【習作】キヨシ投獄回避ルート (PBR)
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第1話 男子高校生の劣情
「うぐっ、なんかメッチャ腹痛ぇんだけど……」
夕食を終えて男子寮の部屋へ帰る途中、キヨシこと藤野清志は猛烈な腹痛に襲われていた。
これは女子との出会いを求めていた仲間たちに黙って、クラスメイトの女子である栗原千代と楽しくお喋りするという、
そんな風に考えながらも、とりあえず自然回復は見込めなさそうなので、寮に戻ったら何か大切な話があると言っていた他の者たちに断りを入れ、校舎に引き返して保健室に向かう事にした。
「皆、悪いけど先に話しててくれないか? ちょっと保健室に行って薬とか貰って少し休んでくる」
「オイオイ、ただの腹痛だろ? んなもん、便所に行ってクソでもすれば治るだろ」
「いや、なんか腹を下してる感じじゃないんだ」
中学からの友人であるリーゼント男子のシンゴは、たかが腹痛で保健室はオーバーだと呆れ気味に言ってくる。
けれど、キヨシも幼い頃から何度かは腹を下す経験をしているため、この感じはただ休んでも治まるのに時間がかかると判断した。
最終的にはトイレの個室を小一時間ほど占領することになるやもしれないが、その前に出来るだけの事はしておきたい。身体の異常を素人判断で甘く見て、痛い目に遭うのは自分なのだから。
「はぁ……わーったよ、先に話を進めておくから治ったら来いよ。いつまでも来なかったら先にやっておくからな」
額に脂汗を滲ませて片手で腹を押さえる姿を見て、シンゴもようやく納得してくれたように行って来いと手を振る。
食事中も千代との会話を脳内でリピート再生していたキヨシは、彼らが何の話をしようとしているのか欠片も聞いていなかったが、寮に帰らないと詳しく話せない事だとは聞いている。
女子のいない場所で集まって内緒話をするなどワクワクする。女子千人に対して男子五人という珍しい環境に置かれた仲間と揃って何かをするのに除け者は嫌だった。
故に、キヨシは自分を送り出してくれる仲間にサムズアップで返し、絶対に間に合ってみせる事を誓って去って行った。
腹を押さえて猫背でトボトボと歩く姿は情けないが、どこか頼もしい仲間の背中を見送った者たちは、急いで寮の部屋に戻ると聞かれる事を恐れて小さな声で作戦について会話を再開する。
「ぬぅ……作戦前にキヨシ殿が離脱するとは想定外でゴザル」
「あ、そっか。テレビ電話機能があるのはガクトくんとキヨシくんの携帯だけだから……」
「ごほっ……ああ、いきなり作戦がパーになったな……」
この後に行うミッションの詳細を考えていたブレーンであるガクトは、キヨシの協力を前提としていた作戦を考えていた事で、彼の離脱はかなりの痛手だと表情を歪ませる。
それを見た心優しい巨漢のアンドレとフードの男であるジョーも、概要は聞いていたので作戦の実行自体が危ぶまれては暗い顔をするしかない。
そも、キヨシを除いた男子が考えていた話というのは、出会いがないことに焦れての“女湯覗きミッション”だった。
女子高生の生足やパンチラを毎日のように目撃しているというのに、話しかけようとするだけで避けられる日々。女子校が共学になると聞いて、人数比的に出会いも多いのではないかと邪な希望を抱き。猛勉強してせっかく合格したというのに、これなら他の高校に行った方がマシだったと少年たちは嘆いた。
「ガクト、他に策はねーのかよ?」
だからこそ、この後に行われる作戦は、自分たちの健全な学園生活のために必要な聖戦だったのだ。
テレビ電話機能のついたキヨシとガクトの携帯を使い。ロープに結んだ片方を通話状態にして屋上から吊るすことで、もう一方の携帯に女湯や脱衣所の映像が送られてくる。
外に伝って移動するスペースや階段もなく、風呂が校舎の最上階という高所にあることもあって女子は覗きに対する警戒が薄いため、これなら自分たちが現場に行かずに済み、低リスクで成功確実だと踏んでいた。
なのに、それが一人離脱したくらいで頓挫するのでは、悔しさで今夜は眠れそうにない。シンゴは自称「練馬一の知将」であるガクトに起死回生の一手を求めれば、彼は顎に手を当て真剣な様子で長考したのち顔を上げた。
「策は……あるでゴザルよ。キヨシ殿の携帯が駄目なら、小生のパソコンと通話すればいいのでゴザル」
「可能なのか?」
「多少鮮明さが薄れるやもしれぬが、マイクを付けなければこちらの音声が届く事もないので、むしろ成功率は高まるかと。フフッ、咄嗟により善い策を思い付く自分の頭脳が恐いでゴザル」
不敵な笑みを浮かべて語られた言葉に、男子たちは顔を輝かせて彼を称賛した。
決行は可愛い子の多い一年女子の入浴時間に合わせて一時間後、それまでにキヨシが帰って来なければ四人で行う。その方針で行く事にした男子らは、風呂などを先に済ませるとジャージから目立たぬ黒づくめの服に着替え、戦いの刻を待つべく屋上へと向かった。
そこが学園を牛耳る彼女たちの監視下にあるとも知らずに。
◇◇◇
男子らと別れたキヨシは保健室に行くと、上着を脱いでベッドに横になるよう言われ触診を受けた。
診察した保健医の話によれば、胃腸が弱っているのか、下腹部が少し張っているので、消化不良等でガスが溜まっているのかもという事だった。
それでこんなにも痛くなるのかと疑問に思ったが、市販の胃腸薬を飲んでしばらくベッドで休むと便意に襲われ、トイレに十分ほど籠もって保健室に戻ったときには体調はそれなりに回復していた。
本人が希望するならもう少し休んでいていいと言われ、温かいお茶を淹れて貰ったキヨシはありがたくそれを頂戴し、完全に体調が回復したときにはガクトたちの作戦実行時刻を過ぎていた。
もっとも、シンゴやガクトたちは作戦ばかりに頭が行っていた事で、誰かしら連絡しているだろうと思ってキヨシへの連絡を忘れていたので、体調が回復するのに時間がかかったキヨシにも非はあるが、煩悩を優先して仲間の事を忘れていた彼らの方が悪いと言える。
そうして、その頃仲間たちがカラスやとある女子たちに襲われているとも知らず、保健医に淹れて貰ったお茶をのんびり飲んでいたキヨシは、完全復活したことでどこか自信に満ちた表情で立ち上がった。
「お茶、御馳走さまでした。調子がよくなったのでそろそろ戻ろうと思います」
「まだ胃腸の調子は回復してないから、今日はもう何も食べたりしないでね。明日以降も続くならちゃんと病院へ行くこと。それとこれは君の回復のお祝いよ」
脱いでいた制服の上着を着つつ寮へ帰ろうとするキヨシにいくつかの注意事項を述べ、事務作業をしていた保険医は立ち上がってやってくると、印刷ミスのプリントを再利用して包んだ小さな花束を渡して来た。
ピンク、黄色、白と三色のガーベラで作られた可愛らしい物だが、ただの腹痛でやってきただけの生徒のためにわざわざ用意してくれたのかと、恐縮して受け取ってもいいものかキヨシは悩んでしまう。
「え、あの、わざわざ用意してくださったんですか?」
「フフッ、まさか。保健室に飾る花を買って来たんだけど、花瓶に入りきらなかったの。元気な花を捨てるのも勿体ないし、部屋の彩りにでも使って」
「あ、ありがとうございます」
流石に、夜と言っていい時間にやってきた生徒のために花を用意するほど、学校も至れり尽くせりな環境を用意してはいない。
しかし、余った物だろうが快気祝いに花を贈られたキヨシは、照れたように笑いながら相手の厚意を受け取ることにした。
受け取った花を大切そうに手に持ち、改めて頭を下げて礼を言ってキヨシが廊下へと出たとき、静かなはずの夜の中庭に信じられない物を見た。
「な、なんで、あいつらが……」
廊下へ出たキヨシの目に飛び込んできたのは、丸太に縛り付けられボロボロになった仲間の姿だった。
どうして変な黒づくめの服を着ているのかは分からないが、窓に寄ったことで中庭に集まった大勢の女子たちの方から“ノゾキ”“変態”“気持ち悪い”という単語が聞こえてきたため、そこから推測するに四人は覗きで捕まったようだ。
状況から考えれば、食堂の帰りに話していたのはこの件についてだったに違いない。聞き流していなければ止めていたというのに、元女子校でこんな事をしでかした仲間と、浮かれて話を聞いていなかった数時間前の自分の馬鹿さ加減にキヨシは怒りを感じる。
「もしかして、成功したのか?」
だが、それ以上に彼らが上手くいったのかどうかの方が気になった。
この学園はとてもレベルの高い女子が揃っている。クラスメイトの栗原千代も含めて、普通の学校なら学年に数人しかいない非常にハイレベルなルックスの女子が沢山いるのだ。
そんな女子たちの裸を拝んだのなら捕まったくらい屁でもないはず。脳内フォルダに焼きつけた女子の裸は、仲間と共に危険を冒した思い出と共に一生の宝物になるのだから。
しかし、キヨシは彼らと苦楽を共にする事が出来なかった。メールで知らせる事もなく、自分が戻るまで待っていてもくれなかった仲間への憤りは、羨ましいという嫉妬も手伝い先ほどの怒りを凌駕する。
「……どうやら俺の事も探してるみたいだな」
細い棒のような物を持った眼鏡の女子にガクトらが叩かれている。女子が何かについて尋ね、覗きは自分たち四人だけだとガクトが叫んでいるため、きっと残りの一人である自分を探しているのだろうとキヨシは読んだ。
自分は覗きなどしていないし、そもそも話も聞いていない。犯行時刻のアリバイは保健医が証明してくれる。
故に、
「フッ……恐れる事など何もない」
腹痛から復活して妙にハイになっているキヨシは、自分を除け者にした仲間を
丸太に縛り付けられた四人が黒い服のままなのは、キヨシが女湯に特攻をしかけていないので、彼らは特攻をしようとせず服を脱ぐ必要がなかったからです。
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第2話 謝罪の王様
キヨシが実際に口に出している言葉は台詞の通りですし、女子たちにもキヨシの言葉は台詞通りにしか聞こえてませんので、あくまで男子たちにはそう聞こえているという演出だと思ってください。
「さぁ、さっさと残りの一人の居場所を吐け!」
「ギャアッ!!」
眼鏡をかけた凛々しい顔つきの女子、裏生徒会副会長の白木芽衣子が振るった差し棒がガクトの太腿を打つ。
バシンッ、と肉を打つ強烈な音と共に叫び声が中庭に響くが、実行部隊が情報を吐かせようと制裁混じりの攻撃を加えても、誰一人してキヨシの居場所を吐かず、覗きは自分たちだけと言い張った。
だが、男子四人が覗きをしていながら、残りの一人だけしてないなどあり得ない。変な仲間意識で庇うというのなら、根を上げて吐くまで痛め続ければ良いだけのこと。
「副会長、残りの一人の所在を吐くまで続けなさい」
「はっ! 会長が言われたとおりだ。そんなに言いたくないのなら、言いたくなるまで続けてやろう!」
副会長の後方で腕を組んで様子を眺めていた裏生徒会長の万里が言えば、副会長は命令通り再び尋問のための差し棒を振るおうとする。
敬愛する会長からの命令で張りきったのか、今日一番の威力が乗った攻撃がシンゴの股間を打とうとしたそのとき、
「――――俺ならここにいます!」
集まった女子たちの後ろ、校舎の方からキヨシが現れた。
真剣な表情のまま一歩一歩近付いて来るキヨシに、女子たちは自然と道を開けて彼を通す。
制止が間に合わず副会長に股間をぶたれたシンゴは声なき叫びを上げ、他の男子らはやってきてしまったキヨシを見て涙を流しているが、彼らの前にいたこの学園を統べる裏生徒会の者たちはアイコンタクトを取って、空手IHベスト4の実力を持つ、裏生徒会書記の緑川花を差し向けた。
前髪ぱっつん女子の花はゆっくり進むと途中で立ち止まり、一切の怯えを見せずにやってきたキヨシと対峙する。
六メートルほどの距離を開けて向い合うと顔がよく見えるが、キヨシの表情を見た花は彼に対する警戒を一段階引き上げた。
これだけ大勢の女子に囲まれていながら、相手は欠片も怯んでいない。開き直りやハッタリかとも思ったが、キヨシから感じる気配はインターハイの猛者達と同じ強者のオーラ。
彼は構えも見せず自然体で立っているだけだが、迂闊に飛び込めばやられる可能性もある。花が警戒レベルを引き上げたことで、会長たちもキヨシが只者ではないと感じ取ったらしく、その場に緊張が走った。
そして、両者動かぬまま一分が過ぎたとき、花をジッと見つめていたキヨシが口を開いた。
「どなたか存じませんが、やめた方がいいですよ。やりあえば
「はぁ? アンタみたいなのに負ける訳ないじゃん」
「俺たちは言葉を交わすことが出来る。なら、暴力は必要ありません」
相手が口を開いてきた事で花が構えを取れば、キヨシはフッと笑って首を横に振る。
モテたくて受験勉強と並行で筋トレをして細マッチョボディを密かに手に入れていた彼は、相手の実力を知らないため、ゆるふわな雰囲気の女子に多少殴られても無事に済む自信はあった。
けれど、痛いのは嫌だ。可愛い女子とのコミュニケーションは嬉しいが、自分はアンドレのようなマゾヒストではない、と暴力での解決を断固として拒否した。
故に、相手の虚を突いて駆け出し一気に距離を詰めたキヨシは、
「なにより――」
「くっ!?」
反応して振るわれた少女の拳をギリギリで受け止め、
「――貴女にはこちらの方が似合います」
逆の手に持っていた三色のガーベラが包まれた花束を彼女の前に差し出した。
「あ、ありがとう……」
受け止められた拳が解放された花は、予想外の事態に困惑しながら素直に花束を受け取ってしまう。
キヨシの突然の行動には誰もが驚いただろう。普段から花束を持っている男などおらず、持っていたとしても、敵として向き合った者を口説くために利用するとは思わない。
しかし、腹痛から解放されてハイになっているキヨシは、恐れるものは何もないという決め顔のまま、殴られたくない一心で接敵しプレゼントによる奇襲作戦を成功させた。
学園内でも有数の実力者である花を、そんな暴力に頼らぬ手段により無効化するなど、まるで底が知れない。
女子の方が圧倒的に数で勝るというのに、現在この場を支配しているのは、間違ないなく花との対決が終了してゆっくりと近付いて来るキヨシだった。
「くっ……そこで止まりなさい!」
このまま呑まれてたまるか、と他の者よりも復活の早かった会長が制止の声をかける。
傍に副会長を控えさせながら男子らの前に立ち、近付いて来るキヨシと五メートルの距離で正面から対峙した。
顔がはっきり見えた事で、会長もこの男が一切の恐れを抱いていないと確信する。
相手は他の男子と同じように汚らわしい覗き魔であるはず。にも関わらず、恐れていないだけでなく、自信に溢れた表情のまま自然体で立っている。相手の実力が不明である事も手伝い、会長はこの男にどう立ち向かえばいいのか分からなかった。
しかし、自分はこの学園の秩序を守る裏生徒会の会長である。そう律する事で冷静さを取り戻した彼女は、真っ直ぐキヨシを見つめて言葉を発した。
「逃げなかった事は褒めてあげます。ですが、アナタもこの男たちと同罪、相応の罰を受けて貰います」
「フ、フフフ、フハハハハッ!」
「キサマ、何がおかしい!?」
会長の言葉を聞いて突然高笑いを始めたキヨシに顔を顰め、副会長は相手の胸倉を掴むと笑った理由を問い質す。
長身である上にヒールのブーツを履いた彼女に胸倉を掴まれれば、身長差の関係でキヨシの身体は浮く。
会長に対して無礼な態度を取られ、憤っている彼女を前にビビらずにいれる者は少ないが、一頻り笑ったキヨシは真っ直ぐ相手の目を見ながら手を払うと、しっかりと着地して答えた。
「やはり、貴女達は勘違いしているようだ。俺は覗きなんてしていません。夕食の後、腹痛でそのまま保健室に行って休んでいたんです。途中にトイレに行きましたが十分ほどで戻っています。保健室と風呂場までの距離を考えれば走らないと戻るのは不可能。ですが、保健医の先生は俺が普通に戻った事を知っています。走っていればあり得ないことだ。先生に確認して貰ってもいいですよ」
信じられない言葉を聞いた会長たちは目を見開く。だが、相手の言っている事が本当ならば、いくら彼らの仲間であったとしても裁く事は出来ない。
一人だけ別行動などあり得ないとキヨシを疑う気持ちはあるが、これだけの人間に囲まれながら不敵に笑っている様子を見れば、彼の言っている事が本当のように思えた。
男子をまとめて処分したいと考えている会長は、緊張から汗を滲ませつつも親衛隊の女子を一人保健室に走らせ、保健医から彼のアリバイについて訊いて来るよう命じる。
命じられた女子は駆け足で保健室に向かい。キヨシと会長たちが向き合ったまま長く感じる五分を過ごしたとき、ようやく戻ってきた女子が会長たちに聞いてきた事実を述べた。
「この男の言っている事は、本当でした……」
「つまり、こちらの四人だけが覗き魔ということですか……分かりました。アナタは寮に帰っていなさい」
「お断りします。俺はこいつらに話があって来たんです」
キヨシが無関係と知った会長は苦虫を噛み潰した表情を浮かべるも、すぐに冷静さを取り戻して彼に寮へ帰る様にいう。
だが、誤解が解けたなら勝手にさせて貰うとばかりに、キヨシは彼女らの横を通り抜けて、男子を縛っているロープを解き始めた。
中々の固さだが解けないほどではない。ガクトのロープが解ければ、次にシンゴのロープに移ろうとしたとき、副会長が駆け寄ってきてキヨシの腕を掴んで止めた。
「何を勝手な事をしているっ」
「これだけ囲まれていれば降ろしたって逃げられませんよ。それに最終的に下ろすのなら、今か後かの違いでしょ」
どうせ後で解くのなら手間が減るのだから構わないだろう。力の宿った強い瞳を向けながら返し、会長も好きにさせろと首を横に振ったことで、副会長は男子らが逃げ出さぬよう傍に控えておくことにした。
邪魔がなければ作業は簡単。本当は馬鹿力で掴まれたところが痛かったが、キヨシはそれを表情に出さずに全員のロープを解くと彼らを地面に下ろした。
「オマエら、大丈夫か?」
「う、うう、キヨシ殿ぉ」
「わりぃ、キヨシ。オレら……」
地面に下りた男子らは助けてもらった事に感謝し、さらに申し訳ないと涙を浮かべて謝ってくる。
冤罪で一緒に捕まっていたらキレていたかもしれないが、自分の無罪は確定している。そのため、キヨシは笑顔を向けたまま彼らに手を貸すと、ゆっくり立たせてやった。
そう、彼のターンはまだ終わっていない。
「オマエら、歯ぁ食いしばれ!!」
『うごっ、ぐえっ……がはっ』
まさに一瞬の出来事だった。構えたと思えば、次の瞬間には目にも止まらぬ速さでキヨシが連続の拳と蹴りを放つ。
鳩尾にくらい身体を畳みかけたところでアッパーを喰らうガクト、執拗に脇腹を殴られ倒れるシンゴ、逃げようとしかけたところで肩に蹴りを喰らって吹き飛ぶジョー、膝を刈る様に蹴られバランスを崩したところに肘で顎を殴られたアンドレ。これら全てが五秒にも満たないうちに行われ、キヨシが全員をノックアウトしていた。
その技はジークンドー。モテるために細マッチョを目指すのなら、格闘技くらい出来た方がいいんじゃねと週刊誌の裏表紙の裏に書かれた広告の通信講座で身に付けたのである。入門・初級・上級・実践編でテキストとDVDが分かれており、お値段なんと合計で四万七千円。
いつもDVDを見て部屋で練習していた素人の見よう見真似だったが、怒りでリミッターが外れた彼の技は冴えまくっていた。
「ゲホッ……き、キヨシ、急に何を……?」
しかし、優しくされて油断していたところを攻撃された者たちは、女子にやられた攻撃よりも痛いし、女子の攻撃と違って殴られても嬉しくないと本気の涙を流しながら、何故こんな事をするんだと問うた。
「見損なったよ、オマエら。なんで、なんで、こんな事になる前に一言
仲間たちの問いに答えるキヨシは拳を震わし泣いていた。女子たちには仲間のしでかしたことを情けないと思って泣いているように見えているが、実際は自分も覗きがしたかったという悔し涙だ。
「俺たちは仲間じゃねぇのかよっ!? 相談していれば、もっと他に、こんな、
「ご、ゴメンね、キヨシくん……」
「すまぬでゴザル……」
キヨシの涙を見た仲間たちは彼の心情を察した。確かに自分だけ除け者にされれば寂しいし、それが桃源郷を目指す冒険ともなれば悔しくも感じる。
人数が一人増えれば、見張りを立てるなど、もっと見つからない方法を考える事も出来たかもしれない。
キヨシの流した涙を見るまでその事を忘れていた男子らは、今回の件は欲望に囚われ仲間を蔑ろにした罰が当たったのだと理解した。
「……一つ聞かせてくれ。オマエら、女子の裸は見たのか?」
「いや、覗きを決行する前にそこの人らが来たからみてねえ」
「ごほっ……ああ、それだけは本当だ」
静かなキヨシの言葉にシンゴとジョーが真剣に返す。
ここで少しでも嘘偽りを述べれば、この学校で出会って芽生えた友情に入ってしまった亀裂が修復不可能なものになる。結果的にキヨシをハブってしまった手前、シンゴたちにそんな事は出来なかった。
「そうか。良かった、本当に被害に遭った子はいないんだな。それならオマエらを
彼らの本物の言葉を聞いたキヨシは制服の袖で涙を拭い。顔を上げるとどこか吹っ切れたような表情で笑みを浮かべる。
先ほど放たれた攻撃の痛みとイメージが残っている仲間たちは、裸を見ていたら本当に殺されていたかもしれないと背筋が寒くなった。
けれど、彼らが何も見てないと分かったキヨシは、ここにいる者たちはまだ仲間だと確信が持てた。仲間ならば助けるのが当然である。
「それじゃあ、こっからは俺の仕事だ、オマエらは何もするな。黙って見ておけ」
そう言った彼は仲間に背を向けて会長の方へ真っ直ぐ進んでいく。
睨むようにギラギラとした瞳を向けてくるため、先ほど男子らをやったように会長も攻撃するつもりかもしれない。
そう考えた副会長と花が会長を庇うようにキヨシの前に出ると、相手は数メートルの距離を開けて立ち止まり、制服が汚れることも構わず突然その場で綺麗な正座をしてみせた。
まさか、と彼が正座したのを見た会長たちは次の行動を予想する。そして、“そのまさかよ!”とばかりにキヨシは地面に手を突き、勢いよく頭を下げた。
「本当に――――申し訳ございませんでしたっ!!」
「なっ、急に、何をっ」
予想していたというのに、実際に目にした会長は戸惑ってしまう。
それは本当に見事な土下座だった。正しい姿勢から繰り出される土下座は、こんなにも美しいのかと思ってしまうほど、キヨシの土下座は情けなさなど一切ない見事な謝罪の意を示していた。
「こいつらが最低な事をしたって分かっています。ですが、どうか、どうかもう一度、こいつらにやり直すチャンスをください!!」
急に土下座を始めた彼を見て呑まれていた者たちは、上げられたキヨシの顔を見た瞬間に驚愕する。
女子との戦闘を回避して無傷で現れたはずなのに、今のキヨシは額から血を流して顔だけでなく制服まで赤く染めていた。
どうして血を流しているかなど考えなくても分かる。彼は土下座で額を地面にぶつけていたのだ。
「キヨシ殿、額から血がっ」
「やめろって、キヨシ。オマエがオレらのためにそんなことする必要ねえよ!」
「五月蝿い、黙ってろ! 仲間のために頭を下げるのが“そんなこと”だなんて俺は思わねぇっ」
無関係であるはずのキヨシが自分たちのために頭を下げている。それも額を地面にぶつけるほど本気の謝罪だ。
それを見たシンゴ達は、仲間にこんな事をさせてしまった己を情けなく思い。それと同時に、自分たちのためにプライドを捨てて身体を張ってくれるキヨシの気持ちを嬉しく思った。
「未遂とは言え覗きは犯罪です。女性の人権を無視した、本当に最低な行為だってことも分かっています。ですが、図々しい事は承知でお願いします。謹慎でも、社会奉仕活動でも、罰を受けさせますから、こいつらにこの学園で更生するチャンスを下さい! お願いします!!」
彼の言葉は裏生徒会だけに言っているのではない。この場にいる女子全員に向けられていた。
いくら裏生徒会が退学より罰を軽くしようと、被害者になりかけた女子らが認めないのでは意味がない。
だからこそ、キヨシは自分に出来る精一杯の形でお願いしていた。どうか今回は彼らを許してやって欲しいと。
そうして、キヨシが地面に手を突き頭を下げ、黙って見ていろと言われた四人が仲間への申し訳なさに涙を流して肩を震わせていたとき、集まっていた女子の中から小さな拍手が聞こえてきた。
「これはっ!?」
予想外の事態に驚いたのは裏生徒会の方だった。
キヨシの見せた土下座が形だけのものではない事は伝わった。自分のプライドを捨ててまで仲間を助けようとする姿には、むしろ誇り高さすら感じられた。
けれど、規則は規則。外でやれば犯罪になるところを、退学で済ませてやるのだから甘いくらいだろう。
そう思っていたのに、キヨシの想いが女子たちに届き、それらはどんどんと広がって中庭は拍手の音で溢れていた。
被害者が許すというのなら罪は多少軽くなる。元女子校で覗きをしようとしたのだから、完全に無罪にすることは出来ないが、それでも退学まで持っていく事は実質不可能になった。
行動の読めない男と、その男に感化された女子たちが疎ましい。心の中でそんな風に思いながら、会長は手を上げて女子たちに拍手をやめさせると腕を組みなおして静かに口を開いた。
「四人の処分は明日正式に伝えます。今日は寮に戻っていなさい。それから、アナタは保健室に行って治療して貰うように、以上」
顔を上げたキヨシにハンカチを渡すと、会長は裏生徒会の人間を連れて去って行った。
その後ろ姿を見送ったキヨシたちは、解散して女子がいなくなると、四人の命が首の皮一枚繋がったことを泣きながら抱きあって喜んだ。
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第3話 花がキヨシを見つけた日
(シンゴ、オマエらがいなくなったら部屋ががらんとしちゃったよ。でも……、すぐになれると思う。だから……、心配するなよ、皆)
覗き事件から二日経った放課後、キヨシは男子寮の部屋で体育座りをしながら独りでいた。
昨日の朝に、他の男子たちは裏生徒会室という訳の分からない組織の部屋に連れて行かれ、次に見たときには囚人服を着て中庭の変な建物に入って行った。
今まで何の施設か分からずキヨシは倉庫か何かだと思っていたのだが、どうやらそこは反省房のような場所らしく、掲示板には男子四名を一ヶ月の監獄送りに処すと書かれていた。
つまり、キヨシは一ヶ月も一人で過ごさなければならないのである。連絡先を交換した千代とメールや電話をする事は出来るが、他の者がいる場所では裏生徒会の決めたルールにより男子と接する事を禁じられているため、キヨシは完全にぼっちで過ごさなければならない。
(はぁ……暇だ)
一人になってしまったキヨシはごろりと寝転がって何をしようか考える。
昨日は受け付けから二時間で綺麗にしてくれるスピードクリーニングに、会長に借りたハンカチを出しに行くなどの用事があったが、既に用事を済ませた以上やることがない。
授業を終えて寮に戻ってくるとき、中庭で仲間たちが柵のような物を作っているのが見え。囚人たちに脱獄防止の柵を作らせていいのかと疑問に思ったが、何もすることが無い今の自分よりマシな時間の使い方だとキヨシにも分かっていた。
筋トレや小遣い稼ぎは今はやる気にならず、かといって街に繰り出すほどバイタリティに溢れている訳でもない。
そうして寝ながらゴロゴロと考えた結果、男子寮の近くにある花壇の手入れに行こうと、麦わら帽子を被り、園芸用具を入れたリュックとアウトドアチェアを持って部屋を出る。
キヨシが目指している花壇は、前年度の卒業生が手入れしていたのか、雑草などは生えていたものの多年草と思われる数種類のハーブや花が残ったままだった。
せっかくあるのに枯れさせては勿体ない。そう思ったキヨシは入学してすぐの頃に正式な生徒会に花壇の使用許可を求め、現在はガーデニング同好会という形で管理を任されている。
外に出て階段を降りてから少し歩いた場所にある花壇は、他の男子たちも存在は知っているが花や草には興味が無いと近付かない場所だ。
「さてと」
しかし、キヨシは草花の話題は食いついて来る女子がいると信じていた。頑張って真面目にしていれば裏生徒会という訳の分からない組織の人たちも自分たちを認め、最終的に女子との接触が許されるようになる。
だからその時を夢見て、今日も椅子を設置してからリュックを下ろし、中から園芸本を取り出して植物の種類と手入れの仕方について学んでいく。
素人のキヨシでは自分が追加で植えた物以外は、見たところで何と言う植物か分からないが、親切にも植えられたエリアごとに植物の種類の書かれた札が立てられていた。
名前が分かれば本で調べる事が出来る。細かい育て方は専門的な本を読む必要があるけれど、水をあげる量やどんな気候だと育ち易いかが分かれば、今後の生育もある程度は順調に行くはず。
軍手をはめて雑草を抜き、それが終わると椅子に座って植物ごとに育て方を確認し、それぞれに適した水の量を与えるべく離れた水道からシャワーヘッドを付けたホースを引っ張ってきたとき、キヨシが置いていた椅子に勝手に座っている女子がいた。
「アンタ、なにやってるの?」
「え?」
ぱっつん前髪の女子に声をかけられたキヨシは驚いた。女子は男子と接することを禁じられているため、学校にいる間は基本的に誰とも会話しないだろうと思っていたのだ。
それが女子の方から声をかけてきた事で、彼女は罰則が恐くないのだろうかと思ったとき、よく見れば相手が裏生徒会の人間と共にいた人物であると思い出す。
役員かどうかは不明であるが、自分が花をあげた人物としてキヨシははっきり相手を認識した。
「えっと……ああ、花……」
「ちょっと、“さん”くらい付けなさいよ」
キヨシの呟きが聞こえていたらしく、女子はキッと鋭く睨んで注意してくる。
相手は可愛らしい容姿をしているため、“猫さん”や“ウサギさん”のように花に対してもさん付けで呼ぶ人物なのかもしれない。
呼び方にそれほどこだわりのないキヨシとしては、変に気分を損ねさせる必要もないかと、相手の言う通り丁寧な言い方で花を呼ぶ事にした。
「はぁ。じゃあ、お花さん」
言い終わるかどうか、その僅かな時間で椅子から立ち上がってキヨシに接近した女子は、キヨシの腹に腰の入った一発を決める。さらに、身体を折りかけたキヨシの胸倉を掴んで捻り上げ、ドスの聞いた声で怒鳴ってきた。
「花さんで良いつってんのに、変な呼び方すんじゃねえよ! それじゃあお婆ちゃんみたいだろうが!」
「ちょ、待ってくださいよ! 俺いつも花としか呼んでませんし。てか、わざわざさん付けする必要ないでしょ」
「人の事影で呼び捨てとか舐めてるでしょ。私は先輩、アンタは一年、敬称付けるのは当たり前だから」
体格で勝る男子が女子に胸倉を掴まれて怒鳴られているのはみっともない。だが、可愛い女子が急にアグレッシブになれば誰だって驚く。
キヨシも相手の豹変にビビっただけで、最初から変な人だと分かっていれば安全距離を開けておくくらいはしていた。
もっとも、これだけ近付かれてしまえば意味はないが、殴られて胸倉を捻り上げれ苦しくなったことで、先日受けたパンチも腰が入っていて重かったなと、キヨシは相手が絶対に格闘技経験者だと確信しながら、逸れかけた思考を戻して直前の言葉で気になった点について尋ねる。
「あの、すみません、俺が言ってたのは一昨日花をあげた人って意味です。先輩は花さんって言うんですか?」
「はあ? 紛らわしいっつの。私は緑川花、覚えておきなさい」
「りょ、了解です。あ、俺は藤野清志です。どうぞよろしく」
お互いに別の物を想像していたせいで話が食い違っていた。その誤解もようやく解けた事で、解放されたキヨシは安堵の息を吐いて自己紹介と挨拶を済まし。椅子に座り直した花に断って植物に水をやっていく。
シャワーの水に太陽光が反射して見える虹がとても綺麗だ。そんな事を思いながらのほほんと水やりを続けるキヨシに、足を組んで暇そうに眺めていた花が話しかけてきた。
「で、なんで花に水あげてるの?」
「ここ卒業生が使ってたのか色々と植えられてて、そのまま枯らすのは勿体ないから生徒会に許可取ってガーデニング同好会として管理してるんです。まぁ、他の奴らが監獄送りになって暇だったってのが今日作業してる一番の理由ですけど」
暗にアナタ達が仲間を監獄送りにしたから自分は暇になったんだと伝える。悪いのは覗きをした男子たちで、裏生徒会は彼らの更生のために監獄送りにしただけだ。
けれど、他の四人がいなくなってしまうと残ったキヨシは女子が会話してくれないので、自然と一人で出来る趣味や暇つぶしに勤しむことになる。
せめて女子と接する事くらいは許可して貰えないかと淡い希望を抱くが、覗き事件によって男子の学園内での立場はほぼ存在してない状態にある。それで会話程度の異性交遊が解禁されたところで、キヨシと話してくれる女子など皆無に違いない。
ならば、夜になってからは千代とのメールを楽しめるのだから、普段は監視目的でやってきたと思われる裏生徒会の人間と、こんな風に会話して繋がりを大切にすべきだとキヨシは思った。なにせ、相手はかなり可愛い女子だから。
「ふーん。まぁ、いいけど。これあげる」
キヨシが不健全だが男子高校生としては健全な理由で花との会話を楽しく思っていれば、話自体には興味無さそうにしながら、花はブレザーのポケットに手を入れて何かを取り出した。
彼女の手にあるのはチョコ菓子のキットカット。単品で売っている物ではなく、ファミリーパックに入っている小さいサイズの方だ。
甘い物は嫌いではないので、くれるというのならありがたく頂戴する。だが、ほとんど初対面である人物からお菓子を貰う理由が無い。
女子同士でよくお菓子の交換をしていたりするので、もしかしてそういう感じだろうと思いつつ、シャワーを止めて手を拭いてからキヨシはそれを受け取った。
「えっと、ありがとうございます。けど、なんで急にくれるんですか?」
「一昨日、花を貰ったお返し。借り作ったままって気持ち悪いしさー」
「貰い物でしたし、別に気を遣って貰わなくてよかったのに」
理由を聞いてなるほどとキヨシも納得する。確かに彼女には先にプレゼントを渡していた。
先に渡した方としては貰い物をそのまま譲っただけだが、受け取った方にすれば理由もなくプレゼントを貰った事になる。
彼女はそれが嫌で貸し借りをチャラにするため、わざわざキヨシの居場所を探してここまで来たのだろう。
怒ると恐い人物だが、根は真面目な上に優しい人なんだなと、キヨシは受け取ったお菓子を食べつつ花に対する認識を深めた。
そうして、お菓子を食べ終えた後もキヨシは植物に水をやり、帰るかと思われた花は椅子に座ってキヨシの荷物にあったハーブ図鑑を眺めながら時間を過ごしていれば、灌水を終えてホースを片付けて戻ってきたキヨシが残っていた花に声をかけた。
「すみません、お待たせしました」
「別にアンタを待ってた訳じゃないけどね」
「男子の監視ですか?」
「アンタもあいつらの仲間でしょ。本当は一緒に監獄にぶち込みたいけど、理由が無いと無理だから、現行犯で現場を押さえるために見張ってんの」
キヨシが予想していた通り、花は残りの男子の監視役としてここへ訪れていた。
無実の自分を監獄にぶち込みたいと言われたときには、男子というだけで随分と嫌われているなと軽く傷付いたが、そういった点は今後の付き合いの中で見直されるようにするしかない。
故に、キヨシはリュックから取り出したレジャーシートを広げて椅子の隣に腰を下ろし、良好な関係を築くため世間話のように返した。
「なるほど。毎日来るんなら、ハーブも沢山ありますしお茶くらい用意しますけど?」
「なんで私が毎日アンタに会いに来なくちゃいけないのよ。っていうか、アンタがこっちに来なさいよ。その方が私の手間も省けるし」
腕組みをして座ったまま、花はポジション的に見下す形でそんな事を言ってくるが、キヨシとしては監視していらんといった感じだ。
しかし、用事があるやつが来い、とは口が裂けても言えない。なにせ相手は可愛い顔して武闘派な先輩だから。
会長の傍にいた長身女性も力が強かったので、裏生徒会は全員がルックスと戦闘力を兼ね備えた集団なのかもしれない。
単純な腕力なら大概の女子に負けるつもりのないキヨシも、流石に武術経験者の相手は遠慮したい。なので、ここは逆らわないようにしつつ話を進めた。
「あの、こっちってどこですか?」
「裏生徒会室は……駄目だから、他のやつらを監視してるときに傍で座ってればいいんじゃないの。パイプ椅子よりこの椅子の方が座り心地いいし」
そういった花はちょっと満足気な笑みを浮かべ、椅子の肘置きを撫でる。
有名アウトドアメーカーの椅子なので、ハンモックに似たゆったりとした座り心地を提供する品だが、値段は意外と手頃でパイプ椅子の二倍弱だ。
倍の値段の理由は軽さと肘置きがあることが主な理由だろうが、気に入ったならもう一つあるので、使うときに貸すくらいは問題ないとキヨシは伝える。
「それ私物なんですよ。二つあるので別に貸しますけど」
「じゃあ、来るときは持って来て。わざわざ運ぶのとかやだから」
「了解です。あ、それじゃあ連絡先聞いてもいいですか? 俺も用事あっていけない日がありますし、どこにいるか聞けるようにしてた方がいいですよね?」
この流れなら自然に聞ける。女子とアドレス交換などほとんどしたことのないキヨシは、完璧な流れに内心でガッツポーズを浮かべて携帯を取り出した。
しかし、現実はそう思い通りにはいかない。
「えー、アンタに教えるのいやなんだけど」
「そ、そこをなんとか、お願いします!」
花は露骨に嫌そうな顔をしてアドレス交換を拒否してくる。この流れでそれはないと思っていたキヨシは、レジャーシートの上で土下座をして頼んだ。
仲間たちの退学を待ってもらうためにした先日のものとは違い。可愛い女子のアドレス欲しさの土下座は酷く惨めで安っぽい。
とはいえ、連絡先を交換していれば便利なのも事実。最初は嫌がっていた花も、多少の我慢で得られるメリットの方が大きいと踏んだのか、渋々携帯を取り出して赤外線でアドレスを交換した。
「キヨシ、適当なことで連絡してきたらぶっ飛ばすから。慣れ慣れしくメールとかしてくんじゃないわよ」
「“今日はウスベニアオイの花が咲きました。綺麗な色のハーブティーになるらしいので、今度持っていきますね。”とかはセーフですか?」
「ここウスベニアオイあるの? へぇ、咲くのって五月くらいだっけ?」
「本にはそう書いてましたね。植えた人の趣味なのかここってハーブティーに出来るのばっかりなんで、花さんも興味があるのならお譲りしますけど」
花のアドレスをゲットした上に、待ち望んでいた植物トークまで出来たことにキヨシは小躍りしたい気分になる。
名前が花だけに植物にも詳しいんですね、とは絶対にぶっ飛ばれるので言わないが、女子受けのためだけに勉強していて良かった、この花壇を残した先輩ありがとう、そう心の中で思いながらキヨシは相手の言葉を待った。
「生徒会の備品として経費で落ちたりもするけど私物で買うのもあるし、フレッシュハーブは手に入り辛いのよね。ふーん、そっか、茶葉係としてならキヨシにも使い道が……」
キヨシが返事を待っている間、花は顎に手を当ててボソボソと独り言を言っている。
何やら悲しい響きの単語が聞こえた気もするが、きっと気のせいだと思っていたところで、花が唐突な質問をしてきた。
「キヨシ、アンタってパソコン持ってる?」
「ええ、まぁ、趣味用に使ってるノートでしたら持ってますけど」
「じゃあ、ここにあるハーブのリスト作ってプリントアウトして持って来て。備考欄に旬とか開花時期も一緒に書いたやつね。それ見て発注するから、ちゃんと持って来なさいよ」
「わ、分かりました」
ああ、これ完璧に茶葉係だわ、と聞こえてきた言葉が気のせいではなかった事に落ち込むも、キヨシはそれを顔に出さないよう気を付けながら返事を返す。
美味しい茶葉を渡せば、相手の好感度は跳ね上がり、もっと人間扱いされるようになる。
それを思えば今は厳しい冬の期間で、春の訪れまでの辛抱だとキヨシは自分を励ました。
「それじゃあ、今日は帰るけど、リストは二日以内に持って来なさいよ」
「了解です。花さん、さようなら」
「うん、じゃあね」
結構な時間が過ぎて夕方になっていた。こんなに女子と喋ったのは覗き事件の日以来だと、去っていく花の背中が見えなくなるまで見ていたキヨシは、明日からはちょっと楽しい学校生活になりそうだと期待で胸を膨らませながら片付けをした。
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第4話 ぼくは悪くない
(俺も鳥になりたいなぁ)
花との出会いで少しは学校生活が変わるのではないかと思った二日後、空を飛ぶ鳥を見ながら現実はそう甘くないとキヨシは落ち込んでいた。
千代からメールで聞いた話では、裏生徒会の役員は会長と副会長と書記の三人で、会長が千代の姉である栗原万里、副会長が白木芽衣子、書記が一昨日会った緑川花らしいが、彼女たちの布いた規則は法と言っても過言ではなく、一般の女子たちは一人としてキヨシに関わろうとしなかった。
授業のペアワークですら先生と組まなければならない始末で、これが俗に言うイジメ状態ですかねと拗ねたのはちょっとした秘密である。
先日の土下座で仲間の男子らを許して貰えたとき、自分が学園にいることを認められたと思ったが、あれは実は千代が最初に拍手したことで他の人も釣られて拍手したという経緯があるため、やっぱりこの学園内での男子の地位はかなり低いと思い知らされた。
そうして、今日もとくに誰とも話をせず、暇な放課後をどう過ごそうかと階段の踊り場の窓から外を眺めていれば、何やら鳴き声が聞こえ、下で動く物が見えたことでキヨシは目を凝らした。
(あれは……カラスのヒナか? えっと、巣がそこってことは落ちちゃったのか)
最初は何か分からなかったが、全身が真っ黒だったことで地面にいるのがカラスのヒナだと察する。
けれど、ヒナが一匹で地面にいるはずがないので、どこかに巣がないかを確認すれば、窓の正面にあるそれなりに大きな木の枝に巣があった。
兄弟と思われるカラスたちも成鳥よりも可愛い声でカーカーと鳴いており、生育具合がほぼ同じ事から下にいるカラスはその巣から落ちたヒナだと思われた。
(親は……居ても運ぶのは難しいか)
カラスは非常に頭がいいので子どもの事もしっかりと認識するだろう。けれど、親鳥がヒナを掴んで巣に戻れるかは怪しい。
重量的には掴んで飛べるだろうし、巣に運ぶくらいは可能かもしれないが、足で掴んだ際にヒナを傷付けてしまうかもしれないのだ。
免疫力の低い状態で怪我をすれば、最悪それが原因で命を落とすかもしれない。
別にカラスを特別好きという訳ではないが、見つけてしまった以上、キヨシは見て見ぬふりは出来なかった。
(花さんから連絡はないな。よっし、ちょっと待ってろよー)
携帯にメールも着信もない事を確認し、キヨシは階段を下りて外を目指した。
◇◇◇
靴に履き替えて外に出ると、ヒナはほとんど移動せずにその場にいた。
近付いても恐がらず、拾い上げればつぶらな瞳でエサを欲しそうに口を開けて鳴いている。
大人のカラスは近くで見ると大きい事もあり結構恐いが、ヒナなら可愛い物だと、顔が出るように気を付けながら制服のポケットにいれ、登れそうな場所を探して幹や枝を使って木を登って行く。
これまでの人生で木登り経験などほとんどなかったが、幹がしっかりしていて枝も太いため、思っていたよりはするすると登ってくる事が出来た。
よく木に登って降りられなくなる話を聞くが、多分、登るのは意外と誰でも出来るに違いない。
そんな事を考えながら巣のある枝までやってきたキヨシが、ヒナを巣に戻してやったとき、正面にあった窓のところにいた人物と目が合った。
「フフッ、やっぱりキヨシ君は優しいね」
「ち、千代ちゃん」
窓枠に肘を突くように笑顔で見ていたのは、同じクラスの女子である栗原千代だった。
高校生にもなって木に登っているところを見られたのは恥ずかしいが、直前の“優しいね”という言葉から察するに、彼女はキヨシがカラスのヒナを助けるところを見ていたのだろう。
メールはときどき交換しているが、直接話すのは久しぶりだったことでキヨシが返事に詰まっていれば、千代の方から話を続けてくる。
「お姉ちゃんが言ってたの。カラス好きに悪い人はいないって。おばあちゃんは相撲好きに悪い人はいないって言ってて私もそう思ってたけど、やっぱりキヨシ君はいい人だね」
「い、いや、偶然見かけて、可哀想だなって思ったから助けただけで、別にカラスだから助けた訳じゃないっていうか」
「それでもだよ。困ってる人がいたら助けるって、当たり前の事だけど難しい事だもん。そんなに謙遜しないでいいよ」
純粋な尊敬の眼差しが眩しい。この学園で男子であるキヨシに、こんなにも優しくしてくれるのは彼女だけだ。
花も可愛かったが千代はさらに優しさもプラスされる。やっぱりこっちだよなと照れて頭を掻きながらキヨシも笑顔を返せば、千代は先日約束した相撲観戦の話を振ってきた。
「ね、今度の高校生相撲楽しみだね。待ち合わせとか何時にしようか? あ、私お弁当作って行こうと思ってるから、お昼は心配しないでいいよ」
「ま、マジで! 手作り弁当とかすっごい楽しみなんだけど! あ、俺、卵焼きはしょっぱいのでも甘いのでもいけるタイプだから!」
「卵焼き好きなの? じゃあ、作って持っていくね。どっちの味かは食べるまでのお楽しみってことで」
悪戯っぽく笑う千代の表情を瞼に焼き付け、脳内フォルダに保存する。カメラを持っていれば数十万するレンズを取り付けてでも撮影したのだが、残念ながら今のキヨシは携帯のカメラしか持っていなかった。
今度相撲観戦で一緒に出かけた日の帰りにでも、秋葉原の方に寄ってコンデジくらい買っておこうとキヨシは心に決める。
それなら先に買ってから、観戦中の思い出と言って一緒に写ればいいのではと考えるかもしれないが、浮かれているキヨシがそこまで頭を働かせるなど出来るはずがなかった。
二人はその後もお弁当の好きなおかず談議に花を咲かせ、しばらく楽しい時間を過ごした。
だが、楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、窓から外を見ていた千代がキヨシのいる木の方に誰かが近付いて来るのを察知する。
「あ、誰か来る。見つかったらマズイかもしれないから行くね。詳しいことはまたメールで」
「うん。千代ちゃん、またね!」
「うん。またね、キヨシ君」
ヒラヒラと手を振り去っていく千代を笑顔で見送り、キヨシは頭の中で会話の内容をリピートしながら今度の相撲観戦に思いを馳せる。
誰かが来たところで木に登ってはいけないという規則はないのだ。ここからでは更衣室やトイレを覗く事も出来ない。故に濡れ衣の心配もない。
そう考えながらキヨシがそっと振り返れば、裏生徒会の花がキョロキョロと辺りを見回しながらやってくる姿が見えた。
彼女からの連絡がないことは確認しているため、キヨシは自分を探している訳ではないと判断する。
では、彼女は一体何故周りを見渡しているのか。近付いてきた花はキヨシのいる木の下で立ち止まると、そわそわしながら独り言を呟く。
「うー、駄目だ。やっぱり校舎までもたない」
もたない、もたないとは何だ? キヨシは平凡でしかない脳を必死に働かせ、彼女の言葉の意味を理解しようとする。
漢字にすれば“持たない”というのがあるが、彼女はいま手ぶらだ。別に手をブラ代わりにしている訳ではなく、その手に何も持っていないという意味である。
そもそも、こんな場所で花のような美少女が手ブラで歩いていれば、それは襲ってくれと言っているようなものだ。
千代に勝手に操を立てているキヨシでも、据え膳食わぬはとルパンダイブを決行する自信があった。
しかし、今の彼女は制服+ジャージという色気のない格好である。これではキヨシのエリンギもエレクト出来ない。
では、彼女の言った“もたない”とはどういう意味か。そわそわとしながら周りを見ている事で、キヨシは大体の想像が付いていた。
そして案の定、彼女は一度決心したように頷くと、キヨシのいる木の根元辺りでジャージと下着を一緒に下ろし、その場にしゃがみ込む。
その瞬間、キヨシの目は彼女の色白で可愛らしいヒップに釘づけになるが、穿いていた物を下ろしてしゃがみ込む彼女の姿を見たとき、キヨシの脳はかつてないほどフル稼働していた。
もし、彼女がここでキヨシの想像通りのことをして、それをキヨシが見てしまったら覗き以上の罰則を喰らうに違いない。
相手は裏生徒会の役員だ。そんな彼女が被害者になれば男子生徒の首など簡単に飛ぶ。
迷っている暇はない。事が始まる前なら止める事は可能だと、キヨシは慌てて彼女に制止の声をかけた。
「駄目だ花さん! ストップっ……おわぁっ!?」
勢いよく叫んだことでバランスを崩したキヨシが落下する。彼女の上でなかったことは幸いだが、落下した場所は彼女の正面だった。
「……へ?」
対して、下にいた花は何が降ってきたのか一瞬分からなかった。
ただ、自分の目の前に大きな物が降って来て、驚いた衝撃で既に準備態勢になっていたこともあり我慢の限界が来てしまう。
そう、五十センチほど距離を開けた真正面という、ベストなアングルでキヨシが見ている状態で。
キヨシが見たのは苔のむす岩の割れ目から清水が湧きでる光景だった。
雨水が山に沁み込み時間をかけて濾過され、透き通った綺麗な水となって湧き出てきたのだ。
せせらぎの様な柔らかい音で湧き出た水は徐々に勢いを増し、次第に滝の如き激しさで地面へとぶつかって飛沫を作り出してゆく。
地面にぶつかった水はその場に留まり、とても立派で大きな湖を作り出した。
岩の割れ目から湧きだし地面へとかかる黄金色の橋と見紛う清水は、キヨシの心の中に新たな感動を与える。
けれど、これは雨が降った後、限られたときのみ出会える神秘の光景だ。
湧水の勢いは徐々に治まり、最後は水滴となって地面に垂れる。
今回の出会いはここまでかと、先ほどの千代の笑顔以上にしっかりと目に焼きつけたキヨシが、名残惜しみながら山頂を見れば、そこには火山噴火の予兆があった。
「キャアアアアアアアアアアアアッ!!」
直後、本当に火山が噴火した。もとい、顔を真っ赤にした花が森中に響く叫び声を上げた。
ヤバい、と思ったキヨシはすぐに立ち上がり、別に覗き目的で木の上にいたのではないと釈明しようとする。
だが、キヨシが彼女の方を見たとき、花はジャージと下着を既に身に付けた状態で子どもの様に大泣きしていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
「どうした花!!」
先ほどの叫び声を聞きつけてやってきたのだろう。鞭を持った副会長と囚人服の男子らが走ってきた。
泣いている女子と、その前で気まずそうにしている男子。誰がどうみてもキヨシが花を泣かせたとしか思えなかった。
駆けつけた副会長は泣いている花を抱きしめ、傍に立っていたキヨシを親の敵のように睨みつける。
「キサマァ、花に何をした!」
「え、いや、その実は」
「だめぇっ! 言わないでぇっ!」
事情を説明しようとするも、副会長の腕から抜け出した花が両手でキヨシの口を塞いで喋らせないようにしてくる。
手を洗ってませんでしたよね、とは口が裂けても言えないが、泣かせてしまった負い目もあって、キヨシは彼女の名誉のために誰にも言わない事にした。
キヨシが何も言わないと分かると花は副会長に抱きついて泣いているが、当事者二人が何も言わないのでは対処のしようがない。
しょうがなく花の介抱を優先した副会長は、キヨシを殺意の籠った視線で射抜きながら囚人たちに本日の作業終了を告げた。
「本日の作業はここまでだ! キサマらは速やかに監獄に戻っていろ! いいな!」
それだけ告げて花に寄り添い校舎へと帰って行く副会長。
囚人らが監獄に戻るのを確認しなくていいのかという疑問はあるが、副会長が帰ってくる前に戻っていればいいのだと、男子たちは久しぶりに会ったキヨシに笑顔で駆け寄った。
「キヨシ、オマエすっげぇよ! あの女を泣かすとか誰にでも出来ることじゃないぜ!」
「やはりキヨシ殿は救世主でゴザル! 前回に引き続き、今回は暴君花より小生たちを救ってくださった!」
「ゲホッ……サンキュー、キヨシ!」
口々に褒めて感謝の言葉をぶつけてくるが、キヨシとしては仲良くなれそうな相手を泣かせてしまったので気まずいばかり。
ただ泣かせたのではなく、大浴場などで同性に見られる以外では本当に愛し合った恋人にしか見せない場所を見てしまい。さらに、本当に愛し合った恋人にも見せないであろう姿まで見てしまった。
これは一発で退学を言い渡されるのではないか。そう思っているキヨシは、花が泣いて去っていった事を喜んだ男子らが胴上げをしてきても、全くの他人事にしか感じられなかった。
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第5話 やばめ食堂
キヨシがカラスのヒナを助けてから四日後、ヒナは特に怪我もなかったようで、昨日の内に他の兄弟たちと一緒に元気に鳴いて親からエサを貰っている姿を確認できた。
それを見て嬉しくなったキヨシはネットで調べて、一度水でふやかしてから絞った子犬用のエサをあげるとよいと知り。放課後に子犬用のエサを買ってきて、ちゃんと水でふやかしてから絞った物を巣の近くに置いてみた。
すると、親鳥がそれを一度食べて確かめて安全だと分かると、次からはヒナに与えていたので、今後もたまにエサを置いておけば自分もカラスと仲良くなれるのではないかとちょっと楽しくなった。
とはいえ、それはただの現実逃避に過ぎない。カラスのヒナの事よりも重要なことがキヨシにはあった。そう、裏生徒会書記である花とのことだ。
彼女の恥ずかしい姿を見てしまった事で、キヨシはその日の内にメールで謝罪をしておいた。
けれど、傷心中の彼女はメールを一切返してこず。四日目の昼休みになってしまった。
キヨシとしては普通なら退学、よくて監獄送り、最悪だとリアルに殺されると考えているので、一日中怯えなくてはならない現状から脱する事が出来るなら、例え死刑宣告でもいいから返事が欲しかった。
そうして、影を背負いながらも食わねば生きていけないと食堂にやってくれば、普段自分が座っている壁際のテーブルのところに、いま一番会いたくない人物が腕を組んで陣取っていた。
他の女子たちもそこはキヨシがよく利用しているので空けている。にも関わらず、彼女がそこに座っているということは、間違いなくキヨシを待っていたのだろう。
返事は欲しかったが、心の準備が出来ていない状態での待ち伏せはノーサンキュー。相手のペースにわざわざ乗ってやる必要はない。
そんな風に考えて、キヨシはここでは戦略的撤退を選ぶことにした。
「あー、やっべー。財布忘れちゃったわ、寮の部屋かなぁ? しょうがねえ、取りに戻るかー」
上着のポケットとズボンの横ポケットを叩いてから、極めて自然な口調で呟いて反転し食堂を出ようとする。
完璧だ。これなら演劇部に入って主役にもなれるかもしれない。自分の演技力を褒めてやりたくなってキヨシが廊下に向かって一歩踏み出したとき、ダンッ、と女子がやったとは思えない打撃音が食堂中に響き渡った。
振り返らなくても分かる。気安く名前を言ってはいけない例のあの人がテーブルに拳を振り下ろしているに違いない。自分の想像以上にお怒りなのだと、キヨシは音の強さと背後から感じるプレッシャーで理解していた。
そして案の定、規則で誰も話しかけないはずの少年の名を呼ぶ声が、音が消えた食堂の中に静かに響く。
「ねぇ、キヨシ……アンタのそのズボンの後ろに入ってるのは財布じゃないの?」
「え? あ、ああ、本当だ。ずっと入れてたから逆に気付かなかったなぁ。いや、取りに戻る前に教えてくれてありがとうございます」
「別にいいわよ。でもまぁ、そんなにお礼がしたいならご飯取って来てよ。私、今日はカルボナーラセットにするから」
振り返ればそこには、同性までも虜にする様な笑みを浮かべた美少女がいた。ただし、右手の拳はテーブルの一部を窪ませているというオマケ付きで。
先日、少し怒らせて殴られたがあれは全力ではなかった。彼女が全力で拳を振るえば自分は死ぬ。
キヨシはそれを今初めて正確に理解出来た。ならば、取る行動は決まっている。例のあの人、裏生徒会書記の緑川花の言う事をしっかり聞くのみだ。
「カルボナーラセットですね。飲み物はいりますか? 紙コップのジュースでも買ってきますよ。ジンジャーエールとかリアルゴールドとか」
「あ゛ぁ゛?」
「ヒィッ!?」
このとき、キヨシは全力で選択を間違えた。彼女にとってはソレを連想させる物ですら地雷だというのに、どうして黄金水に色が似ているジュースを例としてチョイスしたのか。
きっと無意識に『花=黄金水』の図式が頭の中に浮かんでしまったのだろうが、瞬時に悟った花が鬼の形相で睨みを利かせれば、キヨシは慌てて料理を取りに厨房の方へと駆けていった。
◇◇◇
料理を持ってキヨシが戻ってくれば、花は素直にありがとうと礼を言って受け取った。
この学園に来て初めての女子との食事。それも超が付く美少女と向かい合ってなど、夢にも思わなかったため、先ほどまでは恐怖に怯えていたキヨシは、今度はそわそわと落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
その様子に気付いた花は、なんで目の前の男が変な態度を取っているか分からず、ただ純粋に気持ち悪いと冷たい言葉をぶつけた。
「アンタ、なにしてんの? それキモイんだけど」
「あ、その、すみません。女子と二人で食事って初めてで緊張しちゃって」
「二人でって、ただの学食じゃない」
「男子は場所より状況にこだわるんですよ。コンビニの駐車場で食べるカップ麺だろうと、彼女と二人で分け合えば最高の食事ですから」
聞いた花は分かるようで分からないと首を傾げる。別にキヨシも完全に理解して貰えるとは思っていなかったので、会話して少し落ち着いた事でようやく食べ始める事にした。
『いただきます』
二人とも親の躾が良かったようで、ちゃんと手を合わせて挨拶をしてから食べ始める。
花が選んだのはカルボナーラにサラダ・パン・シフォンケーキ・アイスティーが付いたセット。キヨシはパスタセットを頼んだことがなかったので知らなかったが、こちらにはドリンクが最初から付いていた。
対して、キヨシが選んだのは日替わりB定食で、今日は大きな海老フライ三尾とメンチカツがメイン、それにサラダ・ご飯・味噌汁・漬物が付いている。お茶は無料なので問題はない。
そんな他校の学食では滅多にない豪華なランチセットを食べながら、先に口を開いて来たのは花の方だった。
「アンタ、あの事は誰にも言ってないでしょうね?」
「え? あの事って……おしっ」
「言うな!」
被せるように叫んだ花の声が再び食堂に響く。
他の生徒は驚いて二人の方を見ており、ゆるふわ系可愛い女子で有名な花のこんな様子など初めて見る者もいるだろう。
それが男と一緒となれば余計に注目を集めてしまうが、確かに人の多い場所で言い掛けた自分が悪かったと、キヨシも自分の非を認めて謝罪してから改めて話を続けた。
「すみません。けど、俺が誰かに言える訳ないじゃないですか。花さん達が女子に男子と接する事を禁じるって規則で言ってるんですから」
「でも、紙に書いたりしてこっそり置いておけば広める事は可能でしょ?」
「広めても俺にメリットないじゃないですか。他に目撃者がいなければ、広まった時点で俺が広めたってばれますし」
この相手は広まった時点で広めた相手を殺しに来る。キヨシは彼女が武道経験者で体育会系だと理解した時点で、そのことを本能で悟っていたからこそ突然の遭遇を避けてきた。
今回は逃げられずに捕まってしまったが、よく考えれば見た事に対する制裁以外はされる心配はない。キヨシにだって話していい事と悪い事の分別くらいはつくのだから。
だが、いくら誰にも伝えないと言ったところで口約束でしかない。そんな物は追い詰められれば簡単に破られる可能性がある。
会って数日の男を全く信用していない花は、小さく千切ったパンを租借し、しっかりと飲み込んでからキヨシを真っ直ぐ睨んで口を開いた。
「そんなのじゃ信用出来ない。アタシのを見たんだからアンタもアタシに見せなさいよ」
「見せるって、え、どっちの話ですか?」
「は? どっちって何よ。一つしかないじゃない」
「いや、
キヨシがそう言い終えるかどうかのタイミングで、神速で立ち上がった花は顔を真っ赤にしたまま、キヨシの顔をアイアンクローで掴んで持ち上げていた。
「いだだだだだっ!? 割れるっ、頭が割れて脳みそぶちまけますって!」
「うるせぇ、クソキヨシ! テメェ、そっちまでちゃっかり見てやがったのか!」
花自身もそのことを忘れている訳ではなかった。ただ、おしっこをしている場面を見られた印象の方が強かったので、キヨシにも同じ物を見せろと要求していたのである。
しかし、キヨシの口からシンボルという単語が出れば話は別だ。彼はおしっこしていた姿だけでなく、花の秘所もしっかりと目に焼き付けていた事になるのだから。
大事な場所を赤の他人、それも覗きをした変態の仲間である男子に見られたとなれば、花は乙女の矜持のため相手を生かしておく事は出来ない。
首まで真っ赤にしたまま目を血走らせ、このまま相手の言う通り頭部を握り砕く。普通に考えれば不可能だが、今の花に冷静な判断力はなかった。
「もういい、アンタを殺して私も死ぬっ」
怒りに呑まれた花がさらに手に力を込め掛けたそのとき、キヨシは花の手を上に撥ね退け、バランスを崩して倒れないように残った手で肩を支えて叫んだ。
「ああ、もう! 食べ終わってからでもいいでしょ! 行儀悪いですよ!」
「っ!?」
今まで一度も花に対して怒った事のないキヨシが、痛みによる怒りもあって真剣な表情で怒鳴ってきた。
その迫力もあって花はつい身を竦ませてしまうが、おかげでここが他の者もいる食堂で、自分たちは持ってきたばかりのランチを食べていた事を思い出す。
怒らせた本人が言ってくるのは間違っている気もするが、それでもキヨシが口にしたのは正論だ。
後で制裁を加える事は決定事項として、今は彼の言う通り食事を済ませてしまおうと、人前でブチ切れていたことを恥ずかしく思いながら花は椅子に座り直した。
「え、ああ、うん。まぁ、のびたらマズいもんね」
「揚げ物も衣のサクサク感が損なわれますから、話すなら食後でもいいと思うんですよ」
「一理ある。あ、その海老フライちょうだいよ。なんか食べたくなってきた」
「いや、これメイン……まぁ、いいですけど」
海老フライ定食ならともかく、メンチカツもついたミックスフライ定食なら、外で食べようと思えば海老フライは通常二つだ。
なので、サイズが大きい事もあり、別に一つ花にくれてやったところで足りなくなる事はない。
惜しい気持ちがない訳ではないキヨシも、相手の用を足す姿を見てしまった負い目もあって、タルタルソースをしっかりと衣に載せた海老フライを、サラダを食べ終えて空いていた容器に置いてやった。
受け取った花はちゃんと「ありがと」と礼を言い。美味しそうに頬張ってパンと一緒に食べている。
それを見たキヨシは海老フライが好きなのかなと思いつつ、メインを一つあげた対価を要求する事にした。
「代わりにケーキくださいよ。こっちデザートないんで」
「はぁ? やるわけねぇだろ。購買行ってアイスでも買って来いよ」
「漬け物もあげますから」
「いらねぇっつの」
“海老フライ一つ+漬け物”と“シフォンケーキ”が等価なはずがない。一口だけ下さいといえばやったかもしれないが、楽しみにしているデザートをまるごと要求するとは図々しいにも程がある。
花がしっかりと睨んで拒否すれば、しょぼんと肩を落としたキヨシは空になったお茶を淹れてくると湯呑を持って席を立っていった。
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第6話 嗚呼!!花の応援団
昼休み、それは監獄送りになっている男子ら四人にとって心休まる時間である。
普段は自由に動けない彼らも、昼休みはバリケードの内側という制限はあるが、他の生徒と同じように自由に遊ぶことが許されていた。
「おっしゃ、次はガクトが鬼だぜ!」
「ぐぬー、小生の頭脳を使ってすぐに捕まえてやるでゴザル!」
最近の彼らのブームは鬼ごっこ。ボールを使ったものかそういった遊びしか出来ないだけだが、ついこの前まで中学生だったこともあり、自由に動き回れるこの時間を精一杯満喫するため、彼らは童心に帰って楽しんでいた。
刑務作業は確かに辛いが、数日もすれば慣れてそれほど苦ではなくなった。なにより、副会長からのご褒美が美味しい。
一時は暴君花によって囚人生活から奴隷生活になりかけたが、その暴君は先日救世主キヨシが退治して来なくなった。
一度ならず二度までも救われたとあらば、男としてその恩に報いなければならない。服役を終えたら何かお礼をしようと心に決め、男子らは全員が固い決意でこの囚人生活を乗り切ろうと考えていた。
「待つでゴザル、アンドレ殿ー!」
とはいえ、昼休みくらいは気を抜いてもいい。鬼になったガクトが必死に追いかけ、追われるアンドレは巨体に似合わぬ敏捷性で逃げ続ける。
その様子をジョーとシンゴが囃しながら笑い、男子たちが鬼ごっこを存分に楽しんでいたとき、アンドレを追っていたガクトの視界にあるものが映った。
「ぬっ、あれは!?」
ガクト達のいる監獄は中庭の中央に建てられている。建物のまわりには木々が生えており、そこからさらに離れたところに彼らが作った有刺鉄線のバリケードがある。
だが、そこさらに外側には中庭だけあって一般の生徒が遊ぶだけのスペースや、休憩したりお昼を食べるためのテーブルとイスが用意されているのだ。
監獄に男子がいるため、普段はあまり利用する者はいないが、今日はいつもと違ったようで校舎から生徒が出てきてテーブルに座るのが見えた。
それだけならばガクトも驚いたりはしないが、なんと、その生徒は救世主キヨシと暴君花だったのだ。
「鬼ごっこは一時中断、全員集合でゴザル!」
購買の小さなレジ袋を持ったキヨシと花が同じテーブルに着いたことで、これは何かあると睨んだガクトは全員に集合をかけた。
他の者は集合をかけられた理由をよく分かっていないようだが、不思議そうにやってきた男子らを連れて、ガクトは監獄の壁際に移動してから二人の座るテーブルを指差す。
「皆の衆、心を落ち着けてゆっくりと見るでゴザル」
「あぁ? 一体何があるって……はぁっ!? キヨシとあの女じゃねえか!」
言われた通りゆっくり振り向いたシンゴは、目を見開いて飛び上がるように驚いた。
あの二人の組み合わせは先日の花さん大泣き事件以外では目にしていないので、正直、どういう経緯で一緒にいるのか想像がつかないのだ。
「ゲホッ……なんでキヨシが花さんと一緒にいるんだ?」
「それは小生にも分からんでゴザル。しかし、普通に考えるのなら残った男子も裏生徒会の監視下に置かれているといったところでゴザろうな」
「それはキヨシ君に悪い事をしちゃったね」
「ああ……俺らのせいで窮屈な思いをしてるだろうしな……ゴホッ」
学園内での男子の評価は今や地の底。いくらキヨシは覗きをしていないと言っても、同じ男子というだけで嫌悪感を抱く女子もいるだろう。
裏生徒会の監視はそんな女子たちを安心させるための策であり、逆に罪を犯していないキヨシにすれば、無罪であるのに周囲から犯罪者扱いを受けて精神的に負担になっているはず。
四人まとめて監視されているガクトたちは、普段は監獄内にいて周囲の声を聞かずに済んでいるが、孤立無援で普段から女子たちに見られているキヨシは、自分たち以上に学園での居場所がないのではと、巻き込んでしまった男子らは非常に申し訳ない気持ちになった。
そして、離れた場所から二人を見ていれば、持っていたレジ袋からキヨシが何を取り出し、向かいに座っている花に渡している。何を渡しているかまでは見えないが、その様子が気になったシンゴは皆にその事を伝えた。
「キヨシが袋から何か出して花さんに渡してるぞ。アイツ、まさかカツアゲってか奢らされてんのか?」
「その可能性もありそうでゴザルが……むむ?」
上級生が権力を笠にきて奢らせていれば大問題だ。いくらなんでもそれは許せないとシンゴが花を睨んでいれば、ガクトは二人の様子がおかしい事に気付いた。
何をしているのか分からないが、花が満面の笑みを浮かべて先ほど渡された物を携帯カメラで撮っている。
対して、キヨシは驚いた顔をした後に笑って拍手をしてから、席を立って回り込み携帯のカメラで同じように何かを撮ったり、元の席に戻って今度は花とセットで何かを撮っていた。
「なんか、キヨシ君と花さんすごく楽しそうだね」
「ああ、二人してテンション高いな……げほっ」
「写真まで撮って、マジで何してんだ?」
二人の様子からするとカツアゲ紛いの事はないようだ。その点については安心だが、じゃあ二人は何をそんなにはしゃいでいるのかという疑問が浮かぶ。
離れた場所にいる男子たちからは、ドヤ顔を浮かべている花とそれを称えているキヨシの姿しか見えない。
ゆるふわに見えて本性はバイオレンスであると知っているだけに、花に対して恐怖を抱いている男子からすると不思議な光景である。
しかし、驚きはそれだけで終わらず、急に立ちあがったキヨシが校舎の二階に手を振り、その後にテーブルを指差して誰かに何かを伝え、少しすると校舎の方から二人の女子が現れた。
「ぬっ!? キヨシ殿が女子を召喚したでゴザル!」
「おい、あの子ら可愛くねぇか?」
「ごほっ……花さんとも知り合いみたいで、一緒になってはしゃいでるな」
現れたのはセミロングヘアとショートヘアの二人の女子。セミロングの女子の方は花と知り合いらしく手を繋いで笑っている。
もっとも、ショートヘアの女子はキヨシがいて気まずそうだが、キヨシがテーブルの上を指差すと驚いた顔をして、花に向かって笑顔で拍手をしており。あの一角は非常に楽しそうであった。
自分たちが入学時に夢見ていた光景、それがバリケードを挟んだ向こう側に存在する事がシンゴは信じられなかった。
「なぁ、キヨシのどこが窮屈な生活を送ってるって言うんだ? アイツ、いつの間にか女子とも普通に喋ってるじゃねぇか!」
「で、でも、キヨシ君は覗きをしてないから、僕たちより女子に信頼されてて普通にお話くらいはできるだけかもよ?」
「普通じゃねえだろ! 一応花さんも含めて可愛い女子に囲まれてんじゃねえか! 一人だけ外に残ってアイツは学園ハーレムライフをエンジョイしてやがったんだよ!」
自業自得。確かにそうだ。シンゴたちは風呂を覗こうとして、キヨシは偶然とはいえ覗きに一切加担しなかった。言葉にすればたったそれだけだが、まさに天と地を分けるほどの違いである。
しかし、シンゴは思春期真っ盛りの高校生。いくら相手が恩人であろうと、羨ましい物は羨ましい。
まして、それが中学からの友人となれば、余計に嫉妬してしまい割り切る事は出来なかった。
ポケットに手を入れ、見るのも嫌だと背中を向けてシンゴは吐き捨てるように呟く。
「ったく、アイツがこんな薄情なヤツだとは思わなかったぜ」
「いや、少し待つでゴザル」
ガクトがそう言った事で全員がキヨシたちの方を見ると、キヨシが召喚した女子たちは手を振って校舎の方へ帰って行った。
待てと言うから様子を見たというのに、これでは女子らは用があって別れたようにしか見えない。
一体ガクトは何があると思ったのだろうかと、シンゴが呆れながら見るのをやめようとしたとき、シンゴは見てしまった。立ちあがった花にテーブル越しに殴られ吹き飛ぶキヨシの姿を。
「うわぁ……さっき自分もはしゃいでたのに女子が帰った途端に思いっきり殴ったぞ」
殴られたキヨシはゴロゴロと地面を転がりピクリとも動かない。これは死んだかと思ったところで、起き上がって抗議しているようだが、花はそれを聞き入れずに何かを食べていた。
抗議しても無駄だと理解したキヨシは疲れた様子で席に戻り、テーブルに置いていた袋から棒アイスを取り出して食べている。
殴られたのは可哀想だが、自由に購買でアイスを買って食べれるなど羨ましいとシンゴたちが見ていれば、顎に手を当ててジッと二人を観察していたガクトが呟いた。
「ふむ、なるほど、そういう事でござったか」
「げほっ……ガクト、何か分かったのか?」
「フフッ、まぁ、諸君らに分からぬのも無理はないでゴザル。気付いた小生自身、かなり驚いているでゴザルからな」
二人を見て何やら本当に分かったようだが、ガクトは眼鏡を光らせながら意味ありげに笑うばかりで一向に話そうとしない。
しびれを切らしたシンゴは、さっさと話せとガクトを急かす。
「勿体ぶらずに教えろよ」
「では、驚かずに聞くでゴザル。キヨシ殿と花殿はなんと……交際関係にあったのでゴザル!」
『な、なんだってー!!』
衝撃の発言にガクトを除くメンバーは驚いた。
確かにキヨシたちは二人で向かい合って座りながら、食後のデザートなのかアイスを食べたりしている。
しかし、流石に発想が飛躍し過ぎだろうとジョーが冷静に返した。
「いくらなんでもありえねぇだろ……ごほっ」
「いや、全ては状況が証明しているでゴザルよ。まぁ、二人が仲良さげに中庭に来た事に加え、可愛い女子が帰った途端に花殿がキヨシ殿を殴った事で、余計に信憑性が増したというべきでゴザロウか」
言われて他の者たちは二人がやって来てからの事を思い出してみる。
キヨシが扉を開けて花が中庭に出るのを手伝い、自分は奥に座って校舎に近い方の席を花に譲っていた。荷物もキヨシが持っていて座ればすぐに何かを渡していた事で、付き合っているなら中々の紳士っぷりである。
そして、いま花が食べている何かの箱を開けると二人ははしゃぎだし、少ししてキヨシが知り合いらしき女子を呼んで、女子たちが帰った途端に花がキヨシを殴った。
最初に二人ではしゃいでいた事を考えれば、その時点では彼女が殴る理由はなかったはず。ということは、女子が来た事で何か殴る理由が生まれたのだろう。
状況を思い出し、真剣な表情で考えていたアンドレが思い至った可能性について口にした。
「もしかして、花さんは嫉妬してキヨシ君を殴ったの?」
「なるほど、確かにその線はあり得るな。けど待てよ。この前、キヨシは花さんを泣かせてただろ? あれはどう説明するんだよ?」
付き合っている前提なら殴った理由としては分かる。アンドレの意見を聞いたシンゴも納得したように頷くが、先日のことを思い出して、泣かせておいて交際に至るのはおかしいのではと再度ガクトに尋ねる。
「小生のプロファイリングによれば、前髪ぱっつんでジャージを穿いている花殿は箱入り娘で育ったはずでゴザル。髪型は可愛い物への憧れ、ジャージは男子に下着を見られたくない恥じらいと奥ゆかしさ。空手のIHでベスト4に入るアグレッシブさがあると言っても、根幹がそれならば彼女は恋愛に関してかなり奥手で、さらに少々夢みがちな少女である可能性が高いかと。つまり、先日のあれはキヨシ殿から情熱的に告白され感動して泣いてしまったに違いないでゴザル!」
シンゴがしてきた質問は来ると分かっていた。そう言いたげにガクトは花の人格や思考について説明し、あのときの真実はこうだったと力説した。
あまりの勢いにジョーとアンドレはそうだったのかと納得して、暴力的な部分を除けば花も可愛いじゃないかとほっこりする。
けれど、ただ一人その意見に納得していない男は、片手をポケットにいれながら反対の手で髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべてガクトを見た。
「フッ……甘いなガクト。練馬一の知将も流石に恋愛は専門外だったらしいな」
「ぬっ、何か間違っているとでもいうのでゴザルか?」
「ああ、途中までは合ってた。けどな、最後の部分が違うんだ」
シンゴの言葉にガクトはムッとする。自分の推測は正しい、女子のおっぱいを見た事がないと言っていた男が恋愛を語れるはずがない。
しかし、今のシンゴからは自信に満ち溢れたオーラが出ている。彼は何を掴んだというのだろうか。
必死に自分の推測に間違いがなかったか確認するも、やはり間違いなどないとガクトが相手を見つめ返せば、二人のやり取りを見ていたジョーが口を挟んだ。
「ごほっ……シンゴ、オマエは二人の関係をどう見たんだ?」
「途中まではガクトと一緒だ。だが、最後の泣いた理由が間違ってる。オマエら忘れてないか? 花さんは不純異性交遊を取り締まってる裏生徒会だぜ?」
にやり、と口元を歪めたシンゴは落ちていた枝を拾って、地面に絵を描きながら説明した。
「つまり、泣いた本当の理由はこうだ。キヨシの告白は嬉しい。けど、自分は裏生徒会の人間で恋愛は許されない身。付き合いたい、でも、出来ない。そんな本心と責任感の板挟みにあって、花さんは耐えきれず泣いてしまったのさ」
中央に花と書き、左右にキヨシと裏生徒会と書きこむ。
裏切りと分かりながらも愛を取ってキヨシの方へ向かうか、信頼を裏切らないために愛を捨てて裏生徒会でいるか。
どちらかを選べばもう片方を犠牲にしなければならない苦渋の選択。
愛情も友情も大切にしたい花の女子高生にすれば、愛する両親が離婚してどちらについて行くかという問題に匹敵するほどの難しい決断だ。
あのときの花はそんな状況に追い込まれていたのだとシンゴが語れば、ガクトの話を聞いたとき以上に目を輝かせたアンドレが彼を褒め称える。
「す、すごいよシンゴ君! まるで恋愛マスターだ!」
「よせよ。ま、オマエらよりちょっと大人なだけさ」
「ぐぬぅ、確かにシンゴ殿の方が合っているように感じるでゴザル。しかし、板挟みにあったのなら、花殿は何故キヨシ殿と?」
「そんなの分かるだろ。心に従ったんだよ。ま、隠れて付き合うことにしたってとこだろうな。正直、花さんは苦手だし。キヨシが彼女持ちになったのは普通に妬ましい。けど、キヨシは正々堂々挑んで結果を勝ち取った。なら、友達としては応援するしかねえよな」
先ほどまで女子に囲まれているキヨシに憤っていたというのに、シンゴは照れたように苦笑して友人の幸せを祝福した。
どこか優しい目をしてキヨシを見るシンゴに、仲間たちも肩を叩いて僅かな時間で成長したなと彼に尊敬の念を抱いた。
「げほっ……シンゴ、オマエ男らしいな」
「うむ、実に美しい男の友情。小生も微力ながら二人の関係がばれぬよう協力するでゴザル」
仲間には幸せになって欲しい。それはここにいる全員の願いだ。
その想いを相手に伝えるべく、食べ終わったらしく席を立って帰ろうとするキヨシに向かって、男子たちは手でハート形を作って大声で呼びかけた。
『キヨシー!』
呼ばれたキヨシは少し驚いた顔をして振り返り、男子らが笑顔でハート形を作っているのを見ると小さく笑って頷く。
どうやらちゃんと伝わったようだと安心して手の形を崩せば、花に呼ばれて校舎に入る前に、キヨシが先ほど自分が食べていたアイスの棒を投げてきた。
投げられた棒はギリギリでバリケードの中に届かなかったが、風に乗ったにしろ軽いアイスの棒を十メートル以上も飛ばすとは恐ろしい肩である。
とはいえ、笑いながら投げて、バリケードから手を伸ばせば届く距離に落ちたことを確認したら校舎に入って行ったので、きっとあれは照れ隠しだったのだろうとシンゴたちは笑いながらゴミを回収しに向かう。
「アイツ、照れ隠しにゴミなんて投げてきやがって」
「ヘッ、窮屈な思いさせてると思ってたが、なんだかんだアイツも学園生活をエンジョイしてるみたいで良かったな……ごほっ」
「キヨシ殿のおかげて小生らも首の皮一枚繋がったでゴザル。刑期を終えればキヨシ殿のようになれる可能性はあるでゴザルよ」
キヨシが道を切り開いたおかげで男子らは希望が持てた。
ここを出れば自分たちも、そう思うだけで残りの刑期も頑張って過ごせるだろう。
「み、みんな、これ見て!」
だが、そうして話してると、先にバリケードに到着してゴミを拾ったアンドレが慌てた様子で他の者を呼ぶ。
「なんだよ、アンドレ。キヨシの投げたゴミがどうしたんだ?」
「何かメッセージでも書いてたか?」
「ははっ、感謝の言葉だったらありがたく受け取るでゴザル」
ゴミ一つでそんなに驚く事などないだろう。何をそんなに慌てているのだとアンドレの元に向かえば、彼の持っているアイスの棒を見たガクトたちは驚愕した。
『こ、これはっ!?』
何かのメッセージが書いてあるのか。そう思って見たアイスの棒には『1本当り』と書かれていた。
四人に対して一本分の当たり棒では数が足りない。けれど、本来は接触禁止である自分たちに、ゴミに偽装することで手助けの約束に対する礼を贈ったのではないか。
『キヨシさん、マジかっけぇ……』
当たり棒を当てたのは偶然かもしれない。それでも、彼は当たり棒を一切惜しむことなく四人にプレゼントした。
男としての格が違う。そのことをはっきりと理解した四人は、これは自分たちの大切な宝物にして、監獄を出ればキヨシの分は自分たちで出し合い五人でガリガリ君を食べようと心に決めたのだった。
◇◇◇
「アイツらなんだったの?」
校舎に戻って廊下を歩きながら花がキヨシに尋ねる。
キヨシは途中にあるゴミ箱に残りのゴミを捨ててから、花に追い付いて彼女の質問に答えた。
「ああ、なんかハート型のピノが出たのかって聞いて来たんで、そうだよって返しただけです」
「ふーん。てか、囚人と接触するの普通は禁止だから」
「花さんが外で食べようって言ったから中庭に行ったんですよ? というか、ケーキくれなかったのに、何故かアイスまで奢らされるし」
食堂を出た後、キヨシは花に言われた通り購買にアイスでも買うかと向かったのだが、何故だか花も一緒についてきてピノを奢らされた。
色々と見た負い目もあって、大した額ではなかったことで奢ったのだが、中庭で箱を開けるとなんとハート型のピノが入っていた。
二人はそのことにはしゃいで写真を撮ったり、二階の廊下を歩いている姿が見えた千代と友人のマユミを呼んだり、禁止なのに何女子と喋ってんだと殴られたりしたのだが、校舎に戻る直前に男子らが手でハート形を作ってボディランゲージで訊いてきたことには驚いた。
十メートル以上離れた場所から小さなピノの箱が見え、さらに当たった珍しい形が何であるかまで分かっているとは大した視力だ。
そんなにアイスが食べたかったのかと思ったキヨシは、偶然当たったアイスの当たり棒を四人にプレゼントして、昼休みがそろそろ終わるという事で校舎に戻ってきたのだが、アイスを奢らされたことを不満げにしているキヨシのボディに花は拳を打ち込んだ。
「キヨシのくせに口応えすんな」
「ちょ、危ないですよ」
しかし、腕が伸びきる前にキヨシが花の上腕を手で止めたことでその攻撃は不発に終わる。
これはジークンドーのジートという技術で、攻撃の発動時や発動途中で止めることにより、相手の攻撃を無効化するという基本の技である。
素人にしか思えないキヨシに攻撃を止められた花はムカついているようだが、ここでごちゃごちゃやっていれば授業に遅れるため、その事を指摘してキヨシは追撃を回避する。
「てか、早く行かないと授業遅れますよ。上級生はフロア違うんですから」
「ったく、アンタ上級生の敬い方も知らないのね。また放課後に呼び出したりするから、そんときはちゃんと来なさいよ」
「了解です。それじゃあ、午後も頑張ってください」
「ん、じゃあね」
階段のところで別れると花はそのまま上のフロアへ去って行った。
おしっこするところを見せろと言われたときには驚いたが、とりあえず普通に会話できる状態に戻って一安心のキヨシは、花がいた事で我慢していたトイレに行くべく、一人小走りで廊下を行くのだった。
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第7話 油断大敵
昼休みにキヨシと花が隠れて交際していると男子が勘違いした日の夜、ガクトは自分に与えられた牢の中でベッドに寝転がりある事について考え込んでいた。
刑期は残り三週間ほど、それ自体は特に文句はない。一ヶ月の監獄生活で退学せずに済むなら安い物だ。
花さん大泣き事件の翌日から始まった荒れ地の開墾作業の途中、会長が模範囚には土日の三時間の自由時間と外出が認められると言っていたので、男子たちもそれを糧に必死に作業を頑張っていた。
にもかかわらず、進行状況を見に戻ってきた会長は、この様子では土日に休ませる訳には行かないと言ってきたのである。
確かに自由時間が認められるのは模範囚だけという話だった。作業が遅れていては模範囚と言えないという相手の主張も理解出来る。
けれど、ガクトにはどうしても土日まで作業させられる訳にはいかない理由があった。
(今週はまだいいでゴザル。ただ、二週間後の土曜日。その日まで外出が認められないとなれば小生は……)
二週間後の土曜日、即ち五月七日はガクトにとって絶対に外せない用事があった。
今週と来週の土日が潰れるのはまだ我慢出来るが、明確に期限の決まっていない荒れ地の開墾作業で進行状況が遅れていると言われても、そんなのは言いがかりではないのかと抗議したかった。
だが、ガクトたちは囚人だ。扱いの不遇も多少の理不尽も我慢しなければならない。
会長が遅れているといえば、期限が決まっていなくても作業は遅れている事になるのだ。
(もう、それしかないのでゴザろうか)
今週が駄目なら、来週も再来週も同じように遅れを理由に自由時間は認められないはず。
そうなってくれば、ガクトは最終手段に頼らざるを得ないかと苦悶の表情を浮かべ、仲間を裏切ることになる罪悪感に胸を締めつけられた。
(キヨシ殿に連絡を取れば大丈夫やも知れぬが、彼は花殿と付き合ってゴザった。花殿は現在看守としての業務を休んでおられるが、今日の様子からすれば復帰は目前。キヨシ殿が小生らに近付いてくれば、彼女である花殿にその一挙一動は見られているはずなので、そう迂闊に動く事は出来ないでゴザル)
以前の状態であればどうにかこっそりとキヨシと連絡を取って、自分の代わりにある場所で行われる祭典に行ってもらう事が出来た。
本当なら自分が行って同好の士と語り合ったりもしたかったが、二兎を追うものはとよくいうので、ガクトは初心に帰って最大の目的を果たすのみと余分な考えを切り捨てたのだ。
しかし、ガクトがそうやって悩んでいるうちにキヨシ側の事情が変わってしまった。
同性視点だがガクトから見てキヨシのルックスは中々整っている。特別格好良い訳ではなく、評価にすれば中の上といったレベルだが、逆にイケメン過ぎないので付き合い易いとも考えられる。
性格は非常に仲間思いで、いざというときの度胸は誰よりも抜きん出ている。突っ込み気質というか少々冷めた部分はあるが、空気が読めない訳ではなく、全員で遊ぶときにはしっかりとノリのいいところを見せていた。
そうして、ルックスと内面について総合的に考えれば、キヨシはクラスで三番目に格好良い男子ポジションに当てはまる男だった。
一番と二番は誰にでもイケメンだと思われているが、三番目の男子というのは『私だけが気付いている格好良い男子』といった地位を確立しており、イケメンなのは一番と二番だが、付き合うなら三番と評価されるとても美味しいポジションなのだ。
(キヨシ殿は信頼出来る素晴らしい人物でゴザル。花殿が惹かれるのも無理はないでゴザルが、五月七日、四年に一度の三国志フィギュア祭りが終わるまで待って欲しかったでゴザル)
ガクトの外せない用事、それは秋葉原で四年に一度行われる三国志フィギュア祭りへの参加だった。
お目当ては祭り限定で発売される『関羽雲長&赤兎馬』のフィギュアで、情報を知ってからというもの、ガクトは指折り数えて祭りの日を楽しみにしていた。
けれど、自身は外出を認められず、唯一頼れそうだったキヨシは看守である裏生徒会の人間と付き合うようになってしまった。これではもう諦めるしかない。そう、脱獄でもしない限りは。
(小生は、小生は……)
自分の欲のため、仲間だけではなく、恩人の信頼まで裏切るのか。
諸葛岳人はキヨシと裏生徒会の間で揺れて涙した花の気持ちを少しだけ理解するのだった。
◇◇◇
週明け月曜日の昼休み、土日は出掛ける用事があると言って花から逃げていたキヨシは、今日も花が待ち構えているのではと、食堂の入口に身体を半分隠しながら中を覗く。
キヨシのおかしな行動に女子たちはヒソヒソと話しているが、そんな周囲の目より花との遭遇の方が恐かったキヨシは、自分が普段座っている席に誰もいないことで安堵の息を吐いて胸を撫で下ろした。
「フゥ……セーフ」
「何がセーフなのよ?」
「ほわぁっ!?」
卑怯、後ろをバック。背後からの花襲来。まさかのバックアタックにキヨシは思わず飛び退いてしまう。
先にいなかったからといって、後から来ない訳ではないという可能性を頭から排除していたが故の失態だ。
会長や副会長は食堂で見た事がないというのに、どうして同じ裏生徒会である花だけ単独行動なのか気になったキヨシは、咳払いをして冷静さを取り戻しながら尋ねる。
「あの、花さんって友達とかいないんですか?」
「なに、殺されたいの? アンタ、私が千代ちゃんと話してたの見てたわよね?」
「ああ、いや、そういう訳じゃなくて、なんていうか、俺と昼食べないでお友達とか裏生徒会の人と食べればいいのになぁ……なんて、ちょっとお節介にも思ったものですから」
殺されたいのかと訊いてきた花は、獲物を狙う肉食獣の様な目付きでキヨシを睨む。
パッと見はゆるふわな雰囲気の可愛い女子だというのに、一瞬にして変わるのだから女子は不思議だ。
そんな事を考えながら自ら建てた死亡フラグを回避するべく、キヨシはいつもの定位置のテーブルに移動しながら、とりあえずそれっぽい理由を述べてみた。
それを聞いた少女はまたしてもキヨシの正面に座り、小馬鹿にした表情で相手の言葉を鼻で笑って返してくる。
「別にアンタに言われなくても食べるわよ。ってか、会長たちとは普通にお茶したりもしてるし」
「じゃあ、なんで今日はこっちへ?」
「呼んでも来ない馬鹿がいるからさぁ。放課後に逃げないように直接伝えに来たのよ」
テーブルに肘をついて不敵に口元を吊り上げる彼女は、獲物を狙う肉食獣ではなく、既に獲物を捕らえたハンターであった。
この土日は用事があると言って呼び出しを断り、寮に来るかもしれないからと街に行って会わないようにしていた。
土曜日に断ったときには、日曜日は来なさいよと回り込まれそうになったが、そっちも両親に頼まれた物を買いに遠出しなくてはならないのでと無事に逃げおおせた。
しかし、ここまで接近を許し、少なくとも食事を終えるまで逃げられない同じテーブルについた時点で、数日に亘る両者の追いかけっこの勝敗は決していたのだ。
今日は逃がさない。逃げたら殺す。口で言わずとも瞳と全身から立ち上るオーラがそう語っている。
そんな彼女を前にしたキヨシは、テーブルの下で笑っている自分の膝を色が変わるほど強く掴み、痛みでどうにか冷静さを取り戻すと劣勢を少しでもイーブンに近付けるため反撃に打って出る。
「あー、そのですね。僕も花さんの相手ばっかりしてるほど暇ではないっていうか。植物や肥料を買いに行ったり、学校の近場に何があるか見て回ってたり、一人だけどだからこそ有意義な時間の使い方を模索してるって言いますかね」
「アタシの相手ばっかりって、じゃあ、こっちが呼んで放課後に何回来たか言ってみなさいよ」
「……一回ですかね?」
「それはテメェが勝手に木から落っこちて来ただけだろうが!」
「おぶふぉあっ」
炸裂する幻の左。いつも右手で殴られていたので、逆から来る攻撃には反応が遅れてしまい。キヨシは殴られた衝撃で椅子から転げ落ちながら床に沈む。
そう、キヨシは花をしつこい人のように言っているが、実際は一度も放課後に呼ばれて行ったりしていないのだ。
連絡先を交換してから数日は花も監視ではなく事務作業の方に回っており、初めて監視に加わった日にキヨシから辱めを受けたので、復活して以降しかキヨシの事を呼んでおらず、呼ばれたキヨシは土日が休日である事を理由に出掛ける用事があると嘘をついて逃げていた。
勿論、キヨシが嘘をついて逃げていた事は花も分かっている。やましいことがないのなら、会ってすぐに視線を泳がせたりはすまい。
それ故、殴った花は氷のように冷たい目をしているが、ここ数日の呼び出し無視で溜まった鬱憤を少しは解消できたため、口元だけ楽しそうに歪めれば、床で寝ているキヨシに改めてこれまでの出頭状況を説明する。
「まぁ、つまり、アンタは放課後一回も来てないのよ。最初に会ったのはアタシが行っただけだし、この前のだってキヨシが降ってきただけで呼んでないしさー」
唯一キヨシが来たのは木の上から降ってきたあのときだけ。なんで呼んでも来ないのに、呼んでないときに来るのか。
それはきっと、本人の持って生まれた間の悪さに原因があるのだろう。
しかも、そもそも呼ばねーよといった状況で降って来て、キヨシだけが得をする展開になったことが花には許せなかった。
花はやられたらやり返す女だ。逆に恩を受ければ恩で返す義に厚い女性でもあるが、とりあえず呼んでも来ないキヨシをこのままにしていると、相手も調子に乗って逃げ続けるに違いない。
なので、今のすっきりしない状況は今日で終わりだという意味も込めて、ようやく立ち上がって椅子に座り直すキヨシにその事を告げれば、相手は非常に面倒そうな顔で返して来た。
「非常に聞き辛いんですけど、ぶっちゃけ別に用なくて呼んでますよね?」
「あ? キヨシ、テメェまだ落とし前付けてねぇだろうが」
「いや、それは覚えてますよ。ただ、別に見ても楽しくないでしょうし。見られたから見せろってのも変じゃないかなって思ったんです。その理屈でいくと俺と花さんの……まぁ、そういうアレソレが等価値ってことになりますし。シンゴたちも逆に女子が覗けばチャラってことになるじゃないですか?」
罰として監獄送りは勿論嫌だが、それならブランド物の財布を買えといった話の方がキヨシ的には健全に思える。
だというのに、ハンムラビ法典でもあるまいし、おしっこと性器を見られたからお前のも見せろという発想はないだろう。
理屈を語る際に相手が気にするであろう単語を混ぜる事で、上手く引っ掛かって諦めてくれと願いながらキヨシが相手を見れば、そこにはつまらなそうに腕組みをして見返してきている花がいた。
「アンタ、馬鹿でしょ。理屈とかじゃなくて、被害者の私がそれで許してやるって言ってんの。あれが事故だったにしろ、アンタは警察に突き出されても文句言えない立場で、それを私が内々で処理してあげるって温情で言ってるだけなのよ。つまり、アンタがいま語った事は一切関係ないし、アタシのとアンタのが等価値ってのも笑えない冗談だから」
作戦失敗。発想はぶっとんでて馬鹿だとしか思えないが、有名進学校で裏生徒会という校内カースト最上位にいるだけあって、花の頭の回転の速さはキヨシを上回っていた。
奥の手だった理論武装も木っ端微塵に破壊され、もう打つ手のないキヨシは諦めながらも、せめて放課後までは静かに過ごしたいので、用事を済ませたであろう相手が帰るように仕向ける。
「分かりましたけど、その事を伝えに来ただけならもう用は済みましたよね? 俺、これから昼なんで食べてていいですか?」
「アタシもこれから食べるんだけど。今日はデミグラオムライスセットね」
まさかの相席。実は最初から予想していたのだが、外れて欲しいと思っていただけに落胆は大きい。
花のルックスは可愛いと思っている。ただ、内面がすごく残念だった。貸し借り無しを目指す等さっぱりした性格の様で、実際は狙った獲物に対してかなり執念深くしつこいと見える。
いくら可愛くても、そんな蛇の様な女子との食事は、キヨシにとってかなり精神を擦り減らす苦行に近かった。
「えぇー……裏生徒会役員ともあろう人が、入って一月も経ってない一年をナチュラルにパシるんですか? 別に持ってくるのは構いませんけど、これ女子たちが知ったらどう思うかなぁ。花さんが残った男子をパシリに使ってるとか、あの厳格そうな会長さんの耳に届いたらマズいんじゃないかなぁ」
よって、あっちいけと再び理論武装でキヨシは相手を牽制した。
花の事は嫌いではないが、おしっこのことで絡んでこないで欲しい。いや、おしっこのことを言ってきてもいいから、償いの方法をもっと別のモノにして欲しい。
たまに喰らう暴力はキヨシが悪かったりするのでドッコイだが、おしっこのことで執着するなら他所で飯を食えという想いを籠めて言えば、当然そんな遠回しすぎる想いは相手に気付かれず、反対にまたしても言葉で負かされる事になる。
「気にしないわよ別に。ウチの学校だと後輩が進んで料理を取ってきたりしてくれるもん。アンタ、元女子校を舐め過ぎ。共学より結構体育会系な縦社会なんだから」
「はぁ……“タイが、曲がっていてよ”とか“会長が、見ていらっしゃるわよ”は無いって事ですね」
とてもがっかりだ。『お姉さま、〇〇さん』などという百合の花が咲き乱れる展開は現実の女子校には存在しないらしい。
おしっこのことも、花への苦手意識も忘れ、キヨシがただただ残酷な現実に涙を流しかけたとき、
「そこまで気取った言い方はないけど、似たようなのは普通にあるけど?」
救いの神が舞い降りた。
顎に手を当てて考える花は、左手の指を曲げて何かを数えており、直前の話から推測するにそういったお上品な関係の女子生徒を数えているか、もしくは自分が目撃したそういったシーンを数えているに違いない。
楽園はここにあった。花さん、ありがとう。そんな喜びも込めて立ち上がったキヨシは、両手で花の左手を握って詳細を教えてくれと頼み込んだ。
「本当にあるんですか!? え、“根性が曲がっていてよ”とかってオチじゃないですよね?」
「なっ、急に手握んな馬鹿! てか、それ誰を見て想像したか言ってみろよ。お礼に肋骨が何本あるか数えてやるから」
「うっす、オムライス取ってきます。先輩はごゆっくりどうぞっす」
急に手を握られた花は動揺しながら振り払うも、直前の言葉に引っ掛かる物があってドスの利いた声で尋ねた。
怒りを爆発させている者より、静かに怒っている人間の方がヤバい。その事を本能で悟ったキヨシは、腰をきっちり四十五度傾けて礼をするなり駆け足で厨房へと駆けていった。
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第8話 クリームドーナツ
放課後となるなり副会長に連れ出され、監獄にいる男子たちの本日の刑務作業が始まった。
といっても、先週からしている荒れ地の開墾作業の続きであり。これといって変化はない。
ただ一つ変化があったとすれば監視を休んでいた花が復帰した事で、彼女の攻撃にはなんの喜びも見出せない男子たちは、彼女にだけは殴られまいと黙々と作業をするようになった。
二人の女子に監視の目を光らされている男子らは、少々うんざりしながら小さな声で愚痴を溢す。
「んだよ、あの女。オレらの方なんか来てないでキヨシとよろしくやってろっての」
「ごほっ……ああ、まったくだぜ」
監視役の二人はクローバー摘みのときのように、テーブルと椅子を持って来てお茶を飲みながら作業を見ている。
しかし、花がキヨシと付き合っていると思っているシンゴたちは、いっそばらして仲間割れさせてやろうかという思いに駆られた。
キヨシへの恩はあるが、花に対しては恨みしかない。彼女の事をばらさないのはキヨシへの義によるものである。
今はばらさないが余りにも酷ければ……といった具合に考えながら作業をしていると、花とお茶をしていた副会長が席を立って歩いてきた。
ひそひそと話していたことに気付かれたか。男子らに緊張が走ったとき、少しの距離を空けて立ち止まった副会長が全員に向けて告げた。
「会長に呼ばれたので私は少し外れる。だが、監視には花が残るのでさぼらず作業を続けていろ。わかったな」
『はい!』
それだけ言うと副会長は校舎に向かって去っていった。
後に残った花は一人でお茶を飲みながら男子たちを見ているため、彼女の暴力が恐い男子らは真面目に作業を続ける。
だが、副会長が去って十分ほど経った頃だろうか。腕を組んで座っていた花が人差し指をタンタンと小刻みに動かし。徐々に鋭い目付きになっていることにアンドレが気付く。
「なんか花さんすごくイラついてるね」
「ふむ、トイレでも我慢してるのでゴザろうか。別に行かれてもさぼったりはしないでゴザルが、小生らがそんな事を言えば殴られるので、ここは知らぬふりが最善でゴザルな」
触らぬ神に祟りなし。何もしてなくても因縁を付けられることもあるというのに、親切にして暴力を振るわれては堪ったものではない。
そうして、男子らがたまに横目で見つつ花の事を放置していれば、我慢の限界が来たのか彼女は立ち上がり、
「ああ、クソ! あのバカいつまで待たせんだよ?!」
イラついた様子で吐き捨てると、制服のポケットから携帯を取り出して耳に当てた。
出ない、出ない、中々出ない。普通ならば留守番電話に切り替わるのではないかと思うところだが、呼び出し音が鳴り続けて留守電の録音状態にすら切り替わらず。少女はさらにストレスを溜めている。
もう約一分呼び出し続けている事になるぞと、乙女がしてはいけないような般若の形相で花が待っていれば、ようやく繋がったのか花が大きく息を吸い込むなり一気にまくし立てた。
「おい、クソキヨシ! テメェ、いまどこにいんだよ? はぁ? なんで約束すっぽかして駅前にいんだバカ! 放課後に来いってお昼食べたときに言っただろうが! 走ってさっさと来い!」
言い切ると花はムスッとした表情で乱暴に椅子に座り直す。
離れた場所にいる男子たちには電話の相手が何を言っていたのか聞こえていない。
けれど、電話していた本人が“クソキヨシ”と怒鳴っていたため、その相手は間違いなくキヨシで、彼が花との放課後の約束を忘れていた事だけは分かった。
いつ八つ当たりで殴られるのかとビクビクしていた男子らは、彼女が不機嫌な理由はお前かと呆れたように溢す。
「うっわ、キヨシのやつ花さんとの約束すっぽかしてたのかよ」
「彼氏にほっとかれて不機嫌になるとか、花さんも普通に女の子だな……ゲホッ」
「花殿の機嫌が悪くなると小生らに被害が来るでゴザル。まったく、おなごとの約束を忘れるとはキヨシ殿もうっかりでゴザルな」
度胸があって色々と優秀な部分も見られるが、キヨシは大事なところでポカをしそうな少々抜けているところがあった。
今回もその類いだったようだが、やっと相手と連絡がついたことで、花の怒りレベルは最高位の五から三ほどまで下がったように思える。
それでも十分脅威ではあるものの、彼女が怒っていた理由を考えるとリア充爆発しろとしか思えないので、シンゴたちは引き続き大きな石を掘り起こしたり、木を鋸で切り倒したりしながら花の機嫌が回復するのを待つ。
すると、先ほどの電話から五分ほど経った頃、花の携帯に着信があった。ディスプレイに表示された名前を見た彼女は面倒そうな顔をするも、結局出る事にしたのかぶっきらぼうに答えていた。
「なんだよ? え、ああ、そっちじゃねぇよ。裏だよ裏。うん、そう。学園菜園作るのに荒れ地の開墾してて、今日は椅子あるからそのままこっち来なさいよ。うん、じゃね」
電話を切って携帯をポケットにしまう花。彼女の表情は普段の通りのものに戻っており、これなら八つ当たりはないだろうと男子たちも一先ず安心する。
「花さんの機嫌直ったね」
「ああ。けどま、五分くらいで駅前から学校に戻るのってすげぇからな。彼氏がそんな本気見せたから嬉しいんだろ、たぶん」
聞こえていた話が本当ならキヨシは既に学校に到着しており、駅前から必死に走ってきた事が分かる。
花の怒りが恐ろしくて本気で走った可能性も否めないが、とりあえずしっかりやれよとシンゴは小さく口元を緩ませ友の登場を楽しみにしていた。
◇◇◇
キヨシの方から電話がかかってきた三分後、校舎沿いの角を曲がって制服姿のキヨシが現れた。
「遅くなりました!」
「約束したのに忘れてんじゃないわよ、ったく」
「すみません、手ブラだとあれかなってドーナツ買いに行ってて」
言いながら頭を下げて空いていた席についたキヨシは、自分用の紙パックのオレンジジュースと一緒にドーナツの箱をテーブルに置く。
それを見た途端に花は瞳を輝かせた。副会長と一緒に飲んでいたお茶はあるが、お茶菓子までは用意していなかったため、甘い物が丁度欲しいと思っていたのだ。
買いに行く前に一言連絡しろだとか、電話に出るのに何分かかってるんだとか、色々と言いたい事はあったが手土産を持ってきた事は評価するとばかりに、花はキヨシが開けたドーナツの箱を覗きこむ。
「へー、どんなの買ってきたの?」
「色々ですよ。なんか十個買うと安くなってたんで、バラバラに十種類選んできました」
箱の蓋を開いて見えるようにしてから花に渡し、小さな紙袋に別入れにして貰っておいたおしぼりとドーナツを掴む用の紙を出しながらキヨシは答える。
それを聞いた花はおしぼりで手を拭いてから選んでいるので、順番を待っている間、暇なキヨシは彼女の好みについて訊いてみた。
「花さんはどんな系統のが好きですか?」
「色々と食べるけどクリーム系かなぁ。あ、アタシこの黒糖のもーらい」
「そうですか。俺はチョコ系が好きなんで被らなくて良かったです」
花が最初に選んだのはポン・デ・黒糖、キヨシはあまり食べない種類のものだったので、彼女が好きなら選んでおいてよかったと思いながら、自分も食べようと紙を取ってドーナツを一つ掴む。
そして、箱から腕を抜いて口に運ぼうとする途中、両手でドーナツを持って頬張っていた花が何かに気付いたのか、キヨシの方を向きながら言葉を放ってきた。
「ちょっとキヨシ。アンタ、待ちなさいよ」
「え? な、なんかありました?」
「それおかしいでしょ。なんでアタシがクリーム系好きだって聞いた後に、平然とエンゼルフレンチ取ってんのよ」
花が言ったドーナツとは、フレンチ生地の間にクリームが挟まれ外側にチョコをかけた種類のドーナツのことである。
彼女もそれが好きで後で食べようと思っていただけに、どうしてキヨシがいきなり選んでいるのか分からず、人の話を聞いていたのかと軽く睨む。
対して、自分も好きだから一つ目に選んだキヨシとしては、どうしてこれを食べてはダメなのか理解出来ず、不機嫌になりかけている花にしっかりと説明を返した。
「いや、これチョコ系じゃないですか。クリーム系ってこっちのエンゼルクリームとかのことでしょ?」
「はぁ? エンゼルフレンチは誰がどう考えてもクリーム系に決まってるじゃない。アンタ、頭おかしいんじゃないの?」
「花さんこそ大丈夫ですか? ほら、これ、ちゃんと見えます? たっぷりとチョコかかってるでしょ?」
相手の言ったドーナツも勿論クリーム系だが、中にたっぷりのクリームが入ったこちらもクリーム系である。説明するまでもなく分かるだろうと、一つ目のドーナツを食べ終えハーブティーに口を付けて花がいえば。
キヨシは目の悪い人に説明するように顔の近くまで寄せて、「ちゃんと目は付いてるか?」とばかりに生地にかけられたチョコを指して反論する。
確かにクリームは入っているが、チョコがかかっているのでこれはチョコ系だと、少し呆れて小馬鹿にするように言われたのがムカついたのか、花はクワッと瞳を開くと声を張り上げた。
「男子集合ッ!!」
急に大声で暴君花に呼ばれた事で、少し離れた場所で作業していた男子らは肩を跳ねさせて驚いている。
しかし、呼ばれたからにはすぐに集合するしかない。作業に使っていた道具をその場に置き。駆け足で集まると一同を代表してシンゴが用件を尋ねた。
「な、なんすか? オレら作業遅れてるって言われてるんで作業してたいんですけど」
「質問に答えたら戻っていいわよ。アンタたち、これクリーム系とチョコ系どっちだと思う?」
腕を組んでムスッとしていた花は、キヨシの持っているドーナツを親指でさして他の男子に意見を求めた。
作業しながら聞き耳を立て、くだらない事で言い合いしてイチャついてじゃねーよと思っていた男子らは、呼ばれた内容がそのくだらないことについてだったため思わず力が抜けるが、答えなければ解放されないためシンゴから順に答える。
「チョコっすかね」
「いや、餡パンやクリームパンは中身で種類が決まっているでゴザル。つまり、中にクリームが入ったこれはクリーム系でゴザろう」
「まぁ、シュークリーム的な発想でクリーム系だよな……ごほっ」
「チョコはかかってるだけで、クリームは中に入ってるもんね。僕もクリーム系だと思うな」
シンゴのみチョコ系と答え、後の全員がクリーム系と答えた事で、キヨシらの意見も合わせると『2:4』でクリーム系だという意見が勝った。
「ほら、見なさい。一人だけ間抜けがいたけど世間じゃこれはクリーム系で通ってるのよ。分かったら、それ返しなさいよ」
日本は民主主義の国だ。多数決で得られた結果こそ答えであるとばかりに、花はとても嬉しそうなドヤ顔をキヨシに向けて手に持ったそれを渡すよう要求する。
だが、そんな彼女のドヤ顔を少し可愛いと思ったキヨシは、溜め息を吐きながら首を横に振るなり、今日一番の決め顔で仲間たちを見た。
「ふぅ……やれやれ、オマエら花さんに脅されて言ったんだよな? 正直にチョコ系だって言えば、もしかしたら、偶然空から降ってきた“D-ポップ”が口に入るかもしれないぞ?」
『チョコ系だぜ!』
男子の心は一つ。これは紛れもなくチョコ系ですとキラキラと瞳を輝かせ最高の笑みを浮かべて、彼らは花にはっきりと自分たちの意見を伝える。
一般の生徒が囚人と会ったり差し入れをすることは禁じられているが、彼らがいるのは拓けた屋外だ。天気もいいので上を向いて口でも開けていれば、空から降ってきた一口サイズのドーナツが“偶然”入ってしまうこともあるだろう。
まぁ、それは今回の話と関係ないが、結論は出ましたねとキヨシが勝ち誇った笑みを浮かべれば、勢いよく立ちあがった花がテーブルを強く叩いて激昂してきた。
「ぶっとばすぞ、クソキヨシ! テメェ、囚人買収してんじゃねーぞ! つか、お前らもよく見ろ。コイツ、そんなの買ってきてないだろうが」
言うなりドーナツの入った箱を掴むと、花は男子ら全員に中身が見えるように蓋を開く。
それを見た男子たちは花の言う事が真実だと理解し、最高の笑顔から一転して絶望で表情が消えた。
そして、その場に崩れ落ちそうになりかけるもギリギリのところで踏み止まり、親の仇を見るような目でキヨシを睨み罵倒した。
「ふざけんなよ、キヨシ!」
「外道にも程があるでゴザル!」
「見損なったよキヨシ君!」
「ファック・ユー!」
裏切り者には死を。ノゾキ当日にその場にいなかったキヨシは知らないだろうが、それが男子らの合言葉だった。
上げて落とすなど真っ当な人間のやる事ではない。全員が目を血走らせて睨み続ければ、それを真っ直ぐ受け止めたキヨシは、おしぼりとドーナツを掴む紙を入れていた紙袋に手を伸ばし呟く。
「おっと、一つだけ別に入れて貰っていたのを忘れていたな」
そこから現れたのは少年たちの待ち望んでいた物。コロッと可愛い一口サイズのドーナツが、紙箱に並んで入っている。
キヨシは嘘をついていなかった。他のドーナツと別にされていたのは、単純に入らなかったためだ。
さらに、花に適当に十個買ってきたと説明して話していなかったのは、これは男子たちへの差し入れで花に食べさせるつもりがなかったからである。
瞬時にそれを悟った男子らは、全員が意味もなく髪をかき上げて決め顔を作ると花に向き直った。
「花さん、キヨシをあんまり舐めないでください」
「フッ、我らの絆は決して壊れないでゴザル」
「心は一つです」
「げほっ……ファッキュー・ビッチ」
我らクローバー四人衆と救世主キヨシの絆は不滅、そう言いたげに佇む男子らはいい顔をしていた。
だが、彼らは忘れていた。例え救世主なら勝てても配下の四人衆では暴君には勝てないことを。
「おいコラ、舐めてんのはテメェらの方だろうが! 誰がビッチだドサンピンがぁぁっ!!」
『ギャァァァァァァァッ!!』
勢いを付けて飛び出した花のとび蹴りがアンドレを吹き飛ばし、着地してすぐにシンゴは顔面を殴られ、振り返りざまの回し蹴りでガクトとメガネが飛ぶ。
残ったジョーは逃げ出そうとするも、一人だけ彼女を罵倒した男を相手が許すはずもなく。上段蹴りで身体が浮いたところを正拳突きでくの字に曲げられ、その場に崩れ落ちるように地面に膝をつけば中段蹴りでぶっ飛ばし、止めに跳び上がっての踵落としを決めた事でジョーはピクリとも動かなくなった。
先にやられていた男子たちは身体を寄せ合い恐怖に震え。花がテーブルに戻ってくるとボロ雑巾になったジョーに駆け寄り、「立て、立つんだジョー!」と声をかけている。
色々と花の恐怖を知っているキヨシも、これほどまで痛めつけられたことはないので、見ていて正直ドン引きするも、男子たちへは約束通りにドーナツを渡すことにした。
「六個じゃ割れないから、全部半分にしておいた。好きな組み合わせで食えよ」
『ありがてぇ、ありがてぇ』
四人いるので六個では数が足りない。しかし、半分にすれば十二個になるので、組み合わせを選んで均等に分けられる。
キヨシからの差し入れを受け取りに来た男子らは、直前に折檻されていたのにジョーまで復活していたため、ドーナツの効果はすごいなと思いながらジュースに手を伸ばす。
すると、席に戻っておしぼりで手を拭き直していた花が、キヨシの行動に顔をしかめて話しかけてきた。
「囚人に差し入れしてんじゃないわよ」
「糖分補給した方が作業効率は上がりますよ。それで、花さんがこれ食べるなら、こっちのダブルチョコは貰いますね。流石にこれはチョコ系ですし」
「てか、チョコ好きならそっちから食べなさいよ。なんで際どいラインから攻めるんだか」
受け取った花は機嫌を直しながらも、相手のチョイスが理解出来ないと呆れた視線を向ける。
だが、キヨシにもちゃんと選んだ理由があったので、新しいドーナツを口に運びながら、どうして自分があんな選び方をしていたのかを彼女に話す。
「ラストにどストレートなチョコ系を食べたかったんですよ。フックやジャブからのストレート的な感じっていうか。クリーム系から攻めてない花さんも同じ考えでしょう?」
「……まぁ、ね。最初に濃いの食べると味が分からなくなるしさー。やっぱ、どうせなら全部を美味しく食べたいし」
味の強い物を最初に食べてしまうと、舌にそれが残って繊細な味が分からなくなる。
それを避けるためにキヨシはどストレートなチョコ系を後に残し、それよりも味は弱いが好みであるドーナツを選ぼうとしていた。
花自身もそういった食べ方をしていたことで、そういう事なら納得だと少し罰が悪そうにしながら美味しいドーナツを頬張る。
キヨシは心の中でその姿を可愛いと思いながら、相手の理解が得られた事に喜び、次は今回の様なブッキングが起こっても問題ないようにしますと告げた。
「ま、次に買ってくるときは花さんの好みを考えて買ってきます。別に一緒に買いに行ってもいいですけど」
「なんで、アタシがアンタと一緒に買いに行かなきゃいけないのよ。メニューの写メ撮って聞けばいいだけでしょ。それと買いに行く前に連絡入れなさいよね。小学生じゃないんだから先に連絡するくらいしろっての」
今回はドーナツを持ってきたから許した。しかし、次はおやつを持参するにしても、ちゃんと連絡してから行くように注意する事を忘れない。
これは彼女が体育会系だからというだけでなく、まだまだ中学生気分の抜け切っていない一年生への指導は、同じ学園で学ぶ先輩として当然の義務だと捉えている彼女のなりの優しさだ。
身長的に己よりも小さく、さらに変なところで頑固であるため、あまり上級生として意識していなかったキヨシにもこのときの花はとても先輩らしく見え。普段からこういった態度なら格好良いのにと心の中で密かに思うのだった。
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第9話 ゴールデンブリッジ
「花さんってどんな男子がタイプですか?」
「急になんの話だっての」
ドーナツを食べながら刑務作業をしている男子を眺めていたキヨシは、唐突に好きな男性のタイプを花に尋ねた。
直前までたまに会話する程度でそれぞれ携帯をいじったりもしていたというのに、何で話題を振ってきたかと思えば恋バナ系なのか。
そんな事を気安く話すほど親しくはないし、そもそも、何が悲しくて刑務作業の監視中に後輩の男子とそういった会話しなければならないのか分からず。花は一度面倒そうな顔をすると、ティーカップに手を伸ばしながら言葉を返した。
「まぁ、会ったばっかりの女子に気安くそういうこと訊かない男子かなー」
「へえ、じゃあシンゴはアウトっすね」
「テメェのことだよボケ」
話が聞こえていたのか、遠くにいたシンゴが驚いた顔で振り返ったので、花は近くに落ちていた木の枝を投げて真面目に作業しろと注意しつつ、キヨシのこともしっかりと睨みつける。
この男は、たまに本気で上級生を敬う気がないのではないかという、非常に舐めた態度を取ってくるので、規則や序列を重視する花としてはブラックリストの最上位に置いていた。
いまも軽口を叩きながら自分はドーナツを食べており、友人をだしにしておきながら一切悪びれていない。
もしかすると、これが男子高校生のノリなのかもしれないが、生憎と花は男子高校生の生態には詳しくない。なので、会話の中から相手の性質や性格を理解しようと、敢えてキヨシの話題に乗ってやることにした。
「そういうアンタはどういう女子がタイプなの?」
「あ、この話題に乗って来るんですね」
「聞いてきたから聞き返しただけだっつの。別に本気でアンタのタイプに興味ある訳じゃないわよ」
花が聞き返したことで嬉しそうに笑うキヨシに、花は呆れた表情で単純なやつだという評価を下す。
頭は悪くないようだが根が単純で、会話を重ねるにつれて“色々と考えているように見えるだけ”といった人物だと分かってくる。
これで今の状態が監視されている状況を逆手に取った演技ならば大した役者だが、仲間の男子と比較すればそれはあり得ない。
途中から、性質や性格の理解を進める以上に、好きな人の情報など何か弱みを握れないかなと花が思っていれば、キヨシは顎に手を当てて自分の女子のタイプを語り出した。
「んー、そうですね。笑顔が可愛い子がやっぱり好きです。格闘技っていうか武道に興味あるのもギャップ的な意味でポイント高いですね。髪型とかは似合ってれば別に何でもいいですけど、肩ぐらいの長さでたまにうなじが見えるのとかもいいかなって最近気付きました」
キヨシが口にした女子のタイプ。それは奇しくも彼の知り合いである二人の少女に合致した特徴であった。
故に、それを聞いた花が勘違いをしてしまうのも無理はない。
(こ、こいつ、話題の振りが唐突だと思ったら、もしかして遠回しに告ってるのか? 笑顔の可愛さは低めに見ても悪くない、武道は空手をバッチリやってる、髪型とかモロヒットしてるし。や、やばい、こいつ本気だっ!!)
話を聞いてこれだけの思考を巡らすのに僅か一秒。ほぼ一瞬でバッチリ間違った解釈を終えた花は、髪に隠れた耳を真っ赤にしながら、声を上ずらせて会話を続ける。
「や、やけに具体的だけど、アンタもしかしてこの学園に好きな人いんの?」
「えっ!? い、いや、まぁ……はい」
照れたように答えるキヨシの言葉を聞いた花はそこで確信する。先ず間違いなくこの男の好きな相手は自分だと。
弱みを握れないかとは期待したが、正直この展開は予想外だった。
相手の事はなんとも思っていないし、会長の言う通り他の男子と同じように害でしかない存在だと思っている。
けれど、全寮制の女子校で過ごして来た花にとって、年の近い異性からアプローチを受けるのは初めての体験であった。
勿論、彼女は告白されたことにより意識し始めて、自分も知らず知らず惚れてしまうような単純で軽い女ではない。
規則を破る行為や仲間を裏切るような色ボケでもないけれど、しかし、好意を向けられること自体は満更でもなかった。
遠回しに告白されたと思って動揺していた彼女は、表面上は平静を装い震える手でティーカップを口に運びながら、学園に好きな人がいると白状したキヨシに言葉を返す。
「ふ、ふーん。けど、ウチの学園は不純異性交遊は禁止だからその恋は叶わないわよ。残念でした」
「最初から上手くいくとは思ってませんよ。けど、同じ学校にいたら会って話したりする機会もあるでしょうし。学内じゃちょっとしか会えなくても、デートとか誘えば隠れて会えるかもしれないじゃないですか」
いくら裏生徒会が禁止しようと、彼女らの目の届かぬ範囲であれば、デートだってなんだって出来る。
一時間も電車に乗れば新宿や渋谷に行けるのだから、そこまで行けば流石に同じ学校の生徒に見られる事もほぼない。
故に、最初から叶わぬ恋であると言った花に、そこまでの約束を取りつけさえすれば、可能性がゼロなんて事は絶対にないとキヨシは熱意を籠めて語った。
そのあまりの迫力に花は怯みかけるが、そういえばと彼の言葉にあることを思い出した。
(そういえば、さっき、こいつ一緒にドーナツを買いに行こうって。そっから既にアプローチかけてきてたのか。クソッ、こいつ分かり辛い手法ばっかり取って小さくアピールしてやがった。普通気付かないっつの!!)
分かりづれぇよ、自分でなければ聞き流していた。彼の発言が全て繋がっていたと誤解した彼女は、周囲にばれぬよう気を付けての事だろうがアピールが遠回し過ぎて分かり辛いと頭を抱える。
無論、アピールされても応える気はない。今だって色々と考えている事は評価するが、アピールの内容自体は平凡であり、伝える方法はむしろマイナスだと思っている。
しかし、これだけ周囲の目がある状況でも想いを伝えようとする真剣さは理解した。本気でぶつかってくる相手には、自分もしっかりと返すのが花の流儀だ。
急に頭を抱えて黙った彼女を心配そうに見ている相手に、顔を上げた花は表情を引き締めると真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「キヨシさ、アンタって自分の長所はどこだと思ってるの? 顔はまぁそこそこってか平均くらいだとして。現時点の評価は他の男子より覗きしてない分だけマシって程度でしょ。魅力とか相手にちゃんと伝えられるの?」
相手のプロフィールは知らないが、パッと見でルックスはそこそこ悪くないと思える。少し芋っぽいが服装に気を付ければいい感じになりそうだ。
花自身、別に男を見た目で選ぶつもりはないが、内面が同じなら見た目が格好良い方がいいに決まっている。
ルックスに関しては十分合格ラインに達しているので、後は中身でアピールしてみろと告げた花に、キヨシは戸惑った様子で返した。
「な、なんか急に面接っぽいですね」
「茶化すなバカ」
「すみません。えっと、自分の長所っていうと多趣味なとこですかね。植物育てたり筋トレしたりFXで小遣い稼いだり、一人で暇なんで色々とやってるんですよ」
そういったキヨシは携帯電話を取り出し、植物の生育記録の写メや筋トレアプリに外貨レートアプリを見せてきた。
FXで小遣い稼ぎをしているとは初耳だったが、普通の趣味以外に身体を鍛えたりインテリっぽい趣味を持っているのは評価できる。
けれど、それだけではダメだ。いくら趣味を色々とやっていようと中途半端ならば意味がない。
もっと自分の興味を惹くような物はないのかと、溜め息まじりに彼女はダメ出しをした。
「弱いわね。それじゃあ何の魅力も伝わってこないし」
「別に花さんに伝えようとは思ってませんけど」
「はぁ? 私に伝わらないと意味ないじゃない」
「え、どういう理屈ですか、それ。裏生徒会の許可が出れば男女交際OKになったりするんですか?」
一瞬キヨシが何を言っているのか分からなくなりかけたが、続きを聞いてオープンな交際は出来ないと思っていたから恍けていたのかと花は納得する。
いまは花しかこの場にいないが、先ほどシンゴが振り返ってきたこともあり、男子が聞き耳を立てている可能性は否めない。
もしも、そこから副会長や会長に伝われば、不純な事を考えているとして、告白やデートへの誘いをする前に監獄送りになる事は十分に考えられた。
普段はふざけた馬鹿にしか見えないが、重要な場面ではしっかりと周囲の状況に気を割いて慎重に行動する辺り、キヨシはやはり道化を演じているのかもしれない。
侮れないこの男への評価はまだ保留にしておこうと決め、花は真剣な相手のために自分も声の大きさに注意しながら、シャイな後輩が思い出として告白くらいは出来るよう最低限のアドバイスをしてやる。
「アタシにOK貰うのが最低条件でしょ。会長たちにはその後に許可を貰いに行く必要があるけど、そっちは正直難しいでしょうね。だから、当面はアタシに許可貰えるように無駄な努力でもしてみたら」
第一関門は自分。というより、そこでOKを貰えなければ会長たちに許可を取る意味もないため、色恋沙汰で傷心することは目に見ているのに、それ以外に余計な面倒を起こす必要もないだろうと花は自分のところで全てを終わらせてやるつもりだった。
これが会長や副会長相手だったなら告白するまでもなく罵倒で断られ、分不相応な恋心を抱いたとして監獄送りになっていたかもしれない。
それに比べれば先はなくとも想いを伝えて終われるだけマシだろう。足と腕をそれぞれ組んで不敵な笑みで花が伝えれば、話を聞いていたキヨシは顎に手を当て急にぶつぶつと呟き始めた。
「現状維持でも別に……いや、でも許可が出れば…………花さんって意外と真面目で優しいし……やっぱ、だよな……」
不気味に呟くこと一分。思考を終えたらしいキヨシは顔をバッと上げると、テーブルに手をついて勢いよく立ちあがり、真剣な瞳で花を見つめながら声を張り上げた。
「花さん、許可ください!!」
「……ねーよ。直前の会話を聞いていたくせに、何を持って許可が出ると思ったのよアンタ」
「ああ、いや、勢いでくれるかなって」
急にこの場で告白してくると思って身構えた花は、そっちの言葉で来るか普通と思わず脱力する。
そして、馬鹿かお前はと呆れながら返せば、キヨシもノリだけで言った事を反省するように頭を掻きながら着席した。
だが、花としては不完全燃焼な状態である。ここで好きですと言われても即決で断るしかなかったが、どうして相手は勢いで許可されると思ったのか疑問だ。
それはつまり、花ならば告白すれば勢いで頷く可能性があると思ったという事だろうか。随分と馬鹿にしてくれたものだ。
怒りで目が据わった花は、テーブル越しに身体を乗り出すとキヨシの襟元を掴んで引き寄せるなり、顔を近付けドスの利いた低い声で言葉をぶつけた。
「アンタ、私のこと勢いで頷く安い女だと思ってんの?」
「い、いえ、けっしてそんな」
「思ってないなら言わないでしょ。考えなしに言ったってなら、それはそれで幻滅だし。今のアンタじゃ誰だって許可なんて出さないわよ」
「その、すみません……」
多分、相手は自分を軽く見て言ったのではないことは花にも分かる。けれど、誤解を与えるような発言や、そう取られてもおかしくない行動は減点だ。
こういったところが、男は馬鹿で子どもだと言われる理由なのだろうと思いながら解放すれば、キヨシは暗い表情で謝りながら椅子に座り直した。
『…………』
先ほどまでと打って変わって両者の間に気まずい空気が流れる。
別に花も意識して場の雰囲気を悪くしたかった訳ではないが、後輩の馬鹿な行動を諌めるのは先輩の役目だとして注意したのだ。
キヨシも花に非はなく自分が悪いと思っているようだが、異性の先輩と二人きりの状態でこの空気には耐えられなかったのか、顔をあげて目の前の少女に声をかけた。
「あの、俺ちょっとトイレ行ってきます」
「……ふん。勝手に行けばいいでしょ」
「はい、すみません。それじゃあ行ってきます」
それだけ言うとキヨシはいそいそとトイレに向かって去っていった。
覗き事件の日など先輩にも怯まず自分の意見を言えていた事で、少しは骨のあるやつかと思っていたのに、空気が悪くなると逃げるのではとんだ根性無しだ。
去っていく背中に冷たい視線を向けてお茶に口を付けた花は、丁度良いので自分もトイレに行こうかなと考えたところである事を思い出した。
「……あ、忘れてた」
そもそも、キヨシをここ数日追い回し、今日ここに呼んだ理由の六割はそれだった。
なのにキヨシがドーナツを買ってきたり、色々と変な事を言ってくるのですっかり忘れてしまっていた。
今から追えば間に合う。急がねばと立ち上がった花は、作業をしている男子らに向き直ると言葉を残してゆく。
「ちょっとアンタたち、少し離れるけどすぐ戻ってくるからサボるんじゃないわよ! 副会長が来たらトイレに行ったって伝えておきなさい!」
『押忍!』
素直に返事をした男子らに頷くと花はトイレに向かった。そう、全てはキヨシのおしっこを見るために。
◇◇◇
「はぁ……」
トイレに向かう途中、キヨシは肩を落としてとぼとぼと歩いていた。
千代に告白したりするにも、花を筆頭に裏生徒会メンバーの全員に許可を貰わないといけないとは気が滅入る。
OKが貰えた仮定の話として、隠れてなら交際を続けても大丈夫そうではあるが、許可が貰えればオープンに付き合えるのなら、絶対にそっちの方がいいに決まっている。
にもかかわらず、不用意な発言によって第一の門番である花に悪印象を与えたのはまずかった。これではさらに遠退いてしまうと落ち込みながら歩いていれば、後ろの方から速いテンポの足音が聞こえて声をかけられた。
「キヨシ、トイレ行くんでしょ! ちょっと待ちなさい!」
「え? ……ああっ!?」
足音の主は花だった。トイレに行く事を許可してくれたはずなのに、どうして追って来るんだと考えたところで、そういえば彼女が自分のおしっこを見たがっていたのだとキヨシは思い出す。
距離はまだ十メートル以上離れているが、運動しているだけあって花の足は速かった。
このままでは追い付かれておしっこを見せなければならなくなる。それは嫌だと思ったキヨシは、地面を深く踏み締めると一気に足に力を籠めて大地を強く蹴った。
「なっ、逃げんな!」
「ヒィっ!?」
キヨシが駆け出すと花はさらに速度を上げて追ってくる。
だが、トイレまではあともう少し。元女子校だけあって普通のトイレには個室しかない。逃げ切り鍵をかければキヨシの勝ちだ。
そして、
「ハァ、セーフ……」
どうにか追い付かれる前に個室に入り鍵を閉めたキヨシは、安堵の息を吐いて額の汗を拭う。
「……うぇっ!?」
つもりだったのだが、そのとき上から花が降ってきた。いや、正確にはフェンスを乗り越えるような感じで、身軽に個室に侵入してきたのだ。
見事に着地した彼女は汚れを払うようにスカートを整えると、キヨシが逃げた理由を勘違いしたのか冷めた視線で呆れ気味に話しかけてきた。
「心配しなくても誰もいないわよ。ま、いいわ。ほら、早速出して」
「い、嫌ですよ! なんでアンタ勝手に入って来てるんですか?! 正気ですか!」
「アンタのおしっこ見るために決まってるでしょ! いいから、ほら、さっさとチンコだせ!」
「ちょ、おしっこじゃないの!? え、そっち見るのが目的ですか!?」
確かに食堂で再会したときに、キヨシは自分が花のおしっこと性器の両方を見たと話した。
だが、それを聞いて以降も彼女はおしっこを見せろと言っていたので、てっきりメインはおしっこの方だとばかり思っていた。
それが勘違いでむしろ性器を見る方に主眼を置いていたとは思わず、ズボンに手をかけてベルトを外そうとしてくる花にキヨシは精一杯抵抗する。
「や、やめてください! 痴女ですかあなたは!」
「うっさい! 最初からどっちも見せる約束だったでしょうが! いいからチンコだせ!」
「顔真っ赤にしながらチンコチンコ言わないでください! てか、マジでおしっこでますって!」
男が相手ならぶん殴ってでも引き離すが、女子の先輩が相手だとそうもいかず、両手でズボンを押さえて抵抗するもベルトを解除されてしまう。
第一関門を突破した花は、顔を真っ赤にしながら荒い呼吸で嬉しそうに口元を吊り上げ、次はホックとチャックだとばかりに再度手を伸ばす。
「ほら、抵抗すんな! 見たらそれで終わるんだから!」
「こっちは見られたら別のもんが終わるんですよ!」
「はぁっ!? じゃあ、アンタに見られた私は終わってるっていうの?!」
「今の行動見たら女子高生としては終わってますよ!」
「なら、テメェが責任取れ! いい加減……覚悟決めろっ!!」
女子高生として終わっていると言われた彼女は頭に血が上り、お前のせいだろうがと怒りによってリミッターを解除した。
リミッターを解除して一時的に力の上がった花は、抵抗するキヨシの両腕を素早く頭上に固定する。
「ハァ、ハァ……大人しくしてなさい。そうすれば、すぐに終わるから」
チャックに手をかけた花は、それをゆっくりと下ろしてゆく。少しずつ開くチャックの隙間からはボクサーパンツが見え、これを下ろしきったら次はそれだと瞳を輝かせる。
彼女は別に性的興奮で見たいと思っている訳ではない。キヨシのチンコに対しても少ししか興味はない。
ただ、お互いに必死になっているせいで冷静さを失っている彼女は、問題をクリアーして目的のものに辿り着く事だけを考えていた。
そして、そのせいで視野が狭くなっていた事で気付けなかった。最後の瞬間のためにキヨシが休んで力を溜めていた事に。
「や、やめろぉぉぉぉぉっ!!」
「なっ!?」
大人しくなったと思った相手の突然の抵抗に花は驚く。
押さえている腕を押し返すのではなく、真横に逃がすことで拘束を逃れ腕の自由を得ると同時、拘束を解かれてバランスを崩した相手と距離を取るため、キヨシは相手の胸を押して突き飛ばした。
「うぐっ」
服の上からでも感じる柔らかい感触。膀胱の限界が訪れようとしている今、そんな事を考えている状況ではないのだが、キヨシは掌に残る感触に鼻の穴を膨らませた。
そして、突き飛ばされた花は、同時に足を滑らせてその場に倒れる際、慌てて伸ばした手の指先がキヨシのズボンに引っ掛かり、引っ張った勢いでホックとチャックを破壊しながらパンツごとズボンを引っ張り下ろして尻もちをつく。
「――――――あ」
おしっこを我慢した状態でズボンとパンツを脱げば、条件反射でどうなるかなど考えるまでもない。
その日、学校のトイレで二人を繋ぐ金色のかけ橋が生まれた。
本作では花さんがかけられましたが、18巻ではついに花さんが……続きは漫画でっ!!
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第10話 散り行く花
「キャアアアアアアアアアッ!!」
会長からの呼び出しで裏生徒会室に行っていた副会長は、用事を終えて監視作業に戻る途中叫び声を聞いた。
「この声は…………花っ!!」
仲間の声を聞き間違える訳がない。自分がいなかった間に男子らに何かされたのかと、副会長は声のした方へと必死に走った。
彼女の目指す先にあるのはトイレ。なるほど、囲われているため周りから見えづらく、一般の生徒は校舎内のトイレを利用するため人も滅多に来ない。これならば凶行に及ぶにはうってつけの場所だ。
声がしてすぐに来たため誰もトイレから出ていないのは分かる。ならば、下手人はきっとまだ花と一緒にいるのだろう。
そう考えてトイレに入った副会長は強いアンモニア臭に顔を顰め、啜り泣く声の聞こえる二番目の個室に向かい中を覗きこんだ。
すると、そこには、
「副会長……私、汚れちゃった。ウフフ、アハハハ……」
全身を黄色い液体で濡らし、乾いた笑みを漏らす花が一人で座りこんでいた。
彼女の下にも黄色い水たまりが出来ており、状況から考えると彼女がおしっこを漏らしたようだが、男と違ってホースパーツのない女性では逆立ちでもしなければ頭から被るような事は出来ない。
座って用をたしている最中にバランスを崩して転げ落ちたのなら、もしかすれば、全身に浴びるような状態になるかもしれないが彼女はジャージをしっかり穿いている。
よって、副会長はここで何があったのかまるで理解出来なかった。
「花! しっかりしろ、花ぁぁぁ!!」
そうして、副会長は花に駆け寄っている間に、一つ目の個室に隠れていた人物がトイレから逃げるのに最後まで気付かなかった。
◇◇◇
キヨシが席を立って後を追うように花もトイレに行った頃、残って作業をしていた男子たちは二人について話していた。
「二人きりになりたいからって時間差でトイレ行ったっぽいけど、花さん後を追うの早過ぎで全然隠せてねーよな」
「ハハッ、まぁ花殿も恋する乙女ということでゴザル」
「ゴホッ……きっと今頃はトイレの個室でよろしくやってんだろうな」
校舎の外にある人気のないトイレ、トイレと言えば個室、個室で若い男女が二人きり。そんな風に連想ゲームのように思考は巡り、今頃二人は桃色空間を発生させているに違いないとジョーは睨む。
キヨシは四月中に童貞を捨てられると思っていたと発言していただけに、そういった方面への興味は他の男子に負けず劣らずだろう。
対して、花は全寮制の女子校にいただけあって奥手な箱入り娘だと思われるが、そういった手合いは火が点くと一気に燃え上がるタイプでもある。
既にキヨシにご執心であることは判明しているため、キヨシではなく花の方から積極的にスキンシップを取りに行っている可能性も十分あり得た。
そして、そのもしかしてを想像し、このとき男子の思考は見事にシンクロする。
「な、なぁ、花さんってどう考えても裏生徒会で一番スタイル控えめだよな」
「厚手のブレザーを着てるからはっきりとは分からないけど、運動してて身体も絞れてるしスタイルが悪いってことはないと思うよ」
「小生のプロファイリングによれば、ああいった女性は貧乳か着痩せするタイプと決まっているでゴザル」
「見るまでのお楽しみってやつか……ファック」
妬ましい。その一言に尽きた。
花のことを色気のない女と言って興味無さそうにしていたシンゴですら、見れるのなら見たいという欲求に駆られ、彼女の身体を自由に出来るキヨシを心底羨ましいと思った。
第一印象ではかなり高評価していたアンドレと正直好みだったガクトなど、道具を持つ手が激しく震えている。
だが、ここで仲間を疑うのはよくない。キヨシはなんだかんだ仲間の事を考えて我慢してくれているはずだと、ガクトは声を震わせながらも平静を装って皆に言い聞かせた。
「ま、まぁ、きっと大丈夫でゴザルよ。キヨシ殿も流石にそこまで抜け駆けはしないはずでゴザル」
「だ、だよな。オレたちが出所するまでは気を遣ってキス止まりでいるよな」
「キスつっても舌絡ませたり色々あんだろ……ごほっ」
ディープキス、フレンチキス、ベロチューと言い方は色々あるが、非常に情熱的なそれもキスの一種である。
仮にキヨシが出所まで童貞卒業を待ってくれていたとしても、通常のキスよりも数歩先を行くベロチューなんてしていれば、男子らにとっては十二分に裏切り行為という認識であった。
自分たちの仲間が美少女とそんな事をしているとは思えない。けれど、もしもしているのなら、今後の参考のために是非とも見たい。
ごくり、と唾を飲み込み喉を鳴らしたシンゴは、花の去っていった方へと向き直り白々しく口を開いた。
「な、なんか花さん遅いなー。もしかしたら、アクシデントでもあったのかもしれないし。少し様子見に行った方がいいかもなぁ……模範囚として」
「だ、だよねー。キヨシ君も遅いし。足を滑らせて頭を打って倒れてるかもしれないから、様子を見に行くのは当然だよねー……模範囚として」
「そ、そうでゴザルなー。これは花殿のことを思っての当然の行動でゴザル……模範囚として」
「ゲホッ……そんな立て前どうでもいいだろ。行こうぜ、二人の乳繰り合ってる姿を出歯亀しによ」
言い訳なんてするな。欲望に忠実に生きろ。そういってジョーは、誰にでもなく立て前を口にする男子らを率いて花たちのいるトイレを目指そうとする。
フードに隠れて表情はほとんど見えないが、男子たちは迷いのない彼の背中に男らしさを感じた。
もっとも、彼らがここにいるのは、その欲望に忠実に生きた結果なのだが、深く考えない男子はその事に気付きもしない。
普通、反省はするが後悔はしないというところを、彼らは後悔はするが反省もしないといった思考なのかもしれない。
そして、男子らが道具を置いてトイレの方へ向かおうとしたとき、校舎沿いの曲がり角を凄まじい速度で曲がって駆けてくる者の姿が見えた。
「き、キヨシ殿っ!! その姿は何でゴザルか?!」
驚いたガクトは思わず尋ねる。やってきたのはキヨシなのだが、どういう訳か彼のズボンのホックの金具がひしゃげてかけられなくなっており、チャックの方も歪んでしまったのか全開状態で、スライダーが走る勢いで勝手に上下に動いていた。
これではズボンをまともに穿ける訳もなく、ベルトでずり下がらないように固定して右手で必死に前を閉じている姿は異様に映る。
そんな姿で現れたキヨシは、先ほど花と一緒にお茶をしていたテーブルに向かうと、自分が飲んでいた紙パックのジュースやドーナツの箱やおしぼりを急いで回収しながら答える。
「理由は聞くな! あと、副会長が来ても俺が今日ここに来た事を絶対に話さないでくれ! 頼んだぞ!」
それだけ告げるとキヨシはやってきたのと同じ速度で男子寮の方へと去って行った。
後には彼がいた痕跡の消されたテーブルと、状況が分からずポカンとした男子たちが残される。
しかし、しばらくすると考える余裕が出来たのか、地面に置いた道具を再び手にとって作業を再開しながらシンゴが他の者に喋りかけた。
「ア、アイツもしかして花さんに襲われたのか?」
「ズボンの留め具破壊するってどんだけがっついんてんだよ……ゴホッ」
あの惨状では素人では手が出せず、衣服の修理を取り扱っている店でホックとチャックを交換しなければ穿けないだろう。
ボロボロの
「でも、逆にキヨシ君が花さんを襲った可能性もあるよね。副会長さんが戻ってきたから慌てて逃げたとか」
しかし、現状ではシンゴやジョーの言った通り花が襲ったかどうか判断出来ない。
盛り上がって暴走したキヨシが花を襲おうとし、中々ズボンが脱げなかったことで無理矢理に脱いで壊した可能性もあるとアンドレは指摘する。
キヨシは戻って来ない副会長の名をあげて去って行ったので、もしかすると、戻ってきた彼女が現在は花と一緒にいるのかもしれない。
覗き事件当日、キヨシは花の攻撃を受け止めながら花束を贈るカウンターを決めたが、体格差を含めて考えるとIHベスト4の花より副会長の方が強いと思われる。
もしも、そんな相手に犯行の瞬間を見られそうになれば、誰だって身を隠しながら逃げ出す。ここに来ていた痕跡まで抹消していたため、そちらの方が可能性はむしろ高く思えた。
二つの意見を聞いて考え込んでいたガクトも、どちらも本当にありそうだから困ると思いながら、とりあえず状況を把握出来ないのでしばらく様子を見ようと他の者に提案した。
「……どっちにしろ、犯罪の臭いがするでゴザルな。まぁ、花殿が戻ってくれば襲ったのは花殿で、戻って来なければキヨシ殿が襲ったということでゴザろう」
「だな。とりあえず副会長からの報告を待つことにして、オレたちは普通に作業しとこうぜ」
キヨシが去って行った以上、二人が乳繰り合っている姿はもう見れない。
なら、持ち場を離れる必要もないので、男子たちは引き続き開墾作業を続けて副会長や花が戻って来るのを待った。
しかし、キヨシを信じた男子の想いも虚しく、しばらく経ってやってきたのはどこか怒りを抑えた様子の副会長のみだった。
◇◇◇
トイレからギリギリ脱出し、自分が花と一緒にいた証拠を残さず回収してきたキヨシは、男子寮に戻るなり急いでズボンを履き替えた。
別に寝るとき用のジャージに着替えても良かったが、どうせならお風呂に入ってから着替えようと思っているため、とりあえず制服姿のままでいた彼は残っていたドーナツを食べながら考え込んでいた。
(やばい、やばい、やばい、どうしようっ)
花にズボンとパンツを脱がされ放尿してしまった事は事故だ。けれど、いくら事故でも花の全身におしっこをかけたのは問題にしかならない。
ゆるい放物線を描いて出たおしっこは最初に花の鼻あたりにかかった。そこから自分のズボンや下着に飛ばないように調節したことで狙いが動き、頭や身体にまでかけてしまった。
一度出たおしっこを止めるのは難しく、我慢から解放されたことで気持ちよくおしっこしていたキヨシも止めるつもりは殆どなかったが、自分のおしっこで相手を汚しているという背徳感で言いようのない高揚感を覚えたのは秘密だ。
頭から顔や胸までしっかりと濡らし、お腹や相手の股間の辺りにも浴びせ、丁度狙い易い位置にあったことで可愛い唇は重点的に掛けておいた。
海外で行われた実験によれば、男は便器に汚れなど狙うポイントがあると、ほとんどの者がそこを狙っておしっこをするらしい。
キヨシもそれと同じ発想で唇を狙った訳だが、相手は途中でむせて咳き込んでいたので、多分、口にも入ってしまったのではないだろうか。
少しかけてしまった時点で狙いをすぐ便器に変えれば良かったというのに、出しきるまできっちりと花を狙っていた事で、冷静になってから考えると普通に犯罪だぞとキヨシは激しく後悔する。
(見ただけなら冗談で済んだかもしれないけど、流石に全身におしっこを浴びせたのは許されない。今日の事を花さんがリークしたら普通に退学で、さらに進めば警察を呼ばれてしまう。ああ、クソッ、性欲に支配された結果がこれかよっ!!)
キヨシは移動しベッドに腰掛けて、処理しきれない感情を吐きだす様にベッドマットを数度殴りつける。
普段ならば罪悪感を覚えて、少しでもかけてしまった時点ですぐに便器に狙いを変えていただろう。だが、あのときのキヨシは直前に突き飛ばすドサクサで花の胸を触っていた。
掌に今も感覚が残っている様な気がする。脳内にはあのときに触れた感触をしっかりと記憶しており、キヨシはそれを思い出して指をわきわきとさせながらだらしない顔をする。
(し、しかし、ブレザーの上からだったのに柔らかかったなぁ……花さんのおっぱい。服の上からじゃ分かんなかったけど、あの人って結構着痩せするタイプみたいだ)
服や下着越しでも伝わってきた柔らかさ。裏生徒会の他のメンバーどころか、キヨシのクラスメイトで花からすれば後輩にあたる千代と比べても花の方が小さいと思っていただけに、彼女の胸の確かな弾力から感じられたボリュームはいい意味で予想外だった。
決して大きいとは言えないが、それでも十分“ある”と誇っていい代物であり。そんなものを隠し持っていたなんて花さんも人が悪いとキヨシはいやらしくニヤけて、すぐまたハッとして表情を引き締める。
(いや、いかんいかん! 確かに花さんのおっぱいは素晴らしかったが、それが原因でちょっと悪戯心が湧いてしまったんだろうが。それにこれは心の浮気だぞ。俺には千代ちゃんがいるじゃないか。しっかりしろ藤野清志!)
千代との相撲デートまで残り僅か。だというのに、ブレザー・シャツ・ブラと最低でも三枚の防壁越しにおっぱいを少し触ったくらいで、心が揺らいで花の事ばかり考えるのは千代への裏切りである。
あれが生であったら花との朝チュンルートも辞さない覚悟だったが、流石に多重防壁越しではよくある事故程度のものだろう。キヨシは危うく浮気男になるとこだったと踏み止まった自分を褒めてやりたくなった。
しかし、彼がいくら千代に操を立てようが、トイレで花を汚したという事実はなくならない。
その事に気付かないまま、いや、むしろ現実から目を逸らして考えないようにしている少年は、気分転換に風呂にでも入ろうと着替えを持って部屋を出ていった。
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第11話 きっと、うまくいく
「まさか、キヨシのやつが花さんを襲うとはな。あの人にはいい感情持ってなかったけど、こうなっちまうと正直同情するぜ」
キヨシと花がドーナツを食べていた翌日の夜、放課後の刑務作業時に副会長から花が体調不良でしばらく休むと聞いた男子は、更生ルームでぼんやりとテレビを眺めながら、しかし暗い表情で話していた。
「げほっ……まぁ、四月ももうすぐ終わるしな。童貞捨てたがってたアイツなら、可愛い彼女が出来れば舞い上がってこうなるのは必然だったんだろうぜ」
キヨシは女子が多いこの学園なら、四月中に童貞を捨てられると思っていたと前に話していた。
そのときは、他の男子も似たような事を考えていたため気にしなかったが、シンゴたちが監獄送りになったことで遊び相手もおらず、色々と抑圧された状態で彼女が出来れば、若さゆえの暴走も当然だとジョーは吐き捨てるように呟く。
「で、でも、もしかしたら花さんが誘って、いざとなったら怖くなっちゃった可能性もあるよ?」
「それは確かにそうでゴザルが、箱入り娘で育ったであろう恋に恋する
「それは……そういう性癖で」
『ねーよ』
キヨシの事をまだ信じていたいアンドレが庇うも、ガクトだけでなくシンゴとジョーも揃って今回の件は花が被害者だと断言した。
トイレで何があったのかは分からない。放課後に掃除しに向かったが、特にこれといっておかしな点はなく、強いていうなら普段よりアンモニア臭がした気はするが、そんな物は掃除の少し前に誰かが利用していればあり得る話だ。
よって、詳しい事情は不明で、それを直接被害者の花から聞き出そうとも思わないが、救世主と崇めていたキヨシが女子を襲う下衆野郎だと知った彼らは、今後も彼を仲間と呼んでよいものかというのが目下最大の悩みであった。
普段ならばちょっとした遊びで楽しく過ごしているが、今の彼らはそんなことをする気分ではない。
それぞれ椅子に座って、紙コップのお茶を時々飲みながらただ時間が流れて行けば、突然意を決した表情でガクトが口を開いてきた。
「皆の衆、実は聞いてもらいたい事があるでゴザル。この諸葛岳人、一生の頼みを貴兄らにお願いしたいのでゴザル」
「なんだよ、そんな急にあらたまって」
「ああ、そこまでマジな言い方で一生の頼みって言われても、こんな場所じゃ出来ることも限られてるぞ……ゴホッ」
いつもとは異なる真剣な様子に他の者は戸惑う。同じ境遇の仲間の願いならある程度は聞いてやりたいが、ここでは出来る事も限られている
なので、聞いてやれるか分からないとジョーが返せば、ガクトは椅子から降りて床に正座しながら他の者に自分の頼みを伝えた。
「五月七日……その日、小生をどうか脱獄させて欲しいのでゴザル!!」
『なっ!?』
一体どういった頼みだと思っていれば、ガクトは雰囲気で冗談ではないことを見せながら、他の者にこの監獄から一日脱獄させて欲しいと頭を下げた。
それを聞いたシンゴたちは当然驚く、なにせ脱獄がばれれば連帯責任で刑期が伸びてゆくのだから。
「脱獄ってオマエ、バレたら連帯責任で刑期一ヶ月延長だぞ。協力する訳ねーし、脱獄だってさせるわけねーだろ」
「そこを何とか、無理を承知でお願いするでゴザル! キヨシ殿にもう頼れないとなれば、シンゴ殿たちに縋るしかないのでゴザル!」
花が離脱したということは、彼女に呼ばれて来ていたキヨシはもう来ないという事だ。
仮に彼だけで来たとしても、暴走して彼女に乱暴を働いた男をどれほど信用していいのか分からず、今のガクトはキヨシを頼るべきかどうか揺れていた。
その気持ちは他の男子もある程度理解出来るため、キヨシよりも同じ状況に置かれた自分たちを頼ってくること自体は不思議に思っていない。
ただ、あと数週間で自由を得られるというのに、なぜ出獄の一週間前にわざわざ脱獄したがるのかアンドレが尋ねた。
「その日に脱獄したいって何か大切な用事でもあるの?」
「その日は秋葉原にて四年に一度の三国志フィギュア祭りが開催されるのでゴザル。小生はそこで販売される限定版『関羽雲長&赤兎馬フィギュア』を、どうしても買わなければならないのでゴザル」
「ゲホッ……んなのここ出た後にオークションで買えばいいだろ。オマエが経済的に負担負えば済む話で、なんで俺らがそんなリスク負わなくちゃいけねえんだよ」
いくらイベント限定品だろうと、今の日本ならばその日の午後には既にネットオークションで出品されている。
値段は数割増から酷いと数倍まで跳ね上がるけれど、出獄後にネットオークションを利用すれば、ガクトの財布に余計なダメージが入るだけで他の者は平和でいられる。
しかも、脱獄する理由が玩具の人形のためだと聞けば、何の興味もないジョーやシンゴは呆れた顔で溜め息を吐いてガクトを見た。
だが、その言葉は予想していたとばかりに、顔をあげて背筋を伸ばして座ったガクトは、ジョーを真っ直ぐ見返して静かに言葉を返す。
「ジョー殿の言う事は尤もでゴザル。しかし、自らの足で向かい手に入れるのと、転売目的の悪徳商人から買うのとでは気持ちが違うのでゴザルよ。確かにどちらも新品で物は変わらぬでゴザロウが、上手く言い表すことの出来ぬ何かが絶対的に違っているのでゴザル」
手に入れて喜ぶだけの人間なら、転売だろうと新品なら構わないと迷わず買うだろう。
物は一緒なのだ。安い方がいいだろうが、それでも品自体には何の不満もないに違いない。
けれど、ガクトはそれを手に入れるまでの過程、正確に言うならば関羽と出会うまでの過程も大切にしたかった。
誰かに買ってきて貰うのなら、それを頼んで願いを託した末の出会いとして思い出に出来るが、古い絶版品でもない売られたばかりの商品をオークションで落とすのは彼の矜持に反していた。
「当然、何があろうと協力して貰ったことは絶対にバラさぬと誓うでゴザル。協力して貰った報酬として脱獄後にそれぞれに何か奢らせて貰うとも約束するでゴザル。だから、どうか当日少しの間だけ小生がいないことを誤魔化しては貰えぬでゴザロウか!!」
看守室にいる副会長にばれないか心配になるような気迫の籠もった声で叫び、ガクトは床に額を擦りつけて頼みこんだ。
頭を下げる彼の肩は震えており、これを仲間たちに言い出すにはかなりの勇気が必要だったに違いない。
自分の欲望のために仲間を危険に晒すのだ。こんなものは呆れて無視されても仕方がない。だが、頭を下げるガクトの姿がここにいないもう一人の仲間と重なって見えてしまい。シンゴたちは完全には納得できていないようだが、短く息を吐いて視線を合わせると土下座をしているガクトに話しかけた。
「……チッ、その土下座見てるとあの日のキヨシを思い出しちまうぜ」
「ああ、変な刷り込みされちまったな……ごほっ」
「顔を上げてよガクト君」
言われてガクトは恐る恐る顔を上げる。すると、ガクトの前には椅子から立ち上がった三人の手が差し伸べられていた。
「ガクト、オレたちは計画自体には協力できねぇ。ただ、オマエが長時間クソに行ってたら、それを副会長に伝えておいてやるくらいは出来る」
「脱獄はあくまで最終手段で、それまでは複雑かもしれないけどキヨシ君にどうにか伝言する方針でいってね」
「ここを出てから奢ってくれるっつっても、バレて刑期が伸びたらそれなりの態度を取らせてもらう。こっちはいらねぇリスクを負ってんだからな。ま、こっちに迷惑かけねえ程度に上手くやれよ……ゴホッ」
言いながらシンゴやジョーは小さく、「最後まで裏生徒会の言いなりってのも癪だしな」と笑う。
確かに監獄に入る原因を作ったのは自分たちだが、それだって裏生徒会が変な規則で女子たちとの交流を禁じていなければ起こらなかったのだ。
仕返しではないが、ちょっとくらいは彼女たちの鼻を明かしてやりたい。ガクトの脱獄はリスキーではあるが、成功すれば気持ちよく最後の一週間を過ごして出獄できる。
そのためなら多少誤魔化すくらいはしてやると三人が言えば、
「シンゴ殿、アンドレ殿、ジョー殿。誠に、恩に着るでゴザル……!!」
ガクトは大粒の涙を流して感謝を伝えた。
◇◇◇
男子らがガクトの脱獄計画を聞いた翌日、キヨシは生徒会室を訪れていた。
ただし、生徒会室と言っても花たち裏生徒会ではなく、普通の生徒会である通称・表生徒会の部室であり。綺麗で豪華な調度品の置かれた裏生徒会室と違い、こちらは校舎外に建ったトタン屋根のボロボロで古臭い質素な小屋といった感じだ。
表生徒会は会長の竹ノ宮ケイト、副会長の別当リサ、書記の横山みつ子の三年生女子三人からなる組織だが、裏生徒会のせいで不遇な立場に置かれているため、裏生徒会が目の敵にしている男子が相手でも気にせずお茶を出して迎えてくれた。
「どうぞ、ローズヒップティーです」
「あ、どうもすみません」
お団子頭のみつ子がキヨシの前にカップを置けば、キヨシは恐縮して頭を下げてから、早速頂こうとカップを手に取り口を付ける。
淹れたてで熱いため、火傷しないよう少量を啜るように口に含んだが、残念なことに一切味が分からなかった。
緊張しているのか、それとも花との一件がストレスとなり味覚障害になっているのか、色々と原因について考えるが分からず、キヨシはカップから口を離して注がれたお茶をみた。
するとそこには――――ホカホカと湯気を立てる透明なお湯だけが存在した。
「あ、あの、みつ子さん」
「ん? なぁに? もしかして、美味しくなかった?」
リサとケイトの前にもカップを置いてからキヨシの向かいに座ったみつ子は、躊躇いがちに話しかけられると少し不安そうに首を傾げる。
こんなに優しくして貰えるのは千代以来だと感動を覚えるが、彼女は同じポットから他のカップにもお茶を注いでいたので、リサやケイトのためにも指摘せねばと切り出した。
「いえ、その……お茶っ葉を入れ忘れてます」
「えっ!? あ、ご、ゴメンなさい! すぐに淹れ直すね!」
言われてカップに視線を移すと確かに透明だったことで、みつ子は慌てて他の人のカップを回収してお茶を淹れ直しに行った。
お茶っ葉を入れ忘れるのはいつもの事なのか、彼女の隣の座っていたリサは動じずに活動日誌を書いており、会長席に座っていたケイトもくすくすと笑ってキヨシに部下の失敗を謝ってくる。
「ゴメンなさいね。みつ子はおっちょこちょいで、たまにお茶っ葉を入れ忘れてしまうの。まぁ、お茶っ葉だけを入れてくるよりときよりはマシだから、今回はカップを温めるために先にお湯を注いだと思ってちょうだい」
「は、はい。気にしてませんから大丈夫です」
優しそうなみつ子がわざとやってきたならば、自分はそんなにも嫌われているのかと地味にへこんでいただろうが、何となくドジっ子属性持ちだと気付いていたため気にしたりはしない。
淹れ直したお茶が来るまで、彼女たちが焼いたというクッキーを摘まみながら無問題とキヨシが返せば、ケイトは「それは良かった」と笑みを浮かべて席を立ち、キヨシの隣にくると確認していた書類をキヨシに渡してきた。
「部活の活動報告書は確認しました。特に問題もないので今後も部活動に励んでください」
「どうもありがとうございます」
キヨシが今日ここへやってきたのは、裏生徒会から逃げるという理由もあったが、ちゃんとした理由も存在した。
それが一人でやっているガーデニング同好会の活動報告書の提出で、同好会は部活と違って顧問がいないため、ちゃんと活動していると示さなければ学期途中でも廃部にされてしまうのだ。
ガーデニング同好会の場合は、植物に水をやって雑草を抜いて、花壇を美しく保っていればそれが証拠になるので、後はそれらの作業を簡単に日誌としてまとめれば報告書は通るようになっている。
マニアックな同好会と違って確認するのも楽だと上機嫌にやってきたケイトは、みつ子がお茶を持って来るまでクッキーを食べて待ちながら、暇そうにしているキヨシに話しかけてきた。
「そういえば、花ちゃんが体調不良で休んでるらしいんだけど、キヨシ君は何か知ってる?」
「い、いえ、一年と三年じゃフロアも離れてるので、特にそういうのは聞いてないです」
「お前とアイツはよく一緒にいただろ。それなのに聞いてないのか?」
キヨシと花がよく一緒にいたことは表生徒会の耳にも届いていたようで、作業の手を止め顔を上げたリサもケイトと共に尋ねてくる。
「よくって言っても監視目的でお昼を一緒に食べてたくらいですから」
しかし、ここで下手なことを言えば、花にしてしまった自分の行為がばれてしまうため、立場が悪くならぬようキヨシは内心必死にしらを切り通した。
新世界の神に匹敵する完璧な演技のおかげか、二人も深くは追求して来ず、丁度いいタイミングでみつ子が新しいお茶を持ってきた。
「ゴメンね。今度こそ本物のローズヒップティーです」
「すみません、ありがとうございます」
ローズヒップティーは紅茶系ではなくハーブティーの一種。抽出に少し時間がかかるものの、フルーツジュースに近くクセがなく飲み易いのが特徴だ。
ただし、ローズヒップ単体では酸味が強く甘みはない。香りを楽しみながらキヨシが飲んだお茶は、酸味が抑えられて甘みも感じられたため、ストレートではなくどうやらブレンドらしい。
クッキーによく合う味のお茶にホッと息を漏らしながら、キヨシは心配そうに見ているみつ子に素直に美味しいと伝える。
「飲み易くて美味しいです。甘みがあるって事はブレンドですか?」
「あ、分かる? 会長と一緒に前に買いに行ったとき試飲してから選んだの。フルーツの皮とかが入ってるから甘みもあるし、ローズヒップの香りもよくってお気に入りなんだ」
「へえ。でも、ローズヒップって不思議な名前ですよね。直訳したら薔薇の尻ですもん」
「ブフォッ!?」
美味しいと言って貰えた事で安心したのか、楽しそうに笑って話していたみつ子は、キヨシの言葉を聞くと唐突にお茶を噴き出した。
正面にいたキヨシは顔にモロに浴びてしまったが、霧状になっていたので熱さは感じず、書類は鞄に仕舞っておいたので無事である。
突然のハプニングには驚いたが、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭いていると、彼女の隣に座っていたリサが心配そうに同僚に声をかけた。
「みつ子、どうかしたのか?」
「う、ううん、大丈夫。ちょっとむせただけだから」
「そうか。熱い物を飲んでいるんだから気を付けろよ」
「うん。ありがとう、リサちゃん。キヨシ君もゴメンね」
心配されたみつ子は恥ずかしそうにリサに礼を言い、お茶をかけてしまったキヨシに謝ってくる。
だが、彼女の様子を観察していたキヨシは、みつ子がどこか冷静さを取り戻せていないことに気付き、何が彼女を動揺させたのか直前の自分の発言を思い出す。
本当にただむせてテンパっている可能性も勿論ある。けれど、第六感が何かを囁いて来ており、少年はもしやとある可能性に行き当たった。
もしも、この推測が当たっていれば彼女の秘密を一つ暴く事になる。優しい先輩の秘密を暴く、そこはかとなくエロスな響きにキヨシは興奮した。
これはすぐにでも確かめたい。そう思った彼は表面上は平静を装いながら、いつの間にか覚醒モードの決め顔状態になって、まずはみつ子を揺さぶるために絡め手を放つ。
「……薔薇で思い出したけど、リサさん、薔薇の対義語って分かりますか?」
「薔薇の対義語? いや、しらん。犬と猫みたいな感じで考えるのか?」
そもそも花に対になるものがあるのかとリサは首を傾げる。犬と猫のようにペットで人気を二分するような感じならば対になるものもありそうだが、生憎と花の種類には詳しくないと彼女はギブアップした。
リサが考えている間、ケイトも考えていたようだが、残念ながらキヨシの目的は二人ではない。
話を聞いていたみつ子がどんな反応を見せるか横目で確認すれば、少年の予想通りに少女は視線を泳がせていた。
その瞬間、自分の予想は当たっていたと確信し、続けての攻勢に移るためキヨシは結果的に協力することとなった相手にお礼として答えを教える。
「僕もよく知らないんですけど、どうやら薔薇の対義語は百合らしいですよ」
「薔薇の対義語が百合? ふむ、赤に対する白だからか?」
「イメージとしては納得できるわね。中世ヨーロッパだとどちらも綺麗だからって貴族に重宝されていたようだし」
どうして薔薇と百合という用語が使われ出したのかはキヨシも知らない。ただ、純粋なケイトとリサが勝手に考察して理由に納得してくれているので、深く突っ込まれずに済んでラッキーだと思いながら、キヨシはリサに尋ねたときと同じトーンで本命のみつ子に話しかけた。
「みつ子さん、攻めの対義語って分かります?」
「えっ!? せ、攻めの対義語? う……じゃなくて、ま、守りだよ! うん、攻めの対義語は守り!」
「聞いた話だと受けらしいですよ」
「そっちの話!?」
答えた直後にみつ子はしまったという表情をした。対して、キヨシは顔では薄く笑い、心の中ではマヌケは見つかったようだなと黒い笑みを浮かべる。
先ほどみつ子がどの単語に反応したのか考えたキヨシは、彼女が“薔薇の尻”に反応したのではと考え、そこから彼女が腐女子ではないかと睨んでいたのだ。
薔薇とは男同士の恋愛、所謂ホモやゲイカップルのことを指す隠語で、その単語と尻を組み合わせると男同士のジョイントライブという意味を連想させる。
ただのオタク女子ならばそこまでは連想すまい。つまり、反応した時点で相手の正体はほぼ判明していたという訳だ。
見事みつ子を罠に嵌め勝利を確信したキヨシは、無駄にいい声で紳士的に相手に声をかける。
「話を戻しますけどローズヒップって薔薇の実のことらしいですよ。単にヒップとだけ呼んだりもするって本に書いてました。ところでみつ子さん。アナタはどうやら……」
「な、何も言わないで!」
「大丈夫です。個人で楽しむ分には、俺は他人の趣味にも理解がある方ですから。ただ、少し意外に思っただけで誰にも言いません」
「う、うん、ありがとう。その、どうか内密にお願いします」
ケイトとリサは二人が何の話をしているか分からないだろう。女子校ならみつ子の同好の士が多いイメージを持っていたが、どうやら彼女たちは違うらしい。
置いてきぼりの二人には悪いと思いながらも、キヨシが優しく微笑みかければみつ子は真っ赤になった顔で安心したようにホッと息を吐き、くれぐれも他言無用でお願いしますと頭を下げた。
上級生であり生徒会役員の女子が一般生徒の後輩男子に頭を下げるのは異例だが、彼女の性格や普段の振る舞いを考えるとそれほど違和感はない。
そのため、ケイトらも両者の間で話がついたのなら敢えて言及したりはすまいと流してくれた。
ケイトはともかくリサは両生徒会の中で、最も近寄りがたい厳つい見た目をしているため少し意外だが、中身は普通の少女で話せば分かる人物なのかもしれない。
今までほぼ付き合いのなかった表生徒会のメンバーについて理解を深め、お茶を御馳走になっていたキヨシは、そういえばともう一つ書類があったことを思い出した。
「あ、ケイトさん。実はもう一つ判子というかサインを頂きたい書類があるんですけど良いですか?」
「内容によるけどどれかしら?」
「これなんですけど」
「……これは」
テーブルの下に置いていた鞄からクリアファイルを取り出し、ファイルごと書類を渡してケイトに見せる。
受け取ったケイトは内容に目を通すと次第に無言になり、すべて読み終わったのか最後には愉しそうに口元を歪ませた。
「ふーん、なるほどねぇ。キヨシ君ってば面白いこと考えるわね」
「そんな、ただリスクを減らすために駆け回ってるだけですよ」
「謙遜する事ないわ。先の事を考えリスクを避けて動けるのって得難い才能よ。良かったらウチに入らない? 最初は見習いだけど歓迎するわよ。アナタがウチにくれば裏との立場逆転も楽に済みそうだし」
実を言えばケイトは以前から興味を持っていた。覗き未遂をした男子を見せしめにしていたとき、偶然にも参加していなかったことで裏生徒会長の万里に苦虫を噛み潰した表情をさせた彼に。
彼が渡して来た書類は前回以上に万里や裏生徒会の思惑を潰すことになる代物だ。
さらに、それが彼女の頭の上を越えて、表生徒会経由で発行されるのが実にいい。キヨシの読み通りにいけば、許可を出した表生徒会が裏生徒会に一歩リードした形になる。
両組織の対立やケイトと万里の因縁を彼が知っていたとは思えないが、覗きをしておらず頭の回る彼なら信用と能力は十分。対裏生徒会の最終兵器として仲間に組み込めないかとケイトが画策すれば、勧誘されたキヨシは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すみません。すごく魅力的ですけど俺は中立でいたいので」
「そう、残念だわ。いつでも歓迎するから気が変わったら言ってちょうだい。それで、書類の件は了承しました。これが上手く効果を発揮したらそのときの万里の様子を後で教えてね」
「はい、ありがとうございます」
戦力に出来ないのは残念だが中立ならば問題はない。彼の存在はそれだけで裏生徒会への牽制となっている。
断られたケイトは口で言うほど残念そうにしておらず、笑みで返すとキヨシから受け取った書類にその場でサインして彼に渡す。
受け取ったキヨシは書かれたサインを眺めて満足そうに頷いて、汚さないうちにファイルを鞄に仕舞うと、お茶を御馳走になったお礼として生徒会室の掃除を手伝いってから寮へと帰って行った。
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第12話 仄暗い部屋の中から
キヨシにおしっこをかけられてから数日、花はほとんど部屋から出ずに引き籠もっていた。
授業は持って来てもらったモニター越しに受けているが、カーテンを閉め切って太陽の光が入って来ないようにしているせいで、まだ放課後になったばかりだというのに部屋の中は薄暗かった。
そうして、今日も授業時間を終えたことで毛布を被ってベッドの上で丸まっていると、扉をノックする音が聞こえて誰かが扉越しに話しかけてきた。
《花、私よ。体調はどう?》
「会長……」
万里の声が聞こえてきたことで、花は毛布から頭だけをひょっこりと出して言葉を返す。
「すみません、まだちょっと……」
《そう。何があったのかはやっぱり話してくれないのね?》
「はい、ゴメンなさい」
あの日、トイレで何があったのかは誰にも話していない。否、話す事など絶対に出来ない。
キヨシが退学するのは構わないが、自分があの男のおしっこを全身に被ったと他の者にまで知られれば、この学園にいる間はずっと影でおしっこ女と呼ばれるに違いない。
それだけで済めばいい方で、尾ひれがついて自分から浴びせて貰ったなどという噂が立てば、一生変態のレッテルを貼られて生きることになる。
進路については大学進学としか考えていないけれど、どこから噂が漏れて伝わるか分からないので、情報の拡散を防ぐため花はあの日のことを誰にも話すつもりはない。
ここ数日、裏生徒会の仲間がお見舞いに来るたび事件の真相を訊きたがり、相手が自分を心配しているからこそ知りたがっているのが分かるだけに、真相を素直に話せないことが辛かった。
だが、この秘密は墓まで持っていかねばならない。そうして申し訳ないと謝りながら花が毛布の中に頭を引っ込めようとしたとき、まだ扉の前にいた万里が今度は別の話題で話しかけてきた。
《アナタが最近あまりちゃんと食事を取っていないと聞いたから、軽いオヤツなら食べられるんじゃないかと思ってドーナツを持ってきたんだけど、少し食べないかしら?》
「ドー、ナツ――――っ!? オエッ、うっぷ」
名前を聞くだけであの日の記憶が鮮明に蘇り、花は急激な吐き気に襲われて
好きだった、大好きだったドーナツ。キヨシが買ってきたときにはやるじゃないかと褒めてやりたくなった。
しかし、あの惨劇が起きた日に食べていたせいで記憶が関連付けられ、今では名前を聞くだけでもダメになってしまったのだ。
ただおしっこを浴びただけならばまだ大丈夫だったかもしれない。人肌と同じ熱いとも温いとも言えない中途半端な温度の温水に濡れてシャツが肌にひっつくのは不快だったが、運動後に汗で髪の毛やシャツが肌に張り付いたのと似たようなものと思えばまだ我慢出来る。
けれどあの日、キヨシは花の口にまでおしっこをかけてきた。
完全には閉じていなかった唇の隙間から侵入した黄金水。苦い様なしょっぱい様な、とりあえずそんな味だなんて知りたくもなかった。
そのくせ、直前にジュースとドーナツを食べていたことで、少しドーナツっぽい甘い匂いがしたのだ。糖分を取り過ぎて濾過しきれずに尿に混じったのかもしれないが、そんな物を浴びせられた花としてはドーナツなど当分食べられそうもない。
相手が善意で持ってきてくれたと分かっていても、全身が拒絶反応を示す以上それは持って帰ってもらうしかないため、嘔吐いて目に涙を滲ませながら花は言葉を返した。
「うぷ……はぁ、すみません食べれそうにないです。ちょっと気分が悪いので、申し訳ないですけど休みますね」
《そう。もし何か必要な物があったら呼んでちょうだい。気分が悪くて動けないなら、夜中だろうと電話をかけてくれていいから》
「はい、ありがとうございます」
返事を聞くと万里は帰って行ったようで足音が遠ざかって行った。
そしてまた一人になった花は、ベッドの傍に置いていたスポーツドリンクを少し飲んでから、再び頭まで毛布の中に引っ込めて丸くなると日課となりつつある思考に耽る。
(私はおしっこをかけられた……もう…………普通の人間じゃ……ない)
部屋に籠もっているのは傷心だけが理由ではない。おしっこをかけられ普通の人間ではなくなった自分が、どんな顔で仲間や友人と会えばいいのか分からないのだ。
キヨシとだったら会える。彼はおしっこをかけただけでなく、わざと顔や胸や股間にまで浴びせてきた変態なので同じく普通の人間ではない。
ただ、いま会ったところで何の意味もない。花がいま現在考えているのは、普通の人間ではなくなった自分がどうすれば再び外を歩けるようになるかということだ。
(おしっこをかけられて普通じゃなくなったなら、私もやり返せば関係はリセットされるのか?)
時間を巻き戻す事が出来れば問題は解決する。しかし、そんな事が不可能なのは分かっている。
もしかしたら、現代に未来からのタイムトラベラーが来ていたとしても、花は相手がそうだとは認識できないし、上手くコンタクトが取れて過去を改変したとしても、それは改変によってここにいる花の消滅を意味するので論外だ。
故に、花が思い付いたのは条件をイーブンにすることで関係のリセットを図るという方法だった。
(そう、おしっこを見られたからアイツにも見せろと言っていたんだ。そうすれば、私たちは対等な立場になっていた。なら、おしっこをかけられたなら、今度は私がおしっこをかければいいだけのこと)
今日の自分は冴えている。考えながら花は薄く笑って『自分浄化計画』を念入りに考えていく。
普段の精神状態ならば前提が間違っていることに気付けたかもしれないが、スタートが見られたから見せろといった発想だった彼女なら、やはり気付かずにそのまま間違った方向へ全力で突っ走って行った気もするのは御愛嬌。
方向性を決めた花は、次々とアイデアが浮かんできて楽しくてしょうがないとばかりに口元を吊り上げる。
(先ずはおしっこを見て、次に私のおしっこをアイツにぶっかける。そうそう、ぶっかけるときに少し飲ませるのも忘れちゃダメだ)
男と違ってホースパーツがないため軌道をコントロールする事は出来ないが、それでも絶対にここは譲れない。相手が執拗に唇を狙ってきたことはハッキリと覚えているため、あれで飲ませるつもりがなかったと言われても信じるつもりはない。
普通にぶっかけても飲ませることが出来ないのなら、最後らへんにキヨシの顔を股で挟んでほぼゼロ距離で流し込んでやればいい。
一般人からすれば常軌を逸した思考でも、キヨシへの復讐と自分が普通の人間に戻る方法を考えている彼女にとっては、自分の考える方法こそが唯一の正解だった。
(あ……アイツそういえば、突き飛ばしたときに私の胸を揉んでたわよね)
やられたらやり返すをモットーに、ノリノリで彼への復讐を考えていた花は、大切な事を忘れていたと自分の胸に触れながら思い出した。
あの日、キヨシは花を突き飛ばす際、思いっきり胸を押して突き飛ばして来たのだが、そのとき彼はドサクサに紛れて胸を揉んでいた。
やった本人は気付かれていないと思っているだろうが、突き飛ばすためにパーの手で押しておきながら、あの僅かな時間で素早く三回も指を曲げてくれば誰だって気付く。
言い逃れできないほどのセクハラ行為で警察に突き出してやりたいが、キヨシを刑務所送りにしてしまうと自分浄化計画が出来ないので、胸を揉まれたことも復讐項目の方に取り入れる。
だが、それを復讐項目に入れたところで、花はふと疑問を覚えた。
(私もキヨシの胸を揉み返すのか? いや、泳ぐときに海パンいっちょになる男が胸なんて触られてもダメージはないはず)
ハンムラビ法典宜しく同刑罰によって復讐を果たそうと思っていたが、女の胸と男の胸では価値が全く異なっていると花は気付く。
胸を揉むことにこだわるなら、太った男の胸を揉めと言えばキヨシにもダメージを与えられそうだが、それでは関係のない人間の協力が必要になるため、自分とキヨシだけで完結させたい花は再び考え込む。
(女の胸と対になる男のパーツ……そうか、チンコだ!)
そして、ここ数日の中で最高の閃きをもって彼女は真理に辿り着いた。
(女子が胸の大きさで一喜一憂するみたいに、男子はチンコの大きさで勝ち組負け組が決まるって雑誌に書いてあった。つまり、男にとって女の胸にあたるのがチンコなんだ)
女子高生向けの雑誌にはたまに変な特集が書かれていることがある。花はそういった記事は流し読む程度に済ますが、その中で女子が胸のサイズで色々ある様に、男子は男性器のサイズで悩むといったような事が書かれていたのを彼女は覚えていた。
(そうと分かったら簡単ね。私はキヨシのチンコを揉む)
そのときはくだらない特集だからとほとんど飛ばして読んだが、ちょっとした雑学として『女子にとっての胸=男子にとってのチンコ』という公式は頭に残っていたらしく。花はこれで行こうとしっかり頷く。
だが、方針は決定したと頷いてから、花は自分の考えがちょっとずれていることに気付き頭を振って落ち着けと言い聞かせた。
(いや、待てアタシ。チンコを揉むってなんだ。そもそもチンコって揉めるのか? オプションパーツの玉の方は揉めても、形状がソーセージに似たチンコは揉めない気がする。うん、じゃあ握るにしとこう)
揉もうと思えば揉めるだろうがそれは何か違う気がする。そう考えて形状に合った方法を模索し、最終的に最も適した方法として彼女は“握る”をチョイスした。
怪力という訳ではないが空手をやっていることで、一般的な女子よりは腕力にも握力にも自信はある。
流石に潰すと可哀想なので痛みを感じる程度に済ますつもりだが、おしっこを見て、おしっこをぶっかけて、おしっこを少し飲ませて、チンコを握ると決めた彼女は、毛布から出るとカーテンを僅かに開けて久しぶりに日の光を浴びて心の中で宣言した。
(フフッ。キヨシ、私が復活するまでチンコ洗って待ってなさい)
花が復活するまでまだもうしばらく。
◇◇◇
自分の変態行動によって花が悪い方に加速したことを知らぬ少年は、そのとき理事長室を訪れていた。
先日、ケイトにサインを貰った書類と一緒に、みつ子に分けて貰ったローズヒップティーを持参して部屋に入ると、事前にアポを取っていたことで部屋にいてくれていたダンディな紳士が、窓の外を眺めて立っていた。
「失礼します。連絡していた書類にサインを頂きに来ました」
「ああ、書類はみよう。だが、せっかく来たのだから少し話をしない……かね?」
振り返り素敵な笑顔を見せてきた紳士はこの学園の理事長であり、キヨシの想い人である千代の父親でもある。
千代の父親ということは、つまり裏生徒会会長の万里の父親でもあるのだが、想像していたよりも接し易そうな人物であることにキヨシは内心で安堵の息を吐く。
そして、ソファーに座るように言われ、向かいに理事長が腰を下ろしたところで、キヨシは書類を入れたファイルを渡し、さらに持ってきたポットの中身を同じく持参していたカップに注いで理事長の前に置いた。
「表生徒会の先輩に分けて頂いたローズヒップティーです。よろしければどうぞ」
「ローズヒップ……ただ単にヒップと呼ぶ事もある薔薇の実のことだね。私も好きなお茶だ。是非いただ……こう!」
やけに言葉尻を強調する話し方をする人物だなと思いながらも、キヨシはカップに口を付けながら書類に目を通す理事長を見る。
お茶の淹れ方はまだ勉強中だが、それでも普通に飲める程度の味には出来ているつもりだ。
理事長は香りを楽しみ、ゆっくりと味わってカップを置くと、満足気に頷いて笑顔を向けてきた。
「美味しいお茶をありがとう。聞いた話によれば君はガーデニング同好会に入っているということだったが、ローズヒップは育てていないのかね?」
「ええ、卒業生の残してくれた分に初心者向けのハーブを足したくらいなので、まだそういうのは育ててないですね」
「それは残念だ。だが、また美味しいお茶が手に入れば是非誘ってくれたま……え!」
この学園は教師を含めても男はほんの数人しかいない。その内、男子生徒の四人が監獄送りになっていることで、余計に希少な男子生徒との会話を楽しみ理事長は笑う。
家族である万里や千代との会話ならば気を遣わずに済むだろうが、男子と女子ではやはり違うものだ。年頃であろうと変に気を張らずに話せるというのは楽に違いない。
立場的に教師側であっても、女性だらけという条件は同じであるため、同じ苦労を知っている身として不思議なシンパシーを感じながらキヨシが笑い返せば、理事長は自分も同じ気持ちだとばかりに一度頷いてから書類をテーブルに置き。机から万年筆と理事長印を持ってきた。
「さて、書類に関しては問題ない。竹ノ宮君が許可を出したなら私も判を押そう。しかし、この書類を作成しようと思ったのは、万里……いや、裏生徒会長の布いた規則が理由……かね?」
「はい。覗きの一件以来男子の立場はかなり悪い物になっていますから、少しでもリスクを減らそうと思ったんです」
「なるほど、覗きは確かに悪い事だが、彼女たちの行為が少々行き過ぎていることは私も確認している。せっかくの高校生活に窮屈な思いをさせて申し訳……ない」
男子の監獄入りは更生を目的としたものだ。けれど、今の裏生徒会は更生目的とは思えぬ様な暴力を男子に振るっている。
もっとも、副会長からの折檻には男子らも喜んでいる節があるので大目に見るが、それでも休日を取り上げるなど、少々きつく当たり過ぎではないかと理事長からも万里には言っていた。
そして、覗きをした男子を毛嫌いした女子から、一人残ったキヨシも冷たい視線を向けられ、裏生徒会の布いた規則によって女子と話せないことで辛い学園生活を送っている。
全寮制である以上は規律が重視され、規則には従わねばならない事は勿論分かる。ただ、目の前の少年に辛い思いをさせている元凶である裏生徒会長の父親としては、それついて一言詫びを入れなければと思っていた。
沈痛な面持ちで理事長が頭を下げれば、キヨシは苦笑して首を横に振った。
「いえ、女子校だからと安心して子どもを預けている親御さんもいたでしょうから、そこで共学になってすぐに男子が問題を起こせばある程度はしょうがないです」
「そう言って貰えると助かる。ところで話は変わるが……君は尻と胸、どちらが好きかね?」
「尻と胸? それは女性のという意味でよろしいですか?」
「無論……だ!」
真面目な話をしていたかと思えば、このオッサンは唐突に何を言っているのか。
ダンディな雰囲気に誤魔化されそうになるが、キヨシは目の前の男が紳士ではなく変態紳士であると即座に理解する。
そして、ならばとキヨシも一瞬でオーラを纏い決め顔になると、低めのイケメンボイスでしっかりと答えた。
「胸が好きです」
胸、正確にいえばおっぱい。キヨシは尻よりもおっぱいの方が好きだった。
夏の薄着で見える谷間も、冬にセーターが伸びて見える美しいラインも、おっぱいに貴賎なしと断言するほどに大好きだった。
そう、少年はおっぱいが好き“だった”のだ。
「と、以前の俺なら断言していたと思います」
「……ふむ、何かあったのかね?」
「はい。俺はこの学園に来てから素晴らしい尻と出会いました。先に誤解のない様に言っておきますが、それは理事長の娘さんたちとは別の方ですから安心してください」
おっぱい派だった少年を尻好きに引き込みかねないほどの衝撃の出会い。
カラスのヒナを助けたあの日、キヨシは最高の桃尻を目にした。
「色白で、まるくて、柔らかそうで、その尻を見たときに俺は言いようのない何かを胸の奥に感じました。あの尻との出会いがなければ俺は胸と断言していましたが、今の俺は自分がどちらを好きなのか分からなくなってしまったんです。中途半端な答えですみません」
ジャージと縞パンを下ろして露わになった花の尻を見たとき、キヨシは心の奥底で撫でてみたいと感じた。
張りのある柔らかそうな白い肌に指を食い込ませ、わし掴んでみたいとも思った。
人によってはそれをただの性欲だというだろう。だが、そんなことを言う者がいれば、キヨシは相手を何も知らぬチンケな野郎だと鼻で笑ってやることが出来た。
あれは性欲ではない。心の奥深く、いや遺伝子に深く刻み込まれた本能による衝動。理性を得たことで人間が忘れてしまった、熱いパトスがあのときの気持ちの正体に違いない。
それを知ったが故に、自分が本当はどちらが好きなのか分からなくなってしまったと、中途半端な答えしか返せないことをキヨシは詫びた。
すると、その答えに幻滅するとばかり思っていた相手は、優しい瞳でキヨシを見ながら恥じることはないと笑った。
「謝る必要はない。私の人生のモットーの一つに、尻好きに悪い人間はいないというものがある。そして、素敵なヒップとの出会いは、それまでの価値観をガラリと変えかねないほどの衝撃を生むことがある。君にとってはそのヒップがまさにそうだったんだ……ろう!」
尻に限らず、自分の価値観を変えかねないほどの出会いというものは存在する。
そして、そういった物との出会いは突然であることが多い。自分に受け入れる準備が出来ていようといまいと出会いは急に起きるのだ。
「悩むのは若者の特権だ。頭で考えるのではなく、己の心に従い出した答えをまた聞かせてくれたまえ。そして、もしも出した答えが私と同じであれば……そのときは君を同好の士として歓迎しよう」
キヨシの悩みは本物だ。一朝一夕で答えが出るものではない。
それを男として感じ取ったからこそ、理事長はよく悩めと笑顔で彼の背中を押した。
仮に胸好きになろうと責めはしない。中々語れそうな見所ある少年が相手だけに、寂しい気持ちはあるだろうが、そのときには異文化交流として胸と尻の良さをお互いに伝えればいいだけだ。
サインと理事長印を押した書類を差しだし、理事長は立ち上がると前途有望な少年を入り口まで見送る。
「今日はどうもありがとうございました」
「私も楽しかったよ。また時間があれば話をしよう。そのときは、テキーラ……ではなく、ローズヒップティーでも酌み交わしながら……ね!」
「ええ、是非お願いします。そのときには俺も心に従った答えをはっきりと言えるようになっておきます。今日はありがとうございました。失礼します」
年齢も立場も関係ない。ただの男として語り合った二人の間には、この日、女には理解出来ない確かな絆が生まれた。
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第13話 しりはにほへと
キヨシが相撲観戦デートに向けて密かに動いている頃、その裏でガクトたちもまた脱獄に向けて着々と準備を進めていた。
脱獄当日が普段の刑務作業ではなく、陸上部地区大会の運営手伝いと聞いたときには驚いたが、裏生徒会も手伝いには駆り出されるはず。なので、たまに行われる見回りをやり過ごせば大丈夫だと、計画がむしろやり易くなったと喜んでいた。
当日の役割分担はシンゴとガクトが荷物番、ジョーとアンドレが雑用をすることになっている。
雑用は色々と動きまわることになるだろうが、荷物番は基本的にテントのところで座っているだけなので、トイレに行っていて居ない時間があっても怪しまれづらい。
副会長が適当に決めただけだが、運は向いて来ているとガクトはさらにやる気を漲らせ、ずっと待ち望んでいた情報の授業に向かった。
「フフッ、ついに来たでゴザルな」
「おっ、ガクトも女子との合同授業を楽しみにしてたのか?」
監獄内ではパソコンが使えない。正確に言えば看守室にはネットに繋がっているパソコンが置いてあるのだが、それでは四人が情報の授業を受ける事が出来ないため、特別に情報室で他の生徒たちと一緒に受けることになったのだ。
久しぶりに裏生徒会以外の女子と会えることを楽しみにしていたシンゴは、情報室への移動中に眼鏡の位置を直しながら不敵な笑みを浮かべるガクトを見て、お前も同じ気持ちだったのかと尋ねる。
すると、ガクトは不敵な笑みを浮かべたまま首を横に振り、自分がこの授業を待っていたのはそんな理由ではないと答える。
「いや、小生はパソコンを使える状況になるのを待っていたのでゴザル。シンゴ殿は小生が購入希望で何を頼んだか覚えているでゴザルか?」
「あ? あー、確か携帯音楽プレーヤーだったか?」
シンゴやアンドレの頼んだ物は勉学に必要ないとして却下されたが、ジョーの蟻飼育セットと英語のリスニング用としてガクトの携帯音楽プレーヤーは昨日の夜に届いている。
その際、随分と勉強熱心だなと感心したこともあり、シンゴの記憶にもしっかりと残っていた。
「左様。実はそれにはイヤホンだけでなく無線機能対応のスピーカーもついているでゴザル。小生が脱獄している間、トイレの個室にはスピーカーを置いておき、副会長殿が見回りに来たときにはプレーヤー側で再生を押せば、スピーカーから音が出てアリバイがより確実になるという寸法でゴザルよ」
他の男子にただ誤魔化して貰うのでは心許ないと思っていたガクトは、情報の授業が情報室で行われる事を予測し、事前に購入希望物品でワイヤレススピーカー付きの携帯音楽プレーヤーを頼んでおいた。
副会長がトイレまで来たとしても、彼女はきっと入り口から大声で個室に向かって話しかけるはず。彼女の後を追ってトイレの周りにいれば、個室までは余裕でワイヤレススピーカーの有効範囲なので、彼女が話しかけたタイミングで再生を押すことが可能だった。
これも全て脱獄をより完璧に仕上げるための策だとガクトが言えば、話を聞いていたシンゴは授業の予定すらも把握して計画を進めるガクトの頭脳を素直にすごいと褒める。
「オマエ、あったまいいな! ってことは、パソコンで今から音を入れるんだよな? 返事を何パターンかいれておくのか?」
「それも考えたでゴザルが、当日に操作するのは同じ荷物番のシンゴ殿になるでゴザル。副会長殿の声を聞いて咄嗟に適した返事を選んで再生するのは小生でも困難。それをシンゴ殿に頼むのは流石に気が引けるでゴザル」
「まぁ、それは確かにムリだな。二択なら上下選ぶだけだからいけるけど、五パターンとかってなると、返事をする様な上手いタイミングじゃできねーよ」
会話機能の付いたロボットという物があるが、相手の話した言葉を認識してそれに対応する音声を再生することで、あたかもロボットが自分で考えて返事をしているように見える様になっている。
だが、何十、何百というパターンを登録しているロボットでも、バリエーションが無限に存在する日常会話へ完璧に対応する事は出来ない。
機械のシステムを利用しても対応出来ない事を、相手にバレてはいけないという制約のある人間でこなせるはずもなく、シンゴもそれは不可能だと言い切った。
自分でも考えてそれは無理だと分かっていたガクトはそれに頷いて返し、だからちゃんと別の方法を考えてきたと自信満々に告げた。
「そう、だから小生はウンコの排泄音を入れる事にしたでゴザル。返事代わりにウンコの音がすれば、不快に思って副会長殿もしばらくは来ないはず。返事を選ぶ必要もなく時間も稼げて一石二鳥でゴザルよ」
「ハハッ、そりゃいいや。んじゃま、女子と一緒の空間を満喫しながらウンコMP3探しと洒落こもうぜ!」
人に話しかけられてウンコの音で答えるなど考えもしなかった。実に馬鹿らしいが上手く行きそうだと、シンゴは練馬一の知将は伊達ではないなと感心する。
そして、作戦が決まっているならそう難しいことだとは思わないため、そんな物は片手間でやって女子との合同授業を楽しもうと情報室の扉を開けた。
「何だあれ?」
事前の説明で最後列に座れと言われていたが、部屋に入るとその席の前に『立入禁止』の札が下がった工事現場で見るカラーコーンとバーが置かれていた。
なんでそんな物が置かれているんだとシンゴは訝しむが、後ろから来たジョーが自分たちの扱いに嘆息しながら答えた。
「オレたちはバーより後ろの席に座れってことみたいだな……ゴホッ」
「ま、まぁ、接触は禁止でゴザルからな。同じ授業を受けさせて貰えるだけありがたいと思うべきでゴザル」
「そ、そうだよね。うん、ちゃんと勉強しようよ」
文句を言いたい気持ちはあるが、覗き魔として今の状況に置かれているため、ここは大人しくしていようと全員が席に着く。
授業が始まる前にパソコンを立ち上げておくため、電源を入れて学籍番号とパスワードを入力してログインしながら、シンゴたちはチラリと女子の方へ視線を送る。
すると、自分たちの方を見ていた女子と目が合い一瞬ドキリとするが、「最低」「気持ち悪い」「臭い」という声が聞こえてきて、すぐに自分たちが学校中からどう思われているかを認識する事が出来た。
「そ、想像以上だな……」
「ああ、オレたちは監獄にいたから知らなかっただけだったみたいだ……げほっ」
「え、僕はむしろ嬉しいけど? キヨシ君はいつもこんな素敵な空間で授業受けてるなんて羨ましいなぁ」
「キヨシ殿にすれば完全に貰い事故でゴザルよ……」
ドMなアンドレは女子たちの蔑みの視線や罵倒が快感のようだが、四人のせいで同じ扱いを受けているキヨシにすれば、お前らのせいでとブチ切れても誰も責めたりはしないだろう。
花を襲った下衆野郎として一方的に壁を作っていたが、こんな針の筵のような環境に置かれていれば、可愛い彼女が出来た瞬間に暴走しても仕方がないと、ガクトたちはキヨシの暴走はきっと自分たちのせいだと深く反省した。
「ゴホッ……キヨシのやつがきたぞ」
「おお、小生らに気付いて笑いかけてくれたでゴザル。女子たちが冷たいだけに少し癒されるでゴザルな」
「アイツは普通に女子の隣なんだな。てか、あの隣にいるのって前に花さんと話してた子じゃね?」
キヨシは囚人ではないので他の生徒と同じように普通の席となっている。教室の前の扉から入ってきたキヨシはガクトらに気付いて小さく笑いかけてから席についたが、シンゴは彼の隣の席に座っている少女が以前中庭で見かけた子だと気付いた。
言われて他の者も観察していると、二人はそれぞれ自分の作業をしているフリをしながら、何やらファイルを渡したりして、コッソリと話しているようであった。
自分たちは汚物の様に扱われるのに対し、特に周りの女子から何も言われず、むしろ、密かに親しくなっている姿を見てアンドレやジョーたちは嫉妬で拳を震わせる。
「な、なんかコッソリ喋ってるみたいだね」
「アイツ、やっぱり別に気にしてないんじゃねぇか? 他の女子もアイツには何も言ってねぇぞ」
「クソッ、心配して損したな。花さんが戻ってきたら浮気してたってチクってやろうぜ」
花が戻ってくれば絶対に密告してやると決意するシンゴ。以前、目の前で話しただけで腹にグーパンで吹き飛ばされていたので、彼女のいない場所で隠れるように話していたとなれば、肋骨の二、三本は確実に持っていかれるだろう。
シンゴと同じ想像をしたジョーやガクトも彼を止めようとはせず、逆に自分も手を貸すぜとサムズアップして頷いた。
◇◇◇
授業が始まるとシンゴと話していた事をジョーとアンドレにも伝え、他の者には教師の様子を確認して貰いながら、ガクトは隠れて『ウンコ MP3』で検索をかけ続けた。
排泄音など聞いて気分のいいものではなく、音の具合を確かめるにつれて精神をガリガリと削られたが、三十分経った頃、ついにガクトは爆発した。
「ない、ないでゴザル!」
「スカトロなんて文化もあるのに、全くないってことはねぇだろ……ごほっ」
「あるにはあるでゴザルがどれもショボくて使い物にならないでゴザル。これならオナラの音の方がマシでゴザルよ」
確かにジョーの言う通りスカトロ系の動画は多数存在する。しかし、余計な喘ぎ声が入っていたり、変なBGMが混ざっていてほとんど使えず。素人投稿らしき物では純粋に無言で脱糞していたりするのだが、ミリミリと普通に捻りだす音でこれでは副会長を怯ませる事は出来ない。
ガクトが求めているのはもっと汚く激しい音だ。何を食べたらそんな汚い音になるんだというくらい、聞いているだけで臭ってくるレベルの物を所望している。
「けど、どうすんだよ。もう時間もあんまねーぞ」
しかし、そんな物は一切見つからず、時計を確認したシンゴも授業はもうすぐ終わるぞと、このままではアリバイ工作が不完全になりそうで焦り出す。
彼よりも探している本人の方が焦っているのだが、ガクトは混乱する頭で必死に打開策を考えた。
「待つでゴザル。何か方法が、方法があるはずで――――ゴザッた」
そのときガクトに電流走る。
今まで見るからに焦っていたガクトが急に目を見開き停止した事で、何か閃いたのかアンドレが尋ねた。
「思い付いたのガクト君?」
「ハ、ハハ、簡単な事でゴザった。音がないなら自分で作り出せば良かったのでゴザル」
考えれば簡単な事だった。音がないなら自分で作ればいい。幸いなことに録音のための器具は揃っている。
イヤホンはマイク端子に挿せばマイク代わりになり、昼食を食べる前とは言え、焦りと緊張から腹痛を起こしそうになっている今ならそれなりの音を出せるはずだった。
「ゴホッ……作り出すってまさか、ここでクソをする気か?」
「残り時間も僅か。これ以上探しても見つかるか分からない以上、小生は身を削って活路を開くでゴザル」
「いや、身を削るっていうか、実を捻り出すのは流石にヤベーだろ! 女子の大勢いるこんな場所でやったら、それこそ出獄した後の高校三年間を犠牲にっ」
しかし、ガクトの話を聞いて彼がこれから何をしようとしているかを理解した男子たちは、そんな事をすれば無事では済まないと彼を止める。
当然だ。現在、覗きをしたことで扱いはかなり悪くなっている。それでさらにウンコを漏らしたとなれば、すれ違うだけで舌打ちは当たり前、卒業までクソ漏らしと呼ばれることすらあり得た。
目的のためとはいえ、たかがフィギュアのためにそれほどの犠牲を払う必要があるとは思えないシンゴたちに、ガクトは悟った様な表情で笑って返す。
「フィギュアは四年に一度、高校三年の我慢で済むなら安い物でゴザル。そう、最初から悩む必要などなかったのでゴザル」
「待て、考え直せガクト!」
彼は既に覚悟を決めている。それでもシンゴたちは止められずにはいられなかった。
イヤホンをマイク端子に挿し、サウンドレコーダーを起動し録音の準備を全て終え、最後に彼は戦に赴く表情をして言った。
「皆の衆、小生の生き様とくとご覧あれ」
『ガクトぉぉぉぉっ!!』
「――――御免」
そのとき、教室から雑音が消えた。
授業を進める教師の声も、パソコンを操作する小さな音も、全てが消えて時間すら停止していると錯覚するような空間の中で、ガクトのクソを漏らす音だけが響き渡った。
他の者は何が起こったか分からなかっただろう。だが、その音を聞いた瞬間に本能でクソを漏らす音だと理解したはずだ。
驚愕の表情で振り返る生徒たち、呆然とする教師、それらを一切見向きもせずに出しきったガクトは、録音の終了を押してデータをプレーヤーに移してから手を上げた。
「先生、トイレに行かせてください!」
「も、もちろんどうぞ……でも、もう少しはやく……言ってくれれば」
作戦は成功。犠牲を払っただけの価値はあった。席を立って出て行こうとするガクトに、男子たちは見事な生き様だったと心の中で敬礼する。
しかし、他の者にはもっと現実的な被害があるため、女子よりも汚い物に対する免疫のあったキヨシがすぐに立ち上がり全体に指示を飛ばした。
「グラウンド側も廊下側も窓際にいる生徒は全員窓を開けて! ジョーは入り口の扉を開けてガクトの移動ルートを確保、アンドレはガクトが座っていた椅子をとりあえず廊下へ! ガクトはトイレじゃなく風呂にそのまま直行しろ、着替えはすぐに持っていかせる!」
予想外の事態に陥ったとき、人は冷静だと思われる人物の指示に素直に従いたくなる。
普段は裏生徒会規約によりキヨシを無視している女子たちも、今は彼の指示の通りに動いて危機を脱しようとした。
それは他の男子も同じで、よく考えれば爆心地に近いせいで臭いのダメージが酷い。これで床に落として行かれた日には、もう二度と情報室に来たくないとすら思うだろう。
動き出そうとしたガクトより扉に近かったジョーが扉を開け、出ていくガクトがなるべく動かなくていいようにする。
続けて、しみ出したウンコが付着した椅子をアンドレが廊下に出し、とりあえず臭いの元となるものの排除は成功した。
授業は一時中断し、臭いが治まるまで廊下に出ている生徒もいるが、まだ風呂に向かったガクトへ着替えを届ける仕事が残っているため、本来囚人とは接触禁止のはずなキヨシがどさくさに紛れてシンゴを手招きして呼んできた。
「シンゴ、俺が囚人と接触したらマズイと思うから、お前がガクトに着替えを持って行ってやってくれ」
「ああ、分かった」
ガクトはきっと監獄の風呂に向かったはず。キヨシは中に入れないので、シンゴが了解したと頷いて返せば彼は去って行こうとする。
「あ、キヨシ!」
けれど、シンゴは今がチャンスじゃないかと彼を呼びとめた。
場は混乱している。ここでキヨシと話していても指示しているだけと誰も気にしないだろう。周囲の状況を正確に把握し、シンゴは他の者に聞こえないよう少し離れた場所でキヨシに今回の件の真実を伝えた。
「実は、ガクトがクソを漏らしたのはわざとなんだ。アイツ、五月七日に大事な用事があって脱獄しようとしてて。いない間のカモフラージュにウンコ音を録音したんだ」
「脱獄って、確か刑期延長だろ? そんな大事な用事なのか?」
脱獄は連帯責任となっていて、繰り返すと最終的には退学になる。
ただでさえ大切な高校最初の一年を削られている状況だというのに、カモフラージュのためにウンコを漏らすほど、そんな大切な用事とは一体何だとキヨシは疑問に思っただろう。
そうなることは最初から分かっていたシンゴは、理由を話そうとしたとき、自分がガクトが欲しいと言っていたフィギュアの名前を覚えていない事に気付く。
「えっと、ウン、なんだっけ……ウンチョウ、じゃねえ、そんなウンチとかウンコみたいな名前じゃなかったはずだ」
実は合っている。流石の武将も十数紀以上後に、自分の名前がウンコと似ているなどと言われるとは思っていなかっただろう。
だが、ガクトがウンコを漏らしたせいで、そのワードが頭に残ってしまっていると勘違いしたシンゴは、似たような名前を頭の中で言っていき、最終的に聞いた事があるような名前を正解だと思いこんだ。
「えっと……そうだ、確かウンピョウだ! それと後、ヘギソバ!」
「ウンピョウとヘギソバ? ネコ科の動物と新潟県魚沼地方発祥の料理がどうしたんだ?」
『関羽雲長&赤兎馬』と『ウンピョウ&ヘギソバ』、語感の雰囲気は似ている。しかし、まるで掠りもしてないほど異なる物の名前を聞いたキヨシは、意外と物知りでそれらの情報を頭の中に思い浮かべるが、逆に二つとも知っているせいで余計に混乱した。
一方、思い出せてよかったと安心しているシンゴは、ガクトがその二つを欲しがっていると伝えてしまう。
「その日に秋葉でフィギュアが売られるんだとよ。会長が休日をなくしやがったから、アイツはそれのために脱獄しようとしてんだ。オマエが行ってくれれば、アイツは危険を冒さずに済む。金は後で払うだろうから買っておいてやってくれねーか?」
「ああ、その日は秋葉でデジカメを買う予定だったからいいけど。ヘギソバのフィギュアってなんだ?」
「オレもよく分かんねーけど、ヘギソバは単純に食いたかっただけかもしれねえ。とりあえず、ウンピョウのフィギュアと普通のヘギソバがあれば買っておいてやってくれ」
食品サンプルはあってもヘギソバのフィギュアなど存在しない。そもそも、食べ物のフィギュアって何だという話だ。
ウンピョウは動物なのでフィギュアくらいあるかもしれないが、ヘギソバの方は無ければ本物でいいぜとシンゴは適当なことを言った。
話を聞き終えたキヨシは忘れないよう携帯電話のメモ帳にしっかりと残しておき。時間も経っているから、そろそろガクトに着替えを届けてやれとシンゴを送り出す。
「まぁ、分かったよ。クソを漏らした後じゃ遅いかも知れないけど、ガクトにあんま無茶すんなって伝えておいてくれ」
「了解。ああ、オレらからも言う事あったんだ。オマエ、童貞卒業したいからってトイレで花さんを襲うなよ。ま、彼女とイチャつくなとは言わねえけど、ちゃんと謝って仲直りしろよな。そんじゃな」
話はそれだけだとシンゴは手を振って走り去って行った。伝えるべき事、言いたい事、その両方をちゃんと話せたことで彼の足取りは軽い。
だが、
「俺が、トイレで、花さんを襲った?」
それとは対照的に、残された少年はシンゴの言っていた意味が分からず。とりあえず悪い方向に盛大に勘違いされている事だけは理解し顔面を蒼白にして叫んだ。
「花さんが彼女って、アイツらどんな勘違いしてんだよっ!!」
花との関係はそんな素敵な物ではない。追う者と追われる者、シンプルに言えばキヨシは花に殺されても文句を言えない身の上である。
かなりバイオレンスだが、可愛い事は確かなので告白されれば浮かれてOKしてしまうかもしれないが、キヨシが現在好きなのはクラスメイトの千代である。
よって、色んな意味で間違っているぞという気持ちで叫ぶも、その声がシンゴに届く事はなかった。
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第14話 ケイゾク
情報の授業中に起こったガクトのクソ漏らしというハプニング。それ自体は故意に行われたという事で、キヨシは既に気にしていなかったが、ガクトのクソ漏らしよりもシンゴの去り際の言葉の方が気になっていた。
(何故だ。アイツらはどこで俺と花さんが付き合っていると誤解した。一応、花さんには馬鹿共が俺と花さんが付き合っていると誤解しているとメールしておいたが、今のところ返信は無い。まぁ、アイツらの元に直接行ってシメてくれていれば誤解も解けて楽なんだが……)
放課後、ガーデニング同好会で管理している花壇に水をやりながら、キヨシは自分のこれまでの行動で男子がどこを目撃していたかを確認する。
彼らがキヨシと花が会っている場面を見たのは三回。一度目は花がおしっこしたとき、二度目は中庭でアイスを食べたとき、三度目は先日のドーナツを食べていたときだ。
勘違いされた可能性が高いのは二度目のアイスを食べたときだろう。男子らの立場に立って考えたとき、自分の友人が可愛い女子と二人でアイスを食べていれば付き合っているのかと邪推する。
そして、そのときのイメージを持ったまま三度目のドーナツを食べる姿を見れば、やっぱり付き合っていたんだと確信を持つ。
思い込みの激しい彼らならば、誤解のフィルターが掛かった状態で見てくるので、さらに誤解を加速させてきそうですらあった。
(誤解に至った流れは分かった。けど、流石に俺が花さんを襲うのはないだろ。俺が好きなのは千代ちゃんで、花さんも確かに可愛いとは思うけど、そういう恋愛の対象としては見た事がなかったし。いや、可愛いけどね。うん、そこは同意するけど)
このキヨシ、意外とノリノリである。いくらなんでも花を襲ったという誤解は解いておきたいが、友達から「オマエら付き合ってるんだろ、正直にいえよー」と言われるのは結構気分がいい。
そんな事を言われるという事は、自身には彼女持ちのオーラがあるという事であり、まわりからカップルと勘違いされる様な仲の良さということ。
次に花に会ったときに殺されるかもしれない恐怖はあるが、シンゴ達が勘違いしていると伝えた事で、上手くいけば怒りの矛先は向こうに行く。
他の男子四人をシメた後ならば彼女も少しは気分が晴れているはずなので、接触するならそのタイミングだとキヨシは考えていた。
そうして、かなりの打算を含んで友達を生贄に捧げて花との関係修復をキヨシが目論んでいたとき、植物に水を与えている彼に近付く一つの影があった。
「美しい植物たち……だね!」
「あ、理事長。こんにちは」
やってきたのは先日会ったばかりの理事長。何やらクッキーの缶らしき物を持って現れたことで、話があるのだろうかとキヨシは水を止める。
濡れた手を拭き、待たせていたことで頭を下げると、理事長は気にしていないと話し始めた。
「少し話をする時間はある……かね?」
「ええ、いまは大丈夫ですけど」
「それは良かった。実は君に頼みたい事がある」
言いながら理事長は大切そうに持っていた銀色の缶を差し出して来た。缶の蓋にはサインペンで『我が愛しの尻たち』と書かれている。
彼が尻に関して造詣が深く、さらに並々ならぬこだわりを持っている事は先日理解した。
そこから推測するにこの缶の中身は、
「り、理事長、女性の尻を削って保存したんですかっ!? 普通に犯罪ですよ!」
彼の尻コレクションに他ならない。
いくら尻が好きだからといって、好みの尻を保管しておくなど正気の沙汰ではない。
触れて指紋が付けば共犯者にされてしまう。キヨシは全力で距離をあけて、足元にあった園芸用スコップを手に取り近付けば刺すぞという意思表示を見せる。
急に生徒から犯罪者呼ばわりされ、さらに武器を向けられた理事長は焦るが、とりあえず誤解を解くため話を聞いてもらおうとする。
「ま、待ちたまえ。君は大いに誤解してい……る!」
「誤解ってなんですか! 警察に調べられてもいいように、犯罪の証拠を男子寮に置きに来たんじゃないんですか?」
「違う。尻はその人物についているからこそ魅力的なのだ。尻のみを愛するは真の尻好きにあらず。素敵なヒップとの出会いを経験した君ならば分かってくれるはずだ……ろう!」
いくら尻好きでもそんな猟奇的な趣味はしていない。むしろ、持ち主ごと愛するのが真の尻好きであると理事長は熱く語る。
そして、君なら理解出来るはずだと言われ、キヨシは脳内メモリーから花の桃尻を引き出し、あれが別人の尻であったらと想像してみた。
思い浮かべるのは学園で出会った女子たち。千代、その友人のマユミ、裏生徒会長の万里、副会長の芽衣子、表生徒会長のケイト、副会長のリサ、BL好きのみつ子。どの女子もそれぞれの魅力に溢れているのは断言できた。もし、花の桃尻が彼女たちについていればどうだろうか。
千代、割とありだ。
マユミ、まぁまぁありだ。
万里、ちょっと違う。
芽衣子、全然違う。
ケイト、なんか違う。
リサ、違う。
みつ子、少し違う。
脳内審議した結果、一年生である千代とマユミはありのような気がしたが、花本人についている状態と比べれば魅力が僅かに損なわれているように思えた。
本人と尻は切っても切り離せない。本人あっての尻、尻あっての本人ということをキヨシは改めて理解した。
「……確かに、別人の尻だったらあれほど衝撃を受けなかったかもしれません。分かりました。理事長を信じます」
「ありがとう。では、改めて説明させてくれたまえ」
キヨシがスコップを引っ込めれば、理事長は安堵の息を吐いて笑顔を浮かべた。
説明するというのでキヨシはアウトドアチェアを持って来て座り、彼が膝の上に置いた缶に視線を送りながら話を聞く。
「これは私が出会ってきた素敵なヒップたちとの掛け替えのない
「ああ、それは父親として最低ですね」
「うぐっ……ま、まぁ、その通りだ。だからこそ、私は教育者として、父親として、そして男としてのケジメで封印しようと思った」
父親が女性の尻の写真を持っている姿など見たくはないだろう。それが年頃の娘となれば、余計に複雑で嫌悪感すら抱いて父親を軽蔑するに違いない。
千代ならば少し怒る程度だったかもしれないが、見られたのが万里なら彼女は絶対に父親を赦さない。相手のことを深く知らないキヨシですらそれだけは理解出来た。
理事長も自分の娘の性格は分かっているだろう。だからこそ、しっかりと反省して一度は手放そうとした。
「しかし、埋めただけでは再び掘り起こしてしまう。意志の弱い人間だと笑ってくれて構わない。だが、これは私にとって魂の一部でもあるの……だ!」
魂というより欲望の塊である。そうキヨシは思ったがこの場面でそんな事をいえば台無しだ。
故に、相手のシリアスな雰囲気に合わせて『決め顔:哀愁モード』を装備したまま、理事長の話を黙って聞いた。
「私は再び手にしてから考えた。どうすればちゃんと封印出来るかを。そして、思い付いたのは、キヨシ君、君という信頼出来る人物に預かってもらう事だった」
理事長の様な立場ある大人から信頼されているのは嬉しい。男の少ないこの学園の中で、そんな絆を持てた事は確かな財産だ。
けれど、けれどである。いくらそんな人物が信頼して自分を選んだと言っても、女性の尻の写真を預かってくれという不純な理由では、信頼への感動も八割減だった。
どうせ男子寮は一人で使っているので預かることは問題ない。キヨシとしては頼みを聞いてもいいとは思ったが、どうせならもっとまともな理由で頼って欲しかったと思うのも無理はない。
決め顔の仮面を被った少年が心の中でそんな事を考えていたとき、話を続けていた理事長は、不安げな表情で尋ねかけてきた。
「封印は戒めである。だから、どうか赦される日が来るまで預かっては貰えないだろう……か?」
「別にいいですよ。湿気取りを入れて、ビニールにでも包んでしまっておきます」
「なんと、即決とはサンク……ス! では、預かってもらう君には特別に私の愛しの尻たちを紹介しておこう。これは86年ブラジルで出会った……」
この話をすぐに終えて水やりを再開したい。そう思ってキヨシは即答したというのに、理事長は写真を取り出して一枚ずつ丁寧に思い出を語った。
写真に写る尻はどれも美しく魅力的な尻である。だが、理事長は先ほど言っていたはずだ。尻のみを愛するは真の尻好きにあらずと。
理事長が見せた写真には女性の身体がデカデカと写っていて、くびれた腰に形のいい大きな尻とそこからすらっと伸びた足から、写っている女性がスタイル抜群なことは理解出来る。
しかし、肝心の顔が写っていなければ、胸好きと尻好きの間で揺れている少年にとってどの写真も似たような物にしか見えなかった。
(……花さんのお尻の方がいいや)
説明を聞きながら途中で死んだような目をしたキヨシは、理事長が南米美女の尻について熱く語ったことで、自分は花の桃尻のような柔らかそうで可愛いお尻が好みだと気付く事が出来た。
まだまだ心は揺れているが、とりあえず好みの尻を理解出来たことだけは理事長に感謝するのだった。
◇◇◇
ガクトがクソを漏らした日の夜、キヨシが理事長との間に絆を芽生えさせたことである一つの危機が回避されていたとは知らぬ男子たちは、なんとかウンコMP3を手に入れられた事で脱獄が上手く行きそうだと夕食中に話していた。
「多くの犠牲を払いはしたものの、なんとか無事に脱獄を迎えられそうでゴザル」
「ゴホッ……おい、カレー食ってるときにその話はすんなクソメガネ。せっかくの飯が不味くなるだろうが」
「ジョー君が自分で言っちゃってるよ」
「あ、わりぃ」
娯楽が少なく食事が数少ない楽しみであるが故に、この監獄内においては『ウンコ食ってるときにカレーの話すんな』という定番のギャグすらも万死に値する悪行である。
計画が上手く進んでいることを喜ぶのはいいが、なるべく今日の忌まわしい事件には触れずに話せとジョーが言えば、ガクトは申し訳なさそうに言葉を選びながら話を続けた。
「実は今日の刑務作業中、トイレの裏から排水溝を通ってゴミ置き場まで行けることが分かったんでゴザル」
「えー、それは大発見だね! トイレからゴミ置き場の穴までどうやって行くのか気になってたけど、そのルートなら副会長に気付かれずに行けるね」
陸上部の地区大会当日、脱走用の穴のあるゴミ置き場の方へ行く上手い方法がまだ思い付いていなかった。
副会長にばれれば終わりで、どうにか見つからずに移動する方法はないかと考えていたとき、トイレの窓から排水溝が見えた。
排水溝は学校中に張り巡らされており、そこを通れば気付かれずにゴミ置き場に到着が可能だと既に確認してある。
これで後は、出来る限り匍匐前進での移動速度をあげて、ときどき駅までのルートを外に出て確認して当日まで過ごすだけだ。
作戦が具体性帯び決行日が近付きつつあることで、ガクトがやる気を燃やしていれば、今まで黙っていたシンゴが急に口を開いた。
「ガクト、実はその事なんだがよ。当日、脱獄しなくてよくなったぜ」
「ど、どういう事でゴザル? まさか、今頃になって止めろというのでゴザルか?」
「ちげーよ。実はオマエが漏らして風呂に行ったときに、キヨシから着替えを持って行ってやれって頼まれたんだ。そんとき、チャンスだと思って伝えておいてやったのよ」
もしや、ここに来て協力をやめるというのか。ガクトが心配そうに尋ねれば、シンゴは安心しろと笑って事情を話した。
元々、ガクトもキヨシに伝えることを第一目標としていたが、それが不可能だと思って身を削っただけに、思わぬ形でチャンスが生まれたと聞いて大いに喜ぶ。
「ま、誠でゴザルか! それは朗報でゴザル。アリバイ工作の準備がまさかそのようなチャンスを作り出すとは思ってもゴザらんかった」
「ははっ、まぁ、キヨシも当日に秋葉でデジカメ買う予定だったみたいでさ。ついでだからってすぐOKしてくれたよ」
頼んだところキヨシは簡単にOKだと言ってくれた。それを聞いたガクトは感動して目に涙を滲ませ、鼻をすすりながら袖で目を拭うと、三人の方へ向き直り頭を下げた。
「シンゴ殿、誠に感謝いたすでゴザル。これまで協力してくれたジョー殿とアンドレ殿にも心からの感謝を。出獄すれば皆とキヨシ殿にもお礼をせねばならぬでゴザルな」
仲間に大きな借りが出来た。これはちょっとやそっとじゃ返せないとガクトは困ったように笑いながらカレーを口に運ぶ。
最初から美味しかったが、今は余計に美味しく感じておかわり出来ないのが残念だった。
けれど、脱獄する必要がなくなったのなら、あと少しで出獄して好きな物を食べられる様になる。外に出れば最初に食べるのはカレーにしようとガクトは心に決め、改めてこんなにも上手くいくとは思わなかったと話す。
「しかし、危険を冒さず関羽雲長&赤兎馬フィギュアを手に入れる事が出来ようとは、脱獄すべきか悩んでいたときには思いもしなかったでゴザル」
「……え?」
ガクトの話を聞いていたとき、シンゴが目を見開き食事の手を止めた。
いま、何かおかしな単語が混じっていなかっただろうか。そんな風に思いながら、シンゴは隣に座るガクトに改めて聞き直す。
「ガ、ガクト、今オマエ何て言った?」
「ん? いや、悩んでいたときにはこうなるとは思っていなかったと」
「ちげーよ! フィギュアの名前だよ!」
「それは関羽雲長&赤兎馬でゴザルよ。三国志を代表する豪傑でゴザル。シンゴ殿もちゃんと伝えてくれたのでゴザロウ?」
自分の好きな武将の名を口にするガクトはとても楽しそうだ。それだけに、シンゴは相手の表情が曇る事を確信して、とても気まずそうに残念な知らせを伝えた。
「わ、悪いガクト。さっきの話は忘れてくれ。オレ、あんま覚えてなくてウンピョウのフィギュアとヘギソバを頼んじまったんだ」
「…………は?」
瞬間、ガクトの表情が固まる。
相手の言っていることが理解出来ずにフリーズしたガクトは、たっぷり三十秒経ってから全身を震わせ再起動する。
「な、何をどう間違えれば三国志の豪傑がデカい猫になるんでゴザルか!! さらにいえば、赤兎馬とヘギソバなど一文字も合ってないでゴザルゥ!!」
先ほどまで抜け目のない男だと尊敬していたというのに、最も重要な部分を間違えたと聞いて、ガクトはシンゴに掴みかかってお前は馬鹿かと怒鳴りつける。
あまりの迫力にシンゴは顔を引き攣らせるも、割と惜しいところまではいっていた事を伝え、少しは落ち着けとなだめようとした。
「い、いや、同じ四文字だし母音と最後のバは合ってるだろ」
「ふざけるなでゴザル! その程度の一致で同一と見なすのなら、シンゴ殿とチンコは同一でゴザルぞ!!」
「テ、テメェ、協力してやったってのに、人をチンコ呼ばわりとかふざけんなクソ漏らし!」
「結果的に何もしてないでゴザロウが! いますぐ訂正してこいでゴザルゥ!!」
自分の名前がチンコに似ていると指摘されたシンゴは、流石にカチンときて立ち上がるなり相手を掴み返す。
二人が取っ組み合いの喧嘩を始め、ジョーとアンドレは食事中にやめろと引き離そうとするも、ジョーたちが喧嘩を止めるよりも早く、更生室の檻が開いて高速の鞭が舞った。
「五月蝿い貴様ら! 飯くらい騒がずに食え!!」
「おぼろっ!!?」
二人の喧嘩を止めたのは副会長だった。看守室で彼女も食事をしていたはずだが、騒げば音が響いて看守室にも聞こえるのだ。
シンゴもガクトも互いに掴み合っていたというのに、副会長の鞭はガクトの腰と顔面にだけヒットして彼を吹き飛ばす。
掴み合っていた相手が倒れれば流石にシンゴも冷静になり、副会長が帰ってもまだ倒れて悶えているガクトに近付いて手を差し伸べた。
「だ、大丈夫か?」
「うぐぐ……いや、シンゴ殿、取り乱したとはいえ暴言済まなかったでゴザル」
「そんな、オレの方こそチャンスを無駄にして悪かったよ」
一気に喧嘩に発展した二人は、終わるときも一気に冷静になるようで、互いに謝罪すると椅子に座りなおして食事を再開した。
それを見たジョーとアンドレも安心してカレーを食べながら、そういえばずっと気になっていた事があったと思い出し、顔だけガクトの方へ向けて喋りかける。
「ゴホッ……ガクト、実はずっと気になってたんだが、オマエ何で情報の授業中にキヨシにメールしなかったんだ?」
「メ、メール?」
「ああ、パソコン使ってたんだからキヨシの携帯にメールするくらい出来ただろ。必死にウンコの音を探してるから、何かメール出来ない理由でもあるのかって授業中から不思議に思ってたんだ」
ジョーがずっと気になっていたのは、何故ガクトがアリバイ工作の準備などと遠回りな事をしていたのかという事だった。
情報室のパソコンがあれば、各生徒に割り振られた学校用メールアドレスを使って、キヨシの携帯やパソコンにメールを送る事ができた。
学校用メールアドレスにメールがくれば携帯に通知が来るように設定してあるので、仮に携帯のアドレスを忘れていたとしても、学籍番号+共通ドメインのアドレスを入力するだけでキヨシの学校用アドレスにメールを送れたはず。
それほど確実な手段があったというのに、どうして敢えてアリバイ工作の準備をしていたのかジョーが尋ねれば、ガクトは見るからに消沈して頭を抱えていた。
「な、なぜそれをもっと早く教えてくれなかったんでゴザルか」
「いや、オマエとシンゴが計画の準備をするっていうから……ゲホッ」
「小生、完全にクソの漏らし損でゴザルよ……」
アリバイ工作の準備を気にするあまり、ガクトはメールを送るという手段があることを完全に失念していた。
それを教えてくれていればクソを漏らす必要もなかっただけに、落ち込んだガクトの脱力っぷりは凄まじい。
食べ終わった食器を前に出し、テーブルに突っ伏したまま「あー……」と変な声を出す。傍から見ると気持ち悪いが、彼の落ち込む理由も分かるので、アンドレがまだ時間はあると励ました。
「ま、まぁ、まだ時間はあるし。キヨシ君に訂正を伝えられなくても、計画通りってだけだし元気だそうよ」
「あー……そうでゴザルな。うむ。それでは皆の衆、もうしばらくご協力をお願いするでゴザル」
最大のチャンスは逃したが、まだ計画が失敗したわけではない。伝えるチャンスが巡ってくるかもしれないし、ダメでも計画を実行に移せばいいだけだ。
身体を起こし自分の顔を手で叩き活を入れ、他の者へ向き直ったガクトはもうしばらく頼むと改めて協力を申し込んだ。
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第15話 AKIBA'S TRIP
「497……498……499……500っ」
相撲観戦デート当日の早朝、日課である筋トレに励んでいたキヨシは、スクワットを終えると近くのアウトドアチェアにかけていたタオルで汗を拭う。
入念な柔軟運動、ランニング20キロ、腹筋・背筋・腕立て伏せ・スクワットを500回ずつ。晴れの日は植物の水やりのついでにこのメニューを朝の五時半に起きて行い、雨の日は普通に惰眠をむさぼるのが高校に入ってからのキヨシの生活サイクルだった。
通信教育で学んだジークンドーの練習は夜に行っており、最近はいつか復帰するであろう花の攻撃を如何に防ぐかを念頭に置いて鍛錬を積んでいる。
おかげで元々引き締まっていた肉体はさらに鍛え上げられ、格闘技術も防御に関してだけは花や副会長に匹敵するレベルまで高まっていた。
攻撃に関してはまだまだ未熟だが、それもちゃんとした組み手形式でやれば伸びていくだろう。
モテたいと思って始めたはずの筋トレや格闘技が、強くなっていく実感を得るうちに本当の趣味になりつつあることをキヨシはまだ知らない。
とはいえ、現在のキヨシにとって筋トレはあくまで日課の域を出ない。筋トレや水やりに使った道具を片付けながら寮に戻る途中、キヨシは本日のシミュレートを頭の中で行う。
(十三時に両国体育館前に集合だから、少なくとも一時間前には現地についておきたい。お昼は千代ちゃんがお弁当を作ってくれるから、今日の朝は少なめにしてお腹を減らしておこう。ガクトに頼まれたぬいぐるみはどうでもいいけど、先にカメラ買っていくからそのときでいいか)
キヨシはちゃんとシンゴから聞いた話を覚えていた。だが、彼の中では優先順位が低いようで、正直買い忘れても謝ればいいかと考えていた。
フィギュアのためにクソまで漏らしたガクトと、その覚悟を聞いていた他の男子がキヨシの考えを聞けば怒るだろう。
けれど、彼は今日の相撲デートが楽しみでしょうがなく、後で買おうと思っていたカメラを先に買う事にするくらい千代との思い出作りに本気だった。
(今日のためにファッション雑誌を色々と読んだけど、やっぱりガイアが囁いてる系のやつがいいのかな?)
FXで小遣い稼ぎをしているので服を買う余裕はある。そして、どうせなら格好良いと言われたいので、キヨシは伊達ワル系やらが載ったファッション誌を見て、少し抑えめだが似た服を買っておいた。
Tシャツの丈が短くて腹筋が思いきり出ているのだが、鍛えまくったことでシックスパックがくっきりと出ている彼は見事に着こなしている。
だが、今日はあくまでスポーツ観戦。もっと高校生らしい爽やか系の服の方がいいのではと考えを改める。
(千代ちゃんはきっと清純系でくるだろう。なら、俺もそれに合わせて好青年っぽい爽やかな服装の方がよくないか? 伊達ワルは夜まで遊ぶ日に着るとして、今日は春らしいコーデにしておこう)
二人の服装の雰囲気が似ていれば、周囲からはお似合いカップルのように見られる可能性もある。
色々と考えた末にその可能性に期待した少年は、シャワーを浴びて朝食を食べたら着替えて出掛けようと寮への階段を上がって行った。
◇◇◇
シャワーを浴びてシトラスの香りのする制汗スプレーをかけてきたキヨシは、少し早いと思ったが十時前には学校を出て電車に乗っていた。
両国の前に秋葉で下りて、千代を撮るためのデジカメとガクトが欲しがっているというウンピョウのフィギュアを買うのだ。
秋葉までは後もう少し。窓から外を眺めていると秋葉の町並みが見えてきて、一部の通りにやたらと人が集まっている事に気付く。
(あれ、なんかイベントやってるのか? 道とか店も知らないから、人が多いと探すの面倒なんだけど)
デジカメは大きな電気屋で買うので問題ない。事前にどの機種がいいかはリサーチ済みで、後は実際の店舗に行って価格交渉を行うだけだ。
キヨシが買おうとしているデジカメはコンデジなのでそれほど高価ではないが、元々五万くらいする機種なので、店頭価格で四万円ほどまで下がっているそれをどうにか二万円まで下げさせるのが目標である。
故に、何かのイベントがやっていようと少年には関係ないどころか、店に辿り着くのに邪魔な可能性すらあった。
一体何のイベントか気になったキヨシは、窓からなんとか見えないか目を凝らす。そこから見えたのぼりには、『四年に一度、三国志フィギュア祭』の文字が書かれていた。
(三国志か。そういや、ガクトが好きだったような気もするな)
監獄にいる彼は知らないかもしれないが、知っていればもしかしたら来たがったかもしれない。
けれど、残念ながらキヨシは相手と連絡を取れないので、出獄してからもこんなイベントがあったよと教えたりはしないでおこうと思った。
《秋葉原、秋葉原。お忘れ物がないようご注意ください》
電車が駅についたことでキヨシは席から立ち上がる。ここで鞄を忘れるようなヘマをすれば台無しだが、彼はそんなミスを犯したりせずしっかりと荷物を持って電車を降りた。
人の流れの沿うようにホームを進み、階段を下りているところで少し前を知っている後ろが歩いている事に気付く。
特徴的な二つのお団子頭は、表生徒会書記である横山みつ子で間違いない。
こんなところまで何の用事だろうかと考えたところで、この街は所謂そういった趣味の方向けの本を売っている店があることをキヨシは思い出し、きっと遠征に来たのだろうと予想した。
彼女は自分がBL好きだと周囲にばれないようにしていたので、ここでは見なかった事にしてあげるのが武士の情けだろうと話しかけるのをやめようとした。
しかし、
(あ、あれはっ!?)
キヨシは彼女の後姿を見ている途中であるポイントで視線が固定される。
可愛らしい花柄のあしらわれたワンピースという、彼女の雰囲気によく合った服装でファッションセンスがあることが伺える。
だが、そのスカートのすそがパンツの中に一部入っていて、後ろ側が思いっきりパンツ丸見え状態だった。
これは流石にマズイ。周囲の男たちが下衆な視線を送っている事に本人は気付いていない。男子から指摘されるのは恥ずかしいかもしれないが、ここで知り合いとして指摘しないなど出来ない。
キヨシは歩くペースを上げて追い付き、声をかけながら彼女の肩に手を置いた。
「みつ子さん!」
「え? あ、キヨシ君。こんなところですごい偶然だね」
「はい、確かに。ですがそれよりも、スカートが下着に挟まっていて、後ろ側がフルオープンになってます」
「へ? きゃ、きゃあっ!?」
指摘されたみつ子は顔を真っ赤にしてスカートを引っ張りだし、既に遅いが持っていた鞄でお尻を隠した。
お茶っ葉無しのお茶を貰ったときも思ったが、かなり天然なのだろうとキヨシは彼女の属性を再確認する。
スカートが直されたことで下着が見えなくなった周囲の男は、キヨシに対して余計なことをしやがってという恨みの視線を送ってるが、決め顔戦闘モードで睨めばすぐに相手は視線を逸らし去っていった。
そして、周囲から人も減ってキヨシとみつ子も改札に向かって進みだすと、まだ少し恥ずかしそうなみつ子の方から話しかけてきた。
「え、えっと、キヨシ君はどうしてここに?」
先ほどのことにはノータッチ。つまり、彼女は忘れてくれと言外に告げているのだろう。
薄黄色のレースのパンツのことは忘れますと、しっかりと意思をくみ取ったキヨシは相手の質問に素直に返す。
「デジカメが欲しくて買いに来たんです。実際の店舗に行って価格交渉とかもしたいのでここへ来ました。みつ子さんは本を買いに来たんですね?」
「うっ……まぁ、その、はい。でも、最初から分かってますって感じにいうのはやめて頂けるとありがたいです」
確かにその通りだがもう少しオブラートに包んで欲しい。みつ子にとっては切実な願いなのだが、キヨシはあまり真面目に聞いていないのか軽く謝って言葉を続ける。
「すみません。けど、みつ子さんの趣味だとこっちより乙女ロードの方が店も多いんじゃないですか?」
「く、詳しいね。でも、今日はここで三国志フィギュア祭りがあるの。そのとき一緒に三国志グッズとかも合わせて売り出すから、こっちの方が欲しい物も手に入るんだ」
「へぇ、みつ子さんも三国志が好きなんですね。俺の友達にも三国志好きのガクトってやつがいるんですよ。会えばきっと話が合うと思います」
彼女の趣味は色々なジャンルに亘ると思っていたが、意外なことに三国志好きが深まり腐海に沈んだらしく、今日はイベントの開催を知ってここへとやっていたという。
鉄道模型のイベントなどでも、模型以外に鉄道写真集やプレートのレプリカを販売していたりするので、彼女がフィギュアに興味無くても同時に売られる関連商品目当てにここを訪れたことは理解出来た。
その事に感心しながらキヨシが同じ趣味であるガクトのことも紹介すると、彼女も学園に五人しかいない男子の事は知っていたようで、自分の知っている情報の人物であるかをキヨシに確認してくる。
「ガクト君って、情報室でその、アレしたっていう彼?」
「ええ、その彼で合ってます。これは裏生徒会には秘密なんですが、あれって実は脱獄のための準備だったらしいんですよ。排泄音を録音して不在を誤魔化すっていう」
キヨシは表生徒会と裏生徒会の間にちょっとした溝があることを知っている。表会長であるケイトの反応を見ていればすぐに分かるが、対立しているからこそ、表生徒会側の人間であるみつ子はばらさないだろうと信頼してあの日の真実を話した。
それを聞いたみつ子は表情を引き攣らせて苦笑いし、しかし、どうしてそこまでして脱獄したがったのかを疑問に思って聞き返す。
「す、すごく身体はってるね。けど、どうして脱獄なんてしようとしたの? あと少しで刑期終わりだよね?」
「それが、今日ここで販売されるウンピョウのフィギュアを買いたかったらしいんです。シンゴが伝言して来たんですが、ガクトがウンピョウのフィギュアとヘギソバを買うために脱獄しようとしてるって」
「今日ここで発売されるウンピョウのフィギュアとヘギソバ?」
聞いたときはキヨシ自身も何の話だと思ったが、それはみつ子も同じらしく眉を寄せて怪訝な表情をしている。
とはいえ、シンゴから聞いたのはそれだけなので、詳しく訊かれてもキヨシは答えられないのだが、途中から顎に手を当てて何やら考え込んでいたみつ子が顔を上げると口を開いた。
「ねえ、それってもしかして、関羽雲長&赤兎馬フィギュアの間違いじゃない?」
“関羽雲長&赤兎馬”と“ウンピョウ&ヘギソバ”は似ていると言えば似ている。男子の中で三国志に詳しそうなのはガクトだけなので、今日の秋葉で発売されることを考慮すると、伝言係が間違えて伝えたのではと彼女は推測した。
ガクトがもし彼女がシンゴのミスを指摘し訂正してくれたと聞けば、彼女を一生女神として称えただろう。
だがしかし、みつ子の起死回生の一手を隣を歩く男はへらへらと笑って粉砕した。
「いや、確かにシンゴはそう言ってたんで間違ってないですよ。調べたらアニマルフィギュア専門店でウンピョウフィギュアが今日入荷って書いてたんで、多分それだと思います」
いくら商品名を言われたところで、秋葉に詳しくない人間では売っている場所など分からない。
よって、キヨシは事前にちゃんと下調べをしたのだが、ガクトにとっては運悪くウンピョウのフィギュアを今日発売する店が存在してしまった。
下調べをしてしっかりと品を確認した以上、キヨシにすればそれが正解であり、指摘した方も実在するなら間違いではないのだなと思ってしまう。
みつ子はまだ疑わしげだが、改札に切符を入れて通りながら感心したように呟く。
「あ、あるんだ。ウンピョウのフィギュア」
「ええ、写真みたら精巧に出来てて可愛かったですよ。まぁ、間違っててもシンゴのミスですし気にしません」
シレッととんでもない事をいうキヨシの表情はいつも通り。そのせいで話を聞いていたみつ子は、自分の隣にいる少年と他の男子は本当に仲がいいのか分からなくなる。
仲のいい友達なら自分の確認不足だったと言って、間違った友達と一緒になってガクトに謝るはず。だというのに、キヨシは最初から自分の責任ではないと罪を放棄していた。
確かに間違えていれば伝言係のミスでキヨシに落ち度はない。それでも、ここまではっきりと0:10で伝言係の責任と言い切れるキヨシの精神構造がみつ子には理解出来ない。
薄々感じていたがナチュラルクズ系の人間なのだろうかと思いつつ、みつ子は先輩として彼に一つアドバイスをしておくことにした。
「一応、間違ってたときのために教えておくけど、今日発売の関羽雲長&赤兎馬フィギュアは限定品で今回を逃すと次は四年後になるの。オークションとかだと数倍まで値段が上がってしまうから、不安だったら買っておいた方がいいよ。必要なかったら後で買った値段以上で売る事も出来るし」
「そうなんですか? みつ子さんって腐向け以外にも詳しいんですね」
「……うん。まぁ、三国志はそのままでも好きだから。でも、キヨシ君って結構ズバッと斬り込んでくるタイプなんだね」
この子怖い。みつ子はどこか遠い目をしながら、キヨシが予想通りナチュラルクズ系の少年だとハッキリ理解した。
家庭環境か男子一人の生活か何が彼を歪めたのかは分からない。それでも、この男は野放しにしていると他の生徒にまで被害が及ぶ可能性がある。
生徒の安全な学校生活を守る立場の人間として、みつ子は出来る限りキヨシの話し相手になってやろうと心に決め、表生徒会ではケイトしかキヨシの連絡先を知らなかった事で、何かあれば連絡してと自分も携帯の連絡先を教えてから別れるのだった。
◇◇◇
キヨシがみつ子と別れてから少し経った頃、陸上の地区大会で荷物番をしていたガクトはシンゴと一緒に昼ご飯を食べて時間を待っていた。
これを食べたらミッションスタート。今日は何故だか副会長の当たりが強いのでばれれば殺される可能性もある。
しかし、副会長が恐いからといって関羽雲長&赤兎馬フィギュアを諦めれば、高校三年と次回フィギュア祭りまでの四年、足して七年間を無駄にすることになる。
人としての尊厳を捨て、クソ漏らしという文字通りの汚名まで付けられた以上、犠牲を払っただけのものは手に入れないと割に合わない。
食事を終えしっかりと手を合わせて「ご馳走様でした」と呟いたガクトは、隣にいるシンゴが視線だけで行くのかと尋ねてきた事で頷いて返し、予定通りの言葉を口にした。
「シンゴ殿、少々腹が痛いのでトイレに行ってくるでゴザル」
「おう。また漏らしたら大変だからさっさと行ってこい。気ぃつけてな」
「ははっ、大丈夫でゴザルよ。ではしばらく頼むでゴザル」
気を付けろという言葉は元々の考えていた台本にはなかった言葉だ。たった一言だが、それが嬉しくてガクトは泣きそうになりながら席を立つ。
覗きで捕まってからの監獄生活は散々だったが、キヨシに助けられて首の皮一枚で繋がり、さらに裏切りでしかない脱獄に皆が協力してくれた事で、ガクトはこれまで得た事のない真の友を得られた気がした。
だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。シンゴに手を振ってトイレに向かうと、すぐに裏の窓から出て排水溝を通ってゴミ置き場を目指した。
すべては秋葉原で待つ関羽雲長&赤兎馬フィギュアのために。
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第16話 ガクト脱獄、5分間の誤算
心臓が五月蠅く鼓動し、千切れんばかりに振っている手足が痛んでも、それらを無視して電車に乗るまでガクトは走り続けた。
全力疾走することで予定よりも一本早い電車に乗ることが出来、これなら帰りももしかした早い電車に乗れるかもしれないとガクトはいつになく本気だった。
当初の計画よりも順調にきているが、副会長の見回り時間等の計画はあくまで希望的観測の入った予想でしかなく、帰れるのなら早いに越したことはないのだ。
電車に乗っているときに見えたフィギュア祭りののぼりに心が湧き、出来る事なら同好の士と語り合いたい気持ちもあるが、それで遅れれば仲間の協力が無駄になる。
駅を出たガクトが歩行者天国の先にある開催地を目指して必死に走ろうとしたとき、
「こんにちは、今日はフィギュア祭りへいらしたんですか?」
運悪くテレビのリポーターに捕まってしまう。急いでいるのに勘弁してくれと思うが、相手に悪気がないのは分かっているせいでガクトはパパッと答えて解放して貰う事を選んだ。
「そ、そうでゴザル」
「やっぱり! 今日のお目当てはなんですか?」
「祭り限定の関羽雲長&赤兎馬フィギュアでゴザルよ」
「へえ、では好きな武将は関羽ですか?」
こんな質問に何の意味があるのか。そう思ってもガクトは最後まで答えて、一本早い電車で得たせっかくの猶予をゼロにしてしまう。
「お話ありがとうございました。それでは楽しんできてください」
「は、はいでゴザル」
インタビューで五分以上ロスした。その事を心の中で痛く思いつつも、おじぎをしてリポーターと別れるなり、ガクトは再び息を切らしながら全力疾走を開始する。
行きの分はロスで帳消しになってしまったが、急げば帰りに一本早い電車で帰れるかもしれないのだ。
遅れている訳ではないのだから悲観する事は無い。まだいける、そう思いながら目的の店が近付いて来ると、店のエプロンをつけた店員が手をメガホン代わりにして宣伝していた。
「フィギュア祭り限定赤兎馬付きはラスト一個、ラスト一個です! 次回の販売は四年後となります。お求めのお客様はどうかお急ぎを!」
「買うでゴザルー!!」
店までまだ十メートルはあるというのにガクトは叫んだ。
なんという奇跡。リポーターに捕まったときは災難だと思ったが、ラスト一個というギリギリで間に合う事が出来た。
店員もガクトの声が聞こえて笑顔で頷き、本人がやってきて息を切らせていると『魏呉蜀』の地図ステッカーを見せてくる。
「ご購入ありがとうございます!! 最後の一個ということで特製ステッカーをお付けしときますね。こちら包装はされますか?」
「け、結構でゴザル。時間がないので急ぎで頼むゴザル」
「かしこまりました。少々お待ちください」
本当は丁寧に包装して貰いたいが時間がない。袋だけでいいと言えば店員はフィギュアの箱とステッカーを白い袋に入れる。
その間にガクトはレジに表示された金額を出しておき、商品を渡して来た店員は会計が丁度であることを確認して受け取った。
「お会計丁度いただきます。ありがとうございました!」
目的の物は買えた。後は全速力で帰るだけ。行きも必死に走って苦しいはずのガクトは、しかし、満面の笑みで袋を抱えつつ駅を目指す。
(買えた。買えたでゴザル! 皆の衆、ありがとうでゴザルー!!)
覗きが見つかり投獄され、休日返上で働かされると分かったときには絶望したが、こうしてどうにかフィギュアを買う事が出来た。
真の友を得て、フィギュアまで手に入れたガクトの足取りはどこか軽やかだった。
◇◇◇
みつ子と別れてデジカメを買ったキヨシは、電車で両国まで移動して千代と合流し、相撲観戦をしながら彼女お手製弁当を食べていた。
形のいい塩むすび、当日までお楽しみと言っていた卵焼き、ミートボールにタコさんウインナー、唐揚げとポテトサラダとひじきまである“ザ・弁当”というラインナップ。
生姜醤油で味付けされた唐揚げは冷めても美味しく、卵焼きは優しい甘さで実にグッド。塩むすびも均等に味がついており、しっかりと結んであるので食べてもボロボロにならない。
人生初めてのデートがこんなに幸せでいいのかと、キヨシはおにぎりを口いっぱいに頬張りながら感動していた。
「これ、本当にマジで美味いよ。千代ちゃんって料理上手なんだね」
「フフッ、気に入ってもらえて良かった。あ、キヨシ君ったら顔にご飯粒つけてる。それ可愛いから写真撮ってもいい?」
かなりがっついて食べていたからだろう。キヨシの鼻の頭と頬にご飯粒がついていた。
それを見た千代は身体を寄せて自分も写るようにしながら携帯で写真を撮った。上手く撮れて嬉しいのか彼女は写真を見せてくる。
「ほら、よく撮れてる。これキヨシ君にも送ってあげるね」
「あ、ありがとう。ちょっと恥ずかしいけどいい思い出になるよ」
「うん。学生相撲も見に来れて、こんな風に友達とお弁当も食べられて私もすっごく楽しい。キヨシ君、一緒に来てくれてありがとう!」
輝くような最高の笑顔。キヨシにはそれがとても眩しく見えて、幸せすぎて今日死ぬんじゃないかと少し怖くなった。
しかし、千代が早速送ってくれた写真を見れば、これは自分に運が向いて来ているだけだと謎の自信を持った。
仲間たちが覗きで監獄送りになってから自分も色々と辛い思いをした。これはそれに耐えてきたご褒美なのだと思う事にして、キヨシは大量にあったおかずとおにぎりを全て平らげ、心と体の両方で相撲デートを満喫するのだった。
◇◇◇
キヨシが相撲デートに行き、ガクトがフィギュアを手に入れて帰る少し前、部屋に籠もっていた花はテレビのニュースを見ながら縫物をしていた。
以前はベッドの上で毛布に包まれていたが、最近は回復してきてカーテンを開けて部屋の中で自由に過ごせるようになった。
時間が経って傷が癒えてきたこともあるが、動けるようになった一番の理由は、キヨシから送られてきた信じがたいメールの内容だろう。
自分を気遣うメールかと思って携帯を見た花は、男子たちが自分とキヨシが付き合っていると勘違いしていると聞いて血管が切れそうになった。
何をどう間違えればそうなるのか。一瞬、自分のことを好きなキヨシが勝手にそんな噂を流しているのかと花は疑ったが、よく考えればアイスを食べているときやドーナツを食べているところを見られている。
監獄男子四人は実に単純なやつらなので、男女が二人でオヤツを食べていればカップルに見えたのだろう。
そうして、キヨシと全く同じ流れで状況を正確に把握した彼女は、部屋から出られる様になれば男子をシメることに決め、それまでは部屋の中でもストレスを発散出来るように全長四十センチのキヨシ君人形を作っていた。
(あれ、アイツの前髪ってどっち分けだったかな……)
どちらかと言えば左分けだが、花は大学ノートにデフォルメした似顔絵を描いて、違和感の薄い方を確認してから前髪を縫い始める。
このキヨシ君人形は主に足置きやクッションとして利用され、ムカつく事があると綿が出る寸前まで殴られたりする可哀想な運命が約束された存在である。
何故キヨシをモデルにしたかというと殴って一番気持ちいいから。料理が得意な彼女は裁縫もそれなりに出来て女子力が高い。
他の者に見せたら可愛いと言われるであろう出来で、花も作っているうちに結構愛着が湧いているのだが、使用目的はあくまでストレス発散だ。
《リポーターの結野です。今日は秋葉原で開催されている三国志フィギュア祭りにやってきています。こちらは大変な賑わいで、都内だけでなく地方からもフィギュア目的で多数の人が集まっています。早速きているお客さんに話を聞いてみたいと思います》
BGM代わりにつけているテレビからニュースの声が聞こえてくる。秋葉という近い場所でイベントがやっていると聞いても、花は三国志に欠片も興味がないので視線は人形に向けたまま丁寧に針と糸を通して行く。
髪の毛を縫い終えれば制服の細かい部分を仕上げ、ウチの男子制服も結構格好良いじゃないかと心の中で褒めたとき、テレビから何やら覚えのある声が聞こえてきた。
《祭り限定の関羽雲長&赤兎馬フィギュアでゴザルよ》
「……は? なんでコイツがテレビに映ってんの?」
顔をあげて視線を向ければ、そこには女性リポーターにマイクを向けられた眼鏡の囚人がいた。
映像は生中継と表示されているので、映っている以上今まさにガクトは秋葉原にいてインタビューを受けている事になる。
花は携帯を素早く取ってムービー撮影機能を起動し、それをテレビに向けながら思考を続ける。
(会長は休日を許可してない。アイツらに今日は陸上の地区大会を手伝わせるって言ってた。なのにあいつがテレビに映ってるってことは、いま脱獄して秋葉に行ってるってことになる)
監獄送りになってから少しは反省しているかと思えば、フィギュアを買うために与えられた仕事を放棄して秋葉原に行っていた。
花はここ数日の予定を会長と副会長からメールで教えられていただけだが、部屋にいて偶然テレビを点けていなければ気付かなかった可能性が高い。
仕事で出ている二人がテレビの前にいることはほぼないので、花は戦線離脱していながら二人の役に立てたことが嬉しかった。
それと同時に自分たちをこけにしてくれた男子への怒りが湧きあがる。単独犯かそれとも他の男子も協力しているのか、その辺りについては分からないが、撮影したデータファイルを添付すると花は会長である万里にメールを送った。
「このクソキヨシ。テメェの仲間はどんだけ人を馬鹿にしてんだっつーの!」
完成したばかりのキヨシ君人形の顔面に拳がめり込む。感覚はリンクしていないはずだが、このとき離れた場所にいるキヨシは謎の悪寒を感じていた。
◇◇◇
学生相撲を見終わって帰って来たキヨシたちは、駅から学校に向かって歩いていた。
学校まではもうすぐなので、キヨシは携帯を取り出してある人物にもうすぐ学校に着きますと連絡を入れる。
キヨシが携帯を操作しているのを見ていた千代は、誰に連絡したのか少しだけ気になったのか尋ねてきた。
「誰かにメール? 用事あるなら座ってちゃんと連絡した方がいいよ?」
「大丈夫だよ。ケイトさんから一応帰る前に連絡してって言われてただけだから」
言いながらキヨシはケイトからの返信メールを千代に見せる。そこには「了解しました。気を付けて帰って来てね」と学園の女子では珍しい優しい言葉が書かれている。
女子たちも別にキヨシを嫌っている訳ではないが、絶大な支持を誇る裏生徒会が男子との接触を禁じているため、彼女たちは言う通りに彼をいないものとして扱っているのだ。
表生徒会はそんな中でほぼ唯一裏生徒会の権力が及ばぬ存在であるため、外出中の生徒の安全確認という名目でキヨシと連絡を取る事も可能となっている。
もっとも、裏生徒会も個人のメールや電話のやり取りまで厳しく取り締まっていないので、生徒が隠れて他所の男子と付き合っていて連絡を取っていても、目の前で彼氏と電話でイチャつくなどしてばれないかぎりは何も言われたりはしない。
千代もそんな隠れて男子と連絡を取っている一人として、キヨシと仲が良さそうな相手がいて嬉しそうな笑顔を見せる。
「心配してくれるなんてケイトさん優しいね。お姉ちゃんたちが厳しいから大変だと思うけど、困ったら助けてくれそうでちょっと安心かな」
「万里さんたちが厳しいのはしょうがないよ。女子校っていう温室育ちで男子が怖いって子もいるだろうし、そんな中で覗き未遂をしちゃったらどうしてもね」
「それはそうだけど、何もしてないときから話したりするの禁止っていうのは酷いと思うの。お姉ちゃんにどうしてって聞いても、クズからアナタたちを守るためよってしか答えてくれなくて」
今の男子の境遇はガクトたちの行動が原因なので、友人としてキヨシもそれを甘んじて受け入れている。
しかし、千代は自分の姉がそんなルールを作ったのは事件より前だったと不満げだ。
事件後ならば対応の厳格化として理解出来るが、最初から男子を悪として決めつけ入学当初から女子にだけ貼り紙で接触禁止を広めておくなど、男子に失礼であり公平ではないと小さな怒りを覚えた。
その事をキヨシに言えば、自分たちのために彼女が怒ってくれていると理解し、嬉しそうに笑いながら照れて頭を掻く。
「千代ちゃんがそう言ってくれるだけで嬉しいよ。アイツらももうすぐ出獄だから、出獄祝いに何かするときは是非来てよ。千代ちゃんみたいに心配してくれる人がいるって知ったらアイツらも喜ぶし」
「わぁ、いいの? 他の男子とはまだ話したことないから楽しみだなぁ」
「それなら今からグラウンドの方でもいく? 今日は大会運営の手伝いだし。ちょっと挨拶するくらいは出来ると思うんだ」
彼女は裏生徒会の決めた規則に納得しておらず、男子に変な偏見を持っていない希少な女子の一人であるため、他の男子を紹介して貰えると聞いて嬉しそうにしている。
眩しい彼女の笑顔をみて気分が良くなったキヨシは、それなら早速顔合わせだけでもしておかないかと彼女を陸上部の大会が行われているグラウンドへと誘った。
今日は他校の女子も来ているので、私服の千代がこっそり話しかけても大丈夫なはず。何より彼女は裏生徒会長の実の妹なので、姉やその部下たちが彼女を罰することはあり得ないとキヨシは読んだ。
すると、
「うん、いく! あ、お姉ちゃんか芽衣子ちゃんがいても様子を見に来たって言えば大丈夫だと思うから、キヨシ君は何も心配しなくていいからね」
千代はキヨシに何も気にしなくていいと言ってから、自分の意志で彼らに会いに行きたいと告げてきた。
きっと何か言われたときにキヨシが千代を庇うと思ったのだろう。実際、何かあれば千代に被害が行かぬように庇うつもりだが、彼女が逆に気を遣ってきた事でキヨシはそれに頷いて「じゃあ行こうか」と返す。
学校に到着して校門から入り、二人は並んで地区大会の行われているグラウンドを目指す。まだ到着していないというのに応援の声やスタートのピストルの音が聞こえ、千代が「盛り上がっているね」と笑いかけてきた。
それにキヨシが笑顔で相槌を打って校舎の角を曲がれば、トラックを走る女子や走り高跳びをしている女子のいるグラウンドの傍らに、何故だか集まっている男子たちと花を除く裏生徒会の人間がいた。
携帯を持っている万里と副会長の足元でガクトが四つん這いになって俯いており、これはただ事ではないとキヨシたちは駆け寄る。
「すみません、何かあったんですか?」
「ただこの男が玩具欲しさに脱獄しただけです。それより――――何故、アナタが千代といるんですか?」
絶対零度、背筋がゾクリとするほど冷たい瞳で万里がキヨシを捉える。先ほどまでのデートで浮かれた気分など吹っ飛び、キヨシは必死に何か答えねばと言葉を探す。
だが、キヨシが口を開くよりも速く、額に血管を浮き上がらせた副会長がキヨシの胸倉を掴もうとしてきた。
「貴様、会長の妹さんをっ!!」
「うわっ!?」
対花のトレーニングの成果か、伸ばされた手を咄嗟に弾いて後ろに下がる。
相手はその動きに驚いたようだが、驚いている間に千代が二人の間に割って入った。
「待って芽衣子ちゃん! キヨシ君とは一緒に学生相撲を観に行ってただけなの。誘ったのも私からだよ」
悪いのはキヨシではない。だから責めるのなら自分にしろ。強い意志を見せて千代がそう口にすれば、副会長は怯みどうすべきかと視線だけで万里に判断を求めた。
すると、少し距離のあいた場所にいた万里が千代の前までやってきて、愁いを帯びた瞳で妹を見やってから再び冷たい表情になりキヨシを睨む。
「千代、こんな男を庇う必要はないわ。このクズ、大切な妹を誑かそうだなんて即刻監獄行きだわ」
「ま、待ってください。今日の相撲観戦はちゃんと許可を取ってます」
「そうだよ、お姉ちゃん。ほら、これ見て」
千代が間に入ってくれたことで思考する余裕を取り戻したキヨシが反論すれば、千代は持っていた鞄の中からファイルに入った一枚の書類を取り出してみせた。
その書類は先日キヨシが表生徒会と理事長に判を貰いに行ったものである。書かれている内容は、学業の一環として“日本の伝統武道に触れる”ことを目的とした学生相撲観戦の許可を求めるというものだ。
複数ある参加希望者欄には千代とキヨシの直筆の署名があり、その内容を認めるという生徒会長と理事長の署名と認印がしっかりと押されている。
「これは……誰がこんなものを」
「作ったのはキヨシ君よ。そして、その書類には生徒会長であるこの私が判を押したわ」
学校行事について把握していた万里が、学生相撲観戦という自分の知らない行事に目を見開き、震える手で書類を持ちながら言葉を漏らしたとき、キヨシたちの背後から声が聞こえある人物が現れた。
緩い縦ロールというヘアスタイルをした女子、表生徒会長の竹ノ宮ケイトだ。彼女の後ろには竹刀を持ったリサが控えているが、彼女らのことを知らないキヨシ以外の男子たちをおいて、向かい合った両組織の長は張り詰めた空気の中言葉を交わす。
「ケイト……。勝手にこんなものに許可を出して、千代がこのクズに何かされたらどうするの!」
「勝手にとは随分な言い様ね。部室等の差はあれど生徒会と裏生徒会は対等よ。それに許可を出したのは理事長も同じ。日本の伝統武道である相撲を観戦するのに不純さなんて欠片もないし。二人はオヤツや夕食を食べずに真っ直ぐ帰って来たわ。信用していた通りにね」
その書類には確かに万里の父親である理事長の認印も押されている。さらに、時間を考えると二人が試合観戦後に真っ直ぐ帰って来たことは確実。忌々しい事にここではケイトの言い分の方が正しかった事で万里は苦虫を噛み潰したような顔をする。
対して涼しい表情をしていたケイトは、不敵に口元を吊り上げ言葉を続けた。
「万里、アナタが何を言おうと二人の相撲観戦は学校が認めた正式な行事よ。学生という身近な存在を通じて日本の伝統武道に触れる、というね。何か言いたいことがあるなら裏生徒会長として正式に申し立てするといいわ」
既に学校が認めている以上、ここで何を言っても状況は覆らない。不満があるのなら組織の長として筋を通せ。
淡々と告げる彼女の笑みが厭味ったらしく見えて、万里は悔しそうに書類を握る手に力を籠めた。
「くっ……千代、相撲観戦はもう終わったのでしょう。なら、規則通りに学内ではその男子から離れておきなさい。副会長、脱獄した男子は反省房へ、他の男子たちは監獄に入れておきなさい。キヨシに関しては放置で結構です」
「はっ、了解しました。仕事はもういい、貴様らは監獄に戻れ。さっさと立てクソメガネ、いつまで地べたに這い蹲っている!」
悔しいがケイトの言っている事は正しい。グッと堪えて怒りを飲み込むと、万里は副会長に言葉を残し千代の手を引いて校舎の方へと去っていく。
その後ろ姿を最後まで見送らず速やかに命令を完遂しようと動き出した副会長は、シンゴたちに戻るように言い、いつまでも地面で四つん這いになっているガクトを鞭で打った。
叩かれたガクトはようやく起き上がったが、その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「うぅ……小生の、小生の関羽様がぁ……」
ヨタヨタと歩くガクトをアンドレが支え、男子らは副会長と共に監獄へ戻っていく。
しかし、彼らが去った後には玩具の箱らしきものが一つ残っており、近付いたキヨシはそれを拾い上げた。
「これは……呂布奉先&赤兎馬フィギュア?」
落ちていたのは三国志フィギュア祭り限定の“呂布奉先&赤兎馬フィギュア”。これもこれで貴重なアイテムだが、実はフィギュアを買いに行ったガクトはフィギュア祭り限定と赤兎馬付きという単語だけで判断し、店員が別の物を持っていると気付かずに買ってきてしまったのだ。
ちゃんと確認していればそっちではなく関羽の方だと言って正しい物を買えただろう。けれど、急いでいたガクトはラスト一個という言葉で焦りも加わり確認を怠った。
そして、花からのムービー付きメールで脱獄について知った万里が副会長に持ち物を検めさせた際、パッケージを見たガクトも自分のミスに気付いて落ち込んでいたという訳だった。
到着していなかった事で、そういった一連のことを知らないキヨシは不思議に思いつつも、忘れていったなら部屋に置いておいてやろうとフィギュアを持っていく事に決める。
フィギュアを拾い、千代も行ってしまったことでキヨシが寮に帰ろうとすれば、まだ残っていたケイトが話しかけてきた。
「キヨシ君、相撲デートは楽しかった?」
「え、あの、はい。誘われたけど実はあんまり興味無かったんですが、生で真剣な試合を見ると学生でも迫力があって面白かったです」
最初は千代とのデートのために興味があるふりをしたが、実際に見てみるとアマチュアである学生の試合でも迫力があって楽しめた。
これまで学生相撲は観戦したことがなかった千代も大興奮で、デートとスポーツ観戦の両方を満喫できたキヨシも大満足だったと許可をくれたケイトに感謝する。
「フフッ、それは良かったわね。私たちも万里たちの悔しそうな表情が見られたから、お互いに良い思いが出来て許可した甲斐があったわ」
二つの組織は対立関係にある。万里たちの方は表生徒会を無意識に見下しているようだが、ケイト達にすれば裏生徒会など存在している理由も不明で、自分たちこそが本物の生徒会だと思っていた。
部室の待遇など色々と不満な点もあり、そういった意味でこれまで辛酸を舐めさせられてきたが、キヨシが保険として用意していた書類によって、相手を正面から負かすことが出来た。
「中々頭が回るようだな。会長がどうしてオマエを高く評価していたか不思議だったが、先ほどのことで納得できた。やつらの顔を見たら久しぶりに胸がスッとしたぞ」
普段はきつそうな表情をしているリサも嬉しいのか、どことなくいつもより優しい表情で笑いかけ、元からスッとしている胸がスッとしたと高度なギャグを飛ばしてくる。
勿論、そんな事を口にすれば竹刀で打たれるので、キヨシは心の中に留めておくが、見たい物が見られて満足だとケイトが校舎に帰ろうとする直前にリサは再びキヨシに話しかけてきた。
「ウチは部室はボロだがあれで仕事も多い。まぁ、ほとんどは雑用みたいなものだが、それだけに数が多くてな。以前会長も言っていたがオマエなら即戦力として期待できる分歓迎する。興味があれば体験入部という形でもいいから来るといい」
「えっと、まぁ、どんな仕事をしているか少しだけ見学しに行ってみます」
「ああ、最初はそれでいい。一応、連絡先を教えておく。見学に来るなら私や会長に連絡してからこい。それじゃあな」
互いの連絡先を交換すると話はそれだけだとリサはケイトの後を追って校舎に戻った。
後ろ姿を見ていたキヨシもここではすることがないので、大会に出ている女子のユニフォーム姿を横目で見ながら、今日は色々と楽しい一日だったと寮に帰って行った。
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第17話 諸葛、学校やめるってよ
ガクトの脱獄から数日、花がまだ復帰していないこともあって、キヨシは食堂の隅の方で一人食事を取っていた。
夕食には少し早いがお腹が空いたのだからしょうがない。卵とじのカツ丼とミニうどんと漬け物のセットを頼み、キヨシが一人ずるずるとうどんを啜っていれば、少し離れた場所でなにやら女子たちが騒がしくしている。
もっとも、ここはほぼ女子校ということもあって、女子たちが騒がしいのは日常の光景でもある。
誰かに他校の彼氏が出来たとか、そういう女子たちが好きそうな話で盛り上がっているのだろうと思っていれば、騒いでいた集団から千代とマユミが離れて、慌てた様子でキヨシのもとまでやってきた。
「キヨシ君、大変だよ! キヨシ君のお友達が退学しちゃうかもしれないんだって!」
「は? え、友達?」
この学校で友達というと男子四人が当てはまる。クソ漏らしのガクト、チンピラ風のシンゴ、ドMのアンドレ、口内炎が酷いだけなのに何故か咳ばかりしてるジョーの四人だ。
四人の中で退学させられる可能性があるのは誰かと考えたとき、キヨシは覗きをしたんだから全員候補じゃないかと頭を抱える。
しかし、千代の言い方から察するに退学させられるのは一人らしい。ならば、先日脱獄したガクトが第一候補として浮かび上がった。
「えっと、それってもしかしてガクト?」
「あ、ゴメン。名前はまだ覚えてないから分からないんだけど、この前脱獄しちゃった人みたい」
千代は他の男子と挨拶をしていないので、他のクラスである男子らの名前は把握できていない。
キヨシとしては自分の名前さえ覚えて貰えれば十分だが、一応、後で教えてあげようと思いつつ、どうして急に退学という話になったのか経緯を聞いた。
「脱獄一回くらいじゃ退学にならないと思うんだけど、どうして急にそんな話に?」
「私もいま聞いた話だから詳しくは知らないの。でも、学校を囲ってる壁に穴を開けたから、施設を故意に破壊した件と合わさって、脱獄の罪が重くなったんじゃないかって」
本来、監獄からの脱獄は二回までは刑期の延長、三回で退学という事になっている。
初犯のガクトは刑期の延長で済むはずだが、脱獄した際に学園を囲っている壁に穴を開けていたことで、その分も加算されて罪が重くなったようだ。
たかが玩具のために馬鹿だなと思う反面、彼らを犯罪へと駆り立てたのは裏生徒会の布いた規則が原因だろうという怒りも湧く。
理不尽な目に遭わせておきながら、これではあまりに横暴だとキヨシが真剣な表情でうどんを啜っていれば、心配そうな顔をした千代が時間がないと急かしてきた。
「お友達が裏生徒会室に連れて行かれるの見たって人もいたから、今まさに退学させられそうになってるかもしれないの。止めるなら急がないと!」
「分かった。ゴメン、マユミちゃん。これ見といて」
「あ、うん。いってらっしゃい」
帰ってきたら続きを食べる。冷めていても構わない。そうマユミに伝えて、キヨシは千代と共に裏生徒会室へと走った。
◇◇◇
「さあ、これにアナタの名前を記入しなさい」
反省房から連れて来られたガクトの前に万里が一枚の紙を置く。そこには『退学願』と書かれており、つまり彼女はガクトに自主退学を迫っているという事だった。
監獄で退学処分だと聞いていたガクトは、てっきり、学校から除籍処分の退学を言い渡されると思っていたことに加え、未だにフィギュアの件を引き摺っているのか、覇気のない様子で書類から顔をあげて万里に尋ねる。
「小生は……退学させられるのではないのでゴザルか?」
「覗き未遂という罪を犯し、その後更生施設である監獄から学園の塀を壊して脱獄した。アナタの罪を考えれば強制退学処分もありえます。ですが、うちの学園からそのような生徒を出す訳には行きません。なので、アナタには自主的に学園を去って欲しいのです」
まだ学校からの処分は下っていない。仮に下ったとしても規則に則り刑期の延長で済むだろうが、万里たちは囚人が知らないのをいいことに、勝手に退学処分と伝えていたのだ。
そして、どうせ退学になるのなら今後の事も考えた方がいいと諭す。
「キサマがクソを漏らした件は既に学園中に広まっている。刑期を終えてもキサマはクソ漏らしと呼ばれ、女子たちからは冷たい視線を向けられるだろう。仲間である男子からは裏切り者と罵られ、それでもまだ学園に未練があるなら止めはしないがな」
「副会長、そういう言い方はよしなさい。まぁ、学園からの処分が下される前に自ら学園を去った方が、アナタの今後にとってもいいとは私も思いますが」
退学させられたのと、自分から学校を辞めたのでは印象が違う。他の学校を受験し直す際、退学させられたと書かれていれば、前の学校に問い合わせて理由を尋ねる事があるので、学校から処分をくらう前に自主的にやめた方がいいというのは本当だった。
「しょ、小生は……」
学園からの処分がどうなるか知らないガクトは、万里たちの言っている事が正しいと思ってしまい。差し出されたペンを受け取り、手を震わせながら退学願と向き合う。
しかし、自分の犯した罪を理解しながらも、まだ踏ん切りがつかないのかガクトの手は止まっていた。
けれど、それも時間の問題だろうと裏生徒会の二人が眺めていれば、突然部屋の扉が大きな音を立てて開き、二人の人間が飛び込む様な勢いで部屋に入ってきた。
「ガクト!!」
「お姉ちゃん!!」
突然の来訪者に部屋にいた一同は驚き視線を向ける。
中でも驚いた顔をしていたのは、ここに来る理由がないはずなのにやってきたキヨシを見たガクトであった。
「き、キヨシ殿、どうしてここに?」
キヨシはガクトがどのような処分を受けるか学校側から聞いていない。他の男子は先日ガクトの罪状と処分の仮決定を万里が伝えたので知っているだろうが、仲間であっても来る可能性の低い人物が現れた事でガクトだけでなく万里たちも驚いた。
だが、相手の姿を認識すれば先日の屈辱が蘇り、万里は椅子から立ち上がってキヨシを睨みつけ声を荒げた。
「キヨシ、またアナタですかっ。ここは関係者以外入室禁止です。すぐに出ていきなさい! 千代、その男に関わるなと言ったでしょう」
「自分の友達は自分で決めるもん。お姉ちゃんに友達のことで口出されたくないよ! それにキヨシ君は関係者だよ。お友達が退学させられるかもしれないんだから」
そんな一方的な姉の言葉に従う気はない。千代は強い瞳で言葉を返し、キヨシと一緒にガクトの座っていたソファーに腰をかける。
傍で立っていた副会長はどうすべきかと視線で判断を仰ぐが、彼らが来たところでガクトが罪を犯した事は覆られない。
故に、さっさと彼の処分に納得してもらい。ガクトにも自分の罪を認めて退学願を書いてもらう事にする。
立ち上がっていた万里が椅子に座り直し、冷たく感じる切れ長の瞳を向けてきたところで、キヨシは普段よりも真面目な表情で口を開いた。
「お義姉さん、ガクトが退学ってどういう事ですか。脱獄一回じゃ刑期の延長だけって生徒手帳に書いていたのに」
「アナタにお姉さんと呼ばれる筋合いはありません! はぁ……どこでその話を聞いたのか知りませんが、そこの男は脱獄時に学園を囲う塀に穴を開けました。施設の破壊は重大な校則違反です。これまでの罪状と合わせれば退学が妥当でしょう」
ガクトが脱獄に使った穴は既に埋められている。作業は業者がやってくれたので大した手間ではなかったが、それでもガクトのせい無駄に学園の金が使われた事は事実。
さらに、仮に老朽化して崩れやすくなっていたとしても、故意に穴を開けてしまえばそれは立派な破壊行為だ。
学園の風紀を取り締まる立場として、一歩間違えれば不審者が侵入経路に使用した可能性も考慮すれば、ガクトの行いをただの脱走として処理する事は出来ない。
「しかし、その脱獄は裏生徒会が男子から休日を取り上げた事が原因でしょ。刑務所だってもっとマシな待遇ですよ」
けれど、キヨシもそれだけで素直に納得できるほど大人ではない。友人が退学させられるというのなら、原因を作った者がいることを指摘し、いくらか減刑するべきではないかと問う。
「いいえ。休日を貰えるのは模範囚だけです。彼らの作業速度を見れば模範囚とはとても言えません。遅れを取り戻すため、休日にも作業をさせるのは妥当な措置です。なんら規則に違反していません」
それを聞いた万里は表情一つ変えずに淡々と規則に則った処遇だと答える。
実際は父親の汚らわしい趣味の一部を見てしまい。その八つ当たりで彼らに対する処分を厳しくしている部分もあるのだが、とても広い荒れ地の開墾作業はまだまだ残っている。
その事を思えば、彼らの作業が全然進んでいるように見えないという万里の言い分は正しい。
それを伝える相手が、ガーデニング同好会であるキヨシでなければ。
「では、施行日程を見せてください」
「……施行日程?」
言われて万里だけでなく副会長も一緒になって首を傾げる。
単語としては建築用語の一つとして理解しているが、どうして今ここでそれが話に出て来るのか理解出来ない。
「工期日程と言った方が分かり易いですか? どちらでもいいですけど、簡単にいえば作業予定表を見せてくださいと言ってるんです。あんな広い土地に学園菜園を作っているのなら当然あるんでしょう?」
疑問に思って二人の視線がキヨシに集まれば、キヨシは単語の意味が分からないのかと思って言い直しながら、どうしてそれが関係するかを簡潔に伝えた。
「会長はガクトたちの作業が遅れていると言いました。なら、それは当然、工期日程などから判断しているんですよね? 自分のような高校からガーデニングをしている素人でも、大規模な造園作業では工期日程を作成して作業を始める事は知っています。なら、会長が工期日程の存在を知らず、さらにはあんなローテクな道具だけを使っている彼らの作業が遅れていると、素人の判断で言ったりしていませんよね?」
趣味用のガーデニング本には工期日程の事など載っていないが、一歩踏み込んだ造園の本になれば工期日程の事も載っている。
一般人はそんなものを組んで作業しないだろうが、納期のある造園業者ならばまずそれを作ってから作業を始めるのだ。
大抵は、地面に大きな石が埋まっていたり、天候の関係で作業が出来ないなどのトラブルも考慮し、余裕を持った日程で予定を組み立てる。
ガクトたちが開墾作業を始めてまだ数週間だが、木を倒すのに板鋸を使っていたり、耕運機も使わず鍬で地面を耕している姿はキヨシも見ていた。
あんな人力ばかりで休日もなく作業していれば効率が落ちるのも当然で、むしろ、工期日程の方に無理があるのではないかとキヨシは睨んだ。
もっとも、彼としては最初からそんな物は存在していないと思っているが、これで見せられなければ裏生徒会の暴挙だと糾弾出来る。
そう思って万里からの返答を待っていれば、傍で見ていた副会長が怒りの形相でキヨシの胸倉を掴み持ち上げた。
「キサマ、黙って聞いていればさっきから会長に偉そうに!」
「やめて、芽衣子ちゃん。キヨシ君は何もおかしなこと言ってないよ。お姉ちゃん、キヨシ君が言った物があるならちゃんと見せて。それなら男子の皆にお休みをあげないのも納得できるから」
キヨシの身体が浮いたとき、咄嗟に千代はキヨシを掴む副会長の腕を掴んでいた。
万里の妹である千代がいれば副会長は乱暴な事が出来ない。横から抱きつくように腕を掴まれているため、千代を引き剥がそうとすればキヨシを放す必要がある。
これでは文字通り手が出せないため、副会長がキヨシを解放すれば、千代はキヨシと一緒に再び座り直して万里を見た。
「学園運営に関係のない生徒には見せられません。一般生徒では閲覧が許可されない重要書類が存在する事は知っているでしょう? 囚人たちの更生プログラムの一環に含まれる学園菜園作りもその対象です」
「お姉ちゃん、そんな嘘ばっかり言って!」
「待って千代ちゃん。決まりで見せられないなら別に構わないから」
工期日程を見せてくれと言われた万里は、一切の動揺を見せずに規則で見せられないと返す。
実際にそれが存在しようとしまいと、万里が規則だと言ってしまえばキヨシたちは強く出られない。
ただ、この状況でそれをすんなり信じられない千代が姉を責めれば、姉妹にここで仲違いをして欲しくないキヨシがストップをかけ、相手の主張を崩す作戦からガクトに考え直させる作戦へシフトさせる。
「ガクト、規則ではまだお前は退学にならない。自分から退学しようとしたりすんな」
「ははっ、お気持ちはありがたいでゴザルがもういいんでゴザルよ。皆を裏切ってまで脱獄しておきながら、小生は何も為す事が出来なかったんでゴザル。そのような男に温かい言葉をかけて貰う資格はないのでゴザル」
退学願を見つめるガクトは悲しい色の瞳でそう呟く。仲間に協力して貰っておきながら、脱獄がばれるだけでなく、自分は買うフィギュアを間違えてしまった。
クソを漏らした甲斐もなく、目的すら達成出来なかった己など、ただ仲間を裏切ったクソ野郎でしかない。
ずっと前から文字通りのクソ野郎だったガクトが呟けば、彼がグラウンドにフィギュアを忘れて行った事を後悔していると勘違いしたキヨシが、ちゃんと回収して箱のままだが部屋に飾ったぞと現在の部屋を撮った写メを彼に見せる。
「お前が忘れて行ったフィギュアはちゃんと部屋に持って帰ったよ! それに出獄したらお前が欲しがると思って、ウンピョウのフィギュアと皆で食べるヘギソバだって買ったんだ!」
「ああ、それは悪い事をしたでゴザルな。フィギュアはキヨシ殿にあげるでゴザ……ル!?」
ここでシンゴに聞いたとうっかり漏らしたりはしない。それくらいは察しているキヨシは、ちゃんとウンピョウのフィギュアとヘギソバも写メに写っているぞと指でさす。
しかし、それを聞いたガクトは、シンゴの伝達ミスを信じてしまった彼に、こちらのミスで意味のない事をさせてすまないと謝ろうとしかけ、写メに写り込んだある物を見て止まった。
「き、キヨシ殿、これは、これは一体なんでゴザルか?」
震える指で写メのある部分を指す。
ありえない、そんな物があるはずがない。きっと別の何かが光の加減でそう見えるだけだ。
ガクトは自分に必死に言い聞かせながら、自分の買った呂布フィギュアと一緒に棚に並ぶ物の存在を否定する。
「え、ああ、それは」
「これはまさか、小生が脱獄してまで手に入れようとした、四年に一度の三国志フィギュア祭り限定“関羽雲長&赤兎馬”フィギュアではゴザらぬか?!」
だが、キヨシが答える前に我慢できなくなったガクトは、あるはずのない“関羽雲長&赤兎馬”フィギュアにしか見えないそれが、どうして男子寮の部屋に置かれているのかと大きな声で尋ねた。
あまりに大きな声を出したので、驚いた女性陣はビクリと肩を跳ねさせたが、このときキヨシはガクトが欲しがっていた物が“ウンピョウ&ヘギソバ”でないと聞いて驚いていた。
しかし、そこはそれ、彼は変なところで頭が回る男である。本当はみつ子に後で高く売れると聞いて、それなら一つ買っておこうとガクトが嫌う転売目的で買っておいたのだが、キヨシは頭の中でシナリオを練り参ったなと困った表情を即座に作ってみせた。
「ははっ、隠しておけば良かったかな。出獄したときのサプライズのつもりだったのに」
「さ、サプライズ?」
「ああ、ちょっとフィギュア祭りの話を小耳に挟んでさ。それで、もしかしたら三国志好きのガクトが行きたがってたかもって思ったんだ」
「な、ならば、これは小生への出獄祝いに買っておいてくれたのでゴザルか? これが欲しいと伝えた事もなかったというのに」
ウンピョウとヘギソバを買った時点で、シンゴの伝達は完全にミスに終わっていたはず。だというのに、どんな手品を使えば自分がこれを欲しがっていると気付けたのか。
諦めていたはずのフィギュアをキヨシが用意していた事を信じられずにいるガクトが聞けば、
「なんか、お前ならこれが気に入るんじゃないかって思ってさ。友達のことって意外と分かる物なんだぜ?」
シナリオ通りだと心の中で黒い笑みを浮かべるキヨシは照れ臭そうに笑って言った。
この瞬間、周りからは友達想いのいいやつだと認識されただろう。そして、ガクトからは全幅の信頼を寄せられたはずだ。
物と違って人からの良い評価というのは簡単には手に入らない。なら、多少懐を痛めてでも得られるのなら全力で取りにゆく。キヨシは非常に強かな男であった。
誰も不幸になっていないので一応問題はないが、ナチュラルどころか計算され尽くしたクズのターゲットにされたガクトは、クズの想像よりも衝撃が大きかったらしく、感涙に咽び泣きながらソファーを降りてキヨシに土下座を決め込んだ。
「な、なんという彗眼をお持ちの御仁でゴザろうかっ。罪人である小生をこれほど気に掛けてくれていたキヨシ殿への裏切りなど、どうやっても償えないほどの罪でゴザル。キヨシ殿、誠にすまないでゴザル!!」
「顔をあげろよ、ガクト。謝るなら俺じゃなくてシンゴたちにだろ。それから、お前たちの更生プログラムを組んでくれている裏生徒会の皆さんにだ。仲間だけじゃなく更生に協力してくれている人を裏切ったんだからな。そこはちゃんと筋を通すべきだ」
謝罪を受けたキヨシは彼の肩に手を置き顔を上げさせる。行動から発言まで全てがイケメン過ぎて眩しいが、全てが計算だと分かると途端に下衆く見えるのが不思議なところだ。
それに気付いていないガクトは、自分がまだ謝罪していなかったことを思い出し、仕事とはいえ毎日看守として付き合ってくれている副会長や、刑務作業を考えてくれている万里にも迷惑をかけたと深々と頭を下げた。
「会長殿、副会長殿、この度は大変な迷惑をおかけして誠に申し訳なかったでゴザル!! つきましては、反省の第一歩として頭を丸めさせて貰う所存でゴザりまする!!」
反省の代表と言えば頭を丸めることだ。ガクトがわざわざ髪を伸ばして大切にしていた事は副会長も知っている。それを反省のためとはいえ、刈ってしまうなど信じられなかった。
「あ、頭を丸める? キサマが大切にしていたその髪を刈るのか?」
「頭で足りなければ下の毛も刈っていただいて構わぬでゴザっ」
「そんな物は自分でやれっ!!」
「るぅぼっふぁ!?」
頭ならば丸めてやってもいい。だが、何が悲しくて下の毛の処理までしてやらねばならないのか。
副会長の剛腕を喰らったガクトは吹き飛び、心配したキヨシと千代が駆けよれば、大丈夫だと手をあげながらガクトは起き上がった。
「ごほ、げほっ、刑期を終え出獄したあかつきには、キヨシ殿とそちらの
「ああ、こちら会長の妹さんの千代ちゃん」
「栗原千代です。よろしくね。でも別に私は何もしてないからお詫びはいいよ」
キヨシをここへ連れてきたのは彼女で、キヨシと裏生徒会が話を出来る環境を作ってくれたのも彼女である。
本人は何もしていないと思っているかもしれないが、千代がいなければガクトは退学願を書いていたこともあり、ガクトは千代にも恩を感じていた。
ただ、千代はこれで頑固なので、自分が何もしていないと思っているうちはして欲しい事も考えないだろう。
故に、キヨシは落とし所も兼ねて、そういえば千代に男子を紹介する場を設けるんだったと思い出し、晩ごはんでも食べに行こうと提案した。
「あー、じゃあ俺はお好み焼き奢ってくれよ。休みの日にでも食べに行こうぜ」
「あ、そういうのなら私もいいよ。男子の皆とは話してみたかったし。交流会しようよ」
「なんと謙虚な……。あい分かったでゴザル。お二人のために美味しいお好み焼屋をリサーチしておくでゴザルよ。あ、会長殿と副会長殿も来られるでゴザルか?」
お好み焼きなど三枚でも四枚でも奢る。二人の謙虚さにホロリときたガクトは、袖で目を拭ってから店は任せろと胸を叩いた。
そしてさらに、場の空気が明るくなったところで、裏生徒会の人にもお詫びをせねばと万里たちを誘ってみれば、部屋の温度が二度ほど下がる冷たい視線で万里が問い返して来る。
「あなたは私が罪人である男子と食事をすると思っているのですか?」
「い、いえ、全く思わないでゴザル」
「千代も、そんな汚らわしい男子との食事など認めません。お好み焼きが食べたいなら私が連れていきます」
「じゃあ、お店で合流しようね。二つのテーブルに分かれれば座れると思うし」
姉が連れて行ってくれるのなら、男子もその日に合わせれば一緒に食事が出来る。既に男子とお好み焼きを食べに行くつもりの千代の方がここでは一枚上手だった。
万里は姉妹だけあって千代の性格はよく分かっている。ここでこれ以上否定しても話は進まず、逆に副会長に笑顔で楽しみだねと同意を求め始めかねない。
副会長が千代の言葉を否定できるとは思えないので、ガクトが退学願を書かないのなら話は打ち切り、キヨシや千代には部屋を出て行ってもらう事にした。
「ガクト、あなたは退学願にサインする気はないのですね?」
「うむ。キヨシ殿と千代殿と約束したでゴザルからな。それまでは辞める事など出来ないでゴザルよ」
「そう。私はあなたのためを思って言ったのですが、あなたに辞めるつもりがないなら仕方ありません。せいぜい、周りから受ける扱いに悩むといいわ。副会長、囚人の頭を丸めて監獄に放り込んでおいてください。千代とキヨシは用事が済んだなら部屋を出て行くように。部屋を出てからは会話は認めません。以上」
ガクトの退学阻止という目的を達成した以上、キヨシたちもここにいる理由はない。
副会長に連れられ部屋を出るガクトに続き二人も部屋を出て行けば、静かになった裏生徒会室には万里一人だけが残る。
男子が一人消えるせっかくのチャンスを潰された彼女は、窓際まで進んで外の景色を眺めながら、またしてもあの男が障害になったと苦虫を噛み潰した表情をして不満を吐く。
「まったく、またしても忌々しい。やはり、男子退学オペレーションで外にいる彼にも消えて貰いましょう」
健全な学園生活に男子は要らない。自分たちの理想郷を取り戻すための聖戦が男子に学園から去ってもらう男子退学オペレーションだ。
当初の計画では外にいるキヨシまで退学に追い込むことは難しかった。けれど、相手の影響力を考えればプラプラと好きにさせておく事は出来ない。
最悪の場合、自ら犠牲を払ってでも彼を徹底的に潰しに行く必要がある。そう覚悟を決めた万里は、この戦いは裏生徒会とキヨシで互いの存亡をかけた物になると予感していた。
19巻でも花さんのターンは続く!詳細は漫画で!
P.S.更新が不定期ですみません。
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第18話 再会の時
ガクトの自主退学が防がれてから数日。キヨシは放課後に二階の窓から囚人たちの作業を眺めて、ガクトが一人だけハブられていることに気付いていた。
理由は極めて単純、ガクトの脱獄で刑期が伸びた事への仕返し。普段なら二人ずつに分かれる作業も現在はガクトと他三人で分かれており、ガクトが意図的にハブられていることは一目瞭然だ。
傍から見ていればガキみたいな事をするなと思うところだが、キヨシは彼らと同じ立場ではないので、囚人生活のキツさや辛さを知らずに偉そうなことは言えない。
ただ、彼らが仲違いしたままでは、出獄後に予定している千代を招いての交流会が開けない。開いても男子の仲が険悪では千代が楽しめないため、彼らが自分たちで気付いて関係を修復する事を願うが、このまま出獄まで切っ掛けを得られずいくのであれば、キヨシは自分もどこかで動かなければならないと考えた。
(まぁ、アイツらも協力してたんだし、じきに飽きてくるだろ)
とはいえ、彼らの不仲が始まってまだ数日だ。どうせシンゴとジョーが刑期延長でカリカリして、アンドレがそれに従っているだけだと思うので、もう少し様子を見ても遅くはない。
彼らの刑期は三ヶ月。最初の一月は既に終わったので残り二ヶ月なら、夏休み前には出て来られる。
そのときになれば夏休み直前で女子たちも浮かれ、夏休みに入って男子の事を忘れ、二学期からは彼らも多少の冷遇はあるだろうが人並みの学校生活を送れるはずだった。
勿論、裏生徒会の布いた男子との接触禁止ルールがなくならない限り、キヨシたちが表だって女子とは話せない事は変わらないが、二学期まで生き延びれば女子らもキヨシたちに慣れて規則を今ほど気にしなくなる可能性が高い。
学内では監視の目が光っていても、敷地を一歩出れば生徒会の仕事がある万里たちも全てを監視しきる事は不可能。敷地内であっても裏生徒会と敵対している表生徒会を利用すればやりようはある。
不純な動機で元女子校のここへやってきたキヨシにとって、この程度の逆境など望む結果を得たときの感動を高めるスパイスでしかない。試練などいくらでも越えてみせると密かなやる気を燃やして、今後はどうやって女子との接点を持とうか考えながらトイレに行こうと下り階段に差し掛かったとき、階段を上がってくる一人の女子生徒と目が合った。
「あ、キヨシ」
「は、花……さん……」
瞬間、やる気と挑戦する高揚感が萎んで行き、彼女とのこれまでの事がフラッシュバックして冷や汗が流れ出す。
戦線離脱していると聞いていた彼女が何故いるのか。そんな物は復活したからに決まっているが、放課後を自由に過ごそうと思って動き出したタイミングで出会うとは運がない。
ここで素直にトイレに行くと言えば再びついて来られるかもしれないので、キヨシは不自然ではない理由を瞬時に考え出すと、ここを離脱するため“忘れ物作戦”の実行に移った。
「あ、いっけね。教室に忘れものしたかも」
「おい、それ前も使った手だろ。会っただけで逃げようとすんな」
キヨシ、痛恨のミス。確かに似た手を前に使って、その際、花に一瞬で看破されたことがあった。
相手もそれを覚えていたようで数段飛ばしで一気に階段を上ってくると、去ろうと背中を向けたキヨシの肩を掴んで捕獲した。
副会長ほどの剛力ではないが花の力も中々のもの。ミシミシと肉と骨が音をさせている気がして、痛みに顔をしかめたキヨシは相手の腕を外す様に身体を回転させて相手と正面から向き合った。
素人から一歩進んだ初心者の動きで、武道上級者の自分の手を外された花は僅かにいらっと来たようだが、少年が逃げないのならどうでもいいかと思う事にしたのか、相手は腕組みをした状態で真っ直ぐ見つめて口を開く。
「アンタ、会長の妹さんとデートしたんだって?」
「え、いや、えっと」
この質問は流石に予想外だった。万里か副会長経由で聞いたのだろうが、これを確認してはいと答えれば花はどう動くのかが分からない。
もしかすると、男子と接触したからと千代を監獄に贈りにするつもりなのか。そうなれば姉の万里が反対してきそうだが、逆に他の生徒に示しがつかないからと形だけの罰則として謹慎を言い渡すこともあり得る。
キヨシとしては女神である千代にそのような被害が出る事は避けたい。ただ、ここで嘘を吐いても話は既に両生徒会のメンバーが知っているので隠しようがない。
ここで自分が取るべき行動は何か。キヨシが必死に頭を働かせていれば、中々答えないことに業を煮やした花が大声で怒鳴ってきた。
「したのかしてねぇのか、はっきりしろよ!」
「し、しました!」
恐怖を刷り込まれていたキヨシは反射的に答えて、すぐにしまったという顔をする。これで相手に言質を取られた様なものだ。
デートは一応学校の許可を得た正式な物だったが、もし万里が裏で動いてあの許可証を撤回させればどうなるか分からない。
次に花が千代に不利に働く動きを見せれば、千代の平和な学生生活のために相手を亡き者にしなければならない。幸いにも場所は窓や階段の近くで、校舎にも生徒はほとんど残っておらず周囲に気配はなかった。
やるならチャンスは今しかない。そう思ってキヨシが覚悟を決めかければ、対する花は興味なさげな顔で会話を続けてきた。
「ふーん。それで、楽しかった?」
「え、まぁ、はい。学生相撲は初めてでしたけど、見てて面白かったです」
もしや、相手は久しぶりに会って普通に雑談をするつもりだったのか。
亡き者にしようとしていたキヨシは拍子抜けし、己の早とちりを深く反省しながら感想を伝える。
それを聞いた花は内容までは詳しく聞いていなかったようで、「学生相撲?」と首を傾げて微妙な表情をした。
「高校生のデートが学生相撲ってのもどうなのよ」
「いや、一応、学校行事としてでしたし。そういう花さんは高校生らしいデートの経験はあるんですか?」
「アンタには関係ないでしょ」
彼女にそんな経験はない。女子の嗜みとして雑誌でデート特集を読んだりはするが、女子校育ちということもあって彼氏がいたこともデートした経験もなかった。
ただ、それを素直に言えば馬鹿にされる。後輩であるキヨシが女子とデートしたことがあるというのに、三年生の花が一度もデートした事がないとバレれば笑われる可能性が高い。
そう考えた花はムスッとした顔を作ってこれ以上のキヨシからの質問を拒絶し、少し間を置いてから会ったら話そうと思ってた本題について語り出す。
「それよりさ。アンタ、私に何したか忘れてないわよね?」
「そ、それは……」
このタイミングであの日の事を切りだすのか。そう考えながらキヨシが視線を逸らし口籠っていれば、突如花の顔が視界いっぱいに映し出された。
「――――忘れてないわよね?」
「うわっ!?」
ズズイと身体ごと花が顔を近づけて問い直してきた事で、キヨシは驚き後退って背中を窓にぶつける。
開いていなくて良かった、もし開いていれば落ちていたかもしれない。そんな恐怖と花をどアップで見た驚きで心臓が強く鼓動していれば、キヨシの反応が気に障ったらしく花は舌を一つ打った。
「何よそれ。近付いたくらいで人を汚い物みたいに」
「ま、まさか、花さんが汚いなんて滅相もない」
「本当に? 本気でそう思ってないって証明できる?」
腕を組んだまま問うてくる花はキヨシに何かを見ていた。彼女にはキヨシにして欲しい何かがある。それが分からないキヨシは考える時間が欲しいため、時間稼ぎに相手に聞き返す。
「証明、ですか?」
「そうよ。思ってないなら出来るでしょ」
証明しろという事は行動で示せという事。花の評判が事故以前と事故後で変わっているか調べたり、相手の肌や髪を調べて問題ないと証明されれば相手も納得するだろうか。
そう考えてキヨシはすぐに自分の間違いに気付く。相手が気にしているのは自分が汚いかどうかではない。本当は彼女を穢した張本人が汚いと思っていたりしないだろうかという確認が目的なのだ。
キヨシだって原因を作ったやつが汚いと思っていれば、お前のせいだろうがとキレたくなる。きっと花もキヨシがちゃんと反省しているかを見ようとしているに違いない。
それが分かれば、キヨシにとって自分が取るべき“最適解”を導き出す事も容易かった。
「……分かりました。では、失礼します」
覚悟を決めたキヨシは真剣な表情で一歩花に近付くと、そのまま相手を腕ごと抱きしめた。
「っ、テメェ!! 急に何してんだよっ!?」
「は、花さんが証明しろって言うから!」
急に抱きつかれた花は予想外だったのか、混乱して顔を真っ赤にしながら暴れようとする。
けれど、彼女の腕はキヨシが身体と一緒にホールドする形で抱きしめて抑えている。足だけ一応は自由だが、相手が離れるよう花が暴れてキヨシも離されまいと必死に抵抗するので、お互いに倒れないようしていると蹴りを放つ事など出来ない。
「いいから離れろ! ぶっ殺すぞ!」
「離れたら殴るつもりでしょう!」
「ったり前だろうが! 急に抱きつかれてキレない方がおかしいっつの!」
「殴らないって約束してくれなきゃ離れません!」
花の抵抗っぷりを見るとキヨシは自分が選択を誤った事を即座に悟る。冷静に考えたら上級生の可愛い女子に抱きついているだけだ。これでは普通に変態である。
ただ、元々は花が証明しろと言っていたのだから、相手の思う正解ではなくとも間違いではないはず。
キヨシは自分にそう言い聞かせる事で花から離れず、相手が絶対に離れても殴らないと約束し、自分の身の安全が保障されない限り拘束を解かないと告げた。
まわりから見ればキヨシが花に抱きついて、花が顔を真っ赤にしながら一緒にくるくるとその場で回っているように見えただろう。男子との接触を禁止する裏生徒会が男子とじゃれてて良いのかという批判が出そうだが、幸いな事にその場に他の生徒はいなかった。
だが、これからも生徒が来ないとは限らない。何より、二人とも普通の生徒より鍛えているせいで互いに本気で抵抗しあってしまい。体力的にも限界が近かった。
顔を赤くしたまま息を乱れさせ、薄らと汗を掻いている二人は一度止まると花の方が先に折れた。
「わ、分かった。殴らないから、とりあえず離れろ。他の生徒に見られるとヤバい」
「……分かりました」
見られてヤバいのはキヨシも同じ。もしも千代に見られれば誤解は免れない。本人に見られずとも裏生徒会のスキャンダルとなれば学校中に噂が広まる。それはキヨシも流石に避けたかった。
故に、自分と同じく相手も疲れているから攻撃はないだろうと信頼し、身体を離して呼吸を整えると、
「死ねぇクソキヨシっ!!」
「おぼぅっ」
花の瞳が一瞬キランと光ってキヨシの反応速度を超えた蹴りを腹部に放ってきた。
疲労と油断で完全に隙を突かれたキヨシは廊下の固い床の上を転がる。昼に食べて消化されきっていなかった物がリバースしかけるが、それを気合でなんとか耐えて床に手を突き身体を起こすと、これでは約束が違うではないかと責めるように花を見た。
「な、なんで、約束したのに……」
「今のは蹴りだろ。私は約束は守る女なんだよ」
彼女が約束したのは殴らない事だけ。だから、蹴っても約束は破っていない。
屁理屈の様だが左手を腰に当てて立っている彼女は、キヨシを蹴り飛ばして少しすっきりしたのか不敵な笑みで大真面目にそれを言っていた。
そんな相手にこれ以上言っても無駄でしかない。短い付き合いでそれを学んだ少年は壁に手を突き、ゆっくり立ちあがると制服についた埃を払う。
彼がそうしている間も残っていた花は、冷静になったのか顔の赤さも抜けて、先ほどのキヨシの行動の意味を尋ねてくる。
「んで、なんで証明するって言っておいて抱きついたのよ。自分から罪を犯して他のやつと一緒に監獄にぶちこまれたかったの?」
「い、いえ、証明のためですよ。花さんは刑務作業で汗を掻いたアンドレに抱きつけますか?」
「はぁ? そんなキモイの無理に決まって……」
「そういう事です。もし、汚いと思っていれば普通は抱きつけない。けど、俺は花さんに抱きつく事が出来た。これで証明完了です」
そう。キヨシも別に下心があって抱きついた訳ではない。あわよくばと考えていなかったといえば嘘だが、割と大真面目な理由で花に抱きつき相手を汚いと思っていない事を証明しようとしたのだ。
人は汚い物に触れるときに躊躇いを見せる。突然言われれば心の準備が出来ておらず、余計にそれがはっきりと出る。
では、先ほどのキヨシがどうだったかと言えば、彼は一切の躊躇いを見せずに勢いよく花に抱きついた。しっかりと、がっしりと、お互いの胸部が触れ合い相手の鼓動を感じるほどの密着を持って証明してみせた。
これで完璧に疑いは晴れて証明されただろうと自信満々に彼が言えば、顎に手を当てて少し考えていた花が反論してくる。
「けど、覚悟決めたらなんだって出来るのがアンタらじゃない。メガネのオーディオからクソ漏らしの音が確認されたらしいの。これって情報処理室で漏らしたのは録音するためだったってことでしょ?」
休んでいた花が直接聞いた訳ではないが、ガクトの荷物を検めた副会長が携帯音楽プレイヤーから脱糞音を発見したらしい。
彼の持つ音楽プレイヤーに録音機能はないため、録音できたのはパソコンを使った情報の授業のときのみになる。
ガクトはその授業でクソを漏らしたので、パソコンを使って録音された音はそのときの物なのは確実。そして、彼がそれを録音して何に使ったかを考えれば、ガクトをはじめとした男子たちが目的のためなら肉を切らせて骨を断つ作戦を平然ととってもおかしくはなかった。
「元女子校でクソ漏らしの男子がどういう扱いを受けるかなんて馬鹿でも分かる。けど、あのクソメガネはそれでも脱獄のために決行した。その仲間であるアンタが同じように覚悟を決められてもおかしくないでしょ」
「それはつまり、花さんへのハグとガクトのクソ漏らしが同レベルだと?」
言い終わるかどうか。花の幻の左がキヨシの腹に突き刺さる。
「おごっ」
くの字に身体を曲げて床に膝をついたキヨシが弱々しい表情で花を見れば、花は前髪で隠れた額に血管を浮き上がらせてドスの利いた声で返してきた。
「論点はそこじゃねぇし。比べる事自体失礼だろうが」
「は、はい。花さんはとても清潔で綺麗でいらっしゃいます」
蹴りを喰らった場所と殴られた場所はほぼ同じ。これは明日には痣になっているなとフラつき立ち上がるキヨシに、花は怒りが治まったのか普段の冷めた表情で言葉を続ける。
「そういう口先だけの言葉はどうでもいいのよ。私はアンタにやられた事をやり返す。汚くないなら出来るはずだものね?」
「えっ、いや、それは……」
「私は汚くないんでしょ? なら、問題ないわよね」
にっこりととてもいい笑顔で尋ねる花に、キヨシはこの人は何を言っているんだと信じられない物を見るような瞳を向ける。
相手の言っている事は分かる。やられた事をやり返すというのは『目には目を、歯には歯を』と罰則の制限として同刑罰を定めたハンムラビ法典にも書かれているくらいだ。理解は出来る。
ただ、花は汚くないが花から濾過されて出てくる水も綺麗かと言えばそうではない。出てくるときには無菌だが、一般的な考え方として綺麗と言えるモノではないのだ。
キヨシは自分の尿を彼女にかけた。というか浴びせた。だから、やり返すと話す花も、キヨシに自分の尿を浴びせてくるという事になる。
男はホースパーツがあるけれど、ホースパーツのない女性がどうやって掛けるのかという疑問はあるが、彼女の性格上、やると決めたらやるに違いない。
いくらなんでも花の女子高生がそんな突き抜けた復讐を決意しないでも……と思わずにはいられないが、復讐を宣言した本人は伝えたい事は伝えられたことで晴れやかな表情を浮かべていた。
「まぁ、今日は急いでるから証明はまた今度して貰うわ。じゃあね」
「あ、はい。お疲れ様です」
目的を達して上機嫌に去って行く少女。そして、それとは対照的にその背中を見送る少年は、暗い影を表情に落として深い深い溜め息を一人吐いた。
3/5発売のヤンマガサードには20巻のアナザー表紙が付録で付きます。
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第19話 放課後ティータイム
キヨシと再会した花はその場を後にすると裏生徒会室へやってきていた。他の二人は既に集まっていたようで、ようやく復帰した花を快く迎えると、テーブルの上にはお茶が用意されお菓子が並べられる。
それらを摘まみながら会長の万里からこれまでの経緯と今後の予定について聞かされ、作戦名“DTO”こと“男子退学オペレーション”の実行が急務だという事は花にも理解できた。
しかし、目的については分かったが、万里の語ったDTOにはまだ具体的な内容が存在していない。いくら男子が危険な存在だと認知されようと、切っ掛けとなる問題を起こさなければ裁かれたりはしない。
さらに言えば、囚人たちは危険人物と見なされていようと、ただ一人投獄を回避しているキヨシは一部の生徒から一定の評価を得ており、その中には裏生徒会と対立関係にある表生徒会もいる。
いくら裏生徒会が絶大な支持を得ていても全生徒に好かれている訳ではなく、中には彼女たちの人気に嫉妬して嫌っている者や表生徒会を支持している者もいた。
それであまりに強行策を取れば反発は必至。表生徒会やキヨシ支持派の生徒が立ち上がり、裏生徒会失脚のため調査に乗り出すことも考えられる。
万里も当然それは理解しているだろうが、慎重に事を進めねばならないと改めて意識したところで、紅茶のカップを置いた万里が口を開いた。
「囚人たちの調査は副会長に頼みます。刑期延長で苛ついているときこそ弱みも知りやすいでしょうから、DTOの具体案を詰めるため細かな情報も見落とさないように」
「はっ! それにつきましては、現在、クソメガネの孤立という形で仲違いしており、一部の囚人には荒れた様子も見られます。この分ですと数日中に情報は集められると思います」
「そうですか。では、くれぐれもクズ共にDTOの件がバレないようお願いしますね」
こういったものはネタの鮮度が大事だった。脱獄した直後に再び問題を起こせば悪印象は強まり、学校と生徒の両方から男子退学の要望が届くに違いない。
男子らの仲違いを助長させるのも同じで、刑期延長を憎んでいる者がいれば、それを利用するなら感情がはっきりと残る早めの方が良いのである。
囚人らを毎日見ている副会長は、シンゴやジョーが苛ついてイジメを行っている事にも気付いており、反対にガクトがキヨシへの義理とシンゴたちへの負い目で耐えていることも分かっていた。
直接的な暴力こそないものの、逆に男の腐ったようなやつだなと思わなくない陰湿さに呆れてしまったが、今はその陰湿な手口のおかげで事態が長期化しそうな事を喜ぶべきだろう。調べるにせよ、細工をするにせよ、バレないようにしつつ人を動かすには時間が必要なのだから。
副会長がそうやって万里と今後の動きについて確認を取れば、話が一段落したところで復帰したばかりの花が自分はどうしようかと笑顔で尋ねた。
「会長、私は何をしたらいいですかぁ?」
「……あなたにはキヨシの担当を頼みます」
「え、キ、キヨシの担当、ですか?」
予想外の返事に花も少々動揺する。確かにDTOの対象は囚人だけでなく、外でプラプラしているキヨシも入っているけれど、まさか具体的な内容を詰める前から既にマンツーマンが決まっているとは花も思わなかったのだ。
とはいえ、花自身も彼とは色々と決着を付けなければならない事がある。それを思えば二人だけで別行動を取るのはむしろ歓迎なのだが、万里がどのような意図を持ってキヨシ専属担当に己を指名したのか知りたかった花が訊けば、租借していたクッキーを飲み込んでから万里が答えた。
「普段は副会長と一緒に囚人の方を手伝って貰うつもりですが、そちらの仕事に就いていないときにはキヨシをマークしてもらいたいの。アレは単独で動ける分、先日の相撲観戦のようにこちらの予想外の動きを見せてきます。そうなるとこちらも徹底マークで対処するしかありません」
現在、キヨシは完全にフリーになっていて行動も制限されていない。以前まではたまに花が傍にいて監視していたが、花がとある事情でリタイアしてからは監視に割く人員がいなかったこともあり彼に自由を許していた。
だが、先日の相撲観戦のときのように、同性である理事長や裏生徒会と敵対している表生徒会を味方に付け、己の行動を正当化するためだけに正規の書類を新しく作られてはかなわない。
それを阻止するには常日頃から彼をマークし、悪知恵を働かせても行動に移す前に潰すのが上策である。自分の時間を監視のために割くのは面倒だろうが、そこは分かって欲しいと万里が言えば、理由は理解できるが自分が担当として選ばれる意味がいまいち理解できないと花は返した。
「い、いや、でも、会長が首輪をつける感じで連れ歩いたりすれば大丈夫なんじゃ」
「話によればキヨシと一緒に昼食を取ったりしているのでしょう? 私がこれから接触するよりも、これまでの積み重ねのあるあなたの方が警戒されづらいし、キヨシの行動パターンも分かっていると思うの。確かに危険な任務を押しつける形になって申し訳ないけど、どうか頼めないかしら?」
理由はそれか。聞いて思わず花は頭を抱えたい衝動に駆られた。
別に仲が良いから一緒に昼食を取っていた訳ではなく、万里から注意しておいて欲しいと言われたから、相手が逃げないようにという牽制も籠めて一緒にいたのだ。
自分が頼んだことをまさか忘れているのかと一瞬疑いそうになるも、よく考えればリタイア前に取ってた行動が放課後まで延長されるくらいの違いしか無い。それなら電話で呼べばキヨシも来ると思われるので大丈夫かなと花も話を受けることにした。
「わ、分かりました。けど、どういうことを狙っていけばいいんですか?」
「簡単に言えばハニートラップよ。もしあれが勘違いから変な行動を起こしてくれば、叩きのめしてから現行犯で監獄送りが望ましいわ」
「あー……それはじゃあ、二人で放課後や休日に遊びに行ったり的な?」
「そうね。不愉快でしょうけど行動を引き出すためにはそういった事も必要になると思うわ。勿論、私たちはそれが作戦だと知っているから、連絡さえくれれば門限に遅れることも目を瞑ります」
ハニートラップとは、相手を誘惑することで油断した相手を始末したり情報を引き出したりする諜報活動の一つで、その系統から、勘違いをこじらせたキヨシが花に襲いかかる可能性は十分あった。
もしもくれば下劣漢など土に還してくれると思っている花は対処するだろうが、あれでキヨシも油断ならない技を持った者である。不意を突かれて襲われてしまう危険性もあれば、それとは別にある問題点があることに気付いた副会長がその点を指摘した。
「会長、一つよろしいでしょうか?」
「何かしら?」
「私たちは作戦のために動いていても、一般の生徒や表生徒会のやつらから見れば、花とキヨシが遊んでいれば普通にデートしていると思われるのでは?」
副会長が懸念したこと、それは嘘が誠として認知されてしまうことだ。
他の生徒にすればキヨシは現時点では無害。学園内での監視は“男子”に怯えている生徒を安心させるための精神衛生上の理由であったり、男子に学園内を自由に闊歩されると鬱陶しいからという理由だった。
けれど、一歩学園の外に出ればそこは外界でのルールが適用されるようになり、いくら監視名目だろうと男女の仲を邪推する輩が現われるのは必然と言える。ただでさえ女子はそういった下世話な話が大好きなのだ。その話題の中心が絶大な人気を誇る裏生徒会役員と、男子で唯一“イイ感じ”という評価を受けつつあるキヨシとなればゴシップ的に申し分ない。
キヨシにとっては美少女と呼べる先輩との仲を噂されれば満更でもないだろうが、花の方は下衆との仲を噂され余計な尾ひれがついて不名誉な事まで言われてしまえば経歴に傷がつくことになる。今後大学への推薦も含めた進路に響くことも考えれば、肉体的、社会的の両方で危険なことを頼む以上事前にある程度の根回しは必要と思われた。
副会長の話を聞いていた万里は組んでいた腕の片方で顎の辺りに触れると、しばらく考える素振りを見せる。女子たちにただ話を広めてはキヨシに作戦を気付かれる恐れがあり、かとって全く根回しをしていなければ花に危険が及ぶのだ。バレたときのリスクを考えれば実に難しい作戦だけに万里が長考すれば、花と副会長が紅茶のおかわりをしたところで考えが纏まったらしく万里は顔を上げた。
「……一理あるわね。ただ、監視目的で学内では共に行動している事は既に知られているはずです。学外でも同じようにしていると親衛隊の方たちには伝えておきましょう」
バレることを考えればあまり話を広める事は出来ず、しかし、花のために根回しをしない訳にはいかない。
そこで考えた末に万里が出した結論が、親衛隊の者にのみ話を通しておくというもの。
裏生徒会自体のファンは多数いるが、その中で親衛隊に加入している者は一部だ。上から加入を打診されたり、自ら志願して入隊する者もいるけれど、どちらにせよ親衛隊は全学年全クラスにほぼ満遍なく存在するため、どこかで噂が立っても火元となった生徒の把握と火消しは容易と思われた。
ベストとは言い切れないだろうが、現状考え得る仲ではベターな選択肢。これでどうだと万里が二人に尋ねれば、副会長も花も頷いて返したことで今後の方針は決まった。
「それでは、キヨシとどのように過ごすかは一任します。証拠も残せるようなら残してちょうだい」
「はい、了解しました」
作戦について聞かされた花はしっかりと頷いて返す。万里が彼女をキヨシ担当にしただけでなく、その行動まで自由に任せたのは理由があった。
その昔、二人がまだ一年生の頃、当時の裏生徒会長の命令で頻発するナンパ男を狩るように言われたことがあり。二人は私服で駅前に立っていたのだが声を掛けられなかった。
目の前で何人ものクズが女性らに声を掛けているのは見ていたが、どうして自分たちのもとへは来ないのだろうと疑問に思っていたとき、花の発案で万里は別の服に着替えることとなった。
万里としては品がないというかあまりセンスが良いとは思えない服だったのだが、男はそういうのが好きという花の言葉の通り、着替えてからは次々とクズが現われては泣きながら帰って行った。
以降、万里は花が男心を知っているものと認識しており、ハニートラップをしかけるなら己や副会長よりも適任だとも思っていたのだ。
もっとも、声を掛けられなかったのは男心以前に万里の私服センスが個性的だったからなのだが、キヨシ担当になったもう一つの理由を知らない花は、他の二人から復帰を祝われ楽しいお茶の時間を過ごしていった。
八月に監獄学園作者の平本アキラ氏の画集『眼福 Gampuku』の発売が決定!
監獄学園のカラーイラストやイラストのカラー化など多数掲載らいいですよ。
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第20話 キヨシの挑戦状
ずっと休んでいた花と再会した二日後、キヨシは“放課後は空けておけ”というメールを花から貰ったことで怯えながら校門前に立っていた。
彼女はやられたことをやり返すと言っていた。余計な報復はせず、ただやられたことだけをやり返す点は非常に優しいし、キヨシとしても故意ではなかったのでありがたいとすら感じたくらいである。
けれど、いくら相手が美少女であったとしても、変態でもなければおしっこを掛けられて喜べる訳がない。
それならば病院送りになってもいいから殴られた方がマシまである。殴られれば痛いがそれだけだ。後遺症が残る危険を無視すればいずれ治る。
一方で、おしっこをかけられれば人はどうなるだろうか?
痛みは無い。目や傷に入れば染みるかもしれないが、それでも痛みが原因で死んだり病院送りになることはだろう。
だが、肉体へのダメージが皆無であったとしても、かけられれば人として大切なものを失う。プライドなどという軽いものではない。もっと己の根源的な、人が人として生きていく上で必要な尊厳のようなものが失われる気がしてならない。
加えて、野生の世界ではおしっこをかけるというのは自分の縄張りを主張する行為だ。ここは自分の縄張り、言い換えれば自分の所有物、そんなことを花が考えているかは分からないが、キヨシは掛けられた時点で花と生きていく事を余儀なくなれるのではという恐怖を抱いていた。
自分が好きな相手は千代だと、花にかけさせろと迫られても全力で抵抗する。そう心に決めて待っていれば、少々ムスッとした表情をした花が歩いてやってきた。
「今日はちゃんと来てるのね」
「え、ええ、今日は偶然にも用事がなかったので」
「いつもないくせに」
以前、キヨシは花を恐れて放課後や休日は予定があるように装って街に行き、用事があって今日は街にいるんですよと逃げていた。
無論、それは花にもしっかりとばれていて、次に逃げたら殺すとまで言われてようやく諦めたというオチがある。
その事もあって花から見たキヨシは花壇の手入れをしていない限りは暇人という印象なのだが、一応、己の名誉のためにキヨシも毎日が暇人という訳ではないと主張したかった。
口にすれば殴られるか意見を無視されるだけなので言ったりはしないが。
「それであの、今日は一体なんの用ですか?」
「用がなきゃ呼んじゃいけないの?」
予定を空けておけとしか聞いていないキヨシが尋ねれば、花は身長差からほんの僅かに見上げる形で言葉を返してくる。
花が見上げるということは、キヨシから見れば相手は上目遣いということであり、その容姿も合わさってグッとくるものがある。
もしも、いい感じの仲の女子に言われれば、思わず自分に会いたかったのかと勘違いするところだが、残念なことに花は面倒くさそうな雰囲気を纏っており勘違いの余地はなかった。
「今日はただ遊ぶだけよ。裏生徒会の仕事って気を配ったりも必要で意外と疲れるから、たまに思いっきり身体を動かしてストレス発散しようって話。会長と副会長を誘うにも全員が学校を空ける訳にはいかないからあんたを呼んだの」
生徒らの尊敬を集めている裏生徒会はやはり苦労も多いらしく、花は凝った肩を回す仕草をしながら呼んだ理由を話す。
囚人らを相手に暴力を振るって身体は動かせていそうなものだが、気持ち悪い男子らの相手をするのはまた別のストレスがあるに違いないので、健全な方法でストレスを発散したいという気持ちは理解出来る。
全員が学校を空けられず、かといって人を誘おうにも一般の生徒だと相手がかしこまってしまうので、そういった対象から外れる自分に白羽の矢が立ったことを理解したキヨシは、思いっきり身体を動かすならと行き先を一つ提案した。
「は、はぁ、そうですか。じゃあ、駅前のグラスポでも行きます? あそこならゲーセンとかカラオケもあるんで一つに飽きても遊べますし」
グラスポとは駅前にある大型スポーツレジャー施設のことで、正式な名前はグランドスポージアムだが、客からはグラスポの略称で親しまれている。
施設には定番のボウリングにバッティングセンター、フットサルにバスケ、ビリヤードにカラオケやゲームセンターも入っているので中で軽食も取れることもあって人気は高い。
無料の会員証で値引きされることもあり、若者が遊ぶにはうってつけだが、花は何やら考え込んでいて答えが返ってくるまで二分を要した。
「……ま、いいわ。そこで」
「あ、はい。じゃあ、行きましょうか」
相手の反応に少々引っかかるものはあるが、最終的には了承されたのだ。他にアイデアがある訳でもないキヨシは相手に移動しようと告げると、距離が離れすぎないよう注意しながら駅前を目指した。
◇◇◇
グラスポに到着した二人は何をしようかと相談した結果、定番のボウリングで行こうと三ゲーム+ドリンクバーで申し込み、ボウリングシューズを借りてから移動した。
目的のフロアに止まったエレベーターを降り、自分たちのレーンに行く前にジュースを入れて行ってしまおうとキヨシはコーラを、花はメロンソーダをグラスに注ぎ、席のドリンクホルダーに置いたところで、自分たちの名前が既に入っているのを確認したキヨシがなんとなしに口を開いた。
「なんか、二人の名前が並んでる画面みるとデートっぽいですよね」
画面には選手1にキヨシ、選手2に花の名前が表示されており、まるで他のレーンのカップルのように自分と女子の名前だけが書いている画面など初めてみたキヨシにとっては、これは中々に新鮮な光景だなと感慨深いものがあった。
けれど、口は災いのもと。ハハハと笑ってキヨシが花の方を向けば、相手は心の底から嫌そうな顔をしてから、怒りを我慢した低い声でボール置き場を指さした。
「くだらねぇこと言ってねぇでボール取ってこいよ」
「は、はい。すみません」
彼女が怒りを我慢したのは単純にここが公共の場であったからだ。お嬢様学校として有名な八光学園の制服を着ている以上、彼女たちは学校の看板を背負って歩いているも同然。
となれば、男子と二人でいるだけでも危険だというのに、さらに騒ぎを起こして学校にクレームが行けば目も当てられない。
金髪+ジャージ穿きの女子生徒と同じ学校の制服を着た男子生徒など、すぐに二人であると特定されてしまうので、問題を起こさず周囲からも注目されないよう怒りを抑えた花はまさに出来る女と言えた。
そんなスタートから問題を起こしかけつつ、キヨシは12ポンド、花は9ポンドのボールを選んで靴も履き替えて準備は完了。
投げる順番は受付の時点でジャンケンで決めていたので、後はキヨシが投げればゲーム開始なのだが、ゲームを始める前にとジュースを飲んでいたキヨシは一つ花に提案した。
「花さん、ただスコアを競うのもつまらないので一ゲームごとに勝負しませんか? 勝った方が相手に一つ命令するってやつです」
「は? 負けたら鼻からジュース飲めとか?」
ふと思い付いただけだが、花はストローを鼻に挿して苦しそうにコーラを飲むキヨシを想像し、これは中々に面白いかもしれないと口元を吊り上げる。
彼女もかなりの負けず嫌いで有名なので、相手に何か言うことを聞かせられるルールであれば余計にテンションも上がった。
その反応から命令という罰ゲーム導入をOKと受け取ったキヨシは、ならばと先にいくつかルールを決めましょうと話を続ける。
「命令は先に決めるタイプで行きましょう。あ、退学しろとかそういうのは無しです。あくまで遊びなので他の人に迷惑がかかるのも禁止ですよ」
「じゃあ、今日のお金全部奢りってのは?」
「うわ、いきなりそれ言った人初めてですよ。別にいいですけど」
命令ルールを提案したキヨシだったが、彼はこのルールを中学生の頃から導入し友人らと競い合ってきた。
帰りにコンビニの肉まんを奢るという可愛いものから、次の学校の日に好きな人に告白するというエグいものまで様々あったが、一ゲーム目から今日遊ぶのにかかるお金を全て奢れという命令をされたのは初めてだった。
ボウリングが終わっても時間が余れば施設内の他のもので遊ぶ可能性はある。ボウリングの精算時にUFOキャッチャーのタダ券が貰えるので、ゲームセンターにはほぼ確実に行くこともあり、グラスポだけで総額でいくら掛かるか分からない。
帰りにさらに外食までしようという話になれば目も当てられないので、キヨシはこれは絶対に勝たなければと三ゲーム全て取るための作戦を練った。
そして、考えること三十秒、あまり長考すれば相手に変な疑いを持たれると思ったが故の早さだが、すぐに立てられる中ではベストだと思われる作戦の第一手を打ちに行く。
「じゃあ、俺が一ゲーム目に勝ったら花さんは学校に帰るまでジャージを脱いでください」
「はぁっ!?」
キヨシの放った言葉に花は目を大きく見開いて驚いた。それも当然だろう、まさか罰ゲームに着ている服を脱げと言われるなど考えてもみなかったのだから。
相手の反応に大きな動揺を見たキヨシは、精神的な優位はまず掴んだと内心で笑みを浮かべ、しかし、表情では平静を装って畳み掛けに行く。
「なんですか? 他の女子は制服で普通にやってますよ。ジャージを穿いてるのは花さんくらいです。脱いでも他の女子と同条件、この命令になんら犯罪性はないと思いますが?」
「テメェ、クソキヨシ……っ」
そう、服を脱げという種類の命令ではあるが、ジャージを脱いだところで花はスカートも穿いているのだ。ガードは弱くなるだろうが下着が丸見えになる訳ではない。
二人のいるフロアの他のレーンでは実際に他校の女子生徒が制服のままゲームを楽しんでおり、キヨシの命令に犯罪性がないことはそれで立証出来る。
おかしいのはジャージを穿いている方であり、脱いでも他の生徒と同じになるだけだと理解して貰ったところでキヨシは最後の挑発を行なった。
「花さん、これはあくまで俺が勝った場合に花さんが受ける罰ゲームです。勝てば良いだけの話じゃないですか。勿論、負けを恐れて勝負を降りてもいいですけどね」
誰が聞いてもわざと煽っていると分かるほどの安い挑発。けれど、安い挑発だと無視したところで、たかが遊びの罰ゲームが恐くて逃げたという事実は変わらず、キヨシにだけは負けられないと思っている花に逃げる道は残されていなかった。
全て相手の思惑通りになっていると思うと癪だが、確かに勝てば良いだけの話だ。フンと鼻を鳴らして鋭い視線でキヨシを見た花は、足を組み直してメロンソーダをグイっと呷ると勝負を受ける旨を伝える。
「わかった。あんたの安い挑発に乗ってやる。だけど、二ゲーム目は覚悟しとけよ」
「ええ、分かりました。まぁ、一ゲーム目の命令を撤回しろ、なんてことになるかもしれませんがね」
ゲーム毎に命令するルールであるため、勝てば一つ前のゲームの命令を撤回させるという事も出来る。
勿論、その場合は他の命令も一緒にするなどという複合的なタイプには出来ないし、三ゲーム目に勝って前二つの命令を撤回しろという事は出来ない。
一つの命令で打ち消せるのは一つの命令まで、それをちゃんと花にも説明しつつ、各々が勝負前にガチのストレッチをしている最中にキヨシが重要なことを忘れていたと一つ付け加えた。
「ああ、ついでにもう一つ。真剣勝負なので勝つために妨害はありです。ただし、相手に直接触れたりボールやシューズ、ドリンクに細工をするのはダメです。投げる瞬間に音を立てて集中を乱すとかそんな感じでお願いします」
「えー……あんたの中学校どんなエグいルールで遊んでんのよ。いいけどさぁ」
勝つために手段を選ばない。そんな事をしてまで勝利を得ようとする中学生を想像し、花は他の学校の生徒は嫌なガキだったんだなと微妙な気持ちになった。
けれど、一応そういう事なら花にも恩恵はあるので、妨害時の禁止事項を破れば勝敗に関係なく罰ゲームということも確認してストレッチを終えた。
準備を終えた両者は背後に炎のエフェクトが見えそうなほどの気合いを纏って見つめ合う。
片や空手のインターハイベスト4の運動神経抜群美少女、片やその下衆さにおいて並ぶ者なしのナチュラルボーン下衆男。
勝てば天国負ければ地獄。放課後の遊びに誘った方にしてみれば本当はハニートラップが目的だったのだが、自然なデートなど神は認めず二人は戦う運命しかないのだろう。
絶対に負けられない戦いの火蓋は今まさに切られようとしていた。
二十二巻の着せ替えカバー付きヤンマガサードは8月6日に発売です。
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第21話 俺たちアマボウラー
花が勝てば今日の遊び代はキヨシの全額奢り、キヨシが勝てば学校に帰るまで花はジャージを脱ぐ。
そんな罰ゲームの許に始まった第一ゲームだったが両者の実力はほぼ拮抗していた。
六フレームを終えた時点でキヨシは87、対して花は95とストライクとスペアを取りつつスコアを伸ばしている。
どちらも決して悪いスコアではなく、むしろ中々の好成績を残せそうな状態だ。
運動神経の良い花は自分の平均スコアを理解していたが、六フレームをスペアで終えて席に戻ってくるとキヨシが無邪気な笑顔で拍手していたため、本気で勝つつもりがあるのだろうかと内心で疑う。
まだまだ逆転の可能性を残した点差ではあるけれど、現状、キヨシは地力で負けているのだ。
ならば、最初に言っていた妨害を仕掛けてでも花のスコアを落とさなければならないはず。
けれど、これまでのキヨシにそんな素振りはなく、もしかすると最初から今日は奢ってやるつもりでいたのかもしれないとすら思えた。
そんな事を考えながら席に座って花がドリンクに手を伸ばせば、純粋にボウリングを楽しんでいる様子のキヨシが笑ったまま声を掛けてくる。
「花さん上手ですね。女子って平気で50くらいしか取れない子もいるのに」
「こんなの片手で投げれれば振り子の要領で勢いも付いてスコア取れるでしょ」
褒められた花は別に難しい事じゃないと言ってストローに口を付けジュースを吸い上げる。
女子でスコアを取れない者の多くは両手投げだ。ボールが重いことと片手投げに慣れていないからこその投法だが、それではフォームを安定させることも難しくボールに勢いも乗せられない。
花は空手のインターハイで上位に食い込む猛者だ。当然、身体は体幹から出来ており9ポンドのボールくらい簡単に片手で投げることが出来た。
片手でボールを投げられるなら振り子の要領で勢いも付けられ、そこからフォームさえ安定させればほぼ決まった数のピンを倒せる。
実に簡単な話だと返した花にキヨシは、
「頭で分かってても実践出来る子って少ないんですよ」
と己の優秀さに気付いていない様子を苦笑しながら席を立って七フレームの一投目に向かった。
ボールを持って構えるキヨシの後ろ姿を見ていた花にすれば、キヨシの方も中々に綺麗なフォームをしていると思えていた。
ルーティーンなのか知らないが、ボールを構えて狙いを定めると小さな歩幅で左足を出してから、後は普通の歩幅で進んで投球まで行っている。
投げられたボールは真っ直ぐ進んで先頭と二列目の右側の間辺りにぶつかり、そのままストライクで全てを倒しきった。
彼の投げるボールも花と同じように綺麗な直球ばかりだ。それで花にスコアを離されているのはフォームが一定でも最初の立ち位置が毎度微妙にずれている事が原因だろう。
投げている本人は気付いていないのかもしれないが、後ろから見ていればキヨシはやや左から投げていたり少し右寄りから投げていたりとボールの発射地点にブレがあった。
いくら綺麗なフォームをしていようとそれではダメだ。同じ地点から同じフォームでボールを投げなければ、求めるだけの結果を出し続けることは出来ない。
ストライクを取って「やった!」と無邪気に喜んでいる姿は、改めて年下なんだなという意識を花に抱かせる。
ここから逆転することも可能ではあるが、まぁ、今の様子では無理だろうと考えた花は、罰ゲームと聞いて知らず張っていた緊張の糸を弛め、帰ってきたキヨシを「やるじゃん」と気まぐれに褒めてから自分の七フレーム一投目に向かった。
(ここで八本以上倒せば二投目を外しても今ゲームの勝ちはほぼ決まる。ま、罰ゲームは一ゲーム毎だからアンタもモチベーション切らさず頑張れるでしょ)
一ゲーム目に勝ちさえすれば今日の遊び代は全てキヨシ負担となる。ボウリングだけでなくゲームセンターや食事なども含めた全てがだ。
裏生徒会の中では珍しくまともな神経も持ち合わせている花にとって、自分は女だから遊ぶお金は男に払わせればいいなどと図々しい発想はない。
これから払わせるのはあくまで罰ゲームの結果なのだ。自身もジャージを脱がされるというリスクを負っていたのだから、勝利したあかつきには勝者の特権を行使しても許されるだろう。
右手で持ったボールに左手を添え、遙か先にあるピンに狙いを定めつつそんな事を考えていた花が今まさにボールを投げようとしたとき、
「ヘックショイ!」
後ろから大きなクシャミが聞こえてきた事で、驚いた花は最後のリリースのタイミングがずれてしまった。
「ああっ!」
ボールが手を離れた瞬間に失敗を悟った彼女は、案の定ボールがガーターに嵌まったのを見て悔しそうな顔をする。
一フレーム前でスペアを出したというのに一投目がガーターでは恩恵が得られない。そんな折角のチャンスを潰したのは誰のせいだと振り返った花は、怒った様子でキヨシを睨み付けた。
「ちょっと、人が投げる瞬間にクシャミするなら手で押さえるとかしなさいよ!」
「は、はい、すみません。なんか急にムズムズしちゃって」
何らかの刺激に対する身体の反応であるため、コントロールが完全に利くとは思っていない花もクシャミするなとは言わない。
だが、せめて他の人が投げようとしている場面では手で口を押さえるなど、大きな音を出さない努力をするのが当然でありマナーだ。
怒られたキヨシはペコペコと頭を下げて謝っているが、投げてしまった以上スコア修正でもしなければ結果は変えられないため、そこまでしたくない花はボールが帰ってきた事でムスッとしたまま残った二投目に向かう。
彼女の視線の先には二投目にもかかわらず無傷のピンたちが立っているが、ここで全部倒してしまえば点差はほぼ縮まらない。
右手で持ったボールに左手を添え、構えきる前に一度振り返って次はすんなよと視線で牽制してから花は意識を切り替える。
空手の試合のときも気持ちの切り替えが必要な場面はあったので、彼女にとってその行為はそれほど難しい事ではない。
目を閉じてから短く息を吐き、スッと視線を前に向ければ普段の平静さを取り戻せた。
意識を完全に切り替えられたならば後はいつも通りに投げるだけ。ゆっくり右足から踏み出すとこれまで何度もしてきたフォームをなぞってリリースするのみ。
ボールを持ったまま後ろに引いた腕を、今度は振り子のように前方に向けて振りながらボールを離そうすれば、先ほどのクシャミとほぼ同じタイミングで“ドゴンッ”と後ろから大きな音がして再び花はリリースタイミングをミスする。
彼女の手を離れたボールは大きく狙いが逸れて一番奥の左のピンを倒して終わり、貴重な一フレームを一本という記録で終えてしまった。
余計な音のせいで今までのリードが全て無駄になり、邪魔をしたのは一体どこのどいつだと鬼の形相で振り返れば、ボールをフロアに落として拾おうとしているキヨシと目が合った。
どうして自分の番でもないのに席を立ってボールに触れているのか。
どうしてクシャミとほぼ同じ最悪のタイミングでボールを落としてしまったのか。
クシャミだけなら偶然で済ませていた花も、連続でやられれば流石にキヨシの行動の意味に気付いた。
「クソキヨシ、クシャミも今のもわざとだろ」
「え、何のことですか?」
「白々しいんだよ馬鹿」
本気で何も知らないように装っているが、それがあまりに自然すぎて逆に演技にしか見えない。
怒った様子のまま帰ってきた花はそのまま椅子に座ると、頭だけは働かせてジッとキヨシの動きを目で追う。
最初は偶然だと思っていたクシャミも、先ほどのボールをフロアに落とすミスも、どちらもキヨシが妨害を仕掛けてきただけのことだ。
いつ仕掛けてくるのかと警戒していたというのに、いつまでも来ないせいで警戒を弛めたのが徒になった形ではあるが、相手がそこまで読んでいたならキヨシの作戦勝ちと言える。
もっとも、そちらがそのつもりなら自分も本気でやるだけのこと。構えたキヨシをジッと見ていた花は、キヨシが一歩踏み出したところで席を立ってボール置き場に向かい。自分のボールを持つと落とす準備を完了する。
キヨシがリリースするまで残り三歩、二歩、一歩、心の中でカウントしながら「今だ!」とボールをフロアの床に向けて落とす。
重さの違いでキヨシの出した音ほど大きくはならなかったものの、落とした本人も少々驚くレベルの音は十分効果を発揮するはずだ。
そう思って花が顔を上げてキヨシの方を見れば、ターゲットの少年はいつも通りにボールを投げて連続ストライクを決めていた。
「……は?」
タイミングは完璧で音の大きさも申し分ない。だというのに何故効いていないのか。
納得がいかない花は戻ってくる少年を睨み付け、視線だけでどうして効いていないのかと相手を問いただす。
すると、睨まれている理由を理解したらしいキヨシは、席に腰を下ろしてコーラに口を付けてから苦笑して答えた。
「いや、だって絶対にしてくると思うじゃないですか。飲み物やボールに細工するのは禁止ですし、肉体へのダイレクトアタックも禁止。なら妨害に慣れていない人は直前の俺と同じお手軽な手段を取ることが多いんですよ」
来ると分かっていれば心の準備も可能である。そう話す少年は明らかにこのルールでは玄人だと言いたげなオーラを出している。
ルールについて詳しく言い始めたのはキヨシなので、彼がこれまで同様のルールで戦ってきたのは確かだろう。
それを思うと自分が相手の土俵に乗せられていたことに気づき、花は思っていた以上に苦戦を強いられるかもしれないと胸中で苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。
「あっそ。けど、大きな音は周りの迷惑になるからやめなさい」
心の中では失敗を認めつつも、それを顔には出さずあくまで冷静に周囲の迷惑になることはするなと諭す。
そのままボールを持って花は一投目に挑戦しに行くが、どうもキヨシが何かしてきそうで落ち着かなかった。
お前余計なことするなよと牽制の意味で振り返って睨もうとすれば、本人は暇そうに欠伸を漏らしながら片手で携帯をいじっていた。
さっきまではしっかりと花が投げるのを見ていたというのに、妨害を始めた途端に急激に興味を失ったような反応になるのはおかしい。
真剣に見ていた方が仕込みのフェイクだったのか、それとも現在の興味なし状態が演技なのか。
どちらが正解かは分からないけれど、ここまで興味ないですと言いたげな反応をされると花も少々苛ついた。
だが、それなら黙って大人しくしとけと心の中で吐き捨て、気持ちを切り替えると花は改めてピンの方へ向き直り投球に入ろうとする。
これまではここからキヨシの妨害が入ってきたが、流石に花の方も投げる瞬間に騒音が来るかもしれないと心の準備が出来ているので何が来ようと問題はない。
そうして踏み出して投球に移れば、もうすぐ投げるぞというタイミングで後ろから連続のシャッター音が聞こえてきた。
今度はなんだと思いつつも投球を無事に済ませて八本倒した花は、そのまま振り返って音の主を探す。
すると、その人物は先ほど落としたボールを拾っていた場所にしゃがみ込んで、中々のローアングルで花に携帯を向けていた。
「おい、なに勝手に撮ってんだよ」
「いえ、単純に花さんの綺麗なフォームを参考にしようと思っただけですよ」
勝手に撮るなと冷たさ二倍増しで注意するもシレッと受け流すキヨシの図太さも大したものだ。
だが、女子として変な写真を撮られたくはないため、撮った写メを見せてみろと花が言えば、どうぞどうぞと悪びれた様子もなくキヨシは撮った写メを見せてくる。
そこには一定の歩幅で投球に向かう花が写っており、外から見ても中々様になっているものだなと本人も不思議な感覚を覚える。
だが、もうすぐ投げるぞと腕を振り始めた辺りから花のスカートがめくれ、投げた瞬間にはジャージが思い切りオープンしていた。
それを見た花は客観的に見てすごく可愛くないと思ってしまう。年頃の女子にとって可愛さとはかなり重要な要素だ。
ただアイスを食べるにも小さな口で食べるようにするなど可愛く見せることを忘れない。そんな風に普段から気をつけている者にとって、いくらスポーツの最中でも可愛くない自分を許容することは出来なかった。
「……フォーム変える」
「え、今更ですか?」
ゲーム終盤になって急にフォームを変えると言った花にキヨシが思わず返した。
別にフォームの修正や変更自体は珍しくもないが、わざわざ好成績を取っている状態で爆死しかねないフォーム改造に挑戦する者は少ない。
故に、キヨシが驚くのもある意味当然ではあるが、単純に歩幅を変えようとだけ思っている花にすればそれほど大した事ではなかった。
帰ってきたボールを持って構えると、最初の一歩を狭い歩幅で踏み出して投球に移る。ここから一歩ずつの歩幅を少しずつ減らし、合計で二歩分だけ多くなるよう調整する。
これなら投球フォーム自体は変えずに動きが小さくなるためスカートはめくれないはず。そう思って花がボールをリリースしようとすれば、先ほどとほぼ同じタイミングでシャッター音が聞こえた。
既に分かっていた花はそのまま投球し、残っていたピンを倒してスペアを取る。
狙ったところへボールを投げることも出来たため、フォーム改造は成功したと言って良いだろう。
コンパクトになった分可愛さも増したはずのフォームに満足げな顔になった花が振り返れば、そこにはフロアの床に寝そべり超ローアングルで携帯を構える変態がいた。
「ヒィッ!?」
不意打ちを喰らった花は思わずドン引くが、率直に言ってキモイ。ギラギラとした目付きで花のスカート辺りに携帯を向ける姿はまさに変質者だ。
妨害のルールに抵触してはいないもののいくら何でも全力過ぎる。一緒にいる自分まで変な目で見られると困るため、慌てて戻った花はキヨシの襟首を掴んで立ち上がらせた。
「ば、馬鹿かお前は! 二度と来れなくなるだろうが!」
「安心してください。周囲からは高校生二人が馬鹿をしてるようにしか見えませんから」
「アタシを巻き込むな!」
言われてみれば確かに周囲からは一セットで扱われそうだが、こんな変態とペアで扱われるのは嫌だ。自分といる間は恥ずかしい事は控えるよう言いつつ、花は問題の新フォームの事を尋ねる。
「それで新フォームは?」
「そうですね。投げる瞬間はあんまり変わってないので違いは少ないかと。これならジャージを脱げばパンツが見えそうですね。いやぁ、勝つのが楽しみだなぁ」
「……は? ア、アンタ、そんな事考えて撮ってたの?」
「そうですよ。流石に見えすぎるようなら言っておかないと可哀想なので」
何でもないように答えるキヨシは傍目から見れば年相応の好青年だ。しかし、そんな見た目で驚愕の事実を告げてきたキヨシに花は思わずくらっとする。
彼の言う通り負ければ脱ぐ約束だが、まだ僅差でしかない状態でそんな事に思考を割いている相手の変態さに呆れてしまったのだ。
だが、そこまで考えたところで花はハッと我に返って点数に視線を向ける。現在、キヨシはストライク、花はスペアを取っているので得点は確定していない。
けれど、ここに来て調子を上げているキヨシが花とほぼ同じ点の取り方をすれば、第七フレームでミスした分だけ花が不利だ。
このまま点差を縮めることも出来ずジャージを脱ぐ事にでもなれば、短い学校指定のスカートでは投げる度にパンツを見せる事になるに違いない。
それはつまりパンツが見えることを気にして全力を出せない花が自動的に第二、第三ゲームも落とすことに繋がりかねないのだ。
「じゃ、俺の番なんで投げてきますね」
「あ、おい!」
まだ考える時間が欲しい花の気持ちなど知らぬ少年は、これまでとは比べものにならない集中力を持って投球に望んでいる。
これまで大きなミスを見せていないキヨシなら七本か八本は確実に取るだろう。
そう思ってみていれば、キヨシは九フレームを九本で終えスコアを144まで伸ばした。これで十フレームを残しているのだから嫌になるが、ここで花がストライクを取れば話は分からない。
まだ大丈夫。絶対に勝てる。パンツは見せない。自分にそう言い聞かせてボールを手に持ち集中力を高める。
(よし、絶対にいける)
追い込まれたことで逆に良い状態になれた花は、今なら絶対にストライクが取れるだろうという確信を持つ。
ここでストライクを取って最終フレームで決着をつけるのだと一歩踏み出そうとしたとき、
「花さん、今日の下着は大丈夫ですか?」
男の悪魔のような言葉で花の集中力は霧散した。
「ば、おま、大丈夫じゃない下着ってなんだよ!」
「え? いや、キャラプリントとか?」
「持ってねーよ! てか、高校生が穿く訳ねぇだろ!」
言われて一瞬、花の脳裏に万里の姿が過ぎったが、彼女は下着の趣味だけは見た目に合った大人びたものだった。
よって、そんな恥ずかしい下着を身につけている者などいないと否定して、怒ったまま花は投球に向かう。
これで無理矢理にキヨシとの会話を打ち切れたが、構えた花はグルグルと定まらない思考の中自分がどんな下着を穿いていたかということを考えていた。
彼女の持っている下着は縞パンかワンポイントのついたシンプルなものだ。どちらも見せたくはないがどちらがマシかと聞かれると、縞パンの方が本気っぽくなくて良いのではと思ってしまう。
そんな事を考えている時点で精神的に負けているのだが、悪魔の言葉で心を乱された少女は気づく余裕もないままボールを投げてしまった。
結果、一投目で七本、二投目で二本の合計九本のトータル122。
悪くないスコアでむしろ調子が良さそうなくらいだが、残り一フレームでこの点差を逆転するにはターキー以外にないと思わされる。
そういった考えが余計に自分を締め付けてゆくというのに、このままではキヨシにパンツを見せないといけないと微妙にずれた事に怯える少女が気づけるはずもなく、運命の最終フレームは少女の自滅という悪魔の作戦勝ちで決着がついた。
二十三巻の着せ替えカバー付きヤンマガサードは11月5日(土)発売です。
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第22話 サウスポー
花が勝てばキヨシの全額奢り、キヨシが勝てば花はジャージを脱ぐ。
そんなルールで行なわれた第一ゲームは、負ければキヨシに下着を見せなければならないと微妙にずれた思考に陥って自滅した花の敗北で終わった。
全ては妨害ありのルールに慣れていて終盤まで動きを見せなかった外道の作戦通りだ。
相手が妨害を始めたときには花も気付いていたが、それでも負けてしまった事実は変わらない。
そんなセクハラルールなんて認められるかと文句を言いたい気持ちは当然ある。
しかし、ここでそうやって罰ゲームを拒否すれば、キヨシのことだから「ま、花さんも所詮は普通の女の子だったってことですね」と小馬鹿にしたように言ってくると容易に想像が付くのだ。
小さな事にはこだわらない花も、心がどぶ川のように黒く濁った男に“ただの女”と思われるのは我慢ならない。
やると決めた事はやる。そうだ、自分は裏生徒会・書記の緑川花だ。心の中でそう覚悟を決めた花は椅子に座ってジュースを飲んでいたキヨシを睨み付けると、勢いよくジャージを脱いで不敵に笑った。
「ほら、ルール通り脱いだわよ」
「あっさり脱ぎましたね。けど、やっぱり穿いてない方がいいですよ。ジャージ穿いてるとモッサリして見えますし」
不良が鎖を振り回すように脱いだジャージを花が片手で回していれば、鞄が無いなら自分の方に入れておきますよとキヨシが受け取って鞄に仕舞い込む。
花にしてみれば携帯と財布しか持ってきていなかったので丁度良かったが、ジャージ姿をダサいと言われたことはカチンときたので、相手から下着が見えないよう気をつけて椅子に座ると自分のジュースを手に取って飲みながら言い返す。
「あんたらみたいな不審者の相手をすることもあるから穿いてんのよ。何だかんだ箱入りのお嬢様もいるし、裏生徒会としては生徒の安全も考える必要があるってわけ」
「へぇ。だから、副会長とかも強いんですね。あ、でも、万里さんってなんかやってるんですか? 裏生徒会じゃ一番お嬢様って感じで、乗馬とかはやってそうですけど格闘技のイメージが湧かなくて」
「会長は合気道とか出来るわよ。文武両道は裏生徒会の基本だから」
表生徒会はどうか知らないが裏生徒会は学園の生徒の安全を守るという使命がある。
それ故、どちらかというと武闘派としての側面が重要視され、本部役員ともなれば男相手だろうと立ち向かっていけるメンタルと実力が必須だった。
キヨシが万里の見た目から荒事が不得意そうなイメージを持つ気持ちも分からなくはないが、甘く見ているとお前も会長にシメられるぞと花は忠告し、十分な休憩を取ったとして次のゲームの準備を始める。
「それで、第二ゲームのルールは? 私は勝ったら第一ゲームの罰ゲームをチャラにするけど」
「じゃあ、俺が勝てば終わった後でプリクラを一緒に撮ってください。どうせ下のゲーセンにも行くんで丁度良いですし」
二人が来ているグラスポでは、ボウリングの精算をするとクレーンゲームのタダ券が貰える。
タダならやろうかなと別フロアのゲームセンターにいけば、これもちょっと良いかもと他のゲームもやったりするため、施設的には仮にタダ券で景品を取られようと総合的にはプラスなのだ。
そして、そんな特典の存在は花も知っていたので、確かにゲームセンターのフロアには行くが、いかがわしいプリクラを撮るつもりではないだろうなと疑いの目を向ける。
「ただのプリクラ?」
「はい。遊びにきたぜって感じのラクガキもしますけど、衣装借りてコスプレとかしたいですか?」
「んな訳ねーだろ。よし、じゃあそのルールで次のゲーム始めるぞ。トータルじゃなくて第二ゲームのスコアだけで勝負だからな」
第一ゲームのスコアまで足しての勝負になると、負けている花にすればかなり厳しい。
けれど、勝負はモチベーションの関係からゲーム毎のスコアだとキヨシも先に言っていたため、改めて確認を取れば相手も頷いて勝負のルールが決定した。
ルールが決まれば後は第二ゲームに移るだけ。第一ゲームではキヨシが先攻だったので、今度は花が先に投げてゲームスタートだ。
休憩中に先ほどの敗北は自滅だったと反省したことで、テンパっていた花も余裕を取り戻している。
何より、この勝負に勝てばジャージも戻ってくるのだから、ここは死んでも勝ちに行かないとと改めて気合いを入れ直してボールを持ったとき、花は背後で何やら動く気配を感じて振り返った。
「…………ちなみに聞くけど、あんた何してんの?」
「花さんの華麗な投球を近くで見ようと思いまして」
投球モーションに移る前、まだ構えすら見せていない状態で気配を感じた花が振り返れば、そこには床の上に正座し携帯のカメラを構えたキヨシがいた。
恥ずかしい事はするなと第一ゲームで言ったというのに、再びローアングラーと化している男には呆れ果てて何も言えない。
だが、第一ゲームでは後半に入ってから妨害を仕掛けてきたというのに、どうして第二ゲームではスタートから仕掛けてきたのか疑問に思い。花は自分の状態を確認してハッとした。
そう、今の花は鉄壁のガードたるジャージを装備していない。
八光学園指定の制服スカートは丈が短く、第一ゲームのときにキヨシが撮った写真を見れば簡単に捲れることも確認済みだ。
そんな状態でローアングラーに狙われれば、確実にパンチラ写真を撮影されてしまうだろう。
気付いた花が一度戻ってキヨシにカメラで撮るなと言おうとしたとき、彼女が何を言おうしているのか理解した様子のキヨシが携帯を仕舞ってペコペコと頭を下げてきた。
戻る前に気付いたならばいいかとフンと鼻を鳴らし、花は再び構えに戻って投球モーションに移る。
余計なことを考えなければ大丈夫。実力的には自分が上だと言い聞かせて投げたボールは、惜しくも右端一本を残して九本という結果になった。
もっとも、まだ二投目が残っている。真っ直ぐ投げることは得意なので、これはスペアで行けるはずと中々の滑り出しになりそうで花が小さく笑みを浮かべた。
そして、戻ってくるボールを取りに向かおうと振り返ったとき、花は見てしまった。目をカッと開いて自分のスカート辺りを凝視している変態の姿を。
「ヒィッ!?」
全身がぞわりとするような悪寒に襲われ、花は思わずスカートを両手で押さえる。
第一ゲームのローアングラーも気持ちが悪いと生理的に受け付けなかったが、今度はまるで視姦されているようで一種の恐怖を感じてしまう。
というか、まるでも何もキヨシはまさに花を視姦していたのだが、ここまで直球で来る変態など相手にしたことがなかった花は未知の存在への恐怖を感じつつ、しかしキヨシには負けられないと精一杯の強がりを見せて口を開いた。
「お、おま、何やってんだよ!」
「何って、花さんを見ていただけですよ」
「話している相手の顔を見ろ! どこ見て話してんだ!」
キヨシの視線はスカートにロックされたまま動かない。話しかけても視線を動かさないということは、相手は花に視姦している事がバレても構わないと思っているということだろう。
開き直った変態ほど質の悪いものはないが、キレそうになった花がぶん殴ってやろうかなと考えたとき、ルールで相手に直接触れての妨害は無しだと言っていたことを思い出す。
もしここで花が手を出してしまえば、その瞬間に第二ゲームの敗北が決まってしまう。
キヨシがそこまで考えて煽ってきているなら大したものだが、この男ならば計算してやりかねないと思った花は、怒りを奥歯に持っていくことで我慢し、戻ってきたボールを取るとすぐに二投目を済ませてスペアを取った。
「どうよ?」
「ええ、似合ってますね。縞パン」
結果を聞いてのこの返し。今日一番の煽りに花は全身の血液が沸騰しそうになるほどの怒りを覚える。
怒りで震えて歯をガチガチと鳴らし、握った拳は白を超えてピンクに染まる。
もう殴って良いかな。もう殴っても良いよね。後輩が誤った道に進もうとしたとき正してやるのも先輩の勤めだよね。
そんなことを心の中の花たちが言ってくるが、教育的指導だろうと殴れば負けのような気がして踏ん切りがつかない。
人はそれを理性と呼ぶが、おかげで反則負けにならずに済んだ少女は、キヨシの前を通り過ぎてドカッと椅子に座るとドスの利いた低い声で呟いた。
「……キヨシ、記憶を飛ばされたくなきゃ黙ってろ」
「イエス、マム!」
「さっさと投げろ」
直ぐにでもお前を殺せる。そんな狩人の瞳で睨まれたキヨシはすぐに立ち上がるなり、ボールを持って投げに向かった。
それをジッと見ていた花は怒りを感じながらも冷静さを取り戻しつつあり、やたらと煽ってくるがキヨシはなんだかんだ小心者だという事実に辿り着いていた。
花が優しさを見せて普通に接していたから相手は調子に乗ったのだ。それをさせないためには恐怖でコントロールしてやればいい。
知らず今まで相手のペースに乗せられていたことを反省したことで、ここからは自分の番だと花も気合いを入れ直した。
だが、
「花さーん、ストライク取れましたー!」
「は?」
戻ってきたキヨシは開幕から調子良いぜと喜んでいる。自分がスペアだった花にすればムカつくことこの上ないが、そういう時もあるだろうと気持ちを切り替えて二レーン目の投球に向かう。
ボールを持ってから振り返れば再びキヨシがスカートの辺りを凝視しており、どんだけ下着が見たいんだよと相手の馬鹿さ加減に呆れるばかり。
だが、最初から相手が見ていると分かっていれば無視のしようもある。
(大丈夫、ここからは自分との戦い。クソキヨシなんて気にするだけ無駄)
空手の試合でもやっていた冷静になるためのルーティーンを行なうことで、花は正面のピンだけを視界に捉えて集中を上げる。
地力では勝っているのだ。相手に惑わされずに淡々と投げれば、その地力の差で勝利は転がり込んでくる。
実に簡単なことだと投球モーションに入っていけば、あともう少しでボールをリリースするというタイミングで後ろから大きな声が聞こえた。
「頑張れー! 花さーん!」
「ぶふぉっ!?」
予想外の攻撃を喰らった花は狙いを逸らし、スペア直後でボーナスが付くはずのボールをガーターに落としてしまう。
応援、それ自体は素晴らしい行為だ。相手の健闘を祈るという意味でもスポーツマンシップに則っており非難される謂われはない。
だが、高校生にもなって公共の場で大声で名前を呼ばれるというのは拷問に等しい。
たかがレクリエーションのボウリングで、小学校の運動会でするような応援をされれば、当然、他の客からも視線が集まってくる。
中には初々しいカップルだと温かい視線を送ってくる者もおり、羞恥で真っ赤になって戻ってきた花は正座していたキヨシの胸ぐらを掴んで立たせながら怒鳴った。
「おまっ、ホントやめろよ! 限度ってもんがあんだろ!」
「え、いや、応援しただけですよ?」
「いらねーよ! てか、大声で名前呼ぶなよ! 制服で学校もすぐにバレるんだぞ!」
確かにキヨシは応援しただけだが、それはこういった周囲の反応を見越してのものだと花は確信している。
故に、中学生時代はどんな妨害をしていたか知らないが、高校生で同じことをするのはリスクが高過ぎるとして、大声で名前を呼んだら次は反則を取るからなと忠告して花は二投目に戻った。
キヨシの本気を甘く見ていたことを反省しながら投げてスペアを取った彼女は、椅子まで戻る際にキヨシとすれ違ったとき、相手の口元が小さくつり上がっているのを見た。
一体今の笑いはなんだ。妙に嫌な予感がして振り返れば、キヨシはこれまで右手で持っていたボールを左手で持ち、そのまま投げたかと思えばカーブを描く軌道でピンに当ててストライクを取っていた。
「な、なんだよ、それ……」
突然のことには花は理解が追いつかない。キヨシは箸もペンも右利きだ。それは一緒に昼を食べたりガーデニング同好会の活動日誌を書いている姿を見たときに確認している。
だというのに、いま左手でボールを投げたキヨシの動きには不自然さがなかった。
ボールだけは左投げなのだろうかとも考えたが、一ゲーム目は全て右で投げていたし、二ゲーム目の一レーンだって右で投げていた。
なら、今のは一体どういう事なのかと、戻ってきた少年に花は尋ねた。
「おい、なんで左で投げてたんだよ?」
「なんでってここから本気出すためですよ」
「お前、右利きだろ?」
「はい。でも、ボウリングは左投げなんです。その方が格好良いと思って左投げのカーブを練習しましたから」
本来は右利きでありながら、女子受けや見栄えのためだけに左投げのカーブを練習した。
ある意味すごく器用だと言えるのだが、理由を聞くと途端に残念に思えてならず、花もリアクションに困った。
けれど、練習しただけあって左投げは右の時よりもコントロールが優れて見えた。
花にとって勝っているはずの地力で並ばれたことは辛いが、勝負はまだ始まったばかり。ジャージを取り戻すため負けられないと、花は追いかける形で第二ゲームに挑んでゆくのだった。
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