紅魔を撃つ (大空飛男)
しおりを挟む

殺しを許された男

強く帳簿を脇に抱え、男は蒸し暑い夜道を走っていた。

 

大役を任され、男はこうして人里の中で最も治安の悪いとされる、北村を駆けている。

 

彼が所属するのは「奈土組」。いわゆるやくざだ。

 

とは言うもの、「奈土組」はれっきとした火消しでもある。幻想郷の華となった弾幕勝負によるボヤや、その他火付けにより起きる火災も消す重要な役割であった。ただのロクデナシでゴロツキでとは違うのである。

 

 ではなぜ、二つの顔を持つやくざ者が夜の北村を走り回っているのか。

 

それは、彼らの立場にあった。近年から人里は、劇的な変化を遂げているからだ。

 

過去には荒れていた人里であったが、とあるきっかけで良い方向へと進んでいき、今では住みやすく整備され始めている。まだまだ完璧なる統治がされていないとはいえ、里の守護者や権力者たちは知恵を使い、人里を立て直しているのだ。その功績もあったのか、最近では店を持つ住民が多くなり、にぎわいを見せ始めていた。

 

しかし、良い事ばかりではなかった。劇的な変化についていけず、混乱する者も多くいたのだ。

 

その一つが、この「奈土組」であった。

 

彼らは火消しのほかにも、博打などの賭け事などを行っていた。博打そのものは未だに需要があるのだが、管理下が奈土組などのやくざ者達から権力者達へと変わり、正統なる管理がされるようになったのである。そもそもいざこざが多かった博打を改めるのは優先事項とされていたため、規則を取り決めるなど、博打その物の改正は早急に行われたのだ。

 

そこに、やくざ者たちは不満を持った。

 

理由としては言う間でもなく、甘い汁を吸う事が出来なくなったからである。イカサマなどを行い多くの金をむしり取ってきた彼らにとっては、何よりも痛手であったのだ。

 

そこで、資金供給を行えないやくざ達は新たな儲け話を探し始め、この帳簿が登場することになった。

 

この帳簿は、とある権力者に泥を塗る事ができる鍵であった。

 

内容は里の権力者である宮園家の汚職、いわゆる賄賂を受け取ったことによるもので、その日時や詳細などを記したものであった。

 

宮園家は倹約家である為、賄賂でも書き記している事を奈土組は知ると、この男に盗みに行くように命じて、今に至ると言うわけである。

 

これが公になれば宮園家の立場は無くなり、さらには信頼も無くす。つまり脅し、ゆすりを掛ける事で、権力者から直接甘い汁を吸う根端あった。力で屈しないのであれば、頭を使えばいい。姑息な手ではあるが、汚いもクソもない。この地で生き残るための手段である。

 

 そもそも、男が盗めを引き受けた理由は報酬に莫大な資金が入るからであった。いくら幻想郷であっても金が無ければ安定した生活をすることは出来ない。賭博や春を買うのも金が無ければやってはいけないのは分かるだろう。ちなみに報酬の金額は、里で一年間毎日酒を浴びるほど飲んでも足りるほどであった。

 

だが、男は莫迦ではない。先に書いた物とは違う、別の使い方を頭に描いていた。

 

それは、足を洗って比較的平和な南村に引っ越そうと考えていたのだ。つまり正確に言えば、やくざを辞めて堅気となる事であった。

 

親孝行もできず、死んだ母親の墓石も立ててやることができなかった彼は、今の自分が嫌になり、奈土組の頭に盗めが成功した代償として報酬と堅気として生きる事を約束させた。

 

金が入れば、やり直せる。まさに地獄の沙汰も金次第であろう。

 

男の母親は満足な供養もできず、死体を里の外に捨てる事しかできなかった。葬式にも墓石を立てるにも金は必要であり、男は当時、その分を出す金さえも持っていなかった。

 

その後、下級妖怪たちに食い散らかされた中から健気に骨を拾って、その骨は今でも古めかしい家の箪笥に閉まってあった。報酬を貰えば正式に供養することを考えており、南村に引っ越した際には一軒屋を立て、嫁を貰い、商いをするつもりであった。

 

 

 さて、男はそんな思いを馳せつつ角を曲がり、運河沿いの道に出た。

 

 

緑生い茂る木々が連なり、根の近くには草花が色付けている。あまり整備をされていない雑草の生い茂る河川敷ではある故に、夏の日差しを浴びてのびのびと成長したのだろう。

 

そんな物には目をくれず、男はただひたすらに走り続けている。足を止めれば捕まってしまうと、無意識のうちにそう思い込んでいたのだ。

 

「うおっ」

 

男は思わず声を上げた。駆け足が絡まり、躓いたのだ。男は咄嗟に帳簿を抱え込み、泥濘んでいる地面を滑り込む。そして、芋虫のように丸まって、地面へと倒れた。古着を縫い合わせた着流しは泥にまみれ、なんとも無様な姿になる。

 

「くそ!くそ!」

 

 地面を拳で叩くと、毒吐きながら男は立ち上がる。泥だらけとなった自分の姿は、低下層にいる自分の表れと思い込み、苛立ちを胸に孕んだ。

 

そんな矢先のことであった。

 

 「だ、だれでぇい!」

 

男の数メートル先に、人影が見えたのだ。もしや追手かと思いつつ、男はこわばった声で怒鳴りつけた。

 

 その人物をよく見ると、不思議な格好をしていた。

 

夏真っ盛りであるにもかかわらず、黒い長袖の洋服を着込んでいる。俗に言う黒いワークハットを深く被っており、表情読み取りづらい。里の住人の中ではハイカラである為、正直浮いているような格好である。

 

しかし、その姿に男は見覚えがあった。

 

 「て、てめぇは!!」

 

 男が叫ぶと同時の事であった。その黒装束の人物は腰に手を当てて、姿勢を崩す。

 

 「安心しろ、俺は追手ではない。奈土組の順吉」

 「じゃあ・・・なんでぇ!」

 

男もとい順吉は、黒装束の男に問う。すると彼は姿勢を崩し、冷徹さを感じる低い声で言った。

 

「殺しに来た。と言ったら死んでくれるか?

 「な、てめぇにそんな事が!」

「俺にはその許可が下りている」

 

淡々と言う男に順吉は冷や汗が噴き出すと、懐にしまっていた得物に手を掛け、黒装束の男に向け抜き放つ。

 

順吉は得物もとい、短刀に長けていた。奈土組の中では右に出る物はいないと言われる程であり、勝てる自信も少なからずはあった。現に男は、怯えたのか右足を一歩下げた。

 

「へへっ・・・死ぬのは・・・テメェだ!」

 

いやらしい笑みを浮かべ順吉は、会話の主導権を握ったと悟ると、男に向かって飛び掛った

 

だが、刹那。夜空に轟音が響いた。

 

そしてその音と同時、順吉は額から跳ね飛ばされるように地面に倒れた。

 

額には小さく焼けた穴が開いており、そこからゆっくりと血を流す。

 

一度だけビクンと体を動かしたが、それから順吉は二度と動かなくなった。

 

「・・・」

 

黒装束の人物はワークハットの唾から見下ろすように覗いて、順吉を見る。そして絶命した事を確認すると、右手に持った無骨な鉄の物体を腰のポーチに入れ、カツリと革靴を軸にして振り返った。

 

その人物のサーベルポーチに刺してあるものは十手。そう、この男は十手持ちの一人、笠間慶次である。

 

 

 貧困街として有名である北村だが、その中に一つだけ大きな屋敷がある。

 

それは権力者、宮園家の物であった。

 

元々は小さな店であったが、商いに成功した宮園家は次第に大きくなり、何時しか人里の権力者の一角となった。この閉ざされた世界である幻想郷で商いに成功すると言う事は、かなりの手腕であろう。

 

中でも現三代目当主、宮園銀之助は特に商いに長けていた。何でも外来の書物を参考にすることで、閉鎖空間独自の固定概念から逸脱し、あっと驚く商法でもうけを出すのだと言う。

 

そんな当主である銀之助は、きりきりと胃が痛むのを抱えながら、客間の前へと立っていた。この奥には、恐ろしき人物が待っているのだ。

 

それは言わずと、慶次である。

 

表向きは十手持ちとして生きているが、彼の本業は殺し屋であった。どういう訳かは知らないが、彼は唯一妖怪の賢者から人間を殺すことを許されているのだ。

たとえ保護されている人里であっても、それをいいことに当然悪事を働くものがいる。その害悪を処理するべく、慶次は依頼を請け負っていたのだ。今回は、あらかじめ不穏な動きを見せている奈土組をマークしろと銀之助が慶次へと依頼をしていた。

 

そもそも十手持ちとは、過去に人里の治安を守ってきたお人好しな集団である。

 

人数は五人。彼らは過去に名を馳せた妖怪退治の専門家であり、人里の住人達からも信頼は厚い。もともとは治安が悪かった里を任意で見回り始めたのがきっかけであり、とある事件により称えられ、里の守護者から十手を授与された事により、この名前が付いたのだ。

 

近年では博麗の巫女が再び現れたことで、彼らは次第に役目を終えたと悟り、表舞台から消えてのんびりと暮らしている。しかし彼らは皆、どこか不完全燃焼の気分を持っているのだという。もっとも、権力者達の中では害悪に過ぎないのだが。

 

「すいません。待たせましたかな?」

 

銀之助は優しい笑みを浮かべつつ、部屋の中へと入っていった。彼はでっぷりと肥えているが、顔には愛嬌があるのだ。この何とも親しみ易そうな顔つきで、多くのもにも信頼をされている。

 

しかし慶次は黙ったまま、銀之助の前へさも汚いものを放るように帳簿を投げ捨てた。銀之助は少しだけ顔をしかめたが、すぐに顔を繕う。

 

「ありがとうございます。これで我が一家も救われる。流石は慶次さんと言ったところですね」

 

そうは言う銀之助であったが、本心からでの言葉ではなかった。むしろ、自分達の秘密を知ったこの男に対する、いわば媚び売りのような意味合いを込めている。

 

「仕事は済んだ。帰らせてもらおう」

 

銀之助の腹の中をまるで読んでいるかのように、慶次は彼を冷えた目でにらみ、その場を離れようと立ち上がる。その目はまるで、家畜でも見ているかのようであった。

銀之助は帳簿の中身を確認しながら、帰ろうとする慶次をゆったりとした声で引き止めた。

 

「まあまあ、お茶でもどうですかな?いいお茶が入ったのでね、是非とも味わっていただいたいのですが」

 

「・・・気にくわんな。わざわざ遠まわしの道を用意するな。率直に聞け」

 

銀之助の探るような目線に気が付いたのか、慶次は低く強い声で言った。銀之助は一つ息をつくと、口を開く

 

「その、これを見てどう思いましたかな?」

 

さも中身を見たのだろうと、銀之助は慶次へと問う。普通、気になって仕方がないはずである。権力者である自分達の汚職を知ることは、今後交渉する際の重要な決定打になるからだ。

 

だが、慶次はいけしゃあしゃあと、しらばっくれた。

 

「依頼主の私物は、基本いじらないようにしている。ゆえ、見ていない」

 

もっとも、正確に言えば宮園家の汚職自体を慶次は知っていたのだ。わざわざ帳簿を見なくとも、情報は仕入れている。彼は人一倍、下調べに力を入れる男である。

 

銀之助はそんな事を知る由もない。だが、慶次の言葉を信じきれず、眉をひそめる。

 

「口では何とでも言えますが」

 

「そうか。では今後の依頼は一切受けない」

 

冷静な表情を保ちながら、慶次は言い返した。帽子の奥から覗く冷ややかな瞳に、思わず銀之助は身を震わせた。

 

「い、いえ、信じましょう。貴方のことだ。嘘はつかないでしょう」

 

慌てて肯定する銀之助を見て、慶次はさも無様だと鼻で笑い、その場を後にした。

 

慶次が見えなくなると、銀之助は一つため息を着いた。

 

「あれでは誰も寄せ付けませんな。私とは正反対だ」

 

* 

 

ふと扉が開いて、チリリンとベルが鳴り響いた。

この店、香霖堂の主である森近霖之助は、それでもなお天狗から契約している新聞から目を離さず、接客する様子を見せなかった。彼は面倒事が嫌いであり、接客すらしようとしないからだ。そもそも自分の店を訪れる客は、一癖も二癖もある奴らばかりである。故に接客をする気も起きなかったのだ。

しかし、暫くしてテーブルの前にゴトリと何かが置かれた。その音にやっと反応したのか、霖之助は新聞から目を離す。

 

「ああ、慶次。君だったのか」

 

先ほどの考えから打って変わり、霖之助は慶次を気分良く迎え入れた。慶次はそんな霖之助に何処か呆れた表情を見せたように見えたが、すぐに無表情へと変わっていた。

 

「・・・整備を頼む」

 

「了解した。あ、じゃあ前に預かっていた物、返すよ」

 

霖之助は慣れた口調でそう言うと、店の奥にある倉庫へと入って行く。そこから木箱を持ち出して、再び店内へと戻った。

 

「はい、整備は万全だよ」

 

木箱を慶次の前に置くと、霖之助は再び新聞を手に取って、読み始める。

 

また慶次も黙って、木箱を開けると、そこから無骨な鉄の塊を取り出した。中にある六つの穴が開いた円柱状の鉄塊を回して、動作を確認する。

 

慶次の使う武器は、火器である。今取り出したのは六連発式のリボルバー。つまり回転式拳銃であった。

 

名称は『M1917』。銃身には文字が彫ってあり、英語のSから&、W。と書いてある。これは言う間でもなく外来の銃であり、某最初の世界大戦に使用されていた銃でもあった。

 

現在の幻想郷で銃は普及してきてはいるが、あくまでも猟銃であり、マスケット銃の様な先込め式の銃である。しかも、普及していると言っても銃自体がかなり高価であり、尚且つ弾代、弾薬代等も高価であった。そのため安易に入手することはできず、加えて自衛の為と言ってもマスケット銃は命中精度が極めて低く、飛距離も無い。故に妖怪を狙撃することもできず、かといって接敵をすれば、たとえ威力は高くとも、撃つ前にやられてしまうだろう。

つまり幻想郷で銃とは、猟の為に使う物として見られていた。

 

しかし、慶次の持つ『M1917』は小ぶりではあるが、先のマスケット銃に比べて優れている点が圧倒的多く、高性能であった。また本来はダブルアクション構造ではあるのだが、改良され、早撃ちが可能なシングルアクションとなっている。威力も45口径弾を使用し、妖怪にもそれなりの効果が望めるのだ。

 

この拳銃は間違いなく外の世界で忘れ去られてはいない物であるが、慶次の父親がこの幻想郷に入る際に所持していた物であった為、一緒に幻想入りする事となった。そもそも慶次の父親は外来人の中でも特殊であり、アジア系の血を引いていない。つまり外来人ならぬ、外国人であった。

 

 話しを戻すが、言う間でもなく特殊な機構を持つこの『M1917』を整備するのには相当な知識が必要とされる。慶次も一通りの整備ができるが、現在は霖之助に整備を任せていた。彼は密かなガンマニアであり、外来の銃に関する本を読み漁っていたのだ。もっとも現物を触ったことはないにしろ、多くの情報を蓄えた霖之助は、何かと整備の知識が豊富であり、ガンスミスと名乗っても恥じないであろう。

 

つまり、一流の仕事を志している慶次にとって、霖之助の存在は非常に都合がよかった。知識を豊富に貯え、なおかつ整備を行えるほどの技術を持っている。故に、慶次は度々この店へと訪れるのだ。

 

当初の霖之助はどこから噂を聞きつけてきたのかと疑心を掛け、遠回しに断るべく多額の金額を要求した。流石に多額の金額を払ってまでも整備をしてくれとは言わないだろうと霖之助は見ていたが、慶次はそれをあっさりと了承してしまった。そして、約束の金額をきっちり当日に払い、なんとも驚くべき行動をもとってきた。

 

こうなれば断る事は出来ず、なおかつそれに見合う仕事をしなければならなくなってしまったのだ。しかし、悪い話ばかりではなく、霖之助は趣味人故に金欠であったため、この話はうれしいことであり、今では店のメインな運用費となっていた。

 

おそらく慶次にとって、金程度で一流の整備を行うのであれば、安いものだと考えているのだろう。それに現在の十手持ちは里の守護者や権力者達からそれなりの給料が出る為、生活に苦労は無く潤っているはずであり、金を出す事を惜しまないのだと、霖之助は認識していた。

 

 「ところで・・・」

 

 ふと新聞を下げて、霖之助は慶次に目をやった。慶次は『M1917』をいじりながら、そっけなく「なんだ」と返事を返してくる。

 

「君は彼の事を、どう思っているんだ?」

 

「彼・・・?聡士郎の事か?」

 

ポカーフェイスに少しだけ表情を出すと、慶次は顔を上げた。

 

聡士郎とは十手持ちの同僚、松木聡士郎の事である。彼は行き場を失ったと悟り、人里を去ってしまったのだ。

 

最初は妖怪の山に住む天狗達に雇われたことが始まりであり、そこからさまざまな事があったらしく、最終的には妖怪の山で天狗達と共に生活することになったと言う。

 

「・・・彼奴は剣と直感のみに特化した男だった。おそらく変わりゆく人里で生活することに、限界を感じていたのだろう」

 

再び表情を無表情に戻すと、慶次はそういった。しかし、その顔には隠しきれない寂しさを、霖之助は感じることができた。

 

慶次と聡士郎は、何かと衝突が多かったのだ。彼らは犬猿の中であり、考え方がまるで違う。 しかし、いざいなくなると慶次はどこか心寂しい気持ちを持っているのだろう。もっとも聡士郎個人が決めた事であるため、とやかく言う事ではないと他二名の十手持ちは思っているようで、慶次もそれになんとなく従っているようであった。

 

 「でも君は、今でも与えられた使命を全うしている。彼とは違ってね」

 

「・・・彼奴は俺と違う。俺はただ、人里にある闇に身を任せているだけだ」

 

「まあ、それで僕も潤っている事は確かだけどね・・・」

 

そう言って苦笑いをすると、霖之助は新聞の頁を変え、再び読み始めた。

 

しばらく沈黙が続くと、霖之助は「あ、そういえば」と、思い出したように呟いた。

 

「理香子が君を呼んでいたよ。何でも家まで来てほしいって。店に来た際、そう言っていたよ」

 

その言葉に慶次は反応したのか、顔を若干上げた。

 

理香子とは、朝倉里佳子と言う幻想郷では珍しい、科学信仰をしている人間である。彼女は過去に、修行中であった博麗の巫女と一戦交えたこともあった。

 

一時期、とある協力者から供給を頼りにしていた慶次であったが、それでも弾薬不足に悩んでいた。補給が疎らであった為、安定していなかったのだと言う。そこで、科学信仰をしている彼女にダメ元で依頼をした所、精度は悪いが量産に成功したと、霖之助は耳に挟んでいた。ここでも見返りに金を出したらしいが、大した金額を彼女は求めず、代わりに被験者として手伝ってほしいと頼まれ、こうしてたまに呼び出されるのだ。

 

最近になり、理香子の銃弾に関する研究は進み、外の世界に存在する銃弾の精度とほぼ変わらなく生産を行えるようになった。もっとも、販売に向けて大量に生産することはできないのだが、慶次一人だけに渡す弾丸であれば、それは十分に足りていた。

 

「・・・何の用か、聞いているか?」

 

「たしか、君に試してほしい物があるらしいよ。今回は銃弾じゃないみたいだ」

 

「・・・そうか」

 

慶次はひっそりとつぶやくと、点検し終わったのか『M1917』の薬室にハーフムーンクリップで弾薬を詰め、それをホルスターにしまった。

そして挨拶もせず、香霖堂を出ていった。

 

 

人里の西側にある村は、その名の通り西村と呼ばれていた。各村と比べて比較的穏やかな空気が流れており、レンガ造りの役所や古風漂う屋敷といろいろとな文化が混合してもいた。

この景観を作り出した理由としては、中央村のハイカラ的影響を受けた建物が近年多く建設されたからだ。故に多文化の混合した村が出来上がり、その姿は村と言うより町に近い。そもそも間違った解釈で伝わった建物も多くあり、煉瓦造りの建物もフランドル製法と呼ばれる積み方で作られ、歴史的観点から見れば珍しい建物もある。

 

さて、そんな西村のはずれに、納屋のような質素感漂う家がある。家の周りには何か怪しい鉄くずが置いてあり、西村の人々には寄り付かないようにと言われていた。

 

そこに、朝倉理香子は住んでいた。

メガネに白衣姿は如何にもと言う格好であり、日夜研究に励む彼女は里の変人として知られている。科学の概念が邪教と思われているゆえに、彼女は孤立をしているのだ。もっとも彼女にとって孤独など気にもせず、むしろ心地が良かった。

そんな孤独を突き通す理香子ではあるが、彼女には数少ない協力者もいる。彼女の研究には、第三者の意見を求める物もあり、数少ない協力者はこれに該当する。つまり、被験者として、利用するのだ。

裏口から小窓を一定間隔で叩く音が聞こえると、理香子は小窓を解錠し、その協力者の一人を中へと入れた。

 

「いらっしゃい慶次。待ってたわ」

 

笑顔を作り、理香子は言う。慶次も挨拶のために軽く頷き、しゃがみ込むとその小窓から納屋へと入っていった。

 

「・・・汚いな」

 

周りを見渡して慶次は呟くが、理香子はそんなことなど気にもせず、さっさと二階へと足を運んでいく。彼の意見よりも、自分の作品の意見がいち早く聞きたかったのだ。

 

しかし、その作品を理香子は下へ運んでくると、慶次は作業台にある未完成品をいじっていた。それは、彼にために開発していた、試作弾薬の一つである。慶次は基本表情を顔に出すことはないのだが、慣れていくとわずかに表情を変えていることが読み取れる。どうやら慶次はその試作弾薬に興味を示したようで、それを手に取ると若干不思議そうな表情をしながら全体を見渡していた。

 

「ああ、それはまだ試作段階。本題はこっちよ」

 

理香子は慶次に声をかけると、慶次は何事もなかったかのようにその試作品を作業台へと置いた。

 

「はい、これ。今の私が作れる最高の品よ」

 

そういって理香子が手渡したのは、何やら機械的な物体であった。慶次はそれを手に取ると、手首を動かしつつ咲くほどの試作弾薬と同じように、全体を見見渡した。

少しの間沈黙が続くと、慶次は顔をあげ、理香子に目線を合わせた。

 

「・・・さっそく、試していいだろうか?」

 

「ええ、何回も試したから、大丈夫だと思うわ」

 

苦い顔をしつつ、理香子は言う。興味本位の開発から始まり、試行錯誤した結果ちょっとした傷をいくつも負ってしまった。故に、苦い思い出となってしまったのだ。

 

慶次はそんな理香子の思いなどは知りもせず、整えられた立襟の制服を脱ぐとシャツ姿となり、その機械的な物体を左腕に装着した。そして再び制服を羽織ると、ボタンを占める。

 

ちなみに慶次の着るこの制服は、幻想郷で着ている者はいない。明治十三年ごろに着用されていた警官の制服であり、堅苦しい故に一般的では広まらなかった物であるからだ。そもそも保守的な考えを持っている幻想郷の人々は和服を好むため、南蛮風の服を着ようとする者は少なく、見向きもされない物であった。

だが慶次曰く、身が引き締まるといった理由でこの服を好んでいた。また、色合いが黒く、基本夜間に殺しを行うことが多い慶次にとっては迷彩効果が期待され、殺し屋稼業を行う身としては向いているのだ。故に、愛着をするようになったのだという。

 

慶次は理香子と共に納屋を出ると裏手の屋根に向けて、装着した腕を掲げた。

 

「さあ、あなたに使いこなせるかしら?」

 

茶化すように理香子は言うと、慶次は無表情のまま中指を動かした。すると、袖の中から何やら鋭利な鉄の塊が飛び出して、屋根に引っかかった。

 

慶次は再び中指を動かすと、鉄の塊と繋がっている糸のような物が巻き上がり、地を離れた。そして屋根に付く瞬間、鉄の塊は袖の中へと回収され、慶次は屋根に上った。

 

 そう、この装置は鉤縄である。主に忍びが壁などを上る際に使う物として一般的には知られているだろう。

 

 しかしこれは普通の鉤縄とは大きく違う。理香子の研究により独自のアレンジをされており、とある装置によって鉤爪が射出され、遠くまで一瞬にして届くものであった。それに加えただの縄ではなく、いくつもの細い鉄を絡み合わせて作った縄で物であり、俗にいうワイヤーのようなものであった。これにより強度と携帯性が増し、この射出式鉤縄が実用化したのである。

 

「うまくいったみたいね。流石私の研究かしら」

 

 満足のいく結果だったのか、理香子は勝ち誇ったようにつぶやく。

 

 それからしばらくして、慶次は屋根裏の窓から納屋へ入ったのか、先ほどの小さな扉から改めて出てきた。

 

「・・・上々だ」

 

小さな声で、慶次は満足そうに答えるが、理香子はそれが不服で口を尖らせた。

 

 「それだけ?もっと褒めてほしいところだわ」

 

「・・・いい出来だ。流石だな」

 

「ふふふ、でしょ?頑張った甲斐あったわー」

 

理香子はそういうと、嬉しそうな声を出してくるりと一回転をした。慶次はそれを見て、わずかに苦笑いをこぼした。

 

「じゃあそれ、あげるわ。どうせ私が使う事ないもの」

 

満足そうな表情を崩さず理香子は言うと、納屋へと戻っていった。

 

 

さて、慶次はその後北村へ戻ると見回りを行い異常がないことを確認すると、自宅へ帰っていた。その途中に寄った茶屋で団子を買い、片手は塞がっている

 

この団子は慶次が食べるわけでは無いのだが、共に暮らしている妹、笠間麦子の為に買った物であった。

 

殺し屋稼業と妖怪退治の専門家となった慶次は、笠間家を離れ一人暮らしをしていた。しかし、彼が二十歳になった時に妹であった麦子が独立したと聞き、自分の家で暮らすように促したのだ。当時の里は言うまでもなく危険であった為、自分の目に届くところへ置いておきたかったのである。

正直なところ彼は妹を溺愛し、また唯一普通に会話のできる存在であった。最近になり大人びて、より一層美人さが増していた。父親譲りのブロンド髪は美しく、里の男が放っておくわけもない。そう思えるほど、麦子は美しかった。

 

しばらく歩いて、辺りがすっかり夜になった頃。慶次は自分の家までたどりつくと、微かな違和感を覚えた。

 

普通この時間になれば、どこの家も明かりはつけるはずである。しかし、慶次の家だけ、明りがついていなかったのだ。麦子は外出をあまりしないため、慶次は扉をたたき、麦子に鍵を開けるように促した。

 

そこで、また違和感を覚えた。しばらく返事がない為慶次は勢いよく扉を開こうとすると、以外にも軽く扉が開いたのだ。普段なら心張棒により扉が容易に開かなくなっているのだが、それがなかったのだ。

 

慶次はまさかと思い立ち、ホルスターの『M1917』を抜き放つと、いつでも打てるように構え、家の中へと入っていった。

 

「麦子・・・!何処だ!」

 

珍しく慶次は声を張り上げ、妹の安否を確認しようとする。しかし、返事は帰ってこない。

 

「・・・どうなっている?」

 

慶次は苛立ちがこみ上げてきて、銃を構えたまま速足で家の奥へと足を運んだ。

 

すると、かすかに人影が見えた。胸のふくらみや体つきのラインからして、女性である。

 

「麦子?」

 

銃身を下ろして、ゆっくりとその人影へと近づいた。もしかしたら何かと交信しているのかもしれないと馬鹿馬鹿しい考えが慶次には浮かんだが、むしろそれほど、淡い期待を寄せていた。

だが、その淡い期待は打ち消された。

 

「なっ・・・貴様は!」

 

金色の髪をしており、妖艶で大人びた顔つき。紫を基調とした服を着て、メルヘンな傘を杖のようにして先を床に突いている。慶次にかつて弾薬を共有し、協力者であった人物。

 

そう、この女性は。

 

「八雲・・・紫!」

 

「あら、慶次。お帰りなさい」

 

慶次の張りつめた声に、八雲紫は笑顔で笑いかけた。

 

 




どうも、飛男です。以前の作品を見たことある方は、お久しぶりです。
以前の作品である「スカーレット・アサシネィション」の、いわばリメイク作品となります。ですが、多くの改善点があります。故に新規投稿に踏み切ったので、4話まではおそらく流れは同じです。
さて、なぜ過去作を変更しなければならなったのか、それは、慶次の職業にありました。
暗殺者は、本来そこまで感情をですわけにはいかないのです。つまり、以前の作品は慶次の心理描写ばかりで、まったく恐ろしさを感じさせることができません。むしろ、紅魔勢の方がよくわからない感じとなってしまった訳です。
これは作品的にどうなのかと思い、約一か月悩んだ末、新規投稿をした方がよいだろうと判断しました。おそらく「それだけで新規投稿したの?」と思われるかもしれませんが、私個人のこだわりがありまして、そこは重々ご承知願いたい次第であります。

では、今回はこのあたりで、おそらく4話まではすんなり投稿ができると思いますので、新しき慶次をお楽しみにしていてください。それでは。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吸血鬼条約

妖艶に微笑む八雲紫を見て慶次はM1917のハンマーを下し、彼女へ銃口を向けた。

 

「麦子はどうした。お前は何故ここにいる!」

 

怒鳴りつけられた紫は、驚きと不機嫌な表情を入り交えた顔をした。

 

「あなたは私の犬なのに、主人に牙を剥けるとは感心しませんわ」

 

手のひらを下に向けると、紫はそこから六発の弾丸を落とす。カラカラと音を立てて、床へと弾丸が散乱した。

慶次は薬室の弾が彼女の能力で抜かれた事を悟ると、銃口を下ろした。反則的な能力である彼女の前では、意表をつかない限り、銃など意味はない。

 

銃を下して慶次は敵意を失ったと理解したのか、紫は再び微笑んだ。

 

「うふふ、いい子ね。私に勝てないことは重々承知のはずだもの」

 

二人には面識があった。それも数えるほどではなく、頻繁に顔を合わせている。

 

それもそうだ。慶次に人里での殺しを許可した賢者は紫であり、同時に慶次は紫による弾薬供給を受けていたのだ。見返りとして紫は座敷童から伝わる情報を下に、慶次を猟犬として使い、殺し屋稼業とは別の特例依頼を出していた。その内容は言うまでもなく、よからぬ企みをした者達を消す事である。

 

「麦子はどこだ」

 

一つ息を吸い込み冷静になると、慶次は低い声で紫に問う。すると、紫は沈んだ声でつぶやいた。

 

「彼女は、ここにはいないわ」

 

「そんなことはわかっている。どこに行ったのか知らないのかと、聞いている」

 

「そうね・・・」

 

考え込むしぐさをして、紫は首を傾げた。そして一つ頷くとすぐに口を開いた。

 

「慶次。貴女は吸血鬼条約を知っているかしら?」

 

「聞いたことはあるが」

 

吸血鬼条約とは、過去の異変である吸血鬼異変にまで遡る。

 

強力な力を持つ吸血鬼は幻想郷の支配を企て、気力をなくしていた妖怪達を従え、いわゆる革命のような物を起こそうとした。この異変は大きく広がり、幻想郷の危機へと発展した。

 しかし、最終的に強力な力を持つ妖怪達にその革命は潰されてしまい、革命を起こした吸血鬼は無条件条約を余儀なくされ、行動制限をされたのだ。これが、吸血鬼条約である。

 

「その条約により、貴方の妹は抜擢されたのですわ」

 

「抜擢」

 

言葉を復唱すると、慶次は嫌な汗が滴った。

 

「ええ。条約に基づき、食料を提供する事を私たちは約束していますの。その適任者として、貴方の妹が抜擢されたのですわ」

 

瞳を閉じて、紫は静かに言う。それを聞いて、慶次の蟀谷に血管が浮き上がった。

 

「適任者だと。何故、麦子が適任者になった」

 

「あの子はその要素を持っていたからですわ」

 

「その要素が何なのかを聞いているんだ」

 

腹の中からさらにドスの聞いた低い声を絞り出し、慶次は紫に説明を求めた。

 

まるで憎悪の塊のような雰囲気の慶次に、紫は呆れ顔で説明を始めた。

 

「貴方の妹は容姿端麗で気配りも行き届く。これは吸血鬼にとって絶好の餌になりますの。そして何より・・・スラヴの血を引いていたからですわ」

 

「スラヴ」

 

聞いたことない言葉を復唱し、慶次は若干戸惑う。どうやら表情に出たのか、紫は再び笑みを浮かべる。

 

「ええ、スラヴ人。かつて外の世界で繁栄した、一つの民族の事ですわ」

 

スラヴ人とは、かつてヨーロッパ大陸を中心として栄えた諸民族集団である。

 

先史時代にさまざまな文化を吸収して発展や混交の過程を通じ、諸部族と各地の文化を形成していった。そして各地へ渡って行き、今でもその血縁を持っている人間は世界中に多く生きている。

もっとも、閉鎖的空間である幻想郷の住人達がそんな異国の地を引いているわけがなく、知る由もないだろう。外来人と言ってもスラヴ人を知る者はほとんどおらず、幻想郷の住人達のような、いわゆる『和』の顔をしているため、基本的にそんな異血を持つものなど存在もしない。つまり、慶次がスラヴ人と言う名称を聞いたことなくとも、頷けることであった。

 

「貴方の父親は外来人。それに、外来人の中でも特質中の特質。その血を引く彼女が抜擢されるのは、仕方のない事だとは思いませんか?」

 

「そこは俺にとって専門外の話だ。知るわけがない。だが、それだけの理由で麦子が抜擢される理由が分からない」

 

紫のもっともらしい意見を否定しつつ、慶次は探りを入れる。

だが、紫は余裕の笑みを作った。

 

「吸血鬼が形となれた理由は様々あります。しかし、根本的な理由は外の世界で言う四世紀ごろ、スラヴ人による民間伝承の為なのですわ。それに、幻想郷に異人の血をいつまでも長く留まらせておくわけにもいかないですの」

 

「だから、抜擢したというのか」

 

「ええ。それだけの事よ」

 

あっさりと返事を返す紫を見て、慶次は紫を睨み殺そうとした。

紫はその視線を感じると、不敵な笑みを浮かべる。その笑みは、まるで慶次を煽っているかの様である。

しばらく紫を睨んでいた慶次だが、ふと目線を外し、急ぎ足で迷わず自室へ向かった。

 

小ざっぱりとしている寂しい自室に入ると、慶次は若干色の違う壁の前に立ち、そこを力強く押した。すると、まるで隠し扉のようにぐるりと回り、反転する。

そこにはいくつもの火器が壁に掛けられていた。M1917とは違う構造である自動拳銃もあれば、相手を遠距離から打ち抜く狙撃銃。爆薬の入った手榴弾を打ち出す携帯発射装置もあれば、大量に銃弾をまき散らす短機関銃に散弾銃など、さまざまな物があった。

 

これらはすべて、慶次の仕事道具である。しかし使うと言っても稀に狙撃銃を使うくらいであり、他の火器はほとんど使用したことはない。もっとも、使用用途は理解しており、これらの火器を今の所使う仕事がないだけである。

 

「何をしているのかしら?」

 

部屋の出入り口に立ち、紫は火器の動作確認をしている慶次に声をかけた。

 

「決まっている。麦子を救い出す」

 

「それはすべて、私が貴方の仕事用として与えた物ですわよ?個人的理由で使うのは、契約違反ではなくて?」

 

「黙れ。貴様ら賢者達の勝手な都合で身内が生贄にされるなら、俺も勝手にさせてもらう」

 

その言葉に、紫は顔をしかめた。

 

「あなたのその勝手とは、全く意味合いが変わってきますわ。私のやったことは、あくまでも幻想郷の平穏を守るため。貴方のやろうとしていることはその平穏を潰すことですわよ?あなたは仮にも、人里の治安を守る十手持ちではなくて?」

 

紫の言葉に聞く耳を持たず、慶次は黙々と動作確認を行う。そして全ての確認を終えると、慶次は立ち上がり口をひらいた。

 

「俺はあの人の、先代の理想に賛同し十手持ちとなった。だが、俺があの人の理想に賛同できたのは、妹を間接的に守れると思ったからだ。それに、俺にとっては平穏などどうでもいい」

 

そういうと慶次は呉服屋で特注した黒地のロングコートを羽織った。コートの内側に火器をひっかけてごつく物々しい姿になり、その他の火器を入れたバッグを手に取った。そして自室を出ようと歩み、紫の前で立ち止まる。

 

「どいてくれ」

 

目前の紫に対して、慶次は威圧した目で見た。しかし、紫は首を横に振る。

 

「いやよ。私は反対しているのですわ」

 

あくまでも退く意思を見せない紫を見て、慶次は顔色を変えた。

 

「どうしてもか」

 

自然な動作でゆっくり腰のホルスターに手を添えると、慶次は一歩前に出て殺気を放った。

それは、ただ殺しを行うための物ではない。単純な殺意ではなく、悍ましい何かを秘めている。それは武に精通した者とは違う、殺し屋の持つ特有の雰囲気であった。おそらく一般的な村民であれば、失禁してしまうのではないだろうか。

 

その異常なる殺気に、紫は恐れをなしたのか一歩だけ足を引いて

 

「いいでしょう」

 

と、承諾する意思を見せた。

 

慶次は紫もう一度だけ睨むと、彼女を押しのけ、先へ行こうとする しかし。

 

「ですが条件・・・。いや、依頼を言い渡しますわ」

 

「依頼だと」

 

その言葉に、慶次は反射的に振り返った。そして同時に、しまったと後悔をする。自分の職業柄ゆえに、反応してしまったのだ。

現に、紫は余裕の笑みを作り直した。慶次と紫の付き合いは長く、慶次の持つ弱点を知っていたのだ。慶次にとって「依頼」とは特別な言葉であり、思わず聞く姿勢を取らせてしまう。紫はそのことを当然知っており、一つの手段として使用したのだろう。

 

「ええ、まずこの原因を作っているのは、誰でしょうか」

 

「吸血鬼だ」

 

慶次は当たり前に呟くと同時に、紫の言いたいことを察して若干顔を歪めた。

 

「そう。この条約の根源を断つことが、今回の依頼よ」

 

余裕の表情で紫は言うと、扇子で口元を隠し、再び「ふふふ」と笑いをこぼした。

慶次は一つ息をつくと、口を開いた。

 

「俺に死んで来いと言うのか?」

 

吸血鬼は言わずと、恐ろしい力を兼ね備えた妖怪だ。強靭的な身体能力に加え、人間とはかけ離れた回復力を備えており、この八雲紫にも負けぬ妖艶さをも兼ね備えている。その艶美さに魅了される男女は数知れずと言われ、いわゆるカリスマを持ち合わせているのだ。

今回の標的であるレミリア・スカーレットはそのカリスマにより多くの力ある従者を持ち合わせている。故に殺す事となれば、最悪そのすべての従者とも相手をしなければならず、いざまともにやり合えば普通の人間である慶次が勝てる見込みは、無いと言っても良い。

 

要するにレミリア殺しなど、息絶えて餌になって来いと言っているようなものである。

 

しかし紫は、慶次の問いに軽く首を振った。

 

「そのつもりは毛頭ないですわ。貴方は私の可愛い犬ですもの」

 

「では、何故そんな無理な依頼を出した」

 

「勘違いしていらっしゃるようですけど、私は内情を探ってほしいと言っているのですわ。内情を知れば、場合によってさらに彼女の動きも制限できますの。もちろん殺せるのであれば、殺す方が良いでしょうけど」

 

「そんな事をしていている時間はないはずだ。それに、俺はいち早く麦子を助け出さねばならない。つまり、今回の依頼は聞けそうにないぞ」

 

力んだ声で答える慶次を見て、紫はただ妖艶に笑う。

 

「彼女が食料となるまでに、おおよそ一年ほどの猶予がありますわ」

 

「なに」

 

「生贄として選ばれた人間は、館の食糧庫に一時的に投獄されますの。彼女はまだ幼く、多くの血を吸うことができない。だがら今食料としている人間が干からびた後、次の対象にシフトするのですわ」

 

レミリア・スカーレットは、一度に多くの血液を吸引することができないと言われている。一つの理由として「幼いから」と言う説が上がるが、真実は定かではなかった。しかし血液を吸引した後、飲み切れなかった血液を口から漏らすことがあり、『スカーレット・デビル』と異名がつけられているのは、その手の人間なら知っている。

 

紫の言葉を完全に信用することは出来ない慶次であったが、異名から察するに多くの血液を飲めないレミリアは食料貯蔵をするために、人間を館に幽閉している可能性は十分にある。つまり、麦子の番が来るまでは、時間があるのだろう。

 

慶次は力んだ手を緩め、バッグを落とした。そして居間の椅子へと腰をかけると、顔を落とした。

 

「つまり内情を探りつつ、好機があれば、殺してこいと」

 

「そういう事ですわ」

 

不敵に笑い紫は言う。慶次はそれを見て若干顔を下げた。

 

「貴様の依頼は分かりにくい。もう少し的確に伝えることができないのか」

 

「それだけでは、つまらないのよ」

 

慶次の指摘に紫は怪しく微笑みながら返事を返すと、開いていた扇子をぱちりと閉じた。

 

「私もできる限りの事は致します。ですが、私はあの吸血鬼にはいい顔をされません。つまりそれほど期待しない方が良いかと。では、頼みましたよ。慶次」

 

そう言い残すと、紫は閉じた扇子を使いゆっくりと一の字を書いた。するとそこがぱっくりと割れ不気味な入口を作ると、その中へと入っていった。

慶次はそれを、ただじっと睨んでいた。

 

 

数日後。相変わらず容赦ない夏の日照りがあるにもかかわらず、人里の中央村は相変わらず多くの人々でにぎわっていた。

 

東西南北中央で構成されるこの人里の中では最も歴史ある村であり、幻想郷が外の世界からの交流を閉ざしたころから既ににあったという。いわば、幻想郷の人間達にとっては始まりの村であり、流行の最先端を生み出していた。

 

そんな中央村には変わった店が多くある。一つとして、貸本屋「鈴奈庵」があった。

 

幻想郷内では紙が高価あるため、貸本屋ができるのは必然的であるだろう。しかし、この貸し本屋が扱っている本の多くは外来書物である。新しいものが好きである人里の住人達は興味を持ち、故に繁盛し、人気もあった。ちなみに安価な外来本の販売も行っており、小規模な印刷製本も行うことができる。

 

とは言うもの、毎日繁盛しているわけではなかった。来客が多い時もあれば、雨の日や雪の日などの悪天候により、少ない時もあるのだ。つまり、あくまで総合的に見ての繁盛であり、猫の手を借りたいほど忙しい訳ではなかった。もっとも、本を理解してすぐさま読むことは難しい故に、この繁盛の仕方は妥当と言えば妥当と言えるだろう。

 

さて、ここの店主の娘である本居小鈴は今日も退屈そうに、受付で本を読んでいた。蓄音機から流れる音楽を聞きつ つ、ぱらぱらと本をめくる。彼女はここの看板娘でもあり、用がない日はいつもこうして本を読んでいた。

加えて彼女は最近になり、特殊な力に目覚めていた。それは外来本の中でも異質である、アルファベットなどの文章で書かれている本や妖怪たちが書き記した妖魔本などを、手をかざすことで読めるようになったのだ。故にこれまで読めなかった本に目を通すことができ、もくもくと読むことができた。

 

しかし、最近になってそれもすべて読み終わってしまい、こうして暇を持て余している。彼女は読解力も高い故に、すぐさま本が読み終わってしまうのだ。

 

「はあ・・・新しい本ないかなぁ」

 

アルファベットで書かれている動物図鑑を眺めつつ、小鈴は息を漏らした。

幻想郷に存在しない生き物を数多く記されており、読めるようになった小鈴は愛読をしていたのだが、さすがに読み見飽きていた。

 

小鈴は大切そうに図鑑を閉じ、両手を組んで体を伸ばした。目を瞑り、言葉にならないような可愛らしい声が、店中に響く。

 

体を伸ばしきった小鈴はゆっくりと目を開くと、入口にぼんやりと人影が見えた。見られてしまっただろうと小鈴は恥ずかしさがこみ上げ、すぐさま両手を解いて背筋を伸ばす。

 

「い、いらっしゃいませ!」

 

小鈴は掛け声を出してその客をしっかりと見ると、ほのかに赤みが掛かった瞳を大きくした。

 

「あ・・・か、笠間さん!見回りご苦労様です!」

 

やがて声が震え、緊張した様子で小鈴は再び声を出す。慶次は見回りを行う際に、ここへと顔を出すことがあり、十手持ち故に小鈴はやましいことはしていないにしろ、若干の緊張をしていた。

 

「やあ小鈴ちゃん。相変わらずかわいいね」

 

にっこりと笑顔を見せる、慶次は優しい声で言う。

 

「いやぁその・・・照れちゃいますよ」

 

若干照れたような声で、小鈴は頭を掻いた。慶次はいつも、こうして声を掛けてくる。それは本心なのかお世辞なのかはわからないが、整っている顔付きである慶次から言われると、女の性故か、どこか嬉しい気持ちになってしまう。

 

「それで、何の用ですか?あっ!ここに怪しいやつはいませんよ!」

 

愛嬌振る舞い元気よく言う小鈴に、慶次は苦笑いを見せた。

 

「いや、別に怪しい妖怪や人を探しているわけでは無いんだ。すこし、探し物があってね」

 

自然な優しさを醸し出し、慶次はしっとりと言う。

 

「えっ。笠間さんも本を読むんですか?」

 

小鈴は慶次の言葉に、思わず驚いた。普段は見回りの為に顔を出すだけであり、私的にこの店を利用するとは思わなかったのだ。

どうやらその意外な思いが慶次に伝わってしまったのか、彼は再び苦い顔になる。

 

「ああ、自分も知識を深めるために読むよ。偶にしか読まないけど」

 

なるほどと小鈴は納得すると、うんうんと相槌を打つ。十手持ちである慶次は本など読まないかと思っていた故、人は見かけによらないものだと思い直したのだ。

 

「それで、何をお探しですか?笠間さんの求めているものがあればいいのですが・・・」

 

「うん。外来本の・・・そうだね、もんすたあっていうのかな?その図鑑とかあれば、うれしいかな」

 

もんすたあ、と慣れない口調で言う慶次に、小鈴は首を傾げた。確かにその資料はあるが、なぜ慶次がそれを必要としているのか分からないからだ。

 

「もちろんございますよ!」

 

だが小鈴は、慶次の趣味からだろうと思い立った。そもそも十手持ちである故に、外の世界の生物に興味を持つのは、冷静になって考えてみると不思議ではない。慶次がもともと妖怪退治の専門家であったかどうかは知らないが、その経歴を持つ者が十手持ちとなれるのだと、里の一般的な印象からの考察であった。

 

「あ、ですけど…」

 

元気よく言う小鈴であったが、すぐさま考え込む仕草をする。慶次はそれを見て、不思議そうな表情になった。

 

「どうしたんだい?」

 

「いえその・・・慶次さんに読めるかどうか分からない本でして・・・」

 

「あ、もしかして外来の文字で書いてある本かい?」

 

的を射た慶次の言葉に、小鈴は申し訳なく、ぺこりと頭を下げる。

 

「すいません・・・ほかにも探してみます!何冊かあったはずです」

 

小鈴は受付から飛び出すと、本棚を探そうとする。だが、慶次は小鈴の肩を優しく叩いた。

 

「いや、それでいいよ」

 

「えっ!でも・・・読めないと思いますよ」

 

困惑と驚きを入り交ぜた表情で小鈴は言うが、慶次は微笑んだ。

 

「もんすたあの絵を見たいからさ。あ、でも。もしかしたら君に質問するかも。どんな生物だったのかなって。君なら異能の力とかで、読めるんでしょ?」

 

何気ないであろう慶次の言葉に小鈴は思わず体をびくりと跳ね、目を見開いた。

小鈴はまだ、自分の持つ能力を言いふらしてはいない。つまりこの能力を知る者は少なかったのだ。

異能の能力を持つ人間は英雄視されることが多い幻想郷ではあるが、それをよく思わない者も当然おり、妬みの対象となる場合もある。小鈴もこの事は当然知っており、同時に危惧をしていた故に、言いふらすことは避けていたのだ。仮に話したとしても親しい友人くらいであり、慶次の言葉には、驚きを隠しきれなかった。

 

「ど、どこで・・・」

 

恐る恐る小鈴は口を開き慶次の表情をゆっくりと見た。すると、慶次は意外にも驚いた顔を作って見せた。

 

「え、本当にそうなのかい?いや、なんで読めない本を置いているのか不思議だったけど、そういう事だったのか…ごめんよ」

 

苦い表情になると慶次は小鈴に謝罪をした。どうやら冗談で言ったつもりらしく、まさか当たっていたとは思ってもみなかったようである。その申し訳なさそうな慶次を見て、小鈴はほっと安堵の息を漏らした。

 

もっとも苦い顔をしている慶次ではあるが、実は小鈴の能力をあらかじめ知っていた。彼に度々情報を提供する、いわゆる『漏らし屋』から情報を得ていたのである。

即ち、慶次が今回鈴奈庵に来た主な理由は、まさにこれであった。小鈴の能力を使い、外の世界に伝わる吸血鬼の殺し方を調べに来たのだ。

もともと吸血鬼は外来の妖怪であり、外来の知識から討伐方法を学べると思い立った慶次は、真っ先に鈴奈庵にある資料に目を付けた。しかし、血族故に多少のアルファベットは読めるのだが、全てを理解するには慶次の知識では足りなかった。唯一人自然に読める人間を上げるとすれば外来人兼外国人である父親であろうが、数十年前に絶縁関係となり、そもそも幻想郷で起きた『とある厄災』によりすでに他界している。

そこで、漏らし屋から得た小鈴の情報を思い出し、小鈴の力を借りることを思いついた。加えて彼女の家の本である故、読み出すのに手間もかからない。

唯一の手間としては小鈴が能力を隠していることであったため、慶次はこうして何気なく鎌をかけ、小鈴の秘密を自らの行動で明かさせた。

 

「あ、あはは・・・ばれちゃいましたか~。思わず驚いちゃいました」

 

もちろん、小鈴はそのことを知る由もない。ゆえに小鈴は、こうして自分の能力を認めざるを得なかった。あれだけのアクションを起こして、十手持ちの慶次に感づかれない訳がないと、諦めがついたのだ。

それと同時に、仮に能力を持つ故に身の危険が迫っても、慶次なら守ってくれるであろうと、根拠のない安心感が小鈴の思いに湧き上がっていた。

 

「こちらこそ驚いたよ。さて、それはどこにあるかな・・・と」

 

話題をすっぱり変えると、慶次は何気なく本棚を探す素振りを見せた。どうやら、あまり詮索をする気は無いらしい。

警戒心を解いた小鈴はすぐさまその本を探し当て、慶次に「どうぞ」と手渡す。本をゆっくりと受け取ると、慶次は小鈴に微笑みかけた。

 

「ありがとう。助かるよ」

 

慶次はそういうと、店の端に置いてあるソファに腰を掛け、黙って読み始めた。

 

それからしばらく、慶次はモンスター図鑑を読みふけっていた。

小鈴は何か気を配ろうとしたが、集中する慶次は何処か自分の知っている慶次とは違うように思えて、若干の恐怖心を抱いていた。

「ん」

すると、蚊が鳴くような程小さな声で、慶次は言葉を漏らした。どうやらお目当てのモンスターを見つけたようだ

 

「小鈴ちゃん。ちょっといいかな?」

 

案の定、慶次はそういうと手招きをしてきた。小鈴は「はーい」と言葉を伸ばして受付席から立ち上がり、無意識に歩みを遅めながら向かう。

 

小鈴は図鑑を覗きこむと、そのページ記述されていたのはドラキュラであった。

ドラキュラとは言わずと知れた、世界的に有名なモンスターである。外の世界に存在するアイルランドと呼ばれる国の作家、ブラム・ストーカーが書いた小説の主役ともいえる「ドラキュラ伯爵」の事を指しており、その小説はこの鈴奈庵にもあった。

図鑑曰く、爆発的人気を博したその小説により、「ドラキュラ」の名称が吸血鬼の総称として使われるようになってしまったのだという。故に、正確な言い方であればヴァンパイアと呼ぶのが正しいとされ、あくまでも「ドラキュラ」は人物名であり、総称ではないと書かれていた。

なおこのモンスターはすでに屠られていると図鑑には書いてあり、幻想郷に入ってくることもないだろう。

 

「えーっとこれはですね・・・」

 

ポケットからのメガネをわざとらしく取り出すと、小鈴はそれを掛けた。そして慶次の横隣りに立ち、先ほどの内容を読み始める。

慶次は興味深いのか小鈴の言葉に相槌を打ち、それを黙々と聞いていた。気になる事はメモを取り、横文字の単語は小鈴にその意味を聞いてきた。

 

 そして数分後、小鈴は読み終えると一息をついて、慶次の向かい側のソファへと腰を掛けた。熱心に聞いてくる慶次を見て思わず自分も熱が入ってしまったのだ。

 

「こんなところですかねー」

 

小鈴はうつむいてメモを見ている慶次に何気なく目を向けると、なぜか顔をしかめている事に疑問を持った。

 

 気分を害する事をしたのだろうかと、思わず小鈴は思い返す。慶次の顔は、しかめているというよりどこか恐ろしげな、親の仇を見るような眼であったのだ。

 

「あ、あの…」

 

周りにただよう重い空気と湧き上がる疑問で、小鈴は思わず声をかけた。すると、慶次は何事もなかったかのように様に顔を上げると、笑みを作った。

 

「ん?ないだい?」

 

「いえその・・・怖い顔をしていたので・・・」

 

徐々に声のトーンを落として、小鈴は言う。すると慶次は息をついて、再び笑う。

 

「ああ、ちょっと考え事をしていてね。大丈夫、何も問題はないよ」

 

そういうと、慶次は「さて」とつぶやくと椅子から立ち上がり、受付へと向かった。

 

「今日はありがとう。これ、代金ね」

 

じゃらりと通貨を机へと置いて、慶次はと鈴奈庵の暖簾をくぐってゆく。

その逃げるような行動に小鈴は再び疑問を持ったが、急いでいるのだろうと脳内で解決をした。そして受付机へと戻り、再び本を読み始めたのだった。

 

人里の中央村は店が多く建ち並ぶ。そこには当然居酒屋も多くあり、夜になればまた別の顔を見せていた。

そんな居酒屋の中に、ごろつきや気性の荒い連中、さらには妖怪すらも足を運ぶなじみの店がある。繁華街から一歩足を引いた店であるゆえに、きな臭い連中が好んで通うのも無理はないだろう。しかし、だからと言って飯や酒がまずいわけでもなく、中には普通の客も入り混じっていた。

今日もがやがやと賑わうその店に、一人の男がカウンター席に座っていた。男はちびちびとお猪口に注いだ熱燗を飲んでいる。

整った顔立ちをしており、うすい茶色の和服を身に着けている。髪は時代遅れの髷など結わず、ぼさぼさとしているのが印象的であろうか。帯刀はしていないが懐には本が見え、刀の代わりに十手を腰に差している。

つまり、彼は十手持ちであった。名は国枝孝謙と言い、十手持ちの中で唯一戦闘技術に長けている人間ではない。だが腕っぷしはそこらの人間よりも強く、悪知恵もめっぽう働く男であった。

孝謙がしばらく酒を飲んでいると、居酒屋の入り口ががららと開いた。そして、そこからハイカラな黒ずくめの男が入ってきた。

数人のごろつきたちは、彼らの性なのかガンを飛ばそうと入り口をにらみつける。しかし、その人物がだれなのかと知ると、一斉に何事もなかったかのように、目を泳がせた。所詮は里の中で威張っている腰抜けたちである。

 

「おーい慶次。ここだ、ここ」

 

手を振って孝謙はその人物、笠間慶次を呼んだ。慶次をここに呼び出したのは、孝謙であったからだ。

慶次は孝謙の呼びかけに気が付いたのか、無表情で彼の元まで歩むと、孝謙の横へと座った。

 

「酒、何がいい?」

 

少しだけ酔いが回っている孝謙は、慶次へと酒を進める。それに答える様に、慶次は帽子を脱いで席へ置くと、自ら熱燗を頼んだ。

 

「例の物は、あったか?」

 

唐突にいつも通りの口調で慶次は話を切り出すと、孝謙は少し待てと言わんばかりに、お猪口を口に運んだ。数秒して孝謙は酒を飲みほしお猪口を置くと、足元に置いてある革製の抱鞄に手を伸ばし、紙の束を一つ取り出した。

 

「現状もっとも新しいとされる紅魔館の求人案内だ。とはいうもの約一か月前の事だからな。機能するかは分からん」

 

孝謙はそういうと、新聞を自分の手元へと置く。この新聞は慶次が、孝謙へ頼んだものであった。

 

 「何の真似だ?」

 

 しかし、慶次は孝謙の行動に苛立ちを覚えた。依頼物を自らの手元に置いたことは、要するに自分へ渡す気がないと言った現れであるからだ。

 

 「なあ慶次。そのだな」

 

苦い顔つきの孝謙に疑問を抱いたのか、慶次は若干眉をひそめた。そもそも、こんなチンケな嫌がらせをするような小さい男ではないことを、慶次は知っている。

 

「どうした?」

 

「・・・いやね。さすがにこれは危険すぎだぞ。いくらお前の依頼主が紫さんだとしても、そこまで義理立てする必要があるのか?」

 

孝謙はレミリア・スカーレット殺害依頼を受けたことを、慶次自身から聞いている。しかし、身の危険を冒してまでも義理立てしようとしている慶次に、付き合いが長い孝謙にとってはどうにも腑に落ちなかったのだ。

確かに依頼や任務には忠実に動く慶次であるが、第一に妹の事を考える慶次がこの任を引き受けた理由が分からない。死んでしまっては、妹を守れなくなってしまうからだ。もっとも好機を見出さなければレミリアを殺せないことを踏まえ、使用人として潜入しろと案を出したのはまぎれもない孝謙であったが、長期戦を余儀なくされましてや里から離れることとなる。しかし、それを簡単に承諾したこと自体、慶次が何か焦っているように思えてならなかった。

さまざまな疑問を巡らせこの質問をした孝謙であったが、慶次は親父から出された熱燗を手に取ると、口を開いた。

 

「今回、俺が依頼を引き受けた理由は私欲だ」

 

その言葉に、孝謙は予想をしていた考えを確証へと変えた。

 

「麦子ちゃんの身に何かあったのか?」

 

「そうだ。だからどうした?これは身内の関係だ。お節介を起こすようなことはするなよ」

 

「それはわかってるけどよ」

 

とは言うもの、孝謙はやはり不服を拭えきれなかった。それこそ相談をしてくれれば、力になれるはずである。それに、もしものことを考えると、むなしい気分になるのだ。

 

「また減ると思っているのだろう。俺たち十手持ちが」

 

慶次は、孝謙の考えをズバリ言い当ててくる。孝謙は机上で両手を組むと、口を開く。

 

「過去に俺たちがやってきたことはいつもあぶねぇ事ばかりだったけどよ、今回ばかりは危険すぎるからな。それも聡士郎とは違って、命を落とす確率は高い。麦子ちゃんは残念だと思うが、今回はやめといた方が良くないか?」

 

笑みを作りつつも、孝謙は強い声量で警告をした。だが、もちろん慶次は止まらないだろう。

案の定、慶次は孝謙をにらみつけ、意思が変わらない事を表していた。

しばらく孝謙も負けじと睨みつけたが、慶次の覚悟に折れて目を伏せる。そして、ただ無言で作業をこなしている親父に声をかけると、一つの酒瓶を指定した。

 

「頑固な奴だ、わかったよ。だが約束だ慶次。もしうまく潜入できて麦子ちゃんを助け出し、ここへ帰ることができたら、三人であの酒を飲もうじゃないか。あの酒は高い。一人で飲むにはもったいないだろう?」

 

そういうと、孝謙は慶次へ新聞を手渡したのだった。

 




どうも、飛男です。
今回は以前とだいぶ変わっていると思います。大筋こそそのままですが、視点が大きく違っているはずで、主に慶次とかかわったキャラにスポットを当てているわけです。なお、冒頭こそ慶次の視点で話が動いていましたが、慶次視点の三人称はおそらく数えるほどしかないかと思います。こうすることで、以前よりも慶次が怖い人物であると伝えることができたらいいなと思っていたり・・・


さて次回は前回と同じく、やっとこさ紅魔勢が出てきます。楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

潜入

人里を出てしばらく歩き魔法の森を抜けると、霧に包まれた大きな湖が出てくる。この通称「霧の湖」の畔に、吸血鬼の住む洋館、紅魔館はあった。

その名に恥じぬほど、全体的に禍々しい紅色の洋館であり、和風建築の多い幻想郷では比較的不釣り合いな建物であった。もっとも、この建物は外の世界から越してき、正確にいえば幻想郷で作られた物ではない故、それは当り前である。

館だけではなく、周りを取り囲む塀すらも紅い。ここまで行くともはや趣味の悪い領域であり、何かしらの理由がなければ民間人が寄り付くことはない。

 

 塀の大きさは成人男性四人分ほどであり、正当にその中へと入るためにはまず正門を通る必要があるが、その正門を容易に通る事はできなかった。チャイナ服の妖怪、紅美鈴が門番を任されているからだ。

彼女は「気を操る程度の能力」を持っており、中国拳法の使い手である。もっとも弾幕戦が主体となり力の証明となっている今の幻想郷において、体術はそれほど意味をなさないのだが、館の門番であるならばそれは十分意味を持ってくる。中国拳法で門前の敵をねじ伏せることができ、まさに天職とも言えるであろう。むろん門を通るために弾幕勝負を挑まれれば、また話は別であるが。

 一見優秀のように見える彼女であったが、実はどうしようもない一つ欠点を抱えていた。

 

「すーすー」

 

それは、居眠りであった。

塀にもたれ掛り、美鈴は気持ちよさそうに眠っている。その随分と機用な寝方は、彼女が使う中国拳法の賜物とも言えるであろう。これほどにまで微動だにしない立寝ができると言う事は、それ相応の鍛錬を積まなければならず、足腰に加え体幹が強靭である事の現れであった。

これがまだ稀にならば、多少の欠点と言える。二十四時間三六五日緊張の線を張り、不眠で門を守り抜くいわゆるガーディアンになるのは人間ではまず不可能であり、それは並みの妖怪でも厳しいはずである。だが、彼女は隙あらば、大体こうして眠っているのだ。病気という訳でもなく、ただ眠いから寝てしまうのである。

 

「うーん・・・うーん。咲夜さん・・・私は寝てないですよぉ・・・」

 

寝言を呟きつつ、美鈴は苦い顔をした。彼女は言わずと居眠りにより、この館のメイド長である十六夜咲夜からよく怒られる。ゆえにそれが夢となり、出てきているのだろう。現に夢の世界で美鈴は、飛び交うナイフを懸命に避けていた。

 

さて、夢の世界で美鈴はナイフから懸命に逃げている最中、彼女を現実へ引き戻すように、うっすらと声が聞こえてきた。

誰の声かは判別できないが、呼ばれていることは薄々感じる。美鈴は声が大きくなるのを感じつつ、次第に夢の世界から覚めてゆく。

 

 「んん~?あっ私、また寝てた!?」

 

 ハッと目が覚めると、美鈴はあたふたし始める。そしてすぐに、先ほど寝ぼけて「寝てた」と口走ったことを思い出すと、ひどい仕打ちに合う可能性を考慮して身構えた。

 しかし、いつもならば起きた美鈴に対してモーニングコールならぬモーニングナイフが飛んでくるのだが、今回はなんの沙汰もなく、彼女は思わず「あれっ」と困惑した。

 

 「やっと起きましたか・・・」

 

すると、横から聞きなれない声を、美鈴は掛けられた。

声の方を振り向くと、そこには咲夜ではなく、やはり見知らぬ男性が困ったような顔をして立っていた。それに伴い、美鈴は若干の安心感に包まれる。

声をかけた男性は町人のような着流し姿をしているが、髷は結っておらず当然頭頂部も剃っていなかった。顔つきは若いが堀が深く、うっすらと西洋的に見えるところ以外は、どこにでもいるような里の住人であろう。だが、微かに焦げ臭いにおいを感じた。

 

 「え、あ、はい。私になにかご用でしょうか!」

 

 意外な来客者であった為、美鈴は言葉を詰まらせつつ、返事を返す。わざわざ寝ている自分に声を掛けてくるという事は、侵入者ではないらしい。

すると、その男は笑顔を作り、名乗った。

 

「ああすいません、申し遅れましたね。私は笹井伸一郎と言う者です。実はこの新聞の求人案内を見て、雇ってくださらないかと参りました。あの・・・責任者かだれかを呼んで来てはくれないでしょうか」

 

笹井伸一郎と名乗るその男は、紅魔館の求人案内が書いてある新聞を美鈴へと手渡した。

新聞を受け取った美鈴は、中を確認してその掲載記事を把握すると、「あっ」と思い出したように声をあげた。

 

「そういえば一か月くらい前、人手が足りないから求人をしたって咲夜さんが言ってたっけ。えーっと、ちょっと待ってくださいね」

 

美鈴はそういうと、館のシンボルともいえる時計塔へと目をよこした。時計は丁度針を動かして、ガチャリと十二時を指す。

 

「あ、そろそろ来ると思いますよ」

 

微笑みかけ、美鈴が口を開いたその刹那。まさにパッと現れたと言わざるを得ないように、咲夜が二人の前に現れた。思いがけない現象に驚いたのか、笹井と名乗った男は目を見開いて、体を一瞬跳ねさせる。

 

「あら、今日は寝ていなかったのね・・・?」

 

「は、はいぃ!もちろん寝てないです!寝てませんよぉ咲夜さん!そうです!こうして、この方のご用件をきいていたんですから!」

 

両手を胸元で振り、美鈴はあわただしく返事をした。

その答えに満足したのか咲夜は鼻で笑うと、凛々しく冷たい目つきで、笹井を睨んだ。。

 

「それで、貴方は誰?道に迷ったのかしら?」

 

高圧的な態度で、咲夜は笹井に言う。だが肝が座っているのか笹井は怯えることなく、むしろ困ったような姿勢を作ると、後頭部に手を置いた。

 

「えっと、私は笹井伸一郎と言う者ですが、こちらで求人案内をしていると先ほどそちらの女性に渡した新聞に書いてありまして、お話だけでも聞いていただけないでしょうかと」

 

「求人?確かに一か月前、ダメ元で求人を出してみたけど・・・。何故今更なのかしら?」

 

相手の心情を探るように、咲夜は笹井を睨んだ。しかし笹井は、威圧など気にせず、後頭部から手を退けると、普通に話す姿勢を取った。

 

「私は老舗糸屋である細川屋で働いていたのですが、恥ずかしながら人員削減のために、先日首を切られてしまいましてね。つまりこの記事が掲載されていたときはまだ、そこで働いていたという訳です。募集期間は書いておりませんでしたので、一度お話だけでもと思いまして」

 

淡々と笹井は言うと、咲夜は以外にも理解したように「ああ」と言葉を漏らす。

咲夜が以前人里に出向いた時、細川屋が以前に人員削減を行っており、失業した者が数人いたことを耳に挟んでいたのだ。

失業などはよくある事ではあるのだが、外部の人間である咲夜ですら耳に挟むほど噂が大きくなったのは、手に職がなくなり、自殺したと思われる仏もとい死人がでたからである。曰くその人物は北村から中央村をつなぐ橋に呆然と立ち尽くしていたらしく、数時間後踏ん切りが付いたのか、身を投げたのだという。結果、近くを歩いていた町娘が悲鳴をあげて、そこそこ大きな事件となった。

 

「ふぅん・・・でもおかしいわね。何故わざわざこの危険な紅魔館へ来る必要があるのかしら?見たところ貴方は一般人でしょう?それに、たとえ今仰った事が本当だとしたら、あなたは現在路頭に迷っているという事。つまりこの館に盗みを働こうとしているのではなくて?」

 

あくまでも高圧的に、咲夜は疑り深く問う。確かに彼女の言う意見は間違っていないであろう。路頭に迷い、金がない人間など信用は出来ない。働くといっても金目の物を盗んで、逃げ出す可能性も十分に考えられる。もし人里へ逃げられてしまえば、条約に基づきどうすることも出来ず、それこそ泣き寝入りで終わってしまう。

すると、笹井は拳を握り、力強く咲夜へ訴えてきた。

 

「確かに!そう思うのも不思議ではないでしょう。ですが、私はこれを期に生まれ変わりたい一心!さまざまな求人を調べたところ、ここしかない・・・ここなら新たな自分を始められると思ったわけであります」

 

 目線を外さず真剣そのものに言う笹井に、咲夜は表情を崩さず無言のまま、睨み続けた。その瞳はぶれない意思を感じることができ、働く意欲は十分に伝わってくる。

暫く睨み続けた咲夜がであったが、笹井の熱意を認めると息を吐き、目をそらした。

 

「そう・・・生まれ変わりたいのですか。では、チャンスがあるかもしれませんわね」

 

「では・・・!」

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたわね。私は十六夜咲夜と申します。この館・・・紅魔館のメイド長兼、雇用責任者でもありますわ」

 

「な、なんと!そうでしたか・・・ご、ご無礼いたしました・・・」

 

驚いた表情をした笹井は、そそくさと頭を下げる。一見メイド服を着ている咲夜は、ただの使用人と見えてしまうであろう。そもそも西洋的文化を全くもって知らない人里の住人にとっては、メイドなど同じに見えるはずであり、区別をつけることは難しい。その事を踏まえ、咲夜は先ほどの高圧的な雰囲気を消すと、微笑み返した。

 

「いいえ、お気になさらず。ひとまず一度お館の中へとお連れ致しますわ。もっとも雇用するかどうかは、館の主であるお嬢様次第でしょうが」

 

笑顔ではあるものの、凛とした声で咲夜は釘をさす。そして、美鈴へと視線を変えた。

 

「聞いての通りよ。扉を開けてちょうだい。あと、昼食はそこに置いておいたわ」

 

言われた通り、美鈴は咲夜の目線をたどると、塀の端に食べ物が置いてあった。パンに軽く具を挟んだだけの物であるが、美鈴は目を輝かせ、笑顔になる。

 

「わぁ!咲夜さん!ありがとうございます!」

 

「いいのよ。じゃあ、お願いね」

 

嬉しそうな美鈴に合わせ、咲夜も少しだけ笑みを浮かべて言う。

その言葉に、美鈴は頷くと、門前の前に立ち力強く押し始めた。

ギギッと、門は重くらしく鉄の擦れる音を響かせ、開いてゆく。全て開けるわけではないのだが、それでも音は、長く響いた。

 

「どうぞ!」

 

門を開け終わると美鈴は、後ろで手を組み笑顔を作った。咲夜はその笑顔に笑みで答えると、館の敷地内へと進んでゆく。

この時咲夜は、自らの後ろで漂う憎悪の意思を、感じることはできなかった。

 

 

正門を通り、さらに庭を超え、いよいよ館へと入ってゆく。

館の中は外と変わらず、紅の景色が広がっていた。

外装だけではなく、内装までも真紅が蔓延っている。目を配る先々に紅がある為、目がちかちかと痛くなってくるだろう。

それともう一つ、この館は不可解な事がある。それは、外から見た紅魔館と明らかに館の規模が違うのである。館の外装を見れば、それほど大きくないように思えるのだが、中に入るとその数倍近く館の広さを感じることができ、もはや物理法則を無視していた。

 

「どうされましたか?」

 

立ち止まって呆然としている笹井を見て、咲夜は不思議そうに声を掛けた。笹井は声を掛けられ我に帰ったのか、小さく首を横に振った、

 

「いえ、なんでもないです。中の様子に少し、驚いていまして」

 

「ふふっ。確かに初見は驚かれるでしょうね。ですけど、時期になれるかと」

 

微笑みかけて咲夜は言うと、直ぐに歩き始める。また笹井もそれに続き、きょろきょろと周りに感心しつつ、歩き始めた。

それからしばらく歩くと、三メートルほどの巨大な扉が見えてくる。明らかに大物がいるとわかる装飾が施され、その扉を咲夜は軽くノックをした。

 

「失礼します」

 

咲夜がそう言うと、扉の奥から声が聞こえてきた。

 

「入りなさい」

 

自尊心の塊のような子供の声が聞こえてくると、咲夜はゆっくり丁寧に扉を開く。

ギギッと木々の擦れる音が響いて扉が開かれると、真っ暗な闇が部屋中に広がっていた。だが、咲夜は明りもつけないでそのまま部屋へと入って行き、数歩進んだ。

 

「お嬢様。使用人希望者を連れてまいりましたわ」

 

咲夜の言葉と同時に、ぽつぽつと壁際の蝋燭に明かりが灯り、奥へと続いて行く。

そして凝った演出の下、蝋燭に明かりに照らされて幼き吸血鬼が現れた。

 

「ふぅん。その男が希望者?面白い顔つきをしているわね」

 

紅魔館の主、レミリア・スカーレットは彼女の三倍ほど大きい王座へと座り、未発達な足を組んでいた。幼さを醸し出している少女的な顔つきであるのにもかかわらず、頬杖をついて妖艶に笑っており、大人びた色っぽさを感じることができる。

 

「あら?貴方私の姿を見て驚かないの?」

 

不思議そうに、レミリアは笹井へと質問をする。普通の人間であれば、彼女の意外なる容姿に驚きを隠せなくなるからだ。しかし、笹井は表情を変えなかった。

 

「あなたの噂は良く小耳にはさんでいました。想像通りの御美しさで感激はしております」

 

笹井はそう言うと、片膝をついて胸元へ手を置き、話を続ける。

 

「申し遅れました。私は笹井伸一郎と言う者です。里で使用人をやっておりましたが、生まれ変わりたい一心でここへ訪ねてまいりました」

 

意外にも、西洋的な行為をした笹井に、レミリアと咲夜は若干感心をした。この男、伊達ではない。おそらく、あらかじめ正当なる挨拶の仕方を学んでいたのだ。それほどにまで、この館に取り立てられたいのだろう。

 

「生まれ変わりたい?ふふっ・・・それはどういう意味なのかしら?」

 

「はい。私は職を失い、初めてそこは、やりがいのある職場ではなかったと感じました。そうつまりは、誰か高貴な方にお仕えしたい。毎日そろばんをはじくだけが私のやりたい事なのだろうか・・・。どこかそんな思いを抱えていまして、以前の人員削減により、踏切りがついたのです」

 

「人員削減?ああ、つまりこういうことね」

 

にやにやと笑いながら、レミリアは煽るように自らの首元をトントンと叩いた。

だが、笹井はそれを見てもなお、表情をゆがませない。解雇されたことを、まるで気にしていないようであったのだ。レミリアは笹井のそんな態度が気に入らず、むすっと表情を歪めたが、足を組み直し、余裕の笑みを作る。

 

「まあいいわ・・・それで?貴方は何を持っているのかしら?」

 

「何を持っている…ですか?いったいそれはどういう意味なのでしょうか?」

 

レミリアの唐突な話題変換に、先ほどまでポーカーフェイスを保っていたさすがの笹井も、顔を歪めた。

 

「そんなことも分からずに、貴方はここへ来たのかしら?いい?私は面白い事が好きなの。つまり私を楽しませてくれる者でしか、雇うつもりは無いのよ。ふふっ、咲夜も美鈴も面白い特技を持っているわ。だからあなたも、何か特技を見せてみなさい」

 

勝ち誇ったようにレミリアは、鼻で笑う。これは、彼女が最初に出した試練なのだ。

所詮、変わりたいと言ったところで、自分の殻から抜け出せない人間は多い。里の住人がこうして紅魔館へと迂闊に来る事はレミリアにとって面白いのだが、さまざまな御託を並べて雇い入れてもらおうという魂胆が気に入らなかったのだ。

レミリアは、媚び諂うような人間が大嫌いであった。

現に、笹井は咲夜をちらりと見た。おそらく何かしらの答えを求め、咲夜へと目を運んだのだろう。

だが、咲夜は目を瞑り、何も答えない事を表している。つまりは自分で何か考えろという訳であり、肩入れをしない様子を出している。そもそも、咲夜に頼ろうとすること自体が、おこがましいことである。

 

「それで?何もないのかしら?」

 

笑みを崩さず、レミリアは追い打ちをかけるように鋭い瞳で睨みつけ、催促をする。

さあ困れ、無様な醜態をさらして見せろ。レミリアはそんな下衆の期待を込めて、笹井を睨み続ける。

 

そして数分間。無言の重圧が続いた。

 

「では…私の特技。お見せいたしましょう」

 

苦い顔をしていた笹井であったが、とうとう何かしらの考えが思い浮かんだのか、覚悟の色を含んだ顔つきになった。

それを見て、レミリアは少しだけ期待を寄せる。

 

「ええ、何かしら?」

 

レミリアは少しだけ身を乗り出し、笹井の醜態をあざ笑おうとした。

その刹那だった。

 

ズドンと轟音が部屋中に響き、レミリアの真隣りで何かが横切ったと思うと、蝋燭立てが一瞬にして無残に砕け散った。意図しない出来事にレミリアは身を乗り出したまま、目を見開く。

 

そして、場の空気が一瞬にして静まり返った。

 

我に返りレミリアは笹井を見る。すると、いったい何時抜いたのか、手首を若干ひねり、拳銃を構えていた。銃口からわずかに、煙が噴き出している。

レミリアと咲夜が認識できたのは、笹井がふと、肩をレミリアに向けた瞬間だけであった。おそらくその刹那、彼はまさに抜刀術のような速さで拳銃を後方へ抜き、その動作に加えて引き金を引いたのだろう。

 

「なっ!あなた!」

 

思いがけない笹井の特技に唖然としていた咲夜であったが、我に返ると鈍く銀色に光るナイフを取り出し、まるでそこにいたかのように笹井の首元へとナイフを突き立てた。どうやら咲夜は、若干取り乱したようである。

 

「待ちなさい。咲夜」

 

レミリアはそんな咲夜を静止させるべく、満足そうな笑みを作り言い放つ。自分が取り乱していた事をレミリアの言葉で気が付いた咲夜は、しぶしぶ笹井の首元からナイフを下すと、涼しい顔を作り直し、元の場所へと戻った。

 

「貴方、本当に町人なのかしらね?」

 

椅子から立ち上がると、レミリアはゆっくりと歩み始めながら言う。

 

「もっ…申し訳ございませんっ!ですが恥ずかしながら、私はこのように拳銃をいじるのが趣味でありまして・・・」

 

即座に膝を突き、笹井は心底申し訳なさそうに返事する。

いや、そう見えるだけであろう。この男はその気になれば、先ほどの鉛玉をレミリアの額へぶち込むことができたのだ。この特技を披露したということはすなわち『いつでもお前を殺せるぞ』と、自信の表れなのだ。

レミリアは久々に、胸の高鳴りを感じていた。

 

「ふふっ。それは随分と物騒な趣味じゃない?でも・・・」

 

そのまま歩みを止めず、レミリアは笹井の前へと歩み寄ると、まるで騎士のごとく、笹井は胸元へと片手を置く。

 

「・・・ご満足頂いたでしょうか」

 

「ええ、合格よ。どうやらただの町人では無いみたいね?町人ではあるけれど、それ以外にも何かを秘めていそう・・・ふふっ気に入ったわ」

 

妖艶な笑みを込めて言うと、レミリアは笹井に対し、手の甲を向ける。それは、忠誠を誓わせる儀式の為であった。

 

「いいわ。貴方を使用人として取り立ててあげる。さあ、誓いなさい」

 

レミリアが行った行動に感づくと、笹井はその小さな手を取り、口づけを行う。

 

「さて、今日から貴方には新たな名前をつけなきゃね」

 

忠誠の儀が終わると、レミリアは両腕を組み、軽やかに歩き始める。

 

「新たな名前ですか?」

 

「ええ、生まれ変わりたいのでしょう?」

 

笹井の質問にレミリアはにこやかに答えると、考え込む仕草をする。

それからしばらくレミリアは考え込むと、いい案を思いついたのかハッと笑みを作る。

 

「そう!今日から貴方は、ザルティス・・・。ザルティス・クラースヌイと名乗りなさい!」

 

「ザルティス・クラースヌイ・・・ですか。いったいどういう意味で?」

 

聞いたことのない言葉の並び故に、笹井は首をかしげた。無理もない。この世界ではまったくもって使われることの無い言葉であるからだ。

 

「外の言葉よ。ザルティスとは幸運をもたらすヘビ。クラースヌイは、悪魔を表す赤。貴方は今後、私に幸運をもたらすヘビとして、ここに仕えてほしいのよ」

 

そう言うとレミリアは、満面の笑みを笹井へと作った。

理由はどうあれ、この男は使い道がありそうである。初見はまだまだどのような人物であるかはわからないが、この男がいったい誰なのかを、レミリアは何となく悟っていた。

 

「どうしたのかしら?ザルティス?」

 

レミリアがさっそく改名した名前を使い、笹井を不思議そうに呼ぶ。笑顔を見せたあたりから、笹井の表情は何処か別の事を考えている様であったからだ。

声をかけられてふと我に返ったのか、笹井はすぐに微笑んで言葉を返した。

 

「いえ、ただ感激をしていたのです。これで、私は本当の意味で生まれ変われることができた。光栄な名前を付けて頂き、感謝しております」

 

「ふふっ…いいのよ。今日から楽しませて頂戴。ザルティス」

 

レミリアは満足そうに言うと、後の事は咲夜に任せ、部屋から出ていったのだった。

 

 

空には半月が光を放ち、紅魔館を鈍く照らしていた。

レミリアはそれを見つめ、館のベランダにある鉄製の椅子へと座りながら紅茶を楽しんでいた。この場所は彼女のお気に入りの場所であり、こうして良く月を見ながら、紅茶を飲んでいるのだ。

紅茶を飲み終わり、レミリアはカップをソーサーへゆっくり置くと、先ほどまでいなかったはずの咲夜が、瞬きする間もなくレミリアの横へと現れた。

彼女は何事もなかったかのように鉄製の盆に乗せているテーポットを手に取ると、紅茶をカップへと注ぐ。だが、不思議と紅茶を注ぐ咲夜の調子がぎこちなかった。

 

「咲夜、不服そうね。普通の人間を雇い入れるのは、気乗りがしないのかしら?」

 

そんな些細な事に気がつき、ふとレミリアはつぶやいた。対して咲夜は、いつもの調子でレミリアに微笑みかける。

 

「そんなことありませんわ。お嬢様の決めた事ですもの。それに求人案内を出したのも、私ですし」

 

「そうだったわね、まあいいわ。ところで彼は、どこの部屋へと案内したの?」

 

「はい。私の部屋のすぐ近く、あの開いている個室を一つ与えましたわ。おそらく今は、掃除でもしているのでしょう」

 

笹井改めザルティスの事を任された咲夜は、今後の生活を兼ねて、彼に部屋を与えていた。もっとも長年使われていない部屋故にひどく埃がたまっており、掃除をしなければとても人間が住めるような状態ではなく、咲夜はバケツと箒をザルティスへと渡し、掃除をするように促していた。

 

「時に、咲夜。ザルティスの特技を見た時、一般人でないことはわかったはずじゃない?」

 

「ええ…。そのことは申し訳ございませんでした。あのような特技を持つ町人がいるとは・・・私驚きを隠しきれませんでしたので・・・」

 

心底驚いていたのか、咲夜はザルティスの特技を思い返す。あれはまさに神業と言っていいだろうと、咲夜は内心肝を冷やしていたのだ。

 

早撃ちで正確な射撃をするのは、とてつもなく難しいと言ってもいいだろう。本来の早打ちは腰だめで撃つために正確な狙いが定まらず、おまけに発射の際による衝撃で銃身は大きくぶれててしまい、弾丸は明後日の方向に飛んでいく。正確な射撃を行うためには理論上相当な腕力と経験が必要であり、結果熊のような大柄の男性でなければ、早撃ちを行う事はできないのだ。

だがあの男は、一見至って普通の町人であるが、寸分の狂いもなくレミリアの横にある蝋燭立てを撃ち抜いていた。確かに金で出来ている蝋燭立てを銃弾で破壊することは難しくはないだろうが、彼から見て蝋燭立ての距離は約十メートルであり、なおかつあの細い蝋燭立てを撃ち抜くのは容易でないはずである。それに加え、早撃ちでは一般的である腰だめ撃ちでは無く、銃を斜めに向けてひねるように撃っていた。これはまさに、人間ができるような芸当ではなかった。

故に咲夜はザルティスに対して早々ながら危機感を覚えていた。あの時おそらく彼がその気になれば、油断していたレミリアの額に弾丸を撃ち込むことができたのだ。あのような町人がいるとは迂闊であったと、咲夜は少なからず反省をしていた。

 

しかし、レミリアは咲夜の返答を聞くと、子供のようにきゃっきゃと笑い始めた。

 

「あっははは!彼は町人では無いわよ」

 

「えっ…そ、それは本当でございますか?」

 

意外な言葉に咲夜は首をかしげる。すると、レミリアは得意げな顔をした。

 

「以前聞いたことがあるのだけど、彼はおそらく過去の栄光を背負う一人よ。笹井伸一郎と言う名前は、きっと偽名ね」

 

「えっ!ああ、なるほど…彼らですか」

 

声をあげて、咲夜は頷く。レミリアはそんな咲夜を見てにやりと笑うと、紅茶を一口啜った。

そう。笹井伸一郎改めザルティス・クラークスヌイの正体は、慶次であったのだ。そもそも笹井伸一郎はすでに死んでおり、その経歴を慶次が入手し、こうして偽名として利用をしているのだ。

ちなみにこの偽名は、細川屋から解雇され自殺した仏そのものであるが、それをうやむやにし、入手していた。ゆえに仏は笹井であるが、記録上はまったくもって別の人間となっている。

 

「でもいいのよ。彼らはこの世界から必要とされなくなっている。だから彼は、きっと里にいるのが嫌になったのかもしれないわ。それにそんな実力を持つ彼が、嘘を並べてまでもここで働きたいというんだもの。雇う他ないと思ったわ。それを捨てるなんてもったいないじゃない」

 

自分達妖怪を狙う人間であっても、レミリアは受け入れると言った事に咲夜は自分の過去を思い出した。

そうだ、この方はそういう方だった。損得よりも、自分が面白いと思った事を優先する方なのだ。故に自分は、今ここに居ることができる。

 

「それにね」

 

心の中で改めて咲夜がレミリアに忠誠を誓っていると、レミリアは子供のように背もたれを反対にして、咲夜へと顔を向けた。

 

「彼をここに置いておくと、私は気分が良くなるのよ。そう、彼は私達の種族を恐れて、具現化させた種族の血を引いているからだわ」

 

「それは・・・スラヴの血をですか?」

 

「ええ。だから彼をおいておくのは、吸血鬼として都合がよいのよ」

 

「なるほど…」

 

納得したように、咲夜は頷いた。この方はそこまで見抜いていたのかと、同時に感心をする。

 

「これから楽しくなりそうだわ。フフフ…」

 

半月を見上げて、レミリアは心底楽しそうにつぶやいた。

 




どうも。飛男です。最近は課題に追われ、白目向いています。
さて、今回は少し難しい話となってしまったかもしれません。急に誰かわからない()キャラが出てきて、そのキャラクター中心で話が進んでいきます。紅魔館の住人達は、その男を見て何を思うか、そんな感じで書いていました。まあ、一見ただの町人であるにもかかわらず、早撃ちするなんてそんな住人いるわけないじゃないですか。それに西洋と東洋を併せた顔付きなんていわゆるハーフで、つまりは慶次になりますよね。
しばらくはこんな感じになると思います。きっと慶次という名前はほとんど使わず、ザルティスが主体の名前となってくるでしょう。混乱を招いてしまいますが、一種の書き方ではありますので、ご了承してくださると助かります。

では、今回はこのあたりで。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

下級使用人達

一ヶ月過ぎてしまった…申し訳ない。


ザルティス・クラークスヌイが紅魔館に取り立てられ、数日後の朝。何時もと同じく、咲夜は雑務をこなしていた。

たとえ新人の使用人が来たところで、それは何も変わらない。いつも通りに掃除を行い、いつも通りにレミリアの身の回りの世話をし、客室や寝具の整備をする。たとえザルティスが強力な技術を持っていたとしても、咲夜にとってザルティスは以前から雇っている妖精メイドたちと、見方は変わらなかった。

 咲夜はこの館で言うとメイド長。つまりハウスキーパーである。つまりたった一人の使用人が増えたところで、特に気にもしないのだ。もっとも彼女はメイドとしても業務をおおよそ行うために実際のハウスキーパーとしては少々違うのだが、地位的に言えば紅魔館の中で四番目に高く、また実質的に紅魔館を取り仕切っているために、もはやハウスキーパー以上の権力を持っていた。

だが、たとえ咲夜はそうであっても、レミリアはザルティスを放っては置けないようであった。

彼は過去の幻想郷で名をはせた「十手持ち」と呼ばれる組織の一人であると、レミリアは言っていた。つまり実力はお墨付きと言え、なおかつハイカラな技法を使うザルティスをただの使用人として見るわけがなかったのである。

そこで咲夜は、ザルティスがこの館に慣れるまで多少の面倒を見ろと、取り立てた晩にレミリアから命じられていた。あくまで主人である彼女の言葉に、咲夜は逆らうわけにはいかず、その場は嫌な顔せず引き受けた。もっとも、命令自体に不服を持っている訳ではないが、レミリア以外の面倒を見ることに少しばかり抵抗があった。

さて、そんな咲夜であるが、彼女は現在ザルティスの部屋の前にいた。彼にはこの館で働くための要領を、いろいろと仕込まなければならないのだ。確かにこれも面倒を見る方法の一つであり、レミリアの言葉に逆らっている訳ではないだろう。

「ザルティス。起きているかしら?」

コンコンと扉を叩き、咲夜はザルティスへ返事を求める。すると、まるで咲夜が訪れることをわかっていたかのように、すぐさま扉が開いた。

「ああ、咲夜さんおはようございます」

眠そうな顔一つせず、ザルティスは支給された燕尾服を身にまとっていた。きっちりと整えられて皺はなく、ホワイトタイもズレは無い。

「ふうん。相変わらず乱れはないわね」

咲夜は、純粋にザルティスを評価した。どうやらザルティスは洋服を難なく着こなせるようであり、加えて日本人特有が持つ和の顔つきではない為か、風貌も様になっているのだ。ゆえに彼には、非の打ちどころがない。

ちなみに、ザルティスが該当するメイドの男性版であるフットマンや、使用人としては有名である執事は、燕尾服をいつも来ているという訳ではない。燕尾服は本来男性用の礼装であり、舞踏会などのパーティに出席する際に着る物であるのだ。つまりよく空想の話などで見かける執事などが、作業着として燕尾服を使うことはないのである。

だがこの紅魔館では、この燕尾服がフットマン用の制服であった。その理由はただレミリアが「それらしいから」と命じただけであり、特別深い意味があるわけではない。

「さて、そろそろ行くわよ。今日も仕事は、山ほど溜まっているわ」

その言葉に彼は頷くといったん部屋の中へと戻っていく。そして約二分後に再び扉を開き、準備が整ったことを表した。咲夜はそんなザルティスの行動に疑問を持つことなく、確認次第、廊下を歩き始めた。

二人の足音がコツコツと、無音の廊下に響く。これも、いつもの光景であった。

咲夜は意味のない事だと判断し、ザルティスに話しかけることはない。また彼も、そんな自分の意図を読み取っているのか、喋りかけては来なかった。

二人は無言のまま階段から降り、一階の広間へと足を運ぶと、不意に咲夜はザルティスに振り返った。だが彼は驚きもせず、背筋を伸ばして静止をする。

「今日は、玄関一帯を掃除してもらうわ」

見渡さなければすべてを把握できないほどの広い玄関は、まさに洋館と呼ぶのにふさわしい雰囲気を醸し出していた。その広さを言い表すなら、一般的な人里の民家がすっぽり入ってしまいそうなほどである。また光を遮る為のカーテンが掛けられた窓も大量にあり、一日で掃除することなど到底、一人では不可能であろう。

咲夜は要領のつかめないザルティスの顔を見ると、不服そうに顔を歪め、息を着いた。

「さすがにこの広さを一人でやれとは言わないわよ。適当にメイド妖精たちを三人こっちへと寄越すから、彼女たちとやりなさい」

ザルティスは咲夜の言葉に表情を変えず「はい」と返事をすると、玄関への出入り口へと足を運び、きょろきょろと観察を始めた。窓の桟に指をなぞらせ、埃を絡めとり、真新しい蜘蛛の巣を発見しては、それをじっと見つめている。

これは、彼が掃除を行う際によく行う行動である。この男はこうして埃や汚れが溜まっている場所を的確に見つけ出し、そこから重点的に行っていくのだ。特別不思議なことではないし、何より自分が見落としていた所まで気が付く姿勢に、咲夜は敗北感よりも関心を抱いていた。

咲夜は汚れの観察をしているザルティスに数秒ほど目を向けていたが、伝えることが済んだと判断し、その場から忽然と姿を消したのだった。

 

 

 咲夜に命じられ、三人の妖精メイドたちは喋りに花を咲かせながら玄関へと歩いていた。

既に約束の時間からはそれなりに経っている。だが新人の人間であるザルティスを軽視していることもあり、多少遅れても良いだろうと彼女たちは安易な考えを浮かべていた。

それからしばらく歩いて玄関に到着すると、意外にもすでにザルティスは仕事を始めていた。鉛で作られたバケツは無機質な光を放っており、中にはすでに水が張ってある。雑巾はちゃんと三枚湿っていることから、自分たちの分までもザルティスはあらかじめ用意してくれたのだろう。

妖精メイド達はそんなザルティスを見ると、多少の罪悪感がこみ上げて気まずそうに顔を合わせた。頷き合い、黙々と仕事をしているザルティス習おうと、それぞれは雑巾を手に取る。

 「あ、あの!」

ふと、くすんだ赤色の髪をした妖精メイドがザルティスへと声をかけた。彼女は文句や愚痴をこぼしていない彼を見て、こみ上げてきた罪悪感に耐えきれなかったのだ。

急に呼ばれたのにもかかわらず驚きを示さず、ザルティスは振り返ると、不思議そう顔をした。

「どうしましたか?」

「その…遅れてすいませんでした!」

彼女は両手で雑巾を強く握りしめ、ぺこりと頭を下げる。それに乗じてか、他二人の妖精メイドたちも頭を下げる。

しばらくザルティスは彼女たちをじっと見ていたが、ふと目線を外し、作業へと戻った。

「いえ、お構いなく。ですが、これからは気を付けていただけると幸いします。早く終わらせれば、お喋りもできましょうに」

窓拭きの手を止めず、彼は当たり障りの無い口調で言った。どうやら先ほどのお喋りが彼の耳には入っていたらしく、妖精メイド達は途端に申し訳ない気分となる。

しかし、彼女たちは同時に疑問も湧きあがった。

自分たちのお喋りが聞こえてきたのにもかかわらず、この男は何故怒らないのだろうか。これが咲夜であれば、まるで鋭く研がれたナイフのごとく、冷たい口調で叱責されるのだ。ゆえに怒らない彼に疑問を持ち、妖精メイドたちは再び顔を見合わせると、ザルティスの表情を再確認した。

「えっと…怒っていないんですか?」

三人の中で気まずい雰囲気が漂う中、メガネをかけたメイド妖精がふと口を滑らせた。自分でもその言葉を出したことに驚いたのか、彼女は口を両手で隠す。

ザルティスは彼女の言葉に「うーん」と窓を拭きながら返事するように唸ると、再び振り返った。

「怒っていない。と、言えば嘘になりますかね。ですが、私はまだここに努めて数日しかたっておりません。つまり、あなた方先輩の手を煩わせるわけにはいかないと、そんな思いが勝っておりまして」

「そ、そんな…先輩だなんて」

照れくさそうにメガネの妖精メイドは縮こまる。また他二人の妖精メイドも、気恥ずかしそうに頬を軽く掻いた。そんなことを言われたこともないし、ましてやそんな風に思ってくれているとは、思ってもみなかったのだ。

確かに、この三人の妖精メイド達は紅魔館で長く働いている。比較的サボり癖を持っている妖精メイド達の中でもまだ仕事はこなせる方であり要領もよく、妖精メイドの中ではエリートの部類であろう。それゆえか、以前レミリアの思いつきで月へ攻め入ることとなったときにも、彼女たちは付き添いとして抜擢されていた。

「なにか、おかしいこと言ったでしょうか?」

ザルティスは不思議そうに、妖精メイド達に目を合わせてくる。

「いや、どこも間違っていませんけど」

若干嬉しそうな表情をしつつ、緑髪の妖精メイドは言葉を返した。

「そうですよね?さて…では始めましょうか。簡単な場所はおおよそ私がやっておきましたので、残りは少々手間のかかる場所が多いですが、あなた方の力を貸していただきます」

 玄関の窓をよく見ると、彼の身長で届く範囲のガラス窓は、ほとんど磨かれていた。それほど彼女たちが遅れたわけではないのだが、ザルティスは掃除に関して要領よくこなせるようである。

「よーし。私たちも頑張ろう!ザルティスさん!やっていない場所、教えてね!」

妖精メイド達は気合を入れるようにそれぞれ意気込むと、ザルティスへと指示を仰いだのだった。

 

 

ザルティスと妖精メイド達が窓拭きへ専念し始め数時間。唐突に上から低い鐘の音が響いた。

これは十二時の鐘の音。つまり昼休みを伝える鐘の音であり、この鐘が鳴ってから約一時間、使用人達は休憩を取ることが許されていた。

鐘の音が響き終わると、三人の妖精メイド達は脚立から降り、二階へと昇る階段の近くに置いてあったバスケットへと集まった。汚れた手はあらかじめ持ってきた濡れ雑巾で拭い、三人はそれぞれ言葉を漏らしながら長方形のバスケットを開ける。

バスケットの中には色とりどりの具材で作られたサンドイッチが入っていた。これはメガネの妖精メイドの手作りであり、彼女は妖精メイドの中でも料理を得意としているのだ。もともと料理が好きであった彼女は、この紅魔館に勤めることでその腕に磨きがかるとみるみる上達して行き、いつしか妖精メイド達の中で右に出るものはいなくなった。その味は、咲夜も認めるほどである。

赤髪の妖精メイドと緑髪の妖精メイドがいつも通り何も言わずサンドイッチに手を伸ばすと、双方の手をメガネの妖精メイドはぱしりと軽く叩いた。

「なんなのさ!」

不服げに赤髪の妖精メイドはそう言うと、メガネのメイド妖精は申し訳なさそうな表情をしつつ、ちらちらと玄関の窓際を見た。

二人が何であろうかと目を向けると、そこにはいまだ作業をしているザルティスの姿があった。まさか食事をとらないつもりなのだろうかと、赤髪のメイド妖精は驚いた表情をし、ほか二人のメイド妖精に何か合意を求めるべく、彼女たちに振り返り、彼に指をさす。そもそも、あの男が食事をとったところを、三人は見たことがなかった。

赤髪のメイド妖精が驚いているのに対し、緑髪のメイド妖精はそういうことかと、メガネのメイド妖精が行った行動に気が付いた。おそらく彼女は、先ほどの謝罪を込めて、自分の作ったサンドウィッチを送りたいのだろう。

しかし、メガネのメイド妖精には、そんな勇気を持ちあわせてはいなかった。彼女が控えめな性格であり、人見知りが激しく、恥ずかしがり屋なのだ。

つまり彼女の思いに答えるのは自分しか無いと、緑髪のメイド妖精は思い立つと、おもむろに立ち上がりどこか重い足取りでザルティスへと向かう。

「あの…」

聞き取るのがやっとなほどか細い声で、緑髪のメイド妖精はザルティスに声をかけた。ザルティスはその声を聞き漏らさなかったのか、不思議そうに顔を彼女へと向ける。

「はい、なんでしょうか?」

「食事。取らないんですか?」

何故か気弱そうな声で聞いてくる緑髪のメイド妖精に、ザルティスは苦笑いを作った。

「ああ、どうか御気になさらず召し上がってください。私がその間、少しでも多く掃除をしておきますので」

なんて気が良い男であろうと緑髪の妖精メイドは思ったが、同時にそれでは「先輩としてのメンツ」が立たないと、思い切ってザルティスの服を少し引っ張った。

「それじゃ、私たち…その。まかせっきりは申し訳ないんです。ですからその…」

緑髪の妖精メイドはザルティスの服を手放すと、目を泳がせもじもじとする。そして少し間が開いた後、顔を上げた。

「一緒に、昼食食べませんか?」

その言葉に、ザルティスはいったん間を開けた。

「よろしいのですか?」

驚いたような表情をするザルティスに、緑髪のメイド妖精はこくこくと頷く。ザルティスが再確認の為か奥の二人の妖精メイド達に目をやると、二人も同じく頷いた。

「…わかりました。では、お言葉に甘えさせていただくとします」

にっこりと笑顔を作ると、ザルティスはバケツへ向かい、雑巾を絞る。そして、緑髪のメイド妖精と共に二人の位置まで歩くと、おもむろに座った。

三人のメイド妖精達はごそごそとどこか落ち着きがないような行動をしている中、ザルティスは濡れ雑巾で手を拭うと、サンドイッチをじっと見つめた。

「これは何方が?」

「あ…えっと…私です」

そろりと力なくメガネの妖精メイドが手を上げると、ザルティスは彼女に笑顔を作った。

「色とりどりで素材が生えていますね。本当においしそうです」

嫌味ない言い方に、メガネの妖精メイドは心底嬉しそうに頬を赤らめた。同時に、他二人の妖精メイドも、どこか緊張感が途切れたのか、得意げな顔をしている。

「さーて、いただいちゃいましょ!ザルティスさん。お先にどうぞ!」

赤髪の妖精メイドが元気そういうと、ザルティスは苦笑いを作る。メイド妖精のテンションについて行けず、困っているのだ。

「はは…ありがとうございます。では、いただきます」

乾いた声でザルティスはそう言うと、バスケットの端にあるサンドイッチを手に取り、一口だけ口にした。

すると、純粋に驚いたような表情で、ザルティスは目を見開いた。

「旨いな…」

「え?」

「ああ、すごい…とてもおいしいです。こんなにおいしいサンドイッチを食べたのは、初めてで」

そういうとザルティスは一口で残りのサンドイッチをほおばる。それに続き、妖精メイド達もそれぞれサンドイッチへと手を伸ばしたのだった。

 

 

昼食の最中、ザルティスに心を許した三人の妖精メイド達は、これまで溜まっていたザルティスに対する疑問を、質問攻めする形をとっていた。

大まかな内容として、まず歳はいくつなのか。里のどこに住んでいたのか。恋人はいたのかなどで、プライバシーなど考えもせず、ただ気になることをひたすらザルティスへと聞いていた。

 それに対しザルティスは表情を歪めず、全てをすらすらと答えていった。もちろん、それが本当かどうかは不明であるが、ザルティスの答え方から察するに嘘ではないと、妖精メイドたちは思えていた。むしろこれで嘘を言っているのであれば、この男は相当な達弁であろう。

 「こんなところですか」

 妖精メイド達の質問を答えきったザルティスは、さすがに若干迷惑そうな苦い笑みを作る。一方的な質問を受ければ、誰もがこうなるだろう。

 苦い表情をしているザルティスを見て妖精メイドたちは、やり過ぎたのではないだろうかと自覚し、顔を見合わせる。

 「じゃあ、最後に!」

 質問をやめようとする雰囲気の中、緑色の髪をした妖精メイドは「最後に」と強調して手を上げて言う。ザルティスは呆れ顔でありながら息をつき、「どうぞ」と優しい表情を見せて答えた。

「そのぉ…家族構成は、どんな感じでしたか?」

そういえばこの質問をしていなかったと、妖精メイドたちは気がついた様な表情をした。それを聞いてどうこうするつもりは無いが、純粋に聞いてみたいとは思えてくる。

この質問は、なんの当たり障りもないような質問であろう。初対面の人間に対して話題を広げようとする際にもよく使われ、家族特有の事柄に同調することもできる、ごく一般的な質問である。

だが。そんなごく一般的な質問であるにもかかわらず、ザルティスは一瞬、顔をひきつらせた。

「えっ」

ザルティスの表情をまじまじと見ていた三人は、思わず声を出してしまった。どうやら彼にとって拙い質問だったのかもしれない。そう思うと緑髪のメイド妖精はやってしまったと、迂闊な質問を悔いた。

そもそも彼がなぜ、この館へ就職できたのかを妖精メイドたちは知らなかったが、それでも相当なる理由があってのことだとは、用意に想像ができていた。わがまま極まりない家主に愛想のないメイド長など、特色な性格の多いこの館で働こうなど、普通の人間であればまず思わないはずである。つまり彼は何かしら里に居ることができない理由を持っていて、しぶしぶこの館で働いているのだと、少し考えれば思いつくはずであろう。

そして今回、緑髪のメイド妖精が思いついた理由として、家族が思い浮かんだのだ。ザルティスは家族と何かしらのいざこざがあり、結果としてこの館で働くことを選んだ。そう考えると、この特色のある館で働いているのにも、納得ができる。

ここまで憶測を立てていた緑髪のメイド妖精であったが、ザルティスが見せた不快感を覚える表情はそれっきりで、優しい表情を失わず口を開いた。

「父親と母親。それに、妹がいました。妹は身内ながら、誇れるほど美人でしたよ」

答えにくいであろう質問だったにもかかわらず、ザルティスは淡々と家族構成を述べる。

自分たちに不快感を与えないように質問を返したと考えると、緑髪のメイド妖精は更に心が傷んだ。

「そ、そうですか」

たどたどしく、緑髪のメイド妖精は言葉を返す。そして、暫くの間沈黙が続いた。

「…次は、私の番でよろしいですか?」

沈黙の中、ザルティスはそれを打ち壊すが如く、質問を返してきた。三人の妖精メイドはおずおずとしつつも、言葉を返す。

「あ、どうぞ」

ザルティスは返事を確認次第「では…」と顎を引いて考えこむような仕草をする。そして、ハッと何かを思いついたような仕草をした。

「こんな初歩的な質問をするのも何でしょうが、あなた方のお名前は何でしょうか?」

その質問に妖精メイドたちは顔を見合わせた。

メイド妖精たちは、名前を持ってはいない。そもそも名前自体の概念が薄く、名前などお遊びにしか過ぎないのだ。故にそのお遊びに参加していなかった彼女たちは、自分たちがなぜ名前を持っていないのかを、考えたことはなかった。

「えっと…あの…ないです」

しばらく困った仕草をしていた三人であったが、緑髪の妖精メイドは恐る恐る口を開いた。怒られるなどと思ったわけではなく、質問を答えることができない申し訳無さから、押し殺したような声が出たのである。

ザルティスはそんな彼女をみて「そうですか」とつぶやくと、再び考える仕草を取る。そして、すぐさま次の質問をしてきた。

「では名前を持とうとは、思わないのですか?」

さらに彼は、名前に関することを聞いてくる。当然メイド妖精たちは困り果て、あたふたとし始める。

「そ、そんなことも考えたことはなくて…。そもそも、なぜそこまで名前にこだわるのですか?」

緑髪の妖精メイドは逆にザルティスへと問い返すと、彼は腕を組んで答えを返した。

「あなた方を呼ぼうとした際、なんて呼べば良いかわからないわけでして…。例えば貴女は緑髪ですので、緑さん。と、呼ぶのはいささか失礼かと思いましてね。何か名前があれば、失礼なく呼べると思ったのですが…」

そういうことかと、緑髪の妖精メイドは理解をした。確かに自分たちは名前を持っていないゆえに、なんと呼べばよいのか困るのは当然である。

名前を呼べないということは当然ながら、指示を出すことも難しくなる。一つの手があるとすれば、一人ひとりに番号をふれば良いのだが、ザルティスは後輩としての位置であり、それは先任の使用人達に失礼極まりない行為であろう。たとえザルティスの仕事が一流であったとしても、先任の使用人達を立てなければならないのは、フットマンとして当然である。

「でしたら…」

緑髪の妖精メイドは考えこむ仕草からぼそりというと、明るい顔を見せた。

「私達の名前を、考えてくださいませんか?あくまでも、お遊びとして」

「お遊びですか?」

その言葉に引っかかりを感じたのかザルティスは復唱したが、直ぐに納得するような表情をみせる。おそらく妖精たちには独自の考え方があると、理解したのだろう。

「ですが、私ごときが名づけても良いのでしょうか…?おそらく、しばらくその名前で呼ぶと思うのですが」

「どうせザルティスさんだけに使われる名前なんだ。私達は特に気にもしないですよ」

ザルティスの疑問に赤髪のメイド妖精は、からからと笑いながら言う。メガネのメイド妖精も、特に異存はないような表情を見せている。

そんな三人を見て少々困ったような表情彼は見せていたが、「わかりました」と頷くと、立ち上がった。

「そろそろ、休憩時間も終わりを迎えます。仕事が終わるまでには考えておきますので、仕事に戻りましょう」

その提案に妖精メイドたちは「はーい」と元気よく返事をすると、バスケットなどを片付けはじめたのだった。

 

 

気がつけば、すでに黄昏の日差しとなっていた。

自分たちの影は長く伸びており、太陽が落ち始めていることがわかる。すなわち夜が刻一刻と迫っているわけで、そろそろ家主レミリア・スカーレットが活発な気分となる頃合いであろうか。

「すごく綺麗になったなぁ」

緑髪の妖精メイドはそんなことを思いつつ、自分たちが掃除した場所を見渡した。

もともとそこまで汚れていたわけではなかったが、あれだけ広かった広間や、数多くある窓は更に輝きを増しているように見える。自分たちの努力ということもあるが、何よりも自分たちに名前が無いなりに、ザルティスが指示を出した事が大きいであろう。

それに、おそらく先ほどの会話で彼の心も打ち解けたようで、抵抗なく話をすることができるようになった。

「これで、全部ですね。夕食までに間に合って良かったです」

ザルティスは周りを見渡しながら、そうつぶやく。その顔はどこか満足気に見え、メイド妖精たちも顔を合わせて喜んだ。

「さて…では名前の件ですか」

思い返したようにザルティスはいうと、先ほどの満足気な表情から少しだけ苦い顔をして、メイド妖精たちに顔を向けた。

「良い名前、浮かばなかったんですか?」

「いえ、そういうわけではないです。ですが、気に入っていただけるかどうか、少々心配で」

ザルティスはそう言うと、一つ息を吸って、意気込むように頷いた。

「では、まず緑髪のメイド妖精さん」

「は、はい!」

最初に呼ばれたのが自分であったことに少々驚いたが、妖精メイドは背筋を伸ばして、聞き入れる姿勢を取った。そんな彼女の姿勢を見てザルティスも真面目な顔つきとなると、彼女の身長に合わせるようにしゃがみ込み、語りかけるように言う。

「貴方には、アンジェ…ですかね。かつて呼んだ小説に、緑髪のメイドが頑張る話がありまして、まさにその主役がアンジェです。そこから、取らせていただきました」

「アンジェ…アンジェ!いい響きですね…。なんか照れちゃいますよー」

その名を聞いて緑髪のメイド妖精改め「アンジェ」はそう言うと、その響きに酔いしれるように、くるくると回り始めた。自分には少々もったいないと言うか、名前負けしそうではないかと思ったが、それよりもその響きに酔いしれた。

ちなみにアンジェとは、舶来の世界であるフランスと呼ばれる国で「天使」という意味の言葉である。その他天使のような人、さらには警察などの意味合いもあり、この場合は先に述べた二種が当てはまる。

さて、アンジェが喜びに満ちている中、次にザルティスはメガネのメイド妖精へと顔を向けた。目を向けられた彼女は一瞬身をたじろいでみせたが、アンジェの嬉しさを爆発させたような行動を見て、覚悟を決めるような表情になると、ザルティスへと目を向ける。

「次にあなたですが…「メアリー」はどうでしょうか?しかし、私が込めた意味での「メアリー」とは、外の世界に住む画家の名前から、取らせて頂いた名前です。力強いタッチの絵は、彼女の持ち味であり、貴女もこれを気に、自信を持ってほしいと思いました」

メガネのメイド妖精改めメアリーは、その名前を聞くと顔を赤くして、頭を下げた。嫌がっているわけでは無く、純粋に照れくささと恥ずかしさがこみ上げてきたからだ。自分の欠点である控えめな性格を改善できるきっかけを作ってくれたザルティスに、メアリーは純粋に嬉しさを感じていた。

「そして…最後に貴女ですね」

メアリーは自分の名前を復唱している最中、ついに赤髪のメイド妖精へザルティスは目を向けた。さすがに三回目である故か、赤髪のメイド妖精は期待を込めた目で、ザルティスを見る。

「あなたには、これしか無いと思いました。「アン」という名前は、どうでしょうか。外の世界では有名な小説の主役であり、赤毛の代名詞とも言える女性です。活発であり、そこが可愛らしい。個人的に、良い名前であると思います」

 「そ、その名前かぁ…」

 自信があるように言うザルティスに対し、赤髪のメイド妖精ことアンは、ほか二人と違い落胆したような表情となる。前二人の名前があまりにもよく考えられた名前であったために、アンは少々肩透かしを食らった気分に陥ったからだ。

 ちなみに言うまでもなく。ザルティスが付けたこの名は、「赤毛のアン」の主役であるアン・シャーリーから取った名前である。想像力豊かで美しいものに名前を付けたがる彼女は、有名すぎる女性であろう。

 「お気に召しませんでしたか…?」

不服そうにしているアンに対し、ザルティスは申し訳無さそうな表情をしている。仮にも自分たちが勝手に名前をつけてくれと行ったわけで、彼に罪はない。故にアンは、しぶしぶ納得したような表情を作った。

「まあ、いいよべつに。アンって名前、嫌いじゃないし」

「私としても、素晴らしい名前だと思いますよ。むしろ貴女はどうも彼女とかぶる気がいたしまして、これがピッタリだと、思わざる得ないわけでしたので…」

「そ、そう?私って主役を張れるかな?」

若干違う解釈をしているようにも思えるが、そこまで絶賛されたのであれば、納得せざるを得ないだろう。しぶしぶという考えから、むしろ誇れる名前であると、アンは思い直した。

「これで、全員ですね。アンジェさん。メアリーさん。アンさん。これからもよろしくおねがいしますよ」

ザルティスは三人を見ると、深々と頭を下げた。どこまでも律儀な行動に三人は苦い笑いを作ったが、同時にこれで一緒の使用人仲間として見ることが、できるようになったのであった。

 

 

日をまたぐ調度の頃合い。咲夜はカツリカツリと足音を立て、ザルティスの部屋へと向かっていった。

理由はひとつ。妖精たちに、名前を授けたことである。

そもそもザルティスは、一使用人にすぎない。それなのにも関わらず、家主であるレミリアを差し置いて使用人に名前をつけるなど言語道断であろう。そんな権力を持ち合わせていないし、与えた覚えもない。明らかに身勝手な行動によるもので、咲夜は見過ごすわけには行かなかったのだ。

咲夜はザルティスの部屋前まで付くと、いつもより力を込めて扉を叩いた。言うまでもなくこれは自分が怒っていることを伝えるため、あえて行ったことである。

しばし間があいて、がちゃりと扉が開き、ザルティスが顔をだす。ワイシャツ姿になっていることから、くつろいでいたのだろう。

「貴方。勝手なことをしないで頂戴」

咲夜はザルティスが顔を出してすぐさま、怒りを孕んだ声のトーンで要件を言う。しかし彼はいまいち意味がわからないのか、困ったような表情をした。

「なに?その表情。とぼけないで頂戴。貴方、勝手に妖精メイドたちに名前を付けたでしょう?」

「…ああ!その件ですか」

ザルティスはようやく合致が行ったのか、気がついたように頷く。

「申し訳ございません。どうしても指示を出す際、困ってしまいまして。かと言って番号を振るのも、失礼な行為ではないかと思いましてね。そこで名前を聞いてみたところ、逆につけて欲しいと言われてわけでして…」

もっともらしい意見を述べて、ザルティスは苦笑いをする。おそらく言っている事は真実であろうが、素直に自分の非を認めないことに、咲夜は更に腹を立てる。

「ふざけないで。貴方にその権利はありません。失礼であっても、貴方は彼女たちに番号をふるべきだわ。あの子達に名前の自由をあげたのは、逆に使用人達のモラルが乱れるの。そもそもあの子達は名前がないからこそ、私達名前のあるものと差別化ができていたのよ?」

妖精メイド達に名前が無いのには、彼女たちの名に対する概念が薄いことに加え、このような理由も存在していた。

この館は言うまでも無くレミリアが主人でありトップである。その下に、咲夜や大図書館に住むパチュリー・ノーレッジ。さらには門番である紅美鈴などが居るのだ。

つまり、名前が無い者は基本的に彼女たちの下ということになり、名前が無い事すなわち全て平等の階級として扱われるのだ。ちなみにこの場合、ザルティスも名前持ちであるために咲夜達と同じ階級になるが、彼の場合はまだ新人ということ、ありなしの間に挟まれている状態であった。

咲夜からそのことを聞かされたザルティスは、初知りだと言わんばかりに驚きと申し訳無さを含んだ顔をし、「申し訳ありません」と頭を下げた。すぐさま頭を下げるこの行動は、もはや彼の得意技のように咲夜は見えた。

「まったく…」

腕を組み、咲夜は冷たい瞳でザルティスを見る。彼は反省が目で見えるような雰囲気を醸し出しており、失態をすべて認めている様子であった。これ以上攻めても、時間の無駄である。

「まあ、私もそのことは伝えていませんでした。故に今回は許します。しかし、再び勝手な行動を取るのであれば、それなりの処罰をしますから、覚悟をしていてください」

若干の物足りなさを咲夜は感じつつも、ぴしゃりとザルティスに言い放つ。そして、この場にいる意味がないと判断し、彼の前から忽然と姿を消したのだった。

しかしその際、密かにはにかんだザルティスの表情を、咲夜は見ることはなかった。

 

 

 

 




はい。どうも飛男です。
今回、主にスポットが当てられたのは妖精メイドたちです。彼女たちは察しの良い方々ならわかるかと思いますが、儚月抄で出てきたあの妖精メイドたちでした。
さて、今回彼女たちに名前をつける話でしたが、正直公式で彼女たちに名前があるか、知りません。もしあるのでしたら、教えていただけると幸いします。まあその場合、この話は書き直しになりますがねw
読者の皆様もそうですが、親にあたえられた名前は大切なものであり、誇りであると思います。自分は小さいころその名前が嫌いでしたが、今では誇りに思っています。名前も自分の、体の一部なんですから。ちなみに私の名前はDQNネームではないごく一般的な名前ですので、ご安心を。

さて、今回はこの辺りで、次からはおそらく!更新速度が早まると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花言葉

秋空に浮かぶ、満月の夜。空気が透き通っている幻想郷は、その輝きを阻むものはない。

今日を入れると、ザルティスが取り立てられ、ちょうど2ヶ月が立つ。

最初は拳銃の扱いに長けた人間として見られていた彼であったが、今ではそれをほぼ払拭するような働きをしている。もっとも十手持ちであるが故、レミリアや咲夜は少々警戒をしていたが、その警戒すらも今では次第に緩和させていた。

 また、これまで咲夜は彼を厳しい目で見てきたが、何かと効率の良い仕事をこなし、初期の印象と変わらず、非の打ちどころがない。咲夜はこの一ヶ月の間にザルティスの持つ裏の顔のぼろを出させようときつい仕事を押し付けてはいたのだが、それすらも的確にこなし、かえって咲夜は関心を深めていた。

 しかしその反面。それだけの完璧な仕事を熟す彼を見て、咲夜は別の不信感を抱くようになっていた。

 改めてこの男は、何故紅魔館に来たのか。これが、現在咲夜の持った不信感であった。彼の正体はレミリアの言葉により理解はしたが、居場所がないからと言ってこの紅魔館になぜ来たのかがわからない。

おそらくこの感覚にはほんの少しだけ、自分の立場が危ぶまれる可能性からの嫉妬心があるのだろう。しかし、彼の実力であればどの勢力に入っても、申し分ない働きをはずで、故に咲夜はどうも解せない点があった。

 この紅魔館を選んだのには、何かしら理由がある。咲夜が考え付く可能性としては、手の込んだ盗めかあるいは、彼の人種的問題か。また本心で生まれ変わりたく、ここを選んだのか。ともかく、咲夜は警戒心をまだ捨て去ることはできなかった。

 

 咲夜はそんなことを考えつつ、自室で休憩をしていた。すでにレミリアも床につき、今では実質的なフリーである。久々に倉庫のワインを引っ張りだし、持ち前の能力でヴィンテージ化して、それを飲んでいた。

 「私の考えすぎ…なのかしらね」

 ワイングラスの中身をくるくると回して、咲夜はぼそりと呟いた。

 言ってしまえば、先の憶測すべて過剰なる考えである。普通妖精メイドたちにこのような疑惑を持たず、ましてや興味を示すこともない。彼女たちはあくまでも知識が薄く、いわゆるバカであるために深く考える必要性も無いからだ。

 だが、どうしてもそれが『人間』であると、このような憶測を抱いてしまう。自分もかつてはそうであったように、知識巡らせ良からぬことを考えている可能性が、無いわけがないのだ。今のザルティスを見てそうは思えない程の仕事ぶりであったとしても、少しでも可能性があるならば、疑わなければならない。

 ザルティスは、明らかに疑われる要素がありすぎる。普通の人間ならばこうでなかったとしても、彼は普通の人間ではない。れっきとした妖怪退治の専門家であり、かつて人里を守り通していた「十手持ち」である。さらには銃の撃ち方は明らかに特殊な訓練を受けているものであり、殺しを行う雰囲気を、かすかに感じることができた。

それでもザルティスがレミリアへと言った、「変わりたい」と言う願いは、嘘を付いているように見えなかった。それ以外の様子も嘘偽りがないにしろ、いまだに掴みきれない彼の内面のうち、唯一感じることのできた内面でもある。もっとも、それが何を指しているのか、つかむまでには至らなかったのだが。

 「いったい。あの男は…」

 そうつぶやくと、咲夜はぐいっとワインを飲み干して、息を付いた。気づけばワインの中身は四分の三まで減っており、無意識のうちに口へ運んでいた事がわかる。ザルティスは咲夜にとって、一種のストレスを感じさせていたのだ。

 「私も、少し仮眠を取ろうかしらね…」

 満点に輝く月を見上げると、咲夜はひっそりとつぶやき、自室のベットへと入ったのだった。

 

 

 

 燃えるように色づいた妖怪の山は、満開の紅葉が広がっている。幻想郷にとってこれは季節の移り変わりの現れであり、いわゆる山は四季のカレンダーであった。

 紅魔館にある中庭の花壇も、四季に準じて花を咲かせていた。秋といえばコスモスであるが、それ以外にも赤色や白色に色づいているゼラニウム。多種の花色を咲かせ、独特の苦味があるためにハーブとしても使用されるキンレンカ。夏頃から咲いているゆえに若干元気を失っているが、今なお花を咲かせ頑張りを見せているアベリアなど、様々であった。

「みなさーん。元気にしてくださいねー」

そう言って、にこにこと優しい笑みを向けながら水をやるのは、紅魔館の門番、美鈴である。彼女は門番であると同時に、紅魔館にある花壇の世話も、任されているのだ。

 しばらく我が子のような花達に水を与えていた美鈴であったが、鉛で作られた一般的なジョウロが軽くなったことを感じると、美鈴は新たに水を汲みに、近くの彫刻が施された手押し式ポンプ式の井戸へ向かった。

 紅魔館にある井戸は、この場所の以外にはキッチンと風呂にある。それ以外は無いゆえに、水瓶を使用することが多い。また飲料水もそれ用の水瓶が用意してあり、紅魔館の水事情は目立った問題が無く、新たに増設されることもなかった。

 さてそんな事はさておき、美鈴が井戸へとたどり着くと先客がいた。紅魔館に務める唯一の男、ザルティスだ。どうやら彼はバケツに水を汲んでいるらしく、ぎこぎことポンプを動かしている。

 そうか、今日は彼が外の掃除をする日だった。美鈴はそう思い出すと、愛想よく声をかけた。

「ザルティスさん。どもー」

美鈴の声にザルティスは彼女の存在に気がつくと、顔を上げて会釈をする。

「ああ美鈴さん。どうも。花の水やりですか?」

この一連の流れは、美鈴とザルティスが交わす何時もどおりの挨拶であった。癖の多い紅魔館では、このようなごく一般的な付き合い方も珍しいのである。だが、美鈴はそれを一種の楽しみとしており、直結してザルティスの存在を少し有りがたく感じていた。

「はい。ザルティスさんは…」

「窓ふきですね。外側の。もちろん一階部分だけですけど」

苦笑を見せて、ザルティスは再びポンプを鳴らし始める。美鈴はジョウロを持ちつつ、後ろへと手をやった。

「いつも大変そうですね。咲夜さんの目の敵のようにされて…」

美鈴は正直な気持ちを、ザルティスへと投げかけた。もっとも、美鈴は咲夜のことを嫌っているわけもなく、むしろ尊敬している部類に入っている。故に、この言葉の意味は決して咲夜を侮辱した意味合いではない。

 「いえいえ、むしろ感謝したいくらいで…。私も学ぶことはまだまだ多くありますので、このように気にかけていただけていることは、むしろありがたいのです」

 おそらく本心で言っているであろうイキイキとしたザルティスの表情に、美鈴は笑顔を作る。良かった、この方は咲夜を嫌いにはなっていないのだ。

 「すごいですねぇ…ザルティスさんは。仕事に熱心なのは、純粋に憧れちゃいますよ」

「私が…熱心?」

思わず口にした美鈴の言葉に、ザルティスは不思議そうに首を傾げる。その予想外の反応に、美鈴は「えっ」と声を上げた。

「私は与えられたことを全うしているだけです。それが当然ではないのですか?」

「い、いや…その…」

何を言っているのだと言わんばかりのザルティスの表情に、美鈴は一瞬身をたじろぐ。まるでその言葉は、サボりぐせのある自分に対しての嫌味に聞こえてしまったからだ。

だが、あくまでも図星であり、自業自得である。故に美鈴は苦笑して、返事を返した。

「で、ですよね。でも普通のことを普通にできるのは、純粋にすごいことだと思いますよ」

「はあ…」

いまいちピンと来ないのか、ザルティスは更に不思議そうな顔をした。それは仕事に意欲的ではない美鈴を、理解できないような雰囲気を醸し出している。

美鈴は気まずい気持ちとなりしばらく黙り込んだ。二人の間に、ポンプの上下する音が響く。

「そういえば美鈴さん。今はどのような花が咲いているのですか?」

耐え難い沈黙の最中、ザルティスが唐突に口を開いた。まともなザルティスの問いかけに、美鈴は若干「助かった」と安堵をすると、たどたどしく説明を始めた。

「えーっと、今は鮮やかな色をした花が咲いています。コスモスはもちろん。セロシアやスーパーベル。サンゴバナにサルビアとかですね。あと、霧の湖周辺にはハギだったりツワブキが咲いています。綺麗ですよ」

徐々に得意気な表情になって話す美鈴を見て、ザルティスはどこか優しい表情をした。嬉しそうに話す自分を見て、思わず和んだのだろう。

そう思うと美鈴は少々恥ずかしさがこみ上げてきて、頬を薄く赤に染める。

「あ、あっはは…なんか恥ずかしいや」

「いえいえ、美鈴さんは花に詳しいのですね」

微笑みながら感心したように頷くザルティスに、美鈴はひとつの質問を投げかけた。

「あー!そういえばザルティスさんの好きな花って、何かあります?」

「えっ、私ですか?」

唐突な質問にザルティスは困った表情を作り、考え始める。だが、直ぐに苦笑をした。

「そうですねぇ…。あまり植物には興味がなかったので、よく知りませんが…」

申し訳無さそうに言うザルティスを見て、美鈴は先ほどの質問に少々罪悪感を覚えた。確かにあまりにも、質問が唐突過ぎた。

「で、ですよねー。あはは…」

がっくしと肩を落とした美鈴に、ザルティスは先ほどの言葉から続け始めた。

「今では、興味があります。花を愛であるのも、フットマンの嗜みなのかもしれません。もしそちらがよろしければ、仕事の空いた時間に色々と教えていただけますか?」

「え、ええ!もちろんです!」

両手を合わせ、美鈴は喜びの行動を示した。同じ使用人同士でこのような交流を持てるのは、純粋に嬉しかったのだ。もちろんザルティス以外にも花の話をできる者は紅魔館内では居るのだが、純粋に自分を通じて花を知りたいザルティスに、一方的な親近感を抱いてしまったこともある。

「あ、そういえば美鈴さんの一番好きな花は何なのでしょうか?」

喜びに満ちていた美鈴に、ザルティスは質問を投げかける。早速花に対しての質問に、美鈴は笑顔で答えた。

「牡丹です!私が以前いた国では『花の王』や『花神』とも呼ばれて、大変美しい花です。花言葉は『思いやり』で、そろそろ咲く季節ですね!」

あくまでも嬉しそうに言う美鈴に、ザルティスは心底笑いを漏らした。

 

 

 この一件以来。ザルティスと美鈴は親密になっていった。

もっとも恋人同士になったわけではない。ただ、深く仲良くなっただけである。至って普通である観点をしか持っていない二人が、仲良くならないわけがなかったのだ。

 また、美鈴が度々教える花の知識や育て方を、ザルティスは懸命に学ぶ姿勢を見せていた。故に美鈴も力が入り、それに答えるように自らも知識を深めていった。

持ち前の知識をいざ披露する場合、間違った知識を教えてはいけないのが、教える者にとってのポリシーであろう。つまり美鈴もうろ覚えになっていた知識を再認しようと大図書館へと顔を出し、密かに学ぶことで、自らの知識も深まっていったのだ。

 「ふむふむ。この花には他にもこういう意味が…」

 中でも、美鈴が最近良く学ぶようになったのは、花言葉である。その数は多種多様であり、次第に面白みを感じていた。

 国により違う意味を持つ花言葉ではあるが、美鈴はかつて自分の居た国の言葉ではなく、幻想郷で通じる花言葉を学んでいた。彼女なりの解釈で、国が違えばその意味合いが変わってくるのは当然であり、むしろこちらに住んでいるゆえにこちら側の意味が正しいのだと、覚え直したのである。

 美鈴がしばらく図鑑を読みふけっている最中、相変わらずなんの音沙汰もなく、咲夜が空間からいきなり現れた。これがザルティスであれば少々驚いた様な反応を示すのだが、美鈴は慣れたように、顔を上げる。

「何をしているの?」

声のトーンから、咲夜は少々怒りを含んでいることに気が付くと、美鈴は内心緊張を含み、何時もどおりの雰囲気を醸し出す。

「あ、あはは…ちょっと調べ物が」

 「門番の仕事は、どうしたのかしら?」

 「それは・・・その。今は日中ですし、よっぽどのおバカさんじゃない限り、白昼堂々侵入してくる人なんていませんよ」

 少々トンチンカンなことを言ってしまっただろうかと美鈴は思ったが、咲夜は案外納得したのか、「まあ、そうね」とそっけなく返事を返した。いつもならば、激怒するであるのに、今日は珍しいことである。

 つまり咲夜が顔を出した理由は、自分を責めるために来たわけでは無いのだと、美鈴は予測した。咲夜はまれに、このようなことがある。

「どうしました?」

そこで、美鈴は助け舟を出すべく、咲夜へと問いかけた。

「ええ、ちょっとあなたに聞きたいことがあって」

案の定。咲夜はその助け舟に乗り、ため息を付く。その様子はどこか悩みがあるように見えた。

「貴方、最近ザルティスと仲が良いみたいね。それで…何か怪しい素振りを見せてはいなかったかしら」

「怪しい?」

唐突なザルティスに対する咲夜の不信感に、美鈴は思わず首を傾げた。

「ええ、あの男が、何か良からぬことを考えているような気がするの。妖精メイド達と言い…貴方といい。彼はもくもくと信頼を築いている…」

いつもならばキッパリと言う咲夜であるが、今回はいつになく探るような言い方であった。美鈴はそんな咲夜に疑問感を抱きつつ、同時に何を恐れているのだろうかと前述とは全く違う疑問感をも抱いた。

そもそも、ザルティスは咲夜の命に逆らってはおらず、むしろ的確にこなしている側の人間だ。それなのになぜ、咲夜は不信感を抱いているのだろうか。彼は完全主義ではあるが、どこも怪しむところなど無いはずである。

「ええっと…信頼を持っては、いけないと?」

美鈴は咲夜の言いたいことにおおよその予想を立て、聞き返す。しかし、咲夜は首を振った。

「いや、そういうわけではないのよ。違うわ。だけど、不思議に思わないかしら?」

たどたどしく言う咲夜に対し、美鈴は腕を組んで首を傾げた。

「すいません、私はどこも…。むしろ新人ですから、信頼を築こうとするのは当然では?」

これは寺子屋でも一般的な職場でもそうであるが、新人がまず最初に築こうとするのは、信頼である。この場合はあくまでも友などを指すが、信頼を築かない場合は孤立し、一人で行動する事になり、必然的にその空間でも孤立してしまうこともある。また仕事に馴染むためにも上司や同僚と信頼を築いていくのは当然であり、ザルティスが今回行っていることもそれに近い。つまり、全くもって不思議なことではないはずだ。

「そう…ええ、そうよね。私の考えすぎだったわ」

的を射た意見を言われて、咲夜は何度も頷くと、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいた。しかしその様子は、求めていた何かを得ることができず、さみしげな気分も察することができた。

「咲夜さん…」

逆に美鈴は、咲夜が欲しがった答えを返すことができず、申し訳ない気持ちとなる。お互い長い付き合いではある故に、美鈴は一層不甲斐なかったのだ。

すると、そんな心配そうな美鈴の視線に感づいたのか、咲夜は一つ咳払いをすると、厳しい顔つきになった。

「気にしないで頂戴。ほら、さっさと持ち場に戻る!ナイフ刺されたいのかしら?」

「え、あ…は、はいぃー!」

美鈴は図鑑を丁重に本棚へとしまうと、そのまま駆け足で、大図書館を出て行った。

「…貴方も、なのね」

だが、最後にボソリとつぶやいた咲夜の言葉を、美鈴は聞くことがなかったのだった。

 

先ほど見せた咲夜のことを若干気にしつつも、美鈴は館を出て中庭へと向かった。ザルティスと会う約束を、していたからだ。

時刻は正午に入ったばかりで、館で働く者の休憩時間である。基本的に昼食などを済ます時間であるが、午後一時を逢えるまでは、実質的な自由時間でもあった。

さて、美鈴が少し駆け足で中庭に向かうと、やはりというべきか既にザルティスがベンチに腰を掛けていた。花を眺めているのか、ぼんやりとした雰囲気を醸し出している。

「お待たせしました!」

ベンチまでたどり着くと、美鈴は申し訳無さそうに言う。その声で美鈴を認識したのか、ザルティスは一瞬はっとなると、美鈴へと顔を向けた。

「あ、ああ…はい。いえ、待っていませんよ」

「どうされました?」

若干ぎこちない返しに、美鈴は不思議そうにしながら、ベンチに座るザルティスの横へと腰をかける。

「いえ、少しぼんやりしていました」

「そうですか。日頃の疲れが、たまっているのでは?」

微笑みかけ、美鈴はザルティスへと問う。すると、彼は「そうかもしれませんね」と、苦笑を返した。

「そうだ美鈴さん。昼食食べました?」

「いえ、休憩の終わりごろ、ぱぱっと食べちゃおうかなと思っていましたけど…どうしました?」

珍しい話の切り返し方だと美鈴は思いつつ、質問を返す。

「実は、仲良くさせて頂いてるメア…いえ、妖精メイドに昼食を作っていただきまして。もしよろしければ、ご一緒にどうですか?」

そう言うとザルティスは、ベンチの端からバスケットを取り出して、二人の中央へと置く。蓋を開けると、中には色とりどりの食材を使った、サンドイッチが入っていた。

「え、いいんですか!」

両手を合わせ、美鈴は嬉しそうな声を上げた。早速と言わんばかりにひとつサンドイッチを取ると、それを両手に持ち、ぱくりと口に入れる。

「うわぁ…美味しいですね!」

「ふふっ。そうでしょう?彼女はとても、料理にこだわっている方ですから」

ザルティスも少し自慢気に言うと、サンドイッチを手に取り食べ始めた。

 

それから二人は花を話題とした談義に、それこそ華を咲かせ、サンドイッチはみるみる消費されていった。美鈴が仕事をサボってまでも覚えた花言葉や、ザルティスが今後どのように花と向き合っていくかなどが主な内容で、僅かな時間であっても充実した会話が広がっていた。

「そうだ、美鈴さん」

会話に一区切りつき、そろそろ解散をしようとする頃合いであった。ザルティスは、思い出したように、美鈴へと声をかけた。

「はい。どうしました?」

笑顔を見せながら、美鈴は聞く姿勢をとる。

「これだけ花の知識を深めれましたし、日頃の感謝を込めてお嬢様に花を贈ろうかと思っていまして」

照れくさそうな表情を見せ、照れ隠しか途中空を見上げて言うザルティスに、美鈴は「おおっ!」と感激した声を上げた。

「それは名案ですね!それで、どのような花を?」

「あはは…。実はまだ決めていないのですが…。私が里へ買い出しに行くとき、気に入った花を見つけることができれば、それを贈るつもりです」

美鈴に向き直り、頭を掻きながら言うザルティスに、美鈴はうんうんと頷く。おそらくザルティスであれば、よい花を選ぶに違いないと確信をしているからだ。

「しかし…私が気に入ったとしても、お嬢さまが気にいって下さるかわからなくて…。それ以前に、お嬢様に私風情が花を贈る事自体、大丈夫なのでしょうか?」

レミリアはこの館の主であるため、フットマンごときであるザルティスが贈り物を渡すなど、本来であれば身の程知らずの行為であろう。たとえその贈り物に感謝や敬愛、尊敬や信頼を込めてであっても、所詮地位の前では、まったくもって無意味に等しい。ただその贈るという行為自体が、失礼であるからだ。

ゆえにザルティスは、このことを自分に相談したのであろうと、美鈴は理解をした。いわば彼は、自分を信頼してくれているのだ。

「はい!おそらく大丈夫です!お嬢様はとても心が広いお方です。むしろ、喜んでくれるとおもいますよ!」

 だからこそ、その信頼に応えるべく、美鈴は胸をドンと叩いて、大丈夫であることをアピールする。

美鈴もそれなりにレミリアとの付き合いは長い。ゆえに彼女の心が広いかはさておき、自分のことを思っていると理解できる行動をすれば、彼女は悪いをせず、むしろ喜ぶであろうと容易に想像がついた。もっともレミリアは花に対してそこまで詳しくはなく、愛でる対象としているわけでもないが、忠誠を誓っている気持ちの表れが分かれば、当然悪い気はしないはずであろう。

「そうですか!やはり美鈴さんに相談してよかったです。ありがとうございます!」

 感謝の意を込めての表情で、ザルティスは美鈴に頭を下げる。ひしひしと伝わるその心意気に、美鈴は確信をした。

この人は、特別怪しいところなどない。むしろ真面目で純粋で、優しい人なのだ。仕事にも従順で嫌な顔をせず、むしろ意気込んでこなしていく。そんなこの人が、怪しいわけがない。

 「さて、私はそろそろ仕事へ戻ります。美鈴さんも早く戻らないと、咲夜さんに怒られてしまいますしね」

 ベンチから立ち上がり、ザルティスは首を鳴した。それはどこか重い枷がはずれたような様子で、美鈴も同じく立ち上がる。

 「そうですねー。またナイフを投げられるのは嫌ですし」

二人はそう言うと笑い合い、それぞれ持ち場へと戻っていったのだった。

 

 

それから数日後。レミリアが本を読んでいる最中に、自室をノックする音が響いた。

レミリアは読書を妨害されたことに若干いらだちを覚えつつ、「入りなさい」と扉越しでも聞こえるような声で言う。すると少し間が空いて、扉が開いた。

「失礼します」

「あら咲夜。どうしたの?」

少々驚きと、なぜ部屋に来たのかという疑問を抱いた顔で、レミリアは咲夜へと問う。すると、咲夜はあくまでもすまし顔で答えた。

「定時報告です。異常はありませんでした」

「ああ、そんな時間だったのね。忘れていたわ」

思い出し、納得するようにレミリアは言うと、再び読書に戻るべく、本を手に取る。

「何をお読みになっているのですか?」

自分が読んでいる本に興味を示したのか、咲夜は覗き込むようにして言う。レミリアは得意げな顔をして、咲夜へとページを見せた。

「外の世界にある「雑誌」というものよ。外の世界ではこんな服が流行っているらしいわ」

レミリアは新しいものには目がない。故にこうして、外の世界の流行にも敏感であった。

今回読んでいた雑誌は、いわゆるファッション雑誌である。冊子の中には、モデルらしいすらっとした印象を覚える女性たちが、あからさまに作ったかのようなポージングをして、服を見せびらかしていた。どれもピンクを基調とした服ばかりで、ページの左上には「ロリータファッション」と書かれていた。

なるほど、お嬢様はこのようなお召し物が好きなのか。咲夜は若干微笑みを浮かべ、口を開く。

「これはお嬢様もお似合いになると思いますよ」

すると、レミリアは笑顔を浮かべ返した。

「そう?でも私は、咲夜の方が似合うと思うわ。メイド服に通ずる感じがするじゃない」

よく見れば、フリルをふんだんに使う服も多く、確かにレミリアの言っていることは筋違いではない。

「まあそうですけど…私はこのような服、似合わないと思います。と、言いますか恥ずかしくて着れませんわ」

照れくさそうに笑う咲夜に、レミリアは「ふうん」と答える。その顔はどこかいじわるで、咲夜がこのような表情をすることを、理解していたようだ。

「まあいいわ。報告ありがと。下がっていいわよ」

咲夜にねぎらいの言葉をかけると、レミリアは再び読書へと専念する。咲夜もこれ以上はこの場にいる意味がないと悟り、立ち去ろうと扉へと足を運ぶ。

と、その刹那。咲夜の横目に、いつもならば無いものが目に移った。レミリアの洋服箪笥の上に、青色の花が飾ってあったのだ。

「…お嬢様?あの花は?」

しばらくその花を眺めていた咲夜であったが、もしやと大まかな予想を立て、無礼を招致でレミリアへと問う。するとレミリアは読書中であったにもかかわらず案外嫌な顔をせず、むしろ嬉しそうに言葉を返した。

「ああ、あれ?あれはザルティスが私に忠誠の意を込めて贈ってくれたのよ。花の名前は確か、サカビオサだったかしら。私の髪のように美しいから贈ったんですって」

それを聞いた咲夜は、そういえばと思い返した。今日、咲夜はザルティスに買い出しを頼んだ日である。つまりその際、ザルティスはこの花を買ったのだろう。

家主に花をプレゼントするなど、特別不思議なことではない。特にザルティスいわく、このサカビオサはレミリアと同じく淡い青色の花びらを持ち、はかなき美しさを感じさせるようである。決して自己主張の強い花でもなければ、かといって雑草よろしくそこらに生えているような、上品さが欠けるような花でもない。あくまでも一歩引く、控えめな花であった。

「咲夜?どうしたの?」

呆然とサカビオサを眺めている咲夜に、レミリアは不思議そうな表情をする。咲夜はそんなレミリアの声を聞き、はっとなった。

「あ、ああ。すいません。少々考え事をしておりまして」

「考え事?」

ぎこちない咲夜の返事に、レミリアはメスを入れるがごとく、彼女の言葉を繰り返して聞く。しかし、あくまでも咲夜は、自然に言葉を返した。

「いえ、気にしないでください。たんなる私情です」

そういうと、咲夜はレミリアの言葉を聞く間もなく、彼女の自室を後にした。

ちなみに、サカビオサは多くの種類がある。今回ザルティスがレミリアに渡したスカビオサは、別名セイヨウマツムシソウとも呼ばれている。

しかし、このセイヨウマツムシソウは、本来開花時が春から初夏にかけてであり、今のような秋真っただ中に咲くような花ではなかった。

では、このサカビオサがなぜあるのか。それはマツムシソウと呼ばれる、日本原産の種であった。つまり、ザルティスがレミリアに渡した花は、正確に言うとスカビオサではなかったのだ。

マツムシソウの花言葉は数多くあり、その中の一つには「私はすべてを失った」という、ネガティブな花言葉も存在する。

だが、レミリアはこの言葉を知らない。そして、この花ことばに込められた意味も、知る由はなかったのだった。

 

 

 




どうも、飛男です。
今回も日常チックな感じで、書いてみました。
さて、今回裏話ですが。実は甘えようとして、かつて書いた話を改変する予定でした。しかし、それではさすがにどうかと思い、新たなに書き直しました。やはり読者のみなさまには新鮮な話を提供したいですしね。
次回から、物語が動き始めます。どうかお楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

言伝

ずいぶんとエタってしまった…申し訳ない。


窓がカタカタと、音を鳴らしている。

外を見れば落ち葉が風にあおられ、ダンスでも踊っているかのように宙を舞っていた。葉の持ち主であろう落葉樹はすでに枯れ落ちているものが多く、どこか寂しい印象を受ける。自分の一部が枯れ果て、風によってさらわれるのはいったいどんな気分なのだろう。

今年もあと数日。館内ではあわただしくも大掃除が行われ、先ほどやっと、本日のノルマが終わったところである。疲れを隠し切れない妖精メイド達を励ましつつ、ザルティスもとい慶次は、いつもと変わらず入念に仕事をこなす姿勢を見せていた。

これまでの慶次は、あくまでも『ザルティス』を装っているだけである。

彼がまずこの任務を果たすべく重要視したのは、信頼であった。この職場になじみ、なおかつ常日頃真面目に従順に装うことで来るべき時、多少不可解な行動をとっても気にされないような、この信頼からなる先入観をうまく利用しようと考えていたのだ。

半年のうち妖精メイドたちの信頼は確保することができたが、うれしい誤算だったのは門番の紅美鈴の信頼をも取れたことであった。彼女の花に対する思いをうまく利用したところ、見事どつぼにはまったようで、彼女が自分に信頼を寄せたのはひしひしと伝わってきた。体術の達人であり『能力もち』であるゆえに高い警戒心を持っていたのが、これでは番狂わせのようなものである。

さて話を戻すが、この巨大な紅魔館をくまなく掃除することは難しい。故に毎年苦労をしていると妖精メイドたちから情報を得ていたのだが、今年は慶次のほかにも新しく数人雇われたこともあり、昨年とは違い円滑に作業が進むことになった。

その新人とは、人里を離れる座敷童の代わりとなるべく、八雲紫が連れてきた『ホフゴブリン』である。

彼らは座敷童の代わりとしての十分な素質を持っており、ゴブリンと名がついているが人間には友好的であり、献身的な性格をしている。ヨーロッパでは家の守り神としても認知されており、まさに外国版座敷童であろう。

それなのにもかかわらず彼らは醜い見た目である故に、人々は受け入れることができず、里を追われることになった。そこで、人手不足であったこの紅魔館へと雇い入れられたのだ。

 もっとも人手が増えたことで作業効率も上がり、こうして本日の仕事は思ったよりも早く終わることができた。しかしやることがないゆえに自由の身となった慶次が本を読んでいる最中、コンコンと扉をノックする音が響く。

 慶次は咲夜が何か言いに来たのだろうかと大まかな予測を立てると、「誰でしょうか?」と親しみやすい『ザルティス』の声を装う。

 しかし数刻間が空いたが、一向に返事は帰ってこない。もしノックした相手が咲夜であれば、名乗るはずである。不審に思った慶次は気持のスイッチを変ると、緊張の線を張りつつ、腰にあるM1917を撫でて確かめた。

 ゆっくりと椅子から立ち上がると扉まで向かい、慶次はホルスターからM1917を抜き放つ。

 「誰でしょうか?」

 もう一度、慶次は扉の向こう側にいる人物へと問いかけた。だが返事はなく、しびれを切らした慶次は意表を突くために思い切り扉を開く。

激しく扉を開いた音が、廊下に響き渡る。それと同時のことだった。

 「うおっと!危ないですな!」

野太い声を出して、声の主はバックステップを踏んだのか後ろへと下がった。慶次はいつでも発砲ができるように、瞬時にM1917を腰だめで構える。

「誰だ。姿を見せろ」

声量からして、おそらくは男であろう。慶次は薄暗い廊下に目を慣らしつつ、その人物へと目を向け認識をすると、思わず目を見開いた。

 「ホフゴブリン…?あっ…すいません手荒な真似を…。どうされましたか?」

すぐさま『ザルティス』の声へと戻すと、慶次は警戒心を孕みつつ、ホルスターへとM1917をしまいこむ。だが、まだ緊張の糸を緩めてはおらず、いつでも反撃を行うことはできる。

するとそんな慶次を見て、ホフゴブリンは急に引き笑いをし始めた。奇妙なその笑い声に慶次はますます警戒心を強め、顔をしかめた。見ているだけでも、気味が悪い。

「あの…いたずらならやめていただけないでしょうか。私もやっといただけたお暇を、無駄にはしたくありませんので」

扉に手をかけ、慶次は迷惑そうに閉めようとする。だが、ホフゴブリンはにやにやとした表情を崩さず、口を開いた。

「ふっひひひ…いや失敬失敬。聞いた通り、あなたはまるで猟犬のようですな。笠間慶次殿」

刹那。慶次の体に電撃が走った。

なぜこいつは俺の名を知っている!

考えるよりも、慶次はすでに行動をしていた。無理やりホフゴブリンを部屋へと引き込んで扉を閉めると、引き込んだ勢いで首元へと腕を回し、チョークした。

 「…貴様、なぜ俺の名を知っている。答えなければその醜い顔面とみずぼらしい肉体を引きちぎるぞ」

冷徹な声で、慶次はホフゴブリンに脅しをかける。ホフゴブリンはバタバタ抵抗をするも、まるで一度食いついたら話さない蛇のように強靭な力で、ぎりぎりと力を強めていく。

「っ…ッは…はな…しを、話を聞いてくだ…」

息苦しそうに言うホフゴブリンの声を聞きとると、慶次は投げ飛ばすように拘束を解き、すぐさまM1917を構える。態勢を崩した状態のホフゴブリンはそのまま壁へと激突し、痛みをこらえる。

「もう一度聞く、なぜ俺の名を知っている」

今度はガチリとハンマーを下し、慶次はM1917を突きつける。

ホフゴブリンは慶次に手の平を見せ、呼吸を整える。その勿体ぶっている行動に慶次はいらだちはじめ、引き金に手をかけた。

「ハァー。ハァー。ふう…。だから話をきいてくだせぇ!」

しゃべれるほどまでに呼吸が戻ったのか、ホフゴブリンは慶次へと目線を向けた。たれ目ではあるが犬歯がむき出しになっており、全身の肌もオリーブ色。ぼろきれを身にまとい、人里の人間が感じるのも無理ないほど醜い姿であった。

慶次はともかく話を聞こうと、M1917を下す。もちろん瞳はまだ相手を警戒しており、いつでも殺せる準備が整っていると、雰囲気を醸し出した。

「あ、あっしはホフゴブリンのベイブと言います」

「…名があるということは、貴様レミリア以外の誰かに使えているな?」

鋭いナイフのような声量に、ベイブはびくりと体をはねのけたが、すぐに口を開いた。

「え、ええ。あっしは紫様…八雲紫様に使えています」

「…紫の?まさか何かを問題が?」

「いやいや、そうじゃありやせん。あっしは紫様から、言伝を伝えに参ったしだいで」

 

 

ベイブはこの紅魔館で数多く雇われたホフゴブリンのうちの、いわば工作員のようなものであった。もともと彼はホフゴブリンが座敷童の代わりになった場合の総まとめ役に着く予定あったらしく、純粋な紫のスパイであるという。

しかし、だからと言って慶次はベイブを信頼できなかった。

無理もない。いきなり八雲紫の使いと言われても、ピンとは来ないからだ。彼はホフゴブリンと座敷童子の問題の際、人里にはいなかったからでもある。

そもそも人里で座敷童が一時的にいなくなったことなど半信半疑であり、何よりその代わりとしてこの醜い姿のバケモノが選ばれたことすらも、信用できなかった。たとえ代わりになる素質を持っていたとしても、人間に害を与える『ゴブリン』の一種であることに変わりはないからだ。

「それで、紫は俺になにを伝えようとしたんだ?」

慶次はベイブを睨みながら、見下す様に問いかける。冷ややかな瞳で睨みつける慶次の様子を見てベイブは居心地の悪さを感じたのか、頭をかきつつ顔を背けた。

「ああ、いや…それは直接本人から聞いた方が良いでしょうな」

「どうやってだ?お前は言伝をしに来たのだろう?」

重圧をかけつつ言う慶次に答えるべく、ベイブは肩にかけていた革製のバッグから、何かを取り出してきた。それは白と黒を基調にした球体で、ゴブリンの様な魔物が持つ様な物ではない。

「陰陽玉か…?それをどうすればいい?」

慶次は手渡してきた陰陽玉を受け取ると、疑問を孕みつつ威圧した声で問う。ベイブはにぎりこぶし作るとそれを陰陽玉に例えて耳へと当て、「こう当ててみてください」とアクションを起こした。

半信半疑でありつつも、慶次ベイブと同じ様に耳へと陰陽玉を当てる。すると、わずかに陰陽玉は震えはじめ、声が聞こえてきた。

『ごきげんよう。私のかわいいワンちゃん』

それは、聞いただけでも魅了されるような、妖艶でつややかな声。間違えるはずもない。あの女、八雲紫の声だ。

慶次はまさかと刹那的に驚いたが、すぐさま何事もなかった様に顔を顰めた。

『ふふ、驚いたでしょう?』

だが紫には全てお見通しであったのか、追い打ちをかけるが如く、ふふふと笑いながら言う。相変わらず気味が悪いと慶次は内心つぶやいた。

「それで、俺に何の用だ?」

『まず…調子はどうかしら?務めは果たせているのかしら?』

「…その件は問題ない。こちらは此方なりに、務めを果たしているつもりだ」

とはいうもの、未だ麦子の姿を確認出来てはいない。何処に監禁されているのかを突き止めるには、まだまだ信頼と自由行動の制限が足を引っ張っている。

すると紫は驚いた様な声量で問いてきた。

『あら?意外ねぇ…てっきり色々と制限が厳しくて、満足に動けていないと思うのだけど…違ったかしら?』

再び内心で抱いた感情を、この女は当ててくる。慶次は気持ちを逆なでされた気分となり、苛立ち始めた。

「わかっているなら、わざわざ聞く意味はなかっただろう。俺を怒らせたいのか貴様は」

『わあ怖い。うふふ、怒らないでちょうだい。こっちも色々と根回ししてあげたんだから』

「なに。根回し?」

その言葉に、慶次は思わず反応をする。考えれば半年間音沙汰もなかったのは、その為であったのかと慶次は考察をする。

『ええ、準備。まず貴方にベイブの事を任せるわ。どうぞ好きな様に使って頂戴。まあ貴方はいらないというでしょうけどね。でも、彼は必要になるわ。貴方はとは違うもう1人、妖怪退治の専門家を雇ったの』

「…俺以外の専門家だと?十手の誰か…北上か?第一、俺は援軍などいらんぞ」

慶次は主に1人で動くことの多い、いわばワンマンアーミーである。特例を除いて基本は1人で行動することを好み、群れることを嫌うのだ。

もっとも、十手持ち達はその特例として付き合っていたに過ぎなかったが、その特例として先代の巫女が存在した。彼は一度先代に敗れ、その後利害一致により、彼女について行ったのだ。

紫は慶次の意見に対して妖艶に微笑むと、それをひと蹴りした。

『だぁーめ。私の命令に背いてはダメよ。そもそも、あなたにとってはメリットになるはずだもの。あなたの性格をわからない私ではないわ』

「メリットか。果たして俺がメリットと感じるか否かだな」

あくまでも一人で行動したいと主張する慶次に、紫は「可愛くないわねぇ」と言葉を重ねる。

『ともかく、その専門家はレミリア・スカーレットに強い恨みを抱いているわ。あなたと同じね。前々から彼は準備していたみたいで、あなたとは別の方向で…純粋にあの小娘を殺すことを計画していたみたい。まあ、あなた達十手持ちに比べればど素人のペーペーだけど、ある意味では使い道があるじゃない』

余裕を感じるように言う紫に対し慶次はいら立ちを常に孕んでいたが、やっと彼女の糸を察することができた。

「つまり…そいつも自由に使えと?」

『それを決めるのは貴方に任せるわ。ただ、彼は貴方と同じくして私恨で動いている。その為にも他の専門家に弟子入りし、それなりに実力を付けたのです』

一つ間を空けて、紫は『ですから…』と、話を続ける。

『一度会ってみなさい。ベイブが知っているわ。それで決めると良いですわね』

その言葉を最後に、陰陽玉の微弱な揺れは消える。おそらく、通信が終わった事の照明であろう。

慶次は陰陽玉をベイブに投げ返すと、ベッドへと座り込む。

「ベイブ…貴様は奴をどこまで知っている?」

「あっしですか?ええと、奴とはだれでありましょうか?」

首をかしげるベイブに慶次はにらみを利かせる。ベイブはとぼけたつもりではなかったが、そう見られたと悟り、手前で手を振る。

「ま、まってくだせぇ!本当に、本当にどいつかわかんねぇでさぁ!」

「…専門家。俺のプランに加担しようとして専門家についてだ。お前はそいつをどこまで知っている。紫は貴様が知っていると言っていた」

その言葉にやっと合点がいったのか、ベイブは「ああ」と頷く。

「へえ。そいつは人里のはずれ、南村に住む男。名は流幾三。探偵でさぁ」

「流…幾三。聞いたことないな」

そもそも人里には、探偵と言う探偵はいない。つまり探偵と身分を偽る、浪人なのだろう。この時代、侍の時代から300年たった今でもいまだ里に侍はいるのだが、その身分を隠す者が多い。そういうものは対外、妖怪退治の専門家を名乗る。

「会う段取りを取ることはできるのか?」

「もちろんでさぁ。ただ、少々お時間がかかると思いますがよろしいんで?」

「…時間をかける?早急にだ。俺も暇ではない。使えそうにないのなら、これで殺すのみだ」

慶次はそういうとベイブにもわかるように、M1917をおもむろに撫でるのだった。

 

 

 年明け。雪が降ったと同時に訪れた新しい年は、活気のある人里をさらに騒がしくさせている。こどものはしゃぐ声に、酒を浴びるように飲む者。さらには年初めに一勝負賭けようと、公式なる博打を打つものまでいる。

 そんな人里の南村の奥に、その男の家はあった。探偵と言い張る妖怪退治の専門家、流幾三の家だ。

 流幾三は若い顔立ちの男で、体格も良いとは言えない。両親にあこがれ武に打ち込んだ彼ではあるが、それが芽吹かず、二流剣士止まりである。また近年現れた博麗霊夢により定められたスペルカードルールにおいて、ただでさえ入ってこなかった仕事はさらに激減をし、今となっては専門家の名をかたるだけの身分となり果ててしまった。故にそれでは生きていくことができず、またもや所得の安定しない探偵と言う職に就いたのだ。

人里にはこうした者が数多くいた。専門家を名乗っていた者たちはだれもが皆スペルカードルールにより生活を苦しめられ、副業へ逃げるという形をとっている。かつて名をはせた十手持ちたちでさえもそのように生きざるを得なくなり、もはや妖怪退治の専門家を飾ることのできる者は女性であり、なおかつ弾幕を扱えるものだけである。

「あんちゃん!おきゃくさんだい!」

幾三が古びた椅子に座り、先ほど研いだばかりの小太刀を見ていると、幾三の弟である幾燐の声が、玄関から飛んできた。依頼だろうかと、幾三は立ち上がり、小太刀を鞘へとしまう。

「誰ですかねぇ。しばらく休暇を取るって…」

低くつぶやきながら歩く幾三が顔を上げると、そこには見覚えのある人影があった。八雲紫からの使者として、年明け前に訪れてきたホフゴブリンだ。

「確か…ベイブとかいったな?どうした?」

ベイブは一礼すると、幾三へとメモを手渡そうとした。和紙とは違う感触に、墨筆で書かれていないシャープな字。総じて洋風に見えるそのメモに、幾三は顔をしかめた。

「…これはなんだ?」

にらみつけるように、幾三はベイブに問う。しかしベイブは太々しい印象を受ける顔を歪めず、口を開いた。

「あんたの協力者になるお方からでさぁ」

「なに?それは本当か?」

幾三はすぐさまベイブからメモを受け取ると、目を通す。そこには比較的几帳面さを覚える、形のしっかりした字が書かれていた。

「明後日の昼。中央村甘味処へ来い…だと?」

幾三は書かれてあった内容を復唱する。その行為に意味はないが、湧き上がる思いに無意識ながら口走ってしまったのである。

「あっしは渡しました。これでお暇させていただきまっせ」

そう言うと、ベイブは来た道へと戻っていく。所詮『つなぎ』との縁は、深く持つ意味が無い。あくまでも彼は、幾三にとって連絡を通達してくる妖怪としか思っていないのだ。

しかし、今回はそんなベイブにわずかながら感謝の意を持った。これで、恨みが張らせるからだ。かつてあの異変で起きた惨殺劇、その恨みをここで晴らすことができるのだ。

「あんちゃん…」

力を籠め握るメモをみて、幾燐が心配そうな声をかける。

「俺は大丈夫だ。ああ、親父とおふくろの恨みを、晴らす時が来たぞ」

 

 

 会う事が決められた当日。幾三は身に孕む期待感と不信感を持ち、指定された甘味処へと向かっていく。

しかしまあ、なんとも身勝手な奴であろうか。わざわざホフゴブリンに手紙を運ばせるとは、余程ギリギリまで素性を知られたくないのだろう。協力関係を結ぼうと言うのに、はなから信じるつもりは無いと突き放されている気分を、幾三は感じていた。

「ここか…」

メモに小さく書かれていた場所を参照し、幾三は位置を照らし合わせた。それなりに老舗として名高いこの甘味処「ナバナ」は、言うまでもなくそこそこの繁盛を見せている。

幾三はナバナを一通り見通す。店に入るのは子供や町娘。老人たちがたむろっており、それらしき人物は見えなかった。

―バカな。ここでは無いというのか?

ふつふつと湧き上がる焦りを覚え、幾三はとりあえず深呼吸と思い立つ。会ってもいないのにいきなり焦ってもしょうがない。恐らく自分は、緊張感に振り回させれているのだ。

もしかして早く来すぎたのかもしれない。幾三は冷静になり、ナバナへと歩みを進める。

「いらっしゃい!ご注文は何にします?」

幾三が長椅子へと座ると、この店の従業員であろう娘が、声をかけてきた。持ち合わせた金は少ない故に、幾三は団子2本と茶を頼む。

「かしこまりました!」

娘は笑顔を振りまくと、パタパタと店内へと消えていく。

その様子を見ていた幾三の真後ろに、笠をかぶった男が座り込んだ。刀を持ち合わせてはいないが、 見るからに里の住人のようには見えない。

―さっきから後ろにいる男、ただならぬ気配を感じるな。

生唾をごくりと飲んだ幾三は、懐の小太刀に手をかける。場合によっては、本業である妖怪退治をしなければと思い立ったのだ。

人里の中にはこうした変装をした妖怪がまばらにいることは、里の住人にとって周知の事実である。もっとも害がないゆえに金を落としてくれるので迫害をするつもりはないにせよ、幾三が感じたこの男の気配は只者ではない。大妖怪かあるいは、どこかで殺しを終えたばかりの妖怪か。様々な思惑が幾三の頭で飛び交う。

「流幾三…か?」

迷いに迷っていた幾三に、後ろから唐突に声がかかった。幾三は振り返ろうとしたが「そのままにしろ」と、かえって男に威圧される。

「そうか、あんたが協力者か」

この時幾三はやっと理解をした。この男が協力者なのだと。すると、途端に恐れは消え失せて、若干の親近感と安心感を覚える。

だが、そんな幾三の思いは、瞬く間に打ち砕かれた。

「お前は何ができる?見たところ二流剣士だな」

「なにっ!」

幾三は怒りが沸き上がり、小太刀の鯉口を切る。しかし怒りよりも復讐心が沸き上がると、むせるようにしてその場をやり過ごした。

「…芸だけは一人前か」

「そらどうも。で、あんた名前は?」

深呼吸をして怒りをなだめた幾三は、ぶっきらぼうに問う。男はしばし黙り込んでいたが、口を開いた。

「笠井伸一郎。お前と同じく妖怪退治の専門家だ」

「もう一度聞くが、あんたが協力者という認識でいいのか?笠井さん」

その問いかけに笠井と名乗った男は、低く小さな声で「そうだ」と返事をする。

「決行はいつにするんだ?俺は今からでもいいんだぜ?」

自信満々に言う幾三であったが、笠井と名乗る男は不気味に低く笑いを漏らした。

「フフッ…笑わせるんじゃない。お前はレミリア・スカーレットの恐ろしさを知らないのか?」

なめ腐った笠井の言葉に、幾三は再び頭に血がのぼった。どこまでコケにするつもりだと。

「じゃあ、あんたは知ってるのか?あんたも同じ、職を失った哀れな専門家だろ?」

「そうだな。だが、お前とは踏んだ場数が違う。まあそれはいいとして、決行日は後日伝える。今日は、貴様がどういう男かを品定めしただけだ」

とうとう笠井の失礼な物言いに堪忍袋の緒が切れた幾三は、小太刀を抜き放ち笠井へ振るう。新刀である幾三の小太刀は鈍い光を放ち、逆袈裟で笠井がいるであろう場所を切りつけた。

だが、それは空振りに終わる。不意打ちであったにも関わらず避けられたことに、幾三は目を見開いたが、同時に幾三の背中に何かを突きつけられる違和感を覚えた。

「なっ…鉄砲か?」

小太刀を振るう瞬間。この男は自分の背後へと回り込んだのだ。思わず幾三は冷や汗が滴る。

「これが、貴様と俺の実力の差だ。わかったら、俺の言う通りにすればいい」

笠井はそう言い残すと、悲鳴が上がる中を走っていき、やがて見えなくなった。

「お、お、お客様!小太刀をお納めください!」

団子と茶を持ってきたであろう先ほどの娘は、がくがくと震えた声で、幾三へという。お盆にある茶はこぼれており、心底おびえているのがわかる。

「あ、ああ。申し訳ありません。その、すいませんが茶を入れなおしてはくれないでしょうか」

幾三は身に余る怒りを無理やり押し込むように沈めると、一つため息をついたのだった。

 

 

「戻ったのね。ザルティス」

館の玄関に彼が入り次第、咲夜は持ち前の能力で彼の前へと現れる。ザルティスの上っ面を、唯一安定して曲げることのできるこの能力に、咲夜は毎回優越感を得ていた。

「お、脅かさないでくださいよ。ふう、相変わらず不思議なお方だ」

驚きを含みつつ愛想笑いを作るザルティスに、咲夜は鼻で笑う。そこまでこの男はヘコヘコと頭を下げたいのかと、見下せるからだ。

「思ったより遅かったわね。どうしたのかしら?何時も時間よりだいぶ遅いけど」

里に長く住んでいた男であるために、何時もならば彼の仕事も早い。その点は咲夜も認めざるを得なかったが、今回ばかりはただ疑問が湧き上がった。もし何処かで油を売っていたとすれば、久々にザルティスにきつい灸を据えてやることができる。

「申し訳ありません。実は依頼された食材がいつもの店に置いていなくて、仕方なく違う村へと足を運び、探していたためにこのような時間に…」

申し訳なさそうに頭を下げるザルティス。そんな彼を、咲夜は鼻で笑う。

「あらそう。まあいいわ。いつもあなたは完璧な仕事をこなすと思っていたのだけれど、時間には勝てなかったと。そういいたいのね?」

「まさにおっしゃる通りで…ああいや!私は完璧な仕事と言いますか、ただこの館に恥じぬよう仕事をさせていただいているだけで…」

「その覚悟を持っているだけで結構。さて、今日は特に仕事もないから、どこかで休憩してらっしゃい。後のことは私がやっておきます」

「いいのですか?」

疑うような視線を一瞬向けたザルティスに、咲夜はいらだちを感じる。

「なに?あなたは死ぬまでずっと仕事をしたいのかしら?私も鬼じゃないのよ。暇くらい与えます」

「は、はあ。ではありがたく頂戴します」

少々腑に落ちないような、どこか不思議そうな雰囲気を醸し出しつつ、ザルティスは二階へと上がっていく。

「あ、ザルティス。待ちなさい」

そういえばと、咲夜は思い出したように口を開いた。ザルティスも聞く姿勢を取るべく、数歩階段を下りて彼女を見る。

「お嬢様が、あなたを晩餐へと顔を出すように言っていたわ。新年に顔を見せたのだから、これを期にたびたび招待したいそうよ」

実は、咲夜はこのことを口に出したくはなかった。この言伝を伝えられたとき、愛すべき我が主君であるレミリアを、取られる錯覚に陥ってしまったのだ。もっとも、言伝であるために伝えなければならず、こうして致し方なく話す必要があった。

もちろんこんな新人に取られることはないと解ってはいるが、日に々レミリアはザルティスに対する興味を深めていることも明白で、それ故に咲夜は一種のライバル視を抱いてしまった。立場の上で、信頼も圧倒的に上なのに、やはりどうしても、一時の興味を彼へと向けられることが、気に障ってしまったのである。

「それはなんと光栄な…。ではまた後程、晩餐でお会いしましょう。咲夜さん」

ザルティスは深々と頭を下げると、そのまま上へと上がっていく。咲夜はそれを、ただ無心に眺めていたのだった。

 

 




どうも、飛男です。こちらの方はずいぶんと久々ですね。本当に申し訳ない。

今回は様々な言伝が題材です。それにザルティスの感情描写が、久々に出てきましたね。この先どうなるかは、まあ不定期です。

一応完結までのプロットはできていますので、気長に待っていただけることを幸いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ステップ

ものすごい久々の投稿


レミリア・スカーレットが部屋に入ると、すでに長机の上には料理は並んでいた。

彼女の持つ思考には、人里に根付いているハレやケガレの概念など存在しない。肉や野菜など関係はなく、ただ食べたいものを食す。それだけだ。

 おおよそ十人が並んで食事ができるような長机に対し、レミリアは窓側の端に座ると、その向こう側にいる人物をネコ科のような瞳で見つめた。

「あなたを呼んだのは初めてね。ザルティス」

対照的に座るザルティスは、座ったまま頭を下げると、同じくしてレミリアを見つめる。そのときの彼の眼は、何かを探るような、何かにおびえているようで、レミリアは思わず妖艶に笑った。

「ふふっ。毒なんて入っていないわよ?そんなに私のもてなしが恐ろしいの?」

確かにこの男がおびえるのも無理はないだろう。今までただの使用人として見られていたはずなのに、こうした格別の扱いを受けているのだ。何故このようにもてなされるのか、不思議でたまらないだろう。もっとも、これはレミリアがほんの気まぐれで行ったことに過ぎないのだが。

「いえ、そんな。誠に嬉しゅう思います。ただ、純粋にいち使用人の私が、このようなもてなしを受けていいものかと思いまして…」

そう発せられるザルティスの声量に、嘘偽りなど存在しなかった。どうやら本心で言ったようだと、レミリアは理解する。

「ふうん。まあいいじゃない。さあ、料理が冷めてしまうわ。作った咲夜に失礼でしょう」

そういうや否や、レミリアは指を軽くはじく。すると、咲夜がどこからともなく、レミリアの横へと姿を現した。

「咲夜、彼にワインを。できるだけヴィンテージ物を頂戴。あ、言っておくけど、あなたの能力で、故意的にヴィンテージにしたのはやめてちょうだい」

咲夜はその言葉に対してほんの少し――長い付き合いであるレミリアですら、注意深く見なければ見逃してしまうほど――顔を歪める。しかし、何事もなかったかのように「かしこまりました」と言うと、再び一瞬にして消え去った。

「…メイド長の能力ですか?」

すると唐突に、先ほどまで恐縮していたザルティスが、探るように問いを投げかけてくる。レミリアはそれに対し、さも自分の事如く、自慢気な顔をした。

「ええ、そうね。彼女は『時を操る程度の能力』を使うの。すごいでしょう?」

その子供っぽい自慢気な顔に、ザルティスは愛想笑いを見せた。もちろん、レミリアは故意的に行ったことであるために羞恥心は湧き上がらず、ザルティスの表情を無礼などとは思わなかった。つまり彼女は、精神的な年齢故に、何も感じなかったのだ。

「しかし、『時を操る程度の能力』ですか…いったいどのようにして、行っているのでしょうね」

不思議そうに言うザルティスに対し、レミリアはさらに得意げな顔をする。もっとも咲夜が持つ能力の根源を、教えるつもりなど毛頭もない。むしろその根源を、自分が知っていることに対して、優越感を覚えていた。

「さあ。どうかしらね」

その思いを孕みつつ、レミリアは言葉を返す。そして数刻後、もうワインを選び終わったのか、咲夜が再び、一瞬にして現れた。

「お待たせいたしました」

咲夜はそういうと、机の上にあるワイングラスに、トクトクとワインを注いでいく。注ぎ終わるとレミリアはそれを手に取り、くるくるとグラスを回し、芳醇な香りを楽しんだ。

「次はザルティスへ。ほら、はやくして」

余裕の笑みを作りつつ、レミリアは咲夜をせかす。しかし、またもや咲夜は意味深な戸惑いを見せると、今度は何かを割り切るような表情を見せ、すぐにザルティスへのグラスに注いだ。

――まだ、咲夜はこの男を信用しきれてないようね。いや、むしろ人間的に嫌いなのかしら?

レミリアが感じたどこかぎこちない咲夜の行動を見て、ふとその様な考えがよぎる。もともと咲夜はザルティスを雇う事に反対をしていたが、『個』としての考えを捨て、『集』としての考えを優先しているのだ。だが、それでもザルティスの存在は受け入れることが難しく、こうしてわずかなズレを起こしているのだろう。

「…咲夜。もう席を外してもいいわ。用があったら、また呼ぶから」

「いえ、しかし…。…はい。わかりました」

やはり何かしらの抗議を言うかとレミリアは覚悟をしていたが、咲夜が持つ忠義の心得故か、押しとどまった様子を見せる。もっとも正直な話、抗議を受けても、突っぱねるつもりであったのだが、さすがは聞き分けの良い忠犬であろうか。

「さて、今日晩餐に呼んだ理由は、わかったかしら?」

レミリアはあえて意地悪に、ザルティスへと問う。すると案の定、ザルティスは難しい顔をして、考え込むしぐさをした。

「申し訳ありません。とんと、思いつくようなことが…」

「ええ、当り前じゃない。だって私の、気まぐれだもの」

その言葉に、ザルティスは「えっ」と顔を上げる。そのまさに意表を突かれているような顔に、思わずレミリアは吹き出した。

「あはは。珍しい表情を見せたわね。私はね、思った事をすぐにやりたいの。だから、今日は気まぐれにあなたと晩餐を楽しみたかった。それだけよ。まあ楽しませてくれるか否かは、すべてあなた次第だけれどもね」

「は、はあ…。私、お嬢様を楽しませれるような話をできるか、心底不安でありまして…」

申し訳なさそうに言うザルティスに、レミリアは頬杖を突き、言葉を返した。

「じゃあ、私から質問させてもらうわ。それならどうかしら?」

「かしこまりました。答えられる範疇で、答えていきたいと思います」

ザルティスは頭を軽く下げ、聞く姿勢を取る。

しかし、レミリアは一つ気に入らない点が浮上した。この男はまだ、自分を個として見ているのだ。

「…答えられる範疇?ふざけるな。お前はすべてを私に答える義務があるわ。だって、この館に勤めている以上、お前は私の所有物だもの。だから、すべてを答えなさい?」

先ほどの舐めくさった態度から、レミリアは威厳を放つ如く、圧を飛ばす。ザルティスは自分の発言が迂闊だと理解したようで、しまったと言った顔をする。

「も、申し訳ありません。言葉のあやというものです。私はすべてを答えるつもりでありました。故に、どうかお許しを」

「ええ、それならいいのだけれども。お前はもう、『個』ではないのだから」

深く頭を下げているザルティスに、レミリアは鼻で笑いとばし、再び余裕の表情を見せる。

「そうね…じゃあまず。あなたはいくつなの?」

こてしらべにと言うべきか、レミリアは簡単な質問を飛ばした。こうした容易に答えられるような質問をすることで、次第にこの男が纏うヴェールを、はがそうと考えていた。

「いくつ…と、言うことは私の年齢でしょうか。…たしか今年で三十路を迎えるはずです」

「へぇ、案外歳を取っていたのね。てっきり二十半ばくらいかと思っていたのだけれども」

おだてたつもりはなく、ただ純粋な驚きでレミリアは聞こえるようにつぶやく。事実、本心でそう思っていたのだ。ザルティスは容姿を見れば、誰もがそう言うだろう。

「自慢…と、言うほどではないのですが、私は少々年齢が若く見られてしまうのです。童顔…と、言うのでしょうかね」

苦い笑いを浮かべ、ザルティスは言う。おそらくその顔故に、いろいろと苦労をしたのだろうと、レミリアは読み取ることができた。

「まあそういわれれば、どこか肌の質というか、老けて見えるわ。私の目も曇ったかしら」

ふふっと笑い、レミリアはそれでも満足そうな表情を見せる。純粋に新鮮な会話で、今まで身の回りを世話した咲夜や、その他館の住人とは違う、いわゆる新鮮さを楽しめた。

だが、それもこれで終わりである。従順に話すのならば、すでに警戒は溶けているだろうと、レミリアは次のステップへと質問を進めた。

「そうね、じゃあ、あなたに実の兄弟はいるのかしら?」

この、聞けば回りくどい質問ではあるが、レミリアにはある思惑があった。ザルティスが果たして、その鎌かけに引っかかるのかと、レミリアはにやりと口元を歪ませる。

「兄弟は、いません」

「あら、本当に?そう…」

ほら言った。やっぱりそう言った。と、レミリアは内心ほくそ笑んだ。事実、笠井伸一郎に兄弟はいない。だが、その答えは間違いであったのだ。この答えがイコールするのは、この男は自分に忠誠を誓ってはおらず、ただ表面的に装っているだけなのだと。と、いう事になる。

「へぇ…そう。いないんだ。兄弟」

レミリアはゆっくりと椅子にもたれ掛り、一つ息を吐いた。さてはて、どうした言葉を言い放とうか。そうレミリアが思考を巡らせている最中。ふと慶次が補足をし始めた。

「まあ兄、弟は居ませんね。ですが『妹』がいました。ふとした日に行方不明となり、現在も見つかっておりませんが…この幻想郷ではよくある事でしょう。曰く噂では、鬼にさらわれたと聞きますが…。定かではないでしょうね」

すらすらと言うザルティスの様に、レミリアはすぐに身を椅子から起こしてしまう。そう返してきたのかと。

てっきりこの男は、笠井伸一郎の家族構成を述べたのかと思っていた。しかしその言葉の意味は、兄弟――すなわち兄と弟がいないと言うことを、述べただけだったのである。こちらもまた回りくどい言い方かもしれないが、会話の流れを見てあえてこうした回りくどい返答を、慶次は文字通り返してきたのだ。いわゆる言葉に遊びを、入れてきたのである。

「へ、へえ…。そう。てっきり一人っ子かと思ったじゃない。回りくどいわね。…それにしても…本当にあなたには、妹がいるの?」

「はい、その…厳密にいえば『いた』ですけれども」

改めて聞き返しても、ザルティスは一向にそれを訂正しなかった。つまり、ザルティスには本当に妹がいる―いや、いたのだろう。

レミリアは押し寄せる戸惑いを隠しきれずにいたが、それを悟られぬようにワインへと手を伸ばし、口元へと運ぶ。

だが、同時に疑問がわいた。ここまで完璧にこの男は『笠井伸一郎』を演じていたのに、どうしてこの場でそれをやめたのだろうか。おそらくこの答えは、レミリアが投げた質問の真意を、読み取ったのだろう。だがそれにしては、まるでそれが当たり前のように、さも当然のように、あっさりしすぎている。

刹那的に、レミリアはそれを笑い飛ばし、嘘を見破ったと言いたくなった。この男が偽りの名前でここへ勤め、そしてずっと自分を欺いていたと、怒りを見せたくもなった。

だがレミリアはそれを、押しとどめた。そう、この男は紛れもなく、真意を理解している。それはつまり、レミリアへの忠義を表しているのに違いないのだ。それを攻める理由が、果たしてどこにあるのだろうか。

「…ふふっ。貴方はやはり面白いわね」

思わず笑みがこぼれるレミリアをザルティスは不思議そうに眺めている。ここまで純粋に接せられると、さすがのレミリアも深く疑うことはできなくなった。

 

 

自室へと帰ろうと扉の前を見ると、慶次を待っていたのはホフゴブリン。そう、ベイブだ。

ベイブはにやにやと口元を歪ませており、相変わらず気味が悪い様子である。慶次はそんなベイブを鼻で笑うと、自室へと入っていく。それに続いて、ベイブも後に続いた。

「まさかレミリア様から晩餐をごちそうされるとは、思っていませんでしたかな?」

まさしくその通りであった故に、慶次はむっと顔を歪ませる。もっとも、的を射ている故に、ベイブに対して殺意を向けることはなかった。

「それで、どうにかばれずに接することはできましたかな?笠井伸一郎殿」

「貴様。なめているのか?」

あまりにもベイブのふざけた対応に、さすがの慶次もいらだちを覚えた。すると、ベイブは急に居心地悪そうな顔となり、「すいません」と平謝りをする。

「…おそらく、バレただろうな」

「えぇ!?そ、それは誠ですかえ!?ま、まずいことになりましたなぁ…」

慶次の本音を聞いたためか、ベイブはさも困ったぞと顔を歪め、腕を組む。おそらく、彼は彼なりに、段取りがあるのだろう。

だが深くは追及せず、慶次は「だが」と言葉をつづけた。

「正確に言うと、すでにバレていた。明らかにカマをかける質問を投げかけて来たからな」

先ほどのレミリアが行った質問は、明らかにカマをかけているものだと、慶次は容易に理解をすることができた。これまで行くとどなく行ってきた絶妙なやり取りからすれば、見破るのには造作もないことだったのだ。

問題は、その質問内容であった。いくらでも嘘をつくことはできるが、彼女は純粋に真実を求めたのである。実の兄弟とはすなわち、『真実の兄弟』の事を指すのは言うまでもないが、ここであえてそう回りくどい質問をしてくるのであれば、それは鎌をかけていると言っているようなものである。要するにそれは、お前の正体はすでにわかっていると宣告を受けた様な物であった。

そうなれば『笠井伸一郎』と言う偽名はもはや意味をなさなくなる。また偽名元の家族構成を言えばそれは真実とは言えず、レミリアに対する忠義がないと見られる事もあり、慶次は自身の身内を明かすしかなかったのだ。現にレミリアはこうした憶測の元に出した答えを、満足していた様子であった。

だが、慶次もまた情報提供をしただけではない。真実を述べたもう一つの理由として、どこまで自分のことを知っているのか、探りを入れる意味合いもあった。もしレミリアが自分を十手持ち笠間慶次であると理解していれば、レミリアが麦子を誘拐した張本人である以上、その『妹』という単語に反応をするはずだ。

それすらも反応しなかったと言うことは、レミリアは自分が笠間慶次だと言うことを把握していないことになる。もっとも、単純に膨大な量の人間を誘拐しているのであれば、それすらも把握していない可能性もあるのだが。

「…ともかく、レミリア本人には俺が忠誠を誓っていると伝わったはずだ。奴はこれまで発してきた言葉、態度から察するに、そこまで疑り深くない。問題はメイド長だけだな」

「ふーむ。と、つまり今回の一件で、レミリア様は慶次殿に信頼を寄せたと言えると?」

「はっきりとは言えない。だが、確実に深まったのは間違いない。奴は所詮、思考回路は子供同然。単純だろう」

食事の際、十六夜咲夜の能力に関しての自慢、それに自分がまるで王だと言いたげな態度。まさに子供候であり、内心慶次は扱いやすい人物だと悟ることができた。

つまり、レミリアをコントロールできれば、必然的に紅魔館を支配できる可能性も出てくる。そうなれば足場を崩していき、最終的に空中分解を起こすことで、レミリアを殺すことができる確率は、十分に高くなる。

そろそろ次なるステップに踏み出す必要がある。慶次は少し笑うと、口を開いた。

「よし…ベイブ。幾三に報告しろ。決行の日は―」

 

 

流幾三に情報が伝わったのは、それから三日目後の事だった。

三日と言う日程は、慶次なりのこだわりである。

例えば恋愛で例えると、別れ目は3日、三週間、三ヶ月、三年と言われ、また何かをやり始めようとしても、三日坊主と言うようにわずか三日目で飽きてしまう事がある。つまり三が付く日は、人間が抱く物事に対する熱を、冷ますにはちょうど良い力が備わっていると考えているからだ。故に慶次はレミリアと食事をした、その三日後を選んだのである。特に意味のない行為かもしれないが、このような積み重ねが、現に慶次を支えてきた。

幾三はベイブから渡された手紙を読み終えると、それを炉の上へと持って行き、証拠隠滅を図るべく、燃やした。

ゆらゆらと燃ゆる紙を見つめつつ、幾三はぼそりとつぶやく。

「…決行は三週間後。レミリア・スカーレットが里へと足を運んだ帰りか」

レミリア・スカーレットは度々、人里へと足を運ぶ事がある。一種の気分転換であり、同時に稀に人里へ並ぶ、工芸品や嗜好品などを目で見て、直に買いたいという衝動からであった。またその頻度は最近になり増え始め、月に一回のペースになっている。

但しお忍びでの行動であるために、レミリア・スカーレットが人里へ入る情報ははあまり露見される事がない。人里が定めた『人里に居る人間を襲ってはならない』条例がある為、公にする事が出来ないのである。もっとも、もはや人を襲うつもりなど、レミリアには毛頭ないのだが。

「兄ちゃん…」

幾三が燃え行く手紙を見つめていると、幾燐が声をかけてきた。幾三が見た弟の瞳は、どこか心配げな、どこか不安気な瞳をしていた。

「幾燐、いよいよだ。兄ちゃんは悪を倒して、お前が立派になるのを手助けしたいんだ。父ちゃんや母ちゃんの代わりに、兄ちゃんは頑張るよ」

かつて吸血鬼が起こした慢心と私利私欲のために行われた革命に、彼らの人生は狂わされた。幾三はそのとき胸に抱いた恐怖と無力さ。そしてわずかな胸の高鳴り。

レミリア・スカーレットを倒すことで、幾三の名声はうなぎ登りになる。そうなれば博麗の巫女が定めたスペルカードルールから逸脱をした妖怪の討伐を、幾三も真っ向から受けることができる。それだけではない、かつて里を 守っていた十手持ちたちと同じように、権力者から手当てももらえるはずだ。

妖怪の賢者のバックアップに、尋常ではない腕を持つ協力者。後、ここぞの為に温存しておいた自らの隠し玉を使えば、憎き吸血鬼を恐らく――いや、確実に葬り去る事ができるだろう。

幾三は思わず微笑みを浮かべたが、それを幾燐はどこか不安気に眺めていた。

 

 




どうも、お久しぶりです。また、他作品でお見かけした方は改めてどうも、飛男です。

作者失踪と言ってももはや過言ではありませんが、そろそろ書き始めようかなと思い投稿してみました。ちなみに7000文字少し超えくらいですが、キリが良かった感じですね。読みごたえは減ってしまいましたが、徐々に字数が増えていくでしょう。

ではこのあたりで、また次回(何年後とかはないはず…)にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。