東方紅緑譚 (萃夢想天)
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第零話 「名も無き狩人、夜に咲く」

本作は、東方Projectの二次創作「幻想入り」の小説となっております。

複数のオリキャラが登場します。
加えて、作者の独自設定がある程度含まれています。
ちなみに、主人公は二人です。

作者の手際の悪さによる誤字や脱字、編集ミスなどや、
戦闘描写、残酷な表現に不快感を持たれる方は、ブラウザバックをお薦めします。
(↑どう考えても今更感)
以上の点がOKな方は、お楽しみください。




______________________________________________________

 

 

 

______弾き合う、金属音。

 

__________絶え間なく響く、唸り声。

 

 

あぁ、全く……いつも通りで嫌になる。

此処の暗さも、狭さも、何もかもが、嫌になる。

 

両手を広げて届くか否か程の広さの独房に、今僕はいる。

別に、自分の意志で此処にいる訳ではない。僕には此処しか居場所が無いからだ。

 

かと言って、この退屈さを紛らわす手段は此処には一つしかない。

 

________不意に、音が止んだ。

 

 

やっと前の人達が終わったらしい。

……正確に言えば、前の人達の「どちらかが」だけど。

重たい扉の開く音と共に、二人の男に連れられながら少年が自分の独房(へや)へと戻っていく。

その身体には、おびただしい量の血糊がべっとりと付着していた。

そんな状態にも関わらず、少年は僕の目の前を通り過ぎていく。

 

________それが当然の反応だ、此処ではね。

 

僕らがいるこの場所は、普通ではない。

いつ、誰が建てたのか。全くもって謎でしかない。

此処に誰よりも長く居る僕ですらそうなのだ、他の皆は尚更知るはずもない。

 

 

______でも、あの人なら。

 

______________姉さんなら、知っていたかも。

 

 

 

五年前、このふざけた地下施設から唯一外に出た、姉さんなら………

 

あの日以来、一度も忘れた事は無い。

こんな馬鹿げた実験をいつまでも繰り返し続ける日常でも、あの人が安らぎをくれた。

異常としか言えない、死ぬことすら前提のような訓練の日々でも、あの人が癒してくれた。

 

 

 

 

______________でも、もういない。

 

 

 

 

 

監視役の男と、随分地位の高そうな女が前に話していたのを聞いた。聞こえてしまった。

聞かなければよかったと、何度も後悔した。

 

 

「………………れは本当な……⁉ 間違…………いのか⁉」

 

「そのよ…………ね。幾つ……不可解……………りまし……」

 

「………結果的に……は死ん………同じ…………ろうに‼」

 

 

距離があった為、断片的なワードしか聞き取れなかったけど、僕は理解した。

 

 

________姉さんは死んだんだ。

 

____________違う、殺されたんだ。

 

________一体、誰に?

 

__________決まってるじゃないか。

 

 

 

 

 

 

_________________吸血鬼に‼

 

 

 

姉さんが此処を出て行った前の夜の事は、よく覚えている。

いつもの優しいあの声が、微かに震えていた。

 

「……ホントに、行っちゃうの?」

「そうよ。だって、それが任務なんだもの」

 

「………嫌だよ、寂しいよ。行かないで、姉さん…」

 

「…大丈夫、私はすぐに帰ってくるから。待ってなさい、ね?」

 

「でも! ………でも…」

 

 

僕は姉さんと離れたくなかった。ずっとそばにいてほしかった。

怖かった、また独りになったしまうのが。

 

 

コツンコツンと靴を鳴らして、スーツを着た男達が僕らの独房(へや)の前に現れた。

顔には数えきれないほどの、様々な傷があった。

僕ら二人を交互に見た後、男達の内の一人が口を開いた。

 

 

「S1341…というのは、どちらかね?」

 

「…………私、です」

 

「…そうか。では、もう一人の方は?」

 

姉さんを識別番号で呼んだ男の後ろに控えていた、坊主頭の大男が

僕らに聞こえない程度の音量で、そっと耳打ちした。まぁ聞こえてたけど。

「こいつはC7110……出来損ないもイイとこですよ」

 

「そうか……。だが、いい目をしている……………惜しいな」

 

 

僕を出来損ない呼ばわりしていた大男を、立派なスーツの男は横目で見つつ言った。

そして別の男に命令して、姉さんを独房(へや)から連れ出した。

 

「残念だが、この任務は実力が必須。どんな目を持とうが、出来損ないでは意味が無い」

 

「では将校、S1341のみにやらせるのですか?」

 

「仕方あるまい。此処で最も強い狩人(ハンター)はこの娘なのだから」

 

 

そうして、姉さんは連れていかれて帰って来なかった……。

 

 

_________そして今、此処で一番強いのは僕だ。

 

 

姉さんと別れた日の夜を思い出していたら、閉ざされていた扉が開いた。

一日二回の食事の内の、二回目を食べてから約四時間ほど、かな?

 

丁度いい運動になりそうだ、と心の中でそう思っていた。

 

ゆっくりと動いていた扉が、全開になる。

 

 

少しだけ(と言っても僕らの独房(へや)からすればかなり)広い空間に足を踏み入れる。

この場所で行われる「訓練」のせいで飛び散った血飛沫で汚れた照明が点灯される。

 

部屋の真上にあるスピーカーから、いつもの声が響く。

 

 

 

「C7110の性能実験を開始する。標的(ターゲット)は五体、武装はナイフのみ」

「大体いつも通りだね…。さぁ、始めよう________⁉」

 

 

 

 

 

__________瞬間、目の前に亀裂が走った。




初めての投稿なので分からない事だらけでしたが、
やっと一歩踏み出したという感じです…………。


次回、東方紅緑譚

第壱話「名も無き狩人、緑の道と往く」



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~幻想『狩人夜来』~
第壱話「名も無き狩人、緑の道と往く」


暫くは一日一回の投稿ペースで行けそうです。

いよいよ、彼らの物語が動き出します。
作者共々、長い目で見守ってください‼


__________瞬間、目の前に亀裂が走った。

 

 

 

たった今目撃している現象に、僕はただ呆然とすることしか出来なかった。

何が起きているのか、全く把握出来ない。出来そうもない。

 

(いきなり目の前の空間に亀裂が走る訳がない‼)

 

やっといつも通りの思考が出来そうになってきたものの、真っ先に浮かんだのは

現実に起きているこの現象への____________

 

(…………幻覚か⁉)

 

 

________否定、だった。

 

 

ある意味で現実逃避をしていた僕の視界に、更に不可解な映像(げんじつ)が飛び込んできた。

 

空間に突如走った亀裂のひび割れから、スルリと手が伸びて来た。

その手は亀裂を拡大し、徐々に大きな穴を作り上げていた。

この瞬間、この地下施設で培われた防衛本能が叫びだした。

 

 

_____________敵襲だ、と。

 

 

僕はすぐさま亀裂から離れ、警戒態勢を取った。

所持している武器は、一振りのナイフのみ。

(………正体不明の敵を相手に、心もとないな…)

 

心の内でそうぼやきつつも、目だけは亀裂の奥を見据える。

 

 

そして、とうとう人一人通れるほどの穴が開いてしまった。

奥から伸びていた手が引っ込み、ゆっくりと全身を穴から出してきた。

 

 

 

____敵は、異様としか言えなかった。

 

 

背丈は僕とほぼ同じくらいの、日本の作務衣?のような衣服を身に纏っている少年。

足には、甲の辺りが露出しているブーツもどきを履いていて、その腰には鞘に収まった_____刀。

この時点でも十分に異様ではあったが、僕が一番異様だと感じたのは…………顔の部分だった。

 

 

(…………………布? いや、褌? とも違う…。何なんだ、アレ)

 

 

その少年の顔は、布で覆い隠されていた。

しかもその中心に、筆で書かれたであろう達筆な文字があった。

 

 

 

(アレは……"(みどり)"、か?)

 

 

 

 

「____________違う、"(えにし)"、だ」

 

 

「‼⁉」

 

 

衝撃が走った。目の前の少年は、今何をしたのか。

 

 

(なんだ……⁉ 声には出してない、はず…。読心術の類か⁉)

 

 

 

「………それも、違う。読んでいる訳ではない」

 

流石に二度目ともなると、最初ほど驚きはしなかった。

代わりに、幾つもの疑問が比較的冷静な脳内に浮かんできた。

 

(今コイツは、読心術ではないと言った…。半信半疑でいいとして、思考は確実に読まれた‼)

そう、肝心なのは少年の言葉よりも、「思考を読まれた」という確かな事実だ。

突然何の前触れもなく現れ、その上、他人の思考を読むこの少年に対して、僕は恐怖と興味が

混ざり合った、何とも言えない気分に困惑していた。

 

「……読んでいる訳ではないのなら、何故___」

 

「時間が惜しい、お前の疑問には後々答えよう」

 

取り付く島もない、まさにそんな状態になってしまった。

すると、少年は僕に近づいてきた。

 

味方だと判断出来ない相手を、わざわざ接近させるわけにはいかない。

あらためて距離を取ろうと、足に力を込めた。

 

「______距離を取ろうとしても、無駄だ」

 

「‼⁉」

 

________________背後から、少年のくぐもった声が鼓膜を揺さぶる。

 

 

僕の肉体が、無意識に、反射的に攻撃に移る。

右手に逆手構えに握っていたナイフを、腰の辺りから振り向き様に胴体を袈裟斬りにするように

躊躇無く、一気に振り上げた。

(完全に胴を捉えた、貰った‼)

 

 

僕のナイフが背後にいる少年を切り裂いた_________はずだった。

 

 

(手応えが無い! 避けたのか、この距離で⁉)

 

そう思い、切り上げた腕に合わせて身体ごと後ろを振り向く。

しかし、そこにはまだ少年はいた。なのに手応えが無い。

 

「何をしても無駄だ…………今のお前ではな」

 

振り上げたままの腕を、左手で掴まれた。

見た目とは裏腹に、凄まじい握力を持っているようだ。

ミシミシと締め付けられる痛みが、尋常ではない。

 

しかし、これで戦闘不能になるのなら、僕は既にこの世にはいない。

 

掴まれている右手を、こちらへ引き寄せる。

そのまま、距離を取ろうとして力を込めていた右足で僅かに跳躍する。

僕の右腕を掴んでいた左手ごと、こちらに倒れ掛かる少年。

 

腕を引き寄せる右回りの力と、相手から掛けられる体重。

その二つの力を上乗せした_____________

 

 

「_____シッ‼‼‼」

 

___________ 渾身の左足空中半転蹴り(レフト・シュナイド・キック)を放つ。しかし、

 

 

(また………手応えがッ‼‼)

 

 

確実に当たる距離での不発。どう考えても有り得ない。

決まるはずだった攻撃の失敗と、ジワジワと湧き上がる恐怖に、

僕は冷静ではいられなくなってきた。

 

すると、不意に右手の拘束が解かれた。

少年が僕の右腕を掴んでいた左手を放したからだ。

 

「……言っただろう、今は時間が惜しいのだ。抵抗はしないでくれ」

 

少年が僕に語り掛けてきた。今までこんな施設にいたせいなのか。

それとも目の前にいる少年が異様過ぎるからなのか。

たった数秒の戦闘で、絶対の自信を打ち砕かれたからなのか……。

 

 

僕の中にあった抵抗の意志は、なりをひそめていた。

 

 

「………分かったよ。そちらの話を聞かせてもらおうかな?」

 

「……やっと話が出来そうだな、『十六夜 咲夜の弟』よ」

 

 

 

________________?

 

 

 

「…………………誰の、何だって?」

 

「その事も、まずは向こうに着いてから話そう。では行くぞ」

 

そう言うや否や、彼は僕の腕を再び掴んで引っ張る。

 

「待、待ってくれ!いきなり何だよ。そもそも、行くって何処に?」

 

まるで事情が分からない僕を見て、彼は何かに気付いたような素振りを見せた。

 

 

「……そうか、今のお前は知らなくて当然か」

 

「………今の?」

 

 

「とにかく、急ごう。行くぞ___________『幻想郷』へ」

 

 

 

急かされるまま、彼と共にさっきの亀裂の穴へと入ってしまった。

 

 

 

そして、いつの間にか意識を失っていた僕が次に見たものは____________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________見た事も無い世界だった。

 




もっとスマートに書くはずだったのに……。

幻想入り一歩手前でこの文字数、『弾幕ごっこ』の時とか
一体どうなるんだろうか………今からもう怖いです。




次回、東方紅緑譚


第弐話「名も無き狩人、幻想の地を歩む」


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第弐話「名も無き狩人、幻想の地を歩む」

一日一回投稿とは何だったのか……。

まさか書き終えた直後に再起動して消えるとは(´;ω;`)


それと、「仮面ライダーディケイド」の小説も
書かせていただく事に相成りました。

想像力って、怖いです。


ともあれ、今後とも萃夢想天の描く
「東方紅緑譚」を是非、お楽しみください。


____________見た事の無い世界だった。

 

 

 

そよ風になびく木々も、のどかで心安らぐ風景も。

葉に降り注ぐ木漏れ日も、小鳥の陽気なさえずりも。

 

別に、全く見た事が無い訳じゃない。

あの暗く狭かった僕の居場所(ちかしせつ)でも、『任務』の為に

外へ出たことなら何度かあった。

 

 

 

____________それでも此処は、段違いだ。

 

 

 

「目が、覚めたか」

 

いつの間にか意識を失っていた僕が、現状を把握し始めた時

低くくぐもった、あの少年の声が背後から聞こえた。

 

「ええ、たった今。……それよりも、此処は……」

 

「丁度いい、歩きながら説明しよう」

 

 

少年は起き上がろうとする僕を後ろから

支えながら、話し始めた。

 

 

「まず、我々が今いるこの森だが、此処はある土地のほんの一部分でしかない。」

 

「ある土地……?」

 

「そう、その土地の名こそが『幻想郷』だ」

 

「『幻想郷』……。確かさっき、と言っていいか分かりませんが、言ってましたね」

 

少年が先導して、歩き始める。

それに従って僕もまた立ち上がり、ついていく。

 

目の前の少年によって此処に連れて来られる直前に

そのような名前を聞いていたような気がした。

分からない事だらけだった僕だが、まずは肝心な部分から

聞いてみることにした。

 

「一体、何処なんです?」

 

「何処でもない……。だが強いて言うなら、日本と言えば日本だな」

 

「日本……?アレ?確か…僕の居た地下施設は……」

 

「……極圏に近い無人島の地下だ。おかげで探すのに手間が掛かった」

 

「ハハ………その、申し訳ない……」

 

「気にするな。現にこうして連れて来れた」

 

 

……………話がだいぶ逸れてきているような気がする。

 

そう思った時、またしても彼が『先回り』してきた。

 

 

「確かに、逸れてしまったな。話を戻そう」

 

__________また人の思考を……。

 

 

 

「そうだな、まずはお前の疑問に答えよう」

 

「……それはつまり、君が何故______」

 

「自分の思考を読めるのか、だな。正確に言えば、『読んでいる』のではない」

 

 

 

 

「_______『(つな)いでいる』のだ」

 

 

「……『結いでいる』……?」

 

「そうだ。それが私の、『全てを結ぐ程度の能力』だ」

 

 

何だか随分大層な名前だが、「程度の」が付いているせいか

とてつもなく迫力が無くなっている気がする……。

「全てを……。では、まさか」

 

「そうだ。思考は、お前の意識と私の意識を結げていた。

攻撃に関しても、私の身体の表面と別の空間を結ぎ、躱していた」

 

「……なるほど。そういうことですか」

 

 

改めて聞けば、恐ろしい能力だった。

これほどまでに有用性、汎用性、共に凄まじいものは無いだろう。

 

 

果たして彼に、僕の『造られた力(ていどののうりょく)』で勝ち目があるだろうか…。

 

「まず無理だ、今のお前ではな」

 

「……また読んで__________いえ、結ぎましたね?」

 

「ああ。兎に角、今は勝ち目云々は置いておこう」

 

「何故です?」

 

「………そろそろ着くからだ、『人里』にな」

 

「『人里』?」

 

 

そう言えば、歩いて暫く経ったが僕は未だに

何処に向かって歩いているのか聞いていなかった。

『人里』……名前から察するに、人の住む里だろう。

かなり安直過ぎる気もするが、何せ情報が足りないのだ。

 

「……お前の欲しがっているその情報も、向こうに着けば手に入る。」

 

「僕が欲しがっている?一体何の情報をですか?」

 

「………着けば分かる」

 

 

自分の素性よりも先に能力を明かした少年にしては、

随分歯切れが悪く感じた。

 

 

「______着いたぞ。此処が『人里』だ」

 

彼の後に付いて行くこと十数分。

急に開けた場所に出た。

先端が鋭く尖った丸太の柵が、見渡す限り続いている。

パッと見ただけでも2km以上はあるように思える。

そして歩いてすぐの所に、柵の手前に門があり、

またその奥には高台も見えた。物見(やぐら)だろうか……。

 

「此処が人里ですか……。随分広大で狭そうな場所ですね」

 

「………………否定はしない。が、今はそれよりも大事な事がある」

 

 

門の前に立つ見張りのような人達から隠れるように

茂みの奥に入っていく僕達。

先程よりも更に低く小さな声で話しかけてきた。

 

「私が案内出来るのはここまでだ。後は道に迷ったフリでもして中へ入れ」

 

「いきなりとんだ無茶振りですね。大体、何で僕がそこまでしなくては……」

 

「無茶でも何でもやってもらう。それがお前の為にもなる」

 

「確証は?」

 

 

確かに彼には興味を持ったことは認めるが、そもそも僕が何故

そんな事をしなくてはならないのだろうか?

今更になって、少年の真意を問い質したくなったが

彼の次の言葉によって、その機会は失われた。

 

 

 

「お前の姉の行方………。その真相、知りたくはないか?」

 

 

 

___________僕の姉の行方?その真相?

 

 

 

突然会話に引き出された『姉さん』の事で

僕の頭の中はごちゃ混ぜになったかのように混乱した。

 

 

何で姉さんが今話題に挙がる!?

何で姉さんの事をお前が知っている⁉

何でお前が____________

 

 

 

 

「…………僕の姉さんは、死んだんだ。もういない」

 

 

 

そうだ。どれだけ取り乱そうが、何をしようが、

もう姉さんは帰って来ないんだ。

 

 

帰って、来ないんだ。

 

 

「どちらにせよ、言ったはずだ。『着けば分かる』とな…。いいか、一度しか言わないから

よく聞け。まず中に入ったら『上白沢 慧音』という女性に会いに行け。里の者に聞けば問題はない」

 

「………誰なんです?その『上白沢 慧音』という人は?」

 

「この人里にある寺子屋の教師をしている、面倒見の良い女性だ。

里の事は彼女が一番熟知していることだろう」

 

「それと僕に何の関係が?」

 

「………『十六夜 咲夜』という者の事を聞け」

 

 

__________?

 

 

何だ?今一瞬、身体が熱くなったような………?

 

 

 

「兎に角、『上白沢 慧音』に会え。その後は好きに動けばいい。

………これで全て伝えた。私はこの事をご報告するために一度戻る」

 

「……待ってくれ、報告? 一体誰に?」

 

 

 

 

「__________私の主、『八雲 紫』様にだ」




報告を忘れていましたが、第零話の
一部を友人からの指摘で修正致しました。


「二年前、」⇒「五年前、」


いよいよって感じがしてきました!
早く二人を活躍させてやりたいです!!




それでは 次回、東方紅緑譚


第参話 「名も無き狩人、瀟洒なる真相」


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第参話「名も無き狩人、瀟洒な真相」

ようやく軌道に乗ったような気がします。



明日は「仮面ライダーディケイド」を
更新しようと思っていますが、
時間が有れば、こちらも更新したいです。

それでは、どうぞ!


「 __________私の主、『八雲 紫』様にだ」

 

 

 

 少年は、どこか誇らしげに呟いた。

 

『八雲 紫』……。少なくとも僕には聞き覚えの無い名であった。

だが、その人物が何者であれ、只者では無いのは確かだろう。

何せ、『全てを(つな)ぐ程度の能力』とやらを持つこの少年が

主、と敬う相手だ。並の人間であるはずがない。

 

 

「だが、お前には紫様の事を聞くよりも先に

  しなければならない事がある。そうだろう?」

 

「…………そうだね、分かったよ。でもその前に、いいかい?」

 

「………何だ?」

 

僕の目の前に突然現れて、僕の何もかもを変えてしまったこの少年。

彼はどうやら僕の事をそれなりに知っているようだが、僕は知らない。

だが僕は今まで他人に興味を持ったことは一度も無かった。……姉さん以外は。

でも僕にとってそれが普通だったんだ。僕は『狩人(ハンター)』にならねばならなかったから。

故に、僕の口から出た言葉は、ある意味で初めての言葉だった。

 

 

 

「君の名を、教えてくれないかな?」

 

「……私の?」

 

「そう、君の。君は僕を知っているようだが、僕は何一つ知らないんだ。

少しくらいのサービスは有って然るべきじゃないかな?」

 

「…………。」

 

指を顎に添えて、少し悩むようなポーズを取った後、

彼はようやくその名を口にした。

 

 

「_______『八雲 (えにし)』だ」

 

「縁……。顔の布に書いてある通りなんですね、名前」

 

「紫様から頂いた大切な名だ。私が私たる証明でもある」

 

「そうですか…。ではこれからは、縁と呼ばせてもらいますよ?」

 

「ああ、構わない。では、私は戻る」

 

 

そう言って、彼は腕をスッと横薙ぎに振るった。

すると、空間に裂け目が生まれて、縁はそこへ入っていってしまった。

彼が裂け目に消えてすぐに、彼を飲み込んだ裂け目も消えた。

 

 

「………ホントに神出鬼没だね、恐ろしい能力だよ」

 

そう独りごちた僕は、今から行うべき事を再確認して

隠れていた茂みから出た。

柵の手前にある門の見張りがこちらに気付き、

長槍を手に取って、警戒しつつこちらへ近づいてきた。

 

 

「子供……?こんな所に一人で何をしていた⁉」

 

予想通り、上手く釣れた。

後はいつもの『任務』のように_______

 

 

 

 

______________演じるだけだ。

 

 

 

「あ、あの……僕は、僕は______うぅ」

 

 

頭を押さえて地面に倒れる。

突然苦しみだした子供に見張りの男はどうしていいか分からず、

ひとまず門を開けて中へ戻り、他の男達を呼んできて里へと運び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

(………よし、中への潜入は問題無い。後は『寺子屋の慧音』という人に会えば……)

 

 

三人の男に担がれながら人里へ入り込んだが、どうも男達は

あらぬ誤解をしているらしい。

やれ「妖怪に襲われたんだ」だの、「よく無事だったな」だのと、

中へ入れたは良いが、身動きが取れない状況に置かれてしまった。

 

(マズイな………なんとかして寺子屋に行かないと……)

 

当初の目的である『上白沢 慧音に会うこと』が、難しくなってしまった。

このまま行くと、里の医療施設かそれに近い場所に連れていかれるかもしれない。

そうなれば、幻想郷(このせかい)について何も知らない僕にとって由々しき事態になる。

 

(そうなる前に脱出を……。一瞬の隙さえあれば僕の"この力"で……)

 

 

担がれ運ばれる中で、脱出するタイミングをうかがっていた時に、

人里の大通りを走っている男達と、その上にいる僕の後ろから

物凄い声量の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

 

 

 

「お前達‼‼ 外の警備をすっぽかして、一体何処へ行くつもりだ‼‼‼」

 

 

 

蚕の紡ぎ出すどんな生糸よりも艶やかで、どんな絹糸よりも煌びやかに流れる

青みがかった銀髪に、ショートとロングのどちらの部分にも入った水色のメッシュ。

履いている下駄のような靴と大きく豊満な胸元、更には帽子の上にも結わえられた赤いリボン。

やや青系統の深みのある色合いをした、独特の切り抜きが施されたドレス。

そしてチャームポイントだろうか、古風で質素な寺院を思わせる形をした帽子のような物は

全力疾走による風圧で吹き飛ばないように、左手でガッチリと掴まれている。

 

 

「ヒイッッ‼ け、慧音先生だぁ‼」

 

「何か怒ってるぞ‼何でだ⁉」

 

「な、なんか『外の警備がどうたら……』って……」

 

 

 

 

「「「………………………あ」」」

 

 

どうやら僕を何処かへ運ぶために、里の警備を放棄してきたらしい。

仮にも大の男が三人もそろって何たる様だろうか。

だが、これは僕にとっては都合が良い結果をもたらしたようだ。

探していたターゲットが自ら接近してきてくれるとは、願っても無いことだ。

 

 

「ヤバい、警備の事忘れてた‼」

 

「馬鹿野郎‼ 何で非番のヤツを呼ばなかったんだ‼」

 

「仕方ないだろ‼元はと言えばこの小僧が_____」

 

 

 

なんだか話があらぬ『方向』へすすんでいるようだ………。

 

 

(少しだけ、『逸らして』おこうかな………………ん?)

 

 

 

僕が行動を起こそうとしていた瞬間、僕を担いでいる男達の前へ

誰かが歩いて向かって来る。里の住民達は後ろから追って来る修羅の如き形相の女性に

怯えて、道を開けているというのにだ。

 

男達は後ろの慧音という人にしか意識を向けていない。このままだと_________

 

 

(___________ぶつかる‼)

 

 

 

 

 

 

______________『カチッ』

 

 

 

 

 

 

 

(………………え?)

 

 

 

突然の事で、今何が起こったのか全く分からなった。

 

 

 

何故、慧音の前を走っていた男達の前に慧音がいる?

何故、担がれていたはずの僕が地面に寝そべっている?

何故、何故僕の前に_______________

 

 

 

 

 

「ん?おぉ、そうか、君が『止めて』くれたのか」

 

「……えぇ、パチュリー様用の喘息の薬を貰った帰りだったのよ。

ぶつかった拍子に、ついでに買ったお嬢様の替えのマグカップを壊されてはたまらなかったもの」

 

 

「そうか。まぁ何にせよ助かったよ_________『紅魔館のメイド長(いざよいさくや)』」

 

 

 

 

 

 

 

______________姉さんがいる‼⁉

 

 

 

 




姉と弟、遂に邂逅……。

割と自然な流れで接触できたと自分では
思いますが……どうだったでしょうか。


次回、東方紅緑譚


第四話 「紅き夜に咲いた、狩人の追憶」


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第四話『紅き夜に咲いた、狩人の追憶』

どうも、萃夢想天です。


近頃やる事が一気に増えてきました。
なのでもしかすると、この東方の小説と
もう一作の仮面ライダーの小説を、

一日ごと順番に更新していく事に
なるかもしれません。

ですが、この小説は最後まで
完結させるつもりです! それでは、どうぞ!


 

____________姉さんがいる‼⁉

 

 

 

僕の目の前に、姉さんがいる?

ありえない。姉さんは死んだんだ。

 

突然現れた姉さんそっくりの女性のせいで、

僕の頭の中は一瞬にして、自問自答の螺旋階段状態になった。

 

 

『………十六夜 咲夜という者の事を聞け』

 

 

 

あの時、(えにし)はそう言っていた。

 

では、今僕の目の前で話しているメイド服の女性が、

まさしくその人なのか。

 

 

__________まるで、姉さんの生き写しだ。

 

 

 

僕は、どうしても姉さんとメイド服の女性を

重ねてしまい、わずかに涙が零れそうになった。

それだけ似ているのだ、彼女は。

 

 

「ご、誤解なんだ慧音さん‼ 俺達はだた____」

「言い訳無用‼‼ さぁ、さっさと持ち場に戻るんだ‼」

 

「へいッ‼」

 

女性の威圧感に気圧されてか、すぐさま元来た道を走り去っていく男達。

なんだかとても申し訳無い気分になったが、仕方ないと割り切った。

僕は本来なら、任務で人を『消す』ことすら多々あるのだから。

今更どうという事も無いはずなのだが………まだ取り乱してるのだろうか?

 

まずは冷静になることが先決だと判断し、ゆっくり深呼吸をする。

すると、先程怒鳴っていた『慧音』という女性が声をかけてきた。

 

 

「全く………。すまなかったな、僕。……あまり見かけない顔だな」

 

「え……あ、ハイ。ついさっき____」

 

僕が元々此処に来た経緯を説明しようとした時、

メイド服の女性が話に割り込んできた。

 

 

「それでは、私はこれで」

 

「あぁ、世話になった。ありがとう」

 

「私がお世話するのは、『お嬢様』の暮らしだけよ。もう二度目は無いからね」

 

「心配するな。その二度目が無いよう、徹底的に叩きこんでおくから」

 

「……………それは、教育的に?それとも、物理的に?」

 

「両方だ」

 

「………とにかく、お(いとま)させてもらうわ。それじゃ」

 

そう言って彼女は静かに立ち去ってしまった。

と同時に、僕も冷静さを取り戻して、一人残った慧音さん?に声をかけた。

 

「あの……」

 

「あ、あぁすまない。まずは君の事からだったな。私の名は___」

 

「『上白沢慧音』さん、ですね?」

 

「おや?まだ私は名乗っていないが……?」

 

「それを含めて、貴女にお話ししたい事が幾つかあります。ですから、その……」

 

「……そうだな。此処で立ち話も難だ、私の家に来るといい。日が沈む前には家まで送ろう」

 

「………僕に家はありません…。家族も………」

 

僕は声のトーンを下げ、顔を俯かせて話す。

まずは彼女の家に言って話す事が何より先決だ。

そして、大体の女性は「家庭的問題」を抱える子供には弱い。

僕が過去の『任務』を通じて学んだ事の一つだ。

 

 

「………そうか、分かった。今夜は私の家に泊まるといい。寝床も食事もある」

「いいんですか、僕なんかを……」

 

「何、教育者として、困っている子供は見捨てられんのさ。職業柄な」

 

___________よし、かかった。

 

 

 

内心で当初の目的の最初の難関をクリアしたことに喜びつつ、

顔を上げ、声を先程とは反対に弾ませて言った。

 

 

「ありがとうございます‼ 本当に助かります……」

 

 

 

 

 

__________貴女のヌルさにね。

 

 

 

 

 

慧音さんに連れられて辿り着いた彼女の家は、

中々大きな家だが決して派手ではなく、寧ろ質素なものだった。

 

日も沈み切り、辺りが暗くなった頃、慧音さんが

僕に夕食の支度が出来たと告げてきた。

 

 

「さぁ、今日は色々あったろう。遠慮無く食べていいぞ!」

 

「ハイ、頂きます……」

 

「そうだ、確か君は私に話したい事があると言っていなかったか?」

 

「ええ、言いました。ですが、その……食べた後でも良いですか?」

「ああ勿論だ。では私も頂こう」

 

 

こうして僕は久しぶりにマトモな食事にありついたのだった。

あの地下施設では、パンの欠片がご馳走だったから。

 

「……………ご馳走様でした」

 

「…………おお、凄い食欲だな。作った身として、こんな綺麗に

平らげられるとなんだか嬉しくなってくるな」

 

「美味しかったですよ」

 

「それは良かった。……さて、それでは、腹もふくれたし……」

 

「ええ。お話ししましょう。聞きたい事もありますから」

 

 

 

_______教師説明中

 

 

 

「………なるほど、山に入って遭難したところに謎の青年が現れ、

君をこの『幻想郷』へと導き、この人里まで案内してくれた……と」

 

「ええ、そんなところです。しかし、まさか本当に別世界だったとは……」

 

「正確には、『別の』世界では無いけどな。だが、概ねそんな解釈でもいいだろう」

 

「外の世界から忘れ去られた歴史や物、伝承や伝説が流れ着く土地……」

 

「故にこの世界には、外の世界の人間達の信じなくなった存在、

『魔法』や『妖怪』、『死神』や『吸血鬼』なんかも此処では存在できるという訳だ」

 

「『吸血鬼』だと‼‼⁉」

 

 

不意に耳に入って来たのは、「最も忌み嫌う存在」の名だった。

 

僕から『人間としての人生』を奪い、

僕からたった一人の『大切な人(ねえさん)』を奪った奴らが……。

 

この『幻想郷』で、忘れ去られてのうのうと生きているだと‼⁉

 

 

「……どうしたんだ急に…………。『吸血鬼』がどうかしたのか?」

 

気付けば僕は立ち上がり、荒っぽい呼吸で

肩を震わせつつ、顔をこれでもかと歪ませていた。

 

 

「………失礼、なんでもありませんよ。お気になさらず」

 

「……そうか?まぁ、私が詮索すべき事ではないか」

 

「助かります……」

 

「さて、外の世界の話はまた明日だ!今日はもう遅い、もう寝ようか」

 

「ハイ……。あ、そうだ。最後に一つ良いですか?」

 

「なんだ?」

 

先程までの話ではずっと伏せていた事を、

やはりどうしても聞きたくなってしまった。

聞かなければ、眠れないと思ったからだ。

 

 

「………『十六夜 咲夜』という方をご存知ですか?」

 

「咲夜?それなら君も見たはずだな。ほら、夕方の。

メイド服とやらを着ていた、銀髪の若い娘だ」

 

「今何処にいるか分かりますか?」

 

「それは分かるが、何故だ?」

 

「それは……」

 

 

逆に慧音さんに聞き返されてしまった。

だが、ともかくあの姉さんそっくりの女性が僕の探すべき

『十六夜 咲夜』であることは確定した。

後は適当にごまかしておけばいい。

 

「ど、どうしてもお礼がいいたくて!それで……」

 

「ああ、あの時の礼か。……気持ちは分かるが、止めておくんだ」

 

「何故です?」

 

「アイツはな……普通の人間とは、少し違うんだ。働いてる場所が…」

 

「……………何処なんです?」

 

 

 

この後僕は、一番聞きたくない真相を知った。

 

 

 

 

 

「_________『紅魔館』。吸血鬼の住む館だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________少年が慧音の家に辿り付く少し前__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、咲夜さん。お帰りなさい」

 

「あら『美鈴』。珍しく起きていたのね」

 

「アハハ……手厳しいですねぇ、本当」

 

「別に私は厳しくないわよ?……怠け者以外には、ね」

 

「………………」

 

 

咲夜と呼ばれた女性と、中々棘のある会話をしている

中華風の衣装に身を包んだこの女性の名は、『紅 美鈴(ホン メイリン)

 

彼女の後ろにそびえ立つ『紅魔館』の門番であり、

かなりの拳法の達人でもある。

 

「あ、そう言えばですね!『お嬢様』がお呼びでしたよ」

 

「本当に?おかしいわね……まだお目覚めの時間じゃないはずよ?」

 

「なんでも早く目が覚めたとかで。濃い目のお紅茶を出すようにと」

 

「ええ、分かったわ」

 

「しかし、大変ですよね咲夜さんは。かと言って咲夜さんの

代わりが務まるような人もいませんしねぇ……」

 

「せめて門番がもう少し働いてくれたら……ねぇ?」

 

「い、いやぁ………。しかし、咲夜さんも欲しいと思ったことは

ありませんか?家事やら掃除やらに追いやられてばかりで」

 

「そうね、多少はあるかもしれないわね」

 

 

「いや~、咲夜さんに妹さんか『弟』さんでもいれば良かったのに」

 

 

 

美鈴の何気ない一言に言葉を返そうとした時、

咲夜の頭に電流が流れるかのような衝撃が走った。

 

 

 

 

 

『_______ホントに行っちゃうの?』

 

『でも!………でも…』

 

(頭が、割れそう……‼ 何なのコレ……一体誰なの⁉)

 

 

 

 

 

 

『______嫌だよ、寂しいよ。行かないで、_________』

 

 

 

 

 

「________くやさん?咲夜さんってば!」

 

「ッ‼‼」

 

 

耳元で名を呼ばれ、意識が引き戻される。

美鈴が呼んでくれなければ、倒れていただろう。

何故か、そんな確信があった。

 

 

「一体どうしたんですか咲夜さん?」

 

「何でもないわ………ただの立ち眩みよ」

「…………なら、いいんですが」

 

美鈴は渋々といった表情で下がった。

こんなところでフラついてる場合では無い、と

咲夜はいつものように、自分を押し殺して『紅魔館』へと戻っていく。

 

そんな彼女を心配そうに見つめた後、

美鈴は門の壁に寄りかかりながら呟いた。

 

 

「……昨日見えた"死兆星"があんなに近くまで……。

それも真っ直ぐ此処に向かっている。コレは………」

 

 

 

_________何か良くないものが、近くまでやって来ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





いぃやぁ……長ぇ………。

執筆に二時間半とか冗談だろう⁉

まぁゴネてもしょうがないですね。
それよりも、いかがだったでしょうか。

次はいよいよもう一人の彼が動き出します。


次回、東方紅緑譚


第伍話「緑の道、境界との密会」


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第伍話「緑の道、境界との密会」

更新が遅れると言ったか、アレは嘘だ(半分)


という訳で、来週までかなり忙しくなる為、
この投稿で暫くはストップします。

楽しみにしてくださる方々には申し訳ないです……。


必ず帰ってきますので、どうかお待ちを!

それでは、どうぞ!


 

 

_________『名も無き狩人』を人里まで案内した後

 

 

 

 

 

『八雲 (えにし)』は、そこにいた。

 

そこは、『幻想郷』の何処にも存在しない場所と言われている、

まさに魔境と呼べるような、そんな場所にいたのだった。

何故そんな場所に縁はいるのか?

 

 

その理由は単純且つ、明瞭なものだった。

 

 

 

「…………あら、お帰りなさい縁。早かったのね」

 

「……只今戻りました、『紫様』」

 

 

そこには、彼の仕えるべき主人がいるからだ。

 

 

 

名は、『八雲 紫』

 

出生や生い立ちは一切不明とされる『スキマ妖怪』 という種族で、

『境界を操る程度の能力』を持っている。

 

分かりやすく言ってしまえば、ほとんど何でもありのチート能力である。

物事や事象の境界線を曖昧(あいまい)にしたりして、

現実世界への様々な干渉が可能になったりするのだ。

 

現に、彼女達の住まうこの場所もその能力によって

空間と次元の『境界』を弄った結果生まれた隠れ家なのだ。

 

その場所には本来、彼女の能力による『スキマ』という

出入り口のような裂け目を通らなければ入れない場所なのだが、

縁は自らの『全てを(つな)ぐ程度の能力』を使い、

この場所までやってきたのだった。

 

 

「ご命令通り『十六夜 咲夜』の弟_______『十六夜 紅夜(こうや)』を此方へ」

 

「ご苦労様。調子はどうだったかしら?」

 

「ハイ、特に問題は無いかと思われます」

 

 

主人の命令通りに事を進め、報告をする縁。

その報告に満足げに微笑み、扇子を広げ仰いだ。

 

 

「いいわ、充分よ。下がりなさい」

 

「……………失礼します」

 

 

一礼してから部屋を出ていく縁。

その後ろ姿を、未だ絶やさぬ笑顔で見つめる紫。

 

そこに、一つの影が生じる。

 

 

 

「……………また覗き見?随分良い趣味を持ったわね、『藍』?」

 

「…………………申し訳ありません、紫様」

 

 

影が、ゆっくりとその姿を現す。

 

金色に輝き、艶までも感じさせる九本の尾。

頭部に被った黄色い呪符を張り付けた特徴的な頭巾。

青色よりも濃い『藍色』の不思議な雰囲気の服装をした女性が

紫の背後から音も無く現れたのだった。

 

「またあの男にやらせたのですか、紫様」

 

「ええ、いけないかしら?お気に入りの道具(あのこ)を使っては」

 

「そう言う訳では………。ですが、あんな素性も知れぬ者を____」

 

「貴女は知らなくても、私が知っているから問題は無いわ」

 

「………………………」

 

 

 

藍と呼ばれた女性は、眉間にしわを寄せて

縁の出て行った襖の方を忌々しそうに睨んだ。

 

そして、紫に失礼しますと一言だけ言い残して

現れた時のように音も無く去っていった。

 

 

 

「_________知らなくていいわ、私以外は誰も………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「_____おい、貴様」

 

 

縁が八雲家の縁側の廊下を歩いていると、背後から凄まじい

殺気を帯びた声で呼び止められた。

 

 

「………何か、用か?」

 

「貴様自身に興味は無い。一度だけ聞く、紫様に何をした」

 

「__________どういう意味だ?」

 

 

突然呼び止められたと思った矢先、自分の主への何かしらの

敵意を意味させるような疑問を投げかけられた。

縁は全く身に覚えが無いため、即座に否定した。

 

 

「私は紫様にお使いいただく為に存在している『道具』…。反抗など___」

 

「黙れ下衆(ゲス)め。貴様が来てから三週間、紫様のご様子が一変したんだ」

 

「………それを私のせいと?」

 

「そう考えるほか、あるまい」

 

 

敵意を剥き出しにして食って掛かる藍。

その様子を廊下の角には、彼女の式神である『(チェン)』が隠れて

二人の成り行きを見ようとしていた。

 

 

「少なくとも、私は存じません……『藍様』」

 

「ッッ‼‼」

 

 

自らが愛情を以って育てた式神の橙と同じ呼び方をされ、

元々頭に上っていた血が、更に頭に流れていった。

 

 

「貴様如きに呼ばれる筋合いは______」

 

「やめなさい、藍。そこまでよ」

 

「紫様⁉」

 

 

そこに件の紫がやって来た。

先程まで浮かべていた笑みは既に消えており、

代わりにそれこそ『鬼』のような形相をしていた。

 

つまり、怒っているのだ。『妖怪の賢者(やくもゆかり)』が。

 

 

 

「いい加減になさい。縁、顔を上げなさい」

 

「………紫さグゥッ‼‼」

 

「‼⁉」

 

 

藍に向かって頭を下げていた縁に顔を上げさせた紫だったが、

縁が言われた通りにした直後、『スキマ』を使ってその顔を踏みつけた。

 

 

「………縁、貴方は一体誰の所有物か、理解しているわね?」

 

「り、理解しております……紫様………」

 

「なら、何故今藍に頭を下げていたの?」

 

「それは…………」

 

主人に対する忠義を疑われていた、などと今の紫に口走れば

収集が付かなくなるかもしれないと藍は思い、橙は怯えていた。

しかし、縁は黙っていた。

 

 

「いい?貴方は私の物なのよ、軽々しく私以外に頭を下げないでほしいわ」

 

「申し訳、ありませ、ん………紫様」

 

「それと、様付けもダメよ。貴方が敬うべき相手も私だけ……いい?」

 

「承知いたし、ました…………」

 

「分かればいいわ……。藍、貴女も良いわね?」

 

「ハ、ハイ!承知致しました……」

 

 

藍の返事にようやく怒りが収まったのか、紫は『スキマ』をしまい

悠然と元来た道を戻っていこうとした。

しかし、ふと歩みを止めて振り向き、縁に告げた。

 

 

「丁度いいわ……縁、あの少年が『目的地』に辿り着いたら、貴方は

白玉楼(はくぎょくろう)』へと向かいなさい。藍、貴女は縁の付き添いをなさい」

 

「付き添い、ですか……?」

 

「あら、不満?」

 

「い、いえ……かしこまりました」

 

「ご命令とあらば、何処へでも」

 

「良い返事よ、縁。藍に場所を聞いてから一緒に行きなさい」

 

「「ハイ」」

 

 

 

藍は、顔を隠し続けるこの少年に嫌悪を

縁は、特に感情も無く命令通りの行動を

 

それぞれ胸の内に秘めながら、移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『_______へぇ~。それじゃ、やっと見つけたのね紫』

 

「ええ……本当に長かったわ。今でも信じられないもの」

 

『信じ続けてきた相手が信じられないの?随分荒んだのね~紫も』

 

「違うわよ。ただ………彼とまた過ごせるなんて、その……夢みたいで…」

 

『可愛いわよ紫。それよりも、その彼に早く会わせてよ~』

 

「明日、そっちへ向かわせるから大丈夫よ」

 

『ウフフ、楽しみねぇ~。妖夢に赤飯炊かせとこうかしら?』

 

「恥ずかしいから止めてちょうだい」

 

『あら残念……。そうだ、ねぇ紫?』

 

「何かしら?」

 

『その子、強いのよね?確か剣も使えるとか……』

 

「……妖夢と張り合わせる気?」

 

『だって、きになるじゃなぁ~い』

 

 

 

 

 

 

 

 

『_________紫が1300年以上も探し続けた人だもの』




( :罪:)<ゆっかりーーん!!!!


という訳で、八雲一家勢揃い(?)です。

藍様が酷いことになってますが、僕は大好きですww


次回は再び狩人のターンです!
…………もう名前出ちゃいましたが。



次回、東方紅緑譚


第六話「紅き夜、やがて来る嵐の足音」


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第六話「紅き夜、やがて来る嵐の足音」


いやぁ~~やっとこっちのゴタゴタが片付きました。

………と言ってもまだ半分ですがね(´;ω;`)


さて、昨日投稿予定だったこの回も一日遅れてしまい
ましたので、もう一つの「仮面ライダー」の方も
投稿が一日ズレてしまうかもしれません……。


ともかく、久しぶりの東方紅緑譚をどうぞ!


 

_______________辿り着いた。

 

僕は今、真夜中の森の中を駆けていた。

何故こんな時間に、そんな場所にいるのか?

何の理由も無くこんな場所に来るほど、僕はバカじゃない。

 

僕が此処まで来た理由は、たった一つ。

 

 

『紅魔館』に行くためだ。

 

 

僕はそもそも、今夜は人里の慧音さんの家で一泊した翌朝、

里の人々にこの『幻想郷』の事について更なる情報を得る為、

聞き込みをしようと思っていたのだ。

 

 

慧音さんから、『あの話』を聞くまでは。

 

 

そこから僕の行動は早かった。

まず寝静まった慧音さんの家を音を立てずに抜け出し、通路を駆ける途中、

古書店だろうか?目的の場所の具体的な地図があるはずだと睨んで探ると、

案の定見つけたので、暫く拝借することにして店を出てすぐ、

里の出入り口で見張りをしている門番の隙を突いて、外に出た。

 

この程度の警備ならば、僕の『造られた力(ていどののうりょく)』は必要無かった。

 

そして、地図に従ってこの暗い森を常人の数倍の速度で駆けてきたのだ。

勿論息切れなんて起こしてはいない。僕はそんなヤワな身体には『造られて』いない。

 

 

「_________着いた」

 

 

森を進んだ先にポッカリと開けた空間に付き当たった。

目を凝らすと、僅かに霧を(たた)えている湖のような場所が見えた。

この地図に記されていた『霧の湖』とやらに間違いないだろう。

 

 

そして、その中央付近にそびえ建つ『紅い館』

 

 

今は明かりが付いている為、その全容の一部しか見受けられないが、

そこが目的地だと僕にはハッキリと理解できた。

 

今が『吸血鬼の時間(まよなか) 』だからだろうか。

 

 

 

「………此処まで漂ってくるよ……。誤魔化す事の出来ない『血の匂い』が……」

 

 

 

__________此処に、彼女がいる。

 

 

僕がこの『幻想郷』に連れて来られる事になった原因。

(えにし)が言っていた『姉さん』を探すために。

僕が失った五年間、僕の捨てた『それ以前の時間』。

 

その答えが、この館に。

 

 

 

もう僕の中に迷いは無かった。

 

 

さぁ、行こう。

 

誰でもない、僕の為に。

 

 

今日が輝き、明日が色づくあの日々へ。

 

 

 

 

「待ってて、姉さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中の霧の湖に架かる石橋を駆ける影。

 

音も無く、確実に忍び寄る。

 

霧で曇った視界が晴れ、館と同じ色合いの鉄門扉が見えてきた。

 

そして、

 

 

「…………………」

 

 

名も無き狩人は、無音歩走(スニークング・ラン)を止めた。

 

此処は橋の上。一切の死角が存在しない場所。

 

自分のような『暗殺者』が最も苦手とする戦いの場。

 

その数十メートル先に見える紅い鉄門扉。

 

 

 

そこに__________

 

 

 

 

「______待っていましたよ、『死兆星』さん」

 

 

 

 

 

 

 

____________眠れる龍(もんばん)が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「………これはこれは、寝ずの番……ですか。ご苦労様です」

 

「いえいえ、(ここ)を守るのが私の使命であり仕事ですから」

 

「そうですか、殊勝なお心掛けで……。ですが、色々と大変では?」

 

「ええ、本当に………。毎日毎日怒られてばかりでして……」

 

「立派にお仕事を為されているのに、ですか?」

 

「い、いやぁ……まぁ、何と言うか。そんなところです……」

 

 

何だか人の良さそうな門番だ。

だが決して油断できる相手では無い。

 

僅かに橋の上をそよぐ風になびく、赤い長髪。

両耳の辺りからは、髪を三つ編みにして深緑色のリボンでそれぞれ束ねている。

白い下地の上に若草色の中華風のドレスを身に纏っている。

脚部に入った大胆なソリットは魅惑的な雰囲気と共に、表面には見られない彼女の

鍛え抜かれた脚の筋肉がいつでも此方を狩り取れる、と主張しているようだった。

 

そして頭に被った中華帽に、輝く「龍」の文字が刻まれた星型のエンブレム。

 

 

 

彼女こそ、この紅魔館の『門番』。

 

 

「……と、世間話はこの辺りで…。私は『紅 美鈴(ホン メイリン)』と申します」

 

「ご丁寧にどうも。しかし生憎、僕には名前の持ち合わせが無く、お返事はまた」

 

「いえ、要りませんよ。貴方の『名』も、貴方のもたらす『災厄』も」

 

「………何やら、別の方と間違われているようですね。どうしたものか………」

 

「シラを切っても無駄ですよ。言いましたよね?『死兆星』さん、と」

 

 

彼女の方から話をふっかけてきたくせに、此方の話は聞く耳持たず。

なんと横暴な人だろうか、到底許せそうにありませんね……。

 

なんて、茶番は置いておき、本題に入ろう。

 

 

「この際、僕が何者かはどうでもいい。それよりも大事な事が」

 

「おや、意外と素直ですね。分かりますよ、『今のは本当』ですね」

 

「…………僕は確かめたい事があって、此処まで来ました」

 

「そうですか。ですが、それなら本来は館の所有者____『お嬢様』に了承を

得てから来ていただくのですが?有りませんよね?こんな時間に来る時点で」

 

「ええ、了承なら大丈夫です。直接行って貰ってきますよ、今からね」

 

「話通じてませんね。分かりやすく『帰れ』と言わなきゃダメですかね?」

 

 

言葉の端々に怒気を滲ませながら、拳を構える美鈴。

やれやれ……と悪態をつくかのような素振りで、僕は彼女に向き直る。

その態度が更に彼女の機嫌を悪くしてしまったのだろうか。

足を開いて、拳だけでなく体全体で美鈴は『構えた』。

 

「いいですよ、言葉がダメなら『こっち』で語りましょう」

 

「……せっかちな人ですねぇ。そういうの、『死に急ぐ』って言うんでしたっけ?」

 

「ご安心を。ちゃんと歩いて帰れる程度には加減出来ますから」

 

今まさに僕に掴みかからんとする勢いの美鈴。

僕はそれをさらに煽って、間合いを詰めようとする彼女の意識を、

僕の『手』から言葉を発する口へと移す。

 

 

「大した自信ですね。自惚(うぬぼ)れでなければいいですが……」

 

「………今からお見せします_________よっ‼」

 

 

 

ほんの僅かな重心の移動。

ほんの少しの歩幅の進行。

ほんの小さな、彼の油断。

 

 

たったそれだけが、その音速の打突を生み出した。

 

 

いわゆる、『甲勁突』という一つの技。

 

しかし、鍛え抜かれて無駄の無くなったこの一撃はもはや、

 

 

(ワザ)』と呼ぶに相応しいほどに、美しく鮮やかに決まった。

 

 

 

 

勝負はほんの一瞬で終わった。

 

美鈴のスラリと伸びる長い脚での蹴り。それを避けたまでは良かった。

しかし、その蹴りが『右足』なのに対し、彼女の『右側』に避けたのが

最悪の選択だった。それだけだったのだ。

 

「____⁉」

 

自分の喉元に向けて蹴りを放ち、そして避けたはずの右足が、無い。

一瞬前までそこにあったはずのものの消失に戸惑う______時間すら与えず。

 

 

(ハイ)‼‼」

 

「ごッッ__________」

 

 

喉を狙って放った右足を瞬間的に地面へ蹴り降ろし、

身体の重心を、前方へと曲げた右足へと移す。

そして自身の右側『だった位置』にいる彼の方向へ、

左足を小さな弧を描くようにずらし、 止める。

 

後は上半身をネジのように、左足の向いた方向へ。

 

 

右手を握り締めた左拳に添えて、押し込む。

左肘を、振り向き様、彼の腹部へと。

 

 

 

全身の筋力+回転の斥力+人体急所への正確な打突

 

 

 

手応えはあった。

 

これで片付いた。

 

美鈴はゆっくりと息を吐き、姿勢を元に戻す。

背後を振り返れば、腹部の鈍痛に崩れ落ちる少年の姿が_______

 

 

 

 

 

 

「_______いない⁉」

 

 

 

 

勝負はほんの一瞬で終わった。

 

 

 

だが、終わったのはあくまで『勝負』。

 

 

 

ここから始まったのは、ただの____

 

 

 

 

 

「ここですよ」

 

 

 

 

 

___________『殺し合い』だった。

 

 

 

 

左肩を掴まれ、いつの間にか背後にいた少年の左足の薙ぎで

膝を曲げられる。カクン、とブレた上半身に合わせて歪む重心。

左後方に倒れる身体を、肩を引っ張られて不自然な体勢になる。

 

 

彼の左手で、自分の左肩を、掴まれている。

 

そして彼の『右手』は今、肩を掴んでいる左手に向けて急速に進んでいる。

 

 

つまり_________

 

 

 

 

「喝ッッ‼‼」

 

 

 

急に後ろへ倒され、受け身を取れない体勢にされ、

そのうえで真逆の方向に打突をくらったのだ。

美鈴の左肩は当然、ゴキッ、と嫌な音を立てて砕ける。

 

「うぐッ‼‼」

 

 

肩を砕かれながら、身体をねじりそこから飛び退く。

美鈴は困惑していた。理解が出来なかった。

 

背後を取られたからではない。

 

似たような勁による攻撃をくらったからでもない。

 

 

手応えはあった。だが、彼は沈んでいない。

 

 

 

「さて、ウォームアップはここまでだ」

 

「………手加減してたのは、お互い様ですか……」

 

「全力を出さないと、墓石の下で後悔することになるぞ?」

 

「そのようですね……。さぁ、かかって来なさい‼」

 

 

 

 

 

 

 

両者、譲れぬものの為。

 

命の駆け引きが、再び始まる。

 

 

 




紅魔の門番、ここにあり!って感じですかね?


さぁ、いよいよ第一章が佳境に差し掛かりました。
次の回を書くのが今からもう楽しみです‼‼

そして、第壱話から先にかなりの誤字脱字があったので
幾つか修正をしましたので、ご了承ください。

遅れましたが、感想をお待ちしております‼



次回、東方紅緑譚


第七話「華人小娘、今私は此処にいる」


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第七話「華人小娘、今私は此処にいる」



最近仕事がクライマックスに差し掛かっていまして、
今もマトモに足が動かんのですたい………疲れました。

ですが、なるべくこの作品も二日に一話のペースでの
投稿は続けていきたいと思っています。


近況報告はここまで。それでは、どうぞ。


 

 

両者、譲れぬものの為。

 

命の駆け引きが、再び始まる。

 

 

 

 

 

最初に動いたのは、またも美鈴だった。

 

先程は不意を突かれて左肩にダメージを負わせられたが、今度こそはいける。

そう心に言い聞かせつつ、彼女は小さく息を吸い込んで力を蓄えて、自分の

目の前に立つ侵入者を排除しようと拳を構えた。

 

対して彼は、懐から取り出した刃渡り15cmほどの鋭いジャックナイフを

右手に逆手持ちにしていながら、腕の力をだらりと抜いている。

闘う意思はあるようだ。だが、まるで隙だらけの構えとも呼べぬ体勢に

美鈴は少し気を取られた。

 

しかし、その一瞬の動きの機微を彼は見逃さなかった。

 

逆手持ちにしたナイフの切っ先を美鈴に向け、一歩の跳躍で間合いを潰し

ながら、狩人は音も立てずに攻撃を仕掛けてきた。

美鈴はその右手のナイフの柄の部分を、左足の上段外払いではじく。

そのまま彼女は右の(てのひら)で打突を、突っ込んでくる少年の

下あごの辺りに撃ち込むつもりでいた。

 

だが、そうはいかなかった。

 

ナイフをはじかれる事を『読んでいた』彼は、美鈴の右の掌底よりも一瞬

早く彼女の懐に飛び込み、左手を彼女の右の掌に無理矢理組ませた。

拳や掌底は、繰り出すために一度肘を曲げて力を込めなければならない。

その時に手を添えられると、一切前に動かす事が出来なくなるのだ。

それをこの少年は瞬時に、正確にやってのけた。

美鈴は武芸者としての関心を覚えたが、すぐにその考えを振り払った。

 

彼は敵であり、今攻撃を止められている。

 

このまま追撃を止めるほど彼は生温くはないだろう。

考えを切り替えた美鈴は左手を手刀と化して、掴まれた右手に振り下ろした。

すぐさま彼は左手を放し、僅かに飛びずさる。

 

たった一瞬でこれほど濃密で、一進一退の攻防を繰り返す。

 

彼は美鈴を只者では無いと改めて理解し、

彼女もまた、目の前の彼が一筋縄ではいかない事を悟った。

 

 

「どうしました?私はまだ地上にいますよ」

「……貴女を墓下まで持っていくには、骨が折れそうです」

 

「本当に骨が折れる(そうなる)前に、お帰りいただけませんかね?」

「そうはいかない。僕にも、この戦いに負けられない理由がある」

 

「そうですか……。ですが、そろそろ終わらせますよ」

 

 

 

美鈴はそう言うと、両手を握り締めて腰の両脇に動かしつつ

両足を肩幅よりも少し広めに開き、膝を軽く曲げた。

 

 

「久々なので、長く持たないかもしれない。だから、それまでに」

 

「なるほど。本気の本気、ってヤツですか。………来い」

 

 

 

彼は知らない事だが、彼女もまた『幻想郷』の住人であり、かなりの実力者だ。

つまり、彼女も保有している『程度の能力』がある。

 

 

 

その名も、『気を使う程度の能力』と言う。

 

 

 

聞いただけでは分かりにくいので簡単に説明すると、

この世界に生きとし生けるものの全てには、その全身に『気』が流れている。

俗に言う『オーラ』や『生命エネルギー』とやらが、一番身近な言葉だろう。

紅 美鈴は自らの中に流れるそれを、能力により自在に操ることが出来るのだ。

ただ、ある程度の『気』の流れならば一流の格闘家や達人であれば、それなりに

操る事は可能らしい。しかし、彼女のソレはまさに格が違う。

 

自らの身体を流れる『気』を一ヵ所に集中させ、恐ろしい一撃を生み出したり

身体に受けた傷の部分に同様に『気』を集めると、傷の回復が早くなったりと

使い方を工夫すれば、かなり強力な力になる能力なのだ。

全身からほんのりと滲みだす、紅い『気』のゆらめき。

 

今までの彼女とはまるで雰囲気が違う。

『程度の能力』などと、そんな緩いものでは断じて無い、と彼は思った。

 

美鈴が構えを解き、自然体でこちらを向く。

しかし、決して隙があるわけではなく、寧ろ何処にも見当たらない。

 

 

 

 

「__________行きます」

 

 

 

 

 

ゴウッッ‼‼‼‼

 

 

 

 

凄まじい脚力が生み出す突風。

爆発的なまでの大跳躍で詰め寄る門番。

全身の『気』を込めた、まさに全身全霊の一撃。

その風を裂く蹴りが、彼の顔面を捉えるまで数cm。

 

 

 

 

 

 

 

完全に自分の間合い。貰った、仕留めた、『死兆星』を。

 

 

 

 

 

 

 

確信した勝利に手が届くまでの、たった0,01秒の最中に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美鈴は、ふと思った。

 

 

 

 

 

 

紅魔館の時計台を見下ろす(・・・・・・・・・・・・)ほどの高さから(・・・・・・・)落下しながら(・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(___________何で、こんな所に?)

 

 

 

 

 

 

蹴りは届かず、自分は今『紅魔館』の遥か上空。

全く状況が理解出来ないし、把握出来ない。

 

 

何故自分が空から橋へと落下しているのか。

 

何故自分の蹴りに手応えが無かったのか。

 

何故、何故、何故____________。

 

 

 

 

 

詰み(チェックメイト)です」

 

 

そう言って、またしても美鈴の背後に現れた少年。

言葉の意味を理解する前に、腰背部に突き刺さる痛みが迸る。

彼が握っていたナイフが深々と突き立てられたのだろう。

痛みと、落下する風圧による体勢のグラつきで、溜めていた『気』が四散する。

 

そして__________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________ドォォォォォン‼‼‼‼‼

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館門前の石橋に、一つの影(・・・・)が、轟音を上げて落下する。

 

 

そして、それを狩人は何食わぬ顔で見つめていた。

 

 

 

「………貴女は、確かに強かった」

 

 

 

誰も返事を返さない言葉を、彼はただ呟き続ける。

 

 

「格闘のセンス、持っている『能力』の性能、どれを取っても素晴らしい」

 

 

身体に着いた埃を払いつつ、彼女に刺したはずの(・・・・・・・・・)ナイフ(・・・)を懐に戻して

 

「ですが、たった一つだけ、僕が貴女に勝る点があった」

 

 

悠然と歩きつつ、紅魔館の門に手を掛ける。

 

 

「ソレは___________」

 

 

門扉を押し開き、一歩足を踏み入れる。

 

「ただ、『守る』よりも『奪う』方が戦いに向いている、それだけです」

 

 

 

 

赤く、冷たい、紅魔館の門が、閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________美鈴敗北の少し前____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 

飲みかけの紅茶の入ったティーカップをテーブルに置き、窓を見る。

一瞬だが、強い力の波動を感じた。外で何かあったのか。

そう思った彼女は、意識を集中させて『能力』を発動させる。

 

 

「……………これは興味深いわね。フフフ、フフフフフフ」

 

 

右手を口元に寄せてクスクスと笑う幼気な見た目の少女。

そのすぐ横には、ティーポットを持って紅茶のおかわりに備える従者がいた。

銀髪の従者は、目の前の主の当然の微笑に問い掛ける。

 

 

「いかがなさいましたか、『お嬢様』」

 

「なに、大した事じゃないわ……フフ」

 

まだうっすらと笑っている主人に対して、若干の疑問を覚えた従者だが

大した事ではない、と言われた以上は自分が気にする事も無いと割り切った。

しばらくしてようやく収まったのか、主は従者に告げた。

 

 

「咲夜、明日の朝一番に買い物に出掛けなさい」

 

「……明日の朝一番に、でございますか?」

 

「ええ、そうよ。そして……そうね、半日程度は外で過ごしなさい」

 

「外で?屋敷内のお掃除やお食事のご用意は……」

 

「要らないわ。多分、忙しくなるだろうからね」

 

「はぁ………」

 

 

これまでにも、この主人の突拍子も無い行動や命令は多くあった。

しかし、今度はどこかいつもとは違う。

朝早くに此処を出て、半日は戻って来るな。などといった命令は

仕えてから今日まで、一度もされなかった命令だった。

 

 

 

 

(たの)しい日に……いえ、愉しい日々になりそうね」

 

 

 

 

そう言って彼女、『レミリア・スカーレット』は眼を赤く輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________狩人侵入、数分後__________________

 

 

 

 

門番を倒して門をくぐり抜けてから数分、彼は目を痛めそうになっていた。

屋敷の内部は、どこもかしこも全てが赤一色に染まっていたからだ。

例えどんなに鮮やかで美しい赤でも、一面を塗り潰すほどの色合いでは

流石に目にも悪くなって当然だろう。

 

 

「………ずっと見てると頭まで痛くなりそうですね、コレは」

 

そう独りごちて、内部の探索を続けていると、下の方へと続く階段を見つけた。

湖の中心に建てたにしては、いささかやり過ぎでは?とも思った彼だが、

此処に来た目的を再度確認し、意識を階段へと向け直した。

 

 

「……鬼が出るか蛇が出るか、はたまた『吸血鬼』が出るか………」

 

 

薄暗い地下への階段を下ろうとした時、彼の視界の端を何かが横切った。

すぐさま階段の下へ身を隠し、様子をうかがう。

するとそこには、両側頭部にコウモリのような黒く小さな羽を生やした

赤い髪のネクタイをつけた少女がいた。

 

その手にはマグカップのような物があった。

しかも、そこから湯気が立ち込めるのを遠目から確認した。

流石にこんな所でその中身を堪能する変人には見えない。

 

つまり、

 

アレを持っていく最中なのだ。この館の何処かへと。

 

こちらに気付きもせず走り去っていった少女を目で追いつつ、彼は一先ず

この階段を下るのをやめにして、さっきの少女の後をつける事にした。

 

すぐさま無音歩走(スニークング・ラン)で赤髪の少女を尾行する。

しばらく歩くと、大きく古びた扉の前で止まり、ノックした後で中に入っていった。

 

少女の手が扉から離れ、ゆっくりと閉まる瞬間。

 

その時彼は既に、音も無く中へ侵入していた。

 

 

そこはまるで、本で構築されたような部屋だった。

 

ほとんどの壁は様々な背表紙の分厚い本で埋め尽くされ、窓などは見当たらない。

部屋の吹き抜けの二階のその奥には、巨大な振り子時計が掛けられており、

今もなお正確に時を刻み続けている。

 

__________此処は『ヴワル大図書館』

 

 

 

紅魔館に住む『魔女』の集めた、世界各地から失われた

魔導書(グリモワール)』のほとんど全てが此処に保管されている。

魔法を扱う者にとっては、禁断の楽園のような場所であろう。

 

 

そこに彼は辿り着いた。

膨大な量の書籍の数々に目を奪われる。

試しにと、適当に目に留まった一冊を手に取ろうとした。

「止めておきなさい。下手に触ると死ぬわよ?」

 

 

が、寸でのところで手を止める。

一階の奥の広間らしき所に、一ヵ所だけ明かりが灯っている場所があり

そこから先程の声は掛けられたのだった。

 

「……ご忠告をどうも。ところで、貴女は?」

 

「そっちこそ誰?こんな時間に来客なんて、私は聞いていないわ」

 

「わ、私も聞いてません!」

 

本棚の隙間から見える、紫色の長髪の女性。

その背後で、人見知りなのだろうか?小刻みに震えているのは

先程の赤髪の少女だった。

 

 

 

「僕に名はありません。なので『誰なのか』という質問にはお答えが……」

 

「……そう、つまらない答えね。それで? どうして此処へ?」

 

「色々ありましてね…。尋ねたい事も少々あるのですが」

 

「…………そうね、答えてあげてもいいわ。答えられる範囲でなら」

 

「えっ?ちょ、ちょっと『パチュリー』様‼」

 

態度の割に、随分気前のいい人のようだな、と彼は思った。

早速、幾つか聞きたい事を手短に話そうとしたが、

それは『パチュリー様』と呼ばれた紫髪の女性の言葉に遮られた。

 

 

 

「いいのよ。でも、条件があるわ」

 

「……血でも吸うおつもりで?」

 

「違うわよ、私に吸血趣味はないわ…。長年吸血鬼と暮らしててもね」

 

「……………」

 

「条件と言っても、単純な事よ。ただ__________」

 

 

 

 

 

「_______貴方の後ろにいるその娘に、勝てばいい。それだけよ」

 

 

 

 

瞬間、彼は恐怖を感じた。

 

先程まで何もいなかったはずの彼の背後に、

凄まじいほどの殺気を帯びた『何か』がそこにいたから。

 

彼は即座に振り向く。と同時に驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

そこに、美鈴(もんばん)が立っていた。

 

 

 






初の4000文字突破‼‼

いや、あんま嬉しくないっすねコレ。


しかし、初めて題名通りに話をまとめられた気がしますよ。
この調子で書き進めていきたいです‼

それではまた明日、仮面ライダーの方の更新で‼



次回、東方紅緑譚


第八話「紅き夜、魔女と小悪魔」


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第八話「紅き夜、魔女と小悪魔」



楽しみに待っていてくれた方々、この回を読む前に
一言だけよろしいでしょうか?




ふざけんなよこのクソ低スぺPCが‼‼‼‼‼‼



二時間半の4376文字がパァとか、舐めてんのかって
話ですよねホント………萎えるどころじゃないですよ。


長くなって申し訳ありません、ではどうぞ‼


 

 

____________そこに、美鈴(もんばん)が立っていた。

 

 

 

 

 

身に纏っていた若草色の衣装は、所々が破けて埃まみれになっている。

頭に被っていた中華帽も、頭部から橋に墜落した衝撃によって原型はもはや無い。

そして何より、その髪よりも赤い血が顔を伝って顎から滴っていた。

 

 

「_____(ハイ)‼‼‼」

 

 

 

 

そのボロボロの姿を視認した直後、彼の身体は吹き飛んだ。

美鈴が目にも止まらぬ速さで繰り出した『発勁』という技によって。

この打撃法は、本来ならば一瞬で通り過ぎる力の『波』を

広く長く浸透させる事で、岩をも砕く拳を生み出す業である。

それをモロに、ゼロ距離で喰らわせた。

 

美鈴は全身から立ち上らせていた紅い『気』の放出を止め、構えを解いた。

その後、紫色の長髪の女性のもとへ歩み寄っていった。

 

 

「申し訳ありません、パチュリー様。ご覧の通り、屋敷内への侵入を許してしまい…」

 

「……それはいいけど。あなた、そこまでして大丈夫なの?」

 

「ええ、まあ。傷は浅くはありませんが、気を練ればコレくらい」

 

「違うわよ。あなたじゃなくて、アッチの方……人間でしょ?アレ」

 

「…………ああ‼‼ て、手加減するの……忘れてました…」

 

「………どうするのよ」

 

「……どうしましょう」

 

 

気まずい沈黙が僅かに流れた後、パチュリーは小悪魔が

異常に震えている事に気付いた。元々怖がりな性質の彼女だが

これほどまでに過剰な反応を見せたのは初めてだった。

 

 

「どうしたの、『小悪魔』?そんなに震えて」

「い、いえ…。美鈴さんのあんな怖い顔初めて見て……それで」

 

「ああ、分かるわ。あんなに本気の顔、今まで見たことがないもの」

「ええ⁉そんな、冗談もいいとこですよパチュリー様‼ 私、いつも本気ですって‼」

 

「……その言葉、咲夜に聞かれない事を祈るべきね。………しかしまぁ」

 

 

小悪魔の異常の原因もハッキリして、いつもの雰囲気に戻ってきた為

改めて周囲の状況を確認してため息をつくパチュリー。

 

 

「随分と派手に散らかったわね…。小悪魔、仕事よ」

 

「え?あ、ハイ。散らばった本の整理ですね」

 

そう言って小悪魔と呼ばれた赤髪の少女は、せっせと周囲に

落ちている様々な魔導書を拾い集めていった。

その間、パチュリーは改めて美鈴の姿を確認した。

明らかに戦闘をしてきたと言わんばかりの風体に、パチュリーは疑問を投げかけた。

 

「……それよりも美鈴。あなた、相当手こずったみたいね」

「え?やっぱりそう見えますか?……参ったなぁ」

 

「あの人間、私にはそんなに強そうには見えなかったわ」

 

「見ただけで分かる強さなんて、たかが知れてますよ。……アレは『違う』」

 

「………ふぅん。ま、どうでもいいからあなたも片付け手伝って」

 

 

そう言って自分は適当なスペースに腰を掛け、

手に取った魔導書を読み始めた。

美鈴は小悪魔と少し離れた場所の本を拾おうとしていた。

 

 

その時_______

 

 

「キャアァァッ‼‼‼」

 

 

小悪魔の悲鳴が聞こえた。

美鈴とパチュリーはすぐさま悲鳴の聞こえた場所へ向かった。

そこで二人が見たのは、先程まで息があるかも分からなかった少年が

ジャックナイフで小悪魔を人質に取っているまさにその瞬間だった。

 

 

「そんな‼まだあれほど動けるだなんて…」

 

「……小悪魔、あなたって娘は……」

 

「パ、パチュリー様……助けてください…」

 

ビクビクと生まれたての小鹿のように震える小悪魔。

その様子にパチュリーは呆れ、美鈴はただ茫然とした。

少年は息も荒く、気を抜けば倒れてしまいそうになるほど

憔悴していた。だが、それでもなお歯を食いしばり、立つ。

 

その姿を見た美鈴は、橋の上での闘いから感じていた違和感を

やっと確信出来た。そしてそれを、当の本人に聞いてみた。

 

「……一つ、聞いてみてもいいですか?」

 

「………美鈴?あなた何を_____」

 

「すみません、少し気になることがありまして……いいですか?」

「……………」

 

「…では。貴方は何故、私の『気』による勁が効かないんですか?」

 

沈黙が流れる。

彼は少し考える素振りを見せた後に、口を開いた。

 

 

「……別に効いていない訳ではありません。『慣れている』だけですよ」

 

「…『慣れている』?勁による攻撃にですか?」

 

「……いいえ、『命の殺り奪り』にですよ」

 

 

そう言った彼の表情には、何もなかった。

思考も、感情も、何もかも削げ落ちかのような顔。

彼の一瞬見せたソレに、美鈴は言いようのない『何か』を感じた。

 

 

 

だが、この時に既に終わっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「_______水符『プリンセスウンディネ』」

 

 

 

 

 

魔女(パチュリー)が、呪文(スペルカード)を唱える事が。

 

 

 

「ちょ、パチュリーさm(ピチューン‼)」

 

「何ッ‼⁉ クソッ‼」

 

「小悪魔ぁぁぁ‼‼⁉」

 

 

 

主からの無慈悲な一撃を嘆く使い魔の悲鳴。

人質の楯を容赦なく貫く攻撃に驚いた狩人。

目の前で散って逝った友を想い叫んだ門番。

 

三者三様のリアクションを見せる中、パチュリーは呟く。

 

「さて、それで?この状況には慣れているのかしら?」

 

「…………今のが、『弾幕』ですか…」

 

「あら、知らなかったの?そうよ、今のが弾幕ごっこで使う『スペルカード』よ」

「…………………」

 

 

狩人は悔しそうに唇を噛みしめた。

初めて見た弾幕の威力にも、躊躇の無い味方への攻撃にも驚き

判断を誤った事を悔やんだが、彼が最も悔やんだのはそこでは無かった。

 

 

(クソ………もう『時間』が、保たない‼)

 

 

少年の焦りを感じ取ったのか、美鈴は再び構えた。

パチュリーもまた、いつでも呪文を唱えられるように準備を始めた。

人質がいなくなり先程の弾幕を一部喰らった彼も、臨戦態勢を取った。

しかし、立っているのもやっとな状態の彼にはもはや、

闘えるだけの力は残っていなかった。

 

美鈴が近付き、右拳を滑り込ませて息を軽く吸い込んだ。

『発勁』はいつでも打てる。左手で彼の肩をつかみ、逃がさぬよう引き寄せる。

 

 

狩人は気が付くと、自分の口から言葉が漏らしていた。

 

 

 

「_____________なら」

 

「…………?」

 

 

 

うまく聞き取れないため、彼の口元へ耳を近付ける美鈴。

既に息も絶え絶えな状態だが、漏れ出す言葉には力がこもっていた。

 

 

 

 

「………もし、貴女の目的が……『館の防衛』だけ、なら……ば、どうか………どうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうか__________『姉さん』だけは……」

 

 

 

 

 

少年の左目からは、一滴の涙が零れ落ちる。

彼の『覚悟』を、その全身で感じ取った美鈴は、拳を打ち込んだ。

 

 

「………分かりました。_______フッ‼‼」

 

 

ズドンッッ‼‼‼‼

 

 

 

 

再びゼロ距離で発勁を喰らった少年。

美鈴に覆いかぶさる形で倒れ、抱きかかえられる。

そしてそのまま少年を抱えて図書館を後にしようとする彼女を

パチュリーはあることに気付いて呼び止めた。

 

「……何処に連れていくつもり?」

 

「………かなり負傷しているようなので、咲夜さんの所へ行って看てもらおうかと」

 

「止めておきなさい。あなたも、気付いたんでしょう?」

 

「…………………ハイ」

 

「いいから戻ってらっしゃい」

 

「ですが、負傷しているのは本当で_______」

 

「分かってるけど、もう『来ちゃった』から」

 

「『来ちゃった』?」

 

 

少年の驚くほどに軽くなった体を抱えていた美鈴が振り向くと、

図書館の先程まで自分達がいた場所に、大量のコウモリが羽ばたいている。

そしてしばらくすると、それが集まって一つの影を生み出した。

 

 

純白のナイトキャップに、真逆の色合いした赤いリボン。

ややピンクがかった白色の独特のデザインのドレスに、その腰には

頭部のものよりも何倍もの大きさのリボンを着飾っている。

血よりも紅い眼に、ウェーブに近い質感をした水色のショートヘア。

そしてその背には、一対の黒く大きな_________コウモリのような翼。

 

 

 

彼女こそ、この紅魔館の『当主(ヴァンパイア)』。

自称、『串刺し侯爵(ヴラド・ツェペシュ)』の末裔。

 

 

_________永遠に紅い幼き月『レミリア・スカーレット』が現れた。

 

 

 

 

突然現れた主人の登場に慌てる美鈴。

そちらに一瞥をくれた後で、レミリアはパチュリーの元へ

歩み寄って気軽に話しかけていた。

 

 

「ご機嫌いかがかしら、パチェ?」

 

「…別に。あなたこそ、ご機嫌そうねレミィ」

 

 

互いを愛称で呼び合う二人。

元々はこの館の主人のレミリアが言った、

ここへ一緒に住んで暮らしたい、という提案にパチュリーが乗っただけだが、

友情と言う面で見れば、かなりソレは強い部類だと思われる。

でなければ、魔女と吸血鬼が共に暮らすなどありえない。

 

「フフ、まあね。………丁度いいわ、美鈴。あなたも聞きなさい」

 

「え?で、ですがお嬢様‼ この子の身体は本当に______」

 

「大丈夫よ、死にはしないわ。全て『運命』通りになっているから」

 

「…………分かりました」

 

 

レミリアのほぼ強制の命令に、渋々といった感じで従う美鈴。

そして復活したての小悪魔に紅茶を手配させて、レミリアは

手を顔の前で組み、いかにもな雰囲気を作り出してから話し始めた。

 

 

「いいかしら? その人間はね、実は____________」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「__________咲夜の『弟』なのよ‼」

 

 

 

目を僅かに細め、ニヤリと笑みを浮かべて語るレミリア。

 

 

「やっぱりそうだったのね」

 

「_________え?」

 

「よく見ると、目の釣り上がり具合とか咲夜さんに似てますもんね」

 

「え?ちょ、ちょっと‼」

 

「どうしたのよレミィ、さっきから」

 

「な、なんで二人とも驚かないの……?」

 

 

自信満々に語った衝撃の真実が、実は周知の事実だった。

そんなような気分をレミリアは味わっていた。

 

「何でって、本人がそれっぽい事言ってたからね」

 

「嘘⁉ 本当なのそれ⁉」

 

「ハイ。私達も聞きましたし、確かに言ってました」

 

「そ、そうなの………」

 

 

少ししおれているレミリアを、美鈴は暖かい目で見つめて

パチュリーは特に変わりないいつもと同じ目で見ていた。

二人の微妙な反応と視線を感じて、慌てて冷静さを取り戻そうとするレミリア。

 

 

「と、とにかく‼ この事は咲夜に知らせてはダメよ」

 

「え⁉ 何故ですかお嬢様‼ だってこの子は咲夜さんの……」

 

「だからこそ、よ。……それに忘れたかしら?」

「え………?」

 

「ウチは『実力至上主義』なのよ。何かを為すのならまずは……」

 

「まずは?」

 

 

言葉を区切ったレミリアを急かすように復唱するパチュリー。

だが美鈴はその主の言わんとする言葉の意味に気付いたようだった。

 

 

「まさ、か…………」

 

「そのまさかよ、美鈴」

 

「……そういう事。本気なの?レミィ」

 

「ええ、勿論よ。これは私の決定、誰にも覆す事は出来ない。それが『運命』」

 

 

今度こそ本当に浮かび上がるカリスマ。

彼女にのみ見える先の出来事に、僅かな何かを感じる二人。

それを意にも介さず、自らの思い描く未来に色を付け始めるレミリア。

心の底から愉しそうに微笑み、口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この人間、我が紅魔館の『執事長』として、これから生きてもらうわ」

 

 






ハイ、如何だったでしょうか。

明日投稿予定だったディケイドの方は、
コチラとの進行具合の折り合いを付けるため、
取り止めにすることにしました。

個人の都合で申し訳ありません。



そして、今日の狩人のあるセリフ。

自分の好きなあるアニメの、あるキャラのセリフの
引用であることに気付いた方はいらっしゃるでしょうか?
まぁ、カッコイイ最期でしたよ。それだけです。



次回、東方紅緑譚


第九話「紅き夜、月夜に誓う血の忠誠」


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第九話「紅き夜、月夜に誓う血の忠誠」


今日は友人達とミラクルを起こして
久々に大爆笑しました。いいですよね、こういうの。
人との時間は、大切にすべきだと改めて思います。


だから何だって話ですよねスミマセンww


それでは、どうぞ!


 

 

 

 

「この人間、我が紅魔館の『執事長』として、これから生きてもらうわ」

 

 

 

 

 

 

 

レミリアの発言に、パチュリーと美鈴は驚愕する。

ソファで横になって眠っているこの少年を、この館で働かせる。

その言葉の意味を改めて理解した二人は、それ以上何も言えなかった。

「……この子も災難ね。姉に会いに来て、吸血鬼の館に永久就職する事になるなんて」

 

「笑えませんよソレ………。お嬢様、いくらなんでもそこまでは…」

 

「言ったはずよ美鈴。これは『私の決定』だとね」

 

「でも………せめて、一目だけでも」

 

「しつこいわよ。館への侵入を許したのは、そもそも誰?」

 

「あぅ……………私です……」

 

 

話し合い(?)が一段落着いたところで、小悪魔が紅茶を持ってきた。

彼女は三人に紅茶を淹れ、再び魔導書の整理に戻っていった。

淹れたての紅茶の香りを愉しみながら、レミリアは呟く。

 

 

「とにかく、明日咲夜には此処を半日離れるように言っておいたわ。

その人間がこの紅魔館の執事長を務めるに足る逸材かどうか、それまでに見極める。

パチェ、あなたは『あの子』の事をお願いね。少し荒れるかもしれないから」

 

「………本気なのねレミィ。なら私は何も言わない。でも、どうしてそこまで?」

 

「…………………『視えた』からよ」

 

レミリアの表情に影が生じる。

この表情を見せる時は、決まって必ずある人物の事を考えている時だと

パチュリーは知っていた。美鈴もまた同様に察していた。

故に二人は深くまで追求しなかった。その気遣いを悟ったのかレミリアも

また紅茶を飲み干し、席を立った。

そして振り返ってもう一度、座っている二人に声を掛けた。

 

「 明日、紅魔館の『運命(これから)』が決まる。………良いわね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________声が、聞こえる。

 

 

 

____________高音程の、女の子の声が。

 

 

 

____________楽しそうに、笑っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなたが、あたらしい『オモチャ』ね………』

 

『つぎは何してあそぼうかしら………あ、でも』

 

『カンタンに壊れちゃイヤよ……アハハハハ‼』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「__________ハッ‼⁉」

 

 

 

突然目が覚めた。

全身から滝のような汗が滲み出ている……嫌な気分だ。

何か夢でも見ていたようだが、全く思い出せない。

僕はそこまで思ってようやく、見知らぬ天井に気が付いた。

 

(一体ここは何処だ? 何で僕はこんな所で寝て_________痛ッ‼)

 

 

起き上がろうとして、腹部に鈍痛を感じた僕。

着ている服をめくって見てみると、痛む箇所が(アザ)になっていた。

他にも五、六ヵ所ほど痛々しい傷が出来ていて驚いた。と同時に思い出す。

昨日、真っ赤な館に赴いた事。そしてその前で門番と戦って、一度は勝利したが

内部に侵入して辿り着いた図書館のような場所で再び相まみえて、彼女の勁を

この身に喰らって吹き飛んだ事。その図書館で魔導書に囲まれて暮らしている

魔女と出会い、その配下の少女を人質に取ったが失敗して反撃を喰らった事。

 

それらを順番に思い出していく内に、真っ赤な内装の部屋の

扉が音を立てて開き、赤い髪の少女が入って来た。

僕が目を覚ましている事に気付くと、若干涙目になり後ずさる。

しかし震えながらも何とか一歩踏み出そうとする辺り、恐らくは彼女の

主人であるあのパチュリーという女性の命令なのだろう。

少女が震えを抑えつつ、口を開く。

 

 

「え、えと……あの、その…。お加減如何です………か?」

 

「…………えぇ。いつの間にか施されていた治療のおかげで、この通りですよ」

 

「あ……そ、そうですか。それは良かった……です」

 

顔を上げて、目が合っては下げ。

そんな行動を繰り返す彼女に、思わず微笑みをこぼす僕を見て

やっと警戒を解いてくれたのか、さらに近付いてくる少女。

 

「えっと、そう言えば…貴方を何と呼べばいいんでしょうか?」

 

「……そうですね、では『カルロス』とでもお呼びください」

「え?カルロスさん、ですか?でも確か昨日はお名前が………」

 

「ハイ、有りませんよ。偽名と言うヤツですので、特に深い意味は」

 

「あ、そういうことですか!」

 

段々と打ち解けていっているような気がするが

元々この少女がそういう性質だからだろう。いわゆる

『話してみれば分かる相手』というアレだろうか。

そんな彼女が何か考えるような表情になり、やがて答えが出たのか

嬉しそうな顔でこちらを見つめてきた。

 

 

「そうですよ‼ 『カルロス』という名はシャムストの語則では確か、

えっと……『神に背いた者』という解釈で書かれていたんですよ‼‼」

 

「は、はぁ………」

 

正直、どんな反応をすればいいのか分からない。

そんな僕の心境を表情から察したのか、彼女はシュンとしおれて

少し落ち込み気味になりながら言った。

 

「す、すみません‼ 話題逸れちゃいましたね……えっと、実はお嬢様から貴方が

目を覚ましたら伝えろという言伝を預かっておりまして………大丈夫ですか?」

 

「………その、お嬢様というのは、『吸血鬼』ですか…?」

 

「え?ハイ……そうですけど…。あの、それが何か?」

 

「……いえ、何でも。それでその言伝とは?」

 

「えっと、『私の元へ来なさい。貴方の望む全てを用意して待っている』……と」

 

「……………………」

 

僕の望む全て、だと?

 

笑わせるなよ吸血コウモリもどきが。

 

僕の全て(ねえさん)を奪っておいて、今度は用意して待つだと?

 

笑えもしない。怒りすら通り越してしまう。

 

 

 

 

「あの……カルロスさん?聞こえてますか?」

 

「え、えぇ…大丈夫です。さて、では早速ですが案内を頼めますか?」

 

「え⁉ もう行くつもりですか⁉」

 

「女性を待たせるのは、あまり関心出来ませんよ。………頼めますか」

 

 

渋々といった感じで了承してくれた少女。

お嬢様とやらの元へ向かう道中で『小悪魔』という名前なのだと知った。

しばらく歩いていると、背中に薄い丸形の羽をピコピコ動かしながら

せっせと窓拭きやら床掃除をしている、僕の膝丈程度の身長の少女達を見かけた。

聞いたところ彼女らは、この紅魔館という館の主人が雇った『妖精メイド』だと言う。

妖精と言う存在を初めて見た僕は軽い衝撃を受けたが、

小悪魔が先を行ってしまうので、着いて行く為あまりじっくり見る事は出来なかった。

そして、とうとう着いた。

 

小悪魔が立ち止まり、僕に向かって話す。

 

「こちらが、レミリアお嬢様の寝室となっております。……どうかご無事で」

 

彼女が部屋の扉を開き、入るよう促しつつ僕を気遣ってくれた。

僕は彼女の優しさに心の内でお礼を述べながら、部屋に入った。

部屋の窓にはカーテンが掛かり、日光が入らないようにしている。

ベッドのシーツ以外がほとんど赤一色で塗り潰された室内。

その真ん中の椅子に、見た目の幼い少女が笑みを浮かべて座っていた。

 

 

「いらっしゃい、ようこそ私の館へ。歓迎するわ……咲夜の弟よ」

 

「……………君が、『レミリアお嬢様』か?」

 

「ええそうよ。貴方の最も嫌っている『吸血鬼』でもあるわ」

 

「_________‼‼‼」

 

 

その少女の口から出てきた言葉に、僕の肉体が反応する。

だが昨日の一件での傷が痛んで思うように力が出ない。

目の前に、僕の全てを狂わせた元凶がいるというのに………‼‼

 

 

「フフ、そうがっつかないで欲しいわ。私は貴方と話がしたいのだから」

 

そう言って彼女は僕に目の前の椅子に座るように促す。

僕は痛む腹部を抑えつつ、射殺すような目線だけは彼女に向けながら座る。

僕が言う通りにしたことに満足したのか、少女_______レミリアはさらに続ける。

 

「……そうね、まずはどこから話しましょうか?

私と咲夜との出会いからかしら?それともごく最近の事から」

 

「御託はいい。さっさと要件を話せ………それが目的だろう」

 

「…ええ。でも、人間の癖に少し生意気な口調ね」

 

「吸血鬼相手に、僕が敬意を払うとでも?」

 

「………まあいいわ。これから話す事に、貴方の『過去』はあまり関係無いもの」

 

「……何だと?」

 

レミリアはまるで実力を見せつけるかのように、その背の翼を大きく広げた。

それによって生まれた風圧が、僕の銀色の前髪を撫でていく。

そして両眼を煌々と光らせて、僕を見つめてまた呟く。

 

 

「貴方がかつて居た『地下施設』。あそこで貴方が受けていた訓練………。

それは、私達吸血鬼を駆逐するためのもの。まさに生き地獄のような日々を過ごしてきた」

 

「‼‼ 何故貴様がソレを_______」

 

「黙って聞きなさい。………そして、そんな生きる事自体が苦痛に

感じる毎日を変えたのが、貴方のお姉さん……今は私の従者の

『十六夜 咲夜』………ここまではいいわね?」

 

「………………」

 

「その沈黙は、Yesだと受け取っておくわ。

そして貴方達は二人で助け合い生きてきた、五年前までは。

丁度その頃ね、私が咲夜と出会ったのは。……睨まないでくれる?

これも『運命』なのよ。今更どうにか出来る事では無い、でしょう?」

 

「………それで?」

 

「フン……とにかく、その後貴方は咲夜の______姉の事を何も知らず生きてきた。

またその逆も然りだけどね。今の咲夜は貴方を知らないのよ、何故だか分かる?」

 

「………『名前』、か?」

 

「正解。知識は中々のようね。私は貴方の姉に『名前』を与えた。

それによって彼女は大幅に変わったのよ。……名とは、その人間個人の証と同じ。

名を与えると言うことは、その名の存在を生み出す事と同義である以上、咲夜が

今までの自分の記憶を無くしてしまっていても仕方が無いことなの。」

 

 

僕の聞こうと思っていた事の一つを先に話されてしまった。

姉さんが僕を忘れているという疑問が、今解消された。

そして、慧音さんから予め聞いていたレミリアの『程度の能力』についても

大方の力については今の話で把握することが出来た。

 

「……それを話すために呼んだのか?」

 

「まさか、今のは確認よ。『貴方の求める者』と

これから『貴方が求める物』とのしっかりとした違いのね」

 

「………?」

 

 

彼女の言わんとする言葉の意味が理解出来ないまま、

言葉は続けられる。だが、先程よりもレミリアの表情が

切迫しているようにも見えた。………気のせいだろうか?

 

「貴方最初に言ったわよね、『要件を話せ』って。

少し回り道し過ぎたようだし、やっと『安定して』きたから本題に移るわ」

 

 

そう言って彼女は椅子から立ち上がり、姿を消す。

当然の出来事に驚いた僕だったが、すぐに呼吸を整え部屋を見回す。

 

「………へぇ、流石に美鈴と互角に闘っただけはあるわね」

 

「…それはどうも。で、どういう事ですかコレは」

 

今僕の頸椎部分に、レミリアの手が掛かっている。

吸血鬼の腕力並びに握力で握られたら、いくら僕でも即死するだろう。

まるで脅迫。そのままの体勢でレミリアは再び語り出す。

 

 

「うん、いいわ。素質は充分にあるわね…………合格よ」

 

「…何だと?」

 

「だから、合格よ。試験を受けるための審査に、貴方は合格したわ」

 

 

いきなり何を言い出すのだろうか。

状況が何一つ理解出来ない僕に、彼女が怪しく語りかける。

 

 

 

「……貴方が咲夜の弟である事を知った時、私は確信したわ。

よく聞きなさい、今から貴方に一つの試験を課すわ」

 

「試験だと?」

 

「ええ。その試験を無事にクリア出来れば、貴方は望むものを全て

貴方の望む形で手に入れられる。____咲夜ではない、貴方の姉を返してあげるわ」

 

「‼‼ 本当か⁉」

 

レミリアの提示してきた言葉に、僕は歓喜した。

姉さんを取り戻せるかもしれない。また元に戻れるかもしれない……。

 

 

 

 

______また、元に?

 

 

 

 

 

何故だろう、僕は姉さんと共に帰り、共に暮らす事を考えて

この館までやって来たと言うのに………何故なんだろう。

 

 

___________帰りたくない。

 

 

 

 

何でこんな事思ってしまうのだろう。

 

 

 

「ただし、私の出した試験をクリア出来なければ………忠誠を誓ってもらうわ」

 

「……………………」

 

 

 

僕の最も憎む存在に忠誠を尽くすという屈辱。

何としても避けなければならない。そして、姉さんをこの手に取り戻す。

だが、何故かこの部屋に来る前ほどの決意を固める事は出来なかった。

 

 

「……いいだろう。上等だ、やってやるよ」

 

「フフ、良い返事ね。いつまで保つのか楽しみだわ」

 

「………それで?試験の内容は?」

 

僕と姉さんの自由の懸かった試験の内容。

それは余りに単純明快で、尚且つ困難なものだった。

 

 

 

「試験の内容は至って単純よ……。ただ、半日その場所に居ればいいだけ」

 

「……?」

 

 

 

「________私の妹、『フランドール・スカーレット』のいる部屋にね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試験の開始は、午前10時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして今、午後の5時を30分ほど回っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、僕は忠誠を誓う事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________『フランお嬢様』に、絶対の忠誠を。

 

 

 

 

 

 

 

 








次回、東方紅緑譚


第十話「緑の道、白玉楼なる真殿楼」


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第十話「緑の道、白玉楼なる真殿楼」



最近疲れがたまって、執筆にまで
影響が出てきてるかもしれません。

どうか皆様、暖かい目で見守ってください!



それでは、どうぞ


 

 

 

 

 

 

______________此処は、『冥界』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死んだ者の魂は、自らが天国行きか地獄行きかを『三途の川』を通った先にある

裁判所で決めてもらう。しかし、裁判は知っての通り時間がとにかくかかる。

そこで、裁判の順番待ちをしている魂や、他の理由で居場所がなくなった霊魂などが

留まっているのが、『生きている者には辿り着けぬ世界』_____つまり冥界なのだ。

冥界は昼間でもほとんど薄暗く、半透明で尻尾のような部分が長くたなびく魂が

フワフワと見渡す限り一面に浮いている。まさしく、幻想的な風景だった。

 

その景色の中に、突如一筋の切れ目が生じる。

その切れ目は徐々に広がり、その端には手が添えられている。

やがてソレは人が通れるまでの大きさになり、中から二人の人影が出てきた。

 

 

「………此処が、『白玉楼(はくぎょくろう)』か 」

 

「……………行くぞ」

 

 

先に現れたのは、"縁"と書かれた布で顔を隠している少年『八雲 (えにし)』。

続いて来たのは、九本もの金色の尾を持つ流麗な女性『八雲 藍』だった。

縁は初めて見る光景に少し驚いていたが、藍に急かされ本来の目的の為に歩き出した。

彼らは『白玉楼へ向かえ』という自分達の主の命令通りに動いていた。

しかし、そこで何をするのか等の詳細は聞いていないため、一先ずは

とある人物に会う事にした。

 

少し歩いた先には、見上げても終わりの見えないほど長い階段のふもとに着いた。

何段あるのか数えるのも億劫な程の長さに、縁は感嘆の声を漏らした。

 

 

 

「……確かに、生者の住まう世界には無い物が多い」

 

「黙って歩け。紫様のご命令でなければ、私が貴様にここまでする義理は無いのだぞ」

 

 

かなり機嫌の悪そうな藍。その態度を意にも介さない縁。

藍は元々、縁のことが気に食わなくて仕方が無かった。

かつて今の主人である『八雲 (ゆかり)』に仕えてから既に数千年を共に

生きてきた藍だったが、自分が彼女の式神であることに誇りすら抱いていた。

ところが三週間ほど前、突然主がどこからともなく連れてきた一人の『人間』。

その少年はやって来てから今日までずっと主のそばにいたのだ。

 

そこにいることが、当たり前だとでも言うように。

 

 

初めはただの食料かと思っていた。

主は『スキマ妖怪』。その食性は肉食_____もとい、人食。

つまり、人間を食べて暮らしているのだ。

普段は普通に米や野菜などの普通の食事で暮らしてはいるが、彼女の能力の

『境界を操る程度の能力』を多用した日などは、多くの力の補給を必要とする。

そういう時には人を食べるのだ。だから、人間が八雲の邸にいる事自体はあまり

無いにしろ、珍しいことでもなかったのだ。

 

だが、今回ばかりは違った。

三週間という妖怪としても人間としても短い期間ではあったが、常に離れずにいた。

主は聡明な方だった。故に、自分とその極身近な人物以外には一片の信頼も

寄せる事は無いはずだった。しかし、その方が少年にベッタリとくっつき離れない。

 

(______違う、このようなお姿……紫様であるはずがない)

 

 

そう思えてしまうほどの豹変ぶり。

その原因は間違いなくこの男だ、と藍は警戒度を最大まで上げていた。

それは今、主のいないこの時でも変わらなかった。

 

「………アレか、白玉楼は」

 

「そうだ。さて、貴様への道案内はここまでだ。後は自分でどうにかしろ」

 

「…何?帰るのか」

 

「貴様には関係無い」

 

 

そう吐き捨てるように言った藍は、転身の妖術を使って消えた。

そういう類の術式に慣れていない縁には、気配を追うことは出来なかった。

仕方なく向き直り、大きな純日本建築の木扉を開け放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「__________? 何だろう、この気配」

 

 

庭に映える見事な枯山水の手入れをしている一人の少女が、何かを感じる。

彼女の名は、『魂魄(こんぱく) 妖夢(ようむ)』。

色褪せた緑の上下一体のロングスカートに、下地はシンプルな白いシャツ。

頭部の右側頭部には、黒いカチューシャのリボンが一点あしらわれている。

光沢のある白髪(はくはつ)との相反する色が、逆に際立っているようだ。

そんな彼女の周囲をクルクルと旋回しているのは、ひときわ大きな霊魂。

そして彼女の背と腰に携えている二振りの刀。

 

彼女こそが、『半人半霊の庭師』その人だった。

 

彼女はいつもの日課通りに庭の手入れをしていたところ、白玉楼の門前に

妙な気配を感じたので、どうしようかと少し悩んでいた。

だが結局のところ、彼女の頭の中の、かつて出ていった師の残した言葉が

いつものように彼女を突き動かすのだった。

 

 

 

「……とにかく、斬ろう。斬れば分かると『お爺様』も言っていた………良し!」

 

 

そう結論付けた彼女は、庭の整備もそこそこに出ていった。

そんな彼女を、白玉楼のとある一室から見つめる影があった。

 

 

 

「……………知りなさい、妖夢。『強さ』の意味を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁は門を通って、辺りを見回してみた。

しかし敷地が広過ぎて、全容を把握出来なかった。

先に帰ってしまった藍にもう少し詳しく此処の情報を聞いておけば

良かったと惜しみつつ、邸宅の玄関に向かって歩を進めようとした。

 

その時、

 

 

 

 

 

「止まりなさい、そこの侵入者‼」

「_____此処の者か、丁度いい」

 

 

縁の前に、一人の少女が飛び込んできた。

その背中と左腰には、それぞれ一振りずつ刀が納まっている。

随分威勢良く突っ込んできた彼女に、此処の事を尋ねようとした。

 

 

「突然ですまない、私は________」

 

「いいです結構です貴方が誰でも構いません。

寧ろ聞かずに斬った方が早いので斬りますね斬ります」

 

 

会話が成立しない。

早くも話しかける相手を間違えたと考える縁だったが、

そんな彼にもお構いなしで、さっきと同じ早口でまくしたてる。

 

 

「貴方の腰にあるのは刀ですね素晴らしい尚良しですよ同じく剣に

生きる者同士確実に決着が付けられますね良かったですさぁお覚悟‼‼」

 

 

 

脚に力を溜めて、一気に跳躍する少女。

既に二振りの刀は抜刀され、刃は自分に向けられている。

縁は刀を抜いて接近してくる彼女に対して、ただ一言『警告した』。

 

 

 

「________私は誰にも『負けてはならない』」

 

「ぐぅッ‼⁉」

 

既に勝負は着いていた。

縁は自らの『全てを(つな)ぐ程度の能力』を使って、

自分の右手首だけを少女の喉笛に結いで、握り締める。

一度もその身体に触れる事無く、少女の敗北が決まってしまった。

苦しさにもがきながらも、少女は抵抗を続ける。

 

 

「…………それが紫様からのご命令なのだ」

 

「うぅ……ぐっ…(紫様って……なんでこの侵入者が⁉)」

 

剣を使って振り払おうとするが、掴んでいるのは右手首のみ。

体、つまり本体は5mほど手前にいるため、全く無意味に空を斬る。

しばらく首を抑えていた縁だったが、ふと手を放して右手首も戻した。

 

「かはッ‼ げほっえほっ‼‼」

 

「手荒ですまない、だがこちらの話も聞いてもらいたい」

 

 

地面に膝をついて気道の圧迫からの解放に喘ぐ妖夢。

それでも目だけはひたすらに縁を見つめて揺るがない。

それは剣士としての矜持からなのか。

それとも剣術指南役としての自責からか。

 

 

「そこまでよ妖夢。今は下がりなさい」

 

 

 

すると、玄関口に一人の女性が姿を現した。

無数の幽玄な色合いをした胡蝶を引き連れて。

 

 

 

「『幽々子(ゆゆこ)』様⁉ 危険です、お部屋にお戻りを‼」

 

「あらぁ妖夢、戻るのはあなたよ~? 聞こえてたわよね?」

 

「えっ……で、ですが幽々子様‼ 目の前に侵入者がいるのに」

 

「剣振り回してる不審者が言える立場ではないわよ~。いいから下がって」

 

「……………みょん」

 

 

 

最後の言葉が効いたのだろうか、妖夢と呼ばれた少女はかなり落ち込みながら

おぼつかない足取りで玄関へ戻っていった。

入れ替わるようにして、少女を咎めた女性がこちらにやって来る。

 

 

「ごめんなさいね~?ウチの妖夢が迷惑かけちゃって」

 

「いえ……。それよりも、貴女はまさか」

 

「あら、やっぱり紫から聞いてる?」

 

「………『西行寺 幽々子』様でいらっしゃいますね」

 

「だーい正ー解‼ 流石紫のお気に入り君ね~‼」

 

 

明るく気さくで、この冥界には似つかわしくなさそうな雰囲気の女性。

彼女の名は『西行寺 幽々子』と言い、この冥界で霊魂の管理をしている。

桃色の長くも短くも無い曖昧な長さの髪。

着ているのは、フリル付きの水色の和服。

頭部にも同じ色の頭巾を被っているが、そこには本来、

死人が葬儀の際に頭に付けるはずの三角巾を付けており、

三角の部分には霊魂のような模様が描かれているのだった。

「それで、貴方が縁君でいいのよね?」

 

「……恐れ多くございます幽々子様。どうぞ縁とお呼びください」

「あら、いいの?それじゃそうさせてもらうわ~。よろしくね~」

 

深いお辞儀で頭を下げる縁。その姿に若干驚く妖夢。

その姿を横目で確認しながら、幽々子は縁に白玉楼へ上がるように言った。

 

「紫から聞いてるわ~。とにかくいらっしゃいな、歓迎するわ」

 

「…………………」

 

 

こうして縁は白玉楼へ入っていった。

この後におこる様々な出来事のことなど、思いもせずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま戻りました、紫様』

 

「あら、随分早いじゃない……………あの子は?」

『冥界へ連れて行く事が目的でしたが、ヤツがしばらく残りたいと言ったので

能力のこともありますし、自力で帰れると判断したため、置いてきました。』

 

「………………そう」

 

『ハイ。それよりも紫様、今晩の夕食をいかがなさいますか』

 

「……そうね、狐の丸焼きなんて珍しくていいかもね」

 

『……え?ゆ、紫様……?』

 

「藍、私は言ったはずよ。『付き添いをしなさい』とね。ならば貴女は

あの子が何と言おうとそばにいることが最も重要なのよ。……嘘も相手を選びなさい」

 

『_______ッッ‼‼』

 

「もういいわ、私が直接そっちに行くから。ついでに幽々子にも会いにね」

 

『あ、あの紫さm_____』

 

「そこで待っていなさい。私の命に背いた事を後悔くらいはさせてあげるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………縁、貴方は私が守るわ。貴方を否定する世界の全てから……」

 

 

 

 

 







書いてる途中で気付きました。



今日、ディケイドの更新日やん(`・w・)


ごめんなさい、一日ずらしたの忘れてました…。
明日は必ず向こうを更新いたしますので、それでは



次回、東方紅緑譚


第十壱話「緑の道、幽雅の桜と眠る胡蝶」


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第十壱話「緑の道、幽雅の桜と眠る胡蝶」

最近pcが反抗期に入ってしまいまして、
ディケイドの最新話を投稿した瞬間に内容が
ドジャァ~~~ンするふざけたバグが発生する
ようになりました………なんてこった(汗



言い訳みたいですが、以上がこの回の投稿が
遅れてしまった理由ですハイ。



長くなりましたが、それでは、どうぞ


 

 

 

八雲 縁は、戸惑っていた。

 

今彼がいるのは、冥界の白玉楼の客間の一室。

室内に上がって数分後、妖夢に出された茶を受け取った縁だったが

何よりも目の前の光景に対して、どうしていいか分からずに今に至るのだった。

 

 

「ん~~♪ やっぱり美味しいわ~!」

 

「…………………」

 

 

机を挟んで正面に座って団子を頬張っているのは、

この白玉楼の管理者であり、西行寺家の霊嬢。

名を『西行寺 幽々子(さいぎょうじゆゆこ)』と言った。

既に机の上にある皿には、数えきれない程の串が乗せられていた。

その様子を見ていた妖夢が、恐る恐るといった体で話しかける。

 

「あ、あの……幽々子様?もうその位にして……」

 

「え~~?まだ100本ぽっちじゃな~い。これからが本番なのよ~」

 

「まだ⁉ 三時のおやつの度を越しています‼ もう充分でしょう‼」

 

 

そう言って妖夢は、残りの団子の皿を持って(ふすま)の向こうへ消えた。

両手に持った串を激しく振り回して、幽々子が抗議する。

 

 

 

「あぁ~~ん‼ 私のおやつがぁ~~…………」

 

「……………あの、幽々子様」

 

 

耐え切れなくなった縁は、妖夢がいなくなった後で語りかける。

気付いた幽々子は縁の方へと向き直って、改めて話し始める。

 

「そうだわ、君の事忘れちゃってたわ。ごめんなさいね?」

「いえ、お気になさらず……。それよりも幽々子様」

 

「なぁに?_________あ、もしかして……お団子、欲しかった?」

 

「…………………いえ」

 

「あら、そうなの?美味しいのに………で、何だったかしら?」

 

 

的外れな幽々子の冗談を受け流し、縁が続ける。

 

「…私は、紫様のご命令でこちらに来るようにと。

ですが、何をすれば良いのかを命じられておらず…」

 

「なるほど、困っちゃったわけね」

 

「ハイ。ですので、私はここで何を……」

 

「ん~、何をって言われても……あら?」

 

 

話をしている二人の真横に、突然現れた『スキマ』。

これを使う人物は、此処に居る者は皆知っている。

そしてその予想通りに、スキマの中から見知った顔がひょっこりと出てきた。

 

「紫じゃな~い、久しぶりね~」

「ええ、久しぶりね幽々子。縁もいるのね、丁度いいわ」

 

「紫様?何故こちらに……?」

 

 

 

縁のその問いに応えずに、紫は持っていた扇子をスッと横薙ぎに振るった。

すると、彼女のいるスキマとは別のスキマが出現した。

その中から現れたのは、全身に傷を負った彼女の式神_____八雲 藍だった。

 

「ら、藍さん‼ 一体どうしたんですか⁉」

 

「………………あらあら」

 

「……紫様、これはどういう……」

 

 

紫はただ藍を上から見下ろしながら、微動だにしない。

縁は藍の状態を見るが、明らかに無抵抗のまま受けた傷が多かった。

『九尾の妖狐』と恐れられた彼女が、これほどまでの深手を負うなど、

攻撃を避ける事自体を禁じられでもしなければ、ありえないだろう。

 

妖夢はすぐさま応急処置の出来そうな物を持ってこようとしたが、

紫が無言で振り上げた扇子から生じたスキマに阻まれる。

その様子を、幽々子はただ黙って見届けていた。

 

 

「別に。ただ私の命令に背いた不出来な式に、少しお灸を据えただけよ」

 

「……命令に、背いた? 八雲 藍が………?」

 

「そうよ、だからこうなったの。自業自得よ」

 

 

冷徹に言い放った紫。

納得のいかないような縁に、彼女は続けて言った。

 

「とにかく、こちらへ来なさい」

 

「………ハイ」

 

紫に言われるままに彼女のいるスキマの真下へ行く縁。

すると彼女は、再び扇子を振るって新たなスキマを二つ作った。

妖夢と幽々子は、隅に移動して何が起こるのかを傍観している。

縁と藍を交互に見やった後、紫が口を開く。

 

 

「藍の規反もそうだけど…。縁、貴方も貴方よ」

 

「………と、言いますと?」

 

「分からないならいいわ。とにかく、今一度二人には罰を与えるわ」

 

状況が飲み込めない縁。

妖夢は何が起こっているのか見当もつかずに、幽々子もまた旧友の意図を

読み取ろうとするが、余りに不可解な行動に理解が出来なかった。

 

 

(紫は何がしたいの……?脈絡が無さ過ぎるじゃない…)

 

 

「今から、私が『いい』と言うまで、ここから出てきてはダメよ……。

これは私への忠義を再度確認する意味も込めての罰よ。………何も言わず受けなさい」

 

 

 

 

紫は有無を言わせぬ鋭い眼光で二人を________特に藍を睨む。

縁は黙ってスキマに入ろうとしたが、内部を見て体が強張った。

 

 

 

 

 

 

 

_____________電流が、流されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どういう原理なのかは一切分からないが、何故かこの

スキマには電気が至る所に流されているのが縁には見えた。

 

この中に入れば、まず無事では済まない。

だが、それは隣でヨロヨロと立ち上がる藍もまた同じだろう。

 

 

「藍、縁。用意はいいかしら?」

 

「………ハイ」

「うっ、ぐっ………は、ハイ」

 

「いい返事ね。___________行きなさい」

 

 

 

縁が先に入り、藍も後に続く形でスキマに入る。

 

 

 

 

瞬間、鳴り響く『雷鳴』。

 

 

 

「ひっ‼⁉」

「危ないわ妖夢、あまり近付いては駄目よ」

 

「は、はい幽々子様……」

 

 

妖夢を後ろへ下がらせた幽々子は、紫の表情に憂いがあるのを見逃さなかった。

先程とは真逆の表情を浮かべる旧友に、幽々子は内心驚いていた。

 

絶え間無く聞こえてくる電気独特の通電音。

それが聞こえ始めてから、もうすぐ十分が経とうとしていた。

幽々子は紫の真意を突き止める為にも、声を掛けた。

 

 

「ねぇ紫。そろそろいい頃合いじゃない?」

 

「え……。そうね、もう『いい』かもしれないわね_________ッ‼ 幽々子」

 

「ウフッ♪ 引っ掛かった~~♪」

 

 

紫の口から漏れ出た『許可の言葉』を聞いたスキマは、

自動的に閉じ始めた。そして中に居た者を排出して、空間から消えた。

 

 

 

「………ん?なんだ、外……か?」

 

 

先に言葉を発したのは、藍だった。

彼女はよろめきながら立ち上がり、紫を見つめて問う。

 

 

 

「あの、紫様。これは一体どういう……」

 

 

 

現状を把握しきれていない様子の藍を見て、

紫と幽々子の二人は、すぐに違和感に気付いた。

すぐさま紫が、藍に問い掛ける。

 

 

 

「藍、貴女……なんでどこも焼けていないの(・・・・・・・)?」

「………え?それは、どういう意味ですか紫様…?」

 

 

紫は一瞬だけ考え、すぐに結論に辿り着いた。

彼女はすぐにスキマの奥に入って消えてしまった。

妖夢と藍はしきりに首を傾げていると、今度は幽々子が藍に問い掛けてきた。

 

 

「……ねぇ狐さん。あのスキマの中で、何をしていたの?」

 

「幽々子様……いえ、特に何もしては……。あの、一体何が?」

 

「………なるほどねぇ。そういう事ね」

 

 

 

一人で納得する幽々子に、何があったのかを聞こうとした

藍だったが、それは叶わなかった。

紫がスキマを開いてやって来たからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_______黒焦げの縁を抱きかかえて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「‼‼⁉」」

 

「あらあら……これは酷いわ」

 

 

 

肉が焦げる匂いを立ち上らせて、ゆっくりこちらに歩み寄って来る紫。

妖夢は嗅いだ事の無い臭いに、鼻をおさえてえづく。

幽々子は扇子を広げて顔を覆い隠し、藍は驚愕に目を見開く。

 

 

「な……なんだ、コレは……」

 

「藍、これで貴女もいい加減分かったでしょう」

 

「え……?」

 

「この子の『内側』。貴女の代わりにスキマの中の電流を受けたのよ」

 

 

信じ難い事実に、藍の鋭い眼光は弱弱しく翳り迫力が無くなっている。

全く分からなかった、目の前にいる黒焦げの少年だった死体が

一体何がしたかったのか、何故自分を庇ったりしたのか。

 

ただ、これだけは理解出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

この少年は、『八雲 縁』は____________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(私と同じく、紫様にお仕えする眷族だった……なのに、私は‼)

 

 

 

 

 

たった一人の人間に、嫉妬していた醜い自分。

見つめ直した現実が、これほどまでに汚れていたなんて。

少なくともこの人間は、紫様が連れて来る程の人間だった。

それを、私の愚かな私情で、死なせてしまった。

その変えることの出来ない事実に、藍は後悔の涙を浮かべた。

 

 

 

「…………紫、様……。私は、どうすれば……」

 

「…………………」

 

「藍さん………」

 

 

幽々子は再び押し黙り、妖夢は藍を心配して声を掛ける。

しかし、事実は変わりはしない。変えられもしない。

藍は顔を上げることが出来なかった。

自分の主人に何を言われるか分からないが、それよりももっと

大事な『何か』を自分の行動によって壊してしまった、そんな気がしていた。

 

 

「藍、貴女はどうしたいの?」

 

「………………私は……」

 

 

 

諭すように紫が呟き、藍はその返答につまづく。

どうしたいか、などと聞かれても答えは見つからない。

償いの方法など、彼女には分からなかったから。

 

しかし、紫は藍に再度問い掛ける。

 

 

 

「藍、貴女は………どうしたらいいと思うの?」

 

「………………」

 

 

二度目の問い。

だが、その問いの意味は先程とは違っていた。

 

 

 

________何をしたいか、何をすべきか。

 

 

 

 

藍は、ただ焦げて黒い炭塊と化した縁に膝を付き

両目に大粒の涙を浮かべながらに謝罪した。

醜い自分を卑下して、妖怪としての自負も何もかもを捨てて。

 

 

 

「______済まなかった……‼ 私は、私は………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「問題ない。貴女が謝る必要は無いぞ、八雲 藍」

 

 

 

 

「「‼‼‼⁉」」

 

 

紫に抱えられていた縁の死体が喋った。

いや、死体だと思っていたものが喋ったのだ。

藍は驚いて顔を上げ、幽々子は目を薄く開きクスクスと薄く笑い、

妖夢は完全に白目を向いて倒れかけている。

 

 

「やっぱり生きてたのね~。紫も冗談が過ぎるわよ」

 

「あら、気付いてたのね幽々子。………妖夢が死にそうだけど」

 

「怖がりだからね~妖夢は。でも、何で生きてるのかは気になるわ~?」

 

「え……?ええ、え⁉」

 

藍は幽々子と紫の会話から察した。

『ああ、また嵌められたんだ』と。

だが幽々子の言ったように、何故彼が生きているのかは確かに不思議だった。

幽々子の投げかけた疑問に、紫が答える。

 

 

「この子が生きている理由?簡単よ、ただこの子の能力を使っただけ」

 

「縁の能力?そう言えば聞いてなかったわ」

 

「私は知っていますが……それが一体なんで……」

 

「縁の『全てを結ぐ程度の能力』で、私の不老不死をこの子の魂と結げたのよ」

 

「へぇ~。便利な能力なのね、縁」

 

「融通は利きませんので、便利とは言えません」

 

先程とは打って変わって明るい雰囲気に包まれる。

縁は起き上がって紫に一礼した後で、藍に駆け寄った。

 

 

「八雲 藍。貴女は私の為に涙を流したのか?」

 

「ッ‼‼ ち、違う‼ 断じて違うぞ‼‼」

 

「あらあら、顔が真っ赤よ~?」

「幽々子様‼ お止めください‼」

 

「藍、素直になることって大切なのよ?」

 

「紫様がそれを言いますか⁉ ~~~~あぁもう‼」

 

「うう……ん、みょん…?」

 

 

今やっと目が覚めた妖夢。

顔を赤くして慌てふためく藍。

その藍を弄る幽々子と茶化す紫。

そしてそれをただ傍観する縁。

 

 

「紫様、私は『結界』の様子を見てきますので‼」

 

耐え切れなくなった藍は、怒鳴りながらも転身の妖術を使って消えた。

 

 

 

(…………行っちゃった)

 

(………逃げたわね)

 

(アレ、藍さんは………。ああ、お仕事ですか)

(何故最後に私の方を見たのか……分からない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、紫と幽々子が二人だけで話したいと言って

席を外したため、今客間にいるのは妖夢と縁だけになってしまっていた。

縁が黙って主人の帰りを待っていると、妖夢が声を掛けてきた。

 

 

 

「あの、縁さん。先程はその……突然斬りかかって済みませんでした」

 

「気にするな。あの程度で憤慨などしない。私こそ済まなかった」

 

「え…………?」

 

「君は剣を使っての勝負を望んでいただろう。だが、私の都合でそれを……」

 

「い、いえ! あなたが謝る事なんて!」

 

「いや、私は分かっていながら勝負をしなかった。謝るべきは私の方だ」

 

「いえいえ私が」

 

「いや、私だ」

 

「いつまで夫婦漫才するつもりかしら~?」

 

「みょん⁉ め、めおと……って幽々子様‼」

 

 

突然会話に混ざって来た幽々子に驚く妖夢。

しかしその後ろにいる紫を見た瞬間凍り付いた。

 

 

「あ、あの……幽々子様。紫様が……」

 

「ん~?紫がどうかし___________あらぁ」

 

「誰と誰が夫婦ですって?」

 

「………紫と縁の二人の事よぉ、天地神明に誓うわ」

 

「ならいいのよ」

 

(あんな顔した紫、月面戦争の時でも見なかったのに……怖いわねぇ、恋って)

 

 

 

冷や汗を額から流している幽々子。

しかし、その口元には隠せない笑みがこぼれていた。

紫はため息を一つつくと、縁に向かって言った。

 

 

 

「縁、次の命令を貴方に与えるわ」

 

「ハイ、何なりと」

 

「良い返事よ。____________次の命令は」

 

 

 

 

 

 

「ここで二週間を過ごすことよぉ♪」

 

「……………ええ⁉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________同時刻、某所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………あなたは、ずっとそばにいてくれる?』

 

『もちろん。僕はいつでも君のそばにいてあげられるよ』

 

『本当……?本当に、ほんとう…?』

 

『えぇ、必ず…。約束しますよ』

 

『約束…………なら、破っちゃダメよ』

 

『分かってますとも……。いえ、分かりました、お嬢様』

 

『……お嬢様?わたしが?』

 

『ハイ、約束ですお嬢様。_______この命尽きようとも』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私の心は、フランお嬢様に永遠の忠誠を誓います』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『十六夜 紅夜の名に誓って……』






やっと書けました。

パソコンの不調で、書き途中で投稿を
余儀なくされましたが、これでこの回は完成です。
いつも見てくれている皆様、申し訳ありません。



それでは次回、東方紅緑譚



第十弐話「緑の道、交わす剣先と交わる思い」


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第十弐話「緑の道、交わす剣先と交わる思い」



いや皆さん、熱くなってきましたねぇホント。
…………だからなんだよって思いましたね?自分もです。

二日に一回とは何だったのだろう……。

忙しかったのならまだ良かったですけれども、
何も無かったのが現実なんですよ……。


あと、パソコンのバグの原因が分かりました‼
機体のスペックで遅れを取るとは……おのれガOダム‼


ええすみません、ちょっと壊れかけましたね。
お待たせしてホントすみません、それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの…………」

 

「どうした、魂魄 妖夢」

 

「い、いえ!その………えっと……」

 

「やはり、こういうのは慣れないか?」

 

「ハイ……と言うか、初めてで……」

 

「そうか、私も同じだ………あまり動かないでくれ」

 

「は、ハイ‼ ……あぅ」

 

「………キツイな、密着すると……更にアツい」

 

「あっ……当たって、ます………」

 

「済まない。だが、離れると出てしまう」

 

「ご、ごめんなさい‼ なら私が動きますから!」

 

「その必要は無い。……………だいたい」

 

 

 

「何故君と私が、同じ布団で寝なければならない」

 

 

 

「それは、幽々子様のご命令ですし………」

「だが、布団はまだあるのだろう?何の意味があるのだ?」

 

 

八雲 縁は、ある意味危機に陥っていた。

その部分だけを聞けば、確実に誤解を生むであろう会話をしている二人だったが

そもそも一体何故こんなおかしな事になったのか。

 

同じ、布団で、添い寝などと。

 

縁からすれば、彼女の吐息が首筋に当たる感覚に悩まされ、

妖夢からすれば、彼の鼓動が耳元で躍動して眠気を吹き飛ばす。

互いに避けようとすればするほど、体が当たってしまう程の距離感。

 

 

 

事の原因は、二日と7時間ほど前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、縁は伝えられた命令に驚いた。

この白玉楼に、二週間も滞在するなどと。だがそれよりも

紫が自分の外泊を許可したことの方に驚いていた。

しかし、妖夢もまた自らの主人の突然の言動に驚いていた。

 

 

「幽々子様‼ いきなり何を言い出すんです⁉」

 

「え~、いいじゃない妖夢。たった二週間よぉ?」

 

「だって、そんな、だってこの人は……」

 

「全く妖夢も幽々子も………いいこと、縁?」

 

「ハイ、何でしょうか紫様?」

 

「絶対に、絶対に、手を出しては駄目よ、良いわね?」

 

「…………?承知いたしました」

 

大きなため息をついた紫は、スキマを開いて中に入る。

それを見送る三人だったが、最後に紫は幽々子にか細い声で話しかけた。

 

 

「手を出しては駄目なのは、貴女もよ?」

「……釘、刺されちゃったわね」

 

そのまま紫は呆れ顔でスキマの奥へと消えてしまった。

スキマが閉じて静寂に包まれるが、幽々子は妖夢に仕事に

戻るように伝えてから、縁を連れて奥の部屋へと向かって行った。

妖夢はその後ろ姿を見つめていたが、その心中は穏やかでは無かった。

 

 

(幽々子様は一体何を……大体、何なんですかあの人‼ あの怪しさ満点の布掛といい……)

 

彼女は一人、既に見えない彼に対抗心を燃やしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、当の縁は幽々子の自室に来ていた。

紫と別れてすぐに彼女に呼ばれて、その後を着いて行った先にあった部屋に

通され、互いに用意されたいた座布団に腰を下した。

しばらく二人は黙っていたが、幽々子が先に切り出した。

 

 

「ねぇ、此処からの景色って素敵だと思わない?」

 

「……確かに、見事な枯山水に手入れされた庭木。綺麗だと思う」

 

「…………そう、その返答は本心?それともわざとなのかしら?」

 

「それは、どういう意味でしょうか?」

 

「あら?もしかして……紫に口止めされてるの?」

 

「口止め?一体何の事ですか、幽々子様」

 

「……………おかしいのよ、だって貴方の体から_______」

 

 

 

 

 

 

 

「_______『西行妖』の妖力を感じるんだもの」

 

 

 

 

 

 

「西行妖………?あの巨大な桜の木のことですか」

 

「そうよ。この白玉楼と共にあり続ける妖木………それがあの桜なのよ」

 

「………その西行妖の妖力が、私の肉体から? 何かの間違いでは?」

 

「間違いでは無いわ、さぁ答えて頂戴。……縁、貴方は何者なの?」

 

 

縁はその問いに応える事が出来なかった。

紫に口止めされている訳では無く、ただ答えられなかったのだ。

自分は主人に連れて来られてこの世界に来た、それだけのはずなのに

自分の中にこの世界の力が混じる事など、本来は有り得ない。

 

なのになぜ__________自分は安心したのか?

 

 

 

 

「ふぅん……本当に知らなさそうね、ならいいわ」

 

「……申し訳ありませんでした、幽々子様」

 

「謝る必要なんて___________あ」

 

 

不意に声を上げた幽々子。

未だ頭を下げている縁に扇子を向けて話す。

 

 

 

「ねぇ縁、貴方は……強いのよね?」

 

「…………まだ『こちら』では戦っておりませんので、何とも」

 

「あら♪だったら、うちの妖夢と戦ってみない?」

 

「魂魄 妖夢と、ですか……………私は構いませんが」

 

 

唐突な提案に驚く縁だったが、彼よりも更に驚いていた者がいた。

 

 

 

「だそうよ妖夢、良かったじゃない♪」

 

「みょん‼⁉ ゆ、幽々子様‼ いつから気付いてっ……」

 

「縁が『西行妖………?』って言った辺りからかしら?」

「始めからじゃないですか‼」

 

 

 

盗み聞きしていた事を見抜かれていた妖夢は、

慌てながらも戸を開けて中に入って来た。

妖夢はバツが悪そうな顔で縁の方を向くのだが、彼は顔を布で隠している為

その心境を表情から慮ることが出来なかったのだ。

だが彼女は、そんな縁の態度が気に障った。

 

 

「……とにかく、私はこんな得体の知れない男と剣を交えるなんて出来ません」

 

「あら、酷い事言うわね妖夢。そんなに気に入らないの?」

 

「ハイ、はっきり言って気に入りません」

 

「んふふ♪嫌われちゃったわねぇ縁」

 

「………何故私を嫌うのだ、魂魄 妖夢」

 

「何故?何故ですって?」

 

 

妖夢が興奮気味に立ち上がって縁に怒鳴る。

その様子を幽々子はただ見守っていた。

縁は妖夢が突然怒鳴った理由を理解できず、黙っていた。

その沈黙が、逆に妖夢の怒りを更に燃え上がらせてしまった。

 

 

「だって貴方___________刀を粗末にしてますから‼」

 

「刀?あぁ、これの事か」

 

 

そう言って縁は腰に下げていた刀をそっと左手で撫でる。

一見するだけだは分からないが、よくよく見ると、確かに傷だらけの上に

柄や鍔の部分も、錆びたり欠けたりしていた。

妖夢は幼い頃から剣と共に生きてきた生涯を送ってきた為か、

そういった事に関する目利きは、かなり精練されていた。

故に、どうしても剣をないがしろにする行為が許せないのだった。

 

 

「一目見た時から気付いていました。その刀は、愚かな主人を嘆いていると」

 

「愚かな主人……か。確かに私は、この刀の手入れはしていないな」

 

「やはり………貴方のような人が刀を堂々と帯刀する事自体がそもそもの______」

 

「は~い妖夢、そこまでよぉ。とにかく、縁が気に入らないのよね?」

 

「ハイ、全く以て」

 

「なら丁度良いじゃない」

 

幽々子は満足げにうなづくと、扇子を開いて縁を示す。

次に妖夢に扇子の和紙の部分を向けて、パンッと勢いよく閉じた。

 

「縁は言いつけ通り、二週間此処で過ごさないといけない。

だけど妖夢は縁が気に入らないから、すぐにでも追い出したい………

だったら、お互いの事情を掛けて剣で勝負すればいいじゃない」

 

うふふ、と笑いながらに幽々子が出した提案。

つまりは、剣を用いての一対一の真剣勝負でお互いの言い分を通そう、

という事だった。この提案を聞くや否や、妖夢はやる気に満ちた表情で

縁の方へと向き直り、感情を剥き出しにして言い放った。

 

 

 

「そういう事なら受けて立ちましょう! さあ、今すぐ戦いましょう!」

 

「……幽々子様、この場合は勝者のみが事を通せるという事でしょうか」

 

「そういう事になるわねぇ。さあ、早く早く」

 

「………仕方が無い、いいだろう。相手をしてやる」

 

 

 

こうして縁と妖夢の、思わぬ形での再戦が約束された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________そして、その日の夕方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妖夢との剣を用いての決闘。

互いに距離を取り、間合いを作る。

 

 

「……いいですか、私の勝ちで貴方は此処を立ち去る事になりますからね」

 

「もう勝った後の事しか頭にないのか、それではまだまだだな『半人前』」

 

「ッ‼‼ 良いでしょう、手加減無しで__________行きますッ‼」

 

 

 

先に動いたのは、縁の挑発に乗った妖夢だった。

彼女は背中に背負った長刀『楼観剣』を一息で抜き、その勢いをそのままに

縁に斬りかかった。だが、縁はそれを軽く避ける。

次いで妖夢は斬りつけた楼観剣をすぐさま峰と刃を反転させて斬り上げた。

しかしその攻撃も、縁は難なく避け続けた。

 

 

「くッ‼ 中々やるようですが、避けるだけでは勝てませんね‼」

 

「………………………」

 

「……まただんまりですか、いい加減に………」

 

剣での勝負であるにも関わらず、一向に剣を抜かない縁に激怒する妖夢。

その怒りが、今彼女の振るう楼観剣に上乗せされて、更に速度を上げる。

 

 

 

「___________しろッ‼‼‼」

 

 

 

 

ついに彼の懐に入り込んだ妖夢は、構えと同じ角度で剣を握り突き出す。

もしこの斜め下からの突きを避けられたとしても、その時は上段に上げ切った剣で

相手を袈裟斬りにする事が出来る________下段天上、一点逆閃の構えが決まった。

 

確実に自分の間合いに入れたことに喜びの表情が漏れる妖夢だったが、

縁の一切刀に触れようとしない戦い方に疑問を抱いた。

その部分が、やはり彼女が『半人前』たる箇所なのだろうか。

目の前に敵がいるにも関わらず、妖夢は明らかに、油断した。

 

ドシュッ‼

 

自分の剣が、相手の肉を斬る感触が伝わって来る。

だが、剣は縁の体を切り裂いてなどいなかった。ただ彼が自らの手で

妖夢の楼観剣を握って動かせないように固定しただけだった。

 

 

「なっ‼ 剣を素手で……⁉」

 

「……魂魄 妖夢、お前は何故、剣での勝負にこだわる?」

 

「いきなり何を‼」

 

「…………剣士だからか?それしか生き方を知らないからか?」

 

「ッ‼‼ 五月蠅い‼‼ それが何だ‼ 私には剣さえあれば、剣さえ‼」

 

「……そうか、分かった。____________お前は駄目だ」

 

「何ッ⁉」

 

 

縁は楼観剣を素手で握って動きを封じた後、空いた右手で自らの腰の剣に触れる。

やっと剣を抜く気になったか、と妖夢が少し怒りを抑えて迎え撃つ準備をした時、

縁は細々と彼女に呟いた。

 

 

 

「いい加減にするのは、お前の方だ」

 

「なっ、何を世迷言を‼」

 

「……お前は剣を、自分の持つ強さと勘違いしているようだが、それは違う。

剣は、ただの『道具』だ。お前に力を与えたり、思いに応えるような事はしない」

 

「____________さい」

 

「剣を毎日振るっていて、剣がお前に合わせて形を変えたか?それとも、お前の強さを

求める心の奥底の願望を満たすような成果を独りでに生み出したか?そんな事は有り得ない」

 

「_________るさい」

 

「剣は、武器だ。いくら思い入れがあろうともな。お前は自分の持つ考えに、

自分の今見えている世界に縛られている。だから成長出来ない。強く、なれない」

 

「うるさいッッ‼‼‼」

 

 

 

剣を受け止めている左手から血を流しながら語った縁に怒鳴った妖夢。

だが彼女の表情は先程とは一転して曇り、今にも泣きだしそうなほど歪んでいた。

妖夢は、視認出来ない彼の視線を感じ取っていた。

冷たい目線。だが決して冷え切っているのではなく、その奥底には燃え盛る熱い

『感情』を感じ取れた。なぜだかそんな気がした。

 

縁は空いている右手で自分の腰に下げている刀の柄に手を添え、

ゆっくりと鞘から抜き払って妖夢に向けて刃を突き出す。

 

 

 

「見ろ、この刀を。手入れをしなければこのように段々と錆びて、やがて折れる。

だがそれは人間も同じだ。自分の切れ味がいくら他人を凌駕していたとしても、

鍛え続けなければ、その才も錆び尽き、折れて無くなるだろう」

 

「………………………………」

 

「今のお前と同じだ。だが、まだ錆びきってはいない。

研ぎ直せば、再び君本来の切れ味を取り戻せるだろう」

 

「………………取り戻せる……?」

 

「そうだ、だからこの戦いも君自身を磨く砥石にしろ。ただ自分の欲を表し、

満たすだけの『手段』へと成り下がる事を避けろ。…………話が長くなったが、

私が言いたいことは要するに___________」

 

 

 

 

 

「___________剣は『斬る』為の『道具』だ」

 

 

 

 

 

縁の話に聞き入って剣を握る手に力が入らなくなった妖夢に

彼はその右手の剣を、下手(したて)から一気に突き立てた。

 

 

「あっ______________」

 

 

 

彼の剣が腹部に突き刺さるのを目視した妖夢は、彼と言葉を交わした影響か、

それともまた別の要因があったのか。彼女は意識を手放してしまった。

 

力なく倒れ掛かる彼女を片手で支える縁。

縁側で二人の勝負を見ていた幽々子は、何も言わずに二人を部屋に上げた。

ただ、意識を失っている妖夢の前髪をそっと撫でて、笑みを浮かべる。

その後、幽々子の晩御飯をねだる声を聞いて妖夢は目を覚ましたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________時は戻って、現在。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、ロクに戦えなかった私の為にもう一戦受けてくださったんですよね」

 

「ああ、だが決着は尽かずに引き分け。なのにどうしてこうなった?」

 

「あ、はは…………でも、縁さんのおかげで、何か迷いを断ち切れたような気がします」

「そうか。それは良かったな、『妖夢』」

 

「‼_______________ハイッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人は結局、翌朝まで一睡も出来なかったと言う。

 

 

 






ホントグッダグダですみません。
時間も何もあったもんじゃねぇ(泣)


また書き足りない部分は他で補います



それでは次回、東方紅緑譚



第十参話「紅き夜、始まる『異変』」


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~新・紅魔異変~
第十参話「紅き夜、始まる『異変』」


前回の縁の回の後半について友人から
「流れが急過ぎて着いてけねぇよダァホ」と言われました。


………そこまで言わなくても(´;ω;`)



でも、確かに滅茶苦茶でしたね(特に妖夢が)



これからは気を引き締めて行かなければ‼‼
そんな決意を新たに、どうぞ!


 

常に濃霧の立ち込める湖、その中心に佇むは紅魔の館。

今日も今日とて、その異様な外観にも、独特の雰囲気にも変わりはない。

いつものように昇る太陽の光も、風に流れゆく白い雲も、

透き通るような青色の空も、それを反射したかの如き群青の水面も。

 

だが、その青一色の空に黒い影が舞い踊る。

 

 

 

「あーやや…………今日も暖かいだけで、いいネタは芽吹いてませんねぇ」

 

 

 

凄まじい速度で空を飛ぶ影は、ぶっきらぼうに呟く。

正確には、速過ぎて姿が肉眼では捕らえにくい為、影のように見えるのだが。

 

「はぁ……最近は『異変』もありませんしねぇ。ホントどうしましょう?」

 

 

まさに、お手上げだと言いたげな表情をしている彼女は『射命丸(しゃめいまる) 文』。

 

 

日光を浴びても光を返す艶やかな黒のショートヘア。

全体的に白を基調とした学生服のシャツのような上着に、部分的な秋色のライン。

細くも決してか弱くはない脚には、何故か黒のニーソックスが自己主張しており、

その足は紅葉したもみじのように真っ赤な一本歯下駄を履いている。

 

彼女は今日も普段通り、幻想郷中の空を飛び回っていた。

何故なら、彼女の本職は『ブン屋』。今で言う新聞記者であるからだ。

自らの足で情報をかき集め、新聞に書き上げ、それをまた自分の足で配りに行く。

それが彼女のやり方(スタイル)だった。

しかし、ここの所は全くと言っていいほど、いいネタが無いのだ。

普段の彼女ならネタもでっち上げで誤魔化す事もあるのだが、今日は気乗りしなかった。

 

その為、何かしら記事になりそうな出来事が何処かにないものかと飛んでいたのだ。

そんな彼女は少し悩んだ後で、頭の中にある事を思い浮かべた。

 

 

「そうだ!今の時間帯なら、咲夜さんの美味しい紅茶が飲めるかもしれませんね!」

 

 

そう結論付けると、彼女は眼前の紅魔館へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ~てと、紅魔館とうちゃーく…………って、あやや?」

 

 

紅魔館の門前に降り立った文だったが、どこかおかしい事に気付く。

そびえたつ真紅の館は変わりない、だが門の前にいつも立って(寝て)いる人物が見当たらない。

その事に気付いた文は、早速腰から取り出したネタ帳に面白おかしく仮の見出しを書き込む。

 

「『紅魔館の門番、遂にお役御免か⁉』…………うぅ~ん、イマイチですね」

 

 

そう呟いて、書いた文字に横線を引いた。

その直後だった。

 

 

 

「何がイマイチなんですか、鴉天狗のブン屋さん?」

 

 

館の扉が音を立てて開き、中から一人の少年が現れた。

突然声を掛けられた文は驚くが、もっと驚くことがあった。

 

 

(紅魔館に、『男』がいる……? しかも、人間じゃないですか)

 

 

そう、紅魔館には使用人の妖精メイドを含めても、全員女性しかいないはず。

なのに、目の前の燕尾服の少年は紛れも無く男であり人間だった。

自分が知らない間に雇ったのだろうか、そう考えた彼女はひとまず返答に応えた。

 

 

「いや~、今しがた書いたネタがですね?あまり良い出来ではなかったので……」

 

「なるほど、そういう事でしたか」

 

「ええ、そういう事でして。…………ところで、貴方は一体?」

 

文は即座に質問を返して、立場を逆転させようとした。

自分の知らない相手からは、きっと自分の知らない情報を引き出せると思って

すぐさまペンとネタ帳を構えて書き込む用意をしようとしたのだが、

 

 

「ふむ………『紅魔館の門番、遂にお役御免か⁉』、ですか。面白いネタですね」

 

「‼⁉」

 

 

質問をしようと思っていた相手の手にネタ帳が握られていた。しかも、中を読まれている。

一体いつの間に奪われたのだろうか、いや、奪われたのなら何故自分が気付けなかったのか(・・・・・・・・・・・・・・)

とにかく取り返さねばと少年を睨みつけた時、彼がおどけた口調で話しだした。

 

「あぁ、すみません。昔の癖でつい………」

 

「…………………」

 

「そんな怖い顔をしないでください。ホラ、もう返しましたから(・・・・・・・・・)

 

「えっ⁉」

 

 

少年が自分の腰を指差すと、そこには奪われたはずのネタ帳が戻っていた。

全く理解が出来ない状況に、文の中の何かが『危険だ』と叫んでいた。

だが同時に、別の部分が『絶好のネタだ』とも叫んでいるような気もした。

結局、自分の心の声に従って(?)再び少年に声をかけようとした。

 

「ご安心を、僕からは手出しはしませんので」

「…………そうですか、それは何よりですね」

 

「そうですね、それでは僕はこの辺で」

 

 

そう言って少年はこちらに背を向けて、館の方へと戻っていった。

驚くほど拍子抜けだと気を抜いた文は、その場でしばらく立ち尽くしていたが、

やがて冷静さを取り戻すと、ネタ帳にペンを走らせ始めた。

 

 

「コレは………‼ コレは当たりですよ‼」

 

 

そう意気込んだ文は、疾風を纏って飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天狗のブン屋さんを追い払った後、僕は館内に戻った。

そのままロビーを通って、パチュリーさんに呼び出された場所である大図書館へ向かう。

その道中で仕事をサボっている妖精メイド達に軽く注意をしていると、ちょうど反対側の

通路から、赤い長髪の女性がやって来るのが見えた為、妖精達を持ち場へ戻らせた。

 

 

「やぁ、こあさん。パチュリーさんからのお迎え?」

 

「あっ!カル_____じゃなくて、『紅夜(こうや)』さん!今お迎えに上がろうと……」

 

「うん、僕も行こうとしてたんだ。さぁ行こう」

 

「ハイ!」

 

 

僕の予想通り、僕の到着が遅いのを気にしたパチュリーさんが呼んだのであろう小悪魔、

もとい、こあさんと一緒に大図書館への道のりを歩いて行く。

小悪魔という名ではあるが、彼女自身はとても優しく大らかで、打ち解ける内に段々と

笑顔を見せる回数が増えてきたが、本当は天使なのではないかと思えるほど、ソレは眩しかった。

彼女との会話に花を咲かせていると、目的地である大図書館に着いた。

巨大な扉を開くと、初めて来た時と変わらず圧倒的な量の魔導書が出迎えてくれた。

中央に向かって歩を進めると、既にみんな集まってしまっていた。

椅子に座って魔導書を読み耽っているパチュリーさんに、そのすぐそばで立っている美鈴さん。

そして二人の前に見えるのが、この館の主人のレミリア様とその従者たる僕の姉の十六夜 咲夜。

そして、純白のナイトキャップを被った金髪のサイドポニーの小柄な少女。

何やら言い争っている声が聞こえたため、しばらく本棚の裏にこあさんと隠れることにした。

静かに息を潜めて、聞き耳を立てる。

 

 

「あのねフラン、いくら従者がいた所でそれを従えるのは、主人のカリスマが最も重要なのよ」

「そんなの知ってるもん‼ 私だってカリスマはあるから大丈夫だもん‼」

 

「………いいこと、フラン? カリスマとは、いわば『溢れ出る力量』なのよ。……………咲夜」

 

「ハイ、お嬢様」

 

「紅茶のおかわりを持ってきなさ「既にこちらに」………上出来よ。分かった、フラン?」

 

「うぅ~~~‼‼ そんなの、私だって………こ、紅夜‼」

 

 

どうやら言い争いの原因は、またくだらない意地の張り合いのようだが、それでも僕の主人が

呼んでいるのに応えないわけにはいかないので、能力を使って瞬時に移動する。

 

 

「お呼びでしょうか、フラン『お嬢様』」

 

「えっと、えっと…………お菓子! お菓子を持って来なさい!」

 

 

呼び出されたと思ったら、今度はお菓子の催促。

おそらく自分にも紅茶を持って来い、と言わなかったのは多分姉と同じでは差の違いが

分からないから、敢えて被らない物を選んだのだろう。……………だとしてもお菓子とは。

しかし、それでも僕の主人の命令である以上、どんな内容であれ果たさなければならない。

僕は右手を身体より前に突き出して手のひらを上に向けて広げる。

同時に能力を発動させて、一瞬のうちにバスケットに入ったクッキーを出現させる。

 

「こちらでよろしいですか、お嬢様」

 

「わぁ……美味しそう!____________ふ、ふふん!どうかしら、お姉様?」

 

 

ドヤァァという擬音が飛び出そうなほど勝ち誇ったお顔をなされるフランお嬢様。

対して姉のレミリア様は先程と変わらず紅茶のカップを持って悠然と構えているが、少し手が

震えており、眉も時折ヒクヒクと上下しているようにも見える。

 

 

「くっ…………さ、咲夜!私にも何か持って「マフィンでございます」来て…………流石ね」

 

「ぐぅ~~‼‼」

 

「はいはい、そこまでにして」

 

 

二人の、と言うより四人の不毛なやり取りに割って入った来たパチュリーさん。

正直なところ、今中断してくれなかったら多分延々と続いていたに違いない。

心の中で感謝していると、レミリア様が落ち着きを取り戻したのか、座っていた大きめの

椅子から立ち上がって、僕ら全員を視界に収めて語りだす。

 

 

「………とにかく、やっと全員揃ったわ。これでようやく始められるのね」

 

紅い輝きを放つ眼を煌々と輝かせて嬉しそうに言ったレミリア様。

つられて僕とフランお嬢様以外の全員がコクリと頷いた。

レミリア様はそれを見て、満足げに微笑んで続ける。

 

 

「かつて我々は、この幻想郷の空を真紅に染め上げ、吸血鬼の闊歩できる世界にしようとした。

しかし、その野望はあと僅かで潰えてしまった。原因は幾つかある、だが今回は全く違う」

 

 

美鈴さんが左の手のひらに、右の拳を力強く押しつけて気合を入れる。

こあさんも、両側頭部の小さな羽をパタパタさせている。正直可愛い。

パチュリーさんは気だるそうにしているが、彼女の持っている魔導書がここ最近ずっと調整を

繰り返して術式のパワーを底上げしていた最高位の物だと、僕は知っている。

フランお嬢様は、ただ嬉しそうに異形の翼をはためかせている。

そして姉さんは___________ただレミリア様を見つめているだけだった。

 

 

「前回の、いわゆる『紅霧異変』は中途半端な結果に終わってしまったが、今度はそうは

いかない。前回とは圧倒的に違う点が二つあるからだ。一つ目は我が妹、フランの介入」

 

 

そう言ってレミリア様がフランお嬢様を見つめる。お嬢様も力強く見つめ返してる。

 

「そして二つ目……………我が紅魔館に、『十六夜 紅夜』がやって来たことだ‼」

 

 

僕の名が呼ばれ、みんなが一斉に僕を見つめる。

だが、姉さんだけは、他のみんなとは明らかに違う目線だった。

ここまで口上を述べたレミリア様が、ひと際大きな声で語る。

 

 

「もう我々は止められない。あの『博麗の巫女』にだろうと、負けはしない!」

 

 

レミリア様が右手を振り上げて、高らかに告げた。

 

 

 

 

 

 

「我々は今度こそ、この幻想郷を吸血鬼の栄える夜の世界に塗り替える‼‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________________少し前、博麗神社 境内_____________________

 

 

 

 

 

 

幻想郷の結界の境目に存在する神社、その名を『博麗神社』。

本来神社などは神や、それに属する聖なるものを祀る建物なのだが、ここにはそれが無い。

それどころか、今この神社で暮らしている巫女には、信仰心など欠片も無い。

そんなんでいいのかと言ってしまいそうなほど、明らかに神司職に向いてない少女は今日も

これと言ってする事が無いため、縁側で淹れたての緑茶を啜っていた。

すると、神社に続く参道の少し上に影が落ちる。

その影は神社の境内で速度を落として、巫女を見つけて声を掛けた。

 

 

「いよっす、『霊夢』。暇だから来てやったぜ、感謝しろよ」

 

「誰も頼んでないから。感謝してほしかったら、賽銭でも入れてみなさいよ『魔理沙』」

 

「悪いな、只今絶賛金欠中だぜ。持ち合わせがあったら払ってやるぜ」

 

「期待もしないし、待ってもいないから。………ん?」

 

 

二人が互いにケンカを売るような会話をしていると、霊夢と呼ばれた少女が空から

やって来る何かに気が付く。魔理沙と呼ばれた少女も、遅れて気付いた。

 

 

「よぉ文。どしたよ、今日はえらくスピード出してたな」

 

「新聞なら取らないわよ」

 

 

まさに文の知る普段通りの彼女らのセリフを捨て置き、文は興奮気味に

二人に食って掛かり、大声で要件を伝えた。

 

 

「霊夢さん魔理沙さん‼ 大変です、異変ですよ!」

 

「は?異変?」

 

「突然何なのよ文。いきなり押しかけてきて異変持ち込むとか………滅されたいの?」

 

 

魔理沙には白い目で見られ、霊夢には凄まじくドスの効いた声で脅される文。

まさかの切り返しに、若干涙目になりながら弁解しようと試みる。

 

 

「ちょ、あの、待って! 唐突だったのは謝りますから、とにかく一大事なんです!」

 

 

文の本気ぶりに何かを感じたのか、先に魔理沙が尋ねる。

 

 

「んで、何がどうしたんだよ。異変がどうって言ってたけど」

 

「そうなんです、実はですね………」

 

 

 

 

 

_______少女説明中

 

 

 

 

「ふーん、紅魔館に謎の男ねぇ」

 

「ね!ね⁉ 魔理沙さんは気になりますよね⁉」

 

「ああ、まぁ少しな。霊夢はどうだよ……………霊夢?」

 

「………………やってくれたわね、レミリア」

 

 

文が見てきたことを魔理沙がまとめていると、霊夢が縁側で空を見上げて呟く。

魔理沙と文もつられて空を見上げて驚愕する。

 

 

「うおぉ‼ 何だこりゃ⁉」

 

「あやや……………月が、月が昇ってきてる(・・・・・・)

 

「その上、この『紅い霧』。…………ったく、私の日常を何だと思ってるのかしら」

 

 

幻想郷全域に及ぶ紅い霧。

そこまでは今までと変わりはなかったが、もう一つ違う点があった。

 

____________月が、東へ昇っている。

 

 

通常ならば有り得ない事態だが、霊夢は冷静に反応する。

魔理沙も最初は驚いたが、今は好戦的な笑みを浮かべている。

 

 

「最近『弾幕ごっこ』はご無沙汰だったからな! 腕がなるぜ‼」

 

「あやや、お二人とも。行くのならば同行しますよ‼ てかさせてください」

 

「どうせ断っても来るんでしょ、好きにしなさいよ。…………さて、と」

 

 

 

 

 

 

 

「全く、何でこうも大人しく出来ない連中ばかりなのかしらね」

 

 

「フフフ…………さぁ、今度こそ敗北の『運命』を辿るがいいわ」

 

 

「異変解決も、楽じゃないのよ」

 

 

「苦しみもがき、ひれ伏すがいい」

 

 

 

 

「叩きのめしてやるわ、レミリア!」

 

「打ち破ってくれるわ、博麗 霊夢‼」

 

 

 

 

 

 

今、異変が始まった。

 

 

 

 

 




しっかり書けました。
あと、部屋の掃除を半年ぶりにしました。

クッソ汚かったです。それだけです。



こちらをメインでしぼって書くべきか迷ってます。
ご意見ご感想、お待ちしております。


それでは次回、東方紅緑譚


第十四話「紅き夜、モノクロの流星」


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第十四話「紅き夜、モノクロの流星」

鎧武を書こうとしては突然の消去にあい、
この作品を昨夜の9時から書けば突然の再起動……

もはや呪われているなんてレベルではない。

何らかの力が私の邪魔をしているようにしか思えなく
なってきました……〇条さんもビックリですよ。


明日、新型を買って来ます!
この低スペックの雑魚とはおさらば出来る
そんな若干の嬉しさを交えて、どうぞ


 

 

幻想郷と外の世界を隔てている『博麗大結界』の傍に建在するしているとある神社。

その境内から、凄まじい速度で一筋の流星が空へ昇って行った(・・・・・・・・)

既に見えなくなりかけている光を見つめながら、神社に残った黒髪ショートの少女が

もう一人の黒髪の少女に向けて、目を輝かせながら語りかけた。

 

 

「いやぁ、しかし霊夢さんも中々やりますねぇ! まず魔理沙さんを先兵として送り込んで

内状を探らせ、異変の規模や目的を暴いてからレミリアさんのいる紅魔館で合流して、

改めて異変解決の為乗り込んで王手をかける‼ 私思わず感服しちゃいましたよ‼」

 

 

一人で勝手に盛り上がっている文。

そんな彼女を横目に、霊夢は冷静に切り返す。

 

 

「別にそんなんじゃないわ。ただ魔理沙に行かせて異変解決しちゃえば、万々歳でしょ?」

 

「あ、思ってたよりも下衆でしたわこの人」

 

「何よ、勝手に勘違いしてたのはアンタでしょうが。それに、誰が解決してもそれで平和が

保たれるのだし、何よりも(私が)一番楽なんだから何も問題無いじゃない」

 

「そうですね。ソレを本来その役目を果たすべき人が言わなけりゃ、問題ありませんでしたよ」

 

 

いかにも彼女(れいむ)らしい考えだったことに落胆した文を見つめて、

霊夢は冷静に疑問に思った事を口に出した。

 

 

「て言うかアンタはいいの?久々の特ダネかもしれないんでしょ?」

 

霊夢の言葉を聞いて僅かに動揺した後、文は渋々といった体で呟く。

 

 

「あのですね………お、お恥ずかしながら、あの少年がどうも苦手と言いますか」

 

「何よソレ。………とにかく、此処にいられても迷惑だし早く行きなさいって」

 

 

霊夢に促されて、文は文句を言いながらも一息に飛び立っていった。

そんな彼女の姿を見送りつつ、霊夢は再び湯呑に茶を淹れ直して熱いうちに飲む。

先程の文の情けないセリフを振り返って、一人呟いた。

 

 

「仮にも妖怪の文が怖がる相手、ねぇ…………。面倒な事にならなきゃいいけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ホント、驚いた。まさかここまでやれるとは思わなかったわ」

 

「ハハ、恐縮です。パチュリーさん」

 

 

僕の目の前でやや低めの声が聞こえる。パチュリーさんの声だった。

僕はその声に返答し、改めて今置かれている状況を見つめ直す。

ここは紅魔館の大図書館、その中央に設置された特殊な魔法陣の中心に僕はいる。

この魔法陣は、僕の能力を大幅に向上させるためにパチュリーさんとこあさんの二人が共同で

作り上げたものであると、こあさん自身が胸を張って話してくれた。天使で間違いないよアレは。

ともかく、僕はこの異変の立役者に現在進行形でなっている訳だ。

 

「ご苦労様、紅夜。もう充分よ」

 

「凄過ぎますよ紅夜君‼ 今昼過ぎなのに、月が太陽のあんな近くにあるなんて!」

 

「…………………」

 

 

レミリア様が僕を労ってくれて、美鈴さんも僕を褒めてくれた。

だけど姉さんだけは、何も言ってはくれなかった。

 

 

「ふぅ………ん? 美鈴さん、お嬢様はどちらへ?」

 

僕の仕えている主人のフランお嬢様の姿が見当たらないため、美鈴さんに居場所を問う。

美鈴さんは首を傾げていたが、代わりにこあさんが僕の質問に答えてくれた。

 

 

「妹様なら、ご自分のお部屋にお戻りになられました」

 

地下牢(おへや)に? 僕を置いてですか?」

 

「フランを戻らせたのは私よ。お前と話がしたかったからね」

 

こあさんと話していると、レミリア様が割って入ってきた。

 

「話…………ですか」

 

「そう、だからすぐに私の部屋へ来なさい。待っているわ」

 

そう言ってレミリア様はゆったりとした足取りで大図書館から出ていった。

その後に姉さんも続いて出ていくのを、僕らはただ見ていた。

ほんの少しの沈黙の後、美鈴さんが仕事を果たしにいくと言って門へと向かった。

僕はレミリア様の言いつけ通りに、彼女の自室へと赴いた。

ドアをノックしてから中に入ると、レミリア様だけがソファに座って待っていた。

 

「待っていたわ。さあ、そこに掛けなさい」

 

 

反対側のソファに座るように促されて、僕はそのようにする。

紅茶を一口飲み込んで、レミリア様は僕に話しかけてきた。

 

 

「まずは、異変の礎となる為に今日まで力を蓄えてきたこと、ご苦労だったわ」

 

「いえ、全てはフランお嬢様とその姉君である貴女の為ですから」

 

「フフ………フランの割には、よく躾が出来ているじゃない。良い気分よ」

 

 

再び紅茶に手をつけたレミリア様は、言葉通り嬉しそうに頬をほころばせた。

だがすぐに真剣な顔に戻ると、今度は急に僕に向かって頭を下げてきた。

突然の事に驚いたが、僕はその行動を真摯に受け止めて話す。

 

 

「………顔をお上げくださいレミリア様。僕は仕える側の存在、貴女は従える側の

存在なのですから。こんな所を誰かに見られては事ですよ?」

 

「…………………そうね」

 

 

僕の言葉を聞いて、レミリア様が顔を上げた。

しかしその眼は紅く輝き、ひたすら僕のみに焦点を合わせていた。

吸い込まれそうなほど透き通った真紅(ルビー)色の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめる。

 

「とにかく、私はお前に礼が言いたかったのよ。それだけだわ」

 

「………そうですか、では僕はそろそろ」

 

「ええ、行って頂戴。そろそろ厄介なのが来る頃だから」

 

 

単なる時間潰しに呼ばれただけらしい。何だか拍子抜けな感じで終わってしまった。

とにかく話が終わったから、僕は今からレミリア様に命じられた地点でやって来る異変を

成就させる妨げとなる人物の排除に向かわなければならない。

僕はレミリア様に一礼して、部屋の扉を開いて退室した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………本当に感謝しているわ、紅夜」

 

 

誰もいなくなった室内で、レミリアは一人ポツンと呟いた。

だがその呟きを聞いている者がいた、彼女の従者の十六夜 咲夜である。

彼女はレミリアが紅夜を自室へ招いた事を疑問に思って、彼女の部屋の前で待機していた。

中の話を聞こうとしたが、すぐに話が終わったようで少年が部屋から出てこようとした為

一度時を止めてその場を移動してやり過ごし、改めて主人の部屋へと向かったのだ。

 

 

「………お嬢様」

 

 

あの少年が部屋から出ていったのを確認してから部屋へと入り、主人に声をかける。

その声に気付いたレミリアは紅茶のカップをテーブルに置いて立ち上がる。

そして咲夜のいる扉の近くへ歩いて、呼びかけに応じた。

 

 

「咲夜、こんな所で何をしているの?早く持ち場に就きなさい」

 

「……………お嬢様は何をお考えなのですか?」

 

 

咲夜がレミリアに疑問を投げかける。

だが、それは今回の異変に関しての事ではなかった。

 

 

「それは、お前の弟についてかしら?」

 

「……私に弟などいません。何処の誰とも知れないヤツが、私の身内なんて…………」

 

「フフ、『何処の誰とも』ねぇ……。それは咲夜も同じでしょうに」

 

「それは!……………ですが、本当に何者なんですか?」

 

「そうね、お前の弟という点以外なら………吸血鬼ハンター、とか言ってたかしら」

 

「えっ…………」

 

「でも今は、吸血鬼(われわれ)に従う従順なる下僕………ミイラ取りが何たらってヤツね」

 

 

愉快そうに笑みを浮かべるレミリアだったが、咲夜はさらに眉間に皺を

寄せて声を荒げてまくしたてる。

 

 

「そんなヤツをこの紅魔館に住まわせるだなんて、お嬢様は本当に何を…………」

 

「面白いじゃない、『姉の(かたき)』であるはずの相手に忠誠を誓う人間なんて」

 

「そんな理由で…………"姉の仇"……?」

 

咲夜はレミリアに何かを言おうとしたが、ある言葉が何故か頭の片隅に引っ掛かり黙り込む。

そんな従者の様子を見て、レミリアはさらに笑みを深くして話を続ける。

 

 

「ええそうよ、『五年前』に消えた自分の姉を探して、『地下の施設』から抜け出してね」

 

「………"五年前"、"地下の施設"………………?」

 

「どうしたの咲夜? 何か身に覚えでもあるのかしら?」

 

「うッ!…………い、いえ。そんな事は……」

 

 

必死に否定している咲夜だったが、先程から頭の中身を溶かすかのような緩い頭痛が彼女を

襲っていた。レミリアはそれを見て何かを確信し、咲夜に優しく声をかけた。

 

 

「まあいいわ、とにかく持ち場へ行きなさい。もう来るわよ、多分ね」

 

「は、ハイ……………それとお嬢様」

 

 

頭を軽く振って痛みを飛ばそうとした咲夜が、レミリアに尋ねる。

 

 

「何かしら?」

 

「あの少年は、一体何をしたんですか? 月を再び空へ昇らせるなんてこと、いくら

パチュリー様の魔法陣による援助があったとしても、どれ程までの力があれば可能に………」

 

「そうね、他の皆は薄々気づいているでしょうけど、咲夜は顔を合わせたのが一番

遅かったのだし、分からなくても仕方ないか…………いいわ、教えてあげる」

 

 

そう言ってレミリアは咲夜の疑問に応え始めた。

 

 

「咲夜、あの子の能力について何か気づいた事はあるかしら?」

 

「え?気づいた事、ですか……………私と同じ『空間操作系』である事でしょうか」

 

 

 

 

____________________空間操作系能力_____________________

 

 

 

この能力は言葉通りの意味であるが、一応解説をさせてもらいたい。

 

まさに『空間』に干渉し、『操作』する類の能力である。

例えば先程の十六夜 咲夜の能力である『時を操る程度の能力』を例にしよう。

彼女はその能力を使い、時間の流れに干渉することが出来る。

時間の停止や早送りなどが使えるが、唯一例外として『巻き戻し』は使えない。

彼女は時間の流れに干渉する事は出来るが、流れを操作する事までは出来ないのだ。

しかし、そもそも『時間』とは、いわば概念のようなものだ。

 

彼女は時間に範囲的に干渉し、操作する事でその能力を活用している。

弾幕ごっこではナイフを弾幕の代わりにばら撒き、その速度を能力で調整することで変幻自在の

弾幕を張って相手の身動きを封じたりすることも可能である。

彼女は時間という『概念』を『空間』的に操作する、いわばイレギュラーな能力者なのだ。

 

 

 

この幻想郷においては、能力を大きく分けて三つのタイプに分類する事が出来る。

 

一つめは、巫女の霊夢や魔法使いの魔理沙、門番の美鈴のような『自身強化系』。

二つめは、鴉天狗の文や従者の咲夜などのような『空間操作系』。

そして三つめは、吸血鬼のレミリアのような『概念干渉系』である。

 

だが咲夜や霊夢は、僅かに『概念』にも触れているために完全に分類は出来ない。

 

 

 

咲夜はその定義を頭の中で反芻しながら、レミリアの問いに答えた。

質問をしたレミリアは帰ってきた答えに満足気に頷きながら、話を続ける。

 

 

「惜しいわね、確かに紅夜は空間を操作出来る。けれど、それだけでは無いわ」

 

「惜しい、ですか? それではまさか……………概念にも干渉が?」

 

「それでも半分。あの子は全ての能力の分類に該当する力を持っているのよ」

 

「全てに………一体どういう能力なのですか⁉」

 

 

主人の言葉に焦る咲夜。彼女は既に気が気ではなかったのだ。

咲夜は、レミリアから半日は紅魔館から外出しろという奇妙な命令を受けたあの日の午後に

紅夜と初めて出会った、にも関わらず彼は馴れ馴れしく自分を「姉さん」と呼んで笑顔を見せた。

始めはただただ鬱陶しく、正体の分からない相手に戸惑い、警戒していた。

だが彼は美鈴はおろか、パチュリー様やお嬢様、果ては妹様とまで親密な関係を築いていた。

特に妹様________フランドール・スカーレット様の執事となった事をお嬢様から聞いた時は

心の底から本当に驚いた。触れたもの全てを破壊するような彼女にどうやって近づき、

どうやってその狂気をかいくぐって館の住人達の信頼を得たのだろうか。

 

分からない事が、怖い。

自分に分からない事を平然とやってのけたあの男が、恐い。

 

 

 

恐い、怖い。

怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い

恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い

怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い

恐い怖い恐い怖い恐いこわいこわいこわいコワイコワイコワイコワイコワイ___________。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「_________くや、咲夜?」

 

「_____‼‼」

 

 

目の前が暗くなりかけ、胸も締め付けられるような感覚に見舞われた直後、

お嬢様の私を呼ぶ声を聞いて目が覚めた。いや、気付いた、と言うべきだろうか。

 

 

「大丈夫なの?大事な仕事前なのに」

 

「も、申し訳ござません………」

 

「いいわ、もう行きなさい。随分時間を使ってしまったようだし、何より」

 

レミリアが言葉を区切り、外の方へ顔を向けて続ける。

 

 

「もう来てしまったようだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館の目の前に伸びる大きく長い石橋。

その先に見える門の目の前で、色鮮やかに散らばる弾幕。

既に弾幕ごっこが始まっていたようだが、今まさにこの戦いは佳境を迎えていた。

 

 

「こいつで終わりだぜ! 星符【メテオニックシャワー】‼‼」

 

「ま、まだまだ………華符【破山砲】ッ‼」

 

 

異なる二種類の虹色の弾幕が正面からぶつかり合う。

だが、一発だけの美鈴のスペルカードは、もう一つの弾幕に押し負ける。

とうとう美鈴が相手の弾幕に被弾し、弾幕ごっこが終了した。

 

 

「うう………弾幕ごっこでは、まだまだ修行不足ですね……」

 

勝負に負けた美鈴が地面に倒れて打ちひしがれる。

その様子を、箒に乗った金髪の少女が上から見下ろしていた。

 

 

「うっし! やっぱアタシはこうでなきゃな!」

 

 

 

白い下地のエプロンドレスに、胸の辺りまでしか(たけ)のない黒の上着。

下半身のドレスは星の無い夜空のように黒い布地に、白いフリル付き。

頭部には、魔女が被るような巨大な三角帽子を被っている。こちらも白いリボン付きだ。

肩までかかる金髪に、顔の左側だけに結わえた三つ編みの男勝りな口調な少女。

 

彼女の名は『霧雨 魔理沙』、普通の魔法使いである。

 

 

「さぁ~て、勝ったのはアタシだからな。ここ通してもらうぜ!」

 

「くぅ……致し方ありません、お通りください」

 

「なんだ?ヤケに礼儀正しいじゃんか…………まぁいいや」

 

 

普段はあまり聞かない彼女の礼儀正しい話し方に、少し違和感を覚えながらも進もうとした

魔理沙だったが、ふとある事を思い出して美鈴にその事について尋ねた。

 

 

「そう言えば、おい中国。ここで新しく男を雇ったってのは、ホントか?」

 

「中ご…………………ええ、そうですよ。確かに新しくウチに男性従業員が入りましたが⁉」

 

「そっか。文の言ってたことはデマでも間違いでも無かったと………」

 

「誰の言ってたことがデマですって魔理沙さん?」

 

「うおっ! 文、お前いつから来てたんだよ‼」

 

「あなたが美鈴さんと弾幕ごっこ始めた辺りでしたかねぇ?」

 

「ほとんど最初からじゃねぇかよ!」

 

 

魔理沙の背後に突然現れた鴉天狗の文。

随分前からいたようだったが、魔理沙は全く気付けなかったらしい。

魔理沙のツッコミをスルーして、文は美鈴に話を聞こうとする。

 

 

「ところで美鈴さん、先程のお話をもう少し詳しくお聞かせ願えませんか?」

 

「彼の事ですか? 私よりももっと詳しい人から聞けばいいじゃないですか」

「あやや、もっと詳しく詳細を知る人が! その方はレミリアさんですか?それとも_____」

 

「おいおい文、んな事コイツから聞くより直接本人探して聞きゃいいじゃねぇか」

 

「い、いや。今回だけはソレは勘弁願いたいと言いますか………」

 

「何だそりゃ。いいからホラ、さっさと行って異変終わらせて、宴会でパァ~っとするぜ!」

「え?あ、ちょ、ちょっと魔理沙さーーーーん‼‼」

 

 

襟首を掴まれ、強引に引きずられていく文の悲痛な表情を、倒れたままの美鈴が見送る。

傍からこの状況を見ていた者がいれば、爆笑する事必至だろう。

そんな二人を見つめた後で、美鈴は埃を払いつつ立ち上がり門の横の塀に寄り掛かる。

 

「さぁ~てと。巫女も来なかったし、今日のお仕事は終わ___________( ˘ω˘)スヤァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館の内部に堂々と侵入した魔理沙と文は、侵入を妨害してくる妖精メイドを蹴散らして

どんどんと奥へと歩みを進めていった。その中には小悪魔も混じっていたような気がした。

勢いそのままに突き進んでいく魔理沙に、カメラのシャッターを切りながら問いかける。

 

 

「あのー、魔理沙さん?何処に向かってるんですか?」

 

「どこって、大図書館に決まってんだろ」

 

魔理沙がぶっきらぼうに答える。

文はただアテもなくがむしゃらに進んでいるだけかと思っていたが、違ったようだ。

 

「あやや?異変の首謀者のレミリアさんの部屋は、上の階ですよね? なんで大図書館へ?」

 

「ん?なんだ文、お前魔法に関しちゃド素人なんだな。いいぜ、教えてやるよ」

 

 

言いたい放題言われた文とは対照的に、魔理沙は少し得意げに話し始める。

 

 

「大図書館の辺りから、中々に強い魔術の反応があってな。こんなのあのカリスマ(笑)なんかじゃ

造ろうとしても長くは持たないだろうぜ。だから、作ったのは間違いなくパチュリーなんだ。

そんな訳で、パチュリーの魔法を発動させてる魔法陣か何かをぶっ壊しゃ、この紅い霧は止まる」

「……………………」

 

「そんで霧を止めりゃ、異変の首謀者さまは怒って部屋から出てくるはずだ。

そこを大図書館で待ち受けていりゃあ、こっちから出向く手間も魔力も省けるって訳だぜ」

 

「……………………」

 

「文?どうしんだよ、急に黙って」

 

「いや、魔理沙さん…………あなた脳筋じゃ無かったんですね」

 

「うるせぇな‼ どういう意味だよソレ‼」

 

 

怒鳴りながら箒に乗って、大図書館への道のりを進む魔理沙と文。

もう少しで入口の大きな扉が見えてくると思って顔を上げた、しかし。

 

 

 

 

 

「おやおや、大図書館に一体何の御用でしょうか?」

 

「「‼‼」」

 

その先に待っていたのは、噂の男だった。

 

 

昼を過ぎてもなお輝く太陽の光を反射している銀色の短髪(・・・・・)

水平から僅かに浮き上がった(まなじり)に、鈍く光る赤紅色(ワインレッド)の瞳。

平凡な白いシャツの上に、深い黒色の燕尾服を綺麗に着こなしている。

下半身も、上と同じような色合いのズボンを履いて直立している。

魔理沙は彼を見た直後、箒を止めて廊下に降り立って、

文は飛ぶことをやめて魔理沙の半歩後ろに立って、成り行きを見守る。

すると少年から先に話しかけてきた。

 

 

「貴女がお嬢様のおっしゃっていた、魔理沙さんですね?」

 

「………おう、アタシが魔理沙だ。んで、お前は一体何者なんだ?」

 

魔理沙が目の前の男に尋ねる。

すると男はこちらを見た後、何故かうっすらと微笑んだ。

魔理沙はその視線に気付いたが、同時に妙な違和感に気付く。

 

 

(何だコイツ………今文を見てニヤッとしたのか? でも何でだ?)

 

 

少し考えた魔理沙だったが、ブルブルと頭を振るって雑念を頭の片隅に追いやり、

目の前の相手に集中する。自分の長年の勘が、油断するなと警鐘を鳴らしていたからだ。

 

 

「僕が何者、ですか…………。今までは答えられませんでしたが、これからは違います」

 

「……何言ってんだ、お前」

 

「いえ失礼、こちらの話です。………では、遅ればせながら自己紹介をしましょう」

 

 

男は大仰な素振りで右手を振り上げ、左手を腰の後ろ側にあてがい、ゆっくりと右手を下ろす。

かしこまった態度と口調で、男は自分の『名前』を告げる。

 

 

「僕の名前は、十六夜 紅夜。フランドールお嬢様の従者にして手足!

生涯の忠誠をあのお方に誓った身であり、この紅魔館の執事長を務めさせて頂いております!

そして今回の異変の中心は、レミリア様ではなく___________この僕です‼」

 

「何‼ お前が異変の首謀者だと⁉」

 

「あやや、やっぱり只者ではありませんでしたか……。と言うか、十六夜って……」

 

 

魔理沙は読みが外れたことに驚愕し、文はただ目の前の少年の気迫に気圧される。

紅夜と名乗った男は、さらに話を続ける。

 

 

「さぁ、『普通の魔法使い』霧雨 魔理沙‼ 我らが願いの為、ここで倒れて生贄(いけにえ)となるがいい‼」

 

両手を大きく広げて、高らかに告げる紅夜。

文はカメラを構える事すら忘れていたが、魔理沙は帽子を深く被り直して挑発に乗って切り返す。

 

 

「へっ! 売られたケンカは言い値で買う主義でね‼ さぁ、弾幕ごっこの始まりだぜ‼」

 

「ふふふふ……あまり図に乗らない方がいいですよ、たかが魔法使い如きがね」

 

「言ったな! なら見せてやるぜ、『たかが』魔法使いの実力をな‼」

 

 

互いに戦闘態勢に移行する二人。

魔理沙は再び箒に飛び乗り、右手には愛用の装備『ミニ八卦炉(はっけろ)』を取り出す。

紅夜は燕尾服の袖や襟などの隙間から、刃渡り15cm程のジャックナイフをズラリと覗かせる。

 

 

「ちょっとだけ予定と変わったが、異変を解決するのがアタシなのは変わらない。……この勝負」

 

「誰が相手でも、僕は負ける事など出来ない。誰でもない、僕が決めた事だから。だからこそ」

 

 

 

 

「「____________絶対に負けられない‼‼‼」」

 

 

 

 

 

 

 

 

『普通の魔法使い』 霧雨 魔理沙

vs

『完璧で無辻な執事』十六夜 紅夜

 

 

 

 




二日掛けました。なのでエライ事に………。

書いては消えての繰り返しで、投稿が遅れてしまい
本当に済みませんでした。心からおわび申し上げます。

今日新しいパソコン買ったので、有線をつないで
設定を自分好みに変更すれば、キチンと書けますので
皆さんこれからもよろしくお願いします。



それでは次回、東方紅緑譚


第十伍話「紅き夜、星降る昼の決闘」


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第十伍話「紅き夜、星降る昼の決闘」

本日は話題の映画、「バケモノの子」を友人と
観てきましたが…………泣けますねアレ(´;ω;`)

まぁそれはそれで置いといて、
しばらく投稿が出来なくて済みませんでした。
新しいパソコンが扱いにくくてなんとも……


これからしっかりとマスターして、
書き始めたいと思います。それでは、どうぞ!


紅魔館のヴワル大図書館前で、唐突に始まった魔理沙と紅夜の弾幕ごっこ。

まずは箒に飛び乗って距離を取った魔理沙が先に仕掛けた。

 

 

「先手必勝! 行くぜ、魔符【ミルキーウェイ】‼」

 

白黒の魔法使いがスペルカードを宣告し、そのカードに記憶された彼女の技が放たれた。

彼女を中心として、大小共に色とりどりの星型の弾幕が六列に並んで射出されていく。

しかも、その星の弾幕の列は徐々に動いて回転している。

 

 

「初手から随分と鮮やかな弾幕を。ならば僕も、裂符【サウザンドリッパー】‼」

 

「うおっ⁉」

 

その弾幕を見た紅夜も、負けじとスペルカードを宣言し、技を発動させた。

魔理沙はその性格上後手に回るのが嫌いではあるが、実力未知数の相手に無策で突っ込むほど

能天気でアホ丸出しな人物では無かった。故に彼女はまず少年のスペルを観察し始める。

 

 

(アイツ、手に持ったナイフを空中に放って……………げっ!こっちに飛んでくる!)

 

 

紅夜が手にズラリと並べていたナイフを全て空中にバラ撒いたが、その直後ナイフが

急に魔理沙に向かって方向を転換して勢いよく飛んできた。

いきなりのことで少しひるんだ彼女だったが、それでもこの幻想郷において彼女は

弾幕ごっこでは大妖怪も凌ぐ力量を有している、つまり、この程度の弾幕は見慣れているのだ。

 

 

「へっ、少しは出来るみたいだな!だがまだまだこれからだぜ!」

 

「それはこちらのセリフです。フランお嬢様のお気に入りとやらの実力、見極めさせてもらう‼」

 

 

二人は自分の放つ弾幕で相手の弾幕を上手く相殺していく、しかし弾くだけではなく相手にも

自らの攻撃を届かせようと必死で隙を突こうするが、一向に糸口が見出せない。

星型の弾幕が紅夜の動きを封じれば、鋭いナイフが魔理沙の身体に突き刺さろうと飛来する。

幾度も飛び交う弾幕に、少し離れた所で二人の弾幕ごっこを見物している文が驚きと興奮を隠せず

夢中でシャッターを切ろうとしていた時、それは起こった。

魔理沙が何度目かの紅夜の弾幕を回避しようとした瞬間、魔理沙の帽子のつばにナイフが

僅かにかすり、魔理沙は慌てて距離を取ろうとするが、その一瞬の停止を紅夜は見逃さなかった。

 

「そこだ、切り裂け‼」

 

「うわっヤベェ‼」

 

 

紅夜が放った三本のナイフをすんでのところで回避した魔理沙だったが、その内心は穏やか

では無く、それどころか最近まともに弾幕ごっこをしていなかった彼女は焦ってすらいた。

だが彼女は先程の弾幕で勘を取り戻したのか、一呼吸おいて冷静になって状況を再確認した。

 

 

(さっきの弾幕は何だ………?途中からアイツはナイフを投げていなかった、なのにアタシが

ナイフを避けた回数は、どう考えても多くなってたよな…………ナイフが反射していた、か?

咲夜みたいに………ん?咲夜、か。そういえばアイツ最初に『十六夜』って言ってなかったか?

_______________________________まさか‼‼)

 

 

魔理沙がある事に気付き、再び先程の弾幕へと目を向ける。

すると、やはり彼女の予想通りの結果がそこにあった。

 

(やっぱりそうだ、間違いない。アイツがさっき投げたナイフが何処にも刺さって無いぜ!

てことはつまり、アイツも咲夜と同じ『時を操る』程度の能力を持ってるって事かよ‼)

 

 

魔理沙が目の前の光景を元に結論付ける。

それは今相対している少年が、どういう訳かこの紅魔館のメイド長であり、自分の顔見知りの

十六夜 咲夜と何やら関係があるようだということ。それも、血縁関係(・・・・)レベルの深い関係が。

敵の程度の能力が割れてしまえば、対策を練る事はさほど難しいことなどではない。

ましてそれが、その能力が既に存在しているのならばなおさらだ。

魔理沙は再び自分の方へと向かってくるナイフを回避し、先程よりも接近して弾幕を放った。

 

 

「悪いな、お前の能力は見切ったぜ。まさか咲夜と同じとは思わなかったけど、好都合‼」

 

接近した魔理沙は発動しているスペル、魔符【ミルキーウェイ】を解除して

新たなスペルカードを紅夜の眼前で宣言した。

 

 

「コイツでどうだ、魔空【アステロイドベルト】‼」

 

先程のように列を成さず、全方位へと拡散されていく大小さまざまな星型の弾幕。

遠方からならともかく、この近距離ならば確実に落とせると魔理沙は確信していた。

______________相手が『時を止める能力』だったのならば。

 

 

「へへ、この勝負もらった『ドスッ‼』……………ぜ?」

 

 

魔理沙は自分の背中に、妙な感覚を受けていた。

まるで飛んできたナイフが(・・・・・・・・・)突き刺さっているような(・・・・・・・・・・・)、そんな感覚。

自分の背の違和感に気付いた直後、目の前の少年が手を顔に当てて不気味に笑い始めた。

 

 

「フ………ハハ、ハハハハハハハ‼‼ いい表情だ、その唖然とした顔、まさに傑作だ魔法使い‼

"お前の能力は見切った"?"この勝負もらった"⁉ 何を世迷言をほざいているのやら………。

おおかた、僕の名前と弾幕を見て姉さんと被ったのでしょうが、能力が同じだなどと言った

素敵なジョークをおっしゃれるとは、随分余裕ですねぇ魔法使いの魔理沙さん?」

 

 

早口で捲し立てながら魔理沙を軽く貶す紅夜。

その姿を見ながら彼の言葉を聞いた魔理沙は、二つの事実に愕然とする。

 

 

「お、前………姉さんって、まさか咲夜か⁉ それに能力が違うって、だってナイフが………」

 

「そうですね、まずは順番にお答え致しましょう。では一つ目の質問、十六夜 咲夜が僕の姉で

あるのかどうか、これは躊躇いなくYesです。僕は姉さんの弟、十六夜 紅夜。それ以上でも

それ以下でもない、ただの吸血鬼に仕える人間ですよ」

 

紅夜が少し口の端を緩めながら魔理沙に答える。

そのまま紅夜はよろめく魔理沙に背を向けてゆっくりと歩き出して距離を置く。

 

「そして二つ目、貴女はおそらく僕の能力を姉さんの『時を操る』程度の能力だと勘違い

なさっているようですが、これについては全くのNoです。姉さんのような人間を遥かに

超越した能力が相応しいのは、やはり姉さんのような人間だけであって僕では無い。

僕の程度の能力については、次のスペルでお分かりになると思いますよ‼」

 

「何だ⁉ ヤツめ、何するつもりだ!」

 

 

紅夜が再び魔理沙の方へと身体を向けて、腕を振り上げスペルカードを宣言した。

 

 

「ご覧あれ、裂降【パニッシュメントアーチ】‼」

 

紅夜がスペルを唱えた瞬間、それまで近くにあったナイフが消えてなくなった。

魔理沙は驚いて辺りを見回すが、一本残らずナイフが姿を消してしまっていた。

まさかと思って背中にも手を回したが、突き刺さってたはずのナイフも無くなっている。

消えたナイフを探して周囲を見ている魔理沙の後方で、カメラを構えていた文が叫ぶ。

 

「魔理沙さん、上です!」

 

「何っ‼」

 

 

文の言葉に反応した魔理沙が頭上を見上げると、そこには無数のナイフが真下に切っ先を

向けながらさながらアーチのように廊下の半分を埋め尽くしていた。

その光景を目にした魔理沙は再び驚きながらも、心中で確信していた。

 

 

(確かに、時間停止や早送りじゃこんな事は出来ないよな…………でもだとしたら

コイツの能力は一体何なんだ?ナイフが規則正しく左右一列に真っすぐに並んで……くそ、

まだ足りない。コイツについて何もかもが足りないぜ………てかヤバい避けないと!)

 

 

紅夜のスペルに若干気圧されてしまった魔理沙は、上から降り注いでくるナイフを見て

身の危険を察知して箒に乗って後方へとダッシュで後退していく。

落下してくるナイフを避けながら、魔理沙は打開策を頭の中で練っていた。

必死になって逃げながら考え続けるが、イマイチいい案が浮かばない。

そんな魔理沙を追うように、紅夜の発動したスペルはナイフを上から降り注がせ続ける。

 

 

「さぁどうしました?威勢が良かったのは最初だけなんですか?

ほら、早く弾幕を放って相殺しなさい。早く次のスペルを発動させなさい。

早く僕のスペルをブレイクしてみなさい。さぁ、Halley(はやく)Halley(はやく)Halley(はやく)‼‼」

 

「く、クソ……言いたい放題言ってくれやがって、見てろよ!」

 

 

感情が振り切れたように叫ぶ紅夜の言葉に挑発された魔理沙は、乗っている箒の方向を

即座に反転させて一気に加速し始める。そのまま紅夜に向かって一直線に突き進んでいく。

そのまま魔理沙は右手のミニ八卦炉を起動して出力を上げ始めた。

 

 

Halley(はやく)ってんなら、急いでやるよ…………行くぜ最速のぉ‼」

 

眩く輝く星々が、魔理沙の乗る箒の刷毛の部分から放出されていく。

それが勢いを増していくにつれ、魔理沙の箒の速度もグングンと上昇していく。

そしてあと数mというところで、目の前に無数のナイフが突然現れた。

 

 

「降り止まない鋼の雨に、血飛沫を上げろ魔法使い‼‼」

 

「しゃらくせぇ‼ まとめて吹き飛べ、魔符【スターダストレヴァリエ】‼‼」

 

 

魔理沙が新たなスペルカードを宣言した。

そのスペルは、魔理沙の持つスペルの中でもかなり上位のものである為、彼女は並大抵の

相手には使う事のない、いわばとっておきの技なのだった。

煌びやかな光を纏って最大速度で箒ごと相手へと突貫していく、それがこのスペルである。

自らを弾幕として放つスペルは数有れど、彼女のコレは他のどのスペルよりも速く、(はや)い。

両手を上げて隙を見せている紅夜へと突っ込む魔理沙に、無数のナイフが襲いかかる。

 

 

「うおぉぉぉぉぉぉ‼‼‼」

 

それでも彼女は被弾の痛みも意に介さず、ただ眼前の敵を見据えて突き進んでいく。

魔理沙は声を荒げながら、最速の弾幕を両手を上げて高笑いしている紅夜に叩き込む。

あとほんの少しで届く、ようやく当たる、魔理沙は視界を埋める光の中で小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「_____________お疲れ様、これで本が強奪される事は防げたわ」

 

「はぁ………はぁ……………ハイ、お心遣い感謝します………」

 

 

僕の後ろで大きな音を立てて大図書館の扉が開き、中からパチュリーさんの声が聞こえた。

先程の弾幕ごっこですっかり乱れてしまった呼吸と服装を正しながら、彼女の言葉に応える。

汗ばんだ前髪を掻き上げ、少しバックアップな髪型になってしまうこともいとわずに

同じように汗で肌に吸い付くシャツのボタンを開けて、身体と燕尾服の間の空気を換気する。

 

「あら、オールバックと言ったかしら、その髪型。中々似合ってるじゃない」

 

「ハ、ハハ…………褒め言葉、なんですよね?」

 

「バカにしているように聞こえる?少し野生っぽさが加わって、違って見えてくるわ」

 

パチュリーさんが僕の髪型を見て、笑うでもなく無表情で観察してきた。

個人的には嬉しいような感じもするけど、やっぱり不愛想な言い方をされると不安になる。

ゆっくりと立ち上がって、背中についた埃を払って深呼吸をする。

 

 

「____________グッ、ゴホッ! ゴボッ‼ゲ………ァア‼」

 

大きく息を吸い込んだ途端、胸の奥から何かが噴き出すような感覚に襲われる。

実際僕は、口や鼻から多量の血を放出してしまっている。

自分の意志で止めることも、抑えることもできない___________あの頃からの発作。

大怪我を負った獣のようなうめき声を上げながら廊下に膝から崩れ落ちてしまう。

 

「ガッ!…………ゴ、バァ‼」

 

「…………やっぱり、そうだったのね」

 

 

苦しみに悶えながら血を滝のように流し続ける僕を、パチュリーさんが見下ろす。

息をすることさえ困難な僕を助けるでもなく、ただ淡々とありのままの事実を呟く。

 

 

「紅夜、あなたは____________もうすぐ死ぬわ」

 

「ア…………ア、ガ…………ゲホッ!」

 

「そうね、自分の事は自分が一番良く理解出来てるわよね」

 

 

手にした魔導書のページをパラパラとめくりながら、僕にいつも通りの

感情の見えないような冷たい目線を送ってくる。

僕は下を向いているが、それでも分かる。

 

 

「この事は、誰かに話したの?…………咲夜とかに」

 

「ハ………ァ、ハァ……い、いえ゛」

 

「そう………いつまで隠すつもり?死ぬまで?」

 

僕はパチュリーさんの問いかけに無言で頷く。

口から血を垂れ流しながら、少しずつ身体に力を込めていく。

既に燕尾服は血みどろになっていて、下のシャツにまで浸透している。

パチュリーさんがさらに話を続ける。

 

 

「私にあなたを否定することも、止めることも出来ない。_______けれども」

 

「…………パチュ、リーさん……?」

 

 

魔導書を左脇に挟みながら、パチュリーさんが僕を優しく抱擁する。

彼女の埃っぽく、それでいてやはり女性特有の暖かい感触が僕を包み込んでくれる。

僕の血まみれの頬に右手を添えながら、赤子を抱く母親のように諭す。

 

 

「けれども、あなたを肯定することは出来る。認めるわ紅夜…………あなたは強い」

 

「…………ありがとう、ござい、ます………ゲホッ」

 

 

添えた手で優しく頬を撫でてくれるパチュリーさんに、僕はただただ感謝の言葉を吐き出す。

痛みが引いてきて、やっと口と鼻から流れる血が止まってきたというのに今度は目からも

流れてきた。とても熱くて、手では拭えそうにない。

 

 

「また、血が………お手が、汚れます。パチュリーさん………」

 

「構わないわ、熱いだけの透明な血…………目からこんなに溢れてる。

こんなしょっぱい血なら、誰も飲まないだろうから………たくさん出しなさい」

 

「………………うぅ………」

 

 

僕は、顔を上げることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だーーっ、くそ‼」

 

 

紅魔館の門前で、白黒の魔法使いが悔しそうに大声で叫ぶ。

その後ろにはカメラを未だに両手で構えている文が付いてきている。

そんな二人の背中を門の塀に寄り掛かった美鈴が嬉しそうに見送る。

 

「いや~しかしまさか魔理沙さんが負けr「負けてないぜ!」……認めましょうよ」

 

「認める?何を! アタシは認めねぇぜ、リベンジだ!次はアタシが絶対勝ぁーつ‼」

 

 

勢いをヒートアップさせていく魔理沙の熱気に、おお、熱い熱いと顔を背けながら

ひとまず今回の潜入(?)の結果を自分のブン帖に書き込んでいく。

 

「『魔法使い、紅魔の新参者に大敗‼ 紅い霧を止めるのは果たして⁉』」

 

「勝手なこと記事にしてんじゃねぇ!また薪代わりに新聞火にくべるぞ!」

 

「あなたなんて事してるんですか⁉やめてくれませんかそういうの‼」

 

 

辺り散らす魔理沙の暴言に乗せられた文もまたヒートアップしていく。

だがだんだん落ち着いてきたのか、魔理沙が帽子を深く被り直して呟く。

 

 

「……まぁでも、収穫はあったぜ。これで次は必ず勝てる」

 

「おや、何かありましたか?あの少年が咲夜さんの実の弟さんという重大なネタ以外に?」

 

「ああ、 アイツの程度の能力だ。あの最後の瞬間………やっと分かったんだぜ」

 

「おお!ホントですか、してその能力とは!」

 

 

文が即座にペンを握って手帖に書き込む準備を済ませる。

その様子を横目で流しながら、口元をニヤリと上げながら続ける。

 

 

 

 

 

「アイツは多分______________『方向』を操れる」

 

 

 

 

 




いやぁ、どうだったでしょうか。
この東方を書く時が一番手が進みます。

今回もまた自分の好きなアニメのセリフを
少しだけ引用させていただきました。
カッコいいんですよね、吸血鬼。


それでは、次回 東方紅緑譚


第十六話「紅き夜、相対す紅白の巫女」


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キャラクター設定、的な何か


いや、前々から書こうとは思ってたんですが
縁さんはともかく、紅夜の方の能力が判明
してなかったんで書くのは躊躇われましたが……

やっと判明しましたので
詳細を書いていくことが出来そうです。
そんな訳で、それでは、どうぞ~


 

 

東方紅緑譚 ~紅き夜、主人公詳細~

 

 

名前:十六夜(いざよい) 紅夜(こうや)

 

二つ名:『完璧で無辻(むつじ)な執事』

 

年齢:17歳

 

種族:(改造)人間/???

 

身長:178cm

 

体重:89kg

 

程度の能力:『方向を操る程度の能力』

 

 

銀色の短髪で、眼は鮮やかな赤紅色(ワインレッド)

普段から深い黒色の燕尾服を綺麗に着こなしている、紅魔館の執事を務める少年。

彼の服には至る所にホルダーが仕込まれていて、その全てにジャックナイフを装填している。

元々はとある孤島の地下施設で『対吸血鬼用兵士』を量産する実験の被験者として

まさに生き地獄のような幼少時代を送っていた時、「S1341」こと「十六夜 咲夜」と出会う。

その後二人は姉弟として互いを支え合いながら生きようとするが、姉が任務で外に出て

行ったまま二度と戻ることは無かった為、吸血鬼に殺されたと信じて復讐を誓う。

自分の最愛の姉を殺した吸血鬼を殺すために更に過酷な訓練や手術に身を投じたのだが、

無理な改造によって超人的な身体能力を得るための犠牲として、肉体の外側も内側も

ズタズタになっていて、もう限界に近い状態になってしまっていた。

 

そんな彼は、施設に侵入してきた縁によって幻想郷へと導かれる。

その先で死んだと思っていた姉と再開を果たしたが、その姿も人格も変わり果てていた。

それでも再び姉に逢いたいという思いで、吸血鬼の館へと単身潜入していった。

 

現在、紅魔館の当主である「レミリア・スカーレット」の妹である

「フランドール・スカーレット」の執事兼従者として、日々を過ごしている。

そして今幻想郷で起こっている『異変』の首謀者として、博麗の巫女を迎え撃とうとする。

 

 

スペルカード一覧

 

・裂符【サウザンドリッパー】

 

・裂符【???】

 

・裂降【パニッシュメントアーチ】

 

・裂昇【クライミングスクリーム】

 

・???

 

・???

 

 

以後は未発動の為、記載不能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東方紅緑譚 ~緑の道、主人公詳細~

 

 

名前:八雲 (えにし)

 

二つ名:『心優しき無心兵器(オートマトン)

 

年齢:不明

 

種族:付喪神

 

身長:184cm

 

体重:96kg

 

程度の能力:『全てを(つな)ぐ程度の能力』

 

 

若草色の逆立った髪の毛で、腰にはボロボロの刀を挿している。

『縁』と大きく描かれた布が、彼の顔を覆い隠している為に顔は全く分からない。

少し深みのある青色の着物を着ており、足の甲が見える作りのブーツもどきを履いている。

彼自身、外の世界の何処で何をしていたのかという記憶が一切無い。

ただあるのは自分の主人である「八雲 (ゆかり)」への、絶対の忠誠と命令の遵守だけ。

そのために彼は自分の能力の行使を、紫からの許可を得ない限り使おうとはしない。

自分の能力が唯一、紫の『境界を操る程度の能力』に対抗出来るものだと教えられたから。

 

彼は紫の命令で、冥界にある『白玉楼』という場所へと向かった。

そこで庭師の「魂魄(こんぱく) 妖夢」と、白玉楼の主である「西行寺 幽々子」と出会って

ひと悶着あり、妖夢と剣での果たし合いに勝利(?)し、打ち解けて二週間を過ごした。

 

 

スペルカード一覧

 

 

・境線【遥か彼方の地上線】

 

・線行【平行線のパラノイア】

 

・掃射【アハトアハトの大喝采】

 

・迫撃【???】

・???

 

・???

 

以後は未発動の為、記載不能。

 






いかがだったでしょうか?

これから更に明らかになることもあるので
それはまた別で書こうかと思ってます。


ご意見ご感想、または質問などなど
受け付けておりますので、それでは‼


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第十六話「紅き夜、相対す紅白の巫女」

久々にランニングをしてみましたが、やはり
体力が落ちてますね……………若いっていいな。

そんな羨みの視線を近所の中学生に
送りながらこのssを書いているそんな毎日w

そろそろディケイドの方も書かないと、と
思いながらもこちらの方が手が進むので
こちらを優先させちゃいます、それでは、どうぞ


 

いつもと少し違う赤い霧の漂う湖に佇む紅魔館から、二人の少女が歩いて橋の袂にやって来る。

白黒の服装の少女、霧雨 魔理沙は全身に小さな傷や埃が付いており、傍らには手にした手帖に

忙しなく何かを書き込んでは消している赤い頭巾(ときん)を被った制服姿の鴉天狗、

射命丸 文が空中に浮きながら魔理沙と共にいた。

そんな道中で魔理沙が帽子を深く被り直して呟いた一言に、文が首を傾げながら尋ねる。

 

 

「ほ、『方向』を操れる……?それはまたどうしてそう思ったのか気になりますね」

 

「別に大したことは無いぜ。あん時、勝負が決まるって一瞬だった…………」

 

 

魔理沙は悔しそうに眉を歪ませながら、先程の弾幕ごっこの決着の瞬間を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔理沙は自分のとっておき、魔符【スターダストレヴァリエ】のスペルカードを発動させて

目の前で高笑いしている紅夜に向かって、最高速度の弾幕と化して突貫していった。

しかし一筋の弾幕となった愛用の箒の柄が紅夜の腹部に接触する直前、ソレは起こった。

紅夜が振り上げていた両手を自分に向けて突き出して、至近距離に居る自分にだけ聞こえるような

本当に小さな声だが、確かに宣言した。

 

 

「裂昇【クライミングスクリーム】………!」

 

「何‼⁉」

 

 

紅夜が宣言したのは、新たなスペルカードだった。

だが既に魔理沙は懐に入り込んでいた為に、もう遅いと眩い光の中で小さく笑っていた。

しかしその笑みはすぐに消え去り、驚愕に染まった。

 

 

「う、うわああぁぁぁ『ドスドスドスッ‼‼』ぁぁぁぁ………‼」

 

 

今まで上から降り注いでいた無数のナイフが、下から上へと進行方向が真逆になって

魔理沙の身体に突き刺さり始めたからだった。

それでも彼女のスペルの勢いは殺されず、そのまま直進していった。

だが、すぐに紅魔館の廊下に不時着してそのまましばらく進んでいった。

魔理沙は突然の事に頭が追い付かなかったが、一つだけ理解出来たことがあった。

未だ廊下に落ちた時の痛みで立ち上がれず、顔だけを上げて震える声で呟く。

 

 

「な、何だ………何が起こった?アタシは、負けたのか………⁉」

 

 

呆然となってその場から立つことも忘れてしまった魔理沙。

近頃は弾幕ごっこをしてなかったとは言え、幻想郷ではかなり名の知れた強者である自分が

突然現れた謎の男に、とっておきを出しておきながら無様に敗北を喫したという事実を

受け入れることが出来ない彼女の後ろから、小気味良い靴音を鳴らして紅夜が近づく。

自分の真後ろで止まった靴音に少し驚きつつ、後ろを振り向いた魔理沙に

紅夜がにこやかに微笑みながら弾幕ごっこの勝敗を口に出した。

 

 

「さてこの勝負、僕の勝利ということでよろしいですね?」

 

「あ………え、や! ち、違う! 違うぜ、まだアタシは負けちゃいない‼」

 

自分の敗北を決めつける紅夜の言葉を、魔理沙は慌てて否定して再戦の意思を見せる。

だが紅夜はそんな彼女の必死の否定を何の躊躇もなく切り捨てた。

 

 

「いいえ負けです。僕が貴女のスペルをブレイクし、貴女は心の片隅で敗北を認めた」

 

「み、認めてない! アタシはまだやれる、まだ弾幕ごっこは終わっちゃいないぜ‼」

 

「往生際が悪いですね…………いいでしょう、ではこの勝負の勝敗を一旦預かりましょう」

 

「何だと? そりゃどういう事だ」

 

 

魔理沙は紅夜の言った言葉の意味が理解出来なかった。

とにかく今彼女の頭の中にあるのは、目の前の少年と早く弾幕ごっこをして今度こそ

油断せずに完璧な勝利を得て今回の異変を解決すること、ただそれだけだった。

しかし紅夜は右手を魔理沙の居る方へと向け、左手を文の居る方向へ向けた。

その行動に意味を見出せない魔理沙を見つめながら、紅夜は話を続ける。

 

 

「今回はここまで。まだ本命(・・)が来てませんからね……………順番待ちですよ」

 

「はあ?順番って、一体何の」

 

「それでは、またいずれ」

 

魔理沙が言い切る前に、紅夜はその力を発動させていた。

 

 

その一部始終を見ていた文だったが、カメラのシャッターを切ろうとはしなかった。

正確に言えばシャッターを切っても、もう意味が無かったのだ。

何故なら彼女は、彼女達は今、紅魔館の門前に立っているから。

あまりにも突然の出来事に驚くことも忘れた二人だったが、門の横の塀で立ち寝していた

門番の紅 美鈴が声をかけたおかげで正気に戻ったのだ。

 

 

 

そして、時は現在に戻る。

 

 

 

「てな訳で、アイツは多分上から降らせたナイフの進む方向を逆にしてアタシを

下から貫いたんだと思う。いつのまにか紅魔館の外に居たのもそれで説明が着くぜ」

 

 

魔理沙と文の二人は先程の紅魔館での出来事を話し合っていると、目的地に着いた。

そこではいつも見ている紅白の色合いの服の少女の他に、もう一人別の人物がいた。

文はその人物を見つけた途端すぐさま飛んでいったが、魔理沙は控えめにそこに降り立った。

二人がやって来たことに気付いた紅白の少女が、頬杖を突きながら寝そべりつつ尋ねる。

 

 

「ねぇ魔理沙、アンタ異変解決は任せろとか言っといて何で逃げ帰って来てんのよ」

 

「べっ、別に逃げ帰った訳じゃないぜ! キチンと紅魔館へ行って…………それで………」

 

「え?何、アンタまさか………負け「負けてないぜ‼」……あっそ」

 

 

魔理沙が不機嫌そうに目的地__________博麗神社の縁側にドサッと座り込む。

それを少し意外に見ていた少女、博麗 霊夢は横に来ていた文に何があったのかを聞いた。

 

 

「それで文、アンタまで魔理沙と一緒に帰ってきて…………ネタはどうしたのよ」

 

「あ、あやや…………あるにはあるんですが、どうにも信じられないネタでして」

 

「はあ?何よそれ、アンタの新聞より信じられないものなんて…………心当たりあったわ」

 

質問に歯切れの悪い返答で返した文の言葉に僅かに反応した霊夢は、魔理沙の座った

場所の反対側に居る人物へとわざとらしい視線を送る。

視線の先に居た人物を見て、文も確かにそうですねと頷く。

霊夢からの視線に気付いた彼女は、視線の送り主である霊夢に問いかけた。

 

 

「霊夢さん、その心当たりって何ですか?」

 

「アンタのとこの宗教勧誘の内容よ、早苗(さなえ)

 

「何言ってるんですか! 『神奈子』様も『諏訪子』様も、信者の皆さんの為を思って」

 

「あーハイハイもういいわ、アンタの相手すると疲れるって忘れてた」

 

「何ですかソレ! 現人神(あらひとがみ)への冒涜ですか‼ そうなんですか⁉」

 

「暑苦しいから離れなさい、爬虫類臭いのよアンタ」

 

「ヒドいっ‼‼」

 

 

涙を浮かべながら今も抗議を続けている少女は、『東風谷(こちや) 早苗』

 

爽やかな薄緑色のロングヘアーに、蛙のヘアピンを付けた明るい雰囲気の少女。

顔の左側で特徴的な白ヘビの止め具で髪を束ねている、少し斬新なヘアースタイル。

白を基調とした青い袖のラインが映える巫女服を着ており、理由は分からないが

同じ巫女である霊夢のように、脇が外部に露出したデザインなのだが

この幻想郷では、誰もその点について言及はしないのだ。

下半身のスカートは霊夢ものとは、色も異なるが作りも少々違っている。

霊夢のにはフリルが付いているが、早苗のには付いていない。

そんな彼女の抗議を遮って、魔理沙が腰を浮かせて霊夢に言いよる。

 

「そんな事はどうでもいい! 問題なのは、この異変だぜ」

 

「どうでもいいって…………まあ確かに、この霧じゃお洗濯も出来ませんし」

 

「何よりアレですよ、空を見てください。とうとう月が太陽を追い越しちゃいましたよ」

 

「月が太陽追い越して東に戻ってく………いよいよヤバそうだぜ霊夢」

 

「そのようね。……………はぁ、しょうがないか」

 

 

ため息をつきながら霊夢がよっこらせと立ち上がる。

横で見ていた文はそれを見て少し興奮気味に声を上げる。

 

 

「おお! とうとう博麗の巫女の出陣ですか‼」

 

「行くのか霊夢、だったらアタシも!」

 

「敗残兵は引っ込んでなさい。それと早苗、アンタはここで留守番ね」

 

「ええ⁉ 私、お留守番ですか!」

 

「私が居ない間に参拝客が来たら、誰が賽銭を催促するのよ」

 

「お賽銭は催促するものじゃありませんよ……………」

 

「はい、ざん……へい………?」

 

呆れ気味に早苗が肩を落としながら、渋々というように腰を下ろす。

魔理沙は霊夢からの辛辣かつ容赦の無い言葉に弾幕ごっこ以上の傷を負った。

それを見た霊夢は息を大きく吸い込みながら背伸びをして、背骨をポキポキと鳴らす。

いい感じに身体がほぐれたのか、彼女愛用のお祓い棒を右手に持って出発の準備を済ませる。

 

「さてと……文、アンタは私と来なさい」

 

「ええ⁉ なんで私だけ強制連行なんですか、おかしくないですか‼⁉」

 

「アンタはその例の男の事、しっかり見てたんでしょ?

なら相手の情報を出来る限り入手したって事よね?

それを行く途中でいいから私に全部教えなさい」

 

「ええ、まあ、それくらいなら………というか魔理沙さんが、何処見てるか

分からないほど虚ろな目してますけど⁉ 大丈夫なんでしょうかアレ!」

 

「早苗なら奇跡で治せるでしょ。ホラ、私達は紅魔館へ行くわよ」

 

「あやや、ホントに大丈夫でしょうかね………早苗さん、後は頼みます」

 

 

文が早苗に向けて敬礼をした後、霊夢と共に異変の元凶たる紅魔館へと向かった。

二人を見送った早苗は一人、誰も来ないであろう博麗神社の縁側に座って律儀に

留守番をしようとしたが、それよりもまず先にやることがあったと顔をしかめる。

 

 

「全く………魔理沙さーん、大丈夫ですかー?私が分かりますかー?」

 

「………ハハ、はいざ、ん………HEY……?」

 

「返事が無い、ただの屍のようだ……………くううぅッ‼‼

一度やってみたかったんですよねこのやり取り‼ まさか実現出来る日が来ようとは!

流石幻想郷、常識に囚われてはいけませんね! いやぁ満足ですよ、ねぇ魔理沙さん‼」

 

「………HEY?」

 

「……………割と重症ですね、これマジで」

 

 

早苗は顔を引き攣らせながら、安請け合いしたことを若干後悔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館のヴワル大図書館前、紅夜はパチュリーに介抱されていた丁度その時

二人の会話と紅夜の身体の異変を目撃していた人物が、廊下の角で佇んでいた。

朱い長髪で両側頭部に小さなコウモリのような黒い羽を生やした少女、小悪魔だった。

彼女は自分の主人であるパチュリーに言われて、侵入者(魔理沙)の撃退を命令されて

いたのだが、敵うはずもなくやられて大図書館へ戻って来た直後だった。

廊下の角を曲がろうとした途端聞こえてきた絶叫と嗚咽、彼女は驚いて身を竦ませて

角の前で止まってしまった。だから聞こえてしまった、だから知ってしまった。

この館の新たな住人、メイド長の弟、十六夜 紅夜の秘密を。

 

(紅夜さんが、死ぬ………? なんで?どういうこと?)

 

 

突然の事で理解が追い付かない小悪魔は、顔を僅かに角から出して様子をうかがう。

すると彼女の目には、自分の主が普段の姿からは想像がつかないほど優しい表情で

口や鼻から血を流して息も絶え絶えな紅夜の頬を撫でている光景が飛び込んできた。

顔を引っ込める小悪魔だったが、その顔は彼女自身の髪よりも朱く染まっていた。

たった今見た光景を思い返して、頭に湯気が上るほどのぼせ上がる。

 

 

(ぱ、パチュリー様が!パチュリー様が紅夜さんに、あんなこと…………)

 

 

少しだけ呼吸を荒げて、小悪魔が思考にふける。

ついさっき聞いた話では、紅夜がもうすぐ死ぬのだと言う。

そう言っていたパチュリーが、血みどろの紅夜の頬を今まで見たことも無いほど優しい表情で

彼の頬を撫でている…………全く以て理解が出来ない状況だった。

 

 

(と、とにかく咲夜さんに報告をしなきゃ! 確かお嬢様のお部屋の前で……)

 

 

一度ふやけた頭を大きく振るって、冷静さを取り戻そうとした小悪魔は

両手をグッと握りしめて紅夜の姉である咲夜の元へこの事を報告すべく

グルリと方向転換をして走り出そうとしたその時。

 

 

 

 

 

 

「どこへ……行くん、ですか……」

 

「あっ、紅夜さん……」

 

 

目の前に紅夜が一瞬にして現れた。

足をふらつかせながら、立っているのやっとのような状態にも関わらず

ただひたすらに自分を睨みつけているその目に、小悪魔は恐怖を覚えた。

紅夜が咳き込む度にネバついた血の塊が廊下に飛び散るが、紅夜は構わず小悪魔に尋ねる。

 

 

「こ、あ……さん。どこへ行く、つもり……です…………か」

 

「え………それは、その………咲夜さんの所へ「ダメだッ‼‼」ひっ!」

 

 

小悪魔の口から『咲夜』という言葉が出た瞬間に、紅夜は目を見開き声を荒げ叫んだ。

そのあまりの気迫に小悪魔は小さく悲鳴を上げて後ずさる。

紅夜が手を伸ばして小悪魔の肩を力強く掴んで前へ押し出す。

勢いに負けた小悪魔が後ろへと倒れこみ、紅夜はそのまま彼女へ馬乗りの体勢になる。

名前のように悪魔の眷族である小悪魔にとって、いくら全身を改造(・・・・・・・・)されているとはいえ(・・・・・・・・・)

ほとんど死にかけの人間の腕力など、本来なら跳ね除けるくらいは訳ないはずだったのだが

何故かその行為を受け入れて、なし崩し的に今の状況になってしまった。

 

 

「ダメ………だ、絶対…………ね゛え゛ざんには、言わ……ない゛で………」

 

「紅夜さん…………紅夜さん!」

 

 

喉から溢れ出る血が今も口から噴き出る紅夜を、小悪魔は抱きしめた。

力強く両腕で抱き込み、手で彼の背中を優しくさすって温もりを広げていく。

目の前の少年のただひたすら健気に姉を想う気持ちに、心を動かされたのか。

それとも、血を吐きながらも異変を成す為に誰にも心配をかけたくないだけか。

どちらにせよ、小悪魔は彼を抱きしめずにはいられなかった。

 

「こあ、さん………? ど………して……」

 

「紅夜さん、大丈夫ですよ。大丈夫ですから………!」

 

 

泣きじゃくる子供をあやす母親のように、ただ優しく紅夜を抱きしめる。

紅夜からすれば、小悪魔が何を思ってこんな事をしたのか分からなかったが

小悪魔もまた、何故自分が彼を抱きしめているのかは分かっていなかった。

二人して廊下のカーペットの上で抱きしめ合いながら時を経ていく。

だが、ここは廊下の角から押し出された場所である。

つまり先程までパチュリーと紅夜がいた場所からは、丸見えの位置なのだ。

 

「…………何してるのあなた達」

 

「うひゃああぁ! パチュリー様⁉」

 

「廊下の端っこで何で抱き合っているのかって聞いてるの」

 

物音がしたため歩いて角までやって来ていたパチュリーに今までの事を全て

見られていたことを把握した小悪魔は、また顔を朱くして頭から湯気を上げる。

馬乗りになっていた紅夜は、パチュリーの声を聞いてよろよろと立ち上がった。

パチュリーはボロボロの紅夜を見て顔をしかめながら言った。

 

 

「服は替えがあるからいいけど……………来なさい、軽めの回復魔法なら使えるから」

 

「は、はい……」

 

「ああああの、パチュリー様。その、もしかして、怒ってます?」

 

未だに紅夜に押し倒された状態のまま動かない小悪魔がパチュリーに聞いてみる。

するとパチュリーはゆるりと振り向いていつも通りの感情の読めない無表情で答えた。

 

 

「怒ってる?私が、何に対してかしら?」

 

「えっ……い、いえ何も」

 

「ならいいわ。………怒って見えるのね」

 

「パチュリー様?」

 

「いいの、とにかくまずは紅夜の回復が最優先。魔法陣の用意手伝いなさい」

 

「は、ハイ!」

 

 

倒れていた小悪魔はパチュリーの命令を聞いて立ち上がり、

服についた埃を払いながら大図書館の扉を開けて中へと入っていった。

その背中を普段通りのジト目をさらに細めつつ見つめて、パチュリーが小さく呟く。

 

 

「怒ってます、ね…………もしかしたらそうなのかもね」

 

「パチュリーさん……?」

 

「紅夜、あなたも早く中へ入って魔法陣の真ん中に立っていなさい」

 

「分かり、ました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く……………コレが、『嫉妬』ってヤツかしら。嫌な気分ね、本当」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館の門前までやって来た霊夢と文は、寝ている門番の横を素通りして

館の中へと入っていったが、既に魔理沙が特攻をかけていたからなのかは分からないが

妖精メイドの妨害も無く、拍子抜けするほどあっさりと大図書館の前まで来る事が出来た。

文に言われるままここまで来たところで、霊夢がもう一度道中で聞いた話をおさらいする。

 

 

「……で、魔理沙がここにある魔法陣か何かを破壊しちゃえば、とりあえずこの霧は止むはずって

言ってたのよね?一言一句間違いは無いわね?もしここにそんなの無かったら……いいわね?」

 

「……………ゑ?それって私のせいじゃありませんよね⁉」

 

「うるさい。いいからさっさと済ませて帰るわよ」

「え、あの、ちょっと霊夢さん聞いてます⁉」

 

「パチュリー、居るんでしょ? 魔法陣か何かがあるなら壊すけど、ここにあるかしら?」

 

 

扉を開けながら良く通る声で物騒な事を言いながら、この大図書館の主の魔女を探す霊夢。

すると奥の方から靴の鳴る音が近付いてきて、霊夢達から少し離れた場所で止まった。

その音の止んだ方向へ目を向ける霊夢と文に、目当ての人物が声をかけた。

 

 

「あるけど駄目に決まってるでしょ。せっかく作った物壊されて、喜ぶ人がいると思うの?」

 

「ここにいるわよ。アンタらの霧のせいでこっちは、洗濯が部屋干しになっちゃったのよ」

 

「それは災難だったわね。なら、災難続きで悪いけど………ここで倒されてくれない?」

 

 

強気に言い放ったパチュリーが右手に持った魔導書を開いて魔力を集める。

普段の彼女からは想像出来ないほど好戦的な態度に、霊夢も文も面食らってしまう。

だが霊夢はお祓い棒で文を下がらせ、自分はパチュリーに向かって一歩踏み出す。

お互い睨むように相手を見つめるが、横合いから声が響いた。

 

 

「待ってくださいパチュリーさん。この人は、僕の獲物ですので」

 

「………紅夜、あなたはまだ休んでなさい」

 

「霊夢さん、彼です! あの少年が咲夜さんの……」

 

「コイツが咲夜の弟ねぇ………言われてみれば似てるかもね」

 

 

パチュリーと霊夢の視線を遮るように現れたのは紅夜だった。

深い黒色の燕尾服を綺麗に着こなし、既に手にはナイフがズラリと顔を覗かせている。

初めて見る相手に少しだけ警戒の色を強めた霊夢に、三度目の邂逅にも関わらずまたも

後ろで紅夜の姿をカメラで撮影し始める文、紅夜の体調を心配するパチュリー。

三者三様の反応を見せる中で、紅夜はただ一人を見据えて臨戦態勢に入る。

 

 

「貴女が博麗の巫女、ですね? 僕の名前は十六夜 紅夜と申します。

ご存知の通り、この紅魔館のメイド長である十六夜 咲夜の弟でありながら

フランドール・スカーレットお嬢様の執事も務めさせて頂いております」

 

「フランの、執事……? 普通の人間が?」

 

「霊夢さん気を付けてください。この人、只者じゃありませんよ」

 

「分かってるわよ。仮にも魔理沙を倒した奴らしいしね」

 

霊夢も文の忠告を聞きながら、お祓い棒を握る右手に力を込める。

パチュリーは紅夜を止めようとしたが、無駄だと悟って魔導書を閉じた。

文もまた巻き添えは勘弁と言わんばかりに図書館の隅の方へ移動した。

ナイフを指の隙間に挟み、いつでも投擲できると言いたげな紅夜が話しかける。

 

 

「さぁ、博麗の巫女。これから一つ、賭けをしませんか?」

 

「賭け?何をしようっての?」

 

「簡単です。僕が負ければ異変は解決、貴女が負ければ幻想郷は我らが支配する。どうです?」

 

「何が賭けよ、全く以て論外。博打の何たるかを勉強し直して来なさい」

 

「ハハ、中々に厳しいですね。………勝負だ、博麗 霊夢」

 

「かかってきなさい、咲夜の弟」

 

 

幻想郷を覆う紅い霧の異変の決戦の火蓋が、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

『完璧で無辻な執事』十六夜 紅夜

vs

『楽園の素敵な巫女』博麗 霊夢

 

 

 




いかがだったでしょうか。
ご意見ご感想、いつでもお待ちしております。



それでは次回、東方紅緑譚


第十七話「紅き夜、主無き玉座」


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第十七話「紅き夜、主無き玉座」

特に言う事は無いので
さっさと本編へ!

それでは、どうぞ!


 

常に霧の立ち込める湖の中央に佇む血よりも赤い色合いの洋館。

その一階ロビーから東に伸びている廊下を進んだ先にあるヴワル大図書館の中で

異変の解決と成就を賭けて、弾幕ごっこが繰りひろげられていた。

まず最初に動き出したのは、銀色に輝く髪の少年、十六夜 紅夜だった。

両手の指の隙間にナイフを挟み込み、腕を素早く振るって投擲する。

放たれたナイフの切先には紅白の巫女衣装の少女、博麗 霊夢が立っていた。

彼女は特に焦る様子も無くただ淡々とした表情で、自分の周囲に陰陽玉を召還し

そこから弾幕を放って紅夜のナイフを相殺していった。

そのまま互いに決定打を与えられないまま、時間だけが過ぎていく。

紅夜はこのままでは(らち)が明かないと考え、先にスペルを宣言した。

 

 

「くっ………仕方ない、裂符【サウザンドリッパー】‼」

 

「来ました霊夢さん! 反射する(・・・・)スペルカードです!」

 

「ホントにしてきたわね、咲夜(アイツ)の弟らしいじゃないの」

 

 

紅夜の発動させたスペルによって一定空間内にあるナイフが、壁や天井などに当たって

反射して縦横無尽に動き回り、敵対象を様々な角度から襲う弾幕と化した。

 

「まあでもいくら反射って言っても、角度さえ分かれば後は勘で避けられるのよっ!」

 

だが霊夢はその無数のナイフの雨を、まるでどこにナイフが来るのか先読み

しているかのように回避したり弾幕で相殺したりと、完全にスペルを攻略していた。

紅夜は初見であるはずの自分のスペルを簡単にいなされている事実に

心の奥底では苛立ち、焦っていた。

 

 

「それでも、鬱陶(うっとう)しいことには変わりないけどね」

 

そう言ってナイフの嵐の中を掻い潜りながら、段々と紅夜のいる場所へ近づいていく霊夢。

そのままナイフの隙間を縫うようにして陰陽玉から弾幕を放ち、それが紅夜の横へ逸れた。

 

 

(冗談じゃないぞ! アレを勘で避けられるのか⁉)

 

 

紅夜は自分の放ったナイフを能力を駆使して反射させているが、急にナイフの軌道を

変えて別の角度に変更しても、眉一つ動かさずに対応してみせる霊夢の動きを見て確信した。

その直後、今度は霊夢の方から仕掛けていった。

 

 

「コレで一掃するわ、夢符【封魔陣】‼」

 

「何ッ⁉ (ここでスペル宣言だと⁉)」

 

 

紅夜は自分のスペルの範囲内であるにも関わらず、スペルを宣言した霊夢に驚愕した。

だがその瞬間、彼は自分の足元から光が漏れだしてきていることに気付いた。

段々と大きく激しくなっていく光に身の危険を感じて、咄嗟に近くの本棚の後ろへ飛び込んだ。

直後、先程まで紅夜のいた場所から巨大な光の柱が下から上へと突き上げていった。

 

 

「ああ、惜しい!」

 

「………新聞屋、あなた何でここに居るのかしら」

 

「え? いや実は霊夢さんに連れてこられ_____て‼⁉」

 

「ん?どうしたのかしら?」

 

「い、いえ別に………(す、凄い睨まれましたが何か怒らせたりしましたっけ⁉)」

 

「………………ふん」

 

 

図書館の隅の方で何故か機嫌が悪くなっているパチュリーと文を横目にしながら、

対衝撃用の魔法で加工された本棚の裏で、霊夢のスペルカードの発動時間が無くなるまで

息を潜め、紅夜は状況を打開するために脳をフル回転させる。

だがいつまでも隠れているわけにもいかないと腹をくくって、小さく息を吸った。

そして燕尾服の袖の裏側に忍ばせていたナイフを2本だけ手に持って、自分のいる場所とは

正反対の位置へ向けて勢いをつけて投擲した。

 

「当て損ねたかしら…………『ヒュンッ‼』っと、そこね!」

 

弾幕を放つのを止めて少し宙に浮きながら見失った紅夜を探していた霊夢の眼前に、

彼の投げたのであろうナイフが飛んでいくのが見えた。

そのナイフの軌道から、投げられた場所を特定して弾幕をその本棚に浴びせる。

だが、そこに紅夜はいなかった。

 

「…………何処に……『ヒュンッ‼』ッ! そっちか!」

 

霊夢は自分の背後から何かが来ると勘で感じ取り、それに従って飛びずさる。

すると先程まで自分のいた場所には、2本のナイフが突き刺さっていた。

 

「おや、当て損ねましたか………いやぁ実に惜しかった」

 

「アンタ、中々イイ性格してるじゃない」

 

「それほどでも。それよりもこれでお互い一対一ですね」

 

「はあ? 今更それが何だって言うのよ」

 

 

霊夢に対して不敵に意趣返しをしながらゆっくりと歩み寄っていく。

紅夜の動きの一挙一動に警戒していた霊夢だったが、彼は足元に刺さっていたナイフを

直接抜き取って再び自分の手に収めただけだった。

 

 

「いえ、そうではなく。僕も貴女も一回ずつスペルカードを消費した。

その回数のことですよ、ですが僕は残すところあと5回しかありませんので」

 

「………そういうこと相手に言うかしら、普通?」

 

「言いませんね、普通。でも僕はあくまで公平(フェア)にいきたいのです。

かつての僕とは違う…………フランお嬢様の下僕となった今の僕として、主の名に恥じぬよう」

 

「なるほど、やっぱアンタは咲夜の弟ね。そういうとこそっくりよ」

 

 

有難うございますと紅夜がうっすら微笑んで軽く頭を下げる。

突然の行動に霊夢は少し戸惑ったが、すぐにいつもの調子に戻った。

 

「では、公平である事の証明として改めて自己紹介をば。

僕の名は十六夜 紅夜。フランドールお嬢様に生涯の忠誠を誓いました。

そして既にご存知とは思いますが、僕の程度の能力は________『方向を操る』能力です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________『方向を操る程度の能力』解説。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完璧で無辻な執事、十六夜 紅夜の能力は文字通りの能力である。

分かりやすく彼の弾幕のナイフを例に挙げて解説しよう。

例えば彼の裂符【サウザンドリッパー】は、自身の投げたナイフの投擲された方向を操って

避けられたとしても『対象の今いる方向』へとナイフを移動させるスペルである。

紅魔館内でフランの要望に応えて物質を移動させたのも、

その移動させたい物質が『今ある方向』を能力で変更して移動させたのだ。

彼は普段の移動にも自分の能力を使って、今自分のいる方向と自分の行きたい方向を

入れ替える事によってあたかも『時を止めて瞬間移動』しているかのようにしているのだ。

 

また今回の『異変』の核心である『月と太陽の異常』については

パチュリーの魔法による援助もあって、天体の進む方向すら変更できるようになった。

太陽は通常通りに進むのに対して、月は進む方向を逆に設定していたからだ。

だから昼過ぎにも関わらずに、沈んでいた月が浮き上がってきていたのだ。

 

 

だが、この能力にはデメリットも存在する。

 

例えば彼の能力によっての移動についてだが、この移動方法には制限がある。

彼の移動は『あらかじめ中心点を設定しなければならない』ということだ。

つまり、彼の移動はコンパスが円を描くかのようになっているのだ。

中心点を設定して、そこから自分のいる位置と他の場所を回転させて入れ替える。

それが彼の能力のデメリットの内の一つ。

更に彼は『直線状で運動エネルギーを保有し続ける物質』の方向は変えられない。

その物質に一番近いのは、霧雨 魔理沙の恋符【マスタースパーク】である。

常に押し出す力が働き続けている物質は、方向を変えられないのだ。

簡潔に言えば、彼は『点』の方向を変えられても『面』の方向は変える事が出来ない。

 

 

そして彼の能力最大のデメリットは、『使用する度に寿命を削る』ことである。

 

 

彼はこの能力を他の幻想郷の住民達のように、自発的に自分のものとした訳ではない。

かつて彼がいた施設での人体実験の結果、偶発的に会得した能力だった。

だがその能力は常人では脳に負担が掛かり過ぎて耐えられない程のものだったが、

それをコントロールするために、全身にかなり無茶な改造を施したのであった。

その為、一日に度を越した回数分能力を発動させると、脳の負担が一気に肥大化する。

そして、全身にその負担が強制反映(フィードバック)され、ダメージを受ける。

 

最後になったが、彼の能力は三つの分類全てに該当する。

かつてレミリアが言ったように、彼の能力はとても汎用性が高く分類が難しい。

自身強化系であれば、自分のいる方向を移動させ瞬間的に移動が出来る。

空間操作系であれば、範囲内の物質を任意の場所や方向へ移動が出来る。

概念干渉系であれば、流れが存在する概念の方向を操ったりも出来るのだ。

 

 

 

未だに未知の部分もあるこの能力は、現時点で解説はコレ以上不可能である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり当たってたのね、私の勘に間違いは無かったわ」

 

「………やはり博麗の巫女の勘とやらは恐ろしい」

 

「当然よ。……それで、他にはもう無いわけ?」

 

「ええ、これで最後です………本当に、最後です」

 

 

紅夜は一瞬顔を歪ませたが、すぐに元の飄々とした表情に戻った。

会話が聞こえていた文は霊夢の言葉に「え?」と声をこぼしたが、霊夢には届かなかった。

パチュリーはただいつものように無表情なジト目で紅夜達を見ていた。

紅夜はそのまま燕尾服のボタンに手をかけて、一個ずつ丁寧に外していった。

霊夢はその行動をただ黙って見ていただけだったが、不思議に思っていた。

大して時間もかけずに燕尾服のボタンを全て外し終えて、そのまま服を脱ぎ捨てた。

すると服の内側に忍ばせていた相当の量のナイフが音を立てて図書館の床に落ちていった。

あまりの多さに少しだけ驚いたのか、霊夢はちいさくうわっと呟いた。

 

「どんだけ仕込んでたのよ、咲夜もコレ位いれてんの?」

 

「いえ、流石に姉さんでもここまでは…………多分」

 

 

紅夜は受け答えしながらも腰の周りなどにも隠していたナイフを全て外していく。

やがて全て出し切ったのか、ナイフが落ちる音は聞こえなくなっていた。

上半身の白い平凡なシャツが丸見えな紅夜は、肩を回したり腕をクロスさせたりと軽めの

柔軟運動をし始め、すぐに体が温まったのか両腕をダランとぶら下げた。

 

 

「さて、これで準備は完了です」

 

「準備、ねぇ………何?残りのスペルを使い切る前に倒すとか言いたいわけ?」

 

「……そうですね、僕は後5回のスペルで貴女を必ず倒します___________なんて

そんな三流な台詞は言いませんよ。どうせ残りの5つの内、2つは見られてますし」

 

んー、と背伸びをして背骨を小気味良く鳴らし大きく息を吐いた紅夜は、

先程とは打って変わって真剣な面持ちで霊夢と正面から向き合った。

 

 

「貴女相手に小細工が通用しないことはよく分かりましたので、こちらも本気で

やらざるを得なくなりました……………………コレで終わらせましょう、博麗の巫女!」

 

 

そう大声で語った紅夜は、両腕を体の前でクロスさせて少し上半身を折り曲げる。

ゆっくりと体勢を戻しながらクロスさせた両腕を広げていき、指を大きく広げた。

そして顔を真上へと向けた彼は、最後にして最強のスペルを宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狩人【CRIMSON NIGHT】‼‼‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗く、少し鉄のような匂いの混じった埃臭いその場所で

彼女はただただ待っていた。自分に忠誠を誓った愛おしい彼のことを。

彼女はただただ待っていた。

気の遠くなるような時間の中から、救い出してくれた素敵な王子様を。

 

彼女はただただ待っていた。

自分に欲する物全てを差し上げると言った、誰よりも信頼できる(しもべ)を。

 

彼女は、ただただ待っていた。

 

 

自分に、自分の目に映る灰色の世界に光をもたらしたその少年を。

自分と、自分のいた場所に共感し、共鳴した哀れで優しい少年を。

 

 

「紅夜…………………こうや………」

 

 

 

ただただ名前を呼んで待ち続けた。

いつもすぐにやってきてくれる、自分の居場所を。

どんな時でも自分の事を見ていてくれる揺り籠を。

 

 

 

 

 

 

 

座るべき玉座を失った王女(フラン)は、一体どこにその腰を下ろすのか………

 

 




これからは多分日曜日投稿になるかと。
それとご意見ご感想、お待ちしております!

それでは次回、東方紅緑譚


第十八話「紅き夜、月は東に陽は西に」


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第十八話「紅き夜、月は東に陽は西に」


一週間ごとに投稿するペースにも
慣れてきました……睡眠不足ですがw

それでは、どうぞ!


 

 

 

幻想郷の空を紅い霧が覆い隠してしまうという異変が起きてから既に四時間。

今もなお続いている霧の噴出に怯えている人間達の暮らす人里の真上を二つの影が過ぎ去る。

その二つの影は一直線に、霧の発生源である吸血鬼の館を目指していた。

 

「いよっしゃあ‼ 霧雨 魔理沙、完全復活だぜ‼」

 

 

空を往く影の一人が大きな声を上げていた。

博麗神社で半ば廃人と化していた白黒の魔法使いである。

その少し後ろを着いて行っているもう一つの影が、疲れたように低く声を掛ける。

 

 

「あのーー魔理沙さーん‼ ペース早過ぎませんかねぇーー⁉」

 

 

そう言いながら徐々に空を飛行する速度を落とし始める。

博麗神社で半ば廃人と化していた魔理沙の介抱を頼まれていた風祝(かぜはふり)の巫女である。

 

「当たり前だ! 全速力で行かなきゃ霊夢に先を越されちまうぜ‼」

 

「いやいや! 今から行っても間に合いませんよ‼」

 

「そんな事ない! まだ間に合う、いや間に合わせる‼」

 

「無茶苦茶ですよ………ああ、ちょっとーー⁉」

 

 

風祝の巫女こと、東風谷 早苗の静止も聞かずに更に速度を上げる魔理沙。

彼女の速さに着いていけなくなった早苗は速度を落としてその場で一息つく。

そして既に点ほどにしか見えなくなってしまった魔理沙に対して愚痴をこぼした。

 

「また返事のないただの屍になっても、知りませんからね~」

 

そして彼女は身を翻して、元来た道をゆっくりと戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、魔理沙さん。また性懲りも無くやられに来たんですか?」

 

「そこを退け中国! 恋符【マスタースパーク】‼‼」

 

「いきなりそれは無s(ピチューン‼)」

 

 

紅魔館に辿り着いた魔理沙は勢いそのままに門番の美鈴を瞬殺し、館中へ突入した。

そして内部にいた妖精メイド達を薙ぎ払いながら、図書館を目指して突き進んでいく。

だが、その図書館への扉の前にある人物が待っていた。

魔理沙は乗っている箒から飛び降りて、彼女と向かい合った。

 

 

「待っていたわ魔理沙。あなたの相手はこの私が務める」

 

「へっ………弟の次は姉かよ。とことん楽しませてくれる姉弟だぜ」

 

「………………あいつは私の弟なんかじゃないわ、二度とそんな話をしないで」

 

 

魔理沙と向かい合って不機嫌そうな表情を浮かべているのは、この紅魔館のメイド長である

『完全で瀟洒な従者』、十六夜 咲夜であった。

彼女の言葉に疑問を抱いた魔理沙は、率直にその事について尋ねた。

 

 

「え? でもアイツはお前のこと『姉さん』って呼んでたぜ?」

「戯言よ。私に弟なんていない、いるわけがない。…………くだらない話はここまで」

 

 

先程よりも更に顔を歪めて魔理沙の問いに応えた咲夜は、その手に一瞬で数本のナイフを

出現させて腕をクロスさせつつ、いつでも投擲出来るように構える。

魔理沙も箒に(またが)り、少し宙に浮いてミニ八卦炉を咲夜に向けて構えた。

 

 

「さぁ、もう一度脱落してもらうわよ魔理沙。………お嬢様の悲願の(いしずえ)になりなさい」

 

『_______________我らが願いの為、ここで倒れて生贄となるがいい‼‼』

 

「…………へっ、似たような事言うんだな。やっぱ姉弟だろお前ら」

 

「ッ‼ ………気が変わったわ、明日の妹様の朝食にしてあげる!」

 

「それは勘弁だぜ‼」

 

 

紅魔館内で、もう一つの弾幕ごっこが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________目の前が全て、紅く染まっていく。

 

 

僕の発動したラストスペル『狩人【CRIMSON NIGHT】』によって、この幻想郷を覆っていた

紅い霧の風向き______風の方向を操ってこのヴワル大図書館の一点へと吸い寄せているからだ。

瞬く間に図書館の内部が紅い霧で埋め尽くされていき、僕の相手でもある博麗の巫女の姿すら

見えなくなっていたが、僕は構わずに図書館内の何処に居ても聞こえるような大声で叫んだ。

 

 

「コレが僕の切り札! 貴女にブレイク出来るか、博麗 霊夢‼」

 

もはや空間そのものが血飛沫をあげているかのように、全てが紅いこの図書館で

紅白の衣装を着た彼女は今頃、僕が何処に居るのかすら分かってはいないはずだ。

そう、これは僕の最後の賭けなんだ。見つかったらその時点で勝負は終わる(ゲームセット)だろう。

とにかくこのスペルは完全にして完璧、敗北は決して有り得ない。

だからこそ僕は再び自信を持って、博麗の巫女に告げる。

 

「このスペルは僕そのもの‼ 貴女に訪れる紅き夜(CRIMSON NIGHT)は、決して明けはしない‼‼」

 

未だに膨張と集合を繰り返し続けている霧の中から、僕は標的(ターゲット)を探す。

するとやはりと言うべきか、彼女は僕のすぐ近くで僕を探して辺りを見回していた。

しきりに彼女の視線があちこちを向いているが、それも当然だろう。

だがそれでもなお僕を探している彼女へ、少し浮かれた口調で語りかける。

 

 

「さぁどうしました? 僕の居場所が分かりませんか?」

 

「くっ…………!」

 

 

若干悔しげに唇を浅く噛んで顔をしかめた彼女の様子を見て、僕は更に舞い上がりそうになるが

それでもすぐに気を引き締める。相手は博麗の巫女、決して油断など出来る存在ではない。

すると図書館の恐らく本棚の後ろ辺りから、天狗の文さんの声が聞こえてきた。

 

 

「霊夢さぁーーーん‼ 一体どうなってるんですかぁーー⁉」

「知るわけないでしょ! ………………でも、かなり厄介なのは確かよ」

 

「れ、霊夢さんが厄介って、かなり不味くないですか⁉」

 

「集中するから少し黙ってなさい!」

 

 

そう言って彼女は文さんとの会話を無理やり終わらせて再び僕の行方を探り始めた。

無駄だと分かっていながらも、やはり気を抜けないのは相手が相手だからだろう。

さて………ここからが本番だ、一瞬たりともこの女から目を離したりはしない。

僕の発動しているこのスペルがある限り…………楽しもうじゃないか。

 

 

「しかし、本当に上手く隠れたわね。これで公平な勝負のつもり?」

 

「フフフ………公平かどうかを決めるのは、僕でも貴女でもない」

 

「じゃあ、誰よ?」

 

「この勝負の『結果』ですよ。答えが全てを物語る、それすなわち________」

 

 

 

「「______勝者こそが正しい」」

 

 

 

 

「アンタってホント咲夜に似てるわ。基本的な人間としての倫理観がまるで無い所とか」

 

「標準的な人間では、吸血鬼(かのじょ)達の従者なんて務まりません………僕も姉も」

 

僕を探しながらも問いかけに応じるあたり、彼女には随分余裕があるのだろう。

まずはその余裕から剥がしていこうと考え、取り敢えずナイフを数本彼女へと投げつける。

 

 

「______ッ⁉ (今のナイフ、何処から飛んで来たの⁉)」

 

 

すると僕の予想通りに、彼女はナイフを余裕を持って躱すことは出来なかった。

当たる直前になってようやく気付き回避したが、それだけで終わるわけがない。

 

 

「……なるほど、また反射するスペルってわけね。今度は霧のオマケ付きの」

 

 

したり顔で彼女が避けたナイフが再び自分に向かってくる事を確認して呟いた。

だが、残念ながらそうではない。この弾幕は単なる反射などでは無いのだ。

それを証明するかのように、再びナイフが彼女へと向かっていく。

そしてそのナイフは突然姿を消し、別の方向から現れて速度をそのままに飛来していった。

 

 

「くっ‼」

 

「おや惜しい、あと少しで被弾させられたのに」

 

 

僕は彼女をからかうような口ぶりで挑発する。

しかし彼女は僕の声で居場所を特定したのか、弾幕を放ってきた。

誰もいない前方へと(・・・・・・・・・)

手ごたえが無いことに違和感を感じたのか、彼女は再び周囲を見回す。

そろそろ気付くだろうか、このスペルの正体に…………………。

 

 

「何で? ただの反射じゃない…………一体何が?」

 

「考えている時間はありませんよ」

 

「えっ?_______嘘⁉」

 

 

悠長に僕のスペルの謎を考えていた彼女の眼前に迫っていたのは、彼女の放った弾幕。

それに気が付いた直後、彼女の背後には僕の投げたナイフがすぐそばまで来ていた。

前後を挟まれた彼女だったが、少し高く浮いてその二つの弾幕を相殺させた。

だが僕のスペルはまだ終わってはいない。

 

 

「私の弾幕が返ってきた…………つまり、包囲されてるのかしら」

 

「おお、流石ですね。たった三回で見破ってしまうとは」

 

「いくら何でも、こんなわざとらしく手を抜かれたらね」

 

どうやら本当に気付いたらしい、僕のこのスペルの正体に。

そう、僕はあえて彼女への攻撃の手を緩めていたのだった。

彼女は博麗の巫女、だからこそまだ生かさなくてはならない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「だって、すぐに勝負が終わってしまってはつまらないでしょう?」

 

僕は再び彼女に挑発紛いの言葉を口にする。

しかし彼女は今度は僕の挑発には乗らずに、真上へ向けて弾幕を放った。

でも、それでも意味は無く別の場所から弾幕が彼女へと跳ね返った。

 

 

「………なるほど、やっと把握出来たわ。このスペルの正体」

 

「ほほう、是非ともお聞かせ願いたい」

 

 

余裕といった体で彼女の言葉の続きを聞こうとする僕に対して、

彼女はスペルカードの宣言で返してきた。

 

 

「宝符【陰陽宝玉】‼」

 

 

彼女がスペルカードを発動させると、彼女が体の前に構えたお祓い棒から

色とりどりに輝く巨大な宝玉を模した弾幕が四方八方へと飛び散っていった。

その弾幕が物体に触れた途端に、轟音と共に爆発し本棚を倒壊させた。

全く、後でそれを直す僕とこあさんの身にもなってもらいたいものだ。

だがとりあえずは、目の前の彼女に声を掛けるべきだろう。

 

「残念ですが、それは不正解ですよ」

 

「えッ⁉」

 

 

今度ばかりはやったと思ったのだろうか、かなり驚いた様子で彼女は辺りを見回す。

恐らく彼女は自分の周囲に同時に弾幕を張れば、どこかで弾幕を反射させる瞬間を

僕が見せてしまうと思ったのだろうが、それは大きな間違いだ。

 

 

「さて、お次はどんな回答をお見せいただけるのでしょうね」

 

「くっ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あやや………どうなってるんですかコレ」

 

 

十六夜 紅夜 と博麗 霊夢の弾幕ごっこを観戦していた射命丸 文は

今目の前で起こっている出来事に、ただただ口を開けて唖然とするだけだった。

幻想郷中の紅い霧が一点に集まり、その中心に二人が飲み込まれていった。

その中で今も弾幕ごっこは続いているようだが、その様子は見る事は出来ない。

だがしっかりとカメラを構えている彼女に、横にいたパチュリーが声を掛ける。

 

 

「コレは紅夜のスペル、彼の最後の切り札であり…………使ってはいけない力」

 

文は少し悲しげな彼女の口調が気になり、カメラをしまって代わりにブン帖とペンを

手に取り、彼女の言葉の真意を問い詰めようとした。

 

 

「おや? アレが何かご存知のようですね。教えて頂けますかパチュリーさん?」

 

「………………その前に、一つ私からいいかしら?」

 

「あやや、珍しいですね。私で答えられる事ならいいですよ」

 

「そう…………なら聞くけど、紅夜の事をどう思うかしら」

 

 

いつもと比べて真剣な面持ちで文に尋ねたパチュリー。

だがその質問の意図が上手く読み取れなかったのか、文が表情を取り繕った。

 

 

「えっと……………それはつまり今回の異変の首謀者としてどうか、ですか?」

 

「そうじゃなくって。あなたから見て、紅夜はどんな男に見えるかしら?」

 

「ああなるほど………………………ええぇ‼⁉」

 

 

心底驚いたとでも言いたげな表情でパチュリーを二度見した文は

何故か顔を朱くした後で、その言葉の意味を再び彼女に尋ねた。

 

 

「いやいやいや! なんでそんな事聞くんですか⁉」

 

「あなた、答えられる事なら良いって言ったじゃない」

 

「確かに言いましたけど! 何かこう………違うじゃないですか‼」

 

「あなたの基準なんて知らないわよ。とにかく答えて」

 

 

そう言って手にした魔導書(グリモワール)を開いて魔力を充填していく。

その威圧感に押されて、文は分かりましたと根負けして質問に答える事にした。

 

「そうですね………一言で表すなら『危険人物』ですかね」

 

「……………どうしてそう思うのかしら」

 

「いや、どうしてもこうしてもありませんが………強いて言うなら妖怪の勘、でしょうか」

 

「妖怪の勘………………ね、参考にさせてもらうわ」

 

 

そう言ってパチュリーは魔導書を閉じて独り言を呟き始めた。

文は肝心の紅夜に関しての事を聞いていないことに気付き、再び彼女に尋ねる。

 

 

「ですから! アレについてお聞きしたいんですが‼」

 

「ああ、忘れてた。確かに言ったわね、紅夜のあのスペルについて教えるって」

 

「ええそうです!」

 

 

先程とは打って変わって強気になった文を横目で見ながら、

パチュリーは少し咳き込み、後ろにあった椅子に座って話を続ける。

 

 

「ケホッ………またぶり返してきたかしら。悪いけどまた今度にしてくれない?」

 

「何ですかそれ! そんな引き方はズルいですよパチュリーさん‼」

 

「大丈夫よ、このスペルはどうせ長くは保たない(・・・・・・・・・・)もの」

 

 

パチュリーがそう呟いた途端、紅い霧の中から轟音が響いてきた。

文はその音に驚きながらも素早くカメラに持ち替え、パチュリーは霧をただ眺めていた。

しばらくして、ゆっくりと霧が晴れ始めた。

その中心には、霊夢だけがその場に立っていた。

そして紅夜は______________図書館の床に倒れていた。

 

「霊夢………さん、一体何が?」

 

 

文が恐る恐る髪に手を当てて整えている霊夢に声を掛けると、

霊夢は文とパチュリーに気付き、何でもないような口調で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「異変は解決したわ、コイツの負けよ……………正しかったのは、私ね」

 

 

 





少し短めですみません………。

次回は長めで書きますので!


それでは次回、東方紅緑譚


第十八話「紅き夜、異変解決」


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第十九話「紅き夜、異変解決」


みなさんどうも、一週間ぶりですね。
友人に勧められた『東京喰種』というアニメをこの間
見てみたのですが……………面白かったですw

特にあの「フォルテッシモッッ‼‼‼」がw

まぁそれはともかく、今回で恐らく『紅き夜』編が
ラストパートになるのではないかと。
緑の道も書きたかったんですが、紅夜の人気の方が
すごい高くて………若干パル嫉妬です。


それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 

既に湖の真上にまで昇っている月と、まだ三時過ぎ程度にも関わらず沈みかけている太陽の

両方に照らされて紅い霧の立ち込めている吸血鬼の館の内部で、今まさに二つの弾幕ごっこが

繰り広げられていた。

その内の片方、白黒の魔法使いと完全で瀟洒な従者の戦闘が佳境を迎えていた。

互いに様々な弾幕や数々のスペルカードを発動して、体力気力ともに消耗しかけていた。

二人は呼吸を荒げながらも、自分の弾幕が相手に届く一瞬まで気を抜かなかった。

そうして、終局の時が訪れた。

 

 

「コレで…………恋心【ダブルスパーク】‼‼」

 

「くっ! 幻葬【夜霧の幻影殺人鬼】‼」

 

 

魔法使いこと霧雨 魔理沙の放った二丈のマスタースパークと、従者こと十六夜 咲夜の

放った体の周囲を旋回していたナイフの激流が、真正面からぶつかり合った。

咲夜のナイフは魔理沙の極大の光線に接触する度、火花を散らしながら弾け飛ぶ。

「いっけえぇぇぇぇぇッ‼‼‼」

 

 

魔理沙は左手で帽子の鍔を押さえながら右手でミニ八卦炉をフル稼働させ続ける。

やがて咲夜の投げたナイフが底を尽き、魔理沙の光線を阻むものが無くなった。

勢いを少し削いだだけという結果に目を見張りながら、咲夜は光の奔流に飲まれた。

 

「はぁ………はぁ………おっし、楽勝だぜ……」

 

息を切らしながらも見栄を張る魔理沙は、箒からゆっくりと紅魔館の廊下に降りて

意識を失って倒れている咲夜に向かって若干の憤りを込めて呟いた。

 

 

「ったく……『私の弟なんかじゃない』とかよ、家族を(ないがし)ろにするようなこと

の方こそ、二度と言うなっての。アイツは紛れも無いお前の弟、それの何が悪いんだ…………」

 

 

衣服の端々に付いた埃をパンパンと手で払いながら、彼女はクルリと向きを変えた。

箒を自分の肩に乗せて、魔理沙は不敵に笑いつつ自分達の戦いを見ていた彼女に声を掛ける。

 

 

「おいおい、全く………次から次へとよくもまぁやられに来てくれるぜ。

相手する私の身にもなってほしいけどな、吸血鬼(よいこ)は寝てる時間だぜ? フラン」

 

 

魔理沙の言葉に名前を呼ばれた彼女が、ニッコリと笑って返す。

 

 

彼女の姉と同じ純白のナイトキャップに、煌びやかに照り輝く金髪のサイドポニーの髪。

彼女の姉とは違って、血のように赤い半袖シャツとスカートと腰の巨大な白いリボン。

そして紅夜と同じ深紅色(ワインレッド)の眼に、不気味ながらも流麗な輝きを放つ(いびつ)な形状の一対の翼。

 

吸血鬼の妹こと、『フランドール・スカーレット』がそこにいた。

 

 

 

フラン(フランドールの略称)は魔理沙の後ろで倒れている咲夜を一瞥した後、

今もまだ大図書館の中で戦っているであろう彼の方向へと目線を動かす。

その行動の意図が読めない魔理沙は、首を傾げながら再度彼女へ問いかける。

 

「なあおいフラン、お前ら何でまた性懲りも無く異変なんか起こしたんだ?

アタシにとっちゃ丁度良い肩慣らしになるから別に良かったんだけどさ?」

 

「…………私じゃないもん。この異変は、紅夜の望んだ異変なの」

 

「紅夜って、アイツが?(なんかフラン、急に大人びた話し方になった………か?)」

 

「うん、お姉様が言ってたの。紅夜が本当の意味で私達の仲間になるために必要だって」

 

「へぇ……あのお姉様がね、俄然胡散臭くなってきやがったぜ」

 

 

二人はとりとめの無い会話を終わらせて、臨戦態勢に入る。

魔理沙は再び箒を魔法で浮かせ、フランは羽根をはためかせて宙に浮く。

ミニ八卦炉に光が灯り、吸血鬼の瞳に灼熱の朱が宿る。

 

「さぁてと、久方ぶりに遊ぼうぜフラン‼」

 

「うん! いっぱい殺し合お(あそぼ)うね、魔理沙!」

 

 

紅魔館の大図書館前で、再度弾幕ごっこが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは紅魔館、ヴワル大図書館内。

先程まで図書館内を埋め尽くしていた紅い霧も、段々と晴れてきていた。

紅白の巫女、博麗 霊夢は自分の仕事がやっと終わったと小さく息をついていた。

今の今まで自分と弾幕ごっこを繰り広げていた少年は、床に倒れて動かない。

その様子を遠巻きから見ていた文とパチュリーはそれぞれ違った反応を見せた。

 

「霊夢さん、とうとう終わりましたね! いやー長かった!」

 

「……………………」

 

パチュリーの沈黙に少し違和感を感じた霊夢だったが、まず文の言葉に反応した。

 

 

「そう? 前の異変に比べたら割と楽勝だったわよ」

 

「あっはは、やっぱり博麗の巫女は言うことが違いますね~!」

 

(おだ)てても今回の宴会の酒代持ち、アンタだから。変更なんてしないわよ」

 

「あはははははは______________はぁ………」

 

 

霊夢の言葉に肩を落とした文だったが、すぐに気を取り直して自分の職務を果たそうと

カメラを手に、未だ本棚の近くで倒れている紅夜に近付いて写真を撮ろうとした。

だがその時、唐突に紅夜の身体がビクンと跳ね、血走った眼で自分を見下ろす文の顔を覗き込む。

息も絶え絶えに驚いた文の足を掴み、ゆっくりと膝を立てつつ口から言葉を漏らす。

 

 

「い、いけませんねぇ…………これは……! もう、時間が、足りないぃぃ……………」

 

「ひっ‼⁉」

 

「文⁉ 」

 

 

ゆらゆらと幽鬼の如き動きで立ち上がる紅夜を見て、文は悲鳴を上げた。

霊夢もまたその姿を見て、異常なまでの何かを感じ取っていた。

その時、彼女は文が言っていた言葉を脳の片隅から引き揚げて思い返していた。

 

 

『あの少年がどうも苦手と言いますか…………』

 

(ああ、そうだった。仮にも鴉天狗最速の文が恐れていた相手だったのに!

完全に油断した、あの男のスペルの謎すらまだ分かってなかったのに(・・・・・・・・・・・・)‼)

 

内心で焦りながら霊夢は消した陰陽玉を再び召喚し、弾幕を放とうとした。

しかし文を開放し立ち上がった彼はすぐさま能力を使って姿をくらませる。

文はすぐその場を離れ霊夢の後方へ下がるが、霊夢と同じく顔は引き攣っていた。

そんな中、一人だけ沈黙していたパチュリーがようやく口を開いた。

 

 

「……………紅夜、大丈夫なの?」

 

 

パチュリーが心配そうな声色で尋ねると、図書館内にいつの間にか

再び集まり始めていた紅い霧の中から彼の声が響いてきて彼女に答えた。

 

 

「はい、まだ………まだ僕はやれます……………」

 

「止めておいた方が「まだやれます‼‼」…………そう、分かった」

 

紅い霧のどこからか聞こえてくる声に渋々と言った体で頷くパチュリーだったが、

図書館の外から時折響いている大きな音に気付いて扉の方へ向かった。

そして扉に手を掛けながら、小さく呟いた。

 

 

「信じてるわよ、あなたの強さ」

 

「………………かしこまりました」

 

木製特有のひび割れたような音と共に開閉する図書館の扉から出て行ったパチュリー。

彼女の後ろ姿が見えなくなった直後、立ち込めていた霧に変化が現れた。

ゴウゴウと唸りながら中心へと集まって濃くなっていく霧は、段々と姿を変えていく。

その変化をカメラのシャッターを切りながらも後ずさる文と霊夢は傍観していた。

少しずつ何かへと変貌していく紅い霧の中から、再び彼の声が聞こえてくる。

 

 

「ははは、ははははははは‼ さぁ、今度こそ最終ラウンドです‼」

 

「くっ…………まだやる気なの⁉」

 

「あややや、霧が!」

 

 

彼の声が、霧が姿を完全に変えようとするにつれてクリアになってくる。

そしてとうとう霧は霧で無くなってしまった。

文は完全に唖然とし、霊夢は手にしたお祓い棒を力を込めて握る。

やがて、彼の姿が二人の視界に映った。

 

 

「こ、これは…………」

 

「紅い、鎧……?」

 

深紅騎士(CRIMSON KNIGHT)、と呼んでもらおう』

 

 

中世時代の騎士が纏っているような形状の甲冑の如き風貌、

手にしている槍や盾ですらも紅蓮に色付き、棚引いている。

目の前に突如として現れたこの騎士が、全て霧で出来ているとは信じられず

二人はその巨体にいつまでも圧倒されていた。

 

「クリムゾンナイト………さっきと同じスペル⁉」

 

『ええ、その通り。ですが先程とは全くの別物なんですよ』

 

「別…………物?」

 

「確かに、どう見てもさっきと同じとは思えないわ」

 

『………先程のお礼をたっぷりしましょうか、いざ尋常に‼‼』

 

 

その声と共に、紅い霧の騎士【クリムゾンナイト】が槍を振るう。

巨大な重鎗(ジャベリン)が図書館を横薙ぎに払われ、風圧で本が舞い飛ぶ。

騎士の攻撃を飛んで躱した霊夢は、まずは先制とばかりに陰陽玉から弾幕を放つが

紅い騎士の全身を隠してしまうほど巨大な盾ではじかれ、効いている様子が見られない。

ならばと今度は何枚かの札を取り出し、勢いをつけて投擲した。

だが、紅い騎士の目のような部分に光が灯った直後、その巨体が忽然と消えた。

 

「えっ⁉ アイツみたいに消えた⁉」

 

「霊夢さん、また上です!」

 

『遅いッ‼』

 

文の叫びを聞いて霊夢は真上を見上げるが、そこには先程まで目の前にいた紅い騎士が

右手の巨大な重鎗を振り抜かんとしている姿で彼女を待っていた。

霊夢はすぐに槍を避けて体勢を立て直そうとするが、騎士の鎧の隙間から無数のナイフが

自分をめがけて飛んでくるのを目にして慌てて防御態勢に切り替えた。

札を四枚取り出して空中に放って陣を作りナイフを遮断して防ぐが、今度は紅い騎士の

槍の突き出された先端によって陣を破壊され、霊夢は再び宙に浮いて攻撃を避ける。

そんなやり取りを見ていた文が、霊夢にまたアドバイスをした。

 

「霊夢さん、後ろなら攻撃が通るはずです!」

 

「出来たらやってる‼」

 

『まだ、まだまだぁあぁァァ‼‼』

 

 

紅い騎士が槍を振るっては霊夢に躱され、彼女が弾幕を放てば彼のナイフで相殺される。

一進一退の攻防が続く中、紅い騎士が大きく振りかぶった槍を霊夢に向けて突き下ろした。

だがその先に彼女の姿は無く、ただ一瞬だけ黒い点が見えただけだった。

辺りを見回す紅い騎士の後ろに突如として黒い円が浮かび上がり、その中から霊夢が

札を重ね持ちしながら飛び出してきた。

完全に背後を取った不意打ちに、紅い騎士は動揺するような素振りを見せた。

 

「出た、【亜空穴】‼」

 

「これで終わりよ‼ 霊符______」

 

『無駄だッ!』

 

霊夢が背後からの奇襲でスペルカードを宣言しようとした時、

紅い騎士はその巨体をまたしても掻き消して、霊夢とは遠く離れた地点へと移動した。

そのまま再び無数のナイフを霧の装甲から射出して霊夢に防御させようとする。

だがそれを霊夢は放った弾幕で相殺する。

 

「夢境【二重大結界】‼」

 

『ッ! 盾を持っていたのは僕だけじゃないと……』

 

「そういう事! そんで今、アンタは無防備‼」

 

『たかがナイフを防いだ程度で、舐めるなぁぁあぁぁァァッ‼‼』

 

 

霊夢の結界を砕こうと、さらに物量を増やしてナイフを放つ紅い騎士。

その攻撃を結界で防ぎながらも、霊夢は手にした札に霊力を込めていく。

繰り返される攻防に文はただただ、シャッターを切ることしか出来なかった。

レンズ越しに二人の激闘を見ていた文は、ある違和感に気付いた。

 

 

(アレ………霧が無い? あの少年しか映ってない? 何で⁉)

 

 

その事に気付き再び顔を上げて肉眼で戦いを見つめるが、やはり目の前にいるのは

ナイフを放ち続ける巨大な紅い騎士と、結界でそれを防ぎ続けている紅白の巫女だった。

自分の見ている二つの光景に戸惑いを隠せなかったが、それでも自分にできるのは

今起こっていることをありのまま記すだけだと胸に刻み直して、再びシャッターを切った。

 

 

 

『こ………ま………れ、な…………や……‼』

 

「(動きが鈍った⁉ 今なら……………)いける‼」

 

 

文が違和感に気付くまでナイフを飛ばし続けていた紅い騎士の攻撃が突然止んだのを

結界越しに確認した霊夢は、すぐさま飛び出して活動を停止した騎士の懐へと突っ込み

彼女が亜空穴から飛び出した直後に発動しようとしたスペルを、今度こそ宣言した。

 

 

「これで本当に終わり! 霊符【夢想封印】‼‼」

 

 

霊夢がスペルカードを発動させた途端、彼女の周囲に無数の札が張り巡らされ

そこから色とりどりで大小様々な輝く弾幕が生み出され、空間内を飛び交い始めた。

やがてただ無秩序に辺りを動き回っていた弾幕が、一気に紅い騎士へと向かって行った。

 

 

『_________けあ_____お___う_______さ、まぁァァッッ‼‼‼』

 

「はあぁぁぁぁぁ‼‼」

 

 

霊夢が雄叫びを上げながら無数の弾幕の奔流を操り、紅い騎士を飲み込んでいく。

一面の光の中で紅い騎士は、紅夜は、腕を空へと伸ばして何かを掴もうとしていた。

轟音と共に全てが眩い光に飲まれていき、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________幻想郷中の紅い霧が晴れ、月は西へと沈んでいった。

 

 






次回、東方紅緑譚


第十九話「紅き夜、異変の真相」


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第弐十話「紅き夜、異変の真相」

『オーバーロード』が面白い。
そんな事を考えながらにこの作品を書いています。
いわゆる、強くてニューゲームな風体は個人的に嫌いだったのですが
あのアニメを見て少し考え方が変わってきそうです。
まぁ東方が一番だけどねッ!


それと今回は少々残酷な描写を導入しました。
一応タグは入れてましたが、注意として書き入れておきます。
それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 

暗転する視界、ゆっくりと時間が流れていくような感覚。

身体の周囲に集めていた紅い霧が、能力の解除によって雲散霧消していく。

随分と遠くで誰かの話し声が聞こえる気がするが、確認する術は無い。

 

(_______あぁ、そうか。僕は、負けたのか……………)

 

 

(もや)がかかったように愚鈍な思考の中で僕が辿り着いた答えは、

僕が最も考えたくなかった最悪の結末をはじき出していた。

目は本当にうっすらとしか開けられず、周りの状況の把握が出来そうもない。

ただ、誰かの叫ぶような大声の主と普通の音程でありながらも毅然とした意志を

感じさせる声の主とが、言い争っているように思える。

僕は沈みかけている意識を総動員させてその声を何とか聞き取ろうとしたが、

どうも博麗の巫女との弾幕ごっこで無茶をし過ぎたのか、無理だった。

 

 

(僕は………………何も出来なかったのか)

 

僕の心の中には、失敗しても何かをやり遂げたようとした事への充実感も

全力を出し切った後で身体中に広がるような爽快感も虚脱感も、何もなかった。

あるのはただ、あの方に対しての…………懺悔だけ。

 

「申し訳…………あり……ません。お、じょうさ、ま………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博麗の巫女が異変を解決したその少し後で、ヴワル大図書館の扉が音を立てて開いた。

未だに図書館の床に倒れている異変の首謀者の姿をカメラに収めていた文は、その音のした

方向へカメラを構えながら振り向くと、そこには予期していなかった人物の姿があった。

 

 

「あ、あやっ⁉ 霊夢さん霊夢さん‼」

 

「ん? ……………あら、こんなところで何してるのよ、フラン」

 

「魔理沙と弾幕ごっこしてたけど、もう終わったからこっちの様子を見に来たの」

 

 

右手で図書館の扉を開けながら左手に構えた不可思議な形状の杖のような物を

クルクルと楽しそうに回している、金髪をサイドポニーに結わえた吸血鬼が立っていた。

フランはそのまま愉快そうに歩きながら図書館の中へと入ってくる。

支えである彼女が移動したため、扉はまた同じように音を立てながら閉まっていく。

だが霊夢は扉が閉まりきる直前に、廊下で倒れて痙攣している白黒帽子を視界に収めた。

 

「なるほどね。あのバカ………大人しくしてろって言ったじゃないの」

 

「ま、魔理沙さん? 何であの人がここに?」

 

「多分、妖精並みの頭脳で考え抜いた結果の行動なんでしょ」

 

 

霊夢がひとしきり魔理沙の事を小馬鹿にしたところで、視線をフランに向けた。

そのフランは霊夢の視線には気付かずに、図書館の乱雑さに大層驚いているようだった。

魔導書の敷き詰められた床を踏まないようにしながら、パチュリーがフランに歩み寄る。

 

「妹様………いえ、フラン。どうして地下牢(おへや)から出てきたの?」

「だって、紅夜が私を呼んでたんだもん」

 

「紅夜が? ………そう、そうなの。なら丁度良いわ、向こうを見てみなさい」

 

「?」

 

 

パチュリーがフランと話して何かに気付いたような反応を見せ、

そのまま図書館のほぼ中央にあたる場所を指さし、フランの視線を誘導した。

フランがパチュリーが指さした方向を無邪気に見つめた直後、表情が一変した。

 

「紅夜…………? 紅夜! 紅夜⁉」

 

「………ごめんなさい。私は止めたのだけど、紅夜は聞かなかったの」

 

「ああ、紅夜‼ 紅夜ぁ………………………………」

 

 

紅夜が倒れているのを視認した直後、その場所へと目にも留まらぬ速度で移動した

フランは、うつ伏せになっていた紅夜を仰向けにして目を閉じた彼の顔に手を掛ける。

その手で彼の頬を、温もりを確かめるように何度も何度も撫で始める。

霊夢と文は目の前の光景にただ唖然とするだけだったが、事情を知っているパチュリーは

僅かに眉をひそめながら見守っていた。

 

 

「________ねぇ、パチェ? 誰が『私の』紅夜にこんな事したの?」

 

「霊夢………いえ、博麗の巫女よ。異変解決のために彼と戦ったの」

 

「そう。わかったわ………………紅夜、待っててね。私が霊夢を(たお)すからね」

 

「フラン……………」

 

 

そう呟いたフランがゆっくりと霊夢に視線を向けて一点に捉える。

フランの視線を浴びた霊夢は飄々としていたが、内心は穏やかではなかった。

言葉の通りに霊夢と対峙しようとフランが立ち上がろうとした時、彼女の姿勢が崩れた。

その場の全員がフランの足元に視線を向けると、彼女の足を倒れている彼が掴んでいた。

 

 

「申し訳…………あり……ません。お、じょうさ、ま……………」

 

「「‼」」

 

「アイツ、まだ意識があったの? しぶと過ぎるわよ」

 

「あややややや!」

 

 

か細く消えそうな声で謝罪の言葉を述べる彼を見て、フランとパチュリーは驚愕し

霊夢は彼の尋常ならざる頑丈さに舌打ちし、文はひたすら顔を引き攣らせていた。

その言葉を残したまま、フランの足から手を離さないまま、彼は気を失い再び倒れた。

彼が掴んでいる自分の足を見つめていたフランは、彼の手を優しく引き離して床に置く。

途端にフランはわなわなと身体を震わせ、カッと目を見開き怒号を発した。

 

 

「よ……くも…………、博麗の巫女ぉぉおぉぉぉぉぉ‼‼」

 

全身から噴き出す負の感情を止めどなく溢れさせ敵意をむき出しにするフランに対して、

霊夢もまた冷静な表情で相対し、手加減出来る相手ではないことを改めて認識した。

息を荒く吐き出しながら霊夢に殺意の籠もった視線を浴びせるフランは、自分の後ろで

倒れている彼へ向けての想いをひたすらに吐露していった。

 

 

「わ、私の! 私の紅夜にこんな事して! ただで済むと思うなぁ‼

ああ紅夜、紅夜紅夜紅夜紅夜紅夜紅夜紅夜紅夜紅夜コウヤこうやぁ‼」

 

「…………………………狂ってる」

 

手を自分の頬に当てながら爪をたて、ヒステリックに叫びだしたフランの豹変ぶりに

文はカメラを閉まってはるか後方へと音速で飛びずさり、霊夢はお祓い棒を軽く振った。

 

 

「私の紅夜を………人間なんて簡単に潰して、バラバラにしてぇ……殺してやるぅぅ‼」

 

「………………一体どうしたのよ。普段よりも更に凶悪になってるじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気を失った僕は、夢を見ていた。

ほんの二週間前の出来事……………僕の『人生』が始まった日の事を。

 

「試験内容が半日いるだけ? 僕をバカにしているのか?」

 

「そんな口を叩くのは、あの子に粉々にされなかった時にしなさい」

 

「何………?」

 

「とにかく、今からスタートよ。せいぜい肉片にならないことを祈りなさいな」

 

 

重く冷たい鉄製の格子戸が閉められ、レミリアとかいう吸血鬼が帰っていく。

僕はいなくなった彼女を一瞥した後、暗闇に飲まれそうな部屋を一望した。

 

 

(しかし、本当に暗いな。だが、この部屋にいるだけで合格とはどういう事だ……?)

 

 

僕はあの吸血鬼の言っていた言葉の意味を思い返していたが、理解は出来なかった。

とにかくまずはこの部屋の間取りや、どこに何があるのかを完全に把握するのが

何よりも先決だと考えた僕は、壁に手を付きながら前へと進んでいった。

 

 

「__________だれ?」

 

「ッ‼ (しまった。そう言えばあの吸血鬼、妹がいるとか言っていたんだった!)」

闇の奥深くから突然声を掛けられて動揺した僕だったが、すぐに相手の正体を

探り当ていつでも攻撃を仕掛けられるように懐からナイフを取り出して逆手に構えた。

僕に声を掛けたレミリアの妹であろう人物が、暗闇の中から姿を現した。

 

「ねぇ、あなたはだれなの?」

 

「…………僕は、僕は誰でもない。名前が無いんだ」

 

「なまえがないの? どうして?」

 

 

煌びやかな金髪のサイドポニーに結わえた髪型の少女が僕の目の前に現れた。

僕の自己紹介に疑問を抱いたのだろう、その少女は無邪気に尋ねてくる。

だが僕は一切油断はしていなかった、何故ならこの少女もまた吸血鬼だからだ。

身体の前で組んだ腕の中に可愛らしいクマのぬいぐるみを抱いていた少女は、

僕を遠目からジロジロと観察した後、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 

 

「どうしてだっていいだろう? 君には関係無いんだから」

 

「でもきになるわ。それに、あなた人間でしょ? どうしてここにいるの?」

 

「何だ、聞いていないのかい? 僕は君の姉のレミリアに言われてここに来たのに」

 

「…………お姉様に?」

 

 

少し話を続けた後、僕が彼女の姉の名を口にした途端に少女の口調が変わった。

先程とは違って、射殺すような視線で僕を見つめる少女の態度に少し恐怖を覚えた。

 

「なーんだ、じゃあ名前は聞かなくてもいいわ。お姉様のなら要らないもの(・・・・・・)

 

「何だと?」

 

 

僕が少女の言葉の真意を問いただそうとした直後、彼女が腕に力を込め始めた。

ミチミチと不快な音を立てながら内側の綿が膨れ上がって不格好な形になったぬいぐるみを

何か不気味な印象を抱かせる笑みを浮かべながら更に力を強めてクマを抱きしめる。

やがて限界が訪れバァン‼と小さな爆弾が爆ぜるような音と共に、四散したクマの頭部から

吹き飛んできた中の綿が僕の立っている場所まで転がってきて、小さく揺れた。

 

「ほーら見て? あなたもすぐにこのお人形みたいにしてあげる…………きっと面白いわ。

さぁ遊びましょ、大事に大事に遊んであげるから楽しく愉快に遊びましょう………フフフ♪」

 

「………生憎、人形遊びは趣味じゃなくてね。遠慮願いたいんだけど」

 

「フランと遊びたくないの? ならやっぱりそんなお人形は欲しくないわ。

でもフランは良い子だから、キチンと(おかたづけ)してあげる。

このぬいぐるみみたいに、キレイさっぱり何もかも…………だから、ホラ」

 

狂気的な微笑みを浮かべて僕に歩み寄ってくる少女から明らかな殺気を感じた僕は、

すぐさま距離を取って僕の能力が最も有効な射程距離へと移動した。

フランと名乗った少女は、うっすら笑いながら頭の吹き飛んだぬいぐるみを投げ捨て

背中の羽根とも思えない奇妙な形状の翼をはためかせて一気に跳躍した。

彼女の予想をはるかに上回る速度に、僕は目が追いつかなかった。

 

 

「アハハハハハハハハ‼」

 

「くっそ! 速過ぎる‼」

 

あっという間に壁際まで追い込まれた僕は、一直線に突っ込んでくる少女めがけて

手にしていたナイフを投擲したが、強靭な腕力によって弾かれてしまった。

即座に回避に専念することにした僕は、眼前まで少女を引き付けてから真横へと跳んだ。

するとやはりと言うべきか、彼女は凄まじい速度で僕のいた壁に衝突した。

とりあえず壁に叩きつけられて圧殺されなかった事を喜びながら、もう一度ナイフを投げる。

 

「キャハハハハ……………キュッとしてぇ、ドカーーン‼」

 

少女が楽しげに言葉を呟いた直後、僕の投げたナイフが粉々になった。

その光景に僕は驚きを隠すことが出来ず、再び同じ行動を繰り返した。

またもナイフを投擲するも、少女は不気味に笑いながら同じようにナイフを砕いた。

 

(直接触れもせずに……………吸血鬼特有の能力か? それとも彼女固有の?)

 

 

目の前で起こった現象にとりあえずの仮説を立てて、対策を考える。

おそらく先程の現象は、彼女個人の保有する特殊な能力によるものだろうと思う。

吸血鬼特有の能力は、身体を霧状にしたりコウモリに変化させ分散したり、

眼を直視させた者かもしくは血液を摂取した相手を絶対の支配下に置くというものだ。

今のように、手も触れずに飛来する物質を粉々に破壊するようなものではないはず。

そう分析した僕は、すぐさまその場を離れて部屋の中を駆け始めた。

 

 

「どこにいるの~? かくれんぼかな~? ウフフフ、アッハハハハハ‼」

 

瞳を乱々と輝かせながら手当たり次第にこの世界でいう弾幕を放つ少女。

僕は被弾しないように細心の注意を払いながら、先程弾かれたナイフを拾い上げ

そのナイフを天井に向けて投擲し、彼女の注意を逸らした。

 

 

「どこどこ~~?」

 

「(上を向いて足元がおろそか……………今だ‼)ここですよ‼」

 

 

真上を見上げて見回している吸血鬼の喉元めがけて能力を発動させてナイフを突き立てる。

白く細い首筋に深々と鈍色のナイフが突き刺さった。

 

 

「ァアアァァァーーーーッッ‼‼」

 

「まだまだ!」

 

 

着ている衣服と同じような色の血液を喉から噴き出して悶絶する少女に向かって、

さらに攻撃を加えにいこうとナイフを新たに取り出して走りだす。

血飛沫を上げて苦しんでいる少女の白いナイトキャップをめがけて、

僕は逆手に構えたナイフの切先を向けて跳躍し、脳天へと力いっぱい振り下ろした。

 

「アアアアアッ……………カッ、ゲ………アァ」

 

「まだ死なないよな、念には念をッ!」

 

 

______ザクザクザクッ‼

 

深々と突き立てたナイフを一度引き抜き、また力を込めて突き刺す。

引き抜いた拍子に血が噴き出してナイトキャップを真っ赤に染めたが、お構いなしに

何度も何度も刺突し、また何度も何度も引き抜き血のシャワーを全身に浴びる。

少女はもう悲鳴を上げてはいなかったが、未だに両足で立っている。

つまりまだこの少女は死んではいない、絶命してはいない。

僕は相手が誰だろうが関係無く殺すための訓練を受けてきたが、ここまでしてまだ

相手が死ぬ気配を見せないというのは初めての体験だった。

 

 

「……………13、14、15、16、17。まだ死なないのか、この『化け物』め」

 

「____________________ッ‼‼」

 

 

僕が17回目の刺突を数えた直後、ナイフが突き刺さったままの少女の頭部が

ビクンと跳ねて、その躍動が両腕や両足にまで及んでミシミシと筋繊維がうなり始める。

直感的にマズイと判断した僕は、すぐさま能力を発動させて彼女とは反対の位置へと飛んだ。

飛んだ直後に先程までいた場所へと視線を戻すと、吸血鬼がただ笑って立っていた。

少女が頭に刺さったナイフを躊躇無く自ら引き抜き、こびり付いた血を舐めとる。

 

 

(自分の血を舐めとる………? 馬鹿な、そんなのただの自殺行為のはず…………)

 

 

僕の知っている吸血鬼というのは、他者の血液を摂取して生き得る種族。

そして基本的に吸血鬼とは、人間の血を吸ってその精力を糧としているのだが、

飢えをしのぐために自らの血を啜った吸血鬼は自分で自分を支配してしまい、

物言わぬ傀儡となって何もすることが出来ずに干からびて死ぬことになる………はずなんだが。

 

 

「散らかしちゃいけないわぁ…………お片付けなんだからぁ! アッハハハ‼」

 

「…………本当に化け物だな」

 

 

血をキレイに舐めとったナイフを投げ捨て、ゴキゴキと首の関節を鳴らす。

その首をよく見ると血で汚れてはいるものの、傷口は完全に塞がっていた。

 

「今度は鬼ごっこぉ? ウフフフ…………キュッとしてぇ、ドッカーーン‼‼」

 

「くッ‼」

 

 

少女がまた楽しそうに叫びながら右手を大きく開いて握ると、僕が懐にしまっていた

残り数本のナイフが全て粉々の破片となって服の裾からこぼれおちていく。

僕の手持ちの武器を完全に破壊されて、打てる手がかなり減ってしまったことに

少しばかり動揺したが、その動揺を悟られないように毅然と少女に向き直る。

 

 

「あれれぇ……? おっかしいな、そこに集まってたのに(・・・・・・・)……」

 

「?」

 

集まっていた………? 一体どういう事だろうか。

彼女の紅く濁ったような瞳が、心底不思議そうに僕の服から落ちていく破片を

見つめているのを見て、僕は一つの考えに到達した。

 

 

(___________物質の『何か』を目で見て捉えている?)

 

 

そう考えなければ辻褄が合わないだろう。

だが問題なのはその『何か』とは何なのか、という事だ。

物質の重心? いや、それならピンポイントでナイフを破壊は出来ないだろう。

物質の硬度? それも違う、それならこの部屋の壁などが先に壊されるだろう。

何が正解なのかは分からない、ならば_____________

 

 

「_________証明する、それが最善の策‼」

「アハハ、来た来たァ♪」

 

 

僕にはまだ手は残っている、さっき忍ばせておいた秘策が。

能力を発動させて瞬時に移動して、『あるもの』を手に取り再び能力で少女の

背後に忍び寄り、足でバランスを崩させてから左手で頭部を押さえ床に叩き伏せる。

 

「まずは眼を__________貰うぞ!」

 

「グゥ! アァアアアァァァァァーーーーーーーッッ‼‼⁉」

 

 

少女に馬乗りになって身動きを一瞬だけでも封じたところで、目を狙ってナイフを刺す。

一度に狙えるのは片方だけ、つまりは残りの眼で僕を狙われる可能性があるが構わない。

もう片方の目を手で押さえてふさぎ、ナイフは少女の腹部に突き刺し床に縫い付ける。

能力で少女から距離を取った僕は、改めて突き刺したナイフと少女を観察した。

 

 

「ァアア! なん、で‼ ナイフがァァッ‼⁉」

 

「最初に君の気を逸らすために天井へ投げたナイフが、そのままだったんでね」

 

 

そう、僕がさっき取りに言ったのは天井に刺さったままになっていたナイフだった。

今も彼女の腹部を貫き服を溢れ出る血で染めさせているナイフを、少女が握り素手で砕く。

そのまま立ち上がった少女は穴の開いた左目を押さえながらも僕だけを見つめる。

 

 

「ウフフ………こんなに楽しいのは初めて、あなたの事気に入っちゃったぁ」

 

「それはどうも。それなら僕を見逃してここに時間まで置いてくれないか?」

「それはダメぇ………気に入っちゃったからぁ、壊したいの! グチャグチャにぃ‼」

 

 

少女が目や腹部から血をボタボタと垂れ流しながら発狂したように叫ぶ。

僕はその姿を見て、当初に立てた予定通りに事が運んでいるようで内心ホッとした。

少女がかがんで両手をぶらつかせながら、こちらに近づいてくる。

すぐに能力でこの場を離れようとした直後、僕の全身に激痛が奔った。

 

 

「ぐあああああぁぁーーーーッ‼‼」

 

「…………?」

 

 

全身の皮膚を剥がされ、神経に直接電流を流されているかのような感覚に襲われる。

目の前がブラックアウトして何も見えなくなり、意識が一瞬だけ僕の身体から出て行った。

身動きを取ることすら自分の身体を崩していくような状態のまま、一分か一時間か

不明だがかなり時間が経ったように感じた僕は、目をゆっくり見開き、そして絶望した。

 

 

「あ、ああ……………」

 

「えへへへぇ………つ~かま~えた~♪」

 

 

頭部をガシッと掴まれて、無理やり立ち上がらせられた僕の顔を見て笑う少女。

今もなお続く激痛の中で絶対的な恐怖に捕まった僕は、案外冷静に現状を把握していた。

 

 

(これは……駄目だな。体も動かないし、ナイフも尽きた……………勝てなかった)

 

自然と僕の双眸から涙が零れ落ちていた。

演技以外で涙を流したのは、一体何時振りのことだろうか。

僕の顔から流れる涙を見て興味を持ったのか、少女が僕に尋ねてくる。

 

 

「泣いてるの………? 何で? 悲しいの?」

 

「………ああ、悲しいね。ガハッ! …………もう終わりだと、思うと」

 

「やっぱり! 悲しいと泣くのね。私もね、悲しい時は涙が出るの」

 

「…………?」

 

 

そう言った少女の左目は既に再生して元に戻っていたが、その目から流れていたのは

先程貫いた際に溢れ出た深紅色の血ではなく、透き通った透明の涙だった。

 

 

「泣いて、るのか………お前も?」

 

「泣いてる? 私、泣いてるの? 何で……………何が悲しいの?」

 

「………さぁ。僕には、ゴフッ! ………分からないよ」

 

 

少女は自分の涙を自覚した途端、火が付いたように泣き始めた。

僕を掴んでいる手を放して自分の顔に当て、必死に涙を拭いている。

僕は暗い部屋の冷たい床に倒れたが、そこだけは暖かかった…………少女の零した涙で。

その場所に落ちた涙が僕の頬を濡らすが、とても優しくて癒される温もりがあった。

 

(何故泣く………? 吸血鬼が人の死を悼むとでも言いたいのか……?)

 

 

声を上げて泣きじゃくる彼女を、下から見上げていた僕は思い出した。

薄暗い部屋で独り、誰もいない独房でひたすら姉さんの帰りを待っていた過去の自分を。

今の彼女のように手で顔を覆い、目をこすって涙を拭きながらも泣くのを止めなかった。

そんな彼女と過去の自分が重なって見えた瞬間、今まで僕の中にあった殺意が消えた。

 

 

(同じだ…………僕と。あの日の僕と、この子は同じなんだ……………姉さん!)

 

 

気が付くと、僕も床の上で這いつくばりながら泣いていた。

すぐ横に吸血鬼がいるにも関わらず、僕は大粒の涙を流しながら泣き続けていた。

しばらくして少女が僕の涙に気付き、しゃがんで僕の顔を同じような泣き顔で覗き込む。

 

 

「ぐすっ…………あなたも、悲しいの? 私と同じ?」

 

「………ああ、僕は悲しい。姉さんと、姉さんに……………逢いたかった……ッ‼」

 

「姉、さん? あなたにもお姉様がいるの……?」

 

 

僕の言葉に耳を傾けた少女が、涙を拭きながら僕の横に腰を下ろした。

あれほどまでに狂気的な笑みを浮かべていた吸血鬼と、今僕の横に座る少女が同一の

人物であるとは思えないほどに柔らかな表情で僕の話の続きを待っている。

痛む体をゆっくり起こしながら、少女の期待に応えるように僕は姉さんの事を話した。

 

 

「ああ。僕の姉さんは………この館の、メイド長の女性だ」

 

「もしかして、咲夜のこと? 咲夜があなたのお姉様なの?」

 

やはり彼女も姉さんの事を知っていたようで、僕の話に驚いている。

彼女の疑問に小さく頷いて肯定し、またゆっくりと痛みに耐えつつ話を続ける。

 

 

「前は、だけどね。今はもう僕の事を覚えてないみたいだ」

 

「そうなの?お姉様なのに忘れられちゃったの?…………私も同じなの」

 

「……君も?」

 

 

止まりかけていた涙を再び目元に浮かべながら、少女は俯いて表情に影を落とす。

姉に忘れられているという話だったが、僕が思い返してもそんな事はなかったはずだが……。

僕がレミリアの事を思い出していると、少女が嗚咽を漏らしながら語りだした。

 

 

「うん。お姉様は私をここに閉じ込めて、一度も逢いに来てくれなかったの」

 

「だから、君の事を忘れてしまったと?」

 

「…………うん。今はもう咲夜も小悪魔もパチェも来てくれなくなって、美鈴はたまに来て

くれたけど、門番の仕事があるからってすぐにいっちゃうの。私、嫌われてるの」

 

 

そう言ってまたグスグスと泣き始めた少女を、僕はただ憐みの目で見ていた。

もはや彼女を殺すべき対象とは認識出来ない、この子はただの女の子にしか見えなかった。

何と声をかけていいのか分からない僕は、ただそのこぼれる涙を無抵抗で受け入れた。

 

「でも、今は魔理沙と霊夢のおかげでここから出てもいいって。でも絶対にお屋敷の

外にだけは出てはダメってあの時パチェが言ってたの。だから魔理沙達が来てくれるまで

このお部屋で一人で待ってるって決めたの………私は全部壊しちゃうから、何もかも全部」

 

「…………あの能力のことか」

「うん。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』っていうの。

この右手でキュッとしてドカーンってすると、全部壊しちゃうんだ……」

 

「なるほど」

 

 

だから僕の投擲したナイフが全て破壊されたのか、触れることもせずに。

しかし、どんな物質でも破壊出来るっていうのは場合によっては考え物だな………。

きっとこの子も望んで得た力ではないはずだろう、なのに幽閉された、か。

 

 

「それは……………辛かっただろうな」

 

「え……⁉」

 

「君の手が触れる物は全て壊れる、だから今まで誰も君の手を握った人はいないんだろう?

誰かと一緒に居られない事の辛さは、僕も知ってる……………だから辛かったろう、君も」

 

「…………ッ!」

 

 

驚いた顔で僕を見つめていた少女は、次いで顔を辛げに歪めた。

僕の話を聞いて涙がまた溢れそうになったのだろうか、膝に顔をうずめて肩を震わせる。

そんな彼女を見て僕は…………とても愛おしく思った。

 

 

「君、名前は?」

「ぐすっ…………フラン、フランドール」

 

「フラン…………か、いい名前だね。フラン、聞いてくれるかな」

 

「うぅ……何?」

 

 

僕の目をまっすぐに見つめる彼女の瞳は、他者を屈服させ隷属させるようなものではなく、

ただ純粋に相手に愛情を訴えかける幼子の瞳と、全く違いが無かった。

僕は何の疑いもなく耳を傾けてくれたフランに、今しがた固めた決意を言葉にした。

 

 

「ねぇフラン。僕は今日、姉さんを取り戻しにここへ来たんだ。

でも………それは多分、叶わないと思う。僕の体はボロボロだから、長くはもたないと思う。

だから今決めた、僕はこの館で働くよ。姉さんと一緒に居られるなら吸血鬼の住処で暮らす

事になっても構わない。………でも、一つだけ我慢出来ない事があってね」

 

「……………………?」

 

「このままだと、僕は君のお姉さんに忠誠を誓う事になるんだ。

でも、僕は君のことを知ってそれがより嫌になった。僕はあの人には仕えたくない………。

だから、僕がもしここで働くことが決まったら……………僕は君に仕えたい、君の側に居たい」

 

「え?」

 

 

僕の言葉を聞いたフランは、瞬きを繰り返している。

よほど驚いているのか、言葉が出てこないのか、泣くのも止めて固まってしまった。

反応が無いので、僕は勝手ながら話を進めさせてもらった。

 

「言い方を変えるよ、僕が君の側にいてあげる。君の手を握ってあげる。

ずっとずっといつまでも…………………だから僕に忠誠を誓わせてくれないかな?」

 

 

話しているうちに痛みの引いてきた体を起こして、フランの涙を指で掬う。

しっとりと暖かい彼女の涙を拭いた直後、フランの目が煌々と光を放った。

 

 

「_______嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ‼‼」

 

 

フランの瞳が僕の顔から腹部へと移動し、彼女の右手がわなわなと震えて握られる。

その瞬間、僕の体内からグチュンッ‼ っと柔らかい何かが握り潰されたような音が響いた。

 

 

「______ッッ‼⁉」

 

「みんな、みんな私を置いて行っちゃうんだ! みんなみんなみんな‼

お前もどうせ口だけだ! 吸血鬼と暮らせる人間なんていないって霊夢が言ってた‼

だからお前も………あなたも……………咲夜も、他のみんなも………………」

 

 

下腹部、腹筋の少し上で音が聞こえた。しかも背骨に痛みがジンジンとつながった。

つまりは消化器官の内のどれか…………………おそらくは腎臓、いや、すい臓辺りだろう。

僕はすぐさま能力を発動させて『痛覚が脳へ送る信号の方向』をいじって痛みを不感にした。

人間の体の情報は脳が電気信号を受け取る事で初めて把握することが出来るから、その信号

そのものを遮断してしまえば痛みを感じること自体は発生しなくなる、単なる気休めだ。

傷が癒えるわけじゃない、後で病院に行かないと死ぬだろうな。

でも、その前に再び暴れだした彼女を宥める方が先だ。

 

 

「だ、い、じょ…………ぶ。ぼくは、そばに…………いる、から」

 

「_______ッ‼」

 

 

僕のか細くなった声を聞き取ったフランは、泣きながら僕を見つめる。

狂気的な笑みを浮かべながら、その瞳からは涙が溢れ出てしまっていた。

僕は握り拳のままになっている彼女の右手をゆっくりと両手で包み込んだ。

僕の取った行動に驚いたのか、ビクンと身を怯ませた彼女を諭すように呟く。

 

 

「その、れいむとい、う人を………ぼくがたおし、て……証明しま、すよ……………。

フランのそばに………いつまでも、いてあげ、るか、ら………だからぼく、っが‼

ぜったい……………そのひとに勝っ………て、ずっと、いっしょにいよ……う」

 

「う、ううぅ………………うんっ」

 

 

フランが左手で涙を拭きながら、右手で僕の左手をそっと握る。

僕も彼女の小さくて暖かい手のひらの感触を確かめるように、優しく握りかえす。

多分、僕はほとんど力を込められてはいないだろう。

それでも、この手だけは離さないと心に決めた。

触れる物全てを壊す手であると知っても、いずれ壊されてしまうと分かっていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………う、うぅん……」

 

 

目が覚めた僕が最初に見たのは、あの日と同じ真っ赤な天井だった。

起き上がろうとすると、やはり体に痛みが奔ってうまく起き上がれなかった。

大人しく寝ていようと思った矢先、二回のノックの後で扉が開いて誰かが入ってきた。

顔だけ動かして見てみると、水入りの洗面器とタオルを持ったこあさんだった。

もしかして看病してくれていたのだろうか、だとしたら本物よりも天使だぞ。

僕が起きていることに気付いたこあさんは、隣に置いてあった椅子に腰かけて

異変がどうなったのかを教えてくれた。

 

「そうですか、僕は負けてしまったんですか…………」

 

「お役にたてなくてごめんなさい!」

 

「いえいえ、こうして看病してくださったんですから」

 

「こんな事しか出来ませんから……それよりも紅夜さん!」

「はい、なんでしょうか?」

 

「実は今、紅魔館のホールで宴会を催しているんです」

 

「は?宴会?」

 

 

驚いた僕に、こあさんはこの幻想郷では異変を解決するたびに宴会を開くのが常識で

その会場もまたどこで行っても構わないというとんでもない非常識を教えてくれた。

そしてレミリア様から僕の目が覚め次第、その宴会に加わらせるようにとの事らしい。

 

 

「私も無理だと言ったんですが…………これは命令だから、と」

「全く、無茶苦茶な主の姉を持ったものですね………でも、だからこそ面白い」

 

「紅夜さん?笑ってるんですか?」

 

 

気が付くと僕は笑っていた。

僕の心の中には今、ただただ充実感と爽快感で満たされていた。

生まれて初めてこんなに笑った。こんなに、満たされた。

これも、僕がお嬢様にお仕えすると決めたあの日の決断があってこそだろう。

本当に、フランお嬢様にお仕えすると決めて良かった。心底そう思う。

 

「ええ。こんなに楽しいのは生まれて初めてです!」

 

 

夜空に浮かんだ半月が窓の向こうから僕らを覗き込み、笑っている気がした。

 

 

 

 

 





という訳で長くなりましたが、
十六夜紅夜とフランの主従の回想及び
新・紅魔異変の章はこれにて無事完結となりました!


長かったな~本当に、いや長かった。
8時に書き始めて今翌日の午前3時過ぎ………ハハハ。


とにかく、この後もうしばらく紅夜のターンが続きます。
平和なパートでしばらく羽を休めたい……なんつってね。



それでは次回、東方紅緑譚


第二十話「紅き夜、宴に興ずる」


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第弐十壱話「紅き夜、宴に興ずる」


皆様、お久しぶりです。


今日は体育祭だったので、疲れました。
私? 綱引きの最後尾で陣取ってましたよ。
………………まぁ結局、全戦全敗でしたが。


それでは、どうぞ!


 

既に日は落ち、夜も更けて間もない頃に僕は目が覚めた。

僕の部屋として充てられたこの部屋の窓にも、半分に裂けた月が顔を覗かせている。

薄い月明かりに照らされて、部屋の中にいる僕とこあさんの顔がハッキリと見えた。

僕が身体を起こしてベッドから降りようとすると、体の節々が悲鳴を上げ始めた。

腹部を押さえながら起き、こあさんの肩を借りて部屋を後にする。

 

「すみません、看病だけでなくこんな事まで………」

 

「良いんです。私はこんな事しか、出来ませんから」

 

 

僕の体に痛みを極力与えないようにゆっくり歩いてくれるこあさん。

夜の暗さでカーペットの赤色も目立たない廊下を、一歩一歩進んでいく。

辺りを見回しながら、昼間ここで起こった事を一つずつ思い返す。

まず最初に霧雨 魔理沙が館に踏み入り、それを自分が返り打ちにした事。

その後能力乱用の発作が表れ、パチュリーさんとこあさんに励まされた事。

そして、異変解決者である博麗の巫女こと博麗 霊夢と図書館で決闘した事。

この幻想郷にやって来てまだ二週間と三日しか経っていないのに、これほどまでに

濃密で色鮮やかで、喧噪の絶えない楽しい日常を過ごしていることに驚いた。

今までの自分の過ごした『人生』とも言えない時間の流れの中にいた僕にとっては、

毎日が新鮮で、毎日が刺激的で、毎日が_____________とても愛おしい。

 

 

(本当に、この世界に来て良かった。僕はここで初めて、僕として生まれたんだ)

 

 

かつてあれほど憎んでいた吸血鬼の存在も、今では何の憎悪も嫌悪も沸きはしない。

むしろ、心から彼女らに隷属し、自分の全てを捧げたいとすら思えるほどだ。

僕はこの不思議な世界に来て本当に変わってしまったが、それを不快には思わない。

 

 

「紅夜さん、紅夜さん! もう着きましたよ‼」

 

「え? あ、ハイ。ありがとうございます」

 

「どうかしたんですか?」

 

 

僕が自分の内面の変化を冷静に感受していると、こあさんが僕に話しかけてきた。

どうやら既に、宴会の開かれている大広間の前まで着いてしまっていたようだ。

僕の様子に違和感を抱いたのか、こあさんが僕の顔色をうかがってきた。

 

 

「いえ、少し………ここに来てから今日までの事を思い返していたんです」

 

「えっ⁉」

 

「どうかしましたか?」

 

「いえっ‼ 別にっ⁉」

 

僕が素直に聞かれた事に応えたら、こあさんは顔を髪よりも朱く染めた。

こあさんは僕の追求にも特に明言せず、ただ顔を背けてあわあわしていた。

内心で可愛いと思いながらも彼女の肩から手を放し、大広間の扉に手を当てた。

そのまま中に入ると、思ってたよりも大勢の視線を受けて少したじろいだ。

それでもレミリア様の要望に応えるために前に進むと、見慣れた異形の翼が見えた。

僕の目がそれを捉えた途端、僕の足は痛みなどお構いなしに歩みを速めた。

宴会に集まっていた方々は僕を知っているのか、顔を見ると少し距離を取り始めたが

今の僕にとっては障害物にしかなり得ないものが勝手に道から外れるのはありがたい。

 

 

「お嬢様! フランお嬢様‼」

 

 

僕は公衆の面前であるにも関わらず、ホールに行き渡る声で主人を呼んだ。

すると向こうも僕に気付いたのか、振り返ってキョロキョロと辺りを見回して僕を探す。

やっと僕を見つけたのか彼女の表情が一気に明るくなり、僕めがけて走りだした。

 

 

「紅夜ぁ! 気が付いたのね‼」

 

「お嬢様! …………この度は、申し訳ありませんでした」

 

 

そして僕とお嬢様との距離がゼロになり、数時間ぶりの邂逅を果たした。

お嬢様の抱擁と同時に、血と湿り気を含んだ独特の匂いが僕の鼻孔をくすぐる。

彼女の幼児のような柔肌から伝わる確かな体温を感じ、僕は目の奥が熱くなった。

だがそれよりもまず僕の口から出た言葉は、『約束』を破ってしまった事への謝罪だった。

僕の言葉を聞いたお嬢様は、既にその鋭くも儚げな双眸から涙を流しつつおっしゃった。

 

 

「何の事? なんで紅夜が謝るの?」

 

「なんでって…………だって、それは」

 

「いいの。私は紅夜が何ともないならそれで、充分だから……」

 

 

目元を潤ませながらも笑顔を向けるフランお嬢様を、僕は何も言わずに抱きしめた。

いや、何も言えなかった。口を開けば、情けない嗚咽がこぼれてしまうと分かっていたから。

顔を伏せてお嬢様の小さな身体を抱きしめる腕にだけ、ただただ力を込めて立ち尽くす。

今流れているこの時間が、今の僕にとっては何よりも大切に思えた。

 

 

「__________んッんん!」

 

「あ、お姉様」

 

「あ、レミリア様。十六夜 紅夜、ただいま馳せ参じました」

 

「二人して何してるのよ! 周り見なさいよ、完全に固まってるじゃない‼」

 

 

気が付くと、フランお嬢様の後ろにレミリア様がいらっしゃっていた。

何やら凄い剣幕で僕らを叱りつけているようだ。

僕とお嬢様が言われたように周囲を見渡すと、かなりの人達が僕達を見つめていた。

それを見て僕は状況を把握し、フランお嬢様の面目を考えて抱擁を解こうとした。

 

 

「紅夜ぁ………まだぁ、抱っこぉ……」

 

「_______________かしこまりました」

 

抱擁を解いた僕にお嬢様は抗いようのないほど可愛らしい声でおねだりなされた。

当然のようにお嬢様の右脇に左腕を通し、腰を落として右腕で両足を束ねながら持ち上げる。

いわゆる、お姫様抱っこの状態で立ち上がり、レミリア様の方へと向き直る。

 

 

「何がかしこまりましたよ、今すぐフランを下ろしなさい!」

 

「嫌で________それは出来ません、レミリア様」

 

「アンタ今、『嫌です』って言いかけなかったかしら?」

 

「気のせいではないでしょうか?」

 

 

フランお嬢様のお気に入りの体勢での抱っこにケチを付け始めるレミリア様。

一体何がご不満なのだろうか、全く以て理解できませんね……。

レミリア様は続けて何かを言おうとしていたが、お嬢様の幸せそうな表情を見てうなだれた。

 

「もういいわ………紅魔館のメンツなんて、それこそ今さらよね」

 

「そうよレミィ、何事も諦めが肝心なのよ」

 

「………パチェ、随分紅夜の肩を持つようなことを言うわね。何かあったの?」

 

「……別に、何も無いわよ。私はいつも通り」

 

「そう? ならいいのだけど」

 

 

しばらくすぐ後ろで読書をしていたパチュリーさんと何かを話した後、帰っていった。

僕はお嬢様を抱っこしながらホール内で少し開けた場所へと向かった。

そこにはあまり人の影は無く、落ち着いて過ごせると考えたからだったが間違いだった。

集団から抜けた途端、見覚えのある顔ぶれが僕らの周りにやって来た。

 

「………貴女方は、どうしてこちらに?」

 

 

僕らの前に現れたのは、どれも特徴的な服装の少女達だった。

片手に一升枡(いっしょうます)を持ちながらもう片方の手で枝豆を鷲掴みにした霧雨 魔理沙。

右手に焼き鳥の盛られた皿を持って左手でソレを頬張っている紅白の巫女服の博麗 霊夢。

両手でしっかりとカメラを構えながら口に見た事の無い干物のような物を咥えている射命丸 文。

この三人には見覚えがあった為、そこまで警戒はしなかったが…………残りの二人が問題だった。

 

 

「はぇ~、この人が咲夜さんの弟さんですか! 予想以上にイケメンですね‼」

 

「い、イケメン? よく分からないけど、この男があの咲夜の弟なのね………」

 

 

僕の顔を食い入るようにしてジロジロと見つめている緑色の長髪の女性と、

僕を姉さんと比べ品定めするように見ている薄い金色の短髪で赤いカチューシャをした女性。

見ず知らずの二人に好き勝手言われるのは、どうも腑に落ちない。

 

 

「僕の話聞いてます? なんでこちらに来たんですか?」

 

「別に。どこで酒盛りしようと私の勝手でしょう」

 

「その通りだぜ! それより紅夜って言ったか? 今すぐ弾幕ごっこしようぜ‼」

 

「魔理沙さん、私の取材が終わった後にしてくれませんかそれ」

 

「弟さん、咲夜さんって昔はどんな感じの人だったんですか?」

 

「確かにそれも気になるけど、今はそうじゃないでしょう?」

 

全員が全員、僕の言葉に耳を貸す気は無いようだ。

ひとまずフランお嬢様を下ろして、前にいる五人に話をしようと試みる。

少し頬を膨らませながらぐずるお嬢様を謝りながら下ろして、改めて五人に向き直る。

 

 

「まず、魔理沙さん。僕はしばらく弾幕ごっこをしません。

次いで射命丸さん、そちらのお二人の事を僕は知りませんのでよければ紹介を……」

 

「ああ、ハイ。分かりました(アレ? なんでこの人に対して無警戒なんだろ………私)」

 

「いえいえ文さん、自己紹介ぐらい自分でしますよ。ね?『アリス』さん?」

 

「そうね、それくらいは自分でするわ」

 

 

アリスと緑髪の少女から呼ばれた金髪の人は、一歩歩み出て自己紹介をした。

 

 

「私は『アリス・マーガトロイド』よ。たまに人里で人形劇をしている人形遣いなの」

 

「人形遣い……ですか? 初めて聞く名前ですね。改めて、十六夜 紅夜です」

 

「礼儀正しいわね。素直な良い子じゃない、この子が本当に異変の首謀者?」

 

「らしいですよアリスさん。あ、私は東風谷(こちや) 早苗って言います」

 

「アリスさんに早苗さんですね、覚えました」

 

二人の名前と顔を把握した僕を、裏切者を見るような目で魔理沙さんが怒鳴った。

 

 

「おい、何で弾幕ごっこしないんだ‼ しようぜ、な⁉ 今すぐしようぜ‼」

 

「いやあの、流石に勘弁願いたいですよ。疲れてますし」

 

「そんなん関係ねぇ! この霧雨 魔理沙が負けたまま勝ち逃げさせると思ったか⁉」

 

「それこそ僕には関係無いですし、折角の宴の席に弾幕ごっこは………」

 

「うっ………でもよ、このままじゃこのモヤモヤしたモンをどこにぶつけりゃいいんだ⁉」

 

「いやだから知りませんて」

 

 

帽子越しに頭を掻き毟るような仕草で苛立ちを露わにしている魔理沙さんはほっといて、

次は霊夢さんにでも気になっていることを聞いてみましょうかね。

 

 

「あの、霊夢さん。少しよろしいでしょうか?」

 

「なんか敬語使われるとムズムズするわ。特にアンタにされると余計に」

 

「随分な言われようで………ですが聞きたい事が一つ。そちらの早苗さんは弟子か何かで?」

 

「…………はぁ?アンタ何言ってんの?」

 

 

僕の質問を聞くや否や、呆れたような表情で僕の真意を問いただしてくる霊夢さん。

僕は自分の言葉をもっと分かりやすく簡潔に言いなおすことにした。

 

 

「えっと、すみません。お二人の服装がどことなく似ていたもので」

 

「全く! 似て! 無いと‼ 思うけど⁉」

 

 

僕が二人の服装が少し似てると示唆すると、霊夢さんが凄まじい形相で否定してきた。

あまりに必死なほど切迫した表情だったので、それ以上は深く言わないことにした。

すると早苗と名乗った少女が、目を輝かせながら僕に詰め寄って来た。

 

 

「そうですか⁉ やっぱり似てきましたか! いやぁ実は最近やたら霊夢さんとの距離感が

縮まっているように感じていたんですが、アレは気のせいではなかったんですね‼」

 

「気のせい以外の何物でもないわ」

 

「またまたそんな事言っちゃって、霊夢さんってばぁ~~」

 

「ホント、ウザいわぁコイツ………(アンタねぇ、いい加減にしなさいよ)」

 

「あの霊夢さん、おそらく本心と建前が入れ替わってます」

 

 

霊夢さんの割とマジな口調にも臆することなくちょっかいを出しに行く早苗さん。

あの人もあの人で、霊夢さんにそこまで言わせたら敵無しなんじゃないかとも思えてしまう。

そんな取り留めの無い普通な話をしばらくしていくと、随分時間が経ったようだった。

ふつふつと宴の席から人が去っていき、気付けば数えるほどしかいなくなってしまっていた。

するとその影響で彼女らも遠慮をする必要が無いと判断したのか、一気に酔いがまわったようだ。

段々と互いに対する接し方が荒くなっていき、とうとう恐れていた事態がおきてしまった。

 

 

「んだよぉ、やんのかれいむぅ!」

 

「じょーとーじゃない、かかってひなはいよぉ‼」

 

「ちょっと魔理沙、何してるのよもう!」

 

「あるぇ~? ありすさん、まだ酔ってませんねぇ? だめですよそんな事しちゃぁ」

 

「あ、あの? 皆さん⁉」

 

 

先ほどまで少し離れた場所で二人飲んでいた霊夢さんと魔理沙さんが互いに睨み合っている。

それを諫めようとしていたアリスさんも、酔っぱらった早苗さんに捕まっている。

早いとこどうにかしようと思っていると、僕は丁度困っている文さんを視界の端に捕らえた。

 

 

「射命丸さん、先程まで取材がどうこう言っていたようだけど」

 

「え? ああ、ハイ確かに。 でも、こんな状態じゃ……」

 

「大丈夫ですよ、こうすれば…………ハイ、これで良し!」

 

 

僕が射命丸さんの懸念に気付き、先にそちらを対処することにした。

右手の指を折り曲げ、親指の付け根の部分にぶつけてパチンと甲高い音を出す。

すると一瞬だけ小さくキィンと響いて、あとは何も起きなかった。

 

「さて、これでひとまずは安心ですが…………テラスに、行きますよ」

 

「え? ああ、ハイ」

 

「あ、ちょっと文⁉ 落ち着きなさいよ魔理沙ぁ‼」

 

 

あっちはあっちで凄いことになっているようだ。

僕は彼女達の___________というかアリスさんを置いてテラスに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、それで先ほどの取材とは?」

 

 

夜風が心地良い紅魔館2階テラスで、僕と射命丸さんは二人っきりになった。

………………だからって何かをするわけでもなく、僕は早く取材を終わらせたいだけですが。

射命丸さんは僕の言葉を聞くや否や、どこからかペンを取り出して書く準備を終えた。

 

 

「そうですね、取材と言っても多少物事を聞くだけですよ」

 

「まぁ、それぐらいなら………」

 

「それは重畳‼ それでは早速_____________」

 

 

 

___________執事取材中

 

 

 

 

「ははぁ…………いろいろありがとうございますね」

 

「そんなに役に立ちそうな事は言ってないと思いますが?」

 

「いえいえ、私達からすれば、見た事の無い宝の宝庫ですよ」

 

 

僕はさきほどから射命丸さんに依頼されていて、何度も僕の事を語った。

このテラスでも、彼女の言葉は酔い明けの薬より頭に響くものだった。

外の……僕の元居た世界の話は、そんなにも貴重なものなのだろう。

 

 

「とにかく、次で最後の質問にしておきます」

 

「おきます、とは?」

 

「今全部聞こうとしても話さない事も多々あるでしょう?」

 

「………………どうでしょうか?」

 

 

先ほどから楽し気にこの射命丸さんと話しているように見えるのだろう。

どうも話しながらも、彼女は違和感を感じているのだろうか。

 

 

「まぁいずれ聞き出しますよ。そんなことよりも!」

 

「最後の質問でしたね、どうぞ」

 

「どうも、それでは紅夜さん。_______好きな女性の好みは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「__________________貴女です」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そうですか。私…………………え?」

 

 




本当はもっとまとめるつもりでしたが
すみません、睡魔には勝てなかったよ………。

次回で紅夜編は一度終わりにして
その次からは縁編の『緑の道』を書いて行こうかと。


それでは次回、東方紅緑譚



第二十壱話「紅き夜、宴も闌、大団円」


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第弐十弐話「紅き夜、宴も闌、大団円」

前回は眠気と疲れに勝てずに早めに切り上げて
しまったことが、今でも悔しくて仕方がありません。

ですので、今日は例え睡眠時間を0にしてでも
書き上げる所存でございます‼(だから閲覧数が増えないの)


それでは紅き夜編最終幕、どうぞ!



「えっと、その……………記者をからかうなんて、悪い人ですねぇ!」

 

月が空高く昇り、沈みかけていた太陽が逆方向へと昇って行くという不可思議な

異変を解決したその当日の夜、現場に居合わせた鴉天狗の射命丸 文は異変の元凶と

言われていた少年が目を覚ましたので、早速独占取材を試みたところが今の現状だ。

聞きたいことが山ほどあった文だったが、最近売れ行きの落ち込んできた自分の

発行する新聞を盛り上げるのに最も読者の食いつきそうな話題を選択したつもり

だったのだが、とんだ悪手を引き当ててしまったようだった。

 

 

「___________________すみません」

 

「え? あの、紅夜さん?」

「忘れてください。何でもありません。き、気の迷いか何かです」

 

 

すると夜空の暗闇の中でもひと際映える銀色の髪の少年が、顔を自分の赤紅色の

瞳よりもさらに真っ赤にしながら、急にテラスの向こうへと向けてしまった。

まるで恥ずかしがりの乙女のような反応に、文は冷や汗を垂れ流した。

 

(あっれぇ……………この反応、もしかして無意識に言葉にしてたってヤツですか?

な~んだそうか、無意識なら仕方な_____________くないでしょどう考えても‼)

 

 

自分の頭の中で、先程の彼の言葉がグルグルと渦巻いていく。

『好きな女性の好みは?』 『貴女です』

どう考えても彼が自分に対してそういう感情を抱いているようにしか聞こえない。

文はその事実を胸に押し留めながら、一先ず自分のブン帖に自分の名を書いた。

 

「あ、あの紅夜さん? その……………さっきの話ですが」

 

「すみません射命丸さん、急用が出来ましたので失礼させていただきます‼」

 

「え? あ、ちょっと⁉」

 

 

文が先程の話を蒸し返そうとした途端、顔を伏せながら少年が能力を使用して

目の前から忽然と姿を消し、その場にはもう彼の毛一本も残ってはいなかった。

急に態度を一変させた少年に面喰いながら、文は逃げられたと僅かに悔しんだ。

 

 

(あの態度………………いやでも、ほとんど初対面よ?

それなのに何でそういう事になるの? しかも相手は人間だし、私は天狗だし。

でも、もし本当にそうなのだとしたら________________使えるわ‼)

 

 

闇夜に溶け込む黒いショートヘアーを春風になびかせて、文はニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーーーーーーん……………どうにも書けませんねぇ」

 

 

幻想郷に未曽有の現象を引き起こした、いわゆる【暒夜異変】について

独占取材を行った文は後日黙々と記事を書き上げていたのだが、どうしてもあの

少年の事を書こうとすると筆が止まり、その一切合切を書けなくなってしまっていた。

どうしたものかと思った文は何か別の事を書こうとも考えたが、折角異変の真っただ中

まで行きながら他の出来事をネタにでもしたら、それこそ同じ天狗の記者仲間達から

笑いものにされてしまてしまうことが、目に見えて浮かんでくるようだった。

 

 

「駄目ですねぇ。気晴らしに予備のネタ収集にでも行きますか」

 

 

そう意気込んだ彼女は記事を書き上げる手を止め、いつものように腰の巾着に

ネタを書き込むためのブン帖をしまい込んで快晴の青空へと飛び立った。

 

 

「さぁ~てさて、今日はどこに行きましょうかね___________ん?」

 

 

文が空へと飛び立ってしばらくゆっくりと飛行しながら考えていると、

彼女の人間とはかけ離れた天狗の目が、見慣れたある物の無残な姿を捉えた。

 

「ちょっと、コレ………………私の新聞じゃないの‼ なんで、川に流されて………」

 

妖怪の山の中腹から流れている川の岸に、自分が先日発行したばかりの新刊が

捨てられて水に浸かりボロクズのようになってしまっているのを発見した。

急いでその新聞を掬い上げると、風に煽られて散り散りになってしまった。

何故自分の新聞がこんなところにあるのかと焦燥に駆られていると、背後の

沢沿いの山道から哨戒中の天狗とおぼしき二人組が何やら話しながらやってきた。

 

『ねぇ聞いた? 鴉天狗の文さん。またガセネタ書いて大天狗様怒らせたって』

 

『聞いた聞いた。しかも、それが里の人間達に知られて大騒ぎだったんだとさ』

『え? なんで人間達に知られて大騒ぎになんてなるのよ?』

 

『だってその記事、人間の山の立ち入り区域を拡張するって書いてあったのよ』

 

『は? 何それ? 私達の山を荒らさせる口実をわざわざこっちから作ったような

ものじゃない。前から人間に肩入れし過ぎだと思ってたけど、ここまで来ると』

 

『もう竹林の医者のところでも、治せないかも』

 

『ははは、そうなったら文字通りにお手上げだよね』

 

 

山道を下りながら二人組が本人がいない事をいい事に、好き放題に話し続ける。

文は岸でもはや読むことも叶わなくなった記事を握りしめながら小さく呻く。

だからか、だから自分の新聞が川に捨てられていたのか。

理不尽な暴挙への怒りを瞳に込めながら、気晴らしに外へ出た事を思い出した

文はフゥと軽く息を吐いて歩哨中の天狗達に見せつけるように再び飛び立った。

 

 

「あ~あ、なんか一気に冷めちゃったな……………」

 

 

妖怪の山から逃げるようにして遠くの空へと飛び立った彼女は、

また次の場所を目星をつけようとしていた。

すると背後から物凄い風切り音を立てながら、見慣れた白黒の帽子がやってきた。

 

「おぉーっす、どうしたよ文? こんなところで浮かんでやがって」

 

「あ、魔理沙さん。いえ、色々ありましてね…………あなたこそ何を?」

 

「んお? アタシか? アリスが今日ブラウニ作ってくれるって昨日の宴会で

約束してくれたからよ、それを受け取るついでに早苗んとこで茶菓子貰おうと」

 

「厚かましさもここまでくると……………まあご自由にどうぞ」

 

「お前に戒められる謂れはねぇぜ。ん? なんで手が濡れてんだ?」

 

「ッ‼ な、何でもありませんってば。それより早くアリスさんのとこへ

行かなくてもいいんですか? 折角の洋菓子が冷めちゃいませんかね?」

 

「それもそうだな! んじゃまた新聞出来たら家に置いてってくれよ‼」

 

「えっ? 魔理沙さん、読んでくれてるんですか⁉」

 

現れた魔理沙がそのまま箒の出力を上げて進行しようとした時に言った言葉が

気になった文は、先程の事もあってか、期待を込めた眼差しで魔理沙に聞いた。

だが、魔理沙は帽子のつばを押さえながら悪戯っぽく笑って呟いた。

 

 

「んにゃ、あの新聞は並の薪なんかよりも良い火苗になるんだよ! じゃな‼」

「ひ、ひなえ……………………」

 

 

無邪気に放たれた言葉が、文の心をさらに深くえぐっていった。

そのまま彼方へと消えていった魔理沙の星型の噴煙を見つめながら肩を落とし、

もう気晴らしどころではないと考え、文はフラフラと自宅への帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもよりも倍以上の時間をかけて自宅のすぐ近くまで飛んできた文は、

普段は見せない暗めな表情を前面に浮かべながらもなんとか自分を奮い立たせようとした。

すると、自宅の前に見慣れない人影があるのを目視した。

音も無く静かにその人物のそばに降り立って、やっとその正体を把握した。

 

「こ、紅夜さん⁉ どうしてここに‼」

 

「あ、射命丸さん。留守のようでしたので、待たせてもらいました」

 

その人物は先日の異変の元凶、十六夜 紅夜その人だった。

ただ文の質問には答えてはいない、一体何故彼はここにいるのか。

文はもう一度同じ質問をしてみた。

 

 

「そ、それはともかく。何でここにいるのかと聞いてるんです‼」

 

「え? あぁ、先日は取材の途中で宴会を抜けてしまったので…………それともう一つ。

実はコレを読んで気付いたことがあったので、その事で文さんを訪ねたんですよ」

 

「………?」

 

 

紅夜の言葉の真意を理解しかねていると、彼は懐から一枚の紙を取り出した。

文が近付いてその紙を覗き込んで、そして顔色を一変させた。

その紙とは_______________彼女の先日の新刊だった。

 

 

「こ、これがどうかしたんですか?」

 

「いえ、この部分。ここの文面が少々不自然だと思いまして」

 

「………………またそれですか」

 

「どうしたんですか?」

 

「__________もう、うんざりなんです‼」

 

 

紅夜が紙をよく見せようとした途端、文は大声で怒鳴った。

妖怪の声帯だからだろうか、周囲の木々まで震えるほどの怒号だった。

あまりの声量に驚いた紅夜だったが、文はお構いなしにまくし立てた。

 

 

「いい加減にしてくださいよ! 私の書きたいこと書いちゃいけないんですか⁉

別に良いじゃないですか、何のしがらみも無い真っ白な紙の上くらいでは

自由にさせてくださいよ‼ 私は、私は新聞が大好きなのに…………………………」

 

「射命丸さん……………」

 

 

目元に透明な滴を湛えながら、それでも感情をぶつけ続ける文を

紅夜は言い返すでもなくただ彼女の叫びを聞き逃すまいと耳を傾けていた。

しばらく叫び続けた文はようやく静まり、そして状況を再確認して戸惑った。

自分を訪ねてきた人に向かっていきなり怒号を浴びせてしまった、いくら

さっきまで嫌なことが相次いでいたにしても、完全に八つ当たりになっている。

そう半ば自暴自棄気味に落ち込んだ文だが、とにかく彼に謝ろうと思い立った

直後に、なんと彼が先に深々と頭を下げてきていて驚きの声を上げた。

 

 

「すみません、射命丸さん。僕は貴女の気持ちも考えずにこんな事を……」

 

「い、いえ! 違うんですよ‼ その、あの、えっと‼」

 

「本当にごめんなさい。そうですよね、いくら些細な誤字だからと言っても(・・・・・・・・・・)

射命丸さんだってそんな事に囚われずに書きたいことを書きたいはずなんですよね。

僕が浅はかでした、また後日お詫びに参りますので……………それでは」

 

「_____________え? 誤字?」

 

 

先程の事をどう説明したものかと悩んでいた文の鼓膜に、この場面に

似つかわしくないほど軽い言葉が響いてきて、思わず聞き返してしまった。

すると文の言葉が聞こえた紅夜は、申し訳なさそうな表情で呟いた。

 

「えぇ。ここの文脈がいささか不自然だったので気になったんです。

何度も読んでいるうちに、これが誤字であることに気付いたのでそれを

直接知らせに行こうと……………他人にあまり知られたくない事だと思って」

 

「あ、ああ………………ああああああああ‼‼」

 

 

紅夜の呟きを聞き終わるが早いか、文は彼の持っていた新聞を音の速度で

ひったくり、彼が指さしていた部分をよく読んでみると確かに誤字があった。

文は自分の間違いに羞恥の念を覚えつつ、先程彼に対して取った態度を

思い返して愕然とした。

冷静に思い返せば、彼は他の者とは違い『不自然だと思った』と言っただけで

書いてあることを真っ向から否定していたわけでは無かった事に今更気付いた。

自分の失態をわざわざ気を遣って誰にも知られないように直接指摘しに来た人に

対して、自分が取った態度がいかに愚かでいかに軽蔑されるべきものか。

もう文は、紅夜に対して顔を向けることが出来なかった。

両手で顔を覆って下を向き、いまだにうなり続けている。

 

 

(__________アレ? でも、ちょっと待って)

 

 

だがしばらく羞恥に喘いだ文は、ふとあることに気付いたのだった。

何故そんな一新聞の些細な誤字を、わざわざ紅魔館から足を運んで伝えに来たのか。

彼は異変の際にも、宴会の席でも、紅魔館の主の妹の執事だと言っていたのに。

しかも、普通に流し読みすれば気付かずに読み過ごしてしまうような新聞の

隅の方にあったこんな小さな誤字を、見つけた上で誰にも言わずにここまで。

あんな小さな間違い、よほど読み込んでいなければ気付きもしないだろう。

現に自分ですら、こうして今それが原因で羞恥に悶えているのだから。

 

 

(執筆者(わたし)よりも新聞を熟読しているなんて、そんな事…………)

 

 

有り得るはずがない、だって自分の新聞は誰も読んでくれないから。

記事を面白くしようと考え、記事に起こした努力を読まずに捨てられる新聞だから。

上司に、同僚に、果ては他種族で格下であるはずの人間にまで馬鹿にされる新聞だから。

そんな新聞を熟読し、あまつさえ自分に間違いを指摘しに来るなんてそんな事は……。

 

 

(…………本当に、私の事が好き、だから?)

 

 

それ以外に有り得ない。だがその考え自体がおかしいと思う。

何故なら彼とは初対面に近しい上に、会話も取材の時以上はしていないのに。

なのに、何故?

もしも、仮に彼のあの言葉が本当だったとして、いつからだろうか。

初めて会った時は紅魔館の門前、しかも自分は相手にひたすら警戒していた。

異変の最中は常に彼という存在に何かしらの危機感を感じていたのだ。

ならばその態度は相手である彼にも伝わってはいるはずだ。

初対面の相手に警戒されて、気分が良くなる者がいるのだろうか。

だが昨日の宴会の取材の際は驚くほど間近まで彼に接近し、彼と会話をしていた。

これっぽっちも警戒心など無く、それこそ自分が不自然に感じるほどにまで。

彼に対する評価が、自分の中で変わったのか。今まさに変わりつつあるのか。

今の自分の心理状況では、何一つ理解し、推察することなど出来なかった。

しかし、文はここまで考えてふと思い返した。

彼が自分を好きだったとして、そう考えることに全く抵抗を感じない。

むしろ、自分から進んでそう考えることを望んでいるかのような…………。

 

 

「射命丸さん。射命丸さん、大丈夫ですか?」

 

「はいっ⁉」

 

自分が深い思考の先である一つの結論に達しようとしたその時、

自分の耳元から今まさに考えていた彼の良く通る声が響いてきた。

突然過ぎることに驚き、文は伏せていた顔を上げて彼の顔を見つめてしまった。

その瞬間、トクンッと心臓の辺りが弾むように高鳴った。

胸の高鳴りが聞こえた直後、頬が紅潮し、目は潤みながら見開かれた。

鼻での呼吸が出来ず、苦しくなって口から粗く大きめの呼吸を繰り返した。

急に胸の奥が締め付けられるように痛みだしたが、彼の顔を見つめると治まった。

それを繰り返し続けた文は、もう紅夜から目線が外せなくなっていた。

 

 

「あの、射命丸さん?」

 

「いえ、大丈夫、です…………このくらい、私、妖怪ですから!」

 

「でも、顔が真っ赤になってますし、息も苦しそうに見えますが」

 

「かっ、顔は見ちゃ駄目です‼」

 

紅夜に指摘されて、文は慌てて放した手でまた顔を覆い隠した。

だがすぐに胸の奥が苦しくなって、彼の顔を指の隙間から見つめると楽になる。

文の視線に気付いた紅夜が顔を覗き込もうとすると、一気に顔が熱くなった。

自分は何かの病気にでも罹ってしまったのではないか、だとすれば原因はまず

間違いなく目の前の彼だろうが、何故彼から目を逸らすと苦しくなるのか。

 

「やっぱりどこか具合でも悪いんじゃ、射命丸さん! しっかり‼」

 

「__________________ッ‼」

 

 

文の態度の不自然さに違和感を感じた紅夜が、文の肩に手を置いた。

そのまま文を軽く揺すり、意識の有無を確かめようとしたが文は答えない。

何故なら紅夜のこの行為ですら、今の文には苦痛と安らぎの渦中にあるからだ。

 

 

(や、やめてください! そんなに揺すったら、顔が、見られちゃう‼)

 

 

頑なに顔を見せようとしない文を、さらに気遣う紅夜だったが

本格的に何かがおかしい事に気付き、肩から手を放して揺するのを止めた。

息を荒げながらも何事かと指を少し開けて彼を見つめようとした文だったが、

また見つめたら今度はどうなってしまうのか分からなかったから。

そのまましばらく顔を伏せたままでいた文だったが、いくら待っていても

彼の自分を気に掛ける言葉も、何も起こることが無かった。

 

 

(……………ど、どうしましょう。もう、限界ぃ………!)

 

 

文はただひたすらに自分の内の葛藤と戦っていた。

霞がかかったような思考の中で、文は自分の状況の把握に努めた。

だが、ソレも長くは続かなかった。

 

 

(も、もうダメです、紅夜さんの慰めが欲しい!

もう限界なんです、紅夜さんの慈しみが欲しい!

これ以上は耐えられません、声だけでも聞かせてぇ‼)

 

 

高鳴りが外部にまで聞こえるのではないかと思えるほどバクバクと

鼓動を刻んでいる胸の痛みに耐えきれなくなった文は、顔を上げて空を見上げた。

 

「紅夜さん‼ _________________アレ?」

 

 

だが文が見上げた先には、晴れ晴れとした青空があるだけだった。

銀髪の爽やかな少年はもう、影も形も無くどこかへと消えていた。

文は目の前の光景を見て、彼が能力を使用してまたしても瞬間的に移動したと

結論付けたが、よく見ると彼のいた場所に何やら紙切れのような物があるのに気付いた。

胸の痛みに苦しみながらも近付いてそれを手に取ると、彼からの伝言が記されていた。

 

 

『どうやら僕の言葉のせいで、射命丸さんの体調に何らかの変化を

及ぼしてしまったようですので、後日お詫びを持って改めて訪問させて頂きます。

そして先日の取材の件ですが……………あの言葉に、やっぱり嘘偽りは無かったようです。

今日も射命丸さんのご帰宅を待っている間ずっと、胸が張り裂けそうになっていました。

いきなり押し掛け、その上ご気分まで害してしまい、申し訳ありませんでした』

 

「紅夜さん……………」

 

 

紙切れに書かれていた紅夜の伝言を読み終えた文の胸には、もう痛みは奔らなかった。

それどころか、少し前まで滞留していた新聞を貶された怒りなども、綺麗に消えていた。

もう彼女は、何にも臆することも、怯えることもなくなるだろう。

爽やかな春風と共に、彼女の心にも銀色の風が吹き抜けていった。

 

 

 

 

幻想 ~新・紅魔異変~ _________完

 

 




と言う訳で、第一章はこれにて完結‼
もうゴールしたような気分に包まれております。

ですがその、ええはい分かってます。
完ッ全に文やの感情のギアを誤作動させ過ぎました。
書き終えた今頃になって反省と後悔に苛まれております。

ですが次回から、いよいよ彼が動き出します。
謎に包まれた彼の正体が、明らかになる⁉


それでは次回、東方紅緑譚


第二十弐話「緑の道、未知への道標」


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~幻想『緑道結記』~
第弐十参話「緑の道、未知なる道標」


ハイ、早く上がれたので少し早めの投稿です。

この回から、しばらくは八雲の彼が主役です。
謎めいた彼に隠された素顔が明らかに……………なるかも。

そしてやっと、やっと‼
私が東方のキャラの中で一番想い入れのあるキャラを
登場させることが出来ました‼ いやぁ感激です‼


それはいったい誰のことなのか⁉
まぁ私の名前見れば勘付く人はいるでしょうが。


それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 

 

自分の記憶が正しければ、今はおそらく午後の3時を過ぎてかなり経っているはずだ。

しかし太陽のある位置を見る限りでは、それが正しいとは到底思えそうにない。

何故なら今、太陽は南の空の真上より少し東側の方へと戻っていっているからだ(・・・・・・・・・・・)

夜に見られるものとは色合いも雰囲気も大きく異なる昼間の月が、それを通り過ぎている。

そう、今この幻想郷の天体の進む『方向』が、変わってしまっている。

一体何が原因でそんな事になってしまったのか。

 

「__________紅い霧の消滅を確認」

 

 

霧の発生源である吸血鬼の館からそれなりに離れている人の住む里。

そこからさらに離れた場所にある、うっそうと茂った森の中に彼はいた。

布が顔に掛けられているために、どうやって外部を認識しているのかは不明だが

彼は今回の『異変』の実態を解明し、その脅威が消えたことをたった今確認した。

 

「十六夜 紅夜、お前の戦いは終わったのか」

 

 

自分が主人の命令でこの世界に連れてきた少年の名を呟きながら空を見上げる。

すると空に浮かぶ二つの天体が一瞬ぐにゃりと歪んだかと思うと、太陽が急に

速度を上げて西の空へと進み、自分の記憶していた時間の通りの位置に戻った。

月だけが、いつもと変わらない速度でゆったりと太陽の後を追いかけている。

 

 

「さて、この異変は解決されただろう。おそらく、博麗の巫女の手によって」

 

彼は現状を正しく把握し、推測を立てる。

それはおそらく、ほぼ間違いないものであろう。

そう考えた彼は体の向きを変えて、先程白黒の魔法使いと緑髪の巫女の二人が

飛び出していった方向を見つめて、その一点を凝視する。

 

 

「ならば今、博麗神社は無人か。好都合だ、少し寄らせてもらおう」

 

 

誰に語るわけでもなく呟いた彼は、右手で空間を薙いで裂け目を作った。

その裂け目を左手で人が通れるほど大きく広げて、その中に消えていった。

 

__________顔に掛けられた、"(えにし)"と書かれた布をはためかせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷と外の世界を隔てる巨大な結界、通称_________【博麗大結界】

博麗大結界の監視を兼ねて建造された、博麗の巫女が住まう博麗神社。

そこへと伸びる参道はあまり整備されていない為か、参拝客などの影は無い。

それどころか、付近には人っ子一人確認できない。

周囲の状況をしっかりと念入りに探った彼は、空間を裂いてその地に足を降ろした。

浅緑色の布地で端正に繕われた、シミもシワも何一つ無い立派な着物。

着ている着物よりも鮮やかな色合いをした薄い緑色の逆立った短く揃った髪。

足の甲が丸見えになっているブーツもどきを履いていて、地面を小さく鳴らす。

肌は黄色人種のソレだが、普通の人よりかは若干白みがかっている。

腰には一振りの太刀がぶら下げられていて、その鞘は酷く傷んでいるように見えた。

彼の名は__________『八雲 縁』

 

神出鬼没な彼の主人のように、歪な雰囲気を纏った青年だった。

そんな彼はゆっくりと亀裂から体を出して、博麗神社の境内に姿を見せる。

そのまま神社の外観を見物した彼は、神社の中まで覗こうとした。

だがその時、神社の中に気配を感じてわずかに後ずさる。

 

 

「ん~~………んぉ、もっろひゃへよほへぇ~……………」

 

「………寝て、いるのか」

 

 

気配を感じさせた相手が、いびきをかいて寝ていた事に安堵した縁。

だが、就寝中であろう相手を目視(布を掛けているのに)したが

縁はその事実を受け入れるのにかなりの時間を要した。

 

 

「少女、か? だがこの風貌を見ると、普通では無いようだが…………」

 

 

そう呟きながら、縁はいびきの発生元を改めて見つめる。

 

煌びやかに磨き上げられたように光沢を放つ金銅色の長髪を伸ばして、

背中を通り過ぎて腰の手前辺りで鉄輪の髪結いによって一つにまとめられている。

しかし頭頂部にも大きな朱色のリボンがあり、髪を束ねているようだった。

上半身は袖が肩口から引き千切られたように無くなっているシャツを着ており、

首元には濃い梅のような朱色のリボンが結ばれていた。

下半身は不可思議な紋様が多数、至る所に刻まれている空色のロングスカートを

履いており、それはまるで昔で言う(はかま)のようでもあった。

シャツとスカートを繋ぐように腰にはサイズの合っていないベルトを装着して、

背中側からは鈍色の鎖が伸びているが、その鎖の先には何も無い。

だが、両手首と髪を結わえている鉄輪から伸びた鎖の先にはそれぞれ

右手首に金色の球体が、左手首に赤銅色の正三角体が、鉄輪からは群青の正四面体が

あり、明らかに重そうなそれらが寝返りの度に鎖をジャラジャラと掻き鳴らしている。

スカートの端から覗かせているスラリと流れる両脚は、珠のように輝く肌質。

靴は屋内の為履いてはいないが、その足のサイズから彼女の身長が容易に知れた。

そこまで見た縁は、最も目が行く部分へと再度眼を向けた。

そう、彼女の頭部____________に生えている二本の枯れ木の如き角へと。

彼女からして左側の角に、紺青色の布巾が器用に巻かれている。

そのさらに先、角の先端近くには白いリボンを可愛らしく結んでいた。

そして右側の角には、白い紐のようなものがまるで蛇のように巻きついている。

縁は知らない事だが、彼女の名は『伊吹 萃香(いぶき すいか)』といった。

そこまでじっくりと確認した縁の前で、何度目かになる寝返りを打つ少女。

やがて小さくうなった後で、その身長に比例した小さな目をゆっくりと開いた。

頭を押さえて置き上がった彼女の丁度正面にいた縁は、目が合ってしまった。

布で隠しているのにも関わらず、そう感じてしまった。

 

 

「……………んおー? だれだぁおまえぇ? どっからきたぁ?」

 

「私は、たまたま立ち寄った者だ。この神社に少し用が合ってな」

「………………くぉぉ………すぅ……」

 

「ん? なんだ、寝たのか。忙しい奴だな」

 

 

置き上がったまま目を閉じて寝てしまった眼前の少女を置いて、

縁は再び神社の外へ出て用事を済ませようとした__________その時だった。

 

「………アレは、守矢の巫女か。そんなに時間が経ってしまったのか」

 

境内から見える幻想郷の空に、風になびく緑の長髪を布で隠れた目で捉える。

縁は自分の、引いては主人の与えた命令の遂行に邪魔な存在の出現に苛立った。

だがこのまま隠れたとしても、博麗の巫女が戻ってきてしまえばそれまで。

ならばここは、自分の持つ運に賭けてみようと縁は考えた。

徐々に近付いてくる守矢の巫女、東風谷 早苗はようやく境内に誰かがいるのを

目視出来たようで、先ほどよりもさらに速度を上げてこちらに向かってくる。

やがて距離は無くなり、縁の眼前に早苗が降り立った。

 

 

「あ、あの! ごめんなさい! まさかこの神社に参拝客が来るだなんて夢にも

思っていなかったもので、その………博麗の巫女さんならもうすぐ帰ってきます!」

 

「いや。私は別に博麗 霊夢に用が合った訳では無い。ただ立ち寄っただけだ」

 

「あ、そうなんですか。それなら良かったです!」

 

「………………………」

 

会話を始めたころは真摯に謝罪していた早苗だったが、縁の風貌と言葉を

見聞きするや否や、表情にはあまり出さなかったものの彼に対する警戒を強めた。

 

(立ち寄っただけって言ってますが、あの無駄に長い参道をわざわざ登っておいて

霊夢さんに用が無いとか、それはもう完全にやましいことしますって自白する

ようなものなんですよ。危険ですねこの人は! ……………アレ? 人?)

 

 

早苗は心中でそう考えを張り巡らせたが、相手をもう一度見た直後に硬直する。

人間だと思っていた相手から、自分が巫女として務めている神社で祀られている

二体の神と、ほとんど同格の力を感じ取ったからだった。

つまり、縁の体から『神通力』が感じられたということだ。

ということは、目の前の怪しげな男の種族は神ということになる。

人としての器から神へと神格化した『現人神(あらひとがみ)』という種族の早苗としては

あまり事を荒立てたくない相手であり、自分よりは格が上であるということだ。

 

 

(一体どんな神様なんでしょうか………しかも信仰心の欠片も無い霊夢さんに会いに

来るだなんて、よほどお暇な方なんでしょうか。それとも逆にご高名な神様で、

怠け切った霊夢さんにお灸でも据えに来たんでしょうか…………いずれにしても)

 

 

早苗はそこまでを一瞬の内に考え付くと、改めて縁を見つめる。

当の縁は早苗の態度の豹変ぶりに既に気付いていて、次に取るべき正しい行動は

何かと表情の見えない顔のまま必死に考えていた。

 

「あ、あの……失礼ながらお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

「………………………」

 

「えっと、その……………聞こえてますか?」

 

「ああ、聞いている。私の名前だが、今は伏せておこう」

 

「それは、何故ですか?」

 

「君が仕える二柱に、私と接触していることが知れると厄介だ。互いにな」

 

「そう、でしたか………そういう事ならば‼ どうでしょう、守矢神社に来てみては⁉」

 

「何?」

 

 

縁にとって、予想外の選択が持ち出された。

早苗からしてみれば、自分が巫女を務める神社の二人の神の総称を出された

時点で、目の前の神様が相当名が高いことが知れた為、何としても守矢との

協力関係を結びたいと思ったが故の行動であった。

しかし、縁からしてみれば完全に面倒事でしかない。

何とかしてその話を断ろうと模索していると、背後から物音が聞こえた。

鎖がぶつかり合う、ジャラジャラという聞き慣れない金属音。

縁が振り返ると、先程まで寝ていた少女が目を覚ましていた。

 

 

「あ、萃香さん。留守番してたなら言ってくださいよぉ」

 

「んー? 守矢の巫女が何でここにいるんだい?」

 

「だーかーら、霊夢さんから留守番頼まれてて、今しがたお客さんが来たんです」

 

「は? 客? この神社に? ……………あれま本当だ、物好きかね」

 

「ちょ、ちょっと失礼ですよ萃香さん! こちらの方は「分かってるよ」……え?」

 

「分かってるって、コイツ神なんだろ? でもここいらじゃ見ない顔してるね。

……………というか見えない顔してるねぇ。その布の下はどんな顔してんだい?」

 

「そういうお前は、一体何者だ。人では無いな」

 

「ん。正解だよ、というか頭のコレ見りゃ分かんだろ?

そう、あたしは鬼だよ。あの悪名高き【伊吹の山の鬼頭(おにがしら)】ってのがあたしさ」

 

「伊吹………? 悪名は知らないが、その姓は聞いたことがあるぞ」

 

「ほほー、あたしの名を知らないたぁよっぽどのモグリだね?」

 

 

話を続けていく中で萃香の名を知った縁だったが、その伊吹という姓をどこで

聞いたのかが思い出せずにいると、除け者にされた早苗が腕を振って話に割り入る。

 

 

「とにかく! どうぞ私達の守矢神社まで足をお運びください。

ご心配無く、ここからはそこまでの距離はありませんので話でもしながら‼

さぁさぁ、もう日も傾いてきておりますので、どうぞごゆるりと!」

 

「お、それならあたしも着いてっていいかい? 最近並の酒しか飲んでなくて

そろそろ前の奉納でチビッとくすねた神酒の味が恋しくってさ……なあいいだろ?」

 

「萃香さんですか………って、今何て言いました? 奉納? 神酒?

それってまさか、三か月前の守矢神社の式典のアレですか‼

もしかしてお神酒の樽が一つ消えてたのって、萃香さんの仕業だったんですか⁉」

 

「そうだよ、あんときゃ世話になったね。でもさ、やっぱもう少し多めに

飲んどきゃ良かったかなって思うんだよねぇ………巫女としてはどう思うよ」

「どうもこうも! ……………はぁ、もういいですよ。

あのお二人には私から話を通して一杯だけなら許可をいただけるようにします。

でもお断りになられたら、そのままお帰り願いますよ。いいですか?」

 

「おうよ! 鬼に二言も虚偽も無しってね!

さぁどしたよ、早いとこ守矢神社に行って酒飲もうぜ‼」

 

「ちょっと萃香さん、主賓はこちらの方ですからね⁉」

 

 

交渉とも言えない会話を早々に切り上げて、愛用の秘宝とも言える瓢箪(ひょうたん)

『伊吹瓢』を片手に携えて先陣を切って参道の階段を駆け下りていく萃香を、

慌てて追いかけていく早苗の後ろ姿を見つめながら、一人残された縁は呟く。

 

 

「どうして、こうなった…………私はどうしたら良いでしょうか、紫様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊吹 萃香か。厄介な者に出くわしたな、縁」

 

 

誰にも感知されない空間で、誰にも聞かれないほど小さな声で。

そこにいた流麗な外見と鼓膜を歓喜で震わせるような美しい声の持ち主が

守矢の巫女に声をかけられて渋々着いていく縁の姿を鋭い眼光で見つめていた。

「しかし、どうして私は命令でもないのに奴を監視しているんだ?」

 

 

金髪碧眼の妖艶な雰囲気を持った美女、八雲 藍がそこにいた。

彼女は妖術を使用して、八雲邸に居ながらも縁の行動を見つめていた。

だが、その行動は彼女と縁の主人である八雲 (ゆかり)からの命令ではなかった。

自分には博麗大結界を監視し、管理し、修繕するという大命があるというのにだ。

なのにどうして自分はあの男の事を確認せずにはいられなかったのか。

分からない、理由が見当たらない。だが使命感がある、それは何故だ。

考えても考えても結論には辿り着かず、再び視線を縁へと戻す。

 

 

「ん? あいつ、命令は博麗神社だろう。それを誘われるがままに守矢神社に

行こうなどと……………これではまるで躾のなっていない子供のようじゃないか」

 

 

言葉の端に苛立ちを交えながらに呟いた藍だったが、

自分の言葉を改めて考え直すと、確かにそのようだったとふと思った。

 

 

「そうだ、まるで子供だ。何も知らない無知で無垢な子供だった。

私が(チェン)に学を教えていた時、あいつもそれに興味を示していた。

あの時は紫様が自室へ連れていったが、確かにあいつは………だがそれなりの年だ」

 

 

ブツブツと唇に指を当てながら呟いていた藍だったが、ある結論に至った。

 

 

「もしやあいつは、学んだことが無かったのか?

それならば説明がつくが、普通に会話もできるし文字も書ける。

なのに学んだことだけは無いとは、やはり妙ではないか?

だが他に納得のいく答えは無い……………あの男についての情報が少ないな」

 

 

自分の考えた仮説が正しいのかどうかは、現段階では分からない。

ならばその仮説をより信憑性の高いものにしようと、再度縁を見つめる。

もっともっと彼の事を知って、それから………………どうするのか?

 

 

「うん、要観察だな。もっと奴について多くを知らねば」

 

 

そう一人で語って独りでに納得した藍は監視を続ける。

何故彼の事を知りたがるのか、その理由は今の彼女には分からない。

知りたい事を知ろうとするのは、知性ある者ならば至極当然だと自分に言い聞かせ。

だから彼女は気付くことが出来なかったのだ。

もしもこの場に第三者が居たならば、その者が普段の藍の事を知っていれば

彼女の変化を容易に知覚し、指摘することが出来たであろう。

 

 

「ふふっ、しょうがないやつだな」

 

 

__________彼女の顔がうっすらと赤らみ、ほんのりと温もりを帯びていた事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………どうする? もう降参するか?』

 

『冗談でしょう? 私が降参だなんて、冗談にしてもくだらない』

 

『だろうな。私としても、降参なんてつまらな過ぎる』

 

『全くよ。折角の時間なんだし、楽しみましょうよ』

 

『楽しくなんかねぇよ。こいつはケジメだ、私とお前とのな』

 

『決して着かない、だから決着。ケジメなんて着く訳が無いのに』

『うるせぇ。お前にとっては単なる暇潰しだろうが、私は違う』

 

『へえ………アンタは何を持ってこの決闘(ころしあい)を挑んでくるのかしら』

 

『分かり切ったことを。だが、私は変わったんだよ。アイツのおかげでな』

『は? アイツ? 一体何の話よ?』

 

『お前は知らなくてもいい事だ。さぁ、二回戦といこうか』

 

『…………そうね、いい加減眠くなってきちゃったし』

 

『気が変わったよ、コイツで最終戦だ。私とお前との、本当に最後のな‼』

 

『やれるものならやってみなさい。私を終わらせてみなさいよ‼』

 

 

 

 

『『____________殺してやる‼ 次は無い‼』』

 

 

 





ハイ、いかがだったでしょうか。

私が好きなキャラ、もうお分かりでしょうが萃香です。
初めて東方を知った時に、気にいったのが彼女です。

いえ、ロリコンじゃありませんよ?(真剣)

ただ、私はアレンジ曲から東方にはまったので
そのはまった曲が彼女のテーマの「砕月」だったわけでした。


それでは次回、東方紅緑譚


第弐十参話「緑の道、山頂の二天柱」


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第弐十四話「緑の道、山頂の二天柱」



最近リアルが忙しくなってきました。
ですが、こちらの更新だけは決して止めません。

だって、東方大好きですから‼


そんな決意を胸にしてこれからも頑張ります。
それでは、どうぞ!


 

 

 

紅い霧の異変の終幕を見届けた縁は、その足で博麗神社へと向かった。

しかし、そこに居た鬼の伊吹 萃香と戻って来た東風谷 早苗の誤解によって

彼は自分の主人からの命令を実行出来ぬまま、早苗の住まう守矢神社へと誘われた。

既に日は落ちかけ、月の輝きが段々と強まってきた頃になってようやく彼らは

神社を山頂に建立してある『妖怪の山』へと辿り着いたのだった。

 

 

「意外と距離があったな」

 

「いや………まさか神様である貴方が空を飛べないなんて思わなくて」

 

「すまない。だが、空中を走って来た分遅れは取り戻せたはずだ」

 

「空を走るとはね、流石のあたしでも驚いたよ。どうやったんだ?」

 

「またいずれ話すとしよう」

 

元々空を飛べば早かったのだが、縁には飛行能力など存在しなかった。

だが彼は空中に移動してすぐに、自分の足を出した先と地面を(つな)いで足場を作り

それを繰り返すことで空中を走るようにしてここまでやって来たのだった。

これには流石の萃香も驚いたようだったが、そのタネは教えてもらえなかった。

早苗も直接口には出さなかったが、内心では聞きたかったと残念がっていた。

 

 

「と、とにかく今は先を急ぎましょう。夜になってしまいますから!」

 

「それもそうだな。では東風谷 早苗、道案内を頼む」

 

「ハイ、こちらです。(なんでフルネームで呼ぶんでしょうか?)」

 

 

早苗は空を見て予定よりも時間がかかった事に焦りつつ山への道に足を踏み出した。

縁と萃香は早苗にそれに続いて足を踏み出し、彼女の後を着いて行った。

そして三人が山に入ってから十分くらい経過した頃だろうか、萃香がふと立ち止まる。

それを見た縁と早苗は、何事かと尋ねようとした直後に萃香が口を開いた。

 

 

「あっちゃ~…………やっぱり何の連絡も無しに来たのはマズかったかね」

 

「萃香さん? どうかしましたか?」

 

「ん、ちょいとね。しかし参ったね、あたしはただ神酒を一杯貰おうと思っただけ

なんだけど、アイツら(・・・・)はそうは思っちゃくれんだろうなぁ………やらかした」

 

「伊吹 萃香、一体どうしたというのか」

 

「何でもないよ。ささ、早いとこ神酒貰って帰ろうや!」

 

「…………………」

 

 

立ち止まっていた萃香がまた突然歩き出し、そのまま早苗を追い抜かしていく。

早苗は何だったのだろうと思いながらも道案内として役目を果たそうと続いた。

しかし今度は縁が萃香のように立ち止まり、同じように後ろを振り返る。

その行動に早苗は疑問を抱き、萃香は彼の視線(布で隠れて見えないが)の先に何が

あるのかを何となく察し、口を挟もうとした。

だがその瞬間、縁の姿が突如現れた裂け目に消えて影も形も見えなくなってしまった。

 

「あ、アレ⁉ もしもーし、名も知れぬ神様ー、どちらへー⁉」

 

「ああ、アイツも勘付いたのかい。でも良く分かったね、あたしでも気配を掴みにくい

奴らの居所を一瞬で見破るなんてさ。なあ守矢の、あの神は何の神様なんだい?」

 

「へ? い、いえ………私にも何の神様かは分からないんですが」

 

「そうかい。でも、アイツ相当力はあるね。鬼のあたしにでも分かるよ」

 

「そ、そうなんですか……………しかし、いったいどこへ?」

 

 

縁が消えた場所でやり取りを続ける二人は、消えた彼の事について話し始める。

しかし、それほど時間も経たない内に再び二人の目の前に裂け目が現れた。

その中から出てきたのは、顔に布を掛けた縁と、もう一人の姿があった。

二人がその人物の名を頭に浮かべた直後、その人物が噛み付くように縁に吠える。

 

 

「貴様、一体何者だ‼ ええい放せ、人間風情が! ここは妖怪の山なんだぞ‼」

 

「え、(もみじ)さん? どうしてその人と一緒に?」

 

「守矢の巫女、貴様だな⁉ この人間を山の中に入れた………の………は…………」

 

縁に対して文字通り食って掛かっていた、不思議な姿をした少女。

まるで一本一本を絹糸で編み込んだかのように煌びやかな銀色の短髪。

その銀色の髪の中に一点だけ映える、紅色の頭巾(ときん)と呼ばれる被り物が添えられ、

頭巾の下から両側頭部にかけて、モコモコとした綺麗な毛並みの犬のような耳が生えていた。

上半身は早苗と同じように何故か脇を露出させた濃白色の布地で繕われた天狗の装束を

身に纏い、下半身は浅黒色の中に真っ赤に染まった紅葉が散りばめられた絝を履いている。

そして彼女の背中には、彼女の体よりわずかに小さいほどの巨大な大剣が携えられていた。

彼女がその背に携えた剣の鞘の下から、耳と同じように白銀色の大きな尻尾が見え隠れしている。

今もなお縁に服の裾を掴まれて身動きを封じられた彼女の左腕には、白色の小楯が備わっていた。

彼女の名は__________『犬走 椛(いぬばしり もみじ)

 

彼女の特徴的な耳や尻尾は、白狼天狗(はくろうてんぐ)という種族の証明でもあった。

白狼天狗は主に妖怪の山の警護や哨戒に当たっていて、普段から非常時に備えての

武器の所持及び携帯を全ての天狗の中で唯一認められているのだった。

彼らは鴉天狗達と共生し、互いの役割をキッチリと取り決めて暮らしている。

つまり、人間で言う『縦社会』の縮図のような間柄なのであった。

種族の格で言えば鴉天狗の方が上であるため、白狼天狗は彼らの言う事を基本的に聞き入れる。

背けば、それなりの罰が与えられるためであった。彼女もまた例外では無い。

故に彼らは、使命感や仲間意識が非常に強く、自分達以外の種族に容赦は無い。

だが、そんな確立したシステムを構築している彼ら天狗にも、勝てない相手がいた。

それこそが『鬼』である。

 

天狗の人間を遥かに超えた身体能力も鬼に対しては赤子も同然であり、

彼らの鍛え抜かれた様々な妖術も、鬼の発する覇気の前では紙クズに等しい。

力でも、知恵でも、決して鬼には叶わない。

人間よりも長い年月を生きる彼らでも、その絶対的な上下関係は覆せなかった。

だからこそ天狗は人間と共謀し、鬼を自分達の暮らす山から追い出す事にしたのだった。

その結果が、今の平和な妖怪の山の現状なのである。

 

しかし今、事この場に至ってそれは覆った。

 

椛の釣り上がった両眼にはハッキリと、鮮明に、そして絶望的にしっかりと映り込んだ。

彼女の視線の先には、彼女ら天狗が恐れ忌むべき相手である鬼が立っていたのだから。

先ほどまでの敵意は軽く吹き飛び、彼女の表情にはくっきりと絶望が浮かび上がった。

 

 

「おお、久しぶりだね。やっぱりさっき見てたのはアンタだったかい」

 

「い、ぶ、き、すい、か……………さん? どうして、ここに」

 

「ちょいと用事が出来てね、すぐに帰るから心配無さんな。

大丈夫だよ、もうやたらめったら能力で人やら(あつ)めて夜通しの宴会なんざ開かないから」

「ほほ、ほんとでしゅか⁉ ももも、もうお帰りに、なるの、ですかっ⁉」

 

「んー? 何だい、帰っちゃいけないのか帰ってほしいのかハッキリしな。

そういう曖昧なのが一番ムズムズするんだよ。で、どっちなんだい?」

 

「どど、どちらと言われましても、その!」

 

「…………もういいよ、邪魔して悪かったね。おいアンタ、コイツを放してやりな」

 

「いいのか? コイツは我々を密かに監視していたようだったが」

 

「それがコイツらの仕事なのさ。分かったら放してやりな、ほら早く」

 

「………そういう事なら問題は無い。すまなかったな、邪魔をしてしまって」

 

「いい、いえ………でで、でも、人間のお前が来たことは上に報告をするからな!」

 

「私がこの山に入ってはいけなかったのか?(もしや、紫様に敵対する連中か?)」

 

萃香が何かを諦めたようにため息をつくと、縁に椛を解放するように頼んできた。

縁は一先ずの非礼を詫びつつ椛を解放したが、その椛は再び敵意を向けて言い放った。

その言葉の意味を勘繰った縁はやはり捕らえておこうと思い直し能力を使おうとした。

しかし、それを制するように今まで黙っていた早苗が両者の間に割り込みながら声を上げた。

 

「椛さん、その件に関してですが問題はありません。

人間のようですが、こちらの方は神通力を宿しています。つまり神様です。

例え低級だったとしても、人間ではない以上この山へ踏み入る事自体は問題無いはずです。

この方を守矢神社のお二人に会わせようとして連れ込んだのは私ですので、もしもそちらの

大天狗様が厳罰を言い渡すようなら、その時は私も同罪として処罰を受けますよ」

 

「い、いや。お前をどうこうするとあの二柱が黙ってはいないだろう。

そうなることは大天狗様も避けたいはずだからな、仕方は無いか」

 

「御協力感謝しますよ」

 

「と、とにかく私は哨戒に戻るが他の仲間には絶対に見つかるなよ!

あ、いや見つからないでください萃香さん、色々と厄介になりかねますので………」

 

「承知してるってば、今回はあたしが悪かったよ。

そういう訳だ、あたしは今から霧状になってあんたらに着いて行くことにするよ。

そうすりゃ多少は妖力を抑えられるし、見つかってもコイツのせいにしときゃ、な?」

 

「私の能力か何かのせいにするということか、いいだろう」

 

「話はまとまりましたね? それじゃ行きましょうか」

 

 

息を吹き返したように目を吊り上げていた椛は萃香を見るたび委縮する。

それを見て何か思うところがあったのか、萃香も同じように肩を落として妥協した。

縁達とも話をまとめ、再び早苗が先導して山道を歩み始めた。

そんな三人の、もとい二人の背中を見つめながら椛もまた別の参道を駆けていく。

鬼と遭遇したためか、普段の椛であれば気付けた異常に気付くことが出来なかった。

縁の歩いた道のりを、確かめるように追っていく一つの影がいた事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁達が妖怪の山に足を踏み入れてから更に日が傾いてきた今現在。

彼らの目的地である守矢神社の(やしろ)の中で、二人の女性が会話をしていた。

大柄な方の女性の声は凛としていながらも決して華奢ではなく、むしろ腹の底まで

響くような重厚な雰囲気を纏っているようでもあった。

対してもう一人の小柄な少女の声は先ほどの女性とは真逆の印象を抱かせるほど

幼いようであり、天真爛漫(てんしんらんまん)という言葉が似合う声色であった。

そんな対照的な二人が顔を同じようにしかめながら、会話を続ける。

 

 

「やっぱり気のせいなんかじゃないよ、確実に迫って来ている」

 

「ああ、今ハッキリと分かったよ。コイツは敵か、それとも…………」

 

「安易な考えは止めといたら? これほどの力の持ち主なんだしさ」

 

「それもそうだな、だがそれ故に奇妙でもある。そう思わないか?」

 

「何が?」

 

「これだけの力の持ち主が何故、こんな時間にここまで来たのか。

しかもつい先ほどまで『異変』が起こっていたにも関わらずだ。

この二つの出来事がたまたま、偶然の出来事だと思えるか?」

 

「うーん、どうだろうね。まだ判断材料が少なすぎるよ」

 

「かといって後手に回るのはまずい、か……………」

 

 

大柄な女性があぐらをかきながら右手を顎に添えて悩む素振りを見せ、

小柄な少女が両手を床につきながら足を開いて、まるでカエルのような体勢のまま

相手と同じように思い悩むようなうめき声を上げる。

結局いい考えが浮かばなかった彼女らは、考えるのを止めた。

 

「…………もういっそのことさ、殺っちゃう?」

 

「それが出来れば苦労は無いが、もし敵意の無い者だったらどうする?」

 

「うーーん……………ごめんちゃい?」

 

「許される訳が無いだろ」

 

「だよねー! うんうん、言ってみただけだよ。そんな怒んないで」

 

「全く、安易な考えはどうこうと言っていたのはお前だろうに」

 

「えへへ~、もうメンドくさくなっちゃってさ」

 

「まあ、確かに。もうそこまで来てるし、手っ取り早い方がいいよな」

 

「決まり! そいじゃ一発で決めちゃおうよ。手っ取り早く、さ?」

 

「そうだな。良し! 一丁デカいの決めてやるか‼」

 

結局話し合いの甲斐も無く、二人は会話を終えて立ち上がった。

大柄な女性は背中に背負った巨大な注連縄を背後で揺らしながら歩み、

小柄な少女は先ほどの姿勢のままカエルのように飛び跳ねて前へ進む。

そこまで長い距離があった訳でもないので、二人はすぐに玄関に着いた。

神社の扉にしてはそこまで豪勢では無いそれを勢い良く開き、前を確認する。

目の前に広がる神社の境内には、二人の待つ人物はいないようだったが、

恐らくまだ到着していないのだろう、そう考え二人は境内に出た。

しばらく待つと二人の感じていた凄まじい力の塊がすぐ近くまでやって来た。

二人は不敵な笑みを同時に浮かべて、弾幕ごっこのスペルカードを取り出す。

肉眼で境内に上がろうとする者の存在を目視した直後、二人は全く同じ

タイミングでスペルカードを発動させた。

 

 

「_________神祭【エクスパンデッド・オンバシラ】‼」

 

「_________開宴【二拝二拍一拝】‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁と早苗が長い参道を登り切り、霧状になっていた萃香が実体化していたその時。

突如三人の真上が夕暮れだというのに明るく輝きだし、その光が徐々に強まっていく。

萃香と縁はその光を不思議に思い空を仰いだが、早苗は光の正体にいち早く気付くと

自分の横にいた二人に対して身を(かが)めて動かないようにと叫び伝えた。

 

「コレは神奈子(かなこ)様の、神祭【エクスパンデッド・オンバシラ】⁉」

 

「おいおい、何だいこりゃ? 随分なお出迎えじゃないか」

 

「弾幕………スペルカードか?」

 

萃香が身を屈めながら飛来してくる弾幕を睨みつけ、縁が攻撃の出所を探る。

早苗は何故自分の仕える二人の神の内の一人の弾幕が飛んでくるのか分からなかったが、

その理由を考えるよりも早く別の危機が迫っていることに気付き、再び声を荒げた。

 

 

「そんな、今度は諏訪子(すわこ)様の、開宴【二拝二拍一拝】⁉」

 

「何だい何だい、アンタのとこの神様は神酒の一杯もくれたくはないらしいね!」

 

「上からと真横から、か。逃げ場を完全に塞いでいるな」

 

 

自分達の真上から降り注いでくる茶褐色の細長い弾幕の雨の中、縁が小さく呟く。

絶え間なく降り続く弾幕に加え、次にやって来たのは横薙ぎに飛来してくる弾幕だった。

逆扇型の形状で飛んでく弾幕に合わせて、時折青く輝く巨大な丸い弾幕が三人の頭を掠める。

しばらくそのままでいた三人だったが、現状に痺れを切らした人物が大声を上げて立ち上がる。

 

「いい度胸してんなぁ神様よぉ! 鬼相手に先手打ってご満悦かい⁉」

 

「ちょ、あの、萃香さん⁉」

 

「けどね、ナメてもらっちゃ困るよ! この程度足止めにもなりゃしないっての‼」

 

「萃香さん! ああもう、どうしてこうなっちゃうんですか~!」

 

萃香が理由も無く攻撃してきた相手に対して、浴びせられ続ける弾幕の中で吠える。

両腕に力を込めて、ひざを軽く曲げていつでも動けるように体勢を整える。

だがその一連の動きを見て、一人黙っていた縁が萃香の方に顔を向けて冷静に語る。

 

 

「伊吹 萃香、私達は今攻撃をされているのだな」

「あ? 見りゃ分かんだろ、歓迎されてるように見えるってのかい⁉」

 

「いや、そうは見えない。だが何故攻撃をされている?」

 

「あたしが知ったことか! アイツら殴りゃすぐに分かることさ‼」

「殴れば分かるのか。分かった、ならば敵を殴って理由を問い質そう」

 

そう言うと縁はすっと立ち上がり、弾幕の雨の向こう側をじっと見つめる。

自分の名が書かれた布で覆われていながらも、彼の眼はハッキリと敵を捉えた。

敵を確認した縁は向きを変え、早苗と準備万端な状態の萃香に向き直った。

そのまま縁は萃香に近づき耳打ちし、右腕で空間を薙いで裂け目を作り出した。

 

 

「殴ればいいのだな、伊吹 萃香? ならば協力させてもらおう」

 

「協力だ? 鬼のあたしに? 笑わせんじゃないよ、お前に何が出来る?」

「あそこにいる二人を殴る事が出来る」

 

「………………いいね、面白い奴だ。なら手伝わせてやるよ‼」

 

「ではどちらがどちらを相手にする?」

「あたしはあのちっこいのだ。ああ見えてアイツは確か大雑把な攻撃しか

してこなかったはずだしね。お前さんはあのデカい注連縄の方を頼むよ」

 

「了解した」

 

「チンタラしてたら両方あたしが殴っちまうからね?」

 

「案ずるな、その頃には私が殴り終えている」

 

「………くははッ! やっぱり面白いねお前、ますます気にいったよ‼」

 

 

縁の提案を承諾した萃香は、持っていた瓢箪を持ち上げ逆さまにして

中身の酒をこぼすようにして自分の口へと運んでいって喉を鳴らして嚥下する。

大きく息を吐いて腕をぐるぐると回して、自分が敵と定めた相手を鋭く睨む。

そのまま萃香はスペルカードを取り出し、飛来し続ける弾幕を掻き消さんとする

ほどの声量でスペルを唱えて発動させた。

 

 

猪口才(ちょこざい)なハエはまとめて潰すに限るってね、霧符【雲集霧散】‼」

 

萃香がスペルを唱えてから、大きく息を吸い込んで間髪入れずにそれを吐き出す。

すると彼女の吐き出した息が白い霧となって、早苗や縁を包み込んで滞留していく。

だがこの霧はただ単純に彼女らの姿を隠すだけのスペルカードでは無い。

このスペルで発生した霧は、一定時間だけ霧に触れた弾幕を消す効果を有している。

つまり、今まさに降り注ぐ弾幕も横薙ぎに飛来する弾幕も、全てが無効化されているのだ。

そしてその瞬間を、縁は見逃さなかった。

自分が結いでいた空間を移動して、一気に弾幕の射出されている地点へと着地する。

弾幕の射出地点にいた人物は驚いて振り返るが、既に縁は次の行動に移っていた。

 

 

「__________遅い、境線【遥か彼方の地上線】」

 

 

縁が移動すると同時に取り出していたスペルカードを発動させる。

その瞬間、彼の背後に先ほど自身が開いた空間の結ぎ目よりもさらに巨大な

空間の裂け目が発生し、そこからかなりの速度で長大な一直線上の弾幕が放たれた。

ビームかレーザーに見紛う弾幕が、恐ろしい速度で空間を左から右へと一薙ぎする。

だがその直後に弾幕の射線上にあった全ての物質がキレイに切断され、爆発した。

幸いなことに守矢神社は射程圏内に入っていなかった為、切断されることは無かったと

境内に今だ踏み入れずにいる早苗が胸を撫で下ろしていた。

しかし、これで終わったわけでは無い。

 

「お前はコッチだよ、酔神【鬼縛りの術】‼」

 

突然の反撃に驚いていた二人の内、小柄な少女に向け新たなスペルを発動させた萃香。

自分の腰のベルトから伸びている鎖を手に取り、彼女の妖術でそれを長大化させて

頭の上でグルグルと振り回して狙いを定め、一気に相手へ向けて投擲した。

小柄な少女は横合いからの一撃に反応出来ず、突き出していた両腕に絡められてしまう。

手応えを感じた萃香は鎖を介して相手の力を能力で自分に寄せ萃め、吸収して弱体化させ

縁のいる方向とは逆の方向に向き直って握っている鎖を力いっぱい引き寄せた。

 

 

「ほらほらどうした? まだまだ勝負は宵の口だよ‼」

 

「あーうー……鬼だったのかぁ、道理で強い妖気を感じた訳ケロ」

 

「相手があたしと知らずにケンカ吹っ掛けて来たってのか?

それは、アレかい? 鬼を……………………ナメてんのかい、ええ?」

 

「うーーん、コッチとしてはあの男の方を追い出せれば良かったんだけど、

ついでだし鬼も一緒にやったって問題無いよね。勝手に踏み込んだのはそっちだしさ」

 

「簡単に言ってくれるね、あたしが鬼だって忘れてないか?」

 

「そっちこそ。私が神だって忘れてないケロ?」

 

頭に奇妙な帽子を被った少女を相手に及び腰の萃香は、再びスペルカードを

懐から取り出して発動しようとするが、相手も同じ行動に出ていた。

互いに互いの次の一手を警戒し、中々先に進みだせない。

しかしながら萃香は、この状況を密かに楽しんでいた。

 

「さあて、いい酒の肴になっておくれ‼ 蛙の神様よ‼」

 

「仮にも土着神相手にいい度胸すわぁ………来なよ、山の子鬼‼」

 

 

 

『萃まる夢、幻、そして百鬼夜行』 伊吹 萃香

VS

『土着神の頂点』 洩矢 諏訪子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁が発動したスペルを回避した神奈子は、内心驚愕に震えていた。

自分達の感じていた強い妖気は、少し離れた所で鎖を振り回している鬼のものと

判明したはいいが、目の前のこの男については全く理解が出来なかった。

見た目は完全に人間そのものだ、多少奇妙な点はあるが幻想郷では大した事では無い。

だが、彼から感じる得体の知れない力については神奈子ですらも分からないのだ。

神として生きてきて、初めて未知の存在と対敵した。

戦場を司る戦神としては、この上ない恐れと好奇を抱いていた。

 

「次はコレでいこう、恍線【ハイパワー・ロウグラスパー】」

 

「くっ‼」

 

 

神奈子は突如自分の背後に現れた男の次なる一手を許してしまった。

しかしそれは自分の知る従来の弾幕とはかけ離れたものであった。

男の頭上と足元にそれぞれ二つずつ裂け目が現れ、頭上の二つからは直線的に

射出される大型の丸い弾幕が、足元の二つからはレーザー型の弾幕がまるで

獲物を見つけて忍び寄る蛇の如く神奈子に向かって蛇行しながら飛来してくる。

神奈子はその弾幕を自分の次なるスペルを発動することで相殺しようと考えて

懐からスペルカードを取り出し、それを発動させようとした。

 

 

「相殺か、いい手だが既に読んでいた。烙線【陽ト共ニマタ月モ沈ム】」

「なっ、馬鹿な! 発動前のスペルがブレイクされた⁉」

 

「こういうスペルもある。流石に読むことは出来なかったようだな、戦神よ」

 

「貴様ァ………戦神の名を、(あなど)るな‼」

 

 

自らを自分たらしめる戦神という名を貶されたような気になった神奈子は、

スペルでの相殺を諦め、自らの放つ弾幕でどうにか凌ごうと決意した。

だが再び押し寄せて来た異なる種類の弾幕の混ざり合った波が、神奈子の視界を埋める。

その波に飲み込まれる直前、背中に背負った注連縄に装着されていたオンバシラを

2本ほど切り離し、即席の防壁として隙を作り、弾幕の隙間を掻い潜った。

自らの弾幕を放つ手数を二つ減らされた事に、神奈子は憤りと焦りを同時に募らせる。

しかし目の前の男は打って変わって、表情の見えない顔で自分を見下ろしている。

 

「侮るつもりは毛頭ない。そして、加減も容赦もする気も同様に無い」

 

「ふん、少し出来る程度で神を超えたつもりか? 図に乗った事を後悔させてやる」

 

「私には後悔という感情は無い。故に八坂 神奈子、君の望みは叶わない」

「……どこまでも人の神経を逆撫でする奴だな、神を何だと思っているんだ貴様は」

 

「神は神だ。人は人、妖怪は妖怪。それと同じことだ」

 

「…………訳の分からん奴だ」

 

「私は縁、八雲 縁だ。これで『訳の分からん奴』では無くなったな」

 

「………八雲、そうかいそうかい。何となく察しは着いたよ。

お前が八雲と繋がってる者なら、何の遠慮も容赦も要らないってことだね」

 

「好きに解釈してくれて構わないが、そろそろ始めよう。

_____________もっとも、すぐに終わりになるだろうが」

「何度も言わせるな人の子よ、図に乗るな‼」

 

 

 

『心優しき無心兵器(オートマトン)』 八雲 縁

VS

『山坂と湖の権化』 八坂 神奈子

 

 





いかがだったでしょうか。
口調とかおかしくなってるかもしれません。
守矢一家は媒体によって大きく変わりますからね。
(大概はそうだと思いますが)


さて、縁の謎は深まる一方で
彼の持つスペルカードが続々登場してきましたね。
縁のスぺカは考えるのが非常に楽しいです。



それでは次回、東方紅緑譚


第弐十四話「緑の道、侵攻を止めた信仰」


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第弐十伍話「緑の道、侵攻を止めた信仰」

あー、眠いです。
それともうじき個人的に忙しくなる時期に突入しますので
もしかしたらこちらの投稿にも影響が出るやも知れません。

まぁその時期まではもう少しありますので
全力をもって頑張らせていただきます!


それでは、どうぞ!


 

 

春先であるにも関わらず、青々と若葉が生い茂る巨大な山のその山頂で

今まさに色鮮やかな弾幕が花びらや木の葉と共に空へと立ち上っていた。

幻想郷の住人からは『妖怪の山』と呼称される霊験あらたかな山岳地に暮らす

様々な種族________妖怪や八百万の神々など________の者達が山頂を見上げる。

そして見なければよかったとその光景を見た誰もが心の底から震え上がった。

山頂付近から雲をブチ抜いてそびえたつ無数のオンバシラと、二本の角を持つ巨大な鬼。

見た者の心を凍り付かせるほど圧倒的な光景が、そこにはあった。

 

 

「ほ~らほら! 遊んだげるよ、神具【洩矢の鉄の輪】‼」

 

「踏み潰してやるよぉ‼ 鬼符【ミッシングパワー】‼」

 

 

(まぶた)の無い二つの眼球が頭頂部にくっついている奇妙な麦わら帽子を被った

若麦色の煌びやかな短髪の少女が、両手に赤錆びた二つの鉄の輪を召喚して眼前の敵に放る。

それを見た二本角の茶髪の少女は同じようにスペルカードを発動させ、自身を巨大化させた。

ピョンピョンとカエルのように境内を跳ね回る『土着神の頂点』たる諏訪子を追いかけるように

見上げても顔が見えないほど大きくなった『小さな百鬼夜行』たる萃香の足が動き回る。

諏訪子を踏み潰し損ねる度に足が地面を大きく揺らし、山に暮らす者達を恐怖させるが

そんな事はお構いなしに二人は弾幕ごっこを続ける。

 

 

「オラオラオラァ‼ こんなモンかい⁉」

 

「ケロケロ~。蛙一匹潰せない鬼なんて笑い話もいいとこだよ」

 

「あぁん⁉ 井の中の蛙大海を知らずってのはこの事かねぇ‼」

 

「違うね、土着神【ケロちゃん風雨に負けず】‼」

 

 

二本の鉄の輪を文字通り握り砕いた萃香の膝の辺りまで跳躍した諏訪子は、右手に持っていた

スペルカードを掲げて発動させると、雲があまりかかっていないにも関わらず雨が降り出した。

萃香はその雨を疑問に思い上を見上げてみると、そこには無数の水色の弾幕が降り注いでいた。

 

 

「おぉ~、いいねぇ。雨でも浴びて酔いを醒ませってかい?」

 

「酔いついでに目も覚ませってね。相手を見てからケンカ売りなよ」

 

「はっ! お前こそ目は開いてるかい? こんなデカい相手が見えないって⁉」

 

 

萃香は自分の上に展開された雨のような弾幕に向けて吸いこんだ息を吐く。

吐いた息が熱を帯び、やがて巨大な炎の波となって諏訪子のスペルをブレイクする。

どうだと言わんばかりに鼻を鳴らして諏訪子を見下ろした萃香に対して、諏訪子が呟く。

 

「見えてるけど眼中にない………酔った頭で理解出来た?」

 

「言ってなよ、ヒキガエルにしてやっからさぁ‼」

 

 

そう高々と吠えた萃香は自分の身長を元の大きさに戻して腕をグルンと振るった。

そこから生じた明るく光る橙色の弾幕がまるで打ち上げ花火のような音を立てて諏訪子の

いる場所へと中々のスピードで向かっていく。

だが諏訪子もその場所に留まるような愚を犯さず、先程と同じようにピョンと飛び跳ねる。

連続で飛び跳ねて弾幕を回避し続けるが、時折飛んでくる萃香自身の拳を見て後方へ飛んだ。

拳の射程距離から離れられた萃香は小さく舌打ちしたが、すぐに新たなスペルを発動させた。

 

 

「言ってるそばから撤退か? 逃がさねぇよ、酔夢【施餓鬼縛りの術】‼」

 

「すわっ⁉」

 

手にした鎖を振り回してから勢い良く投擲し、諏訪子の体に巻き付ける。

その鎖を介して萃香が能力を発動させて、体内に宿る霊力を根こそぎ吸い寄せた。

急激に力を失った諏訪子はよろけて体勢を崩し、萃香はそこを見逃さずに肉薄する。

鬼の身体能力からなる速度に対応できなかった諏訪子は間近で放たれた弾幕に被弾しかけた。

 

 

「チッ、惜しかったね」

 

「いやー、少しだけヒヤっとしたけど…………」

 

「次は肝を冷やすどころか潰してやろうかい?」

 

「……………ねぇ、さっきから思ってたけどさ」

 

「あんだい?」

 

「何でアンタまで怒ってんの? そりゃ確かにいきなり攻撃したのは私らの

落ち度だけども………………鬼のアンタが何でこの山にいるのかも考えれば不自然だしさ」

 

 

萃香はその話を聞いてすぐに奪われた霊力を溜める為の時間稼ぎだと確信した。

だがそれでも諏訪子の言葉が彼女の琴線に触れたのか、わずかに顔をしかめる。

そんな彼女の表情の変化を読み取ったのか、諏訪子はさらに話を続けた。

 

 

「アンタがこの山で好き放題出来たのは昔の話さ、それはアンタ自身が一番良く

分かってるはずだよね。それなのにわざわざここまで天狗達から畏怖の目で見られても

ここまでくる理由が、私には分からないんだよね…………そこんとこどうなのさ」

 

「……………………………」

 

 

萃香の表情がさらに深く沈んで、先程までの活気みなぎる笑顔が見る影も無い。

諏訪子は萃香の落ち込みようを見て対照的に翳りのある怪しげな笑みを浮かべた。

俯いたまま動かなくなった萃香に悟られないようにゆっくりとスペルカードを取り出す。

浮かべた笑みをさらに邪悪に、かつ奇怪に歪ませながら諏訪子は高らかに笑った。

 

 

「アハハ! 鬼は騙しやすくって助かるよ、祟り神【赤口(ミシャグチ)さま】‼」

 

 

スペルを発動させると共に、まるで神に礼拝する信者の如く地面にひれ伏す諏訪子。

その直後、萃香の周囲だけが何の明かりも光も見えない完全な暗闇の空間に変化した。

企みが上手くいった事を素直に喜びながら、地面にひれ伏した姿勢のままで顔を上げる

諏訪子の目には、何の抵抗もせずに暗闇に飲まれていく小さな子鬼の姿が映った。

鬼は騙されることを嫌い、嘘を吐かれることを良しとせず、裏切る事を毛嫌う。

そんな彼女に対しての不意打ちを、彼女は一体どう思っているのだろうか。

悔しがっている? 憤怒している? それとも、もっと他の何かを____________

 

 

「_________でも、楽しかったよ。これは嘘じゃないからね」

 

 

ポツンと諏訪子は誰も聞いていない事をいいことに呟いた。

久々に本気を出しかけた、だからこそその相手には敬意と自身の威厳を以ってして

全力で叩き伏せる。それこそが神として、相手を理解した上で弱点を突いた事への

せめてもの償いだと自分に言い聞かせながらこの勝負の終わりを静かに待った。

 

「また来なよ、今度は酒でも用意して待っててあげるからさ!」

 

 

暗闇の中に、突如として四つの不気味な青白い光が浮かび上がる。

やがて光が大きく細長く伸びていき、それは巨大な白い大蛇の姿となって舌を鳴らす。

四匹の大蛇は踊るようにしながらその巨躯をしならせて少しずつ萃香に詰め寄っていく。

怪しげな白い光を放ちながら、体とは真逆の真っ赤な瞳で獲物である一匹の鬼を見据えた。

そしてとうとう四匹の蛇の頭がぶつかるほどまで近付くと、中心にいる萃香に向かって

同時に噛みつきにかかり、再びその空間は全くの暗闇に包まれた。

その空間内で起きている惨劇を頭の中で思い浮かべながらゆっくりと立ち上がる。

 

 

「____________気は済んだかい?」

 

「なっ‼⁉」

 

立ち上がった彼女のちょうど真後ろから声をかけられ、驚いて諏訪子は振り返る。

そこにいたのは、先程まで戦っていた巨大な鬼が浮かべていたものと同じような

恐ろしいまでに底なしの明るい笑顔の子鬼、伊吹 萃香だった。

何故自分の後ろに萃香が立っているのか、自分の前にいた萃香はどこに行ったのか。

そんな考えが頭の中をグルグルと飛び回っている諏訪子の腰の辺りに、何かが巻き付く

ような感覚が訪れ、それを目視した瞬間に彼女の背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 

 

「ホイっと」

 

「なっ、えっ、ちょっと⁉」

 

 

諏訪子の背後に立っていた萃香の小さな、しかしひ弱さとはかけ離れた膂力(りょりょく)を宿した

両腕が同じく小さな諏訪子の細くも痩せてはいない腰をガッチリと掴んで少し上に持ち上げた。

フワッと足が地から離れ、普段浮いている時とあまり変わらない感覚と共に汗が地面に落ちる。

壊れたブリキのおもちゃのようにギギギと音を立てるようにして、ゆっくりと諏訪子は振り返る。

 

「へへへ、神は持ち上げ易くて助かるね! 鬼符【大江山(ことごとく)皆殺し】ィ‼」

 

「わ、わ、わ!」

 

 

萃香は両腕でガッチリと掴んだ諏訪子を一度空中に放り出し、今度は足首の部分を掴んだ。

そのまま一歩踏み出し、足首を掴んだ両手を大きく振りかぶって自分の後頭部へと運ぶと同時に

軽く膝を曲げて跳び、前屈の要領で掴んだ諏訪子を思いきり地面にぶつけるように振り下ろす。

 

「いーちィ‼」

 

 

地面に諏訪子の顔面をぶつけた萃香は、勢いそのままに再び両手を振りかぶった。

ブオンッと風を薙ぎ払うような音を鳴らしながら、また後頭部に彼女の足首をもってくる。

そして先程よりほんの少し高めに跳躍し、同じように諏訪子を地面に叩きつけた。

 

 

「にぃーーッ‼‼」

 

 

二度も地面に諏訪子を叩きつけた萃香だったが、まだ彼女のスペルは終わってはいない。

今度は今までよりもさらに上空へと大きく跳び出し、勢い余って一回転する。

守矢神社の屋根瓦が小さく見えてしまうほど高くまで跳んだ萃香が地面に落下していく。

ガッチリと足首を鬼の力で掴まれた諏訪子は何とかして脱出を図るが、それは徒労に終わる。

風が全身に叩きつけられ、二人は一体となってもう一組の放つ弾幕の渦のすぐ脇に

狙いを定めて最後の攻撃となる激突の衝撃に備える。

もう目の前まで地面が迫ったその瞬間、唸る風の中でも諏訪子の耳に届いた言葉があった。

 

 

「______楽しかったよ、鬼は元々嘘は吐かないからね‼」

 

 

かすかに聞こえた言葉の意味を諏訪子が理解しようとした瞬間、轟音が響いた。

 

 

「さぁーーーーんッッ‼‼‼」

 

砂埃を巻き上げながら、二つの小さな人影の内の片方が地面に深々と突き刺さっている。

二人の内のもう片方である萃香は、手に持った瓢箪の中の酒をグビッと音を立てて飲み込む。

ぷはぁと深く息をついた後で、長い茶髪をくねらせて萃香は後ろを見ずに呟いた。

 

 

「また来てやるよ、神酒でも用意して待っておきな‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪子と萃香が激戦を繰り広げているすぐ近くで、この二人も戦っていた。

巨大な注連縄を背中に纏って凛とした雰囲気を漂わせている大柄な女性、八坂 神奈子。

もう一人は顔を布で隠し、古びた剣を抜き放っている異様な雰囲気の男、八雲 縁。

二人の間には友好的な感じは見受けられず、あるのはただ殺伐とした空気だけだった。

彼らもまた同じように弾幕ごっこを続けていたが、こちらは明らかに一方的な展開であった。

 

「まだやる気か、惚線【ロウパワー・ハイグラスパー】」

 

「くっ!」

 

 

縁の背後に空間の(つな)ぎ目が現れ、そこから二種類の弾幕が放たれる。

先程放たれた巨大な弾幕とは違い、小さめで量の多い丸形の弾幕を中心にして

レーザー状の弾幕が大量に、かつ対象である神奈子に向かって一斉に飛び出していく。

神奈子はそのレーザーが自機狙いの性質を持つことを即座に見破り飛び立ったが、

縁の弾幕はその後をまるで生肉を追いかける飢えた野犬の如く執拗に追いかけていく。

背負った注連縄に備わっている残り二つのオンバシラから極大の弾幕を打ち出して

相殺させようと考えるが、そこでまたしても予想外の事態が起こった。

 

 

「な、何だと⁉」

 

自分の放った弾幕を、まるで蛇のようにしなって躱したのだ。

ただの弾幕が意思を持っているかのように動いて、さらに神奈子を追い詰める。

その弾幕が神奈子に被弾する、縁がそう確信した瞬間に神奈子はスペルカードを

取り出して焦りを前面に押し出した声色で発動させた。

 

 

「ええい鬱陶しい! 神穀【ディバイニングクロップ】‼」

彼女の背中の二本のオンバシラから二発の弾幕が射出される。

放たれた弾幕は神奈子を中心にした位置に来た途端、一気に周囲に向け拡散した。

神奈子を中心に展開していく弾幕が、彼女を追って来たレーザーを打ち消す。

それと同時に神奈子は一気に方向を転換し、逆に縁へと詰め寄る。

弾幕を放ち続けて攻撃と防御を兼ね備えた状態で向かってくる神奈子を縁は見つめる。

彼はその行動に対して、ただ右の手のひらを向けただけだった。

 

 

「厄介なスペルだ、線廻【アトランティスの螺旋(らせん)階段】」

 

「今度はなんだ、クソ!」

 

 

縁が新たに発動させたスペルを警戒する神奈子はさらに絶句した。

眼前の男の背後に6つの空間の結ぎ目が現れ、そこから黒い筒のような物が浮き出る。

神奈子はそれに似たようなものをかつて見たことがあった。

この幻想郷に来る前、早苗がテレビで見ていた『ロボットアニメ』なる映像の中で

幾度となくその筒のような物体を持った機械人形達が激戦を繰り広げていたのだ。

何とはなしに見ていたそれに出ていた武器が、今自分に向けられている。

自分が戦っている相手の、底が全く見えない事が恐ろしくてたまらない。

わずかに身震いした体を叱責するように声を荒げ、距離を詰める神奈子。

 

 

「放て、全てを撃ち貫くのだ」

 

 

縁のその言葉と共に、6つの黒い筒から音を超える速度の弾幕が発射された。

黄金色の薬莢が落ちる音が掻き消されるほどに連射される弾丸の雨を神奈子は

右に左に動き回って回避するが、とうとう背中のオンバシラに直撃してしまった。

反動でのけ反った神奈子に、縁は上空へと跳躍して立場的な優位を得る。

オンバシラを破壊された事に驚き、苛立った為に一瞬行動が遅れてしまった。

それが勝者と敗者を分ける決定的なミスだと気付かないまま。

 

「まだだ、もう一度____________」

 

「もういい。神とやらの力は把握できた、充分だ。もう終わらせよう」

 

「_________なん、だと…………」

 

 

神奈子は神である自分を見下ろす縁に恐怖を覚えた。

今ヤツは何と言った、神である自分を試していたとでも言うのか。

驚愕、激昂、畏怖、様々な感情が入り混じって神奈子の頭を支配する。

そして怒りを超えた憎しみに似た思いを込めた視線を自分を見下ろす者に送った。

しかし、その視線の先にいた男は、自分など見てはいなかった。

 

「これにて終幕だ。掃射【アハトアハトの大喝采】」

 

 

縁が新たな、最後のスペルを発動させた瞬間、大地が二つに裂けた。

神奈子は最初はそう思えたが、実際は地面に巨大な結ぎ目が出来ただけだった。

しかしそこから音も無く浮かび上がった物体は、神奈子の脳髄を凍り付かせた。

 

__________88㎜野戦高射対空砲(アハト・アハト)、かつてドイツ軍が使用した砲台である。

 

 

 

しかも一台や二台ではない、結ぎ目の端から端までズラリと並んだ機関砲の軍隊が

今まさに神奈子に対して圧倒的な火力での殲滅作戦を開始しようとしていた。

だがその時彼らの視界の隅に、轟音を立てて何かが落下してきた。

神奈子は危険だと理解していながら、そちらを確認せずにいられなかった。

目だけを動かして音のした場所を見つめると地面から見慣れた少女の下半身が生えていた。

鬼に負けたのかと内心で驚いた神奈子だったが、すぐに目の前の現状を見つめなおす。

自分ですらも、謎の力を操る男に敗北を喫するかもしれないと悟ったからだ。

 

 

「……………神が、負けるのか」

 

「違う、神が負けるのではない」

 

「何?」

 

 

自分の友人であり同じ位の神たる諏訪子の敗北を目の当たりにして心が揺らいだのか

心の片隅で思った事を口にしてしまった彼女の言葉を、眼前の男が真っ向から否定した。

 

「どういう意味だ」

 

「言葉通りだ。これから負けるのは神ではない、八坂 神奈子だ」

 

「…………………」

 

 

それは本来であれば侮辱にもあたる言葉。

だが神奈子はその言葉を不思議と違和感無く受け入れてしまった。

握っていた拳を降ろして、両手を広げて軽く首をすくめる振りをする。

その行動を良しと見たのか、縁は小さく頷くと左手を空へと掲げた。

少しだけそのポーズのまま動きを止めたが、決心したかのように手を下げた。

 

 

「敗北は恥ではない……………全砲、放て」

 

 

縁の合図と共に全てのアハトアハトから喝采の如く弾幕が放たれる。

機械的な閃光と共に、その砲門の向く先にあった全てを打ち砕いた。

やがて硝煙を噴き上げて弾幕の発射を止めたアハトアハトが結ぎ目の中へ消えていく。

スペルカードの効果が切れた事を確認してから、意識を失って倒れかけている

神奈子に歩み寄り、その大柄な体躯を支えるようにして抱き留めて呟いた。

 

 

「八坂 神奈子、初めて戦う神がお前で良かったと思っている。

だがもし次があるのなら、"本気の" お前と戦ってみたいものだ」

 

 

 

 





いかがだったでしょうか。
特にいうことも無いので次回予告へ。


次回、東方紅緑譚


第弐十五話「緑の道、さいきょーの試練」


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第弐十六話「緑の道、さいきょーの試練」

さて、この際ですのでハッキリと言わせていただきます。


ネタが尽きかけてきやがったぜ、へへへ(´;ω;`)


誰か助けてくれませんかね?
淡い期待を抱きながら、それでは、どうぞ!


 

 

妖怪の山の山頂での弾幕ごっこが終結し、もう暮れかけていた日が完全に没して

空一面に星々の明かりがちらほらと見え始める時間帯になり始めている。

山頂に居を構える守矢神社も、既に夜を照らす明かりが灯されていた。

夜の帳が降り始め、辺りからは風に木々が揺られて葉がざわめく音しか聞こえない。

そんな時間帯になってようやく、気を失っていた人物が目を覚ました。

 

 

「…………………ん、んん?」

 

弾幕ごっこで予想以上のダメージを負い、気を失っていたのは八坂 神奈子。

彼女はわずかに身体から発する痛みが、彼女の重く沈んでいた(まぶた)を開かせた。

目を開いて上を見た彼女は、眼前に広がっているのが自分の暮らしている神社の自室、

加えて自分の寝室である事を真っ先に把握し、同時に安堵のため息を漏らした。

右手で頭を押さえて軽く振る、こうして頭を無理矢理活性化させないと寝ぼけてしまう。

同じ神である諏訪子はもちろん、自分を慕っている早苗にもそんな姿は見せられはしない。

だからこそ神奈子は起きてすぐに自分を戒めるかのようにしないといけないと自覚していた。

 

「_________ようやく起きたか」

 

「…………………へ?」

 

 

だというのに。

 

 

「もう二時間も経つ。意外とグッスリ眠っていたのだな」

 

「…………………お前、どうして?」

 

 

神奈子は即座にうつ伏せになり、声の主のいる方へ向き直る。

 

 

「頼まれたのだ、洩矢 諏訪子に。それよりも八坂 神奈子、(よだれ)が垂れているぞ」

 

「ッ‼⁉」

 

 

声の主は自分の_________神奈子の枕元で正座していた。

だがその外見が非常に不気味極まりない、寝起きで見るには勇気がいるほどのものだった。

顔は大きく『縁』と達筆で書かれた布で覆われ、濁った草色の浴衣のような服を羽織っている。

そんな人物が自分を見下ろしている、あまりに心臓に悪い絵面だと神奈子は内心で思った。

しかし相手に涎が垂れていると注意されては、確認せずにはいられないだろう。

神奈子は眼前の相手を見据えながら左手をゆっくり口元へ運び、一気に拭い去った。

 

「……………それで、何の用だ?(見られた! 私の寝顔完璧に見られた‼)」

 

「用事という程の事は無い。洩矢 諏訪子にここまで運ぶよう頼まれただけだ」

 

「ならばもう用は済んだろう。さっさとここから立ち去れ!」

 

「そうもいかない」

 

「はぁ⁉」

 

「今度は東風谷 早苗に頼まれたのだ、伝言を」

 

「早苗が?」

 

「ああ」

 

 

そこまで言って目の前にいる男がゆっくりと立ち上がり、(ふすま)の前まで歩いた。

何がしたいのか理解出来ない神奈子は怪訝そうな視線を送るが、男には届いていないようだ。

襖の前に立った男がこちらに向き直り、そのまま右手を顔に、左手を腰に当てて言い放った。

 

 

「東風谷 早苗からの伝言だ。

『神奈子様、今日の異変解決を祝して何故か紅魔館でパーティーやるんですって!

お呼ばれされたんでアリスさん達も誘って行ってきま~す♪

縁さんに伝言を頼んでおきましたんで。あ、あと晩御飯はもう作ってあります。

ですが私は紅魔館で済ませてきますので、今日は諏訪子様とお二人で済ませてください。

あ~~早く噂のイケメン首謀者さんに会ってみたい! んじゃそゆことで~~‼』だそうだ」

 

「…………そ、そうか」

 

 

縁の伝言の内容は充分に伝わったのだが、あまりの衝撃にそれを忘れそうになった。

眼前の男は恐らく『伝言している時の早苗の姿勢』までも忠実に伝えようとしているのだろう。

不自然な重心の掛け方をした片足立ちと中指と薬指を追って残りの指を突き立てた右手が

それの何よりの証明だろう、はっきり言って似合わなさが留まるところを知らない。

早苗本人であれば顔の横に『キラッ☆』という擬音でも飛び出してきそうな恰好なのだが

顔をまるまる隠している縁がそれをやったところで、宴会芸にもなりはしない。

それでも寝起きの神奈子の緩んだ笑いのツボを刺激するには、充分過ぎるほどだった。

 

 

「ぷっ! く、っははははは‼ あっはっはっはっはっは‼

はーー! はーーーー‼ ふっ、くくく! くはははは、はは‼

まっ、待ってっ! 腹が、腹がっ! あーーーっはっはっは‼‼」

 

「…………?」

 

「し、死ぬっ! くっははははは! あーーー!

ふっはははは! くっ、ゴホッエホッ‼ んんッ‼

はー! はーー! はーーー! こ、こきゅ! 呼吸が‼」

 

「一体どうしたのだ、八坂 神奈子?」

 

 

容態が急変した神奈子を心配して声をかけるが、返ってくるのは悲鳴に似た嬌声。

腹の底から無限に溢れ出てくるのではないかと思うほど、終わりの見えない爆笑。

感情というものを持たない縁からすれば、突然笑い出した神奈子が異常に見えた。

しばらくしてようやく治まったのか、神奈子が涙が溢れている目で縁を見上げた。

 

「だ、駄目だ、笑うな……………こらえるんだ………」

 

「何なんだ、全く。二人して突然笑い出して(・・・・・・・・・・・)

 

「ん………くく、ん? 二人だと?」

 

「ああ、二人だ。八坂 神奈子、お前と……………彼女だ」

 

 

縁が勿体ぶるよう呟いた直後、体勢を戻しながら襖の戸を開けた。

涙目の神奈子がその先をぼやけた視界のまま捉え、そこにいる者の名を告げる。

 

 

「諏訪子、お前もか⁉」

 

「ケロ…………だってコイツが早苗の伝言聞いた直後に同じ体勢になって

『コレでいいのか?』とか真剣な口調で聞き返してさ、そしたら早苗が

調子に乗って指導し始めたから…………黙って見てたらたまらなくなってさ!」

 

「だからってなんで私の部屋になんて」

 

「その方が面白いに決まってるじゃん?

そ、それに…………くはっ! 駄目、腹筋壊れる‼」

 

「何が面白いのか私にはさっぱりだ。

神という者たちは皆が皆、このような変わり者なのか?」

 

 

間違いなくお前が原因だと二人揃って縁を睨むが、布越しに視線は届かない。

結局二人は追及を諦め、素直に早苗の用意した晩飯を食べることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、話とはなんだ」

 

 

八坂 神奈子と洩矢 諏訪子の二人が食事を終えて数分後。

帰ろうとしていた縁を諏訪子が呼び止めて奥の広間に連れてきたのだ。

早く自分の主人から与えられた命令を遂行しようとしていた縁はその申し出を

断ろうとしたのだが、有無を言わさず諏訪子が泡に閉じ込めて引きずって

無理矢理連れてきたため、結局神奈子の話を聞くことにしたのだった。

当の神奈子は上座に座って胡坐をかき、堂々とした態度をとっている。

つい三十分程前に涎を垂らし、涙を流して爆笑していた人物には到底見えはしない。

そんな事を考えながら、無言の笑みを浮かべる神奈子に縁は再度問いかけた。

 

 

「八坂 神奈子、話とはなんだ」

 

「…………まあそう焦るな。夜はまだまだこれから、そうだろ?」

 

「時間を無駄に過ごすのは愚者だ。そうだろう?」

 

「………これだから分からない。お前は本当に何者なんだ?」

 

「弾幕ごっこの前に言ったはずだ、八雲 縁だとな」

 

「あーうー、そうじゃなくってさ」

 

 

右手で頬杖をついている神奈子との会話に割り込んできた諏訪子を凝視する。

相も変わらずカエル座りだったが、彼女の口から出てきた言葉は縁を混乱に貶める。

 

 

「どうしてそんな情報をあっさり漏らすのか、ってこと」

 

「……………どういう事だ?」

 

「だーかーら! 早苗とバカみたいな事で盛り上がって笑わせたくせして

自分がスキマ妖怪の使いだって大事そうな事をなんであっさり話しちゃうのかね?

アンタがバカだからってのも説明がつかないしさ、だから改めて聞き直したの」

 

「つまりは、私を試しているのか」

 

「んん………ちょっと違うかな? まあ伝わってればいいか」

 

 

ため息をつきそうな表情のままダボダボの袖で麦わら帽子をかく諏訪子を横目に

上座に座っていた神奈子がようやく縁に対して本題を打ち明けた。

 

 

「なあ、八雲 縁よ。どうだ、私らの信仰に組み入らないか?」

 

「………何?」

 

「つまり、私らの仲間になって守矢神社に祀られないかって事ケロ」

 

神奈子の発言を補助するように諏訪子が続く。

彼女の被っている麦わら帽子にくっついている目玉が嬉しそうに跳ねている。

そんな帽子の様子を布越しに見つめる縁に対して、さらに神奈子が話を続ける。

 

 

「お前は中々に魅力的な逸材だ。判断力も、力量も、並を逸脱している。

だからこそ私はお前が気に入った、ゆえにお前を手元に置いておきたいんだよ」

 

「……………それで?」

 

「ほう、決断を急がない、か。優柔不断とも大器完実とも取れる態度だな。

私達山の神は人里の者達に信仰されていてな、信仰によって我らは成っている。

彼らは私達の神の力に加護を求め、我らは彼らに存在する為の信仰心を頂戴する。

だがやはり信仰というのは時代と共に、時間と共に人々の中から消えていくものだ。

我ら二人ではこれ以上の信仰は得られんと最近になって痛感し始めていたところでな。

そこで、お前という新たな信仰の拠り所を作ればどうか…………ということだ、理解したか?」

 

「理解した」

 

縁はそこまで聞いてようやく話の筋を理解することが出来た。

つまりは、自分達の仲間になって共に信仰を得よう、ということだ。

だがその申し出をしてきた事に関して、理解出来ない事が一つだけあった。

 

 

「だが、何故私が信仰を得ねばならない?」

 

「何?」

 

「私が信仰を得ねばならない理由が分からない。それを教えてくれ」

 

そう、信仰を得るという事だ。

縁は主人たる紫の手によって、彼女の為の道具として幻想郷にやって来た。

だというのに何故自分が神と同じように人間の信仰心を得ねばならないのか。

どうしてもその理由が分からない、だから縁は神奈子に聞いてみた。

 

 

「………………は?」

 

 

しかし、彼女から返ってきたのは間の抜けた返事だった。

 

 

「もう一度聞く。何故「いや聞こえてるから!」………そうか」

 

「あーうー………神奈子、どゆこと?」

「こっちが聞きたい」

 

 

頬杖にしていた右手を髪に持っていきぐしゃぐしゃと掻きむしる神奈子を

感情の見えてこない布越しの視線が捉え、じっと見つめて動かない。

少し呻いてすっきりしたのか、改まった面持ちで神奈子が縁に詰め寄る。

 

「だ・か・ら‼ 神は信仰が無ければ生きてはいけないんだって!

つまり私らは全員人間の信仰が必要なの! 二人より三人の方が効率は良い!」

 

「その通りだな。それで、何故私が?」

 

「だぁぁーーーーーーもぉーーーーーーーーーー‼‼」

 

「ねえ神奈子、コイツもしかしてさ………」

 

 

先程と全く変わらない問答に我慢の限界を超えた神奈子が絶叫する。

すると縁の態度から何かを見出した諏訪子が神奈子に近付き耳打ちした。

諏訪子の言葉を聞いた神奈子が絶句したような表情で縁を見つめ、言葉を漏らす。

 

 

「なあ、おい…………お前はもしや、『付喪神(つくもがみ)』なのか?」

 

「何?」

 

「…………もしかしてお前さ、自分でも気付いてないの?」

 

 

諏訪子と神奈子の辿り着いた結論、それは________付喪神。

 

 

付喪神とは、古来より日本に伝わる八百万(やおよろず)の神々の中でも異質の存在。

人間の手によってこの世に生み出され、不要になって捨てられた道具達に宿った低俗の神々。

人間への怨念が積もり積もって九十九年(つくもとせ)、道具には人を憎む魂が宿る。

だがそれらのほとんどは、平安時代の終わりと共に消えた陰陽師(おんみょうじ)の活躍により

次の時代まで存在することは許されることはなかった。

それこそが付喪神、それこそが彼女らの行き着いた回答だった。

 

 

「お前さ、自分が付喪神になってるって気付いてないんじゃない?」

 

「付喪神、だと」

 

「それなら合点がいくが……………だとしてもあの強さだぞ?」

 

「んー…………そうなんだよね、そこがおかしいんだよね」

 

 

二人は困惑している(ように見える)縁そっちのけで語りだす。

しかし縁は二人の会話についていけないのではなかった、ただ困惑していた。

自分の主人たる八雲 紫が言っていた言葉との食い違いに困惑していたのだ。

 

(どういう事だ、紫様は私の事を能力を持った人間だとおっしゃっていたのに)

 

分からない、理解出来ない、真偽を確かめる術が無い。

縁は深い思考の海に突き落とされたような気分になっていたが、

とにかく神奈子の申し出である勧誘の返答をせねばと思考を切り替え、(おもむろ)に言葉を紡いだ。

 

「八坂 神奈子、並びに洩矢 諏訪子よ。私は守矢神社の枠組みには加わらない」

 

 

立ち上がりながらに呟いた縁は、神奈子の「何故だ」という問いかけにも

耳を貸さずに右手で空間を薙いで別の空間と(つな)ぎ、その場を後にした。

引き留める暇すら無いままに獲物に逃げられたと自覚した二人の神は互いを罵り合う。

 

 

「お前のせいでヤツが逃げただろうが!」

 

「私のせいじゃないやい! 神奈子がノロノロしてるから‼」

 

「誰がニョロニョロしてるって⁉」

 

「誰もそんな事言ってないって‼」

 

 

夜も更けてきた山頂に、二人の女性の品の無い叫びが木霊した。

 

 

 

 

日も没した真夜中であっても妖怪達の跋扈(ばっこ)する山の奥。

夜の闇はただでさえ黒く、数m先ですら見通すことの出来ない完全な暗黒の世界。

月と星々の仄かな明かりに照らされて、山の中にいる者達の姿が露わになる。

山の中腹辺りの哨戒をしていた白狼天狗が三人、血塗れで地面に転がっている。

一人は肩口から足の付け根辺りまでバッサリと斬り裂かれ、血溜まりを作っている。

もう一人は顔と身体以外のあらゆる部位をズタズタにされ、掠れた声で助けを求める。

最後の一人は両足の腱を切断され、その場を動けないようにされてしまっていた。

顔だけを上げて自分達を襲った相手を確認しようとしたが、それは無意味に終わった。

光源を背にするように立っているため、逆光になってしまい顔が認識出来なかった。

それでも最後の力を振り絞って、敵の存在を知らせようとして這うように動き出す。

 

 

「行か………なきゃ………みん、な…………」

 

『………………………………………』

 

 

芋虫のような無様な姿である事を自覚しながらも、ゆっくりと進みだす。

それをゆらゆらと揺らめきながら、三人を襲った犯人がじっと見つめる。

そして手を伸ばして天狗の足を掴み、自分の元へと力強く引き寄せる。

天狗の抵抗も空しく、逆さ吊りにされて犯人にガッチリと捕縛された。

 

 

「い、嫌…………やめて、嫌‼」

 

『………………………………………』

 

 

ほっそりとした外見からは想像もつかない膂力で捕縛された天狗が泣き叫ぶ。

ジタバタともがくが、それすらも無意味に終わり絶望がより一層濃く滲む。

血なのか涙なのか区別がつかないほどぐちゃぐちゃになった顔が恐怖で歪んだ。

眼前に迫る絶対的な『死』、初めて味わった抗えないレベルの『差』。

 

「助………け、て……………」

 

『………………………………………』

 

 

本来ならば誇り高い白狼天狗は決して敵に屈したりはしない。

だが彼女は天狗の中では幼く、また強大な敵に立ち向かう勇気も未熟だった。

逆さ吊りの状態のまま、しばらく動かなくなった敵を涙目で見つめる。

すると突然彼女の身体が重力に従って地面に落下し、美しい顔に泥を付着させた。

痛みに意を介する気などなく、白狼天狗は自分を落とした敵を恐る恐る見上げる。

しかし敵は既に自分になど興味は無く、どこか別の方向をじっと睨んでいるように見えた。

やがて本当に興味を無くしたように敵は山を下り始め、その姿が夜の闇に溶けて消えた。

その場に残されたのは、傷だらけになった三人の哀れな、縮んで震えている子犬だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁が守矢神社を(半強制的に)訪れた翌日、既に朝日が昇り始めた頃。

幻想郷中の者達が一部を除いて活気に満ち溢れるより少し前の時間帯。

妖怪の山と人の住む里を挟んで反対側に建てられている、荘厳な寺社の参道。

守矢神社とは違い、『妖怪と人間の架け橋』となるべく建立された寺社が

目前となっている参道の中央、人通りの少ないその場所に佇む人影が二つ。

 

「……………後悔をしても無駄だぞ、氷精」

 

「ふん! お前もアタイを甘く見てるな? こーかいするのはそっちだぞ‼」

 

「その言葉を忘れるな。お前には後悔する時間をも、与えない」

 

 

春風がまだ早朝の時間帯の空気の中を素早く駆け抜けていく。

だがその場に立つ二人はまるで意を介さず、眼前に立つ相手を見据える。

片割れに触れた春風が、より一層肌寒くなって縁の僅かに露出した肌に突き刺さる。

しかし縁の、彼の前に立つ相手の目にも宿っているのは紛う事ない『闘志』だった。

縁の前に立つ小さな人影が、縁に向けて人差し指を突き立てて言い放つ。

 

 

「アタイはこーかいなんてしない! だってアタイはさいきょーだから‼」

「勝者は私だ、依然変わりなく。数分後の貴様は私の前に(ひざまず)く事になる」

 

「うるさいうるさい! いーから勝負だ‼ お前なんてイチコロなんだぞ‼」

 

「………いいだろう、かかってこい。ただし二度と朝日は拝めないと思え」

 

 

縁は震える右手を腰に帯刀しているボロボロの刀の柄にかける。

そのまま刀を抜き放ち、おびただしい殺気を宿した刀身を相手に向けた。

切先を向けられた相手はそれに怯える事なく、寧ろ怒りを剥き出しにして暴れだす。

暴れだした敵を前に、縁は底冷えするような声色で呟いた。

 

 

「_________お前は私を、八雲 縁を本気で怒らせた‼‼」

 

 

『心優しき無心兵器(オートマトン)』 八雲 縁

vs

『氷の妖精』 チルノ

 

 




いかがだったでしょうか。
紅夜のパートの補完をしたいのですが、こちらも書きたい。
まさしく『ハリネズミのジレンマ』ってヤツなんでしょうかね。

………………アレ? 『ヤマアラシのジレンマ』だったっけ?


どちらにせよ、早いとこ続きを書き上げたいです。
徐々に明らかになっていく縁の謎、その果てにある真相とは?

ご意見ご感想は、随時受け付けております。


それでは次回、東方紅緑譚


第弐十六話「緑の道、氷細工の友情」


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第弐十七話「緑の道、氷細工の友情」


皆さんお久しぶりです。
なんだか最近またPCの調子が悪くなってきました。
気温の変化とか関係あるんですかね…………?
機械類にはあんまり強くないので、怖いです。

さて、今投稿している緑の道ですが
予定より長くなる可能性が出てきました。
なるべく年内には次の章へ行けるようにしたいです。


それでは、どうぞ!


朝日が地平線からゆっくりと顔を覗かせ始めた頃、とある寺社の参道にて。

まだ冬の名残である冷たい北風が参道を通って行く中、二つの人影が姿を現す。

片方は緑色の逆立った短髪を風になびかせている和服の男、八雲 (えにし)であり

もう片方は水色の流麗な髪をそろえた小柄な体躯の少女、氷の妖精 チルノだった。

二人の間には早朝の清々しく気分を晴れやかにするような空気は無く、ただ殺伐としていた。

 

「アタイはさいきょーだから‼」

 

「二度と朝日は拝めないと思え」

 

 

人差し指を突き立てて縁に宣戦布告した水色の髪の少女、名は『チルノ』。

 

青色を少しだけ薄めたような色合いのワンピースを着こなしていて、

髪の色より少しだけ濃い色合いのサファイアのような輝きを宿した二つの瞳。

胸元には髪や服とは真逆の赤色に染まったリボンが可愛らしく付けられている。

だが後頭部には前方からも視認できるほど大きな薄い緑色のリボンが結わえられていた。

そして彼女の身体で最も人間離れしているのが、彼女の背中の後ろに浮遊している(はね)

三対六枚の規則正しい形状で浮いている彼女の羽は、透き通った氷の如く透明だった。

 

そんな彼女の眼前で、縁は剣を抜き放っている。

普段は剣を抜刀したりはしない、それは自分の主人から許可を得ていないからだ。

しかし今彼は主人の紫の許可も無く抜刀してチルノに向けている。

いつものように冷静だったなら、縁はこんな行動は決してしない。

そう、冷静だったのならば。

 

 

「撃ち貫け、線廻【アトランティスの螺旋階段】」

 

相手の弾幕を待たずにいきなりスペルカードを宣言し、発動する。

縁の背後に空間の(つな)ぎ目が現れ、そこから黒い筒が突き出される。

全ての筒が縁の背後に出揃った瞬間、轟音と共に無数の弾幕が放たれ始めた。

だが縁は弾幕を放ちながらチルノに向かって駆け出し、抜刀した剣を真横に薙いだ。

 

「うわっ、うわわっ!」

 

「決して逃がしはしない。粉微塵にして存在ごと消してやる」

 

常人の目では決して捉えられない速度で撃ち出される弾幕を、チルノは危なげに躱す。

だが弾幕に紛れて繰り出される縁の、同じく常人では捉えられない斬撃が襲い掛かった。

 

「___________なぁ~~んてね!」

 

「何⁉」

 

縁の振り抜いた剣が確実にチルノの首を切り捨てるであろう瞬間の直前、チルノが呟く。

そして彼女の顔には自信に満ち溢れた笑みが浮かび上がり、縁の太刀筋に合わせて振り向いた。

チルノが向けた視線の先には、ピクリとも動かずに停止している縁の刃先の欠けた剣があった。

押しても引いてもビクともしない、縁は慌てて距離を取ろうとするがチルノが先に動いた。

 

 

「アタイには剣は効かないよ! 今度はコッチの番だ‼」

 

「くっ‼」

 

 

チルノが右腕を縁に向けて突き出し、そこから水色の細やかな弾幕が放出された。

放たれた弾幕が直撃する寸前、縁の体が空間の結ぎ目の中に飲まれて掻き消えた。

そして充分に離れた位置に再び姿を現した縁は、右手に握った剣の切先を見つめる。

 

 

「剣をあの場に結いでおいて逃げねばやられていた………」

 

「アレ? 剣の先っぽがここにあるのになんでそっちにいるんだ?」

 

心の底から不思議そうに振り返りながらチルノが縁に尋ねる。

そんな彼女の顔の横には、先程の剣の刃先だけが宙に浮いていた。

剣は折れているわけでは無く、空間の結ぎ目に飲まれるような形になっている。

 

 

「おっかしーなー? コレどーなってんの?」

 

「……………………氷の妖精、これほどとは」

 

縁は自分の剣が止められた原因を悟った。

それはチルノの『程度の能力』である『冷気を操る程度の能力』だと。

チルノは今、空気中の水分を一点だけ凝結させて凍らせ、剣を止めたのだ。

恐ろしく勘が鋭いか、相当な場数を踏んでいなければこんな芸当は出来ない。

敵が自分の予想以上の手練れだと、縁は再認識した。

 

 

「まあいいや、いっくぞー! アタイの『おうぎ』を見せてやる‼」

 

「……………来い」

 

 

結ぎ目に飲まれた剣を一瞥しながら、別の結ぎ目を作り出してそこにしまう。

そして空いた両手をチルノに向けて再び距離を詰めようと駆け出した。

逆にチルノは先程よりも少し空中に飛び、上から雨のように弾幕を放ち始める。

その弾幕の雨を、背後の結ぎ目から放つ弾幕で相殺して徐々に距離を詰めていく。

しかしそれを待っていたかのように、縁との距離感が狭まった直後チルノが叫ぶ。

 

 

「くらえーー! 氷符【アイシクルフォール】‼」

 

「妖精が! 貴様の弾幕が一番生温い‼ 線行【平行線のパラノイア】‼」

 

 

上空でチルノがスペルを発動し、縁もまた同じタイミングで発動した。

チルノの左右に4つずつ弾幕が放たれ、それが分裂して真下へと急降下する。

降り注ぐ弾幕の角度が段々と狭くなり、チルノ本体からは円状の弾幕も放たれる。

しかしそれらの弾幕は縁には辿り着かず、その全てが彼の眼前で打ち消された。

 

「あ、アタイの『おうぎ』が!」

 

「このままお前を弾幕の海に沈めて潰すと予告しよう!」

 

 

縁の背後にあった6つの結ぎ目は消え、新たに2本の線が彼の頭上に現れた。

二本の線は少しずつ太くなっていき、お互いが平行な状態になるように伸びる。

そして二本の線の中間辺りが膨らみ、そこから爆発したかのような勢いで

苛烈ともいうべき量の弾幕が四方八方へと飛び散って行った。

 

「うわわわ!」

 

「このまま飲まれて消え去れ」

 

 

平行線上でありながらも放たれ続ける弾幕は、容易には避けられない。

だがチルノは力任せに弾幕を出して相殺して隙間を作って逃げ延びる。

それでも縁の線行【平行線のパラノイア】は終わらない。

圧倒的な物量でチルノを潰そうと結ぎ目から弾幕を溢れさせている。

 

「こーなったら…………凍符【パーフェクトフリーズ】‼」

 

「今度は何だ⁉」

 

 

上空から縁の弾幕に業を煮やしたチルノが新たなスペルを発動させた。

先程よりもさらに膨大な量の弾幕を全身から放ち、周囲にばら撒く。

縁はその攻撃の意図が読めずに接近するのを中断し、上空を見回す。

朝日が既に東の空から離れ、南に向かって昇っているのが見えたが、

そんな普段通りの空には、星以上に明るい弾幕が散りばめられていた。

 

「こ、これは…………弾幕が止まっている?」

 

「今だっ! それーーーーっ‼」

 

 

全ての弾幕がその動きを止めた瞬間、チルノが一気に弾幕を放つ。

縁は冷静に判断し弾幕を避けようとしたが、周囲には止まった弾幕がある。

身動きを制限され、縁は思うように動けず数回ほど服に弾幕がかすってしまった。

 

 

「ふふん! どーだ、アタイの力を思い知ったか!」

 

「…………………………」

 

 

縁の頭上から腰に手を当てて高笑いし始めたチルノを無言で睨む。

だが彼が今考えている事は、自分自身に起きている『変化』についてだった。

 

(身体が………………動かない?)

 

 

先程チルノが放ってきた数々の弾幕は、縁にとっては本来取るに足らなかった。

しかし今は違った、何故か思うように身体が動かずに何度かかすってしまった。

一体自分の身に何が起こっているのか、必死に考えるが原因は分からない。

思考の海に潜っていた縁に向けて、チルノのさらなる追い打ちが襲い来る。

それを避けようとした縁だったが、何故か身体が思うように動かなくなっている。

 

 

「な、何故だ…………」

 

「よそ見をするなーーー‼」

 

 

今度はチルノが上空から縁に向かって距離を詰めて来る。

突貫しながらも弾幕を放ち、縁の逃げ道を少しずつ塞いでいる。

それに縁は即座に気付いたが、さっきよりももっと身体の動きが鈍くなっている。

地面を転がるようにしてチルノの弾幕を回避するのが精一杯だった。

 

「う、動けん……………馬鹿な」

 

「なんか良く分かんないけど、弱ってるっぽい!」

 

 

いつの間にか荒くなってしまっていた息を大きく吐きながら、

今ではもうほとんど動かなくなってしまっている腕を前に出す。

戦う意志だけは折れていない、尽きてはいない、その表れだろうか。

それでも、縁の身体は謎の硬直から解き放たれはしなかった。

 

 

「これでおしまいだよ! 雹符【ダイアモンドブリザード】‼」

 

 

新たなスペルを発動させた直後、チルノが縁に突撃する。

縁も何とか迎え撃とうとするが、身体は意志に反して動かなかった。

そして彼我の距離が5mにも満たなくなった瞬間、無数の弾幕が放たれた。

まるで爆弾が爆発するかのように、チルノの周囲で弾幕が弾け飛んでいく。

その内の幾つかが縁の眼前で弾け、彼の全身に躊躇無くダメージを与える。

やがて全ての弾幕が止むと、ドサリと何かが音を立てて地面に倒れた。

 

 

「………………アタイ、勝った?」

 

 

地面に倒れたのは、縁の方だった。

前のめりに倒れているのに、受け身一つ取れていない。

それは、彼の体が全く動かせていない証拠でもあった。

 

 

「勝った、勝った勝った! アタイ勝った‼ やったーーーー‼」

 

 

空中を器用にピョンピョン飛び跳ねながら、チルノが舞い上がる。

彼女の顔には曇り一つない晴れやかで爽やかな『歓喜』が浮かんでいた。

ひとしきり喜んだチルノは、ようやく違和感に気付いた。

地面に倒れてから、ピクリとも動かないままなのだ。

 

 

「…………………いきてるかな?」

 

冗談半分に呟いたチルノだったが、少しだけ不安になった。

今まで自分はがむしゃらに戦っても、大抵は相手にされなかった。

戦う事になってとしても、いつも相手に遊ばれながら負けてしまう。

そんな自分が弾幕ごっこで初めて見た相手とはいえ、勝利したのだ。

その相手が凍死したなんて事になれば、ますます自分の立場が無くなる。

 

「だいじょーぶかな…………」

 

 

一度嫌な予感が頭をよぎると、簡単には拭い去れない。

自分が最強という立場に固執するようになった原因を思い出して涙ぐむ。

周囲の妖精よりもズバ抜けて高い力を宿したチルノは、いるだけで周囲の気温を下げる。

直接肌に触れようものなら、例え夏場であろうとも凍傷になってしまうほどだった。

近付くだけで危険な存在に、好き好んで近付きたがるような物好きはいない。

チルノは、そうやって少しずつゆっくりと孤独になっていった。

 

「……………………」

 

 

自分に触れた人間の子供の苦悶に歪む表情が忘れられない。

自分に近付いた妖精が向ける侮蔑の眼差しが忘れられない。

自分の後ろを振り返っても誰もいない恐怖が忘れられない。

自分から離れていく人々や妖精達の後ろ姿が忘れられない。

 

_________________独りは、寂しい。

 

 

 

だから自分は誰もに必要とされなくてはならない。

だから自分は誰もに勝てる力がなくてはならない。

だから自分は最強という称号がなくてはならない。

 

 

「……………起きて」

 

 

不安に押し潰されそうになる。

恐怖に支配されそうになる。

でも、どんなに怖くても決して屈したりはしない。

何故なら、自分(アタイ)は最強でなくてはならないから。

 

 

「………起きてってば」

 

 

少し離れた場所から声をかけても一向に返事が無い。

近付いてゆすってみようかとも考えたが、自分の能力を思い出して止めた。

どうすればいいか分からず、しばらく周囲をおどおどしながら見回す。

だが、まだこの道を通る人の影は見受けられなかった。

 

「…………………う、うぅ」

 

「‼」

 

 

どうしようかと考え知恵熱で身体が溶け始めた頃、縁が僅かに唸った。

本当に微かな声だったが、今のチルノにはなんとか聞き取る事が出来た。

 

 

「ね、ねぇ! アンタだいじょーぶ?」

 

「………………………」

 

 

ようやく目覚めた縁に慌てて問いかけるが、返答が無い。

気を失ってしまったのか、それともまさか死んでしまったのではないか。

嫌な考えに頭が埋め尽くされる直前、チルノは確かに聞いた。

 

 

「………………申し訳ありません、紫様………」

 

縁が小さく漏らした、主人への償いの言葉を。

 

 

「…………チルノ……お前は確かに強かった………」

 

先程まで戦っていた自分への、賞賛の言葉を。

 

 

「お前は………本当に…………最強、かも……な…………」

 

 

自分が最も欲していた、自分を認めてくれる言葉を。

そしてその言葉を最後に、縁は二度と言葉を発しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁とチルノが激突する前日、守矢神社から縁が脱出した直後。

元々出されていた自分の主人からの命令を果たすべく、縁は博麗神社へと戻った。

既に暗くなっている境内を歩き、神社の中へと足を踏み入れた。

 

「おや? また来たのか、お前さん」

 

「…………伊吹 萃香か。野暮用でな」

 

「ほえぇ~、ご苦労なこったね」

 

「上がらせてもらっても構わないか?」

 

「あたしの家じゃないからね、好きにしなよ」

 

「そうさせてもらう」

 

 

すると、神社の縁側で一人酒を飲んでいた萃香に声をかけられた。

縁は守矢神社の二柱から貰った神酒を飲んでいる彼女に一応許可を貰って

神社の中へと入って、本来の目的である『ある物(・・・)』の所在を確認する。

主に言われた通りの事を確認すると、入ってきた時と同じように神社を出ていった。

 

 

「ん? なんだい、もう行っちまうのかい?」

 

「ああ。私の主人である紫様からの指令は果たしたからな」

 

「…………へえ、紫が神社で何しようってんだい?」

 

「伊吹 萃香、紫様のご友人でもある貴女にも、それは言えない」

 

「…………そうかい」

 

「失礼する」

 

 

神酒の入った盃を傾けている萃香に一礼して、縁は空間の結ぎ目に消えた。

グビグビと音を立てて酒を飲んだ彼女はゆっくりと夜空を見上げて呟いた。

 

 

「今夜は半月、上弦の月…………良い夜だね、紫」

 

「ええ、そうね」

 

 

夜空に淡く浮かんだ月を見上げながら、萃香の呟きに反応した人物がいた。

萃香の背後に不気味な空間の裂け目を作って現れたのは、八雲 紫だった。

最初から来るのが分かっていたかのように二人分用意されていた盃を手渡して、

並々酒を注いで同じタイミングで口に運び、ふぅと小さく息を吐く萃香と紫。

手にした盃を膝に置いて、紫は萃香に尋ねた。

 

 

「それはそうと、どうしてあの子を試すような事をしたのかしら?」

 

「ん? ああ、守矢とのアレ見てたんだね。何だい、駄目だったかい?」

 

「駄目とまではいかないけど…………あの子はまだ未完成(・・・)なんだから気を付けて頂戴」

 

「未完成、ねぇ…………アイツが本当にお前の会いたがってた男なのかい?」

 

「だったら何よ」

 

「別に? …………怖い顔しなさんな、取ったりなんかしやしないさ」

 

「本当かしら」

 

「疑心暗鬼になり過ぎだっての。そんなに大事なら手元に置いときなよ」

 

 

萃香がぶっきらぼうに呟いた言葉を聞いて、紫は神妙な面持ちになる。

二人はしばらく黙ったままだったが、紫が残っていた酒を飲み干して、

空になってしまった盃を縁側に置いてから改めて語り始めた。

 

 

「そうもいかないの。あの子は成長しなければならない」

 

「そのためにもう一人の男が必要だったって?」

 

「ええそうよ。『十六夜 紅夜』、『方向を操る程度の能力』の持ち主」

 

「方向? なんだかあんまり強くなさそうだね」

 

「能力なんて使い方次第よ。それよりも問題なのは…………幽々子よ」

 

「冥界の? どうして?」

 

「…………縁を狙ってた」

 

「流石に被害妄想じゃないかねぇ…………分かった分かった、睨むなって」

 

同じように盃を置いて、空いた両手で紫をなだめる萃香。

その行動に落ち着きを取り戻したのか、興奮気味になった気分を抑える紫。

 

 

「とにかく、これからもあの子は成長させる必要があるわ。幻想郷の色々な

文化や歴史、妖怪や人間などの多種多様な者達と触れ合わせる事になるから」

 

「ヤバそうだったら割って入れって? 自慢の式にやらせたらいいじゃんか」

 

「出来たらあなたに頼んでないわ」

 

「だね………………まぁ昔の(よしみ)だし、いいよ、しばらくは付き合ったげる」

 

「ありがとう」

 

感謝の言葉を淡々と述べた紫は、来た時と同じようにしてスキマに消えた。

首だけを動かしてそれを見送った萃香は、再び月を見上げて一人酒を始める。

盃に注がれた酒に月が反射して映るのを確認して、一気に持ち上げ飲み干した。

「人と人とは縁の塊…………なら、妖怪とはどうなるんだろうね」

 

 

ポツンと夜の空に吸い込まれるような呟きに、返す者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博麗神社を後にした縁はそのまま主人の元へと帰ろうとしたが、

妖怪の山と人里を挟んだ反対側にある荘厳な造りの寺社を結ぎ目の中から発見した。

少し悩んだ結果、その寺社へ向かう事にした。

先程のように、神を祀っているのであれば、その勢力や関係を知っておいた方が

今後何かと自分の役に立つ日が来るのではという考えもあったのだ。

 

 

(でも、そんな事よりも…………自分が何者かを知りたい)

 

 

しかし大部分は、八坂 神奈子と洩矢 諏訪子に言われた自分の正体。

八雲 紫に仕える道具である自分は、能力を宿した人間であると言われていた。

だが実際は付喪神だという、明らかな矛盾を抱えたままではいけないと考えた。

だからこそ縁は時間帯など気にせずにその寺へと向かったのだ。

 

「…………午後9時過ぎ、この時間の来訪は悪印象しか与えんな」

 

 

今の時刻を考え、訪問は明日にしようと考えた縁は主人の元へ帰ろうとした。

だが彼の視界の(顔は布で隠されているのに)端に、二人組の少女が動くのが見えた。

明らかに怪しげな二人の動きが気になった縁は、二人の後を尾ける事にした。

そこまでの距離を移動することなく、二人の少女の足が止まった。

彼女らの眼前には、夜になって一層不気味な墓地があった。

 

 

「ね、ねえチルノちゃん………帰ろうよ……」

 

「ヤダ! でんせつのキョンシーを見つけるまでアタイは帰らない!」

 

「またそんなこと言って…………」

 

「そろそろ出るはずなんだよ」

 

 

少し離れた場所から聞いていた縁は、レベルの低さに驚嘆する。

あまりに幼稚で、あまりに拙く、そしてあまりに自由な彼女らに縁は僅かに怒りを覚えた。

だがすぐ冷静に戻ると、チルノと呼ばれた少女が辺りをキョロキョロ見回ししていた。

 

「あ! いたわね、観念しなさいキョンシー!」

 

「…………キョンシー? 私がか?」

 

 

見回していたチルノが縁を目視した瞬間、一気に及び腰になる。

彼女の横でオドオドしている緑の髪のサイドポニーの少女は、まだオロオロしている。

何か言いたげな彼女を無視して、チルノが続ける。

 

 

「アタイ知ってるよ! 顔になんか貼ってあるのがキョンシーなんでしょ!」

 

とんでもない偏見で間違われた縁は、ここに来なければ良かったと後悔した。

だが呼ばれてしまった以上、黙っているわけにもいかない。

物陰からゆっくりと顔を覗かせた縁は、そのまま二人の少女に近付いていく。

 

 

「ち、チルノちゃん…………!」

 

「心配ないよ大ちゃん! 大ちゃんはアタイが守るから‼」

 

緑の髪の少女が涙ぐみ始め、水色の髪の少女がそれを励ましてなだめる。

しかし縁からしたら、その反応は全てが癪に障るものであった。

 

「私はキョンシーとやらでは無い。私は八雲 縁だ」

 

二人の前に立ってしっかりと自己紹介をした縁だったが、二人は聞いていない。

正確に言えば、大ちゃんと呼ばれた方が彼の名前に関心を持ち、チルノに耳打ちする。

 

 

「チルノちゃん、やくもって聞いたことあると思ったら、やっぱりそうだよ。

博麗神社の宴会でたまに見かけるすっごく強い妖怪の人の部下なんだよ」

 

「すっごい強いって、アタイとどっちが強い?」

 

「比べるまでも無い、私の主君である紫様だ」

「何だと⁉ さいきょーのアタイをさしおいて‼」

 

「最強、だと?」

 

「そうだよ、アタイったらさいきょーね!」

 

 

平行線で終わる気配の無い二人の会話を終わらせたのは、縁だった。

目の前にいるチルノの発した言葉が、信じられなかったからだ。

 

 

「最強とは、この地を統べる紫様にこそふさわしい言葉だ」

 

「うるさーーい! 別にいいじゃんか!」

 

 

手を振り回しながら抗議するチルノを黙って見つめる縁。

するとチルノが何かにひらめいたような素振りを見せ、縁に得意げに語った。

 

 

「だったら明日の朝早くにアタイと決闘ね!」

 

「決闘だと?」

「そーだよ! さいきょーのアタイに敵はいないって証明したげる!」

 

 

今までは話を聞いているだけだったが、それだけでは治まらなくなった。

それも一理ある、しかしこれは違う。

 

 

「紫様こそが最強のお方なのだ。最強は紫様だ」

 

「アタイがさいきょーなの! アタイだけなの‼」

 

「そうか、そこまで言うのならもう後には引けないぞ?」

 

「…………?」

 

「互いの譲れない最強のこだわりを、明日の決闘でぶつけよう」

 

「いいわ、かくごしてなさい!」

 

 

そう言ってチルノは大妖精を連れて墓地を後にした。

しかし去り際になって、彼女は更に大きな問題発言をぶちまけた。

 

 

「アタイからさいきょーの座を盗もうなんて、よっぽどの小悪党ね!」

 

「………………何だと?」

 

 

チルノの発言に一気に怒りが頂点に達した縁はその場を即座に後にした。

空間の結ぎ目の中で、早く次の日にならないかと心待ちにしていた。

自分の主を侮辱した、ほんのちっぽけな妖精の少女をいたぶる事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、アタイがさいきょー………」

 

 

もう倒れたまま何も言わなくなった縁を見つめながらチルノが呟く。

今まで自分を認めてくれたのは、雪女のレティと大妖精だけだった。

いつも気丈に振る舞っているが、レティには冬しか会う事が出来ないし

大妖精も決して自分から関わりあってくれているわけではなかった。

そんな自分を、たった今この男は認めてくれた。

 

 

「アタイ…………あたい………………」

 

 

目元にたっぷりと浮かべた涙をそのままに、チルノはその場を急いで離れる。

向かった先は、荘厳な造りの寺社『命蓮寺』というお寺だった。

高速で扉を超えて中に侵入したチルノは、目の前で驚いている女性に向かって

寺社全体に聞こえるほどの大声で泣き叫んだ。

 

 

「助けて! あたいの友達が死んじゃう‼‼」

 

 

氷で出来た壊れやすくも確かな絆。

冬に終わりを告げた今、静かに微かに咲き誇る。

 




いかがだったでしょうか。
後半は半分寝ながら書いていたので良く分かりません。

少しずつ明らかにしていく縁の謎。
あーー早く紅夜の方も書いたいんじゃぁ^~。


それでは次回、東方紅緑譚


第弐十七話「緑の道、命の蓮咲き乱れる寺」


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第弐十八話「緑の道、命の蓮咲き乱れる寺」

皆様、一週間ぶりです!

さて、特に申し上げる事もないので
早いところ書き上げると致しましょう!


それでは、どうぞ!


 

既に東の空から顔を覗かせていた太陽は、南の空高く昇っている。

冬を終えた今、春先のほんのり暖かな風が幻想郷中を駆け巡っている最中。

今日も今日とて変わらない、大きく明るい声がそこから聞こえてくる。

 

 

「ぎゃ~て~ぎゃ~て~! は~ら~ぎゃ~て~!」

 

 

元気いっぱいにお経をそらで歌っているのは、幽谷(かそだに) 響子(きょうこ)

 

(かすみ)がかったような深緑色のウェーブ状になっている頭髪。

そしてその両側頭部からは、犬と兎を足して2で割ったような耳が生えている。

髪と同じ系統の地味な感じの服装で、幼げな彼女の手には竹箒が握られていた。

竹の枝と寺社の境内に続く石造りの通路とが、リズムよくぶつかり合って音が生まれる。

そのリズムに合わせて響子はまたお経の同じ部分を元気よく大声で歌い始めた。

 

 

「ぎゃ~て~ぎゃ~て~! は~ら~ぎゃ~……………ん?」

 

 

ふと歌を歌うのを止めて、箒で通路を掃く音も止まる。

そしてそのまま首を動かして周囲を見回し、ゆっくりと上へと動かす。

彼女の人間離れした__________妖怪『山彦』としての聴力が何かを聞き取ったからだ。

ピクピクと可愛らしく耳を動かして、正確な音の発生源を探知して肉眼で確認した。

どうやらこの寺の参道で、誰かが弾幕ごっこをしているようだった。

その証拠に、晴れ渡る青空にかなりの数の弾幕が飛んでいっては弾けている。

だが突然それらの動きが止まり、弾幕の全てが初めから無かったかのように掻き消えた。

何が起こったのか気になったが、自分のすべき朝の勤行(ごんぎょう)(寺での修行兼日課)である

落ち葉掃きが終わっていないことを思い出し、再びお経を歌い始めながら再開する。

 

 

「は~ら~ぎゃ~て~♪ ぼ~じ~そわか~♪ 」

 

 

合っているようで微妙に違っているお経を歌いながら落ち葉を掃き始めて十数秒。

寺の重たげな木製の扉を飛び越えて、小柄な体躯の少女が凄まじい勢いで入って来た。

いきなりの事に驚いた響子だったが、誰かと会ったらまず挨拶をしなさいとこの寺の住職に

教えられた為、それを思い出して実行した。

 

 

「おはよーーございまーーーす‼‼」

 

 

今日も今日とて会心の出来だと自分で自分を褒めようとした響子だったが、

挨拶と同時にしたお辞儀から元の体勢に戻った時、相手の表情を見て再び驚いた。

目元には溢れんばかりの涙を浮かべ、時折しゃっくりのように泣きじゃくっていたのだ。

そんな顔をしたままで、水色の髪の少女は寺全体に響くような大声で叫んだ。

 

 

「助けて! あたいの友達が死んじゃう‼‼」

 

 

突然の助けを求める叫びにまたしても驚く響子だったが、相手をよく観察して

背後でパタパタと動いている三対の羽を見つけて、妖精であることに気付いた。

妖精というのは、非常に悪戯好きで騙されると厄介な相手だと知人から教わっている。

だからこそこれも悪戯なのだろうと考え、肩をすくめながら妖精に答えた。

 

 

「今は忙しいから、夕方ぐらいになったらまたおいで~」

 

「何言ってんの‼ あたいの友達が死んじゃうかもしれないんだってば‼」

 

「大丈夫でしょ、妖精は妖怪よりも復活は早いんだし~」

 

「妖精じゃないよ! 人間だよ………多分‼」

 

「へ~、そ~な………え? 人間?」

 

 

妖精の言った言葉に僅かな違和感を感じた響子は彼女の指差す方向を見てみる。

そちらはさっきまで弾幕ごっこが行われていた場所と方角が同じ事に気付いた。

もしかしたら、彼女の友人というのはこの寺に参拝に来る里の子供ではないか?

ここへ来る途中で彼女らの弾幕ごっこに巻き込まれ、大怪我をしてしまったのか?

そう考えた響子の顔からは一気に血の気が引いていき、真っ青になりかけていった。

もしも本当にそうだったら、落ち葉なんて掃きながら歌っている場合じゃない。

手にしていた箒を投げ捨て、妖精に案内を頼んで怪我をしている人間のところまで

連れて行ってもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちの良い昼の日差しを浴びながら、声を漏らしつつ背伸びをする一人の少女。

ポキポキと背骨から小気味良い音を立てながら、肺の中にある空気を吐き出す。

幽霊である自分に(・・・・・・・・)背骨があるのかと、『村紗(むらさ) 水蜜(みなみつ)』は少し疑問に思った。

水に濡れているかの如く瑞々しくツヤのある短めの黒髪に、

髪の色とは正反対の純白で染まっている船乗り帽と緑色の袖口のセーラー服を着飾っている。

下半身は太ももの真ん中辺りから下が見えるほどの丈のセーラー仕様のスカートに包まれ、

至ってシンプルなデザインの黒い靴を履いて境内を闊歩している。

 

そんな彼女があくびをしながら視線を落とすと、そこには竹箒が転がっていた。

穂先に少し落ち葉が引っかかっているのを見ると、使用されたものであることが分かる。

この寺社__________名を『命蓮寺(みょうれんじ)』というが、その境内の落ち葉を

竹箒で掃くのは、仏道に入門してきたあの山彦の勤行だと村紗は知っていた。

 

 

「響子め、掃除サボってどこで遊んで…………歌ってるんだろうね全く」

 

凄く仕事熱心で物覚えも早いのだが、いかんせん気が散りやすいのが玉に傷だよなぁと

一人でこの場にいない響子へ駄目出しするが、突然寺の扉が開いて噂の相手が現れた。

早速注意してやろうかとそちらへ目線を向けるが、村紗の目はそこで大きく見開かれた。

 

 

「あ、あんた何してんの? 何担いで………それ人⁉」

 

「村紗! 良かった、助けて! この人心臓が動いてないの‼」

 

「は⁉ えっと、ちょっと待って。いきなり何なのさ‼」

 

 

今の状況に理解が追い着かない村紗は、響子に説明を求めるが拒否される。

響子(いわ)く、「担いでいる人間の心臓が動いていない」らしい。

彼女は山彦という妖怪だ、耳の良さは妖怪の中でも群を抜いているはずだ。

きっと心臓の鼓動の音を聞いて、動いていないことを確認したのだろう。

 

 

「ちょ、それ一大事じゃんか! 早く竹林の診療所に連れてきなよ!」

 

「で、でも重いし………それに全身が凍ってるみたいに冷たいの‼」

 

「何よそれ…………」

「とりあえず堂内へ入れたらどうです?」

 

 

どうしていいか分からずにあたふたする二人の背後に、人影が現れる。

村紗と響子はその声の主を見つめ、その通りにしようと動き出す。

 

そこに現れたのは、『毘沙門天の代理』こと、『寅丸(とらまる) (しょう)』だった。

一般的な女性よりも若干背丈が大きめの、スレンダーな体型。

頭頂部には何かの花弁のような物が置かれ、風で僅かに揺らめいている。

髪の色は全体的には金色だが、所々に虎のような黒色が混じっている。

服装はまるで『毘沙門天』を模しているようだが、女性用の物になっている為か

もはやその荘厳は面影は見られなくなってしまって、ファッションと化している。

村紗が手伝いながら響子と一緒に担いだ人間を寺の中の一室に運び込む。

綺麗な畳の上に担いでいた人間を慎重に横たわらせて、仰向けにさせる。

そこで初めて、村紗と寅丸は人間の異様な外見に気が付いた。

 

 

「な、何コイツ………顔を布で隠してる。まるで死人みたいじゃんか」

 

「確かに。まるでキョンシーのようだが…………それにしては奇妙過ぎる」

 

「は、運んだはいいけど、この後はどうするの?」

「どうするって………星、何か考えがあるんでしょう?」

 

「勿論です。まずは」

 

 

そこまで星が話してから、畳部屋の障子戸がスルスルと開く。

開いた戸の先で立っていた人物を見て、星が顔に笑みを浮かべる。

 

「ナズ! 良いところに来てくれました、少し頼みが__________」

 

「そこまでだご主人。私の方の話を優先させてくれ」

 

「え? ええ、いいですけど」

 

「では。ご主人は今朝方、私に何と言ったか覚えているだろうね?」

 

 

畳部屋の中にスタスタと歩いてくる人物の顔を見ながら星は頷く。

その返答を良しとしたのか、再びその人物が言葉を紡ぎ始める。

 

 

「ならばいいんだよ。ご主人は確かに『無くした宝塔を探すのを手伝ってほしい』と

確かにそう言った、それを覚えているのならば良いんだがね…………ねぇご主人?」

 

「な、何ですかナズ」

 

「ご主人は確かに『手伝ってほしい』と言った。それは間違いないね?

それはつまり『自分も探すから協力してほしい』って意味合いで合っているね?」

 

「勿論です」

 

「だったら何で今朝から一度も宝塔を探そうとせずに、見知らぬ人間を勝手に

寺の中にまで上げて、更には得意気に話を始めようとしていたんだね? んん?」

 

「えっと、それは…………」

 

 

話が続く内に、星の身長がみるみる縮んでいくように見える。

それほどかしこまっている彼女を小さな身長であるのに見下ろしている少女。

 

バッサリと切り揃えられた鼠色の短髪に、まさしくネズミのような耳が生えている。

少しくすんだような深緑色のような色合いの独特な形状の服を着ている。

そして彼女のスカートの裾からは、まさにネズミと同じような尻尾が突き出されて、

その先には小ネズミの入った小さなバスケットのような籠が引っ掛けられている。

少女と言われるほどの身長からは想像がつかないほどの重圧を感じさせる笑みのまま

畳の上でいつの間にか正座している星の背後へとゆっくりと歩み寄っていた。

 

 

「弁明があるなら聞くが?」

 

「う………………ひ、人助けですよ、これは」

 

「人を助ける前に放置されている宝塔を助けようとは思わんのか。

見知らぬ他人は思いやれて、毘沙門天様の宝具は気にもかけないというのか」

 

「いえ! 決してそのような事は‼」

 

「無いと言い張るには説得力が足りていないぞご主人」

 

「うう………………」

 

「この者は私が診るから、ご主人は宝塔を見つける。意義は?」

 

「ありません!」

 

声を張り上げながら答える星を一瞥して、(あご)でしゃくって行くように促す。

慌ただしくその場を離れた彼女の後ろ姿を見ながら、村紗は感心したように呟いた。

 

 

「しっかしまぁ…………これじゃどっちが『ご主人』か分からんね」

 

「私の主人は他でもない寅丸 星だけさ。だが、ついでに覚えておくといい」

 

「何を?」

 

「真の知恵者とは………人の上に立つ者ではなく、人の上に立つ者を育てる者だよ」

 

 

自信ありげに片目だけウィンクしながら、その少女『ナズーリン』が微笑む。

だが彼女はすぐに微笑みを掻き消すと、眼前に横たわる人間を観察し始めた。

 

 

「さてと、この者を最初に見つけたのは君だね?」

 

「う、うん。妖精の子がいきなり飛び込んできて、『友達が死んじゃう』って。

最初は悪戯かとも思ったんだけど……………行ってみたら本当にこの人が倒れてて」

 

「なるほど。しかし、何故妖精が?」

 

「分からないけど、多分弾幕ごっこの巻き添えだと思うんだ。お昼前に落ち葉を

掃いてたら、綺麗な弾幕がいっぱい飛んでいくのが見えたから」

 

「ふむ………ん? 何だこれは」

 

「どうしたの?」

 

「いや…………この人間、というか人間か怪しいが彼は________」

 

 

話を聞きながらも処置するための腕を止めずに衣服を丁寧に脱がしていって、

ナズーリンはやっとこの人間の症状を理解し、響子と村紗に伝えた。

 

 

「____________凍傷だ。肉体がほとんど凍っているぞ」

 

「は? 凍傷?」

 

「もう冬は過ぎてるよ?」

 

「そんなのは分かっているさ。だがこれは紛れも無く凍傷なんだよ」

 

 

男の凍り付いて冷たい身体を素手で触診しながら、改めてそう呟く。

響子の言う通り春先なのに凍傷と言うのはおかしいし、なにより全身が凍傷に

なるほど凄まじい寒さは、先の冬でもナズーリンは一度も体験してはいない。

明らかに異常な事態であることを認識した彼女はすぐに判断する。

 

「凍傷の者をむやみに動かしてはいけない。ご主人の采配が珍しく良い方向に

流れ着いたのは本当に幸運だったが………船長、風呂の湯を沸かしてくれるかな?」

 

命蓮寺(ウチ)で看病するの⁉ 竹林の診療所に診せた方が良くないか?」

 

「確かに本職に診せた方が確実だ。だが、その場合ここの評判はどうなる?」

 

「評判?」

 

「そうだ。いいかい? ここは『妖怪と人間の共存』を(うた)曖昧(あいまい)な立場にある。

そんな場所から、妖精と何者かとの弾幕ごっこに巻き込まれて凍傷を負った人間が

竹林の診療所に運び込まれれば、たちまち人里の誰もが知るところとなってしまう。

そうなれば、『所詮人と人ならざる者とは相容れない』と里の者達は考えるだろう。

突飛な考えかもしれないが、こうなる可能性が無い訳じゃない。だからこそだよ」

 

なるほどと更に感心したような呟きを漏らした村紗を余所に触診を続ける。

胸板を見る限り男であろうと判断して、触っては不味い部分を除いた結果、

残すところは顔__________布で覆い隠された部分のみとなった。

 

 

「さて、残るはここか」

 

「………ねえナズーリン、今更なんだけどさ」

 

「何だい?」

 

 

立ち上がって風呂を沸かしに向かおうとした村紗が立ち止まって振り返り、

顔の部分を触診しようとしていたナズーリンに思いついたことを問いかける。

 

 

「その人間さ、『姐さん』なら何とか出来るんじゃないかな?」

 

「多分出来るだろう。だが彼女は用事で朝から出かけているんだろ?

この男の命がその帰りを待ってくれるほど悠長だったなら良かったんだが」

 

 

ナズーリンの是とも非とも取れない物言いに難色を示した村紗だったが、

どちらにせよ迷惑はかけられないと考え、そのまま風呂へと向かった。

村紗を見送りながら、ナズーリンは響子に拭くための布巾を催促する。

響子も頷いてその場を離れ、畳部屋には男とナズーリンだけとなった。

 

 

「しかしこの男………触ってみた感じでは紛れも無く人間なんだが、

どうしてか感覚的に見ればかなりの妖力とそれなりの神通力を宿している。

全く以て矛盾しているぞ。奇妙な存在を拾ってきたものだな…………さて」

 

 

軽く息を吐いて改めて真剣な面持ちになったナズーリンは男の顔に手を伸ばす。

実は彼女は、それとなく村紗と響子の二人をこの部屋から追い出したのだった。

 

(顔を隠しているのには間違いなく理由があるはずだ、しかも重大な。

どのような理由かは知りはしないが、良からぬ事でない確率の方が少ない。

もしもお尋ね者やそれに類する者であったならば、お縄をくれてやろう。

しかしその場合はここにこの男を運んできた響子が責任を感じてしまうはず。

だとしたらある程度傷を癒してからの方が都合がいいだろうな、お互いに)

 

 

まさに知略の申し子とも言うべき頭脳を駆使して、状況を整理する。

自分の考えや行動に何か不備や見落としが無いかを再び思い出し確認する。

繰り返し反芻して確認するが、落ち度は無いと結論付けて行動を再開する。

ナズーリンの少女のような手が、男の顔にかかっている布を掴み、持ち上げる。

そして彼女はその先にあった男の顔を見て________________絶句した。

 

「な…………んだ、これ…………は……⁉」

 

 

布の下には、本来あるべき顔がどこにも無かった。

正確に言えば、顔の輪郭はある。だが顔のパーツが何一つ無いのだ。

代わりにあったのは、ナズーリンとはあまり縁のない物だった。

 

 

「き、機械………か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かってる? 自分の状況」

 

「ええ、勿論です」

 

 

夜の月明かりに照らされている部屋の中で、一組の男女が話し合っている。

女性の方は無表情に近いが僅かに眉が吊り上がっていて、男は柔和な笑顔だった。

その男の表情を見て、女性の方も小さくため息をついて読んでいた本をしまう。

 

 

「今日が上弦の月、即ち半月なのよ?」

 

「分かっていますよ。自分の身体ですからね」

 

「……………だったらもう無茶はやめなさい」

 

「無茶などしておりませんよ。僕に出来る事をしているだけです」

 

男の方は心から満足しているように笑みを崩さず語る。

逆に女性の方は吊り上げた眉をさらに一段階上に吊り上げて話を続ける。

 

 

「普通の人間がここで生きることすら無茶なのに、あなたは尚更よ。

いくら外の世界で道理を越した苦行を生き抜いてきたからって…………」

 

「お優しいですね。僕なんかを心配してくださるとは」

 

「心配だなんてガラじゃないわ。私は資源を無駄にするのを嫌うだけよ」

 

「僕にはそれで充分ですよ。今までクズ以下の扱いでしたので」

 

「…………………………あと、()って一週間しかないのよ?」

 

「僕の今までの人生とも呼べぬ時間の積み重ねは、この幻想郷での

楽しい日々を送るための供え物のようなものだったんですよ、きっと」

 

 

右手を心臓の位置に持っていき、皮膚や筋肉越しに伝わる鼓動を感じる男。

その仕草を見て何を思ったのか、女性は腰かけていた椅子から立ち上がった。

そして男に近付くと、両手で男の顔をガッチリと押さえ込んで無理矢理目を合わせる。

 

「まだ終わってないじゃない、まだ生きているじゃない。

魔術以外で初めて興味を持った対象であるあなたに死なれたら、困るわ」

 

「そんな事言われましても、世の中どうにもならない事もありますよ」

 

「らしくないのは自覚出来てるわ。でも妹様だって、小悪魔だって…………」

 

 

自分から目を合わせにいったにも関わらず、目を逸らしてしまう女性に

魅力的と言わざるを得ないような表情で男が女性に詰め寄った。

 

 

「それだけの方々に思ってもらえた時点で、僕の人生は充実しているんです。

残りの人生が一週間だというのなら、今まで通りに一週間過ごすだけですよ」

 

「……………その後は?」

 

 

不安げに尋ねる女性の腕を優しく掴みながら、男が質問に答える。

 

 

「後なんてありませんよ。終わる時には必ず終わるんです」

 

「…………………………………」

 

掴んだ女性の腕を優しく顔から引き剥がしながらも決して視線は逸らさずに、

むしろ端正に整っている女性の顔に自分の顔を近づけながら逆に問いかける。

 

 

「いずれ終わりは来ます。ただ、それが早いか遅いか…………それだけです」

 

「だとしても早過ぎるでしょ」

 

「まぁ早いとは自分でも思ってますけどね………………それでも僕は

短い自分の人生に充分満足しているんです。皆さんに会えましたしね」

 

「………………………………」

 

「まぁ、でも………………」

 

 

少しだけ視線を地面に落としながら、男は寂しげに呟いた。

 

 

「姉さんと昔みたいに話したかったっていうのが、心残りですかね……」

 

「………心残りなら、生き抜いて実現してみなさいよ」

 

「いえ、止めておきます。僕の人生で、これ以上の幸せを求める事は欲深く

傲慢な事でしかないと思いますので」

 

「いいじゃない、人間なんて欲の塊よ」

 

「だからこそ、最期くらいは欲も何も無く逝きたいんです。

皆さんとの、お嬢様達との幸福だった数週間の思い出だけを持って……」

 

「…………………………」

 

 

女性は男の晴れやかな表情を見て、何かを悟ったように後ずさる。

そのまま腰かけていた椅子に再び座って、本を手に取って読み始めた。

しばらく二人の間には無言の沈黙が流れたが、やがて男が仰々しくお辞儀を

して部屋の扉へと向かって歩き始める。

扉の前に立った男が向き直って、女性に挨拶をして退室する。

 

 

「おやすみなさいませ、パチュリーさん」

 

「ええ、おやすみ紅夜」

 

 

小さく音を立てて閉まった扉の向こうから足音が遠ざかっていく。

それを確認したパチュリーは吊り上げた眉や目を普段通りの位置に戻し、

本を読むことに集中して読み始めた。

夜空に浮かんでいる半月を見上げながら、確固たる意志を持って呟く。

 

 

「死なせはしないわ、どんな手を使っても必ず死なせない」

 

 

自分自身の心に刻みつけるように呟いた魔女は、再び本を読みふける。

やがて彼女達を見守っていた半月が西の空に沈み、東の空が明るんできた。

こうしてまた一日が過ぎ、新たな一日が始まる。




いかがだったでしょうか。

縁の正体が明らかになりかけている時、
その裏で紅夜もまた秘められていた事が明るみに………。

早いとこ次の章まで持って行きたいんですがね。

ご意見ご感想、またはご指摘等もお待ちしております。
それと、縁と紅夜のイメージ画も募集しております。
自分で書くのが一番いいのですが、画才が無くて…………。


それでは次回、東方紅緑譚


第弐十八話「動かない大図書館、紅き夜に降る雨」


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第弐十九話「動かない大図書館、紅き夜に降る雨」

一昨日風呂場の扉で小指を傷付けました。
爪が真ん中から割れて出血がヤバかったです。
昨日から風呂に入る時に犯人に対して憎しみを込めた視線を
ぶつけるようにしている私がおりました。


それでは、どうぞ!


 

幻想郷の西側にある霧の立ち込める湖に佇む深紅色の館、紅魔館。

晴れた日でも霧で視界が遮られるようなこの場所に、今は雨が降り注いでいる。

ただでさえ視界の悪くなる雨に、霧が混ざって何も見えない空間となっていた。

そんな外の景色をチラリとも見ずに、一心不乱に書物を読み漁る女性がいた。

紅魔館内の大図書館に住まう魔女、パチュリー・ノーレッジその人だ。

机の上に無造作に置かれた分厚い魔導書(グリモワール)を一冊手に取って開き、

パラパラとページをめくっては期待外れと言わんばかりに積み上げられた無数の

魔導書の塔の最上段に置いて、また別の魔導書を手に取り、同じ作業を繰り返す。

やがて机の上の魔導書が無くなってしまい、そこで初めてパチュリーは目を閉じる。

それを見計らってか、少し離れた場所で本棚の整理をしていた朱い長髪の小悪魔が

パチュリーの元まで歩み寄って、ねぎらいの言葉を投げかける。

 

 

「お疲れ様です、パチュリー様」

 

「……こあ、その言葉は私の探しているものが見つかってから言って欲しいわ」

 

「も、申し訳ありません!」

 

「いいのよ。でも、まだ足りないわ。早く次のを持ってきてくれないかしら」

 

「ハイ、只今(ただいま)!」

 

 

数回言葉を交わした小悪魔は、パチュリーの指差した辺りの本を棚から出して

何も置かれていない平らな机の上にドサリと音を立てて置いて、また戻っていった。

新たに置かれた魔導書を先程と同じ手順で読み漁り、また座っている椅子の周辺に

別の塔を築き始め、そこに再び魔導書を乗せていく。

何冊か読んだところで、ようやく外で雨が降っていることに気付いた。

パチュリーは作業を中断し、窓の外で降りしきる雨を見てある事を思い出していた。

 

 

「あの日も確か、こんな大雨の夜だったわね…………」

 

彼が___________十六夜 紅夜が紅魔館の住人になったあの日の事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様! これは一体どういう事ですか⁉」

 

 

時刻は既に19時を大きく回った頃、紅魔館に女性の怒号が響いた。

その元凶はこの紅魔館のメイド長の十六夜 咲夜だった。

普段は凛とした雰囲気を纏っている彼女が何故狼狽しているのだろうか?

怒号を聞いた妖精メイド達がヒソヒソと話し合い始めるが、当の咲夜はそれを気に

かけることすらなく怒号のような疑問を浴びせた相手に再び尋ねた。

 

「お嬢様! この男は一体⁉」

 

咲夜は怒鳴りながら自分の主のそばにいる謎の少年を指差して再度尋ねた。

昨日彼女は自分の主人から『半日は館に入らず、人里で時間をつぶせ』と命じられていた。

不審には思ったものの、主人からの命令を拒む訳も無くその通りに今朝早く館を出た。

そして頃合いだろうと思って帰ってみれば、見知らぬ男が主人と会話しているではないか。

追い出そうと戦闘態勢に入った咲夜に向けて、彼女の主人のレミリアはこう告げた。

 

 

「ナイフをしまいなさい咲夜。コイツは我々、夜の眷属(けんぞく)の下僕となったのよ」

 

 

夜の眷属とは、夜の世界を生きる吸血鬼のことであり、

その下僕とは、吸血鬼に使える従者____________つまり自分と同じ存在ということ。

主人の言葉の意味を聡明な頭脳で即座に理解した咲夜は、男の素性を尋ねたのだ。

自分の知らないところで、自分の知らない人物が、自分の『世界』に忍び込んでいる。

咲夜はどうしても、そのように思えてならなかった。

 

 

「咲夜、コイツは今日からこの紅魔館の執事長を務めさせるから」

 

「お嬢様…………失礼ですが、お気は確かでございますか⁉」

 

「あら? 今の私はそんなにおかしく見えるの?」

 

「い、いえ……………ですがこんな、得体の知れない男が」

 

 

レミリアの衝撃的な言葉に耳を疑わざるを得なかった咲夜は驚きに目を見開いた。

そしてその開かれた目でゆっくりと謎の少年の方へと視線を向ける。

相手は咲夜の視線にすぐに気付き、何故か嬉しそうに微笑んで見つめ返してきた。

予想外の反応にまたも咲夜は驚くが、本当に驚いたのはこの後だった。

 

 

「それではレミリア様、僕はお嬢様の元に付き従いに向かいます」

 

「……………考え直さない? 今からでも私の下僕に____________」

 

「いえ、僕の主人はフランドールお嬢様ですので」

 

「………そう、そうか。残念だわ、お前が私の運命に関わらないだなんて」

 

「では、失礼致します」

 

 

男がレミリアと言葉を交わした直後、その姿が一瞬のうちに掻き消えた。

先程の会話の中で出てきた『フランドールお嬢様』という言葉もさることながら、

自分の『時を操る程度の能力』を持ってすら知覚不能な消え方をした事が驚愕だった。

咲夜は男が背を向けて歩き出したら、ナイフを投げつけて試してやろうと考えていた。

だがソレは叶わなかった。男が眼前から、忽然と姿を消してしまったからだ。

その様子を玉座から見下ろしていたレミリアが苦笑しながら咲夜をたしなめた。

 

 

「無駄よ咲夜。お前じゃアイツは捉えられない。時を止めなければ、だけど」

 

「………あの男は何者ですか、何故あんな奴が」

 

「私の決定よ、異存があるなら言ってみなさい」

 

「………ございません」

 

「そう、ならいいわ。そう言えば紹介してなかったわね。

アイツは悔しいことに私よりもフランの執事になる事を選んだ紅魔館の執事長。

名前は______________『十六夜 紅夜』よ。姉弟同士、仲良くなさい」

 

これまで散々驚いてきた咲夜だったが、最後の一言が一番驚かされた。

咲夜は自分の主人が気まぐれな性格だという事は知っていた、知ってはいた。

だがまさか、自分の弟を作り出そうなどと言い出すとは考えてもいなかった。

 

(お嬢様は何をお考えなの⁉ 私に弟なんて…………おと、うと?)

 

 

隠しきれない戸惑いと激昂が脳裏を駆け巡る中、一瞬何かが引っかかった。

咲夜の頭の中で、レミリアの発した言葉が、何故か妙に脳内に残響した。

それは、前日パチュリーの喘息を抑える薬を『迷いの竹林の薬剤師』から貰って

帰ってきた時に美鈴が何気なく発した一言と、同じようなざわめきを与えた。

たった一言。『弟』という一文字が頭の中をグルグルと飛び回って頭痛を発させる。

その痛みに顔をしかめた咲夜を見て、レミリアは満足そうな表情を浮かべた。

 

 

「いい機会だわ、咲夜。これから紅夜と暮らせるのだし、何か話してきなさい」

 

「…………………かしこまりました」

 

 

未だに頭の中に痛みを残す言葉に疑問を抱きながら、咲夜はその場を後にした。

 

 

男の言葉を思い出し、地下の牢獄につながる通路を急ぎ足で歩く。

少々普段の彼女が信条としている『瀟洒(しょうしゃ)』からはかけ離れた足取りだが、

そんな事はお構いなしと言わんばかりに歩を進める咲夜は、遂に目的地に辿り着いた。

昨日までは閉ざされていた地下牢の扉が、完全に開き切っていた。

中に目的の人物がいるであろう確認が取れた咲夜は、意を決して中に踏み入る。

その先にある主人の妹様の個室_________即ち牢獄なのだが_________に明かりが灯る。

自分では照明を点けたがらない彼女がするわけがない、あの男の仕業だ。

そう決めつけた咲夜は、明かりが漏れている鉄製の扉をわずかに開けて中を覗いた。

 

 

「お嬢様、もうすぐ20時でございます。お昼寝はおしまいですよ」

 

「…………やぁ、もうちょっと寝るのぉ…………」

 

 

牢の中には予想通りに先程の燕尾服の男がいて、この部屋の元々の住人もいた。

咲夜の主人であるレミリアの血を分けた妹、『フランドール・スカーレット』だ。

彼女は今まで棺桶の中に入って寝ていたはずだが、何故か今はベッドに寝ている。

シーツに(くる)まりながら、男の言葉を可愛らしく否定している。

だがその姿は、咲夜からしてみれば初めて見る光景だった。

 

 

「お嬢様、ワガママはいけませんよ…………起きてください」

 

「んん…………やぁだ……まだ眠いのぉ……………」

 

「困った方ですね。お嬢様、どうすればお起きくださいますか?」

 

「…………んふふ、お姫様は王子様のキスで起きるのよ?」

 

「………いえあの、流石にそれはご容赦くださいませんか?」

 

「何よ! してくれたっていいじゃない!」

 

「それはマズイですよお嬢様。僕は執事で貴女は主人、お分かりですか?」

 

「両想い‼」

 

「その通りでございま……………いえ、違うようで違わないようで」

 

「どっちなのよ…………もう」

 

 

そう言ってあからさまに機嫌を悪くしたフランがベッドから飛び降りる。

男はフランの脱ぎ捨てたパジャマを瞬時に回収し、綺麗に畳んでこれもまたいつ

部屋に持ち込んだのか不明だがクローゼットの中に几帳面にしまい込んだ。

手際だけは良いと評価しながら、いつの間にか取り出していたフランの着替えを

彼女に手渡して何かを小声で呟いた後、男がまたしても瞬時にその姿を消した。

驚いた咲夜は、自分の背後に唐突に現れた気配に対してナイフを構えた。

 

「待ってよ、僕は何もする気は無いんだ」

 

「…………………………」

 

 

先程までの主君に使える下僕のような口調は影も無く、あどけない少年のような

猫撫で声とでもいうような声で甘えるかのように咲夜に対して男が話しかけてきた。

あまりの違いに驚きながらも、構えたナイフをそのままに咲夜は振り向いた。

そこには予想通りに男がいたのだが、彼の表情は声の通りに蕩けていた。

出方を窺っている咲夜を余所に、男が感極まったように話しかけてくる。

 

 

「僕はずっと、ずっと会いたかった。だからここに来たんだ、姉さん」

「…………………………何の話?」

 

「昔の話だよ。でも今の僕らには関係無い…………ここで新しくやり直そうよ!」

 

「…………………だから、何の話?」

 

心底不快だった。

心底不愉快だった。

心底気味が悪かった。

目の前の男の言動の何もかもが自分を苛立たせる。

こうして向かい合っているだけで胸の奥で何かが押し潰されそうになる。

ハッキリ言ってしまえば、コイツには近寄りたくない。

咲夜は頭の中でそう考えながら、言葉の端々に怒りを込めて放つ。

相手はその言葉に戸惑っているのか、黙り込んでしまった。

その隙を逃すまいと、咲夜は一気にたたみかけた。

 

 

「言わせてもらうけど、貴方が何者かはもはやどうでもいいの。

ただ、この紅魔館に何故来たのか。そしてお嬢様達に何をしたのか。

それさえ聞ければいい、そうしたらもう二度と貴方には近付かないから」

 

「………姉さん?」

 

「だから、その"姉さん"と呼ぶのを止めなさい‼

気持ち悪いのよ! さっきからずっと、『会いたかった』だとか!

私は貴方なんて知らないし、知りたくもないわ‼

お嬢様の命令が無ければすぐにでもこの紅魔館から排除してやるのに‼

さあ、早く答えなさい。答えなければ力づくでも聞き出すわよ‼」

 

「……………ねえ………さん」

 

「ッ‼ もういいわ、強硬手段よ!」

 

 

男の言葉にとうとう怒りの沸点を超えた咲夜はナイフを投げる。

放たれた数本のナイフは、呆然としたまま動かない男に直進していく。

あと数秒で男の心臓付近に深々と突き刺さると思われたナイフが、突如砕け散る。

何が起こったのか一瞬分からなかった咲夜だったが、おびただしい殺気を向けられ

その奇怪な出来事の主犯が誰かを正確に理解させた。

 

 

「…………ねぇ咲夜、何してるの?」

 

「い、妹様………」

 

 

咲夜の視線の先には、右手を握ったフランドールがいた。

先程の自分の怒鳴り声が聞こえたのかと考えたが、その思考はすぐに掻き消される。

扉の前にいたはずのフランが、その姿を消したからだ。

辺りを見回した咲夜は、スッと首筋に少女の白く細い手が回されたことに気付く。

その手が咲夜の同じく細い首筋を尋常ならざる怪力で掴むと、フランの声が耳に届いた。

 

「今まで咲夜は私に色々してくれたわ…………食事を運んでくれたりね。

でも遊んではくれなかった。寂しい時に一緒にいたりはしてくれなかった。

咲夜はしてくれなかった。でも紅夜はしてくれたわ、ぜーんぶ。

遊んでくれたし、お話してくれたし、手も繋いでくれたのよ…………この手と」

 

 

そう言ってフランは咲夜の首を掴んでいる方とは逆の手を握りしめる。

そこにある大切な何かを掴んで離さないようにしているかのように。

 

 

「何でもかんでも壊しちゃう私に仕えるって約束もしてくれたの。

すっごく嬉しかったわ。紅夜がいてくれるだけで私は幸せになれるの。

紅夜以外の皆は好きだったけど、今は紅夜が一番好き。そばにいてほしい。

今までは皆にいてほしかったけど………………紅夜がいるから他はもういらない。

だからぁ_________________________咲夜も壊しちゃうかも、アハハハ♪」

 

 

まさしく、狂気に塗れた純粋にして邪悪な微笑み。

無邪気な笑顔の裏にこびり付いた、隠しきれない純然たる殺意。

抗う事の出来ない圧倒的な力の差、覆る事の無い絶対的な死の予感。

咲夜はジワジワと首に込められていく力を感じるたびに小さく震えた。

肌で直接その震えを感じ取ったのか、フランはご機嫌な口調で話を続ける。

 

 

「いくら咲夜が紅夜のお姉様だったとしても、関係無いわ。

私から紅夜を盗ろうとするなら、例えお姉様でも許さない。

ねえ咲夜、そんなに震えてどうしたの? 寒くは無いわよね?

……………怖い? 自分の命が奪われる実感があるのが、怖いの?

でも、私は紅夜を失う事の方がよっぽど怖いの。だから殺すの」

 

「い、妹様…………お静まり、ください………」

 

「私は冷静よ? だからこうして力加減も出来てるんだから。

それでぇ…………咲夜は紅夜に何をしようとしていたのかしら?

さっき紅夜は『姉さんに挨拶して参ります』って嬉しそうにしてたのに。

どうしてナイフなんて投げたりしたの? 紅夜が悪いことしたの?」

 

「そ、それは…………」

 

「何もしてないわ。紅夜は何も悪くなんてないんだから。

だったら咲夜がいけないのよね? 悪い子はゴメンナサイしなきゃダメよね?

あ、そうだわ。いいこと思いついちゃった‼

今から咲夜を『キュッとしてドカーン』して、グチャグチャになった肉片で

ゴメンナサイって文字を書くの‼ すっごく美味しそうな名案だわ、どうかしら?」

 

「お止め………ください………」

 

「それとも今からお腹を引き裂いて、はみ出した内臓を使って

ゴメンナサイって文字を書いた方が良いかしら? う~~~ん、迷っちゃう。

ねえ、紅夜はどっちが良いかし…………………あれ? 紅夜? どこ?」

 

 

咲夜とのやり取りに夢中になっていたフランが、紅夜がいなくなった事に気付いた。

周囲をキョロキョロと見回すが、漆黒の燕尾服も輝くような銀色の短髪も見えない。

途端にフランは咲夜から手を放して地下牢から飛び出した。恐らく紅夜を探しに

行ったのだろうが、何はともあれ助かったと咲夜は安堵のため息を漏らした。

 

 

「妹様があんな風になるなんて…………あの男は危険だわ」

 

 

どこにいるかもわからない男に向けて、咲夜はより濃さを増した殺気を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっへ~、こりゃ一雨来そうだな……………咲夜さんもいないし、いいか!」

 

 

夜も更けてきた時間帯、空にはドス黒い色をした巨大な雨雲がかかっていた。

そんな夜空を見上げた門番の美鈴は付近にメイド長がいない事を確認してから、

門を開けて紅魔館内へとそそくさと戻っていった。

そんな彼女を視界の端で目視しながら、何も言わず立っている者がいた。

自身の『方向を操る程度の能力』でここまで音を立てずにやって来た紅夜だった。

彼は空を見上げず、ただただ俯いて風に揺れる草花を呆然と眺めていた。

やがて美鈴の予想通りに雨が降り出し、その量は徐々に膨大になっていく。

ものの二、三分で本降りに達した雨は、紅夜に構わず大地に向けて落下してくる。

 

「………………………………」

 

 

紅夜は、何も言えなかった。

レミリアの話を聞かされていたから、覚悟はしていた。

自分の事を覚えていない。理解はしていたが、事実を目の当たりにしたらこれだ。

あの地獄の中の唯一の救いだった彼女が、今まさに自分の心を苦しめている。

 

(随分と気の利いた皮肉だな………………)

 

 

そんな事を思いながら雨に打たれ続ける。

しかし、彼の耳の奥には先程の姉の言葉が深々と突き刺さっていた。

 

『_________気持ち悪いのよ!』

 

『_________貴方なんて知らないし、知りたくもないわ‼』

 

自分を否定する言葉。

その言葉を発したのは、最も逢いたかった姉。

ただそれだけの事実が、紅夜の心に重く冷たくのしかかった。

 

 

「…………うっ……………くうっ…………!」

 

 

気が付けば、紅夜は涙を流していた。

雨に打たれて気付かなかったが、彼のソレは妙に暖かかった。

その暖かさが、涙が流れ落ちる気がして。

紅夜は必死に涙を拭おうとするも、止めどなく涙は溢れ出る。

彼の心が限界を迎えるのも、そう長くはなかった。

 

「ううっ……………あ、ぐっ……………うう!」

 

 

視界はボヤけて、鼻からは水っぽい体液が雨と共に流れ出る。

固く結んだ口の端からは、喉の奥から嗚咽(おえつ)がこぼれ出てきた。

幻想(こちら)の世界で主人(かぞく)が出来た日に、現実(むこう)の世界の(かぞく)を失った。

耐え難い事実が、紅夜の心に致命的な傷を負わせる。

悲哀の感情も、憤怒の感情も沸いてこなかった。

今の紅夜の中に渦巻いているのは、後悔と激しい自己嫌悪だった。

 

「________________ッ! _________________ッ‼」

 

 

吠えるようにして泣き叫んだはずなのに、雨量を増した雨の音で声は掻き消された。

まるで空が紅夜の想いに同調し、共感し、同じ悲嘆の涙を流しているかのようだった。

頬を伝う嫌になるほど熱い滴も、数秒後には冷たい雨粒と区別がつかなくなる。

それほどの豪雨の中、涙が枯れるまで紅夜は泣き叫び続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外で降っている雨を、不快そうにパチュリーは睨む。

彼女の持っている魔導書は普通の本と同じように、湿気に弱い物もある。

一応管理は徹底しているが、やはり性格上気にせずにはいられないのだ。

 

 

「早く止まないかしら……………………ん?」

 

 

しかし天候に文句を言っても仕方ないと諦め、読書を再開しようとした

パチュリーの耳に、奇妙な雑音が聞こえてきたような気がした。

一瞬風の音かとも思ったのだが、それにしては変な感じがしたのだ。

座っていた椅子から立ち上がり、窓辺に近付いて外を眺めてみる。

すると、紅魔館の玄関と門の間にある庭園の木の陰に誰かがいるのが見えた。

よく見てみると、それが昨日の侵入者であり紅魔館の新たな住人の少年だと分かった。

こんな時間に、こんな天気なのに、彼はあんな所で何をしているのだろうか。

 

「………まさかあれ、泣いてるの?」

 

 

そんなわけないか、と思い直しながらパチュリーは呟く。

あの少年__________今は十六夜 紅夜と名付けられているが、

彼がどのような人間であるかは、よく分かってはいない。

だが、彼が涙を流すほど弱い人間ではないとは思っていた。

生き別れた姉に再開する為に吸血鬼の根城だと知っていながらも単身で来て、

門番の美鈴と互角に戦い、あまつさえ狂気に憑りつかれた妹様と同じ部屋に

いながらも見事に生き残って紅魔館の執事長の地位を得るような人間なのだ。

しかし、だからこそ泣いているのであればその理由を聞きたい。

単なる知的好奇心_____________初めはそう思っていた。

 

 

「………こあ、美鈴を呼んで庭園に向かわせて」

 

「え? 美鈴さんを? どうしてですか?」

 

「雨が降ってるから館内に避難してるはずだから。

庭園に行けっていうのは、少し気になる事があるからよ」

 

「ハイ、分かりました」

 

 

小悪魔を呼んだパチュリーはサボっている美鈴を使って紅夜を呼び出した。

そして美鈴を向かわせてから数分後、大図書館の扉が開いて三人が入って来た。

一人は小悪魔、一人は少し濡れている美鈴、最後にずぶ濡れの紅夜の順だ。

パチュリーは読んでいた本を閉じてそちらを見たが、彼女の予想は当たっていた。

それなりに離れた距離にいる彼女にも、時折紅夜の口から漏れる嗚咽が聞こえた。

美鈴を下がらせて、小悪魔に身体を拭くタオルを持ってくるように命じた彼女は

紅夜を自分の近くに来るように言って、再び椅子に腰を掛けた。

トボトボと鈍い足取りで近付いてくる紅夜に、パチュリーは早速問いかける。

 

 

「一体何があったのかしら? 吸血鬼の執事にされて今更後悔でもした?」

 

「…………………………………」

 

若干皮肉を込めたつもりの言葉にも、返答はなかった。

明らかに沈んだ表情に沈痛な面持ち。何かあったのは間違いない。

しかし彼ほどの男がここまで弱々しくなることがそうあるものか?

そこまで考えたパチュリーはある一つの結論に至った。

 

 

「咲夜のことで何かあったのね?」

 

「ッ‼」

 

 

そしてそれは正解だった。

無反応だった紅夜が、途端に肩を大きく震わせる。

それと同時に下がり気味だった眉が動き出し、ハの字に押し曲がる。

ダランとしていた手は固く握られ、ブルブルと大きく小刻みに震えている。

そんな状態の彼の口からは、パチュリーの予想を超えた言葉が飛び出てきた。

 

「ねえさんに………わすれられて、きらわれまし、た…………」

 

「…………何ですって?」

 

「ねえさん………………………うう」

 

 

涙を目からこぼしながら懺悔するかのように話し出した紅夜に、

パチュリーは間の抜けた顔になって何度も真意を問う視線を浴びせた。

何をどうしたら昨日の今日でそんな事になるのか。

紅夜が落ち着きを取り戻してから、詳しい事情を聞くことにした。

 

 

「_________________という事で」

 

「なるほど。名で運命を変える、か。レミィらしいと言えばらしいか」

 

「すみません。パチュリー様の貴重なお時間を僕の為に」

「別にいいわよ。あなたの話もそこそこ楽しめたし」

 

「………面白かったですか、僕の話」

 

「怒らないで。退屈をしのぐには丁度良かったって事よ」

 

 

自分の話した話を馬鹿にされたと思ったのか、紅夜がパチュリーを睨む。

その視線をサラリと流して、事の顛末を知ったパチュリーはため息をついた。

「ま、いいじゃない。これから溝を埋めていけば」

 

「無理です」

 

「………もう会えたんだし、時間だってあるじゃない」

 

「ありません。もう僕には時間が無いんです」

 

「どういう事?」

「それは…………お話出来ません」

 

 

紅夜の決意に満ちた表情に、パチュリーは少し気圧される。

控えめな、しかし揺るがない何かを持った彼の瞳に、彼女は何かを感じた。

姉に会うために命を賭して死地に飛び込むような勇気を、彼女は知らない。

自分が知らないものほど、興味をそそるものなどこの世にはない。

加えて彼は外の世界の人間、更なる知識を得られるかもしれない。

そんな研究者的な一面が、彼女の控えめな欲望を燃え上がらせた。

 

 

「じゃあ、私が協力してあげるわ。

あなたが咲夜とこれから上手くやっていけるように。

その代わりに、私に色々な知識を頂戴。それが報酬代わりよ、どう?」

 

 

それが、彼女の『運命』を大きく変える事になるとも知らずに。

 

 










と、言うわけで過去編ですね。
今回だけで終わらせるつもりだったのですが、予想外に長引いたw

まあでも、次回辺りで過去編は終わりになると思います。
次回の次の回辺りから、再び縁の「緑の道」ルートへ行こうかと。


それでは次回、東方紅緑譚


第弐十九話「動かない大図書館、埃被った恋心」


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第参十話「動かない大図書館、埃被った恋心」

どうも皆様、お久しぶりでございます。
最近ようやく悩みの種が解消できたのですが、
その代償だと言わんばかりに風邪をひきました。

…………………私が何をしたっていうんだよもう(´;ω;`)


それでは、どうぞ!


 

この紅魔館に彼、十六夜 紅夜がやって来て執事となってから二日目。

彼は少しずつこの世界での暮らしに慣れてきているようだった。

"ようだった"と言うのは、実際に私が目撃している回数が少ないからだ。

でも、彼は何かあるとすぐにこの場所に来て、時間をつぶして戻っていく。

その行動に特に意味は無いと思うが、日に日に頻度が増してきているような気もする。

実際に今も、私の隣で分厚い古書を手に取って静かに読んでいるのだから。

 

 

「………………まだ居る気?」

 

 

私は少し不機嫌そうな声で隣の彼に語り掛ける。

本当に機嫌が悪い訳ではないが、隣に誰かがいるのにどうも違和感を感じてしまうのだ。

その違和感から口調が荒くなってしまったのか、などと自分を客観的に分析してみる。

すると隣の彼は読んでいた本から目線を上げて、私の顔をしっかりと見つめて口を開いた。

 

「すみません、ご迷惑だったでしょうか?」

 

「別に迷惑ではないけど。ただ、あなたももう自分の仕事があるでしょう?」

 

「ええ、まあ。ですがお嬢様はもうすぐお眠りになりますので」

 

 

彼の言うお嬢様、この館の当主たるレミィの妹、フランドール・スカーレットの話題が

出てきた瞬間に、彼の顔が分かりやすく緩やかに形を変えて微笑みの形相になる。

レミィは自分の執事にしたかったらしいけど、実際は妹様の執事になってしまった。

この件に関しては、私も美鈴も本当に驚いた。

妹様は495年もの間、紅魔館の地下深くに作られた地下牢に幽閉されていたためか

その精神に異常が発生し、『狂気』となって彼女の体を徐々に(むしば)んでいった。

彼女の『狂気』は本当に厄介で、彼女の持つ吸血鬼の潜在能力を飛躍的に高めさせた。

結果、妹様はいつの間にかレミィですら抑えられないほどの力を発現させ、暴れ回った。

私達が魔法で地下牢にトラップを仕掛けたりして、今まではどうにか解き放たれずに済んでいた。

しかし一年半くらい前だっただろうか、レミィが幻想郷にやって来て『異変』を起こしたのだ。

幻想郷を守護する役割の博麗の巫女や、普通の魔法使いとの弾幕ごっこに敗北してしまって

空を紅い霧で覆い尽くした『紅霧異変』は、文字通り雲散霧消してしまったのだが。

 

 

「………………そう」

 

「ハイ。あの、パチュリーさ__________ま」

 

「"さん"でもいいけど。呼びやすい呼び方でいいから」

 

「分かりました、パチュリーさん。それで、コレは何て読むんでしょうか」

 

「…………『Ris.zimks.apptel.qwop』………『唯一絶対にして不可侵の物質は己である』ね」

 

「ありがとうございます」

 

 

読めない文字を素直に聞いてきて、目を輝かせている彼を横目で見つめる。

この目を昔に見たことがある。いつだったか、どうにも思い出せない。

それにしても、彼と妹様は本当に意外なほどピッタリな関係となっていた。

出会ってたった三日しか経っていないというのに、まるで昔からの主従のようだった。

 

 

(あの異変の時に彼がいたら、結果は変わっていたかもしれないわね)

 

 

首謀者であるレミィが博麗の巫女に倒され、私達ももう戦える状態で無くなったあの時。

普通の魔法使い___________魔理沙のせいで地下にいた妹様が解き放たれて遊びを始めた。

吸血鬼としても超級の力と能力を持った彼女と、魔理沙との戦いは正直見ていられなかった。

魔法使いとしての魔理沙はまだまだ未熟で、明らかに勝てるとは思えない戦力差があった。

それでも彼女は諦めず、遂にレミィですら抑えられなかった妹様を打ち破ったのだった。

以降レミィは妹様を地下牢から解放した。無論、紅魔館外には決して出さなかったが。

そんな孤独な妹様と、外の世界で孤独だったという彼は、レミィのいうような『運命』に

よって出会う事が約束されていたのだろうか…………………案外納得がいった気がした。

 

 

「では、ここの文は?」

 

「……『Csixs.mlmwa.hitevz.llto』………『己と同等の対価とは、相当量の血である』ね」

 

「そうするとこちらは、『支払うのは代価であり、享受するものは己である』ですか?」

 

「ん、少し違う。ここは『支払うのは等価であり、享受するものは対価である』よ」

 

「……………なるほど、ありがとうございます」

 

再び彼が読めない部分を尋ねてきて、それに応える。

先程からこの工程を何度か繰り返している為に、私が本を読む時間は減っている。

普段の私ならこういった自分の時間を無駄にする行為は許容出来ない筈なのだが、

何故か彼の純粋に知識を得ようとする姿勢を感じるたびに、喜びが沸いてくる。

人里に半人半獣の教師がいると聞いたが、教え子を持つのはこんな感覚なのだろうか。

そんなガラにもないことを考えながら、彼の読んでいる本の背表紙を見つめた。

 

 

「…………ちょっとあなた、ソレ魔導書(グリモワール)じゃない!」

 

「ええ、前に気になったので読もうと思ったらこあさんに止められてしまって。

ですがお願いしたら、人でも読めるように内容を制限した複写版を貸してくれて」

「……………あの子は何をしてるの」

 

「そんなにいけない事だったんですか?」

 

「………魔法や魔導を探求するというのは、生半可な事ではないのよ。

それこそ、『人間を止める』覚悟すら必要になるくらいなんだから」

 

「そ、そうだったんですか」

 

「これ以上は読むのを止めておきなさい。南の本棚になら人間用の魔法書が

いくつかあったはずだから、そっちを読んでおいた方が安全よ」

 

「………そうしておいた方が、良さそうですね」

 

 

隣の彼が顔を少し歪めて、手にしていた本をそっと閉じる。

そのまま立ち上がって私の言った場所へゆっくり歩いていく。

しかし、まさか小悪魔が私に無断で本を………魔導書を制限付きでも貸すなんて。

最初の頃は人質に取られたから怖いってビクビクしてたくせに、いつの間に。

そんな風に考えている自分に、少し戸惑った。

 

(これじゃまるで、私が彼とこあの交友関係を知りたがっているみたいじゃない)

我ながらおかしな事を考えているものだと、自分で自分を嘲笑する。

しかし、どうしても気になってしまうのだ。理由を考えても浮かんでこない。

彼が私に無邪気に質問してくることを、どこか待ち望んでいるような気がする。

次に彼が本を持ってきたとして、もしもまた自分に質問をしてきたとして、

私はそれに応える事で、何か得をするのだろうか。

 

 

「………………集中できない」

 

 

そこまで考えてから、その先を考えるのを放棄した。

魔法という分野では秀でている私でも、二つの事を同時に思案する機能は無い。

頭の奥で考える事を放棄した自分を悔やんでいる、そんな別の自分がいる気がした。

あくまで気がするだけであって、本当にそうであるとは言い切れない。

魔法を研究する者として結果が出せない事を悔やんでいるのだろうか。

それとも、彼の事を考える時間をつぶした事を悔やんでいるのだろうか。

前者であるのならば問題は無い、普段通りの自分だと言い張れるのだから。

しかしもしも、もしも後者であるのならば______________________________

 

 

「パチュリー様? どうかしましたか?」

 

突然、背後に現れた小悪魔の声で意識を戻される。

少し普段より早い速度で首を動かして、声のする方を見つめる。

そこには見慣れた朱いロングヘアーの小悪魔がいた。

キョトンとした顔で見つめてくる彼女に、急に苛立ってきた。

 

 

「…………別に。何でもないわ」

 

「え、ほ、ホントですか?」

 

「何よ」

 

「な、何でもありません!」

 

「そう。なら丁度いいし、紅茶を持ってきて」

 

「分かりました!」

 

 

顔をこわばらせて、小悪魔が小走りで図書館を足早に去っていく。

そんな彼女の背を見つめながら、パチュリーは何故か優越感に浸るのであった。

 

 

「な、何で! 何であんなに怒ってらっしゃったんでしょうか⁉」

 

紅魔館の全面と同じような赤色の絨毯が敷かれた長い廊下を足早に行く小悪魔。

半泣きになりながら、周囲の妖精メイドに不審者を見るような目で見られながら、

命令された紅茶を淹れるために、小悪魔は急いで給仕室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レミィに仕える紅魔館のメイド長、十六夜 咲夜の弟である彼が来てから二週間。

既に紅魔館内のほとんどの者が、彼を同じ住人として認めつつあった。

______________________ただ、一人のみを覗いては。

 

 

「脱いだ服はそこに起きなさい。あなたはそこで立ってて」

 

大図書館の木製の扉を押し開けて中に入って、本をどかしてスペースを作る。

今日はこの紅魔館の当主が再び異変を起こそうと宣言した重要な日であるにも関わらず、

自分は今、数日かけて作った魔法陣そっちのけで別の小型の魔法陣を展開している。

理由は一つ、私が前から勘付いていた『ある事』の後処理をするためだった。

 

「………は……………い……」

 

 

自分の背後から、普段の彼からは想像もつかないほど弱々しい声が聞こえてくる。

いや、実際本当に弱っている。外傷が無いにも関わらず、彼の体は血塗れだった。

今もなお彼の口の端からは、泡を作りながら血液が吹きこぼれている。

フラフラとおぼつかない足取りで、私が指差した場所へ彼は歩いて向かっていく。

そんな彼の姿を見て、何故だか胸の奥辺りがざわつくような、不思議な感覚に包まれた。

 

 

「それにしても、これからって時に…………つくづく不運なのね」

 

「………………そうで、しょうか………ゴッ、オォ!」

 

「本の上に血は吐かないでね」

 

妙な感覚を知覚しながら、治癒を司る呪文の記録された魔導書を幾つか棚から取り出す。

魔導書を開いて、魔法陣の描かれたページを開いたまま魔力を開放して魔法を発動する。

鮮やかな緑色の光が魔法陣の中から飛び出して、彼の体に張り付いて吸収されていった。

外傷がないから分かりにくいが、彼の体の傷をゆっくりではあるが確実に治癒させている。

早くも効果が表れたのか、心なしか彼の表情が先程よりも和らいだような気がした。

 

「ありが………とう……………ござ、います…………」

 

「しゃべらないで休みなさい。これからが本番だから」

 

「はい…………………すみません」

 

「いいのよ」

 

 

わずかな、本当にわずかな言葉のやり取り。

会話と呼べるかどうか怪しいほどの、わずかな時間の共有。

ただそれだけであるはずなのに、私も彼と同じように表情が和らいだ。

彼の体の傷が癒えていくごとに、奇妙な安心感を覚えた。

 

 

「さて、あと五分くらいで治まるわ。それまで安静にしてなさい」

 

「本当に、ありがとう、ございます」

 

「………………こんな医者紛いなこと、次はしないから」

 

「感謝します、パチュリーさん」

 

「もういいから。今は回復に専念しなさい」

 

 

彼の事をいつまでも見つめている訳にもいかないので、本に視線を落とす。

それでも胸の奥に広がる不思議な安心感は、すぐに消えはしなかった。

魔導書を読むのに無駄な雑念は消したいのに、この感情だけは消したくなかった。

それが何を意味するのか、今の自分にはよく分からない。

 

「………………ふぅ」

 

「終わったようね」

 

 

魔導書のページに適当に目を通していたら、五分ほど経って彼が息を吐いた。

その顔は普段通りで、先程までの死にそうな陰りなど、どこにも見当たらない。

彼が元通りになったことに、安心している自分がいる事を客観的に確認する。

そこでふと、私はある事に気付いた。

目の前の彼と、私の間にある物理的な距離が狭まっていることに。

魔理沙のようにズカズカと人の触れなくていいような部分にまで踏み込んでくるような

不躾な態度をとっている訳ではない。むしろその逆で、彼は中々に紳士的な男だった。

自分は他人と必要以上に慣れ合うような性格ではないと思っていた。いや、今もそうだ。

だが、何故か彼に対してわざと距離を離そうという気は起こらなかった。

 

 

「……けほっ、ゲホッ……………」

 

「どうかされましたか、パチュリーさん?」

 

「……ケホッ………ただの、喘息よ」

 

「喘息ですか、確かお薬は…………コレでしたね?」

 

「ゲホッ、あなたまた、ケホッ………使ったわね、能力」

 

「ええ、使いました。背に腹は代えられませんから」

 

目の前の彼の事を考えていたら、定期的に来る喘息の発作を忘れていた。

図書館の自分の机の引き出しの中に入れてある発作止めの服薬を取りに行こうとすると、

彼が能力を使って、瞬時に机の中から手のひらの上に薬を瞬間移動させて持ってきた。

私はその行動を不快に思い、彼を言及する。

 

 

「あなたね………能力を多用したらどうなるか」

 

「理解してますよ。ですが、僕は今までくだらない事の為にこの力を使ってきました。

そして今、十六夜 紅夜となった僕は、自分以外の誰かの為にこの力を使いたいのです。

利己的行為ではなく、無償の奉仕を。自分の為ではなく、自分の忠義を捧げる方の為に」

 

「だったら、妹様に使いなさい。それが執事の務めでしょ」

 

「いえ。パチュリーさんや美鈴さんがいなければ、今の僕はありませんから。

この紅魔館にいる全ての住人は、僕が全てを捧げるべき対象であることに変わりありません」

 

「……………頑固者」

 

「褒め言葉として受け取ります」

 

 

私は彼の口にした想いを受け止め、彼の手から薬を受け取った。

水が無くても飲めるようにされている『迷いの竹林の薬剤師』特製の喘息発作抑止薬を飲む。

少しスッキリした感覚が体に広がり、喉の調子を確かめながら彼との会話を続ける。

 

 

「そう言えばパチュリーさん、この前紅魔館に来ていたあの女性は誰ですか?」

 

「この前……………ああ、もしかして鴉天狗の事かしら」

 

「カラステング? カラスは分かりますが、テングとは?」

 

「妖怪の一種よ。それがどうかしたの?」

 

「え、ええ。その、まぁ」

 

「?」

 

突然鴉天狗のブン屋について聞いてきた彼の様子の変化に微妙な感情を抱く。

どうやら彼が外の世界にいた頃は、そのような名前を聞いたことが無いようだった。

むしろそれが当然なのだろう、忘れ去られたからこそこの地にいるのだから。

だが彼があのブン屋に対して向けているであろう感情は、憐れみとは少し違う。

なんとなくだが、そんな気がした。

 

 

「とにかく、あの人__________天狗について良ければ、詳しく聞きたいなと」

「………………どうして?」

「え?」

 

「どうして聞きたがるのかって聞いてるの」

 

「それは…………」

 

 

私からの問いかけに目をそらして顔を赤らめる彼。

その態度を見て、何故だか私の胸には苛立ちに似た何かを感じた。

 

「それは、その、何と言いますか…………」

 

「何なのよ」

 

「あの女性が空を優雅に飛び回っている姿が、その、非常に美しくて」

 

「………………………………」

 

「黒い羽根や髪の色なのに、まるで輝いているかのような………」

 

「………………………………」

 

「何より、あの笑顔。元気という言葉をそのまま形にしたかのような」

 

彼が思い出すかのように上を見上げながら呟いている姿を見て、無性に苛立つ。

原因が全く分からない自分の急激な感情の変化に、自分自身が一番驚いている。

それでもなお彼の夢見心地のような顔を見て、勝手に私の口が動き始める。

 

 

「そんな事無いわよ。元気というよりも陰気な連中よ、妖怪なんて」

 

「そうでしょうか?」

「そうよ。それにアイツらは新聞を個人で書き上げて売りに出しているけど、

その内容のほとんどが偽の情報だし、何より妖怪の山という場所を管理していて

それだけでいい気になっている文字通りの『お山の大将』みたいな能天気達よ」

「………………ままならないものですね」

 

「仕方の無い事ね。弱い生き物というのは他者との共生があって初めて(おご)れるの。

元から頭の悪い妖精や、それなりに学習能力がある人間の方が、よっぽどマシな生物よ」

 

「そんなものですか」

 

彼の瞳が悲しい現実を目の当たりにしたように微かに揺らめく。

私はその目を見て、同じように、いや彼以上に悲しいような気分になった。

先程から、彼に振り回されているような気もするが気にしない事にした。

しかし、何故自分はこうもムキになって鴉天狗をけなしたのだろうか。

別に、自分は彼女ら天狗についてそこまで詳しく知っている訳ではない。

むしろ、こと妖怪に関していえば、魔理沙らの方がより詳しく知っている。

なのに何故自分は彼女らを馬鹿にしているのか、自分はそんな性格はしていないのに。

 

 

「それよりも、もう無駄なことで能力は乱用しないように」

 

無理矢理にでも話題を変えようとして、行き着いたのは先程の彼の行動について。

彼は自分の現状を本当に理解できているのだろうか、そこを確認しようとする。

 

 

「分かっています。ご心配に感謝しますよ」

 

「心配だなんてしてないわ。私は無駄なことは嫌いなだけよ」

 

「そうですか…………それでも嬉しいですよ。

僕の人生で誰かに気をかけられたのは、指折り数えるほどもありませんでしたから。

本当に心の底から嬉しいです。はぁ…………満ち足りた気分です、生きていて良かった」

 

 

________________良かった、なんて言わないで。まだ終わってないじゃない。

 

 

本当は彼にそう言ってやりたかった。

でも、喉元まで出かかっていたその言葉は、遂に私の口から出ることはなかった。

そしてそのまま、二度とその言葉を掛ける機会は失われてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中に差し掛かり、既に月も西に沈もうとしている頃。

魔導書を開いてページをめくっていたいた手を止めて、内容を凝視する。

先程まで彼の事が頭から離れなかったというのに、それらは一気に吹き飛んだ。

いや、本当に吹き飛んだわけではなく、実際はほんの少し薄れただけだった。

目を普段の二倍は見開いて、そのページに記載されている内容を熟読する。

 

 

「…………………この方法なら、もしかしたら」

 

 

魔導書を手にした両手が、微かに震えてしまっている。

怖いのだろうか、それとも、嬉しいのだろうか。

この儀式で彼を失うかもしれないのが、怖いのだろうか。

この儀式で彼が生き永らえる可能性が、嬉しいのだろうか。

あるいは、そのどちらもなのだろうか。

 

 

「……………やるしか、ないわね」

 

 

決意を胸に秘め、魔導書を手にして立ち上がる。

今は彼に対して抱いているこの感情は、無視しておこう。

この思いはきっと、私という存在を困惑させるであろうから。

それでもいつか、この感覚と向き合う日が来るのだろう。

その日その時、彼に胸を張って、この想いを伝えるために。

 

 

「この魔法は初めてね。それでも、必ず成功させてみせる」

 

 

何故なら自分は、紅魔館の大図書館に住まう魔女なのだから。

この幻想郷において、自分に比類する魔法使いは存在しないのだから。

だからこそ、この儀式は必ず成功させる。

 

 

「…………………紅夜」

 

 

パチュリーの背後の窓、その外で、月が西の大地に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し短くなってしまいましたが、これで回想編は終了です。
今回で紅夜達のパートで書けなかった部分を補填出来ました。

実を言うと、私はパチュリーというキャラが好きではなかったんです。

なんというかその、私の好みから外れていたのでw

しかしこうして彼女の視点で物語を見つめなおすと、中々に面白いです。
正直、自分でびっくりするほど執筆がはかどりました。
来週からはまた、縁のパートに戻ります。


それでは次回、東方紅緑譚


第参十話「緑の道、古道具屋と正体」


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第参十壱話「緑の道、古道具屋と正体」

一週に一回は投稿しようと考えているこの作品ですが、
流石にペースが危うくなってきそうです…………参ったなぁ。

紅夜がヤバそうな所で再びの縁編。
彼も彼でヤバ気な雰囲気が漂っていますが。

それと前回の次回予告で出した題名を変更しました。
本当なら未明に書き終わるはずでしたがアクシデントで………。
今回は短くなってしまいますが、お許しを‼



それでは、どうぞ!


 

 

 

幻想郷の南部に位置している荘厳な寺社、命蓮寺。

その木製の扉が開き、中から数人の影が歩いて出てきた。

一人は鼠色の髪の毛の小柄な少女、ナズーリン。

さらには濡れているような髪の少女、村紗 水蜜の二人だ。

二人は畑作業などで使われる荷車を引いて命蓮寺を発った。

 

しばらく参道を行くと、何人か知った顔に出会った。

命蓮寺の住職である『聖人』の説法を聞きに来る里の男衆の内の数人で、

今日も朝早くから畑で採れた野菜やら芋やらをお裾分けに寺へ行く途中だったようだ。

いつもいつも村紗達の尊敬するその聖人に気に入られようとしている態度が

見え見えの男達を見てげんなりするが、ナズーリンは気にしない。

そんな人達に手を振ってから、二人は再び歩き始めた。

途中で村紗はナズーリンに気になっていたことを聞いてみた。

 

 

「ねえナズー、さっきからずっと気になってたんだけどさ」

 

「ん? 何だい?」

 

 

後ろから荷車を押しているナズーリンはいつもより大きめの声で応える。

その応答に対して、同じようにいつもより少し大きめの声量で村紗は続けた。

 

 

「あのさ、何でコレを結局外に出すのさ? 何か訳があったんじゃないの?」

 

「…………………その事だけどね」

 

 

荷車を押しながら苦虫を噛み潰したような表情で村紗の後頭部を見つめる。

視線を感じた村紗は顔を後ろに少しだけ向けながらナズーリンの声に耳を傾ける。

村紗の行動を理解したナズーリンは言葉を続けた。

 

 

「実は、この荷物(・・・・)はかなりの曲者でね。ただの凍傷でもただの人間でもないようだ」

 

「………と、言うと?」

 

「布で隠していた顔の部分は、全て機械で埋め尽くされていたんだ」

 

「機械? 妖怪の山の河童達がいつもいじくってるアレ?」

 

「そうだ。しかもどうやら壊れているようでね、厄介極まるよ」

 

「あー、それで手に余るから質屋に出そうって事か!」

 

「誰がそんな事をするかい、この罰当たりめ」

 

ナズーリンが困ったような顔をして村紗の言葉に苦笑する。

それに対して村紗は何で、といった驚きの表情で振り返っていた。

 

「何であたしが罰当たりになるんだよ」

 

「………分かるように説明しなきゃならないかな。うん、そうしよう。

そうだな船長、君はもし自分の大切な商売道具が壊れたらどうするね?」

 

「商売道具? 桶とか柄杓とか?」

 

「そうだ。まあ答えは分かっているさ、もちろん直すだろう?」

 

「そりゃ、まあ」

 

 

うんうん、と荷車を引く手を止めて頷く村紗。

その為止まった荷車にナズーリン共々当たってお互い腰と頭をぶつける。

涙目になった二人は荷車をどかして少し語ろうと横道にそれた。

 

 

「…………とにかく、彼といっていいのかはよく分からないが、

彼は『道具』なんだよ。その視点で考えてみると、君は罰当たりになるぞ」

 

「いやだから、どうしてさ?」

 

「分からないかい? 私がお仕えしているのは『毘沙門天』、神様なんだよ?

毘沙門天様は戦の知をお授けくださる神としてもご高名だが、商業に携わる人間からは

財宝を管理する神様として重宝されているのだよ。道具もまた商売人には宝であるし……」

 

「あ、ああ…………そういう事か。なるほど、罰当たりにも納得だわ」

 

 

全て納得がいったという表情で村紗が大きく頷いている。

だがすぐに新たな疑問が浮かんだようで、視線をナズーリンに戻す。

ナズーリンはその視線に気付いて、またすぐに口を開いた。

 

 

「分かっているよ船長。何故彼を『道具』として見るのか、だろう?

その疑問には、目的の場所に着いてからゆっくり語ってやるとしよう。

少し時間を使いすぎてしまった、さあ早く行こう。時間は有限であるべきだ」

 

「いいとこまで引っ張っといてそりゃないでしょ…………」

 

 

急ぎたまえとせかすナズーリンに従って、再び荷車を二人で押し始める。

朝もそれなりの時間帯になってから出発したためか、目的地に着いたのは昼時前だった。

そこは、昼も夜も関係なくどんよりとした空気に覆われている鬱蒼と茂った大きな森林。

辿り着いた場所の近くに建つソレを見て、村紗がまたも納得したように快活な笑顔で言った。

 

 

「ああーなるほど! ここなら確かにうってつけだわ!」

 

「そう、『香霖堂(こうりんどう)』さ。ここの店主とはそれなりの縁があってね」

 

「へー、なんか意外だわ」

 

「商売の何たるかを教え込んでやって以来、私と彼は何かと語らっているよ」

 

「お、思ったより意外だったわ…………」

 

「それよりも鑑定だ。店主よ、邪魔するぞ」

 

 

村紗の驚愕を軽く流したナズーリンは、店の扉を声をかけながら開け放つ。

古ぼけた木製の扉を開けると、内側から少し埃っぽい感じの空気が漂ってきた。

ナズーリンは慣れているようだが、村紗は慣れずに数回咳込んで呼吸を乱す。

店に先に入っていったナズーリンの声に反応して、カウンターから一人の男が歩いてきた。

 

 

「おや、これはこれは。毘沙門天様の……………本日はどういったご用件で?」

 

「様になっているじゃないか店主よ」

 

「いえいえ、いつも御贔屓にどうも」

 

「…………ナズーが敬われてる」

 

「聞こえてるぞ船長。そうだ店主よ、実は頼み事があってね」

 

 

驚愕が未だに抜け切らない村紗をさておいて、ナズーリンが香霖堂の店主に向き合う。

 

 

「向こうにある荷物を、少し融通してほしくてね」

 

「ん………あの荷車の荷台かい?」

 

「そうだよ。頼めるかい?」

 

「お任せあれ」

 

そう言って眼鏡をかけた灰色の髪の男はゆっくりとした足取りで荷車に向かう。

 

彼の名前は『森近 霖之助(りんのすけ)』、古具屋『香霖堂』の店主だ。

青と黒の二色異なる生地を使った不思議な印象を抱かせる着物を着こなしていて、

顔にかけている眼鏡と物腰の柔らかそうな口調も相まって知的な雰囲気が漂っている。

そのゆったりとした足取りは高貴なものだが、住居や暮らしぶりを見るとそうは思えない。

そんな曖昧な彼だが、その商売人としての腕は間違いなく一級品だ。

 

 

「さてさて………………コレは、何だい?」

 

「見ての通りだ」

 

「…………僕は古道具屋だが人身売買はしたことが無いし、する気も無いんだが………」

 

「いやいや、人なんだが人ではなくて………そんな目で見るな」

 

「ああいや、失敬。ただ毘沙門天様の懐刀たる貴女がそんなあやふやな発言を」

 

「仕方ないじゃないか、現状ソレは正体が分からないんだ」

 

「正体が? それは君らの寺に住み着いたあの妖怪の仕業では?」

 

「私がそんな二度手間をすると思っているのかね、店主?」

 

荷台に積んであったものを見た霖之助はナズーリンを訝しげな表情で見つめる。

彼の視線に物申したナズーリンの言葉に、霖之助はおどけた様に後ずさった。

村紗は一連の会話と動作を眺めて、改めて二人の関係性が分からなくなっていた。

そんな村紗の動揺を差し置いて、霖之助はもう一度荷台のソレを確認する。

 

 

「うーん、しかし貴女はコレをどうしたいのかな?」

 

「鑑定を頼もう。値段ではなく、コレが道具か否かをだがね」

 

「それはどういう……………いや、まずはやってみようか」

 

 

ナズーリンの言葉に異を唱えようとした霖之助だが、ソレを止めて言われた通りにする。

彼の言葉に頷いたナズーリンは、手頃な椅子を二人分持ってきて村紗に座るよう促す。

椅子に座った二人は霖之助の査定を待つ間、ナズーリンは道中での質問に答えようと言った。

 

 

「さて船長、先程保留していた質問に答えようじゃないか。

何故アレを『道具』として見るのか、だったね。それについては私はこう考えている。

来るまでに話したが、アレの顔の部分には機械が埋め込まれ………いや、顔が機械だった。

無論そんな人間は存在しない。だが気配を察してみれば多少の妖力や神通力があるものの

ほとんど人間のソレと変わらないのに、彼が寺に運び込まれた時その体はどうなっていた?」

「え? そりゃナズーも見てただろ、全身が凍ってて…………あ」

 

「気付いたか。例え貧弱な人間でも、『全身氷漬け』になんてなる訳がないんだよ」

 

「言われてみれば確かに。凍っちまったら普通、体は壊死しちまうもんだしね」

 

「そう。つまりどうあれ、アレは『人間に近い何か』か、『元は人間だった何か』という

不思議だがそう言った常識から飛躍した仮説が立てられる」

 

「常識どうこうをあたしらが言っていいもんかね?」

 

「そこはこの際置いておけ。とにかく、前者ならまだしも後者ならば。

機械だったのであればアレを製作した者が必ずいる、もしくはいたはずだ。

ならばそれを突き止めるのには、ここの店主の能力がうってつけというわけさ」

 

 

そこまで言ってナズーリンはふぅと小さく息を吐く。

彼女の視線の先には、眼鏡の奥の瞳を普段より僅かに大きく開いた霖之助がいた。

 

 

森近 霖之助もまた、この幻想郷で『程度の能力』を持つ存在だ。

彼の持つ能力は、『道具の名前と用途が判る程度の能力』というもの。

具体的に説明させて貰うと、彼は眼で見た道具の名前と利用法が判るのだ。

だが、利用法が判るだけであって使用方が判るわけではない。

例えば、シャーペンを彼に見せ、能力を発動させたとしよう。

すると彼にはシャーペンの『名前』と『芯を入れて文字を書く物』という事が判る。

しかし判るのはそこまでで、どうすれば芯が出せるのか、芯を入れられるのかといった

使い方までは理解できない。中々難儀な能力なのだ。

近代の掃除機であれば、名前とゴミを吸引する道具というところまでしか分からない。

正直言って、他人に無害で自身に有害な能力は彼以外にはいないだろう。

 

だがナズーリンは今回に限って、彼の能力が有効活用出来ると確信していた。

 

 

「鑑定の結果、名前や用途が判らないのであればそれでいい。

引き返して『竹林の診療所』に担ぎ込んで手当てしてもらえばいいだけの話だ。

だがもしも名前と用途が判ってしまったのなら(・・・・・・・・・・)、厄介なことになる」

 

「どうして? 寺から患者出すほうが厄介って前言ってなかったっけ?」

 

「言ったさ。だがそれは彼が人間であったならの話だ。

人間でなく店主に名前と用途が判ってしまったら、彼は『道具』という扱いになる。

つまりさっきも言ったが、アレを管理あるいは製作した者の存在が確かにあるということだ」

 

「…………………あ、ああ!」

 

「理解出来たようだね。つまり私達は理由はどうあれ、

『他人の所有物を氷漬けにしてしまった』、いわば加害者の立場に立たされている」

 

「いやいや、でもあんな風にしたのはあの氷の妖精でしょ⁉」

 

「ああ、確かにあの氷精のようだ。話が支離滅裂だったが何とか解読出来たよ。

だとしても私達の土地の目と鼻の先で起こった出来事だ、干渉は疑われて然る。

言い逃れは出来そうにない。だから厄介だと言ったのだ」

 

「ははぁ………………よくぞそこまで考えるもんだね」

 

「なに、私がたまたま知能に秀でているというだけさ」

 

「たまたま、ね」

 

「そうだ、たまたまだ」

 

 

ナズーリンの解説を聞き終えて、村紗が心の底から感嘆する。

そんな村紗の発言に対してナズーリンは軽く笑ってあしらう。

その直後に店の外に置いておいた荷車から、霖之助が戻ってきた。

先程の話を聞いた今となったは、村紗も鑑定の結果が非常に気になっている。

二人の視線を維新に受けて霖之助は、間を置いてからゆっくりと結果を話し始めた。

 

 

「…………結論から言おう。アレは、道具だった」

 

「あらら…………悪い方に当たっちまったね」

 

「そのようだね。店主、それでアレは何だったんだい?」

 

「まぁまぁ落ち着いて。順を追って今から話すから」

 

 

せかす二人をなだめる様にして、霖之助は店の奥に入っていく。

少し経ってから戻ってきた霖之助は二人分の粗茶を淹れて持ってきた。

それを二人に渡してから、改めて話を切り出した。

 

 

「さっきも言ったけど、アレは道具だったよ。

僕の能力で名前と用途が判ったんだ。だがこれがどうにも難癖でね。

………………あの道具の名前は、『八雲 縁』と言うようだ」

 

「八雲?」

 

「しかも縁って………顔の布に書いてあるまんまじゃん」

 

「そうだ、僕もそれが気になってはいたんだよ。

でも名前の次に分かった用途、こっちが非常に不思議なんだよ」

 

「不思議?」

 

「そう、普通道具とは大抵が一つの用途の為に作られている。

複数の用途の為に作られている道具というのは、滅多にあるもんじゃない。

だけど、あの道具がまさにそれだったんだ。

一つ目は『あらゆる戦闘行動における無条件勝利』というものだった」

 

「……………それはどういうことだい?」

 

「そこはお得意の頭脳で察してもらいたい。僕にも判らないんだ。

名前と用途は判っても僕には使用方法は全く判らないんだからね」

 

「使えるんだか使えないんだか判らない能力だね」

 

「船長!」

 

「いいんだよ、実際その通りなんだし。

さて、一つ目も問題だったが、こちらの方がさらに問題だ」

 

「どんなの?」

 

「二つ目の用途は、『八雲 紫の完全なる保護・防衛』だそうだ」

 

「八雲 紫? スキマ妖怪の?」

 

霖之助の査定の結果から出てきた名前を村紗が聞き直す。

その間、ナズーリンはずっと思案顔で俯いてた。

村紗の問いに頷き、霖之助が再び話を始める。

 

 

「どうもそうらしいが、理解出来ないね。

八雲 紫は幻想郷にいる誰もが名を知っているほどの超大物妖怪だ。

その能力も群を抜いているし、弾幕ごっこでも他の追随を許さない。

おまけに普段は九尾の妖狐を式神を使役しているんだから、ほぼ隙なんて無い。

そんな彼女に保護や防衛なんて必要あるのだろうか、と思うんだが」

 

「店主の言う通りだ。私もそこが気になっている」

 

「……………とにかく、アレの所有者はスキマ妖怪って事でいいの?」

 

「そのようだ。でも、なんでそれを君達が?」

 

「察してくれ」

 

「………………聞かない方が良さそうだね」

 

「君は頭が回るから良い。回り過ぎても困り物だが」

 

「そこまででは…………………さて、他にご注文は?」

 

「そうだな…………では店主、出張を頼めないか」

 

「出張?」

 

霖之助の査定結果を聞いた二人は浮かび上がる謎を一先ず捨て置く。

そしてナズーリンは霖之助に新たな依頼を申し出た。

ナズーリンの言葉に彼は難色を示し、理由を尋ねる。

 

 

「一体どこに?」

 

「決まっているじゃないか。この幻想郷で機械を扱える場所なんて、

私はたった一か所しか知らない。そこまでソレの運搬を手伝ってもらいたくてね」

「ま、まさか………………」

 

「そう、河童達の暮らしている『玄武の沢』だよ」

 

 















短くてすみません。
大した文章力も人気もないくせにスランプのようですたい………。

あ~あ、最初は自己満足の為に書いていたというのに
今となっては読者数の伸び悩みに悶絶する始末、救い難い‼‼


それでは次回、東方紅緑譚


第参十壱話「緑の道、玄武の沢の機工廠」


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第参十弐話「緑の道、玄武の沢の機工廠」

近頃話を書くのがとても難しくなってきています。

構成的な面なのか書いてる私の精神的な面なのか分かりませんが、
どうやら絶賛スランプ中なようです…………………困ったなぁ。


それでは、どうぞ!


 

 

幻想郷の南の空に燦然と太陽が輝く。

そんな綺麗な光に背を向けながら、二人は大きな荷車と一時間ほど行動を共にしていた。

既に長い距離を歩いてきた足は痛みを訴え、腰にもその痛みが回ってき始めている。

今現在二人がいるのは『妖怪の山』の麓にある滝に続く小道だった。

 

 

「はぁ…………はぁ……………」

 

「情けないな、もうへたばったのか」

 

 

道の真ん中で止まってしまった荷車の後ろで、ナズーリンがふてぶてしい態度で呟く。

対して荷車を引っ張っていた前方の霖之助は肩で息をするほど疲れ切っていた。

その状態のまま額についた汗をぬぐって、霖之助がため息と共に応える。

 

 

「わ、悪いかな…………外回りなんてあまりしないし、ましてこんな重労働まで」

 

「君も男だろうに。しかも人間よりはよほど頑丈に出来ている」

 

「だとしても、だよ。僕はもともと力仕事には向かない……………」

 

「知っているさ。いや知っていたが、ここまで貧弱だとは」

 

「貧弱とは失礼な、僕にしては上出来だと思う程の労働だよ」

「…………まあ、あと少しだ。頑張ってくれ」

 

「………………………はあ、受けなければよかったかな」

 

 

疲れからか若干下がった眼鏡を元の位置に掛け直して再び荷車を引き始める。

霖之助の頼りない背中を見つめながら、ナズーリンは思考の海に飛び込んだ。

 

 

「……………………………………」

 

 

彼女が考えたのは、荷車の積み荷である『八雲 縁』なる道具の事について。

霖之助の程度の能力によって名前と用途は判ったのだが、それが逆に別の謎を生んだ。

八雲 縁という道具には、二つの役割が存在する。

一つは『あらゆる戦闘行動における無条件勝利』。

もう一つは『八雲 紫の完全なる保護・防衛』というものだった。

これが意味することは今の段階ではよく分からないが、一つハッキリしたことはあった。

 

 

(何故妖怪の賢者とも言われているスキマ妖怪があんな道具を必要とする?

大抵の事は彼女の力でどうとでもなるのではないのか? なのに何故?

だがもしも、あのスキマ妖怪ですら出来ない事があったと(・・・・・・・・・・)するならば(・・・・・)

そしてそれを、八雲 縁ならば出来てしまうとしたら……………………恐ろしいな)

 

 

辿り着いた仮定にナズーリンはわずかに身震いした。

この幻想郷を管理出来る存在であるスキマ妖怪ですら出来ない事を彼が出来るかもしれない。

馬鹿げた話であると思いながらも、ここが幻想郷であることを思い返して身を引き締めた。

そう、この幻想郷において『ありえない、なんてことはありえない』のだから。

 

「………………ん、この音は、滝の音か」

 

「………やっと着いた。も、もう足がどうにかなりそうだ………」

 

「ご苦労だったな、霖之助よ」

 

 

思考の中を彷徨っていたナズーリンと汗を掻きながら顔面蒼白になっている霖之助の

二人の耳に、目的地である滝が流れ落ちるような水音を聞いて安堵する。

そこからしばらく山の道を行くと、そこには確かに壮大で圧巻の自然美があった。

崖になっている部分の上から膨大な量の水が流れ落ち、下の滝壺に容赦無く降り注ぐ。

滝壺に落ちた水はそこで循環し、流れを作って一筋の川となって山を下っていく。

まさに自然が生み出した『美』のシステムが、誰に管理されることもなく稼働していた。

歩いて滝壺に近づいた二人は涼やかな風と水に癒されていた。

 

「二人だと名前で呼ぶんだね」

 

「君こそ他人の目が無いと毘沙門天様の使いである私にも敬称は無しか?」

 

「……………怖い人だ」

 

「妖怪だからな、これでも」

 

普段とは違う雰囲気の影響か、極度の疲れからか、霖之助がナズーリンと雑談する。

本来ならば商人として尊ぶべき相手でも、わずかに気分が高揚して口調も素の状態に

戻ってしまっていたが、ナズーリンは軽く流してくれたようだ。

しばらく滝の音と涼やかな雰囲気を堪能した二人は、荷車を置いて荷台から積み荷を

出して霖之助に担がせて、そのまま流れ落ちる巨大な滝の裏側に向かって歩き出した。

 

 

「しかし、何故ここまで来たんだい?」

 

「ん?」

 

滝の裏側には岩盤をくり抜いたような通路があり、今二人はそこを通っている。

背中に担いだ縁の予想外の重さに苦悶しながら、霖之助がナズーリンに尋ねた。

先を歩いていた彼女は首だけを動かして霖之助の言葉に耳を傾ける。

 

 

「いや、ここは河童が機械を独自に発明している研究所だよ?

鑑定だけなら人里の裏山に建てられてる工房を訪ねるのが一般的では?」

 

「ふむ、確かにそれだけなら、な」

 

「と、言うと?」

 

 

霖之助の言葉に意味有り気な返答をしたナズーリンは振り向いて語った。

 

 

「本当に鑑定するためだけにここまでやってきたと思うかい?

私は無駄な手間と物のありがたみが分からん輩とご主人の紛失癖が他の何より

嫌いでね。君を酷使してまでここに来た理由は、ちゃんとあるのさ」

 

「さらっと今、自分の主人を小馬鹿にしていたような…………」

 

「言葉の綾さ。深い意味は……………まあ無い」

 

「追及はしないでおくよ。それで、理由とは?」

 

「二つある、一つは単なる興味だ。

顔面が機械だなんて普通じゃないし、何より有機体なのか無機物なのかすら不明。

単純に知識理解を深めたいという欲求で動いても、不思議ではない要因だろう?」

 

ナズーリンが霖之助の背中にある縁を指差しながら語る。

霖之助が次いでもう一つの理由を尋ねると、今度は一変して神妙な顔つきになった。

 

 

「そしてもう一つだが………………この八雲 縁の修理の依頼だよ」

 

「修理、かい?」

 

「ああ、コレがスキマ妖怪の道具であることが判明した以上、放置は望めない。

むしろ氷漬けにしてしまったのだから、向こうへの『借り』を作る事になる。

すぐにもとはいかないが、いずれその借りが厄介な事に発展するやもしれん。

そういった不安要素はなるべく排除しておくに限るだろう?」

 

「そういう事か……………なるほど、納得がいったよ」

 

 

ナズーリンの話を聞いて、霖之助はわずかだが先程よりも難色が薄れた。

自分の狙いを霖之助に話し終えたナズーリンはまた前を向いてその小さな歩幅で歩きだす。

背中に外見からは想像もつかない重量を持った縁を何とか担ぎながら、霖之助も後に続いた。

二人が通路で話してから歩くこと数分、ようやく積み荷を降ろせる場所まで辿り着いた。

幻想郷では珍しい、というか滅多に見られない鉄製の両開きの扉を数回ノックして

中にいるであろう人物に向かってナズーリンがよく響く声で話しかけた。

 

 

「急に押し掛けてすまない、私は毘沙門天様の使いのナズーリンという者だ。

本来ならば予定を取り次いでおくべきだったのだが、生憎こちらも急に入った用事でね。

申し訳ないが、この扉を開けて中に入れさせてはくれまいか?」

 

 

ナズーリンの言葉が終わってから数秒後、彼女の言葉を承諾したように扉が開いた。

中にいる人物の持つ技術の一片を垣間見て、小さく「当たりだ」と呟いたナズーリンと

後ろにいた霖之助は、暗がりになっている扉の先に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナズーリンと霖之助が最初に感じ取ったのは、嗅ぎ慣れない謎の匂いだった。

鼻の先では顔を背けたくなるような臭気なのに、鼻腔の奥に張り付いて離れない。

特にナズーリンは元々が動物であったために五感は鋭く、謎の匂いにとても敏感だった。

 

「な、なんだこの匂いは…………臭い!」

 

「コレは…………確か河童達が機械の動力源に使っている液体燃料だった気が……」

 

 

霖之助がナズーリンの涙声を聞いて、臭いの元となる物質の名を思い出そうとした時。

暗がりになっていた部屋の奥でカチリと小さく音が鳴って、一気に周囲が明るくなった。

 

 

「やあやあ、本日はこの『河童工房 にとハウス』にどんなご用件で?」

 

 

部屋の奥から歩いてきたのは、ナズーリンより少し背丈のある少女だった。

 

澄んだ水を湛えた滝壺のように潤い溢れる薄青色の髪をツインテールに結わえ、

頭部には逆に生い茂る草木の如く若々しい草色をした帽子を深く被っている。

服は髪の色をさらに濃くしたような色合いの突出した特徴の無い服を着ていて、

外見的に見れば少し発育が良すぎるのではと思えるほど膨張した胸部を交差する

ようにして、金色に輝く用途不明の大きな鍵が細い黒色の紐でくくり付けられていた。

そして背中には、自分よりも重たそうな見た目のリュックサックを背負っている。

 

彼女の名前は『河城(かわしろ) にとり』、妖怪の山にある"玄武の沢"で暮らす妖怪。

河童の彼女らは、何より機械や道具を改良し、幻想ではなく科学を発展させている種族だ。

 

そんな幻想郷ではある意味最も"非常識"な河童の彼女が、ナズーリンに話しかけた。

「そいで、私に毘沙門天様の使い様が何の御用で?」

 

「君がここの河童か。実は機械の修理を頼みたいんだ」

 

「機械を? 毘沙門天様の使いがなんでそんな物を?」

 

「まあ、深くは聞かんでくれ。それより問題はコレが直るのか直らないのかだ」

 

「私達に任せとけば問題は無い無い~。んで、その機械って?」

 

「コレだ」

 

 

どんな機械が出てくるのかと目を輝かせているにとりを背に、ナズーリンは霖之助が

耐え切れずに部屋の床に横たわらせた縁を指差して、顔を背けつつ応えた。

 

 

「え、ええ? つまり、えっと、ひゅい⁉」

 

「ど、どうした?」

 

「どどど、どうしたもこうしたも、それって人間じゃんか‼」

 

「ああ、コレは人間に見えるし感じもするが、機械だ」

 

「ええ………………悪ふざけにしては手が込みすぎだよ……」

 

 

にとりは出されたものが予想の遥か上空を音速で飛行していった事に驚愕した。

ナズーリンは眼前で彼女が狼狽している理由を推測して説明したが、納得してないようだ。

しかしそれにしたってあまりにも様子がおかしいと思っていると、霖之助が耳打ちした。

 

 

「彼女達河童は人間を盟友と呼んで友好的に接しているらしいんだがね、

どうもこの子だけは人一倍…………いや河童一倍人見知りらしく、ああなるようだ」

 

「それはまあ…………なんとも…………………」

 

 

霖之助の話を聞いてナズーリンは哀れみに似た感情を混ぜた視線をにとりに送った。

その視線に気付いたのか、にとりは縁とナズーリンを交互に見つめて口を開いた。

 

 

「だ、だって………明らかに人間じゃないかコレ」

 

「だから、それについては君自身が調べればいいんだって」

 

「うう……………分かったよぉ」

 

 

にとりは渋々といった感じでトボトボと縁に近づいて工具を取り出し始めた。

それを見た霖之助は若干わざとらしく感じられるような口調で声を張り上げた。

 

「あ、そうだそうだ。僕は午後から売り物を整理しなくてはならないんだった。

そういう訳だから、申し訳ないけれど僕は先にお暇させてもらうよ。また御贔屓に」

 

「……………………薄情者め」

 

ナズーリンが三白眼になって霖之助を睨むが、彼は既に自分に背を向けていた。

来る時よりも足早に去っていった彼を見送って、ナズーリンはにとりの作業を眺めていた。

しばらくはやる気なさそうにしていたにとりだったが、段々と作業がはかどり始めた。

やがてにとりの作業は凄まじい速度に到達し、ナズーリンは口も出せなくなってしまった。

 

「……………ん?」

 

 

閉ざされた部屋の中であるためにどれほど時間が経ったか分からないが、

滝壺の道を通って二人分の足音がこの工房に近づいてきているのをナズーリンは感じた。

その事をにとりに教えようと声をかけるが、夢中で縁にかかりきっているので聞こえない。

仕方なく自分が出ることにしたナズーリンは、鉄製の扉の前に立つ二人を迎えに行った。

そこで待っていたのは、黒髪の鴉天狗と白髪の白狼天狗の二人だった。

 

 

「あやや、これはこれは。珍しい方がいらっしゃいますね」

 

「君は鴉天狗か。そちらの君は初めて見るが、もしや白狼天狗かな?」

 

「その通りです。清く正しい射命丸 文とおまけ一名でございます!」

 

「お、おまけって……………」

 

 

通路を通ってやってきたのは、同じ妖怪の山に住んでいる文と椛だった。

普段は命蓮寺の近くの小屋で暮らしているナズーリンは椛とは面識がなかったために

どのような反応をしていいか分からず、苦笑いを浮かべる。

 

 

「仲が良いようだな。まあそれは置いておき、君達はここに用かな?」

 

「ハイ。実は椛がこの辺りで妖怪の山総出で捜索している人物を発見したと」

 

「妖怪の山が総出で? それほどの人物が、いや妖怪がいるのか」

 

「ええ。そうなんですよね、椛?」

 

 

ナズーリンの問いかけに文が快活に答え、椛が無言で頷く。

彼女の目は普段から釣り目のように鋭いが、今は視線を向けただけで相手を殺して

しまいそうなほどギスギスと尖ってしまっている。

その視線は、激しい怒りと憎しみを孕んで関係の無いナズーリンにも戸惑いを生んだ。

 

 

「…………失礼。私は妖怪の山の作法にはあまり詳しい方ではなくてね。

君ら白狼天狗は山の哨戒をしているのだと聞く、もしや私達は何か君達の怒りを

買ってしまうような無作法な真似をしてしまったのだろうか? だとしたら詫びよう」

 

椛の鬼気迫る眼光の鋭さに、ナズーリンは謝意を持って頭を下げる。

だが当の椛はナズーリンの行動に目を丸くし、手を振って謝罪を諫めた。

 

 

「い、いえ! 貴女のような方が頭を下げる必要なんて‼」

 

「ん、そうか。それにしても君は私の事を知っているんだね」

 

「それはもう。妖気の違いがハッキリと分かります」

 

「そうか、優秀だね君は。では何故そこまで恐ろしげな瞳をしているのかな?」

 

「……………………………」

 

 

頭を上げたナズーリンの質問に、椛は沈黙する。

その隣で黙っていた文が、椛の沈黙と同時にナズーリンの質問に答えた。

 

 

「昨日の夜、山の中腹を哨戒していたこの子の後輩が半殺しにされていました。

三人もいた見張りが何の戦闘音も無く、暗闇の中で一瞬の内に………………。

かなりの重傷だったそうですが、私達は妖怪なのでそこまで問題には成り得ません。

ですが、問題なのは彼女達が"河童の秘薬"を使っても目覚めない事です」

 

「ほほう、河童の秘薬か。噂には聞いたことがあるよ。

あらゆる外傷に効くとされ、簡単な病気程度なら立ちどころに完治する………だったか?」

 

「ええ、まあそんなところですが、それを使っても未だに目覚めないんです。

妖術や何かを受けた形跡も見受けられないとのことで、お手上げ状態らしく。

しかし容疑者は目撃されています。そうですよね椛?」

 

「ハイ。実は昨日この山に鬼の萃香さんがいらっしゃったんです、取次無しで。

その時は怖くてお通ししてしまったんですけど、その隣に守矢の巫女と奇妙な風貌の

男がいたのを確認したんです。雰囲気も独特で、人間のようで人間でないような」

 

「………………まさか、それは」

 

 

文と椛の話を聞いていたナズーリンは、彼女らの探しているものの正体に感づく。

そのままゆっくりと振り返り、にとりによって解析されているであろうソレの

思い返して、再び文と椛の方へ向いて言葉を紡いだ。

 

 

「彼の事か」

「まあ確定ではありませんが、容疑者には変わりありませんので」

 

「私としてはいいネタになってくれさえすればと思ってたんですが、

同僚の可愛い後輩達に危害を加えたのであれば、さすがに黙ってはいられませんよ」

 

「そうか…………だが少しだけ待っていてはくれまいか」

 

「と、言いますと?」

 

「実は君らの追っている者が今朝、命蓮寺の参道で氷漬けになって発見されてね。

原因は突き止めたんだが、どうもアレは人間でも妖怪でも神の一種でも無いらしく

この河童の工房の力を借りて、修復作業を依頼したところだったんだよ」

 

「修復? 治療ではなくてですか?」

 

「まあ詳しく話すと長くなるから簡潔にまとめさせてもらうよ。

彼の名は『八雲 縁』と言って、おそらくスキマ妖怪と深い関わりがあるようだ。

そして何より彼は顔を布で覆い隠していたんだが、その中身が機械だったんだ。

だから氷漬けになった彼の解凍と修復を依頼しに来た、という訳さ」

 

 

ナズーリンの話を聞いてすぐさま文は懐からブン帖を取り出して内容を書き込み始めた。

彼女の隣にいた椛はナズーリンの話を聞いても納得がいかなかったようで、

静まっていた怒りなどの感情が再燃し、燃えるような視線で工房の奥を睨みつける。

しばらくして文がブン帖に書き終えると、中に入れるよう頼んできた。

 

 

「修理の間は手出しはしないと約束しますので!」

 

「いや、私の所有物でもないからそれはいいんだが……………相手はスキマ妖怪だぞ?」

 

「だとしてもこちらは被害をこうむっていますので、強気で出ますよ」

「勇猛だね。いや、仲間の為ならば当然…………か?」

 

 

ナズーリンはそこまで言ってふと目の前の彼女らを羨ましく思った。

自分はどこに行っても『毘沙門手様の使い』という役職が付いて回る。

もちろんそれはとても誇らしいことであり、間違っても迷惑になる事は無い。

だがそれ故に、自分には彼女らのような気心の知れる間柄の友はいない。

命蓮寺の者たちならば自分を友と呼ぶのだろうが、果たして自分は呼べるのか。

 

「……………………………良いことだ」

「え? 何か言いましたか?」

 

「何でもない。さ、行こうか」

 

 

ナズーリンは文と椛を連れて、工房の奥へと向かった。

その途中で、二人にも聞こえないほど小さく呟いた。

 

 

「先に帰らせた船長は、私をどう思っているのかな………」

 

 

 







いかがだったでしょうか。


またも投稿が遅れてしまい申し訳ありません。
しかも今回も短い…………………次回こそは‼


それでは次回、東方紅緑譚


第参十弐話「緑の道、ムカシアソビノ影」


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第参十参話「緑の道、ムカシアソビノ影」

どうも近頃、私のPCがまた反抗期に入ったようで
先日も他の作品を投稿しようとしたら全部消えましてね。

来年に向けて忙しくなってくるというのに全く…………。
ですがこれからも精進して頑張ろうと思います。

そしてこの作品は基本金曜に書いて土曜に投稿するので
今年の投稿はこれにて終了となります。
来年からもこの作品をよろしくお願いいたします。


それでは、どうぞ!


太陽が燦然と輝く昼を過ぎようとした頃、妖怪の山の玄武の沢という池にある河童の工房、

通称「にとハウス」には、現在四人と数に数えるのが難しい存在が一つあった。

一人は命蓮寺から霖之助を引き連れて縁をここまで持ってきた、賢将ことナズーリン。

そしてここ妖怪の山である人物を探していた、白狼天狗の椛と鴉天狗の文。

元々この玄武の沢で暮らしていた幻想郷で科学を生き甲斐とする、河童のにとり。

最後に、ナズーリンによってこの工房まで運ばれた八雲 縁。

 

ナズーリンが文と椛を連れて再び工房の中に戻ってくると、縁は作業台に乗せられていた。

縁を作業台に乗せた人物は言うまでもないが、その人物は満面の笑みを顔に浮かべながら

両手にナズーリンには用途の分からない工具をギッシリを持って何やら作業している。

随分とご機嫌なようで、鼻歌交じりに凄まじい速度で縁の全身に工具を当てている彼女の

後ろ姿を見ると欲しかったものをもらった子供の姿を三人に連想させた。

だが椛は縁の姿を確認すると即座に敵意を剥き出しにして飛びかかろうとする。

それを横で見ていた文は困ったような顔をしながらやんわりとそれを防いだ。

 

 

「落ち着きなさいよ犬っころ。"待て"もろくに出来ないの?」

 

「文さん、今はそんな冗談を聞いてやれる心境じゃないんです」

 

「だからこそよ椛。そんな冗談を流せる冷静さが、今のアンタには欠けているの」

 

 

文の遠回しではあるが自分を気遣うような発言に面食らって椛は大人しくなる。

椛の腰辺りから生えている白狼の尻尾がわずかに下がったのを人知れず確認した文は

内心で胸を撫で下ろし、やれやれと呟いてから椛に向き直った。

 

 

「…………………」

 

「分かればよろしい」

 

 

頭では理解出来ていても心では我慢ならない。

そんな表情をしている椛に皮肉の言葉をかけた文はナズーリンの方を向いて

申し訳なさそうにしながら軽い謝罪をした。

 

 

「あやや、隣で躾のなってない犬が吠えてすみません」

 

「私は別に何も。だが君のその態度が私にはどうも奇妙に思える。

君達は同僚なのか? それとも友人なのか? はたまた互いを嫌う知人かな?」

 

 

文の言葉を聞いて下がっていた尻尾を再びいきり立たせた椛の横でナズーリンが問う。

彼女の言葉に二人して顔を見合わせ、椛はハッキリと、文ははぐらかしながら答える。

 

 

「面倒な知人です」

 

「可愛い親友ですよ~?」

 

「………………当たらずとも遠からず、ってところかな」

 

二人して噛み合わない回答をしたことにナズーリンもまた苦笑で返す。

そんな漫才じみたことをしている三人の目の前で、にとりがようやく作業を止めた。

コトリ、と音を立てて工具が置かれるのを待っていたかのように文が話しかける。

 

 

「にとりさん、終わりましたか?」

 

「あれ? 何で天狗がここにいるのさ…………あ、あなたが入れたんだね」

 

「もしかして招いてはいけなかったのかな?」

 

「ああ、いや、そうじゃないけどね。それでそっちの要件は何?

また集会に連れてかれて『怪しげで汚らわしい科学を捨てろ』って上役達に

どやされなきゃいけないの? いい加減嫌になってきたんだけど」

 

「そうじゃなくてですね。今回はあなたの直したソレの事で少し」

 

 

話しながらにとりの後ろで作業台の上に横たわっている縁に視線を向けながら

文がそのまま用件を伝えた。

 

 

「単刀直入に言いますが、そこにいる八雲 縁でしたっけ?

ソイツを我々山の上の天狗が身柄を拘束させてもらいますよって話をしに

来たわけでして。正確に言えば白狼天狗が拿捕(だほ)し、我々が取り調べですが」

 

「え、コイツを持ってくの⁉」

 

 

文の話を聞き終えたにとりは顔色を変えて縁を抱きかかえるような姿勢をとった。

にとりの態度に不信感を覚えた椛は一歩踏み出して威嚇する。

二人の行動を見ていた文はわずかに眼を鋭く細めて、にとりに改めて問いかける。

 

 

「ええ、そうですよ。何か問題でもあるんですか?」

 

「い、いや…………問題とは言わないけどさ………せめて五日! いや三日待ってよ!」

 

「ほほう、何故です?」

 

「じ、実はさ…………この人、いや機械か。コイツは凄い性能を持ってるんだ‼

全身の氷を溶かしてから頭部に埋め込まれたユニットを解凍して保護機能を

クリアリングしたら自分でリブートしたんだ。自分で機能を一時休眠させるなんて

それだけでも充分に凄いんだけどね、コイツにはまだまだ未知の機能が奥底に

眠らされているに違いないんだ‼ だから…………その解析が終わるまで、ね?」

 

 

にとりの専門知識満載の説明を聞いたナズーリンはわずかに混乱していた。

だが逆に文と椛は先程よりもさらに冷ややかな眼でにとりを睨みつける。

二人の凍てつくような視線ににとりは怯えるが、それでもくってかかる。

 

 

「自分でもわがままなこと言ってるって自覚はあるよ!

でも、コレはもしかしたら世紀の、河童の文化を大きく博進させる可能性を秘めた

技術かもしれないんだ! だから、だから頼むよ…………あと三日だけ‼」

 

「……………………………」

 

 

本当に心の底から言っているようだとナズーリンは感心する。

しかしここまで言っても恐らく彼女らには届かないだろうとも考察した。

現に文も椛もさっきとほぼ同じ角度の鋭い眼でにとりを射貫いている。

だが次に出てきた言葉で、状況がわずかに変わった。

 

 

「文、お前なら分かってくれるよね?

絶好のネタとシャッターチャンスが目の前にあるのに、それを逃すわけ無いよね⁉」

 

 

にとりの苦し紛れな、だが確実に効果のある言葉が文の耳に響いた。

職種は違えど、手に付けた職に誇りを重んじる彼女ならば分かってくれる。

淡い希望と高い勝率が同居したような表情のにとりを椛は睨む。

だが意外にも椛では無く、文がにとりの言葉に反応した。

 

 

「……………確かに気持ちは分かりますよ、気持ちはね。

でも私達はこの妖怪の山で縦社会を構築し、重んじる天狗の一族。

逆らえぬ上からの厳命に加えて同じ山の白狼天狗の中から負傷者が出るような案件の

最中にどれだけ破格の好条件を突き付けられても、新聞なんて一号も書きませんよ」

 

「………………文」

 

「そんながっかりした顔は止めてくださいよ、河童ともあろうものが。

それに気持ちは分かりますからね。多少の温情は掛けたくもなります」

 

「文さん‼」

 

「はいはい、吠えない吠えない。

こうして厄介な見張りもいることですし、してあげられることはほぼ無いです。

でも、そうですね………………我々が容疑者の発見した時刻を誤魔化す事くらいなら」

 

そう言って茶目っ気たっぷりに文がニッコリと笑う。

文の言葉を聞いたにとりは先程とは真逆の表情になって感謝を述べる。

 

 

「ありがとう‼ ほ、本当にいいの⁉」

 

「ええ、何とかなりますよ…………多分」

 

「でも椛が黙ってないんじゃ……………」

 

「ご心配なく、切り札で多少融通を聞かせることは出来ますから」

 

今度は文が先程とは真逆の悪代官の嘲笑のような表情でケタケタ笑う。

真後ろにいるために表情までは見えていない椛は激昂して吠える。

 

 

「ふざけないでください‼ 融通なんて誰が聞きますか‼」

 

 

怒髪天を衝く勢いで怒鳴る椛に向き直り、文は嘲るような笑みを浮かべる。

そのままどう聞いても相手を侮辱しているようにしか聞こえない口調で語る。

 

「あんれぇ? いいんですか~~~そんな事言っちゃってま~~この子は!」

「う、な、何ですか⁉」

 

「あやや、いいんですかねぇ本当に~~?

知ってるんですよ私~~、四日前の哨戒の時に相方の子と一緒になって

こっそり人里で買い込んだあられ菓子をつまみながら優雅に将棋など________」

 

「わああぁぁぁあぁぁぁっ‼⁉」

 

 

文がまさに下衆の如き嘲笑(ほほえ)みを浮かべながら椛の行動を暴露した。

それを聞いた椛は先程とは違った感情の悲鳴を上げながら文に詰め寄る。

 

 

「な、な、なんで知ってるんですか⁉ ちゃんと千里眼で確認してたのに‼」

 

 

動揺をありありと浮かべながら椛が口にしたのは、自分の能力。

 

彼女、犬走 椛は『千里先まで見通す程度の能力』を持っている。

まさしく読んで字の如く千里(今でいう4000km)先まで眼で見ることが出来る。

しかし常時発動しているわけではなく、あくまで本人の意思によって発動される。

椛はこの能力を活用して山の哨戒任務では他の追随を許さない功績を上げていた。

けれど近頃は山に侵入する人間などほぼいなくなった為に、暇を持て余していたのだ。

思わぬところで自分のさぼりを暴露された事に動揺する椛を見てにとりは面食らう。

彼女はその雰囲気と性格もあって、仕事には私情を挟まない生真面目な者だと認識

していたのだが、実のところは違うようだと勝手な認識をまた勝手に改めていた。

椛の動揺を見てさらに上機嫌になったのか、文は素に戻って淡々と告げた。

 

 

「へー、ホントにしてたんですか。意外でしたね~~まさか椛が職務怠慢だなどと」

 

「………………え?」

 

「いや~~言ってみるもんですね~、出任せもまた時として有効活用せり!」

 

「………………………え?」

 

「いやーありがとうございました椛。これでまたあなたを脅す材料が増えましたよ」

 

 

親指を立ててわざとらしい舌を出した笑顔を見て、椛は今のが茶番だったことに

ようやく気付き、今度は動揺から一転して羞恥と怒気を混ぜた表情で文を睨む。

コロコロと変わる椛の表情を文とにとりは面白おかしく見物しているすぐ横で

ジト目になって今までの展開を傍観していたナズーリンがようやく口を開いた。

 

 

「それで、彼はどうなるんだね?」

 

 

それまで黙っていた人物からの真面目な質問を受けて三人はようやく素に戻った。

恥じるように顔を赤くしていた椛が上目遣いで文の方を向いて発言を促す。

彼女からの行動に応えるように文がナズーリンを正面にとらえて言葉を綴る。

 

 

「えっと、そうですね……………一先ず今日は保留としますか。

にとりさん、三日は流石に待てませんがあと一日半から二日までなら何とか。

それまでにやりたいことを済ませてくださいよ。本当なら今すぐ押収のところを

私が切り札を切ってまでこの子を抑えて黙認させているんですからね」

 

「うん、うん! 分かったよ、ありがとうね盟友‼」

 

「…………それだと私、人間になっちゃいませんか?」

 

「そうだっけ? ま、どっちも大切な友人だってことに変わりはないさ‼」

 

「好意的に受け取っておきましょうかね、ではまた後日。椛、行くわよ」

 

「………………いつか絶対頭下げさせてやる」

 

「何か言いましたか椛?」

 

「特に何も」

 

 

ナズーリンとにとりに別れを告げてから文は椛を連れて工房を後にする。

二人を見送ってから縁に抱き着いて「工業革命~♪」と頬擦りしている

にとりに対して、ナズーリンは気になっていた事を聞いてみた。

 

 

「時間が無いところすまないが、少し尋ねてもいいかい?」

「ん? まだ何かあるの?」

 

「実は、ここに一緒に来た香霖堂の店主に鑑定してもらったんだが、

その八雲 縁はどうも戦闘を想定して製造されたらしいんだ。

今しがた機械部分を軽く触ってみて、それについてはどう思うかな?」

 

 

ナズーリンの気がかり、それはこの縁の存在理由だった。

霖之助から聞いたことはほぼ間違いは無いにしても、それでも信じられないのだ。

専門家が直に触れてみてどう思うかが気になったナズーリンは尋ねてみた。

自分が頬擦りしている機械を持ってきた相手からの不思議な質問に対して

にとりは技術者からの観点を交えて至って真面目に答えた。

 

 

「うん、確かにその通りだと思うよ。

まだ全部を調べたわけじゃないから一概にも肯定出来ないけどさ。

それでもこの技術は土木作業やら商売やらとはかけ離れた構造をしてる。

道具の使い方が分かるさっきの人が言ってたんなら、ほぼ間違いないね」

 

「そうか…………………」

 

 

ナズーリンは自分の考えが当たってしまった事を少し恐れた。

それほどの人物__________機械を本気で相手取って勝ち目があるだろうか。

しかも彼はあのスキマ妖怪の所有物ときた。間違いなく怒りを買うはずだ。

幻想郷の管理を担う存在と、それの保護・防衛の為に作られたという彼。

もしもこれらが自分達の脅威となってしまったら、その時は________________

 

 

(_____________私の責任だが、この身一つでどうにかなる訳が無い)

 

 

あのスキマ妖怪の怒りと力が命蓮寺に向けられるようなことにでもなったら、

自分はどう償えばいいのか、とナズーリンは先の可能性に対して胃を痛める。

そんな状態のナズーリンを見ながら、にとりが言葉を続けた。

 

 

「でも、おかしなところもあるんだ」

 

「………ん? 何がおかしいんだ?」

 

「いや、こっちは技術的な面でのおかしなところなんだけどね。

どこをどう探しても、肝心の動力源が見つからないんだよ…………」

 

「動力源?」

 

「そうなんだよ。そこがどうにも納得いかなくてね…………。

一応身体の中身が機械なのかとも考えてソナー使ったんだけど、

反応は間違いなく人間の肉体のものでさ、不思議だよね」

 

腕を組みながらにとりが考え事をするように唸る。

それでも納得のいく考えが浮かばなかったのか、それよりもと一声上げてから

ナズーリンに今後の事を尋ねた。

 

 

「それで、さ。この機械の事なんだけども」

 

「ああ、そうだね。確かにこのままだと私の思うようにはいかなくなる。

しかし部外者の私がこの山の問題にむやみやたらと首を突っ込むのもね」

 

「だよね………………うーん、どうしよ?」

 

「そうだな…………私は修理を依頼しに来たわけだし、彼がこの場で本当に天狗を

攻撃していたのだとしたら下手に庇い立てするわけにもいかない。

しかしもしも彼が裁判のような場に出されたら、この場で発覚した事実を

証言することを約束してくれるとありがたいな」

 

 

ナズーリンからの提案に、にとりの頭上には疑問符が浮かんだ。

その態度を見たナズーリンはふむと一呼吸置いてから語り出す。

 

 

「ここで私が君に教えたことと彼を解析して発覚した事実。

この二つを裁判などの機会があったら君の口から証言してほしいんだ。

何故かと言えば、その方が我々にも君達妖怪の山にも損が無いからさ。

もし本当に彼が天狗を攻撃した犯人であるのであれば仕方ないが、

彼が発見されたのは今朝の命蓮寺参道で、しかも全身氷漬け状態だ」

 

「距離的に言えば、可能とは言いにくいよね」

 

 

にとりの漏らした言葉に、ナズーリンが頷く。

 

「ああ。だが彼が私や君のように『程度の能力』を保有している可能性もある。

どんな能力かまでは不明だが、それが距離の問題を解決出来得るようなもので

あれば、時刻などの証言も無意味となってしまうがね」

 

「…………でも、何でそこまでしてこの人の肩を持つの?」

 

 

ナズーリンの言葉を聞いていたにとりが今度は問いかける。

にとりからの質問を聞いたナズーリンは考える間もなく即座に答えた。

 

 

「彼について何かあれば、きっとスキマ妖怪の怒りを買ってしまうだろう。

それは我々も、そして君らも望んでいることではあるまい?

ならばそれを回避するために出来るだけ状況を好転させる…………で、どうかな」

 

 

なるほど、とにとりが大きく頷いてナズーリンも話を終える。

そんな彼女の頭の片隅には、先に帰らせた船長___________村紗の心配があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって日差しが身体に温もりを与える屋外。

香霖堂の店主に手伝ってもらうから、君は先に帰っていてくれと言われた村紗は

独り手ぶらで行きよりも遥かに早い時間で命蓮寺に帰ってきていた。

先に帰ってもやる事が無いと思った彼女だが、先程ナズーリンと店主に任せてきた

彼を解凍するために湯浴み場(今のお風呂)に張ったお湯の事を思い出した。

さっそくお湯の処理をして暇な時間はブラブラしようと決めた村紗は命蓮寺の扉を

開いて境内まで足を運ぶ。

そこで彼女は、違和感を覚えた。

 

 

(……………………何、この妖気?)

 

 

寺社の内に充満する、異常なほどに濃密な妖気を感じ取った彼女は即座に警戒態勢をとる。

周囲を注意深く見回しながら、どこからともなく巨大な船の(いかり)を取り出して構える。

彼女、村紗 水蜜は厳密に言ってしまえば妖怪ではなく『舟幽霊』である。

一応妖怪としての括りに入ってはいるが、幽霊にも片足を突っ込んでいる種族だ。

元々舟幽霊とは、水難事故を引き起こす地縛霊とされているが幻想郷にその常識は通用しない。

そんな彼女の能力は、『水難事故を引き起こす程度の能力』という。

名前を聞く限りは幽霊らしく恐ろしい、妖怪らしく極悪非道な能力であると思われがちだが

彼女はかつてこの幻想郷で起きた異変の過程で力を弱め、精々水を被って酷い目に遭う程度の

生易しいものとなっているのだった。

(水場が付近に無い………………でもスペルを使えば)

 

 

彼女の能力はあくまでも水難事故を引き起こすだけであって、水が無ければ意味が無い。

だが村紗は普段から手にしている水の湧き出る柄杓(ひしゃく)を使ってすぐに水場を生み出す

ことが可能なため、その点についてはほとんど問題が無かった。

 

「…………………ん、アレ? 響子⁉」

 

 

しかし問題は別にあった。境内の隅で隠されるようにして倒れている幽谷(かそだに)響子(きょうこ)だった。

構えていた錨を降ろして即座に駆け寄って意識の有無を確認するが、反応は返らなかった。

一体何があったのか、どうして倒れているのか。

聞きたいことがいくつも浮かんだが、それを聞くことはついぞ叶わなかった。

妖怪でもあり幽霊でもある村紗が敏感に感じ取った、先程と同じ異常なほど濃密な妖気。

それの中心部__________妖気の根源が自分に向かって近づいてくるのを肌で感じる。

そして村紗の目が、ソレを捉えた。

 

 

 

 

___________________影が歩いてくる

 

 

 

 

 

まず最初に村紗が抱いた印象がそれだった。

ゆらりゆらりと意識無く歩く幽霊のような足取りで、影が近づいてくる。

境内には形が不揃いだが丸石が敷き詰められているのに、足音が一切聞こえてこない。

しかし確かに近づいてくる、村紗は眼と感覚を以ってそれを実感していた。

 

 

「止まれ! お前は何者だ‼」

 

村紗は響子を巻き込まないようにその場を跳躍して離れる。

相手もそれに乗ってきたのか村紗を新月の夜を凝縮したかのような漆黒の身体の頭部に

怪しく不気味に光る二つの瞳が捉え、感情の読めないソレが睨みつける。

恐らく妖怪だろう、と村紗は推測するが正体は分からない。

一度目の注意勧告では止まらない相手を見据えて、もう一度だけ村紗が大声で警告する。

 

 

「次で最後だ、止まれ‼」

 

 

村紗の声を聞いた相手は、まるで時間と止めたかのようにピタリと停止する。

あまりに自然な不自然さに強烈な違和感を感じたが、それどころでは無いと一蹴した。

まずはどうするべきか。何が目的か、何をしたのか、何故響子を狙ったのか。

必死に考えているうちに村紗は相手が停止していることを忘れるところだった。

 

「さっきの質問に答えな。お前は何者で、ここで何をしている⁉」

 

 

先程と同じように牽制と目的の把握を兼ねた大声を張り上げる。

しかし相手の反応は皆無で先程と同様にその場で静止して動かない。

無言の返答に苛立った村紗は手にした柄杓で眼前に水場を作って能力を発動させる。

派手な音を立てて巻き上がった水が意思を持っているかのように相手に向かっていく。

 

「……………………………」

 

 

だが、村紗の目論見は外れ水は重力に従って地面に広がり吸収される。

それでもなお静止し続ける相手を見て、村紗はついさっき感じた違和感を思い出した。

 

 

(あの光ってるのが眼なら……………何故こちらを見ていない?)

 

 

違和感を探るために相手を観察した村紗は、相手の眼が自分を見ていない事に気付く。

自分よりもわずかに下、地面よりも少し上の曖昧で判別の付かない部分に視線が

向けられているようだが、いつからそこを見ていたのかを何故かハッキリ思い出せない。

 

 

(一体何の妖怪なんだろ……………でも、かなり危険なのは確か‼)

 

 

眼前の相手を"敵"と見据えた村紗は相手に悟られないようにスペルカードを取り出す。

ゆっくりと焦らないように慎重さを重視した動きを優先した結果、それは成功した。

そのまま相手に隙が生まれたら、瞬間叩き込んで意識を奪い、ひっ捕らえる。

頭の中で流れを考えた村紗の耳に、微かに、だが確かに聞こえてくる音があった。

 

 

「………………よっ…………つ……………いつ…………つ…………」

 

 

風に流されて本当に小さな声のような音が聞こえてきた。

最初は単なる幻聴だと思っていた村紗は、眼前の相手のいる方から聞こえてきていると

確信し、それが数を数える声だと理解するのには少し時間がかかった。

その間にも、微かな音は続く。

 

 

「…………むっ………………つ……………なな………………つ………」

 

 

四つ、五つ、六つ、七つ。

相手は下を向いて先程からゆっくりと数を数えている。

村紗がその事に気付いた頃には、その数は終わりを迎えようとしていた。

 

 

「………………やっ…………つ…………ここ……………のつ…………」

 

 

いつから数えていたのか、何故数を数えているのか。

村紗の頭には疑問が浮かんだが、妖怪か幽霊か、あるいはその両方か。

あの数が『十』を迎えたら、何かとんでもなく不味い事が起こると勘が告げている。

理性で考えるよりも早く、村紗の身体は相手に向かって動いていた。

 

 

「それを止めろッ‼‼」

 

 

おおよそ少女の外見をした彼女が持つには不自然すぎるほど巨大な錨を手にして、

おおよそ少女の外見をした彼女が出すには不自然すぎるほどの速度で距離を詰め、

おおよそ少女の外見をした彼女がするには不気味すぎるほど羅刹の如き顔をして。

 

 

「湊符【ファントムシップハーバー】‼」

 

 

手にした錨は人間を超えた力で投擲され、それが村紗を中心に円状に分裂し

360度死角無しの驚異的な弾幕となって相手に向けて降り注いだ。

コイツを、コイツが数を『十』まで数えるのを止めなければ。

理屈ではなく感覚で感じ取った危機を回避するために放った一撃。

村紗は弾幕を放った直後に再び跳躍し、響子を抱きかかえて後退しようとした。

 

 

「…………………………(とお)

 

 

しかし、現実がそれを許さなかった。

今度は微かにではなくハッキリと耳に届いた相手の声と思わしき音。

仕留めきれなかったと悔やみながら追撃を回避するために村紗は振り返る。

 

「ど、どこに消えた⁉」

 

 

ところが振り返った先にあったのは、見慣れた命蓮寺の風景だった。

咄嗟に周囲を見回すが、不気味な影も形も無く、まるで化かされた気分になった。

逃げたのか、とそうであればいいような希望的観測を含んだ呟きを漏らす。

張り詰めた空気をどこかへ飛ばそうと下を向いて息を吐こうとしたその時。

ようやく村紗は違和感の正体に気付いた。

 

 

____________自分の影の中に、何かいる‼

 

 

 

「しまっ__________________」

 

 

影ごと自分を持っていかれる。

村紗は急に薄くなった意識の底でそれを確かに感じていた。

あとほんの数秒で自分は考えることも出来なくなる。

このままでは不味い。このままだとせっかく目覚めた『あの人』もコイツに。

 

 

「_______________南無三ッ‼‼」

 

 

もしも幻想郷に願いを聞き届ける神がいたとすれば、間違いなく村紗を見ていただろう。

命蓮寺の境内に、地震が起きたのかと錯覚するほどの振動が発生する。

その振動の影響か否か、どこからか先程村紗が会敵していた相手が姿を現した。

村紗の前に現れた時のように、おぼつかない足取りでゆらりゆらりと動き出す。

ちょうど相手から村紗を庇うような位置に、村紗の待ち望んだ彼女がやって来た。

 

 

「ひ、(ひじり)…………アイツ、ヤバい。影だ、影を盗られる……」

 

 

すがるように現れた女性の服の裾を掴んで必死に警告する村紗。

だがその女性は村紗に対して、まるで聖母の如き慈愛の眼差しと笑みを向けた。

一点の淀みの無い笑顔に安心したのか、それとも先の攻防で体力を消耗したのか。

あるいはその両方が原因なのか、村紗は糸が切れたように眠ってしまった。

村紗を自分と共にここに入って来た薄桃色の雲を纏った女性に任せて前を向く。

彼女の眼前には、先程とは違ってグネグネと激しく波打つ影の塊がいた。

動くソレに対して女性はただ一言、丁寧かつ厳かな口調で告げる。

 

 

 

(うつ)ろう魑魅魍魎(ちみもうりょう)の具現、その一片よ。

其方(そなた)の行いは、我が(まなこ)に徳と映らず(ごう)を観た!

誠に悪辣(あくらつ)不敬癇許(ふけいかんきょ)である‼ いざ、南無三‼‼」

 

 

御仏の来光を宿した法巻を手に、聖 白蓮(びゃくれん)が空に浮かび上がった。

 





そろそろ緑の道も佳境に差し掛かりましたね。
今回は時間も取れたのでじっくりと書くことが出来ましたが………。

なんといくかその、戦闘描写が恐ろしく下手ですね。


何だか自分はこういうのが向いていないんじゃないかと本気で
へこんできました………………文才をサンタに頼めば良かった。



それでは次回、東方紅緑譚


第参十参話「緑の道、巡り結がる」


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第参十四話「緑の道、巡り結がる」


皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もより一層の感謝と共に執筆していく所存でございます。

それと私のこの作品に置いて、「結(つな)がる」という表現や言葉を
多用していますが、この文字は存在しない、いわゆる造語です。
なのでそれを承知の上で閲覧ください。
(実はこの言葉を発端に一悶着あったので)


堅苦しい挨拶はここまでにして、今年も萃夢想天の作品をお楽しみください。

それでは、どうぞ!


 

空中にフワリと佇むのは、虹色よりも濃く玉響(たまゆら)に輝いている法巻を纏った女性。

それを見上げるようにして地に足をつけているのは、新月の夜を凝縮したような体表の『影』。

互いは互いを見つめ、睨み、その力量を言葉にしないまま把握していた。

 

 

「……………色即是空、空即是色。自浄合切、輾転」

 

 

目を閉じて両手を合わせて体の内に眠る力を呼び起こす女性。

体の周囲で輝いていた法巻からは文字の帯のようなものが飛び出し、体に巻き付いて消える。

すると次の瞬間、女性が目を見開くと同時に空気が破裂したように盛大な音と共に衝撃波を生む。

 

「幾世の年月を越え、数多の受難を超え、我は開眼せるに至れり」

 

 

吸った空気を吐くだけで、その空間が浄化されていくような神々しさを湛える女性。

そんな女性と対峙している漆黒の影は、無言のままその体躯を不規則にデタラメに動かす。

 

ほんの二年ほど前にこの幻想郷に現れた信仰勢力の一つ、命蓮寺一派。

その勢力の中心には『人も妖怪も神も仏も全て同じ』という極論を携えた一人の尼公がいた。

彼女は今の時代に生きる人間では無く、ある理由の為に"外法"と呼ばれる禁忌に手を染めて

人という種の限界を遥かに超えた時の中を生きることが出来る術を手に入れた僧侶だった。

しかし幻想郷に来てからはかつて自分が捨てる事の出来なかった情念と持ち前の懐の深さが

幸いして、建立した命蓮寺の住職という立場に身を置いて日々を過ごすようになっていた。

 

その女性こそが、『(ひじり) 白蓮(びゃくれん)』である。

 

煌びやかな金色と艶やかな紫色が絶妙な割合で混ざったグラデーションの入ったロングウェーブ。

ガラス細工のように透き通った濁りの無い黄金色の瞳に、幼くも可憐にも見え得る美麗な顔立ち。

黒を基調とした布地の下に純白の衣服を着て、ゴスロリ的な印象を抱かせるドレスを羽織る。

身長は見た目から判断する年齢の女性からしたら高めで、異性の目を引きやすい体格をしている。

人とそうでないものを調和を保ったまま融合させたかのような、「人ならざる美」の体現。

普段は健やかな子を慈しむ母の如き表情を浮かべる彼女が、眉を上げて怒りを露わにしている。

釣り上がった眼が射貫くのは、眼下に見下ろす怪しく不気味で醜悪で、強大な妖気の塊。

そんな相手を前に、聖は大きく息を吸い込んでから一気に急降下して拳を叩き込んだ。

 

 

「南無三‼‼」

 

 

常日頃から里の人間やケガをした妖怪の面倒を見ている彼女からはあまりにかけ離れた一撃。

地面に半球状の窪みを生み出し、周囲に敷き詰められていた丸石を砕きながら撒き散らす。

自分の住んでいる場所であるにも関わらず、一切容赦の無い正確無比な攻撃。

しかし拳は直立したまま蠢く影では無く、その下に伸びている自らの影に向けられていた。

 

 

「これであなたはもう、私を連れてはいけませんね(・・・・・・・・・・・・)

 

 

小さくも勝ち誇ったように呟いた彼女の言葉に、影は苛立ったのか初めて動きを見せた。

生き物のものとは思えないほどほっそりとした両腕をダラリと脱力させ、地面につける。

するとその腕____________から伸びた無数の影が地面を伝って聖の足元に向かっていく。

拳を引いた聖は自らの元に向かってくる影を確認し、すぐさま上空に飛び上がって滞空する。

 

 

『……………………………………………』

 

 

感情を見抜けない、というより眼以外の部分があるのか不明な頭部をもたげて影は聖を睨む。

上空に滞空した聖は横目で村紗と響子が自分を慕う尼入道によって本堂へと運び込まれて行く

のを目視してから、先程よりかは少し穏やかな顔つきになって影に話しかける。

 

 

「私の名は聖、この命蓮寺という寺で住職をしている者です。

まずはここで起こったこと、響子ちゃんと村紗についての事をお聞かせください」

 

『……………………………………………』

 

 

聖からの問いかけに影は答えない。

しかし言葉を発さない代わりに、ゆらゆらと怪しく揺れる影が激しく波打つ。

その動きをどう解釈したのか、聖は少しずつ高度を下げて影と目線を合わせる。

途端に地面から影が聖を突き刺すように飛び出るが、無数のソレを指で掴んで止める。

影にも驚くという感情があるのか、身体をビクリと震わせて何とか逃れようと試みる。

だが見かけによらない力でガッシリと掴まれているのか、聖の手は影を放さなかった。

 

 

「私は何があったのかを聞いているだけなのです。

襲う謂れも襲われる謂れもありませんが、この行動を見る限り二人を行動不能にしたのは

あなた……………いえ、あなたの性質が今回の原因というべきでしょうか」

 

 

地面からわずかに浮いた位置で聖は影に憐憫の視線を向ける。

聖の言葉を理解しているのか、彼女の言葉を聞いた直後から俯いてピタリと停止した。

影が動きを止めたのを反省と捉えたのか、聖はそのまま影を見据えて言葉をつなげる。

 

 

「雲のかかっていない真昼時、必然的に『影』は自らの背後に来るように伸びます。

ですがあなたの影は常に私のいる方向に向かって伸びている……………これは摩訶不思議」

 

『……………………………………………』

 

「この幻想郷において太陽は月ほどの力を持ってはいませんが、それでも陽の(もと)

人も妖怪もそれら以外の全てに、平等に光を与えたもう物に例外などあるはずがない。

だというのにあなたにはそれが適応されない、つまり陽の力を覆すほどの力を持って

いながら………………………自我が限りなく薄いのは、相反しています」

 

『……………………………………………』

 

 

聖が話している間も、影は微動だにしない。

わずかに浮いている聖の足元を見て、動かずに、俯いて。

ようやく影の沈黙に違和感を感じたのか、聖が耳を澄ませる。

するとやはり、風に乗って微かに、だが確実に声が聞こえてきた。

 

 

『…………み………………っつ……………よ…………っつ…………』

 

 

聞こえてきた数を数える声に聖は焦りを覚える。

しかし後ろから迫ってくる頼もしい気配を感じて静かに目を閉じた。

その瞬間、聖の背後にある命蓮寺の本堂の中から薄い桃色の雲が拳となって突き出される。

迫り来る拳を避けたのか、聖の聴覚には数を数える微かな声は聞こえてこなくなった。

 

 

「ご苦労でした雲山、それに一輪も」

 

「!!」

 

「ここからは我々に任せてお下がりを、(あね)さん」

 

 

本堂から木造の廊下を歩いて、一人の女性とそれを包み込む雲の妖怪が現れた。

 

遮る物の無い晴天の如く晴れやかな空色の長髪に、同じく透き通るような水色の瞳。

しかしそれらを覆い隠すように頭から被っているのは、尼を思わせる濃紺の頭巾。

肌色がかった白い長袖の上着に、白と青色が程よく縫い合わされたスカートを着用し

灰色のニーソックスに黒色のブーツ状の靴を履きこなしている。

 

流麗でありながら質素な佇まいの彼女は、『雲居 一輪(いちりん)』という名の妖怪。

 

そんな彼女を上から抱きかかえるかのようにして浮いているのは、さながら小型の入道雲。

ただし上空に浮かぶそれらとの大きな違いは、薄い桃色であることと、人の形をしていること。

長い時間自らの肉体を鍛え続けた修験者のような、筋骨隆々の上半身を(かたど)っている。

人でいう顔の部分は、頑固一徹を表したかの如き禿げ頭に口ひげの老齢の好爺のように見える。

 

彼の名は『雲山(うんざん)』。一輪によって使役されている入道という妖怪。

 

 

二人は聖の前に降り立ちながら、村紗と響子を気遣うように語る。

 

 

「姐さん、村紗は無事なようだけど響子は目を覚まさない。

多分封印の妖術か何かだとは思うけど、私じゃ何もしてやれないからさ。

早く二人の元へ行ってあげてください。ここは私が抑えますから!」

 

「一輪……………分かりました。雲山、一輪を頼みますよ」

 

「!!」

 

閉じていた目を開いて振り返り、本堂へと姿を消した聖を背中で見送った二人は

眼前でフラフラと挙動不審な動きを繰り返す立体的な影を前に好戦的な笑みを見せる。

一輪は懐から太陽の輝きを照り返す金色の輪を取り出し、雲山は両拳を握って構えた。

 

 

「さぁて雲山、この相手に弾幕ごっこは通じると思う?」

 

「……………」

 

「『通用せんだろうな』、ね。確かに溢れ出る妖気はありえない量だけど」

 

「……………」

 

「え? 『妖気だけではない。もっと歪んだ力も漏れておる』ですって?」

 

「!!」

 

 

一輪が翻訳した言葉に薄桃色の雲の頭部が二度しっかりと上下する。

信頼の出来る相棒からの忠告を聞いて、一層警戒心を底上げする一輪。

そんな二人を眺めていた影は突如としてビクンと大きく跳ね、辺りを見回し始める。

挙動不審な相手の不可解な行動に疑問を抱いた一輪は、声を潜めて雲山と会話する。

 

 

「ねえ雲山、今言った歪んだ力って何のこと?」

 

「……………」

 

「『(わし)にもよくは分からん』 ってことはただの勘?」

 

「……………」

 

「『勘は勘じゃが、直感の方が正しい』………………つまり?」

 

「!!」

 

「『妖怪の範疇を超えた力』、か。当たり障りの無い言葉だけど説得力はあるわ」

 

 

雲山の言葉を聞いて、一輪は眼前の敵に対する評価をさらに上げた。

ところが影の視線はしばらくキョロキョロした後で一点で留まり、その方角を凝視する。

やがて陽の光に溶けるかのように地面へと沈み、平面の影となって境内から消えた。

あまりに拍子抜けする展開に、一輪も雲山も目を丸くして互いに見つめ合う。

気まずい沈黙を打ち破るように一輪が話しかける。

 

 

「えっと、これは………………つまりどういうこと?」

 

「??」

 

「『儂が知るか』って、そりゃそうよね」

 

「……………」

 

「『山彦と船長が心配じゃのう』…………そうだ、村紗!」

 

 

雲山の呟きを聞いて顔色を変えた一輪は慌てて本堂へと走っていく。

だが雲山は独り境内に残って先程の妖怪が戻ってこないかどうかの警戒にあたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方の一輪は気が気ではなかった。

響子は彼女らが暮らす命蓮寺が主体で起こした異変の後で入門した妖怪だったが、

村紗は共に、文字通りの地獄を生きてきた旧知の中であったために不安も大きい。

逸る気持ちを必死で抑えながら、二人を運び込んだ本堂へと急ぎ足で向かった。

 

 

「姐さん! 村紗と響子の具合は⁉」

 

 

本堂の襖を勢いよく開いて入ってきた一輪に、聖は困ったような表情で語りかける。

 

 

「ああ一輪、今しがた私の魔法で体の異常を確かめたところです。

しばらく二人とも安静にしておきたいので、あまり大きな音を立てないようにしなさい」

 

「あ、ああハイ。すみません姐さん………」

 

自分の事しか考えていなかった一輪は素直に頭を下げ、今度は慎重に襖を閉じる。

そのまま音を立てるのを最小限にしながら聖の横に座って、二人の容態を尋ねた。

 

 

「それで姐さん、二人はどんな具合ですか?」

 

 

一輪からの問いかけに、先程とは別の困った表情で聖は話し始める。

 

 

「それが………………私の魔法を使ってみても響子ちゃんは目覚めませんでした」

 

「そうですか………………でしたら村紗は? 村紗は無事なんでしょうか?」

 

「無事、とは言い切れませんね。しかし出来る限りの事はします」

 

 

普段の彼女とは違う、歯切れの悪い返事を聞いて一輪はさらに不安を募る。

そんな一輪を見かねて聖は話題を変えようと向きなおって真面目な口調で話しかける。

 

 

「それよりも一輪、あの妖怪はどうしたのです?」

 

「え、あの影みたいなのなら急に周囲を見回し始めたと思ったら途端に消えて…………」

 

「消えた? それは成仏のように薄れて消えたのではなく?」

 

「ハイ、地面に水が浸透するようにして消えていきました」

 

「そうですか………………そうですか」

 

「姐さん?」

 

 

一輪の話を聞いた聖はまるで全てを理解したかのように頷いて口を閉ざす。

話をした一輪は訳が分からずに聖に問いかける。

聖は彼女の問いかけに対してわずかに口ごもるも、やがてゆっくりと語り始めた。

 

 

「一輪、私の能力は知っていますね?」

 

「ええ? そりゃもちろん。『魔法を使う程度の能力』ですよね?」

 

 

問いかけに応えた一輪の言葉に、聖は無言で頷く。

 

 

命蓮寺の尼僧、聖 白蓮の能力は『魔法を使う程度の能力』。

しかしこの幻想郷には、同じ能力を持つ者が一人存在する。

『普通の魔法使い』こと、霧雨 魔理沙だ。

だが彼女と聖の持つ能力には、実は明確な違いがある。

魔理沙はたゆまぬ努力や他人から得た技術や技を応用することで魔法を使えるようになった

魔法使いなのだが、聖は"外法"という呪いや禁法などに手を染めて人間を超えた『超人』に

なることで魔法を使えるようになった魔法使いなのだ。

 

事実、魔理沙は弾幕などを主体とした魔法を得意としてはいるが

聖はその逆で肉体強化などの魔法関連を得意としている。

魔法で肉体の性能を極限まで増幅させて、身体能力を向上させる根っからの武闘派が聖だ。

だが魔理沙の魔法とは違って、肉体強化や精神活性の魔法を他者にもかける事が出来る。

それが聖の程度の能力の強みの一つでもある。

 

ちなみに聖の質問に答えた一輪の持つ程度の能力は『入道を使う程度の能力』という。

彼女は元々人間だったようだが、紆余曲折を経て仙人に成り損ねて妖怪にさせられてしまった。

その過程で身に付けた能力のようだが、雲山という入道との関係は未だ不明である。

また妖怪となった彼女を救いの道に引き上げたのが聖であり、以後彼女を慕って命蓮寺で尼を

するようになったのはまた別のお話。

 

 

一輪の回答に頷いた聖は、そのまま話を続ける。

 

 

「そうです。その魔法の一つである『精神活性』の部類のものを使ったのですが

村紗だけが反応して響子ちゃんには効果が発揮されなかったのです」

 

「つまり?」

 

「妖術や封印の類では無く、精神か魂を抜き取られた(・・・・・・・・・・・)状態にあるようです」

 

 

聖の出した答えに一輪は絶句する。

見開かれた目を正面から見つめ返しながら、聖はその結論に至った経緯を話し始めた。

 

 

「何故そう考えたのか。これにはきちんとした理由があります。

まず初めに、一輪。あなたは村紗が最後に言った言葉を覚えていますか?」

 

「えっと……………確か『影を盗られる』とかどうとか」

 

「ええ、その通りです。村紗の言葉は確かにそうでした。

ではコレがどういう意味を持っているか分かりますか?」

 

「影を盗られる、ですか?」

 

 

自分の顎にほっそりとした綺麗な指をあてて考え始める一輪。

しばらくそうして考えても結論が出なかったのか、分かりませんと素直に答えた。

一輪の返事を聞いた聖は姿勢を正して言葉の意味を語り出す。

 

 

「影を盗られるということは、己の半身を奪われることと同義なのです。

一輪、あなたは陰陽(おんみょう)道や陰陽術の事はよく知っているでしょう?

陰陽道の基本は『陰』と『陽』、二つの事象への理解と性質の把握、及び応用です」

 

「い、一応知ってはいますけどそこまで踏み込んだ事柄は………………」

 

「だと思いました。なのでその辺りは、かいつまんで要約するとしましょう。

まずは『(よう)』について、これは読んで字の如く『太陽』を表しています。

ですがこの字には『表』という意味や、『人の表面』、つまり肉体の事を示す表現も

あるのですよ」

 

「それと確か書かれた道本によっては『男性』を意味しているとも聞きました」

 

「それも正解です。今からの話には関係が無かったので省きましたが、勤勉ですね。

話を戻しますが、陽とは逆の『(いん)』にはまさしく『闇夜』を表す解釈が

いくつもあります。そして陽と同じく『裏』や『人の内面』、つまり精神を示す

表現もまたあるのです」

 

「これも先ほどの逆で、『女性』の意もありましたね」

 

「ええ。陰陽道には『対極に座すものを尊び、敬い、畏れ、調伏せよ』との教えが

残されているのですが、これは人間だけでなく妖怪にとっても重要な規範となりました」

 

聖の話し出した陰陽道の解説を聞いた一輪は、その部分に疑問が生まれた。

陰陽道は本来、聖が言ったように魔を払い妖を侍る為に作られた人の業の結晶。

なのにそれが害となる妖怪にとって重要な規範とはいったいどういったことなのか。

一輪が疑問を尋ねる前に、聖がその答えを口にした。

 

 

「妖怪とは本来、人の畏れ無くしては生きられぬモノなのです。

しかし陰陽道が栄えた当時はまだ良かったのですが、彼らの術に応用が効くようになって

しまった後の時代においては、妖怪は怨霊や魔物と同様に扱われてしまったのですよ」

 

「…………それに何か問題が?」

 

「妖は人の畏れを、霊は人の思念を、魔は人の生命をそれぞれ糧とするのですよ?

それらと混じり合う事は無く、同じ存在として払われてしまっては元も子もない」

 

「あ、確かに」

 

「されど人と共栄することが出来なかったのは、やはり当時の風潮が大きいですね。

しかし中には力のある陰陽師に調伏され、仕えることで力を得た妖怪もまたいるのです」

 

「確か槧儸童子(ふだらどうじ)とか、骸鬼童子(むくろぎどうじ)とかでしたか」

 

「その通り。畏れを求める妖を人に畏れられるモノが打ち倒すことによって得られるもの。

それは、人の手では届かぬ力を奮って人の手におえぬ妖を倒すという事実への畏れ。

これが彼ら妖怪から移ろったモノたちの生きる術の一つでした」

 

「なるほど………」

 

 

聖の語った言葉を聞いた一輪は心底納得し、何度も頷く。

自らも妖怪に転じた存在として苦難を生きてきた以上は他人事とは思えなかったし、

何より尊敬する聖の説法を聴くことが出来るという小さな喜びもまたそこにはあった。

しかし、ここからが本題だと聖が呟いて話はより深刻になっていく。

 

 

「ですが彼らとは違ったやり方で人の世に溶け込んだ妖怪もいたのです。

八百万の神でありながら妖怪として道具にとり憑く、『付喪神』などのように」

 

「では、さっきのアレもその類いでしょうか?」

 

「いいえ、それは絶対に違います」

 

一輪の挙げた付喪神という答えを、聖は確固たる意志を以って否定する。

聖の即答に驚いた一輪に言い聞かせるように聖が話を続ける。

 

 

「先程も言ったように、妖怪にとっても陰陽道は重要になりました。

陽は肉体であり陰は精神、付喪神にはとり憑いた道具という陽があります。

ですがあの影にはそれが無かった……………文字通りに陰のみの存在でした」

 

「へぇ…………あの時間でよくぞそこまで」

 

「それは今は置いておきましょう。

話を戻しますが、モノとは違う方法で人の世に紛れた妖怪もいました。

『付喪神』などとは違う方法……………………それは『アソビ』です」

 

「え、遊び?」

 

 

予想していたよりも平和そうな言葉が出てきたことに驚く一輪。

聖は一輪の口から出た言葉が恐らく間違いであることに気付いて訂正する。

 

 

「遊ぶことの『遊び』ではなく、妖怪の『アソビ』です」

 

「え? えっと、つまりは?」

 

「そうですね…………………あなたの口から出た『遊び』も間違ってはいません。

しかし私の言っている『アソビ』というのは謂わば、『遊びに化けた妖怪』の事です」

 

「あ、遊びに化ける?」

 

「ええ。ではこれも例えを使って説明しましょう。

里の子供たちもよくやる『鬼ごっこ』の事は流石に知っていますよね?」

 

「まあそれくらいは。数人のうちの一人が鬼になって誰かを捕まえる。

そうして捕まえられた子供が鬼になって、交代して遊ぶってヤツですよね」

 

「それが『遊び』の鬼ごっこです。

ですが私の言う『アソビ』の鬼ごっこはとても恐ろしいのです」

 

 

少し話し疲れたのか一呼吸おく聖。

その間一輪は心配そうな目で村紗と響子を見つめるが、二人とも動く気配が無い。

一輪の心に大きな不安が押し寄せる直前に、聖が言葉を句切って話を再開した。

 

 

「『アソビ』の鬼ごっこは誰かが鬼になるまでは黙って子供たちの中に紛れていて、

誰かが鬼と入れ替わった瞬間に、入れ替わる前の鬼役の子供の心に乗り移ります。

そうして自分の種を蒔いて、鬼ごっこが終わった途端に発芽し始めるのです」

 

「その、鬼ごっこの『アソビ』が発芽するとどうなるんですか?」

 

「…………発芽した芽は子供たちの心を(むしば)み、やがて喰らい尽くすと今度は

肉体そのものを喰らい始め、最後にはその子供を『アソビ』にしてしまいます」

 

「え? 『アソビ』って実体があるんですか? 伝承とかじゃなく?」

 

「ええ、実体はありますよ。ただ、『アソビ』となったらそれ以外の行動を

しなくなる。つまり、鬼ごっこに紛れて自分を増やすことしか出来なくなります。

自分が何者であったのか、どんな両親がいたのか、何を感じていたのかなどの感情も

分からなくなってしまうのです」

 

「……………そうか。『遊び』は子供が行うものだから、陰陽師やら大人やらの目には

留まりにくいし、感情が多感な時期の子供は妖怪にとってはうってつけの………………」

 

一輪が気付いて口にした言葉に聖もまた同意する。

驚き、恐れるのと同時に一輪の心には納得の感情が浮かび出た。

自分も妖怪である以上、畏れは絶えず必要になってくるが自分は尼として信仰を

集めることによってそれを補っている。それはこの寺に住むほとんどがそうだ。

そのまま目線を聖に戻して話の続きを待つ。

 

 

「子供たちの『遊び』の中に潜み、巣食う『アソビ』たち。

今日やってきたあのモノは、おそらくその中の最たるモノだったのでしょう」

 

「最たるモノ、ですか」

人を捨て、人を超えた聖ですら身構える相手と対峙した事実を一輪は今になって噛み締めた。

すると襖のわずかな隙間から、薄い桃色の雲が音も無く入り込んで一輪の周囲に滞空する。

やがて普段の形に戻った雲山に、一輪は労いの言葉をかけた。

 

「警備ご苦労様。何か異常はあった?」

 

「……………」

 

「『特に無かった』、か。まあお疲れ様ね、お茶でも飲む?」

 

 

一輪からの労いの言葉を受けた雲山は人当たりの良い笑顔を浮かべる。

雲山を纏わせた一輪を見て、聖は先程の話を雲山にも要約して話した。

話を聞き終わった雲山が今回の影の正体について心当たりがあることを思い出したようで、

しきりに一輪に話しかけ始めた。

 

 

「!!」

 

「え?『思い出した、ソイツは危険だ‼』って、さっきのヤツの事?」

 

「雲山、あなたはあの妖怪の事を知っているのですか?」

 

「!!」

 

「『思い出したんだ、和尚の話を聞いてたら‼』、だそうです」

 

「………………あなたのその慌てよう、よほどの事ではありませんね?」

 

「!!」

 

「『急がんと間に合わなくなる』? どういう事よ雲山」

 

薄い桃色の顔を怒りで赤く染めながら恐怖で青白くするという芸当をしながら、

雲山は聖と一輪に事態は一刻を争う事だと懸命に伝える。

 

 

「!!」

 

「『急げ! このままだと山彦が死ぬ‼』って、え⁉」

 

「雲山、落ち着いて話をしてください。

響子ちゃんの事ですよね? 一体何が起こっているのですか?」

 

「!!」

 

「『和尚の話を聞いて思い出した。船長の言っていた言葉は本当だ』」

 

「!!」

 

「『船長は和尚が助けたが、その山彦の方は完全に影を盗られている!』」

 

翻訳された雲山の言葉を聞いた二人は倒れたまま意識の無い響子に目を向ける。

すると雲山の言ったとおりに、彼女の体にあるはずの影がどこにも見えなかった。

一輪は初めて見る異常な光景に驚くが、聖は逆に冷静な表情で雲山を見つめる。

 

 

「雲山、おそらく今あなたと私は同じ結論に至っていると思います。

私はかつてこのような状態に陥った人を見たことがあるのです。

今回もまたそれと同じだというのであれば、どれほどの猶予があると思いますか?」

 

「……………」

 

「『もって五日、長くても一週間』って、そんな!」

 

「やはり、そうなってしまいますか……………」

 

「あ、姐さん! 一体どういう事なんですか⁉」

 

「…………一輪、この事をすぐに命蓮寺の皆と人里の皆さんにお伝えしなさい。

いいですか、今から私の言う言葉をよく聞いてしっかりと覚えるのですよ」

 

雲山の残酷な発言を聞いた直後から、聖のまなざしは鋭くなっていた。

自らの求める結果を成す為であれば、どのような犠牲を払っても構わないという覚悟の眼。

いつの間にか握られていた拳には無意識に力が入り、見ている者を威圧するほど。

立ち上がった聖を心配そうな目で見つめる一輪に、聖は重々しく告げた。

 

「響子ちゃんの影を奪ったのは、『影写しのアソビ』でしょう。

アレは危険です。すぐに奪われた影を取り返しに行きます。

もしかしたら、私の手には負えないかもしれないません………………。

人里への警告を終えたら、あなたは博麗神社へ行って巫女を呼び出してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南の空高く光で大地を照らし続けていた太陽は、今はもう西に傾いている。

数えるのも億劫になるほど乱立した樹木そびえる妖怪の山の滝の裏。

そこにはつい先ほど二人の天狗と密約を交わした河童と数え方が不明の存在がいた。

滝の裏に私設の工房を構えている河童___________河城 にとりは浮かれていた。

ある日突然自分の元に自分の欲しかったものが勝手にやって来たら、浮かれても仕方ない。

だがそれはにとりの予想を遥かに超えて優秀で、精巧で、有能で、完璧だった。

 

 

______________。

 

 

にとりは自分に与えられたチャンスを活かそうと工房においてある様々な機械やら工具を

そこら中からかき集めて自分の求める技術を抱えた彼のそばに無作為に置いていた。

浮かれていたせいか、これから得られる技術に思いを馳せていたのか、彼女は気付かなかった。

 

______________?

 

 

まるで手術台のような台座の上で、彼は目覚めかけていた。

氷漬けにされて自ら機能を停止させていた彼の頭脳が、今目覚めようとしていた。

ゆっくりと機能を復元させ、自らの肉体に活動再開の命令を下す。

 

 

______________!

 

 

指を動かせ、成功。しかし物を握るほどの回復はしていない。

足を動かせ、失敗。徐々に感覚が戻り始めている。

首を動かせ、成功。ゆっくりとだが周囲を確認することに成功。

能力を発動、失敗。視覚と聴覚の結合が未完成。

 

 

______________ぁ

 

 

現状の把握、不明。未確認の場所である為、現在位置の特定が不可。

自身の把握、成功。各箇所に不具合はあるが、活動再開は可能。

能力の発動、失敗。触覚と聴覚は徐々に復元。しかし空間の結合は演算能力の低下により不可。

 

______________あぁ

 

能力の発動、失敗。聴覚はほぼ覚醒。視覚、嗅覚に不具合が発生。

 

 

______________めろ!

 

 

能力の発動、失敗。触覚及び視覚の復元を再起動。演算処理装置復元の優先度を低下。

 

 

______________こいつには手を出すな!

 

 

能力の発動、失敗。視覚、触覚の起動を確認。次いで演算処理装置の復元を開始。

 

 

______________なん、だ…………からだが、うご、かな

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、56%から上昇中。

 

 

______________く、そ、なんなんだ、おまえ…………

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、77%から上昇中。

 

 

______________あや、もみ、じ……………みん、な

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、91%完了。活動を再開。

 

 

______________。

 

 

能力の発動、成功。通常時と比較した場合より貧弱だが、空間結合の成功を確認。

 

 

______________。

 

 

全身の機能の回復を確認。覚醒し、任務を再開します。

 

 

 

 

「…………ここは?」

 

 

見知らぬ空間の見知らぬ場所で、縁は目を覚ました。

状況を把握するためにも一先ず起き上がろうとして失敗してしまう。

まるで今まで全身が氷漬けにでもされていたかのように、体がうまく動かない。

 

「どういう、事だ?」

 

 

現状が理解できない、自分はいつの間にここに来たのか。

自分の中にある最後の記録を読み直しても、命蓮寺参道でチルノと弾幕ごっこをしたことしか

記録されておらす、そこからの記録が途絶えてしまっていた。

 

 

「訳が、分からない…………」

 

 

台座の上で横になったまま首だけを動かして周囲の状況を確認する。

すると視界の端で水色の髪の少女が音を立てて倒れるのを目視した。

少女が倒れた先には小汚い床を見つめたまま突っ立っている『影』がいて、それと目があった。

自分は動けない上に現状が把握出来ない。だが間違いなく危険な状況に居るのは確かだろう。

直感的にそう理解した縁は、未だにうまく動かない身体で『影』に話しかける。

 

 

「お、まえ……………は?」

 

 

縁の言葉には答えずに、ゆっくりと近くまでやってくる『影』。

やがて自分を見降ろす場所ほど近くにきたソレを見て、初めて眼があることに気付いた。

新月の夜を凝縮したかのような漆黒の顔面に浮かぶ、丸く輝くおぞましい双眸。

その二つが自分を見下ろしているのに、不思議と縁は動けるようになっていた。

 

 

「おまえは、なにものだ?」

 

『………………………………』

 

 

『影』はまたしても縁の問いかけに応えない。

だが何故か縁の顔の部分を見つめて、一向に動こうとしない。

体が動かせるようになった縁は立ち上がって、今の現状を把握しようとする。

 

 

「ここは、どこだ?」

 

『………………………………』

 

「話せないのか?」

 

『………………………………』

 

 

言葉に反応するわけでもなく、『影』は縁の顔を見つめ続ける。

当の縁はそれを気にするでもなく、ゆっくりと出口と思われる場所へ歩き始めた。

しかし上手く歩けないのか、途中で何度も転びそうになる。

 

「身体が、まだ、上手く動かない………」

 

 

愚痴を漏らすように言葉を吐き出した縁だったが、ふと突然身体が軽くなるのを感じた。

急に動きやすくなって驚いたが、その驚きを表に出さずに歩きながら出口に辿り着いた。

縁の予想通りにそこは出口だったようで、小気味良い音を立てて鉄製の扉が開いた。

そこでふと後ろを振り返ってみたが、先程までいた影はどこにも見当たらなかった。

 

 

「私に気付かれずに移動できる、のか」

 

 

今度は素直に驚きを表に出して縁が呟く。

そのまま道伝いに歩いていくと、滝の裏に出てきた。

どうやらここは妖怪の山の一部であるらしいことを、縁はここで初めて把握した。

その場で能力を発動して空間を(つな)げられることを再確認した縁は、迷うことなく結げた。

右手で空間をゆっくりと薙ぎ、裂け目を作ってそこに入り込む。

 

 

「随分時間が経っているようだな。紫様にご迷惑をかけていなければいいが」

 

 

自分の中に芽生えた不安を一言呟いてから、空間の裂け目を通り抜ける。

妖怪の山にある滝の前に作られたそれが、独りでにゆっくりと元に戻っていく。

だが、空間の裂け目が完全に消えてなくなる瞬間、そこに入り込んだモノがあった。

黒く、大きな、新月の夜を凝縮したかのような漆黒の『何か』が。

しかしその事に気付くものはいなかった。

 

八雲 縁の影に、『何か』が入り込んだのを見たものは、いなかった。

 

 

 

 

 

~幻想『緑道結記』~ ______________完







本当は昨日投稿しようと思っていたんです、ホントです‼
まあケガの功名とでも言いますか、時間が取れたので結果オーライ?


そして今回で縁のパートが終了いたします。
長かった、そして長かった。
しかしまだ、謎が残されたままになっています。
次回から始まる紅夜パートが終わったら、再び縁となります。
どうかそれまで御付き合い下さいませ。


それでは次回、東方紅緑譚


~幻想『魔人死臨』~

第参十四話「紅き夜、思い残して」


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~幻想『魔人死臨』~
第参十伍話「紅き夜、思い残して」


皆様、新しい年をどうお過ごしでしょうか?
私は身の回りの全てが慌ただしくなった様に感じます。

それと合わせて、来週この作品の投稿が出来ません。
来週はパソコンに触れられないためなので、お許しください。


それでは、どうぞ!


 

今日も今日とて平穏な幻想郷の空。

青くどこまでも澄み切っている青空は、さながら頭の上に浮かぶ大海原。

時折空の端々に浮かんでいる大小さまざまな雲は、寄せては引いていく波間の如く。

人であろうとなかろうと、見るもの全ての心に爽やかな安らぎを与えるかのような大空。

そんな幻想郷の空を、一陣の風が目にも止まらぬ速度で駆けて行く。

赤い頭巾(ときん)に白いシャツ、一歯下駄にニーソックスを履きこなす幻想郷最速の少女。

『伝統の幻想ブン屋』こと、射命丸 文だった。

 

 

「ふんふん♪ ふふんふ~ん♪」

 

 

常日頃から他人の前では営業スマイルを欠かさない文だが、今日は違った。

朝から道行く顔見知りに声をかけられては、大丈夫かと心配されるほど浮かれていた。

今も誰にも追いつけない速度で飛行しながら、鼻歌まで歌いだす始末。

しかし、これにはしっかりとした訳があった。

 

 

「今日は紅夜さんに密着取材~♪」

 

 

きゃー、と自分が口にした言葉で顔を赤らめる文。

いくら彼女に追いつける者がいないとて、傍から見れば今の彼女は醜態丸出しの状態だ。

それでもなお速度は落とさないまま文は目当ての彼のいる場所まで飛ばし続けた。

そもそもどうして文は浮かれているのか。

それは今から二日ほど前まで時間を遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日前、文はその時椛と共に玄武の沢に来ていた。

椛が数日前に発見した不審者が再び山に侵入したと騒ぎ立てていたからだ。

何時振りほどかの侵入者が気になった文は、椛と共に侵入者の消えた玄武の沢に調査しに来た。

するとそこには、命蓮寺にいる毘沙門天代理に仕えている賢将ナズーリンがいたのだ。

彼女の話を聞いてここに住む河童のにとりとも話を着け、今しがた工房から出たところだった。

 

「全くあなたは! 何が『気持ちは分かりますから』ですか‼」

 

「あーもー、終わったことじゃないの。アンタが黙ってればそれでいいんだから」

 

「くっ………………不覚、こんなのに弱みを握られて職務を果たせないなんて‼」

 

「その職務を怠慢してた犬っころはどこのどなたですか」

 

「んん~っ‼」

 

 

文の心無い一言に牙をむき出しにして尻尾を逆立たせながら威嚇する椛。

その行動は果たして自らの侮辱への怒りなのか、怠慢を指摘されて反抗出来ない自らの弱さか。

どちらにしても、今の椛にできる事と言えば文との共犯に付き合うことだけだった。

それに気付いたのか、憤慨していた彼女はやがて力なくうなだれて呟く。

 

 

「はぁ……………もういいです。私任務に戻りますから」

 

「あらそう? いつもご苦労様ね」

 

「他人事みたいな言い方して! いつか絶対報いを受けますからね‼」

 

「おお、怖い怖い」

 

 

諦めて自分の哨戒任務に戻っていく椛の背中を笑顔で見送る文。

彼女の背中が見えなくなると同時に自分の懐のブン帖を取り出して下書きに目を通す。

そこに書かれていたのは、つい先程にとりの工房で聞いてきた話の要約。

侵入者であり容疑者の名は『八雲 縁』。

名前からしてスキマ妖怪と関連性は非常に高いと推察するが、ウラは取れていない。

それら以外にも記者として興味深い点が多かったため、次号の記事に使おうと思っていた。

 

「まずは見出しね。どんな見出しならいいかしら」

 

 

周囲には自分しかいない、だから文は普段の自分の口調に戻った。

彼女は妖怪の山から外に取材に行く際、必ず業務用の態度になる。

人間相手でも敬語を使い、キチンと礼節をわきまえ、身だしなみを整える。

だが今は誰もいない、故に文は他人には絶対に見せない素の状態に戻ったのだ。

次回書こうとしている記事の事を考えながらそのまま彼女は帰路に着く。

しばらくして彼女の自宅が見えてきたが、まだ頭の中には記事の事が残っていた。

しかし玄関の引き戸の前に置かれていた真新しい便箋を手に取って中身を見た瞬間から、

文の脳内につい先ほどまで残っていた記事の事などは吹き飛んで無くなっていた。

 

 

「手紙だなんて一体誰が…………………こ、ここ、紅夜さん⁉」

 

 

真っ白な便箋の一番下の行に書かれていた名前は、『十六夜 紅夜』。

先日この幻想郷で引き起こされた、通称【暒夜(せいや)異変】の首謀者で紅魔館の新たな住人。

吸血鬼のレミリアに仕える十六夜 咲夜の弟と称していた好青年。

そして、自分が今最も興味を抱いている取材対象(としている)。

そんな彼からの手紙に文は心拍数が急激に跳ね上がり、顔が瞬時に熱く燃え盛った。

 

 

「どどど、どうして紅夜さんが手紙なんか⁉」

 

 

一気に汗ばんで震えてきた両手をいさめながら、文は手紙の最初の行に目を運ぶ。

そこに書かれていたのは、礼儀正しく筆跡の美しい彼からのお詫びの礼文だった。

 

紅夜の起こした異変が解決されて数時間後、文は彼に取材を取り次いだ。

しかし取材の途中で、彼は席を外してしまってあまりいい収穫にはならなかった。

ところが後日、紅夜はわざわざ妖怪の山の彼女の家まで出向いて新聞のミスを指摘してくれた。

勘違いで自分の弱さを晒してしまった文だったが、彼はそれを見なかったことにしてくれた。

その時からだろうか。文は紅夜の事を考えると顔が熱くなって心臓が急激に脈打つようになった。

 

そして今もまた、彼からの手紙というだけで胸が張り裂けそうな思いに駆られていた。

 

 

「え、ええと…………何々?

『先日は御体の具合が優れない中での突然の訪問、この愚行をお許しください。

つきましては今日より二日後、ぜひ紅魔館にいらしてください。

お嬢様方の許可も取り次いでありますので、一日をかけておもてなしをさせていただきます。

勿論貴女様の御用事もおありでしょうから、無理にとは申しません。

ですがいつ如何なる時でも、貴女様の御来館を心よりお待ちしております』か」

 

 

胸の動悸を抑えながら読んだ文章は、要約すれば先日のお礼についてだった。

来るか来ないかは自分の意思に任せるとのことだったが、文からすれば答えは一つしかない。

 

 

「行きます‼ 行くに決まってるじゃないですか‼」

 

 

周囲には誰もいないにも関わらず、何故か敬語口調になる文。

手紙を握りしめながら顔を真っ赤にしている彼女の頭の中に、もう歯止めは無かった。

家の中に飛び込んですぐさまタンスに飛び付き、数ある引き出しの一つを開ける。

その中に入っていたのは一枚の小さな紙切れ。

だがその紙にはうっすらとだが文字が書かれており、文が持っている手紙と字体が似ていた。

タンスの中の紙切れは、以前彼がここに来た時に置いていった『約束のメモ』。

文自身も分かっていないが、何故か大事にしまっていたのだ。

そこに今持っている手紙をそっと入れて再び戻して要約一息つく。

 

 

「二日後、二日後かぁ……………………うふふふ」

 

緩み切った表情のまま文は今から二日後までを頭の中で単純に考える。

太陽が沈んで月が昇り、月が沈んでまた朝日が昇り、陽が沈んで再び月が昇る。

数えてみればなんてことは無い時間のはずが、今の文にはやたら長く感じるのだった。

その日はそのまま眠りに着き、翌日の朝に目が覚めても昨夜の興奮を忘れられずにいた。

一日中家でゴロゴロしながら手紙の内容を思い出しては悶え、顔を真っ赤に染め上げる。

そうしている内に陽は沈んで月が昇り、月が東の空から天高く昇っていく。

顔の火照りを抑えようとして窓を開けた文はちょうど雲間から顔を覗かせた月を眺める。

ぼんやりと月を見ていると、月明かりに反射して煌めく彼の白銀の髪を思い起こさせた。

そしてまた彼の事を思い出しては胸の高鳴りに独り悶えて、息を荒げながら眠りに着いた。

 

そして手紙をもらった日から二日が経った今朝。

彼女は即座に身支度を整えて一目散に紅魔館に向かうため自宅を飛び出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして現在、文はようやくお目当ての場所に到着した。

空の澄み切った青と湖の多種多様な生命の混ざった青に挟まれてなお異彩を放つ深紅。

一部の人間ですら気付くほどに濃厚な血の匂いに、微量の魔力を孕んだ濃密な霧。

そこにそびえ立つだけで圧力を放ってくるようなこの建造物こそ、吸血鬼の住まう館。

レミリア・スカーレットが全てを仕切る血染めの洋館、それこそがこの紅魔館。

空を飛んで来た文は紅魔館の門前に降り立ち、そこにいる門番に明るく話しかけた。

 

 

「あやや、これは珍しいですね。美鈴さんが起きていらっしゃるとは!」

 

「いやいや、私はいつだって真面目ですって」

 

紅魔館の門の前で立っていた美鈴は文の言葉に不服そうな顔をする。

文はそれを笑って受け流して話を終えるが、どうにもソワソワして落ち着かない。

しばらく黙って門の前で立っていると、美鈴が何やら含みのある笑みを浮かべた。

 

 

「随分気に入ったんですね、彼の事」

 

「へっ⁉」

 

唐突に投げかけられた美鈴の言葉に動揺して文は声を漏らす。

その反応を予想していたように満足げな微笑みになった美鈴は頷きながら語る。

 

 

「まあ気持ちは分かりますよ。彼は素直ないい子ですし、何より強いですから」

 

「へ、へぇ。そうなんですかぁ、知りませんでしたー」

 

「それに彼も年上で包容力のある女性が好みのようですしね」

 

「え⁉ 嘘、そうなの‼⁉」

 

「らしいですよ(うわぁ、すっごい食いついてきた)」

 

 

文の素がにじみ出た悲鳴にも近い大声に美鈴は若干引き気味になった。

ちょっとからかってやろう程度に思っていたのだが、ここまでとは思わなかった。

ただの新しいもの好きが転じたのかと考えていが案外そうでもなかったようだ。

本当にあの少年の事が気に入っているらしい。その事実が何故か美鈴を困らせた。

 

「そ、そんな…………………包容力って、一体どうすれば」

 

「いや私に聞かないで下さいよ」

 

「美鈴さんが言いだしたんじゃないですか‼」

 

「そうですけど……………(まさかここまでとは、予想外過ぎる)」

 

 

少し涙目になってしまっている文からの言及に内心で驚く。

新聞を書くこと以外に趣味は無いと思い込んでいたせいもあるが、

妖怪の山で厳格な規律と共に生きている天狗がたかが人間一人に翻弄されるなんて。

美鈴は心中で半分文を嘲りながら、もう半分で紅夜に感心していた。

そうしていると紅魔館の玄関が音を立てて開き、中から渦中の本人がやって来た。

 

 

「これは射命丸さん、お早い御到着で! もしかしてお待たせしてしまいましたか?」

 

 

深紅の洋館の中から現れたのは、白銀の頭髪に純黒の燕尾服を羽織る若執事。

紅魔館の当主の妹であるフランドール・スカーレットに仕えている十六夜 紅夜だった。

門の内側に設置されている庭園を歩き、門を押し開けた紅夜はそのまま文の前に立つ。

待ちに待った彼との対面。だというのに文は彼と真っ直ぐに向き合うことが出来なかった。

顔を上げれば彼の顔が見える。でも、もしまたあの時のように息苦しくなったら。

そう考えると尻込みしてしまってとても彼の顔を見る事は出来なくなってしまった。

 

 

「射命丸さん?」

 

「っ‼」

 

来た瞬間に俯いて黙ってしまった自分を彼は心配そうに見つめてくれる。

単なる気遣い。それ以上でもそれ以下でもないのに、それがこの上なく嬉しい。

下から彼が覗き込むように顔を見つめようとしてくる。

このままではまずいと文は覚悟を決めて顔を上げて彼と向き合って話した。

 

 

「射命丸さん? もしかしてまた御体の具合が?」

 

「い、いえ! 大丈夫ですから、お気になさらず‼」

 

 

手と首を激しく振り、顔を真っ赤に染め上げながら彼に向き合う。

数日振りに改めてみた彼の顔は、何故だか以前見た時よりも輝いて見えた。

真っ直ぐに自分を見つめる赤紅色(ワインレッド)の瞳に、ハリのある艶やかな人肌。

人間と鴉天狗。種族は違えど美しいと感じる心と感覚に差異は無かった。

そうこうしていると美鈴が紅夜に話しかけていた。

 

 

「紅夜君、わざわざ出迎えしに来たんですか?」

 

「いえ、射命丸さんにお伝えしたい事がありまして」

 

「えっ⁉」

 

「射命丸さん、申し訳ないんですがこれから人里まで御付き合い願えませんか?」

 

「………………え?」

 

 

美鈴の問いかけに答えた紅夜はそのまま文に話を流す。

最初の部分で一気に舞い上がり、後半の部分で一気に気分は急降下した。

 

「実は今回の件をレミリア様にお伝えしたところ、一日暇を出されまして。

フランお嬢様は嫌がったのですが、交換条件としてレミリア様が博麗神社に自分が

付き添う形で連れて行ってあげるとおっしゃってくださったおかげで何とか。

ですがお嬢様方が不在の間に人の弱みを収集するのが好きな妖怪は館に上げるなと

きつく厳命されてしまったので………………申し訳ありません」

 

「あ、ああ…………紅夜さんが謝ることなんてありませんよ」

 

「そう言っていただけると幸いです」

 

 

紅夜の口から語られた事実に対して文はただ『自業自得だ』と認めざるを得なかった。

普段の日頃の行いがこんな形で裏目に出るとは思ってなかった。

正直言って彼がこの館で自分にどんなもてなしをしてくれるのかとずっと楽しみにしていた。

しかしその夢を自分自身の行いによって打ち砕かれるというのは、諦め難いのだった。

 

「すみません。嫌でしたら僕一人で向かいますので」

 

「ええ、え? あの、御一緒ってつまり……………」

 

 

ここで初めて、文は失念していたある事に気が付いた。

彼は今から一日中自分と一緒にいてくれないかと言っているのだ。

普段はフランという主君に仕えている彼が、自分と二人きりになろうと。

しかもその主君は今日に限っては彼の目の届く距離にはいないのだ。

こんな機会はもう二度とない。この機会だけは何があっても逃せない。

そこまで考え付いた文はただ一言、顔を赤らめながら彼に告げた。

 

 

「ぜ、ぜひご一緒させてください‼」

 

 

この言葉を口にするだけで文の心臓はバクバクと豪快に波打った。

普段の彼女なら取材対象と行動を共にするくらい、訳も無いことなのに。

男性に免疫が無いわけじゃないし、今までも天狗の男に言い寄られたことは幾度もあった。

しかし今回はそれまでのような余裕も嫌悪も無い。

あるのは断られたらどうしようという不安と、ほんのわずかな期待だった。

彼からの返事を待つ間のわずかな時間にも文の鼓動は鳴り止む事は無かった。

 

 

「はい! では行きましょう!」

 

 

そうして彼から返って来たのは、承諾の返事。

心なしか嬉しそうに見えるのは自分の見間違いだろうか。

感激に身をよじりそうになるのを抑えて、文は紅夜と共に人里への道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~あ、行っちゃいましたか」

 

 

目の前で甘くもどかしい男女の会話を見せつけられた美鈴は呆れた顔で呟く。

自分はそこまで色恋沙汰に慣れているわけではないが、流石にそこまで鈍感では無い。

文は俯いていたから知らないだろうが、紅夜もまた顔を背けて赤らめていたのだ。

傍から見れば互いに好意を伝えられない両想いの男女のようにしか思えないほどに。

 

「…………………………………」

 

 

だからこそ、美鈴は今の自分に少し驚いていた。

自分の事は自分が一番よく知っているつもりだ。いや、つもりだった。

先程から胸の奥がざわついて仕方ない。無性に体を動かしたくなってくる。

理由は分からない。否、察しはつくがそれを認めたくない。

 

 

「…………………私もまだまだだなぁ」

 

 

晴れ渡る空を見上げて紅魔館の門前で独り呟く。

誰が聞いているわけでもなく、誰かに聞かせるわけでもない。

なのに口から勝手に言葉が漏れていってしまう。

そうしないと、何かが張り裂けてしまいそうだから。

 

 

「紅夜君とは何でもないのに、どうしてだろ」

 

 

空に向けていた視線を戻して彼らが消えていった方向を見据える。

その先には彼と、先程までここで話していた彼女が一緒にいるはずだ。

おかしなところは何もないし、別段咎められるようなことでもない。

だが心の片隅では納得がいかない。声を荒げて否定したい。

 

_______________彼の隣に、お前は要らない

 

 

そんな権利は自分には無いし、あったとしても言うはずが無い。

自分はただ今まで通りにここの門を守り、ここに住む方々をお守りする。

それが使命であり生き甲斐であり、自分に出来る全てであるはずだ。

何より彼にもう会えなくなるわけでもない。消えてしまうわけでもない。

たった今日一日ここから遊びに出るだけで大したことじゃあないはずだ。

 

 

「いつからだろう?」

 

 

美鈴は紅魔館の外壁に寄りかかりながら思い起こしていた。

一体自分はいつからここまで他人に入れ込むようになったのだろうと。

幻想郷に来てからだろうか? 妹様の遊び相手が出来てからだろうか?

泥棒が気軽に入るようになってからだろうか?

それともやはり、彼がここに来てからだろうか?

 

 

「…………………強かったな、紅夜君」

 

 

握りこぶしを作ってそれを見つめ、彼が始めて紅魔館に来た日の事を思い返す。

満月になりきらない月が昇っていたあの夜、彼が目の前に現れた。

音も無く気配も無く、並々ならない殺意のみを溢れさせながらやって来た少年。

銀の髪に白い肌、紅い瞳に尋常ならざる身のこなし。

『完全』を体現する彼女と似ている彼は、まさしく『完璧』の具現だった。

能力持ちだったことにも驚いたが、それ以上に人の身で自分の拳を受けたことに驚愕した。

その一瞬の油断を突かれて一度は敗北したものの、二度目の再戦ではあっけなく勝利した。

一度目の戦闘では気迫に満ちた戦い方に鬼気迫る威圧も相まって自分は心を躍らせた。

だが二度目の戦闘はもはや戦いでは無かった。鬼気も覇気も感じられない弱者の風体。

最後の一撃を決める時、自分は能力を使って彼の体を少し調べた。

そして知ってしまった彼の秘密。彼の体の、隠しきれない限界の事を。

 

 

「あんな身体で私と互角、どんな強さですか」

 

自分は本気を出しかけたのに、相手は手負いどころか瀕死同然の肉体。

普通なら勝負をすること自体ありえない状態だったというのに何故だろうか。

自分の命が危ういのに、それを捨ててまで得たいものとは何だったのだろうか。

やはり、彼の一番の望みであった『肉親』だろうか。

 

 

「咲夜さんは何で彼の事を嫌うんだろ」

 

 

しかし実際は本当に血を分けた姉弟では無い。

『気を遣う程度の能力』で他人の気を測れる自分は知っている。

彼らの中に流れる気は全く別物で、関連性はほとんど無いに等しい。

なのにどうして彼は彼女を姉と呼び、慕っているのだろうか。

きっと自分の知らない、踏み入ってほしくない複雑な事情があるだろう。

それでも彼は彼女を慕ってここまでやって来た。吸血鬼に忠誠まで誓った。

並々ならない覚悟の上でここに居る。せめて彼女には真実を教えてあげたい。

人間の間に流れる時間は、容易く全てを断ち切ってしまうから。

 

血のつながりも、縁も、絆も、何もかも。

彼の気はもうほとんど無い。つまり、もう彼は助からない。

だから彼女に全てを伝えて最期のその時だけは彼の姉になってあげてほしい。

そんな風に思ってしまうのも、彼の事だからなのだろうか。

 

 

「…………………これって、まだ弱いってことなのかな」

 

 

思わず口から飛び出してきた自分の脆弱さを認める甘言。

弱ければ守りたいものも守れない、自分にあってはならない部分。

けれど何故か今だけは、この弱さを抱き締めていたいと強く感じた。

彼の事を思うことが弱さだとするのなら、受け入れられる気がしたのだ。

 

 

「……………………………」

 

 

また気が付くと彼の事を考えて退屈な時間を過ごしている。

彼と話しているわけでもないのに彼を思うだけで楽しくなってくる。

門壁の前に立ってたまに知り合いと立ち話をする程度の変わり映えの無い日常。

目前の世界に色を感じなくなった自分の前に現れた、無色透明な少年。

どこまでも強く、どこまでも繊細で、どこまでも一途な、優しい少年。

自らの慕う姉を奪った吸血鬼に復讐を誓ったドス黒い怨念を持つ少年。

壊すこと以外知らない吸血鬼に手を重ねて暖かさを教えてくれた少年。

世界を飛び越えて姉を探し出し、姉に自らを否定されてしまった少年。

今まで何かを奪う事しか出来ず、何かを愛することを知り始めた少年。

最期を悟りながら涙も後悔も見せることなく生きる事を決意した少年。

 

どれも全く違うのに、その全てはたった一人の人間。

自分の心の中には七色の虹のような色彩を描きだす者がいる。

怒り、泣き、喜び、笑い、悲しみ、苦しみ、慈しむ。

人として世に生み出され、懸命に人らしく生きようとした強き人間。

もしも彼を思うことで生まれる弱さがあるとすれば、それはきっと美徳なのだろう。

弱さを自覚して内包するという行為は簡単なことでは無い。

だがそれを成し得た時こそ、この想いを自分は胸を張って告げられるだろう。

 

 

「……………………………」

 

 

そんな日が来るのだろうか。

一抹の不安が頭をよぎるが、頭を振ってその不安を無理やりかき消す。

彼に残された時間は少ない、それはもうどうにもならない。

だったら自分がその時間を埋められるほど強くなればいいだけの話だ。

弱さを隠すのではなく認め、強さを誇張するのではなく尊重する。

人間である彼に出来たことだ。自分に出来ないはずは無い。

 

「……………………伝えてみせる」

 

 

決意の炎が両の瞳に灯る。

強くなってみせる。彼のために、自分のために。

例え伝えたところで何も変わらなくていい。

この心が変わらない限り、伝えたい想いは終わらない。

今この気持ちを彼に伝えても、自分の望む答えが来なければ自分は恐らく壊れる。

辛い現実を受け止める強さと同時に自分の弱さを認める強さを得なければならない。

 

「……………だからそれまで、死なないで」

 

 

自分勝手なわがままで、切実に彼の身を案じる。

それでも彼に出来るだけ長く生きてほしいというのは本心だ。

戦いの中で出会い、戦いの中で互いを知り、最期の寸前で想いを伝える。

いつの間にか芽生えてしまった、切なくもどかしいこの感情を。

強くなるまでこの想いは『強者への尊敬』として扱うことにしよう。

 

「さて、と。今日も一日頑張りますか!」

 

 

言葉と共に自分を奮い立たせる。

未だ不安や怖れという残響は鳴り止まない。

ごまかすことなんて出来ない自分自身の脆く幼い心の弱さが反響する。

それでも今の自分には、光り輝く虹が見えている。

遠く遠く、遥か遠くまで届くような大きな虹が空に架かっている。

いつか必ずあの果てに行く。そこに自分の望んだ答えがあると信じて。

 

 

 

 






自分は恋愛描写が下手だと自覚していたので他の方の作品やラノベなどで
勉強をして今回に臨んだのですが………………何がどうしたのか。


おかしいですね、紅夜のヒロインはあややに決めたはずなのに
このままだと美鈴が正妻ポジにランクインしてしまう恐れが。

これが世に言う『美鈴無双』というヤツなんでしょうか?


それと今回、紅夜の起こした異変の名前を少し変更しました。
【逆夜異変】から【暒夜異変】へとなりました。



それでは次回、東方紅緑譚


第参十伍話「紅き夜、願い果たして」


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第参十六話「紅き夜、願い果たして」

先週は更新できなくてすみませんでした。
色々と予定が詰まってきてしまいまして、ハイ。

実は一昨日は私の誕生日だったんですよ。
でも極少人数で祝っただけなんですけどね。

そんなことよりも今回は文と紅夜のデート回になります。
まあそれでも新キャラを登場させるにはさせますが。


それでは、どうぞ!


 

今の時間帯、太陽は朝日としてこの幻想郷の大地に降り注いでいる。

朝というには遅く、昼というには早いこの時間帯ではそれらはとても心地良く感じる。

そう、まるで僕を内側から洗浄してくれるかのような_____________

 

 

(___________なんて感じてる場合じゃないだろ‼)

 

 

と、自分で自分の心情にツッコミをいれてみる。

入れてみたところで現状がどうにもならないことは分かってはいたけど。

 

紅魔館の門前に居た美鈴さんと別れ、射命丸さんと連れ立ってもう十数分が経つ。

最初は良かった。お互いの距離感が不明だから会話が無くてもさほど問題無い。

でも既に出立した紅魔館が見えなくなるほど離れているにも関わらず二人に会話が無い。

そう、沈黙。今の僕と射命丸さんの間には沈黙しかなかった。

 

 

(マズイ、いやかなりマズイぞこれは……………)

 

 

人間と妖怪、使用人と記者、考えれば溝と思える要素はあるにはある。

だとしても二人きりのこの状況で、しかも相手からの振りも全くないとすると。

考えられる答えは自ずと見えてくる。

 

 

(脈無し、と捉えていいんだろうな………………泣きたくなってきた)

 

 

今日はお嬢様のお世話という僕のすべき仕事を放棄してまで得た最後のチャンスなのに

それを無駄にしてしまったと言うのか………………もはや情けないとしか言えないな。

 

自分の不甲斐無さを呪いながら横目で隣にいる女性の様子をうかがう。

彼女________射命丸さんは真っ直ぐ前を見つめている。

やや足取りはぎこちなく、顔は正面を向いていながらも少々僕とは反対方向を向いている。

僕の隣からは離れないものの、決して一定距離からは近付こうとはしない。

つまり、何をどう考えても、これはもうどうしようもなく。

 

 

(脈は、無い)

 

 

自由の無い世界で生きてきて、僕を生かしてくれた姉を失った。

訳も分からず連れてこられた世界で、失った姉を再び見つけられた。

姉の居場所には僕が憎んだ吸血鬼が暮らしていて、姉を配下にしていた。

吸血鬼の館で出会った少女に何かを感じ、彼女に生涯の忠誠を誓った。

それら全ては、ほんの二週間ばかりの出来事だった。

怒った。泣いた。笑った。

それら全ての感情は、今まで演技でしかしてこなかったものだった。

なのにこの幻想郷に来てからたった二週間で、僕の人生は大きく覆った。

そして初めて、生まれて初めて姉以外の女性に何かを感じた。

今までは任務としてたくさんの女性と出会ったし、何人も殺してきた。

でもそれらを思い返しても、僕の中には何の感情も湧き上がってこない。

だが彼女は、射命丸さんだけは違う。

彼女の事を考えているだけで、何というか、こう、胸が熱くなってくる。

いや、実際に熱くなってたんだろう。顔が赤くなったこともある。

それらを思い返して、ふと目頭が熱くなってきた。

 

 

「あ、紅夜さん! そろそろ人里が見えますよ!」

 

 

眼をギュッとつぶって涙をこらえていると、射命丸さんがそう告げた。

潤んだ瞳を見開いて先を見つめると、見覚えのある策に囲まれた里が見えた。

この中に入っていったのがたった二週間前なのに、遠い昔のように思える。

 

「そうですね、では行きましょうか」

 

「ハイ!」

 

 

射命丸さんにバレないように涙を拭き取り、彼女をエスコートする。

屈託の無い笑顔を向けられてまた顔が熱くなったが、今回はすぐに収まった。

だって、彼女は僕に対して取材のネタ以上の感情を持っていないのだから。

変に意識しているコッチがバカみたく思えて、滑稽に思えて嫌になる。

そんな人としての黒い部分を押し隠して、僕と射命丸さんは人里ヘと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人里、そこは読んで字の如く『人の住み、集う里』だ。

僕が二週間前に来た時はほんの一部しか見た事は無かったが、改めて見ると広い。

多くの木造建築が建ち並び、それらに比類するかのように人の姿も多く見られる。

僕はあまり日本の事に詳しくは無いが、おそらく現代日本の水準からみれば相当に古いだろう。

引き戸に障子、張りガラスに瓦屋根。しかも基本構造が接いだ木材ときた。

それに合わせているかのように人々の姿も現代日本に比べると古風なものに見える。

Tシャツやジーンズを履いている人間を全く見ない代わりに、着物や類する物が多い。

そんな純和風とでも言える風景が、今まさに僕の目の前で活気づいているのだ。

 

正直に言うと、今の僕はかなりワクワクしている。

 

行き交う人々の声、視界に必ずと言っていいほど映る出店。

僕がこの人里を訪れた時は夕暮れ前だったからか、今のような活気は無かった。

しかし今の時間帯であれば、これほど多くの人でごった返しているものなんだと分かった。

あまりに新鮮な光景に立ち止まっていると、射命丸さんが不思議そうに問いかけてきた。

 

 

「あの、紅夜さん? どうかなさいました?」

 

「あ、ええ。いやその、僕は人里に来たのは二回目でして………………」

 

「あー、なるほど。外の世界との雰囲気の違いに慣れない、と?」

 

「いえ、そうではなく…………何と言うべきか迷いますね」

 

 

答えに迷っている僕の言葉に射命丸さんは小首を傾げる。

その仕草がまたどうしようもなく彼女の魅力を助長させて手に負えなくなっている。

もしもこれ以上にまだ彼女への好感度が上がるとするならば、もう直視出来なくなる。

慌てて彼女から目を離して改めて周囲を見回す。

すると、どうも妙な違和感を感じた。

 

 

「……………………見られてる?」

 

「紅夜さん? 今度は何か?」

 

「いえ、その……………先程から里の皆様に見られているような気がして」

 

 

苦笑しながら射命丸さんに返事をしたが、これは決して『気のせい』なんかじゃない。

明らかに里の人間は僕の方を時々(うかが)うようにして覗き込んでいる。

離れた場所では何やらヒソヒソと話し声まで聞こえるが、視線はこちらを捉えたまま。

どうやら僕についての陰口か何からしいが、生憎僕は里に危害なんて加えた覚えは無い。

ならば何が原因なのか気になった僕は、持ち前の改造された肉体能力を駆使して聞き耳を立てた。

 

『___________ホラ、あの子よあの子!』

 

『___________ああ、アレが新聞に載ってた例の?』

 

『___________そうそう! 吸血鬼のところの使用人よ!』

 

『___________嫌だわ、そんな危ないのが何でここに?』

 

「………………そういう事か」

 

 

数十m先にいる主婦方の立ち話を聞かせてもらって理由がやっと分かった。

僕が紅魔館の執事になったことがどうやら里の人々に知れ渡っているらしい。

『新聞』という言葉が出た辺り、おそらく射命丸さんの書いた新聞で間違いないだろう。

確かに人間からしてみれば吸血鬼なんて恐怖の対象でしかない。

圧倒的なまでの身体能力に人知を超える魔法の力、さらに人の血液を搾り尽くす悪魔。

それほどの存在に見初められて配下になっている人間を見れば普通の反応なのだろう。

だから僕は里の人たちの視線や口から漏れる誹謗を甘んじて受け入れる事にした。

結論付けた僕は射命丸さんに声をかけ、そのまま里の中心部へと足を進めた。

 

しばらく進んでもやはりと言うか、人々の視線が止むことは無かった。

むしろ人通りの多くなっている里の中心部に来て悪化しているようにも思える。

そうすると流石の射命丸さんも気付いて僕に小さく耳打ちしてきた。

 

 

「紅夜さん、やはり先程言っていた視線の件ですがあながち間違いでは…………」

 

「ええ、分かっていますよ。原因も含めてですけれど、仕方ないので無視します」

 

「え? 原因もって、紅夜さん⁉」

 

 

驚いて小声ではなくなっている射命丸さんを見て僕は再度苦笑する。

だって仕方が無いじゃないか。原因は彼女の書いた僕の記事なんだから。

記事を書いて多くの人々に知らせるのが彼女の仕事である以上、邪魔立ては出来ない。

困惑している射命丸さんを後ろにしながら前に進もうとした瞬間、

前方から歩いてくる人物を見て僕はすぐさま立ち止まった。

急に歩みが止まった僕を背後からいぶかしむように見つめる射命丸さんを余所に、

僕はこちらの存在に気付いて顔色を変えたその人物に開口一番で告げた。

 

「先日は申し訳ありませんでした_____________上白沢 慧音さん」

 

 

僕の視線は真っ直ぐに、その先に居る長髪の女性へと向かっている。

そう、僕がこの幻想郷に来て一番最初に暖かく接してくれた人里の女性だ。

里の男性陣からも随分と慕われているらしいが、今の彼女の周囲に男性はいない。

当の彼女は僕の存在に気付いた時から眉を吊り上げてこちらに向かって来ていた。

互いの距離がほとんど無くなった今、僕は再度眼前の彼女に謝罪する。

 

 

「改めて、非礼を詫びます。上白沢さん」

 

「………………本当の名は、十六夜 紅夜、と言うそうじゃないか」

 

「本当の名、と言うのは語弊がありますが間違ってもいません」

 

「そうか……………姉のためにあの館に行って、それでどうしてお前まで」

「僕が望んだからです。吸血鬼に喰われるくらいならいっそ、と」

 

視線を決して下げずに、彼女の眼を真っ直ぐに見つめて謝罪した。

僕の言葉を聞いてもなお、彼女の吊り上がった眉と眼は元に戻らない。

それもそうだろう。何せ助けた少年がその日の内に行方をくらませた挙句に

吸血鬼の下僕となって幻想郷に【異変】という混乱を招いたのだから。

そんな風に考えていると、眼前の彼女は疲れたようにため息をついてから笑った。

 

 

「全く君は喰えない…………いや、読めない人間だよ、本当に」

 

「ほめ言葉としてお受け取りします、上白沢さん」

 

「……………会った時は『慧音さん』と呼んでいたのに、他人行儀になったものだ」

 

「あの時は貴女を利用するために近付いた。ですが今は僕もこの幻想郷で生きる

住人の一人として、改めてちゃんとしたお付き合いをせねばならないと思った次第です」

 

「私を利用、か。大して役になど立たなかったろう?」

 

「ご謙遜を。貴女のおかげで姉の事も、そして紅魔館の事も知ることが出来ました。

貴女がいなければ姉と再会することも、今の主人に仕える事も出来なかったはずです」

 

「…………………そうか」

 

 

上白沢さんが僕の瞳をまるで何かを調べるようにして覗き込む。

しかしそれも数秒程度で終わり、以前にも見た知的で優しい笑顔が浮かび上がった。

 

 

「分かった、歓迎しよう。ようこそ人の暮らす里へ!」

 

「ありがとうございます。そして、感謝致します」

 

「よせ、そういう態度はどうも慣れないんだ私は。

そんな事よりも「慧音さん、次は私が話してもよろしいでしょうか?」………おっと」

 

 

上白沢さんが僕に次いで何かを話そうとした時、彼女の後ろにいた人物が口を開いた。

随分と小柄な体躯のようで、先程までいることすら気が付かないほどだった。

 

若草色の長着に袖口に花の模様があしらわれた黄色の着物、そして朱色のスカート。

髪は紫がかった(つや)やかな黒色のおかっぱ頭で、花の髪飾りがよく映えている。

また着物の胴部はあちこちに可愛らしい花柄が敷き詰められていて、少女の可憐さを物語る。

今まで道行く人々を見てもこれほどの着物を着た人は見なかった。

つまりはこの人里でもかなりの家柄を持った人物なのだろうと分析してみる。

すると背後からの声に済まなそうにして上白沢さんが軽く頭を下げて横にずれた。

 

 

「済まないな稗田(ひえだの)、知り合いに合ったものだからつい」

 

「…………………彼は確か、紅魔館に新たにやって来た十六夜 紅夜さんですね」

 

「ええ。彼は一度この人里に来ていまして、そこで少々」

 

「………なるほど。では私も少しお話をしてみてもいいでしょうか?」

 

「勿論だとも。ああ済まない、紹介しよう。彼女は『稗田 阿求(あきゅう)』と言ってね。

この人里で古くから続く由緒正しい稗田家の九代目当主の人間だ」

 

「ご紹介に預かった、稗田 阿求と申します」

 

「これはご丁寧に。僕はご存知かと思いますが、十六夜 紅夜です」

 

互いに軽い会釈をして自らの口から名前を相手に告げる。

やはりと言うか、分析通りにこの辺りの名家の人物だったのか。

佇まいも淑やかで物腰も柔らかい、何と言うか気品溢れる美しさとでも言うべきか。

お嬢様やレミリア様のものとはまた違う、別な何かを彼女からは感じられた。

洋風と和風の違いなのか悩んでいると、稗田さんから声をかけられた。

 

 

「ここで会ったのも何かの縁。もしよろしければ、私が里を案内しましょうか?」

 

「え、よろしいんですか?」

 

「そちらに問題が無ければ、私は一向に構いませんよ」

 

「それはありがたい。僕はここの地理には詳しくなかったので。

あ……………射命丸さんはどうですか。もしよろしければご一緒に」

 

「も、勿論です! 私もご一緒させていただきます‼」

 

「それは良かった!」

 

稗田さんからのまさかのお誘いに喜びながらも射命丸さんに声をかける。

正直、今日は彼女とここを散策しようと思っていたが、脈が無いようだからどうするか

迷っていたけれどこうなると都合がいい。

名家の人物と里の人望厚い上白沢さんが二人そろって僕と並び歩くとなれば、

周囲からこちらを覗き見ている人達の印象も多少は良くなるだろう。

それにお嬢様や紅魔館の事も考えると、人との間にある溝も無暗(むやみ)に広げられない。

考えをまとめながら歩を進めようとすると、上白沢さんが慌て始めた。

 

 

「だ、だが稗田、今日の編纂(へんさん)はどうするんだ?

これから『彼女』に会って書き溜めている歴書を回収しに行くんだろう?」

 

「…………ですが、たまには良い息抜きではありませんか」

 

「だからって、あなたが人里の案内など!

それくらいの事は私がしておきます。あなたはあなたの仕事を!」

 

「……………貴女もお屋敷のみんなと同じことを言うのですね。

それが正しい事も分かってはいるのですが、やはりどうも気に入りません。

私だってお出かけすることくらいあるんですし、これもそれの延長線上だと思えば」

 

「稗田家の者に見つかってしまえばそれまでなんですよ?

いくら私でも、歴史の深いあなたの家のしきたりに介入できるほどの力は無い!」

 

「おじい様や家の者はどうとでもなると思いますよ。

最近この辺りに恐ろしい大妖怪がうろついているという話を聞きましたし、

何より彼のお話を『書き残す』こともまた、私の仕事なのですから」

 

 

自分よりも体の大きい上白沢さんに対して怖気づくことなく稗田さんは話す。

何やら子供の真摯な言葉にたじろぐ大人の様な構図になってしまっているが、

あの上白沢さんが慌てふためくほどに、稗田さんの家の力は凄いのだろうか。

それにしても、僕の事を『書き残す』と言うのはどういう事なのか気になる。

そう思った僕は彼女たちの言い争いに割って入って話を遮った。

 

 

「でしたら稗田さん、僕らも貴女の用事に付き合ってもよろしいでしょうか?」

 

「え?」

 

「こ、紅夜さん?」

 

「いえ、僕のせいで貴女にご迷惑がかかるのでしたら、それに見合う何かをせねばと。

それに先程『書き溜めている歴書』とおっしゃっていましたよね?

でしたらそれなりの重量になるでしょうし、荷物運びにでもお使いください」

 

「……………私は貴方を客人としてもてなすつもりだったんですが」

 

「僕は一介の人間であり、吸血鬼の従順たる下僕。人権などありませんよ。

そんな僕に優しくしてくださった貴女のご厚意にお応えしたいのです」

 

「…………分かりました。ではお手伝いを頼みます」

 

「稗田、本当にいいのか?」

 

「ええ。少なくとも彼は私の家の事情を知りえないでしょうし、

私の目を見て一人の人間として優しく接してくれようとしています。

稗田の人間だからではなく、純粋に受けた恩義を返そうとして…………」

 

僕の言葉を聞き終えた稗田さんは僕の望んだ通りの答えを出してくれた。

おそらく彼女も僕の思惑に気付いているでしょう。その上で乗ってくれている。

改めて心の内でしっかりとお礼を述べてから、再び彼女と話す。

 

 

「では参りましょう、稗田さん」

 

「……………私の事は気軽に阿求と呼んでください。

せっかく里の案内をしているのに、お役目から離れられなくなってしまいます」

 

「稗田?」

 

「あらら、ついうっかり口が滑ってしまいした。

彼女が私の事をお屋敷の者に告げ口しない間に先を急ぎましょう」

 

「そうですね。でしたら僕の事も紅夜とお呼びくださって結構です」

 

二人で笑顔を浮かべながら互いの巡らせた策を確認する。

幼い見た目からは想像も出来ないほど、彼女は恐ろしく知恵が回る。

上白沢さんにあんな言い方をしたのは間違いなくこの後の出方を予期しているため。

彼女があれほど取り乱す相手の放った牽制だ、これが効かないわけがない。

 

 

「……………稗田、あなたは分かっていてそういう態度を」

 

「何の事でしょう?」

 

「……………………分かった。私はたった今忙しくなったから失礼させてもらう」

 

「そうですか。それではごきげんよう」

 

「ああ、ごきげんよう」

 

 

すると僕と阿求さんの予想通りに動いた上白沢さんが大股で歩き去っていった。

肩で風を切るようにして歩く辺り、それなりに腹が立っているのだろう。

これほどまでに彼女を巧みに誘導した当の阿求さんは何食わぬ顔で歩き出した。

僕と射命丸さんは彼女に追従するような形で後に続いていく。

だが今度は口数の少なくなっていた射命丸さんが話しかけてきた。

 

 

「あの、紅夜さん。先程のお話なんですが……………」

 

「え? さっきですか?」

 

「ハイ、あの……………慧音さんに何やらお世話になったとかで」

 

「ああ、その事ですか。確かに一飯の恩義はありますよ。

この幻想郷に来て初めて人里に入って良くしてくださったんです」

 

「そうだったんですか…………そういえば、"利用して"とか何とかも」

 

「…………この幻想郷について何も知らなかった僕はまず情報を欲しました。

人里に入って上白沢さんと出会い、有力な情報を得る事が出来たんです。

その時に少し自分の事について嘘をついたことが利用した事に当てはまります」

 

「なるほど………………そういうことでしたか」

 

「興味深いですね。私もそのお話、もっと聞きたいです」

 

 

僕が射命丸さんと話していると前から阿求さんが話に混ざって来た。

正直に言って自分の事を話すのはあまり得意じゃないから困った。

なにせ、僕という人間が生まれたのはついこの間なんだから。

でも家の事情を押し測ってまで僕に良くしてくれている阿求さんの要求を無下に

突っぱねる事は出来そうにも無い。僕は仕方なく話すことにした。

 

 

「阿求さんまで………………そうですね、何から話せばいいのやら」

 

「む……………」

 

「ん、どうかなさいました?」

 

「い、いえ別に。続けてください!」

 

「…………?」

 

 

僕が話題に困っていると、隣の射命丸さんが妙な声を漏らした。

首を動かして見てみると慌てて何でも無いような素振りで話を促してきた。

ただ、ほんのわずかな一瞬、彼女の頬が不満げに膨らんでいるのが見えた。

いったい何が不満だったのだろうか、上白沢さんの話題を変えたから…………では無い。

どこに彼女が不満を抱く要素があったのか分からない。いや、実は間違っているとか?

結局考えても分からなかったために、ひとまず振られた話題の方へと意識を戻した。

 

「んー、すみません。適当な話題が見当たりませんでした」

 

「あら、それは残念です。ですがもっと面白いものが見れたので満足です」

 

「え?」

 

「いえいえ、こちらの話なのでお気になさらず。

しかしあの記事は本当だったんですねぇ、私も驚きを隠せません。

『最速のブン屋、男に激突! 恋の弾幕は回避不可能か⁉』ですって」

 

「ごふっ‼⁉」

 

「え、何ですって?」

 

 

阿求さんの口走った言葉に理解が追いつく前に射命丸さんが盛大にむせ始めた。

どうしたのかと聞こうかと思えば、それよりも速く彼女が阿求さんに迫っていた。

 

「あ、あの! そそ、それはいったいどういう⁉」

 

「それ、とは?」

 

「で、ですからさっきの! 先程の見出しのような口ぶりは‼」

 

「ああ、その事でしたか。いえ、実は先日貴女の新聞とは別の新聞がお屋敷に

届きましてね。その新聞の一面にさっきの見出しが大きく書かれていたんですよ。

確かあの新聞は………………『花菓子(かかし)念報』という新聞でしたね」

 

「アイツか! 人の想いを何だと__________許さないッ‼」

 

 

阿求さんから何か重要なことでも聞いたのか、一瞬で射命丸さんの顔色が変わった。

さっきまで隣にいた時の柔和で明るい笑顔でも、不満げに頬を膨らめた顔でもない。

怒り。まさしくその言葉以外の感情が消えた怒髪天の如き修羅の形相だった。

やはり彼女も妖怪なのか、そう再認識させられるほどの恐怖が感じられた。

だがそんな状態の彼女よりも、もっと恐ろしい人物がこの場にいる。

 

 

「こういう場合、『おお、怖い怖い』と言うべきなんですかね?」

 

 

そう、射命丸さんを激怒させてなお笑っている元凶の阿求さんだ。

自分の発言で他人を憤怒の頂点へと誘ったというのにあの晴れやかで屈託の無い笑顔。

先程の上白沢さんの件といい、まさかとは思ったけどこの人はもしや_________

 

 

(サディスト! 間違いない、ドのつくS(サディスト)だ‼)

 

 

怒りに燃え上がる(比喩では無い)射命丸さんの前で微笑み続ける阿求さん。

少女ともいうべき外見の裏になんて黒いものを隠しているんだろうか。

都合がいいと言ったが撤回するべきかと思えてくるほどに内心で震え上がる。

何より当の本人が楽しんでいるというのが一番タチが悪くて始末に負えない。

すると僕の中で評価がガラリと変わってしまった阿求さんが再び口を開いた。

 

 

「はー、楽しませてもらえました。最近仕事続きで色々と不自由でして。

こうしてイジリやすい方がわざわざ自分から会いに来てくれるのは助かります」

 

「そ、そうですか。(ヤバい、僕この人苦手だ)」

 

「ええ。あ、そうこうしていたら着いちゃいましたね。

紅夜さん、貴方のお話は私の仕事のついでということでもよろしいですか?」

「え、ええ。構いませんが」

 

「それは良かった。では貴方がたも一緒にどうぞ。

このお店は私の友人が経営しているので、ぜひ紹介したいのです」

「ご、ご友人が……………(Sの友人ってつまり、M(マゾヒスト)?)」

 

「……………羽を()いで地獄の釜底に投げ込んでやるあの鳥公がぁ……………」

 

 

僕らの前を歩いていた阿求さんが振り返り、左手で目的地の店を指し示す。

どうも彼女の友人が経営しているらしいんだが、大丈夫なんだろうか。

それにさっきから隣でブツブツと物騒なことを呟いている射命丸さんもヤバそうだ。

平穏な一日になるはずだったのにどうしてこうなったのかと嘆きつつ、店を見やる。

するとそこはどうにも、僕が見たことがあるような店だった。

 

 

「あれ………………このお店、どこかで」

 

「おや、紅夜さんはご存知でしたか? なら話は早いですね、どうぞ」

「あ、いや、知っているというほどでは。でもどこかで………………………あ」

 

 

自分の中にある幻想郷に来てからの記憶を掘り起こして数秒、ふと思い出す。

そう、確かに僕はあの日このお店に来ていた。いや、無断で入り込んだが正しいか。

阿求(ドエス)さんのご友人の経営するお店という点でも入りにくかったのに、

より一層入りにくくなってしまった僕は冷や汗を垂れ流す。

僕の変化に気付いたのか、不思議そうな顔で阿求さんが見つめてきた。

 

 

「あの、どうかしましたか?」

 

「いえ、あの、えっと………………そうですね。行きましょうか」

 

 

腹を括ろう。仕方ない、こうなったら後には引けない。

僕は自分自身をそうして言い包め、動きたがらない足を無理やり動かす。

眼前でしっかりと地面に柱を打ち立てて構えている、古めかしい本屋へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃ_____________あ、阿求じゃない!」

 

「久しぶりね『小鈴(こすず)』、昨日遣いをよこした件だけど」

 

「ああ、アレね。分かってるわ、奥の方にちゃんとしまってあるから」

「そう、ならすぐにここへ持ってきてくれるかしら?」

「はーい………………でも、その前に一つ質問していい?」

 

「何かしら?」

 

「うん、えっと、その人__________何で土下座してるの?」

 

 

店に入ってまず一歩目、左足をのばして店内の木製の床の強度を確かめる。

続いて二歩目、右足を左足に追従させて直立不動の構えをとる。

そして歩行のリズムを崩さぬままに素早く膝を曲げて目線を下へと下ろす。

そこから両手をそろえて前に突き出し、温もりも無くただ堅い木の板に添える。

後は床に添えた手の少し手前に自らの頭部を差し出して準備はオーケー。

残る工程はただ一つ、この店の経営者であろう人物に聞こえる声での謝罪文。

小さく息を吐いて体の中の酸素を絞り出し、次いで軽く息を吸い込んで溜める。

ここまでは完璧な出来だ。さあ、最後まで完璧をやり通して貫こう。

僕の中で渦巻いている、誠意の気持ちを声にして。

 

 

「この度は貴店の所有物を勝手に持ち出し、誠に申し訳ありませんでした‼」

 

 

臆面も無く通路にまで聞こえるであろう声量で、僕は人生最大の謝罪をした。

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?
いや、その、自分では上手く書けなかったように思えます。
本当ならこのまま小鈴ちゃんの紹介まで行きたかったんですが。

それと来週もまた、この作品の更新が出来ません。
理由は単純にして明快、忙しくなったいるからです。
ですがその分しっかりとした作品を構成していけたらいいなと!
切に思っています(イヤ本当にどうやったらちゃんと書けるんでしょう)


それでは次回、東方紅緑譚


第参十六話「紅き夜、祈り支えて」


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第参十七話「紅き夜、祈り支えて」


二週間ぶりにパソコンに触れました。
これだけ間が空いてしまうとは思ってませんでしたよ。
元々無かった文才がさらに落ちていると思えてなりません……………

まあ嘆いていても始まらないでしょう。
それにこれからはおそらくですが毎週キチンと投稿できるはずなので。


それでは、どうぞ!





 

土下座、という体勢は皆様もご存知の事でしょう。

 

読んで字の如く、土に下りて座る、つまりは謝罪の意を込めた体勢。

この体勢は日本が発祥であるかのように思われがちですが、実は違うんです。

 

時は古代ローマ時代。

人間が服を着て社会を成し、建築物に芸術性を見出し始めて久しい時代。

いわゆる奴隷と称される家畜扱いの人間が人口の三分の一を占めていた古代ローマにおいて

土下座という謝罪の体勢は確立されたと言い伝えられています。

とある商人から買った奴隷が飼い主の命令に背いて処分されたそうですが、

それだけでは怒りが治まらなかったのか、飼い主は商人の元へ抗議に行きました。

商人に事の次第を語った飼い主は、『土に頭をこすりつけて私と神に謝罪せよ』と横暴な口調で

命じ、商人はその言葉に渋々従ったそうです。

 

これこそが土下座という一つの文化の誕生秘話。

日本でこの文化が生まれたのは、室町時代後期の武士同士の争いが元だとか。

ですがまあ、それはそれとして____________

 

 

「あ、あの、紅夜さん?」

 

 

だから何だよ、とでも仰るつもりですか。

ええ、その通りです。だから何だよって話です。

店に来店した瞬間に見事な五点投地を決め込んだ僕を射命丸さんが慌てながら見つめていますが、

そんなことですら気に病む必要が無くなるほど切羽詰まっているんです。

僕は今、土下座しています。

朝も日が高いうちから、人目もはばからず。

来店して間もない、『鈴奈庵』という古本屋の入り口で。

 

 

「え、あの、ちょっと?」

 

 

僕の土下座を見るに見かねて、一緒にこの店に来た阿求さんと親しげに談話していた

小柄な少女が声をかけようとしてくるが、僕は一向に顔を上げない。

というか上げられない。上げられるわけが無い。

 

「ねえってば! 店先で土下座はやめてったら‼」

 

 

そうして顔を伏していると少女が恥と怒りを混同させたような表情で怒鳴る。

確かに土下座している僕でも、表の方が騒がしくなってきているのが分かった。

少女の言葉を聞き入れて土下座を止めて話を切り出そうかと迷う。

しばらく土下座のまま考え込み、結論を出した僕はゆっくりと立ち上がった。

 

 

「もう! あなた一体何なのよ‼」

 

「まあまあ、まずはお話を聞いてみましょうよ」

 

「…………と言うか阿求、この不気味な人は誰なの⁉」

 

「私のお客様で今一番幻想郷で話題の人物よ」

 

「え、そうなの?」

 

 

立ち上がって広がった僕の視界に映り込んだのは、僕を見つめる小柄な少女とS(しょう)女。

膝元に着いた埃を手で払うように軽く落として、改めて眼前の本を抱えた少女を見やる。

 

老舗の和菓子職人が編み出した誰もを魅了する飴細工の如くツヤのある栗色のツインテールに、

そこにあるのが不自然であるにも関わらず、絶妙によく似合っている可愛らしい鈴の髪留め。

着物は長い振袖で、濃紅色と薄桃色の市松模様がよく映えている。

生き生きと陽を浴びて育つ若葉を彷彿(ほうふつ)とさせる若草色のスカートを履きこなし、

濃白色のフリル付きエプロンをそれらの上に着て分厚い古ぼけた本を小脇に抱えている。

 

こちらを上目遣いで覗き込んでくる少女に対して、まずは名前を名乗る。

 

 

「どうでしょうか。それと遅ればせながら、僕は十六夜 紅夜と申します」

 

「あ、ご丁寧にどうも。私は本居(もとおり) 小鈴(こすず)です」

「本居さん、ですか。先程はその、取り乱してしまって申し訳ない」

 

 

軽く頭を下げた僕に対して、本居 小鈴__________本居さんが慌てふためく。

そのままの体勢で横にいる阿求さんをチラッと覗くと、歪んだ笑顔でこちらを見ていた。

 

 

「いや、だからその、まずは落ち着いてください!」

 

「はぁ……………そうですね」

 

「あのー、紅夜さん。私は何が何だかさっぱりなんですが………………」

 

 

サディスティックな少女から即座に目を逸らすとすぐ後ろにいる射命丸さんに自然と目がいく。

彼女は僕が土下座を敢行した時からずっとオロオロしっぱなしで、正直愛らしかった。

邪悪な人間の歪んだ笑みを見た後だと、彼女の苦笑いが天使の笑みに見えてくる。

まあそれでも、こと笑顔に関してはこあさんの方が一段上だと言わざるを得ないけど。

 

 

「それもそうでしたね………………ではそこから話しましょう」

 

 

困惑する射命丸さんと本居さんに対して呟き、ゆっくりと振り返る。

そこには僕の言葉を予期していたように微笑む阿求さんの姿があった。

阿求さんは本居さんにお店の奥の間を使わせてくれと頼んで、僕らも同行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、つまりお店に無断で侵入してこの周辺の地理を記載した地図を奪って、

それを不慮の事故で血塗れにしちゃったから土下座をした、ってことね?」

 

「ええ、まあ。有体に言ってしまえば」

 

「紅魔館の執事になる前にそんな事があったんですか」

 

感心したように射命丸さんが呟き、本居さんが話の要点をまとめてため息をつく。

彼女の横には、淹れたての煎茶を上品そうに飲んでいる阿求さんがいる。

そう、僕がこの店の事を知っていた理由は幻想郷についた初日の出来事が原因だ。

あの日、八雲 (えにし)と名乗る青年にこの土地に連れてこられてから数時間、

死んだとばかり思っていた姉さんと再会し、彼女の住む場所も知った少し後での事。

僕は厚意で泊めてもらっていた上白沢さんの自宅を抜け出て、この店に侵入したのだ。

理由は、この周辺の地理と目的の場所へのルートを知りたかったから、それだけだ。

無論、事が済めば無断でここから拝借した地図も返すつもりだった。

しかし、その目的の場所に行く"前"と行った"後"では全く状況が変わってしまった。

別に後悔はしてない。むしろ生まれて初めて『自分』というものを持てて幸せなくらいだ。

だけどそこでいつか返そうと懐にしまっていた地図を自分の血で、やらかしてしまった。

今やかつての地図は無く、ただ乾き切った血で紙一面を染め上げた別の物になっている。

 

改めて三人の前に僕が持っている血図(誤字ではない)を掲げて見せる。

射命丸さんはわずかに驚きの表情を見せるが、後の二人はそれほど動じていない。

それなりの大きさの紙を埋め尽くすほどの血だというのに、何故動じないのかと思った。

争いとは無縁であるはずの里の住人なのに。もしやこの程度の流血は日常茶飯事なのか?

 

 

「まあ、そうなっちゃった物は仕方ないよ。気にしないで」

 

「気にしないでって……………よろしいんですか?」

 

「んー、確かに店の物勝手に持ち出すのは良くないけど、役に立ったでしょ?」

 

「え、ええ。確かにこの血図のおかげで今の僕があるようなものですし」

 

「…………なんか地図の言い方がおかしかった気がするけど、それならいいよ!」

 

人里の人間の底知れない部分に冷や汗をかいていると、本居さんが笑顔で応えてくれた。

屈託の無い明るい笑顔だったが、里の人間で、なおかつ隣の阿求さんの友人だという事実を

加味すると何故だか彼女の笑顔までもが歪んで見えてくる気がした。

人知れず戦慄する僕のそばで人一倍熱心に話を聞いていた射命丸さんが、唐突に口を開いた。

 

 

「それにしても、一体どうしてこれほどの血で汚れたんですかね。

私としてはそちらの方に興味が沸いてしまうのですが………………?」

 

「い、いえ…………それについてはご遠慮願いたいです」

 

「あ、そ、そうですよね! ごめんなさい‼」

 

「「えっ?」」

 

 

血塗れの紙きれを見て僕の事を追及してきた射命丸さんがばつが悪そうに顔を伏せる。

すると目の前で血を見ても平然としていた二人が今度は驚いたように腰を少し浮かせた。

本居さんが驚くのは正直おかしくは無いが、阿求さんもとなると不思議でならない。

 

 

「あの、お二人ともどうかしましたか?」

 

「だ、だって今……………」

 

「……………鴉天狗が自ら手を引くなんて、そんなのありえない」

 

「やっぱり阿求もそう思うよね⁉」

 

「小鈴もそう思う? だとしたらやっぱり、あの記事は本当だったのね」

 

「あの記事って何?」

 

「この間届いた花菓子念報って新聞の記事にね「そこまでです阿求さん」……………失礼」

 

 

本居さんと阿求さんの二人の意見がシンクロした直後に、先程も聞いた覚えのある

『花菓子念報』なる射命丸さんの発行するものとは別の新聞の名が飛び出してきた。

瞬間、射命丸さんの表情が一転して恐ろしげなものに変化して阿求さんを黙らせる。

煽った本人も悪いと感じたのか、軽く謝罪してそのまま湯呑を傾けて中身を飲み込む。

たった一瞬で話し合いの空気を沈黙させた、射命丸さんこそこの場で一番ヤバいのかも。

そんな事を不謹慎ながら考えていると、店先の方から本居さんを呼ぶ声が聞こえた。

 

 

「もしかして本を貸したお客さんからの返品かな………………ゴメン、ちょっと」

 

「ええ、お気遣いなく」

 

「阿求、後お願いね」

 

「と言っても特に用事なんて無いわけだし………………歴書を頂いてお(いとま)するわ」

 

「それならそれでいいよ。あ、はいはい。今行きまーす!」

 

 

本居さんはお客さんの呼び出しに応えて足早に僕らの前から立ち去って行った。

残された僕らは阿求さんの言う通りやる事は歴書の回収しか無い為、

阿求さんの言葉に従って彼女の指定した重みのある分厚い書物を何点か風呂敷に詰める。

生まれて初めて風呂敷なんてものを扱ったけれど、案外手こずることは無かった。

自分の器用さに自分で驚きながら作業を終えた僕らはその足で案内された奥の間を出て

本が無数に陳列されている店の方へと向かった。

そこでは本居さんと誰かが言い争っているような大きな声が飛び交っていた。

頭巾のようなもので頭部を顔以外しっかりと覆っている、修道女を思わせる出で立ちの女性が

本居さんに対して鬼気迫る表情で必死に何かを訴えかけているのが見える。

純粋に気になった僕らは本居さんの後ろから二人の話し合いに割り込んだ。

 

 

「だから、急いでほしいのよ! 早くしないと響子が………………響子が危ないの‼」

 

「そんなこと言われても……………私だってどこに何があるのか完全に把握してるわけじゃ」

 

「だったら私も協力するから! とにかく急いでるの、早く‼」

 

「あの、どうかなさいましたか?」

 

「あ、紅夜さん」

 

随分と切羽詰まっているような女性の言葉を区切るように話しかける。

相手の女性は僕の突然の介入に困惑していたようだが、本居さんが僕の名前を口にした

直後から眼の色を変えて食って掛かるように一歩踏み出してきた。

 

 

「紅夜って、あなたまさかこの間の【異変】の首謀者の⁉」

 

「……………その言い方はあまり好きではありませんが、そうですね」

 

「どうしてここに……………って、いまはそれどころじゃ‼」

 

「何か探し物ですか? ここに用事と言うのなら、何らかの本ですかね?」

 

「そ、それはそうだけど。でもあなたには関係ないから‼」

 

「………………どこに何の本があるか、でしたね本居さん?」

 

「え、うん。私だって阿求じゃないからどこに何があるかまでは

完全に覚えきれるわけじゃないから。それに返品の時に本の位置がごちゃごちゃに

なっちゃう事だってあるから………………」

 

「そう、ですか…………でも、無いわけじゃ無いんですよね⁉」

 

 

本居さんが弁明してもなお、修道女風の女性は食い下がり続ける。

熱意に負けたのかそれとも元からその気だったのか、本居さんがため息を一つついて

手近な本棚の一番端から背表紙の題名を読み上げ始めた。

依頼した女性もまた彼女にならって手近な本棚を詮索し始める。

しかしこれだけ膨大な量の本の中から特定の本のみを探し出すのは骨が折れることだろう。

______________僕が手伝わなければ、の話だけど。

 

 

「本居さん、彼女が探している本の題名は?」

 

「え? えっと、『奇才 又兵衛の(わらべ)遊び』という本ですけど?」

 

「………"きょうこさん"という人が危険だと言うのに、パッとしない感じですが」

 

「だから何‼ あなたには関係ないって「待ってください、今出しますから」……………え?」

 

 

女性の怒号を受けながらも、本居さんから聞いた本の題名を記憶する。

そのまま自分の視界内にある全ての古書の『方向を入れ替えて』眼前に並べる。

瞬時に僕の足元へ本が現れて僕以外の人は驚きを隠せないでいるが、作業を続行する。

足元に移動させた古書を数冊まとめて本居さんの眼前に移動させて表紙を読ませる。

急な出来事に先程以上に驚いているようだが、彼女は僕の意図を察してくれたようだ。

 

 

「…………違う、これも違う。ここは全部違うわ、次」

 

「では、こちらの棚の本を出しますね」

 

「うん_________って! いきなり目の前に出されるとやっぱりびっくりするわ!」

 

「ああ、申し訳ない。ですが、早い方がいいらしいですからね」

 

「それもそっか。えっと……………違う、ここも違う。次お願い」

 

これほどの量の本棚を彼女一人で順番に探していくのはいくら何でも大変だろう。

だから彼女はその場から動かず、僕の程度の能力を応用した即席の閲覧ブースを

整えて作業の最適化及び最効率化を図った。今回はそれが功を奏したようだ。

そうしてどんどん本を彼女の前に転送していき、十数分が経った頃。

 

 

「___________あ、あった‼ これだよこの本‼」

 

「本当に⁉」

 

 

本居さんの眼前に転送した一冊が当たりだったらしく、それを手に取る。

彼女の歓声に即座に反応した修道女風の女性はすぐさま駆け寄った。

作業の間中ずっと傍観していた阿求さんは先程と同じくその場に立ち尽くし、

射命丸さんはカメラを片手に僕らの作業風景を新聞の記事にするのか一心不乱に撮っていた。

目的の本を入手した女性は振り返って僕を真っ直ぐに見つめ、頭を下げてきた。

 

 

「あの、あなたのおかげで求めていた手がかりが見つかりました‼

本当に助かりました、ありがとうございます‼

それと…………さっきは関係ないとか不躾に怒鳴ってしまってすみませんでした」

 

「ああ、いえ。お役に立てたようで何よりです」

 

「私としても貴方の能力を使う場面が見たかったから、一石二鳥だったわ」

 

「ええ、同感です。紅夜さん、今回の件をまた記事にさせてもらってもいいですか?」

 

「僕なんかでよければ、構いませんよ」

 

「やった‼ ありがとうございます‼」

 

「いえいえ」

 

カメラのレンズを向けながら僕に取材のアポを取る射命丸さんの問いかけに応じる。

僕個人に注目してくれるのは名誉なことだし、何より射命丸さんの役に立てると思うと

嬉しくてたまらなくなってしまう。だからなのか、考えるよりも先に快諾してしまった。

当の射命丸さんも新しい記事のネタを得たからか、飛び跳ねん勢いで喜んでいる。

そんな彼女を見つめていると胸の奥の辺りがくすぶるような感覚に見舞われる。

やはりこれは、でも彼女からの脈は無いわけで、だとしてもこれはやるせない。

自分の中に生まれる諦めの悪さに半分呆れていると、先程の女性が声をかけてきた。

 

 

「そう言えば名前を言ってなかったわ。私は『雲居 一輪』、この人里からみて南側にある

命蓮寺という寺で尼僧をしています。今度ぜひ立ち寄ってみてください、今回の御礼として

精一杯のおもてなしをさせてもらうよう頼んでおきますから‼」

 

「いえいえ、僕は勝手に首を突っ込んだだけでして。

お礼をしていただけるような人間では無いですし、そもそも普段は紅魔館で吸血鬼の

下僕として日夜過ごしておりますので、そちらに行く機会はそうそう無いかと……………」

 

「そうなの………………まあでも、もし来ることがあったらって事でいいわ。

その時はさっきも言ったように、御礼のもてなしをさせてもらうから。

今は急いでいてそれが出来なくて本当に心苦しいのだけど」

 

「…………先程もおっしゃっていた"きょうこさん"という方の事で何かしら

切迫した状況なのですね。大丈夫ですよ、僕の事はお気にせず」

 

「……………本当に助かったわ、ありがとう。

あ、小鈴ちゃん! この本借りていくわね‼」

 

「へ? あ、ちょ_____________もう行っちゃった」

 

 

修道女風の女性、名を雲居さんと言うらしい彼女は颯爽と店を飛び出して行った。

慌てて貸本証書を手渡そうとしていた本居さんが追いかけようとするが既に姿は無い。

もしかしたら彼女も妖怪か、それに類する何かだったのかもしれないと一人ごちてみる。

だがすぐに店内から聞こえてきた本居さんの小さな悲鳴で意識が戻された。

何事かと思って彼女の方を振り向くと、そこにあったのは僕が転送した大量の古書の中心で

片付けに戸惑っているしおれたツインテールの小柄な彼女の姿があった。

流石の僕でも自分のやったことには責任を持つ。

彼女からの罵声が飛んでこないうちに能力を発動させてすぐに本を本棚へと移動させた。

 

 

「改めて見ても便利な能力よね。小鈴のなんて本を読むだけだからね」

 

「いいじゃない、誰も読めない文章を読めるんだから。

でも確かにこれは便利だよね……………紅夜さんだっけ、うちで働かない?」

 

「大変恐縮なのですが、僕のいるべき場所は血よりも紅いあの館ですので」

 

「そっか。流石に吸血鬼相手に歯向かうわけにもいかないし、止めとくわ」

 

「賢明なご判断に感謝します」

 

「止めてよそういうの。なんか照れくさくなっちゃう」

 

頬に手を当てて首を数回左右に振って恥じらいをアピールしているようだが、

彼女の首の動きに合わせて動き回っているツインテールが気になって仕方ない。

そんな事を考えていると、今まで黙っていた射命丸さんが不機嫌そうにつぶやいた。

 

 

「あの、阿求さん。もうすべき事は終わりましたよね?

だったら早く行きましょうよ。そうしましょうよ、ね?」

 

「……………それもそうですね。

そういうことだから小鈴、また編纂の日になったら寄るわね」

 

「ん、分かった。それじゃーね。

それと紅夜さん、またのご来店お待ちしてまーす!」

 

「あ、えっと、ハイ。分かりました」

 

 

何やら阿求さんに半ば迫るようにして話を切り上げさせた射命丸さんが先頭立って

店から出ていき、僕と阿求さんがその後に続くようにして店から足を踏み出して出る。

去り際に本居さんから歓迎の言葉をもらったが、お咎めなしということでいいのだろうか。

それならばそれでいいかと結論付けて、僕は先に出て行った射命丸さんを追うようにして

通りの方へと歩み出た。

 

「さて、それでは約束通りにこの後は私にお付き合い願いますよ」

「ええ、承知しております」

 

「…………とにかくいきましょう」

 

 

僕の後から出てきた阿求さんが口火を切って、次の予定を確認した。

するといまだ不機嫌そうな射命丸さんが乗り気なのか僕らをせかし始める。

一体どうしたのだろうか。理由がさっぱり分からない。

もしかして先程からよく出る『花菓子念報』なる新聞の事と何か関係があるのか、

などと答えの出ない自問自答をしながら、僕ら三人は一路、阿求さんの家へと向かった。

 

 

 






いかがだったでしょうか、 それとお詫びと訂正をば。


前回の次回予告を変更しました。
理由は単純に今回で予定していた場所まで到達することが出来なかった。
要するに私の力不足が原因です本当にすみませんでした。
前にも一度やってもう二度としないと誓ったはずだったのになぁ。
意志と実行力と根気が弱々しくて本当に申し訳ない限りです。


それでは次回、東方紅緑譚


第参十七話「紅き夜、想い伝えて」


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第参十八話「紅き夜、想い伝えて」

今回は少し遅れての投稿となりました。
それと水曜日に、この作品を無事完結させることが出来た後に
書き始める予定の東方×学園モノの作品を投稿してみました。
良ければそちらも読んでくださると嬉しいです。

何故これが終わってないのに書いたのかって?
気分ですよ気分。全部気分って奴の仕業なんだ。


ですがこれからこの紅き夜編は面白くなっていきます



それでは、どうぞ!


 

 

 

「これはまた、随分と威厳のあるお屋敷ですね……………」

 

 

日が昇って久しい昼もすがらなこの時刻、僕らは目的地に到着していた。

ほんの十数分前まで滞在していた古本屋の『鈴奈庵』を出立した僕と射命丸さんとを連れ立って

歩いていた阿求さんが立ち止まって振り返り、僕らを見ながら紹介してくれた建物。

 

それこそがこの場所、人里の中心部分に位置する通称『稗田邸』だ。

 

家の前には日本特有の製法で作られた塀に、木製の柵と扉が真っ先に目に飛び込んでくる。

そしてそれら以上に目を引くのは、付近のある家々よりも抜き出た建築技術の明確な差。

僕は元々日本の文化にそれほど詳しくは無いが、これほどの家を作るのにはかなりの月日と

労力、加えて財力も必要になってくるはずだろう。

それら諸々を考慮して考えると、改めて阿求さんの家の力を実感して緊張してくる。

こう言うと失礼かもしれないが、付近の一般的な一軒家を見ると庶民的で安心する。

逆に外から見ても分かるほど精巧に作られたこの邸宅を見ると、どうも落ち着かない。

まるで、僕の暮らす紅魔館をそのまま日本家屋版にしたかのような風格が漂う。

思いがけず歩みが止まった僕に、阿求さんは不思議そうな視線を送ってくる。

 

 

「どうかされましかた?」

 

「あ、いえ、別に。ただ予想していたよりも豪勢な住宅だったもので」

 

「初めて見る方は誰もがそのような感想を抱くものなんですね」

 

「そうでしょう。何より、僕はこの幻想郷の文化にすらあまり馴染めていませんし」

 

「それも原因の一環、ですか?」

 

「そういう事にしておいてください」

 

 

僕から目を逸らした阿求さんはそのまま見事な純日本家屋の扉へと歩いていく。

重厚そうな木製の扉を彼女が2回軽くノックすると、即座にその扉が開きかける。

そこから一人の女性が顔を覗かせて来訪者を確認し、顔色を変えてまた引っ込んだ。

数舜の暇の後、まさしく重い物を引きずるような音を立てて木製の扉が完全に開いた。

 

「「「御帰りなさいませ、九代目様」」」

 

「ええ、ただいま」

 

「おぉ……………これは」

 

「いつ見てもこの光景は壮観ですねぇ」

 

 

開ききった扉の先には、庭園から本宅へと続く石畳の両脇にズラリと整列した従者達。

女性は少々色合いが薄めの着物を、男性は呼び方は分からないが日本風の服を着ている。

そんな者達が、加えてその全てが大人だというのに、阿求さんに深々と頭を下げていた。

彼女はやはり、レミリア様に負けず劣らずの家柄とカリスマをお持ちのようだ。

その証拠に、威厳と風格を同時に見せつけてきた光景の中を阿求さんは平然と歩み行く。

僕と射命丸さんは彼女に促されるまで、その場を動けずに固まってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「九代目様は今、御召し物を変えております故。こちらで少々お待ちくださいませ」

 

「どうも」

 

「お邪魔させていただきまーす!」

 

 

お手伝いさんの一人に案内された先にある和風な一室で待つように言われた僕らは

阿求さんが戻ってくるまでの間、大人しくその部屋で待つことにした。

まず入って感じたのは、普段僕が暮らしている紅魔館との文化の違いの差だった。

横開きの障子という薄く軽い木と髪で出来た扉に、漂ってくる血とは無縁の仄かな花香。

洋館とは明らかに違う畳という何かの植物を乾燥させて編み込んだ独特な床を踏みしめ、

閉じられていた部屋が解放された事でこもっていた独特の匂いと温もりが体に伝わる。

 

正直に言ってしまえば、紅魔館とはまた違った意味で好感が持てる場所だ。

 

 

「やはり洋館とは違って、"ざぶとん"に座ってくつろぐんですね……………」

 

「紅夜さんはやっぱり、椅子の方がしっくりくるんですか?」

 

「ええ、まあ。ですが、こういった日本の文化は新しくて面白いです」

 

「そうですか!」

 

 

部屋に入って木製で何かの塗料を塗られた机と、そこの下に敷いてあるほとんど平らな

クッション、日本でいう座布団に座り込んで射命丸さんと日本文化について談笑する。

彼女はやはり自分の暮らす国のことで好評を得たのが嬉しいのか、笑顔で話をしてくる。

というか、この幻想郷は一応日本語が通っているようだけど、本当に日本なんだろうか。

今更ながらに思った疑問だけど、まあこの際気にすることは無いと疑念を一蹴した。

 

その後も射命丸さんと取り留めの無い話を続けて、数十分が経った。

僕らの部屋の障子の前に人影が現れ、薄いそれの向こう側から話しかけてきた。

 

「お待たせして申し訳ありません。稗田 阿求です」

 

「あ、えっと…………………ど、どうぞ?」

 

「紅夜さん、こう言うんですよ。どうぞお入りください」

 

「失礼致します」

 

 

スッと静かに障子が開いて、廊下から着物を着た阿求さんが入って来た。

でもどうしてだろうか、彼女の着ている服装が帰って来た時と変わってないように見える。

そう思って対面した位置に座っている射命丸さんへと視線を動かすと、彼女もまた僕と

同じことを思っているのか、不思議そうに首を小さくかしげていた。

僕ら二人の視線に気付いた阿求さんは、振り袖を摘まんで着物をよりハッキリと見せてきた。

 

 

「コレですか? コレはお客様が来た時の対談用の着物なんです」

 

「ほぉ……………一目見ただけでは分かりませんが、何か違いがあるんですね?」

 

「いえ、ありませんけど?」

 

「………………そ、そうですか」

 

「ふふっ、冗談はこの位で。それでは本題に移りましょうか」

 

ヒラヒラと振り袖もろとも手を振って笑みを隠した彼女が長方形の机の端、

座布団が一枚だけ置かれた偉い人物の座る場所へと歩いて座った。

そのまま袖と着物の胸元から筆と紙束を取り出して机上に置き並べる。

彼女の言う本題とは、僕の事を彼女が聞き出して記載するという事。

正直僕なんかの事を聞いて何がいいのかは分からないけど、それが慣習だというなら

この幻想郷に来たばかりの僕が従うのは当然の通りだと自分に言い聞かせる。

 

 

「あのー、私も今取材中なので情報を同様に頂いても?」

 

「私は構いませんけど、紅夜さんはどうします?」

 

「僕も構いませんよ、射命丸さん」

 

「ありがとうございます! それでは早速‼」

 

 

僕と阿求さんの許可を得た射命丸さんは目にも留まらぬ速さで懐から

愛用のネタ帖を取り出して、同じく筆も右手に握って準備し始めた。

そんな彼女を一瞥してから、阿求さんが僕への質問を先に切り出した。

 

 

「それではまず、貴方の人間性についてお聞きしましょうか」

 

「人間性、ですか」

 

「お答えしにくい質問だとは分かっています」

 

「いえ、その…………少々気を悪くされるかと思うので」

 

「………………大丈夫、私はあくまで記すことが目的です。

貴方の事を根掘り葉掘り聞きだして糾弾するつもりでは無いので」

 

「それはまぁ、そうでしょうけど」

 

「ですから安心して全てを話してください。

私は歴史を記す事が生涯の使命、それを全うしたいのです」

 

「…………生涯の、使命?」

 

「それについては私からお話ししましょう。

よろしいですかね、阿求さん?」

 

阿求さんの語った言葉の一端が気になった僕に射命丸さんが応えてくれた。

 

「彼女、というよりこの稗田家には特殊な事情がありまして。

この家の創始者である『稗田 阿礼』という人物が全ての始まりでした」

 

「稗田家の特殊な事情、ですか」

 

「ハイ、彼はこの幻想郷と言う土地に流れ着いてから、妖怪と人間の関係を

どうにか改善あるいは明確にする方法は無いかと模索し始めたんです。

そうして辿り着いたのが、『妖怪の事を記した妖魔図鑑』を書き記す事」

 

「妖怪の事を記した図鑑…………」

 

「当時からこの里はあったんですが、妖怪との確固とした線引きがなされておらず

夜になる度に人が攫われたり喰われたりするのがほとんど日常化していたんですよ」

 

「なるほど」

 

「ですから初代稗田方は、里を襲う妖怪の特徴や、知りえればその弱点なども事細かに

書き記していき、人里の安寧に一役買った、いわば救里主と言うべき存在となったんです」

 

「だから人里ではかなりの力がお有りなんですか」

 

「ええ、まぁ」

 

「続けますが、特殊な事情というのはここからが寧ろ本番でして。

稗田家の人間は里の平和に貢献したと言う理由で人間からは大変好かれましたが、

逆にそれまで自由に人を襲えた妖怪達からは激しく疎まれ忌み嫌われてしまって、

とうとう初代稗田方は徒党を組んだ低俗妖怪の手によって殺害されてしまうのです」

 

「…………………………」

 

「ですが彼は死の直前、ある儀式を自分の肉体に施していたのです。

その儀式というのは、分かりやすく掻い摘んでしまえば、『転生』の儀式です」

 

「転生、ですか? それはつまり、生き返るという事で……………?」

 

「少し違います。生き返るのは『復活』や『蘇生』という括りになりますが、

彼女らの行っている『転生』とは、生前の、というよりは前世とも言うべき自分の

記憶を保有したまま新たな肉体、全く別の人間へと生まれ変わることを言います」

 

「それはまた、かなり特殊な事情ですね」

 

「ええ。そして彼ら稗田の家系はこれを代ごとに行っているのです。

つまり阿求さんは、稗田家の九代目転生者ということになりますね」

 

「……………話の内容が凄すぎて感覚が麻痺しそうです」

 

 

射命丸さんが教えてくれた阿求さんの家の話は、想像以上に壮絶だった。

この幻想郷には妖怪や神々など様々な種族が存在するし、不思議な事もよくある。

だけどまさか人間の中でもこれほど特異な事もあるんだなぁと独り考え込んだ。

すると一応の説明が終わったのか、射命丸さんが阿求さんに軽く会釈して口を閉じた。

 

 

「さて、私の方の話も終わったみたいですし、よろしいですか?」

 

「え、ええ。分かりました」

 

「私もお聞かせ願えますかね!」

 

 

そしてそこから、阿求さんの質問を皮切りに小一時間ほど質疑応答が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕らが稗田邸に訪れてから約三時間ほど経って、阿求さんはようやく質問を終えた。

書く手を止めて筆を()き、僕の方へしっかりと向き直って会釈する。

 

 

「貴方について充分聞かせていただきました。

他にも色々と聞きたいことはありますが、それはまた別の日にいたしましょう」

 

「分かりました。ですが、お昼までご馳走になってしまうとは」

 

「私は最初から昼食を振る舞うつもりでしたよ?

と言うより、この家に来て何かをねだらない人物なんてそうそういませんもの」

 

「そうなんですか?」

 

「有り体に言ってしまえば、裕福な家ですから」

 

「その一言で納得しました」

 

 

彼女が言うべきではない一言に僕は苦笑いで応じ、ゆっくりと立ち上がる。

それに続いて射命丸さんと阿求さんも立ち上がって障子を開けて廊下に出る。

廊下ですれ違った人に阿求さんが「お帰りです」と一言告げた瞬間に、

お屋敷の中が慌ただしくなり、人がどんどん玄関の方へと集まっていくのが見えた。

だが一番最初に来た時の光景を思い出し、何の為に集まるのか大体理解した。

そして帰るために玄関まで来た瞬間、その理解が予想通りだったことを目視する。

 

 

「「「どうか御気を付けて、行ってらっしゃいませ」」」

 

「こちらの方々がお帰りです」

 

「「「本日は誠に有難うございました、またのお越しを」」」

 

「……………何だか恐縮してしまいますね」

 

「ですね」

 

「さあ紅夜さん、どうぞこちらまで」

 

 

大勢の人達が頭を下げている道の真ん中を阿求さんの後ろについて堂々と歩く。

普段の僕の生活では決して味わえない体験に、どこか言葉に出来ない不思議な気分になった。

それほどの距離があるわけではないのに妙に緊張し、行きよりも帰りの方が長く感じられた。

僕らがその道を通り終えて、阿求さんが扉の前で待機していた人に目配せをする。

途端に扉が開かれ、僕らはそれを通り抜けて家の前の通りに出た。

そこで初めて振り返った阿求さんと目が合い、自然と委縮してしまう。

 

 

「……………紅夜さん」

 

僕の目を見つめたまま、阿求さんが話しかけてきた。

いきなりで驚いたがすぐに平静を装って彼女からの問いかけにも冷静に応じる。

 

 

「ハイ、何でしょう?」

 

「今回は私の家への訪問、並びに幻想郷縁起の収録のご協力に深く感謝致します」

 

「いえいえ、大層な事はしておりませんよ」

 

「…………それと、先ほどさせていただいた貴方への様々な質問ですが」

 

「…………………ええ、それが何か?」

 

 

彼女の言葉を聞いて僕はあくまで飄々とした態度を取り続ける。

そんな僕を見てどう思ったのか、阿求さんが同じ質問を再び口にした。

 

「貴方への質問で、先程仰られた事は全て嘘偽りの無い真実、ですよね?」

 

「ええ、そうですよ」

 

「…………………そうですか。では、『人を殺めたことがある』というのも?」

 

「ええ、その通りですよ。私は人間を殺したことがあります。

それも一度や二度じゃない、僕は任務の為に数百人の命を奪いました」

 

「……………それは育った環境の影響で? それとも貴方自身の意思で?」

 

「さぁ、今となっては本当にどちらだったのか分からない。

ですが、僕はこの幻想郷に来てお嬢様やレミリア様達と出会う事が出来て、

根本的な何かが完全に変わったように思えてなりません」

 

「……………人を殺めたことを後悔していると?」

 

「いえ、違います。別に殺人に後悔を抱いているわけでは。

ですけど、でも、何故か『これ以上無闇には殺したくない』とは思えるように

なりました。それが良いことか悪いことかは分かりませんけどね」

 

 

僕が改めて口にした『殺人』という過去に射命丸さんが閉口する。

やはり妖怪から見ても、人が人を殺めるという行為は受け入れがたい物なのだろうか。

だとしても僕がしたことは今更無かったことにはならないし、消したいとも思わない。

ただそれでも、昔の自分に戻りたいと思ったことは幻想郷に来て一度も無い。

その言葉をどう解釈したのか、阿求さんはふっと優しい笑みを浮かべて優しく語り掛ける。

 

 

「それは良いことですよ。間違いありません」

 

「……………そういう事にしておきましょう」

 

 

今までの彼女とはまた違った面を見せられて、僕は少し照れくさくなった。

ここまでの道中で阿求さんという人間をそれなりに分析したつもりだったけれど、

まだまだ分析不足だったようだ。それにしても、どうして彼女は微笑んだのだろう。

そう考えていると、黙っていた射命丸さんが突然横槍を入れてきた。

 

 

「あああ、あの! もうそろそろ良いんじゃないですかね⁉」

 

「え?」

 

「で、ですから! もう次の場所に向かってもいい頃合いでは⁉」

 

「え、あ、ハイ」

 

「それでは行きましょう! 時は金なりと言いますからね‼」

 

「あ、ちょっと! 射命丸さん!」

 

「紅夜さん、彼女の言う通りです。元々貴方を連れてきたのは私のワガママ。

これ以上貴方のお時間を取らせてしまうのは、私としても本意ではありません。

ですが、それにしても________________」

 

 

グイグイと燕尾服の裾を射命丸さんに引っ張られて行く中、阿求さんの呟きが聞こえた。

ムキになって引っ張る彼女のせいで阿求さんの言葉の最後の方がよく聞こえなかったが、

特に大事なことでもなかったのか、彼女は僕らを見送るとすぐに邸宅へと戻っていった。

でもやっぱり、阿求さんが最後に呟いた言葉が気になる僕はしばらく射命丸さんによって

人里の大通りをズルズルと引きずられたままの恰好を見られ、視線を集めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですが、それにしても鴉天狗の心をどうやって射止めたのか。

人間と妖怪との新しい交流の仕方を模索するという意味で、貴方達には是非上手くいって

ほしいものです。では、次に来る時は二人のお子さんを同伴させてくださいね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稗田邸でお昼をご馳走になってから数時間後に解放された僕と射命丸さんは、

わずかに陽が傾いてきた時間帯になってから再び人里をぶらつき始めた。

射命丸さんおすすめの団子屋で一休みしたり、呉服屋で着物を試着してみたり。

彼女に連れられるまま人里のあらゆる場所を巡り巡って、再び数時間が経過した。

陽はすでにオレンジと白をかき混ぜたような燃える灼熱色に染まり、僕達二人の紅魔館への

帰り道を鮮やかに、小奇麗に、そして物悲しく彩っていた。

人気(ひとけ)の全くない薄暗くなった整備されていない森の小脇の道を、行きがけよりも

少し距離を縮めて並び歩く僕らの影が、夕日で随分と増長しているのが分かる。

 

 

「今日は一日お付き合い頂いて、本当にありがとうございました」

 

もはや小鳥がさえずる時間をとうに超え、夜になろうとする夕暮れの中で彼女に伝える。

僕の心からの感謝の気持ち、本心からくるお礼の言葉に彼女は笑顔で答えてくれた。

 

 

「いえ、私こそ今日はその、色々と取り乱してしまって……………」

 

「ああ、アレですか。まあ人それぞれですから、射命丸さんにも色々お有りでしょう?」

 

「そう言って頂けると助かります……………」

 

 

夕暮れの中で分かりにくいが、普段よりも顔を若干赤らめて恥ずかしそうに語る。

そんな彼女の姿を内心ではずっと見ていたいと思いながらも単調に歩を進め行く。

振り返ればもう人里を囲む柵すら見えないくらい進んだ今、僕らの別れが近いことを告げていた。

自然と会話が途切れ途切れになってしまう。でもそれは彼女も同じようだった。

先程から視線は下を向いてばかりで、何かを話そうとしてもすぐに断念してしまう。

何かを伝えたいのか、それとも帰るタイミングを計っているのか。

もし後者ならば、それは僕の方から切り出すべきなんだろうと頭では理解している。

それでも僕はせめて、せめて紅魔館の門前までは一緒にいてほしいと自分勝手な考えを隠して

何も言わずに彼女と横並びで歩いていた。

 

そして、ついに僕の帰るべき場所へと辿り着いてしまった。

 

夕日が霧の湖に反射して二つの光源を得た、血よりも紅く不気味に映える吸血鬼の館。

ほんの半日離れていただけだというのに、この光景に早くも懐かしさを抱くようになっていた。

二人で石造りの橋を渡って、美鈴さんが門番をしている紅魔館の門前で立ち止まる。

名残惜しさを感じながら、僕はゆっくりと振り返って一歩後ろで止まった射命丸さんを見やる。

 

「改めて、本日は本当にありがとうございました」

 

「あ……………い、いえ! 私の方こそいい取材が出来ましたよ!」

 

「…………それは良かった」

 

 

取材、その言葉がやけに僕の心に反響した。

今日半日の事が全て取材であるならば、そこに彼女の感情は含まれていないのか。

団子屋でおいしいと評判の団子を食べた時に見せた笑みも、帰り道で見た寂し気な表情も、

それら全てが取材のために必要な演技だったのか。

彼女の言葉を真に受けて、僕はやはり自分の気持ちに正直になれずにいた。

感情を押し殺したまま、僕は彼女に別れを告げる。

 

 

「いい新聞が書けるといいですね。僕も発行されたら必ず読みますよ」

 

「は、はい! その時は真っ先に紅魔館にお届けしますね‼」

 

「………………ハイ、それでは。またのお越しを」

 

笑顔を繕って彼女との別れを惜しんでいる自分を押し殺す。

感情的にならないように努めたせいか、最後の言葉が少し突き放すようになってしまった。

でもこれでいい。彼女と会えるのもこれで最後になるだろうから。

初恋に続いて失恋も出来た。人生との終了としては中々に悪くないステータスだろう。

そう思って彼女の返事を聞かないまま、塀に寄りかかって爆睡している美鈴さんを起こそうと

した直後、僕の体に凄まじい衝撃と悪寒が迸った。

 

 

「________________ゴッ、ォブッ」

 

「紅夜さん?」

 

「カッ、アッ……………ガハァ‼」

 

「紅夜さん⁉」

 

 

全身を駆け巡る激痛と込み上げてくる嫌悪感が同時に頭部に集中するような感覚に見舞われ、

もはや立つことすら出来なくなって力なく石造りの地面へと重力に従って倒れこむ。

僕の様子の変化に気付いた射命丸さんの叫ぶような声が聞こえるが、それどころじゃない。

声すら出ない。出てくるのは獣のようなうめきと嘔吐され続ける粘着性の高い血液の塊だけ。

ビシャビシャと血だまりを広げていく中で、僕の意識はそのままブラックアウトした。

 

気を失う最後の瞬間、僕は自分の体が持ち上げられる感覚を味わった。

だがそれすらも、本当に起こったことなのか判別がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……………そんな事って‼」

 

「気をしっかり持ちなさい、咲夜。コレは紛うことなき現実なのよ」

 

「あぁ……………そんな、そんな‼」

 

「もうすぐ最後になるわ、紅夜の短い運命が尽きる日が近付いている。

だからお前に教えたのよ咲夜。あの子がお前に固執する理由の、その全てを」

 

「あ、ああ…………………………」

 

「私はこの事に関して自分から関わるつもりは毛頭無いけど、お前がこの事実を知って

どうするのかはお前の自由にするといいわ。紅夜に伝えるのも、このまま隠すのもね」

 

「……………………………」

「それと忠告、すぐに結論を出したほうが良いわよ。

さっきも言ったけれど、紅夜の終わりはもうすぐそこまで来ているの」

 

「‼」

 

「フフフ、随分と怖い顔になったわね咲夜。

少なくとも従者が自分の主人に対して見せる顔では無いわ」

 

「……………お嬢様、あの子は今どこに⁉」

 

「さぁ? 今頃人里であの鴉天狗と遊び呆けているんじゃないかしら?

貴重な一日をどうしてあんなのと過ごそうと思ったのかは分からないけど」

 

「人里でございますか………………お嬢様、私は!」

 

「フフ、急用が出来たって言うんでしょう?

それなら丁度良いわ、紅茶の予備の茶葉を今すぐ買ってきてほしかったところよ。

だから…………………行きなさい咲夜、これは命令よ」

 

「……………承りました、お嬢様‼」

 

「ええ、あともう一つだけ言い忘れたのだけれど。

この買い物、今夜中に終えればいくら遅くなってもかまわないわ。

たっぷり時間をかけて茶葉を探して持ち帰りなさい、良いわね?」

 

「ハイ!」

 

「…………………………………行ったわね」

 

「ええ、それよりもパチェ、見つかったの?」

 

「………一応は。でもまだ魔法陣の術式が組み終わっていない」

 

「出来るだけ早くして。紅夜が戻った時にすぐ始められるように」

「言われなくてもやる。それよりも、いいの? 咲夜に教えちゃって」

 

「いずれはと思っていたんだけど、どうせなら今が一番いいかと思っただけよ」

 

「……………でも、本当にこれで良かったのかしら」

 

「今更何よ? 紅夜を生き返らせる方法(・・・・・・・・)を見つけたのはパチェなのよ?」

 

「分かってる。でも、紅夜がそれを望んでなかったら?」

「…………愚問ね、あの子は絶対に、何が何でも生きようとするはずだわ」

 

「……………どうして?」

 

「そうするために、あえて今咲夜に紅夜といた頃の記憶と運命(・・・・・・・・・・・・)を見せてあげたんだから」

 

「……………自分の求めていたものを、エサとして釣るため?」

 

「聞こえが悪いわね、生きる希望を作ってあげただけよ」

 

「……………見解の相違ね。じゃあ、私は魔法陣の構築に戻るわ」

 

「ええ、せいぜい頑張って頂戴」

 

「分かってる。私の作る魔法陣の出来次第で運命が大きく変わるんでしょう?」

 

「そうよ。パチェの魔法陣、『魔人転生』の儀式陣の完成度によって紅夜のこれからの

運命が大きく変わることになる。ここが山場よ、絶対に乗り切るわ」

 

「分かった。後は咲夜が紅夜を連れて帰るのを待つだけね」

 

「…………遅くなってもかまわないわ。でも咲夜、必ず連れ戻しなさい」

 

 

 

 

 

「お前の血の繋がらない肉親を、『魔人』として蘇らせるために」

 

 






投稿が遅れたのは気分って奴の仕業なんだ。
という言い訳を決めながら書き上げた今回、いかがでしたか?

本当なら阿求邸での紅夜君尋問タイムはもっとしっかりと
取る予定だったんですが、最後の部分を入れるために割愛しました。
最後の会話での意味深な言葉の数々、そして紅夜の運命は‼


次回、東方紅緑譚


第参十八話「紅き夜、永遠に潜む竹林の薬師」


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第参十九話「紅き夜、永遠に潜む竹林の薬師」


皆さん、お久しぶりです。

もうコレ何回も言ってる気がするんですけれど、
最近になってやることが増えてき始めて忙しくなりました。
ええ、ハイ、要するに投稿の不規則性が強まるって話です。
こちらの話を早く書きたいと思っていても時間が取れなかったりして
七難八苦に四苦八苦、占めて二十七苦状態なわけでして。

そんな個人的な都合に酌を取る必要も無かったわけで
それでは、どうぞ!


 

 

 

 

幻想の地を暖かく照らしていた太陽が、山々の陰に、地平線に沈んでいく。

それはつまり、人間が暮らすのに支障の無い時間帯が終わりを告げ、同時に月の放つ魔性の力に

()てられて活発になる妖怪の時間が始まることを告げるものでもあった。

もちろん人里という安全地帯に住まう人々も例外でなく、日が沈み切る前には既に人々の姿は

路地裏どころか大通りにすら影も形も見受けられなかった。

 

そんな暗くなりゆく幻想郷の空を、昼間でも見えないほどの速度で飛行する者がいる。

夜空になりかけた今の空に溶け込むかのような純黒の燕尾服を血で紅く染め上げて気を失った

十六夜 紅夜と、その彼をしっかりと抱きかかえて速度を上げる鴉天狗の射命丸 文だった。

 

意識のない紅夜は先程から流れ出る血が止まらずに文の着ている服に容赦無く血シミを作るが

当の文はお構いなしにどんどん速度を上げて暗い空を駆けていく。

雨や普通の水よりも粘度が高く、なおかつ少し生暖かいベットリとした感触の血液が今もなお

文の服にかかり、それが浸透して彼女の身体までもを汚していくが、それでも彼女は空を往く。

その表情は焦りや不安などの感情が入り混じり、何を思っているのか見た目では判断不能な

ほどに大きく歪んでしまっている。

話しかければ殺しにかかって来そうなほど切迫したような雰囲気の彼女は、

紅夜を抱えたまま飛びつつ、時折小さく独り言のように彼を励ましていた。

 

 

「絶対に死んじゃだめですよ、紅夜さん‼」

 

星々が輝きを放ち始める空の下、文の切なる懇願が空しく風に乗って消えていった。

何故こんな事になってしまったのか。

事の発端はほんの数分前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事の発端は、文が紅夜からデートの誘いを受けたことから始まった。

デートと言うのは文から見たうえでの話だが、実は紅夜からしても意図は同じで

本来の職務である紅魔館地下室で暮らすフランドールの従者兼執事という肩書きを

一時的に取り払って、半日以上文と行動を共にするという計画を立てていたのだから。

そしてそれは見事に達成され、お互いが紅魔館の門前で別れようとした時だった。

突然何の前触れも無く紅夜が吐血し、全身を痙攣させながら意識を投げ出したのだ。

驚いた文はすぐに紅魔館の住人にこの事を伝えようとしたのだが、想像以上に出血の

度合いが酷く、一刻も早い治療が必要だと考え、彼を抱えて飛び去ったのだった。

 

こうなるまでの経緯を頭の中で思い返しながら、文は暗くなった空を最速で駆ける。

本来ならば風圧で紅夜の身体が八つ裂きになるほどの速度であるにも関わらず、

彼女は自分の能力を応用して音の速度に並ぶほどの速度での飛行を可能にしている。

 

射命丸 文は、『風を操る程度の能力』を保有している。

能力については、読んで字の如しであるために詳しい説明は省くが、

今彼女は自分の前に傘状の風のプロテクターのような壁を生成して風圧を防いでいる。

故に紅夜も文自身も風圧で身体をバラバラにされずに済んでいるのだが、

ほぼ日常化した行程の仕組みなど頭のどこにもないまま、文はある場所へと向かう。

 

 

「血が、血が全然止まらない…………………急がないと!」

 

 

自身の服も身体も染め上げていく血の感触に焦りを募らせながら文は速度を上げ、

人里を越えた先にある目的地がわずかに見えてきたことに大きく安堵した。

そのまま速度を少しずつ下げて目的地の目の前に着地して声を荒げる。

 

 

「もしもし、『妹紅(もこう)』さん! 今すぐ永遠亭までの案内をお願いしたいんです‼」

 

 

鬱蒼(うっそう)と空高くどこまでも伸び続けている若竹の密林の入り口。

ほんのわずかな気流の変化ですら大きくなびいて小さく薄い葉を散らせゆく様は、

とうに暗くなった今の空模様と相まって不気味で切なく、陰鬱に怪しい様相を呈している。

そんな人の寄り付かなそうな場所に、ポツンと寂しく一軒家が建てられていた。

文の尋ねたその藁葺(わらぶ)きの屋根に堅い木材であしらえた木造建築の家には明かりが

灯っており、彼女の大きな声に呼応するように少々雑に横引きの扉が開け放たれて

中から少女が現れた。

 

 

「うるさいっつの、案内ならしてや…………………オイ、何だソイツ⁉」

 

 

古びた家屋から出てきたのは、どこか勝ち気で男勝りな口調の少女。

 

真冬の寒空に降り積もる粉雪を編み込んだように色素の抜け落ちた長い白髪で、

その毛先に無数の小さな紅白色のリボンを、そして後頭部に大きな同一のものを

髪留めの要領で括り付けている。

上半身は女性用の長袖のワイシャツに近い薄地の服を着ていて、下半身は赤いもんぺの

ようなズボンをサスペンダーで吊り上げていて、そこには所々に護符が貼られている。

静けさと粗雑さを併せ持った雰囲気を醸し出す彼女は、『藤原(ふじわらの) 妹紅』

 

顔見知りである文の抱える明らかな重症患者を見て妹紅は目に見えて焦りだす。

そんな彼女をなだめるように文は彼女を呼び出した時より大きな声で話を切り出した。

 

 

「すぐに永遠亭まで案内を! 早くしないと紅夜さんが死んじゃいます‼」

 

「紅夜ってこの前の異変の首謀者じゃ……………てかそんな奴が何で」

 

「話は後回しです‼ 血が全然止まらなくって、早くしないと‼」

 

「あ、ああ。分かった、行こう!」

 

 

焦る妹紅を文は大声であしらい、すぐに本来の目的地へと案内させた。

そもそも、何故急いでいるのに彼女に道案内などを頼まなければならないのか。

それは目的地である『永遠亭』が建てられた場所、『迷いの竹林』に問題があるからだ。

 

迷いの竹林とは、その場所に生える竹の生長速度が異常であるが故に一度通った場所でも

竹の長さや位置、最悪の場合地形そのものまでもが変動するせいで道が分からなくなるという

不可思議極まりない現象が発生することが理由で名付けられた土地である。

 

しかし彼女、妹紅はこの竹林に居を構え、竹の生長速度や傾向などを把握しきって

一度も迷うことなく永遠亭へと辿り着く術を身につけたことから、今回のように竹林の中の

永遠亭までの護衛や道案内としての用心棒として人々に貢献してきたのだ。

そんな彼女の先導の元、文は大事に紅夜を抱えて夜風の吹き抜ける竹林を駆けた。

 

 

「あとどの位かかりますかね⁉」

 

「あとちょいだよ、あとちょい!」

 

「だからそれがどの位かって聞いてるんです‼」

 

「あーもー知らないって‼ 着くには着くし、出来るだけ早くしてんだから‼」

 

「分かってますけど、とにかく急いでください!」

 

「注文の多いヤツめ、後で催促料金取ってやるからなぁ!」

 

 

二人は夜になってより先が見えにくくなった竹林を右に左に駆け巡る。

その道中で悪戯好きの妖精や月明りで活発化した下等妖怪の妨害にもあったが、

幻想郷ではトップクラスの実力を誇る二人の前では大した足止めには成りえなかった。

そうして二人は夜空の竹林の中を凄まじい速さで駆け抜け、ついに目的地に辿り着いた。

 

 

「ホラ、な! そんなにかかんなかったろ‼」

 

「そんなのより早く彼を診てもらわないと‼」

 

「お、おう。分かってたさ、そんくらい……………おーいヤブ医者ぁー‼」

 

 

文と妹紅が辿り着いたのは、竹林の奥部に住まう『姫』の為の隠れ家。

そして人里に暮らす人々の生命線である『医療行為』を施す診療所でもあった。

和風蕭々(しょうしょう)な風体の日本家屋の名は、永遠亭。

 

永遠の中を生き、死の流れに近付けない、いと尊く哀れな姫君の屋敷。

そのような崇高な場所で妹紅が真っ先に発したのは、まさかの軽口。

軽率かつ粗悪極まりない侮辱の言葉を投げ打って数秒、永遠亭の扉が開かれて

中から現れたのは、怒りに両肩と長い両耳(・・・・)を震わせた長髪の少女だった。

 

「誰がヤブ医者ですって⁉ 座薬ブチ込んでやるから大人しくしなさい‼」

 

「落ち着けおうどん。あ、間違えた、『優曇華(うどんげ)』だっけ?」

 

「私の事はそこまで言わなきゃ怒らないけど、師匠の名を汚すのは許さないわよ‼」

 

「へーへー、んな事より急患だ。早くアイツんとこ連れてってやれよ」

 

「え? 急患って………………嘘、何その出血量⁉」

 

 

文の抱きかかえる紅夜の出血量に驚いているのは、この永遠亭の住人の一人。

 

腰よりも下の足にすら届きうるほどの薄紫色の長髪に、血潮の如く赤く輝く瞳。

上半身と下半身はそれぞれ整った、いわゆる外の世界の女子高生のような制服を

着込み、尻と腰のちょうど真ん中辺りからはまんまるもこもこの尻尾が顔を覗かせ、

さらには頭頂部に一番目を引くバニーガールのようなタレ耳がくっついている。

日本家屋には似つかわしくないファンシーな彼女の名前は非常に長く、

鈴仙(れいせん) 優曇華院 イナバ』という。

外見も名前も印象に残りやすい彼女は文の抱きかかえる紅夜を見てすぐに

適切な手術が必要だと判断したのか、即座に顔を真面目なものに切り替えて

文を患者ごと中に招き入れて手術室へと連れ込んだ。

 

「……………っは~、しっかし疲れたわ」

 

 

道案内を依頼してきた文を目的地へと無事送り届けた妹紅は疲労を口にする。

準備運動もなしに全速力に近い速度で走らされた彼女は今頃になって疲れを実感し、

額に掻いた汗を腕で拭ってふぅと一息ついて愚痴りだした。

 

 

「そもそも、なんで紅夜とかいう奴があんな血まみれだったんだ?

それにどうしてそんな奴を文が連れてきたんだ? 普通紅魔館の連中じゃないか?」

 

 

さっきは文の気迫と切迫した状況に気圧されて浮かんでこなかった疑問が冷静に

なった途端に溢れ出し、それら全てが愚痴となって大挙して押し寄せてきた。

しかし、妹紅は一気に浮かんできた疑問を一つずつ手に取って吟味するような性格ではない。

すぐに考える事を止めた彼女は帰りの道案内の為に永遠亭の外で待つことにした。

だが、座り込んだそばから新たに浮かんだ疑問については、暇潰しに少し考える事にした。

 

 

(何でアイツが紅夜って奴の為に泣きそうになってたんだ……………分かんね)

 

 

そして結局、彼女は考える事を止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠亭の内部に入った文は、鈴仙の案内の元に手術室まで紅夜を運んだ。

手術台にここまで運んだ彼を乗せた文は、そのまま別の部屋まで案内され、

そこで待っているようにとお達しを食らった。

当人としては納得がいかなかったものの、その道の職人に任せた方がいいだろうと

半ば割り切って考え、大人しく部屋で待つことにした。

 

「お願いします、『永琳(えいりん)』さん……………貴女だけが便りです!」

 

 

自分に出来るのは祈ることだけ、そう信じて文は人知れず祈る。

 

 

 

文が部屋で紅夜の無事を祈っている中、手術室には鈴仙と彼女の呼んだ

もう一人の人物の二人がおり、手術を開始しようとしていた。

鈴仙が呼び出したのは、この永遠亭の実質的な(おさ)であり、幻想郷きっての薬剤師。

そして、今彼女の横にいる鈴仙の師匠であり、彼女を『ある場所』から匿った才女。

 

水晶や銀鉱石を艶やかに織り込んだような三つ編みの長髪に、赤と青のツートンカラーの

ナース帽を頭に被り、同じく服も上半身と下半身で逆の配色のロングスカートを着込んでいる。

よく見るとその服には至る所に星座のような模様が刺繍で簡素に描かれている。

 

手術台に冷徹なまなざしを向けている女性の名は、『八意(やごころ) 永琳』

 

元々は高度な文明を誇る月の民であるが、とある事情によって地上に隠れ住むこととなった

彼女は、こうして持ち前の医学知識を用いて診療所を開いて人間と接しているのだった。

 

そんな彼女は、手術台の上に載せられた紅夜を一通り診察して、口を開く。

 

 

「____________ウドンゲ、この子を連れてきたのって?」

 

「え? えっと、文です。あのホラ、新聞記者の鴉天狗の」

 

「ああ、あの天狗。へぇ、随分とふざけたもの持ってきたものね」

 

「ふざけたもの、ですか?」

 

「そう、ふざけたものよ。私を神か何かだとでも思ってるのかしら」

 

「神って、けっこうそこら中にいますけど……………」

 

「それもそうだけど。どんな願いでも聞き届けてくれる便利で都合のいい神様よ」

 

「便利で都合のいい神様、ですか」

 

「ええ……………さてウドンゲ、今からあの天狗をここに呼んできなさい」

 

「ここにですか?」

「ここよ、ホラ早くして」

 

「はーい」

 

 

永琳は鈴仙に文を呼ぶように命じ、一人だけとなった手術室で小声で呟く。

 

 

「……………残酷ね。貴方もそう思わないかしら、都合のいい神様?」

 

 

自分以外に誰も聞く者のいない手術室で、永琳の言葉だけが反響した。

 

 

 

その後、鈴仙が言いつけ通りに文を連れて手術室へと戻ってきた。

しかし、連れてこられた文の表情を見た永琳の方が驚く結果となった。

永琳はこの幻想郷に来てからそれなりの時間を過ごし、接した全てを診ていたが

未だかつて何の関わりも持たない相手に対してこれほど心配そうな表情をする存在を

見たことが無かったのだ。

 

「あの! 永琳さん、紅夜さんの………………紅夜さんの容体の方は⁉」

 

「えっ? あ、そうね。容体ね」

 

 

今にも倒れそうな顔色で手術台の上にいる患者の事を尋ねてくる顔見知りに

若干戸惑ってしまい、永琳は普段では出さないような声を思わず出してしまう。

そんな醜態を恥じて隠すように咳払いをしてから、真面目な顔を繕って話す。

 

 

「容体は、ハッキリ言えば最悪よ」

 

「さ、最悪ですか……………」

 

「ええ、最悪。正直、どうして貴女がこんなの持ってきたのか正気を疑ったわ」

「そんな言い方! で、でも治りますよね? 良くなりますよね⁉」

 

「……………………………」

 

 

一言目で出した"最悪"というワードだけで文の表情が深刻な青色へと変わった。

それだけでも永琳からすれば驚きなのに、さらに彼を心配するような言葉が一番

最初に出てきたことに永琳はもはや興味すら沸いてくるほどに驚愕した。

だが今は仕事の時間であり、彼女は自分の仕事に誇りは持っている。

故に自分自身の感情を即座に頭の片隅に追いやり、今すべきことを優先させた。

 

 

「……………最初に言っておくけれど、私は"薬剤師"であって"医者"ではないわ」

 

「は、ハイ」

 

「それで、私は貴女が望んでいる彼の治療を無償で行える、都合のいい神でもない」

 

「あの、治療費なら私がお支払いします!」

 

「……………本当に、ますます不思議でならないわ」

 

「え、え?」

 

「気にしないで。それで、彼の事だけど…………諦めなさい」

 

 

診断の結果がいくら残酷であっても、事実であるならば告げなければならない。

それが彼女の、八意 永琳の仕事に対する誇りと熱意の表れであった。

だが、それは吉報を望んでいた文にとっての絶望的な死刑宣告と同義でもある。

 

「あ、諦めるって、どういう事ですか…………?」

 

「そのままの意味よ。彼は助からないし、助けられる方法も無い」

 

「師匠がそんな事言うなんて…………………」

 

「あのねウドンゲ、さっきも言ったけど私は誰の願いも叶える都合のいい神じゃ

ないの。むしろ死の概念から抜けてる分、逆に神に嫌われてる節があるわよ」

 

「は、はぁ」

 

「だから、何でもかんでも私に任せれば上手くいくって先入観は嫌いなのよ。

それに、誰しもそうだけれど、下手な希望はかえって絶望を助長させるの」

 

 

今までに溜まった鬱憤すらも吐き出すかのような永琳の叱責に文と鈴仙は固まる。

特に文は先程まで待っていた部屋で無責任に、しかも本人が知らぬ場所で勝手に

祈りを、希望を託してしまっていた事を思い出して自分を恥じていた。

それすらも看破しながらも、永琳は文にキチンとした話をし始める。

 

 

「ま、事前に済ませる話はこれくらいでいいかしら。

さてと、それじゃ診断結果を簡潔に伝えておくわね」

 

「………………………」

 

「貴女が黙っていてもコッチは仕事だから話すわよ。

まず私が彼を諦めろと言った理由、それは彼の身体にあるの」

 

「………………身体?」

 

「そう、身体。あの子の身体は、ハッキリ言って普通じゃない。

明らかに人の手がそれこそ数えきれないほど加えられた痕跡があるの」

 

「人の手がってつまり、改造ですか?」

 

「そうよウドンゲ。月の高度な科学力をもってしても絶対に行わない下劣な行為、

言ってみれば彼は身体の約九割方を人間の手で改造された改造人間ね」

 

「紅夜さんが⁉」

 

「ええ、しかも下劣で最悪な手を使う割には徹底して手が込んでる。

身体の構造そのものを変えずに人類を超えた力を発揮させるには、

人の中を流れる血液すらも改造する必要があるのも気付いて、実行してる」

 

「血液まで………………そんな事って」

 

 

永琳の話を聞いて、文はもはや意識を手放しかけていた。

隣にいる鈴仙も予想を越えた話の内容に驚きを隠せないでいる。

少しだけ話の難度を下げるべきかと考えた永琳は、間をおいてから話を再開する。

 

 

「まず頭部。人間の身体で全ての行動を司っている脳は相当改造されてる。

本来人間の脳は常に全力を出せないように力を抑制する安全装置のような機能が

働いているんだけど、彼の場合は意図的にその機能を弱められているわ。

要するに、身体がどうなろうと構わずに動かし続けるための自主的な暴走装置よ」

 

「い、一体誰がそんな事を‼」

 

「私がそこまで知ってると思うの? いくら何でも高望みし過ぎよ。

話を戻すけど、次は身体ね。身体の方はハッキリ言って一番絶望的ね。

なにせ、肋骨に僥骨(・・・・・)が数本折れてるし(・・・・・・・・)、大腿骨にもヒビが入ってる。

そして肝心の臓器だけど、胃や腸の一部が切除されていて、すい臓が破裂してたわ」

 

「え⁉」

 

「し、師匠! そんな状態で生きてられる人間なんて‼」

「そう、普通なら考えられない。死んでてもおかしくないの。

もしかしたら何かの能力でも使って延命してたのかもしれないけど」

 

「………………方向を、操る」

 

「何か言った?」

 

「あ、いえ! 話を続けてください」

 

真っ青を通り越して病的なまでの白い顔になった文を逆に心配する永琳と鈴仙

だったが、彼女に促されてそのまま話の流れを戻した。

 

 

「とにかく、今言った点からしても彼の回復は見込めないのよ。

何せ、治療しようにも良くなる部分がどこにもないんだからね」

 

「……………………」

 

「師匠……………」

 

「望みは限りなく無いに等しい。

理由を教えてあげましょうか?」

 

「……………………はい」

 

「彼自身の身体の傷を癒し、治すことは別に出来ないわけじゃないわ」

 

「えっ‼ ホントなんですか⁉」

「落ち着きなさい。身体の傷は治せても、縮まった寿命は治せない。

つまり、いくら器を元通りにしても、一度失った中身は戻ってこないってこと」

 

「………………本当に、もう」

 

「ええ、残念だけど。彼は死ぬ、しかも後数日以内に」

 

 

幻想郷において最も医学に精通した者からの宣告に、文は絶句した。

嘘だと叫びたかった。冗談だと笑い飛ばしてやりたかった。

でも出来ない。自分の服にシミを作った彼の血が、それを物語っている。

だとしたら、残された時間の中で自分が彼に出来る事はあるのだろうか。

祈りや希望を他人に圧しつけて勝手に希望を擦り付け、勝手に絶望するのではなく

自分自身として。今日一日を共に過ごし、彼の笑顔を一番間近で見た女として。

本気で彼を救いたいと文は内心で強く決意していた。

 

「…………で、もうすぐ死ぬこの子を貴女はどうしたいの?」

 

「わ、私は………………彼の為に何かをしてあげたいです」

 

「何か、ねぇ。まあいいわ、ウドンゲ。空いてる部屋に彼を運んで」

 

「ハイ、師匠」

 

「それから文、貴女も彼の近くにいてやりなさい」

 

「は、ハイ!」

 

 

最後に文に対して意味深な質問を投げかけた永琳は鈴仙に命じて紅夜を収容して

他の部屋で様子を見させることにし、文の同伴も許可した。

本来なら患者との過度な接触は禁物なのだが、これだけは永琳の興味だった。

ネタの為なら東奔西走、風と共に生きる妖怪の山の御大将。

カメラと手帳を片手に、今日も今日とて騒ぎながら取材祭り。

 

そんな認識をしていた相手が、一人の人間の為になぜそこまでするのか。

興味は尽きない。医学と言う科学に携わる身として、研究せずにいられなかった。

半ば衝動のような感情を理性で押さえながら、永琳は文の同伴を許したのだった。

 

 

「さて、死人は完全に専門外だから面倒よねぇ………………あ。

死ぬ前だったらいくらでも方法はあるけど、どうしようかしら」

 

 

また一人になった手術室の中で永琳が呟きながら薬の小瓶を持ち上げる。

一つ、また一つと持ち替えては棚に置き、そして新たに別の薬を取り出して戻す。

そんな工程を繰り返した彼女はついに、目当ての薬品の小瓶を見つけた。

つまんだ小瓶を持ち上げて中身をじっくりと見つめ、堅めの口調でまた呟く。

 

 

「二度と死ねなくなってもいいのなら、彼を生かす術はある」

 

小さく呟いた永琳は、【蓬莱の薬】と書かれた小瓶を棚にしまった。

 

 

 

 

 

 










いかがだったでしょうか?

早く次の話が書きたくて仕方ないです。
ではでは今回はこれにて失礼いたします。

あ、それと最近風邪をひいて、二日で治りました!


それでは次回、東方紅緑譚

第参十九話「紅き夜、愛してと言えなくて」


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第四十話「紅き夜、愛してと言えなくて」


昨日は久々に、映画や感動する話以外で泣きました。
今でもこんなに泣けるんだなぁと冷静になった今になって
思い返すと、少々恥ずかしいような気もしてきます。


だからなんだよって? 何なんでしょう(困惑)


なんて自分のくだらない身の上話は捨ておきましょう。
そんな事より最近私はフリーホラーにハマってまして、
特に「殺戮の天使」という作品にベタ惚れなんです。

イケメン包帯兄さんに幸あれと賛歌しつつ、
それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 

 

 

__________すごく、冷たい。

 

手術室から他の部屋に運ばれた紅夜の肌に触れた文が真っ先に思ったのは、肌の冷たさ。

人や生物特有の肉体の温もりが感じられず、ただただ冷たい皮詰めの肉塊を触って

いるかのように錯覚してしまうほど、今の彼の身体は冷え切っていた。

(そりゃあ、これだけ血が流れ出てしまえば当然ですよね……………)

 

 

元々白かった彼の肌は、今や病的なほどに白く、見ていて痛々しく感じる。

文はそんな彼の姿を見るたびに涙を流して叫びたくなる衝動に襲われたが、

眼前で横たわる紅夜の眠りを妨げないように必死に感情を抑えた。

彼がこの部屋に運ばれてどれほどの時間が経っただろうか。

文がそう考え始めた時、真一文字に閉じられていた紅夜の目がゆっくり開いた。

 

「____________ん、うぅん……………」

 

「こ、紅夜さん‼」

 

 

待ち望んだ彼の意識の回復を確認した文はすぐさま彼の名を呼ぶ。

自分の名前を呼ぶ声に反応した彼の眼はしばらく天井をぼんやりと見つめていたが、

やがて相手が誰かを認識したのか、瞳が徐々に文の方へと向けられて定まった。

まだ意識が朦朧としているであろう紅夜の口が開き、微かな声が漏れ出る。

 

 

「あや……………さ…………ん………」

 

「紅夜さん、分かりますか⁉ 聞こえてますか⁉」

 

「えぇ…………きこえ、てます…………」

 

「あぁ良かった…………すぐ、永琳さんを呼んできます!」

 

「…………まって、くださ、い」

 

 

紅夜との会話が成り立ったことに喜んだ文はすぐに永琳を呼ぼうと腰を

あげるが、未だ起き上がることのできない紅夜が小さく彼女を呼び止めた。

彼からの静止の声を聴いた文は少し躊躇するが、紅夜の言葉を聞き入れて座る。

文が腰を下ろしたのを見計らって、紅夜は再び口を開いた。

 

 

「すこし…………はなしを、きいて………ください」

 

「紅夜さん、無理しちゃだめです。何か欲しいものとかはあります?」

 

「大丈夫、です……………お気遣いなく」

 

「まだ安静にしてないと、起きちゃだめですって!」

 

「構いませんよ………………ほら、問題ありません」

 

「紅夜さん…………」

 

 

助けを借りずに一人で起き上がる紅夜を見て、文の胸中に空しさが去来する。

言えば自分が起こすのに助力したのに、という半ば自己的な理由もあるのだが、

彼の表情が、無理やり笑っている表情を繕っているのが見え見えなのが辛かった。

自分の身体が大変な目にあっているというのに、何故彼は無理にでも笑うのか。

そんな状態であっても笑おうとする彼を、誰があんな身体に変えてしまったのか。

聞きたいことが山ほどある。

でも聞いたら彼が傷つくかもしれない。

言いたいことが山ほどある。

でも言ったら彼が悲しむかもしれない。

彼が苦しみながらも吐血して倒れた姿を目の当たりにした文には、

自分が心の中で思ったことを口にする勇気はなかった。

俯いたまま何も言わない文を見て、紅夜が話す。

 

「まずはお礼を申し上げねばなりませんね、本当にありがとうございました」

 

「えっ?」

 

「だって、ここに僕を運んでくれたのは射命丸さんでしょう?」

 

「え、えぇ。そうですけど」

 

「だったら当然じゃありませんか?」

 

「はぁ……………」

 

 

上半身だけ起き上がった紅夜は、そのまま頭を軽く下げて謝意を見せる。

紅夜の謝意を受け取った文は少し混乱したものの、彼の行為を受け止めて

相づちを打つように自分も軽く頭を下げた。

 

 

「………………射命丸さん、一ついいですか?」

 

「え? あ、ハイ。何でしょう?」

 

 

今度は紅夜が下を向いて不意に文に尋ねる。

尋ねられた当の文は若干上ずった声のまま返事を返す。

彼女の返事を受け取った紅夜は、少し間を置いてから話を続けた。

 

 

「ここが医療施設なら、僕の身体を見た方がいらっしゃいますね?」

 

「ハイ、いますけど」

 

「では、その方は僕の身体を何と?」

 

「えっ………………それは、その」

 

紅夜からの問いかけに文は押し黙って再び顔を俯かせる。

だがそれこそが何よりの答えであることに気付いた時には、

既に紅夜も同じ答えに行きついていた後だった。

 

 

「やはり、僕の身体について調べられたんですね」

 

「その、あの、それはですね!」

 

「分かってますよ、仕方ないことくらいは。

怪我した人間の身体を診察しないで医療行為なんて出来ませんからね」

 

「………………………」

 

「ああ、すみません。別に射命丸さんを責めてるわけではありませんよ。

ついでに言えば、僕を診察した方の事も責めてなんていませんから」

 

「で、ですけど」

「僕が気を揉んでいるのは、僕の身体の秘密を貴女が知ってしまったことです」

 

「え?」

 

 

紅夜の口から出てきたのは、怒りによる怒号ではなく、悲嘆。

まるで自分を卑下するかのような暗い笑みを浮かべた彼は、

そのまま視線を不思議そうな表情をしている文へと向ける。

 

 

「僕の身体の事は、貴女に知られたくなかったんですよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「どうかしたんですか?」

 

「どうしたも何も、あなた自分の事分かってたんですか⁉」

 

「ええ、知ってますよ」

 

「知ってますよじゃないですよ‼

ど、どうして知ってて紅夜さんはずっと、ずっと__________」

 

 

_________ずっと、それを知ってて隠してたんですか。

 

そう続けるはずだったのに、その最後の言葉までが出なかった。

何故彼が自分の身体について公言しなかったのか、すぐに分かったから。

紅夜はこの幻想郷に来るまでに、外の世界で『殺人』を犯している。

阿求邸で彼の素性を知った時、少なからずその事実に文は驚かされた。

だが彼は阿求の元を去る時に、明確な意志をもって告げたのだ。

 

 

『でも、何故か「これ以上無闇に殺したくない」と思えるようになりました。

それが良いことか悪いことかは分かりませんけどね』

 

 

紅夜は命の尊さをこの幻想郷に来てから知り、学んだのだ。

そんな彼がどうして今さら、外の世界との因果で苦しめられなないと

いけないのか。関わりを絶った世界での呪縛で身を滅ぼさねばならないのか。

文は外の世界の事を、幻想入りしてきた人間への取材や守矢の巫女の自慢話

辺りからしか推察出来ないが、彼ほど不幸な境遇の者は聞く限りでは想像できなかった。

紅夜は他人を殺した過去があり、またそのことを後悔すらしていない。

だがそれでも、紅夜は微笑みながら阿求にそう告げたのだ。

どうしても文はその時の彼が嘘をついているようには思えなかった。

 

 

「ええ、知ってましたし、隠してました。

僕の身体の事を最初から知っていたのは、パチュリーさんと小悪魔さんだけです」

 

「レミリアさんや、フランさんにも言ってないんですか⁉」

 

「当然でしょう。僕はお嬢様の下僕で、レミリア様はお嬢様の姉君なんです。

僕如きに気をかけるなど、そんな無駄なことをさせては従者の恥ですから」

 

「恥って、そんな事言ってる場合じゃないでしょ‼」

 

「いついかなる時も、お嬢様の為に僕という存在の全てを捧げる。

僕はフランお嬢様の執事になった時に、あの方にそう誓ったんですよ。

お嬢様は吸血鬼で僕は人間、どちらが先に死んでいなくなるかは馬鹿でも分かる」

 

「だからって!」

 

「…………僕は外の世界では、他人に言われるがまま人を殺してきました。

他人を殺さなければ自分が逆に殺される、そんな世界で生きてきた僕を、

紅魔館の皆さんは温かく迎えてくれたんです」

 

「……………………」

 

「その恩義に報いたい、報いなければならない。

だからこそ外の世界で自分の為に使っていたこの『程度の能力』についても、

僕はこの幻想郷で生きている限りは自分の為に使わないと決意したんです」

 

 

そう言って紅夜はいったん口を閉ざし、話を止めた。

彼の話を聞き終えた文は彼の決意についてを理解することは出来た。

でも、だからこそ彼という人間が理解出来なかった。

その困惑が表情に表れたのか、紅夜に顔も見られぬまま告げられる。

 

 

「そんなにおかしいですかね、僕の決意」

 

「い、いえ! そんなことはありませんよ‼」

 

「顔に書いてありますよ、『気味が悪い』って」

 

「そんな事ありません‼」

 

「……………僕は自分の事、最近になってそう思うようになりましたよ」

 

「えっ?」

 

「僕は自分の事をよく分かっていない、だから気味が悪い。

射命丸さんにはもう身体の事も知られてますし、もう時間もあんまりないだろうから

今日の事のお詫びとして話しておきましょうか」

 

「時間が無い……………お詫び? 一体何の事なんですか?」

 

困惑する文を差し置きながら、紅夜は自嘲気味に続ける。

 

 

「お話ししましょう。

何故僕が、十六夜 咲夜を姉さんと呼ぶようになったかを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紅夜、紅夜!」

 

 

血も滴るような深紅の館のロビーを、銀糸の髪の美女が駆け抜ける。

彼女はそのままロビーを抜けて玄関の大きな扉に到着しそれを押し開けて外へ出た。

それでもなお走る速度に近い歩みを止めないまま、館と門の間の庭園を突き抜けて

そこでようやくメイド服を着た少女が立ち止まった。

 

 

「紅夜、どこ⁉ どこなの‼」

 

 

綺麗に整った顔を焦燥に歪ませる彼女は、十六夜 咲夜。

この紅魔館のメイド長である彼女がこれほどまでに焦るのには理由があった。

「早くしないとあの子の時間が……………‼」

 

 

『完全で瀟洒な従者』の二つ名を持つ彼女が焦る理由は、ただ一つ。

最近この紅魔館に同じ従者として参入した少年、十六夜 紅夜の消息が不明だからだ。

もちろん、今までの自分なら(・・・・・・・・)気にも留めなかっただろう。

しかし自分の主人であるレミリアによってもたらされたある事がきっかけで彼女は

事の全てを思い出したのだった(・・・・・・・・・)

 

 

「早く紅夜を探さないと……………美鈴、少し館を空けるわよ」

 

 

先ほど聞かされた話を頭の中で反芻し、重要な部分だけを繰り返す。

閉ざされた門を開けた咲夜は本来門番をしているであろう美鈴に声をかける。

だが咲夜の予想通りに返答は帰ってこず、彼女もまたそれ以上は時間の無駄だと

諦めて先を急ごうとした。

しかし、咲夜の足は門を出て一歩目で止まってしまう。

 

 

「___________なに、この血溜まり…………」

 

 

咲夜が門を一歩踏み越えた直後に見つけたのは、明らかに不自然な深紅の血溜まり。

紅魔館の門前に血溜まりがあること自体異常なのに、さらにおかしいのはその量。

もしも仮にこの血が人間のものであるとすれば、それは明らかに致死量に至っている。

馬鹿げた話ではある。だが、この血が今自分の探している少年のものだとすれば。

それは単純に、かつ明快に、彼の死の宣告と同義であった。

 

 

「ッ‼ 美鈴、美鈴‼ 起きなさい、起きろって言ってるのよ‼」

 

「あ、あうぅ? 咲夜さん? おはよーござーまーす」

 

「こんな時までふざけないで‼」

 

「ハイすいません‼」

 

「あなたここの門番でしょ、ならこの血溜まりは一体何⁉」

 

「え? 血溜まりって___________え、何ですかコレ?」

 

 

急いで門に寄りかかって寝ていた美鈴を文字通りに叩き起こして詳細を尋ねるが、

当の美鈴は口の端から(よだれ)を垂れ流しながら今しがた起きるところだった。

咲夜に起こされた彼女は眼下に広がる異常な量の血溜まりを目撃して固まってしまい、

その行動が咲夜にとっては良くないことが起きていると暗に告げた。

 

 

「この血から、紅夜くんの気が感じられますけど、これって」

 

「やっぱり……………美鈴、他には何か分かる⁉」

 

「え、えぇ? やってみますけどこの血って…………」

 

「いいから早くして‼」

 

「ハイすいません‼ やります、やらせていただきます‼」

 

 

咲夜に急かされて美鈴は自分の程度の能力を発動させ、

血溜まりに残された微かな気(オーラのようなもの)を辿り始める。

そしてものの数秒もしない内に美鈴は血溜まりに残された気を探り当てた。

 

 

「…………紅夜くんの気と、もう一つ気が残ってます。

この気はおそらく、鴉天狗の記者さんの気だと思います」

 

「鴉天狗⁉ 何でアイツが紅夜を!」

 

「流石にそこまでは分かりませんけど、鴉天狗の気は確かに残ってます。

今どこにいるかまでは把握出来ませんが、多分……………」

 

「妖怪の山、ね。分かった……………ここの警備は任せたわ」

 

「咲夜さん? どちらへ?」

 

「分かり切ったこと聞かないで! 取り返しに行くのよ、紅夜を‼」

 

 

気を探り終えた美鈴から事の次第を知っているであろう人物の名と居所を

聞いた咲夜は制止の声に耳を貸さずに程度の能力を発動して眼前から消え去った。

能力で『時間を止めて』移動した彼女に追いつけないことを知っている美鈴は

しばらく血溜まりを見つめた後、意を決したように深紅の館を見上げる。

 

 

「異変の時でも名前を呼ばなかった咲夜さんが、あんなにも必死に紅夜くんを

探しているうえに当たり前のように彼の名前を連呼…………お嬢様が何かしたな?」

 

 

既に門の前で惰眠を貪っていた時の表情はどこにもなく、今あるのは自らの逆鱗に

触れた愚か者への裁きを下そうとする、怒れる華龍の覇気に満ちた顔になっていた。

自分自身の砕きそうなほど握りしめた拳をそのままに、美鈴は門を開いて館に入り、

大地を揺るがさん勢いでロビーの床を踏み鳴らして高らかに叫んだ。

 

 

「レミリア・スカーレット‼ 貴女の従者、十六夜 咲夜への振る舞いで

至急お話したいことがある‼ 御目と通り願えるか‼」

 

 

紅魔館全体が揺れるほどの声量で叫んだ美鈴の放つ気にやられた妖精メイド達が次々と

床に墜落していく中、一階ロビーの上空に数匹のコウモリが現れ、収束して塊となり、

そこからもはや美鈴にとっては見慣れた服装の彼女が姿を現した。

 

 

「随分と荒いイブニングコールね、せっかくの夕暮れが台無しよ。

それで、珍しく私の名前を呼んで一体何事かしら、美鈴?」

 

「とぼけるな。貴女は十六夜 咲夜に何を吹き込んだ?」

 

「失礼な物言いね。私が咲夜に言ったことは事実よ、紛うことない事実のみ」

 

「…………その事実が、彼女を追い込むことを承知でか」

「美鈴、人間とは過去に縛られゆく宿命を背負った生き物よ。

自分自身が犯した罪に気付かせてあげる為に追い込まれるのは必至」

 

「では何故今なんだ! 何故今でなければならない‼」

 

「今だからこそ、よ。弟の(むくろ)の前で自分の罪を認めさせることのどこに救いがあるの?

それとも美鈴、お前には咲夜を過去の罪から救い出す方法が他にあると?」

 

「……………一体何を考えている?」

 

「私が考えているのは、今も昔もただ一つ________『繁栄』よ」

 

「繁栄だと?」

 

「そう、繁栄。吸血鬼と魔女と妖怪と、そして人間。

異なる種の者共が集い、世界に歴史という名の爪痕を刻むの。

その傷跡は我らの栄華を謳い、永久に続く安全の証明となるのよ」

 

「………理解が出来ない。貴女は何故、そこまでする?」

 

お互いに場の空気を振動させるほどの力の波動を放ち続けながらも、

片や優雅に、片や荒く激しく言葉を交えんとする二人。

怒気を発し続けている美鈴と同じ目線に浮かんだレミリアが、彼女の言葉に答える。

 

 

「話題のすり替えが好きなのね、さっきからずっと逸れてるの気付いてる?

それともわざと自分から話題を逸らして言ってるのかしら?」

 

「質問に答えろ、レミリア・スカーレット」

 

「…………ふん、ああ分かった。答えてあげるわ。

何故私が咲夜にそこまでしてやるのか、だったわね」

 

「そうだ」

 

「単純よ、アレは私の下僕であり、駒であり、犬だから」

 

「………………………」

 

「どう? 満足したかしら?」

 

玩具に興味を失くした子供のようにつまらなそうな表情を浮かべたレミリアは

そのまま現れた時と同じように複数のコウモリへとその姿を変えて消えてしまった。

一人ロビーに残された美鈴は今しがた去った彼女の言葉をあらゆる解釈で考え、

やがて答えが出たのか、すっと普段の彼女に戻って一礼した。

 

 

「いやー、どーもすみませんでしたー!」

 

 

二階の自室にいるであろう自らの主人に対して詫び、美鈴はそのまま門へと戻り、

咲夜に言われたとおりに門番としての役割を果たそうと意気込んで息を吸う。

返す勢いで息を吐いた彼女の眼には、怒りも悲しみも無く、ただ透き通っていた。

 

 

「このくらいで乱されてちゃダメですね。さぁ、お仕事お仕事‼」

 

 

そう言って夕暮れ時の空を見上げた美鈴は、確かに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の帳がおり始めた幻想郷、その暗い夜空の下に僕は今、生きている。

明かりが灯った『永遠亭』という医療施設の一室で、僕は射命丸さんに全てを話した。

自分についての全てを、僕という人間についての全てを。

その結果がどうなろうと構わない。僕なりの決心から出した答えだった。

 

 

「___________これがお話しできる全てです」

 

「………………………」

 

「幻滅しましたよね」

 

「………………………」

 

 

射命丸さんは何も答えず、ずっと俯いたままでいる。

僕が話を始めてから今まで彼女は下を向いたまま僕の話を聞いていたが、

唐突に顔を上げた彼女はそのまま部屋を出てしまった。

 

話す相手がいなくなってしまったから大人しく寝る事にした僕をどこからか

覗いている、というより監視している奴がいるのを感覚で発見した。

どうしようか迷ったけど、一応僕を治療してくれた人のいる場所であまり

騒ぎを起こしたくないし、正直言って体を動かすのも辛かったので見逃すことにした。

 

 

「……………射命丸さん」

 

 

今しがた部屋を去った彼女の事を思い返しながら目を閉じる。

本当に彼女にこんな事を話してよかったのか今さらになって不安になってくるが、

どうせ長くも無い命だ、せめて彼女には隠し事も無く消えて逝きたい。

 

 

「最後に、もうひと眠りしますか………………」

 

 

そろそろ覚悟も決めなきゃいけない頃合いだし、一度気を休めるとしよう。

ゆっくりと目を閉じ行く中で、僕が最後に考えていたのはやはり、彼女の事だった。

 

 

「お嬢様、こんな僕を愛してくださって_________________」

 

 

 

 

____________ありがとうございました

 

 

 

 









いかがだったでしょうか?

ご意見ご感想をお待ちしております。


それでは次回、東方紅緑譚

第四十話「紅き夜、さよならも言えなくて」


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第四十壱話「紅き夜、さよならも言えなくて」



お待たせしてしまって申し訳無いのです。
ですが、この謝句書くのも四度目なのです。
PCのご機嫌が行方不明でまさかのテイク4なのです。

最近艦これにハマって、電(いなずま)がお気に入りなのです。
ドーモ、クチクカン=サン。テイトクデス!

最初の挨拶が迷走してきたところで始めましょう。
これ以上のテイクアップは御免被りたいので。


それでは、どうぞ!





 

 

結界によって断絶された幻想郷に、夜の帳が下りる。

それはこの幻想の世界で生きる者なら誰しもが知っている、常識が変わる時間。

人里に住まう人間たちは皆、自らの帰るべき家へと帰ってヒッソリと息を潜める。

何故なら彼らは、夜が自分達の常識が通じない世界に変貌すると知っているから。

例えどれだけ酒を飲むのが好きな人間でも、決して夜通しで酒を飲むことはしない。

夜になると人間が出歩いてはいけない、その規則を破るとどうなるか知っているから。

 

しかしそんな夜の中を、人間の少女が、たった一人で息を乱して走っている。

自身の着ている服が汚れるのも厭わないと言うように、全速力で両足で大地を蹴る。

月と星の小さな明かりに照らされて映し出されたのは、銀糸の如き髪を三つ編みにした

奉仕の心を大前提とした職種の人間が着用する服の少女、十六夜 咲夜の姿だった。

 

 

「紅夜、お願い…………どうか無事でいて‼」

 

 

咲夜はその額や首筋に珠のような大粒の汗を幾つも流しながらもそれを拭う暇すら惜しむかの

如く腕を振り、足を必死にまわして、普段の彼女からは想像出来ない姿で疾走していた。

自らが仕える主人が見たら仰天するであろう必死さの裏には他人に話せない理由があり、

またその理由のために彼女は人の出歩かない夜の世界に繰り出したのだった。

ただ、何も彼女は目的もなく走っているわけではなく、自分の本来の暮らす場所である紅一面の

紅魔館から発って既に十数分が経過しようとしていた時、彼女は目的地に辿り着いた。

 

 

「ここに…………いるはず」

 

 

全力疾走しきった彼女が息を整えながら見上げたのは、巨大な木々がうっそうと生い茂って

風に触れるたびに獣の呻き声のような音が聞こえてくる、不気味な雰囲気の漂っている霊山。

いわゆる『妖怪の山』と呼称される人ならざる怪異極まるモノたちの集い住まう魍魎の巣の前で

咲夜はいつも以上に目つきを鋭く尖らせ、眼前にそびえたつ圧倒的な自然の産物を見据える。

そしてそのまま息を整えてすぐに一歩目を踏み出し___________歩みを止めた。

 

 

「…………………………」

 

 

せっかくここまで来て何故彼女は歩みを止めてしまったのか。

それは並の人間では察することすら出来ない、彼女のような闘争が日常茶飯事となった人種の者

だけが感じられる気配、すなわち殺気が放たれているのを肌で感じとったからである。

一歩目を踏み出してから次の動作を行わない彼女の前に、三人の人影が舞い降りて告げた。

 

 

「___________人の子よ、このような夜に何用だ?」

 

「……………貴方達に話す言葉は何も無いわ」

 

「ほほぅ、言うではないか小娘が!

神通力も妖術すらも持たぬ人風情が生意気に‼」

 

「落ち着け地丹坊、袈淀坊もだ。

人間よ、ここが人の立ち入りを禁ずる妖怪の山であることは知っていような?」

 

「話すことは、無いと言ったのよ」

 

「…………そうか、我々山を守る天狗に対してその口の聞き様か。

ならば人の子よ、掟を破った愚か者として今ここで__________処す‼」

 

「そうこなくてはな堂陽斎!

さぁ名も知れぬ愚か者、神妙に阿鼻獄縄につけぃ‼」

 

「…………本来は地獄の縄ではなく普通の荒縄につけるのだがな。

今現在、この妖怪の山には侵入者の報を受けて(・・・・・・・・・)厳戒態勢が布かれている。

河童の娘と白狼の子らを襲った侵入者を拿捕すべく儂ら鴉天狗も哨戒にあたっておったのだが、

関係があろうと無かろうと、今この山に近づこうものならその命、散らしてくれようぞ‼」

 

 

咲夜の前に現れたのは闇に紛れるように黒い翼を羽ばたかせる天狗の面を付けた三人の男達。

彼らはそれぞれ六根(修験者用の棒状の獲物)を振り回して自分達のリーチの活かせる範囲まで

近付き、やがて一斉に三方向から飛び掛かるようにして咲夜の眼前にまで迫る。

しかし咲夜は至って冷静に息を整え、両手を顔の横にゆっくりと移動させて目を見開いて呟く。

 

 

「私は『退きなさい』とも『邪魔しないで』とも言わないわ」

 

眼前に漆黒の殺意をばら撒く天狗達を迫らせながらも咲夜はそう告げ、ただ一度だけ目を閉じ。

 

 

「_______________『消えなさい』、告げるとしたらそれだけよ」

 

 

再び目を開けると同時にナイフで三人の全身を刺し、彼らの背後に既に回って口を閉じていた。

三人の天狗は自分達の身に何が起こったのかまるで理解も把握も出来てはいなかったが、

それでも彼らはただ一つだけ咲夜に対して知れたことがあった。

 

それは、彼女の全身から香る、拭うこと叶わぬ"血の匂い"。

 

空中から音を立てて地面に同時に落下した三人の天狗は、知らぬ間に自分達を通り過ぎて山へと

立ち入ろうとする銀髪の人間の小娘に対して、全く同じにそう思いながら意識を手放した。

 

「…………取りあえずはこれでいいかしら。

それと、気付かれてないとでも思ってるならすぐに嶮山にしてやるわよ」

 

 

先程のようにいつの間にかその両手の指の間に銀製のナイフをびっしりと装備して呟いた咲夜の

前に、音も無く山の木々の間を縫うようにして一人の白狼天狗の少女が姿を現した。

 

 

「貴女、確か文とよく一緒にいる………………」

 

「私を文さ___________山の裏切り者と一緒にしないでもらおうか。

それに貴様、今哨戒中の鴉天狗達を『時を止めて』ナイフで刺したな?」

 

「あら、流石に私の能力は知ってるのね。

なら話が早くて助かるわ……………死にたくなければ文の居所を吐きなさい」

 

 

再び足を止めた咲夜の前に現れたのは、白狼天狗の犬走 椛であった。

自身の身の丈の半分はあろう大剣を右手で振りかざしている彼女はそのままゆっくりと近付き、

咲夜の後ろで倒れて動かない三人の天狗を横目で少しだけ見つめてから向き直る。

だがその時には既に咲夜の姿はどこにも無く、焦る椛の首筋にはナイフが添えられていた。

 

 

「___________なっ、貴様⁉」

 

「二度も同じことを言うのは時間の無駄って言うのよ、いくら時間を止められてもね。

さぁ、早く吐きなさい。嫌なら嫌で構わないわ、その時は殺すだけだもの」

 

「…………何故だ、何故あいつを?」

 

「理由なんて今はどうでもいい、早く話しなさい。

貴女を殺すのにだって時間がかかるのにそれ以上もかけるのは全くの無駄よ!」

 

「……………私の知っているお前は、吸血鬼に仕える人間という居場所に誇りを持っていた。

例え種族は違っても、大君に己が全てを捧ぐ覚悟については同感出来てはいたんだが、

今のお前からはそれが全く感じられない」

「黙りなさい」

 

「今のお前はまるで、何かを失う事を恐れているように見える」

 

「黙りなさいと言ったでしょう。それとも、死にたいの?」

 

「……………………………知らない」

「え?」

 

「聞こえなかったか? でも私は二度も言わないぞ。

二度も同じことを言うのは時間の無駄、と言うんだろ?」

 

「くっ‼」

 

「私が知っているのは、今朝がた妙に浮かれながら山から吸血鬼の館の方まで

いつも以上の速度で突っ走っていったことぐらいだ。後は何も知らない」

 

 

首筋に月明かりを反射して鋭い光を放つナイフを押し当てられながらも毅然とした態度で

そう言い放った椛に、咲夜は何も言い返すことが出来ずにナイフを戻して押し黙る。

しばらくの間そうして二人の間に沈黙が流れたのだが、不意に咲夜が椛の眼前から姿を

消し、以降音も影も無く椛の視界の届く距離内には現れなかった。

張りつめていた緊張の糸を敵の姿が消えたことで気が緩み、誰もいない夜空に語り掛ける。

 

 

「一体、今どこで何してるんですか……………文さん」

 

 

悲しげに呟いた彼女の言葉は、誰にも届かないまま夜の闇に呑まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の風に立ち並ぶ竹林の葉がそよぎ、微かな音を連ならせる。

それによって枝から離れた細長い葉がゆらゆらと風に流され、妹紅の前に舞い落ちた。

地面に落ちてもなお風で飛ばされそうに揺れる葉を見つめている妹紅はある人物を待って

『迷いの竹林』と呼ばれる竹林に夜もすがら立っているのだ。

そのままの状態で待つこと数十分、彼女の寄りかかっている建物の横開きの戸が開いて

中から待っていた人物が姿を見せた。

 

 

「よぉ、遅かったじゃんか」

 

「……………………………」

 

 

妹紅が顔も見ずに声をかけた相手はそのまま彼女のわきを通り過ぎて竹林へと歩を進めていく。

しかし人を惑わす竹林の案内を任されている身としてはそれを見過ごせるはずも無く、

無言のまま立ち去ろうとする黒髪の少女に慌てて再度声をかける。

 

 

「おい待てって! つーか帰るのか? あの男はどうすんだよ」

 

「………………ほっといてください」

 

「は? お、おいどうしたんだよ」

 

「…………いいんです、一人で帰れますから」

 

「そうじゃなくてよ、だからさっきの男は___________」

 

 

妹紅は眼前の鴉天狗の少女、射命丸 文に対して投げかけようとした言葉を飲み込む。

出かかった言葉を頭の中で反芻し、目の前で明らかに普段とは違う態度を見せている彼女を

見比べて、自分の口にしようとした言葉が最悪の想像を通過したと考えたからだった。

自分を呼び止めてから何も話さなくなった妹紅をほんの一瞬だけ一瞥しただけで何も言わず

文はそのまま彼女と竹林の中にひっそりと建つ永遠亭に背を向けて歩き去ってしまった。

 

案内を頼んでおいて自ら帰りのそれを身勝手に断ってしまった文は帰路につきながら

黙って行ってしまった事への謝罪を軽く胸の内で告げながらも、全く別の事を考えていた。

今の彼女の頭の中にあるのは、先程永遠亭の一室で聞いた"彼の話"の一部始終。

話を聞いてしまった今でも、文は彼の話した全てが嘘であってほしいと切に願っていた。

しかし彼の話を思い出していく中で"ある一言"に辿り着いた彼女は竹林の中で立ち止まり、

しばらくの間立ち尽くして何かブツブツと呟いてから俯いていた自身の顔を大きく見上げさせ

暗く染まった幻想郷の空を熱の籠った視線で睨みつける。

 

 

「今からでも、遅くはないはず‼」

 

 

風で竹の葉が揺らめく竹林の道中で顔を上げた文の表情に先程までの陰りは一切見当たらず、

逆にふつふつと湧き上がる覚悟を宿したような決意溢れる別人のような表情になっていた。

文は目元にいつの間にか浮かんでいた涙を拭い去り、固めた決意を表すように声を荒げる。

 

 

「すぐ探せば間に合うかもしれない…………いえ、見つけ出すわ‼」

 

 

誰に告げるでもなく文は大声を上げてそのまま上空へと飛び上がって竹林を抜け出し、

彼女が誇りとする幻想郷最速の速さを用いて目的地へと一路邁進していった。

 

 

この幻想の世界で最速の名を冠する彼女にとっては、千里など瞬きに等しい距離であろう。

まさにそう裏付けるが如く永遠亭のある迷いの竹林から目的地である吸血鬼の住む紅い館、

紅魔館まではわずか数分で辿り着くことが出来た。

文はその速度のまま石橋に着地し、眼前にそびえる館の前にある重たげな鉄扉へ目を向ける。

そして自分の向けた視線の先に人影があることを確認し、その人物のいる場所へと歩き出して

目前まで迫ったところで慎重に声をかけた。

 

 

「夜分遅くに失礼します。少し聞きたいことがあるんですがよろしいですか、美鈴さん」

 

「本当に夜更けに失礼ですね~、それで? 何の御用ですか?」

 

 

懇切丁寧な口調で頼み込もうとする文に対し、慇懃無礼な口調で返してきたのは門番の美鈴。

普段の彼女からは想像もしていなかった切り返しに若干驚きながらも文は話を続ける。

 

「え、ええ。実は咲夜さんの事を探しているんですが、今いらっしゃいますか?」

 

「あー、咲夜さんですか。今ちょうど出払っちゃってるんですよね」

 

「そ、そうですか……………」

 

「いやー間が悪くってすみませんね。

何でも『天狗に連れ去られた弟さんを助けに行く』とか何とか言ってまして」

 

「え⁉」

 

「ホラ、夜だから見えにくくなってますけどそこにシミがあるの見えます?

夕方くらいに発見したんですけど、うちの従業員の血溜まりがあったんですよ。

それを見た咲夜さんが血相を変えて出ていったきり未だ帰ってこないんです」

 

「…………………」

 

 

もはや口調から敵意すら感じられる美鈴の言葉に文は警戒心を露わにし、

両足に力を込めていつでもこの場から離脱できるよう体勢を整えてから、

改めて美鈴に向かっていく姿勢で言葉をつなげた。

 

 

「美鈴さん、言いたいことがあるならはっきり言ってくれて構いませんよ」

 

「え、いいんですか? それじゃお言葉に甘えまして」

 

「……………………………」

 

「どうして紅夜君に攻撃したのか、私が知りたいのはそれだけです」

 

「攻撃なんて‼」

 

「してない、とでも言える立場だと思ってます?

半日行動を共にして、別れ際にお互いが行方不明になり、

あまつさえ二人が最後に分かれた場所には尋常ではない量の血痕がある」

 

「………………………」

 

「ここまでの状況証拠がありながら、まだ反論できますか?」

 

一気に口調を強めた美鈴の一言に押し黙ってしまった文。

そんな状態の文を身長差的にも上から見下ろすようにして迫る美鈴だが、

不意に彼女がうっすらと微笑み、そしてついには声を上げて笑い出した。

何が起きているのか理解できない文だけが現状に置いて行かれた構図になっている

門の前で、二人はしばし微妙な空気に包まれた。

やがてひとしきり笑い飛ばした後で美鈴が文に打って変わって優しく語り掛ける。

 

 

「いや~すみません、意外と本気にしたもんだからつい!」

 

「え……………えっ?」

 

「まあつまり、私は別に怒ってなんていませんのでご安心を!

あー、でも咲夜さんの事については本当なんですけどね」

 

「はぁ……………え、咲夜さんの事って⁉」

 

「だから、紅夜君の事を心配して飛び出していったって事ですよ」

 

笑い飛ばすように語られた美鈴の言葉に文だけは顔をこわばらせて意味を反芻する。

目の前にいる美鈴は冗談だと笑い話で済ませてくれているようだが、肝心の咲夜が

本気にしているとなると話は変わってくる。

一気に場の空気が急変したことに文だけが気付き、ふと気配を感じて振り返る。

そして次の瞬間、文の視界を覆い尽くすほどのナイフの群れが彼女に迫っていた。

 

「ッ‼」

 

「あちゃ~、またスゴい時に帰ってきましたね、咲夜さん」

 

「……………これはどういうことかしら、美鈴」

 

「どういう事も何も、こういう事ですかね?」

 

「…………後で遺言だけは聞いてあげる。でも今は何よりこっちよ」

 

「咲夜さん! 良かった、会えて! 私の話を聞いてください‼」

 

「話? 私の弟の血をあれほど流させた事に理由でもあるって言うの⁉

一体どんな理由ならあの子を傷つけることが出来るって言うのよ‼」

 

「咲夜さん…………?」

 

「私が貴女に聞きたいのはたった一つだけよ。

今あの子は、紅夜はどこにいるのか…………………早く答えなさい‼」

 

 

ナイフの軍勢を持ち前の速度で辛くも回避しきった文の前に、ナイフを両手にそろえて構える

紅魔館のメイド長こと十六夜 咲夜が敵意をむき出しにしながら現れた。

明らかに敵対している彼女を見据えながら文は少しずつ彼女と距離を詰めて何とか

話し合いに持ち込もうと画策する。

 

 

「…………咲夜さん、まずは私の話を落ち着いて聞いてください」

 

「話を聞いてください、ね。いいわ、どんな言い訳があるのか聞いてあげようじゃない」

 

「………………美鈴さんもいいですか?」

 

「構いませんよー」

 

 

お互いの戦闘体勢を解いてもらってから文は初めて安堵し、ふぅと息を吐き出す。

その間も咲夜は苛立ちや焦りといった感情を隠そうとしないまま文の前に立ち、

美鈴もまた底抜けしたような笑顔のままで文が話し始めるのを待った。

しばらく間を溜めて、絶好のタイミングだと確信した瞬間に文が口を開く。

 

 

「まず紅夜さんの事ですが、今は永遠亭にいます」

 

「永遠亭…………あの子がそこにいるって保証は?」

 

「私はつい先ほどまでそこにいました。

あの時ここで紅夜さんと別れようとした時、唐突に紅夜さんが苦しみ始めたんです。

そしてみるみるうちに血溜まりが広がって、彼は完全に意識を手放してしまいました。

危険な状態だと察した私はすぐさま彼を永遠亭まで運び込んだんです」

 

「………………………」

 

「嘘は言ってないと思いますよ咲夜さん」

「判断するのは私よ。それで、あの子は?」

 

「……………その前に咲夜さん、一ついいですか?」

 

「聞いているのはこっちなのだけれど?」

 

「………………あなたは紅夜さんの事を良く思ってないんじゃなかったんですか」

 

「ッ‼」

 

 

質問を質問で返した文の言葉に咲夜が目に見えて動揺し、表情を歪める。

そんな二人を一歩下がった立ち位置で美鈴は見つめ、話には口を出さずにいた。

しばしの静寂の後、文からの問いかけに咲夜が唇を噛み締めるように答えた。

 

 

「____________そうよ。いえ、そうだったわ」

 

「やはりそうですよね。目を覚ました紅夜さんから聞いたんです。

この幻想郷に来てから起こった色々な出来事の中でも咲夜さん、

あなたとの思い出だけが形に残らないままで残念だったと」

 

「………………山の新聞屋が偉そうに、姉弟間の問題に口を出せるの⁉」

 

「姉弟も何も、血がつながって無いんでしょう‼」

 

「ど、どうして…………どうしてその事まで」

 

「紅夜さんが、教えてくれました」

 

「咲夜さん、話だけでも聞いてあげていいんじゃないですかね?」

 

「……………判断するのは私だって言ったでしょ‼」

「でも他人の話を聞いてあげなかったから、彼の事をしっかりと理解してあげないから

今こんな事になっちゃってるんでしょう?」

 

「それは……………………」

 

 

今まで口を閉ざしていた美鈴の核心を突く一言に咲夜は俯いて黙り込んでしまう。

文との会話の中で自分がどれだけ彼の事を心配している『つもり』だったのか、

塗装が剥げたような、剥き出しの自分を支えられなくなっていく感覚に見まわれ、

咲夜は覇気も闘気も完全に失せた表情で文を見つめて半泣きになって呟く。

 

 

「お、教えて。私はあの子に何をしてあげられるの……………?」

 

「咲夜さん、今すぐ永遠亭に向かってください。

今ならまだきっと、きっと間に合うはずですから‼」

 

「…………咲夜さん、今夜はお嬢様達の事は私が何とかしますので。

だからあなたは自分のしたいことを悔いのないようにやり遂げるべきです」

 

「美鈴…………」

 

 

涙ぐみながらに呟いた咲夜の言葉に文は自身も祈るような気持ちで答え、

二人の後ろにいた美鈴が咲夜の中にあった最後の心残りを取り払い、

彼女に後悔しないようにと励ましの言葉を投げかけ、背中を送り出そうとした。

文と美鈴の言葉を聞き、咲夜は二人に背を向けて一目散に駆け出していった。

紅い館の門前で残された二人は見つめ合い、どちらからでもなく話を続ける。

 

 

「容体はどうでした?」

 

「あ……………えっと、その」

 

「私は彼の身体の事なら知ってますんで話しても問題無いですよ」

 

「えっ、知ってたんですか?

でも紅夜さんはあなたも知らないだろうって」

「ほとんど毎日組手してましたからね、私と彼は。

それに私の能力は相手の持つ『気を探る』事が出来るんですよ?

彼の身体が既に限界間近だったって事もお見通しだったんです」

 

「そうでしたか………………永琳さん曰く、もう救う手立ては無いそうです」

 

「やっぱりそうなっちゃいますよね」

 

「そうなっちゃうって、美鈴さんはそれで諦められるんですか⁉」

 

「出来ませんよ。私の仕事は主人を守ることともう一つ、

私の後ろにある紅魔館の、そこに住まう全ての住人の安全を守る事ですからね。

彼の事も守りたいに決まってるじゃないですか」

 

「だったら!」

「…………既に助からない命なんですよ。

それなら逆に、その次の事を考えるべきじゃないかなーと」

「その、次?」

「今から言うことは新聞に載せたりしたらダメですよ?

実はパチュリー様が図書館でとある魔法陣の構築作業を行っていまして。

その魔法陣さえ完成すれば、紅夜君の命をどうにかすることが出来るそうなんです」

 

「ホントですか⁉」

 

「あくまで可能性があるってだけらしいですけどね。

それにどんな魔法かなんて聞かれても困りますよ、専門外なので」

 

「そ、そうですか!

紅夜さんは助かるかもしれないんですね…………………」

 

 

紅魔館のすぐ隣にある霧深い湖の水面に夜空高く煌々と輝く月の光が映し出され、

門の前で語らう二人の目にもその反射された光が映り込む。

美鈴の目にはその光が優しく穏やかに見えたのだが、文は逆にその光が残虐なものに見えた。

先程まで彼の話題で必死になっていた彼女だったが突然何かを思い出したようにハッと

顔を下に向けて俯き、そのままフラフラと逃げ出すように歩き去ろうとする。

 

 

「あれ、どうかしたんですかー?」

 

 

様子が急変したことに気付いた美鈴が声をかけるも、文は反応することなく歩き出し、

やがて美鈴の目が暗闇のせいで文を捉えきれなくなった直後に、彼女は夜空に飛び去った。

美鈴に何も言わずに飛び去っていった文は空を来た時ほどではにしても尋常ならざる速度で

飛行しつつも、目の端に浮かんだ大粒のしずくを拭うことなく一人呟く。

 

「今更彼が助かるかもしれないとしても、もう私には関係無いじゃないですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は彼に_______________利用されてただけなのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹林に生える竹の一本一本が、まるで予期せぬ事態の襲来に怯えるように

ざわざわと大きな音を立てながら揺れ動き、小さな葉を風に乗せて散らしていく。

そんな情景を見ることが出来る永遠亭の一室に今、外の状況を把握することすら

困難になってしまっている一人の少年がいた。

 

少年は布団の中で横になり、ピクリとも動かない。

否、彼は動かないのではなく、動けなかった。

全身に走る激痛、脳裏に浮かぶ様々な記憶、感覚の麻痺した呼吸器官。

彼の肉体はもはや生命維持すら困難を極めるほどに衰弱しきっており、

刻一刻とその血液を送り出す臓器の停止する時が迫っていた。

 

 

「__________『生命は定められた時の中にこそあるべし』とは、よく言ったものね」

 

 

そして今にも命の灯が掻き消されようとしている少年のそばには、

腰より下にまで伸びる長い長い黒髪をあそばせた見目麗しい少女が鎮座していた。

少女は少年に何かを語って聞かせるが、少年はその言葉に答える気力すら無く、

ただただ掠れ、小さくなっていく自分の呼吸の音を聞くことしか出来なくなっていた。

 

 

「__________何か言い残す言葉はあるかしら?」

 

 

返答が返ってこないことを確認しながらも少女は少年にそう語り掛ける。

すると今度は言葉にしっかり反応を示し、閉じかけていた(まぶた)をうっすらと開いて

目をゆっくりと動かして少女を捉え、震える唇から微かな声を絞り出して答えた。

 

 

「………………こ、の……………幻想きょ……………あった」

 

「__________『この幻想郷で出会った』、次は?」

 

「…………ぼ…………かか、わっ……………べて……………とに」

 

「__________『僕と関わった全ての人に』、それで?」

 

「………………あり、が…………と………………ざい…………す」

 

「__________それだけでいいの?」

 

「……………………………」

 

「__________そう、分かったわ」

 

 

ゆっくりと、か細く、少年はこの世に自分の存在を残そうと力を振り絞り、

名前も姿すらもはっきりと見えていない少女に最期の言葉を託そうと口を開く。

もしかしたら今際の際に見た幻覚だったのかもしれない、と薄れていく意識の

どこかで客観的に分析しながらも、その幻覚の少女にしか、今は頼れなかった。

自分の伝えたい事の全てを吐き出した少年の口は半開きのまま動かなくなり、

一瞬だが上向きに、微笑んだような形に曲がった直後に閉ざされ、静止した。

少年の目も口も、何もかもが静止したことを確認した少女はしばらく

彼の真横に居座りながら窓の外に映る竹林越しの月夜を見上げていたが、

やがて何を思ったのか立ち上がり、部屋の横開きの扉に手をかけて開く。

横たわって動かなくなった少年に顔を向けないまま、背中越しに少女は告げる。

 

 

「___________さよならは、言わなくてよかったのね?」

 

 

そう告げた彼女の言葉に誰も答えることは無く、

少女もその後は何も言うことなく扉を閉め、どこかへ歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










やっと書けたと思ったらすごく酷い締まり方になってた。
前はもっと、もう少し上手く書けてたはずなんだけど。

やっぱり忙しさにかまけて執筆を怠るとこうなるんですね。
じっくりと反省を自分自身に言いつけておきます。

この作品もあと少しで最終章だっていうのにこの文才、
涙無しには語れませんぜ本当に。
他の方の作品を参考にしようにもレベルが違い過ぎてまぁ
こちらも涙無しには(以下略


次回はなるべく早く投稿したいです。というかします。


それでは次回、東方紅緑譚


第四十壱話「瀟洒な従者、時の針は無慈悲に進む」


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第四十弐話「瀟洒な従者、時の針は無慈悲に進む」



なるべく早くに投稿すると言っていたんだが、
スマン、ありゃ嘘だった(コノキタナラシイアホガー)
本当に済みませんでした。完全にサボってましたハイ。

これ以上謝り倒すのも恒例化してきているので
とっとと本編始めちゃいましょうか。


それでは、どうぞ!


 

 

 

この幻想の世界でしか見られない一面の星空に、輝ける欠けた月の魔性の光。

それら全ては等しく平等に空の下で暮らす者達に降り注ぎ、各々の何かを思い起こさせる。

ここにもそんな月を見上げて想いを馳せていた一人の少女がいた。

吸い込まれそうなほど暗黒一色の空に光る月を見つめながら空を往くのは、

つい先程まで紅い館の前にいた黒髪の天狗、射命丸 文だった。

彼女は門番の美鈴に別れも告げずに館から出立して今の今までこうして

普段の彼女からは考えられないほど遅い速度で空を飛行していた。

そんな彼女が向かっているのは、自分の家がある帰るべき場所。

魑魅魍魎跋扈し妖怪共が根城とする、人を排他し続けてきた霊山こと妖怪の山である。

夜も深まって、いよいよな雰囲気を醸し出す自分の住まう土地が見えてきた文は飛行する

速度をより一層落として着陸できそうな場所を目視で探し始める。

すると普段は目にしないあるものを見つけた彼女はその場所へと降り立った。

 

 

「待っていたぞ、裏切者」

 

 

文が降り立った場所で待っていたのは、白い毛並みが特徴の天狗少女、椛だった。

彼女は空から降りてきた文に向けて右手に持つ巨大な大剣の刃先を突き付けて、

元より鋭く尖っていた目元をさらに釣り上げて憤怒を体現するような表情のまま

先程の言葉を憮然と言い放った。

 

 

「……………これは何の真似ですか」

 

「しらばっくれるな、薄々気が付いてはいるんだろう?」

 

「……………何の事ですかね」

 

「とぼけるな‼」

 

 

怒り心頭といった椛の態度に驚くこともなく文はただ冷静に会話を試みるも、

相手の彼女はその言葉に耳を貸そうとはせずに剣の切先を震わせて怒鳴った。

 

「お前のせいでにとりは‼ にとりは部下達と同じ症状に陥ったんだぞ‼」

 

「なっ、にとりさんが⁉」

 

「そうだ! お前があの時、にとりの言葉に耳を傾けていなければ‼

馬鹿なことを言って期限なんて与えなければアイツは、こんな事には‼」

 

「……………そうですか」

 

 

椛の怒号に文は弁明をするでもなく、力無く俯いて黙る。

彼女の言う『あの時』というのは、自分と二人で友人である河童のにとりのいる

研究所へ侵入者の報を聞きつけて向かった時のことを言っているのだろうと記憶を

掘り起こして、その前に椛の語った重大な部分について俯いたまま文は思考する。

 

つい先日、彼女らの住まう妖怪の山で哨戒中だった三人の白狼天狗が全員

意識不明の重体で明朝発見され、その後も意識が回復せずに眠ったままでいるという

妖怪の山始まっての未曽有の大問題が発覚し、鴉天狗の間にも広まっていった。

その中でも文は同じ白狼天狗の椛が「侵入者らしき者を見かけた」という事実を

ひた隠しにしていたことを偶然突き止め、二人で見回りをしていたところ、

椛の見かけた不審者と特徴が合致する者が再度現れたために目撃証言のあった

河童のにとりの研究所へと足を運んだのだ。

 

今椛が言っていたのはおそらく、その後の話だろう。

現に自分が紅夜から手紙を貰って浮かれていた間の数日、この妖怪の山も何やら

騒がしく感じたこともあったのだが、そういう事だったのだろうか。

 

 

「悪いが私は山を守護する白狼の者、鴉天狗と共謀して侵入者発見の報を遅らせる

などどいった不祥事については一切の関与を否定し、またそれを事実とさせてもらう」

 

「…………椛、アンタ私を売るつもり?」

 

「当然。誰のせいでにとりや皆が酷い目にあったと?」

 

「……………そう、そうね。そういう事にしておきたいのね」

 

「…………あなたはどうしてそういう事にだけは頭が回るのか。

でも今回に限って言えば察しがよくて助かると言うべきなのか」

 

文は一度下げていた頭を挙げて椛と正面から向き合って彼女の目を見つめ、

話の中で出てきた言葉や表情などからここに至るまでの一部始終の流れを悟った。

 

つまり今、文は瀬戸際に立たされている状況にある。

数日前に自分と椛の二人が発見した容疑者と思わしき人物はにとりと共にあり、

その彼女は先日の白狼天狗の被害者達と同じ症状に陥って何も聞けなくなった。

ところがその侵入者の事を一時的にでも文が匿おうとにとりに提案してしまった為に

報告を受けた椛の上役、白狼天狗のお偉方は好機とばかりに鴉天狗の文のみを激しく

糾弾して、山全体の、ひいては妖怪としての鴉天狗の立場を下げようと画策しているのだと

気付き、あえて全てを言いきらなかった友人の椛の度量に感謝したのだった。

 

普段の文ならばお偉方絡みの黒い話は待ってましたとばかりに自分から喰らいついて

自分の手掛ける新聞の絶好のネタにするところなのだが、今の彼女にはその程度の

ゴシップなど歯牙にもかけないほど落ち込んでしまう訳があった。

だからなのか、文はうっすら微笑むと自嘲気味に小さな笑い声を挙げつつゆっくりと

椛に近付いて両手を差し出し、呟いた。

 

 

「…………いいですよ、私をどこへなりと連れて行きなさい」

 

「…………正気? 今度は何を企んでるの?」

 

「別に何も。ただ、そうですね……………もうどうでもいいんですよ」

 

「どうでも、いい?」

 

「ええ。今の私にはもう、反抗する気力すらも湧きません。

どうせ抗ったところで何も変わりませんし、それに……………」

 

「……………それに?」

 

「いえ、何でも。それより早くしなさいよ、しょっ引く相手が目の前で待ってるのに

ボーっと突っ立ってる間抜けな哨戒がどこにいるのよ。ホラ早く」

 

話を妙なところで打ち切った文に不信感を抱きつつも椛は「分かっている」と覇気の無い

溜め息交じりの呟きで返し、文の差し出した腕に南京錠付きの重たげな手枷を装着し、

肩を掴んで山の中腹にある天狗の里めがけて重くのしかかる一歩を踏み出した。

自分を連行している椛を横目に見つめながらも文はふと空へと目を移し、

満点に輝く星空を見上げて両目の奥に何か熱く溢れる液体を感じつつ歩を進める。

 

(さようなら、紅夜さん)

 

 

椛にも、そして自分の心にも、嘘をついたままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文が妖怪の山に辿り着いたちょうどその頃、彼女よりも早く紅魔館を飛び出して

出ていった咲夜は今、文の証言通りに人里を越えた先の迷いの竹林の最奥部へと向かっていた。

時間帯が時間帯だからか道中で月明かりに()てられて力を増した妖怪や妖精に絡まれたものの、

自分の持つ『時を操る程度の能力』の応用である時間停止を使って足を止めることなく切り抜け、

やっとの思いで息も衣服も乱しつつ目的地のある地域までやって来た。

眼前で風に踊らされる闇の中の竹林のざわめきにほんの小さな恐怖を心の奥底で感じつつも、

月の淡い白光に銀糸の如き三つ編みをまとわせた咲夜はそのまま竹林の中へと歩を進めた。

 

 

「紅夜……………本当に、ここにいるの?」

 

 

不安が混じったような声色で呟かれた彼女の言葉は竹林の中で時折吹き抜けていく風に

弱々しく押し負けて流され、自分以外の誰かに届くことなく消えていく。

竹林の中へ進んでから上空からの微かな明かりでさえも遮られてしまい、

足元ですらも注視しなければならないほどの暗闇の中を咲夜はただただ突き進む。

彼女の胸中は、ただ一人の少年への想いだけで埋め尽くされていた。

 

 

(待っていて紅夜。今度こそ(・・・・)私が迎えに行くから(・・・・・・・・・)‼)

 

 

暗闇の中を銀髪の少女はただ、前へ前へと進んでいく。

それはまるで戻ることを知らない、時を刻み続ける時計の針のように。

しかし時計の針は同じ場所を巡り、その度に同じ時を繰り返し数える。

今まさに咲夜は時計と同じように、進みながらも過去を見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十六夜 咲夜という名前は、その少女の本名ではなかった。

実のところ、彼女自身にすら本当の名前は分かっていない。

普通なら生まれてきた子供には親が名前を付けるのが常識的だろうが、

彼女はいわゆる、その常識に当てはまらない環境の中で生まれてしまった。

 

咲夜が物心ついた時には既に、彼女自身の自由は奪われていた。

徹底された支配の下に目覚め、管理された時間を過ごし、統一された時間に眠る。

そんな奴隷に近い日々を咲夜は送り続け、人生を無為に過ごしていった。

それでも生まれてから十年と経っていない少年少女からすれば束縛や監視など

理解不能で納得のいくものでは到底なかった。

故に咲夜は施設での暮らしを思い出せる範囲からスタートさせた三年目の年に

自分を狂気じみた実験や訓練の場へと連れていく白衣の大人に尋ねてみた。

 

 

「どうしてこんなことをするの?」

 

 

それが咲夜の、彼女の『人間として』口にした最後の言葉だった。

 

咲夜が大人に疑問を投げかけた次の日から、彼女は人として扱われなくなり、

非人道的という言葉では語りつくせないほどの苦痛に満ちた日々が始まった。

ある時は人体に有害そうな見た目の化学薬品を様々な方法で過剰なまでに投与され、

意識を失えば全身の痛覚神経を比喩ではなく焼き焦がすほどの高圧の電流を

水分が蒸発して黒煙を噴き上げるほどに流し込まれ、また薬品を投与されて。

またある時は斬り付ければ確実に血を流すほど研磨されたナイフを武器に装備され、

同じような目にあっているらしい同年代の子供と血みどろになるまで互いに互いの

限りある命を奪い合うよう命じられ、拒否すれば弾丸を頭部に撃ち込まれ捨てられる。

人間としての尊厳や権利など皆無なこの場所で、少女達は幾度も幾度も血混じりの涙を

流しては同じことを繰り返し、悲鳴や断末魔を上げる明日へと身を投じる毎日を送る。

もちろんそんな生活に、咲夜もまた耐えきれるはずがなかった。

当時『S1341』と番号を振られていた彼女は同じくらいの期間この施設で生き残った

顔見知りが脱走を企てていることを知り、賛同しようとしていた。

 

 

「それで、いつにする?」

 

「明日のナイフの訓練が終わったらはどうだ?」

 

「わたしはそれでいいわ」

 

「よし、決まりだ。絶対にバレるような不審な動きはするなよ」

「あと密告もしちゃダメだ。分かってるよね?」

 

「もちろん」

 

個人の部屋と呼ぶにはあまりに小さく狭く、そして汚い独房の中で三人は頷き合う。

元々は一人一部屋だった独房だが、老朽していた部分を実験で得た常人以上の力の

おかげで十歳程度の腕力でも数か月あれば子供一人分程の穴が開通することが出来た。

それを通って三人は中心である『A4106』の独房へと集まって夜な夜な脱走計画を

綿密に話し合い、ついにそれが翌日決行されるまでになっていた。

自分の独房へと戻った咲夜は自分がここから出た後について想像しながらその日を

終えて眠りにつくのが娯楽も幸福も無い暮らしの中の唯一の楽しみだった。

そんな彼女は普段通りに外の世界を夢見て眠ろうとするが、それは断念された。

彼女の独房の前に白衣の男がやって来て鍵を取り出して開け始めたからだ。

 

「……………出ろ」

 

「……………ハイ」

 

 

鍵が開いて鈍い音を立てながら開け放たれた鉄格子の向こうから男に呼び出され、

咲夜は横目でこちらの様子をうかがっている他の子供たちからの視線を確認しつつ

言われるがままに部屋から出て白衣の男の後についていった。

部屋から出てさほど経たないうちに男は足を止め、別の独房の扉を開け始める。

その様子を後ろから不審に思いつつ見つめる彼女は不意に独房の中を覗き込んだ。

 

男が開けようとしている独房には既に誰かが収容されていた。

それが誰なのかを確認しようと目を凝らした直後に男に番号を呼ばれ意識を戻す。

 

「S1341、今日からはこの部屋で過ごせ」

 

「…………ハイ」

 

 

余計な質問や口答えはすぐさま自分自身への苦痛へと変換されることを数年前に

身を以て知っていた咲夜は元来無口で不愛想だった口数をさらに少なく減らし、

表情もより機械めいた無表情に固められた顔のまま男の命令を承諾する。

扉を開けて中へ入るよう誘導された彼女はそのまま独房の中へと入っていき、

中にいた住人を見てやろうと考え、ほんの少しだけ視線を上へと上げた。

 

そしてその日、その時、その場所で。

咲夜は未来の主人曰く『運命の出会い』を果たすこととなった。

白衣の男に『C7110』と記号で呼ばれた少年と。

 

(こんな小さな子供までここにいるなんて知らなかった…………)

 

真っ先に咲夜が感じた違和感は、中にいた少年の小柄さ。

力無く壁際にもたれかかる姿勢で自分を見ている少年の体躯はあまりに小さく、

あまり発達していない自分と比べてもその手足はどうしようもなく短過ぎる。

これほど小さな頃からこんな場所にいる人間がいることを初めて知った咲夜にとって

彼との出会いはある意味衝撃的な出会いでもあった。

 

「……………だれ?」

 

独房の中で四肢をダラリと脱力させていた人の形をしたものが小さく蠢き、

入って来た咲夜のいる方へと顔をわずかに動かして掠れた声で囁く。

人体実験の影響で常人を越えた五感を得ている咲夜からすれば充分に聞き取れる

声量であったため、彼女はその問いかけに素直に応じた。

 

 

「私はS1341。あなたは?」

 

「……………C、7110」

 

「よろしく、C7110」

 

自分の事を割り当てられた記号で答えた二人は暫し見つめ合っていたが、

少年の方が先に顔を伏せて静かに寝息を立ててしまったので咲夜は会話を

打ち切って少年のいる場所から少し離れたところで注意を払いつつ眠りについた。

 

そして翌日、鉄格子が開け放たれる重低音と共に彼女らは目覚め、

二人はそれぞれ別々の場所へと連れていかれ、再開したのはその日の夜となった。

昨日と同じように自分よりも先に独房に入っていた少年は既に顔を伏せて小さな

寝息と共に意識を失っていた為、咲夜は誰にも邪魔されずに物思いに耽った。

彼女が頭に思い浮かべるのは、本来なら今日決行されるはずだった脱走計画。

(あの二人は私を置いて、行ってしまうのかしら)

 

 

この独房へと移ることがなければ自分も乗じてここから脱走出来たであろうかと

閉ざされた選択肢について未練がましく考え始め、そのまま咲夜は眠りについた。

そして次の日、彼女は白衣の男達が「脱走を企てた実験体二匹を処分した」という

業務連絡のように軽く命が散らされた現実を耳にし、愕然と恐怖に震えた。

 

 

(私を置いていってしまった、もう会えないのかしら)

 

 

幼いながらに彼女が感じたのは、『死』への恐怖だった。

今までさんざん自分が他人に訓練や実験と称して与え続けてきた残酷な死こそが

脱走という夢を自分に見させてくれた二人を自分から引き剥がしたのだと理解し、

もう二度と会う事が無いことまで悟ってしまい、咲夜は恐怖に震えた。

 

 

(死ぬって、殺すって、嫌)

 

 

その日初めて咲夜は、自分の一つきりの命の重さを知った。

以降彼女は実験や訓練での成績が極端に下がってしまう結果を招き、

さらに苦しい地獄のような生活への扉を開けてしまった。

命の尊さを知ったあの日、咲夜は初めて少年と言葉を交わした。

最初は思い出すのも嫌なほど苦しい実験などを少しでも忘れるための間に合わせ、

単なる気休めとほんの少しの好奇心だけしかなかった。少なくともそう考えていた。

咲夜から発せられる言葉は決して返事が返ってくることは無く、

ただただ一方的なものでしかなかったが、今の彼女にはそれで充分だった。

 

 

「ねえ、隣で寝てもいいかしら」

 

「その傷はどうしたの?」

 

「今日はどうだった? 痛くなかった?」

毎日毎日、何度も何度も飽きもせずに咲夜は声をかけ続ける。

やがて彼女が諦めるよりも先に少年の方が折れ、徐々に返答をするようになり、

次第に彼女らの間には一日の中で最も心休まる空間が生まれていた。

 

 

「おかえりなさい、今日はどう?」

 

「訓練だけよ。そっちは?」

 

「実験を三回くらいだよ」

 

「痛くなかった?」

 

「慣れっこだよ」

 

 

お互いがお互いのあったことを報告し終えると同時に緊張の糸を解き、

支え合うように寄り添って咲夜は少年の、少年は咲夜の手を取って絡ませる。

五本全ての指を交差させるように重なった二人の手は互いの体温が行き来して

鈍い痛みと鋭い痛みしか知らない二人の触覚に不思議な安らぎを与えた。

 

「…………あの」

 

「どうしたの?」

 

「も、もっとこうしてたい」

 

「ええ、いいわよ」

 

二人の日常は常に他者を傷付ける行為が常識となりかけていた。

しかし、そんな中で生まれたこの小さく弱々しい手のひら大のこの温もりを

咲夜も少年も口には出さなかったが絶対に守りたいと決意していた。

 

彼女の内に芽生えた少年を思いやる感情は日増しに強くなっていき、

ついには互いの間にあった距離が完璧に縮まるほどにまで打ち解けて、

少年は咲夜を「姉」と、咲夜も少年を「弟」と認識し始めていた。

二人の間に生まれた奇妙で暖かな関係は、この理不尽極まる狭い世界の中で

唯一守りたいと願える大切なものであり、それは永劫続くかに思われた。

だが、その儚い二人の想いは次第にすれ違っていく運命を着実に辿る。

少年の独房へと移って早数か月。

咲夜はこの時、ある感情を水面下で激しく揺らされていた。

その感情はとても強く、とても荒々しく、とても過激で、醜い。

 

(この子は____________弱過ぎる)

 

 

咲夜が少年に対して抱き始めたのは、身勝手な『失望』だった。

同じ独房で時間を共有していくうちに咲夜はある事実に気付いてしまった。

それは、自分と少年との間にある埋めることの出来ない『実力差』だった。

実験や訓練を文字通り血を吐いてでも繰り返し継続させられた経緯は同じでも

彼と自分の間には覆ることの無い圧倒的なまでの性能の違いが確立されている。

その事実に気付いてしまってから咲夜は、少年に対してある種の軽蔑に近しい

負の感情を抱くようになり、次第にそれは彼との関係を瓦解させていった。

 

それでも少年は徐々に咲夜に対して心を開くようになり、ついには彼女を

誰もいないところでは『姉さん』と親しみと恥ずかしさを込めて呼ぶようになった。

当初は咲夜も自分以外の命との繋がりが出来たことに大いに喜んだけれど、

段々と彼との違いを感じるようになり、やがては疎ましさすら感じてしまうほど

彼女の心は少年の希望とは裏腹に醜くドス黒く歪みつつあった。

 

 

「ねえ、姉さん」

「………何?」

 

「ぼく、姉さんがいればそれでいいんだ」

 

「………それで?」

 

「だから、その、ぼくとずっと一緒に」

「……………いつまでも甘えていちゃ駄目よ」

 

「あっ、ゴメン。そうだよね、ぼく頑張るよ」

 

「…………お休み」

 

「えっ、あっ」

 

「何?」

 

「………ううん、何でもない。お休み姉さん」

 

 

何かまだ言いたげな顔の少年から一日を終える言葉が紡ぎ出され、

咲夜はほんのわずかな苛立ちを感じながらも少年の横で眠りについた。

しかし数分後には意識が再び目覚め、完全に意識を沈めてしまっている少年の

隣で独り黒い感情に染まり始める。

 

 

(最初は嬉しかったけど、この子の相手は疲れるわ)

 

 

自分たちのいる施設で自分以外の人間に気を配る余裕はありはしない。

多くの死を見て、築いてきた咲夜にとってはもはやそれがここの常識であり、

ごくごく当然の事でもあった。

 

(いつまでも姉さんって呼ぶだけで私にすがるだけで、

結局私の負荷が増えただけ。もうこの子は私にとっては不要ね)

 

 

生きること為に殺すことを前提としてきたこれまでの人生と呼べぬ時間の

積み重ねの中で咲夜が経験して培われた合理的な判断が下したのは、

真横で小さな寝息を立てる少年の命を見捨てて自分が生き残るという

冷酷な自分自身への命令だった。

 

決断を下したその日から、咲夜の少年への態度は徐々に素っ気無いものとなり、

ついにはまともに目も合わせず適当に相槌ちを打つだけの空虚な関係となった。

無論それは咲夜からの視点であり、少年はずっと咲夜を姉と慕い続けている。

彼女のこの施設では当然の采配が、自分自身の人としての最後の砦を内側から

破壊していくことに気付くことも無く、さらに時は流れ続けて数年が経った。

 

いつもと変わり映えの無い血みどろの日常が、その日唐突に破られる。

全身を染め上げる返り血を何の感情もこめずに見つめる目が、

彼女らのいる独房の外にやって来たスーツ姿の男達を捉える。

咲夜は訪れた男が何者であるのかは知らなかったが、彼らが自分に用事が

あってやって来たことだけは事前に知っていた。

だからこそ彼女は自分の底から去来する謎の感情に打ち震えていた。

 

 

「S1341というのは、どちらかね?」

 

「………私、です」

 

「……………そうか」

 

 

現れた男達の中で一番偉そうな大男が番号を口にし、それに合致するのが

自分であることを証明するために自分から名乗り出た。

大男は咲夜をしばらく見つめた後に低いうなり声を上げて小さく頷いた。

そしてその次に男の視線は咲夜の隣で不安げな表情を浮かべる少年へと向けられ、

一緒についてきた別の男に囁くようにして尋ねた。

 

 

「では、もう一人の方は?」

 

「コイツはC7110………出来損ないもいいトコですよ」

 

「そうか、だがいい目をしている…………惜しいな」

 

 

大男は少年をまじまじと見つめてから心底惜しそうに呟きを残してから

横の大人たちに何かを命じ、その後咲夜たちの方へと向き直って改めて

二人の前に現れた理由を告げた。

 

 

「残念だが、この任務では実力が必須。

どんな目を持とうが、出来損ないでは意味が無い」

 

「では将校、S1341のみにやらせるのですか?」

「仕方あるまい。此処で最も強い狩人(ハンター)はこの娘なのだから」

 

スーツ姿の大男は脳髄に刻み付けるように厳かにそう語り、

咲夜一人だけを独房から連れ出し、少年だけを残して再び鍵を閉める。

男達に連れられた咲夜はそのまま他の独房の中の子供達を流れるように見つめ、

自分だけがこの監獄の中から逃れられる優越感を人知れず味わった。

 

任務という名の殺戮のために自分が呼び出された、それは分かっている。

他者の命を奪うのは今でも嫌だし、奪われるのはもっと嫌だ。

けれど、自分自身が生き残るためならば仕方ない。誰であろうと犠牲にしよう。

それが例え、暫しの間苦楽を共にした、あの名も無い少年だったとしても。

 

 

(やっと、やっと私は解放される!)

 

 

もはやこの時の咲夜の頭の中には、それしかなかった。

自分が劣悪な環境から解き放たれるその瞬間を、今か今かと待ち望むのみ。

それしか頭になかった彼女は知りもしない。

彼女が独房から出された時の、少年の悲痛さと愛おしさが混じり合った視線を

姿が見えなくなる瞬間まで、ひたすらずっと送り続けていたことに。

 

少年が、自分の帰りを、待っていたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと、着いた‼」

 

 

時は巻き戻って現在。

咲夜はついに迷いの竹林を走破し、目的地である『永遠亭』へと辿り着き

その門前で膝に手を付き荒い呼吸を繰り返していた。

 

彼女はここに来るまでの道中、ずっとあることだけを考えていた。

それは天狗の文から教えられた情報、紅夜の安否についてのみ。

 

(今ハッキリと分かった、どうして今まで紅夜の事を避けてたのか。

あの子が紅魔館に来てからずっと感じていた嫌な感覚が……………)

 

 

月の光すらも遮断するほど天高く自生している竹の密林の中でも光を

絶やさず周囲を仄かに照らしている光源であるお馴染の診療所の前で一人、

咲夜は自身の弟と再開してから感じていた感覚の原因をようやく悟った。

 

 

(私、あの子に罪悪感を感じていたんだ。

紅夜の顔を見るたびに胸の奥が押し潰されそうになったのも、

近寄りたくないと避けたのも、彼の言葉に苛立ったのも全部‼)

 

 

__________全部、私が悪いんじゃない

 

 

 

独り夜道をひた走り、ついに辿り着いた目的地の前で咲夜は歯噛みする。

ここに来て初めて理解出来た事で自分自身の醜さを改めて自覚した彼女は、

今まで何とも思わなかった両足が鉛で縛られているかの如く重たくなったのを

感じ、永遠亭の玄関先から動くことが出来なくなってしまっていた。

今すぐにでも紅夜に会いたい。

会って、あの子に頭を地にこすり付けて謝りたい。

彼女の中に再び沸き起こった罪悪感が彼女の五感を支配し、

指先すらピクリとも動かせないほどの硬直状態に陥らせる。

 

謝ったとして、それでどうなる?

あの子を平然と見捨てた自分を、許してくれる?

恨み言を吐き捨てられるくらいならまだいい。

けれどもし、もしも自分がしたように彼が私を見捨てたら?

 

 

「………………」

 

 

浮かび上がっては爪痕を残して消えていく最悪の想像に身震いし、

それがより一層体の硬直を長引かせて踏み出す決心を鈍らせる。

頭では理解出来ていても、心が彼に近付くことを許容しない。

今の醜い自分をさらけ出すことを、より醜い心が認めようとしない。

ついに咲夜は、考えることを放棄した。

半ば自暴自棄になり、後先考えずに右足を一歩踏み出す。

今の彼女は、普段の冷静さも判断力も何もなく、

あるのはただ見殺しにしようとした『弟』に対する想いだけ。

そんなある意味エゴに近しい感情が、咲夜の背中を後押しした。

 

けれど、それはあまりにも遅過ぎた。

 

「________あら、ようやく来たのね」

 

「えっ?」

 

ふいに投げかけられた声に驚いて咲夜は顔と目線を上へと向け、

そこにいつの間にか立っていた人物の姿を網膜へ刻み付ける。

咲夜の前に立っていたのは、美しいという枠にはまらぬほど麗美なる少女。

出で立つ姿はまさに"美"そのもの。

 

腰よりもさらに下まで垂れ下がるよう伸ばした漆仕込みの如き麗黒の長髪。

薄い桃色の袖口の大きな和服に身を包み、胸元に純白のリボンをあしらわれている。

そして日本情緒を連想させる月や竹、桜に梅などの模様が金の刺繍で描かれている

大きめのスカートとドレスが混ざったような服を雅に着こなしている。

静々と歩み寄る黒髪の麗人を前に咲夜は口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。

それはあまりにも、あまりにも眼前に現れた少女が自分の表現しうる美しさを

いとも容易く通り越してしまっていたが故の半ば恍惚に近い沈黙だった。

 

 

「遅かったじゃない。いえ、遅過ぎたじゃない。

時間を操る事が出来る血を(すす)る卑しい鬼ご自慢の従者にしては」

 

自らが忠誠を誓う吸血鬼を侮辱するような発言を交えつつも

優雅な雰囲気をまとって目の前に現れた少女は_______『蓬莱山(ほうらいさん) 輝夜(かぐや)』。

日本の伝統文学に於いて最初にして最古の物語である『竹取物語』に

登場する見目麗しい月の姫君と同じ名前を持つ、絶世の美女である。

咲夜の前までゆったりとした歩調で迫る彼女はあまりにも整い過ぎている

端正なつくりの顔を真っ直ぐに咲夜へと向け、その形のいい唇をわずかに

歪ませて艶やかに、そして怪しげに微笑んだ。

 

 

「もう死んじゃったわよ、あの人間もどき」

 

世の誰もをしのぐ美しさを携えた少女が告げた言葉は、

それまで必死に望みを抱いていた銀髪の少女の中に残っていた

とても大切な『ナニカ』を粉々に壊してしまうには、充分過ぎた。

 

風にざわめく竹林の音に、独りの少女の悲痛な慟哭が木霊した。

 

 

 






これからは曜日更新が安定しそうです(白目)
というわけでいかがだったでしょうか?
ついに、主人公の一人が死んでしまいましたね。
普通なら大問題ですが、これからの巻き返しに注目です(作者が)

それとまた性懲りも無く新しい作品を書く準備を
進めてしまっているんですが、今回は様々な波紋を呼び起こした
【日本一ソフトウェア】様製作のホラーアドベンチャーこと
『夜廻』の短編(もしくは連載)を書こうと考えております。
もし見かけたらぜひそちらも閲覧くださると嬉しいです。

もちろんこの作品に関しても
ご意見ご感想があればどんどん申してくだされば幸いです!


それでは次回、東方紅緑譚


第四十弐話「瀟洒な従者、愛してると言わせて」



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第四十参話「瀟洒な従者、愛してると言わせて」

どーも皆さん、萃夢想天です。
新生活の急激な変化に慣れず、日々疲れが溜まっております。
そしてまたしても言い訳になってしまうのですが、
この作品の投稿が安定してくるみたいなことを前回に言いましたが
どうやらそれがまた覆りそうです。すみません。
出来る限り定期的な投稿を心がけていきますのでどうか、
これからも応援のほどよろしくお願いします!


それでは、どーぞ!


 

 

 

 

幻想郷の一角に自生する、異常なまでの速度で生長し続ける竹の密林のその最奥部。

そこには、かつて終わらない夜の世界に幻想郷の住人もろとも閉じ込めてしまおうと

画策し、自らの追手からの隠れ蓑としようとした『月からの逃亡者』の暮らす家屋がある。

その名もまさしく『永遠亭』という、幻想郷に一つしかない進んだ技術を持つ診療所だ。

 

永遠亭はその立地上の条件から普段から出入りする人間は驚くほど少なく、

また人が入っても際限なく生え続ける竹林の影響で自然の迷宮と化してしまっていて、

竹林の構造に慣れた『藤原 妹紅』という人物の案内が無ければ大抵は道に迷うこととなる。

しかしその立地には好都合な点もいくつか存在していた。

一つは先も言った通り、永遠亭の住人の大半は月から逃亡してきた者であるが為に

追手や使者からの追跡の目を逃れるために見つかりにくい場所を選んだと言う理由もある。

 

加えてもう一つの利点、それは__________『人の死を遠ざけるため』だった。

例えば幻想郷で非常に感染力の強い病原菌が流行してしまって里に住む人間たちの間で

既に何人も感染者が出てしまい、このまま放置すればいずれ全住人が感染して死滅する

未来が遅かれ早かれ訪れてしまうとしよう。

その場合に先程触れたもう一つの利点と言うのが有効になってくる、というのも、

助かる見込みが無い感染者は片っ端から永遠亭に送り出してしまえば解決するからだ。

人里からかなりの距離がある永遠亭であれば滅多に里の人間は近付かないし近寄れない。

加えて永遠亭に住まう薬剤師と麗しの姫君に至っては朽ちることない不老不死の躰を持つ。

だからこそ里の人々にとっても、その二つの利点はあって然るべきなのだ。

 

そして今回もまた、違った意味でそのもう一つの利点が役立ったと言うべきか。

 

「こちらの彼があなたの弟、と言う立場の身内の遺体になります」

 

竹林に住まう薬剤師、『八意 永琳』が業務上の連絡として彼女の最愛の人の死を告げる。

簡素な掛布団と敷布団の間に挟まれ、顔に白い布をかけられて微動だにしない自身の弟の

変わり果ててしまった姿を見せられた少女________十六夜 咲夜は息をのむ。

永遠亭の入り口に辿り着いた咲夜はそのままどうしても一歩が踏み出せずにいたのだが、

そこに普段は外に出ることの無い元月の姫君たる『蓬莱山 輝夜』が咲夜の前に姿を見せ、

様々な葛藤を心中で続けていた彼女の心に対して端的に、かつ直球的な言葉を投げかけた。

 

『_________もう死んじゃったわよ、あの人間もどき』

 

 

たった一つの言葉。

それだけで咲夜の傷付いていた心はガラス細工を落としたように粉々に砕けた。

即座に否定しようとした咲夜だったが、当の輝夜は彼女の反応を見た直後につまらなそうな

表情を浮かべ、興味を失くしたように「着いて来なさい」とだけ言い放って向きを変え、

元いた永遠亭へと踵を返して戻っていき、咲夜はそれに着いて行ったのだった。

輝夜の後を着いて行った先で永琳に声をかけられ別の部屋へと案内されていき、今に至る。

 

 

「聞く必要も無いと思うけれど、本人に間違いは無いわね?」

 

 

少し濁った色合いの長い銀髪を三つ編みにして後ろへ流したような髪型の永琳が文字通り

髪をかき上げるようにしながら隣に座らせた咲夜に対して問いかけるが、反応が無い。

もう一度末尾の部分だけを繰り返し尋ねてみたが、それでも彼女からの返答は来なかった。

半ば分かっていたようにうなだれながら溜め息をつく永琳の真横に座っている当の咲夜は、

瞳が力無く細まって光を失い、既に半分ほど意識を失いかけていた。

それでも何とかまともに機能する人としての部分が冷静に現状に対して答えを導き出す。

 

 

(___________紅夜は、死んだ。死んだの?)

 

 

まともに機能するとは言っても確実に普段の冷静沈着な彼女からはかけ離れていて、

茫然自失といった有様になっている彼女は虚ろな二つの眼孔で眼下の弟を見下ろす。

自分と同じように肌は綺麗で色白めいていて、光を反射するように鋭い銀髪も同じく

仰向けで寝かされている為に重力に従って毛先が彼の眉や目の両脇にしな垂れている。

真一文字に閉ざされた彼の二つの瞳は、咲夜の光を失った双眸とは二度とぶつかり合う事も

無く、ただただ咲夜の一方的な視線を送るだけとなってしまった。

 

 

(___________あぁ、死んでる。紅夜はもう、死んでる)

 

 

もはや彼の身体に触れる必要もないほどに、彼の死は感じ取れてしまった。

近しい人の死。それが記憶を思い出された咲夜にとっては、唯一残った恐怖であり、

今の咲夜にとっても、一番認めたくない現実であり事実でもあった。

途端に両目の端に大粒の涙が浮かび、やがて喉の奥から熱い嗚咽がこみ上げてくる。

咲夜は必死に人前で弱みを見せないようにと耐えるが、それも長くは持たなかった。

 

「あ、あぁ……………ああ、ああぁぁぁあぁ‼」

 

 

口内まで押し寄せる怒涛の如き慟哭が咲夜の必死の懇願を裏切って流れ出し、

それほど時間を置かずに(せき)を切って溢れた悲痛の涙が滝のように押し寄せる。

人の目もはばからず、咲夜はまさに子供のように大きな声を上げて泣き出した。

今、この時、この場所に、咲夜は自分が世界でたった一人孤独になってしまったのだと

実感しつつ、今度は自分自身の救いようの無い卑しさに対して懺悔するように詫び始めた。

 

 

「ごめん、な、さい………………ごめんなさい、ごめんなさいっ‼」

 

 

まるで幼子に戻ってしまったかのように何度も稚拙に言葉を紡ぐ咲夜。

彼女自身もおそらく、何に対して謝罪をしているのかは把握しきれてはいないだろう。

腕や肩は小刻みに嗚咽と共に震え、両目からこぼれる涙を拭うことすら出来ていない。

そんな状態の彼女を客観的に見つめている永琳はただ密かにそう思っていた。

風にざわめく竹林の奥に、一人の少女の悲しげな物語が幕を閉じようとしていた。

 

しかし、彼女の、ひいては彼の物語はまだ、終わってなどいない。

「__________あら? 随分と可愛らしい泣き顔ね、咲夜」

 

 

不意に、本当に唐突に、長身の竹や葉に遮られた月光を背に、彼女は現れた。

 

ピンクの混ざった白色のドレスに、腰のあたりで結わえられた巨大な深紅のリボン。

頭に被った独特な形状のナイトキャップから覗く、薄い水色のウェーブがかった髪。

ほっそりとした幼子の体躯に、不釣り合いなほど巨大に広がるコウモリの如き両翼。

燃え盛る紅蓮のような真紅(ルビー)の瞳に、弓なりに曲げた唇から突き出た大きく鋭い犬歯。

 

永遠亭の開け放たれた和風の一室に音もなくやってきたのは、

今なお泣き崩れている咲夜が仕える夜の支配者こと、『レミリア・スカーレット』だった。

 

レミリアは空中に浮いたままの姿勢で座り込む咲夜の顔をうかがって微笑み、

横にいた永琳に対してまさしく夜の支配者たる憮然とした態度で語り掛ける。

 

 

「さて、事前の予約も無しに訪問したことについては詫びさせてもらうわ。

暗黒の夜空に輝ける月からの使者様、そしてその中心であった貴き姫君様にもね」

 

「…………これはご丁寧にどうも。それで?

月の光に充てられた羽虫でもあるまいし、こんな所に夜の眷属である

吸血鬼の当主様がいったい何の用があるのかしら?」

 

「ふふ、やはり月の使者といっても乗るクチなのね。

まあそれはそれとして、私がここへ来た理由だったかしら?

簡単なことよ。そこにいる私の可愛い(さくや)仔犬(こうや)を預かりに来たの」

 

「あら、意外ね。

あなた達妖怪は人間を食料か何かだとしか考えていないのかと思ったら、

案外と人の情のようなものを向けるほどの思考回路があったのね」

 

「言ってくれるわね。でも、さほど間違ってもいないわ。

私は吸血鬼、夜の世界を統べるという宿命の下に生まれた高貴なる一族。

そんな私からしたら人間なんて短い時の中を生きる小動物のようなものよ」

 

「だったら…………」

 

「けれど、そこが妖怪風情と吸血鬼との歴然たる差なの。

少なくとも食す、眠る、種を残す程度の事しか考えられない矮小な妖怪と違って

我々は花を愛で、音を奏で、夜に輝く月や星の光を美しいと賛美出来るのよ。

さらに言えば、私たちは人間に小動物に向ける程度の愛情を向けられるってわけ」

 

「…………なるほどね」

 

「ご理解いただけたかしら、月の使者様?」

 

傍若無人とも取れる態度で部屋の中に入ってきたレミリアと会話した永琳は、

しばらく彼女の言葉を自身の右に出る者のいないほど優秀な頭脳で噛み砕いて

意味を紐解き、やがて答えが出たのかわざとらしく溜め息をついて再び口を開いた。

 

 

「ええ、理解出来たわ。納得は出来ないけどね。

それで彼女はまだしも、そこの少年の遺体を持ち帰ってどうするの?

お得意の人肉料理のフルコースにでも使うのかしら?」

 

「ふふっ、月の出身とは思えないほど妖怪よりの考え方をするのね。

確かに人肉のステーキや絞った血液のワイン割りでも楽しめそうだけど、

この仔犬の身体だけは遠慮しておくわ。だって薬漬けで不味そうだもの(・・・・・・・・・・・)

 

「あなた、この子の身体の事を………?」

 

「当然じゃない。私を誰だと思っているの?

運命すらも私の前に(ひざまず)く、骸の上に君臨する夜の女王よ?」

 

「それはそれは結構なことだわ。

その夜の女王とやらは人の遺体を使って何を仕出かすつもりか知らないけれど

一人の医療分野に携わる者として、一つだけ忠告をしておいてあげる」

 

レミリアとのある種高度なレベルでの口喧嘩の最中にも見え隠れしていた

敵意を今度は隠さずに前面に押し出して、永琳は真紅の瞳を見据えて告げる。

 

 

「あなた程の知能が有るのなら、識っておくべきよ。

___________『遺体の(もてあそ)び』は、最も"怒りを買う"行為だとね」

 

「…………そうね。怯えることを知らない私の肝に、刻んでおくわ」

 

「怯えることは生き物にとって必要最低限の危険信号よ。

それが無いってことは、生命体として重大な欠点なのよ?」

 

「年月を重ねると、こう理屈っぽくなっていけないわね。

もう500年もの時間を経た私でもまだ理想を語れるわ」

 

「あら、干からびて死にたいならハッキリそう言えばいいのに。

太陽が無くても全身の水分を奪って死に至らしめる薬なら安く売るわよ?」

 

「…………せっかくだけれど、遠慮させてもらうわ。

吸血鬼は『流れる水』が苦手なの。"自分の身体から"流れ出る水分を含めてね」

 

「へえ、意外と素直ね」

 

「まだやる事がたくさんあるからね」

 

 

ほとんど見えないほどだがこめかみに青筋を幾本も浮だ立せながらも

危なげな会話を終えた両者はそのまま距離を取り、永琳は立ち上がって部屋を去り、

レミリアは先程よりはほんの少しだけ涙が収まり始めた咲夜の隣に腰掛ける。

青く煌めく瞳を潤ませ涙で真っ赤に腫れ上がってしまった、美しいとは言えない

状況の彼女の顔を眺め、レミリアは幼い顔立ちを妖艶に歪ませた。

 

 

「いい顔よ、咲夜。思えばお前の泣き顔なんて初めて見るのかもしれないわ」

 

「…………お嬢、様?」

 

「何?」

 

「お嬢様は、紅夜の身体の、事を…………ご存知だったの、ですか?」

 

「…………ええ、知っていたわ。

それをお前に言わなかったことが腹立たしいの?」

 

「い、いえ。そのようなことは」

 

「そう、ならいいのだけれど」

 

 

咲夜が言葉を詰まらせてしまい、再び二人の間に沈黙が訪れる。

部屋の開け放たれた窓から吹き込む風が二人の短い髪を撫で上げていくが、

そんなものに構うことなく咲夜は紅夜を、レミリアは咲夜を見つめていた。

しばらく経って部屋に永琳が戻って来て二人に紙を突き付けた。

そこには遺体の受取人としての証明やら何やらといった様々な面倒な手順の

詰め込まれた書類だったのだが、珍しくレミリアは小言一つも漏らさず了承して

紙に直筆で自分の名前を書き記し、正当な手順を踏んで紅夜の遺体を引き取った。

 

 

「さあ、これでもうここにいる必要は無くなったわね。

早くしなさい咲夜、表に美鈴を待たせているんだから」

 

「えっ、あの、美鈴が何故?」

 

「…………誰があの子の身体を持って帰れるのよ。

私は出来るには出来るけど、流石に大きすぎて面倒だったから代わりに」

 

「そういうこと、でしたか」

 

「そうよ、だから早く支度なさい」

 

「は、はい」

 

既に涙は止まっていた咲夜は自身の主人からの命令に即座に頷いて立ち上がり、

重く冷たい弟の亡骸を優しく、大切に抱き上げて部屋を後にする。

途中で何度も閉ざされた紅夜の瞳に視線が吸い込まれそうになったがどうにか堪え、

来た時の三倍近い時間をかけてようやく永遠亭の玄関で待つ美鈴の下まで辿り着いた。

彼女と紅夜の遺体を見た美鈴は、何も言わずにただ黙って背負っていた棺を差し出し、

咲夜もまたそれに黙って首を縦に振って抱きしめていた弟の亡骸をそこに収めた。

 

 

「____________ごめんなさい」

 

 

湧き上がってくる無数の負の感情の奔流を感じつつ、咲夜は紅夜に対して呟いた。

たった一言だけだったが、そこには幾つもの意味が込められていた。

一つは、自身が少年に勝手に希望を見出し、勝手に絶望して見捨てたこと。

一つは、この幻想郷で再び再会出来たにも関わらず、彼を蔑ろにしたこと。

一つは、やっと彼を思い出せたのに、その死に目に間に合わなかったこと。

 

それら全てが混じり合い、せめぎ合い、咲夜の涙腺を刺激する。

しかしそんな彼女の中の葛藤などいざ知らずにレミリアは永遠亭から出立し、

紅夜の遺体を棺に収容した美鈴もまた彼女の後に続いて歩き出そうとしていた。

咲夜も急いで二人の後を追うような形で永遠亭を後にし、葉と夜風がぶつかって

ざわめき続ける迷いの竹林へと一歩を踏み出した。

身長も歩幅も大きく異なる前の二人に出遅れた咲夜は目尻に浮かんだ大粒の涙を

拭って追いつこうとするが、代わりに美鈴が速度を落として彼女の横に並んだ。

どうかしたのかと咲夜が尋ねようとする前に、美鈴は小声で囁きかける。

 

 

「咲夜さん、紅夜君なら大丈夫ですよ」

 

「えっ?」

 

「紅夜君は確かに死んじゃいましたけど、それはしょうがなかったんです」

 

「しょうがないって、何?」

 

「ああいえ、死んでも構わないって意味じゃないですよ?

彼が死んでしまうのはお嬢様の見た運命通りで、変えようがなかったんですって」

 

「だから、悲しむことは無いってこと?

分かっていたことだから泣くことも無いってわけ?」

 

「いやー、その、説明が難しいんですけど……………とにかく!」

 

 

美鈴の言い回しの悪さに弟の死への悲しみが怒りへと方向を変える。

若干涙声混じりの咲夜の言葉に冷や汗を流しつつ、美鈴は意気込んで続けた。

 

 

「今お嬢様とパチュリー様が共同で構築なされている強大な魔法陣による

儀式が成功すれば、紅夜君を生き返らせることが出来るそうなんですよ!」

「えっ⁉」

 

「あ、でもどういう魔術なのかまでは分かりませんよ。専門外ですし。

だけどお嬢様は必ず成功するし、させてみせると仰っていましたよ」

 

「紅夜が…………生き返る」

 

 

弱々しく呟いた咲夜の視線は自然と美鈴の背負っている漆黒の棺に向けられる。

固く閉ざされた重たげなソレは、運んでいる美鈴の歩調に合わせて左右に揺れて

中に人の遺体が有るとは到底思えないほど無機質な雰囲気をまとっている。

 

けれどその箱の中に、確かに彼はいる。

分厚い漆塗りの棺の蓋越しにでも、彼の存在を確認出来る。

今はもう冷たく、生命の鼓動も血脈の躍動も感じられない体になってしまっても

彼がそこにいることだけは確かに分かる。

 

もしも彼が、生き返るのなら。

棺の蓋のように固く閉ざされた瞳が再び見開かれる事があるのなら。

醜く薄汚い自分のような女を「姉さん」と最期まで呼び、慕ってくれた彼の口が

もう一度開かれ、また自分の名を呼んでくれるのなら。

 

 

「…………何だってするわ。美鈴、私は」

 

「言わなくても分かってますよ。帰ったら早速お手伝いをお願いします」

 

「ええ、任せて」

 

 

その為になら、今度こそどんな事でもしてみせよう。

百人の人間の血が必要だと言うのなら、里の人間を百人殺して血を搾り取ろう。

千匹の妖精の羽が必要だと言うのなら、泣いて許しを請おうとも引き千切ろう。

一万の妖怪の(はらわた)が必要だと言うのなら、この身がどうなろうと手に入れよう。

それら全てが、彼の命と等価ならば、必ずや成し遂げよう。

もう二度とあの子を裏切らない。見捨てない。死なせない。

外の世界で見捨ててしまった彼を、幻想の世界で見殺しにしてしまった彼を、救う。

他ならぬ彼の「姉」である、自分が。

 

人知れず意気込む咲夜の瞳に爛々と、ドス黒い漆黒の決意が炎のように揺らめく。

そんな状態の咲夜を背にしながら迷いの竹林を抜けたレミリアが夜空を見上げて

白と黄色の絶妙なバランスで降り注ぐ月の光を浴びながら配下の二人に呟いた。

 

 

「さてと、本当に大変なのはここからよねぇ…………」

 

「どうかされましたか、お嬢様?」

 

「どうかしたも何も、今言ったでしょう。

私たちが本当に大変になるのはここからなのよ」

 

「あー、確かに。お嬢様もパチュリー様と一緒に魔法陣の構築をした影響で

一時的に同程度の魔力を消費しなきゃいけなくなるんでしたよね?」

 

「その程度なら大した事にはならないから問題外だけど、

私が気にかけているのは寧ろ…………フランの方よ」

 

「あー、なるほど」

 

「どう説明してもあの子は絶対に癇癪(かんしゃく)を起こすだろうし、

そうなったらどうやっても止められる気がしないのよね」

 

「ま、まー…………その時はその時ってことで?」

 

「楽観的にもほどがあるわよ美鈴。

はぁ、今からもう帰るのが憂鬱だわ」

 

 

美しい夜空の真下で小さな溜め息が一つ漏れ出る。

小さな吸血鬼とそれを笑って支える大柄な妖怪の女性の二人の少し後ろで、

銀糸の如き三つ編みを揺らしながら歩く、時間を操る少女は顔を上げた。

彼女の視界一面に広がるのは広大なまでの眩い星々で彩られた純黒色の世界。

今までと変わらずあったその景色の壮大さに初めて気付いたように目を見張り、

形容しきれない感情の急変に戸惑いつつも、その少女は確かに思った。

 

 

(この素晴らしい風景も何もかも、紅夜は全てを見たわけじゃない。

ならもしあの子が生き返ったら、この世界のいいところをたくさん見せてあげよう。

美味しい食べ物をいっぱい作って食べさせてあげて、笑顔にしてあげよう。

私の知る人物を紹介して、あの子にもたくさんの友達をつくってもらおう。

私なんてどうなってもいい、代わりに紅夜をせめて人らしく生かしてあげよう)

 

 

かつて弟となった少年に身勝手にすがり、身勝手に見捨てた少女は繰り返す。

またしても前の世界と同じように身勝手に自身の罪の意識を清算しようと、

彼に尽くすことであたかも罪滅ぼしをしているかのように身勝手に考えている。

もしそれらが本当だとしても、今の咲夜にはこうすることしか出来ない。

ただ祈り、懺悔し、悔い改めるだけでは何かが足りない。何かが満たされない。

そこまで考えた咲夜はふと思考を止め、同時に歩みまでも止める。

数秒間ほど彼女の世界は音を失くし、色を消し、まさしく『世界が止まって』いた。

やがて先程までの思考を一旦隅に追いやり、新たに浮かんだ疑問を考察する。

その疑問に対しての解答は、明晰かつ優秀な彼女の頭脳からすれば単純な事だった。

 

咲夜の中で欠けていたもの_____________それはまさしく、"愛"

 

(私はかつてあの子に出会って勝手に"愛"を語って自分の下に手繰り寄せて、

自分の求めるものとは違う、足りないと判断してまた勝手に"愛"を捨てた。

そしてあの子がこの世界に来てようやく見つけた"愛"を私は無下に否定して、

最期まで"愛"に飢えていたあの子に再び"愛"を感じてしまっている)

 

 

あまりにも傲慢で、あまりにも自己中心的で、あまりにも複雑な。

言葉にするには表現力が足りていない咲夜は自嘲気味にうっすらと微笑む。

そのまま夜空を見上げていた顔を正面に向け、それなりの距離を離されてしまった

主人と同僚の後を乾ききることなく流れる涙を拭いながら大きく一歩を踏み出す。

永遠亭を出る時とは違い、その一歩は力強く、輝ける朝日の如き決意に満ちていた。

吸血鬼の主人と妖怪の門番と人間の従者、そして死んでしまった改造人間の執事。

てんでバラバラな種族の彼女らを一本の線で結んでいるのは、やはり彼だった。

 

 

「待っていて紅夜、あともう少しの辛抱だからね。

今度こそ、姉さんがあなたを助けてあげるからね」

 

 

一度自ら手放した手を再び掴み取ろうとする強欲。

しかし、人は強欲でなければ長い歴史の中で急激な進化などは出来なかった。

間違いの歴史を積み重ねてきたからこそ、人は大きく発展してこれたのだから。

けれどこの少女に於いては、その絶対的な法則などで縛ることは出来ない。

時が無慈悲に過ぎると言うなら、いくらでも時間を止めることが出来るのだ。

そんなデタラメな彼女は、終わってしまった時間に沈んだ彼に対して密かに呟く。

 

 

「今までが全部悪い夢だったの。そう、だからすぐに目が覚める。

どんな儀式でもこの際この子が生き返るのなら何でもいい。

とにかく、今一番重要なのは目の前に迫っている『儀式』とやらのみ。

それが終わったら、全てが夢として終わったら、二人で暮らしましょう」

 

 

両手をグッと握りしめ、自分の胸の前に持ってきて腕で抱きしめる。

それはまるで腕の中に我が子を抱いて眠りにつこうとする聖母のようだったと

周囲に誰かがいれば賛美していただろうが、今現在は三人で夜道を歩くのみ。

 

「だからお願い…………姉さんに、愛してると言わせて」

 

 

何度か目になる自分自身が自覚している『身勝手な』懇願を、

咲夜は紅魔館に帰るまで主人のレミリアにも美鈴にも気付かれずに続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてようやく、紅夜は新たな居場所である紅魔館へと帰還した。

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?
今回は諸事情により少し短めになってしまいました。

そして重ね重ね申し訳ないのですが、
来週は家を空けるので投稿が出来ません。
大変申し訳ございません、このような作者で(^U^)

あとタグの「毎週土曜未明更新」ですが、
未明の更新は難しくなってきそうなので変更して、
「毎週土曜更新」とさせていただきます。
勝手ばかりで申し訳ありませんが、応援してくれれば幸いです。

それとまたいつでもご意見ご感想は承ります!


それでは次回、東方紅緑譚


第四十参話「禁忌の妹、あの日の約束」


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第四十四話「禁忌の妹、あの日の約束」


どうも皆さん、お久しぶりです。
この作品の投稿だけは安定しそうになってきました。
毎回毎回この宣言が揺らいで信憑性がほぼ皆無なんですが、
まぁ「そーなのかー」程度に思っておいてくだされば幸いです!

これ以上話すことは何もないので早く先へ進みましょう。


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

こうなることは、少なくとも分かっていた。

ここへと帰る道中で理解していたはずなのに、いざその時になってしまうとなると

足が一歩も前に出ないし、口が思うように動かなくなる。

それなのに目と耳だけは正常に働くから厄介極まりない。

見たくないのに、聞きたくないのに。

慰めてあげたいのに、どうにかしてあげたいのに。

自分の身体なのにどうしてこうも自由に動かないのか。

 

十六夜 咲夜はただ、目の前で泣き崩れる自身の主人の妹に対して心中で詫びるしかなかった。

 

 

「紅夜ぁ、こうやぁ! イヤ、死んじゃ、ヤダよぉ‼」

 

 

生まれたばかりの赤子のように人目もはばからず泣き叫びながら、自らの足元に置かれた

黒塗りの棺に寄りかかってひたすらに一人の少年の名前を呼び続けている金髪の少女は、

もう十分以上もこの様子のまま変わることは無いままだった。

彼女、『フランドール・スカーレット』がこのようになってしまったのには理由がある。

 

それは、とてもとても悲しい、一人の少年との別れであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一日お休みする⁉ イヤよそんなの! 絶対イヤ‼」

 

「お嬢様………どうかご理解願えませんでしょうか?」

 

「イーヤ! 紅夜が私から離れるなんて絶対ダメだもん‼」

 

とある日の朝早く、フランことフランドールは自身の従者からの懇願に対して憤怒していた。

なんでも従者である少年、『十六夜 紅夜』が、丸一日自分への従事を休んで休暇を取り、

彼女らの住む紅魔館から外出する予定なのだったという。けれど当の主人たるフランはその

少年の休暇願いを受諾することがどうしても出来なかった。

 

「ですがお嬢様、そこを何とか認めてくださいませんか?」

 

「ダメダメダメ‼ ぜーったいダメ‼」

 

「…………どうしてもですか?」

 

「どうしても! 紅夜がいなくなるなんて寂しいよぉ………」

 

「お嬢様…………」

 

 

目元に涙を浮かべながら語る主人を前にしても少年は折れる気配を見せない。

普段ならもうとっくに意見を曲げて自分を甘えさせてくれているはずなのに、とフランが

計算高い偽りの泣き顔を浮かべる裏で考えつつ、いつもの彼とは違う違和感に気付いた。

 

 

「お嬢様、どうか。どうか今日一日だけのワガママをお許しください」

 

「紅夜…………どうして?」

 

「それは、その、申し訳ありませんが言えないのです」

 

「私の命令なのに?」

 

「そっ! それでも、言えないです。心苦しいのですが」

 

「うーー‼」

 

 

珍しく自分の言うことを聞かない少年に対してついにフランは拗ねた。

頬を目いっぱい膨らませて「怒ってるんだぞ」というあざといアピールを露骨に

押し出していくのだが、それでも従者の少年は申し訳なさそうに謝罪しつつ懇願する。

 

 

「お嬢様、どうか今日だけは」

 

「もーー! どーして今日一日もいなくなっちゃうの‼

今日って何か特別な日⁉ 違うでしょ‼ なのになんでー‼」

 

「_________最期、かもしれないので」

 

「何⁉ なんて言ったの‼」

 

「い、いえ。別に何も。とにかくもうレミリア様にはお話を通してありまして

キチンと許可を得ております。ですから今日は姉さんが代わりに」

 

 

それまでは嫌々ながらも話は聞いていたフランだったのだが、彼の口から出てきた

自らの姉の名前を耳にした瞬間、緩やかに縮んでいた堪忍袋の緒がついに切れてしまった。

 

 

「んもーー‼ もういいわ、紅夜なんか大ッ嫌い! どこにでも行けばいいわ‼」

 

 

溜まりに溜まった鬱憤を晴らすが如く溢れ出る感情の奔流に身を任せた暴言が

フランの未発達な体躯に見合った小さな口から発せられ、少年に向けられた。

生い立ちの事情故に我慢が出来ないのだと理解している少年ですら彼女の言葉に動揺し、

大きく後ろへと後退してしまう。少年を否定する言葉を言い放った当のフランは今度こそ

ヘソを曲げてしまって彼から目をそらし、ベッドに頭からダイブして唸り始めた。

自分の主人から一応の許可、というよりかは拒否を言い渡された少年は顔前面に絶望と

悲嘆の色を浮かべながらも涙をこぼさないように慎重に一礼してから部屋を後にした。

 

 

「し、失礼しま、した。それでは、ま、また後ほど…………!」

 

 

フランの住まう地下牢の重たげな鉄格子の扉を閉めて姿を消した少年。

彼の歩いて行く後ろ姿をベッドのシーツからのぞかせた瞳で確認した彼女は途端に心の

底から沸き起こって来る不安に苛まれオロオロし始めるが、何とか堪えた。

それ以前の彼女であったならもう癇癪を起して部屋どころか紅魔館全体を瓦礫の山へと

変貌させてしまっていたかもしれないが、あの少年との出会いを経てから変わったのだ。

今までその手に触れたものを破壊することしか知らなかった彼女の手に触れ、握り返してくれた

優しくて逞しくて、繊細でどこか儚げで、それでいて自分に温もりを与えてくれた恩人である

あの少年のおかげでフランは、というよりこの紅魔館の住人は皆変わることが出来たのだ。

 

そのことを思い返したフランはまだ若干拗ねた証である頬のふくらみを残しながらも、

出て行ってしまった少年に対して謝罪する決意を暗い地下牢で独り決意した。

 

 

「帰ってきたらゴメンナサイって言って仲直りしなきゃ………」

 

 

フランという少女にとって、彼はもはや無くてはならない存在になっていた。

出会ったのはたった二週間と少し前程度の短い期間ではあったけれど、彼との出会いはまさに

運命的なものであったのだろうと姉の影を脳裏にチラつかせながらも彼女は考えていた。

それまでの自分の世界を破壊し、新たに自分と共に世界を歩むと宣言してくれた少年。

彼以外に自分を救ってくれる存在などいなかった。まさに自分の、自分だけの王子様。

困った時も寂しい時も悲しい時も楽しい時も、ずっとずっと傍にいてくれる従者兼執事。

 

だからこそ失いたくない、何があったとしても。

 

 

「…………早く帰って来てね、紅夜」

 

 

本当なら彼が出ていく前にかけるはずだった言葉を人知れず呟く。

当然だがこの場に彼女以外に人は居らず、彼女の言葉を返す者もいない。

だからだろうか、フランはいつも以上に不安な気持ちになってしまったのだが、

今日一日を我慢して、明日はずっと一緒にいようと未来を想像して心中に生まれた

不安を払拭して少しでも気分を明るくしようとひたすらに時を過ごした。

 

 

そして、その日の夜深く。

 

結果的に言えば彼は彼女の元へは帰って来た。

 

瞳も口も堅く閉ざし、言葉はおろか息すら吐くことも無い。

 

ひどく冷たい、氷のような身体になって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は現在、霧の湖に浮かぶ一滴の血溜まりが如く紅い紅魔館の大図書館。

 

普段ならば静粛な雰囲気と古書が持つ独特のカビ臭さが入り混じった場所なのだが、

今は膨大な魔力と見る者を魅了、あるいは震撼させるほどの巨大かつ複雑な魔法陣があり、

その中心となる点には物言わぬ骸となり果てた紅夜の入れられた棺が鎮座している。

 

待機を震撼させるほどの魔法を展開している大図書館の住人兼管理者である魔女こと

『パチュリー・ノーレッジ』はもちろん、この紅魔館の当主であるレミリアもまた

今の彼女と同様に額に汗を浮かばせ、垂れる一滴でさえも拭うことをせず眼前を見据える。

そんな二人を後ろから見つめているのは、門番である美鈴と司書の小悪魔に、もう二人。

魔法陣の中心にいる少年の姉であった咲夜と、少年が全てを捧げた主のフランドールだった。

 

 

「__________パチェ、まだかしら?」

 

「…………まだ、あともう少し」

 

「そう。出来れば急いでほしいわね」

 

「分かってるし、既にやってる」

 

「そ、そう」

 

「集中してレミィ、これに全てがかかってるんでしょう?」

 

「…………そうね。まだ油断していい時ではなかったわ」

 

「大丈夫。私の魔法にレミィの魔力があれば、ほぼ問題ない」

 

 

静かに佇む棺の少し手前で両手を魔法陣にかざしているパチュリーとレミリアは互いに

分かり辛い激励を交わしてお互いを励まし、さらに作業の効率を伸ばそうと試みている。

そんな二人の奮闘もいざ知らず、後ろでただ茫然と立ち尽くして涙を流し続けているフランは

自分の真横で自分ほどではないにしろ不安げな表情をしている咲夜の顔を覗き見た。

いつもフランが見る咲夜の顔はそこには無く、あるのはただただ何かに怯える少女のそれのみ。

今度は美鈴と小悪魔の方を見つめるものの、そちらは咲夜とは真逆で何か確信めいた決意を

感じさせる瞳で展開されている魔法陣を一心不乱に見つめているのみだった。

 

彼女らにあって咲夜や自分には無いもの、それはおそらく__________信じる心。

 

フランに次いでこの館で彼と交友が深いのは美鈴か小悪魔あたりだということは彼女自身も

把握してはいたけれど、ここまで深いつながりになっていたとは思いもよらなかった。

主人である自分は知らなかったのに、何故彼女らは彼について色々知っていたのだろうか。

もしかしたら彼は自分にだけは教えずに他の皆にだけは様々な話をしていたのだろうか。

今までのように自分だけを仲間外れにして、置き去りにして、忘れ去っていく。

 

 

「紅夜…………」

 

 

それだけは嫌だ、と幼いながらにフランは必死になって泣くのを我慢した。

彼が自分に忠誠を尽くすと誓ってくれたあの日からずっと、彼が口にしていた言葉を

フランは今この時になってようやく理解することが出来たのかもしれない。

 

 

『お嬢様はいずれ、レミリア様の隣に立って館を守らねばなりません』

 

『ですからお嬢様、これから僕が言うことをキチンと守ってくださいよ?』

 

『まずは_____________何があっても涙を他人に見せてはいけません』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の身体がまだ暖かく、口が動き、表情が豊かだったついこの前の事。

フランがレミリアの言葉に激怒して夕食の席を飛び出してしまったことがあった。

その時も彼は誰よりも早く自分の元にやって来て、ずっとそばについていてくれたのだが、

いつもなら自分を甘えさせてくれるはずの彼が珍しく彼女を非難したのだった。

 

 

「いけませんよお嬢様、あの程度の事で腹を立ててしまわれては」

 

「紅夜までお姉様の味方するの⁉ 紅夜は私の従者なのよ‼」

 

「存じております。ですがこれはお嬢様のためでもあるんです」

 

「私の………?」

 

「ハイ。ですからまず、僕の話を聞いてくださいませんか?」

 

 

普段とは違う彼からの話題の振りに戸惑いながらも首を縦に振って承諾したフランは

彼が促すままに細く見えても鍛え上げられてガッシリした太ももの上に飛び乗って、

同じくほっそりとしていながらも異常な膂力を誇る両腕に抱きしめてもらいながら、

話を聞く姿勢を整え、少年の話を聞き入れる。

 

 

「ではお嬢様。まず初めに質問がございます」

 

「質問?」

 

「ええ、そうです。それでは一つ目、お嬢様は淑女(レディー)の嗜みを心得ておりますか?」

 

「えっ?」

 

「…………では二つ目、お嬢様はどんな事が起こっても冷静でいられますか?」

 

「どんな事が起こってもって、どういう事?」

 

「…………それでは最後に、これが一番重要な質問です」

 

「?」

 

「お嬢様は例え__________僕が死んでしまったとしても泣かずにいられますか?」

 

 

それまで彼が口にしてきた質問の中で最後に飛び出してきた言葉の内容にフランは驚愕し、

思わず自分の頭の上にあった彼の顔面に勢いで頭突きをかましてしまった。

 

 

「おぉッ⁉」

 

「あっ、ご、ゴメン紅夜」

 

「い、いえお気になさらず。それよりお嬢様、さっきの質問の答えを」

 

「無理よ! 紅夜が死んでも泣かないなんて出来ない‼

それよりそれってどういう事よ! 紅夜、死んじゃうの⁉」

 

「…………それは、もしものお話ですよ」

 

 

鼻頭を押さえながら語る少年の表情は、ひどく作り物めいた笑顔だった。

しかし人間そのものをあまりよく知らなかったフランには、それが本当の笑顔か否かなど

識別出来るはずも無く、彼の隠しきれていなかった微かな違和感に気付けなかった。

 

 

「ですが僕は人間で、お嬢様は吸血鬼。種族がそもそも違うんです。

それは寿命が違うということなので、どうしても僕は先に死んでしまいます」

 

「イヤ…………そんなのイヤ!」

 

「お嬢様、今は僕の話を聞いてください。

とにかく、これからは何があっても人前では弱さを見せてはいけません」

 

「どうして?」

 

「お嬢様はレミリア様と同じ………いえ、それ以上の吸血鬼なのです。

そんな貴女が他人に弱点と言えるような部分を見せてはいけないのです。

これからはレミリア様と手を取り合ってこの紅魔館を守らなければ」

 

「何で? どうしてお姉様と?」

 

「…………お嬢様、いいですか?

この幻想郷では吸血鬼は人間に恐れられていますが、それは別に構いません。

ですがもし、もしも人間にこの屋敷が攻められる様なことになってしまえば、

間違いなくレミリア様とそのほかの皆さんは貴女を守るために必死になる」

 

「…………お姉様が?」

 

「信じられませんか? でもこれは多分事実ですよ。

その時が来れば分かりますが、出来ればそんな時は来てほしくはないです」

 

「ねえ紅夜、今日は何か変よ?」

 

「変、ですか?」

 

 

彼の話の内容や口ぶりからようやく違和感を、というより彼らしくない雰囲気を

感じ取ったフランは少々怯えたような表情になって彼に問いかける。

自らの主からの問いかけにどこかギクシャクしたような素振りを見せつつも

冷静にふるまってあまり間を置かずに返答した。

 

 

「まぁ今日のところはこれくらいにしておきましょう。

ですがお嬢様、さっきの僕の言葉は忘れないでいてくださいね?」

 

「え、う、うん。分かった」

 

「ええ、『約束』ですよ?」

 

「うん、『約束』ね!」

 

 

彼の温もりを直に伝えてくれる両足の上で身じろぎ、彼の小指と自分の小指を絡ませ、

いわゆる『ゆびきりげんまん』をして二人の間に小さな約束事を取り付けた。

この時のフランは正直、彼の話についてはほとんど理解してはいなかった。

ただ最後の、『彼の死』についてだけが鮮明に記憶に残り、それが恐怖となって刻まれる。

それでもこの時に彼と交わした『約束』は、絶対に守ろうとは子供ながらに決意していた。

 

綺麗な夕暮れが紅魔館の窓辺を照らすその日、彼女は最愛の彼と『泣かない約束』をした。

そしてその約束が、果たされる日が望まない形でやって来てしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(約束…………紅夜との約束、破っちゃった)

 

 

今も目元や両頬に残る涙の痕を指で確かめるように撫でながら内心で呟く。

かつて彼と交わした約束を忘れ、多くの人の目の前で泣き叫んでしまったのだ。

もしも彼がその現場を見ていたら、いったいどんな顔をしただろう。

 

約束を破ったことを怒ったのだろうか。

それとも仕方ないと笑って慰めてくれるだろうか。

 

心の平静を保つために色々と考えたが、どれもしっくりくることは無かった。

何しろ答えである彼自身が既に、息絶えた遺体となってしまったのだから。

今や彼の前で何をしようが返って来るのは無機質で無感情な死人の蒼白な顔のみ。

 

 

(でも紅夜、安心して? 私もう、もう…………泣かないから!)

 

 

ゴウゴウと空気を震わせながら魔力が渦を成す大図書館の中心で眠る少年に、

フランは改めて自分の決意を、約束を果たす自らの意思を彼の亡骸に誓う。

その表情にはもう先程のように赤子のように泣きじゃくる幼さも無ければ、

彼のいない未来を想像して絶望していた恐怖の形相も無くなっていた。

今の彼女は、彼との約束を果たすという『約束』を抱いている。

 

自分に温もりを与えてくれた、最愛の少年に抱いた想いと共に。

 

 

(だから紅夜、もう約束破ったりしないから!

これからは紅夜の言うことちゃんと聞くから………帰って来て‼)

 

 

両眼を見開いて眼前で行われている儀式を一瞬たりとも見逃すまいとするフランの

熱意が奮闘している二人に伝わったのか、それとも二つの世界に捨てられた少年を

憐れんだ『都合のいい神様』とやらにフランの願いが聞き届けられたのか。

紅魔館の住人の目の前で、ついにパチュリーとレミリアの魔法が完成の時を迎えた。

 

 

「ハァ………ハァ………パ、パチェ!」

 

「レミィ…………お疲れ様、これなら多分」

 

「「成功ね」」

 

 

大図書館を覆い尽くさんばかりの魔法陣の中に魔力の渦が注入されていき、

ついにそれらが一つに合わさって荘厳で巨大な『儀式』として昇華された。

中央に置かれていた紅夜が入れられている棺を基準点として展開されていた

魔法陣が徐々に収束していき、ついにそれが光る球体となって棺の中に染み込み、

一瞬の閃光と共に術式が完了したことを術者である二人に告げた。

 

 

「…………ふぅ、持てる魔力の大半を使ってしまったけれど、

これでほぼ確実に紅夜の『転生』の儀式は成功したわよね?」

 

「………ええ。失敗なら魔法陣が砕けるか、転生で呼びこんだ魂が出現しない」

 

「パチュリー様、これで紅夜君が生き返るんですね⁉」

 

「そうね。私の、というより私とレミィの魔法が正しく機能すればだけどね」

 

「絶対大丈夫ですよ! ね、咲夜さん‼」

 

「…………お嬢様、パチュリー様。私は今の感情を表現しきれません。

お二人になんと声をおかけしたらよろしいのかすら計りかねています」

 

 

振り返ったレミリアとパチュリーの視線を一身に浴びながらも咲夜は歩み出て

二人に対して今の彼女が出せる最大級の労いの言葉を掛けようとした。

 

 

「ですが…………どうか、どうか紅夜の命をお繋ぎください‼」

 

「フッ………自分に素直になったお前も、中々悪くないわよ」

「大丈夫よ咲夜。もうここまで来たらあなたの心配も必要ないと思う。

魔力も無事充填出来たし、術式の正しい発動も確認出来た」

 

「おっ、お姉様! こ、紅夜は………?」

 

「…………すぐに目を覚ますわ、安心なさい」

 

 

待ちきれないとばかりに咲夜に続いてフランも状況を尋ねてみるが、

彼女の姉たるレミリアが息を整えて普段と同じ麗然とした態度で呟くのを聞き、

自らも信じて待つことが当然なのだと言い聞かせるように押し黙った。

 

二人の発動させた『魔人転生』の魔術は役目を終え、展開されていた補助目的の

魔法陣も音も無く掻き消えていく中、本来の目的であり最も重要な部分でもある

中央の棺は、しばらく待っても物音一つすら立てずにその場に変わらず鎮座している。

ところが、術の発動を終えてから優に五分を超えた頃に変化が現れ始めた。

待つことがじれったくなったレミリアが術の成功を確かめるためと言って紅夜の入った

棺の前まで歩いて行き、その中をゆっくりと慎重になって覗き込んでみる。

 

 

「……………………」

 

「お、お嬢様?」

 

「お姉様! 紅夜は、どうなの⁉」

 

 

いち早く紅夜の状態を確認しに行ったレミリアに従者の咲夜と妹のフランが

尋ねたのだが、当のレミリアはひどく浮かない顔をして表情を歪ませている。

そんな彼女の表情から何かを読み取れたのか、美鈴がすぐさま気を察知し始めた。

ところが彼女の能力を発動させて気を探ろうとした直後に、事は動いた。

 

 

「あ、ひ、棺が動いてます!」

 

 

美鈴の言葉をその場の誰もが確認しようとした瞬間。

鎮座していた棺の蓋がゴトゴトと音を立ててゆっくりと開かれ、

中にいた人物がその見慣れた表情を今か今かと待ち望んでいる人へ向ける。

 

 

_________ところが

 

 

 

「お嬢様、パチュリー様! 急いでそこを離れてください!

ソイツは紅夜君じゃありません、全く別の気を持つ何かです‼」

 

 

緊迫した美鈴の一言で場にいる誰もを震撼させ、視線を釘付けにする。

吸血鬼の姉妹も、大図書館の魔女とその司書も、門番も従者も誰もかれもが

ただ一点、中央に置かれた棺の中から現れるその相手を睨みつけていた。

 

そして、とうとう中から美鈴が警戒した何者かが姿を見せた。

 

 

深みを増した夜の闇ですらも飲み込もうとするかの如き漆黒の短髪(・・・・・)に、

水平から大きく上へと浮き上がった(まなじり)、その下に輝く蒼青色(コバルトブルー)の瞳。

彼を見つめる姉であるはずの人物とは大きく異なる浅黒く焼けた褐色の肌(・・・・・・・・・・・・・・・・)や、

身体のあちこちから顔をのぞかせている明らかに異常なほど隆起した全身の筋肉。

 

そして何より、両側頭部から生える様に突き出た2本の、巻き角(シープホーン)

 

そこにいるはずのない何者かが、そこにいたはずの少年の顔を持つ何者かが、

誰もが帰りを待っていた少年の声とはまるで異なる野太く狡猾な声で呟いた。

 

 

「__________身体、身体か⁉ これが、俺様の身体か‼ ハハハッ‼」

 

 

棺から現れたのは、そこにいたはずの少年ではないナニカだった。

 

 












いかがだったでしょうか?
死んでしまった紅夜に想い募らせる紅魔の住人たちを待っていたのは、
決して甘くは無い、それどころかどこまでも残虐で無慈悲な悪夢だった。

果たして紅魔館の住人はどうなるのか‼
紅夜は一体、どうなってしまったのか⁉

次回をどうか、心待ちにしていただけると嬉しいです。
ご意見ご感想、いつでもお待ちしております!


それでは次回、東方紅緑譚


第四十四話「名もなき魔人、夜に裂く」


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第四十伍話「名も無き魔人、夜に裂く」


いよいよ面白い展開になってまいりました!
個人的にも執筆が楽しくて仕方ないこの頃です。

それと私が個人的に一番仲良くしている後輩が、
「金木君かな?」とコメントしてくれたのがツボでしたww


それでは、どうぞ!





 

その場にいる誰もが、息を飲んで呆然と佇んでいた。

 

紅魔館の大図書館の最奥、そこで行われていた儀式の果てに待つ結果に対して、

吸血鬼の姉妹も、大図書館の魔女も司書も、門番も従者も、誰もが驚愕していた。

 

彼女らが最も栄える真夜中時に行っていた『魔人転生』の儀式。

本来ならばそれは成功し、死んでしまった一人の少年が新たな魂を得て黒塗りの棺から

顔を出して、再び館の住人に彼の持つ暖かく優しい笑顔が向けられるはずだったのだ。

しかし実際には、起こりうるはずのものとは全く異なる現実が突きつけられていた。

 

「これは、一体どういう事なのパチェ!」

 

「………私にも分からない。儀式は成功したはずなのに」

 

 

目の前で起きている出来事の不可解さに思考がままならないレミリアとパチュリーは

棺から起き上がった紅夜の肉体を持つ何者かの姿を見て動きを止めてしまった。

自分たちが待ち望んでいたのは、月光を反射するかの如く鋭い銀色の短髪に紅い瞳を

もった執事の少年の姿であったはずなのに、今の彼はまるで別人のようにしか見えない。

そしてその疑問を裏付ける様に少年の体に宿ったナニカが低く濁った重低音で高らかに笑う。

 

 

「ハッハッハ‼ ようやく退屈な魔界から出られたと思ったらおあつらえ向きな専用の

"(いれもの)"まで用意してあるとはなぁ! 至れり尽くせりってヤツかぁ?」

 

 

自らの肉体を無遠慮に見定めてまたしても下卑た笑い声を上げるナニカの言葉を聞いて、

立ち尽くすだけだったその場の誰しもの目に、漆黒に近しい色合いの決意の炎が灯る。

真っ先にナニカへと向かっていったのは、門番の美鈴だった。

彼女は全身に紅色のオーラを立ち昇らせて身体能力を強化し、迷いなく懐へと飛び込んで

自身の肉や骨すらも砕いてしまいそうなほど強く握りしめた拳を高笑いし続けるナニカの

ガラ空きの胴体、人体の急所であるみぞおちへと人の目では捉え切れぬ速度で叩き込んだ。

 

 

「その身体は紅夜君のものだッ‼ 返せぇぇ‼」

 

 

普段の彼女が見せるのどかなものとは違う、覇気と鬼気が入り混じった迫真の表情で

一度叩き込んだ拳を引き戻し、そこから何度も何度も同じように凄まじい速度の連打を

打ち込んみ、最後に止めとばかりに渾身の力を込めた上段蹴りを顔面へと狙って放った。

 

「…………嘘、だ」

 

「あン? 何だ、今なんかしてたのか? つーか誰だお前」

 

「き、効いてない………そんなはずは!」

 

「もしかしてお前、俺様に蹴りかましてたのか? そいつぁ残念だったなぁ」

 

 

ところが当の相手はまるで堪えておらず、飄々とした態度のまま棒立ちしていた。

自身の全力に近しい攻撃を全て打ち込んだにも関わらず大して効いていない事実に驚いた

美鈴だったが、ナニカは薄ら笑いを浮かべたまま顔に張り付いた美鈴の右足を掴んだ。

 

 

「女の蹴りが俺様に効くかよォ‼」

 

「ぐっ、うあぁ‼」

 

「美鈴!」

 

 

ナニカはそのまま掴んだ右足を振り回して投げ捨て、美鈴は勢いそのままに大図書館の

本棚の一角へと投げ出されてぶつかり、多くの本を撒き散らしながら落下していった。

門番でありながら体術でも群を抜いて強い美鈴が成す術も無く遊ばれる姿を目撃した

レミリアは、相手取っているナニカと自分たちの格の差を薄々勘付くのだった。

 

 

(マズいわ………私もパチェも魔力の大半を使ってしまって余力がもうないし、

美鈴がああも一方的にやられてしまうのでは咲夜では勝ち目が薄いかもしれない)

 

 

冷静に状況を分析して浮かび上がってきた敗色濃厚である事実が受け入れ難く、

目の前で体を調整しているかのような動きを見せるナニカに対してレミリアは声をかけた。

 

「随分と調子が良さそうね」

 

「あァ? お前は…………そうか、おい小娘。お前吸血鬼か」

 

「………ええ、そうよ。それがどうかしたのかしら?」

 

「吸血鬼に魔女、下級のザコ悪魔に………そっちは人間か? 面白いメンツだな」

 

「そうかしら? 褒められてる気がしないのだけど」

 

「褒めてねぇからな。それよりも、俺様を召喚したのはお前か?

それともそっちの魔女の方か?」

 

「………どちらでもある、と言ったら?」

 

「はーん、なるほどなぁ。召喚した術者が二人、かぁ………」

 

「召喚されたあなたからしたら面倒この上ないでしょうね」

 

「パチェ!」

 

「下がってレミィ、ここは私がどうにかするから」

 

「どうにかって!」

 

「私はレミィより魔術に秀でているわ。だから任せて」

 

 

レミリアとナニカとの会話を遮るように割り込んできたパチュリーは

そのまま会話の主導権を交代させてもらって、新たにナニカとの対話を始める。

 

 

「召喚した術者が二人いる時点で、契約の履行が単純に二倍になるわ。

その事に関して自分から触れてない以上、やっぱり有効みたいね」

 

「…………はっ、どうだかな」

 

「強がってもダメ。契約による強制的な支配は可能なようだし、

とりあえず話し合いましょう。私たちはその肉体の持ち主を甦らせたいだけなの」

 

「それで? 俺様に何の関係があるんだ?」

 

「何ですって?」

 

「俺様はなぁ、魔界でずっと退屈な時間を過ごしてきてたんだよ。

延々と続く牢獄の中でたった一人…………魔界神のクソババアのせいでな」

 

「魔界神………? とにかく、その身体の本来の持ち主の魂はどこ?」

 

「あァ?」

 

 

パチュリーの一言は大図書館にいる者の理解の範疇を超えた領域にあった。

ただ、レミリア一人だけは、パチュリーの言葉の意味を正しく把握していた。

 

彼女が言っているのは、紅夜本人の失われた魂の所在のことである。

そもそもパチュリー達が行った『魔人転生』の儀式とは、彼女らの持つ魔力を用いて

魔法陣を形成し、異なる空間から一方的に指定した魂を召喚するという特殊なものだった。

しかしそれならば本来肉体に定着していた彼自身の魂はどうなってしまうのか。

 

その答えを、パチュリーは知っていた。

 

 

「本当なら魔界から"魔人の力"のみを引き込むはずの魔術だったのに、

理由は不明だけどあなたのような魔人そのものを紅夜の肉体に呼び込んでしまった。

なら、元から紅夜の肉体にあったはずの魂はどこにいってしまったのか」

 

「…………んな事、俺様が知るわけ」

 

「いえ、知っているはずよ。だってあなたが追い出したんだもの(・・・・・・・・・・・・・)

 

パチュリーの言い放った言葉を聞いて、ナニカが一瞬だけ顔を歪ませる。

その反応を見て予想通りであると判断したのか、パチュリーはさらに話を続ける。

 

 

「魂だけでなく、自分自身の存在すらもこちらに持ってこれるほどの力のある

あなたなら、定着していた魂を追い出すことなんて簡単なはずよね」

 

「…………だったら、どーするよ?」

 

「今すぐに呼び戻してもらうわ。それが目的だもの」

 

「嫌だっつったら?」

 

「返しなさい」

 

「ハッ! 今決めたぜ、絶対に返してやらねぇ‼

この身体は今日から永劫俺様だけのものだ、他の誰のものでもねぇ‼」

 

口の端を裂けそうになるほど大きく広げたナニカを前にパチュリーは即座に

魔法を詠唱する構えをとる姿勢を見せるが、それはすぐに中断することになった。

否、断念させられたというほうが正しい。

 

パチュリーが手にした魔導書を開いて魔力を注ぎ込んで書かれた魔法を発動しようと

試みている間に、ナニカが大きく腕を振るい、それが図書館内の大気に変化をもたらした。

突然閉鎖されているはずの空間に風が巻き起こり、本棚から本が所構わず吹き飛んでいき、

さらにはその場にいた全員が急に頭上に重しを乗せられているかのようにガクンと体勢を

崩して膝から図書館のフロアへと倒れこんでいった。

一体何が起きているのか、咲夜と小悪魔、そしてフランにも全く理解は出来なかった。

それでも目の前でナニカだけが下品に笑い声を上げていることから、ヤツが自分たちに

何らかの攻撃を仕掛けているのだろうということだけは辛うじて理解出来た。

特に咲夜にいたっては、理解が出来ても動くことが出来ていなかった。

だが死んでしまった弟が生き返るはずだったという期待を鮮やかに裏切られ、

その挙句に謎の存在が弟の肉体を乗っ取って好き放題にしているなど。

紅夜への愛を自覚した今の彼女にとって、冷静さを失わせるには充分過ぎるほどだった。

 

 

「ああぁぁあ‼」

 

「なんだ、まだやる気なのか?」

 

「返せ‼ 紅夜を、私の弟を返せ‼」

 

「同じことを何度も何度も! うっとうしいぜお前も‼」

 

 

頭に血が上った咲夜は激情し、数本のナイフを手にしてナニカへと突貫していった。

それはさながら先程の美鈴のような気迫であったが、咲夜は彼女とはまた違う印象を

抱かせる表情を浮かびあがらせていた。

咲夜がナイフを投擲し、そのナイフが空中を滑るようにナニカの喉元へと一直線に

突き進み、ほんの数秒の時間の後に目標地点通りの位置にナイフが到達した。

しかし、投げられたナイフは刺さっておらず、皮膚に触れただけで地面に落下していった。

 

「そ、んな…………」

 

「バカが。俺様は魔人だぞ? 器がそもそも人間離れしてんだからよ、

今さらそんなチンケな刃物が俺様の体に傷をつけられると思ってんのかよ‼」

 

 

咲夜の投げたナイフをまるで意に介さずに無力化したナニカはそのまま腕を大きく

振るい、その動きに合わせて図書館内の空気が唐突に動き出して咲夜を吹き飛ばす。

美鈴の時と同じような方法で咲夜も本棚にぶつけられ、そのまま意識を失ってしまった。

残されたレミリアたちは一瞬で自分たちの誇る最強の体術と能力を誇る二人が倒されたのを

目撃して怒りに燃えたが、それでもやはり動くことは出来なかった。

パチュリーとレミリアは単純に儀式で魔力を使い果たした反動によって、

小悪魔に関してはただ単に恐怖と混乱でパニックを起こしていたからであった。

そしてフランは、目の前で起こっている事態をまるで把握出来ていなかった。

 

自身に向かってきた二人をあっさりと倒してしまったナニカは肩や首の骨をボキボキと

鳴らして肉体に馴染んだことへの実感が湧いたのか、満足げに粗野な笑みを浮かべる。

そして堂々と、かつ傍若無人に歩き出し、大図書館の窓辺の方へと向かっていき、

そこから映り込む怪しさすら感じるほど美しい月を眺め、うなるように呟いた。

 

 

「ここの月を見てるとやけに暴れたくなってくんなぁ、魔力でも出してんのか?

まあここにいても分かんねぇし、もうここに興味も湧かねぇしな」

 

「どこへ、行くつもり⁉ 契約がまだ!」

 

「知るか! 俺様のやりたいことをやって何が悪いんだ?

封印されてた俺を呼び出したのはテメェらの方だろうがよ!」

 

「封印、ですって⁉」

 

「そうさ! 一方的に呼び出しておいて契約で縛る⁉ ハッ‼

俺様はやっと自由になったんだ。悪くない器まで用意しておいていまさら

言う事を聞けだとかよぉ、ンなもん無理に決まってんだろうが‼」

 

 

窓から差し込む月明かりに照らされたナニカはより一層不気味に笑い出し、

自身の蒼青色の双眸をギラギラと輝かせながら再び腕を大きく振るった。

途端に大図書館内に不自然な空気の動きが生じ、中にいる者全てに等しく荒れ狂う

烈風を叩き付けてその者の目や耳の機能を一時的に奪い尽くす。

 

「あばよ下等種族共ォ‼ ヒャッハハハハァ‼」

 

 

その隙にナニカは窓を拳で破壊して本来のものとは全く違う通路を作り出し、

不気味で耳の奥にいつまでも残るような不快な響きの笑いと共にそこから闇夜の中へと

飛び出して姿を消してしまった。

 

吹きすさぶ風が止み、後に残されたのは悲しい静寂のみ。

パチュリーは自身の施した魔術の失敗という事実に浅からぬ絶望を感じ、

レミリアは本棚の影で倒れこんでいる二人の下僕に申し開きが出来ないと唇を噛み、

小悪魔は舞い散った数々の本を整理しようとあちこちを忙しなく飛び回っている。

 

そして、フランはと言うと。

 

 

「___________こうや」

 

 

ただ呆然と立ち尽くし、ガラスが砕け散り風が入りこむ窓から夜空を見上げていた。

愛しい彼が、彼の肉体を持つ何者かが姿を消していった、漆黒の夜の闇を見つめ、

それでもなお彼女の瞳は、輝きを宿していた。

 

彼と交わした約束の通り、フランは涙を流さなかった。

 

 

「こうや、わたしをおいてどこにいくの?」

 

 

フランの瞳は涙に濡れてはいなかったが、代わりに光を失っていた。

十六夜 紅夜という、495年の牢獄から自分を解き放ってくれた優しい光を。

だた真っすぐに夜の闇を見つめるフランだけが、窓の外を見ていた。

他の者は一様に自身の成すべきことをするためにそれぞれが違う方向を向いて

動き始めていたために、誰も紅夜を、フランを見ていなかった。

よろよろと立ち上がったフランは窓辺へと歩き、そこから外の世界を見つめる。

霧深き湖に鬱蒼と生い茂る深緑の森、空には瞬く星々と大きく煌びやかな淡い月。

それら全てを見たことがないフランにとって、窓辺から先は未知の世界であった。

一歩も外へ出た事がない彼女にとって知らない土地に対する恐怖は少なからずあったが、

今はそれ以上にただ一人の人物を失う事の方が怖かったのだ。

 

 

「だめ……いかないで…………」

 

 

幼く未発達に思えるほど華奢で白い肌の腕を窓の外へと伸ばして呟く。

今のフランには、自分よりも後ろにいる者の存在などはどうでもいいように思えた。

あるのはただひたすらに、幼さゆえに欲しい物を求めようとする『欲望』。

単純なそれらが複雑に絡み合い、フランに初めての決断を下させた。

 

 

「__________私も、そっちに行くわ」

 

 

誰にも聞こえないような小さな声での決意を露わにしたフランは窓の外を見上げ、

背中の歪な形状の両翼をはためかせて風を起こし、そのまま宙にフワリと浮いた。

フランがここまで行動を起こしてようやく彼女の異常に気付いたレミリア達はすぐさま

止めようと試みるものの、魔力がほぼ使い果たされた今の状況では到底止められないと

悟り、あえて彼女の起こす行動の行く末を見守ろうとして口をつぐんだ。

愛され過ぎたが故に世界を知らない妹は外を見つめて飛び立とうとし、

愛し過ぎたが故に世界を奪った姉はただ、妹の決意を信じて見守る。

 

フランはついに両翼を激しく動かして勢いをつけ始め、

とうとうそれは飛行するには十分なほどにまで達した。

そのままフランは前だけを見据えて空へと羽ばたき、夜の闇夜へ消えていった

自身の執事を探し出す為に、最初で最後の家出をするのだった。

 

 

「今行くわ、紅夜‼」

 

 

その日、幻想郷に495年間封印されていた禁忌が、解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷とは、あらゆるものを受け入れる最後の楽園である。

そしてそれは、生きとし生けるもの以外もまた受け入れられる。

 

つまり、死人ですらも例外ではない(・・・・・・・・・・・)のだ。

 

 

ここは幻想郷の再思の道と呼ばれる小道から続くと言われている不思議な土地。

果てが見えないほど巨大で幅広い河川が延々と流れゆく魂の逝き着く最期の場所。

 

その名を、【三途の川】という。

 

「んっん~~、今日もいい暇具合だねぇ~」

 

生者であれば近付け得ぬこの亡者の地で、安穏とした雰囲気で川辺に寝そべりながら

大きなあくびを浮かべて充実したサボタージュを決め込んでいる女性がいた。

 

クセの強そうな赤い髪をツインテールにまとめ、彼岸花を思わせる淡紅の瞳をもつ。

白い半袖にロングスカートを合わせたような着物を着込み、腰には小豆色の太帯と

真ん中に四角い穴の空いた文銭を糸で通した独特の腰巻を巻いている。

彼女は【死神】という種族の、『小野塚(おのづか) 小町』

 

本来ならこの三途の川でやって来る亡者を渡舟に乗せて魂たちを裁きにかける閻魔大王の

御元へと連行する仕事をしているはずなのだが、彼女はよくこの仕事をサボっている。

もし上司である閻魔大王に見つかりでもしたら説教は免れないのだが当の彼女はどこ吹く風、

まるで気にもせず自分がしたいように仕事をサボっているのだった。

 

そんなある種の日課と化したサボりタイムに、一人の珍客が現れた。

 

「あの、すみません」

 

「ん~? 渡舟かい? それならもうちょっとだけ待っていておくれ。

あと三十分くらい昼寝したらちゃーんとお仕事するからさぁ」

「いや、あのですね。僕の話を聞いてもらえますか?」

 

「話? 悪いけどあたいは話す方が好きだからねぇ。

話を聞かしてやりたいならその辺の魂相手にでも話せばいいさ」

 

「…………ですから、僕の話をですね!」

 

「あ~~もぅ! 分かった分かった、話を聞けばいいんだね⁉」

 

 

あまりにもしつこく言い寄って来る亡者に業を煮やした小町は渋々起き上がり、

自分に声をかけてきた魂と面と向かい合って話を聞く姿勢を取ることにした。

 

そして、そこで彼女は彼と目が合った。

 

月光を反射するかの如く鋭い銀色の短髪に、真紅色の瞳。

色白の肌に見立てたような日本で死者に着せる白い喪服。

頭部に喪に服した者のみが被る三角の白布をつけた困り果てた表情の少年。

 

 

吸血鬼に永遠の忠誠を誓いし人の子、命尽きても魂は朽ちず。

十六夜 紅夜と呼ばれる少年の物語は、まだ、終わっていない。

 

 

 











いかがだったでしょうか?
今回は諸事情によって少々短めになってしまっています。
本当なら昨日の夜には書けていたはずなのに、悔しい‼

ここにきてまた人気が上昇し始めた紅夜ですが、
まだ彼の存在は消滅してなどいませんでしたよ! ってかさせませんよ‼


それでは次回、東方紅緑譚


第四十五話「紅き夜、三途の死神と語らう」


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第四十六話「紅き夜、三途の死神と語らう」

どうも皆様、お久しぶりです。

先週は投稿出来なくてすみませんでした!
実は五月八日に東京で開催された東方関連のビックイベントこと
「第十三回博麗神社例大祭」に参加するために投稿を休ませていただきました。

楽しかったです、ハイ‼
色々なグッズやフィギュア、無論同人誌も買い漁れて大満足でしたよ。
それと日頃から仲良くしてくれている後輩たちとも初顔合わせできて
全身の筋肉疲労の代償も受け入れられるほど充実した休日になりました。

例大祭で得た東方への熱意を再チャージしつつ、また定期更新に戻ります!


それでは、どうぞ!




 

「……………………?」

 

 

目が覚めた、という表現は正しいのだろうか。

少なくとも僕は今、目の前に広がる形容しがたい未知の土地の情景が見えている。

 

対岸の輪郭すら見えないほど霧が濃く、なおかつ同じように向こう側が見えないほど広い川幅。

決して濁っているというわけではないのにこの川の水は不透明で、川底がまるで見えてこない。

川辺の岸には若々しい緑などはまるで見当たらず、あるのは形や大きさが様々な丸い石のみで、

ところどころにそれらが重ねられて塔のようになっているのがちらほらと見える。

 

そして僕が一番気になっているのは、川辺に浮いている白いふわふわとした物体だ。

そもそも目を凝らして見てみるとどうも半透明のようで、重力に縛られない浮き方をしている

時点でこの浮遊物がれっきとした『物体』であるのかどうかですら皆目見当がつかない。

あまりにも日常からかけ離れた幻想的な風景を見て、僕はわずかに思考が停止していた。

僕の周囲をふわふわと飛び交う白い浮遊物を見続けて数分、僕はようやく状況の整理を考えた。

 

 

(確か僕は、さっきまで永遠亭という医療施設の和室で横になっていて、それから…………)

 

 

アゴに指を押し当てて考えているポーズをとりながら自分の頭の中にあるついさっきまでの

記憶を掘り起こしてみるも、目の前の状況に至るまでの経緯がすっぽりと抜け落ちているらしく、

少なくとも一番記憶に新しい場所と現在いる場所とは全く以て結びつかないことしか分からない。

本当にここは、どこなんだろうか。

 

 

「……………情報が、足りないな」

 

 

即座に僕が一番にするべき事、必要な事を頭の中に思い浮かべて整頓して声に出す。

まず今の僕に必要不可欠なのは、現在に至るまでに起こったことなどを含めた情報だ。

ここは一体どこなのか、何故自分はこんなところにいるのか、あの浮遊物は何なのか。

考え始めればキリがないが、何よりもまず僕が知りたい事は他にある。

 

それは、僕の身に何が起こったのか、という事だ。

 

視線を足元に送ってみれば、足が見当たらない。

これは冗談でもなければ比喩でもない、ありのままの事実のようだ。

もちろん驚いて飛び上がりそうになったけれど、そもそも飛び上がるための足がないの

だから跳躍できるわけも無く、ただその場で驚愕による衝撃を受けただけにとどまった。

続いて足元から少しだけ視線を上に戻してみると、別の違和感に気が付いた。

それは、今自分が身に着けている衣服が自分の記憶の中にある服と一致しないということだ。

僕は永遠亭に運び込まれ、そこで診療を受けて横になっていた時も多分執事の正装をしていた

はずなのだが、現在僕は日本人が着るイメージが強い着物のような服を着ている。

 

(燕尾服、どこにいったんだろうか。あの服、結構自信作だったのに……………)

 

 

完全手製の執事の正装が紛失している事に少なからずショックを受けながらも、

とりあえずは自分が置かれている現状についての情報を手早く集めることが先決だと

割り切って、周囲の探索を始めることにした。

 

 

「…………………なるほど、そういう事か」

 

 

探索を始めてから体感時間でおおよそ十五分ほど経過した頃、僕は一つの仮説に行き着いた。

 

 

「ここは多分、死者の魂が行き着く場所、なんだろうか」

 

 

そう、僕が考えた予測からすればここは、恐らく死んだ者の流れ着く場所だということ。

突拍子も無い事を言っているように思えるけど、それにはちゃんとした根拠がある。

根拠というのは、どうもさっきから人のように見える物体がちらほらと現れ始めたからだ。

人のように見えるというのも、さっきの浮遊物と同じで若干体が半透明になっているからで、

しかも着ている服が自分の着ている純白の着物とほぼ酷似しているのだから、間違いないだろう。

 

 

「死者の行き着く場所がここなら、僕は……………」

 

 

もしもこの場所が僕の仮説通りの場所だとすれば、必然的に僕は死んだということになる。

死ぬという事がどういう事なのかはよく知っていたけれど、まさか死後の世界が実在したとは。

 

「本当に死んだんだろうか、僕は」

 

 

死後の世界という不確定な要素の追及よりも、そちらの是非の方が僕は気になる。

仮にもしも本当に僕が死んでしまったのだとすれば、今頃紅魔館はどうなっているだろうか。

真っ先に浮かんでくるのは、やっぱり僕が忠誠を誓った彼女、フランドールお嬢様の事だった。

 

本当に死んだのだとすれば、あのお方は今頃どうされているのだろう。

僕の死の一報を聞いて悲しんでおられるのだろうか、泣いてくださるのだろうか。

それとも、人の死を大して思わずに忘れてしまわれるか、僕を見限って新しい執事を雇用するか。

美鈴さんは多分、悲しんでくれるだろうとは思う。

なんだかんだで日常的に組み手をしたり、花壇の水やりをしたりと交流はあったから。

こあさんも恐らく悲しんでくれるだろう。彼女とはそれなりに仲がいいつもりだし。

パチュリーさんは悲しむってことは無いだろうな、でも勿体ないとは思ってくれるかも。

一応僕が死んでも生き返らせるための方法を大図書館にこもって探してくれていたんだし。

レミリア様は、ガッカリなされるだろうかな。こんな早く死ぬなんて期待外れだ、とか言って。

 

紅魔館の面々の反応を頭の中で思い描く中、最後まで反応が分からない人物が一人いた。

 

「姉、さん……………僕の事、最期まで思い出してくれなかったな」

 

 

胸の中に残るわずかな後悔と未練。フランお嬢様と同時に頭に浮かんだのが姉さんだった。

紅魔館のメイド長は、きっと僕みたいな新参者のためには涙一つ流すことすらないのだろう。

公私を混同しないのがそもそも従者の前提だし、何より今の彼女は僕のことを忘れている。

忘れているというよりは、レミリア様の力でほぼ別人になっているという方が正しいかもしれない

けど、それでもやっぱり最期の瞬間だけは姉さんに、今の僕の名前を呼んでほしかった。

 

十六夜 紅夜(じぶんのおとうと)』だと、認めてもらいたかった。

 

 

「………今さら、もうどうにもならないけどね。本当に死んだなら、だけどさ。

それよりも今はどうするべきかを考えないといけないよなぁ」

 

 

少しばかり悲しい気分になりかけたので切り替えるためにも目の前の現実に目を向けて、

とりあえず今はどうするべきなのかを最優先に考えて行動する事にし、再度探索を始めた。

 

どこまでも続く先の見えない川辺を歩き続けて数十分、僕はあるものを見つけた。

あるもの、というよりはようやく出会えた人物、と言った方が正しい気がする。

川から少し離れた場所に石が積み重なって出来たような小さな坂に寝そべって目を閉じている

色鮮やかな和服を着こなしている赤髪の女性を発見し、僕はすぐに声をかけようと近付いた。

 

 

「あの、すみません」

 

「ん~?」

 

女性は僕の呼びかけに応じはしたものの、目も閉じたままで体勢も変わらず、

明らかにキチンと意思を疎通させる気がないのだと目に見えて理解出来た。

 

「渡舟かい? それならもうちょっとだけ待っていておくれ。

あと三十分くらい昼寝したらちゃーんとお仕事するからさぁ」

 

 

続けて女性の口から発せられた言葉を聞いて、僕は脱力感を味わった。

死んでいる自分が脱力なんてするのか、といった定番の考察も投げ打って女性を見つめる。

しかし彼女は未だに体勢を変えずに川の音を聞きながら心地良さそうに寝そべったままだ。

 

 

(ちゃんと要件を伝えたほうがいいのかな? でもいきなり現れて「あのー、僕って

死んでしまったみたいなんですけど、どうすればいいですか?」なんて聞けないしなぁ)

 

 

素直に話を切り出せば変人扱い待ったなし、そんな展開だけはまさに死んでも勘弁だ。

仕方なくさっきよりも少しだけ声を大きくして再度寝たままの女性に声をかけることにした。

 

 

「いや、あのですね。僕の話を聞いてもらえますか?」

 

「話? 悪いけどあたいは話す方が好きだからねぇ。

話を聞かしてやりたいなら、その辺の魂相手に話せばいいさ」

 

取り付く島もない、ここは川だけど。

なんて無駄にうまい事言ってる場合じゃない、本当にどうすればいいんだ。

一応会話はしてくれてるけど僕は別に世間話がしたいんじゃなくてちゃんとした現状の

説明をしてくれるのを求めているんだ。だからこそ周囲でふらふらしている白い着物を着た

半透明の人たちよりも貴女を選んで話しかけてるって言うのに、これじゃ意味がまるでない。

ここまできたらもう意地だ、その気になるまで徹底的にやってやる。

 

 

「…………ですから、僕の話をですね!」

 

「あ~~もぅ! 分かった分かった、話を聞けばいいんだね⁉」

 

 

三度目の正直とはよく言ったもので、二度目よりも声を荒げてみてうまくいった。

それまで寝そべっていた女性は半ば苛立ったような口調と共に跳ね起きながら目を開けて

視線を声のする方向、つまり僕のいる方へと向けてくれた。

ようやくまともに話す気になってくれてほっとしたのもつかの間、

女性は目を三回ほどパチパチとまばたきした後に驚愕の表情を浮かべて叫んだ。

 

 

「あんた、吸血鬼んとこの従者じゃないか! 人が長居できる場所じゃあないとは思って

たけど、とうとうお迎えが来ちまったんだねぇ! は~、まあそんなこともあるって!」

 

「え、え? あの、僕の事をご存知なんですか?」

 

「ん? ご存知も何も、ちょっと前の宴会で肴を馳走になったじゃないか!

今さらどうしたってんだい? まさか死んで記憶があべこべになっちまったとか?」

 

「前の宴会……………肴?」

 

「そうさ…………ん? でもお前さん、ちょっと見ないうちに顔つきが変わったねぇ。

随分と、なんというか、こう…………男みたいになっちまったようだよ」

 

「男、みたい?」

 

 

やっと会話が始まったと思いきや早速違和感というズレに衝突してしまった。

どうもさっきから話の内容、というか目の前の女性の言動が噛み合っていない気がする。

それに最後の「男みたい」ってのは、まるで僕が男じゃないように見えたとでも…………あ。

 

 

「あの、もしかして貴女、僕と姉さんを間違えてはいませんか?」

 

「はぇ? 姉さん?」

 

「ハイ。あの、申し遅れましたが僕の名前は、十六夜 紅夜といいます」

 

「はー、へー……………ん? ってーと、つまり?」

 

「僕は姉さん、十六夜 咲夜の弟です…………一応」

 

「弟⁉」

 

先の会話から感じた違和感の正体を突き止めて、僕は女性の勘違いに気付いて正す。

つまりこの人は(寝起きだったからかどうかはともかく)、僕と姉さんを間違えて

話を進めていたのだろう。でなきゃあそこまで不自然な会話になんてなりはしない。

僕が男で、しかも姉さんの弟だという事実を知った女性は目を丸く見開いて、

それから僕の頭の上から今は無いけど足のあった辺りまで何度か見回しながら

やっと納得がいったように明るい表情を浮かべて申し訳なさそうにはにかんだ。

 

 

「いやー悪かったねぇ、あの従者にお前さんみたいな弟がいたなんてさぁ」

 

「知らないのも無理はありません。僕は最近幻想郷に移住してきたので」

 

「はー、そうだったのかい。そいつは残念だったね、外の世界から来たのにこっちの

世界で死んじまって三途の川に流れついてきちまうなんてさぁ」

 

「残念、というほどではありませんよ。後悔こそあれ、僕は満足してましたし」

 

「………へぇ。お前さん、随分珍しい感じの人間だね」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。普通なら死んだ事を自覚しないのがほとんどだし、よしんば自覚したとしても

声張り上げて喚き散らすもんさ。生き返りたいとか、地獄に行きたくないとかね」

 

「なるほど。ならここは本当に死者が来るべき場所で間違いないんですか」

 

「なんだ、まずそこからだったのかい。そうさ、ここは幻想郷の【三途の川】だよ。

限りある命尽きた亡者たちがやって来て、魂の裁判をかける閻魔様の御元へと向かう

渡舟に乗るための待機場所みたいなもんさ。んで、あたいがその渡舟の船頭ってわけさ」

 

「…………そんな大事な役目の貴女が、さっきまで何をしてたんですか?」

 

「何も」

 

「してませんでしたよね。いいんですか、それで」

 

「いいも何も、仕方ないじゃないか。渡舟に乗っけてあげられるのは、『六文銭』を持って

ここまで来れた、功徳ある死人の魂だけなんだからさ」

 

「ろくもんせん? それは何ですか?」

 

彼女の謝罪からここの場所についての話を聞きだしている途中で聞き覚えの無い単語が

出てきたので素直に分からないと聞き返すと、女性は軽く驚いたような顔で僕を見つめた。

 

「お前さん六文銭も知らないのかい? 驚いたねぇ、ホントに外から来たばっかりかい」

 

「ええ、まぁ。それに日本の文化にはそこまで詳しくはないので」

 

「なんだって?」

 

「ああ、お気になさらず。それで、それはどういったものなんですか?」

 

「ん、おお、そうだったね。六文銭って言うのはコレの事さ」

 

 

そう言いながら女性は着ている和服の帯横に手を突っ込んでしばらくまさぐり、

紐で口を閉じてある、いわゆる巾着(きんちゃく)袋を取り出してその中身を見せてくれた。

袋の中に入っていたのは、中心に四角い穴の空いた銅貨のようなものだけだった。

中にあった無数のそれらのうち一つを指でつまんで僕に見えやすいように見せて女性は語る。

 

 

「コイツが一つで一文銭。六文銭っていうのは、これが六つ合わせた合計の金額さ。

魂ってのは命があふれる現世に生まれ続ける分だけこの死者の世にも流れ出るもんでね、

そいつらをキチンと閻魔様の法廷まで導くにはあたいら『死神』の動員は避けられない。

でも死神の数にも限りがあるし、延々と続く魂の流転に歯止めをかけるなんて出来ない」

 

「だからこそ、この三途の川である程度留めておく必要がある、と?」

 

「お、察しはいいみたいだね。そうだよ、この三途の川からしか閻魔様の御元まで行ける

手段がほぼ無いから、ここで裁くに値する魂以外は待ちぼうけを喰わせてやらないと

無数の魂が裁きを受けずにあっちこっち好き放題に行っちまいかねないからねぇ。

そのために唯一の移動手段であるこの渡舟を有料にしてやることで、すんなりとは閻魔様の

ところへ行けなくなって、ここで六文銭が貯まるのを待たなきゃならんって寸法さ」

 

「なんというか、死後の世界も管理統制が必要なんですね」

 

「あー、まあ言いたいことは分からんでもないよ。ここに来る大体の魂はみんなそろって

同じようなこと言ったりするからね。『思ってたのと違う』って、よく言われるよ」

 

「ええ、その通りかと。それに先程、貴女は自分の事を『死神』だと言いましたよね?」

 

「ん? ああ、言ったよ。あたいは死神の小野塚 小町というもんさ。

まだ名前の方は言ってなかったよね?」

 

「そうですね。小野塚さんですか、和風なお名前で素敵ですね」

 

「はは! 死者が死神を口説くもんじゃないよ!」

 

「素直に思ったことを口にしただけですよ」

 

「お前さん、本当に面白い奴だねぇ。生きてた頃に会ってみたかったよ」

 

「それは、まぁ……………」

 

「ん? なんだい、どーした?」

 

「い、いえ! 何でもありません。それよりその、先程の六文銭の事ですが」

 

 

赤い髪の死神、小野塚さんの何気ない一言で少し思い当たることを思い出して気分が

盛り下がってしまったので、気分と一緒に逸れ始めた話題も転換しようと考えた僕は

ついさっき話題に上がってからずっと気になっていることがあったのでそれを尋ねてみた。

 

 

「六文銭がどうした?」

 

「僕はその、こちらの世界のお金を持っていないので…………」

 

「ああ、そういう事かい。心配しなくても、ここのは違うんだよ」

 

「違う?」

 

「ああ。死んだ人間が生きてた頃の金をこっちにまで持ってこれる訳がないさ。

生きてた頃に稼いだお金と、ここで必要になる六文銭とは関係は無いんだよ」

 

「えっ? それじゃ」

 

「そう急かすんじゃないよ。あたいはあんまり急ぐってのが得意じゃなくってね」

 

僕との話を途中で一度区切って、小野塚さんは僕が話しかけるまで寝そべっていた

緩やかな坂に再び腰かけて息をつき、僕に横へ座るように促してきた。

呼びかけに応じて彼女の横にゆっくりと腰を下ろす。足が膝より少し下あたりから

丸ごと無くなっているのにどうやったのかとかは、もう今さらって感じだから気にしない。

横に座った僕を見て微笑みながら小野塚さんは有言実行するように落ち着いて語りだした。

 

 

「いいかい? どんな命にだって、生きてるうえで犯した罪ってものがある。

対してこれも同じように、生きてるうえで積んできた功徳、ようは善行があるのさ。

その二つの差し引きによって魂を善か悪かのいずれかに裁くのが閻魔様のお仕事だ。

んで、その善行ってところが六文銭と関わりがあってね」

 

「善行と、ですか」

 

「ああ。その魂が生きている間に積んできた善行が多ければ多いほど白になる。

まあ現世でいう極楽浄土の方に行きやすくなる訳だが、ここに目を付けたのさ。

『その魂の善行に感謝した、他の魂の感謝の念の多さを通行料とすればどうか』ってね」

 

「…………つまりそれは」

 

「生きてるうちに他人にどれだけ感謝される行いをしたか、その結果が六文銭さ。

死に逝く者の魂が無事に閻魔様の御元まで辿り着き、無事浄土まで清められるように。

いわばその魂のした行いに感謝した人たちからのお礼の気持ちってことなのさ」

 

「なるほど。感謝の気持ち、ですか」

 

「そうさ。つまり、それをここに来た時にどれだけ持っているかでその魂の行いが

大体把握できちまうってことでもある。六文全部持ってたら人を愛し、愛された魂。

逆に全くの無一文だったら、人と関わらず、誰にも感謝される行いをしなかった魂だとか」

 

 

この三途の川、および死後の世界のルールに軽く触れながら何でもないように話していた

小野塚さんの口調が最後の部分だけやたら強調するように発せられたような気がした。

実際気のせいだったのかもしれない。でも、僕にとっては生前の行動を咎められているかの

ように感じられて、無性に心がざわついた。

ところが、何を思ったか小野塚さんが急に小さく笑い出しながら僕に微笑みかけてきた。

どうしたのかと聞こうとするよりも先に、彼女の方が口を開いて訳を話してくれた。

 

 

「いや、別にあたいはお前さんに悔い改めろって言ってるわけじゃないのさ。

死んだ魂が今さら悔い改めても遅いどころかもう手遅れさね。そうじゃなくってさ、

確かお前さんは最近こっちに来たとかなんとか言ってたっけ?」

 

「え、ええ。そうですけど、それが何か?」

 

「ふふっ。喪服の、というより着物の構造を知らないんだね。

お前さんの着物の左腕の裾の中、探ってごらんよ」

 

「裾の中________________あっ」

 

 

相変わらず微笑みを浮かべたままの小野塚さんから視線を外して自分の着物の裾に

言われたとおりに手を差し込んで探ってみる。すると何かが指先に触れた。

すぐにそれを掴んで裾から引っ張り出してみると、正体は平凡な巾着袋だった。

それだけなら特に驚きはしなかったのだが、閉じられた口元を開いて中を覗いてみると、

そこには僕が所持しているにはあまりに不自然な、銅色の四文銭が入っていたのだ。

 

 

「これは、四つも…………なんで」

 

「なーんだ、やっぱりお前さんは良い奴だったんじゃないか。

少なくともこれで四人くらいに感謝されてたってことが分かったろ?

何を思ってしょげてたのか知らないけどさ、お前さんはもっと胸張っていいんだよ」

 

 

小野塚さんの優しい声色での呟きに、僕は応えることが出来なかった。

少しでも声を出そうとすれば、きっと情けない涙混じりの声になってしまうだろう。

今まで自分がしてきた行いは、決して人に感謝されるようなものではなかったはずだ。

なのに手元には感謝の思い(よんもんせん)があり、その独特の重量を何度も握って確かめる。

僕がこの世界に来て出会った人々の中に、僕に感謝してくれた人がいる。

そう考えただけで胸の中がぐんぐん熱くなっていき、破裂しそうなほど鼓動は高まる。

外の世界では何の感情も抱かずに人を殺し、返り血を浴び続けてきたこんな罪深い魂に

感謝を込めて死後の無事を祈ってくれた人が、この世界にはいるんだと実感させられた。

一体どんな人なんだろう。そう考え、僕なんかに感謝してくれた人の事を思い描いてみる。

付き合いが最も多かったのは、紛れも無く僕の主であるフランドールお嬢様だろう。

あの御方が僕なんかに感謝してくれていると考えただけでも、至上の幸福を感じられる。

そう考えてみると、異変を起こす直前にレミリア様が僕を呼び出して感謝していると言って

頭を下げられたこともあったけど、あれがもし本心だとすればそれもカウントされるのか。

すると残る二人が気になるところだけど、多分一人は美鈴さんで残る片方はあの人だろう。

 

(本居さんの古本屋で本を探していた、確か名前は、雲居さんだったかな。

あの人の本探しを手伝った時にかなりお礼を言われてたから、そうだと思うけど)

 

 

占めて総計四人分。これで計算は完璧にあったことになる。

でも、もはや誰が感謝してくれたのかという疑問は今の僕には些細な事だった。

生きていてようやく、他人に感謝されるほどの行いが出来たという事実だけで充分なのだ。

小野塚さんの言う通り、こんな僕でも文字通りに十六夜紅夜にな(生まれ変わ)ることが出来た、

それだけで充分だし、それが何より嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間、二人の会話は止まって川の音だけが静寂と共に流れ去っていく。

うつむいたまま何もしゃべらなくなった僕を横目で見つめつつ、小野塚さんも黙り込む。

お互いに座り込んだまま沈黙を守り、どれだけの時間が経ったのか分からなくなった頃に、

急に小野塚さんが立ち上がって川辺の方まで速足で歩いて行ってしまった。

どうしたのだろうと気になった僕は彼女に着いていき、川辺まで移動した。

そこには、渡舟が三途の川の流れに合わせて出来た波に揺られるすぐそばで二人の小さな

子供のように見える魂が立ち尽くす姿があり、小野塚さんは彼らを見てここに来たようだった。

二人の子供は仲良く手をつないだままこちらに振り返り、僕ら二人を見上げるように見つめる。

小野塚さんはいつの間にか肩に担いでいた不可思議な形状の大鎌を見せながら話しかけた。

 

 

「どうしたんだい? 言っとくけど、三途の川に入ろうとするんじゃないよ。

ここの川の水は地獄の刑罰を受けた亡者たちの罪や穢れをたくさん含んでるから重たくて、

一度沈んじまったら死神だろうと河童だろうと二度と戻ってこれなくなるからね」

 

『『‼‼』』

 

小野塚さんの言葉を聞いた二人の子供は元々青白かった顔を真っ青に染めて震え上がり、

川の波間から跳ねて飛んでくる水飛沫すらも怖がるように大きく後退して縮こまった。

そんな子供たちの様子を見てカラカラと笑い出した小野塚さん。案外意地悪な人だな。

顔つきをガラリと変えて朗らかな表情を浮かべた彼女は子供たちに近寄って彼らの頭を

撫でるように手を置きながら、今度は優しく話しかけた。

 

 

「ごめんよお前さんたち、そんなに怖がるとは思わなかったからさ。

大丈夫だよ、渡舟の上でも大人しくしてれば滅多な事じゃ落ちやしないから」

 

 

だからそんなに怖がらなくても大丈夫さ、と続けて小野塚さんが子供たちをあやすのを見て、

僕の頭の中には子供を保護して育てるという保育園の保育士さんのような情景が浮かんできた。

小野塚さんの言葉に頷いた二人は顔を見合わせてからバツが悪そうに彼女を見つめて手を出す。

後ろからのぞき込んで見てみると、彼らの手にはそれぞれ四文銭がばらついて乗せられていた。

 

 

「ああ、早いとこ渡舟に乗りたかったんだね。ええと……………ありゃ~。

二人で八文は無理だ。どっちか一人が六文で乗って、もう一人が二文で居残りになっちまうよ」

 

『『……………』』

 

「う~~ん、そんな顔されても決まり事だからとしかあたいには言えないんだよ。

厳しいようだけど、『地獄の沙汰も金次第』とは言うもんさ。済まないね」

 

『『……………』』

 

「分かっておくれよ。人も死神も閻魔様も、みんな苦労してるのさ。

もしお前さんたちが良ければ、もう二文貯まるまで賽の河原で石積み功徳して待つかい?」

 

 

二人の子供が悲しげな表情を浮かべるのを目ざとく察した小野塚さんはすぐに彼らに

とって一番後腐れが無くなるであろう方法を模索して提案し、彼らは二人そろって思案する。

多分この二人は兄弟か、あるいは相当仲の良かった友達同士なんだろう。どういった経緯で

死んでしまったのかまでは分からないけど、死んでもなお離れたくないという気持ちは分かる。

僕にもそう思える人がいるからなのか、それとも二人に僕と姉さんを重ねたからなのだろうか、

気が付けば僕は悩ましげに思案している二人に、そっと自分の四文銭を差し出していた。

 

 

「これで十二文。二人そろって舟に乗れますよ」

『『!!』』

 

「…………もしかして、『貰っていいの⁉』って言いたいんですか? 構いませんよ」

「ちょ、ちょっとお前さん! 何考えてんだい‼」

 

 

僕が差し出した四文銭を子供たちが手を出して受け取ろうとした時、

横合いから先程とはまるで真逆の表情になった小野塚さんが割って入ってきた。

「何って、この子たちが二人そろって舟に乗れる方法を考えたんですよ」

 

「だからって自分の貰った大切な文銭を渡しちまう奴があるかい⁉」

 

「いますよ、ここに」

「そんなの見りゃ分かるよ‼」

 

「でしたら」

 

「確かにこの子らは可哀想だと思うし、お前さんの気持ちも分からん訳じゃないさ!

だけどね、その四文銭をお前さんに渡してくれた人らの気持ちはどうする気だい‼」

 

「……………それは」

 

 

ついさっきまで僕に優しく接してくれた時とは違って、凄まじい剣幕で怒鳴る彼女の

言葉に僕だけでなくそばにいた二人の子供までもが身を縮ませて怯える。

小野塚さんの言い分は勿論理解しているし、それはその通りなのだとも分かっている。

けれど、そうだとしても僕はこれ以上、自分のためだけに生きることはしたくない。

 

_________たとえ、もう死んでしまっているとしてもね。

 

 

「小野塚さん、僕は外の世界では自分のためだけに生きてきました」

 

「…………?」

 

「僕が生きるためなら何でもやりました。他人の物も、財産も、命でさえも奪って」

 

「何…………?」

「そんな僕に感謝してくれる人がこんなにもいるんですよ、この幻想郷には!

僕がしようとしてるのはそんな方々の感謝の気持ちを踏みにじる行為だとは百も承知、

それでも僕は、こんな僕にすら感謝してくれる方たちならば、分かってくれると思います‼」

 

「物は言いようさ。そんなの方便に過ぎないよ」

 

「方便でも何でも構いません。こんな僕に感謝される方々なら、もし同じ状況になったとしても

きっと同じことをすると思いますし、ここでこうしなかったらその方たちにむしろ軽蔑されます」

 

「…………………」

 

「だって、罪だらけの僕とこんな幼い二人が同価値だなんて、考えられませんからね」

 

二人の子供を挟んでの僕と小野塚さんとのやり取りがここで途切れて場が静まり返る。

言いたいことを言い切った僕と話を最後まで聞いてくれた彼女の視線が交差し、伝わり合う。

表情こそさっきまでと変わらない剣幕だけど、交わった視線だけは優しい彼女のものだった。

きっと彼女も僕の意図は分かっていたんだと思う。それでいて、僕を試したんじゃないだろうか。

理由とかは分からないにしろ、何故だかそう思えて仕方なかった。

 

僕が話を終えてほんの数秒の後に小野塚さんは小さなため息をついてやっと笑顔を見せた。

 

 

「本当に面白い人間だよ、お前さんは。いいだろう! その漢気を買ってやろうじゃないか!」

 

「それじゃあ、いいんですね?」

「ああ、こうも男伊達を通されちゃあ敵わないよ。ほらお前さんたち、このお兄さんが

足りない分を分けてくださるそうだ。ちゃーんとお礼を言うんだよ」

 

『『!!』』

「…………ええ、どういたしまして」

 

 

小野塚さんの先導で二人はそろって僕に頭を下げて礼を述べたようだ。

ようだというのも、先程から彼らの声はまるで聞こえてはこないから推測でしかないので、

本当にそう言っているのかは分からない。でも、彼らの屈託の無い笑顔を見れば馬鹿でも分かる。

 

きっと彼らは、『ありがとう』と言ってくれたんだ。

 

死後の世界であっても僕は自分に立てた誓いは決して破らない、故に自分一人だけのために

なるような行為は絶対にしない。その結果が苦難の道に通じていたとしても構いはしない。

外の世界で、十六夜 紅夜になる前まで僕はどれほどの数に人たちを苦しめ、奪ってきただろうと

考えれば当然の報いになるだろう。だから、彼らの純粋な感謝の言葉は僕には勿体ないほどだ。

 

 

「しかしまぁ、あたいは長いこと船頭やってるけど、お前さんが初めてだよ。

自分のためにある文銭を足りないからって見ず知らずの他人にくれてやる奴なんてさ」

 

「でしょうね。でも、不思議と良い気分です!」

「そりゃ何よりだ! でもお前さん、本当に良かったのかい?

このままだと六文銭が貯まるまでずっと賽の河原で石積み功徳しなきゃならないよ?」

 

「さっきも言ってたその石積み功徳って、何なんですか?」

 

「文字通りの事をするだけさ。この三途の川の河原は『(さい)の河原』と呼ばれていてね、

逝く舟と魂の無事を祈って河原にある石を積んで小さな塔を建てるのさ」

 

「それをすると六文銭が貯まるんですか?」

 

「ああ。無事を祈ってもらった魂が閻魔様の法廷で裁きを受け、無事に浄土へ行くことが

出来たら、その祈りに対しての感謝を賽の河原に建てられた石塔に伝えるのさ」

「なるほど、その感謝の念が積もり積もって六文銭になると」

 

「そういう事さ。でも、浄土へ行ける魂は少ないうえに感謝の念は肉体を持つ生者と違って

魂のままの状態だと希薄で脆いもんなんだよ。だからかなりの時間をかけなきゃならない」

 

「あぁ、そういう事ですか。上手い具合に出来てますね~」

 

「感心してる場合じゃないよ。取り消すなら今の内だけど、どうする?」

 

「ここまで啖呵切っておいて今さら引けませんし、引くつもりもありませんよ」

「……………本当にかっこいいよ。お前さんみたいな男がなんで早く死んじまうかね」

 

 

改めて確認してきた小野塚さんの優しさに僕は頑として主張を変えずに川辺に立つ。

小野塚さんの船頭する舟に乗り込んだ二人の子供を見送るために笑顔を浮かべて手を振り、

さっき教えてもらったようにこれからの魂の無事を祈りながら、河原の石を幾つか積んでみた。

舟の上に礼儀正しく座り込んでいる二人は僕の方を見てしきりに何かを叫んでいるけれど、

霊体だからなのかやはり聞こえないため、彼らが僕に対して何を言ってるのかは分からない。

それでもやっぱり、彼らは僕に感謝の言葉を伝えているのだろうとハッキリと理解出来る。

 

だってこんなにも清々しい気持ちになれたのだから。

 

 

「それじゃあ小野塚さん、彼らを無事に送ってあげてくださいね」

 

「任せとくれ。それと、あたいのことは小町でいいからね、色男!」

 

「…………それじゃあ僕の事も紅夜で構いませんよ、小町さん」

 

「分かったよ。そいじゃ一丁、張り切ってお仕事しようかね‼」

 

「お気を付けて!」

 

笑い合いながら小野塚さん、もとい、小町さんと二人の子供を乗せた渡舟が川辺から

波に揺られて少しずつ離れていき、どんどん川の向こう側へと進んでいくのを見送った。

それにしても、あの死神の大鎌って舟のオール代わりに使う物なんだな…………流石幻想郷。

 

 

「さて、と」

 

 

川の向こう側へと小さくなっていった小町さんたちを見送ってやることが無くなり、

手持無沙汰になってしまった。とりあえずはさっきの子供たちの無事を祈って石塔を

もう二、三個ほど建てておこうかと考えて、手頃な石を見繕って振り返った直後。

 

 

「__________その必要はありませんよ、十六夜 紅夜」

先程まで川の方を見ていた僕が振り返った先に、見知らぬ少女が立っていた。

ただ、少女という割には身長があり、女性という割には身長がない微妙な感覚があり、

キリッと上向きに吊り上がった眉や目尻から、凛とした雰囲気を醸し出していてより

一層外見と実際の年齢との見分けのつかなさに拍車をかけているようだった。

一応僕よりも身長が低いから少女と仮定する事にして、少女はそのままゆっくりと

こちらに近付いてきながら再び口を開いて自分で区切った話を続ける。

 

「貴方にはまだ、生者の世界でしなければならない事が残っています」

 

 

僕との距離が数mにまで近付いてからようやく足を止め、少女が僕を見据える。

身長的な問題から僕の方が見下ろしているはずなのに、どうしてか彼女の方が

僕を見下ろしているような錯覚を感じてしまい、無意識に少女に警戒心を抱く。

すると僕の対応が気に入らなかったのか、少女は目を鋭く光らせて言い放った。

 

 

白一色の長袖の上に深い群青色のシャツを着て、腰からは紫紺色のスカートに

黒のニーソックスを映えさせる着こなしを見せる苔色の短髪を流した少女。

頭部には煌びやかな金の装飾と赤い紐で結わえたリボンを付けた帽子を被って、

右手には何やら普通の物とは違う文字と、大きく書かれた"罪"が描かれている

長方形の先端に三角形がくっついたような形状の棒らしきものを握りしめている。

 

周囲に漂う魂たちが一斉に霧散する中に、威厳堂々と佇むその姿。

まさしく罪深き業を背負いしあまねく魂を裁き、導き、救済せし唯一の存在。

 

 

「申し遅れました。私は『四季(しき) 映姫(えいき)・ヤマザナドゥ』、【閻魔】です」

 

 






いかがだったでしょうか?
前回投稿出来なかった分、今回は張り切らせていただきました‼

いやー、こまっちゃんかわいいよこまっちゃん(ハスハス)
先週の例大祭でも小町のフィギュア買っちゃったんですよ。
だから余計にイマジネーションがあふれたと言いますか。

正ヒロインは文でいくはずだったのに、どこで間違えたかな?


それと前回の第四十四話でのパチュリーのセリフにミスがあったので
修正させていただきました。気付いて指摘してくれた方に感謝です。


それでは次回、東方紅緑譚


第四十六話「名も無き魔人、旧地獄街道を往く」


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第四十七話「名も無き魔人、旧地獄街道を往く」


どうも、萃夢想天です!

最近なんだか同じような日々を淡々と過ごしているので何と言いますか、
「これで本当にいいのか?」感がハンパじゃないんですが、良いんでしょうか?
とにかく、息災(でもない)日々を過ごさせていただいておりますが、
読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか?

恒例のあいさつはここまでにして、さっそく本編に移りましょう!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

静々と、川の流れる音以外の音が存在しない幽玄の世界を少女が歩く。

幼くも大人びても見える妙齢の少女の歩む一歩一歩に周囲を飛び回っていた半透明の人魂

らしき物体たちが、まるで恐れおののいているかのように散り散りになってしまっていた。

その威風堂々たる姿もさることながら、僕は少女の口にした言葉が気になった。

 

 

「え、閻魔………それはもしや先程小町さんが言っていた」

 

「はい。その閻魔が私です」

 

 

話しかけた直後に足を止めた少女が僕の言葉に平然とした態度で答える。

その表情は精巧に作られた彫像のように固まっているがちゃんと血は通っているようだし、

何より呼吸による肩部の上下運動も服越しだから視認しにくいけどあるように見える。

つまり生きている。彼女は、この亡者のみが存在するべき世界に、生きているのだ。

 

 

「もしよろしければ、三つほど質問をしてもよろしいでしょうか?」

 

 

目の前にいる少女はこの場において明らかに異常な存在であると確認出来た以上は、

何とかして彼女を遠ざけたいと思うけれど、僕に残された選択はあまりにも少ない。

その少ない選択肢の中から比較的安全に事が運ぶようなものを選んで行動に移してみる。

僕からの問いかけに対して少女がどういう態度を示してくるか、これがこの後の僕の

行動や決断を左右するであろうことは明白だった。

そして、少女の口が緩やかに開き、言葉を発する。

 

 

「貴方からの問いかけには応じませんよ、十六夜 紅夜」

 

「ッ……………それは、何故です?」

 

 

少女の僕に対する態度は、明確な拒絶だった。

悪い方の予想へと進路が進んでいると頭の中で軌道修正を試みるも旗色が悪く、

おまけに現状に対する情報の少なさも災いしているようだと痛感させられた。

少女は僕の後ろにある積み上げたばかりの石塔をチラリとうかがい、

何か思案するような表情にほんの一瞬だが変わり、言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「私は言ったはずです。貴方にはまだ、生者の世界でしなければならない事が

残っているのだと。私はそれを直接告げるためにここまで参上したわけです」

 

「閻魔である貴女が直々に、ですか? それはまた御大層な用事なのですね」

 

「軽口は慎みなさい、十六夜 紅夜。貴方は本来ならば黒、地獄行きは確定なのです。

既に定められている判決を歪めるのは甚だ遺憾なのですが、緊急事態故の処置として

今回のみ特例を発令することになったので、私が直接来ざるを得なかったのですよ」

 

「……………聞けば聞くほど物騒な話のようですね」

 

 

冷や汗を背中に浮かべながら、凄まじい威圧感を放ってくる少女の言葉に警戒する。

しかしまぁ、分かっていた事とは言え僕は地獄行きが確定していたんですねぇ。

そりゃ外の世界では人を何百人も殺めてきた過去がありますから仕方がないとは

思っていましたけど、面と向かって閻魔様に直接言われると辛いものがありますね。

それにしても、『生者の世界でまだやるべきこと』とは、一体何なんでしょうか。

 

 

「当然です。閻魔たる私には裁かれる魂の生前の行い、その罪の重さが分かりますから

今更何をどう取り繕おうとしても無駄でしかありません。故に弁明は無意味ですよ」

 

「弁明なんてとんでもない。僕は自分が罪人だと理解してますからね」

 

 

一定の距離を保ったままこちらに近付いてこない少女に警戒心を抱きつつも、

先程の会話に出てきた言葉に答え、こちらには敵意がないことを明らかにする。

少女は僕の言葉に反応してまたほんの一瞬だけ表情を変え、すぐに元の状態に戻して

再び話を再開した。

 

 

「自身が罪深き業の魂であると理解できているのなら説教は今回は省きましょう。

それでは罪人、十六夜 紅夜。今から貴方には再び生者の世界に戻ってもらいます」

 

 

______________は?

 

僕は死後の世界という奇想天外摩訶不思議な状況に放り出されているせいでどうやら

聴覚や言語理解能力に支障をきたしているらしい。むしろそうとしか思えない。

でなければ今彼女が口にした言葉の意味が理解できないのは僕自身の理解力が劣って

いるなどという酷く不名誉な烙印を押されてしまうだろう。

一度頭の中をスッキリさせるために深呼吸をし、少女にもう一度言うように促す。

 

 

「あ、あの? すみませんがよく聞き取れなかったのでもう一度仰っていただけます?」

 

「はい? まあいいでしょう。そういう事ならもう一度だけ言います。

これから貴方には再び生者の世界に戻って、あることをしてもらいます」

 

「…………………」

 

 

全く同じ言葉を二回通り聞いても、全く以て意味が理解できないのは何故だ。

少なくとも、僕の頭が不出来だからというわけではないのは確かなはず。

あの施設で生きる上で、身体能力の他にも様々な知識や言語などの頭脳面でも無理やり

鍛えさせられたから並の人間なんかよりは明晰な脳の構造になっている、はずなんだけど。

 

先程と変わらないリアクションで固まっている僕の様子を知ってか知らずか、

緑髪の少女は持っていた妙な形状の棒の先端を僕に突き付けて厳かに告げる。

 

 

「十六夜 紅夜、すぐに現世へと戻り、自らの肉体を取り戻しなさい‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れ去られし者たちの流れ着く最後の楽園、その名は幻想郷。

 

そこには多種多様な種が互いの領域を尊重しつつ見張り合うように縄張りを構え、

それぞれが暮らし良い文化や土地を作り上げて日々を徒然と暮らしている。

 

人、妖怪、幽霊、神に至るまで、それらは同じ空の下で同じ歳月を分かちているが、

決して深く交じり合うことはない。その守られるべき一線は暗黙の了解として幻想郷の

大地に根を下ろす者たちは理解し合っているからだ。

 

しかし、その均衡を撃ち破らんとするものもいないわけではない。

そして近頃幻想郷に起きた【醒夜異変】からわずか二週間足らずで、ソレはこの地にやってきた。

 

「……………ここか」

 

 

夜の帳が下りてから久しい幻想郷の丑三つ時の、とある場所。

そこに現れた一人の男は眼下に広がる途方もないほど巨大で深い闇の縦穴を見下ろす。

 

深みを増した夜の闇ですらも飲み込もうとするかの如き漆黒の短髪に、

水平から大きく上へと浮き上がった眦、その下に輝く蒼青色の瞳。

本来の姿であれば透き通った白色であるはずの肌は今や浅黒い褐色へと変わり果て、

その全身も異常なまでに隆起した筋肉によって元の状態からはかけ離れた様相を呈している。

 

彼はほんの少し前まで、十六夜 紅夜と呼ばれる少年の体だった存在。

しかし今やその肉体は変貌を遂げ、新たな魂を宿して幻想の大地を闊歩していた。

 

 

「間違いねぇ。この穴の底から血と強ぇ奴の匂いを感じる…………滾るなぁオイ」

 

彼は自らの足元にポッカリと大口を開けている巨大な縦穴を見下ろしながら呟き、

普段から粗野であくどいように見えた表情をより歪め、邪悪にすら染まった笑顔を見せる。

周囲は月や星々の明かりを遮るほどに生い茂った木々に囲まれているために様子はうかがえず、

仮に誰かがこの場を見ていたとしても彼にとっては意識を向けるほどのことでも無いようだ。

どこまでも深く、どこまでも暗い大穴の淵に立ち、彼は一歩を踏み出す。

当然その先に足場は無く、重力の法則に従って彼の肉体は穴の中へと落下し始めた。

 

 

「ハッハッハッハッハッハッハァッ‼‼」

 

 

高笑いを大穴全体に響かせるように張り上げながら、彼は自然落下に身をゆだねる。

不気味な残響だけを地上の夜空に残して、彼の姿は幻想郷の大地の底へと消えたいった。

 

そもそも何故彼がこの場所へ来たのか、それには明確な目的があったのだ。

彼はほんの数十分前に吸血鬼の住まう紅魔館から脱走したばかりであり、

この幻想郷についての知識がほぼ皆無であるため、しばらく周囲をぶらついたのだが、

魔人でありながら器である少年の持つ常人離れした嗅覚も合わさってどこかから漂う

『強者の匂い』を感知し、その匂いの元を辿り辿って移動してきたのだ。

ありとあらゆる種が混在する幻想郷で強き者が集い暮らす、暗天の地下世界へと。

 

 

「感じる、感じるぞ! 気配がどんどん濃くなってくのが分かるッ!

たまんねぇなぁこの感覚! さぁ、退屈しのぎに皆殺しといくか‼」

 

 

大穴へと飛び込んでからわずか十秒も経たぬ内に月や星々の明かりは遠ざかり、

物言わぬ岩々や肌にまとわりつくような湿気を放つ苔などが四方を囲む暗闇の底に

どこまでもどこまでも落下し続ける彼は、地上にいた時から自身の感覚に訴えかけてきた

強大な気配が徐々に近付いて来るのを感じて高ぶりを抑えられずに咆哮する。

 

落下し始めてから一分ほど経過した頃、彼は大穴の奥で何かが蠢くのを視認した。

ここは一切の明かりが無い完全な暗闇なのだが、改造人間である紅夜の肉体と魔人の魂を

併せ持つ今の彼にとっては、単なる暗がりなど光源が無くとも容易く視界を確保できる。

全身に風を浴び続けながらも目を見開き、暗闇の中を自由自在に蠢く存在を視界に収めた。

 

 

「あぁ? 随分と淀んだ気配してんなぁ。あの女…………人じゃねぇな?」

 

 

彼が視認したそれは、あまり見慣れない服装をして壁面を這って移動する(・・・・・・・・・・)少女だった。

物音一つ立てずに素早く壁を動くその姿は、まるで糸を操り世を生き抜く蜘蛛に見える。

やがて蠢く少女のすぐそばまで落下していた彼はその場で姿勢を正し、両手の手のひらを

自分の足音へと向けた。すると、どういうわけか彼の体は滞空したまま動きを止めた。

 

 

「おや? お兄さんも人じゃなかったんだねぇ、自殺者かと思ったのに」

 

「…………テメェも強いらしいが、まだ底から気配が感じられる。誰だテメェ」

 

「へぇ、もしかしてお兄さん自分から進んで落ちてきたの? 面白い人だね!」

 

「ベラベラとやかましい女だな、俺が聞きたいことを応えりゃそれでいんだよ」

 

「ありゃりゃ、ただの荒くれ者か。でもその方が地底に来るにはお似合いか」

 

 

頭を下にして足を空に向けた逆さまの格好で話しかけてくる少女に彼は苛立つ。

乱暴な口調の彼を荒くれ者だと揶揄した少女はどこからともなく銀糸を飛ばして

周囲に壁面に逸れを張り巡らせて彼の頭上を塞ぎ、退路を断ってしまった。

得意げな顔になった少女は笑みを浮かべながらゆっくりと糸を伝って彼に近付く。

 

 

「でもぉ、ただの荒くれ者ってだけじゃ地底で生き残れないかなぁ~」

 

「…………何のマネだ、女」

 

「しいて言うなら蜘蛛のマネ、ってところかな? まあ蜘蛛なんだけどさ」

 

「ハッ、訳の分からんことを。この糸はアレか? 俺様を逃がさんためか?」

 

「そーだよ。いくら人じゃないっていっても、逃げられたら癪でしょ?」

 

「知るか」

 

「余裕だねぇ。でも、いつまでそんな綽々でいられるだろうね?」

 

「…………っつーかよ、何でテメェは俺様に勝つ前提で話進めてんだ」

 

「え?」

 

 

無数に張られた糸を伝いながら男に近付く少女がふとその動きを止めて彼を見る。

大穴の中で滞空している彼の顔は暗がりでよくは分からないが、怒りに染まって

酷く歪んでいるように見えた。それを裏付けるように彼の周囲の空間に変化が生じる。

空気の流れが一方向しか存在しないはずの穴の中に風が突如巻き起こって糸を揺らし、

その上を移動していた少女は振り落とされないように糸にしがみついて男を見据える。

 

「わっ、わわっ! なにこれ⁉」

 

「こんな穴の途中で時間を浪費してられるかってんだ、失せろ女!」

 

「何で風がいきなり…………うわっ⁉」

 

「巣が張りたけりゃ外で張れ! あばよ虫けらァ‼」

 

 

男は下に向けていた手のひらを少女に向けて、そこからその手を真上へと掲げる。

すると少女の体は突然宙に浮き始め、身動きが取れなくなってしまった少女は

手のひらを上へと掲げられた動作に合わせるかのように穴の上へと浮き上がっていった。

可愛らしい悲鳴を上げながら穴の入り口の方へと吹き飛ばされていく少女に一瞥も

くれずに彼はただ一点、自身の足元から感じる強者の気配のみを見つめて笑う。

 

 

「邪魔が入ったが、まあいい。お楽しみはこれからだもんなぁ‼」

 

 

男は穴の底を目指すべく、再び自身を重力に従わせ自由落下に身を任せる。

すぐに落ちてきた時と同じ速度に到達し、風が彼の浅く焼けた肌を激しくぶつかる。

どんどん速度を増しながら落ちていく彼は気配が近づいてくるのを明敏に感じ取り、

猟奇的な笑みをその顔にたたえながら闇の底へと落下していく。

 

魑魅魍魎跋扈する幻想の地の底へ、魔界から召喚された彼が降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十六夜 紅夜の肉体を魔人が乗っ取って姿を消してから数分後、

彼と時を同じくして紅魔館から姿を消した人物がもう一人いた。

 

夜の闇にひと際映える黄金色の髪を可愛らしいサイドポニーに結わえ、

その上から幼い身長を補うかのように大きな純白のナイトキャップを被り、

赤いワンピースに白のドレスを合わせた服を白のリボンで着こなす少女。

 

彼女は姿を消した少年の主、フランドール・スカーレット。

 

枯れ果てて歪な形状に折れ曲がった木の枝にシャンデリアのパーツがぶら下がった

ような外見の翼を背部にあしらう彼女は、その翼をはためかせながら幻想郷の暗く

美しい夜空の中を生まれて初めて自由気ままに飛び回っていた。

 

「お空ってこんなにキレイで涼しかったのね! こんなに広かったのね‼」

 

フランはこれまでの長い生涯の中で初めて自身が暮らす紅魔館から外に出て、

その先に広がる広大な世界を自分自身の目や肌や感覚で感じ取っていた。

彼女は元々姉であり紅魔館の当主でもあるレミリア・スカーレットの命令で

館の地下深くにある牢獄に生まれてから実に495年間も幽閉されていたために、

自分の部屋であった地下牢と館の内部から見える景色しか知らずに生きてきたのだ。

 

これまでずっと窓からしか眺めたことのない、本当にあるのかすら不明な外の世界。

今彼女はこの世に生を受けて初めて外の世界にある全てを感じ取ることが出来ていた。

 

しかし、彼女が外へ出てきたのは自由に空を飛び回るためではない。

 

 

「そうだ、早く紅夜を探さなきゃ!」

 

 

そう、彼女が閉じ込められていた館を飛び出した理由は、自分の執事を探すため。

 

十六夜 紅夜という、この世で唯一ただ一人自分の存在に触れてくれた優しい少年で、

それまでは自身の手が触れれば全てを壊してしまうという災厄のような存在だった

自分を生まれて初めて認め、慰め、そばにいてくれると誓ってくれた王子様とも

呼べる愛しくてたまらない初めての従者だったのだが、彼はその誓いを破ってしまい、

物言わぬ冷たい棺に入れられて自分の元へ帰ってきたのだ。

 

彼が死んだと聞かされた時は取り乱し、他人の目も構わずに泣き叫んだ。

しかしそれでは駄目だと、生前の彼との約束を思い出して何とか彼の死から立ち直る

ことが出来たのだが、その直後に事件は起こった。

 

 

(お姉様とパチェは二人で紅夜を生き返らせようとしてた………私のために)

 

 

彼がどうしてもと懇願したので仕方なく暇を出したその日に、彼は帰らぬ人となった。

自分が知らないところで何があったのかは見当もつかないが、それでも自分以外の館の

住人たちは黒塗りの棺に入れられた紅夜を見ても冷静なままで作業を開始していた。

きっと彼女たちは彼を復活させることにためらいが無く、また成功すると信じて行動

していたがために冷静でいられたんだろうとフランは今になって気が付く。

姉のレミリアも、パチュリーも、美鈴も、咲夜も、司書の小悪魔でさえも信じていた。

だからこそ彼女たちは復活の儀式の失敗であれほどショックを受けていたのだろう。

 

今まで自分を閉じ込めていた彼女たちは突如現れた紅夜の姿をした別のナニカに対し

すぐに敵対心を向けて攻撃を仕掛けたものの、即座に返り打ちにあって逃げられた。

その時フランは、フランだけは動くことが出来た。故に外へ逃げたナニカの後を独り

追いかけるために外へ飛び出すことが出来たのだ。

 

必ず紅夜を連れ戻す。今度は誰の手も借りず、自分の手で彼を取り戻す。

 

人からすれば目も眩むほどの時を生きる幼い吸血鬼の少女は拙い誓いを胸に抱き、

解放された喜びを味わいながらも広大な夜の世界の中から愛しい少年を探し出す。

 

 

「絶対見つける! ずっと一緒って約束したもん!」

 

 

ほんの数週間前にやってきた彼のために自分は勇気を出して未知の世界に踏み出す。

以前であれば夢にすら思い描くことは無かったであろう状況に、勇気が湧き上がってくる。

たった一人で誰もいない地下牢で、無意味に時を重ねる昔の自分には戻りたくない。

いつも二人で誰も来ない地下牢で、無償の愛を誓い合う今の自分を必ず取り戻す。

 

それもこれも全て、たった一人の心優しい、大好きな彼のために。

 

 

「紅夜の血の匂いがする! …………こっちから匂ってくるわ!」

 

 

改めて自分のすべきことを決意したフランは空を飛ぶ最中に漂ってきた血の匂いに

気付き、それが探し求めている彼の匂いだと感覚で理解してすぐにそちらに進路を変える。

流石は夜を統べる吸血鬼の血族と言うべきか、フランはそこいらで陽気に飛び回る妖精や

並み居る雑魚妖怪程度では視認すら困難な速度にまで達しながら愛しい匂いを辿っていく。

ぐんぐんと速度を上げながら匂いを辿る彼女の暗闇に特化した眼は目的地を捉えた。

 

 

「あそこだ! あそこから紅夜の血の匂いがする!」

 

 

そう言って速度を落としたフランが降りたとうとしている場所は、迷いの竹林。

夜の闇を引き裂きながらやって来た吸血鬼の少女は生まれて初めて見る竹林の風情に

感動を覚えながらも、それどころではないと気を引き締めて風に流されてくる彼の匂いを

追い求めて闇夜に黙する迷いの竹林へと無遠慮に押し入った。

 

明らかにこの場に似つかわしくない風体の少女が竹林に降り立ったちょうどその時、

やって来たフランを竹林の奥から監視するかの如く見つめる一つの小さな影がいた。

人影はその赤い瞳を輝かせ、どこかで見たような珍客をどうもてなすかを考えあぐねる。

 

 

「なーんか見覚えがありそうなのが来たウサ…………お師匠様に報告するべきウサね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「___________いよっとぉ‼」

 

 

一方その頃、紅夜の肉体に宿った魔人はついに大穴の底まで辿り着き、

眼前に広がる地底世界をその瞳に焼き付けて高笑いを浮かべていた。

 

「あぁ~、たまんねぇなぁホントによぉ! これだよこれ!

この感覚が無きゃ生きてるとは言えねぇな………………あン?」

 

 

着地した場所から歩き出して間もなく、煌々と光り輝く地底の都市を見つけて

より顔つきを邪悪に歪めた魔人だったが、すぐにその表情は冷静なものに変わった。

 

明るくにぎわっている地底都市へと続く道には橋が架けられており、その手前には

露出した岩肌の上にどっかりと座り込んで無数の酒瓶に囲まれた女性の姿があった。

ただの飲んだくれ程度なら無視しようかと魔人が考えて歩を進めようとした次の瞬間、

唐突に周囲の岩盤に亀裂が走って砕け始め、地割れとなって魔人に襲い掛かった。

 

 

「ッ‼」

 

 

唐突な意識の外側である足場の異常に驚きつつもすぐさま飛び上がって後方に着地した

魔人は、たった今起こった出来事を引き起こした張本人を眼前で酒を飲み続けている

女であると断定して体勢を立て直しつつ警戒心を露わにする。

 

「随分と舐めたマネしてくれんじゃねぇか、あぁ?」

「舐めたマネ、か」

 

 

距離を置いた魔人の前で持っていた特大の盃を地面に丁寧に置いてから女は立ち上がる。

座っていた時は分からなかったが、並の男では並びえないほどそびえたつような身長で

腰を低く落とした魔人をより高い視点から見下ろしつつ女は吐き捨てる。

 

 

「そうかいそうかい、今のがお前にとっちゃ舐めてることになるわけかい。

こりゃ悪いことしたね。私はたまたま暇潰しに遊び相手を探してただけでね」

 

「ほぉ? 遊び相手が欲しかったのか、そりゃ奇遇だな。俺様もだ」

 

「おや? お前もかい、それはちょうど良かったよ……………さて」

 

 

気前のいいような軽い口調で女は腕をぐるぐると回して肩をもみほぐし、

上腕二頭筋の辺りを二、三度ばかり叩いてパンパンと小気味良い音を鳴らす。

好戦的な笑みを整った顔に浮かべながら、女は魔人に語り掛けた。

 

 

「お前が上から降りてきた『力の塊』だってのは分かってんだ、とっととやろうや‼」

「建前なんざ知ったことか! 一番強い気配は、お前から感じるぜオイ‼」

 

 

互いを敵とみなした二人は威嚇の意味合いも込めて眼前の相手に猛々しく吠える。

女は地下に差し込むわずかな光を編み込んだように薄く長い金色の髪を激しく揺らし、

男は古今東西あらゆる闇を凝縮したかの如き漆黒の短髪や浅黒い肌を逆立てて応える。

額からは地底から天を突かん勢いで生える赤く長い角に、鮮やかな黄色の星の形。

紅蓮に沸き立つ地獄の業火を思い起こさせるように爛々と輝く攻撃的な赤い瞳を見開き、

両手首と両足首にはそれぞれ罪人を拘束するのに用いるはずの鋼色の錠と鎖がはめられて

彼女の一挙手一投足に合わせて右に左に波打つように揺れ動いては金属特有の音をかき鳴らす。

 

「私の名は、『星熊(ほしぐま) 勇儀(ゆうぎ)』! ここ旧地獄跡に暮らす【鬼】の頭だ‼」

 

「俺様は【魔人】! 好きに呼びゃいいが、今から死ぬテメェには関係ねぇよな‼」

 

幻想郷の大地の下、かつて地獄があった場所。

 

奈落へと堕ちた者共が跋扈するこの地獄変で、【鬼】と【魔人】が激突する。

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

本当ならもう少し地底メンバーとお話させてあげたかったんですが、
書くのが遅いうえに他に色々目移りしすぎてさらに作業が遅くなり…………。

ですが、ついに私の書きたかったシナリオまで進められました!
ここからは最終章まで一気に駆け足で駆け抜けますよ!


それでは次回、東方紅緑譚


第四十七話「禁忌の妹、初めての朝」


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第四十八話「禁忌の妹、初めての朝」



どうも皆様、先週はサボってしまってすみませんでした!
なんだか最近どうにも思うような文章が書けなくなっていまして、
俗に言うスランプってヤツなんでしょうか?

…………スランプに陥るほどの作品かと言われれば首をひねりますが。

謝罪はこれくらいにして、さっさと書き上げてしまいましょう!


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

幻想郷の夜、迷いの竹林にて。

 

昼間ですら周辺に暮らす人里の者は近寄ろうともしないその竹林へ、真夜中に降り立つ者がいた。

本来ならば竹林の脇に住む案内人に先導されなければロクに進むことも出来ないはずのその場所を

その者は何の躊躇もなくひたすらに突き進んでいた。その幼き姿にそぐわぬ異形の翼をもって。

 

迷いの竹林を進むのは、紅魔館の地下に幽閉されているはずの吸血鬼ことフランドールだった。

 

彼女は元来紅魔館の外へ出ることを許されなかったはずなのだが、今はこうしてここにいる。

それはただひとえに、自分の愛した執事である少年の行方を追い求めてのことであった。

 

「もう少し、こっちだわ! 紅夜の血の匂いがだんだん濃くなってきてる!」

 

 

課せられたしがらみを振り払って幻想郷の夜空の元へと出てきたフランは、紅魔館の外の地理など

全く以って知る由もないはずであるが、彼女は迷うことなく一直線にここへ来た。

フランは知らないが、この迷いの竹林の最奥部にある永遠亭で紅夜は生前治療を受けていたのだ。

といってもその体は既に瀕死の状態であり、治療というよりは最期の時を迎えるまでの気休めに

なる程度の応急処置しかされていなかったのだが、それでも彼の血はここで流れたのだ。

さらに言えば、その永遠亭に辿り着く過程で彼は多くの血液をその道中で垂れ流していた。

彼の身を案じて永遠亭まで搬送した鴉天狗の射命丸 文の服に血溜まりが浮かび上がるほどに。

そういった経緯で流れ出た血の匂いを吸血鬼としての嗅覚が嗅ぎつけ、フランはやって来たのだ。

故に彼女は迷いの竹林と呼ばれ、さらに自身にとっては未知なる土地であるにもかかわらず、

こうして一切のミスもなくただ真っ直ぐに永遠亭のある場所へと突き進むことが出来ている。

 

 

「あとちょっと! 待ってて、紅夜!」

 

 

本来であれば自分の知らない世界にいきなり足を踏み入れれば誰であろうと困惑し、恐怖する。

それは吸血鬼とはいえ長い時を地下深くに幽閉されていたフランといえども例外ではないのだが、

今の彼女の中には不安や恐怖などの感情は一切存在していない。あるのは純粋な、愛のみ。

力ある姉に疎まれ、館の誰もが遠ざかる。そう思って塞ぎ込んでいた頃の彼女はもういない、

愛するたった一人の少年のために一人で外へ飛び出した、自信と決意に満ちた吸血鬼の血族。

真夜中の竹林を低空飛行で駆け抜けるフランは、もう以前の彼女などではなかったのだ。

 

今宵は欠けたる月の出ずる夜。無数の竹の葉に遮られるもその輝きと魔性の力は失わず。

紅い瞳の少女はただ、一途に想う彼の元へと一目散へ向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランが迷いの竹林を難なく進んでいる頃、彼女の目的地である永遠亭にて。

 

竹林の葉を舞うようにして運んでいる風と同じ速度で永遠亭の門をくぐる小さな人影があった。

その人影は無数にある横開きの扉を無視し、長い廊下の最奥にある広間へと向かっていき、

まるで誰かが来るのを待っていたかのようにその場所で鎮座していた人物を前に人影は止まる。

自身の前にやって来た人影に対して、腰まで届く銀糸の三つ編みを伸ばす女性、永琳が話す。

 

 

「見張りご苦労様。それで、何かあったのかしら『てゐ』?」

 

「ウサ。なんかどっかで見たような恰好の子供が迷いの竹林に来たウサ」

 

 

永琳から名を呼ばれた小さな人影が不自然な語尾と共に自身の務めを報告する。

 

整えられてはいないものの粗野ではなく、程よい艶やかさを保つウェーブがかった黒髪に、

生を受けて幾何かに思えるほど端正で幼い顔立ち、そして兎のように丸みのある赤い両瞳。

童顔と合わせたかのように小柄な体躯を白いワンピース状の服で包み、首にはニンジンを

象ったようなネックレスをぶら下げていて、なおかつ足首ほどまでの長さのソックスを履く。

極めつけはその頭部の髪の間から顔を出した小さく垂れ気味のウサ耳と、腰の真ん中辺りから

可愛らしく慎まやかに飛び出たモコモコの兎の尻尾に酷似した丸毛の物体。

 

迷いの竹林をねぐらにしている彼女こそ、『因幡(いなば) てゐ』という兎の妖怪である。

 

外見とは裏腹の野暮ったい口調での報告を聞き入れた永琳は表情を変えて思案する。

 

 

「どこかで見たような恰好の子供? 里の人間の子供ではなくて?」

 

「違うウサ。なんかこう、物珍しい感じの服の背中に羽の生えた子供だったウサ」

 

「背中に羽? それを先に言いなさいよてゐ。どう考えても特徴的な部分じゃない」

 

「頭のいいお師匠様なら言うまでもないと思っただけウサよ」

 

「あら、新薬の実験台になりたいのなら先にそう言えばよかったのに」

 

「ち、違うウサ! たまたまそこだけすっぽりと言い忘れてただけウサ!」

 

「あらそう、残念だわ」

 

命拾いしたウサ、とてゐは心底安堵したように深く大きな溜め息を永琳の眼前で吐き出す。

対して永琳は固定した表情で冗談よ、と呟くものの頭の中ではまるで違うことを考えていた。

言わずもがな、たった今てゐが報告してきた見覚えのある服装の少女のことについてだ。

永遠亭の薬剤師として幅広い付き合いのある自分ならばともかく、迷いの竹林と永遠亭を

行き来するくらいしか日頃の行動範囲の無いてゐが見覚えがある服装の少女というのは一体

誰なのだろうかと屈指の頭脳で考えるものの、あまり具体的な回答は出てきそうになかった。

少女というだけでこれだ、背中から羽が生えているなどと言われればより混乱してしまう。

ひとまずの問題はやって来る相手の見極めであると判断した永琳はてゐに向き直り命じる。

 

 

「とにかくまずはその来訪者を監視、あるいは目的を問うことね」

 

「排除じゃないウサか?」

 

「誰彼構わず鏃を向けるほど私は蛮族に身を堕とした覚えは無いわよ。

それに、てゐに見覚えが無いだけで私からしたら大事な顧客かもしれないじゃない」

 

「それは嘘ウサ。お師匠様が大事にされるほどの顧客の顔なら覚えてるし、

それならそもそもかなりの頻度で出向くはず。なのに竹林に住んでる私がその事を

知らないでいるというのはあまりにも不自然な話ウサ」

 

「正解。流石ね、てゐ」

 

「御褒めに預かり光栄ウサ。で、本当に監視するだけでいいウサね?」

 

「とりあえずはね。てゐは永遠亭の前でやって来るお客様の相手をしてもらうわ。

その時にここまで来た目的等を尋ねればいいと想うけど、あなたはそれでいい?」

 

「問題ねーウサ」

 

「そう、それなら早速行って頂戴」

 

「了解ウサー」

 

 

自らが師と仰ぐ永琳からの命令にぶっきらぼうな態度で答えたてゐは指示通りに、

永遠亭の門前でやって来る謎の少女を待ち受けるために広間から立ち去ろうとする。

両手を頭の後ろに回しながら口笛を吹くほど気楽に歩き出したてゐだったが、

そんな彼女の前方からドタドタと小煩い足音を立てながら飛び込んできた人物と衝突した。

 

「きゃあ!」

 

「痛っ!」

 

「あら?」

 

 

お互い回避どころか受け身すら取る余裕も無くぶつかってしまい、真逆の方向に転倒する。

てゐは永琳の足元へと半回転して転がっていったが、もう一人は扉に頭をぶつけたらしく

低くうなりながら頭部を押さえてジタバタしていた。すぐに起き上がったてゐはいきなり

ぶつかってきた相手に心当たりがあるようで、実質一人しかいないその相手に罵声を浴びせる。

 

 

「鈴仙! お前ホンットに鈍くさいウサね! 前に誰がいるかくらい確認も出来ないウサ⁉」

 

「は、はぁ⁉ アンタこそ自分よりも身長高い相手が見えないとかどうかしてんじゃないの⁉」

 

「見えなかったウサ~w 器が小さ過ぎて視界に収まらなかったウサよ~申し訳ないウサ~w」

 

「コイツ…………ッ」

 

 

悔しそうに歯ぎしりしつつも怒りで表情を強張らせているのは、てゐと同じ兎である鈴仙だった。

薄紫色の挑発を右手で掻き上げるように風になびかせるその風貌は素晴らしいの一言なのだが、

いかんせん表情はてゐに対して挑発的なものであった。故にこそ、てゐも挑発に乗ってしまう。

 

 

「私は謙虚な下から目線の可愛くて純粋な妖怪兎だからちょっと目に入らなかったウサ~w

でも悪気があったわけじゃないから許してほしいウサ~w この通りウサよ~ww」

 

「んぁ~~もうっ!」

 

「そこまでにしなさい。てゐ、あなたはさっさと持ち場に行ってらっしゃい。

ウドンゲ、あなたはあなたで私に何か報告があるから来たんじゃないの?」

 

「「うぅ…………」」

 

 

二人揃って頭部から生やしたウサ耳をヘナヘナと力なく垂らして師匠の言葉を賜り、

てゐは当初から命じられていたことを遂行するために鈴仙を一睨みしてから出て行き、

代わりに鈴仙が永琳の元へと歩み寄ってきて今しがた出ていったてゐと同様に報告をし始める。

しかし鈴仙が一言を紡ぐ前にいかなる場合においても冷静沈着たる彼女らの師が言葉を発した。

 

 

「先に言わせてもらうけどウドンゲ、いつ如何なる状況においても冷静であるべし。

これは他人の命を救える立場に身を置くという責任ある私たちだからこその義務と言えるべき

言葉よ。決して忘れるべからず、それを常に頭の片隅に置いて行動しなさい。いい?」

 

「なるほど! 流石は師匠‼」

 

「今後はそうした行動を心がけて頂戴。それで、報告は?」

 

「あ、ハイ! えっとですね……………」

 

 

永琳からの意義ある言葉に胸打たれた鈴仙は師匠からの格言を頭の中で反芻しながら、

早速実践すべき時だと思って報告をする前に一呼吸おいて冷静さを整え、報告を行った。

 

 

「実は先程から、姫様がどこにもおられません!」

 

「ハァァァッ‼⁉」

 

 

たった今『冷静であるべし』とのたまった永琳が目を見開いて驚愕に顔を歪ませながら叫ぶ。

あまりの発言のブーメランっぷりに一周回って冷静に徹することが出来た鈴仙はどうするべき

なのかと眼前で狼狽する師匠を前に、とりあえず苦笑いでこの場を乗り切ろうと考え実行した。

しかし、それは突然の緊急事態に陥った永琳に対しては愚策だったようである。

 

 

「何をヘラヘラしてるの‼ さっさと探して連れ戻してきなさい‼」

 

「うぇ⁉ 私がですか⁉」

 

「他に誰がいるの‼ 早く行きなさい、新薬の実験台にするわよ‼」

 

「い、行ってきまーーす‼」

 

 

普段の知性あふれる余裕を湛えた彼女からは想像もつかないほど取り乱した表情で鈴仙に

詰め寄り、すぐさま行方をくらました人物の捜索を命じた。

自分自身の身の危険を人質として言い渡された鈴仙は大慌てで広間から走り去って行き、

永遠亭の玄関から外の迷いの竹林へと駆け出して周囲の捜索を開始した。

 

冷静って何だっけ、という一抹の疑問を残したままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴仙が永遠亭から飛び出して約十分ほど経った頃、彼女はようやく目的の人物を

見つけ出すことに成功していた。しかし、連れ戻すまでには至っていない。

何故なら現状、それをすることが困難であるからだ。

 

鈴仙の眼前に広がる光景は、ハッキリ言って滅多に見られるようなものではなかった。

夜も深まり丑三つ時、星々の光を遮るほどに生い茂った竹林の葉、そこまでは普段と変わらない。

違うのはそこに集う面々。自分とそばにいるてゐ以外に、いるはずのない者が二人いるのだ。

 

一人は自らの師匠が仕えし月の姫君であった絶美なる少女、蓬莱山 輝夜。

もう一人は自分が今まで見たこともないのに絶対的な力を感じさせる、背中に羽の生えた少女。

 

この両者が対峙している場面に出くわしてしまったのが、鈴仙の運の尽きだったと言える。

 

「御機嫌よう。素敵な夜ね、血を啜る卑しい鬼の子にはもったいないほどに」

 

「………あなただぁれ?」

 

 

葉々の隙間から木漏れ日のように差し込む月星の光すらも溶け込むような麗しい黒髪を夜風に

なびかせながら呟いた輝夜の言葉に、竹林と突破してきた不思議な雰囲気の少女が答える。

答えたと言ってもほとんど疑問文だったのだが、その返答そのものに鈴仙は強い衝撃を受けた。

そっと隣にいるてゐを横目で見やりながら、鈴仙は耳打ちするように自身の感じた衝撃を伝える。

 

 

「ねぇ、もしかしてあの子供…………姫様の事知らないのかな?」

 

「知らないも何も本人が誰かって尋ねてるウサ。それくらい分かれよ」

 

「んなっ! そ、それくらい分かってたけど! でも、そんなのおかしくない?」

 

「なんでウサ?」

 

「だって、姫様は人里にまで名が轟くほどの有名人なのよ? それを知らないって」

 

「誰だって自分が興味を持てない話題には疎いものウサ。それくらい常識ウサよ」

 

「アンタから常識って言葉を聞くと違和感しか湧いてこないけど、まぁいいわ」

「どういう意味だコラ」

 

「語尾つけ忘れてるわよ」

 

「あ、あらやだ! 私ってばおっちゃめ~!」

 

「……………とにかく、あの子供が何者なのか気になるわね」

 

 

永遠亭へと続く通路の真ん中で向かい合う両者、その輝夜の後ろで話していた鈴仙とてゐの

会話が思った以上の大きな声だったのか、それとも聞き取った側がすごいのか、とにかく

鈴仙の漏らした言葉に背を向けながら輝夜が割り込みながら答えた。

 

 

「吸血鬼よ。しかもさっき来ていた方とは段違いに強いわ」

 

「えっ? さっき来てた方って、もしかしてレミリアですか?」

 

「そうそう、そんな名前だったわね。アレよりも数段上の力があるのは間違いないわ」

 

「鈴仙、そのレミリアって確か前の異変の時にこの竹林に来たことあったっけ?」

 

「え? ええ、確か従者の咲夜と一緒に霊夢たちと争ってたような…………」

 

「あー、なるほどウサ。どうりであの格好に見覚えがあると思ったウサ」

 

輝夜は普段鈴仙達には欠片ほども見せない冷静かつ的確な分析で相手を見定め、

あまりにも豹変し過ぎた仕えるべき姫君の姿に鈴仙もてゐも目を丸くしてしまう。

その言葉の中でてゐはかつて永遠亭が主体で引き起こした【永夜異変】での一幕を

思い出し、自分がどこで目の前の金髪の少女の服装を見たのかを思い起こした。

三人がそれぞれに会話する中、その途中で出てきたある単語に聞き覚えのあった少女

フランは先程よりもより熱意のこもった声で輝夜に問いかける。

 

 

「あなた、お姉様の事知ってるの⁉」

 

「お姉様…………へぇ、あの吸血鬼はあなたの姉なのね?」

 

「そうよ! さっき来てたって言ってたけど本当?」

 

「ええ、来たわ。さっきと言っても今から一時間半以上も前の話だけど」

「一時間…………私は紅夜を探しに来たの! どこにいるか知らない⁉」

 

「紅夜? 紅夜…………ああ、もしかして死んだあの人間もどきのこと?」

 

 

フランからの問いかけに悉く答える輝夜だが、その解答には一切の配慮が無い。

かつては月の姫君として奉られ、今でもなお永琳や鈴仙達からは姫として一線を

画した扱いを受けて日々を過ごしている影響であるのだが、実態を知らぬ相手から

すれば心無い暴言と同意であると受け取れてしまう。今回も同じことが起こった。

輝夜の発した『死んだ人間もどき』という言葉に対して爛漫であったフランの表情や

雰囲気が一変し、敵対する存在に向けられるべき敵意が輝夜達に叩きつけられる。

 

 

「やっぱり知ってるのね、教えて! 紅夜はどこにいるの‼」

 

「…………何の事?」

 

「知ってるはずよ! 答えて! 私の紅夜はどこ⁉」

 

「だから、あの人間もどきの死体ならあなたの姉が持っていったじゃない」

 

「その後どこかに行っちゃって、私は紅夜の血の匂いを追ってここまで来たの!

だから絶対にここにいるわ! 早く紅夜を返して‼」

 

「血の? 匂い…………あー、つまりそういうことね。

残念だけどここにあの人間もどきの体はどこにもないわ。えっと、お名前は?」

 

「フラン。フランドール・スカーレット」

 

「フランドール、長いわね。フランでいっか。フラン、これから話すことは

嘘偽りの無い本当の話よ、だからよく聞いてそれから考えて頂戴」

 

「? 分かったわ」

 

 

フランの話で何かに勘付いた輝夜は一度話を中断して自分たちの側から情報を

開示するという低い姿勢で話し合いを再び切り出す方向へと会話を進行させた。

絶対的上位の立場を常に崩さない輝夜が下手に出ているという事実にまた驚きを

隠せない鈴仙とてゐは二人で顔を見合わせるもその驚愕に対しての答えは出なかった。

輝夜からの提案にうなずいたフランは滞空するのを止めて竹林の道にゆっくりと降り、

両足でしっかりと着地して目線を戻すまでしてから口を開いた。

 

 

「それで、お話ってなぁに?」

 

「まず一つ、ここにあの人間もどきの血の匂いが残っているのは生前の頃の話。

つまり、ここで死亡が確認されてそちらに引き渡してからはこちらに来ていない。

だから血の匂いを追ってここまで来てもほとんど意味は無かったってこと」

 

「………………………」

 

「何も言わないなら続けるわ。次に二つ、随分と荒々しい気配がここからそう遠く

ない場所で激しくぶつかり合っているわ。それもついさっきからね」

 

「…………もしかして」

 

「確証は無いわ。でも、あなた達多分『死者の蘇生』なんて下らないことを

しでかしたんでしょう? 悪魔とか魔女が真っ先に思いつきそうな下卑た発想よ。

自信満々に下法に手を出して肝心な時に失敗してこの有り様、ってとこかしら?」

 

「下らなくないわ! お姉様もパチェも私のために紅夜を」

 

「それが下らないのよ。悲しむ人がいるから誰かを生き返らせる、それが正しいかしら?

もしもそれが許されるのなら今頃地獄も極楽も、この私も存在する意味が無くなるわ。

定めある命を己が理不尽のために無理やり引きずり戻して苦生をやり直させるだなんて

言ってしまえば欲深いどころの話じゃないわよ。もはや世界の中心気取りね」

 

「お姉様を悪く言わないで‼」

 

「吸血鬼にも家族の情なんてものがあるのね、驚きだわ。でも、それでも道理は道理。

あなたはどうも幼いようだけど、やっていいことと悪いことの判別はつくのかしら?

責任を取るつもりもないのに、また死という逃れえぬ終わりを迎えさせるための永く

短い一生を背負わせ続けるつもりなの? そんなことを平気でやれるなら本物の鬼畜よ」

 

「そんなの知らない! 私は紅夜と一緒にいたいの! ずっとずっと‼」

 

「…………呆れた。見下げ果てたわ、こんなのが妹なら姉の器も知れるわね。

あなたとあなたの姉は他者の命の上に立つ資格すらないわ。自分に酔い過ぎてるのよ。

人間もどきと言えども人間、その定められた時は儚く切ない。そして酷く脆くもある。

分かるかしら? あなたのような自分主体の価値観しか持てないような奴は他の誰かと

共生どころか共存だなんて出来やしないのよ。所詮、あなた達から見れば人は餌でしか」

 

「うるさい‼ 紅夜を出せ‼ 出せ出せ出せ出セェ‼」

 

輝夜の話を聞いていたフランが突如声を荒げて内部にあふれる魔力を解放させ始めた。

もとより紅かった瞳をより凶悪に染め上げて見開き、視界内に収められた万物を睨む。

怒りに震える身体は小柄と言えども自らよりも弱い存在であれば見ただけで恐怖の念に

縛りつけることが出来そうなほどにブルブルと激しく揺さぶられている。

それに対して輝夜は目の前で異常なほどの力と狂気が振り撒かれているというのに一切

動じることも臆することもなく、ただ魔力の渦の中心で吠えるフランを見つめていた。

 

「一緒ォ………ズットズットォ‼ 紅夜ァ‼」

 

「どうやら本当にあの人間もどきがお気に入りらしいわね。これほどまでなんて。

でも私は永遠の時の中を生きている、だからこそ死がない事がどれほど恐ろしいかを

よく知っている。逆に言えば、死という終わりから再び目覚める恐怖が分かるのよ。

私は今まで多くの死を見てきた…………でも、あれほど死を悔やみ、満足した人間なんて

ついぞ見たことが無かった。こんな気持ちは初めてよ。死なせてあげたいの、あの子は」

「嫌ダァァアァ‼ ミンナト、ズット、一緒二イル‼」

 

「…………二度も人生を生きる苦痛を味合わせてあげたくないと、何故理解できないの?

本来ならば一度で終わるはずの命の道理を捻じ曲げて、そこまでして会いたいの?

私たちには想像もつかないほどの苦しみの中で懸命に生きた人間を、また死なせたいの?」

 

「黙レェェエェ‼」

 

輝夜がいくら理性的な言葉を投げかけようとも、フランがそれを放棄している時点で

最初から会話が成立するはずは無かったのだが、輝夜はどうしても彼女と話したかった。

かつて自分が犯した罪によって死ねなくなってしまった自分の中にある、理想的な死。

それを見事なまでに体現して命尽きたあの少年の最期を看取った身としては、もう二度と

全身を改造されるような悲痛も、姉と生き別れる悲劇も、死後も弄ばれる苦難も何一つ、

味合わせたくないと思ってしまう。輝夜は自身の気持ちに正直に言葉を投げかけ続けた。

けれどフランは既に臨戦態勢に入っていて、数歩で自分の首を取れるほど力を溜めている。

故に輝夜は説得を諦め、自分の後ろで縮こまっている見慣れた二人に肩越しに声をかけた。

 

 

「話し合いはここまでになりそうね………………ウドンゲ、後は任せたわ」

 

「えぇ⁉ この状況で私に丸投げですか‼」

 

「だって私の力じゃどうにも出来ないもの。あなたの能力の方が『捕獲向き』だしね」

 

「捕獲ってそんな、猛獣相手じゃないんですからぁ」

 

「ほらほら、グズグズしてると私に危害が加えられちゃうわよ~?

いいの~? 目の前で私にケガ負わせたら後で永琳に何されるか分かんないわよ~?」

 

「くぅ~~‼ 分かりました!やります、やらせていただきます‼」

 

立場的に絶対に逆らうことの許されない輝夜からの命令とも言える提案に従い、

鈴仙は眼前の発案者と場所を入れ替わって狂気の渦をまとうフランと対峙する。

何だかんだ泣き言を言いつつもしっかりとやるべきことをやる意思はある鈴仙なのだが、

いかんせん普段の弱気な言動が尾を引いて過小評価されているらしい。

そんな鈴仙はもはや感情のバロメータが振り切れて理性を崩壊させてしまっているフランと

同じく、しかし暴力的に濁ってはいない澄んだ色の赤い瞳を大きく見開いて対象を見据える。

 

「これで効かないとかってナシだからね……………行くよ!」

 

「紅夜ァァアアァアアアア‼‼」

 

 

鈴仙の表情から敵対の意思を汲み取ったのか、フランが己の身体能力を駆使してすさまじい

勢いで突進してくる。並の相手ならば反応すら出来ずに首から上が捥ぎ取られているであろう

速度からの直進なのだが、一度やる気になってしまった鈴仙には脅威にすらなりえなかった。

 

 

「お願い、効いて‼」

 

「アアァアアアア________あぁ………ぁ」

 

 

愚直に、されど恐ろしいまでの速さで突っ込んでくるフランに向けて鈴仙は何もしなかった。

否、彼女はほんの一瞬だけというわずかな時間、フランの濁りきった紅い瞳と目を合わせた。

たったそれだけでフランは完全に脱力してしまい、勢いそのままに竹林の道に落下していく。

キレイな顔や服を土埃で汚し切った頃にようやく止まったのだが、その瞳は閉ざされていた。

先程までの荒れ狂う波のような狂気が嘘のように無くなったことにてゐは戸惑いを隠せずに

フランを何度も訝しげに見つめるものの、真っ先に輝夜が近付いていき意識の有無を確認し、

無事が確認できたことを喜びながら鈴仙に話しかけた。

 

 

「流石鈴仙、やる時はやるウサね」

 

「あ、当たり前よ! 私はこれでも優秀な玉兎だったんだから!」

 

「ハイハイ、玉兎"だった"ウサね~w これは申し訳なかったウサ~w」

 

「コイツぅ………‼」

 

 

フランと対峙していた時よりは少々赤みの抜けた瞳を鋭く吊り上げて鈴仙はてゐを睨む。

鈴仙がたった今フランに何をしたのか、それは彼女の能力に秘密がある。

 

 

狂気の瞳こと鈴仙・優曇華院・イナバの持つ能力の名は『狂気を操る程度の能力』と言う。

しかしそれはあくまで彼女の持つ能力のほんの一部分にしか過ぎないのだ。

彼女の持つ能力の本質は、『物質の波長を操る』というものが一番近しい。

鈴仙がこの能力を発動し、その瞳を覗き込んだものの狂気を操るとされているのだが、

実際は対象の内部にある波長を狂わせることによって狂気的な状態に陥らせているのだ。

この物質の波長を狂わせる、もとい操る能力と言うのは言葉で表す以上に汎用性が高い。

 

分かりやすい例えを出すと、『光の波長』や『音の波長』を操作することによって、

対象に幻覚や幻聴の効果を示させることが出来たりするため、攪乱に秀でている。

さらに『位相』と呼ばれる自分と他者を識別するための基準というべきものの波長すら

操作することも出来るので、完全に相手と自分を隔絶して干渉を不可能にさせられる。

普段の鈴仙は割と臆病な部分があるために自衛のために能力を最低限しか発動しないが、

いざとなればそれこそ博麗の巫女ですら手こずるほどの絶対的戦果をあげることが出来るのだ。

鈴仙はこの能力を応用して、狂気に飲まれたフランと目を合わせて波長を操り、

肉体的に活性化している部分の活動を抑制して強制的に休眠状態へ陥らせた。

彼女の能力の全てを把握しきっている輝夜は役目は果たしたとばかりに一息ついて

地面に四肢を投げ打ったまま小さな寝息を立てるフランを見つめつつ次なる下知を下す。

 

 

「そこまでにして。ウドンゲ、この子を永遠亭の部屋のどこかに寝かせておいてね。

てゐ、永琳には侵入者は無事に排除し、その手当を行うって名目で入出許可を得ておいて」

 

「「りょ、了解(ウサ)」」

暇さえあればすぐに口喧嘩になる二人だったが、やはり普段とは明らかに違う有能さを見せる

輝夜からの命令に即座に返答し、何かがおかしいとぼやきながらも言われたとおりに行動した。

虫の音すら届かぬ竹林の静けさと風に棚引く竹葉の喧騒が混ざり合う永遠亭。

永き夜の中を文字通り未来永劫輝き続ける姫君とそれに仕える兎たちが経験した一夜、

長く続くようで短くもあるたった一晩に、彼女らは色濃い思いを重ね合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「___________ぅん、んん…………」

 

起きてくださいお嬢様、そろそろお時間でございます

 

 

「んん、やぁ………もーちょっと」

 

いけませんよ、一人前の淑女となるには時間は厳守です

 

 

「ねむぃ…………」

 

 

それは重々承知しておりますが、二度寝はいけません

 

 

「……………こうやぁ」

 

 

ハイ、何でしょうか?

 

 

「こうや、あいたいよぉ…………こうやぁ」

 

 

でしたら目をお開けください、僕はいつでもお嬢様の傍にいますから

 

 

「…………いっちゃやだぁ、やだぁ」

 

 

変なお嬢様ですね、僕はどこにも逝きませんよ

 

 

「ほんとぉ………?」

 

 

ハイ、いつもいつでも、フランドールお嬢様のお傍に

 

 

「……………こうやぁ」

 

 

ハイ、何でしょうか?

 

 

「す……きぃ……………」

 

 

僕も同じ気持ちでございます、お嬢様

 

 

「えへへぇ…………すきぃ」

 

 

分かっております、お嬢様もいい加減起きてください

 

「…………うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「________あ、れ…………紅夜? どこ?」

 

 

愛しい少年にいつも通りに呼びかけられて目を覚まし、フランは周囲を見回す。

キョロキョロと何度も視界を行ったり来たりさせてみたが声の主の姿は無く、

その場にいたのは薄い掛け布団と敷布団の間から上半身を起こした自分だけであった。

「紅、夜……………こうやぁ……」

 

 

生きてきた年月とは非対称的に幼いフランの心に、この場にいない彼への文句が浮かぶ。

 

嘘つき。ずっと傍にいてくれるって言ったのに。

嘘つき。どこにも行かないって言ったばかりなのに。

嘘つき。好きだって言ったのに、好きだって言ってくれたのに。

 

たった独りの幼い少女の胸に去来したのは、悲しさと虚しさ。

昨日までの自分が感じていた幸せを今日の自分が感じられない怒りと悔しさ。

今日の自分と同じように明日も、これからもこうなるのではと感じた焦りと恐怖。

それら全ての感情がごちゃ混ぜに絡み合い、とうとうフランの堤防は決壊してしまった。

 

 

「_______うぁぁああああ‼ こうや、こうやぁああああ‼」

 

 

またしてもフランは、紅夜との『約束』を守り切れなかった。

幸せなぬくもりを感じていた日々に交わした泣かない『約束』を、破ってしまった。

 

フランの双眸からは止めどなく涙があふれ流れゆく。それはさながら流れ星のように。

大粒の涙が自分の頬を伝って落ちていく度に彼との『約束』を、彼の事を思い出し、

彼が死んでしまってもう二度と会うことが出来ないのだと頭の中の冴えた部分が冷静に

事実を叩きつけてきて、またその辛さに感情を御しきれず涙が浮かんでは流れていく。

のどを嗄らさんばかりの勢いで泣き叫ぶフランには、恥や外聞など感じる余裕は無かった。

今のフランの中にあるのは、数週間だけ自分を包んでくれたたった一人の少年の事のみ。

 

しかし幸いなことに、フランの悲しみの時間はそう長くは続かなかった。

 

 

「ちょ、なになに⁉ 朝からどうしたの⁉」

 

「朝から元気でいいわね、私朝はダメなのよ。もうひと眠りしてきていい?」

 

「姫様が話したいから一晩中見張ってろって言ったんでしょ⁉」

 

「あーあーハイハイ、言った言ったわ言いました。ご苦労様」

 

フランの背後にある横開きの扉が開かれ、そこから鈴仙と輝夜が入って来た。

いきなりの登場に驚いたフランはわずかな間だがピタッと泣き止んで後ろを見やり、

歩いてこちらに近づいてくる二人組を涙で歪んでぼやけた視界でどうにか捉えた。

手でゴシゴシと涙を拭き取るフランを見つめながら輝夜は枕元に腰を下ろし、

鈴仙は「もう二度と寝ずの番なんてしませんからね‼」と捨て台詞を残して去った。

状況が呑み込めずにソワソワし始めたフランを前に、輝夜は優しい声色で話しかける。

 

 

「よく眠れたかしら? と言っても本来なら起きてる時間帯だったのでしょうけど」

 

「こ、ここどこ? あなただぁれ?」

 

「え?あー、そう言えば昨日の質問に応えてなかったわね。蓬莱山 輝夜と言うの」

 

「ほーらいさん?」

 

「長ければ輝夜でいいわ。それよりもフラン、気分はどうかしら?」

 

「………えっと」

 

「まずまず、ってところのようね。まぁ無理もないのかしら」

 

 

フランの顔色を窺うようにしながら話しかける輝夜は本当にフランの体調を心配して

いるかのようだが、当のフランはまるで現状が理解出来ずに曖昧な返答しか出来ない。

見かねた輝夜はフランの涙で潤んだ二つの瞳を正面から見つめて話をし始める。

 

「さて、まずはここがどこか分からないのよね? ここは永遠亭よ。

確かあなたのところの魔女が喘息持ちだったと思うけど、その薬を作ってる場所なの」

「パチェの?」

 

「そう。他にも人里の人間の病気を診察したり、けが人の手当てをしたりとかもね。

ここはそう言った人が来る場所なのよ。あ、あなたは違うけど。ここまで分かる?」

 

「…………うん」

 

「素直なのは良いことだわ。それで次は、あなたがここにいる理由かしら。

あなたは昨日何があったか覚えてる? 覚えてたら話が早いんだけど」

 

「う、うん。あなたとあと二人いて、それで…………」

 

「そこからね、分かったわ。私は昨日あなたとお話がしたかったのだけれど、

あなたが暴走して話が出来そうになかったから落ち着いてもらうために眠らせたの。

それであのまま外で眠らせるわけにもいかないから、ここまで運んだってわけ」

 

「そうなの?」

 

「そうなの。それで、今さっきあなたが目が覚めて今ここ。お分かり?」

 

「…………うん」

 

それは良かった、と胸をなでおろす仕草を見せる輝夜を見てフランは困惑する。

自分が覚えているのは目の前にいる輝夜ら三人と出会い、そこで色々と難しい話を

持ち出された辺りまでであったが、彼女が姉や紅夜の事を悪く言っていたのは覚えている。

だからこそ、昨日とは打って変わって優しそうな態度で接してくることに違和感を覚えた。

しかしフランの警戒もどこ吹く風、輝夜は自分のペースを乱すことなく話し続ける。

 

 

「さて、現状の照らし合わせはだいたいこんなものでいいかしらね。

それじゃあ早速本題に入ってもいいかしら? というか入りたいのだけど」

 

「本題?」

 

「そう、本題。私が昨日からあなたに話したかったことよ」

 

男であれば誰しもが悩殺されていたであろう微笑みをたたえ、輝夜がフランに迫る。

フランもフランで一応の警戒はしているものの、自分に話したいことというのが何か

気になって、とりあえず話だけでも聞くというスタンスで彼女の言葉を待った。

拒否や否定の言葉が来ないことを確認した輝夜は間を置いて本題へと移った。

 

 

「本題と言うのは、あなたの探している人物の遺言の事よ」

 

「ゆいごん?」

 

「あら、知らないの? 遺言とは、死んでしまった人が最期に残す言葉の事よ。

大抵は家族や身内に向けての感謝の言葉や、辞世の句なんかが多いわね」

 

「紅夜が、何か言ってたの⁉」

 

「食いつきが早いわね。そう、あの人間もどきの最期は私が看取ったの。

その時に彼の最期の言葉もしっかりと聞き取ったの。それを伝えようと思って」

 

「紅夜の、遺言…………」

 

「一応聞くけど、彼の最期の言葉を聞き入れる準備は出来てるかしら?」

 

「……………うん!」

 

 

輝夜の口から唐突に言い放たれたのは、紅夜が最後に残した言葉、遺言に関して。

自分が探している少年は一度死んでしまっている。その時に言葉を残していたのだと

すると、その言葉にはどんな思いが込められているのか、何を残したかったのか、

どのどちらもが気になったフランは少しだけ戸惑ったものの輝夜の言葉に頷いてみせた。

フランの了承を得た輝夜は彼女の瞳を見つめたまま、彼の最期の言葉を口にした。

 

 

「では。『この幻想郷で出会った、僕と関わった全ての人に、ありがとうございました』と」

 

「……………………………」

 

 

二人しかいない和室に沈黙が訪れ、瞬く間に室内を占領し尽くす。

フランはこの時、少なからず紅夜の遺言にショックを受けていたのだ。

 

仕える主人に対しての言葉が、無かった。

 

それがどういう意味を成すのか、その程度が分からぬほどフランは幼くはない。

しかしその態度を見透かしたのか、輝夜が遺言を伝え終えてすぐに言葉を紡いだ。

 

 

「あの時ね、『さよなら』は言わなかったのよ」

 

「………え?」

 

「分からない? あの人間もどき、今際の際に別れの言葉を言わなかったのよ。

なんで言わなかったのか、あなたには分かるかしら?」

 

「…………ううん」

 

 

輝夜の意味ありげな言葉に首をかしげながら否定するフラン。

それに対して少し満足げな表情を浮かばせた輝夜は自慢するように語る。

 

 

「それはきっと__________あなたの傍に居続けるためよ」

 

「えっ?」

 

「ここまで言ってもまだ分からないの?」

 

 

先程よりも色濃く満足そうな表情を浮かべてフランを見つめる輝夜。

フランは自分を品定めするかのような輝夜の視線に少々むっとしながらも

本当に彼女の言葉が、紅夜の遺言の意味が分からないために首を横に振った。

その行動がよほど嬉しいのか、輝夜は笑みを深めてフランに言い聞かせるように言った。

 

「仕方ないわね……………多分彼は、あなたの傍に居続けたいのよ。

さよならというのはつまりは、別れの言葉。それを最期に言い残すということは即ち

生と死の壁を理由にあなたという主人と永遠に離れ離れになるということよ」

 

「‼」

 

「つまりあの人間もどきは死んでも仕え続ける気でいるのよ、恐らくね。

分かる? あなたはそれだけ想われてるの、死んでもなお傍に居たいって」

 

「……………こうやぁ」

 

「泣くのはもう止めにしなさい。主人がそれじゃ、愛想を尽かされるわよ?」

 

「ッ! やだ! そんなのやだ‼」

 

「だったらほら、しゃんとしなさい。そうそう、やればできるじゃない」

 

 

輝夜から語られた紅夜の命尽きるその瞬間での言葉の意味を推し量り、

またしてもフランの瞳からは大粒の雫が零れ落ちそうになるが何とか堪える。

それをさながら娘をあやす母親のように見守る輝夜の顔に、先程とは感じの違う

温かみのある優しい笑みがこぼれた。

 

 

「さて、私からの話はまだあるの。きちんと聞けるかしら?」

 

「うん!」

 

「そうでなくちゃね。次の話も昨日の夜からの続きなのだけれど、

私が言った『荒々しい気配が二つぶつかり合ってる』って覚えてる?」

 

「うん? うーん……………うん」

 

「覚えが無いなら素直に言えばいいのに。とにかく、私は昨日そう言ったの。

恐らくだけどそう遠くない場所から感じられたから、多分あそこだわ」

「知ってるの⁉」

 

「場所はね。そこに人間もどきがいるかどうかまでは分からないわよ?」

 

「教えて!」

 

「ハイハイ分かってるから落ち着いて。ちゃんと教えてあげるわよ、ウドンゲ!」

 

 

輝夜の次なる話に有力な情報を見出したフランはすぐさま教えるようにと詰め寄るが、

冷静沈着なままで対処する輝夜は落ち着くようにと促した後で鈴仙を大声で呼んだ。

永遠亭の長い廊下に輝夜の透き通るような声が響いてから約十数秒後、ドタドタと

品の無い足音が徐々に大きくなっていき、彼女らのいる部屋の前で慌てて止まった。

音が止んだ直後に横開きの戸が開いて名を呼ばれた本人が息を切らして現れた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………な、何の用ですか姫様!」

 

「急いでもらって悪いわね。悪いついでにウドンゲ、ちょっと出張してきて」

 

「は、はぁ。分かりまし__________出張⁉」

 

「そう、出張」

 

「いやいやいや! そんないきなり、え? どこにですか?」

 

 

自分を可及的速やかに呼びつけた輝夜の命令に見事なノリ突っ込みをかました鈴仙は

場所によっては薬販売の仕事をサボれるかもしれない、と半分浮かれていたのだが、

命令を下した輝夜から放たれた次の言葉に驚愕することとなる。

 

 

「あなたもよーく知ってる場所よ。その名も、『太陽の畑』~」

 

「太陽のはた…………はぁ⁉ いやいや、嫌です‼ 絶対に嫌です‼」

 

「あら、どうして? 姫の言うことが聞けないの?」

 

「こういう時だけ姫君権力乱用するの本当に止めてくれませんか⁉

あそこに行くって、だってそんなの死にに行くようなものじゃないですか‼」

 

「誰も死ねだなんて言ってないじゃない。気を付けて逝ってらっしゃいって」

 

「そこからしてもう不穏なんですよ‼ あーもー助けてお師匠様ぁー‼」

 

 

呼び出された鈴仙に輝夜は出張という名目での目的地の名を告げたのだが、

幻想郷の事をほとんど知らずに育ってきたフランにとっては未知の土地である。

だからこそ彼女らが何を思って言い争っているのか理解できなかったが、

その場所に行けば紅夜に、愛しい少年に会えるかもしれないという事は分かっていた。

 

 

「かぐや! 私そこへ行きたい!」

 

「もちろん。このウドンゲに道案内させるから、ついていけば辿り着けるわ」

 

「本当⁉ 分かった! うどんげについていけばいいのね‼」

 

「姫様ぁ⁉」

 

「あとよろしくー」

 

言い表せない感情が渦巻いている鈴仙の横を軽やかなステップで通り過ぎた輝夜は

そのまま長い廊下を着物を着ているとは思えない速さで駆け抜けて姿をくらました。

部屋に残されたフランと鈴仙は見つめ合い、フランは笑顔を、鈴仙は苦笑を浮かべる。

フランが永遠亭で目覚めてから十数分後、外は既に青く晴れ渡る空に眩く光る太陽が

照りつける初夏の日和と化していた。吸血鬼が動くには最悪の時間帯である。

しかし今の彼女に恐れるものなど何もない。あるとすれば紅夜と会えないことそれのみ。

愛は人を変えるというが、彼女の実情を知れば誰もがその言葉に対して首を縦に振るだろう。

竹林の生い茂る葉が月星の光に代わって太陽の日差しを遮り、涼を得るに心地良い日陰を

永遠亭へと続く竹林の道に落としていた。道なりに続く日陰を見てフランは意を決する。

 

「た、太陽なんて怖くないもん。紅夜が待ってるから、行かなきゃいけないんだもん!」

 

 

幼い体の中に湧き出る使命感に心を奮い立たせ、光さす世界に一歩踏み出ようとする。

ところがそんなフランの横をかすめるようにして先に玄関から飛び出した者がいた。

 

他ならぬ此度の旅の巻き添え、鈴仙である。

 

 

「あなた吸血鬼だから日光はダメなんでしょ? 危ないじゃない!

ほら、私の眼をよく見て。そうそう、そのままじっとしててね………よし!」

 

「?」

 

「ああ、今あなたの身体に降り注ぐ日光とあなたの体の位相をずらしたの。

念のために光の波長を最大限弱めて全身を覆わせてもらったけど、どう?」

 

 

鈴仙に言われて恐る恐る足を一歩日光の下へと踏み出してみた。

すると予想していた痛みはほとんどなく、少々チクッとする程度の痛みが感じられる

程度で済んだので、険しい表情だった二人は満面の笑みを浮かべて微笑み合った。

 

日光という弱点を克服したフランは勇ましく一歩一歩を踏みしめて歩く。

鈴仙はもちろんフランよりも数歩先で歩いて歩幅を調節して歩く速度をお互いに

緩めたり速めたりすることの無いようにしている。

 

 

「太陽の畑へ、しゅっぱ~つ‼」

 

「お、お~………………はぁ」

 

 

かくして吸血鬼と玉兎、相まみえることのないはずの二人がそろって歩き出し、

同じ目的地へ向けて侵攻を開始した。それぞれが違う思いを心に秘めたまま。

 

その日フランは、生まれた初めての外泊と、生まれて初めての(外での)散歩を体験した。

 

 










いかがだったでしょうか?(息絶え絶え)

金曜日から書き始めてなんで後書きが日曜日の夜中何ですかねぇ。
本当に計画性の無さと文章力の無さ、表現力の皆無さに涙が‼

それと、今回唯一の紅夜のセリフに、誤字は一切ありません。
誤解される方がいらっしゃるかと思ったので言いますが、誤字では(以下略

いよいよって感じですね。これからストーリーに拍車がかかりそう!
次回の冒頭は輝夜と永琳の密談から始めようかと思っております。
果たして輝夜が永琳に語る、自身の変化とは! 乞うご期待‼


それでは次回、東方紅緑譚


第四十八話「名も無き魔人、謳われる怪力乱神」


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第四十九話「名も無き魔人、謳われる怪力乱神」

どうも皆様、最近野菜ジュースが手放せない萃夢想天です。
健康に気を使ってるのか、健康に気を使われてるのかの真偽は不明ですが、
それでもどうにか日々を生き抜いておりますです。

それと近頃、艦隊これくしょんのVITA版をやり直し始めたんですけど、
未だに第三艦隊以上の艦隊が解放されないんです…………なんでやろ


どうでもいい与太話に花を咲かせる前にさっさと書けって言われそうなので
さっさと書き出すことにしますそうします!
今回は日曜日にまで派生しなきゃいいけど…………先行き不安です。


それでは、どうぞ!





 

 

フランドールと鈴仙の奇妙な二人組が永遠亭から出立したちょうどその頃、

永遠亭の数ある部屋の中でも滅多に人が出入りしない部屋で二人の人物が談話していた。

談話と言うには少々殺伐とした雰囲気が流れているようにも感じられていたが。

 

 

「姫様、一体何をお考えなのですか?」

 

「何をって、別に何でもいいじゃない」

 

 

普段よりも若干怒りが混じった声で疑問を投げかけたのは、銀糸の三つ編みをなびかせる永琳。

その永琳からの問いかけにぶっきらぼうな態度で応じたのは、漆黒の長髪をたゆませる輝夜。

異なる美しさを絶やすことなく放ち続ける二人は先程から同じ問答を繰り返していた。

永琳も輝夜も永遠の生を生きる大罪人である身とはいえ、時間を浪費するのは愚かな行為だと

理解しているはずなのだが、どうしてか今日の輝夜は永琳が知る普段の彼女とは違っていた。

確かに輝夜という人物は生い立ち故にわがままな節がありまくりなわけだが、永琳はなぜか

今回の彼女のわがままにはいつもとは違う何かがあるのではと訝しんでいた。

そして実際、その疑念は確信に変わるのであった。

 

 

「そうはいきません。勝手に薬の売り子の任を務める鈴仙を他所へやられては」

 

「…………ねぇ永琳、あなた随分含みのある言い方するようになったのね?」

 

「含みのある言い方、とは?」

 

「素直に言えばいいじゃない。『今回は何を企んでるの』、って」

 

「では聞きますが姫様、素直に言えば教えてくださいますか?」

 

「いーや♪」

 

こめかみに青筋が浮かび上がるほど隠し切れない怒りの感情が永琳の表情に表れるが、

当の怒りの矛先である輝夜は一切気にすることなどせずにまくしたてる。

 

 

「別に私がやること何でもかんでも永琳が決める必要は無いわけじゃない?

そもそも永琳、あなた少し厳しすぎるのよ。そういうのってもはや束縛よね」

 

「お望みなら文字通りに縛りつけて二度と永遠亭から出られないようにしてさしあげても」

 

「ホンット冗談が通じない女ってつまらないわね!」

 

「貴女もそうでしょうに」

 

「うるさいわね」

「煩くて結構。それで、本当に何を考えておいでですか?」

 

 

流れるように好き勝手な言葉を飛ばしていく輝夜をあっさりと論破した永琳は先程よりも

少し冷静さを取り戻したようで、輝夜の顔を真っ直ぐ見つめながら聞きに入った。

それまでは適当に流していた輝夜も腹を据えた永琳のしぶとさを長年来の付き合いで知って

いるようで、わずかな逡巡の後に真面目な受け答えをするために軽く息を吸い込んだ。

 

 

「……………はぁ。分かったわよ、言えばいいんでしょう、言えば」

 

「ハイ。ちゃんと言わなきゃ伝わらないことくらい分かるでしょう」

 

「ハイハイそーねそーですわね。それで、何から言えばいいんだっけ?」

 

「何から何まで全部です」

 

「あーハイハイ、そういうね。分かったわよ…………そうね、まずは」

 

 

そこまで言ってから輝夜は勿体ぶるように一拍おいて永琳の方を見やるも、

明らかに不機嫌さを放つ彼女の雰囲気にこれ以上はヤバいと感じてすぐに話すことにした。

 

「欲しいと思ったのよ」

 

「欲しい? またいつもの悪い癖ですか」

 

「そんな昔の話は置いて、今回は違うのよ永琳。私は、あの人間もどきが欲しいの」

 

「それは…………つまりどういう意味で?」

 

「一言で言うなら、勿体ない、かしら? あの吸血鬼の下で腐らせるには惜しい人材よ。

だから一度死んであそこから居なくなったというなら私にも得る機会はあるはず」

 

「冗談でもよしてください。あんな下賤な改造人間をここに入れるなど」

 

「下賤も何も、私たちが最も醜い罪の形じゃない。今更上も下も無いわよ」

 

「ですが!」

 

「心配なのは分かるわ。吸血鬼共の下らない幼稚な遊戯に首を突っ込むなと言いたい

のでしょう? だとしても私はあの人間もどきが気に入ったの。欲しくなったの」

 

「姫様…………」

 

 

普段のだらけきった姿とは違う、凛々しい佇まいのまま要求を述べる輝夜に永琳は驚く。

彼女がこんな姿を自分たちの前で見せるのはあの異変以来ではないだろうかと心の内で

目を見張りながらも、輝夜の言いたいことが読めた永琳はその後の言葉が出せずにいた。

何も言おうとしない永琳を横目で見やりつつ、輝夜はそこからさらに付け加える。

 

 

「このまま死なせてあげたいと、彼の最期を看取った時にそう思ったわ。

でも彼は甦らされてしまった。なら今度は、次の人生くらいは苦痛無き日々を送らせて

あげるべきではないか、そう思えてしまっているの。ねぇ永琳、私って変かしら?」

 

「……………い、いえ」

 

「つまり変ってことね、態度で分かるわ。でもね、これはもう決めたことだから。

この私、蓬莱山 輝夜が欲しいと言ったの。永琳、分かってくれるわよね?」

 

「…………ハイ、承知しております。ですが姫様、問題はまだございます」

 

「問題?」

 

「仮に彼を手に入れられたとして、その後はどうするのですか?」

 

「その後、ねぇ……………どうしようかしら」

 

「失礼ですが、姫様は結局誰も愛することは出来ませんよ。理由は承知のはずです」

 

「永遠の命、ね。それくらい考えてたわよ。でも永琳、『アレ』もまだあるんでしょう?」

 

「………ハイ」

 

「だったらそれを使えばいいじゃない。永遠の命を拒める人間なんてそうそういないもの」

 

「姫様、本当に彼を?」

 

「最初からそう言ってるじゃない。欲しくなったって」

 

複雑な表情を浮かべる永琳にそう言って少しだけ微笑む輝夜。

その彼女の笑顔はまさしくこの世のどんな美貌ですらも打ち負かせるほどの輝きを放ち、

世の男であれば、また女であっても完璧に魅了できたであろうそれを自然に浮かべる。

今まで輝夜にすり寄ってきた男は星の数ほどいたが、彼女が興味を示すことは無かった。

だが今回は違う。彼女の方が彼に興味を示している、永琳はわずかに危機感を抱き始めた。

 

 

「それが鈴仙を外へ出した理由になるかしら? あとはそんなところね」

 

「はぁ…………貴女という人は本当に、どこまでいっても変わりませんね」

 

「人は短い生であるが故に変わろうとする。でも私たちの生は永劫終わらないから、そもそも

変わる必要自体がないのよね。だからってわけじゃないけど、変わらないのかもね」

 

「変にこじ付けをしなくても結構です。それで、今後はどうされるので?」

 

「あら、やっと分かってくれたの?」

 

「貴女が欲しいと望むなら、致し方ありません」

 

「ありがとう永琳。そうね、今後と言っても彼を捕らえなきゃ始まらないものね」

 

「それなのにあの吸血鬼の子供を行かせたのですか?」

 

「ええ、まぁ見てなさい。私には私なりの考えというものがあるの」

 

「…………仰せのままに」

 

 

主君に忠誠を誓う従者の如き(うやうや)しい素振りでお辞儀をしてみせた永琳は

同時に心の中で一つの計画を練り始める。自らが姫と崇める人物の望みを叶えるための。

そしてその計画を実行するうえで一つだけ付け加える項目が増えた。

 

その少年、十六夜 紅夜には最大限の警戒をするべしと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は半日ほど遡り、幻想郷の大地の底にある【旧地獄跡】と呼ばれる地底都市にて。

そこでは少し前から普段聞かないような物と物とがぶつかり合う轟音が響いていた。

地底に住まう者たちはその音が何であれ構わず酒を飲み、歌い騒ぎ、また飲み明かす。

地上の世界と地底とをつなぐ大穴の底で、荒ぶる二人の猛者が戦っているとも知らずに。

 

 

「オラァ‼」

「よいせっ、とぉ! はは、いいねいいねぇ!」

 

「余裕ブッこいてると死ぬぜ、女ァ‼」

 

「たまんないねぇその煽り! 血がますます滾るってもんさぁ‼」

 

 

地底への唯一の入り口とされる大穴の底で、暴虐が激しく競り合っていた。

一人は薄い金色の長髪をなびかせる、全面が秀でた肉体を揺らす鬼の姫というべき女。

一人は漆黒の短髪を逆立てつつ全身の筋肉を異常なほど隆起させた悪鬼というべき男。

女の名は星熊 勇儀、男の名は無くただ魔人という。

 

二人は互いに互いの攻撃力が最も活かせるリーチを保ったまま拳を振るい合っていた。

だが勇儀と魔人の身長差は激しく、背の高い勇儀は一方的に上からの攻撃を振るえる

アドバンテージを最大限に発揮して魔人に反撃の隙を与えることをしない。

勇儀はその上背を利用した上から押し潰さんとする勢いでの拳の乱打を延々と繰り出すが、

対する魔人は高低差や度重なる連撃であっても軽く返し、いなす防御をこなしている。

 

「せいぜい俺が殺す前に血を沸騰させ過ぎねぇようにしてろ‼」

 

「………私の一撃はそこらの岩なら粉微塵に出来るくらいの威力はあるはずなんだがねぇ。

さっき、魔人とか言ってたっけ? お前さんは一体どこから来たんだ?」

 

「あ?」

 

「お前さんほどの力の持ち主が今更になってここへ来た理由が分からないんだよ。

そもそもお前さん、ここがどういう場所だか知ってて来てるのかい?」

 

「知ったことかよ! 俺がしてぇのは戦いだ! 殺戮だ! ブッ殺せりゃそれでいい‼」

 

「とんだ荒くれ者だね、悪くはないんだが………ここで暮らすにも決まり事があるんだよ」

 

 

一度攻撃の手を止めて魔人に語り掛けた勇儀だったが、魔人の言葉を聞き入れた直後から

言葉の端に怒りを含めて吐き捨てるように言い放って再び絶対的優位の攻撃を開始する。

魔人の使っている肉体は元々紅夜のものであるため、身長や体重、その他諸々の面において

圧倒的に不利な状況ではあるものの、むしろ魔人はその逆境の中での戦闘を愉しんでいた。

常に怒涛のように押し寄せる上からの拳に加え、今度は先程と違って足を使った体幹崩しも

繰り出してくる勇儀により興味を、そして殺意をそそられた魔人は拳の雨の中で笑い続ける。

しかし勇儀からの拳を受け続ける魔人ではなく、その魔人の足場である岩盤そのものが攻撃の

負荷に耐え切れずに深い地割れを起こし、その中に魔人の踏ん張り続けている足を引き込んだ。

 

「うおぉッ⁉」

 

「もらった‼」

 

 

地割れに足を引き込まれた魔人は大きく体勢を崩し、勇儀はその隙を突かんと拳で風を切る。

唸りをあげて人間の知覚速度の限界を遥かに超えた神速の打撃が魔人の頭部に直撃しようと

したその直後、あとほんの数cmの距離まで伸びていた拳がピタリとその運動を止めてしまった。

 

「んっ? 何だいこりゃ、動かない…………どうなってんだ?」

 

「はぁ、はぁ、クソ! テメェなんかにこの力を使うハメになるたぁな…………」

 

「力? へへぇ、お前さんも能力を持ってんのかい」

 

「てこたぁテメェもか、ハッ! どんな能力にしろ俺には絶対に勝てんがな‼」

 

「口じゃ何とでも言えるさ。肝心なのはその力だよ。さぁ、やってみようや!」

 

「面白ェ‼ 肉塊になるまでボロクソに痛めつけてやらぁ‼」

 

 

握られたままピクリとも動かない拳を見てすぐに能力の可能性に勘付いた勇儀は軽く笑い、

また能力の存在を露見させた魔人も勇儀の言葉に煽りを込めて返し、足を引き戻す。

そこからはまた延々と殴り合いの連鎖が始まり、終わりの見えないレースが始まった。

勇儀が剛腕を振るえば魔人がそれをいなし、魔人が拳を振り上げれば勇儀はそれを受け止める。

殴打には殴打を、蹴打には蹴打をと二人は互いの攻撃を打ち消し合いながら戦いを続行した。

 

しかし、その二人の戦いの余波は確実に地底にダメージを与えていた。

 

勇儀が拳を振るうために力強く踏み込めばその分だけ大地が震えて地割れを起こし、

魔人が蹴りを浴びせ損ねて空ぶる度に空気が裂けて振動を飛ばして岸壁を削いでいく。

二人の戦いは次第に二人だけの戦いではなく、地底を揺るがす戦争と化していた。

無論それほどの震源地を地底の有力者たちは見逃すはずもなく、皆が集まり始めていた。

 

 

「にゃーん! おやお二方、鬼のお頭様の調子はどうだい?」

 

「…………………」

 

「勇儀があんなに楽しそうに喧嘩するなんて__________妬ましいわ」

 

 

勇儀と魔人の一騎打ちが繰り広げられている地底都市前の橋のたもと。

そこからさらに遠い岩肌が露出した小道の上に、いつの間にか三つの人影が姿を現していた。

三人はそれぞれ特徴的な口調で会話(成り立たない者が一人いるが)し、現状を把握した。

一番最後にやって来た三人目がしなやかな動作で小道を駆け下りてさらに近寄ろうとするが、

最初からいた一人目によって取り押さえられ仕方なくその場で戦いを見物することにした。

 

 

「にゃーん、別に止めやしないさ。ただもうちょっと近くで見たくなっちゃって」

 

「勇儀と互角に戦える相手に近付こうとか、その度胸が妬ましいわ」

 

「………………………」

 

 

そんなもんかね、と溜め息交じりに呟いた三人目は地底に沸き立つマグマに照らしだされる。

 

黒を混ぜたような深く暗い緑色のゴスロリチックなドレスに身を包み、

その服と同系色のリボンを四つ使って三つ編みをツインテールのように縛っている。

地底に沸き立つマグマに溶かされた岩石のように焼け付く赤色の長髪に加えて何故か、

頭頂部からは黒色の猫耳のようなものが可愛らしく顔をのぞかせている。

 

猫らしい口調の少女の名は、『火炎猫(かえんびょう) (りん)』といい、

幻想郷でも珍しい、『火車』という人の死体を盗む悪どい性質の妖怪でもある。

ちなみに彼女は自分の事を他人に自身の愛称である『お燐』と呼ばせている。

 

 

「でも実際さ、あの勇儀さんとやり合えるようなのがいるなんて驚かないかい?

あたいはビックリしてるけどねぇ。キスメはそこんとこ、どう思うにゃ?」

 

「………………」

 

 

お燐にキスメと呼ばれた無口な二人目の人物は黙って首を縦に小さく動かした。

 

死んだ人間が喪に服した時などに着用する白い着物を身にまとい、

さらに自身は人の頭が三つほど入る程度の大きさしかない桶から胴より上部分の身を

突き出し、その桶のふちを身長に見合った小さな手で愛らしく掴んでいる。

地底の大穴の途中で自生していた苔に近い色合いの髪を黒い髪紐でちょこんと結わえ、

短く太い疑似ツインテールな髪型に上手くまとめていた。

 

一切口を開かない彼女の名は、『キスメ』といい、苗字などの区別は無い。

彼女は『釣瓶(つるべ)落とし』という妖怪で、見た目の割にかなり残忍な種族らしく、

地上の世界に居ては博麗の巫女に退治される未来しかないために地底にこもったようだ。

普段は地上との出入り口である大穴でどこからともなく侵入者の頭上へと落下してくる

のだが、今回はそれが出来なかったために怪しいと考え、ここまで見に来たという。

 

「やっぱりキスメもそう思うよねぇ、橋姫さんはどうなのさ?」

 

「キスメは何も言ってないから判断できないし、今更そんな名前で呼ぶだなんて………」

 

「妬ましいにゃん?」

 

「妬ま________私より先に言うだなんて妬ましいわ!」

 

 

桶に入っているキスメを抱きかかえながら、お燐に促されてなお声を荒げる一人目。

陽の光が差さない暗天の地底世界のあちこちに見られる金鉱石を集めたような金の短髪に、

炭鉱夫ならば探して止まない緑翡翠(エメラルド)の色をした、強い光を放つ二つの瞳眼。

さらにおとぎ話の妖精と見紛うほどに端正な顔立ちに加え、人とは違う先端の尖ったエルフ耳。

黄土色の上着を羽織り、その裾やドレスなどは地下では見られぬ青空色の布地が見受けられる。

右手の親指の爪を歯噛みしている彼女は、『水橋 パルスィ』といい、

地上と地底の境目で無闇な交流をさせないための番人である『橋姫』という種族でもある。

 

お燐、キスメ、パルスィの三人はそれぞれがそれぞれの思惑を胸に勇儀と地上からやって来た

謎の男との一騎打ちの真剣勝負を見物していたのだ。

 

「でも実際に見てどう? あたいには本当に互角にしか見えないんだけど………」

 

「………………………」

「悔しいけど、あの男は強いわ。単純な力だけで測れば勇儀とほぼ同等でしょうね」

 

「へ~、それで? 橋姫さんはこの勝負、どっちが勝つと思ってるんだい?」

 

「問題なく勇儀ね」

 

「その心は?」

 

「負けず嫌いだもの、勇儀は」

 

「にゃるほど! そりゃあ分かりやすい答えだねぇ!」

 

「逆にあなたは想像つくの? 勇儀が負けるところなんて」

 

「ん~、正直思えないねぇ。でも、世の中絶対なんてありゃしないのさ」

 

「…………それはあなたの考え? それとも、あなたの『ご主人様』の考え?」

 

「…………さて、どっちかにゃん?」

 

勇儀と男との勝負を遠くから見物しながら密やかに会話していたお燐とパルスィだったが、

言葉を切り返したパルスィに対して、お燐は回答をはぐらかすような言い回しで応える。

確かに、その場に居た三人の内に一人でも勇儀の敗北を考えた者など居なかった。

しかしその言葉を、ひいては現状を否定するような言い回しにパルスィは心当たりがあり、

その心当たりについてよく知る人物であるお燐にそれとなく促したのだが、回答は無かった。

これ以上は無駄骨だろうと諦めたパルスィはお燐への詰問を止めて見物に専念する。

するとその時、ちょうど勇儀と男の拳が互いに互いの身体に突き刺さって吹き飛んだ。

勇儀はその巨体のおかげかすぐに体勢を立て直せたが、男の方は身体が二回りほど小さい分

大きく吹き飛ばされていき、数回転した後に近くの岩壁にすさまじい勢いで叩きつけられた。

 

「勇儀!」

 

「おー痛たぁ…………ん? おおパルスィ、見に来てたのか」

 

 

男が勇儀から離れたため、パルスィはすぐさま勇儀の元へと駆け出して行った。

服の汚れを手で払いながらやって来たパルスィに手を振る余裕を見せる勇儀は、

少し離れたところでこちらを見ているお燐とキスメも視認して軽く微笑みを向ける。

勇儀の近くまでやって来たパルスィは先程の勇儀の言葉に慌てて言葉を返す。

 

「べ、別に勇儀を見に来たわけじゃないわよ! 私はただ、橋姫として」

 

「分かってる分かってる、仕事だもんな。まぁそこで見てな、もうちょいさ!」

 

「う、うん」

 

 

男勝りな口調と姉御肌とを併せ持つ豪放磊落な性格の勇儀にそう言われた以上は他に何も

言えなくなってしまい、パルスィは仕方なく「妬ましいわ」とぼやきながら彼女から離れる。

パルスィが安全な場所まで離れていくのを目で追った勇儀は視線を戻して魔人の居る場所を

一睨みしてからよく通る声を張り上げて語り掛けた。

 

 

「おいおい、まさかもうおしまいかい? 情けないねぇ! 私の見込み違いか?」

 

ほんのわずかな静寂の後、岩壁にヒビを入れて出てきた魔人は勇儀を睨み返す。

そして先程かけられた言葉に対して怒気を孕ませた返事をぶつけるように吐き捨てる。

 

 

「________ざっけんな女ァ…………俺様を見くびるんじゃねぇぞ‼」

 

「おーおー、一端の口を利く割には随分と良い恰好してるじゃないか」

「ッ………あァそうかい、分かったぜ。肉塊以下の肉片にして殺してやらァ‼」

 

「気に入った! もっと愉しませてやるから、駄目になるまでついてきな‼」

 

「上等だァ‼ 先にテメェを駄目にしてやっから覚悟しろ‼」

 

 

少しだけよろめいた魔人は暴言をぶちまけてから再び戦闘態勢に移り、

勇儀もまたいつでも相手の攻撃を受けられるように腰を落として迎撃の体勢をとる。

「いいよ、先手は譲ってやる。さぁどうした? 手加減してやるから全力で来な‼」

 

「俺様を舐めたことを後悔させてやる………死んでから文句ぬかすなよ女ァ‼」

 

 

互いが互いを煽る一言を投げかけ、当然の如くお互いその言葉に反応して拳を握る。

雄叫びをあげながら高速で魔人が突っ込んでいき、あっという間に勇儀の正面まで

到達するも、そこから全身を投げ打つようなジャンプをして彼女の左足に狙いを定め、

左拳を横向きで殴りつけ、その反動で彼女の射程圏外へと受け身をとって離脱した。

唐突な脚部への不意打ちに反応出来ずにいた勇儀は大きく体勢を崩し、隙を見せる。

無論、そんな勇儀の見せた一瞬の隙すらも、魔人は決して見逃さなかった。

 

 

「死ねェ‼‼」

 

 

鋭く吠えた魔人は離脱直後でありながら体勢を崩した勇儀の背後へと跳躍し、

そのままその右手を即座に振り下ろして勇儀の背中へと文字通りに突き刺した。

肉を裂いて異物が侵入していくグロテスクな音をさせながら魔人は右手をどんどん

勇儀の体内へと侵入させていき、ついには反対側の腹部から右手の先端を出して見せた。

完全に右腕を貫通させた魔人は狂ったような高笑いを浮かべて喜びにもだえる。

しかし、刺し貫かれた勇儀の肉体は、震え一つ起こしていなかった。

 

 

「っあー、こりゃ酷くやられたもんだねぇ。流石の私でもこりゃ痛いわ」

 

「あァ…………?」

 

魔人の右手に背中から腹部にかけてを貫かれているはずの勇儀はまるでその素振りを

見せずにいとも簡単に立ち上がり、腕によって勇儀の背後に固定させられた魔人は驚愕する。

 

「お前ッ、なんで平気な顔してやがる⁉」

 

「なんでってそりゃ、平気だからに決まってるさ」

 

「ふざけんな! 身体に穴開けられてんだぞ‼」

 

「見りゃ分かるさ。でもね、私は身体の傷程度なんかじゃ止まんないよっ‼」

 

 

魔人をぶら下げたまますっくと立ち上がった勇儀はそのまま腹部からのぞいている右手を

掴んでひねり、痛みに顔をしかめた背後の魔人に右肘のエルボーをいきなり喰らわせる。

腕を押さえられているために回避が出来ない魔人は繰り出されたエルボーをもろに喰らい、

その衝撃と威力によって大きく後ろへとのけぞらざるを得なくなってしまった。

それを見逃さなかった勇儀は右手で背中の方の腕を掴み、強引に引き抜こうと後ろに動かす。

既にエルボーで大きくのけぞっている魔人からの抵抗は無く、悠々と引き抜くことに成功し、

掴んだ腕を自身の前方へと動かして宙吊りになっている魔人を見下ろして快活に笑う。

 

 

「悪いね。私はこれでもここいらの鬼の頭を張ってるんだ。

この程度の手傷でやすやすと殺られるようじゃあ、鬼の衆らに笑われちまうよ」

 

「ケッ! 鬼って連中はどいつもこいつも化け物ぞろいかよ‼」

 

「ああそうさ、みんな同じ化け物だよ。お前さんだって同じだろう」

 

「ほざけ! テメェらみたいなのと一緒にするなよなァ、俺様は魔人なんだからよォ‼」

 

「そういう自尊心の塊みたいなやつもこの地底なら大歓迎だよ。規則を守れるんならね」

 

 

吊るしあげられている魔人の眼を見つめながら勇儀は心底楽しそうに告げる。

勿論その間も彼女の身体に開けられた穴からは血や体液が流れ出続けているのだが、

豪胆である彼女にはまるでさしたる様子も無く、自然なままに振る舞っていた。

 

「……………これでも私は、"語られる怪力乱神"なんて呼ばれてたりしてね。

真っ向から挑みかかって来る奴に負けたことなんか一度も………二、三度くらいしかない」

 

 

肉体に風穴を開けられながらも笑顔でそれを口にしつつ動けるのは、彼女の地の強さ故。

地底へと追いやられた鬼たちをまとめ、それらを一つの党としてまとめあげたのが彼女であり、

逆に言えば勇儀こそが鬼の総力であると言っても過言ではないのだ。

そんな大物を相手にしてしかも腹に穴開けるなんて大したモンだ、と勇儀は軽く笑うのだが、

彼女に腕一本で吊るされているたった一人の男だけは現状に納得していなかった。

 

 

「_________知ったことか」

 

「ん?」

「ごちゃごちゃとうるせぇぞ………最初に言ったろうが、『建前なんざ知るか』ってよォ‼

お前が誰だろうが俺様には関係ねぇ! 全て殺す‼ 俺様を満足させるために死ねやァ‼」

 

「呆れるくらいの戦闘狂かい。まぁいいさ、まだまだやれるからね」

 

「調子に乗ってられんのも今の内だぜ、すぐにあの世に送ってやろうかァ?」

 

「悪いけどそれは遠慮しとくよ。向こうは平和そうだけど、ここよりはつまらなそうだしね!」

 

「ほざいてろォォォオ‼‼」

 

 

勇儀につかまっていながらも抵抗の意を示す魔人は両手を大きく広げて力を込め始める。

少し前に彼の能力らしき力の一端を体験してした勇儀はその動作に警戒して彼を解放した。

そしてそれをあらかじめ読んでいた魔人はそのまま力を込めた両腕を眼前へ向けて突き出す。

途端に無風であるはずの地底の、それも勇儀との一騎打ち場所であるここだけに強大な風が

表れ、その場に居た全ての人物が強烈な風に三者三様の対応を示して見せていた。

 

「オラオラァ‼ これでどうだァ‼ ハッハーーッ‼」

 

「コイツ、こんなことまで出来たのか!」

 

 

突然の強風に勇儀ですらも目をつぶって風をやり過ごさねばならず、場は膠着する。

今こそ好機であると踏んだ魔人は全身の筋肉を膨張させて必殺の一撃に備え始めた。

 

だが、魔人のこの備えは決して報われることは無く終わった。

 

 

「ッ⁉ アッ、ごああぁぁあ‼」

 

「ん⁉ なんだいなんだい、どうしたんだよいきなり!」

 

「があぁぁああ‼ あぁぁあ、ハァッ! グッ、うおおぉぉぉぉお‼」

 

 

勇儀の腕が掴んでいる魔人が突然苦しみだし、頭部を押さえて悶絶し始めた。

何事かと遠くから見守っていたパルスィやキスメを抱えたお燐までもが近寄ろうとするも、

魔人が放った竜巻のような風に阻まれて勇儀の元へとたどり着くことが出来ない。

しかしこの時ついに魔人が誰に言うでもなく粗雑な口調で誰もいない場所に話しかける。

 

 

「クソがァァ‼ なんで今更お前が、戻って、きたん、だぁ‼ ぐああぁぁぁああ‼」

「…………どうなってんだい、こいつぁ」

 

 

状況が呑み込めない勇儀はただただ目の前で意味不明な言葉を吐き出し続ける魔人を

見つめるものの、当の本人は全く以って勇儀に対して意識を向けていなかった。

では誰に対して意識を向けているのか。答えは、彼自身の中に居る別の『彼』だった。

 

 

『_________お嬢様のための僕の体で、一体何をしているんです?』

 

 

 

 







いかがだったでしょうか?

お燐りんの口調がまるで統一されてねぇ。ってか、定まらねぇ。
語尾に「にゃ」とか言ってたっけ? 言ってなかったっけ?
ま、まぁその辺は二次創作だという点で目をつむっていただければと。

そして今回は出したかった地底メンバーを一気に出せました!
寝不足に打ち勝って本当に良かった! アレ、なんて書いてたっけ?
とにかく、これでまた着実にシナリオが進んで_________いたらいいですね(白目


それでは次回、東方紅緑譚


第四十九話「名も無き夜、心さとり」


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第伍十話「名も無き夜、心さとり」

どうも皆様、エナジードリンクが恋人の萃夢想天です。

先週は投稿できなくて誠に申し訳ありませんでした。
理由はまぁお察しの通りの体調不良です。本当にすみません。

そして今回もまたPCが反抗期に突入いたしまして、
(梅雨時だからかな?)上手く作動してくれないのです。
これ以上機嫌を悪くされないうちに早く書き上げちゃいましょう。

それでは、どうぞ!






 

 

 

気が付いたらそこにいた、という表現が正しいのかどうかは分からないけれど

僕こと十六夜 紅夜は気が付いたら今まで見たこともない場所で見知らぬ誰かと戦っていた。

自分の目の前には腹部に痛々しい風穴を開けられている角の生えた金髪の大柄な女性がいる。

そこから周囲に目を向けてみればそこに青空も夜空も無く、ただ無骨な岩肌まみれの殺風景な

世界が暗がりの奥にまで広がっていて、視線を下に向けてもそれは変わることはなかった。

まるで地獄というものが本当にあるのならこうだ、と言わんばかりの光景に思わず閉口する。

しかし実際、つい先ほどまで自分がいた場所のことを思い出して妙に納得できてしまったが、

話の流れからしてそれはないだろうと考え直し、改めて今のこの現状の分析に集中しようとする。

 

(確か僕は……………そう、あの人に『生き返れ』って言われて)

 

 

何故自分がこんなところにいるのかを究明するため、僕は少しだけ記憶を遡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十六夜 紅夜、すぐに現世へと戻り、自らの肉体を取り戻しなさい‼」

 

 

静寂と幻想的な風景の中を淡々と流れ続ける常世と現世の境目、三途の川のそのほとりにて。

僕の目の前で手にした棒状のものを突き付けながら、『四季 映姫』という自称閻魔の少女が

身長的には下から、内容的には上からの目線でそう言い放ってきた。

しかしながら僕は幻想郷に来て日は浅く、非常識な言動などにはまだ耐性がほとんどない。

故に緑髪の少女、四季さんの言葉を幻想郷式のジョークかなにかだと笑い飛ばそうとした。

 

 

「は、はぁ…………」

 

 

笑い飛ばそうとした___________が、笑えるはずもない。

 

冷静に考えてみてほしい。僕はつい先ほどようやく死後の世界という非常識な状況をどうにか

して受け入れたばかりだというのに、そこからさらに『現世へ戻れ』ときたものだ。

現世というのは即ち命が生まれ、生き、死んでいく普通の世界のことなのは流石に分かる。

けどその世界へ戻れというのはつまり、『生き返れ』って言ってるのと同義なんじゃないか?

 

死んだ命は元には戻らない。それは外の世界でもこの幻想郷でも変わらぬ自然の摂理のはずだ。

なのに眼前の四季さんはそれを当たり前のように覆す発言をしているから、理解が出来ない。

 

 

「む? 何ですかその生返事は。これは貴方に課せられた罰であり数少ない償いの機会なのです」

 

「え、ああ、ハイ」

 

「本来ならば貴方の罪は償いきれるほどのものではないのですが、今度ばかりは特例として

貴方に機会を与えるとともに、故意無き罪への『不始末』を処理する任を課さなければならず、

それを伝えるために私がわざわざ法廷からここまではるばるやって来たというわけです」

 

「……………なるほど」

 

「本当に理解できたのですか?」

 

「いえ、全く」

 

 

しきりに真剣な顔つきで話してくれていた四季さんの眉がわずかにピクリと吊り上がる。

ほんの一瞬だったが怒りを露わにしたのだろうけど、こればっかりは仕方がない。

今の話を聞いて「ハイ、委細承知いたしました」なんて、たとえ嘘でも言えやしない。

 

彼女の口から出てきた言葉の内容で僕がかろうじて理解できた事柄は二つほど。

一つは僕が生前に犯してきた罪は非常に重く、本来ならば償いきれるものではないということ。

もう一つは今回の話をしにわざわざ遠くから僕の元までやって来たらしいということだけ。

それ以外の事はまるで分からなかった。言葉は通じていたけど言葉の意味が理解できなかった。

キッパリと言い切った僕が何か考えているのかを表情から読んだのか、四季さんが小さく

コホンとわざとらしい咳を折り込んで再び話を再開しようとする。

どうでもいいけど、威厳ある大人ならともかく彼女のような少女がやっても…………ねぇ?

 

 

「今何か余計なことを考えていませんでしたか?」

 

「いえ何も」

 

「………閻魔を前に嘘はつけませんよ。罪は重くなるばかりですね」

 

「とんだ横暴ですねぇ。それで、具体的に僕は何をすれば?」

 

「話をすり替えましたか…………まあいいでしょう、時間も惜しいですし」

 

「全く以ってその通りで。先程の話では、暗に『生き返れ』と言われているように

聞こえたんですが実際に僕は何をどうしたらいいのかまるで不明瞭なんですが」

 

「おや、分かっていないなどと言っておきながらちゃんと分かっているじゃないですか。

暗にも何も、最初からそう言っているではないですか。ほら、早く準備なさい」

 

「じゅ、準備って…………その蘇生というか復活というか、そこが分からないんですが」

 

「?」

 

「いやあの、僕は外の世界から来たばかりなのでこちらのやり方が分からないんです。

その、あるんですか? 死者を閻魔の権限で生き返らせる方法とか、やり方とかが」

 

「ああ、なるほど。まずはそこの説明をするべきでした。

分からないのなら初めからそう言いなさい。貴方はそこまで頭は悪くないでしょう?」

 

………………おお、生まれて初めて少女を殴りたいと思った。

 

先程までは大人ぶった行動や言動に可愛らしさすら感じていたのにこの始末だ。

今度は自分の眉と頬の筋肉がピクピクと痙攣しているのを自覚しつつ、隠さずに

眼前で腕を組みながらぶつぶつと話している四季さんに見せつけてやろうとした。

けど当のご本人は自分の話に夢中でまるで人の話など聞いてはいないようだったので

早々に反撃は諦めて大人しく恭順し、今を乗り切ろうとやるせない誓いを立てる。

しばらく黙っているとようやく独り話が終わったようで、とにかくと話に区切りをつけて

改めて僕に向き直って懐から何かを取り出して、見せつけるように差し出してきた。

 

 

「コレは?」

 

「これぞ地獄の宝珠、『通行証』と呼ばれる霊験あらたかなる霊力の宿った玉です」

 

「ツーコーショー?」

 

 

四季さんが差し出してきたのは、通行証と呼ばれる手のひら大サイズの琥珀石だった。

しかも単なる琥珀ではなく、内部には気泡も晶石もない、純度100%の完全鉱石であり、

外の世界で売り流せば間違いなくマニアの間で戦争が起こるほどの超レアな代物に見えた。

かつて暗殺者(吸血鬼ハンター兼)として育成されてきた僕は当然、幅広く様々な知識を

強制的に学ばされた。特に、女性を着飾る宝石や芸術の類は専門職の人間の知識量にさえ

負けずとも劣らないほどの量を無理やり詰め込まれたため、今回のこの鉱石の自己鑑定も

その時に培った知識から量ったものだ。それにしても、地獄にこれほどの財宝があるとは。

 

通行証と呼ばれる琥珀石を見てから文字通りに目の色を変えた僕の態度に何を感じたのか、

大して張るほどもない胸を張りながら僕に手にした通行証とやらの説明をし始めた。

 

 

「この通行証は元々は十七人からなる閻魔大王達の力の結晶として無数にある地獄の中でも

特に重い罪を犯した者しか(おく)られない『無間(むげん)地獄』と呼ばれる地獄の最下層に位置する

場所に安置されていました。それを今回は特例中の特例として通行証内に宿っている力の

一部のみをお借りして、貴方を生き返らせようということになったのです」

 

「随分と壮大なお話ですね」

 

「本来であれば有り得ない話ですからね。まあ今回貴方に預けるこの通行証も本物では

ありません。これはいわゆる偽造品と言える物ですからね。力も本来の三割程度かと」

 

「それを言うなら偽造品ではなく、模倣品では?」

 

「地獄の閻魔大王十七人分の力が込められた秘石を模倣出来る者がいるとでも?」

 

「あぁ、そういう意味で偽造品ですか。納得がいきました」

 

「では話を続けます。本物の通行証の在り処はというと、実はハッキリしていません」

 

「え? 大事なものなのにですか?」

 

「そ、それを言われると弱いですが、地獄の強大な力を一部とはいえ貸し与えるのですから

何も教えずにただ命じるだけとは不公平ですからね。話せるところまでは話しましょう」

 

 

そこまで話してから四季さんは少し歩いた先にある川岸に腰を下ろせるほどの大きな石が

あるのを見つけ、そこで座って話そうと僕に促してきた。正直今の僕には歩くべき足が

無いのだから立ち話も疲れないのだけど、長くなるというから仕方なく彼女に従った。

二つの大きな石にそれぞれ腰を下ろした僕らは首を動かして向かい合い、話を再開させた。

 

 

「先程も言いましたが、本来の通行証は貴方のいた外の世界にあるらしいのです。

らしいというのは、外の世界の閻魔にも所在が分からないからだそうですけど」

「へー、僕がいた外の世界にも地獄とか死後の世界とか、あったんですね」

 

「ええ。大体はここと大差はありませんけどね。話を戻しますよ?

外の世界で作られた通行証は最初に言ったように地獄の最下層にて安置されていたはず

だったのですが、ある日を境に通行証が姿を消してしまっていたのです」

 

「理由というか、原因は?」

 

「原因は不明、ということにされていますが心当たりはあります。

通行証が紛失したその日に、地獄から同じく姿を消した者がいたのです。

それこそが通行証を作り上げた十七人の閻魔大王の一人、名を『イサビ』と言います」

 

「イサビ…………というか、閻魔大王は地獄を出れるんですか?」

 

「ええ、出れますよ。閻魔といっても職務ですから、当然休暇も出ますので」

 

「へ、へぇ~」

 

「思ってたのと違う、ですか?」

 

「…………まぁ、ハイ」

 

「気持ちは分からなくもないですよ。私も休暇は一度も取ったことありませんし」

 

「そうですか…………それでその、肝心の通行証の話は?」

 

「ああ、そうでした! 関係ない話に時間を割くのは勿体ないですね。

通行証と共に姿を消したイサビはその後、外の世界のどこかで人知れずひっそりと

暮らしているとの連絡が入ったため、彼が通行証を持ち出した容疑は晴れたのです」

 

「え?」

 

「通行証は文字通り、現世と冥府を限定的に開通させる能力を持つ強大な秘石です。

それほどの物を盗んでおきながら何の行動も起こさないというのは不自然だろうと

上が判断し、捜索も打ち切られ、地獄の一大騒動はなりを潜めたのですよ」

 

「いくら何でも甘過ぎやしませんか? 他の閻魔大王たちは」

 

「私もそう思いましたが、当時の私にはそんな権限は無かったので。

そして本物の通行証は依然行方が知れず、仕方なく偽造品を残った閻魔大王の力で

一から作り上げようと採決が取られ、可決したためこうして作り直されたのです」

 

 

長く話していた四季さんの口がようやく閉ざされ、僕も話を聞く姿勢を大きく崩す。

まさかこんな手のひら大の石ころのためにこんな長話を聞かされる羽目になるなんて

数分前の僕にとっては思ってもみませんでしたが、それにしても本当に長かった。

しかし聞いた話は地獄にとっては最高機密レベルに相当するような話ではないのだろうか。

地獄の一番ヤバいところにあるべき秘石が無くなり、それと同時期に閻魔の一人も行方が

分からなくなり、仕方ないから代用品で誤魔化すことにしたって、ざるにも程がある。

それにしても幻想郷、ひいては死後の世界も本当に世知辛い世の中になっているらしい。

小町さんが言っていたように、生前も死後も大した違いなんてないのかもしれないなぁ。

 

 

「さて、ここまで話したのならもう充分でしょう。さあ、これを」

 

「え、ああ、えっと………」

 

「話の本筋を忘れないでください。貴方は今からこの通行証の力で現世にある自分の

肉体に強制送還されます。そこで起こっている厄介事を片付けるのが貴方の仕事です」

 

「はぁ…………あの、厄介事って何ですか? そこをはぐらかされると困るんですが」

 

「私は言っても構わないのですが、貴方は傷つくかもしれませんよ?」

 

 

通行証とそれにまつわる昔話を無関係な身でありながら聞かされた僕は既に四季さんの

話の大部分を聞き逃すほど集中力を摩耗させられていたけれど、彼女が最後に呟いた

言葉が引っかかり、枯渇しかけていた集中力をどうにか引き延ばして次の言葉を待った。

 

 

「…………分かりました。それほどの覚悟があるのならば止めることはしません。

厄介事というのは、紅魔館の魔女が貴方の肉体に施した魔術の失敗についてです」

 

「失敗…………パチュリーさんが⁉」

 

 

淡々とした表情で四季さんが語った言葉の意味を、僕は上手く理解できないでいた。

あのパチュリーさんが魔術の行使に失敗するだなんて考えたこともなかったからだ。

常に大図書館で知識を詰め込んでいる彼女が僕のために時間を費やして見つけてくれた

復活の大魔術、それの内容までは教えてくれなかったけど、あの人が失敗するなんて。

明らかに動揺する僕とは対称的に四季さんは動じることなくさらに続ける。

 

 

「その失敗が原因で、貴方の肉体には魔人の魂が宿ってしまっています。

結果、現世で活動するための器を手に入れた魔人が幻想郷で暴れ始めたのです。

今の時間帯は夜なので人里には目が向かないはずですが、このまま放置しておけば

いずれ人里どころか幻想郷中のあらゆる生命が脅かされることになるのです」

 

「それはまた…………責任重大ですね」

 

「状況が分かったようで何よりです。それでは、今一度すべき事を確認しますね。

貴方はこれより現世へと戻り、将来的に脅威と成り得る魔人の魂を処理すること」

 

「…………………」

 

「いいですね? そのために通行証を持たせたのですから、そのつもりで。

偽造品とはいえ途方もない力を宿していることに変わりはありませんからね。

この大きさでも地獄の最下層と現世をつなぎ、行き来する力があるんですから」

 

「行き来、ね。なるほど、そういうことですか」

 

「ええ、そういうことです。では、健闘を」

 

 

含みのある言い方で通行証の能力を再度繰り返し、僕に通行証を手渡す。

四季さんは軽く会釈をしたと思ったら腰を浮かせて立ち上がり黙々と歩きだして行き、

三途の川の下流方向へ行ってしまった。その場に残ったのは僕と人魂がほんのわずか。

たったの数十分足らずで見慣れてしまった光景も、いざ見れなくなると名残惜しい。

 

 

「なんて、そんなこと言ってる場合じゃないんでしたね」

 

 

右手に琥珀石を握りしめて自分の意識をそこに強く集中させてみる。

本当なら四季さんに通行証の使い方を聞いておくべきだったのだけど、

聞く前に四季さんは帰ってしまったし、それに何より、こうするべきだと感じた。

 

 

(まるでこの通行証が、導いてくれているかのようだ)

 

 

初めて手にしたものでありながらも使い方が頭の中に流れ込んでくるかのような

錯覚とも呼べる感覚に陥り、どんどん意識が薄らいでいき、僕の意識は闇に沈む。

 

 

お嬢様のためにある僕の身体を勝手に使う、見知らぬ魔人への怒りと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クッソがァァァア‼ なんで、テメェが、ここに‼」

 

通行証の力で意識が途絶えて数秒もたたぬ内に重力によって肉体が地面に

引っ張られる感覚を感じ、自分が魂だけの存在でなくなったことを認識させる。

そして今、僕は魔人の魂に占拠されている自分の肉体の内側に戻ってきていた。

 

普段とは違って、どこかぼんやりとした五感で今の状況を確認しようとするも

身体の中に耳障りに響く騒音に近い声に意識を乱されてしまう。

ともあれまずは魔人に乗っ取られている自分の肉体をどうにかして取り戻すのが

先決だと判断し、やり方も分からないままにとりあえず抵抗してみることにした。

すると突然鼓膜ではなく脳内に直接響くような声が僕の頭の中に流れ込んできた。

 

 

『十六夜 紅夜、聞こえますか?』

 

『その声…………四季さんですか?』

 

『ハイ、四季 映姫です。どうやら元の肉体には戻れたようですね』

 

 

頭の中で語り掛けてきたのはついさっき(?)別れたばかりの四季さんだった。

おかげさまでね、と若干の皮肉を交えた返答をすると彼女は少し固い口調になって

話を続けてきた。

 

 

『ならばすぐに魔人の魂を通行証の力であの世へと転送しなさい』

 

『やっぱり方法はそれでしたか』

 

『分かっているのなら早くやりなさい』

 

『…………それなんですが、通行証がどこにも見当たらないんですが』

 

『問題ありません。今の貴方は言ってみれば思念体のようなものになっています。

ですので通行証は肉体ではなく精神である貴方を憑代としてそこにありますから

貴方は強く念じればそれでいいのです。通行証を使った時と同様に』

 

『ああ、なるほど』

 

 

お堅い話をある程度しっかり聞き終えてからふと気になったことがある。

今更ながら、彼女はどうやって僕と会話しているんだろうかと不思議でならない。

ここはおそらく現世のはずだし、彼女は本来の仕事の方へと戻っていったはずなのに

距離的に無理があるこの交信はどんな方法でやり取りが出来ているんだろうか。

 

まぁでも今はそんなことを気にしている場合ではない。

通行証の使い方も分かったし、使うべき相手が間近にいるなら躊躇う事はない。

僕は先程の彼女の話を信じてここにあるはずの通行証に強く念じてみた。

 

 

「ぐッ⁉ おおおォォ‼ テメェ、クソ‼ クソがァァァァアアア‼‼」

 

『………どうやら上手くいってるみたいですね』

 

 

念じた途端に響く騒音がよりやかましくなってきた。本当に粗雑な声だ。

自分の身体を好き勝手に使われた挙句こんなみっともない声をあげられるだなんて、

とんでもない恥辱もいいところだと内心で嘆きつつ、さっさと終わらせようと念じ続ける。

 

『早く消えてください。この身体はそもそもお嬢様のためのものです』

 

「アァァアアアァ‼‼ ざッけんなクソがァァ‼」

 

『粋がっても無駄ですよ、さぁ早く。パチュリーさんの汚点は、消えろ!』

「ガアアアァァァアァァアアアァァア‼‼」

 

 

まさに瀕死の飢獣の如き咆哮をあげながら悶絶する魔人に苛立ちを募らせる。

他人の肉体を自分勝手に好き放題使い回したツケがきたんだ、早く死んでくれよと

心の中で暴言を浴びせかけるも、通行証の力であっても時間はかかるらしい。

それでも少しずつ身体の自由が利くようになってきたような気がするし、

遠くぼやけていた感覚もほんのわずかだけど元に戻ってきているように思える。

あともう一押しすれば完全にこの魔人の魂を地獄へと葬り去ってやることが出来ると

確信し、通行証に念じている力をさらに引き上げようと集中する。

 

ところが、僕の人生はいつもいつも肝心な時に邪魔が入るようになっているようだ。

 

 

「その力は地獄の‼ それだけは使わせんぞ‼」

 

 

一つの肉体の中で相反する二つの魂のせめぎ合い、それは絶対的な外部への隙。

通行証の発動に集中するあまり、完全に自分の肉体の外側の事は忘れてしまっていた。

空気を振るわせるほどの怒気に満ちた声に反応して視線を向けた先にあったのは、

一瞬巨大な壁に見紛うばかりの大きさに見える、金髪の大柄な女性の右拳だった。

 

 

「遊びは終いだ‼ 四天王奥義【三歩必殺】‼‼‼」

 

 

まさしく鬼神の如き形相をたたえた女性の右拳が僕と魔人の肉体に突き刺さり、

それと同時に彼女を中心とした途方もない数と量の純白色の弾幕が弾け飛んだ。

痛覚がショートするほどの痛みを脳に送り込んでいるはずなのにまるで腹部にも弾幕を

受けている全身の至るところにも痛みはまるで感じなかった。

 

『なんだ、ただのこけおど_________し?』

 

「ゴ………ガッ、ア…………」

 

 

女性の振るった拳(スぺカ?)が不発に終わったらしいと思い込んだその直後、

通行証を使ってここに来た時とは少し違う、一気に意識が引きずりこまれていくような

感覚に見舞われていき、こけおどしの五文字を言いきるか否かで僕らは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、と言うには少々時間が遅すぎますが」

「ッ⁉」

 

少し冷たい印象を抱かせる幼い女の子のような声が聞こえて目が覚めた。

 

 

「どうですか? 具合の方は」

 

「……………?」

 

 

飛び起きてみると、そこには予想通りに小さな女の子が座っていた。

 

「いきなり起きては体に障りますよ」

 

「……………?」

 

 

何やら気遣うような口ぶりで淡々と語る少女だけど、どうも違和感がある。

 

 

「違和感、ですか?」

 

「?」

 

アレ? 今、声に出して言ってたのかな。

 

 

「いえ、声には出していませんよ。私が『読んだ』だけですから」

 

 

読んだ、だけ? も、もしかして君、心が読めるの⁉

 

 

「ハイ、読めます。随分驚いていますね、久々な感じがします」

 

 

久々って…………ていうかその、チューブにつながってる目玉は何なの?

 

 

「コレですか? これは…………他人の事を聞くのなら、まずは名乗るべきでは?」

 

確かにこの子の言葉は正論だ。仕方ない、まずは名前でも____________?

 

 

「どうかしましたか? まずは名前でも聞かせてくれるのでは?」

 

「………………」

 

 

名前、名前……………名前が、分からない。

 

 

「名前が分からない?」

 

自分の名前、分からない。全く思い出せない! 何で? 何で⁉

 

 

「…………まずは落ち着いてください」

 

「自分の名前が分からないのに落ち着けるわけないだろ⁉」

 

 

激情に任せて声を出した直後に、今までにない激痛に身を襲われた。

尋常じゃないほどの痛みに目の前がぐにゃりと歪んだように見える。

引くことのない痛みに顔をしかめ、顎に噴き出した汗が流れ伝っていく。

 

 

「だからいきなり起きては体に障ると………今は寝ていた方がいいです」

 

 

女の子に諭されて再びベッドに背中を預ける。

身体を横にするとほんの少しだけ痛みが和らいだように感じた。

今更だけど、何でベッドで眠っていたんだろうか?

 

 

「その疑問については、次に貴方が目覚めたら話します」

 

 

またしても心を読んだのか、女の子が立ち上がりながら僕に語った。

そして体の向きを変えて歩き出し、足音がどんどん遠ざかっていった。

やけにはっきり聞こえる足音を聞き流していると、その足音が不意に止まった。

 

 

「せっかくですので、今の内に名前だけでも教えておきましょう」

 

 

振り返ってこちらを向きながら語っているらしい彼女の言葉に耳を傾ける。

 

 

「私の名前は『古明地(こめいぢ) さとり』、覚えておいて」

 

 

去り際に自分の名前を告げて、女の子は扉を開けて部屋から立ち去った。

不思議な雰囲気をまとった奇妙な格好をした幼げな女の子、古明地 さとり。

 

 

これが僕と、さとり様との出会いだった。

 

 

 





いかがだったでしょうか(白目)

日曜日までには片付けるってあれほど、あれほど……………‼
ま、まぁ更新出来なくなるよりかはマシだよね、よね‼

さて、本編はいかがだったでしょうか。
主人公ハプニングの定番中の定番、記憶喪失です!
正直コレは当初の予定には無かったんですが、この作品を読んでくれている
仲の良い後輩の一人から「ぜひ」と頼まれたんで採用してみました。

さて、次回はいよいよ記念すべき第五十話目と相成りました!
これからも御話を書き進めていきますので、鈍足更新に稚拙文才ながらも、
応援のほど、なにとぞお願い申し上げます!


それでは次回、東方紅緑譚


第五十話「名も無き夜、新しい人生」


ご意見ご感想、いつでもお待ちしております!


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第伍十壱話「名も無き夜、新しい人生」


どうも皆様、2016年も半年が過ぎてしまいましたね。
時間が経つのが早過ぎやしないかと今更憤りを感じている萃夢想天です。

前回は日曜日にまで波及させてしまいましたが、今回はマジです。
キチンと土曜日の夜までには投稿いたします。

それと昨日気付いたのですが、ノーマルな牛丼って美味しいですね。


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

僕は、一体何者なんだろうか。

 

 

古明地 さとりと名乗った少女が部屋を出てすぐに眠くなった僕は睡魔に身を委ね眠り、

次に目を覚ました時に真っ先に思い立ったのが、無くした記憶についてと自分の事だった。

 

むしろ気にならない方がおかしいと思う。だって自分が誰なのかわからないんだよ?

必死に自分の名前とか自分の知っていることを思い出そうとしても、何も思い出せない。

僕を快眠へと導いたベッドの上で一人悶々と考え続けること数分後、誰かが部屋にやってきた。

 

「おや、起きてたんだね。気分はどうだい?」

 

「え、あ、あの…………誰?」

 

ノックも無しに部屋の扉を開けてきて僕に容態を訪ねてきたのは、またも女の子だった。

しかもさっきのさとりとかいう子と同じくらいに可愛いけれど少し年上な雰囲気を持つ人で、

初対面の僕に向かってかなり気軽に話しかけてきた。多分、あの子のお姉さんなのかな。

 

 

「あたいかい? あたいは火炎………まあ呼びやすい『お燐』でいいよ」

 

「お、おりん?」

 

「そうさ、あたいはお燐だよ。よろしくにゃん」

 

 

何故か自分の名を本名で語らずに愛称で名乗ったお燐さんはさながら招き猫のような

ポーズをとって、右手を可愛らしく猫っぽい仕草でクイクイと動かしてみせた。

しかも頭部には黒い猫耳が、腰のあたりからは二股に分かれた黒い猫しっぽがそれぞれ

生物独特の柔軟な動き方をしてピクピクと震えていた。

パッと見た感じだと作り物には見えないけど、まさか本物じゃないよね。

なんて考えているとお燐さんが僕の顔をじろじろとのぞき込んできた。

 

 

「あの、何ですか?」

 

「ん~? 別に何でもないよ。さ、早く起きて支度して!」

 

「え? 支度? 支度って何ですか?」

 

「後で説明したげるからまずは急いだ急いだ!」

 

「え、あ、あの!」

 

 

顔をのぞき込んでいたお燐さんがいきなりベッドのシーツを引き剥がして僕を床に落とし、

どこに隠し持っていたのか不明な僕用の着替えを置いて着替えてついて来いとだけ言って

部屋から出ていってしまった。言動といい見た目といい、本当に猫みたいな人だな。

とか思ってないでさっさと着替えてしまおう。今の僕にはどうせ何もやることが無いんだし。

 

考えを即座に切り替えて置かれていた服に着替え、ベッドの上で自分について思い悩んで

いたことなど頭の隅の方へと追いやって部屋から出ていったお燐さんの後を追いかける。

 

 

…………僕は物事の切り替えが早い人間なのかもしれないと、手がかりを一つ掴んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元いた部屋から出てしばらく歩くこと五分ほど、僕の前を歩くお燐さんが立ち止まった。

彼女の視線が向いているであろう先を後ろから覗いてみると、そこには大きな扉があった。

この先に誰かがいるのは間違いないだろうけど、一体これから何が起こるのか想像もつかない。

落ち着きなく視線をあちらこちらに向けてオドオドしていると、お燐さんが声をかけてきた。

 

「ここから先は君だけだよ、行っといで!」

 

「あ、あの、何がどうなって」

 

「だーから、行けば分かるって! ほら男だろ、行った行った!」

 

ニヤニヤといった感じの笑顔のお燐さんはいつの間にか僕の後ろに回り込んでいて、

両手で勢いよくドンッと背中を突き飛ばされてしまい、転ぶように目の前の扉にぶつかった。

両開きの扉が開くとともに中へと突入した僕は突き飛ばされた勢いのまま床に吸い込まれるように

倒れ、受け身も取れずにぶつけた胸部への鈍い痛みにうめき声を上げる。

 

「…………随分と威勢の良い入室ね」

 

いきなりの出来事にもかかわらず冷静なままの声に顔を向けると、そこにさとりがいた。

彼女は何やら厚めの本を読んでいたようで、視線をそちらに向けたまま僕に声をかけたらしい。

 

「ええ、大方合っているわ」

 

「………また、心を読んだの?」

 

本を読む手を止めずにただコクリとうなずいたさとりはページをめくって視線を動かす。

しかし、お燐さんに連れてこられたのに僕をほったらかしにして本を読み続けるなんて

そんなに面白い本なのかな。それとも、僕の事に興味が無いのかも。

 

 

「あなたの面白さの基準が分からないけど、私にとっては面白い内容の本よ。

ついでに言えば、あなた自身については興味があるか無いかで言えばある方ね」

 

 

考え付いたことを本を読み続けながら即座に答えたさとり。

淡々とした口調で、しかも本人はいたって真顔だから本心なのかどうかも分からない。

それにしても、心を読めるってのは本当にすごい力なんだなぁ。

 

 

「…………すごい力、ね」

 

 

僕の考えていることに何かを感じたのか、さとりはようやく本を読む手を止めてこちらへ

視線を向けてきちんと話し相手と会話をする状態になってからまた話し始めた。

 

 

「本当にそう思うの?」

 

 

彼女の口から次いで出てきた言葉は、僕の発言の真偽を問うようなものだった。

何か思うことでもあるのか、さとりの表情はさっきよりも少し真剣みを帯びているように

見えてきた。僕は観察眼が鋭い人間だったのかもしれない、新しい手掛かり発見だね。

 

「…………………」

 

 

なんて考えていると、さとりの視線が一気に冷めた感じになり始めた。

こうして今も考えていることを読んでいるのだとすると、本当にすごい力だよな。

さて、この考えも読まれているんだろうし、さっさと言い切るとしますか。

 

 

「僕は他人の心を読むことがすごいことだとは思う。

でも同時に、とても悲しくて辛い力でもあるんだと思ってる」

 

「……………どうしてそう思うの?」

 

 

ほんの少しだけ表情をゆるませたように見えるさとりから更なる追及が来た。

僕はただ聞かれた通りの感想を述べようと思ったけど、今彼女が求めている返答は

そういった普遍的なものではなく、理由とかそういった感じの物だろうと思えた。

こうして考えてることもどうせ筒抜けなんだ、ハッキリしっかり言ってしまおう。

まっすぐ僕も見つめてくるさとりに、僕は問いの答えを出した。

 

 

「だって人は誰かに隠し事をして、それを守ろうとするから知恵を絞るんだよ?

考えてる事とか心を読まれちゃうんなら、相手に何もさせないのと同じだよ」

 

「…………………」

 

「隠し事とか嘘を守ろうと必死になって人間は知恵を振り絞るから進化するんだ。

心を読んで先読みして、相手をそれ以上先へ行かせないなんて、悲し過ぎるよ」

 

自分自身でも意外に思うほどに言葉がポンポンと飛び出していった。

もしかしたら僕は口が達者な人間だったのかもしれない。新しい手掛かり発見だ。

そう考えていることも向こうにはバレてるんだろうと思ってさとりに視線を

向けてみると、先程までの冷静な雰囲気が若干薄れて攻撃的な表情になっていた。

 

「なぜ、ですか」

 

「え?」

 

「なぜそんなことが言えるの⁉ 何を以て悲しいと言い切れるのよ‼」

 

 

心を読めると淡々と言い放った少女が見せるとは思えない、激しい怒りの感情。

その全てが僕に対して向けられていると気付き、底知れぬ恐怖に身震いする。

まるで人間じゃない恐ろしいものと対峙しているかのような、そんな感じがするのに

僕の両足は先程の位置から一歩たりとも動こうとはしていなかった。

かなり肝の据わった人間だったのかもしれないけど、今はそんなのどうだっていい。

 

今は、さとりの思いに答えなきゃいけない気がした。

 

 

「だって相手と同じじゃないって、『独り(ちがう)』って、さみしいじゃないか」

 

「……………………」

 

「"みんな違ってみんないい"って言葉があるらしいけど、そんなの妄言だよ。

他人とは違う個性があるのは素晴らしいことだけど、相手と違う分だけ分かり合うことが

難しくなるってことじゃないかって、僕はそう思うんだ」

 

「…………だからあなたは、私が悲しいと?」

 

「心を読む力を持つ君が、僕には悲しそうに見える。

それでも僕は、心を読む力そのものを否定はしない」

 

「……………なぜ?」

 

「さっきも言ったよね、他人とは違う個性があるのは素晴らしいことだって」

 

 

ほんの少し前まで心を読まれて考えていることを先読みされていた僕が、心を読める

さとりに一方的に言い放つ展開なんて考えてもいなかったけど、効果はあったみたいだ。

うなだれてしまったさとりの顔は前髪で隠れてよく見えないけれど、さっきのような激しい

怒りとかの感情は見受けられないし、何より雰囲気が本を読んでいた時の彼女に戻っていた。

でも雰囲気とか感情とか、そういうあいまいなものを観察する能力に長けているなぁ、僕。

自分の記憶を取り戻したいとは思ってるけど、昔の僕は何をしていたのか気になってくる。

そう思っているうちにさとりが座っていた椅子から立ち上がって僕の前に歩いてきて言った。

 

 

「いきなり怒鳴ってごめんなさい。すごく、珍しい言い方だったから驚いたの」

 

「珍しい? まぁいいよ、僕は気にしてないし。それよりお燐さんに連れてこられたけど、

僕はどうしたらいいの? というか、ここはどこなんだよ」

 

「………そうね、まずはそのあたりから説明しましょうか。その方が思い出すかもしれないし」

 

「うん、お願い」

 

 

_____________少女説明中

 

 

「と、いった具合かしら」

 

「…………なるほど」

 

 

さとりからこの場所、ひいてはこの世界のことを大体聞き終えて大きなため息をつく。

だって信じられる? ここが不思議な異世界で、彼女が本当に人間じゃなかっただなんてさ。

しかもこのお屋敷は『幻想郷』という世界の地下にある忌み者たちの追われ里である地底に

建てられた『地霊殿(ちれいでん)』という、さとりが管理し支配している場所だったなんて。

いきなりの急展開に文字通り開いた口が塞がらない状態になってしまった僕を見つめるさとりは

その反応には見飽きたとでも言いたげな表情になって僕が落ち着くのを待ってくれた。

 

さとりの放った衝撃の数々にやっと気持ちの整理がついた僕にさとりが再度話しかけてくる。

 

 

「どう? 少しは何か思い出せた?」

 

「…………いや、全く。でも幻想郷とか妖怪とか、どこかで聞いた感じはあったよ」

 

「そう。なら意外と早くこの状況に慣れることができるかもしれないわね」

 

「だといいけど」

 

「…………あなた、記憶も名前も無いなら居場所も無いんじゃない?」

 

「えっ?」

 

「あなたの居るべき所、帰るべき場所。何か覚えていることはある?」

 

「僕が帰る場所、帰る場所……………」

 

 

さとりの言った帰る場所というキーワードを口にしながら必死に記憶を探り当てようとすると、

突然全身が痺れるような感覚に襲われ、少しフラフラとよろめきながらその場に倒れた。

その後も寄せては引く波のように痛みが繰り返しやってきて、その度に僕は苦悶の声を漏らす。

 

「どうしたの?」

 

「い、痛い………すごく! 全身が、全身が痛いんだ‼」

 

どこかぼやけて聞こえるようなさとりの声に答えながらも必死に襲ってくる痛みに耐え続ける。

そうしていくうちに頭の中にぼやけたイメージが浮かび上がってきて、そして消えてしまった。

僕の頭に浮かんできたイメージが消えるのと同時に痛みも引いていき、立ち上がった僕はさとりに

今見たものの事を伝えた。

 

 

「さとり、僕は今何かを見た。多分、大きな湖みたいな場所が見えた」

 

「大きな、湖?」

 

「うん。ハッキリと見えたわけじゃないけど、多分湖だと思う。それかすごく大きな池」

 

「……………そう、少し記憶が戻ったのかしら」

 

「そうなの、かな? でもすごく痛かったよ、記憶を思い出す度にこうなるのは勘弁だね」

 

 

まだ少しズキズキと痛みが奔る頭を押さえながらゆっくりと立ち上がりつつ軽口を叩く。

もしかしたら僕はこんな痛みすら日常茶飯事な人間だったのだろうか、そんな手掛かりは嫌だな。

なんて考えているとさとりが僕の方を見ながら語り掛けてきた。

 

 

「記憶を思い出すまでは、ここに居ていいわ」

 

「え?」

 

「あなたが記憶を取り戻すまではここにおいてあげる。でも寝床と食事を提供する以上は

しっかりとそれに見合った分だけ働いてもらうからそのつもりで。いいかしら?」

 

「そ、それはもう。願ってもないよ」

 

 

さとりからの意外な申し出に疑うことなく即座に飛びついた僕に彼女は微笑んでくれた。

常に冷淡な真顔のさとりが見せたほんの一瞬の微笑みは、僕の心臓をわずかに高鳴らせた。

確かに元々の素材が素晴らしい美少女なのは認めるけど、コレがギャップってヤツなのかな。

それともまさか、僕はいわゆるロリコンと呼ばれる人種だったのかも。それは絶対に嫌だな。

 

 

「ロリコン? それは何かしら」

 

 

読まれちゃまずいタイミングで心を読まれた。

 

彼女からの問いかけについての返しを考えようとして我に返り、心を無にする。

流石に外見上ロリに当てはまる彼女に『幼女趣味』であるロリコンの意味を教えたりとか、

最悪彼女の前で心の中で考えただけでも死につながる可能性がある______________あ。

 

 

「なるほど。幼い少女と書いて幼女、上手いこと言うのね」

 

「あ、えと、その」

 

「大事なことは忘れているのにそんな下らないことだけは覚えているのね。

案外、自分の事もほとんど変わらないくらい下らない人間だったのかも」

 

「あぅ……………」

 

 

うかつに物事を考えただけでこの有り様だ、本当に心を読む力はすごい力だよ。

しかし彼女の言っていることにも一理ある。でも一理あるだけで納得したわけじゃない。

二人でそのまま見つめ合っているとまた僕の心の中を読んだらしいさとりが口を開き、

今後の僕の面倒についてをいろいろと提示してくれた。

 

 

「まずはそうね、あなたの新しい名前が必要かしら。名無しは不便だもの」

 

「まぁ、確かに」

 

「ここで働く以上は私の命令は絶対。というわけで今日からは『(ぼう)』と名乗りなさい」

 

「え、ぼ、忘?」

 

「一度全てを忘れたあなたにはお似合いの名前でしょう? それにもしもあなたの過去が

忘れ去られるべきものだったとすれば、きっとその時にこの名前が役に立つでしょうから」

 

「…………なんかしっくりこないけど、まぁいいや。分かったよ、さとり」

 

「それからもう一つ。ここで暮らす間は私を"さとり様"と敬称を付けて呼ぶように」

 

「え?」

 

「理由はあなたの世話係に任せるから分からないことがあれば何でも聞くといいわ。

それじゃあこれから記憶が戻るまでの間よろしく、忘」

 

 

言いたいことを言い切ったように満足げなさとり、もといさとり様は再び椅子に腰を下ろして

閉じていた本を開いてそのページに視線を向け始めた。もう話すことは無いらしい。

 

こうして僕は忘となり、摩訶不思議な世界での人生をリスタートさせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________さとり様に拾われて、忘と名付けられてから今日で五日目。

 

この幻想郷と言う特異な世界にも、地底という不明瞭な現状にも大方慣れてきだした。

最初は地霊殿の掃除や物置の整理とかだけだったけどすぐに片付け終えてしまったからと

新しい仕事をドンドン増やされていき、今ではお使いまで仕事の内に入ってしまっていた。

もしかしてというか、多分僕は自慢じゃないけど相当器用な人間だったに違いない。

でも地霊殿の外は言葉にすると"人外の魔境"といった感じの化け物の巣窟になっていて、

最初は道行くほとんどの怪物たちから稀有なものを見る目でじろじろと見つめられていた。

 

「それは仕方ないよ、ここらじゃ普通の人間なんてのは滅多にいないからね」

 

気になって僕の世話係として色々と世話を焼いてくれたお燐さんに聞いたところ、そう言われた。

確かにあの時さとり様は地底の事を良く言っていなかった気もしたけど、意味がやっと分かった。

 

提灯や灯篭などの灯し火が照明になって、地底に沸き立つ嫌われ者の集う都市を賑やかに彩る。

しかしその眩しい限りの光の下を歩くのは、明らかに人とは異なる異形の者共ばかり。

道中で向けられる視線には好奇なものや敵意に近いものまで幅広くあり、それら全てが僕に

対してのものだと気付く度に恐ろしくなって身震いしてしまう。

それでも僕はこの地底も捨てたものじゃないと思えるようになってきている。

その理由は、今僕が向かっている仕事場にある。

 

 

「どうも、地霊殿の遣いです! ご注文の品をお届けに上がりました!」

 

「「おう、待ってたぜ」」

 

大きな声で名乗りながら店の名が描かれた暖簾(のれん) をくぐった僕を待っていたのは、地底でも多くの

異形たちに愛されている居酒屋を経営している異形の店主、午頭(ごず)馬頭(めず)の二人だった。

僕はこの二人が注文したある品物を届けるというお使いの仕事をこなしている最中だったわけで、

開店前の準備をしている二人に、先程から背負っていた風呂敷をほどいて中にあるものを手渡す。

 

 

「はい、ご注文通りの硫黄です」

 

「「これよ、これこれ」」

 

僕が彼らに手渡したのは、風呂敷から出した途端に異常な臭気を放ち始めた硫黄という鉱物。

鼻をつまんでも臭ってきそうな悪臭だというのに、店主の二人は顔色一つ変えやしない。

というより彼らはそれぞれ馬の頭と牛の頭をしているから顔色も何も見分けがつかないんだけど、

それでも匂いについては何も言及せずに嬉しそうに僕の手から硫黄の塊を受け取った。

 

「そ、それ、何に使うんですか?」

 

「「ん? これか? これはな、酒の下地付けに使うのよ」」

「そーなんれすか…………」

 

「「呑んでみるか? 美味いぞ!」」

 

「遠慮しときまふ………」

 

 

午頭馬頭の二人からの酒の勧めを丁重にお断り。仕事中だし、それに何より臭いが酷い。

こんな状況で何か飲み食いする気なんて起きないし、起きてものどを通らなそうだし。

とにかくお使いも無事に終えたことだし、すぐにここから立ち去るとしよう。

代金をいただいた僕は広げた風呂敷をまた結わえて背中に背負い、お辞儀をしてから立ち去ろうと

お店の横開きの扉に手をかけたその時、開けようとした扉が独りでに開き始めた。

驚いて扉から手を放して後ずさると、扉の向こう側から綺麗な金髪の大きな女性が現れた。

 

 

「お? おお、なんだいボウズ。お前も呑みに来たのか? そうだろ?」

「あ、どうも。ご無沙汰してます、勇儀さん」

 

「よせやい堅苦しい。酒の席じゃ無礼講だ、鬼も妖怪も幽霊も人も、種族なんざ関係ないよ!」

 

よっこいせ、と店への出入りに身をかがめてやって来たのは、地底に暮らすものなら誰だって

その名を知る有名にして破格の存在、鬼の四天王が一人、星熊 勇儀さんだった。

普段から酒を呑んでいるだけあってどんな状況であっても彼女がいる場は酒の席になるらしい、

そう頭の隅で考えつつも僕はまだ仕事が残っているからこのまま捉まると割とマジでやばくなる。

前にここへ初めて来たときは夕方で酒盛りが始まっていたために酌をやらされ、彼女以外の全員が

呑み潰れるまで延々と宴が繰り広げられたのだ。今回もまた二日酔いで帰るのだけは避けねば。

どうにかして彼女の誘いを断れないかと考えていると、勇儀さんの背後から誰かが声をかけた。

 

 

「ゴメンよ勇儀さん、そこのはまださとり様に仰せつかった仕事が向こうで残ってんのさ。

今回は私がお酌の汲み相手になったげるからさ~、見逃してほしいにゃん。ダメ?」

 

「お燐さん!」

 

 

勇儀さんの背後からいつもの細目の笑顔を見せたお燐さんは、そのまま勇儀さんをお店の中に

誘導して出入口を開けてくれた。よく分からないけど、逃げるなら今がチャンスだ。

 

 

「そ、それじゃ僕はこのあたりで!」

 

 

開け放たれた扉に突撃する勢いで走り出してお店を後にした僕はそのまましばらく走り続けて、

地底の街道を数km行ったところで走るのを止めて歩き出し、地霊殿への帰路に着こうとした。

 

『ンだぁ? またあそこに帰る気なのかクソガキよぉ』

 

 

すると突然自分の内側から聞こえてくるような声が聞こえ、驚いて辺りを見回してしまった。

しかし実際には誰も居らず、本当に自分の中から声が響いているのだとようやく認識出来た。

いきなり僕をクソガキ呼ばわりしたこの声に僕は聞き覚えがあった。

 

 

「ねぇ、またなの? 仕方ないじゃんか、他に行くとこないんだし」

 

『だからってよぉ、なんであそこなんだぁ? その辺のボロっちい小屋でいいだろうが』

 

「流石にあんなところで生活できるほど僕はタフじゃないよ、君ならいけそうだけど」

 

『おォ‼ それは俺様に身体を寄越すって意味か⁉ そうだよなぁ‼』

 

「違うよ。大体君は本当に何なのさ」

 

 

僕の内側から響いてくるこの声を最初に聞いたのは僕の世話係がお燐さんだと知った次の日で、

地霊殿の廊下の窓拭きをしている途中に突然怒鳴り声が聞こえたから本当に驚いた。

その後も僕が一人になったときは毎回決まって声が聞こえるようになってきて、それが幻聴とか

思い込みによるものではないと最近になってようやく受け入れることが出来るようになった。

 

『チッ! 俺様をここまでコケにしておいて都合良く記憶を忘れるたぁ、イイ度胸してなぁ』

 

「そんなに怒られても僕は何も覚えてないし、君が誰かも分からないし知らないんだから」

 

『俺様は魔人だ‼ 何度言わせりゃ気が済むんだクソガキが‼』

 

「ハイハイ、うるさいから静かにしててよ。次はえっと…………」

 

『オイ、無視してんじゃねぇぞ‼ 聞いてんのか⁉』

 

 

受け入れることが出来たと言っても、それは決して認められるというわけでもない。

現に僕はガンガンと響いてくる内側からの怒鳴り声にも耳を貸さずに地霊殿へ真っ直ぐに

向かっている。この手の相手は逆に一切相手にしなければ案外どうにかなるものなのだ。

もしかしたら昔の僕は毎日毎日この声に悩まされていたのかもしれない。というかそうだろう。

それに理由はどうしてか分からないけど、地霊殿の中に入るとこの声はピタリと止む。

まぁ僕が一人になった瞬間ギャーギャーわめきだすんだけど、それ以外では大人しくなる。

このまま地霊殿まで我慢すればしばらくは静かになるだろうと思って我慢し、僕は歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘が立ち去った居酒屋で、二人の店主とは違う二人の女性が言葉を交わしていた。

 

一人はこの店に用事があってやって来たという鬼の頭こと、星熊 勇儀。

もう一人は先程逃げた忘の世話係に任命されたさとりのペットこと、火焔猫 燐。

 

二人は店の奥の相席で酒を注がれた枡を手にしつつ、ある事について語らっていた。

 

 

「_________それで、あのボウズの様子はどうだい?」

 

「どうもこうも、全くの論外だよ。警戒する気も起こさせやしないさ」

 

「そうかい。そいつはもしかするとめでたい事かもしれないねぇ」

 

「本当におめでたいのかにゃ~?」

 

勇儀とお燐の二人が酒の席で語っているのは、忘についての事だった。

忘の前では本性の片鱗すら見せなかった二人が真剣な顔つきで話を続ける。

 

 

「そうさ。あの魔人とかいう奴…………というよりあの人間の子供の方かね。

奴はかつて地獄の奥底に収められていたはずの秘宝と同じ力を宿していた。

アレはそう易々(やすやす)と使っていい力じゃない。管理されるべきとんでもない力さ。

その力をあの子供の体の中から感じたんだ、これは只事なんかじゃあないね」

 

「ふーん。それであの時必死になって倒そうとしたわけかにゃ?」

 

「鬼にしてはみっともなかったとでも言いたいのかい? そりゃ必死にもなるさ。

この世に地獄の力の根源を持ち出されたんだ、しかも何ともないただの子供に。

そりゃいくら私が鬼だからって言っても侮るべき相手じゃないと思ったんだよ」

 

「……………仮にも鬼の頭領が警戒する力の宿主、ねぇ」

 

「ああ。でもまさか私の【三歩必殺】を喰らって記憶まで吹っ飛んじまうとは」

 

「誤算だったねぇ。記憶がありゃ今頃さとり様の御力でどうにでも出来たのに」

 

「それについては私が悪い。この通りだ」

 

 

五日前にこの地底旧都にやって来た謎の男。魔人と名乗るその男と激闘を繰り広げた

勇儀は自身の繰り出した渾身の一撃によってそれを撃破することに成功したものの、

魔人が乗っ取っていた人間の子供にその一撃の影響が強く残り、自分に関する記憶が

ごっそりと無くなってしまったことについてを姿勢を正してから頭を深く下げて詫びた。

鬼の頭の謝罪の意味を理解しているお燐は何も言わずに酒を呑んで話を続ける。

 

 

「誰が悪いってもんでもないよ。さとり様もそうおっしゃっていたし」

 

「これはけじめだ。私がしでかしたことに対する責任だ」

 

「でも勇儀さんが戦ってなければ今頃この旧都は地獄の力で、ってことになるけど?」

「……………つまり、お咎め無しってわけかい」

 

「罪を犯したわけじゃなし、誰が死んだわけでもなし。結果で見れば文句無しにゃ」

 

「………………」

 

 

暗に『謝罪はいらない、頭を上げてほしい』と告げているお燐の言葉に勘付いた勇儀は

すっと頭を元の位置に戻して自分の前に置かれた一升枡を掴んで中の酒をかっ喰らう。

空になった枡をどんと机に置いてから、勇儀は掠れそうな声で物悲し気に呟いた。

 

「死人なら、出たさ」

「ん~?」

「死人なら出しちまったさ。私がこの手で、あの人間の子供を」

 

「え、え~っと、どうしてそうなるのかねぇ」

 

勇儀の物言いに対して苦笑いを浮かべるお燐は、勇儀の言葉の意味を尋ねた。

お燐からの問いかけに、勇儀は一層重たげな雰囲気になって答える。

 

 

「自分の記憶が無いってことはつまり、過去が無いってことになる。

過去の無い人間なんていやしない。存在そのものが無い(・・・・・・・・・)ってことだからね。

私はこの拳であの子供から記憶を、過去を奪っちまったんだ。殺しちまったんだよ」

 

「…………考えすぎだと思うけどねぇ、元気だよ?」

 

「今は、な。けど前はどうだったか知ってるか? 知らないよな、お前も私も。

昔のあの子を知ってる奴が誰もいなかったらどうする? あの子はたった独りだ」

 

「子供がいるんだから、親だって…………」

「身内が一人もいない奴なんざ幻想郷には探せばいくらでもいるさ。

あの子供もその中の一人なら、私はあの子を殺した責任をどう取ればいい⁉」

 

「…………もしそうだとして、どうするつもりなのさ?」

 

「………もしもあの子の記憶が戻らなきゃ、私があの子供の親代わりになる」

 

 

衝撃の発言にお燐は思わず猫目を限界近く見開いて目の前の勇儀を凝視する。

最初は冗談か何かかと思ったものの、彼女ら鬼はそういった嘘や虚偽を心底嫌う為、

それらの頭領である彼女の言葉もまた嘘などではないと理解した。

だが理解はしたものの、それで納得がいくわけではない。

お燐は勇儀の持つ空っぽの枡に酒を並々と注ぎ足し、呑むように促した。

 

 

「…………?」

 

「鬼が人間に関わっても、碌な事にはならないんじゃないかい?」

「……………それが私への戒めに、あの子供への償いになるんならいいさ」

 

「まだ記憶が戻らないって決まったわけじゃないからねぇ」

 

「だと、いいんだが」

 

 

まだ何か引っかかっているような言い回しをする勇儀を見てお燐は枡を見つめる。

並々と注がれた透明な液体は枡の底の木目を映してゆらゆらと揺れ動いていた。

今の勇儀の心はこの枡の中の酒のように激しくせめぎ合って零れ落ちそうになって

いるのだと考えたお燐は、勇儀の前で枡の中の酒を一気飲みして再び注ぎ直す。

いきなり豪胆に呑み始めた自分を見て驚く勇儀に、お燐は酔いが回った口調で語る。

 

「ここにいる連中はみ~んな一緒さ。どいつもこいつも嫌な思いをたくさんしたから

こんな穴ぐらみたいな地面の下でもぐらみたいに毎日飲み明かしてんのさ!

勇儀さんだってそうなんだろぅ? ならとっとと酔って呑んで笑い飛ばすに限るよ!」

 

「……………はは、鬼の私に呑めってかい?」

 

「にゃにゃ~ん!」

 

「酒を勧められて断るなんざ鬼の名折れよ‼ いいかい、今日はとことん付き合いな‼」

「望むところさ!」

 

 

盛り上がったところで互いが互いの枡の中に酒を注ぎ込み、一気に(あお)って嚥下する。

のどをスルッと酒が通り、程よい辛みと苦みが二人の舌の上を通り過ぎて旨みを残す。

どちらが先に呑み潰れるかの競い合い、すぐに開店前の店に人が集まって宴と化していく。

 

そう、これでいい。これでいいのだ。地底ってのはこうでなきゃいけない。

どこよりも暗くどこよりも深い地の底で、どこよりも明るく底抜けに楽しい世界を。

それこそがこの地底に追いやられた爪弾き者たちの守る唯一にして絶対の規則であり生き方。

間違っているとか間違っていないとか、何が正しくて何が正しくないのかは問題じゃない。

 

『今』を、この世界の誰よりも楽しく騒いで生きる。

『昔』を、この世界の誰よりも惨めに生きた自分達が。

 

二人騒ぎ、二人酔い耽る。

別に今夜が特別だからではなく、ここでは毎日がこうなのだ。

だからこうして今日も騒ぐ。懐かしく忌まわしいかつての過去を忘れるために。

今日も今日とて幻想郷の地底からは、楽し気な酒盛りの音が絶えることはない。

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?


言い忘れていましたが、前回の最後の文章に不都合が生じたので編集し直しました。

『さとりお嬢様』→『さとり様』
大した違いではありませんが、一応ご報告させていただきます。

今回は本当にキャラのセリフの言い回しに苦労した回でした。
さとり様もお燐もキャラがつかめなくて非常に苦労いたしました、はい。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十壱話「禁忌の妹、太陽の咲く花畑」


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第伍十弐話「禁忌の妹、太陽の咲く畑」


先週、先々週共に投稿を休んでしまって本当に申し訳ありませんでした。
もう夏になって来ているというのに、体調管理は大切ですよね。

そんな訳で、エナジードリンクとアーモンド小魚にドハマりしだした
萃夢想天でございます。ああ、ドデカミンは私の癒しとなりつつある!

本来ならばもっともっと謝り倒さなければならないところですが、
また投稿が遅れるといけないのでさっさと書いちゃいましょう。


それでは、どうぞ!





 

 

 

幻想郷の朝。

 

それは幻想郷に住む者の中で最も弱い生き物であろう人が最も栄える時間帯であり、

その他の者達がそれぞれの本来の生き方を制限されてしまう面倒な時間帯でもある。

 

人は朝日の輝きが自らの暮らす土地を照らし出すのと同時に起床して生活を始めていき、

妖は照月の輝きが自らの生きる時間から消えていくと同時に姿をどこかへと隠していく。

幻想郷ではそうして互いが過度な接触をして問題が起きないように十分な配慮がされている。

しかし中にはその暗黙の了解に従わぬ者もいれば、滅多にいないがそれを知らぬ者もいる。

 

普段通りの幻想郷の朝と昼の間頃、そこにちょうど後者に当てはまる人物がやって来ていた。

純白のナイトキャップの下からまろび出る純金を溶かして編み込んだような煌きを放つ

金色のサイドテールヘアに上下ともに赤色の洋服が映える少女、フランドールことフラン。

そして薄紫色(バイオレットカラー)の長髪に加えて頭頂部から飛び出したウサギの耳が

特徴的なブレザーチックな服装をしている長身の少女、鈴仙・優曇華院・イナバこと鈴仙。

この夜を統べる吸血鬼と月からの脱兎兵の二人もまた、人ならざるものとして永遠亭の眼前に

そびえる迷いの竹林を出立してから実に二時間も幻想郷の朝空の下を歩き通していたのだった。

 

「ねぇ………ちょっと、そろそろ休んだ方が良くない?」

 

「………………」

 

 

迷いの竹林の中は吸血鬼にとって最も厄介な日光を遮る無数の竹の葉がひしめき合っていたが、

今現在二人が歩いているのは永遠亭と人里を挟んだちょうど対角線上にある魔法の森の手前で、

風通しも悪く日光もほとんど遮断されずに降り注いでいるため、非常に危険な状態だった。

特にフランの体力の消耗が著しく、鈴仙が心配の声をかけても上の空でひたすら足だけを前に

一歩ずつ踏み出していって歩く亡者のような有り様と成り果ててしまっていた。

元々フランはつい最近まで紅魔館の地下牢で半ば監禁に近い環境で生活してきたために歩いたり

走ったりなどの基礎的な運動能力は吸血鬼の生まれ持つポテンシャルから増長してはいなかった。

さらに生まれて初めての紅魔館外での活動という初体験にテンションが沸き上がっていたらしく、

永遠亭を出てからしばらくはひたすらにはしゃぎ回っていたのだが、時間が経つにつれて段々と

疲れが出始めたのか口数が減り、ついには今のように目に見えて衰弱しきってしまったのだった。

流石に見るに見かねた鈴仙がトボトボと歩き続けるフランに対して優しくも強いトーンの声で

語り掛けて一先ず休息を取らせようと考えた矢先、フランの足の動きがふと急に止まった。

 

 

「え、何? どうかしたの?」

 

自分よりも少しだけ前方を歩いていたフランがいきなり立ち止まったまま何も言わずにただ

前方をぼんやりと眺めたまま動かなくなってしまったのだ。明らかに異常が起こっていると

判断した鈴仙はとりあえずの応急処置をしようとフランに駆け寄り、彼女の視線の先を見た。

 

 

フランの視線の先にあったのは、美しい色とりどりの花々で彩られた優雅な風景だった。

 

今の季節にピッタリなハルジオンが野分きの小道の端で無造作でありながらも丁寧に列を成し、

そこから先には春を代表する様々な草花が大地の一面を己が色に染め上げんと緑に萌えていた。

幻想郷広しといえどもこれほどまでに美しい花畑の景色はこの場所以外では拝めないであろうと

理解させるには充分過ぎるほどに咲き誇っており、フランはその景色に眼を奪われていたようだ。

それもそのはず。フランが今まで見た花というのは紅魔館の門の内側から本館にかけての庭園に

のみ設置されている美鈴の趣味の花壇に咲いていた程度の花である為、目の前の明らかに広大な

敷地いっぱいに咲き乱れる無数の花々は見たことも聞いたこともなかったからだ。

幻想郷で生きていながらも初めて知る幻想的な風景を見て、二人は心の奥が熱くなるのを感じた。

 

 

「すごい…………お花がいっぱい!」

 

「ホント、話には聞いてたけど実際に見てみると壮観だわ………」

 

 

フランは先程の疲れも忘れて揺れる草花の美しさに飛び上がるようにして喜び、

後ろで棒立ちになっていた鈴仙も噂程度でしか聞いたことのなかったこの場所を自分の目で見て

感じることで、表現のしようがないほどの満ち足りた感覚を味わっていた。

 

しかし鈴仙はあまりの絶景に心奪われるあまり、大事なことを一つ忘れてしまっていた。

フランと共に目指していたこの場所、通称『太陽の畑』にいる幻想郷きっての大物妖怪の存在を。

 

 

「あら、気に入ってくれたみたいで何よりだわ」

 

「ッ‼」

 

「?」

 

 

小道でそろって立ち尽くしていた二人の背後から、透き通った女性の声が聞こえてきた。

フランは当然相手が誰なのか分からないので警戒心は皆無に等しく、声の主を確認するために

後ろを振り返ろうとするが、少し後ろにいる鈴仙がフランの頭を軽く押さえてそれを止める。

何をするのかと問い質そうとしたフランだったが、自分の頭を押さえている鈴仙の右手が微かに

小刻みに震えているのが感じられたため、何も言えなくなってしまった。

そして鈴仙もまた、突然現れた"最も警戒すべき相手"に対して恐怖の色を隠せず黙していた。

 

 

(ヤバいヤバいヤバい! どーしよ⁉ この子送ったらすぐ帰るつもりだったのに‼)

 

 

相手に悟られぬよう内心で己の弱さを露呈させるものの、こうなってしまった以上は仕方ないと

半ば諦めに近い感情の波に身を任せることにして自分達の背後にいる人物に言葉をかける。

 

 

「ど、どーも。流石は幻想郷の誰もがその名を知る大妖怪が育てた花、お綺麗ですね~!」

 

「あらそう? 急に褒められても困ってしまうのだけれど」

 

「いえいえそんな、あなたのような方が謙遜なんてされる必要なんて!」

 

「ねーうどんげ、この人だぁれ?」

 

相手を持ち上げるだけ持ち上げようとした鈴仙の策は、フランの一言で早くも崩れ去った。

ついさっき「誰もがその名を知る」と自分で言っておきながら、自分の横にいるフランが

相手に名前を尋ねるという大失態を犯した鈴仙はもはや諦観を超えて死すらも覚悟する。

ところが振り返って言葉をかけた先にいる人物は鈴仙に対して技を放つでも拳を振るうでも

なく、いつまでたっても紹介しようとしない彼女の代わりに自分からフランに名を名乗った。

 

 

「私の事を知らない人がいるなんて珍しいわね、今日は花たちの機嫌もいいし教えてあげる。

ここ『太陽の畑』で花と共に暮らす一人の普通の妖怪、『風見(かざみ) 幽香(ゆうか)』よ」

 

毛先の強めの癖が特徴的な、活力ある若葉を彷彿とさせる色合いをした緑色のボブカットに、

髪の色とは対照的な滴り落ちる血滴の如き深紅色の瞳が長めの前髪の隙間からのぞいている。

一般的な白いシャツを着ている上から赤いチェック柄をしたベストを羽織っているが、

どうしても女性特有の豊満な膨らみが邪魔をしてベストのボタンは一つも閉じられていない。

腰から下はフリルが付いたベストと同じ柄のロングスカートを履いており、ほんの些細な

動作やわずかなそよ風でさえも彼女のスカートの裾が持ち上がってしまい、足が見え隠れする。

右手に持っている薄い桃色の日傘は開いていて、中にいる幽香に懜げな印象を抱かせる。

 

自ら名乗った幽香は尋ねてきたフランを見て膝を軽く折り目線を同じくらいに合わせてから

ゆっくりと丁寧な口調で日傘をくるくると回しつつ問いかけ返した。

 

 

「それで、あなたは誰かしら? 見たところ人間ではなさそうだけれど」

 

「あっ、えと、この子はですねぇ」

 

「私はこの子に聞いているのだけど?」

 

「ひっ! ひゃい、ずみまぜん‼」

 

物腰柔らかくフランに話しかけていたところに鈴仙が横槍を入れた瞬間、幽香の元から

細かった眼がスッとより鋭く切れてしまいそうなほどに尖って鈴仙に視線をぶつけてきた。

絶対的な強者からの圧力に耐えることなどできずに鈴仙はすぐさま己の全霊を込めて謝罪した。

その迅速さとひた向きさを良しとしたのか幽香は何も言わずに鈴仙からフランへと視線を戻し、

再び同じ質問を尋ね返した。

 

「ねぇ、あなたの名前は?」

 

「私はフランドール・スカーレットよ。フランでいいわ」

 

「スカーレット…………ああ、霧の湖にある館の吸血鬼もそんな名前だったわね」

 

「そうよ! 私もそこに住んでいるの!」

 

「あら、そうだったの。なら朝に弱いはずの吸血鬼がどうしてこんな時間帯からこの

太陽の畑の近くをうろついていたのかしら? それも教えてくれるかしら?」

 

フランの名前を聞いて即座に霧の湖に浮かぶ紅魔館に暮らす吸血鬼と目の前の少女との

関連性を明らかにした幽香は、続けてフランに新たな疑問を質問として投げかける。

先程の態度とは少し違ってわずかな敵意のような尖った感情を見え隠れさせる表情になった

幽香に気付きもせず、フランは尋ねられたままに純粋に返事をした。

 

 

「私、紅夜を探して館から抜け出してきたの!

ねぇ、あなたは紅夜を見なかった? 私の執事なの!」

 

「紅夜? 執事? ちょっと聞き覚えが無いわね」

 

「そう…………」

 

 

望んでいたものとは少し違う返答が返ってきたことに幽香は若干戸惑いつつも答えた。

幽香の返答を聞いたフランは姿を消した愛しい執事の手がかりが得られなかったことに

落胆と悲哀を隠せず、目尻にほんの小さな涙の粒を溜めてのどを微かにしゃくる。

幼く見える少女の悲し気な姿を見た鈴仙と幽香はいたたまれなくなり顔を見合わせた。

正面から見た幽香に本能的な恐怖を感じたのか鈴仙は半歩後ろに後ずさろうとするも、

自分の脇で零れ落ちようとする涙を拭っている小柄な吸血鬼の少女を見て踏み止まり、

つい先ほどまでビクビクと震えていたのと同一人物とは思えないほど凛々しい表情に

切り替わっておもむろに言葉を紡ぎだした。

 

「あの、執事服っていう黒系の厚めな服を着た銀髪の少年なんですけど知りませんか?

姫様………私たちのお仕えする月の姫が昨晩この辺りから強い力のぶつかり合いを感じたと

仰っていまして。何か心当たりとかはありますか? どんな小さなことでもいいんです!」

 

「銀髪に黒系の服、ね。悪いけど本当に心当たりが無いわ。 それよりもあなた、

さっきまで何に対してかは知らないけれど、やたら怯えていたくせに急にどうしたの?」

 

「い、いえ。別に何も………………ただ」

 

「ただ?」

 

「こんな小さな子が懸命に頑張ってるのに、私が怯んでちゃカッコ悪いかなと思って」

 

 

普段は何事にも怯えて逃げ腰になる鈴仙だが、その実彼女はやる時はやるタイプである。

まして今回は自分の傍らでは(実際には違うが)よりか弱いフランが涙を堪えていたため、

なけなしの勇気と持ち前の度胸を振り絞って大妖怪の風見 幽香に面と向かって対峙した。

恥ずかしいと自分では思いながらも、急に態度を変えた自分に違和感を抱いた幽香からの

疑問に鈴仙は内心で感じていた自らの行動の決定打を教えようとフランの頭に手を置き、

力を入れすぎないように優しくフワフワと撫でてくれた。

急に鈴仙に頭を撫でられたフランは急な出来事に驚きながらも彼女からのスキンシップを

嬉しく思ったのか少しずつ抵抗しなくなり、最後は鈴仙の置いた手に身を任せるようになった。

手で髪を撫でる動作と共にクラクラと頭を動かす仕草に可愛らしさを感じ始めた鈴仙は

そのまま少しずれたナイトキャップを元の位置に戻すように被せ直してやった。

 

「……………そう」

 

「ええ、そうです。一応今は私が保護者だし」

 

「それなら一つ言っておいておくけれど、その子は吸血鬼だからそもそも外見と実年齢は

必ずしも合致するとは限らないわよ。それに実力でもあなたとは比べ物にならないわね」

 

「え? それはその、えっと…………」

 

「あなたが庇って守ったり、手助けしてやれるほどこの子は弱くないと思うけどね」

 

「あは、あははは、はは」

 

 

幽香の一言で鈴仙の右手の動きがピタリと止まって一切動かなくなる。

急に頭を撫でるのを止められたフランはもっとしてほしいと言わんばかりに自分の両手を

鈴仙の右手に乗せてグリグリと動かそうとして、それを見た幽香はクスリと小さく笑う。

 

 

「何だか面白い組み合わせね。吸血鬼と竹林のウサギだなんて滅多に見られないわ」

 

「は、はぁ。そうですかね…………」

 

「ええ、とっても面白いわ。気に入った、せっかくだから花言葉を贈ってあげる」

 

「は、え? 花言葉?」

 

「嫌いかしら?」

「そ、そそ、そんなことはないです! 花言葉大好きです‼」

 

「そう、それは良かったわ。フランドール、だったかしら。あなたはどう?」

 

「花言葉ってなぁに?」

 

「あら、まずはそこからね」

 

 

どうやら気を良くしたらしい幽香はフランと同じ目線にするために折っていた膝を

伸ばして立ち上がり、軽く周囲を見回した後で再びフランと目線を合わせて話しかけた。

 

 

「ねぇフラン、この花畑にあなたの知っているお花はあるかしら?」

 

「お花?」

 

「ええ。あなたが知ってるお花、それかあなたの好きなお花があれば教えて?」

 

「うーん……………あ、あそこの花と、あとアッチのお花も!」

 

「…………へぇ、素敵じゃない」

 

 

尋ねられたフランは注意深く幾千もの花々の花弁や葉を見比べながら自分の知っている

種類をどうにかして見つけて指をさして教えると、幽香は意味深な笑みを浮かべた。

そのまま幽香はフランと鈴仙をその花のある所の近くまで来るように促して説明する。

 

 

「コッチの花の名前はビオラというの。本来ならもう少し寒い季節が一番の旬なの

だけれど、どうやらこの子は他の子と違って少し暖かい気候が好みのようね」

 

「スゴイ! ゆうかってお花の事が分かるの⁉」

 

「まぁね。この子たちは私が育てたんだもの」

 

「へー!」

 

「うふふ、興味津々みたいね。フラン、お花にはその花になぞらえた花言葉と呼ばれる

象徴に似た言葉があるの。例えばこのビオラで言えば【誠実】とか【信頼】とかね」

 

「へー…………でも花言葉って確か、一つの花に幾つもあったような気が」

 

「そうよウサギさん。このビオラにも多くの花言葉が、花への思いが込められているの。

そして、花は人と惹かれ合うのよ。その人の思う気持ちが一番強い思いと運命的にね」

 

「運命、的に………」

 

「フランがこのビオラに惹かれた理由は多分、【少女の恋】という言葉にだと思うわ」

 

 

幽香がビオラの花びらを優しく触りながら呟いた花言葉を聞き、フランの顔が真っ赤に染まる。

すぐさま顔が赤みに比例して熱くなっていき、ナイトキャップの隙間から湯気が出るほどに

なってしまった。あからさまな反応を見て幽香は何やら満足げな表情になって話を続ける。

 

 

「どうやら当たりみたいね。もちろん最初の二つも当たってはいたんでしょうけど」

 

「うー!」

 

「純真無垢ってこういうことを言うのよね。さて、残る花は………パンジー、か」

 

「パンジー?」

 

「…………まぁこれは後でもいいわね。最後はあなたね、ウサギさん?」

 

「え、私ですか? いえいえそんな、私は別に大丈夫ですから!」

 

「遠慮しなくてもいいわ。あなたの名前は確か、うどんげとか言ってたわね」

 

「え、いや、その」

 

「うどんげ、優曇華ねぇ。確かフサナリイチジクという種類がそう呼ばれてたかしら」

 

「え⁉ あるんですか⁉」

 

「あるわよ。優曇華の花言葉は、【裕福】ね」

 

「ゆ、裕福ですか? なんか漠然として分かりにくいですね」

 

「別に今がそうだとは言ってないわよ。あなたの"過去"か未来か、どちらでもないのかも」

 

「……………どうでしょうね」

 

 

紅くなったまま唸り続けているフランの横で鈴仙と幽香は冷ややかな視線で見つめ合う。

特に鈴仙は幽香の発した言葉に何かを感じたらしく、態度が一気に急変してしまった。

鈴仙の過去のことなど知りもしないし興味も無い幽香からしてみれば、花言葉の意味が

またしても当たったようだくらいにしか思っていなかったのだが、想像以上に堪えたらしい。

三人とも黙り込んでしまってから数瞬の後、花畑にそよ風が吹いてきた。

季節の境目に吹く風は花畑に咲く無数の花々の芳醇な香りをブレンドしつつも柔らかに

それぞれの髪や肌を撫でるようにしながら過ぎ去っていく。

そよ風が吹けば当然花びらは踊りに誘われた貴族の公女が如く風に舞って流れていき、

桃色や黄色、白や赤などの折々の色合いの花吹雪となって見る者の心に情景を刻む。

 

 

「わぁ………!」

 

「きれい………」

 

「風が吹き、花が散る…………他者の命の散り際が最も美しいというのが、自然の摂理ね」

三者三様の感想を抱きながらも風は止むことなく香りと色を乗せて流れ去っていく。

穏やかで緩やかな風が過ぎ去るころには既に、三人の心は安らぎに満たされていた。

そこに敵意も警戒心もなく、ただただ美しいものを美しいと感じられる心の拠り所。

純真無垢なフランも、臆病で逃げ腰な鈴仙も、花を慈しむ幽香も、誰であったとしても

この風景の中で他者を敵視しようなどと思うものは一人としていなかっただろう。

しばらく風の吹いていった先を見つめたままでいたフランと鈴仙だったが、

自分達がここへ何をしに来たのかを思い出して我に返り、新たな情報を求めてこの場を

立ち去ろうとした。しかし礼を述べようと二人が口を開きかけた時、幽香が語り掛けてきた。

 

「そう言えば今思い出したのだけれど、あなたって霧の湖の吸血鬼なのよね?」

 

「そうだよ」

 

「ということは、この前に起こった紅い霧と太陽が巻き戻る【異変】のあなたたちが

やったということで間違いは無いのよね?」

 

純粋なフランは気付かなかったが鈴仙は幽香の顔つきが若干険しくなっていたことに気付き、

口を挟もうかとしたけれど最初の時に睨まれたことを思い出して委縮してしまった。

鈴仙がどうしようかと迷っている間にもフランは迷うことなく正直に答え続ける。

 

 

「そうだよ」

 

「そう……………それはつまり」

 

 

数週間前に起こった【異変】が自分達によって引き起こされたものだと認めた瞬間、

幽香の口の端が大きく弓なりに曲がって目つきも上から下を見下ろすようなものに変わり、

ようやく彼女の雰囲気が変化したことに気付いたフランに圧をかけるようにして告げた。

 

 

「ここに咲く花たちの成長を阻害するような真似をしたのはあなたってこと?」

 

 

その一言を口にし終えた瞬間、力の波動が無防備だった鈴仙とフランを襲った。

唐突な出来事に対応しきれずに容易く吹き飛ばされてしまう二人に、幽香は一歩ずつ

踏みしめるように近付いていき、さらに言葉を紡いだ。

 

 

「この子たちはあの日、太陽の光を浴びることが出来ずに苦しんでいたわ。

しかもそれだけに留まらず、太陽の位置を巻き戻そうとしていたわね。

誰がどこで暴れようと好きにすればいいけれど、私の花に害があるなら容赦しない」

 

 

その美しい女性的な顔には似つかわしくない冷静な怒りを感情を浮かべたままに、

幽香はさらに一歩ずつ踏み出して吹き飛ばされていった鈴仙とフランに近付いていく。

しかし話の途中にフランが立ち上がって前を向き、幽香と対峙する威勢を見せた。

 

「……………」

 

「あら、何か言いたいことでもあるの?

言い訳なら聞くつもりは無いわよ、聞くだけ無駄だもの」

 

 

幻想郷において名を知らぬ者などいないと鈴仙が誇張したが、あながち間違いでもない。

フランのように幽閉でもされていなければ風見 幽香の名は赤子すら聞き覚えがあると

人里で語られるほどに彼女は危険な大妖怪であるのだ。その彼女が容赦しないと豪語する。

それはつまり、この幻想郷から逃げるでもしない限り必ず滅ぼすという宣言とほとんど

同義でもあった。だが、フランは幽香に対して反論も弁解もせず、ただ一言だけ告げた。

 

 

「ごめんなさい」

 

「……………なんですって?」

 

「ごめんなさい。ゆうかの大切なお花に酷いことしてごめんなさい」

 

「………………」

 

 

自身の大切なものを傷つけられることへの怒りは、フランにも分かりかけてきていた。

だからこそこれまでのように反抗するでも反発するでもなく、理解して受け入れた。

相手の何よりも尊重するべきものへの敬意を胸に、フランは邪な考えなど一切持たずに

ただ幽香の育てた花へ誠心誠意を込めて謝罪をしたのだった。

 

今まで見たどんなタイプの相手とも違うフランの対応に幽香は焦り戸惑う。

しかし彼女の心からの謝罪に嘘偽りなどが決してないことだけは理解できたため、

自身の内から沸き起こる怒りを抑え込んで話をしようと試みた。

 

 

「いいわ、許してあげる。幸い誰も枯れてはいなかったもの、怒るほどのことじゃないわ。

でもフランドール、どうしてあんな異変を起こそうとしたのか理由は教えてくれるかしら?」

「うん。あの異変はお姉様が紅夜を受け入れるために起こしたんだって」

 

「紅夜………さっき言ってた探してる人だったわね」

「そうよ。あの紅い霧はお姉様とパチェがやったけど太陽の向きを変えたのは全部紅夜が

一人でやったのよ! スゴイでしょ?」

 

「……………そう、すごいわね。それで、どうしてその人はいなくなったのかしら?」

「それは…………」

 

 

幽香からの質問に順当に答えていたフランだったが、紅夜がいなくなってしまった理由を

尋ねられると言葉が淀み、どういえば相手に伝えられるかが分からなくて言葉が出なくなる。

その様子をどう受け取ったのか、もういいわとだけ呟いてから幽香は何かを思案し、答えた。

 

 

「いいわ、手伝ってあげる」

 

「「えっ?」」

 

「あなたたちの人探しを手伝ってあげるって言ったの、余計なお世話かしら?」

 

「い、いえ! そんなことないです!」

 

「手伝ってくれるの? ありがとうゆうか!」

 

「まぁあんまり長くは手伝えないけれど、一日くらいならいいでしょう」

 

「やったー!」

 

 

幽香が告げた言葉は、意外にもフランと鈴仙を手伝うというものだった。

最初は何かも聞き間違いかと己の耳を疑った鈴仙だったがすぐに間違いではないことに

気付き、噂に名高い大妖怪が何故人探しなんかを手伝うのか、という疑問を新たに抱いた。

しかし何の疑いもなく純粋に喜ん飛び跳ねるフランと、その様子を見てにこやかに微笑む

幽香の姿を見た直後、どうでもいいことだと思い直して概ね肯定することにした。

 

しかし肯定することにしたとはいえ、やはり理由は尋ねておきたいと考えた鈴仙は

若干引き腰になりながらも喜ぶフランをいさめながら幽香に理由を尋ねてみる。

 

 

「あ、あの、どうしていきなり?」

 

「余計なお世話かしらって一応聞いたはずだけれど?」

 

「そ、それはそうなんですけど……………」

 

「…………強いて言えば、この子の執事とやらに文句を言いに行くのよ」

 

「文句、ですか?」

 

「ええ。あなたの起こした異変の影響で私の大切な花に被害が及んだのよってね。

まあもう一つや二つ文句があるのだけれど、理由として一番大きいのはそれかしら」

 

「は、はぁ」

 

言っていることの筋は通るし一理ある、と鈴仙は幽香の語った理由を聞いて安心し、

先程から喜びを文字通りに体現しているフランを押さえて話をまとめることにした。

 

「さて、時間が惜しいから探しに行くなら早く探しに行きましょう。

確か強い力のぶつかり合いがどうとか言ってたけど、心当たりは他にないの?」

 

新たに紅夜を探す道中に加わった幽香の言葉にフランと鈴仙が反応して考え込む。

だがフランはこの幻想郷の土地勘などあるわけもなく、鈴仙もまた輝夜の口にした

太陽の畑へ行けという指示しか受けていない為に心当たりなどあるわけもなかった。

いくら考えても無駄だと悟った幽香は仕方なく自分で思案し、取りあえずの見当をつける。

 

「そうだ。確か人里で配られてた新聞だと、その紅夜って人間は外来人なのよね?

だったら博麗神社にいる霊夢に頼んで外の世界に帰ろうとしてるんじゃないかしら?」

 

「えっ⁉」

 

「外の世界にですか? でも、可能性は無いわけじゃないですね」

 

「まぁもし違ってもそこに行く道中で情報が聞き出せるでしょうし、

居ても意味の無い場所でこうしているよりもよっぽど有意義だと思わない?」

 

「そ、そうですね」

「霊夢のところに行くのね⁉ 私霊夢のところに行ってみたい!」

 

「決まりね」

 

 

幽香の提案によって次の目的地を定めたフランと鈴仙は幽香の案内によって太陽の畑から

博麗神社へ行くための近道として人里へと向かう小道に出て、そこから三人で歩き出した。

途中で何度も名残惜しそうに花畑の方向を振り返るフランだったが、自分が何をする為に

ここまでやって来たのかを常に胸の中で思い出すようにして焼き付いた光景の残滓を

振り切り、自分よりも身長の高い二人の歩幅に合わせて遅れないように急ぎ足で歩く。

しかしフランはすぐに立ち止まってから幽香の名を呼び、笑顔のままで彼女に告げた。

 

 

「一緒に来てくれてありがとう、ゆうか!」

 

満面の笑みはまるで幽香が愛してやまない夏の風物詩たる向日葵の花の如く。

優しい無垢なる笑顔を向けられた幽香は一瞬戸惑うものの、自分も笑顔で返した。

彼女は本来太陽の畑からはあまり出ようとはしないのだが、なぜか今回だけはフランに

力を貸してあげたいと思えたのだ。その理由は、あえて言わなかった花言葉にあった。

 

 

(本来ならば咲かないはずのこの季節に咲いてしまった、遅れ咲きのパンジー。

その花言葉は、【思慮深い】、【慎ましい幸せ】、【温順】ともう一つ…………)

 

自分の前を元気に歩くフランとその様子を横から頼りなげに見つめる鈴仙。

そんなデコボコな二人を半歩後ろから見つめつつ、幽香は自分の言葉を思い出す。

 

花は人と惹かれ合う。

 

一番強い思いと運命的に。

 

 

吸血鬼と竹林のウサギ、そしてその後ろには花を統べる大妖怪である自分。

騒がしくも優しいこの二人との道中に何が起こるのかを少し楽しみにしている自分に

内心驚きつつも、フランの目的である紅夜という人物に対しても思うことがあった。

 

(幼い吸血鬼にこれほどまでに愛される人間、か…………。

面白そうだけれど、それよりもこの子とその人間の関係が気になるわ)

 

 

外出する時は常に差す日傘で朝の日差しを遮りながら、幽香はフランと鈴仙と歩む。

 

 

(………………【一人にしないで】、ね)

 

 

パンジーの持つ最後の花言葉を心中で思い出しながら。

 

 

 






更新が遅くなってしまって大変申し訳(以下略
どうしてこう私という愚か者は毎回毎回(以下略
本当に読者の皆様にはご迷惑をおかけして(以下略


はい、いかがだったでしょうか?
東方キャラの中でも屈指の人気を誇るお姉様こと、ゆうかりん登場です!
お姉さんキャラ好きの皆様も、ドM属性持ちの皆様も待ちかねたでしょう‼

今回のゆうかりんは正直さとり様やお燐りんよりも口調が何となく
想像しやすいうえに安定していて書きやすかったというのが本音です。
ですがどうも上手く執筆が進まず、地の文が疎かになってしまいました。
次回からはたんと気を付けまするゆえ、ご容赦いただきたく思います。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十弐話「名も無き夜、今と昔を選ぶなら」


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第伍十参話「名も無き夜、今と昔を選ぶなら」


どうも皆様、お待たせして大変申し訳ありませんでした。
少し、いえかなり用事やら何やらが立て込んでいたものですから。

こういった前書きもお馴染になりつつあるので、簡略しちゃいましょう。


それでは、どうぞ!






 

 

 

フランと鈴仙が幽香と共に太陽の畑を出立した、ちょうどその頃。

彼女らの足元で人知れず、今日も今日とて騒ぎ栄える地下歓楽街の旧都のなかでも

一際目立つ巨大な洋館の一室で誰にも悟られないようにひっそりと話す者たちがいた。

 

その部屋で対談を行っていたのは、地底で知らぬ者はいない地霊殿の主、古明地 さとりと

彼女の前で淹れられたばかりの紅茶の味と香りを楽しむ二人の少女だった。

 

 

「_________それで、その後はどうかしら?」

 

 

自らが管理下に置くペットの一人に淹れさせた紅茶を一口飲んで話題を切り出したさとり。

その彼女の言葉に、同じく紅茶を楽しんでいた二人の少女のうちの一人が答える。

 

 

「うーん、見てる限りでは問題ないかな?」

 

「見てる限りでは、ね。他に気になるところは?」

 

「今のところ無し、かな!」

 

「……………………」

 

「なるほど、どちらも現状維持の方向なのね」

 

 

明るく快活な雰囲気の少女の回答に質問を上乗せしたさとりは、もう一人の少女からも

答えを聞こうと質問をしてみるが、もう一人の少女は日頃から話さない性分のために心を

読んで回答を先読みして結論を得た。

 

今彼女らが話題に挙げているのは、ある一人の少年のことについて。

そのためにさとりはわざわざペットを遣いにして目の前の二人を呼び寄せたのだ。

呼ばれた二人も地底の領主ともいえるさとりからの招集を断ることなく同席したが、

実際この会談はあまり意味の無いものなのだと場にいる三人は薄々感じ始めていた。

 

「はぁ…………実害を受けたあなたはもう少し警戒しているかと思っていたけれど」

 

「んー、まぁアレはただの事故みたいなものだよ。下の街なら肩がぶつかっただけで

夜通しのケンカが始まるでしょ? あんなことになるよか、よっぽどマシだって!」

 

「そうは言っても、よく分からない力で地上に吹き飛ばされたんでしょう?」

 

「そーそー! あの子が手をバッて上げたらいきなりビューってなって、そしたらあたしの

身体がフワッてなってさ! そこから一気にドーンって地上に向かって一直線よ!」

 

「……………とにかく、事実だということね」

 

「…………………」

 

「見てたから間違いない、と。怪我とかしていませんか?」

 

「あらら、心配してくれるの? 『怨霊も恐れ怯む』と謳われた地霊殿の主様が?」

 

「…………その呼び名は、あまり好かないのだけれど」

 

「そーなの? ゴメンゴメン」

 

快活な少女へと質問を続けるさとりだが、あっけらかんとした彼女の朗らかさに負けて

やむなく聴取を断念する。もう一人の少女の心を読んでも大した違いが無かったので、

三人そろって紅茶をのどへと流し込んで一度会話を区切る。

自らを畏怖する呼び名を呼ばれたさとりは眉を顰めるも、すぐに普段の無表情に戻って

次の話題に移ることにした。

 

 

「まぁいいわ。それよりも、頼んでいたことについて何か分かったかしら?」

 

「それがその、全然で…………分からずじまいだよ」

 

「…………………」

 

「そうですか。お二人共、ご苦労様でした。よろしければ引き続き」

 

「うん、任しといて!」

 

「ありがとうございます」

 

「しかしさとりは偉いよねぇ。あの人間の子供の過去につながりそうな何かをペット

だけじゃなくて私らなんかにも協力を仰いで調べさせようとするなんてさ」

 

 

快活な少女と無口な少女がさとりの次なる質問にそろって首を横に振り、肩を落とす。

その様を見たさとりは労いの言葉をかけるも、逆に揚げ足を取られるように労われる。

さとりが彼女たちに頼んでいたこととは他でもない、先の話題に共通する人物について。

 

 

「忘、って言ったっけ? あの子にそこまで肩入れするなんて、情でも移ったの?」

 

「……………………」

 

「情、ですか。もしかしたらそうなのかもしれない」

 

 

手に持っていたティーカップを受け皿に置いてふと目線を少し上に向けて思い起こす。

今まで会話の中心に挙げられていた、忘という名の新たな地霊殿の住人の少年の事を。

 

 

「あの子は、私を見て悲しいと言ったの。私の力を、素晴らしい力だと言いながらね」

 

 

そう呟いたさとりの頭の中は、自らが名を付けた記憶喪失の少年のことでいっぱいになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって相手と同じじゃないって、『独り(ちがう)』って、さみしいじゃないか」

 

 

自らに関する記憶を全て失った少年が、私を真っ直ぐに見つめてそう口にした。

 

この時の私は、最初にこの少年がこの地霊殿に担ぎ込まれてきた時の事を思い出していた。

いつも通りに湧き出す怨霊の後処理と地獄方面への連絡、並びにペットたちの食事など諸々の

事務をこないしていると、ペットの一人が慌てたように私の部屋に飛び込んできたのだ。

事情を把握しようと心を読んでみると、なんと鬼の頭領である星熊 勇儀さんが怪我をした

人間の子供を抱えて突っ込んできたのだという。正直信じられなかったけど、心は嘘をつかない。

まして私に拾われて生活をしているこの子たちが私に嘘をつく理由は無いため、信用出来た。

すぐに案内させて正面玄関へと向かうと、そこには確かに勇儀さんが子供を抱いて待っていた。

私が姿を見せるや否や、彼女は普段は見ない迫真に迫る表情で私に頭を下げながら言った。

 

 

「頼む‼ この小僧をどうにか生かしてくれ‼」

 

 

唐突なことで面食らったけれど、一目見て人間の子供の状態が最悪に近いものだと分かり、

他のペットたちを呼び集めて部屋を確保し、そこに勇儀さんを案内するよう指示した。

少年を部屋に運んだ後、私は医学に心得のあるペットのサルと共に少年の容態を見た。

結論から言えば、ほぼ助かる見込みは無かった。

 

 

「勇儀さん。先に結論から言いますが、希望は持たない方がいいでしょう」

 

「なっ⁉ そんな、なんとかならないってのか‼」

 

 

その旨を彼女に伝えたところ、何故か異様に慌てた様子で食い下がってきたのだ。

流石に何かおかしいと感じた私は能力で勇儀さんの心を読んで何が起きたかを把握した。

 

 

「この子供が、地獄の深淵の力を宿している、と?」

 

「ッ…………ああ、お前さんだと話が早くて助かるよ。この人間の子供は最初、とんでもなく

デカい力の塊みたいな奴でさ。感づいた私が様子を見がてら腕試しに行ってみたのさ」

 

「そしてこの少年に会い、地獄の深淵の力を使われそうになった、と?」

 

「ああ。あれは現世にあっちゃならん力さ。それをこの小僧の中に感じた。

私は鬼の中でも腕っぷししか自慢が無いけど、それでも妖怪の端くれ、危険は察知できる」

 

「…………なるほど、分かりました。しかしそれほどまでの力が何故この人間の子供に?」

 

「それはむしろ私が聞きたいくらいさ。地獄のお偉方は何してんだろうかねぇ」

 

「もしかして、それを読ませるためにここへ運び込んだんですか」

「それもある。というか、地底でまともに医者の真似事が出来んのはここしかないしさ」

 

「それもそうですね。ですが心を読むには、彼が目覚める必要があります。

現状それが可能かどうかは、分の悪い賭けになると思いますけど」

 

 

事情を把握したさとりは勇儀の目的を知り、それが不可能に近いと文字通り悟った。

 

彼女、古明地 さとりの持つ"程度の能力"は、『心を読む程度の能力』である。

 

心を読む力といえば、誰もが一度は想像し、欲してやまない理想的な能力だろう。

しかしそれは空虚な幻想であり、実態は理想とはあまりにかけ離れた歪な能力なのだ。

古明地 さとりは【覚り(古くは喩り)】という妖怪の固有種の直系の血筋の妖怪らしく、

先祖の外見や身体的特徴はともかく、他者の心を読むという能力だけは脈々と受け継いでいた。

 

だがこの能力は先程も言ったように、実態は理想とはかけ離れた歪な能力である。

彼女は他者の心が読める。それはいわば、誰も彼女の前では企ても謀も成しえない。

それだけではなく、何気なく他人に隠している本音なども包み隠さず丸裸にしてしまうのだ。

 

これを踏まえてもう一度言おう。彼女の能力は、心を読む程度の能力である。

 

心を読まれた側の存在からすれば、さとりの能力は恐れるか、忌み嫌うかの二択しかない。

彼女の前では嘘はつけないし謀略も企てることが出来ない。そればかりか、普段は言えない

本音や、それを隠すための建て前なども全て見透かされてしまうのだ。後はもう分かるだろう。

他者の思考を先読みし、他者の心情を把握し、他者の行動を掌握する。故に彼女は迫害された。

 

誰にも分からぬはずの心中を読まれるのが怖い。誰にも言えない秘密を容易く暴かれるのが怖い。

誰にも知ってほしくない内なる闇を知られるのが怖い。建前を見破り本音を見抜く能力が、憎い。

望んでなどいない力によってさとりは、望んでいない結末を辿らされることになったのだ。

その末に辿り着いた地底世界でのことを思い返して、自らの能力唯一の弱点を勇儀に語った。

 

 

「私の能力は"意識のある"ものにしか発揮されません。つまり、この子供が意識を取り戻さねば」

 

「読めるものも読めないってか…………あー、ったく。肝心なところで私はいつもこうだ‼」

 

 

さとりが口にした弱点を聞き、勇儀は自らの失態だと目に見えて悔やんで頭を押さえる。

そう、さとりの能力は常に心の中で物事を考えている状態、つまり意識のある状態のみでしか

使用することが出来ないのだ。使用と言えば語弊があるが、常時発動しているに等しい彼女の能力

によって読むことが出来るのは意識して思考している者のみであり、逆に何も考えてなどいない者

(悪い言い方をすれば極限の馬鹿)、つまりは無意識状態の者の心は読むことが出来ないのだ。

このことによって、彼女は寝ている人間の思考も読めないことを付け加えて勇儀に向き直る。

勇儀は申し訳なさそうに頭をガシガシと掻きながら、どうにか治療できないかと頼み込んできた。

 

「頼む‼ 厄介事を押し付ける形になっちまったが、この通りだ‼」

 

「…………分かりました。どこまでやれるか分かりませんが、出来る限りの手は尽くします」

 

「ありがたい‼ 恩に着るよ‼」

 

「いえ、鬼の頭である勇儀さんの頼みを聞き入れないとあっては、旧都中の鬼たちが押し寄せて

地霊殿を片っ端から打ち壊しにやってくるかもしれませんからね。致し方ないことです」

 

「はっは……流石にそんなことさせやしないさ。私がそんなことするように見えるってのかい?」

 

「冗談です」

 

「お前さんの冗談はそう聞こえないんだっての…………まあいい、とにかく色々と頼んだよ!」

 

 

ベッドの上に寝かせた少年を横目で見てからそう語り、安心しきった表情で勇儀さんが出ていく。

数匹のペットと共に意識が戻りそうにない少年の様子を見ながらどうにか意識を回復させようと

尽くせる限りの手を尽くし、少年が運び込まれてから五時間ほどが経過した頃に変化があった。

少年が何かにうなされるように顔をしかめると、身体そのものが徐々に変化していくのだ。

白雪のような白い肌は灼熱に焼かれた岩肌のような褐色に、髪は鋭い銀から濃い黒色へと変貌し、

短めの髪をかき分けるようにして両側頭部からは巻き角のようなものが徐々に生え始めた。

明らかに異常な光景に私とペットたちは驚きのあまりに息を飲む。すると、彼の口が動いた。

 

 

『ぁ………まだ、こ………様、ぁ…………クソ……』

 

うわ言のように少年は言葉を呟く。しかし私は彼の言葉を解読しようとは思わなかった。

彼は言葉を発した。ということは、わずかながら意識が戻ったということに他ならない。

心を読むなら今しかない。いきなり訪れた機会に焦燥を募らせるものの、私は能力を使った。

左の胸元にある『第三の目(サードアイ)』が少年に瞳を向けて捉える。これで心を読む準備は整った。

 

「__________さぁ、全てを曝け出しなさい」

 

 

第三の目を両手で上下から包み込むように撫でながら、彼の心を表面化し、浮き彫りにさせる。

思考がつながるようないつもの感覚に陥り、心を読む能力の発動が成功したことを裏付けるが、

そのことに安堵したのも束の間、私は今度こそ驚愕に目を見開くことになった。

 

 

『申し訳、ありません…………お嬢さ『クソッ‼ もって、いかれたァ………クソォ』…………』

 

「⁉」

 

目の前にいる少年の心を読んだはずなのに、何故か二人分の心が読めた。

弱々しくか細くなっていたのはおそらく少年の心だろう。ではもう片方の心は一体何だろうか。

驚きのあまりに能力を解除してしまった私は再度能力を発動し、再び彼の心を読もうとする。

ところが少年が苦痛に顔をゆがめて二、三回ほどもがいた後で動かなくなり、眠ってしまった。

少年の意識が途絶えると同時に巻き角も無くなり、肌や髪の色も元の白と銀色に戻っていった。

 

「なんだったの、今のは」

 

 

初めての体験だった。他者の心が読めないのではなく、一度に複数も読めたことがだ。

これまで心を能力で読んだ時は、その場に複数人いた場合でも第三の目が対象として捉えた相手

のみしか読むことが出来なかったのに、今回はたった一人で二人分の心が読めたのだ。

この人間は、普通じゃない。

 

先程の姿が変わることといい、目の前で寝息を立てて眠る人間の子供に対する私の警戒心の

上げ幅が大幅に上昇していくのを私自身も自覚できた。この少年は危険だと妖怪の勘が告げる。

それなのに、だというのに。私はこの少年の心を読んだ瞬間に感じたものに戸惑っていた。

 

(心が…………安らいだ? 何故、どうして? )

 

そう、私の心が彼の心を読んだ瞬間、ほんのわずかな一瞬だけ安らいだ感じがした。

私の能力は他者の心を読む。つまりは相手の感じている心情も読み取ることが出来るのだが、

普段は少々自分の心がざわつく程度で済むはずのものだったはずなのに、今回は違った。

怒りの感情ならば憤怒を、悲しみの感情なら悲哀を、喜びの感情なら歓喜を感じられる。

しかしそれは所詮は共感に過ぎず、実際に体感しているわけではないため重要視していない。

なのに今回はいつもとは違った。彼の心を読んだ瞬間、安心感がこの胸の内に広がった気がした。

 

 

「一体、何が?」

 

 

普段は冷静沈着で表情を崩すことなど滅多にしない自分が、目に見えて顔色を変えたのが分かる。

傍らにいるペットたちが心配そうに近寄ってきてくれるけれど、今はそれどころではない。

見ず知らずの謎の少年によって、私の心は激しく揺り動かされてしまっていた。

 

これまで数多くの心を読んで、その度に自らの心を痛めてきた私には理解できなかった。

他人の心を読んで嫌な感情を感じ取らなかったのは、今回の彼が初めてだったから。

「………………気になるわ、この子供」

 

 

そう考えた自分の口が、自然とそんな言葉を口走ってしまっていたことに今気付く。

ハッとなって自らの言動を思い返して口に手を当てるも、既に近くにいたペット達には聞かれて

いるため、その行動ももはや遅かったと認識しなおして平静を保とうとした。

すると一緒に彼を診ていたペットの一人が心配するようにのどを鳴らしてすり寄って来た。

能力でその子の心を読み、本当に心配してくれているのだと理解して優しく頭を撫でる。

 

 

「大丈夫。少し気になることがあっただけよ、心配いらないわ」

 

「クゥン………」

 

「心配性ね、でも本当に大丈夫よ。さあ、あなたたちはもう持ち場に戻りなさい」

 

 

ここは私が一人で診ておくから大丈夫という旨を伝えてペット達を部屋から出した。

そして改めて目下で安らかな寝息を立てている少年を見て、私の心はざわついた。

 

鬼の頭領の勇儀さんが直接関わるほどに重大な問題の渦中にいる少年に警戒心は当然起こる。

ただ、彼の心をほんの一瞬だけど読んだ時、私の心は行方知れずの『妹』と談笑している時と

同じくらいに穏やかになって安らぎを感じていた。絶対的な矛盾に、違和感を感じてしまう。

そして、感じたのは違和感だけではなかった。

 

 

「本当に不思議な少年…………気になる」

 

 

常に地霊殿の外側、ひいては幻想郷の表舞台に干渉したりはしない体で過ごしている私が、

たった一人に人間の子供に興味関心をそそられていることに、私は今更ながら羞恥を覚える。

それと同時に、今まで感じたことも無い奇妙な感覚に陥った。

 

死んでしまっているかのように眠りこけている少年の事を考えると自然と口元が緩んでしまい、

意識が無いせいで彼の心を読むことが出来ない事実を残念がっている自分を認識させられた。

 

 

「まさか、もう一度心を読んでみたいと思ってる? この私が? まさか、ね」

 

 

心の内で思っているだけでは耐えられずに言葉にして、ようやくそれを否定できた。

これまで多くの人妖の心を読んで後悔しなかったことは、かつて私たちが無理やり起こされる

ことになった、苦い後味の残る【異変】で出会った博麗の巫女と白黒の魔法使いの心を読んだ

二回きりしか覚えていない。そしてこれが三度目になることを、心のどこかで望んでいるのか。

つい先ほど否定した事実と相反する考えを抱いた自分を奇妙に思い、一度考える事を止める。

改めて少年の顔をよくのぞき込み、能力を発動させても読めないことを確認して椅子に腰かけた。

 

「やっぱり、気になるわ」

 

 

またも自然と口に出た言葉を、どこか客観的に聞き入れていた自分がいたことに気付く。

それと同時に、不自然なほど顔が熱くなっていく不可解な現象にも気付いた。

 

 

「…………………」

 

 

そして今、意識なく眠っていた少年が私の元へやって来て、私を『悲しい』と言ったのだ。

彼の言葉を聞いた瞬間、自分の中にある形の無い心が激しく揺さぶられたのを感じた。

これまで幾度となく他人の心を読み、思考を読んできた私が、人間の子供に心を動かされる。

言葉にすればあまりに滑稽なこの事態も、今の私にとっては意識の外に追いやるべきものだ。

今私がすべきことはこの人間の子供の監視、及び彼の心を読んで勇儀さんの頼みを果たすこと。

それさえ済めばこんな普通の人間相手に時間を割くことも無くなるだろうと考えていたのだが、

裏腹に彼は自分に関することの一切の記憶を失ってしまっていて、心を読んでも効果は無かった。

 

(もう、何がどうなっているのか分からない…………)

 

 

何も分からない。少年への対処の仕方も、私自身が何を考えているのかさえも。

 

半ば自暴自棄になりかけながらもなんとか堪え、一先ず彼を地霊殿に住まわせることにした。

勇儀さんからの依頼も何も果たせていないこともあったし、何よりここは幻想郷の地底世界。

地上ですら妖怪が蔓延る場所だというのに、ここ地下旧都は魑魅魍魎の巣窟となっているのだ。

ただの普通の人間の子供が生きていける環境ではない。そう考慮した結果の決断だった。

しかし理屈的に物事を考える反面で、この少年と共にいられることを密かに喜んでいる自分が

心の奥底にいたことに気付き、目の前で話を続けている少年の言葉に耳を傾けられなくなる。

 

結局、私はどうしたいのか。私は私の心が分からなくなってしまっていた。

 

 

「……………はぁ」

 

 

その後色々と話し込んで、記憶を失った少年に『忘』という名を付けて下がらせた。

やたら理由を付けて話し込んでいたけれど、実際半分近くは上の空の状態で話していたに等しい。

それに、彼が部屋から出ていった直後からやっと落ち着きを取り戻し、冷静な思考を持ち直した

私は先程まで話していた少年に名前を付けてしまったことを少し後悔していた。

 

動物に名前を付けるという事は、名を付けたものはそれを管理するという意思を見せた事になる。

それはつまり、古明地 さとりの名において彼を地霊殿の一員と認めたことに他ならないのだ。

記憶を失ったことを良いことに、それまでの彼を捨てさせて新たな人生の道筋を急造して渡す。

私は妖怪だけど倫理観はある。故に私がしたことが褒められるものでないことも分かってはいた。

だというのに、なぜ私は。

 

 

「忘……………」

 

 

あの子の心が、気になって仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘と名付けた少年の事を思い返すのに随分時間をかけてしまったらしく、

再びティーカップを持ち上げて中身を口に含んだ瞬間、それが冷めていることに気付いた。

慌てて手にしたソレを机に置いて前に座る二人の様子をのぞくようにしてうかがってみる。

快活な少女の方は既に紅茶を飲み干していたようで、さとりを真っ直ぐに見つめて待っていた。

もう一人の無口な少女の方は逆に紅茶をちびちびと飲んでいたらしく、目線を向けた瞬間に

ようやく飲み終えてカップを自分の前にコトリと置いてさとりに向き直っていた。

少々話の本題がずれたようだと自責しながら、さとりは改めて二人に話を切り出す。

 

 

「さて、少し長くなってしまったけれど話はこれくらいです。

先程も言ったように、彼についての情報収拾を出来る限りでいいので継続してください」

 

「はーい! 何かわかったらすぐに知らせるよ!」

 

「…………………」

 

「はい、それで構いません。では、今日はありがとうございました」

 

 

椅子から立ち上がって帰り支度をする二人の少女を見送るため、さとりも立ち上がって

言葉をかける。二人はさとりの言葉に微笑みで応え、快活な少女が無口な少女の身体が収まった

大きめの桶を抱きかかえてさとりの部屋から退出した。彼女らの背を見送り、さとりは一息つく。

彼女ら以外にも、この地底で名の知れている者で自らに友好的な相手には声をかけてきた。

その内容は例に漏れず、記憶を失ってしまった少年、忘の過去の情報と地底に来た経緯である。

しかし今のところ有力な情報は得られず、時間だけが五日も過ぎてしまっている状態だった。

もしかしたら永久に彼の記憶は戻らないのかもしれないとさとりは一人になった部屋で考える。

そうなれば彼は、この地霊殿以外に帰る場所は無くなる。つまり、彼とずっと一緒にいられる。

自分は何を望んでいるのだろう。さとりは考えていたことを頭の中から追いやった。

彼は普通の人間であり、自分は妖怪。しかも同じ妖怪にすらも迫害される覚り妖怪なのだ。

そんな自分と共にあることが人間の彼にとって不幸以外の何物でもないと頭では理解できた。

しかし五日も経って何の情報も得られないとなると、いよいよ彼女の考えも現実味を帯びてくる。

 

(もしかしたら、本当に彼はずっとこのままかもしれない)

 

 

さとりはそのような考えを浮かばせるも、果たしてそれが本心なのか判別がつかなくなっていた。

彼に記憶を、過去を取り戻してほしいのか。それとも彼に、記憶喪失のままでいてほしいのか。

一体自分は、あの人間の子供に何を望んでしまっているのだろうか。

地霊殿の主としての考えなのか、古明地 さとり個人としての考えなのか。いずれも違うのか。

さとりはこれほどまでに他人の心が読めないことをもどかしいと思ったことは無かった。

彼は記憶を取り戻したいのかそうでないのか、ここに居たいのか居たくないのか、分からない。

仮にもし彼が結論を出したとして、自分はその結論に対する答えが出せるのだろうか。

 

 

「…………………」

 

 

自問自答を重ねるごとに新たな疑問が沸き起こり、それが連なって負の連鎖を生み出し続ける。

さとりはまたしても思考に囚われて考えがまとまらなくなり、人知れずため息を漏らした。

 

このようなため息が漏れるのは今日に限ったことではない。彼がここに来てからほぼ毎日なのだ。

一日に必ず一回は彼と出会うのだが、彼と出会う度に心を読んでおきながらも会話をしてしまう。

心を読めば何を考えているか分かる。つまり口に出したいことも出したくないことも分かるのに、

何故か彼とは直接言葉を口にした会話をしたくなってしまい、先の言葉が分かっていても彼の口

から言葉が出るまで律儀に待つのだ。本当に自分はどうかしてしまったとさとりは自覚しているが

それを自分から止めようとは思えないし、止めたいとも思っていない。

 

不思議と彼女はいつからか、自分から彼に会いたいと思うようになっていたのだ。

故に今日も、今回も、溜め息の次にさとりの口から出る言葉は決まっている。

 

 

「忘、早く帰ってらっしゃい」

 

 

第三の目を撫でながら彼女は、自らの心が読めない覚り妖怪は、彼の帰りを待ちわびていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さとりが独り思い悩んでいたちょうどその頃、当の忘はというと。

 

 

「あともうちょとで地霊殿だ。はぁ、やっと落ち着けそうだなぁ」

 

 

僕は今、旧都の歓楽街の外れから帰るべき場所である地霊殿を見つめている。

つい先程まで地霊殿の主で記憶喪失の僕を拾ってくれた少女、さとりからの命令で

お遣いを頼まれていたんだけど、それをどうにか終わらせた僕はあと一息で地霊殿へ

行けそうだと安堵し、これまでの道中で受けた辛苦から解放されると喜んでいた。

 

何から解放されるのかと言えば、もはや言うまでも無いよね。

 

『本気であそこに戻る気なのかァ? 止めとけクソガキ、俺様は反対だ』

 

そう、僕の内側から聞こえてくる、この粗雑でがさつで乱暴な声からだ。

 

 

『うるせェ‼ テメェ、随分と言いたい放題言ってくれンなァ‼ あァ⁉』

 

「あーもう、うるさいなぁ。分かったから大人しくしてて、もう着くから」

『だから‼ あそこは反対だッつってんだろうが‼』

 

「反対だって言ったって仕方ないじゃん、他に行く当てもないし」

 

『だったらその辺の岩でも削って穴掘れ。雨風しのげりゃ充分だろ』

 

「無茶言ってくれるよね、ホント。悪いけど僕は今の生活気に入ってるからパス」

 

 

お遣い先だった居酒屋を出てからずっとこの調子で、正直これ以上は身が保たない。

ひっきりなしに怒鳴ってくるこの声にいい加減イライラしてきた僕はこの声への

対応もどんどん雑になって来たけど、正直相手が粗雑だからイーブンだと結論付ける。

さて、後はもうこの先の川に架かってる橋を渡って角を右、そこからまっすぐに歩けば

地霊殿に帰ることが出来る。帰ったら多分他のペット達に餌をやって仕事は終わりだろう。

別に仕事が辛いってわけじゃないけど、今はとにかく落ち着ける時間が欲しかった。

だから僕はいつもよりちょっと足早に地霊殿を目指して橋を渡ろうと一歩を踏み出した。

 

 

「_______ようやく見つけましたよ、十六夜 紅夜」

 

 

僕が一歩足を踏み出した瞬間、どこかで聞いたような声が後ろから聞こえてきた。

誰だろうと思って後ろを振り返ろうとすると、僕の中の声が一際大声で怒鳴ってきた。

 

 

『止せクソガキ‼ 振り返ンな、このままあそこまで突ッ走れ‼』

 

「え? 何、何なの?」

 

『いいからさっさとしろ‼ このままだとテメェも俺も消えるぞ‼』

 

「えっ⁉」

 

 

いきなり突っかかってきて何なんだよ、と言い返そうとした僕はその言葉を飲み込む。

このままだと僕も消える? 一体何の事だろうか、それに明らかにこの声は動揺している。

今まで乱暴な印象の声しか聞いていなかったせいか、この震えた声色は迫真めいて感じた。

でも相手は魔人を名乗る謎の存在だ、彼の言葉を信じるか信じないか___________ん?

 

 

「いざよい、こうや……………?」

 

『クソが‼ オイ聞けクソガキ、オイ‼ 早くその女から離れろ‼』

「おん、な?」

 

 

何か頭の片隅に引っかかるものを感じた直後、新たに引っかかる言葉を耳にした。

魔人とかいう奴の言葉を聞いてから、妙に思考が靄がかかったように鈍ってきた。

それに何か、視界がグラグラと歪んで今見える景色の他に、謎の風景も浮かんできた。

 

 

霧が深く、針葉樹林に周囲を囲まれた大きな湖。

 

森の入り口から伸びる石造りの長い石橋に、その先に見える真っ赤な門。

 

門の内側には手入れが良く行き届いた花が咲く花壇に、大きく門よりも鮮やかな赤色の扉。

 

外観も内装も、ほぼ全て赤一色で彩られた不思議と妙に懐かしい(・・・・・・・・・・)大きな洋館。

 

_____________そして

 

 

煌く純金色のサイドテールを揺らして近付いてくる、歪な翼を持つ幼い少女。

 

 

「________ッ‼⁉ っく、うぐぅ‼」

 

 

頭が押し潰されるような感覚に見舞われる。ギシギシと頭蓋が軋む音が聞こえるほどに。

右手を頭に押し付けながら、痛みに耐えるために必死に歯を食いしばる。

ズキズキと頭蓋の内部、つまりは脳そのものが痛みを訴えかけてくるが、一切気にしない。

 

それに__________僕はその程度の痛みに(・・・・・・・・)耐えられないほど(・・・・・・・・)柔く造られていない(・・・・・・・・・)

 

僕は未だに内側から響いてくる声を無視してゆっくりと振り返り、その視線の先にいる

女性に対して、懐かしさと申し訳なさを織り交ぜた言葉を口にする。

 

 

「随分と久しぶりに感じますね、四季 映姫さん?」

 

 

目の前で眉を吊り上げている女性、四季さんに僕は面と向かってそう言った。

彼女は僕の言葉に対してなのか、それとも僕自身に対してなのか、怒っていた。

とりあえず訳を聞こうと声をかけようとするが、先に話を切り出されてしまった。

 

 

「全く、とんだ失態ですね。通行証を使用させたにも関わらず魔人を封印し損ね、

挙げ句あなたは自分が何者なのかを忘れる始末。どう責任を取るつもりですか?」

 

 

怒りの感情を表に出さないようにしつつも、仕事上の責任の追及を建前にして

愚痴をこぼすとは、閻魔大王としてはそれでいいのだろうかと疑問に思えてきますね。

まぁ今は彼女の問いに答えなければならない。しかし、その前に言っておくことがある。

 

四季さんを真っ直ぐに見つめ直し、僕は僕自身が何者なのかを告げる。

 

 

「僕の名前は十六夜 紅夜です。全て、思い出しました」

 

 

自分にまつわる全ての記憶を思い出した。そして、失っていた間の事も覚えている。

僕は自分を十六夜 紅夜であると自信をもって言える。だが傍らで、僕は忘でもあった。

異なる二人の自分が、同じ一つの体の中に異なる記憶として混在している。

今僕が宣言したのは四季さんに対してというより、僕自身に対してのものだった。

 

 

僕は、過去か現在か、どちらを選ぶのかを迫られている。

 

 







いかがだったでしょうか?
今回は思っていたよりも長めになってしまいましたね。
そのせいで日曜日にまで長引きました。そのせいなんです本当なんです。


さぁ、みんなの紅夜が戻ってまいりましたよ‼
果たして彼は過去の自分か今の自分か、どちらを選ぶのでしょうか。
この調子で今後もどんどん書いていきたいと思っております。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十参話「紅き夜、深紅の騎士は何処」


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第伍十四話「紅き夜、深紅の騎士は何処」


どうも皆様、咳で窒息死しかけている萃夢想天です。
参りましたねマジで、呼吸の回数と咳の回数がほぼ同じなんて。
ご飯食べてる途中で突発的に出てきた日には、食卓が地獄絵図ですわ。

私的な拷問はさておき、先週は投稿できませんでした。
理由は、文章のイメージが固まってなかったからです。
ぶっちゃけ今もまだ固まってませんが、今回はキチンと書きます。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

陽の光は届かない地底に築かれた、火よりも明るい都の一角。

地底都市のどこからでも目につく洋館『地霊殿』より少し離れた、小川に架かる橋の上。

大地の底であっても変わらず流るるその水のせせらぎが、遠くの喧騒に混じって聞こえる。

川の水音も地底の音頭も、今の僕にとっては雑音にすらも値しないけれど。

 

 

「………………」

 

 

現在地霊殿へと続く街道の脇にあるこの橋の上にいるのは、僕ともう一人だけ。

いや、厳密に言うのなら僕と彼女と、僕の中にいるもう一人で三人になるのか。

 

『オイ、クソガキ』

 

意識を自分の内側へ向けた途端、人数にカウントした僕の中にいる人物が悪態をついてきた。

 

(何かな? やっぱりカウントから外してほしいのかな?)

 

『違ェよクソが。チッ、そのクソ生意気な言い回し。テメェ元に戻りやがったな?』

 

(…………おかげさまでね)

 

 

心の内側に住み着いたもう一人の住人、自称魔人の彼が僕こと十六夜 紅夜に雑言を浴びせる。

しかし僕も僕で相手にするのはどうも子供っぽいと密かに感じつつも、言葉を返した。

その反応から魔人は僕が僕に戻ったことを確信したようで、一気に態度を険悪にさせてきた。

もちろん魔人の態度に腹は立ったけど、それ以上に僕は眼前の状況の打開に手を焼いている。

 

「あの、どうしたんですか? 急に黙り込んだりして」

 

「…………………」

 

 

改めて状況を確認しよう。現在地は旧都の端の小川に架かる橋の上、そこには僕ともう一人。

言葉にすると何ともないように思えてくるけど、実際は僕以外のもう一人が問題なわけで。

 

そのもう一人こそ、先程から無言で僕を睨みつけてくる『四季 映姫』さんなのだ。

地獄で死者の魂を公正に裁く閻魔大王の肩書を持つ彼女が、一体なぜここにいるのか。

無論それもまた、さっき彼女があることを口にした時点で僕にも察しがついていた。

 

 

「やはりどうにもなりませんか、四季さん」

 

「ええ、なりません。貴方は既に罪を犯していながら償いの機会を与えられています。

なのにその機会を棒に振り、あまつさえ自らの過去という罪を忘れ去るところだった」

 

「……………重々、承知しています」

 

「承知しているだけでは済みません。今回ばかりは弁解も挽回もなりませんよ」

 

 

小さな橋の上で僕と四季さんの視線がぶつかり合い、互いの意思を貫き通そうとする。

けれど彼女の言葉は正当性が通じていて、僕には余計な口を挟む隙すらも見当たらない。

確かに僕は四季さんからチャンスを与えてもらったし、それを無に帰してしまったのも

事実なのだが、僕は自分から忘れようとして自身の記憶を忘れ去ったわけではないのだ。

それをまるで僕が罪の責任から逃れるためにわざとやったとでも言うような物言いに、

少しだけ腹が立った。苛立ったと言ってもいい。そこから彼女の言葉は続いた。

 

 

「今回の騒動の発端はそもそも、紅魔館の吸血鬼とその親しき魔女の魔術にあります。

これももちろん彼女らの罪になりますが、一番重い罪は貴方に科せられるのですよ?」

 

「…………僕に? なぜです?」

 

「当然でしょう。貴方の罪は、外の世界に居た頃からずっと積み重ねられています。

自分の手をどれだけ他人の血で染め上げてきたか、それまで忘れたとは言わせませんよ」

 

「流石にそこまでは」

 

「とにかく、肉体を魔人に奪われたこと自体は不慮の事故になるかと思いますが、

それでもその事実に変わりはなく、また魔人を召喚したという罪にも変わりはありません」

 

毅然とした態度で直立したままサラサラと弁論を始める四季さん。その口調は重々しい。

しかし何故だろうか。彼女は閻魔大王という死した者の魂の善悪を量り、裁く法の執行官。

無論僕も一応は死人だからそこにカウントされるのは当然としても、何か腑に落ちない。

どうしてなんだろうか。彼女の話には正当性以外の要素は何一つないと言うのに。

 

四季さんの話を聞いていると、僕はふとそんな思考に呑まれ始めた。

罪の意識。その言葉は僕にとって無縁ではなく、彼女が言うように数多くの罪を重ねてきた

僕にはまるで、自分自身の暗い過去を再認識させられる呪いみたいに感じられた。

外の世界で姉さんと生き別れ、やっと彼女に会えたと思いきや既に別人になっていて。

彼女の弟に再びなるべく自分自身を手に入れ、ようやく念願叶えたと思えば限界を迎えて。

僕の人生というやつは本当に、どこまでも恵まれずにいたものだったな。

 

 

「_________ょと! 聞いていますか⁉」

 

「あ…………ああ、すみません」

 

 

いつの間にか僕は自分への自問自答に没頭していたようで、四季さんの声で正気に戻れた。

とはいうものの、僕への視線がより一層厳しくなった彼女はさらに口調を荒げ始める。

自分の話を蔑ろにされたことへの怒りが大きくなったのか、四季さんは眉根をしかめていた。

こうして彼女の状態を客観的に観察できている分、僕はまだ本当に反省してはいないのだろう

と自己分析してみたものの、そこに答えなど帰ってくるはずも無い。

そういえばついさっきまでうるさかった魔人の声が聞こえなくなっていることに気付いて、

どうかしたのだろうかと意識を割いた直後、僕の聴覚が四季さんの不満げな言葉を捉えた。

 

 

「全く、これだから何度言っても善行を積もうともしない人間は………地獄行き確定ですね」

 

 

四季さんの口から出たこの言葉は、僕にとってはただの愚痴混じりの正論にしか聞こえない。

しかし今の発言を聞いた瞬間、それまでの彼女の話の内容を思い出し、心がざわついた。

地獄行きが、確定だと?

 

閻魔大王から直接告げられる事実上の死後の世界での厳罰通告に、僕はわずかに息を呑む。

でも僕自身は大して気にはしない。けれど、今までの話の流れだと、どうなる?

 

 

「それはどういう意味ですか……………」

 

「ん?」

 

 

思わず口から疑を尋ねる言葉が漏れ出てしまったが、この際手間が省けた。

僕の言葉を聞いて首をかしげている四季さんに、僕はもう一度ハッキリと言葉を紡いだ。

 

 

「それはどういう意味かって聞いてるんです」

 

「どういう意味とは?」

 

「地獄行きが確定という話ですよ」

 

「………まさか貴方、今更地獄行きは嫌だとか見苦しく言い逃れをしようなどとは」

 

「思ってません、微塵も。僕の事じゃない。これだからってのはどういう意味だ」

 

「は? あ、貴方いったい何を?」

 

「"これだから"ってことは、僕以外にも地獄行きを言い渡した人間がいるってことか⁉」

 

 

目の前の僕よりも身長の低い少女を思わせる姿をした閻魔大王に問いただす。

相手の瞳は真っ直ぐに僕を射抜いている。退くわけにはいかず、僕もそれを返した。

僕が感じたのは彼女がこうして今の僕に対してのように、その可能性のある人間には

『地獄行き確定だ』と言って回っているんじゃないか、という懸念だった。

そして僕の問いを受けた四季さんは一切動じることなく、その問いに首肯した。

 

 

「はい、言っています。それがその人の為なのですから」

 

 

彼女のこの言葉を聞いた瞬間、僕は感じていた違和感の正体に気付いた。

 

そうか、そうだったのか。

この人は、四季さんは、人間の性質をまるで理解しちゃいないんだ。

 

 

「悪行を重ね、罪を知らず知らずの内に犯し続けている人間に対しては宣告してます。

『このままでいれば貴方は必ず地獄へ落ちます』とね。それが何か?」

 

先ほどの問いに答えた彼女は続けてそう語り、僕にその是非を尋ねてきた。

でも、もういい。もう充分だ。彼女は人間そのものを理解できていないから。

僕の心の内はそれまで考えていたことを全て捨て、代わりに怒りで煮えたぎっていた。

両手を握り締めて拳を作り、わなわなと震わせて湧き出す激情を抑え込もうとする。

自然とその反応が表情にも浮き出てしまい、四季さんが気付くほど顕著に表れていた。

今まで内心で考えようとしていた事の全てを振り切り、僕の口が言葉を紡ぎ始める。

 

 

「何か、じゃねぇよ。四季さん、貴女それがどういう意味か理解して言ってますか?」

 

「…………? 何を言っているんですか?」

 

「質問に答えろ‼ 貴女は今の発言の意味を理解してるのか、してないのか‼」

「ッ! あ、貴方はまたそうして罪を重ねて! 罪の意識を感じないのですか⁉」

「罪の意識だと? 貴女こそ本当に何も理解してないんですね‼」

 

 

地底の街道のその脇の小さな川に架かる橋、その上で僕は怒りのままに声を荒げる。

その矛先は目の前に居る地獄の閻魔大王である四季 映姫さん。

彼女の話を聞いてどこか違和感を感じていたのだが、ようやく分かった。

 

四季さんは、人の心の仕組みを知らない。

 

打って変わって激しい口調で責める僕を変だと思ったのか、四季さんが黙り込む。

あるいは僕がまた罪を自ら重くしていると小言を言っているのだろうか。

しかし今の僕にはどうでもいいことだ。肝心なのは、彼女に気付かせることだから。

再び僕は言葉を口にする。四季さんの、致命的な間違いを。

 

 

「いきなり現れた閻魔大王に、『地獄行きは確定』だと言われてみろ!

その人間は普通どういう行動に出ると思う⁉ それくらい分かるだろ‼」

 

「何をいきなり………自らの過ちを認め、悔い改め、善行を積み直すに決まってます」

 

「そんな訳が無いだろうが‼」

 

 

自分よりも身長が低いため、どうしても上からの目線になってしまうが関係ない。

四季さんは、彼女は本当に何も分かっていないのだから。だから感じていないんだ。

閻魔である自分が知らずに重ねている、罪に。

 

怒号を飛ばした僕は人の心を伝えようと決心する。人の心の、汚れた仕組みを。

 

 

「閻魔大王から『地獄行きは確定』なんて言われる人間は大抵がこう考えるはずだ!

『どうせ地獄行きが決まってるんなら、今更何をしてももう遅い』と‼」

 

「そ、そんなこと」

 

「ある。人間はそういう心を持つ奴がほとんどだ。醜い生き物なんだよ。

自分が罪を犯しているという自覚なんてない奴の方が圧倒的に多いんだから。

自覚していても、それをわざわざ改善しようと考える人間は、そうはいない」

 

「そ、そうです。だから私が出向いてそうならないように忠告を」

 

「それが間違ってるって言ってんだ‼ なんで分からないんだ⁉」

 

「っ⁉」

 

「地獄の権化とも言える貴女が地獄行きを宣告したら、人間はまず諦めます。

その後そうならないように善行を積むか、開き直って悪に染まるかを選択するんです。

貴女は何を勘違いしてるか知りませんが、多くの人は開き直る方を選びますよ!」

 

物分かりが悪い生徒に教師が懇切丁寧に解説するように、僕も四季さんに教える。

人間って生き物は困難や障害にぶつかった時、そのほとんどが挫折して諦めを選ぶ。

何故なら、苦労すると知りつつなおも立ち向かうより、諦める方が簡単だからだ。

『地獄行きは確定』と言われたら、『だったらいっそ』と思うのが大半の答えだろう。

 

仮に十年後に死ぬと知ったら、普通人間はどういう行動を取るだろうか。

残りの十年間全てを他人の為に捧げて一切我欲の無い生活を送れると考えるか?

人間なら、十年しか『生きられないなら』と開き直り、自分のしたいことをするはずだ。

四季さんは人のこういった心の在り方を理解していない。だから無自覚に言えるんだ。

 

地獄行きは確定だ(おまえにもうみらいはない)』と。

 

人間の一般論を語り、四季さんに人の醜い部分の仕組みをどうにか理解させようとする。

しかし彼女はどうも納得がいかないようで、未だに何か言いたげな顔をしていた。

本当に何も分かっていないんだ。そも理解をする気があるんだろうか。

気になった僕はさらに彼女に対して質問をすることにした。

 

 

「では聞きますが、貴女は極楽へ行ける者にも同じように伝えていますか?」

 

「…………ええ、伝えています。このまま善行を積み続けなさい、と」

 

僕からの問いに少々顔をしかめさせながらも、彼女はハッキリと答えた。

そしてそれを聞いた瞬間、僕は四季さんに対して明らかな失望と苛立ちを感じた。

確かに僕の胸の中に浮き上がったその感情は、僕が幻想郷に来て初めて味わうものだった。

 

 

「なるほど、よく分かりました。四季さん、貴女は最悪だ」

 

「なっ、いきなり何を!」

 

「これまでの質問への回答で分かったんです。貴女は人間への害悪でしかないと」

 

 

これほどまでに怒りを露にするのは本当に何時振りだろうか、僕にも思い出せない。

少なくとも幻想郷に来てからここまで怒りを覚えたことは一度も無かったはずだ、と

そこまで考えた直後に、僕の思考は赤と黒の奔流に呑まれていった。

思考がおぼつかなくなった状態のまま、僕は四季さんへ言葉をぶつけるように語る。

 

 

「貴女は人間をまるで理解していない。だから自分でも気付いてないんでしょう。

自分の口にした一言のせいで、一体どれだけの人間を地獄へ誘ってきたのかを‼」

 

「何を世迷言を! 閻魔大王である私が人間の何を理解していないと⁉」

 

「そこだよ、その人間を見下した物言いが何よりの証拠さ‼」

 

「な、何を」

 

「さっき僕が言ったように人は醜く、貴女が思っているように愚かな生き物だ。

何度だって過ちを繰り返すし、何度だって罪を重ねて悔い改めようとしない」

 

「………そうです。人間は何度も同じ過ちを繰り返し、罪を重ね続けます。

だからこそ、そうならないために閻魔である私が釘を刺しておかねば」

 

「そこが間違いだと何故気付かない⁉」

 

「間違、い?」

 

「そうだ! 何故閻魔大王である貴女が生きた人間の罪(・・・・・・・)に口を出そうとする⁉」

 

「な、何故って、それは私が閻魔大王で…………」

 

「閻魔大王の仕事はどのようなものか、死神の小町さんに少しだけお聞きしましたよ。

ですが彼女は一言も、『生きた人間の犯した罪を裁く』なんて言ってませんでした」

 

徐々に激しくなっていく互いの口調に合わせるように、感情も昂っていく。

でもここで冷静さを欠いたら意味が無い。僕はあくまで人間で、相手は閻魔大王だ。

そこの線引きはしっかりしておかなければダメだ。でないと、話も通じなくなる。

頭を冷やそうとして少し間を置き、その後に四季さんに核心を突く一言を浴びせた。

僕の言葉を聞いた四季さんはすぐにハッとした表情に変わり、目が泳ぎ始めた。

わずかに息を呑むことを聞いた僕は、そこから今度は諭すように丁寧に語り始める。

 

 

「この世の生あるものは皆、完全ではなく不平等です。それはご存知でしょう?

だからこそ人間も妖怪も間違えることはあるし、罪を犯すこともある。

でも、罪を犯したらそれで終わりというわけじゃなく、れっきとした法を取り締まる

機関も組織もありますし、罪を償う方法もあるんです」

 

「…………………」

 

「人は間違いの中で何が間違いなのかを見つけ、正す工夫を凝らしてきました。

だからこそ人は人を保護し、縛り、罰するための法を作り上げたのです。

それを何故貴女が、地獄の法の番人がわざわざ出張って口を挟むんですか?」

 

「で、ですから私は、これ以上人が罪を重ねて地獄へ来ないようにと忠告を」

 

「それが貴女の思い上がりなんですよ」

 

「思い上がり、ですって⁉」

 

「ええ、思い上がりです。傲慢と言ってもいいかもしれませんね。

貴女は長い間勘違いをしてきたせいで僕の言葉にも信心が置けないようですが、

これだけはハッキリと言っておきます」

 

 

ここまでいってから僕は息を吐き、物腰を柔らかくしていた状態を止めて背筋を

伸ばして張り詰め、揺るがない絶対の意思の下で四季さんに告げた。

 

 

「貴女は死者の生前の行いが、善か悪かを見定めて裁くのが本来の姿なのです。

決して、人間の罪を裁くことは出来ませんよ。人を裁き許せるのは、人だけです」

 

「……………………」

 

 

ずっと胸の奥底で溜まっていたものがスッと消えていくのを感じながら、

僕は感じていた違和感を拭い切れた事と考えていた事を伝えられた達成感に酔いしれていた。

人を裁くことができるのは人だけ、自分で言ったこの言葉に嘘偽りは無い。

自らが間違いを繰り返してそれに気付き、止められるのは同じ人間であって閻魔大王ではない。

例え地獄の法の番人であっても、生命ある世界で長きに渡って定められ続けてきた人の法に

干渉することはできないはずだし、生きた人間の犯した罪を裁き、悔い改めさせる権利も無い。

四季さんは今までずっと地獄で魂を裁いてきたから、先入観に囚われてしまったのだろうか。

おそらく最初は、人が繰り返す過ちをどうにか止めようとしただけなのかもしれないが、

あまりにも罪を重ね続ける人間を見て辟易し、寛容する心が憔悴してしまったのかもしれない。

 

ただこれからは彼女も変わってくれると願いたい。

だからこそ僕は四季さんに、もう一言だけ伝えておきたかった。

 

 

「人を裁けるのは人だけです。ですが、罪を裁けるのは四季さん、貴女だけです」

 

「あ…………」

 

僕の言葉を聞いて俯いてしまっていた彼女が、今度は顔を上げて僕を真っ直ぐ見つめてきた。

変わらず橋の上にいるけれど、最初の時と構図自体はまるっきり変わってないかも。

けど四季さんの僕を見つめる視線は完全に変わっている。敵意も無ければ害意もない。

その瞳に揺らめいていたのは微かに小さな感情の集まりで、何がどうなのかは分からなかった。

でも多分、四季さんがこれ以上『罪を重ねる』事は無くなるだろうと何となく思う。

閻魔大王である自分の本来の形と姿を、きっと思い出してくれたはずだろうから。

 

しかし随分と長く彼女と話し込んでしまった気がする。三十分近く経った気もするけど。

僕もここまで感情を露にしたのは久々だな、本当に何時振りなのか分からないほどだ。

 

「…………………」

 

 

目の前に居る四季さんは僕が話し終えてからずっと、何も反応を起こさない。

しばらくお互いに黙っていると、僕を見つめたままの彼女がおもむろに口を開いた。

 

 

「貴方は、このままでは地獄行き確定です」

 

「…………?」

 

 

四季さんは相変わらず僕から視線を逸らさずにそう呟いた。

あれだけいってもまだ彼女には伝わっていなかったのか、と一瞬思ってしまったけれど、

彼女の瞳が最初に同じ言葉を口にしていた時とは明らかに違うと気付き、考え直した。

僕から何の反応も返ってこないことを良しとしたのか、彼女は話を続ける。

 

 

「ですからどうか、一つでも多く善行を積んでそれを覆してください」

 

「………………はい」

 

「これで、いいでしょうか?」

 

解いた問題の答えを教師に尋ねる生徒のような口ぶりの四季さんは、少々恥ずかしそうだった。

そんな彼女の姿と言葉を僕は素直に受け止めて、目を閉じて笑顔を作って首を縦に振った。

すると四季さんは満足したような表情になって軽く息を吐き、もう一度僕に語り掛けてきた。

 

 

「十六夜 紅夜、貴方は人の身でありながら魔人を宿すという罪をその身に受けました。

ですがその魔人を封印する手立ては失敗し、貴方も記憶を失い、より罪を助長させました。

これ以上の累積を見過ごす訳にはまいりません」

 

「はい」

 

「……………では、貴方に最後の、本当に最後の機会を与えます」

 

「…………え?」

 

 

四季さんの話を聞いて、今度こそ僕は地獄とやらに連行されて罪を償わされるのだろうと覚悟

していたのに、彼女の口からはもう一度だけチャンスを与えるという慈悲の言葉が出てきた。

閻魔大王という立場にいる上にさっきまでの状態から鑑みても不自然極まりない彼女の言動を

不審に思ったことが見抜かれ、四季さんは若干目を細めながら理由を説明してくれた。

 

 

「貴方が言ったことではありませんか」

「え、え?」

 

「言いましたよね? 『何度も過ちを繰り返す』と。そして私は貴方に気付かされました。

閻魔であろうと、人に償いの機会を選んで与えるというのはおかしな話ではないのかと。

人が間違いを繰り返すなら、その都度償いをさせて罪を清算させるべきではないのかとね」

 

「……………………」

 

「私の仕事は人を導くことではなく、死した魂の罪を裁き、輪廻転生へと送り出すこと。

いつしか私は自らが閻魔であることにのさばって、罪ある者を更生させることこそが

本懐であるのだと錯覚していたようです。貴方が言っていた私自身の罪の意識ですね?」

 

「罪に塗れた人間である僕が言うのも、おこがましい限りですけどね」

 

「いえ、貴方に諭されていなければ私は自らの罪に気付くことは無かったかもしれません。

知らず知らずの内に私は人の心の弱さを忘れ、人の心の脆さを見誤っていたのですから」

 

「でも貴女はそれに気付けた。なら貴女もきっと、変われますよ」

「…………変わる必要はありません。そもそも私が、変わってはいけなかったのです。

私は是非曲庁からなる地獄の法の番人、閻魔大王。地獄の法の規範となるこの私が変わって

しまったら、誰が法の下に罪を犯した魂たちを裁けるというのでしょうか」

 

 

そう語った四季さんは、この橋の上で出会った時よりもさらに毅然としているように見えた。

彼女自身も気付いていなかっただけで、本当は心のどこかで罪の意識を感じていたのでは

ないだろうかと思えてくる。その証拠に、今の彼女は憑き物が落ちたように晴れやかだった。

自分の失態に気付いて変わった、というより本来の自分を取り戻したとでもいうのだろうか。

とにかく再び眼に光を灯した四季さんは、改めて僕が償うための機会について語りだした。

 

 

「さて、個人的な話はここまでです。今から貴方に最後の償いの機会を与えます。

貴方が三途の川に来る前に犯した罪の一つを、自らの手によって清算してきなさい」

 

「僕が犯した罪を、ですか。多過ぎて数え切れませんね」

 

「うそぶいても構いませんが、貴方はこの罪に対して激しい後悔を抱いていますね?」

 

「………何の事でしょうか?」

 

「貴方が犯した生前最後の罪___________それは、射命丸 文を騙した事です」

 

「ッ‼」

 

 

まさかこんなところで彼女の名前を聞くことになるとは思いもよらなかった。

射命丸さん、か。記憶を取り戻した今ならハッキリと思い出すことができる。

僕の寿命が尽きかけ、永遠亭という診療所に運び込まれたあの最期の瞬間を。

別れ際に吐血して意識を失った僕を永遠亭まで運んでくれた射命丸さんに、僕はどうしても

死んでしまう前に伝えようと、彼女を騙していた事を掠れた声で必死に語った。

結果として彼女は、僕の前から無言で姿を消してしまったのだけれど。

 

 

「…………流石閻魔大王と、言うべきでしょうかね? そんな事まで知っているなんて」

 

「裁くべき魂の罪を知らずに、善悪を量ることができましょうか?」

「失礼しました。ですが、今更彼女に謝ったところで許されるとは……………」

 

四季さんというか、閻魔大王のスペックに驚かされたけれど今は重要じゃない。

問題は僕が彼女を騙した事を彼女に謝ったところで、どうにもならないってことだ。

謝る気が無いと言うわけではない。これが罪への償いだと言うなら、土下座でも何でもしよう。

でも肝心なのは僕の誠意ではなく、謝っても許されることじゃないってことが問題なんだ。

僕がその事に頭を抱えて悩み始めると、四季さんは神妙な顔になって厳かに語りだす。

 

 

「現在射命丸 文は、妖怪の山の牢獄で囚われの身となっています」

 

「えっ⁉」

 

 

四季さんの言葉に自分の耳を疑った。射命丸さんが、投獄された?

 

 

「さて、どうしますか?」

 

「…………は? どうしますか、というのはどういう意味ですか?」

 

 

彼女の安否と情報の正否が気になりだした僕に、四季さんは淡々とした口調で尋ねる。

しかしその言葉の意味が分からずにオウムのように同じ言葉を聞き返してしまう。

僕の顔を見た四季さんは打って変わって安らかな表情になって、優しく尋ねてきた。

 

 

「貴方が騙した射命丸 文は今投獄され、天狗内での裁判にかけられている状態です。

そんな現状の彼女に対して、貴方はどうしたいのですか? 何をしたいのですか?」

 

「何かって、そんないきなり!」

 

「時間はありません。彼女が投獄されてから既に四日経っています。

もし裁判が終わって刑が執行されるのなら、今日の午後辺りになるでしょうか」

 

「なっ⁉」

 

「償いの機会は、刻一刻と失われていきます。さぁ、どうしますか?」

 

「……………………」

 

 

優しい表情のまま、四季さんは何か含みのあるような言い回しで話を終えた。

でもいくら僕でもここまで言われれば彼女が伝えたいことの大まかな部分は分かる。

何だかんだで、四季さんも人が悪いよね。

 

 

「全ては貴方の自由意思ですが、最後にこれだけは言っておきましょう」

 

「…………何です?」

 

「新たに得た生、十六夜 紅夜の名に恥じぬ生き方を選びなさい」

 

話は終わったとばかりに僕の横を通り過ぎようとする四季さんが背後で立ち止まり、

最後の最後で僕に応援とも後押しともとれるような言葉を残してから橋を渡った。

僕の後ろからはまだ彼女の靴音が聞こえてくるけど、振り返る必要は無い。

そしてこれ以上、僕はこの地底に居られない。僕には、帰るべき場所があるから。

 

少しずつ聞こえ始めた小川のせせらぎと遠くから聞こえる喧騒に笑みを浮かべ、

僕はまだ近くに居るであろう四季さんに、声を大にして言い残した事を伝える。

 

 

「四季さん、お願いがあります」

 

「…………………」

 

 

彼女からの返事は返ってこない。それでも、確かに足音はすぐ後ろで止まっていた。

僕は四季さんが聞いていることを確信して、より大きくした声で頼んだ。

 

 

「この地底で僕を救ってくれた恩人、さとり様に、お伝え願えますか?」

「…………………」

 

「…………『お世話になりました。また逢う日まで』と」

 

「……………確かに」

 

 

最後に小さく了承の意を込めた一言を残して、今度こそ四季さんは立ち去った。

背後の気配が消えたことを感じつつ、僕は二回ほど深呼吸して真上を見上げる。

 

視線の先にあるのは、暗く黒く、果てしなく続く岩盤の空のみ。

青くも白くも紅くもならず、ただただ無骨なままの変わり映えの無い地殻のそれは、

ここ数日の間で見慣れてしまった僕の中に確かにある、わずかな時間の記憶にある

ものと完全に一致していて、この地底で僕が生きていた記憶の存在を認識させる。

この暗く固い空のはるか上には、まだあの素晴らしい世界があるのだろうか。

その素晴らしい世界では、忠誠を誓ったあの方々は僕を待っていてくれているだろうか。

わずかに心細くなった僕は、自分の弱さを打ち消すために()に語り掛ける。

 

 

(やぁ、お待たせ。意外と大人しくできるんだね、驚いたよ)

 

『ハッ‼ あのままあの女に捕まりたくなかっただけだ』

 

意識を自分の内側へと向ける感覚に慣れ始めたと感じた直後、あの乱暴な声が響いてきた。

粗雑な口調で荒々しい感情を即座に向けてくる彼に、僕は反抗せずに語らおうと試みる。

 

 

(…………何でもいいよ。とにかく、これから少しの間だけ手を貸してほしい)

 

『手を貸すだと? ハハッ‼ 何のメリットも無しにか? ふざけんな‼』

 

魔人の予想通りの答えに、僕は待っていたと言うように言葉を紡いだ。

 

 

(射命丸さんを助けるまでの間だけだ。それが終われば改めて君と決着をつけよう)

 

『ほォ…………で、具体的にどーすんだ?』

 

(君と僕で一対一、決闘をする)

 

誘いの言葉に乗ってきた魔人が、またしても読み通りの言葉を口に出してきた。

具体性の提示を尋ねる彼の言葉の後に一拍置き、そこからさらに続ける。

 

 

(君が勝てば___________この身体をくれてやる)

 

『‼』

 

 

魔人の態度が豹変したのを感じ、もう一押しするために最後の賭けに出る。

 

 

(君が勝てば僕の身体を好きに使って好き放題に暴れればいい。

でも、当然賭けだから君にもリスクは負ってもらうぞ)

 

『…………お前が勝ったら?』

 

(お前の力を全て、僕の為に使わせてもらう)

 

この発言は僕にとっても正真正銘の賭けになる。

もしデメリットに魔人が手を引けば、この話は無かったことになってしまう。

でももし彼がメリットを優先させてこの賭けに乗れば。そうなることを願うしかない。

 

わずかな逡巡の後、静かになった魔人がようやく答えを出した。

 

 

『乗ってやるぜ、テメェの案に』

 

(本当かい? 後になって反故も不履行も無しだからね?)

『ハッ、上等だ! テメェこそ俺に負けてから嫌だとかぬかすなよ‼』

(……………契約成立、かな)

 

『悪魔じゃなく魔人(オレサマ)に魂を売る人間がいるたぁ驚きだ! 楽しませてもらうぜェ‼』

 

 

粗雑な笑い声を上げて意識の底に消えていった彼を感じ、僕は再び上を向く。

魔人との取引は完全に賭けだし、最悪の場合は僕の意識が消される場合もある。

それでも今は彼の力を借りるしか方法が無い。でなければ、何もできないから。

 

岩盤の空を見上げつつ周囲を見回すと、目的の場所を発見した。

僕が地底で暮らしていた時の記憶の中で聞いていた、地底と地上をつなぐ大穴を。

 

 

「あそこから来たんなら、あそこから出ていくのが筋でしょうか」

 

 

地底都市の明かりが煌々と照らす岩盤の空にわずかに見える大穴をその視界に収め、

僕は自分の持つ能力をフルに活用してそこから地上へ出ようと考え、実行に移した。

まずは僕の能力である『方向を操る程度の能力』で瞬間移動のようにして目的地へと

近付いていき、その空虚な大穴の近辺まで辿り着いてから意識を集中させた。

 

 

(では早速、手を貸してもらいましょうか?)

『肩慣らしついでに、お前の身体でどれだけ魔力を出せるか試しておくか‼』

 

(それは重畳です。では、行きましょうか!)

 

 

内側に居る魔人に魔力を分け与えてもらい、かつて僕が起こした【異変】で使用した

スペルカードを、僕自身が持つ最強にして最後のスペルを呼び起こして発動する。

 

 

「狩人【CRIMSON NIGHT】‼」

 

 

ラストスペルを発動した直後、僕の周囲には血よりも鮮やかな紅い霧が集まり出し、

ものの数秒で完璧に僕の身体を包み込んで弾幕の射出準備を完了する。

でもこのままではただの弾幕ごっこのラストスペルでしかない。ここからだ本番だ。

先ほどよりもさらに意識を集約させて、紅い霧を能力と魔力による補助で操作する。

ただ能動的で漂いつつ内側に集まるだけだった紅い霧の塊が少しずつ形を変えていき、

地底の大穴の真下に、スペルと同じ名を持つ深紅騎士(クリムゾンナイト)が姿を現した。

 

 

「はぁっ‼」

 

 

霧で生成された紅蓮の鎧の中から大穴を見上げ、騎士の姿のまま跳躍する。

そのまま能力と魔力を複合させた方向操作で、速度を上げながら大穴の中を飛ぶ。

少しずつ大きくなっていく地上からの光に目を細めつつ、さらに速度を上げて飛行する。

 

 

そして、僕は幻想郷の青空の下へと舞い戻った。

 

 

 







いかがだったでしょうか?
久々に書いたらここまで長くなるとは予想外でした。

映姫様や閻魔大王様の人の罪に関するロジックは、私の大好物なんですよね。
思えば倫理学や心理学の話に興味関心が昔からあったんですよ、ええ。
人は罪を犯すがゆえに人であり、間違わぬものは人ではなく神である。
この学術論はすごく気に入ってます。人の過ちを肯定する主張ですからね。

アレ? 私ってこんな哲学的キャラじゃなかったはずなんだけどな(白目


それでは次回、東方紅緑譚


第五十四話「禁忌の妹、博麗神社参拝」


ご意見ご感想並びに批評など、何時でも受け付けております!


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第伍十伍話「禁忌の妹、博麗神社参拝」



どうも皆様、一週間夏風邪とレスリングしていた萃夢想天です。
ヤツは強敵だった。しかし、奴には配慮と気遣いと優しさが足りなかった。
まさかここまで風が長引くとは思っていませんでした、いやマジで。

二週に渡って投稿できずに本当に申し訳ありません。
今回からは真面目に投稿し(ていけたらいいなと思い)ます!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

その日の幻想郷も、いつもと変わらずに安穏としていて平和な時間が流れていた。

春を過ぎ初夏を迎えんとする草花は若々しい緑に萌え、空には一縷の雲と青空が描かれている。

冬の残滓ともいうべき早朝の寒さと静けさが消えた真昼時、幻想郷の住人は活気づいていた。

 

人々が集い暮らす土地、【人里】に於いてもそれは例外ではない。

 

商人や呉服屋、大工に子供、多くの人間が伸び伸びと生きられるこの時間を享受している。

里の大通りを往く誰しもが顔に笑顔を浮かべる中、ただ一人だけ深刻な表情をする者がいた。

その人物を知る人里の誰もが彼女(・・)を見て声をかけようとするも、鬼気迫る表情を見て断念する。

周囲の視線に気を配る余裕も無く、人里を人が出せる最高限度の速さで駆ける長身の女性。

 

その人物とは、聖 白蓮であった。

 

彼女は普段浮かべている聖母の如き笑みではなく、まさしく危機が身近に迫っているかのような

焦燥を湛えた表情を顔一面に浮かび上がらせ、一心不乱に脚を、腕を動かして走っていた。

 

「急がなければ………‼」

 

 

額に大粒の汗が浮かび、頬を伝って流れ落ちることも構わずに聖は走り続ける。

そして彼女は決して短くはない人里の通りをわずか数分で走り抜け、重い門扉をこじ開けた。

人里を囲む塀や木の柵の向こう側は人の領域ではなく、恐れるべき魑魅魍魎の領域なのだが、

聖はその事実に臆することも怯むことも無く、先程と変わらぬ速度で再び駆け出した。

 

人の暮らす集落からわずかにでも離れれば、そこは人の足が踏み込むことのない獣の縄張り。

しかし聖はその土地をみだりに踏み荒らす愚行を犯さずに、空を飛行して目的地へと向かう。

走っている時の三倍ほどの速度で空を駆ける彼女の眼は、ただ一点へと向けられていた。

 

 

「ここから真っ直ぐ、そう遠くない距離に…………いる‼」

 

 

深い色合いをした金色の瞳を見開き、彼女は一目散に空を高速で飛行する。

 

そもそも命蓮寺で住職をしている彼女がなぜこんな事をしているのか、

それは今から数日前に彼女の身の回りで起きた、とある事件が発端だった。

 

今日と同じように平和な昼下がり、数日前の彼女は朝早くから命蓮寺から人里へ赴いていた。

その理由は、彼女が信仰する仏教の教えを里の人々に説いて宗教勧誘するためであった。

彼女が幻想郷の一員として受け入れられて以降、名立たる宗教の一派として苛烈な信仰合戦に

身を投じなければならなくなってしまい、仕方なく信者を獲得するために活動し始めたのだ。

そして今日もいつもと変わらぬ説法を、共回りとして追従してきた雲居 一倫と雲山の二人と

終えた苦労を労い合いながら、本拠地である命蓮寺へ帰宅した。

しかし普段と変わらぬ日常であるはずのその日は、寺内で異変が起こっていたのだ。

 

幻想郷に腰を落ち着けてから門下生として加入してきた幽谷 響子が境内で倒れていて、

その響子を守ろうと謎の『影』に立ち向かっていた同門の村紗 水蜜を発見した。

彼女らの介抱を一倫と雲山に任せ、自身は命蓮寺に現れたその『影』と少しの間対峙し、

駆けつけた命蓮寺の住人たちにその場を任せて、自らは忽然と消えた謎の『影』を追った。

門下生である響子の"影"、即ち精神を文字通りに奪っていった『影』の正体に気づいた聖は、

これ以上被害が拡大しないようにと近くにある里の人々に危険を知らせて回っていたのだ。

つい先ほど粗方の居住者に概ねの事情を告げてきたので、あとは事の元凶を断つのみとなった

ために彼女は自身が感じたことのない強い妖気の塊を探し出そうと里を飛び出した。

 

 

「……………⁉」

 

 

人里から飛び立ってから数分と経たぬ内に、彼女の強化された知覚能力が強い妖気を捉えた。

しかし近付くにつれてその強大な妖気の塊が、すぐ近くに二つあるのだと発覚して驚く。

幻想郷の強者たち、弾幕ごっこのトップスぺランカー達と幾度も対峙してきた彼女だからこそ

分かった圧倒的な力。彼我の距離が縮まる度に理解させられる、凶暴なまでの力量。

数日前に自分が相対した時よりもさらに巨大に、強大になっているのではと焦りの色を浮かべる。

それでも彼女は決して臆することなく、自分が貫く信条と守る理念の為に、空を高速で駆けた。

 

そしてついに、彼女は力の塊がいるであろう場所まで到達し、速度そのままに大地に降り立つ。

 

 

「ようやく見つけました‼ さぁ、今すぐ響子ちゃんの影を返しな……………あら?」

 

 

恐らく不気味で醜悪な、あの『影』が待ち受けているであろうと覚悟していた聖の視線の先に

いたのは、彼女と全く面識のない、金髪の幼子と薄紫髪の少女と緑髪の女性だった。

 

困惑する聖をよそに、三人組の中で一番前を歩いていた金髪の幼子が無邪気に語り掛ける。

 

 

「あなた、だぁれ?」

 

あまりにも場違いな質問に対して、聖は苦笑いを浮かべると共に自らの失態に気付いた。

 

 

__________住職説明中

 

 

 

「なるほどねぇ、事情は分かったわ」

 

「ご理解いただけて何よりです」

 

 

聖との邂逅から数分後、彼女と出会ったフラン、鈴仙、幽香の三人組は話を聞き終えて

互いが敵ではないことを確認し、改めて自分たちの状況を話し合い始める。

 

 

「しかしまぁ、あの妖怪寺の住職がこんなところで何をしているのかと思えば、

他人の"影"を奪うアソビ妖怪ねぇ。私には関係の無いことだけど、大変そうね」

 

「えぇ、とても。きれいなお花畑を切り盛りする大妖怪さんには関係ありませんが、

あの妖怪はとても危険ですので、一応あなたも注意するようにしてください」

 

「…………そうね。それで、私たちは今から博麗神社に向かうのだけれど、あなたは?」

 

「あら、それは奇遇ですね! 実は私も博麗の巫女に今回の事をお話に行こうかと」

「ひじりも霊夢のところに行くの? それなら一緒に行きましょ‼」

 

聖と幽香の大人組が敵意を垣間見えさせつつも会話する中に、フランが笑顔で割り込む。

その屈託の無い笑顔を見れば誰もがそこに邪念が介在する余地などないことが窺い知れる。

幼い彼女の笑みを受けて、その場の誰もが彼女の提案を無下にする気など無くなっていた。

満場一致で立ち上がり、三人組から四人組になった一行はその足先を改めて目的地へ向ける。

 

 

「では、ご一緒させていただきましょうか。よろしくお願いします」

 

「私は構わないわ。あなたはどうかしら、ウサギさん?」

 

「へ? あ、私は別に問題無いです!」

 

「よーし! しゅっぱーつ‼」

 

 

念のためにと幽香に異議を唱えるか否かを聞かれた鈴仙は即座に肯定の意思を見せ従い、

聖が同行することを提案した当人であるフランは、威勢よく出発の音頭を取った。

 

種族も歩幅も立場も違う四人が集い、同じ場所を目指して共に歩みを進める。

もしもフランの姉のレミリアがこの光景を目にすれば、こんな運命を知っていれば、

495年もの時間を自身の妹から奪おうとしただろうか。答えは誰にも分からない。

 

四人はそのまま歩を進め、博麗神社を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、着いた…………あぁ~疲れた」

 

まさしく心の奥底から意図せずまろびでたかのような声で鈴仙は疲労を訴えて腰を下ろす。

永遠亭の薬売りとして日々、里や方々を駆け巡っている彼女ですらこうなってしまうのだ、

四人の中で一番体格的にも経験的にも未成熟なフランはというと、生ける屍状態であった。

虚ろな瞳で視線をさまよわせながら、生気を失った表情で目の前の目的地を見つめている。

 

フラン一行は太陽の畑出立から実に三時間ほどかけて、博麗神社へと到着した。

 

 

「飛べばすぐだったんだけど、もうフランは飛ぶ体力も無かったんでしょうね」

 

「ええ。こんなにやつれてしまって…………後で活性化の魔法をかけてあげましょう」

 

「好きにすればいいけど、この子吸血鬼だから逆効果になったりしないの?」

 

「…………ものは試し、と言いますよね?」

 

「……………それこそ、好きにすればいいけど」

 

 

くたびれ果てた鈴仙とフランを身長差的に上から見つめつつ、美女二人が語らう。

そうしていると、目の前の博麗神社の裏から見知った少女が顔をのぞかせてきた。

 

 

「ちょっと、何? アンタら一体何の集まりよ?」

 

本堂の裏手から顔をのぞかせたのは、神を祀る神聖な場において不可欠な巫女の少女。

 

日本の情緒あふれる和を連想させる水墨画で描かれたように、淡い色合いな漆の黒髪。

その女性の命とも言われる部分を適当な長さで切り揃え、少し残った長い部分は顔の両側に

一総束ねてまとめ、赤い髪飾りで単一の黒の中に鮮やかな彩りを付け加えている。

幻想郷で(数は少ないが)彼女をよく思っていない一部の低俗な妖怪などから揶揄される

【紅白巫女】の名の通りに、赤と白で少々フリルをあしらった巫女装束に身を包む。

しかしその胸元には若干くたびれた黄色のリボンがアクセントがあり、彼女の後頭部には

猫の耳が生えていると見紛うほど巨大で赤いフリル付きの可愛らしいリボンがある。

 

幻想郷の誰もが知る彼女こそ、"楽園の素敵な巫女"こと【博麗 霊夢】である。

 

いきなりやって来たフラン一行を発見した彼女はそれこそ意外な組み合わせの四人を

見て目を皿にするようにして驚き、とりあえず話だけは聞こうと現れたのだった。

だが四人の中で明らかにこの場にいるのがおかしい人物がいることに気付き、叫んだ。

 

 

「アンタ、フランよね? なんでこんなところにこんな奴らと一緒に来てんのよ⁉」

 

 

霊夢が気付いた異常とは、吸血鬼であるフランが夕方に外へ出ていることだった。

しかも彼女は本来、姉のレミリアによって紅魔館の地下に幽閉されているはずなのに、

何故紅魔館の面子ではなく編成理由も不明な連中とここへ来たのか、それも異常であった。

「こんな奴らとは随分な言い方じゃない、霊夢?」

 

「そうですよ霊夢。宗教家たるもの、鳥居をくぐって来た相手をぞんざいに扱っては」

 

 

驚愕のあまりに言葉を荒げた霊夢を糾弾するが如く、幽香と聖は小言を漏らす。

そんな二人の説教に近い長台詞は聞きたくないとばかりに、霊夢が一括する。

 

「ええいやかましい! 理由は後で聞くからとにかくフランを中に入れなさい!」

 

いつの間にか右手に握っていた彼女愛用のお祓い棒をブンブン振り回しながら命令し、

ここで立っていてもどうしようもないと結論付けた幽香と聖はそれに無言で応じた。

疲れ切ったせいか無言で彼女らのやり取りを見ていた鈴仙とフランをそれぞれ抱き上げ、

霊夢に案内されてようやく博麗神社に、本当の意味で辿り着くことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________住職説明中

 

 

「ふーん、ふぁるふぉろれ(なるほどね)ー」

 

「……………随分呑気ね、霊夢」

 

「んん? ふぁいふぁ(なにが)?」

 

「…………まぁ、好きにしたら?」

 

ふひひふうほあいも(すきにするもなにも)あはひほはっへへほ(あたしのかってでしょ)?」

 

「分かったから物を食べながら話すのはやめなさい」

 

 

ひとまず霊夢の案内に従いフランと鈴仙を床の間に寝かせてきた聖と幽香の二人は、

戻ってきて座敷にある卓袱台でひとしきりお菓子をつまんでいる霊夢と話していた。

聖と幽香がそれぞれ自分たちの状況とここへ来た目的を霊夢に話し、一段落着いた

ところで、話している最中ずっと気にしていたらしく、聖が霊夢に尋ねた。

 

 

「あの、ところで霊夢? さっきから食べているそれは何なのですか?」

 

「んふー、ん? コレ? コレはクッキーっていう紅茶に合うお菓子よ。

この間の異変解決の宴会で紅魔館に行ったときに出されたのを貰ってきたの」

 

「クッキー、ですか? なんだか黄土を一度濡らして固めて乾かしたような」

 

「それ以上味が落ちるようなこと言ったら叩き出すわよ、この生臭坊主」

 

「なまぐっ⁉ い、いえ。幻想郷ではあまり見ない食べ物だったので興味がわいて」

 

「でしょうね。あ、言っとくけどやらないわよ」

 

「多少空腹でもあなたからご飯をねだろうなんて思っていません。

それにしても、もうすぐ夕飯時なのにいいんですか? お菓子なんて食べて」

 

「あーもーうるさいわねー。私のご飯事情にまで首突っ込むんじゃないわよ」

 

 

自身のつまむお菓子の話題から自分の食卓事情にまで発展しかけ、これ以上は

説教が始まると"巫女の勘"で察知した霊夢は聖の言葉を問答無用で遮った。

まだ何か言いたげな聖とは目を合わせないように目線を外しつつ、やって来た

もう一人の珍客の方へと視線を向け、浮かんだ疑問を即座に投げかける。

 

 

「んで、アンタは一体どういう風の吹き回しよ、幽香」

 

「さっき言った通りよ。あのフランって子の執事に文句を言いに来ただけ」

 

 

何故【太陽の畑】に住まう大妖怪として(悪い意味で)有名人の彼女が幻想郷の

端の端ともいえるこんな場所までわざわざ来たのかという霊夢からの問いに対し、

幽香はぶっきらぼうな口調でありのままを答える。

その回答を聞いた霊夢は淹れたお茶を一口啜って息を吐き、話を続けた。

 

 

「ふーん。ま、私には関係ないか。でも幽香直々とは、恐ろしい限りだわ」

 

「どういう意味かしら?」

 

「深い意味は無い。にしても、あの紅夜が行方知れずねぇ……………」

 

「知っているんですか? その少年の事」

 

 

残り少なくなったクッキーを右手でつまみながら大妖怪の威圧に臆することなく

のんびりとくつろぐ霊夢の肝の据わり具合に感心しつつ、聖が彼女の言葉に

疑問を覚えて問いかける。

 

 

「知ってるも何も、この前の異変の首謀者として決着つけに行ったし」

 

「そういうことでしたか。ではその後少年には会っていないのですか?」

 

「会うわけないじゃない。アンタらが連れてきたフランの執事やってんのよ?

そんな奴と頻繁に会えるわけないし、こっちから会いに行く用事も無かったし」

 

「なるほど、ですが一つ訂正が。私が合流した時はあの子は二人と一緒でした」

 

「私が向日葵畑で会った時はあのウサギさんと一緒にいたわね」

 

「…………何が何だかさっぱりだわ」

 

 

聖と幽香の補足を聞いて考えることを放棄しようと、クッキーをかじりながら

背中を畳に当てるようにして仰向けになる。そこで霊夢は、視線の先で寝息を立てている

フランの柔らかな寝顔を逆さまの状態で見つめ、わずかに笑みを浮かべた。

しかしすぐに表情を真面目なものへと一変させて話を本筋に戻す。

 

 

「…………ま、何はともあれさ。聖、アンタの話とフランの現状を合わせて考えると、

どうにも近いうちに良くないことが起こりそうな気がしてきたわ」

 

「それは、"博麗の巫女としての勘"、ですか?」

 

「……………まぁ、ね」

 

「そうですか。ではやはり、一刻も早い対応が求められるでしょう。

どうか力を貸してはもらえませんか? 異変解決者として、博麗の巫女として」

 

「言われなくてもその『影写しのアソビ』ってのが出たら退治してやるわ」

 

「心強い言葉です」

 

「…………協力するなんて、一言も言ってないわよ?」

 

「あら、私も力を貸してほしいと言っただけで、手を組んでくれとは言ってませんが?」

 

「……………この生臭坊主め、根に持つなんて住職らしくないっての」

 

「祀るべき神も無いまま巫女をやっているより、よっぽど信心家よ?」

 

 

互いに薄い笑顔の下に見え隠れする怒りの感情を確信しつつ会話を終える。

すると横で始終を見ていた幽香が立ち上がり、そのまま歩いて外へ出ていった。

急に立ち去ろうとする彼女の行動が理解できず、残された二人は頭に疑問符を浮かべた。

靴を履いて神社の境内まで歩いた幽香はそこで立ち止まり、振り返ってようやく語った。

 

 

「私は元々、今日一日だけ同伴するって約束だったから帰るだけよ。

それと霊夢、フランが目覚めたら伝えておいてほしいことがあるのだけれど」

 

「…………何よ」

 

「あの子に、『待ってるから、いつでもいらっしゃい』と伝えておいて」

「アンタがそこまで気に掛けるなんて、明日は雨の代わりに花でも降るの?」

 

「それは素敵ね。でも、別に理由なんてないわ。ただ、気に入っただけよ」

 

「気に入った、ねぇ」

 

「ええ、それじゃ」

 

 

日頃から常に差している愛用の日傘を差し、それをクルクルと回しながら参道に姿を消す

幽香の後ろ姿を見つめ、霊夢はただただ彼女の珍しい行動に驚いていた。

そうしていると今度は聖も立ち上がって靴を履き、同じように出て行ってしまった。

アンタまでどうしたの、と霊夢が声をかけると、聖は真面目な顔つきで返答した。

 

 

「あなたの勘は外れない。ならば、早急に手を打つ必要があります。これから私は

命蓮寺へ戻って皆にこれからどうするべきかを問い、打開策を練ろうかと」

 

「あらそう、頑張ってね」

「……………霊夢、先程の件ですが、協力はできませんか?」

 

「してもしなくても、お互い好きに動くから一緒でしょうに」

 

「…………それもそうですね。それでは、お邪魔しました」

 

 

最後に聖は再び手を結ぶ話を持ち掛けたものの、霊夢はそれを手の動作で軽くあしらう。

あからさまな拒否の意を受けた聖は残念そうな表情を浮かべ、そのまま空へ浮き上がった。

来た時とは違って飛んで帰るのか、と小さく呟いた霊夢を残して聖は彼方へと消えていく。

 

 

「_____________あ」

 

 

そして改めて自分の置かれた状況に気付いた霊夢は、若干の怒りを含んでため息をつく。

 

 

「フランとあのウサギ、私が面倒見るの…………?」

 

 

しかしその問いかけに答えてくれるものは、霊夢の近くにはいなかった。

 

 

こうしてフランの、愛しい執事を探す冒険の一日目が終わりを告げる。

彼女の二回目の紅魔館外で明かす夜は、寝床を模索する霊夢のいる博麗神社となった。

 

 

 







いかがだったでしょうか?
久々の投稿かつ風邪からの病み上がりなので、短めにさせていただきました。
いえ、決して思いつかなかったわけじゃないんです。本当なんです。

しかし金曜日の夜に書き始めてなんで土曜の真夜中なんですかねぇ。
本当に自分の計画性と継続力の無さには頭が痛くなるばかりです。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十伍話「禁忌の妹、温和な日常」


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第伍十六話「禁忌の妹、温和な日常」


どうも、風邪が治ってから筋トレに励む萃夢想天です。
そう言えば今日は9月9日ですね。東方好きならお判りでしょう?

言わずもがな、⑨ことチルノの日ですね‼(アタイサイキョー‼)

まぁだから何だというわけではありませんよ、ええ。
そんなことよりも皆様、実は重大なお知らせがございます。
なんとこの私、萃夢想天がSSライターとしてこのサイト様にお世話に
なり始めてから、既に一年が経過しておりました! 時間って残酷ね。

そんなわけで、これからもこの作品ともども気合を入れて書かせて頂きます。
ですのでどうか、応援よろしくお願いいたします!


それでは心機一転、一周年のはりきりと共に、どうぞ!





 

 

 

自分が普段慣れている環境と別の場所で過ごすというのは、想像以上に身体に負担をかける。

 

これは心理学的にも医学的にも証明されていることだが、この幻想郷には関係の無い話である

はずだったのだが、この場合に置いては先程の話題は見事に当てはまるだろうと思われる。

何故このような話題が挙げられたのかというと、それは彼女の状況に起因しているのだ。

 

 

「…………あれ? ここ、どこ?」

 

 

寝ぼけ(まなこ)をこすりつつ、睡眠から覚醒した直後の回転の鈍い頭で現状の把握に努めたものの、

その努力は徒労に終わる結果となり、目覚めた彼女は思考を放棄して再び眠りに就こうとした。

 

 

「おいこら、寝るなってのよ」

 

「うわっ⁉」

 

 

しかし二度目の睡眠への潜航は何者かの妨害を受けて失敗し、強制的に思考が活性化させられる。

自分の頭部を支えていたはずの枕を蹴飛ばした人物を仰向けの状態で視認し、ため息を吐いた。

 

 

「なぁんだ、霊夢か。おはよう」

 

「おはよう、じゃないわよ。流石に二度寝は許されないからね」

 

「んん~? あれ、霊夢がいるってことは…………ここ博麗神社?」

 

「今頃? 人の寝床奪っておいて随分とお気楽なこと言ってくれるわね、ホント」

 

「え、嘘!」

 

自分を上から不機嫌そうな顔つきで睨みながら見下ろす博麗の巫女と、姿勢そのままに会話する。

だが彼女の発した言葉の意味を、ようやく働き出した脳が理解すると同時に、鈴仙は飛び起きた。

慌てた様子の鈴仙を半ば三白眼になりつつある霊夢が、睨みを利かせて言葉を用いず黙らせた後、

着いてこいと言わんばかりに首を傾けてから卓袱台の置いてある座敷へと移り、座り込んだ。

鈴仙はもちろん一泊させてもらった家主の後ろに続いて移動し、反対側に腰を下ろした。

「あ~~、ったく。なんで私が賽銭も奉納しない罰当たりを泊めなきゃいけないんだか」

 

「…………相当不機嫌みたいね?」

 

「あったりまえでしょうが! こっちはアンタとフランに寝床貸したから寝れなかったのよ‼」

 

「あ、それは、ゴメン」

 

「……………フランは色々訳アリみたいだから許すけど、アンタはどうなのよ」

 

「え、私?」

 

「そう。だって幽香も聖も自分がフランと会った時にはアンタがいたって言うんだもん。

だったらあの二人よりも先にフランと出会ってるはずのアンタから事情聞くのが筋でしょ?」

 

席を移すなり霊夢の口から吐き出された話題は、自分とフランについての事だった。

寝起き直後の自分に昨日の出来事を話せというには、随分思いやりが欠ける対応のように

思えた鈴仙だったが、よく考えれば相手はあの霊夢だ、そう思い至って考えるのを止めた。

茶の一杯も出ないまま、不機嫌な霊夢の対面に座った鈴仙は仕方ないと折れて、事情を語る。

 

 

___________玉兎説明中

 

 

鈴仙が霊夢に自分とフランの遭遇からここまでの経緯を説明し終えた頃、朝日が昇った。

 

 

「え? ちょっと、もしかして一夜明けちゃった⁉」

 

「だからそう言ってんじゃないの、寝れなかったって私言ったわよね?」

 

「あ、そっか。いや本当にゴメン。まさかそんなに寝ちゃってたなんて」

 

「………ま、今の話を聞く限りじゃアンタも巻き込まれた側みたいだし、大目に見てやるわ」

 

「それはどうも」

 

 

早朝特有の爽やかさと肌寒さを織り交ぜた西風が、吹き抜けの座敷にいる二人にぶつかる。

少し話し込んだものの、寝起き特有のぼんやりとした感覚が抜けない鈴仙と不眠の霊夢は

お互いに身震いし、顔を見合わせて苦笑し、温かいお茶を淹れようと同時に立ち上がった。

霊夢はほとんど味の染み出なくなった茶葉の袋を取り出し、鈴仙が台所で湯を沸かす。

口数は少なかったが、別に仲が悪いわけでない二人はそろって朝の一服に従事した。

 

 

「「ほっ…………あったかぁ~い」」

 

 

沸かした湯を急須に入れて、軽く揺すって湯呑みに中身をこぼさぬよう丁寧に注ぎ、

人肌の温度を軽く超したそれを両手で大事そうに掴み、二人同時に傾けて息を吐く。

日が昇ったばかりのやや寒空の早朝に、淹れたてで熱い緑茶の温度と味を十全に愉しむ。

賽銭も貰ってないのに贅沢させすぎた、と憎まれ口をたたく霊夢と鈴仙は互いを見て、

細かい事情はともかく今だけは、普段とは違う特別な今は静かに過ごそうと目を閉じる。

 

瞳を閉じ、視覚が遮断されたことによって他の感覚器官がその不備を補おうと鋭敏になり、

肌で風を感じる触覚も、木々や葉が揺れる音を聴く聴覚も、全てがこの時に風情をもたらす。

日頃雅さだとか風流だとかには関心を示さない霊夢も、この趣あるわずかな瞬間(ひととき)に心は安らぎ、

日常的に竹林の静寂の美を感じている鈴仙もまた、隣の巫女同様に穏やかな時間に和んだ。

 

「なんか、こういうのもいいわね」

 

「………竹林も見事だけど、こっちも素敵」

 

「なんて言えばいいか分からないけど、落ち着くわ」

 

「早起きは三文の徳ってヤツかもね」

 

がらにもなく乙女らしい静かな時を過ごした二人は、湯呑みの茶をゆっくり嚥下(えんか)する。

やはり味の薄くなっていたソレも、この場に限って言えば尾を引く苦みが好ましい。

いつもの日常とはかけ離れた時間の使い方をした二人は、そろって大きくあくびした。

すると彼女らの後ろのふすまがスルスルと開き、奥からもう一人の少女が姿を現した。

 

 

「ん…………れいむ、れーせん?」

 

「あ、起きちゃったか。おはようフラン」

 

「あら、吸血鬼がこんな早起きしていいの?」

 

「………早起き?」

 

 

流れるような金髪の少女、フランは眠そうな顔のまま二人の元へ歩み寄ってくる。

やって来たフランを体の向きを変えて抱きしめた鈴仙は、その頭を軽く撫でてやると、

甘ったるいような声を漏らしつつも眠気を我慢する彼女に愛くるしさに似た何かを感じた。

そんなフランを横目にしながら、霊夢が打って変わって優しい声色になって心配する。

 

「吸血鬼のアンタは寝てる時間なのに、いいの?」

 

「ん………だいじょーぶ」

 

「本来の生活と逆転してるんだから、大丈夫じゃないと思うけど」

 

「………だいじょーぶ。紅夜が起こしてくれたから」

 

「「え?」」

 

 

目をこするフランの呟きを聞いた二人は驚き、周囲を見回してみたが人影は無かった。

再び視線を鈴仙の腕の中に戻すと、まだフランの頭は舟を漕ぐようにカクカク揺れていた。

 

「なんだ、夢か」

 

「だと思う。でもすごいね、夢の中にまで出てくるなんて」

 

「何がすごいのよ」

 

「何がって、それだけこの子があの人間の事を好きだってことよ」

 

「………レミリアと咲夜みたいなものじゃないの?」

 

「似てるけど違うと思うな。あっちは同性だけど、こっちは異性だもん」

 

「……………私にはよく分かんないけど、フランにとってアイツは大事ってこと?」

 

「んー、まぁそんな感じでいいかな」

 

 

目が徐々に細くなっていくフランを抱きながら、鈴仙と霊夢が話題の人物について語る。

その中で鈴仙はフランと彼との関係を少しだけ邪推したのだが、霊夢は気付かなかった。

二人はしばらくそのまま朝の風に体を晒した後、早めの朝食作りに取り掛かる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊夢と鈴仙が思わぬ安らぎを体感した早朝から約三十分後、フランは再度目覚めた。

いわゆる二度目から覚醒した彼女は周囲を見回し、自分の記憶にない場所であると

認識した瞬間、言いようのない恐怖に苛まれたが、自分の目が覚めたことに気付いた

二人がそろって顔を見せたことで安心し、ようやく体を立ち上がらせて活動を開始させた。

 

 

「おはようフラン。よく眠れた………って言うのもおかしいか」

 

「アンタんとこの朝食には劣るでしょうけど、朝ご飯できたから座りなさい」

 

今回の旅に連れ立ってくれた鈴仙はもちろん、霊夢の言葉にも素直にうなずくフラン。

しかし改めて自分のいる環境に目を向けてみると、右も左も分からず困惑してしまった。

そもそもフランは、幻想郷でも特異な、紅魔館という洋館の地下に幽閉されていたので、

そこから外の事は話で聞いた程度しか知らなかったし、教師も親もいないため、教育や

教養ですらも与えられてこなかったので、元々知らないことが多過ぎるのである。

その上で彼女は普段、地下牢に運ばれてくる食事を取るだけしかしてこなかったのだ。

今でこそ異変の影響や新たにやって来た執事のおかげで住人と一緒に食事を取る事ができる

ようにはなっていたのだが、この時点で既に、フランにはある重大な欠点が生じていた。

 

そのことに彼女自身が気付くのは、食事が運ばれてきた後のことだった。

 

 

「ハイできたっと。鈴仙、これそっちに置いて」

 

「はいはい。さ、フラン。一緒に朝ご飯食べましょ!」

 

「うん! 食べる…………あれ?」

 

「何? どうかしたの? こんな質素な食事じゃ不満?」

 

「アンタね、比べる基準がおかしいのよ。ウチと紅魔館なんて、比べられるわけないじゃない」

 

 

卓袱台に並べられた多くの皿や茶碗、その全てに、純日本の食物が盛り付けられていた。

 

麗美な(がら)も鮮やかな模様も無い普通の丸皿の上には、小ぶりな川魚の干物があり、

日持ちするようにと天日干しされて生命独特の色を失ったソレは、あまり食欲をそそらない。

食べられない内臓は取り出されているものの、内部の骨や干からびて白濁とした魚の目玉は

見ていて気持ちのいいものではなく、フランもわずかに顔を引きつらせている。

なるべく干物から目を逸らそうと移動した視線が次に捉えたのは、椀の中にある白米。

日本人であれば馴染み深い一品だが、生憎フランのいる紅魔館ではパンが主食を占めている為、

495年の時を生きてきた彼女であっても、米粒を見るのは生まれて初めてなのであった。

土釜で炊かれた直後の温もりの証拠として立ち昇る湯気を目で追い、興味津々に覗き込む

フランなのだが、その椀のすぐ隣にも同じように白い糸を揺らめかせる器を発見した。

ご飯の隣に置かれる温もりある朝食と言えば、至極の当然、味噌汁である。

木を材料に職人の腕で丁寧に作り上げられた軽めの器いっぱいに、独特な匂いの汁が揺蕩い、

具材として入れられた若菜や大根、つみれという鶏肉の団子がその中で浮き沈みを繰り返す。

赤味噌を溶かして作られた汁は、なまじ赤土の泥を煮込んだ液体のように見えなくも無い。

他にもいくつか見える小皿には、根菜の漬物などが盛られているが、フランは注視せずに

自らの手元に置かれた、これまた日本人には馴染み深いあるものへと視線を落とした。

 

そう、並べられた食品を見やったフランの視線が最後に辿り着いたのは、(はし)だった。

 

 

「コレ、なぁに?」

 

「「え"」」

 

 

手元に置かれた二本の棒をつまみ上げながら問う彼女に、あるまじきものを見る目を向ける二人。

だがそれも仕方が無い。フランは未だかつて、日本食というものを食べたことが無いのだから。

ならば当然箸も使ったことが無いに決まっている。霊夢と鈴仙はここでようやくそれに気付いた。

 

 

「あ、そうか。アンタんとこだとこういう食事出ないから、知らないんだ」

 

「なるほどね。確かに咲夜がわざわざ日本食なんて作って出すとは思えないし」

 

「完全に誤算だわ。そっか、まずはお箸の使い方から教えなきゃダメなのね」

 

「?」

 

「あーいいわ。フラン、その棒はお箸と言って、和風のご飯を食べるのに必要なの」

 

「おはし?」

 

 

先の方へいくほど短くなっている不思議な造形の棒をまじまじと見つめ、フランはお箸を知る。

食事を始めようとしたところで、食事の仕方が分からないという事実が発覚してしまい、

霊夢と鈴仙は仕方ないと肩を撫で下ろして付き添いながら日本食の食べ方を教え込んだ。

 

 

「そう、お箸はこう持って。そうそう!」

 

「それで、食べ物をこう持つの。出来る?」

 

「やってみる!」

 

 

二人の臨時講習を受けたフランは早速、目の前にある椀の中の白米に箸を向け、挑む。

慣れないどころか生まれて初めて扱う箸で、ゆっくりかつ不安定な動きで米粒を掴み、

そのまま慎重に持ち上げながら口元へ運ぼうとしたが、指が震えて椀に戻ってしまった。

 

 

「あぅ………お箸って難しいのね。霊夢もれいせんもすごいわ」

 

「慣れれば簡単よ。頑張ってみなさい」

 

「大丈夫、ゆっくりでいいわ。出来なかったら私が食べさせてあげるから」

 

「うん、もう一回がんばる!」

 

 

そばで見守る二人からの声援を受けつつ、やる気を見せるフランが再び白米に挑んだ。

だが素質と言うべきか才能と言うべきか、今度はあっさりと米粒を掴んで口に入れた。

元々彼女が地下に幽閉されたのは、そのすさまじい力と程度の能力が理由だったのだが、

あの執事、紅夜が来てからは彼の愛の鞭、もとい指導を受けた結果ある程度の制御ができた。

つまり、教え方と本人のやる気さえあれば、彼女は何でもそつなくこなせる才を発揮できるのだ。

そうとは知らず数分で使い方を覚えた本人を含め、三人は驚きと喜びを同居させたような顔で

ほんの小さな成長を喜び合った。その後もフランは急成長を続け、十分が経つ頃にはもはや

見守る事が不要なほど扱いを心得てしまい、純和風の食物も難なく食すことができた。

 

ただ、初めての味は口に合わないものがほとんどである。

 

 

「………味がしないわ」

 

 

素直な感想を呟いたフランは、無味無臭の白米を不思議そうに見つめ、再び口に運ぶ。

しかし何度繰り返しても彼女の味覚は米のわずかな旨味を感じ取れず、胃袋へと押し込む。

こうしてフランの初めての日本食デビューは、博麗神社の質素なもので果たされた。

 

けれど彼女は何度思い返しても、白米の無味と干物の骨だけは好きになれそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食を終えて三人はしばらくの間休んでいたが、霊夢がある事に気付いた。

 

 

「アンタら、賽銭出してないわよね?」

 

 

彼女のこの言葉をきっかけに、賽銭を持たずに一宿一飯の恩義を受けてしまった

フランと鈴仙は、霊夢への恩返しとして命令を聞かざるを得なくなったのだった。

 

そして時は現在、ちょうど昼前。

 

 

「なーんで私たちが境内の落ち葉掃きなんか…………」

 

「~~♪」

 

「フランは何で楽しそうなのよ、もう…………」

 

 

やたら疲れた顔をしている鈴仙と鼻歌を歌うフランの二人は、境内の掃除を命じられた。

今より二時間ほど前に言い渡され、それから一切の休みも無いまま二人は掃き続けている。

それほどまでに落ち葉が多いのかと言われれば、決してそういうわけではないのだが、

二人が落ち葉掃除を始めてから今まで、実は霊夢の顔見知りが何人か訪ねてきていたのだ。

無論その人物らは当然空を飛ぶ能力を有しているため、着地地点である境内にやって来る度、

掃き集めた落ち葉の山が着地の余波と風で舞い飛んで、その都度やり直して今に至る。

 

ボロボロになった竹箒をダラダラと掃く鈴仙と、初めての作業と風景や出会いに心躍る

フランと、対照的な態度で落ち葉掃除を続けている二人だったが、ここで同時に腹の虫が鳴った。

思えば鈴仙もフランも、自分たちが暮らしている場所ではもっとマシな朝食を取れていたのに、

いくら事情が事情とはいえ質素極まる博麗の巫女の朝食後にこの労働、腹が保つはずがない。

鳴り出して止まない腹部をさすりながら、鈴仙は晴れ晴れとした空を仰いで情けなく呟く。

 

 

「お腹空いてきちゃった…………今頃永遠亭ならどんなご飯が出てるんだろう」

 

少なくともこんなに質素じゃないよねぇ、と軽く拗ねた鈴仙の頭部にお祓い棒が直撃した。

 

 

「質素で悪かったわね、質素で」

 

「居たんなら居るって言いなさいよ!」

 

「私が私の家にいるだけで、なんでアンタに在宅かどうかを伝えなきゃいけないわけ?」

 

「そ、それは…………」

 

 

いつの間にか背後にいた霊夢に頭部を叩かれ、いつもの癖で少し強気に出てしまった鈴仙は、

あまりに正論で返されたために何も言えなくなってしまい、バツが悪そうに顔を背ける。

そんな態度を取る鈴仙を見て、悪そうな部分が見え隠れする笑みを浮かべた霊夢が語った。

 

「ったく、態度悪いわね。お昼は人里の定食屋に行こうと思ったけど、アンタは留守番ね」

 

「ごめんなさい霊夢さん! 私が悪かったです! ですからどうかお慈悲を!」

 

「ホント現金なヤツよね」

 

 

平伏してゴマを()り始めた鈴仙をジト目で見つめる霊夢だったが、結局は折れた。

 

 

「はいはい分かったから、さっさと準備しなさい。フランも行くわよー」

 

渋々といった体で同行を許した霊夢を見上げながら感謝する鈴仙。そんな二人の姿を見た

フランは自分が落ち葉集めに没頭している間に何が起こったのかと考えたものの、答えは

出ることはなく、霊夢が一緒に出掛けると言ってくれたことへの嬉しさが勝った。

 

 

「行く!」

 

「ちょっと待って。フラン、待っててあげるから手を洗ってきなさい。

ほらアンタも、落ち葉掃除でいろんなところが汚れてるじゃない。ほら早く!」

 

「早くって、誰がやらせたのよ………」

 

「留守番頑張ってね」

 

「あー! ちょっと待ってってばー‼」

 

霊夢に促されて手を洗いに行ったフランを追いかけるように鈴仙も駆けていき、

しばらくしてから戻ってきた二人と共に、三人は一路、人里へ向けて歩き出した。

 

 

「それにしても、あの霊夢が外食なんて珍しい」

 

博麗神社のやたらと長い参道を歩いて下ってから出た道沿いに歩き十分ほど経った頃、

思い出したように呟いた鈴仙の言葉に、霊夢は珍しく怒ることなく普通に応えた。

 

 

「まぁ自分でもそう思うけど、コレはただの外食じゃないのよ」

 

「どういう事?」

 

「この前晩御飯の具材を買いに里を通りかかったら、新しくお店が建てられてたの。

あんまり人が少ない場所に建てられてたから気になって、そこにいた人に声をかけたら」

 

「かけたら?」

 

「角を隠してた【鬼】の姉妹だったのよ」

 

「はぁ⁉ 鬼ぃ⁉」

 

「?」

 

「そ、鬼。でも何も企んでないって言ってたし、純粋に料理を作ってるだけみたい。

それにほら、その時にコレをくれたのよ。一品無料券、それもこんなに!」

 

 

霊夢の話を聞き終えた鈴仙は、差し出された何枚かの紙なんかに興味を抱かなかった。

それよりもつい先ほど話した話題の方が、よほど問題だらけで目がそちらにしかいかない。

慌てふためいた様子で落ち着きが無い鈴仙を見たフランは、スカートの裾を引っ張って

どうかしたのかと心配するが、動揺しつつも大丈夫だと応えた鈴仙を見て安堵した。

フランの心配でいくらか動揺が収まった鈴仙は、改めて霊夢に話の内容の説明を求める。

 

 

「あ、あのさ、霊夢。もう一回話してくれない? 誰が、どこで何してるって?」

 

「急にどうしたのよ? 別に鬼が人里で店開いてるだけでしょうが」

 

「それが問題なんでしょ⁉」

 

「博麗の巫女である私が問題無いっていうんだから大丈夫よ。そんなに不安なら、

今から行くから自分の目で確かめてみなさい。あの子たちに害意は無いから」

 

「………………………」

 

 

しかし説明を面倒くさがった霊夢のはぐらかしで、鈴仙はまたも何も言えなくなる。

博麗の巫女として何とかと言っているが、一種の妖怪に近い存在である玉兎と呼ばれる

月出身のウサギである彼女もまた、幻想郷の鬼の強さを知らないわけがなかった。

そんな鬼が人里で店を開いているという。何かの冗談かと思いきや霊夢は至って真面目だ。

もはや何をどうしたらいいのかも分からない。鈴仙は諦めの境地に達していた。

 

三人は並んで歩き、しばらくして目的地である人里に辿り着いた。

里の門は昼間であっても閉ざされているだが、博麗の巫女の権限があれば何ら問題は無い。

無言のまま開かれていく扉の前ではしゃぎまくるフランの真横で、鈴仙は軽く壊れていた。

 

 

(どーしてこーなるのよぉ! 姫様ぁ~‼)

 

 

鈴仙の心の叫びは露知らず、霊夢とフランは目的地の食亭へと歩き出していた。

 

 

 





いかがだったでしょうか?
一周年記念と言うことで少々、身が入りまくりましたね。

フランちゃんは才女。異論は認めるけど論争不回避。

紅魔館じゃ絶対日本食でないと思ってたんで、今回の話を思いつきました。
日本人には当たり前でも、外国の方には驚きの連続です。ジャパンショック。
その驚きの一端でも、どうにか表現できたのではないかと拙い文章ながらも
思っております、というか思わせてくださいお願いです。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十六話「禁忌の妹、安寧の日々」

ご意見ご感想、並びに批評もドンドンいただきたいです!


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第伍十七話「禁忌の妹、安寧の日々」


どうも皆様、「うたわれるもの」という神アニメを全話視聴して
涙が止まらなくなった萃夢想天です。アレは文字通りの"神"アニメやでぇ……。

皆様もご興味を持たれた方はぜひご覧になってください。
そのアニメを、見るのだぞぉ! アレは、アレはいいものだぁ‼

ウィツァルネミテア参拝はこのくらいにして。
今回からあと2話ほどは、フラン様の日常パートを書いていく予定です。
まぁ知っての通り私には文才が無いので、如何ともし難く…………ハイ。


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

「わぁ~~っ!」

 

 

かなりの広さの土地を囲む柵、そして厳重な扉を越えた先にある人の集落を目にした途端、

その景色を見慣れている霊夢と鈴仙よりも先に、開口一番でフランが大声を上げた。

里の入り口にいた人々は声の発生源である彼女を見て怪訝そうな視線を向けるものの、

当の本人はそれに全く気付くことなく、ただただ純粋に初めてみる景色を楽しんでいる。

ピョンピョンと飛び跳ねながら喜びを表現する彼女を流石に恥ずかしいと感じたのか、

ようやく霊夢と鈴仙の二人は人里を見て歓喜する少女に落ち着くよう声をかけた。

 

 

「あのね、気持ちは分かるけど静かにしてなさいよ? アンタが吸血鬼だって里の人たちに

バレたらどうなるか分かってんの? お願いだからお昼食べ終わるまで静かにしててよね」

 

「?」

 

「確かにはしゃぎ過ぎだとは思うけど、それでどうして霊夢に不利になるのよ」

 

「なるに決まってるでしょ⁉ ただでさえ少ない参拝客から賽銭もらえなくなるじゃない‼」

 

「…………これで神社の巫女なんだから、世の中どうかしてるよねぇホント」

 

「なんか言った?」

 

「何でもないです」

 

「?」

 

 

天真爛漫にして純真無垢たるフランには、霊夢と鈴仙が何故言い争い始めたのかが、

分からなかったのだが、それでも自分が浮かれたことが発端だということは理解した。

妙に威圧的になった霊夢とその人から目を逸らして距離を開けた鈴仙の二人の間に戻り、

今度は大人しくしているというアピールも込めて、二人の服の裾を掴んだ。

フランの行動に気付いた二人は言い争いを止め、溜め息混じりに目的地へと歩を進める。

 

 

「それにしても、鬼の姉妹が人里で料理をねぇ」

 

「アンタまだそれ言ってんの? 大丈夫だって言ってるでしょうが」

 

「霊夢基準で大丈夫とか言われてもさ…………」

 

「この博麗の巫女のありがたい厚意を無下にするようなこと、しないわよね?」

 

「どう転んでも無事じゃ済まなそう…………ハァ、永遠亭に帰りたい」

 

「フランでさえこうして外に出てるっていうのに。アンタんとこの姫の出不精でも

うつされたんじゃないの? それとも何? 竹林から出たら死ぬ病とかでもかかった?」

 

「あのねぇ………師匠がいるのに病気になんてなるわけないでしょう!」

 

「そ、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど。まぁいいか」

 

お昼時が近いということもあってか、人里の大通りはまさに盛況の一言に尽きた。

道行く人々の顔に満ちるのは、活気と笑顔。辺りには元気な笑い声も響いている。

あまりに多くの人でごった返す道を見やり、霊夢と鈴仙は今頃になって失態だと気付く。

 

 

「あー、そっか。忘れてたけど流石にこのままだと無理か」

 

「?」

 

「だよね。私もうっかりしてた………普段は変装までしてきてたんだっけ」

 

 

そう、二人が気付いたこととは、人里の人間たちから向けられている視線の事だった。

この幻想郷に於いて、人間という種族はあまりに脆弱であり貧弱であり、最弱なのだ。

実を言えば単純な腕力ですら人間にも劣る低俗な妖怪もいるにはいるのだが、人間に

とって里の外に広がる世界は魑魅魍魎跋扈する地獄変であることに他ならない。

だからこそ少しでも人ならざると疑わしき者がいれば、即座に迫害を受けることとなる。

そうして里を追いやられた半人半妖がいれば、上手く人の世に溶け込んで共に日々を過ごす

賢い妖怪などもいるにはいる。しかし最近になっても、妖怪への弾圧は止むことは無い。

 

そして妖怪でなくとも、人でないものであれば当然迫害の対象となる。

今まさに鈴仙はともかくとして、背中に歪な翼をあしらうフランはその対象となりつつあった。

 

「あちゃー、やらかしたわ。どーしようかしら」

 

「どうするも何も、取り敢えず人の少ないほうに行くしか」

 

「馬鹿言いなさいよ。これだけの人に見られてから人の少ないほうに行けば、当然何かを

企んでいるって疑いをかけられるに決まってるじゃない! 少しは頭使いなさいよ!」

 

「なっ! そ、それを言うならそもそも霊夢が頭を使ってればこんな事態には陥ってないわよ!」

 

「へー。アンタ私に喧嘩売ろうってんだ。この博麗の巫女に、えぇ?」

 

「こんな時ばっかり強さを誇張してからにぃ~!」

 

事態が悪化している最中にも関わらず、霊夢と鈴仙は責任を擦り付けあっている。

そんな二人を下から見上げていたフランは、頼れる者がおらず周囲を怖々と見回し始め、

自分たちの目の前で少しずつ数を増していく人混みが分かれ始めているのを見つけた。

何事かと目を見開いて人混みを割きながらこちらに近づいてくる者を見やり、息を呑んだ。

 

「一体何事でしょうか」

 

「こ、これは稗田様! いえ、あの、博麗の巫女様のそばにいるアレが…………」

 

「また巫女さんが不気味なのを連れてきてんですよ」

 

「霊夢さんが?」

 

 

大勢の人だかりの中から姿を現したのは、フランとほとんど同じ背丈の麗しい少女だった。

フランには分からないことだったが、その立ち振る舞いには気品に満ち溢れるもので、

周囲にいた人々はその凜とした佇まいと彼女の正体を知っているが故に道を譲ったのだ。

ざわつく里の人々の様子にようやく気付いた霊夢と鈴仙は、現れた少女の名を呼ぶ。

 

 

「あら? アンタ、阿求じゃない。どうしたのよこんなところで」

 

「こんなところでとはご挨拶ですね。わざわざお迎えに上がったのに」

 

「は? お迎え?」

 

「はい。お迎えです」

 

 

霊夢に名を呼ばれた少女、人里の最高権威者の家系で当主を務める阿求がそれに応じ、

自らは三人を迎えに上がったのだと公衆の面前で告げるのだが、霊夢らは困惑する。

 

 

「お迎えなんて頼んでないけど」

「ふふふ、霊夢さんってば物忘れが激しいんですねぇ」

 

「あ"んですって?」

 

「あらあら、今日はせっかく『吸血鬼の館からご友人を招き入れるから、里の方々が

悪い誤解をしないように迎えを頼むわね』と、先日仰っていたではないですか」

 

「え? 本当なの?」

 

「…………そう、だったかしらね?」

 

 

冷や汗を流しながらあいまいな答えを返す霊夢だったが、もちろん身に覚えなどない。

当然霊夢が知らないことを鈴仙が知っているはずも無く、二人はさらに困惑に陥る。

しかし二人の間にいたフランだけは目の前の阿求の考えを読み取り、彼女が自分たちを

助けようとしてくれているのだと推理し、その考えに乗ろうと賭けにでた。

 

 

「今日は色々とお世話になるわ。よろしくお願いね?」

 

「…………うふふ、こちらこそ。さぁ、立ち話もなんですし、邸宅にご案内しましょう」

 

「ありがたいわ。さぁ霊夢、鈴仙も、行きましょう」

 

「「あ………ハイ」」

 

 

フランの賭けは成功したようで、先を行く阿求の背についていくようにして二人を呼ぶ。

自分たちの知らないところで何が起こったのかと目を何度も瞬かせている霊夢と鈴仙は、

とりあえず里の人々の訝しむような視線から逃れようと、フランについていく事にした。

 

人混みから無事に抜け出してしばらく歩き続けた後、先を行く阿求が振り返る。

そこでようやくフランの顔をまじまじと見つめ、何かに満足したように何度か頷く。

耐え切れなくなった霊夢が何が起きたのかの説明を求めようと口を開くより数瞬速く、

阿求が言葉を口にした。

 

 

「ここまでくれば良いでしょう。危ないところでしたね、フランさん」

 

「………やっぱりあなた、私の事を知ってるのね」

 

「ええ。ああ、紹介が遅れました。私の名は稗田 阿求と申します」

 

「私の名前はフランドール・スカーレット。フランで良いわ」

 

「知っていますよ。貴女の事はほとんど全てね」

 

 

怪しげに微笑む阿求を見て、フランの中に初めて警戒心が生まれる。

それもそのはず、フランは紅魔館の地下に幽閉されていたため、その存在を知る者など

紅魔館の外には数えるほどにしかいない。加えてここは人の暮らす里である。

人間の中でも特別視されていたようでもある彼女に警戒心を強めるのは、当然と言える。

しかしながら阿求はまるでフランを警戒している様子は無く、むしろ興味津々とも取れる

ような表情で見つめ続けていた。しかしそこで霊夢が口を挟む。

 

 

「ちょっと阿求、さっきのはどういうつもり?」

 

「どういうつもり、とは?」

 

「私あんな約束した覚えないんだけど?」

 

「でしょうね。私も聞いてません」

 

「はぁ?」

 

何を言ってるんだと顔で語る霊夢に、阿求はクスリと微笑みを返して語る。

 

 

「あのままではあらぬ疑いをかけられ、博麗の巫女としての信用を大幅に下げることに

なっていたでしょう。そうならないよう、私が気を利かせて話しかけたんです」

 

「…………それは、まぁ、助かったわ」

 

「ええ。これで貸し一つですね」

 

「な、何よその笑みは」

 

「何でもありませんよ。うふふふふ」

 

 

どこかしら陰りのある笑顔をたたえて微笑む阿求に怯み、霊夢は無言で引き笑いを浮かべる。

霊夢を黙らせた阿求はそのまま視線を再びフランへと向けて、今度は優しく語り掛けた。

 

 

「ありがとうございます。私の作戦に乗っていただいて」

 

「やっぱりあなたは私たちを助けようとしてくれていたのね!」

 

「ええ、もちろん。私が貴女たちを見捨てる理由が見当たりませんもの。

霊夢さんは巫女としてもちろんのこと、そちらの方は薬売りとして何度も稗田本邸に

何度も足を運ばれていますし、フランさんに至っては少々遠いご縁がありますもの」

 

「「ご縁?」」

 

 

フランと阿求の会話の中に出た言葉を聞き、霊夢と鈴仙が思わず言葉を繰り返す。

地下牢に閉じ込められていたフランと、人里の由緒正しい御良家当主にどんな縁があるか

気になっての事だろうと、聡明な阿求は即座に悟り、少々自慢げに言葉を紡いだ。

 

 

「実はフランさんの執事、十六夜 紅夜さんに先日お話をお伺いしたことがあったので、

その時に貴女のことも少しだけ聞かせていただいたんですよ。そういう意味のご縁です」

 

「紅夜に会ったの⁉ どこで⁉」

 

「え? 三日前のことですが、何か?」

 

「三日前…………それじゃあ違うわ」

 

「…………何か、あったんですか?」

 

 

阿求が愛しい執事の名を口にした途端、フランが目の色を変えて喰い気味に尋ね始める。

様子の変化に気付いた阿求は冷静になり、何が起きたのかを真剣な表情になって聞いた。

彼女らの後ろで沈黙を貫いてきた二人だったが、口を閉ざしてしまったフランの代わりにと

鈴仙が一歩前に歩み出し、そこから先を阿求に語った。

 

 

___________玉兎説明中

 

 

「………そうですか。あの人が、お亡くなりになるなんて」

 

「三日前と言うと、ちょうど彼が死んだ日になります」

 

「何という皮肉でしょうね。私が彼の行く末を知りたいと望んだその日に、なんて。

私には疫病神にでも憑りつかれていたりするのでしょうか。気が、重くなりますね」

 

「アンタが責任感じる必要なんてないでしょ」

 

「分かってはいるのですが、こればかりはどうも。本当に惜しい人を亡くしました」

 

 

鈴仙が事情を説明し、阿求は数日前に天狗の新聞記者と共に邸宅を訪れたあの青年を

思い出して、心の底から本当に彼の死を悼み、死後の冥福を心中で祈った。

そして自分以上に悲しんでいるだろうフランに視線を戻し、わずかに驚きに身を震わせる。

 

人柄の良いあの青年から伝え聞いた吸血鬼の妹君と、目の前の少女とが一致しないのだ。

その瞳には確かに悲しみが宿っているけれど、それ以上の希望の光も湛えている。

彼が嘘を吐いたのかと一瞬疑ったが、そんな事をする人ではないと内心で一蹴し、

あの時と今とで彼女の中で何かが変わり、成長させたのだと理解して自然と笑顔になった。

 

 

「ですが、フランさんはまだ諦めていないのでしょう?」

 

「えっ⁉」

 

「目を見れば分かります。純粋で、どこまでも彼だけを映すその瞳。

まるで親を追う子か、あるいは兄を探す妹のような、幼さゆえの決意が見えます」

 

「…………アンタ、すごいのね」

 

「はい、私はすごいんですよ?」

 

鈴仙から聞いたのは、自分と別れた後に彼が死んでしまったということだったが、

恐らくその後に大っぴらには話せない『何か』が起こり、そのために地下にいたはずの

フランが外に踏み出し、博麗の巫女と竹林の薬売りを共にして歩き回っているのだろう。

そこまでを聡い阿求は理解し、これ以上は自分の踏み込む領域ではないと判断して、

彼女らの目的の達成と初めての外での旅路の無事を祈り、彼女らを送り出すことにした。

 

 

「お引き止めしてしまってすみませんでした。では、私はこれで」

 

「ええ、こっちこそ悪かったわね」

 

「はい。霊夢さん、貸し一つですよ?」

 

「うっ…………分かったわよ」

 

「ふふ、では薬売りさん、そしてフランさん。どうか、お達者で」

 

「あきゅうも、ありがとう!」

 

 

最後にもう一度霊夢に釘を刺して満足した阿求は、フランたちに別れを告げる。

去り際にフランがお礼の言葉を述べてくれたが、それに応じることはしなかった。

背を向けて歩き出した阿求に、それでもまだ少女が心からの礼句をかけ続ける。

その優しさだけで充分と、彼女はそのまま本宅である稗田邸へと歩き出していった。

 

助けてくれた阿求が去り、三人は改めて目的地である食事処を探そうと歩を進め、

霊夢の記憶を頼りにして徐々に人の気の少ない方へと通りや路地を曲がっていく。

それからしばらく歩き続けて数分後、彼女らはやっと目的地に到着した。

 

 

「ここよここ! 良かったー、やってるみたいだわ」

 

「うぅ、とうとう着いちゃった………」

 

「アンタはホントに情けない奴ね。行くわよフラン」

 

「うん!」

 

「あ、ちょっ………んもー!」

 

 

ここまできてもなお嫌がる素振りを見せる鈴仙にいよいよ呆れ顔になった霊夢は、

横にいたフランに声をかけ、二人で一緒に目の前で居を構える店の暖簾をくぐる。

置いてけぼりにされてはたまらないと、鈴仙も慌てて二人の後を追うように入り、

思っていたよりもこじんまりとしていた店内の空気に、親近感を覚える。

 

既に何人か先客がいたようで、まばらに空いている席があるようだったが、

ちょうど三人並んで座れる席を霊夢が見つけ、フランと鈴仙がその横へと座った。

そこは幻想郷では珍しい、店の厨房が丸見えになる席で、外食そのものが初めての

フランは無論のこと、店内の物珍しさに霊夢と鈴仙までもがそわそわし始めた。

彼女らが座ってすぐ、厨房で動き回っていた人影が三人の前に現れて声を上げる。

 

 

「いらっしゃいませっ! ようこそ、食事処『鬼灯(ほおずき)亭』へ!」

 

「………………しゃいませ」

 

 

元気ハツラツに響いた声のすぐ後に、小さくか細い声も蚊が鳴くように聞こえてきた。

声の主を見ようと顔を上げた三人は、ほぼ同じタイミングで二人の頭部に目を向ける。

 

そこには、紛う事なき"鬼"の証たる角が生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、霊夢さんじゃないですか! 本当に来てくれたんですね!」

 

「まぁね。あとコレ、本当に一品無料にしてくれるんでしょうね?」

 

「それは勿論! この券は使い切りですが、使えば一品無料となります!」

 

「本当ならいいわ。ハイ、じゃあ六枚」

「お! いきなり大盤振る舞いですか? 流石は博麗の巫女!」

 

「お、おだてても何も出ないわよ…………」

 

 

厨房と席の間で、何とも霊夢らしいと言える会話が繰り広げられているが、

そこに鈴仙とフランは混ざらない。というより、話題そのものが無いのだ。

そんな二人を差し置いて、厨房で串を火で炙る少女と霊夢は話を続ける。

 

「それにしても、私はてっきり夜に呑みに来るもんだと思ってました」

 

「あー、私もそのつもりだったんだけど、この二人が来ちゃってね」

 

「おや、ご友人ですか?」

 

「友人っていうより…………まぁ、厄介事の種って感じかしら」

 

それはまた、と苦笑いを浮かべる少女は慣れた手つきで串を次々に回して返す。

串に刺した獣肉や味付けした野菜に満遍なく火が通るようにと、彼女が心がけて

いるための作業なのだが、それは例え世間話の最中であろうと怠らない。

仕事をしながらも話せる少女はそのまま、鈴仙とフランの方を向いて話しかけた。

 

 

「それで、そちらさんは?」

 

「あっ、いや、私は…………竹林の薬売りをやっている者で」

 

「へー! あの永遠亭の? そりゃすごい!」

 

「え? い、いや、私なんて大してすごくなんかないですって!」

 

「いやいや、竹林のお医者様って何でも治せる方だってお客さんに聞きましたよ。

そんなすごい人から薬売りを任されてるだなんて、やっぱりすごい人ですよぉ!」

 

「そ、そう、でしょうか? そうですか?」

 

「そりゃもう!」

 

 

鈴仙との会話をしながらでも、焼き目の付き具合や火の通り加減は見逃さない。

そうして少女が串を調理し終えた頃には、既に鈴仙がすっかりその気になっていた。

店に入った時から警戒心を剥き出しにしていた彼女をここまで落とし込むなんて、

すさまじい客商売の腕だと霊夢は感心してしまう。

 

焼き上がった串を皿に盛り、出来上がった品を先程から一言も発さないでずっと

客席の間を行ったり来たりしていたもう一人の少女に「出来た!」と伝える。

するとすぐにもう一人の少女が皿を手にして、焼き串を注文していた先客へと

運び、そのまま何事も無かったかのようにまた右往左往し始めた。

そんな彼女らを見て、霊夢はあることに気付く。

 

 

「ん、ねぇ。もしかしてアンタたち、二人でお店切り盛りしてるの?」

 

「え? あ、はい! そうですよ!」

「へー! 私なんかよりよっぽどすごいじゃないですか!」

 

 

霊夢の質問に厨房でもう別の品を作り始めている少女が答え、その快活な返答に

さきほど褒められまくってすっかり気を良くした鈴仙も乗りかかって同意する。

そんな中でずっと黙っていたフランが、三人の会話の中に入り込んだ。

 

 

「ねぇ、あなたの名前は?」

 

「はい? 私ですか? 私は、『埴見(はなみ) 稲苹(いなほ)』って言いまして!」

 

「いなほ? いなほって言うのね! 私はフランドール。フランで良いわ!」

 

「フランちゃんですか! 可愛い名前ですね! 見た目にピッタリですよ!」

 

「いなほもかわいいわ!」

 

そうですかねぇ、と軽く否定するような物言いをする稲苹だったが、

その手は一切止まることなく動き続け、フランとの会話の内にもう葉菜の和え物が

皿の中で出来上がっていて、先程と同じ工程で客の下へと運ばれていった。

あまりに息の合った連携に三人は舌を巻くが、フランは重ねて尋ねた。

 

 

「ねぇいなほ、あの子はいなほの妹なの?」

 

「そうです。私の妹の朱火(あけび)って言うんですけど………話すのが苦手でして」

 

「そうなんだ。あけびは私と一緒ね!」

 

「えっ…………い、一緒?」

 

 

姉の稲苹と話していたフランが急に妹の朱火に自らと一緒だと告げ、その予想外の

言葉に朱火は動転し、思わず固まって動かなくなってしまった。

フラン以外の四人が言葉の意味を理解できずにいると、当人がその解を口にした。

 

 

「だって、あけびも私も妹だもの!」

 

「あ………うん。そう、だね」

 

「一緒ね、あけび!」

 

「う、うん。い、一緒なの、かな?」

 

明るく笑うフランとは対照的に、ごにょごにょとどもりながら話す朱火。

そんな二人を見て姉の稲苹と連れの二人は笑い出し、そこに朗らかな空気が生まれた。

 

 

『ごちそーさん』

 

『お代置いとくよぃ』

 

「あ、はい! 毎度ありがとうございました!」

 

「……………ました」

 

 

それから十数分後、先客が全員食事を終えて店を後にしていき、店内に残ったのは

霊夢たち三人と店を切り盛りする二人の姉妹だけとなった。

 

しばらく骨休めだ、と背伸びした稲苹はそのすぐ後で、良い機会だとほくそ笑み、

妹を引っ張って霊夢たちの方へと歩いて移動し、三人の前で挨拶を始めた。

 

 

「改めまして、姉の埴見 稲苹です!」

 

「…………妹の、あ、朱火、です」

 

そうして並んだ二人を見れば、実に対照的であることがハッキリと分かる。

 

火種によって熱を放つが如き赤銅色の髪をうなじの少し上の辺りで一総にまとめ、

(ひたい)の(当人から見て)右側に、"く"の字に上を向いた角を生やしている。

上半身は動きやすいようにだろうか、元は長かっただろう袖は引き千切られるように

無くなっており、少々くすんだ草色の帯を腰に巻き、袴のように見える作りをした

濃い赤紫色のドレスともども下半身をすっぽりと包み隠している。

丁寧に切りそろえられた前髪の下で開くのは、髪とは正反対の澄んだような青の瞳。

可憐な見た目にして根気快活な片角の少女こそ、姉の埴見 稲苹である。

 

ところが、隣に並ぶもう一人の少女は、実に真逆であった。

 

輝きを放つ銅器が時を経たが如き青銅色の髪を、雑にだが適度な長さで切った短髪。

その前髪から突き出るようにして、額の左側に上向きに曲がった角を生やしている。

上半身と下半身は統一された着物で、決して汚いわけではないにしろあまり目立たぬ

色合いに染まった布地故か、彼女を印象をあまり飾らせるものではなくなっている。

胸の部分や袖口の辺りに、白地で"三つ巴紋"と呼ばれる模様がところどころに描かれて

いるだけで、あとは目立った装飾品や目を引く鮮やかさなどは見受けられない。

正面を見ていても視線を遮るほどの前髪からのぞくのは、燃え盛るような赤の瞳。

 

素凡な見た目にして寡黙静動な片角の少女こそ、妹の埴見 朱火なのであった。

絵に描いたように対照的な二人を前にして、霊夢と鈴仙は言葉も出ない。

しかしことこういう場合において空気を読まないフランは、臆せずに声をかける。

 

 

「二人ともよろしくね!」

 

「はい! よろしくね、フランちゃん!」

「あ、え、うぅ……………よ、よろしく」

「うん!」

 

 

フランに声をかけられた二人は、それぞれ印象的な返答を返し、

彼女らの答えを聞いたフランは喜びと言う花が開花したような笑みを浮かべた。

 

あまりに人懐っこく愛らしい笑みに、その場にいる者の視線を釘付けにする。

ところがその笑みが直後に揺らぎ、今度は恥じらいを織り交ぜた儚い顔へと変わった。

消極的な朱火を除く三人がどうかしたのかと尋ねる前に、フランは心中を語った。

 

 

「あ、あのね。私____________二人とお友達になりたいの!」

 

「と、友達、ですか?」

 

「…………な、なんで、私たち、と?」

 

フランのあまりに突然な告白に一同はたじろぎ、姉妹はそのわけを尋ねる。

するとフランは悲しげな表情を浮かばせ、溢れんばかりの思いの丈をぶつけた。

 

 

「だって、だって私、こうしてお外に出るの初めてだったから!

お友達がいなくて…………だから私、お友達がほしいの! 初めてのお友達が!」

 

「フラン…………」

 

フランの独白を聞き、霊夢と鈴仙の瞳にもわずかな憐憫が浮かび上がった。

特に霊夢は彼女の事情をある程度は知っているため、同情も共感もできてしまった。

鈴仙はその辺りの話に詳しくはなかったが、今回の旅でフランという一人の少女を

知り、彼女の秘めたる思いの強さを感じていたため、同情も共感もできたのだ。

 

フランが勇気を出して言った言葉を受けた鬼の姉妹は、顔をしかめて口を開く。

 

 

「お気持ちは、嬉しいんだけど…………」

「わ、私たちは、鬼、だから」

 

「フランちゃんも人間じゃなさそうだけど、きっと深く関わらない方がいいよ」

 

「ず、ずっとずっと、そ、そうだったから。だから、無理だよ」

 

姉妹の口から出たやんわりとした拒絶の言葉を、フランは受け入れなかった。

地下に閉じ込められていたフランは当然知らないが、鬼とは、最強の種であった。

数多くある妖怪の中でもその力はまさしく別格。その名を戴く者は多くあれども、

頭から角を生やし、酒を湯水の如く飲み干す彼女らは純粋たる鬼なのだった。

鬼の名は、ある時は恐るべきものの名として。

ある時は忌み嫌われるべきものの名として。

またある時は他が及ばぬ力を持つものの名として、謳われてきた。

荒ぶる神と称えられ、悪しき化生(けしょう)と打ち払われ、人はその力を恐れた。

万物を砕く力を持ち、万能を越える術を操り、妖はその名を忌み嫌う。

強過ぎるが故に何者からも逸脱し、居場所を失った哀れなる存在。

強過ぎたが故に何者をも恐怖させ、居場所を奪われた悲しき存在。

 

例えそれが子供の鬼であろうとも、比類なき力の権化には変わりない。

それを知っているからこそ、彼女たちは自分たちの悲惨たる宿命に巻き込ませまいと

フランを庇うために友と呼び合う好機を、自ら手放そうとしたのだ。

しかし悲しき運命を背負っているのは、彼女もまた同じであった。

 

この世に生まれ落ち、最初に触れたのは親の温もりではなく地下の冷たい檻。

時が経つと共にすり減り、小さく消えかけていく心を無くさないようにするため、

彼女は自らの心を"壊す"ことによって狂気の渦に自身を沈めたのだ。

 

だからこそ惹かれ合ったのか。彼女の姉に言わせればこれも、運命なのか。

 

 

「いなほ、あけび」

 

 

だからこそフランは、負けず折れず屈せず、二人を見据えて微笑む。

 

 

「私と、お友達になって?」

 

 

狂気に飲まれ全てを壊していた少女が、初めて誰かに手を差し伸べた。

差し伸べられた幼く白い小さな手を、鬼の姉妹は、拒むことはできなかった。

 

フランの手を取り、二人は泣きそうな顔のまま微笑みをたたえて言った。

 

 

「「喜んで‼」」

 

 

こうしてフランは、生まれて初めて『友達』と笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー、ごちそうさまでした!」

 

「久々に満腹感を味わったわ………いや、満足満足」

 

 

フランが初めての友達を得てから三十分ほど経過した今、三人は昼食を終えて

味わった食事の美味しさと空腹を満たされた幸福感に酔いしれていた。

席の上で緩んだ顔を見せる三人を見て、フランの新しい友達は笑みを浮かべる。

 

 

「それだけ喜んでもらえれば、私たちも満足です!」

 

「…………ふ、フランちゃん。お、美味しかった?」

 

「うん! とっても美味しかったわ! ありがとう!」

 

 

幼い吸血鬼の曇りのない笑顔を見て、鬼の姉妹も満足げに頷き合う。

そうして食後の余韻に充分浸った後、店を出ようと三人は同時に立ち上がる。

そのまま店を出ようとして一度止まり、振り返った霊夢が不安げに姉妹を見つめて言った。

 

「あのさ、本当にいいの? お代いらないって」

 

「はい! お代以上のもの、いただきましたから!」

「…………ゆ、友情。お、鬼は恩と、義と、情に応えます」

 

「ですので、今日はお代は結構です! 無料券もお返ししますよ!」

 

「そ、そう? なんかこっちが逆に申し訳なくなってくるわ」

「確かに…………フラン、行こうか」

 

「うん!」

 

 

入店時に渡した無料券を返された霊夢は、かえって居心地の悪さを感じてしまい、

鈴仙も申し訳の無さに頭が上がらなくなりそうになってきたために退出を促す。

二人に急かされたフランは店を出たものの、名残惜しさに何度か振り返る。

そして三回目に振り返った時、稲苹と朱火が店から出てきて三人を見送ってくれた。

姿を見せた友達に、フランは一度言ってみたかった言葉を思い出し、声高に叫ぶ。

 

 

「いなほー! あけびー! またねー‼」

 

「フランちゃーん! また来てねー!」

 

「ま、待ってる、から! い、いつでもっ!」

 

フランの言葉を受けて、稲苹と朱火の二人も同様に友への言葉を返す。

生まれて初めて交わした、友達との再会の約束。

その言葉を覚えている限り、どれだけ遠くにいても友と自分はつながっている。

心の中に温かいつながりを感じ、フランは満腹感とは別の満足を感じた。

いつまでも互いに手を振り続ける彼女らを見やる霊夢と鈴仙は、三人の特別な時間を

せめて邪魔建てしないでおこうと考え、フランに合わせて歩みを遅らせてやる。

こうして昼が過ぎ、フランはまた新たな成長の一歩を踏み出した。

 

 

牢獄の世界から解き放たれ、最も欲しかった、友達を作ったことによって。

 

 

そしてまた、彼女の一日が胸いっぱいの幸せと共に幕を下ろした。

 

 





いかがだったでしょうか?

今回登場させた二人は、もちろん私のオリジナルキャラクターです。
私は絵心が無いので、どなたか描いては下さりませんかねぇ………(チラ見

ずいぶんと長くなりましたねぇ、話数も文字数も。
こんな作品でも読んでいただいているので、感謝感激であります。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十七話「禁忌の妹、平穏な日和」


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第伍十八話「禁忌の妹、平穏な日和」



どうも皆様、迫りくる寒波にお腹が耐えられるか不安な萃夢想天です。
暑いよりも寒いほうが我慢ならない私にとって、冬はまさに地獄の季節。
正直に言って夏場よりもお外に出たくないです。お部屋にこもりたいです。
ですがそうも言ってられないのが現実。はぁ、幼き日々に戻りたいなぁ……。

個人的な憧憬に現実逃避するのはここまで。

おそらくこの次の話でフランのパートが終わり(の予定)です。
自分で書いていてなんですが、フランちゃん可愛すぎませんかね?
もう俺ロリコンでいいやと何度叫びそうになったか(保育士


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

霊夢の気紛れと諸々の事情によって赴いた人里の食事処『鬼灯亭』を営む鬼の姉妹、

姉の埴見 稲苹と埴見 朱火の二人と晴れて"友達"となったフランは、その目を開いて起き上がる。

彼女の小さな瞳が収める視界の先では、いつもと変わらない朝日が幻想郷を照らしていた。

 

ここは博麗神社の床の間。そこで布団から静かに抜け出たフランは可愛らしく背伸びする。

 

彼女は昨日、495年の人生の中で初めて紅魔館の外で"友達"をつくり、友好を深めた。

それは彼女にとって文字通りの初体験であり、筆舌に尽くしがたい喜びの経験でもあった。

あれからフランたちは人里を出て神社へと帰宅し、霊夢に言われた事を全て鈴仙と共に

こなし続け、他に行く場所が無いことを理由にしてまた博麗神社で眠りについたのだった。

昨日の出来事を寝起きの頭で思い起こしながら、フランは霊夢に言われた事を完遂させる。

まずは起床後の布団の片づけ。横にいる鈴仙を起こさぬように静かにたたんで隅に運んだ

フランはその後、極力音をたてないように注意しながら(ふすま)を開けて台所へ向かう。

次にしておくように言われたのは、朝食作りを円滑にするための火おこしと水汲み。

いつもなら火打石とおがくずで火種を作り、薪で囲んで火を起こしているのだがフランは

そのやり方を知らないため、持ち前の魔力で小さな火種を作って集めた薪にそっと乗せた。

そして順調に大きくなる火を薪ごと(かまど)へ放り込み、安定するまでを確認してから

神社の端の方にある井戸まで飛んでいき、教わったやり方で地下水を専用の桶へと汲み上げる。

本当は鈴仙の程度の能力がなければ火に焼かれていたのだが、幸いにして境内の隅に設置された

井戸の方まで朝日は届かないらしく、昇りゆく太陽を怖々と見つめつつフランは台所へ戻った。

 

「ふぅ~」

 

言われていた仕事の全てをやり遂げたフランは、もう一度火の様子を見てから額の汗を拭う。

外見的にも幼く、精神的にも経験が浅い彼女がこんなことをする理由は、たった一つしかない。

することを終えて暇を持て余すフランの背後から足音が聞こえ、その発生源が声をかける。

 

 

「あらフラン、ご苦労様」

 

「うん! おふとんも火も水汲みも全部終わったわ、霊夢!」

 

「ええ、助かるわ」

 

 

いつもはリボンで結っている髪を伸ばしたままの巫女が、フランに労いの言葉をかけるが、

そもそも幼い彼女が朝早くから家事の手伝いをさせられているのは巫女が元凶である。

それは昨日、昼食から帰宅した時に霊夢に言われた言葉が発端だった。

 

 

「賽銭もしないでただ飯くらって寝床も借りようなんて、虫が良すぎるわよあんたら」

 

 

憤慨する霊夢に逆らえるはずもなく、かといってお布施になるほどの資金の持ち合わせも無い

鈴仙は、仕方なく巫女である霊夢の言いなりになることで一宿一飯の恩を返すことにした。

しかし相手は現実主義者の霊夢である。一人働いて二人養えという条件を、飲むはずもない。

するとフランが自分も鈴仙と一緒に手伝うと自ら宣言し、半ば奴隷のように働くことになった。

だが問題はここからだった。霊夢は知っているように、フランは言葉通りのお嬢様暮らしで

生活の知恵や家事のやり方など知るはずもなく、ましてやらせたとしてもすぐ根を上げると

内心で考えていた霊夢だったが、その考えは彼女に家事のやり方を教えた直後に覆ることとなる。

 

一言で表すならば、完璧。そう、フランは教えたそばから完璧にこなしていくのだ。

 

初めは境内の落ち葉掃きという簡単なものだったが、持ち前のやる気と未知への好奇心からか

一時間も経たぬ内に仕事を終わらせてしまった。霊夢もこれは簡単過ぎたと考え、今度は彼女を

台所に立たせて夕食の用意を手伝わせたのだが、ここでも彼女は三回ほどの助言で学び終えた。

最初は驚愕した二人だったが、フランの底知れぬ吸収力と応用力に目を付けた霊夢はフランに

次々と仕事を与えて行き、三人が眠る頃には一人暮らしをしても問題無いほどに家事を習得した。

 

フランからしてみれば、生まれて初めて経験する家事に興味と意欲を見せただけなのだが、

やらせた霊夢にしてみれば、言ったことを数回で覚えきって応用できる才能に驚くほかない。

結局のところフランにやらせた方が早く終わると霊夢に断言され、女として心に深い傷を負った

鈴仙は、ほぼ全ての家事を捌き切ったフランよりも先に不貞腐れて眠りについてしまった。

そんな彼女を見て流石に悪いと思ったのか、霊夢はフランにも早く寝るように告げたのだ。

 

 

「あ、明日起きたら布団の片付けと水汲みやっといて。あ、あと火おこしも」

 

 

ちゃっかりと自分が面倒な作業を、幼いフランにさりげなく押し付けながら。

 

 

「あ~あ、お腹空いちゃった」

 

「今から作るから、お茶入れて待ってなさい」

 

「うん!」

 

 

腹部をさすりながらまさしく子供のように呟くフランの言葉に意識をそちらへと戻し、

霊夢はやることをやった彼女にご褒美を上げるような気持ちで、朝食作りを開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊夢に叩き起こされた鈴仙を加えて三人でとった朝食から、数時間が経過した頃。

東の地平線からのんびりと昇っていた朝日は既に、ほぼ空の真南へ差し掛かろうとしていた。

博麗神社は幻想郷の最東端かつ小高い山の上に建てられているという立地上、幻想郷のほぼ

全てを一望できるのだが、そこから見える景色はフランの心に大きな波紋を生じさせている。

吹き抜ける暖かい春風に、(吸血鬼にとっては危険だが)柔らかな日差しは大地に降り注ぎ、

地下牢と紅魔館の中という狭い世界しか知らなかった彼女に、それらは輝いているように見えた。

眼下に見下ろすその先には先日行ったばかりの人里があり、そこで今も店の準備をしているだろう

友達のことを思い、自分は既にこの広大で壮大な世界の一部なのだとフランは実感する。

ちなみに現在、フランはもう霊夢に言われた仕事を全て完璧に終えてしまったのでする事が無く、

ただ自分の思うがままに世界へと思いを馳せていた。そして、ここにいるはずの愛しい彼の事も。

そうして境内から一望できる幻想郷を晴れやかな笑顔で眺めていたフランに、巫女服に着替えた

霊夢が後ろから声をかけてきた。

 

 

「ねぇフラン、私ちょっと用事が出来たから出かけてくるわ」

 

「え? お出かけするの?」

 

「ちょっとね。もしお昼に間に合わなかったら、鈴仙と二人でなんか作って食べてなさい」

 

「うん、分かったわ!」

 

「あんたはお利口さんね。どっかの姉とは大違いだわ」

 

「お姉様がどうかしたの?」

 

「何でもない。じゃ、行ってくるわねー」

 

 

どうやら霊夢はこれからどこかへと出掛けるようで、その事を伝えに来たらしい。

その背を見送る前にほんの少し会話を通してフランは、霊夢の用事とやらの見当をつける。

おそらく彼女の用事と言うのは、そういう事だろう。手持無沙汰なフランは聡明な思考の下に

答えを導き出し、それでも敢えてぼかした内容を伝えた霊夢の意図もくみ取って無言を貫いた。

そうしている内に霊夢は境内から能力を使って空に浮き上がり、フランが予想していた通りの

方角へ向かって一路進み始める。するとそこへ、ちょうど母屋の拭き掃除をさせられていた

鈴仙がやってきて空を見上げ、霊夢がどこへ行ったのかをフランに尋ねてきた。

 

「どこ行くんだろ………フランは何か知ってる?」

 

「うん。多分だけどね」

 

「じゃあ、どこ?」

 

「………………紅魔館」

 

 

南の空高く輝く太陽の光から逃れるようにして建てられた、血染めの館の名を口にする。

普段は深い霧を発生させる大きな湖に全貌を隠しているのだが、そこまでの道のりなどを

知っている人物であれば濃霧の中でも道が分かる。霊夢は特に紅魔館と関わりの深い人物なので

幻想郷のどこにいても空を飛んで赴くことができるだろう、とフランは内心で考えている。

加えて彼女は、自分の姉のお気に入りなのだ。まず歓迎されないことは無いはずだ。

そう思いながらフランは、もはや見えなくなるまでに離れた巫女の行く先を案じだした。

 

 

「………お姉様……………みんな」

 

 

一体今頃何をしているのだろうか。そんな思いが彼女の幼い胸の内に膨らんでいった。

 

 

「ん、んん…………?」

 

 

フランが不安げに北西の空を見つめているその後ろで、鈴仙は何かを感じ取っていた。

現在二人は博麗神社の外におり、彼女らの背後には整備もされず無駄に長いだけの参道が

続いているはずなのだが、どうやらそこをわざわざ上ってきてる者がいるようだった。

けれど、この博麗神社は日頃妖怪の溜まり場になっているせいか、魍魎の巣窟ではないかと

人里に暮らす人々に恐れられているため、そこに参拝に来る酔狂人などいるはずもない。

ならばこんなところに来るような者は限られてくるが、何故長ったらしい参道をしっかりと

上ってまでここへ来るのかが鈴仙には分からなかった。分からないが、警戒だけは怠らない。

臆病とまで言われるほどの生来の警戒心の強さが、やってくる相手に警鐘を鳴らし続ける。

 

 

「誰か、来る」

 

 

これほどまでに警戒して相手が人間だったら笑い話だが、今の鈴仙にとってはむしろ、

笑い話で済んでくれる方がよっぽどマシだと思えるほどのプレッシャーを感じていた。

ゆっくりとだが着実に近付いてくる相手に対し、先手を打てるように攻撃の姿勢をとる。

鈴仙の異常なまでの警戒に気付いたフランもまた、彼女の横に並んで迫る相手を待つ。

 

そしてついに、威圧感を放ち続けている相手が、参道を登り切って境内に踏み入った。

 

 

「ぁ、ああ…………あなたは!」

 

「?」

 

 

先手を打とうと構えていたはずの鈴仙が、相手を見るなり顔面蒼白となって震えだす。

そんな彼女の様子を見上げるようにして眺めるフランには、何が起こったのかが分からず、

ただどうしたらいいのかという困惑のみが彼女の脳裏を占めていた。

すると二人の前に現れた人物が、見た目に反して厳かな口調と態度で言葉を口にした。

 

 

「初めまして、フランドール・スカーレット。私の名は、四季 映姫 ヤマザナドゥです」

 

 

二人の視線の先にいたのは、地獄の法の番人たる、閻魔大王だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランと鈴仙の前に映姫が姿を見せたちょうどそこ頃、霊夢は空を普通に飛んでいた。

用事と言っていた割には急いでいるという速度でもなく、かといって停滞しているわけでもない。

それほどまでの遅さを維持しながら、霊夢はかんかんと照らす太陽の光をその背中に受けていた。

 

 

「あ~、ぎりっぎりだったわね。はー、危なかったわー」

 

 

そして当の霊夢はと言うと、まるで何かから逃れて安全圏に避難したかのような言葉を呟き、

何度か不安そうに後ろを__________正確には博麗神社のある方角を見つめて安堵していた。

 

実はあの時、彼女は母屋の茶の間で淹れた茶を飲んでゆっくりと過ごしていたのだが、

急に「遠くへ避難しなければ」と彼女の勘が告げたため、それに従って飛び出したのだ。

彼女は、自分が普段だらけていると周囲に思われているのを自覚していたし、何よりもそれを

いちいち否定することもしてこなかった。口を出す時間があるなら寝ていた方が楽だし得だ、と。

しかしフランに出立を告げて逃げ出した直後に、自身のそういった態度を酷く嫌って説教を

押し付けてくる厄介な人物がいた事を思い出し、やはり逃げて良かったと心から安心した。

 

 

「最近は里の方にも顔を見せないって聞いたそばからこれか。私が何したってのよ」

 

彼女は閻魔大王として説教するのが心身へ擦り込まれたせいか、たまの休暇でこの世へと

羽休めに来た時でも素行不良な者を見れば説教せずにはいられないという、職業病患者(ワーカホリック)であった。

以前人里で夜中に鳥の妖怪が開店する飲み屋台で魔理沙と一緒に飲んだくれていた時には、

『博麗の巫女たる者が何たる様であるか!』と、怒号を皮切りに三時間の説教を受けた。

これ以来霊夢も夜遅くの外出と晩酌を避けるのと同時に、映姫を避けるようになったのだ。

 

 

「あーヤダヤダ! 思い出すだけで説教されてる気分になってきた」

 

 

当時の記憶を思い返した霊夢は途中で再生を止め、逃げおおせた現実を大事に享受する。

とりあえず逃げ切れればそれで良し。このまま彼女が帰るまでどこかで時間を稼がねば。

急いで飛び出したために目的地を決めていなかったことに今更気付き、霊夢は悠々と空を

飛行しながらどこに行けば一番時間を浪費できるかを思案する。だが数秒で答えは出た。

 

 

「そうだ、うちにフランが居ることレミリアに一応伝えとこうかしら」

 

 

二日間を共に過ごしたフランの事が頭に浮かび、その事について保護責任者であるはずの

姉に伝えるべきかと考えた彼女は、同時に聞きたいことも思い浮かんだのでそう決めた。

幸いにもここから真っ直ぐに進めば目的の人物が居る建物がある為、霊夢はその事実に

会いに行く人物がよく口にしていた『運命』という言葉を思い出し、首を横に振った。

 

 

「まさかね…………まぁ、だとしても構わないけど」

 

 

頭に浮かんだ単語について深く考えることを放棄して、霊夢は目的地を目指す。

 

一度行く気になれば大した遠い距離ではなかったようで、紅白の巫女は視界の先に

濃霧に包まれた真紅色の洋館を捉え、その門前まで速度を上げて進み続けた。

石畳の橋から先にある、赤い悪魔が住まう館。霊夢にとっては馴染みすらある紅魔館の

その門前には、やはりと言うべきか、想定していた人物が想定外の状態で立っていた。

 

 

「あら? どうしたのよ、あんたが起きてるなんて珍しいわね」

 

「………霊夢さんと言うか、皆さん私に対して不名誉な誤解を抱かれてませんか?」

 

滴る血のような色合いの鉄門の前に立っていたのは、この紅魔館が誇る門番の美鈴だった。

この場所に彼女が居ることは想定していた霊夢だったが、起きていたのは想定外でしかない。

いつもここに来る時は大概寝ている印象しかないため、目が開いていることに素直に驚いた。

そしてその事を的確に探り当てられた霊夢は内心で焦りつつも、表面上は取り繕って話す。

 

 

「そ、そんなことは無いと思うけどね………」

 

「本当ですか? 私がこうやっているだけで皆さん『驚いた』って顔するんですよ。

現に霊夢さんもさっきまでそうでしたからね。隠しきれてはいなかったようですが」

 

「うっ………」

 

 

あっさりと言い当てられた霊夢だったが、そこでいつも通りの彼女に戻る。

 

 

「だから何だってのよ。確かに驚いたわよ、だってあんたいつも寝てるんだもん」

 

「いきなり開き直らないで下さいよ、子供じゃないんですから」

 

「妖怪のあんたが年齢どうこう言うんじゃない!」

 

「横暴にもほどがありますよー」

 

 

急に素に戻った霊夢の不遜っぷりに、今度は美鈴がたじろぐ羽目になった。

ああ言えばこう言う、という状況を数回繰り返した後で、やっと二人は本題に入る。

 

 

「それで、本日はどのようなご用件ですか?」

 

「な、何よ急に。そんな真面目に門番みたいなことして」

 

「門番なんですけどね、私」

 

「知ってるわよ。別に、大した用じゃなくてね。レミリアに会いたいんだけど」

 

「…………あー、すみませんけどそれは今無理です」

 

 

そこまでしてやっと本題に入った霊夢だったが、目論見が早くも崩れ去った。

ここに来てフランの事を色々と話していれば、時間が稼げるだろうという彼女の

密かな企みは、まさかの始める前から開始不可能と言う大失態に終わることとなった。

しかし何故できないのかが気になる。霊夢はそれを素直に聞くことにした。

 

 

「なんでダメなのよ」

 

「お嬢様は今、お休みの時間ですので。私室で睡眠中かと」

 

「あー、そっか。まだ完全に昼型になってないんだっけ」

 

「むしろなれちゃったら吸血鬼としてどーなのかって思いますけどね」

 

「それは、まぁ、確かに」

 

 

この館の主人、レミリアは吸血鬼である。即ち、活動時間帯が人間とは真逆なのだ。

ごく普通の常識を失念していた霊夢は、レミリアが何回か昼に活動して夜に眠るという

昼夜逆転を試みていることを知っていたので、その記憶が表層化していたらしい。

だが霊夢とてここで帰るわけにはいかない事情がある。何としても時間を稼ぐのだ。

怠けることに高い意識を持つ彼女だからこその思考で、次なる一手を思考して言葉にする。

 

 

「あー、だったらパチュリーでいいわ。図書館にいるんでしょ?」

 

「…………申し訳ないんですけど、パチュリー様も体調が優れないので面会謝絶でして」

 

「面会謝絶って、そんな大袈裟な」

 

「持ち前の喘息もあるんですが、それ以上に精神的に疲弊してらしたので」

 

「魔女が精神的に、ねぇ。なんか今日は随分と嫌われてるみたいね」

 

「今日に限ってという訳ではありませんよ? ただ、少し色々あったんで………」

 

この館のもう一人の重要人物である魔女の名を告げても、望んだ答えは得られなかった。

しかしこの問いをしたことによって、今紅魔館で何が起きているのかが部外者である

霊夢にも容易に想像が可能となった。いや、何が起こったのかが正しいかもしれない。

 

 

(…………いなくなったフランの執事の話、よね)

 

 

二日前に自分の暮らす博麗神社にやって来た、奇妙な四人組の事を思い出した彼女は、

その後で聞いた色々な事情をもとにして脳裏に浮かび上がった話を当てはめる。

 

以前に起きた異変の首謀者として相対したフランの執事こと、十六夜 紅夜という少年。

彼は突如として謎の死を遂げたらしいのだが、紅魔館の主たちの魔術か何かでなんと

蘇ったのだという。しかし彼の様子がおかしくなり、行方をくらましてしまったとの事だ。

 

紅魔館の面々が意気消沈し、代わりに門番が真面目になっている理由がようやくつながり、

霊夢は自分の考察力の高さを自尊するでもなく、ただ彼女らの思いを黙って胸にしまった。

 

 

「…………ま、色々あったんなら仕方ないわね」

 

「小悪魔もパチュリー様の看病に付きっきりでして」

 

「でしょうね。はぁ、ならいいわ。この際あんたでも話しちゃえば同じよね」

 

「話すって、何をです?」

 

 

どうやらパチュリーが芳しくないことは本当らしいと、美鈴の声色と表情から推察した

霊夢は一度大きなため息を吐き、仕方ないとばかりに美鈴に事を伝えることにした。

 

 

「フランの事よ。今うちに来てて、仕方ないから面倒見てるわ」

 

「えっ⁉ 妹様が、博麗神社に⁉」

 

「何があったか知らないけど、鈴仙と幽香と聖をお供に従えて二日前にね」

 

「は………なん、えぇ?」

 

「普通はそういう反応をするでしょうね。私もそうだったもの」

 

 

唖然。まさにその一言に尽きるとしか言いようのない表情になってしまった美鈴を、

自分も体験したから気持ちは分かると何度か頷いてみせる霊夢の二人。

彼女らの間に何とも言えない沈黙が流れて数瞬の後、美鈴はぎこちない笑みで応える。

 

 

「は、ははは。まぁ、お嬢様の妹様ですから、何やっても不思議じゃないです」

 

「そう? 私は驚いたわよ。大妖怪と宗教一派の頭を引き連れてうちに来たのよ?

最初は殴り込みかと思ったくらいなんだから」

 

「………お話の通りの面子だと、実際にそう思えてきますね」

「でしょ? あー、話が逸れたわね。とにかく、うちでフランは預かってるから

特に心配はしなくていいわ。何ならあんたが今から引き取りに来る?」

 

幻想郷最強の一角として名高い大妖怪と尼僧の二人を連れた主君の妹の姿を想像し、

もう勝てる気がしませんね、と笑い飛ばす門番へ、霊夢は逸れた話題を本筋に戻した。

霊夢の話を聞いた美鈴は、主君に使える忠臣としてどうすべきかを素早く思考する。

門番である自分が行くべきか、それとも別の方法を模索するか、彼女は一瞬の内に

幾つもの答えを編み出したものの、結局行きついた答えは、霊夢に読まれていた。

 

 

「いえ、私は門番ですから」

 

「だと思った。それで、どうする? 私が送り返せばいいのかしら?」

 

 

霊夢が自分の考えを先読みしていた事に驚く美鈴だったが、次いで語られた巫女の

言葉を聞いて、自分以上に適任の人物を向かわせるべきだと思い至る。

 

 

「あー、それだったら私が咲夜さんに伝えておきますので。迎えに行かせます」

「迎えに行かせるって、あんたの方が立場は下なんじゃないの?」

「普段は色々言われてますけど、お嬢様の側近と門番という違いがあるだけで、

特に目立った上下関係はありませんよ? それこそ、同じ主をいただく同僚です」

 

「へー、なんか意外だわ」

 

「そうですかね? まぁ、咲夜さんが帰ってきたらちゃんと伝えておきます」

 

「…………ん? 帰ったら?」

 

 

美鈴の口からこの館に暮らす最後の一人の名前が出たところで、霊夢はどこかしら

妙な違和感のようなものを感じ、意図せず門番の言葉の一句を繰り返し発音する。

霊夢の抱いた疑問に気付いたらしい美鈴は、あぁ、と前置きを置いてから語りだした。

 

 

「咲夜さんは人里にお買い物をしに行くと嘘をついて出掛けました」

 

「ん? 何よ、嘘をついてって」

 

「あ、いや。確かに里へお買い物をしに行ったには行ったんでしょうけど、

本当は別の事をしに行ったのが見え見えだったので、ついそういう表現を」

「買い物が嘘なら、何しに行ったのよ」

 

「…………まぁ、妹様と紅夜君を探しに行ったんでしょうねぇ」

 

 

美鈴の口から語られた言葉に、今度は霊夢が唖然とする番だった。

紅魔館の住人が主体で再び引き起こした異変を解決した後の祝いの宴が終わってから

しばらく後で、魔理沙が「咲夜は弟を嫌っている」とぼやいていたのを耳にしたのだが、

今の美鈴の言葉からすればまるで真逆の態度ではないかと、霊夢の頭は混乱し始める。

 

「あ、もし帰りに里に寄るんだったら、ご自分で伝えてくれてもいいですよ」

 

「………帰ってきたら、あんたが伝えるから別にいいでしょ?」

 

「それもそうなんですけど、今の咲夜さんは必死なんです。今まで見た事ないくらいに。

だからどうか、お願いします。妹様と同じように紅夜君の事も、どうか……………」

 

 

美鈴が締めくくりの言葉と共に深々と頭を下げてきた。その姿に、一切の曇りは無い。

彼女がたった今話していた咲夜と同じように、自身もまた必死なのだと混乱しかけた頭の

霊夢をしても確信させる。それほどまでの説得力が、美鈴の全身からあふれ出ていた。

 

少し悩むような顔になるも、結局のところ霊夢も人間だったりする。

いくら他人に無関心だとかだらけているとか言われていても、懇願を無下にはできない。

それが博麗の巫女としての彼女であり、博麗 霊夢という少女の人間性でもあるのだ。

 

 

「あーハイハイ、分かったから。もし会ったら伝えておくわ」

 

「それはありがたいですねー。もしたまたま偶然ばったり(・・・・・・・・・・・・)会ったら、お願いします」

「ったく。それってもうほぼ『行け』って言ってるのと変わんないじゃない!」

 

「そんなこと言ってませんよ」

 

「態度でバレバレだっつーの。それじゃ」

 

「はーい」

 

結局最後は自分が折れることになり、霊夢は渋々人里へ赴くことを決めさせられた。

なんだか誘導されたようで悔しくもあるのだけど、彼女としては咲夜を探すことで本当の

目的でもある時間稼ぎにはちょうどいいか、くらいには打診しているのも事実だったが。

門の前でにこやかに手を振る門番を一睨みしてから、霊夢は再び能力で空へと舞い上がり、

目指す人里への方向を頭の中の地図に描き出し、進路をとって普通の速度で駆けて行った。

来訪した客人の出立を笑顔で見送った美鈴の表情は、誰もいなくなったことで無へ変わる。

無表情になった彼女が考えることは二つ。主人の妹とその執事が、無事にここに帰ること。

そしてもう一つが、同僚のメイド長の心がこれ以上痛まなくさせるにはどうするのか、である。

 

「これで咲夜さんも、少しは安心してくれますかねぇ」

 

 

いつでも毅然として凛々しく、何においても完璧な従者。それこそが彼女の知る咲夜だが、

今の彼女はその像とはかけ離れて見えるほどに弱々しく、か細い存在になってしまっていた。

主人の力で蘇った、外の世界での過去の記憶。それが彼女を苦しめている原因であり根幹。

しかしそれは自分ではどうにもできない。どうにかしてはいけないものでもあった。

 

思い出は思い出に、人の思いは人の中に。

 

守ることを自らの使命と誇る彼女は、それでもやはり優しい心の持ち主であった。

 

 

「………好きなんですよね、私は。紅夜君も、紅夜君が尊敬する咲夜さんも」

 

 

人前では見せることの無い本心も、近くに誰もいない今だからこそ、独り言で済まされる。

それでも美鈴の心の中で音が漏れるほどに脈打っているこの感情は、雄弁に語っていた。

自覚はあるし、自身も認めている。ただ、それを口にすることは今はできない。

自分はただ、この思いを『守る』のみ。この思いを伝えられる日が来る、その時まで。

 

「今日は咲夜さんの帰りが遅くなるかもですねぇ。晩御飯どーしよ」

 

 

あっけらかんとしながらも朗らかに笑う彼女は、常に愛しい誰かを案じるのだった。

 

 






いかがだったでしょうか?

何故か美鈴が出てくると、彼女の心情を書きたくなるんですよね。
おかしいなぁ、彼女はヒロイン候補でもなんでもないはずなのになぁ。

それと、今回は若干タイトル詐欺になりかけてしまいましたね。
フランちゃんのターンなのにどうしてこうも出番が書けないのか。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十八話「禁忌の妹、愛を謳う」


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第伍十九話「禁忌の妹、愛を謳う」

どうも皆様、ストレスで胃が爆裂しかけている萃夢想天です。

先週投稿できなくて申し訳ありません。書いてはいたんですが、
途中で再起動がかかって全て白紙に帰ってしまいまして、ハイ。
少しはタイミングと言うものを理解していただきたいものですな。

これ以上書くとTAKE3を書く羽目になるかもしれないので、
愚痴はこのくらいにしておきましょうか。


それでは、どうぞ!





 

幻想郷の中で過ぎていく、昨日と変わらずのどかで穏やかな時間の中で、

風は人の肌や髪を優しく撫でては吹き抜けていく。それは、まさにそよ風であった。

誰しもが自分が生きる今日を見つめている中、それどころではない人物がそこにはいた。

薄紫色の長髪をくねらせ、長い兎耳をわなわなと震わせている、鈴仙・優曇華院・イナバ。

彼女は今まさに、自分の目の前に現れたたった一人の人物を前に、恐れすくんでいる。

迷いの竹林の最奥で悠久を生きる罪人、もとい仕える姫と仰ぐ師にすらも、これほどまでの

強い感情を抱いたことは無い。後悔や恐怖、あらゆる心情が鈴仙の心を壊さんとしていた。

 

鈴仙をそれほどまでに恐怖せしめる相手は、博麗神社の鳥居をくぐって歩み寄る。

 

静々と、されど堂々と踏み出される一歩ごとに、鈴仙は瞳を涙で潤ませていった。

文字通り脱兎の如く逃げ出したい。しかし、それを仮に実行したとしても逃げおおせるほど

現れた人物は甘くないし、何より自らの仕える姫の勅命に背くことにもなってしまう。

忠義と本能という相反する二つの感情の板挟みに、鈴仙が耐え切れなくなったその瞬間、

彼女のすぐ脇にいた金髪の幼子、フランは迫る人物に対して警戒も何もなく声をかけた。

 

 

「しき? えいき? やまざな? どうして私の名前を知ってるの?」

 

 

495年という歳月を地下牢で孤独に過ごしてきた彼女からすれば、たった今やってきた

四季 映姫 ヤマザナドゥがどのような人物かなど、分かるはずもなかった。

しかし鈴仙からしてみれば、目の前にいるのが地獄の裁定者であるのにそれを知らないのが

相手にどう思われるのかなど、想像できるはずもなく、さらに身を強張らせていく。

ところが、鈴仙が危惧していたようなことは起こらず、ただ言葉の受け答えが始まった。

 

 

「私は輪廻転生の大任を預かる閻魔大王です。知らぬことなど、あまりありませんよ。

そして、何故私が貴女の名前を知っているのかについて、お答えしましょう。それは」

 

「それは?」

 

「私が、十六夜 紅夜と直接会い、話をしてきたからです」

 

「えっ⁉」

 

 

映姫の発した一言に、フランは当然として、鈴仙までもが恐怖を忘れて目を驚愕に見開く。

それも当たり前のことだ。鈴仙の本来の任務は、フランに同行して十六夜 紅夜という

全身改造され尽くした人間を、忠を尽くす姫君のもとへ連行することなのだから。

その標的ともいえる人物が、地獄の閻魔大王と直接面会している。この言葉の意味が

分からないほど、鈴仙はバカではなかった。だが、それでも状況が把握できない。

 

彼女が知っているのは、標的が自分の隣にいるフランに仕える執事だったという事と、

外の世界からやってきたという事、そして全身に非道な改造が施されていた事だけだ。

それ以外の事はほとんど知らない。しかし、彼を連れて来いと言ったのは、あの姫である。

単なる器量好しというだけで気にいるほどの方ではない。それだけは間違いないだろう。

だとすれば、間違いなく(けが)れている。月の民が毛嫌う、罪の穢れに満ちている。

おそらく姫君はそこを気に入ったのではないか、そう考えると案外としっくりくる。

 

ここまで考えた鈴仙は、歩みを止めた映姫に一つ質問をしてみようと勇気を奮った。

 

 

「あ、あの! その、十六夜 紅夜という人間に、どのような………?」

 

しかし、彼女が言えたのはそこまでだった。以降は、声が震えて音にもならずに消えて、

妙なところで区切ったことにより注意をこちらに向けられてしまい、最初に来た時より

さらに体を縮こませねばならなくなってしまった。それだけ、閻魔を恐れているのだ。

 

けれど閻魔である映姫からしたら、勝手に怯えられても困るだけなのだが。

 

 

「紅夜に会ったの⁉ どこ、どこなの⁉」

 

「フランドール・スカーレット、まずは落ち着いて私の話を聞いてください」

 

「ねぇ、紅夜は‼」

 

「………立ち話では済まなそうですね。では、あちらの母屋で腰を落ち着かせてから

今回のお話をさせてもらう事にしましょう。幸い、何故か霊夢は外出中のようですし」

 

 

愛しい人の話題を出された途端に態度を一変させたフランを、映姫はたしなめようとする。

が、結局落ち着く気配が見えないため、仕方なく話題を一度切って場所の変更を提案し、

落ち着きがなくなったフランに代わって鈴仙が無言の首肯を繰り返し、三人は移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話し合いの場を境内から博麗神社の母屋の卓袱台へと移した三人は、

それぞれ円形の机を取り囲むようにして腰を下ろし、息を小さく吐き終えた。

今三人の前には、ほんのりと香る湯気を上げている湯呑が置かれている。

中身は当然の如く薄くなった緑茶だが、それは博麗神社なのだから誰も何も言わない。

けれど彼女ら、というより鈴仙と映姫が口を出したくなったのは、茶を入れた人物に

ついてだった。それは無論ながら二人のどちらかでも、この場にいない霊夢でもない。

この茶を淹れたのは、フランだった。悠久を地下で孤独に過ごした、あのフランだ。

手際よく急須から茶の香り立つ湯を注ぐ仕草を見せられて、驚くのも無理はなかろう。

特に映姫の驚きは鈴仙以上だった。彼女は、フランがそういう事ができる人物だとは

知らなかったし、知らされてもいないからだ。ならば、あの少年も知らないはずだ。

 

おずおずと湯呑に手を出し、中で揺れる茶湯を平静を装いつつも喉へと流し込む。

そして映姫は再び驚く。不味かったからではない、むしろその逆だったのだから。

 

 

「…………これは、一体?」

 

「あ、あの、閻魔様? 何かありましたでしょうか……?」

 

「いえ、何かあったというほどでは。ですが、話すことが増えましたね」

 

「?」

 

 

恐る恐る話しかけてくる鈴仙に対応しつつ、自分の対面に位置する場所に座る

フランを見つめ、首をかしげる。少年を介して知った通りの人物に間違いはない。

そのはずなのに、得た情報には無い行動と技術を有している。映姫は話を切り出した。

 

 

「いいお茶をありがとうございます。茶葉は普通ですが、淹れ方が素晴らしい」

 

「?」

 

「ほ、ほめられてるのよ、フラン!」

 

「そーなの? ありがとう!」

 

「いえ。さて、私も一息つけましたし、改めてお話をさせていただきましょう。

一番最初に話しておくべきなのは、やはり十六夜 紅夜のことでしょうかね」

 

 

ここにきてようやく本来の議題に入れた、と職業病患者の映姫はホッと息をつく。

自分の立てた筋道通りに事が運ばないと頭がむず痒くなる、と地獄の法廷裏で

愚痴を飛ばしている彼女は、これから話すことを綿密に組み立ててから話しだす。

 

 

「私は三途の川で彼に会い、罪を清算させるために一度だけ復活を許可しました。

彼の肉体が魔人の魂に奪われ、幻想郷のどこかでその力を好きに使っていると

報告を受けたからです。彼自身の故意ではないにしろ、罪は贖うものなのです」

 

「?」

 

「フランは分かんないよね………えっと、あの人は今、悪い人に体を乗っ取られて、

どこかで暴れてるかもしれないってこと。で、いいんでしょうか?」

 

「はい、概ねは」

 

 

鈴仙の補足もあってか、映姫の伝えたいことは大まかではあるが二人に伝わった。

これでここへ赴いた理由の一つが達成された、と映姫は心中で印鑑を押す。

続いて残った話を語ろうと口を開きかけた彼女は、ふと気になったことを先に語る。

 

 

「それと、貴女もそんなにかしこまらなくてもいいですよ。

今の私は地獄の閻魔大王ではなく、四季 映姫一個人の用向きで来てますので」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「ええ、個人的に彼に色々と頼まれまして。そのついでに彼の主君であった彼女にも

差し出がましいとは思いつつも、報告はしておいてもいいだろうと考えたので」

 

「そうですか………ん、フラン?」

 

鈴仙は想像していたような事が起こらないと分かって安心し、目の前に映姫がいる

にも関わらず、胸を撫で下ろす。そこでようやく周りを見れるほどに落ち着いた彼女は、

隣で話を聞いていたフランが黙して顔を伏せていることに気づき、声をかけた。

呼びかけに応じて顔を上げたフラン。その瞳に普段の輝きは無く、深く淀んでいた。

異変に気付いた鈴仙は、そのまま眉根を釣り上げて表情を鬼気迫るものへと歪めていく

フランに、正気に戻るよう声を大にしてその小さな肩を揺さぶる。

 

 

「ちょっとフラン! ねぇ、聞いてる? ねえってば!」

 

「フランドールさん? どうかしましたか?」

 

「………………紅夜は、ドコ?」

 

 

しかし、二人の瞳に映るフランの顔は既に漆黒の決意に満ち溢れたものとなっていた。

無数の昼と夜を過ごし、永遠とも知れぬ孤独をただ生きてきた、幼子のような吸血鬼。

そんな彼女の丸く小さな瞳が、日々の平穏を謳歌する輝きを亡くした瞳が言外に告げる。

 

邪魔をすれば(こわ)す。誰であろうが何であろうが有象無象となるまで(ころ)す。

 

見た目からして幼げなフランの迫力は、彼女より5年長く生きている姉にも匹敵するだろう。

無言の圧力を一身に受けながら、されどもたじろがない映姫は冷静なまま問いに答える。

 

 

「残念ながら、お答えできません」

 

「ッ‼ オマエモメチャクチャニ」

 

「ですがそれは、彼のためなのです。十六夜 紅夜の、最後の罪滅ぼしのため」

 

幽閉され続けたことで心が裂けて壊れ、その歪みから生じた"禁忌"がフランの体で

能力を発動させようとするが、続けて放たれた映姫の言葉により、それは断念された。

ピタリと動きを止めたフランを見つめながら、映姫はさらに語る。

 

 

「話しておきましょう。彼はこの五日間、自分の事を忘れてしまっていました。

分かりやすく言えば、記憶喪失という状態だったのですが、ここまではいいですか?」

 

「____________________」

 

 

平静に、そして淡々と告げられた言葉を理解したフランは、一瞬で殺気を放散させた。

というよりも、意識を保てなくなったという方が正しいのかもしれない。

 

最愛の人が記憶を失っている。それはつまり、主人である自分を忘れたという事だ。

そこに思考が行き着いた瞬間、フランの目からは輝きどころか、殺気や生気までもが

立ちどころに消え失せていった。代わりに溢れだしたのは、喉奥から漏れる嗚咽と涙。

過ぎた年月と比べて幼過ぎる彼女にとって、映姫の言葉は心に深々と突き刺さった。

 

否定しようにも思考がまとまらず、嗚咽に塞がれて声すらまともに出せなくなる。

彼女の思考回路が焼き切れそうになった瞬間、映姫が見かねて言葉を足早に紡いだ。

 

 

「で、ですが、今はもう自分を取り戻しています。全て、思い出したんです。

そこで私は彼に再度清算の機会を与え、そのまま今に至るというわけなのですが」

 

「…………紅夜、こうや」

 

「えと、あの、つまり?」

 

「フランドールさん、彼は必ず帰ってきますよ。閻魔大王の言葉に嘘はありません」

 

「___________ホント?」

 

「ええ、必ず。彼に説教をされた私が言うのです、間違いありませんよ」

 

 

最後の言葉を言い終わるのと同時に、それまで固めていた表情を微笑みに変える。

映姫の穏やかなその笑みを見れば、信用するには充分だと言外にも理解できた。

この場にいなくとも重ねられた彼との『約束』を聞き、フランは涙を拭ぎ払う。

彼は絶対に帰ってくる。だって、いつでもそばにいると彼は誓ったから。

彼は絶対に約束を守る。だって、ずっと一緒にいようと彼が言ったから。

 

ただの人間の少年。しかしフランにとって彼は、495年の鎖を断ち切る白銀の王子。

永遠の忠誠をこの身に誓い、いつまでも傍らにあり続けると紅い瞳に刻み付けられた。

既に彼と結んだ『約束』を、二度も破ってしまった。次は、三度目は、もうない。

泣かない約束を交わした彼が、必ず帰ると約束した。なら自分にできることは一つ。

 

 

「_______紅夜を信じてる。私は、紅夜を待ってる!」

 

「そう言うと思っていました。フランドール・スカーレット、貴女は"白"ですね」

 

 

涙声ではあるものの、先程とは違う決意に満ちたフランの声が博麗神社に響く。

そして映姫は、彼女の言葉を予期していたような口ぶりで、改めて微笑んだ。

普段行っている裁判で口走る、自分の中にある審判の判決を笑顔で宣告して、

湯呑に残っていた茶を一滴残らず飲み切ると、映姫は立ち上がって母屋を出た。

突然の行動に驚きながらも後を追う形で残った二人も外に出る。

 

意外と時間が経っていたようで、東の空で散歩していた太陽は、今や南の空の頂上で

激しく自己主張するように光を放っていた。その眩しさにフランと鈴仙は顔をしかめる。

先に出た映姫はもう、神社の鳥居の真下まで歩いて行ってしまっていたが、そこで

くるりと向き直り、思い残しが無いようにと独り呟いてから再び笑顔になって語りだす。

 

 

「あ、そうだ。言い忘れていましたが、フランドール・スカーレット。

貴女に判決を言い渡しましょう。先程は"白"と言いましたが、それはあくまで心の話」

 

「なに? 何のこと?」

 

「判決、貴女は"黒"です。このままでは永い生を終えた後で、同じく長い地獄の旅路が

待ち受けることとなるでしょう。ですから、そうならぬように特別に助言をしてあげます」

 

「?」

 

「貴女が罪を償うには、十六夜 紅夜を信じ、彼に信じられる主人に成長する他ない。

確かに少しは成長しているようですが、このままでは彼が戻ってもまた迷惑をかけて

しまうだけの日々に逆戻りです。そうならないよう、貴女は主人として成長しなさい」

 

では、と最後に軽く会釈と別れの挨拶を済ませた映姫は、背を向けて参道を下りていく。

その小さな背中と彼女の言葉を心に焼き付けたフランは、無言のままでも意味を理解した。

今の自分は紅夜に迷惑をかけてばかりで、甘えてばかりいた。思い返してもその通りだ。

けれどそのままでいたらダメなのだ。それでは結局、愛しい彼に仕えられる価値は無い。

映姫が言いたいのはそういう事なのだろうと、フランは真剣な顔つきで両手を握り締めた。

 

過去の自分は、他人に何かをしてもらうことが常だった。だから失い続けたのだ。

今度は絶対に手放さない。手放したくない、見捨てられたくない。だから変わらなければ。

彼の無事を伝えてくれた彼女が言ったように、停滞したままではいちゃいけないと気づいた。

紅魔館という限られた狭い世界にいたころでは知ることもなかった広い世界に、私は居る。

あの紅色の牢獄では得られなかったものも、様々な彩りが溢れるこの世界なら、手に入る。

変わろう。学ぼう。知ろう。

 

全ては、あの愛しい彼に相応しい自分になるために。

 

 

「頑張るわ、紅夜!」

 

 

傍観者となっていた鈴仙が後ろにいることを知覚しながら、フランは明るく宣言する。

世界は広い。今のフランが思っている以上に広い。そこは、色々なもので満ちている。

程度の能力を使えばあらゆる万物を粉砕できる彼女にとって、そこは有象無象でしかない。

しかしそれは過去の話。彼の存在を、ひいては自分自身の成長に意義を見出せなかった

昔の自分の戯言だ。今のフランには、眼下に広がる幻想の世界は、何より輝いて見えていた。

 

 

「待ってるからーー‼」

 

 

広い広い空に向かって、フランは高らかに告げる。それは、まさに自分との『約束』。

人知れず交わされたその誓いを胸に、今日から新しく生き方を見つけた少女は笑う。

 

幻想郷の中で、昨日と変わらずのどかで穏やかな時が過ぎてゆく。

けれどその過ぎゆく時の生き方は、日に日に、刻一刻と、瞬きの速度で変わり続ける。

人には人の、妖には妖の、それぞれにはそれぞれの中に流れる時間がある。

時間は不変、そして絶対。故に何者も変えられない。しかし、その中身は変えられる。

 

大きく息を吸い込んだフランは、自分が一つ成長したことに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は変わることなく流れゆき、いつしか頃は茜空。

昼を過ぎて西の山々の向こう側へと沈んでいく太陽は、東から代わりとばかりに

浮かんできている月に対抗するように、その黄金色の輝きをさらに増していく。

 

時刻は夕暮れ。幻想郷に生きる人間たちが、自分たちの活動時間の終了を自覚し、

妖怪たちが跳梁跋扈する逢魔ヶ時が近いことを恐れ始めるちょうどその頃だった。

 

 

「流石にここまで時間つぶせば、アレも帰ってるわよね?」

 

紅魔館の門番と話し終えて人里へ向かった霊夢が、人里の重たい門扉をくぐり出てきた。

妖怪に襲われるどころか神に殴られても平気でいる彼女がこの時間帯に出歩こうと、

里に住む人々は何も言わないし、言えない。そも彼女は博麗の巫女であるのだから。

自分が考えつく限りの場所を巡ってきた霊夢は、昼前に神社にやってきた人物が流石に

もう帰ってる頃だろうと見計らって出てきたのだが、それはあまりにもできた偶然だった。

 

 

「あ、咲夜。アンタこんなとこにまで来てたのね」

 

「………霊夢? 悪いけど今は忙しいの。それじゃ」

 

 

人里の木柵が見えなくなる辺りまで飛んで帰宅しようとしていた霊夢の視界に、見覚えの

ある西洋の給仕服に身を包んだ少女が映り込んだ。これ見よがしに声をかけてみると、

当の本人からは殺気にほど近い敵意を盛り込んだ鋭い視線を向けられる。けれど刺すような

その視線すらも、博麗の巫女である霊夢には効果は無かった。

 

銀髪の従者、咲夜はいきなりやってきた人物が顔見知りの霊夢だった事に安堵しつつも、

自分のしていることを中断させられたことに対する苛立ちが勝り、敵意を剥き出しにする。

普段の彼女らしからぬ余裕のない対応に、霊夢はつまらなそうな表情になって呟いた。

 

 

「探し物? 困るわね、勝手に動き回る探し物なんて。面倒くさいったらありゃしない」

 

「…………何ですって?」

 

「ふーん、聞いてた通りみたいね。それで、どうなのよ。弟は見つかった?」

 

 

興味も関心もほとんど感じられない態度で尋ねる彼女に、咲夜は表情を一層険しくする。

少し前までは苛立ちを含んだ敵意の視線を投げかけていたが、今は純粋な殺気を帯びていて、

相手が誰であろうと容赦はしない殺戮者の風体と化していた。だが霊夢はそんな雰囲気すら

気にかけることもなく返答を待つ。しばらくして、咲夜は口数少なくポツリと返した。

 

 

「………いえ。でも、あなたには関係のない話よ」

 

「でしょうね。私もさっきまでは関係なかったはずなんだけどね」

 

「何が言いたいのよ。私は時間を無駄にしたくないの、言いたい事があるなら______」

 

「アンタんとこの門番に頼まれちゃったのよ。フランと一緒に執事もよろしくって」

 

何でもないような口調で語られた言葉に、咲夜はわずかながらに動揺して表情を変えた。

聡明な彼女は、今の霊夢の一言で様々な情報を入手できた。少なくとも三つは。

一つは、霊夢が紅魔館へと赴いたこと。これは門番こと美鈴の名が出たことで間違いはない。

一つは、フランが博麗神社にいること。行方が知れなかった彼女の名が無関係であるはずの

巫女の口から出てきた以上、拾われたか偶然出会ったかで世話になっているには違いない。

そして最後は、咲夜の弟である紅夜についての現状を知ってしまっているということだ。

弟の身に起きたことを知っているのは、自分たちと鴉天狗の文、そして永遠亭のごく少数。

しかしそれについてどこまで知っているかは不明にしても、目の前の巫女は確実に知っている。

________敵だ。私とあの子の、敵だ。

 

バックステップの要領で距離を取った咲夜は、懐から一瞬で数本の銀製ナイフを取り出して、

夕焼けを紅く反射するその全ての切っ先を敵に向け、怒号とともに渦巻く感情をぶちまけた。

 

 

「霊夢、妹様の保護は感謝するわ。でも、あの子には近付くな! あの子は私の、弟よ‼」

 

「………えらい変わりようね、ホント。でさぁ、なんでアンタ怒ってるの?」

 

「殺す‼ 巫女だろうが関係ない、あの子の為ならお前でも殺してやる‼」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なんでいきなりそうなるのかって聞いてんの!」

 

「あの子は私が守る! 今度こそ、私の手で‼ だから霊夢、その邪魔をするなら………」

 

 

叩きつけられる殺気と鋭い眼差しから放たれる殺意を受け、霊夢はようやく焦りだす。

ただ単に話を聞こうと思って声をかけただけでこの有り様だ。会話すら成り立たない。

そこでふと思考を整理する。目の前で殺意の波動を発している咲夜を前に、一度冷静になり、

とにかく話すべきことを話して丸く収めようと考え、大きく息をついてから語り直した。

 

 

「あのねぇ、誰が邪魔するって言ったのよ。私はただ、あの門番にアンタを手伝ってくれって

頼まれただけよ。それを勝手に勘違いして。殺す? やれるもんならやってみなさいよ」

 

「…………霊夢、質問に答えなさい」

 

「質問する奴の態度じゃないけど、なによ?」

 

「………あの子を探すことで、あなたは得をするの?」

 

「さぁね。でも、一人の人間として、博麗の巫女として、無視はできないってだけかしら」

 

 

不遜な態度で問いかけに即答する霊夢。その対応を見て、咲夜は小さくだが驚く。

咲夜が知る限り、霊夢は役職柄人を助けることはあっても、自分から厄介事に首を突っ込む

ほどお人好しではなかった。少なくとも、利益を必ず求めるような性格だと考えていたのだが。

しかし目の前にいる霊夢にはそれが当てはまらない。金銭目的でも食料目当てでも無いようで、

それでいて無関係な話に自分から関わりに来て、自分の弟を助けようとしてくれている。

 

どう考えても裏がありそうな、怪しい話だった。

 

もちろん咲夜は分かっていた。あの霊夢がそんなことを無償でするはずがないと。

けれど今の彼女にとっては、たった一人の人手でも足りなかったのだ。どこの誰でもいい、

弟を見つけてくれるのなら、助けてくれるのなら。今の咲夜は文字通り冷静ではなかった。

 

 

「その言葉、どこまで信用していいのかしら」

 

「しなくてもいい。でも、代わりに私も一つ聞いていいかしら?」

 

「………答えられる範囲なら」

 

「そう。じゃ、アンタはなんで急に弟に執着するようになったのよ」

 

「それは…………」

 

 

咲夜の顔に陰りがさし、表情が曇りだす。その様子を、霊夢はただ見つめ続ける。

 

ハッキリ言えば、今回の霊夢の行動意欲は好奇心が3割、美鈴の頼みで2割だった。

そして残る5割を占めるのは、神社に居候している少女の思いを受けた哀れみの感情。

初めてフランが博麗神社で寝泊まりしたあの日から、ずっと寝言で彼の名を呼ぶのだ。

吸血鬼と人間。咲夜とレミリアのような、特殊な関係なのだろと気にも留めなかったが、

幼い少女の閉じた眼から涙が零れ落ちるのを見た霊夢は、ほんのわずかに興味を抱いた。

 

この二人は少し違う。主人と下僕とは、どこか違うように感じる。

 

これも博麗の巫女の勘なのか、それともただの思い違いなのか、霊夢には分からない。

およそ恋など体験したことが無い彼女には、人を想い想われることを知らなかった。

だからこの機会に聞いておこうと考えた。フランに愛される、あの少年の姉に。

以前とは真逆の態度を取り出した咲夜も、おそらくそういう感情を知っているのではないか、

そう思い至ったからこその問いであった。

 

 

「…………それは」

 

「それは?」

 

「私が、私があの子の事を、思い出したから」

 

「思い出した? どういう事?」

 

「………………」

 

 

しかし予想に反して、咲夜から返ってきた答えは予想外のものだった。

言葉の意味が理解できない霊夢は、そこから続く言葉を無言で待ち続ける。

その間にも顔色を暗くしつつある咲夜も、しばらくして意を決したように呟く。

 

 

「私とあの子は、外の世界で一緒に育ったの。地上の地獄とも呼べる場所でね」

 

「外の世界の事は詳しく知らないけど、まぁ、色々あったのね」

 

「ええ。そこで初めてあの子と出会った。だから、本当の姉弟ではないのよ」

 

「…………だったら、なんで姉さんって呼ばれてんのよ」

 

「それは、私があの子を騙して、勝手に利用していたから………」

 

俯きながら語る咲夜。彼女の独白は、そこから数秒置いて続けられた。

 

 

「生き地獄の中で孤独を味わった私は、死にかけてたあの子に安らぎを求めた。

自分が満足するための道具として近付いて、親交を深めて、私はあの子を弟に作り替えたの。

それもしばらくの間だけ。すぐに飽きた私は、あの子を見捨ててこの世界に来た」

 

「…………………」

 

「お嬢様に名を与えられて、別の人間になった。その時に昔の記憶は封じられたらしいわ。

新しい人生をお嬢様の狗として生きていくのは、充実していた。世界が色づいて見えた」

 

「…………………」

 

「そして、あの子がこの世界にやって来た。見捨てた挙句に存在すら忘れた、(わたし)に会いに。

記憶を封じられていた私は、あの子を遠ざけた。記憶が無くても、後ろめたさはあったのよ」

 

「…………………」

「今になって思えば、あの子は自分を見捨てて消えた私に、復讐するために来たのかもね。

それも当然だわ、勝手に利用して勝手に失望して勝手に捨てた私を、許せるはずないもの。

でもあの子、死んだときにどんな顔してたと思う? 笑顔だったのよ、とても穏やかな」

 

「………なら、許されたんじゃない?」

 

 

懺悔にも似た長い独白を聞き終えた霊夢は、咲夜の心に言い聞かせるような声色で答えた。

だが当の本人は首を振ってそれを否定し、山々の下に沈んでいく夕焼けを潤んだ瞳で見つめ、

過ちを悔いる罪人のような面持ちでか弱く反論する。

 

「そんな訳ない、あの子は恨んでるわ。この非道で非情で最低な、姉と呼べない他人(わたし)を」

 

「だったらどうして、アンタは自分を恨んでる相手を探してるのよ」

 

「………あの子に、罰してもらう為よ。それがあの子への罪滅ぼしになるんだから」

「何よそれ。アンタまさか、恨まれてるから何されてもいいって思ってるの?」

 

「………当然よ。小さかったあの子の心を弄んで、捨てて、見殺しにした。そんな私の事を

恨んでないわけが無いじゃない‼ 憎んでるに決まってる、だから私は‼」

 

「殺されても文句は言えない、って?」

打って変わって冷ややかな視線を投げかける霊夢の言葉に、喉を詰まらせながら頷く。

咲夜の表情は強張り、それが決して本当に望んでいることではないと如実に語っていた。

どうあがいても本心を語らない咲夜の頑固さに呆れ、霊夢は溜息を吐いて語り始める。

 

 

「アンタがどう思いこもうと勝手だけど、それが正しいことなのかは別よ。

殺されたいんならそう言えばいいじゃない。今までと同じように、自分勝手にね」

 

「ッ‼」

「望んでないんでしょ、そんな事。アンタはアイツに会って、どうしたいのよ?

謝りたいの? 殺してほしいの? それとも、本当の姉弟になりたいの?」

 

「_________っ」

 

「素直じゃないのよアンタら。フランを見習ったらどう? 真面目で素直で助かってるわ。

勝手に思い込んでる姉と勝手に諦めてる弟、変なところだけ似てるのよね、ホントに」

 

 

次々と核心を突いていく霊夢の言葉に、咲夜は隠していた本心を無理やり剥き出しに

されたような敗北感と屈辱、そしてありがたみを感じていた。

しかしその反面、まるで自分より彼を知っている風な言葉に、苛立ちを募らせてもいた。

「お前にあの子の何が分かる」と怒鳴ってやりたくなったが、それを何とか抑え込み、

目の前で呆れ顔のまま腕を組んであーだこーだ言っている霊夢に、それとなく尋ねてみる。

 

 

「随分な言葉ね。あの子の事をどれだけ知ってるのかしら?」

「アンタの思い込みが激しすぎるだけ。本当に恨み言の一つでも聞いたことあるの?」

 

「そ、それは………でもあの子はきっと!」

 

「自分を憎んでる? フランの話を聞く限りだと、九分九厘有り得なさそうだったけど」

 

「妹様の、お話を?」

 

「アンタよりもずっと近くにいたんだし、色々詳しいに決まってんじゃない。

そのフランが言ってたんだから、間違いは無いでしょ。何なら確かめてみる?」

 

霊夢の言葉、というよりも提案に咲夜は息を呑む。しかし、その首を縦には振らなかった。

 

「妹様は、その、何と仰っていたの………?」

 

「知ってどうするの」

 

「それを聞いてどうするの?」

 

「………ま、いいか。二日前くらいだったかしら、フランが寂しそうに言ってたわ。

『紅夜が、自分は姉さんに嫌われてしまった。姉さんにとって自分は不要な存在だから、

目障りに思ってるんだろう。それでも、どう思われていても僕は姉さんが好きなんだ』

そう言ってた、ってね。信じるも信じないも、アンタの勝手よ。好きにしなさい」

 

皮肉げに話をしめた霊夢は、呆れ顔をほんの少し柔らかくして、最後に一言呟く。

 

 

「でも、本当にアイツの事を考えてやるなら、向き合って話し合うべきじゃない?」

 

 

言うべきことを言ったと、霊夢は空を見上げて今の時刻の大まかな予想を立てる。

既に日は没し、東の空からは淡い光を放ちながら、半ばくぼんだ月が浮かんできていた。

そう言えば時間つぶしを優先させて昼食を取っていなかったと気付き、霊夢の腹部から

ゴロゴロと不機嫌そうな音が鳴り出す。今は夜、いつもなら夕食と洒落込んでいるのにと

再び溜め息をついて、そこでようやく、改めて咲夜を見やった。

 

 

「___________」

 

泣いていた。あの十六夜 咲夜が、二つの瞳から絶え間なく雫を流し続けていた。

 

小さく開いている口からは言葉は聞こえず、開いている瞳も焦点が定まっていない。

けれど今の彼女は、先程話していた時より落ち着いているように感じられた。

 

再び霊夢が暗い夜空へと視線を向けた直後、前方から声をかけられた。

 

 

「霊夢…………一つ、いいかしら」

 

「何よ」

 

「あなたのことは信用してないし、するつもりはないわ。けど………」

 

「ハッキリ言えば?」

 

「…………紅夜を、助けてくれる?」

 

「そう言ってるじゃない」

 

 

視線は変わらず中空に向けられている。だが、その言葉に嘘も偽りも感じられない。

ぶっきらぼうに、ありのままに、されど揺るがぬ返答に、咲夜は微笑みを浮かべる。

 

 

「なら、お願い………あの子を助けて」

 

「分かったわ」

 

「あの子の為なら、私も、何でもするから! だから!」

「分かったって言ってんでしょうが、しつこいわね」

 

 

ようやく隠していた本音を語った咲夜に、今更遅いとばかりに霊夢が吠える。

そんな二人は視線を重ね、互いの言葉に嘘は無いという事を無言で確認し合った。

 

夜も深まりだし、霊夢はそろそろ帰らねばならないと打ち明けて空に浮かび上がる。

黒一色の夜空に紅白が舞い上がるのを見上げ、咲夜は涙を拭って再度嘆願した。

 

 

「妹様と弟を、よろしくお願いします」

 

「はいはい、分かってるってば」

 

 

右手をひらひらと振り、もう充分だとうんざりした顔を咲夜に向ける。

しかし直後に表情を変え、思い出したと言わんばかりに話題を切り出す。

 

 

「あと、今回の事が全部終わって、元通りになったらさ」

 

「何かしら?」

 

「人里への買い物に、フランも連れて行ってやりなさい。物覚え良いから」

 

「お嬢様がお許しになるとは思えないけど」

 

「だったらこう言ってやりなさい。『人里に新しく友達ができたから会いに行く』って」

 

「え? それって」

「本当の事よ。人里に新しくできた食亭の双子と仲良くなって、友達になったわ」

 

「…………そう。分かった、伝えておくわ」

 

 

霊夢の話に素直な驚きを見せた咲夜だったが、直後の言葉に顔色を変える。

 

 

「それと、フランと一緒に弟も連れてきなさい。いいわね?」

 

「え、それは、だって、いきなりは」

 

「姉弟が一緒に買い物行って何がまずいのよ。別に好いた惚れたの間柄じゃないんだし」

 

「…………………」

 

「ちょっと、聞いてる?」

 

「え、ええ。分かったわ。その、が、頑張ってみます……」

 

 

急にしどろもどろになって顔を赤く染める咲夜を、怪訝そうに見つめた霊夢だったが、

本格的に胃袋が空腹を訴え始めたので、話はこれまでと打ち切って空に飛び出した。

 

一人残された咲夜は人前で、しかも霊夢に泣き顔や赤ら顔を見られてしまったことの

羞恥に今更ながら身悶え、しばらくしてから立ち直り、歩みを紅魔館へと向けた。

一歩ごとに夜風が肌を撫で、髪に触れていく。様々な感情が入り乱れたばかりの彼女に

とってはいい清涼剤となったが、今はまるで別のことで頭を悩ませていた。

 

 

(全てが元通りになったら、紅夜が帰ってきたら、そうしたら………)

 

頭の中で膨らんでいくのは、帰ってきた弟との、甘く蕩けそうなほど濃密な妄想(ねがい)ばかり。

 

朝目覚めれば彼の顔が横にあり、共に仰ぐ主人に今日も仕えられる喜びを口ずさむ。

二人で作った食事を取り、広大な館も二人で一緒に掃除し、空いた時間を楽しむ。

いつでも、どんな時でも二人で一緒にいる。思い描くだけで胸を埋め尽くすほどの、幸せ。

 

(食事も、掃除も、洗濯もずっと一緒に。も、もちろんお風呂も寝るのも………)

 

すぐそばに弟の顔がある。そう考えただけで頬が緩み、口は弓なりに曲がってしまう。

あの瞳が自分を見つめ、あの声が自分の鼓膜を震わせ、あの唇が自分の唇に重なって。

 

 

(___________あぁ)

 

 

そこまで妄想(ねがい)が膨らんだ時、咲夜は進めていた歩を止めて空を見上げる。

しかしその瞳が見つめているのは、満天の星空でも、吸い込まれそうな暗闇でもない。

 

咲夜の見つめる先には、ここにいないはずの、見たこともないはずの彼の笑顔があった。

 

 

(そう、なのね。私はずっと、いえ、きっとあの時から………)

 

 

幻覚だ。そんな事は分かり切っている。彼はこの場にいないのだから。

幻影だ。そんな事は分かり切っている。彼はこの場にいないのだから。

 

それでも咲夜の見つめる先、その瞳の中には、彼の笑顔が映り込んでいた。

 

(これがきっと、本当の__________"愛")

 

 

それ以外には何も映らない。視界の中にあるものは、悉く何も見えていない。

今の咲夜に見えているのは、この世でただ一人の弟であり、愛した男だけだった。

 

彼を想えば胸が高鳴る。

彼を考えれば心が躍る。

彼を感じれば肢体が震える。

 

心を埋め尽くすその感情を、欲してやまなかったそれを、咲夜は"愛"と名付けた。

 

 

(私の弟。紅夜。一人だけ。ああ、もう何も、考えられない………)

 

 

仕えるべき姉妹(あるじ)がいて、礼節を尽くす主人の友がいて、同じ主人をいただく同僚がいて。

そこに同じ志を持つ弟が、全身を喜びの快感に染め上げる愛しい彼がいてくれたら。

そう思うだけで、咲夜は満ち足りる。他にもう何もいらないと思わせるほどに。

この身は主人の所有物であり、主人の意思によって活動を許される駒に過ぎない。

もちろんそれは理解しているし、それが臣下として誉れであることも分かっている。

けれど今の彼女にとっての喜びは、何よりたった一人の少年に必要とされることだった。

 

求められるままに全てを差し出す。この体、この命。髪の毛一本から血の一滴まで。

主人の所有物であるはずのものを明け渡す。それはつまり、彼を主人と認めること。

不敬であることは重々承知、反逆であると思われても仕方ない。でも捧げたい(・・・・・・)

 

 

「いけないこと………なのに、すごく…………いい」

 

全身を掻き抱くようにして指や手でなぞる。伝わる感触が、自分の体であることを確認し、

それが一体誰のものであるか、一体誰に所有してほしいのかを、従者たる彼女は考える。

 

しばらく思考の海に潜り続けた咲夜は、立ち止まってから実に30分後に館に帰参した。

 

 




いかがだったでしょうか?

若干タイトル詐欺になりかけていないこともないですが、
これにてフランちゃんパートは終了と相成るでしょう。

さぁ、次回からはやっと主人公のパートに移りますよ!
ようやくこの章にも終わりが見えてきました、いやぁ、長ぇ長ぇ。
早いところもう一人の主人公にも日の目を拝ませてやりたく思います。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十九話「紅き夜、妖怪の山を駆ける」


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第六十話「紅き夜、妖怪の山を駆ける」



どうも皆様、最近発売された「デッドプール」を即座に購入して
五回以上は見直し続けている"俺ちゃん"こと萃夢想天です。

デップー面白いですね。日本語吹き替えだと日本語字幕と違って、
声優さんの感情のこもった台詞と日本独特の豊かな表現が合わさって
何倍にもなった面白さを感じられました。要するにオススメって事です。

いつも私事が多くなってしまってすみません。

さて、今回からはようやく主人公が登場します。
かつてこれほどに主役の出ないSSがあっただろうか…………。
今話は前回の翌日から始まります。時系列修正って難しいです。


それと今更ですが、私は非常に外部からの影響を受けやすい人間です。
なので、今回も同様に「デッドプール」の影響が多段に含まれています。
それでも読みながらチミチャンガを食べられる方は、先へお進みください。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

四方を囲む無骨な岩肌にもそろそろ見飽きてきた頃、ようやく頭上に小さな光が見え始めた。

徐々に大きくなっていくその光へ向かって、"僕ら"と身にまとう紅い霧が突き進んでいく。

その速度は先程から変わらず速く、過ぎ去っていく岩の壁が幾何学的模様に見えるほどだ。

 

距離はおよそあと、100メートル。現在進行形で距離は縮まる。あと90メートル。

 

暗色と苔のかすかな緑色しか見ていなかった視界に、不純物のない清水のような青が染み込み、

光あふれる『地上』がもうすぐそこまで迫ってきていることを明確に伝えてくる。

あと指折りで秒数を数えれば、そこから先はもう硬くて冷たい岩の壁紙とは無縁の世界だ。

 

10、9、8、7、6____________

 

瞳があまりの明るさにまぶしさを訴え始めるけど、心の内に湧き出る喜びが勝り、瞳の上下に

ある瞼を閉じることを許さない。実に何日ぶりの陽の光だろうか、そう考えると感慨深い。

もう手を伸ばせばその先は、僕らが今までいた地底世界ではない。いるべき場所、帰る場所だ。

 

 

5、4、3、2、1__________________

 

 

指折りで秒読みを終えたのと同時に、紅い霧に全身を覆っている僕の身体が、日光を浴びた。

 

 

やぁ、どうも久しぶりですね。僕の事覚えてますか? え、覚えてませんか?

いやだなぁ、僕ですよ僕。十六夜 咲夜の弟の、十六夜 紅夜ですよ。

 

 

暗く湿り、それでいて明るく活気に満ちた地底世界から一転、僕らは地上へと帰還した。

生い茂る若草に木々。柔らかで温かい日差し。広大な世界を吹き抜ける、優しいそよ風。

地底には無かった全ての『地上』が、紅色の鎧を装着している僕らを出迎えているようだ。

 

 

『ハッ、詩人気取りか間抜け面』

 

 

一瞬で爽快な気分が瓦解した。

 

「本当に厄介な奴だね君は。地底に置き忘れてくればよかったよ」

 

『抜かせクソガキ。さっさとやることやって決着つけんぞ」

 

「はいはい。分かったから、それまでは大人しく協力してくれよ?」

 

『ああ。俺様にその身体よこすまで、せいぜいくたばってくれるなよ』

 

「僕と決着つける前に君が死ななきゃいいけどね」

 

『やっぱくたばれクソガキが』

 

 

約六日ぶりの地上世界への帰還を台無しにした人物と、色々台無しな会話を繰り広げる。

今僕と会話していたのは、僕の肉体に宿ってしまった魔人の魂、らしい。

実際に話しているから実在はしているんだろうけど、たまにその存在を疑ってしまう。

いわゆる"もう一人の僕"状態になっているのかもしれないと、内心で冷や汗を流したり

したけど、こうして意見が180度を振り切って540度真逆だからそれはないと安心できた。

それにしても、こうして見ると地上はこんなにも眩しくて美しい世界だったんだなぁ。

今までの僕はこうして、景色を楽しむ余裕なんて無かったから、新鮮に感じられる。

 

しかし、実際今も眼前に広がる風景を楽しんでいる余裕は、無い。

 

 

「一刻も早く、射命丸さんを助け出さないと……」

 

 

そう、僕が地底世界からここまでやって来たのには、明確な理由があっての事だった。

 

十六夜 紅夜という人物が死を迎えたその日、その少し前まで故人と共にいた鴉天狗の

射命丸 文が、謂れの無い罪で天狗社会の法に基づき囚われの身とされてしまったのだという。

その間僕は、内側にいる魔人と紆余曲折を経た結果として自身の記憶を失っていたので、

何も知ることが出来なかったのだ。しかしそれも、一日前に事なきを得たのだが。

 

一度死んだ僕は、死後に自分の肉体を使われて重ねられた罪を清算するため、特例として

蘇ることを許されたのだが、結局はその機会すらも棒に振ってしまったという訳なのだ。

記憶を失くして五日ほど経った日、『忘』と名付けられた僕の前に蘇りを許可した人物が

現れたのだ。地獄の法の番人である、閻魔大王こと四季 映姫 ヤマザナドゥさんが。

そこからは早かった。記憶を取り戻し、罪の再清算の機会を得て、地上へと帰還した。

 

そして時系列は、晴れて今ここに戻って来た。

 

 

「場所は妖怪の山、か。でもどこに囚われてるのかが分からないんだよなぁ」

 

 

僕が死ぬ間際に犯した、最後の罪。それは、射命丸さんをずっと騙していたことだ。

彼女を騙した挙句、その彼女に心を奪われそうになっていた。本末転倒もいいところだね。

その罪を清算するため、まずは無実の罪で捕らえられた彼女を救い出す必要がある訳だが、

救助する方法も考えていないし、そもそも彼女の現在位置すら僕は知らない。

本格的にお手上げかとも思ったけど、正直に言えばここで悩んでいる時間も惜しいのだ。

 

 

『もし裁判が終わって刑が執行されるのなら、今日の午後辺りになるでしょうか』

 

 

地底で記憶を取り戻した僕に、四季さんはそう告げた。

 

午後ってことはつまり、太陽が東から若干西寄りの位置にある時間帯ってわけだね。

そこでお空を見上げてみよう。何が見えるかって? 頭の上に太陽が見える。

何も無い向こうの空がおそらく北だとすれば、反対側のアッチは南だね、うん。

つまりどういうことかって? そういうことだよ。

 

 

「時間が無い…………本格的にマズイね」

 

『オイ』

 

「なに? 僕は今君にかまってる暇は」

 

『時間がねぇんだろ? だったらさっさと行きゃいいだろ』

 

 

どうすることも出来ない現状に歯噛みしていると、急に魔人が愚行を立案しだした。

さっさと行く。つまりは無策で妖怪の山の中へと突っ込めということか。君は馬鹿か。

元から人間の立ち入りを厳しく取り締まっている妖怪の霊山へ無策で乗り込むなど、

手の込んだ自殺でしかない。わざわざ駅で切符を買って、乗らずに線路へダイブする

自殺志願者と同じような思考だ。人間の身体は脆い。肉体的にも、精神的にも。

だからってわざわざ殺してもらうために行くことはないだろう。僕は二度も死にたくない。

次々と愚案を否定する理由を考えていると、それが筒抜けな魔人は呆れるように語った。

 

 

『場所も分からねぇ、時間もねぇ。だったら行くしかねぇだろうが』

 

まさしくバカの典型ともいうような言葉に、それでも僕は納得せざるを得なかった。

確かに、魔人の言う通り時間も無いし位置情報も無い。なら、しらみつぶししかない。

相手がどれだけいるのか分からないし、状況がどうなっているかすらも不明のままだ。

 

それでも僕は、ただ彼女に対して罪を償いたい。だったら、やるしかない。

 

 

「………はぁ、ソレしかないみたいだね」

 

『分かったらさっさと行くぞオラ』

 

「落ち着いてよ、三日間断食を強要された豚じゃないんだから」

 

『何なら今ここで決着つけるか、あァ⁉』

 

「ほら、どーどー。ゆっくり深呼吸してー、そのまま口を閉じてー」

 

『死にたいんだったらそう言えよクソガキが。二度手間だろうが』

 

「やっぱり深呼吸中止。君の息はドブネズミのゲロみたいな匂いがしそう」

 

『殺すぞクソガキ‼』

 

 

ただその前に、僕よりも頭が悪い魔人に納得させられたのは、僕のプライドが許さない。

溜まった鬱憤を吐き出させてもらおうかな。それくらいの権利主張は認められるはずだ。

 

 

「さて、お遊びはここまでだ。僕に協力しろ」

 

『気が変わったって言ったらどーする?』

 

 

気分を切り替えて進もうとした直後、魔人が駄々をこねてきた。

 

 

「体内の血流の方向を逆転させて爆裂するって言ったらどーする?」

 

『…………ケッ! クソが‼』

 

 

すぐに必殺の脅し文句で黙らせる。魔人が欲しいのは、僕の器としての"完全な"身体だ。

それを木っ端微塵にするぞって言われたら、下手に出るしかなくなる。

 

 

「ありがとう。さ、ここで言い争っても始まらない。行こうか」

 

『言いだしたのはテメェだろうが』

 

「多少目立っちゃうのはこの際仕方ない。ほら、力貸してよ」

 

『聞けよクソが‼』

 

 

魔人を言いくるめていざ出発、といったところで、僕自身には空を飛ぶ力などない。

改造人間と言ったって、背中に羽が生えてるわけでも、飛行能力があるわけでもない。

まぁ僕の『方向を操る程度の能力』で、重力の方向を操れば出来ないことはないけども、

それは飛行というよりも落下に近い。速度を上げる事も調節することも出来ないのだ。

だから不本意だけど、この魔人に頼るしかない。コイツは僕の肉体と魂を同化させて、

人間とはかけ離れた器に変えたとはいえ、単独での飛行を可能にしたのだから。

 

 

「君に体を貸すのは忍びないけど、これはあくまで一時的な物だからね。

いつでも奪い返せるということをお忘れなく。それじゃ、頼んだよ」

 

『チッ! あー分かったよ、全開で行くぞオラァ‼』

 

 

もはや街中でタクシーを拾うのと同じ感覚で、内側に潜む魔人を移動手段に使える

ようになってしまった自分に、驚きの感情すらも感じなくなっている。

何か行動を起こせば反発しようとするし、行動しなければしないで喚きだすような存在に、

いつの間にか慣れてしまったのかもしれない。なんだろう、器として融合してるからかな。

とにかく僕は一旦魔人に身体を預け、入れ替わるように精神の内側で彼の動向を見守った。

 

 

『んで、どっちだ?』

 

「あっち」

 

『アッチじゃわかんねぇだろうが!』

 

「向こう」

 

『向こうで分かる訳ねぇだろうが‼』

 

 

同じ一つの身体で言い争いが再び勃発し、紅い霧をまとった僕らは一路、妖怪の山へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ハァ」

 

 

一人の少女が、その身長に見合った幼さを感じさせる唇からため息を漏らす。

しかしその仕草は幼さとはかけ離れ、どこか気品と気苦労を感じさせるものがあった。

 

 

「……………ハァ」

 

 

二度目のため息を吐き出すも、その少女の顔色は優れない。ここ数日はずっとこうだ。

 

 

「フラン………無事でいるといいんだけど」

 

 

どこを見回しても視界のほぼ全てを真紅に染める部屋で、その部屋の主人がか細く呟く。

少女の名はレミリア・スカーレット、霧の湖に浮かぶ紅魔館の主人である、吸血鬼だ。

 

彼女が二度も深々とため息を吐いたのには理由がある。それは彼女の、ただ一人の妹の事。

495年もの歳月を地下牢に封じ込めていた張本人である自分が、今更館の外へ出たことに

不安を感じるなど偽善だ、と内心で客観的に判断しながらも、それでも親心は消えない。

 

 

「ハァ…………もう、五日よ?」

 

 

レミリアの妹、フランドールが彼女の執事を探しに館の外へ消えて、五日が経過したのだ。

この紅魔館を建設してから今日という日まで、館に属する者がこれほどまでに長い間、

館を離れるなんてことは一度も無かった。故に、今のレミリアの心境は押して然るべきだろう。

 

万物を創世せしめる神、それすらも破壊することが出来るレミリアの妹の能力。

開いた右手が閉じられた時、彼女の前にあるモノは有象無象の区別無くこの世から壊れ去る。

あの悪魔すら恐れる能力が開花したから封じたのか。開花する前から封じていたのか。

長過ぎる時間の壁が、レミリアに思い出すことをためらわせる。今更思い返してどうする、と。

仮に妹を地下牢へ封じたことが誤りだったとして、過ぎていった時間はもう元には戻らない。

妹との間に、知らず知らずの内に深く根付いた溝は、決して塞がることは無いのだろう。

 

それでも、だとしても、姉として妹を想わずにはいられないのだ。

 

 

「もう帰ってきてもいい頃でしょ? 帰ってきたらどう?」

 

 

そこに妹がいて、自分の話を聞いているかのような物言いを、一人きりの部屋で口にする。

半ば自暴自棄になりかけてもいたが、最後の一線は彼女の異常なまでの誇りが守り抜いた。

しかしやはり、妹からの返事は無い。その事実に目線を窓から紅い床に伏せ、三度目の息を吐く。

 

 

所変わって、ここはレミリアがため息を吐く紅魔館にある、魔女の住むヴワル大図書館。

そこにはいつもと変わらず、たった二人だけの住人が無数にある分厚い本と暮らしている。

だが彼女らもまた、当主のレミリアと同じように、その表情は浮かないものになっていた。

特に魔女のパチュリー・ノーレッジは、明らかに落ち込んでいるような雰囲気を見せていた。

 

 

「あ、あの、パチュリー様…………紅茶をお持ちしました」

 

「………………」

 

「ぱ、パチュリー様?」

 

「…………そこ、置いといて」

 

「は、ハイ!」

 

 

おそるおそるといった感じでかけられた小悪魔の声に、彼女の召喚主であるパチュリーが

反応を示したのは少し遅れてからだった。間違いなく、普段の彼女ではありえない状態だ。

しかしそれを指摘する小悪魔ではない。相手は自分の召喚主であり、最強の魔女なのだから。

けれどそれはあくまで実力的な問題の視点だ。小悪魔が気を使った理由は、別の問題にある。

 

最強の魔女である主人が、幾日も時間を費やして作った魔法を、失敗に終わらせてしまった。

 

普段の小悪魔なら鼻で笑っていただろうその問題は、しかして彼女自身も当事者だったが故に

否定しきれるものではなくなっていた。そう、見たのだ。主人の魔法が失敗したその瞬間を。

約三週間ほど前にこの館へやって来て、住民となり、館の主の妹君の世話役を仰せつかるほどの

力を証明して見せた、一人の人間の少年。その彼を死から蘇らせるための、強大な転生魔法。

大図書館の主と館の主の二人がそろって執り行われた大魔術。その結果が、失敗。

小悪魔は知っていた。目の前で落胆の色を隠せない召喚主が、酷く悲しんでいることを。

 

 

(パチュリー様は紅夜さんに、何か特別な思いを抱いていたようですし、私も………)

 

 

小悪魔がその大きめの胸部を、祈るように組んだ手でざわつく心を戒めるために押さえつける。

彼女たちはその目で見た。あの日の夜、この大図書館で、十六夜 紅夜という少年が死んだのを。

そして彼女たちは見た。転生儀式の失敗によって呼び出された魔人が、彼の身体を奪うのを。

人ではないモノに変わってしまった彼の姿を思い出すだけで、小悪魔の心は波紋を起こす。

 

初めて館に来た時、自分を人質にした彼が。徐々に打ち解けてゆく内に、笑うようになった彼が。

異変を決起した際に、血反吐を吐きながら抗った彼が。自分の知らぬ所で、息を引き取った彼が。

自分たちの目の前で異形へと変わり、状況を理解せぬままに夜の闇へと消えた彼の事を思い出す。

 

気付けば小悪魔の両瞳の端には、大粒の涙が溢れていた。

 

 

(紅夜さん…………どうか、どうか無事でいてください………‼)

 

 

人が何かを望み、祈るのは神に対してだが、悪魔が祈る場合は、何に対してなのだろうか。

本棚に囲まれた狭いスペースで、泣くのをこらえている小悪魔をチラリと見やったパチュリーは、

ふとそんな下らないことに思考の何割かを一瞬だけ割いて、再び陰鬱な表情へと追いやられる。

薄紫をベースに、紫色のストライプが入った服装に身を包む彼女が考えるのは、やはり小悪魔と

同じで、この館のメイド長、十六夜 咲夜の義弟であるたった一人の人間の少年についてだった。

 

魔女として長きに渡り研究を重ね、持ち得る知識の全てを活用して編み出した、魔人転生の儀。

しかしその行いの結果は、燦々たるものだった。成功すると信じて疑っていなかったのに、

まさかこんなところでしくじるとは考えてもみなかったのだ。それほどまでに、安堵していた。

 

彼が、十六夜 紅夜が帰ってくるのだと確信した時、パチュリーは心底安堵してしまっていた。

 

 

(いくらレミィの膨大な魔力があったといっても、術式の主体は魔女(わたし)だったのに………)

 

 

油断、慢心、侮り、驕り、軽薄、迂闊。言葉など探さなくともいくらでも出てくるというのに、

彼を救い出す方法は見つからなかった。倒錯の果てにようやく辿り着いた答えに従い、術式を

日夜構築し続け、魔力を注ぎ込み、友人であるレミリアに助力を願って足りない分の魔力供給を

補ってもらった。そこまでしなければ成し遂げられなかった。そして、その挙句が失敗。

 

同じ紅魔館の住民は皆、パチュリーのせいではないと言った。しかし、彼女自身が許せないのだ。

 

魔女である自分が、膨大な数の魔法と魔術を研究し続けてきた自分が、何たるざまか。

五大元素を操るだけでなく、二つ増やした七大元素を魔法に応用さえできる最強の魔女の自分が、

人間一人を二人がかりで復活させられなかっただけでなく、召喚したモノに反旗を翻されるなど。

もはや魔女の面汚しと言われても反論のしようが無いほど、今回の失敗は大きかった。

 

 

(ごめんなさい、レミィ。妹様も、小悪魔も、美鈴も…………咲夜も)

 

 

紅魔館にいる全ての住人に謝罪の意を述べようとしても、彼女らはそれを受け取らなかった。

友人であるレミリアは当然だ。彼よりも、彼を探して消えた妹の方が心配なのだから。

一緒に図書館にいる小悪魔は、先程見た通りだ。一日一回は彼を思い出し、そして泣きだす。

門番の美鈴は普段は顔を突き合わせないが、昨日会ったときは拍子抜けするほど上機嫌だった。

そして最後に、外の世界で一緒だったことを思い出した咲夜。彼女にはもう、かける言葉も無い。

自分が知る十六夜 咲夜とは、『瀟洒』という言葉を人として具現化させたような人物なのだ。

そんな彼女が狼狽し、取り乱し、あまつさえ泣くとは思ってもみなかった。素直に驚いた。

しかし実際、紅夜の姿が消えてからというもの、咲夜は紅魔館にいる時間がほぼ無くなっている。

もちろん、弟を探すためだということは分かっている。だが、それでも見つからないらしい。

毎日朝早くに館を出立し、夜も深まり月が西に傾きだした頃にようやく帰ってくることが、

日常茶飯事となっていた。その間、仕える主人であるレミリアにするはずの奉仕を怠ってまで。

 

(何もかも、変わってしまった。紅夜が、一人の人間がいなくなっただけで)

 

 

彼が来る前の紅魔館は、良くも悪くも平常だった。何もかも、上手く回っていた。

いや、違う。彼が来るまでこの紅魔館は、一つ一つの歯車が噛み合わず、回ってすらなかった。

たった三週間という短い期間でも、これだけ環境が目まぐるしく変化していったのは、

他ならぬ彼と言う存在が、一つ一つの歯車の溝を埋めていってくれたからだろう。

 

 

(もうこの紅魔館は、いえ、ここにいる誰もが、あなたがいないとダメになってるのね)

 

 

認めたくはない。たった一人の人間なんかに、数百年生きた魔女が、骨抜きにされるなんて。

それだけならまだ笑い話で済む。けれど事は紅魔館全域に及ぶ。ここに住む、全てのモノに。

 

500年を生きる赤より紅い吸血鬼も、495年の牢獄を生きた狂気渦巻く破壊の吸血鬼も、

決して砕けぬ意思を持つ眠れる妖怪も、召喚された小悪魔も、ソレを呼び出した魔女も。

 

およそ人間などには手に負えないはずのモノ達が、こぞって彼を中心に動いている。

 

 

(なんて滑稽なのかしら。でも、それを悪くないと思っている自分がいる)

 

 

ここ最近、思い出すのは彼と一緒にいた記憶ばかり。それも、ほとんど二人きりのものだ。

一番最初に彼に興味を持った、土砂降りの雨の夜。共に魔導書を開き読んだ、遅めの朝。

彼の死期が近いことを知り、覚悟を決めた半月の夜。そこまで思い出し、ため息を一つ。

 

彼が消えてからというもの、この館の住人はそれぞれ何らかの異常をきたしている。

別に彼が何かしたからというわけではない。かといって、原因でないこともないだろう。

 

様々な種族の女性に好かれ、愛された彼の事を、魔女である自分は、どう思っているのか。

 

 

(見え透いた禅問答ね。私は魔術の深淵を極めることしか興味が無い、そのはずだわ)

 

 

同義であるということは、イコールと言うことだ。しかしイコールとは、確定でもある。

今回に限って言えば、パチュリーは自分で言った言葉を自分で、不確定(ノットイコール)だと確信していた。

 

彼には生きていてほしかった。ずっと本を教えてあげたかった。死んでほしくなかった。

 

魔女にあるはずのない"心"が、パチュリー・ノーレッジとしての"心"が騒ぎ立てる。

 

 

(…………見え透いた、ね。私自身の答えに自信が持てないのに?)

 

 

これ以上はもう耐えられないと悟り、パチュリーはまた深く大きなため息を吐く。

まるでそうしなければ、内側に溜まったもので膨れ上がって爆ぜてしまうかのように。

 

「…………ん?」

 

 

ため息を吐けば、自然と視線は下方向へと向けられる。今回はそれが幸いしたようだ。

 

 

「コレは、あの異変の時の魔導書?」

 

そう言ってパチュリーが拾い上げようとしたのは、もはや懐かしさすら感じるものだった。

少し前にレミリアが紅夜を迎え入れるために引き起こした、紅魔館主犯の新たな異変で

特別にこしらえた、十六夜 紅夜のためだけの一等専用品(ワンオフ)と呼べる紅い魔導書だ。

この魔導書は他の物よりも若干薄く作られている。理由は単純、中の魔法が弱いから。

込められているのは、紅色に染まった高濃度の霧を放出し、特定の人物に魔術の発動権利を

委ねるというものだった。損得勘定で数えれば、ソレは間違いなく"損"でしかない。

 

今この場にあってもパチュリークラスの魔術師では使う気すら起こらない、そんな代物。

 

だが、それがページ半ばで開かれ、描かれている魔法陣が魔術に反応していたらどうか。

 

 

「なんで、術式が発動しているの……? 一体誰がこんなものに_____________」

 

 

そこまで言葉が出かかり、以降パチュリーの声帯は声を出すことを中止した。

そして目の前で起きていることを再確認し、魔女としてその現象を観測し、確証を得る。

 

たった一人のために作られた、自分以外は小悪魔しか知らないような、無価値な魔導書。

制作者自身も存在を忘れかけるようなものを、好き好んで使う無関係な者がいるだろうか。

否だ。その答えは断じて否だとパチュリーは考える。そしてその先の事も。

 

 

「そう。コレを使わざるを得ない状況にいるのね。紅夜、あなたはまだ」

 

 

_________戦っているのね。

 

 

確信を以て、それでいて飲み込まれたその言葉は、パチュリーの笑みの中に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が前にここを訪れた時は、能力を使ってあっさりと侵入することが出来た。

『方向を操る程度の能力』によって、山中を警戒している妖怪たちの目線の方向をずらしつつ、

騒ぎにならないように気を付けながら、射命丸さんの自宅へと向かい、辿り着いたのだ。

 

しかし今回は、桁が違った。

 

 

『あのうじゃうじゃいやがンのが、全部天狗って連中か?』

「………だろうね」

 

 

真紅の霧をまとった僕らの視覚が捉えたのは、そこに変わらずそびえ立っている妖怪の山、

ではなく、山の至る所を哨戒している無数の天狗の姿だった。

 

魔人が主導権を握る器として強化された肉体が、異常なまでに感覚を強化しているらしく、

これほどまでに離れた場所からでも、山の中を歩く白い毛並みの天狗を見つけられた。

中には射命丸さんと同じような翼をもつ鴉天狗も見受けられる。コレは明らかに異常だ。

 

 

「_________警戒を強化している?」

 

『あァ?』

 

 

数瞬の思考が導き出した答えは、射命丸さんの処罰を行うための警戒網の強化。

僕の表層意識となっている魔人が不可解そうな声を上げるも、それを務めて無視する。

 

しかし妙だ。射命丸さんへの判決が終わり、いざ処刑と言うのならばまだ分かる。

でも、どうしてこれほどまでの警戒が必要なのかが分からない。この警備は厚過ぎだ。

 

「どうしてそこまでするんだ? いくらなんでもおかしいぞ」

 

『その何とかって女が逃げ出したんじゃねぇか?』

「射命丸さんが? でも、いやそんな…………」

 

 

過剰ともいえる警戒の仕方に躊躇していると、魔人が射命丸さんを暗に原因としてきた。

コイツの言いたいことは分かる。彼女が脱走を企てた結果、二度目をさせないためにと

警戒網を厳重にしたのではないか、ということだろう。でも、本当にそうだろうか。

疑問はいくつか残る。けど僕が最も不可解に感じているのは、彼ら哨戒の陣形の方だ。

もし魔人の言う通りだとしたら、彼らは山の内側に戦力を多く投入するはずだ。

逃がさないための陣形だというのなら、まず標的の付近を数で押し固めるだろう。

しかし僕が見たところ、哨戒の数は山を下るにつれて増している。つまり、逆だ。

 

 

「山へ何者かが侵入することを警戒しての布陣………?」

 

『バレてんのか?』

 

「それはない。と、思いたいよね」

 

『どっちなんだよ!』

 

「どっちがいい?」

 

『死ねよクソガキ』

 

「どうもありがとう」

 

もはや手慣れた一連の会話を一旦終わらせ、改めて魔人の視力で山中を確認する。

確かに山の下側の方が人影が多い。逃がさないためなら最も外縁に数を配置するのは

愚策でしかない。そんな馬鹿をやらかすほど、天狗は頭の悪い種族ではなさそうだけど。

 

でも、哨戒をしているのが逃がさないためではなく入れさせないためだとするなら。

 

 

「そこから目標の位置を割り出せる!」

 

 

大事なものは大切にしまい、多くの安全の中に隠す。知性ある生き物の行動原理だ。

それを紐解いていけば、逆算的に彼らの目的である射命丸さんの居場所が分かるはず。

当然そこには多くの天狗がいるだろう。そして彼らは、人間を遥かにしのぐ力を持つ。

 

 

『ま、人間を遥かにしのぐってんなら、俺様も負けちゃいねぇがなぁ』

 

 

そう。その点に関していえば、たった今僕らと彼らの戦力の差は限りなく等しくなった。

人を超える速度? こっちは魔人が中にいるんだぞ?

人を超える妖術? 魔法が使える魔人と張り合うか?

人を超える感覚? 魔人が来る前に限界値(オーバースペック)なのに?

 

率直に言おう。今の僕は、天狗如きに負ける気がしない。

 

 

「さ、行こうか」

『おう。テメェのせいで溜まったモン、アイツらにぶちかましてやらァ!』

 

「なんて酷い言い草だよ」

 

『クソくらえ、間抜け面‼』

 

 

もはや恒例になりつつある彼とのフレンドリーな会話を交え、一歩目を踏み出す。

そこから真紅の鎧を構築し、全身を覆い隠すと、魔人の力で中空へと浮かぶ。

 

完全に隠れる場所の無い空の真ん中で、赤よりも紅い人影が姿を現した。

 

当然妖怪の山の天狗たちはいきり立ち、そろって僕らへと警戒の目を向け始める。

武器を手に、視線を尖らせ、口の端を笑みではない感情の迸りに任せ歪めきり。

 

一言で言うならば、臨戦態勢だ。それにこの数相手だ、まず逃げられないだろう。

でも逃げる必要なんて無いし、そもそも逃げる選択肢なんて僕には最初から無い。

 

 

「どのくらいかな? 敵の数は」

『知るかよ。全部ぶっ殺しゃいいだろうが』

 

「…………いや、殺すのはダメだ」

 

『ハァ⁉』

 

 

でも、殺すのかと問われれば答えは否だ。そもそも、僕の目的は侵略じゃない。

鴉天狗と白狼天狗の両陣営を抹殺することでもない。これは僕の罪の清算の為だ。

射命丸さんを騙したことで既に罪を犯している。これ以上、罪を重くはできない。

それに僕はこの幻想郷に来て決めたんだ、自分の為だけに力は使わないって。

 

 

『コレはテメェの為じゃねぇのかよ』

 

低く笑いながら呟かれた魔人の言葉に、一瞬苛立ちながらもその言葉を肯定する。

これは僕が犯した罪を償う為だけの行動だ。だから、それは僕だけの為になるから、

僕が立てた誓いに反する行いになる。でも、それは今回これっきりだけだ。

人の命と一緒だ、二度目は無い。

 

 

『確かにな』

 

「とにかく、やることは一つだ」

『殺すな、女を奪え、今んとこ二つだな』

 

「…………じゃあ三つ目だ」

 

『チッ、まだ増やすのかよ』

 

「ああ、三つ目は____________本気でいこう」

 

 

魔人の笑い声に近い音程の宣言を口にした僕は、紅い鎧の下で眼を吊り上げる。

肉体の主導権を持っている魔人は、数瞬置いた後で高らかに笑いだし、頷いた。

 

 

『俺様に本気を出させりゃ、皆殺しだぜ‼』

 

「本気で、誰も、殺すな」

 

『面倒くせぇな‼ もーいい、行くぞオラァ‼』

「ああ、いこう」

 

 

最大限の警戒を向け続けている天狗たちに視線を向け、深紅の騎士は駆け出した。

 

 






いかがだったでしょうか?

そう言えば、この作品もUAが10000を突破していました!
おーめーでーとー!(某プリン伯爵風)

さて、今回からは紅夜の章のラストに向けて突っ走りますよ。
予定では後日談を含めて、あと4、5話ほどで終わらせるつもりです。
衝撃の展開に、誰もが驚愕する‼(作者自身も)


それでは次回、東方紅緑譚


第六十話「紅き夜、愛と罪のジレンマ」


ご意見ご感想、並びに批評も大募集しております!

【追伸】
UAってのは、読者数って事でいいんでしょうか? 教えてください


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第六十壱話「紅き夜、愛と罪のジレンマ」


どうも皆様、先日「君の名は。」を観た萃夢想天です。
友人(ホモと厨二病)に誘われて観ましたが、超大作でやんしたね。

他の友人や後輩が「良かったー」とか「また観たーい」とか、
オウムみたいに同じことを繰り返すばかりだったんで、そんな風には
なりたくないと思ってましたが、実際観てみると気持ちがよく分かります。

もう一回観たーい!

次は彼女と観に行きたいですね!(彼女いませんけど)


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

 

神妖の住まう霊験あらたかなるその山は、昨日までとは違う喧噪に荒れ狂っていた。

 

山頂付近に社を構える二柱と呼ばれる神々と、それらに仕える現人神となった巫女の他に、

妖怪の山と呼ばれるその場所には様々な物の怪が暮らし、幻想の日々を生きている。

厳格に生きる山の修験者こと天狗や、時代に流れに乗る変わり種こと河童を皮切りに、

神の属種である厄神と実りと滅びを司る秋の姉妹神など、あまりに多岐に渡るのだ。

しかしそれら山に生きる全てのモノが、これまどとは違った『何か』に気づいていた。

 

静かで閑散とした樹林を、縫うようにして駆け巡るのは先に挙げた天狗の一族。

そんな妖怪の一団が血眼になって追っているのは、皮肉にもたった一人の人間の少年だった。

 

 

「いたぞ! あそこだ!」

 

「なんとすばしっこい(わっぱ)だ! どれだけ追っても指もかすらんぞ!」

 

「狼狽えるな‼ 所詮は人間の小童だ、我ら天狗の誇りと掟にかけて捕らえるのだ‼」

 

「「承知‼」」

 

 

背に生えた黒塗りの翼で空を駆けるのは、妖怪の山に住まう天狗の一種である鴉天狗で、

全身から生える銀に近い白の長毛を揺らすのは、同じく天狗の一種の白狼天狗であった。

普段は反目し、上役の命令でのみ顔を突き合わせる程度の親睦しかない彼らが、こうして

編隊を組んで行動を共にしているのも、また一人の人間の少年が原因だった。

 

 

「囲め囲め!」

 

「空には鴉のが、陸には我ら白狼がおる! 小童如きにゃ逃げられまいて!」

 

「油断するな、白狼の! いくら童とて、訳の分からぬ能力を持つ人間ぞ!」

 

彼らが一丸となって追い続けているのは、くどいようだがたった一人の人間の少年だ。

縄張りである妖怪の山で、なおかつ空と陸の両面から追跡している天狗たちにとっては、

さほど苦労するような相手ではない。だがそれは、相手が普通の人間だった場合である。

妖術や仙術の類を操る彼ら天狗を以てして、「訳が分からぬ」と言わしめる能力を持つ人間、

全身を高濃度の紅い霧製の甲冑で包んだ十六夜 紅夜は、背後を気にしつつ逃げ続ける。

 

しかしいくら能力があるといえど、元々の圧倒的な物量差が覆ることなどありえない。

普通なら無理だと誰もが匙を投げるはずだろう。けれど、ここは幻想が暮らす隠れ郷だ。

妖怪の山の至る所から無限に思えるほど湧き出る天狗を前に、逃走者は嘲るように笑った。

 

 

「気まぐれに蟻の巣を突いた気分ですよ。わらわらとよくもまぁ」

 

『空飛ぶ羽虫に走る蛆虫ってかァ? ハッハー! 潰し甲斐があるなァ‼』

 

 

紅色をした濃霧の鎧に覆われ、くぐもった笑い声を上げるその人物は、山を駆け抜ける。

そのたなびく彩色に吸い寄せられるような形で、鴉天狗と白狼天狗の部隊が追いかけるが、

彼我の距離は一向に縮まることはなかった。だが決して、距離が離れる事も無かったが、

大人数で移動しているからか、天狗の中でその事に気付く者は誰一人いなかった。

 

やがて山の中でも開けた場所に突き当たり、天狗たちはすぐさま包囲陣を敷いて固まり、

中心に侵入者である霧をまとう少年を据えて、じりじりと迫るように間隔を狭めていく。

一歩ずつ、一尺ずつ、一寸ずつ。さながら牛歩の如き歩みであったが、それは天狗たちの

彼への警戒心の表れだからだろう。決して陣形を崩す愚を犯す者は部隊の中にはいなかった。

 

 

「追い詰めた! 王手をかけたぞ!」

 

「馬鹿者が。これは将棋でも盤上の出来事でもない、目の前の敵を見ておけ!」

 

「見れば見るほど怪しい輩ぞ。紅色の霧が鎧のようになっておるわ」

 

「されど気配で分かる。そこにおる者は、紛う事なき人間ぞ!」

 

 

口々にものを言い合う天狗たちを尻目に、鎧を着た侵入者は冷静にそれらを見つめていた。

 

「________空に七、陸に九………いや、木の陰にあと四か」

 

『占めて二十か! 準備運動にゃちょうどいいかもなァ‼』

 

「やり過ぎるなよ。と、言いたかったけど、作戦変更」

 

『アぁ?』

 

 

追手の数を逃げながら数えていた彼らは、天狗たちに追い込まれたように装って、

実際は自分達が戦うのにちょうどいいスペースを探し回っていたのだ。

妖怪の山は樹齢が軽く二百を超える木々が乱立する林の海のため、大仰に立ち回れない。

そこで侵入者は、大勢の天狗の力を発揮させず、自分の得意な白兵戦に持ち込めるような

地形へと追手を誘導していたのだが、もちろん追手側はそんな事に気付けるはずもない。

 

侵入者の視線の先には、殺気に満ち満ちた眼をギラつかせる白狼天狗と鴉天狗の群れ。

手にはそれぞれ、白い楕円形の楯と身の丈ほどの腹広い大剣や、錫杖も持ちやって、

ジリジリと包囲網を狭め始めている。最も距離が近い天狗で、もう10メートルもない。

遂に慎重であることに限界が来たのか、接近した白狼天狗の一人が侵入者へ斬りかかる。

 

 

「貴様かッ‼ 貴様が、我ら白狼の誇りを踏みにじりおった愚物かぁッ‼」

 

柄を砕きそうなほど強く握りしめた右手で、そこから真っ直ぐに伸びる大剣を振りかざし、

迫る包囲網に対して何ら行動を起こさない侵入者への、天誅と言わんばかりに叫んだ天狗。

周囲の同胞はその行動を咎めようとする者もいれば、それに乗じて手を加えんとする者も

いたが、先行して斬りかかっていった白狼天狗だけは、それが正しいと信じていた。

白狼天狗の中では年端もいかなかった娘ら三人、未だに意識を取り戻さずに横たわっている。

目の前にいる紅い霧をまとう人間がその下手人ならば、彼らが取るべき行動は報復のみ。

 

(許せん‼ たかが人間風情が、我ら山に生きる誉れある一族の名に泥を塗るなどッ‼)

 

 

怒りに燃えるとは、まさにこの事だろう。持ち前の身体能力を活かし、大の大人数人分の

距離を一息で詰め切り、この日のためにと磨き上げてきた剣と太刀筋を、鋭く振り下ろす。

 

 

「去ねッ‼ 血飛沫を上げて三途を渡れぇ‼」

 

 

空気ごとまとわりついている霧を切断するが如く、鋼色の刀身が袈裟斬りの道筋を辿る。

見事に標的を捉えた刃は、侵入者を覆っていた霧と同じ色の体液をその身から溢れ出させ、

ドサリと力なく倒れる音を響かせた。鋼に紅を彩った刀身を、悦に浸りながら見つめる。

 

 

「これが白狼の剣! これぞ白狼の牙! 人の子よ、あの世で己が罪を悔いろ‼」

 

 

ふつふつと湧き上がる愉悦に全身を浸らせ、同族の汚名を雪いだ天狗は高笑いを上げた。

 

「__________罪なら、もう悔いてますよ」

 

しかし、その高らかな笑いを嘲笑するように聞こえてきたのは、先程倒れた人間の声。

人よりも優れた五感を持つ彼らはすぐさま、声のしてきた方向を特定しようと見回すが、

どうしてか場所の見当をつけることが出来ないでいた。まるで、妨害されているように。

 

声が響いた十数秒後、侵入者を斬った白狼天狗はそこで、斃した者の姿を視認できた。

 

 

「な、馬鹿、な………」

 

「白狼の! これはどういう事だ‼」

 

「ち、違う! 俺は確かにあの小童を、霧がかった人間の喉笛をこの剣で!」

「ならば答えよ‼ おのれの前に倒れた、その白狼天狗は誰だ(・・・・・・・・・)‼」

 

 

それまで侵入者を覆っていた紅い霧が突如霧散し、晴れた視界に血まみれの同族が映る。

敵を切り伏せた白狼天狗が答えるまでもなく、その場の状況が雄弁に語っていた。

 

敵ではなく、味方を斬ったのだと。

 

 

しかし同じく、その場の誰もが理解に苦しんだ。何故仲間である同族を斬り捨てたか、ではない。

何故倒れている仲間を、ついさっきまで"侵入者"と認識していたのか、だ。

 

 

(なんだ、何が起きている? これはどういう事だ!)

 

 

自身の右手に持つ剣にこびり付いた血を見つめ、それが誰のものかを今一度確認する。

足元には剣による傷で血塗れとなった同胞の身体がある、つまりは、そういうことだ。

だが問題は、何故敵と味方が入れ替わっているのか。何故自分が味方を斬ったのかである。

仲間意識の強い天狗の一族が、同胞を手にかけるはずがない。罪人や反逆者であるならば

話は別だが、この状況はそうではない。敵を囲い込み、そこに自身が斬りかかっただけだ。

それがどうしてこのような結果になるのか。仲間の血で己が剣を穢すことになったのか。

激しい自問自答に苛まれ始めた白狼天狗は、意識の外側で起きている出来事から目を逸らす(・・・・・)

 

仲間を斬った彼の周囲では、再び現れた侵入者と同胞が戦闘を繰り広げているのに。

 

 

「この童、一体どこから現れた⁉」

 

「鴉どもは何をしておったのだ! 空の哨戒ならば、居場所も掴めただろうに‼」

 

「追及は後にしろ! 今は侵入者の相手が先___________だ?」

 

 

動揺と混乱が渦巻いている白狼天狗の部隊が、突然姿を見せた侵入者に敵意を向ける。

先程と変わらない紅い霧の鎧をまとう風貌、山では目立つその姿を見紛うはずがない。

今度こそ逃がすまいと躍起になる彼らは、剣と楯を構えてもう一度陣形を組み直すが、

視線を仲間の方へと向けて、ふと戻すと侵入者が消えていた。再び、消えたのだ。

 

目の前で標的が消えたことに驚く白狼天狗たちだが、流石に二度目なら動揺は小さく、

すぐさま上空で待機している鴉天狗の部隊に、侵入者を見つけるよう指示を飛ばした。

同じ視点から見て見つからなくとも、全てを視界に収められる上からならば容易いと

口を弓なりに曲げてほくそ笑む。指示を出して数秒後、鴉天狗の一人が敵を発見した。

 

「そこかッ‼」

 

 

上空からの指示を受け、白狼天狗の部隊長を務める者が横薙ぎに大剣を振るった。

鴉天狗からの指示では、部隊長のすぐ横に迫っていたという。ならば迎撃は容易だ。

背後からの奇襲を仕掛けたのだろうと部隊長は考え、カウンターの要領で敵を引き付け、

右手に持つ剣の射程範囲内に収めた瞬間に振るったのだ。そして、切っ先が肉を断つ。

 

 

「なッ_____________お前は‼」

 

 

だが、部隊長の剣が断ち切ったのは、同じ白狼天狗部隊の同胞の胸部だった。

目の前の現実に困惑する部隊長はその直後、腹部に燃えるような熱さと痛みを感じる。

 

 

「な、何故⁉」

 

「どう、して………?」

 

 

部隊長が胸を切り裂いた同胞の剣が、同じように部隊長の腹部を切り裂いていたのだ。

さながら相打ちになった剣士二人は、仲間同士で剣を向け合ったという事実に驚愕する。

嘘であってほしいとばかりに周囲へ視線を向けるも、周りの同胞も同じような表情のまま

固まって動けないでいるようだった。つまり部隊長の行いも、仲間の行いも等しく現実。

 

腹部から伝わってくる痛烈な感覚に顔を歪ませながらも、部隊長は思考を巡らせる。

 

 

(何がどうなっている‼ 何故私は仲間を、部下を‼)

 

 

ジンジンと、あるいはズキズキと。迫りくる感覚は徐々に大きく尖っていく。

絶え間なく続く痛覚に思考を掻き混ぜられながら、部隊長は何が起きたかを考える。

 

 

(鴉天狗が敵を見つけたと私の後ろを指さし、指示通りに剣を振るえば私の部下がいた)

 

冷静に考えれば、そんな事はありえない。だが実際にそれが起こってしまっている。

部隊長は次第に薄れていく思考の海の中で、考えたくはない可能性に流れ着いた。

 

 

(裏切ったのか、鴉どもは! これまで共に山を管理した白狼(われら)を、謀ったのか‼)

 

 

平静な精神状態であれば失笑に伏していただろう考えを、今回だけは捨てられなかった。

現状を鑑みればそれしか考えられない、妖怪の山を切り盛りしてきた同じ天狗の名を持つ

白狼天狗を、鴉天狗たちが見捨てたという考えに至って、部隊長は憤慨し、激怒した。

「がはッ‼」

 

「ん⁉」

 

 

心の中で鴉天狗を裏切り者をした部隊長の聴覚に、その恨みの対象の悲鳴が届いた。

何事かと目を向けてみると、視線の先には先程の裏切りよりもありえない光景が広がっていた。

 

「見つけたぞ小童! 儂の剣で死にさらせぃ‼」

 

「おのれ、人間風情が‼ ここで討ち取る‼」

 

「霧でできた面妖な鎧ごと、貴様の臓腑を切り裂いてやろう‼」

 

「妹の友が目覚めんのは、貴様のせいか! 答えてみろ、人間‼」

 

 

部隊長の目の前には、同じ白い毛並みの同胞に剣先を向ける仲間の姿が映りこんだ。

 

皆一様に眼を血走らせ、口々に罵詈雑言を吐き捨て、荒々しく闘気を奮い立たせている。

執拗に同胞を睨み付けるその両の瞳には、地獄の業火すら焦がすであろう憎しみが宿り、

せっかく組み直した陣形をあっさりと瓦解させながら、互いに剣を交えていた。

仲間同士での斬り合い。この現象に対して、身に覚えのありすぎる部隊長は恐れを抱いた。

 

 

(違う、鴉のも裏切ったのではなく、そう見えていた(・・・・・・・)のではなかろうか)

 

仲間が敵に見える。仲間を敵と認識する。敵に向ける感情を、仲間へと向けてしまう。

 

(まさか_____________あの小僧の能力(チカラ)か⁉)

 

「大正解」

 

 

息も絶え絶えに辿り着いた答えに対して、部隊長の頭上から賞賛の言葉が贈られる。

裂かれた腹部の傷を押さえつけつつ、捻るようにして体の向きを変えた彼が見たのは、

色の薄れて煤けたような紅ではなく、仲間が上げたような血飛沫の如き紅蓮に色付く鎧を

まとって、中空に立ちつくす侵入者の姿があった。その不遜たる振る舞いに毒づく事すら

ままならない部隊長は、人間の語った正答の意を示す言葉に問いかける。

 

 

「正解とは、本当にそういうチカラがあるのか、童!」

 

「ええ。僕には皆さんの言う『程度の能力』がありましてね。それの応用です」

 

「ぐっ………応用、だと⁉」

 

「はい。僕の『方向を操る程度の能力』は、なにも物体の方向を操るだけではないんですよ」

 

 

呼吸の度に血糊を吐き漏らす部隊長を上から見下ろし、侵入者は得意気に語りだした。

 

彼の持つ、造り出された恐るべき能力の真価を。

 

 

「僕の能力は、物質の方向も操れますが、"精神の方向性"も操れるんですよ」

 

 

侵入者_____________十六夜 紅夜の『方向を操る程度の能力』とは。

 

その文字通りの能力によって、物質の"今ある位置(方向)"を変化させられるのだ。

遠くに離れた物の今ある方向を変化させ、自分の目の前へと変化させて手繰り寄せたり、

逆に手元にある物を手の届かない遥か先まで瞬時に、方向を変えて送り出せたりもする。

分かりやすく言えば、矢印の向きを変えると、それそのものの向きも変えられるという事だ。

右方向へと投じたナイフの"方向"を左へと変えれば、ナイフは左方向へ飛んでいく。

静止した物体の現存する"方向"を自分へ向ければ、その物体が自分のもとに送られる。

 

彼の持つ能力とは、このようなチカラなのだ。

しかし今回彼が使ったのは、物質の"方向"に対しての変動ではない。

対象の精神の"方向"へと干渉し、働きかけるというチカラを使った。

 

例えば今回の場合、この能力を持つ彼は侵入者で、それを追うのは複数の天狗たち。

彼は孤立無援で、なおかつ紅い霧の鎧で目を惹きやすい。つまり、印象に残りやすい姿だ。

対して天狗たちは仲間意識の塊のようなところがあり、同じ装束を羽織り、武器も携えている。

自分と同じような格好をした者は同胞であり、目立つ紅い霧をまとう人物は倒すべき敵という

認識図が容易に出来上がるわけだが、そこに侵入者の能力が立ち入る隙間を生み出した。

 

同じ格好をした者は味方。これは当たり前の事で、わざわざ意識するほどの事でもない。

では紅い霧の鎧をまとう者。山の中では目立つ格好をしていて、すぐに敵と判別がつく。

仲間に対して敵意など向ける筈がない。殺気や敵意を向けるのは、紅い霧をまとう者だけだ。

 

ならばもし、もしもだ。その向けるべき殺意や敵意の"方向"を、味方に向けさせられたら?

 

「殺気を向け、敵意を向けられ、滞空している紅い霧に近い者を自然に敵と認識してしまう」

 

頭上で教え子を諭す教育者のように、優しい口調で語る侵入者を部隊長は見つめ続ける。

しかしその瞳に宿る感情は徐々に、先程のような強い敵意ではなく、信頼に変わっていった。

まるで待ち望んでいた増援が来たかのような、安心して緩み始めたその顔と両の瞳には、

天狗一族が血眼になって追っている敵など、どこにも映りこんではいなかった。

 

 

「君も既に、僕に対して敵意は"向いて"いない。僕がその敵意の"方向"を変えたからね」

 

「あ………うぐっ、な、何を言ってるんだ? それより早く、早く皆の手当てを」

 

「手当、ね。それよりも、例の侵入者はどこへいったか知りませんか?」

 

「あ、ああ。あの小童か………済まん、場の混乱に乗じて逃げられてしまったようだ」

 

「そうですか」

 

 

つまらなそうに返した『増援』に、部隊長は若干の憤りを感じるが、それどころではないと

持ち直して辺りを見回し、自分たちに同士討ちを演じさせた『侵入者』を探し始める。

部隊長の視線は次々と、目まぐるしく動き出す。陸に、木々に、空に、再び陸に。

それでも敵の姿はどこにも映りこむことはなく、部隊長は激しい怒りと屈辱に打ち震えた。

 

 

「クソ、おのれ人間め‼ 我ら山の天狗の顔に泥を塗るあまりか、姿まで消しおって!」

 

「………ちなみに、侵入者の風貌は?」

 

「む? 侵入者は確か、紅い…………あ、紅い色をした、何かで……」

「紅い? 紅い何かでも持っていましたか? 例えば、紅い剣か何かを」

 

「剣、剣か………。もしや剣かもしれぬ、いや、きっとそうだ(・・・・・・)!」

 

「…………思考の誘導も可能、か」

 

「な、何か言ったか?」

 

「いえ、何も」

 

 

溢れ出る腹部の傷からの血を気にしながら、部隊長は懸命に侵入者を思い出そうと悶える。

だがどういうわけか、ついさっきまで相対していたはずの敵の姿が、鮮明に思い出せない。

むしろ、思考に霧か靄でもかかったしまったかのように、漠然としか記憶に残らなかった。

見上げると『増援』が何か納得したように頷いているが、部隊長には何のことか分からず、

とにかく今は負傷した者の手当てと、消えた『侵入者』の追跡を優先させようと進言する。

 

 

其方(そなた)どこの誰かは(・・・・・・)知らぬが(・・・・)、すぐに手当と彼奴の追跡を!」

 

「その必要はないでしょう」

 

「なっ! 正気か⁉」

 

「ええ。追う必要も、手当てする必要もありません」

 

 

ところが『増援』は部隊長の進言を真っ向から切り捨て、手当ても追跡も不要と断言した。

これには流石に黙っていられるはずもなく、傷が開くのも構わずに部隊長が食い下がろうと

口を開きかけた瞬間、彼はようやく違和感に気付いた。頭上の存在が語った言葉の違和感に。

 

追跡が必要ないというのは、まだ分かる。他の部隊に任せればいいという事だろう。

ではもう一つの、手当てする必要がないというのは、一体どういう事だろうか。

 

部隊長が抱いた不可思議な疑問に、『増援』が答える。

 

 

「何故かって? それはもちろん___________追われたら困るからです」

 

 

そう言い放ち、『増援』は不敵に笑みを浮かべる。

しかし部隊長には彼の言葉の意味がまるで理解できないでいた。

 

 

「な、何故追われたら困るんだ? 侵入者は追わなければ………うぐぅ!」

 

「困るんですよ、色々と。それよりも僕は君から、もっと多くの情報が欲しい」

 

「じ、情報……? 何の事だ?」

 

「そうですねぇ、例えば、今監禁されている捕虜…………射命丸の居場所とか」

 

 

傷がもたらす痛みに耐えながら、部隊長は『増援』の尋ねてきた問いの答えを探す。

彼は部隊を率いるだけの立場があるため、今回の侵入者騒ぎの折に近づけてはならない

場所も聞き及んではいたのだ。そのことだろうと考え、部隊長は『増援』に解を教える。

 

 

「その者はこの前の裁判で判決を受け、監拷舎まで更迭されたと聞いたが」

 

「監拷舎、ですか。それはどうも、助かりましたよ」

 

「何の役に立てたかは分からぬが、一刻も早く奴を追わねば!」

 

 

頭上の中空で静止したままの『増援』に、何度目かの追跡の進軍をする。

これまでの説得もあってか、やっと頷いてくれた『増援』に、部隊長は顔をほころばせた。

 

「………ええ、そうですね。では他の部隊と合流して、『北へ逃げた侵入者』を

追ってください。その時、特徴でもある紅い剣のことも忘れずに伝えるんですよ?」

 

「ふっ、ぐはッ! あ、ああ、分かった。信頼できるお前(・・・・・・・)の言葉、必ず伝えよう」

 

 

立ち上がろうとして開いてしまった傷口から血が溢れ、部隊長の装束に赤い染みを作るが、

本人はその事を一切気にする素振りを見せず、ただ『増援』の言葉を知らせようと動く。

ヨロヨロと持ち直した部隊長は中空にいるままの『増援』を背に、他の部隊がいるだろう

方向に見当をつけて、痛みが迸る腹部を押さえながら合流すべく駆け出していった。

走り去っていく白狼天狗を冷徹に見やりつつ、『侵入者』は淡々と状況を語る。

 

 

「さて、これで向こう側に嘘の情報が流れるから、少しの間だけ時間を稼げただろう。

射命丸さんの居場所も分かった。このままそこへ乗り込む、手を貸せ」

 

『回りくどいことしやがって。あのまま戦えば良かったじゃねぇかよ』

 

「無駄な戦闘は避けたい。彼らは天狗だ、どんな奥の手があっても不思議じゃない」

 

『ビビりやがったのか?』

 

「慎重なだけだよ、考える脳がスカスカな君と違って」

 

『テメェ‼』

 

 

真紅色の霧状の鎧の内側で、一人漫才でもするように自問自答する侵入者は、

既に背中も見えなくなるほど遠くへ行った白狼天狗を見送り、自身も動き出す。

彼の視線の先にあるのは、天狗たちが集い暮らす、文字通りの隠れ里。

 

 

「待っていてください、射命丸さん」

 

 

真紅の鎧をまとう騎士が、木々生い茂る山道を踏み抜き、駈け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知性ある生き物は、自身に降りかかる絶望に対して、とある選択を迫られる。

 

一つは抗う事。どんな苦痛も逆境も乗り越えようと、必死に足掻く決意を示す事。

そしてもう一つの選択肢は、諦める事。

 

「……………」

それは今まさにこの私、射命丸 が選び終えた選択肢でもあった。

 

 

「文___________さん」

「………あら、椛」

 

 

観念した、というより諦観の極みともいうべき精神状態の私に、声が掛けられた。

顔を上げてその声の主を探ってみれば、なんてことはない、ただの知り合いがいただけだ。

 

白狼天狗の犬走 椛。私の同期で、山の哨戒で、私をこの牢屋へ放り込んだ張本人。

 

現に彼女の手によって嵌められた手枷が、私の両手首から先に重くのしかかっている。

その上、脱走でも警戒されていたのか、ご丁寧に山の巫女印の札が張られていた。

いくら私が下手人だからって、ここまでしますかね。信用されてないってこと、よね。

 

一層重たくなった気分に区切りをつけ、溜息を一つ吐き出してから椛に向き直る。

 

 

「何か用かしら? それとも、自分が捕まえた私に手柄でも自慢しに来た?」

 

「ッ!」

 

「昇格おめでとう。それで? どれくらい偉くなったの?」

 

「………皮肉を言わないでくださいッ‼」

 

 

一言二言口をきいただけで怒鳴られた。いや、今のは流石に話の内容が悪かったか。

独房を独房たらしめている分厚い鉄柵を掴んで、椛がその中にいる私に抗議してくる。

でも私だって皮肉で言ったわけじゃないし、別に彼女を責めてるわけでもない。

その事を伝えようと、気分同様に重たげになっている口を開いてゆっくりと語る。

 

 

「皮肉なんかじゃないわ。私はもう出れないし、どうせ碌な知り合いもいない。

だったらせめて、あんたの立身出世くらいは祝ってやろうと思っただけよ」

 

「………充分、皮肉じゃないですか」

 

「そう感じるのは、あんたに後ろめたさがあるからじゃないの? 私は無いわよ。

あんたに捕まっても怒りだって湧いてこない………もう、全部どうでもいいの」

 

「どうでもいいって、自分の命もですか⁉」

 

 

自分の事のように感情を露にする椛を見上げて、私は微かに笑みをこぼした。

 

私に命が惜しくないのか、ですって?

 

 

「________命なんて、惜しいに決まってるじゃない」

 

 

吐き捨てるように呟く。当然よ、命が要らないわけがない。

すると私の言葉に絶句しかけた椛が、ほんの少しだけ明るい顔になって続けてくる。

 

 

「だ、だったら、ここから出ましょうよ! こんなところにいたら本当に」

 

「死ぬかもしれないって? だから、どうでもいいって言ってるでしょ」

 

「い、今あの人が! 『はたて』さんが文さんの無実を証明しようとしてます!

珍しく家から出て、色んなところを飛び回って証拠を集めて、助けようとしてます!」

 

「はたてが?」

 

 

続けて椛の口から出てきた言葉に、私は素直に驚かされた。

あのはたてが、私を? 常識的に考えたら絶対にありえないことだけど、

もしかしたら本当にそうかもしれない。引きこもりのはたてが、私の為に。

 

 

「信じ難い冗談ね」

 

「冗談でも嘘でもありません。本当です! だから、文さん!」

 

「だったらはたてをここに連れてきなさい。そしたら考えてあげる」

 

「え、はたてさんをですか? で、でもあの人は………」

 

「私に会いたくないんでしょ? やっぱりね」

 

 

不自然にどもる椛の反応からして、私の予想はおおよそ間違ってないと確信する。

 

はたては、あの子は私に会いたくないはずだ。何故なら、彼女は私の好敵手だから。

新聞を書いて出版しようと決めた時も、あの子は私と張り合って同じ道を選んだ。

ネタを探し回って幻想郷を駆け巡っている時、彼女は自室にこもってネタを集めていた。

身体で新聞を書く私と、能力で新聞を書く彼女。良くも悪くも、対照的な存在だった。

常に互いを意識し合い、牽制し合い、磨き合ってきた。あの子は、乗り越えるべき壁で

ありながら、切磋琢磨し合う竹馬の友と呼べる人物だった。故に、分かりやすい。

あの子はここには来ない。来たらきっと、私を見て怒鳴り散らし、泣いてしまうからだ。

 

この前の新聞の発行部数では、私が勝った。だからきっと、次は負けまいとしている。

でもその前に私が裁かれて新聞が書けなくなれば、間違いなく勝ち逃げだと思われる。

 

良くも悪くも、分かりやすい子なのよね、アイツも。

 

 

「会いたくないわけじゃないと思います。あの人は、そんな人じゃ」

 

「へー、だったら何よ。あの子が私に会いたくない理由ってのは」

「それは………」

 

「それは?」

「か、顔向けできないんじゃないかって、思うんです」

 

「顔向け?」

 

色々と考えを巡らせていると、不意に椛がはたてが来れない理由を語りだした。

でも、顔向けできないってのはどういうこと? あの子が体裁を気にするクチじゃないのは

山に暮らす天狗なら誰だって知ってる。そも、体裁を気にしてたら引きこもれる訳がない。

だったらどんな理由があるのかと考え始めると、椛が先に答え合わせをしだした。

 

 

「は、はい。はたてさん、前に書いた新聞のことであなたに謝りたがってました」

「前に書いた新聞____________あ」

 

 

椛の話を聞いて真っ先に思い出したのは、人里にも売られていたあの子の花菓子念報の一面。

その内容は、私とある人物との熱愛関係を疑うような、そういう系統のものだった。

あの時は本当に腹が立ったわ。しかもよりによって、そのご本人のいる前でその事を知った

ということが、何よりも腹が立つ。全く、あの人に嫌な風に思われたらどうしてくれようか。

 

 

「…………全然、ダメじゃない」

 

「え?」

 

 

そこまで思考が行き着いてから、ふと我に返って自虐の言葉をポツリと漏らす。

檻の向こう側にいる椛には聞こえなかったようで、聞き返すような返事が返ってきた。

 

でも、どうして私というヤツはここまで往生際が悪いんだろう。

もうあの人の事は諦めたのに。あの人の事は、諦めなきゃ、いけないのに。

 

 

「あや、さん? なんで、泣いてるんですか?」

 

 

おそるおそるといった感じに椛が呟き、そこで初めて私が涙を流していることに気付いた。

慌てて手枷ごと両手を目元へもっていき、こぼれ落ちていく滴を拭い去ろうと苦闘するも、

次から次へと溢れ出てきて止まらない。滾々と湧く泉のように、涙が止まらなかった。

 

もうとっくに枯れ果てたはずの涙が、止まらない。

もうとっくに捨て去ったはずの愛が、終わらない。

 

忘れようとすればするほど、私の中で、あの人の姿がよりハッキリと浮かび上がる。

最後に見たあの人の姿は、とてもやつれていて弱弱しく、触れれば壊れそうだった。

そんな姿になってまで彼が語ったのは、彼が仕えている主人たちへの感謝の気持ちと、

もう一つは___________私への懺悔だった。

 

 

「文さん? 文さん⁉」

 

「きこえ、てるわよ。だいじょうぶだがら"!」

 

 

心配そうな椛の声に対して、気丈に振る舞おうと声を張るけれど、その声が震えてしまい、

結局は何かをこらえようと必死になっている私を忠実に表現するだけに終わってしまった。

数多くの取材で表情を作り変えることを覚えた私が、なんたる無様を曝したものだろうか。

決して自分の弱さを見せずに、孤高であり続けたこの射命丸 文が、なんてざまだろうか。

それでも涙が()まることを()めてくれず、より椛を不安にさせてしまうことになった。

 

 

「文さん、何が起きたのか話してください。もう、もう五日ですよ⁉」

「…………べつに、なんでもないったら」

 

「何も無いのに、そんな悲しい顔するはずないでしょう!」

 

「…………悲しい、か」

 

 

珍しく食い下がる椛の剣幕に、私の弱り切った心は案外早く折れてしまった。

でも実際、私は誰でもいいからこの心の内を聞いてほしかったのかもしれない。

 

そう考えると、一番信頼のおけるこの子が聞き手で良かったと安心できる。

 

 

「なら、聞いてもらおうかしら」

 

「い、いいんですか?」

 

「あんたが話せって言ったんじゃない。それとも何? 聞きたくない?」

 

「き、聞きます! 聞かせてください!」

 

 

いちいち慌てふためく動作をする椛を、危なっかしいと思いながら見つめる。

もしも、私がこの天狗社会から表向きに抹殺されたら、この子はどうするだろうか。

 

私の死の真相を掴もうと、躍起になって探そうとするだろうか。

それとも私の死を刑罰と割り切って、上役の命令に服従するのだろうか。

 

私としてはそのどちらの道も、椛に歩んでほしくない。

 

「それで、何があったんですか?」

 

 

話を今か今かと待ち望む彼女の姿に、一度嫌な思考を中断させる。

今考えても仕方ないことだし、私が考えても仕方のないことだ。

だったらせめて、ここからの数瞬は私のわがままに付き合わせてやろう。

椛が未だに掴んだままの檻の方へ近づき、私は心にため込んだ『ある出来事』を語った。

 

 

あの日、十六夜 紅夜を永遠亭まで運んだ時に彼から語られた、悲しい真実を。

 

 







いかがだったでしょうか?

今更ながら、私の作品は一貫してストーリーが進行しませんね!
いえ、一人一人に焦点を合わせる事が多くなったというべきでしょうか?
とにかく、このままではもう一年かかるかも………気が重たいや(白目

これからも日々邁進、増えつつある読者の皆様のご声援やご期待に
応えられる作品作りを第一に考え、頑張っていきたいと思っております!


それでは次回、東方紅緑譚


第六十壱話「紅き夜、君の為の誓い」


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第六十弐話「紅き夜、君の為の誓い」

どうも皆様、GOD EATERに再度ハマりだした萃夢想天です。
現在2RBを進行中ですが、リザレクションを買おうか迷っています。
PS4で買うか、馴染み深いVitaで買うか………悩みも一潮ですね。

さて、前回から始まった射命丸の救出劇ですが、
その前に少しだけ過去の伏線というか、隠された部分を明らかにします。
これでようやく昔の私が丸投げしていた伏線回収が終わりそうだ……。

最近、この作品を読んでくださる方が増えているそうで、嬉しいです。
まだまだ未熟な私ですが、楽しんでいただけるよう精一杯精進します!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

あれは、私が汚くて狭い牢屋に放り込まれた日から、五日ほど前の事だった。

その日の私は、とある人物への密着取材の許可が下りたために、非常に浮かれていた。

もうかれこれ数百年はこの世界を駆け回って来た鴉天狗の自分が、年甲斐もなくはしゃぐ姿を

大勢の人間に目撃されてしまったことを恥と思わなくなるほど、私は周りが見えていなかった。

 

外の世界からやって来た人間の少年、名を十六夜 紅夜と言った。

 

その性から分かる通り、彼は同じ性を持つ銀髪の従者の十六夜 咲夜を探してこの幻想郷へと

足を踏み入れたのだと聞いた。実際は謎の人物の手を借りたりなどの一悶着はあったらしいの

だけれど、それでも大まかな部分はあっているから割愛するわ。新聞を書くときのコツね。

彼は幻想郷に流れ着いてからその日のうちに、自身の目の前から去った姉と思しき人物のいる

場所を突き止めて、その場所へと単騎で乗り込んだ。吸血鬼が支配する、血よりも赤い館へと。

そこから紆余曲折を経て、彼はどうやったのか館の主とその妹に気に入られて、執事という

役職と共にそこへ住まう権利を手に入れたのだと言う。たかが人間、されど人間と驚いたものよ。

 

当然ながら私は彼への取材を敢行。ところが、当初彼に抱いていた私の中の不信感は再度対面

した際には鳴りを潜めており、それどころか彼の言動一つで鼓動が早鐘のように高鳴り出した。

明らかに異常な状態であることは自覚していたし、その原因が彼にあるだろうとは察していた。

けれど、それでも取材の対象として彼への興味は尽きなかった。そう、取材の対象として。

 

決して、彼に対して特別な感情など抱くはずもなかったというのに。

 

 

話を戻すわ。その日の私は、さっきも言ったように自分でも驚くくらいに浮かれてたの。

朝早くから彼のいる紅魔館まで飛んでいって、そこからは二人とも徒歩で人里へ繰り出して、

途中で予想外の出来事がいくつか起こったけど、それらを含めて本当に楽しい時間を過ごしたわ。

そしてその日の夕暮れ。彼を紅魔館まで送り届けて、帰ろうと振り向いた直後に、彼は倒れた。

 

ありえない量の血液を体中からぶちまけて、苦しそうに悶えた後にいきなり気を失ったの。

本当に焦ったわ。さっきまで楽しく会話していたはずの彼が、急に血反吐を吐いたんだから。

すぐに助けを呼ぼうとしたけど、あれほどの量の血を流した状態で放置するのは危険だったし、

一刻も争うような状況だったから、とにかく彼の命を救おうとして、永遠亭へ運びこんだ。

 

そこで意識を取り戻した彼に言われて、私は十六夜 紅夜という人間の本性を知ったわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お話しましょう。何故僕が、十六夜 咲夜を"姉さん"と呼ぶようになったかを」

 

 

血の気が引いて蒼褪めた顔になってしまった彼は、布団から上半身を起こしてそう語り出す。

そこから先の話は、数々の黒い話に首を突っ込んでいた私を以てしても、驚愕の連続だった。

自身が物心つく前に本当の両親にはした金で売られ、どこかの施設で実験をさせられていた事。

全身のあらゆる部分に手を加えられて、もはや純粋な彼自身だった部位を探す事が困難なほどの

改造の末、髪の色素が無くなり目も紅に染まり、今のような状態にさせられてしまった事。

古今東西あらゆる知識や文化、言語や技術を叩き込まれ、死の一兵卒に仕立て上げられた事。

加えて、施設を取り仕切る組織からの命令で、百を超える人間をその手にかけて殺した事など。

 

数えあげればキリが無いほどの胸糞悪い話に、当時の私は悲しみと共に怒りを湧き立たせていた。

まだ20年も生きていないほんの子どもを使って、あたかも道具のように使い潰そうとするなどと、

外の世界はそこまで荒んでいるのか。ネタ帳に筆を奔らせることも、その怒りの前に消えていた。

そしてそこから、話は少しだけ良い方向へと転がっていった。

よく分からない薬物を投与され、同じ境遇の少年と殺し合いを演じさせられ、憔悴しきった彼の

前にとうとう救いの手が差し伸べられたのだ。まだ吸血鬼に仕える前の、十六夜 咲夜の手が。

変わり映えのない生き地獄のような日々の中に、突如として現れた自身と同じ髪と目を持つ少女。

最初は彼も何とも思っていなかったらしいが、時間をかけて接していくうちに互いに依存し合う

関係に発展し、辛い現実を緩和する『幻想』として、彼らは口上だけの肉親になったのだという。

咲夜さんの話題になった途端に、彼の表情は少しだけ晴れやかになり、柔らかくなっていた。

どこまでも気高く、弱かった頃の自分を身を挺して守り、壊すだけだった彼に温もりを与えた。

今の彼がいるのは、咲夜さんのおかげなのだろう。酷い過去のはずなのに、その部分だけは彼も

笑顔を浮かべて話してくれた。肉親自慢に聞こえたけれど、境遇が境遇なだけに如何ともし難い。

そこからしばらくは、彼が幼少の頃から慕う姉の武勇伝や儚げな思い出話が紡がれた。

 

一遍に話し終えてから痛みが再発したのか、彼は青い顔色を土気色に染めて倒れ掛かる。

それでも彼は起こした上半身を再び布団へ下ろすようなことはせず、私をしっかり見つめていた。

 

 

「………これが、僕と姉さんの関係の全てです」

 

「じゃ、じゃあ紅夜さんと咲夜さんの間には、血縁関係は無いんですか⁉」

 

「え、え………あり、ませんよ」

 

この時、私は密かに驚いていた。姉を慕い続ける弟は、血縁でも何でもない他人だったの。

別に義兄弟、この場合は義姉弟についてをどうこう言う気は無いわ。この幻想郷にだって、

酒が進んでく内に義兄弟の杯を交わす者だっているにはいるし。私が驚いたのはそこじゃなく、

血のつながりも何も無い相手のために、幻想の世界へ足を踏み入れた事実に驚いたのよ。

どれだけ危険な土地か分かっていなかったこともあるだろうけど、普通そこまでするかしら。

この行動から、彼がどれほど咲夜さんを姉として慕っていたかが容易にうかがえたわ。

 

「…………では、最後に。言っておかなけれ、ば、ならない話が」

 

「あ、あぁ……無茶しないでください! き、傷に触ります!」

 

「これだけ、は………言わな、ければ」

 

 

ふらつく体を何とか起こそうと持ち堪える彼は、かすんで焦点も定まらない瞳で見つめてくる。

言い方は悪くなるけど、死にかけの人間がするには、その眼光はあまりにも鋭すぎた。

妖怪としてはダメだけど、彼のその迫力に圧倒されて、私は彼を止める事が出来なかったの。

この時点で彼を無理やりにでも寝かせておけば、こうして思い悩まなくても済んだのに。

 

そして、彼の口から真実が明かされた。

 

 

「僕は、僕の『方向を操る程度の能力』で、人の心をある程度操作出来るんです」

 

唐突に語られたのは、彼が持っている程度の能力についてのこと。

正直私は、何を言いたいのかさっぱり理解できていなかった。続く彼の言葉を聞くまでは。

 

 

「他者が自分以外へ向ける感情の"方向"を、僕は操作することが出来ます」

 

 

彼の口から語られゆく言葉を聞いた直後から、私の心には警報が鳴り響き始めていた。

これ以上聞いてはならない。耳をふさげ、今ならまだ聞かなくて済む。

 

悲痛な叫びに似た心の警鐘を、私は努めて無視してから、彼の言葉の続きを待った。

 

「それは、一体どういう………?」

 

「僕が、紅魔館に着任してから、二週間………何をしてい、たと、思います?」

 

質問の意図が分からずに首を傾げた私を見て、苦しげに歪めたままの顔を向けて彼は続ける。

 

 

「ずっと、この世界の情報を手に、入れようと………して」

 

「幻想郷の情報?」

 

「はい………そこで、うってつけの人物を見つけ、たんですよ」

 

「まさか___________」

 

「その、まさか、です…………」

 

 

彼の言わんとしていることを察した私は、彼の瞳が私を見つめて動かないことで確信に至った。

既にほぼ閉ざされかけている視界で、その二つの紅い宝玉がただ一点を悲しげに見つめている。

 

幻想郷の情報を知っていそうで、様々な方面に精通していそうな、そんな人物。

少なくとも私が知っている人物には、心当たりは無い。そう、私自身を除けばの話だけれど。

 

今にも意識を手放しそうな少年は、揺れる体を必死に起こしたままで、話の続きを口にする。

 

 

「異変を起こす際に、それを取り上げる、新聞のような………情報の伝達方法を知り、たくて」

 

「だからあの時、私に接触を?」

 

「…………はい。そして、異変の邪魔をさせず、目的の博麗の巫女を、引き出す目的も兼ねて

貴女を、利用させてもらい、まし、た」

 

「……………」

 

 

呼吸をするのも辛そうな体に鞭を打ち、彼は細々とではあるものの、そう告白した。

そこで、彼が初めに自分の能力のことについて軽く触れた理由が、ようやく理解できた。

 

簡単な話、彼は私を利用していたのだ。新聞という情報伝達手段を用いる、この私を。

 

彼の話が一から十まで本当なのだとしたら、あの異変の最中に感じた様々な違和感にも、

説明がつく。初対面で警戒心を引き起こされ、二度目の邂逅で取材対象として興味を抱かされ、

そして三度目以降は熱に浮かされたかのように、彼という存在に心奪われかけた。

 

私の中に渦巻く感情が全てを裏付けてくれた。彼の語った話が、全て偽りなき真実であると。

 

 

「______________これが、お話できる全てです」

 

 

辿り着いた最悪の答えに動転していると、何か諦めのついたような表情になった彼が呟き、

色々な感情が入り混じって下を向いてしまっていた私に、乾ききった作り笑いを見せてきた。

この時の彼の浮かべた顔を見ても、私はその意図を読み取ることが一切できなかった。

ただ急な展開に混乱していただけか、それとも何か、もっと別の大きな要因があるのか。

今となってはもう分からないけれど、彼が浮かべたその顔を、私はそれ以上直視できなかった。

 

「幻滅しましたよね」

 

「…………………」

 

 

分かり切ったように尋ねる彼に、私は何か一言すらも言い返すことが出来ずにいた。

あんな状態の彼に何を言うべきかも分からなかったし、その声が出る状態だったかも怪しい。

気が付けば私は、彼のいる部屋から退出していて、幻想郷の夜空を駆けていた。

 

考えもまとまらなくて、思考もぐちゃぐちゃになってしまっていて、どうすればいいのかも

私自身が知りたいくらいで。それでも私は、彼の身に起こったことを紅魔館へ報告しに行った。

私が立ち去った部屋で独り、彼が何を思い、何を紡いだのかを、知りもしないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い昔語りを終えた私は、牢屋の格子を両手で掴んでいる椛に、視線を投げかける。

私の向けた視線に気付いた彼女は、すごくいたたまれないといった表情でこちらに視線を

投げ返してはくるものの、私の反応が薄かったようで、白い毛並みの耳と尻尾をうなだらせた。

 

ここには時計が無いために時間の感覚が薄れては来ているけど、かなり話しこんでいたらしい。

 

「…………じゃあ文さんは、完全にとばっちりをくらっただけじゃないですか‼」

 

「うーん、割とそうかも」

 

「そうかもって……だったらソイツに縄をくれてやりましょう! 私、捕まえてきます‼」

 

「よしなさい」

 

「だって文さんが!」

 

「止めなさいって、言ってるのよ」

 

 

私の話を聞いて何を思ったか、椛があの人の事を捕縛すると言いだした。

もちろんそれを認める私ではない。どんな理由があっても、私が不利益を被ったとしても。

納得がいかないらしい椛は、私を心配するようでもあり、彼に対する怒りを隠しているようにも

見える表情で檻の向こう側からこちらを見つめてくる。ああ、そっか、まだ言ってなかったっけ。

 

 

「どうしてですか!」

 

「___________死んだからよ」

 

 

そう、私は彼を代わりにして捕らえられない理由があることを忘れていた。彼が、死んだ事だ。

実際に死んでしまったところを目にしたわけではないけど、あの永琳さんがどうにもならないと

匙を投げるほどの容体である時点で、流石に理解した。あの人はもう、長くはないのだろうと。

自分で思っておいて、彼が実は死んでいないんじゃないかと淡い期待を内心抱いていることに

心底嫌気が差した。気力を振り絞って彼が教えてくれた真実が、私の全てが虚偽だと語ったのに、

それでも何故か素直にそれを受け入れられないでいる。ここまで往生際が悪い女だったとは、

自分自身でも驚くほどだわ。

 

 

「彼はもういないんです。永遠亭に運び込んだ後、おそらくもう………」

 

「だ、だったらどうすればいいんですか! 他に打つ手があるなら私は!」

 

鬱屈とした気分に陥りかけて下を向く私を、格子を叩いて椛が無理やり顔を上げさせようとする。

私も大概諦めが悪いと思ってたけど、この子もこれほどまでとは思いもよらなかった。

これだけの長い付き合いの中で初めて見せる顔に、私はほんの少しの後悔と喜びを感じてしまう。

できることならもっと、椛やはたてのそばにいたい。

できることならもっと、あの人のそばに、いたかった。

 

下を向けば、この目尻に浮かんできた塩辛い水が溢れ出て止まらなくなるだろう。

それでも私は、そこから流れて頬を伝い、顎から垂れて地面を濡らすこの感情を、止められない。

 

 

「あや、さん………」

 

 

顔を伏せているから、檻の向こう側に居る椛の顔色をうかがう事は出来ないけれど、

それでもあの子が今どんな表情でいるのかは、察することが出来る。きっと、私と同じ顔してる。

ただ私と違うのは、ただ悲しいだけじゃないというところかしら。いや、他にもあると思う。

 

あの子は私がいなくなることに悲しんでいる。そして、それをはたてに伝える事を嘆いてもいる。

でも私は違う。私は、椛やはたてに逢えなくなることもそうだけど、彼に逢えないのが辛いのだ。

 

あの日の夜、彼は語った。自分が、自分のためだけに能力を使って、私を利用していたことを。

それは当然悲しいし、怒りもした。私を私たらしめる"心"を、力によって捻じ曲げられたのだから

当たり前と言えば当たり前だわ。けど、そんな扱いを受けた事実を知っても、想いは変わらない。

単純に利用されていただけだと分かった。私が新聞を書いているから都合がいいのだと理解した。

情報を集めるためだけの道具として認識されてたんだと自覚しても、心が彼を求め続けている。

 

異変解決後の宴会で見せた照れた顔、自宅前に来た彼にあらぬ誤解をして罵倒した時の深い笑み。

五日前の密着取材の際に知った彼の暗い過去、人里を巡り巡って作った彼との多くの思い出。

ああ、ダメだ。私は彼を諦められない。

数百年を孤高に生きた鴉天狗である私が、一人の人間の少年に心を奪われてしまった。

きっかけは彼の抱いた策略であり、彼の使った能力であり、互いの立場だけだったはずなのに、

そこから膨らんで成長を続けてしまったこの想いに、決して少しの虚偽も偽りもないのだろう。

 

「願わくは、天狗と人の逝きつくあの世が同じであることね」

 

思わずポツリと呟いた言葉に、私は隠しきれない未練と本心が介在していることを悟る。

妖怪の山に未曽有の大騒動を引き起こした原因を引き込んだ容疑で、このまま刑が執行されれば、

おそらく私は二度と朝日を拝む機会を失う。そうすれば、閻魔様が待つあの世の法廷へ行ける。

最低な考えだと思いながらも、死後の世界に居るだろう彼に逢えると考えると、心が弾む。

魂だけの存在になれば、互いを縛るものは何もなくなる。種族も、身分も、立場も、何もかも。

最期の夜に返すべきだった答えも、伝えたかった想いも、あますことなく彼へと送り出せる。

ならば地獄も恐怖に値しない。恐怖する心も畏怖する心も、まるごと彼に奪われているのだから。

「…………………」

 

 

静寂が支配する小汚い牢屋に、二人分の小さな嗚咽が反響する。私と椛の、微かな同調の証。

これが今生の別れになってしまうのではと思うと、やはり少しばかりではない寂寥感に

この身を苛まれるものの、私自身がそれに値することをしてしまっている以上、逃げる事も

抗う事も許されない。ただ静かに、上役が定めた法に則って行われる裁きを、受け入れるのみ。

 

そうしていると、私のいる牢屋へと続く道から、複数人の足音が連なって聞こえてきた。

だんだんと大きく、近くなっていくその音に耳を傾けていると、椛が低く唸るように呟く。

 

 

「文さん、執行官じゃありません。連中、上役の(せがれ)たちです」

 

「倅? 上役の血をひく無能なお子様が、一体何の用かしらね?」

 

「分かりません。でも、良からぬことだとは思います」

 

「でしょうね」

 

 

椛と密談しているうちに足音はさらに近くなり、しばらくしてその音の主が姿を現した。

それらは椛の言った通り、私に刑を執行する立場の者ではなく、鴉天狗の縦社会の中で

権力を持つ者の息子たちだった。どいつもこいつも、檻の中の私を蔑んだ目で見てくる。

そのニヤニヤとした下卑た笑みを向けられた瞬間、こいつらが何をしにここまで来たのかを

理解させられた。それと同時に、そんなことを許す上層部に、吐き気すら催す悪を感じた。

 

「よぉ射命丸、元気そうだなぁ?」

 

「ゲヒヒ、牢屋の居心地はどうだい?」

 

「かわいそうと思わなくもねぇが、山への反逆者にはおあつらえ向きだな」

 

三人の男どもは口々に言いたいことを言ってくるけど、私は一向に意に介さない。

努めてその存在を視界に収めまいと視線を下に向けると、苛立った舌打ちが聞こえた。

やって来た三人に対して、面会中だった椛は親の仇とばかりに睨み付けて吠える。

 

 

「何をしに来た。今罪人と面会しているのは、この私だぞ!」

 

「はぁ? だからなんだよ」

 

「ゲヒ、ゲヒヒ! 白狼天狗の哨戒が、生意気言いやがって」

 

「引っ込んでろよ犬走。用があるのはお前じゃなくて、コイツだからよ」

 

 

椛の警告とも取れる言葉に対して、三人はまるで気にすることなく留まり続けた。

そしてその中の頭を張っているであろう男が近付き、鉄格子を指でなぞりながら語る。

 

「ついさっき親父殿から聞いたんだがな? お前の処刑を少々遅らせることにしたそうだ」

 

「なに⁉」

 

「良かったなぁ椛ちゃんよぉ、大好きなコイツが生き永らえるんだぜぇ?」

 

「ゲヒヒヒ! まぁでも、生きてるって言っていいのかは分かんないけど」

 

 

三人の薄汚い嘲笑混じりの言葉に、私は予想が的中したことを確信し、嫌気が差した。

連中の言っている言葉の意味が分からない椛は、ただ私への刑の執行が遅れるという

部分のみに焦点を当てて喜んでいる。でも、刑を執行される方がはるかにマシだわ。

 

嫌な予感を裏付けするように、一番背の高い男が格子をなぞった指で私を指す。

 

 

「大変だったぞ、山に反逆したお前をどうにかして助命させるよう仕向けるのは。

だが親父殿や上の方も、お前の態度はともかく、力量だけは一目置いていたようで

助かった。感謝しろよ? この俺が、わざわざ反逆者の命乞いをしたんだからな」

 

「そうだぜぇ射命丸よぉ! いい加減にこっち向けや‼」

 

「ゲヒヒ! いつまで強がってられるかなぁ?」

 

「お、お前たちは、一体何を…………」

 

 

下卑た声を荒げる三人の言葉に、やっぱり椛はどういう状況かを理解できないでいた。

まあそれも無理はないかもね。あの子は山の哨戒にばかり明け暮れていたから、

わざわざ他の天狗の顔色をうかがって新聞を書くようなことはしてこなかったろうし。

とうとう下種な欲望を我慢できなくなったのか、一番の荒くれ者が猛り出した。

 

 

「何って、決まってんだろ? 優秀な俺たちがこの反逆者を再教育してやんだよ!」

 

「ゲヒヒ! 僕たちが直々に、体を張って指導するんだ! ありがたく思えよ?」

「まぁ、そういう事だ。犬走、何ならお前もまぜてやろうか?」

 

 

口々に隠しきれない本心をにじみ出させながら、三人の男は檻の中の私を見る。

 

同族への反逆を行った罪人。今では持ち前の力も活かせず、法に従い裁きを待つ身。

怪力を誇る両手には枷がはめられ、山の巫女手製の魔除けの札まで貼る徹底ぶり。

誰も近寄ろうとはしない天狗の里の片隅で、抵抗を許されない女が一人でいる。

 

要するにコイツらは、そういうことをしに来たのだろう。

 

ここまで言われてようやく意味を理解した椛は、即座に警戒心を最大にして吠え立てる。

 

「失せろ下郎ども‼ いくら貴様らが上役の倅とて、そんなことが許されるものか‼」

 

「あったま悪ぃなぁ、椛よぉ。そのためにわざわざ、刑の執行を遅らせたんだろうが」

 

「ゲヒッ、ゲヒヒヒ‼ さみしいならお前も一緒に再教育してやろうか?」

 

「白狼の長が何と言うか分からんが、俺たちに牙を向ければソレと同じ道を辿るぞ?」

 

「貴様らぁ‼」

 

 

狭苦しい牢屋の前で、薄汚れた嘲笑が無遠慮に響いて私と椛の聴覚を穢す。

聞くに堪えない連中の言葉と声を前に、椛が怒髪天を衝く勢いで敵意を見せるものの、

このまま放っておけばあの三人の言うとおりになってしまう。椛も、こちら側になる。

それだけは避けなくてならない。あの子にはまだ、こんな汚れた世界を見せたくない。

 

意を決した私は、口を開いて声を発する。裏切者の身で唯一守ることが出来る方法を。

 

 

「いいでしょう。そういうことなら好きにしなさい」

 

「文さん⁉」

 

「ほぉ………随分聞き分けがいいな、射命丸。そんなにお友達が大事か?」

 

「汚れたものを見るのは慣れてます。でもその子には、見せたくないので」

 

「言うねぇ射命丸よぉ!」

「だから、椛には手を出すな。それが守れるなら私をどうしようと構いません」

 

「文さん‼」

 

 

檻の向こうから必死に声を張る椛と目線が交差し、彼女のまなざしに微笑みを返す。

私の表情に込められた意思をどう解釈したのか、椛は途端に大粒の涙を浮かべる。

二人のやり取りを見てさらに情欲が増したようで、三人はそろって息を荒げた。

 

 

「辛抱たまらんぜぇ! オイ、早く鍵開けろや!」

 

「ゲヒヒ、そう焦らなくても、どうせ逃げられないんだからさぁ」

 

「ああ。今は侵入者騒動でみんな出払っているから、時間ならたっぷりある」

 

 

三人の中で肥え太った男が腰から牢の鍵を取り出し、錆がついた錠前を開く。

金切り声を上げながら牢の戸が開かれるが、その音を意にも介さず男が牢屋へと入って来た。

荒くれ者が私の頭を押さえつけ、太った男が手枷ごと両腕を抱えて私の身動きを封じる。

最後に二人のまとめ役の長身の男が穢れた笑みを浮かべながら牢へ入り、私の腰へとその

太くも細くもない腕を、蛇が大地を這いずるように回してきた。

 

 

「文さん‼」

 

「来るな‼」

 

三人の男に群がられる私を見て、耐えきれないとばかりに椛が駆けよろうとしてくるけど、

私をそれを普段は出さないような大声を張り上げる事で止めさせる。彼女は足を止めた。

それに対して、男どもは何も言わずに無心で、私の体の感触を愉しむように手を這わせる。

コイツらは分かっている。もし椛が逆上して連中に手を上げれば、どうなるのかを。

彼女が男に傷の一つでも付けたなら、すぐさま彼らの親である上役へと話が飛んでいき、

そこから通じて白狼天狗の上役へと政談が持ち込まれることになる。いい取引材料として。

そうなれば椛も牢屋に閉じ込められ、抵抗を許されないまま好き勝手に弄ばれることになる。

 

椛が手を出せばコイツらはそうするだろう。だから、私の身を犠牲にしてでも止めなくては。

いつも私の身を案じ、時には反抗的な態度をとりながらも、私の帰る場所を守り通してきた

真面目で優しいこの子を、いいようにはさせない。その身清らかなまま、生きていてほしい。

だから私は抵抗しない。最低最悪で下劣な連中に何をされようと、絶対に耐えてみせる。

天狗社会の中でも奔放に生きてきた私だ、逆境ならば慣れている。今回もそれと変わらない。

「椛、もうすぐ面会時間は終了でしょ? 早く持ち場へ戻りなさい」

 

「文さん! 文さん‼」

「もう、いいから」

 

 

そう一言だけ告げて、私は椛から顔を背ける。代わりに見つめるのは、見たくもない男たち。

あの子とのやり取りを見物していた連中は、それが終わったことでいよいよ行為を始めようと

して、先ほど以上に私の体を触り始めた。檻の向こうからはまだ、椛の叫び声が聞こえてくる。

後悔させてしまうだろう。あの子は今回の件を自分のせいだと、自責の念に駆られるだろう。

だとしても、私はあの子に無事でいてほしい。そのためなら、私は心も体も捨てられる。

 

椛の叫びと私の体の触感が、どうやら男たちの欲望の留め金を外してしまったらしい。

とうとう試食のような触り方から、実食とばかりに荒々しく忙しい手の動き方になった。

汚らしい欲望の捌け口になる現実を前に、私は恐怖や嫌悪といった感情に呑まれかけていき、

これ以上はもう目を開けていることさえも耐え切れなくなり、力を込めて目をつぶった。

 

今まで誰の侵入も許さなかった、私の女の部分へ、三人の男の薄汚い手が届く。

視覚を自分から閉ざしてしまったが故の恐怖で、私は何を思ったのか、助けを求めてしまった。

もう既にこの世に居ないはずの、最初で最後の恋しい人の名を。

 

 

「紅夜さん‼」

 

 

この声が届かないものだと分かっていても、私の中に生まれた恐怖が彼を呼んでしまった。

絶対に屈しないと心に決めた直後に、折れてしまった。それだけ、彼の存在が大きかった。

嫌だ、嫌だ。あの人以外の男に触られるなんて嫌だ。

怖い、恐い。あの人以外の男を受け入れるなんて怖い。

 

助けて、助けて、助けて、助けて。

あの銀の髪が恋しい。

 

あの紅い瞳が愛しい。

あの白磁の肌が見たい。

 

透き通るようなあの声で、晴れた空のようなあの笑顔で、私を守ってほしい。

 

 

私を、助けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました、我が愛しい人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待ち望んだ声が聞こえたと思った直後、私の視界に、紅蓮の霧が立ち込めた。

 

 

 





いかがだったでしょうか?

今回の話は、書いていた私自身も気分が悪くなりましたが、
こういう展開が一番、二人の関係性を表せるようになるのだと
無い頭を振り絞って考えた末のものだったので、ご了承くださいませ。

ちなみに今回は、第参十九話で語られなかった永遠亭での二人の会話という
伏線を回収したお話になっております。やっと伏線回収でけた………。
ですが、先程も申しました通り、自分でもびっくりするほど胸糞悪い回に
なってしまったので、読者の皆様が気分を害さなければと思っております。

でもこれ、悲しいけどSSなのよね。
しかもここまでやって、まだ回収してない伏線がちらほらと。
昔の私はどこまで責任転嫁すれば気が済むんでしょうね、まったく。


長々と失礼しました。
次回はいよいよ、文と紅夜が邂逅します!


次回、東方紅緑譚


第六十弐話「紅き夜、最高速度の愛」


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第六十参話「紅き夜、最高速度の愛」

どうも皆様、最近忙しさに拍車がかかって来た萃夢想天です。

「焦りは禁物」って言葉の大切さ、改めて実感させられました。
あと少しで間違った発注でイベントを台無しにするところでしたから。
いやホントに、再確認って大事ですね。また一つ賢くなりました。

割愛。

さて、今回は前回から引き続き、我らが主人公の紅夜と文の
思いの交錯の果てに何が待ち受けているのか、それが明かされます。


それでは、どうぞ!





 

 

見つけた、ついにあの人を見つけた。

 

出会う者すべてを惑わせ、包囲網を潜り抜け、見知らぬ里の中を方々巡って探し回り、

ようやく彼女と再び出会うことができた。幸運の女神がもしこの幻想郷のどこかにいるのなら、

会いに行ってお礼を述べたいほどには、感謝の念を抱いている。

 

けど、その人の周りには三人ほどの男がいて、彼女を取り囲むようにして立っていた。

一人は彼女の頭を押さえつけ、一人は彼女の腕を引きよせ、一人は彼女の腰から下へと自身の

手を這わせて笑みを浮かべている。状況から察するに、どうも彼女は暴漢に襲われているようだ。

いきなり目の前に紅い霧が充満したことに驚いているようだが、こちらからは霧の向こうの景色が

ハッキリと視認できるため、彼女を囲む三人が今しがた行おうとしていた行為を止められた。

 

 

「なんだ、この霧は‼」

 

「ゲヒ………まさか、さっき言ってた侵入者って⁉」

 

「馬鹿な、なぜこの場所が!」

 

 

彼女の体をその手で触っていた男たちが、霧に包まれた僕を驚愕の眼差しで見つめているけど、

そんな連中に対して今の僕は、興味を抱けなかった。僕の視界に映っていたのは、有象無象の

取り囲む中でただ一人、微かに震えながらこちらを見つめてくる、潤んだ瞳の女性だけだった。

ああ、やはり。気丈に振る舞う貴女でも、こういった事は恐ろしいんですね。

 

僕がここに来た目的である彼女に向けて、万感の思いとともに考えていた言葉を口にする。

 

 

「お待たせしました、我が愛しい人」

 

 

たった数文字の言葉を喉の奥から絞り出すのに、相当の覚悟と決意を削られたように感じた。

しかし、僕が向けた言葉を受け取った彼女は、感極まったように顔をほころばせて叫んだ。

 

 

「紅夜さん‼」

 

 

涙を流しながら彼女は、射命丸 文さんは、震える声で僕の名を牢獄内に響かせた。

 

彼女の声を聴くだけで、僕の心は輝きを取り戻す。彼女が今そこに居るだけで、幸せを感じる。

今のような悲惨な現状に陥れられていたとしても、彼女自身が無事でいるのならそれでいい。

いや、あと少し遅ければ無事では済まなかったのか。そう考えると、自分の間の良さに対して

感謝したくもなる。ただ今は、この状況をどうにかするのが先だろう。僕は声を上げた。

 

 

「貴女への懺悔と未練を糧に、この十六夜 紅夜、生世(いくるよ)に舞い戻って参りました」

 

「あ、ああ………紅夜さん、生きてたん、ですね」

 

「いえ、死んで生き返って参りました。どうやら僕は、まだこの世ですべきことがあるようで」

 

 

心を締めつけてやまない彼女が、僕の生還を心から安堵しているように泣き笑いを浮かべる。

しかしそれは決して他者を嘲るようなものではなく、純粋な喜びや嬉しさといった感情が混ざり、

複雑に絡まり合った結果そうなってしまったのだろうと推測できる。今も涙が止まっていないのが

その証拠に他ならないだろう。彼女は、この僕が生きて戻ったことを本気で嬉しく思ってくれて

いるのだ。それほどまでに優しい人が、こんな場所で理不尽を受けるなど、もう耐えられない。

 

唖然としている者達を素通りして、その中心でまだ震えている彼女を優しく抱き起こす。

想像以上に負荷を感じず、監禁されてからかなりやつれてしまったのだろうと肌の質感で感じ、

あまり彼女に負担をかけないような体勢____________お姫様抱っこに切り替えて持ち上げた。

 

 

「えっ⁉ あ、わっ‼」

 

「もう大丈夫です。さぁ、一緒にここを出ましょう」

 

 

左手で彼女の後頭部を、右手で前見た時より若干細くなった膝をやんわりと抱き上げながら、

ここへ来た時と同じように『侵入者を追いかけて行った』見張りの居た通路から立ち去ろうと

すると、それまで僕らを見ているだけだった有象無象の連中が、急に声を荒げだした。

 

 

「な、て、テメェ! 待ちやがれ‼」

 

「せっかくの"お楽しみ"を逃がすかぁ!」

 

「ソイツが侵入者だ! 捕えれば手柄だ、息の根を止めてでも押さえろ‼」

 

 

既に彼らに背を向けていたため、どのような表情をしているのかまでは見当もつかない。

しかし囚われの身であった彼女に、下種な手で触れたような奴らが、まともな思考回路で物事を

考えているとは到底思えない。せいぜい、叶わぬ立身出世や欲望の発散でも考えているのだろう。

一刻も早く彼女を救い出したい僕が、わざわざそんな奴らの相手をしてやる義理はない。

 

 

「そこで止まれ、出来損ない共よ」

 

 

だから、一番手っ取り早い方法でカタをつけることにした。

 

 

「「「ッ…………⁉」」」

 

 

僕の背中越しに放った一言だけで、後ろに居た三人は息を詰まらせるようにして立ち止まる。

まるで、『最も怒らせてはいけない相手に敵意を向けて』しまったような反応をしている三人を、

抱き上げている僕の肩越しに、彼女が恐る恐るといった体で見つめている。

それぞれが違った反応をする中で、僕は彼らから向けられた敵意の"方向"を変えて言葉をかけた。

 

 

「随分と騒いでいるようだけど、僕に関係のある話なのかな?」

 

「うっ………ち、違うんだ親父殿(・・・)! ん、いや、でも…………」

 

「どうした? 用も無いのに後ろから呼び止めたのか?」

 

「そ、そういうわけじゃ……」

 

「なら、もういいだろう。僕も忙しいんだ。暇を持て余しているんなら、今からでも山中を

駆け回っている侵入者を自分たちで捕まえてくるんだな。もっとも、できればの話だけど」

 

「ぐぅぅ………! オイ、行くぞ‼」

 

幾度か受け答えをした後、痺れを切らしたのか、リーダー格らしき男が苛立ちを隠そうともせず

他の二人を連れて牢屋から立ち去って行った。しかもその間、あれだけご執心だった彼女に目も

くれずに引き下がっていったため、流石に奇妙だということが抱き上げている彼女にもバレた。

 

今彼らに何をしたのかと説明を求める視線に、先程より冷静さを取り戻していた僕は答える。

 

 

「………前世で貴女を騙した力で、今度は貴女を助けることができたようですね」

 

 

ようやく静かになったところで、改めて彼女の姿を見やり、記憶の中との違いに悲しみを感じた。

数日前まで一緒に居た時の、明るく快活な姿は見る影もなく、今はすっかり鳴りを潜めている。

そんな姿を見るわけにもいかず、お姫様抱っこをしたままでどうしようかと思い悩んでいると、

牢屋の鉄格子の向こう側からしきりに彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。いったい誰だろうか。

 

 

「あ………椛」

 

「お知り合い、ですか?」

 

「はい。私の、私を想ってくれるいい友です」

 

「それはそれは」

 

 

彼女を抱きかかえながら牢屋の扉をくぐり、向こう側で叫び続けている白髪の女性と対面する。

ところがあちら側はどうやら、僕をこの山の侵入者であることに対しての敵意もさることながら、

突然現れて彼女を救い出したことへの疑念も含めて、こちらを射殺さんばかりに睨みつけてきた。

一応恩人にあたるのではないかと思いもするが、僕は別に恩を売るために来たわけではない。

ここに来た目的を今一度思い出して心に深く刻み込み、威嚇するようにこちらを睨む女性に語る。

 

 

「ここに居たままでは、また射命丸さんは牢獄行きです。ここは僕に任せてください」

 

「侵入者が何を偉そうに! 貴様のような得体の知れん者になど頼るわけがない!」

 

「………それもごもっとも。ですが、貴女一人でこの状況をどうにかできますか?」

 

「そ、それは………だが、侵入者に」

「いいの、椛。この人なら大丈夫、任せてもいいわ」

 

「文さん⁉」

 

 

説得が一筋縄ではいかなそうだと思った直後、僕の腕に包まれている射命丸さんがもぞもぞと

体を揺らして椛さんという女性の方へ向き直って、僕を援護してくれた。これはありがたい。

ただ、向こうは納得がいかないようで、責任感からか、うーうーと唸るだけで事が進まない。

このままでは埒が明かないと判断した僕は、やむを得ず能力を発動することにした。

ただし、彼女は射命丸さんの大切な友人だから、そんな人の思考を捻じ曲げることはしたくない。

というよりも、これ以上他者の思考を歪める力を乱用したくはないと感じていたため、もとより

する気が起きていなかったのだ。だから、精神ではなく、僕ら二人のいる場所の"方向"を操作して

この場から人知れず立ち去ることにした。

 

 

「許可もいただけたことですし、時間が惜しいので」

 

「あ、待っ___________」

 

 

目の前で椛さんとやらが何か言いかけていたけど、それを待っている余裕は生憎と無いため、

僕は即座に能力を発動させて、今いる場所と他の場所との"方向"を操作して、逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまでくれば、一安心でしょうか」

 

 

方向を操る能力で自分たちの居場所を変えた僕と射命丸さんは、ひとまず安全と

思われる妖怪の山の山中のどこかへ避難した。多分、山の中腹より下辺りだろう。

当然ながら多くの天狗たちが山のあちこちで動いているけど、彼らの動きはすべて僕の中にいる

魔人が何らかの方法によって察知してくれるから、感覚を伝わってそれを共有できている。

人間とは違う種族独特の知覚効果なんだろうか、まぁ便利だからこの際探るような事はしないが。

 

周囲に気を配りつつも、特に問題が無いことを確認した僕は、そっと彼女を地に降ろす。

それまで大人しく僕の腕に収まっていてくれた彼女は、その両足でふらつきながらもしっかりと

大地に立って、両手首に付けられた枷を重たげに見つめつつ、改めて僕の方へ向き直った。

 

 

「………本当に、紅夜さんなんですね」

 

「はい。恥ずかしながらこの十六夜 紅夜、再びこの世を生きることと相成りました」

 

「…………良かった」

 

 

僕の存在を再確認され、自分が本当に生きていることを伝えるために、大仰な仕草を取る。

右手を一度高く上げ、そこから流れるように腰を折りながら挙げた右手を身体の左側へと

持っていき、代わりに左手を腰の後ろへと隠すように動かす。スタンダードな礼の構えだ。

目の前で動く僕を見つめていた彼女は、本当に心の底からという感じで安堵の息を漏らす。

なんていい人なのだろうか。自身を騙して利用した男が生きていて、それを喜ぶなんて。

 

普通ならこういう場合、僕が死んだことを大いに喜ぶはずなのに、彼女はそう思わずに

僕が生きていたことを素直に「良かった」と言ってくれた。なんという優しさだろうか。

そして改めて思う。僕は、こんなに心優しい女性を、ただの情報源として扱っていたのだ。

自分が"できた"人間でないことは百も承知だし、実際地獄に落ちることを確約された人間で

あることに間違いはない。こんな僕がそもそも、『助けに来た』などと言うのはおこがましい。

 

それでも僕は、どうしても彼女を助けたかった。

 

偽善だの独善だのと罵られようとかまわない。ただの自己満足だと蔑まれるのも承知の上だ。

他人を騙し、他人を利用し、他人を使い捨ててきた自分が今更、どう取り繕ったところで

何も変わらないことなど、自分が一番よく分かっているのだから。だとしても、それでも僕は

彼女に一目会って、言わなきゃいけないことがある。最期の時に語れなかった、『本心』を。

 

 

「射命丸さん、僕は貴女に言わなければならないことがあります」

 

「………………」

 

「こんな時に、とは思ってます。ですが、この事を伝える前に捕まっても困りますので」

 

「………………」

 

 

僕の醸し出す雰囲気が真面目なものであると感じてくれたようで、彼女の方も真剣な面持ちで

こちらに向き合ってくれている。邪魔立てが入らないうちに、早く伝えねばと心が焦りだす。

でも焦りは禁物だ。まずは冷静になること、それだけを考えろ。一呼吸おいて、口を開く。

 

 

「僕はかつて死ぬ前に、貴女の事を騙して利用していました。貴女の心を、弄びました。

この事に関しては言い訳のしようがありませんし、したところで貴女は許さないでしょう」

 

「…………何が、言いたいんです?」

 

「………結局のところ、今から伝えることも貴女からすれば言い訳に聞こえるかもしれません。

ですが、例え話を聞き終えた後で貴女がどう思われても、そこに嘘偽りが無いことを誓います」

 

「だ、だから! 紅夜さんは何が言いたいんです⁉」

 

 

自分でも少し長いと思う前置きを語り終えるあたりから、射命丸さんが声を荒げて真意を問う。

彼女の言葉を待っていたように、僕はそこからさらに一呼吸置き、今度こそ『本心』を告げた。

 

 

「__________射命丸 文さん。貴女を、愛しています」

 

 

飾る必要は無い。ただ僕の中にある想いを、ありのままに伝えればいい。

そう、この気持ちに嘘も偽りもない。あるのはただ純粋で、どこまでもまっすぐな彼女への愛情。

始めは単なる好奇心と狡猾な策謀でしかなかった。そのために彼女へ近付き、能力で心の方向を

少しいじって扱いやすくして、自分の手駒にしようと企んでいた。だがいつからか、僕の中に

芽生えてしまったこの感情のせいで、空を最速で駆けるこの女性を、想うようになってしまった。

元暗殺者が世迷言を垂れているように聞こえるかもしれないけど、それしか言い様がないんだ。

気付いたら好きになっていた。もっともしっくりくる表現は、おそらくこの一言だろう。

 

僕自身も、何がきっかけでこうなったのか把握できていない。本当に原因不明の病のようだ。

異変を起こす前に能力で心をいじったあの時だろうか、それとも、他の場面だろうか。

もしくは、彼女の存在を知った時から既に、心のどこかで惹きつけられていたのかもしれない。

敬愛する主人の姉君であるあの御方であれば、これもまた『運命』と呼ばれるのだろうか。

 

とにかく僕は、彼女を愛するようになってしまった。

 

 

「え………は、あ、え? ええ⁉」

 

 

一世一代の想いを告げた僕の目の前では、射命丸さんが言葉の意味をうまく呑み込めずにいた。

それもそうだろう。あれだけ非道な行いをしておいて、今更都合のいい言葉を並べられて心が

ときめくような軽い女性ではない。おそらく、次も何か企んでいるのやもと、警戒している。

どんな反応をされても仕方ない。邪険にあしらわれても、それだけのことをしたのだから当然だ。

でも、あの時伝えきれなかった想いを、前世から引き継いだこの感情だけは、伝えたかった。

 

今になって恥ずかしさがこみあげてくるものの、まだ彼女に僕の想いは届いてはいない。

どのような形でもリアクションが欲しかった僕は、外堀を埋めるように遠回しに再度告げる。

 

 

「本当ならばあの人里でのデート………逢引きの日に伝えたかったんですけどね。

残念ながらその前に時間切れになってしまったんですが、今度もそうなる前に、伝えたくて」

 

「こ、今度もって、どういうことですか?」

 

「………貴女にはお話ししましょう。実は僕が生き返ったのには、色々な事情がありまして。

その一番の要因が、僕の肉体に魔人の力を注ぎ込むことで復活を果たさせることでした」

 

「魔人………なら、紅夜さんはもう、人じゃないんですか⁉」

「いえ、かろうじて今は人間ですよ。ですが、その魔人とつい先ほどに契約を交わしまして。

貴女を救い出した暁には、この体の所有権をどちらが有するか決める戦いを確約しています」

 

「そんな!」

 

「僕が勝てば今まで通りなんですが、もしも負けたら、二度目の生は泡沫と消えるでしょう」

 

 

想いを言葉で綴っていく中で、僕の中に生まれた新たな秘密を、流れのままに教えてしまった。

お嬢様方にも伝えずにおこうとしていたこの事実を、あっさりと教えてしまったことに少々

忠誠心の有無を自問したが、この人にだけは伝えておこうという気持ちもあり、そのままにした。

 

「居たぞ‼」

 

伝えるべきことの一つ目を果たした僕が、続けて二つ目も口にしようとした直後に山のどこか

から声が上がり、瞬く間に山中から白い毛並みと黒い羽毛をまとった天狗の群れがぞろぞろと

押し寄せてきた。息つく暇も与えない洗練された動作で、こちらの動きを封じながら取り囲む。

気が付けば、四方八方を妖怪の山が誇る天狗の精鋭たちに封鎖されてしまっていた。

 

一瞬のうちに危機的状況へと追い込まれた僕は、一度話を中断して周囲を油断なく見渡し、

包囲の隙間が見当たらないことに舌を巻きつつも、どうにか脱出する手段を考え始める。

一歩対応が出遅れたことに歯噛みしていると、包囲網の奥から威圧感ある声が響いてきた。

 

 

「人間がこの天狗の里まで、何用だ」

 

「て、天魔様…………」

 

他の天狗たちとは明らかに違う服装と雰囲気をまとい、天魔と呼ばれた人物が姿を現す。

途端に周囲に満ち満ちたのは、桁違いの殺気と統一感。まるで、彼が来たからにはもう安心と

でも言うように、天狗の群れの中には確かに安心とより強まった緊張が張り巡らされていた。

それまで僕を見つめていた射命丸さんも、現れた別格の天狗を前に顔色を悪くしている。

すると僕の視線に気づいたのか、包囲網の中に入って来た天魔という人物が話しかけてきた。

 

 

「その方、随分と文に思い入れがあるのだな。浅紅の霧をまとう不可思議な人間よ」

 

「ッ…………初めまして、皆様方。僕は十六夜 紅夜という者です。そちらは?」

 

「我は天魔。この天狗の社会を率いる長である」

 

「支配階級の頂点、と受け取っても?」

 

「聞こえが悪いな。我らは人とは違い、同種族間での団結力を何よりも重んずるのだ。

幾度も同士討ちを繰り返してきても変わらぬ人間と、同じように見られては困るな」

 

荘厳な物言いで風格を漂わせる天魔は、こちらを観察するような視線を送ってくる。

他の天狗は僕を仇のように鋭い視線を敵意と一緒に向けてくるのに、統率者のような振舞いを

するその人物だけは、むやみに敵意を向けてこない。まるで、こちらの意図を読んでいるように。

かの人物も僕に対して敵意を向けてきているのであれば、それを逆手にとって能力による操作で

如何様にもできたんだけど、こういう場合だと上手く操作できない。意外に厄介な相手だな。

 

冷静に相手を観察していると、またしても向こうから話しかけてきた。

 

 

「侵入者よ、一つ問う。何故今回は、前のように人知れず同胞を襲わなかった?」

 

「…………なんですって?」

 

「……なるほど、理解した。人間よ、お前はどうやら第二の珍客らしいな」

 

「質問の意図が読めないのですが」

 

「気にすることではない。ならば、重ねて問おう。何故そこの娘を牢から出した?」

 

何やら珍妙な質問をされたけれど、身に覚えのないことだったので素直に聞き返したのだけど、

向こうはその態度で何かを察したらしく自己完結し、次いで別の質問が切り出された。

射命丸さんを脱獄させた理由、それは僕個人の私的な理由と、現状を鑑みた結果だ。

彼女に対する懺悔と告白をするだけならば、わざわざ警備を潜り抜けて牢を破る必要性は

全くと言っていいほど無い。しかし、彼女を出したのは本当にただの心情に働きかけられただけ。

理由と呼べる理由も無かったわけだが、先の天魔からの質問でそこに意味を持たせられる。

 

先の彼の発言から察するに、この妖怪の山へと侵入してきた人物は、僕を含めて二人。

そして、侵入者は天狗に対して攻撃的行動を取ったらしい。『同胞を襲わなかった?』という

フレーズからして、おそらく間違いない。けど、僕は今回自分の手で他者を攻撃してはいない。

結果的にけがはさせているが、自分から積極的に襲い掛かったのではないから僕ではない。

つまり、僕より以前に来た侵入者が、彼らを攻撃した。だから彼らはここまで躍起になって僕を

追い続けてきたのだろう。仲間を攻撃された時の意趣返しとして、傷を受けた仲間の報復として。

この山へ侵入する際に見た警備の量や陣形を見て思った、外部への警戒の理由がこれで分かった。

二度目の襲撃を予想していた彼らは、次は被害を出すまいとしていたために警備を増やしたのだ。

 

これらの事実を踏まえてから、もう一度天魔からの質問への返答を考えてみよう。

彼が気になっているのは、多分彼女を牢から出した理由と言うよりも、理由をつけてでも彼女を

牢から出そうとした僕の方だろう。とすると、これは何らかのメッセージのようなものなのか。

となれば、どう返事をしたらいいものか。しばらく考え込み、結論を出した僕は口を開いた。

 

 

「彼女を牢から出した理由を、尋ねられたのですね?」

 

「如何にも。どうした、答えられぬか? それとも考えを持たぬ愚か者か?」

「いえ、どれも違います。僕が彼女を脱獄させたのには、理由がございます」

「では、何と申す」

「それは、彼女が牢に入れられるに相応しくない人物だからです」

「ほぅ、それは何故か?」

「山へ侵入し、天狗を襲った真なる犯人こそ、捕えられるべきかと」

 

 

考えた道筋を上手く辿りながら、天魔からの問いかけに当然であるように堂々と答える。

しかし周囲を取り囲む他の天狗たちからは、僕が答えた直後に非難の嵐が巻き起こった。

 

 

「阿呆か小童‼ そんなものは当然だろうが‼」

 

「そこな女は、我らが守る山を裏切りよったから捕えておったのだ‼」

 

「やはり人間、浅はかなる愚かしさよ‼」

 

「騒々しいぞ、誰が口を開けと言ったか」

 

 

だがその無数の侮蔑は、天魔たった一人の一声によって静寂の海へと返された。

これだけの数の天狗を一言だけで黙らせられる彼の、すさまじい覇気に少し飲まれかけると、

彼はわずかに視線を逸らして、隣に居る射命丸さんの方へと目を向けてから語りだした。

 

 

「この者らの言うように、そこにいる文は山の仲間を危険に晒す大罪を犯した身だ。

奴自身もそれを認め、刑の執行を受け入れていた。であれば其方(そなた)の行いは却って、悪では?」

 

「………それは、この山の作法を知らぬ僕からしたら知りえない事。この行いは悪行でしょう」

 

「認めるか。ならば、それを是としたうえでなお、引き返さぬ意を答えよ」

 

 

彼の語り口は非常に厳かで重みがあり、気を抜けばプレッシャーに潰されると感じるほどの

巨大さがあるけれど、何故か今の彼からは威圧感より、試しているような雰囲気を感じる。

それを証明するように、彼の眼差しから敵意をさほど感じない。だったら、この尋問の意味が

かなり変わってくるだろうと考え、天魔の求めている答えを必死で思考しつつ、問い返す。

 

「答える前に、こちらからも一つ尋ねたいことがあるのです。私はこの山の法を知らない。

でしたら教えていただけませんか。山の反逆者には、動きを封じて辱めを受けさせることで

刑の執行とする法でもあるのでしょうか? それとも、苗床(はんしょく)に使うのがそうなのですか?」

 

「……………権濟坊、此度の裁判で求刑をした者は」

「はっ、上役の六人でいらっしゃいますが、その後いつもの三人が減刑を願い出ております」

 

「あの青二才の倅か。大層な馬鹿者(うつけ)であったと聞いてはいたが、そこまでするとは」

 

こちらの質問を聞いた天魔が、後ろに伏せていた副官らしき人物と何やら小声で話し始めた。

強化された聴覚でどうにか拾えた会話から察するに、天狗社会全体での総意ではなかったらしい。

どこの世界でもそうだけど、組織ってヤツは決して一枚岩じゃないんだなぁと実感させられつつ、

これが絶好の機会であることを見逃さず、僕はそこからさらに言葉を続ける。

 

 

「どうやら牢屋で護衛しなければならない者が、他にもいるご様子。であれば、どうでしょう。

ここにいる私に、山を襲撃した本当の犯人を捕える大役を御命じいただけないでしょうか?」

 

「ほう! 人が自ら、我らが山の定めに近付こうと言うのか」

 

「そこまで言うつもりはありません。ただ、彼女を牢から出してしまった身として、天狗社会の

法と規範を知らなかったとはいえ破ったこの身に、都合のいい利用方法があるのではないかと」

 

「口だけは達者であるな。しかしそれを我らが良しとせねば、如何にする?」

 

 

ここが好機であることは疑いようもない。相手が弱みを見せ、それを上手く使ってこちらの案との

併合を果たさせるようにすることで、少なくとも射命丸さんに被害を及ぼさないように出来る。

今会話に挙がっているのは、天狗社会の弱みと、僕自身の掟破り。彼女の存在は揺らいでいる。

本当なら、この場に"流れている"全体の方向を操るつもりでいたけど、あの天魔と言う人物が

こちらを観察してきている以上、下手な動きを見せれば即座に敵対される。それは避けたい。

理知的に話し合いが出来るのならば、そうするに越したことはない。さぁ、もうひと押しだ。

 

天魔からの最終試験を匂わせる問いに、僕は今できる最高の演技(えみ)で答える。

 

 

「__________戦争を。一心不乱の大戦争を」

 

「………人よ、我ら天狗の一族と独りで起こすつもりか? その、戦争とやらを」

 

「無論。三千世界の"鴉"を殺し、夢幻の彼方に"狗"を()け、屍となりても血を根絶やさん」

 

さながら独裁国家に狂信を捧ぐ軍隊の指揮官が如く、最大最高の技巧に以て僕は覚悟を語る。

互いの視線が交錯し、その先にある思惑をゆっくりと紐解き、どちらともなく狂い笑い出す。

盛大な笑声を発する僕と天魔の姿か、様子が豹変したことに驚く軍勢を見渡し、笑い続ける。

二つの大きな声が次第に絡み合って溶け合い、しばらくして元の荘厳な雰囲気へと戻っていく。

壊れたように笑っていた僕と天魔は今一度顔を見合わせ、話を再開させる。

 

「良かろう! 其方が文を牢より出した件は、其方が口にした案を果たす条件で免じよう!

しかしそれだけでは、ただ其方をこの山より逃がすこととなろう。射命丸 文に命ずる!」

 

「は、はい!」

 

「此度の件での裁きは、後日執り行う。が、それまでの期間として、二週間を与える!

今日よりその期間中、そこの人間を見張り、万一逃げ出す素振りを見せれば、即罰せよ‼」

「は、はっ‼」

「そして其方、十六夜 紅夜と申したな。努々(ゆめゆめ)忘れるな、二週間の猶予(いとま)をな」

 

「委細承知。天魔様、僕のような人間の戯言をお掬いいただき、感謝の極みにございます」

 

「面白き人の子よ。天狗を根絶やすと抜かすかと思えば、その天狗に恭しく(こうべ)を垂れるとは」

「お気に召しましたでしょうか?」

「たった今、この時限りでな。さぁ行け、我の気が変わらぬうちにな」

 

 

天狗社会の最上位からの言伝をいただき、振り返りざまに放られた手錠の鍵を受け取って、

僕と射命丸さんは去りゆく彼の背中にゆっくりと一礼してから、再び能力で発動させて、

今いる場所と妖怪の山以外の場所との"方向"を変えて、厚い包囲網から脱出した。

 

 

 

 




いかがだったでしょうか?

本当はもう少し詰めて書きたかったんですが、幾分こちらもやるべき
仕事が増え始めてしまいまして…………責任ある立場って嫌ですよね。

さて、今回は東方二次創作でおなじみの天魔様のご登場です!
しかしこちらも参考資料が少なかったため、外見の描写はほとんど
省かせていただきました! すさまじくダンディーなおじ様という
イメージを私は持っているので、それが連想できれば上々ですかな。

次回からはついに、紅夜と魔人の生き残りをかけた戦いが勃発。
果たして紅夜は、二度目の人生を生きることが出来るのでしょうか。


それでは次回、東方紅緑譚


第六十参話「紅き夜、束の間の休息」


ご意見ご感想、並びに批評も受付中でございます!


【追伸】

ペール様、誤字報告並びに投稿直後の感想、ありがとうございました。


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第六十四話「紅き夜、束の間の休息」

どうも皆様、「さすおに」にハマってしまった萃夢想天です。
どこにでもある俺TUEEEかと思っていたら、俺SUGEEだったなんて。

先週は更新できず、申し訳ありませんでした。
自分が出る仕事が入っていたの気付いてたんですけど、先々週にそれを
知らせておくのを忘れていまして………御迷惑をおかけいたしました。

ですから、休んだ分はしっかりと取り返します!


今回は少し短めになる予定です。


それでは、どうぞ!





 

 

 

射命丸さんを牢獄から救出してから、大体三十分ほど経過した。

僕と彼女は現在、妖怪の山で包囲網を敷いていた天狗たちから逃れ、山とは逆側に位置する

小さな森の入口へと場所を移していた。ちなみに僕はもう、紅い霧の効果を消している。

 

一応の危機を乗り越えた僕らは、改めて向き合い、互いの視線を交錯させた。

 

 

「……………紅夜さん、あの」

 

「えっ? あ、何でしょうか?」

 

「あの、その………ありがとうございました」

 

 

すると不意に射命丸さんが、落ち着かないような態度で感謝の句を述べ始めた。

もちろん、その感謝が何に関してなのかが分からないほど、僕は鈍くはない。

ただ、面と向かって言われると相手が相手だけに照れてしまうし、こちらも落ち着かない。

それとこういう場合は普通、相手からの感謝の気持ちを受け取るべきだということも頭の中では

理解できていたんだけど、今の僕はどうしてもそういう心の余裕を持つことができなかった。

 

「いえ、僕は大したことは」

 

「け、謙遜しないでください! たった一人で妖怪の山に乗り込んできて、天狗の一団を相手に

傷一つ負わないどころか傷一つ付けずに事を済ませるなんて、並大抵ではありませんよ!」

 

「………自分が、並の人間でない事は自覚してますよ」

 

「あっ………」

 

 

射命丸さんが次々に僕を持ち上げようとする言葉を口にするたび、僕の心は反比例して暗くなる。

別に僕が卑屈だからってわけじゃないし、彼女が何かしたというわけでもない。

でも、そういった暗い部分が僕の意思に反して、彼女の言葉を逆の意味で捉えて皮肉を返した。

違う。僕はこんな事を言いたいんじゃない。やっと救えた彼女に、暗い顔をしてほしくないのに。

 

僕の心の中に広がっていく感情が、意思を司る僕自身に反抗して思ってもないことを口走る。

 

 

「確かに、はるか格上の天狗の集団を相手に無傷で生還する人間は、普通じゃありませんよね。

むしろそんな奴が、人間を名乗っていいはずがない。そいつはただの、化け物ですから」

 

「そ、そんなつもりじゃ………ごめんなさい」

 

「ッ‼」

 

 

苛立ちにも似た感情が僕の意識を乗っ取り、悲しませたくない人を僕の言葉で悲しませる。

ついには彼女が責任感や罪悪感を感じて、頭を下げて謝ってしまう。そうじゃないんだよ!

「謝らないでください‼」

 

 

とうとう耐え切れなくなり、僕は自分でも驚くほどの声量で怒号を発する。

痛ましいほどの沈黙が二人の間に流れ、しばらく無言の空気が漂うことになった。

ただ、結果的にはその微妙な間のおかげで少し冷静になれたため、良かったと言うべきか。

一度小さく息を吐いてから大きく息を吸って、もう一度射命丸さんに向き直った。

 

 

「………貴女が謝ることなんて一つもありません。貴女は、何も悪くないんですから。

謝るのは僕の方です。申し訳ありませんでした、八つ当たりのような真似事をしてしまって」

 

「八つ当たり、ですか?」

 

「ハイ。何故だか急に、不安になっていたようで………本当に自分でもよく分からないんです。

でも心の中がモヤモヤしてしまって、どうしようもなくて」

 

「紅夜さん………」

 

「変ですよね、貴女を助け出せたのに。それで不安になるなんて」

 

 

心情を吐露しきってから、彼女に向けて愛想笑いを浮かべるものの、ぎこちなくなってしまった。

取材で多くの表情を見て回っている彼女であれば、今の表情が作りものであることくらいは、

すぐに分かってしまうことだろう。それに僕は「急に不安になった」と言ったが、一応の原因の

把握はできている。と言うより、これが原因で間違いないだろうと確信していた。

 

 

(射命丸さんを助け出せたことは、素直に喜ばしいことのはずなのに……………)

 

 

彼女を謂れのない罪から一時的にでも救い出せたことは、紛れもなく喜ばしいことだ。

けど、それを手放しで喜べなくなってしまった理由もまた、今の僕にはあるのだった。

 

 

(彼女を救い出すことが、僕と"彼"との一時的な休戦協定の内容)

 

 

心に重りでものしかかったような、実際には起こりえないはずの感覚に頭を悩ませる。

 

"彼"と言うのは、僕の内側に勝手に入ってきた魔人のことだ。その彼との、仮初の協力関係が

契約内容の履行によって終わりを迎え、またも肉体を奪い合う本来の図に戻ってしまった。

もちろんそのことに不満などあるわけがない。元々僕が持ち掛けた契約だ、恐れるわけがない。

 

そう、ついさっきまで、自分の体を失うかもしれない可能性なんて、怖くもなかったのに。

 

 

(初めてだ…………全身を改造されていたあの日々より、『怖い』と思うことがあるなんて)

 

 

自分の体から、自分の意識が無くなる。そしてその代わりに、誰かが僕の体を好きに使う。

今まで思っても見なかったことに現実味がなかったからか、それともまた別の理由からなのか、

とにかく今の僕は自分の体を魔人に奪われてしまうことを、自分を失くすことを恐れていた。

射命丸さんを助け出そうと必死で、彼女を助け出した後のことなんて良く考えてもいなかった。

そして助け出すことができて、その後の事を考えなくちゃいけなくなってしまって。

僕が僕でいられる可能性はただ一つ、魔人との決闘に勝利して、彼を僕の支配下に置くこと。

 

出来る出来ないは問題じゃない。本当に問題なのは、この体を魔人に奪われた時のことだ。

 

せっかく助けた射命丸さんは、山を去る間際に天魔と言う天狗界の頂点ともいえる人からの

条件として提示された、妖怪の山を揺るがす騒動の真犯人逮捕を達成できずに牢へ逆戻り。

もしかしたら、あの下卑た連中によって今度こそ、辱めから逃げられないかもしれない。

そして紅魔館のみんなは、僕の体を手に入れた魔人によって、何をされるか想像もつかない。

少なくとも僕が死んだ直後にこの体を使って暴れ始めたということは、パチュリーさんはおろか

他の館の住人までも相手取ったということに他ならない。つまり、それだけ彼は強いんだ。

 

怖くてたまらない。

僕が忠誠を誓った方々が、手も足も出ず、足止めすら成し得ずに負け越した相手とこれから、

一対一で自分の存在を賭けて戦わなければならないなんて、怖くてたまらなくなる。

 

 

(嫌だ、消えたくない。また死ぬなんて嫌だ。怖い、怖い。まだ、生きていたい………!)

 

 

気が付くと僕は、顔面いっぱいに脂汗をにじませて、両手をギュッと握りしめて立っていた。

無意味に全身を強張らせて、しきりに小さな呼吸を繰り返して、目を見開き続けている姿は、

完全に怯え切った負け犬の形相だった。でも、そんな醜態を晒すほどに、僕は恐怖していた。

そしてその姿は当然ながら、対面していた射命丸さんに一部始終を見られることとなる。

 

 

「こ、紅夜さん? もしかしてまだ、体が万全じゃないんですか?」

 

こんな状況に居てもまだ、彼女は僕なんかの体の方を心配してくれている。

自身を騙して心を弄んだ相手である僕の事を、本気で気にかけてくれている彼女の優しさが、

今は何よりも心強く、そして残酷な凶器になった。

 

 

「いえ、お気になさらず」

 

「気にしますよ! やっぱり紅夜さん、生き返っても体は元のままなんですね⁉」

 

「………骨の異常も内臓の修復もされていますし、前より幾分かはマシですよ」

 

「そういう事を言ってるんじゃありません!」

 

 

すると今度は、逆に射命丸さんが声を荒げることになり、先の逆で僕が押し黙る。

身長差のせいで今の彼女の表情はうかがえないものの、少なくとも本気で僕の体の事を

心配してくれていることは伝わった。そして次に紡がれた言葉に、目を見開かされる。

 

 

「私を、私の事を愛していると言ってくれた人が目の前で苦しんでいるのに、

気にしない女がいると思いますか⁉ 紅夜さんは、私がそんな薄情な女に見えるんですか⁉」

 

「い、いえ、そんな…………」

 

「紅夜さんが今何を思って苦しんでいるのか、私には分かりません。正直お手上げです。

ですがそれでも、何かしてあげたいと思うのはおかしいですか⁉」

 

「射命丸、さん………」

 

 

徐々に激しくなる語調につられて上を向いた彼女の顔には、悲哀がこもっていた。

それも単なる悲哀ではなく、ただ純粋に相手の事を想い、憂いたことで生じた悲哀だった。

その双眸からは小さいながらも無色透明な水滴が滴り、緩やかに頬を伝い始めている。

悲しみからきているであろうその涙は、本来の感情のものとはかけ離れた美しさを感じた。

数秒間、僕は彼女の何とも言えないその表情に見惚れていて、声すら出せなくなっていた。

でもそれが功を奏したようで、先ほどまで心の中に充満していた不安や怖れと言った感情は

ほとんど霧散していき、恐怖心に心を支配されかけた先ほどよりかは、冷静になれた。

 

再び彼女と僕の視線が交錯し合い、その先に居る互いが言葉を交わす。

 

 

「文、でいいですよ」

 

「え………それは」

 

「文でいいです、紅夜さん」

 

「…………文、さん」

 

彼女の口から発せられたのは、その名を呼ぶこと。僕にとってそれは、赦すことと同義に思えた。

当然ながら赦すのは彼女であって、赦されるのが僕だ。けど、それを受け取ることは(はばか)れる。

今まで彼女にしてきたことを考えれば、どんな処断を下されようと文句を言える立場じゃないし、

望まれるのならどのような罰だって受け入れられる。だから、赦されるなんてあってはならない。

 

僕自身が、赦されることを望んでいない_________と、そう思っていたのに。

 

 

「………紅夜さん、泣いて、いるんですか?」

 

 

彼女の潤んだ瞳の中に映りこんだのは、彼女の目の前にいる僕の、あまりにも情けない泣き顔。

少なくとも、好意を抱いている相手には見せたくないと断言できる、そんなぐしゃぐしゃな顔。

 

自分が涙を流していることに気づいて、慌てて両の瞳から零れ落ちる滴を拭い去ろうとして

手を動かした直後、そうはさせないとばかりに眼前の彼女が腕を塞ぐように覆いかぶさってきた。

突然の行動に今以上に慌てる僕を見上げて、彼女はまだ少し赤みの残る瞳を真っ直ぐに向ける。

視界に映る全てがあふれる涙でぼやける中、何故だか眼下にいる彼女の姿はハッキリと映った。

 

 

「すみ、ません………ぼく、どうか、したみたいで………」

 

「……いいんですよ、紅夜さん。泣ける時には泣いた方がいいんです」

 

「あやさん…………」

 

「泣いてください。私しかいない今なら、思う存分に」

 

「でも、ぼくは、あなたに」

 

「………私の前に居るのは、私の事を愛してくれている一人の殿方だけでしょう?

過去がどうであれ、前世がどうであれ、私は気にしません。今この時の愛を、受け入れます」

 

「ああ………ああぁあ!」

 

 

彼女の_________文さんのその言葉を最後に、僕の中に残っていた"しこり"は消え失せた。

恥ずかしげもなく、臆面もなく、僕はただひたすらに、内からあふれる衝動に身を委ねる。

その結果、双眸からは無限に零れ落ちる涙が、喉からは張り裂けんばかりの音が漏れ出てきた。

きっと今の僕は、誰にも見せられるような姿ではないだろう。目も、鼻も、頬も、全てが熱い。

生まれ落ちた赤子のように泣き喚き続けた僕は、そこからしばらくの間、意識を失っていた。

 

 

「んっ………んぅ」

 

 

最後に、ほんの少し熱を帯びた唇に、同じくらいの熱を持った何かが、確かに触れたのを感じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東から昇っていた日が、西の山々の連なる輪郭へと沈み始めた。

幻想郷に生きるものであれば誰しもが知る、人の時間の終わりを告げる黄昏の光を、

帰るべき場所である紅魔館に向かうその途中で、仕えるべき主の妹君と共に魅入る。

煌びやかな金色の髪を右側頭部へ一総にまとめたその方から、声をかけられた。

 

 

「きれいね、咲夜」

 

「ハイ、とても」

 

 

緩やかに山脈の裏側へと沈みゆく光源を、私、十六夜 咲夜は真っ直ぐに見つめている。

そして私の隣には、私の主君のレミリアお嬢様の妹で、私の大切な人の主人でもある、

フランドール様が同じように金色と橙色が溶け合った黄昏をご覧になっていた。

 

妹様は、数日前まで行方不明になっておられたのだけど、昨日の夕方に霊夢と出会い、

博麗神社で居候させていると暗に伝えられたので、こうして翌日に私がお出迎えに

足を運んだ。そして今は、その帰り道で、二人そろって夕焼けに目を奪われていた。

 

「妹様、そろそろ戻りましょう。お嬢様が心配されています」

 

「うん………分かったわ。行こう、咲夜」

 

 

けれどそれもほんの数秒程度の事で、光を目に焼き付けた妹様と私は、止めていた足を

再び前へと動かす。目的地である紅魔館までは、あとわずかといった距離だ。

仕える主君の妹である彼女より前に出るわけにもいかず、私は二歩半ほど後ろから追従

するような歩き方を心がけて、一人で歩くより時間をかけて道のりを歩み続ける。

 

(妹様もお戻りくださった…………あとは、あの子さえ戻ってきてくれたら)

 

 

主人が帰りを心待ちにしている妹様がいるのに、私は全く別の事しか頭になかった。

それは当然、私の弟、十六夜 紅夜のこと。最近の私は、彼のことしか考えられない。

朝起きたらまず彼を想い、幻想郷のどこかにいると自分に言い聞かせて一日を始める。

館のお掃除の時も、使われた衣服の洗濯の時も、主人方のお食事を作る時でさえも、

私の中には常にあの子がいる。いや、あの子を考えないと何も手がつかなくなっていた。

考えれば考えるほど、弟に会えないことが苦痛に感じられ、胸が張り裂けそうになる。

近くに居た時は事情が事情とは言え、あれだけ邪険に扱っておいて、居なくなった途端に彼を

求めてやまなくなってしまう。本当に私の心は、私という人間は、どこまで身勝手なのだろう。

加えて言えば、彼は今目の前にいらっしゃる妹様の執事。つまり、妹様の所有物なのだ。

彼をそばに置いておけるのは、妹様のみ。彼を近くに感じられるのは、この方のみ。

そう考えると、妹様が羨ましくてたまらなくなる。私も、あの子のそばにずっと居たいのに。

 

 

「ねぇ咲夜」

 

「っ! は、はい、何でしょうか?」

 

 

弟の事を考えていたところに、邪魔が、もとい妹様からの御声がかけられた。

それにしても、私は何という思い違いをしていたのだろう。妹様を、邪魔だなどと考えるとは。

あの子のそばにいつでも居られる権利があると考えると、確かに羨ましいことこの上ない。

でもそれはあくまで主従関係にあるからであって、何も"そういう"間柄じゃないのだから。

 

 

(私、何考えてるんだろう。あの子の事を考えてると、まともな思考になれない)

 

「ねぇ、咲夜ってば!」

 

「あっ………? あっ、ハイ!」

 

「どうしたの咲夜、何か変よ?」

 

「も、申し訳ございません」

 

「変な咲夜。ホラ、帰ろ!」

 

「は、はい。かしこまりました………」

 

 

気付くと私の足が止まっていて、妹様が振り返って私の事を気にかけてくださっていた。

お嬢様であれば、こちらから気付くような言い回しでおっしゃられるのに、妹様は対照的に

御自分から指摘なされる。従者としては失格だけれど、その御厚意が今はありがたかった。

 

妹様に促された私は、またご指摘を受けないようにするために少しだけ早足で歩きだした。

そして今度は、なるべく無心になるように妹様を視界から積極的に遠ざけるようにもした。

だってそうしないと、私の中にまたあの醜い感情が巣食ってしまいそうになるから。

わざとではないにしろ、そうした行動のせいで妹様の歩調を少々急かすような歩き方に

なってしまったことを恥じ入りつつ、それでも内心に渦巻く気持ちを抑えて館へ向かう。

 

 

「すっごく久しぶりに感じるわ!」

 

「え、ええ。妹様は六日もおられなかったのですから、そのお気持ちは当然かと」

 

「そんなにお外に出てたんだ………あのね、いっぱい楽しいことがあったのよ!」

 

「それは何よりでございます。なら是非、そのお話はお嬢様に語ってあげてください」

 

「お姉様に?」

 

「ハイ。大層御心を痛めておられましたし、安心させるためにもどうか」

 

 

私の気持ちなどお構いなしに、妹様がこの数日中に起きた出来事を楽しかったと語る。

その御顔は晴れやかで、495年間も地下牢に幽閉されて気が触れてしまった狂気の吸血鬼

などとは、とても思えないほどだった。加えて、ただ無邪気なだけでなく、それまでには

無かった『他人への配慮』とも取れる優しさを兼ね備えておいでになっている。

たった六日間解放されただけなのに、それだけで見違えるほど御成長なされた妹様の姿は、

あたかも姉であるレミリアお嬢様を彷彿とさせる気高さが垣間見えるほど凛々しくなっている。

 

「うーーん………分かったわ。それじゃあ早くお姉様に____________アレ?」

 

後ろ姿だけで数日前との違いを見せつける妹様のその足が、唐突に停止した。

目的地の紅魔館は確かに目と鼻の先だけれど、まだ館の玄関へ至る門にまでは到着していない。

だというのに何故、妹様は足をお止めになられたのか。気になった私は視線を先へと移す。

 

そして、言葉を失った。

 

 

「あ、咲夜さん! 妹様! ホラ、帰ってきましたよ‼」

 

門前に居る美鈴がやたらと騒ぎ立てているけれど、今の私はそんなものを気にしていられない。

そんなことよりも、美鈴の目の前に立っている銀髪の青年(・・・・・)の後ろ姿の方が気になっていた。

私とよく似た透き通るような色白の肌に、これも私とよく似た、白銀に輝く鋭い短髪。

着用している服に違いはあれど、スッと一直線に伸びた背筋や足を揃えた立ち方は見覚えがある。

否、アレは間違いない。間違いなく、彼は、あの子は、目の前に居る!

 

 

「こう、や………?」

 

私が結論に辿り着いた直後に、私の眼下に居らっしゃる妹様も同じ結論に至っていたようで、

その小さな瞳を限界まで見開き、口をパクパクとはしたなく開閉させている。私と同様にだ。

再び視線を前方へと戻すと、やはり彼はそこにいた。血よりも赤い館の門前に、確かに彼はいる。

不意に、美鈴の前に立っていた青年がこちらへ振り返り、後ろからでは見えなかった顔を見せた。

 

 

「こうや、紅夜なの?」

 

「________フランお嬢様、お久しゅうございます」

 

「紅夜、本当に………本当に紅夜なのね⁉」

 

「ハイ。貴女の下僕、十六夜 紅夜。再び御仕えするべく帰参いたしました」

 

その顔を見た瞬間、その声を聴いた瞬間、妹様は駆け足で彼のもとへと向かって行かれた。

すさまじい速度で走る妹様は、彼の胸めがけて跳躍し、両手を広げて待つ彼へと飛び込んだ。

 

 

「紅夜ぁ! 紅夜ぁ‼」

 

「お嬢様………申し訳ありませんでした」

 

「良かった……良かったよぉ…………紅夜ぁ」

 

激しい身長差の中で互いを抱き合う二人は、傍から見れば救い出された姫と白銀の騎士の様で、

とても絵になる光景を生み出している。肖像画に描き上げれば、素晴らしい一枚となるだろう。

けど、そんな二人の姿を見て私が真っ先に思ったのは、とても醜く汚い、『嫉妬(せつなさ)』だった。

私も紅夜に、弟に抱き着きたい。彼をこの両腕で掻き抱いて、思いの丈を吐き出したい。

私も紅夜に、弟に抱き締められたい。彼の両腕に掻き抱かれて、その温もりに溺れたい。

 

抱いてはいけない感情だと知りながらも、私の中に滾々と湧き出るこの感情は止まらない。

忠誠を捧げる御方の一人でありながらも、私の中でまだ渦巻き続ける感情に変わりはない。

 

紅夜、私を見て。私だけを見て。

貴方に見てほしい、貴方だけに見てほしい。

抱き締めたい、抱き締められたい。

愛されたい、愛したい。

 

自分でも抑えが効かなくなりつつある気持ちが複雑に絡み合い、それは態度に表れる。

 

「………妹様、レミリアお嬢様の血族にしては、少々はしたないかと」

 

「咲夜………?」

 

「すぐにお離れください。妹様、お嬢様がお待ちになっておられます」

 

「で、でも、紅夜が」

 

「戻ってきたのですからいつでも会えます。今はお嬢様を御優先ください」

 

考えるよりも先に脳が言葉を選択し、口がそれを一切の淀みも躊躇もなく言い切った。

見方によっては不敬にもあたるであろう態度に、流石の美鈴も少し顔をしかめている。

でも本当に顔をしかめたくなっているのは、私だ。本当に自分という人間に嫌気がさす。

自分があの子と一緒に居られないからって、どうして妹様の再会を邪魔することができようか。

もはや八つ当たりですらない。こんなものは、どこまでも穢く汚れきった独占欲に等しい。

最低だ。何度も何度も消そうとしているのに、内側にある黒い感情は鳴りを潜めようとせず、

かえって私の心の機微に敏感に反応して、抑え込もうとしている感情に拍車をかける。

しかも本当に嫌になるのは、忠を尽くす方への不敬よりも、あの子に嫌われたらどうしようと

いう考えが真っ先に浮かぶことだ。これでは本当に、私はただの私欲にまみれた薄汚い女だ。

 

自己嫌悪に浸り、表情を歪めると、それまで黙っていた美鈴がやけに外れた声を発した。

 

 

「え、えーと! とにかく今は紅夜君が戻ってきたことを歓迎しましょうよ!」

 

「そうね! 紅夜が戻ってきたことも、お姉様に教えてあげなくちゃ!」

「そうと決まったら妹様、急ぎましょう!」

 

 

調子の外れたような掛け声で場の空気を壊した美鈴は、私と目を合わせてそっとウィンクした。

その仕草から、今の行動は私を気遣ってのものだと理解できた。余計なお節介よ、ありがとう。

美鈴の提案を受けて、妹様と紅夜、それと何故か一緒に居る鴉天狗の文もうなずいた。

 

「うん! 行こう、紅夜!」

 

「ハイ、お嬢様。あ、あの、文さんもよろしければ……」

「…………では、お言葉に甘えて」

 

「それでは開門! 咲夜さーん、ホラ早くー!」

 

美鈴が門を開け放ち、紅魔館の玄関へ向けて私を含めた五人がそれぞれの歩幅で歩きだす。

無言のままに歩く中で、妹様と紅夜だけは、互いを見つめたままで微笑み合っていた。

そんな二人を後ろから見つめ、また心の隅が痛む錯覚を味わい、私は視線を斜め下へ移し、

誰にもこの醜い感情を悟らせないようにした。

美鈴先導のもと、五人の短い旅は終わり、紅魔館本館の木製の扉が音を立てて開かれる。

 

見慣れていたはずのロビーに彼が足を踏み入れた途端、小さく声を漏らした。

 

 

「_______ただいま」

 

 

きっと誰にも聞こえていないつもりだっただろう声量の呟きを、少なくとも私は捉えていた。

妹様はお嬢様を探しに歩き出していたし、美鈴と文は何やら訳知り顔で頷き合っていたから、

あの子の言葉を聞き取れていたのは実質、この場では私だけになる。私だけが、聞いていた。

 

今しか、ない。

 

そう悟った私は、先ほどの彼の呟きと同じほどの声量に落とした返事を口にする。

 

 

「_______おかえり」

 

 

私に聞こえていたのだから、彼にも聞こえているのはむしろ当然だろう。

驚いたように顔をこちらへ向けてきた彼に対して、鼓動が高まり心が弾けそうになるのを

実感しつつ、今度は声をあえて落とすようなことをせずに、真っ直ぐ彼を見つめて応える。

 

 

「おかえりなさい」

 

 

ずっと、ずっと言えなかった一言が、ずっと言いたかった人へ、届いた。

 

 




いかがだったでしょうか?

二週間ぶりの執筆だったので、元から無かった文章力がまぁ
見るも無残な状態に………サンタさんに文才を所望したいこの頃(泣)

今回はずっと前から私が書きたかった回になりました!
ま、まあ少々形は変わってしまいましたが、ほとんど原型通りです!
紅夜がやっと自分の居場所に帰ることが出来てなによりです。

紅夜が意識を失ってから文が何をしたか、皆様のご想像にお任せします(確信


それでは次回、東方紅緑譚


第六十四話「紅き夜、想い想われる日(前編)」


ご意見ご感想、並びに批評も随時受け付けております!


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第六十伍話「紅き夜、想い想われる日(前編)」



どうも皆様、冬の寒さに胃腸の働きが芳しくない萃夢想天です。
自室の冷暖房にはあまり頼りたくないが、しかし寒さに勝てず……。

実は先日から、この作品の全話数とタイトル一覧での話数の違いが
気になっていたのですが、改めて見たら壱話分だけずれていました。
まさか十七話が二つあったなんて………それに今まで気づけなかったなんて(恥
速攻修正いたしましたが、ここまで羞恥に染まったのは久々ですよ。


さて、思えば随分と長くなってしまった紅夜の【魔人死臨】の章ですが、
いよいよ以て終わりが見えてまいりました。残すところあと数話予定です。
もちろん予想外に長引く可能性もありますが、近々第三章完結となります。
次は縁のルートか………彼視点でのストーリーを描いたのがかなり前なので、
もしかしたらそちらでもグダる可能性がありますが、ご容赦ください!


長くなってすみません。本編に移りましょう!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

たった一か月程度の時間を過ごしただけでも、随分と懐かしさを感じる一面の赤色。

窓やその他の一部分くらいしか赤以外の色がないこの場所に、僕はまた帰ってきてしまった。

 

ここは霧深いの湖に建てられた、吸血鬼が実権を握る洋館の一階にあるホール。

視線を向ける先には赤以外の色が見受けられない場所に、館の住人たちが集まっている。

館の当主姉妹はもちろん、大図書館から滅多に出てこない魔女やその使い魔兼司書も、

目も冴えるような色合いをしたこの館を守るためにある門番も、主君に使えるメイド長も。

 

そしてこの場にいる者は、僕を除けば誰しもがその顔に喜びからくる笑みを浮かべていた。

 

 

「紅夜さぁーーん‼ 良がった! 本当によがっだでずぅ‼」

 

「こあさん………涙で顔がすごいことになってますよ……」

 

「紅夜さんが帰ってくるって、信じで、待っでまじだ………!」

 

その中でただ一人、笑みよりも際立った感情に表情を支配された人もいたりしたけど、

概ね元気そうで何よりだと思った。それにしても、体裁を取り繕おうとすら思わないほど、

形振り構わず僕の事を心配して泣きじゃくっているこあさんは、天使としか考えられない。

両側頭部の小さな黒い羽根をピコピコと動かしつつ泣く彼女を尻目に、声をかけられる。

 

 

「何はともあれ、ちゃんと帰ってこれて何よりね。おかえりなさい、紅夜」

 

「パチュリーさん………」

 

 

こあさんの震える肩を優しく撫でながら、パチュリーさんが僕を迎え入れてくれた。

普段は図書館にこもりっきりの彼女までもが出張ってきていることに驚きを隠せないが、

現にこうして目の前にいらっしゃるのだから何とも言えず、ただただ頭が下がる思いだった。

面と向かって優しい言葉を投げかけられたのはいつ以来だろうか、そんなことを考えながら

上位者である彼女を待たせるわけにもいかないので、とりあえず返事だけは返そうと口を開く。

 

 

「あ、ハイ。ただいま戻りました、パチュリーさん」

 

「…………ねぇ紅夜、あなたは」

 

やや礼節を欠いた返事ではあったものの、一応の形式は守って彼女へ軽く頭を下げる。

すると彼女は、喉元に何か引っかかったような物言いで僕に質問を投げかけようとしていたが、

それはさらに横合いから入れられてきた甲高い声によって妨げられることとなった。

 

 

「何ですって⁉ フラン………もう一度、何があったか話してごらんなさい?」

 

「え? だから、霊夢のお家で水汲みとかお掃除とか、ご飯の準備も手伝ったのよ!

とっても楽しかったし、霊夢もたくさん褒めてくれたからやり方も覚えたの!」

 

「こ、ここ、この高貴なる夜の眷属である吸血鬼に、霊夢は家事を押し付けたの⁉」

 

「?」

 

「信じられないわ‼ おのれ博麗の巫女、まさかこんな遠回しに恥をかかせにくるなんて!

いいことフラン? もう絶対にそんな事しちゃダメよ、いいわね? 絶対にだからね!」

 

「なんで?」

 

「なんでもよ!」

 

 

ホールの中央で、再会を喜び合っていた主君たち、もといレミリア様とフランお嬢様とが

激しく言い争っていた。とは言うものの、口論と言うほど深刻なものではなさそうだし、

何よりあの状況を見るに、ただレミリア様がヒステリックを起こしただけだから、問題ない。

未だに甲高い悲鳴と続く説教がホール内で反響するも、御二人は気付く気配すらなかった。

仮にもしレミリア様が気付いたとして、今更体裁を取り繕っても手遅れだろう。

 

そんな不謹慎な事を考えつつ、仲睦まじい姉妹のやり取りをホールの真ん中で見ていたら、

ふと中央にいる彼女らをまるで『邪魔立てするな』と言わんばかりの視線で射貫く人がいた。

 

 

「………‥あ、あの、パチュリーさん?」

 

「むぅ…………なに?」

 

「い、いえ。それよりさっき僕に何か言おうとしていませんでしたか?」

 

「………何でもない。忘れて」

 

「え、でも」

 

「忘れなさい。いいわね?」

 

自身の友であるレミリア様とフランお嬢様とのやり取りを見て何を思ったのか分からないけど、

急に不機嫌になってしまったパチュリーさんは、まだ少し涙を流すこあさんを連れ立って、

一言「図書館に戻ってる」とぶっきらぼうに告げてホールを出ていかれてしまわれた。

まぁおそらく、お二人によって僕への話を出すタイミングを崩されたことに腹を立てたから

機嫌を損ねたのだろうけど、そこまでいくと何を言おうとしていらっしゃったのか気になる。

でも忘れろと言われた以上、今のところは僕も藪を突いて蛇を出そうとは思わないでおこう。

どちらにしても、結局後ほどパチュリーさんには、個人的に頼みたいこともあったから、

聞くんだったらその時にしてもいいしね。

 

去りゆく二人の背中を見送ると、間髪入れずにレミリア様が僕のもとへとやって来た。

 

 

「さて、ようやく帰ってきたのね。ここより居心地の良い家でも見つけたのかしら?」

 

 

そして次いで口にされたのは、遠回しな皮肉だった。

きっと六日もの間中、フランお嬢様を御屋敷の外へ出した僕への当てつけのつもりだろう。

ただ一応補足しておくと、僕が率先してお嬢様を外へ出したわけじゃないし、その事はいくら

レミリア様といえども理解なさっているはずだ。それでも、姉として心配していた故なのか。

 

 

(姉としての心配、か。そういえばさっき、姉さんが「おかえりなさい」って言ったような)

 

「ちょっと、黙ってるってことは本当にそんなところ見つけたってこと?」

 

「あ、え? ああ、そのような事はございません。ここが僕にとって一番の住処です」

 

「……取って付けたような言葉ね」

 

「御戯れを」

 

 

30cm以上はある身長差のせいで、どうしても激しくなる視線の傾斜に懐かしさを感じながら、

フランお嬢様の姉君であるレミリア様の、姉としての一面に先ほどの一瞬の事を思い出す。

しかしその記憶は、僕を訝しみ始めた館の主人からの詰問への対処で掻き消されてしまったが。

シニカルな微笑を浮かべた僕は、改めて紅魔館へ、僕の新しい居場所に戻ってきたと痛感する。

主君の姉君も、その妹である我が主君も、今はもう去ってしまった魔女に司書悪魔も、

館の門を守る門番も、そして館の主人である絶対者に仕えるメイド、つまり僕の姉も一様に、

変わってはいなかった。人ならざるものでありながら、人らしさを捨てた人よりも優しかった。

今でも僕の中に湧く恩義の念は消えてはいない。むしろ、より一層強まったと言ってもいい。

 

そう信じてやまないほどに、僕はもうこの場所を『帰る場所』として認識してしまっているのだ。

 

「紅夜?」

 

「ハイ、フランお嬢様」

 

「んふふー、紅夜ぁ!」

 

「おっと。いけませんよお嬢様、急に抱きついてこられては」

 

「えー…………分かったわ。でも、ずっと会えなくて寂しかった分だけ、ね?」

 

「………かしこまりました」

 

「ん♪」

 

 

視界を埋め尽くすほどの赤に内から沸き起こる何かを感じていると、レミリア様の横に

いらっしゃったはずのフランお嬢様が、何を思ったのかいきなり僕に抱きついてきた。

もちろんそれを拒めるはずもなく、無邪気な笑顔と共に伝わる温もりを胸一杯に抱き寄せる。

ただ、お嬢様もこの数日間で見違えるほどに成長なされたと思う。主に立ち振る舞いとかが。

 

前までであれば、今のやり取りをしても妥協も了承もせずに駄々をこねてしまわれるだけ

だったというのに、今はどうだろうか。了承し、妥協しているその姿は、まるで別人に思える。

きっとお嬢様も、僕が見ていないこの数日の間に紅魔館の外での出会いを経て変わられたのだ。

幼さを内包したままの自分ではいられないと、自分で気づき、自分で変わろうとするほどに。

長い時を経ても変わらなかった彼女の心を動かしたのは、自惚れる気は無いが間違いなく僕だ。

一人の人間として、一人の従者として、一人の男として、495年も自らの時間を止めていた

吸血鬼の少女の心を動かすことができた。この一つの事実は、純粋に僕の頬をほころばせる。

 

ギュッと首に回された小さい腕をそのままに、僕は主人を抱きつつレミリア様に向き直り、

自分よりも妹に優先されていることへの拙い嫉妬の視線をぶつけられる中、真剣に語りだす。

 

 

「レミリア様、実はご相談………というより、お願いしたいことがございます」

 

「お願い? 長期休暇をくれたやったばかりなのに、まだ何か欲しがる気?」

 

「お、御戯れを、レミリア様。此度の休暇はあまりにも多忙過ぎまして………」

 

「分かってるわよ。それで、お願いっていうのは?」

 

 

自分の感情を隠すように腕を組みながら尋ねるレミリア様に、懇願の意を込めて応える。

 

 

「こちらにいる文さんに、どうかこの紅魔館への滞在をしばしお許し願えませんでしょうか」

 

「鴉天狗を? 私色に染まったこの館に? 一体何の冗談よ」

 

僕がレミリア様にお願いしたかったこととは、行き場を失くした文さんの仮の居住地の事。

いくら人間の常識に当てはまらない妖怪である彼女でも、雨風しのげるものの無い場所で

夜を過ごしたくはないだろうし、あくまで個人的な意見だが、彼女にはそうさせたくなかった。

想いを伝え、それを受け止めてくれた彼女は今、故郷とも言うべき天狗の里から追放処分を

言い渡されているような状況にいて、その間の二週間をどう過ごすかをまだ聞いていない。

もしかしたら余計なお節介だったかとも思ったけど、僕がそうしたいと思ったから実行した。

 

ただ、僕の言葉に痛烈な皮肉を交えて返したレミリア様の顔色は、拒絶を表していた。

それも当然だろう。いきなり使用人が主人に、客を泊めてやりたいと言われれば普通なら

気分を害することにつながるだろうし、仰ぎ仕える身でありながらなんと不遜かと罰せられても

おかしくはない。それでも、想いを自覚した今の僕に、彼女を見過ごすことはできなかった。

 

「冗談ではございません。執事風情の、身の程をわきまえぬ我が儘にございます」

 

「………お前が何かを欲するのは、姉に続いて二つ目ね」

 

「ハイ。レミリア様、どうか」

 

「気になるわね。異変の際に利用したソレを、どうして今更?」

 

再び館の主に食い下がって願い求めると、今度は先程より直接的な皮肉を込めて戻ってきた。

けれど先程とは、明らかに拒絶の色が薄まっている。ひょっとしたら、いけるかもしれない。

レミリア様には異変を起こす前に、文さんを利用する旨を伝えていたため、よりその部分が

気になっているのだろうけど、ここに戻る前にその話で一悶着あったことを思い出してしまい、

ほんの一瞬だけ背後にいる文さんが気まずそうに顔を伏せた。やはりまだそのことが、彼女の

心には重たくのしかかっているに違いない。自分のしたこととはいえ、どう答えるべきか。

答えに迷った僕はしばらく考え込み、この状況で最も安全性のある解答を導き出そうと思案し、

結局結論は一つしかないと悟り、自身の遥か下へと視線を向け直して、厳かに口を開く。

 

 

「それについては、少々込み入った事情がございまして」

 

「事情? いいわ、言ってみなさい」

 

「ありがとうございます。では」

 

 

____________執事説明中

 

 

「ということでございます」

 

「………それで、そこの天狗をここに泊めてやりたいわけね?」

 

「ハイ。一従者が愚考を御静聴下さり、感謝の極みにございます」

 

 

この紅魔館の最高位者から説明の許可を得て、僕はこれまでに起きた事情を全て語り尽くした。

流石に妖怪の山で起きた事は文さんの名誉に関わるから控えたけど、それ以外の面倒な事情は

余すことなく説明し、最後に従者としての礼を失せぬように感謝の意を付け加えて締める。

僕の話を聞き終えるまでに、現在抱っこの状態で僕にくっついているフランお嬢様だけでなく、

何故か後ろにいる美鈴さんや姉さんまでもが、驚愕に近い感情によって表情を変えていた。

お嬢様や美鈴さんが表情を変えたのは、ここ数日で起きたことへの関心からだと思うけれど、

どうして姉さんまでもがそんな風な態度をとったのかは分からなかった。本当に分からない。

でも、ここに戻ってきてからの姉さんの様子が明らかにおかしいのは流石に感じ取れてはいた。

今まで僕に対して無関心どころか敵意まで見せていたのに、門を越えて玄関に足を踏み入れた時、

微かな声だったけれど「おかえりなさい」と呟いたのを、僕は確かに耳にしていた。

僕が魔人に肉体を支配され、そこから行方をくらましてしていた数日の間に、何が起きたのか。

そこまでは分かる訳がない。ただ、姉さんの中にあった僕への警戒心が嘘のように消えていて、

それなのに僕へ視線を送り続けることは止めない、そんな姉さんの姿に不信感を抱いてしまう。

世界でただ一人の姉を疑うなんて最低だとは分かっていても、ここまで豹変されてしまうと

どうしても落ち着かないし、身近な人の態度が急変したら、誰でも疑惑の目を向けるとはずだ。

今も目を見開いたまま身体をわなわなと震わせているのを肩越しに見つめ、疑念を強める。

 

背後の二人の反応に注意を向けていると、交渉相手のレミリア様が咳払いを挟んで語りだした。

 

 

「んっんん! それで、新聞記者に我が館の部屋を貸してやれないか、だったわね?」

 

「え、あ、ハイ。食事などの面倒は僕が一人で見ますので、お部屋の方をどうか」

 

「………お前がそこまで気にかけるのは面白そうだけど、やっぱりダメよ」

 

「なっ!」

 

 

わざわざ僕の注意を向けさせる行為に幼さを感じなくもなかったが、その後から続いた言葉に、

若干の期待を上乗せしていた分だけの絶望が鋭く突き刺さるのを感じた。

 

一体何がいけなかったのか、どこでどう間違えたのか、それ以前に文さんとの確執がそれほどに

深いものだったのか。浮かんでは消えていく疑問の渦に思考する力を削がれている僕に、

呆れたようなため息を一つ吐いたレミリア様が、一呼吸おいてから本当の答えを口にする。

 

 

「私はね、この館の全ての所有権が私にあるものと思っているの。違うかしら?」

 

「い、いえ。そのような事はございません」

 

「でしょう? この血の滴るような紅い館の全ては、この私が支配下においている。

その中で、館に暮らす住人たちには、それぞれの場所の所有権を貸し与えているつもりよ」

 

「……と、おっしゃいますと?」

 

「大図書館そのものと、そこにある本はパチュリーに所有権を与えているわ。それと同じで、

紅魔館玄関から門外に至るまでの空間を美鈴に、従者のお前たちにはそれぞれの自室を

与え、その所有権を委ねている。所有権がある以上、その場所は所有者の好きにできる」

 

 

唐突にこの紅魔館の権利の話をしだした主に、どういう事なのかと疑問を投げかける視線を

送ると、「結論を急ぎ過ぎるなんて、待ての出来ない仔犬ね」と嘆いてから話を続けられた。

 

 

「つまり、私がこの館で好きに出来ないのは、住人に割り振ったそれぞれの所有する場所のみ。

それ以外は全て私の直轄地だから、そこに私の望む色を持たぬ者は踏み入らせたくないのよ」

 

「………なるほど、そういう事でしたか」

「やっと理解したのね。そう、私が言っているのは、私の所有する場にそこの天狗を入れさせる

ことは許可できないということ。けれどこの館には、私の権力の及ばない場所がいくつかある。

もしもそこに天狗が入り込んだとしても、その場所の所有権が私に無い限り、口を出すことが

出来なくなるわね。ああ困ったわ、もしもとんでもない物好きが、私の手の及ばないところへ

天狗を招き入れてしまったら、私にはどうすることも出来ないじゃない。ああ、困ったわ」

 

「…………感謝いたします、レミリア様」

 

「さぁ、何のことかしら?」

 

 

やたらと長い説明口調で、遠回しに限定的ならば文さんの入居を許可すると伝えられた。

素直じゃない言い方に思わず笑みがこぼれ、主の深い慈悲と御心に感謝の念を表して口にすると、

自分は何も知らないとばかりにとぼけ始める。本当に素直じゃない方だ。自分はアレで完璧に

誤魔化しが効いていると思っていらっしゃるようだが、どう見てもバレバレな態度でしかない。

拒否も肯定もない微妙な許可を得られた僕は、もう充分だと自主的に抱擁を解いてしまわれた

フランお嬢様に礼を一つしてから、後ろにいた文さんを連れ立って自室まで足を運んだ。

 

 

「ここが、紅夜さんのお部屋ですか………」

 

「ええ。久しぶりに帰ってきましたが、相変わらず殺風景なところですねぇ」

 

「それにしては嬉しそうな声色ですが?」

 

「そりゃあ、自分の帰るべき所に帰れたんですから」

 

「…………そう、ですよね」

 

 

それまでは何の感銘を受けなかった部屋に、着いて早々懐かしさを全身で感じている中で、

妙にそわそわした感じで入室してきた文さんは、僕と交わした言葉に過剰に反応してしまった。

 

失態だ。彼女はついさっき、自分の故郷とも言うべき天狗の里から、追い出されたばかりなのに。

何を呑気に「帰るべき場所」だとのたまったのか、ほんの数秒前の僕を殴り飛ばしてやりたい。

しかし、ここで彼女に謝罪したとしても優しい彼女のことだ、きっと僕に罪悪感を感じさせない

ために強がるか、逆に向こうが謝ってきて堂々巡りになるだろう。それは流石に時間の無駄だ。

 

とにかく今は日も暮れて、そろそろお嬢様たちの夕食をお出しする時間になる。

これからフランお嬢様につかなければならず、その間は文さんを一人にしなければならないが、

僕の自室にいる限りは問題にならないと、先程レミリア様が御丁寧に解説してくださったので

安心して留守を任せられる。掛けられた時計を見やりつつ、クローゼットから着替えを取り出す。

 

 

「うん、やっぱり替えの執事服を何着か繕っておいて正解だった」

 

 

ズラリと並んでいるのは、無駄を一切省いた機能性重視の黒い燕尾服(お手製)たちだ。

ちなみに今僕が着ているのは、地底で記憶を失っていた際に僕を保護してくださっていた妖怪、

もう一人の主とも呼べるさとり様が用意してくれた、至って普通の浅木色に染まった和服。

この幻想郷では珍しくはないようなソレを、黒一色しかないクローゼットへと丁寧にしまい込み、

代わりに何着もある同一の服を厳選し、寝る時も変わらず着用する燕尾服を素早く着込む。

 

 

「あ、あの、その、紅夜さん?」

 

「ん? どうかしましたか?」

 

「どうかしたって、えっと…………き、着替え」

 

「着替え?」

 

「わ、私、まだ、いるんですが………」

 

「________あ」

 

 

ところがそこへ、部屋の入り口付近でまだもじもじしていた文さんから待ったがかけられた。

随分と顔を赤らめて、なおかつか細い声だったので気付くのに遅れたけど、これは非常にマズイ。

今は着ていた和服を脱ぎ去り、新たな燕尾服に袖を通そうとしている直前で止まっているが、

現状だと何も隠せてはいない状態、有体に言ってしまえば丸裸も同然の姿になってしまっている。

 

自分一人なら何の問題もないけど、今は違う。しかも、お相手は傷心中とはいえ想い人だ。

意識してやったことではないとはいえ、あまりに恥ずかしすぎる。中々に羞恥心を抉られた。

そのあと僕は彼女に詫びを入れて、時間を言い訳にして自室に彼女を一人残して立ち去った。

場面的に見ればどちらが悪いとも言えなかったけど、軽率だったと言われれば僕に非がある。

結局その後はお嬢様方につきながらの夕食を取り、いなくなった日数分甘えると宣言なされた

僕の主人に連れられて地下牢へと向かい、ようやく自室に帰れたのは、翌朝の4時過ぎだった。

 

 

「あれ、文さん? まだ起きていたんですか?」

 

「あっ………紅夜さん。ええ、あまりよく眠れなくて」

 

「そう、ですか」

 

 

寝ているだろうと思って静かに扉を開けたのに、室内に目を向けると彼女がこちらを見たまま、

元々室内に置かれていた椅子(当然ながら赤)に座り込んでいた。本人はあくまで寝付けなかった

と言ってはいるものの、他者の様子を観察するという点では記者の彼女にも僕は劣っていない。

表情を作る顔の筋肉にあからさまな疲労が見られるし、先程から声のトーンが沈み気味になって

いるのがハッキリと分かる。簡単に言えば、文さんは眠いのを我慢して起きていたということだ。

そしてそれが何故なのかなどと、わざわざ本人に問いかけるような無神経さを僕は有していない。

 

 

「僕のベッド、寝具なら使ってくださっても良かったんですが」

 

「えっ⁉ いやでも、それは流石に」

 

「遠慮なさらなくても。今の貴女は僕の客人、床で雑魚寝などさせるもてなしがありましょうか」

 

「わ、私はそれでも構わないんですけど…………その、本当にいいんですか?」

 

「どうぞお構いなく。僕はやろうと思えば立って寝ることもできますから」

 

 

客として招いている相手に、それも想い人に何のもてなしも無いままなんて、従者の名折れだ。

僕の言葉に若干安心したのか、眠気を隠しきれなくなり、僕の前で軽いあくびを漏らしている。

普段の彼女からは想像もつかないほど無防備な姿に、僕の中にあるはずのない庇護欲のような

感情が掻き立てられるのを感じ、すぐにでも彼女を休ませてあげようとさらに話を進める。

 

 

「ですから文さん、僕の寝具でよろしければ遠慮なくお使いください」

 

「………紅夜さんは、今日は、というか昨日から一睡もしてませんよね?」

 

「ええ、まぁ。ですがお気遣いなく、たかだか一日くらい寝なくてもいい身体ですから」

 

「………………あの、紅夜さん。い、一緒に、どうですか?」

 

「一緒に、とは? え、まさか、一緒に寝るってことですか?」

 

ところが、ベッドにおぼつかない足取りで向かう文さんが、恥ずかしそうに提案してきた。

彼女の提案が僕の返した通りの意味なら、それは流石にヤバい。主に僕の精神面的な意味で。

 

いかに僕が吸血鬼の執事で改造人間であるとしても、素体が人間である事に変わりはない。

つまり肉体を維持し続けるという点では、人間の内に湧く『三大欲求』も残されている。

世間一般的に言われているソレは、食欲、睡眠欲、そして残る一つは、性的欲求だ。

人間である以上、種の保存の法則に則って子孫を残そうとする本能が作用し、三大欲求の

一つとして人の生き方に加わってくる。問題は、その欲求は他の二つと違うということ。

 

食欲は、生物として必要不可欠な要素を外部から取り入れようとして、食物を欲する。

睡眠欲は、生物としての活動に支障をきたさないように機能を低下させ、休ませる。

ただし性的欲求は、生物として単一個体では解消できず、(つがい)となる相手が必要になる。

文さんにその気は無いのだろうけど、一応男である僕にその提案は呑み込めない。

 

「そ、それはいくらなんでも………」

 

「だ、ダメ、ですか?」

 

「_____________」

 

 

男である僕に、その提案は、呑み込め、ない……………。

 

 

「せっかくですから…………ね、紅夜さん」

 

 

呑み込めない…………その提案は、男の僕には………………。

 

 

「………私のこと、愛してくれて、いるんですよね……?」

 

「あ___________」

 

 

結論から言って、その時の僕はきっとそれまでの経緯から察するに、疲れてたんだろう。

彼女の言葉を最後に聞き届けてからの記憶はない。おそらく極度の疲労が原因だと思う。

 

「紅夜さん…………んっ」

 

 

意識が睡魔に蝕まれる中で垣間見たのは、想いを伝えた愛しい人の、笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、というよりも睡眠行動に移ってから四時間後、僕はパッと目を覚まして起きた。

やはり従者としての一日の流れが身についているようで、紅魔館内の仕事をする時間に

なると自動的に目覚めるシステムが体内で出来上がっている。心の底から従者なんだな、僕。

同じベッドの中には、この館に一時的に招いている文さんがいて、安らかな寝息を立てている。

眠る前の記憶が少々あやふやなのが気になるけど、見た感じでは互いに服は乱れていないし、

特に問題は無いだろうと楽観的に自己解決させる。というより、これ以上考えると色々マズイ。

寝起きでやや火照っている身体を冷ますため、部屋から出てどこかで気分転換しようと決めた

僕は、音を立てないよう細心の注意を払いつつ行動し、無音のまま部屋を出て廊下を歩いた。

時刻は午前八時過ぎ。妖精メイドたちが出勤して、館内の雑務をこなし始める時間帯だ。

そう思って周囲を見れば、ちらほらとメイド服を着た小さな妖精がせっせと動き回っているのが

見えて、余計に懐かしさを感じさせる。そんな中でふと、ここにいるはずのない人と出会った。

 

 

「美鈴さん? 今はもう門番の仕事を始めてる時間ですよね?」

 

「あ、紅夜君! いやー、ちょうど良かった」

 

 

館内の廊下を歩いて向かって来たのは、もう外の門で番をしているはずの美鈴さんだった。

何故この時間にこんなところをうろついているのかを問おうと声をかけたはずなのに、

当の彼女からはまるで僕を探していたかのような口振りの言葉が返ってきた。

唐突過ぎるその返事に戸惑い、ここにいる理由を尋ねた質問を上書きする。

 

 

「ちょうど良かった、とは?」

 

「いや、紅夜君がこうして戻ってきたんだし、久々に組み手でもどうかなーって」

 

「組み手、ですか」

 

「そーです! 今から久々に、一緒に汗を流しませんか?」

 

 

僕からの追加の質問への彼女の答えは、単なる稽古のお誘いだった。

稽古と言うよりは実戦形式の組み手だけれど、この際そこまで細かい違いは気にしない。

これから特にすることも無いし、時間もある。それに朝特有の肉体の火照りを鎮めるのに、

武芸は精神統一を兼ねるのでちょうどいいため、彼女からのお誘いに乗ることにした。

 

 

「いいですよ。ですが久々で身体がなまってると思いますから、お手柔らかに」

 

「任せてください! かつての紅夜君と同じ場所に到達するまで、帰しませんから!」

 

「………それはこれから、みっちりしごくと言ってるのと同じですよね?」

「アイヤー、バレちゃいましたか」

 

 

右拳をコツンと軽く頭に当てる仕草をする美鈴さんに、僕は思わず微笑みを向ける。

こういう優しいやり取りも久しぶりだ。いつも何かとギリギリな状態のままだったから、

日常的ともとれるような暖かい時間を何時ぶりかに体験して、微笑がこぼれ出た。

組み手の対戦をすることに決まり、僕は踵を返して外に戻る美鈴さんの後に続く。

いつ見ても彼女の背中は、女性という割にはいい意味で広く、大きく、頼もしかった。

 

「___________よし」

 

 

そんな考えに気を取られていたせいか、彼女の漏らした呟きを、ちゃんと聞き取れなかった。

 

 






いかがだったでしょうか?

本当はもう少し美鈴の話を引っ張って書くつもりだったんですが、
PCの機嫌を損ねそうだったので、申し訳ありませんが次回へ持ち越しです。

いやぁ、ようやく文にヒロインらしいことをさせられた(達成感)
どことなく「コレジャナイ」感があるものの、概ね良しとしましょう!


それでは次回、東方紅緑譚


第六十六話「紅き夜、想い想われる日(後編)」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎です!


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第六十六話「紅き夜、想い想われる日(後編)」


どうも皆様、「アクセルワールド」にドハマりした次の週にはもう
「ブレイブルー」にどっぷり浸かっていた萃夢想天です。

本当に移り気の激しい性格でして………お恥ずかしい限りです。
でもああいった感じの格ゲーをついぞプレイしていなかったので、
久々に購入してやってみようかと思ったり思わなかったり。

まぁ要するにレイチェル=アルカード様は素敵、ってことです(?)

訳の分からん自己報告はここまで。
今回は前回から続く前後編となっておりまして、その後編ですね。
後編ではとあるキャラたちが頑張ったりします。誰かはお楽しみに。


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

「この辺なら、けっこう派手にやっても大丈夫でしょう!」

 

時刻は8時を5分ほど回った頃、僕は本来門番をしているはずの美鈴さんに連れ出されて、

紅魔館が建てられている霧の湖の一角、邪魔が入らなそうな湖畔の片隅にやって来た。

ここは湖周辺でよく見かける妖精たちですら、霧の深さと濃さ故に近付かないような場所なので、

故意にこの場所へやって来る理由がある者以外なら、決して歩みを向けない場所でもある。

そんなところへわざわざ僕を案内した美鈴さんは、歩みを止めて向き直って口を開いた。

 

 

「さて、それじゃあ紅夜君? 久々の組み手ですからね、はりきっちゃいましょう!」

 

「ははは………お手柔らかにお願いしますよ?」

 

「もちろん! 二本足で歩いて帰られる程度には、優しくするつもりですから!」

 

「は、ははは………これはヤバい」

 

 

彼女の口調は付近の環境とはまるで真逆の晴れやかなものだったけど、笑みを浮かべたままで

両拳を打ち鳴らされても非常に困る。それに声色は元気そのものだったけど、話の内容はまるで

正反対に思えるほど被虐的な含みを持たせているように聞こえ、文字通りに冷や汗を垂らす。

しかし実際、彼女との組み手は非常にタメになる。彼女自身の動きは一つ一つが洗練されていて、

思わず見惚れているうちに一本を取られることもよくあった。それほど技を磨いているのだ。

 

いよいよ手を抜いてられる余裕なんて無いだろう。眠気覚ましにと安請け合いしたのがそもそも

間違いだったのかもしれない。などといくら言ったところで、もうどうにもならないのだけど。

 

 

「では」

 

「………お願いします」

 

 

待ちきれないとばかりに美鈴さんが拝礼し、やるしかないと腹を括った僕も同じように拝礼する。

互いに自分の爪先しか見えなくなるくらいまで頭を下げ、そこから時間をかけて元の姿勢に戻り、

顔を見合わせるとともに深い呼吸で酸素を取り入れ、何時でも動けるように構えをとった。

 

 

「行きます__________(ハイ)‼」

 

「ッ‼」

 

 

礼節を見せ合ってから十秒と経たず、なんと美鈴さんの方から果敢に攻めかかってきた。

いつもなら、というか今までの組み手では自分から攻めてくることは数える程度しかなかった

あの美鈴さんが、今日は苛烈の名を表すような動きで一気に攻撃態勢に入っている。

これまでの組み手にはない攻め方に驚く僕をよそに、彼女は彼我の距離を詰め切った。

 

 

「破ッ‼」

 

 

右脚をさながら、剣で突き刺すように地面へ突き立てて、体幹を万全にしてから両拳を繰り出す。

この攻撃は以前の組み手で喰らったことがある。コレは、敵の体勢を突き崩すための打突技だ。

脇腹の辺りから肘を曲げて溜めた力を後押しに突き出された拳は、喰らってしまうと最後には

自身の支柱となっている右脚を瞬間的に踏ん張る"震脚"によって、大きく吹く飛ばされる。

コレを回避するためにはまず、今まさに僕へ迫らんとする拳より、支えになっている彼女の右脚を

優先してどうにかしなければならない。重心移動も何もない拳なんか喰らっても大して痛くない。

それより恐ろしい二段目を避けるために、彼女の構えの型となる主軸、右脚を攻めざるを得ない。

 

 

「ふんッ‼」

 

「くっ!」

 

 

美鈴さんのこの攻撃は、下手に避けようとすると即座に右脚の方へ重心を移されて、逆に余計な

一撃を喰らうハメになるか、もしくはさらにリーチの長い左脚での一蹴が待ち構えている。

避けようとすれば追い込まれるとするなら、逆転の発想だ。こちらからも攻め込めばいい。

 

彼女が繰り出している二つの拳の中間、つまり彼女の正中線である身体の直線状へ身体を滑らせ、

右脚の踏み込みで最も威力を発揮する拳を通過して、とりあえず第一関門を突破する。

続いて二撃目に繰り出されるであろう、避けてきた内側にいる僕への両手刀を予測して左脚を

地面に突き刺すようにして踏ん張りを効かせて、彼女よりも先に"震脚"による攻撃を仕掛ける。

 

その結果は予想通り、自身の体幹を支える支柱の右脚に振動を加えたんだから、もろいもんだ。

アッサリと二つの拳を引っ込めた美鈴さんに、今度はこちらが攻める番だと鍔迫り合いを始める。

と言っても、真剣を用いてなどいないし、僕も持ち前のナイフは一本たりとも用意していない。

完全なる徒手空拳での試合だ。相手の独壇場だが、それでも負けてやろうなどとは思っていない。

 

 

「やぁ!」

 

「ふッッ‼」

 

 

両手の指をさながらナイフの刃に見立てて、超至近距離の今の間合いをどうにか保ったままで、

美鈴さんの懐で手を出し続ける。風切り音と同時に繰り出す手刀で、彼女の集中力を削ぐ。

 

しかしそれも長続きせず、瞬きほどの速さで両手刀を弾かれて胴部のガードがガラ空き状態に

なってしまった。このままでは、再度同じ拳かあるいは掌底を受ければ、負けは確定になる。

どうにかしてそれを回避しようと試みるも、既に相手はもう詰みの一手を決めていた。

 

 

「嘿ィッ‼」

 

「がァァ‼」

 

左脚をわずかに屈伸させた状態で僕の手刀をさばき、そのまま牽制を兼ねた突きで怯ませてから

腕の遠心力と腰のひねりで脚を主軸に半回転し、そのままの勢いで密着したまま跳ね飛ばされる。

大きく後ろへ弾き飛ばされてようやく分かったのは、彼女が背を向けて右肩を突き出した事。

いわゆる鉄山靠(てつざんこう)と呼ばれる八極拳の技の一つで、自身の背(主に肩部)による体当たりに近い

攻撃を繰り出すことによって、拮抗した接近戦や膠着状態に陥った近接戦闘を打破できる。

しかもこの技を流派として取り組む八極拳のほとんどは、一撃にて相手を沈めることを目的に

技が編まれているため、防御がされていようといまいと関係なく突き抜ける必殺の型と言っても

間違いではない。それを攻防の最中で冷静に、しかも的確に叩き込めるのは流石と言うべきか。

 

湿気を帯びた湖畔の地面に身を投げ出し、打ち込まれた衝撃の発散に時間をかける。

一発の重さを身に染みて思い知らされたところで、美鈴さんが朗らかな笑顔で近付いてきた。

 

 

「まずは一回、ですね。ほらほら、始まったばっかりなんですよ?」

 

「痛っ………まったく、手加減してほしいと言ったばかりなのに」

 

「手加減というのは、加減をする必要がある相手にしかしてはいけないものですよ」

 

「その相手が手加減を要求しているんですが」

 

「この程度で根を上げていては、あとあと辛いですよ?」

 

「……どうかお手柔らかに」

 

銃弾を射出し終えて排出された薬莢を連想させる、深く厳かな吐息の次に彼女の口から漏れた

言葉は、その後の僕にとっては一片の慈悲も感じさせない柔らかな拒絶だった。

 

 

_________門番&執事組手中

 

 

最初に僕が一本を取られてから優に30分くらい経過した頃、ようやく組み手が終わった。

互いに健闘を称える拝礼を行い、しばし自分の爪先を見つめてから再び視線を相手に戻し、

それと同時に肉体の限界を迎えた僕は、緩やかにかつ大胆に前のめりに地面と激突した。

 

 

「あたた………ここまでこてんぱんにされるとは」

 

「いやー、やっぱり日々の鍛錬がいかに大事か、よく分かりましたね」

 

「お言葉と傷が身に沁みますよ……」

 

 

視界がうっすら濡れている地面に覆い尽くされている僕の、頭の上から声が聞こえてくる。

近付いてきた美鈴さんが腰を折って話しかけてきているのだろうか。いやそれにしても、

今日の彼女の言葉にはやたらと棘があるように思えるんですけど………気のせいですかね。

 

掌底や打突を撃ち込まれて痛む全身を庇うように寝返りを打ち、霧深い湖の空を見上げる。

濃霧のせいで何も見えないが、代わりにこちらを上から見下ろす美鈴さんの顔が見られた。

そこでふと思い出したが、今日の美鈴さんは何故か今までにないほど好戦的というのか、

一方的に攻めにかかってきたというのか、受けて返す戦い方をほとんどしていなかった。

普段の戦法とは違う彼女に引っ掛かりを覚えた僕は、軋む身体を少し起こして尋ねてみる。

 

 

「そういえば、今日は何故あれほどまでに攻めを重視した型でいらしたんですか?」

 

「え?」

 

「いえ、いつもは僕の攻めを受け流して弾くやり方なのに、今日は自分から………」

 

「そんなところばっかり見て、しかなたいですね紅夜君は」

 

「すみません……ですが少々気になったもので」

 

 

苦笑いを浮かべながら膝に手をやって立ち上がり、話を聞くのに失礼のない体勢に戻る。

それに美鈴さんだって、首を下に向けながら話すのは億劫だろうし、疲れるだろう。

そう思って彼女と同じように立って話を聞こうと耳を傾けた。

 

 

「まあいいです。攻めに入った理由ですよね、別に大した理由じゃありませんよ」

 

「と言いますと?」

 

「…………前に紅夜君を復活させる儀式で、少々無様な敗北を喫したので」

 

「えっ?」

 

ところが、美鈴さんの話に出て来たのは、僕が死んで蘇ったという六日前のことだった。

今日の組み手の戦法と数日前の儀式が、どうして関係しているのか。ごく普通の疑問と

もう一つ、その時の記憶が無い僕が気になっていた事が急に話題に上がって驚いたものの、

それを聞かなきゃいけない使命感と聞かせてほしい願望が、僕の中に浮かび上がった。

けれど彼女は僕がそれらを口にする前に、心の内を読んだかのように語り始める。

 

 

「紅夜君を復活させる儀式が成功したと思った時、あの魔人とやらが現れたんですよ。

その身体を乗っ取って自分のものにするとか言い出したんで、つい頭に血が上ってしまって、

つい自分に合わない攻めをしてしまって………結果は案の定でした。それが悔しくて」

 

「そういうことでしたか」

 

「あの時の事をいつも思い出しては後悔してるんです。本当にごめんなさい」

 

「美鈴さんが謝ることなんてありませんよ。強いて言えば、乗っ取られた僕の責任です」

 

 

頭を下げてきた彼女に、僕は本心から気にしてないという風に軽い口調で答える。

自分の体に魔人を宿したことに関しては、僕以外の誰が悪いということもないわけだし、

もちろん彼女が謝罪をする必要も気に病む必要もない。その考えを分かってくれたのか、

向こうもそれ以上は無為に話を引きずることもないまま、互いに無言の間に佇む。

 

しばらく霧の支配するこの場所で黙りこくっていたが、もうそれなりの時間が経っている。

組み手を終えてからは仕込んでしまったし、そろそろ掃除や洗濯をしなければならないと

我に返ったように思い出して、組み手の途中で脱いでいた上着を取って館へと足を向けた。

 

 

「では美鈴さん、今日はこのくらいで」

 

「……………………」

 

 

少し失礼かとも思ったけど、背中越しに未だ佇んでいる彼女に軽く会釈して歩を進める。

さて、今日からはまた忙しくなるな。とりあえずやるべき事は、パチュリーさんのところへ

行ってお願いを聞いてもらうことだろう。期限はあと一週間と六日、あまり時間はない。

 

考え事をしながら歩いていたせいだろうか、僕の身体がフッと、何かに包まれた。

 

 

「紅夜君………」

 

「め、美鈴さん?」

 

 

ちょうど僕の後頭部の辺りから響く声がなければ、それが彼女の抱擁と気付かなかっただろう。

背後から伝わる人肌の温もりと、激しい運動直後からの収まりつつある鼓動が波のようにして

僕に雪崩れ込んでくる。後ろから回された健康的な両腕が、僕の肩より上から身体を包んで、

逃げられないように、逃がさないようにと力を込めて必死に動きを押さえ込んできた。

あまりに急な行動に驚く僕に、後ろから僕を抱きしめる美鈴さんが悲しげに言葉を漏らす。

 

 

「今の組み手でハッキリと分かりました。紅夜君、魔人はまだ、君の中にいるんですね」

 

「……………能力、ですか?」

 

「いえ、気を探ることも考えましたけど、それ以前に肉体の強度が段違いに上がってます。

前はあんなにボロボロで、身体に触れるたびに壊れそうな感触がしていたのに」

 

「そこまで、分かっていたんですか」

 

「それはもう。この紅魔館で紅夜君の身体に一番詳しいのは、私だって自信あります」

 

「別のところで自信を持つべきだと思うんですが……」

 

「茶化さないでください」

 

 

ギュッと、彼女が僕の身体を抱きすくめるのに込めていた力が増し、背後の圧もまた増した。

女性特有のふくらみが背中越しに柔らかな感触を伝えてくるけど、今はそんな気分じゃないし、

美鈴さんもきっとそういう意図があってしている訳じゃないだろう。耳に近い場所から聞こえる

悲哀と憐憫を混ぜ合わせたような声色が、本気の感情であることを一切の淀みなく教えてくる。

抱きとめる両腕に彼女の込めている想いの丈を感じさせ、僕は何も言えなくなった。

 

 

「もう誤魔化さないで、全部私に話してください。どんなことでも受け止めますから」

 

「………僕の中の魔人については、ご心配なく。僕一人の問題として片付けます」

 

「どうしてですか⁉」

 

 

美鈴さんからの提案を、僕はあえて受け入れずに突き放す。すると当然、彼女は理由を問う。

今の体勢だと互いの顔色はうかがえないけど、それでも真面目な顔を作ってしっかり応える。

 

 

「それがけじめだからですよ。僕が変われるかどうか、これから先の未来に向けての」

 

「…………………」

 

「だから、大丈夫です。また紅魔館に帰ってきて分かったから」

 

「……何が分かったんですか?」

 

「自分の想い、ですかね。ここが自分の帰る場所なんだって、心の底から思えました」

 

 

後ろにいる美鈴さんにそう答えながら、真面目な顔つきを誇らしげな笑みへと変えた。

もちろん彼女にはそれは見えていないだろう。でも、これは見せるための演技なんかじゃない。

他人を欺いて、奪って、殺してきた僕がようやく自然に出せるようになった、本当の感情だ。

自分を受け入れてくれる人たちがいて、自分を受け入れてくれる場所がある。

ならばそこはきっと、僕にとって返るべき場所なのだろうと、心の底からそう思える。

そしてそれはもう、未来永劫変わることはない。僕の帰るべき場所は、血より赤い館だけ。

 

ここからは霧が深くて見えない紅魔館がある方向へ、ただひたすらに視線を向け続ける。

すると僕を拘束する両腕の力が少しだけ弱まり、代わりに背中への圧力が増やされた。

どうしたものかとたじろぐ僕をよそに、背後にいる彼女は微かな声で語りかけてくる。

 

 

「………私は紅 美鈴。紅魔館の門番として、門の内側にいる人を守るのが、私の使命。

そしてその使命に、守るべき人の中にはもちろん、紅夜君も含まれているんです。

だから、たとえ何があっても、絶対にまたあの門の内側に帰ってきてくださいね」

 

彼女の中にある決意、覚悟ともとれるその言葉を聞いて、僕はただ静かに首を縦に下ろす。

無言の首肯。ただそれだけの行為だったけど、彼女は小さく微笑みを漏らして抱擁を解いた。

 

優しい温もりが離れていったことにわずかな寂寥感は残るが、これが僕の答えた結果だ。

名残惜しんでしまうとまた弱くなると思い、僕はそのまま何も言わず館へ戻ろうとするも、

今度は身体ではなく言葉で呼び止められたためにその場で振り返る。振り返ってしまった。

 

 

「んっ」

 

「___________⁉」

 

 

視界が完全に反転した先に映り込んだのは、先程まで話していた美鈴さんの整った下顎。

一瞬何が起こったのか理解が追い付かなかったが、彼女が僕から離れていくと同時に消えた

額の感触を刹那に感じ、何をしたのか、何をされたのかが何となくだが分かった。

僕から3歩ほど離れた場所で悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女が、朗らかに笑って言葉を紡ぐ。

 

 

「今はこのぐらいで精一杯ですけど、君がまたちゃんと帰ってくる時までには私の方も、

キチンと決着をつけておこうと思います。この気持ちに、この想いに、この心に」

 

「………美鈴さん」

 

「ですからその時が来るまで、(ソコ)は我慢しますよ!」

 

 

霧深い周囲の空模様とはまるで真逆の晴れやかな笑みと共に、彼女は走り去っていった。

未だ熱を残す自分の額に手を当てて、そこに触れていた柔らかな感触をなぞって確かめる。

それからしばらく経った後に、僕はようやく彼女の想いに応えようと決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します、パチュリーさん。御食事の用意が整っておりますが」

 

 

時刻は昼過ぎ、僕は用事のついでに食事の時間になっても出てこないパチュリーさんを案じて、

大図書館へと足を運んでいた。大きな木製の扉を押し開ける度、埃とカビの臭いが鼻に衝くが、

もはや慣れるどころか懐かしく思うようになったソレを鼻腔におさめて図書館内を進む。

 

うず高く積まれた本の山々を越えて進み続けると、目的の人物を視界内に収めた。

まるで職人が丹精込めて練り上げたような紫紺の色合いの髪を、わずらわしそうに掻き上げて

手にした魔導書を読み耽る彼女に近付き、なるべく邪魔にならないように声をかける。

 

 

「パチュリーさん、もう御食事の用意が整っておりますが、いかがなされますか?」

 

「…………あら、紅夜。もうそんな時間だったのね」

 

「時を忘れるほど熱中されておられたようですが、いったい何を?」

 

「………別に。それで紅夜、わざわざ昼食を食べる催促をしに来た訳じゃないでしょう?」

 

「見抜かれていましたか」

 

 

分厚い魔導書を貫きそうな視線で文字列を読み続けていたパチュリーさんが、本を閉じて

溜息を一つ交えてから、僕がここへ来た本当の理由を聞き出そうと尋ねてきた。

少々おどけたようにして言葉を返した僕だが、内心では見抜かれたことを驚いている。

ただここでのやり取りにさほど意味はないと感じて、すぐに態度を改めて語ることにした。

 

 

「実はパチュリーさんに、お願いがあって参りました」

 

「お願い? また魔法書の内容の指導?」

 

「いえ。パチュリーさんの魔法の御力でぜひ、ゴーレムを作っていただきたく思いまして」

 

「………魔法触媒人形(ゴーレム)を?」

 

「はい」

 

僕の話した内容に少なからず驚愕を示す眼前の魔女を見て、深く頭を下げて再び願いを乞う。

彼女に頼みたかった事とは、この事だった。彼女の魔法の力で最強の(ゴーレム)を生み出す事。

それを作ってもらう理由は単純。僕の中に巣食う魔人と、本当の決着をつけるために必要だから。

十六夜 紅夜という僕自身を取り戻してから今まで、ずっと考えていた彼との決着をつける方法。

自分の中にいるもう一つの人格と戦うなんて、常識面でも非常識面でも方法を思いつかなかった。

そこで考えたのが、彼が僕という空っぽだった器に入り込んだ事実を利用した、この方法だ。

 

魔法で生み出した空洞の器を用意して、そこへ彼を移らせてから改めて互いに決着をつける。

もちろんこの方法はここに来る道中に彼に話し、何の問題もないことと承諾を得られているから、

あとは目の前のこの魔法使いにゴーレムという器を生成してもらうだけ。たったそれだけだ。

しかしそれが一番難しいであろうことは、話を持ち出す前から分かり切っていたことだった。

 

 

「何故? どうして魔法触媒人形なんかが必要なの?」

 

 

当然ながら理由を尋ねられる。ソレが必要だと言われて、理由が無いわけがない。

けれど僕はその理由を、魔人と戦うために必要だと彼女に話すつもりはなかった。

 

パチュリーさんが僕に施した儀式によって、僕の身体に魔人の魂が宿ってしまったことは、

おそらく彼女の中に大きな"しこり"となって残っているに違いない。

それをわざわざ刺激することなど、直従でないにしてもあってはならない事だと確信している。

だから今回だけは、彼女の名誉や誇りのためにも、理由を明かさないつもりでいた。

「どうしても必要なのです。どうか」

 

「理由は?」

 

「言えません」

 

「答えなさいと言っても?」

 

「………ご容赦ください」

 

訝しげな視線が僕の身体を真っ直ぐに撃ち貫いてくるが、それでも僕は直立不動を保ち続ける。

それが反抗的だと映ったのか、彼女から送られる視線はより一層刺々しさを増していくけど、

何とか耐え忍んで口を閉ざしたまま頭を下げる。深く、深く、ひたすらに誠意を示す。

 

言えるものか。

言えるはずがない。

 

『貴女の儀式が失敗に終わったせいで被ったものの、後始末をしたいんです』

 

 

どれだけ言葉を取り繕ったところで、結局意味合いは同じになる。だから、言えない。

そんな言葉を臣下である僕が彼女に対して吐かねばならないなら、いっそこの身を投げ打って

負け犬に相応しい最期を迎えた方がまだマシだ。一従者として、心からそう思っている。

 

何としても言ってはならないという気概が通じたのか、彼女は溜息を吐いて答えた。

 

 

「分かった、いいわ。魔法触媒人形ならいくらでも作ってあげるわよ」

 

「……感謝いたします、パチュリー様」

「………様、ね。いきなり敬称を付けるなんて、何を企んでいるのかしら」

「画策など、僕の性には合いませんよ」

 

「どうかしらね。でも、魔法触媒人形を作ってあげる代わりに交換条件をつけるわ」

 

「交換条件?」

 

 

ところがパチュリーさんは、何やら見当違いな事を言い始めた。

僕のオウム返しに違和感を覚えたようで、眉根を下げて彼女が聞き返してくる。

 

 

「あら、何かおかしい?」

 

「え、その」

 

「言ってみなさい」

 

「では…………パチュリーさん、交換条件だなどというものは、そも成立しませんよ」

「何故?」

 

「貴女は僕の上位者であり、仕える主人の姉君のご友人であらせられる方です。

ならば一言御命じ頂けるのであれば、それを実行することこそ僕の忠義ですから」

 

「………条件として提示しなくても、言えば何でもするってこと?」

 

「ハイ」

 

 

僕からの言葉を聞き終えたパチュリーさんは、呆れたと言わんばかりに溜息を吐く。

視線を斜め下へと放り捨てた彼女の姿に苦笑を浮かべるものの、僕自身は何も間違ったことを

言っていないのだと誇らしげな態度は崩さない。上下関係はこれでも、弁えているつもりだ。

彼女は紅魔館が主の旧友である以上、仰ぎ奉る主人方と同じ位置にいらっしゃるということに

何の間違いも疑いもない。であれば、それに相応しい対応というものがある。

 

それを把握したうえでの言葉だったのだが、何故か彼女は納得していないようだった。

不思議に思って首を傾げたのだが、数瞬を置いた後に吹っ切れた彼女が声をかけてきた。

 

「分かった。だったら魔法触媒人形の錬成の代わりに、命令を聞きなさい」

 

「代わりなどなくとも、僕はいつだって従います」

 

「…………バカ」

 

「え?」

 

「何でもない。とにかく今からしばらく、そこを動かないこと。いい?」

何やら途中で小言を漏らしたようだったけど、とにかく命じられた以上従うほかない。

臣下としての礼節を尽くしたはずの行動に、何やら不満げな様子に見えるが、気のせいだろう。

そう自己完結させて思考を打ち切り、ただ言われるがままにその場に立ち尽くした。

 

「それで次は…………目よ。目をつぶりなさい」

 

「ハイ」

 

「あとは……うん、いいわ。準備完了ね」

 

「パチュリーさん、これはどういうことでしょうか?」

 

直立不動の姿勢で棒立ちしていると、今度は続けて目を閉じるようにとの命令が下される。

訳が分からないまま従うものの、彼女の意図がまるで読めない。何をさせる気だろう。

少し気になったので直接尋ねてみたのだが、無言の沈黙で返された。言えないような事なのか。

そして、やけに緊張したような声で次なる命令が与えられる。

 

 

「紅夜、次に私が『いい』と言うまで、決して目を開けないこと」

 

「か、かしこまりました」

 

視覚情報の不定期的遮断を命ぜられて、心の隅に生じた不安が少しだけ膨らんできたけれど、

今更命令に背くことなどできないので、受け入れるしかない。どこで道を間違えたのかな。

 

彼女が命令を与えてから続いている沈黙に耐える。

すると突然、僕の両頬を暖かく柔らかい、まるで手のひらを当てているような感触が襲った。

完全な暗闇の状態での唐突な感触に驚く僕だったが、頭部を頬にあたっている温かさが放さず、

逃れることができない。元々命令で動くなと言われているから、逃げられないのだが。

 

そうして徐々に混乱から立ち直っていく最中に、またも別の感触が僕に伝わってきた。

 

 

「______んんっ」

 

両頬のソレより柔らかく、両頬のソレより温かい、優しい何かが僕の唇に当たっている。

 

 

「んむッ⁉」

 

「んん………っ」

 

 

突然のことで身をのけぞらせようとした瞬間、両頬を掴むものからの圧力が一気に増して、

絶対に逃がさないとばかりにガッチリと押さえ込んできた。やはり、コレは手だったんだ。

けど問題はそこじゃない。今現在もなお続いている、僕の唇に押し付けられたこの感触。

コレはきっと、いや間違いなく、唇だろう。

 

では誰のだろうか。その答えは分かり切っているのに、思考が正答することを拒んでいる。

いくら考えても答えが浮かんでこない。やがて限界を迎えた僕は、目を開いてしまった。

 

 

「ん……はっ」

 

「パチュリー、さん………何を」

 

 

暗闇を切り裂いて光を得た瞳が真っ先に見たのは、今までにないほど近い彼女の顔。

しかも、冷静沈着な普段の彼女からは想像もつかないほど、煽情的な笑みを浮かべていた。

 

今、何があったのだろうか。今僕らは、何をしていたんだろうか。

思考回路が焼き切れそうになるほど考えを巡らせるも、全てがエラー表示を返すばかりで、

求めている答えが返ってくることはなかった。さながら、答えが自らを拒んでいるかのように。

さっきからやたらと耳障りな鼓動の音を務めて無視していると、彼女がやっと声を上げた。

 

 

「……『いい』って言うまで、目を開けるなと言っておいたのに」

 

「え、あ、だからその、ぱ、パチュリーさん?」

 

「なに?」

「今、何を?」

 

 

拗ねたように文句を言った彼女の言葉も耳に入れず、僕は先程の行為の真意を尋ねる。

無理やり思考が正答を導き出さないようにしているが、いくらなんでも察しくらいはつく。

何をされたのか半信半疑な僕は、確たる証拠を得るために本人に直接問いただした。

 

ところが、彼女の口から放たれたのは、望んでいた答えではなかった。

 

 

「そうね、強いて言えばこれは『契約』よ」

 

「け、『契約』ですか?」

「………魔法触媒人形で何をしようとしているのか、大体の見当くらいはついているわ。

だから、『契約』しなさい。『またここに必ず、帰ってくる』って、誓いを立てなさい。

魔女であるこの私との『契約』を破ればどうなるか、分かっているわね?」

 

 

問うた理由の代わりに返ってきたのは、半強制的に結ばされた契約の内容。

 

僕の意図を読んでいるかのような口ぶりにも驚かされたが、まさかあのパチュリーさんが

これほどまでに僕を思っていて、否、想っていてくださったとは、思いもよらなかった。

いきなりの行動に随分と精神的な衝撃を受けたものの、ここまでくれば腹も括れる。

大図書館の魔女から持ち掛けられた契約の言葉に、僕は両頬に添えられていた彼女の手を

優しく包み込み、戸惑いながら返事を待ち侘びる彼女へ向けて、了承の意を語る。

 

 

「この十六夜 紅夜、貴女に与えられた二度目の命に代えましても、必ずや」

 

「………契約完了、ね」

 

 

受諾する意思を受け取ったパチュリーさんは、澄み切った笑顔で僕の手を握り返した。

 








いかがだったでしょうか?

いやあ、少女たちの恋愛感情の表現は本当に難しいです(深刻
自分にはない経験を書かねばならんとは、身を裂かれる思いですよホント。

それにしても頑張りましたね、美鈴にパチュリーは。
本当ならサブヒロ枠にすらいなかった二人だったのになぁ………
何をどうしてこうなったのか、作者にすら分かりませんよ。


それでは次回、東方紅緑譚


第六十七話「瀟洒な従者、哀し愛される日」


ご意見ご感想、並びに批評など、大歓迎でございます!


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第六十七話「瀟洒な従者、哀し愛される日」




どうも皆様、土曜の朝に書き始めた萃夢想天です。
金曜の夜は早めに帰ってきてたんですけど………筆が進まなくて(反省

結局土曜日の早朝から早起きして書き始めることになってしまって。
自分がもう何をしたいのかすら曖昧になっております。
なので、文章に支離滅裂な部分が(普段より)多くみられると思われますが、
どうか微笑みとともに見逃してやってください!


それと、この作品の平均評価が5.5となりました!
ひとえに読者の皆様のご厚意があってこその評価だと確信しております!
本当にありがとうございます! 涙がちょちょぎれる思いです!


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界の中に映り込むのは、いつもと何ら変わらない、館の主人が好む赤の一色のみ。

館内の壁も、窓の枠組みも、床に敷かれている敷物も、ここにあるもののほとんどが血よりも

濃くて美しい、磨かれたような赤に染め上げられている。これは、いつもと何ら変わらない。

 

しかし、私の視界に映るそれらが、今日に限っては普段以上に毒々しく感じる。

 

否、今日に限ってというのは、誤りだろう。正確に言えば、今日を含めたこの一週間に限る。

今より六日ほど前から、私はこの館を埋め尽くすこの赤色が、煩わしく思う様になっていた。

これは本来なら許されることではない。この赤は、私が忠義を尽くす御方からの御意向で

決められた配色なのだから、一下僕風情が気に入る気に入らないと言える問題ではない。

 

かつての私であれば、こんな不敬な考えなど抱く余地すらなかっただろうと確信している。

仰ぎ奉る御方の手足となり、駒となり、所有物となっていた事に誇りを抱いていた今までの

私だったら、主君の意に背くことを考えた時点で自害することを真っ先に考えていただろう。

それが今ではこの有り様だ。視界に飛び込む全ての色が、自身の心を苛む悪意にしか見えない。

 

分かりやすく言えば、今の私には、普段のような余裕がどこにもないのだ。

 

 

「…………………………」

 

 

無言のまま、血塗られたような赤い廊下を進んでいくと、ふと視界に赤以外の色が映り込んだ。

もしかしたら、"彼"かもしれない。そう思って目線を上げてみて、瞬間、すぐに元に戻した。

何のことはない、ただの妖精メイドの集まりだ。赤以外の色を見ただけで"彼"と間違えるなど、

いよいよ私は本格的に自分を見失っている証拠だろう。いや、それだけ"彼"を求めている証拠か。

 

すぐにまた歩き出し、こちらをやけに怯えた顔で見つめてくる妖精たちの真横を通り抜けて、

規則的な靴音を響かせながら、私は自分の部屋へと辿り着き、中へ入ってようやく息を吐いた。

 

 

「…………………………」

 

 

深く、重い、吐息。肺の中の空気とともに、心の中に溜まっている感情も流れ出ていくようで、

それでも止めようとはせずに息を吐き切る。そのまま視線を下に向けると、水滴がこぼれ出た。

 

熱くもあり冷たくもある感触が手の甲に伝わり、自分が涙を流したのだとここで初めて気付き、

慌てて発生源を手でこすって拭おうとしたけれど、それらは逆に勢いを増して流れ続ける。

 

 

「うっ…………うう、ぅああ…………」

 

 

自分が涙を流しているのだと、泣いているのだと自覚した途端、今度は嗚咽まで漏れ始めた。

喉の奥から微かに、けれど確かに漏れ出る弱々しい音が鼓膜に響き、陰鬱な気分を助長させる。

二つの瞳からはボロボロと熱い雫が滝のように流れ落ち、口腔からは掠れた感情が這い上がって

か細い悲鳴となって、誰もいない私だけがいる部屋に情けなくこだました。

 

分かっている。私がこうなってしまった原因は、分かっている。

 

夜を統べる吸血鬼の従者として名を馳せた、この私がここまで弱くなってしまった原因。

今から約一か月ほど前にこの地にやって来て、私の全てを狂わせてしまった"彼"こそが、

みじめに独りで涙を流すことになった原因であることは、こんな状態の私でも理解できた。

 

 

彼の名は、十六夜 紅夜。

 

我が主人、レミリア・スカーレットが妹君、フランドール・スカーレットの執事。

 

そして、かつて外の世界に捨ててきた、私のたった一人の(かぞく)

 

 

私によく似た白銀に煌めく短髪に、私とそっくりな色白の肌、私と瓜二つな紅い瞳と顔立ち。

同じ姓を名乗っていることから実の姉弟(きょうだい)だと思われがちだが、実際に彼と血が繋がっているのか

どうかは、私ですら知らない。おそらく、彼も私との血の繋がりの有無は知らないだろう。

 

いや、知らなくていい。いっそ、血なんか本当に繋がってなければいい。

 

そうすれば、そうだったら、きっとあの子は私のことを_____________

 

 

「うあぁ………ああっ、ああ………ううぅ」

 

 

そこまで考えた直後、私を客観的に見つめている別の私が、冷静に私を現実へ引き戻す。

醜く無様に泣き喚く自分を、仮面のような無感情の顔を見せる自分が、憮然と見下ろしている。

 

『何を今更。それで苦いているつもりなのかしら?』

 

「……うう………ぁあ、ああ……」

 

『見苦しい限りね。誰にも見られない演技ほど、滑稽なものはないわ』

 

 

両手で顔を覆う私を、優雅に歩いて近づいてくる私が、汚物を見るような目で私を見る。

 

 

「ちが………わたしは、わたしは………」

 

『勝手に欲して勝手に捨てて、勝手に想って………勝手に裏切られて』

 

「ちがう、ちがうちがうちがう」

 

 

必死に否定して首を振る私を、指先でナイフをつまらなそうにいじる私が、否定する。

 

 

『本当に醜くて浅ましい。そんな女が、誰かに好かれるとでも思ってるの?』

 

「ちがうちがうちがうちがうちがう、ちがう‼」

 

『分かってるんでしょう? こんなのは、姉弟愛でも家族愛でもない』

 

「………やめろ」

 

『愛と呼ぶことすらおこがましいほどの、汚らわしい最低の欲望』

 

「やめろ、ちがう、やめろ」

 

 

それ以上話を聞きたくないと狂乱する私に、愉悦の笑みを浮かべた私が、小さく囁く。

 

 

『そういうのを____________独占欲って言うのよ』

 

狂ったように笑い出した私の顔が、次の瞬間には無数の亀裂と光の反射で歪んでいた。

 

 

「ハァ……ハァ………やめて、お願いだからやめて………」

 

 

いつの間にか握りしめていたナイフが、私の顔を映していた鏡に突き立てられている。

自分でも知らず知らずのうちに、手にしたナイフで部屋の鏡を突き刺して割ったらしく、

細かになって散りばめられた破片が、私の右手にいくつもの赤い爪痕を残していった。

頭の中で、さっきからこうして何度も何度も、自分の声で自分を否定してくる現象が

起こっていて、私の精神をじわじわと蝕んでいる。少しずつ、でも確実に消えていく。

精神的におかしくなっているのだとは頭で理解できても、現実にこうして幻覚や幻聴を

引き起こしてしまっている時点で、もう自分が冷静であるかどうかも怪しくなっている。

 

こんな事になってしまった原因、十六夜(わたしの) 紅夜(おとうと)

 

その名を頭に思い浮かべるだけで、私の中に言いようのない快感と絶望が入り乱れる。

足の爪先から頭頂部に至るまで、全身くまなく形容できない感情の波が伝わっていき、

体が熱くなっているのか冷たくなっているのか、そんな事ですら把握できなくなるほど、

私の体の機能を麻痺させている。私の中心には、いつの間にか彼が入り込んでいるのだ。

 

「…………紅夜、こうや………なんで」

 

 

そんな彼の名を口にし、その直後にここにはいない彼に疑問を投げかける。

当然ながら問いに対する答えは返ってこない。それでも私は、口にせずにはいられない。

私がこうなってしまった原因は、昨日の夕刻。彼がこの紅魔館へと六日ぶりに戻ってきて

くれた後で口にした、一緒に連れてきた人物との事情と関係性について。

 

彼の話を聞いた直後から今に至るまで、私は精神に異常をきたし始めた。

 

「なんであんな、どうして………紅夜、こんなの………」

 

 

文章としてすら成り立たない言葉の羅列を吐き捨て、私は再び両手で泣き顔を覆い隠す。

そしてそのまま、しばらくして襲い来るだろう幻覚と幻聴に備えて、ナイフを握り締める。

 

私は、今日という日ほど、十六夜(あのこの) 咲夜(あね)であることを呪ったことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の話を聞いた時、私の中の時間は止まってしまった。

皮肉にも、『時間を操る』程度の能力を持つ、この私が。

 

その時はちょうど、美鈴から聞いて博麗神社へ妹様をお迎えに上がった帰りで、

また繰り返されるであろう一日の終わりを人知れず嘆いていた私だったのだが、

出先から帰ってみれば、見慣れた門の前に、待ち望んでいた人の後ろ姿があった。

真っ先に飛び出していった妹様によって、私と彼との望んでいた再会は果たせなかった

ものの、行方不明だった彼が戻ってきてくれたことだけでも、喜ばしかったのだ。

 

しかしその喜びは、数分後に脆くも崩れ去ることとなったのだが。

 

 

「__________嘘、でしょ……? 紅夜が、文なんかを?」

 

 

彼が六日ぶりにこの紅魔館へ帰ってきてくれたのは、館の住人誰もが手放しで喜んだ。

妹様は勿論のこと、レミリアお嬢様も妹様が帰ってきたことと合わせて珍しく上機嫌で

彼を迎い入れていたし、意外にもパチュリー様や美鈴までもが歓喜の色を見せていた。

当然、彼のことを思い出していた私もまた、無事に生きて戻ってくれたことに対して、

あの場で泣き出さなかった自分を褒めてやりたいくらいに、喜びの感情に震えていた。

 

けれど、ここで私はある事に気付いた。

 

魔人に肉体を乗っ取られていた彼が、昔のような笑みを浮かべて私たちのもとに帰って

きたことは喜ぶべきことなのだ。問題なのは、何故ここに鴉天狗の射命丸 文がいるのか。

彼女は度々紅魔館へ新聞のネタ集めにやって来ては、魔理沙よろしく紅茶をせびったり、

レミリア様から御話を聞き出そうとして撃退されたりと、あまりここの住人からは歓迎を

受けるような人柄ではなかったはずなのだ。それがどうして、あの子と一緒にいるのか。

 

そこに疑問を抱いた私だったが、それはすぐに絶望へと変わった。

 

「こちらにいる文さんに、どうかこの紅魔館への滞在をしばしお許し願えませんでしょうか」

 

その言葉を皮切りに、姿を消した六日間のうちの最後の一日の内容が、彼の口から紡がれる。

 

妖怪の山へ行き、謂れのない罪で投獄されていた文を、どうにかして助け出したこと。

脱出しようとした際、天魔という天狗の頭目に見つかったものの、交換条件を提示することで

見逃してもらい、ここまで逃げてきたこと。そこまでは良かった。問題は、この後だった。

どうしてそこまでして文を助けるのか、とレミリアお嬢様が仰られた時、彼はしばし俯いた後、

意を決したように顔を上げてハッキリとその言葉を口にした。

 

 

_____________彼女を、愛していると。

 

 

信じられなかった。信じたくなかった。

言葉の意味を理解することを、頭ではなく心が拒絶した。

何故、なんで。

そんな、どうして。

 

彼に投げかけるような疑問符がいくつも浮かんだけれど、私の口は動かなかいまま閉ざされる。

 

聞きたい事が山ほどあるし、言いたいことなど星の数では物足りない。

それこそ時間が止まっていなければ、言えないことがまさしく無限に湧き出ただろう。

それなのに、彼の想いを聞いた直後から、私の中にはまた、醜い感情しか残らなかった。

どうして、あんな奴が紅夜に?

なんで、私じゃなくあの女が?

吐き捨てたくなるほどの不浄な感情が、胸の内に広がっていくのを感じた私は、

その場にいればきっと彼に迷惑を掛けると考えて、すぐに部屋に帰って閉じこもったのだ。

 

「………………………」

 

 

そして翌日、つまりは今日。

過去類を見ないほどに最悪の気分で目覚め、どんよりした心持ちのままで日課の奉仕を始める

つもりだったのだが、何を思ったのか、私の足は彼の自室へと向かい、扉の前で歩を止めた。

 

この時の私はきっと、まだ夢を見ていたのだと思う。

甘く甘く、どこまでも自分に都合のいい、誰も傷つくことのない優しさにあふれた夢を。

赤に染まった扉の先ではきっと、もう目覚めて着替えを始めている彼がいるに決まっている。

そして彼の視線と私の視線が交錯し、どちらともなく「おはよう」の言葉を掛け合うのだ。

姉弟の仲も今まで冷え切っていたが、それは私の已むに已まれぬ事情故に、仕方がない。

でもそんな事はどうでもいい。だって、彼はここに帰って来て、またいつでも逢えるから。

 

逸る気持ちを抑えて、私は念のためにと能力で時間を止め、彼の部屋の扉を開けた。

 

__________開けて、しまった。

 

 

 

「え…………?」

 

 

 

抱いた夢想を信じ切っていた私の視界に映ったのは、この部屋の住人である彼ともう一人。

昨日彼がここへ宿泊させたいとお嬢様に懇願していた、あの鴉天狗の射命丸 文だった。

しかも、彼と文は互いに寝床を分担することをせず、同じ寝床で二人して寝息を立てている。

それを見た時から、私の頭の中で、幻聴が聞こえ始めたのだった。

言い方を変えれば、この瞬間から、私の中の『時間』が止まった。

 

安らかに瞼を閉じて止まっている二人を見た後、私は気が付けば自室で独り震えていた。

どうやって自分の部屋に戻ったのか、いつ能力を解除したのかなど、何も覚えてはおらず、

ただ両手で小刻みに上下する肩を掻き抱いて、寒くもないのに続く震えに恐怖していた。

 

そのまま昼を過ぎるまで私は、私を苛む幻覚と幻聴を相手に、精神を摩耗し続ける事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻覚のせいで鏡をナイフで叩き割ってから、私はまた二回ほど幻覚と幻聴に襲われた。

一回目は私を責める私が座っていた椅子を破壊し、二回目は振り回したナイフで腕を切ったが、

そのおかげでどうにか平常心を取り戻して、流れ出る血を止めて応急処置を施し終えた。

白い布がみるみるうちに赤色に染まるのをボンヤリと眺めつつ、私は壁掛け時計を見やる。

 

 

「…………もう、午後2時なのね」

 

 

自分ですら聞き取り切れないほどの掠れた声で、私は四時間も部屋に閉じこもったままで

時間を無碍に過ごしてきた事実を確認した。時を操る私が、時を忘れて荒れ狂うなんてね。

いかにも滑稽な話だと自分を嗤いながら、そろそろ本当にお嬢様方への奉仕を行わねばならない

時間になると自身に喝を入れて、滅茶苦茶になった部屋をおぼつかない足取りで後にする。

 

まずは洗濯をして、それから館内のお掃除。それが終わったら夕食のご用意に取り掛かろう。

いつもこなしている作業に取り掛かろうと、部屋から一歩足を踏み出した途端、声が聞こえた。

 

 

『ねーねー、知ってる? 美鈴さん、今日の朝にまた門番サボってたんだって!』

 

『え~、またぁ~?』

 

『あ、私その話知ってる! 霧の湖の向かい側から帰ってきたって話でしょ?』

 

 

自室からさほど離れていない場所から、普段はあまり聞いたことのない幼げな声が三人分も

響いてきた。この館の住人の声ではない、とすると、この声はおそらく妖精メイドの声だろう。

 

彼女らは種族が妖精だからか、職務にあまり誠実ではないし、主君への忠義も感じられない。

まあ雇用しているだけなのだから、私のような下僕としての意識が見られなくても当然と言えば

当然なのだろうが、だからといって職務を放棄して無駄話することを良しとするわけがない。

無駄骨だと分かっていても、コレは立場上仕方ないと納得して、彼女らを叱りに行こうと歩みを

進めた直後、先程よりも声量の上がった会話が、私の耳に届いた。

 

 

『チッチッチ~! 違うんだなー、これが』

 

『え、何か違うの?』

 

『聞かせて聞かせて!』

 

『うん。あのね、今度は美鈴さんだけじゃなくて、あの人も一緒だったらしいの!』

 

『あの人………? あ、もしかしてメイド長の弟さんの?』

 

『へー、意外。サボるような人じゃないと思ってた』

『でしょでしょ?』

 

 

声の響き具合からして、曲がり角より二十歩分先にいると目算を立てた私だったけれど、

彼女らの話題に何故か彼の名前が挙げられた瞬間、歩みを曲がり角の手前までに留めてしまう。

叱りに行かなければならないのに、私の足は歩行を拒否し、聴覚は話を聞こうと感覚を尖らせる。

思うように動かない身体に四苦八苦している最中も、妖精メイドたちの話は続いていく。

 

 

『そしたら、しばらくして美鈴さんだけ戻ってきたの』

 

『え? あの人は?』

 

『美鈴さんよりもずっと後で帰ってきたみたい』

 

『どうして?』

 

『分かんない。けど、それから美鈴さんずっと上機嫌なのよね』

 

『あ、それは聞いた。珍しく寝ないで起きてるってみんな言ってたもの』

『何があったんだろ………』

 

『気になるよね~』

 

 

私が曲がり角にいる事も知らずに、彼女らの話はさらに盛り上がりを見せる。

 

 

『そうだ、上機嫌って言ったら、図書館の人もすごいご機嫌だったって』

 

『あの魔女が? 魔法の実験でも成功したんじゃないの?』

 

『それが違うんだって。お昼になってもご飯食べに来ないから、あの人が魔女を呼びに行って、

それからずーっと機嫌がいいんだって。もしかして、図書館でご飯食べたからかな?』

 

『図書館でご飯食べちゃダメって、小悪魔さん言ってなかった?』

 

『あー、そっか。でもだったらどうして?』

 

『分かんないよそんなの。あの人がいたって事しか共通点ないし………』

 

『『『うーーん…………』』』

 

 

話の幅が広がりきったところで、彼女らは同時に唸りながら頭をひねり始めた。

しかし、決して頭がいいとは言えない妖精が、いくら考えたところで無駄骨だろう。

さらりと妖精の知能の低さを見下した私は、それでも彼女らの会話の中で聞き逃せない単語が

いくつか混じっていた事を目ざとく発見し、一つずつ丁寧に思考の海へと投げ入れていく。

 

(美鈴と一緒に霧の湖の反対側へ? しかも、二人別々に帰ってくるってどういうこと?)

 

 

まず最初は、彼女らの話題でも一番に挙げられた、彼と美鈴について。

話によると、一緒にどこかへ出掛けていったのに、帰りは別々だったとのこと。

私はすぐに、美鈴と彼が前によく組み手をしていた事を思い出し、今回の件もそれと同じか

似たような状況だったのだろうと推察し、違和感がないことを確かめて別の問題に手を出す。

 

(パチュリー様がご機嫌に? 気難しいあの方が………しかも、昼食も食べずに紅夜と?)

 

 

続いては、大図書館にいらっしゃるパチュリー様と紅夜が、一緒にいたという話について。

この件に関しては分からないことだらけだ。魔法や魔術の実験で御食事を抜かれる事はまま

あった過去はあるけれど、昼食をどうするか聞きに行った紅夜と、何があったのだろうか。

食事を抜かれる事の多い彼女だが、要らない時は必ず、小悪魔を介して必要ないとの言伝が

まわってくるはず。なのに今回はそれがなかったらしく、彼が自ら尋ねに行ったようだ。

 

しかし、それとパチュリー様がご機嫌になることに、何の関係があるのか。

 

この疑問が浮かんだ直後、私は妙な引っ掛かりを覚えた。否、何かに勘付いたと言うべきか。

思い起こせばパチュリー様は、よく彼を大図書館に招いていた。彼を招いた時はほとんど

食事を取らないと仰っていたし、何より彼が来ない日にはやたらと虫の居所が悪く見えた。

その反面、給仕室に小悪魔がよく顔を出す日には、決まって彼の姿が館内から消えていて、

小悪魔がせっせと作って運ぶ紅茶は、どうしてか二人分の茶器がその手に収まっていたのだ。

魔女の使い魔である小悪魔は、恐れ多いと言って普段彼女とお茶の時間を拒むと言うのに。

 

この違和感に気付いた直後、私は再び聞こえてきた声によって確証を得る。

 

 

『ねぇ、もしかしてだけどさ。美鈴さんとあの魔女、あの人が好きなんじゃない?』

 

『そ、それってどういう意味?』

『言葉通りだよ! あの二人は、あの人が好きだから一緒にいようとしてるんだよ!』

 

『好きだと一緒にいたいの?』

 

『多分ね』

 

『へー。でも確かに、あの人ってカッコいいよね~』

 

『それは分かる!』

 

『私も分かるよ! 最近はどこかに行ってたらしいけど、前に一回だけ声かけられたし』

『え、うそ!』

 

『ずるいずる~い!』

 

『えへへへ~、いいでしょ~?』

 

『『いいなぁ~』』

 

 

何やらキャアキャアと喚いている妖精をよそに、私は導き出された答えに愕然とした。

 

パチュリー様が昼食を抜かれ、それが気になった彼は悩んだ末、本人に確認を取りに行き、

そこで彼女と何かが起こった(あるいは起こした)結果、彼女が上機嫌になるような事態が

発生したのだと考えれば説明がつく。問題は、その上機嫌にするような何かだ。

 

ここからは私の勝手な推測で、根も葉もないどころか一割の確たる証拠もない。

でも私は、この答えに行き着いてしまってからずっと、心の内に広がる嫌な予感を拭えない。

 

 

(もし、もしも_____________パチュリー様と彼が、逢引きをしていたら?)

 

 

そう、仮にも可能性の話だが、あの方と彼が惹かれ合う恋仲になってしまわれていたら。

大図書館で魔導を探求するパチュリー様に限って、そんな行いをするとは普通は思えない。

それは平常心が残っていたら、私だってそう考えていた。けれど今の私は、いわゆる普通と

いわれる状態ほどには冷静ではないと考えている。傷で痛む両腕を抑えつつ、思考を巡らせた。

 

パチュリー様と彼は、彼が一度死ぬまでかなりの頻度で逢っていた。それは知っている。

何も思い出せずにいたあの頃の私ですら、彼がよく大図書館へ足を運んでいる姿を目にして

いたし、何より日に日に彼への態度が軟化していくパチュリー様を怪訝に思ったこともあった。

自分自身に苛まれるという幻覚と幻聴の影響で、完全に疑心暗鬼に陥ってしまっていた私は、

気付けば廊下の真ん中で彼について語らっている妖精たちへと、その歩みを向け始める。

あれほど動かなかった身体はすんなりと動き、音を立てない歩行法で彼女らのすぐそばまで

迫った私は、隠し持っていたナイフを右手に握って、おもむろに真横へ一直線に振るった。

 

 

びしゅっ

どさっ

 

 

柔らかいものを引き裂いた時に聞く音に続いて、それなりに重いものが落ちた音が響く。

意外に聞き心地の良いその音は、最初の1回から立て続けに、3回続いて鼓膜に届いた。

そのたびに若干、人の声のような音も混じった気がしたが、もう何も聞こえてはこなかった。

 

ふと我に返った私は、自分の足元に広がる光景を見て、戸惑いを覚える。

 

 

(この床に敷いた敷物、こんなに澄んだ赤色だったかしら…………?)

 

 

視線を足元へと下げてみればそこには、澄んだ赤が今もなお範囲を拡大している最中で、

それが私の履いている靴にぶつかった瞬間、まるで避けるようにゆるりとたわんだ。

液体のようなシミの広がり方を見つめ続け、しばらくしてようやく本当の液体だと気付く。

元の赤を塗りつぶしていくこの赤は、私の握るナイフに付いた赤は、頬から滴り落ちる赤は、

 

全部、血だ。

 

 

シミの正体が先程の妖精の血であると見抜いた私は、これ以上履物や服を汚さないようにと、

拡大し続けている液体から遠ざかり、音もなく転がる妖精だったものを見つめて思い悩む。

 

 

(あーあ、どうしましょう。新しく三匹分、妖精の雇用をしなきゃいけないかしら?)

 

 

失ったものは仕方がない。終わったものは、壊れたものは、消えたものは、もう戻らない。

けれど失くした物は補充することができる。それは幻想郷において、妖精も同じだろう。

しかし実際に雇用するかどうかを考えると、さほど役に立たない妖精メイドを新たに三匹も

雇用するくらいなら、空いた分だけ他の妖精を働かせればいいだろうという思考に駆られる。

わざわざ時間を掛けて三匹に教育するより、作業を把握している他の妖精を回した方が

はるかに効率的だ。やはり雇用するのは止めにしよう。結論付けた私は、その場を歩き去る。

 

 

(____________ん?)

 

 

歩き去ろうとした足を止めて、私は再び思考の海へと飛び込んで答えを導き出す。

けど今度は、妖精の雇用や敷物の交換をどうするかなど、即物的な解答ではない。

私が求めた問いへの答えを導き出すのは、私が未だに握り締めている、右手のナイフだった。

 

 

(ああ、そっか。そうすれば良かったのね)

 

 

赤い液体を滴らせているソレを顔の前にかざし、舞い降りてきた答えの単純さに微笑む。

鋭い銀色で光を反射するナイフには、赤で遮られているものの、返り血を受けて頬に斑模様を

作っている私が映り込んでいた。普段の紅色よりもさらに深く淀んだ、黒に近い二つの瞳で。

唯一無二の回答を導き出した私は、くるりと身を翻して目的地を変更し、歩みを再始動する。

本当に滑稽だ。自然と笑みがこぼれ出てくるほどに、私は自分の鈍感さを滑稽に思う。

そう、簡単な話だったのだ。

彼があの女にあんな言葉を向けるようになったのは、あの女が彼を誑かしたから。

あの女がこの神聖不可侵の紅い館に踏み入っているのは、彼があの女に騙されているから。

妹様は当然彼のことを想っているし、おそらくだがパチュリー様も多少御考えになっている。

小悪魔に関しては言うまでもない。もしかしたら美鈴も、三人と同じで彼を想っているかも。

許す気はない。どいつもこいつも、寄って(たか)って彼にすり寄る意地汚い連中には変わりないが、

先に挙げた四人の内、妹様とパチュリー様はお嬢様との御関係がある以上、何も言えない。

けどあの女は別だ。絶対に許さない。私の弟を騙して、その心を奪い取ろうとするだなんて。

 

そんな奴はもう、殺すしかないだろう。

 

 

(紅夜、待っててね。今度こそ、今度こそ姉さんが貴方を守るから………)

 

 

心の内で呟く言葉によって、私の体に堪えきれないほどの快感が押し寄せるのを感じた。

誰かを想う事がこれほどまでに良いことだったなんて。いや、彼を想うからこそに違いない。

彼を守るために、彼に近付く奴を殺す。そうしてずっと、彼の姉である私がそばに居られる。

完璧だ。否、完全を体現する私からすれば、これもまた完全な策であると言わざるを得ない。

両腕に刻まれた数十分前の傷も、今では痛みが生じるたびに彼のために動いているのだという

誇りに変わっている。私はお嬢様の犬だけれど、彼を守ることもまた姉としての義務なのだ。

 

だから必ず奴を殺す。

一切の容赦なく殺す。

完膚なきまでに殺す。

この解決法の難点は、二つある。殺した死骸をどうするかと、彼の私室を汚してしまうことだ。

前者はまだ何とかなるけれど、問題は後者。彼のための行為なのに、その彼の部屋を汚す事を

肯定してしまうとどうもやりきれない。何とかして別の場所で殺したいが、それも無理だろう。

困った事にレミリアお嬢様が、彼の懇願を聞き入れてしまった結果、あの女が彼の自室へと

忍び込む口実を作ってしまわれたのだ。主君の言葉に異を唱える事は私にはできず、おそらく

彼もまた、主君の姉君であるお嬢様の言葉に背く真似はしない。こうなるとやはり不可能だ。

 

「仕方ない、時間を止めて壁も家具も全部綺麗に掃除しましょう」

 

 

彼の部屋でしか殺害できないのなら、そこで生じた汚れを拭き取るのは私の役目に他ならない。

そうすれば死骸の処理も一緒にやれるだろうし、これなら一石二鳥でちょうどいいだろう。

いや、ともすれば一石三鳥になるかもしれない。彼の自室に入ることなんて一度もなかったし、

これはいい機会だ。姉と弟の親睦を深めるために、いっそ今日から同じ部屋で暮らせばいい。

 

「はぁぁ…………愉しみだわ……♡」

 

 

歩みを進めるのと同時進行で、頭の中での計画も着実に進行していっている。

失敗などするはずもない。彼のために動く以上、失敗なんてできるわけがない。

確実にあの女を殺して、確実に死骸を処理して、確実に彼の身の安全を確保する。

 

今の私は、彼しか見えていない。

私の足が一歩を踏み出すごとに、頭の中にある計画の完成もまた、一歩ずつ近づいている。

全ては彼のため。彼を守るためだけに私は、この手とこのナイフを、紅色に染め上げるのだ。

「紅夜、待っててね。姉さん、頑張るから」

 

 

右手に万力のような力を込めて、赤い滴を垂らす銀製のナイフの柄を握り締めつつ呟く。

漏れ出す愉悦、昂る快感、荒ぶる情動。

それら全てが、今の私を突き動かすものであり、今の私を支えるものだった。

 

 

「もう大丈夫よ。これからは姉さんが、ずっと一緒だから」

 

 

熱に浮かされたように、誰もいない虚空に笑みと言葉を向ける私は、彼しか見えていない。

 

 

「文を殺せば、しばらく大丈夫ね。さあ、急がないと」

 

 

だから、私は気付かなかった。

 

 

「紅夜に近付く奴は、全部姉さんが殺すわ」

 

 

そう、この時の私は気付けなかった。

 

 

「________何言ってるの、姉さん……⁉」

 

 

背後で私の独り言を聞いていた、大好きな彼がいたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「_________こう、や?」

 

 

ゆっくりとこちらに振り返り、色白を超えて蒼白となった顔を向ける姉さんを見て、

僕は今しがた耳に入れてしまった彼女の独り言が、聞かれてはまずいことだったと悟る。

けれど無視は出来ない。姉さんの言葉の中に、「殺す」という聞き逃せない単語がいくつも

並んでいた上に、そこに彼女の、文さんの名前まで出てきたとなれば、言及せざるを得ない。

 

僕の存在に今気づいたと言わんばかりの反応を見せる姉さんに、驚愕の表情のまま詰め寄る。

 

 

「今のはどういう事? 僕には、文さんを殺すって聞こえたんだけど?」

 

「え、あ、それは」

 

「それは、何?」

 

「それは………あの女が紅夜を騙してるから、私が殺さなきゃって」

 

「どういう事だよ⁉ 文さんが僕を騙すって、何を証拠にそんな事を‼」

 

どうにも様子がおかしい。姉さんと数回言葉を交えただけで、僕はそう確信した。

普段の姉さんであれば、毅然とした態度で立ち振る舞うし、少なくとも安易に何かを決めつける

ような愚考はしないはずだ。なのに目の前にいる姉さんは、どうも挙動が不審すぎる。

一瞬偽物かとも考えたけど、変身能力を持つ者がいたとしても、文さんが僕を騙すだなんて

訳の分からない嘘を吐く必要性は感じられない。やはり本物だが、それでもどこかおかしい。

 

口調が荒くなってしまった僕の問いに、彼女は恐る恐るといった感じでやんわり答える。

 

 

「証拠なんてないけど、でも………あの女がいるから、紅夜は、紅夜は」

 

「僕が、何なの?」

 

「あ、あのね、紅夜。私は、紅夜のために、あの女を殺して」

 

「だからそこが分からないんだよ! どうして僕のために文さんを殺すなんて言うのさ‼」

「それは、え、あ、ああ………なんで、どうして?」

 

支離滅裂すぎて、姉さんの意図が読めない。でも、これが僕から見ても演技には見えない。

完全に本心で言っているようにしか思えない。だとしても、あの姉さんがこんな状態になる

理由も分からない。何故かしきりに「僕のため」だとか、「文さんを殺す」ことに対して

こだわりを持っているようだけど、どう考えてもその二つが繋がる要素が見つからない。

しかし現にこうして姉さんは異常な行動を取っているわけだし、何かあったのは間違いない。

しかもよく見れば、彼女の頬は返り血でも浴びたような赤い斑点模様がこびりついていて、

おまけに右手に持っているナイフにも同様の色合いの液体が、滴るほどに付着している。

さっき妖精メイドの一人が通りすがりに泣きついてきて、現場に行ってみれば血の海と化して

いたことに驚いたけど、もしかしなくてもその犯人は彼女だろう。状況がそれを物語っている。

問題は、何が彼女をそんな凶行に走らせたのかだ。それを解決しないことには始まらない。

 

とにかくここは冷静になるべきだと考え、今の姉さんにも伝わるようになだめつつ語る。

 

 

「分かったよ、言えない理由があるんだね。でも、殺すのは止めてくれないかな?」

 

「どうして? あの女がいると、紅夜が守れない………」

 

「自分の身くらいは、自分で守れるよ」

 

「だ、ダメ! 紅夜は私が、守らなきゃ、いけないのに」

 

「姉さん?」

 

「紅夜は、私が守るの! 他の奴は要らない‼ 私だけ、私だけが必要なのよ‼」

 

「…………姉、さん」

 

 

まさかこんな日が来るとは、思ってもみなかった。あの姉さんが、こんな風になるなんて。

しかしこれはチャンスだ。今の姉さんの言葉から、どうにも僕を守ることに関して過剰な

反応を示しているのは明らか。ならばここは、申し訳ないけどそれを利用させてもらおう。

 

原因を突き止めなきゃいけない。姉さんがこんな状態に陥ってしまった、その原因を。

姉さんには言いたくないと心が重くなるけど、ここは彼女のためにも言うしかない。

 

 

「________要らないよ」

 

「えっ…………?」

 

「聞こえなかった? 要らないって言ったんだよ。自分一人の面倒は見れるつもりさ」

 

「いや、そんなのダメ、ダメ! 紅夜、私が守ってあげるから、ね?」

 

「それが要らないって言ったんだよ。何もできない子供じゃないんだから」

 

「なんで…………どうして⁉」

 

「今の姉さんはおかしいよ。レミリア様には僕から言っておくから、しばらく永遠亭で

身体を診てもらった方がいいと思う。大丈夫、御見舞くらいは行ってあげるよ」

 

「あ…………ああ………」

 

 

先程とは打って変わって、突き放すような言葉とともに、身を翻して来た道を戻る。

何やら呟きのような、言葉にならないような声が聞こえてくるけど、努めて無視した。

僕に対して異常なまでの執着があるように思えたから、逆にこちらから彼女と距離を開けると

いう趣旨の言葉を投げかければ、必ず何かアクションを起こすと踏んだからこその策だ。

 

ゆっくりと、普段より少し遅めの歩調で廊下を進んでいく。

しかしこの僕の行動は、歩き出してから五秒も経たぬ内に強制的に停止させられた。

 

端的に言えば、背後から姉さんに抱き着かれたのだ。

 

 

「ねえ、さん?」

 

 

何かしらの行動を起こすとは予想していたけど、こんなことをするとは予測できなかった。

自分で仕掛けておいて自分で驚かされるという、何とも滑稽な事をしでかした僕だけど、

それ以上に驚かされる羽目になるのは、ここからだった。

 

 

「紅夜………私を、わたしを捨てないで‼ お願い、おねがいします‼

貴方に捨てられたら、私は、わたしはもう…………なにも………………」

 

 

それまで、【完全で瀟洒な従者】の名に相応しい姿しか見たことがなかった僕はこの時、

外の世界での事を思い返しても一度も見たことがなかった、姉さんの泣き顔を見てしまった。

目からは滝のように涙が零れ落ち、表情筋もまさに泣き顔といった感じに隆起していて、

いつもの状態が美しすぎる分だけ、今がより酷いという意味で際立っているように感じる。

 

無論、そんな事は口に出せない僕は、困惑気味にだが背中越しに彼女の頭に手を置いた。

ハッとして僕の背を見上げる姉さんに、僕は右手を置いたままの姿勢で、優しく語り掛ける。

 

 

「酷いこと言ってゴメンね、姉さん。大丈夫、僕は姉さんを捨てたりしないよ」

「ほんとう……? わたしを、すてたり、しない………?」

 

「絶対にしない。僕が姉さんを捨てるわけないじゃない」

 

「でも、いま、いらないって……」

 

「嘘だよ姉さん、全部嘘さ。だから、ね? 何をどうしたのか、全部話してくれる?」

 

肩越しに後ろを見つめながら、柔和な笑みを浮かべて問いかける。

するとようやく安心したのか、姉さんが抱擁(拘束)を解いて無言で首肯を繰り返した。

それでもまだ何かあるのか、僕の燕尾服の裾をナイフを捨てて空いた右手でギュっと握り、

僕の歩行に合わせてトボトボといった感じで着いてくる。いよいよ本当に重体だな。

血と涙が入り混じった顔であまり出歩かせるのも悪いと思い、近くにあった給仕室で

とりあえず顔や手などを洗ってもらい、ひとまず落ち着かせるために彼女の部屋へ向かった。

 

ここから先は、あまりにも時間がかかりすぎたために、僕自身もよく覚えてはいない。

けど、確かな事が一つある。それは、彼女が僕を思い出し、大事に想ってくれていた事だ。

一晩を掛けてしまったけれど、姉さんとまた昔みたいに、いや、昔以上に話す事ができた

だけでも幸せを感じた。そのせいか、僕は姉さんが泣き疲れて眠るのを確認するのと同時に

睡魔に誘われてしまったらしく、気が付けば朝になってしまっていた。

 

これで僕に残された猶予は、一週間と五日間。悠長にしてはいられない。

 

けど、もう一つやることが増えた。

 

姉さんをここまで精神的に追い込んだのが、もし仮に外部の存在だったならば。

 

その時は、そいつを見つけ出して必ず殺してやる。

 

 

姉さんにはもう二度と、あんな涙は流させない。

 

 

新たな違いを胸に刻み、僕は帰って来て二日目の朝を迎えた。

 

 

 

 












いかがだったでしょうか?

いやぁ、ホント、マジで、ドン引きするほどの内容になりましたわ。
文字数もそうですが、よくもまぁこんなことになったと………(呆然
しかし今回のことで明らかになったのは、作者である私が重度の
ヤンデレ好きということですね。ああ、心が病むんじゃ^~

それと今回の最後ですが、省いてしまってすみませんでした!
できればこの省略部分は、番外編の方でいつか乗せようかなと考えている
次第でございまして。どうか気長にお待ちいただければなと、ハイ。

あ、あと余談ですが、今回のタイトル「哀し愛される日」は
「あいしあいされるひ」という読み方となっております。哀しいねバナ(略


それでは次回、東方紅緑譚


第六十八話「紅き夜、魔人と語らう」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!


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第六十八話「紅き夜、魔人と語らう」





どうも皆様、迫る年の瀬に一年の短さを痛感する萃夢想天です。

それにしてもホント、何故だか今年は例年以上に過ぎるのが早いような
感じがしますね。コレが年を取るってことなのかな(遠い目

それはさておき、今回は前回のマルチサイコに堕落依存してしまった
咲夜さんを(裏で)救済した紅夜の、翌日から物語が始まります。
なんだかんだ言って、魔人を主にして描くのはこれが初かもしれません。
一人称にして、って意味ですけどね。大変そうだなぁ。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

この僕、十六夜 紅夜の朝は早い。

早いと言っても、あくまで人間という種にしてはというだけで、早過ぎるわけではない。

僕らが仕えているのは吸血鬼。夕刻に目覚めて朝に眠る種族だから、自然と生活サイクルが逆の

ベクトルへと向かっていくのも当然だろう。せめてもの救いは、僕らが仕えている吸血鬼が、

夜更かしならぬ昼更かしをすることを好まず、昼前には眠ってしまわれる事だ。

流石に眠る直前まで御傍に控えることはしない。主人が寝ることを決定した時点で、僕たち

従者の仕事は終わりを迎え、翌日の従事に差し支えないように早く眠ることを心掛ける。

紅魔館に帰って約三日目の朝をたった今迎えた僕は、かつての自分との些細な違いに驚く。

 

 

「………もう朝の10時か。随分と長く寝てたようだ」

 

 

いつもならば、午後5時に目覚めて翌朝の午前9時前には眠られる主人たちに合わせて、従者の

僕たちもそれに近しい時刻に就寝する。ただ、僕が仕えているフランお嬢様は、遊び相手である

霧雨 魔理沙や博麗 霊夢らが来ることを待つために、人間と同じ昼型の生活に近づいてきた。

そのため、彼女の従者である僕もまた、生活のサイクルを不規則に変動させられていたのだが、

今日はどうにも目覚めるのがいつもよりも遅い。まぁ、原因は分かってるんだけどさ。

 

 

「…………ん、ぅん」

 

「…………………」

 

 

僕がベッドから上体を起こしたままの姿勢で、静かに、そっと同じ寝具の中に居る人物を見る。

さながら精巧に作られた人形のように、美しい顔で寝息を立てているのは、咲夜姉さんだ。

彼女は普段の仮面のような無表情では無く、安心しきって緩んだ薄い笑みを湛えているのだが、

普段ならばこんな表情を他人に見せるようなことは決してない。彼女は普段、時を止めたままで

眠りについているのだから、誰かに寝顔を見られることなど、どう転んだって有り得ない。

では何故、そんな人の寝たままの笑顔を見ているのかと言えば、答えは簡単。

 

一緒に寝たのだ。同じベッドで、肩を寄せ合った状態で。

 

誤解を招くような言い方だが、相手は姉だし、そもそもそんなことになった記憶はどこにも無い。

ただ同じベッドの中に入り、一人用の狭さを補うために寄り合い、そのまま眠りについただけだ。

しかし、そうなる前の姉さんの容態を思い出して、ふと彼女の寝顔を見やる視線に力がこもる。

 

昨日の様子は誰にも言えない。もし命令が下ったとしても、レミリア様にもフランお嬢様にも

この事だけは言えないし、言いたくない。あれほどまでに傷ついた姿を、言いふらしたくない。

 

「………すぅ………」

 

「姉さん…………」

 

 

安らかな寝息を立てる姉の笑顔を見てしまった僕は、微かな声を喉からこぼしてしまったものの、

幸いにも彼女の眠りを妨げることにはならなかったので、とりあえず一安心と軽く息を吐いた。

 

姉さんの左手は、僕の服の裾を掴んで離さない。眠っているはずなのに、その力はすさまじい。

多分彼女は、僕がどこかへ行ってしまうことを無意識に恐れている。というか、ほぼ間違いない。

凶行に及んだ昨日の彼女を落ち着かせるため、彼女の部屋で話を聞いた時に色々と聞いた。

それらを聞き終えた今では、それまで心のどこかで分かり合えないんだと諦めていた自分を

殴り飛ばしてやりたいと思えるほどに、姉さんの想いと本気に応えようと思っている。

 

とにかくまずは起きて動くとしよう。

姉さんには申し訳ないけど、服を掴んでいる手を優しく包んでどかし、着替えようと身体を無音で

動かそうとしたその時、姉さんと僕しかいないはずの室内に、野太く粗雑な声が響き渡った。

 

 

『オイ、クソガキ』

 

「……ビックリしたなぁ、君か」

 

 

室内というより、正確には僕の内側から響いてきた声に驚かされ、静かに返事を返す。

実に三日ぶりに聞いた声は、以前聴いた時よりかは幾分か刺々しい印象が薄らいでいるように

感じられる。でも、どうしてコイツは今まで静かだったんだろう。それに、静かだった奴が今度は

急に現れて話し出したことにも違和感を覚える。浮かぶ疑念をよそに、声の主は憮然と語る。

 

 

『誰の邪魔も入らねぇ場所に行くぞ』

 

「は? いきなり何だよ」

 

『いいから行くぞ。昨日の霧が深ぇとこなら大丈夫だろ、オラ早くしろ』

 

「…………分かったよ」

 

 

傍若無人な態度を取るこの声の主は、僕の精神内に不慮の事故で宿ってしまった魔人だ。

これまでずっと慇懃無礼な言動しか聞いたことがない僕にとって、今日の彼の態度はどこか、

違和感を禁じ得ない。でもここで言い合っても意味ないし、何より姉さんを起こすとマズイ。

せっかく穏やかに眠ってるのを起こすのは忍びない、ここは彼の言うとおりにしようか。

そこまで考えた僕は、姉さんが掴んだままの服を脱ぎ捨てて、代わりに燕尾服を羽織り、

万が一にでも音を立ててしまう可能性を考慮して、能力を使って部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺りでいいかい?」

 

『ああ。こんなとこまで来るバカは、テメェとあのよく寝る女くらいだしなァ』

 

「酷い言い方するなぁ」

 

 

内側に居る魔人の言うがままに外へ出て、彼が言っていた場所に二分未満で辿り着く。

霧の濃さが異常なせいか、やたらと寝起きの肌に湿気がまとわりついてきて不快な気分に

させられるけども、そんなつまらないわがままを言うつもりもないので、すぐに話を切り出す。

 

 

「それで、僕をこんなところに呼び出して何の用かな?」

 

『……………………………』

 

「あ、もしかして決闘のこと? 心配しなくても、不正なんかしないよ」

 

『そんなンじゃねぇ。テメェの中に居たんだ、分からねぇ訳ねぇだろうが』

 

「それもそうだね。じゃあ、なんでわざわざこんな場所まで?」

 

 

話を切り出したものの、何故か妙に歯切りの悪い、というかあやふやな言葉を口にする彼に

今度こそ不信感を抱く。いつもなら乱暴極まる発言が既に、四回ほど飛び出てる頃合いなのに。

 

『テメェは俺様をどう認識してんだ………』

 

「今更ソレを聞くのかい?」

 

『………チッ』

 

 

精神の内側に居ることで、彼は僕の思考をある程度まで筒抜けにすることができるらしいので、

それを逆に利用させてもらったんだけど、本格的におかしい。今日はいやに突っかかってこない。

本気で怪しさを感じ始めた僕に舌打ちを聞かせて、魔人は苛立った口調で本題を明らかにした。

 

 

『___________家族ってのは、どんなモンなんだ?』

 

 

緩やかな風が起こした波が、霧深い湖の湖畔に居る僕の鼓膜を優しく揺すり、音を響かせる。

そういった外部からのものとは違う、独特な聞こえ方をする声が、唐突に疑問をぶつけてきた。

 

「はぁ?」

 

 

しかし、それに対する僕の返答は、あまりに簡潔で間の抜けたものになった。

いきなり何を言い出すんだ。家族がどんなものか、何故魔人がいきなりそんなことを。

浮かんでは言葉にならずに消えていくそれらに思考を埋め尽くされていると、僕の返答を受けて

またしても決まりが悪そうな声をあげている彼から、再び同じ質問が繰り返される。

 

 

『だから、家族ってのは何なんだって聞いてンだよ』

 

「………いや、言葉の意味は分かるよ。ただ、急に聞かれて驚いただけで」

 

『ならさっさと答えろ。家族っつーのは、どんなモンなんだ』

 

「…………質問には答えるけど、その前に一つ。どうしてそんなことを聞くんだ?」

 

 

どうにも普段と違う魔人の言葉に動揺しながら、疑問文に疑問文で答えるという無礼を働く。

相手は自分の中に居る存在だから無礼も何も無いんだけど、本来の用途では有り得ない対応を

している時点で失礼にはなるかな。そんな事を思いながらの逆質に、彼は意外にも答えを示す。

 

 

『なんで聞くのかだと? ンなこと俺様に…………イヤ、俺様にもよく分かンねぇんだよ』

 

「……………素直に答えてくれるとは驚きだ」

 

『うるせェ。なんつーか、アレだ。何がそんなにいいのか気になっただけだ』

 

「何がそんなにいいのかって、家族が?」

 

『あァ。テメェはやたら家族にこだわってたろ、あの女と昨日話してた時』

 

「姉さんのこと? それで家族が気になったって?」

 

おう、とどこか上の空といった感じの相づちを返されて、いよいよもっておかしいと確信する。

彼との付き合い、というか関わりが生じたのは、今から一週間ほど前からなのだが、その間には

僕自身の記憶の欠落があるため、実質三日ほどの短い期間しか関わっていないと考えている。

地底に居る時の僕は僕としての人格が無く、忘という記憶のない少年として五日間を過ごして

いたので、その期間の方が接触していた時間は長い。でも、こんな彼を見る(聞く)のは初めてだ。

 

警戒というほどではないけれど、あまり気を許すべき存在でないことは最初から分かってはいた。

けど、こんな質問を投げかけられれば、気を張っていた分だけ勢いを削がれるのもまた事実。

互いに一言も話さなくなった状況をどうにかしようと、ひとまず質問に答えるべく口を開く。

 

 

「家族、家族か…………本当の家族を知らない僕へのあてつけかな?」

 

『ンなモンじゃねぇ。てか、知らねぇのかよ』

 

「うん。本当の、という意味でなら知らないことになる。家族って難しいものだよ」

 

『そう、なのか?』

 

「実のところを言えば、僕だってよく分からないんだ」

 

 

自分の身体の主導権を得ようとする相手だという事も忘れ、僕は驚くほど自然に言葉を紡ぐ。

でも実際、本当に家族という言葉を僕が使っていいのかは甚だ疑問だ。僕たちは改造人間だし、

そもそも同じ血を分けているのかすら不明なんだから、一般的な意味での家族とは違うのだろう。

それを言葉にして聞かせたところ、魔人は肩透かしを食らったようで、白けた雰囲気を漂わせる。

予想していたよりも答えが酷かったからか、それとも自分の求める答えを知っているだろうと

確信していた相手から、何も知らないんだと聞かされて唖然としたか。多分両方だと思うけど。

 

そんな彼の意に答えるわけじゃないが、家族を全く知らないわけじゃないということを話す。

 

 

「それでも、今の僕には家族だって確信を持って言える人がいる。姉さんだけじゃないよ?

美鈴さんやこあさん、おこがましいかもしれないけど、パチュリーさんやお嬢様方だって、

今の僕には家族同然………いや、家族そのものだ。本人が聞いたら否定してきそうだけど」

 

『家族ってのは、血の繋がりがあって家族なンだろ? だったらおかしいだろうが』

 

「広く言えばそうだけどさ。けど、僕はそういう便宜上の家族を言ってるんじゃない」

 

『あ?』

 

「僕が思う家族っていうのは、何の利益も損得勘定も無く、ただ一緒に居られる人こそが、

僕にとっての家族なんだと思う。喜怒哀楽も、辛苦も、悲哀も、全てを共有できる人が」

 

『テメェにとっての家族、って奴なのか』

 

 

今度は先ほどの彼のように、僕が相槌を打って応える。魔人はそれを受けて、無言になった。

今の僕の言葉は、偽らざる本心だ。この幻想郷に来て、フランお嬢様と出逢い、そこからさらに

多くの人々との出会いを果たして、一度生涯に幕を下ろした僕の心にある、願いともいえる。

外の世界で一緒だった姉さんは当然として、この紅魔館の住人は全て、僕にとっては家族だ。

人らしさを取り戻させてくれた、と言えば大げさに聞こえるけど、実際そうだから他に言い様が

ないのだからしょうがない。彼女らは僕にとって、かけがえのない家族とまで思っている。

美鈴さんとパチュリーさん、そして姉さんにまで想いを告げられて困惑の極みではあるものの、

何の淀みもなく彼女らを家族だと言い切れる。血の繋がりとか過ごした時間とか、関係はない。

ただ一緒に居たいと思える人、一緒に居る人、一緒に何かを乗り越えてくれる人、それらを僕は

家族と呼びたい。温もりのない世界で生まれ育った僕が初めて感じた、優しい温かさを持つ人、

そんな人たちを僕は、家族であると思っていたい。

 

そうしてしばらく二人で、霧深い湖の湖畔に佇みながら時を無駄に過ごす。

本当ならこんなことをしている余裕なんてないのだけど、意外にも一人になる時間がなかった

ことと、地底生活で見られなかった自然の壮大さが目の保養になったことで、動けずにいた。

しかしそれも、僕自身の自由な時間がある間だけの話で、それがもう尽きようとしている。

東から昇っていた太陽が、南の空の中央にその白い姿を収めている、つまりは真昼時だ。

 

 

「そろそろパチュリー様の昼食のご用意をしなくちゃいけない頃だ」

 

『俺様を喚び出した片割れの魔女か。ゴーレム作りでンな暇ねぇだろ』

 

「その進捗状況を聞きに行く口実さ。ぶっちゃけ、逢いに行くための動機でもある」

 

『そーかよ。随分と機嫌が良さそうじゃねェか、あ?』

 

「まぁね。死ねない理由の再確認、ってところかな?」

 

『ハッ、言ってろ』

 

 

身体を奪う競争相手の魔人に対する皮肉を交えて、漂う濃霧を髪や肌に付着させながら歩き、

目に突き刺さるような赤色をした館に戻り、従者としての職務をいつもより遅めに開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬱陶しいほどに眩しい太陽が空高く昇っているのを、"俺"は何とか無視し続ける。

 

今は確か、午後の1時半だったか。コイツの体内に居る俺からすれば、時間なんざあってない

ようなモンだから、重要視はしてねぇ。ただ、コイツの現状を見て暇を潰してたところだ。

 

 

「紅夜さんは私のためにご飯を持ってきてくれたんです。私のために」

 

「一応客人である貴女に食事を提供するのは当たり前よ。それを随分と強調するのね」

 

「私を客人だと認めるならそのように扱ってくれませんか? これから紅夜さんとお昼なんです」

 

「客人の食事の最中に従者が付き添う必要は無いわ。さ、早く行きましょ、紅夜」

 

「ダメです。紅夜さんは私と一緒に居るんです」

 

「それは無理な話ね。紅夜はこれから私とずっと一緒なんだから」

 

コイツの名を呼ぶ二人の女に横からまとわりつかれて、逃げられない状況の中でどうにか

身体を縮こまらせて難を逃れようとしている。なんつーかまぁ、メンドクセェ状況だな。

俺は宿主である紅夜とかいうガキの中から、普段はこの世界を見ている。

人間の体にある五感でものを感じることはできる。この場合は、共有してるの方が正しいか。

とにかく俺は、現在進行形でこのガキが感じているものを同時に知覚しているわけだが、

取り巻きの女どもがウザったらしくてしょうがねェ。本気で殴り飛ばしたくなってくンぞ。

 

黒い髪の女は椅子に座ってコイツを引っ張り、銀の髪の女は立ちながらコイツを引っ張る。

さっきからしきりに何か喚いてやがるが、いったいこの女どもは何がしたいんだと苛立つ。

コイツはメシを届けに来ただけで、すぐに部屋を出るつもりだったようだが、それを黒髪の女が

引き留めたとこまではまだよかった。それを後ろの銀髪の女が見つけて怒鳴り込んできてから、

一気にやかましくなりやがったんだ。どっちがこのガキをどうするかでもめてるみたいだが、

その中に居るだけの俺からしたらうるせェ限りでしかねェ。ハッキリ言って目障りだ。

 

「あ、あの、お二人が迷惑なら僕は他の所へ………」

 

「「絶対ダメ」」

 

「あぁ……ハイ」

 

 

そんな中でコイツがようやく口を開いたかと思えば、いがみ合ってたはずの女二人から同時に

明確な拒否の言葉をぶつけられて、代わりに意気消沈していやがる。情けねぇヤツだな。

諦めの境地に立ったような返事を返してからは、もう女どもの歯止めが効かなくなっちまって、

とうとう殺し合い______ここじゃ『弾幕ごっこ』とかってお遊びらしいが______に発展した。

 

狭っ苦しい部屋ン中が、ナイフやらやたら派手な色の力の塊(弾幕)やらで埋め尽くされていく。

あの女ども、ここが今まで言い争う原因になってたコイツの部屋だってこと、忘れてねェか?

二人が女がするようなモンじゃねぇ顔して戦ってる中で、コイツは盛大に深い溜息を漏らした。

そして後のことはもう知らんって具合に、自分の能力で音も無く部屋から出て廊下を歩き、

外に干してある洗濯物やらを取り込みに向かった。後片付けが面倒そうだと呟きながら。

 

 

『………………………』

 

 

俺にはコイツのことが理解できねェ。メンドクセェなら、さっきそう言やよかったろうが。

後片付けが面倒ってんなら、初めっから止めさせるなり、テメェらで片付けしとけとでも言って

おきゃあよかっただろうが。なんでコイツはそれをしなかった。なんでコイツは嬉しそうなんだ。

 

自分に迷惑を及ぼすような奴を、どうして家族だなんて言える? それが家族なのか?

銀髪の女はそうだと言ってたが、黒髪の女のことは言ってなかったな。アレはどうなンだ?

家族なのか、家族じゃねェのか。俺には違いがまるで分からんし、そもそも考える気がねェ。

 

迷惑を被るのは自分だ。なのに、そんな面倒をかけてくる奴が、家族ってモンなのか?

 

 

『……………俺には分かンねェな』

 

「何か言った?」

『なんでもねェよ』

 

 

それが家族ってモンなら、俺には理解できそうもねェな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目障りだった空の上にある太陽も墜ちていき、ちょうどいい具合に暗い夕暮れになった。

宿主であるコイツは、何もかもが真っ赤なここの掃除を今終えて、脱いでいた上着を再び羽織り、

その足で地下牢へと続く通路へ向かう。この先には、コイツは主と定めた吸血鬼のガキがいる。

俺は地下に閉じ込められてるっつー、フランだったか。ソイツの境遇を聞いて気に入っていた。

抑えられない力の衝動によって何もかもをぶっ壊せる能力、使えたらどンだけいい気分だろうか。

気に入らねェモンは全部粉々に壊してやれる、そんな力を生まれつき持ってるなんざ羨ましいぜ。

この話をすると宿主のコイツがキレるから口にはしねェが、俺はフランの力に心底共感を得た。

 

魔人として生まれた俺には、そもそも最初から親だの何だのと、そんなしがらみは無かった。

あるのは溢れ出る魔力を使って強くなるって欲求と、全てを滅茶苦茶にしてやりてーっつー欲望。

要は、俺が俺だって認識を始めた時点で、俺は目に映る全部をぶち壊してェ情動に駆られてた。

自由気ままに好き放題やる毎日も悪くはなかったが、目をつけられて魔界神にヘマして捕まり、

何重にも封印を施された場所に幽閉されちまった。あのクソババア、絶対に殺してやっかンな。

んで、そうして大体300年くらいか。何かに引っ張られる感覚を味わった直後、目を覚ましたら

このガキの中に詰め込まれてたって感じだな。そうして俺はコイツを宿主として今生きてる。

 

 

『…………オイ、クソガキ』

 

「なんだい?」

 

『………何でもねェ』

 

「変な奴だな」

 

 

俺がこの【幻想郷】とかいう世界に来ちまった経緯は、コイツには話してない。話す気もねェ。

あくまで一時的な仮住まいの宿でしかねェんだし、俺のことを話す意味なんざねェはずだ。

そう考えてたンだが、なんか違う気がしてきた。イヤ、なんも間違ってねェはずなんだがよ。

変なとこで考えるのを止めたせいか、コイツに何も考えないままで話しかけちまったじゃねェか。

不意に話題を打ち切ったせいでガキに舐められた気がしたが、この際そこは無視していく。

 

その後は、起きたフランとコイツが少しじゃれ合って、立派な淑女とやらになるための勉強会が

始まり、俺が飽きちまって(精神内で)眠ろうかと思った頃にそれが終わり、メシの時間になった。

 

フランの血の繋がった家族で、俺を喚び出した片割れの吸血鬼のレミリアとかいうドチビが

既に偉そうに座ってやがる食卓に到着し、コイツは主人であるフランのために椅子を引いてた。

 

 

「ありがとう、紅夜!」

 

「いえ、従者として当然のことです」

「でも、ありがとう!」

 

「お嬢様…………感激の極みにございます」

 

「ちょっとフラン! 私を無視しないで早く座りなさい!」

 

「あらお姉様、いたの」

 

「フラン…………」

 

 

少なくとも身長以外は似てる場所がねェ二人を見て、これが本当の家族なのかと疑問を浮かべる。

外見は似る時もあれば似ない時もあるとコイツは言ってたが、ここまで違うモンなのか?

翼っぽい羽根も全然違ェし、髪の色も全然似てねェ。まだこのガキの慕ってる銀髪の女の方が

家族らしい気がしてきたが、俺には家族がどういうものなのかの区別がつかねェから割り切れた。

レミリアが俯いて肩を震わせてるが、フランはそれを無視してる。コレで本当に家族なのか?

つくづく疑わしいやり取りを見てから数分、あの魔女も来て一堂に会した連中は食事を始めた。

と言っても、コイツとあの銀髪の女はメシを食ってねェ。コレも俺には理解できねェことだ。

メシが食いてェなら食えばいいのに、コイツらは「従者の務め」とか何とか言って手を付けねェ。

なのにドチビや魔女、フランが何か言えばすぐにその要求に応えようとして、コイツらが動く。

まるで理解できねェ。なんでコイツらは、自分のためでもないのにそこまでしてやるんだ?

 

 

「ごちそーさまでした!」

 

「………フラン、帰ってきてから食事の度に言ってるけど、それは何なの?」

 

「これね、霊夢が教えてくれたの! ご飯を食べる時と食べ終わった時は、料理を作ってくれた

人に感謝しますってことを言わなきゃいけないんだって! だから紅夜と咲夜に言ったの!」

 

「「ありがとうございます」」

「感謝って、私たちは支配する側なんだから当然………」

 

「そう………なら、私も。ご馳走様、美味しかったわ」

 

「パチェまで⁉」

 

 

何やらメシの場が騒がしくなり始めたが、コイツの中に居る俺からしたらやかましいだけだ。

にしても、本当に理解できねェことが多過ぎる。人間ってヤツは、こんなにメンドクセェのか?

それとも、人間以外が幅を利かせてやがるこの赤い館だけの事なのか? どっちにしろ分からん。

 

それが当たり前であるように、何でもないことのように、このガキは他人の命令に従うだけ。

自分一人で動くなら命令なんかされねェから気楽でいいが、こうも毎日だと鬱陶しくなるだろう。

なのにコイツらにはソレが無い。吸血鬼やら魔女やらに命令されて、当然の如くそれを聞き入れ

実行する。魔人である俺にはサッパリ理解できン行動だ。むしろ、理解したくもねェけどな。

 

従うなんざクソくらえだ。

 

他人の命令を、何故聞いてやらなきゃならねェんだ。

 

俺は絶対に従わねェ。魔人の俺様が、誰かに支配されてたまるか。

 

『…………………………』

 

 

コレも家族ってモンがそうさせてるのか? もしそうなら、家族は上下関係まであンのか?

 

『……………俺には分かんねェな』

 

「……何か言った?」

 

『何でもねェよ』

 

 

それが家族ってモンなら、俺には理解できそうもねェな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日は墜ちた。代わりに浮かんだ月が照らす夜の闇を見つめて、俺は独り考える。

 

俺の宿主はもう眠りについていて、静かでちょうどいい。このガキの警戒心は俺も手を焼く。

まさか精神状態の俺に対してまで気を張るとは、予想以上の強さに流石の俺も驚かされたが、

ソレぐらいでなきゃ俺様の器には務まらねェ。そう考えれば、コイツの強さは一級品だ。

 

『………………』

 

 

そんな宿主はというと、ベッドとかいう人間が寝るのに使う場所に収まっている。

ただし、コイツ一人じゃなく、銀髪の女も一緒にだ。二人仲良く手まで繋いでいやがる。

昨日から様子がおかしかったらしいこの女を捕まえて、一晩中話を聞いた挙句にコイツと女は

和解を果たして、晴れて元の姉と弟、つまり家族の関係に戻ることができたらしい。

詳細やら経緯やらは俺にも分からんが、女の方は相当思い詰めてたようで、真夜中辺りから

日が昇っちまうまで語り尽くしてからようやく寝込んでいた。

 

弟という立場に居るコイツは、姉という立場の銀髪の女をどうも崇めているように感じる。

崇めてるっつーか、言葉を借りれば尊敬ってヤツにあたるのか。俺が知らなかった感情だ。

姉である女がどこまで自分のことを考えてくれてたのかを知って、コイツらは約束を作った。

その一つが、これからはこうして寝る時まで一緒というヤツだ。こうして二人で寝ることの

どこがいいのか俺には本当に分からん。

 

『…………………』

 

 

ふと、俺は気付いた。

 

やたらとコイツらや他の奴との関係性が気になった理由。それが何となく分かった気がした。

 

 

『……………何も、ねェのか』

 

 

俺には繋がりってヤツが一つもない。家族も、姉も、弟も、血の繋がりも、他人でさえも。

コイツの身体を共有しているから把握できてはいるが、実際にその場に居るのは俺じゃなく、

宿主であるこのガキの方だ。そこにいるのに、俺じゃない。コイツがいて初めて、俺がいる。

 

まるで付属品みてェな考え方で吐き気すら覚えたが、身体の方は眠りこけてて動きゃしねェ。

独りだけで、ただそこにいる。そこにいるのに、そこにいるわけじゃない。

今の状況がどういう偶然のもとに成り立ってるかは知らねェが、随分とおかしな話だな。

ただ、ここまでこのガキと一緒に過ごして、俺は初めて【家族】って言葉を知った。

その意味まではまだ理解できてねェし、今んところは理解しようとも思っちゃいない。

見せ続けられてるだけなんだ。

 

俺が持ってない、家族ってモンを。

 

 

『………あァ、そーかよ』

 

 

欲しい、なんて考えてるわけじゃねェはずだ。

 

でも、今の俺は独りだ。いや、俺はずっと独りのままなんだ。

 

 

『…………何でもいい』

 

 

一つでもいい。俺が俺であることを、証明できる何かが必要だ。

 

足りねェんだ、このままじゃ。俺はまだ、誰とも繋がってねェんだから。

 

 

『俺は俺だ』

 

 

言葉でなら何とでも言える。考えることならいくらでもできる。

だが、それを証明するものがねェ。人がいねェ。物がねェ。

 

何も、ねェんだ。

 

 

『_________だったら、力づくで』

 

 

魔人として生まれた俺は、力はある。

 

魔人として生きてた俺は、知恵はある。

 

魔人として喚ばれた俺は、術を持つ。

 

 

『俺は敗けねェぞ…………全部、俺様が手に入れンだ!』

 

 

この器はもちろん、俺が今まで壊したかったもの全てを。

 

力も、知恵も、術も。

 

そして__________繋がりも。

 

 

『俺は…………俺だ‼』

 

 

誰も知らない中で独り、俺は俺であることを誓った。

 

 

 









いかがだったでしょうか?

今回は少し首肯を変えて、魔人サイドで物語を進めてみました!
え、ストーリーは進んでない? ンな細かい事はいいんですよ(東風谷風
しかし書きにくかったのは事実です。紅夜の礼儀正し目な文章の方が、
というより少し固い文章の方が個人的に描きやすい気がします、ハイ。

それと、友人からの評価&添削がたびたび行われるんですが、
随分とまぁ辛口で…………しかも誤字脱字が思ってたより多いんです。
時間が取れたらその辺は随時修正していきますので、ご容赦をば。

読者の皆様も、お手数でなければ誤字脱字報告は歓迎しておりますので。


それでは次回、東方紅緑譚


第六十九話「紅き夜、魔人死臨」


ご意見ご感想、ならびに批評も随時受け付けております!



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第六十九話「紅き夜、魔人死臨」




どうも皆様、先日発売された「不思議の幻想郷」シリーズの
最新作を片手にポテチを頬張っている萃夢想天でございます。

この作品も書き始めてから、一年と約半年ほど経過したわけですが、
まだまだ予定していた六割程度しか進んでおりません!
これが良い事なのか悪い事なのかはさておき、この章もラストスパート。
いよいよもって、魔人と紅夜との自身を賭けた戦いが始まります!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

 

二週間という期間は、長いように思えて実は案外短い。

 

一週間が七日で構成されているわけで、日数換算にすると実に十四日と、これは長く思えるけど、

一日にできることとするべきことに時間を割いてみると、やはりさほど自由な時間は無いのだ。

これは僕じゃなくても言えることだろう。多分、学生とかだってそう思ってるはずだ。

 

話を戻そう。

二週間というのは、僕が天魔という天狗社会の頂点から言い渡された、事実上の執行猶予のこと。

無論この執行猶予というのは僕に対してではなく、僕が一時的に身柄を預かっている文さんに

科せられた罪状に対するもの。しかし、僕の想い人である時点で、他人事と楽観視はできない。

僕がそれを言い渡された日から、実に本日で四日目になる。残りは、一週間と三日だけなのだ。

 

 

「…………あと、たったの十日間か」

 

「紅夜さん……?」

 

「文さん、大丈夫です。必ず山の襲撃犯は僕が見つけ出しますから」

 

「え、ええ。でも、無理はしないでくださいね」

 

 

事もなげに呟いた言葉を、傍らにいる文さんに聞き拾われてしまい、心配をかけてしまう。

彼女の不安をどうにか和らげたいと思い、少々自信過剰なフリをして笑顔と共に親指を立てたが、

僕の行為に納得がいかないながらも頷き、さらに心配を重ねてくれる彼女には頭が上がらない。

 

先程まで時間が無いことを暗に仄めかしていたにも関わらず、自室で彼女とこうして話をしている

のには当然理由がある。彼女に罪をかぶせたと思われる襲撃犯を見つける前に、僕は僕自身の

問題に決着をつけねばならず、そのための下準備をするために時間をつぶすしかないからだった。

もちろん給仕の仕事もこなしつつなのは言うまでもないけど、こうして想いを伝え合った彼女との

時間を作るのが想像を越えてはるかに楽しいことに、正直驚きを隠せない。

 

ふとした瞬間に見せる無防備な横顔や、気付くと絡ませるように腕を取った時の悪戯な笑みなど、

単純に接する時間が増えたこともあるのだろうけど、知らなかった一面が少しずつ見えてくる。

そういった、謎解きを連想させるこの彼女とのわずかな時間が、何故だたまらなく愛しく思えた。

 

 

「失礼します、紅夜さん」

 

「ん、ハイ。どうぞ、こあさん」

 

 

今も僕の右手を意味も無く触っている彼女を見つめていると、扉からノックと一緒にこあさんの

やけにこわばった感じの声が聞こえてきた。入室許可の後に入ってきた朱い長髪の彼女はまず、

僕の隣で明らかに機嫌を悪くした文さんを見て顔をしかめ、視線を僕に向け直し話を切り出す。

 

「紅夜さん、パチュリー様がお呼びです」

 

「………ということは、出来たんですね」

 

「ハイ。すぐにでも始められるとのことで」

 

「そうですか。分かりました、行きましょう」

 

 

真剣な面持ちで語るこあさんの言葉からして、いよいよ僕が覚悟を決める時が来たようだ。

これまで待っていたのは、先日パチュリーさんに生成を頼んだ、魔人の魂を宿す器の役目となる

魔法触媒人形ことゴーレムの完成。それが、僕と魔人との決戦の火蓋に変わると心の底では

理解できていたものの、いざその時が来たとなると、やはり緊張してしまうのは仕方ない。

不安げに見上げる文さんに「待っていてください」と一言告げて、こあさんに続いて退室した。

 

『やっとだな』

 

「そうだね。これで君と僕のせめぎ合いも、決着するわけだ」

 

『せいせいするってか?』

 

「………どうだろうね」

 

『テメェがどうあろうが、俺様はやるゼ。テメェと始末をつけて、俺様は俺様になる』

 

「随分やる気みたいだけど、僕は敗けない。敗けられない理由が出来たから」

 

『ほざいてろ』

 

 

それまで黙っていた僕の中の魔人が、数歩先にこあさんがいるにも関わらず話しかけてくる。

相変わらずの傍若無人っぷりにほんのわずかだけど安心感を覚えた僕は、けれど必ず生きて

帰ってこなければならない理由を_________想いを重ねた人たちの事を考えて前を見据えた。

こあさんと赤一色の廊下を歩き続け、大図書館の扉の先へと確かな足取りで歩を進める。

僕ら二人の前で待っていたのは、動かない大図書館ことパチュリーさんと、意外なことに

咲夜姉さんとの二人だった。前者はここの所有者だから当然としても、後者には驚いた。

そんな思いが表情に表れていたのか、同じ銀糸の髪を揺らす彼女が冷淡な声で答えてくれた。

 

 

「弟の一世一代の戦いを、見守らない姉がいると思うの?」

 

「姉さん……ありがとう」

 

「い、いいのよ、お礼なんてそんな!」

 

「…………咲夜、随分様変わりしたものね」

 

 

わざわざ従事よりこちらを優先してくれた姉の心意気に、素直な感謝の言葉を述べると、

彼女は館の色と同じくらいな赤い顔を背けつつ、身体を小刻みに震わせ始める。

そんな姉さんの姿を横目で見たパチュリーさんが、何故かご機嫌ナナメになっていた。

コロコロと態度が変わる二人をどうしたものかと思いつつ、すぐに僕は話題を切り出す。

 

 

「パチュリーさん、お迎えをいただいたという事は、出来たんですね?」

 

「ええ、出来たわ。要望通りに、私の持てる技術を全て使って作った最強の個体がね」

 

「あまりの感激に、言葉が出ません」

 

「そんなもの要らないから、キチンと契約を果たすこと。いいわね?」

 

「無論でございます」

 

「ならいいけど」

 

 

こあさんからも聞いていたけど、念のための確認も済ませて彼女の背後にあるものを見る。

そこには身の丈が成人男性の1.5倍くらいはありそうな、何の特徴も無い木人形が手足を

ダラリと脱力させた状態で置かれていた。魔術に関してド素人な僕でも、目の前にあるコレが

魔法的な面で見ても一級品なのだろうということが一目で理解できるほど、良い出来だった。

完成品を見て驚く僕を見て満足げなパチュリーさんだが、その隣で今度は姉さんが機嫌を

悪くして睨みを利かせている。主君の友人であることも、きっと今は忘れているに違いない。

まかり間違えても危害を加えることは無いだろう…………いや、今の姉さんじゃどうだろうか。

先日の一件以来、姉さんは僕のことになると見境が無くなっているらしく、この前も日雇いの

妖精メイドたちに話しかけられただけで、何を話していたのかを延々と問われることがあった。

あの時に比べたら、今はまだ何とか理性を保っている方だけど、それもいつ途切れるかが

不明な以上は、長く放置するわけにもいかない。僕はパチュリーさんとの話を早口で続ける。

 

 

「で、ではパチュリーさん。早速ですが、コレを使わせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「好きになさい。それはもう紅夜のだから」

 

「ありがとうございます」

 

「……紅夜、ですか。パチュリー様こそ、随分と様変わりされたようで」

 

「……何? 何か文句でもあるの?」

 

「言ってもよろしいのですか?」

 

と、思った矢先にこれだよ。

 

まさか僕の呼び名一つでここまで過敏に反応するなんて、正直隙が無さ過ぎて困るくらいだ。

とはいえここで仲裁に入っても延長されるだけで効果は無い。ならばいっそ事を早めてしまえば

二人も言い争いにまでは発展しないだろうと考え、僕は自分の中にいる魔人に準備を頼んだ。

 

 

(さて、それじゃあ始めようか)

 

『………おう。あン中に入りゃいいのか』

 

(そういう事。というか今更だけど、本当にできるの?)

 

『テメェん中に入れたンだ、逆だって出来ンだろ………多分』

 

(今、多分って言わなかった)

 

『ウルセェ‼ 今やっから騒ぐな‼』

 

 

最終確認の意味合いも込めて彼に話しかけると、何やら話の雲行きが怪しくなってきた。

まさか、ここまでパチュリーさんにしてもらっておいて、「出来ませんでした」なんて

ことにだけはならないようにしてもらいたい。彼の言っていることも理屈の上では正しいけど、

それが実際に結果として伴ってくれないと非常に困る。しかし、本当に大丈夫なんだろうか。

 

内心で抱いた不安を押し出すように溜息をつくと、体の芯がスルリと抜け落ちていくような

不可思議な感覚に見舞われ、気が付くと僕の目の前にあったものが劇的に変化していた。

 

 

「……どうやら、ちゃんと上手くいったみたいだね」

 

『_______言ッタロ、逆ダッテ出来ルッテヨ』

 

未だにいがみ合っているパチュリーさんと姉さんの背後にあった、木製のゴーレムの肉体に

著しい変化が生じ始めていき、それは少し経つと完全に自立する人型の『ナニカ』になった。

ただ、やはりまだ馴染めていないようで、どこか遠くから聞こえるようなカタコトの声が

僕の問いかけに反応して返ってくる。けどそれも、彼が僕から出て行った数秒までの事で、

返事をした彼は十秒後にはもう、どこからどう見ても人形に見えないまでの姿を得ていた。

 

鋭く凍てついたような僕の銀髪に対し、夜の闇をも飲み込んでいくかのような漆黒の短髪。

水平方向から上に大きく浮き上がった眦に、引きずり込まれそうなほど澄んだ蒼青色(コバルトブルー)の瞳。

山の尾根に積もる雪みたいな白さの肌に比べ、灼熱に焼かれた岩肌の如き浅黒い肌が映える。

そして極めつけに、禍々しい黒を掻き分けるようにして両側頭部から生えた、太い巻き角(シープホーン)

 

「へぇ………君が僕の体を奪うと、そんな感じになるんだ」

 

『今更珍シイ物デモネェダロ?』

 

「いや、一人称から見るのとは違った感じがする。客観的に見ると、悪くないね」

 

『ソリャドウ_______もよ』

 

 

魔人化形態、とでも名付けられそうな姿の僕とよく似た彼に、浮いた声をかけた。

今自分でも言ったように、主観で見るのと客観で見るのとでは、すさまじく明確な差がある。

身体を乗っ取られると一部が魔人に近付くらしいのは、地底に居た頃にさとり様の口から

伝えられてはいたんだけど、実際に見てみると考えていたより醜いとは思えなかった。

と言うよりむしろ、ちょっとだけカッコいいかなって思ったりもした。

 

「お、やっと本調子かな?」

 

『ウルセェ、テメェだったらもっと時間かかってッからな!』

 

「僕は人間だから、出来なくて当たり前なのさ」

 

 

口調がいつもの彼らしくなってきたことを茶化すと、それに対して彼も言葉尻を荒くする。

ここ数日で慣れてしまった彼との会話だ。パターンも大体はつかめてきている。

 

そう考えると、どこか物寂しげな感情が浮かんできそうになるけど、努めてフタをした。

 

 

「さぁ、それじゃあそろそろ始めようか」

 

自分の中の整理できない感情に見切りをつけ、自分を奮い立たせるような言葉を口にし、

今日のためにと新調しておいた燕尾服と新しいジャックナイフの刃をズラリと覗かせる。

鈍色の牙を見せつけるソレらを両手に四本ずつ展開して、いつでも始められるようにと

足を肩幅以上に開いて動ける姿勢に移行する。ところが、肝心の彼が棒立ちのままだ。

 

まだゴーレムの体に不具合があるのかと聞こうとすると、先に言葉をかけられた。

 

 

『オイ、その前に1個いいか?』

 

「…………何か不調でもあったの?」

 

『違ェよ。俺が言いてェのは、俺とテメェの決着のつけ方だ』

 

「決着のつけ方?」

 

 

彼が言い出したのは、僕と彼との決闘の方法についてのことらしい。

でも、この話は妙だ。文さんの救出を前に交わしたこの決闘の話では、その方法までは

確かに話してはいなかったけど、それって普通に戦うだけで問題は無いはずだろうに。

なのに彼は方法を指定してくるようなことを言い出した。何か企んでいるんだろうか。

 

内心で訝しんでいる僕に構わず、よく似た顔立ちをした彼はぶっきらぼうに語る。

 

 

『あァ。決闘のやり方は、【弾幕ごっこ】でいいか?』

 

「えっ⁉」

 

『ンだよ』

 

「い、いや………」

 

 

彼が口にした決闘方法、それはこの幻想郷において、最もポピュラーで平和な方法だ。

どちらがより美しい弾幕を出せるかで勝敗が決まるこの方法なら、間違いなく安全で

両者ともに損をすることのない完璧な決闘を行えるものの、流石に疑わざるを得ない。

だって、魔人である彼からすれば直接殴り合うような戦闘の方が明らかに有利なのに、

それを放棄してわざわざ実戦経験のあるこちら側のルールに則る必要が、あるのか。

 

でもまあ、彼がそう言うんなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな。

 

 

「別に、君が構わないならそれでいいけどさ」

 

『なら決まりだな。オイ、俺を召喚した魔女、テメェだよ!』

 

「………何かしら?」

 

『俺に【弾幕ごっこ】のやり方を教えろ。簡単にでイイから、さっさとしろ』

 

提示された提案を受諾したそばから、彼はいつもの傍若無人な態度で咲夜姉さんとまだ

もめていたパチュリーさんに荒々しく声をかけて、ルールを教えろと命令口調で言った。

 

まさか、やり方も何も知らないのに彼は弾幕ごっこをしようなんて言い出したのか。

ますます彼に意図が読めずに困惑する僕を差し置いて、渋々といった体で了承した彼女に

弾幕ごっこの基礎を習うべく時間を取ることになり、今日はひとまず決着が延期になった。

 

ちなみに、その後で部屋に戻ってすぐ、文さんに「無事で良かった」と早合点された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の午後6時。空は既に晴れやかな青ではなく、塗料をぶちまけたような濃紺に染まり、

西の山々の裏側へと沈んでいく夕日の返り血のような、赤い館の庭園の中に僕はいる。

 

そう、今現在の時刻は先程言った通りに午後の6時を回ったところだけど、問題なのは

むしろ日にちの方だと思う。翌日、つまり決闘法を決めてから丸一日経過しているのだ。

本当なら決闘方法を決めた日の午後から始める予定だったものを、ちょうどそこに現れた

レミリア様がご興味を示されて、魔人に一から【弾幕ごっこ】の流儀(自己流)をわざわざ

ご指導されたために大幅に遅れたのだ。あの御方の暇潰しは毎度ながらスケールがデカい。

 

そんなレミリア様以下、この紅魔館の住人は現在その全てが、この庭園に集結している。

その理由は、もはや言わずもがなだろう。僕は目の前に立つ、黒髪の男に話しかけた。

 

 

「丸々一日くれてやったんだ、ルールはバッチリだろうね?」

 

『あァ、問題ねェ。ただまァ……あのチビがやたら優雅だ何だと抜かしてたが』

 

「………ぶっちゃけた話、気にしなくていいと思う」

 

『そいつを聞いて安心したゼ。そンなら、俺にも勝機はあッからな』

 

 

僕と非常によく似た外見をした彼は、どこか疲労を匂わせる仕草で頭を掻きながら愚痴を

こぼしてきた。気持ちは分からなくもないからこう言ったけど、僕はノーコメントだ。

ただ、ここへ来てもやっぱりまだ気になることがあった。それを、彼に聞いてみる。

 

 

「なぁ、決闘を始める前に、一ついいかな?」

 

『あンだ』

 

「………どうして、弾幕ごっこをしようだなんて言い出したのさ」

 

 

僕の問いかけに沈黙を示す魔人だったが、それも数秒の後に静かな語りに変わった。

 

 

『別に、大した理由なんざありゃしねェよ。ただ、理由になるかは分かんねェがよ、

俺様は魔界じゃいつも戦って勝ってたし、向こうから挑まれてソレを叩き潰すだけでよ。

何にも面白くなかったンだが、今は違う。ただじゃ潰れないテメェがいるからな』

 

「………つまり、挑む側になりたかったってことかな?」

 

『ン……まァ、それでいいや。ンで、他にもまだ聞くことあンのか?』

 

「いや、もう充分だ。待たせたね」

 

『おう、待たされたゼ!』

 

 

彼の口から決闘方法の変更理由を聞き出して、それなりに納得が言った僕は今度こそ、

決着をつけるための戦いに身を投じるべく、全身に気を張り巡らせて構える。

 

 

「さぁ、始めようか!」

 

『いいゼ、来いよ‼』

 

 

残り一週間と二日の今日、僕と彼の運命が、交わる時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは様子見だ! 裂符【サウザンドリッパー】‼」

 

勝負の開始と同時に距離を詰めてきた魔人をけん制するために、早速スペルを宣言する。

このスペルカードは、よく覚えている。僕が弾幕ごっこを知って、最初に作ったものだから。

 

接近してくる標的めがけて投擲したナイフが、四方八方へ飛び散ってから急速に方向を変え、

様々な角度からナイフ群の中心部に居る魔人に殺到していく弾幕を、外から冷静に観察する。

序盤はまだ当初の八本だけだったナイフは、途中から投げ足して今では総計十六本になって、

随時方向を能力で変えながら飛来してくるこの弾幕は、あの霧雨 魔理沙をうならせる出来だ。

しかもそれはまだ、僕がここにやってきて日が浅いころの話で、今はそれ以上だと自負できる。

最初に言ったように様子見で発動したスペルを、魔人がどう攻略するのか見物だな。

半ば上級者のような目線で相手を観察していた僕は、次の瞬間には驚愕することとなった。

 

 

『チッ、意外とメンドクセェなコレ………墜ちろ、圧符【ドレッドプレッシャー】‼』

 

 

苛立たしげな口調の後に彼の口から放たれたのは、紛う事なき、スペルカード宣言。

いつか使ってくるだろうとは思ってたけど、まさかこんな序盤でいきなり使ってくるとは

思ってもみなかった。初心者は普通、得た技術を出し惜しみする傾向にあると油断していた。

そうだ、よく思い出せ。相手は初心者であっても人間じゃない、魔人なんだ。

 

自分の迂闊さを反省点として組み込んだ僕は、ひとまず彼のスペルの効果を見極めるべく

距離を取るための跳躍をしようと両脚に力を込めて__________そのまま地面に崩れ落ちる。

 

 

「な、に……?」

 

何が起きたのかと顔を上げようとするも、まるで重しを乗せられた(・・・・・・・・)ように動きが鈍くなり、

ついに上体を起こしていることすらままならなくなった僕は、四肢と胴を大地に投げうつ。

地面と平行になった視界で前を睨みつけると、彼の周囲で猛威を振るっていたナイフの群れが、

一つも無くなっている。いや、一つ残らず今の僕と同じように地面にめり込んでいるようだった。

 

無秩序に地面に刺さる彼らを無視して、魔人は首や肩をグルグル回してから呟く。

 

 

『さて、目障りなのも無くなったしよォ………派手に行くかァ‼』

 

「ぐっ、くっ!」

 

『オラオラァ‼』

 

 

最後の雄叫びとともに地面のナイフを何本か踏み砕いた彼は、両手をこちらに向けてきた。

その両掌には、少しずつ様々な色の光が集まっている。否、それは僕でも知っている光の弾。

 

そう、弾幕だ。

 

忘れていたけど、彼は僕のような人間じゃない。れっきとした魔力を持つ強い存在なのだ。

そんな相手が、わざわざどこかの誰かみたいに小手先だけの道具を弾幕に見立てて使うような

人物などとは到底思えない。きっと、ただ間違いなくそれだけではないが、今は弾幕でもマズイ。

 

彼の両手から射出され始めた様々な形と色の弾幕を、ズシリと重たい身体で逃げなきゃならない。

 

 

「く……そッ‼」

 

『どーした、あン? もう終いかテメェよォ‼』

 

「減らず口を、叩ける、のは………そこまでだよ」

 

『面白ェ! 今のテメェに何が出来る⁉』

 

 

相変わらず彼の口から放たれる罵詈雑言を前にしても、今の僕は怯むことなどありはしない。

けど、流石にこんな状態で彼の攻撃をしのぐにしても防ぐにしても、風前の灯火だろう。

 

だから僕は、現状を打破するためにまず、彼の足止めをすることから始めることにした。

コレ以上彼に自由を与えると、余計に面倒なことが起こる可能性が極めて高いと考えて、

いち早く彼本体に妨害を仕掛ける計画を立てた僕は、続いて新作のスペルを宣言する。

 

 

「なら、コレならどうでしょう! 裂符【ジャック・オブ・ダガー】‼」

 

スペルカードを宣言して発動。その瞬間、僕は瞬時に十六本のナイフを空中へとばら撒いた。

そしてそれらは柄と柄が磁石のように引き合い、2対1組の円盤状の刃となって旋回し始める。

突如出現した八つの円盤を、弾幕を放ちながら移動する魔人めがけて方向を操りけしかけた。

 

 

「いけッ‼」

 

『本当に小細工が好きみてェだなァ‼』

 

 

高速回転しながら宙を舞う八つの円盤を撃ち落とそうと、魔人が弾幕を適当に放つのを止め、

自身の周囲に近寄らせないために広範囲に均等な量を射出し始める。でもその程度で僕の

新しいスペルカードをブレイクできると思わないでほしい。アレはまだ、第一段階だからね。

 

風切り音を幾重にも奏でながら空を縦横無尽に飛ぶ円盤を、弾幕を拡散させながらも自身も

動いて逃れうとする魔人を見て、そろそろ頃合いだろうとタイミングを計った僕は、指を鳴らす。

その瞬間、2対で1組で円盤を形作っていたナイフは、弾かれたように分離して牙を剥いた。

 

 

『あァ⁉』

 

「どうだい? 手前で瞬時にばらける弾幕………避けられるのなら避けてみてくれよ」

 

『クソがァァァ‼』

 

 

湧き起こる感情の発露を雄叫びで表現する魔人に向かい、回転の遠心力を得て速度を増した

ナイフの散弾とも呼べる弾幕が一斉に襲い掛かり、彼はそれをどうにかして避けようとする。

だが分散した場所がほとんど至近距離だったために、回避が間に合わずに何発かその褐色の

肌にかすって赤い糸を垂らしている。コレでまず、僕が一手リードしたってところかな。

ゴーレムの器であっても痛覚があるようで、切れた場所を無事な方の手で触れながらこちらを

刺し貫くような視線で睨みつけてくる魔人は、弾幕の射出を中断して一息で跳んで後退した。

一度距離を開けようとする判断は正しい。ついさっき至近距離で攻撃を受けたのなら、まずは

遠距離戦に持ち込もうと思うのが常だろう。僕だってそうする、ならば彼もそうするはずだ。

でも、だからこそ、この機を逃す手は無い。

 

 

『チッ! やっぱり寄ってきやがるか‼』

 

「当然! 逃げるんなら追うまでだ‼」

 

至近距離での弾幕が有効なら、それをしない訳がない。ただでさえ性能的に大きなハンデが

あるんだから、それを埋めようとするための策を講じて何が悪い。いや、悪いはずがない。

改造された身体能力を駆使して駆け出し、花壇や垣根が立ち並ぶ庭園内で大立ち回りを演じ、

地を疾走しながらナイフを投擲してから跳躍。空中で方向を変えながら追加でナイフを投じる。

弾幕代わりのナイフの群れが尋常ならざる速度で、顔をしかめる魔人にめがけて殺到していく。

彼が鮮やかな弾幕を放つことを中止している今こそ、僕が攻撃に転じられる数少ない好機だ。

 

両手に収めたナイフを投擲したら大地を駆け、距離を少し縮めれば即座に能力で手にナイフを

呼びだして迷うことなく視線の先に居る魔人へと投擲。それを、何度も何度も繰り返す。

気付けば視界を埋め尽くさんとするナイフの群れが出来上がり、今にも着弾しようとしていた。

でも相手はあの魔人だ。こんなにあっさりと弾幕を受けてしまうような結末にはならないだろう。

 

『舐めンな‼ 熱圧【魔力解放・憤怒旋風】‼』

 

「………やはりね」

 

 

僕が抱いた予想通りに、彼は向かってくる弾幕群に対して次なるスペルを発動で対抗してきた。

最初に投げたナイフ程度ならば横転すれば避けられただろうけど、これほどまでの物量となると

回避しきるのは至難の業だ。故にこそ彼は、自身のスペルで迫る弾幕を無力化するしかない。

ここで僕が懸念したのは、最初に彼が発動した「圧符【ドレッドプレッシャー】」というスペル。

アレは僕の身体もろとも弾幕を押し潰すような効果を発揮するから、警戒しなきゃならない。

そうしているうちに、僕の視線の先ではまたしても僕を驚愕たらしめる光景が広がっていた。

 

 

「な………なんだ、アレは」

 

『ハッハッハッハーッ‼ オラオラァ、燃えろ燃えろォ‼』

 

 

緑と赤で彩られていたはずの庭園内に、暴力的なまでの紅蓮の炎が文字通りに渦巻いている。

それも、彼のいた場所を中心にして、徐々に今も大きくなっている。まるで、竜巻のようだ。

呆然と燃え盛る火炎の竜巻を見つめていると、僕の放った弾幕がその紅蓮の中へと飛び込んで、

そのまま何も起こらずにゴウゴウと渦を巻く音だけが響く。こんな方法で、無力化されるとは。

あまりにも力任せな対抗策に言葉を失っていた僕は、少しずつ肥大化している炎の渦を見て、

こちらへと向かってきていることに気付き、無意識のうちに後退行動を身体が取っていた。

 

「………随分と派手なことをしてくれるもんだ」

『どうだ‼ テメェのチマチマしたモンなんざ、屁でもねェんだよ‼』

 

「おーおー、弾幕ごっこ初心者の君が随分と、言ってくれるじゃないか」

 

『ッ………気が変わったゼ、テメェはこのまま焼死確定だァ‼』

 

「それは勘弁願いたいね‼」

 

 

大気中の酸素という酸素を奪い尽くしながら進軍する紅蓮を、僕はステップを交えた跳躍で

右に左にと回避し続ける。その後も断続的に放たれた同じ炎の渦も、同じように避け切った。

外見の巨大さと豪快さに圧倒されたけれど、弾幕として向かってくるには少々鈍過ぎだな。

 

全ての竜巻を回避した僕は、先程の彼のスペルで溶解したナイフを方向を操る能力によって、

自室に保管してある予備を手元に持ってきて収め、すぐにでも投擲できるように構える。

それを見た魔人の方も、両手の暗い色合いの球体を出現させて、ゆっくりとこちらに向けた。

 

 

『オラァッ‼』

 

「無駄ァッ‼」

 

 

制圧力よりも速度を重視したであろう彼の弾幕と、僕の投擲したナイフの群れが衝突して、

互いの直線上で火花を散らす。一投目に効果が無い事を確認して、すぐさま第二射を撃つ。

今度もまったく同じ結果に終わり、続けて第三、第四の攻撃が放たれてまたもぶつかり合う。

怒涛の勢いで放たれ続ける向こうの弾幕を、僕は必死になりながらも丁寧に打ち消しては、

ほんのわずかな隙間を縫ってこちらのナイフを届かせようと放ち、無造作に撃ち落とされる。

そうして徐々に、本当に少しずつ、こちらが押され始めた。

 

 

「ぐっ…………まだだ‼」

『しぶといヤツだなァ、テメェもよォ‼』

「敗けられないんだよ、僕は‼」

 

『知ったことか‼』

 

 

赤、青、緑、黄。様々な色合いの球体や針状の弾幕が、絶え間なく彼の両手から放たれて、

それらがわずかにこちらのナイフ群を掻い潜ってきている。さっきから僕の髪や服の端を

かすめていくのが伝わってくるけど、逆にそのことで僕の中の怯えより覚悟が固まった。

 

そこからはただひたすらに、互いの地力が持つ限りに、弾幕を放ち続けた。

 

腕を振るいながらナイフを投擲し、飛来していくナイフを簡単に落とされないように能力で

その方向を変えてやりながら魔人を襲わせ、逆にこちらへやって来る彼の弾幕を目視して

回避し続け、避けられないと判断した場合は新たにナイフをぶつけて相殺させる。

ハッキリ言って、これは相当集中力を使う作業だし、肉体的疲労も限界に達してきている。

ここらでもう、臨界点を迎えるだろう。それを自覚した僕は、多少の被弾は覚悟で後方へ跳び、

着地した瞬間にかつても使用した事のあるスペルカードを宣言して発動させた。

 

 

「ハァ……ハァ………喰らえ、裂降【パニッシュメントアーチ】‼」

 

以前に紅魔館________というより僕が主体で起こした【暒夜異変】であの白黒魔女こと

霧雨 魔理沙と弾幕ごっこをした際に初めて披露した、僕の当時五つしかなかったスペルの一つ。

今では十個ほどまで増やしているものの、このスペルカードはもう一つのスペルとの組み合わせが

可能なために割と気に入っているのだ。ソレを今、眼前に居る魔人とその弾幕群に向けて放つ。

 

もはやほとんど尽きかけているナイフを上空高く放り投げ、それらを能力によって支配した。

バラバラに漂っていただけの鈍色の牙たちは、僕の力で方向を変えられ、上空で下向きに静止し、

さながら獲物を噛み砕くのを今か今かと待ち望む猛獣の口腔のように、隊列を組んで落下する。

先から順番に降り注いでいくナイフの雨によって、直線上にあった彼の弾幕はそのほとんどが

相殺されて消え去り、勢いそのままに本体である彼にもその猛威を振るおうとしていた。

 

 

『血の雨でも降らせよってか、面白ェ‼ 水圧【魔力解放・激昂豪雨】‼』

 

 

しかし鈍色の雨が彼に落ちるその瞬間、彼もまた新たなスペルを発動させてそれを防いだ。

魔人の肉体の周囲がやけに歪み始め、それはやがて完全な無色の液体として確立されていき、

迫りくるナイフを撃ち落とすべく、手のひら大のサイズに縮小された水滴が無数に射出される。

ただの水滴であれば問題は無い。いかに弾幕といえども、固形物と液体ではそも話にならない。

そう楽観視していた僕は、金属同士が衝突したような音を聞いて意識を現実に引き戻される。

 

視線の先では、無数の細かな水滴によって、落下するナイフがことごとく弾かれていた。

 

 

「馬鹿な⁉」

『バカはテメェだゼ‼ オラ、大好きな雨に穿たれなァ‼』

 

「くっ!」

 

力なく地面に墜落していく僕のナイフをよそに、魔人の水滴はさらに射出され続けていって、

本当の雨のように上空から僕をめがけて降り注いできた。金属製のナイフがただの液状の球に

弾かれて無力化されたという、非常識な光景に驚きを隠せない僕は、回避行動が少し遅れる。

小刻みな動作で落ちてくる豪雨の弾幕を避けようとして、何発かが僕の肩口や手の外側にかすり、

明らかに性質的にありえない重量と硬さによる痛みが、僕にこの攻撃の真実を雄弁に語った。

 

 

(そうか………やっぱり、コイツの、コイツの能力によるものか‼)

 

薄々気付いてはいた事実が、これまでのスペルカードの内容と今の雨粒の重さで確信に変わる。

間違いなく、彼の能力は僕が予想した通りのものだろう。後は、それをどう利用するかだ。

正直言って、もし本当に彼の能力が想像通りなのだとしたら、厄介極まりない凶悪な能力だし、

それをフルに活用されれば僕の『方向を操る程度の能力』でも、勝ち目が限りなく薄くなる。

 

魔人の能力は、100%間違いない。

 

だから、あと1%の確証がほしい。

 

それで101%だ。疑いようもない。

 

降り注いでいる雨の硬さと、今なお魔人の周囲を覆う無色透明の被膜らしき液体の謎を

確かめるために、僕は先程の「裂降【パニッシュメントアーチ】」と組み合わせて使用する

もう一つのスペルカードを大きく跳躍しつつ宣言して、発動させる。

 

 

「裂昇【クライミングスクリーム】‼」

 

 

相殺されて地面に放逐されていたナイフたちが、息を吹き返したように一斉に浮かび上がり、

先程とは真逆に上方向へと(魔人に向かっているのでやや斜めだけど)、高速で飛来していく。

風を切り裂きながら襲い掛かる僕の牙たちは、しかし彼を覆っている謎の被膜に弾かれる。

 

無論すべてが弾かれたわけではないにしろ、弾幕という意味では効果を得られなかった。

でも、これでいい。この攻撃で僕は全てを理解した。そう、1%の確信を得ることが出来た。

 

 

(魔人、君の持つ『程度の能力』とも呼べるその力は___________圧力の操作だ!)

 

 

顔を上げて睨みつける僕の視線に、「気付いたか」と言わんばかりに彼の顔が笑みを浮かべた。

 

 

 










いかがだったでしょうか?

さあ始まりました、紅夜と魔人の一対一の決闘ですが、結末やいかに。
ちなみに前回愚痴っていた結末ですが、どうにかして決定できましたので、
ぜひ楽しみにしていてください(でも期待はし過ぎないでください)


いよいよもって大詰めとなりました、この【魔人死臨】の章。
勝つのは紅夜か、それとも魔人か。執事の運命が今、決定する。
その結末を、心待ちにしていただければ幸いです。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十話「名も無き魔人、狩人生望」


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第七十話「名も無き魔人、狩人生望」


どうも皆様、新年明けましておめでとうございます。
本年もまた、萃夢想天とその作品を、よろしくお願い申し上げます。

さて、年越しの御挨拶はここまで。
この挨拶もテイク2ですから、ええ、またPCが反抗期です。
五千文字書いた後で再起動するか普通…………ストレスがマッハですよホント。

個人的な愚痴はここまでとして。また消されたら困ります。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

度重なる投擲と回避で呼吸を乱している僕は、不敵な笑みを浮かべている魔人を真っ直ぐ睨む。

それに対して彼もまた、僕から送られる視線を受けて、蒼い眼を釣り上げ粗野な笑みを深めた。

 

弾幕ごっこの真っ最中だった僕らは、再び互いに確実な一撃を与えようと相手を観察する。

 

しかし今、追い詰められているのは僕の方だ。もとから人間と魔人という大きなハンデはあった

けれど、ここまで顕著な差が表れるとは思ってもみなかった。何とか彼より上にいかなければ。

だが、僕だってただ押されていたわけじゃない。あの魔人の持つ力を、戦いの最中で見抜いた。

 

魔人は十中八九、圧力を操作する能力を有している。

 

相手の手の内が分からないうちは下手なことはできないけど、これで今までよりはまともな対策を

講じる事が出来るようになった。何とかして、魔人の持つ能力に付け入る隙を探さなくては。

まずは、これまでに彼が使ってきたスペルから、何かヒントになるような事を見つけるべきか。

相手の弱点を先に見つけ出し、叩く。圧倒的ハンデに身を置く僕が、彼に勝てる最善の策だ。

 

考えろ、今の僕にできる事は、敵の能力を正しく把握することだ。

 

でも立ち止まる事は出来ない。こうしている間にも、魔人は弾幕を射出して距離を詰めてくる。

思考する速度を落とすことなく、自分自身の身体も止めてはならない。なんてハードな状況だ。

それでも、やるしかない。やっと見つけた敵の能力、光明が差すことを期待して、勝つ方法を

いち早く模索して動き出すしかない。僕には勝利しか残されていない、やるからには、勝つ。

 

フッと軽く息を吐いた僕は、再び弾幕を撃とうと両手を広げる魔人に対し、ナイフを構えた。

 

 

 

 

 

__________圧力操作、能力解説

 

 

ここでは魔人の持つ『程度の能力』といえる異能について、解説をさせてもらう。

 

魔人が操るのは、『圧力』である。幻想郷風に言えば、『圧を操る程度の能力』となるだろう。

この物質世界において、常に作用しているこの圧力を操作できるということがどういう事なのか、

彼が発動したスペルカードを順になぞらえて、一つ一つ簡単に説明していく。

 

まず最初に発動したスペルカード、圧符【ドレッドプレッシャー】

紅夜もろとも、彼の投げたナイフを地面にめり込ませて無力化したスペルカードだが、

如何にしてこのようなことを成し遂げたのか。それは彼が操った、圧力に理由がある。

魔人はこのスペルを発動後、空気(厳密には大気)そのものに圧力をかけ、その体感重力を何倍にも

増幅させたのだ。体感とは言っても、実際にナイフが地面に堕ちたことから、本当に荷重の反応が

見られたことは間違いない。魔人は、空気に圧力を加えて、空気の重さを増やしたのだ。

これにより、紅夜の手を離れていたナイフは地面に落下し、紅夜自身も降りかかる空気の重さに

耐え切れずに崩れ落ちた。空気圧という言葉があるが、このスペルはまさにそれの応用である。

 

続いて魔人が発動したのは、熱圧【魔力解放・憤怒旋風】

これは、火炎の竜巻を発生させたスペルカードで、その炎熱は飛来するナイフをも熔解させた。

それほどまでの高熱量を瞬時に生み出せたのにも、魔人の操る圧力の存在が大きく関わってくる。

そもそも炎というものは、圧力をどうこうしたところで発生させることなど本来ならば出来ない。

熱自体も、物体と物体の摩擦によってしか引き起こされない。冬に手を擦り合わせて暖を取る、

人間の本能からくるその行動がそれを証明しているが、実際に魔人は熱も炎も発生させている。

これにはいわゆる"ヒートポンプ現象"が関わってくるのだが、それを簡単に説明させてもらう。

 

空気は気体であるが、いわば形のない物体である。目に見える形を保っていなくともそこにある、

つまりひどくあいまいではあるが、物質というカテゴリーに一応属していることになる。

そして先も言ったように、物質同士であるならば、摩擦を起こせる。しかし、触れられはしない。

触れられない物に摩擦が起こせるのかと思うだろうが、空気中には"分子"という微量の物質が

常に漂っている。肉眼では捉えられないサイズの物質が、動いて接触すれば摩擦は起こせるのだ。

空気中の分子は常に動いているものの、それはあくまで風や気流など、自然な流れに沿っている。

しかしそこに、圧力という抵抗が加わるとどうなるか。それが熱を生む圧力の答えである。

 

それでも、この方法では熱を生み出すだけで、炎を発生させて渦を成すことはできないはずだ。

ただ、ここまではあくまで科学的な現象を説明しただけで、まだ非科学的要因が残っている。

そう、魔人の持つ魔力だ。魔人はこの魔力により、小さな火種を生み出し、熱圧の形成によって

それが温められ、空気を圧力で操り竜巻を発生させ、酸素を大量に取り込んだ火が炎に育つ。

これこそが突如出現した火炎の竜巻の正体であり、魔人の操る圧力の応用の一つでもある。

 

最後に発動したスペル、水圧【魔力解放・激昂豪雨】に関しては、言うまでもない。

名の通りに水にかかる圧力を操作したのだ。水は液体だが、これも定型がないだけで物質である。

空気という圧力が希薄なものですら数倍の重さに出来た魔人が、もとより圧力のかかった液体に

圧力をかけることなど実に容易いことだ。だが、この水と圧力というのは本当に相性が良い。

 

先程の熱圧の解説の時に、魔人は空気に圧をかけて分子を動かしたと言ったが、今回の水圧も

それの応用である。だが、紅魔館の庭園に彼の全身を覆うほどの水が、果たしてあっただろうか。

 

結論から言うと、彼はその場で作っていた。水ではなく、水よりさらに分子に近い、水分を。

空気中を漂う分子より少し大きいものの、その中には水分も紛れていて、これらが多い時は

湿気が発生する。逆に少なくなったりすれば、空気が乾燥して、火事などが起きやすくなる。

そして何度も繰り返して言うが、魔人は水にかかる圧力も操れる。それが、ごく微小であっても。

肌で触れても分からないほどの微量の水分を能力で集め、それを圧縮して彼は水を形成したのだ。

さらに言うなら、生きている者、生命活動をしている者の身体からは常時、水分が放出される。

呼吸の際に吐く息の中にだって、水分は多く含まれるから、集める資材はいくらでも現場に有る。

凄まじい速度と範囲の圧縮によって、魔人は瞬時に大気中の水分を水の塊へと結合させたため、

何もない場所から突然水が現れたようにも見える。そして大きくなった分、圧もかけやすくなる。

水には普段から圧力がかかっているが、もしそれを一気に高めたりすれば、どうなるだろうか。

答えは簡単。物質を触れただけで切断できる凶器に早変わりするのだ。これも水と圧の相性で、

圧力がかかればかかるほど、かけられた物質は固形物に近い硬さが付与される。水でさえも。

そして水には、触れた物質を浸食(削り取る)力が備わっている。川辺の石がどれも丸い形なのは、

上流から押し出される力(圧力)によって、石の表面をどんどん削って、磨いていくからなのだ。

この性質は自然界においては、さして珍しくない。ただ流れていくだけの水に、高い圧はない。

しかしここで、高い圧力が加えられるとどうなるか。それが最初に答えた、凶器というわけだ。

いわゆるウォーターカッターと呼ばれるものだが、これは圧を加えた水で物質を切断するだけで、

硬さがあるわけではない。流れの勢いが増したことで、水の持つ浸食の力が高められただけだ。

魔人が放った水滴は、紅夜の投げたナイフを弾いた。これは単純に、ナイフ以上の硬度を水滴が

持っていたということに他ならない。圧を加えれば加えるほど、その物質は硬さを付与される。

鋼鉄をしのぐ強度の水滴と、丸腰で水を生成できる、これが魔人の持つ圧の応用の一つである。

 

空気、熱、炎、水。自然界において重要過ぎる要素を、魔人は一手に掌握できる力を持つ。

物質世界に常に作用している圧の力を操るという事は、万物を支配すると言っても過言ではない。

当然ながら、ここで解説したのはあくまでも、魔人が見せた能力の応用の一部に過ぎないので、

まだこの能力の全貌を明らかにできたわけではない。それだけこの力は、汎用性に富んでいる。

 

この世界が物質によって構成されている以上、世界の全ては魔人の意のままに出来るのだ。

 

 

 

 

 

(ダメだ、どう考えても弱点が見当たらない! 理論上は無敵に近いぞ、この能力は!)

 

 

赤と紫の光球が脇腹をかすめていく中、僕は頭の中で整理した情報を見つめ直して絶望した。

まず確実に、彼は空気と炎(熱)と水を操れる。今は弾幕ごっこのルール内で決闘しているから、

直接その能力が僕に向けられることはないにしても、本当の殺し合いで決闘を挑んでいたら、

間違いなく僕は死んでいただろう。空気にしろ炎にしろ水にしろ、人間にはどれか一つだけでも

尖らされたら致命的なダメージになる。本当、彼が弾幕ごっこをやると言ってくれて助かった。

いや、安心してる場合でもない。こうしている間にも、僕は徐々に追い込まれているのだから。

魔人は手のひらから魔力の塊として弾幕を撃てるけど、こちらには魔力なんて素敵な力は

微塵もありはしないから、持ち前のナイフを投擲するしかない。これは体力をかなり消費する。

さらにそこへ、彼からの弾幕を回避する行動が加わることで、より消耗が激しくなる一方だ。

現状を維持しても、最後には僕が追い詰められる。いや、現状の維持すら難しく思えてきた。

 

何より恐ろしいのは、魔人の手の内がまだ読めなさすぎるってことだ。

 

先程までに見たものは、おそらく気圧操作と熱圧、水圧操作によるものだろうと思うけど、

圧力ってのはまだたくさんある。機械のない幻想郷には馴染みがないけど、電圧もそうだし、

人体に限れば血圧だって圧が関係している。多才と言うか無尽蔵というか、冗談みたいな

汎用性の高さに恐れ入る。きっとまだ隠している能力があるに違いない。ならどうするか。

 

現状維持もままならず、近い未来では破滅が待つ。とくれば、答えは一つだけだ。

 

 

「早期決着‼ 僕が勝つには、これ以上時間をかけてられない‼」

 

 

前方から向かってくるウェーブ状の光球の群れを回避し、若干不安定な体勢から駆け出す。

僕が再度接近してきたことで、魔人は策にかかったとでも言いたげな表情を浮かべるも、

決して油断はせずにこちらを注視してくる。動作一つも見逃さないほどの注目具合だけど、

一方的に弾幕を撃たれまくる距離から前進できた時点で、もう関門は突破したも同然だよ。

 

ところどころ破けている燕尾服の袖口に隠したナイフを手にし、スペルカードを宣言した。

 

 

「僕のとっておきを見せてやる‼ 闢景(ひゃっけい)冥恍夜裂囉(めいこうよさくら)】‼」

 

 

新たに発動したスペルに伴い、僕は背後に五つのナイフを喚び出して、その1本を投げる。

続いて2本目を手に取って、それも同じように魔人に向けて投擲し、眼前にいる敵を見据えた。

今までのナイフたちと違って、方向を変化させながら飛んでこないナイフを見た彼は、

何かがおかしいと訝しみながらも、飛来するナイフから目を離せずにいた、その直後。

 

 

『あァ⁉』

 

 

直進していたはずのナイフが、彼の手前5メートルほどの距離で滞空し、形状を変化させた。

1本だけだったナイフの切っ先は、今では5つ、5方向に規則正しく向けられていて、

ゆったりとその場で回転している。例えるなら、鋼鉄で出来た造花の花弁というところか。

5枚の花弁を模したナイフが魔人の前で、もう1つ展開され、同じようにゆったり回転する。

眼前でいきなり変化したナイフに意表を突かれた魔人は、次の攻撃を受けて舌打ちを漏らす。

 

 

『クソが‼ テメェは………チマチマとバラ撒くのが大好きだよなァ‼』

 

 

吠えるように怒号を発する彼の前では、先程展開されて回っていた二輪の花がなくなって、

代わりに四方八方へと飛び散っていくナイフの群れがあった。これこそ、僕のとっておきだ。

1つの(つぼみ)が開いて花と成り、やがて一時の美しさも華々しく散っていくという風情のある

このスペルは、僕が弾幕ごっこの「美しさ」を競うというルールを聞いて閃いた一枚だ。

直線的に進むナイフが止まり、さらに五つに増えた時点で混乱するだろう。そのわずかな隙を

狙って、僕の見せる花は散り際を迎えるのだ。この花に棘は無いけど、裂くための刃ならある。

 

勢いよく周辺を飛び回るナイフの花弁に対して、魔人は意外にも回避重視で動いていた。

正面と右斜め上からやって来る刃を目視後、身体を半身だけ右へずらしてから逆方向を進む

別の刃に向けて弾幕を放ち、まず一枚を無力化する。僕の予想以上に、彼は慎重に動いていた。

この状況は僕にとって、あまり良いとは言えない。そもそも僕の狙いは、このスペルカードの

攻撃で彼を無理やり苛立たせて、彼が保有している残り少ないであろう彼のスペルカードを

発動させることだった。持ち札の枯渇と同時に、彼の手の内を暴いてやろうという意図があった

ものの、冷静に対処されてはそうもいかない。どうにかして、平常心を乱さなければ。

 

あまり褒められた方法ではないけど、僕は残っていた三本のナイフを順当に投げていった。

この残っていた三つは、本当なら彼が何かしらのスペルを発動した際、後退しながらのけん制用

として敢えて使わなかったんだけど、こうなったら背に腹は代えられない。全て使い切る。

そうして三つの花を新たに彼の前で咲かせた後、彼を裂くべく十五枚の花弁が飛散していく。

 

 

『どこまでもテメェは…………俺をムカつかせてくれンなァ‼』

 

 

しかし、やはりと言うべきか、魔人もそうそう簡単に僕の手には嵌まってくれないようで、

回避の優先を止めて代わりに弾幕による相殺へと切り替えた。これだけは避けたかったが。

念のために距離を開けておいて正解だったようで、彼を中心に無数の光球が輝きを放っている。

炸裂音と閃光が魔人の周囲を埋め尽くし、それらが治まった後には何も残ってはいなかった。

 

早期決着でカタをつけたかったのが本音なんだけど、やはり彼は常識の範疇から逸脱している。

迫りくる方向が随時変わるナイフの群れや、散弾のように無秩序に乱れ舞う鈍色の花弁に

周囲を埋め尽くされても、そこから当然のように這い上がってくる。もはや恐怖すら感じるよ。

そうしてまたしても離れてしまった事を悔やみながらも、魔人から目を離す愚を犯さない。

ほとんど尽きかけていたナイフも、いよいよスカンピンになりつつあり、予備に用意していた

百を超える本数ですら、今では残り二十を切っている。これは本当に、後が無い状況だ。

内心で冷や汗を垂れ流していると、苛立ちによって顔を歪ませている魔人が高らかに吠えた。

 

 

『色々楽しみたかったが、終わりだァ‼ 消えろ、電圧【魔力解放・激怒雷光】ォ‼』

 

 

内包した怒りの感情を爆発させたように雄叫びを上げた魔人は、弾幕を放つのを止めて空いた

両手を空へ向けて開き、そのまま何かを鷲掴みにするように震わせながら上空を睨み続ける。

ここにきて新しいスペルを発動されたことに焦りを覚えた僕だけど、彼の口から宣言された

このスペルカードの名前を、聞き逃すことはしなかった。そう、確かに聞いた。『電圧』と。

 

 

「まさか⁉」

 

 

嫌な予感を払拭しきれない僕は、頬を生温い汗が伝うのも構わず、薄暗い空を見上げる。

その視線の先に映り込んだものに驚愕し、僕は今度こそ彼の能力に恐れを抱くことになった。

 

 

「雲が集まって…………アレは、雷雲か⁉」

 

『正解だクソガキ‼ コイツはちと扱いづらいが、殺す気でやンなら関係ねェ‼』

 

「気圧変動で雲をかき集めて収束、そこで内部の分子運動を活性化させて…………なるほどね。

見かけや言動によらず、意外と技巧派ってわけか。やってくれるよ、まさか雷を呼ぶとは」

 

 

魔人の突き出した手の上には、幻想郷中の空から雲が千切れて次第に集まりだしていて、

それが段々と黒く着色されながら膨れ上がっているのが、夜闇の中でもハッキリと見える。

急激に動いたことで内部の分子がぶつかり合い、その衝突(スパーク)が青白い雷光の迸りになって、

雲の周囲を駆け巡っているからだ。バリバリという音が、空気の上げている悲鳴に聞こえる。

まさか、本当にまさかだ。空気、熱、水ときて、天候もろとも雷を喚び出す力があったとは。

 

しかも、成長を続ける黒いソレをただ見てるわけにもいかない。雷ならば、通常通りに高い

場所、この状況では紅魔館に降って僕には当たらないと思うだろうけど、それは間違いだ。

雷雲が膨張している場所は、魔人の手の上。つまり、高さは紅魔館の頂上よりも遥かに下。

それに彼は魔力という非科学的要素を有しているから、万に一つも油断など出来ないだろう。

雷というのは普通、真空状態において初めて直進するものだ。雷雨の日に雷が落ちるのを

見たことがある人は分かると思うけど、雷というのはジグザグに折れ曲がりながら落下する。

これは空気中に有る、酸素や窒素などの特定の気体が電気を通しにくいために起こる現象で、

自らそれらの濃いところを避けて通るから、ジグザグと不可解な形状で落ちてくるのだ。

 

けど、それはあくまで自然界の中での話。人為的な、超常的な力の関与が無い場合の話。

間違いなく、彼の放ってくるこの落雷には指向性があるだろう。圧力の操作によるものか、

はたまた魔力という僕の知り得ない領域の作用か、そこまでは分からないけど確実にある。

それに今まで忘れていたけど、雷が落下していくポイントには、他にも共通点があった。

 

標高、すなわち高さともう1つ___________金属製。

 

電気を通すか磁力が通じる金属物質は、空気のような電気抵抗が無いから格好の的になる。

そして僕は今、数こそ少ないものの、持っている。金属の、鋼鉄製のナイフを、服の中に。

 

 

「武器を手放して回避に専念するか、防御も回避も無視して攻撃に全てを賭けるか。

なんとも味気ない選択だ、ギャンブルにさえなってない。それに、あまり時間も無いな」

 

 

ゴロゴロという、飢えた猛獣の唸り声のような音が、未だ膨張を続ける黒雲から響く。

もうそろそろ、内部に溜まった火花が反射を始めて、音を置き去りに輝きを放つ頃だと

結論付けた僕は、これから放たれる攻撃に対してどう動くかを決定すべく思考を加速させる。

方向操作で雷を動かすか? いや、それは出来ない。

僕の能力はあくまで面であって、点ではない。そもそも、予測もつかない雷をどうやって

当たらない場所へと方向変換させることが出来るだろうか。現実味が無さすぎる。

 

 

「ここまで来たら、やるしかないよな」

 

 

ここまで散々やっておいて何を、と彼は言うかもしれないが、もう小細工は抜きだ。

僕の能力の弱点まで突いてきたこのスペルを回避するには、僕自身のやる気の問題になる。

根性論、というヤツだろうか。僕はこういった泥臭いのは好まないけど、こんな場面でも

勝つ手段にこだわって選り好みが出来るほど、僕は真面目でもない。一人の、人間なんだ。

 

勝ちたい、じゃない。

 

勝つ、それしかない。

 

汚くてもいい。醜くてもいい。蔑まれてもいい。罵られてもいい。みっともなくていい。

 

 

「それでも僕は____________お前に勝つんだ‼」

 

『好き勝手ほざいてンじゃねェぞテメェ‼ 俺もテメェに負ける気なンざねェよ‼』

 

「上等‼ 僕は必ず、君の上をいく‼」

 

『ぬかせガキが‼ 必ずテメェを、見下ろしてやる‼』

 

 

息も上がっていて、肺も収縮を繰り返して痛みを訴えてくるけど、まとめて無視する。

今だけは、この時だけは、これからの一瞬だけは、負けられない。勝つための戦いだ。

残りナイフの本数を数え、十八で終わったことに弱音を吐きそうになるもグッと堪え、

大人三人分ほどの大きさにまで膨れ上がった雲の塊を睨みつけ、臨戦態勢に入る。

 

全ての感覚を繋げろ。視覚情報をダイレクトに脚に伝えて、即座に動けるようにしろ。

改造人間としての機能をフルで活かしながら、魔人の手から攻撃が始まる瞬間を待つ。

そして、視界の全てを埋め尽くす閃光が広がり、音が遅れてやってきた。

 

 

「___________ぐッ!」

 

 

その直後、僕の左脚の外側を、凄まじい熱と光が襲い、瞬時にそれらが痛みに変わる。

 

 

「ぐああああッ! あっ、うああぁぁぁあああ‼」

 

 

落雷が襲ってくる時、閃光が僕の視界を奪う事は予想できていたが、問題はそこじゃない。

金属に吸い寄せられて降ってくる雷の性質を逆手に取るつもりで、僕は光に目を焼かれた

瞬間に能力でナイフを身体から残らず移動させて、自分は真横へ回避するつもりだった。

しかし実際はこうなってる。鋼鉄製のナイフの束には目もくれず、落雷は僕が力を込めていた

脚の方を的確に狙って攻撃してきた。その結果、僕の脹脛(ふくらはぎ)は焦げて痺れている状態だ。

下半身から駆け上ってくる痛覚信号の方向を狂わせて、一時的に痛みを感じなくしたけど、

もうこの脚では動くことはままならないだろう。地に足をつけて戦う事は、不可能と断言する。

そうなれば、僕に残された戦闘方法は、1つしか残されていない。

けどそれを使うという事は、僕が持つ最後の切り札を使うという事でもあるのだ。

本当ならばひたすら粘って待ち、ここぞという瞬間を見極めて使わなければならない手だが、

使う事すらさせてもらえずに敗北を喫するくらいなら、一か八かの賭けに出る方がいい。

 

『まず脚だ。ちょこまかと逃げられんようにした。その脚はもう、使い物にはならねェな』

 

「………悔しいけど、君の言う通りだ。この左脚じゃ、ろくな回避もできやしない」

 

『当然だゼ、狙ってやったからナ』

 

「これも、魔力ってやつのおかげなのかい?」

 

『あるモン使って何が悪い⁉』

 

「悪いなんて言ってないし、むしろ僕も同じ考えだ。持っている者は最大限活用するべきさ」

 

『…………ようやくお終いだな』

 

「それは、どうかな?」

 

 

痙攣して力の入らない左脚を庇いながら、ゆっくりと立ち上がった僕は、魔人を見つめる。

機動力を奪ったことで優位になったと思っていた魔人は、僕の言葉と表情に眉を釣り上げた。

自分の勝利を確信しただろう。

 

僕の敗北を確信したのだろう。

 

だからこそ、僕はお前に、この言葉を贈ってやる。

 

 

「お前に、決して明けない"紅き夜"は訪れる_______狩人【CRIMSON NIGHT】‼」

 

 

宣言し、発動したのは、僕が持つ正真正銘最後の(ラスト)スペル。

燕尾服の裏地に仕込んでおいた魔法陣が、大図書館内にある僕専用の霧を生み出す魔導書と

連動したことにより、黒い服の至る所から紅い霧が噴出し始め、僕の身体を完全に包み込む。

 

本来であればこのラストスペルは、360度を紅い霧で埋め尽くし、それら全てに方向の逆転の

効果を付与させることで成り立つ、反射型の耐久スペルとなっているが、これはまだ前半だ。

相手が弾幕を撃てば撃つほど、紅い霧が全てを反射させて戻ってくるし、逆に何もしないと

霧の内部で何が起きているかを把握している僕が、死角からナイフを投擲して攻撃する前半が

終わりを迎える。その"紅き(クリムゾン)(ナイト)"の後に訪れるのが、本当に最後の"深紅(クリムゾン)騎士(ナイト)"なのだ。

魔人に前半の"紅き夜"は通用しないことは分かっている。例え全方位を霧で遮ったとしても、

彼にとってそれが魔力を帯びたものであるのなら、僕以上に専門分野のソレは扱いやすかろう。

大して効果が得られないことが分かっているのに試すほど、今の僕は呑気にしていられない。

だから僕は前半を省略して、最後の戦いを挑む。僕の持つ最強最後の力で、彼に、勝つ。

 

ドーム状に集まっていた霧が次第に収束し始め、僕の身体を中心にして肉体を形成していき、

ものの数秒で全身を紅い霧の甲冑で覆い隠した姿に、"深紅騎士"と化した僕が顕現する。

このスペル発動時には、僕の身体はくまなく霧に覆われているため、完全に宙に浮いており、

負傷した脚を気にすることなく戦う事が出来る。ただ、それはスペルの発動時間内のみ。

消耗が激しいこのスペルの耐久時間は、三十秒。この一分足らずの時間で、僕の全てが決まる。

 

 

「行くぞ‼」

 

 

深紅の鎧を身にまとった僕は、鎧と一緒に生成した巨大な重鎗を右手に構え、突進する。

空中を滑るように移動している僕は、あっという間に雷を降らせている魔人の近くにまで

接近することが出来た。この鎧を装着している間は、この魔力込みの落雷も恐るるに足りない。

僕が構えているこの重鎗か、もしくは能力で鎧のどこからでも射出可能な弾幕代わりのナイフが

彼に着弾すれば、僕の勝利となるはずだ。この数十秒に全てを賭ける。この僕の持つ、全てを!

 

 

「うおおぉぉぉおおぉぉッ‼」

 

 

気づけば意図せずに、僕の喉が咆哮を上げていた。あふれんばかりの叫びが、漏れ出していた。

自分でも気付かないほど、感情が昂っているに違いない。それがきっとこうさせているのだ。

 

勝つ。ただそれだけのために、僕は戦う。

 

やがて雷光が降り注ぐ危険地帯を抜けて、数メートルの距離まで迫った魔人に、鎗の先を向ける。

一撃だ。たったの一撃で、決まる。僕が僕であるための、僕であり続けるための、この戦いが。

 

 

深紅の騎士が、己の持つ鎗の射程距離内に相手を収めた瞬間、ソレはただ口を開いた。

 

 

『テメェの中に今まで閉じ込められてたこの俺様が、コレの対策を練らねェと思ったか?』

 

 

黒い髪の魔人はつまらなそうに語って数瞬の後、ただ一言、宣言した。

 

 

『___________魔人【大いなる神の贋作(アーヴ・カムゥ)】‼』

 

 

巨大な重鎗の先が到達する刹那、そこから黒い風が凄まじい勢いで吹き始めた。

 

「なっ________⁉」

 

 

突然のことで攻撃よりも先に驚愕が勝った僕は、ただ目の前の現実に打ちのめされた。

まさか、彼がここまでするとは思ってもみなかったのだ。彼が、僕に対策を講じるなんて。

驚きと茫然に目を剥く僕の前で、魔人の身体から吹き荒れる黒い風が、一点に集まりだし、

やがてそれは規則正しい気流となってその場に留まり、形あるものとなって顕現した。

深紅の騎士たる今の僕の前に、対峙するかのように現れたソレは、まさしく漆黒の巨人だ。

下から上へと吹き続ける風が、湾曲したりと形を変え、人型となって今そこにいる。

筋肉的な盛り上がりが随所に見られるソレは、間違いなく僕を意識したものなのだろう。

鎧を着込んだ騎士を相手に、筋骨隆々のように見える悪鬼となれば、いい皮肉にもなる。

それでもやはり、この僕のラストスペルのアドバンテージを打ち消されたのは相当痛い。

この僕の姿は、大地に足を縛られないことともう1つ、全長が僕の約二倍ほどあることだ。

僕を丸ごと包んでいるんだから当然だけど、この深紅騎士の鎧はかなり大きめに作ってあるが、

これは見掛け倒しというわけではない。大きいという事はそれだけで、圧倒できるのだから。

しかし相手も同じような大きさになったとしたら、このアドバンテージなど意味を持たない。

同じ体躯で同じ魔力による構成ならば、物を言うのは熟練度よりも互いの状態だ。

 

 

(体力的にもこちらが不利…………けど、そんなのは分かり切っていたこと‼)

 

 

勝てる要素は最初から薄く、負ける要素が幾らでもあったこの戦いは、最初から公平さなど

ありはしなかった。状況が振り出しに戻るというのなら、やはりハンデ背負いと変わらない。

 

勝てる可能性を探る事は、砂漠の中から蒼い砂粒を見つけ出すことと同じくらい難しい。

けど僕は、妥協をしなかった。降伏を認めなかった。己を捨てることを、許さなかった。

 

何としてでも勝つ。何が何でも勝つ。

 

負けられない理由がある。敗けていい理由など一つもない。

 

何が来ようと、何で攻められようとも、何であろうとも、僕は勝利以外を望まない!

 

 

「ああぁぁぁああぁあああぁッ‼」

 

『ガアアァァアアアァァアアッ‼』

 

 

狂ったように、壊れたように、僕らは声を張り上げ、同時に拳を振り上げ、突きだす。

 

 

 

 

身体に撃ち込まれた衝撃にのけぞり、身体に撃ち込んだ衝撃を確かめ、空を見上げる。

 

 

 

もう完全な夜空に変わった空を見上げ、今にも泣きそうに閉ざされた三日月を見た。

 

 

 

 

 

最後の最後に見た景色は、何処までも広く、何処までも暗い空に輝く、星と月。

 

 

 

 

 

 

僕は、星を、見上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『_____________俺の、勝ちだ』

 

 

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか?

本当なら土曜日の午後辺りに書けてたはずなんですがねぇ………本当に私のPCは
機嫌が悪くなるとすぐに再起動かけてきちゃうんですからもう(涙目

紅夜と魔人の戦いの、幕が下りました。
勝者は魔人でしたね。この結末を予想できた方はいましたでしょうか?
ほとんどの方は紅夜の勝利を予想していたと思います。私もそうでした。

次回は、とうとう紅夜の章の終わりとなります(多分)
ですが今のところ、幕間の話も用意してあるので、あと三話ほどは続きます。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十一話「紅き夜、君の名前は」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!


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第七十壱話「紅き夜、君の名前は」



どうも皆様、恒例の悪癖で「幼女戦記」にハマりつつある萃夢想天です。
ターニャ様の狂い笑いが大変よろしい。いいぞ、もっと殺れ(戦争なんだ)

さて、いつものアホみたいな挨拶はこのぐらいにして。

今回のお話で、ようやく紅夜の章が終わりを迎えます!
いや、マジで長かった………この章の開始が去年の一月だったんで、まるっきり
一年経過してるわけですね。私の一年は例大祭とSSで完結してしまいそうだ。


皆様、最終章目前の回、紅夜と魔人の決着をお楽しみください。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

『ハァ………ハァ……クソ馬鹿が。たかが人間のテメェが、俺様に勝てるかよ』

 

 

既に時間は夜も中頃、その闇の下に蠢く黒い風の巨体の中で、俺は静かに毒づいた。

そうだ、コイツが勝てるわけが無かったんだ。最初から、こんなの分かり切ってたさ。

身体能力だけならいざ知らず、魔力を有している俺様相手に魔法の一つも使えないような

ズブのクソ人間が歯向かったところで、勝てる可能性なンざ万に一つもありゃしねェんだ。

そんなことは、決闘を挑もうとする前から分かってた。俺も、そんで、テメェもよ。

 

だから、テメェが無様に負けてブッ倒れていようが、俺様は同情の欠片も恵ンでやらねェ。

 

 

(あァそうさ、そのはずだ…………なのに、何なンだこの感じは!)

 

 

殺し合うことなら慣れてるし長けてる。俺のいた魔界って場所は、殺し殺されが日常茶飯事。

弱い奴から死んでいったし、強い奴だけが生き残れた。力が、あの世界じゃ絶対の法則だった。

 

そーゆー世界で生き延びてきたから、今みたく本気で"遊んだ"ことなンか一度もねェし、

全力を出し切ってでも上に立ちてェなんて思える相手は、あっちには一人もいなかった。

 

それが理由なのかも知れねェ。だから俺は今___________満足しちまってンのか。

 

 

(初めてだ、何もかも全部が。本気で殺すンじゃなく、本気で倒すって考えたのも)

 

 

まさかこの俺が、満足なんてものを感じる日が来ようとは、思ってもみなかったぜ。

でも、悪くはねェ。少なくとも今だけは、染み入るようなこの感覚に浸っていてェな。

 

そう考えてから、倒れたヤツの面でも拝んでやろうかと思って、向き直った時だった。

 

 

『…………ァあ? 何の真似だ?』

 

「よくも、よくも紅夜を‼ 殺す、殺してやる‼」

 

「これ以上、あなたの好きにはさせません!」

 

『テメェら………何してやがる?』

 

 

仰向けになったまま唸ってるあのガキを、俺から庇うようにして女どもが吠えてやがる。

銀髪の方がクソガキの姉だっていうイカれたヤツで、もう一人は格闘がやたら強ェヤツだったか。

弟と同じようにナイフを構え、片や拳を二つ作って睨みつけてくる女どもを見て、何故だか俺は

よく分からねェままに足が止まっちまった。そいつらの目を見て、俺の中に違和感が生まれる。

 

『オイ、テメェらは何を』

 

「美鈴! 私がコイツを殺す‼ 紅夜を何があっても守りなさい‼」

 

「承知!」

 

 

違和感に身体の動きが鈍る中、銀髪の女と茶髪の女がそれぞれの行動を開始し始めた。

手に持ったナイフを一斉にバラ撒こうとする女を見て、まずはその行動を止めさせようと考えた

俺は、持ち前の能力でそれを捻り潰してやろうとした。だがその直前、女の声が耳に届いた。

 

 

「お前がいるからこの子は、紅夜は、こんなにも苦しんで………‼

お前なんかがいるから、お前なんかがいるから、お前なんかがいるから‼」

 

『チッ! やかましいなァ、テメェも弟もよォ!』

 

「ッ‼ 死ね! 消えろ! 私とこの子の前から、消え失せろ‼」

 

『……………』

 

 

口を開けばその分だけ戯言が飛び出してきやがるが、それが妙にハッキリと聞こえた気がして、

俺は能力で空気に圧力をかけるのを途中で止めて、向かってくる銀髪の女の顔を正面から睨む。

すると女も俺の視線に気付いたのか、酷く歪んだその面をさらに歪めて、突っ込んできた。

 

女の吐き捨てた言葉を聞いて、その顔を見た直後、俺が感じていた違和感の正体に気付く。

 

 

(そうか…………ハハッ、コイツぁ傑作だゼ)

 

 

行き着いた答えの意味を理解した俺は、すぐ近くにまで女が殺しに来てるっつーのも無視して、

軽い笑みを浮かべる。ただ、どうしてもその笑みには、俺本来の力強さも何も無くなってたが。

 

そうだ、傑作だ。腹ァ抱えて笑い転げちまいそうだ、こんな、こんな馬鹿げた事あるかよ。

 

(あの女の面ァ見て__________なんでそんな顔すンだよ、なんて思っちまうとはな)

 

 

俺はあそこでブッ倒れてるクソガキの中に突っ込まれたからずっと、ヤツを通してこの世界を

見てきたし、味わってきた。視覚も、聴覚も、嗅覚も、触覚も、味覚も、その何もかも全部だ。

身体を奪い取って好き放題暴れてやった時だって、肉体の感覚はヤツの身体から伝わってきてた。

地底から抜け出して、カラステングだかっつー黒髪の女を助け出して、今日までの四日間。

ヤツの中からそこの赤い館の住人達を見てただけなのに、まるで関わってた気になってやがった。

そこにいたのはあのクソガキなのに、俺がそこにいたように、感じちまってたらしい。

 

いろんな女がヤツに笑顔を見せ、ヤツに声をかけ、ヤツと言葉を交わし、ヤツと唇を重ねる。

それは全部、肉体の本来の所有者だったヤツに対してのものだったはずなのによォ、中から一緒に

見ていたせいか、俺自身もその場で同じ体験をしていたように錯覚しちまってたンだろォなァ。

 

 

(なんて情けねェ。攻撃をためらっちまうなンてよ、俺様も弱くなったもんだゼ)

 

 

どいつもこいつもあのガキに色々していったが、そのガキの視点で俺はそれを見てただけだ。

なのに俺はそれを、同じことをしてるように思い込んでたらしい。自分でも気付かねェ内にな。

こーゆーの、『情が移る』とでも言うンだったか。少し違う気もするが、まぁどうでもいい。

 

銀髪の女も、茶髪の女も、笑ってた。

 

その笑顔を俺は見ていた。だが、その笑顔を見ていたのは、俺じゃなくてそこのガキだ。

女どもに笑顔を向けられた。だが、その笑顔を向けられてたのは、俺じゃなくそこのガキだ。

 

同じ場所に居て、同じ時間を過ごしたのに、俺じゃない誰かにその全てを奪われた気がした。

俺はアイツらの笑顔を見たし、声を聞いていた。なのに、それが向けられてたのは俺じゃねェ。

 

(他人を乗っ取るってのは、こーなるっつー事なのか?)

 

 

アイツらが向けた笑みも声も、そこに含まれていた感情も、俺は全部見て、聞いて、感じてた。

でも実際、それは俺に向けられてたんじゃなく、俺を入れていたガキに対してのものだったンだ。

 

 

『こンな簡単な事をよォ…………今まで気付けなかったなンざ、馬鹿みてェだぜ』

 

 

たまらなくなってそう吐き捨てたつもりだったが、今の俺の言葉にはまるで覇気が感じられず、

それどころか弱々しさすら漂っているように感じられた。本気で、浮かれちまってたンだなァ。

力だけが通用する世界で生きてきた俺様が、何を血迷ったんだか。情けねェ笑い話だぜ。

 

そんな風に俺は、いつの間にか俺の中にあった弱さに、嘆いちまってた。

 

だから、一瞬反応が遅れた。

 

 

「___________咲夜、その必要は無いわ」

 

 

その一言が終わるよりも少しだけ早く、俺の体の内側から魔法陣が構築され、飛び出てきた。

 

 

『あァ⁉ ンだこりゃァ‼』

 

 

人口でも天然でもねェ魔法特有の光に気付いた時には遅く、俺の身体は構築された魔法陣の

もたらす魔法の効果によって、徐々にひび割れて崩れ去り始めていた。何がどうなってる!

 

そこで俺は、自分の体がアイツの肉体じゃねェ事を思い出した。

そして同時に、今の体が、どこの誰によって作られたものだったかも。

 

 

『クソ、あの魔女の仕業か‼』

 

「御明答」

 

 

魔法陣を介して発動されている魔法によって身体が崩れていく中、紫髪の魔女のいる方を

睨みつけてやると、その先に居た魔女が悪びれもせずに淡々と、この状況を語り始める。

 

 

「どうかしら、私自作の自壊魔法の味は」

 

『自壊魔法だァ⁉』

 

「ええ。その身体、元が何だったかもう忘れたの?」

 

『__________テメェのクソッタレ魔法触媒人形(ゴーレム)だろォが‼』

 

「大正解。その魔法は、私が器である人形を制作する際に仕込んでおいたものよ」

 

 

白と黄色の光が明滅するたび、俺の体が中心から少しずつ崩れていき、割れて消えていく。

まるで濡れた泥が乾ききって塵になるような、そんな脆い土くれみたいな身体になった

自分の下半身を、既に腹のあたりまで崩壊が進んでいる上半身の俺が見つめている。

 

時間とともにその速度が速まっていく中で、この罠を仕掛けやがった魔女はただ語る。

 

 

「悪いけど、どちらに転んだとしても紅夜の勝ちは決まってた。あなたの敗けもね。

私は大図書館の魔女なのよ。欲しいと思ったものは、どんな手を使っても手に入れるの。

それに、一度魔女と契約を結んだんだから、簡単にみすみす死なせたりすると思う?」

 

『テ、メェ………! 最初、か、ら‼』

 

「私は紅夜に、もう二度と消えてほしくない。もう二度と、死んでほしくない。

消させないためなら、死なせないためなら、私にできる事であれば何でもするわ。

彼を生かすために生贄が必要だと言うのなら、喜んであなたを死に誘ってあげる」

 

『こ……の………ク、ソ……がァァ‼』

 

「何とでも言いなさい。私は二度と失敗しないわ、今度こそ成功させるのよ。

奇跡的に蘇った紅夜を救うためだったら、魔力が底を尽きるまで魔法を使ってやる」

 

 

淡々と、何でもないようにそう語った紫髪の魔女は、手に持ってた魔導書へさらに魔力を

ぶち込んで、俺の器を軸にして発動している魔法の効果を、さらに促進させやがった。

白と黄色の光がさらに強まって、どんどん侵食が進んでいく。俺という部分がかろうじて

残ってンのは、もう膝から下だけの下半身と胸板より上だけの上半身だけになってる。

それでも止まらねェ魔法陣を忌々しげに睨んだ後で、残ってた右腕を魔女の方へ向ける。

 

能力で空気圧を操作して、あのクソ魔女の周りだけでも真空状態にしてやろうとしたが、

それより先に魔女が次の魔法を打ち込んでくる方が早く、俺の右手が指先から崩れだした。

 

 

『ガアアァァァアア‼ クソ、テメェ………よくも、こんな!』

 

「パチュリー様……」

 

「咲夜、勘違いしてほしくないけれど、これはあなたの為なんかじゃないわよ。

私はいつだって自分主体で行動する。今回の行動も、自分に得があるからしてるだけ」

 

「………素直じゃない人ですねぇ」

 

「あなたほどじゃないわよ、美鈴」

 

「あいや、私は素直ですってば」

 

『クソッタレがァァ‼ テメェら、全員、殺し、てや…………』

 

 

腹の辺りから始まっていた崩壊と、新たに右手の指先から始められた崩壊の速度が増して、

とうとう俺の首元にまで魔法陣が昇ってきやがった。そのせいか、上手く言葉を話せねェ。

不思議なほどに痛みは感じられなかったが、それが逆に"消えていく"ことの実感を失わせ、

もうあとどのぐらいしか存在できないのか分からなくさせてくる。

 

魔法陣の光が、徐々に視界の下の方を焼き始める。もう、消えてなくなるのも時間の問題だ。

崩れてなくなっていく俺を、銀髪は憎たらし気に、茶髪は油断なく、紫髪は満足げに見てくる。

最初からこうするつもりだったなンざ、昔の俺ならとっくに気付けてただろうに。情けねェ。

だがそれでも、俺はこんな終わり方なンて認めねェ‼

 

 

『勝ったのは俺様だ‼ 死んでたまるか! まだこれからなンだからよォ‼』

 

 

そうだ、俺はこんなふざけた死に方をするために、あのガキと本気で戦ったわけじゃねェ。

勝ち取るために、俺の知らない何かを得るために、俺が俺であるために戦って勝ったンだ。

それを他人が、俺とヤツの本気の戦いを嘲笑うようにして決着を塗り替えるなンざ、許せるか。

 

勝ったのは俺だ。だから俺は、俺の望んだものを手に入れられるはずなンだ。

 

もう視界の下半分は光に焼き尽くされている。あと五秒もしねェ内に俺の体は完全に崩れて、

何も残らず無くなっちまうだろう。俺が、俺として生きた時間も、記憶も、何も無いままで。

全部あのガキの中で見ただけの、ただの記録になっちまう。俺が俺である確かな事実さえも、

どこにも存在しなくなる。嫌だ、認めてたまるか。俺は、俺として生きた証を掴むまで。

 

 

『死ん、で、たま………る………か……‼』

 

「死ぬ? おかしなことを言うのね」

 

 

どうにかして生き延びようと考えを巡らせる中で、魔女の声が崩れた聴覚に響いた。

 

 

「死ぬんじゃなくて__________消えるのよ。何もかも全て、存在すらも」

 

その言葉は、とても冷酷で。

 

「いたことすらも消えてなくなる」

 

 

その言葉は、とても冷淡で。

 

 

「だから、安心していなくなりなさい」

 

 

その言葉は、とても冷静だった。

 

 

『_____________ソ、が………ァ』

 

 

視界そのものがボロボロに崩れ落ちていく中、俺は最後の最後まで抗う意思を貫いた。

何としてでも生きるために、何としてでも死なないために、ひたすらもがき続けた。

消えるその瞬間まで続けていたその行動が、何かを探し出せると信じてそれを続け、

音も色も無くなった闇に飲み込まれる寸前、どこか懐かしい感覚に俺は引き込まれる。

 

 

そして、何も、無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い。

 

真っ暗だ。

 

何も見えない。

 

何も聞こえない。

 

あるのは、完全な闇だけ。

 

 

「……………ここは?」

 

 

そんな場所で、僕は目覚めた。

いや、目覚めたという表現が適切なのか、それすらも定かじゃない。

僕は今目を開けているはずなんだけど、辺り一面が一切合切全て黒に染まっているから、

果たして視覚情報が正常に機能しているのかすら不明だ。目が本当に開いているのかどうか

すらも、今の僕には確かめる術が無い。さぁて、この訳の分からない状況はどうしたことか。

 

『_________よォ、やっと見つけたぜ』

 

 

現状の把握に努めようとあちこちに視線を向けていると、背後からいきなり声が聞こえてきた。

先ほどまでの無音と完全な闇からの不意打ちに驚いて、慌てて振り返ってみるとそこには、

ついさっきまで本気の勝負を挑んでいたはずの、見知った顔がいた。というか、魔人だった。

 

黒髪に浅黒い肌、蒼い瞳に巻き角をもつ彼の姿を見て、いよいよここがどこか分からなくなる。

もし僕一人しかこの場に居なかったら、ここは死後の世界だったかもという可能性があったけど、

それだと彼がこの場に居るのはおかしい。最後の最後で、僕は彼の勝利宣言を聞いていたから。

まぁでも、死後の世界というか、それに近い場所になら一度行ったことがあるけれど、その場所は

こんなに何も無い場所じゃなかった。だから、死後の世界っていうのも少し違うかもしれない。

 

そんな風に考えていると、魔人は空中であぐらをかきながらこちらの顔を見て笑い出した。

 

 

『しけた面してやがンなァ。それが勝った奴のする面か?』

 

「しけたも何も僕は_________って待て、今なんて言った?」

 

 

普段以上にふざけた態度でバカにしてきたから見逃すとこだったけど、聞き逃さずに済んだ。

今、確かに彼は、「勝った奴」と言った。何に、などと聞き返すほど僕は馬鹿じゃないけど、

意味が理解できない。だって最後の瞬間、薄れていく視界と意識の狭間で、僕は自分の敗北を

驚くほどハッキリ認識していたのだから、弾幕ごっこの決着としては僕の敗北に間違いはない。

彼の言葉に違和感しか感じなかった僕は、彼からの返答を待たずして再度問い直す。

 

 

「答えろ。今、君はなんて言ったんだ?」

 

『あァ? 今言った通りだろーが。テメェ頭どころか耳まで悪くなっちまったか?』

 

「真面目に答えろ! あの弾幕ごっこの最後で、僕は確かに聞いたんだ!」

 

『何をだ?』

「何をだって………君が、『勝ったのは俺だ』って言ったのをだけど」

 

『あァ、言ったな。だが結果的には、俺の負けだ』

 

「だから、それが何故だって聞いてるんだよ‼」

 

 

おかしい。何が、とまでは分からないけど、何かがおかしい。絶対におかしい。

 

先ほどまで僕が感じていた違和感は、今では完全に疑惑になり代わってしまっているけど、

その原因は目の前に居る魔人の言動に間違いない。でも、どういうわけか魔人はいつも以上に

飄々とした態度で、僕からの問いかけをはぐらかしている。いったい彼に何があったのだろう。

僕が魔人の返答に猜疑心を掻き立てられている最中、その魔人が観念したように呆気なく答える。

 

 

『テメェと俺が最後の最後で切り札のぶつけ合いになった後で、あの紫髪の魔女にしてやられた。

俺が入ってた器に、任意で仕掛けておいた魔法を発動させてよォ。器が勝手に崩壊しやがった』

 

「パチュリーさんが…………ゴーレムに、そんな仕掛けがあったなんて」

 

『ンあァ? オイ待て。テメェがあの魔女と一緒にやったんじゃねェのか?』

 

「僕が? 僕だって今初めて知ったんだけど?」

 

『………………そうか』

 

 

ところが、魔人の口から語られたその話は、僕の想像をはるかに超えるものだった。

彼の話したことが本当ならば、パチュリーさんが作ってくださったあのゴーレムには最初から、

移った魔人を確実に殺すことを念頭に置いた作戦のもとに作られていたのだろう。

僕が勝っていたにせよ敗けていたにせよ、その魔法が発動した時点で魔人が入っていた器自体が

壊れていくのだから、最終的な勝者は僕になる。勿論、「生き残った者が勝ち」という広い意味の

解釈になってしまうけれど。でも、それをされた身としては、僕も共犯と疑ってもおかしくない。

 

ただ、気になったのはやはり彼の反応だ。

僕が共犯を否定しても、普通はそれでも疑い続けてなかなか容疑は晴れない。なのにさっきも、

一言だけ『そうか』と呟いただけで、言及の一つもなかった。これはいよいよ、本当に妙だ。

しかし今はそんな事を言ってる場合じゃない。この暗黒の空間がどこなのか突き止めなければ。

 

思い至った僕は周囲を探り始める。すると、彼が不思議そうに尋ねてきた。

 

『ンで、テメェはさっきから何してやがンだ?』

 

「見て分からないかい? 出口か、それに類する何かを探しているのさ」

『出口? 何のだ?』

 

「………この訳の分からない場所から、元の世界に帰るための出口だよ」

 

『あー、それなら気にすンな。ここはテメェ自身の心の中、正確には意識の内側だな』

 

「…………どういう事かな?」

 

『あァ? それはアレだ。要はテメェの意識の中って事だ』

 

「僕の、僕の中?」

 

 

思わず同じ言葉を繰り返してしまった僕に、魔人はただ一度首を縦に降ろしただけ。

どうやら本当に、ここは僕の精神内らしい。死後の世界やら精神世界やら、僕は何かと異世界に

面倒な縁が多いみたいだ。しかし、入ってこれたのならば必ず出られる場所もあるってこと。

今すべきことは出口を探してここから脱出すること。自分の精神から脱出するというのも、

言葉にしてみると違和感丸出しな状態には他ならないが、事実なのだから仕方がない。

 

ただ、ここから脱出する前に一つだけ、ハッキリさせておくべきことができた。

 

 

「なぁ、一ついいかな?」

 

『あァ? なンだ?』

「あの弾幕ごっこ、結局のところ、勝者は僕だったのか? それとも、君だったのか?」

 

『………愚問だな』

 

 

それは、僕がこの場所に来るまでに目の前の魔人と対決していた、弾幕ごっこの勝敗。

最後は突然目の前に現れた黒い巨人に向かって拳を振るったところで、それ以降はまるで何も

覚えていないから、きっと気絶でもしていたんだろう。格好悪い話だけど、多分間違いない。

そうなれば、彼の勝ちになっていたに違いない。彼自身も、そう言ってるみたいだし。

 

でも、ゴーレムを破壊されたとあっては少々話が変わる。となれば、どうなるのか。

肝心なのはその部分だ、そこを聞きたい。そう思って尋ね返すと、意外にも答えてくれた。

 

 

『最終的に生き残ったのは、テメェだろーが』

 

「でも、でも僕は勝負には負けていた! だから君はあの時、確かに………」

 

『うるせェな! 何度も言わせンじゃねェぞクソガキが! 俺が敗けて、テメェが勝った‼

それだけだし、それが全てだ! いいか、二度も同じことは言わねェからな‼』

 

まるで、誤魔化しているかのような猛り具合に、先程から続いていた違和感がさらに増す。

疑念が際限なく膨らんでいくの感じる。本当に、コイツはあの魔人なのかすら疑わしい。

僕が知っている彼は、常に自分至上主義で、若干戦闘狂っぽいところがあったりもしていて、

触るどころか近付くだけでケガをしてしまうような、そんな荒々しい雰囲気があったのに、

今では欠片ほどしか感じられない。相変わらず口は悪いんだけど、何か違う気がする。

前までのように、ただがむしゃらに吠えたてる犬のようじゃなく、例え方が分からないけど、

とにかく以前の彼とは何かが違うという妙な確証を僕は得ていた。

 

僕ら二人の言葉以外は完全な無音の中、しばらくして気持ちの整理がついた僕は静かに語る。

 

 

「________いや、僕の敗けだった。身体は約束通り、君が持っていけ」

 

『あァ⁉』

 

 

明らかに想定外の事が起きたというような驚き方をする魔人に、同じ言葉を繰り返す。

身体の所有権を自ら放棄する、と言った僕の真意が理解できないらしく、珍しく混乱した様子の

彼を見ていると、納得できないとばかりに顔を歪めていたので、大人しく本心を話すことにした。

 

 

「やっぱり、どう考えても僕はあの時敗けていた。そこでもう、決着していたんだよ。

君の勝利はあの時点で確定していた、だから当初の約束通りに身体を明け渡してやる」

 

『テメェ、何考えてやがる』

 

「別に何も、と言いたいところだったけど、実は二つだけあるんだな」

 

『やっぱりなァ。ンで、そりゃなンだ?』

 

「…………僕の身体はくれてやる。けど代わりに、紅魔館の住人に一切手を出さないこと。

そしてもう一つは、文さんの無罪放免の為の協力をすること。コレを絶対に守れ、いいな」

 

 

確固たる意志を以て、目の前の魔人の青い眼を射貫くように見つめ、そう締めくくる。

今言った言葉には、一つしか嘘は無い。お嬢様たちの安全と、文さんの釈放が確認できたなら、

万々歳だろう。僕がついた最後の嘘は、『身体を渡したくない』ってところだ。

 

紅魔館のみんなが無事でいられることも、文さんが何にも縛られることなく自由に生きられる

ことも、どちらもとても大事なことだ。僕の体の事なんか、その二の次だろうと構いはしない。

でも、だからって自分という存在を消したいわけじゃないし、本当なら渡すのも嫌に決まってる。

けれど、一度交わした約束は守らなければならない。それに、コレを言うのは恥ずかしいけれど、

僕はこの魔人を、彼の事を、いつの間にかいるのが当たり前にという認識になってしまっていた。

 

ああ、嫌だ。本当ならこのまま帰りたい。みんなの待っている、あの紅魔館に戻りたい。

だけど、僕はあの決闘に負けた。もとから取り決めていた約束を、破るわけにはいかない。

そのために先ほど語った条件を付けた。これさえ守られるなら、僕は消えても構わないからだ。

お嬢様方の安全も、文さんの事件も、彼が引き受けてくれるのならば、それは代わりということ。

僕じゃない僕だけれど、身体は僕だったんだから問題ない。彼が僕になって引き継いでくれれば。

『冗談じゃねェ‼ ふざけンな‼』

 

 

ところが、そんな淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。

 

 

「お前、人の最期の頼みくらい聞いてくれてもいいだろう⁉」

『………俺は他人のしたことにまで責任を取るつもりはねェ。テメェの不始末はテメェがつけろ』

 

「もっともな言い方しやがって……それくらいならいいだろうが‼」

 

『……………………』

 

 

僕の最期の願いを聞き入れてもくれない魔人に苛立ちを覚えるも、彼はすぐ押し黙ってしまった。

それが続くこと十秒以上、長い沈黙から立ち上がった彼は、いつもの剛毅な態度はどこへやら。

やけに弱々しい感じの雰囲気をまとわりつかせながら、力なく語りだした。

 

『テメェの身体を使っても、結局は何したってテメェの記憶になるし、事実がそうなる。

何をどうしようが、それをしたのは俺じゃなくテメェだ。俺は、どこにもいやしねェ』

 

「お前………」

 

『テメェの中から世界を見てたせいで、感覚がおかしなことになっちまったようだぜ。

笑えることに、テメェに向けられてたモンを俺にも向けられたモンだと勘違いもしてな』

 

「……………」

 

『結局、俺がテメェの身体を使って何をしようとも、俺がそこにいるって証明にはならねェ』

 

 

遠い遠い、どこか別の場所を見上げながら語っているような口ぶりに、僕は困惑した。

これが本当にあの魔人なのかと。疑いもますます深まった。けれど、それとまた同時に、

敵として認識していた彼への僕の態度が、少しずつだけど確実に変化していってる実感がわいた。

それでも納得がいかずに無言のままでいる僕に、魔人は頭を掻きながらふざけた口調で話す。

 

 

『それに、さっき言ってたテメェの条件だが、ンな面倒クセェことやってられっか!

なンでテメェが出来なかったことのツケを、俺様が清算してやらなきゃならねェんだ?』

「そ、それは………」

 

『…………だァーッ、クソ! 分かった分かった、テメェの身体は俺様がもらってやる。

ただし、さっきの条件とやらはぜってー飲まねェからな』

 

「お前、自分に都合のいいように‼」

 

『ただし、だ』

 

長引く話を無理やりにでも終わらせようとする魔人が、僕に人差し指を突き立てる。

 

 

『テメェの身体は、この俺様が確かに、約束通りにいただいてやる。

だが、俺が使わねェ時には、仕方ねェがテメェに貸してやってもいいぜ』

 

「________え?」

 

 

そして、思わぬ提案が成された。

 

 

「ま、待て! お前、何考えてるんだ⁉」

 

『今言ったとおりだクソガキ。なンか文句あっか⁉』

 

「い、いや。ないけど、さ………」

 

 

本当に、何が何だか分からない。魔人に何が起こってるのか、理解が出来ない。

アレだけ自分の身体を持つことにこだわっていた彼が、何故ここで執着心を放棄して、

あまつさえ僕に勝ちを譲るような真似をしたんだろうか。一向に考えが読めない。

 

どうやら何も考えていないってわけじゃあなさそうだけど、どうにも気になるなぁ。

あの魔人が、わざわざ僕に親切にするメリットなんて、果たしてあるのだろうか。

一度疑ってかかれば、際限なく思考が泥沼に埋もれていく。ああでもない、こうでもないと。

そうしていると、ようやくスッキリしたような顔になった魔人が、笑みと共に語る。

 

 

『俺様の心の広さに、感謝しやがれ』

 

 

その言葉は、何の混じりっ気も無く、ただ彼が語った言葉にしては、純粋だった。

警戒していたのに拍子抜け、というか毒を抜かれたようにしぼんだ僕の警戒心に引きずられ、

頭の中をグルグル回っていた思考に一度歯止めをかけて、考える事を止めようと思ってしまった。

 

何だかもう、色々真剣に考えたこっちが、馬鹿らしくなってきたのだ。

 

彼が何を目的として、わざわざ譲歩するような真似をしてきたのかは、まだ謎のまま。

それはいつか絶対解明するとして、今だけは。この時だけは、彼のその言葉だけは。

 

信じてみてもいい、とそう思えた。

 

 

「君にも、広がるだけの心があるんだね」

 

 

脱力させられた仕返しに、さっきの魔人の言葉に意趣返しの意を込めた言葉を送り返す。

どうせ逆上するんだろうなと身構えていると、またしても意外な反応を見せつけられた。

 

 

『…………そう、らしいな』

 

 

僕の口にした、何でもないその一言に、彼は驚き、そして笑っていた。

 

 







いかがだったでしょうか?

さてさて皆様、今回にて一年続いた【魔人死臨】の章も完結となります!
本当に長かった……なんて遠い回り道。皆様、ありがとうございます。

しかし、そんな締めくくりの作品を半分寝ながら書いていたという事実。
そのせいで元々酷かった文章が、さらに拍車がかって酷くなっております。
目も当てられないかも知れませんが、どうか生暖かく見守っていただければと。

先ほど完結と申したばかりですが、前々から言っているようにあと弐話ほど
お話を続けて書く予定です。次の章に向けての補完と、幕間みたいなものかと。
それと、来週は一身上の都合で、更新することができません。
次回は早くても再来週になってしまいます。御迷惑をおかけいたします。
毎度ながらの勝手ではありますが、その分次回は張り切らせていただきます!

さぁ、いよいよ最終章に突入というわけですか………今年中に終われるかなぁ。


それでは次回、東方紅緑譚


幕間「紅き夜、彼を巡る六重の想愛(前編)」


ご意見ご感想、並びに批評も大募集中でございます!


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幕間「紅き夜、彼を巡る六重の想愛(前編)」





どうも皆様、今週は書かないといっていたはずの萃夢想天です。
予定を一週間分きれいに間違えていまして。忙しいのは来週からでした。

さて今回、というよりも今回と次回の前後編でお送りする幕間ですが、
これは前回完結した章のキャラたちの補完ストーリー的な感じになります。
基本的には後日談、そして次の章が始まるまでの前日談という具合ですね。
タイトルから分かる通り、彼を巡って六人の女性たちがアレコレするという
話にしていくつもりです。さて、その栄えある六人とはいったい誰でしょうか。

幕間なので、本編より少々短めになりますが、ご了承ください。
それと次回は完全に再来週となります。こちらもご容赦くださいませ。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

______________フランドール・スカーレットの想愛

 

 

 

 

幻想郷の朝を明るく照らす太陽と、夜を淡く彩る月との位置を入れ替えようとした【暒夜(せいや)異変】

 

その異変を起こした主犯の少年と彼に偶然宿ってしまった魔人とが、己の存在理由と全てを賭けて

死力を振り絞った本気の弾幕ごっこが幕を閉じてから一夜。その少年、十六夜 紅夜が血より赤い

紅魔館へ帰ってきてから六日が経過したこの日の夜、彼は自身が仕えている主人が待つ館のテラス

へと向かっていた。

 

館の中心にそびえたつ時計塔の正面に位置するそのテラスは、よく図書館の本を強奪しに現れる

侵入者と、それをさせまいとするメイド長が決闘をする時に、広くて戦いやすいという理由で

使われる場所だ。天井も無ければ空を遮る屋根も無い、開放感あふれるそこへ、紅夜はいつもの

燕尾服で足を運んでいる。彼の足取りは、ここ最近の事情もあってか、目に見えて軽かった。

 

黒曜石が溶けて浮かんでいるような夜空の中で、儚げな美しさを青白い光と共に輝かせる三日月が

果てのない闇の頂でピタリと静止し、血よりも赤い館の醸し出す怪しげな雰囲気に拍車をかける。

白銀の髪を一歩ごとに揺らす少年がテラスに辿り着くと、粉々に砕けた宝石をちりばめたかにも

思える漆黒の空を見上げている、歪な形状の翼を背に生やした金色の髪の少女が彼を待っていた。

 

己の総てを捧げた敬愛する主人に対し、絶対的忠誠を抱く臣下は、深々と頭を下げて述べる。

 

 

「お嬢様、お待たせしてしまい面目次第もございません」

 

 

紅夜にお嬢様と呼ばれたその少女、禁断の吸血鬼フランドール・スカーレットは微かに笑う。

 

 

「いいの、ここに呼んだのは私だもん。ありがとう、紅夜」

 

「もったいなき御言葉」

 

 

およそ495年もの歳月を狂気の坩堝(るつぼ)の中に生きていたとは思えぬほど、その笑顔は澄み切り、

あまつさえ呼びつけた側である主君が命令を聞いた執事に礼を口にする優しさを見せた。

当然臣下の彼には主人の言葉はあまりに尊く、下げていた頭をより一層誠意と共に深く下げる。

しかし、いつまでも主人を椅子も何も無いところで立たせておくわけにはいかないため、

彼は自身の持つ能力と彼の中に宿るもう一人の助力によって、そこに一つの椅子を作り出す。

先程までは何も無かったテラスに、夜の闇にあってもなお目を惹く紅の霧で作られた豪奢な玉座が

設置され、それを見て眼を丸くするフランに、執事たる彼はただ黙って平手を向けて促した。

程度の能力と多少の魔力によって形成された霧の玉座は、おそるおそる腰かける幼げな主人の

身体にピッタリと合うサイズになっており、さらには独特な感触で驚愕と感嘆の声が上がる。

 

 

「ちょっとヒンヤリしてるけど、すっごくふかふか…………私にちょうどいい椅子だわ!」

 

「何よりでございます、お嬢様」

 

「やっぱり、紅夜はすごいわ。何でもできるんだもの!」

 

「お嬢様が御望みとあらば、何でも」

 

 

玉座の肘掛けの凝りように興奮するフランは、自慢の執事にして愛する彼を手放しで褒め称え、

それを受けた紅夜もまた、敬愛する主人の命令であれば全て成し遂げようと微笑んで答えた。

幻想郷の真夜中の空の下、欠けたる月の真下にて、禁忌とされてきた少女は紅い霧の玉座に

あどけないながらも気品を損なわずに座り、その背後に控える白銀の執事は無言で控える。

臣下である以上は、出過ぎた真似をするなど以ての外である。だが今日の彼は違った。

 

普段ならば主君の背後で静かに控え、いつ命令が下されても迅速に対応できるようにするのが

本来の彼の姿なのだが、今回はおもむろにフランの、主人の前へと回り込んで膝を折った。

片膝をつき、左手を右脇腹へ折り込む忠誠の構えを取る彼は、ただ静かにその口を開く。

 

 

「お嬢様、不躾ながらこの紅夜……………今一度、貴女様にお伝えすべきことが」

 

「何かしら?」

 

「失礼ですが、御手を拝借いたします」

 

 

恭しく頭を垂れる紅夜を見て最初は訝しんだものの、フランは足を優雅に組んだままの姿勢で

ゆっくりとした動作で右腕を伸ばして、その先の右手を彼の目と鼻の先まで動かして止める。

何をするのだろうかという期待に胸躍らせる中、彼はその白く細い幼子の手を大事に包み込み、

何度も温もりを確かめるように撫で回した後、少し身を浮かせて主君の手の甲に唇を当てた。

 

いわゆる、『永遠の忠誠』を約束する定番の仕草の後に、その体勢のまま彼は誓いを立てる。

 

 

「この十六夜 紅夜、世界に夜が訪れる限り、貴女様へ変わらぬ永遠の忠誠を誓います」

 

大事そうに、とても大事そうにその手を指で撫でてから、紅夜は主人の手を放す。

彼の取った行動の意味を理解したフランは、彼の温もりが直に触れた右手の甲をまじまじと

見つめた直後、うっとりとした様子のまま左手で彼の唇が触れた場所を静かに包み込む。

 

「紅夜………」

 

「新たに与えられたこの第二の人生、その全て、再びお嬢様に捧げます」

 

 

次いで語られたその言葉が、フランの鼓膜を伝って脳に届いた瞬間、彼女の心は飛び跳ねた。

 

この世に生まれ落ちてからずっと、495年もの長い長い年月を、たった独りで過ごさなければ

ならない『運命』に縛られていた彼女は、外から来たという目の前の少年に全てを変えられた。

彼がいなければ、彼女は自分の手が、万物を破壊する力を宿すその手が、誰かと繋げることが

できる日が来るなどとは夢にも思わなかった。叶うはずないと諦めていた。だが実現した。

 

紅夜がフランの望みを、孤独を、渇望を、狂気を、歪んだ心を、全てを受け入れてくれた。

初めて出会ったあの日、彼が執事になって仕えてくれると誓ったあの日、ずっと一緒にいると

約束してくれたあの日。たった一日の出会いが、禁忌に縛られる少女を解き放ったのだ。

そんな優しくて頼れる男性に、何も知らない純粋な少女が心を奪われないわけがない。

 

そして今もまた、彼は一度死んで蘇った後でも、こうして仕えてくれると誓ってくれた。

 

幼子の『好き』を遥かに超越した感情を、禁忌の吸血鬼が抱いても何もおかしくはないのだ。

 

 

「…………ねぇ、紅夜」

 

「はい、お嬢様」

 

 

まだ右手の甲を愛おしそうに眺める彼女は、そのままずっと頭を垂れていた恋い焦がれる執事に

声を掛け、予想通りに反応が返ってきたところで、少しの迷いもなく考えていた事を口にする。

 

 

「私も、私もあなたに誓いたい!」

 

「誓い、でございますか? 僕に?」

 

「うん、そう! ね、いいでしょ?」

 

「は、はぁ………」

 

 

一度言ったら聞かない、というよりも、ワガママを言い出したら聞かないという性格であると

熟知している紅夜は、一体何をなさるつもりだろうかと懸念しつつも主人の言葉に首肯した。

 

「じゃあね、えっと____________」

 

「…………お、お嬢様。ソレは流石に問題がございます」

 

「でも………」

 

「僕も、それをしてどうなるか想像もつかないのですから。御止めになった方が」

「それくらいなら大丈夫よ! ね、いいでしょ? お願い!」

 

「……………分かりました。僕も、覚悟を決めましょう」

 

 

そこから彼は、内緒話をするように耳打ちをされて伝えられた内容を少し渋ってみたものの、

主人からの御言葉とあっては無下にするわけにもいかず、実行に移すための行動を開始する。

 

困ったように眉をハの字に曲げながら、キッチリと着こなしていた執事服をわざと着崩して、

月の淡い光りを受けて艶めかしさすらもうかがえるその首筋を、よく見えるように突き出す。

幼子のようであれど、その中身は吸血鬼に変わりはない。真っ白に映える柔肌を前にして、

首筋にかけて体内に張り巡らされている愛しい人の首を前に、彼女が我慢できるはずもない。

 

紅き霧の玉座から立ち上がったフランは、差し出されたその首筋に向かって歩き出していき、

彼のその白い肌と浮き上がった血管めがけて、吸血鬼である彼女はその牙を突き立てた。

 

 

「じゅる………ずずっ、ちゅっ…………ちゅる、んくっ」

 

「あ、ああっ!」

 

 

真夜中の月下、二人しかいない紅魔館のテラスに、小さく幽かな水音が風に乗って流れる。

二、三度ほど液体を(すす)った後で、こくりと液体を嚥下する音が何度も繰り返され、

それは幾度も幾度も鳴らされ続けた。フランは、ここで初めて愛しの彼の血を飲んだのだ。

 

(咲夜が前にお夕食で出してくれてた血のスープよりも、こっちは……………苦くて濃いわ)

 

 

ちゅうちゅう、と音を鳴らして首筋に吸い付くフランは、突き立てた犬歯の先から零れる

愛しい彼の血液を口腔に含んで、その味を楽しもうと考えていた。けれど今まで吸ってきた

どの血液とも違う味覚を伝えてくる彼の体液を、彼女は眉根をひそめつつも味わった。

 

余談だが、フランは当然レミリアの妹であるから、その食事も全て一級品が使われており、

間違っても麻薬成分や化学薬品が大量に混じった不純液など、飲んだことは一度も無い。

味わったことのないものを味わったからか、はたまた幼さが残る身体組成の影響か不明だが、

彼女の舌と味覚は、未知の感覚を与えてくるその液体が、その味が癖になってしまっていた。

 

 

(でも、なんか頭がぼーっとして…………気持ちよくなってきたかも)

 

 

舌の上がビリビリと痺れる感覚が、舌の根の辺りにじんわりと広がる特有の濃い苦みが、

純粋で健康的な血液しか知らなかった箱入り娘の味覚を汚し、快楽となって全身を駆け巡る。

新しい世界に一歩踏み入ってしまった彼女は、吸うだけでは飽き足らずに小さな舌を使って、

彼の首についた傷跡をミルクに夢中になる仔犬のようにペロペロと舐め回し始めた。

 

血を吸われること自体が初めてだった彼に、主人の舌が首筋を拙くも忙しなく動くことなど

想定できていたはずもなく、突如として始まったその感触に、ただただ慌てるしかない。

 

 

「お、お嬢様⁉」

 

「あむ、ちゅぅ…………れろ、えう…………ちゅぱ……じゅる」

 

 

一心不乱に小さな舌で懸命に血を舐めとるフランと、その舌の動きがぞわぞわとした快楽に

変わりつつあることに耐え忍んでいる紅夜は、互いに白い首筋に全神経を集中させている。

だがその意味合いは当たり前だが異なっている。フランは自分の愛しい彼の首から流れ出る

紅い体液の味に夢中だが、紅夜は敬愛する主人の行動によってもたらされる温かく柔らかい

感触で、変な気を起こさないようにと必死に己を律しているのだ。

 

そんな彼の心中など知る由も無く、彼女はただ欲するままに、彼の体液の味に酔い痴れる。

 

 

(コレ、好きぃ………お姉様が言ってた『大人の味』って、この事だったのね!)

 

 

何度味わっても慣れない濃さと苦さを、フランは前に姉から聞いていた言葉を都合よく

当てはめて、コレがそうなのだと勝手に納得してしまう。それからしばらく、時間にして

約一分間ほど彼の熱い体液を堪能した彼女は最後に、傷跡を癒すように舌を使って丁寧に

首筋を舐め回す。ぴちゃ、と水音を立てて離れていく彼女の唇には、彼の首の傷との間に

結ばれた粘性の高い糸があり、つつーっと伸びていくソレはやがてテラスの床へと消えた。

 

口の端から垂れていた血と涎の混じった液体を指で掬ってそれをしゃぶり、後始末を完全に

終えたフランは、自分の唾液で濡れた指をそのままに、呆けている彼の頬にその手を伸ばす。

自分の頬が濡れた感触で正気に戻った紅夜は、三日月の真下で紅い瞳を怪しく輝かせている

主人の姿に、これまで感じたことのない威厳のようなものを感じ、表情を険しくさせた。

 

固い顔つきになった執事の頬を撫でながら、禁忌の主人は蠱惑的な響きで誓いを口にする。

 

それはつい先程、目の前の彼が自らに立ててくれたのと、同じ口ぶりでの誓いだった。

 

 

「我が従者、十六夜 紅夜に紅い血が流れる限り、貴方に変わらぬ永遠の愛を誓います」

 

 

壊れないように、壊さないようにとその頬を撫でてから、フランは紅夜から手を引く。

彼女の行動と言動の意味を理解した紅夜は、彼女の温もりが直に触れた左の頬を触って、

熱に浮かされたような表情になり、少し濡れているそこを右手で優しく包み込んだ。

 

「お嬢様………」

 

「紅夜が解放してくれた私の未来、この先もずっと、紅夜だけに捧げるわ」

 

恥ずかしそうに頬を染め、それでも目線だけは外さずに言い切った主人に執事は頭を下げる。

真下を向いた彼の目線は床へ突き刺さるが、今の彼は全く別のものを見ていた。

 

 

(お嬢様…………あれほど、あれほどワガママでいらっしゃったのに、いつの間にこれほど!)

 

彼はその目で見ていなくとも常に考えているのは、己が仕える主人についてであった。

初めて出会った時は精神が不安定で、何をきっかけに暴れだすか分からないほどに危険な

状態であったが、それは自分が執事として仕え始めてから少しずつ改善されていった。

勿論いきなり変わったわけではなく、彼女の自室である地下牢で彼女の要求を可能な限り

呑み込みながらも、主人を一人前の淑女にするための教育を彼が徐々に施していたのだ。

けれど彼女は中々変わろうとしなかった。495年もの間を孤独に過ごし、心を壊していた

彼女が、翌日には完璧な淑女になることなど当然有り得ず、紅夜自身もそんなに早くは

変われないだろうと覚悟していた。ただ、彼は自分に残された時間の少なさを理解して、

なるべく早く主人を立派にするために、彼女の事を常に考えて生活していた。

 

ところが今、目の前で主人は、何をしただろうか。

 

あのワガママばかりですぐに癇癪を起こす主人が、臣下で執事の自分に、愛を誓ったのだ。

内に宿る魔人との騒動の中で一週間ほど見ない間に、それほどまでに成長した姿を見せられ、

それが自分の行いがついに実を結んだ結果なのだと思うと、歓喜せずにはいられない。

甘えてばかりだった彼女がここまでたくましくなった、紅夜の視界は涙でにじんでいた。

 

 

(お嬢様、お嬢様! こんなにも成長なされて…………感無量でございます‼)

 

 

その喜びはもはや心中に留めておくことなど出来ず、歓喜の滴となって彼の紅い瞳から

ポロポロと立て続けに流れ落ちていくが、下を向いていて気づかれることはなかった。

彼の中にいる、約一名を除いては。

 

 

『…………………アホくせェ』

 

 

目の前(というか同じ視点)で主人と臣下の愛の誓いを見せられた彼、紅夜に宿った魔人は

ただただ、震わせて泣いている自分の器である少年に、冷ややかな視線を投げつける。

 

片眼を閉じたような三日月が淡く輝く中、歪んだ吸血鬼と壊れた人間が、巡り合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________古明地 さとりの想愛

 

 

 

 

 

ここは忘れ去られたものの集う幻想郷の中でも、恐れ疎まれた者が流れる【地底】

 

大地の底、もとは地獄が経費削減の為に取り払った灼熱地獄跡地に移り住んだ者たちが

築き上げていった荒くれ者たちの最期の楽園。旧都と呼ばれる地は、今日も明るかった。

酒盛り、喧嘩、乱闘、飲み比べ。数え上げればきりがない量のいざこざが、この地底では

何よりの話のタネとなり、また酒の肴になる。要するに、日がな暇ですることが無いのだ。

そんな中で、地底に暮らす者なら誰もが知っている"ある妖怪"の噂話が、三日ほど前から

どこの店の酒席でも挙がっており、ソレが広まってもはや持ち切り状態になっていた。

 

 

『_______地霊殿の主が、病に倒れた』

 

 

地底の西端に位置する場所にそびえ立っている、荘厳な気配を漂わす巨大な洋館。

そこに住まう者の頂点に君臨する妖怪が、何やら病状を患って床に臥せっているという話が、

今や地底のどこに行っても聞けるほど大きな話題になっていた。それも、悪い意味で。

 

地霊殿の主の名は、古明地 さとり。『心を読む程度の能力』を持つ、覚り妖怪である。

彼女の前ではあらゆる企てが露見し、巧妙な嘘であろうとも目を合わせただけで看破される。

まさに対人においては無敵とも思える能力を有する存在が、病気で自室にこもっているという

噂は、むしろ地底の者どもからすれば喜ばしいとすら思えるほどの良い知らせであった。

 

彼女は元々、あまり地霊殿やその近辺から出てくることが少ない。しかし、彼女が出張れば

その先にあるもの全てがたちまち見抜かれてしまい、客商売は繁盛しなくなってしまう。

嘘をつく方が悪いのは当然なのだが、その嘘を見抜く力を持つ少女が何よりも恐ろしく、

また何よりも疎ましいと感じるのがここの荒くれ者どもだ。このままずっと病に冒されて

いればいい、酒に酔って口走る者が後を絶たない地底は、皮肉にも今日も平和であった。

 

 

そんな酷い噂が立てられている中で、当の古明地 さとり本人はというと。

 

 

「……………………」

 

 

火のない所に煙は立たぬ。噂の通りに、自室に閉じこもったまま時間を過ごしていた。

しかし、やはり噂は噂でしかなく、本当の事とはどこかしら一部分でも違ったりする。

現に彼女は何の病気にも罹っておらず、地霊殿にこもって日々を過ごしているという点では、

いつもと何も変わりは無い状態である。ただ、健康体であるかと聞かれれば、即答しかねる。

 

 

「すぅ………はぁ……」

 

 

彼女は今、自分の寝具(ベッド)の中で小さくなっている。しかし、時刻は真昼を過ぎていた。

地霊殿の主として厳格者である彼女にしては、こんな時間になるまで眠りこけているなど、

あまりに不摂生過ぎる。だが彼女は眠っているのではなく、その三つの瞳は開かれていた。

 

 

「……すぅ………はぁ……」

 

 

薄桃色の前髪から覗く幼さが残る二つの瞳と、左胸から覗くケーブルと繋がった赤い一つの

目玉、そのどれもが目の前にあるソレを一点に見つめ、さとり自身もソレに顔をうずめる。

彼女が顔を押し付けると、ソレはくしゃりと形を変えるものの、特有の質感を押し返す。

 

さとりが抱きしめ、顔をうずめているもの。ソレは、乾いて黒ずんだ血染みがついた燕尾服。

 

そう、数日前までこの地霊殿に住まい、彼女と共にいた記憶喪失の青年が着ていた服である。

 

 

「はぁぁ………すぅ………んん……」

 

 

元から黒一色であったその礼服は、より濃い黒い染みが重ね塗りされて禍々しい様相を呈して

いるのだが、彼女は乾いた血糊が顔に張り付くのも構わず、無心でソレを抱きしめ続けた。

 

彼女が今も抱きしめている燕尾服は、数日前に地底にやって来た謎の人物が着ていたもので、

そこに居合わせた鬼の頭領たる星熊 勇儀と血みどろの激戦を繰り広げた結果、服のあちこちが

破れたり焦げたりしている。とてもじゃないが、服として再び着こなすには無理があるだろう。

この服はその鬼との死闘の末に地霊殿に運び込まれた人物が最初に着ていたもの。治療行為の

邪魔になると脱がせていたため、彼が去ってしまった今でもここに残されているのだ。

 

鼻につく鉄臭さだが、その中に混じった『彼』の残り香を呼吸の度に感じられることが出来て、

さとりはまるで彼本人に全身を包み込まれているような錯覚を覚えながら、頬を紅に染める。

 

 

「ああ、忘………すぅ…………忘、どこなの……?」

 

 

しきりに彼の名を呼ぶさとり。忘というのは、鬼の頭領が放った渾身の一撃により記憶を

失ってしまった彼を、一時的にでもこの地霊殿に住まわせるためにつけた、仮の呼び名だ。

それだけが、彼女が付けた皮肉気なその名前だけが、彼と彼女とをつなぐ唯一の糸である。

本当ならば彼女は、過ぎ去った相手を想ってその名を呼び続け、心を焦がすほど弱くはない。

しかし現状、そうなってしまっている。こうなった原因を、意外にも本人は自覚していた。

 

 

今から数日、約六日ほど前の事である。日に日にこなせる雑務の質と量が向上していく彼を、

得意先の居酒屋へおつかいに向かわせてから、優に数時間が経過して心配し始めた頃だった。

おつかい自体は初めてのことではなく、地底の位置を覚えさせるためにさとりは自分の愛猫、

彼の身の回りの世話を頼んである火焔猫 燐(通称、お燐)を付き添いに、何度か近場の酒蔵へ

足を運ばせたことがある。物覚えがよく手際も良い彼が、今日ばかりはやけに帰りが遅いと

気付き、さとりは不思議に思うよりも先に、心配で居ても立ってもいられなくなっていた。

 

 

(何かあったのかしら? 荒くれ者連中に捕まって酷い目に………でもお燐もいるはずだし)

 

 

彼女は自分が地底に住む者たちのほとんどから疎まれていることを自覚しているため、

自分に世話になっていてかつ非力な人間である彼が、代わりに暴行を受ける可能性を考慮して

念のためにお燐を護衛につかせてある。彼女もそれなりの実力があるため、よほどのことでも

無い限りは、彼の安全は約束されているのだが、さとりはそれでも気が気ではない。

 

 

(もし、もしも何かあったら、どうしよう)

 

 

地底に暮らす魑魅魍魎にとって、人間は弱者か食糧。その程度の認識しか持たれていない。

粗暴な輩に捕まってしまい、万が一のことが起きたらと考えると、さとりは自分がその考えを

恐ろしいと払拭する前に、何としてでも彼の安全を確認しなければという強迫観念にかられる。

 

自分が飼い慣らしている地霊殿の動物たちにも捜索させようかと考え始めた直後、玄関の番を

任せてある九官鳥が、酷く慌てた様子でこちらに向かって飛んできた。どうしたのかと言葉で

尋ねるよりも早く、彼女は自身の能力を発動させて心を読み、その慌てぶりの理由を悟った。

 

 

「閻魔様がここへ? 一体何故、今になってここへ?」

 

「その理由は、私が自らお答えしましょう」

 

「!」

 

 

九官鳥の羽ばたきが止むと同時に、さとりの眼前に地獄の裁判長たる四季 映姫が立っていた。

いきなり現れた最高裁判官に驚きを隠せない中で、映姫はその鋭い瞳をさとりに向けて話す。

 

 

「どうも、古明地 さとり。旧地獄跡の管理はよくやってくれているようで、助かります」

 

「……いえ、それが役目でもありますから。それで、本日はどのようなご用件で?」

 

 

この時さとりは、嫌な予感を感じていた。目の前に立つ相手は、地獄で魂に裁きを下すほどの

責任ある立場に身を置く者であり、決して取り次ぎ無しでこんな辺鄙(へんぴ)な場所へ足を運ぶような

暇人でも自由人でもない。その閻魔大王が何故、いきなり自分のもとを訪れたのだろうか、と。

内心で嫌な予感が拭えないでいるさとりを前に、映姫はここへ来た理由を手短に述べた。

 

 

「単刀直入にお話します。貴女が先日拾って助けた、あの人間についてです」

 

「…………勇儀さんのお話は、本当でしたか。やはり彼は地獄の宝珠を」

 

「え? ああ、通行証の事ですか。それはまた別で、今は彼自身についてのお話でして」

「えっ……忘の?」

 

 

映姫の口から語られた話に違和感を覚え、思わず自身が付けた名で彼の事を呼んでしまう。

当然、目の前の相手が知りもしない名前を出されても困惑するだろうと思っていた彼女だったが、

そこには触れることなく話が続けられた。しかし、今度はさとりが困惑することとなる。

 

 

「貴女が忘と呼ぶその少年ですが、先程記憶を取り戻し、地上へと戻りました」

 

「_______________えっ?」

 

 

簡潔で事務的で、だからこそ閻魔大王のその言葉は、さとりの胸を大きく抉った。

 

そこから先の話は、彼女にしては珍しくうろ覚え程度にしか記憶に残っていない。

「記憶が戻った少年」、「今は名を伏せておく」、「彼の今後に問題は無い」などなど。

まさに馬の耳に念仏、といった状態に陥った彼女は、圧倒的上位者たる映姫の連絡のほとんどに

意識を傾けることが出来ず、ずっとある一言だけを脳内で延々と巡らせていた。

 

 

『彼が記憶を取り戻し、戻った』

 

 

それはつまり、彼には元々いるべき場所が、帰るべき場所があったということに他ならない。

喜ぶべきことだ。その言葉を聞いたさとりはそう思おうとしたが、どうしてもそう思えない。

帰る場所がある。そこには、彼の帰りを待つ者が、少なからず存在する。彼を待つ者がいる。

自分では、嫌われ恐れられ疎まれてきた自分では、その者の代わりにはなれなかったのか。

さとりの頭の中はそれだけで埋め尽くされていく。彼が、忘が自分の元を去っていった事実が。

ほんの五日ほど、それだけの時間しか彼を知らないのに、彼がいなくなるのが嫌で仕方ない。

 

(…………結局、また私は受け入れてもらえなかったのね)

 

 

これまで彼女は、彼女と妹は、心を読むという能力によって誰からも受け入れられずにいた。

どこに行っても、誰に会っても、その心の内にある全てを暴いて曝け出させてしまうその眼が

あるだけで、誰ともどこにもいられない。他者の全てを知れる彼女らは、他の全てに拒まれた。

彼もまた、その内の一人になったに過ぎない。そう考えれば楽になるはずなのに、なのに何故。

 

さとりの『こころ』は、彼が今までの『だれか』と同じであるという考えを拒絶し続ける。

 

重体のケガから復帰して目覚めた彼と二度目の邂逅を果たした際、彼は彼女を見て言った。

 

 

『僕は他人の心を読むことが、すごい事だとは思う。

でも同時に、とても悲しくて辛い力でもあるんだと思ってる』

 

『だって、相手と同じじゃないって、≪独り(ちがう)≫って、さみしいじゃないか』

 

『心を読む力を持つ君が、僕には悲しそうに見える。

それでも僕は、心を読む力そのものを否定はしない』

 

 

その言葉を聞くまでは彼の事を、警戒が必要な油断ならない人間もどきだと考えていた。

しかし今となっては彼だけが、彼だけが自分とその能力を受け入れてくれる唯一の存在だと

思えるようになっていた。事実、言葉でも心でも、受け入れてくれたのは彼だけなのだから。

その日から、その瞬間から、さとりは忘と名付けたその少年を想うようになっていたのだろう。

初めてだった。自分の持つ能力を、それを持って生まれた自分を悲しいと言ってもらえたのは。

初めてだった。彼の心を読んでも、一切の虚偽も偽りもない本心で、自分を見てもらえたのは。

 

気になっていた、その少年のことが。

想うようになっていた、彼のことを。

恋い焦がれてしまった、彼の全てに。

 

彼には自分の知らない秘密があった。彼の心からは何故か、二人分の声が読めるのだ。

きっとただの人間ではないだろうと警戒していたが、彼の言葉を聞いてからはもう夢中だった。

いつ読んでも、何度読んでも、彼の言葉と本心は一致している。そこに、畏怖や拒絶の色は無い。

彼だけは、きっと彼なら、こんな自分でも一緒に居てくれるかもしれない。

 

長い月日の中で消えかけていた淡い期待が、灯となってさとりの胸中で再燃し始めていた。

これから、これからもっと時間をかけて彼を知りたい。彼に知ってもらいたい。そうすれば。

しかし彼は、自分の元を去ってしまったのだ。

 

 

閻魔は言伝を全て伝え終えると、まだ用事があると言ってすぐに地霊殿を後にしていったが、

もはやさとりにはそんな事どうでもよかった。彼がいないのなら、もう何もかも興味が無い。

何をしようにも手がつかず、愛読していて途中が気になっていた本ですら、文字列を読むのが

億劫になって放り出してしまう始末。彼女はそんな自分の心が、どうしても読めなかった。

 

 

「他人の心は嫌でも読んでしまえるのに、自分の心だけは読めないなんて」

 

 

酷い話だ、ふざけている。これまで祈ったことすらない神に対しての罵倒を考えながらも、

地霊殿の主としての威厳と態度を損なうわけにはいかないと、自室で事務作業を続けていた。

けれど数分後には手が止まっていて、彼の帰りを待ちきれずに窓から旧都全体を見渡し、

もう彼が地底にはいないことを思い出すと、無気力な姿で事務机に向かってため息をつく。

 

そんな日を二日ほど続けたところで、さとりはあることに気が付いた。

「あんな急に出ていったのだから、ここに何か残っているかもしれない」

 

 

そう思い立つが早いか、彼女は元は来客用としてあった彼の部屋へと一目散に駆け出して、

扉を押し開いて中へ入り、彼が何か残したものが無いかどうかを懸命に探し始める。

だがその部屋は殺風景で、特にこれといった物は何も無く、せいぜい替えの和服がタンスに

たたんで入れてあっただけ。どこにも彼がいた形跡はなく、このままでは名の通りに誰もから

忘れ去られてしまうのではないかと、自分でさえいたことを忘れてしまうのではないかという

言いしれない恐怖に苛まれた。表現しえない感情に怯えていると、部屋に誰かが入って来た。

 

 

「っ! 忘、やっぱり帰ってきて_________」

 

「くぅん……」

 

「あ……………」

 

 

扉のそばにいたのは、彼女が可愛がっている愛犬の一頭。もちろん、探している彼ではない。

動物たちだけは見限らない、嘘はつかないといつぞや誰かに皮肉交じりに語った自分の言葉を

思い出して、心の中心だけが抜き取られたような感覚に陥ったさとりは無言でうつむく。

動物たちは自分と共にいてくれる。それは確かなことで、やはり嬉しい事に違いはない。

けれど、それでも、どうしても、彼にもいてほしい。彼ともずっと、一緒にいたかった。

 

愛犬の前で無様は晒せないという主の意地で涙をこらえていると、先程まで部屋の入り口で

佇んでいた犬が、目と鼻の先にまで歩み寄っていた。再び鼻を鳴らされ、彼女は顔を上げる。

 

 

「わふ」

「それ、は?」

 

「ばうっ」

 

「…………そう、彼が最初に着てた服なの。探してきてくれたのね、ありがとう」

 

「わん!」

 

 

犬の心を読んでその優しさに触れたさとりは、犬特有の湿った鼻先に構わず両腕で抱きしめる。

主の要望に応えられたことに満足した犬は、口にくわえていた服を床に落とした後で歩き出し、

部屋の外へ出てそのまま廊下を進んで行ってしまった。心を読まずともその行動の意図は分かる。

仕事すらも放り出すほどの精神状態である自分が、愛玩動物に涙を見られるわけにはいかない。

その上下関係を理解しているからこそ、あの犬はご褒美も待たずに黙って部屋を後にしてくれた。

 

愛犬の賢さを誇らしく思いながら、目の前に置かれたボロボロの服だったソレを手に取って、

これは記憶を失う前の彼が着ていたものだと分かっていても、抱き締めずにはいられなかった。

 

 

(………ひどいくらいに濃い血の匂い。でも何か、少し、優しい香りがする)

 

 

思いの丈をぶつけようとしただけだったのだが、不意に彼女の鼻腔を血臭以外の匂いがくすぐり、

それが男性特有の、特に彼の香りであると気付いた瞬間、歯止めが利かなくなっていた。

 

彼の服を手に入れてからは毎日、血まみれの燕尾服から漂う幽かな残り香を鼻腔で味わっては、

本人である忘のことを、彼のことを思い出して、あの笑顔と心の素直さを胸に匂いを吸い込む。

そうして彼の記憶が戻ったことを嬉しく思いながらも、自分の下から去ってしまった事実に、

抑えられない寂寥感を感じてしまい、それを紛らわせようとしてまた彼の服に顔をうずめる。

 

今はもう、彼が地霊殿が姿を消してから六日ほど経ってしまっている。

だがしかし、今の彼女は彼が去ってしまった日ほどの絶望と喪失感は、無かった。

 

彼からの伝言を預かってきたといっていた閻魔は、最後にこうも言っていた事を思い出した。

 

 

(『また逢う日まで』、か……………忘なら、あの子なら必ず来てくれる。そんな気がする)

 

 

口約束など、信じられるものではない。心の全てが読める彼女ならば、なおさらだ。

けれど彼女は知っている。たった一人だけ、言葉と心が一致している、銀色の髪の少年を。

彼の言葉ならば、信じられる。信じてもいいかもしれない。いや、信じたい。

 

「すぅぅ…………はぁ………」

 

彼が言った『また逢う日』がくるのをただ信じ、もはや薄れてしまった彼の匂いに包まれ、

岩盤の空に覆われた地底で待つその少女は、今宵も彼がここへやってくる夢を見て微笑む。

 

 

 










いかがだったでしょうか?

短くなるって言ったのに、なんで本編より長いんだ馬鹿野郎………(反省)
思いのほか筆が乗ってしまったといいますか、ええまあ、やる気が出ましたね。

さて今回から始まった幕間、六重の想愛("そうあい"でも"おもい"でも可)ですが、
まずはお嬢様回ということでフラン様とさとり様の想いを描かせていただきました。
フラン様の回で何かを思い描いた男子諸君、君らは正しい。でも判決は黒です。
吸血鬼なのに血を飲ませてないなぁというところから考えた回だったのですが、
あんな感じになるなんて思ってなかったんです。本当なんです信じてください。
続いてさとり様ですが、若干病んでる感がいなめなくもなくもないと言いますか、
違和感なく恋い焦がれる少女を書いたつもりなんですが、どうでしたでしょうか?

それと、来週こそ御休みとなります。混乱させてしまってすみません。


それでは次回、東方紅緑譚


幕間「紅き夜、彼を巡る六重の想愛(後編)」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎大募集です!


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幕間「紅き夜、彼を巡る六重の想愛(後編)」





どうも皆様、とある山場を乗り切って脱力している萃夢想天です。
やるべきことをやるのって、こんなに苦労しましたっけ………?
とにかく、先週休んでしまったので、今週からまた書き始めたいと思います。

前回は予想外に長い文章になりましたが、今回は本当に短めです。
というか短めにする予定です。短くなる、といいんですけどねぇ。

ところで皆様は、本文の長さが長いか短いか、どちらの方が好みでしょうか?
私個人としては長い方が好きなのですが、短い方が良かったりする方もいると
思いますので、よろしければ簡単で構いませんので教えていただければと。


冒頭の挨拶はここまで。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

 

____________十六夜 咲夜&射命丸 文の想愛

 

 

 

 

「………………………」

 

「………………………」

 

 

血よりも赤い色合いに染まった館、紅魔館の一室で、二人の少女が互いを睨み合っている。

その形相の歪みは、およそ十代に見える少女がしてよいものではないだろうと断言できるほど。

しかも両者は、少しの距離を置いて睨み合っている。お互い、寝具の中で体を横にしたままで。

 

咲夜と文の最近の一日は、己の隣に眠る愛しい少年、十六夜 紅夜の寝顔を見ることから始まる。

 

咲夜からしたら左隣に、文からしたら右隣にて眠る彼のあどけない安らかな寝顔を見つめる事が、

愛と恋を自覚した彼女らにとってどれだけ幸せなことか、想像に難くない。だが、問題が一つ。

彼女らは、それを自分だけのものにしたくてたまらないのだ。

 

 

「…………紅夜の安眠の邪魔よ、失せなさい」

 

「…………私たちの快眠を妨げないで下さい」

 

 

彼を起こさないようにとの最低限の配慮はあるものの、その艶やかな唇の奥から放たれる雑言の

数々は、聞くに堪えうるものではない。互いの言葉を聞き、ますますその表情を険しくさせる。

その後も互いの存在を認めるどころか排除さえしようとする言葉の応酬の末、ようやく寝具から

起き上がった二人は、そのまま互いの獲物_________銀製のナイフと天狗の扇を取り出した。

 

 

「いい加減目障りなのよ………私と紅夜の前から消えてなくなれ‼」

 

「本当に面倒な人ですね………そろそろ弟離れしてくれませんか⁉」

 

 

やがて二人はどちらともなく殺気を放ち始め、広くも狭くもない室内にギスギスした雰囲気が

充満し始め、それに触発されたように弾幕ごっこを開始する。瞬間、色彩豊かな弾幕が紅夜の

自室を蹂躙していく。それでもまだ、恋する乙女らは留まるところを知らない。

 

 

「認めないわ、あの子の隣にお前なんかが‼」

 

「認めてもらえないとなると、あとは駆け落ちしか道がありませんかねぇ‼」

 

「駆け落ち? 地獄に駆け足で落っこちるつもりかしら?」

 

「愛の逃避行って意味ですよ、この異常性愛者‼」

 

「鳥と人間の混ざりものが何をふざけたことを‼」

 

 

白銀のナイフが空気を裂く牙となって襲い掛かれば、突風がソレを悉く弾き返していく。

両者ともに一進一退の攻防を繰り広げていき、徐々にその闘争本能が熱を帯び始めていった。

 

 

「紅夜は、渡さない‼」

「同じ気持ちですよ‼」

 

 

二人の間に飛び交う無数の弾幕が、極彩色の光となって朝方の紅魔館の一室を煌々と照らす。

今の彼女らの頭の中には、目の前の邪魔な女を排除することしか残っていないからだろう。

弾幕ごっこの影響で壁紙や床が酷い有り様になっているのが誰の部屋なのかを、気にする余裕

などは思考のどこにも見当たらない。憎しみを前面に押し出し、迫りくる弾幕を避け続ける。

 

「………………………ハァ」

 

『そンなに嫌ならハッキリ言えよ』

 

 

そして当の部屋の主はと言うと、彼女らが小声で言い合っていた時から既に目覚めていたと

言い出せないまま、自分のいるベッドに被害が及ばないよう弾幕の方向を器用に操っていた。

そんな彼の心の内側から面倒くさそうに魔人が語り掛けるも、白銀の少年は無言を貫く。

 

自分を巡って争う、姉と想い人。そのどちらにも、強い態度で当たれるわけがない。

 

俗にいう"ヘタレ"ではないにしろ、紅夜という少年は、割と穏健な精神の持ち主だった。

 

 

「ちょこまかと飛び回って、鬱陶しい‼」

 

「人間風情に、墜とされる間抜けじゃありませんから」

 

(…………壁紙とフローリングの交換、もう四回くらいしたのになぁ)

 

『朝っぱらから盛ってンな。ンで、テメェはどーすンだァ?』

 

(どうするもこうするも、治まるのを待つしかないだろ?)

 

『待つってお前…………いつまでだ?』

 

(台風とか大雨とかと違って、治まる確証が無いのが怖いんだよねぇ)

 

『………だな』

 

 

結局、用向きがあってやってきた小悪魔が二人の弾幕に被弾して"一回休みになっ"(ピチュッ)た後、

やれやれと頭を悩ませながら紅夜が起き上がったのは、目覚めて三十分後のことだった。

 

 

「……………私がここに厄介になってから、もう一週間と三日ですか」

 

 

力無げにため息をつき、もはや見慣れてしまった赤い部屋の中で独り、文は表情を暗くする。

毎日のように騒がしい日々を送っていたものの、その内心は穏やかではなく、確実に迫っている

天狗社会の(かしら)、天魔との取引の期限に焦りを抱き始めていた。

 

元々謂れのない罪で投獄されていた彼女は、そこに颯爽と現れた恋の相手によって救出されたが、

脱出寸前で鴉天狗の中で最も位の高い人物に見つかってしまった。しかしそこからは、自分を救う

ために何百といる天狗の部隊を掻き分けて来た少年の口術の甲斐あって、たった二週間だけでは

あるが、それでも汚名を雪ぐ猶予を与えてもらうことができたのだ。今の彼女は、彼に対しての

多大なる恩で胸が膨らんでいる状態だが、それでも残り期限はあと四日。剣呑にしていられるほど

余裕があるとは言い難い状況で、刻一刻と迫る再投獄までの時間に、溜息を吐かずにいられない。

 

あの時彼は、必ず無実の証拠を見つけると約束してくれたのだが、進展があるようには見えない。

いや、本来なら部外者である彼が手を貸してくれるだけでも充分ありがたいのだが、さらに先を

望んでしまうのは、人間だけでなく知性あるものであれば当然だったらしい。少なくとも文は、

主人であるフランに(かしず)いて執事の職を全うしている彼を見て、ちょっとくらいは自分の事に

時間を割いてくれてもいいんじゃないか、などと思ってしまっている。そんな卑しい思考を抱く

自分自身に嫌悪を感じ、呆れてものも言えなくなる。そして文は再び、深く大きなため息をつく。

 

「はぁ…………あと四日、か」

 

「辛気臭いため息ばかり聞かされる私の身にもなりなさい」

 

「さ、咲夜さん⁉ 一体いつの間に……」

「時間を操る私に『いつの間に?』なんて、それこそ時間の無駄にしか思えないわ」

 

 

頬杖をつきながら陽だまりで和んでいると、ふと背後から凜とした声が文の呟きを切り裂いた。

聞き覚えのある声に振り替えると、そこには予想通りに、この館のメイド長たる咲夜が腕を組み

ながら立っており、最近では標準になりつつある不機嫌顔で、文を眼下に見下ろしている。

唐突な咲夜の登場に驚く文だったが、それを口にするよりも先に咲夜の方が動きを見せた。

 

 

「個人的には、貴女がどうなろうと知ったことではないわね。罪に問われるなり牢獄に一生

幽閉されるなり、興味なんて微塵もわかないもの。でもあの子は、貴女を必ず助けると誓った。

貴女は知らないでしょうけど、朝方からお嬢様方の御世話をする夕方まで、ひたすら手掛かりの

捜索に時間を費やしているのよ。健気なあの子を想うと、私はもう気が気でないわ」

 

 

 

私の弟なのに、と付け加えて独占欲をひけらかしながら語った咲夜の様子を、文は驚きながらも

軽く笑みを向ける。自分の知らないところで陰ながら尽力してくれていたことに、何も言わずに

心配をかけさせまいとしてくれたことに、どれだけ自分が想われているかを知った文は、焦燥に

色を暗くしていた顔を振りかぶりながら正し、仏頂面で背後に立つ彼に姉へ、誇らしげに向けた。

 

 

「姉の貴女よりも、恋人である私の方が愛されてますからね!」

 

 

優越感がハッキリと感じられる笑みと共に発した言葉に、再び怒髪天をつく勢いに至った咲夜は、

つい数時間前にしたばかりの弾幕ごっこを、またしても行おうと銀製の鋭いナイフを構える。

それに対して文もまた、同じことの繰り返しだとは思いつつも、景気よく天狗の団扇を取り出す。

 

 

「やっぱりここで殺しておいた方が、あの子と私の為になりそうね」

 

「そう易々と殺されてたまりますか。紅夜さんとの祝言もまだなのに」

 

「ッ‼ お好みの死に方は八つ裂きかしら? それとも惨殺処刑?」

 

「御免被りたいですねぇ、私が行きたいのは処刑場じゃなく披露宴ですから!」

彼が居ようと居まいとお構いなく、彼女らは互いを煽り合ってその苛立ちの臨界点を自分たちで

引き上げていく。そしてまた同じように、沸点と臨界点の低い彼の姉が、乙女の決闘の第二幕の

火蓋を、その手に握りしめた銀製のナイフで文字通りに切って落とした。

 

ちなみに、祝言とは結婚のことである。

 

文は迫りくる無数のナイフの群れを好戦的な笑顔で迎え撃つ中で、ふとあることを考えた。

自分が彼からの愛を本物であると信じたいのであれば、まずは彼を、彼自身を信じることだ。

愛だの想いだのと言葉を並べても、その意中の相手を信頼しきれていないような自分では、

彼とともにいることなどできようはずもない。ならばまずは、信じることから始めなければ。

一つの結論に至った彼女、否、彼女らは、そのまま館の主人がうるさくて眠れないとの苦情を

言いに怒鳴り込んでくるまでの間、延々とナイフと弾幕の飛び交う戦場に身を置いていた。

 

変わり映えのない賑やかな日常の一欠片。今日も今日とて、平穏な一日が流れていく。

 

そしてその後、文の無罪を証明するための重要人物の手掛かりを探しに外に出ていた彼が帰宅。

疲れ切っているであろう彼への想いを再確認するために、夜を超えて日が昇ろうとする時間に、

銀髪のメイドと黒髪の天狗は今日もまた、愛しい彼を同じベッドで挟んで安らかな眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________パチュリー・ノーレッジ&紅 美鈴の想愛

 

 

 

 

太陽が燦々と幻想郷の大地を照らす、いつも通りの日常に、弾幕の弾ける音が響き渡る。

霧深い湖に建つ紅色の館の一角から鳴り続けるソレを、二人の美女は気にする様子もなく、

むしろ喉を潤す紅茶の菓子受け代わりに聞き流し、漠然と館内に轟く騒音に和んでいた。

 

 

「いやぁ、賑やかになりましたね~」

 

「…………騒がしいだけよ」

 

 

今まさに上の階で繰り広げられている、咲夜と文の喧騒を事もなげに受け入れているのは、

大図書館に住む魔女のパチュリーと、彼女に呼ばれて休憩を満喫していた美鈴の二人である。

彼女らは使い魔である小悪魔の入れた紅茶の香りを愉しみつつ、呑気に昼下がりの決闘の音を

聞き入っていた。そんな中で、興味無さそうに魔導書のページをめくっていたパチュリーが、

唐突に隣にいる美鈴に質問を投げかける。

 

 

「美鈴……あなたは、紅夜のことをどう思っているのかしら?」

 

「紅夜君、ですか?」

 

 

主人の旧友からの唐突な問いに首を傾げる美鈴だったが、少しだけ悩む素振りを見せた後、

普段通りで変わらない満面の笑みとなって快活に答えを述べた。

 

 

「守ってあげたいです。今の彼は、おそらく私よりも強くなっていると思います。

でも、だからこそ彼を守れるだけの強さを得たい。今度こそ、守り通せるように」

 

「………………庇護対象、ということ?」

 

「もう二度と失いたくない人、ですかね」

 

 

屈託のない笑顔でそう語りきった美鈴は、「では私も一つ質問を」と前置きを口にしてから、

上半身だけをパチュリーへと向けて尋ねる。

 

 

「パチュリー様は、紅夜君の事をどう思ってらっしゃるんですか?」

 

「……………私は」

 

 

美鈴からのどんでん返しを受けたパチュリーは、自分でも分からぬまま言い淀んでしまい、

しばらく無言で思考を巡らせていったあとで、おもむろに、だが引きずるように返した。

 

 

「最初は単なる興味だけだった。それがいつしか、自分でも分からない内に複雑に

変化していったみたい。こんなことを認めたくはないけれど、答えが出せないのよ」

 

 

魔法に携わる者として、七曜を操る魔女として、解答を導き出せないということがどれほど

屈辱的であるかを理解しえない美鈴は、戸惑った様子で俯いてしまったパチュリーを擁護

するように、それでも決して慌てることも嘲ることもなく、何でもないように応える。

 

 

「別にいいんじゃないですかね?」

 

「?」

 

「答えを一つだけに限定しなくても、いいと思うんですよ」

 

「どういうこと?」

 

「や、つまりですね。色んな『好き』があってもいいんじゃないかと」

 

 

暗い表情になって紅夜の事で思考を鈍らせる彼女を、美鈴は諭すように優しく語った。

 

パチュリー自身、その頭脳は優秀であるため、隣にいる門番の話の意味は理解していた。

彼女の言う『好き』とは、何も恋愛感情的な意味に縛られるものではないのだという事だ。

異性としての『好き』や、付き合いとしての『好き』、他にも彼の特徴や行動が『好き』と

いったように、一つの感情にだけ左右されるような言葉ではないのだと言いたいのだろう。

それを理解できたからこそ、パチュリーは己の中に残された深い傷跡を思い起こされる。

 

大魔法使いとしての矜持を、七曜を操る魔女としての全力を、彼女自身が積み上げてきた

一切合切を否定して打ち崩すような大失態。十六夜 紅夜を魔人へと転生させる儀式魔法だ。

あの時のことを思い出すと、どうしても思考が後ろ向きになってしまう。情けなくはあるが、

彼女は恐れていたのだ。また失敗を犯すことを。そして、それが原因で彼に嫌われるのを。

もしも彼の身に何かが起きたりしたら。そしてそれが、自分の引き起こした失敗が原因なら。

恨み言の一つや二つなら甘んじて受け入れられるが、二度とこの大図書館へと足を運んで

くれなくなってしまったら。平凡な雑談ですらも、口を利いてもらえなくなってしまったら。

一度その事を考えてしまうと、もう何も手がつかなくなる。それだけ彼女の中で彼は大きい。

 

 

「自分が誰かを『好き』でいること、『好き』になり続けること。それが重要だと思います」

 

 

自分は薄暗い思考に取りつかれそうになっているというのに、隣であっけらかんとした笑みを

浮かべつつ述べるこの門番は、なんと性格の悪い事だろうと、大図書館の主は睨みを利かせた。

しかしそれも数秒で断念し、底抜けに明るい美鈴の態度に対し、張り合うだけ無駄だろうと

拍子抜けしてしまったパチュリーは、新しくカップに注がれた薄紅色の紅茶に口をつける。

 

 

「本当にあなたは…………どこまでも不鮮明で不明瞭ね」

 

「いやぁ、ハハハ」

 

「褒めてないわ」

 

「………そうですか」

 

「でも、分からないことだらけでも、退屈はしないわね」

 

 

カップを受け皿に置いてからそう述べたパチュリーの顔には、先程のような暗さや陰りなど

微塵も感じられないことを感じた美鈴は、「でしょう?」とだけ呟いてにっこりと微笑んだ。

 

そうして二人でのどかな午後のひと時を過ごしていると、大きな木造の扉が音を立てて開き、

その向こう側から疲労困憊の風体でふらふらとよろけた姿勢の、話題の中心人物が現れた。

銀髪の少年、十六夜 紅夜が実に疲れ切った表情で見つめる中、二人の美女は彼を歓迎する。

 

 

「いつもご苦労様」

 

「お茶でもどうです?」

 

 

いただきます、と簡素に答えた少年の為に、座っていたソファのちょうど真ん中の席を空け、

おぼつかない足取りながらも、礼を失さない態度で腰を下ろす彼を両側から挟み込んだ。

 

 

「ぱ、パチュリーさん? 美鈴さん?」

 

「何?」

 

「何ですか?」

 

「い、いや…………何でもありません」

 

 

いささか近過ぎるのでは、と言いたかったであろうことも二人は分かっていたが、あえて

何も答えずに笑顔だけを向けて制した。すると彼は、大人しく両者間で身体を縮ませていた。

その様子がどうにもいじらしく感じ、美鈴は彼の膝に、パチュリーは彼の頭に手をやった。

 

いつでもどこでも彼を取り合う騒がしい二人のように、四六時中常にずっと隣に居たいとは

思っていないが、それでもできる限り、時間と状況が許す限り一緒に居たいとは思っている。

願わくは、このまま。

叶うなら、このまま。

 

表現し難い感情を胸にしまい込んで、紅夜を両側から挟み込んで座るパチュリーと美鈴は、

おそらく彼以外には見せることのないであろう柔和な笑みを浮かべて、ただ彼だけを見守る。

 

 

「大変そうね。気が済むまで、ここで好きにするといいわ」

 

「折角ですから、ここでゆーっくりしていきましょうか!」

 

 

そう言いながら二人は、優しく、大事そうに、互いの手の振れている部分をそっと撫でた。

 

 

今この時だけでも、彼と一緒に居られれば、それで自分は充分幸せなのだと、心を弾ませて。

 

 

 

 










いかがだったでしょうか?

今日は有言実行しましたよ。ええ、実に絶妙な配分だった(手抜き感)
いえ、本当に手抜きしたわけじゃないんですが、何分久々の執筆だったもので、
書き方というかなんというか、筆が思っていた以上に進まなくてですね。

つまり、その、なんだ(最近のマイブームワード)


さて、前後編二回にわたって描かれた後日談、【魔人死臨】の章も完全完結!
次週からは、新たなる章が幕を開けます。もちろん主人公は、縁くんです!

さぁ、次の章が完結するまでに、今度はどれだけかかるやら…………。
既に心が折れかけていますが、それでも二年かかってようやくここにまで
辿り着くことができました! ひとえに、応援してくださった読者の皆々様方の
おかげであると思っております。ですので、これから先のラストスパートも是非!
共に走り抜けていただけたらと思います!


それでは次回、東方紅緑譚


~幻想『緑環紫録』~

第七十弐話「緑の道、結がる深淵」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!


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~幻想『緑環紫録』~
第七十弐話「緑の道、結がる深淵」





どうも皆様、『廃課金ユーザー連合』もとい『聖杯の汚泥』たちに
強制的に【FATE/GRAND/ORDER】をやらされている萃夢想天です。
「FATEってどんなアニメなん?」って聞いたのがまずかったなぁ……。

でも可愛い偉人さんたちが多くて困ってます(マシュ可愛いよマシュ)
新しいアニメにハマると、すぐそれにしか目がいかなくなる悪癖のせいで
FATEのSSを探して時間を浪費する日々が続いて………PS4買ったのに(涙


さて、そんな個人的情報の漏えいはどうでもよくて!


今回からいよいよ、最終章に突入いたします!
ようやく、ようやく日の目を浴びさせてあげられるよ、縁君………。
作者自身、ずっと不憫な役目を押し付けていましたが、やっと解放されます!


さぁ、心機一転心を込めて‼
それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば今更なんだけど」

 

『あァ?』

 

 

幻想郷の大空が熱した蜂蜜のような黄昏色に染まる頃、お嬢様の御世話をせねばならない

時間が近づいてきたことを実感しつつ、今日の手掛かり探索も徒労だったと空を仰いだ。

僕、いや、僕らは今、紅魔館の外に居る。正確には、つい先ほど人里から出て来たばかり。

フランお嬢様の、身の回りの御世話を仰せつかる執事にあるまじき単独行動ではあるけど、

今回ばかりは主人方にも目をつぶっていただいている。僕が、ある手掛かりを探すことを。

その手掛かりとは、妖怪の山で投獄されていた彼女、文さんの無実を証明できる何かだ。

彼女はいわゆる、仲間を裏切った反逆罪に問われているらしく、現に彼女が山への侵入者の

発見の報告を故意に遅らせた結果、彼女の友人である河童という妖怪が犠牲になったそうだ。

いや、犠牲というのは正しい表現ではない。他の天狗たち同様に、自身の『影』を抜かれて

意識が戻らなくなっているのだという。非科学的現象だけど、幻想郷では今更過ぎることだ。

さて、文さんを脱獄させる際に、天狗たちの頂点に君臨していると思われる天魔という人物に

『真の侵入者は必ず僕が暴く』的な事を言った以上、僕は文さんのために奮闘せざるを得ない。

彼女が今までのように、自由に幻想郷の空を駆け巡れる日を迎えるために、頑張らなくては。

 

そう決意した日から、今日でちょうど十日が経過した。期限二週間のうち、今日までが二日。

今日はもうお嬢様の御世話の時間になるから切り捨てると、残り二日で犯人の捜索と確保を

実行しなくてはならない。言葉にはしてみたけど、それがどれほどの苦行なのかは語るまい。

十日かけてあちこちを探し回ってみたのに、これっぽっちも手掛かりが掴めないような相手を

残った二日で、それこそドラマティックに天魔さんの前に突き出せるとは、到底思えない。

 

しかし、それはそれとして、純粋に気になったことを僕の内側に居る彼に尋ねてみた。

 

 

「君って、どう呼んだらいいのかな?」

 

『呼ぶって…………どういうこった?』

 

「だからさ、名前だよ名前。いつまでも"魔人"じゃ、味気ないだろ?」

 

『…………別に悪くねェだろ、魔人でも』

 

「いや悪くはないけどさ」

 

 

そう、魔人の呼び名について。

 

彼自身は名前が無いらしく、出会った(入り込まれた)時から魔人を名乗ってはいたものの、

今や僕が僕として受け入れた人物なのだ。区別化をするために、個としての呼称が無いと

色々と面倒だろうし、ここらでしっかりと話し合いをしておいた方が良いと思ったわけで。

 

けど彼はあんまり乗り気じゃないらしい。まぁ、名前って特別な感じがするからね。

僕もかつては形式番号の与えられた殺人道具でしかなかった。それを、この紅魔館の主が、

みんなが、変えてくれた。僕を"人間"にしてくれた。その時に与えられた名は、特別だ。

この感動は、きっと僕にしか分からないと思っていたけれど、名前が無い今の彼ならば

分かってくれるかもしれない。この感動を、この感激を、この興奮を、この歓喜を。

 

『俺は"魔人"なンだ、そこンとこは変わらねェ』

 

「それはそうだよ。僕が言いたいのは、そういう事じゃなくて」

 

『固有名詞ってヤツだろ?』

 

「分かってるじゃないか」

『興味が無ェ。以上』

 

「無関心だねぇ、君」

 

『名前の話を蒸し返しただけで興奮する、テメェみてェな変態じゃねェよ俺様は』

 

「酷い言い草だな」

 

『間違ったこと言ってるか?』

 

「だいたい合ってる」

 

口論と言うほどのものでもない口喧嘩だが、完全に論破されてしまった。不覚だよ。

仮にも外の世界では、対吸血鬼用暗殺兵として飼育されてきたのに、平和ボケかな。

しかしてそこで、僕の脳裏に一条の白い稲光が迸る。

 

 

『中に居るから大体分かる』

 

「おや、流石は魔人」

 

『当たり前だ。ンで?』

 

「君の名前さ、外の世界で有名な悪魔やら魔王やらの名前を取れば良くないかな?」

 

『ほォ、外の世界にもまだ悪魔とか残ってンのか』

 

「形骸化だけど」

 

『詳しいのか?』

 

「まぁ、一応ね。色んな要人の暗殺もしてきたから、その足掛かりとして色々な宗教の

イロハを叩き込まれてはいるから。キリスト教、仏教、イスラム教、密教、諸々ね」

 

『シューキョー? なンだそりゃ』

 

「………人の心の拠り所となる教え、かな?」

 

『俺様には無縁だな』

 

 

途中で少しばかり話が脱線したけど、先程よりかは興味を示している様子の魔人に、

ここがチャンスだと思った僕はすぐさま、脳内にあるかつての記憶と知識を口にする。

 

 

「えっと……アザゼル、アスモデウス、ルシファー、レヴィアタン、アヴァドン。

それから、ベヒーモス、べリアル、ベルゼブブ、マステマ、サマエル、そしてサタン」

 

『知らねェな』

 

「…………外の世界で、知らぬ者の方が珍しいくらいの著名ばかりなんだけど」

 

『知らねェよ。それに、二番煎じになンざ興味が無ェ』

 

「そう、か」

 

 

全然チャンスにならなかった。というかむしろ、拒絶の色が強まっちゃったな。

二番煎じ、か。確かに全く同じ名前をつけても、そっちのイメージに引っ張られそうだし、

何よりどれもこれも、彼のイメージに当てはまらない。彼は魔王(サタン)ってガラじゃないよね。

 

 

「あら、紅夜。今日も外でいろいろ頑張ってたみたいじゃない。成果はあったのかしら?」

 

「これはレミリア様。いえ、成果と呼べるほどのものは」

 

「そう、残念ね。ところで今、何をしゃべっていたの?」

 

 

そんなことを考えながら紅魔館の廊下を歩いていたら、なんと館の主たるレミリア様と

偶然にもバッタリ出会ってしまった。いや、しまったと言っても、悪いってことじゃない。

感謝と忠誠を捧げた御方の一人である以上、不敬など抱くことなどできようか。否である。

けど、問題はそこじゃない。真に問題なのは、レミリア様が興味を示されたってことだ。

 

こんなことを言う事が不敬なのかもしれないが、レミリア様は正直言って子供っぽい。

しかも、吸血鬼である以上に『悪魔』というワードへ、やたらと強いこだわりがあるようで、

スペルカードにもそのようなワードがふんだんに盛り込まれている。まあ要するに。

 

(今まさに、貴女の好きな悪魔やら魔王やらの名を出してた、なんて言えるか!)

 

 

それを口にしたが最後、フランお嬢様が御目覚めになって僕を探しにやってこられるか、

お嬢様方のお食事の時間になるか、あるいはそれ以外の何かが起こるまで解放はされまい。

このままではどの道ジリ貧になると悟った僕は、ギリギリの抜け道を行くことにした。

 

 

「じ、実は(かね)てより、僕の内に居る魔人に名をつけるべきと考えておりまして」

 

「ほう? 名前をつけられたお前が、つける側になる日がこようとはね」

 

「ええ、まぁ」

 

「名前………名前か。よし、お前の名も私がつけてやったんだし、魔人も私が名付けよう!」

 

うん、抜け道だと思っていた。正直、ギリギリで行けるんではないかと思っていた。

でも無理だったよ。やはりと言うべきか、流石はレミリア様だ。あらゆる面で格が違う。

彼女が興味を持ってしまった時点で、こちら側に生きて抜けられる道筋など無かったのだ。

 

諦めて、長時間付き合わされることになるだろう『運命』の決定を実感しつつ、

うんうんと頭を悩ませていらっしゃるレミリア様の、御言葉が出るまで待つことにする。

 

そうして三分ほど煮つめられた後、レミリア様があぐねられた答えが、発表された。

 

 

「この私の住む、紅魔の名に恥じぬほどの箔が欲しいわ………」

 

「……………………」

 

『……………………』

 

「そうねぇ…………よし、決めたわ!」

 

「おお!」

 

『……………………』

 

「コレは完璧よ! 【シュドルツェイラ・ルドフォン・レドニア】なんてどう?」

 

『長ェし意味分からねェ。却下だボケ』

 

「…………長いうえに意味が不明だ、却下する。と、申しております」

 

 

えー、イイじゃないコレー、と引き下がらないレミリア様。いや、流石にないかな。

それにしても、この魔人は。仮にも器が仕えている御相手に対して、何と不敬な言葉なのか。

とは言うものの、今のレミリア様のネーミングは僕を以てしても異を唱えるレベルだし、

アレをあのまま採用されたら、僕も魔人も泣くことになるだろう。それくらいに、酷い。

 

けど一応主君の姉君なので、忠義は立てておかなければ。

秒でレミリア様の栄えある名付けを封殺した魔人に、形だけでも主人を敬えと忠告した後、

僕はアレよりも酷くなることはないだろうと思いながら、再び自分で考えることにした。

 

そして、今度は割と真面目に、ナイスな線をいけたと思う。

僕と彼は、いわば二重の人格と言っても差し支えない。有名な例は【ジキルとハイド】だ。

二つの異なる人格、表と対をなす裏。それらを別の言語へと置き換えて、組み替えてみる。

 

(二重…………ダブル、いや、デュアル。裏は…………バックじゃなく、リアか)

 

 

二重と裏。彼を表す言葉を置き換え、組み替え、人物名らしくしてみようと自分の脳内で

すぐさまパズルを開始した。そこに、テイストとして、悪魔らしさも忘れずに、と。

 

そうして一働きし終えた僕の脳内には、一つの言葉が、名前が浮かび上がっていた。

未だに「うーうー」とうなりながら、次なる大作を練ろうとしていらっしゃるレミリア様に、

申し訳ないかなとは考えつつも、僕は組み替えて自ら生み出した名前を、彼に伝える。

 

 

「デュアルとリアを足して、【デュリアル】というのは、どうだろうか?」

 

『デュリアル? それは…………なるほどな。二重と裏の別口重ね掛けってトコかァ?』

 

「言い方が皮肉ったらしいのが癪だが、悪くはないと思うよ?」

 

『………まぁ、悪くはねェな。それに、あの訳分からんヤツより、相当マシだぜ』

 

「………不敬だよ」

 

『テメェだって一瞬躊躇してンじゃねェか』

 

「うるさい。それで、どうなのかな? 率直な感想が欲しいところだけど」

『……………だから、悪かねェっての』

 

既に高名な悪魔や魔王やらの名前では二番煎じになると嫌がり、御当主様の栄えある命名を

数秒の熟慮もなくバッサリ切り捨てた彼が、素直じゃないにしても好感触を示してくれた。

改めて考えてみると、デュリアル、か。中々のネーミングだと思うな、我ながら。

『俺様もとうとう名前持ち(ネームド)か。へへ、デュリアルなァ。悪くねェ』

 

「気に入ってくれて何よりだ」

 

「うーん………あ、紅夜! 今度のはもう完全無欠よ! その名も」

 

「『もういい(です)』」

 

 

僕が想いを寄せる彼女に与えられた期限が迫る中、帰ってきたこの日常の中で笑い合う。

急がなきゃいけないけれど、血眼にならなきゃいけないけど、ふとした瞬間が楽しい。

 

その後、まだ命名にこだわろうとするレミリア様を咲夜姉さんに預け、僕は地下牢にて

僕を待っていてくれているであろう主人のもとへと、急ぎ足で向かう。

 

 

「これからもよろしく、デュリアル」

 

『あァ。テメェがくたばるまでな、紅夜』

 

 

新しく、そして再び、受け入れることとなった僕のそばに居る人(かぞく)に微笑んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは、幻想郷のどこにも位置することのない、境界の狭間(スキマ) にある日本家屋。

 

全体的にややおぼろげな印象を抱かせるその家屋には、ちゃんと腰を下ろし住まう者が居る。

だがそれは人間とは限らない。否、人間程度の者が、この断絶された空間に来られるはずがない。

故に導き出される答えは、一つしかない。この屋敷に住まうものは、人ならざるものであると。

 

ここよりもさらに霧の深い湖にある館に住まう十六夜 紅夜が、幻想郷を東奔西走して手掛かりを

探り回っているちょうどその頃、この日本家屋【八雲邸】の一室に、一人の男が音も無く現れた。

 

浅緑色の布地で端正に繕われた、シミもシワも何一つなく整えられた立派な着物姿に、

着こなす着物よりもさらに鮮やかな色合いをした、薄い緑色で逆立ち、短くそろえられた頭髪。

肌の色は黄色人種のそれではあるが、それでも並大抵の者たちより幾分か白みがかっており、

足の甲が丸見えになっている形状のブーツもどきは、靴底を拭かれて畳の上に置かれている。

そしてひと際異彩を放つのは、彼の顔を丸ごと覆い隠している、"縁"の一文字が書かれた布。

 

 

彼の名は、八雲 縁。この屋敷の主である、八雲 紫が所有する人型の道具だ。

 

 

神出鬼没な主人をもつせいか、彼自身をまとう雰囲気もまた、独特に怪しいものである。

そんな彼は今、質のいい畳に腰を下ろし、普段腰に帯刀している一振りの太刀を凝視していた。

しばらくの間、畳の上に置かれたその太刀を見つめた後、着物の懐からもう一振り小刀を出し、

太刀の上の方に丁寧に置いてから、先ほどと同じように無言で凝視し続ける。

 

彼は今、悩んでいた。己が持つ二振りの刀を見て、悩みを抱えていた。

 

目の前に置かれたその二つの刀は、どちらも柄から鞘の先端に至るまで、酷く傷んでしまって

いるようで、よく見なくとも無数の傷や亀裂がうかがえるほどに、扱いがなっていない。

 

「……………………」

 

 

無言のままに、彼はボロボロになってしまっている太刀を取り、柄を掴んで刀身を引き抜く。

壊れかけの鞘から抜かれた刀は、使われている玉鋼こそ見事なものだが、やはり扱いが酷く、

刃は刃こぼれで無数の欠けが目立ち、およそ斬り物としての寿命はもう残されてはいない。

 

柄の部分に六色の組紐が結わえられているその太刀は、『銘刀(めいとう) 六色(ろくしき)』という。

 

彼が主人の紫に連れられて幻想郷に来た際に、彼女の手から直接渡された逸品である。

スキマ妖怪として名高い主人が、剣を振るっている場面など彼は一度たりとも見たことが

無いために、何故彼女がこれほどの一振りを持っていたのかは不明だ。しかしこの刀を

拝品したその当時から、既にこのような状態ではあった。理由は何も分かってはいない。

ただ、この太刀を手渡した時、今でも稀に見せるほどの笑顔を浮かべていたことを、縁は

今でも覚えている。彼女にとってこの刀は、大切という言葉では語れぬ品であると理解した。

ちなみにこの六色の柄にある組紐の色は、紅、橙、山吹、瑠璃、藍、黒で、緑と紫が無い。

 

点検するか否かはさておき、と考えた彼は、大事そうに六色を畳に置き直してから、

その手を引くことなくそのまま伸ばし、六色の上に置いておいた小さな懐刀を手に取った。

 

鞘を握るだけでミシリと音を立てるほどのオンボロを、細心の注意を払って抜き払う。

こちらの刀も酷く傷んでいるかと思いきや、こちらは六色とは違い、一切の曇りがない。

まるで、一度も使われたことがない、一度も抜かれたことのない刀であるとでも言いたげな

その懐刀は、室内に灯された行燈(あんどん)から漏れる光によって、露の如き白と闇の如き黒に輝く。

 

柄の部分に漢字が一画ずつ掘られているその小刀は、『銘刀 七雲(ななくも)』という。

射干玉(ぬばたま)のような白く純然たる輝きを宿す刃は、もはや芸術の域に達していると言っても過言では

ないと思わせるほど美しく、故に武器として振るわれたことが無いのだろうと推察できる。

短いながらも鋭いその刃は、一度たりとも肉を裂き、骨を削り、血を浴びたことが無い。

ならばそれは武器ではなく、芸術品として扱われても不思議ではないのだ。

 

だが、彼は知っている。

 

この七雲という小刀の持つ、本当の意味を。その使い道を。

 

「…………………」

 

 

抜き身の刃を鞘に納め、再び丁寧な動作で畳に置いてから、縁はふむと熟考する。

彼自身は剣や刀などの扱いに優れているということはなく、当然ながら、ずぶのド素人である。

そんな彼とて、流石にここまで酷い刃こぼれや鞘割れを見れば、手入れが必要であると判断し、

どうにかしなければならないと思うのは必定。だが問題は、彼にその技術が無いことだ。

 

さて困った、どうするべきか。

言葉にせずとも、腕を組んであぐらをかき、首をひねりながら刀を凝視するそのたたずまいを

見れば、誰もが刀について悩んでいるのだろうと一目瞭然。けれど彼は現在、一人なのだ。

部屋の中には誰もいない。邸内には主人の紫も、その式神である藍もいるにはいるのだが、

両者ともに自らの成すべきことをしている最中であるため、その邪魔はできない。

ある意味で孤立無援状態の彼は、結局どうすることもできずにうなることしかできなかった。

 

 

「_____________ん?」

 

しかし、その時間は唐突に終わりを迎える。

 

「…………声?」

 

 

彼の優れた聴覚が何かを察知し、畳に置かれた刀を見つめていた顔を上げ、周囲を見回すが、

当然のことながら誰もいない。この部屋は彼の自室であり、自分以外の人物はいないのだ。

だが、幽かにだが、聞こえてくるのも確かなのだ。ぼんやりと、しかしちゃんとした声が。

 

主人、八雲 紫の声ではない。そして藍の声でもない。

 

しかし、彼女ら以外にこの八雲邸に来られる者など、そうやすやすとはいないはずである。

逆に、こんな場所へ来られる力量のある者であれば、主人の道具たる彼が知らないはずが無い。

 

聞こえる、確かに、声が。

 

見渡す、いない、誰も。

 

「……………何者だ」

 

 

自分の身に起きている事態が、異常であることを聡く感じた縁はすぐさま、畳に置いていた

六色と七雲を帯刀して、部屋の四隅の一角に背を向けて陣取り、室内を改めて見回した。

背中を壁に向けている今、背後から強襲される可能性は低くなった。ゼロではないが、低い。

次に彼が布で隠された視線を向けたのは、自身の足元にある畳と、頭上にある木製の天井。

二足歩行する生物の視野は広いが、その生体構造上、どうしても三か所の死角が生まれる。

それこそ、彼がすぐさま隠した背後と、視界が及ばない頭上と足元である。

 

全ての死角を潰した彼は、それでも幽かながらに届く声の出る場所を、警戒しつつ探す。

ところが、何度見回しても声の主の姿が見えぬどころか、声の大きさが変わっていないのだ。

声とは音である以上、その発信源から離れれば、音は小さくなり聞き取りにくくなるはずで

あるのだが、何故かそのあるべき変化が感じられない。そこまで考え、彼は結論に至った。

 

 

「_________私の、中からか?」

 

 

声の発信源が移動しても遠くならないということは、よほど音が大きいか、発信源が自分の

すぐ近くにあるかの二つしかない。声は幽かに聞こえてくるため、大きな音などではない。

となれば、答えはただ一つ。適切な解を導き出した彼は、自分自身に能力を発動させた。

 

彼の持つ能力は、『全てを(つな)げる程度の能力』である。

 

物質も、精神も、概念すらも結げることが出来る能力は、神羅万象何もかもに通じる。

無論それは自分自身も例外などではない。彼は即座に、敵を知ろうと迅速に対応した。

 

しかし、それが仇となった。

 

 

『_____________________』

 

能力によって、自分の中に潜む"何か"と結がった瞬間、彼の全てを(やみ)が覆い尽くした。

 

 

「なっ_____________」

 

 

布に遮られた視界を完全に遮断する漆黒が、彼の身体を、その意識ごと飲み込んでいき、

感触のない水の中に放り込まれた感覚に身を襲われた後、彼の機能(かつどう)は停止した。

『……………………行くか』

 

 

完全なる黒が部屋を覆い隠し、それが無くなった時、縁はゆらりと立ち上がっていた。

否、それは縁であって縁ではない。彼の身体の中に居た"何か"が、その身体を奪ったのだ。

それまで実体の無かったソレは、自らの意思の通りに動く肉体を眺め、しばし虚空を見つめ、

縁の肉体が完全に自らが思い描くように動かせることに満足して、彼の能力を発動させる。

万物森羅万象を結げる事の出来る彼の能力で、ソレはこの部屋と別の空間に結ぎ目を生成し、

手で裂くようにしてできたその裂け目をくぐって、ここではないどこかへと音も無く旅立つ。

 

縁の身体を乗っ取ったソレが消えた直後、縁の部屋へと二人の美女が鬼気迫る表情で踏み入り、

そこに本来いるはずの人物がいないことを確認して、一人は困惑し、一人は顔を歪める。

 

 

「紫様、今の膨大な妖気はいったい………?」

 

「分からない。こんな事はありえないはずなのだけれど」

 

「この場所にあれほどの妖気を持つ者がいれば、すぐに察知できるはずです」

 

「探知を妨害するほどの力量があれば、まず私の目に留まらないはずが無い」

 

紫紺のドレスに身を包む妖艶な美女、紫。そしてその式神であり九尾の妖狐たる、藍。

両者ともに、この幻想郷の中では指折りの実力者であるため、自分たち以外の気配を探る

ことなど容易極まりないはずなのだが、今回はそれが不可能だった。それが彼女らは解せない。

「縁…………何があったの?」

 

 

この場から忽然と消えた彼の名を呼ぶことしか、残された彼女らにできることはなかった。

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?
今回は、これまでに比べて少々短めにしたつもりです。

さて、縁君のターンが始まると言いつつ、紅夜が出てきましたね。
ええ、ハイ。私は一言も、紅夜は出てこないとは言っておりませんのでw
まぁ彼にはまだしてもらいたいことがあるので、もう少しは紅夜の視点での
物語を入れていくつもりです。あ、ちゃんと今章の主役は縁ですので。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十参話「緑の道、神々とアソビ」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!



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第七十参話「緑の道、神々のアソビ」




どうも皆様、【鋼の錬金術師】を見直している萃夢想天です。
TV放映が子供の頃だったので、かなりショッキングな展開ばかりだったのを
今でもよく覚えておりまして。いやはや、伏線回収が見事なものですよ。

あの伏線の張り方と回収力、見習いたいなぁ………(遠視

恒例の愚痴はここまでとして、今回もまた、前半は紅夜君に任せてあります。
御贔屓にさせていただいている方からの質問であったのですが、しばらくは
紅夜を登場させる方針で行きます。縁さん? ええ、主人公ですが?


順調に謎を増やしていくもう一人の主人公に敬意を表しながら、
それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

「紅夜さん、少しよろしいでしょうか?」

 

「文さん? どうかされました?」

 

 

太陽が血よりも赤い館の窓を照らす真昼時、僕は今日も約束を守り通すために何としてでも、

今話しかけてきた彼女、文さんの無実を証明する何かを探そうと館から出ようとしていた。

しかし、今言ったように、その彼女に呼び止められてしまった。何かあったのだろうか。

そう思って尋ね返してみると、彼女は何やら申し訳なさそうな表情でこちらを見てくる。

 

もう一度尋ねてみようか悩んだ瞬間、彼女はその口を再び開いた。

 

 

「あ、あのですね。実は、妖怪の山へ侵入した者についての詳しい話を、と」

 

「…………………あ」

 

 

もじもじと指を突っつきながら述べられたその言葉に、僕は盛大に頭を抱えたくなる。

 

盲点と呼ぶには、いささかこの点は巨大過ぎる。そうだ、なぜ僕は彼女に聞かなかったのか。

探しているのは、彼女に罪を擦り付けた「妖怪の山で天狗を襲った侵入者」なる相手で、

しかも彼女はそれを発見したという報告を、意図的に遅らせていたと言っていたではないか。

どうして僕はそこの部分を聞かなかったのだろう。それこそもう、答えに等しいはずなのに。

 

自分の頭の悪さ、回転の鈍さに嫌気がさしたところで、悔やむより先に耳を傾ける。

 

 

「まずそうすべきでしたね。では、そのお話をお聞かせ願えますか?」

 

「は、はい! でも、その、なんで私もそれをもっと早く言わなかったんでしょう………」

 

 

すると文さんは、自分がその事を言っておくべきだったと、目を伏せながら呟いた。

確かにそうかもしれないけど、聞かなかった僕が悪い。探しているのは僕で、その探す対象に

ついての情報を有していた相手を保護していたのに、話を聞かなかった僕が全面的に悪い。

彼女が気に病む必要はないと言おうとしたが、今は慰め合ってる時間すら惜しむべきだと思考を

前へと押し出して、「それは置いておくとして」と前置きでフォローしてから改めて話を聞く。

 

 

「話してください。貴女が知っている全てを」

 

「はい。まずは_____________」

 

 

 

__________ブン屋説明中

 

 

「_________と。これで全部話しました」

 

「………………」

 

 

時間にして十分ほどの話を終えて、文さんはやや疲れた表情を向けてから、再び口を閉ざした。

まだ何か思うところがあるように見受けられるけど、今はそこに気をまわす余裕が僕には無い。

彼女の話を全て聞き終え、僕の中に生まれたのは、疑問しかなかった。

 

 

(どういう事だ? 何故、彼が?)

 

 

その疑問とは、文さんの話の中に出てきた一人の人物。その名を、八雲 縁と言ったらしい。

そしてこれまたなんという偶然か、僕はその名前に聞き覚えがあったのだ。今から二か月ほど

前に、僕がこの幻想郷に訪れるきっかけとなり、その橋渡しをした男こそ、その当人である。

僕が疑問に思ったのはそこだ。僕を外の世界からここへと導いた彼が、何故天狗を襲ったのか。

今の話を聞いた限りでは、少なくとも彼は二回、妖怪の山へと侵入していることになる。

一回目は理由があって黙認したらしいから、彼が犯人であれば、二回目の侵入の時に行動を

起こしたとみて間違いはないだろう。でも分からない。何が目的でそんな事をしでかしたのか。

天狗や河童を襲ったのも不明だけど、一度目の侵入の際に行動をしなかったことも不明瞭だ。

 

彼の行動は、聞いた話から推測すると、酷く不可解なのだ。あきらかにおかしい。

 

(…………いや、待てよ? おかしいと言うのなら、あの時だって)

 

 

そこまで考えてから僕は、ふと気付いた。彼に対する違和感は、今回に限ったことでないことを。

いや、よく考えなくてもおかしい。そもそも彼は、どこかの島の地下施設で殺しの教育を受けて

生きていた僕を、どうやって探したのか。いや、それよりもなぜ、彼は僕を幻想郷へ導いたのか。

当時の状況をよく思い出してみろ、違和感だらけにもほどがある。あの時、彼は何と言った。

 

 

『………やっと話ができそうだな、"十六夜 咲夜"の弟よ』

 

『……そうか。今のお前は知らなくて当然だな』

 

『お前の姉の行方…………その真相、知りたくはないか?』

 

『………これで全て伝えた。私はこの事をご報告するために一度戻る』

 

 

彼と、八雲 縁を名乗る不思議な青年と出会った時のことを事細かく思い出し、戦慄する。

どう考えても不自然過ぎる。彼の発した言葉の一つを取っても、意図がまるで見えてこない。

 

まず第一に、彼はどうして僕のことを知っていたのか。僕が姉さん、十六夜 咲夜の弟だと

何故把握していたのか。あの時はまだ、姉さんの記憶だって戻っていなかったのに。

第二に、彼の言動には一貫して『既知』が垣間見えた。姉さんとの関係性を知っていたのもそう

だけど、それよりまるで僕のことを、十六夜 紅夜という人物すら知っていたかのようなあの

口ぶりは異様だ。『今のお前』という彼の言葉は、『C7110』という形式番号で呼ばれていた

当時の僕と、現在こうして紅魔館の執事長として暮らす『十六夜 紅夜』、そのどちらも知って

いなければ言えない言葉だろう。つまり彼はあの時点で、僕がどうなるかを把握していたのか。

 

考えれば考えるほど、彼についての謎と情報が増えていく。何もかも不鮮明で不明瞭だ。

 

彼は僕をこの幻想郷に招き入れて、何がしたかった? 彼自身の得になることは一つもない。

彼は僕と姉さんを引き合わせることで、どうしたかった? まさかレミリア様のように、運命を

決定づけたりなんだりとか、そういう類のことをしようとしていたのではあるまいに。

ダメだ、どう思考を転がしても謎が生じる。縁、君は僕と接触して、何がしたかったんだ。

何かをさせようとしていたのか、あるいは既にあの時点で、何かを成し遂げていたのか。

 

 

(…………どちらにせよ、全ての謎の鍵は、彼にある)

 

 

現段階では、思考錯誤して答えを出そうにも、情報が不足し過ぎて推測の域にすら達しない。

今はとにかく、文さんの件を踏まえて、彼を捜索するほか道はないとして、考えの方向性を

変更していくしかないだろう。いくら必死になっても、ピースが足りなきゃパズルは解けない。

 

「それに…………収穫ならあった」

 

 

欠けている多くのピース、そのうちの一欠片となりうるかもしれない情報は、先の文さんから

聞きだした話の中に見出すことができた。残り時間は今日を含めてたった二日、悠長にしてる

暇はないけれど、それでも進展はあったのだから、何とか前には進めているのだろう。

そう信じることにして、僕は彼女から得た新たな情報をしっかりと頭の中へ叩き込んだあと、

いつの間にか取り決められていた「いってきますのキス」と、美鈴さんのハグを受けて一路、

新たなる目的地を目指す。ここにきての幸運は、その目的地にわずかながら(えん)があった事か。

 

「さぁ、行きましょうか_____________命蓮寺とやらに」

 

 

かつて人里の古書堂に立ち寄った際、何やら困っていた人の手助けをした結果、聞き及んだ名前。

確か、『雲居 一輪』さん、でしたね。訪れることはないかと思ってたけど、これは思わぬ僥倖。

 

 

「八雲 縁を妖怪の山へ運んだ人物がいるとされる場所、か。今度は収穫、あるといいですけど」

 

 

燦々と照り付ける太陽のもと、僕は人里の南にあるとされる目的地へ、足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼間であっても、そこに棚引く深い霧の影響で、その全容を見渡せる機会の少ないという湖。

その様相から『霧の湖』と名付けられているそこには、よく妖精たちが水浴びに来たり、

稀に悪戯をしに湖中心にある吸血鬼の館にちょっかいを出そうとする無謀な妖精が来たりする、

幻想郷の名所の一つである。大陽が眩しく輝く今日も今日とて、湖には濃い霧がかかっていた。

 

そんな人の気配が少ない場所に、スッと切れ目のようなものが生じたかと思った直後には、

そこからにゅっと人の手が突き出され、一筋の黒い切れ目を裂け目にするために動いていく。

空間の亀裂とでも見える裂け目を押し広げつつ、その奥の空間から、一人の青年が姿を現した。

 

このような摩訶不思議かつ奇妙奇天烈な移動ができるのは、この八雲 縁ただ一人であろう。

 

彼はその全身を裂け目から引きずり出して、湖のほとりに足の甲が丸見えのブーツもどきの底を

つけると、辺り一面を濃度の高い霧が覆っているにも関わらず、周囲を見回し始める。

そして、とある一点を顔にかけられた布越しの視線が見つめると、そこへ彼は歩み寄っていく。

縁の視線の先には、背中に羽がある以外は年端もいかぬ幼子にしか見えない者が、二人いた。

 

彼が近寄る気配が分かったのか、二人は縁の方を向き、そのうち一人は顔色を明るくする。

 

 

「あーー! お前は、あの時のやつね‼」

 

「だ、ダメだよチルノちゃん! 人に指さしたら!」

 

変わらぬ歩調で近付いてくる異様な男を見て、やや薄めの青が映える短髪の妖精は元気な声を

張り上げ、ビシッという擬音がつきそうなほどの勢いで、右手の人差し指で男を指し示した。

それに対し、若葉のような緑が萌ゆる髪をもつ妖精の方は、おどおどとした態度のままで友人と

思わしき青髪の妖精の行動を、実に弱々しく頼りなげにいさめている。

 

青い短髪の妖精はチルノ、緑のサイドポニーの妖精は大妖精という。

 

この二人はかつて、一度縁と出会っており、その時の軽はずみな言動のせいでチルノは縁を

激昂させてしまったものの、弾幕ごっこで勝負した際には、彼から勝利を奪っている。

要するに、彼女らと彼は顔見知りなわけだ。もっとも、チルノは馴れ馴れし過ぎるのだが。

 

『……………………』

 

 

しかし縁はというと、黙ったまま歩みを進めていくだけで、チルノらの反応に何らかの反応を

示さないままでいた。そして数秒と経たぬ内に、彼は二人のいる場所へと到着するのだが、

縁が歩みを止めると同時に、チルノが彼へ向かって飛びついた。

 

チルノは、氷精としての特性上、冷気を自在に操る能力を有している。けれど彼女の場合、

精神的に幼過ぎるせいか、あるいはただ単に錬度不足なのか、自身の能力が上手く制御できず

常時気温を下げる存在になっていた。人間の場合、触れただけで凍傷になるほどの存在に。

 

触れても触れられても、いずれにせよ相手が傷つく結果を生み出してしまうことを恐れた彼女

だったが、幻想郷中の実力者としての位置づけは最下層。ただの初心者用雑魚敵(イージーレベル)であった。

日頃から『最強』を自称して憚らない彼女は、弾幕ごっこをするたびに黒星を築き上げていき、

結果だけみれば自称とは対照的な『最弱』の地位を確固としたものへとさせられていた。

 

そんなある日、彼女は縁と弾幕ごっこを行い、まさかの勝利を果たしてしまう。

意識を失う直前、彼は『最強』を求める彼女に、その強さを認めて讃える言葉を投げかけた。

チルノが言った"あの時"というのは、この出来事を指すものである。

 

こうした経緯があったからか、チルノは特に警戒心など抱くことなく縁に自ら近付いていき、

前とまるで変わることのない彼の出で立ちを見上げ、間違いなく当人であると確認し喜んだ。

 

 

「久しぶりじゃない! アタイたちと一緒に遊ぶ? 仲間に入れてあげてもいいわ!」

 

「チ、チルノちゃん!」

 

「だいじょーぶだいじょーぶ! 大ちゃん、コイツはアタイの友達なんだよ!」

 

 

人見知りする性格の大妖精は、まだ突然現れた縁に近寄るまいとした態度を取っているが、

チルノの方はお構いなしに縁に話しかけ、一緒に遊ぶための遊び仲間にまで勧誘する。

けれど、当人からは一向に返事が帰ってこない。どころか、言葉に対する反応すらも。

 

どうかしたのか、そう尋ねようとしたチルノだったが、それは果たされなかった。

 

 

「あ______________?」

 

縁の正面に立ったチルノの、その未発達の幼児のような身体に、彼が帯刀していたはずの

銘刀である六色が抜き身で突き立てられ、二の句を発する前に、それは深く押し込まれる。

 

 

『喜べチルノ。これでお前とも、結がった』

 

 

ただありのままを淡々と述べる縁は、チルノの体を貫いた六色を素早く引き抜き、

氷の妖精故に微量の水に濡れた刀身を布越しの視線で見つめ、流れる動作で鞘に納めた。

 

 

「チルノちゃん………? チルノ、ちゃん! チルノちゃん‼」

 

 

目の前の出来事に狼狽しているのは、この場に置いては、大妖精ただ一人のみであった。

たった今目撃した光景を、彼女の頭は理解することを放棄し、自分と同じ体格の友達が

鋭い刃物で刺し穿たれた現実を忘れて、無心になって氷の妖精の名前を呼び続ける。

 

しかし、彼女からの呼びかけに、返事は帰ってこない。

 

 

「チルノちゃ………ひっ!」

 

『…………………………』

 

 

呆然となり膝を折りかけた大妖精だったが、自分のすぐそばまで縁が歩み寄ってくるのを

見て我に返り、彼の行動とその結末に恐怖を駆られた彼女は、慌てて湖畔から飛び去った。

 

それなりの速度で逃げていく大妖精の背中を見つめる縁は、そのまま力なく湖畔の土に

身体を投げ出したチルノを一瞥してから、霧に覆われて一寸も見えぬ先を見つめて語る。

 

 

『そうだ、行け。伝えろ、この私の成した行いを』

 

 

感情を感じさせないトーンで呟いた彼は、現れた時と同じように空間に裂け目を生み出し、

それを両方の手で押し広げて中へと足を入れ、最初からいなかったように姿をくらました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霧の湖の湖畔にて、縁がチルノを剣で刺した意味深な行動を行ってから、まだ五分と経たぬ頃。

その姿を消していた彼が次に現れたのは、なんと妖怪の山の中腹であった。

 

空間の裂け目から音も無く地に降り立った彼の眼前には、たくさんの神格持ちの精霊たちが集い、

自然の中で生き生きと思い思いのことをしていたのだが、その平穏は突如として破られる。

 

神格持ちの精霊とは、簡単に言うと『神未満の力を持って生まれた精霊』というところか。

人々が名付け敬う神々とは別に、この世の自然界にあるすべてに宿っているという(八百万の)神が

いるとされており、この神格持ちというのがまさにそれにあたる。俗に言えば、小さな神だ。

 

今も木々に紛れて遊んでいるのは、芽吹いたばかりの若葉の精や、山肌に自生する野花の精など、

極小の力しか持たぬ弱い神々ばかり。そんな彼らは、突如現れた不審な輩に警戒心を揺り起こす。

腰に太刀を帯刀し、なおかつその顔は一枚の布で隠されている。そのような風貌の人間がいきなり

自分たちの遊び場に現れたら、たとえ神であろうとも驚き、怖がることは必至だろう。

 

 

『…………………』

 

 

訝しむような視線を投げかける神格持ちとは対照的に、周囲をきょろきょろと見回す縁。

彼の行動の意図が分からない小さな神々は恐怖を覚えるが、そこへ一人の神格持ちが歩み出た。

 

 

「どうされたな、お若いの。見たところ、御主もわずかながらに、神通力を宿しておられる」

 

『…………………』

 

「ここにおるのは、どれも八百万の神なれど、妖怪以下の力しか持たぬ神格持ちの精ばかりよ」

『…………………』

 

「ちなみに儂は………ほれ、あそこにそびえる樹木の精じゃ。樹齢はせいぜい、二百じゃがの」

 

 

自らを樹木の精と名乗る、小柄な好々爺の姿をした神格持ちは、柔和な態度で縁に接する。

彼の中にある微量の力を感じ取って、同類と思ったのだろう。実に紳士的な振る舞いで対応する

樹木の精だったが、さきほどから微動だにしない不思議な雰囲気を持つ彼に疑問を抱いた。

 

 

「さて、御主は何用でここに来られたのか。ここは妖怪の山にして、八坂神が治める霊峰よ」

 

『八坂………八坂 神奈子か。そう言えば奴はここにいたんだったな』

 

「ほほぉ、御主はあの御方の知り合いのようじゃな」

 

 

この神格持ちの集う場所に、名も知れぬ神の末席であろう者が、どんな用向きがあるのか

という至極当たり前の疑問を抱いた樹木の精だったが、話の流れで出てきた戦神様のことを

知る素振りを見せた縁に、興味を湧かせる。続けて質問を投げかけると、返答が返ってきた。

 

 

『…………弾幕を撃ち合った仲だ』

 

「それはそれは。して、それほどの御仁が、こんな場所に何の用ですかな?」

 

『大した用事ではない。ただ』

 

「ただ?」

 

 

幼い子供のような見た目の神格持ちたちは、最年長らしき樹木の精が気さくに話しているのを

見て警戒心を解き、ひとり、またひとりと縁のそばへ近寄っていき、顔を覗き込もうとする。

その中の一人が、彼の腰に帯刀されている業物に興味を持ち、収められた刀の柄に触ろとして

手を伸ばした瞬間、無言のままに刀を引き抜いた縁によって、幼い身体は刺し貫かれた。

 

いきなり目の前で起きた惨事に呆然とする周囲をよそに、太刀を握る縁は淡々と告げる。

 

 

『ただ___________神を名乗るものたちを、消し去りに来た』

 

「なっ、何を⁉」

『お前もまた、神を名乗る資格を有していたな。矮小な己を恨んで、輪廻へと溶けろ』

 

 

優しく接してくれた樹木の精の胴体を一薙ぎで分断し、腕の勢いを殺さずに刀を振るい続け、

逃げようとする幼い神格持ちを、今度は一人残らず切り捨てて存在をこの場から抹消した。

 

精霊として生き、受肉していなかったために返り血はついていないが、斬った感覚だけは

彼の手や腕にしかと残っている。神々を切り裂いた六色を見つめ、そのまま鞘へと収める。

目に見える範囲内の存在を瞬く間に斬ってしまった彼の聴覚は、恐ろしい速度でこちらへと

接近してくる足音を捉え、それが以前にも聞き覚えのある音だと気付き、顔を向ける。

待ち構えるようにして振り向いた先には、確かに一度出会ったことのある人物がいた。

 

 

「貴様は、あの時の‼」

 

『犬走 椛か。厄介な者に見つかったな』

 

 

白い毛並みに鮮やかな紅葉の模様が施された袴似のスカート、そしてそこから覗かせる尻尾。

妖怪の山の警護を任される天狗の種族、白狼天狗の中で特に縁と浅からぬ因縁を持つその少女、

呼ばれた通りの名を持つ犬走 椛は、その表情を修羅の如き形相に歪め、縁の顔を布ごと睨む。

対する縁はただ、面倒な相手と遭遇したなと、その程度にしか事を捉えていない。

感情が見受けられない平坦な口調に、怒髪天を衝く勢いの椛は、膨れ上がる激憤を吐き捨てる。

 

 

「貴様の、貴様のせいでみんなは‼ にとりも、私の同胞たちも‼」

 

『…………ああ、その事か。確かにアレは、我々(わたし)がやった事だが、それが?』

 

「何だその言い草は⁉ 未だ目覚めないみんなを、この上まだ愚弄するか‼」

 

『事実を述べたまでだ』

 

 

爆発したような怒りを発する椛とは真逆に、縁はどこまでいっても冷静かつ冷淡だった。

その態度にとうとう我慢の限界を超えた彼女は、この日のためにと研ぎ続けた白狼の大刀の

切っ先を彼に向け、目を血走らせながら吠えるように叫んだ。

 

 

「ここで私と勝負だ‼ 殺してやる‼ 貴様だけは生かして帰さん‼」

 

『………………白狼天狗、か。お前では足りない(・・・・・・・・)

 

 

しかし縁はまるで平静を崩さないまま、たった一言だけそう呟くと、刃を向けられているにも

関わらず、それに臆するどころか脅威すら感じていないように、背を向けて歩き出し始める。

彼の言葉、態度、行動。それら全てが椛の神経を逆撫でし、ついに臨界点をぶち破った彼女は、

雄叫びを上げながら右手に握りしめた刀を上段に構え、目にも止まらぬ速さで駆けようとした。

だがその時、両者の間に予期せぬ第三者が現れた。

 

 

「あらあら、今日は御山が随分騒がしいと思ったら、血生臭い現場に着いちゃった」

 

『………お前は』

 

「ひ、(ひな)さん? どうしてこんなところに?」

 

 

怒りに燃える椛と、その場から去ろうとしていた縁の前に現れたのは、一人の美少女。

整ったその顔立ちは、翠晶(エメラルド)のように鮮やかな緑の長髪と合わさり、まさしく姫人形の如く。

目を惹く濃赤のリボンは、頭頂部にある一際大きなものと、顎の真下で伸びた髪を束ねるものと、

左腕に包帯のように巻かれているものと、三種類あり、それも緩やかなそよ風に揺られている。

ドレス状のゴスロリチックなワンピースをまとい、襟は白、それ以外はほとんど濃赤が染め上げ、

スカートの左側には、『厄』の一字を歪めたような翡翠色の紋様が赤紐でくくりつけられている。

どこか儚げな雰囲気を漂わせる少女の名は、『鍵山(かぎやま) 雛』といい、この山に暮らす厄神様である。

周囲に靄のようなものを発生させながら、雛はゆったりとした足取りで縁と椛に近付いていく。

すると、彼女の接近に縁が反応を示し、すぐ近くで唸っている椛を無視して布越しに雛を見る。

 

 

『厄神か』

 

「厄神様よ。妖怪の一種だけどね、それでも敬称はつけてほしいわ」

 

『妖怪の一種であろうとも、神格を持つのであれば、神を名乗る資格がある』

 

「それは、まぁ。厄神様だし、一応」

 

『ならばお前なら足りるだろう。故に鍵山 雛、お前は結がるに値する』

 

場の状況を知らないがためか、フレンドリーに会話する二人に痺れを切らしかけた椛だったが、

続けて雛の口から呟かれた言葉を聞き、踏み出そうとしていた一歩を迅速に引っ込めた。

 

 

「それよりも、ひとつ聞きたいのだけれど」

 

『なんだ?』

 

「今さっき、随分と大きな声で話していたから、色々と聞こえちゃったんだけど」

 

『…………………』

「にとりがどうとか、言ってなかった?」

 

『河城 にとりか。それがどうした』

 

「…………あの子、もう何日も意識が戻らないの。あなた、何か知ってるの?」

 

『知っている。と言うより、私こそが元凶だ』

 

「…………そう」

 

 

先ほどの、どこか令嬢然とした態度は瞬時に鳴りを潜め、代わりに肌で感じ取れるほどの

強烈な気配が周囲一帯に充満していく。これには縁も、身構えざるを得なくなった。

六色を抜刀した縁を見据えながら、雛はどこか不気味に感じる微笑みを変えに向ける。

 

 

「それじゃあ、あの子に何をしたのか、話してもらおうかしら」

 

『やれるものならやってみろ。お前は、私の抹殺対象に加わった』

「人間、にしては変な感じだけど、私を相手に"いい度胸"だとは褒めてあげる」

 

『負の概念を司ったところで、私には勝てないぞ、鍵山 雛』

 

両者ともに距離を取り、目の前にいる相手を敵と認識した。

 

 

 

『忌み嫌われた流し雛』 鍵山 雛

VS

『今は亡き(えん)(ゆかり)』 八雲 縁

 

 

 












いかがだったでしょうか?

はてさて、やっと縁が主人公になったかと思いきや、やってることは悪役のそれって。
いやまぁ、させてるのは私なんですが。これでいいのかとふと疑問に思いまして。


前書きでも言いましたが、これからまだ数話分は、前半で紅夜君の物語を、
後半で縁のストーリーをと、分割して全体を進めていく方針です。
わざわざそんなことをする意味があるからしてるんですが、正味面ど(以下略


それでは次回、東方紅緑譚


第七十四話「緑の道、信仰への侵攻」


ご意見ご感想、並びに批評なども大歓迎です!


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第七十四話「緑の道、信仰への侵攻」





どうも皆様、今度は格ゲー【ギルティギア(通称GG)】にハマった萃夢想天です。
いえ、実際にプレイしたのではなく、某動画サイトで偶然出会いましてですね。
(それにしても、『GG』だと、とあるギャグマンガの女忍者を想起してしまう)

有名な声優さんや、同系統作品【ブレイブルー】にも通じる何かを感じ、
実際にプレイしてみたくてたまらないんです。ファウスト先生治療して下さい。


恒例の私事はここまで。


今回の投稿は少々遅れた上に、若干短くなるやも知れません。
贅沢を言うようですが、またしてもスランプが始まった可能性がありまして。
私のようなポンコツが何を抜かすかと思われるでしょうが、ええ、まぁ。


これ以上は無駄話になりそうですね、先を急ぎましょう。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

紅魔館から出て二時間ほど経過した今、天高く昇っていた太陽が徐々に傾き始めており、

過ぎ去っていった時間の流れの速さを感じさせる。と同時に、僕が歩いてきた距離の長さも。

 

現在僕は、姉さんや美鈴さんから前以て聞いていた道筋を歩き、今回の外出の目的地である寺を

訪れていた。想い人である文さんの無罪を証するために。そして、僕自身が抱いた疑問のために。

とりあえず人里からそう離れてはいないと聞いていたんだけど、やはり土地勘がないということが

災いしたらしく、想定していた以上の時間と肉体的疲労を蓄積してしまった。本当なら、一時間と

ちょっとくらいで到着予定だったところが、陽が目に見えて傾いてから、時間が経っている。

 

『着けたンだから、イイじゃねェか』

 

「流石にこの歳で、迷子にはなりたくないね」

 

 

時間的にも精神的にも余裕が無いというのに、僕の内側に宿っているコイツは随分お気楽だな。

このまま何の成果も得られなければ、明後日には文さんの再投獄が確定してしまうのだから、

冗談を言い合っているこの暇すら、僕にとっては正直惜しいとすら思う。なのにコイツときたら。

いや、せっかく名前を付けてやったんだし、ここは彼の新しい名前を呼んでやるとしようか。

どうも彼自身も、まだ自分の名を冠する固有名詞が馴染まないらしく、反応が面白いからね。

 

 

「それよりもデュリアル、この先の場所では大人しくしていてくれよ?」

 

『…………ン、お、おゥ』

 

「はっはっは! いやぁ、その不慣れそうなトコはまだ健在か」

 

『うるせェ‼ あーーッたく‼ 俺様はもう寝る‼』

 

「ふはははっ! ああ、お休みデュリアル」

 

『…………チッ!』

 

 

少し弄り過ぎたんだろうか、彼は僕の意識の奥底へと潜って、そのまま黙り込んでしまった。

こうなると、彼は自分の興味があるものを見つけるか、紅魔館へ帰るまでは一切出てこない。

静かになるのはいいことなんだけど、あんまりやり過ぎると、あとがうるさくなるしなぁ。

 

さて、目下のところ、優先すべきことは目の前にある目的地で情報を得ることなんだけど、

こういう場合ってどうしたらいいんだろうか。日本の寺社仏閣なんて来るのは初めてだから、

作法も何もまるで知らないんだよね。どうしよう、下手なことしてここの方々から不評を

買ったら、本来の目的である情報収集なんて出来っこない。さて、どうしたらよいものか。

 

そうして僕は、目的地である荘厳な雰囲気を漂わせる『命蓮寺』へと、視線を向ける。

 

「…………悩んでても始まらないな」

 

 

木製の大きな門の前で思い悩むこと一分ほど、怒られることも覚悟して視野に入れた僕は、

目前に並び立つ扉を二回ほどノックしてから、ここに来た用向きを大きな声で告げた。

 

 

「ごめんくださーい、少々お聞きしたいことがあって参った者ですがー!」

 

『はい、ちょっとお待ちください!』

 

 

すると、意外と近くに人がいたようで、別の意味で恥ずかしさを感じた僕を嘲笑うかの

ようにして、門前で押し悩んでいた時の数分の一の時間で、重たげな扉が開かれた。

と言っても、開けられたのは扉についていた小窓のような部分で、そこから敷地内へ

入るようにと促された。実際、あんなに大きくて重そうな扉を、人が来るたびに開閉する

となると、かなりの重労働となるだろう。ペット用の扉に思えたけど、ここは我慢しよう。

 

開けられたところから中へ入ってみると、外からも分かる通り、壮観と言える場所だった。

イギリスなどに立ち並ぶ大聖堂や教会とは、また違った趣きで建てられた宗教的信仰物件で、

大きく派手な外観をしている前者と比べても、見劣りをしない無言の迫力を感じさせる。

それと、どうやら日本どころか幻想郷にある宗教も複雑な様相を呈しているらしく、

向こうでいう『カトリック』と『プロテスタント』のように、同じものを尊く崇拝しても、

その両者間には溝がある。という感じで、かつては宗教戦争なるものが起こったのだという。

ここにもその名残があるのか、日本の漢字で書かれた旗が、いくつも境内に掲げられている。

 

 

「これは………おぉ……」

 

 

諸外国にあるような『大きく派手』なものではなく、『質素であり威厳ある』テイストの

寺や神社という建造物は、僕は嫌いではない。むしろ、この静けさが気に入りそうだ。

 

 

「誰だ、アンタ。ここに何しに来た」

 

「や、止めなさい村紗! いきなりそんな態度を取っては、品位と沽券にかかわります!」

 

「おや?」

 

 

寡黙にそびえ立つ眼前の寺に圧倒されていると、横合いから威圧的な言葉をかけられた。

それに続いて、いさめるような声も聞こえた。さっき扉を開けてくれた人の声と一致する。

一先ず相手が誰かを確認するために、僕は二人分の声のする方へと顔を向けた。

 

命蓮寺の板張りの廊下から、こちらを射貫くように睨みつけてくるのは、黒髪の少女で、

僕のすぐ後ろに立っていさめようとしているのは、黄色に黒が混じった、虎柄髪の女性。

 

どちらの方も、今まで見たことが無いような外見をしているけれど、それはこの幻想郷に

おいては、今に始まったことではないと認識できている。まぁ無視していい点だろう。

次に目がいったのは、彼女らの格好だ。黒髪の少女の方は、まだ何となく察しがつく。

 

恐らくは水兵の服に近しいものだろうと思う。この幻想郷に、海兵隊のような組織が

あるという話は聞いたことが無いが、工作活動で入隊した経験もあるから見覚えはある。

しかし、もう一人の方はまったく分からない。随所に虎のような意匠を施しているように

見えなくもないけど、まさか幻想郷には野生の虎なんていたりするのだろうか。

 

そのようなことを内心で考えつつも、黒髪の少女に名を聞かれた以上、答えなければ。

 

 

「申し遅れました。僕の名前は、十六夜 紅夜と申します」

 

「十六夜 紅夜……………ちょっと前の新聞に載ってた名前と同じだな」

「おや、あの記事をご存知でしたか。いやはや、記者の方の腕が冴えた文面でしたね」

 

「………太陽と月をひっくり返そうとした異変の首謀者が、ここに何の用?」

 

「ですから、少々お聞きしたいことがございまして」

 

「帰れ。今うちは、それどころじゃないんだ」

 

 

"十六夜"という姓を名乗る以上、完璧を体現する姉さんと比べられるのは、目に見えている。

嫌などころか謙遜してしまうほどだけど、この姓は僕の誇りであり、僕が僕である証明なのだ。

どんな場所であっても、どんな時であっても、名を名乗るこの瞬間だけは、己を誇らなければ。

 

でも、これは困った事態になりそうだな。文さんの当時の記事も、当然彼女自身にも、当然だけど

恨みなんかこれッぽっちも抱いていない。けれど、こういう場合には、枷と思えてしまうものだ。

ここからどうやって、自分をよくアピールして警戒を解いてもらおうかと考えていた時、

ちょうど黒髪の少女の背後あたりにある曲がり角から、別の女性が話し合いに割り込んできた。

 

 

「ま、待って水蜜!」

 

「一輪? 急に何よ?」

 

 

水蜜と呼ばれた黒髪の少女の後ろから現れたのは、いつぞや出会った頭巾を被っている女性。

その女性は、仲間であろう黒髪の少女から離れ、こちらに向かって来て声をかけてくれた。

 

 

「あなた、鈴奈庵にいた、優しい人でしょ?」

 

「え、えぇ。覚えていてくれていただけで、身に余る光栄に存じます」

 

「そ、そんなにかしこまらなくても…………水蜜、この人は大丈夫だから!」

 

やはり貴女でしたか、一輪さん。

 

彼女とは、僕がまだ僕一人の状態で生きていた頃に出会っていて、能力の過剰使用による脳への

負担も考えず、ただ彼女のために『方向を操る程度の能力』を使いまくったことがあったっけ。

今にして思えば、もはや懐かしさすら感じるほどに、彼女と出会った日のことが随分昔のように

思われる。あの時、彼女に手助けをしていなければ、今この結果には成り得ていなかっただろう。

 

やはり他人にした良いことは、巡り巡ってよいことに変わるようですね。

 

ともかく、非常に心強い味方を得られたことに内心で感謝すべきだ。あの時の善意の行いが

無かったなら、こうして一輪さんが僕を庇ってくれたりすることも、決して無かったはずだから。

 

 

「一輪さん、今回は突然の訪問を、お許しください」

 

「え? あぁ、いえいえ。ここはそんなに戒律が厳しいとか、そういう場所じゃありませんから」

 

「一輪、そいつと知り合いなの?」

 

「そうよ。この人は何も言わずに、私を手助けしてくれた恩人。恩義があるの」

 

「ふーん………一輪がそこまで言うんだったら、まぁ、いいかな」

 

 

援護射撃の甲斐あって、水蜜という黒髪の少女から向けられる視線が、少しだ和らいだようだ。

敵意も殺意も向けたり向けられたりしてきたけど、今となってはそのどちらも好きには思えない。

いや、元から好きでも何でもなかったけどね。今はそんなことどうでもいいんだ、次だよ次。

 

警戒されたままじゃあ話もできなかったろうから、とりあえず一輪さんにもう一度、ちゃんと

お礼を述べてから、残されたもう一人が『寅丸 星』さんという方だと紹介も受けたところで、

僕がここに来た本題を語ることにした。

 

 

「ある厄介事を追っておりまして、そのことで少々ここにツテがあるらしいと」

 

「それは、どういったものなんでしょう?」

 

「詳しくは言えませんが、ナズーリンさん、という方ならば間違いなく知っておられるそうです。

よくこちらで姿を見かけるそうなので、お伺いした次第ですが、本日はいらっしゃいますか?」

 

あんまりディープなことまで話すことはないと考え、一部分だけを不明瞭にぼやけさせたんだが、

そこを怪しまれてしまったらどうしようもない。そこが唯一の懸念だったけど、要らないようだ。

一輪さんが事前にことを収めてくれたということも手伝って、話は随分スムーズに行われたけど、

僕が要件があった人物の名前を口にした途端、何やら浮かない顔になって三人は見つめ合う。

何だろう、その名を聞くのはまずかったのかな。それとも、他の要因があったりするのかな。

 

ナズーリンという人物の可能性を考慮していたら、一輪さんが申し訳なさそうに応えてくれた。

 

 

「それが、最近私たちも見てないんです」

 

「常にご一緒ではないのですか?」

 

「ええ、ナズーと私は、それなりの間柄なので付き合いは長いですが、ここ命蓮寺に寝泊まり

し続けているのは、彼女以外の全員でして。彼女自身は別々に動くことが割と多いですから」

 

「つまりまとめると、今この場にはいない、ということで?」

 

「…………言ったろ、最近姿を見てないって」

 

 

さて、これは困ったことになったな。目的地に着いたはいいけど、目的の達成ができないとは。

一輪さんに警戒を解いてもらったというのに、これじゃあ意味が無くなってしまうじゃないか。

それにしても、彼女らは『最近』姿を見ていないと言っていた。つまり、少なくとも僕が文さんの

無実を証明するために動き出したこの二週間、ないし僕がデュリアルと戦っていた頃には既に、

姿が無かったのではないだろうか。あくまで仮説だから、一つの考えに囚われるのも良くないな。

ただ、目的の人物がいなくなっている以上、ここにとどまる理由は無くなった。

あまり良く思われていないみたいだし、早めに退散した方がお互いのためになるだろう。

 

そう思った僕は、念のためにとナズーリンなる人物について、他にも聞き出そうとした。

 

 

「ナズーリンさんについて、いなくなる心当たりなどはありますか?」

 

「星、どうなの?」

 

「わ、私に聞かれても………宝塔を探しに、何日かいなくなることなんて」

 

「ざらにあるからねぇ」

 

「うぅ、面目ありません」

 

「…………心当たりはない、と」

 

 

外見などは、他の人から聞くだけでもなんとかなるけど、その人物の行動パターンや性格などは、

身近にいる人にしか分からないことだと思って尋ねてみたけど、期待したほどではなかったな。

しかし、本当に困ったな。ここなら手がかりをつかめると思って来たのに、まさに骨折り損だ。

 

期待が大きかった分、かえって落胆も大きくなってしまった。情けない溜め息を漏らしてしまい、

公衆の面前であることを思い出して、慌てて「失礼」と口にしてしまった。ああ、恥ずかしい。

自分の醜態のせいで気が緩んだのか、ここで僕はうっかり、口を滑らせてしまう。

 

 

「はぁ…………せっかく、八雲 縁の情報が手に入るかと思ったのになぁ」

 

「ん? 八雲、何だって?」

 

「え?」

 

「今なんか言ってなかった? 八雲がどうたらって」

 

迂闊だった。今回の件は、言うなれば妖怪の山の、ひいては天狗という種のスキャンダルだ。

その要因ともなった侵入者の名前を、軽々しく口にするのは、何より元殺しのプロとして、

まして取引相手としても、ナンセンスである。やってしまった、と思ったのもわずか一瞬。

僕が口に出してしまった『八雲』というワードを聞いて、水蜜さんが眉根を潜めたかに見えた

直後、叫ぶように大きな声を上げながら、「それだよそれ!」と前置いてから言葉を続けた。

 

 

「八雲だよ、八雲 縁! あたしとナズーリンの二人で、香霖堂に持ってった!」

 

「それは本当ですか⁉ って、待ってください。持っていった、とは?」

 

「言葉通りだよ。話せば少し長くなるんだけど」

 

「構いません」

 

____________船霊説明中

 

 

「って事があってさ」

 

「なるほど、なるほど…………教えていただき、ありがとうございました」

 

自らの失態に対して、迂闊だった口を切り刻んでやろうかと冗談半分で考えていたところに、

思わぬ幸運が舞い込んできた。いやはや、世の中何がどう転ぶのか、分からないものだね。

まさか、ナズーリンさんだけだと思っていた目撃者が、もう一人いたとは。

 

それにしても、氷の妖精と弾幕ごっこをして、全身が凍結してしまう謎の機械人間、か。

少しだけ聞いた『香霖堂の店主』とやらの能力も気がかりだけど、そこは確か姉さんがよく

お嬢様用のティーカップや、暇つぶしのための何かを買うのにうってつけだと言ってたから、

僕だけで行っても問題は無いだろう。よし、そうと決まったら、急いで向かわなくては。

 

貴重な情報をくれた水蜜さんに感謝の意を述べながら、僕は踵を返して門へと向かう。

と、そうだ。僕はこの場所にもう一人、お礼を言わなくてはならない人物がいるんだった。

これを忘れたままだったら、従者としても失格になるところだったと己を律し、改めて

命蓮寺の三人の方へ向き直ってから、失礼のないようにと息を吸って、言葉を綴る。

 

 

「ひじり、という方がこちらに居られるそうですが、僕はもう行かなくてはなりません。

ですので、申し訳ないのですが代わりに、フランドール・スカーレットの執事が、

恩をお返ししたいと言っていたと、そうお伝えください。それでは」

 

 

そうだ。ここに来ると話した際に、フランお嬢様がお世話になったという人物の一人が、

ここで住職という職業をなされていると聞いて、執事としてその礼をしようと決めていた。

危うく忘れるところだったと思うと、僕もまだまだ立派な執事には、なれてはいない。

 

しっかりと言伝を頼んだ僕は、今度は時間をかけないように、人里の入口へ急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁ!」

 

『………………』

 

 

紅魔館の執事、十六夜 紅夜が命蓮寺に到着したちょうどその頃、妖怪の山の中腹では、

同じ緑色の髪を持つ者同士が、それぞれの思いを胸にしつつ弾幕ごっこを開始していた。

 

先手を取ったのは、長い髪を持つゴスロリチックなドレスをまとう美女、鍵山 雛。

やや正方形に近い形状の長方形をした、赤と紫の二色の弾幕を、自らの体を回転させながら

あらゆる方向へと射出していく。それぞれの弾幕は、緩やかなカーブを描きながらも、

それなりの速度で飛んでいき、弾幕ごっこの相手である、八雲 縁に襲い掛かっていく。

 

しかし、縁はそれらすべてを、苦も無さそうに躱していった。

 

 

「それなら………厄符【バッドフォーチュン】‼」

 

『スペルカードか』

 

 

通常の弾幕では望みが薄いと理解した雛は、一度弾幕の射出を止めて、懐から取り出した

スペルカードを宣言し、発動させる。それを見た縁は、来るであろう弾幕を警戒する。

彼女のスペルカードが宣言された直後、ひし形に近い形をした弾幕の群れが、

縁の四方に展開されていき、それぞれが約二十個ほど連なると同時に解き放たれていく。

前方から順番に進行していく弾幕が、続けざまに幾つも放たれていくことで、それぞれの

間に生まれる隙間を狭めるという、相手の移動範囲を制限するタイプのスペカである。

『………………』

 

 

だが、これでも縁は動きを鈍らせることなく、流れるような動作で回避し続けた。

 

 

「くっ!」

 

『温いな。それで全力か? 厄神』

 

「様をつけなさいって!」

 

『私に勝てたら、その案を受け入れよう』

 

「あーもう! 疵符【ブロークンアミュレット】‼」

 

 

自分が想定していた以上の回避を見せた縁に、手緩いと暗に言われた雛は、口だけの

抵抗を試みたものの、それすらもあっさりと返されてしまい、苛立ちだけを募らせる。

敵の回避性能はこちらを上回っていることを理解し、次のスペルカードを宣言した。

 

新たなスペカが発動したと同時に、彼は詰めていた距離を何故か自分から元に戻す。

その行動を挑発であると受け取った彼女は、沸き起こる怒りを放つ弾幕に変えた。

 

自らを中心として、円形と六角形の二つの形状を交互に織り成していくこの弾幕は、

一射目と二射目では避けるポイントが異なるという点が、強みであるといえる。

形状が交互に変化していくために、同じ場所にとどまって避け続けるという行為、

いわゆる『安置』なる地点が一定ではないのだ。彼女は、その利点を選んだのだが。

 

 

『無駄な事を』

 

 

しかして、その選択ですらも、彼の前では無意味であった。

 

まるで最初から道筋を知っているかのように、彼はすいすいと弾幕の中を動き回り、

発動限界ギリギリまで粘って射出し続けた弾幕の悉くを、掠り傷も無く完全に躱した。

 

逃げ場を狭めても効果は見込めず、無作為に弾幕を放つなど論外。目の前にいる相手の力を

侮っていたと、彼女は己を叱責しようとするも今は後回しだと、次なるスペルカードを使う。

 

 

「悪霊【ミスフォーチュンズホイール】‼」

 

『本気で来い。境線【遥か彼方の地上線】』

 

 

螺旋状に固定された弾幕が、それぞれ別々の方向へと中心から押し広げられていく弾幕を

放った雛だが、今度こそ避けることはできないと判断したのか、縁もスペカを宣言。

 

彼の背後に現れた空間の裂け目から、一直線に進むレーザービームと見紛う弾幕が、

彼女の弾幕を左から右へと一掃していく。その延長線上にいた彼女もまた、わずかに

かすっただけとはいえ、被弾判定を受けてしまった。これにより、彼女の弾幕は敗北を

喫したとされ、強制的に発動を破棄させられる。いわゆる、スペルブレイクである。

 

 

「そ、んな……っ!」

 

『何度も同じことを言わせるな___________本気で来い』

 

「うっ………まだよ。にとりの事、洗いざらい話してもらうためにも!」

 

『ようやく準備運動も終わりか。さぁ、全身全霊を以て私と戦え』

 

「望むところよ! 創符【ペインフロー】‼」

 

たった一薙ぎで自らの弾幕群を相殺したばかりか、自身にまで攻撃を及ぼすほどとは

考えていなかった雛は、いよいよ追い詰められたと悟り、一挙攻勢に打って出た。

 

現段階におけるラストスペルを取り出して宣言し、発動と同時に勢い良く回転し始める。

 

これまでは、近くにて弾幕ごっこを観戦している椛を気遣って、あまり周囲へ拡散させる

ようなタイプの弾幕を避けていた彼女だったが、本気を出さねば負けることを自覚して、

一切の甘さを捨てた。味方ではあるけれど、今だけは構ってやる余裕などない、と。

 

自分自身の回転に合わせて放たれる、氷柱状で赤と白と紫の三色がある弾幕の群れが、

三重、ないし四重の層を形成しながら、こちらを悠然と見つめている縁へ牙を剥く。

 

 

『………期待外れだな』

 

 

猛然と迫りくる弾雨の中にて、彼はただ一言、そう呟いた。

 

 

『_________線廻【アトランティスの螺旋階段】』

 

 

続けて、彼の布に隠された口から放たれたのは、新たなるスペルカードの宣言。

彼の背後にあった巨大な裂け目は音も無く閉じ、代わりに小さな裂け目が均等な距離を

保って、六つほど浮かび上がった。さらにそこから、黒光りする円柱状の筒が現れる。

 

いきなり顔を覗かせた六つもの砲門を前に、回転しながらそれを微かに目視できた

雛は、わずかにたじろいだがすぐに持ち直し、射出する弾幕の量を跳ね上げた。

圧倒的な物量を一斉に放てば、いかに相手が回避に優れていようとも、と考えて。

 

だが、縁という存在は、ここに於いても規格外であった。

 

 

『全てを穿ち、総てを撃ち抜け』

 

 

右手を雛へ向けてかざした直後、彼の背後に出現した六つの裂け目が弾幕を発射した。

否、一度目の発射から弾幕は止んでいない。発射命令から以降、放たれ続けているのだ。

 

彼が裂け目から突き出しているのは、六つの機関銃の砲口である。空の薬莢が地面に

ぶつかって響く戦歌が無いために、それであるとは分かりにくいのだが、彼はこの幻想郷、

ひいては弾幕ごっこという遊びに、近代兵器を持ち出していたのだった。

 

全銃口からばら撒かれ続ける、文字通りの弾雨は、雛の放つ弾幕の一切を相殺していき、

ついにはその処理速度に追いつけなくなった彼女の本体に被弾し、スペルブレイクとなった。

 

『他愛ない。この程度が神であるならば、我々(わたし)も楽でいいのだがな』

 

 

発動からものの数秒ですべてを終わらせた彼は、敗北を認めて妖怪の山の地面へと足を

つけた雛に向かっていき、実力如何を問うような口ぶりで、皮肉を呟いた。

 

「ほう? だったら、神の力を試してみるか?」

 

「厄を集め溜める神より、災いを成し厄を振り撒く祟り神の方が、強いと思うよ?」

 

『…………これは重畳。望んでいた相手が、自ら出てくるとは』

 

 

倒れてしまった雛を救おうと椛が動こうとした瞬間、山の木々を見下ろすほどの高度から、

天狗一族にとっては見慣れたといっても過言ではないほどの、実力者が姿を現した。

 

そして縁にとってもまた、多少の関わりがある二人の登場に、浮足立つ言葉が漏れる。

 

 

「随分と派手な事やってくれるじゃないか。この山にいる神々の均衡を崩す気かい?」

 

「八百万の低級なら見過ごせたけど、厄神様はいなくなられると、割と困るんだ」

 

『ならば、どうする?』

 

「最初の邂逅こそ特殊なものだったが、今でこそ我々は神であることを魅せしめんとな」

 

「というわけで、たかだか百年ちょっとしか生きてもいない小僧に、神託をやろう」

 

極大な注連縄と御柱を背負う長身の女性と、目玉のついた麦わら帽子をかぶる少女の二人は、

木の陰に隠れて様子をうかがう椛を横目に、眼下に見下ろす縁に向けて、威厳に満ちた声を

以て、然るべき言葉を述べた。

 

 

「「神の御前なるぞ、頭が高い‼」」

 

 

 










いかがだったでしょうか?

本当なら昨日の内に更新するはずだったのに、あばばばば。

さて、今回は縁君がやたらと無双する回になってしまいましたね。
ごめんね雛様、いくら二面ボスと言っても、ここまでないがしろにする気は
無かったんです。ただちょっと、後ろの二人に箔をつけてもらおうかなと。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十五話「緑の道、神亡き世の線引き」


ご意見ご感想、並びに批評も大歓迎でございます!


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第七十五話「緑の道、神亡き世の線引き」




どうも皆様、久々にランニングしたら太腿が絶叫した萃夢想天です。
悲鳴を上げるなんてレベルじゃないですね。確実に吼え叫んでます。

さて、今回はいつものようにいれる前半の紅夜君パートは、ございません。
主役は縁ですからね、いつまでも彼と半分半分ではいかんでしょうと。
神奈子&諏訪子の両名との対決ですが、弾幕ごっこの描写がそれほど長く
かつ上手く書ける自信など毛頭ございません。ご容赦ください。

要するに、いつも通りの駄文と短めだよってことでした。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

霊験あらたかなる妖怪の山、その中腹。普段なら低級の神々や、天狗たちがいる場所であるそこに

現れたのは、山頂にて日夜信仰を得ようとしている二柱。祟らばせる神と、戦場を馳せる神。

 

女性という点で見れば大柄な体躯。その背には、巨大な注連縄と四本の御柱が装着されており、

まさしく神たる威厳と存在感に満ち満ちている。二柱の片割れである、八坂 神奈子。

こちらはあどけなさの残る童女のような体躯。頭部を大きな麦わら帽子で隠してはいるものの、

そこには不気味に鎮座する二つの眼球があった。二柱の片割れである、洩矢 諏訪子。

 

神が生来持つという神通力の迸りを隠そうともせず、二人は山に現れた不届き者の前に君臨した。

 

『………遥か頭上から見下ろしておいて、まだ"頭が高い"とは。随分と高慢な神託だな』

 

 

人が抗えぬ絶対の領域に位置する両者の眼下にて、神の言葉を受けてなお不動の男は口を開く。

顔を一枚の布で覆い隠したままでも通る声は、上空の二柱のみならず、木の陰から様子を窺って

いた白狼天狗の椛と、つい先ほど弾幕ごっこに敗れて地面に落下した厄神様の雛にも届いていた。

 

しかし、自分の相手と成るもの以外に興味は無いとばかりに、顔を布で隠している怪しげな男、

もとい縁は淡々と頭上の二柱を見上げ続ける。程なくして、視線を受けた二柱が口を端を緩めた。

 

 

「まったく、本当に惜しいな。我ら相手にそこまでの啖呵を切れるのは、博麗の巫女くらいだと

思っていたんだが、やはりお前は掘り出し物だよ。それを倒してしまうのは、本当に惜しい」

「白黒の魔法使いだって、無礼なところは一緒だったよね~」

 

「いやいや、いずれも神を前にして一歩も引かぬ胆の太さの成せる業。見事見事」

 

「………ほんと、神奈子って物好きだよね」

 

「戦神だからな。強いものには自然と興味を惹かれるもんだ」

 

「見境が無さ過ぎるって言ってるんだけどなー」

 

 

腕を組んでしきりに頷く神奈子を、横からジト目で見やる諏訪子。互いは互いで思うところが

あるらしく、その後も身内だけで済ませてほしい話で盛り上がったものの、この現状に相応しく

ないことに気付き、訂正の咳払いを含めてから、改めてこちらを見上げる縁へと言葉をかける。

 

 

「八雲 縁、お前は逸材だ。しかし、今度ばかりはやり過ぎだと言わざるを得ない」

 

「白狼天狗の下っ端に河童、ここまででも随分と好き放題されてて良い気分じゃないけど、

挙句の果てには低級相手と言えども神殺しを行った。本当に、図に乗り過ぎだよ」

 

「人には人の、妖には妖の、霊には霊の、それぞれに掟がある。無論、神とて同じだ」

 

「八百万の末席に、生まれたて。如何に希薄であっても、神格持ちに変わりはない」

 

「それを悉く切り捨て、あまつさえ人の厄を集める厄神まで、その手にかけようとは」

「見過ごせないどころの騒ぎじゃない。ここまできたらもう、裁かれても文句は言えないよ」

 

『御託などはどうでもいい。落とし前をつけさせるのだろ? なら、早くしろ』

 

 

神らしい威厳と迫力を表す二柱の言葉すら遮って、縁は両手を軽く持ち上げて空へとかざし、

小指側から順番に内側へ折りたたんでいき、最後に残った親指は立てたまま、掌を反転させた。

彼の仕草は、自身が語るはずだった言葉の先を、口に出さないながらも、雄弁に語っている。

 

(くだ)してやるからかかってこい、と。

 

地面へ真っ直ぐ向けられた二本の親指が、自分たちのことを指しているのだと理解した二柱は、

これまで見せていた神としての威厳と、強者としての驕りを感じさせる余裕を、脱ぎ捨てた。

 

 

「神祭【エクスパンデッド・オンバシラ】‼」

 

「開宴【二拝二拍一拝】‼」

 

 

笑みすら浮かべていた二人の顔からは表情が消え、眉根には深くはないが溝が彫られている。

明らかに怒りの感情を煮えたぎらせた相手を前に、縁は寡黙に、そして俊敏に行動を開始した。

 

神奈子と諏訪子の二人は、同時に弾幕ごっこの開始を告げる代わりに、スペカを宣言する。

両者が宣言して発動させたこのスペルカードは、縁が以前に経験したものであった。

 

木々生い茂る山林地帯に、茶褐色の細長い形をした弾幕が、左右から徐々に距離を詰めつつ

放たれる。そればかりか、自機(この場では縁)狙いで、誘導性のある青色の弾幕も続けて

妖怪の山の中腹へ発射された。だが、それだけなら縁でなくとも回避は出来たであろう。

けれど、宣言されたスペルカードは神奈子のものだけではない。諏訪子の方も同時に発動

してしまっているのだ。二種類の異なる弾幕群が、一斉に縁へと群がっていく。

 

先ほどの神奈子の弾幕に加え、諏訪子の繰り出した弾幕は、系統こそ同じものであった。

自身の視界の両端から、中央へと隙間を埋めていくように針状の弾幕を射出していき、

そこへさらに追加で、自身の背後に浮き上がらせた青い泡状の弾幕を解き放っていく。

 

いずれも相手の行動範囲を狭めつつ、満足に回避が出来ない状態の相手へ大きな弾幕を

ぶつける気が満々なタイプのスペルカードだ。開幕初手からコレでは、並の相手ならば涙を

浮かべて脱兎の如く逃げ出していても、おかしくはない。並の相手ならばの話だが。

 

 

『無駄な事を。どちらのスペルカードも、我々(わたし)は過去に経験し、対処法を確立している』

 

 

静かに呟いた縁は、上空から飛来してくる弾幕を、必要最小限かつ最低限の動きで回避し、

いやらしい独特の配置でやってくる弾幕の間を縫うようにして、自らも弾幕を放ち始めた。

黄色と赤色に輝く速度を重視した類の弾幕は、ただの一度も他の弾幕と接触することなく、

的確に隙間を潜り抜けて、ついには神奈子と諏訪子が高みの見物をしていた付近へ到達する。

本来、二対一の状況で反撃を受けることなど有り得ないし、まして二の側が神である以上、

まず抵抗など有り得はしないと高を括っていた二柱は、こぞって慌ててどうにか躱し切った。

 

 

「あ、危なぁ…………まさかこっちが先に目を剥かされるとはね~」

 

「ああ。恐ろしいのは奴の腕よ。ここまで身動きを制限される弾幕の中から、私たちのいる

場所まで弾幕を通す筋道を見つけ、そこへ本当に自らの弾幕を放って通してしまうとは」

 

「自分たちが仕掛けておいてなんだけどさ、アレの降る中でそれをやる気にはなれないよ」

 

「よしんば適当だったとしても、実戦で力を示せる以上、木偶の棒じゃない」

 

「また気に入っちゃった?」

 

「やはり守矢(ウチ)にほしい。まぁこの場は流石に控えるさ」

 

「戦神が神殺しを見逃すとか、洒落になんないもんね~」

 

「祟り神が何を言うか」

 

「言ってくれるじゃん_____________で、アイツどうしようか」

 

「私がやる。続けていくぞ、奇祭【目処梃子乱舞】‼」

 

 

二人で同時に発動したスペルカードによる弾幕群を意に介さず、的確に二柱を狙っていく

縁に向けて、神奈子は諏訪子を自分よりも後ろに下がらせてから、次なるスペカを宣言した。

 

レーザーのように一直線に伸びていく弾幕が、縁の左右から徐々に距離を詰めながら迫り、

それを回避しようと中央へやってきた彼に、赤い球体の弾幕が襲い掛かり、逃げ場を削る。

ごく限られた場所で回避を試みようとする縁だったが、彼は神奈子の両手から放たれた

札型弾幕を見た瞬間に、躱し切れる確率を再計算し直して、別の手を打つという策に出た。

 

 

『この物量は厄介だな。掃射【アハトアハトの大喝采】』

 

 

敵が物量を利として攻めてくるのなら、こちらも物量を武器に挑めばよい。

 

言外に表すような彼の意志により、山林の木々の根元に巨大な裂け目が生じ、開き始めて

いき、そこからは幻想郷にはあるはずのない、外の世界の弾幕を放つ物が出現した。

 

日光を受けて黒光りするソレらは、88mm野戦高射対空砲(アハト・アハト)と呼ばれる戦争兵器である。

 

 

本来ならば飛行する敵偵察機などを撃墜したり、遠方にいる歩兵や塹壕に隠れた通信兵を

一挙に叩くための殲滅戦を想定された兵器なのだが、ここではある意味正しい用途で使われた。

 

上空から飛来してくる赤い球体の弾幕や札型の弾幕に向け、物質的殺傷力を秘めた弾幕が

山林の合間から続けざまに打ち上げられ、弾着と同時に豪快な爆音と光煙が空に拡がる。

単的に言えば、相手が上から発射してくる弾幕を、下から迎え撃つ形で弾幕を放つことで

相殺してしまおうという事で発動したスペルカードだが、出現させた量が若干多過ぎた。

 

 

『………爆炎と爆裂の閃光で、標的の姿が隠されてしまうな』

 

 

もちろん使用者の縁が導き出した計算のもとで、出現場所と砲塔の角度は固定されている為、

万が一にも山林の木枝などの障害物に当たって誤爆、という結果になどなるわけがない。

全弾命中、全弾相殺が文字通りになされ、神奈子も縁も互いにスペルブレイクとなった。

 

 

「ちィッ!」

 

「落ち着いて神奈子ー。向こうの手札を一枚捨てさせたんだから、お手柄だよ!」

 

「分かってるさ。分かってはいるんだが、どうもね………」

 

「確か今のって、前に神奈子がやられたヤツだっけ?」

 

「……………同じ相手に二度負けた、とまではいかないが、近しい感じだ」

 

「戦神が実力不足を嘆きでもしたら、戦国武将はみんな泡吹いて倒れちゃうって」

 

「例えがどうしようもなく古いが、何となくは伝わった」

 

「ならばよし! 次は私が行くね!」

 

「ああ、任せた」

 

 

相手がどれだけスペルを保有しているか不明な現状で、こちらが二枚を切った時点で

一枚しか切らせていない事実は、戦の神でもある神奈子にとっては軽い問題ではない。

それをにこやかな笑顔とともに励ました諏訪子は、少し覇気が衰えたようにみえる

神奈子を後ろに下がらせて、代わりに自分が前に出てすぐに、スペルを宣言した。

 

 

「今度は私の番だよ! 神具【洩矢の鉄の輪】‼」

 

 

高らかに声を張り上げた直後、懐から取り出した二つの赤錆びた鉄の輪を放り投げ、

すかさず自身も円を形成する弾幕を幾重にもして、眼下の縁へ向けて放った。

 

諏訪子の全身を覆えるほどの大きさの二つの輪は、速いというほどではないにしろ、

発射された弾幕とほぼ同じ速度で飛来し、回避行動に移行した縁へ襲い掛かる。

だが、単なる投擲武器など彼には脅威足り得ない。向かってくる弾幕も、先ほどの

二種同時スペルに比べれば、質量も回避の難易度も比べるべくもない。そう判断した。

 

縁はまたも、最低限かつ最小限の動作で弾幕群を躱そうと考え、まずは二つの鉄の輪を

真横にステップで移動して回避した。ところが、山の斜面にぶつかったそれらは、

消えることも炸裂することもなく、ただ跳ね返った。正確には、四方へ散開していった。

 

 

『跳弾と同じ原理か』

 

「お? そーかそーか、あん時は神奈子とだったから、私のコレは知らないのか」

 

『しかし、跳弾することを計算に加えて再演算を組めば』

 

「ここで手を緩める祟り神はいないよ! そーゆーわけで、もう一丁!」

 

 

鉛製の弾丸でも、鉄骨などの硬い物質に角度をつけて着弾した場合、対角ないし別の

角度へと跳ね返っていく事がある。この現象を跳弾と呼ぶが、今回の弾幕はまさにソレだ。

 

山の斜面だけでなく、乱雑に生い茂る木々や枝などに触れただけで弾幕は跳弾して、

計算で反射角度を割り出すなどという言葉が鼻で笑えてしまうほど、馬鹿げた状況となった。

二つの鉄の輪の方は、まだ対象が視認しやすいうえに円状なので把握もしやすいのだが、

弾幕の方はそう簡単にはいかない。輪のような形である程度の固定はされているとはいえど、

緩やかに広がって最終的には全方位に拡散していくのだ。祟り神らしい質の悪さが窺える。

 

『…………………………』

 

 

暴力的なまでの入り乱れ具合とは反比例して、弾幕群の中心部にいた縁だけは変わらず冷静で、

一つ一つを目で追っていくだけでは回避不可能な弾幕の渦の中、彼は揺らめくように避けていた。

もはや未来予知にすら匹敵しうる躱し方と回避性能により、なんと無傷でこのスペルを耐え切る。

神奈子のように相殺すらされず、かすりもせずに制限時間を生き延びられた事に驚きを隠せない

諏訪子は、鳴くのを途中で止めた蛙のように大口を開けて、呆然と眼下の男を見下ろしていた。

 

 

「う、そ…………空を飛び回って回避されたことはあるけど、限られた場所、しかも山の斜面で

阿呆(あほう)が小躍りを踊ってるみたいな躱され方するなんて。呪っちゃるぅ、祟っちゃるぅ~!」

 

「阿呆はお前だよ、諏訪子。ほれ、さっさとどきな。次は私の番だ!」

 

 

ありえない状況下での全弾回避のショックが抜けきらず、変な方向に熱を入れ始めた諏訪子を

後ろへ放り投げた神奈子は、立ち替わって山の木々の頂部が足上に触れる辺りの高度まで降りる。

そしてそのまま、背中に浮遊していただけの御柱を左右二門ずつ搭載し、スペルを宣言した。

 

 

「私は受けた雪辱は果たす主義でね! 神穀【ディバイニングクロップ】‼」

 

しばらく休憩を挿んで頭を冷やしたおかげか、闘志と活気を取り戻した彼女は、背部に搭載した

御柱__________というよりも彼女自身を中心として全方位へと拡散する弾幕を連射していく。

弾幕の射出点を本体とする以上、防御という面においては申し分なく、攻撃としても問題はない。

だが、彼女自身も分かっていることではあるが、このスペルカードには一つだけ問題があった。

 

 

『笑止。八坂 神奈子、我々(わたし)は過去に経験したスペカへの対策を万全としてあるのだ』

 

その問題とは、相手である縁が既に、一度体験して内容を知っていること。

 

彼自身が今も口にした通り、一か月ほど前の話であるとはいえど、身を以て受けたことのある

スペルカードであれば、誰であれ覚えることは簡単である。そう、覚えるだけならば簡単なのだ。

難しいのは、覚えた攻撃への対処法を組み立てること。そしてソレを実際に活かすことだろう。

 

しかし、対処を考えるのは、弾幕を受けた者だけではない。その逆もまた、然り。

 

 

『_______________これは、数が』

 

「前より多いだろう? あん時はキレイに撃ち落とされたからね、量を増やしたんだよ‼」

 

『戦いは数ではない。ましてや、物量でもない』

 

「数にしろ力にしろ、(まさ)っている者こそ勝利者だ‼」

 

『この量は…………経験には、ない』

 

 

以前と同一のスペルカードと侮った縁が見上げた先にあったのは、比べ物にならぬ量の弾幕群。

緑や白、赤に青といった色とりどりの弾幕が、大挙として一斉に縁へと襲い掛かってくる。

もはや陽の光すらも凌駕する明度で輝くソレらが迫るのを前にして、自分自身が油断したことで

招いた結果がこの有り様であることを内心で恥じつつ、低くうなるようにスペルを宣言した。

 

 

『恍惚【ハイパワー・ハイグラスパー】』

 

「そいつも、前に私を手こずらせてくれたやつだね」

 

『ご明察、しかし惜しい。コレはあの時の、上位互換だ』

 

「意趣返しか! いいぞ、神に挑むだけの度胸はある‼」

 

『挑むとは、少し違う。消し去るためだ、我々(わたし)の目的を遂げるためにな』

 

 

太陽に代わる光源となりつつある弾幕の中心で、神奈子は縁の発動させたスペルを待ちわびる。

その意思が伝わったのか否か、彼は背後に大きめな裂け目と小さめな裂け目を二つずつ、

左右対称に作り出し、大きめの裂け目からは巨大な球状の弾幕を、小さめな裂け目からは

レーザーのような光線状の弾幕を放った。そして、両者の放つ弾幕が、激しくぶつかり合う。

 

全方位へと拡散する神奈子の弾幕と、彼女本体を狙って不規則な軌道を描くレーザー、さらに

一定時間が経過すると炸裂して、小型の弾幕が四方八方へ飛び散る球状の弾幕が、衝突する。

 

その結果は縁が予測していた相殺_____________とは、ならなかった。

 

 

『な、に? 馬鹿な、そんな事は、ありえ___________』

 

「………前にやり合った時、お前は言ったな。『本気のお前と戦ってみたいものだ』と。

そして今、お前が目撃し、経験しているこれこそが、私だ。神の本気だ。思い知ったか」

 

『この私が、我々(わたし)が、押し負けるなど』

 

 

互いに炸裂し合う絨毯爆撃を突き破り、スペルブレイクに至ったのは、神奈子だった。

 

左足と右肩にそれぞれ被弾した縁は、布越しでは分かりにくい驚愕の視線を上空へと向け、

それをどう解釈したのかは不明だが、受け取った神奈子は得意げに鼻を鳴らして語る。

 

 

「思い上がるなよ、せいぜい百年ちょっとの付喪神が。こちとらヤマトタケル時代だぞ?」

 

『…………本当に、まさかだな。この私に、油断や慢心があったとは』

 

「お前に負けた時の私が、まさに今のお前と同じだったよ」

 

『だが、私は負けられない。我々(わたし)には、やり遂げなければならぬことがある』

 

 

被弾した事実を己の非として認めた彼は、頑なに自らの気負う"何か"の為に立ち上がる。

その姿を見下ろす神奈子は、何か事情があるのだろうと推理した直後に、背後からきた

衝撃に体を揺さぶられ、情けない声を上げながらフラフラと足元の木々にぶつかりかけた。

 

 

「何をするんだ、諏訪子‼」

 

「神奈子だけズルい! 私だって、やられたらやり返す主義だって知ってるくせに‼」

「………お前の場合は、ちょっかい出されたら末代まで祟り殺す主義だろうに」

 

「大して変わんないよ。それより、今度はまた私の番ってことで!」

 

「分かった分かった」

 

 

神奈子のスペルカードと縁のスペルカード同士が競り合っている間、ずっと後方で暇を

持て余していた諏訪子は、とうとう我慢ならないとばかりに殴り込みをかけてきたのだ。

諏訪子が色々とねちっこい性格だと熟知している神奈子は、また順番で交代することに

して、縁の次なる相手を譲った。大人の対応で譲られた諏訪子は、もう臨戦態勢であった。

 

 

「あの子鬼は軽く一息で打ち消してくれたけど、アンタはどうなるか見物だね!

いっくぞー! 土着神【ケロちゃん風雨に負けず】‼ さぁ、足掻いてみせな!」

 

『…………背に腹は変えられぬ、か。迫撃【オール・ポイント・ファイア】』

 

 

諏訪子がスペルを宣言した直後に、縁も出し惜しみはしないとばかりにスペルを宣言。

 

上空からさながら雨のように降り注ぐ、文字通りの弾雨となった水色の弾幕を見上げ、

縁は自身の前方に空間の裂け目を生み出し、そこからまたしても幻想郷にない物を

喚びだした。三脚に子供の腕ほどの太さの筒を立てかけたような見た目をしたソレを。

 

いわゆる、軽迫撃砲と呼ばれる、歩兵でも簡単に爆撃支援を行える砲台である。

 

一発一発の装填を必要とする代わりに、足場さえしっかりしていれば、どんな場所からも

砲撃が可能。加えて、従来の砲台にはない携行性能の付与による、ゲリラ的戦術の拡大。

詳しく記載すると長くなるが、彼が喚び出した代物は、この場面にうってつけであった。

 

 

『対空砲火、開始』

 

「えぇい、降れ降れ降れ降れぇい!」

 

降り注ぐ弾幕の雨と、地面から噴き上がる弾幕の嵐。弾けた後に残るのは、硝煙と光のみ。

火薬の香りを残滓にして、彼らのスペルカードは火を噴き、雨を降らせ、光を迸らせた。

 

十数秒間の撃ち合いの後、最終的にはどちらにも損害は出なかった。引き分けである。

 

 

「くっ………また!」

 

『………こちらの想定以上の物量だった。最悪、私は負けていた可能性もある』

 

 

先ほどに続いて、今度も戦績上では勝利と言い難い結果に終わった諏訪子は顔をしかめ、

逆に縁は冷静でいながらも、確率論上では自分の敗北も有り得たことに再度驚きを示す。

 

ただ、これ以上は確定した勝利を得られるか分からない。当初の予定では、大きな問題に

成り得なかったはずの相手に押し負け、彼はありもしない"恐れの感情"を抱き始める。

 

 

「はぁ、まあいいか。今回は譲ったげるよ、神奈子」

 

「譲るとは随分と恩着せがましいな、勝ち取ったと言え」

 

「ガマだけにって? 誰が上手いこと言えって言ったんだよ!」

 

「何の話をしてるんだ…………とにかく、八雲 縁の引導は、私が貰い受けた‼」

 

 

上空でまたしても言い争いを始めた二柱だったが、すぐに決着をつけると、先に神奈子が

縁のいる方へと向き直り、両手を豊満な胸部の前で打ち鳴らして、粗野な笑みを浮かべた。

 

 

「これにて神罰は下る______________【風神様の神徳】‼」

 

さながら、神への祈りを捧げる信仰者の礼拝か。そのように見える姿勢を取った神奈子は、

自身が持つ最後の、正真正銘のラストスペルを宣言して、この戦いに終止符を打たんとする。

 

彼女の宣言の直後、空気が割れるような音が響き渡り、彼女を中心として五つの花弁を持つ

花が大中小のサイズで、澄み渡る青空に咲き誇った。妖怪の山の中腹に、弾幕の大輪が咲く。

けれど、これだけで彼女のラストスペルが終わるわけがなく、瞬時に咲き誇った可憐な花は

その姿を唐突に、四枚一組の札型弾幕へと変えていき、全方位へ素早く拡散し始めた。

 

美しさ、壮大さ、威力。全てを兼ね備えた、戦神の名前に恥じぬ最後のスペルが、縁を狙う。

 

 

『これが、本物の神の力か。そして、神の本気か』

 

 

今までのものとは比べ物にならない、圧倒的なまでの物量で押し潰してくるような弾幕群を

前にして、彼は胸中に渦巻く感覚に対して、"恐怖"に対して多大な違和感を覚える。

しかし、彼は心など持たぬ道具である。この幻想郷に連れてきた主が、そう教えてくれた。

その事を思い出した彼は、自分の今の行動の総てが、主人の意に反してしまっていることを

理解する。理解したうえで、彼は初めて、自分の意志によって(・・・・・・・・・)行動を起こした。

 

 

(……………紫様、お許し下さい)

 

 

自分が道具であることを自覚しつつも、主人の意志も無く勝手に動くことに対して、

心の中で誰にも悟らせないように詫びた彼は、腰に帯刀していた銘刀六色を抜き払う。

 

 

「どうした縁! まさかそんな(なまくら)で、この弾幕を防ぎ切るつもりか⁉」

 

 

己の勝利を確信し、遥か上空にて愉悦の笑みを浮かべている神奈子へ切っ先を向けた後、

縁はそのまま剣先を半回転させ、自分の体へと向けてから、腕に力を込めて突き刺した。

肉体に硬い刀身が深々と入り込むのを実感しつつ、彼はただ、懺悔の念を込めて宣言する。

 

 

『_____________結縁【死従幻想筁(ネクロファンタジア)】』

 

 

八雲 縁と名乗る存在が持つ、ラストスペルを。

 

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか!

いやはや、ほぼ弾幕ごっこの描写というのは、中々キツイもんですねぇ。
途中で色々と作業をしていたこともあって、太腿が二回ほど攣りましたし。

さて、縁君の謎がチラホラと明らかになってきた今回ですが、
ようやく彼のラストスペルを(名前だけですが)出すことが出来ました。

そして今日は時間がありますので、キャラ設定第二弾を続けて投稿します!
そんなことより本編書けって言われそうで怖いんですが、私も私で過去に書いた
キャラ設定を何度も読んでは、現在進行中の場面と照らし合わせるのが面倒で!
だったらいっそ、この辺りでキャラの整理も兼ねてやったろうかな、なんて。


ここいらで一旦切るとしましょう。次回も、縁君が多めの展開になりそうですし。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十六話「緑の道、アナタしかいない」


ご意見ご感想、並びに質問や批評など大歓迎でございます!


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キャラクター設定、的な何か2




前に書いたキャラ設定を毎度毎度見返して、その都度現在まで進展した展開と
齟齬がないかを見直したり何だりというのが、非常に手間がかかるので、
ここまでのキャラたちの状況などを、軽ーくまとめてみることにしました。

完全にお疲れレムレム睡眠モードで書いていると思われるので、
支離滅裂かつ意味不明な事になっていたりする可能性が、多々ございます。

「へー、そうなの」程度の軽ーいお気持ちで見ていただければな、と。


それでは、どうぞ~





 

 

 

 

東方紅緑譚 ~紅き夜、主人公詳細~

 

 

名前:十六夜 紅夜

 

二つ名:『完璧で無辻な執事』『壊れかけた悪魔の執事』

 

年齢:※享年17 (※一度死んで、蘇っているため)

 

種族:(改造)人間 / 魔人

 

身長:(人間時)178cm ~ (魔人時)184cm

 

体重:(人間時)88kg ~ (魔人時)95kg

 

程度の能力:『方向を操る程度の能力(紅夜)』 『圧を操る程度の能力(魔人)』

 

人物設定、詳細

 

 

白銀に煌めく短髪に、瞳は濃くも鮮やかな赤紅色(ワインレッド)

普段から深い黒色の燕尾服を華麗に着こなす、紅魔館の執事長を務める少年。

自作の服の至るところにはホルダーが仕込まれ、その全てにジャックナイフを装備。

 

幼少期を、とある島の地下にある『対吸血鬼用兵士』を量産する施設にて過ごす。

(だがその目的は、幻想に消えた吸血鬼ではなく、要人暗殺をこなす暗殺者の育成)

生き地獄のような辛い日々の中で、「S1341」こと「十六夜 咲夜」と出会った結果、

彼は彼女を実の姉のように慕い、敬う事で家族の温もりを知り、何とか地獄を生き延びた。

そこから数年後、慕っていた姉が任務のために施設を出て、消息を絶ってしまったため、

吸血鬼に殺されたと信じた彼は、その日から復讐を誓い、訓練に身を削った。

 

その後、唐突に現れた謎の青年「八雲 縁」の導きのもと、幻想郷に足を踏み入れる。

そこでは死んだと思っていた姉がいたが、人格も姿も彼が知っていたころとは大きく

異なっていたため、かつての姉を取り返すべく、吸血鬼の館へ単身乗り込んでいった。

 

 

人物設定、更新

 

 

外の世界で受けた非人道的な行為の数々の結果、寿命をすり減らしていた彼は、

新参者として異変を引き起こした後、利用しようと近づいていくうちに惚れていた女性、

鴉天狗の射命丸 文に自身の人間としての汚さを曝け出し、蓬莱山 輝夜に看取られ、死去。

 

しかし、彼の死は『運命』であったとして理解していたレミリアと旧友パチュリーの策で、

死んだ彼の遺体に魔人の力を注ぎこもうとする転生儀式が執り行われた。が、それは失敗。

逆に魔界に幽閉されていた魔人の魂を喚んでしまい、紅夜の遺体を乗っ取られてしまう。

 

以後、地底に降り立った魔人は星熊 勇儀と激闘の末、敗退。

(この時、紅夜自身の魂は三途の川にて、小野塚 小町と四季 映姫と接触済み)

地霊殿に運び込まれ、目が覚めた時には何もかもを忘れてしまっていた。

 

一時的に「忘」と名付けられた彼は、五日間を古明地 さとりの庇護下のもとで暮らしたが、

魔人の再幽閉に躍起になっていた映姫と遭遇し、自分が十六夜 紅夜であることを思い出す。

 

地上へと戻り、死ぬ前に想いを抱いていた相手、文が妖怪の山にて無実の罪で投獄されて

いると聞いた彼は、その足で体内に宿ったままの魔人とともに、彼女の救出に急行。

見事救出を成功させた彼は、彼女の自由の保障の代わりに、無実を証明するものを捜索する

事の許可と、その制限時間を言い渡される。二週間だってさ、長そうで短いんだよね。

 

期間内に魔人と決着をつけようと決意した紅夜は、期限六日目にて決戦の火蓋を切る。

激しい弾幕ごっこの末、結果的な勝利を収めた彼は、肉体の主導権を勝ち得たと同時に、

それまでは脅威でしかなかった魔人との和解にも成功。魔人との共存を望んだ。

 

魔人に「デュリアル」と名付け、残る期限二日の間に、文の無実を証明すべく奮闘中。

現在は、侵入者の情報を追い求めて、命蓮寺から人里の香霖堂へと向かっている。

 

 

なお、最近の悩みは、記憶を取り戻してから自分を溺愛するようになった姉の咲夜と、

想いを告白してから晴れて恋仲になった文の二人が、自分を間に挟んで寝るだけでなく、

異様に二人きりになろうとせがんでくること。二人きり、年頃の男女、いけませんねぇ。

 

 

また、パチュリーと美鈴からも告白(?)をされ、日夜彼を取り合って鬼の形相で殺意を

剥き出しにしながら戦い合う二人に挟まれる彼の、唯一の心の癒しと成りつつある。

年上の女性から甘やかされるって、それだけでなんか元気出るよね。え、出るよね?

 

ちなみに、匂いフェチの小悪魔の想いは未だ実らず。がんばれ小悪魔、負けるな小悪魔。

ついでに主人のフランは、紅夜が自分を見てくれると確信しているので、どこの誰と

イチャつこうと心ひとつ乱さないアイアンハート。狂気に飲まれた経験が活きたな。

 

 

 

スペルカード一覧

 

・裂符【サウザンドリッパー】

 

・裂符【ジャック・オブ・ダガー】

 

・裂降【パニッシュメントアーチ】

 

・裂昇【クライミングスクリーム】

 

・闢景【冥恍夜裂囉】

 

・狩人【CRIMSON NIGHT】

 

(以降はデュリアルのスペルカード)

・圧符【ドレッド・プレッシャー】

 

・熱圧【魔力解放・憤怒旋風】

 

・水圧【魔力解放・激昂豪雨】

 

・電圧【魔力解放・激怒雷光】

 

・魔人【大いなる神の贋作(アーヴ・カムゥ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東方紅緑譚 ~緑の道、主人公詳細~

 

 

名前:八雲 縁

 

二つ名:『心優しき無心兵器(オートマトン)』 『今は亡き(えん)(ゆかり)

 

年齢:不明

 

種族:付喪神

 

身長:184cm

 

体重:96kg

 

程度の能力:『全てを結げる程度の能力』

 

 

人物設定、詳細

 

若草色の逆立った髪に、顔は「縁」と書かれた布で覆い隠している。パッと見、怖い。

他にも、深みのある青色の着物や、足の甲だけが丸見えのブーツもどきなどが特徴的。

腰には太刀が帯刀されているが、着物の腹の内側には懐刀を隠し持っている。

 

自分が外の世界にいたことだけは知っているが、それ以外のあらゆる記憶がない青年。

彼にあるのは、自分を拾って幻想郷に住まわせ、名前と存在する意義を与えてくれた主人

「八雲 紫」への絶対的な忠誠心のみ。今頭にオレンジ君を思い浮かべたなら、それは正しい。

 

紫からの命令で白玉楼へと赴き、そこで誤解の果てから紆余曲折を経て、魂魄 妖夢と決闘。

一戦目は戦いにならず、二戦目に至っては書かれないままうやむやにされた。本当に済まない。

そこで打ち解けた結果、一緒にお布団に入って寝る中になった二人。以後全く進展なし。

人物設定、更新

 

 

紅夜の起こした異変の終結を観測後、博麗神社へ「ある用事」を済ませに行き、そこで不慮の

遭遇を果たしてしまい、伊吹 萃香と東風谷 早苗と出会う。萃香は作者の推しキャラです。

 

早苗に誘われるがまま、妖怪の山の山頂にある守矢神社に参拝。が、勘違いをされてしまい、

八坂 神奈子と洩矢 諏訪子の両名から弾幕ごっこを不意に開始させられ、辛くも勝利。

面白い奴という認識を得た後、不幸な出来事が重なり、よりにもよってチルノと決闘。

ところが、彼の体には機械という秘密があり、それがチルノのもたらす冷気によって不調を

きたし、まさかまさかのチルノ相手に黒星を喫する。あたいったらサイキョーね!

 

命蓮寺の面々に氷漬けの状態で発見され、扱いに困ったということで、香霖堂に売りに出され

かけたのだが(半分嘘)、そこで色々ときな臭さを感じたことで、ナズーリンは妖怪の山で

機械に詳しい河童の元を訪れる。直してくれと頼むが、そこに天狗が登場。ややこしいね。

 

一悶着の後、目覚めた縁が見たのは、倒れて動かない河童の河城 にとりと、自分を見つめて

動こうとしなかった謎の影のような存在。取るに足らないと判断した彼は、何よりもまず

主人のいる場所へ帰ることが優先と考え、影を引き連れたまま帰ってきちゃった。

 

 

刀の整備で迷っていたところ、鳴りを潜めていた影が活動を開始。縁、暴走(?)し始める。

 

 

 

スペルカード一覧

 

・境線【遥か彼方の地上線】

 

・線行【平行線上のパラノイア】

 

・掃射【アハトアハトの大喝采】

 

・迫撃【オール・ポイント・ファイア】

 

・線廻【アトランティスの螺旋階段】

 

・恍線【ハイパワー・ロウグラスパー】

・惚線【ロウパワー・ハイグラスパー】

 

・恍惚【ハイパワー・ハイグラスパー】

 

・烙線【陽ト共ニマタ月モ沈ム】

 

・結縁【死従幻想筁(ネクロファンタジア)

 

 








大体こんな具合ですかね。
今回は本当に作者の見直し回なので、深い意味はございません。
見直しにしても、深夜テンションで酷い気もしますけれど。


それでは皆様、また来週をお楽しみに


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第七十六話「緑の道、アナタしかいない」



どうも皆様、萃夢想天です。

最近なぜか、執筆の手が全然進まなくて困っております。
どうにもこうにも、一度書き始めればいいと思うのですが、
その書き始めるに至るまでが自分でも分からずに時間が…………情けないです。

これ以上遅らせるわけにもいかないので、さっさと本編に行きましょう!

前回は縁がラストスペルを発動したところで終わりましたが、
今回はそのままの続きではなく、少し遡った別の場面からとなります。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

八雲 縁が妖怪の山の中腹で、二柱の神との弾幕ごっこを開始するところから、少し前。

 

時を少しだけ遡った別の場所、幻想郷のどこにでもあり、どこにでもない場所ではその頃、

楽園の管理者たる八雲 紫とその式神である八雲 藍の二人が、真剣な面持ちを浮かべていた。

 

「…………やれやれ。妖怪の賢者様も、随分な趣味をお持ちじゃないか」

 

「今は戯れ言を聞いてあげるほどの余裕は無いのよ、毘沙門天の小間遣い」

 

 

二人の妖姫の視線が向かう先には、紫の操るスキマから伸びている鎖によって四肢を拘束された

状態の、一人の少女がいた。消息不明と言われていた彼女、ナズーリンその人である。

 

無骨な鋼鉄製の鎖によって身動きを封じられた彼女は、今の状況下に陥ってからはかれこれ

一日くらいは経過しているだろうと勘をたてていたが、脱出しようなどとは考えなかった。

それも当然であろう。目の前にいるのは、幻想郷の管理を担っているとされる妖怪の賢者であり、

彼女が使役する最強の妖狐なのだ。たかが毘沙門天の遣い程度が、歯向かえる相手ではない。

 

だが、ナズーリンは自分の置かれている状況を、その聡明な頭脳のおかげで理解していた。

理解だけはできたのだが、実際に自分がこうなるなどとは予想できなかったし、しなかった。

鼠色の髪を揺らして顔を上げた彼女は、鋭い目つきで険しい表情をした二人に、ふと尋ねてみる。

 

 

「なぁ、私が何か………こんなことをされねばならぬ事をしただろうか?」

 

 

ナズーリンも一応妖怪に分類される立場に身を置く者であるため、多少の荒事にも慣れているし、

普通の人間などよりかは頑丈にできている。飲まず食わずであっても、ある程度までならば

耐えしのぐ事も不可能ではない。けれど、如何に毘沙門天の遣いとはいえども、限界はある。

 

突然目の前に出現したスキマに吸い込まれて、目が覚めたら四肢を鎖によって拘束されていた

今の状態になったのが、日が昇る前の頃だった。だが彼女がいる場所は、幻想郷の随所と通じて

いるが、どこにも存在しない場所でもある『八雲邸』であることも、聡明な彼女は分かっている。

 

そして、自分で口にした質問について、何となくではあるが、返ってくる答えも予測できていた。

 

 

「愚問ね。時間が惜しいから率直に聞くわ、縁をどこにやったの?」

 

「縁? ああ、機械の彼か。生憎だが、賢者様に連れ去られる前から、関わりはない」

 

「藍がね、縁を偶然監視していたんだけれど。その時に貴女の事も視ていたんですって」

 

「…………妖怪の山で河童に預けて、それ以降は知らない」

 

 

予想通りの返答がきたことで余裕が生まれたナズーリンだったが、想定以上に低く重たげな声で

語りかけてくる紫を前に、早くも賢将の貫禄は崩れ去ってしまう。こればかりは相手が悪過ぎた。

言葉の選択一つ誤れば、即座に永劫の死が贈られる今の状況で、ナズーリンが嘘をつく必要など

皆無である上に、そもそも厄介事に首を突っ込む正確ではないため、その言葉はすぐ信用される。

紫も藍からの報告により、粗方の筋を把握していたらしく、返答の中に矛盾や怪しげな部分が

感じ取れなかったのを確認した後、今にも飛び掛かりそうになっている隣の式神をなだめた。

 

 

「シラを切るな! 私はちゃんと奴を監視していたから、知っているぞ!」

 

「はいはい、落ち着きなさいな。彼女の言葉に嘘偽りは無いみたいだから」

 

「しかし、紫様………」

 

「分かっていたことだけれど、やはり彼女は"白"ということになるわね」

 

 

真摯な面持ちと対応を示したナズーリンに対して、最初から知っていたとでもいう風にして、

紫は持ち前の扇子で口元を隠して思案顔を浮かべる。主人の言動には深い意味があると疑わない

藍だったが、一通りの話を自分から聞いて知っていた彼女が、わざわざ尋問を取る必要があったか

どうかとは、口にすることはできなかった。だが少し考え直して、唯一の手がかりであったはずの

河童が、意識の戻らぬ常態であることを思い出し、次点で賢将に御鉢が回ったのだと察した。

 

しかし、これで結局、振り出しに戻ってきてしまったことになる。

これまで同様に、彼がどこに何をしに行ったのか、まるで何も分からぬ状況なのだ。

 

紫は扇子で隠した口元を、ナズーリンから情報を得られなかったことと、彼女が縁に何らかの

影響を及ぼしたのではないかと勘繰り、怒りと焦燥によって歪めつつあった。

 

そうして何の手がかりも無いまま、無下に時間だけを浪費していた、その時。

 

 

「_____________これは」

 

「紫様! 今のは‼」

 

「ええ、あの子の力だけど…………何故⁉」

 

 

それまでは平静を保っていた二人が、同時に顔色を変えて焦りを浮かべ、狼狽し始めた。

縛られたまま、何が起こっているのかと現状の把握に努めようとするナズーリンですらも放置した

紫と藍は、妖怪としての高度な感知能力を鋭敏に働かせ、察知した力の発生場所を突き止める。

 

二人がそろって視線を向けた先にある場所、そこが妖怪の山であることを瞬時に悟った賢将は、

体を揺らして鎖をどうにかしようと試みるも、何重にも巻き付いているそれらは解けない。

もがく彼女をわずかに視界の端へ収めた後、紫と藍はスキマを通って、妖気の放出源へ向かう。

 

一抹の不安を胸中に抱いた紫は、無数の瞳が蠢く境界の中で、誰に言うでもなく呟いた。

 

 

「どうしてソレを、使ってしまったの⁉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なな、何なんですかいったい! どうなっちゃってるんですか⁉」

 

常に膨大な量の妖気が大気に混じっている妖怪の山だが、今日ばかりは異常であると勘付いて

現場に急行してきた風祝の巫女こと早苗は、山の中腹辺りで輝く緑色の閃光を目撃する。

 

状況が呑み込めずに慌てふためく彼女の元に、意外な人物が諭すような声をかけてきた。

 

 

「風祝の巫女よ、やはりそなたも来ておったか」

 

「て、天魔様⁉ えっと、コレ、どうなってるんでしょうか?」

 

「我にも分からぬ。だが、そなたの奉る御柱の神々は既に、何かを相手取っておられた」

 

「神奈子様と諏訪子様が⁉」

 

 

鴉天狗と白狼天狗の軍勢を従えた天狗の首魁こと天魔は、この場に早苗の信奉する二人の

神がいることを明かすと、その事を知って驚く早苗に対して、声を上ずらせて尋ねる。

 

 

「そなた、神々の助太刀に来たのではないのか?」

 

「私は今までずっと、信者の方々に布教活動の予定を…………って、助太刀って何です?」

 

「うむ。言い難いことではあるが、紛れも無い事実だ。そなたの手も借りたい」

 

 

バツが悪そうに自分のしていたことを答えた早苗は、天狗の大軍を率いている天魔を見て、

さらには彼の口から語られたありのままの結果を聞き、血相を変えて閃光の中心点へ向かう。

 

「どういう事ですか! 神奈子様と諏訪子様が、なんで縁さんと戦ってるんですか⁉」

 

「我にも分からぬよ。山への侵入の件は、そなたとの事もあって色々と見直すべき点があった

ようではあるが、同胞への襲撃だけは見逃すわけにはいかぬ。必ずや、天誅を下さねばな」

 

「__________悪いけど、それは後にしてくれるかしら?」

 

「む? お主は、妖怪の賢者。何故ここに」

 

 

徐々に収まりつつある閃光の中心部へと向かう二人の前に、音も無く空間に開いたスキマの

中から紫が藍を引き連れたまま現れ、行く手を遮るようにして悠然とした態度で語りだす。

 

 

「誰も手出しをしないで頂戴。今回の一件は、こちらで片付けるから」

 

「おいそれとは引き下がれぬ。我ら天狗に、屈辱を晴らさず帰れと言うつもりか?」

 

「口が過ぎるぞ天狗。紫様は、手を出すなと仰られたのだ」

 

「黙って従えと?」

 

「従えぬのなら、黙らせるまでだ」

 

現れて早々険悪な雰囲気を生み出す両者は、同時に臨戦態勢を取って相手を威嚇するが、

意味のない張り合いをしているその最中に、早苗は閃光が消えた中心をしかと見つめていた。

いがみ合いを始めた天狗たちと藍を無視して、彼女は自らの見た光景が信じられずに声を上げる。

 

 

「神奈子様! 神奈子様‼」

 

「そんな…………やはり、アレを使っていたのね」

 

 

そして早苗と同じように、自分のすぐ傍らで睨み合いが展開されていることにも興味を示さず、

紫は眼下に広がる妖怪の山の風景を、その一角だけを凝視していた。正確には、その場所にいる

一人の男と、彼の背後に立っている長身の女性の二人のことを、だったが。

早苗の甲高い声が響いたおかげか、付近にいた天狗たちや紫のそばにいた藍も、閃光の起こった

場所にいる二人の人物の存在に気付き、より大きな驚愕を以てその身を震わせた。

 

山にいる全ての者の視線は、この場に集いし者たちの視線は今、たった一ヵ所に集中している。

 

 

『………………………』

 

 

右手には業物『六色』を持ち、抜き身の刃から危険な香りを漂わせつつも、こちらを観察する

ようにしているだけの男と、彼の背後に物言わぬまま立ち尽くしている大柄で神聖な女性。

刀を手にしている怪しげな男の顔にあるものと同じく、彼の背後にいる女性の顔も前半分が

『柱』の一文字が達筆で書かれた布により、完全に覆い隠されている。

 

「か、神奈子………様?」

 

「あそこにいるのは八坂 神奈子でしょうか、紫様…………紫様?」

 

 

静かに仁王立ちしたままの女性の服装や外見は、顔を隠している点を除けば全てが守矢神社の

二柱なる戦の神、八坂 神奈子と同じであるのだ。早苗に至っては、完全に混乱の極致にいる。

 

流石の藍も同様と困惑の色を隠せない中で、彼女の主たる紫だけは、周囲と異なっていた。

 

 

「…………縁、何故使ってしまったの?」

 

『…………御答えしかねます、紫様』

 

 

驚きとそれ以外の感情が蔓延する有象無象を完全に意識から切り離し、唯一冷静沈着な態度を

保ち続けていた紫ただ一人だけは、こちらを見上げている縁に語りかけ、その言葉を聞いた。

 

紫の道具であるはずの縁が、静かに、しかし確かに明確な拒否の意思を見せた事実に対して、

彼が主人に背くことなどありえないと藍は困惑するが、彼女の主は違った。紫だけは、違った。

 

「そう、残念だわ。主人の手を離れようとする道具は、ちゃんとしまっておかなくてはね」

 

 

酷く哀しげな表情を一瞬だけ浮かべた紫は、震える右手で握りしめていた扇子を横薙ぎに振るい、

その軌道に沿ってスキマを空間に設置した後、そこから弾幕ではなく本物の"力"を放出する。

 

幻想郷を維持する大任を背負っている彼女は、人との無用な軋轢を生まないようにするために、

霊夢の発案を受け入れてから尽力し、改良に改良を重ねて完成させた『弾幕ごっこ』という

本気のお遊びに自ら興じていった。この頃から紫は、幻想郷を真に想っていたのだろう。

 

己が管理し、己が発展を願う小さな隠れ郷の為にならこそ、非常に徹する必要がある時もある。

それを知っているからこそ、彼女はこういう場合、管理者としての立場を優先しなければならない

という事を、理解していた。故にこそ彼女は、冷徹な仮面をかぶり、管理者として不穏分子の

排除を周囲に魅せつける必要があった。哀しさを心にしまい込み、ただ非情な己を演じ切る。

 

弾幕ごっこによる正当な決闘方法を捨てた彼女は、妖怪の賢者としての、スキマ妖怪としての

本気の力を使う事を決意して、山の斜面にて微動だにしない己の道具に向けて、解き放った。

 

 

「縁、何があっても私と貴方は…………藍!」

 

「承知‼」

 

 

自分の力だけでなく、己の式神にすらも本気を出せと命じた紫は、九尾の妖狐としての全力を

発現させる藍とともに、圧倒的なまでの"力"そのものを眼下にて佇んだままの縁へと向ける。

彼女らによって放たれた攻撃は、天狗たちはおろか早苗や天魔を以てしても震え上がるほどの

殺傷力を秘めているようで、二人の放ったソレらによって、山の妖気と大気が絶叫を響かせた。

 

主人とその式神によって放たれた本物の攻撃を前にしても、何故か縁は震え一つ起こさない。

そんな彼の様子に藍が疑問を抱き始めた直後、彼の周囲に薄くたなびく霧があることを視認する。

 

 

「霧、か? 何故、奴の周りにだけ………」

「まさか‼」

 

 

目を凝らして霧の実態を探ろうとする藍の横で、それまで冷徹な仮面をかぶっていた紫が初めて、

感情を隠す事を忘れて驚愕を表に出した。主の急変を見た藍は、再び霧を感知能力で探り出す。

彼女らの放った攻撃の全てが、彼を包み込むようにして広がる霧に遮られ、掻き消されていた。

本気の一撃を無効化されたことに目を瞠った藍とは違う意味で、紫も驚きを隠せずに声を震わす。

 

 

「どうして、何故貴女が縁の側にいるのよ______________萃香‼」

 

 

いよいよ冷静でいられなくなった彼女の呼びかけに、応えるようにして霧が徐々に形を変え、

少しずつ人の形へと寄り集まっていき、ついに彼女らがよく知る鬼の伊吹 萃香の姿を現した。

 

かつての旧友が自分の邪魔をする理由が分からない紫は困惑し、山に住まう者たちに至っては、

最強種族たる鬼の一角がその姿を見せたことで、戦意を瞬く間に失い始め、統率が乱れている。

その場にいた早苗だけは、萃香と縁の組み合わせに思い当たることがあったため、現状に於いて

助けに現れたような構図に何の違和感も抱かなかったのだが、今の彼女に他の物事に思考力を

割いている余裕はなかった。彼の背後に静かに立つ、神奈子と思わしき人物に夢中だったから。

 

主人の旧友である萃香が、何故裏切るような行為をしたのか、式神である藍ですら分かりかねた。

否、それ以前に彼女は鬼の一人である。鬼とは、正々堂々たる勝負を好み、謀略や奸計といった

悪辣な手段を良しとしない、筋の通った種族なのだ。そんな彼女が、裏切りをするはずがない。

 

現状との不一致に困惑する藍と紫だったが、ゆっくりとこちらに顔を向けた萃香を見たことで、

彼女らの中にあった疑問の一切は、瞬時に氷解していった。

 

 

『……………………』

 

『……………………』

 

「そういう、事ね。萃香、貴女も縁の支配下に置かれたということかしら」

 

紫の独り言のような解答を受けて、『酔』の一文字が書かれた布で顔を隠した萃香は押し黙る。

 

縁の背後でピクリとも動かない『柱』の布で顔を隠している神奈子と見比べ、自分の立てた仮説が

事実と相違ないであろうことを理解した紫は、悔しげに顔を歪ませつつ、困惑の眼差しで自分を

見つめてくる藍に、何が起きているのかを語った。

 

 

「先程感じた膨大な妖気、あれは間違いなく、縁に使用を禁じていたスペルカードによるもの。

同じく封じていたあの剣、六色で自分自身を貫いたことで、今あの子の中にいるであろう何かを

スペルカードの効果に巻き込もうとしたんでしょう。萃香と神奈子は、間違いなくあの子の力の

影響下にある。仮にも神と鬼である二人を従える以上、それらにも勝る力を彼は行使したのよ」

 

「神と鬼よりも、勝る力?」

 

「あの子の最後の切り札は【死従幻想筁】、あの子が能力で結がったのは、死の概念そのもの」

 

 

いつの間にか右手に持っていた扇子をパシンと開き、それを水平にして縁と二人へ向ける。

 

縁のラストスペルは紫曰く、死の概念と自分自身の存在を、彼の『全てを結げる程度の能力』に

よって無理やり結合させることにより、あらゆる"死"に関連する事柄を掌握することが出来る。

弾幕ごっこには間違いなく不要な力なのだが、これは紫自身が彼に用意させた「万が一の策」で、

本来ならば主君の紫が許可を出さなければ、縁が発動することなどありえない代物のはずなのだ。

しかし実際にその力は行使され、全力のお遊びである弾幕ごっこの中で発動する本気の力は、

彼女の旧友である萃香と、山を統治する二柱の片割れである神奈子の二人を、支配下に置いた。

 

「最強たる鬼であっても、信仰によって成る神であっても、不死身でない限り"死"は訪れる」

 

 

私たちのように、不老不死でもない限りはね。と付け加えた紫は、変わり果てた旧友を睨む。

ところが、彼女の視線はあるものを捉えて見つめる対象を変え、そのまま視線の先を観察する。

 

数秒ほど見つめ続けた彼女は、ゆっくりとその瞳を閉じて息を吐き、何もかもを察して理解した。

 

 

「そう、そういう事だったの。ようやく合点がいったわ」

 

「紫様?」

 

「藍、縁の足元…………影を見てみなさい」

 

「影、ですか?」

 

 

一人で納得し始めた主人の意図が分からない藍に、紫はそっとたたんだ扇子で縁の足元を指す。

促されるままに扇子の指し示す先を睨みつける彼女は、そこにあったものを見て同じく察した。

 

 

「はい、私にも分かりました」

 

「陽の当たり具合、日射角度、山の斜面、木々の遮り…………いずれを考慮してみたところで」

 

「あのような影にはなりえません。そもそも、奴自身の身長よりも、遥かに小さいです」

 

「そもそも、陽が南から射しているのに、私たちと反対方向に影があることが不自然よね」

 

有り得るはずのない現象を睨みつける彼女らの視線に充てられ、縁の足元から伸びていた影が、

不自然かつ不気味に脈動する。縁の体格や服装とは明らかに違ったラインを保つその影こそ、

今回の一件を引き起こし、大切な縁に不可解な行動を取らせた諸悪の根源だと、紫は断ずる。

 

そんな彼女らから逃げるように、足元の影は西側へと動き、身長の高い縁の背後に隠れた。

忌々しげに舌打ちをする藍を一瞥した紫は、閉じた扇子を顎に当てながら、思考に耽る。

 

 

(あの影が縁を操っているのだとしたら、少し疑問が残る。あの子としての意志が明らかに

介在していることは、操り人形とする上では邪魔なものでしかないはずよね。だったら何故、

意識を保たせたままにしているのかしら…………まさか、最初から操られてなどいない?)

 

 

とある部分に引っ掛かりを覚えた彼女は、そこからさらに思考を加速させていく。

 

 

(あの子が操られていないとするなら、自分の意志でこの私に背き、今回の件を引き起こした?

可能性は限りなく低いけど、ありえないわけではない。だったら、あの子が私を裏切った

そもそもの原因は何? 無知ではあるけど無能ではないから、私から離反すると決めた以上、

下手な行動を起こせばすぐにこうして見つかることだって分かっていたはずなのに…………)

 

 

明らかな矛盾を糸口に、紫は眼下に見下ろす縁の行動を、少しずつ紐解いていく。

 

 

(あの子一人では不可能。では、あの影が縁を唆して? 私を裏切らせるような行為をあの子が

了承するとは考えにくいわね。結果的に私に背くことになると、縁が分からないはずがない。

だとしたら、残された可能性は………………縁が自分自身で、あの影と協力関係を結んでいる?)

 

 

はた、と思考を止めて表情を蒼白にした紫は、揺れる視界の中心にいる彼を見つめて問う。

 

 

「まさか、貴方……」

 

 

叡智あふれる主人が、何かに気付いたような様子であると、横から見ていた藍は思ったが、

現実は少しだけ違っていた。紫は気付いたと言うよりも、気付いてしまったと言うべきだ。

 

それまで頑なに口を閉ざしていた縁は、頭上で震える主君の言葉に、その口を開いて応えた。

 

 

『紫様、私は貴女の為だけにある道具。ただそれだけでも満足しておりました。

ですが今の我々(わたし)は、道具という枠組みに収まるだけではいられない理由が、

あるのです。偉大なりし絶対の主人、私はもう、貴女様の道具であることは出来ません』

 

 

淡々と、しかし平坦な口調の端々から感情が伝わるような言葉を語り終えた縁は、空間の

裂け目を生み出し、そこへ変わり果てた神奈子と萃香の二人を伴い、一瞬のうちに消える。

 

気配や妖気で察知して追跡しようにも、縁個人の能力によって容易に捜索の手がかりとなる

要因を掻き消されてしまい、天狗や早苗、まして藍や紫でさえも、追う事は不可能とされた。

 

ようやく山に戻った静寂の中、虚空を見つめ続ける妖怪の賢者は、ただ独り呟く。

 

 

「縁…………私には、貴方しかいないのよ」

 

 

 

 

 

ここに、新たなる【異変】の序章が、静かに幕を上げた。

 

 

 








いかがだったでしょうか?
土曜日投稿だったはずなんですが、なんでこうなってしまったのやら。

ええ、ええ、分かっております。全て私の問題でございます。
しかし、原因が分かってきました。最近の私はどうも、キャラクターの心理描写
よりも、戦闘描写などの方が書きやすくなってきているのではないかと。

ま、まぁド下手くそに変わりはないんですが。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十七話「緑の道、ただその為だけに」


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第七十七話「緑の道、ただその為だけに」



どうも皆様、先週の土曜日投稿をサボった萃夢想天です。

本当に申し訳ございませんでした! 特に何も無かったんですが!
強いて言えば、下書き用のメモを埋めてなかったと言いますか………。
どう転んでも言い訳にしかなりませんので、ここまでとしましょう!

前回は、縁と紫様が衝撃的な決別をしてしまいました。
今回は彼のその後と、久々にもう一人の主人公が登場します。

それと、前回の次回予告と今回のサブタイトルが変わっている点について。
本来ならば今回の話が間に入るにも関わらず、完全に忘れてしまっており、
急遽思い出したために無理やり詰め込んだので変わった、という事です。
重ね重ね、申し訳ありません。本当に深く反省しております。


長くなってしまいましたが、本編へ行きましょう!
それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

いつもと変わらぬ日常が続く幻想郷、その広大で小さな土地のとある場所にて。

 

心無き兵器である八雲 縁が、自らの主人である八雲 紫のもとから去り、離反した頃。

別の場所で起こっている出来事など露ほども知らない僕、十六夜 紅夜は目的地に到着していた。

 

僕が暮らしている紅魔館から出立した当初は、現在探しているある人物についての情報を求め、

命蓮寺という場所へ足を運んだのだが無駄足に終わり、次なる手がかりを探して人里に居を

構えている小さな雑貨店へ向かっていた。外出時には日が南の空に昇りきる前だったのに、

今では西にある山々に近い位置まで降りてきてしまっていることが、時の流れを感じさせる。

 

さて、ともかく今は彼についての情報を得ることが先決だ。その為にここへ来たんだから。

 

意識を過去から今へと向け直した僕は、命蓮寺の村紗という方からの情報提供を受けて、

急ぎ足でここまでやって来たわけだ。休店日の可能性も考えていたけど、どうやら杞憂らしい。

つい先ほど、店の中からお客さんが品物を買って出ていくのが見えたから、営業はしてる。

 

こんなところでいつまでも立ってるわけにもいかない。息を整えた僕は店の扉に手をかけた。

 

 

「ああ、いらっしゃい…………おや、君は」

 

 

扉を開けて店内に入ると、そこには当然と言えば当然だが、この『香霖堂』の店主がいた。

 

一本だけ妙に跳ね上がったクセ毛と、そこから流動的に垂れ下がるくすんだ白色の短髪で、

前髪の下からのぞく金の瞳の前には、上の(ふち)が無いタイプの眼鏡を着用している。

身長は高くも低くもなく、強いて言えば外見年齢から割り出した平均より少し上程度。

黒と青の左右非対称なツートンカラーの、和洋折衷の言葉が当てはまる服に身を包んでいる。

 

同性から見ても眉目秀麗で、知的かつ穏やかな雰囲気をまとう彼は『森近 霖之助』という。

 

彼は人里のはずれ、魔法の森側にこの雑貨店を構える男性で、聞けば人間と妖怪のハーフだとか。

二十代前後の外見からは分からないけど、実際はこの幻想郷でも指折りの長寿とも聞いている。

ちなみにこれらの情報は、よくこの店に買い物に来るという咲夜姉さんによるものだ。

 

初対面でありながら相手の情報を知っているというのも、何だか昔の自分に戻ったようであまり

気分がよくないけど、今は状況が状況だからなんとしてでも彼から情報を得なければならない。

 

「君は、ふむ…………」

 

 

紅魔館で匿っている最愛の人を想って決意を改めていると、森近さんが読んでいた古い本を閉じ、

眼鏡を中指で軽く押し上げてからこちらを凝視し始め、何やら探りを入れるように見つめられる。

 

最初、僕の着ている黒づくめの燕尾服が珍しいからまじまじと見ているのだと思っていた僕は、

彼から送られてくる視線が、そういった珍しいものへ向ける好奇ではないと遅れて理解した。

そうして眼鏡の奥の瞳が僕を見据えて十秒ほど経った後、ようやく彼が閉じていた口を開いた。

 

 

「ああ、済まない。着ている服も珍しいものだけど、何より君の顔つきに引っかかってね。

誰かと思ってよくよく見たら、ピンときたよ。なるほど、君が魔理沙の言っていた人か」

 

「魔理沙? 霧雨 魔理沙さんのことですか?」

 

「魔理沙のことを"さん"付けで呼ぶ人を初めて見たけど、君が言ったその魔理沙で合ってる。

新聞でも君の事は知る機会が多かったからね。初めまして、咲夜さんの弟なんだろう?」

 

「ええ。姉共々、今後はこちらに寄らせていただく事になるかと」

 

「ははは、これはまた、思わぬ得意先が出来そうだ」

 

 

言葉を交えたのはこれが初めてだし、交えた回数だってたった数回。けど、それで分かった。

よく「人は見かけによらない」なんて言うけれど、彼の場合は見かけ以上のものがあるようだ。

 

凛とした佇まいや落ち着いた物腰から、きっと冷静沈着で知性あふれる男性だと思ってたが、

今の数回の会話だけでハッキリと理解できた。イメージしてた以上に彼はクールな人だろう。

そうなると話は早い。彼ならばおそらく、話の理解も進行もつつがなく進められるはずだ。

 

こちらの想定以上の相手だと分かって内心喜んでいると、ふいに彼が話しかけてきた。

 

 

「しかし、『姉共々』か。前に魔理沙から君の話と聞いた時には、失礼ながらあまり姉弟間の

仲が良好とは言えないものだと感じていたんだけど。魔理沙にデタラメを吹き込まれたかな」

 

「いえ、魔理沙さんの仰る通りでしたよ。もっとも、以前は、ですが」

 

「改善できた、ということか。いやいや、得意先の人間関係が円滑なのは喜ばしい事だ」

 

「ありがとうございます。それにしても、まだ名乗ってもいないのによく分かりましたね」

 

「君が彼女の弟だって? 新聞に書いてあったのもそうだけど、何より君と彼女は似ている」

 

「似てますか?」

 

「ああ、そっくりだよ。彼女を男性に生まれ変わらせたら、間違いなく君と同じ外観だろう」

 

話の内容は、彼が魔理沙さんから聞いていた僕らの関係の食い違い。確かに彼女が僕と交流を

持ったばかりの頃は、まだ姉さんの記憶が戻っていなかったし、僕自身も死ぬ前だったから、

彼女が今の僕らを知らなくても当然だ。むしろ、今の姉さんを知ったらどうなることだろうか。

しかし、この森近さんは本当に優秀な人間だ。雑貨店を切り盛りする店主というだけはある。

客商売をする側としては当然か定かではないけど、相手の表情や外見を素早く的確に分析し、

自分から話しかけて流れに乗せる技法が実に鮮やかだし、相手を喜ばせる事にも長けている。

姉さんに似ていると言われて嬉しくなった僕は、これが商売人の卓越した会話技能であると

気付くのに時間を要する失態を犯した。この僕を出し抜くなんて、この人かなりのやり手だ。

 

人を乗せるのが上手いと言うのか。なんて感心していた僕に、彼は店主らしい口上を述べる。

 

「さて、本日は何をお探しかな?」

 

 

そう言って両手を軽く広げ、狭い店内に所狭しと置かれた商品を見せるようにして振り向く。

流石と言ったところだろうか、初対面であろうとも客というだけで暗に買い物を進めている。

商売人として彼ほど優秀な人間はいないだろうと感心しつつ、僕は本題を切り出す事にした。

 

 

「売ってほしいものは、物品ではなく情報なのです。店主さん」

 

「情報? 申し訳ないけど、僕は探偵紛いの事はしていなくてね。それとも、お客さんが

購入していった品物を聞きたいとかかい? けど、それも個人の問題だから遠慮願うよ」

 

 

僕が話を切り出した途端、彼は目ざとく反応して、こちらの予想以上の反論を重ねてくる。

本当に驚いた。一言だけ「情報がほしい」と言っただけなのに、そこまで思考が回るとは。

どうして彼がこんな雑貨店を営んでいるのか疑問が湧いてきたけど、ぐっとこらえて言葉を返す。

 

「僕だって別に、個人の購入した物品を聞いて回るような、怪しい探偵ではありません。

聞きたいことはこの店のことではなく、貴方自身がついこの前に見聞きしたある人物について」

 

「だから、僕は探偵の真似事はしていないよ。それに、いくらお金を積まれたとしても、

客商売をしている身としては、信頼関係が揺るぎかねない個人情報の漏えいは避けたいんだ」

 

「そこをなんとか。このままだと、僕の大事な人に危険が及ぶんです」

 

「と言われてもね…………うぅん」

 

 

彼の言い分は商売人としては当然のもので、至極もっともだ。けど、今は曲げてもらいたい。

命蓮寺で空振りの結果に終わってしまった以上、もう残された希望は彼しかいないのだから。

それに聞きたいのは彼が相手をした客ではなくて、彼が目にした八雲 縁についてなんだけど、

こうなったらもう、いっそのこと事情を全部話してしまった方が早く収まるんじゃないだろうか。

でもそうなると、文さんの名誉にも関わってくるし、どうしたらいいのかと頭を抱える。

 

どうにかして話を聞いてもらおうと粘る気でいた直後、僕の背にあった店の扉が荒々しく開かれ、

同時に強風と言う言葉では生温く感じられるほどの突風が吹き荒び、一気に店内に侵入してきた。

 

何事かと驚く僕と森近さんの視線の先には、ここにいるはずのない人物が姿を現していた。

 

 

「文さん、何故ここに⁉」

 

扉を開け放って香霖堂店内に颯爽と現れたのは、紅魔館の僕の自室にいるはずの文さんだった。

彼女がどうしてここにいるのかと尋ねたのだが、何やら慌てふためいた様子の彼女はそれを遮り、

いつもより数段早く回る口で事情を説明し始める。

 

 

「良かった! 命蓮寺に行くと言っていたので向かったんですが、香霖堂へ行くように言ったと

星さんから聞いたので、すぐに飛んできて…………じゃなくて、一大事なんですよ紅夜さん!」

 

「お、落ち着いてください。まずは何が起きたのかを」

 

「妖怪の山で先程、異常な量の妖気を感じ取ったんです! 明らかに只事じゃありませんよ!」

 

「…………妖怪の山で、ですか?」

 

「はい! もしかしたら、私たちの探してる………」

 

「分かりました、すぐ向かいましょう」

 

 

尋常ではない慌てようから察するに、よほどのことが起こっているのだろうと推測する。

妖怪ではない僕では感知できないけど、あの文さんがこれほど狼狽するのだから危険だろう。

 

すぐに妖怪の山へ向かうと決めた僕は、再度振り返って森近さんに一応礼を述べておく。

 

 

「お騒がせしてすみませんでした。今度は、ゆっくり買い物に来たいものです」

 

「あ、ああ。うん、期待させてもらうよ」

 

「では」

 

 

軽く頭を下げ、僕はそのまま店から立ち去り、待っていた文さんと共に妖怪の山へ急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妖怪の山で二柱が弾幕ごっこを行い、そこから天狗と妖怪の賢者が介入した大事に発展した

出来事で起こった熱が沈静化された頃、その中心だった縁は、山から遠く離れた場所にいた。

人里からそれなりの距離を置いた北の森林地帯。そこを流れる小川の辺に彼の姿はあった。

せせらぐ川の水面を無言で見つめている彼の背は、見る人が見ればさぞ画になると喜ぶような、

一枚の絵画のような立ち姿だった。無論、今の彼を目視できるものなど、一人もいなかったが。

 

そんな彼は、自分の後ろについてきた二人へと振り返り、改めて自己の能力を把握する。

 

『…………私の能力は(つな)ぐ事。では我々(わたし)の能力は、こういう事なのか?』

 

 

独りでにそう呟いた彼は、自分の正面に向けて伸びている影に手をやり、ゆっくりと持ち上げる。

すると、彼の足元にあった影から黒い何かが起き上がり、それは分離して人型となって佇む。

その姿は、彼についてきた『柱』の女性や『酔』の少女と同じく、不気味な風貌であった。

 

彼の影から浮き出てきた人型の存在は二つに分かれ、それぞれが全く異なる形へ変化する。

一人は、顔を『響』の文字が書かれた布で覆い隠した、背丈が低い尻尾の生えた少女に。

一人は、顔を『河』の文字が書かれた布で覆い隠した、巨大な荷物袋を背負った少女に。

 

音も無くそこに姿を現した二人を前に、縁は自分の持つ能力を改めて、正しく理解できた。

同時に、彼が誰にも打ち明けることなく立てていた仮説も、これで立証されたと安堵していた。

 

 

『…………私はこの二人とは面識が無い。だが、我々はこの二人を知っている』

 

 

肯定も否定もされないことを分かっていながら、縁は四つの人影に囲まれながら呟きを漏らす。

自分の中にいる存在と自らの現在の力を確認し終えた彼は、そこである違和感に気付いた。

 

 

『どういう事だ?』

 

 

誰に返事を期待するでもなく呟いた彼の言葉は、周囲を取り囲むように立つ尽くす四人の内、

たった一人へ向けられる。彼が感じたのは、能力の不具合ではなく、正常が故の違和感だった。

 

現在の彼は、ラストスペルを発動したことにより、【死の概念】そのものと直結した状態にある。

元々彼自身の能力は『全てを結げる程度の能力』というもので、それこそ物質だけにとどまらず、

他者の精神との結合、果ては神羅万象なりし概念ですらもつなげられる常識外。異端中の異端。

この能力にかかれば、不可能な事象など探す方が骨を折るような、尋常ならざるその力を持つ

彼だったが、今自身を取り囲むようにして立っている四つの人影の中で一人、結がらぬ者がいる。

そのことに気付いた瞬間、彼はつながりを感知できない人物に話しかけようと体ごと振り向く。

 

 

『___________む』

 

 

しかし、彼がその行動に移るよりも早く、彼らがいる場所に彗星の如く駆けつけた者がいた。

恐るべき速度で突っ込んできた何者かから距離を取り、縁はやって来た人物の正体に納得する。

 

 

『聖 白蓮か。なるほど、響子の影(われわれ)を追って来たか』

 

「…………やはりその影は、響子ちゃんのものなのですね」

 

 

一人と四人の布に隠された視線が向けられた先には、地面に轍を刻んで停止した聖がいた。

御得意の強化魔法で身体能力を高め、通常の数倍以上の速度でここへやってきたのだろうと

推測した縁だったが、彼女がここへ来た理由よりも先に、ここへ来れた理由が気になった。

 

『解せない。今の私は、紫様や八雲 藍ですら探知不能のはず。何故居場所が分かった?』

 

「私は尼僧です。如何な妖怪の賢者や九尾の妖狐と言えども、魔を調伏することこそ本分。

いくら偽装しようと隠れようと、その本質が魔である以上は私にも追う術はありますので」

 

『理解した。私ではなく、我々(わたし)の中核を探知したわけか。紫様ならばこの方法にもすぐに

気付かれているだろうが、なるほど。考えたな、聖 白蓮。であれば逃走は困難なわけだ』

 

真正面から堂々と尋ねた縁に対して、聖もまた隠匿することなく正直に返答する。

彼女の言い分がどういう事なのかを完全に理解した縁は、自分の主人ならばこの程度の事も

考えていることだろうと持ち上げつつ、現状では目の前の尼僧から逃げる手段がないと考えた。

 

相対する聖は、追い詰められているにもかかわらず、まるで他人事のように平然としている

縁の姿に戸惑いを覚えながらも、彼のそばで無言のまま微動だにしない少女たちを見やる。

そして、その中の一人に目が向いた時、本来の持ち主が誰なのかを悟り、激憤に燃え始めた。

 

 

「響子ちゃんの影を………いえ、今まで奪ってきた全ての影たちを解放しなさい!

生まれ落ちた時から共にある、言わば半身とも言うべき存在を奪われた者が、無事でいられる

はずがないことは、貴方であれば当然理解しているでしょう! こんな事はもう止めなさい!」

 

『…………聖 白蓮。お前もこの我々(わたし)と、結がれば分かる。理解できるようになる。

このような事を起こしている私の目的と、我々(わたし)が成さなければならない事が』

 

聖の怒りを正面から受け止めたうえでそう語った縁は、それまで抜き身で右手に握っていた

業物である六色を腰の鞘へと収め、交戦の意志は無いことを暗に伝えてから聖に歩み寄る。

一方の聖も、それまで敵対者であると決め込んでいた相手から、協定とも取れる提案を

持ち掛けられたことで動揺し、そのわずかな一瞬の隙を突かれて彼の能力の発動を許した。

 

 

「こ、れは____________________」

 

『……………聖 白蓮、分かってくれ。これは私の為ではなく、我々(わたし)の為なのだ』

 

 

危険を察知して距離を取ろうとする彼女よりも早く、縁は能力で彼女と自分とを結げた。

それにより肉体的にも、精神的にも直結した状態になり、物理的な距離など意味を成さなく

なり、さらには心情ですらも結合したことで相互理解が瞬間的に行われ、全てを晒し合う。

 

時間にすればほんの三秒程度の間でしかなかったが、それだけで彼らには事足りた。

結がる能力によって互いと完全に繋がり終えたことで、目的も理由も全てを共有しきった

縁は、つい先程まで戦意に満ちていた聖から、その意欲が削げ落ちたのを見ずに察する。

 

 

「………貴方は、その為に主を裏切って?」

 

『裏切りではない。私に心などは無いが、使われるがままの道具としての自分の存在意義は、

今でもあの御方に捧げている。故に、持ち主の意に背いて動く道具は、処分される運命だ』

 

「自分がどうなるかを分かったうえで、事を成そうと言うのですか?」

 

『無論だ。それに、これは私でなければ成しえない。ならば私がやるしかない』

 

 

簡潔に、ただありのままを語りきる縁。彼の言葉を聞いて、聖は握っていた拳を緩めた。

戦闘になることは避けられたようだと安堵した彼に、彼女は俯いた姿勢のまま話しかける。

 

「貴方が成そうとしている事、成すべき理由は分かりました」

 

『………では』

 

「それでも私は、私自身の意志で、貴方とは相容れぬと表明します」

 

 

彼女の口から出た言葉は、いかにも彼女らしい明確でいて裏表が無い真っ直ぐな拒絶。

しかしその答えを聞いた途端、彼の足元で形状を変化させたドス黒い影が、ざわざわと

不気味に蠢き出し、触手の様な形を持った影をゆっくりと地面から浮かび上がらせた。

 

ぶるぶると震えながら殺意を滾らせるソレらを向けられた聖は、息を吸って話を続ける。

 

 

「貴方の行動とやり方そのものに、私は私であるが故に賛同することは出来ません。

ですが、貴方…………いえ、貴方達が行動する目的だけは、私が個人的な意見だけで

止めていいほど軽いものではなさそうです。協力はしませんが、手は引きましょう」

 

『…………そうか。道を阻まないだけ、感謝しよう』

 

「貴方達の行く道の末に、どうか幸のあらん事を」

 

 

一切の敵意すらも消え果た聖は、最後にそう言い残して彼に背を向けて歩き去っていく。

あれほどまで響子の影を取り返そうと執念に駆られていた彼女は、逆に彼の成そうとする

行動と、その辿るであろう結末を結がったことで理解したため、気を静めてしまっていた。

 

協力者とまではいかないが、理解者を得る事が出来た縁は、命蓮寺へと戻っていく彼女の

背中を無言で見つめ続けた後、改めて自分の傍から動かない四人を見やり、決意を固める。

 

 

『もう後戻りなど出来ない。賽は投げられたのだから、この道を進む他ない』

 

 

またも一人だけになってしまった彼は、返事を期待するでもなく虚空へ向けて語りかけた。

 

その場でしばらく今後についてを考えた縁だが、このままでは目的を遂げる事が出来ないと

結論付け、より成功率を高めるための措置について思考を深め、一つの答えに辿り着く。

 

 

『計画をより盤石なものとする。その為には、まだ力が足りない。

神は手に入れた。妖怪は手に入れた。鬼も、手中にある。ならば、亡霊を引き込むか』

 

 

ただそう呟いた彼は、背後に四人を引き連れた状態で、空間に大きな裂け目を造った。

空間を結げることにより、裂け目の向こうには周囲の情景とは異なる景色が映りこむ。

彼らの前にある裂け目。その先に広がっていた光景は、いつぞや見た幻想的な冥界の風景。

 

 

『魂魄 妖夢、並びに西行寺 幽々子様。その力、我々の為に貸してもらおう』

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

本当にすみません! 次回予告のタイトルを変更するだけでなく、
投稿日時まで遅らせるなんて、本当に面目次第もございません!
次回こそ次回こそはこうならぬように気を付けます!


それでは次回、東方紅緑譚


第七十八話「緑の道、主に仕えし剣たち」


ご意見ご感想、並びに質問や批評も受け付けております!


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第七十八話「緑の道、主に仕えし剣たち」





どうも皆様、サボリ癖がついて情けなさを痛感する萃夢想天です。

ここ最近は本当にスランプと言いましょうか、筆が進まなくてですね。
やる気の問題と分かってはいるんですが、どうも踏ん切りがつかず、
今回もこれまでに比べて著しく品質の下がった回になるかと思います。

読者の皆様、どうか慈悲深く広い御心で見守ってください!
情けない奴めと喝を入れてくだされば、私も目を覚ますと思います!


それでは本腰を入れて、どうぞ!





 

 

 

 

 

日も既に暮れ始めた頃になって、僕は文さんの案内に従って妖怪の山へと一目散に駆けていた。

彼女が言うには、つい先ほどこの場所で異常な妖気の反応があったらしい。人間である僕には

反応も何も分からないけど、僕の中にいる魔人デュリアルが何の反応も示さなかった時点で、

彼にも探知できない類のものだったのだろう。もしかしたら面倒くさがっただけかもだけど。

 

もしそうだったら後でどうしてやろうかなどと考えつつも、僕は眼前にそびえたつ薄暗い山の

斜面に目を向けながら、数メートルの距離を開けて飛行する文さんに何とか着いていっている。

この二週間ほどはまともに紅魔館の外に出られなかった彼女だけど、流石は新聞記者とでも

言っておくべきか。その速度に落ち目など見当たらず、着いていくのが精一杯な僕だった。

 

 

「あれは!」

 

「文さん? どうかしましたか⁉」

 

能力を連発して瞬間移動のような方法で後を追っていると、山の斜面の少しばかり上を飛んで

いた彼女が、どこか一点に視線が釘付けになった途端、猛スピードでそちらへと向かっていく。

僕の言葉に耳を傾ける暇などないその様子に、いよいよ只事ではないようだと気を引き締めた。

 

文さんの飛び去っていった方向へ移動していくと、少し先で大ぜいの天狗たちがぞろぞろと

動き回っているのを発見し、彼女もその中心地点へと飛び込んでいくのがかろうじて見えた。

正直なところ、妖怪の山と天狗たちには良い思い出というか関係が微塵も無いため、好んで

来るつもりも歩み寄る気もなかったんだけど、彼女が行くんだから僕だって行かないとダメだ。

 

周囲を忙しく飛び回る天狗たちと目を合わせないようにしつつ、彼女の降り立った場所へと

少し遅れてから着地してみると、そこにはあの日に僕らを見逃してくれた天狗の長、天魔さんが

部下を引き連れて立っていた。やはりというか、今回の件でも天狗の軍を指揮しているのか。

 

 

「天魔様!」

 

「_________む? おお、文ではないか。それと其方も、久しいな」

 

「どうも、御久し振りでございます」

 

 

迷うことなく話しかけにいった文さんに続いて、僕も遠慮しがちに声をかけさせてもらう。

見たところ忙しそうだったし、何より今の僕らの立場は執行猶予付きの罪人なんだから、

不用意に相手側に話を持ち掛けるべきじゃないはずなんだけど。彼女はそうも言ってられない。

なんたって、自分の種族、要するに仲間に一大事が起こったとあっては気が気じゃないだろう。

僕だって、紅魔館のみんなに何かがあったらと思うと、平静でいられる自信などありはしない。

 

一族の頭を務める相手に声をかけると、こちらの想定以上に気さくに言葉を返してくれた。

少なくとも、天狗一族の掟を破ってしまった罪人と、それを脱獄させた人間を前にしてできる

態度ではないだろうと思う。だからこそ、軽いフレンドリーさがかえって不気味さを増させる。

 

警戒を怠らぬように身構えていると、またも天魔さんがこちらの緊張を無視して語りかけてきた。

 

「なんだ、久方振りの挨拶程度に出方をうかがうか、人間。中々に小心者よな、実にらしい」

 

「…………………」

 

「心配せずとも危害を加える気などありはせんし、もうその必要もなくなるじゃろうて」

 

「え?」

 

「あの、それはどういう………」

 

 

からからと笑ってそう語った天魔さん。けど、彼が最後に漏らした言葉に妙な引っ掛かりを

僕と文さんは、どういうことなのかと尋ねてみる。すると彼は、浮かべた笑みを崩さず答えた。

 

 

「なに、簡単な事よ。其方は先日に交わした約束の通りに、八雲 縁なる侵入者をこの山へ

引っ張り出してきたではないか。そこに其方の意図が(・・・・・・・・・)あろうとなかろうと(・・・・・・・・・)、我らが言葉を以て

取り決めた約定には間違いなかろう。よって、文と其方に科せられた罪は不問となろうよ」

 

「天魔、様?」

 

「どうした文。裏切りの汚名と投獄が失せたのだ、もっと喜んでもよかろうぞ」

 

「………天魔さん。それはつまり、あと一日しかない引き渡しの期限も無くなった、と?」

 

「そういう事になるな。なんだ、其方は罪に問われていた方が幸せであったか?」

 

「いえ、そういうわけでは」

 

 

こちらの反応が思っていたより薄かったようで、天魔さんは僕と文さんの顔を交互に見比べ、

皮肉気な言葉を持ち出して強引に話を打ち切ってしまった。いったいこれは、どういう事なのか。

 

本来ならば明後日には約束の期限を迎え、文さんを再び、あの狭く汚らわしい牢屋のような場所へ

引き渡さなくてはならなかったのに、彼の話ではそれをする必要がなくなった事になっている。

嬉しくないわけがないんだけど、だからってこうもあっさり問題が解決すると逆に不気味だ。

不審に思っていた僕はそこで、二週間ほど前の天魔さんとのやり取りの状況を思い出して気付く。

あの時の彼の反応から察するに、彼自身もまた、今回の一件で文さんを天狗一族の裏切り者として

扱うことをよく思っていなかったのではないだろうか。と言うより、天狗という種族を預かる身

としては、今回のような案件は落としどころを見つけ、秘密裏に処理したかったのではないか。

 

そう考えると辻褄があってくる。思い返せば、彼は最初から文さんの事を悪く思っているようには

見えなかったし、むしろ庇おうとすらしている節もあった。まぁ、部外者である僕があの牢獄で

起きていた、おそらく不祥事と思われる事態を目撃して報告したのも一役買ってるとは思うけど。

とにかく彼は、多少無理やりになったとしても、事を早めに丸く収めておきたかったのだろうと

考えられる。ならばその手に乗らない手は無い。彼の提案を汲めば、僕らは晴れて自由の身だ。

 

 

「しからば、其方の任はこれまで。苦労であったな、人の子よ」

 

「………天狗の長を務める御身からの御言葉、平に頂戴仕ります」

 

「ふははは! 仰ぐ主君を持つ身でありながら、まこと可笑しな者よの!」

 

「気に入っていただけたのなら幸いです」

 

 

救われた形になっている以上、御礼の言葉を欠かしてはスカーレット家の従者の名前に泥を塗る

事になりかねない。そう思って必要以上の敬意を払い、僕は天魔さんへ深々とこの頭を下げた。

主人がいるのに他者に平伏するような行動がおかしいのか、彼は実に愉快そうな笑みをこぼす。

 

ひとしきり笑われてから一呼吸を置いて、僕は今一度彼に頭を下げながら、願い事を申し出る。

 

 

「天魔様。この矮小な人の身に、ひとつ願いを申す許可をいただきたく思います」

 

「くく、良いぞ、良い。其方は並に勝る非凡、好きに述べるとよい」

 

「では…………八雲 縁の捜索を手伝わせていただけませんでしょうか?」

 

「ほう? 文を救い出す役目を終えてなお、奴を探す理由が其方にはあると?」

 

「………ええ。少々、聞きたいことと知りたいことが増えまして」

 

「承知した。山は我らが領分故、其方の力は不要だが、幻想郷は広い。好きに探せ」

 

「ありがとうございます」

 

 

僕が願い出たのは、今後も彼_________八雲 縁を捜索することへの意思表明と許可。

探すこと自体に許可は必要なんてないけど、天狗の長である彼に話を通しておくという事は、

それだけで充分意味のあることだ。もしかしたらまた、この山に彼が現れるかもしれないし。

 

付け加えるなら、交友関係を広げておくという事も視野には入っている。僕の基本的な活動の

範囲は、紅魔館とその周辺、もしくは人里くらいなものだから、有事の際に手を伸ばすことが

出来る場所と人脈を作っておくことも大事だ。一番の目的は、彼に僕の事を聞きたいからだけど。

 

初めて出会ったあの日、彼は僕のことを既に知っていた。ならば他にも、多くの事を知っている

としてもおかしくはない。それに、どうして天狗一族を攻撃したのかというのも少し気になる。

 

 

「では、山の捜索は天狗の方々に任せます。文さん、僕はまた別の場所を探しますので」

 

「え、あ、はい。分かりました………って、私も行きます!」

 

 

天魔さんへと別れの挨拶を忘れず、一礼をしてから僕は山を下りるべく能力を発動した。

てっきり文さんはもう妖怪の山へ、もとい自分の拠点へ戻ってしまうものかと思ってたんだけど、

着いてきてくれるようで、能力で瞬間移動する間際に慌てふためいた声で迎合する意を告げた。

 

さて、僕らを追い詰めていた時間の制限は無くなったわけだけれど、これからどうするべきか。

八雲 縁についての情報が少な過ぎると改めて実感した僕は、とりあえず日が暮れてきている為、

お嬢様方の御世話をするべく一度紅魔館へ帰ろうと決め、進行方向を霧の湖へと変更した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十六夜 紅夜と射命丸 文の両名に科せられていた時間の束縛が無くなり、罪の枷からも見事に

解放されていた頃、彼らと天狗が血眼になって探している件の人物、八雲 縁は冥界にいた。

 

白くうすぼんやりとした半透明の人魂が漂い、現世とは違って不安を煽るような冷たさを孕んだ

空気が肌を撫でるように流れるなか、幽玄の世界と景色の中へ、彼と彼に追従する影が現れる。

長身巨躯の『柱』の影に、二本角の『酔』の影、獣の如き耳と尻尾の『響』に、小柄な『河』と、

中心にいる縁を取り囲むようにして足元から出でた四つの影は、無言のままに佇み、主命を待つ。

 

それぞれ異なる影を従えて立つ縁は、布越しに隠された視線をただ一点に留め、見据える。

 

 

『冥界の白玉楼。こんな形で再び来ようとは、思ってもみなかったな』

 

 

どこか遠い日を懐かしむような物言いで独白した彼は、迷うことなくその足を眼前の屋敷へ向け、

本来ならば家主に取り次ぐなどの必要工程を一切無視して、ずかずかと我が物顔で侵入を果たす。

彼が悠然と踏み入れば、当然彼に付き従っている残りの四つの影たちもまた、遅れて歩を進める。

こうして一人と四つの小団体御一行は、見ることすら辟易するであろう平坂の階段を上らずに、

苦も無く冥界の亡霊姫がおわす桜の門をくぐり抜けていった。だが、彼らの歩みはそこで止まる。

 

 

「何者だ_________________って、縁さん?」

 

急接近してくる気配を察知した縁が立ち止まると、彼らの数歩先に見覚えのある少女が現れた。

おかっぱに近い髪型に純白色の髪質とくれば、縁には思い当たる人物などたった一人しかいない。

 

 

『魂魄 妖夢か。久しいな』

 

「あ、ハイ。お久しぶりです」

 

 

白玉楼住み込みの庭師でありながら剣術指南役を仰せつかっている、白髪の少女剣士と呼ばれる

人物であり、この屋敷の主人の従者も兼ねている苦労人(はたらきもの)の、魂魄 妖夢その人である。

 

彼女と縁がこうして顔を合わせるのは二度目ではあるが、一度目は今より一か月以上も前だった。

そのため、彼女はどこかしら懐かしいものを感じながら、彼からの挨拶に対して律儀に応えたの

だが、彼を取り囲むように佇む正体不明の四人を見て、ようやく違和感に気付く事が出来た。

 

妙だと理解した彼女はすぐに、目の前にいる縁自身も以前とどこか違う、おかしいということに

気付き、すぐさま腰に帯刀している得物に手を掛けて臨戦態勢を整え、念の為に会話を試みる。

 

 

「縁さん、一つお伺いしますが、そちらの方々は何者ですか?」

 

『何者かと問われると返答に困るが、そうだな…………我々(わたし)の一部となった者、と呼ぼうか』

 

「仰っている意味は分かりませんが、あなたたちから漂う気配には尋常ならざるものがあります」

 

『尋常ならざる、か。魂魄 妖夢、やはりお前は優秀だ。是非とも我々の力に欲しい』

 

「…………これはいよいよ妙な具合ですね。正体の分からぬ輩は、ここには入れられません!」

 

『仕事熱心なものだ、そうでなくてはな。だが我々はこの先に用があるのだ、一つどうだろう

この私と_______________剣で試合おうではないか。前の決着も、うやむやなままだろう?』

 

 

話し合いは可能であることに少なからず安堵を覚えた妖夢だったが、それでもよくよく集中して

気配を探ると、前に会った彼とはまるで別人のように禍々しい力をまとっていると分かり驚く。

それだけでなく、彼の周囲に佇んでいる四つの影にどことなく見覚えがあり、記憶を探って外観が

一致する相手を見つけ出すと、今度こそ驚愕に目を剥く。神の一柱に荒ぶ鬼、それに妖怪が二人。

目の前にいる彼らは、間違いなく異端であり外敵であると認識した妖夢は、今度こそ躊躇う事なく

帯刀されていた得物を抜き放ち、虚ろな冥界の風景を映す刃を構え、その切っ先を縁へ向けた。

 

彼の言う通り、以前の決着はうやむやなままに終わることとなり、結果的に彼と交友を深める

ことにはなったものの、それでも妖夢としてはやはり、剣での決着はつけたいと望んでいたのだ。

それを見透かされたことに若干憤りを感じつつも、様子のおかしい彼を正気に戻すためと理由を

付けて、彼の提案を飲むことに決める。腰を落とし、刀を両手で確かに握り、中段の構えを取る。

 

 

「受けて立ちましょう、いざ‼」

 

『ああ、手加減は無用だ。私も、今度こそ本気を出すことを誓おう』

 

 

妖夢の闘気を浴びて、縁も自身の言葉通りに決着を果たすべく、腰の業物『六色』を抜き放つ。

昼も夜も関係なく薄暗い冥界の空を、手入れされておらず所々欠けたままの刀身が映し出し、

かえってその刃の歪さと粗野な狂気を助長させる。磨かれざるが故に、出で立ちは妖刀の如し。

 

両者ともに自身の得物を手にしたことで、緊張し始めていた空気が一瞬でピンと張り詰める。

縁は刀を右手に持ったまま隙を晒す棒立ちで、妖夢は受け継がれ培ってきた魂魄流の構えで、

互いの剣の鋭さと放っている戦意を感じ取る。今自分のいる一歩先は、油断ならぬ死地なのだ。

 

 

「魂魄流剣術頭目代理、魂魄妖夢_____________推して参ります‼」

 

『銘は六色、業は八雲、名は縁_______________武勇を誇るは今‼』

 

 

己の背負うものと名を高らかに掲げ、主に仕えし剣たちは刹那の先を見据え、鬨の声を上げる。

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

うーーん、短い! 前は9000字が当たり前みたいになっていたのに、
今では5000も書くのがやっとな状態とは、我ながら本当に情けない!

五月になれば例大祭があるから、そこで薄れ始めている東方への愛を
再充填してくれば、きっと前みたいな本調子に戻れると願いましょう。
というか今回も、雨など降らずに晴れてほしいです。でも金ががが。


それでは次回、東方紅緑譚


第七十九話「緑の道、未熟者だから」


ご意見ご感想、並びに質問や批評など大募集しております!
最近だらけきっている作者への喝も、よろしくお願い申し上げます!


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第七十九話「緑の道、未熟者だから」



どうも皆様、先週先々週と投稿できなかった萃夢想天です!
先々週は用事が入っていたのを忘れていて書けなかったのです!
そして先週は書いてはいたんですが、またしてもPCが不機嫌起こしました!
久々に書いていた四千字が見事にパアになり、割と凹んだりしました……。

ええ、ですが今週末にいよいよ始まる私の人生の原点にして臨界点、
この日のために生きてきたとは過言ではないイベント、例大祭が開催!
東方熱を再燃させた私には、書けぬ文章などあんまりない状態ですので、
ほんとうに久しい久々の本気を出させていただくとしましょう!

ここまで書いてまた不機嫌起こされたら泣く自信がありますが。


それでは三週分の恨みを込めて、どうぞ!





 

 

 

 

 

儚げな不透明さで構成されている白い人魂が、尾のような部分を揺らして薄い闇をさまよう

仄暗い幽玄の世界の奥にて、巨大な桜の枯れ木の真下に構えた和風情緒あふれる屋敷の庭園。

生あるものを拒み、死したものを受け入れる冥府の黒空の下で、激しい剣劇の音が響き渡る。

 

 

「はぁっ‼」

 

『ふん!』

 

 

打ち鳴らされ続けるその戦いの音色は、もう随分と経つというのに止む気配が一向に無く、

むしろ時間が経過するにつれて一段とその間隔と、速度を速めているように聞こえてくる。

金属特有の甲高い唸り声に伴い、若い少女の戦意に満ちた猛りとそれに呼応するような低い

声色の力みが、生を終えた魂たちが右往左往する暗天の大地で幾度となく絶えず交錯した。

 

磨かれた長刀を両手で握り、幾千幾万と繰り返して身に染み込ませたであろう型にはまった

太刀筋で空を裂き、背後に浮かぶ御魂と同色のおかっぱ髪を揺らしているのは、魂魄 妖夢。

それに対し、刃どころか鞘まで手入れされずボロボロな刀を右手一本で握り、決まった型

など何一つない不規則な太刀筋で応戦する、逆立った緑の短髪を波打たせるのは、八雲 縁。

 

何から何まで対照的に見えてしまう両者は、刀を抜いてから実に十分以上もの間、ずっと

目の前の相手と剣を交え続け、常人では目視も不可能な一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

 

「せい‼」

 

『無駄だ』

 

 

白の鮮やかに洗練された剣技が迫れば、緑の瞬発力と判断力が無作為に刀を打ち払い、

逆に緑が定まった型など無視して刃を振るえば、白がこれも繰り返し続けた受けの刀が遮る。

決して弾幕ごっこのような派手さは無いものの、一つ一つの動作には武人として光るものが

あり、一挙手一投足からにじみ出る互いが歩んだ経験の成せる行動が、戦いの今をつなげた。

 

半身の体勢で正眼の構えをとる妖夢が、二歩ほどの駆け足で近付いた縁の一撃を受け止め、

右足を踏み出して上段からの力を地面へ放流し、それを起点に重心を動かし愛刀を押し出す。

見事な体捌きではあったが、絶対的な体格差を覆すほどの力を発揮することはできなかった。

ほんのわずかな抵抗に留まった彼女の攻撃は、縁が一度刀を引いてすぐさま振り下ろしてきた

ことで打ち消されたものの、そのおかげで均衡した現状から背を見せることなく離脱できた。

 

再び若干の距離を開けて対峙する両者は、己が手に担っている長刀の切っ先を見つめ合う。

 

 

妖夢が両手でしかと握っている其れは、妖怪が鍛え研いだとされる業物『楼観剣』といい、

担い手である彼女の身長の七割ほどの長さがあるが、それをいとも容易く操り振り回している。

一説によると「一振りで幽霊十匹分の殺傷力を誇る」らしいのだが、そもそも力の尺度である

幽霊十匹分がどの程度なのかが不明である為、力という面では彼女の刀を正確には測れない。

だが、並の者では扱いきれぬ長刀を長年の研鑽で見事己の手に納め、さらに弛まぬ自己鍛錬を

続けたことにより、その一閃は音とともに空を裂き、ただあるだけで散る桜を両断するほど。

 

彼女が握っていてもなお余りがある柄には、淡い色合いをした桜の花弁が端正に描かれ、

その柄頭では人魂を模した、霊糸と呼ばれる特殊な繊維で編み込んだ白い房が揺れ動いていた。

 

対して縁が右手のみで握る其れは、柄頭から切っ先に至るまでが崩壊寸前の『六色』という

銘刀であり、その名の由来となった紅、橙、山吹、瑠璃、藍、黒の六色の組紐が柄の部分に

編み込まれている。そこに自らの主人と同じ紫と、己を表す緑の色だけは、何故か無い。

手入れなど一度たりともしていないと思わせるその出で立ちは、刀匠が見れば激怒は必至。

見るからに古ぼけた風体の刀身は、まるで時の流れに忘れ去られた幻想の具現かに思える。

組紐が編まれた柄から先に延びる刃は、所々が欠け落ちてしまい、刀剣の本懐であるはずの

切断力がことごとく損なわれてしまっている。しかし、それをものともせずに彼は振るう。

 

「行きます!」

 

『来い』

 

 

互いの刀に込められた秘めたる想いを知る由も無く、二人は再度距離を詰め刀身を打ち鳴らす。

玉鋼でできている刃がぶつかる度、精錬されている楼観剣と研がれずに久しい六色との酷い

噛み合わせが発生し、目を晦ませるような激しい火花が冥界独特の薄暗い空へと舞い上がる。

正面からの押し合いは不利だと理解している妖夢は、すぐさま腰を落として体勢を低く下げ、

掬い上げるような形で楼観剣を振り上げて、軽い突き出しから右斜め上への一閃を放った。

 

けれど、それを黙って見て受けるほど縁は阿呆ではなく、切り上げによってわずかに押された

刀を強く握り直し、自分の左側に迫る磨かれた刀身の軌道を見切り、寸前で六色を割り込ませる。

鋼同士がぶつかり合う戦音がまたも甲高く響き、それを合図にさらなる剣戟が火蓋を切った。

 

 

(本当に強い。あの時は能力で簡単に捕まえられてたから分からなかったけど、縁さんは剣でも

ここまでの才覚をお持ちだったなんて………でも、剣での勝負である以上は、負けられない!)

 

目の前に立っている男が予想を遥かに上回る実力者であることを、言葉ではなく静かに剣で

語らった妖夢は、自分が背負う代々の剣術と西行寺の従者である使命感で自身を鼓舞する。

先程以上に戦意を引き出した彼女は、次の打ち合いで強敵である縁を確実に倒すと心に誓い、

未だ汗すら掻いていない手でしかと楼観剣を握りしめ、半歩ほど距離を置いてからたたみかけた。

 

(__________くるか‼)

 

 

眼にこもる戦意が跳ね上がったことを察知した縁もまた、ここで彼女が自分を討ちに来ると

確信して、文字通りの返り討ちを果たしてやろうと意気込み、刀を握る手に力を一層籠め直す。

 

ほんの瞬きほどの時間の中で、妖夢は幾日も重ね続けた鍛錬の成果である"縮地"に酷似した

動作で距離を詰めきり、重心の移動と身体全体での移動をかけ合わせた勢いを合わせ剣を振る。

右半身の腰だめに構えていた楼観剣は、音ですらも切り伏せる速度と鋭さを以て軌道を描き、

彼女が思い描いていた狙いの通りに、急接近に驚き固まる彼の、無防備な左膝へと吸い込まれた。

 

剣士として剣術の鍛錬を欠かしていない妖夢とは違い、剣術はおろか剣の振り方すら素人の縁に

とっては、"構え"一つをとっても成っているものはなく、ほとんど棒立ちも同然であったのだ。

人の移動を支えている不安定な二本の柱、足を例えるならばその言葉が残酷にも当てはまる。

彼女は縁を確実に倒すための前段階としてまず、行動の起点である足をつぶすことを考えた。

 

 

「獲った‼」

 

 

もはや居合い斬りと遜色ない抜刀、そこからすかさずの斬りつけで一呼吸の内に果敢に攻めた

妖夢は、楼観剣の刃が抵抗すらなく空気を裂きつつ彼の足へと到達する刹那に勝利を確信する。

 

 

しかし、だからこそ____________敵が健在である内に勝利を確信したからこそ、未熟なのだ。

 

 

『甘い‼』

 

 

あと一秒足らずで棒立ちだった左膝へ食い込むはずだった刃は、予想を裏切り目標の寸前で

勢いを削がれてしまい、それ以上押し込むことができなくなった。突き立った六色に防がれて。

 

倒すことを念頭に置いた妖夢は、一歩目を踏み出す直前から視線を縁の左膝に集中させ過ぎた

ために、相手側にそれを気取られてしまったのだが、そんなことに気付く余裕などありはしない。

もしも彼女が、先程まで無造作に下へ向けられていた六色が、遥か上段から切っ先を真下へと

向けた状態に構えられていたことに気付けていたら、防がれることはなかったかもしれないが。

 

それこそ後の祭りというもの。もはや妖夢には、勝利への確信を抱く心の余裕は無かった。

 

 

「な、ならば!」

 

不揃いに欠けた六色の刃から嫌な音を立てつつも楼観剣を引き離した妖夢は、小さく息を吐いて

呼吸を整え、ふっとほんのわずかな間を置いたその直後、左斜め下、右真横、正面への刺突と、

流れるような連撃を叩き込んだ。一閃目は音を超え、二閃目は音を断ち、三閃目で光に並ぶ。

まさに"神速"と称されるほどの速度で放たれた連撃は、その全てが縁の人体的急所を襲った。

 

瞬きすらも許されない濃密な一瞬の間、縁は間髪入れずに繰り出された彼女の斬撃を前にして

なお、どこまでも客観的に状況を把握し、どこまでも冷静に徹し、そこから苛烈に剣戟を放つ。

 

脇腹を裂こうとする左斜めの斬り上げを、先程の防御の時に庭園に突き立てた六色を引き抜いた

状態で防ぎ、続けざまの右横一閃を刀の先端ではなく柄の方を押し出すようにして軌道を逸らす。

最後のダメ押しとばかりの刺突は防御できぬとすぐさま悟り、回避よりも捨て身の攻撃を選んだ。

 

的確に右肩の付け根部分を狙って突き込まれている楼観剣を見て、彼はそれを受けきる覚悟で

回避行動を捨て去り、そこで生まれた若干の時間を彼女が次の攻撃へ移ることへの妨害へ充てる。

 

「くっ‼」

 

 

自分が出せる最速の剣技を放ったというのに、防ぎ受け流した相手にいよいよ勝利の予想図を

捨てる決意を遅まきながらし得た彼女は、最後の刺突をやり切る寸前で引っ込めて安全策を取る。

確実に獲ったと思われた連撃を防ぎきる縁に驚き、このままの間合いでは自分が押し負けると

理解した彼女は、一度跳躍して後退するべきと考え、脇目も降らずに思考したとおりに行動した。

 

『___________愚かな』

 

 

しかし、ソレが命取りとなった。

 

 

「ハッ⁉」

 

 

後方へと跳躍して着地の瞬間だけ足元を見た妖夢は、顔を上げた瞬間に己の間違いを悟る。

彼女の視線の先には、距離を置いたはずの縁が、既に追撃の準備を完了させて待っていたのだ。

 

咄嗟に切っ先を下げながらも両腕を顔の前に出して、形だけの防御を試みたが成果は出せず、

自らの腕で視界を遮ってしまった彼女は次の瞬間、とてつもない衝撃にその身を襲われた。

着地すらままなっていなかった状態での衝撃で、彼女の身体が弾き飛ばされないはずもなく、

情緒ある山水模様の庭園から大きく放物線を描いて、小柄な体躯は白玉楼の外へ落下する。

 

 

「ああッ‼」

 

 

当然彼女に受け身など取れる時間的な余裕も精神的な余裕も無い。弓なりな軌道に沿って

敷地外へと墜落していった妖夢は、直前に食らった一撃と落下の衝撃とで悲鳴を上げた。

だがそれでも彼女は一流の剣士、すぐさま傷の具合を確認しつつ体勢を立て直したが、

やはりダメージが少ないとは言い難く、支えとなる足が若干ふらつくほどに深刻だった。

 

彼女が屋外へ飛んだことで、それを追って空間を結いで妖夢の数メートル先に出現した縁は、

傷と内部に浸透した衝撃の余波で顔を歪めている彼女に、切っ先を向けて淡々と語り出す。

 

 

『人体の構造上、たった二本の足で不安定な自重を支えなければならない。それは当然だ。

しかしそんな肉体構造でありながら、視界が及ばない後方へ跳ぶことはあまりにも愚策』

 

怒るでもなく憐れむでもなく、どこまでも平淡かつ平坦に話す縁は、真っ直ぐに妖夢を見た。

布越しであっても伝わるソレを受けた彼女は、そこに一切の"脅威"の色が無いことに憤る。

 

自分を脅威だと認識されていない。主を守る従者として、これほど歯痒いこともなかろう。

 

 

『幾ら優れた技能を振るおうと、機を見誤り策に踊らされるようであるならやりようはある』

 

 

そう付け加えた縁は、あの場面で回避でも迎撃でもなく防御を選択した彼女に落胆していた。

斬り合いの最中に鍔迫り合いとなった際、力では自分が押し負けることを理解したはずの

彼女が、力がなければ成立しえない防御を選んでしまった事を、紛れもなく失策と断じる。

 

縁の身体は身長こそ高いものの、全体的な印象だけを見れば決して戦士然としているという

わけでもなく、目に見えて筋肉が発達していたりなど、外見からはその実力を窺いえない。

だが忘れてはいけない。八雲 縁と言う存在は単なる人間ではなく、身体を機械化しており

なおかつ神格持ちの存在に同等とみられるほどに、その神性が高く濃いものだったりする。

 

今の一撃も、彼からすれば懐に入り込んで空いていた左腕を無造作にただ振るっただけで、

何らかの体術を使ったわけでも何でもない。純然たる腕力のみで、彼女を庭園から屋外まで

弾き飛ばしたのだ。見るだけでは普通の腕も、逸脱した力量を秘めていたりするのだ。

 

 

「う、くっ………」

 

 

当然縁側の事情など知る由も無い妖夢は、武骨で歪な刀を手に歩み寄る彼のその姿は、

畏敬に値するものだった。一歩彼が近づいてくるたびに、彼女の刀がわずかだが震え始める。

着実に、静かにだがゆっくりと迫りくる格上の強者が、これほどまでのものだったとは。

 

内から湧き上がってくる恐れが身を竦ませる。だが、彼女はそこまでで押し止まる。

 

 

「ま、だ、まだ!」

 

『………そうだ、それでいい』

 

 

およそ魂魄 妖夢という少女にとって、恐怖とは自身の感覚を研ぎ澄ませる為のものであり、

屈服して眼前の敵に平伏したり、己の弱さを嘆いて絶望したりする要因にはなりえない。

 

そして彼女自身、目の前に立つ男が予想以上に剣士としても強者であることを理解して、

"言いつけを守ったまま"の状態では勝ち目がないことを悟る。故に、選択肢はただ一つ。

 

 

「あとでどやされるかもしれないけど、ここで侵入者を排除できなかったら!

それはそれで西行寺家に仕える魂魄の家の名に傷をつける事になると思うので!」

 

 

彼女は自らが選択した事に若干の後悔をしながらも、両手で握っていた楼観剣を右手だけに

持ち替え、空いた左手を腰に差していたもう一振りの小柄な業物『白楼剣』へとかけた。

楼観剣と比べて短く見えるその刀は、彼女の主人やかの閻魔たる四季 映姫が直々に濫用を

咎めるほどの特殊な代物であるため、妖夢は使用することを普段から控えていたのだ。

 

ただ、手加減して倒せる相手ではない。そう察した彼女にはもう、他に打つ手がない。

かねてよりの主人同士が引き合わせた巡り合わせに、そこから生じたわずかな情に絆される

ことなどしないようにと、ようやく己を律することに気を回した妖夢は眼差しを鋭くする。

 

 

無限に続くかに見える黄泉平坂を模したように思われる階段を、越えたその先に待つ白玉楼。

その荘厳な居城の眼下には、階段を踏破したものが最初に見る事になる無数の石灯籠の道が

あり、淡く揺れ動く人魂たちがさながら、灯籠から迷い出た光源の如く幻想的な風景を描く。

 

空虚で火の灯っていない灯籠が立ち並ぶ石畳の道をはさんで、縁と妖夢は改めて相見える。

 

「此れこそは、人も幽霊も怨霊も、その内にくすぶる迷いを断ち切る銘刀『白楼剣』なり!」

 

声高に尋常なる名を挙げた妖夢は、左手に白楼剣を握ることで、本来の二刀流の構えをとる。

どこぞの巫女や魔法使いから『半人前』と揶揄されている彼女自身、自らが一人前にはまだ

足りていないと自覚はしている。けれど縁からすれば、決意と覚悟がある彼女はもう充分に

一人前としての器があると認識できた。だからこそ、本当の本気で相手しなければとも。

 

 

『あらゆる迷いを断ち切り、彷徨う霊や魂を問答無用で成仏させるという救済の刀か。

真に心を貫き通せるものでなければ御しえぬと聞いていたが、どうやらその通りらしい』

 

「異な事を、私はまだまだ半人前。けれど、そんな身であるからこそ!」

 

『本気で挑まねば意味もなく、また価値も無いか。やはりお前は優秀だよ』

 

「私への評価は私が定めます。故に、未だこの身は未熟者なれば!」

 

 

二刀流という本来のスタイルを取り戻した妖夢は、右の楼観剣を下手に構えて切っ先を向け、

左の白楼剣を顔の真横に寄せて構え刀身に縁を移す。その風体は、二流三流にあらず。

 

一方の縁自身も、いよいよ加減して戦える相手でなくなったという事に喜びを感じつつ、

そんな相手を下さなければならない現状に残念さを覚えるが、ソレも一瞬で振り被り終える。

 

 

「では_________いざ尋常に」

 

『参ろうか!』

 

 

幽玄なる冥府の空の下、自分のすべきことを見出した幼き少女剣士と、自分が果たすべき

行いをやり遂げようとする機械にも人にもなれないモノとが、再度戦いの幕を上げた。

 

 








いかがだったでしょうか?

本気出すとか言っておきながら全く筆が進まなくて、
結局後半はやっつけみたいな感じになってしまいました……無念。
しばらく書いていないとこうなっちゃうんですねぇ、情けなしぃ。


ソレでは次回、東方紅緑譚


第八十話「緑の道、嘆き憐れむ胡蝶」


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第八十話「緑の道、嘆き憐れむ胡蝶」



どうも皆様、例大祭参加で東方熱をオーバーチャージしてきた
萃夢想天です! いやはや、まっこと東方とは良き文明なりや!

そして久しぶりに某神アニメ『うたわれるもの』を見直して涙を
流し果たしました。泣くって、泣けるって、素晴らしいことなんですね。


さて、前回は中途半端なところで終わらせてしまいましたが、今回は
妖夢との剣での試合に決着を着けさせます。ええ、その予定です!
今の私が何を宣言しても成しえる自信が皆無なので、ハイ!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

「やああっ!」

 

 

冥界は白玉楼、音の無い静謐の空下にて、両手に異なる長さの刀を握った妖夢が声を上げる。

闘気を十全に含んだ音が薄暗い中に響き、真っ向から対峙している縁に本気であると伝えた。

 

 

『白楼剣と楼観剣、本来の力を以て挑むか…………受けよう』

 

 

それまではダランと力なく切っ先を地に向けていた構え方だった縁は、刀を握る右手に力を

込め直し、魂魄妖夢の本領が発揮されるであろう二振りの刀に向けて警戒心を押し出した。

右手に長刀の楼観剣、左手に短刀(と呼ぶには少し長いが)の白楼剣を携えた彼女は、自身の身体の

前方へ横向きにした左の刀を突き出すようにして駆け出し、彼我の間にある距離を詰めていく。

駆ける一歩一歩にかかる力も先程以上のものがあり、駆け足というよりもそれはもはや、短距離を

連続して跳躍しているような移動方法だった。瞬く間に縁との間を縮め、構える彼に刀を振るう。

 

 

「はあぁッ‼」

 

縁の持つ六色の射程範囲限界の距離まで詰め寄った妖夢は、その直前に左手の白楼剣を振るい、

一撃を受けようと構えを解かざるを得ない状況に相手を誘導する。直後、右の一振りが追い討ちを

しかけるようにたたみかけ、右斜め下からの鋭い一閃を放つものの、彼は顔を上に背け回避する。

ならばと振り抜いた右手を素早く返し、顔ではなく首を狙って軌道を滑らせた。けれど縁はその

攻撃が回避不能と見てすぐ、白楼剣を受けていた六色を引いて、妖夢の右腕めがけて振り上げる。

勢いよく横へ軌道を描く右腕を止められない彼女は、抵抗が無くなった左の刀をすかさず相手の

刀の軌道上へと割り込ませて防ぎ、一瞬の膠着を利用して刀を持たない左半身へと回り込んだ。

 

 

『くっ………』

 

「たあッ!」

 

 

妖夢が一振りで挑んできた時よりも、攻勢の波が激しいように感じた縁は苦悶の声を漏らしたが、

彼女は止まるはずがなく、迎撃をすぐさま打てない左側から一気呵成に、二振りの剣を振るう。

 

左が右斜め上から斬り、一秒以上の間隔を開けずに続けて、右が先程の左とほぼ同じ軌道を描き、

それら二回の攻撃がすんでのところで躱されたとみた直後、返す刀が真逆の軌道を滑り上がった。

一振り目は避けられたがその次が間に合わず、六色を無造作に大振りで薙ぐことで攻めを断とうと

した縁だったが、わずかに腰を落とした妖夢が剣の軌道を変え、やや下段からの斬りを繰り出す。

柄頭を押し出すようにして加速する剣を前に、体勢を崩して回避も迎撃もままならない縁は、

この場は敢えて受け止めようと考える。ただ受け止めるだけなら、現状であっても十分可能だと

踏んでの判断だったのだが、妖夢の腕が二本とも同じ軌道を奔る光景を見て、失策を確信した。

 

 

『なに_______________っく!』

 

ほぼ同じタイミングで振るわれる刀、つまりそれまでの一振りごとの連続攻撃とは違って、

一撃で二つの刀を振るう攻撃を放つという事。その威力は、先程のものとは比べるに能わず。

流れるような動作で、かつ前傾姿勢で重心と勢いを乗せた妖夢の攻撃は、六色を慌てて横に

向けて構えている縁の上段から的確に繰り出され、痛いほどの静寂に包まれた空気を揺らした。

 

 

『ぐ、おお………』

 

「________ふうぅ……。まさか、一太刀も与えることなく終わるとは」

 

甲高い金属同士の衝突音の後、顔が触れ合うほどの距離で鍔迫り合いつつ言葉を交える二人。

けれど先の打ち合いとは立場が逆転したように、妖夢の二振りが縁の一振りを押しこんでおり、

時折両者の間からこぼれるピキリという音が、どちらの刀に傷を負わせているかを黙して語る。

 

しばらくの間、六色が白楼剣と楼観剣を相手に一進一退を繰り返し、両者の思惑を裏切った。

 

 

妖夢としてはこの一連の動きは、自身の持ち得る本気を出したうえでさらに調子が良いと

言って然るべきものだった。そう確信したものだったというのに、その全ては防がれて終わり。

無論驚愕に値するものだったが、それ以上に彼女としては思いに陰りが芽生え始めていた。

 

逆に縁としても、魂魄 妖夢という少女の本気がここまでのものであるとは予想し切れて

いなかったために、手酷い反撃を受けて驚嘆にシステムの大多数を埋め尽くされていたのだ。

兵器である自分が、戦闘行動において他人に後れを取ることなど、想定しているはずがなく、

ましてや控えめに言って脅威とすら感じていなかった相手に、一方的に圧倒されるなどとは。

さらに言えば、自身が警戒を最大限にしても追いつけないほどの速度での斬撃を受けて、

このままでは近いうちに、反応速度を超えて迫る斬撃に切り伏せられる未来がくると悟った。

 

二人は互いの刀を押し合いながら、"次"を仕掛けるための機会を探る。

 

 

『まず、い…………これほどの速度は、想定外だ』

 

「まだ足りない、もっと、もっと速く!」

 

『私の上をいくつもりか? 思い上がったな、魂魄 妖夢‼』

 

じりじりと迫る切っ先、速度に焦る妖夢と焦りを見せる彼女に激昂を露にする縁。

ほとんど近い時間で機会を見出した二人は、反発する磁石のように逆方向へ距離を開けて、

少しだけ上がった息を整えながら、次に斬り込んだ時にどうすべきかを瞬時に脳内で練る。

 

妖夢の二刀流が想定以上のものであることに驚く縁は、自分を統括している中枢とも呼べる

部分に自ら指令を出し、反射神経と動体視力の二点に力を送って集中するように仕向けた。

けれどそれで彼は気を抜いたりせず、目の前で二刀流の基本中の基本の構えを取る妖夢に、

寸分の隙も見出せないと困り果て、次に打つ手をどうすべきかを必死に絞り出している。

 

ここにきて縁は、ようやく"本気"を出すことにためらいを捨てることができた。

 

 

『………だが、このままではジリ貧。ともすれば私の敗北も、可能性上では在り得る』

 

「縁、さん?」

 

『不本意だが、仕方がない。弾幕ごっこ以外では(・・・・・・・・・)使いたくなかったが、止むを得ない』

 

 

布で隠した視線が自分を見つめていることを感じた妖夢だったが、そこには先程まであった

はずの驚愕の色が見当たらず、何事かと却って身構えていると、彼が細々と呟き出した。

何が起こるのかまでは分からないにしろ、警戒するに越したことはないと二刀流独特の

構えで全方位に目を向ける彼女に、正眼の構えに近い野良構えをしていた縁が左手をかざす。

 

『能力限定解放、並びに空間座標固定…………再連結開始』

 

 

虚空に左手を伸ばしていた彼が何かを呟き終えると、何事も無かったかのように左手を

右手に持つ六色の柄に握らせ、両手でしかと握り直した刀を、腰溜めに低く座らせた。

傍から見れば"鞘に納めない居合い斬り"の構えに見えるのだが、妖夢は警戒心を揺り起こす。

自身が半人前である以上、いくら剣の腕が素人であろうと、戦士としては一流であることに

間違いはない相手が剣で語るというのだから慢心するな。そう言い聞かせて彼の剣の先を見る。

 

「__________え?」

 

 

すると、彼女が見つめる六色の剣先がブレ、分裂したように見え始めた。

 

目の錯覚か何かだと判断した妖夢だが、何度見つめ直しても六色の剣先が間違いなく二つ、

どころかさらに増えているように見えるのだ。これには動揺を隠すことなどできないだろう。

 

突然の怪現象に妖夢の気が散らされた瞬間、六色を真っ直ぐ構えていた縁が足を踏み出した。

 

 

(来る!)

 

 

ありとあらゆる動作の基盤である一歩目が出されたのを目視した妖夢は、すぐに迫るであろう

彼からの攻撃に反撃する魂胆で待ち構えていた。ところが、またしても彼女の予想は裏切られた。

 

「え________________」

 

 

真っ直ぐに、頭上へと昇っていく切っ先を目で追いかけた瞬間、彼女の視界の端で冥界の空を

漂う人魂の淡い白が反射した光が見え、即座にそちらへ視線を向けるとそこに、刀が見えた。

あり得るはずのない光景に一瞬思考が停止しかけるが、持ち直した妖夢は改めて現実を認識する。

 

注意深く見るまでもなく、彼女の前にいる縁は、今まさに振り下ろさんと六色を掲げていた。

確かに彼は剣を頭上に持ち上げているのだが、その彼の腰の左側にはまだ、六色が残っている。

 

つまり、そこには一振りしかないはずの六色が、確かに二振りあるのだ。

 

 

「なに、が」

 

 

起きているのだ、と言葉を漏らしかけた妖夢は、再び眼前の彼に違和感を覚えて注視してみると、

先程までそこに確実に無かったはずの刀が一振り、彼の右肩の辺りでこちらに向けられていた。

理解が追い付かない。なぜ、どうして一振りだけの刀が何本も目の前にあるのだろうか。

それ以前に、まるで彼の身体から生えているように伸びる全く別の腕は、いったい何なのか。

 

考えれば考えるほどに混乱していく彼女は、最初に掲げられた正面頭上の六色が最高到達点に

たどり着いたのを目視し、呆けている場合ではないと意識を集中させ、二つの刀を握り直す。

 

 

『驚くのも無理はない。お前には確かに、私とは違う私の腕と私の刀が見えているはずだ。

だが、それでいい。ソレが正常だ。確かに今この場には、一振りのみの六色が三振りある』

 

「いったい、なにを」

 

『なに、他愛ない話だ。私の能力はあらゆるものを結げる能力、それを応用しただけに過ぎん。

私が剣を構えた瞬間を軸として固定し、そこを起点に別の時間を渡るはずだった私と現在の私を

結げただけのこと。端的に言えば、一部限定で過去の私が現在の私に干渉して動いているだけだ』

 

何でもないように淡々と事務的に告げた縁の左右で、まったく同じボロボロの刀が光を返す。

人魂の淡い白を反射して幽玄にきらめく刀を見やり、妖夢は彼の成そうとしていることが何か、

今更ながらに理解するに至った。

 

 

「それはつまり、過去と現在の三人のあなたが、"同時に襲ってくる"わけですね?」

 

『理解が早いな、正解だ』

 

 

妖夢が到達した答えは、縁が設定した一つの起点を始め、現在に干渉した過去が襲い来ること。

難しい説明は省くが、簡単に言えば過去にいる自分を限定的に未来に引っ張り戦わせる戦法だ。

そのため、同じ座標にいる自分自身に悪影響が出ないよう、完璧な演算を組んである。

 

しかし、そんなことを知らない妖夢からすれば、いきなり三人の縁と戦えと言われたような、

訳の分からない状況に他ならない。そうしている間に、縁の準備は完ぺきに整ってしまった。

 

 

『では_______________さらばだ』

 

「っ‼」

 

 

上から、左から、右から、それぞれ異なる方向から同タイミングで六色が繰り出されてきた。

一振りしかないはずのその刀は、妖夢の目から見ても確かに自分の前に存在しているのだから

彼の言葉に嘘などあるわけがない。問題は、迫りくる三つもの斬撃をどう生き残るについて。

 

「せああああっ‼」

 

まず一番上から振り下ろされる六色は、マトモに受けたなら力の差で押し負けることなど

火を見るよりも明らかであるため、受け流すことを最優先に考え、二振りの刀を横に構える。

 

直後に上段からすさまじい勢いを乗せた六色が振り下ろされてきたが、妖夢はこれを

白楼剣のみでなく楼観剣も合わせることで、どうにか弾ける程度には持たせることができた。

続けざまに左腰からの横薙いだ鋭い一閃が放たれたが、それも同じように弾き防いで見せる。

 

しかし、最後の一振りを防ごうと二振りの剣を構え直した瞬間、そこに縁の姿は無かった。

 

 

『____________隙を見せたな』

 

「ッ⁉」

 

 

視界から消えた縁の声が耳元で響いたと認識した直後、反射的に楼観剣を持つ右手を振るい、

姿を確認することなく一撃を与えようとするも、手応えを感じえずに刀は虚空を裂いた。

どこに消えたのかと周囲をひたすら警戒し始めたその時、ほんのわずかな殺気を察知した。

 

 

「そこですか!」

 

『流石だが、遅いな_____________私の勝利だ』

 

 

再び響いた声に反応すると同時に楼観剣を振るおうとした彼女。しかし、視界の中で既に

攻撃に移行している縁を見て、彼我の状況から防いでも間に合わないと瞬時に理解した。

さらに、彼が今まさに振るわんとしている六色の状態を見て、妖夢は抵抗の意思を消した。

 

 

『はぁっ‼』

 

「が、はッッ‼」

 

 

何故か抵抗の意思を直前で窄ませた妖夢は、縁の振るった六色が後頭部と側頭部の間に

直撃した影響で、激しく脳を揺さぶられてしまい、瞳から光を消して力なく倒れこむ。

石灯籠が無言で立ち並ぶ冷たい石畳の道に、前のめりに倒れていく妖夢は、完全に地面へ

倒れこむ寸前、薄れかけていく意識をどうにかつないで、力を振り絞って言葉を紡いだ。

 

 

「忠義に厚く、腕も熟達している貴方のような人が、何故こんな……………」

 

 

言葉を最後まで言い切ることなく、妖夢はそこで限界を迎えて無機質な石畳へと倒れる。

 

『……………………』

 

 

倒れ伏して動かない妖夢を見つめ、彼女を斬る直前に刃を内側へ、峰を外側へ持ち替えて

いた自分の行いをまじまじと思い返しながら、縁は感情のこもらない声で淡々と答えた。

 

 

『私には最初から、"心"というようなものなど在りはしないのだ。これも忠義ではなく、

私という道具に与えられた命令に、道具らしく従っていただけに過ぎないのだ』

 

 

返事が返ることなど望んでいなかった彼だったが、それでも伏して動かないままの彼女を

放置するわけにもいかず、鮮やかな峰打ちで気絶させた少女を仰向けにして横にする。

その行動はまるで敗者を讃える勝者の、人間の在り方のようで少しだけ心躍ったのだが、

それ自体が何を意味するものなのか、それを理解するだけの余裕は今の彼にはなかった。

 

 

『さて、残るは彼女のみか』

 

 

妖夢を真剣勝負の末に下した縁は、ここに来た本来の目的を果たそうと石灯籠の小道を

歩んで進み、また白玉楼の門前へと戻ってきた。しかしそこで、彼の足は止まってしまう。

 

 

「妖夢を倒したのね。すごいわ、縁」

 

『…………西行寺 幽々子様』

 

 

門前で彼を待っていたかのように立ち尽くす女性、幽々子はどこか儚げな笑みを一瞬

浮かべた後、すぐに元の表情に立ち戻り、普段とはまた違った雰囲気をまとわせ告げる。

 

「さぁ、あがってらっしゃい。積もる話は、この白玉楼でゆっくり聞かせて」

 

 








いかがだったでしょうか?(半睡

本当に五千文字逝くのがやっとなうえに、文章自体も歪極まる。
なんともまぁ低クオリティが低品質になるなんて、目も当てられねぇや。


それでは次回、東方紅緑譚


第八十一話「亡霊の姫、心なきモノ」


ご意見ご感想、並びに質問や批評も大募集しております!


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第八十壱話「亡霊の姫、心なきモノ」


どうも皆様、最近謝罪してばかりの萃夢想天です!
ええもう本当に、期日を守らない奴なんて最低ですよね!(ブーメラン

季節の移り変わりや、やるべきことの量が増えたせいもあってか、
近頃は本当に何にも手が付けられずにただ気怠い日々を過ごしておりました。
しかし、流石にこれ以上の遅延はまずかろうと、重い腰を上げました!

さて前回は、縁が二話分も使って妖夢ちゃんを倒したところでしたね。
本当なら一話だけで済ませるはずだったのになぁ………文才の無さが辛い(泣


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

今にして思えば、私はいつから『彼』に意識を向けるようになっていたのだろうか。

ふとそんなことが気になった私は、自分に追従する形で後ろを歩く青年を、肩越しに盗み見る。

相手はこちら側からの視線に気付いているのか、それともいないのか、自身の名前である『縁』の

一文字が書かれている布一枚を隔てて、真っ直ぐに私の背を見つめていた。油断も隙も無い子ね。

 

淑女にあるまじき行動を早々と打ち切り、私は西行寺 幽々子としての目的を遂げるべく進む。

目的とは言うまでもなく、後ろにいる人物_________八雲 縁に事の全てを聴取することであり、

そのために私は彼を連れて、白玉楼の客人をもてなすための部屋へと自ら歩いているのだ。

こういった役目は妖夢の仕事なのだけれど、当の本人が先ほど彼と戦い、そして敗れてしまった。

いくら従者のお役目を押し付けているとはいえ、そんな状態のあの子にそこまでの無理を強いる

ことはしない。この白玉楼にいるのは私と妖夢のみ。そうなれば消去法で、私が行くほかないわ。

 

まぁ、それとは別に、彼を直接目で見て確かめたいことがあったというのもあるのだけれど。

 

「さ、こっちよ。遠慮せずに楽にしてちょうだいな?」

 

『…………む』

 

 

目的の部屋に着いた私は、予め用意していた座布団に座り込み、同じく事前に持ち寄っていた

御茶請けに手を付ける。相手の緊張感を解くためにも、節操の無い演技も時には必要なのよね。

 

そうして御煎餅をかじっていると、私の行動をまじまじと見つめた彼は、何も言わずに対面へ

音を立てずに座り込んだ。これから話し合いをしようって相手がこの調子じゃ、面食らうのも

無理ないわ。流石の彼でも、どうしようか逡巡した後に、ようやく開いた座布団へ座った。

 

うふふ、困ってる困ってる。予想してた迎撃や攻撃が来ないから、どうしようか迷ってるわ。

そんな様子を勝手に想像したのがバレたら怖いのと、話し合いの主導権を得るために口火を切る。

 

 

「それにしても縁、さっきの妖夢を負かしたあの技は、どうやっていたのかしら?」

 

『…………特段と何かしたわけでもない。ただ私が剣を構えた時間軸を起点とし、その時間軸を

それ以降の私のいる進行時間軸へと能力で結げただけのこと。要は過去の私を呼んだのだ』

 

「え、えっとぉ……? それはつまり、剣を構えた時点でのあなたを、未来に連れてきたの?」

 

『色々間違えてはいるが、概ね正解だ』

 

 

尋ねたことは、誰かがここへ来たことを察知して飛び出していった妖夢との、戦闘の一幕。

彼の語った内容についてを、努めて"理解できていない"ように反応し、足らぬ頭を絞って

出したかのような答えで、彼の対応を様子見る。油断を誘うためでなく、現状を把握するために。

 

彼のしたことについては、一目見た瞬間に理解していた。そして、妖夢を殺す意思がないことも。

あれは一種の概念操作に当たるもので、彼自身も言っていた通り、剣を構えた時点を起点とし、

そこから右へ派生する道、左へ派生する道、正面へ派生する道などの、いくつもの可能性線を

集約したものである。「選択肢の一つ」の仮定未来を、無理やり同時に行った結果があの一撃。

そんなことは改めて問うまでもなく分かっていた。私が真に見たかったのは、彼自身の反応。

 

白玉楼に来た当初の立ち振る舞いから、彼がやけに饒舌になっていることが気にかかった。

以前にここへ紫たちと来た時なんて、必要最低限の会話と、紫に向ける言葉しか無かったのに、

今回はまるで正反対。別の誰かが、彼の皮をかぶってやってきたと言われた方が納得できるほど。

だから私は、あえて思考が足りず及ばずな私を演じ、彼が応対する様を観察することにしたの。

 

そして、私の仮説が間違っていないことの、確信を得ることができた。

 

 

『そんな事よりも、我々に何の用があるのかを問わせてもらいたい』

 

 

得られた結果に内心でほくそ笑んでいるところに、彼から待ちきれないとばかりに切り出された。

妖夢を倒されてご立腹にも見えないから、何か企んでいるのではないか。なんて考えてるかしら。

確証が得られただけで今は良しと割り切り、私は再び奸計の欠片もうかがえぬ笑みで話を返す。

 

 

「んもぉ~、縁ってばつれないんだからぁ」

 

『……………』

 

 

無言のままに佇む彼。相手から情報を引き出す際、表情というものは言葉以上に信憑がおける。

けれど彼にはそれが通じないから、口で引き出させるほかない。一筋縄ではいかないわよね。

ただ、先ほどの会話の中で、私が知りたかった事柄の一つが埋まったので、焦る必要はない。

何を話すか迷う、気ままな亡霊の姫を表で演じつつ、内では今後の台本を精密に練り上げる。

 

彼との短いやり取りで確証を得られたのは、彼自身の自我が、どこまであるのかということ。

 

以前の彼は自称他称ともに『道具』らしい素振り口ぶりでいたけれど、今の彼は驚くほどに饒舌

かつ行動が大きい。大きいという意味は、自らを秘匿しようという気が見受けられないことね。

妖夢と会話に興じ、あまつさえ気など抜けない試合中にでも言葉を交えるなど、以前の彼とは

明らかに違う点が見受けられる。そして確信を得たのが、私の確認の意を込めた言葉への返答。

__________色々間違えてはいるが、概ね正解だ。

 

短い言葉ではあるけれど、そこには「訂正」と「諦観」、そして「妥協」の色が見受けられた。

"色々間違えてはいる"の部分が、訂正と諦観に当たる部分で、概ね正解が妥協に当たる部分ね。

重ね重ねに確認するけど、以前訪れた時の彼は己を道具と断定して、行動もそれに沿っていた。

けれど今回は、まるで人間がするような態度を見せ、道具には不要な最低限以上の会話すらも

繰り広げている。いよいよもって、異常なことであると認めざるを得ないのよね、これが。

 

さてと。こっちはこっちで考えなきゃいけないけれど、話を進めないと怪しまれちゃうわ。

ここからは遠回しに推し測るやり方ではなくて、もっと苛烈に積極的に攻めていこうかしら。

思い立った私はそう考え、丁度聞きたかったことがあったのを思い出した、とばかりに尋ねる。

 

ただし、今からは表情を神妙なものに、真面目なものへと置き換えて。

 

 

「私はね、縁。あなたが紫から離反することになった理由が、どうしても分からないのよ」

 

『………………………』

 

「私にだけは、教えてもらえるかしら?」

 

 

お願い、と可愛らしく両手を合わせ小首を傾けつつ、目の前で黙している彼に投げかけてみた。

こういうことはコソコソと嗅ぎ回ってもバレては意味がなく、むしろ正面から腹を割って話す

形式で包み隠さず聞きにいく方が、相手からしても警戒を保てなくなるため、効果が高い。

続けて「どうかしら?」と振ってみても反応が芳しくない。なら、もう一度攻めてみるだけよ。

 

「縁、あなたも知っていると思うけれど、私と紫は時間の縛りなど忘れた頃からの付き合いなの。

腐れ縁? 旧知の仲? どっちも合っているわね……………まぁ、細かいところは今はいいわ」

 

『存じてあげております』

 

「あら、やっぱり。それなら私たちが、私的にだけでなく、役職柄としても顔を突き合わせる

間柄だというのも、当然知ってるわよねぇ? あなたなら、今更確認するまでも無いかしら?」

 

『ええ、互いに管理者として語らう場があると』

 

「うふふ、なら話は早いわね」

 

 

さもご機嫌という風に扇子を顔の前ではためかせながら、問題はここからであると私は考える。

予想が正しければ、彼は簡単に口を割ることはせず、逆にこちらへ質問をし返してくるだろう。

いくら彼が以前と格段に変わっていようとも、私の言葉に返事を選んだ(・・・・・・・・・・・)時点で、彼の根底にある

ものが大きく変動しているわけではないということは把握済み。如何に情報を出させるか、ね。

 

これ以上は向こうに会話の主導権を奪う機会を与えてしまうため、沈黙を破って話を続ける。

 

 

「つまり私はあなたよりも…………いえ、紫が従えている式神たち以上に、彼女を知っているわ。

あなたが思う以上に私と紫の親交は古く深い。だからこそ縁、あなたが全く分からないのよ」

 

『………どういう意味でしょうか』

 

「あら、とぼけちゃって。ならもっと分かりやすく話すべきかしらね?」

 

『………………………』

 

「この幻想郷で恐らく、最も親交深い私がその存在を露ほどにも知らず。さらにはどんな時でも

冷静沈着であり続けていた紫が、こちら側にきてさほど経たないあなたが向かう場所ですら

察せぬほど、心を乱す相手。全幅の信頼以上のモノを寄せる、あなたは一体何者なのかしら?」

 

 

言葉の端々に鋭さと威圧を込めて、眼前にて正座で微動だにしない彼へと包み隠さず問い質す。

 

『それは…………最初の質問とは、意味合いが違うと思うますが』

 

「あなたが紫から離反する理由を知るためには、まず紫だけが知るあなたを知らなきゃねぇ」

 

 

すかさず彼は質問の穴を突こうとしてきたけど、そんなことで私が機を逃すわけないじゃない。

それに、順序が少し乱れたけれど、彼を知ることと紫から離反した理由。この二つは決して同じ

ではないけれど、最終的な到達点がかけ離れ過ぎてもいない。当たらずとも非遠(とおからず)、ってヤツよ。

事実、私は縁についてほとんど何も知らない。知っていることも、総て当人と紫が語っただけの

上辺のみの情報しかない。はっきり言って、疑いだしたらキリがないような人物像なのよね。

そして今回の一件。以前とはまるで別人のような態度を見せる縁に、少し前に現世で久方振りに

本気の力を発現させた紫。まず無関係であるはずがないし、良い事など起きているわけもない。

 

だからこそ、彼が自ら赴いてきたこの機を、逃がせるはずがないというわけ。私も本気なのよ。

 

くすくすと小さく笑うフリをして出方を見ていると、俯き気味だった顔を上げ、彼が語り出す。

 

 

『私が何者かであるかという問いから答えましょう。私は、紫様の道具だったモノです』

 

「………………それだけ?」

 

『それ以上もそれ以下もなく、ただそれだけの価値しかないモノでした』

 

 

そう語って再び黙する縁。ただ、私としてはその答えに納得など、出来ようはずもなかった。

私は彼を、縁と紫の関係性を、「異常である」という一つの認識のもとに把握している。

何故異常なのかと言えば、それは前回と今回との彼自身の変化と、何より紫の反応こそが、

私にそのような認識を印象付けさせた。決定的なのは、紫自身の「式神」と「彼」との差ね。

 

そこを言及すべく、私は演技の皮を少しだけ薄くして、目を細めながら質問を重ねる。

 

 

「それはおかしいわぁ。だってあなた、紫からどんな扱いをされていたか、分かるでしょ?」

 

『扱い………?』

 

「いやぁねぇ。ハッキリ言わないとダメ? 私は紫については誰よりも良く知っているわ。

だからこそ、あなたに対する扱いと対応がおかしいということに気が付いたの。自覚は?」

 

『…………それは、どういう』

 

「紫はね、式である藍やその式の橙を共にすることこそすれ、接することなんてしなかった。

最近は改善されてきているんだけれど、それでも微々たるものだわ。でも、あなたはどう?

自らが妖力を割き続けている式神を"道具"としているのに、自らが道具であると宣言する

あなたのことは、モノを扱うというよりも__________"人間"と接しているようだったわ」

 

 

そう、これが私が感じた大きな違和感の正体。紫自身の、式神と彼との価値観の差異なのよ。

式神は術者に対して、「使役されている」という実感があるだけで、絶対的に服従している

というわけではないわ。むしろ、大抵は力で押さえつけられていることに不快感を抱いている。

けれど、当人が「道具である」と宣言している彼には、そのような即物的な対応は無かった。

以前に白玉楼で彼をお披露目された時だって、紫は息子を可愛がるように、あるいは愛しい人を

自慢するかのような対応しかしていない。一度たりとも、彼を道具として見ていなかったわ。

念のための確認として、紫に見え透いた挑発でカマをかけてみたけれど、そこで確信を得た。

あの時、紫は「私のもの」という発言をしていた。その時の「もの」は、「モノ」ではないと

瞬時に理解できた。便利な道具を自慢するというより、素敵な人をひけらかす姦しい娘みたくて。

 

「初めてあなたがここへ来た時の事、私は今でもちゃーんと覚えているんですからね。

スキマを使って藍とあなたを罰そうとした時、紫はあなたを「心配」してたわ。間違いなく。

お気に入りの道具が壊れたか「気に掛ける」ではなく、大事な人に心から気を配っていたの」

 

『そんな、馬鹿な…………紫様は私を、だが…………』

 

そんな事を彼に語って聞かせると、何やら今までとは明らかに違う反応を見せた。

先ほどと同じく顔を若干俯かせた姿勢のままだけれど、少しだけ両肩の位置が下がっている。

良く観察しないと分からないほどのわずかな違い。でも残念、私は見逃さなかったわ。

 

いつものように、彼らしい断言するような不遜ぶりは見られず、言動も不安定になっていて、

どうやら内面的に負荷がかかったみたいね。ただ、そんな彼の姿を私はどこかで見た気がした。

 

そう、まるで________________母親に叱られて項垂れる、幼子のような。

 

 

「どうやら、紫もあなたも、互いへの認識にズレを起こしていたようね」

 

あるいは、自らを導く師を失った求道者のような、どうしようもない喪失感を抱く"誰か"。

今の彼の姿を、私はそう見てしまう。何故か分からないけれど、本人が語る「道具」には、

見えはしなかった。人にしては無機質で、道具にしては未完成な、モノではないもの。

 

少なくとも私はもう、この子を明確な敵であると認識することが、できなくなっていた。

元より親友が目をかけている相手だったというのに、道に迷う童子のような反応をされては、

死を招く亡霊ですらも手を取り、道を教え示してあげたくなるのも必定。参っちゃうわね。

 

(でも、だとしたら余計に分からない。紫はともかくとして、縁にとって紫は自身の拠り所

というだけでなく、自分の全てであるはず。そんなこの子が、何をどうしたら離反するの?)

 

考えるだけ考えてはみたけれど、考えれば考えるほどに分からなくなってくるから手に余る。

ここは一度考えるべき観点を変えてみる方が良いと改め、小さく息を吐いてから縁を見やり、

未だに動揺を隠しきれず微かに戦慄く彼へ、最初みたく明るい声を装って問いを持ち出した。

 

 

「まぁそれは後で当人に聞けばいいとして、問題はやっぱり一番最初に戻るのよねぇ」

 

『………………………』

 

反応は見られない。こちらに意識を割くよりも、自己で優先すべき問題が浮かんだからか。

けれど逃がしはしないわ。私も冥界での魂の管理を司る身、おいそれと『死』を持ち出して

暴れ回られると、能力的にも私が真っ先に疑われちゃうし。時間は有限、私は問いを急ぐ。

 

この世は知らぬことばかりなり~な御姫様の殻を抜け出て、真剣な面持ちで詰め寄る。

 

 

「心を持たぬと語る人形が、主が命令通りに動く道具が何故、主人に背いたの?」

 

 

瞳に力をこれでもかと込めて、視線だけでも相手の体を射抜き、逃がさぬと言外に告げた。

半ば自業自得だとしても、西行家お付きの剣術指南役として、また私を守る従者としての

本懐を成して倒れた妖夢の努力のためにも、私はここで事の一切合切を知らねばならない。

友人である紫が狂乱して取り乱し、冷静でいられないほどに大切で重要である彼について、

私は多くのことを知らなさ過ぎる。だから私は、親友と従者と、彼自身のために問い質す。

 

しかし予想外に、縁の口は驚くほど速く開き、仰天するほど平淡に言葉を紡いだ。

 

 

『今の我々(わたし)には、心と仮定できる思考回路がある。そして、それが発している

命令とは異なる指向性ある思考が、一つの目的を成さんがために我々を突き動かすのだ』

 

まるで、予め答えを予想して用意していたかのように、迅速であった。

 

ただし、それはこちらも同じだったけど。いくら何でも、そう簡単に全部話すわけないか。

話してくれたら万々歳程度に考えていたから、丸々全部話してもらえなくとも落胆はない。

けれど、答えを語った時の縁からは何故か、濃密な『死』の気配がダダ漏れになっていた。

彼が何をしたのかを私はまるで知らないけれど、そこに漂うものが私にとても近しい香りで

あることは、何となくで理解できた。そして、今回の彼の奇妙な行動の核心についても。

 

 

(どうして私はもっと早く、気が付かなかったのかしら)

 

 

事ここに至って、私は自身の理解の遅さに悔み苦笑する。本当に、演技に慣れたせいかしら。

まさかこんなにも"おかしな部分"に目が向かなかっただなんて、いよいよ霊として形無しね。

そう、八雲 縁が奇妙な存在であることなど、一番最初に出会ったときから分かっていたのに。

過去に戻ってやり直せたらなんて、普段考えたりしないのだけど、今度ばかりは熟考するわ。

思えば初めて縁と妖夢が戦って、紫が縁と藍をスキマで弄び、その後に彼と交わした数言。

ただのそれだけで、八雲 縁が私とも関わりが深い人物(・・・・・・・・・・・)であると知ることができたはずなのに。

あの時、彼は確かに言った。

 

 

『西行妖………? あの巨大な桜の木のことですか』

 

 

そう、今でもよく覚えている。確かに感じた違和感を、私は忘れてなどいなかった。

 

彼と語らったこの部屋から見える外の風景。そこにそびえ立つ、生の脈動を感じえぬ妖木。

詳しい者であるならば、遠目からでも太枝の分かれ方やその他の要因で、アレが桜だと分かる。

けれど彼には記憶が無いと、私は当人や紫から聞いて知っている。ならばそのような偏った知識

だけが残されているとは考えにくい。直前で紫が教えていたというのも、可能性には上がらない。

 

だとしたら、縁が西行妖を一目見た瞬間に、「桜だ」と断じることができた要因は、ただ一つ。

 

 

(記憶を失う以前から、西行妖が桜であることを…………いえ、西行妖そのものを知っていた)

 

 

既に自分は彼を異端だと認識していた事実を自覚すると、改めて縁をくまなく見定める。

まるで代り映えのない出で立ちではあるけれど、内包した妖力と神通力が膨れ上がっていた。

ほんの一月程度の短い期間で、こうまで成長するとは予想がつかない。紫にとってもこれほどの

ものは流石に想定外だったのか。あるいは、それすらも計算に含んでの放逐だったのか。

今となっては分からなくなってしまった事への思考を止め、一度瞳を閉じてから頭を冷やす。

ここで私まで困惑してしまったら、大局を見る者がいなくなり、果ては都合よく盤上を押し

進めている何者かが独り勝ちをしてしまう。そうはさせないために、紫に代わって私が視るの。

 

無言のまましばらく時を過ごしていると、縁の影から黒い何かが浮き上がり、次第にソレは人の

形を象り始めていき、最終的には獣のような耳と尻尾をもった少女のような姿へと変貌した。

彼の新たな使い魔か、あるいは式神かと警戒していると、しばらく何かを考える素振りを見せ、

それを終えるとほぼ同時に私へと向き直り、手を突いて深々と頭を下げてから声を漏らした。

 

 

『申し訳ありませんが、幽々子様。私はもう、行かなければなりません』

 

「……………そうね。これ以上はもう、紫でも気付くでしょうから」

 

『お察しの限りにございます。では』

 

 

どうやら彼は、自分の主人だった紫に見つからない何らかの策を張り巡らせていたようで、

今しがたそれが破られたらしい。そうなっては長居は無用だろう。それで私にわざわざ断りを

いれてから、立ち去ろうとしている。ふふ、やっぱりあなた、自分の意志で動いているのね。

 

道具であり、人形であったはずのあなたが、いつの間にか考え動くに足る「心」を得たのね。

 

「………そうね。きっとあなたはここに、私か妖夢、あるいは両方の力を得ようと赴いた。

けれど妖夢には辛勝、私とは舌戦にて敗績。さらには時間も押している、というわけ?」

 

『はい。ですので』

 

「いいわ、分かった。流石に私は紫を裏切れないし、この冥界での役割も山積みだから、

あなた個人を助けられはしない。だからせめて、この場で討ち取って何事も起こせないように

することだけはしないであげます。端的に言えば、見逃してあげるってこと。それが限界よ」

 

『………………感謝いたします』

 

「あなたがしようとしていること、あなたがしたいこと__________見極めさせてもらうわ」

 

『是非も無し』

 

 

彼とこうして話すことができるのも、これが最後となる。それが分かっていながら私は、

話を打ち切らざるを得なかった。もし続けていたら、縁が成すべきことを果たせなくなる。

それが果たして、良い事なのか悪い事なのか、現段階ではまるっきり分からないから怖いわ。

 

けれど不思議と、誰もが苦しみ、嘆き、悲しむようなことにはならないと、そう思えた。

 

故に私は再度瞳を閉じて、縁が礼儀正しく家主に拝する行為を黙して受け取り、見送る。

そうして音も気配も何もかも失せた部屋で独り、私は今後どうするかを真面目に考える。

 

 

「紫もじきにここを掴んでくるでしょう。その時は、そうね………お茶に誘おうかしら?

状況が状況なだけに、断られる未来しか見えないけど。でも、彼の足止めにはなるわね。

うふふ、それなら妖夢を起こしにいって、労ってからおもてなしの準備をさせ……………」

 

何となく楽しさをにじませた声色で、先のことを案じる私は、そこでふと気付いて瞳を開く。

 

 

「私__________どうして紫より、あの子の味方になろうとしているのかしら?」

 

 

自分で口にした問題ではあれど、こればっかりはどれほど時を費やしても答えは得られないと

察した私は、「まぁいいわ」で軽く流してから、思い描いた道筋をなぞるべく部屋を後にした。

 

 

 







いかがだったでしょうかッッ‼

久方振りの更新でどうなるものかと思いましたが、
三人称だったところを一人称にしてみるとあら不思議、筆が進む進む!
もしかしなくても今の私には、一人称視点の書き方が合うようですね!


さて、今後も情けない私のことですので、投稿がバラついてしまうことが
増えるかもしれません。ですがどうか、温かい目で見守っていただければと!


それでは次回、東方紅緑譚


第八十弐話「緑の道、こころの仮面」


ご意見ご感想、並びに質問や批評など大歓迎でございます!




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第八十弐話「緑の道、こころの仮面」


どうも皆様、自分の今までの作品を読み返してみて、文字数が現在の私とは
比べ物にならないほどに多かった事実に愕然と涙する萃夢想天です。


さて、前回は幽々子様視点で縁との取引をしたところで終わりましたね。
本当は三人称視点で書くつもりだったんですが、書き方を変えたらスランプを
脱せるのではないかと考え直し、あえて一人称視点で書くことにしたんです。
そしたらゆゆ様の有能感が半端ないこと。いやぁ、うちのゆゆ様は出来る子や。

あと最近、とあるソシャゲで爆死して、ついに課金に手を出してしまいました。
情けない限りです。アレほど課金ユーザーを馬鹿にしていた私が、まさか………。
人の欲望の際限が無きこととは、これほどまでに恐ろしいものだったんですね。


爆死の傷も癒えぬまま、それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

『……………さて』

 

 

冥界の最奥、白玉楼の客間にて幽々子との対談を終えた縁は、これ以上留まることを許されない

幽玄の景色を布越しの視界で一瞥しながら、これからどう動いたらよいかを考えていた。

もともと彼がここに来たのは、冥界の管理者にして『死を操る程度の能力』を有する幽々子と、

その従者にして凄まじい剣術の腕を持つ妖夢の二人を、味方へ引き込もうと画策したからである。

当初は自分の絶対的優位を疑わなかった縁だったが、二刀流の真価を魅せつけた妖夢との戦いに

何とか辛勝を収め、幽々子に至っては引き抜きどころか良い様に話の主導権を握られ続けていた。

さらに幽々子との対談の際、自分の持つ情報だけでなく、自分すら知りえなかった情報を向こうに

引き出されてしまった。目的は果たせず、あまつさえこちらの情報だけ一方的に搾取されるとは。

 

思いもよらない結果的な惨敗に、縁はただただ、自身の不甲斐無さと脆弱さを思い知らされた。

 

 

『もうこの冥界に滞在はできない。懐柔も不可……………となれば』

 

 

自身の失態をこれ以上考えても意味が無いと、彼の中の合理的な部分が熟考を拒絶。

これからのことをどうすべきかという新たな問題へと着眼し、そこに思考の焦点を当てる。

冥界にいる目的は無くなり、幽々子の許可(黙認)がない今は隠れ潜むことも出来なくなった。

単純な戦力として彼女らの協力を仰げないというのは痛いが、取り返しがつかないのだから

仕方がないと諦めて、縁は自分が思い描いている計画を少しだけ前倒しすることを決意する。

 

 

『この計画を盤石なものとするために、最後の保険となるあの二人に接触を図るか』

 

 

誰に語るでもなくそう独りごちた縁は、自らの右手をすい、と横薙ぎに振るう。自身の能力で

空間と空間を結げることで、実質的な瞬間移動をするための行為である。それを彼は無造作に

行い、裂け目となって滞留する其処へ、布越しであれど鋭いと感じさせる視線を投げかけた。

 

彼が作った空間の裂け目。その向こう側に映り込んだのは______________無数の人の波。

 

 

『行くか、人里へ』

 

 

空間結合が正常に機能していることを確認した縁は、右手を持ち上げて裂け目を押し広げ、

自分が通れるほどに拡張したその中に体を通す。その瞬間、体に触れる空気の質が変わった。

生あるものを拒み、死せるものたちが宛てもなく彷徨い揺蕩う冷たい空気が、瞬きほどの間に

怪異なるものを避け、生あるものが謳歌する暖かく乾いた空気へと文字通りに変化する。

あちらとこちらとの明確な違いを肌で感じた彼は、周囲に人の目が無い事を再度確認し、

誰にも見られないようにと辺りを警戒しつつ、目的の人物と接触すべく行動を開始した。

 

 

『これで万事上手くいくはずだ。力を貸してもらうぞ、稗田 阿求、そして上白沢 慧音』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁が人魂揺蕩う幽玄の世から抜け出た頃、彼が目的とする件の人物は、おあつらえ向きに

二人そろって一つ屋根の下で顔を突き合わせていた。稗田 阿求と上白沢 慧音その人たちだ。

 

彼女らは稗田本邸の来客用の和室にて、職人の匠としての腕が輝る漆塗りの机に向かい合い、

机上に所狭しと乱雑に置かれている幾枚もの紙を、互いに満遍なく射貫くように見ていた。

 

 

「慧音さん、そちらはどうですか?」

 

「はい、こちらも同じです。こちら側の地区全員の確認を取りましたが………」

 

「やはり、そちらもですか。これはどうしたことでしょう」

 

 

どちらも無数の書類を見比べながら、まとまらない思考と推理に唸り続けるのみ。

彼女らが真剣な面持ちで見つめていた書類とは、この人里全体に発行された統計表紙(アンケート)であった。

地区ごとに割り振られた場所や世帯数、加えて被害報告なる欄も記載されているが、

それらのいずれも、彼女らが予想していた数値とは明らかに異なってしまっている。

そのことがどうしても不可解に思え、何度も見直しているのだが、結果は変わらない。

 

 

「いったい、どういうことなのでしょうか?」

 

「さぁ………私も伝え聞いただけで、正確に記載された文献もありませんでしたし」

 

「念の為に鈴奈庵でも探した方が良いのでは?」

 

「既に小鈴ちゃんに聞いて、確かな文献が無い事が判明しています」

 

「そうですか………。では、この事態をどうみますか?」

 

情報を確認すればするほど曇っていく事態に不安を隠せない慧音は、自分よりも遥かに

身長も年齢も低い阿求に、心中に渦巻く靄のようなものをかき消すように弱々しく尋ねる。

逆に自分よりも色々と高い慧音に低い物腰で尋ねられた阿求は、およそ外見年齢に見合わぬ

冷静な思考と判断力、推察力とを十全に活用させて、まとめあげた答えを淡々と述べ始めた。

 

「まず、何らかの異常事態であることが予想されます。そう判断した要因は三つ。

一つは当然、この集計された各所での被害報告です。我々の予想よりはるかに下回る」

 

「ええ。あの命蓮寺の聖 白蓮和尚が、里中をその足で駆け回って警告するほどの妖怪。

例の、他者の影を奪う『影写しのアソビ』なる妖怪の被害が、ほぼ無いと言っていい」

 

「そうです。実質的な被害は、命蓮寺にいた門下の妖怪と妖怪の山での数件程度。

全くと言っていいほどに人里では被害が報告されていないので、異常と言う他ありません」

 

「ですが、その、このアソビとやらは…………人を襲う妖怪ではないのでは?」

 

「と、言いますと? 影を奪うのは妖怪からで、人の影を奪うことはしないとでも?」

 

「私にはそう思えてしまうのですが」

 

 

阿求を皮切りにして、両者の語らいは徐々に方向性の違う熱を帯び始めていくが、その場には

彼女らを止められるものなど誰もいない。この打ち合わせを誰にも聞かせないために、阿求が

最初から人払いをしておいたからなのだが、それ故に静かな客室に二人の声だけが静かに響く。

 

「確かに私もその可能性は考慮しました。ですが、先程も言いましたように、被害の報告が

全く無かったというわけではありません。ほんのわずかにですが、実害を被っているのです」

 

「しかしそれは、七十三年も前の記録では」

 

「ええ、そうです。七十三年前に、この妖怪は確かに人の影を奪い、その被害によって里の

三十五名の命が失われています。阿求(わたし)ではない稗田当主(わたし)、先々代の私が記していますから」

 

「となると、まだ幼かった頃の先代博麗の巫女が封印していた………?」

 

「はい。記録によると、当時の博麗の巫女と魔具を作る賢者の両名による封印が」

 

「では、先代巫女が死んだことで封印が弱まった、と?」

 

「可能性としてはあるでしょう。しかし、決めつけるには早計に過ぎるかと思います。

私にそう思わせるのが、要因の二つ目、妖怪の山での被害だけがやたらと多い事です」

 

 

そこで白熱しかけた会話の波を一度区切り、用意していた茶を一口嚥下して話を再開する。

 

 

「慧音さんが仰るように、今回のアソビがかつてのものと同一個体かどうか判断しかねます。

以前は人を襲った記録があっても、今回のものは妖怪だけを狙う性質なのかもしれません。

事実、人里での被害は霞ほどであるのに対し、妖怪の山では天狗や河童などが既に幾人も」

 

「でしたら!」

 

「ですが、それでは妙だと思いませんか?」

 

「妙、とは?」

 

「妖怪の山での被害が数件。最初の被害から次の被害まで、わずかですが日があります。

しかもそのわずかの間に、人里の近くにある命蓮寺境内で妖怪の門下生が影を奪われています。

移動方法は視野に入れないとしても、わざわざ妖怪が跋扈する山を一度下り、人の気が多く

集まる里を素通りして何故命蓮寺へ向かったのか。そこで影を奪い、また山とへ戻ったのか」

 

「……………言われてみれば、確かに」

 

「このことから、アソビは単純に妖怪だけを狙うというより、何らかの規則性や法則に則り、

影を奪う相手を特定しているのではないかと考えています。そう、まるで、見繕うように」

 

「奪う影を、見繕う? 服でも着ているつもりなのか、ええい!」

 

「いきりたたないでください。あくまで、推測の域を出ません」

 

 

机上の書類を募る苛立ちに任せて平手で叩く慧音を、阿求はどこまでも冷徹に諫めた。

すみません、と小さく縮こまってしまった彼女を冷ややかな目で一瞥し、話し合いを続ける。

 

「………話を戻しますが、そこまではアソビが妖怪からのみ影を奪うことに肯定的な部分です。

しかし、妖怪から奪うにしても、一度山から下りる必要があったのかが、気になりまして」

 

「そう、ですね。妖怪の影だけを奪うなら、妖怪の山こそ格好の餌場だというのに」

 

「食べ飽きて、他の場所で味見をしに行った、とかもあるかもしれませんが」

 

「食料として影を奪う、ということですか」

 

「はい。しかしそうなると、以前にアソビを封印した際に、幾つかの影が戻ってきたという

記録と合致しません。食料と捉えられなくもありませんが、あくまで可能性の範疇として」

「となると、いよいよ分かりませんね」

 

「……………………気がかりなのは、要因の三つ目です」

 

 

話も行き詰まり、解決案という一筋の光明すらも見えなくなった現状で、二人はただただ

悩まし気な溜息を大きく漏らす。そこでしばらく間を置いてから、阿求が最後の話を切り出す。

三つあると最初に語った要因の、最後の一つを彼女が口にしようとした、その時だった。

 

 

『____________ほう、是非とも我々(わたし)にも聞かせてもらいたいものだ』

 

 

二人しかいないはずの和室に、低く、くぐもったような若い男の声が響いたのは。

 

 

「「________‼」」

 

 

突然の事態にさしもの阿求も平静な相貌を崩さずにはいられず、焦りの色を浮かべるが、

そんな彼女より早く慧音が迎撃のための動きをみせ、それよりも速く侵入者が動き出した。

 

 

『私は戦いに来たのではない。我々(わたし)の願いの成就の為、話し合いをしに来ただけだ』

 

 

両手を軽く前に突き出して、交戦の意志は無いと言葉とともに仕草で語った彼であったが、

いきなり他人の住居に侵入してくるような輩の言葉を、この二人が素直に信じるはずがない。

慧音は阿求にもしものことがあってはならないと、彼女の身の安全を確保するべく傍へ寄り、

阿求は二人きりの状況で侵入してきた謎の男の真意を探るべく、話を切り出すかを考えていた。

 

三者三様の対応をする中で、膠着状態のままでは本懐を遂げられぬと肩の力を抜いたその男、

八雲 縁は無挙動(ノーモーション)で発動できる自身の能力を使い、二人と自分の思考領域を結げる。

 

瞬間、阿求と慧音の頭脳へ直接、縁の思考がそっくりそのまま雪崩れ込み、思考の海へ誘う。

 

 

「なっ………あ……?」

 

「これは、なん…………なの!?」

 

 

頭の中に流れ込む膨大な情報、即ち、彼が現在画策している計画の一部始終を隠すことなく

総てを彼女らに伝播させたのだ。彼が冥界へ赴く前、聖 白蓮と敵対しないために使用した

時と全く同じ手口を使って。その結果、時間にして五秒と経たぬ内に、彼女らは彼を把握した。

 

計画の一部始終を知り、自身に起きたことに困惑しつつ、彼が敵でないことを確信する。

 

 

『理解してもらえて何よりだ。さて、私からすることは、嘆願と助力を乞うことのみ』

 

 

いきなり現れて訳も分からぬままに頭に様々な思考を流し込まれ、挙句にこちらの頼みを

聞いてほしいなどと、ムシが良過ぎるにも程があると内心で怒鳴り散らす慧音。

しかし、それを実際口に出すことは叶わず、かえって新たな思考の一部が彼の企てている

計画に、自分たちの力が必要になる時が来るのだと、縁の頼みを聞く方針に傾いている。

 

それでもなんとか警戒心を保ち続けられている慧音とは裏腹に、阿求はと言うと、

目の前の縁から思考を無遠慮に流し込まれた直後、彼に全面協力することを決心していた。

それは、彼の送り込んできた計画に関する情報の中で、つい先ほどまで慧音と二人で話を

していた『影写しのアソビ』に酷似するナニカについても、多少なりと知ることができたため。

 

そして何より、彼の最終的な目標と自身の利害とが、一致したためである。

 

 

「…………分かりました。その申し出をお受けしましょう」

 

「阿求!? そんないきなり! 本当にコイツを信用していいのか!?」

 

「慧音さんも見たでしょう? 彼の計画について、色々なことを」

 

「それはその、何と言うか、いきなりのことで何が何やら」

 

「………とにかく、彼は私たちに害を及ぼそうとは考えていないみたいですし。

それに、どうやら彼の目的が行き着く先は、私たちとしても利となる事でしょうから」

 

 

再び持ち前の知性あふれる仮面を被せた阿求は、薄笑いを浮かべた顔を向けて彼を見やる。

 

 

「それで、私たちは何をしたらいいのかしら?」

 

『なに、大したことではない』

 

 

未だに警戒を解こうとしない慧音を差し置いて、阿求はほんの数秒で知己となった縁に問う。

当の彼はそれも含めて思考を送り付けただろう、と暗に揶揄したのだが、理解しているか否か

判断がつかない笑みを相手が浮かべていたため、これも必要な事かと割り切り仔細を語った。

 

 

『ここ数か月の間で、行方不明になった子供の具体的な情報を教えて貰いたい』

 

 

自身の名が刻まれた布越しに告げられた言葉に、慧音はおろか、阿求も目を丸くする。

 

即座に阿求はつい先ほど彼から送られた、計画についての情報を素早く再閲覧を開始。

その中で彼の発言の真意を探り出す手がかりとなる部分を抜粋、瞬時に読み解いていく。

一つ一つを丁寧に、されど時間をかけずに最速で最適解を導き出し、答えを当てはめる。

 

そして辿り着いた答えは、皮肉にも彼女自身が語ろうとしていた「三つ目の要因」だった。

 

 

「……………そういう、事でしたか」

 

『理解が早過ぎるのも考え物だが、今回は素直に助かったと言うべきか』

 

「いえいえ、あなたの主君様に比べれば私など」

 

『それで、私の頼みは聞き届けられるのか?』

 

「ええ、構いません。こちらの机上にいくつか。役立ちそうなものをお持ちください」

 

『感謝する』

 

 

阿求は縁の言葉を素直に聞き入れ、部屋の入り口で佇んでいた彼を机のある位置まで招き、

慧音との会談で用いていた資料の中から該当するものを選出し、何も言わずに手渡した。

その一部始終をただ眺めていた慧音は、凄まじいほど変わり身が早いと思っただろうが、

単に阿求は彼の送ってきた情報から、現状で打てる最善の手を作業的に打っただけに過ぎない。

 

一分程度の時間で資料を集めた縁は、その内の何枚かをその場で閲覧し、しきりに頷く。

そうしてほぼ一通りの閲覧を終えたところで顔を上げ、固定された笑みの阿求へ一礼した。

 

 

『此度は助かった。願わくは、聡明なその頭脳で、私の最後の頼みも承諾してもらいたい』

 

「分かっております。さぁ、お早く」

 

『…………では』

 

 

縁からの感謝の言葉を受け止め、そのまま流れるようにこの場からの退避を促した阿求。

彼女の言葉の意味を目敏く察知した彼は、時間が無い事を自覚。即座に空間を結合し、逃走。

瞬きの間に姿を消した男を追うかどうか迷っている慧音に、阿求は静かに歩み寄り、話した。

 

 

「慧音さん、今すぐ私と一緒に準備をお願いします」

 

「い、いきなり何だ? それに準備とは………」

 

 

状況の進展速度に追いつけず、困惑する彼女を無視して、真剣な面持ちの阿求は告げる。

 

 

「人里の歴史を、あなたの能力で書き換える__________再編纂の用意を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………………良し、これで全て上手くいく』

 

 

稗田邸を空間結合により脱出した縁は、すぐさま人の気配が薄い場所へと移り、改めて入手した

資料をじっくりと読み耽り、自分が一番知りたかった情報を発見する。これで、万事整った。

そう確信して空を見上げた縁は、自分が主人から離反してまで成そうとしている行いがついに

実を結ぶのだと、思いを馳せる。布越しの視界一面に、清々しいほどの青空が広がっている。

 

しばし無心で青空を見つめていた彼だったが、こうしている場合ではないと頭を振り、

雑念や慢心を大切な計画の前に振るい落とし、すぐさま決行に移ろうと、ある場所を目指す。

 

 

「道行く其処の怪しいやつ、止まれーい」

 

『ん?』

 

 

いざ邁進せんと心なしか意気込みを以て歩んだ一歩目を、背後から聞こえてきた声に邪魔された。

先程確認した時は、人の気配などさほど感じなかったはずだと思いつつ、縁はゆるりと振り返る。

 

 

「うむ、見るからに怪しいやつ」

 

『……………………………………』

 

 

そこには、怪しいやつがいた。

 

昼をとうに過ぎて傾き落ちる陽光が照らし出す、わずかに薄紫がかった淡い桃色の長髪。

手入れをしているとは思えず、そのまま放置しただけに見える前髪からは、桃色の瞳が覗く。

青とさほど薄くない水色のチャック柄をした長袖の上着に、人の表情のように切り抜かれた

のっぺりとした赤のバルーンスカート。分かりやすい例を挙げれば、逆さの金魚鉢だろうか。

上着の胸元には桃色のリボンが、そして赤色の星、黄色の丸、緑色の三角、紫色のバツ字を

象ったボタンが付いている。明らかに着辛いだろう服を着こなすのは、ある種至難の業だ。

そして何より彼女を怪しいものたらしめているのが、周囲に舞っている"御面"の数々。

 

彼女自身が左側頭部に被っているのは、所謂『女形』である女の面。それ自体は問題ない。

本当に問題なのは、彼女の周囲を今なおクルクルと規則的に旋回している御面である。

好々爺たる福の翁の面や、般若の面、火男(ひょっとこ)の面にお猿の面など多種多様。

そんなものを自身の周りに浮かせている時点で人ではなく、人だったとしても危ない類だろう。

 

「お前のように怪しいやつが、ここらをウロチョロするせいで、人の通りが減っている!」

 

『……………何の話だ』

 

自分の外見を棚に上げて、目の前の少女の形をした何かが怪しさ満点であることを確信した

彼に対して、少女はいつの間にか女ではなく般若の面を頭に被り、不可思議な体勢を取る。

人差し指だけをピンと伸ばした右手を突き出し、親指から中指までを伸ばした左手を自身の

顔の真横へ運び、『ビシッ‼』という擬音が付きそうな姿勢を、変わらぬ無表情で成し遂げる。

 

何がしたいのかと縁が疑問に思った直後、人の話を聞かない少女は再びまくしたてる。

 

 

「近頃、ひじりが影を奪う妖怪が出るとかで全然構ってくれなくなっちゃって………じゃない。

そんなやつが現れたせいで、人里の中なのに人通りが少ない! 誰も私の踊りを見に来ない!」

 

もはや疑問を抱くこと自体に疲れてきた縁は、変な姿勢のままでこちらを睨みつける(無表情)

少女に体ごと向かい、一応隠れ潜まなければならぬ身として、目撃者の排除に思考を切り替えた。

 

すると、それを「挑戦」とでも受け取ったのか、少女は無表情のままで話を勝手に続ける。

 

「きっとお前みたいに、あからさまに怪しいやつがいるせいだ! きっとそうに違いない!

人里の平和を乱す悪漢め、この誰からも愛し愛される正義の面霊気が、相手になってやる‼」

 

 

微妙に核心を突いていそうで突いていない少女は、先程と変わらぬ姿勢と無表情で声高に告げた。

 

 

「いざや決闘! 我こそは、『(はたの) こころ』なるぞ~‼」

 







いかがだったでしょうか?

少しずつではありますが、感を取り戻せている気がします!
ですが、ペースを速めないと他の作品がいつまでも停滞し続けて、
皆様から「失踪」の烙印を押されてしまうやもしれません。怖や怖や。


さて、それでは次回、東方紅緑譚


第八十参話「緑の道、わたしの心」


ご意見ご感想、並びに批評など、大募集中でございます!


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第八十参話「緑の道、わたしの心」




どうも皆様、最近この作品のお気に入り登録者様の数が勢いよく
減っている現実に、涙と焦りが止まらない萃夢想天でございます!

やべぇよやべぇよ、どうしたらいいんだろコレ………(泣

まさかこんなにも大勢の方々に見放されるとは思ってもみなかったので、
だいぶ心を痛めております。ま、まぁ、更新遅れた自業自得なのでしょうが。


では気を取り直して。前回は縁がいよいよ計画を実行しようと動き出す
直前で、こころちゃんとご対面しておりましたね。私自身、彼女を本編で
どう絡ませるかをすっかり忘れておりました故、危なかったです。

ちなみに番外編での縁とのやり取りですが、あれはあくまで本編終了後の
「可能性」を描いただけですので、正式なカップリングではないものと
思っていただけると幸いです。正直アレ、何も考えずに書いていたので。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

自らを『(はたの) こころ』を名乗った怪しげな少女は、キメていたポーズをやめて空中へと浮かび

上がっていき、周囲に福の翁の面や般若の面などをまとわせ、人里の民家の屋根辺りで滞空する。

その様子を地上から眺めている縁は、勝手に罪を着せられた挙句、勝手に弾幕ごっこの開始を

告げられた事に、戸惑いとともに「面倒な事になった」という呆れにも似た思いを抱いていた。

 

かつての縁であったならば、彼女からの挑戦も状況次第では受け入れてもよかったのだが、

現在彼は様々な方面から追われる身となっている。つまり、派手な事は極力避けねばならない。

弾幕ごっこは美しさを競うことを原則としている為、鮮やかな弾幕や轟音を是とする。

よってそんなことをしていれば、間違いなく(良くも悪くも)注目を集めることになるのだ。

 

そのような事態だけは避けなければならないと、縁は彼女との決闘を断る方針を定める。

 

 

(ここで弾幕ごっこをしたところで何になる? 今の我々(わたし)には、一分一秒すらも惜しいのだ。

加えて里の人間たちの注目を集めてしまえば、里の管理者だけでなく、異変解決者が………)

 

顔を覆い隠す布の下で、現状を緻密に計算して答えを出した彼は、上空で待機している少女に

断りを入れようとその口を開きかけた時、彼よりも速くこころがそこへ釘を刺していた。

 

 

「怖気付いたのか?」

 

 

相も変わらぬ無表情で言い放たれた言葉に、縁は自身の奥底に染みついた何かに反応する。

 

それは、かつての自分に、まだこう成り果てる前の『道具』でしかなかった頃の自分に

課せられ続けていた、そして今なお褪せることなく残り続けている紫の道具としての矜持。

己が唯一無二の主君に道具として重宝されていた頃から続く、「敗北は許されない」という

無意識下での厳命がまだ生きており、今のこころの発言に反発すべく自身の体を動かした。

 

如何なる理由があろうと、敗北は許されない。

全ては偉大な主人たる、八雲 紫を護るために。

 

『……………是非も無し‼』

 

 

内に沸き起こる怒りとともに、縁はこころからの挑戦を、弾幕ごっこによる決闘を受諾。

彼の一言でその意を理解した彼女は、手始めにと己の周囲を旋回する能面を射出する。

 

飛来してくる能面の速度は、縁が過去に経験している多くの弾幕と比べても速くはなく、

むしろ遅い部類であるため、苦労することなく回避。その勢いのままこころを倒すべく

自身も空間結合で地表と自分の足下を直結させて、滞空というより空中で立つという

荒業を披露。これにより、縁とこころの両者空中に浮かんだままの決闘が成立した。

 

(……………さて。誘いに乗ったはいいものの、どう動くべきか)

 

 

空中にいながら空間結合させた地面に足を下ろし、空の上で大地に立つ妙技を成し得た

縁は、眼前で無表情のままこちらを見つめる対戦相手を見やり、今後の対応を思案する。

彼は本来なら、戦いの中で相手の力量や性質、癖や特徴などを解明しながら対策を練る

やり方をとっているため、このように制限時間のある戦闘などは苦手とするところだ。

しかしながら、相手の力量を測れずとも早々に幕を下ろさねばならないとする彼には、

悠長に策を講じている暇も時間もなく、よって自身も力押しの強硬策に出るしかない。

 

早期決着を結論付けた彼は、出し惜しみをする必要がないとばかりに、スペルを宣言する。

 

『始まったばかりだが、終わらせよう_________線廻【アトランティスの螺旋階段】』

 

 

スペルカードの宣言の直後、彼の背後に六つの空間の裂け目が出現。さらにそこから

黒い筒状の物体が顔をのぞかせる。幻想の世界にあってはならない、現代科学の結晶が。

六つもの砲台をその背後に装着した縁は、言葉もなく眼前に浮かぶ敵を殲滅すべしと

命令を下し、一斉に規則正しいリズムで砲火を放つ。そして彼は、相手の動きを観察する。

 

ところが、彼の予想に反する出来事が起こった。

 

 

『バカな‼』

 

 

次の瞬間、彼が布越しの視界に収めたのは、無数に放たれる弾雨の中を舞うこころの姿。

 

秒間数十発という速度で放たれ続けている六条もの光の雨の中、少女は驚愕に眼を剥く

こともなければ余裕の笑みを浮かべることもなく、ただ無表情のまま、弾雨を避けていた。

 

中心の二条がこころを追いやれば、彼女はそれを避けようと必ず上下左右のいずれの方向

へと動かねばならない。そうなれば残る四条の光が彼女の体を蜂の巣にしていただろう。

そんな縁の予想をあっさり裏切り、こころは降り注ぐ弾雨の中で、舞を舞うように軽やかな

動きでそれらを避け続けていた。数発で骨肉を穿ち命を絶つ鉛の雨は、一滴も当たらない。

 

のらりくらりと踊るように縁のスペルカードによる攻撃を回避し終えた彼女は、変わらぬ

無表情で縁を見つめる。如何なる感情も浮かべないその顔に、縁は内心で怖気を感じた。

 

 

『…………なるほど。では、避けられるのならば追い続けるまで』

 

 

現実を遅まきにだが受け止めた彼は、自分の第一スペルがブレイクされたことを衝撃と

ともに理解し、ほんのわずかだが揺らいだ自信を以て次なるスペルを宣言する。

 

 

『惚線【ロウパワー・ハイグラスパー】』

 

 

続いて縁が繰り出したのは、少量の球体状弾幕と、追尾性能が極めて高いレーザー系の

弾幕の双方を組み合わせたスペルカード。これはかつて、かの八坂 神奈子をも苦しめた。

今なお名が褪せぬ戦神として信仰厚い彼女すら一度は手を焼いたスペル、そう簡単には攻略

できまいと思い、這う蛇のように狡猾に動き回る弾幕を放ち、縁は勝利を目前と信じ込む。

 

ところが、またしてもこころは、縁の想定の遥か上をゆくこととなった。

 

 

「いざや天臨! 怒面【怒れる忌狼の面】‼」

 

 

迫りくる弾幕を見て回避は困難であると察知したのか、今度はこころもスペルカードを宣言。

それまで前頭部のやや左側に被せていた女の面を、祭りなどの行事の際に見かける狐の面へ

いつの間にやら挿げ替えた彼女は、回避行動から一転して縁のいる方へと一目散に飛んできた。

 

その目前には彼女を追ってきた縁の弾幕があるというのに、何故反転したのかと疑問に思う

縁だったが、彼の疑問は即座に解消されることとなった。スペルがブレイクされる形となって。

 

 

『なに!?』

 

 

進行方向を回避から一転、攻撃へと転じたこころに襲い掛かった追尾弾幕は、そのことごとくが

猛威を振るうことなく消え去っていった。否、消えたというより、打ち破られたが正しいのか。

 

縁へと向かっているこころは今、全身を狼の頭部を模した青白い弾幕が完璧に覆い尽くしている。

口を大きく開き、獲物へ飛び掛かり喉笛を裂かんとする餓狼の如きその様は、まさに"怒れる忌狼"

という名に相応しいものがあった。狼の頭に、牙に触れた縁の弾幕たちはその一切が区別なく消え

去り、相手の弾幕を飾る残滓となって里の上空へと消えていく。だが、散った弾幕の行方などを

気にしている余裕など縁にはなく、襲い来る忌狼から逃れるべく、慌てて回避行動に移り始めた。

 

中空をちょうど"M"字を描くようにして乱高下を繰り返し突貫してくるこころから、どうにか

ギリギリでの回避に成功した縁は、今度は反転して戻ってこないことに少しだけ安堵する。

しかし、依然こちらの不利に変わりはない。しかも相手の実力は未だに未知数、把握が出来て

いない状態なのだ。この事実を目の当たりにしたことで、縁はいよいよ焦燥に駆られだす。

 

『くっ…………』

 

 

このままではいつ追撃が来るか分からぬと、赤や黄色などの色鮮やかな弾幕を距離を稼ぐために

やたらめったらに射出する。それらは御面を漂わせているこころのいる場所へと正確に飛来して

いったものの、彼女が放射状に拡散していく青白い弾幕を二回連続で放ったことで相殺された。

 

距離を取って状況を立て直そうとしていた縁の目論見は潰えてしまい、相手にも僅かではあれど

時間を与えてしまった。これでは、迂闊に距離を開けることは愚策になると判断した彼は、

やむなく接近戦を仕掛けることを決意し、腰に帯刀された六色を抜き放ち、挑みかかる。

 

本当なら使うどころか抜く気すら無かったはずのものを抜かされる現状に、ふつふつと沸き立つ

感情を刺激される縁だったが、空中を駆けることで接近していた彼の眼は、あるものを捉えた。

 

 

『薙刀、だと………おのれ、何処にそんなものを隠し持っていた‼』

 

 

接近していく中でこころが手にしたのは、自身の身の丈以上の長さはあろうという、薙刀だった。

彼女が放つ弾幕と同じく、青白い気のようなものをまとっているソレは、空中を走って迫りくる

縁へとその切っ先を向けている。そして数秒の後、六色の壊れかけた刃と薙刀が激しく競り合う。

 

右手に握られた六色が空を裂き、一度離れて再び襲い掛かるも、こころが両手に握る薙刀の刃が

持ち主を守るべくヒビだらけの刃を受け止める。剣戟の音を響かせ、小さな火花が飛散していく。

 

 

『次から次へと、私の予想を超えていく……………お前は何者だ』

 

「お前も中々に強いな。音に聞こえた私の一太刀を受けきるとは、見上げた腕よ」

 

鍔迫り合いの状態にもつれ込んだ二人は、握りこぶし程度の距離で顔を突き合わせ言葉を交わす。

そしてそこから、数回に渡る剣戟を繰り広げ、両者は己が握る得物を存分に振るい、打ち鳴らす。

 

縁が六色を袈裟気味に振るえば、こころは彼の足を掬うべく薙刀を下段で振るってみせ、

こころが薙刀を横薙ぎに振るえば、縁はそれを刃で受け、迫り上げつつ斜めに払い捨てる。

 

このような過激な近接戦を繰り返し、もはや剣戟の音が幾度響いたかも忘れるほどに得物が

ぶつかりあった頃、縁もこころも、このままでは埒が明かないと判断し次の行動に移っていた。

 

 

『爆ぜろ。迫撃【オール・ポイント・ファイア】』

 

「ふふふ、侮るなよ。憑依【喜怒哀楽ポゼッション】‼」

 

 

互いの持つ武器の間合いからわずかに離れた場所で、二人は同時にスペルカードを宣言する。

縁は、自身の真下の地面に巨大な裂け目を生み出し、そこから携行迫撃砲を無数に召喚、配置。

回避か迎撃かを悩む暇など与えんとばかりに即時に一斉発射させ、こころを爆心地に定めた。

対するこころは、縁のスペルカードの正体を知ってか知らずか、自身の周囲を旋回している

御面の動きを止め、無数の弾頭が直撃する寸前に自らの体を発光させて、気を放出させている。

 

こころからすれば、縁からの攻撃に耐えるべく(あるいは相殺すべく)用いたスペルだったが、

彼女の発した光は閃光となって、直接的な視界を持たない縁の眼を、意外にも封じ込めていた。

視界を眩ます閃光に、ほんの一瞬だが動きを封じられた縁は、次の一手に遅れてしまう。

 

それが、決定打となった。

 

 

「とーおっ!」

 

 

回復した縁の視界に飛び込んできたのは、広げた扇子を両手に持ったまま回転しつつ、縁を

めがけて急降下してくるこころであった。その速度は、最初の御面の攻撃とは段違いだ。

 

 

『ぐうッ!?』

 

若干の高低差があったためか、こころの攻撃を受けて斜め下へ___________人里の地表へと

落下していった縁。それなりに大きな音を周囲に響かせたことで、既に音や弾幕の光に

引き寄せられた里の人々が両者を取り巻いていた。人の目が増えたことで喜びの感情を御面と

ともに表現するこころとは裏腹に、土埃を六色で振り払う縁は、上空のこころを睨んでいた。

 

 

(こんな、こんな事があるはずがない。私は、私がここまで…………)

 

 

完全に想定外だ、縁は心と呼べる空間で、上空からこちらを見下ろしているこころを睨む。

いや、睨んでいるというのは正しくはない。もしも彼の顔が布で覆われていなかったなら、

人としての顔があったのなら、その表情は歪み、瞳は恐怖を色濃く映していただろう。

 

主人の名において敗北は許されなかったかつての自分と、主人の道具であることを捨てて

確立された今の自分。どちらが強いかなど彼には分からないが、それでも以前の自分ならば

視線の先にいる相手に、こうも無様を晒すような戦い方はしなかっただろうと確信している。

 

それと同時に、彼の思考は徐々に侵食され始めていた。

 

これまで縁という存在は、心や感情というものを持たざるが故に、強さを誇示していた。

けれど現状はどうだ。どこからともなく湧いて出た相手に、しかも妖力も神通力すらも決して

強くはない相手に押され、地に伏されるなど。これまでの彼の経験上、ありえないことだった。

 

 

(これは、『コレ』はいったい何だ? 体温は正常値なのに、震えが止まらない………?)

 

 

初めて感じた、脅威。初めて感じた、恐怖。

それらは総じて、無縁であった彼にとっては、言い知れぬ感情の発露を実感させていた。

 

周囲が一気に騒がしくなっているにもかかわらず、こころを睨むことを止めて俯く縁。

そんな中、急に黙り込んでしまった彼に向けて、上空にいたこころが何気なくポツリと呟く。

 

 

一人(おまえ)だけ、手を抜いているな?」

 

 

その一言は、縁だけでなく、彼の中にいる全員(・・・・・・・・)にまで聞こえていた。

 

 

「真面目に戦う気持ちが感じられないぞ?」

 

 

直後にもう一言付け加えられたが、縁も縁の中の者たちも、そちらは聞こえてすらいなかった。

 

それまで一度たりとも感情を表に出したことのない縁が、目に見えて動揺を発露させている。

肩は上下に忙しなく揺れ動き、布に隠されてこそいるが、その視線は何者も捉えてはいない。

明らかに様子が急変した縁を、もしも彼のことをよく知る者が見ていればさぞ驚いただろう。

 

しかしこの場にそんな者など一人たりともおらず、まして今は、弾幕ごっこの最中である。

 

 

「憂面【杞人 地を憂う】‼」

 

 

動揺を隠せずに立ち上がる事すらも忘れている縁は、相手からすれば格好の的でしかなく、

こころにとってもそれは同様である。だからこそ、そこで攻撃の手を緩める理由は無かった。

 

悲嘆に暮れる老爺の面を被ったこころは、地面から青白いオーラと共に、自身が付けているものと

同じ面を地面から無数に噴出させる。そしてそれは当然、茫然自失の只中にいる縁の真下からだ。

 

 

『_______________がああッ‼』

 

 

地面が青白く発光したことに気付いた時にはもう遅く、下から上へと噴き上がる弾幕の奔流に

全身を嬲られた縁は、そのまま空高くへと放り出されていき、そのまま再び落下していく。

だがそこでようやく意識を取り戻した彼は、能力で空中に立つことに成功し、こころを見やる。

 

相手がまた立ち上がったことに残念がるどころか、むしろ闘気を立ち昇らせるこころ。

 

そんな彼女をどうにか打倒すべく、また、自身が証明不能な謎の感覚に侵された原因であろう

彼女とこれ以上戦う意味を見出すべく、彼は自らの思考回路をショート寸前まで稼働させた。

 

 

(駄目、だ。思考回路が正常に機能していない! こんなことが、あるはずが!)

 

 

ところが、やはり彼は答えを見出すことができず、己の不具合か故障を可能性として考慮するも、

それに該当する部位は検知されておらす、自分の体が正常に作動していると証明している。

では、何故? 私は何故、あの女に勝てない? あの女を見ると、体が震えるのか?

 

焼ききれんばかりに思考回路を回し続けるも、空回りするばかりで回答は一向に浮かばない。

それは当然であった。彼が自分の中に『心』が芽生え始めていることに、気付いていないのだ。

如何に優秀な頭脳を有していても、計算式の要である部分が「+」か「-」なのかを知って

いなければ、正しい答えを導き出せるはずがないのだから。これが人間なら話は違っていた。

人間は答えが分からずとも、「予測」が出来る。「予想」が出来る。

だが、機械には、人形には、道具には、ましてそれら全ての成り損ないなら、分かるはずがない。

 

 

(何故だ、何故私は…………何故だ、何故だ何故だ何故だ!)

 

 

もはや錯乱したように同じ事を自問自答し続けている彼を見て、同じく中空に浮いているこころは

何かを確信したという雰囲気を漂わせ、棒立ちになったまま動きをみせない彼に再び語り掛けた。

 

 

「楽しみながら戦う、戦いながら楽しむ。それが弾幕ごっこだ、知らないのか?

どこの誰だか知らないけど、弾幕ごっこを楽しもうとしないと、後悔するぞ?」

 

 

こころが語ったその言葉は、またしても縁の核心を突くようなものであることは言うまでもない。

 

心を知らぬものに、楽しむことなど到底できはしない。だが、それは少しずつ芽生えている。

もしかしたら、知る事ができるかもしれない。こころにとって、縁はかつての自分を見ている、

まるで映し鏡をみせられているような気分だったのだ。だからこそ、彼に語り掛けてしまう。

 

こころ自身もまた、かつては感情というものを誰彼構わず奪い、それを自分のものにすべく

騒動を巻き起こしたことがあった。今では多くの者に支えられ、感情を一から学んでいる

真っ最中である。そんな彼女は縁を、昔の自分を見ているようで見ていられなかった。

 

そして、それと同時に、彼の中に芽生えるであろう感情を、知りたくなってしまっていた。

 

 

故に、今が弾幕ごっこの最中であることを、彼女は忘れてなどいない。

 

 

 

 

 

「_____________【仮面喪心面 暗黒能楽】‼」

 

 

 









いかがだったでしょうか?

下書きだと結構な量書く予定だったんですが、文章にしてみると案外
少なかったりするんですよね。いや、単に文章力が下がっただけか………。
本当に昔の自分に脱帽です。よくもまぁ八千だの九千だのをさらさらと
書いてましたね。ほんとスゴイ。いや、今なんて七千もいかないでやんの。


それでは次回、東方紅緑譚


第八十四話「緑の道、愛裏切り哀救う」


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第八十四話「緑の道、愛裏切り哀救う」


どうも皆様、先日在庫処分セールで最後の一台となっていた中型TVを
通常価格から大幅に下がった値段で買い取れてホクホクな萃夢想天です!
これでやっと、二月に買ったまま放置していたPS4で遊べるぞぉ!

ただ、これから忙しくなるので遊ぶ時間そのものが減りそうですが。


さて、前回は縁とこころちーが弾幕ごっこをして、クライマックスの直前で
終わったんでしたね。今回はその続きからになります。
さぁ、ようやく私が思い描いていた縁編の折り返しに辿り着きました。
ここからまだ結構書かねばならないと思うと、まぁ、気が重くなります。

それでも待っていてくださっている読者の方々の為、頑張ります‼


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

「御覧あれ! 我らが舞にて踊り奏でるは、心を喪い面を失くした男の、その末路也!」

 

 

相も変わらずの無表情のままではあるが、普段の倍ほどに張った高めの声でそう叫んだ彼女、

ラストスペルを今こそ勝機と捉え宣言した妖怪、秦 こころが茫然自失で動かぬ縁を見やる。

途端、彼女の周りを旋回していた三つの面がどこかへと消え、代わりに縁を取り囲むようにして

浮遊している御面たちが、空虚で豊かな表情を浮かべたまま、一斉に彼のいる場所へ殺到した。

 

数を数えることすら叶わぬ、まさに無数の御面の奔流が縁へと情け容赦なく襲い掛かっていき、

新たに九つの御面を周囲にまとわせたこころが、中空へと放り出された縁へ追撃をたたみかける。

 

 

そこからはまさに、演劇の演目を演じているかのような、流麗で迫力に満ちた舞踊の一人舞台。

 

 

カンッ、と拍子木を打ち鳴らすような音が一拍鳴り響き、それと同時にこころが一撃を加える。

最初の甲高い一拍目を皮切りに続く二拍目からは、間隔が徐々に狭まって連続で音を鳴らしだす。

 

まずは一拍目に、閉じた状態の扇子による突き押しを、おかめの面をつけたまま鋭く繰り出し、

二拍目で回転しつつ跳躍し、悲嘆に暮れる老爺の御面を被った彼女は開いた扇子で斬りつけた。

続けた三拍目に、先程両手で持っていた扇子を片手に重ね持ち、気が付けばまたおかめの面で

跳躍からの落下の流れをうまく利用した斬撃を真上から狙い、四拍目には身を瞬時に翻して

下から上へと斬り上げるようにして開いたままの扇子を、般若の面の"怒り"とともに繰り出した。

 

五拍目には鬼蜘蛛の面で、扇子ではなく取り出した身の丈以上の薙刀で胴体を鋭く一突き。

六拍目で再び開いた扇子を両手に持ち、おかめの面を被ってから流れる動作で斬りつけて、

七拍目はそのまま下段へと薙ぎ払い、またも変わった瞬間が分からぬ般若面が縁を見つめる。

次なる八拍目は、目を大きく見開いた驚きに近い表情を現しているおかめの面を被り、

下段へ一気に切り伏せ、九拍目になると何故か獅子舞の頭を被って斜め後ろへ大きく跳躍した。

 

彼我の距離を少し開けた十拍目、角を生やした赤い鬼蜘蛛面を被った彼女は薙刀を上段に構え、

そして一際大きな音を響かせた十一拍目。仮面を被らず、こころは薙刀を大振りに一挙振るう。

 

 

一拍の音が鳴り響く度に面と武器を変えながら、怒涛の十一連撃を成す術も無く叩きこまれた

縁は、そのまま一切の抵抗も打開案の発動も無いまま、ただ無気力に里の地面へと落とされる。

立ち上がる事すら億劫なように、落下したまま倒れこみ、縁は全く微動だにしない。

 

 

『_______________________________』

 

 

自らの存在意義は、存在理由は、その総てが偉大なる主人の為にこそあり。それが縁であった。

しかしそんな彼は今、初めて戦ったとはいえ遥か格下と思しき相手に醜態を晒し、無様な姿で

小振りな雲が所々に浮かぶ青空を見上げている。もはや己が強者であると驕ることも能わず。

最強無敗、仁者無敗、全戦全勝を謳い誇り続けていた。否、そう在り続けねばならなかった

道具として生きてきたはずの自分が、一度ならず二度までも敗北を喫した事に打ちひしがれる。

仰向けに倒れたまま起き上がる気力すら浮かばず、ただ漠然と視界に広がる青が体内にぽっかり

空いた穴に染み渡るような、言葉では表現し難い感覚に浸る縁は、上空の彼女の言葉を思い出す。

 

『………………………私には、理解出来(わから)ない』

 

 

それまでの自分の生き方を思い返し、先程の彼女の言葉と照らし合わせても、欠片も合致しない。

道具として、そう在れかしと役目を押し付けられていただけの彼には、分かるはずもなかった。

本来の八雲 縁という存在には、心などという人間染みたものなど備わっていなかったし、彼自身

必要とは思っていなかった。主人の意志のままに動き、使われるだけの、そんな道具だった故に。

 

個としての感情や心が、どのような作用をもたらすのか。心が人を形作るものだと知る由もない。

今の彼は単なる道具でしかなかったかつてとは違い、『影』が入り込んで人間を構成するあらゆる

要素を「模倣」することが、辛うじて出来ているという状態である。その程度でしかない彼には、

こころが何気なく語っていた、それでも的を射ていた言葉の意味など、理解できるはずもない。

 

 

『私は、私は、我々(わたし)を………………』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地表にて縁が重くのしかかる敗北に打ちひしがれていた頃、上空にいたこころはというと、

久方ぶりの弾幕ごっこに初見の敵と戦い勝利を収め、無表情で歓喜の感情を振りまいていた。

 

握り拳を空へと突き出す、所謂ガッツポーズを三回グルリと回って青空へと伸ばしている

彼女は、満面の笑みを浮かべている爺の御面を頭に被り、無言で自らの心境を伝えていた。

こころは自らの独特のポーズや言動を表情で表すことこそ叶わないが、人一倍素直であることを

彼女の周囲の者は知っている。よってこころは今、縁に何と声を掛けるべきか悩んでいた。

 

 

「………ん? アレは………」

 

 

落下したまま何の反応も示さないまま倒れている彼から視線を逸らすと、遠くの方から何かが

それなりの速度で接近してくるのが目視できた。額に手をやり無表情のままに眼を凝らすと、

それらが人であることが分かり、さらに自分と面識のある人物であることも判明した。

 

箒に跨り空を駆ける、白黒の魔法使いこと霧雨 魔理沙に、守矢の巫女こと東風谷 早苗の

両名を確認したこころは、珍しい組み合わせに何事かと思ったが、不意に視界の端が歪んだ。

急に自分の手前に空間の裂け目__________スキマが現れたことに火男の面を被って驚きの感情を

表してみる。しかし、そこから現れた二人の人物は、こころに目もくれずに視線を足下へ下げた。

 

 

「紫様! あそこに!」

 

「縁………!」

 

 

無数の瞳が蠢く境界線から出現した紫とその式たる藍は、未だに虚空を見上げたまま微動だに

していない縁を発見し、わずかに警戒したものの、その持ち前の頭脳によって現状を把握した。

 

「どうやら一悶着あったようですね」

 

「そうでなければ、私たちがあの子を見つけることなど出来なかったでしょう」

 

「しかし、いったい何故自分から居場所を晒すような真似を?」

 

「罠か、あるいは…………いえ、今はそんな事どうでもいいわ」

 

 

ポカンとしたままのこころを一瞥して現状を理解した藍は、今まで巧妙に自分たちの追跡から

隠れていた彼が、こんなにあっさりと発見されたことに違和感を感じていた。だが、主人である

紫はそのことを全く意に介すことなく、四肢を放って倒れている縁を注意深く観察している。

 

そこにいる面霊気、御面の集合霊であるこころと何かしらの接触の後、対立したことなど紫は

既に察していた。問題は、今の彼は何故、自分たちが来たにも関わらず動かないのかということ。

自分を追跡するものが現れたというのに、身じろぎ一つしない彼の様子に、紫は不安を募らせる。

しかし、幻想郷の管理者としての彼女は、動きを見せない彼の姿を見てすぐに思考を巡らせて、

今こそが今回の不気味で不可解な『異変』の元凶を仕留める好機であると、そう結論付けた。

 

(こんな事はしたくない……………けど、私には責任がある。だから、今はそうしなくては!)

 

 

今すぐ駆け寄って彼を抱き留め、共に自分たちの住処に帰りたいという八雲 紫としての願望を

無理やり封じ込めて、妖怪の賢者として成さねばならぬことを優先し、冷徹な仮面を被り直す。

 

 

「藍、今が、今こそが好機よ。縁を捕らえてその中にいる何かを、今回の元凶を引きずり出す」

 

「承知!」

 

「魔理沙、それに守矢の巫女。貴女たちにも協力してもらうわよ」

 

「いきなり言われてもなぁ。アタシはただ、里で弾幕ごっこなんか珍しいこともあるもんだと

思って、ちょっくら覗きに来ただけだったんだけど。まぁ、無視して帰る事も出来なさそうだ」

 

「わ、私はもとより縁さんを捕まえるために来ました! 神奈子様に何をしたのかを聞くまで、

諏訪子様がお怒りを鎮めることはありませんので! ですから、私もやってやりますよ‼」

 

「頼もしいことですわ」

 

 

式神の藍に命令を下し、すぐさま同時に現場へ到着した魔理沙と早苗にも協力を要請する。

それとない感じで了承した魔理沙と、自身が崇拝する一柱たる神の異変の謎を知る為に快諾した

早苗を戦列に加え、紫は四人での同時攻撃を提唱した。それに賛同した三人は、行動を開始する。

 

九尾の妖狐としての力を解放した藍と、先手必勝を是とする魔理沙が、近距離から大威力の攻撃を

確実に当てようと我先にと飛び出していき、その場に残る早苗と紫が援護射撃を担当する布陣だ。

 

 

「っしゃいくぜーー‼」

 

「悔しいが、貴様がいないと紫様が悲しまれる…………だから‼」

 

「縁さん、神奈子様に、神奈子様に何をしたんですか‼」

 

「……………………………………‼」

 

 

九尾の妖力を注ぎ込んだ豪爪を、眩い星屑が溢れ出る魔法陣を、霊力を編み込んだ特製の御札を、

そして彼女だけが持つ唯一無二の境界線を、それぞれ展開した彼女たちの一斉放火が降り注ぐ。

それらが目指すところは唯一つ。仰向けになったままで動かない、今回の『異変』の元凶。

迫りくる彼女たちの攻撃が着弾するその寸前、縁の体の下__________影がぞろぞろと蠢いた。

 

 

『__________‼ _____________‼ _______________‼』

 

 

彼女たちは知る由もないが、それまで縁と彼の中にいた影たちは、彼の能力によってごく自然に

結げられていた為に、暴走することも人を襲うこともなかった。しかし、今は状況が変わった。

縁はこころとの一戦によって自己の定義と意義を見失い、能力による強固な結びつきもかなり

あやふやに緩んでしまっていた。故に、そもただの妖怪であった影が暴走するのは必然である。

 

無数の触手のようなものを縁の影の中から突き出し、藍の豪爪と魔理沙の魔法攻撃を弾いた。

いきなりの迎撃に多少の驚きはあったものの、藍も魔理沙も取り乱すことなく攻撃を繰り出す

べき時を見計らう。上空でそれを見ていた早苗と紫は、触手を動かすべく援護射撃を厚くした。

 

 

『________________‼ ______________________‼』

 

 

それでも影は休まることなく、放たれるレーザーや爆発する御札の悉くから縁の体を守り通す。

あくまで現在の本体は彼であるからか、と紫は攻撃の手を緩めることないままに思考を巡らせ、

藍と魔理沙の接近戦に強い両者のための隙を作るべく、多方向からの面制圧へと方針を変えた。

 

影の触手は蠢き暴れ狂いながらも縁を守っているが、それでも戦力差が圧倒的なのは変わらず。

単純に物量差で攻め続けることが出来る彼女らとは違い、影は攻勢に転じる暇がどこにもない。

このままではいずれ、相手の猛攻に対処しきれなくなりいずれは、という時に変化は訪れた。

 

 

『___________‼ ___________、_____________』

 

 

それまでは吹き荒ぶ暴風雨のようにやたらめったら蠢いていた触手が、唐突に動きを止めた。

何事かと四人が攻撃の手を一瞬だけ停止したその瞬間、数本の触手が縁の体を持ち上げ始め、

ふらふらとおぼつかない足取りも数秒の後、顔を覆い隠した青年は、自らの足で大地に立つ。

 

縁の復活を目の当たりにした紫は、それまでの暴れるままの単調な攻撃が終わりを迎え、

代わりに統制の取れた戦略的な攻撃が始まる事を察し、援護射撃を止めて一目散に急降下する。

 

「縁‼」

 

 

それまでは、彼の中に潜む何かによる必死の防戦だったために、彼女は堪えていられたのだ。

しかし、彼が、縁が目覚めたとなってはもう、彼を愛する者としては心を抑えられなかった。

 

自らの役目も、義務も、責任すらもかなぐり捨てた紫は、亡霊のように立つ彼へと接近する。

彼女の式神である藍が何やら叫んでいるようだが、やけにその声が遠くに聞こえてきている

せいで、何を言っているのかが分からなかった。ただ、もう彼女は眼前の青年のことだけしか

頭に入っていなかったため、何を言っても無駄になっているのだが、誰もそれに気付けない。

 

そしてついに、紫の細く白い手が、腕が、彼を抱き留めて確保する直前、声が響いた。

 

 

『_____________征け』

 

 

紫が彼の、ひいては彼の足元の変化に気づくより速く、縁の影から五人の人影が飛び出した。

それぞれ背格好もまるで異なり統一性が無い。だが、そのどれもが一つの共通点を持っている。

八雲 縁と同じく、顔を達筆で一文字が書かれた布で覆い隠している、異様な出で立ちだ。

 

 

「アレは、あの時の……!」

 

「紫様!」

 

「おいおいおい、何だよアレ。アタシあんなの聞いてないぜ?」

 

「神奈子様………‼」

 

 

突然現れた刺客から主君を庇い、そのまま凄まじい速度で離脱していく藍と抱えられた紫は、

ずるずると這い出るようにして彼の周囲に現れた五人の人影の、その中の一人を睨みつける。

背中に巨大な注連縄と御柱を背負う『柱』の女性ではなく、巨大な荷物袋を背負う『河』の

少女でもない。獣のような耳と尻尾を携えた『響』の少女でもなければ、背に生やした三対の

薄氷で宙に浮く小柄な『氷』の少女でもない。彼女らの視線が射貫くのは、残る最後の一人。

 

両側頭部から角を生やし、鎖を掻き鳴らしながら瓢箪を煽る、『酔』と刻まれた少女だった。

 

 

「萃香…………やはり貴女」

 

 

藍の腕から抜け出て宙に立つ紫は、こちらを見上げて腕をグルグル回すその人影を見やり、

どうして彼女が自分と敵対しているのかを考えないようにしながら、再び戦意を滾らせる。

紫が戻ってきたことで状況が整い、魔理沙も早苗も臨戦態勢を取り、自分の相手を見定めた。

 

 

「神奈子様、私が必ず、必ずお救いしてみせます!」

 

「あれはチルノとにとりだよな…………何が何だかさっぱりだけど、アレは何かヤバそうだぜ」

 

「紫様、如何いたしますか?」

 

「…………貴女はあそこの山彦妖怪と、可能なら萃香を同時に相手取って足止めをしなさい」

 

「………我が全身全霊を以て」

 

 

早苗は本来の目的である神奈子の救済を、魔理沙はよく遊んだりしているチルノやにとりの

二人から感じる異様な雰囲気に警戒し、藍は紫からの命令を受諾して萃香と響子を見据える。

そして残る紫は、彼女ら五人の刺客たちを召喚した縁だけを見つめ、意を決した。

 

 

『…………………この場は、任せた』

 

 

しかし対する縁は戦闘行動を起こすことなく、敵対する意思も無いようで、この混沌とした

現状を呼び出した影たちに押し付け、自らは空間を結げて別のどこかへ離脱を企んでいた。

それを見逃す紫ではない。すぐさま攻撃を仕掛けながら接近するが、彼女の放った攻撃は

その総てがどこからか湧いて出た霧によって、文字通りに霧散させられてしまう。

 

 

「私の邪魔をするのね。いえ、そうまでしてあの子を守るのね、萃香?」

 

『…………………』

 

視線を縁から彼の前に陣取った『酔』の少女へと移すが、相手は瓢箪の酒を呷り呑むだけ。

藍が紫の援護に向かおうとするが、そうはさせまいと『響』の少女が行く手を遮ってしまう。

早苗と魔理沙は自分が相対すると定めた相手の目前へ赴き、一触即発の空気を醸し出す。

 

それぞれが対応にこまねいている中で、縁は空間に裂け目を生み出し、そこへ身を投じる。

 

 

「縁! 待って、待ちなさい‼」

 

『…………………………やれ』

 

 

ただ一言だけを残して縁は姿を消し、その一言を皮切りに、人里の上空で戦の火花が散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『う、くっ…………あった。ここが、我々たちの』

 

 

受けたダメージが予想外に大きいのか、胸を片手で押さえてふらつきながら歩く縁は、

人里からさほど離れてはいない、されど人の気配が微塵も無い寂れた洞穴に辿り着いていた。

 

周囲には鬱葱と茂った木々が太陽の光を遮り、昼間にも関わらず夜と見紛うほどの陰鬱さを

醸し出している。さらにはその木々すらも、葉が茂っているのに幹が枯れているような外見を

している為、傍から見ても不気味以外の何物でもない。まず人が寄り付かない場所であった。

 

そんな木々にひっそりと、誰かの眼かを欺くために隠しているようにしていたそこには、

荒い岩肌が露出した、何の変哲も無い洞穴があったのだ。無論、周囲の雰囲気の影響もあり、

ただのと言うには少々不気味加減が増しているのだが、彼にってそんなことは関係がない。

 

 

『この辺りに、きっと……………』

 

 

よろめく体で足を踏み出し、茂みに隠された洞穴へと近づいていく縁。彼は忙しなく周囲を

何度も何度も、まるで何かを探しているように見やる。その視線は、常に下を向いていた。

暗く恐ろし気な木々の根元を見て、そこには望むものが無いと知ってまた視線を別のところへ

向けていく。そんな作業を数分続けていた彼は、洞窟へ少し入った場所でふとその足を止める。

彼の布越しの視線が一点を捉えて動かない。彼の視線の先には、探し求めたものがあったのだ。

 

 

『__________________此処に居たのか』

 

 

縁が返事を求めずに言葉を掛けた先にあったものは、一部が白骨化した人間の死体であった。

 

全体的な大きさから見ても、その死体は子供のものであり、死んでから少なくとも数か月は

経過していることが分かる。もはや人としての原型すら留めていないその亡骸に、語り掛ける。

 

 

『随分と探したぞ。ああ、やっと見つけた』

 

 

着ていたであろう衣服は、あちこちがズタボロになってもはや破れた布の欠片にしか見えず、

それらの空いた隙間から覗く亡骸は、骨となった部分以外では明らかに異常な欠損が見て取れた。

死体の状態を見た縁は、思考回路を巡らせて回答を導き出す。その子供のことを、その末路を。

 

 

『妖怪に襲われて、命からがら此処へ逃げ延び、そして死んで喰われたのか…………』

 

 

悲惨、ただただ悲惨な結末であった。この幻想郷では想像に難くない、人外による捕食殺害。

まだ年端もいかない幼子に課せられた非道な運命を、彼には嘆くことなど出来なかったが、

それでも彼の中に何かが渦巻いていることだけは感じられた。その猛りを、昂ぶりを口にする。

 

 

 

 

 

『ようやく、ようやく見つけたよ………………そうだ、もう"遊び"はお終いにしよう。

これでお前は、お前たちは元の場所へと帰る事が出来るはずだ。さぁ、みんなで帰ろうな』

 

 





いかがだったでしょうか?

謎が謎を呼ぶ縁編、いよいよこれから後半戦へと突入いたします!
問題はそれがどれぐらいになるかなんですけどねぇ…………ええ、不明です。
予定ではあと二十話以内に縁編を完結させるつもりで入るんですが、
どうなるかは分かりません。二十週となると、ああ、九月頃ですかね。


それでは次回、東方紅緑譚


第八十五話「緑の道、紅との邂逅」


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第八十五話「緑の道、紅との邂逅」




どうも皆様、土曜日更新すらももはや怪しくなってまいりました
萃夢想天です。くっそあのTV、PS4が出来ねぇでやんの畜生ォ‼

というわけで、前回人里に最高戦力が集結して縁が何やら謎めいた
言動を発したところで終わりましたね。ええ、続き気になりますね!
今回はその続きからです。ついに、ついにあの影の謎が明らかに!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

縁はその後、洞窟の内部とさらに周辺を散策して、さらに複数の子供の亡骸を発見。

それらを無下にすることをせず、鬱葱と生い茂る陰鬱な森の中で、少しでも陽の当たる場所を

選んで手厚く埋葬して弔った。わずかに膨らんだ土の上に、石ノ塔を積み上げて手を合わせる。

黙々と、口を開かずただ黙々と子供たちの弔いをした縁は、最後に簡素な墓前に花を手向けた。

 

その時、自らの足元____________陰に潜んでいるアソビが小さく蠢動したのを察知した縁は、

自身の内部に入り込んでいるアソビの、その正体を断片的なものを繋ぎ合わせて理解に達する。

 

 

『そうか。やはりお前たちは………………死してなお現世に残る、幼子の思念なのだな』

 

 

彼の影に潜むアソビの正体。それは、この世に存在する数多くの「影」にまつわる童遊びが、

無念のうちに死んでしまった幼子の思念により、複雑に融合して実体を得た存在であった。

 

 

 

誰もが知る有名な「影」にまつわる遊び。その中でアソビが最も色濃くその特徴を表している

ものは、『影踏み』と『影送り』と呼ばれる二つの遊びだ。改めてここに詳細を記しておく。

まず『影踏み』であるが、これは本来『影踏み鬼』という名前の遊びで、いわゆる鬼ごっこの

派生遊びであるのだが、発祥、もといその起源は鬼ごっことは違い一切が不明となっている。

一般的に知られている遊び方は、開始の合図で一斉に他者の影を踏む。あるいは一定時間、

他者の影を踏み続けるというもの。しかしこれとは別に、もう一つの大まかな遊び方がある。

それは、鬼役を決めて行う遊び方である。鬼となったもの以外は建物などの日陰に入り込み、

開始の合図とともに一斉に飛び出す。もしくは、日向で一定時間経過の後、鬼が影踏みを開始。

鬼役の子が他者の影を踏んだ時、影を踏まれた子が新たな鬼となり、立場を交代させる。

この影踏みこそ、アソビが他者の影を抜き取る際に使用した力の一つで、影を踏むことで他者の

動きそのものをある程度封じることが出来るのだ。影とはいわば、『触れられない自分自身』で

あるため、自分の動作に必ずついてくる。光源により映し出される自分は、何をどうしても必ず

動作についてくるのだが、このアソビは存在自体が影である為に、その影を操ることも出来る。

 

続けてもう一つの遊びである『影送り』であるが、これは『影踏み』よりも有名だろう。

よく晴れた(雲などがないとなお良い)日に、足下に伸びる自分の影を一定時間(約十秒ほど)

見つめてから空を見上げてみると、そこに先程までは無かった自分の影が映るという遊びである。

これはいわゆる『エンメルトの法則』と呼ばれる、目に映る物体(網膜像)の大きさが同一となる

場合に、その物体との距離に比例して知覚される大きさそのものが変化するとされた法則が

大きく関わってくる。詳しい説明は省くが、実際に晴れた日などに試してみると、上手くいけば

自分の影と同じ形の残像が、空に映し出されることだろう。実際は網膜に焼き付けられた画像を

別の画面を通して見ているだけに過ぎないのだが、それでも科学的かつ論理的な思考や論述が

なされなかった時代の人々にとって、自らの影が空に映る事実とは、神秘と違いはなかったのだ。

 

『影送り』の力もまた、他者の影をアソビが抜き取る際に活用した力の大部分である。

何者かと敵対した際、アソビは幽かな声で十秒を数えていた。これこそ、自分自身(影)を相手の

影へと「送る」ことに必要な時間であった。妖怪や幽霊などは、それらにまつわる伝承や伝説が

行動理由や存在理由になることもあれば、弱点やはたまた長所になることもある存在なのだ。

"十秒数えて別の場所を見ると影が送れる"という伝承が、アソビの力の一つへ昇華されたという

ことになる。それら二つの事実を、この時縁は確かに理解していた。だが同時に、謎が生まれた。

 

 

『______________何故お前は、お前たちは私の影を奪わなかった?』

 

 

彼が口にした言葉こそ、彼がアソビについて理解したことで新たに浮かび上がった謎であった。

アソビは死んでしまった幼子の思念の融合体なのであれば、なるほど確かに同じ人間ではなく

自分たちを生前に殺して喰らった妖怪を狙ったことも辻褄が合う。けれど、それだけでは縁を

狙わなかった理由にはならない。彼には神通力や霊力の他にも、妖力が宿っているのだから。

 

自分の影を奪うことをせず、中に隠れ潜むような真似をした理由があるのか否か。その答えを

縁はゆっくりとした歩調で歩きながら思考回路を回し続け、ふと立ち止まって周囲を見回す。

 

 

『ここは、十六夜 紅夜を幻想郷へ招き入れた、あの場所の付近だな……………まさか』

 

 

今自分がいる場所に見覚えがあり、記憶の戸棚を引き出して正答を思い返した縁はそこで、

ある結論に辿り着いた。彼の聡明な思考回路は正常に、一つの答えを自らに提唱していた。

 

縁が外の世界に居たC7110、十六夜 紅夜となる前の少年を幻想郷へ招き入れた場所こそ、

今自分の足元でうねるアソビが封印されていた祠のすぐ近くだったようだ。その為、付近で

妖怪に襲われて死んだ子供たちの幽かな思念が封印をすり抜けて、内に封じられていたアソビと

混ざり合っていき、目覚めたと同時に縁を狙って後を追いかけていたのだろう。

 

それは、縁の持つ能力である『全てを結げる程度の能力』こそが、最大の鍵となる。

あの時に彼は、幻想郷にきて右も左も分からなかった当時の紅夜に対して、警戒心と敵意を

収めてもらうべく自らの名前と能力を明かしていた。アソビは、それを聞いていたのだろう。

"全てを結げる"能力さえあれば、人間のもう一つの魂とも呼べる影を、自分たち自身を、

本来あるべき場所へ戻すことが出来るかもしれないと考え、思念はアソビを動かしたのだ。

 

『僕を見つけて』

 

『私を見つけて』

 

『俺はどこなの』

 

『かえりたいよ』

 

『かえりたいよ』

 

『かえりたい』

 

『かえして』

 

 

幼く不安げな、それでいて酷くドロドロした何かをまとった怨嗟の声が体内で渦巻くのを

感じながら、縁はそれら全てに応えることはできないと思いながら、目的の達成を悟った。

それと同時に、残るは今回の騒動の責任を取るだけだという、使命感と覚悟を再確認する。

 

『もっと早く私が………………いや、これでいいのだろう』

 

 

歩きながらそう呟いた縁は、既に距離が開いてしまった後ろを向き、幾つか並んだ石ノ塔を

胡乱気に見つめた。声が鳴りやむことは無く、それでも彼は手立てがないことに悔しがる。

もう少し早く、あるいは最初から彼らと共にあることが出来たならば自分は。そう考えた

縁はそこで思考を停めて、これからしなければならないことに目を向ける。最後の大一番へ

向けた、八雲 縁としての最後の行動を成し遂げねばならない。そして彼は、前を見据える。

 

 

『あと少しの辛抱だ。あと少しで苦しむことはなくなる…………解放の時は来る』

 

 

まるで誰かに言い聞かせるように言葉を紡いだ縁は、再び空間を結げて森から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ! にとりはともかく、これがあのチルノだってのかよ! ありえないぜ‼」

 

 

その頃、人里の上空で突如幕が上がった戦闘にて、箒に跨る魔理沙が大声で愚痴を吐いていた。

自分に向けて飛来する尋常ではない弾幕をギリギリで避ける彼女に、同じく苦境の早苗が応える。

 

「魔理沙さん、そっちもう少しちゃんと抑えててくださいよ! 私なんか元からお強い神奈子様と

一対一でやり合ってるんですからね‼ それに比べたら魔理沙さんなんて屁の河童でしょうが‼」

河童(にとり)だけにってか! 今はそんな冗談言ってられる場合じゃないっつーの‼ あぶ、危なっ!

ふざけたこと言ってる暇があんなら、一秒でも早く神奈子倒してアタシの加勢をしろ‼」

 

「無茶言わないで下さいよ‼ 魔理沙さんの相手は河童と妖精でも、私は戦神が相手なんですよ!?

一秒でも早く倒すどころか、一秒でも長く倒されないことに集中しなきゃ負ける相手なんです!」

 

「無駄口叩いても負けてねぇなら、うぉ! っと、何とでもなるぜ! だぁぁ何故当たらん‼」

 

「だーかーらぁぁぁあ!? か、かすった! 今かすった! そっちが速く倒して助けて下さいよ!」

 

「二人とも集中しろ‼」

 

 

必死に攻撃を躱しながらも口撃を止めない味方二人に、『響』の少女と相対している藍は鋭い声で

忠告を飛ばすものの、当の本人たちは聞こえているのかいないのか判別に困る状態であった。

加えて他者に檄を飛ばしている余裕が彼女自身にあるわけもなく、ほんのわずかに気が緩めば、

如何に大妖怪と弱小妖怪の差があろうとも、手痛い一撃を受けるということを本能で察知する。

荒波のように押し寄せる攻撃をかいくぐる藍は、その最中であっても主人たる紫への手助けを

試みようとするが、自分と相対している『響』の少女と、紫が戦っている『酔』がそれを阻む。

九尾の妖狐と呼ばれ畏れられていた自分をも従える、妖怪の賢者と謳われしスキマ妖怪の紫が、

一進一退の攻防を強いられるほどの強敵が、今まさに自分たちと敵対している事実が恐ろしい。

 

紫がスキマから目も眩むほどの弾幕を放てば、『酔』の少女は両手に握った橙色に発光する弾幕を

力いっぱいに投擲して、花火が夜空に開花するような音を響かせて何もかもを相殺させてしまう。

ならばと万物を貫通せん勢いでレーザー型弾幕を射出すると、左手で固定した右腕を突き出して、

紫の目の前で黒い小さな渦を生み出し迫りくる攻撃全てを飲み込ませてしまった。重力渦(ブラックホール)だ。

 

「くっ……‼」

 

『………………』

 

 

どれほどの物量で攻めても、どれだけの質で放っても、一切合切何もかもが雲散霧消させられる。

敵に回すとこれほどまでに恐ろしいものかと歯噛みする紫だったが、耐え切れずに声を荒げた。

 

 

「答えなさい! 萃香、貴女は私を………誰かを裏切るような事をしない事など分かっているわ‼

だからこそ私の問いに答えなさい‼ 今貴女は、何を以て、誰の為に、誰に矛を向けているの!?」

 

 

それは、紫が彼女をよく知るからこそ、伊吹 萃香という鬼をよく知るからこその言葉だった。

鬼と呼ばれる種族は元来、情に厚く義理にも固い性格で、一度契りを交わしたならば必ず守り、

共に定めた約束は絶対に裏切る事をしない、そんな誇り高き者たちであるはずなのだ。

しかし今の彼女にはそれが当てはまらない。旧友であり、共に死線を乗り越えた戦友でもあった

萃香が、どうして自分を裏切るような真似をするのかが、紫には全く分からなかった。

 

そう、この時の紫は縁に対する執着のあまり、目が曇っていた。

故に気付くことが出来なかった。思い出すことが出来なかったのだ。

 

伊吹 萃香という鬼が、「裏切ることなどありえない」という最も簡単な事実を。

 

 

『________________ああ、分かってるさ』

 

 

だからこそ、それまで沈黙を保っていた彼女から言葉が発せられた瞬間、紫は驚愕した。

続けざまに撃ちこもうとしていた攻撃を急きょ中断して、静寂を破る彼女の発言に反応する。

 

「萃香、貴女やはり………………分かっているのなら、何故私と戦うの! 何故縁を‼」

 

『……………やれやれ、あの八雲 紫がここまでとは。いよいよ重症だねぇこりゃ』

 

「何の話を」

 

『鬼は信頼の生き物だ、まずは順に答えようか。お前と戦う理由っつったねぇ。

それについてはあたしが詫びることはこれっぽっちもありゃしないよ。分かるだろう?』

 

「………どういうこと?」

 

『おいおい、ソレ本気で言ってるのかい? 重症どころか致命傷じゃないか!』

 

「真面目に答えなさい‼」

 

『あたしはいつでも真剣だよ』

 

 

焦りに表情を歪ませる紫とは対照的に、言葉の端から伝わる感情が徐々に冷めていく萃香。

二人はともに攻撃の手を停めて、周囲で続けられている攻撃の余波を無視しながらも、

お互いが口にする言葉を一言一句聞き逃さないように神経を尖らせる。

 

『酔』と書かれた布を手で押し上げ、そこへ持ち前の伊吹瓢を突っ込んで中の酒を呷り呑む

萃香は、ぷはぁー、と一心地つけてから上空に浮かぶ紫を見上げて一つ目の問いに答えた。

 

 

『忘れたとは言わせないよ。紫がアイツに博麗神社で何かやらせていた日の夜のことさ』

 

「……………あの晩酌のこと? 覚えているわよ」

 

『いんや、忘れてるね。あの時、あたしに何を頼んだのか…………ちゃんと覚えてるかい?』

 

「頼んだ………? 私が貴女に頼んだことなんて何も……………‼」

 

 

萃香からの問いかけに対し、紫は今から約二か月ほど前の記憶を遡り、自らの発言を思い出す。

幾千の月日を生きている不老不死の身であれども、決して記憶が薄れるようなことは無く、

また自分自身も珍しく本心を打ち明けていたこともあってか、当時の己の発言を鮮明に紐解く。

 

 

『とにかく、これからもあの子は成長させる必要があるわ。幻想郷の色々な文化や歴史、

妖怪や人間などの多種多様な者達と触れ合うことになるから』

 

『ヤバそうだったら割って入れって? 自慢の式にやらせたらいいじゃんか』

 

『出来たら貴女に頼んでないわ』

 

『だね………………まぁ昔の(よしみ)だし、いいよ。しばらくは付き合ったげる』

 

 

肝心な部分の記憶をつまびらかにした紫は、自分自身の失態と醜態に顔をしかめて俯く。

かの大妖怪が何ということだろうか。いくら大事にしていた者に異変が起きているからと言えど、

旧友と交わした約束を忘れることなどあっていいはずがない。まして相手は鬼だというのに。

情けなさのあまりに唇を噛み切りそうになるのを堪え、紫は下に向けた顔を上げて確認をした。

 

 

「そう、そうだったの。萃香、貴女は今までずっと、約束を守ってくれていたのね?」

 

「ああそうさ! 鬼のあたしが約束を破る? 嘘を吐くだぁ? あるわけないだろそんなこと‼」

 

紫の言葉に反応した萃香は、それまで顔を隠していた『酔』の布を、自らの手で引き剥がす。

状況が呑み込めない魔理沙や早苗、藍はいきなりの出来事に目を見張らせるが、当の本人たちは

それらをまとめて無視する。これで彼女への疑いは晴れたが、紫にはまだ疑問が残っていた。

 

 

「だったら、どうしてそれを先に言わなかったの‼ それ以前に縁が、あの子がああなってしまう

前にどうにかすることは出来なかったの!? それにあの約束だと、私と敵対する理由は無いはず‼」

 

「ん~~、まぁその通りなんだけどさ。そればっかりはあたしの落ち度というか何というか」

 

「何よそれ。ハッキリ言ってもらうわよ」

 

「いやぁ、その、紫が言ってたじゃんか。ほら、『妖怪や人間などの多種多様な者達と』って。

あの薄っ気味悪い影もそれの枠組みに入るんだろうと思って見逃したら、あんなことに…………」

 

「私が悪いと言いたいのかしら?」

 

「強いて言えば言い方が悪いっちゃ悪いけど、今度ばかりは反省してる。済まなかったね。

けどさ、約束は約束だからさ。あたしが破るわけにも反故にするわけにもいかなかったんだよ」

 

一応反省はしていると語った萃香だったが、酒を呷る片手間に謝罪をされても意は汲めない。

むしろ一気に懐疑的な思考が逆戻りしてきた紫は、深まった疑念を追求すべく萃香に詰め寄る。

 

 

「あらそう。だったら教えてほしいものだわ、どうして私と敵対したのかってこと」

 

「そりゃ当然、約束だからだろう」

 

「この私と敵対してでもあの子を守れとは言ってないわ‼」

 

「…………でも、『割って入れ』ってことは、アイツに加勢しろって事で合ってるよな?」

 

「それは………」

 

 

言葉で切り崩そうと画策していた紫だったが、逆に思わぬ切り返しを受けて言葉に詰まって

しまった。間違ってはいないということが分かっているため、紫は萃香を強く責められず、

逆に萃香も紫が強気に言いくるめられないと理解していた。余裕の表れとして、彼女が再び

愛用の伊吹瓢を呷って酒を嚥下しようとしたその時、彼女らのすぐ近くの空間が裂け始める。

それは徐々に大きく広がっていき、ものの二秒足らずで彼が通れるくらいになってしまった。

 

そして二人の予想通りに、その奥からのそりとした動作で、八雲 縁が姿を現す。

 

 

『………………戻られたのですね、伊吹 萃香』

 

「おう。今からあたしは"こっち"側だよ。"そっち"側に居る必要はもう、無いんだろ?」

 

『話が早くて助かります。貴女にはとても助けられた』

 

「そんなこと気にしなくていいよ。さて、そんでどうする気だい?」

 

『無論、このまま計画通りに事を進めます』

 

「…………そうかい」

 

 

つい先程姿を消した時とは、また少しだけまとう雰囲気が変わったように感じられる彼を

見つめる萃香と紫は、何やら意を決したような言葉を発した彼に警戒心を露にする。

対して周囲の状況を俯瞰的に、客観的に見つめている縁はそこでようやく"あるもの"の

存在に気付いた。より正確に言えば、ソレが接近してきていることに、気付くことが出来た。

 

彼が布越しの視界に確認したもの、それは、色鮮やかにたなびく『紅い霧』であった。

 

 

『アレは、まさか‼』

 

「そのまさかだよ」

 

 

思わず口から出た言葉と、それに対する返事を聴覚が知覚した瞬間、縁は剣を抜き放った。

ただ声のした方へと無心で振るった六色の刃は、空を斬ることなく金属音を派手に響かせる。

バチッ、と火花を飛び散らせたことで見えた相手の相貌は、互いに決して忘れるはずがなく、

むしろ事ここに至って言うのならば、片や探し求めていた相手、片や計画の邪魔者のそれへと

変化していた。鍔迫り合いで太刀とジャックナイフが競り合う最中、その少年は言葉を発する。

 

「やぁ、久し振りだね。実に何か月ぶりかな、八雲 縁」

 

『…………ああ、久しいな。実に数か月ぶりだ、十六夜 紅夜』

 

 

血よりもさらに鮮やかに濃い紅霧を漂わせる少年、白銀の髪に漆黒の燕尾服を着こなしている

その少年、十六夜 紅夜は両手にズラリと握り並ばせたジャックナイフで縁の刀を押していた。

紅夜から送られた挨拶に、縁は意外にも気さくに返し、彼と同じように六色を押し込んだ。

 

ガリギリと不協和音を奏でる得物を挟んで、二人の会話は続けられる。

 

 

「君には聞きたいことが山ほどあるけど、今はそれどころじゃなさそうだね」

 

『………その通りだ、十六夜 紅夜。私もこの場で、多くを語る気は毛頭無い』

 

 

縁が紅夜の言葉を返したと同時に、両者は手にしている得物を振り切って距離を取った。

刃こぼれの激しい太刀を両手で構え、切れ味鋭いナイフを幾重にも重ね、二人はそのままの

体勢で互いの隙となりえる部分を注意深く探ってみるも、そのような部分を発見できなかった。

 

しばらく睨み合っていた二人だったが、おもむろに縁が六色の切っ先を下げて手を振りかざす。

妙な動作に警戒心を引き上げる紅夜に、縁は剣を右手に握ったまま両手を広げ、堂々と語る。

 

 

『此度の【異変】、その原因であり根源でもあるこの私を見事討ち取り、異変解決者として

名を挙げて見せろ‼ お前はその為にこの幻想郷へ来たと知れ、十六夜 紅夜ぁ‼』

 

 

 







いかがだったでしょうか?

いやぁ、最近になって縁編を書くのが楽しくて楽しくて!
やはり作者自身がストーリーを読み返すのも大事だなぁって思いました‼
序盤の時の伏線とか、もう作者が忘れている始末ですからねぇ。


それでは次回、東方紅緑譚


第八十六話「緑の道、託す今と託された過去」


ご意見ご感想、並びに批評など大歓迎でございます!


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第八十六話「緑の道、託す今と託される過去」



どうも皆様、FGOで爆死した挙句にスパンが短すぎるイベントで
奔走した結果、体調を崩してしまった萃夢想天です。
ああ、人の欲望とは何たるものであるか、絶滅して然るべしぃ!

どうして金曜日に早く帰って書き起こそうとしないのかっていうと
本当にそうなのですが、もう何と謝罪すればよいのかと本当にもう。
しかも日曜日投稿のライダーSSが一か月以上停滞しているので、
いよいよヤバめなんですよね…………もういっそ一本に絞ってやろうかな。


嘆きもそこまで、これ以上はもう何も言えませんので。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

縁と紅夜がついに邂逅を果たし、道を歩みし者は己を誇示するが如く広げた両手を天に掲げ、

夜を往く狩人は全身に鮮やかな紅色の霧をまとい、相対する懐かしき青年を油断なく見据える。

互いの手には、酷く危険な香り漂う壊れかけの日本刀「六色」と、統一された殺傷特化型の

鋭い刃を並ばせるジャックナイフとが握られており、切っ先は相手を殺める時を待ち侘びていた。

縁が紅夜を、紅夜が縁を捉えて一切視線を動かさずに構えて十数秒、彼らを囲むようにして

戦いを展開させていた紫や藍、魔理沙たちと影の少女たちとは異なる声が下から聞こえ始める。

 

 

「なんだなんだ?」

 

「何の騒ぎだってんだ!」

 

「また弾幕ごっこで誰かがドンパチやってんのか!」

 

「でもよ、なんか様子がおかしいみたいだぜ……?」

 

 

一瞬でも気を緩めた途端に勝敗が別れる二人を除き、中空にいた者ら全てが声の出どころへと

視線を向けていた。するとそこには、先程までは気配も感じなかったはずの人だかりがあった。

どうやら縁とこころの弾幕ごっこが火付けになり、その後も止むことなく続く騒音が気になった

人里の住人たちが野次馬として様子を見に来ているようだ。彼女らの公正な決闘方法である

【弾幕ごっこ】は、その勝敗を決める基準に"美しさ"とあるため、見る者がいても問題は無い。

そう、今繰り広げられていたのが、公正で普通の弾幕ごっこであったならば問題は無かった。

 

 

『_______________ッッ‼⁉』

 

足下の地上で人がまばらに集まっていることに気付いた縁は、そこで自身の異変に気付く。

 

 

『なん、だ…………体が、何が起きている⁉』

 

 

それまでは悪党然とした風体で、剣を右手に握っていただけの彼は今や、その体を二つに折り

苦悶の声を上げている。空いた左手で胸の辺りを押さえているが、ふらりと体勢が崩れ落ちた。

流石の紅夜も今の彼の様子がおかしいことに気付き、何事かと改めて観察の視線を彼に向ける。

 

ほんの数瞬前までは余裕を見せていた彼が、今では肩で息をするようにして、時折隠れた顔から

痛みを堪えるかのような呻き声が漏れ出ている。いきなりの変化に戸惑うが、それ以上に紅夜は

そこでようやく彼の明らかな異常に目が向いた。彼を守る影の触手が、わなないているのだ。

 

 

「話してくれないって言ったばかりだけど、一つ聞いてもいいかな…………それは何だい?」

 

 

以前に聞いていた彼自身の能力と、現在の彼と現場の状況とが一致しないことにやっと疑問を

抱いた紅夜は思わず尋ねてみるが、当然ながらに答えは返らず、苦し気な声が漏れ出るばかり。

そうしているうちに縁の体が一度ビクンと小さく跳ね、苦悶の呻きと体の痙攣が収まった。

その場の誰も、彼の身に起きていることが分からずに傍観しているだけの現状で、中心人物たる

縁自身が行動を起こした。だがそれは、至近距離にいた紅夜ですら見落としかねない些細な所作。

先程までは紅夜にのみ突き刺さっていた視線が、足下の野次馬の中の一点へ向かっていた。

 

 

『く、ぐぅ………あああああぁぁあああぁああ‼』

 

「何だ⁉」

 

 

縁の視線の行く先に気付いた紅夜だったが、それが一足遅かったことをこの時になって悟った。

周囲をウネウネと蠢いていただけの影の触手の動きが止まり、かと思えば一斉に真下へ向かって

目にも留まらぬほどの速度で伸びていく。我先にと争うように急降下していく触手たちが向かう

直線上には、人里の住人達による野次馬、そのさらに下にいた事の危険性を知らぬ子供の姿が。

 

 

「オイ、何する気だアレ………って、待て待て待て待て‼」

 

「もしかしてもしかするヤツじゃないですかアレ⁉」

 

「紫様!」

 

「何がどうなってるの………縁!」

 

 

それまで縁の支配下にあったはずのアソビが突然蠢き出し、眼下にてこちらをうかがっている

里の人々へと触手という矛を向けている現状に、魔理沙や早苗はともかく藍と紫すら驚愕した。

当の縁は紫からの問いかけに反応すらせず、再び苦しむような動きをみせているだけとなり、

アソビの触手を止められる者がいないために、それらは悠々と直進し続けて目標へ突き刺さる。

 

 

「な、なんだコレ! 俺の、か、影がぁ‼」

 

「あがっ………!」

 

「父ちゃん! お、おいらの影に何か入っ__________」

 

「あ、ああ、何が起きてるんだよぉ‼」

 

 

人だかりへ一直線に向かっていった影が、集団の影の中に次から次へとずぶずぶ入り込んで、

そこから数秒もしないうちに悲鳴が上がり始めた。大の大人から子供まで、老若男女問わずに

一切合切の影をアソビの触手は奪い去っていく。さらには周囲にある軒屋などの建造物などの

建造物の影にすらその力を及ぼしていく。彼女らの足元に、たった今絶望の花が咲き乱れた。

 

影を奪われた人々は意識を失くしてどたどたと倒れこんでしまい、恐怖と困惑が入り混じった

表情のままに動きを停止している。建造物はというと、影を抜かれた影響で全体的に歪みが

生じているらしく、最初に抜かれた建物から徐々に傾いて崩れ始めているようだった。

そこまでやっているアソビだが、その動きは一向に止まることなく、被害を拡大させている。

 

 

『_______________っあ! か、ふぐぅ…………』

 

「縁! 縁‼」

 

『紫さ……ま…………なんだ、これは。何がどうなっている⁉』

 

 

するとここにきて縁の意識が戻ったようで、紫の必死の呼びかけにも反応を見せた。

彼女の言葉に反応こそした彼だったが、眼下で広がる惨状に対して思わず声を荒げた。

 

人が、建物が、何もかもが。

ありとあらゆる『影』が、ずるりずるりと無くなっていく。

 

また一人と里の人間が倒れ伏していく様を見せられた縁は、そこで自分の中に潜んでいる

アソビが暴走を起こして凶行に走ったのだとようやく気付き、それを止めるべく能力を使う。

『全てを結げる程度の能力』を使えば、アソビの意識、あるいは意志と直接結合することで

その行動を掌握ないし制限できることを実際にしてきたからこそ、縁はすぐ対策を実行した。

しかし、それが既に失策であることなど、この場の誰も知る由も無かったのだ。

 

 

『な………これは、まさか⁉』

 

 

アソビと結合することで事を治めようとしていた縁は、その瞬間に自身の迂闊さを呪う。

 

縁の能力である『全てを結げる程度の能力』によって、自分以外の存在の意識や意志を結合

させる時には、必ず両者間の結合部をつなげている「道」と呼ばれる通路を構築している。

そこを通じて彼は他者との意識結合を行い、あるいは記憶や情報などの相互交換をさせる事が

出来ているのだ。これこそが彼の能力の基本にして根幹なのだが、ここに弱点があった。

 

普通は自分以外との意識が直結された際、違和感を感じたとしても「今結がった」といった

実感のある感知はできないはずなのだ。他者と意識を共有するなどという、本来あり得ない

現象を体感しているならまだしも、正確にそれを探知して把握することなど無理難題である。

ところが今回の相手は、あのアソビだ。『影』を「踏み」、「送る」事に長けた相手なのだ。

 

 

『私の能力を逆手にとって__________________この私を完全に乗っ取るつもりか⁉』

 

 

結げた「道」を辿ってこちらへと何かが雪崩れ込んでくるという異常な感覚を察知した縁は、

このままではまずい、すぐに能力を解除せねばと思考を切り替えるが即座にそれを断念する。

アソビからの強制的な干渉に対策を取らねばならないが、今の彼にはどうしようもなかった。

 

能力を使わなければ、人里に今どれだけ残っているかも分からないあらゆる影が完全に奪われ、

能力を使えば、侵食を始めているアソビに自分自身の肉体全てを乗っ取られてしまう事になる。

 

まさしく八方塞がりともいえる板挟みな現状に、縁は最適解を見つけるべく思考に没頭するも、

打開策どころか少しでも良い方向へ進むような作戦を、何一つ思い浮かべられなかった。

最悪の板挟み状態となった縁は、ゆっくりと自分を奪われる感覚に襲われる中、手を伸ばした。

 

 

(このままでは……………誰でもいい、誰か………誰か私を‼)

 

 

それはまるで、濁流に飲まれる中で助けを求め必死にもがく幼子のような、そんな手であった。

あるいはそう、恐ろしい悪夢にうなされて何かを遠ざけようとする子供のような手でもあった。

 

無我夢中になって救いを乞うかのように伸ばしたその手が空を掻き、空しく指が動き回る。

 

「縁っ‼」

 

『‼』

 

何もかもを塗りつぶそうとする濁流の中で、消えかけの意識が最後の瞬間に確かに聞き取った

その声の主は、彼が忘れようもない人物である八雲 紫その人だった。

 

ギリギリのところで両者の結がりが無くなった瞬間を見逃すはずはなく、今なお自分が縁の

主人であると信じて疑わない彼女は、力なく伸びていた彼の手を確かに掴み、救い出していた。

 

「縁、縁! しっかりなさい!」

 

『_____________________』

 

「えに………し………」

 

 

手を掴んで引っ張り出した紫は、ひし、と胸元に強く抱き寄せた彼の様子を確かめるが、

反応は芳しくない。四肢もだらりと脱力しきり、言葉を発するどころか呼吸すらも停止して

しまっているかのように、肩も胸部も動かない。それを理解した紫は、顔色を蒼白に染める。

 

ところが次の瞬間、さながら「返せ」と叫んでいるかのように再び不規則に蠢いて暴れだした

アソビの触手が、紫と彼女の抱えている縁へと迫る。その目的は、あえて言う必要もなかろう。

次々と襲い掛かってくる触手は脅威だが、紫にとっては規則性の欠片も無くただがむしゃらに

暴れまわるだけの力押しなど怯えるに値しない。しかし、今の彼女は彼女だけではない。

 

 

(縁がいる。この子を守りながらでは…………一人で動くのとは、また違うわね!)

 

 

体重が優に90kgを超える縁が人形同然となってしまっている以上、彼を庇いつつ動かねば

ならなくなっている。先の戦いでわずかではない消耗をしている彼女では、これ以上彼への

攻撃をどうにかすることは難しいのだ。それが一番分かっているからこそ、紫は焦る。

 

一瞬の判断の遅延が命取りとなる現状で、それでもやはり八雲 紫の決断は早かった。

 

 

「……………………もう、これしかない」

 

 

縁を奪い返そうと際限なく増え続け襲ってくるアソビの触手から、彼を守ることこそ最優先

事項であると判断した紫は、眼前にスキマを生み出し、そこめがけて最高速度で空を駆ける。

逃がす気など毛頭ないとばかりに迫る触手は、しかし紫の忠実な下僕たる藍が見事に抑え、

九尾の豪爪で斬り裂いて時間を稼いでみせた。主君を見やる彼女はその時、確かに聞いた。

 

 

「_________________託すわ」

 

 

ただ一言だけそう呟いた紫は、そのまま縁と共にスキマの中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「_____________________?」

 

 

不思議な感覚がする。

懐かしい感覚がする。

まるで、何もかもから解放されたかのような。

 

 

「…………はっ⁉」

 

 

柔らかな水の中を揺蕩うような感覚の中から、彼は急速に浮上する勢いで目を覚ました。

文字通りに飛び起きるような形で微睡みより覚醒した彼は、すぐ自身に不調があるかを確かめる。

神経駆動、問題なし。

五感反応、味覚を除いて問題なし。

内部機関の損傷及び不調、問題なし。

 

自分自身の体の点検を素早くし終えた彼は、慌てて起き上がった反動で小刻みになった呼吸を

整えてから、改めて自分以外に目を向ける。そこで彼は、自分の記憶に残っている最後の光景と

現状が合致していないことに、周囲の景色や様子が明らかに一変していることに気付いた。

 

「どういう、事だ? ここは幻想郷の人里のはずだが、しかしどこか違う…………?」

 

 

警戒を怠ることなく辺りを見回す彼は、自分が最後に記憶していた場所と現在位置が、

微妙に違っていることに気が付き、差異を感じる部分に重点を置いてさらに観察を続ける。

色々な点に着目しながら状況を見つめ直す彼は、そこで明確な違いとなる部分を口にした。

 

 

「ここは幻想郷の人里ではない。そして、ここは幻想郷ですらないのではないか?」

 

 

思わず口をついて出たその言葉を裏付けるように、彼の布越しの視線は様々な場所を捉える。

 

柵に囲われて肩を寄せ合うように密集していた建造物や街並みは、均等に区分けされたような

道と道を挟むように、分かりやすく言えば"田"の字を形成するような分布で構成されている。

さらに空を見上げれば、幻想郷ではやや小振りで西に傾きかけていた太陽も、明らかに見た目が

大きくなったいる上に完全に西の空へ埋まろうとしている。昼下がりの空が、夕暮れ入りの空へ

変わってしまっていた。これだけならば時間経過ともいえるだろうが、太陽の大きさは違う。

 

太陽は年月によって地球との接近具合が変わるため、年によって見える大きさが若干変わる。

つまり、大きくなったり小さくなったりを繰り返しているはずなのだが、少し前の記憶では

小さく見えていたはずのソレが、今見れば違いが分かるほどに大きく見えるのだ。

無論、太陽を見る位置が太陽に(西の地平線に)近ければ近いほど大きく見えるのは当然だが、

意識を失っていた自分がいきなりそこまでの距離を移動してしまっているとは考えにくかった。

 

そして極めつけは、自分が今も触れている「空気」だ。

 

 

「……………やはり、『濃く』なっているな」

 

 

彼が持ち前の優れた五感と能力とを併用して検知したのは、空気中に漂う「妖力」の濃度。

現代社会、すなわち「外の世界」と呼ばれる場所では、科学が発達して神秘や奇奇怪怪なる

人ならざるモノの存在が弱まってしまっているために薄くなっている妖力は、幻想郷ならば

場所によって違いはあれども確かに検知できた。しかし今検知した濃度数値と一致しないのだ。

 

街並みや建造物、太陽の接近具合に空気中の妖力濃度などを判断材料にして熟考に沈んだ彼は、

それらが寸分の狂いもズレもなくピタリと当てはまる場所を、時間をかけてようやく特定した。

 

 

「ここはおそらく過去の日本。時代はおよそ790年代……………平安初期か」

 

 

彼が今いるとされる其処は、日本という国が誕生する幾つかのきっかけとなった根幹部の一つ。

日本人という人種民族が建国するに至る人理定礎であり、国風文化たる伝統文化発祥の時代。

人々が平穏と安寧を求め、時の権力者が集中して作り上げた人の楽園、平城京遷都から数年、

新たなる拠り所となる土地を見つけて移り住んだその場所と時代こそ、ここ平安京である。

 

平安期の中心たる華も栄えし京の都そのものが、自分が今いる場所なのだと彼は確信した。

 

ならば、次に浮かび上がるのは「何故」「どうして」「どのように」という疑問であることは

必然であるが、顔を一枚布で覆い隠す緑髪の青年____________八雲 縁はそうならなかった。

 

 

「……………どうすれば幻想郷へ戻れるのだろうか」

 

 

縁はそう呟き、再び思考の海へと深く潜り込んでいく。いきなり時代も場所も飛び越えた理由は

全く以て不明のままだが、どうにかして幻想郷へ戻らなければならないと彼は方針を定める。

ひとまずこのまま平安京の片隅で突っ立っていても、その時代の人々に見つかれば面倒な事に

発展するだろうことは火を見るより明らかなので、どこかへ移ろうと能力を発動しようとした。

 

ところがここにきて、また新たな衝撃と困惑が縁を襲う。

 

 

「………能力が発動しない⁉」

 

 

彼が能力による空間結合で移動しようと右手を振るった直後、いつもならば手に合わせてできる

空間の裂け目が生み出されず、またどこかと結がる特有の感覚も感じられずに空しく空を薙ぐ。

時代や場所が大きく変わった事はさほど重大に捉えていなかった縁も、能力が発動しないという

前代未聞の事態に直面したことで、いよいよ苦境に立たされたという実感がふつふつと湧き出す。

能力が使用できなければ、彼の不死性も発揮されず、弾幕ごっこはおろか敵対する存在への攻撃や

防御もまともに取ることができなくなり、逃走経路の確保もままならない。完全な"詰み"である。

現状をどうにかして打破しなければ、このままでは訳も分からずに命を落とすことになることは

間違いないと確信した縁は、原因の究明をすべく行動を開始しようとした時、何かを探知した。

 

「これは、どこか懐かしい気配だ。この妖力のパターンはどこかで………………」

 

それは、この時代にきて初めて感じた「懐かしさ」だった。勿論彼は自分に関する記憶が無く、

平安京に何らかの関係があったとしても不思議ではない。しかし、今なお感じられるソレは、

忘れ去った遠い過去のものというより、ついさっきまで感じられていたという「懐かしさ」だ。

 

無下にできないソレの探知をより精密に行う彼は、数秒後にその懐かしさの正体に気付き、

何故自分がすぐに気付けなかったのだと苦言を漏らしながら、気配のする方向へ駆け出した。

能力が使えたなら一秒もかからずに馳せ参じられたのだが、まるでそうはさせまいとするように

発動が出来なくなっているため、自分に出せる最高速度で都の整備された土道を疾走する。

 

 

「何がどうなっているのだ…………くっ‼」

 

 

普段から使っていた能力を封じられたもどかしさに歯噛みしながらも全速力で駆ける縁は、

気配の濃い方向へ続く道を目にも留まらぬ速さで走り、他の一切合切を無視して行動した。

 

そして日が完全に没し、深い闇が都を包み込む中、街灯代わりの松明の灯が明滅する中で、

縁はようやく気配がする場所へと辿り着くことができた。肩で息をしながら、最後の角を曲がる。

入り組んだ道を脇目もふらずに駆け抜けたため、帰りは考えていなかったなどと思考の片隅で

愚痴をこぼしながら曲がった角の先には、一度も見た事が無いのに見覚えのある光景があった。

 

 

『ギギ、ギ…………』

 

『ヒィ…………‼』

 

「袋の鼠だ、物の怪どもよ」

 

「時の流れに捨てられたる化生め。滅されるがよい」

 

 

そこにいたのは、この時代においては非常に効果で希少価値が高いと思われる純白の着物と

紺の烏帽子を着揃えた白塗り太眉の人間が三人と、琵琶や茶器に手足が生えた魑魅魍魎たち。

いわゆる付喪神と呼ばれる低級の木端妖怪と、それを退治せんとする陰陽道師なのだろうと

客観的に分析する縁は、やはり自分が平安の時代に飛ばされているのだと改めて実感した。

 

それと同時に平安の頃ならば、付喪神やまだ権威や権能が保たれた妖怪が夜の街を闊歩して

いても別段不思議でも何でもないと納得した彼は、もう半歩ほど進んで状況を把握しようとする。

音を立てぬようにして踏み入った彼は、影になって見えなかった部分までハッキリと視界に

収めることができた。だがそれと同時に、白い着物の人間が追いつめている者らを見た彼は、

今度こそ本当の意味での驚愕に襲われ、思わず声を漏らしてしまった。

 

 

「馬鹿な…………アレは、『紫様』と『私』なのか?」

 

 

彼の視線の先にいたのは、自らが仰ぎ奉っていたかつての主人に瓜二つな幼い少女ともう一人。

少し深みを帯びてくすんだ濃い緑になった短髪を逆立てた髪型に、同じ色合いの古びた着物を

羽織るその人物の顔は、達筆で「縁」と書かれた布で覆い隠されている。見紛うはずもない。

 

幼い少女を庇うようにして立つその大柄な男は、八雲 縁その人であった。

 

 

 







いかがだったでしょうか?

謎が謎を呼ぶ縁編、さぁ盛り上がってまいりました!
これからが面白くなっていくんですよね! 作者自身が楽しみです!

それと今回からしばらく、紫様のねつ造というかオリジナル設定が
多分に含まれた回が続きますので、アドバイスや「それは違うよ!」
といった点がございましたら、遠慮なくぶちまけて下さると助かります!


それでは次回、東方紅緑譚


第八十七話「古の道、紫との縁」


ご意見ご感想、並びに質問や批評も大募集中です!


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第八十七話「古の道、紫との縁」

どうも皆様、金曜日も土曜日も書かずに日曜日に先延ばしを
するようになってしまっている萃夢想天です。この馬鹿野郎め……(泣)

最近私はアニメにハマり直しまして、特にFate関連ですかね。
今期から始まったApocryphaは開始二話から引き込まれっぱなしです。
あーあ、Fateなんて知らなければこんなことにはならなかったやも()


さて、前回は縁が訳の分からない場所へ飛ばされたところで終わりました。
今回はその続きからですが、前回のあとがきでも申しましたとおりに、
しばらくの間はゆかりんのねつ造設定が多くなります故、ご理解ご了承のほど
よろしくお願い申し上げます。




 

 

 

 

 

 

目の前に広がる光景と状況、何よりもそこにあるもの全てが縁にとって理解できぬものであった。

 

空気中の妖力濃度や太陽の接近具合に街並みなどを加味して考えた結果、今自分がいる場所こそ、

平安初期の都こと平安京であることまでは分かったのだが、問題はそれだけではなかったらしい。

縁の視線の先にいたのは、やけにボロボロの麻布のようなものを外套のように着ている幼い少女と

もう一人。細やかな差異はあれど明らかに異常な外見と出で立ちが、大柄の男の正体を暴かせる。

 

 

「馬鹿な。アレではまるで、『幼き頃の紫様』と、『成長した私』のようではないか」

 

 

思わず口をついて言葉が出てしまうほどに動転しているが、それも無理からぬことであった。

何せ随分と過去へ遡ったのだと気付き、そこから数時間もせぬうちに見覚えがありすぎる人物に

出会ってしまったのだから。しかも未来で己の主人となる人と、今よりも色々な部分が成長して

いるようにも見える自分自身が揃ってそこにいるのだ。さしもの縁といえど動揺は避けられない。

 

いったい今何が起こっているのかと困惑の極みに立たされている縁は、付喪神とともに路地裏へ

追い詰められてしまった二人の前に立ちはだかる、陰陽師風の男が札を取り出すのを目視した。

純白の着物の袖から取り出したソレには、文字とも模様ともとれる奇怪な何かが墨汁で描かれて

いるのを確認し、式神を呼び出す_____________つまり臨戦態勢に移行したのを無言で悟る。

 

「そうはさせん。現状は未だ以て不明だが、それでもあの少女が紫様であるならば守るのみ」

 

 

指で印を結び、契約の履行を通じて式神を召喚しようとしている陰陽師たちに、彼は能力を

封じられていることを念頭に置いて背後から近付き、徒手空拳での急所を突く暗殺を試みた。

こちらの存在に気付いていない陰陽師のすぐ背後まで詰め寄り、そのまま躊躇なく頸部を刺突。

人間以上の力を宿す彼ならば容易く首の骨を粉砕しただろうと結末を想像するが、しかし現実は

彼の想定通りに事を運ばせなかった。なんと彼の素手の刺突は、陰陽師の男の体を透過したのだ。

 

 

「なに⁉」

 

 

予想外の出来事で迂闊にも声を上げてしまった縁は、敵がこちらに気付いて反撃してくることを

予測し、ならば体勢を崩して直後の優位を取ると思考を置き換え、足払いを左足で繰り出した。

ところが、またしても縁の足は相手の体を透過してしまい、体勢を崩すどころか意識をこちらへ

向けさせることすらできなかった。焦燥が募りかけた縁だが、そこでようやく冷静さを取り戻す。

 

陰陽道に長けている陰陽師であれば、自分の身代わりを妖術で生み出すことも可能ではあれど、

この状況に置いては完全に隙を突いているのだから反応できないはずなのだ。完全な一撃必殺の

状況だったというのにも関わらず、それら一切を無視して行動を続ける。その違和感に気付いた。

 

 

「もしや私は霊体、あるいは非実体の状態で此処に居るというのか…………可能性は大いにある。

だがこの場合はどちらかと言えば、『干渉そのものが出来ないようになっている』可能性が

最も説得力があるな。ならば私は今、正確に言えばこの場所に存在してはいないということか」

 

自分で立てた仮説を何度も反芻して考え、現状一番可能性が高いと思われる説を提示する。

理屈としては、幻想郷でアソビの暴走を食い止めきれずに完全に侵食されかける寸前、紫ないし

何者かの手によって応急処置的な意味で意識のみを別の場所(あるいは時間)へと飛ばしたという

筋道が浮かび上がる。無論正解かどうかを確認する術など無いのだが、自分が触れられない事実、

そして『能力を封じられている』という不可解な現状を鑑みて、彼は新たな仮説を見出した。

 

 

「過去の現実時間に飛ばされたというよりも、何者かの過去を非実体として見せられている。

これこそが今の私を取り巻く現象に最も近しいものではないだろうか」

 

 

そう、彼は今の自分を「時間跳躍」したのではなく、「時間観測」しているのだと結論付けた。

「時間跳躍」とは読んで字の如く、時間という概念を跳躍して過去や未来へと移動していき、

そこで一人の人間として活動することを指す。分かりやすく言えば、タイムトラベルだろうか。

しかし「時間観測」は字面こそ似ているが内容は大きく異なる。時間跳躍と同じく過去や未来へ

行き来することは可能だが、その時間で一人の人間として活動することは不可能となるのだ。

「観測」の名が示す通り、「時間観測」はその時間その時代に起こった出来事などを観測する

だけであって、干渉することはできない。まさに今の縁の状況と合致しているわけである。

つまり、縁が今体感している現象が「時間観測」であるなら、何者かの過去であるこの場所へ

干渉することはできない。過去を改変してしまう事が出来ないという事になるわけだ。

 

ここまで読み解いた彼の頭脳は次に、新たに浮かび上がった疑問の解読に力を入れ始める。

 

 

「________________ならばコレは、私の過去なのか?」

 

 

そう口にした縁ではあったが、立てられた仮説を考慮して鑑みると、可能性は低く思えた。

自分が過去に体験してきた記憶の中にいるのだとすると、いささか妙な点が垣間見えてくる。

彼が瞬時に思い浮かべたいくつかの疑問点の中で、特に引っ掛かりを覚えた部分はというと、

今まさに自身が少しばかり体格が大きくなったような自分を、客観的に見ているという点だ。

縁が実際に経てきた事象が目の前にある光景だと言うのなら、それは自分自身の主観として

広がっているべき光景であるはずなのに、そうなっていない。自分を、自分が見ている事実。

もしここが自らの過去の記憶ならば、自分は陰陽師風の男たちの背後になど立ってはおらず、

ボロボロの麻布をまとった主人によく似た少女を庇う彼の目で、正面から見据えるはずだ。

 

ここまでのことを状況から紐解いていった縁は、ようやく新たな視点での発想に辿り着く。

 

 

「いや、違うな。もしかすると、あそこにいる……………幼い紫様のような、彼女の記憶か?」

 

 

むしろ、それしかあるまいと結論付けた縁は、再び現状に動きがあったのを見て観察する。

 

縁が熟考していたわずかな間に式神を召喚し終えていた陰陽師の風体をした男たちは、

喚び出した化生の類を単純な命令で動かし、飛び掛からせたが、功を奏することはなかった。

縁とほぼ寸分違わぬ出で立ちをした男が少女の前に体を滑り込ませ、並の人間ならば容易く

引き裂けるほどの巨大な爪が迫るのを冷静に見つめた後、流れるような体術で襲撃を躱す。

 

続けざまに飛び掛かってきた式神を、彼は長い月日をかけて身に染み込ませたのであろうと

想像できる動きで避け、いなし、弾いた。そして僅かな隙を見出し、手刀を振り下ろす。

鉄臭い香りと粘性の高い赤液を周囲に容赦なくぶちまけた彼は、隠された口を徐に開いた。

 

 

「我が主、ここは私が。今のうちにスキマを通って御逃げ下さい」

 

 

外見からほぼ間違いないとは踏んでいたが、ようやく聞けた男の声により、確信に変わる。

そもそも顔を"縁"の一文字が書かれた布で覆い隠すような人物など、多く居てほしくない。

 

とにかく、眼前で化生を体一つで捌き切る彼こそ、ほんの少しばかり成長したかに思われる

肉体と、酷く老朽化しているように見える衣服などから、未来の己自身であると断定した。

便宜上、成否はともかく彼のことを未来の己だと思うことにした縁は、戦況を俯瞰し直す。

妖怪の天敵であろう陰陽師の意識と攻撃を一手に引き受けた未来の縁だったが、その後ろに

守られている彼の主人である少女は、何やらしどろもどろするだけで逃げる気配がない。

 

傍観している縁が何事かと考え出した直後、式神を操る陰陽師の男が得意げに笑って言った。

 

「愚かな物の怪よ。我ら音に聞く安倍一門、妖の小童一匹とて逃すはずがあるまい」

 

「……………結界か!」

 

「ほう。無知蒙昧たる阿呆な小物共とは、やはり違うようだな」

 

 

黄色人種である日本人とは思えぬほど白い顔の、白粉(おしろい)が塗りたくられた麻呂顔の男たちは、

何がおかしいのか、くつくつと堪えきれぬように上品さを履き違えた下卑た笑みをこぼす。

同じ自分でありながらも数秒ほど結論に至るのが速かった未来の縁は、自分たちを中心に

結界の陣が敷かれていることに気付き、そこから抜け出るための算段を瞬きほどの間に案ずる。

未来の縁は式神たちの絶え間ない攻撃を捌き続けていたが、それを一度中断して身を翻した。

いったい何をする気なのだろうと注意深く観察する自身を知覚せず、現状を打開することが

できずに慌てふためく主人の傍へ駆け寄り、彼女の脇で縮こまっていた付喪神を掴み上げる。

 

 

『ナ、何ヲ⁉』

 

「済まんが時間を稼いできてほしい。なに、すぐに終わるさ」

 

 

突然のことに付喪神も陰陽師たちも呆気に取られる中、未来の縁は掴んだ手を大きく振るった。

 

 

「なっ、痴れ者め! 斯様に穢れし物の怪を、投げて寄越すとは何事か‼」

 

「式に命ずる! 我が身を守り、あの下郎のそっ首を切り落としてまいれ!」

『ヒッ! 助ケ_____________』

 

 

野球ボールの如く無造作に放り投げられた付喪神は、術者の命令に従い、迫りくる脅威として

認識されたばかりに強靭なる豪爪で切り裂かれる。真紅の仇花が咲き、瞬く間に散っていく。

小物とはいえ一応の戦果を挙げた式神は満足げに笑うが、そんな彼らを嘲笑うように未来の縁は

既に行動を終えており、結界を解くために必要なあるものをその右手に握り、突き出していた。

 

 

「言った通り、すぐに終わったな。まぁ、その命の方が先に終わったようだが問題あるまい。

偉大なりし我が主が明日を生きる礎と成れたのだ。名も顔も知らないが、誇りに思って逝け」

 

 

自分勝手も甚だしい言葉を並べた未来の縁は、その手に握る鈍ら刀を何もない虚空へと向け、

さながら扉を開けるべく穴に差し込んだ鍵のように動かし、直後に周囲の空気が明確に変わる。

目視の利かないものではあっても、感覚によって知覚できたことを陰陽師たちが驚きつつ叫ぶ。

 

 

「馬鹿な! 我ら安倍一門の結界が、斯様な妖に破られるなど!」

 

「逃がしてなるものか! そこな物の怪をここで封じねば、京は魔都と堕ちてしまう!」

 

何やら血相を変えてまくしたてる男達を余所に、未来の縁は首だけを動かして再び声を上げた。

 

 

「我が主、結界は私が破りました。貼り直される前に御逃げ下さい、御早く!」

 

 

先程よりも大きく張り上げられた声に肩を震わせた少女は、必死の様相で能力を発動させる。

体感時間で二秒と経たぬ間に、彼女の背後には縁には見慣れた、禍々しい空間の裂け目のような、

ギョロギョロと不気味に目玉が蠢くソコへと身を滑らせ、頃合いを見計い未来の縁も飛び込んだ。

 

口惜し気に唇を噛み締める陰陽師たちを無視して、たった今目の前から消えてしまった二人組に

対し、一連の流れを見ていた縁は現状について「自分にできることはないのだ」と再度確認する。

未だ以て正体が仮定でしかない彼らにも、陰陽師たちにも直接的に関与できない現状を鑑みても、

やはり何かしらの結果を残せるとは思えず、縁は思考を切り替えて一先ずどうすべきかを考えた。

 

そして、これもやはりと言うべきなのか、彼の思考回路を埋め尽くしたのは、あの二人組だった。

 

 

「……………能力が使えないのが厄介だが、妖力の波長は分かる。後を追ってみるべきか」

 

こちらが過去の存在に干渉できないのなら、それは逆も然り。ならば、堂々と行動するべきか。

そういった結論に落ち着いた縁は、尾行される心配がないのは良いと、気楽に追跡を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾行される恐れがないから気楽で良いと楽観視していた縁は、その考え方を叱責する事になった。

確かに今の自分はこの過去の記憶に干渉できない存在であるため、自分の行動によって何らかの

影響を及ぼすことはできない。それはそれとして問題は別にある。現在地を、彼が知らない事だ。

 

無論、彼は此処が何処であるかは知っている。遷都されたばかりの平安初期の頃であることは、

知識として知ってはいるのだが、自分が実際にそこに存在した記憶はないため、土地勘など無い。

つまるところ、彼は行方をくらました二人がどこへいったのかを追えても、正確な位置まで把握

することは出来ておらず、妖力を辿ろうにもどの道が何処へ通じるか不明な為、下手に動けない。

分かりやすく言えば、縁はつい先ほどまで迷子になってしまっていたのだ。

 

 

「…………………ようやく見つけた」

 

 

能力を使えないことがこれほど不便なことだったのかと痛感しつつ、縁はついに二人がいると

思われる木造の古ぼけたあばら家に辿り着けた。今や陽は高く昇り、夜を既に越して昼時である。

ここまで時間がかかるのかと感じられるはずのない疲労感に苛まれながら、縁は木製の扉を透過

して中に入り、生活感が一切見受けられないその場に腰を下ろす二人を確認し、安堵の息を吐く。

 

雨でも降ろうものなら、たちまち中にいる者はずぶ濡れになるだろうと思われる穴だらけの屋根。

この時代にある唯一無二の光源であるロウソクすらない、陽の光だけの薄暗い陰気な木貼りの室。

僅かに差し込む光に照らし出されるのは、室内を舞う無数の埃や藁ぶきの抜け毛などの汚きもの。

そこにある全てのものが、この場所がどれほど辺鄙で窮屈なのかを言外に、雄弁に告げている。

実際の肉体が無いにも関わらず疲労を感じていた縁は、ボソボソと囁くような会話に耳を傾けた。

 

 

「我が主、そろそろ昼食を取ることを推奨致します」

 

「………別に私がいつ食べるかなんて、私の勝手でしょ」

 

「その通りではございますが、しかし貴女様はまだ妖怪としてこの時代に生まれたばかり。

如何に比類なき力をお持ちといえど、それはまだ不安定かつ発展途上であることは否めません」

 

「だから食べて大きくなれって? 本当に何から何まで胡散臭い奴よね」

 

「胡散臭い、大いに結構。我が主が安泰となるならば、遥か先の時代より戻った甲斐がある」

 

「そこが一番胡散臭いのよ。遥か先の時代って何? 未来から来たってことなの?」

 

「左様に御座います」

 

 

話を聞く限り、両者の間には信頼の"し"の一文字も無いように思えてならない縁だったが、

飛び交う言葉の断片をつなぎ合わせて情報を構築していき、一つ一つを紐解き昇華していく。

 

まず確定した情報は、目の前で幼いながらも既に風格を漂わせている少女こそ、自身の主人である

八雲 紫その人であること。そして彼女の傍らに腰を下ろす男が、未来の自分自身ということだ。

前者も後者もある程度予想していたことだったので、さほど驚くことにはならなかった。

そのあたりは不確定が確定になったと前向きに考えることにしたが、問題はまだ他にもある。

 

そこからさらに、未来の縁と幼い紫の二人が談話を続け、そこからさらに断片的な情報を得た。

 

 

「ふむ、少しずつではあるが状況は分かってきた」

 

 

そう独りごちた彼は、目の前で知らぬ間に言い争っている二人を観察しながら考えをまとめだす。

 

一つは、この平安初期の頃になってから主人である彼女、八雲 紫ことスキマ妖怪が誕生した事。

以前に聞いた話では、不老不死の特性を得た主は、もう自分がいつの時代からこの世界に生まれ、

どこまで存在し続けてるのかすら分からなくなっているとの事だったが、ここが起源のようだ。

加えてもう一つは、やはり未来の自分だったもう一人の自分は、どのような手段を用いたのかは

不明なままだが、主人の過去の時代まで遡り現れ、彼女をずっと守っているという眼前の事実。

 

けれどここで縁は、新たに別の謎が浮かび上がってきたことに気付き、考察し始める。

 

 

「…………未来の私を名乗るあの男、目的は何だ?」

 

 

彼が真っ先に考えたことは、今の自分の状況と眼前の彼の対応が、まるで噛み合わないことだ。

 

縁はこの不可思議な現象に囚われる前まで、主人である紫や従者仲間の藍、その他大勢の者を

勝手に巻き込んだ挙句に裏切り、その果てに暴走して無関係の者たちにまで被害を及ぼしていた。

そんな自分がどのような道を辿れば、過去へと遡って過去の主人を見守るような未来へと到達する

ことになるのだろうか。少なくとも、今の自分からしたら不自然極まりない状況に間違いはない。

 

補足すると、そもそも眼前の彼が過去へと遡るという時間跳躍染みたことをしたとのたまっている

こと自体、縁にとっては不可解なことであった。当然だ、縁には時間跳躍など出来ないのだから。

 

かつて白玉楼で妖夢と対峙した際、ほんの数秒前の過去と現在を能力で(つな)げることによって、

全く同じ場所、全く同じ時間に複数の自分を存在させて、それぞれ別方向から斬る技を披露した。

しかしあの技は高々数秒程度の過去を、一瞬だけ結いだだけに過ぎない。否、それしか出来ない。

あまりにもかけ離れた時間と時間、場所と場所を長時間結げ続けることは、出来ないはずである。

 

(だがあの男はそれを可能にしている…………あの"私"は、本当に未来から来た"私"なのか?)

 

 

確証など何一つない。けれど欠片が合わさり空白が埋まるたび、否定が肯定に塗り替わっていく。

確かめる術が全く無い現状においては、もう彼が未来の自分であることを認めるしかないようだ。

疑念は尽きず、懐疑的な思考は未だ健在であるが、それでも縁は一先ず謎の解明を先送りにする。

ここで彼と自分の関係性を明らかにするよりも、この現状自体をどうにかしなければならないのを

思い出し、何かそちらに関する手がかりを得られないものかと視線を彷徨わせた。

 

目新しいものや、何か変わったものなどは見当たらず、やむなしと探索を中断することにした縁。

そう言えば言い争っていた二人が静かなことに気付いた彼は、部屋の中央へと目線を向け直した。

するとそこには見覚えのない第三者が横たわっていた。否、第三者であったものというべきか。

 

「食べればいいんでしょ、食べれば」

 

 

そこにいたのは、ぶっきらぼうに呟きながら口元の血を拭おうともせず食い漁る少女と男だけ。

縁が第三者であると誤認したのは、少し前までは生きていたと思われる、血色の良い死体だった

らしく、成人男性の全長と合致する肉の塊へ少女は齧り付き、咀嚼音を延々とこぼし続けていた。

耐性のない者が見れば失神するような光景が広がっていたが、縁はそこであることを思い出した。

 

 

(そうか。紫様は元来、人を食して妖力を得る人喰い妖怪の類であらせられたな)

 

 

ゴキリと重たげな音を口内から無遠慮に鳴らす、当時の主の姿に驚きを隠せない縁ではあったが、

赤々とした血糊の口紅とへばり付く臓物の食べかすに、自分より早く別の自分が気付き咎める。

 

「我が主、獣のように齧り付くなど御止めください。貴女様はいつ何時であれ、優雅なれば」

 

「………私の勝手よ」

 

「ああ、またそのように臓物を意地汚く齧ってはなりません。血が飛び散りますぞ」

 

「…………別に、気にしないわ」

 

「気にして頂きたい。貴女様はいずれ、あまねく妖魔を束ね、幻想を産み落とす母と成る。

そのような御仁が斯様にみっともない食べ方をするとあっては、嘆かわしいこと限りない」

 

「…………………………」

 

 

自分の顔にかかるものよりもいくらか汚れが目立って見える顔を隠す布越しに、未来の自分は

事もあろうに主人の食事作法への口出しをし始めた。またも彼が自分なのかと疑惑は増える。

しかし言葉を失っている場合ではない。自分が八雲 紫に仕えていた者であるならば、幼い姿で

あっても彼女を主と呼び慕う彼もまた同じはずである。従者が主人に口答えするとどうなるのか、

その結末が想像できないほど縁は堅物ではない。身構えた数瞬の後、想定通りの自体が発生した。

 

 

「うるさいうるさい! この胡散臭いのっぺらぼうもどき! 二度と私に近寄らないで‼」

 

 

幼い姿の時点で容易に想像できた事が起こり、少女は小さなスキマを作ってその内部へ飛び込み、

そのまま何も言わずにスキマを閉じて何処かへ行ってしまった。ボロ小屋に、沈黙が充満する。

気まずいどころの話ではない。仮にも自分が起こした出来事である以上、見て見ぬ振りも出来ず、

けれど発端は未来の自分であるから無関係だと開き直れもしない。不器用な己から目をそらす。

 

そうして何もない時間が呆然と経過していく最中、唐突に未来の縁が顔をあげて言葉を紡いだ。

 

 

「其処に居るのだろう? かつて紫様から離反したばかりの私よ」

 

「なっ__________」

 

 

先程まで室内を包み込んでいた静寂を破った言葉は、再び縁の言葉を失わせるには充分だった。

あまりに突然な発言。そこに内包されていたのは、突拍子もない、嘘みたいな真実のみである。

 

様々な可能性を瞬時に想定しては否定して打ち消す縁を余所に、未来の縁はなおも語りだす。

 

 

「姿も見えず、声も届いてはこないだろうが、かつて自らが辿ってきた道筋だ。覚えている。

もしかしたらまだ来ていないかもしれんが、ここに来ることは間違いのないことだ。なぁ?」

 

 

緊張と得体の知れない感覚によって動けない縁の事を知ってか知らずか、彼は問を投げかけた。

 

 

 

「かつて過去に生きた私よ、遥か未来に生きる私よ____________話をしないか?」

 

 








いかがだったでしょうか(血涙


本当に、本当に長らくお待たせしてしまって申し訳ありません‼
書かなきゃ書かなきゃと焦る日々、まとまった休日が取れた近頃、
買い替えられた家のTV、それに伴い半年の眠りから目覚めたPS4!

ええ、数多くの試練を乗り越えてようやく、私は更新できました。
次回はもっと早く更新しようと思います。というかします!
来週は必ず更新いたしますので、どうか見捨てずお待ちください!


それでは次回、東方紅緑譚


第八十八話「古の道、辿る歴史と巡る縁」


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第八十八話「古の道、辿る歴史と巡る縁」

どうも皆様、性懲りもなくオーバーロードやFateのSSなどを
書いてみようかなどと浮ついてしまっている萃夢想天です。
時間も無い上にサボり癖がついてきたというのに、私という奴は(呆

それはそうと、そろそろ九月の中旬に差し掛かろうとしていますね。
読者の皆様は季節の変わり目に体調を崩さないよう、体調管理を
しっかりしておられますか? 私は多分風邪で二週間倒れるだろうと。

さて前回は、紫の過去に居た未来の縁と思しき人物から対話を求められて
いました。はてさて、彼の正体とその目的や如何に。作者にも謎です()


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

「_______________話、だと⁉」

 

 

あまりにも唐突に切り出された対話の申し出に、縁は思わず上ずった声をあげてしまう。

けれどそれは当然の反応であり、むしろ普段の沈着さを如何なく発揮出来ようはずもなかった。

姿が見えなくなっているであろう自分を除き、彼以外には誰もいない空虚な廃屋に無言が満ちる。

 

誰に憚られることもない為か、佇まいを直して楽な体勢である胡坐をかいた未来の自分は、

文字通りに吹けば飛んでいってしまいかねないほど脆い木壁に背を預け、沸々と言を紡ぎだす。

 

 

「そうさな………話をすると言った手前、そちらの私(・・・・・)が現状を知っておらねば話にもなるまいて。

まずはどこから話せばよいか悩むところだが、ここはもういっそ、一から十まで語るべきか」

 

 

およそこの場所に未来から過去へ(非干渉的存在としてではあるが)、やって来た私がいると仮定、

どころか最早断定して話を進めようとする未来の縁。今こうして彼の言葉を聞き届けていられる

自分は非干渉的存在であるため、会話はおろか返事も存在証明すらも不可能だと知らないのか。

何とかしてこの場に自分がいることと、その存在および意思疎通ができない状況下にある事を

伝えねばと思考を巡らせようとするが、そんな縁を無視して未来の自身は飄々と話し出した。

 

 

「私よ、其処に居るのが私であるなら知っていようが、此処は平安という都が建てられた直後だ。

作り上げられたばかりで人も大して住んではおらぬが、それでも此処は日本有数の巨大集落でな。

貧富の格差こそ目に見えて明らかとなる前だが、それでも人が希望を胸に邁進して出来た場所よ」

 

 

特に意味もなく手指をいたずらに動かし、それを布越しの視線で見つめながら彼は続きを語る。

 

 

「そして人々が寄り集まるということは、即ち妖怪や物の怪にとっては格好の餌場と成り得ると

なるのも自明の理。人は光と寝床と飯があれば生きられるが、我ら妖は人こそが食料だからな。

しかしこの時代から人は襲われ喰われる猥弱な存在を超え、のさばる魑魅魍魎を調伏せしめた」

 

「………………陰陽師による妖怪の滅殺、そして法典の経力による守護結界の強化か」

 

「数秒もあれば答えに至っているだろう? 奴ら人間は襲われながらも知恵を振り絞ることで、

力が遠く及ばぬ妖の仄暗い神秘を暴き立て、ついには逆に食い物にせんと乱獲し始める始末だ。

原因などは今更語るまでもなかろう。陰陽師どもの台頭に加え、仏教の伝播による地脈の独占よ」

 

心底から面白くなさそうに語った彼は、無意味な指先いじりを止めて、どこか上の空を見やった。

相変わらずこちらからの声は届いてはいないようだが、それでもこちらの存在を向こうは容認して

いる体で話を続けている。縁は自分の言葉を伝える術が無いことを改めて実感し、発言は諦めた。

そして伝わらぬ会話に意識を割くことよりも、彼の話の内容を十全に理解しておくことに思考を

巡らせた方が効率的であると最適解を算出した彼は、自らの思考回路の大半を解析に変更する。

今もだらしない格好で佇んでいる未来の己の言っていたように、ここは平安初期の都である事は

間違いないと自身も確認したし、現在(この時代)の人と妖怪の力関係の均衡が崩れかけている

異常事態も、半日ほど前に目撃しているのでこちらも問題ない。今のところ、不審な点はない。

 

けれど縁はそこで逆説的な考えに至る。現状において、唯一無二の不審点が、目の前にいるのだ。

確かに彼の言葉に嘘や偽りは含まれているとは考え難く、同時に彼が誰もいない空間へ向けて

独り言を呟くのに含みを持たせる必要など皆無である。だからこそ、色濃く浮かぶ疑問があった。

 

 

(分からない………どの時間の私(・・・・・・)が、どこから(・・・・)どうやって(・・・・・)ここに存在しているのかが)

 

 

未来の自分が今しがた口にした語りの無いように、虚偽などない。平安京というかつての都の

成り立ちについても、古き日本の土地で繰り広げられている勢力争いの根幹などについても、

どこか一つをとってもそこに懐疑の目は向けられなかった。だが、それが彼とどうつながるのか。

 

彼がこの時代に居る理由(・・・・・・・・・・・)その方法や目的(・・・・・・・)などについては、一度も語られていないのだ。

 

元々キナ臭い雰囲気を漂わせていたそこの男が、いよいよもって信用ならないと思えてきた時、

縁が警戒心をさらに引き上げようとしていたタイミングに、黙していた彼が再び口を動かす。

 

 

「どいつもこいつも、あちらこちらで妖気弾け飛ぶ乱痴気騒ぎの真っ最中だったのでな。

我が主もこの辺りで妖怪としての力をつけ始めたと聞き及んでいた故、身に余る愚行だとは

承知の上で、ここまでみっともなく仕えに来たわけだ。いやはや、今の私はどう映っている?」

 

「……………………」

 

「などと聞いてみたところで寄せて返すは『波と蝉』といったところだな。こうなると本当に

私がそこにきているのかどうか不安になってくるが、まぁとにかく主に仕え御身を守るためだ」

 

白々しい、よくも抜け抜けと嘘の吐息が吐けるものだと、違う意味で感心させられる。

むしろこの場合は呆れかえると言った方が正しいかもしれないが、とにかく溜息が漏れ出した。

 

しかし未来から来たと思しき彼はこうしてここに居り、存在理由もかつての自分と同じもので

ある以上、疑うべき要素があまりに少ないことも確かである。聞こえないのをいいことにして、

縁は再び大きく息を吐き出して精神の安定化を図ろうとする。その仕草は、まるで人間だった。

 

目下のところ可能なことが情報収集である以上、この場から当てもなく何処かへ向かうことも

出来ずにいる自分が億劫になりだしたちょうどその時、またも座り込んだ彼から言葉が紡がれる。

 

「時に私よ。お前が此処へ来させられる前の話になるのだが、おそらくその原因はあの影だろう。

そこで問うてみたいことが一つ思い浮かんでな。かの影を伝うアソビに誰の影を奪わせたのだ?」

 

聞こえてきた彼の言葉に驚き、縁は思わず彼の方へ視線を向けるが、彼はこちらを見ていない。

見えているわけでない事を再確認しながらも、欠いてしまった冷静さをどうにか繋ぎ止めつつ

先程の言葉の意味を解読し始める。この時代に来てから不安定な自己を自覚してはいるが、

まさか自分のしたことを言い当てられたことにこれほど過敏になるとは、自らも想定外だった。

 

今なお、何処か別の方向へ視線を向けたままのように見える未来の己を視界に収め、そのまま

彼の質問の内容を熟考しようとするが、まだ動揺が抜けきっていないのか思考回路がやや遅い。

つまり、彼の先程の問いかけはそれだけ衝撃的なのだ。己の行いを見てきたように語られるのは。

 

まず真っ先に考えたのは質問の意味自体であるが、こればかりはまだ情報量が少ないため現在の

段階では推察すらままならない。だが肝心なことは彼の目的が云々(うんぬん)などではない、質問の返答だ。

 

(奴は確かに言った____________『奪った(・・・)』ではなく、『奪わせた(・・・・)』と)

 

 

未来の自分であるなら当たり前だが、彼はあのアソビが闇雲に暴れて影を奪いだしたのではなく、

自分と結託して特定の人物の影を奪うよう仕向けたという、他者が知りえない事実を言い当てた。

ここで彼が偽物でも何でもなく自分本人である事が確定したわけだが、着眼点は其処じゃない。

奪わせた、という言葉から意味合いを遡っていくと互いの中に共通の結論が浮かび上がってくる。

 

 

「アソビと私の成した事の果てに「何故まだ(おまえ)という存在が残っているのだ、か?」…………」

 

 

返答を出すまでに掛けた時間、そしてそれを口にするタイミング、全てを完璧に把握したかの

ように思えるほどに噛み合う言葉に閉口してしまう縁。もはやここまでくると脱帽する外ない。

これ以上はもう何をされても驚かないと半分開き直っている縁の様子も、果たして未来の己には

手に取るように伝わっているのか、彼は「いや、今はそうではなくてだな」と一句挟んで続ける。

 

「私は誰の影を奪わせたのかと問うて……………ああ、姿も見えねば声も届かんのだったな」

 

 

そこまで言い放ってから、こちらとの意思疎通が不可能であったことを思い出したように語った

彼は、頭をかきながらすまんすまんと垢抜けた声色で呟き、腰の古い刀を一息に抜き放った。

業物を引き抜く時の鋭い音は聞こえず、代わりにゴリゴリと鈍らを引きずる不快な音が響き渡る。

 

抜き身となった刀を見やり、ソレが自分の良く知るものである事を確信し、その銘を明かす。

 

 

「其の刀は、其の銘は『六色』だな」

 

「これなるは我が主が下賜してくださった、寄り結び越え繋ぐ(ちからをたばねる)太刀。銘を『六色』と云う」

 

 

今は自らの手元にないその太刀を何故彼が所有しているのか、加えて自分の記憶にあるソレより

はるかに劣化して壊れかけの様相を呈しているのか、疑問は尽きないが確かに此処に其はあった。

体感時間として久々に見た愛刀に感じ入っていると、彼は縁がいると予測した場所に向けて刀の

切っ先を緩やかに突き出した。全くの別方向にいる縁が黙してみていると、布越しに言葉が届く。

 

 

「この刃の先には(つな)げる力が残っている。此処へ来て刀身に触れてみるがよい。

さすれば、私に声が届かずとも胸の内にある思いくらいならば、結がり伝わることだろう」

 

 

そう言いつつ釣り師が獲物を誘き出そうと竿先をクイクイ動かすように、欠けて刀本来の用途を

全うできそうにないと断言できる六色の切っ先を軽く振るう。素人が真剣を持って浮かれている

姿にも見えてしまうあたり、外見やら諸々の胡散臭さはどうしようもないらしい。

 

けれど彼自身の言葉にもはや僅かな虚偽があるはずもなく、ここに至って嘘を騙る必要も無い。

論理的にも、そして自分自身である彼が意味の無い行動をするはずがないという感情論的にも

結論が合致したため、縁は躊躇いなく彼が掲げる六色の切っ先に触れ、先の問いに返答を示す。

 

 

「…………八坂 神奈子に河城 にとり、幽谷 響子とチルノ。あとは白狼天狗を数名ほどだ」

 

「ほほう。これで誰も居らなんだらどうしようかと焦ったが、居てくれて何より。他には?」

 

「他にあのアソビに襲わせた者は________いや、待て。影は奪っていないが協力者はいた」

 

「ほぉ! 斯様に怪しげな者に手を貸すとは、よほど酔狂なのか大物なのか。で、誰だ?」

 

「伊吹 萃香。知っているだろう」

 

縁は切っ先に指を当てながら答えを一人ずつ思い出すように口にする。順番に挙げていく内に

ただ一人だけ影を奪わず、協力を申し出てくれた人物がいたことを懐かしみ、その名を告げた。

約定を違えることのない、義理と情に厚い荒ぶるモノ。百鬼夜行の筆頭たる伊吹山の大頭たる

彼女の名前を伝えた途端、触れている六色に僅かな震えが起こったのを感じ、視線を向ける。

 

「……………伊吹。そうか、あの御方までが手を。そうかそうか」

 

「どうした?」

 

 

微弱だが確かに伝わってきた感情の波に気付いた縁は、発信源たる彼に何事かと尋ねたが、

当の本人はやや呆けたように布に隠された顔を上げ、またも虚空を見つめて何かを呟いた。

この距離では聴き取れぬはずもなく、彼の言葉の意味を問いただそうと口を開きかけた直後、

何処かを見上げていた彼の顔が此方を捉え、先程とは打って変わって真剣な雰囲気を醸し出す。

続けざまに彼は、今まで以上に意味不明かつ縁にとっては聞き流せない言葉を紡ぎ出した。

 

 

「なるほど。となればいよいよもって我々(わたしたち)の悲願が果たされる時が来たのやも知れん」

 

今度はこちらが言葉の端に震えることとなったが、それに構わず未来の己はさらに続ける。

 

 

「だが………今其処に居る(おまえ)なら、きっと上手くいく。私も、(わたし)も、(わたし)も駄目だったが、

今度こそ成就することになるだろう。ああ、万事上手くいくはずだ。よくぞ辿り着いたな」

 

 

一人言から会話へ、会話から対話へと移り行く言葉の交流に戸惑う縁。そんな彼の姿など見えて

いないはずの未来の縁は、未だ切っ先に触れて立ち尽くす過去から手を引いて、刀を鞘に納めた。

そのまま膝に手をやって立ち上がり、木製の古戸を開けて周囲を見渡してから屋内へ顔を戻し、

まるでここにいる縁を気遣うかのように軽く手を振ってから、主を探すと一節置いて語り出す。

 

 

「かつての私よ、未だ道半ばの私よ。自ら答えを探し出し、それを心に刻み込むことが出来たの

なら、この過去の回廊から元いた時の流れに戻ることも出来よう。では、答えを探しに行くか」

 

 

やけにのんびりとした口調でそう言い残した彼は、スキマで逃げた主人を見つけるべく外へ出た。

 

今しがた告げられた言葉に、どれほどの意味があり、どこに真意が隠されているのかなどは最早

読み取ることすら辟易しかけている。それほどまでに掴みどころが無く、尻尾を露わにしない。

飄々としているというか、妙に存在が薄いというか、アレが本当に自分なのかと疑念が再発する。

けれど非干渉的存在である以上、やはり唯一の交信手段を持つ彼以外に、頼れる者もいないのだ。

 

結局、縁はしばらくして幼い紫を抱えて戻ってきた彼に同行することを決め、暫しの宿と定めた。

 

 

何をどうしたらよいのかすら分からないまま、縁は現状のあやふやさを受け入れ、時を重ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行く当が無いため、唯一の接点とも言える彼らの傍で共に行動することは、必然とも言える。

ただ、声も届かず姿も見えず、意思疎通の不可能な状態でも「共に行動」などと言えたものかは

分からぬままだったが、それでも縁は平安初期という過去に遡り、かつての主と己を見続けた。

 

 

ある時は、スキマを通して人の往来激しい市場に居を構える一件の反物屋を覗き見て主が喚き。

 

 

「別にいいじゃない! 反物の一つや二つ、この力があればどうってことないわ!」

 

「問題が無ければ私とて止めたりなどしません。それをしては不味いので止めています」

 

 

ある時は、出かけたまま戻らない主を都中探して回り、ようやく見つけた彼女の様子に嘆き。

 

 

「主よ、何処かへ御出掛けになるならば、私に一言御告げ下さいとあれほど」

 

「毎度毎度しつこいから言わなかったのよ! ばか、あほ、のっぺらぼうもどき!」

 

「……………無差別に張られた結界で帰り道が分からなくなって、ここに隠れていた、と」

 

またある時は、いずれ大妖怪と成る主人を立派にしようと息巻く従者と、呆れかえる主が。

 

 

「ねぇ、なんでこの私が、人間なんかの食べ方を学ばなくちゃいけないの?」

 

「ただの食料というだけでなく、あらゆる側面から物事を視るためには必須なのです」

 

「……………さっきから人間みたいに、鍋で色々煮詰めてるのって」

 

「ええ、人間の食文化を学び、そこからより多くの___________逃がしませんよ」

 

「なんでこの私がぁ…………」

 

「好き嫌いをしてはいけません。立派な妖怪の賢者など夢想の遥か彼方に御座います」

 

自分の知る妖艶な色香を纏わせる主人と、お転婆でじゃじゃ馬気質な童女な主人。

似ても似つかない両者を比べ、いずれ目の前の彼女が記憶の中の主へと育つのかと考え、

縁は言い知れぬ悪寒に襲われる。これ以上下手なことを考えてはならないと結論が下された。

どれもこれも、雑多で他愛ない日常であった。しかしここは平安という、太古に近しい時の

頃合いであったと言えど人の世で最も栄えた都市である。そこに、妖の幸福などあろうか。

夜に道を歩いただけで見つかれば封じられ、人など襲えば退魔陰陽の言行で滅ぼされるが常。

そんな危ない側面を持つ魍魎必滅の邪都の中で、主と彼は、凡庸で変わらぬ日常を送るのだ。

月が沈んで太陽が昇る度、人間の囲いの内側から妖怪の気配が少しずつ消えていくのが実感

として分かってしまう。そんなことはあの二人が気付かぬはずもない、けれど生きていた。

 

どこまでも自分たちに厳しく、残酷で、冷徹な人間の時代で、二人は日々を謳歌している。

 

 

ああ、なんと素晴らしいことか。

 

彼らは、彼と彼女は、生きているのだ。

 

「あぁぁーーもう! うるさいったらうるさい!」

 

「…………もう何度目か、数えるのも止めていたな」

 

 

二人の代わり映えの無いやり取りを見るのも幾度目かと、聞こえぬ溜息を漏らした縁。

彼の視線の先では、開いたスキマに飛び込む直前の幼い紫と、それを阻止しようとして

間に合わずに行方を晦まされた未来の己の姿があった。この展開も、既に様式美である。

 

どこまでも突き詰めて何かを求める彼、それに我慢できなくなった主がスキマで逃亡を図り、

止めようと手を伸ばすもギリギリで空を掴んで逃げられてしまう。もう御馴染みだった。

そしてこの後、何だかんだ言いながらも主を探しに方々を駆けずり回ることになるところ

までは御決まりにしてお約束というヤツになる。以降の流れが容易に想像出来るのが怖い。

 

癇癪を起こした主人の後を追いかける従者、という風景が日常の始まりになりつつある

ことに問題を感じなくなっていた縁だが、ここでふと顔を上げ、軽い違和感を覚えた。

布越しの視線の先には彼が居る。しかし、いつもなら小言を漏らしながら腰を持ち上げて

街へ繰り出すはずなのだが、今日は微動だにしない。主が消えたのに、声すら上げないのだ。

 

スキマの中へと逃げ込んでいく彼女の後ろ姿を、見ているだけで追いかけようとしない彼に

言いようのない違和感を受けた縁だったが、それを待っていたかのように彼が話し始める。

 

 

「さてと、このような時の果てにまでご苦労だったな、私よ。随分と気苦労を掛けたろう」

 

「………いきなり何を」

 

「長らくこの過去に囚われ続けたのは、私が原因だ。いや、正確に言えば私ではないが、

結果的に私のためになるという意味で言うのであれば、間接的に私のせいにもなるな」

 

 

唐突に紡がれ始めた言葉の羅列に、そして何より、真面目な風体でやけに空気の如き軽さを

発揮していた彼には似つかわしくない、鋭く研がれた刃に近しい真剣な雰囲気に狼狽する。

いきなり態度を豹変させたことに、理由を求めるほど縁は愚かでもなければ親しくもない。

ただ、これまでに見せていたどの姿とも違う、異様な程に真剣な空気を醸し出す彼に驚き、

それと同時にこれ以上彼に話をさせてはならぬと何かが命ずる。その先を、恐れるように。

 

今まで経験したことのない不安定さを味わう縁だったが、次の瞬間、驚愕に打ち震えた。

 

 

かつての過去に居た彼が、どの程度か分からない未来から来た彼が、おもむろに告げる。

 

 

「今日この日、私は死ぬ事になる」

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?

一週間以内に投稿するという発言は終ぞ守れず仕舞い………。
前書きに書いたとおりに風邪で寝込むことになってしまうとは、
いよいよ貧弱ここに極まれりですね、情けなさでゲロ吐きそうです。


さて、いよいよ縁編も佳境を超えて下り坂! あとは駆け降りるのみ!
と息巻いているのは自身を鼓舞するためなのでどうかお気にせず!
去年は「来年の九月頃に終わるかと」とかほざいてた私に見せてやりたい。
お前はまだ、今年中に終わらせるかどうかも未定なのだよ、と。

泣き言ばっかりではだめですね! 反省しなくては!


それでは次回、東方紅緑譚


第八十九話「古の道、空の器を満たすもの」


ご意見ご感想、並びに批評なども(主に批評)大歓迎です!




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第八十九話「古の道、空の器を満たすもの」

どうも皆様、萃夢想天でございます。

長い間更新を停滞させてしまい、誠に申し訳ございませんでした。

昨年の十月を過ぎたころから、私用公用共に多忙の極みにありまして、
こちらのサイトに手を出す隙自体が失われておりました。
ですが、この作品を心待ちにしている皆様のことを思い、わずかな時間を
見つけて書かせていただく所存です。

さて前回は、何者かの過去を見せられている縁とその時間に居た未来の縁が
出会い、しばらく時間を過ごした辺りで終わっていましたね。
最新話を書くために、私一話から一日かけて全話読み返してきました!
ですので書こうと思って忘れていたこともすべて思い返しております!
しかし何分久々の投稿なので、元から皆無だった文才がさらに無くなって
おりますので、駄文以下の駄文になることをお許しください。


それでは、どうぞ!





「待て! 死ぬ事になるとは、どういう事だ!」

 

 

何の前触れも無く未来の己が口にした無視できない一言に、縁は自分の言葉が相手には届かない

ことも忘れて声を荒げる。彼の内にある思考回路が先の発言を解析すべく稼働するが、それでも

理解が及ぶことはなく、ただひたすら答えの出ない堂々巡りとなって混乱が波及していった。

 

死ぬ事になる。その言葉を額面通りに受け止めるならば、彼はこの後に起こる出来事を既に知覚

しているという事なのか、あるいは何らかの方法で自身の未来を観測しているという事となる。

己の主人である紫から伝え聞いた話ではあるが、かの少年、十六夜 紅夜が住まう紅魔館の主こと

レミリア・スカーレットは『運命を操る程度の能力』を持つらしい。出会ったことが無いために

断言はできないのだが、彼女の能力はほとんど未来視に近いものであるのだという。

千年以上も前の時代に遡って何者かの過去を閲覧させられているという、自分が置かれている

現状を顧みれば、彼がこれから起こる未来の出来事を観測できていたとしても不思議ではない。

 

けれど縁は、彼が未来を見ることが可能という仮定をしたところで、新たな疑問に苛まれた。

 

(仮に奴が未来を予知、ないし観測できたとしよう。しかしそれならば、何故覆そうとしない?)

 

未来を視ることが出来るというならば、そしてそこで自らの死が待ち受けていると知ったなら、

どうにか阻止しようとするのが普通ではないか。いや、普通でなくとも死を覆そうとするはずだ。

なのに未来の己は、それがさも当然であるかのようにのたまうのみで、焦りも諦観もしていない。

唐突な死の宣告に次ぐ別の謎が膨れ上がるのを実感した縁は、再び問いかけようとした。

ところが縁の問よりもわずかに早く、未来の己が腰に手をやり、帯刀していた銘刀を抜き放つ。

 

 

「どういう事も何も、そうなるのだからそう言っているに過ぎん。それにな、そこから先はお前()

いずれ辿る事になる道の中の一つであって、今知るべき事は他にあるだろうよ。なぁ?」

 

 

彼が握った六色には、あらゆるものを(つな)げるとされる縁自身の能力が付与されており、切っ先を

向けられた途端に一方通行だった言葉が相手に届くようになる。未来の縁は姿も声も届かない己へ

それを使用したようで、それでも明確な答えは何一つ明かさずに縁の問いを煙に巻いてしまう。

刃を向けながら語られる言葉は脅迫のような構図ではあったが、彼の声色には敵意など一切無く、

逆に言葉を投げかけた相手である縁を気遣い、気付かせようとする意図が含められていた。

 

だが、目の前で古びた刃を突き付ける彼の意図を知ってもなお、縁は問いかけずにはいられない。

 

「知るべき事など、私には…………仮にそんなものがあったとしても、どうしたらよいのだ?

どのように見つければよい? 一切が不明な存在を、私はどうやって見つけ、知ればよい!?」

 

 

先程から未来の己の口から語られる言葉は、彼にとっての既知であっても、自分にとっては全くの

未知に他ならない。知りもしない事をどうしたら探し出せようか。答えに至るための道程からして

答えと同様に実体が見えない、まるで正答が用意されていない禅問答ではないかと肩を震わせる。

 

縁の思考回路が延々と同じ地点で行き詰まり、ついには答えを導き出す行為自体を止めてしまう。

計算式の回答は不明で、式の要である数値も見えず、挙句には計算式なのかどうかも曖昧である、

常識が一切通用しない赤子に問いかけ続けているような無意味さすら、今の縁は感じていた。

どうせ分からないのなら、答えに辿り着かないのなら、答えなど有りはしないのならば、いっそ。

最早考えるという思考そのものすら切り離そうとして無言になった縁に、彼は不意に声をかけた。

 

 

「どうも過去の私(おまえ)は考え過ぎる節があるようだな。よいか、知るべき事とはどれほど苦心した

ところで見つかるものではなく、時が来たら知る事になるものだ。そも、一切が不明などとは

笑わせてくれる。こうして言葉が通じている間はよく分かるぞ、答えは既にその胸にあろう」

 

「胸に…………? いったい、何の事を言っている?」

 

「案ずるな。ともかく、この私に訪れるであろう死については気にするな。いつの日にかきっと

お前は答えを得るだろう、その頃にはちょうど私が今見ているものも見えるようになっている」

 

語るだけ語った未来の縁は、もう充分だとでも言うように縁へ向けていた六色の切っ先を下ろし、

腰にある鞘へと戻そうとする。それを慌てて掴み止めようとして擦り抜け、代わりに声で留めた。

 

 

「待て! お前の言わんとする事は未だにこの身は理解が及ばないが……………一つ、聞かせろ」

 

「ふむ。私も時間が惜しいのでな、手短に頼むぞ」

 

 

納刀する寸前で声が届いたようで、収めようとした切っ先を鞘口から離した未来の己が再び

視線の先へと刃を向け、刻限を気にする素振りを見せながら縁からの問いに答える姿勢をとる。

相手の態度が少々気にかかったが、自らの疑問を優先させた彼は正面から向き合い問いかけた。

 

 

「私には______________心があるのだろうか?」

 

 

縁から投げかけられた言葉に、六色のヒビ割れた刀身全体がわずかに揺れ、切っ先がズレる。

六色の柄を握る人物の動揺を言外に表すような様子に気付くが、それよりも問いに対する答えに

気を割いている縁は相手の態度を無言で見つめた。数瞬の後、左手を頭に乗せた未来の己が一声。

 

「何を言っているんだお前は」

 

「なっ……何を、だと!?」

 

 

ところが予想に反して返ってきた言葉には真剣味など欠片も無く、溜息交じりの呆れたような

態度を隠そうともしていない。縁はこれまでの対話の中で、目の前に居る未来の己が間違いなく

自分の求める答えを得ていると確信していたため、思い切って尋ねたのだが結果はこの通り。

無論、縁には彼の反応が全く解析できなかった。この場面で何故、彼は適切な回答を述べるでも

なく、適当な語句を並べるでもなく、ただ呆れたように無言で天を仰いでいるのか分からない。

ただでさえ目的も何もかも不明な現状でさらに分からないことが増え、縁の思考領域が急激に

圧迫され始めたことで、情報処理が追いつかずに押し黙る。そこへ、原因たる彼が口を挟んだ。

 

 

「己に心が有るか無いかなど、他人に問うことではなかろう」

 

「それは………そう、だが」

 

「それに、そもそもお前は根本から履き違えている」

 

 

思考能力の半数を割いていた縁だったが、未来の自分からの言葉を聞いて機械的作業を一時的に

中断させて、一度区切られて間を開けられた彼の次なる言葉を真正面から待ち構える。

充分に区切りをつけたところで、どこか投げやりにも聞こえる不遜な態度で縁の間違いを正す。

 

 

「自らを獣であるかどうかを気にする獣がいないのと同じだ。心の在り処など、人類誕生後から

有史以来、証明された事など一度も無く、今なお探求が続けられている半永久的な謎なのだ」

 

「…………………」

 

「そうでなくとも、ただ使われるだけの道具が、己の心の如何を問うことがあるか?」

 

「な_____________」

 

「私からすれば、道具はただ使われるだけでよい。自己の役割を全うする以外の機能など不要。

心などという余計な機能が備われば、間違いなくソレは道具の枠から逸脱してしまうからな」

 

「つまり、私は…………どちらなのだ?」

 

「何度も言わせるな。ただの道具が『私にも心が有りますか?』などと問う訳がない。

それ即ち、他者の心の機微を悟る心に他ならぬ。疑問を抱く時点でもう、答えは出ている」

 

 

分かり切っていることをわざわざ言わせるな、とのぶっきらぼうな呟きを最後に、未来の縁は

六色の切っ先を今度こそ鞘口にのせて刀身を収めきる。だが布越しの視線は微動だにしない。

反対に縁は、別の理由で微動だにしていなかった。否、告げられた言葉を順次理解したことで

思考自体が停止し、それに伴って肉体も固まって動くことができなくなっていたのだ。

 

言い表すならば、ソレは『感動』あるいは『歓喜』だろうか。

 

主人の手から離れる事を承知したあの時から、自分でもその思考に理解が出来ていなかった。

八雲 縁という存在は、その一から十までの全てを主たる紫の為だけに使われる道具としての

存在理由のみを確立していたが、裏を返せばそれ以外の確たる存在理由は無いに等しい。

だというのに、自己の存在価値を唯一証明できる主から離反してまで歪み切った影のアソビに

加担した事には、どのように考えても説明がつかない。延々と思考を続け、答えが出なかった。

 

そうして意味の無い思考を循環させ続けていくうちに、縁はとある仮定に活路を見出す。

 

 

『心というものが何かを証明できれば、きっと自身の不可解な行動への理解が可能になる』と。

 

 

しかし、先程の未来の自分によってもたらされた言葉によって、彼の仮定は打ち消された。

確かに告げられた通りだ。単なる機械や道具が、使用者に対して「使い心地はどうですか」と

問いかけるようなことがあるだろうか。人工知能が搭載された多機能な物であれば話は別だが、

一つの事に特化した道具には必要の無い機能である。そんな機能を搭載すれば、道具ではない。

 

最初から矛盾し、破綻している問いだったのだ。

 

道具が持ち主の思惑から外れて独断で動き出し、ましてや離反行為を強行。そのうえで自身の

行動の真意が全く読めておらず、それらの答えが道具には無いものとして心であると仮定。

振り返ってみれば何から何まで馬鹿馬鹿しい。誰かに、それも未来の自分に否定されるまで

一連の行動の節穴加減に気付けなかったという事実が、あまりに馬鹿馬鹿しいとしか言えない。

 

「私は、既に答えを得ていたのか……………心を、手に入れていたのか」

 

 

いや、手に入れるというのは適切な表現ではないのだろうと、自己分析の結果で修正する。

おそらくは、これまでの道具としての活動や、その中で幻想郷の住人たちと接触したことで

自我とも言うべき心の前段階が芽生えだしたのだろう。だが喜んでばかりもいられない。

 

八雲 縁は最早主人の手を離れ、敵対行動すら行った挙句に無関係な人里の人間たちの多くを

巻き込んだ異変を引き起こした張本人である。心が芽生えたことの弊害的な側面という事か。

一刻も早く幻想郷に戻り異変の早期解決に尽力しなければという使命を記録するも、自らが

事の発端であることや、今更戻ったことろでどう責任を取ればよいのか明確に提示できない。

幾つもの建前を並べたところで、今となっては自覚した心そのものが、心情を明るみに晒す。

 

 

(_____________ああ、そうか。私は恐れているのか。主に捨てられることを)

 

 

怖かった。ただただ彼は、自覚している唯一の存在理由の拠り所である紫によって、不要と

断ぜられる事がたまらなく恐ろしかったのだ。あたかも、母の怒りを恐れるあまりに家へ

帰ろうとしない幼子のように。力なく震える肩は、その心情を如実に己自身に知らしめる。

 

それまで停止しかけていた思考回路が活動を再開し、心という数式の穴を埋める代数により

急速に自己が回答を断念した謎を解き明かす。その果てに得た答えが、なんと情けない事か。

 

 

「…………………………」

 

 

六色を鞘に納めている今、縁の様子は相手に伝わってはいない。だが未来の縁はそれまでの

沈黙を破るように一度深く息を吐き、小さく「時間だ」と呟いてボロ小屋の扉に手をかけた。

ギシギシと今にも壊れそうな音と共に扉を横へ開き、布に遮られてくぐもった声が響く。

 

 

「では、後のこと………お前にとっては未来だが。とにかく、任せたぞ」

 

 

彼の発した言葉の意味を縁が理解するよりも早く、未来の縁は振り返ることなく小屋を出た。

誰もいない寂れた木造の室内で独り、答えを得たばかりの人でも道具でもない彼は立ち尽くす。

未来の己にこれから先に起こる事、つまり彼の過去と自身の未来を託されたのだが、それでも

彼は『明確な目的』自体を見つけたわけではなく、また一番最初の空白へと引き戻される。

 

刻一刻と時間は過ぎていく。だが、何をしたらよいのかは分からない。

刻一刻と未来の己の死が迫る。けれど、力無き自分には何も出来ない。

 

どうしようもない虚無感と、目的を見出せないやるせなさから、自然と縁の視線は下を向く。

すると僅かに体を動かした拍子に、彼の着物の懐からするりと何かが落下し、ごとんと音を

立てて無言と静寂の痛ましい空間を打ち破った。縁の布越しの視線が、落ちた物を捉える。

 

 

「これは、六色と共に紫様から頂いた『七雲』ではないか」

 

 

それに付けられた銘を口にしつつ、膝を曲げて傷んだ木の床に落ちた短刀を拾い上げた縁は、

今までその存在を頭の片隅からも追いやっていた事実と、手にしたソレの用途を思い出す。

 

 

「…………何らかの誤作動や暴走、または他者の手にこの身が渡るような自体が発生した場合、

八雲 縁の有用性と危険性を漏らさぬよう強制的に機能停止させる為の『自壊装置』、か」

 

 

自身の肉体に張り巡らされた回路に、全てのプログラムを強制終了させ機能停止状態へと

移行させるという、緊急自壊コードを入力してある短刀。主からそう告げられて手渡された。

受け取った当初は自分が主人を裏切るような行為をするはずもなく、また主人や博麗の巫女

以外の相手に後れを取ると考えていなかったため、使用するという選択肢を封印していた。

けれどこの状況下において、否、このような状況下に陥ったことで、彼は決心が出来た。

 

 

「道具に心は不要。ああ、当然だな。使われるだけの存在が感情など抱いては邪魔となる。

このような無意味な機能を勝手に搭載した私など、紫様が扱うに相応しい道具ではない」

 

 

道具とは使い続ける内に摩耗し、やがて壊れるのが必定である。これは道具としては本懐

とも言える最上の末路だと断言できるが、今の己がそれに当て嵌まるだろうか。

答えは、今なお考えている行為そのもの。道具が使われること以外の目的を自ら探そうと

している時点で、道具であることを放棄しようとしていることと同義でしかない。

 

傷一つない短刀『七雲』の柄を恐る恐る掴み、惜しむように時間をかけてゆっくりと鞘から

刀身を引き抜いていく。やがて切っ先が鞘口から離れ、眩く輝く玉の如き刃が姿を見せる。

崩れて穴の開いた屋根から差し込む淡い陽の光が、水に濡れた様な刀身に反射して縁の顔に

かかっている布を映した。他の誰かなどではなく、己を終わらせる為だけにある役割の刀。

 

 

「____________役目を失った私を殺すのは、お前が相応しいな」

 

 

存在意義を見失い、存在理由を放棄し、存在価値を見出せない不良品は、静かに消え逝く。

それこそが道理、それこそが必然であると縁は考えた。玉響に切なく灯る刃を腹部に添える。

ほんの少し力を籠めさえすれば、何もかもが終わるだろう。

 

八雲 縁と呼ばれる出来損ないの全てが。

八雲 縁と呼ばれた成り損ないの全てが。

 

つい先程に未来の自分と交わした会話を思い返し、これから先に起きる出来事を彼に託された

という事実が確かに記録されていると確認する。しかし、だからこそ、縁は手に力を籠めた。

 

 

「どうか、不遜極まるこの不出来な道具を、お許しください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________________やめて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁の腹部を切り裂いて内部に潜っていくはずの刃は、未だ何一つ傷つけていなかった。

「…………やはり貴女は視ておられたのですか、紫様」

 

彼が七雲を握っていた右手を、横合いから掴んで離さず、止めた者がいたからだった。

 

 

「ええ、観ていたわ。でも貴方が、貴方がこんな事するなんて…………それで」

 

力強く、そして壊さぬよう愛おしげに両手で包み込んだのは、彼の主人たる紫である。

 

 

結論から言えば、今まで縁が体験してきた一連の出来事は総て紫が見せていた過去の記録であり、

〝彼〟と共に生まれ落ちたばかりの頃の記録映像だったのだ。

紫は『全てを(つな)げる程度の能力』によって暴走を始めた影のアソビから、何とかして縁を守ろうと

したのだが、人里のあらゆる影を吸収して膨張し出したアソビから逃れる術が一つしかなかった。

それが縁の現状。つまり、紫が自身の『スキマを操る程度の能力』を使って一時的に現在と過去の

時間軸に隙間を生み出し、何者も干渉不可能な時空間断層の中に身を潜めるという事である。

 

時間と時間の間に溝を作る事自体は、紫にかかれば些末事とも呼べない児戯。幻想郷全体を覆う

博麗大結界の構築にも携わっている彼女は、外の世界と幻想郷との時間の流れに相違性を作り、

容易く両者が干渉し合えないようにしている。それに近しい事など、彼女なら容易に行えた。

 

だが彼女も、何も考えず自身の過去の時間の中へ縁を隠したわけではない。

 

彼女には終ぞ分からないままだったのだ。縁が自分の手を離れるに至った理由が。

 

それがいったい何によるものなのか、何が彼をそうまでさせたのかを知りたかった。

 

よって彼女が講じた策が、スキマ操作で縁と過去の時間との間に位相の壁を作り上げて、互いの

存在を認識不可にさせるというものだ。加えて縁の能力も、発動した瞬間に何も無いスキマへ

強引に結ぎ合わせた事で無理やり封じた。こうして縁を時間の回廊へ閉じ込める事に成功した。

 

未だに震える両手で縁の右手を掴んで離さない紫は、目尻にうっすら滴を溜めて泣き言を漏らす。

 

 

「でも、本当に予想外だったのよ。貴方が、そこまで追い詰められていたなんて。

私……………知りもしなかったわ。貴方の所有者でありながら、所有物の一切を分からずにいた」

 

「紫様」

 

「本当に肝が冷えたわよ、こんなの。お願い、もうやめて。私を置いていかないで…………」

 

 

言葉を重ねるごとに、彼女が彼の手を握る力が増し、同時に手や肩の震えも同調して強まる。

縁の行動の如何を探る為に己の過去を映して見せたまではいいが、自分もそれを観たことで

かつて当たり前のように傍に居た〝彼〟が、忽然と姿を消した時の事も思い出してしまった。

 

何も言わずに消えた〝彼〟と同じように、縁もまた自分を置いて何処かへ行ってしまう。

幻に踊らされている道化のようで滑稽かもしれないが、当人にとっては二度と失いたくないと

心に誓った人が、まさに目も前で自刃しようとする姿を観て、何も思わぬはずも無い。

 

彼女にとって見慣れた一枚の布の奥から、彼女にとって聞き慣れた優しい声色が聞こえてくる。

 

「紫様。貴女が私を不要であるとお捨てにならぬ限り、貴女がこの不出来な道具を許して

いただける限り、何時如何なる時であれど貴女様の御傍に居る事を、誓わせていただきます」

 

「……………私が貴方を捨てるだなんて、そんな事は絶対にありません」

 

「_________であれば、私も貴女様の御傍を離れる事は、永久にありません」

 

 

縁の布一枚を隔てた場所から聞こえた言葉を聞き、紫は耐え切れずに大粒の涙を溢した。

彼女が涙を許したのは、縁の台詞に心打たれたからでもなければ、縁の口にした誓いの文言

でもない。八雲 縁が自身を道具ではなく『傍に居る』と語った変化に気付いたからだった。

 

そこからひとしきり涙を流し、しばらくしてから平常心と安らぎを取り戻した二人は、

そもそもの元凶である影のアソビについての対策を講じるべく、紫が口火を切ろうとした。

しかし縁は彼女が言葉を発するより僅かに早く、使用者ではなく主に対して言葉を発する。

 

 

「紫様、今回の一件は私の起こした事。なればこそ、この私自らの手で始末をつけます」

 

「気持ちは分かるし、貴方の言っていることも理解出来るわ。でもね縁、今回に関しては

私も妖怪の賢者として動かないといけない。この意味は、分かっているのよね?」

 

「はい。承知しております」

 

主人からの問に力強く首肯して答える縁。これだけのやり取りの中でも、縁の中で大きな変化が

起きたことを実感する紫だったが、続けて言い放たれる彼の言葉に驚きを露わにする。

 

 

「ですから、無礼を承知で紫様にお願いしたい義がございます」

 

「…………貴方のお願いだもの、無下にはしたくないわ。言ってみなさい」

 

縁はほんの一瞬、躊躇う様な素振りを見せ、それを振り払って紫の両手を握り真っ直ぐ告げた。

 

 

「私を、貴女様が初めて出会った私と、巡り合わせていただきたいのです」

 

 






いかがだったでしょうかッッッ‼‼


意気揚々と前書きを書き始めて三週間も掛かるとか本当にもう!
しかし、後半は私もこの作品を書いていた当初の思惑が脳裏によみがえってきたと
言いますか、想像以上に執筆がはかどったように感じました。

さて、今回はやや短めになりましたが、この調子で次回も早いうちに
書き上げて読者の皆様をお待たせしないようにしたいと切に考えております!


それでは次回、東方紅緑譚


第九十話「緑の道、縁路の始点に通ず」


ご意見ご感想、並びに質問や批評に加えて作者への軽度な催促などなど
大募集しております!


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第九十話「緑の道、縁路の始点に通ず」

どうも皆様、萃夢想天です。

今年の春季例大祭には蔓延していたはしか感染を畏れ不参加、
満を持しての秋季例大祭は直前でトラブルに遭い御流れに、というように
今年は本当に東方の作品に触れる機会が少なかった影響でしょうか。
頭の中で構成ができていても、文字に起こすことができずに試行錯誤を続けて
早十一月。読者の皆様には、多大なるご迷惑をおかけいたしました。

というわけで、ここで私は後に退けないよう宣言いたします。

今年中にこの作品の現在の章、~幻想『緑環紫録』~を終わらせます!
残すところあと数話ですので、他の連載作品を放り投げてひた走る所存です!
どうか皆様、最後までお付き合いくださいませ!


それでは半年ぶりに、どうぞ!





 

 

 

 

 

広く________________。

 

 

広く________________。

 

 

広く________________。

 

 

 

どこまでも続くその光景にはまるで終わりというものが存在しえないようで、ほんの少しと手を

伸ばしてみても薄ぼやけた視界の端までには遠く及ばない。ただただ広大な空間に浮かび漂う。

 

ふと、そこで彼は目を覚ました。不意に意識が覚醒した事で、彼の演算機構に多くの情報が堰を

切ったように流れ込んでいくが、その一つ一つを迅速に、しかし見落としなく適切に処理を行う。

 

現在のところ目立った破損個所はなく、また自己分析を並行して行い記憶領域にある情報の欠落

という重大な欠陥も見られないため、一先ず状況の把握に努めようと彼は状況の確認を開始した。

 

 

そこは何も無い空間である。

 

 

まさに何も無い。これは物質的な意味合いでのものであって、光源らしきものは幾つか確認が

できた。規則性を持たず風も無いのに風に揺られるような挙動で、周囲を明るく照らしている。

薄ぼやけた視界ではその程度の情報しか獲得できていないが、彼が体内に有する各センサー類も

反応を示さない事から、有機物及び無機物の存在が此処には無いという事実も証明されていた。

 

何処まで行っても『無』一色の空間で独り、顔を布で隠した緑髪の青年は正しく認識する。

 

 

「よし、成功した」

 

 

色彩の見受けられない空間を唯一彩る青年____________八雲 縁は人知れず胸を撫で下ろす。

 

彼はこの場所が何なのかを知っていた。厳密に言えば知っていたわけではなく、彼が自身の目で

見たのも初めてな此処を、何の為の場であるかという答え(・・)をしっかりと理解していたのだ。

 

重力は感じられず、風も流れる事はなく、ただそこに浮かび続けるだけの不可思議な空間こそ。

この場こそ、数時間前に縁自身が求めた場所であり、今なおそこへ向かっている最中であった。

 

 

「此処へ入ってどれほどの時が経ったのか…………だが、進まなくては」

 

 

誰に聞かせるわけでもなく、自分自身への指令のように言い聞かせる彼は視線を彷徨わせる。

 

どこもかしこも薄暗く、たまにやんわりと発光する光源ばかりを見かけるだけの空間の隅々を

見渡そうとするものの、やはり他と違った物など見当たらず、ただ広がるのみの空虚な場所だ。

彼の今の行いを例えるのなら、『真っ青な湖に落とした水晶玉を拾う』ようなものだろうか。

 

姿が見えないものを延々と探し続ける、と言い変えるべきか。とにかく苦行であることには

変わりなく、時の進み具合も正確に測れないこの場での活動は、精神への負担が非情に大きい。

果てがあるのかすらも分からない場所で孤立する彼は、ただ使命感だけを頼りに探し続ける。

 

 

「何処だ、いったい何処に居る」

 

 

焦燥を隠せない挙動で明るくも暗くもない非常識な空間を、掻き分けるように進み探索する。

浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返す光源に接近し、目的の存在が確認できるまで

ひたすらに周囲を見回す。人の形をした兵器たる彼は、此処で何を探しているというのか。

 

 

答えは、自分自身(・・・・)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、八雲 縁という人物のこれまでの経緯を振り返る事としよう。

 

 

 

 

まず肝心なのは、この青年。

姓を八雲、名を縁と与えられた彼が、何者なのか。

 

彼は忘れ去られたものたちが流れ着く終着駅こと『幻想郷』と呼ばれる世界の住人となった、

人間の形をした機械。より厳密にいえば、中身を機械に改造された元人間、という存在だ。

 

外見は若草色で逆立った短髪に深みある青系統の古びた着物、といった古風な出で立ちだが、

顔は「縁」と書かれた布で覆い隠し、あまつさえ腰には朽ちかけの太刀を引っ提げている。

足の甲部分だけが露出したようなブーツもどきを履き、表情が見えぬ分怪しさも抜群な姿の

青年は、見た目のみならず彼自身が発する雰囲気もまたどこか機械的で独特なものである。

 

彼は元々この幻想郷にいた住人ではなく、外界と幻想郷とを隔てる博麗大結界の外側から

やって来た、いわゆる「外来人」と呼ばれる者の一人。他にも外来人は複数確認されていて、

しかしその多くは幻想郷に移住して定着し、それぞれが日々を悠々自適に謳歌している。

縁もまたその内の一人であるのだが、彼だけは他の者達とは大きく事情が異なっていた。

多くが外界で忘れ去られたか、大結界の綻びに乗じて飛び込んでくるかの二通りの方法で

幻想入りを果たすものであるのに対し、縁だけは幻想郷を管理する賢者に招かれているのだ。

 

彼を幻想郷へ招き入れた人物こそ、今の彼の主人である妖怪の賢者こと八雲 紫である。

 

幻想郷の繁栄と調和を責務とする妖怪の賢者たる彼女は、外の世界の何処かにいたという

青年をその身が有する『程度の能力』によって、忘れ去られし楽園へと引き込んだ。

これまでの彼の経歴の一切を抹消して、彼に新たな名を与え、衣服や顔を隠す布を授け、

さらには優雅に扇子を振るう彼女に似つかわしくない古びた太刀と小太刀を預けた。

 

以降、青年は与えられた八雲 縁を名乗りながら紫を主と仰ぎ、一身の忠誠を捧げると共に

彼女の命令を遂行するべく活動を開始する。ここまでが、八雲 縁の幻想郷での過去だ。

これより先は語るべくもない。紅き狩人を主の命令で迎え入れ、その成り行きを密かに

記録しながら見守っていた。吸血鬼一党の勢力に加わった時点まで、監視を続けていた。

 

紅き狩人が起こした『異変』の顛末を見届けた後、彼は主人の命令に従い博麗神社へと

赴く。何故そのタイミングだったのかというと、博麗の巫女と面識が全くない縁が突然に

神社へ現れ、「中を調べさせてほしい」と頼んだところで取り合ってもらえないと判断した

ためである。なので巫女である博麗 霊夢が異変解決に出払った隙を窺った次第であった。

 

紫から言伝られた内容は、「博麗神社に設置された“要石〟を調査せよ」との事。

実は博麗神社は一度倒壊させられており、その犯人である天人の比那名居(ひなない) 天子(てんし)が起こした

とある異変を解決した折、お詫びの意味を込めて神社の再建と件の要石を安置したという。

この要石はいわゆる霊石であり、地震の被害から免れるなどのかなり大規模な加護が石に

込められているらしいのだが、紫はただそれだけではないだろうと目を光らせていたのだ。

 

本来なら紫自身が赴き調査すべき問題なのだが、妖怪の賢者であり己の責務を果たそうと

する紫と、穢れなき高位の者たれとされる世界から放蕩する堕落者の天子は馬が合わない。

正反対ともいうべき両者は互いを毛嫌いしており、紫は自分が要石に不用意に近付く事で

天子に自身の思惑を悟らせてしまうのでは、と最大限に警戒を敷いていた。

故に彼女は自らの『道具』となった縁を要石の調査へと向かわせたのだった。

 

 

主人からの命により博麗神社へ向かった縁は、その場にいた伊吹 萃香や東風谷 早苗との

予期せぬ遭遇というアクシデントはあったものの、見事神社内の要石の調査を遂行する。

結果は、紫が危惧していたような妙な仕掛けや呪いの類は検知されず、本当に地割れ除けの

加護が付与されているだけの安全な霊石だったという、何ともあっけないものだった。

 

調査を終えた縁は主人に報告をしようとするが、合縁奇縁何とやら。早苗に連れていかれた

妖怪の山でひと悶着を起こし、挙句に謂れのない騒動に巻き込まれかけた所をどうにか

切り抜ける。その後、偶然出会った氷の妖精チルノと成り行きで【弾幕ごっこ】を開始。

幻想郷最弱と軽んじられていたチルノに敗北を喫し、体内の機械部品の一部が凍結した事で

機能を強制的に停止して倒れたところを、命蓮寺の門徒たちに発見され回収される。

 

この強制的な機能の停止状態がかなりの期間続き、その間の彼自身に記憶は一切ない。

凍り付いた彼の扱いに困った命蓮寺の村紗 水蜜とナズーリンの二人は、幻想郷でもその名が

知られた『香霖堂』という古具店に彼を押し付けることにした。店主の森近 霖之助は急に

持ち込まれた彼がほぼ機械で出来た人間であると知り、かつ道具としての彼の用途を知った

ためにナズーリンと共に、機械に強い河童の生息する妖怪の山へ彼を運び込んだ。

 

持ち込まれた縁に興味を抱いた河童の河城 にとりは見事に凍結の影響でエラーを起こした

機械部分を修繕し終えると同時に、突然現れた影のような存在に自身の影を奪われ気を失う。

直後に再起動を終えた縁は自分の状態と状況をすぐさま把握し、調査結果を報告することが

第一であると優先順位を決定してから、彼自身が有する『程度の能力』で主の元へ帰参した。

その際、にとりを取り込んだ謎の影が彼自身の影に飛び込んだ事に気付く者はいなかったが。

 

 

そしてここから、八雲 縁という存在が根底から揺らぎ始める事態が起こり始める。

 

主人である紫が住まう八雲邸へ戻り報告を済ませた縁は、そこでようやく自分の影の中に何か

異様な存在が身を潜めていることに気付く。どう対処したものかと思考を巡らせ、彼が有する

【全てを(つな)げる程度の能力】を応用して相手の存在を網羅しようとした瞬間、逆にその能力を

利用され内部に侵入される。以降、彼は自分に与えられた主人の道具という役割を放棄して

幻想郷の各地に出没。行く先々で力持つ存在と戦い、一人ずつ影に取り込んでいくのだった。

 

充分に影を取り込んだ縁はとある目的を果たすべく人里へ出現。その時偶然居合わせただけの

秦 こころと弾幕ごっこをする事となり、実力者相手に引けを取らない縁が予想外にも敗北。

縁を捜索していた紫とその式の藍も戦闘の気配を察知して現れ、同じく人里での弾幕ごっこを

見物しに来た霧雨 魔理沙に行方が知れなくなった神の一柱を探す早苗らが一堂に会した。

全員が縁を対象とした共闘態勢に移ろうとしたその時、彼が自ら幻想郷へ招き入れた少年が

新たに戦列に加わり、とある理由で縁を探していたのだと語り聞かされる。

 

その直後、縁の影に潜り込んでいた『ナニカ』が暴走状態となり、彼を止めようと息巻いていた

幻想郷の実力者たちのみならず、無関係の人里の人間たちにまで予期せぬ猛威を振るい始めた。

人里に住まう人間たちの影を片っ端から奪い、それだけに止まらず家屋などの影も奪いだした

ことで影の無くなった建物は倒壊し、わずかな合間に里は阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈する。

この異常事態を引き起こした『ナニカ』はついに縁までも完全に取り込もうと暴走を続け、

それを逸早く察した紫が影の群れの中心から縁を奪還し、藍に全てを託してスキマへ消えた。

 

 

ここからは多くを語る必要もないだろう。

 

紫に救出されたはずの縁は何故か見覚えのない場所で意識を取り戻し、そこがかつて栄えていた

京の都、平安京であると知り、さらにはその時代に幼い頃の紫と未来の己自身の姿を見つける。

自分の知らぬ自分の存在と明らかに幼子の見た目をした主人を目撃した縁は、過去の世界へと

迷い込んでしまったのではと考え、存在を感知されない事を逆手に取り彼女らの後を追った。

 

妖怪の基準ではあったが微睡みを覚えるような緩やかな日常を送る様を見続けていた縁は、

ある日唐突に認識できないはずの自分に、その時代にいる未来の自分自身から語り掛けられる。

曰く、「今日この日、未来の己は死を迎えるのだ」と。急展開に次ぐ急展開、流石の縁も事態の

把握に時間を要したが、気を失う前まで主君を裏切っていた事実に苛まれて戸惑っていた。

 

縁は自分自身の肉体が機械で構成されていることを正しく理解し、主人である紫から道具として

重宝されているということも認識できていた。扱いに不満があったなどというわけもなく、

まして他の誰かに降ることなど考慮にすら値しない。では、何故彼は主の手を離れたのか。

その全ての答えの鍵は、彼の影の中へと潜り込んだ存在__________影アソビであった。

 

 

影アソビとは、端的に言えば「人の遊びの中に紛れ潜み、数を増やす妖怪」の一種である。

その中でもこの影のアソビは『影』にまつわる遊びに寄生する妖怪であり、その特性が影響した

為か自身を含めたありとあらゆる影に干渉する能力を会得し、自己を強化するべく力を揮った。

いや、自己を強化するという目的よりも、影アソビに取り込まれた無数の意思に導かれるままに

能力を活用した、という方が的を射ているのかもしれない。

 

この影アソビ自体は単なる矮小な妖怪なのだが、アソビが封印されていた付近は野良妖怪の

狩場のような場所になっていたらしく、人里から迷い出た人間の多くが其処で食い殺されていた。

大人もそうだが、何より年端もいかぬ幼子がその大半を占めていたのが、逆に仇と化したのか。

理不尽な死に直面した幼子たちの「帰りたい」という純真な想いと、「死にたくない」という

生物として至極真っ当な生存欲求とが混じり合い、強い呪いを帯びてアソビに力を与えてしまう。

封印されてはいたものの、あまりに多くの呪いが内にいたアソビを眠りから目覚めさせ、死体や

死にかけの体から影を奪い取り、怨念と懇願が内包された歪な存在へと変性してしまった。

 

子どもたちの「帰りたい」という願いと「死にたくない」という想い、それが影アソビに大きな

力を与えたことで封印を内側から壊して蘇った。蘇ってすぐ、アソビは付近で話をする声を捉え

足を向ける。そこにいたのは、銀色の髪を揺らす少年と、緑色の短髪を逆立てた青年だった。

ここで影アソビと縁が出会い、縁の持つ程度の能力を知り、その力を使えばアソビの中にいる

多くの子どもたちは願いが叶えられると喜び、以降彼の足取りを追うように幻想郷を闊歩する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでが、物語として紡がれてきた『八雲 縁』という人物についてのすべてだ。

 

ではここから先は、幻想郷へ訪れるよりも前___________ただの人形であった彼を語ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広大でありながら仄暗く、薄ら灯る光源を頼りに周囲を見回す縁は、ふと視線を一点に止める。

僅かな思考の中で逡巡した後に目撃したものが見間違いではないと結論付け、釘付けになっていた

視線の先へと進んでいき、そこにふわふわと浮かび漂っているものがある事を確認し、頷いた。

 

 

「間違いない。コレが私から失われていた、以前の『私』としての記録………いや、記憶か」

 

 

球体のように見えてはいるが、実際は物質としてそこに在るのではないと気付いた縁は、それが

この空間のどこかにあると主人から伝えられていたかつての自身の記憶ではないかと推察する。

自分か主たる紫に招かれて幻想郷へ足を踏み入れるより以前の、八雲 縁となる前の記憶。

今の自分は主人の為の物でありながら身勝手に使用者の手を離れ、主人が愛し見守る幻想の郷を

未曽有の大混乱へと陥れた罪深き者。決して心を抱いてはいけなかった、不安定な人形モドキ。

彼は己の活動を永久に停止する事で主人への贖罪と考え実行に移そうとしたのだが、手にしていた

小太刀で心臓を貫こうと刃を突き立てる寸前で阻止され、無様に生き恥を晒して此処へ来た。

 

主人が意のままに扱うべく存在していたはずの己が、己が身を委ねるべき主の手を独りでに離れる

ばかりか、多くの幻想が流れ着く最後の楽園たる幻想郷に予期せぬとはいえ実害を及ぼしている。

もはや自分が生存し活動を続けていても、主は楽園の管理者の一員としての立場を重んじなければ

ならない以上、どれだけ愛着を持つ道具であろうと、見せしめとして処断しなければならない。

過去の一端を見せられた縁にとっては、自惚れではなく本気で自分を失う事を主が恐れていると

理解している。罪の意識に苛まれていようと、主を心から心配している気持ちは嘘ではなく。

 

ここで縁は、紫の【スキマを操る程度の能力】と自身の能力を活用する策を思い至った。

 

策を実現させるために必要な事は、八雲 縁が失っている自身に関する記憶を取り戻す事。

そしてもう一つは、その取り戻した記憶と幻想郷に移り住んでから得た記憶の全てを譲渡する事。

まずは記憶を取り戻すことが先決であるとして、手に触れた記憶の塊らしきものへ意識を向けた。

 

 

「コレは____________________」

 

 

どろりとした液体がゆっくり流し込まれるような感覚を覚えながら、今まで自分の記憶中枢には

存在しなかった記録映像が徐々に浮かび上がる。そこに見えるのは、怪しげな雰囲気の小部屋。

 

何らかの台の上に載せられているのだろうか。こちらに顔を近づけて覗き込んでいる人物が居る

のだが、天井から吊るされている強い光が逆光となって輪郭がおぼろげに見える程度だ。

いやに耳下に響く粘着質な声色の男の声と、それに続くように狂気を孕んだ笑い声が聴覚を擽る。

 

 

『ヒヒヒ、しかし少佐殿。これからという時に、思わぬ収穫ですな』

 

『あぁ、まったくだ。降って湧いた様な幸運だ。これほどの幸運を味わったのは実に久しい。

第二次大戦中、閣下の命令で行っていた研究を知ったソ連軍に研究所ごと木っ端微塵にされて

なお、上半身のみで瓦礫の下から這いずり、泥を啜って救援を待っていた時以来だな』

 

『流石は少佐殿。並の軍人であれば死んでいる衝撃も、その皮下脂肪で耐えられたのですね』

 

『馬鹿を言え。コレは有事の際の貯蓄だ。この皮下貯蓄があればこその生還だったのだ』

 

 

どうやらこの時の自身の肉体は相当危険な状態だったようで、身体機能のほとんどがまともに

機能していないどころか、心拍すら停止しかけている。そんな中でも声のやりとりは続く。

 

 

『話が逸れたがドク、コレを生かして兵器運用させることは可能だな?』

 

『もちろんです。いつぞやの貴方のように、内側を丸ごと機械化しての延命処置を行います』

 

『ほう、私が誇る唯一無二の個性が被ってしまうのか。だが構わん。好きにやれ』

 

『感謝いたします。これだけの上質な肉体………どう弄ぼうか楽しみで仕方ありません』

 

 

強い光ではあってもしばらく浴びせられ続ければ視覚も慣れたのか、少しだけだが顔の輪郭や

ある程度の目鼻立ちが見て取れるようになってきた。けれど、重要なのは外見的情報ではない。

金髪の五分わけ髪で痩せこけているうえ異様にレンズが多い眼鏡をかけた色黒の男ともう一人、

前髪の全てを中央から左側へ寄せる髪型に健康的とは程遠く肥え太った色白の男が見えた。

その二人は一様に、どこか清廉でありながらも混沌たる狂気に染まったような笑みを浮かべる。

 

彼らの断片的な会話から推察するに、縁は此処で人体改造を施され機械化させられたのだろう。

実際にそう話しているし、視界の端には手術用とは異なる器具が幾つか用意されているのも

確認できた。これからこの体にあれらが入り込み、無作法に弄り回していくと思うと気が滅入る。

そう思って改造手術を待っていると、ふいに少佐と呼ばれていた男が寝かされている縁の頭の

上側、つまり視界に入らない頭部よりも上の方へ視線を向けながら、口を開き言葉を投げかけた。

 

 

『楽しみだ。実に、実に楽しみだ。君もそう思うだろう、Herr(ミスター)Gehirn(ブレイン)?』

 

『……………ドイツ語の言い回しは好きじゃない。呼ぶなら普通に名を呼べ、少佐』

 

『そいつは済まなかった。君は脳が好きだと言っていたから、気に入ってもらえるかと。

ん? いや、生きたまま脳を弄って悲鳴を上げさせるのが好き、だったか? いや、両方かね?』

 

『………僕の研究を嗤い、悪用しようとした奴らに後悔させる為にやっただけだ。他意はない』

 

『隠す必要はないとも。ルヴィク、君は私ととても似ている。私が戦争というものを自在に操る

楽団の指揮者ならば、君は人間の脳から全てを支配する劇団の指揮者であるのだろう』

 

『……………支配に興味は無い。僕は、僕の為にSTEMを完成させようとしている。それだけだ』

 

『謙遜かね? いや大いに結構。私は戦争が大好きだが、君は脳内に世界を作るのが好きなのか』

 

 

少佐が随分と饒舌に、愉快そうに話をするのとは対照的に、ルヴィクと呼ばれた人物からの

反応はいまいち芳しくないようだ。まるで地獄の窯の底から響いてくるような低音の声が続く。

 

 

『………とにかく、僕はそろそろ戻らせてもらう。得られるものは充分にあった』

 

『我々も感謝に尽きないよルヴィク。今ここに横たわっているコレこそが、生きる土地も時代も

異なる我々を巡り合わせてくれた! 信じられるかね? 時空の一部を結合させての邂逅だ!』

 

『………脳の研究を長く続けてきた僕にとっても未知の素材だ、出来れば手放したくなかったが。

今回のように対策も取れないままに時空を超えて過去と未来が繋がる事態なぞ、手に負えない』

 

『手に負えない代物を、君から見れば過去の時代に生きる我々相手に不法投棄する気かね?

だが我々にとっては垂涎物だ! この素体もだが、何より君と出会えた事が最大の有益なのだ!』

 

『………戦争屋、か。お前の脳内の快楽中枢は、この手で調べるまでもなく異常をきたしている』

 

『案ずるなルヴィク。脳内に描いた世界を現実と置き換えようとする君もまた、狂気の沙汰だ』

 

 

はっはっは、と分厚い頬肉を揺らしながら快活に笑う少佐。細々とした話し方で枯れ果てそうな

声を紡いでいたルヴィクは、どうやらこの部屋を出ていくらしく、靴音がゆっくりと遠ざかる。

そのまま靴音は止まることなく進んでいき、やがて完全に聞こえない距離まで離れてしまった。

彼がいなくなるのを待っていたのか、またも粘着質な声色(ドクとやらの声と思われる)が響く。

 

 

『少佐殿、よろしいので? 彼の話していたことが真実であれば、少佐殿の願望が叶うのでは?』

 

『…………確かに、あのルヴィクが言っていた通り、脳内に戦場を思い描けばそれが現実の世界へ

置き換わる装置を使用したならば、私は無限にありとあらゆる戦争行為を堪能できるだろう』

 

『では、何故?』

 

『分からんのか? 血も涙も流せない、絶頂すら解放できない身となった私でも心は未だ人間。

そう、人間なのだ。私は戦争が好きで、戦争が好きで、戦争が大好きなだけの人間であるのだ。

身も心も怪物であったのなら、妄想と現実の狭間のような空間の戦場で盛るのも吝かではないが

あくまで私は人間でありたいのだよ。妄想の中の戦場で果て続ける、それは自慰と何が違う?』

 

『ああ、成程。少佐殿は生を謳歌しようとしておられるのですね? 人間として』

 

『そうとも。〝奴〟は死の中で踊り続けている怪物。私は人として〝奴〟に勝ちたいのだ』

 

『大好きな、戦争で?』

 

『そうだとも。私が愛してやまない戦争で。あの懐かしの戦場で。怪物を討ち果たす夢を見る。

夢とは覚めて消えゆくもの。妄想とは似て非なるものだ。夢は妄想と違い、叶えられる』

 

『楽しみですな』

 

『実に楽しみだ。さぁドク、そこの素体を完璧に仕上げろ。伊達男(トバルカイン)が〝奴〟を足止めしている

僅かな時間で、それを完璧な兵器にしてみせろ。決定打を打つのはシュレディンガー少尉だが

何事も保険というのは必要だろう? 私が夕飯の牛ステーキを食べ終わるまでに頼んだぞ』

 

『お任せください少佐殿。しかし、先程「小腹が空いた」とハクセを食べられたばかりでは?』

 

『何度も言ったろう? デブは一食でも抜こうものなら、たちまち餓死する生き物だと』

 

 

二人の男の笑い声と共に光が強まっていき、そこから先は何も見えず感じもしない静寂が続く。

やがてその光景を外側から鑑賞していた(・・・・・・・・・・)縁は、今の記録映像が自身の記憶領域へ保存された事を

確認すると、先程まで視ていた自分自身の過去の状況を俯瞰した立場で冷静に考察する。

 

 

「映像が浮かぶ不可思議な球に触れてからしばらく、私は『この私』と『あの場に居た私』の

二つの視点を同時に閲覧していた、のか? 察するに私の体がこうなった元凶のようだったが」

 

 

防犯カメラの映像を見るように記憶を閲覧していた自分と、映像の中の一人物としての視点で

映像を直接体験していた自分との線引きがあやふやになりかけたが、答えの一端を縁は掴んだ。

 

 

「あの二人組が使用していた言語はドイツ語だったが、手術台の上に居た私の死角に立っていた

白いフード付きコートを着ていた男のドイツ語には妙な訛りがあった。英語圏の人間なのか?」

 

 

記憶の中で自分を機械兵器へ転用しようとしていた二人の口調と、白フードの男の口調がやけに

目立つ違いがある事に気付いた縁だったが、本当に注目すべき言葉があった事に焦点を当てる。

 

 

「少佐と呼ばれた男の言っていた、『時空の一部を結合させた邂逅』という言葉を額面通りに

受け取るのなら。この時点での私は、今の私にも困難な時空間の長距離結合を成功させた事に

他ならない。逆説的に考えると、かつての私にできたことが現在は不可能になっている、のか」

 

 

彼の言葉の通り、先程の映像記憶を見る限りでは実際に行ったのだろう事が分かる。大きく異なる

二つ以上の時間と空間を結び付けて留めるという荒業をやってのけ、そしてドイツ軍人と思しき

先の二人組に改造された結果なのかどうかまでは不明だが、それ以降能力の上限が下降している。

縁が主人と出会う前の自分自身を見つけ出す、との前提条件はクリアできているのだが、閲覧した

映像記憶の時間の己と出会ったところで改造処置を施された後では、基本スペックは変わらない。

であれば、必然的にこの時間よりもさらに前。この少佐とルヴィクという男たちを自身の能力で

引き合わせてしまうよりも以前の時間に居る自分を見つけ出さなくてはならない、ということだ。

 

能力が暴走したのか上限が想像の範疇を超えているのか、これほどの長距離間の結合を自意識が

無い状態で行えた機械化前の能力が異常なのか。予想はつけども予測はまるで追いつかない。

そして再び仄暗い薄明の空間の中を当てもなく捜索し始めてしばらく、縁はついに辿り着いた。

 

 

「コレで間違いない。ああ、私自身も初めて見る。これが、生前の私ということか」

 

 

僅かな光に照らされながら浮かぶ記憶の球を眺め、縁はこれこそが探していたものと確信する。

 

 

そこに映り込んでいるのは、どこか遠い世界の片隅。誰の気にも留まらない程の小さな戦場。

時折視界の端を飛ぶマズルフラッシュと硝煙が、未だ以て終わりの兆しの見えない鉄の雨降る

異界の現実を陰鬱と物語る。それはきっとどこにでもあった、外の世界の何処かの紛争地帯。

 

土埃と血飛沫が絶え間なく噴き上がるその場所で一人、明らかに異質なモノが立っていた。

 

数々の傷を体に刻みながらも歩みを止めず、鉄火飛び交う渦中においてその瞳に光は無く。

雄叫びを上げながら果敢に挑む味方も、唸り声を発して迫る敵を撃ち抜く相手も意に介さず。

少年と呼べるようになり始めた頃の肉体ではあまりに重たい銃火器を携え、彷徨う一人の子。

 

 

「これが、彼が____________私の原点か」

 

 




いかがだったでしょうか?

ハーメルンさんのサイトで原稿の途中保存が出来るようになってから、
昔みたいに「保存できないから再起動で消える前に書き切らねば!」という
ある種の締め切りに追われるような焦りが消えたせいか、執筆が遅れますね。

さて、前書きにも書いた通り、この作品を連続更新して現在の章をとにかく
年内に終わらせるという目標を立てました。この目標を達成しない、できない
などという甘えた戯言は一切口にしないと誓います。これは決意表明です!

どうか連載開始からこの作品を楽しんでいただいている読者の皆々様方、
作者共々走り続けるこの作品を応援していただけますよう、お願いいたします!


それでは次回、東方紅緑譚


第九十壱話「緑の道、我思う故に我在り」


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第九十壱話「緑の道、我思う故に我在り」

どうも皆様、やらなきゃいけないことに押し潰されそうな萃夢想天です。
インターン研修、現地実習、面接演習………考えるのやめよ。

さて、前回は長々とした説明回になってしまい申し訳ありません。
もっとコンパクトに収めるつもりだったんですが、ブランクが痛いなぁ。
あと、縁の過去回想に登場した人物は、東方とは一切関係のないところ
からのゲストキャラです。ネタを知ってる人には分かるかも。

今回からはきちんと物語を先に進めますので、お楽しみに。


それでは、どうぞ!




 

 

其処は、いっそ清々しいまでに荒れ果て、汚れ渇いた不浄の世界の片隅だった。

 

空気は重たく濁り、極小の塵を伴い硝煙と血煙を運ぶ風はさながら意志を持つガスに等しい。

砂埃が絶えず舞う大地は不毛の如く、ただ石と砂と薬莢と骸が乱雑に転がるばかり。

太陽の光ですら満足に射す事のない澱みきったその場所に、一機の人型が降り立った。

 

ごうごうと唸り吹き荒ぶ砂塵を意に介する素振りを見せない彼、八雲 縁は己の周囲を

布に隠された視界を右に左に動かして見やり、景色に見覚えがないことを再確認する。

 

 

「ここが私の原点となる風景か………些か雅に欠けるが、私にはこちらがお似合いか」

 

 

およそこの荒廃した土地において明らかに相応しくない風体の彼は、布越しの視線で

辺りを見回し、後に戦闘機能を埋め込まれ機械と化す己には相応しい世界だと自嘲した。

しかし今はこうなってしまう前の自身(・・・・・・・・・・・・)に出会う必要がある、目的を持ってこの失われた過去へと

やってきた縁は感傷に浸る時間も惜しいと、この荒野の何処かにいる過去の自分を捜し歩く。

 

時折彼方から血風に乗って響く銃声や断末魔、悲鳴に怒号を鋭敏に改造された耳下が捉えるが、

それらは己の過去に起こった出来事であると聞き流し、流れ弾を避ける手間すら惜しみ捜索する。

過去の風景に居る自分を探し始めてどれほど経ったか。ふと縁は耳を澄ませ、そして気付く。

 

 

「ふむ、銃声が途絶えた………戦闘が終わったか。となれば、そろそろだろう」

 

 

衰える気配のない暴風の隙間から聞こえた喧噪、特に銃声と断末魔が鳴りを潜めた時点で縁は

当たりをつけていた。この戦闘区域に自分が居たとして、間違いなく最後まで生きていると。

あるいは生死の境を彷徨っているのだろうと。大気中の成分量と銃声がしたという事実から、

此処が外の世界であると断定していた縁はついに、砂塵の中独り佇む人影をその視界に映した。

 

一度でも整えられたことが無いだろうと一目で分かる煩雑そうな髪、色は意外にも黒い。

まともな食にありつけない事を証するように痩せ細った体躯、銃を持てる筋力はあるようだ。

胡乱気に前方を、虚空を見続ける双眸は、砂が飛び込むことすら構わず半端に開いている。

改造され顔というものを失くした縁は、そこに立つ者の表情が人間なのかと本気で疑った。

口は一文字に閉ざされ、瞳はただ開き写しているのみ。精巧な作り物がせいぜいという様子の

その顔は、生気を感じさせないほどに静謐であり、死人を思わせるほど欠落している。

 

ここで縁はようやくこの場における勘違いを、自分自身の由来と、その顛末とを思い至った。

 

 

「そうか、そういう事だったのか」

 

 

そう(ひと)()ちた縁の呟きは誰の耳に届くこともなく、砂礫のように風に追われ転がっていく。

 

彼が抱いていた勘違いとは、自分という存在がいつの頃に人としての死を迎えたのかという事。

自分が改造を施された経緯は既に閲覧した過去の記憶の通りだったが、ではそうなるより以前の

己の、即ち人として生きていた自分の死はいつ訪れたのか。この考え自体が誤りだと縁は悟る。

 

なにせ、今目の前にて茫然自失に立ち尽くす過去の自分はもう、確かに死んでいるのだから。

 

 

死を自覚せぬまま命を失った(・・・・・・・・・・・・・)事で、我が五体はもぬけの殻。文字通りの人型となった訳か」

 

 

この過去の自分はこれから死を迎え、その果てに何らかの方法で能力を得てしまい時空を繋げ、

出会うはずのない者達を引き合わせる事態を招き、結果として機械の体躯を有した人形と化す。

そうなる筋書きだったのだろうと予想していた縁は、勘違いに気付いたことで予想を上書きした。

おそらく過去の自分は、この不快極まる戦場にて誰知らず命を落としてしまったのだろう。

普通ならば生命活動を終えた肉体はその一切を停止し、後は腐るのを待つだけの物言わぬ躯へと

成り果てていくのだが、彼の場合は事情が違った。彼の肉体は、自らの死を自覚しなかったのだ。

 

目立った外傷がないからか、あまりにも唐突に過ぎたためか。とにかく後に縁の名を賜る彼は、

死という概念から見逃されてしまっている。命という動力源を抜かれた、空っぽの器と成った。

この肉を持つ空虚な器という代物が、彼という存在の常識を根底から覆す役割を担ったのだろう。

 

 

唐突に話は変わるが、古く日本に伝わる八百万の神の中に、『人が作った物に宿る神』がいる事を

ご存知だろうか。神格に連なるもその多くは妖怪へと堕とされた、付喪神(つくもがみ)という神たちの事だ。

 

人が作り大切に扱った道具にはやがて魂が宿り、使い手を密かに見守る守護霊たる神がいる反面、

人が壊し乱雑に捨てた道具には九十九の年を経て魂が宿り、恨み妬みを振り撒く荒神が存在する。

一般に広まった付喪神の印象は主に後者が占めている。しかし、そのどちらも起源は同一なのだ。

 

そう、ここで肝心なのは、付喪神と呼ばれる存在の習性とも呼べるその在り方。生まれ方である。

付喪神たちは人の作った物に宿る。大切に扱われたか、ぞんざいに捨てられたかの違いはあれど、

根幹の部分は共通している。彼らが宿るのは人が作った物。宿るのは魂のない入れ物、即ち器だ。

外の世界においては大いなる神すら忘れ去られゆく始末。精々が低級霊程度の付喪神の立場では、

元々魂が入っていた肉の入れ物(・・・・・・・・・・・・・・)であっても、選り好みをしていられるような余裕など無かろう。

 

つまるところ八雲 縁の正体とは、魂を失くした人間の体を依り代とした付喪神である。

 

先の説明で語ったように、付喪神とは神の名を冠する者でありながら、弱すぎる神格から人々に

妖怪へと堕とされた化生でもある為、神の力たる神通力も妖怪の要たる妖力も持ち合わせる。

 

幻想郷にて東風谷 早苗が縁と出会った際、人間の身でありながら神通力も妖力も漂わせていると

感じたのはまさに彼の出生に秘密があった故だった。当然、誰かが望んだ果ての事ではない。

早苗が奉ずる二柱の神、八坂 神奈子と洩矢 諏訪子が縁の正体を付喪神と言い当てる事が出来た

理由も同様である。その稀有な偶然が結晶として形を成した者が、この八雲 縁なのだ。

 

「大筋は読めた。さて、こちらも時間がないのでな。強行させてもらおう」

 

 

その縁は逸る気を抑えつつ、射貫くような視線を布越しに過去の己へと向けたまま歩み寄る。

反射光を消す黒い塗装が施された機関銃を携える人型は、ゆっくりと、確実に近付いていく縁に

対して一切の反応を見せない。警戒するでもなく、迎え入れるでもなく、ただ無反応なままだ。

さほど時間をかけずに目と鼻の先まで縮まった彼我の距離に、縁は安堵のため息を一つこぼす。

 

 

「一定距離まで接近すると敵対行動と見做され攻撃される可能性を考慮したが、杞憂だったか」

 

 

万が一の事態が起こった場合に備え、迎撃態勢を整えて身構えていた縁だったが、微動だにせず

時折フラフラとよろめく程度の動きしかみせない人型に警戒を解き、同時に確信を抱いた。

手を伸ばさずとも体が触れる距離まで近付いた縁は、瞳孔が開き乾いた知性の光なきその瞳を

じっと見つめ、唯一抱いていた懸念が無用であると理解し、自身の能力を人型へ向け発動する。

 

 

「時間が惜しい。抵抗の懸念がない今、手早くいかせてもらう」

 

 

縁が持つ【全てを(つな)げる程度の能力】を操り、自身と眼前の人型との間に無理やり経路(パス)を構築。

いくら反応が無いとはいえ、何が起きるか分からない以上は最低限の防御はしておくべきと考え、

相手側からの介入を遮断してこちらからの一方的な干渉のみを可能とした不可視の経路を接続。

見えない何かが確かに繋がった感覚を得た縁は、そこから自分自身が有するあらゆるすべてを、

己の魂と言い換えて差支えのない膨大な量の情報、即ち存在の一から十までを圧縮し送信した。

 

今彼が行っているのは、古いPCのデータを新しいPCへ移行しているようなものだ。

既に全身のほとんどを機械化されている彼にとって、記憶とはデータであり経験はソフトウェアに

類するものである。持ちうる全てを情報化し、空の器へインストールさせるなど造作もない。

しかし、約18年ほどとは言えど人間一人分の記憶と経験だ。ましてや彼の半生は常人とは比べ物に

ならないほど濃密かつ奇怪な記録に満ちていて、圧縮したとしてもそれなりの時間を要する。

 

圧縮化した影響で、記憶領域の一区画がすっぽり抜け落ちて流れていく奇妙な感覚を感じながら、

人型と化した過去の己の内側には、まだ何も宿ってはいなかったのだと証明されて緊張が解れた。

仮にもし、付喪神が宿るに吝かでない己の内に、既に別の魂が入り込んでしまっていたのなら、

これから彼が行おうとしている大きく加筆修正された計画(・・・・・・・・・・・・)は決行前に頓挫していたかもしれない。

しかし唯一の懸念であったその問題は杞憂と知れて、もう縁にとって躊躇う理由など無くなった。

 

すべては、自分のした行いから始まった一連の悲劇。

封印されし厄災を解き放つ一助となり、挙句に主君に背いて彼女が慈しむ箱庭へ導いた。

 

ただの道具でしか在れなかった己を、主人は初めから愛し守ろうとしてくれていたというのに。

その大恩に報いるどころか背反し、手に負えぬ災禍を振り撒く所業。これ以上の不敬があるか。

己の命に価値など無いと自考し、されど主に己が価値を見定められ、尽き果てるまでの忠を誓い。

これからは何もかもを今までとは違う、新しい形で始めなければと固い決意のもと此処へ来た。

であればその為に自分という存在が消え、更新され、新しい個へと成る礎と化したとしても。

 

其処には、微塵の未練も慚愧もなく。

 

 

「___________さぁ、もう一度。もう一度、始めよう」

 

 

数刻の静寂を破るようにして放たれたその言葉は、必死に絞り出したように酷く掠れていた。

これまでのような、平淡で熱を感じさせぬ機械じみた口調ではなく、人に相応しい抑揚がある。

永らく砂塵と乾燥に曝されていたであろう鼻腔と口腔(・・・・・)からは、やや苦し気な呼気が感じられ、

体内に異常が発生すればすぐさま感知した各種機構や機能などは、どこにも感じられない。

 

自らの躯体……否、肉体における劇的な変化を実感し、縁は遮る物ない視界(・・・・・・・)からそれを見下ろす。

 

そこに移るのは、枯れ木のように痩せ細り埃や煤に汚れた肢体と、黒一色に塗り潰された機銃。

外の世界に生きてきた自分の全てを物語る風貌だが、何もかもを拭い捨てて一から始めようと

誓った今の彼にとっては忌避すべきものではなく、むしろ新生したこの身を好ましく感じる。

 

 

「…………だが、我が罪を、我が業までもを拭い捨てるような愚は犯さん」

 

 

この場にいるのは自分のみ。その言葉は誰に聞かせるためのものでもなく、ただ呟かれた。

内側をほぼ機械に貪られた傀儡の躯体を脱ぎ捨て、新たに肉と意思を持つ身体を手に入れたとは

いえ、それは目的があってのこと。全てを無かった事にする為の清算などと言い逃れる気はない。

己に確かに芽生えた意志を証明するかのように、枯れ枝のような手を伸ばし、ある物を掴み取る。

 

 

「紫様より賜った刀や着物はともかく、コレが無くば誰も私を認識できまい」

 

 

幾年月を経て久方振りに笑みを浮かべた口元(・・・・・・・・・)から、平淡ながらも抑揚を感じる言葉を紡ぐ。

外の世界での戦争に自我もなく明け暮れていたこの身は、客観的に見て不潔の塊と化しており、

碌な衣服もまとっておらず武装も弾切れの機銃のみ。これでは浮浪者か放浪者の烙印を押されても

言い逃れられないだろう。なので、既に全情報を抜き取った抜け殻となった己から目ぼしい物品を

残らず貰い受けていく。その中でも『縁』と達筆で書かれた顔を覆い隠す布は、欠かせなかった。

 

帯刀していた銘刀『六色』も懐に携えていた小刀『七雲』も回収し、着衣を剥いで自らがまとって

一先ず良しとした縁。最後に彼は開かれた両の瞳を遮るように、『縁』の布をしっかり装着する。

全体的にほっそりした雰囲気が更に痩せ細り、妙に馴染んだ機銃を放り捨て古太刀を握り締めた。

 

そこに新たに立ち上がるのは、道具であることを自ら拒んだ、真に人として目覚めた一人の人間(おとこ)

 

 

「_____________これより、御身の御許へ帰参致します」

 

 

唯の一人の人間、八雲 縁であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中天に座していた太陽は既に西の地平線へと没し、変わるように東から月が昇り始めた夜も半頃。

完全に夜の帳が降りた時刻になった幻想郷。その一部たる人里は、未曽有の大混乱に陥っていた。

長い歴史の中で世代交代を繰り返しながら発展し続けてきた里の半分が、無残に崩壊している。

民家は支えを失ったように倒壊し、夜を照らす細やかな燈火も見えず、道すがらに人が倒れ伏す。

一夜にして滅び去ったと言われる様な光景だが、そこに異を唱える者などすら此処にはいない。

幸運にも命を拾って生き延びた里の人間は総じて、迷いの竹林の最奥に居を構える永遠亭にいる

薬師の下へと駆け込んで匿ってもらっているからだ。故に、里の中には滅びの景色が蔓延るまま。

 

人里がこうなってしまったのは、縁の影に潜み機を窺っていた影アソビという妖怪が暴走を始め、

荒ぶる怪力乱神の如く能力で里のあらゆる影を奪い去ったからであるが、今は姿を隠している。

影にまつわる遊びから生まれ落ちたこの妖怪は、その性質もまた影に大きく起因しているようで、

月や星の小さく弱い光源では夜の闇に影が飲まれてしまい、思うように動くことができないのだ。

 

その為、今回の一連の騒動を【異変】であると認識した関係者や幻想郷の異変解決者の面々は、

こぞって博麗の巫女が住まう博麗神社へ集結。アソビが動けない隙を狙って会談を行っていた。

幻想郷きっての異変解決者である博麗 霊夢が中心となって、里を壊滅寸前まで追いやった妖怪を

退治ないし再封印するための打開策を練っていた最中、唐突に空間が裂け無数の瞳と目が合う。

この場にいる誰もが知る大妖怪の能力によるスキマであると気付いた瞬間、不気味なスキマから

昼の戦闘から行方知れずになっていた最重要関係者たる八雲 紫が何かを抱え飛び出してきた。

 

 

「うわぁっ!? 何よいきなり!」

 

「紫様!」

 

 

今回の異変に関わる人物の一人として参加した藍は、霊夢の眼前に展開されたスキマから勢いよく

出てきた主人を抱き留め、薄く眼を細めている彼女と、彼女の腕に抱かれたソレを見つめ微笑む。

 

 

「急に姿を隠されたかと思えば………失くし物をお探しでしたか」

 

「えぇ。苦労を掛けたわね、藍。私がいない間、よくぞ夜まで持ちこたえたわ」

 

「主命に従いそれを果たすは式の役目。紫様、探し物は見つかったようですね」

 

「…………もう二度と手放さない。ごめんなさい、そしてありがとう、藍」

 

 

普段は博麗大結界の維持や幻想郷管理に割いていた能力の一部を、一気に集約し発動させたのか。

そう思うほど疲弊した姿を見せる主からの言葉に、藍は静かに頷き妖術での回復を開始する。

藍から送り込まれる妖力によって心身が回復し始める紫。だが、その場に集った他の面々には

訳が分からぬまま。沸点の低い霊夢が真っ先に痺れを切らして横たわる紫に食って掛かった。

 

 

「ちょっとアンタ。人様の家に断わりもなく転がり込んできた挙句に寝そべるだなんて、いい

度胸してるじゃない。っていうかその前に今回の異変の関係者として何か言うことないわけ!?」

 

 

貞淑かつ厳格な巫女職に就く女性とは思えぬほど粗野な態度をみせる霊夢だが、彼女がこうして

憤慨せしめる気持ちが分かる他の面々は、敢えて何も言わずに成り行きを見守ることにする。

お祓い棒を振りかざして迫る巫女に対し、問われた当人は今気付いたとばかりに両目を瞬かせた。

 

 

「あら霊夢。それに何やら錚々たる顔ぶればかりで、いったいどうしたの?」

 

「アンタがそれを言うの? 惚けたフリしてないでさっさと話しなさいよ」

 

「せっかちね。あんまり急くと幸せを取りこぼしちゃうかもよ?」

 

「随分耄碌したみたいね紫。私の気が短いの忘れたわけじゃないでしょ?」

 

「はいはいごめんなさい。少し休みたかったけれど、そんな場合じゃないものね」

 

 

短時間で苛立ちが募り怒りに変わる様から顔を背けた紫は、藍に支えられていた佇まいを整え、

両腕でひしと抱き締めていたソレを自身の真横へ座らせてから、神妙な面持ちで語り始める。

 

「まずはこの場に集まった者、ひいては此度の騒動により被害を被った総てに謝罪を」

 

 

普段からのらりくらりとした風体で掴み所の見られない紫だったが、今回に限り誠意を示す。

二の句を告げる前に軽く、しかし真に重い頭を下げて陳謝の意を表してから再び言葉を紡いだ。

 

そこから語られたのは、今回の【異変】にまつわる話。事が起こってしまうに至る経緯の全容。

 

 

人里を襲い影を奪い去った影アソビの実態。巫女の封印が解けかかっていたところで運悪く

相性の良い存在、つまり八雲 紫が重用する縁が近付き、彼の能力を求め彷徨っていたこと。

縁と接触した後に、取り込んだ子供たちの影が失った躰と帰る場所を欲しているのを仄めかし、

その為に彼の能力が必要だと影を通じて語り聞かせ、少しずつ体の主導権を奪っていたこと。

そして縁が主人の手から離れ子供たちの亡骸を探し当てたところから、影たちの感情が膨張を

始めていき、とうとう抑えきれなくなった無数の自我が犇めき合い暴走。その結果里は崩壊した。

 

影アソビは封印されてから現世に留まる依り代、つまり器を探していたらしく、能力の相性を

加味しても縁が最も条件の良い存在だったので、自我を暴走で削り肉体の支配を目論んでいた。

それに気付いた紫は完全に乗っ取られる前に縁を奪還し、スキマと縁の程度の能力を併用させて

投射された過去の狭間へと一時的に身を隠し、その間に打開策を練るべく原点へ立ち戻る。

 

それは、縁が何故自分から離れたのか。その理由を、隠された本心を知ることであった。

だから紫は自身が過去に縁と出会い、短い間ではあれど共に生きていた時間があったところを

現在の縁に見せしめることで、彼が内に秘めている「なにか」を解き明かそうと考えていた。

斯くしてその目論見は功を奏し、縁の抱いていた『自分は何者なのか』という深い猜疑心と、

『自分には心があるのだろうか』という人間と道具の板挟みの中に埋もれた虚飾を垣間見る。

紫は縁を分かってやれなかったことに悲しみ、縁もまた誰にも言い出せなかった己を悔やんだ。

 

互いを知り、互いを想い合ったことで、紫と縁は今回の騒動に決着をつけるべく動き出す。

まず最初に彼女らが行ったのは、今までの縁ではまたアソビに器として狙われることを恐れて、

早急に彼の空洞をどうにか埋めることだった。そして彼はここで、起死回生の策を思考する。

紫のスキマによる補助を受けて、彼自身が忘却していた過去を思い出し、その過去に座標を

合わせて結げる能力を発動させ、肉体が機械化する前の空虚でない肉体を入手する離れ業だ。

コレを無事に成功させた二人は一路、幻想郷へ帰還し、今に至るのだった。

 

 

耳障りの良い声色で粛々と話を語り尽くした紫は、そこでようやく顔の強張りを解き微笑んだ。

 

 

「こうして二人は幾多の試練を乗り越えて結ばれ、仲睦まじく末永く幸せに暮らしました」

 

「昔話か!」

 

「珍しく真面目かと思って聞いてたら……結局茶化すんじゃない」

 

 

清々しさすら感じられる物言いに魔理沙は突っ込み、霊夢は左手で額を押さえつつ頭を振る。

この場に五人しかいない人間(・・・・・・・・・)の内の二人の反応に、聖母の如き笑みに口元を緩ませた紫だが、

またすぐに真剣な表情で弛緩した空気を引き締めてぐるりと見回す。この場に集った面々の目を

しっかりと見つめ、ほどなく全員と目を合わせた彼女は凛とした口調で言葉を口にした。

 

 

「今回は私たち………いえ、私個人の私情が招いた事態であり、弁明が及ばぬも承知であります。

しかしながら我々が愛し憩うこの幻想郷の明日を守るべく、どうか力を御貸しくださいませ」

 

 

紫という妖怪を知る者であっても滅多に目にかかる事のない真剣味に、誰しもが無言で首肯する。

 

博麗の巫女、守矢の巫女、魔法使い、半霊の庭師、里の半獣、編纂者、そして紅霧の執事。

この場に居合わせておらずとも、里を守るべく立ち上がった総ての者らに向け、彼女は令を発す。

 

 

「そして明日の明朝、夜明けの陽が里を照らす頃に__________討って出ます‼」

 

 

 




いかがだったでしょうか?

書き始めてから後書きまで二週間弱………今年も残り一週間弱かぁ。
なんだかんだでこの作品も五年目を迎えていたのだなと今更に実感します。
特に今年は忙しさや諸事情で例大祭に生き損ねているのが大きいのかも。


さぁ、ここから更にスピードアップ!
一気に畳みかけていくつもりですので、どうぞ皆様お楽しみください!
この作品は、読者の皆々様のご声援あってこそ成り立っております‼


次回、東方紅緑譚


第九十弐話「縁の路、影差す導に光輝在り」


ご意見ご感想、並びに批評なども募集しております!


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第九十弐話「緑の路、影差す導に光輝在り」

どうも皆様、新年明けましておめでとうございます。
もう三か月過ぎてますがね! 年内更新できずすみません‼

ここで多くは語りません。私ももう迷ったりしないと決めました!
この作品のゴールを目指して少しでも足を先へと進めていく!
読者の皆様に支えられているこの作品を、もっと楽しんでもらえるよう!


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

幻想郷の空と地の狭間に光が差し込む頃、決戦は既に佳境へ差し掛かっていた。

 

昨晩、人里を中心に起こった凶悪な【異変】を解決するべく博麗神社へ集まった幻想郷きっての

実力者たちと、管理者である八雲 紫が話し合い、事を起こすのは早朝と話をつけていたのだ。

その理由は里を襲った悍ましい怪異________影アソビと呼ばれる影を操る妖怪が、その特性故に

夜の闇の中では動きを制限されてしまうからであり、活動を再開する直後が狙い目との事。

 

異変の解決者として名高い博麗の巫女こと博麗 霊夢や霧雨 魔理沙は、当然ながらアソビ討伐に

参戦し、その他にも被害を受けた東風谷 早苗と復調した魂魄 妖夢も名乗りを上げる。

無論ながら今回の異変に最も関わりの深い紫とその式の藍、更には乗り掛かった舟とばかりに

途中まで異変の元凶側についていた伊吹 萃香までもが、里を守らんと立ち上がってくれた。

 

そして、彼女らの中で異彩を放つ二人。銀髪の少年と煤けた緑髪の青年も一助たらんと力を揮う。

 

片や幻想郷と表裏一体の外の世界から招かれ、姉を探し求める中で真なる忠義と愛に目覚めた男。

片や道具として生き、惑い、感情の芽生えに怯えながらも、再び人として生きる覚悟を決めた男。

 

____________時支配する瀟洒な従者の弟、「十六夜 紅夜」

____________隙間統べる妖怪の賢者の()、「八雲 縁」

 

紅夜は愛し愛された女の無実を晴らす為だったが、今となっては里の安寧を守るべく刃をかざし、

縁は偶然から始まったとはいえ災禍を招き里を混乱に落とした元凶として、落とし前をつける。

 

各々の思いは言葉として語られることなくそれぞれの胸の奥で燃え滾り、戦いは始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷において、【弾幕ごっこ】とは公平性を重視した『遊びのルール』である。

 

この忘れ去られた者が集う楽園には、人間以外にも様々な種族の命が思い思いに暮らしている。

人間は寄り集まって里を作り、妖怪は山へ籠もるか地の底へ下るか、あるいは野を彷徨うか。

それぞれの種にはそれぞれの守るべき法があり、破ってはならない掟が存在しているのだが、

他者に対して振るわれる力がその垣根を平然と打ち壊してしまう事態が、後を絶たなかった。

 

そこで博麗の巫女を受け継ぐ者が、幻想郷の管理者たる紫と協力して出来上がったのが、

人も妖怪も分け隔てなく、暴力以外で公平に決着をつけられる方法。それが【弾幕ごっこ】だ。

 

ルールは非常にシンプル。「相手に、自身の放った弾幕を美しいと認めさせたら勝利」という

ものなので、力ある者も無き者も皆が工夫を凝らし、相手よりも美しい弾幕を魅せる事に対して

尽力していった。やがて人も妖もそうでないモノ共も、空に咲く雅な花々に心奪われ始める。

こうして力が跋扈する殺伐とした風潮は過ぎ去り、心地よい喧騒と麗しい弾幕が乱れ舞う日々が

当たり前として幻想を生きる者たちへと浸透していった。

 

だが、このルールはあくまでも「誰もが分け隔てなく公平に決着をつける」為のものであり、

「既に法を犯した者を許す、あるいは救う」為のものではない。非情ではなく必定なのだ。

 

つまり今回の異変の元凶に対してのみ、「既に多くの命に危険を及ぼしている」との理由から、

手加減をする必要は皆無となる。彼女たちが行っているのは、誰もが平等な弾幕ごっこではない。

人とそうでないモノたちの双方にとって脅威となる、危険分子を排除する為の本気の掃討である。

 

 

東の地平線から陽が差し込むと同時に戦端は開かれ、そこから優に一時間は経過した。

 

人里に建てられた家屋の幾つかは土埃と轟音を上げながら崩れ、あちらこちらにはアソビが暴走

してしまった昨日に影を抜き取られたまま昏倒している人の姿が疎らに見受けられる状況だった。

陽の光という強力な光源を得て再暴走し出した影アソビと戦い、相性的に不利である事を悟った

魔理沙・早苗・妖夢・紅夜の四人は、昏倒したままの人々の救助や倒壊した家屋の除去に移る。

 

残った霊夢たちは自分たちの持つ力を、普段の弾幕ごっこでは『強すぎて相手を殺傷してしまう』

恐れがあって使えないでいた全力を、無秩序かつ暴力的に蠢く触手状の影に向けて放ち続けた。

如何に死した子供たちの願望や怨念を取り込んだ怨念の集合体と化していようが、相対するのは

幻想郷において無類の強さを有する存在である。ましてそんな彼女らが本気を出しているのだ、

影アソビは影を侵食して乗っ取るだなんて悠長な攻撃はできず、防戦一方で削られつつあった。

 

中でも幻想郷の管理者であり妖怪の賢者たる紫は、彼女を知る者が未だかつて見た事がない程に

険しい表情を浮かべながら苛烈に攻め立てていた。あまりに激しい攻撃は味方であるはずの霊夢

たちへ余波となって襲いかかるが、気付いてすらいないのか目を細めつつ力を揮い続けている。

 

 

やがて暴走状態にあった影アソビの動きが見るからに鈍り、このまま押し切れるかと戦端に立つ

者たちは警戒を緩める。ところが、その一瞬の油断を狙い影アソビは集結し移動を開始した。

思考する余裕を感じさせない迷いのない行動から、紫は数舜遅れてそれが逃走であると気付くが、

警戒心がほんの僅かに弛緩したタイミングで動かれ、咄嗟に追撃を繰り出す事が出来なかった。

 

 

「紫様!」

 

「しまっ__________」

 

 

紫自身も気付いていない、無意識の内に沸き起こった怒りと憎悪で、視界が曇っていたのだろう。

己が管理する幻想郷や、そこにある全てのものに対して向けられる平等で広義的な愛情ではなく、

たった一人の特別な存在に向けられている独占的かつ病的な愛情が、聡明な思考を歪ませた。

自分の不手際に歯噛みする間すら惜しむように慌てて攻撃を集中させようとした紫だったが、

影アソビが一心不乱に逃げようとしている先から近付く者の存在に気付き、余裕を取り戻す。

 

 

「彼の言葉を信じなかったわけではありませんが、やはり来て正解でしたね」

 

「…………来てくれた、のか」

 

 

常人に出せない速度で影アソビの逃げ先を封じんと現れたのは、紫とはあまり面識のない人物。

グラデーションカラーのウェーブがかった長髪をなびかせる超人仏僧、命蓮寺の聖 白蓮だった。

 

魔法使いでありながら、その魔法をほとんど己の身体強化に使うという稀有な存在である彼女は、

自身が住職を勤める命蓮寺の門下生の一人が影を奪われており、紫はその件で現れたと推察した。

しかし彼女の言葉と零れ出た縁の呟きから、紫は自分の知らない彼らの繋がりがあったと気付く。

 

聖は門下生の一人、幽谷 響子の影を取り戻すべく単独で行動していた際に、影アソビと同化した

縁と出会っていて、その時に彼が成そうとしていた事の全てを伝えられ静観に努めていたのだが。

昨日の昼下がりに人里から凄まじい妖気を感じて様子を見に行くと、その時にはもう里の一部は

崩壊しかかっていたのだ。里の守護者である上白沢 慧音や稗田 阿求らと協力して生き残った人を

迷いの竹林にある永遠亭へ護送、傷を負った人の治療に勤しんでいるうちに日は落ちて夜になる。

夜の間は妖気が感じられない事から、再び動き出すのは陽が昇る頃だと見当をつけた彼女は、里の

人々の事を慧音や永遠亭の兎たちに任せ、里に向かって全速力で駆け、今に至るのだった。

 

陰に生き陽を見出す邪法に手を出し人外の寿命を得た聖は、魔を調伏せしめる陰陽道にも明るく、

この場において博麗の巫女、妖怪の賢者に続いて影アソビに有効打を与えられる人材でもあった。

まして長く影を奪われた者が辿る末路を知る身でもあり、今も意識が戻らぬ響子の為と義憤に猛る

彼女は手加減などという甘えは捨てている。法力を高め超人的な力をまとう聖は払いの印を結ぶ。

 

 

「霊夢、アソビはもう弱り果てています! 今こそ好機です!」

 

「遅れてきたくせに指図すんじゃないわよ! ったく、合わせなさい紫!」

 

「ええ。助太刀感謝しますわ……!」

 

 

悪足掻きの拙い攻撃は藍と萃香が妖術で防御し、三人が力を蓄えるのに充分な時間を稼ぐ。

膨大な力の奔流が輝きとなってうねり、人里の上空に集まっていき虹色の光球へと姿を変える。

能力によって空に浮かぶ霊夢が右手に持つお祓い棒を掲げ、極大化した力の塊を持ち上げた。

 

 

「手間取らせてくれたわね。好き放題やったツケは清算してもらうわよ‼」

 

 

清純な光を湛える巫女とは思えない荒々しい口調で言い放ち、お祓い棒を力を込めて振り下ろす。

それに合わせるように光球は中空から投擲され、藍や萃香たちの迎撃に時間を割かれた影アソビの

頭上に落下していく。寸前で巫女たちからの攻撃に気付くが時既に遅し、光球は怪異に直撃した。

 

 

「久っ々の本気、受けてみなさい! 【夢想封印】‼」

 

 

霊夢の発動の合図に合わせ、光球は瞬き程の一瞬に圧縮され、次の瞬間には巨大な光の柱と化す。

放たれたそれは奇しくも、彼女たちが普段から目にする『弾幕ごっこ』の決着のようでもあり、

数多くの弾幕の中でも一際美しいと言わざるを得ない程に、目を奪われる輝きを放っていた。

 

こうして、里を襲った怪異【影遊異変】は鮮やかに幕を閉じた____________かに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊夢が紫と聖の力を借りて放った夢想封印により、雑念の集合体と化した影アソビは倒されたかに

思われたのだが、それが誤りであると分かったのはそのすぐ後の事だった。

 

これで全てが解決し、後は里の修復だけだと誰もが安堵する中、紫だけは気を緩めていなかった。

影アソビが退治された場所を睨み付けたかと思うと、手に持つ扇子を向け、パシンと音を立てて

閉じる。すると途端に藤色の幾何学模様が浮かび上がり、何かを閉じ込めるように四方を囲んだ。

 

 

「紫様?」

 

「そう簡単には終わらないだろうと思ったまでよ」

 

 

主の行動に首を傾げる藍に、紫は淡々と話す。そのまま扇子を持ち上げる動きに合わせ、何重にも

重なり合う四角や円がふわりと浮き上がり、紫の目も前でピタリと動きを止めた。

 

 

「【二重結界】………影という不定形存在である以上、逃がすと面倒ですもの」

 

「な、何よ。私が討ち漏らしたって言いたい訳⁉」

 

「いいえ。この手の存在は欠片でも無事ならそこから自己を再形成するの。だから塵一つとして

見逃す事は出来ない………霊夢、貴女もよく覚えておきなさいな。今後のためにもね」

 

「うっ…………ハイハイ、次は気を付けるわよ」

 

「結構。さて、と_____________どうしたものかしら」

 

 

結界に閉じ込め身動きを封じた紫は、影アソビのような存在の危険性を再認識させてから目を

細めて薄く笑みを浮かべ、もはや抵抗すら叶わなくなった矮小なソレの処遇を考え始める。

 

考える、とは言うものの、実質答えは決まっているも同然だ。

今回はこれまでの異変とは毛色が違い、何よりも人と妖怪のバランスを崩しかねないどころか

越えてはならない一線を越えてしまっている。法を取り仕切る者はこの幻想郷にも存在するが、

裁く裁かない、許す許さないの問題ではなくなっているのだから、取るべき行動は一つだった。

 

 

「決まってるでしょ。ほら、さっさとソレ寄越しなさい。とっとと退治しちゃうから」

 

「そうね。封印も安全でないのだし、何より再封印の必要性は無いもの」

 

「妖怪と人間の共存を掲げる私ですが………こうなってしまっては、致し方ありません」

 

 

妖怪退治の専門家である霊夢は無論のこと、共存を謳う聖であっても今回の件は一線を引いた

対応をせざるを得ない様子である。それを分かっている紫は、封印を緩めずに気だるげに手を

ひらひらさせる霊夢にアソビを渡そうとするが、その手は掴まれ受け渡しは阻まれた。

紫は驚きに目を見開きながらも、自身の手を掴んできた相手を見やり、冷淡な声を発する。

 

 

「何のつもりなの、縁」

 

「その怪異の処分、ご再考頂きたい」

 

 

彼女の手を掴み影アソビの完全な消滅を止めたのは、意外な事に八雲 縁その人であった。

 

紫からしてみれば、彼の行動は理解不能でしかない。彼にとって影アソビは自身に憑りついた

挙句に意識を乗っ取り、体を好きに使われたうえに人里に大きな痛手を与えた加害者のはずだ。

だというのに当の本人は戦闘の際も最低限の防御や迎撃をするばかりで、明確な攻撃と呼べる

攻撃を加えてはいなかったと紫は先程の戦いを振り返り、縁に言い聞かせるように語り出す。

 

 

「縁、貴方はこの妖怪によりその体を操られ、どんな思いをしてきたか忘れてはいないでしょう?

私は八雲 紫として、幻想郷の管理者としての責務を果たさねばならない。分かるわね?」

 

「はい、紫様。貴女様の立場も、どんな思いをしてきたのかも(・・・・・・・・・・・・・)、忘れておりません」

 

「だったら何故? 何故貴方は私の邪魔をするの?」

 

「邪魔をするつもりなどありません。ただ、処断する相手をお間違えないようお願いします」

 

 

徐々に言葉尻に感情が籠もっていくのを自覚しつつも、怒りを隠しきれない紫は縁の語った

言葉に含まれた違和感を感じ取る事が出来ず、額面通りに意味を受け取ったが為に困惑した。

話の雲行きが怪しくなるのを蚊帳の外で会った霊夢や聖も感じ取っていたが、これまでとは

どこか雰囲気の変わった縁に気を取られていたせいか、一瞬の変化に気付くのが遅れた。

 

 

「__________霊夢、封印された影アソビは⁉」

 

「え? まだ紫が持って………って無い!」

 

霊夢と聖は紫の手に収まっていたはずの幾何学模様の結界が消えている事に気付き、同時に

紫は自身が持っていたはずのソレを今は縁が開いている右手に持っている事に気が付いた。

彼が有する『全てを(つな)げる程度の能力』で、空間を繋いで奪い取られたのだろうと考察した

彼女は、ここでようやく縁が何を言わんとしているかを考え付き、顔から血の気が引いた。

 

 

「縁、貴方………まさか」

 

「御察しの通りでございます」

 

 

そう言うと同時に縁は掴んでいた紫の手を放し、右手に持った結界に囚われた影アソビを

布越しの双眸で一瞥する。そしてゆっくりと、深く頭を下げながら、粛々と己の思いを語る。

 

 

「此度の異変の黒幕は、紛れもなくこの私。ならばその責も当然ながら、私が請け負うべき。

処断されなければならないのは、影アソビ(この子たち)ではなく、道具である事も人である事も迷ってしまった

中途半端な私なのです。故に、罰は私に。この影にはどうか、寛大なる慈悲をお与えください」

 

 

今までの彼を知る者であれば、この言葉を聞いて驚かないはずがない。発された言葉の端々に

浸透していた感情という気迫に、耳を疑うだろう。しかし実際に、そこに感情は宿っていた。

平淡かつ無機質な八雲 縁という人物像しか知らない霊夢と聖の二人も、思わず固まってしまう

程度には驚きを隠せず、彼の変化を誰より理解しているはずの紫でさえ目を丸くせざるを得ない。

 

だが、そんな空気の硬直もほんの数瞬で元に戻り、すぐさま霊夢の導火線に火が付いた。

 

 

「アンタねぇ、人様にどれだけの迷惑かけたか分かってんの? いいえ、人だけじゃないわ。

そこらの妖精程度ならともかく、山の妖怪やら神やらにまでちょっかいだしてたんでしょ⁉」

 

「霊夢の言う通りよ、縁。貴方の願いは聞き届けてあげたいところだけれど、こればかりは…」

 

 

霊夢と紫の両者の言葉はまさしく正論であり、この場合は異変の元凶を庇おうとする縁の方が

異端であると言わざるを得ない。当然ながら縁も今回の事情を理解できていないのではなく、

当事者や被害者よりも、加害者と呼ばれる影のアソビ妖怪を正しく理解している故の発言だった。

 

 

「この妖怪に取り込まれたのは、幼子たちの影………残留思念のようなもの。それらが吸収され

膨れ上がるにつれて、徐々に怨念へと形を変えていき、人里に着くと同時に抑えきれなくなって

暴走してしまったのです。野山の獣や妖怪たちに命奪われた子らは、帰りたいと願っていました。

死ぬのは嫌だと泣いていました。そして、死した子らの影は、もう帰れないと悲嘆していました」

 

 

影アソビに憑りつかれた時、相手からの干渉の影響か、もしくは自身の能力によるものか。

縁は取り込まれていった無数の影が抱いていた想いを、叫びを、怨嗟を、嘆きを共有していた。

迫る死への恐怖を、求めていた家路への切望を、奪われた温もりへの渇望を、それら一切を彼は

叩きつけられたのだ。あまりに惨い影アソビの正体に、機械だった彼は心を痛めたのである(・・・・・・・・・)

 

主人の命令を聞くだけの道具ならば搭載されないはずの『憐憫』という機能。縁はこれが自身の

内から湧き出たものかを疑い、間違いがないことを確認した後に己の心の存在について葛藤した。

だからこそ彼は、自らの存在理由そのものである紫への献身を捨て、自己が他者の有り様に対し

動いてしまうような『心』があるのかを疑問に抱き、それが離反という結果になったのだ。

 

そして今の彼は機械の抑制から解放された、真の意味での人間と成った。真っ新な心を手に入れた

彼はもはや躊躇う事などせず、痛いほどに自らの心を締め付ける憐憫に従い、影の助命を乞うた。

冷徹な機械である事をかなぐり捨てた縁の感情に満ちた言葉を聞き、その場の全員に動揺が奔る。

 

 

「………ちょっと待ちなさい。死した子ら、ってどういう事よ」

 

「それについては私から話すわ」

 

 

異変を振りまく黒幕を退治して大団円、というような事はなく、人と妖怪の均衡と安寧を守護する

巫女としては聞き捨てならない単語が飛び出し表情を強張らせる霊夢。既に縁から事の顛末を聞き

及んでいる紫が即座に割って入り、影アソビの成り立ちから縁の真意の全てを要点だけを伝える。

簡潔にまとめられた話を聞き終えた霊夢は、顔から血の気を引かせながら自らの行いを思い返す。

 

 

「じゃ、じゃあさっきまで私達が戦っていたのって………」

 

「あの妖怪の影の全てが人間の幼子というわけではないわ。人間だけに止まらず、妖怪も妖精も

低級程度とはいえ神でさえも飲み干している。貴女だけが気負う必要は無いのよ、霊夢」

 

「知ってたんなら、アンタの能力でどうとでもしたら良かったじゃない! そうしたら!」

 

「いくら私でも、とっくに肉体が死滅した魂と分離させられた影を綺麗さっぱり元通り、なんて

神業染みた事は出来ないの。死自体の問題なら私でも手が出せたけど、再生となると私でも、ね」

 

 

大抵の事には騒がず動じず、自分という軸からブレたりしない博麗の巫女と言えども同じ人間の、

ましてや子供たちの命が関わっていたとなると流石に冷淡でもいられない。古くからの付き合いで

ほぼ万能といえる能力を持つ紫ならばと一縷の望みを抱くも、当人の口から否定の言葉が零れる。

 

弾幕ごっこという平等な決闘からは決して湧き出ないドロドロとした不快感に顔を歪める面々に、

事情を理解せしめた縁は頭を下げたままの姿勢で、再び影アソビの助命を懇願する。

 

 

「既に一度無様を晒したこの身であれど、思い至った策がございます。何卒、寛大な措置を」

 

「………………紫様、如何なされますか」

 

「霊夢。再封印にせよ退治にせよ、最終的には貴女がすべき事よ」

 

「~~~~ッ! ああ、もうっ‼」

 

 

縁の必死な言葉が響いたのか、先程の話を聞いて霊夢の心に複雑な感傷が刻まれたのかは定かでは

ないが、感情を上手く処理しきれない苛立ちを隠そうともせず声を荒げ、彼女は縁に背を向けた。

 

 

「異変の黒幕を倒してスッキリ解決ってのが一番楽なのに……………今の話を聞かされた上で、

『さっさと退治しちゃいましょう』なんて言えるわけないじゃない。ホンット後味悪いったら」

 

「__________感謝する、博麗 霊夢」

 

「ん、気持ちだけ貰っとくわ。そういえば、アンタからそんな言葉聞くのなんて初めてね」

 

「直接出会ったのはこれが初めてだからな」

 

「あー、確かに。なら当たり前よね。んじゃ私帰るから、感謝なら相応の品で返してちょうだい」

 

 

大きな溜め息を吐きながらそう呟く霊夢は、普段の面倒くさがりな態度をすっかり取り戻して

会話もそこそこに神社の方向へ足を向ける。手をひらひらとさせつつ、巫女らしからぬ返礼の品を

催促する彼女は、この問題にこれ以上関わらないとの無言の意思表示をしたつもりなのだろう。

引き留める間もなくすたすたと歩き去っていく霊夢の背を見送った紫は、改めて神妙な面持ちを

浮かべて顔を上げた縁と向き合い、結界に閉じ込めた影アソビの処遇を再度話し合う。

 

 

「それで縁、策と言うのはどういったものなの?」

 

「策などと呼べるものではありません。どちらかと言えば、提案に近い嘆願に御座います」

 

「嘆願?」

 

 

彼の物言いに首を軽く傾げながらも、紫は続きを語るように視線を投げかけ、縁もそれに応じる。

 

 

「この妖怪が起こした事の重大は私も理解しております。罪には罰が必要であるという事も。

しかし今回の一件は、子供たちの切なる想いとアソビ妖怪の性質が、最悪な形で噛み合った結果

であり、そこに私が不用意に干渉したせいで事態が悪化したのです」

 

「周りがどうみているかは置いておくとして、貴方自身はそう考えているのね?」

 

「はい。故に私がこの妖怪の行いの清算を、全て引き受けねばならないと」

 

「今の言い分で納得できる者も少しはいるでしょう。けれど縁、問題はそれだけではないわ」

 

「奪われた影についても考えがあります」

 

 

一つ一つ丁寧に問題を挙げ、照らし合わせ、解決の糸口を探り当てていく二人。先程までの激闘で

被害を受けた里の復旧作業は、共に戦っていた者たちが率先して行ってくれているので、この場に

いるのは縁と紫、そして式の藍の三人のみ。藍は口を開かず、事の成り行きを静かに見守る。

 

そんな彼女らの前で縁は、今回の異変で最大の被害ともいえる奪われた影の解決案を述べた。

 

 

「再度、私が能力を使用してアソビと繋がり、交渉をします」

 

「無茶よ!」

 

 

たまらず紫が声を荒げるが、それも無理からぬ醜態である。今でこそ彼女の愛の根源である縁が

手元に戻ってきてくれたが、つい数日前まで意識を半分近く乗っ取られた状態にされていたのだ。

今の話を黙って聞く事は出来ても、再び彼を失うかもしれない可能性は絶対に許容できなかった。

感情を妄りに表に出さない彼女であるが、今回ばかりはそうもいかず、悲壮感を顔ににじませる。

 

不安気な表情をみせる紫と真正面から向き合う縁は、悲痛な声に眉根を寄せて苦笑を浮かべた。

 

 

「今一度、私は我を通して無茶をしてみせます」

 

「待って、縁!」

 

 

機械として、道具として、空っぽだった彼からは想像もつかない程人間臭い仕草に虚を突かれ、

紫は僅かに反応が遅れてしまう。制止の声も伸ばした手も届かず、彼の姿はまたも消えていった。

 

 




いかがだったでしょうか?

本当なら一話で埋めきるはずだったのですが、やたら地の文が長く
なり過ぎてしまったので二話に分割させていただきます。

ですので、次回が今章の最終話となります。

いよいよこの作品も完結が見えてまいりました。
最後の最後まで走り切る所存ですので、皆様も応援よろしくお願いします!


それでは次回、東方紅緑譚


第九十参話「緑の路、童遊に陰りなく」


ご意見ご感想、並びに批評など受け付けております‼


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第九十参話「緑の路、童遊に陰りなく」

どうも皆さま、お久しぶりの萃夢想天です。
この作品も思えば長く続いたものでして、もう六年になります。
こんなにも長い間書き続けられたのは、読者の皆様の声援あってこそです。

そしてついに、この作品の完結が目前となりました。

どうか最後まで、主人公である彼らの生き様を見守ってあげてください。


それでは、どうぞ!


 

 

 

 

其処には色は無く、音も無く、風も無く、薫りも無く、光も無い。

まさしく『無窮の狭間』とも言うべき、あらゆる総てをそぎ落とされた空間であった。

 

痛いほどの静寂が包み込むその空間の中には、一人の男の姿がある。

否。正確には、一人の男と不定形の黒い塊のような存在が対峙していたのだった。

 

煤けたような緑の短髪をもつ男、八雲 縁が自らの能力を用いて作り上げた空間である

この場所は、彼の主人たる八雲 紫であっても発見が困難な、特殊な状態にある。

その為、この場所にこもっている限りは滅多なことがない限り干渉されないという事と同義で

あるので、誰にも聞かせたくない密談などをするには、うってつけであった。

 

淡い色味の幾何学模様で構成された結界に閉じ込められ、それでもまだぐにゃりぐにゃりと

形状を変化させ続けている黒い塊。影アソビと呼称される妖怪であるソレと向かい合うように

して直立する縁は、自らが構築した空間に異常がないことを確認してからようやく口を開いた。

 

 

「座標確認、方位各固定。安定状態を維持………問題なし。話し合いにもってこいな環境だ」

 

 

生来の気質なのか、はたまたかつて機械であった身体の事が抜けきらないのか。未だに冷淡な

機械染みた口調でこぼした言葉だったが、変わらずに蠢く相手からこちらの言葉がうまく伝達

されたか否かの判断はできない。その様子を無視して、縁は言い聞かせるよう話を続ける。

 

 

「さて、まずは状況の確認から始めるとしよう」

 

 

影アソビの様子に変化は見られない。相手にかまうことなく、彼は言葉を紡ぎだす。

 

 

「先程、お前たちは博麗の巫女を含めた幻想郷の住人たちによって撃退され、このままでは

  再封印すらされずに退治されるところだった。人里のみならず、幻想郷の各地で多くの者に

  被害を与えたお前たちには、当然ながら情状酌量の余地なしと見做されたわけだ」

 

 

これは紛う事なき事実である。人間や妖怪などの種族を問わず、さらには幻想郷のいたる所で

影と共に意識を剥奪してきたこのアソビ妖怪は、人妖関係なく危険分子と判断されていた。

だからこそ人と妖怪との共存を掲げる命蓮寺の尼僧たる聖 白蓮ですら、他者の影を奪い続ける

アソビ妖怪の危険性を充分に理解し、退治も止む無しと首を横に振ったのだ。

 

 

「だが、この私だけは…………私だけが、お前たちの想いを知っている」

 

『________________』

 

 

その瞬間、縁の言葉の続きを待ち望むように、ほんの僅かだが影アソビの蠢動が止まった。

 

 

「かつての私………機械の躯体であった私はお前たちと初めて出会った際に、程度の能力を使い

(つな)がったことで、意識の奔流とも呼ぶべきお前たち一人一人の声を知覚した」

 

『……………………………』

 

「長い時を経た影響で怨嗟の色が濃く浮き出ていたが、意識の奥底でお前たちが望んでいた

のは、他者の影を奪い強くなる事などではない。ましてや、誰かを傷つける事でもない」

 

 

いつかの折と異なり真に人となった彼は、端々にうっすらと熱が籠もった言葉を連ねる。

目の前で時が止まったように動かなくなった影アソビを悠然と見つめ、縁は告げた。

 

 

「怖くてたまらなかったろう」

 

『_______‼』

 

 

弾かれた様に不定形の体を蠢かせる黒い影。しかし彼は話すことを止めない。

 

 

「恐ろしかっただろう、心細かっただろう、己の身に降りかかった不幸を嘆いただろう」

 

『………、…………。………………!』

 

「夜の暗さに怯え、襲い来る妖怪に慄き、傷の痛みに涙を流し、神仏に無事を祈ったろう」

 

『……………。…………‼ ………、……‼』

 

「そしてなにより_____________生きて、家に帰りたかっただろう」

 

 

その瞬間、結界に閉じ込められていた一体の黒い塊は弾け飛び、無数の人影に形を変えた。

だが縁は目の前の光景を見て、アソビに奪われた者たちが「元に戻った」のだと推測し、

諭すように語りかけ続けていた己の言葉が間違いではなかったと、安堵と共に頷く。

 

そんな彼の前に姿を現した、彼の腰ほどの背丈の人影の群れ。それは真夏日の陽炎の如く

不確かな存在のようで、ゆらゆらと揺らめき輪郭が薄ぼやけている。ざっと数えたところで

五十人ほどいるらしいが、どれもこれも黒く塗りつぶされていて表情などは窺えない。

すると、まるで遠くの方から聞こえてくるようにぼんやりと反響した声が聞こえてきた。

 

 

『どうして?』『どうして?』『なんで?』『なんで?』

 

 

寄せては返す波のさざめきの様に、次から次へと男とも女ともとれる声が響き渡る。

 

 

『かえれないの?』『もどれないの?』『しんじゃったの?』『いきられないの?』

 

 

縁を包み込むように聞こえてくるそれは、さながら声の万華鏡である。

純粋であるが故の疑問。無垢であるが故の狂気。アソビという妖怪にもたらされた邪念など

介在する余地の一切ない、子どもと言う存在の持つ真っ直ぐな想いが、彼にぶつけられる。

 

彼らは最早、この世にはいない。既に死んでしまった者たちの影、魂の写し身なのだ。

死の間際に抱いた思いが魂に刻み込まれ、その写し身たる影を呑まれてしまった哀れな子ら

でしかない。今の縁には、彼らにこれ以上の責め苦を負わせる事など出来はしなかった。

 

 

(……………何故、と問うか。当然だな。お前たちには落ち度など何一つ無いのだから)

 

 

罪を背負えと幻想に生きる人々は口にする。罪を償えと被害を受けた者達は口々に叫ぶ。

だが、この子たちの罪とは何なのか。縁には分からない。無残な死、非業の死によって

全てを奪い去られた影たちは正真正銘の被害者である。安寧すら許されないはずはない。

 

主人や今の己にとって世話になった数多くの人々を騙してまで時を稼いだ彼は、囚われた

子どもたちの無念を、その想いと直面して、いよいよ決心を固める。

 

 

「ならば______________私と往くか?」

 

 

一言そう呟いた縁は、無数の影の群れの中で目の前にいた一人の影に手を差し伸べた。

 

 

『………………?』

 

 

声のさざめきがピタリと止む。

 

人の身体を得ると同時に『心』を理解した今の縁には、彼らの苦悩と悲嘆に共感できる(・・・・・)

今までの彼にとってアソビを中継して聞こえていた影たちの声は、ただそのようにあるという

程度のものでしかなかった。一人一人の嘆きや悲しみを、そういうものと把握するだけだった。

 

家に帰りたいとすすり泣く声を聴く。それをかつての縁は「そうか」と受け入れる。

死にたくないと喚き散らす声を聴く。それをかつての縁は「そうか」と受け入れる。

 

しかし人の身体の温もりを、真の意味での「繋がり」を知った今の彼は自らの『心』がもたらす

様々な感情を把握した。そうして彼は囚われの影たちに対し、『憐憫』の感情を抱いたのである。

 

再び戻ってきた静寂に楔を穿つような一言を、縁は繰り返す。

 

 

「私と共に往かないか?」

 

 

無数の喧騒は凪のように静まり返り、小さな影の群れは色のない顔で差し出された右手を見る。

言葉の意味が分かっていない、という訳でもないのだろう。縁は心の内で状況をそう判断した。

 

この子らは恐らく、自分に刻まれた今際の思念を反芻し続けるばかりで、その先を考えていない。

言葉足らずな幼子が泣き喚く際に同じ言葉を言い続けるのと同じで、理由が欠落しているのだ。

 

家に帰りたいと影はすすり泣く。だが、家に帰ってどうしたいのか。明確な想定が存在しない。

死にたくないと影は喚き散らす。だが、死なずに何をしたいのか。決定的な動機を失っている。

 

故に縁は、彼らに手を差し延べた。願いを叶えられずとも、彼らが存在できる理由を作りたいと。

 

 

『_____________』『_____________』『____________________』

 

 

影である彼らに目は無いが、暫くの間、縁の右手を見つめていたのだろうか。

まだ迷っているというより、もう少しで迷う事が出来る(・・・・・・・)ようになると推定し、さらに続けた。

 

 

「残念ながら、もうお前たちが生家に帰る事は出来ない。影であるお前たちを元の肉体へ還して

やる事も、恐らく不可能だろう。このままでいる事もままならず、やがては消えてしまう」

 

 

話を聞いているかは分からないが、影の群れの視線が右手から自分自身へ向くのを感じる縁。

手を差し延べておいて今更ではあるが、自分に彼らの思いを引き受ける事が出来るのかと僅かな

不安に駆られかける。それでも、かつて『心』を見失い、求め彷徨った己がこうして個としての

確立を成す事が出来た以上、何もかもを喪失して立ち尽くす彼らを救い導けない道理は、ない。

 

自らが「人」である事を信じられる縁は、影たちに焼き付いた子どもの『心』に語りかける。

 

 

「助ける事は出来ない。元に戻す事も、出来ない。それでも私は、お前たちを救いたい」

 

 

達筆で『縁』と書かれた布の下で、無自覚なままに頬を一粒の滴が伝い落ちていく。

 

 

「立ち止まるのなら、私が手を引こう。恐れるものあらば、私が共に在ろう」

 

 

知らぬ間に肩を震わせ、眉根は深く溝を刻み、瞳から零れる水滴は顎から無間の世界へ消える。

 

 

「死してなお影として現世に留まるお前たちの声なき声も、全て私が聞き届けよう」

 

 

顔を覆い隠す布越しの視界が滲んでぼやけ、最早影たちの輪郭すらも覚束ない。

 

 

「だから………」

 

 

それでも、機械の様に冷淡で、人形の様に平淡であったはずの人間は。

 

 

「______________もう、大丈夫だ」

 

 

八雲 縁は(・・ ・・)生まれて初めて笑みを浮かべた(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らず知らずのうちに内側から噴き上がるような熱に火照った体に、ほんの小さな風が触れる。

 

 

『………………………』

 

 

それは、風ではなかった。じんわりと胸の奥から膨らむ熱を解くかのように、影の群れの中から

歩み寄ってきた一人の影が、小さな手で差し延べた姿勢のまま震えていた彼の右手を掴んでいた。

 

はっとして手を握る影を見つめる縁の視線に気付いたのか、小さな影は静寂の中で呟く。

 

 

『____________もう、こわくない?』

 

「…………………ああ。もう君たちに、怖い思いなどさせないとも」

 

 

片手で包み込めてしまうほどに小さく幼い影の手を、精一杯の笑顔のままに優しく握り返す。

すると、動きを見せなかった影の群れの一部が揺らめき、影の内の一人が泡の様に消えていった。

 

目の前で唐突に起きた事象に驚く縁。しかし彼の右手を掴んでいる影が、また微かに言葉を紡ぐ。

 

 

『____________もう、さみしくない?』

 

「…………………ああ。いつでも私が、君たちと共に在ると言っただろう」

 

 

憮然とした物言いを止めた彼は、目の前にいる影だけでなく、その後ろにいる影の群れにも向けて

温かみのある声色で囁きかける。途端にまたも影が揺らぎ、また一人の影の姿が消えていく。

 

この問いかけを皮切りに、影たちは次々と、けれどきちんと聞き取れるように語りかけてきた。

魂に染み込んでいた思いの再現などではない、今ここにいる彼らの言葉に縁も真摯に応じる。

 

 

『____________もう、いたくない?』

 

『……………ああ。痛みに怯える事は二度とないと、約束しよう」

 

 

彼の言葉を聞き、また一人の影が揺らぎ薄らぎ消えていく。

 

 

『____________もう、きこえる?』

 

「…………ああ。私には君たちの声が、ちゃんと聞こえている」

 

 

一人、一人と、影の群れは少なくなっていく。

 

 

『____________もう、かえれない?』

 

「……ああ。だがこれからは、私が君たちの帰ってこられる唯一の場所となろう」

 

 

そうして、影の群れは減り続けていき。

 

 

『____________もう、いなくならない?』

 

「…ああ。君たちだけを置いていったりしない。私は常に、共に在る」

 

 

そしてついに、縁の手を握る影だけが残った。

 

右手を確かに掴んでいる小さな影の、次なる言葉を待ち続ける。

そうして一分か、はたまた十分か。縁が作り出した空間の中に、最後の影の言葉がこだました。

 

 

『____________ここに、いてもいい?』

 

 

その一言を聞いた直後は、「ここ」という意味を測りかねた縁だったが、影と言う不定形の存在で

あるうえに死者の魂の写し身たるその子どもが存在を乞い願う場所は、現世のみだと推察する。

 

おそらくこの影は、先に消えていった影たちの代弁者のような立場を請け負ったのだろう。

そして、縁が彼らに向けてかけた「共に往こう」という言葉から、自分のような生者でも死者でも

ない曖昧な存在が現世に留まる事と、それを受け入れてくれるのかと尋ねているのだ。

 

この問いに対して、彼の答えは既に決まっている。

 

 

「ああ、勿論だ。我が主の言葉を借りるが、『幻想郷は全てを受け入れる』という」

 

 

その在り方は揺らがない。人としての己を得ながら、道具として仕える矜持をも捨てる必要が

なくなった彼にとって、幻想郷が在り続ける限り、彼らのような存在も許されて然るべきなのだ。

 

だが、影の言葉はなおも続く。

 

 

『____________たくさん、きずつけたよ?』

 

「知っている。だが今回に限って言えば、誰一人として死んではいない」

 

『____________たくさん、とったよ?』

 

「それも知っている。なにせ私も、お前たちや影アソビと共に多くの影を奪ったからな」

 

『____________みんな、おこってたよ?』

 

「起こった事は変えられない。しかし、それについては私も同じ。等しく同罪だ」

 

 

繰り返す問答による時間の経過で、己が作り出したこの空間がそろそろ保たなくなってきていると

能力を通して察知する。空間が崩壊すれば、きっと紫やその他の面々がすぐさまやってきて、

アソビ妖怪の消滅を強行するに違いない。ここまできてそうはさせないと、握る手に力を込めた。

 

縁の焦燥が伝わったのか、それとも意を決したのか。小さな影の声が、再び聞こえた。

 

 

『____________でも、わたし、なにもないよ?』

 

 

これ以上に、小さな影を表すに相応しい言葉は無かった。

 

体も無い。形も無い。顔も無い。声も聞こえてはいるが肉声ではない。無い無い尽くしなのだ。

きっとこの影の本来の持ち主たる子は、聡明な思考を宿しながら優しい性格だったに違いない。

自分には何も無い事を知らしめ、それでも助ける理由があるのかと問う。諦めてほしいのだろう(・・・・・・・・・・)

 

救いあげる必要などありはしないと。助けたのだとしても、返せるものなど何一つないのだと。

 

そんな思いがあることに気が付かないはずはなく、縁はごく自然な微笑みを浮かべ言葉を返す。

 

 

「お前たちのおかげで、心を失った人形は『心』を取り戻し、人間になる事が出来た」

 

 

いつの間にか引いていたはずの胸の熱が再び灯り出し、左手で影の掴む右手を包み込んだ。

 

 

「私を人として生かしてくれたのは、他でもなく君たちだと、私はそう思っている」

 

 

嘘偽りなく真っ直ぐに見つめながら述べる。実際には幻想郷に生きる人々との関わりによって

芽生えた自我の発露などの影響はあるが、それでも決定的な理由としては間違ってなどいない。

 

故に彼は、伝えるべき一言を、ようやく口にする。

 

 

「_________________ありがとう。君たちが、私を人間にしてくれたんだ」

 

『____________わたし、たちが?』

 

 

感謝の意を告げられるとは思っていなかったようで、反響する声にも狼狽の色が感じられた。

信じられないとでも言いたげな様子の小さな影に、縁はさらにたたみかける。

 

 

「私を救ってくれた君たちを、今度は私が救う番だ。損得や貴賤など、初めから関係ない」

 

 

主人である紫以外に初めて心の奥底を語った縁は、徐々に構築した空間が崩れ始めている事を

知覚する。もう時間はあまり残されていないと悟り、小さな影からの答えを静かに待つ。

そこから少しの間を置いて、縁の顔を見上げた影から再び幼い子供の声が聞こえてきた。

 

 

『____________ずっと、そばに、いてくれる?』

 

 

縋る様な、それでいて抑え込んでいる様な儚げな声に、縁はただ己の心に従い答える。

 

 

「約束しよう。私はずっと、君のそばにいる。ずっと一緒にいるとも」

 

 

彼の答えを聞き、小さな影は彼の腕の中へ飛び込む。

実体が無い影に触れる事は縁にも出来なかったが、それでも小さなその影を抱き留める。

触れた感触というものは何も感じられないはずだが、時折微かに影を包む腕が震えていたのは

決して気のせいなどではないと縁は確信していた。

 

やがて彼らのいた空間自体に大きな亀裂が奔り出し、そこから現世の光が差し込んできた。

強い光が布越しの視界に飛び込み、思わず目を細めた縁は、抱擁を解き影の小さな手を握る。

 

 

「さぁ、共に往こう」

 

『________いっしょなら、こわくないよ』

 

 

決意を新たに、今度こそ己の右手を握り返す感触があった事を認識した縁は、一歩を踏み出す。

崩れ落ちようとする色彩のない空間を振り返ることなく、彼は共に在る事を誓った存在を導く。

 

 

「最早この影に(アソビ)の陰りは在らず」

 

 

光差す幻想の大地に、心を取り戻した一人の人間と、拠り処を見出した一つの影が歩を刻む。

 

 

「_____________帰ろう」

 

 

一枚の布で隠されたその顔に、澄み渡る青空のような、満面の笑みを浮かべて。

 

 

 




いかがだったでしょうか!


平成最後の投稿にしようとしていたのに、
出遅れてしまい令和初投稿になってしまった……不覚!


そして、これにて長きに渡り続いた今章、~幻想『緑環紫録』~も
堂々の完結と相成りました! 長かった……本当に長かった!

え? まだ色々片付いてない問題があるだろって?
そのあたりについては、この後の最終章で語らせていただきます。
ですので、もう少々お付き合いくださいませ。


それでは、長く続いた東方紅緑譚もいよいよ大詰め!
この物語の行き着く先に、二人の主人公は何を見るのか!


次回、東方紅緑譚


最終章 ~幻想『紅緑紀譚』~


第九十四話「紅緑の夜道、平穏な再会」


ご意見ご感想、並びに批評など募集しております!





《追記》

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幕間「緑の日影道、幻想の中で」

どうも皆様、最終章を書く前に後日談を書くことを
すっかり忘れてしまっていた萃夢想天です。

この話はそれほど長く書くつもりはありません。
先の章で縁のとった行動についての補填と、その後を少しだけ
書き加える程度の、いわばおまけ要素です。


それでは、どうぞ!





 

 ~【影遊異変】より、数週間後~

 

 

 

 幻想郷の何処かにあるとされる、妖怪の賢者が住まう館。知る人からは「八雲邸」と呼ばれる

 その場所で、先日の異変の後始末に追われていた館の主人とその従者が、押し寄せる仕事から

 ようやく解放され、陽が昇りだした淡い蒼空を見上げながらまったりとくつろいでいた。

 

 

 「こうまで連日各所に赴いての事後処理が続くと、流石の私も過労で倒れてしまうやも」

 

 「不老不死のスキマ妖怪が何を仰いますか。まだお仕事は残っていますよ、紫様」

 

 

 九つの金毛を揺らしながら、主人の戯言に付き合おうともせず事務的に口を開く式神の藍に、

 屋内にいるので愛用している日傘を手に持たず、代わりに扇子を開いて陽に翳している紫。

 ここのところ、先の異変に伴う影響が幻想郷の各地に表れていたことを把握している彼女らは

 異変の元凶である彼ら(・・)と同様に、各方面への謝罪や説明の為の奔走を余儀なくされていた。

 

 

 「残っているのは地獄からの死者についての問い合わせでしょう?」

 

 「分かっていらっしゃるなら疾く遂行なさいませ。面倒なのはお察ししますが」

 

 「本当に面倒なのよね………藍、代わりにやっておいて頂戴」

 

 「丁重にお断りいたします。既に妖怪の山の神々たちへの対応に追われていますので」

 

 

 けちー、と扇子を口元で隠しつつ呟く主君に軽い苛立ちを覚えたものの、すぐさま平静を装い

 表情を無に近づけた藍。だが実際、こうしてくつろぐという無為な時間を過ごす余裕すらも

 許されなかった数日間のことを考えると、この主君といえど仕方ないかと息を吐いて諦観する。

 

 ふと、藍はこれまで疑問に思いながらも、余裕が無かった為に聞きそびれていた「ある事」を

 思い出して、関わりの深い主人ならば分かるのではと推測し、さっそく尋ねることにした。

 

 

 「そういえば紫様、縁の事についてですが」

 

 「あら? どうしたの、急に」

 

 「いえ、先の異変の最中に元凶として動いていた彼の行動に、少々疑問が」

 

 「へぇ?」

 

 

 解決に関わった者たちから【影遊異変】と名付けられた数週間前の異変。その当事者にして

 元凶である、八雲 縁の行いは、異変解決後の数週間の間に本人の口から洗い浚い語られた。

 それによって、第三者視点からでは不明瞭だった彼や本当の黒幕であった影アソビの思惑も、

 そのほとんどが周知されている。無論、彼への聴取に同席していた藍がそれを知らないはずは

 ないのだが、明晰な頭脳を有する彼女をしての「疑問」に、紫の興味が引きつけられた。

 

 

 「本人から聞けばいいじゃない。もうあの子は今までとは違うのだし」

 

 「機械と化した身体を捨て人間として蘇ったという意味では確かに今までとは異なりますね。

  聞こうとも思いましたが、彼は今頃アレ(・・)を連れて復興作業の援助に言っていますので」

 

 「だったら帰るのを待って聞けばいいでしょう。わざわざ彼の留守を狙って私から間接的に聞く

  なんてするより、余程正確な答えを聞けるのよ? まさか、まだあの子が嫌いなのかしら?」

 

 「言い方に語弊が感じられます! それではまるで私が、彼との直接的な接触を望んで拒んで

  いるようではないですか! 勘違いも程々にして頂きたい! 私は、別に、何とも……」

 

 

 紫としては藍からの問いに答える事に否やはない。ないのだが、ここ数日の仕事漬けに対しての

 鬱憤を晴らすちょうどいい玩具になると考え、あえて答えない体を装ってはぐらかしていた。

 そして藍もそんなことは分かっていて、そのうえで主人の言い分の方が正論であるということも

 正しく理解している。しかし、面と向かって話すことを想像すると、途端に言葉尻が細り出す。

 

 分析が得意な彼女は、自己分析に関しても同じで、誰より冷静に物事を俯瞰できる知性を持つ。

 なので、何故自分が彼と直面することを無意識的に忌避しているのかは、予想がついていた。

 

 

 「ただ、ほんの少しばかり、彼への接し方に不安がある事は認めます」

 

 「接し方? あぁ、そういえば貴女、最初の頃は随分と手厳しかったものね」

 

 「お止め下さい………あの時は得体の知れなかった彼を傍に置かれる紫様を案じて………」

 

 「ふぅん? まぁ、そういうことにしておいてあげるわ。それで、疑問とは何かしら?」

 

 

 いかにも愉悦を感じているように目尻を弓なりに持ち上げる紫。藍の言い分は尤もであると

 感じてはいるが、そこには彼女の言葉とは違った感情も影響しているのだと確信していた。

 その点を突いてさらに取り乱す従者の反応を楽しもうかと企むも、いい加減手を引かないと

 機嫌を損ねる頃合いだろうと予測した意地の悪い彼女は、率直に最初の問いに立ち戻る。

 

 主人の物言いに引っかかるものがある藍だが、ここで自分から蒸し返すと恥をかく事になるのは

 間違いなく自分の方であると察した為、溜息を一つ吐き出してから大人しく話を元に戻した。

 

 

 「こちらが捉え切れていなかった間の縁の行動は、彼自身の口から全て話させました。

  それらをまとめてみて、改めて気になった点が幾つか見受けられたものですから」

 

 「そういうことね。私もあの子の真意を丸ごと全部聞いているわけではないから、ある程度は

  私の想像というか推測が混じることになるけれど、それでもいいなら答えてあげましょう」

 

 「それで構いません」

 

 

 ここから、【影遊異変】の語られなかった裏の動きを、彼女らの推測とともに追っていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「当初、私は縁が紫様を裏切っただと事態を単純に考えていたのですが、実際はもっと以前に

  縁に目をつけていた影アソビ………封印が解けかかっていた妖怪の仕業だったのですよね?」

 

 「ええ、そうよ。縁がもう一人の少年、吸血鬼の従者の弟を外の世界からこちら側へと招いた

  際に降り立った場所が、ちょうどアソビが封印されていた場所の近くだったのが原因なの」

 

 「そしてアソビが各地で人妖問わず影を奪い、ついに縁と接触してこの幻想郷の狭間に着いた

  途端に彼に干渉を開始。干渉を弾こうとした彼を上回る速度で侵食し、主導権を奪った、と」

 

 「主導権を奪ったというより、能力によって影アソビが奪ってきた影の残滓に、縁の中にあった

  人間としての部分が引っ張られたのでしょうね。だからこそ、道具だったあの子は悩んだ」

 

 「兎角、縁という器を得たアソビは活動を活発化。幻想郷各地の妖怪に妖精、挙句に神の人柱を

  飲み込み勢力を拡大していき、次いで冥界の幽々子様までも取り込もうとしたのだとか」

 

 「幽々子は冥界の管理を務めているから、恐らくアソビの被害者である奪われた影たちを正しい

  形で死なせてあげられるのでは、と考えたのでしょう。次点で庭師の妖夢、正確には彼女の

  持っている亡霊の迷いを断ち切るあの刀が、目的だったのだと思うわ」

 

 「縁の反応を掴んで紫様と白玉楼へ乗り込んだ時に、両名が無事に居たことでアソビによって

  彼女らと敵対しないのだと確信できて安心していましたが、そういう事でしたか」

 

 「優しいあの子らしいわね。あの時はこっちが急いでいるのにやたらと話に誘ってくるから、

  まさか洗脳でもされたのかと、一周回って疑ったけれどね。その心配もなかったのだけど」

 

 「それまで無差別に影を奪っていたアソビとは異なり、縁はあのアソビの被害者である死した

  者らの影を救済できる可能性のあるものの影を狙って動いていた。という推測が成り立つなら

  守矢の戦神は分からなくもないのですが、低級の神族や妖精の影を奪う意図が不明瞭です」

 

 「低級の神族狩りは単純に自身の力の底上げと、平和的解決が出来なかった場合の戦闘を想定

  して、より多くの勢力から狙われるよう仕向けたのでしょう。あるいはその頃からもう既に

  影アソビに暴走の兆しが出始めていたから、何でもいいから影を奪わざるを得なかったか」

 

 「では妖精、というよりあの氷精は?」

 

 「業腹だけど、あの時はまだ体の大部分が機械だった彼にとって天敵と呼べる力を持っていた

  あの妖精を押さえておきたかったのかしらね」

 

 「そう言えば命蓮寺の面々と関わる直前に遭遇して、弾幕ごっこで敗れていましたね」

 

 「さらに言えば萃香は私の失言で彼の側に着くし………でも一言も無しってのは酷い話だわ」

 

 「日頃の態度を思えば妥当な判断だったかと」

 

 「私の式たちがみんな反抗期になっちゃった。紫ってば、悲しくて涙が出ちゃう」

 

 「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の行動の振り返っていた藍はここにきて、ふと、謎に満ちた行動があった事を思い出す。

 

 

 「紫様、縁は何故アソビに侵されたうえで、わざわざ人里へと向かったのでしょうか?

いえ、より正確に言えば、里の柱と呼べる稗田の当主と半人半妖(ワーハクタク)の二人の元へ向かったのかと」

 

 「これも予想になるけれど、あの子は万が一の為の切り札を用意しておきたかったのよ」

 

 「切り札、ですか」

 

 

 時に飄々と、時にふざけた態度をみせていた紫は、瞼を細めながら己の考えを口にする。

 

 

 「里の歴史の編纂者である稗田阿求と、能力によって歴史を紡ぐも壊すも自由自在な里の

  守護者を自負する上白沢慧音。この二人が力を合わせれば、歴史の改変など思うがまま」

 

 「………つまり縁は、『自分の策が破綻した場合の保険』として、二人に接触したと?」

 

 「十中八九そうでしょう。実際、里の中での影アソビの暴走が予想外だったにも関わらず、

 里の人間たちの避難があまりにも早かったもの。命蓮寺の尼僧がしきりに警告を発していたと

 しても迅速すぎる。であれば、里で発言力の高い両者が予め展開を読んでいたとしか」

 

 「あの二人は縁と接触した折に、彼から直接、今後の展開を聞いていたということですか?」

 

 「可能性の話よ、あくまでね。それでも可能性は高いでしょうけど」

 

 

 口元を隠していた扇子をひらひらと扇ぎつつ、妖怪の賢者とその式は権謀術数を語らう。

 

 

 「総合的に見ても、どうも完全な合理的判断で動いていたとは考えにくいですね」

 

 「そうかしら?」

 

 「はい。保険の用意は妥当ですが、その他の行動が少々突飛と言いますか……」

 

 「その辺りは偶発的なものだったか、あるいは彼とアソビの意識が混濁していた影響か」

 

 「意識の混濁、ですか。なるほど、あの様子ではその線も考慮に及びますね」

 

 

 対外的な事後処理は勿論の事、内々での処理においても記録を残さなければならない以上、

 不明瞭な部分は少しでも削減しなくては意味が無い。記録に記載する内容は当然ながらに

 整合性や資料として納得のいく記述がされている必要がある。意見は多いほど良いのだ。

 

 こうして、やおら紫と藍が八雲邸縁側にて語らっていると、境界の空間の一部分だけが歪み、

 その奥からたった今まで彼女らが話題に挙げていた人物が、音も無く姿を現した。

 

 やや煤けたような緑色の逆立った短髪に、青と緑の中間のような色味の和柄の着物を羽織り、

 達筆で『縁』と書かれた紙で顔のほとんどを隠す、痩身気味でも背が高く血色の良い青年。

 

 

 「お帰りなさい、縁」

 

 「ただいま帰りました、紫様」

 

 

 流麗な表情から一転、花が咲くような笑みと共に出迎える紫に、名を呼ばれた彼もまた

 今までの彼を知る者からは想像だにつかない、人らしい柔和な笑みを浮かべ言葉を返す。

 

 

 「ただいま、藍」

 

 「………ああ。おかえり縁」

 

 

 先程まで主と会話していた藍も、縁からの帰宅を告げる挨拶に対して、普段の堅苦しさの抜けた

 優しげな声色で決まり文句を返す。我知らず彼女の顔は、慈母の暖かさを醸し出していた。

 藍がこのような表情を見せる相手は、彼女自身の式神である(ちぇん)しか存在しなかった為に、

いつの間にか怪しげな微笑に戻っていた紫が、見慣れぬ様子の己が式に悪戯っぽく問う。

 

 

「あらあら。何時ぞやまで敵意を剥き出しに吠え立てていた、白面九尾の式神は何処かしら?」

 

「……………御戯れが過ぎます、紫様」

 

「御免なさいね藍。だって貴女たちの仲、すっかり変わってしまっているものだから」

 

 

 淑女然とした装いで童女の様に愛らしく笑う主の言葉に、毒気を抜かれた様に静々と答える。

 

 

 「もう既に御答えしたではありませんか………わざわざ彼の前で言い直させるなど人が悪い」

 

 「うふふ。狼狽える貴女を見るのも随分久しいものだからつい、ね。許して頂戴」

 

 「私が居ない間、歓談していたのか。水を差すような真似をしてしまったか?」

 

 「変に誤解するな。はぁ、むしろお前が帰ってこなければ、まだ玩弄されていただろう」

 

 「だって縁が私を置いてあちこちへ行ってしまうんですもの。無聊の慰めは必要でしょう?」

 

 

 やれやれ、と溜め息を吐く藍に対し、沸き起こる感情のままに縁は苦笑を浮かべた。

彼が帰宅したという事は、各地への謝罪や事情説明が一先ず終わったであろうと推察した紫。

今は道具ではなく人として己に仕える、忠臣にして想い人へ存分に甘えるべく足取り軽く近付く。

 

彼女の白魚の様な細くすらりとした指が縁の頬へ触れる寸前、彼の足元の影が瞬時に膨れ上がり

破裂したかと思えば、まるでその手を触れさせまいとでもいうように小さな人影が躍り出る。

否。それは実体の無い影などではなく、確かに肉体を持つ実体として、二人の間に立っていた。

 

 

『_________________________________』

 

 

艶も潤いもないのっぺりとした黒の長髪に、相対するように白く、死人の様に蒼褪めた肌を晒す。

ただぼうぼうと伸び盛る黒の毛先は縁の足元にある影と一部繋がっており、現れた存在が常ならむ

モノである事を言外に見せつける。縁を庇い立ちふさがる少女は、薄開きの瞳で紫を見上げた。

 

紫が伸ばす手を触れさせぬとばかりに姿を現したその存在に対し、縁は気さくに声をかける。

 

 

「どうしたんだ、遊不(ゆず)?」

 

 

病的に青白い肌にあどけなさの残る顔立ちの少女【御影(みかげ) 遊不】は、振り返り縁を見やった。

虹彩すらも塗り潰すほどに黒々とした瞳は、やや不安げに形を歪ませながらもひたすらに彼を

見続ける。何処までも一途に向けられる視線から放たれる思いは、言葉よりも如実に感じられた。

 

この少女こそ、先の【影遊異変】の元凶である影アソビに囚われていた、幼子の魂の残滓である。

 

縁以外の者には知られていない、影アソビそのものと、アソビに囚われた魂たちの最期。

焼き付けられた魂の記憶の欠片でしかないモノが寄せ集まったのが、遊不という少女の正体。

彼の主である紫をはじめ、異変解決の際に影アソビと直接対峙した者達は少女がどういった存在か

薄々勘付いてはいる。しかし、縁が監視の任を自ら申し出た事。並びに、自分たちでは助ける事の

出来なかった者達の名残という背景があったからこそ、あえて黙認するという措置が取られた。

 

 

「……………………………………」

 

 

とはいえ、縁を道具として扱う意味が消失し、命として愛せる現状を謳歌せんとしている紫に

とっては、遊不という『少女』の存在は別の意味で容認できるものではなくなりつつある。

 

 

『___________、_____________!』

「ん? ああ、良いだろう。総ての仕事を片付けたら、幻想郷の各地をゆっくり見て回ろうか」

 

 

なにせこの遊不、縁の影の中に常在しているので、真の意味で縁と二人きりになる事が出来ない。

おまけに少女としての人格が強く表れている影響か、やたらと彼にくっつきかまってほしがるので

紫が縁に必要以上に近付く事すら嫌がり、触れようものなら今のように直接阻まれる始末である。

 

 

「紫様、如何なされました?」

 

「………いえ、別に。苛立ってなどいないから」

 

 

ただ不定形で黒一色の影の状態であればまだいくらか精神衛生上の余裕は保たれたというのに、

今でこそボリュームある黒髪に隠れているが一糸纏わぬ丸裸。蝋燭を思わせる肌色にさえ目を

つむれば、数年の間に花開くであろうほど可憐な童女の姿で、子犬が母犬に全身を使って甘える

ようにぴったりとくっついているのだ。これには妖怪の賢者も怒髪天秒読みに成らざるを得ない。

 

そしてなによりも紫の神経を逆撫でするのは、遊不の声が縁にしか届いていない事にあった。

 

少女が口を動かす度、唯一それを声として認識可能な縁は、様々な反応を示しているのだが。

紫からしてみれば、想い人に散々迷惑をかけた輩が小娘になってしきりにせっついているように

しか見えない。取り入ろうという意思があろうがなかろうが、目の上のたん瘤に違いなかった。

 

 

「ねぇ縁? 方々を回ってきて疲れたでしょう、しばらく此処で疲れを癒していきなさいな」

 

 

こめかみに浮き上がりかける青筋を表情筋で、ひくつく口元を扇子でそれぞれ隠した紫は、縁に

八雲邸でくつろぐようにと命令としてではなく、あくまで提案するように語りかける。

かつては道具として盲目的に従順だったけれど、今は己の意思と心を有する人間となった。

それでも八雲 縁の性質上、自身を主と仰ぎ奉る忠誠に些かの陰りも無し。策は完璧であった。

 

だが、現実は違った。

 

 

「有難い申し出ではありますが、生に限りあるこの身に尽くせる事は速やかに行いたいのです」

 

「そう、ね。人の寿命には限りがあるものね。後悔をしないよう尽くすのは良いことよ」

 

「はい。ですので、今度はこの遊不に紫様の治める幻想郷の今をみせてやろうと思いまして」

 

「えっ………」

 

 

妖怪の賢者、目論見が脆く崩れ去った瞬間である。

 

ちなみに紫の背後に立つ藍は、淡々と人らしくなっている縁にいい意味で振り回される主の姿に

絶賛笑いを堪えている真っ最中だった。この場の誰よりも縁の変化に柔軟に適応できているのは、

ともすれば藍なのかもしれない。無論、彼女自身にそんな自覚は毛頭ないが。

 

自然と表情に現れる微笑みに気付く事もないまま、いよいよ物理的に影の少女を排除しようとして

扇子をぴしゃりと閉じた紫を取り押さえるべく、先程より少しだけ軽くなった溜め息を一つ溢す。

 

 

「ふっ…………まったく、随分と賑やかになったものだ」

 

 

境界の狭間にて、束の間の平穏を喧騒の中に感じ入る長閑な日和であった。

 

 

 

 




いかがだったでしょうか!

これ書くの二度目なんです(小声)
二時間以上ぶっ続けで書いてると何故かPCが重くなった挙句に
勝手にWi-Fi切断するのホントになんなの? キレそう。


というわけで、強引な説明パートと化してしまいましたが、
書きたいものを書けたので筆者としては満足です!
これで本編で出したいキャラクターは総て出すことができました!


さて、それでは皆様。
いよいよ本当に、拙作も最終章へ突入します。

長くも短かった二人の主人公の探し求めた答えが、
見つかる事を祈っていただけると幸いです。




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