああ。頼む」

 

 丁寧な仕草でお辞儀して香取が部屋を出ていくのを見送り、提督は一人、執務机に座りながら思案する。

 

「むう……しかしいきなり書類整理や経理の仕事と言われても混乱する、か。とりあえずは温かい茶でも飲みながら、仕事の流れを覚えてもらうところから始めるとしよう」

 

 などと呟きながら、提督は残りの執務へと戻っていく。

 三日後、緊張も手伝ってひたすらお茶を飲むことしかできず、碌に提督の役にも立てず話もできなかった鹿島が部屋のベッドでうつ伏せになってふてくされているところを、同室で姉の香取が呆れた表情で練習遠洋航海に連れていく謎の事件が起こるが、それはまだ誰も知らない。

 

 




 またぼちぼち書いていけたらと思います。
 


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第五十話 提督の休日 食堂編 前編

 youtubeに無断転載ってどういう事なの……?


 

「……ふあ」

 

 着替えのために両腕をもぞもぞと動かしながら、敷波は思わず零れた欠伸を隠す様に口を右の手の平で覆った。眠い、というわけではないが、早起きした所為か身体がまだ少し重い。

 場所は食堂に隣接した従業員用更衣室。

 ちらりと壁に掛けられた時計に視線を移しても、まだ朝の五時にすら針は届いていない。よく早朝遠征に寝惚け眼でやってくる娘がいるが、その気持ちも今ならなんとなく分かるというものだ。

 

「眠たそうだね、敷波ちゃん」

 

 鏡に映った自分の顔をしかめっ面で眺めているとふいに横から声が掛けられる。しまった、見られていたのか。

 

「そりゃね。こんな時間に起きるなんて滅多にないし。そういう綾波は……なんか楽しそうじゃん」

「えへへ、そうかな」

 

 髪留めでいつものように後ろ髪を縛りながら視線だけを隣へ送ると、にへらと饅頭のような笑顔が返ってきた。何がそんなに楽しいのか、綾波は鼻歌交じりに身だしなみを整えている。くそう、ちょっと可愛いな。

 そのままデートにでも行くつもりなの? と妙に気合の入った相方に懐疑の視線を送ってみるも効果無し。やれやれと内心でため息を吐いて、敷波も目の前の鏡へと向き直る。

 

 それにしても、だ。ちょっと妙である。

 

 ――綾波ってそこまで料理好きだったっけなあ?

 

 というのも、今日の二人の任務は食堂運営の補佐だ。間宮と伊良湖が本営経由で不在となったため、その間の代役を鎮守府で募ったところ、綾波が颯爽と立候補してきたという形である。勿論敷波は巻き込まれた側だ。

 いや、まあ別にそれは良い。実際に料理をする人は他にいるみたいだし(鳳翔さんとか? 詳しい事は聞いてないけど)鎮守府のために役に立てる事はやぶさかではない。

 それよりも気になるのが綾波の様子だ。

 

 ちょっとテンション上がり過ぎじゃない?

 いくら綾波が世話好きといえど、これは当然仕事だ。加えて今日は司令官の休みの日なので警備当番以外は当然艦娘も非番。普通なら趣味に精を出したり、身体を休めたりするものではないか。実際、今までの綾波はそうだった訳だし。

 それが今や自ら進んで仕事を引き受け、尚且つ鏡の前で何度もえへえへへとにやけ饅頭化しているとは一体どういう事なのか。

 更に、

 

「……こんな気合の入ったエプロンまで買ってきてるし」

 

 壁に掛けられた一着のエプロン。派手すぎず薄桃色の生地にふわりとフリルのついた料理用エプロン。ワンポイントで右胸にリボンがあしらわれているのが良いのだという、綾波がこの日のために自腹で購入した一品だ。

 

「そりゃ確かに綾波にはぴったりだとおもうけどさ」

 

 問題はその横に色が薄い青色に変わっただけの全く同じエプロンが掛けられている事だ。しかもでかでかと『敷波ちゃん用』と書かれた用紙が張られているのが実に恥ずかしい。

 

「……私には絶対似合わないってのに」

 

 自分が地味で可愛げのない性格なのはよく分かっている。綾波とお互いに他の娘からは頬の柔らかさが奇跡なんて同じように褒められたりするけど、綾波には愛嬌がある。嫉妬とか卑屈とかそうじゃなく純粋にそれは彼女の良いところだと思うし、人を引き付ける魅力みたいなものだとも思う。

 要はちょっとだけ怖いのだ、こういう可愛らしいものが似合わない自分を見るのが。ちょっとだけ。

 

「…………」

 

 エプロン装着、姿見で確認……うん、似合ってない……ことはない……のかな?

 姿見で確認したエプロン姿は意外にもそんなに悪くないように見えた。まあ服装における自己判断なんて一週間後の天気予報ぐらい当てにならないものだけどさ。

 

「ふわあ~! し、敷波ちゃんカワイイ~!」

「ちょ、ちょっと綾波! 急に抱きついてこないでってば!」

「ね、敷波ちゃん写真とろ! 写真!」

「ヤダよっ! に、似合ってないし」

 

 ぼそりと呟いた言葉に綾波が『何言ってんだこいつ?』みたいな呆れた表情を投げかけて来る。なんでさ?

 予想通り綾波のエプロン姿は調和していると言っていい程様になっていて比較されても仕方ないと思うけど、その顔はそれはそれで腹が立つ。

 

「敷波ちゃんは馬鹿なの?」

「な、なんでさっ」

「こんなに可愛いのに似合ってないなんて言ったらそれこそエプロン作った人に失礼だよっ! ほらもう一回ちゃんと見て!」

「う……うええ?」

 

 綾波に強引に姿見の前に立たされ、改めて自分の全体像が鏡に映る。特徴の無い目鼻立ちに無造作に束ねられただけの髪、凹凸の無い身体はまあこれからと希望的観測を持ってもしかし地味だ。一応メイクの方法とか愛宕さんに聞いたり鳳翔さんの立ち居振る舞いをこっそり真似したりしてるんだけどなあ。

 そんな風にじっくり自分の全体像を眺めていると、なんだか恥ずかしくなってきて、敷波は半ば逃げるように綾波から離れた。

 

「エプロンが素敵なのは分かった! 分かったから!」

「ええー……」

 

 なおも不満そうな綾波。やっぱり今日の綾波ちょっと変だ。これはもう早々に仕事を始めた方が良い。そうなれば綾波も少しは落ち着くだろう。

 

「と、とにかくもう時間だし私は先に準備してるから」

「あ、敷波ちゃん! 髪がちょっと乱れてるから直してからの方が……」

 

 半ば早足で調理場への道までの角を曲がり最短ルートで扉へと向かう。

 途中後ろから綾波の焦ったような声が聞こえてきたが、その手には喰うもんかとずんずんと歩は緩めない。大体多少髪が乱れていたところで誰に見られる訳でもない。こんな早朝に食堂に来る人なんてほとんどいないし、大丈夫何も問題はない。

 

 などと自分で自分の思考を纏め切れないまま、敷波は調理場への引き戸に手を掛け、思いっきり引いた。

 一拍遅れて調理場を包む暖かい空気に触れ、ふと人の気配を感じる。もう誰かいるのかなと顔を上げた視線の先で先に来ていたであろう人物とぱっちり目が合い――

 

 

 ――そこで敷波の思考が止まった。

 

 

「む、早いな。おはよう敷波」

「お、おひゃ!」

 

 ようとは口から出てくれなかった。

 目の前の人物は敷波の反応に違和感を感じたのか、不思議そうに(と言っても表情に然程変化はないが)小さく首を傾げた。

 

「どうかしたか?」

「お……お……おおは」

 

 予想外すぎる展開に敷波の脳がおはようすら認識してくれない。なんで、なんでこんなところに司令官がいるのさっ! しかも普段は絶対見れないエプ、エプロン姿でっ! うわ、うわあ黒一色の飾り気のないエプロン姿だけど凄い似合ってるし写真とってもらえるかなって違ううわわわどうしよう!

 

 とそこで敷波は司令官の視線が自分のある一部分に注がれている事に気が付いてしまう。

 

 ――確か数十秒前、綾波は自分になんと言った?

 

「…………」

 

 ギギギと、まるで壊れたロボットの様な動きで敷波はステンレス製の台に映った自分の顔を見た。正確に言うと、ぼっさぼさにあっちこっち跳ねた無造作ヘアーもいいとこの自分の髪を。

 女子力、差分マイナスである。

 

「ち、ちがっ! これは……ちがっ」

「ふむ。普段しっかりしている敷波の意外な一面が見れるとは、新鮮だな」

「かはっ!」

 

 敷波大破。否、司令官に笑われてしまった。

 勿論意味合い的には微笑ましい程度の物であり、司令官的にはむしろ敷波に対する親しみが増加したわけではあるが、動機がバンブービートしてはち切れそうな今の敷波が気づけるはずもなく。

 

「…………」

「えへ、ごめんね敷波ちゃん。サプライズになるかなと思って」

 

 耳元からは遅れてやってきたてへぺろ姿の綾波の悪戯がばれた子供のような謝罪が聞こえていた。てへぺろっじゃないよもう!

 

 

 

 

 

「というわけで、今日は私たち三人で食堂を切り盛りするために集まってもらったんだが」

 

 あの後、なんとか落ち着いた敷波は綾波と共に司令官から改めて今日の仕事に関する説明を受けていた。綾波には今度スイーツバイキングの埋め合わせをするという事で先ほどの横暴を許してあげた。敷波さんは心が広いのである。

 

「ん、大体分かった」

「私たちは司令官のお手伝いさんですね! 頑張ります!」

「ああ、よろしく頼む」

 

 司令官に頼られてすこぶる上機嫌の綾波。こうやって見るとなるほどこれまでの綾波の全ての行動に合点がいく。ともすれば司令官と一日を共に過ごせるのだ。多少浮かれても仕方がない。まあアタシは別にそんなでもないけど……別に。

 

「ところでさ、司令官って料理得意なの?」

「得意というほどでもないな。昔は自炊していたが凝ったものは作れない。だから皆には悪いが今日だけは私の可能な範囲のメニューで我慢してもらうしかないな」

 

 目の前に並べられた簡易メニュー表には十種類に満たない程度の料理名が書かれている。炒飯やオムライスなど比較的簡単に作れるものが大半だが、一日程度ならば十分なレパートリーだ。それに今日は結構な数の艦娘が間宮達同様本営に出向いているため、食堂を利用する者も比較的少ない。

 

「でもさ、だったらなんで司令官が休日返上してまで来てくれたのさ? 今日は人数も少ないし、予算的にも外部から何か頼んでも良かったんじゃないの?」

「ああ、確かに……」

 

 それでも良いと初めは思ったんだが、と司令官は何処か気恥ずかしそうに後ろ髪を掻いた。その様子を頻りに破顔したまま写真に収めている綾波はこの際置いておくとして。いつも落ち着いている司令官にしては珍しい表情だ。ちょっと気になるかも。

 

 少しして、司令官は呟くように、でもはっきりと聞こえる声で問いの答えを口にした。

 

「毎日時間と手間を掛けて食事を作ってくれる人達がいて、その人達が不在になった途端、外部で簡単に済ませてしまうのは何か彼女たちに失礼な気がしてな」

 

 考えすぎかもしれんがと苦笑する司令官の姿はなんというかこう、胸の奥をくすぐられる様な感覚がした。こうやって見ると司令官も出会った頃とはだいぶ変わったような気がする。優しいのは昔からだけど、前より笑ってくれるようになったのは凄く嬉しい。

 

「司令官って変わってるね」

「むう……やっぱり変か?」

「ううん、アタシは凄く良いと思う。司令官のそういうところ……嫌いじゃない」

 

 す、と喉元まで出かけてなんとか飲み込んだ。意味合い的には言っても別に良かったかもしれないけど……いつも綾波に素直じゃないと言われるのは多分こういうところなんだろう。……だってなんか恥ずかしいし。

 

「司令官! 綾波もこれからもっと頑張ります!」

「ああ、期待している」

「や~りま~した~!」

 

 出た! 司令官の必殺駆逐艦殺しなでなで! これに掛かった駆逐艦は否応なしに骨抜きにされるという一部素直になれない界隈では非常に恐れられている技だ! きっと手から何か出てる、癒しのオーラとか何か。

 なお軽巡以上の艦娘には司令官が特にスキンシップを控えようとするため、しばしば駆逐艦とお姉さま方との間に自慢と嫉妬渦巻く低次元な争いが勃発しているのだが、勿論司令官は知らない。

 

「敷波にも期待してるぞ」

「はっ!? あ、アタシは別に……頑張るけど」

 

 不意に頭にポンと手を置かれ、一気に体温が上昇するのを自覚する。凄く顔が熱い。きっと今アタシは耳まで赤くなっているに違いない。不意打ちとは卑怯なり。

 隣では綾波がすっごい腹立つ顔でにやにやしながら写真を撮っていた。後であのカメラ窓から捨てよう。

 

「それじゃそろそろ下ごしらえに入るとしよう」

「はーい!」

「ん、分かった」

 

 司令官の言葉に合わせて綾波と同時に席を立つ。一度深呼吸をして乱れた動機を落ち着かせる。補助と言っても軽い気持ちで臨んでは思わぬ事故につながる可能性がある。

 司令官の迷惑にならないためにも集中して仕事に取り組まないと。

 

「それはそうと敷波ちゃん」

「ん、なに?」

 

 と、そこで隣の綾波がふいに耳打ちしてきたので、耳を傾ける。

 そんな綾波は実に楽しそうな表情で、

 

「司令官の好きな色、海と同じ青だって。良かったね敷波ちゃん」

「な、ななな」

 

 それだけを告げて、食材の保管してある冷蔵庫へと向かっていく。

 おかげで落ち着くまでに更に三十分掛かり、更に更にギクシャクした動きの敷波に勘違いした司令官とひと悶着も加えて、結局敷波が集中できたのは調理開始して一時間が経過したころだった。

 

 ……同時に敷波の中で綾波のスイーツバイキング奢りの日程が密かに二日に増えた事はまだ誰も知らない。

 



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第五十一話 提督の休日 食堂編 中編

 後編だと思った? 残念中編でした!


 

 調理が始まった。

 

 司令官が腕を捻る度、鉄製の鍋からジュッジュッと小気味良い音が調理場に響き渡る。同時に、食材に含まれていた水気と熱せられた油分が蒸気となって部屋の温度をぐんぐん上げていく。

 頬が熱い。

 隣から流れて来る熱気を肌で受けながら、敷波は背中にじわりと汗が滲むのを感じる。野菜を洗って皮を剝いているだけでこれだ。直接火と相対している司令官はきっとこの比ではないのだろう。

 

「むう……少し濃い、か?」

 

 だというのに、司令官は涼し気な表情で料理の味付けに首を捻っていた。器具の稼働確認も含めた試作用の調理が始まってまだ三十分程度だが、随分と慣れた様子である。

 

 ――料理はあまり得意じゃないって言ってたけど……。

 

 改めて見てもそんな風には思えない。少なくとも今の司令官はある程度料理の経験がある人の動き方だ。器具の扱いにしろ食材の処理にしろ、一つひとつに迷いがない。

 普段の軍服とは違い、エプロン姿というのもあるのだろうか。何処かこう新鮮で……うん、なんかグッとくる。

 

「どうだ敷波、少しは慣れたか?」

「あ、う、うん」

 

 なんて言ってる場合ではなかった。

 手元が止まっている事を終わったと思ったのか、司令官が敷波の横に置いてあったザルの中から皮の剝けたジャガイモを一つ取り出してしげしげと眺め始める。

 なんだろう、妙に恥ずかしいな。

 

「うむ、初めてにしては上手く剝けているな」

「いいよ別に……無理に褒めてくれなくて」

 

 司令官の評価に、敷波は気恥ずかしそうに口を尖らせる。

 それもそのはず、ザルの中の食材はどれもデコボコと不揃いで、どう見ても皮と一緒に身までこそげ落ちてしまっていた。当社比約二十パーセントオフ、間宮が見たら一時間は説教されてしまいそうな出来である。

 

 食材の水気を切りながら敷波は一人ぐぬぬと唸る。

 侮っていた、皮剥きを。最初に見本として実演してくれた司令官がするすると簡単そうに剝いていたから案外簡単なのかなとか思ってたけどとんでもない。

 

「人参などの凹凸の少ない食材はともかく、ジャガイモの皮剥きは少しコツがいるからな」

「司令官があんなに簡単そうにやるからだろー……あんなの詐欺だよー」

「敷波も少し練習すればあの程度、すぐにできるようになる」

「嘘だあ! アタシの不器用さを舐めんなよー!」

 

 だって硬いのだ。

 おまけに形が真っ直ぐじゃないからピーラーの刃が上手く引っ掛かってくれないし、力の入れ具合がいまいち良く分からない。かと言って力任せに強引にやると身まで一緒に剝いてしまう。

 そうこうしている内に、ご覧のあり様だ。我ながら不器用にも程がある。

 

「私も最初は凄く苦手だった。初めから上手くできる人なんていないし、要は慣れ、だな」

「それって習うより慣れろってやつ?」

「そうだな」

 

 要は練習しろ、とそういう事だろう。

 気を取り直して目の前に置かれたナスを手に取りながら、敷波は作業を再開する。さり気なく皮を剥きやすいナスを選んでくれる辺りに司令官の気遣いを感じられて、ちょっとだけ嬉しい。

 それにしてもやはりどうしても気になることがある。

 

「ねえ司令官、一つ聞いてもいい?」

「む、どうした?」

 

 卵をボウルで小気味良く溶いている司令官の動きは相変わらず滑らかだ。そのまま作業の邪魔にならない程度に会話を続けてみる。

 

「いやさ、さっき料理は得意じゃないって言ってたじゃん。でも、今の司令官見てたらとてもそうは思えなくて……どこかで料理習ってたりしてたのかなーって」

「……ああ」

 

 言うと、司令官は言葉を選ぶように一拍置いた後、何気ない口調で問いに答えてくれた。

 

「父の友人に食事処を営んでいる人がいてな。馴染みの店とあって軍学校に入るまで良く利用させてもらってたんだが、そこで少しの間、料理を教えてもらえる機会があってな」

「それってもしかして、少し前に赤城さんと加賀さんが連れて行って貰ったって話題になって……」

 

 その後暴動が起きた、と続けようとして敷波は止めた。司令官の良い思い出は良い思い出のまま残しておかなければいけない。嫉妬にまみれて加賀のカレーにとうがらしを仕込むとある部下の話などで塗り潰して良いものではないのだ。まあ全ては瑞鶴を無駄に煽った加賀が元凶なのだが。

 

「……話題? まあ、二人以外にもその後何人か一緒に行ったが……庄司さんという愛想は悪いが、とても料理に情熱を持っている人がやっている良い店だよ」

「ふーん、そうだったんだ」

「あの人は他人に教えるって柄ではなかったから、半分以上は私が勝手に作業していただけだったが。それでも時折もらえるアドバイスが嬉しくて、あの頃は夢中で鍋を振っていたよ」

「だからこんなに手際がいいんだ」

「レパートリーは増えなかったがな」

 

 そんな風に苦笑する司令官は何処か楽し気で、少し嬉しそうにも見えた。

 ここで連れて行ってと言えば、自分も連れて行ってもらえるのだろうか。そんな事を一瞬考えて、敷波はいやいやと頭を振る。それは流石に我儘が過ぎるし、第一、自分と一緒に行ったところで司令官は楽しくないだろう。

 少しだけ、というか結構残念だが、まあ仕方がない。

 それより今はナスだ。とにかく目の前のナスに集中しなければ――

 

「そうだな。いい機会だし、近い内に敷波も一緒に行ってみるか?」

「ほえあっ!?」

 

 ――握ったナスが高速回転しながら何処かへ飛んで行った。……びっくりして変な声出しちゃった。

 

「え……いいの?」

「ああ、庄司さんも喜ぶ。気兼ねなく行きたいのなら綾波と二人で行けるよう手配するが」

「ううん、司令官も一緒に……司令官と一緒に行く」

「……では私と敷波と綾波、三人で行くとしよう」

 

 司令官と一緒――その言葉に敷波の頬が緩む。

 職業柄、日々忙しい司令官と仕事や任務以外で一緒の時間を過ごせる事は滅多にない。加えて、基本的に艦娘側からの休日の司令官への約束の取り付けは艦娘同盟により禁止されてしまっている。そうしなければならない理由は……まあお察しの通りだ。放っておいたら司令官の休日が休日じゃなくなってしまう。

 一時期、一部の艦娘の嘆願書提出による論議の末、当日偶然出会った場合のみお誘い可という緩和政策が取られたが、前日の内に司令室前に夏場のキャンプ会場並みのテントが無数に出没したため即刻取り下げられた。嘆願書提出より僅か三日の事であった。

 ちなみに当然司令官には何も知らされていない。

 

 ――だって司令官の事だから、絶対お誘い断らなさそうだもんなあ。

 

 司令官の休日は、司令官のためにある。その中には身体を休めてもらう事も当然入っている。

 なので艦娘側としては司令官の方から誘ってくれるのをただ祈って待つしかない。問題があるとすれば艦娘のお誘いは断らないのに、自分からは滅多に誘ってくれない司令官の気質だ。最近は少しずつ改善されてきてるみたいだけど、その分こっちの期待感も鰻登りでそろそろ皆の欲望が爆発してしまいそうだと秘書統括の大淀が頭を抱えていたり。

 まあそんな現状なんだ。少しぐらい浮かれても全然おかしくはない……きっと、うん。

 

「日時は追って相談するとしよう。連絡は敷波に入れればいいか?」

「あ、うん。任務以外の時は基本暇してるからいつでも」

 

 とっさに口に出た言葉に司令官は『分かった』と一言口にして、一度火を止め食材を取りに行くために冷凍室へと消えていった。それを確認してから、敷波は『やった』と小さく拳を握りしめた。

 

「……へへっ!」

 

 自然と笑みが零れる。今日は良い日だ、と鼻歌交じりにそんな単純なことを考えてしまう。そのまま司令官が戻ってくる前に皮剥きを終わらせておこうと姿勢を正し、ふと前を向いたところで――

 

「……ぶー、敷波ちゃん楽しそうだね」

「うわあ! びっくりしたー!」

 

 ――洗い物を終えた綾波が棚の隙間から不満そうに頬を膨らませてこちらを見ていた。一体いつからそこにいたんだろう。

 

「な、なんだよー、脅かすなよー。終わったなら声かけてくれよー」

「本当に? 本当に声かけて良かったの?」

「……な、何が言いたいのさ」

「べっつにー」

 

 べーと子供っぽく舌を出しながら隣で一緒に皮を剥き始める綾波。

 本当にどこから見られていたのか。いや、別にやましい話をしていた訳ではないのだから気にする必要もないんだけど。

 

「それで、どんなお話してたの?」

 

 ナスの皮をすいすいと剥きながらの綾波の質問に、敷波はちょっとだけ照れたような憮然とした表情で質問の答えを口にする。

 

「……今度、司令官がご飯連れて行ってくれるって」

「ほえあっ!?」

 

 綾波の間抜けな声と共に本日二度目のナスの逃避行。なるほどさっきのアタシはこんな顔をしていたのか。

 

「そ、それはまことの話にございますか?」

「なんか口調が変だよ……まあ、気持ちは分かるけど。司令官がさ、誘ってくれたんだ。ほら前に加賀さんと赤城さんが食堂で話してくれたとこ」

「うわあやったあ! それにしても司令官に誘ってもらえるなんて流石は敷波ちゃんだね!」

「ま、まあね」

 

 綾波に抱き付かれながら、へへんと鼻を鳴らす敷波。

 実際のところ単に司令官が気を使ってくれたのと運が良かっただけのような気もするが、わざわざ言う必要もないだろう。誘ってもらえたという結果が大事なのだ、うん。

 

「えへへ、楽しみだなあ。そうと決まれば敷波ちゃん! 今度のお休み一緒にお洋服買いに行こう!」

「ええ……いいよそんなの。どうせ似合わないし……」

「そうと決まれば早速スケジュール考えないと。ああー楽しみだなあ、司令官と敷波ちゃんと一緒のごっはん~ごっはん~」

 

 この娘もはや聞く耳持たずといった感じである。

 

 若干暴走気味な相方を前に敷波は呆れるように深々とため息を吐いた。

 ……しかし確かに、綾波の言っている事も分かると言えば分かる。司令官の馴染みの店と言えど、外食は外食だ。一般的なマナーとして、最低限失礼に当たらない服装を整える事は必要になってくる。

 

「…………まあ、変な格好で行って司令官を困らせるのは嫌だし」

 

 決して何かを期待しての事では無い……けど、服はちょっと見に行ってみよう、かな。

 

「あれ? 敷波ちゃん、顔が赤いよ? 大丈夫?」

「な、なんでもないから!」

 

 不思議そうに顔を覗き込んでくる綾波に慌てて否定の言葉を挟みつつ、敷波は逸る心臓を抑えるように次のナスへと手を伸ばした。

 

 

 

 

「ねえ、いい加減元気出してよ不知火」

「……不知火は別にいつも通りですが?」

 

 そんな風に返されて、陽炎は本日何度目かのため息を盛大に吐いた。

 隣ではとぼとぼと鎮守府の廊下を歩く死んだ魚のような目をした不知火が一人。先ほど、無人の司令室を出てからここまでずっとこの調子だ。

 

「あのさ、司令官がいなくて残念だったのは分かるけどいい加減立ち直ってよ。折角の休みなのに不知火が沈んでばっかじゃこっちも楽しめないじゃない」

「……不知火に何か落ち度でも?」

「……こっわ。気落ちした瞳にもともとの眼力も相まって迫力倍増ね。アンタそんなんだから皆に『眼力だけは戦艦級』なんて揶揄われるのよ」

「……ぬい」

 

 思うところがあるのか一瞬険しい表情を顔に浮かべ、しかしすぐに肩を落として項垂れる不知火。彼女のチャームポイントの一つでもある束ねられた後髪も、今は叱られた犬の尻尾のように力無く揺れている。

 

「……このダメぬいめ」

 

 これはもう暫くは駄目だなと、陽炎は嘆息露に壁にある窓の外へと視線を向けた。

 

 

 事の発端は陽炎の些細な発言にあった。

 

 ――休みで暇だし司令官の部屋にでもいってみる?

 

 朝起きて同部屋の不知火と一緒に顔を洗ってる時に何とはなしに出た言葉。今思えばこのお誘いが全ての元凶のような気がしないでもないが、それは結果論なのでこの際置いておく。

 別に何かお誘いするでもなくただちょっと雑談でも、と思っただけなので同盟にも違反しない……と思う。

 ただ、問題は司令官が部屋に居なかったことだ。

 

「まあ、お休みだし居なくてもおかしくはないんだけど」

 

 だが、少し疑問も残る。

 司令官は鎮守府を離れる際、基本的に誰かに所在を伝える事を忘れない。休日にしろ急な要請にしろ、必ず誰かに伝えるか、書置きを残していく事が常だ。艦娘側も誰も司令官の居場所を知らないというのは突発的事態に対応できなくなる危険性があるため、当然と言えば当然の対応だ。

 しかし今回はそれが無かった。

 

「司令は何処に行かれたのでしょう」

 

 とぼとぼと歩く不知火の声音にも少しだけ不安の色がうかがえる。

 気持ちは分かる。だが、探そうにも当てがない上、ただでさえ窮屈な司令官のプライベートをこれ以上邪魔してしまうのは流石に申し訳ない。

 なにより他の誰かが居場所を知っているかもしれないし、そもそも鎮守府の何処かにいる可能性の方が高い、とそう結論付けて陽炎は明るい表情で不知火へと向き直った。

 

「ま、あの人の事だから問題ないでしょ。ほらいつまでも落ち込んでないで、とりあえず何処か落ち着ける場所で今日の予定を組み直すわよ」

 

 すると、不知火はむっとした表情で、

 

「さっきから不知火ばかりダメな子扱いされてますが、人がいない今が司令と親密になれる大チャンスなどという甘言で不知火を誘惑してきたのはどこの誰ですか」

「うっ……」

 

 痛いところを指された陽炎の表情が絶妙に歪む。焦ったり緊張したりした時に右手で括った髪の先をくるくると弄り出すのは陽炎のいつもの癖だ。

 

「やれやれそんなのだから陽炎は司令の前で素直になれないのですよ。去年のバレンタインデーの時だって――」

「う、うっさいわねっ! あんたにだけは言われたくないわよこの司令官専用むっつりスケベ!」

「なっ……!? し、不知火がむっつりだなどと何を根拠にっ……陽炎の方こそ司令のお傍にいるときいつも不用意にべたべたと距離感が近すぎではないですか!?」

「あ、あれは単なるスキンシップだからっ! ってか清掃中に男性用脱衣所でたまたま手に入れた司令官の脱ぎたてほかほか生Tシャツでくんかくんかハスハスする変態むっつり不知火に言われる筋合いは――」

「ああああああああああああああああああああ!」

 

 焚き付けられた火種はお互いの煽りの風を受けて、渦巻くように燃え上がっていく。

 どっちもどっち、五十歩百歩、どんぐりの背比べ等々、今の二人を見たら誰もが口を揃えて呆れる状況ではあるが、本人たちは至極真面目に喧嘩しているのだから仕方がない。

 

 そのまま取っ組み合い引っかき合い、一頻り暴れ合った後お互いにプスプスと燃え尽きて鎮守府の廊下にごろりと転がった

 

「ハア……ハア……止めましょう陽炎。これ以上はお互いの精神が崩壊しかねません」

「ぜえ……ぜえ……そうね。このままじゃ自分の醜い部分を全て目の前に晒されかねないわ」

 

 荒い息も絶え絶えに、休戦協定を結ぶ二人。

 身体を動かしたことで頭も冷えたのか、乱れた前髪をかき上げながら陽炎はむくりと上半身を起こした。

 

「身体動かしたらお腹空いちゃった。不知火は?」

「そうですね、空腹もありますが、まずは何か飲みたい気分です」

「じゃ決まりね。そう言えば今日って食堂空いてるのかしら?」

 

 不知火の返事も漫ろに、二人は衣服についた埃を払いながら立ち上がる。

 

「ま、行ってみれば分かるわね」

「はい。では早速向かいましょう」

 

 そうお互いに頷き合い、二人は揃って食堂のある方向へと歩き出した。

 




 お久しぶりです。
 間が空いてしまっているので既に忘れられてそうですが、まだ読んで下さっている方にはお礼をば。

 未だに多くの感想を頂けているようで凄く嬉しいです。
 一人ひとり返信ができず申し訳ありません。が、頂いた感想は全部きちんと目を通して今後の参考にさせて頂いています。

 もう少し更新ペースを上げれるように頑張ります。
 ではまた次話で。


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第五十二話 提督の休日 食堂編 後編

 待たせたな! え? 待ってない?

 冗談です、すいません。
 また細々と更新していきます。


 

 まるで鉄火場の如き喧騒を見せる食堂内の厨房で料理の盛り付け用の皿を用意しながら、敷波は思う。

 

「あやなみさんにばんとごばんとはちばんのてーぶるからごちゅうもんです。ちゃーはんはおおもり、ぱすたはにんにくぬき、おむらいすはけちゃっぷでていとくさんのはーとまーくをごしょもうです」

「は、はひっ! ちょ、ちょっと待ってくださいぃ!」

 

 どうしてこうなった。

 

「並んでくださーい! 注文待機列は二列でお願いしまーす! あっ、横からの写真撮影は混雑の原因になりますので禁止でーす! って青葉さん司令官の撮影も禁止ですっ!」

 

 受付兼カウンターの方では綾波がばたばたと走り回っては目をぐるぐるさせているのが見える。そしてその後ろに見える長蛇の列。今日は既に半数以上が出払っている筈なのに、いったいどこから湧いてきたのか。

 

「かんみはあるですか?」

「ていとくさんのかんみにわがこうしょうはんのきたいもうなぎのぼり」

「こうしょうはんぜんいんできたですか?」

「ざっつらいと」

「あとでにゅうきょはんもくるかと」

「どひゃー」

 

 綾波の隣では妖精さんが妖精さん相手に注文を取っては騒いでいる。ちなみに今手伝ってくれているのは主に間宮さんや鳳翔さんの店で働いている『おみせはん』だそうだ。

 

「敷波、すまないが皿を二枚とってくれないか」

「あ、うん。えと、大きいのでいい?」

「ああ」

 

 言われて、並べてあった皿から大きめのサイズを二枚選んで司令官に手渡す。司令官はそれを片手に、先ほどまで振っていた中華鍋から炒飯を綺麗に盛り付けていく。同時並行でパスタの茹で加減とオムライス用の玉ねぎの炒め具合の確認も忘れない。

 

「炒飯二人前上がりだ。よろしく頼む」

「おおせのままにー」

 

 そうして並べられた料理を配膳役の妖精さんが流れるように運んでいく。その姿がホールに消えていくのを確認しつつ、司令官は休むことなく次の作業へと取り掛かっていく。

 同じように敷波も次の皿を準備しながら、さりげなく視線だけを傾ける。

 

 ――司令官、大変そうだな……。

 

 見れば、彼の額からは汗が滲んでいた。当然だ、調理が本格化し、使用する機材も増え、調理場の温度は更に上がった。加えてこの忙しさだ、大変じゃない訳がない。

 

 そして更にその奥、四隅の一角に備え付けられた食器洗い場から響いてくる喧騒を加えれば、此処は今まさに戦場か。

 

「遅いですよ陽炎。このままでは需要に供給が間に合わず洗い物が溜まる一方です」

「うっさいわね! 元はと言えばアンタが折角作ってくれた司令官の料理の写真を皆が見れる鎮守府掲示板なんかに携帯で堂々とUPなんかするからでしょ!?」

「既に200リツイートです」

「やかましいッ! ああ……浮かれて柄にも無くピースなんかしちゃって写真に写ってしまった自分を呪いたい」

「やれやれ陽炎は全く……本日出向いている方々からもこんなに沢山の応援の声を頂いていると言うのに」

「全部短文で『は?』とか『お?』とか真顔スタンプばっかりじゃない! ってゲェッ!? 黒潮が直接私宛にDM送ってきてる!?」

「おや? 大和さんのこの『なん$くぇ%&羨ty死』とは……新手の祝辞ですかね。む? 直後の武蔵さんの『姉上が本営から脱走した! 逃げろッ!』というのは……?」

「総員退避ッ!」

 

 ……本当にどうしてこうなってしまったのか。

 

 事の発端は少し前に遡る。

 

 

 

 

「あれ、敷波? 何してんのこんなところで」

 

 カウンター周りを拭き掃除していると、声を掛けられた。顔を上げると見慣れた姿の少女が二人、小さく手を上げながらこちらに歩いてきていた。陽炎と不知火、同じ駆逐寮仲間で敷波も良く知る二人である。

 彼女たちに見えるようにこちらも同じように軽く手を上げて応える。

 

「ん、ちょっとね。今日間宮さんも伊良湖さんもいないから、そのヘルプ。二人は今からお出かけ?」

「いや、既に予定は崩れ去ったというか、出鼻を挫かれたというか」

「なに? どういう意味さ?」

「しいて言うなら、前日から楽しみにしてた遊園地に意気揚々と出かけたら休園日だった……そんな感じに近い、かな」

「……?」

 

 言葉の意味が分からず『何言ってんの?』と訝し気な視線を敷波に向けられ、陽炎はぽりぽりと頬を掻いてごにょごにょと何かを呟いている。

 何か妙である。妙であるが、こういった場合関わると大概碌な事がないのでこの場はそこまでに留めて、敷波は不知火の方へと向き直った。

 

「つまり敷波がヘルプに入っているということは今日も食堂は開いているという事ですか?」

「一応ね。人数少ないし、料理できる人が一人だから凝ったものは出せないけど……はい、これメニュー表」

 

 軽く説明して、前もって司令官が用意していたラミネートされたメニュー表を手渡す。模様も何もない用紙に、達筆で料理名だけがつらつらと書かれた簡素な作りが実に司令官らしい。

 

「へえ、それでも結構な種類あるじゃない」

「そりゃまあ、司……今日の料理担当の人は結構な料理経験者だし」

「料理の幅も広いですね。和洋中と一通り揃ってます」

「昔、実際にお店で働いていた経験があるって本人は言ってたから」

 

 敷波の説明に、二人は『ほー』と感心しながらメニューを眺めている。

 別に司令官については隠すような事ではない気もするけど、言ったら言ったで何か騒ぎが起きそうなのでとりあえず伏せておく事にした。

 

 例えどんな些細な事であっても、司令官が絡めば国家事変の如く騒げるのが此処の住人だ。駆逐艦娘の間で司令官に頭を撫でてもらった時間の長さで抗争が起きたのも、軽巡重巡娘の間で司令官の趣味は足だ脇だおっぱいだなどと抗争が起きたのも、空母戦艦娘の間でゼクシィとひよこクラブのどちらを定期購読すべきかで抗争が起きたのも、その隙に潜水艦娘が司令官のベッドに急速潜航して美味しいところを持って行ったのも全て事実なだけに、油断は許されない。

 慢心ダメ、絶対。

 ちなみに理由を知らず艦娘の仲が険悪だと勘違いした司令官に相談を受けた鳳翔と鹿島が、その後お礼として食事に連れて行って貰っていたりしている件については日頃の行いの差だとだけ言っておく。

 

「でもさ、うちの鎮守府にそんな経緯を持った人なんていたっけ?」

 

 メニュー片手に案の定、陽炎がはて、と疑問符を浮かべ始める。司令官との約束の件もあるだけに、変なトラブルには特に注意しなければいけない。

 

「敷波は知っているんですよね?」

「知ってるけどプライバシーに関わるからノーコメントで」

「えー、いいじゃない減るものじゃないし。こんな可愛らしいエプロンまで着ちゃってこのこの」

「にゃ、にゃんでほっへはひゅまむのさぁ」

 

 そんな風に敷波のもちもちほっぺを一頻り弄繰り回した後、陽炎はしぶしぶと言った感じで追及を諦めて、再度メニュー表へと視線を落とした。

 

「でもさ、これを一人で作れちゃうんだから、やっぱり料理人って凄いわよね」

 

 ――いや、料理人じゃないし。

 

「なんだかデザート系のラインナップと種類の豊富さに並々ならぬこだわりを感じます。そこから推測するに、本職はパティシエの方だと不知火は期待します」

 

 ――本職はあたし達の司令官だよ。まあ甘いものは好きみたいだけどさ。

 

 勝手に盛り上がる二人を他所に、内心でツッコミを入れる敷波。当然口には出さないが、自分しか知らない司令官の秘密と考えるとなんだかちょっぴり優越感だ。

 

「しきなみさんしきなみさん」

 

 そんな事をむふふんと考えていると耳元で名前を呼ぶ声が。

 振り返ると妖精さんが出来立ての餡かけ炒飯の盛られたお皿を両手一杯に、こちらに差し出してきていた。

 

「どうしたのそれ?」

「かたならしがてらのしさくひんですー。ていとくさんからしきなみさんにもおさしあげー」

「あ、ありがと」

 

 言われて、差し出されたそれを受け取る。

 どうやら試運転も兼ねて、司令官が気を利かせて一品作ってくれたらしい。

 

 ほかほかと出来立てらしく湯気を上げる餡かけ炒飯。とろみのついた餡に香ばしいスパイスの匂いが鼻孔をくすぐり、朝食を食べていない事もあって思わずゴクリと喉が鳴る。

 

「うわっすごい良い匂い! なになに食べていいの?」

「ちょ、ちょっと! これはアタシのだから!」

「敷波一人でこれを食べるのは些かカロリー的にあれかと。という事はつまりここは不知火の出番ですね?」

「凄い真面目な顔で意味不明な事言わないでくれない?」

 

 どこから調達したのかスプーン片手ににじり寄ってくる二人から慌てて距離を取る。

 別に一口くらい良い気はするけれど、何かこう司令官が自分のために作ってくれた物と思うと妙に独り占めしたくなってしまうのは何故なのか。

 

 と、そんな事を悶々と考えていた所為だろう、だから敷波は気が付かなかった――。

 

 ――厨房の奥から誰かがこちらに近づいてきていた事を。

 

「敷波、味の方はどうだ? 一応濃くなりすぎないように――む?」

 

 瞬間的に敷波の口から“あっ”と漏れたのと、ポニテ&ツインテ姉妹が現れた人物を視界に収めたのは、当然ながらほぼ同じタイミングだった

 

「……ほ?」

「……んぇ?」

 

 隣から漏れ聞こえる間の抜けた声音を他所に、敷波は思わず“しまった”と言わんばかりに右手で顔を覆った。指の隙間からはこんな状況でも冷静にふむ、と顎に手を当てて場の把握に努める司令官の姿。きっとまた至極真面目に間違った解答を導き出しているに違いない。

 仕事は正確で、艦娘の細やかな機微には聡いのに、自分の事となるとどうしてこうもダメダメになるのか……まあ、そこが司令官の良いところでもあるのだけど。

 

「おはよう、不知火に陽炎も早いな」

「あ、うん、えと、おはよ……ってちょっと待って待って! なんで!? どうして司令官がここにいるのよ!?」

「む? 敷波から聞いてないか?」

 

 あ、この流れはまずい。

 場の不穏な空気を敏感に悟り、そそくさと厨房に消えようとする敷波。しかしその即断を超える速度で敷波の服の裾をむんずと掴む人物が一人。

 

「…………」

「し、不知火?」

「これは不知火の落ち度ですか?」

「いえ……アタシの落ち度です……ハイ」

 

 身体は駆逐、心は乙女、されど眼力だけは戦艦級。そんなバーロー系駆逐艦ぬいぬいに気圧されて、観念するように敷波は両手を上げ、これまでの経緯を説明した。なお、綾波は厨房で一人提督の手料理を幸せそうに食べている。

 

「――というわけで、アタシと綾波が司令官の手伝いをしてるってわけ」

「あー、なるほどそういう事なら納得」

「ふむ、理解しました」

 

 カウンター用の椅子に座りながらの説明に、陽炎も不知火も納得したように頷いた。そのまま、カウンター周りのチェックをしている司令官に聞こえない小声で一つ謝罪を挟む。

 

「それで、その、司令官の事を言わなかったのは、その、まあなんて言うか……ごめん」

 

 気まずさと羞恥が混ざって言葉尻が萎む。

 てっきり小言の一つでも零されると思った……のだが

 

「いや、まあその事に関してはお互い様だから」

「……え?」

 

 その意外な言葉に顔を上げると、二人は苦笑と共に手をひらひらと振った。

 

「たぶん、というか間違いなく敷波と同じ状況だったら、私も同じ事してたと思うし?」

「こんな美味しい……もとい司令との絆を深めるチャンスは滅多にないですからね」

 

 そう言って、二人は腕を組んでうんうんと頷いている。何やら妙に潔い気もするが、気にしていないというならば此処は素直にその言葉に甘えるとしよう。

 手元にあった水の入ったコップに口をつけ、ほっと敷波は胸を撫でおろ――

 

「でも、普段さっぱりしてるように見えて、敷波って意外と独占欲強そうよね」

「っ……う、うるさいなあ!」

 

 ――せなかった。ぐぬぬ……と唸る敷波に対し、陽炎はにやにやと楽しそうに口元に手を当てている。昔からしっかり者のお姉ちゃんである陽炎だが、最近は年相応に無邪気な一面を良く見せる様になった。……まあ、こうしてからかわれる事も多いのだけど。

 

「でも、司令官のエプロン姿見れるだけでも役得よね」

「……写メあるけど?」

「ッ!? 後で送って!」

 

 とりあえず今日の失態を無かった事にするために、秘蔵の一枚で口止めを図っておいた。そこでふと、不知火が居ない事に気付き、周囲を見渡す。するとそこに司令官の作ってくれた料理の前で、携帯を構える不知火の姿が。

 

「? 何やってるのさ」

「折角なので写真に残しておこうかと」

「あ、じゃあ私も撮ろうっと」

 

 不知火の言葉に、陽炎も同調する。そのまま三人で一通り写真を撮り――と、そこでなおも無言で携帯を操作する不知火の肩を陽炎がぽん、と叩いた。

 

 少しして、敷波達は驚愕することになる。

 たぶん、というか間違いなくそれは善意からの行為だったのだろう。

 

 惜しむらくは、こう見えて不知火は天然だったという事。そして今回に限って半数以上が鎮守府を留守にしていた事。

 これは事件ではなく悲しき事故の始まり。後に食堂の悪夢と呼ばれるまでに遺恨を残す事になる大事件の、ほんの引き金の部分にすぎない。

 

「不知火? もう十分撮ったでしょ? そんなに携帯操作して何やってるのよ?」

 

 陽炎の問いに不知火が振り向き、答える。

 

「いえ、大丈夫です。本日鎮守府におられない方々のためにメッセージを添えて、鎮守府掲示板に司令の手料理の写真をUPしていたので。安心してください、丁度終わりました」

 

 不知火の微笑むような笑みに、陽炎の口から『……あ、そう』と気の抜けた声が漏れる。

 

 ちなみに鎮守府掲示板とは夕張が発案したもので、普段の連絡事項他、情報交換や日々の何気ない出来事を艦娘個々が発信できるネットワーク上の交流ツールである。

 最初こそぽつぽつと単発的な利用が主だったが、場所問わず交流できる利便性もあってか、最近では間宮や鳳翔、明石などがイベント開催の主な発信源として利用するなど、誰もが常に確認するほどの便利ツールとなっている。

 

 そんな場所に司令官の手料理をUP、しかも律儀に今日の食堂の詳細とアタシが送ったエプロン姿の司令官の写真も添えてかー。ふーむふむふむ、なるほどなるほど……え?

 

 思わず陽炎と顔を見合わせ、同時に短い言葉がポロリとこぼれる。

 

『…………え?』

 

 直後、海まで届きそうな陽炎の『バ、バカーーーーッ!!!!』という怒声が鎮守府中へと響き渡った

 

 

 

 

 そして現在。

 諸々その他複雑な理由で、こんなに忙しくなった理由を知らない司令は文句の一つも言わず黙々と料理を作り続けている。

 

「司令官、その……大丈夫?」

 

 言って、敷波はすぐに後悔した。自分なんかが心配して果たして何の解決になるのか。どころか、碌に役に立ってすらおらず、はっきり言って喋ってる暇があったら手を動かせ、と言われてしまっても仕方がない状況だ。

 ああもう何やってんだろアタシ、と沈む敷波。しかし鍋へと向かう司令官の表情は意外な事に真逆の色を浮かべていた。

 

「ああ、大丈夫だ……それにこう言うのもなんだが、少し楽しいんだ」

「え……?」

 

 思わず聞き返してしまった。普段の彼にしては珍しい、穏やかな中にも感じられる弾んだ声音。

 つい手が止まっている事にも気が付かず、つり目勝ちな敷波の瞳が猫の様に丸みを帯びる。

 

「そうだな……言葉にするのは難しいんだが」

 

 手を動かすことは止めず額に汗を滲ませながら、それでも司令官は何処か楽しそうな声で、何かを確かめるように敷波の問いに言葉を探している。

 その声音が何処か心地よくて、敷波もまた作業を続けながら静かに彼の言葉に耳を傾ける。

 

「料理をするのは昔から好きだったんだ。庄司さんという人が居て……と、この話はさっきしたな」

「うん。司令官、その人のお店で料理の練習してたんだよね」

 

 庄司というのは司令官の昔馴染みの店を営んでいる人の名前。司令官はまだ学生だった頃、そこで料理の練習をさせてもらっていたらしい。

 

「当時の私は今以上に不器用で口下手でな。友人も少なく海軍学校に入る目標はあったが、かと言ってこれといった趣味も無かった私が唯一、夢中になったのが料理だった」

「そんなに?」

「それこそ、提督になっていなかったら料理に関わる何かを目指していたと思えるぐらいには、な」

 

 それは凄い、と素直に思った。

 敷波にも趣味はある。本を読んだり、身体を動かすことも好きだ。だが、そこまで熱中できるような、俗に言う将来の夢という何かは未だ見つかっていない。艦娘だからだとか、そういった理由関係無しに、何処かそういった話を口にするのはまだ恥ずかしくて、だからこそ司令官の姿が自立した大人の姿に見えて。

 

 でも――。

 

「……司令官が司令官じゃなくなるのは、なんかヤダ。すごくヤダ」

 

 思わず言葉が零れた。自分でもそんな事言うつもり無かったのに……何言ってんだアタシは。

 はっとした後、羞恥で俯いてしまう自分に司令官からの言葉は無かった。きっと何を言えばいいか言葉が見つからなかったのだろう。代わりに、そっと優し気な手が頭を撫でてくれる感触が広がる。

 

 その後も司令官は料理に夢中になる過程の話を沢山聞かせてくれた、

 そのどれもが楽しくて、面白くて。ただ――

 

「そんなに好きだったのに、なのにどうして司令官は、その」

「料理人を目指さなかった、か?」

「……うん」

 

 何処か司令官としての彼の今を否定しているようで、言い淀む敷波の言葉を本人が紡ぐ。

 そんな事全く気にしていないといった風に落ち着いた声で、少しだけ過去を懐かしむように。

 

「料理は好きだったよ、それこそ夢中になる位には……だが、結局のところ料理をしている時の私は独りだった。自分の中で納得して、独りで完結してしまっていたんだ」

「……独り?」

 

 聞き返した言葉に、司令官はほんの少し寂しそうな表情で頷いた。

 

 当時の司令官は料理を作る事はあれど、それを他人に出す事は無かったらしい。

 作る分は自分が食べれる範囲で、それが庄司と交わした厨房で料理をさせてもらう条件であり、唯一の約束だった、と。

 

「当時の私は作る事自体に夢中だったからな。料理人の本懐である、作った料理を多くの人に食べてもらいたいという気持ちが欠落していた。自分の世界で満足していたんだ」

「そっか。でも、庄司さんはその時から料理人だったんでしょ? だったらどうして……」

 

 その気持ちを、料理人としての遣り甲斐を教えてあげなかったのだろう?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、司令官は苦笑しながら、

 

「あの人は私の目標が海軍学校に入る事だと以前から知っていたからな。おそらく、あの人なりに気を使ってくれていたのだろう」

 

 司令官の言葉を受けて、ああ、なるほどと敷波は納得した。同時に庄司という人がどういう人なのかが少しだけ分かった気がした。

 当時の司令官には既に夢があった。父と同じ立派な軍人になるために海軍学校に入るという夢が。きっとその人はそんな司令官の夢を知っていたのだろう、だからこそ約束を交わしたのだ。

 

 一時の想いで夢に迷いを生まない様に。敢えて料理人としての遣り甲斐を伝えないように。

 

「……なんか庄司さんて司令官に似てるね」

「む、そうか? 自分で言うのもなんだが、あまり似ていないと思うが」

「ううん、そっくりだよ」

 

 敷波の言葉にううむと眉に皺を寄せる司令官。

 そんな彼の表情がおかしくて、敷波は楽しそうに笑う。いつの間にか、胸の奥のもやもやした負の感情は綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「なるほどなー、だからこんなに忙しいのにちょっと楽しそうなんだ? やっぱり自分の作ったものを美味しそうに食べて貰えるのって嬉しいものなんだ」

「それも勿論あるが、こうして敷波達と一緒に何かできるという事も私にとっては新鮮で楽しさを感じる一因なんだ。まあ、上司の誘いなど君達に気を遣わせる以外の何物でもないから今後も控えようとは思うが」

 

 ――……。

 

「……ねえ司令官」

「む、なんだ?」

「この前の本営調査、『提督と艦娘のコミュニケーション量満足度』の部分でウチの鎮守府、ダントツの最下位だったの知ってる?」

「……何故か全鎮守府中、私の鎮守府だけ逆にグラフが伸びていたな」

「…………」

「…………」

「今後、もう少し君達との時間を取れるよう善処しよう……」

「ん、期待して待ってる」

 

 断食中の修行僧の如く険しい表情で落ち込む提督に苦笑する敷波。

 そんな折、カウンターの方から綾波が大量の注文票を両手にバタバタと慌てたように姿を現した。

 

「司令官大変です~! 妖精さんが妖精さんを引き連れて甘味の注文がこんなになってしまいました~!」

 

 ばさりと広げられた注文票の束に、思わずうへえと敷波の口から洩れる。

 そのまま司令官と目を合わせて、どちらからともなくふっと小さく笑みをこぼす。

 

「それではもう少し、みんなで頑張るとしようか」

「うん、アタシも頑張って手伝うから」

「ああ、期待してる」

 

 期待してる、そんな激励を受けて高揚した敷波はザルに残っていた食材を一つ手に掴んだ。

 

 

 ――ふと思う。

 庄司さんはもしかしたら、司令官が約束を破る事をほんの少しだけ期待していたのではないだろうか。

 生真面目な司令官が庄司さんとの約束を破ってまで、自分の作った料理を誰かに食べて貰いたいと思ったのなら、その時は――。

 

 

「…………」

 

 

 そこまで考えて、敷波はふるふると首を振った。

 もし、なんて曖昧なものでこの話の続きを勝手に解釈するのは二人に失礼だ。そこには想像以上の意味は無く、今があるのは司令官が他ならぬ自分で道を選んできた結果でしかない。

 

 ただ――

 

「……司令官と綾波との食事、楽しみだな」

 

 ――彼のお店に行った時、昔の司令官の話を聞いてみるぐらいは良いかもしれない。

 

 そんな弾む胸に心を躍らせながら、敷波は一人お手伝いとしての作業に戻っていった。

 

 

 

 ちなみに後日、提督の手料理を食べれなかった大和が三日間部屋に籠って出てこなくなったのを解決したのは、敷波が密かに撮っていた司令官の料理中の写真だった事を此処に記しておく。

 




 中編で終わってるってなんなの?
 話が思い出せんわ作者は馬鹿なの?  

 というわけで間が空きすぎて微妙に話に齟齬があるかもしれませんが、そこは温かい目で許してヒヤシンス。


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第五十三話 照月と演習

 沢山の感想ありがとうございます。


「照月! 第一次攻撃隊来てるぞ!」

「……ッ!」

 

 摩耶の大喝に咄嗟に上空を見上げた照月の表情が苦悶に歪む。視界に映るは無数に広がる粒状の飛来物。いつの間に射出されていたのか、雲々の隙間からは既に複数の艦載機が自陣に向けて迫って来ていた。

 

「対空迎撃用意! 迎え撃ちます!」

 

 周囲に設置された砲台から発射される模擬弾を避けながら、迫り来る無数の敵機を撃ち落とさんと高角砲で迎撃を試みる照月。海上からの砲撃は牽制をしながら摩耶が引きつけてくれているのを確認し、即座に意識を上空へと集中させる。

 

「撃ち方ぁ、始め!」

 

 砲撃音と共に放たれた砲弾は真っ直ぐ艦載機の群れへと向かい、着弾。実践を想定して開発された模擬弾同時の衝突は相応に激しく、空は煙で覆われて視界が一瞬で不明瞭なものへと変貌する。

 しかし対空戦においてそれなりの経験と自負を持つ照月は、自らの経験則から砲撃の手応えを確かにその手に感じていた。

 

「なんとか全機迎撃できた、かな」

 

 未だ煙の舞う上空を睨みながら、照月はとりあえずの山場は超えたかと内心で安堵の溜息を吐いた。もし撃ち漏らしていたならば煙を突き破ってこちらに向かってきている機体があった筈だ。それが無いと言う事は、つまり照月の言葉通りである。

 

 全機、撃滅。そう確信した照月は無意識的に艤装を対空戦から砲雷撃戦へと切り替えた。

 決して意識を緩めた訳ではない。演習と言えど緊張の糸を切って無事でいられる程、甘い訓練内容ではない。単に今までの経験から、対空戦の後に多い海上からの砲撃へと備えようとした故の行動だ。

 別段、問題になる行動でもない。実際、今までの演習でも殆ど行ってきた予備動作ではあるが、事故が発生した事は一度もなかった。

 

 ――そう、今まで通りの状況であるならば、だ。

 

 直後、摩耶の怒声が海上に響き渡る。

 

「馬ッ鹿野郎! 何時もの機械的な爆撃じゃねえんだ砲身を下げてんじゃねえ! 相手はあの赤城の姉さんだぞッ! この程度の対空戦で終わるわけ……っ!?」

 

 摩耶の言葉が終わりを告げる前に二人の視界が有り得ない光景に染まり。お互いの顔色が真っ青に変わる。

 煙が晴れていく先に、真っ白な雲がゆったりと流れる残夏の青空。

 

 そこに先程と比べて倍の数の艦載機が機体を鈍色に光らせながら悠然と飛んでいた。

 

「うそ……」

「……マジかよ」

 

 有り得ない。まるでそう言いたげに、二人の表情は唖然と固まっている。

 彼女達は空母ではないから体感したことはないが、艦載機の操作というのは見た目以上に繊細で集中力の必要な代物だ。それこそ射出した艦載機一機を目標に届かせるだけでも、弓道で的の中心を射貫くのと同じ程度の技量と集中力が必要だと言われている。

 

 それを十数機同時に、しかも連続発艦ともなればその技量と集中力は如何程の物か。

 だがしかし、今の照月と摩耶にそんな悠長なことを考えてる時間は当然無い。

 

「あの数の機体で時間差攻撃……ってそんなの有りですか!?」

「普通は出来ねえけどあの人なら出来ちまうんだよ畜生がッ!」

 

 百戦錬磨の一航戦赤城の第二次攻撃部隊による時間差攻撃が二人の目の前に急速に迫っていく。遥か遠く、敵陣中央なる場所にこちらを見据える人物が一人。普通なら表情など見えない程離れている筈なのに、あたふたと慌てる照月の視線の先で静かに佇む赤城がニッコリと微笑んだのが見えた。

 

「摩耶さん! 何故か赤城さんが笑いながら怒ってる気がするんですけど!?」

「こんな体たらく見せてたら当たり前だろ! っつかヤバいヤバい何とかしろ照月!」

 

 全身から冷や汗を流しながら、必死に対空迎撃を行おうとする二人。しかし遥か遠くから発せられる赤城のプレッシャーの所為か、焦りに焦った二人の砲撃は赤城の艦載機を中々捉える事が出来ない。

 

「あわわわわ! む、無理ですぅぅうううう!」

「うわぁぁああああ!」

 

 直後、二人の居る場所に無慈悲な艦載機の爆撃が降り注ぎ、幾本もの水柱が次々と立ち昇る。そうしてようやく穏やかな水面へと戻った時には、海上にぷかぷかと浮かびながら目を回す二人を余所に、演習の終了を告げるフラッグだけが虚しくはためいていた。

 

 

 

 

「それで照月、何か言いたい事は?」

 

 演習後、鎮守府へと続く防波堤の上で照月を待っていたのはそんな姉の言葉であった。

 胸の前で腕を組み、右手の人差指をとんとんと動かしながら無言で返答を待つ秋月の背後からはフラグシップ並の怒気が放たれてしまっている。

 絶対零度の視線に射抜かれ、逃げる様に照月は両手で視界を遮った。

 

「うう……これは違うの。お願いだからそんな目で見ないで秋月姉」

「何が違う、なのよ。対空戦闘でもっと皆と提督の役に立ちたいからって言ったのはあなたでしょう? 折角赤城さんと加賀さんのお二人にも手伝ってもらってるのに……」

「うぐう……」

 

 先刻の演習の出来を見られていたのか、秋月は相当お冠のようだった。普段は冷静で落ち着いているのに、一度説教が始まると真面目すぎる性格が災いしてか、恐ろしく長くなるのを身に染みて理解している照月の表情が引き攣る。

 そのお堅い性格故に他の駆逐艦のように素直に提督に甘える事が出来ず、その度に部屋で提督君人形を抱きしめながら悶々と悩む可愛らしい一面を持つ姉だが怒ると怖い。

 

 肝まで冷えそうな熱視線に狼狽しながら、照月は内心で深く溜息を吐いた。

 提督の役に立つために、少しでも姉に近付けるように。そんな想いを胸に休日返上で演習に打ち込んでいるのだがどうにも上手くいかない。

 と言うかあんな理不尽極まりない大規模爆撃なんてどうやって迎撃したらいいと言うのだろうか。

 

「だってだって! あんな艦載機の大規模編隊を連続で射出するなんて普通思ってもみないし出来ないよ!」

「予測できなくても気を抜かず、意識と耳を集中させていれば感じ取る事は出来た筈。照月も訓練を積んで、電探無しでも音だけで艦載機の数や練度を推し量れるようにならないと」

 

 そんな無茶な、と照月は思った。が、隣で鳥海と組んで加賀相手に、自分と同じ演習をこなしていたであろう姉の服に乱れ一つないのを見て即座に突っ込むのを止めた。流石は対空の鬼、何もかもが規格外です。

 それもう電探いらないよね? という正直な疑問も飲み込んだ。これ以上姉を怒らせるのは正直御免こうむりたい照月である。

 

「まあまあ秋月ちゃん。照月ちゃんも反省点はちゃんと理解できてるようだし、それくらいで、ね?」

「……鳥海さん!」

 

 なおもお説教が続きそうな雰囲気が、傍で演習の記録を付けていた鳥海の一言で霧散する。なおも何か言いたげな秋月ではあったが”鳥海さんがそう言うなら”と纏っている空気を緩和させ、収めていく。

 流石鳥海さんグッジョブです! と照月の中で鳥海への好感度がうなぎ上りで急上昇するのを余所に、一人赤城に呼び出しを食らっていた摩耶がハイライトを消した瞳でのろのろと戻ってくる。

 

「……摩耶、あなた燃え尽きたボクサーみたいな顔になってるけど大丈夫?」

「やべえよやべえよ……赤城の姉さんの居残り夜間指導……対空戦百連撃……ああ、さようなら現世」

「ま、摩耶さん?」

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら頭を抱える摩耶に声をかけても反応なし。どうやら摩耶の直属の指導役である赤城からありがたい居残り授業を貰ってしまったようだ。

 今回の演習に関しての指導ならば、摩耶さんにだけ責任を負わす訳にはいかないと照月も参加を打診したが、悟り切った菩薩のような表情で”死ぬのは一人で十分だ”と言われ素直に諦めた。流石に演習で死にはしないだろうが、あの赤城の表情から鑑みるに、三途の川位は拝めてしまうかもしれない。

 割と本気でそう思った照月は無言で静かに胸の前で両手を合わせた。

 

「摩耶さん、今までありがとうございました。来世でまたお会いしましょう」

「おい止めろ。マジで洒落になってねえ」

「そうよね。摩耶には明石さんの店で売ってる提督君グッズをコンプリートするって言う使命が残ってるものね」

「おまっ!? もっと止めろ! 鳥海てめえ!」

「そうですよね! 特にあの提督君人形は出来も触り心地も素晴らしいと私も思います!」

「お、おう。そだな」

 

 今の会話の内容のどこにそんなテンションが上がる要素があったのか、急にぱあっと表情を輝かせる秋月の勢いに押され摩耶は瞳を白黒と瞬かせる。

 ちなみに提督グッズの中で一番の売れ筋なのが提督君人形だったりする。

 

「いいなあ。私も欲しいけどすぐ売り切れちゃうんだもんなあ」

「どうしても人気商品だから……偶に秋月ちゃんに貸して貰えばいいんじゃないのかな?」

「秋月姉暇さえあれば抱きしめてるから無理ですよ」

 

 不満顔の照月の言葉に秋月が盛大に咽る。

 

「そ、そんないつもじゃない……と思う……多分」

「なんだなんだ? 秋月も意外に可愛いところあるじゃねえか」

「親近感ってやつかしらね。やってることも摩耶と同じだし」

「すんませんでした鳥海さんほんと勘弁して下さい」

 

 ちょっとからかってやろうと思っただけなのにブーメランの如き見事なU字を描いて自爆する摩耶。え? 意外ですねそうなんですか? という駆逐艦二人からの視線が非常に痛い。

 鳥海は鳥海で先程の摩耶の演習の結果に思う所があるらしく、言葉の端々から棘がダダ漏れで隠そうともしていない。

 とりあえず話題を自分から逸らすため咄嗟に思いついた提案を口にする。

 

「な、なんだよ。照月一つも持ってねえのか。大切にするって約束するなら一つ譲ってやってもいいぜ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、照月は演習の縁もあるしな。他の奴には内緒だぜ?」

「ありがとうございます! お金は後で払いますので! やった!」

「ああ? 金なんていらねえよ」

「え? でもあれ結構しますし……」

 

 照月の遠慮がちな言葉に摩耶はふむ、と思考する。

 自分としては同じものは三個所持しているし、大切にしてもらえるのならタダで良いのだが。しかしそれは逆に照月に気を遣わせてしまう事になるかもしれない。だからと言ってお金を貰うのも何か違う気がする。

 

 ふと演習用の置時計に視線を下げると、時刻は丁度昼に差し掛かろうと針を進めている。

 同時に良い事を思いついたと言わんばかりにニヤリと口角を上げ、摩耶は怪しげな笑みをその表情に浮かべた。

 

「そうだな。だったら照月、一つ頼み事を聞いてはくれないか」

「頼みごと、ですか?」

「なに、そんなに難しい事でもないぜ」

 

 難しくはなさそうだが明らかに怪しい、と照月は訝しげに逡巡した。しかし提督君人形の魅力には抗い難く、神妙にこくりと頷いて見せる。先程の演習の時より真剣な表情なのは気のせいに違いない。

 そのまま、摩耶の口から一つの依頼が照月に言い渡される。

 

 直後、穏やかな水面に包まれる演習場に照月の羞恥と戸惑いの声が盛大に響き渡った。

 

 

 

 

「……だからって、まさかこんなことになるなんて」

 

 かちゃかちゃと食器同士が擦れる音を響かせながら、照月は小さく溜息を吐いた。手元には盆にのせられた食事が一人前。作りたてなのだろう、汁物やおかずからはほかほかと湯気が立ち上っている。

 

 向かう先は執務室。

 そう、照月は今、提督に食事を届けるために執務室へと向かっている途中なのだ。

 

「いや、提督に会えるのはむしろ嬉しいしお昼を届けるのも全然良い……んだけど」

 

 では、何がそんなに嫌なのか。

 その答えは照月の肩に掛けられた鞄の中にあった。

 

「さっきの演習を録画したテープを報告と一緒に提督に見せるなんて聞いてないよ~!」

 

 手に持った食事を器用に水平に保ちつつ、照月は思わずその場にしゃがみこんでぶんぶんと顔を左右に振る。

 つまるところ摩耶からの依頼の本題はそっちだった。

 

 演習結果の報告。

 ただそれだけならば問題は無かった。簡単に詳細と結果を報告して終了と、そのはずだった。基本、艦娘個々の自主鍛錬による演習結果についての提督への報告は任意となっているため、報告する必要がない場合も多い。

 だが今回の場合、照月達のやる気が逆に仇となった。なってしまった。

 

 というのも、だ。

 彼女たちの意思(提督の役に立つ云々は伏せられているが)を尊重して、提督は今回に限りこの演習を正式なものとして認可したのだ。

 正式なもの、それはつまり提督が内容を確認する必要があり、同時に詳細な報告責任が艦娘側にも生まれ、果てにはそれらを纏めた報告書を大本営に送る義務すら発生する正真正銘正当な代物。

 

 内容如何では当然、提督の評価に繋がってくる。

 そのため文書だけでは虚偽の報告が後を絶たないため、映像データも同時に送る事になっており、だからこそ今回こうして映像データを妖精さんがばっちり撮ってくれていたわけだが。

 

「なんで誰も教えてくれなかったのよぉ……」

 

 幸か不幸か、照月と摩耶にはそのことが知らされていなかった。

 知ったら絶対意識して普段通りの二人じゃなくなり、それでは意味がないという姉妹の有り難くない真っ当な意見が取り入れられた結果、無知な二人は見事無様な姿を晒してしまいましたとさ。

 ともあれ、秋月と鳥海の映像データも本営に送られる手筈になっているので、二人に文句を言うのはお門違いであったりもするのだが、赤城と同程度の加賀の艦載機を見事迎撃し、結果を残している辺り流石と言ったところである。

 

「うぅ~、どうりで摩耶さんが妙に乗り気だと思った。こんなことでもなければ摩耶さんが提督君人形をそうそう簡単に手離すわけないじゃん!」

 

 嵌められた、とは人聞きが悪いが、実際その通りであるのだから仕方がない。

 

 摩耶さんのバカ! おたんこなす! 後輩想い! ぶっきらぼうに見えて実は面倒見が良い姉御肌! などと罵倒から後半何か称賛めいた何かを叫ぶ照月。

 しかしそれも束の間、すぐにとぼとぼと肩を落として項垂れる。

 

「……提督、がっかりしちゃうかな」

 

 じわり、と瞼が熱くなるのを慌てて両手で擦って誤魔化す様に首を振る。すぐ後ろ向きになるのは自分の悪い癖だ、と俯いていた顔を上げて心に喝を入れる。

 

 そんな事を考えているといつの間にか執務室へと着いていたらしく、その簡素な扉の前で照月は姉である秋月を見つけ声を掛けようと歩幅を早め、

 

「あ、お待たせ秋月姉――?」

 

 そこでふと姉である秋月がなにやらぶつぶつと真剣な顔で呟いている事に気付き、はたと足を止めた。

 

「最初は失礼します、で良いわよね……ちゃんとシャワーは浴びて来たし、髪も整えたし。ちょっとだけ香水付けて来ちゃったけど、提督この匂い嫌いじゃないかな……ううん、大丈夫! 妖精さんにドーナツ買ってまでリサーチお願いした結果だもん、大丈夫大丈夫」

 

 照月が目前に迫っても気付かず、真剣な表情で暗示する様に大丈夫と一人頷く秋月。

 今の状況だけを見ればあまり大丈夫そうでもないが、演習の報告は二人でと提督に伝えている手前、声を掛けないという訳にもいかない。

 

「秋月姉? 何してるの」

「ひゃあ!? て、照月……? なんだ、驚かさないでよ」

「ええ、何回も声かけたよぉ」

 

 と、そこでふと姉の周囲からほのかに甘い香が漂っているのに気付き、照月の視線がジトっとしたものに変わる。

 

「秋月姉……香水付けてる」

「こ、これはそのっ……ほ、ほら! 演習後に汗かいたままだと提督に失礼でしょ?」

「……一緒にシャワー浴びたじゃん」

「て、照月が桃だとしたら、私は蜜柑だし?」

「意味分かんないよ」

 

 妹の冷ややかな視線に晒されてしゅるしゅると縮こまる姉、秋月。

 人が提督の食事を取りに行っている間にいないと思ったら、まさか一人女を磨いているとは。……まあ、確かに上官である提督に会うのに身だしなみを意識するのは正しい事ではあるが、この納得いかない不満感はなんだろう。

 

 ――くそー、なんか凄い良い匂いするし可愛いしスラッとしてるし、なんかズルい!

 

 せめて匂いだけでも寄越せと言わんばかりに秋月に抱き付く照月。

 

「こうなったら匂いだけでも上書きをっ……このこのっ」

「ちょ、照月こんなところで止めなさい! あなた元から良い匂いなんだからっ」

「秋月姉だって良い匂いじゃん!」

 

 お互いが良く分からない事で張り合いながら、執務室の前でもみくちゃになる二人。

 秋月も照月も喧嘩しているつもりだが、傍から見れば往来のど真ん中で仲良く抱き合っている仲睦まじい姉妹であり、天井裏から現れた青葉が涎を垂らしながら激写していくのも無理からぬ光景である。

 

 結局、騒ぎに気付いて扉から出てきた提督に、

 

「……二人共大丈夫か?」

 

 と心配そうに言われ、熟れたトマトの如き表情でおずおずと執務室に入るまで、二人の姉妹喧嘩は続いた。

 

 

 

 

 

「わざわざすまんな」

 

 コトリ、と照月と秋月のテーブルの前にカップを置いた提督は静かにそう言った。

 その謝意の中には先ほどの二人の失態を見てしまった事も含まれているのか、だとしても提督側に落ち度など全くないので、照月はあははと苦笑いしながら胸の前で両手をふるふると振った。

 

「いえそんな全然! 悪いのは執務室前で騒いでた私たちですし」

 

 未だ隣で、羞恥に身悶える様に顔を両手で覆い隠したままソファーに座っている秋月もこくこくと頷きを返している。わざわざ靴を脱いで、体育座りで膝を抱える姉の姿が妙に可愛らしい。同時に何もそこまでと思わなくも無いが、生粋の提督っ子である姉からすれば先ほどの失態は恥辱の極みだったのかもしれない。

 

 秋月姉、真面目だからなあ……。

 

 ちなみに提督は既に食事を終えており、照月達二人が座るソファーの前には大きなモニターが設置されている。つまり今から、ここで先ほどの演習の映像を提督に見られるというわけなのだ。

 

「それで、演習の方はどうだった?」

 

 と、ここで秋月の様子を慮ったのか、提督が話題を切り替える。こういったさり気ない気配りも提督が慕われる理由なんだろう。案の定、真面目な話題に秋月は見る見るうちに瞳を輝かせて復活し、代わりに今度は照月がずずーんと落ち込む事になった。

 

「私と鳥海さんの組は概ね目標とするところには届いているかと思います。とは言え、斉射後の軌道の取り方や敵機の誘導策など細部にまだまだ改善点があると思われますので、是非その部分の指導を提督にお願いしたいと考えています」

「ふむ、了解した。今回はその点を軸に改善点を洗い出すとしよう。では照月の方はどうだ?」

「それがその……すいません」

 

 改善点が多すぎて逆に何をどう答えて良いか分からず、かと言ってそのまま伝えるわけにもいかないため、照月はあまりの情けなさにその場にしおしおと項垂れた。

 正直、照月と摩耶の組も終盤までは標準以上の結果を残していたのだが、最後の最後が余りにアレだったため、本人としてはどうにも不出来な印象が残ってしまっていた。

 

 そんな様子の照月の頭に優しくぽんっと手を置きながら提督は、

 

「演習において失敗する事は気にしなくていい。悪いのは失敗から目を逸らして、そのままにしておく事だ。悔しい思いもあるだろうが、その悔しさがいつかきっと人々の助けになる。それまでもう少し一緒に前を向いて頑張ってみないか」

 

 思わず、目頭が熱くなった。

 同時に提督が優しいだけの人ではない事を改めて思い知る。演習において――それはつまり実際の出撃では失敗は許されない事を暗に示している。当然だ、我々の失敗はそのまま守るべき市民の危機へと直結する。そして提督は決して口にしないが、その責任は全て鎮守府の長である彼の背に圧し掛かってくる。

 その重圧は如何程のものか。

 

 零れそうになった涙を照月は自分の服の袖でごしごしと擦る。

 こんなことで立ち止まってはいられない。ふんすと強い瞳でモニターへと向き直る照月に、提督も穏やかに口元を緩めた。

 

「それでは、まず秋月の方からだな」

 

 言って、提督はモニターへと繋がる機械を操作する。直後、画面上に先ほどの演習が始まる直前の映像が映し出された。そのまま、三人揃って映像へと意識を集中する。

 

 時折、秋月と提督が意見交換するかのように会話をしているのが見える。

 それを横目に照月は一人、改めて姉の凄まじさを感じていた。

 

 ――速い。

 

 姉の海上での動作に思うところは多々あれど、何より照月の目を引いたのが秋月の判断の速さだった。

 

「まるで次に何が起こるか分かってるみたいに……判断一つ一つが怖いくらい速い」

 

 速力で言えば秋月型は別段速いというわけではない。それでも仮想島風を想定して動かされている模擬機の動きに後れを取っていないのは――

 

「動き出しの速さ、だな」

「……動き出し」

 

 提督の言葉を、照月は自分の頭で何度も反芻する。見れば確かに、姉は戦闘中一度として同じ場所に留まるという事がなかった。

 開け放たれた海上で静止し続けるのは狙ってくれと言っているようなもの。かといって何も考えず、同じ軌道で動いていたら腕の良い敵には当てられる。

 

 だからこその動き出し。静と動、緩急をつける事によって敵の狙いを定めさせない。そしてそれを可能にしているのが秋月の驚異的な集中力が成せる判断力だ。

 

「……凄い」

 

 思わず口から零れた称賛の言葉。妹として誇らしくもあり、対空戦を得意としている者同士悔しくもある。そして同時に、映像に映る秋月の姿を眺める照月の胸に困惑の念が生まれる。

 

「というか秋月姉……どうしてスパッツ履いてないのっ!?」

 

 そう、どういう訳かいつも履いているスパッツを映像の中の秋月は履いていなかった。

 忘れたのかどうなのかは定かではない。ただ重要なのは、この映像が妖精さんの力によって四方八方から激写されているという事実だ。

 

 もう一度言おう。

 秋月の戦闘スタイルは静と動、そんな動きの連続に布切れ一枚のスカートが付いてこれる訳も無く、それを補うためのスパッツも今は履いていない。

 

 つまり何が言いたいのかと言うと、

 

「うわあ……秋月姉パンツ丸見えじゃん」

 

 そういう事である。

 激しい砲雷撃戦の合間に挟まる清潔感のある純白。カメラが上から下に移動するにつれて、画面に収まる純白の面積も広がり、潜水艦視点のカメラともなればそれはもう純白も純白。もはや妖精さんがわざと撮っているようにしか思えない。

 

「ちょっと秋月姉……これ大丈夫な――あ、ダメみたいですね」

「……ッッ……ッ」

 

 羞恥の余り、言葉を失っている姉を照月は穏やかな瞳で諦めた。これはもうどうしようもない。

 だがこれは提督にもまずいのではないか。そう考えて振り向いた先で、しかし意外や意外、提督は実に真剣な表情で画面へと視線を送り続けていた。

 

 一瞬まさか、と思った照月だが、あまりに微動だにしない提督にすぐに真実へと辿り着く。

 

 ――ああ……提督たぶん、演習内容に集中しすぎて秋月姉のアレ、視界にすら入ってないなあ。

 

 ある意味で酷い。けど、実に提督らしい姿に照月は苦笑するしかなかった。この映像は本営に送る前に妖精さんに修正してもらうとしよう。

 

 そのまま、提督が真剣な表情で何かを呟く。

 

「うむ……白、か」

 

 直後、照月のとなりでぼふんっという何かが爆発したような音が聞こえたが、あえて無視した。

 おそらく、というか間違いなく加賀が放った艦載機の当否を確認しての提督の言葉だろうが、今の秋月には状況を判断する理性など残っていなかったようだ。南無。

 

 その後、自分の演習映像を見て『あれ? 私なんかムチムチじゃない?』と困惑する照月の横で『むう……少し重い、か(主砲の積載量を見て)』と呟く提督に同じように崩れ落ちた照月纏めて、提督が二人を救護施設に運ぶことになった事は言うまでもない。

 

 更にその後、提督の好みは白だという噂が鎮守府内で爆発的に広がり、明石の店で白い物(下着含め)が根こそぎ売れたのも此処だけの話。

 

 




 妖精さんのカメラアングルは世界一。


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第五十四話 龍驤と飲み会

 

 

「提督ってさー、ぶっちゃけ女に興味あるんかね?」

 

 唐突に放たれた隼鷹のぼやきのような問いに、ほっけを箸でほぐしていた高雄は一瞬意味が分からなかったのかぽかんとした表情で、しかしすぐに眉を顰めて深々とため息を吐いた。

 

「止めなさいよいきなりそんな下世話な話。もう酔っぱらったの? あ、妖精さんビールいいですか?」

 

 ほぐれて香ばしい匂いを漂わせるほっけを口に運びながら、追加の注文を済ませる高雄。普段から飲兵衛の隼鷹に苦言を零す彼女だが『やっぱり鳳翔さんの店に来たらまずはほっけとビールよね』と本人も既におっさんの様相を呈してきている。

 その横でついでに料理も頼んでいる龍驤と羽黒に妖精さんがあいあいさーと厨房に飛んで行く。

 

 場所は鳳翔が営む食事処、今日の任務を終えた四人の飲み会は今まさに始まったばかりだ。

 

「せやで隼鷹。今日は羽黒もおるんやし、あんま過激な話したらんときや」

「あの、ご、ごめんなさい」

「謝る必要なんてないのよ羽黒、ほらほっけも美味しいわよ。それにそんな話で盛り上がるなんて、上官である提督に対して不敬よ」

 

 羽黒にほっけの皿を手渡し、遺憾なく委員長気質を発揮する高雄に隼鷹はなんだよなんだよーと頬をぷくーっと膨らませる。

 

「ちぇー、あたしは提督の事を本気で心配して言ってるのにさー。やーい高雄のむっつりー」

「なっ!? だ、誰がむっつりですって!?」

「まあまあ二人とも落ち着きーや。それにしてもなんや隼鷹、キミがそういう話するん珍しいやん」

「そ、そうですね。隼鷹さんいつもあっけらかんとしてますし、そういう話に興味ないのかなと思ってました」

 

 龍驤の言葉に控えめに同意する羽黒。そんな二人に隼鷹はぽかんとした表情で、

 

「ん? 興味ないよ? 私はたまに提督と美味い酒が飲めればそれでいいのさ」

「では何故話題にしたんですっ!? それと私は決してむっつりではありませんっ! むしろオープンだと自覚していますのでっ!」

「あかん高雄が既に壊れ始めた」

「あ、ほっけ美味しい」

 

 どんっと勢いよく置かれた高雄のジョッキの反動で宙を舞う枝豆たち。それを真横で宴会していた工廠組の妖精さんたちがかっさらっていく。流石は誇りある艦載機乗り、見事な空中旋回技術である……やってることはただの枝豆強盗だが。

 

 しかして龍驤は思う。

 

 ――あれ? もしかしてこの面子、あかんやつちゃうん?

 

 隼鷹は言わずもがな、高雄は酒は好きだが弱いタイプ、普段の様な冷静な舵取役は望めない。と言うかすでに半分出来上がってしまっているのは決して気のせいではない。

 万が一にも何か問題を起こせば店主である鳳翔に迷惑が掛かるし、提督にも話は当然行くだろう。彼の事だから怒られはしないかもしれないが、困らせてしまう可能性は大だ。なんとしてもそれだけは避けなければいけないと思う龍驤だが、避けられる気も全然しない不思議。

 頼みの綱としては羽黒だが、姉に足柄と那智という酒の席における奇行種(バーサーカー)と恐れられる内の二人で慣れている所為か一人マイペースにほっけをつついては頬を綻ばせている。なにこの子意外と逞しい。

 

「でもせやったら矛盾してへん? 自分が興味ない話してもなんもおもろないやろ?」

「ちょっと龍驤、あなたまでこんな話に乗るなんてどういうことです!? 妖精さんビールお願いします!」

「ペース早いがな高雄……まあええやん? 羽黒もリラックスできてるし、司令官の身の上話ウチは興味あるで。なあ羽黒?」

 

 なんてのは建前で、本音は会話することで酒の入るペースを遅らせる事にあった。特に脱ぎ癖のある高雄の尋常ではないペースが龍驤に危機感を募らせる。既に胸元が緩んできているのはなんの当てつけやねん。ええからそのジョッキ一回置かんかい、といらんところにまで目が行ってしまう龍驤であった。

 いっそのこと自分も飲みまくってへべれけになったろかと一瞬考えて止めた。理性の放棄は戦場では死に直結する。戦場において生き抜くための思考を止めた者に未来はないのだ。

 

 ……ここが今戦場かどうかはひとまず置いておくとして。

 

「確かに司令官さんのそういった話はあまり聞きませんし、私も少し気になる……かもです。でもそれなら興味のない隼鷹さんはどうして……?」

「いいんですよ……どうせ私は提督のお傍にも立てない駄目艦娘ですから」

「いきなり拗ねんといてや。高雄、キミまだ今月の秘書艦任務決めるためのジャンケン愛宕に負けたん根に持っとるん?」

「妖精さんビールおかわりっ!」

 

 図星か、と呆れた表情の龍驤と潰れた饅頭のように机に突っ伏す高雄。

 その横で――言葉では控えめではあったが――興味津々な羽黒の視線に晒されている隼鷹はひらひらと手を振りながらケラケラと笑う。

 

「いや別に大した理由もないんだけどさ。っていうか君達も見たでしょ? この前の艦隊新聞」

 

 言われて、龍驤は思わず顔を顰めた。

 同様に向かい合っていた高雄と羽黒の表情がなんとも微妙な表情に変化していくのが分かる。酒の席にはなんとも不釣り合いな顔だ。しかし内容を知っている龍驤としてはその気持ちが分からなくもないのだから仕方がない。

 

「ああ例のあれか。なんやどこぞの提督が艦娘に対して不埒な真似をしでかしたって結構な騒ぎになっとったやつやろ」

 

 数日前、連絡用掲示板に一枚の新聞記事が掲示された。内容はとある鎮守府での内部問題、所謂不祥事というやつだ。

 記事内でも具体的な事はぼかされていたが、何があったかの想像は大体可能だ。それでも一応言葉を選んでオブラートに包むよう配慮は忘れない。意識し過ぎても仕方ないが、面白おかしく話題にしても良い話でもない。

 

「その手の問題は昔からそれなりにあった気はするけど、いつ聞いてもやっぱり気分のいいものじゃないわね」

「今回は特に相手が相手やからな。同意の上ならまだしも、嫌がる駆逐艦の娘を無理やりやなんて未遂に終わったからまだ良かったものの、実害でとったらホンマ洒落にならへんかったで」

 

 つまりはそういうことだ。

 上司である提督が権力を笠に部下である艦娘へ否応なしに暴力を振るう。昔と比べて艦娘に関する海軍規律が整備されてきたとはいえ、未だにそういった問題は無くならない。

 中には提督と艦娘がちゃんと愛を育んでいる鎮守府もあるだけに、時折起こるこの手の不祥事は話題にも挙がりやすい。

 

 それにしても、だ。

 

「でもなに? 隼鷹キミ、もしかしてウチでも提督が同じようなことするんちゃうかとか思うてるん?」

 

 勿論龍驤自身、付き合いの長い隼鷹がそんな事を考えてるとは思っていない。

 だが万が一、いや億が一だ。もし隼鷹が前述の記事に感化された上での発言だったとしたら――

 

 ――瞬間、世界が揺れた。あまりの振動に机の上で寝ていた妖精さんが転げ落ちる。

 慌てて龍驤が周りを見渡すと、そこにはテーブルを叩き壊す勢いで立ち上がった般若面の高雄と珍しく頬を膨らます羽黒の姿が。

 

「……冗談でも言っていい事と悪い事があります」

「司令官さんはそんな事する人じゃないですっ!」

 

 ガシャコンと額に当たる高雄の砲塔の冷たさに背中から脂汗が噴き出る。隣を見ると、酒瓶を抱えたまま隼鷹が腹を抱えて爆笑していた。ここが海上なら全機爆撃しているところだ。

 

「ちょ、ちょい待ちいや! ウチやってそんなこと毛ほども思っとらん! ちょっち隼鷹、キミほんまにどういうつもりなん!?」

「いやーごめんごめん。アタシが言いたいのはむしろ逆だからそんな心配しなさんな。ほれほれ羽黒も高雄もちょっと落ち着きな」

 

 そんな調子のよい事を言って、二人をなだめにかかる隼鷹。いやいや誰の所為やねんと思わなくもない龍驤であるが、これ以上藪を突くのは止めておいた。

 高雄も羽黒も少し冷静になったのか――相変わらずむすっとした表情ではあるが――静かに自分の席へと腰を下ろしてくれる。

 

 なんとか一触即発の危機は乗り越えた。衝撃でテーブル横に置いていたジョッキビールの中に転げ落ちた妖精さんを救出しながら、ほっと一息。

 だが、そうなると先ほどの隼鷹の言葉が指す意味とは一体なんだろうか。と、そんな龍驤の疑問を肩代わりするかのように高雄がビール片手に口を開いた。

 

「それより、逆とは一体どういう意味ですか」

 

 その問いに隼鷹はあっけらかんとした表情で、

 

「どういうも何もそのまんまの意味さ。ウチの場合提督があの通りやから、女としての自信が無くなる程度には艦娘側は絶対安心だろ? だからむしろアタシが心配してるのはその逆の話」

 

 ししゃもを摘まみながら、何処か勿体つけるように隼鷹は怪しげな笑み表情に浮かべている。彼女も酔っているのか、はたまた素か。それは分からない、が、此処まで聞けば彼女が意図するところは言葉にしなくても分かってしまった。

 

 提督からではなく、その逆。言うなれば、攻守交替、立場逆転。

 まあつまり、そういう事である。

 

 同時に、自分が首筋まで赤くなっている事を自覚し軽く龍驤は狼狽した。

 

 ――アカン! アカンてこの流れは! 不敬とかそんなレベルの話ちゃうで!?

 

 見れば羽黒も意図を理解したのか、耳元まで真っ赤に染めて茹蛸のように頭から湯気を上げていた。ああ見えて羽黒は意外とむっつり、そんないつだったか言われた足柄の言葉をなんとなく思い出した。実にどうでもいい情報だが、あながち間違いというわけでもなさそうだ。

 

「? だからどういう意味ですか?」

 

 一方で高雄は何も分かっていないのか、頭に疑問符を浮かべて怪訝な表情を浮かべている。隣で羽黒が『ここで踏み込める高雄さん凄い……っ』みたいな顔してるけど何も分かってへんだけやでそれ。

 

 そんな龍驤の心のツッコミも他所に、隼鷹は、

 

「だから逆だって――いつか我慢しきれなくなったアタシらの誰かが提督をパックリ食べちゃうんじゃないかなって。勿論性的な意味で」

 

 いとも容易く、串から焼き鳥を外しながら爆弾を放り投げた。

 なにやら厨房の奥からは誰かが盛大にお皿を落としたような大きな音が響いてくる。

 

「…………」

「…………ぁぅ」

 

 ……ほんま、何てこと言うねんこの酔っ払いは。

 空気が桃色すぎて、彷徨った視線の先で羽黒と目が合った。が、お互い羞恥と気まずさで即効で目を逸らしてしまう始末。アカン……めっちゃ顔熱い。

 

 対して高雄の反応はというと一瞬言葉の意味を考えたのか眉を顰めて、見る見るうちに表情を紅潮させたかと思うとそのまま口をぱくぱくと開け閉めして固まっていた。まるで浜に打ち果てられた魚だ。それだけではない。わなわなぷるぷると全身を震わせてながら、右手は不自然に宙を彷徨い、瞳はぐるぐると渦を巻いている。

 

「ななななななんてことを言うんですか性的にってそれってそそそそっ……妖精さんビールおかわりっ!」

「た、高雄さん気持ちは分かりますけど落ち着いて……」

 

 言わんこっちゃない。

 

 羽黒に背を撫でられながら、はーはーと目をぐるぐるさせる高雄。彼女は普段大人っぽく見えて、こういった話題には意外と疎いらしく、しばしば愛宕に揶揄われていたりする。そんな様子を日本酒片手にけらけらと笑っている隼鷹に、龍驤は怪訝な表情を向ける。

 

「……隼鷹、キミ」

「ごめんごめんて。でもさキミたち、今アタシが言った事、本当に絶対有り得ない話ってきっぱり言い切れる?」

「それは……」

 

 無い、と頭では考えていても、結局三人共顔を見合わせただけで、言葉にはできなかった。

 

 そう、悲しい事にそれらの可能性は決して否定できないのである。

 むしろ現状の鎮守府の状況を鑑みるに、事は時間の問題と言っても過言ではない。一部の主に戦艦空母組に見られる錯乱したとしか思えない年中提督ジャンキー組を除いたとしても、提督を慕う娘は多い。

 それが敬愛なのか情愛なのか友愛なのか、必ずしも恋慕のものとは限らないだろう。が、それらも何かのきっかけ一つだ。慕うという事は、つまり好意を抱いているのだから。

 なにより普段は生真面目で大人しい娘でも、提督絡みとなると簡単に理性のタガが外れてしまうのが困りものだ。現状提督側には全くその気が無いと言うのも、反ってヤキモキを加速させる扇情効果を伴ってしまっており、本人は何もしてないのに『提督は焦らし上手』という実に不名誉な称号が勝手に独り歩きしているぐらいなのだし。

 

 つまるところ。

 

「……絶対無いって自信もって言えん所がホンマ悲しいところやで」

 

 手に持ったジョッキを置くと同時に、今日一番の大きな、それはそれは大きな溜め息が龍驤の口から零れ落ちる。

 

「仮に誰かの策略で、提督の意思関係なくそういう関係を持ったとして、それを提督が一夜の過ちと割り切れるならまだ良いかもしれないけど」

「たぶん司令官さんの事だから……」

「まあ、無理やろなあ」

 

 満場一致の答えに、隼鷹が杯を片手に苦笑を浮かべている。

 責任感の強い提督の事だ。例え自身に全く非が無くとも、結果として関係を持った事を知れば、最後まで責任を取ろうとする事は目に見えている。

 

「いっその事、明石さんか妖精さんに提督専用の媚薬でも作ってもらっちゃう?」

「な、なにをとても魅力的な――いえ興奮する――ちがう馬鹿な事を!」

「高雄さん……それでも司令官さんの場合、気が緩んでるとかで運動や鍛錬で発散しちゃいそうな気がしますけど」

「どんだけやねんそれ……」

 

 仕事面では優秀で頼りがいがあり、部下である艦娘の心の機微には聡いのに、自身の事――特に好意や恋愛が絡むと途端に不器用になるのはどうしてなのか。

 それがまた彼の魅力でもある――のだが、やはりどこか悶々としてしまう彼女たちである。

 

 とはいえ、

 

「こほん……それでも最近は定期的に食堂に顔を出してくれたり、私たちのために休日に時間を割いてくれたりと、以前よりは数段積極的になってくれてるわ」

「任務の事以外にも司令官さんの方から、よく話をしてくれるようになりました」

「前はどこか遠慮しとった駆逐の子らも、今は毎日誰かしら司令官に突撃しとるしな」

 

 提督は前向きに努力をしてくれている。

 彼なりに思うところもあるのだろう。そもそも職場で男一人、上司と言う立場、加えて部下とは言え多くの異性と衣食住を共にしているという環境に、ストレスを感じないわけがない。

 それをおくびにも出さず、ぶっちゃけた話、彼ともっと一緒にいたいという艦娘側の我儘に提督は律儀に応えようと頑張っている。

 

 やり方こそ不器用で決して上手くはない。だが、だからこそ、

 

「ま、そんな提督だからさ。将来誰かと結ばれるとしても責任とかそんなんじゃなくて、本当に自分が心から好きになった人と結ばれてほしいじゃん?」

 

 心なしか口調が柔らかい隼鷹に三人は力が抜けたように脱力して頷いた。

 なんだかんだ結局はそこなのだ。金剛も大和も加賀も皆、本心ではそれを望んでいる……たぶん。実際、提督が本気で困るであろう事は誰一人としてした事は無い。たまに暴走する事こそあれど、それは相手を想っているからこそ。好きだから、好きになってもらいたい。いつか来るかもしれないその時のために自分磨きを続けていくしかないのだ。

 

 そう、分かっている。分かっている……のだが、

 

「……でもやっぱり、もうちょっと司令官さんとの時間が欲しいです」

 

 頬を少し染めつつ人差し指同士をくるくると回しながらの羽黒の言葉に、隼鷹以外の二人がべしゃと机に突っ伏してしまう。

 理解できるからと言って、そう簡単に欲が無くなれば苦労はしないのだ。というか酒の席で、愚痴や不満を我慢なんてできるわけがない。

 それとこれとは話が別、というやつである。

 

「……っ! あそこでパーをっ! パーさえ出しておけばっ!」

「やっぱ根に持っとるやん……」

「人の事ばっかり言ってますけど龍驤あなたはどうなんですっ!?」

「ど、どうって」

 

 涙目な高雄の逆恨み的な言葉に思わず気圧されてしまう龍驤。

 更にここで羽黒が少しだけ羨ましそうに、

 

「龍驤さんは四人の中で一番古株ですし、司令官さんとは一番仲良しさんですもんね」

「おっなんだなんだー? 正妻の余裕ってやつかー?」

 

 そんなからかいとも八つ当たりとも思える事を言われてしまう始末。言うまでも無く皆、出来上がってしまっている。同時にそれは龍驤とて同じ。普段なら軽くあしらえるこんな揶揄いも、酒と溜まっている不満の前では跡形もない。

 

 服の裾をぎゅっと握りながら、龍驤にしては珍しいどこか拗ねたような表情で、

 

「古株言うたって初期メンバーちゃうし、キミらと違ってウチ、こんなちんちくりんやし……そりゃまあ、たまには一緒におれたらなんて思うけどやな」

 

 古参だからこそ、遠慮してしまう部分もある。なまじ達観してしまっている分、金剛や大和のようにドストレート直球一本勝負というのも難しい。

 加えて身体がコレだ。恨めしいほどスタイルが良い周囲に囲まれて、女の魅力で直球勝負など分が悪いどころか滑稽でしかない。

 

 ――一応、体操とか飲み物とか色々試してはいるんやけどもなー。

 

 真上から見てもストンな自分の体型に半笑いを浮かべる龍驤。

 そんな彼女の背中を隼鷹が励ます様に右の手のひらで大きくバシンと叩いた。

 

「そう落ち込みなさんなって。提督がロリコンって可能性も捨てきれないじゃん?」

「そうなったら龍驤大勝利、ね。ライバルは駆逐艦だけど、龍驤は現時点で合法ロリだし」

「羨ましいです龍驤さん」

「もしかしなくてもキミら、ウチで遊んどるやろ?」

 

 本日何度目かの溜め息と共にジト目を向ける龍驤に、周囲はどこ吹く風でつまみをつついている。

 気兼ねなく話せる仲間内だからこそだが、彼女たちは彼女たちでなかなか良い性格をしている。

 

「まー、逆にもし提督がデカい胸が好きじゃなかったら、龍驤以外ここに居る面子は全滅だけどな! あっはっはっは!」

 

 そして全く空気を読む気がないお気楽軽空母の高笑いに反比例するかのように、今度は向かい側の二人のテンションがダダ下がっていく。

 酒の席なのに暗い表情で黙々とつまみをつまむ集団というのは実にシュールな光景でしかない。

 

 まるでお通夜だ。だがしかし、そんな状況を打ち破ったのもまた諸悪の根源でもある隼鷹の言葉だった。

 

「そんな君達に朗報だ」

 

 怪訝な顔を向ける三人に、隼鷹は稚気を含んだような表情を返してくる。右手には携帯の画面、それをひらひらとこちらに向けて振っている。

 先ほどからこそこそ何かをしているとは思っていたが、どうやら誰かと連絡を取っていたようだ。

 

 ――しかし誰と……?

 

 そんな事を考えていた矢先、来店を知らせるために掛けられた鈴の音が店内に響き渡る。次いで、ガラガラと誰かが扉を開ける音。

 視線の先にはそれまで厨房に立っていたはずの鳳翔がぱたぱたと扉へ駆けていく姿。

 

 そんな店主の姿をなんとはなしに眺めながら、

 

「珍しいですね、鳳翔さんが店先まで出迎えるなんて」

「なんだか、とても嬉しそうな表情をしてたように見えましたけど」

 

 枝豆を皮から外しながら、適当に駄弁る重巡二人組。

 

「そりゃ当然さ」

 

 対する隼鷹の含みのある言葉遣いに、龍驤がどういう事か尋ねようとして――返答が帰ってくる前に問いの答えが三人の目の前に現れた。

 

「遅れてすまんな。少し残務処理に時間が掛かった」

 

 ――白の軍服の上着を手に掛けて、少しラフになった格好の、先ほどまで話題に挙がっていた人物が。

 

「て、提督!?」

「し、司令官さん!?」

 

 枝豆をスポーンと飛ばしながら、驚愕した表情で思わずハモる二人。

 彼の後ろでは、普段より三割増しに素敵な微笑を携えた鳳翔が上着をいそいそと預かっている。どうりで嬉しそうだった訳だが、扉の開け方と音だけで分かるとは、鳳翔も大概である。

 ちなみに飛んで行った枝豆はちゃんと妖精さんがキャッチしてモゴモゴしている。

 

「ど、どうぞ提督! こちらが空いていますのでっ!」

「ああ、ありがとう高雄」

「司令官さん! こ、このほっけがとても美味しいので……っ」

「わざわざすまないな羽黒。頂こう」

 

 サプライズで現れた提督を高雄がちゃっかり自分と羽黒の間に座らせ、羽黒が今日のおすすめを嬉しそうに提督に教えていく。先ほどまでお通夜みたいな雰囲気だったというのに、彼の登場によって場が嘘のように明るく楽し気なものに変わってしまう。

 露骨に単純やなあと思いながら、龍驤は視線と共に隼鷹に小さな不満を投げかけた。

 

「隼鷹キミ……最初から知っとったやろ?」

「さあね」

 

 その言葉に、隼鷹は杯を傾ける事で誤魔化した。そのまま、いつものように飄々とした表情で彼らとの会話に交ざっていく。

 全く、相も変わらず掴みどころのない同僚で、振り回されっぱなしある。

 

 それでもまあ――

 

 

「龍驤」

 

 

 名を呼ばれ、肩が跳ねる。

 穏やかな、決して大きくはない落ち着いた声音。だというのにその音は温かい陽だまりのように少しづつ心に沁み込んでくる。

 

 ――ウチも人の事言えんなあ。

 

 振り向くと、いつも見ている穏やかな彼の表情と共に、手に持ったグラスをこちらに向けてくる姿。昔に比べて、随分と彼も肩の力を抜けているようだ。

 

 緩む頬を自覚しながら、龍驤もグラスを手に持ち、彼のグラスに近づける。

 我ながら単純な心に苦笑を一つ。

 

 だがしかし、それも仕方がない。

 

「今日もお疲れ様。その上で悪いんだが、あと少しだけ私の話に付き合ってもらえると助かる」

 

 カチン、と音を立ててお互いのグラスを合わせる。

 こみ上げる感情を抑える事もせず、龍驤は今日一番の表情で無邪気に笑う。

 

 だって仕方がないのだ。

 

「しゃーないなー! それじゃこの龍驤さんが満足するまで付きおうたる! 今日は飲むでー!」

 

 

 ――今までもこれからも、この温かな陽だまりからは逃げられそうにないのだから。

 

 




 今更ながらにアーケードを触ってみたけど、あれ操作難しくないですかね?
 


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第五十五話 親潮とお泊り

 今回は非常に甘々に仕上がっとります(意図的ではない


 

 月に一度の本営会議の帰り道、本日の随伴艦であった親潮は何故か全身ずぶ濡れ姿で、とある場所の扉の前に立っていた。隣には提督が、同じように髪から水を滴らせながら立っている。

 

「司令、こちらのお部屋です」

「ああ、ありがとう親潮」

 

 フロントで貰った鍵を差し込み、部屋の中へと二人して入室。電気をつけ、殺風景で特に特徴のない部屋を見渡しながらどちらからともなく、小さく溜息を一つ。

 

 場所は本営会議の開催場所と鎮守府の丁度中間に当たる場所にある、所謂ビジネスホテルだ。格安という事もあって泊まる以外のサービスはほぼ無いに等しいが、そこに目を瞑れば特に面白みのない普通の宿泊施設でしかない。

 問題は何故二人がそんな場所にずぶ濡れ姿で立っているのか、という理由なのだが、

 

「しかし参ったな。まさか土産屋に立ち寄ったところで、ここまでの大雨に見舞われるとは」

「はい……まさか公共の交通機関まで麻痺してしまうなんて」

 

 単純に雨に降られたから。

 とは言え雷と風を伴った台風並の大雨だ。おかげで交通機関も麻痺してしまい、立ち寄った土産屋で立ち往生。暫くその場で待機してみたものの、復旧のめども立たず、仕方なく一番近い宿泊所であるこの場所へと走る羽目になったというわけである。

 ちなみに土産屋に雨具の類は置いていなかった。

 

「でも、やっぱり皆さん考える事は同じなんですね」

「残っていたのがこの一室だけとは……他に選択肢が無かったとはいえ、すまんな」

「い、いえ、そんな!」

 

 提督の言葉に、タオルで濡れた髪の水気をふき取っていた両手を、慌てて胸の前でわたわたと揺らす。タオルで提督の表情はよく見えないが、きっと気遣いの言葉なのだろう。その心遣いに感謝しながら、同時に今日は提督と一晩同じ部屋で二人きり、という状況に鼓動が早鐘を鳴らしだす。

 

 ――どうしよう……なんだか凄い胸がドキドキしてきた。

 

 そんな事にはならないと頭の中では分かっていても、気にしないで平静でいられるほど親潮も大人ではない。というか大人びていて忘れられがちだが、彼女も駆逐艦娘である。

 とにかく落ち着けー落ち着けーと胸に手を当てて何度も深呼吸を繰り返す。こんな時は普段の事を思い出そうと、同部屋の黒潮の顔を頭に思い浮かべてみる。

 

『こんな美味しい状況、押し倒したもんがちやで、グッジョブ親潮』

 

 すると脳内には見事に満面の笑みでサムアップした黒潮の姿が。

 

 ――っばかばかばか! 黒潮さんのばかっ!

 

 その姿に、慌てて両手をぱたぱたさせて妄想の中の黒潮を打ち消す親潮。本人が言った訳ではないのに、見事に責任転嫁される辺り、黒潮の日頃の行いが見て取れるというものだ。

 

「親潮」

「は、はい!」

 

 なおも一人百面相を続ける親潮に提督から声が掛かる。

 

「先にシャワーを浴びて来ると良い。濡れた服のままでいると風邪を引いてしまう」

「あ、え、いえ! それならば司令がお先に」

 

 気を遣われっぱなしで恐縮した親潮は、ぶんぶんと首を振って否定の言葉を挟み込む。

 気持ちが伝わったのか、提督は少しだけ頬を緩めて、

 

「軍服は厚地で水が沁み込みにくいし、私は後で良いさ。それとは別に先に鎮守府に連絡を入れて置く必要もあるし、遠慮しなくていい」

「そう、ですか」

 

 言われて、親潮は先程までタオルで見えなかった提督の顔を視界に捉え――思わずその姿に目を奪われた。

 

 ――司令の髪が無造作に掻き上げられて……うわあ。

 

 有体に言って、現在の提督は凄くワイルドだった。

 雨に打たれた後タオルで軽く拭いたためか、無造作に掻き上げられた前髪。元々彫の深い顔立ちの提督なのだ、この雑多で男らしい髪型が似合わない訳がない。加えて、濡れた上着とシャツは現在ハンガーに掛けられており、上に身に着けているのは黒のインナーのみ。引き締まった肉体に密着するようなインナー姿は、鍛えられた筋肉を強調させ、ワイルドさや男らしさ、引いては普段の提督には無い野性味を如実に感じさせる姿になっている。

 

 以前、海に行った際の青葉による提督のオフショット写真が光の速さで完売した背景には、こんな理由があった事を親潮はここで初めて理解することができた。

 ぶっちゃけた話、親潮には今の提督の姿は刺激が強すぎた。

 

 意味も分からず、下腹部が熱くなる。じわじわと微熱に犯されるように、頭もくらくらして正常な判断ができなくなる。もし、この時一緒に居たのがそう言った事に純粋な親潮でなく、ある程度精神が成熟した大人組の誰かだったならば、この時点で提督を押し倒していた可能性は否めない。

 

「どうかしたか? 親潮」

「!? あ、や、なんでもありません!」

 

 見かねた提督の心配そうな表情と言葉に、親潮ははっと我に返り、一拍置いてカァーと自分の顔が茹だっていくのを自覚する。穴があったら入りたい……それもこれも全部黒潮さんの所為です、と一人呟く親潮による黒潮への風評被害がとどまるところを知らない。

 そんな親潮の姿に、何を思ったのか提督もはっと何かに思い至ったかのように非常に申し訳なさそうな表情で、

 

「すまない親潮、配慮が足りていなかった。親潮がシャワーを浴びている間、私は部屋を出ておくから。終わったら私用の携帯の方に連絡を入れてくれ」

「ま、待ってください! 違います! 違うんです!」

 

 この状況でも平常運転な提督が部屋を出ていこうとするのを、涙目で止めようとする親潮。

 結局、親潮がシャワー室に入ったのは『提督になら見られても構いませんっ!』などと暴露してたっぷり十分ほど提督を困らせてからの事だった。

 

 

 

「…………」

 

 シャワーヘッドから噴出する湯を全身に浴びながら、頭から胸、お腹、腰からつま先へと冷えた身体をほぐしていくと同時、親潮は先程までの自分の行動を思い出し、壁に手を付いて、ズーンと頭を垂れた。

 

「あたしは一体司令の前で何を……」

 

 おかしい、こんなはずではなかった。本来なら普段通り冷静に凛々しく提督をお守りする筈だったのに、何がどうしてこうなった。

 ……いや、理由は分かっている。分かった上で、こうやって誤魔化しでもしないと恥ずかしくて身悶えしそうなのだ。

 

「とにかく、これ以上司令に迷惑をお掛けしないようにしないと」

 

 身体を念入りに洗いながら、ふんすと鼻を鳴らす親潮。こうしてキリッとした表情をしていれば、如何にもデキる女性という雰囲気が出て、普段の親潮らしく恰好も良い。

 が、何を思い出したのかすぐに相好を崩して、

 

「でもさっきの司令……恰好良かったな」

 

 陽炎曰く、外見は真面目な委員長タイプだが、中身は意外と突発的な出来事に弱い若干のポンコツ臭漂う愛すべき妹という側面が漏れ出ている。

 次の写真即売会ではあたしも頑張ろう、と既に思考と目的がズレてきている事にすら気が付いていない辺り、これまた業が深いと言わざるを得ない、と言っても、提督が絡むと若干ポンコツになるのは皆一緒なので一概に親潮が残念だという事にはならないのだが。

 

 そのまま、髪を洗ってもう一度身体を洗い流した後、脱衣所に出た親潮は着替えを出すために鞄を探り、そこで初めて新たな問題へと気が付く事になった。

 

「しまった……日帰りだったから上の服の替えがありません」

 

 壁に掛けてある水浸しの上着を見て、歯噛みする。

 幸いにも下着は予備を持ち歩いていたし、スカートは少し乾かせば履けるレベルにはある。だが上の服は無理だ。これを着てはシャワーを浴びた意味がない。

 

「宿泊だけの施設だから、着替え用のローブとか無いですよね」

 

 案の定、置いてあるのは薄いタオルが数枚だけと、流石にこれで親潮のスタイルの良い身体を隠すには心許ない容積の物しか見当たらない。

 仕方が無いので、携帯で部屋にいる提督に助けを求める事にする。可能性は低いが、もしかしたらフロントに予備の寝間着が置いてあるかもしれない。

 

 数分後、脱衣所の扉の奥から提督の声が届く。

 

「すまん親潮、一応フロントにも聞いてみたんだが、そう言った類の物は置いていないそうだ」

「そうですか……いえ、大丈夫です。お手を煩わせてしまって申し訳ありません」

 

 予想はしていたが、案の定の提督の言葉に親潮は平静を装って返事を返す。

 こうなってしまっては仕方がない。べたべたで不快ではあるだろうが、もう一度着ていた服を着るしかない、と壁に掛けておいた元の服に手を伸ばそうとして――

 

 ――それより先に、脱衣所の下の隙間からすっと差し出された白い布のような何かに手が止まった。

 

「司令……これは?」

「……私の予備のシャツだ」

 

 提督の答えに思わず手に持ったシャツを取り落としそうになった。慌てて抱き留めて、恐る恐る広げてみると確かにそれは長袖のシャツだった。男物の、提督が好みそうな無地の白シャツ。それなりの頻度で着用しているのか、こなれた感じに生地が手に馴染むような気がした。

 

「あたっ……親潮なんかに、いいのですか?」

「ああ、新品を用意できなくて申し訳ないが、あ、いや、ちゃんと洗濯はしてあるから安心してほしい。多少大き目だが、今日着る分には問題はないと思う」

 

 提督の慌てたような言葉にふっと笑みが零れた。まるで宝物を守るかのように、親潮は両腕でシャツを抱きしめる。

 

「ありがとうございます、司令」

「気にしなくていい」

 

 冷える前に着なさい、と言い残して脱衣所の扉の前から提督の気配が離れていく。

 内心でもう一度礼を伝えて、親潮はシャツを近づけて控えめに鼻をすんすんと鳴らす。

 

 恐らく提督の鞄に入っていただろうそれは、遠征後に抱きしめられた彼の陽だまりのような匂いと同じ香りがして――

 

「これが噂に聞く彼シャツ……というものでしょうか」

 

 そんな意味の分からない事を言って、キラキラとした瞳で暫くシャツに顔を埋める親潮であった。

 

 

 

 提督がシャワーを浴びたその後は平和な、親潮にとっては非常に充実した時間が過ぎていった。

 彼に借りたシャツは予想通りぶかぶかで、時折肩が覗いたりと割と目のやり場に困る恰好になった上、普段のスカートに大きめの男物のシャツと言う、妙なアンバランスさで親潮が定期的に鼻を鳴らすたび、提督はなんとも言えない気持ちになったが、親潮が幸せそうだったため全てを飲み込んだ。

 

 ちなみに提督は黒の長袖シャツに予備の軍服の下を身に着けるラフな格好で、親潮が記念に一枚と写メった画像を密かにスライド式の待ち受け画面に設定した事には気づいていない。

 

「流石に外も出歩けないとなると、自動販売機で売っている即席食品でもありがたいですね」

「そうだな。湯を入れて数分でこの出来、というのは革新的だ」

「ふふっ、司令は即席食品がお好みなのですね。でも食べ過ぎは身体に良くないので、鎮守府に戻ったら親潮がバランスの良い食事をご用意致します」

「……親潮は良い嫁になりそうだ」

「っ! けほっ! こほっ!」

「す、すまん。軽率な言葉だった」

「い、いえ、そんな事は、決して」

 

 そんな談笑を続けながら、二人で簡単に夕食も取った。

 この状況では流石に作りたての食事という訳にもいかず、併設されていた自動販売機に売っていた所謂カップ麺で妥協する事に。とは言え最近の即席食品は味も良く、食べられるだけでもマシなので文句も無かったが。

 ちなみに提督は何処か嬉しそうだった。

 

 それからの時間はあっという間だった。

 TVも本も無いため基本的に親潮が話して、提督が聞くという会話のみだったが、時折挟まれる彼の人生のエピソードが面白く、また、心地いいタイミングで打たれる相槌に親潮はついつい夢中になって話続けた。もし今の彼女に尻尾があれば、竜巻が起こっていると錯覚するほどには夢中に。

 また、提督は決して口数の多い方ではない。だがその分、聞き上手である事を親潮は改めて知った。その表情は、普段の実直で真面目な彼女からは考えられない程で、親潮は終始、向日葵が咲いたように笑顔だった。

 

 結局、最後まで話は尽きず、日付が変わった辺りで明日に響くといけないからという理由で提督がやんわり止めるまで親潮の尻尾ブンブンタイムが止まる事は無かった。

 それでもなお少しだけ名残惜しそうな親潮に、また今度必ずと約束を取り付けて、二人して就寝前の身支度を整える。

 

 そうして、後は寝るだけという段階で、最後の問題が浮上した。

 

「ベッドが……」

「……一つしかないな」

 

 話に夢中で忘れていたが、そう言えばこの部屋はシングルだった。元々シングルだった所を無理やり二人で入れてもらったのだ、ベッドが二つもあるわけがない。

 ちらり、と提督の顔を窺い見る。すると彼はさも当然と言った感じで床に数枚タオルを並べ初め、

 

「ベッドは親潮が使ってくれ。幸いタオルはあるし私は床で寝る――」

「駄目ですっ!!」

 

 思ったより大きな声が出てしまった所為か、提督が驚いたように目を丸める。

 親潮は親潮で恥ずかしかったのか、しどろもどろになりながらも、ここは譲れないとばかりに眉尻に力を込めて見つめ返す。

 

「司令を差し置いて、親潮がベッドを使うなんてできません。私が床で寝ますので司令はどうぞ遠慮なくベッドでお休みになって下さい」

「いや、私の護衛のために付き添ってくれている親潮を床で寝かせて、私だけがのうのうとベッドで休むのは流石に」

 

 困ったような表情の提督に、しかし親潮も引く気はない。

 まるで平行線。だが、このまま居てもただ時間を浪費するだけ。何か手はないか、とお互い思案する中で、先に親潮がはっと何かを思いついたかのように顔を上げた。

 

 しかし直ぐに口にはせず、何故か瞳が泳ぎまくっている。

 

 これなら……でも断られたら……いや女は度胸……などと呟くのも束の間、一度大きく息を吸った後、親潮は若干気負い過ぎなような瞳で持って、提督に照準を合わせる。

 

 ――きっとこれが最善策。いえ、親潮が望んでいるとかそういうのではなく、現実的に考えて、うん妥当……なはず。

 

 緊張を悟られない様に、普段通りの表情で。そのまま親潮は静かに口を開いた。

 

「それならば司令――」

 

 

 

 

「窮屈ではないか、親潮」

「い、いえ大丈夫です、はい」

 

 間近から聞こえる提督の声に、親潮はなんとか平静を持って返事を返す。

 自分で提案しといてなんだが、この状況はなんというかやはり――

 

「……予想できた事とは言え、シングルのベッドに二人というのは些か難しいものがあるな」

「あはは」

 

 ――いろいろと危ないような気がしてならない。

 提督の胸の辺りを間近に、カチコチに固まった状態で親潮は一人思う。

 

 結局、親潮の二人でベッドを使うという提案に、最終的に提督が折れた形で決着がついた。最後まで苦悩の表情を浮かべていた提督だが、代案が無かった事が決め手になった。あまり渋りすぎては、親潮の善意を傷付ける事になる点も考慮してくれたのかもしれない。

 しかして親潮は思う。

 提督は昔に比べて随分と近しい距離に来てくれるようになった。少し前ならばこんなこと絶対に首を縦に振ってくれなかった提督だ。それだけでも嬉しく、笑みが零れる親潮である。

 

 とまあ、結論が出たのは良かったのだが、

 

 ――お、思ったよりベッドが狭くて、密着具合が……。

 

 親潮の内心は正直それどころでは無かった。

 二人が使っているベッドの容積が思っていた以上に小さく、今の彼女はほぼ提督の首から膝にかけての辺り――つまり提督の懐にすっぽりと抱かれる様な形で収まっているのが現状だ。平均と比べても大柄な提督が入れば、そうなるのは必然と言えば必然だが、なおの事心穏やかではいられない。

 

 一方、提督は提督で、この状況で不用意に親潮に触れるわけにもいかず、油を避ける水の様になんだかよく分からない方向に腕が伸びている。

 何も知らない人からすれば、お前その恰好で寝れるのかと言いたくもなるが、本人も大変なのである。

 

 だが、このままではお互い寝られない。特に提督の方は端に寄り過ぎで、ちょっとした拍子にベッドから転げ落ちそうな程である。

 親潮は逸る動悸を抑えて、

 

「司令、もう少しこちらに。そのままでは落ちてしまいます。あたっ……親潮の事はお気になさらず、大丈夫ですので」

「う、うむ」

 

 ゆっくりと寄ってくる提督の身体。そしてついに胸の前に置いた親潮の腕が、提督の胸の辺りに触れるところまで近づいて、やっと止まる。

 間近に感じる提督の存在と、ほのかに感じる男の人の匂いに心臓が爆発してしまいそうだ。

 

 ――あ、でも司令の鼓動も少し早い……?

 

 彼の胸に触れた腕から感じる鼓動に、提督も自分と居る事に何かを感じてくれている気がして、なんだか胸が温かくなった。

 

「電気、消すぞ」

「あ、はい。おやすみなさい提督」

「ああ、おやすみ」

 

 就寝の挨拶と共に、部屋の明かりが消え、完全な暗闇に変わる。

 同時に、それまであまり気にならなかった雷の音が、妙に大きく鮮明に聞こえ、親潮はぎゅっと目をつむった。

 雷は嫌いだ、暗い夜に良い思い出は無い。

 

 刹那、閃光のように部屋中が光ったかと思うと、雷鳴のようなひときわ大きな稲光と轟音が耳を劈いた。

 

「……っ!」

 

 身体が跳ねそうになるのをなんとか堪える。震える手で目の前の提督の服をぎゅっと握りたくなる衝動に必死に耐える。

 駄目だっ! 耐えろっ! 司令の睡眠の邪魔になってしまう!

 

 幾度目かの轟音に身を抱えて、耐え忍ぶ。

 どれくらいの時間そうしていただろう。

 

 

 ――そこでふと、親潮の絹の様な黒髪を何か温かいものが撫でてくれる感覚が。

 

 

 これは――

 

 引き結んでいた口から、吐息が漏れる。

 その主は何も言わない。ただ、ただゆっくりと穏やかに、優しく髪を撫で続けてくれる。

 まるで大丈夫だよ、と幼子をあやすように温かい大きな手で持って、静かに。

 

「……」

 

 全身から強張った力が抜けていく。同時に、それまであまり感じていなかった睡魔が急速に波となって襲ってくる。先ほどまでの不安や恐怖は不思議なほどに無くなっていた。

 親潮は、その温もりに身体を預ける。無意識の内に張っていた緊張の糸が切れて、意識が静かに霧散していく。

 

 数分後、その可愛らしい口からは繰り返し、穏やかな寝息が聞こえる様になっていた。

 

 

 

 

「……ん」

 

 早朝、目覚めた親潮は静かに時計の針を確認する。いつもより随分と早い時間に目が覚めたというのに、不思議な程、身体が軽かった。

 

 ふと隣を見ると、珍しくまだ穏やかな寝息を立てて眠る提督の姿が。

 そんな彼を横になったまま両腕で頬杖を付きながら、愛おしそうに親潮は眺める。

 

「司令、お疲れでしたもんね。うふふっ、司令の寝顔、可愛い。ずっと見ていようかな……あ、起きた時に目が覚めるよう、コーヒーを入れて差し上げよう」

 

 一頻り眺めて満足した後、親潮はそんな事を言って、楽しそうに湯を沸かす準備を始める。

 

 窓の外には――昨日の雷雨が嘘のように――澄み切った青空が広がっていた。

 

 

 

 ちなみに帰った後、黒潮を始め姉妹たちから一部始終を根掘り葉掘り聞かれたのは言うまでもない。

 

 




 甘すぎて我ながら砂糖吐いた。
 でも親潮は可愛い。


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第五十六話 グラーフと響と同志おっきいの

 
 ※設定の齟齬が見つかったため、一旦前回までの五十六話を引き下げました。
  修正ののち改めて投稿しますので、申し訳ありませんがしばしお待ちください。


「同志ちっこいの、相談がある」

「……人の部屋に入るときはノックするのが礼儀だって教えられなかったかい?」

 

 久方ぶりの一人での休日、部屋で一人写真を眺めていた響は口をへの字に曲げながら突然の来訪者へと向き直った。

 

「まあそう、つれない事を言うな。一時的とはいえ、祖国を共にした仲だろう?」

「同志おっきいの、もといガングートさん。そんなに肩をバシバシ叩かれると、痛い」

 

 入ってきたのはガングートだった。

 祖国をロシアに置く彼女は過去の艦としての経歴からか響を気に入っている様子で、度々こうして部屋を訪れては響と絡んで帰っていく。響としては穏やかな時間を度々脅かされているのであからさまに渋顔で、普段なら同部屋でいじり甲斐のある暁を差し出して難を逃れたりするのだが、残念ながら現在暁は遠征中だ。

 

「ふっ! その名はもう古い。今の私はオクチャブリすきゃ……オクチャひゅ……オキュ……ガングートだ!」

「言えてないじゃないか」

 

 最近改装してもらって新しい名前を貰ったらしいが、見事に言えていない。

 響もヴェールヌイというもう一つの名前を持っているが、特に気にしておらず周囲には好きに呼んでもらっている。特にガングートの方は新しい名前が長く覚えにくいため、慣れ親しんだ『ガングート』を皆使っているのが現状だ。

 

 まあそんな事はさておいて。

 

「それで、何の用だい?」

「うむ。だがその前に……おい、いつまでそこに隠れているつもりだ」

 

 ガングートの呼びかけに、扉の端からもう一人の人物が現れる。

 淡い金髪を靡かせながら白の軍服を基調に、その上からケープを羽織る少女――グラーフの登場に響は少しだけ瞳を丸くする。

 

「貴重な休暇の時間にすまない。邪魔をする」

「それはいいけど、珍しいね。二人が一緒にいるなんて」

 

 響の言葉にグラーフはガングートをチラリと見ただけで、ガングートはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いている。仲が悪いという訳ではないのだろうけど、特別良いという訳でもなさそうだ。

 だからこそ、疑問に思う響である。

 

「そこについては理由が……それは、アトミラールの写真か?」

 

 指摘をされて、響は自分の手元を見る。ベッドの上には先ほどまで眺めていた、彼女秘蔵の司令官アルバムが。

 

「そうだよ、私の宝物さ。見てみるかい?」

「いいのか?」

「見るだけならね」

 

 言って、グラーフにアルバムを手渡す。横にはいつの間にか寄ってきていたガングートがちらちらとアルバムを覗き込んでいる。宝物だからと言って、独り占めする気はない。もともと暁たちと定期的に鑑賞会をしているし、司令官の良いところを知ってもらえるのは嬉しい事だ。……売ってくれと言われたら、断固として断るところだが。

 

「……ふむ」

「あ、おい! ページをめくるのが早いぞ!」

 

 時折そんな掛け合いをしながら、黙々とページを捲る同志二人。ガングートの方は見た目通りのリアクションだが、グラーフの方は表情も変わらず、淡々とページを捲っている。元々クールな印象を持つ彼女だけに、いつも通りと言えばいつも通りだ。

 が、どこか気になる写真があるのか時折、結んだ綺麗なツインテールがふよんふよんと動いていたりする。

 

 微笑ましい光景だ。紅茶用の湯を沸かしながら、響は鼻歌交じりにカップを戸棚から取り出していく。暁たちが任務で不在のため、静かな休息日になると思ったが、案外そうはなりそうもない。

 二人の傍にも盆に載せたカップを置いて、金剛に薦められた紅茶に舌鼓をうつ。

 

「……優しい味だな」

 

 普段は司令官の事しか考えていないように見えて、実のところ周囲をよく見ている金剛の事だ、茶葉の種類に詳しくも無い響でも飲みやすい物を選んでくれたのかもしれない。

 

 暫くして、アルバムを一通り眺め終えたグラーフが、ふうという――何処か満足そうな――吐息と共に背表紙を閉じ、隣に置かれたカップに口を付けて、余韻に浸るかのように暫く目を瞑る。

 その様子に何処か満足しつつ、響はそのままアルバムを服の中に隠して持ち去ろうとする同志おっきいのを無言で捕獲。一息入れた後、本題へと向き直った。

 

「それで、二人の相談っていうのはいったいなんだい?」

 

 途端、二人の表情が真剣なものに変貌する。

 しかしこうして優雅に紅茶を飲みながら誰かの相談に乗るというのも、暁ではないが何処か大人っぽくて新鮮な気分だ。加えて相手は同世代の駆逐艦ではなく、戦艦、正規空母と押しも押されぬ立派な大人。

 思わず響が特に意味も無く足を組んで、優雅っぽいポーズを取ってしまうのも仕方がない。

 

「ああ、その事についてなんだが」

 

 なおも真剣な表情で言葉を続けるグラーフを、響もカップを揺らしながら静かに待つ。自然と背筋も伸び、胸も張って姿勢も良くなってきている気さえする。

 

 ――フフッ、暁、私は今着実に大人への階段を上っているよ。

 

 響は確信する。

 今ならどんな相談でも母なる海の如き広い心でもって解決へと導くことができる、と。

 

「アトミラールに抱かれるためにはどうしたらいい?」

「ブフォッ!?」

 

 そしてそのまま響は盛大にベッドへと背面ダイブを決め込むはめになった。

 油断していたところに見事なアッパーカットを喰らった気分だ。手に持っていたカップの中身を零さなかったのは奇跡としか言いようがない。

 

「急にどうした?」

「持病の発作か?」

 

 響の反応に不思議そうに且つ、怪訝そうに眉を顰めるグラーフとガングート。

 それはこっちの台詞だ、というツッコミを飲み込んでなんとか響は二人へと向き直った。

 

「二人共、気でも触れたのかい?」

「普通に失礼だな。我々は至極真面目に話をしている。でなければわざわざ休日を使ってまで相談に来たりはしない」

 

 不服そうな表情のガングートに、グラーフも無言で頷いている。

 ド平日の真昼間から大人二人に至極真面目な表情で、とんでもなく頭のおかしな事を相談されてしまっている。

 おかしい、今日は優雅で落ち着いた一日になるはずだったのに。

 

「迷惑か?」

「いや、迷惑とかいう次元の話じゃないと思うんだけど」

 

 グラーフの真剣な表情に思わず口ごもってしまう。

 海外はそういった方面に開放的だと聞いてはいたが、よもやここまでとは。煩悩が服を着て歩いていると噂の大和でも、もう少し言葉を選んでいる。

 

 ちなみにだが、当然響にはそういった経験はない。ただ知識欲が旺盛なだけに、ネットや雑誌などで知識としては知っている程度だ。また、大人のお姉さま方に紛れてR指定の映画を見ていたりと、言うなれば――

 

『……しまったな。昨日興味本位で開いたサイトの所為で変な想像が』

 

 ――そう、彼女は割とむっつりであった。

 

 そんなむっつり響の頭の中に、一つの疑問が浮かび上がる。

 

「そもそもさ、なんで私に相談を?」

 

 そう言った類の相談ならば、駆逐艦の響以外に適任は大勢いたはずだ。少なくとも響がグラーフ達の立場なら、自分に相談に来たりはしない。

 

「なんだ、謙遜か?」

「は?」

 

 ガングートの言葉にハテナが飛ぶ。

 

「ここに来る前に噂で色々と聞いた。この件について響、君が特に経験豊富だと」

「……はあ!?」

 

 続いて発せられたグラーフの一言に、響は思わずすっとんきょうな言葉を上げた。

 

「け、経験豊富って、そんなわけないだろう!? だいたい相手は誰になるんだい相手はっ!」

「何を言っているんだ同志ちっこいのは。そんなものアトミラールに決まっているだろう」

「……んぁ?」

 

 スコッと入ってはいけない場所に空気が入って、響の口から奇妙な音が零れ落ちる。

 みるみるうちに頬が赤くなる響。頬がひくひくと引き攣って、涙目でぱくぱくと口からは意味も無く空気が漏れ出している。

 

「なんだ、違うのか?」

「違うにきまっている! 私はそんな経験をしたことはまだ一度も無いっ!」

「そうなのか……意外だな」

「意外って!?」

 

 叫びながら、響は一人頭を抱えてしまった。

 いつから自分は司令官とそんな関係になったのか。想像するだけでちょっと嬉しいやら恥ずかしいやら、そんな良くわからない感情に瞳をぐるぐるさせる六逐のむっつり担当、響。

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、グラーフが更なる追い打ちをかけてくる。

 

「いやなに、聞いたところでは駆逐艦はほぼアトミラールのそれを経験済みだと言うからな、つい」

 

 …………は?

 

「あ、え、いや、それはなんの冗談だい?」

「冗談などではない。この件についてはちゃんと本人たちから言質を取っている」

 

 な、え……おう。

 言葉が上手く言語化できない。一体何がどうなって……自分以外の駆逐艦は既に司令官と? え、嘘。いやだ。

 混乱する響。

 そこに無慈悲にもとどめを刺す同志でっかいの。

 

「そういえば今日は、他のちっこいのは任務か?」

「……遠征だよ」

「そうか、それは残念だな」

「……何故?」

「それは貴様達、いや、違ったんだったな。同志ちっこいのを除いた他の三人は特に経験豊富だと聞いたからな。ついでに話を聞きたかったんだが、いやはや残念だ」

 

 ――嘘だ。

 あの純真無垢だと思っていた暁が電が雷が……いや雷ならちょっとありえそうか。

 電なんて普段は『はわわー! なのです!』なんてほわほわふわふわしていると思ってたのに、裏ではこっそり司令官の司令官を司令官していたなんて……ふぐう。

 

 曖昧な知識と相まって響は目の前が真っ暗になる。

 なにより自分一人だけが、という思いが胸をジクジクと痛めつけてくる。

 

「…………」

 

 気が付けば、響の綺麗な瑠璃色の瞳からぽろぽろと滴が零れていた。

 そのまま倒れる様にベッドに蹲ってしまう。完全にイジケモード突入だ。

 

「まあそんなに気にするな同志ちっこいの」

「……どうせ私は無様に踊る哀れな不死鳥」

「話によると軽巡にも経験済みなのが多いらしいな」

「……司令官の節操なし!」

「理由は分からないが、重巡以上はほぼ経験が無く皆不満がっているそうだ」

「……司令官のロリコン!」

 

 ベッドにうつ伏せになったまま、ふごふごと響は文句を言っている。ここまで来ると流石に違和感に気が付きそうなものだが、絶賛イジケ中の響にそんな余裕があるはずもない。

 

「そうは言うが、響は私たちと違って駆逐艦だ。これから先でも、いくらでもチャンスがあるだろう」

 

 ――グラーフは冷静に言うが、チャンスがあっても恥ずかしくて活かせる気がしない。

 

「そうだな。過去には12人同時という前例があるだけに、希望はあるだろうな」

 

 ――希望? 絶望の間違いでは? というか、司令官の身体は大丈夫なのか? 干からびてない?

 

「どちらかというと中にいるよりも外にいる時の方が可能性は高いとの事だ。やはり積極的に行くべきなのだろうな」

 

 もはや言葉も無い。響はただの屍のようだ。

 

「一番確率が高いのはやはり遠征任務なのだろうが、我々では非効率すぎて参加できないのが口惜しいところだ」

 

 ――なるほど遠征後の火照った身体を開放的な野外で……って、ん? 遠征?

 

 そこまで聞いてようやく、響の心に疑念のようなモヤっとした何かが湧き上がる。

 なにやら自分はとんでもない勘違いをしているようなそんな、確信めいた何かが。それを確かめるために響はベッドから起き上がり、二人の前に向き直った。

 

「念のため聞くけどさ、二人は司令官に抱いてもらいたいんだよね?」

「そうだが?」

「それってつまりどういう意味?」

 

 本来ならば、最初に聞いておくべきではあった。

 そのまま声を合わせて、二人は答える。

 

『意味も何も、言葉通りハグと同じ意味だが?』

 

 その言葉を聞いて響はニッコリと、それはもうニッコリと笑顔を張り付けた表情を二人に向ける。

 

 遅れて、世界を揺るがす地鳴りのような『урааааааааа!!』が鎮守府中を駆け巡った。

 

 

 

 

「任務終わりの司令官のご褒美のハグが気になって来ただけ……?」

 

 二人との間にあった誤解を解いた後、改めて詳しく説明を聞いた響はひと際大きな溜め息を吐いて、背中からベッドへと倒れ込んだ。

 なんてややこしい。最初からそう言ってくれていればこんな苦労はしなかったのに。

 

「だからさっきからそう言っているだろう。今日の同志ちっこいのは変な奴だな」

「うるさいな。日本語にはいろんな意味があるんだよ。それにそれなら私だって経験がある」

「…………」

「貴様はいつまでアトミラールの写真を見ているんだ」

「これは……焼き増しとかはできるのか?」

 

 よっぽど気に入った写真があったのか、グラーフがそんな事を聞いてくる。

 このままではまた話が逸れそうだったので、特別に焼き増しの約束をしてから――ちゃっかりガングートも選んでいた――話題を本筋へと戻す事にする。

 

「まあ、目的は分かったよ。でも、理由はなんなのさ。二人の事だから、純粋に司令官にハグしてほしいわけじゃないんだろう?」

 

 常識人の二人の事だ、金剛や大和のようにただ羨ましいからと駄々をこねている筈もない。

 何か合理的な、響には理解し得ない複雑な理由がある。そう考えて、ふとグラーフと目が合うと、ふいにプイッと顔を逸らされた。むむ?

 

「うむ、理由は主に二つある。同志ちっこいの、貴様、アトミラールに抱かれる時、何か感じた事はないか?」

「ハラショー、最高だね」

「…………っ!」

「待て、なぜ貴様が立ち上がる。違う、そうじゃなくもう少し具体的に」

「身体がふわふわして、なんだかとても良い匂いがするんだ」

「…………っっ!!」

「いいから貴様は座ってろ! いや、確かに興味はそそられるが……まさか、本人には自覚がないのか?」

 

 何やら一人思案顔のガングート。

 彼女が何を言おうとしているのかが、響には分からない。

 響は今一度、思い返してみる。

 

 ガングートは司令官に触れた時に何かを感じなかったかと言った。

 それはつまり司令官にハグされる前と後、触れられる前後で、感覚的な違いが無かったかという事だ。

 

 司令官のハグは心地が良い。優しく、時には強く抱きしめられる事で帰ってきたという安心感を得られるし、自分の居場所を、帰るべき場所を強く感じる事が出来る。

 どんなに辛い航路だったとしても、司令官に触れて、頭を撫でてもらえる事で自然と疲れも……疲れ?

 

「……そういえば、司令官にハグしてもらった後は、不思議と疲れが消えているような」

「やっぱりな。本人たちは気付いていないかもしれないが、アトミラールに迎えてもらった艦娘はだいたいが戦意高揚状態――この国の言葉ではキラ付けだったか? とにかくキラキラが迸っていた」

「その後の任務結果にも、少なからず影響が出ていると、大淀も言っていた」

 

 ガングートとグラーフの言葉に、響は感心と共に驚いていた。

 皆が楽しみにしていた司令官のハグに、そんな効果があったとは。

 いや、確かに以前、遠征後に一緒に補給に向かっていた雷が、優しい心を持ちながら激しい怒りに目覚めた戦闘民族の如く輝いていた事があったが、そういう事なのか。

 

「個人差はあるだろうが、な」

「驚いたな。他の鎮守府でもそんな事はあるのかい?」

「詳しくは分からん。だが少なくとも、以前私が居た場所ではそんな事例は無かった」

「私のところも同じだ。ただ、古来より艦と指揮官は深い結びつきにある。過去にはアトミラールと固い信頼で結ばれた艦娘が、より高い次元の加護を受けたという逸話も残っている」

「……そうなのか」

 

 なんだか難しい話になってきた。

 でも、悪い気は全然しなかった。どころか、響はとても嬉しかった。

 だってそれは、司令官との絆の証なのだから。

 

「一つ目の理由は分かったよ。それで、二つ目は?」

 

 艦娘に対する好影響、それだけで二人が興味を持つ事は十分理解できる。

 ならば二つ目は?

 これ以上の理由など思い浮かばず、こてんと顔を傾げて疑問を浮かべる響に、ガングートは腰に手を当てて憮然とした表情で答えを口にした。

 

「そんなもの、羨ましいからに決まっているだろう」

 

 ズコー、と――実際には動いてはいないが――響は心の中で盛大に転げた。

 作戦会議における重役みたいな顔して何を言ってるんだこの同志おっきいのは。一つ目の理由に対して、二つ目の理由が軽すぎるだろう。

 ……いや、気持ちは分かる。分かる……が、こうも開けっ広げに言われると、呆れた表情にもなるというものだ。

 

「なんだその人を小馬鹿にしたような目は。そもそもだ、なぜアトミラールは我々にハグせんのだ? いつもいつも駆逐や軽巡のちっこいのばかり……おまけに全員が全員、幸せそうな顔しおってからに! なんだ? 見せつけているのか? それに対して私はどうだ、一度だけ『期待している』と軽く肩を叩かれたくらいか。いや、あれはあれで悪くは無いが……だいたいだな――」

 

 妙にヒートアップして、ぶつぶつと小言を続ける同志おっきいの。

 あ、これは聞かなくていいなと、即座に判断した響は彼女を無視して横で静かに座るグラーフへと向き直った。

 

「二つ目の理由って、グラーフさんも同じなのかい?」

「まあ、否定は……しない」

 

 相も変わらず、グラーフは短く簡潔な答えを落ち着いた声音にのせてくる。それだけを見れば普段通りだが、今は深いグレーの相貌を少しだけ逸らして、肩に垂れた綺麗な金色の髪の毛先を右手でくるくると弄っている。

 自然と、冬の白雪の様な肌もほんのりと赤みがかっているようだ。

 

「……なぜ笑う」

「ごめん、つい、ね」

 

 少しだけ拗ねたような表情のグラーフが妙に可愛くて、響は謝罪を挟みつつ微苦笑を一つ。

 小さく溜息を吐いて、グラーフがその綺麗な深いグレーの相貌をこちらに向けて来る。

 

「響、私も君に一つ聞きたい事がある。奴も言っていたが……アトミラールは何故我々に触れようとしない? 特に重巡以上の艦娘に顕著だが、駆逐や軽巡には比較的、肉体的接触を許しているのだから女性不信というわけではあるまい。これまでの経緯から彼が我々艦娘の扱いに差を付ける人間でない事も理解している」

 

 りんとした声音と、意志の強い瞳が、今は少しだけ揺れているような、そんな気がした。

 

「グラーフさんは肉体的接触とか、好きじゃないと思ってたけど」

「不埒な輩の気安い接触は当然好きではない。だがそれも、信頼における、自身の命を預けるに足る人物となると話は別だ。悪意のない接触は、それはつまり相手への期待と信頼、ひいては親愛の証だろう?」

 

 聞きながら、響は内心でうーんと唸る。

 グラーフの言っている事は正論だ。それは間違いない。

 

 だが同時に、自分の心の中にあるわだかまりを無自覚に正論で塗り潰しているようにも見える。

 ぶっちゃけ不安なのだ。他人と比べて自分が司令官に信頼されていない、期待されていないのではないかと無自覚ながらに考えてしまっている。

 

 おそらく、今までそんな経験が無かったんだろう。

 

 言うなれば武人肌。理論派で常に冷静だが、情に厚く、自他ともに志として常に高いものを求めている。予感ではあるが、今まで本当の意味で信頼できる人物と出会った事がなかったのではないだろうか。

 もしかしたら艦時代、ついぞ一度として戦場に出る事が無かった経緯も関係しているのかもしれない。事実として艦時代の働きを誇りに思っている者は少なくない。

 

 そうでなくとも、ただでさえ艦娘は司令官に影響を受けやすいのだ。艦娘の気位が高ければ高いほど、司令官が優秀であればあるほど、信頼という意味でその影響は顕著に出やすい。

 

 ――なんだか身に覚えがありすぎて、変な気分だな。

 

 過去の自分と照らし合わせても、相違ないグラーフの姿に響は思わず苦笑を漏らす。

 この鎮守府では避けては通れない疑問と不安と期待の壁にグラーフも今、ぶち当たっている。

 

 それもこれも半分は司令官の生来の気質の所為なのだが、ただでさえ口下手なのにこの女性だらけの居住空間でそこまで気を遣えと言うのも酷な話か。

 

「そんなに心配しなくても、グラーフさんが司令官に信頼されてないわけじゃないよ」

「だが……だとしたら何故」

「それはグラーフさんが大人の女性だからだよ」

 

 響の言葉に一瞬怪訝そうな顔をして、すぐに真意を汲み取ったのか、グラーフは珍しく慌てたように瞳を瞬かせた。

 

「な、い、いや待て! 相手はあのアトミラールだぞ!? あの男が私の様な者をそのような目で見るなどありえないだろう!」

「別にグラーフさんの事だけを指して言ってる訳じゃない……」

 

 むうっと膨れる響に『あ、ああ、そうだな。すまない』とどこか気恥ずかしそうに謝るグラーフ。

 動揺した時に、髪をくるくる弄るのはどうやら癖のようだ。

 

「誤解されがちだけど、穏やかで落ち着いてるだけで、司令官だってちゃんと女性に興味を持ってるよ。ただ、鎮守府の長としての立場と人一倍理性が強い事もあって、あんまりそうは見えないけどね」

「だ、だが……」

「勿論、下心的な意味じゃないさ。純粋に常識的な範囲で、司令官はグラーフさん達を大人の女性として見てるから、ハグに抵抗を感じてるんだと思う」

 

 まあ、常識的に考えれば当たり前の話だ。

 司令官の中では駆逐、軽巡あたりの艦娘までは異性というよりもまだ子供という感覚なのだろう。だからこそ困惑こそすれ、求められる抱擁に応じている。要は近所の子供の無邪気な要望に苦笑しながら応じる皆のお兄ちゃん的立場か。そもそもの発端は自分であるという負い目もあるかもしれない。

 

 一方で重巡以上ともなると部下や信頼云々以前に、彼女たちの存在は異性を強く感じさせるのだ。ただでさえ凶悪なスタイルな上、アイドル顔負けの美貌を備えている者が云十人居る中で、全員に平等に接しろ――直接的なスキンシップという意味で――というのは流石に無理が過ぎるというもの。 

 むしろあの性格で、普段からよくTシャツやハンカチが無駄に紛失する状況で、これだけ個々人のスキンシップに応えている事自体に彼女たちはもう少し感謝するべきなのかもしれない。

 

 ともあれ、だ。

 

「ハグはないかもしれないけど、大人の女性として司令官に一番対等に見て貰ってるのは間違いなくグラーフさん達だよ」

 

 直接口にはしないが、実際、司令官はもっと細かい部分で各々の接し方を考えている。

 時には頭にポンと手を置くだけに留めたり、時には行動の代わりに言葉で気持ちを伝えたり。慣れない行為と良識が悩みに繋がってるだけで、帰還を迎える気持ちに偽りはない。

 それが分かっているからこそ、響たちも安心して司令官の胸の中に飛び込んでいけるのだ。

 

「なるほど、得心が行った。そうか……大人の女性か」

 

 口元で何度も呟いて、グラーフはほんの一瞬だけささやかな笑みを浮かべた。

 

「ダンケ……ありがとう、響。君のおかげで胸のつかえがとれたよ」

「それはなによりだね」

「だが良いのか……その場合、君はまだ子供に見られている、ということになるが」

「……まあ、実際子供だしね」

 

 暁よりは大人だけど、と付け足して。

 そのまま響はグラーフの方に向き直り、綺麗な蒼色の瞳と共に笑った。

 

「だから、今のうちに子供の特権で司令官の腕の中の心地よさを堪能しておく事にするよ」

「そうか……それは羨ましいな」

 

 響の年相応な無邪気な笑みに対して、グラーフは大人の麗らかな微笑を返す。

 大人は子供に戻れないが、子供はいずれ大人になれるのだ。おっきいのが子供にない大人の魅力を振りまくのなら、せいぜいちっこいのは大人にない子供の特権を存分に振りかざしてやろう。

 

 むふー、とそんな事を考える響と、満足した表情でカップを傾けるグラーフ。

 まるで問題は解決した、とお互いの間に漂うアフタヌーンティーの如き雰囲気。後はこの和やかな休日の午後の時間を楽しむだけである――

 

「ええい騙されん! 私はそんな軟弱でふわふわした理由なんぞに決して騙されんぞ!」

 

 ――そんな空気を、存在を忘れかけていた同志おっきいのが見事にぶち壊した。

 

「そういえば、いたね。同志おっきいの」

「……同志ちっこいの、貴様、私の魂からの慟哭を聞いていなかったと言うのか?」

「ふむ、この焼き菓子はシュトレンのようだが、甘さも控えめで良いな。好みだ」

「……貴様はこの期に及んで私の存在を無かった事にする気か?」

 

 騒がしい空気が、穏やかな日常を上から塗り替えていく。

 一人の静かな時間も嫌いではない響だが、姉妹以外の他の誰かとこうして賑やかに過ごす時間も、これはこれで悪くない。うん、悪くない。

 

「だいたい大人の女だから手を出せんなど、アトミラールも軟弱にも程がある! 男なら出会い頭に胸の一つでも鷲掴むくらいの気概を見せてみろ! 無論私にそんな事をしたら銃殺刑にしてやるがなっ!」

「グラーフさん、今度、金剛さん主催のお茶会に参加してみないかい? このお茶も実は金剛さんがお勧めしてくれた茶葉を使ってるんだ」

「ほう……それは興味深いな。ありがとう、是非とも、参加させてくれ」

「ふ……ふふっ! よろしいならば戦争だ! 今からアトミラールの部屋にいってそのヘタレた性根を叩き直してくれるわ! 行くぞ、私について来い!」

 

 などと訳わからない事を言って、ガングートはずんずんと部屋の扉へと歩いて行く。

 その後ろ姿を眺めながら、そういえば今日は丁度秘書艦が執務補佐とは別件で外出中のため、司令官は部屋で一人である事を響は思い出した。

 

 同志おっきいのの戯言は置いといて、丁度、司令官の顔を見たくなってきたところだ。

 

「グラーフさんはどうする? たぶん司令官、今一人で執務中だけど」

「……あの人は何事も一人で片付けがちだからな、私も行こう」

 

 言葉少なめだが、グラーフの言葉にも艶が乗ったのがすぐに分かった。

 髪もなんかふよふよ嬉しそうに揺れてるみたいだし、案外分かりやすい人なのかもしれない。

 

「じゃ、行こうか」

「ああ」

 

 どちらからともなく立ち上がり、並んで部屋の扉へと手を掛ける。

 執務作業を頑張って手伝えば、司令官に褒めてもらえるかもしれない。ついでに頭を撫でて貰えれば、言うこと無しだ。

 もしそうなったら、任務帰りの暁たちに存分に自慢話をしてやる事にしよう。

 

 

 そんな事を楽しそうに考えながら、響はグラーフと共に部屋を出て行った。

 




 本当はこの後提督との絡みまで書こうと思ったけど、長すぎたので泣く泣く断念……。
 要望があれば、続きを書く……かもしれない。

 グラ子可愛い。ガングートはなんか意図せずポンコツになった(笑


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第五十七話 オータムクラウド先生爆誕、そして伝説へ 前編

 ご指摘が多かったので捕捉をば。

 本作では秋雲は陽炎と夕雲の両方の妹として描いています。
 竣工日で考えた場合、厳密には秋雲は夕雲よりも先に竣工されていたわけですが、まあややこしいですし、なにより秋雲本人の『自分は夕雲型だと思っていた』という一言を反映させてあげたかったのでございます。

 史実や原作ゲームの設定を大切にされている方には申し訳ありません。
 武蔵も大和の事を呼び捨てではなく姉上と呼んでいるなど、至る所で原作との齟齬があるとは思いますが、そこはどうか物語のスパイスとして見て頂ければと思います。


 

 趣味。

 それらは時に日々の生活に潤いを与え、世知辛い現代社会という荒波を生きる原動力となる。

 スポーツ、音楽、読書、旅行、なんでも良い。中には労働に生きがいを感じるという人もいれば、畳の皺を数えるのが趣味という変――強者もいるかもしれない。

 しかしそれも趣味だ。

 例え世界で一人しか興味を持たない事があったとしても、本人がそれを楽しみ熱中できる事であるなら、それはもう立派な趣味なのだ。

 

 趣味に貴賤は無い。

 もちろん法に触れない範囲で、という大前提と、常識的範囲内のマナーは守っているとして、趣味は人それぞれ自由であって良い。

 人々はそうして趣味を楽しみ、今日を生きている。

 

 そしてそれは艦娘であっても変わらない。

 彼女達もまた興味を持ち、物事を楽しむ心を持っている。

 

 これはとある口下手な提督が率いる鎮守府で起きた些細な出来事。

 絵を描くことが大好きな、一人の艦娘の少女の趣味にまつわる話。

 

 少女の名は秋雲――

 

 

 ――またの名を、オータムクラウド先生とも言う。

 

 

 

 

「秋雲さん……これはなあに?」

 

 悪鬼である。

 目の前の姉は今、悪鬼と化している。

 

「…………」

 

 秋雲は何も言葉を返せない。

 正座中のため見下ろす形になっている姉――夕雲の目をとても見れず、ただただ自室の床とにらめっこを続け、背筋から噴き出す冷や汗を感じるばかりだ。

 

 夕雲の右手には薄い本のような物が一冊。

 その表紙には誰かによく似た軍服姿の生真面目そうな男が、これまた誰かによく似たポニーテール姿の少女の腰に手を添えて見つめ合っている絵が描かれている。

 

 見覚えがありすぎる絵柄に、脂汗が止まらない。

 私は今日、今ここで死ぬかもしれない。

 死因は姉による粛清か、などと半ば今生を諦めつつも、秋雲はなんとかこの危機的状況を打開するべく事の経緯を思い返していた。

 

 

 

 それはちょっとした気の迷いだった。

 本当にちょっとだけ、ほんのちょっと描いてみようかなーっと心の中に生まれた米粒みたいな好奇心が生み出した偶然と気まぐれの産物。

 プリントの端に描いた落書き程度の、そんな暇つぶしレベルの絵。

 誰かに見せるつもりなんて毛頭なかった。ちょちょっと描いて、自分で満足したらすぐに消せば良い。

 本当にその程度しか考えていなかった。

 

 それがどうしてこうなった?

 

 確かにあの時は趣味の投稿サイトに載せている連載漫画が行き詰って、多少ムシャクシャしていたのは認めよう。休日を梯子して二徹していたのも良くなかったのかもしれない。

 それともこれまで描いてきた、恋愛はあれど健全な漫画やイラストに欲求と不満が溜まっていたとでもいうのか。

 

 兎にも角にも気が付けば秋雲はその薄い本の続き(・・・・・・・)を描いていた。

 そう、界隈でいう所の男女がイチャコラちゅっちゅする薄い本――通称、同人誌である。

 当然秋雲自身に経験など皆無だったが、何を隠そう彼女も花も恥じらう思春期真っ盛りの可憐な乙女、そこは逞しい妄想力と豊富なネット知識(笑)で見事にカバー、瞬く間に一冊分の妄想……もとい構想をまとめ上げてしまった。

 

 オータムクラウド先生、目覚めの瞬間である。

 

 そも、彼女にとって不運だったのは、自身でも引くぐらい筆が乗ってしまった事。

 年頃の、加えてサブカル文化に染まり切った乙女の創造力を侮ってはいけない。

 妄想が爆発し、徹夜にありがちなミラクルハイテンションのまま、秋雲は薄い本一冊の全てを勢いで描き上げた。

 

 勢いとは実に恐ろしい。

 完成と共に感じる確かな満足感と達成感。何故かお股の辺りが妙にムズムズしていたが、気が抜けたのか遅れてやってきた強烈な睡魔に負けて、秋雲は倒れ込むように眠りについた。

 

 そう、その場で眠りについてしまったのである。

 二人部屋である筈のその場所で、机に出来立てホヤホヤの薄い本をおっぴろげたまま――

 

 ――起きたらそこに悪鬼が立っていた。

 

 完。

 

 

 

 と、回想と共に現実からも逃げたい秋雲だったが、そうは問屋が卸さない。

 正確には夕雲が扉の前に仁王立ちしてる所為で逃げ場がないのだが。

 

「秋雲さん、もう一度聞くけれど、これはなあに?」

「いや、なんというかそのー……漫画です、一応ハイ」

 

 よりによって、一番見られてはいけない人に見られてしまった。

 

 個性豊かな夕雲型を束ねる長女、夕雲。

 普段は穏やかで優しく、面倒見の良い姉だが、怒ると非常に怖いのだ。

 特に、妹たちの生活習慣と日々の態度には厳しく、無意味にだらけたり任務をサボったりすると、どこからともなく現れて説教部屋へと引き擦り込んでいく。

 

 反して、自分も含めて妹たちを常に気に掛けてくれる提督の事は人並み以上に信頼しており、よく彼の部屋にアタックを仕掛けては撃沈されて項垂れて帰ってくるなんて可愛らしい一面も。

 目立たないだけで彼女も立派な提督ジャンキーだ。

 

 そんな姉に、提督と自分をモデルにした薄い本を描いていたのがバレた。

 

 どう考えても絶望です。今まで本当にありがとうございました。

 生きていたら、オータムクラウド先生の次回作にご期待下さい。

 

「…………」

 

 なんて現実逃避をしている場合ではない。

 しかし、現状は考えうる限り最悪。一枚、また一枚と無言で夕雲がページを捲る音が、死刑宣告までのカウントダウンに聞こえて仕方がない。

 

 唯一の救いはページ数の問題でR18ではなく、R15程度の内容に留められた事くらいか。まあそれも、そういった直接的行為の描写が無く、大事なところが妙な光や不自然な湯気で絶妙に隠れているだけで、紙面全体は肌色満開なことになんら変わりは無い。

 

 偉い人が言っていた――同人誌に常識や現実的思考(リアル)などいらない、と。

 深い言葉だ、と秋雲もそう思う。

 おかげ様で紙面上の提督(仮)は常時半裸状態、秋雲(仮)の衣服に至っては気付いたら脱げているという謎の理不尽がまかり通っているのだが、何も問題は無い。

 

 表現は自由だ。そこに最低限必要なのは一握りの倫理観のみ。

 そして昨夜の秋雲はその倫理観をも見事に放り投げていた。

 

 思い返しても、完全に自業自得であった。

 

「ふぅん……流石の秋雲さんも最後の一線を越えるような描写は自重したのね」

「ハイ! ソレハモチロンデス! ハハハ!」

 

 よもや、時間が足りなかっただけとはとても言えない。

 

「まさかこれ、秋雲さんのサイトに載せたりなんか」

「してないっ! してないってば!」

 

 流石の秋雲と言えど、提督と自分をモデルにしたイチャラブ本を広大なネットの海へと放流出来るほど厚顔無恥ではない。そもそも普段の秋雲であれば、自分をモデルにした本など絶対に描くわけが無かった。

 秋雲の作風は自己投影型ではなく、他者想像型だ。

 周囲の人物の行動や感情、またはその場のシチュエーションなどを糧に想像を膨らませ、作品へと落とし込んでいく。始まりが曖昧だからこそ、妄想のし甲斐があるのだ。その反面、自分をモデルに描くと、どうしても現実と妄想の乖離が激しすぎて途端に熱が冷めて手を止めてしまう。

 

 秋雲に恋愛経験は無い。従って、恋という感情もいまいち理解できていない。

 それでも恋愛をモチーフにした話を描けるのは、モデルが他人でストーリーが架空だからだ。これが秋雲本人がモデルでは、妄想よりも先に理性が上回ってしまう。なまじ自分自身を理解しているだけに、想像上で描いた自画像は滑稽でしかない。

 

 加えて、秋雲の一番身近に居る異性が提督であるため、必然的にいつもお相手の描写が彼に似てしまう点も羞恥心を煽るのに一役買ってしまっている。言い換えれば無意識化に置いて、秋雲の異性に対する理想像が描写に現れている証でもあり、その初々しさをどうにかすれば面白い恋愛話が描けそうなものだが、ほどよく捻くれた彼女がそこに気付く筈も無い。

 要は恥ずかしいのだ、色々と。

 

 つまり昨日の自分はどうかしていた。

 ネットに晒すなど毛頭考えていない。これ以上恥の上塗りなど御免被りたい秋雲さんだ。

 

「……まったくもう、秋雲さんったら本当に」

 

 そんな感情が伝わったのか、溜め息を付きながらも夕雲からは怒気が収束していくのが分かる。

 どうやら夕雲の中では本番行為の描写があるかどうかが刑執行の境界線だったみたいだ。……考えてみれば常識的範囲でとはいえ、この姉は本の内容に近い事をしたいがためにリアルの提督相手に日々突貫しているジャンキー少女、もしかしたらその辺の事実も恩赦に繋がったのかもしれない。

 

 とにかくどうにか赦された。

 危機的状況を脱し、ほっと身体の力を抜く秋雲。そこに先程とは打って変わって、なにやら興味深そうな瞳で再度黒歴史を開く夕雲の姿が。

 

「それにしてもあの秋雲さんに、こんな願望があったなんてねえ」

「いや、なんというかですね? 昨夜の秋雲さんはどうかしていたわけで、決してその内容が本意という事ではなく、そもそもが架空の人物像でありまして……」

 

 ごにょごにょと呟く秋雲に、

 

「でも、この男性の外見といい話し方といい、どう見てもお相手は提督でしょう? 軍服ですし」

「ぐうっ! で、でもだからといって相手が秋雲とは誰も」

「吹き出しに堂々と秋雲さんの名前が出てるわね」

「……がっ!」

 

 ほら、と夕雲が広げて見せて来るコマには確かに『秋雲』と提督が囁いているシーンが描かれていた。半裸の提督(仮)に見つめられたまま耳元で名前を囁かれ、頬を染める秋雲さん(仮)がそれでもゾクゾクしちゃう屈指の名場面だ。いや、なんだこれ。

 みるみるうちに秋雲のライフがガリガリと削れていく。

 

「うふふ、秋雲さんの性感帯は耳なのね」

「ち、違う……これは無意識で……無意識に」

「無意識にこれだけ描くって結構な事だと思うけれど。秋雲さん……あなた、欲求不満なの?」

「……かはっ!」

 

 胸の内を抉られ、ついにその場に膝から崩れ落ちる秋雲。

 羞恥心が限界を迎えたのか、両耳は真っ赤に染まり、頭からは湯気が立ち上っている。

 趣味が趣味故に猥談などはむしろ得意分野の筈だが、状況が状況な上、エロスの権化みたいな存在の夕雲に欲求不満を心配されては流石の秋雲といえども耐え切れなかった。

 

 もうやめて! とっくに秋雲さんのライフはゼロよ!

 

「あなたも立派な女の子なんだから、溜め込むのは良くないですよ秋雲さん」

「……秋雲は今日から陽炎型一本で行こうと思います」

「もう、拗ねないで。ちょっと全体の肌色率が高くて読み手は限られるけれど、それを除いてもクオリティは高い漫画よ。ただ」

「ただ?」

 

 起き上がり胡坐をかいて、髪をがしがしと掻きながら秋雲は夕雲の言葉の続きを促す。

 

「提督の描写に関しては零点ね。こんなの夕雲の提督じゃないわ」

「いや、別に夕雲姉だけの提督ではないっしょ……ちなみにどの辺が?」

「細かいところまで挙げると朝になってしまうけれど」

「是非とも簡潔にお願いします」

 

 頭を下げて、秋雲は画材道具の中からメモとペンを用意する。

 自分が描いた提督が言外に似てないと言われるのはどこか悔しいが、貴重な読者目線の指摘だ、ここは素直に聞いておいた方が良い。

 秋雲はお調子者だが、絵の事に関しては真摯に聞く耳を持っている。

 

「色々あるけれど、そうね。まず最初に目につくのは提督の体格についてかしら。この漫画では結構スマートに描かれているけれど、実際の彼はもっとがっしりしてるわね」

「うーん、秋雲さんのイメージでは細マッチョって感じだったけど」

「うふふ、あの人は着やせするタイプね。筋肉をつける事が目的でトレーニングをしていないから、服の上からではそう見えるの。海ではほとんど上着を着ていらっしゃったけれど、秋雲さんもハグしてもらった事はあるでしょう?」

「まあ……あるけどさ」

 

 夕雲はこう言っているが、実のところ秋雲はハグより、頭を撫でてもらう方が好みだったりする。

 ハグも嫌いではないのだが、やはりどこかまだ恥ずかしく、それよりもあの温かい大きな手で優しく髪を梳いてもらえる方が心地よい。

 ハグだと見えない、撫でて貰っているときの提督の穏やかで優しい顔が見れるのも好ポイントだ。

 

 ――イラストとかだと全然気になんないんだけどなー。

 

 秋雲さんも女の子である。

 

「あと、この自分でリボン外してる秋雲さんのシーン、提督に外してもらっては駄目なの?」

「えぇー……それこそらしくないっていうか、提督が誰かの服を脱がしている想像ができないって」

「うーん、分かってないですねえ、秋雲さん」

 

 頬に手を当てながら、やれやれと言った表情でため息を吐く夕雲。

 なんだろう、良くわからないがイラっとする秋雲さんだ。

 

「秋雲さんが言っているのは普段の提督の事でしょう? 当然ですよ、性格云々以前に現実の提督には立場や様々な制約があるのだから、おいそれと私たち部下である艦娘に手を出すことはできません」

「いやー、毎日の如く提督の部屋を訪ねている人の言葉とは思えない」

「だけど、こちらはそれらの試練を見事超えて秋雲さんと結ばれた、もしくは結ばれかけている前提でのお話」

 

 あ、聞いてないや。

 

「いざという時、提督はとても男らしくなれる人よ……艦隊指揮中が良い例ね。そんなあの人が、想い人との逢瀬中、ずっと受け身なんてあり得ない。まず間違いなく内に秘めたワイルドさで優しく服を脱がせてくれるに違いないわ」

「なんかさ、途中から夕雲姉の妄想混じってない?」

「あら? 二次創作なんて妄想と願望の塊だって教えてくれたのは秋雲さんじゃなかったかしら?」

「うっ……」

 

 手厳しい夕雲の指摘に、秋雲は返す言葉も無い。

 そのまま夕雲の提督講座を聞き続ける事、数十分。

 

「あー、駄目だ! 聞けば聞くほど提督の事が分かんなくなるっ!」

 

 ついに限界を迎えた秋雲は頭からベッドへと飛び込んだ。

 ジタバタともがく秋雲にあらあらと夕雲がお母さんムーブをキメていく。

 

「でも性格はともかく、見た目は完璧を求めないと、提督ファンクラブ名誉会員の金剛さんや大和さんは認めてくれないと思うわ」

「誰にも見せる気ないからいいんすもーん」

「でもこれ、シリーズ化したら、みんな喜んで買ってくれると思うけれど」

「……」

 

 夕雲の台詞に秋雲の動きがピタリと止まる。

 

「明石さんのお店に裏メニューとしても置けそうだし、作品ごとにヒロインを代えてあげればファンは増える事間違いないし」

 

 ピク。

 

「秋雲さんの作品で士気も上がって、提督もハッピー。絵の練習になってお金も入って秋雲さんもハッピー、娯楽が増えてみんなもハッピー」

 

 ピクピク。

 

「でも、秋雲さんにその気がないなら仕方がないわねえ」

「待った」

 

 同人誌を置いて、話を終わらせようとする夕雲のスカートの裾を秋雲がガッチリと掴む。

 起き上がった秋雲の目は闘志に燃えていた、

 

「できたら、私がヒロインの本を一番に描いてくださいね?」

「あ、でも、秋雲が提督の身体を正確に描けなかったら結局意味がないんじゃ」

 

 結局はそこが解決しなければ机上の空論。

 しょぼしょぼと闘志が沈んでいく秋雲。

 

 しかし、夕雲はそんな秋雲の不安もどこ吹く風、いつものように駆逐艦とは思えない妖艶な笑みと共に、

 

「あらあらうふふ、それなら直接見せて貰えるように、早速頼みに行きましょう」

 

 さらりと、とんでもない事を口にした。

 

 



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第五十八話 オータムクラウド先生爆誕、そして伝説へ 後編

「というわけで提督、榛名さん、秋雲さんのためにひと肌脱いでくださいな」

「む?」

「……えっと」

 

 急遽夕雲がおかしな事を言って部屋を出て行ったと思ったら、提督と何故か金剛姉妹の三女、榛名までも一緒に連れて戻ってきた。

 二人共何も聞かされていないのか、困惑した表情で顔を見合わせている。

 

 今日は提督の週一回の休日なので執務の邪魔になる事もなく、榛名も非番のため部屋かどこかでくつろいでいたか、いつもの金剛型の制服ではなくゆるふわ系統の白いワンピース姿だ

 

「ちょっと夕雲姉、提督はともかくなんで榛名さんまで連れてきてんのさ」

「漫画の被写体ともなると動きが必要でしょう? そして恋愛ものとなれば男女の絡みは必須、そのお相手役として一緒に来て貰ったの」

「相手役なら夕雲姉がやればいいじゃん」

「うふふ、勿論そのつもりよ? でも被写体は多い方がより描写の幅も広がるわ。榛名さんはとても女性らしい方ですし、性格的にも提督と相性が良いと思って」

 

 説明しながら、適材適所でしょう? と夕雲は笑う。

 

 確かに身長差からどうしても夕雲では不自然に見えてしまう絡みやポーズでも、女性の平均身長に近い榛名なら特に問題になる事も無い。提督の精神的負担の面でも基本穏やかな彼女は正直ベストチョイスだと言える。

 デッサンは絵や漫画の基本だ。様々な被写体を描く事は秋雲にとっても良い練習になる。

 

 なるほど正論だ。

 てっきり勢いだけで動いてるものだと思ったが、なかなかどうして考えられている。

 

 だが問題はそれだけではない。

 

「とりあえず理由は分かったけど、説得どうすんのさ? まだお願いする内容言ってないんでしょ?」

「大丈夫よ、任せて」

 

 言って、夕雲は扉の前の二人に声を掛け、事のあらましを余すことなく説明していく。

 そうして聞き終えた後の二人の反応は、案の定快諾とは言い難く、

 

「なるほど、絵の練習のためのモデル、か」

「は、榛名が提督と一緒に絵のモデルを……」

 

 うーむと思い悩む提督と、何を想像したのか両手を頬に恥ずかしがる榛名。モデルといえど、脱ぐのは提督だけなので、正直榛名は合法的に提督と密着できる権利を存分に享受するだけでいいのだが……そこは純情な彼女の事、いまいち一歩が踏み出せない様子。

 気持ちは分かる、だがここまでくれば秋雲としても折角の機会を逃したくはない。

 

「あー、榛名さんが恥ずかしいのは分かるんだけど、別に脱いで貰うのは提督だけだしさ。いっちょ恋人にでもなったつもりでちょちょっとやってもらえると助かるかなー、なーんて」

「こ、恋人っ……榛名と提督が恋人なんてそんな……えへへ」

「私が脱ぐのは確定事項なのか……」

「……秋雲さん?」

「ヒッ!? こ、言葉の綾だってば夕雲姉! 怖いから笑った表情で迫ってこないでってば!」

 

 危うく夕雲に刺されそうになるのを、なんとか回避。

 話を逸らすためにも、一人唸っている提督に声を掛ける。

 

「ね、提督は良いよね? 脱ぐって言っても男の人の体のラインを確かめたいだけで、黒のインナーは着てていいからさー」

「むう……まあ、私はそれで構わないとして、しかし榛名は無理にとは」

「うふふ、では提督は榛名さんに承諾してもらえれば、OKという事ですね」

「でも、榛名なんかが提督のお相手では……」

 

 なおも控えめな反応の榛名に、ちょちょいと夕雲が手招き。部屋の隅に座り込むよう誘い、その手には一冊の薄い本が。

 

「えっと、夕雲さんなんですか? え、これを? 漫画、ですか、秋雲さんが……へえ」

 

 ――ホァアア!? 

 

「そんなに慌ててどうした、秋雲……む? 夕雲が榛名に渡しているアレは――」

「い、いやいやいやなんでもないから提督は気にしないでよ! あの本は女性用モデルの参考書みたいなもので提督が見たら軽蔑されるやつだからいやほんとこれマジっす!」

「お、おお、そうなのか」

 

 よもやあなたと私がモデルの薄い本ですなどと誰が言えようか。

 提督を止めつつ慌てて振り向いた先――そこには笑顔の夕雲の隣で頭から蒸気を放ちながらも、秋雲の黒歴史に食入る様に熱中する榛名の姿が。

 

『エ、エ、アキグモサンソンナダイタンナ……』

『アラアラ、コッチハモットスゴイデスヨ』

『テガッ! テイトクのテガ、ソ、ソンナトコマデ……』

『ウフフ、モシテツダッテクレタラ、ハルナサンノホンヲユウセンテキニ……』

『…………』

 

 なにやら二人してぶつぶつ呟く姿に、今すぐ駆け寄って本を取り上げたい衝動に駆られる秋雲だが、隣に提督が立っている手前それはあまりに危険すぎる。

 もし提督にあの黒歴史を見られたら、それこそ駆逐艦秋雲一巻の終わりである。その時は夕雲も道連れに燃料満タンのドラム缶を背負って潔く海の藻屑と成り果てるしかない。

 

 などと思考が黒く染まり始めた秋雲をよそに、しかしそれらの思考全てはおもむろに立ち上がった榛名の次の一言に掻き消された。

 

「提督、榛名は大丈夫ですっ!」

「……む?」

 

 その瞳は輝いていた。先ほどまでの自信のなさは何処へやら、全身からキラキラを迸らせながら戻ってきた榛名はその両手で提督の右手を包み込む。

 

「提督、先ほどは申し訳ありませんでした。ですが、榛名は決心しました。不肖、この榛名、全身全霊をもって提督のモデルの相方(パートナー)を務めさせて頂きます」

「あ、ああ。榛名が良いならそれでいいのだが」

「はい! 秋雲さん、よろしくお願いしますね! その……とても期待しています!」

「期待? 期待とは――」

「っ!? い、いやー、二人共親切でほんと助かっちゃうなー! よーし秋雲さんも張り切っちゃうぞー!」

「うふふ、秋雲さん、その意気ですよ」

 

 瞬く間に外堀が埋められてしまった。

 仕方がないので今度本を描く約束の旨を小声で伝えると、榛名は心底嬉しそうに礼を伝えてきた。こういう根っこの部分で積極的になるところなどは流石姉妹、長女の金剛によく似ている。

 乙女の恋は常在戦場とはよく言ったものだ。

 

 とりあえず諸悪の根源である夕雲に恨みの視線を送ってみるも、本人はどこ吹く風で提督にすり寄っていた。

 まったくもって自由気ままな姉である。

 

「まーでも、こんな機会またとないし、やるからには秋雲さんも本気出しちゃうよ」

 

 途端、秋雲の瞳に闘志の光が宿る。

 それぞれ思惑はあれど、秋雲の趣味に付き合ってくれている事は紛れも無い事実。なにより先程からふつふつと湧き上がってくるイラスト欲への衝動が秋雲の脳内に告げていた――こんな美味しい機会そうないぞ、と。

 

 とはいえ、提督に至っては勝手に薄い本のモデルにされるわ休日に急に呼び出されるわ、挙句の果てには半強制的に脱がされるわで、碌な目に遭っていない気もするが……まあそれはそれ、これはこれである。

 

「ていとくさんいろいろだまされていますです」

「われわれのていとくさんがなぐさみものにされてしまうまー」

「さすがにきぶんがこうようします」

「そんなことはない。夕雲も榛名も、秋雲の画力を向上させたいという真摯な想いを純粋に応援したいだけに違いない。いくら私でも、それくらいは彼女達の目を見れば分かるさ」

「とんだふしあなですー」

「これはいしゃもさじをなげるれべる」

「さすがにきぶんがこうようします」

 

 いつの時代も技術の発展には犠牲が付き物で、人生諦めが肝心なのだ。

 

 画材道具の準備に勤しみつつ、妖精さん達からの怪訝な視線を見なかった事にしながら、秋雲はとりあえずそう思う事にした。

 

 

 

 

 大変な事になってしまった。

 

「提督、もうちょっと夕雲姉の肩支えてあげられる?」

「う、うむ、こんな感じでいいか?」

「もうちょい自分の方に引き寄せて……あ、うん。イイ感じ、そのままお願い」

 

 用意された椅子に座りながら、榛名は右手で熱を持つ頬をぱたぱたと扇ぐ。

 顔の火照りが治まらない。

 

 提督と一緒に絵のモデルになる事を勢いで承諾してしまった事はひとまずとして――

 

「……辛くはないか、夕雲」

「うふふ、大丈夫です。なんならもっと引き寄せて頂いても構いませんよ」

 

 ――まさかここまでの密着具合を求められるとは。

 戦艦榛名、早くも完全に誤算である。

 

 目の前では提督に至近距離で腰を支えられ、うっとりとした表情で夕雲が彼に身体を預けている。制止する辛さがある筈なのに、とても幸せそうな表情だ。提督も秋雲のためという気持ちが強い所為か、妙な気負いも見られない。秋雲の絵の練習のためとはいえ、他の皆に見られたら暴動の一つや二つぐらい平気で起きそうな光景だ。

 

「ここはこう……いや、もう少し……うん」

 

 その光景を前に、何やらぶつぶつ呟きながら真剣な表情で手を動かす秋雲。

 なんて繊細且つ力強いタッチか。

 

「こんなに可愛らしい秋雲さんの小さな手から、あんなに大胆で素敵な作品が生まれるなんて」

 

 先刻、夕雲に見せてもらった漫画には乙女の夢と希望が詰まっていた。普段理性的な榛名が羞恥心を放り投げてまで欲に走ってしまう事なんて、そうある事では無い。

 つまるところ芸術の可能性は無限大である。

 

「……よしオッケ! ありがと夕雲姉。次、榛名さんよろしく!」

 

 ついにその時が来てしまった。

 物凄くつやつやとした表情の夕雲と交代して、緊張した面持ちのまま榛名は提督の隣に立つ。上着を脱いで、上半身黒のインナー姿の提督は、整った肉体美も相まって三割増しで男らしく見えてしまう。

 

「よろしく頼む、榛名」

「は、はい! でも榛名はどういったポーズをすれば……」

「うーん、そうだなあ……」

 

 榛名の疑問に秋雲がとりあえず、と二人それぞれに細かい指示を一つ一つ伝えていく。

 提督と榛名は言われた通りにポーズを取っていき、やがて榛名が壁際に背を付けながら提督の顔を見上げ、提督が榛名に覆いかぶさるようにして壁に手を付いたところで指示が止まる。

 

 ――あれ、これってもしかして……?

 

「うんうん、やっぱり恋愛ポーズの定番といえば壁ドンだよねー」

「あらあら」

 

 なんて外野の呑気な声が聞こえるが、榛名にとっては正直それどころではなかった。

 

 ――ち、近いですっ! 提督のお顔がこんなにちかっ……ちかっ……近すぎますぅぅ!

 

 やもすれば、唇と唇が触れてしまいそうな距離。

 かつて榛名がこれほど提督と接近した事があっただろうか。元来乙女気質な榛名の密かな夢が、今この時叶った瞬間でもあった。

 

「でも、何か足りないなー……そうだ、提督ちょっと髪掻き上げてみてよ」

「髪を、こうか?」

「は、はわわ……」

 

 ワイルドさを増す提督の姿に榛名の心拍はますます激しくなっていく。

 これ以上はいけない。秋雲は榛名を心拍過多で殺す気なのだろうか。

 

「お、ワイルドさが出てイイねっ! じゃ、二人共その体勢で暫くよろしく!」

 

 まるで鬼の所業とはこの事。

 もはや尊みで魂が半分旅立っている榛名に、心配した提督が気遣わし気に声を掛ける。しかしこの状況で更に外見とのギャップを見せつけるのはある意味で悪手でしかなく、

 

「……なにか、すまんな榛名」

「榛名は、榛名は大好きですぅぅ……」

「む?」

 

 思わずいっぱいいっぱいの榛名から本音がまろびでるのも致し方ない事なのである。

 

「このじょうきょうで」

「いまのていとくさんのすがたで」

「おだやかにきづかわれながら」

「やさしいことばをかけられたら」

「はるなさんがおかしくなるのもいたしかたなし」

 

 そう、致し方ないのである!

 もういい休め。何も知らない者がみたら思わずそう言ってしまいそうな、瞳はぐるぐる足はがくがく、それでも今の榛名が定められたポーズをギリギリで保っているのはひとえに強靭な責任感ゆえ。

 現在この鎮守府にこれほど健気で真面目な艦娘が果たしてどれだけいる事か。

 だのに眼前の鬼畜ポニーテールは、

 

「やっぱイチャラブ感が足りん。提督、榛名さんも膝がきつそうだし、腰に手を回して抱き寄せて」

 

 そうかこれはきっと夢だ。

 既に限界近い榛名の耳は秋雲の言葉を受け入れない。鎮守府の優秀な仲間達を差し置いて、平凡な榛名に提督関係でこんな幸福な事が起こり得る筈がない。

 そんな榛名の思考とは裏腹に、ふとした瞬間彼女の腰はゆっくりと何か心地よい感触に包まれて、

 

「…………え?」

 

 気が付けば榛名の全身は提督の逞しい二の腕と胸板の間にすっぽりと収まっており――そしてそこで榛名の意識はプツリと途切れた。

 

「あちゃー、榛名さんにはちょっと刺激が強すぎたかー」

 

 がしがしと頭を掻いて近づいてくる秋雲に、提督はお姫様抱っこ中の榛名を優しく見やる。

 

「途中から少し様子がおかしかったようにも見えた。優しい榛名の事だ、知らず知らずのうちに私の相方というストレスを我慢して溜め込ませてしまっていたのかもしれん」

「あらあら、ちょっと幸せの許容量を超えちゃっただけで、そこまで心配しなくても良いと思いますよ」

 

 ほらと夕雲が指さす先には、榛名の穏やかな顔。まるでとても良い事があったと言わんばかりに、その顔は幸せそうに微笑んでいた。

 いや、死んでないけども。

 

 結局、提督が背負って部屋のベッドまで運び、買い物から帰ってきた霧島に起こされるまで、榛名は幸せな夢の続きを見る事ができたのだった。

 

 

 

 

「なにはともあれ良い刺激になった! 改めて協力ありがとね二人共」

「いいんですよ秋雲さん」

「うむ、何かの役に立てたのならなによりだ」

 

 榛名を部屋に運んだあと、部屋に戻ってきた提督と夕雲相手に改めて礼を伝える秋雲。

 なんだかんだあったが、絵描きとして非常に良い刺激にはなった。その点に関しては素直に感謝している。榛名にも後日、ちゃんと礼を伝えるつもりでいる秋雲だ。

 

「でも提督にしては珍しいというか、夕雲姉にも榛名さんに対しても今日はどっか積極的だったよね? あくまで普段と比べてだけど、なんかあった?」

 

 そんな秋雲の言葉に何故か夕雲がくすくすと笑う。

 

「流石の提督も、二期連続『提督と艦娘のコミュニケーション量満足度調査』でワーストになれば、気にもしますよねえ」

「いや、まあ、なんというかだな」

 

 思わず後ろ髪を掻く仕草の提督に、あー、なるほど、と秋雲も苦笑を一つ。

 確かあれは単なる艦娘側の我儘みたいなものが噴出した結果なので然して本営側も重要視していない筈だが、それで提督がもっと積極的になってくれるのなら意味もあるというもの。

 艦娘一同、一致団結して要望書を送り続けた甲斐があったというものだ。……まあ提督には言わないけど。

 

「その事を除いても、折角秋雲が見つけた大切な趣味だ。それを続けられるよう、可能な限り応援したいと私は思っているよ」

「さっすが提督男前だねえ! 就きましては次のイベント用の画材購入費の援助を……」

「まったく、すぐに調子に乗るんだから秋雲さんは」

「あだだっ!」

 

 夕雲に頬を引っ張られ、涙目になる秋雲。

 二人の姿に提督も穏やかな雰囲気のまま、口元を緩ませる。

 

「そうだな、今月の娯楽費の項目を少し増やせないか大淀と相談してみよう」

「ああ゛~、提督の優しさに駄目になるんじゃ~」

「もう、提督はすぐにそうやって甘やかすんですから」

 

 夕雲の苦言もそこそこに、こうしちゃいられないと秋雲がバッと飛び起きる。

 そのまま早速机でイラストを描き始めようとする秋雲の肩を夕雲がガシッと掴んだ。

 

「あらあら、何をするつもりですか、秋雲さん」

「何って絵の続きだけど」

「駄目ですよ。今から秋雲さんには提督と一緒に、先ほどまで夕雲と榛名さんが行ったポーズ全て体感してもらわないといけないんですから」

「はあ!? なんで!?」

 

 驚く秋雲に、どこからかカメラを準備する夕雲。

 もしかしなくてもこの少女、撮る気満々である。

 

「なんでって恋愛をモチーフにする作家が、その時々の登場人物の心境を知らないで、どうやって良いものが描けるというの?」

「そ、それは……」

「提督もそう思いますよねえ?」

「私は絵を描く事について門外漢なので分からないが、夕雲が言うのならそうなのだろう」

「ほら、ね?」

 

 何がほらねだ。

 

「で、でもほら、提督の貴重な休日をこれ以上邪魔するのも悪いしさ!」

「そこは気にしなくていいぞ秋雲。今日はこの後何も予定を入れていないからな」

「いやいやこんなところで貴重な積極性を見せなくてもいいから!」

「往生際が悪いですよ、秋雲さん」

 

 夕雲に両脇から持ち上げられ、秋雲はずりずりと提督の方へ引っ張られていく

 ジタバタと暴れる秋雲の頬は赤く染まっている。

 

「ちょ、ちょっと、は、放せ~! いやちょ、マジで駄目だって! あ、あんなの提督と一緒にとか無理、は、恥ずかしいから! だ、誰か助けっ、助け――」

 

 その後、無理やり提督の懐に押し込まれた秋雲は真っ赤なリンゴのように頬を熟れさせながら、終始借りてきた猫の様に大人しく、提督と共に全てのポーズを追体験する姿を写真に収められたのだった。

 

 

 数か月後、オータムクラウド名義で販売を開始した提督×ヒロインシリーズ物の同人誌は、そのクオリティの高さから瞬く間に鎮守府の噂となり、完売品が続出。

 再販と新作を待ち望む熱狂的なファンから敬意を込めて、いつしかオータムクラウド先生と呼ばれるようになった。

 

 結果としてこの時売り上げたお金を元手に、いずれオータムクラウド先生のサークルは某一大イベントの壁サークル常連と呼ばれるまでに成長するのだが。

 これはその、ほんの始まりの日。彼女が伝説と呼ばれるようになるまでの些細なきっかけの始まり。

 

 ちなみに今日の経験の後、秋雲は不本意にもヒロインの気持ちを自然と描写できるようになったとさ。

 

「うふふ、良かったわねえ秋雲さん」

「解せぬ!」

 



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第五十九話 あきつ丸の鎮守府探訪 其の一

 
 


 

 その日あきつ丸は、とある場所の鎮守府へと訪れていた。

 もともと陸軍所属だった彼女だが、艦娘としての適性を最大限に生かすため、この度、海軍直属の鎮守府へと派遣される事が直近の会議で決まっていたのだ。

 今日はその派遣の候補先である鎮守府視察の日。

 

「お初にお目にかかります! 陸軍所属艦娘、あきつ丸であります!」

 

 執務室に入るなり、あきつ丸は敬礼と共に、はきはきとした声でそう名乗った。

 陸軍内では挨拶は礼儀を踏まえる上での、基本中の基本。もし怠れば、相手によっては礼節が欠けていると見なされ、最悪の場合、懲罰房行きも有り得る。

 

 あきつ丸は背筋を伸ばし、よりいっそう姿勢を正す

 ここでいきなり礼を逸するわけにはいかない。

 今現在彼女が立っているこの場所は陸軍管轄ではない。だが、同じ軍属である海軍の敷地内、それも目の前に座る挨拶の相手が自分のはるか上――陸軍でいうなれば将校クラス――の立場の者ともなれば、なおの事。

 

 ――流石は今話題の将校殿……いや、提督殿。今まで出会ってきたどんな傑物よりも厳しい目つきであります!

 

 目の前に座る人物を見て、ごくりと喉が鳴る。

 大柄な体格に、服の上からでもわかる引き締まった肉体。清潔感のある黒髪は短く切り揃えられており、彫の深く整った表情からは全てを見透かされているような厳しい視線を感じる。

 

 此処は陸軍時代の上司であった伊崎中将が薦めてくれた唯一の鎮守府でもある。

 昔から陸軍と根の深い海軍相手に派遣など、と断固反対していた伊崎中将が最終的に折れた理由も此処が候補に入っていたからとの事。

 あの鬼教官と呼ばれ恐れられた伊崎中将が認める海軍の若き傑物。

 まず間違いなく厳しい方に違いない。

 

「君があきつ丸君か」

「は……ハッ! 自分があきつ丸でありますっ!」

 

 ふいに名を呼ばれ、慌てて返事と共に再度敬礼。

 思っていたよりもずっと優しい声音だ。上官にありがちな高慢な雰囲気も見下した様子も全く感じない。

 

「話は上から聞いている。私が此処の提督の創眞だ。遠路はるばるよく来てくれた、まずは座ってくれたまえ」

「し、失礼するであります」

 

 促され、おっかなびっくり用意された椅子へと腰を下ろす。

 てっきりずっと立ったままだと思っていただけに、座り方が妙にギクシャクしてしまう。

 執務中だったのか、彼の机の上には何かの束の様なものがいくつも積みあがっているのが見えた。

 

「もしや提督殿は、執務中だったでありますか?」

「む? いや、これは大丈夫だ、気にしないでくれ。それより長旅で疲れているだろう。大淀、頼む」

「はい」

 

 提督の言葉に、隣で待機していた女性――大淀が盆のようなものに何かを載せて戻ってくる。

 湯気の立つ湯飲みに、あずき色の茶菓子か。

 どうぞ、と目の前に置かれたそれを見て、あきつ丸は驚愕に目を見開いた。

 

「こ、これは伝説の間宮羊羹でありますか!?」

「伝説? いや、確かに美味しいが……大淀、間宮君の羊羹は伝説になっているのか?」

「いえ、伝説かどうかは分かりませんが、それは確かに間宮さんお手製の羊羹です」

 

 彼女はさらりと言っているが、あきつ丸にとっては驚嘆の一言だ

 

 間宮羊羹。それはその名の通り艦娘である間宮が作った羊羹だ。

 味、品質共に最高級で、一度食べればあまりの美味しさに他の羊羹は食べられなくなると言われている程。しかし同時に、間宮しか作れないので流通が極端に少なく、市場に出たとしてもすぐに海軍関係者が買い占めてしまうため陸軍まで回ってくることはほぼ皆無。

 上官に袖の下として送れば頼み事は百発百中、過去には羊羹食べたさに陸軍から海軍に転属したなんて話もあるとかないとか。

 とにかく陸軍の人間にとって間宮羊羹は色んな意味で伝説の食べ物なのだ。

 

 買えば、あきつ丸の薄給一か月分はゆうに吹き飛ぶであろう代物。

 それが今、目の前に茶請けとしてほいと出されている。

 

「疲れた体に糖分は良い。気にせず食べてくれ」

「い、いただくであります」

 

 震える手で羊羹を一刺し、口に運ぶ。

 あまりの美味しさに続けて一口……また一口。今いるこの場の事も忘れ、あきつ丸は夢中で食べ続ける。

 最後に一緒に出された少し熱めのお茶をすすり、ほうっと一息。

 

「間宮さん特製羊羹のお味はいかがでしたか?」

「……最高でありました」

「それは良かったです」

 

 返事に対して、丁寧に食器を下げる大淀が嬉しそうに笑ってくれた。

 あきつ丸はきっと二度と食べられないであろう幸福を噛みしめ――そこではっと我に返り、慌てて提督に向かって深く頭を下げた。

 

「提督殿! 自分なぞのために貴重な鎮守府寄贈の品を出していただき感謝であります!」

 

 そうだ、貴重な羊羹食べて呆けている場合ではなかった。

 そう貴重……貴重?

 

 そこで、はたりとあきつ丸の動きが止まる。

 軍帽を外して自由になった綺麗な黒髪が、さらさらと頬を凪いでいる。

 感じたのは疑問。そして疑念。

 

 果たして、今日初めて挨拶に訪れた小娘などのために、超希少とされている間宮羊羹を出す提督がいるだろうか。それも、他の眉目秀麗な艦娘にではなく色白キョンシーと揶揄される女の魅力の欠片も感じられない自分に、である。

 控えめに言ってまあ、有り得ない。

 百歩譲って、水一杯が精々。事実として他の鎮守府を訪問した際に、このようにもてなされた事なんて一度も無かった。

 

 胸中に渦巻く疑念への答えが、あきつ丸を焦らせ、心拍を激しく上昇させる。

 

 ――ま、まさか、この一連の流れが艦娘としての自分の自制心を試すための試験だったとしたならば……。

 

 瞬間、背中から滝の様な汗が噴き出して止まらない。

 やってしまった食べてしまった。馬鹿みたいに何も考えず頂いてしまった。

 思い返せば誰も無料とは言っていない。万が一にも金銭を払えと言われても手持ちがない。

 

 ――か、かくなる上は身体で払うしかないでありますかっ!?

 

 などと一人思考の宇宙旅行へ旅立つあきつ丸をよそに、提督は、

 

「ああ、いや、今出した羊羹は昨日の内に私が買った個人のものだから、安心してくれ」

 

 穏やかな顔であきつ丸特攻の爆弾を放り投げた。

 とはいえ、提督からすれば此処には間宮本人が居るわけで、羊羹は普通に一般の店と変わらない値段で購入ができる普通のお菓子だと思っている。第一に間宮自身、羊羹は手すきの時に道楽で作っている代物であり、市場に出回っている物はたまたま進物用などで包んだものが何処からか流れているだけで、そもそも一般的な売り物ですらない。

 此処では間宮羊羹は普通の美味しい羊羹だ。

 

 そのような真実を知らず、勘違いに勘違いを重ねたあきつ丸の目尻に大粒の涙が溜まっていく。

 

「えと……という事はあの羊羹はつまり?」

「私の私物だ」

 

 ふらっと、あきつ丸の意識が遠く、それはもう遠くなっていく。

 

 なんという事でしょう、目の前に出された一生に一度食べれるかどうかと噂の超希少(嘘)な間宮羊羹が、鎮守府に寄贈されたものではなく、なんと提督殿が自腹で購入された私物でありました。

 それを今日初めて鎮守府を訪れた一介の小娘である自分が、遠慮のえの字も見せずモリモリと食べてしまった。

 

 これが他の鎮守府で、他の提督相手ならばあきつ丸も、もう少し正気を保てていただろう。

 しかし此処は陸軍将校である伊崎中将があきつ丸のためにわざわざ推薦文を送り、陸軍と犬猿の仲である海軍本部がやっとこさ認めた鎮守府。そんな現在における海軍の旗手とも取れる場所の提督相手に、開幕から取り返しのつかない――羊羹食べただけ――無礼を働いたともなれば、多少あきつ丸の精神に異常をきたしたとしても無理はない。

 

 気が付けば、あきつ丸は服を脱ぎ始めていた。

 

 ――ううぅ……いつしか同期が忘れていったやけに薄い軍の参考書なる本の登場人物の中に、失態に対する誠意を見せるために服を脱いでいた者が居たのであります。

 

 なにがどうなったらそうなるん? と、何処からか龍驤のツッコミが聞こえてきそうである。

 まあ当然だ、羊羹食べた対価に身体を差し出す少女など前代未聞すぎる。

 しかし悲しきかな、あきつ丸という少女は義に厚く、それでいて少しばかり思い込みの激しい艦娘なのであった。

 

 対して、あきつ丸の動揺と同程度の困惑を隠せない人物が目の前にもう一人。

 

 考えるまでも無く、提督だ。

 彼は今、かつてない程に困惑していた。

 

 ――少女が幸せそうに羊羹を食べていたと思ったら、急に服を脱ぎだした。

 

 まったくもって理解が追い付かない。

 それでもこの状況を放っておくのはどう考えてもマズい、と纏まらない思考を一先ず脇にどけて、提督はあきつ丸へと駆け寄った。

 

「あ、あきつ丸君? 急にどうした、もしや体調が悪いのか?」

「提督殿……欲に塗れたこの木偶の坊の無礼をどうか許してほしいのであります」

「欲? 無礼? き、君はいったい何を――ぐうっ!?」

 

 衣服を脱ぎ散らかそうとするあきつ丸の腕を抑える手が、急に押し返されて逆に彼女に馬乗りになられる。

 よく見れば、あきつ丸の腰回りに鉄の物体が浮いていた――艤装である。

 

 通常、鎮守府所属の艦娘は緊急時などの例外を除いて提督の指示無く艤装を展開することは禁止されている。故に艤装を外している状態での彼女たちの肉体は普通の女性であり、本来であれば力の強い提督が押し返される筈がないのだが――

 

 ――提督にとって不幸な事に、彼女はまだ陸軍所属(・・・・)の艦娘であった。

 よって艤装の展開は誰にも禁止されていない。

 

 気が付けばあきつ丸の衣服は乱れに乱れ、提督の腕は逆に彼女の胸へ向けて引っ張られるという、まさにどうしてこうなった感満載な、ある意味提督にとっての危機的(いつも通りな)状況へと逆転していた。

 

「提督殿! 後生であります! 後生であります!」

「な、何に謝罪しているのかは分からない……がっ、私は何も怒っていない……からっ、腕を引くのを止めて……くれ……ないかっ」

「何故でありますか!? 自分の胸は柔らかくてマシュマロみたいだともっぱら同性の友人に好評でありますよ!?」

「そこは……いまっ……関係ないと……思うのだがっ」

 

 どちらも必死だ。

 敢えて言うならば、艤装の展開が一部とはいえ、艦娘の力にギリギリながらも抵抗し続けている提督を褒めるべきなのだろうが。

 

「提督殿の貴重な羊羹を浅ましく貪って食べた自分の罪を……どうか、どうかこの身体で許してほしいのであります!」

「あの羊羹っ……はっ……千五百円……だっ」

 

 もはやあきつ丸は聞いていない。

 その後も一進一退の攻防の中、結局、食器を洗い終えて戻ってきた大淀に提督が助けられるまで、あきつ丸の恥ずかしい勘違い行動は続いたのだった。

 

 

 

 

「間宮さんの羊羹を希少な品だと思って、その対価を身体で……ぶふっ」

「は、反省してるであります! ありますから、これ以上笑わないでほしいであります!」

「す、すいません。でも……はー、おかし」

 

 くすくすと笑う大淀と、頬を染めながら膨れるあきつ丸。

 二人は現在、執務室の隣の控室であきつ丸の今日の案内係を待っているところだ。

 

 結局あの後の話は、落ち着いたあきつ丸が二人から事の真相を聞かされ、誠心誠意土下座で謝り倒した事で一先ずの終息を得た。もっとも提督は困惑こそすれ、怒ってなどいなかったのだが、そこはあきつ丸の気持ちの問題だ。ちなみにその後、提督は何事も無かったかのように執務作業に戻っていた。流石のメンタルである。

 

 手持無沙汰なので何か話をと思うあきつ丸だったが、大淀とは初対面という事で共通の話題も無く、結果として思い出されるのは先程の最大級の失態ばかり。

 どよんと落ち込むあきつ丸に、どこからか戻ってきた大淀がマグカップを手渡してくる。

 

「ハーブティーです。落ち着きますよ。あ、もちろん無料サービスです」

「うう……重ね重ね申し訳ないであります」

 

 お礼を伝えて、マグカップを手に取る。

 手のひらを通じて感じる温かさが心地よく、口を付けると、ふわりと鼻孔を抜けていく爽やかなハーブの香りが落ち込んだ心を癒してくれる。

 やっとの事落ち着いたあきつ丸は、申し訳なさそうに右手で頬をぽりぽりと掻いた。

 

「……提督殿にとんだご迷惑をお掛けしてしまったであります」

「大丈夫ですよ。提督はあの程度で怒るような方ではありませんから」

「あの程度、でありますか」

 

 自分で言うのもなんだが、アレは相当破廉恥な行為だったような気がしないでもない。

 

「提督は人気者ですからね。似たような事はこの鎮守府では日常茶飯事ですよ」

「それにしては、提督殿に頑なに抵抗されたような」

「あの人はそういう人なんです。だからみんな苦労してるんです」

 

 表情に影を落としながらフフフ……と笑う大淀が妙に物悲しい。

 が、すぐにこほんと咳を鳴らしてそれはさておき、と大淀は真剣な表情で人差し指を立てた。

 

「でもまあ、今回はうちの提督だったから大事には至らなかったですけど、駄目ですよあきつ丸さん。年頃の女性がよく知りもしない男性に安易に身体を触らせるのは感心しません」

「今後、気を付けるでありますよ。でも提督殿に手を握られた時は、不思議と不快感は無かったであります。むしろ何処か心地よさのようなものを感じたような……」

「……あの人の手からは艦娘を駄目にする何かが出ていますので」

 

 苦笑しながらの大淀の冗談ともとれる言葉に、あきつ丸も合わせて笑う。

 だが、心の奥底で、あきつ丸はその言葉の意味を冗談とは捉えていなかった。

 

 初対面の男性に容易に身体を触れさせない、なんて事は世の女性の常識だ。いくらあきつ丸と言えど、それくらいは流石に心得ている。

 此処の提督は女性にだらしない視線を送る人ではなく、むしろどちらかというと女性が苦手そうだった。それを踏まえた上で、それでもあきつ丸は最初からずっと彼との距離を一定に保つ事を忘れてはいなかった。

 人は見た目だけでは測れない。そうでなくとも自分は艦娘で女の立場、見知らぬ上官への対応ぐらい、あきつ丸は経験則から嫌という程理解できている。

 だというのに、だ。

 

 あきつ丸は、先ほど提督に触れられた腕をさする。

 

 ――あの時の自分は、出会って間もない提督殿に触れてほしい……とまではいかなくとも、触れられても良いと思えるほどには、彼に心を開いていたでありますか……?

 

 自分で自分がよく分からない。

 確かな事は、罪の意識の贖罪として覚悟した最低限の嫌悪感を彼との触れ合いから全く感じなかった事。だからこそ初対面の異性相手にあそこまで踏み込めたわけでもあるのだが。

 

 あきつ丸は一人、むうと頭を捻る。

 惚れた腫れたの話ではない、とは断言できる。事実、あきつ丸は彼という人物を未だ測りかねている段階だ。優しい人なのか、厳しい人なのか。傑物なのか、張りぼてなのか、それらはこれから理解していく先の事。

 

 ……いや、違う。これはそんな表面上の感情の上澄みの話ではない。これはもっと根深い、心の奥の奥……まるで潜在意識の最奥部、そう、言うなれば――

 

「……まるで自分の艦としての部分が、創眞提督殿を求めているかのような――」

「あきつ丸さん? どうかされましたか?」

 

 考え込み過ぎていたのか、大淀に声を掛けられ、あきつ丸は首を振った。

 

「いえ、なんでもないでありますよ」

 

 きっと全部、気の所為だ。

 世の中には不思議な事もあるもんですなー、と持ち前の感性で疑問を棚上げするあきつ丸。

 

「いやはやしかし、自分も俄然、此処の鎮守府と提督殿に興味が湧いてきたところであります!」

 

 しかしそれはそれでこの鎮守府に視察に来た意味があるというものだ。

 と、あきつ丸自身は意欲的な言葉を選んだつもりだったのだが……どうした事か、大淀はその整った顔をくしゃっと歪め、まるで苦虫を噛み潰したような表情と視線をこちらに送ってきていた。

 

「それは茨の道ですよ?」

「望むところであります! 厳しい訓練には慣れているであります!」

「いえ、そちらは然程では無く、大変なのは提督とお近づきになる事なんですが」

「やはり提督殿は厳しい方なのでありますか?」

「あー、むしろそれとは真逆と言うか……とにかくあきつ丸さん、やりすぎて過激派に刺されないで下さいね」

 

 苦笑しながらの大淀の言葉ではあるが、目が笑っていない事にあきつ丸の背筋がぶるりと震える。

 

「こ、この鎮守府には敵が潜んでいるでありますか!?」

「刺してくるのは味方です」

「!?」

 

 頬を引きつらせるあきつ丸に、にっこりと笑って食器を引き上る大淀。

 これはとんでもない場所に来てしまったかもしれない。

 

「さて、準備も整ったようですしそろそろ行きましょうか」

「りょ、了解であります」

 

 気が付けば大淀の肩には妖精さんらしき者が一人ちょこんと座っていた。

 おそらく連絡係なのだろう。大淀から菓子を貰って頬張る姿がなんとも可愛らしい。

 簡単に挨拶を交わして、しかし改めて気を引き締め直す。遊びに来たわけではないのだ、それにこれ以上失態を重ねるわけにはいかない。

 

 ふんすと鼻を鳴らして、あきつ丸は軍帽を被り直す。

 

「では行きましょう」

 

 促され、あきつ丸も立ち上がる。

 彼女はまだ知らない。この鎮守府は気合とかそんなものでなんとかなるような生易しい場所ではない事を。

 そんな事は露知らずそのまま大淀の背を追い、あきつ丸は意気揚々と部屋を出て行くのだった。

 




 あけましておめでとうございます。
 気が付けば年が明けてました。年月が過ぎるのも早いものですね(遠い目

 今年もよろしくお願いします。


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