一条家双子のニセコイ(?)物語 (もう何も辛くない)
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1年生
第1話 ソウグウ


書いちゃいました新作小説ww
ぜひ読んでやってください


 

 

 

 

 

 

 

『zyjacya in love』

 

 

変わった形をしたペンダントを手渡しながら、女の子がつぶやく。

女の子は、目に涙を浮かべながらも笑みを浮かべて、口を開く。

 

 

『あなたは<錠>を。私は<鍵>を。肌身離さず、ずっと大切に持っていよう』

 

 

女の子から受け取ったペンダントを握りしめた俺もまた、悲しい気持ちを抑えることができず目に涙を浮かべてしまう。

女の子も、胸元で何かを握りしめながら言葉を続ける。

 

 

『いつか私たちが大きくなって、再会したら…。この<鍵>でその中の物を取り出すから。そしたら━━━━』

 

 

『━━━━うん!』

 

 

俺と女の子は、同時に頷いて、同時に口を開く。

 

 

『『結婚しよう…!』』

 

 

 

 

 

 

 

 

「…久しぶりだな。あの時の夢見るの」

 

 

窓から日差しを受けて、目を開けた少年は上半身を起こす。

 

少年は、大きく口を開け欠伸をしながら両手を上げて体を伸ばす。

そして一気に力を抜くと、眠そうにしぱしぱする目をこすりながら立ち上がる。

 

 

「…ふう。今日はあいつが炊事当番の日だし、寝起きが良い…!」

 

 

もう一度体を伸ばしながら襖を開けて部屋を出る少年。

 

おっと、この少年の紹介が遅れた。

 

彼の名前は一条楽。この春から高校に通うごく普通の男子高校生だ。

 

━━━━ある一点を除けば。

 

 

「「「「「「坊ちゃん!おはようございやす!」」」」」」

 

 

「あぁ、おはよう…」

 

 

顔を洗い、着替えを済ませて広い部屋に出ると、途端大勢の野太く低い男の声が楽を迎える。

楽も、こんなどこか異常に感じられる状況にも怯まず、馴れたかのように手を上げての対応を見せる。

 

今、この場にいる楽以外の男は全て、腕や足に刺青が入っており、明らかに万人受けのしなさそうないかつい顔の持ち主だ。

大体予想がつくだろう。そう、楽の家はここらでは有名なやくざの総元締めである集英組と呼ばれている。

楽はそこの息子なのだ。

 

 

「ん、飯はまだなのか?」

 

 

「へい。いい匂いがしてきたんで、そろそろだと思いやすが…」

 

 

楽は、テーブルに何も置かれていない所を見て近くにいる男に問いかける。

男の答えを聞いて、楽は辺りに立ち込めるおいしそうな匂いに気づく。

 

 

「おーい。朝飯できたぞー。全員、自分の分とってけー」

 

 

すると、暖簾をくぐって出てくる一人の、楽と同い年くらいの少年が現れる。

少年が身に着けているのは、楽が着ている制服と同じもの。そしてその上には黒いエプロン。

 

少年はエプロンを脱いで、椅子の背もたれにかけるとエプロンをかけた椅子に腰を下ろし、持っていた料理を乗せたお盆をテーブルに乗せる。

 

 

「おぉおおおおおお!待ってやした!」

 

 

「今日は陸坊ちゃんの料理でやすか!ということは和食!」

 

 

「待ってろ、鮭の塩焼きぃいいいいいいいい!!」

 

 

「はいはい。朝からテンションの高い事…」

 

 

次々にキッチンへと我が先我が先と入っていく男たちを呆れたような目で眺めながらお味噌汁を啜る陸と呼ばれた少年。

 

この陸という少年が、この物語の主人公である。

楽とは同い年、というか双子の弟だ。

 

 

「ん?楽、お前も早く取りに行けよ。遅刻すっぞ」

 

 

「あ、あぁ。わかってるよ」

 

 

楽が料理を取りに行くのを眺めながら陸は味噌汁の入ったお椀からご飯が入ったお椀に持ち替える。

綺麗に骨を取り除いた鮭の塩焼きを食べながらご飯も食べ進める。

 

そうしている内に、キッチンから料理を持って男たちが戻ってくる。

そして、戻ってくるや否やテーブルに料理を置いて物凄い勢いで口に入れ始めていく。

 

 

「あぁ…、うめぇ…!さすが陸坊ちゃんだぜ!」

 

 

「ホント!陸坊ちゃんも楽坊ちゃんも、いつも朝食の準備してもらってすいません」

 

 

男たちが料理を食べ進めていく中、申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げてくる強面の男。

 

 

「いーよ。お前たちに任せたら大変なことになるし」

 

 

「あぁ。俺にとっちゃ、一人暮らしの予行演習にもなるしな」

 

 

男の謝罪の言葉に、陸はご飯を口に入れながら、楽は味噌汁を啜りながら答える。

 

すると直後、男たちが目を見開いて声を上げる。

 

 

「えぇえええええええ!?坊ちゃんどっか行っちゃうんすか!?」

 

 

「そんなの嫌っす!行かねぇでくだせぇ二代目!」

 

 

「誰が二代目だ!それに、俺よりも陸の方が二代目に向いてるだろうが!」

 

 

楽の言葉通りである。やれやれ、と目を瞑りながらいかにも呆れてますよという空気を醸し出している陸は、所々で楽と本当に双子なのかという一面を見せる。

 

まず、怒ったときの怖さだ。確かに、楽もやくざの一家で育てられてきたため、怒りを見せればそこらの一般人よりも迫力はある。

だが陸は別格だ。一般人やチンピラはもちろん、そういう所を本職としている今この場にいる男たちさえもびびらせる。

 

そして、特にそれが顕著なのは喧嘩の強さだ。

当然、やくざの一家に生まれたのだから陸も楽もそういう訓練を受けている。

 

しかし楽はからっきしだったにもかかわらず、陸は今でもその訓練を続け、なおも強くなっていると楽は聞いている。

話に聞くと、一度集英組の土地を荒らしていたやくざのグループを一人で壊滅させたこともあるとか…。

 

 

「良いかお前ら!俺はな、一流大学を卒業して堅実な公務員になって、お天道さんに顔向けできる真っ当な生き方をしていきてぇんだよ!」

 

 

「おぉー!よくわかんねえけどさすが坊ちゃんだ!」

 

 

「…ぷふっ」

 

 

必死に自分の目標を高々と叫んだ楽だったが、返って来た答えはよくわかんねぇ。

楽は悲しくなり、ほろりと一筋の涙を流し、陸は抑えきれてないが口を手で覆い、笑いを抑えようとしている。

 

 

「…ん゛ん゛。まあ楽。何回も言うけど、それはかなり難しいからな?」

 

 

「あぁわかってる。覚悟はしてるよ」

 

 

陸の言う通りだ。楽の言う目標は正直実現するにはかなり難しい。

楽は、やくざの長の息子だ。当然、その情報は他の所にも出回っているだろうし、顔も割れている可能性だって否定できない。

そんな楽が普通の生活ができるかどうか、聞かれれば無情だが答えはノーなのだ。

 

楽も、本気で目標を実現させたいのなら、覚悟して臨まなければならないのだ。

 

 

「おーおー。相変わらずてめーらは毎日せわしねーなー」

 

 

「ん…」

 

 

「親父」

 

 

朝食が進み、初めに料理を持ち込んだ陸が食べ終わったとき、食堂に一人の老年の男が入って来た。

 

陸と楽以外の男たちは、その人物を見た途端立ち上がり、頭を下げて挨拶をする。

そう、この男こそ、陸と楽の父親であり集英組の長だ。

 

父は、陸と楽の姿を見つけると、笑みを浮かべながら声をかけてくる。

 

 

「おぉ、楽と陸。近ぇうち、てめーらに大事な話があっから覚えときな」

 

 

「大事な話…?」

 

 

「おい楽。お前、このままじゃ遅刻するぞ」

 

 

父が言う大事な話という言葉が気になった楽は、詳しく話を聞こうとするがそれを陸が止める。

楽は腕時計を見て、ホントだとつぶやくと傍にいた男が目をカッ、と光らせる。

 

 

「そ、そりゃぁいけねえ!すぐにリムジンを用意させろ!ばかやろー!15m級のをだ!」

 

 

「や、やめろーーーーーーーーーー!!」

 

 

暴走する男たち。止めようとする楽。

 

鞄を手に、ため息を吐く陸に、はっはっはと笑い声を上げる父親。

 

これが、集英組の朝の風景である。

 

 

 

 

 

 

結論。陸と楽は結局15m級のリムジンに乗せられ、陸と楽の通う凡矢理高校の敷地前に来ていた。

いかつい男たちの、陸と楽を送り出す言葉を背に受けながら、二人はまわりの好奇の視線にも耐えていた。

 

 

(あぁ、辛い…。高校こそは家のことをばらさずに静かに学校生活を送りたかったのに…)

 

 

(とか考えてんだろうな、楽は。もう諦めた方が良いって、これについては…)

 

 

「あ、そうだ楽坊ちゃん。実ぁ最近、見慣れねえギャングどもがうちの土地を荒らしてまして。気ぃ付けてくだせえ」

 

 

「はぁ?ギャングゥ?」

 

 

つい最近も、変なグループとドンパチやってなかったかお前ら、と心の中で言葉を付け加える楽。

そして、陸は━━━━

 

 

「あ、もしかしてあいつらか?昨日、蹴散らしてやったけど」

 

 

「おぉ、聞きましたぜ陸坊ちゃん!あいつらも助かったって礼を言ってやした!」

 

 

(あぁもうやだこんな血なまぐさい生活!)

 

 

弟まで血生臭い世界に足を突っ込んでいることを改めて実感した楽はくらくらと力なく歩き出す。

歩き出した楽に気が付いた陸も、楽について歩き出した。

 

とまあ、見ての通り楽の苦労は分かるだろう。

まわりは全て血生臭い世界の住人。片割れと言える双子の弟である陸も、家を継ぐ気はないと言いながらもその世界の住人であることには違いない。

 

基本は心休まる兄弟話も、少しでもやくざ系統の話になれば一転。楽の入り込む隙などなくなってしまう。

 

 

(…ギャング、か。ちょっと規模大きそうだったし、厄介かな)

 

 

楽がぐったりとした様子で歩く中、陸は心の中でうちの男たちが言っていたギャングのことを考えていた。

 

先程も言ったが、昨日陸は、ドンパチしていた集英組の男たちを助けるために戦いに参入した。

集英組側は五人、ギャング側は七人と数の上では不利だったため陸が来たときは押されていた。

 

だが、まず陸が傍にあった小石を投擲し、当たった男が気を失い一人。

撃ってくる銃弾を掻い潜り、木刀で殴られた男が気を失い一人。

そして、銃を向けてきた男の腕を掴み、逆に男の持っていた銃を男に向けて発砲。

 

これはただの威嚇だったのだが、撃たれたと思ったのか相手は気を失いまた一人。

 

といった感じで陸が暴れたおかげで一気に形勢逆転。ギャング側は撤退していったのだ。

 

しかしギャング側が使っていた武器はどれもが新品の光り方をしていた。

かなり裏に精通していなければああはいかない。

 

 

(…まあ大丈夫でしょ。親父に任せときゃ気にすることないだろ)

 

 

陸が親父に任せるという結論に至ったその時だった。

二人の頭上から影が差したのは。

 

 

「え」

 

 

「お」

 

 

「げ」

 

 

直後、上から降りてきた影は楽の顔面に直撃。陸はそれをただ眺めることしかできなかった。

 

楽はあえなく地面とキスする羽目になり、上から降りてきた影は楽の背中の上でいたた、とつぶやきながら頭を押さえている。

 

 

「あっ…!ごめん!急いでたから!」

 

 

楽の上から立ち上がった人物は、藍色の瞳を二人に向けると、金色に輝く髪を靡かせながら走り去っていった。

 

 

「…おい楽。大丈夫か?」

 

 

「な、何だったんだ一体…」

 

 

被害者の楽には、正直何が起きたのか捉えきれなかっただろう。

楽はゆっくりと立ちあがり、再び歩き出す。

 

 

「…ぶふぅっ!」

 

 

「な、何だ!?どうした陸!?」

 

 

「い、いや…、何でもない…」

 

 

 

 

 

 

 

 

出かけた時間は遅刻寸前だったが、学校に着いたときには時間に余裕があった。

楽が扉を開け、二人の属するクラスである1-Cの教室に入る陸と楽。

 

 

「おーす、楽、陸…って楽!?」

 

 

「一条君!?どうしたのその怪我!?鼻血出てるよ!?」

 

 

「え?鼻血!?」

 

 

「ぶふーっ!?もうダメ!ぶわっははははははははははは!!!」

 

 

「て、てめぇー陸!黙ってたんだなこの事!通りでまわりの人たちが訝しげな眼で俺を見てたわけだコノヤロー!」

 

 

先程、陸が噴き出したのは楽の鼻の両穴から垂れる鼻血を見たからだった。

普通片方の穴から出る鼻血が両穴から出ている。それを見て陸は盛大に噴き出したのだ。

 

 

「はあ?女通り魔にやられたぁ?」

 

 

事情を説明した楽を、信じられないような目で見る眼鏡の少年、舞子集。

集は、陸と楽とは幼稚園からの腐れ縁であり、小学中学高校と全ての年度でクラスが同じという偉業も達成している。

 

 

「バカ言え。うちの学校の塀、2m以上あるだろ。それ飛び越えて膝蹴りってどんな女の子だよ」

 

 

「いや集。信じられないけど事実なんだ。俺も見てた」

 

 

「…マジかよ」

 

 

苦笑を浮かべながら陸に視線をやる集に、陸は頷き返す。

 

 

「ちょっと待って、今バンソーコ…」

 

 

「え?いーよ小野寺。こんなのティッシュ詰めてほっときゃ…」

 

 

「言っとくけど楽。お前、鼻すりむいてるぞ」

 

 

「…まじか」

 

 

陸、楽、集の三人で会話を広げる中、カバンの中から絆創膏を取り出す女の子は小野寺小咲。

一言で言えば、可憐としか言いようがない容姿の持ち主である。

綺麗な黒髪を肩まで伸ばし、右側のもみあげを耳にかけ、左側は前に垂らすという髪形をしている。

 

 

「ほら、ばい菌入ったら大変だから!」

 

 

「おう、サンキューな」

 

 

楽の鼻に絆創膏を貼った小咲。

そんな小咲に、陸が声をかけた。

 

 

「へぇ、小野寺って絆創膏持ち歩いてるんだ」

 

 

「え!?う、うん。自分や他の人が怪我した時に、大丈夫なように…」

 

 

「ふ~ん。偉いんだな」

 

 

「そ、そんなことないよ…」

 

 

陸に声をかけられた小咲は、顔を赤く染めて俯いてしまう。

何故、俯いてしまったのかわからない陸は、小咲に様子を問いかけるが小咲は言葉に詰まって碌に答えることができない。

 

 

「…やれやれ。相変わらず小野寺は陸にべた惚れだな」

 

 

「だな。微笑ましいったらありゃしないぜ」

 

 

陸と小咲のやり取りを、微笑ましく…、いや、ニヤニヤしながら見守る楽と集。

そんな光景が五分ほど続くとチャイムが鳴り、それぞれが席についていく。

 

チャイムが鳴り終わって少しすると、陸たちの担任であるキョーコ先生が入ってくる。

キョーコは教室に入るなり、口を開いた。

 

 

「早速だが、今日は転校生を紹介するぞー。入って、桐崎さん」

 

 

「はい」

 

 

桐崎と呼ばれた人物は、返事を返すと教室に入ってくる。

 

 

(…ん?んん!?)

 

 

入ってきた人物を見て、陸は目を見開く。

 

 

「初めまして!アメリカから転校してきた桐崎千棘です!」

 

 

(あの娘は確か…)

 

 

長く伸びた金色の髪。きれいな藍色の瞳。あの時は気が付かなかったが、かわいらしい赤いリボンを頭に着けている。

 

 

「母が日本人で父がアメリカ人のハーフですが、日本語はこの通りばっちりなので、気さくに接してくださいね!」

 

 

見事な自己紹介を展開した少女は、最後に綺麗な笑顔を見せる。

途端、教室中で湧き上がる歓声。やってきた転校生の容姿の高さに沸く男子に、そのスタイルの良さに沸く女子。

 

そんな中、まわりとは全く違う空気を出す二人の男子。

 

 

「じゃー、ひとまずテキトーに後ろに空いてる席に…」

 

 

キョーコ先生が、転校生の千棘に空いてる席に着くように言うと、二人の視線が交わる。

 

 

「あなた、さっきの…」

 

 

「お前!さっきの暴力女!!」

 

 

「ぶっはははははははは!ぼ、ぼうりょくおん…ははははははははは!!」

 

 

楽に、呆然と話しかける千棘に、立ち上がって怒鳴る楽。

そして、このやり取りを聞いて爆笑する陸。

 

そんな三人を中心として、他のクラスメイト達は唖然とこのやり取りを眺めるしかないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話 ソウサク

連投です


 

 

 

 

 

 

ぼ…?

 

う…?

 

りょ…

 

く…?

 

クラスに戸惑いの沈黙が流れる中、楽と千棘の口論、そして陸の笑い声が教室中に響き渡る。

 

 

「ちょ…!何よ暴力女って!」

 

 

「さっき校庭で俺に飛び膝蹴り喰らわせただろ!」

 

 

千棘にとって、あれは過失だ。事故だ。だから、暴力女と言われて良い気などなるはずがない。

だが楽だって、千棘の膝蹴りの被害者だ。何か言わなければ気が済まない。

 

 

「ちゃんと謝ったじゃない!」

 

 

「はぁ!?あれが謝っただぁ!?あれのどこがだよ!」

 

 

「謝ったわよ!もう、ちょっとぶつかったくらいで被害妄想やめてよね!?」

 

 

「ははっ!ははははっ、はぁ…はははっ!」

 

 

陸の爆笑が収まらない。その間でも、楽と千棘の口論は収まるどころかさらにエスカレートしていく。

 

 

「どこがちょっとだよ!こっちは気絶しかけたんだよ!」

 

 

「へー!?あんた血圧低いんじゃないの!?こっちは謝ってるんだから許してくれてもいいでしょ!?女々しい人ね!!」

 

 

「女々…!?それが謝ってる奴の態度かよ!この…」

 

 

クラスメイト達もぽかんとしている中、ついに楽が言ってはならない一言を口にする。

 

 

「猿女!!」

 

 

ピキッ

 

楽の声が響き渡った直後、教室の中にいる全員の耳に何かがひび割れるような音が届いた。

 

 

「誰が…」

 

 

すると、千棘が腕を大きく後ろに振りかぶる。

体勢を低く取り、鋭い眼光は楽を捉える。

 

 

「はぁ…、は?」

 

 

ようやく、陸が笑いを抑え始めたその時だった。

千棘の左足が大きく踏み込まれ、振りかぶっていた腕がぶれる。

 

 

「猿女よ!!!」

 

 

振るわれた拳は、楽の頬にクリーンヒット。

本当に生身で殴ったのかと疑いたくなるほど大きな音が響き渡り、楽の体が宙へ浮く。

 

楽は教室の扉を通り抜け廊下の壁に背中が打ち付けられる。

 

 

「あ」

 

 

千棘は、我に返って自分が何をしたのか自覚する。

クラスメイト達は、動くこともできず呆然と千棘を眺める。

 

そして、陸は殴られた楽を見て声を漏らして…

 

 

「ぶふぅっ!っははははははははははは!!な、な、なぐっ、殴って飛んだぁっ!?ははははは!!」

 

 

再び笑い始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

「どうしてくれんのよ。恥かいちゃったじゃない!」

 

 

「何で俺が怒られる側なんだよ!?」

 

 

ホームルームが終わると、廊下で再び口論を始める楽と千棘。

そんな二人を教室の扉付近で眺める陸、小咲に集。

 

 

「なあ陸。あの娘が膝蹴りの主?」

 

 

「ああ。だから言っただろ?ホントだって」

 

 

集が千棘が女通り魔なのかを陸に問い、陸もすぐに頷いて返す。

へぇ~、と口にしながら集は楽と千棘の口論にもう一度目を向けてから、体を捻って回り始める。

 

 

「でも俺!あんな可愛い子だったら膝蹴りされても~…!」

 

 

「…やっぱり、あいつって女の子に関することになると猛烈バカになるよな」

 

 

「ははは…」

 

 

かなりの速さで回転する集を、陸と小咲が苦笑しながら眺める。

 

すると、楽と千棘側の方にも動きが訪れる。

 

 

「おぉ、一条に桐崎さん。丁度よかった」

 

 

「「え?」」

 

 

「「?」」

 

 

口論を繰り広げる楽と千棘に、キョーコ先生が声をかける。

キョーコ先生に顔を向ける楽と千棘に、未だに回り続ける集から視線を向ける陸と小咲。

 

 

「あんたら知り合いだったんだろ?だからさ…」

 

 

「「…えええええええええっ!?」」

 

 

教室中に楽と千棘の叫び声が響き渡る。

 

原因は、二人の席の位置だ。二人は今、席が隣同士で座っている。

 

キョーコ先生に抗議する楽と千棘。そんな二人を眺める陸と小咲。

え?集?まだ回り続けています。

 

 

「あーあ…。ま、何だかんだで相性良さそうだし何とかなりそうなもんだけど」

 

 

「一条君もそう思う?今は喧嘩してるけど」

 

 

先程と違って、苦いものではなく本当の笑みを浮かべて楽と千棘を眺める。

そんな陸だったが、ふとあることに気づいて小咲に声をかける。

 

 

「そうだ小野寺。いい加減、名字呼び何とかならないか?」

 

 

「え?」

 

 

表情の動きが固まる小咲。そんな小咲を余所に言葉を続ける陸。

 

 

「ほら、俺と楽。二人とも一条だろ?中学もそうだったけど、一条って呼ばれたら二人が振り向くんだよ。だからさ」

 

 

「え…え?」

 

 

固まった表情のまま、頬を染めていく小咲。

 

 

「ほら、呼んでみて。名前で」

 

 

「え…え…えぇ!?」

 

 

名前で呼んでという陸に、さらに顔を真っ赤に染める小咲。

小咲の唇が、ぱくぱくと開閉する。何かを言おうとしているのだろうが、その言葉を出すことができない。

 

 

「ほら、陸」

 

 

「え…、り…?り…り…」

 

 

きっと、陸と言おうとしているのだろう。だが、り、から先を言うことができない。

りとくの二文字を言えばいいだけなのに、どうしてこんなに難しいのだろう。

 

頬の熱が止まらない。自分でも、顔が赤くなってることがよくわかる。

 

 

「り…りり…り…りりりり…」

 

 

顔が赤くなるのを通り越して、頭から湯気が出てくる小咲。

 

そして、ついに━━━━

 

 

「え…、小野寺?おい!?」

 

 

「ご、ごめんなさぃいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

急に駆け出す小咲。陸の制止も振り切って、小咲は廊下に出てそのままどこかへ走り去っていく。

 

 

「もうすぐ授業始まるのに、どこ行くんだ小野寺~…」

 

 

ただ今の時間、8時38分。授業開始時間、8時40分。

 

さて、小咲はどこに行ったのだろうか…。

 

 

 

 

 

結局、授業開始のチャイムが鳴る直前に小咲は教室の中に入って来た。

小咲の席は、一人を挟んで陸の斜め後ろなのだが、小咲とすれ違う時に陸と視線が合った。

 

だがそれは一瞬で、陸は視線を逸らされてしまったのだが。

 

 

(何か…、中3くらいから良く視線合っても逸らされる気がするんだが…、避けられてる?)

 

 

The 鈍感キング 一条陸

 

誕生は中学3年の時だったそうだ。

 

さて、楽の叫び声が響き渡ったのは一時間目が終わった休み時間の時だった。

 

 

「ど、どうした楽?急に叫び出して」

 

 

「あぁ陸!ない!ないんだ!」

 

 

楽の肩を軽くたたいて声をかけた陸につかみかかる楽。

 

 

「な、ない?ないって何が…?」

 

 

「ペンダントだよ!気づいたら首にかかってなかったんだ!」

 

 

ペンダント、とは楽が小さい時からずっと肌身離さず大切に持っている宝物だ。

何でも、十年前に出会った女の子にもらったと陸は聞いている。

 

 

「どこかに落としたんじゃないか?学校の落し物届を見てみたら?」

 

 

「…いや、きっとあの時だ」

 

 

混乱する楽に助言を送る陸だったが、それよりも有効な考えが浮かんだのか楽が言う。

すると、楽はきっ、と隣に座る千棘を睨んで指をさす。

 

 

「お前が俺に膝蹴りを喰らわせたあの時!あの時以外あり得ねえ!」

 

 

「はぁ!?」

 

 

楽に指をさされた千棘は素っ頓狂な声を上げた後、楽に言い返す。

 

 

「そんなの一人で探しなさいよ」

 

 

「何言ってんだ!さっきも言ったけど、お前の膝蹴りを喰らった時以外あり得ねえ!てめーにも責任あんだろ!」

 

 

三度口論を始める楽と千棘。

二度目までは微笑ましく見守っていた陸だったが、さすがに三度目は飽きたのか、目を瞑って、無表情で眺めるだけ。

 

 

(…トイレ行って来よう)

 

 

スルーすることに決めた。陸は教室から出てトイレへと向かう。

 

トイレの前にたどり着いても、楽と千棘の口論の声が聞こえてきたのにはさすがに驚いた陸だった。

 

 

 

 

楽と千棘がペンダントを探し始めたことを陸が聞いたのは、その日の夕食の時だった。

 

楽と千棘、たまに陸や小咲も手伝ってペンダントを探すのだが、一週間経っても見つけることができない。

落し物置き場にもないことを考えると、間違いなく楽と千棘が最初に遭遇した校庭に落ちていることはほぼ間違いないだろう。

 

その日、陸は掃除当番、小咲は委員の活動でペンダントを探しに行くのが遅れていた。

 

 

「…あ」

 

 

「…え?」

 

 

掃除を終わらせた陸は、さっそく楽のペンダント探しを手伝うために校庭に向かっていた。

その途中で小咲と鉢合わせる。

 

 

「小野寺。また楽のペンダント探すの手伝ってくれるのか?」

 

 

「あ…、うん…。一条君も?」

 

 

「あぁ。俺、楽がペンダント大事にしてるのずっと見てきたからさ?やっぱり弟の俺が探すの手伝ってやらないと」

 

 

陸と小咲は、楽と千棘が今、探しているだろう校庭の場所へと歩く。

 

 

「ごめんな小野寺?楽のペンダント探し、手伝ってくれて」

 

 

「え…。ううん!大丈夫だよ?」

 

 

「いや、楽には見つけた後で絶対お礼言わせる。そして、何か飲み物買わせてやるから、楽しみにしてろよ」

 

 

「い、いいのに…」

 

 

小咲が、両手を振って弱弱しく断るが、陸の勢いは収まらない。

楽にお礼を言わせる。小咲に飲み物を奢らせると言って聞かない。

 

小咲も、もし楽が了承したら甘んじて受けようか、と思った時だった。

 

 

「うるっせぇな!!だったらもう探さなくていいからどっか行けよ!!!」

 

 

楽の怒鳴り声が二人の耳に響く。

今まで、というより最近はよく聞いていた楽の怒鳴りだったが、これはそのどれとも違う、ドスの効いたものだった。

 

陸が何も言わずに駆け出し、小咲も慌てて陸についていく。

 

雲からごろごろと音が鳴り、ぽつぽつと雨が降り出す。

それにも関わらず陸は走り続け、楽と千棘の姿を見つける。

 

 

「楽。お前…」

 

 

楽に声をかけようとした陸だったが、楽と千棘の間に流れるただならない空気に言葉を止める。

 

 

「…わかった」

 

 

少しの間、睨み合っていた二人だったが千棘が去っていく。

 

千棘の姿が見えなくなっても、立ちすくす楽。

 

 

「…小野寺。風邪引くから学校の中に戻ろう」

 

 

「え…、でも…」

 

 

「良い。今回は多分、こいつが悪いから」

 

 

小咲の手を引いて学校の中へと戻る陸。

小咲が楽の様子が気になるのか、度々楽の方に視線を向けるが陸は小咲と違い、楽には目も向けずに校舎の中へと入っていった。

 

 

「小野寺、今日は帰っていい。というか帰ろう。この雨じゃどうせ探すに探せない」

 

 

「…うん」

 

 

気になるのだろう。楽と千棘の様子が。

陸だって、気にならないと言ったら嘘になる。だから…

 

 

「じゃあ、俺は用事思い出したから。また明日な」

 

 

「あ、うん。また明日…」

 

 

小咲に手を振ってその場から去る陸。向かう先は…

 

 

「あ、いた。桐崎さん」

 

 

「…あんた」

 

 

 

 

 

 

 

 

千棘が転校してきてから11日目。陸はあの日からペンダント探しを手伝っていなかった。

窓からペンダントを探し続ける楽と小咲の様子を見ることはあっても、手伝うことはしなかった。

 

…そして、あいつが探している時も。

 

 

「あ、一条君」

 

 

「小野寺?」

 

 

靴を履き替え、校舎を出ようとした陸は小咲から声を掛けられる。

振り返ると、小咲も帰る所なのか、カバンを持ってこちらに駆け寄ってくる。

 

小咲も靴を履き替えると、陸の隣に寄る。

 

 

「どうした?」

 

 

「…ううん。やっぱり、一条君は優しいなって」

 

 

「…は?」

 

 

少しの間を空けて、呆けた声を出す陸。

 

小咲から視線を逸らして歩き出す。

 

 

「何のことやら」

 

 

「惚けたって駄目っ。もうわかってるんだから」

 

 

微笑みながら陸の顔を覗き込んで言ってくる小咲。

 

何やら照れくさく感じてくる。のぞき込んできた小咲からさらに視線を逸らす陸。

 

 

「う、うるさいな。わからないったらわからないんだ」

 

 

「わかるって言ったらわかるの。素直じゃないな~?」

 

 

隣で並んで歩く二人。

こんなやり取りの繰り返しは、それぞれの家の方向に道が分かれるまで続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お、帰ったか陸。楽はどうした?」

 

 

「親父?楽なら多分もうすぐ帰ってくると思うけど?」

 

 

陸が家に入り、玄関から出て居間に出るとそこには親父が立っていた。

親父は陸を見つけるとすぐに声をかけて楽の居場所を尋ねてくる。

 

 

「そうか。楽が帰ったら、二人で俺の部屋に来い。確かに伝えたぞ」

 

 

「…?わかった」

 

 

そう言って去っていく親父。

何故呼び出されたのかわからず、首を傾げる陸だったが了承を返す。

 

楽が帰ってきたのは、親父と話し終えてから十五分後の事だった。

楽に親父に呼ばれたことを伝えて部屋へと向かう。

 

その途中、楽にお礼を言われたが惚ける陸。

そんな陸を笑みを浮かべながら眺める楽。小咲の時と同じだ。

 

またまたどこか照れくさくなり視線を逸らした。

 

 

「何だよ親父。いきなり呼び出して」

 

 

親父の部屋へと入った二人。待っていた親父が二人を出迎える。

 

 

「今度大事な話をするっつったろ?思いのほか早く事が動き出してな」

 

 

陸は、親父の声の質が先程とは違うことに気づく。

先程の世間話をするときの調子と違い、何か真剣みを帯びた声だという事を感じ取る。

 

 

「陸、お前は知ってるだろ。最近のギャングとの抗争を。それがいよいよ、全面戦争になりそうなのよ」

 

 

全面戦争。

楽だけでなく、さすがの陸もその言葉に衝撃を受ける。

 

 

「展開が予想より早いな…」

 

 

「せ…!?おい、大丈夫なのかよ!?」

 

 

ここの思いを口に出す二人。そんな二人に対して、冷静に答える親父。

 

 

「まぁもしそうなりゃ、お互いタダじゃ済まんわな…。そこでだ!」

 

 

何か対策を考えているのか。親父は振り返って二人に向かって指を向ける。

 

 

「この戦争を回避する方法が一つだけある。それも、てめえら二人のどちらかしかできない方法がだ」

 

 

「俺達二人の…」

 

 

「どちらかしか?」

 

 

「実ぁ向こうのボスとは古い仲でな。奴にも同い年の娘がいるらしいんだが…。そこで楽、陸」

 

 

陸か楽しかできない方法。その説明を始める親父。

次の瞬間、二人は呆けて開いた口がふさがらなくなった。

 

 

「おめえら。どっちかその子と恋人同士になってくんねえか?」

 

 

「「…は?」」

 

 

戦争を回避する方法が、恋人になる?

ははっ、そんな簡単なこt

 

 

「いやいやいやいや!はぁ!?」

 

 

「なーに、振りをするだけでいいんだ。互いの組の二代目が恋人となりゃ、水差すわけにゃいかんだろ。まさか、おめえら恋人できたか?」

 

 

「俺も楽もいない」

 

 

「陸!?」

 

 

ここでいる、と言えば逃げられたかもしれない。

だが、陸のせいで楽も、陸も逃げ道がなくなってしまった。

 

 

「悪ぃが、こっちも命がかかってっからな。泣き言言っても、どっちかにはやってもらうぜ?」

 

 

どうやら最初から逃げ道などなかったようだ。

さらに、親父は襖に向かって入ってくれ、と口にする。もう、その恋人の振りをする相手の子はここに来ているようだ。

 

…後に、楽は陸に笑いながら語った。

この時、何故ちりばめられたヒントに気が付かなかったのだろう、と。

この最悪の事態を回避すべきだったと後悔した、と。

 

 

「さぁ、この子がお前らどちらかの恋人となる━━━━」

 

 

親父がカーテンを開け、向こう側を見せる。

 

現れたのは、金髪の男女二人。

一人は相当背が高く、壮年の男。

もう一人は、あれ?見覚えがあるような…。

 

 

「なっ!?」

 

 

「へぇっ!?」

 

 

「おうふ」

 

 

視線が交わり、三人に衝撃が奔る。

口を開くこともできず、親父が何を話しているのかもよく聞こえてこない。

 

だが、辛うじて聞き取れたのは、楽にとって絶望の名前だった。

 

 

「━━━━桐崎千棘ちゃんだ━━━━」

 

 

それと同時に、陸は心の中で決意した。

 

 

(何としても俺は回避する。そして、この二人に恋人の振りをさせてやろう)

 

 

内心、ニヤニヤと笑いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで投稿した二話を見てわかる様に、陸は相当性格悪いですww
集と良い勝負ですwwですが、女好きではないです…ww


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第3話 カケダス

前回のおまけ

ペンダントが見つかり、千棘の書いた手紙を見たシーン

「何書いてるかわかんないけど、バカにされてるのはわかるぞ…」

「…あれ?一条君、まだ何か書いてあるよ?」

「え?」

<あんたがペンダントをどれだけ大事にしてるかあんたの弟から聞いた。前は、言いすぎてゴメン…。それと、弟にもちゃんとお礼言いなさいよね!>

「…陸の奴」










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お前…。ギャングの娘だったのか…!?」

 

 

「あ、あんた達こそ…、やくざの二代目候補だったの…!?」

 

 

カーテンが開かれ、遭遇した三人。

楽と千棘は、目を見開き唇を引きつらせながら声を絞り出す。

 

 

「おう。何だお前ら、面識あったのか?なら話は早い。改めて紹介だ、楽、陸」

 

 

陸と楽、千棘の顔を交互に見ながら話す親父。

 

 

「こいつがギャング組織“ビーハイブ”のボス、アーデルト・桐崎・ウォグナーと桐崎千棘お嬢ちゃんだ」

 

 

紹介された千棘とその父、アーデルト

千棘は呆然と立ち尽くしているが、アーデルトは陸と楽に頭を下げてから口を開く。

 

 

「君たちのことは聞いているよ。よろしくね、楽君、陸君」

 

 

「あ、どーも…じゃなくて!」

 

 

アーデルトの挨拶に、陸は頭を下げて返す。

楽も言葉で返そうとするが、いきなり大声を上げた。

 

 

「ムリムリムリムリ!こんな奴と恋人の振りぃ!?」

 

 

「そうよ!パパは知らないでしょうけど、私とこいつすっごく仲悪いのよ!?それに、誰がこんなもやし男と!」

 

 

「なっ!?俺だって御免だ!親父、こんな奴と上手くいくわけないって!」

 

 

(あー…、また始まった)

 

 

陸も千棘にまだしていなかった挨拶をしようとしたのだが、その前に楽と千棘が口論を始めてしまった。

陸は一歩、二歩と下がって親父とアーデルトがいる方へと移動する。

 

 

「なあ親父。これ、俺はいらないだろ」

 

 

「あぁ、そうだな…。ずいぶんと仲良いじゃねえか」

 

 

「「良くない!!」」

 

 

ぎゃーぎゃーと大声で罵声を浴びせ合っていたくせに、何故こちらの話し声が聞こえているのだろうか。

 

 

「しかしなあ…、このままじゃ大変なことになるぜ?」

 

 

「…へ?」

 

 

「…おい親父、まさか」

 

 

親父がどこか悪戯気な笑みを浮かべて言う。

それを聞いて楽は呆けた声を漏らし、陸は何が起こるか想像がついて親父を問い詰めようとする。

 

その時だった。突然、壁が轟音と共に破壊される。

 

 

「な、何だぁ!?」

 

 

楽が驚愕の声を出す中、煙が薄くなり穴の向こう側から人影が現れる。

 

 

「見つけましたよお嬢…。どうやら、集英組のクソ共がお嬢を攫ったというのは本当だったそうですね…」

 

 

眼鏡をかけ、髪をバックに整えた若い男を先頭にスーツを着た強面の男集団が乗り込んでくる。

 

 

「く、クロード!」

 

 

「ご安心ください、お嬢。お嬢を守るのがビーハイブの幹部としての私の役目。不肖このクロードめがお迎えに上がりました」

 

 

右手を体の前で振いながら頭を下げるクロード。

そんな中、他のビーハイブの男たちはアーデルトを心配して駆け寄っていく。

 

 

(あー…、これはやばい…)

 

 

その光景を見ながら陸は心の中でつぶやく。

 

先程の轟音。あいつらが気が付かないはずがない。

 

 

「おうおう、ビーハイブの大幹部さん…。こいつぁちょいとお痛が過ぎやしやせんか…?」

 

 

陸の予想通り、集英組の男たちがこの場にやって来た。

 

 

「今までは手加減してやって来たけんどのぅ…、今度という今度は許さへんぞ…」

 

 

「ふん、猿どもが…。お嬢に手を出したらどうなるか教えてやる」

 

 

まさに、一触即発。というより、何もしなくても自然に爆発しそうな空気だ。

 

 

(あー…、楽と桐崎さんは避難させた方が良いかもな…)

 

 

集英組の大幹部、竜とビーハイブの幹部、クロードが睨み合う中、陸は震える楽と桐崎を眺める。

そして、陸が歩き出そうとした時、親父が口を開いた。

 

 

「あー君君、ちぃと誤解してるんじゃねえか?」

 

 

「ん…、なっ、ボス!?何故ここに…!?」

 

 

クロードは千棘の姿しか見えていなかったのだろうか。

親父の隣に立っているアーデルトの姿を見て目を見開く。

 

 

「嬢ちゃんを攫ったなんざとんでもねえ誤解だぜ?なんたって…」

 

 

「っ…」

 

 

クロードの驚愕の中、話を進めていく親父。

その過程を聞いて、次に親父が言うことが考え付いた陸はさっ、と親父から離れていく。

 

次の瞬間、親父とアーデルトが、それぞれ楽と千棘の肩を掴んでぐっ、と二人を密着させる。

 

 

「こいつら、超ラブラブの恋人同士なんだからな」

 

 

流れる沈黙。楽と千棘も何が起こったのか一瞬、わからなかった。

 

 

「「…なっ!?」」

 

 

「「「「「「なぁあにぃいーーーーーっ!!!!?」」」」」」

 

 

楽と千棘がそれぞれの父親を睨みつける。

集英組、ビーハイブの男たちは揃って驚愕の叫びを上げる。

 

陸は…、笑っている。

 

 

「ボス…、本当ですか…?」

 

 

「あぁ。僕らが認めた仲だよ」

 

 

クロードはアーデルトに事の真偽を問う。

楽と千棘としては、嘘だと言ってほしかったのだが、アーデルトは躊躇いなく真と答える。

 

 

「そ、そりゃすげええーーーーっ!」

 

 

「坊ちゃん、ついに彼女ができたんすか!?」

 

 

不意に湧き上がる集英組一同。男たちは楽に詰め寄って歓喜の叫びを上げる。

 

 

「お嬢…。いつの間に大人になって…、気づかぬ間に…。このクロード、感激です…」

 

 

一方の千棘も、クロードに感激の言葉を浴びせられる。

 

楽も千棘も、唖然とした表情を浮かべていたが、ようやく我に返って口を開く、

 

 

「待て待て待て!誰が恋人だって!?誰がこんなゴリラ女と!」

 

 

「そっ、そうよ!誰がこんなもやし男と!」

 

 

二人が互いを指さしながら言い合う。

その直後、鳴り響く発砲音。

 

楽の髪を掠り、傍の壁に命中した弾丸。楽に向けて銃口を向けるクロード。

 

 

「おい小僧…。今のは聞き間違いか…?事もあろうにお嬢に向かってゴリラだと…!?尻に鉛玉ぶち込まれてえのか!?」

 

 

ものすごい形相で楽を睨みつけながら言うクロード。

そんな中、動き出す集英組の男たち。

 

 

「てめぇ!坊ちゃんに何してんじゃごらぁ!!」

 

 

振るわれる刀。クロードはひょいとかわす。

すると刀は千棘の傍らを横切り壁に刺さる。

 

 

(あー…、もうどうすんだろ二人とも)

 

 

ついに、ドンパチやり始める集英組とビーハイブ。

陸は部屋の隅でその光景を眺めながら楽と千棘の様子を窺う。

 

もう、彼らを止めることができるのは二人だけだ。

 

 

「…ねぇ坊ちゃん。本当にお二人は、恋人同士なんすか?」

 

 

遂に、怪訝な視線を向け出す始末。

だがこれはチャンスだ。ここで、二人が本当に恋人の振りをすれば状況を良くすることができるかもしれない。

 

 

(いけ、いくんだ二人とも。勇気を出せ!)

 

 

心の中でフレーフレー、とエールを送る陸。完全に傍観者の立場に居座ることに陸は決めているようだ。

 

楽と千棘が顔を寄せ、何かを話しあっている。

陸が、男たちがじっ、と二人を見つめる中、ようやく二人が動き出す。

 

 

「はは…。ラブラブに決まってんじゃねえか~!さっきはゴリラみたいに力強くて優しいって言いたかったんだよなぁ~!!」

 

 

(ぶふぅっ!ゴリラみたいに力強くて優しいって…、何だよそりゃ!!)

 

 

楽の出した言葉に、陸は顔を背け、口を手で覆って吹き出しそうになるのを必死に抑える。

 

 

「モーダーリンったらぁ!紛らわしい言い方しちゃダメじゃないの~!そんな所も大好きだけど!もやしみたいなダーリンの白い肌!」

 

 

(もやしみたいな白い肌ぁ!?や、やめろ…、こらえられなくなる…!)

 

 

そのままの体勢のまま小刻みに震えだす陸。我慢も限界に近付いている。

 

 

「お…、おぉ!?やっぱりお二人は恋人同士だったんすね!?」

 

 

寄り添う楽と千棘を見て、あっけらかんと信用を戻す男たち。だが…

 

 

「…?」

 

 

陸はその男だけ、疑わしげな雰囲気を出していることに気づく。

それは、ビーハイブ幹部、クロードだった。

 

眼鏡の位置を戻しながら、楽と千棘…というより楽を睨んでいる。

 

 

「…」

 

 

その後、楽と千棘の二人は男たちの質問攻めを乗り越える。

だがそれでも、クロードの雰囲気は変わるどころか濃くなっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の朝。学校が休日のため、陸が起きた時間はいつもよりも遅い時間帯だった。

陸は自室を出て居間に行く。今日の当番は楽のため、すでに朝食は出来ているはずだ。

 

 

「ん?誰もいない…?」

 

 

陸が今に入ると、いつもなら多くの男たちが寛いでいるのだが、何故か今日は誰もいない。

陸は頭を掻きながらまわりを見渡す。

 

 

「…何で?」

 

 

「お、陸。ようやく起きたのか」

 

 

首を傾げる陸に、続いて居間に入って来た親父が声をかけた。

 

 

「あ、親父。皆、どこに行ったんだ?」

 

 

「あぁ。あいつらならな…」

 

 

入って来た親父に、男たちがどこへ行ったのかを問いかける。

そして、その問いの親父の答えを聞いて、陸は大きく目を見開いた。

 

 

「な…、マジ…?」

 

 

陸はすぐに部屋へと戻り、身支度を整える。

そして、すぐさま外へと駆け出して行った。

 

 

(マジで…?くそっ、あのクロードとかいう奴、行動が早すぎる…!)

 

 

親父の答えは、楽と千棘のデートの様子を見守るためにほぼ全員が出て行った、だった。

 

そのデート、楽と千棘が進んで行くわけはない。

ならば簡単に想像がつく。クロードだ。クロードがセッティングしたのだ。

 

二人の本当の仲を確かめるため、クロードが罠を仕掛けたのだ。

 

 

(やばい…。そんなのすぐにばれるに決まってるじゃねえか!)

 

 

クロードもギャング組織の幹部。観察眼は相当のもののはずだ。

二人のあんな大根役者にも劣る演技力では騙せるはずもない。

 

特に、何をすればいいかはわからない。だが、陸は走る。

楽と千棘がどこにいるかだって皆目見当がつかない。それでも、何かしなければ…

 

 

(…待てよ?もしかしたら…)

 

 

ふと、陸は楽たちがいる場所の思い当りが浮かぶ。

 

いつだったか、楽と話したことがあるのだ。

もし女の子とデートするならどこへ行くのか、という話を。

 

楽は言った。

まず、おしゃれなカフェに行ってゆっくりと過ごし、お腹がすいたらレストランで食事。

その後映画を見に行って、後は…。

 

 

(公園…!)

 

 

そこからの陸の行動は早かった。

駆け出した陸は信号無視ギリギリを繰り返しながら、公園へと辿り着く。

 

恐らく、楽と千棘はここに来るはずだ。

ここで待っていれば、きっと…。

 

 

(て、もういる!?)

 

 

必死に走り回っている間に、かなり時間が経っていることに陸は気づいていなかった。

まあそれでも、楽がもうここにいることは予想がついていなかったのだが。

 

楽が言っていたのは、夕暮れ時の公園。今はまだ、日が高い。

何が起こったのかは知らないが、ベンチでぐったりとしている楽。千棘の姿が見当たらない。

 

 

(喧嘩でもしたのか…?だとしたら、まずくね?)

 

 

心の中でつぶやきながら、陸は辺りに視線を回す。

 

 

(…いる。そこの公衆トイレの影に三人。その木の影に四人。クロードは…、そこの草の影か)

 

 

どうやら、集英組だけでなくビーハイブの男たちもデートの様子を見に来ているようだ。

 

クロードはもちろん、他の男たちもどこか怪しげな視線を楽に向けている。

 

やはり、二人のデートは上手くいっていないようだ。

デート中にも関わらず喧嘩したのかは知らないが、上手くいっていないようだ。

 

 

(フォローしたいけど、ここで俺が出て行ったってな…。ん…?)

 

 

どうしようか陸が頭を悩ませていると、公園の道を歩く見覚えのある人影を見る。

 

 

(…嘘、だろ?何でこのタイミングで!?)

 

 

「あれ?一条君?」

 

 

陸が驚愕する中、その人物はベンチに座る楽に話しかける。

楽も話しかけてきた人物に目を向けて…、目を見開いた。

 

 

「お、小野寺!?何でここに!?」

 

 

「私は友達と買い物に来てその帰りなの」

 

 

驚愕する楽は、小咲がどうしてここにいるのか問いかける。

小咲は買い物から帰る途中だと言う。小咲の肩にかかったカバンの中は見えないが、それなりの量の物が入っているのがわかる。

 

 

(ど、どうする?楽がぼろを出すのは時間の問題だ。さすがにクラスメイトにばれるのはどうだ…?)

 

 

クラスメイトにばれるという事は、学校でも恋人同士の振りをしなければならなくなる。

それはさすがに二人が可哀想だ。

 

必死に頭を働かせる陸。

だが、陸の思考は次の瞬間、無駄になってしまうのだった。

 

 

「ダ~リ~ン!!お待たせ~~!!ゴメンね!?思ったより時間かかっちゃっ…て…えぇ~…」

 

 

千棘が、何を思ったのか迫真の演技を見せながら楽に近づいていく。

 

だが、状況がまずい。

 

 

「え…?え?」

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

小咲が戸惑いを見せる。楽と千棘は今の体勢のまま固まる。

 

 

(…止むを得ない。これは、もう行くしかないだろ)

 

 

陸はまわりの男たちに見られない様に草陰から道に出る。

そして、いかにもジョギングをしている風に駆けて楽たちに近づいていく。

 

 

「あれ?楽に桐崎さん。それに小野寺?こんなとこでどうしたんだよ」

 

 

ジョギングの演技を止めて楽たちの傍で立ち止まって話しかける。

 

 

「え…、一条君!?どうしてここに!?」

 

 

「ん、ジョギング。たまにここで運動したりしてるんだ、俺」

 

 

顔を赤く染め、驚きながら小咲が陸に聞いてくる。

本当はジョギングなどする気はないのだが、今この状況でこの嘘は仕方ないだろう。

 

そして、楽と千棘には悪いが…、嘘を続けさせてもらう。二人のためだ。

 

 

「おっと小野寺。この二人、今はデート中なんだ。邪魔しちゃ悪いから向こう行ってよう」

 

 

「え…え!?わぁっ」

 

 

陸はそう言うと、小咲の手を引いて走り出す。

 

小咲がついてこれるようにペースを落としてその場から走り去っていく。

 

背中に、恨めし気な楽と千棘の視線がビシビシぶつかる。

だが、気にしない。

 

 

(…二人のためだ。後で誤解は解いてやるから)

 

 

(手!手!私、一条君に手を引かれてる!)

 

 

それぞれ、まったく違うことを想いながら、陸と小咲は楽たちから離れていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 ユウグレ

良いサブタイトルが思いつかない…


 

 

 

 

 

 

 

(そろそろ、大丈夫かな…)

 

 

小咲の手を引きながら走っていた陸は、走りながらまわりを見渡し、そして監視の目がないことを確認してから立ち止まった。

 

立ち止まった場所は、公園の出口。

陸は小咲の手を放して乱れた息を整える。

 

 

「はぁ…、ふぅ。ごめんな小野寺。急に走り出して」

 

 

「はぁ…はぁ…。ううん、…はぁ。大丈夫…」

 

 

陸はすぐに息を整えたが、小咲はそうはいかない。

陸と違って規格外の体力など持たず、一般の女の子並の体力しか小咲は持っていないのだから。

 

 

「でも…、急にどうした…の?」

 

 

両ひざに手を着いて息を整えていた小咲が、顔を上げて陸を見ながら問いかける。

 

やはり質問してきた。

 

それもそうだ。小咲が楽と千棘のデートに遭遇すると、いきなり陸が現れたかと思う否やこれまたいきなり小咲は陸に連れられて公園の出口まで走ってきたのだ。

気にならない方がおかしい。

 

 

「いや…。まぁ、聞いてくれ」

 

 

陸は説明する。楽と千棘の今の状況についてを。

当然、やくざとギャングについての説明は上手く除いて。

 

 

「…つまり、あの二人は付き合ってるふりをしてるってこと?」

 

 

「ああ。そうしなきゃ…、まあ、大変なことになるから…」

 

 

詳しくは言えない。やくざとギャングの全面戦争になるなどとは言えない。

小咲には悪いがそこは誤魔化させてもらう。

 

 

「うん、わかった。…でも、どうしてそれを私に言ったの?」

 

 

楽と千棘が本当は付き合っていないことはよくわかった。

だが、小咲にはわからないことがある。

 

どうして陸がそれを、自分に言ったのか。

ああして恋人の振りをするためにデートまでしているのだ。

わざわざ自分に本当のことを教える必要などなかっただろう。

 

 

「…ああして振りをするためにデートまでしてるんだ。だから、学校くらいは…、息抜きさせたいと思って」

 

 

本来、あの二人は顔を合わせるごとに口論をするほど仲が悪い。

まあ、陸から見ればケンカするほど仲が良いと言いたくなる心境なのだが。

 

そんな二人が学校にいるときまで恋人の振りをするとなれば、それは四六時中息が詰まることになるだろう。

さすがにそれは陸にとっても忍びない。だって自分は楽の弟だ。自分まで何かしら演技をしなければならなくなる。

 

 

「うん。ようするに自分が楽をする為かな?今気づいたけど」

 

 

「は…ははは…」

 

 

初めは楽と千棘の二人のために言ったのかと感心していた小咲だったが、真相があまりに欲望に直球だったためか、苦笑を浮かべることしかできない。

 

 

「それにさ、小野寺、こういう秘密は言わなそうだし」

 

 

「え?」

 

 

苦笑していた小咲が、目を丸くして陸を見る。

 

 

「小野寺って信用できる奴だって思ってるからさ。正直、あそこで会ってたのが他の奴だったら言ってなかった」

 

 

「…」

 

 

信用できる奴と、陸は言った。他の人には言わないとも言った。

つまり、陸は自分を信用してくれているという事。陸は少なからず自分に親しみを覚えているという事…?

 

 

「そ、そそそそっか!あああありがとう!」

 

 

「…?どういたしまして?」

 

 

首を傾げる陸。何故、小咲にお礼を言われたのかわからない。

とはいえ、お礼を言われたことは変わらないから在り来たりの返事を返す。

 

 

「っと、ごめんな小野寺。帰る所だったんだろ?ちょっと逆方向に来ちまったな」

 

 

「あ、ううん。大丈夫だよ」

 

 

ふと、陸は今いる場所が小咲の家の方向とは逆の方だという事に気づき、小咲に謝罪する。

 

 

「俺も帰りたいし、途中まで送るよ」

 

 

「え!?い、いいよ!大丈夫だよ!」

 

 

「だから、俺も帰りたいの。途中まで道は一緒だろ?」

 

 

送るという陸に、小さく両手を振って遠慮する小咲だが、陸の言う通りここから帰るなら結局途中まで道は一緒なのだ。

 

 

「じゃ、じゃあ…。よろしくお願いします…」

 

 

ぺこりと腰を曲げてお辞儀する小咲に、陸は目を丸くして戸惑う。

 

 

「な、何でそんな他人行儀な…。じゃ、じゃあ帰ろうか」

 

 

「う、うん…」

 

 

並んで歩き出す二人。

そんな二人を、傾き始めた夕陽が照らし出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日━━━━

 

 

「楽には昨日も言ったけど、二人については小野寺に説明しておいたから安心しろ」

 

 

「そ、そうなの!?ありがとう!あんた、ホントこのもやし男と違って気が利くわ!!」

 

 

「んだとこのごり…何でもありません!」

 

 

朝の登校、一風景である。

陸は楽と千棘に小咲の誤解を解いたことを説明する。

千棘が感激し、陸を絶賛。その言葉の中に自身をけなす言葉が入っていたことに気づいた楽が何かを言おうとするが眼前に迫る拳に圧され、口を閉じる。

 

 

「しっかし、ずいぶんと窶れてんな桐崎…」

 

 

「一昨日のデートから帰ったあとでね、デートについて質問攻めにされて…」

 

 

「あ、桐崎さんもなんだ。楽も同じだったな…くっ」

 

 

「笑うな」

 

 

千棘の両瞼の下には隈ができており、さらにどこかやつれているように見える。

その理由が、昨日のデートについて質問攻めにされたというものだという。

 

昨日の楽も千棘と同じだったのだ。その光景を思い出しながら噴く陸。

仏頂面して楽が陸を咎めるが、全く陸は堪えない。

 

 

「もう最悪よ!家でも気が休まる暇ないじゃない!」

 

 

「唯一、陸のおかげで学校だけではありのままでいられることが救いだな…」

 

 

楽と千棘の会話を、二人の一歩後ろを歩きながら眺める陸。

 

そんな感じで歩いている内に校舎の下駄箱に着き、外靴から上靴に履き替える。

一年教室のある二階へ階段で上がり、C組の教室に入る。

 

 

「あ、小野寺」

 

 

「一条君?おはよう」

 

 

教室に入った三人の目に最初に着いたのは、扉の正面で友人と会話していた小咲だった。

 

挨拶を交わした楽と小咲。楽は続いて小咲に口を開く。

 

 

「そう…。小野寺、ちょっと一昨日のことについて後で話したいんだけど…」

 

 

「…?あ、うん。わかった」

 

 

小咲は一昨日の件について陸から聞いてわかっているはず。

だが、楽自身がその話を聞いたわけではない。だから小咲と確認し合いたかったのだ。

 

小咲が頷いたのを見て、楽も頷くと自分の席に着こうとする。

 

 

「おおっとー!?一条と桐崎さんじゃねえかーーっ!!」

 

 

「へ?」

 

 

不意に響き渡る大声に楽も千棘も呆気にとられる。

続いて次々に浴びせられる二人に向けての歓声。

 

 

「おーいみんなー!二人が来たぞー!」

 

 

「よっ!待ってましたー!」

 

 

思わず、自分の席近くに移動していた楽に、千棘が近寄るほど、戸惑いが大きかった。

二人から少し離れた所に立っていた陸も疑問符を浮かべている。

 

 

「お前ら付き合うことになったんだってなー!!」

 

 

「末永くお幸せにー!!!」

 

 

「なぁっ!?」

 

 

「え…、えぇっ!?」

 

 

何故か、ばれていた。

 

何故だか知らないが、ばれていた。

 

 

(おいおい、まさか…)

 

 

そこで陸は小咲に目を向ける。

真っ先に思い当たる原因は小咲だ。小咲が、昨日陸が話したことを誰かにばらした。

今の所それしか思い当らない。

 

だが、次の瞬間それは杞憂だと悟る。

 

 

「おい!何だよそれ!一体どこでそんな話…」

 

 

「おおっと惚けんなよ楽ぅー!すでにネタは上がってんだぁ!!」

 

 

ふざけるな。誰があんな奴と付き合うか。

楽は口を開くが、言葉を言い切る前に集が割り込む。

 

 

「城ケ崎と長尾が一昨日の土曜、お前と桐崎さんがデートしている所を目撃してるんだ!!」

 

 

「「目撃しましたー」」

 

 

集の言葉の後、二人の男子生徒がサムズアップしながらにやりと笑みを浮かべながら楽に目を向ける。

 

 

「るぅぁあくぅ!俺は悔しいぞ!まさかお前が先に彼女作るなんてよぉ~!!」

 

 

正直まったく悔しそうに見えない集が楽の首にしがみつきながら叫び。

 

もう一度言うが、まったく悔しそうに見えない。むしろ、確実に面白がっている顔をしている。

 

楽と集がじゃれ合う中、大勢の男子たちが嘆きの叫びを上げながら千棘に話しかける。

 

そんな中、陸はふぅ、と息を吐いていた。

 

 

(良かった…。小野寺が言ったんじゃなかったんだな。良かった良かった…)

 

 

もし本当に小咲がばらしていたのなら、自分のせいでばれたということになる。

小咲とも付き合い方を変えていたところだ。

 

…他にも、何か安心しているような感覚がするのだがそこは気にしないでおく。

というか、何に安心しているのかわからない。

 

 

「み、皆!聞いてくれ!それは誤解…」

 

 

「…っ!?楽っ!」

 

 

楽と千棘が付き合っているなど完全な誤解である。

その誤解を解こうと、楽がクラス中に知らせようとするが、その言葉を陸は止める。

 

楽は、何故止める!?と言いたげな表情を陸に向ける。

陸は、そんな楽に窓の外を見ろとジェスチャーで伝える。

 

 

「…っ!?」

 

 

「げぇっ!?」

 

 

楽だけでなく、千棘も気づいた。窓の外で、木の枝の上で双眼鏡で二人の様子を監視するクロードの姿があった。

これでは、誤解を解くことができない。

 

 

「え?誤解?」

 

 

「何だよお前ら、付き合ってないのか?」

 

 

クラス中から戸惑いの声が流れ始める。

まずい。これでは、クロードにも二人が恋人同士じゃないことがバレてしまう。

 

 

(り、陸!どうすんだよこれ!?)

 

 

(知るか。自分で何とかしろ)

 

 

縋るような目を向けてくる楽だが、陸はほぼスルー。

 

陸に見放された楽と千棘は、自分たちの手でこの状況を何とかしなければならない。

これは、腹を決めるしかない。

 

 

「…そう、そうだよ。誤解なんだよ!」

 

 

「そう!私たちは…」

 

 

「「カップルじゃなくて、超ラブラブカップルだっつーの~!!」」

 

 

渾身の演技。決まった。

 

 

「うおー!!大胆発言!!」

 

 

「ヒューヒュー!熱いねーお二人さん!!」

 

 

冷やかしの声を受ける楽と千棘。

クラスの人たちには照れているように見えているに違いない。

 

だが、陸には二人の本当の姿が見えていた。

 

二人が、白い灰になってどこかに飛んでいくその姿を。

 

 

(…お疲れ、二人とも。でも…、面白いから見るだけー)

 

 

陸は変わらず、傍観者の立場を守るのである。

 

 

 

 

こうして恋人(仮だという事はばれていない)ということがばれてしまった楽と千棘。

あの後、昼休みに二人でどこか行くときも冷やかし言葉を受けていた。

 

恐らく、あの時はこれからの方針について話しあうために屋上に向かったのだろうと陸は予想していた。

 

まあ今はそれは置いておこう。すでに時間は夕暮れ時。放課後に入っている。

 

陸は、楽を探していた。とっとと家に帰ろうと誘うためである。

 

 

(いないな…。しゃあない。もう一度教室覗いていなかったら、一人で帰るか)

 

 

だが、校舎中を探しても楽の姿は見当たらない。どこかですれ違いになったのか、わからないが最後に教室を覗いてもしいなかったら一人で帰ることに決める。

 

階段を降り、一年教室の階に着くと、C組の教室に近づいていく。

 

 

「な、何で俺のは悪口ばっかりなんだよ!」

 

 

「うっさい!乙女のノートを無許可で見るな!」

 

 

「?」

 

 

教室に近づいていくと、中から口論する二人の男女の声が聞こえてくる。

 

この声は、楽と千棘だ。

 

 

(まーた口論か…。ホントに仲良いなあの二人は…)

 

 

心の中で呆れながら陸は教室の中を覗く。

すると、見えてきた光景に陸は目を見開く。

 

 

「いいか。瓜生は漫画が好きだ。~の漫画が好きなんだけど、貸してって話しかければ喜んで乗っかってくれるぞ」

 

 

「へぇ~」

 

 

「でも、注意しろ。あいつは熱中するとまじでついていけなくなる」

 

 

「…」

 

 

千棘の席で何か話している。

話している内容を聞くと、楽が千棘にクラスの人物について説明しているようだ。

 

 

(…ホントに、仲が良いのか悪いのか)

 

 

微笑ましく見えるその光景から、陸は笑みを浮かべながら視線を外す。

 

これは、楽の帰りは遅くなりそうだ。

そんなことを思いながら階段を降り、下駄箱に着く。

 

 

「ん、小野寺?」

 

 

「え…、一条君?」

 

 

上靴を脱いで外靴に履き替えようとする小咲に遭遇する陸。

話しかけると、小咲は振り返って頬を染める。

 

 

「小野寺も今帰りか?何か、前もこんなことあったよな。立場は逆だったけど」

 

 

「あ…、そ、そうだね。あの時は私が話しかけたんだったね…」(わぁ~っ、また一条君と帰れるの!?)

 

 

話しかける陸に、小咲も返事を返す。それと同時に、心の中で歓喜の声を上げる。

 

小咲の後に、陸も外靴へと履き替えて外に出る。

 

校門を出て、小咲と話しながら歩いているとふと陸はあることを思いだした。

小咲に謝るべき、あることを。

 

 

「そうだ、小野寺。俺、お前に謝らなきゃいけないことあるんだ」

 

 

「え?謝らなきゃ、いけないこと?」

 

 

陸の言葉を繰り返して聞き返す小咲。

陸は小咲の目を見つめてから、頭を下げる。

 

 

「ごめん小野寺。俺、朝、楽と桐崎さんのことについてバレた時、真っ先に小野寺を疑った。ホントゴメン」

 

 

「え…?」

 

 

呆気にとられる小咲。

 

 

「え…、頭上げてよ一条君っ。え…。どういう事…?」

 

 

「いや…、楽と千棘が恋人…、だっていうことバレただろ?俺、真っ先に小野寺が誰かに話したんじゃないかって疑ったんだ。…そんなこと、ちょっと考えたらあり得ないってわかるのに」

 

 

小野寺は信用できるって、わかっていたはずなのに。

小野寺を、真っ先に疑ってしまった。それが陸に罪悪感を感じさせていた。

 

 

「えっと…、うん。しょうがないよ。あんな事あったら、すぐに私のこと疑っちゃうよね?」

 

 

「っ…」

 

 

何もないように振る舞う小咲。

だが、陸は気づく。笑顔ではあるが、どこか悲しげな雰囲気を浮かべていることに。

 

やっぱり、友人に真っ先に疑われるのは悲しいのだ。自分だってもし同じ目に遭えば、少なくとも良い思いなどしない。

 

 

「…何か奢る。これで許してもらおうなんて思わないけど、それくらいさせてくれ」

 

 

「え…、いいよ!い、一条君!」

 

 

陸は、傍にあった自販機を見つけると小咲に声をかけてから自販機に駆け寄る。

小咲が陸を止めようとするが、その時にはすでに陸は鞄から財布を出して小銭を入れようとしていた。

 

小咲の制止は間に合わず、陸は小銭を入れる。

 

 

「小野寺、何飲みたい?」

 

 

「だ、だからいいよ!気にしてないから!」

 

 

「…答えてくれないなら、このココアお汁粉というものw」

 

 

「お、お茶でお願いします!」

 

 

本当にココアお汁粉という飲み物のボタンを押そうとする陸を今度は止めてお茶を注文する小咲。

 

早く答えろよなー、と笑っていいながら陸はそぉ~いお茶のボタンを押す。

 

吐き出されたペットボトルを取り出し、陸は小咲に渡す。

 

 

「…ありがとう」

 

 

「どういたしまして」

 

 

再び歩き出す二人。

しばらくの間、どちらも何も話さず沈黙が流れる。

 

 

「…ねえ一条君」

 

 

「ん?」

 

 

もう少しで道が分かれるというところまで来た時、小咲が口を開いた。

 

 

「…ううん、何でもない。またね、一条君!」

 

 

「…?あぁ、またな」

 

 

分かれる陸と小咲。

 

小咲は一人で家路を歩く中、空を見上げた。

 

あの時言いかけたのは、お礼。

一度言った、飲み物を奢ってくれたことに対してのお礼ではなく、謝ってくれたことへのお礼。

 

確かに、あの時、陸の本心を聞いて悲しい気持ちになったのは間違いない。

だが、それまでは自身でも陸の本心など気づかなかった。

 

というより、あんなことを自分から言う人などそういないだろう。

だから、本心を口にして、ちゃんと謝ってくれたことが本当にうれしかった。

 

 

(…一条君のそういう所が…、私は)

 

 

空を見上げながら心の中でつぶやく小咲。

その足取りは、自分でも気づかぬ間に軽くなっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 オシエテ

今気づきましたが、ルーキー日間ランキングで18位になっていました。
ありがとうございます。これからも、応援よろしくお願いします。


 

 

 

 

ここ最近、晴れた日が良く続いている。

少し前、一日中雨が降った以外、日中に雨が降ったことはこの春になってからはない。

 

そんな爽やかな日、凡矢理高校の屋上に二人の少女が柵に両腕を乗せながら花壇で繰り広げられている二人の会話を眺めていた。

 

 

「…あの二人、いっつも一緒にいるわよね」

 

 

「そ、そうだね…。いいよね、ラブラブで…」

 

 

屋上にいるのは、誰もが認める美少女小野寺小咲。

そしてもう一人、ちょこんとした体系の理系少女宮本るり。

 

花壇では、楽と千棘がただ今絶賛口論中である。

るりは、その口論を眺めている小咲を見つめて口を開く。

 

 

「あの二人もどこか怪しいんだけど、まあそんなことはどうでもいいわ」

 

 

「あ、怪しくなんかないよ!?…え?どうでもいい?」

 

 

楽と千棘が怪しいと言ったるりを誤魔化そうとする小咲だが、続いて出た言葉で中断する。

 

どうでも、いい?

 

 

「あんたはどうするのよ?好きなんでしょ?一条弟君の事」

 

 

盛大に噴き出す小咲。小咲はるりから距離を取り、頬を染めながら問い返す。

 

 

「い、一体いつから…」

 

 

「気づいてないと思ってたの?呆れた…」

 

 

何時から気づいていたのか。気になる小咲だが正直、気が付かない方がおかしいとるりは思っている。

 

すれ違うごとに目で追いかけ、同じクラスになった二年三年と、授業中よく陸を見つめている所をるりは目撃している。

 

ただでさえ勘が鋭いるりが気が付かないはずがない。

 

 

「あんた、中学の時から好きなんでしょ?さっさと告白しなさいよ」

 

 

「む、無理だよぉ~…」

 

 

るりの案は、小咲にとってはものすごい無茶ぶりである。弱弱しい声で言いかえす小咲。

 

 

「…まあ私も告白は早いと思うわね。でも、アタックくらいしなさいよ。あいつ、色恋沙汰は凄い鈍そうだし」

 

 

「うぅ…」

 

 

るりの言う通りである。陸は恋愛方向にはものすごく鈍い。

いや、自分が関わることじゃなければるり以上の勘の鋭さを見せるのだが、何故か自分が関わると超絶鈍感男に成り下がってしまう。

 

染まった頬の色を更に濃くする小咲。

そんな小咲を見て、ため息を吐いたるりは提案する。

 

 

「仕方ないわね。チャンスぐらいは作ってあげるわ」

 

 

「え…?ちょっと待って!?るりちゃん、何する気…」

 

 

るりが告げると、小咲の手を引いて歩き出す。

 

るりは抵抗する小咲を強引に引いて、クラスの教室に入っていく。

 

 

「一条弟君」

 

 

「ははっ、それでよ…、ん?」

 

 

るりと小咲が教室に入ってきた時、陸は席に座り、まわりにたむろする友人たちと談笑していた。

 

自分を呼んだるりに気づいて陸は目を向ける。

 

 

「今日、私たちあなたの部屋で勉強会を開きたいんだけど、構わない?」

 

 

「…はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちしてやしたぜ陸坊ちゃん楽坊ちゃん!勉強会ですってねー!!」

 

 

るりに勉強会を提案された陸が家に入ると、いつから待っていたのか大勢の部下たちが玄関前でスタンバイしていた。

一人ずつボードを持って、<おいでませ>という言葉を陸たちに見せている。

 

陸と一緒に来たのは、まずはもちろん楽。まあ楽は兄弟なのだから当然なのだが。

他には千棘、集、るり、そして広い玄関に感動しているのかまわりを見渡している小咲の四人だ。

 

 

「ああ。竜、茶ぁ頼む」

 

 

「了解しやしたぁ!」

 

 

靴を脱ぎながら竜に告げる陸。

竜たちがその場から去っていくのを見届けてから、他の人たちが靴を抜いたことを確認する陸。

 

 

「じゃあ、こっち。ついて来て」

 

 

靴を脱いで上がった所を見てから、陸は歩き出す。

陸に続いて楽たちも歩き出すと、楽の他四人のうち三人は辺りを見渡し始める。

 

 

「俺、陸の部屋に行くのは初めてだよな」

 

 

「そうだっけか?まあ、遊ぶときはいっつも楽の部屋だったからな」

 

 

陸の隣で歩く集がそうつぶやく。

 

集は、幼稚園の頃からの腐れ縁。よく楽の部屋で三人で遊んでいた。

だが、集の言う通り陸の部屋で遊んだことはなかった。たまに陸の部屋にある遊び道具で遊んだことはあるのだが、その時はいつも陸が部屋から楽の部屋に持っていっていたのだ。

 

 

「…ねえ舞子君。どうしてあなたがついてきてるの?」

 

 

「冷たいこと言うなよー。同じ眼鏡のよしみなんだからさー」

 

 

「…嫌なカテゴリーね」

 

 

何やら集とるりが言い合っているが、陸は聞かないことにする。

 

 

「…何そわそわしてんだよ」

 

 

「べ、別にワクワクなんてしてないわよ!」

 

 

「わくわくしてんのかよ…」

 

 

反対に視線を向けると、今度は楽と千棘が言い合っている。

 

何故か挟まれて閉じ込められている感覚がしてくる。

陸はその場から一歩退いて後ろに振り返る。

 

見ると、目を輝かせながら辺りを見渡す小咲の姿。

 

 

「…小野寺、迷子になると困るからちゃんとついて来いよ?」

 

 

「え!?あ、う、うん」

 

 

一度、遊びに来た集がはぐれて迷子になったことがあった。

その時、今の小咲と同じように辺りを見渡しながら歩いている間に陸と楽と逸れたのだ。

 

そんな感じで歩いている内に、陸はある部屋の襖を開けて中へ入るよう勧める。

 

 

「ここ。俺の部屋」

 

 

最初に入ったのは楽、千棘、集、るり、小咲の順番に入って最後に陸が入り、襖を閉める。

 

 

「わぁー。ここが一条君のお部屋?」

 

 

「楽と違って、結構ものあるんだなー」

 

 

部屋に入るとすぐ両脇に、漫画が入った本棚。

反対側の壁際に、いつも使っている勉強机。

 

部屋の角にはテレビが置いてあり、その前にはたくさんのテレビゲームが置きっぱなしになっている。

 

最後に、部屋の中央に大きなテーブルがばん、と置かれている。

 

 

「お前、ゲームのコード片付けろって言ってるだろ?」

 

 

「めんどくさいんだよ。良いだろ別に」

 

 

「良くねえだろ。こういう時お客がどう思うか…」

 

 

楽が部屋をきれいにするように注意するが、陸は動じない。

 

それに、確かにテレビの前は汚いが、他は至って整頓されている。

だからこそ、別にそこだけ汚くても構わないだろというのが陸の考えなのだ。

 

 

「まあ今はいいだろそんなこと。さっさと道具出して勉強始めるぞ」

 

 

陸は、カバンを机の傍に置いてから、学ランをハンガーにかける。

そして鞄から教科書やプリントを取り出してテーブルに投げ置く。

 

 

「…ん?」

 

 

「っ!」

 

 

その過程の中で、陸の視線が小咲の視線と交わる。

だが、それも一瞬。小咲は視線をすぐに逸らしてしまった。

 

 

(…さっきも視線合ったけど逸らされたな。何だ?俺、何かしたっけか?)

 

 

心の中で首を傾げる陸。

 

すると、部屋の襖が勢いよく開かれた。

 

 

「坊ちゃん!お茶ぁ持ってきやしたぜ!」

 

 

「ん、おう竜。ご苦労様」

 

 

お茶を持ってきた竜にねぎらいの言葉をかけて、お茶が乗ったお盆を受け取る陸。

 

 

「あ、私も手伝うよ…!」

 

 

陸がお盆を受け取った所を見た小咲が、手伝おうと、というより陸に代わってお盆を持とうとする。

 

小咲の手が、お盆に触れて…、わずかに陸の手と重なった。

 

 

「っ!!!!!?」

 

 

「え…、あっ」

 

 

瞬間、小咲の両腕が勢いよく上げられた。

あまりにも不意な行動で陸は抵抗できず、お盆が宙へ浮く。

 

お盆はひっくり返り、それはすなわちお茶の入った湯呑もひっくり返るという事であり…。

 

 

「っ、あぶねぇ!」

 

 

「えっ」

 

 

咄嗟の行動だった。

陸は小咲の体を抱き締め、覆いかぶさる。

 

陸も小咲も目を瞑ってしまったため、しばらくわからなかったのだが、ひっくり返った湯呑は陸と小咲のすぐそばに落ち、熱い茶も運よく陸にかかることはなかった。

 

 

「あー!?陸坊ちゃん、大丈夫すか!?」

 

 

「…あ、あぁ。大丈夫。小野寺、大丈夫か?」

 

 

「……………」

 

 

竜に心配される陸だが、特に異常はない。

 

竜に大丈夫だと返すと、陸は小咲の容態を確認する。

だが、陸の問いに小咲は答えない。

 

 

「…小野寺?」

 

 

「……………」(え!?え!?今私、抱き締められた!?抱き締められたよね!?え!?うそ!?え!?)

 

 

混乱していた。大混乱していた。

顔をこれ以上ないと言うほど真っ赤に染めて超混乱していた。

 

 

「おい小野寺…?っ、まさかどっか火傷したんじゃないだろうな!おい竜!竜!」

 

 

「わぁあああああああああ!!大丈夫!大丈夫だからぁ!!」

 

 

反応を返さない小咲が、どこか怪我したのではないかと勘違いした陸は、竜を呼んで救急箱を持ってこさせようとする。

だがそれはただの勘違い。小咲はただ陸に抱きしめられたことに混乱していただけであり、怪我などしていない。

小咲は焦る陸を必死に止めようとするのだった。

 

 

「…青春だねぇ」

 

 

「…青春だなぁ」

 

 

「あら、あなたたちも気づいてたの?」

 

 

「という事は宮本もか?…いや、まあ」

 

 

「あれ見たら、気づかない方がどうかしてるよなぁ」

 

 

「「はっはっはっはっは」」

 

 

「ははは」

 

 

「…?」

 

 

陸と小咲のやり取りを微笑ましげに見守る楽、集、るり。

状況が呑みこめないのは、つい最近彼らと知り合った千棘だけである。

 

 

 

 

 

 

騒ぎが収まると、すぐに勉強を始める陸たち。

 

テーブルは横長に広いもの。陸は短い辺の部分で腰を下ろして教科書を開いている。

他のメンバーは、それぞれ長い辺の部分で教科書を置いている。

 

集と楽、千棘の順番で陸から見て右側に座っている。

るりと小咲は陸から見て左側に座っている。

 

部屋の中に沈黙が流れ、ただ紙にペンを走らせる音だけが響き渡る。

 

 

「…ねえるりちゃん、ここの問題解ける?」

 

 

少し経つと、小咲がやっているプリントの中で解けない問題が出てきた。

小咲は隣で他の問題を解いている、るりにその問題について質問する。

 

 

「んー?」

 

 

るりは小咲がやっている問題に一通り目を通して、どうやって答えを出すかを導き出す。

そして、小咲に教えてあげようと口を開こうとして…、予定を変更した。

 

 

「ねえ一条弟君。ここ、小咲に教えてあげてほしいんだけど?」

 

 

「!!?」

 

 

「ん?」

 

 

目を丸くして驚愕する小咲。

問題を解いている中、声をかけられ振り向く陸。

 

驚愕した小咲は頬を染めてるりに詰め寄る。

 

 

「るるるりちゃん!?」

 

 

「あーここぜんぜんわかんないごめんねー」

 

 

「棒読み!?それにこのまえもっと難しい問題を解いてたじゃない!?」

 

 

わからないなど嘘に決まっている。

小咲はるりに問い詰めるがまったくるりは答えを返さない。

 

それどころか…。

 

 

「いいから行け。そして二度と戻ってくるな」

 

 

「えぇ!?」

 

 

非情なるりの宣告。もう、小咲に選択肢など一つしかなかった。

 

 

「…よ、よろしくお願いします」

 

 

「ん。で、どれがわからないって?」

 

 

頭を下げた小咲に手を差し出してプリントを要求する陸。

小咲からプリントを受け取って、小咲が指差した問題を解こうとする陸。

 

 

(…確かに、これは難しいな)

 

 

小咲は、別に学校の中で出来が悪いわけではない。

少なくとも半分よりは上の部類に入っている。その小咲がわからないと言っているのだ。

 

多分、難しい問題に違いないと考えてはいたが、これは苦労しそうだ。

 

 

「これ、αに代入しないと解けないわよ?」

 

 

陸が解くためにペンを走らせようとすると、脇から千棘が割り込んできた。

 

陸と小咲は千棘を目を丸くして見て、何故かはわからないが楽たちは千棘を信じられないような目で見つめ始めた。

 

 

「でも、これは先にこの計算を解いてから…」

 

 

「いやいや、αに代入しないとこっちの値が出てこないでしょう?」

 

 

「あ、そっか…」

 

 

「ちょ、桐崎。お前、自分のをやれよ自分のを」

 

 

陸と千棘が問題について話しあっていると、どこか焦った風に楽が割り込んで千棘に注意した。

 

 

「終わった」

 

 

「は!?でも、今日の宿題ってプリント三枚…、え!?マジ!?」

 

 

千棘が見せるプリント三枚。全ての問題が埋まっている。

勉強会が始まって十五分ほど。千棘はたった十五分で全てのプリントを埋めてしまったのだ。

 

 

「桐崎さんて、向こうで成績どうだったの?」

 

 

「大体Aかな?」

 

 

楽が何故か項垂れている中、集も千棘に話しかける。

千棘は、集に答えを返した後、すぐに小咲に目を向ける。

 

 

「そうだ。小野寺さん、勉強だったら私が教えてあげようか?」

 

 

「お、そうだな。桐崎さんの方が教えるの上手いだろうし、その方が良いと思うぞ」

 

 

「え?」

 

 

千棘が教え、小咲が問題を解く。陸は自分のプリントに集中する。

 

楽たちは、白けた目で千棘をじと~と見つめる。

 

楽の視線に気づかない千棘は、さらに楽たちを混乱させる言葉を吐く。

 

 

「ねーねー、所で小野寺さんは好きな人とかいないの?」

 

 

「え!?」

 

 

「?」

 

 

「「「っ!?」」」

 

 

千棘の口から出たいきなりの言葉に、小咲は目を見開いて驚愕し、楽たち三人はずしゃっ、とテーブルに崩れ落ちる。

陸は、そんな三人を不思議そうに眺めていた。

 

 

「お、おい桐崎…。いきなりそんなこと聞くな…」

 

 

「何よ。ただのガールズトークでしょ?何か変な所でもあるって言うの?」

 

 

そう聞かれたら何も言えない。

何とか千棘を止めようとした楽だったが、それは不可能だった。

 

 

「え、えっと…。今はそう言う人はいないかな…?」

 

 

「へぇ~」

 

 

(((あぁもう!無知って本当に罪!!)))

 

 

楽、集、るりの内心がシンクロする。

だが、集だけは他にも…。

 

 

(でも、面白そうだから…。ぐっじょぶ!桐崎さん!)

 

 

そんなことを思うのだった。

 

そんな三人の思いなど露知らず、千棘は続ける。

 

 

「そっかー。私もまだそういう人いなくてさー。早く素敵な恋とかして見たいんだけどねー…」

 

 

千棘が言った瞬間、空気が凍りついた。

楽は焦りに焦りまくって体が何か物理的にあり得ない現象を起こしている。

 

陸と小咲は呆然と千棘を見つめ、るりと集は疑問符を浮かべながら千棘を眺める。

 

 

「…なぁんてね!?ジョークよジョーク!!ちょっと意地悪してみたくなっちゃってーーっ!!」

 

 

「こ、こら!ひ、ひどいぞハニー!?」

 

 

慌ててきゃぴきゃぴといちゃつき始める二人。

 

 

(…もう、絶対集と宮本の二人にばれてると思うんだけど)

 

 

必死に演技する二人を余所に、そんなことを思う陸。

 

すると、不意に集が口を開いた。

 

 

「なあなあ桐崎さん、俺もちょっち聞いていい?」

 

 

「へ?」

 

 

いきなり質問しようとしだす集。

集は、口を開いてとんでもないことを言いだした。

 

 

「ぶっちゃけ、お前らってどこまでいってんの?」

 

 

「「ぶぅっ!?」」

 

 

盛大に噴き出す楽と千棘。

はぁ、とため息つく陸に、僅かに頬を染める小咲にるり。

そして、にこにこと笑みを浮かべる集。

 

 

「ど、どどどどどこまでとおっしゃると…?」

 

 

「そりゃあもちろんき…」

 

 

「おいコラ集。ちょっとこっち来い!」

 

 

千棘の問いに答えようとした集は、途中で楽に口をふさがれるとそのまま部屋の外へと連れ出される。

 

 

「…」

 

 

「お前も来い!」

 

 

「は!?何で私まで…」

 

 

楽と集が部屋を出て少し経つと、部屋に戻って来た楽は千棘の腕を掴んで再び部屋を出て行く。

 

 

「…何だ?」

 

 

「…さあ?」

 

 

(…舞子君はともかく、桐崎さんを連れて行った理由は大体予想つくけどね)

 

 

小咲の気持ちに気づいていないのは、この場では思いを向けられている陸とつい最近知り合った千棘だけ。

 

楽は、千棘に教えてあげようとしているのだろう。陸と小咲についてを。

 

 

(…ま、私は勉強を続けますか)

 

 

まあ三人がどうしていようが自分には関係ない。

 

 

「小咲。わかんない問題があったら私にじゃなく一条弟君に教えてもらいなさい」

 

 

「えぇ!?」

 

 

「宮本、教えてやれよ…」

 

 

三人が退室してからも、勉強会は続く…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話 ベンキョウ

見たら、ルーキーランキングが14位になっていました。
感謝感激です!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なるほどねー。そう言う理由で恋人の振りをすることになったのか~」

 

 

勉強会の途中で、集と千棘を連れて外へと出て行った楽は、集に千棘との本当の関係を話していた。

楽の説明を聞いた集は、カラカラと笑いながら頷く。

 

 

「そんな大変なことになってるとはね~…」

 

 

「…んだよ、お前、気づいてたのか?」

 

 

「え!?気づいてたの!?」

 

 

これでも、集とは幼稚園の頃からの付き合いである。大抵、集の考えていることはわかる。

 

楽は、集が自分たちの関係に前から気づいていたのではと見抜いた。

今まで黙っていた千棘が、目を見開いて集の顔を見る。

 

 

「なはは!まあ、ぶっちゃけると~…。『るぅぁあくぅ!』の時から気づいてた」

 

 

「はぁ!?それ、最初の最初じゃない!」

 

 

「お前!分かってた上であんな辱めを…!」

 

 

自分たちの関係に集が気づいていることを見抜いた楽だが、いつからそれに気づいていたのかはわからない。

 

それについて集が教えてくれたのだが…、初めから気づいていたのだったら少しくらいフォローしてくれたって良かったじゃないか。

 

 

「だっはは!あんな面白いこと、乗らない方が損じゃないか!!」

 

 

集が爆笑しながら語る。

 

つまり、楽と千棘が必死に演技している所をこいつは内心笑いながら見ていたという事。

沸々と楽と千棘の中で怒りが燃え上がる。

 

 

「あ、あんたねぇ~…」

 

 

「まあまあ落ち着いて桐崎さん。あそこで俺が下手なこと言って誰かに気づかれちまったらもっと困るだろ?」

 

 

千棘が拳を振りかぶるが、集は笑みを潜めて低いトーンで二人に言う。

 

集の言う通りあの場で誰かに気づかれたら大変なことになっていた。

楽と千棘は言葉を詰まらせる。

 

 

(…ま、さっきも言ったけど面白かったし。それが一番の理由なんだけどね~)

 

 

そんな集の内心に、楽も千棘も気づくことはない。

 

 

「…で?何であんたは私まで連れてきたのよ。舞子君に私たちのことを話すために来たんなら、わざわざ私まで引っ張ってくることないじゃない」

 

 

集が自分たちの関係に気づいていたのなら、もう別に演技する必要もない。

千棘は仏頂面で自分を連れてきた理由を楽に聞く。

 

 

「っとそうだ。お前にも言いたいことがあるんだ」

 

 

「あっ、俺も桐崎さんに物申したいことがありまーす!まあ多分楽と同じ内容なんだけど」

 

 

「…?何よ?」

 

 

千棘が疑問符を浮かべながら首を傾げる。

そんな千棘に楽は詰め寄りながら口を開く。

 

 

「お前!何であの時、陸と小野寺の間に入り込んだんだよ!」

 

 

「…は?」

 

 

楽の言葉に訝しげな表情になる千棘。楽が何を言っているのかわからない。

 

 

「桐崎さん桐崎さん。まさか、気づいてない?」

 

 

「え?何が?」

 

 

集の言葉に首を傾げる千棘。

楽と集は目を見合わせてからもう一度千棘を見て、ため息を吐いた。

 

 

「な、何よ!?あの時、小野寺さんに勉強教えたら駄目だったって言うの!?」

 

 

「いや、そういうわけじゃないんだけど…」

 

 

千棘が憤慨して楽と集に言い返す。

 

楽が困った風に頭を掻きながら言葉を探すが、どう言えばいいのかわからない。

 

そんな楽を見た集が、ふぅ、と息を吐いてから口を開く。

 

 

「楽、もう率直に言った方が良いよ。桐崎さん、あのね…」

 

 

「?」

 

 

集が首を傾げる千棘の耳元でそっと囁く。

 

 

「小野寺、陸の事好きなんだ」

 

 

「…え?」

 

 

集の囁きに固まる千棘。

しばらくの間そのまま固まり続ける千棘だったが、不意に大きく口を広げる。

 

 

「えええええええええええええええええええぇ!!!?」

 

 

その時、千棘は何故自分が勉強を教えた時、楽たちが微妙な空気を出していたのかを悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…遅かったな。何話してたんだよ三人で?」

 

 

楽たちが戻って来た時には、彼らが部屋を出てからもう十五分は経っていた。

その間、陸たちにも動きがあり、陸が中心になって両脇に小咲とるりが陣取っていた。

 

るりと陸が問題をどう解くか語り合い、小咲に教えるというローテで勉強会は進んでいた。

 

陸が楽たちが戻ってきたことに気づいて声をかける。

 

 

「ん…、まあ色々とな」

 

 

話しかけた陸に返事を返しながら元の位置に腰を下ろす楽。

それに続いて千棘と集も自分の教科書とプリントが置かれている位置に腰を下ろして、ペンを走らせ始める。

 

 

「色々って何なんだよ?」

 

 

「いいから。さ、勉強続けようぜ?」

 

 

…何か誤魔化されている気がする。

 

疑いを持って楽をじと目で睨む陸だが、楽は全く相手にしてこない。

 

もうこれ以上、何を言っても無駄だと悟ってプリントの問題に集中する。

 

 

「…私も、自分の宿題進めたいし戻るわね」

 

 

「ん?あぁ、わかった」

 

 

「る、るりちゃん!?」

 

 

陸がプリントの問題に集中し始めた時、隣にいたるりがそう言って自分の場所に戻ろうとする。

そんなるりに縋る様に袖をつかむ小咲だが、るりに何かを言われている。

 

 

「小咲、私がいたらあなたの恋は何にも進まないわ。後は自分で頑張りなさい」

 

 

「そ、そんなぁ~…」

 

 

当然、この会話は陸には聞こえていない。

るりに言われ、小咲は顔の熱を必死に抑えながら陸の隣へと戻る。

 

 

「小野寺?宮本に教えてもらわないのか?」

 

 

「え!?う、うん!…ダメ、かな?」

 

 

「…いや、ダメじゃないけど」(その聞き方は狡くね…?)

 

 

小咲がるりの所へ行かず、自分の所に戻ってくる事が気になった陸が小咲に問いかけるが、逆に小咲は上目づかいでダメ?と聞き返してくる。

 

さすがの陸もこんな問われ方をしたら白旗を上げるしかない。

隣をポンポンと叩いて、来るように小咲を誘う。

 

 

「…小野寺さん、本当にあんたの弟のこと好きなようね」

 

 

「あ?何だよ、疑ってたのか?」

 

 

「別にそういう訳じゃないけど…、改めて実感したというか…」

 

 

先程の陸と小咲のやり取りを見た千棘が、楽の耳元で話しかける。

楽も千棘に返事を返す。ちなみに、このやり取りも陸には、そして小咲にも聞こえていない。

 

るりと集も、陸と小咲のやり取りを微笑ましげに見守る。

その中で、二人の視線が合うが一瞬でるりが逸らす。集があんぐりと口を開いたままになるが、すぐにプリントに集中し出す。

 

それから、部屋の中にはペンを走らせる音と、陸が小咲に説明する声と小咲の相槌をうつ声しか聞こえなくなる。

 

 

(…ん?)

 

 

そんな中、陸は小咲に問題の解き方を教えながら何かの視線を感じ、襖の方に目を向ける。

 

するとそこには、ふすまのわずかな隙間から中の様子を窺う竜たちの姿が。

 

 

(…何やってんだよあいつら)

 

 

そして、一方部屋の中の様子を窺っていた竜たちというと…。

 

 

「…楽坊ちゃん、あんまり嬢ちゃんと仲が進展しとらんようじゃのぅ」

 

 

「ようやく家に連れてきたと思ったら、お友達も一緒ですし…。というか楽坊ちゃんのお部屋ですし…」

 

 

こそこそと言葉を交わす竜たち。

彼らは、楽と千棘の関係を見守るためにここに来たようだ。

 

だが、楽と千棘は隣同士に座ってはいるものの、ここまで目立った会話もせずひたすら問題を解き続けている。

 

それよりも…。

 

 

「何か、陸坊ちゃんとあの黒髪の嬢ちゃんの関係が気になりますのぅ…」

 

 

陸と、陸の顔を見て頬を染める小咲の関係の方が気になってくる。

 

だが、恋人である楽と千棘の関係が拗れることはいけない。

楽のためにも、自分たちが一肌脱がなければ…。

 

 

「坊ちゃん、ここはあっしらにお任せくだせぇ…!」

 

 

竜たちが、動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、俺たちは行ってくるよ」

 

 

「ああ、そのまま戻ってこなくてもいいぞ?」

 

 

部屋を出ようとする楽と千棘。楽が一声告げてから行こうとし、陸が悪戯っぽい笑み浮かべてからかう。

 

楽は、陸に中指を立てながら馬鹿野郎、と言い残してから部屋を出て行く。

 

楽と千棘が向かった場所は家の裏にある蔵である。

先程、部屋に入って来た竜が二人に蔵にあるお茶を取ってきてほしいと二人に頼んだのだ。

 

 

(ま、多分竜たちの策略だろうけどな)

 

 

自分の書く計算式を小咲に見せながら内心でつぶやく陸。

 

勉強会のためにこの部屋に入ってから、楽と千棘は会話をしていない。

仲が進展していないことを心配して二人を、弟である自分と友人の彼らと引き離したのだろう。

 

引き離して何をするかは知らないが、まあ彼らならばやり過ぎることはないだろうとここも傍観の立場を取る陸。

 

 

「で、このxは3になるわけ。後はこの3をここのxに代入して…」

 

 

「あっ…、うんうん!」

 

 

「じゃ、自分のプリントにやってみて?」

 

 

小咲が聞いてきた問題の解説を終えると、陸は小咲に同じ問題を解かせる。

 

解説を聞いてわかったと思っていても、実際に解かなければ何にもならない。

解説は陸のプリントでやったため、小咲のプリントは白紙のままである。

 

小咲は陸の解説を思い返しながら、問題を解いてペンを走らせる。

陸は、小咲のプリントをちらっ、と確認しながら自分のプリントの問題を解き進める。

 

 

「…っ、よし」

 

 

最後に、シャープペンでこん、とプリントを叩いて体を伸ばす。

 

 

「あ…、一条君、終わったの?」

 

 

「ん、あぁ。小野寺ももう少しで終わるから頑張れよ」

 

 

小咲は力強く頷くと、再びプリントにペンを走らせる。

 

陸は、たまに小咲がペンの動きを止めるとヒントを出していく。

小咲が順調にペンを走らせている間は、英語の単語帳を眺める。

 

 

「…できたっ」

 

 

その調子で、小咲も問題を解き進めていき、ついに宿題の問題を全て解答を終える。

 

陸は、小咲のプリントを覗き込んで答えを確かめていき…、間違っていないことを確認する。

 

 

「うん、お疲れ小野寺」

 

 

「ありがとう、一条君。もし一条君が教えてくれなかったら明日までかかってたよ…」

 

 

解き終えた小咲を労う陸に、わからない所を教えてくれた陸にお礼を言う小咲。

 

そんな二人を、テーブルで頬杖をつきながら眺める集とるり。

 

 

「…私も教えてあげたんだけどね」

 

 

「まあまあ」

 

 

何処か不貞腐れたようにつぶやくるりを諌める集。

 

そんな光景を覗かせる陸の部屋には、傾いた夕陽が差し込んでくる。

 

 

「…そういえば、楽と桐崎さんが遅ぇな」

 

 

「あぁ、そういや裏の蔵に行ったんだっけ」

 

 

初めに気づいたのは集。続いて陸も二人がまだ戻っていないことに気づき、どこへ行ったのかを思い出す。

 

二人は竜に言われて裏の蔵に行ったはずだ。

だが、それにしては戻ってくるのが遅すぎる。

 

 

(竜…。まさか、やり過ぎたとかねえだろうな…)

 

 

たとえば、蔵に二人を閉じ込めたとか…。

そんなことを思い浮かべながら陸は立ち上がる。

 

 

「俺、二人を探してくるよ。皆はどうする?そろそろ時間も時間だし」

 

 

「あ、私も一緒に探すよ!」

 

 

「…私は帰るかな」

 

 

「なら、俺も帰りまーす!」

 

 

陸が、小咲たちはどうするかを問いかける。

 

小咲は陸と一緒に二人を探すと言い、るりと集は帰るという。

 

るりが、「ならって何よ」と言いながら集の顔面に容赦なくチョップを連発しているがまるで集に通じない。

 

 

「そっか。ありがとう小野寺。て言っても、場所はわかってるから別にいいんだけど…」

 

 

「でも、もしそこにいなかったら困るし…、やっぱり私も探すよ」

 

 

そう言ってくれる小咲に感謝の言葉を言ってから、陸と小咲は部屋を出る。

続いて集とるりも部屋を出てくる。陸は二人に玄関の方向を教えて、蔵の方向へと歩き出す。

 

ベランダへ出ると、陸と小咲はサンダルを履いて外に出る。

蔵に着いたのはそのすぐ後だった。すでに先客がおり、蔵の扉を開けて何やら騒いでいる。

 

 

(あいつって…、確か、クロードって…)

 

 

「あ!一条君、こんな所にいたんだ。良かったー…、心配し…」

 

 

蔵の中を覗いた陸と小咲は身を固まらせた。

 

蔵の中で、千棘が楽を押し倒した体勢で固まっていたからだ。

 

小咲はみるみる顔を赤くしていき、陸は目をへの字へと形を変え、唇を三日月形に歪ませる。

 

 

「へぇ~、遅いと思ったらそんなことしてt…「お邪魔しましたぁあああああああああ!!!」え?小野寺?何で俺も引っ張ってくの!?ていうか小野寺!荷物!荷物部屋に忘れてるぅううううううううう!!!」

 

 

楽と千棘をからかおうとする陸だったが、その前に小咲がその細い体のどこにあるんだと不思議に思えるほどものすごい力で陸を引っ張りながら走り去っていく。

 

陸が必死に小咲に彼女の荷物がまだ部屋に置いてあることを伝えようとするが、混乱する小咲の耳に届かない。

 

ようやく、陸の言葉が届いたのは小咲が500mほど走った所だった。

 

息を切らせ、しばらくその場で動けなかった小咲は、ここまで陸の手を掴んでいたことに気づいて再び頬を染める。

 

だが、もう一度陸が小咲に荷物のことを説明すると我に返り、再び一条家へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

これで、高校に入って初めて行われた勉強会はこれで終わりである。

 

ここから、定期テストの度に一条家で勉強会が行われるようになるのだが、まだ彼らは知らないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今日も三連投を目指します!


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第7話 レンシュウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…助っ人?」

 

 

長い髪をツインテールに縛り、かわいらしいビキニを着て学校のプールにいる千棘が疑問の声を上げる。

 

 

「うん。うちの水泳部はかなりの弱小でね。明日の練習試合なのに人数が足りないの。桐崎さんならかなり運動神経良いし、差し支えなければぜひお願いしたいのだけど」

 

 

千棘の視線の先にいるのは、こちらは学校指定の水着を着て、水泳帽子をかぶってゴーグルを装着しているるり。

 

何故、千棘が学校のプールにいるかというと、るりに呼び出されたからである。

るりは水泳部所属で、その水泳部は明日練習試合があるのだ。

 

しかし、るりの言う通り凡矢理高校の水泳部は弱小で、人数が足りないという状態なのだ。

だから、運動神経抜群の千棘が助っ人に選ばれたのだ。

 

 

「私だったら全然いいわよ!体動かすの大好きだし!けど…」

 

 

るりの問いに、にこやかに答える千棘。

だが、不意に表情を冷たく変えて入口の方に視線を向ける。

 

 

「何で、一条君ともや…ダーリンがここにいるの?」

 

 

一条君と陸を呼ぶまでは良かったのだが、楽を呼ぶときにはもうダメ。絶対零度の目で楽を射抜く。

 

 

「宮本。ここ女子水泳部だろ?何で俺たち呼んだんだよ?」

 

 

「呼ばれたのはお前だけだろ陸!何で俺まで!」

 

 

如何にも陸が楽と二人で呼ばれたといった風に言うが、るりに呼ばれたのは陸だけである。

だが、楽は強引に陸に連れられてこの場にやって来たのである。

 

 

「何言ってんだよ。桐崎さんが呼ばれたんだぞ?彼女の水着姿、見たいだろ?」

 

 

「はぁ!?誰がこんな奴n…」

 

 

ニヤニヤと笑みを浮かべながら言ってくる陸に、ムキになって言い返そうとする楽だが、射抜くようにるりが楽に視線を向けていることに気づき、言葉を止める。

 

 

「は、ははは!当然じゃないか!見たいに決まってるけどよ、でも女子のプールに来るのはどうかと思うんだよな俺!!」

 

 

「俺が呼ばれてんだ。別に楽が来たって良いだろ」

 

 

すぐに態度を改めて演技をする楽。

るりは変わらず楽に訝しげな視線を送るが、次に出た陸の言葉を聞いてため息を吐いた。

 

 

「一条弟君。あなたを呼んだのは理由があって…」

 

 

「る…る…、るりちゃあああん…!」

 

 

るりが陸に話しかけようとすると、プールの入り口の方から弱弱しい叫び声が聞こえてくる。

 

全員が視線を向けると、学校指定の水着を着た小咲が、タオルを持ってこちらに歩いてくる。

 

 

「な、何で私が選手登録されてるの!?私カナヅチなのに~…」

 

 

急いできたのか、水着を直しながら歩いてくる小咲は、るりの傍に立っている陸の存在に気づく。

 

 

「え、え!?一条君!?」

 

 

(…なるほど。宮本が陸を呼んだのはこういう理由か)

 

 

(宮本さん、結構やるわね…)

 

 

頬を染める小咲を見ながら、楽と千棘が、るりが陸を呼んだ理由を悟る。

 

小咲はカナヅチで泳げない。

その小咲を明日の練習試合の選手に登録し、その練習をさせるという名目で陸を呼び出したという訳だ。

 

まあ、そんなこと皆目見当ついていない陸は何故ここに小咲がいるのかわからず疑問符を浮かべているのだが。

 

 

「見ての通りよ、一条弟君。あなたには、小咲が泳げるようにしてほしいの」

 

 

「え?」

 

 

「!!?」

 

 

るりの言葉を聞いて、陸は唖然と、小咲は頬を染めて動きを止める。

 

その言葉を残してるりは自分の泳ぎの練習を始める。

そのまま立っていても仕方ないため、陸と小咲、楽と千棘も水の中に入るのだった。

 

 

「えー、では…。これから小野寺に泳ぎの指導をする一条兄弟と…」

 

 

「はい!インストラクターの桐崎千棘であります!」

 

 

「よ、よろしくお願いします…」

 

 

まず、水の中に入った陸たちだったが、千棘以外の三人はプールサイドに上がる。

千棘が泳ぎの見本を小咲に見せるためだ。

 

 

「じゃあ行くよ!よく見ててね?」

 

 

「う、うん!」

 

 

千棘がそう言い、小咲が返事を返すと千棘はスタート台に立って、自分のタイミングでプールへと飛び込む。

 

そのフォームは見事であり、思わず三人が見とれてしまうほどだった。

プールの中に入り、そこからの泳ぎのフォームも美しい。というより、レベルが高すぎる。

 

25mを泳ぎ切り、千棘が声を上げるまで三人は呆然としていたのだった。

 

 

「何で…?私、一生懸命やったのに…。何で何で…?」

 

 

「…陸。俺は桐崎を何とかするから、お前は小野寺に泳ぎを教えてやってくれ」

 

 

「りょ、了解…」

 

 

ただ今、千棘はプールの隅で体育座りでいじけております。

 

あの後千棘が、小咲に参考になった?と聞きながら駆け寄ってきた。

すると、まず楽がレベルが高すぎて参考にならんと告げる。

千棘はその言葉を聞くと、まるで頭に金盥を受けたかのような衝撃を受けて立ち止まる。

 

さらに間をおかずに陸が、桐崎さんクビ、と止めを刺してしまった。

結果、千棘がいじけ、楽が慰めるという構図が出来上がったのだ。

 

 

「…まああの二人は置いておこう。小野寺は全く泳げないんだよな?」

 

 

「うん…」

 

 

「じゃあ、基本のバタ足から始めるか」

 

 

千棘の泳ぎを参考にするほどのレベルに達していない小咲。

というより、あのレベルを参考にできる人はそう多くいるはずがない。

 

ましてや小咲はカナヅチだ。泳げるようにするには基本の基本から入る必要がある。

 

 

「ほら、手ぇ握ってるから。思う存分水を蹴るんだ」

 

 

「わ、わかった…」

 

 

陸が両手を差し出すと、小咲は頬を染めながら両手を取る。

 

恥ずかしいが…、溺れる方がもっと怖い。小咲は力を込めて陸の両手を握りしめながら陸を見上げる。

 

 

「ぜっ、絶対に離さないでね…?」

 

 

「…おう、任せろ」

 

 

さすがに、水着姿で上目遣いを喰らえば陸もダメージを受ける。

思わず小咲の顔から視線を逸らしながら返事を返す。

 

 

「ほ、ほら。ゴー」

 

 

「う、うん。頑張る」

 

 

意気込んだ小咲は、さっそく体を水に浮かせてばしゃばしゃとバタ足を始める。

 

少しの間それを続ける小咲を眺めながら、陸は思う。

 

 

(…これは、大丈夫かな?)

 

 

あともう少しだけ様子を見てから、陸は口を開いた。

 

 

「じゃあ小野寺。手を離すから、その調子でバタ足を続けろよ?」

 

 

「え、え!?ちょっとまっ…!」

 

 

離さないでと言う小咲だが、その声は陸に届かない。

 

陸は手を離し、小咲から離れていく。

小咲は混乱しながらもバタ足を続けるが…、やはりまだ無理だったのだろう。

 

 

「…ぶ、ぶくぶくぶく」

 

 

「あぁっ!小野寺!?」

 

 

少しの間、泳ぎ続けた小咲だったが少しずつ水の中へと沈んで行ってしまう。

 

ついには体全体が沈み、慌てて陸が助けに行くのだった。

 

 

 

 

 

「わ、悪い小野寺…。もう少し手ぇ握ってればよかったな…」

 

 

「ううん…。こっちも上手くできなくてごめんね…?」

 

 

プールサイドに上がった陸と小咲。

そんな二人に楽と千棘が話しかける。

 

 

「でも小野寺。少しだけど泳げたじゃないか!」

 

 

「そうだよ!この調子でいけば、明日までに泳げるようになるよ!」

 

 

二人、というより小咲に、と言った方が正しかった。

楽と千棘は落ち込む小咲を元気づける。

 

 

「でも、一条君に迷惑かけたし…」

 

 

「いや、そんなことないよ。むしろ、小野寺は絶対に泳げるようになるって確信した」

 

 

俯く小咲に、ぽん、と肩を叩きながら陸が励ます。

 

 

「…っ~~~~~~~!!!」

 

 

「…小野寺?」

 

 

「はぇ!?あ、えっと…。わ、私、飲み物買ってくるよ!一条君、お茶でいいよね?」

 

 

「え?あ、あぁ」

 

 

頬を紅潮させた小咲は不意に立ち上がる。

 

 

「あ、待って!私も行く!」

 

 

そのままプールを出て行く小咲に千棘もついていく。

 

いつの間にか、るりもどこかへ行ってしまっている。

プールに残されたのは、陸と楽の二人になった。

 

 

「…俺も、ちょっとトイレ行ってくる」

 

 

「あ?あぁ、行って来い」

 

 

陸も、小咲がいない間に一応済ませておこうとトイレに向かう。

 

陸もプールからいなくなり、残った楽。

 

そんな中、楽は一枚のタオルの上で輝くある物を見つけるのだった。

 

 

 

 

 

 

「…ふぅ。小野寺たちは戻ってるか…、ん?」

 

 

用を済ませ、プールに戻って来た陸。

その時、陸は楽が何かをしているのに気づく。

 

楽が持っているのは、いつも大事に持っているペンダントだ。

そのペンダントに、何かを差し込もうとしている。

 

 

(あれは…、鍵か?)

 

 

楽がペンダントに差し込もうとしている輝く物は、小さな鍵だ。

 

しかし、楽はあんな鍵を持っていただろうか?

 

 

「あれ?何してるの一条君?」

 

 

「っ、小野寺?それに桐崎さんに宮本も」

 

 

楽の行動を隠れて観察していると、背後から声を掛けられる。

飲み物を買って戻って来た小咲と千棘。そして二人と一緒に戻って来たるりの三人。

 

 

「いや、楽が…」

 

 

「…あれ?あれって…」

 

 

陸はプールの中で何かしている楽を指さすと、小咲がそれに反応する。

 

小咲は楽へと歩み寄り、陸たちもそれに続く。

 

 

「ねえ一条君…?」

 

 

「…!?」

 

 

楽の背後から声をかける小咲。途端、びくぅっ、と体を震わせる楽。

 

恐る恐ると言った感じで振り返る楽に、小咲もまた恐る恐ると問いかける。

 

 

「その女子更衣室の鍵…、どうするの…?」

 

 

空気が、爆発した。

 

そこから、陸はただただ呆然と眺めているだけだった。

まず、千棘が楽の懐へと飛び込みぼこぼこと殴り捨てる。

 

そこにるりが見事な手際で楽を縄で縛りつける。

 

 

「もやしもやしとは思ってたけど…、まさかこんなエロもやしだったとはね…」

 

 

「…」

 

 

千棘とるりが楽を睨みつけながら小咲を庇うようにして腕を広げる。

 

 

「ち、違う!話を聞いてくれ!あ、陸!これは誤解なんだ!」

 

 

「…」

 

 

「何その目!?怖いよ陸!?」

 

 

「いや、まさか楽が変態野郎だったとは思わなくて」

 

 

「ちっがぁああああああああああああう!!!」

 

 

千棘とるりに加えて、陸までも楽を見離す。

 

 

「ま、待ってよ皆!一条君も誤解だって言ってるんだし…、きっと違うんだよ…」

 

 

(おぉ、小野寺…!本当に良い子や…。陸に惚れてるってわかってなきゃ、俺が惚れてるところだったぁ…)

 

 

「た、多分…」

 

 

「…」

 

 

途中までは良かった。だが、小咲も容赦ない性格をしているようだ。いや、無意識なのだろうが。

 

何かが胸に突き刺さった楽はひっくり返る。

 

倒れた楽を縛る縄を、千棘とるりが解いて解放する。

 

 

「ほら、小咲に感謝することね」

 

 

「…」

 

 

項垂れる楽に声をかけるるり。

 

開放される楽を見てから、陸は小咲から買ってきてくれたお茶を受け取る。

 

 

「小野寺、お茶飲み終えたらすぐに練習再開するからな~」

 

 

「あ、うん!今度こそ絶対に泳げるようになるよ!」

 

 

むん、と可愛らしく拳を握る小咲。

 

張り切って練習を再開するのだが、なかなか上手くいかない。

陸が手を握っている間は大丈夫なのだが、手を離してしまうと少しずつ沈んで行ってしまう。

 

結局、そのまま次の日を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

練習試合当日、陸と楽はプールサイドで座っていた。

 

今、スタート台には千棘が、プールの中でビート版を持ってスタンバイしている小咲がいる。

 

昨日のうちに小咲は泳げるようにはならなかった。

ビート版を使って泳げるだけかなり進歩しているのだが、陸は責任を感じていた。

 

ピストルの音が鳴り響き、選手たちがスタートしていく。

 

その中、陸はるりに話しかける。

 

 

「悪かったな宮本。小野寺、一日じゃ完全に泳げるようにならんかったわ」

 

 

「え…、ああ。まあ、参加は出来たし、溺れるようなことにならなかったら大丈夫でしょ」

 

 

謝る陸に、るりはそう言って元気づけているのかわからない調子で続ける。

 

 

「でも、小咲は昔から死ぬほど不器用だからなぁ」

 

 

「え…」

 

 

「…冗談よ。ここのプール、足付くしそんなことあるわけ…」

 

 

陸とるりが話している中、いきなり二人の視界の端で楽が立ち上がった。

立ち上がった楽はそのままプールへと飛び込んでいく。

 

 

「え…?楽?」

 

 

いきなりの楽の行動に疑問符を浮かべる陸とるり。

だが、その疑問は次の瞬間耳に届く話し声で解消される。

 

 

「ねぇあれ見て…。あの子、もしかして溺れてない?」

 

 

「「え?」」

 

 

第三レーン。千棘が泳ぐことになっていたレーン。

スタート地点でばしゃばしゃと水が泡立っている。

 

そういえば、楽が千棘に準備体操をしろと怒鳴っていたことを思い出す陸。

まさか、いや間違いないそれが原因だろう。

 

見ていることしかできない陸だったが、楽が千棘の肩を組んで顔を出す。

楽が千棘をプールサイドに運ぶのを手伝う陸。

 

 

「桐崎さん、大丈夫かよ…」

 

 

「わかんねえ。水はそんなに飲んでないとは思うけど…」

 

 

楽の言葉を聞きながら、陸は耳を千棘の鼻と口付近に近づける。

 

確かな呼吸音が聞こえる。…だが、それでは面白くない。

 

 

「…息をしてない(うそ)」

 

 

「なにぃ!?」

 

 

陸の言葉にプールにいる人たちがざわめきだす。

驚愕する楽に、陸は肩に手を置いてから声をかける。

 

 

「楽、人工呼吸だ」

 

 

「な、なぁっ!?」

 

 

楽が目を見開いて、信じられないと言わんばかりに陸を睨みつける。

 

 

「な、何で俺がそんなこと!?」

 

 

「いや、恋人のあんたがやらなきゃ誰がやるのよ…」

 

 

「え!?あ…、おおおおおおお!?」

 

 

(おぅ、葛藤してる葛藤してる)

 

 

吹き出しそうになるのを必死にこらえながら、くらくらと頭を揺らす楽を眺める陸。

 

そうして眺めている内に、背に腹は変えられないと決意したのか、楽の目が決意を秘めた色になる。

そして、ゆっくりと千棘の顔に顔を近づけていく楽。

 

 

(いけ、いけ!)

 

 

ごくり、と緊張が奔る中、陸だけが内心面白がっている。

 

そして、ついに━━━━

 

 

「な、何してんのよこの変態もやしがぁあああああああああああああ!!!」

 

 

「ぐはぁああああああああああああああああ!!!」

 

 

楽は千棘に殴り飛ばされた。

 

一同は呆然とし、陸は崩れ落ちて、床を殴りながら笑いをこらえる。

 

 

「…あんたね」

 

 

「わ、悪い…。でも…、くっ…」

 

 

そんな陸に気が付いたるり。

声をかけるが、陸は笑いをこらえるのに必死であり相手をすることができない。

 

小刻みに震える陸を見ながらため息を吐いたるりは、言い争いを繰り広げる楽と千棘に視線を向けるのだった。

 

 

 

 

 

そこから先、練習試合は続けられたのだが、小咲の組だけは途中で中止という事で幕を閉じた。

 

水着から制服に着替え終わった陸は、先に楽と千棘を帰して小咲を待っていた。

泳ぎを教えた小咲に一言ねぎらいの言葉をかけて帰ろうと思ったのだ。

 

五分ほど待っていると、女子更衣室から小咲とるりが出てくる。

 

 

「あ…、一条君?」

 

 

「おす、お疲れ。小野寺」

 

 

更衣室の前で壁に寄りかかって立っていた陸に気づいて声をかける小咲に、手を上げて返す陸。

 

 

「ねえこさきわたしようじおもいだしたさきにかえるからー」

 

 

「え!?る、るりちゃん!?」

 

 

いつかも聞いた棒読みを残してるりが走り去っていく。

 

残されたのは、疑問符を浮かべて立ちすくす陸と頬を染めてるりが立ち去った方を見つめる小咲の二人になった。

 

復活した二人は、並んで下駄箱へと行き、並んで下校に入る。

 

 

「なんか最近、小野寺と帰る回数多くなったよな」

 

 

「え…、あ、そうだね!」

 

 

陸は小咲と並んで歩きながら、高校に入ってから小咲と二人で帰る回数が多くなったことに気づく。

 

 

(中学の時はそうでもなかったんだけどな…。何か新鮮というか何というか…)

 

 

空を見上げながら心の中でつぶやく陸。

中学の時、小咲と二人で帰ったことはないと確かに覚えている。

 

それなのに、高校生になった途端、二人で帰る回数が多くなった。

それがなんというか、新鮮と言えばいいのかわからないが、何か変わった感覚がする。

 

 

「い、一条君。あの…、昨日、泳ぎを教えてくれてありがとう。途中で終わっちゃったけど…あそこまで泳げたの初めてなの」

 

 

「そうなのか?なら今度は25m。それもビート板なしで泳げるようになれるよう頑張れよ」

 

 

そこから、今日のレースの事から、つい最近あった出来事についての世間話。

 

色々な話をしながら、帰途を進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し強引な気がしますが、ここまでで…


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第8話 ユウキヲ

日間(加点式・透明)で一位、ルーキー日間で九位になっていました。
本当にありがとうございます。m(_ _)m


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、頑張る…。この思い、伝えてみるよ…るりちゃん…!」

 

 

「!…」

 

 

両手を握りしめ、決意を口にする小咲と、目を見開いて決意を秘めた小咲の瞳を見つめるるり。

 

この状況を説明するには、少し前まで遡らなければならない。

 

この状況から三十分ほど前、小咲とるりは廊下の壁の影に隠れて何かを盗み見していた。

二人の視線の先にいるのは、楽と千棘である。

 

実は、今日の昼休み、千棘はプールでおぼれた時楽が助けてくれたのだと初めて知ったのだ。

そしてそのお礼を言うために千棘は今、楽に今回で三度目のトライをしている。

 

三度目とは何か?

千棘はここまで二回、楽にお礼を言おうと試みているのだ。

結果、二回とも失敗。だがこの三回目、ついにいい感じで話が弾んでいる、様に見える。

 

これは、成功するかもしれない。

 

…そう思って見つめていたのだが。

 

 

「何考えてんのよこの変態もやしがぁあああああああああああああ!!!」

 

 

「何でーーーーーーーーー!!?」

 

 

千棘が楽を殴り飛ばし、憤慨しながら小咲とるりの元に戻ってくる。

 

話が進んでいると思っていたのだが、千棘はプールから引き上げてくれたことを話していたのに対し、楽は千棘はあの人工呼吸未遂について話していると考えていたのだ。

 

その結果が、先程のあの殴打である。

 

 

「も~信じらんない!あんな今世紀最大のあほにお礼なんてありえないわよ!ほんっとバカ!いっぺん死ね!」

 

 

「ま、まあまあ…」

 

 

荒れる千棘、宥める小咲。そして千棘を眺め、何か考え込むるり。

 

考え込んでいたるりは、不意に千棘に口を開く。

 

 

「ねえ桐崎さん。桐崎さんて、本当に一条兄君と付き合ってるの?」

 

 

「え…」

 

 

(る、るりちゃん…)

 

 

るりの問いに、千棘も、真相を知っている小咲も言葉を失う。

 

だが、かろうじて千棘は口を開いて言葉を絞り出そうとする。

言い訳の言葉を絞り出そうとする。だがその時、最近楽が言っていた言葉を思い出す。

 

 

『秘密を守れる友達になら話しても━━━━』

 

 

小咲はすでに真相を知っているが、ここまで話が漏れた様子はない。

小咲といつもいるるり、そしてここまでるりと話している所を思い出す千棘。

 

彼女ならば、言ってもいいのではないだろうか…。

 

 

「…あのね」

 

 

千棘はるりに真相を説明する。当然、やくざとギャングの戦争云々を除いて。

 

 

「…え?付き合ってないの?ていうか小咲、あんたその事を知ってたの?」

 

 

「う、うん…。ごめんねるりちゃん、今まで黙ってて…」

 

 

「いや、気にしてはないけど…」

 

 

楽と千棘が、本当は付き合っていないという事。そしてその事を小咲が知っていたという事に驚愕するるり。

 

 

「じゃあ、一条兄君のことは…」

 

 

「はっ!あんな奴、恋人なんて解消よ解消!こんな事情さえなければ誰があんな奴と!」

 

 

ハッキリ言い切る千棘。幸運なことに今、周辺に人がいない。

もし誰かに聞かれれば、全てがぱあになる所だという事をこの時の千棘は考えていなかった。

それ程、つい先ほどの楽の態度が気に障ったのだろう。

 

 

「あ!でもこの話、内緒にしてよね!?」

 

 

「ラジャー」

 

 

「わかってるよ」

 

 

千棘が、小咲とるりに釘を差す。

 

 

「でないと、街が一つ滅んでしまうので…」

 

 

「…千棘ちゃんちってどういう家なの?」

 

 

「普通の家です」

 

 

思わず漏れたつぶやきは、小咲とるりの耳に届いていた。

るりが千棘に問いかけるが、千棘はすぐに誤魔化す。

 

 

「とにかく、そういうことだから二人とも約束よ?じゃあ、私用事あるから行かなきゃ」

 

 

「わかった」

 

 

「またねー」

 

 

千棘は大きく手を振りながら教室を出て行く。

残された小咲とるりは、目を合わせて話し始める。

 

 

「あの二人、付き合ってなかったのね。まあ、どこか怪しいと思ってたけど…」

 

 

「そ、そうかな…?仲良さそうに見えてたんだけど…」

 

 

るりは、前から楽と千棘の二人を怪しんでいた。本当に、あの二人は付き合っているのだろうかと。

楽と千棘は顔を合わせればケンカをするし、ケンカするほど仲が良いという言葉もあるが、それにしても多すぎると感じていたのだ。

 

 

「…そう言えば小咲。私、昼休みの時に一条弟君が女の子にコクられてたところ見たよ?」

 

 

「…えぇ!?」

 

 

いきなり何を言い出すか。だが、その言葉の衝撃の大きさにツッコむことも忘れ小咲は驚愕する。

 

コクられてた、つまりそれは告白されたという事。

誰が?それはもちろん、るりの言った通り陸だ。

 

 

「ちょ、るりちゃん!それ誰!?誰に告白されてたの!?」

 

 

「落ち着け小咲。頭振らないで」

 

 

るりの両肩を掴んで、グワングワン揺する小咲。

 

表情に変化はないが、冷静に小咲の動きを止めたるりは小咲の問いに答えるべく口を開く。

 

 

「名前は知らないわ。でも、D組の子だという事は確かだわ」

 

 

「っ」

 

 

陸が女の子に陰ながら人気があることは知っていた。

というより、知らされていた。中学の時、るりとは違う友達に。

 

陸に告白したいという友達から、その時はたまに話す程度だった小咲は、場をセッティングしてほしいと頼まれたことがあるのだ。

 

 

「小咲、あんたこのままでいいの?早くしないと彼、取られちゃうかもよ?」

 

 

小咲は知らないが、るりは知っている。

高校に入ってから、陸は今回で初めて告白されたという訳ではない。

 

入学直後、同じ中学だった女の子に一度告白されたという事もるりは聞いていた。

今回は、高校に入って同じ学校になったという女の子。

 

ともかく、陸は実はモテるのである。

他人に裏表を見せない性格に、決して悪くはない、どちらかと言えば整っている顔立ち。

運動神経も良く、成績も学年でも上位に入る。まさに優良物件である。

 

だからこそ、るりは小咲に早く行動に出てほしいと思っている。

今は女の子に興味ないという風に見える陸だが、いきなり気分が変わるという事だってあり得る。

 

 

「…そうだね。その通りだと思う」

 

 

「え…?」

 

 

いつもの小咲なら、頬を真っ赤に染めて『なななな、別に私は…』と言って恥ずかしがり、その場を誤魔化すのが通常だ。

 

だが、今日の小咲はいつもと違った。

だからこそこの言葉を言い、るりを驚かせるのだった。

 

 

「るりちゃんから、陸君が告白されたって聞いたとき…、私、とても嫌だって思った」

 

 

あの時も、中学の時も。告白したいから、場のセッティングをしてほしいと頼まれた時も。

嫌だと感じた。

 

 

「もう、こんな思いしたくない…」

 

 

こんな思いをするくらいなら…、このなけなしの勇気を振り絞る。

 

 

「私、頑張る…。この思い、伝えてみるよ…るりちゃん…!」

 

 

「!…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに…、ついに小咲が決心した。

陸に、小咲の胸に秘める思いを打ち明けると、決意した。

 

心の中で驚き、同時に喜ぶるり。

中学の頃は、ずっともじもじして陸と話すことすらままならなかった小咲。

だが少しずつ、挨拶を交わすようになり、自分からも話しかけられるようになり…。

 

今では良く、二人で下校することもあると小咲から聞いているるり。

 

そしてついに…、小咲が、告白する━━━━

 

 

「はうっ」

 

 

「っ!?」

 

 

感動していたるりの隣で、不意に爆発を起こす小咲。

 

小咲は、顔を真っ赤に染め、瞳を涙で潤ませてるりを見る。

 

 

「ど、どど、どうしよう…。想像したら、急に恥ずかしくなってきた…」

 

 

「あんたね…」

 

 

前言撤回。

やっぱり、小咲は小咲である。

 

とはいえ、ようやく小咲が告白すると決意を固めたのだ。

ここで小咲を引き返させるわけにはいかない。というより、そんなことになれば傷つくのは小咲自身なのだ。

 

何か話して、恥ずかしさを緩めつつ、なおかつ決意を緩めさせない話題を…。

 

 

「そうだ。ねえ小咲?一条弟君のどこを好きになったの?」

 

 

「…え?」

 

 

前から気になっていたことである。

 

他の子の様に、かっこいいとか運動ができるとか、そういう在り来たりな理由でも何でもいい。

ただ、純粋に小咲が何故、陸を好きになったのか。それをるりは知りたかった。

 

 

「ずっとあんた達を見てきたけど、私にはさっぱりわからん。悪い奴じゃないということはわかるし…、皆が言うかっこいいとか、運動ができるとか、そういうのもまあわからんでもないけど…」

 

 

「…えっと」

 

 

正直、小咲が陸のどこを良いと思って好きになったのかわからない。

問いかけられた小咲が、目を斜め上に上げて考え込む。

 

 

「う~~ん…。優しい所というか、良い人な所というか…。分かってるんだけど…、何て言葉にすればいいんだろ…?」

 

 

「私が知るか」

 

 

あぁ、ダメだ。聞いた私が馬鹿だった。

 

るりは内心で、これが当然の結果じゃないかと自分に言い聞かせる。

約二年も片思いして、未だに思いも告げられないでいた小咲が、どこに好きかなど詳しく言える訳もなかったではないか。

 

 

「あれ?小野寺、宮本。今、帰りか?」

 

 

教室の扉が開く音を聞き、小咲とるりが振り向く。

それと同時に小咲とるりを呼ぶ声が耳に届く。扉付近で立っていたのは、目を丸くして二人を見ている陸だった。

 

 

「一条君…!」

 

 

「っ」

 

 

小咲が、呆然と陸を呼ぶ中、るりはすでに行動を開始していた。

 

陸の姿を認識したと同時に、自分の机に向かって鞄を手に取る。

そして、扉付近で立ち止まると小咲の方を向いて口を開く。

 

 

「じゃーね小咲。私急用があるからすぐ帰らなきゃ。ばいびー」

 

 

(る、るりちゃあああああああああああああん!!!?)

 

 

陸が現れた途端、すぐ帰るるり。

もう、彼女の内心は手に取るようにわかる小咲。内心で絶叫する。

 

 

「宮本の奴、凄い勢いで帰ってったな…。相当大事なようなんだろうな…」

 

 

(るりちゃんのバカぁ~…)

 

 

こんないきなり…、想いを伝えると決めたとはいえ、心の準備というものが…。

 

内心でごちる小咲は、扉の影からのぞき込み、凄い形相で小咲を睨んでいた。

まるで、逃げるなよと小咲に釘を差しているかのごとく…。

 

 

(えええええええ…。る、るりちゃん…)

 

 

「?何で宮本、戻って来たんだ?」

 

 

小咲は、るりに見捨てられたかのように悲壮に顔を染め、陸は頭の上に疑問符を浮かべる。

 

陸が未だ疑問符を浮かべている中、小咲はるりがいた扉の影から視線を外して俯く。

 

今まで経験したことのないほど、顔どころか体全体が熱い。

心臓がばっくばっくと高鳴る。いつもなら、話しかけることくらいはできるのに。

それすらできないほど、緊張して仕方がない。

 

 

(ど、どうしよう…。やっぱり、今日いきなり告白なんて無理だよ、るりちゃあん…)

 

 

心の中で弱音を吐く小咲。

実際、告白すると決めてその日に、こんなシチュエーションで告白できる人の方が少ないだろうが。

 

 

「ん?小野寺、お前顔赤いぞ?」

 

 

「え…?」

 

 

その時、疑問符を外した陸が小咲の顔が真っ赤になっていることに気づく。

 

 

「どうした?風邪か?」

 

 

「あ、いや…。これは…」

 

 

風邪じゃない。だが、陸に告白したいけどできないくらい恥ずかしくて顔が赤くなっているなど言えるはずもない。

上手い言い訳が思いつかないまま、小咲の額に陸の掌が当てられた。

 

 

「…っ!!!?」

 

 

「お!?おい、めっちゃ熱いぞ!す、すぐ帰るぞ!家まで送るから!」

 

 

「お、落ち着いて一条君!」

 

 

小咲が、落ち着くように言うが、陸からしたら何で小咲がここまで元気にいられるかがわからない。

 

 

「お前、40℃くらいあるんだぞ?すぐに帰るか保健室に行くかしないと」

 

 

「ち、違うの!違うの一条君…」

 

 

小咲の容体を心配して、どうするかを考える陸。

 

そんな陸を見ながら、小咲は心の中でつぶやく。

 

 

(これだよ、るりちゃん…。私が好きなのはね…、こういう所なの…)

 

 

「待ってろ小野寺、今、薬買ってきてやるから」

 

 

「わああああ!待って一条君!」

 

 

駆け出そうとする陸の手を小咲はつかむ。

足を止めた陸が振り返る。陸の腕を掴んだ小咲と陸の視線が、交わる。

 

瞬間、二人の心臓がとくん、と鼓動する。

 

 

「あ…」

 

 

「…小野寺?」

 

 

さすがの陸もわかる。小咲の様子が、今までとは違う。

 

陸の視線を受けながら、小咲は唇を引き締める。

 

今なら…、言えるかもしれない…。

 

 

「一条君…、私ね…?」

 

 

言え。言え、私…!

 

 

「実は、ね…?」

 

 

恥ずかしいし、怖いけど…。言うんだ…!

 

 

「今までずっと、言えなかったんだけど…。一条君のこと…!」

 

 

「っ…」

 

 

心臓が爆発する。そう思えてならないほど、少し離れている所にいるにも関わらず、陸に自分の心臓の鼓動が聞こえているのではないかと思ってしまうほど。

 

小咲の心臓は大きく鼓動を続けていた。

 

 

「ずっと…、ずっと…!」

 

 

好き…

 

その二文字は、言えたのか、言えなかったのか。小咲にはわからない。

 

だが、その言葉を口にしようとした時、傍らの窓から破砕音が響き、二人の間に硬球の野球ボールが飛び込んでくる。

 

 

「うわっ、やべー!!」

 

 

「誰か当たってないですかー!!?」

 

 

窓下のグラウンドから、声が聞こえてくる。

 

先程までのどこか緊迫した、それと同時にどこか色のある空気が霧散する。

それと同時に、陸は歩き出しボールを拾うと、大声と共にボールを投げおろす。

 

 

「気をつけろこのやろー!あぶねーだろーが!!」

 

 

「うわっ!ご、ごめんなさあああああい!!」

 

 

「…!…!」

 

 

陸がグラウンドにいる野球部員に怒鳴る中、小咲は傍の机にしがみついて心臓の鼓動を落ち着けていた。

 

言えた…?私、言えたの?言えなかったの?

 

どちらかわからない。…けど、多分陸には届かなかっただろう。

それだけは、わかる。

 

 

「小野寺、俺ちょっと先生呼んでくるから」

 

 

「あ…、ひゃい…」

 

 

「あ、ガラスは触んなよ?」

 

 

そう言い残して、陸は教室を去って職員室に向かっていった。

 

陸が立ち去ったのを見届けると、小咲は机から手を離して床にへたり込む。

 

 

(うそ…。こ、こんな事ってある?ひどいよ神様…)

 

 

内心でショックを受ける小咲。胸に手を当てて、深呼吸をする。

 

陸が戻るまで、小咲は深呼吸をし続けていた。

 

陸が戻ってくると、床に散らばったガラスの破片の掃除を始める。

 

 

「あ、指、気をつけろよ?」

 

 

「う、うん。大丈夫」

 

 

二人は口を開かない。教室にはカチャカチャと破片を拾う音だけが響き渡る。

 

掃除を始めて十分後、破片を片付け終える。

 

 

「じゃあ小野寺。俺、職員室に片付け終わったこと言いに行くから帰っていいぞ」

 

 

「え、でも…」

 

 

「大丈夫だから。それに、体調悪そうだったし、帰った方が良いって」

 

 

まだ、小咲の体調が悪いと思っていたらしい。

小咲の体調を気にする言葉を言い残して、再び陸は職員室へと向かっていった。

 

小咲も、今日また陸と顔を合わせる勇気が残っておらず、その言葉に甘えて帰ることにした。

 

校舎を出て、校門に差し掛かった時…。

 

 

「あ…」

 

 

校門で誰かが立っている。その人影を見て、小咲は顔を上げる。

 

 

「るりちゃん…」

 

 

「…どうだった?」

 

 

どうだった、とは小咲の告白の結果を聞いているのだろうか。それとも告白できたのかと聞いているのだろうか。

 

だが、どちらでも変わらない。

 

 

「ごめんね…。やっぱり言えなかった…」

 

 

結局、思いを告げられなかったことをるりに伝える。

るりは、そう、とだけ返すと小咲から視線を外して前を向く。

 

 

「このヘタレ。ま、所詮あんたじゃそんな事だろうと思ってたけどね」

 

 

「うっ…」

 

 

るりの容赦ない言葉は、小咲の心に容赦なく突き刺さる。

 

せっかく、チャンスを用意してくれたのに、無駄にしてしまった。

 

 

「…でも、私も急かし過ぎた気もするしね。小咲は頑張ったと思うよ」

 

 

「るりちゃん…」

 

 

「けど次、同じ失敗したら絶交するから。そのつもりで頑張るのよ」

 

 

「ええーーー!?」

 

 

慰めてくれたと思ったら、小咲を突き落とするり。

だが、そんな言葉にも優しさが含まれていることに小咲は気づいている。

 

 

「ったく」

 

 

るりも、期待していた分もあっただろう。

ため息をつきながら小咲の一歩前を歩き出す。

 

そんなるりの後姿を眺めてから、小咲は夕焼けに染まった空を見上げた。

 

るりに悪いと思っているのだが、小咲は陸に思いを告げられないで終わったことに何処か安心していた。

自分の気持ちを知ってほしいという思いは今でも変わらない。

だが、今の関係がもう少し続いてほしいと思っている自分がいるのだ。

 

しかし…

 

 

(でも…、次はきっと伝えるからね…。一条君)

 

 

小咲はそう、決意を固めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼しました」

 

 

ガラスの破片の片づけを終えたことを報告し、職員室を出た陸。

 

陸は、カバンを取りに教室へと向かう。

 

 

(…小野寺、帰ったかな?あんな事あって、何か顔合わせづらいからな…)

 

 

鈍い陸といえども、さすがに気づく。

先程、小咲が何を言おうとしていたのか。陸は気づいていた。

 

それでいて、気づいていない振りをした。

 

怖かった、から。

 

 

「…ダメだよ小野寺。俺なんかを好きになったら…、絶対にダメだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第9話 クロトラ

講義中に投稿ですww


 

 

 

 

 

 

 

 

その日、職員室へと続く廊下がざわめいていた。

通る人通る人が、見事な姿勢で歩く、凡矢理高校の制服とは違う制服を着た人物に目を奪われる。

 

 

(ここが、お嬢の通っている学校か…)

 

 

辺りが転校生か?と囁いている中、その人物はまわりに目もくれずにただ歩く。

 

 

(待っていてください、お嬢…。必ず、あなたを救い出して見せます!)

 

 

本当に、ただの転校生なのだろうか。

この転校生が、騒ぎを引き起こす━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?今日転校生が来るの?」

 

 

「こんな時期にか?」

 

 

楽と千棘が、席の前に立つ集を目を見開いて見ながら問いかける。

集は、何故か憂鬱そうにため息を吐きながら答える。

 

 

「らしーよ…。何か突然決まったことらしくて、生徒には通達が遅れたんだけどさ…」

 

 

「つーか集。何でお前、そんな憂鬱そうにしてるんだよ」

 

 

集が楽と千棘の問いかけに答えている中、陸がこの場にやってくる。

やけに集が憂鬱そうにしている。転校生が来るのだから、普通はテンションが上がるはずなのだが。

 

 

「だってよ、その転校生は男子って話だ…。しかも美男子!あ~、テンション下がるわぁ~…」

 

 

分かりやすい。転校生が女子でないというだけでなく、男子、それもイケメンという事実が集のテンションを滝のごとく流れ落としていく。

 

 

「私は楽しみだな~。どんな子なんだろ!」

 

 

「俺は転校生に良い思い出がないからな…」

 

 

「何か言った?」

 

 

「いえ何も」

 

 

チャイムが鳴り、集が席に戻っていくと千棘が不意に口を開いた。

楽が千棘に相槌をうつが、うち方が行けなかった。いつもの、楽が千棘に尻に敷かれている光景がそこはあった。

 

楽がげんなりしていると、教室の扉が開いてキョーコ先生が中に入ってくる。

 

 

「おーお前ら。今日は転校生を紹介するぞー。入って、鶫さん」

 

 

「はい」

 

 

キョーコ先生に呼ばれ、入って来た人物に教室中がざわっ、と震える。

 

 

「初めまして、鶫誠士郎と申します。どうぞよろしく」

 

 

きりっ、としたつり眼に長い睫。制服の着こなしも見事。

 

女子の歓声が沸き上がる。まさにザ・イケメンというべき人物だ。

 

 

(あれ…?あいつ…)

 

 

女子どころか、男子もざわめく中、陸はその転校生に違和感を抱いていた。

いや、それと同時に既視感というか、どこかで会ったことがあるような、そんな感覚を抱いていた。

 

訝しげに陸が眺める、鶫という転校生は自分に割り当てられた席に向かうために楽の付近を通る。

だが、楽とすれ違うその時、どこかこれ見よがしにふっ、と微笑んだ。

 

それに気づいた楽。不思議そうに鶫に目を向けるが、その鶫が楽の横を通り抜けようとした時、隣の千棘ががたっ、と席を鳴らしながら立ち上がった。

 

 

「つ…、つぐみ…!?」

 

 

「お嬢…!」

 

 

目を揺らし、わなわなと震えている千棘に、目を輝かせ、感激しているのか、どこか後光が差しているように見える鶫。

 

鶫は、すぐ横にいる千棘に飛び込んだ。

 

 

「お嬢ーーー!お久しぶりですーーー!!!」

 

 

飛び込んだ鶫は、千棘の腰に両腕を回して抱き付いた。

再び、クラス中に衝撃が奔る。

 

 

「て、転校生が桐崎さんに抱き付いだぞ!?」

 

 

「な、何だこの二人!どんな関係なんだ!?」

 

 

クラス中が千棘と鶫の関係に疑問を持つ。そしてそれと同時に、鶫と楽の修羅場かと期待を持つ者もあらわれる。

そんな中、陸だけは全く違うことを考えていた。

 

だが、目を向けるのは皆と同じ、今も千棘に抱き付いている鶫。

 

 

(桐崎さんをお嬢と呼んだということは、多分ビーハイブのメンバー…。あ)

 

 

鶫について、絞り出すように思考を続けると、鶫に感じた既視感の正体にたどり着く。

 

そうだ。会ったことはないが、見たことはある。そう、集英組の要注意人物たちの写真に写っていた一人の人物。

 

 

(黒虎<ブラックタイガー>…)

 

 

ただの転校生ではない。

ビーハイブきってのヒットマンが、この学校に転校してきたのである。

 

 

 

 

 

授業が終わり、今は合間の休み時間。

机に頬杖をついている陸の視線の先にいるのは…。

 

 

「彼!この人が私の恋人なの!」

 

 

「あ…。ど、どうも…」

 

 

「おお…!名前はかねがね聞いてはおりましたが、こうして直にお会いすると、何とも頼りがいのある方ではありませんか!」

 

 

(うわっ、白々しい…)

 

 

陸の視線の先にいるのは、楽と千棘、鶫の三人である。

先程まで千棘と鶫の二人が話していたのだが、千棘が鶫に恋人(仮)である楽を紹介したのである。

 

その時の鶫の反応を眺めていたのだが、陸は鶫の言葉を鵜呑みにしていない。

本人はあれでばれていないと思っているのだろうか。

 

 

(マジであいつ、優秀なヒットマンなのか?殺気が駄々漏れ…。何だ?桐崎さんに関しては感情移入しちまうのか?…まあ、そうなら桐崎さんの護衛失格だが)

 

 

感情に流されるようなら、対象の護衛などできるはずがない。

常に対象を守るために冷静な判断を下さなければならない、護衛という立場。

見ていると、鶫がそれをできるとはどうにも陸には思えなかったのだ。

 

陸が思考している間にも、楽たち、というより千棘と鶫のやり取りは続いていた。

特に、必見は昼休みの時。鶫が千棘の弁当に入っていたステーキの一切れをフォークに刺し、千棘にアーンをさせようとしている。

さらに、どこから取り出したのかアッサムティーを千棘に渡し始める鶫。

 

…どこから出した?謎だ…。

 

 

「あぁそうだ。一条さん。一つ聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 

「へ?」

 

 

そこからも鶫は千棘にくっつき続けていると、ついに千棘は教室から逃げ出してしまった。

だが鶫は千棘を追いかけようともせず、傍にいた楽に話しかけている。

 

楽と鶫は、二人で教室を出て行った。

 

 

「…」

 

 

陸も席から立ち上がり、教室を出る。前を歩く二人に気づかれない様についていくのだった。

 

 

 

 

二人がやって来たのは屋上だった。陸は扉の陰に身を隠し、耳を澄ませて楽と鶫の会話を盗み聞く。

 

 

「なんだよ、わざわざ場所まで変えて」

 

 

「いえ…。一つだけハッキリさせておきたいことがありまして…」

 

 

何故、屋上まで連れ出したかを問いかける楽に、口を開く鶫。

 

 

「お嬢の事、あなたは本当に愛していらっしゃいますか?」

 

 

「っ…っ…!あ、あったりめえよ!」(あぶねえ…思わず否定するところだった…)

 

 

危ない所ではあったが、鶫の問いかけに答える楽。

内心ではひやひやものだったが、鶫は楽の答えに笑顔を見せる。

 

 

「どのくらい愛していらっしゃるんですか?」

 

 

「そりゃもう、とんでもなく愛してるよ…」

 

 

「お嬢のためなら死んだって良い?」

 

 

「おう!その覚悟だ!」

 

 

楽の演技にも力が入る。

拳で胸をどん、と叩きながら鶫の問いに答える。

 

 

「そうですか…、安心しました」

 

 

鶫は、本当に千棘と付き合っているかを怪しんでいるだけだと思っていた楽。

だが、それは違うと次の瞬間思い知らされる。

 

 

「なら、死んでください」

 

 

穏やかな笑顔を浮かべたまま、鶫は袖から拳銃を取り出した。

あまりの出来事に、楽は反応どころか表情を動かすことすらできない。

 

だが、不意に鶫の姿が消えた瞬間、楽の中で時が再び動き出す。

 

 

「え、どぇえ!?ちょ、ちょっとまっ…!」

 

 

今、鶫が取り出したのは間違いなく拳銃である。

そんなものをもった鶫が視界から消えた。次に鶫が何をするかなど容易に想像できる。

 

 

「…っつ!」

 

 

楽は急に奔った痛みに顔を顰める。

顎から感じた痛みの正体を確かめるために顔を下げようとすると、何か筒状のものに押さえつけられ顔を動かすことができない。

仕方なく、視線だけを下に移してその正体を目にする。

 

自分の懐に潜り込んだ鶫が、手に持っている拳銃を楽の顎に押し付ける。

拳銃を突きつけられるなど初めての経験である楽は、身動きを取ることができない。

 

それだけでなく、下手に動けば撃たれるのでは?という恐怖にも襲われる。

 

 

「…ガッカリだな」

 

 

そんな楽に気づいたのか、鶫が先程とは打って変わって敵意むき出しの声で楽に告げる。

 

 

「お嬢の恋人と聞いて、どんな人かと思って来てみれば…。注意力は散漫、反応も鈍い、おまけに無防備…」

 

 

口を開けば楽への罵言しか出てこない鶫。

 

 

「今わかったよ。お嬢は偽りの愛に縛られ、貴様に騙されているのだとな…!」

 

 

(はぁ!?)

 

 

偽りの愛?騙される?

真実どころか偽りの愛すら存在せず、さらに騙しているのは両方である。

 

だが、それを口に出すことは出来ず鶫は言葉を続ける。

 

 

「貴様の狙いは何だ。我らの縄張りか、それとも組織の乗っ取りか。惚けても無駄だ、吐け」

 

 

鶫から発せられる殺気の濃度が増す。瞬間、陸は動き出していた。

 

 

「へえ。かの有名なブラックタイガーさんがいると思ったら…。無力な人間に銃を向ける野蛮人だったとは」

 

 

「っ!?何だ、貴様は!?」

 

 

影から姿を現す陸。その陸に向かって鶫は持っていた銃を楽から陸に向け直す。

 

瞬間、鶫と楽の視界から陸の姿が掻き消えた。

 

楽には何が起こっているのかわからなかったが、鶫は陸の動きを目に捉えていた。

身を構え、陸の突進に備える。

 

だが、鶫の眼前まで迫った所で陸のスピードはさらに増した。

これには鶫も陸の姿を見失ってしまった。

 

陸の姿を探そうとする鶫だったが、途端、背中に衝撃を受ける。

 

 

(後ろ…!?)

 

 

陸が後ろにいると確信した鶫は振り返ろうとするが、その前に陸は鶫が銃を持っている方の腕を捻り上げる。

さらに残った一方の手で鶫の首を掴み、その顔面をフェンスへと叩きつけた。

 

 

「がっ…!」

 

 

痛みに思わず声を漏らした鶫だが、陸の拘束から逃れようと身を動かす。

だが、陸の力は凄まじく拘束から逃れることができない。

 

 

「…ガッカリだな。反応は鈍いし無防備だし、それにスピードも遅い。ブラックタイガーだと思って期待してたんだがな」

 

 

「っ!」

 

 

その言葉は、先程鶫が楽に言い放った言葉。

その言葉を丸ごと言い返された。しかも、こんな無様な状態を押し付けられたままで。

 

今まで自分を高め続けてきた鶫にとって、その言葉は今まで培ってきたものが崩れさるには十分なものだった。

 

 

「そういえば、楽に聞いてたな。俺たちの目的は何だ、て」

 

 

鶫の拘束はそのままに、陸は口を開く。

 

 

「ビーハイブなんかの縄張りもいらないし、乗っ取りなんかもするつもりはないよ。時間の無駄だ、そんなもの」

 

 

「な…、にっ!?」

 

 

「大体、お前らは自分たちが置かれてる立場ってのがわかってない」

 

 

鶫が激昂していることには気づいている。だが、そんなものは関係ない。

 

まさか、楽の存在が気に食わないとはいえこんなものを寄越してくるとは思っていなかった。

これがあのボスの差し金でないことはわかっている。クロードの独断だ。だから、あの眼鏡にもわからせる。

 

 

「今、ここでその気になれば、ビーハイブは三日で壊滅させることができる。ちょうど日本にボスもいるしな。三日もいらないかもしれない」

 

 

「き、さまぁああああああああ!!!」

 

 

叫びながら、暴れ出す鶫。

 

この男は何と言った?組織を侮辱するどころか、三日で壊滅させることができるだと?

 

 

「まず、今ここでお前を殺す。そして、恐らく今もどこかで様子を窺っているだろうクロードを殺す。…ここにはいないみたいだな。お嬢様の様子でも見てるのか」

 

 

「っ…」

 

 

何故だろう。できるはずがない、とは思えない。それどころか、この男ならばできるかもしれないとまで思う始末。

 

背後から感じる殺気が、少しずつだが無尽蔵と思えるくらいに膨れ上がっていく。

 

どこまで…、どこまで伸びる…?

 

 

「さて、お前は今、集英組の二代目候補に銃を向けた。ということは…、そういう事と捉えていいんだろうな?」

 

 

「っ…!」

 

 

冷や汗が止まらない。それだけでなく、体が震えだす。歯がガタガタと音を鳴らす。

 

怖い…、怖い。怖い…!

 

 

「ま、冗談だけどね。とりあえず、持ってる武器全部出してくれたら離してあげる」

 

 

「…え?」

 

 

立ち込めていた殺気が一瞬にして消え、陸の声も明るいいつもの調子に戻る。

 

急な陸の変化に、鶫は呆然と声を漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これで、全部か?」

 

 

「…」

 

 

陸の問いかけに、こくりと頷いて返す鶫。

 

嘘をついている気配はない。鶫の懐から出てきた大量の武器を没収して、陸は口を開く。

 

 

「さてと楽。本題に入るぞ」

 

 

「え!?今までのは何だったわけ!?」

 

 

ここからが本題、ということはさっきの陸と鶫のやり取りは何だというのか。

遠くから眺めていた楽には、二人とも、当然陸も本気に見えていたのだが。

 

 

「さてブラックタイガー。お前は桐崎さんの恋人として楽は相応しくない。そう思ってるんだな?」

 

 

「…」

 

 

「…あぁ、もういいから。あんなことしないから、正直に答えてくれ」

 

 

先程のあれがトラウマとなっているのか、陸を見て震えるだけで鶫は何も答えない。

だが、陸はもうあのようなことを鶫に二度とする気はないので何とか安心させようとする。

 

 

「…そうだ。一条楽を…、お嬢の恋人として認めるわけにはいかない」

 

 

陸の笑顔を見て、ようやく少し震えが収まった鶫はそう答える。

その答えを聞いた陸は、少しだけ頷いてから口を開く。

 

 

「だよな。ま、ブラックタイガーの言う通りだよ。楽の強さは一般人の域を出ないしな」

 

 

「え…」

 

 

正直、そんなことはないと言い返されるのかと思っていた鶫。

だがそんな予想と反して、陸の答えは鶫の言葉を肯定するもの。

 

 

「お、おい陸!」

 

 

「何だよ楽。事実だろ?」

 

 

「…まあ、そうなんだけどよ」

 

 

陸の言葉に、楽が言い返そうとするが結局、何も言うことができない。

陸の言う通り、それは事実なのだから。

 

とはいえ、ストレートに言い過ぎだと心の隅で反感を持つ楽だったのだが。

 

 

「でもブラックタイガー。桐崎さんを守るためには確かに強さも必要だと思うけど、強さだけじゃ守ることは出来ないとも俺は思うのよ」

 

 

「…だからなんだ」

 

 

遠回しな言い方をする。率直に言ってほしい。

鶫は陸を睨んでその本題というのを引き出させる。

 

陸は鶫の鋭い視線を受けて、肩を竦ませてからある言葉を口にする。

 

 

「楽、ブラックタイガー。お前ら、放課後決闘しろ」

 

 

「なに?」

 

 

「…はあああああああああああああ!!?」

 

 

鶫は目を見開いて呆然と口を開き、楽は少し間を置いてから驚愕に声を上げる。

 

そんな二人を見ながら陸は笑みを浮かべる。

 

陸の思惑とは、一体何なのか。

この時の二人は、そんなもの知る由がないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第10話 ヨカンガ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい陸!決闘ってなに考えてんだよ!?」

 

 

楽の頭の中には、ムとリの二文字だけが回り回っている。

 

先程の鶫の動き、目にも止まらなかった。

そんな鶫と、ただの一般人の自分が決闘?

 

 

「死ぬわ!」

 

 

死しか想像つかない。

 

だが、陸はカラカラと笑いながら楽に伝える。

 

 

「大丈夫。武器はなしでやるから」

 

 

「あ…、なら、まあ…」

 

 

「まあそれでもブラックタイガーなら一般人くらい簡単に殺せちゃうけどな」

 

 

「やっぱ無理!決闘なんてやめよう!」

 

 

武器なしでやると聞いたとき、一瞬、ならば大丈夫なのでは?と思った自分を馬鹿らしく思う。

よく考えろ。あのような動きができる奴が、武器がないくらいで後れを取るようなことがあるだろうか?いや、ない。

 

奴はゾウで、自分は小さい蟻なのだ。踏みつぶされてしまう存在なのだ。

武器があろうがなかろうが変わるはずがない。

 

 

「ちょっ…、待ちなさいよ!」

 

 

嫌がる楽を諭そうと、何かを言おうとする陸だがその前に第四者の声が割り込む。

 

千棘だ。楽と鶫がどこに行ったかを聞き、屋上にやって来たのだ。

初めからとはいかないだろうが、大体の話は聞いていただろう。

千棘は笑みを作りながらこちらに歩み寄ってくる。

 

 

「もぉ~、ダーリンもつぐみも仲良くしなきゃダメでしょ~?陸君も、決闘とか言っちゃダメ!」

 

 

千棘は当然、鶫の腕を知っているはずだ。だからこそ、陸の提案した決闘を止めに来たのだ。

 

だが、今、千棘では鶫を止めることは出来なかった。

 

 

「止めないでください、お嬢…。申し訳ありませんが、私はやはり、この男をお嬢のパートナーとして認められない!」

 

 

先程の、僅かな時間の中の組手。一瞬で終わった。

あの程度の男が、千棘を守り抜く?陸が言った通り、強さだけでは守ることは出来ない。それには同意する。

 

だが、それでもこの男は弱すぎる。そのような奴を、敬愛する千棘のパートナーとして認めるわけにはいかないのだ。

 

 

「お嬢はビーハイブのご令嬢であり…、私が守ると誓った大切なお方だ…。お嬢を守れるというのなら、相応の力を見せて貰わねば納得できん!」

 

 

鶫は、呆然とこちらを見つめる楽に向かって指を突き付け、告げる。

 

 

「ディアナの言う事に従うのは癪だが、貴様に決闘を申し込む!異論は許さん!!」

 

 

「は、はあ!!?」

 

 

鶫はそう告げ終わると、楽と千棘に背中を向けて立ち去ろうとする。

 

 

「時間は放課後、場所は校庭。逃げれば…、殺す」

 

 

もう用はないと言わんばかりに、それ以上何も言わずに屋上を去っていく鶫。

 

呆然と、無造作に閉じられた扉を眺める楽と千棘。

そして…

 

 

「じゃ、そういうことだから」

 

 

「「待て待て待てえええええええええええ!!!」」

 

 

何もなかったかのごとくその場を去ろうとする陸。

しかし、そうはさせじとそれぞれの手で陸の両肩を掴んで歩みを止める楽と千棘。

 

 

「どうしてくれんだ陸!俺、死ぬかもしんねえぞ!」

 

 

「そうよ!あんた、ブラックタイガーを知ってるんなら、鶫がどれだけ強いか知ってるんでしょ!?」

 

 

楽と千棘に詰め寄られた陸は、背中を後ろにそらしながら両手を前に出して二人を落ち着かせようとする。

 

 

「まあまあ。でも、ああいう奴が来たんだから結局これは避けられない道だったと俺は思うぞ?」

 

 

陸の言葉に勢いが削がれる楽と千棘。

詰め寄るのをやめ、二人は元の体勢に戻す。

 

陸も反らしていた背中を戻してもう一度口を開く。

 

 

「何、勝ちゃいいんだよ勝ちゃ」

 

 

「それができれば苦労しねえよ!ていうか、無理なんだよそれが!」

 

 

気楽に言う陸に怒鳴る楽。だが陸はまったく堪えた様子はなく笑う。

 

 

「さっきも言ったけど、武器はない。だったら楽にも勝ち目はあるだろ。…ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど」

 

 

「おぃいいいいい!!聞こえたぞ!聞こえたからな陸ぅうううううううううう!!!」

 

 

最後にぽつりとつぶやいた陸の言葉を聞きとった楽。

 

そのつぶやきは、容赦なく楽を不安のどん底に突き落とす。

 

 

「おい楽。確かに武器はなしとは言ったけど、何も素手で戦えとは言ってないぞ?」

 

 

「…は?」

 

 

陸は楽と千棘に背を向けて、屋上の出口に向かって歩きながら言う。

 

そして、扉に手をかけてからもう一方の手の人差し指で頭をトントン、と叩きながら続けた。

 

 

「ここを使えよ、楽」

 

 

陸はそう言って、扉を通って廊下へと出た。

屋上から階段を降りて、三階に出る。

 

 

(…しかし、ブラックタイガー。俺の顔を知ってたのか)

 

 

ブラックタイガー、鶫誠士郎は自分のことをディアナと呼んだ。

 

ディアナとは、裏で有名になっている自分の二つ名のことだ。

 

 

(ったく、誰がディアナだってんだよ…。俺は男だっつーの)

 

 

全く失礼な話である。

確かにあの時は髪を伸ばしたままにしていたのは事実だが、女に間違われてしまうとは心外である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま授業は過ぎていき、ついに放課後。

校庭では大勢の人が集まっており、その中心には楽と鶫が立っていた。

 

だが、それはまた別の話である。陸はその光景を見てはいなかった。

現在、陸は図書室の席に着き、教科書とノートを広げて勉強をしていた。

 

決闘を焚き付けておいて、あんたはこんな所で何をしてるんだというツッコミは受け付けないので悪しからず。

 

 

「あら、一条弟君」

 

 

「ん?宮本、それに小野寺も」

 

 

通路から現れるるりと小咲は、陸の姿を見つけて声をかけた。

その手には、それぞれ小説が握られている。本を読みに来たのだろう。

 

 

「一条君、勉強しに来たの?」

 

 

「ああ。何か図書室の方が集中できてさ」

 

 

小咲の問いかけに理由もつけて答える陸。

確かに、陸自身、教室でやるよりも図書室の方が集中できるというのは事実である。

 

だが、陸が座っているのは窓際。その窓からは校庭が見下ろせる。

そう。陸も全く気にならないはずがないのだ。自身の兄と凄腕ヒットマンという結果は火を見るより明らかという決闘を。

 

 

(そろそろ、か)

 

 

時計を見上げて時間を確認すると、陸はペンを置いて立ち上がり、窓の下を見下ろす。

 

 

「一条君?どうしたの?」

 

 

「いや、別に」

 

 

急に立ち上がった陸を気にして小咲が問いかけるが、陸は誤魔化すだけ。

 

まさか、兄と転校生が決闘するから気になると言っても信じてもらえない可能性の方が高い。

ならば言わない方が自分のためだ。

 

 

「…」

 

 

陸が見下ろしたその時、どうやら決闘が開始されたようだ。

 

鶫が殴りかかり、楽がかろうじてかわす。

だが、鶫の拳の威力が回避しているにも関わらず楽には伝わったのだろう。

いきなり楽は踵を返して逃げ出し、校舎の中に入っていく。

 

そんな楽を追いかけて鶫も駆け出し、校舎の中に入っていく。

 

 

(そうそう。ちゃんと頭使えよ?楽)

 

 

心の中でつぶやいてから、陸は席に着いて勉強を再開する。

 

 

「校庭で何かあったの?」

 

 

「ん?まあ…、何か面白そうなことやってたな」

 

 

問題を解き始めた陸に、小咲が校庭で何かあったかを問いかける。

先程も言ったが、決闘なんて言ったって信じてくれるわけもなく。

曖昧な言い方をして誤魔化すしか陸に選択肢はなかった。

 

 

「…小野寺、それ」

 

 

「え?」

 

 

再び問題に集中しようとした時、陸は小咲が呼んでいる小説の題名を目にした。

 

<名推理はランチの後で>

押しも押されぬベストセラーであり、発売から一か月経った現在、売上本数三万部を突破している。

猛烈な勢いで売れている推理小説なのだが、ここまで早く図書室に置かれているとは思っていなかった。

 

 

「え、一条君。これ知ってるの?」

 

 

「知ってるも何も、買って家にある」

 

 

「へぇ~…。私、最近お小遣いがピンチだから買えてなくて…」

 

 

陸が、すでに本を買っているという事を聞いて羨む小咲。

ただでさえ、あっという間に売り切れてしまうというのに、いつ買ったのだろうか。

 

 

「俺、ミステリーには目がなくてさ。発売初日、店の前で並んで買った」

 

 

「す、すごいね…」

 

 

ちなみに、陸は欲しいものが大人気商品だったりするといつもそれを売ると広告している店の前で夜遅くまたは朝早くに並んで買いに行く。

 

ちなみに、その本を買った日は寝不足で学校のほとんどの授業を寝て過ごしたという。

 

 

「でも、もう図書室の棚に並んでるとは思わなかったな」

 

 

「そうだね、私もダメもとで探してみたんだけど…」

 

 

図書室に発売一か月の、それも大人気の小説が置かれるとは思っていなかった。

まさか、図書室の管理の先生が推理ファンだったりするのだろうか。…そんなわけないか。

 

 

「あ!ねえ、ダーリンここに来てなかった!?」

 

 

るりをそっちのけで小説について盛り上がる陸と小咲だったが、そんな時、図書室の扉が開いたと思うと、三人の前に千棘が現れた。

 

千棘は三人を見つけたかと思うと口を開いて、楽が来なかったかと問いかけてきた。

 

 

「え?来なかったけど…」

 

 

「おい!あの二人がプールに落ちたぞ!」

 

 

「まじかよ!」

 

 

千棘の問いに、陸が答えようとした時、廊下から声が聞こえてくる。

その声を聴いた途端、千棘の顔色が一変し、慌てて廊下へと駆け出て行く。

 

 

「…何だったの?」

 

 

「…さあ」

 

 

るりと小咲が目を見合わせてつぶやく。

 

 

(プールに落ちた?…まあ、水は入ってたし大丈夫だろうけど)

 

 

一方の陸は、先程の声は楽と鶫の決闘についてだろうと悟る。

 

プールには水が入っていた。もしかしたら、怪我などをしているかもしれないが命は大丈夫だろう。

 

楽だって、ああ見えても戦闘訓練を受けたことがある。受け身くらいは取れるだろう。

 

 

(…あれ?プールに落ちたってことは濡れたってことだろ?…確か、ブラックタイガーは)

 

 

頭の中で思考を始める陸。プールに落ちたという事は、当然水に濡れるだろう。

そして、ブラックタイガー、鶫誠士郎は…。

 

 

(…面白そうだ。見てこよっと)

 

 

陸は教科書、ノートを鞄の中にしまって立ち上がった。

 

 

「俺はちょっと見て来るよ。気になるし」

 

 

「あ…、私も行きたい…」

 

 

「私はいいや」

 

 

陸と同じく、小咲も気になったのだろう。陸と同じタイミングで立ち上がって本をしまいに行く。

だが、るりは座ったまま動かない。

 

 

「じゃあな宮本。また明日」

 

 

「るりちゃん、またね」

 

 

「また明日ー」

 

 

三人は挨拶を交わし、陸と小咲は図書室を出る。

 

確か、楽と鶫が落ちたのは屋外プールだ。

そしてずぶ濡れになっているはずだから、恐らく更衣室に入ったと思われる。

 

陸が先導し、更衣室に向かう二人。

 

 

「…あれ?男子更衣室にたくさん人が…」

 

 

「ホントだ…」

 

 

更衣室付近に着くと、男子更衣室の前に人が殺到していることに気づく陸と小咲。

その光景を見ながら、陸はまさかと心の中で思う。

 

 

(ブラックタイガーを男子更衣室に連れて行ったんじゃねえだろうな…。いや、さすがに楽でもそれは…)

 

 

「「…」」

 

 

陸が心の中でそうつぶやきながら、小咲と並んで更衣室の中を覗き込む。

その中に広がる光景を見た途端、二人は言葉を失った。

 

 

「最っ低ぇ!ホントに最っ低ぇ!!まさかあんたがそこまでけだもの屑もやしだったなんて!!!」

 

 

「ご、誤解だ…」

 

 

「お、お嬢…。落ち着いて…」

 

 

更衣室の中には、楽が鼻血を垂らして倒れており、その楽を両腕を組んで見下ろす千棘。

そして千棘を何とか落ち着かせようとする、Yシャツのボタンが外れ、胸の谷間が見えてしまっている鶫の姿があった。

 

陸と小咲は、何も言えずに呆然と眺める…ことなく、すぐに回れ右して視界からその光景を消した。

 

 

「…帰ろうか」

 

 

「…うん、帰ろう」

 

 

ただ一言、そう言い合って校門へと向かう陸と小咲。

 

並んで歩く中、陸はあの光景を見た時に感じた小さな違和感について考えていた。

 

 

(何か…、確かに変わらず言い合っているように見えたけど…)

 

 

楽と千棘が口論をするのはいつものことである。

そしてそのほとんどが千棘の勝利に終わり、時には殴り飛ばされて終わるという事だってある。

 

だが、あの時は…、何か…。

 

 

(桐崎さんの態度が、どこか柔らかかったような…)

 

 

気のせいかもしれない。そんな小さな変化。

だがそれは確かに存在しており、気のせいと決めつけて流すことは出来ない大きな変化。

 

 

「一条君?どうかした?」

 

 

「え?あぁ。楽と桐崎さんなんだけど、何か仲良くなった気がしないか?」

 

 

考え込んでいる陸を気にした小咲が問いかける。

その問いかけに答える陸。逆に問いかけられた小咲は、疑問符を浮かべながら首を傾げる。

 

 

「…そうかな?いつも仲良さそうに見えるけど」

 

 

「あぁ…、うん。そう来るか…」

 

 

鈍感なのかはたまた鋭いのか。よくわからない答えが小咲から返ってくる。

 

 

「まあそれは置いとこう。それより、まだ少ししか読んでないだろうけどあの小説、どうだった?」

 

 

「あっ!うん!すごくあの後の展開が楽しみになった!」

 

 

並んで歩く二人は、会話に花を咲かせながら帰路を進む。

 

陸は、小咲と話しながら頭の隅で考える。

 

楽と千棘の、関係の小さくて大きな変化。

もしこのまま変わり続ければ、もしかしたら…。

 

 

(本当に、桐崎さんの弟になることもあり得るかも)

 

 

今日、いきなり転校生が騒ぎを起こしたその日。

 

陸は、そう遠くない未来に起こるかもしれない、大きなお祝い事を予感するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




語句説明
<名推理はランチの後で>
陸たちが入学したとほぼ同時に発売された推理小説。
その売れ行きは爆発的に増加し、今ではベストセラーとして数えられている。
陸は、この本を買うために朝早くから本屋の前で並び、待ち続けたという。


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第11話 オミマイ

お気に入り件数100突破
ありがとうございます!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴぴぴ、ぴぴぴ

 

無機質な音が鳴る。楽は、その音の正体を腋から取ってその液晶に映る数字を見る。

 

 

「…8度6分。完っ全に風邪だな」

 

 

「くそ…。何でこんな休日に風邪なんか…」

 

 

楽が持つ、先程の音の正体。体温計の液晶を覗き込んだ陸は、映された数字を読む。

 

今日は学校が休日な日であり、そして朝食の当番が陸だった。

陸は朝食を作り終え、楽の部屋の前でその旨を伝えた。

 

その時、確かに部屋の中から楽の返事が返ってきた。

だから、陸は早くしろと釘を差してから居間に戻って朝食を済ませたのだが…。

何時まで経っても楽がやってこない。早くしなければせっかく作った朝食が冷めてしまう。

 

陸は食器を片づけた後、もう一度楽を呼びに行ったのだが、今度は返事すら帰ってこない。

イラッと来て、陸はノックもせずに楽の部屋に乗り込む。

 

そこで見たのは、布団の中に潜って震えている楽。

さすがに様子がおかしい。そして体温を計らせた結果…。

 

 

「今日は寝てろ。その味噌汁、だけは飲め。後でお粥作ってやる」

 

 

楽は完全に風邪を引いていたのだった。

 

陸は安静にするように楽に言ってから部屋を出る。

 

 

(食欲ないだろうから、無理に食べさせない。味噌汁は飲ませたから少しの間は大丈夫だろ)

 

 

そう考えながら陸は居間へと向かう。

とりあえず、ポカリを部屋に持っていって、後は…。

 

と考えていると、家のチャイムが鳴る音が響く。来客だろうか。

 

 

「あ、俺が出るからいいよ」

 

 

「す、すいやせん」

 

 

何か書類を運んでいる男が出ようとしたのだが、それを制して陸が玄関へと向かう。

 

 

(誰だ?こんな朝から)

 

 

来客にしてはやけに時間が早い。とはいえ、この家の中にチャイムを鳴らして入るような人はいない。

どう考えても、来客しかあり得ない。

 

 

「あ…、おはよう。もやしのお見舞いに来たんだけど…」

 

 

「…桐崎さん?」

 

 

扉を開けて出迎えると、外で立っていたのは見舞いの品を持った千棘だった。

僅かに頬を染めて唇を尖らせている。どこか不貞腐れているように見えるのだが、恥ずかしがっているようにも見える。

 

 

「べ、別に来たくて来たわけじゃないんだからね!?うちの皆が行けって言うから!」

 

 

「わかったわかった。とりあえず上がって」

 

 

いきなり言い訳し出す千棘を家の中へと上がらせる陸。

そのまま先導して千棘を楽の部屋へと案内した。

 

 

「な…、桐崎!?何でここに…」

 

 

「何でって、お見舞いに来たに決まってるじゃない!あ、別に来たくて来たわk(ry」

 

 

また言い訳を始める千棘を呆然と眺める楽に微笑ましげに見守る陸。

そんな二人の視線に気づいた千棘は、これ見よがしにごほんごほんと咳払いして、楽の部屋の中へと入っていく。

 

 

「そ、それより!体は大丈夫なの?」

 

 

「おお。熱はあるけど、大したことはねえよ。放っときゃ治るって」

 

 

「そう。それは良かった」

 

 

「…」

 

 

黙って二人の会話を聞く陸。

会ったばかりの時とは違い、顔を合わせれば口論という法則はすでに法則として働かなくなっている。

今では、少しの間普通の会話ができるようにまで成長している。

たまに二人で笑い合っている場面まで見れるようにまで。

 

 

(成長したなぁ、二人とも…)

 

 

二人の成長に心の中で、ほろりと涙を流す陸。

 

そんな陸の前で、仲睦まじく話す二人。…本当に、仲良くなったものだ。

 

 

「あ、そうだ。リンゴ持ってきたんだけど、食べる?」

 

 

「…お前、本当に桐崎か?」

 

 

「うっさい!!失礼なこと言わないでよ!」

 

 

あ、始まるかも。と思った陸だが、その予想に反して特に何も起こらない。

それどころか、千棘はそのままリンゴの皮をむき始める。

 

 

「…じゃあ、俺は外すから。ごゆっくり~」

 

 

「あ、陸!?」

 

 

「え、ちょ…」

 

 

このままいれば、何か邪魔しているような気がする。

陸はそっと立ち上がり、一言残してから楽の部屋を出て行った。

 

 

「桐崎さんも来たし、特に楽に関しては問題ないな。…昼食を作るって言い出すかもしれないから、その時は見てやろう」

 

 

千棘がいるから、楽の世話は問題ない。だが、唯一の問題、食事作り。

千棘は、料理が壊滅的に駄目だ。風邪を引いている楽に、純粋な千棘の料理を食べさせるわけにはいかない。

その時は、陸も一緒に手伝わなければならなくなるだろう。

 

 

「…?また?」

 

 

そんなことを考えながら居間へと向かっていると、再び家のチャイムの音が響く。

陸は再び玄関へと向かい、お客を迎えるために扉を開けた。

 

 

「はーい、どちら様…?小野寺?」

 

 

「あれ…、一条君…?」

 

 

千棘と同じ場所に立っていたのは、小咲だった。

小咲は目を丸くして、ぱちくりさせながら陸を眺めて…、急に慌てた風に口を開いた。

 

 

「い、一条君!?寝てなくて大丈夫なの!?」

 

 

「え…?俺?」

 

 

いきなり陸の心配をし出す小咲。しかし、別に陸の体に異常はない。

 

 

「小野寺、何か勘違いしてないか?風邪ひいてるのは、楽だぞ?」

 

 

「え…?でも、さっき会った舞子君が、『陸が風邪引いてるから、お見舞い行ってやってー』て…」

 

 

「集…」

 

 

どうやらいつもの集の悪戯だったらしい。陸は小咲の誤解を解いてから家の中に上げる。

 

 

「ごめんな小野寺。集にはあとで灸を据えておくから」

 

 

「い、いいよ…。そんなことしなくても…」

 

 

頭から煙を吐きながら憤慨する陸を、苦笑を浮かべながら宥める小咲。

陸は先程と同じように小咲を先導して、楽の部屋に案内する。

 

 

「おい楽。小野寺が見舞いに来たぞ」

 

 

「お、おはよ」

 

 

「小野寺?」

 

 

「あれ?小咲ちゃんも来たの?」

 

 

小咲を楽の部屋に入れると、楽と千棘が小咲に話しかける。

何でここに来たのか、見舞いの品に何を持ってきたのか。楽と千棘が問いかける。

 

 

「そうだ。私、お粥作ろうと思うんだけど、台所借りていいかな?」

 

 

「あ!それ私も作る!!」

 

 

「「なっ!?」」

 

 

小咲は持ってきた袋の中を二人に見せた後、袋を持って台所を借りていいか問う。

すると、千棘も一緒にお粥を作ろうと手を上げて言う。

 

瞬間、陸と楽は視線を合わせるだけで会話を始める。

 

 

(り、陸!頼む!)

 

 

(任せろ。俺が見てるから、安心してくれ)

 

 

アイコンタクトを交わすと、同時に頷く二人。

そして、陸が立ち上がって口を開く。

 

 

「ああ、いいよ。でも、うちの台所、結構変わったところあるから俺も一緒に作るよ」

 

 

「え…、ホントに?」

 

 

「ありがとー!なら、早く行こう!」

 

 

もちろん、この家の台所に変なところなどない。だが、そうでも言わなければ二人…特に小咲が遠慮して一緒に作らせてくれないだろう。

 

思いの外簡単に二人を納得させた陸は、内心で謝罪しながら二人をキッチンに案内させる。

そして二人にエプロンを貸し、自分もエプロンを着てから食材を出していく。

 

 

「あれ?これだけ?もっと体に良いのとかないの?ほら、サプリとか」

 

 

「レバーとか、黒酢とか入れなくていいのかな…?」

 

 

二人のこの質問を聞いて、陸は心の奥底から一緒に来てよかったと安心する。

もし二人だけで作らせたらどうなっていたことか…。

 

 

「そんなに入れなくていい!入れるのは…、これでいいだろ」

 

 

陸は、冷蔵庫の中に入っていた材料を取り出す。

取り出したのは、市販の七草セットに卵。

 

 

「え、これだけ?」

 

 

「ああ。これから作るのは七草卵粥だ。体に良いし、胃腸にも優しい逸品だ」

 

 

「おぉぉぉ…」

 

 

 

冷蔵庫の中から出した材料の少なさに唖然とする千棘に、陸が作ると言った品目。

何を凄いと思ったのかはわからないが、感心したように拍手をする小咲。

 

そして、早速調理が始まった…。

 

 

 

 

 

 

「あー!桐崎さん!なに塩全部入れてんだーーーーーーー!!?」

 

 

「え?つ、つい…」

 

 

「あー!小野寺!納豆を入れるんじゃなーーーーーーーい!!!」

 

 

「あ、ごめんなさい…」

 

 

「あー!桐崎さん!味噌は入れなくていいんだあああああああああ!!!」

 

 

「え?」

 

 

「あー!小野寺!明太子をそのまま入れるなあああああああああ!!!」

 

 

「え?」

 

 

「あー!あー!あーーーーーーーーーーー!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どーよ!なかなかの出来じゃない!?」

 

 

「お口に合うか分かんないけど…」

 

 

「おー…」

 

 

千棘は堂々と、小咲は恐る恐ると作り上げた一人前のお粥を楽に差し出す。

そのお粥の出来栄えに、楽は感嘆の声を漏らした。

 

三人がキッチンに向かってから三時間も経っていることが唯一気になるが…、おいしそうにできていて何よりと結論付ける楽。

 

楽はスプーンでお粥を掬い、口に入れる。

アツアツのお粥の味が、楽の口いっぱいに広がっていく。

 

 

「…っ、美味い!」

 

 

「っ、ホント!?」

 

 

「よかったぁ…」

 

 

楽は、本当に風邪を引いているのかと疑いたくなるほど勢いよくお粥を食べ進めていく。

その食べっぷりに、気分を良くした小咲と千棘は、笑みを交わしながらハイタッチをする。

 

 

「ん…、そういえば、陸はどうした?」

 

 

「え?あれ?そういえば、あいつどこ?」

 

 

「い、一条君?」

 

 

食べる前は、できばえへの恐怖で、食べてからはただただ食べるのに夢中で気が付かなかったのだが、ここでようやく楽が陸がいないことに気づく。

小咲と千棘も、出来栄えを心配していたのか陸がいつの間にかいなくなっていたことに気づく。

 

 

「わ、私、探してくるよ!二人はここにいて!」

 

 

「あ、小咲ちゃん!?」

 

 

「小野寺!迷うなよ!」

 

 

小咲が楽の部屋を出て陸を探し始める。

だが、この家は相当に広い。来たばかりの人は、案内なしにこの家を歩くとかなりの確率で迷う。

それは当然、小咲も例外ではなく…。

 

 

「…あれ?ここ、どこだろう?」

 

 

気付けば、今いる場所がどこなのかわからなくなってしまった。

頬を一筋に汗が流れ落ちる。

 

 

「だ、大丈夫!来た道を戻っていけば…」

 

 

小咲は回れ右をして、来た道を戻り始める。

だったのだが…

 

 

「…」(ここどこーーーーーー!!?)

 

 

来た道がどれなのかすらわからなくなってしまった。完全に迷子である。

本格的に冷汗が流れ始める。

 

迷った。人の家で迷ってしまった。

どこを歩いた?どの道を通って来た?

 

考えれば考えるほど焦りが募り始める。

 

 

「ど、どうしよう…」

 

 

もし、このまま見つけられずに放っておかれたら…。

 

ありもしない事実を頭の中で考えてしまうほど、今の小咲は追い込まれていた。

 

くるくると頭の中が回る。くらくらと血の気が下がっていく。

 

ここはどこ?どう行けば戻れるの?早く戻りたい。

 

 

「小野寺?こんな所にいたのか」

 

 

「…え?」

 

 

立ちすくす小咲に掛けられる声。小咲が振り向くと、陸がこちらに歩いてきていた。

 

 

「まったく、家の中で迷うなよな?探したぞ…」

 

 

「…い、一条君…!」

 

 

「え?小野寺?な、何で泣く!?」

 

 

自分を見つけてくれた。それも、好きな人が。

体全体を包む安堵感。緊張から解放される。

 

気付けば、小咲は目から涙をこぼしていた。

 

小咲が流す涙を見た陸は、自分が何かしたのかと焦って小咲に謝り始める。

だが、陸は何も悪いことをしていない。小咲は陸に、違うと言うのだが涙は収まらず、その言葉は逆に陸の焦りを助長するだけだった。

 

 

「ご、ごめん小野寺!俺、何したんだ?教えてくれ!」

 

 

「ち、違うの一条君…。私…、何かホッとしちゃって…」

 

 

「え?」

 

 

ようやく涙を拭きながらだが笑みを浮かべることができるようになった小咲は、陸の問いに答えを返す。

 

 

「ホッとした?何が?」

 

 

「えっと…、とにかくホッとしたの!うん!」

 

 

迷って不安になって、見つけてもらったからホッとしたなど恥ずかしすぎて言えない。

小咲は陸を誤魔化して歩き始める。

 

 

「小野寺、楽の部屋はそっちじゃないぞ」

 

 

「…」

 

 

もし陸がいなければ、小咲は再び迷っていたところだった。

 

陸に案内されて歩く小咲。

楽の部屋に向かっている途中、小咲が口を開いた。

 

 

「そういえば一条君。お粥を届けた時、一条君いなかったけど、どこにいたの?」

 

 

「え!?あぁ…、料理に使った器具を片づけてたんだよ!あははは…」

 

 

小咲に問いかけられた陸は、何故かぎくりと体を震わせてから慌てた風に答える。

何処か様子がおかしい陸を見て、首を傾げる小咲だが、その様子を問いかける前に楽の部屋の前についてしまった。

 

 

「さてと…。おーい楽、桐崎さん。小野寺いた…」

 

 

襖を開けて、中に入ろうとした陸。

だが、部屋に入る前に中の光景を見た陸は動きを止めた。

 

 

「あれ?どうしたの一条k…「しーっ」…?あ…」

 

 

動きを止めた陸に聞きながら、部屋の中を覗き込む小咲。

中を見た小咲は、頬を染めながらも微笑ましげに笑みを浮かべる。

 

二人が見た、楽の部屋の中の光景とは、楽と千棘が寝ている姿だった。

だが、ただ二人は寝ているだけではない。

 

楽は布団の中で、千棘は楽の傍らで座って寝ていた。

それだけでなく、寝ながら楽と千棘は手を繋いでいたのだ。

 

陸と小咲は、目を合わせて笑みを向け合う。

 

 

「…どこか行こうか?」

 

 

「そうだな…。どうする?折角来たんだし、俺の部屋でゲームでもするか?」

 

 

「え…!?一条君の部屋…!?え、えっと…」

 

 

「…別に無理にとは言わないけど」

 

 

「む、無理じゃない…!無理じゃないよ…!」

 

 

「なら行くか」

 

 

二人はその後、陸の部屋でゲームを始める。

アクションゲームを交代でやったり、対戦ゲームで戦ったり、RPGを二人で知恵を出し合ってプレイしたり。

 

外が暗くなっていることにすら気づかずゲームを続けた二人。

竜が陸の部屋に入ってくるまで、時間のことを気にせず遊び続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ 小咲が陸を探しに行ったあと

 

「お、陸。お疲れ」

 

 

「あぁ…。本当に疲れたよ…。小野寺も桐崎さんも、好き放題に材料入れようとするんだ…」

 

 

「そ、そんなこと!…あったかも」

 

 

陸が部屋に戻って会話する三人。そんな中、陸が小咲の姿がないことに気づく。

 

 

「小野寺は?」

 

 

「あれ?あんたを探しに出たんだけど」

 

 

「そういや遅いな」

 

 

この家は広い。無暗に歩けば、馴れたと思っていても迷う時もある。

陸はため息をついてから立ち上がった。

 

 

「俺、小野寺を探しに行ってくるよ。桐崎さん、楽よろしく」

 

 

「え?うん…」

 

 

「ちゃんと小野寺つれて戻って来いよー」

 

 

そして、小咲を見つけるところまで続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第12話 リンカン(1)

林間学校編、始まりです!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸たちが作ったお粥が効いたのか、それともそれ自体が大したことなかったのか。

楽の風邪は次の日にはすっかり治っていた。その一週間は特に特別なことはなく過ぎていった。

 

…いや、少しだけあった。

鶫の様子がおかしかったのだ。

陸は目撃していなかったのだが、いきなり廊下の壁に頭を叩きつけたり、くるくると踊り始めたり。

 

…見たいと思ったのは、誰にも言えない陸の秘密である。

 

そんな一週間が過ぎて、土曜日。

普通ならば学校は休みの日なのだが、一年生は校門の前に集まっていた。

 

今日は、凡矢理高校の伝統行事の一つである林間学校の日なのである。

校舎の前には八台のバスが止まっている。このバスに乗って、宿舎まで移動するのだ。

 

出発時間を待つ楽は、一人で荷物を持って立ちすくしていた。

そんな楽に近づいてくる一人の人物。

 

 

「おい一条兄。一条弟はどうした?」

 

 

楽は横合いからキョーコ先生に話しかけられた。

そう。楽はこの場にいるのだが陸がまだ来ていない。

集合時間はまだだが、すでに陸以外の全員が集まっている。

 

 

「あ、えっと…。もう少しで来るとは思うんですが…」

 

 

「んー…。まあ、とりあえずお前ら!班に分かれて集合~!バスに乗り込めー!」

 

 

このまま陸を待って他のクラスに迷惑をかけるわけにはいかない。

キョーコ先生は生徒たちに、バスに乗り込めと指示を出す。

 

 

「あの…、一条君、どうしたの?」

 

 

指示通り、楽は自分の班員の元に移動してからバスに乗り込もうとする。

 

すると、楽と同じ班員の一人である小咲が、陸はどうかしたのかと楽に問いかけた。

 

 

「あー…。まあ、あまり大したことじゃないよ。もうすぐ来るって」

 

 

楽の答えを聞いた小咲だが、やはり陸が心配なのか、両手を握る。

 

そう、別に大したことではない。

朝、急に『体動かしたい!道場行ってくる!』と言い出し、そのまま鍛錬に夢中で時間を忘れていた程度だ。

楽が家を出た時は、まだ陸は汗を流すためにシャワーを浴びていた。

 

恐らく今頃、簡単な朝食のトーストを咥えて、来るまで移動しているだろ…

 

キキーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!

 

瞬間、校門の前で甲高いブレーキ音が鳴り響く。

そのあまりの音量に、その場にいたほとんどの者たちが顔を歪めるが、音の正体を確かめるために校門の方に目を向ける。

 

校門の前に目を向けた物たちが見たのは、15m級のリムジン。

そのリムジンから一人の少年が慌てた様子で降りてくる。

 

 

「ごめんなさあああああい!!一条陸、遅れて到着いたしましたああああああ!!!」

 

 

そう、このリムジンは一条家のリムジンである。

陸を学校に送り込むために竜たちが用意したものなのだ。

 

 

「陸坊ちゃん!朝の鍛錬、お付き合いいただきありがとうございました!」

 

 

「お気をつけて行ってらっしゃいませ!」

 

 

「あぁうるせえ!黙って帰れボケが!」

 

 

…キャラが違う。

この場にいるほとんどの者が考えをシンクロさせる。

 

 

「お、おう一条弟。まだバスの出発時間じゃないから大丈夫だぞ?」

 

 

「そ、そうですか…。いや、遅れてすいませんした…」

 

 

先程のあまりの迫力に、キョーコ先生もわずかに引きながら陸に声をかける。

間に合ったことに安心した陸だが、集合時間は過ぎている。頭を下げて先生に謝罪する。

 

そして陸は、キョーコ先生に班のメンバーに合流してバスに乗り込めと指示され、楽たちの姿を見つけて歩み寄っていく。

 

 

「よぉ、ずいぶんかかったじゃねえか」

 

 

「いや…。普通の車でいいって言ったんだけどよ…。あんな出すのに苦労する物用意しやがって、五分はロストしたなあれで…」

 

 

どうやら竜たちが余計なことをしなければぎりぎり間に合っていたらしい。

楽は思わずため息を吐いた。

 

 

「でも、間に合ってよかったよ…。一緒に林間学校行けないんじゃないかって心配したよ…」

 

 

「はは、ごめんな小野寺」

 

 

楽がため息をついたとき、小咲が陸に話しかける。

陸も、笑みを浮かべながら小咲に返す。

 

 

「なあなあ陸」

 

 

「ん?何だよ集」

 

 

「鍛錬って、何してたの?」

 

 

集が、猫のような顔をしながら好奇心を素直に思いきりぶつけてくる。

陸は一瞬きょとん、とした表情になるがすぐに笑みを浮かべ直す。

 

 

「まあ、簡単に体動かした程度だよ。今日は剣道してきた」

 

 

集が剣道!?と驚愕しているが、陸はその顔を視界に入れずに前に視界を戻す。

すると、千棘の隣にいた鶫が陸の方に歩み寄ってくる。

 

 

「…体、鈍らせないようにしている様だな」

 

 

互いに目を向けず、顔だけ近づけ鶫は陸の耳元で囁いた。

 

 

「…まあ、いつ親父が厄介な仕事持ってくるかわかったもんじゃないからな」

 

 

陸の答えを聞いて、ふん、と鼻で笑った鶫は、再び耳元で囁く。

 

 

「貴様、いい加減私のことを名前で呼べ」

 

 

「…は?いきなり何だよ」

 

 

先程までは、二人の属する世界の話をしていたというのにいきなり話題を変えてきたことに戸惑う陸。

いや、さすがに強引過ぎるような気がする。

 

 

「いいから。さすがに、お嬢やその後友人の傍で異名で呼ばれたくはない。私も貴様のことをディアナとは呼ばないようにする」

 

 

「…なら、まあ」

 

 

鶫がまだ、自分のことをディアナと呼ぶつもりでいるのなら提案を突っぱねる気だったがそうでないなら受け入れよう。

陸は鶫の提案を受け入れ、そっと口を開いた。

 

 

「これからは、友人という事で。よろしくな、鶫」

 

 

「ふん、私は貴様を友人などとは思わん。…一条陸」

 

 

フルネーム?と小声で陸が聞き返すが、鶫は無視してそのままバスへと乗り込んでいく。

いつの間にか、列が進んでいたことに少しだけ驚く陸だったが鶫に続いてバスに乗り込む。

 

 

「お前、鶫と何話してたんだ?」

 

 

背後から楽が話しかけてくる。陸は簡単に「何でもないよ」と、一言答えてバスの奥に進む。

 

 

「あ、誠士郎ちゃん!一番奥の席に座ってー!」

 

 

「一条弟君、あんたはここ」

 

 

「「え?」」

 

 

この、集とるりの何気ない一言が、あんなことを引き起こすとは誰も思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

((((((いや、お前ら喋れよ!!))))))

 

 

心の中だけではあるが、盛大に突っ込まれるとある二人。

その二人とは、奥から二番目の席に座る男女。陸と小咲である。

 

陸と小咲はるりに強引に隣同士に座らせられたのだ。

陸は通路側で、肘当てに左ひじを置き頬杖をつき、小咲は窓側で両ひざに握り拳を作りながら俯いている。

 

 

「…なあ小野寺?今からでも誰かと席替わろうか?」

 

 

「あ!その…、大丈夫!」

 

 

いつもならば、少なからず会話が弾むというのに今日はというより今は全く会話が始まらない。

陸は小咲の様子がおかしいことに勘付く。それが、嫌がっていると思ってしまったところがまだまだなのだが。

 

 

(うぅ~…!こんな近くに一条君が…。し、心臓の音、聞こえてたりしてないかな…!)

 

 

顔を真っ赤にしながら、内心で考える小咲。

心臓の音こそ、告白未遂の時ほど高鳴ってはいないが、距離は明らかに近い。というより密着している。

 

自分の心臓の音が、陸に伝わっているかもしれない。

そう考えると、さらに顔の熱が高まっていく。

 

 

(小野寺、何で喋らないんだ?いや、別にいいんだけど…気になるな…)

 

 

陸だって何も喋っていないではないか。

 

ともかく、今の二人は明らかにどちらも恥ずかしがって、何も喋れないでいるという風にしか見えないのだ。

結果、周りからは━━━━

 

 

((((((お前ら二人、さっさと喋れ!何かこっちまで恥ずかしくなってくるわ!!))))))

 

 

男女関係なく、先生どころか運転手までもが心合わせて内心で叫ぶ。

 

そんな中、バスは急なカーブに差し掛かった。

 

 

「おおっと遠心力がー!これは仕方なーい!!」

 

 

「うぉっ!?」

 

 

陸と小咲の背後から楽しそうな声と、何かに驚いたような声が響き渡る。

 

陸が後ろを見ると、集が隣から楽を押して千棘の方へと押し付けている光景が目に入る。

ちなみに、その反対の端の方でるりが挟まれて潰れている。

 

 

「ち、ちょっとダーリン…!くっつきすぎないで…!」

 

 

「いや、だって集が…!」

 

 

「おい一条楽…!お嬢に近寄り過ぎだ…!」

 

 

楽と千棘だけでなく、何故か鶫まで頬を染めて言い合っている。

その途中でも、バスはさらにカーブの道に差し掛かって━━━━

 

 

「カーブー!!」

 

 

今度はさらに力を込めて、集が楽を押し込む。

千棘との密着感がさらに増し、それを見た鶫が臨界点を超える。

 

 

「貴様ぁ…!どうやら林間学校の前に冥土へと行きたいようだな…!」

 

 

「俺のせいじゃなあああああああああああああああい!!!」

 

 

「…」

 

 

さっ、と懐から取り出した拳銃を楽の米神に突きつける鶫。

だが、楽にとっては知らぬことである。押されていなければこうならなかったというのに。

 

すると、このやり取りの中ずっと黙って潰された状態のまま黙っていたるりの目が光る。

集が楽を押すせいで自分が被害に遭っている。るり、仕返しを開始します。

 

 

「おおっと今度はこっちから遠心力がーー。ごめんね鶫さーん」

 

 

「えぇ!?」

 

 

「きゃぁ!?」

 

 

「なっ!?」

 

 

「むぎゅぅっ!」

 

 

そこから先は、まさにやってやり返しての繰り返しだった。

右カーブの時は集が楽を、左カーブの時はるりが鶫を押しての戦いが起こる。

 

そして、その被害に一番遭っているのは二人の間にいる楽と千棘の二人だろう。

押されっぱなしで、それはつまり密着し続けるという事で。

 

宿舎に着いたときには、二人の顔は耳まで真っ赤になっていたのだった。

 

そして、その光景を見ていたあの二人は…。

 

 

「…はは、ははははは!!」

 

 

「ふふ…、あはははは!!」

 

 

初めに流していた気まずい空気を霧散させ、顔を合わせて楽たちを指さしながら笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

目的地に到着して、荷物を一つに固めて置いてから初めに生徒たちが始めたことは、カレー作りだ。

だが、抜かりはない。予定表を見て準備をしっかりしてきた楽と陸。

 

班が合流すると、楽がてきぱきと指示を出し始める。

 

 

「小野寺と宮本は薪をもらってきてくれ。桐崎はここで俺が指示を出す。勝手に動くんじゃないぞ。陸と集は二人でルーづくりをしてくれ」

 

 

小咲とるりは、楽の指示に素直に従って薪をもらいに行く。

千棘は楽を不満げな目で見上げる。そして、陸と集はそっと囁き合った。

 

 

「楽の奴、必死だな…」

 

 

「聞いてるだろ、あのお粥の話。マジで大変だったんだぞあの時は…」

 

 

集は、楽が風邪を引いたときの陸たちのお粥づくりの話を聞いている。

どこか憐れんだ目で陸を集は眺めるのだった。

 

さて、陸と集はカレーの材料を取りに行って、それぞれの班に割り当てられたテーブルに全ての材料を置く。

 

 

「皆ー、薪をもらってきたよー」

 

 

「おー、材料から離して置いてくれ。集、俺は鍋を持ってくる」

 

 

「わかった」

 

 

小咲とるりが薪を持ってきて、陸は二人にテーブルのスペースを作ってそこに薪を置くように言ってから鍋を取りに行く。

 

そこからカレー作りは続く。陸が洗った鍋を持ってくると、小咲とるりが持ってきた薪を集が燃やし、るりと小咲が材料の皮を切る。

その間に陸はルーを入れて、集が燃やした薪の火の上に鍋を置く。

 

 

「…ん?何やってんだあの二人」

 

 

とりあえず、陸の仕事は一段落ついた。汗を拭って辺りを見渡すと、見つめ合う、何故かびしょ濡れになっている楽とぼうっ、とボールを持ったまま立ちすくす千棘の姿を見つけた。

 

仕事サボりやがって、と内心に憤りを感じながら陸は二人に注意をするために歩み寄る。

 

 

「あんた…、そのおでこの傷、何?」

 

 

「ん、これ?何か小さい頃からあるんだけど、よく覚えてないんだよな~」

 

 

歩み寄る途中で、二人の会話が聞こえてきた。

見ると、濡れた楽の髪は分かれて、前髪に隠れていた額の古傷が姿を見せていた。

 

 

「それ、確か野犬に襲われた時についた傷じゃなかったっけ?」

 

 

「っ!!?」

 

 

「陸?」

 

 

その傷を見た陸が、今思い出したように二人に説明する。

途端、千棘は目を大きく見開いて陸に振り返り、楽は目を丸くして、何でここにいる?と聞きたそうに陸の名前を呼ぶ。

 

 

「楽、桐崎さん。こんな所でサボるなよ。早くご飯を炊け」

 

 

「あ、あぁ。悪ぃ…」

 

 

陸が注意すると、楽は素直に謝るが何故か千棘は黙ったままだ。

怪訝に思った陸は、千棘の方を向いて口を開こうとする。

 

 

「桐崎さん?俺の話聞いt…」

 

 

「ねえ!その話、本当!?」

 

 

「ほ、本当?ああ本当だよ。二人のせいで俺達の調理は遅れてるんだ。早くご飯を…」

 

 

「あー!違う!その話じゃなくて!」

 

 

何やねん。

思わず似非関西弁で突っ込みたくなる気持ちを抑えて陸は千棘の話に耳を傾ける。

千棘の表情が、どこか必死に見えたから。千棘の話をちゃんと聞かなければ、と思ったのだ。

 

 

「このもやしの額の傷!本当に野犬につけられたものなの!?」

 

 

「え?あぁ、それは確かだよ。…あ、そういえば楽が怪我して気を失った時、女の子が泣きそうな顔して必死で看病してたぞ?覚えてるか、楽?」

 

 

「え!?ええと…、覚えてねえ…」

 

 

ともかく、陸にとっては今はそんなことはどうでもよく、さっさと二人には調理を進めてほしい。

もう一度そのことを伝えると、楽は素直に調理へと戻っていく。

 

だが、千棘はまたも陸の言葉に反応しない。

陸はため息をついてから千棘に話しかける。

 

 

「桐崎さん、ほら。さっさと調理を…」

 

 

陸は、そこで言葉を止めざるを得なかった。

何故なら━━━━

 

 

「うそ、でしょ…?だって…、そんなこと…」

 

 

顔を真っ赤に染めて、呆然と、ただただその言葉を繰り返し続ける千棘の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 リンカン(2)

林間学校編2話目です


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作り上げたカレーを満喫した陸たちは、その後宿舎の部屋へと移動した。

扉を開け、集を先頭に部屋の中へと入っていく陸たち。

 

 

「おお~、ここが俺たちの泊まる部屋か~」

 

 

「思ったより広いね~」

 

 

集と小咲が、部屋の広さに笑みを浮かべながら感嘆の声を上げる。

 

え?何で男子と女子が同じ部屋に入っているかだって?

知るか。知りたいならば、凡矢理高校の教師たちに聞けばいいじゃない。

 

とまあ、男子女子関係なくそれぞれの班に部屋が割り当てられているこの林間学校。

陸たちはそれぞれの荷物を部屋の中に置いて寛ぎ始める。

 

 

「襖越しとはいえ女子と同じ部屋に寝られるなんて…。なあ陸、ホントこの学校に入って良かったよな!」

 

 

「いや、俺はそういうのは別に…」

 

 

自分の気持ちを素直に言い、さらに陸まで巻き込んでいく集。

そんな集に陸もまた自分の気持ちを素直に言う。その際、小咲がぴくりと震えた気がしたのだが、気のせいだとすぐに結論付ける陸。

 

 

「ところで舞子君、あなたはベランダと廊下のどっちで寝るの?」

 

 

「え!?部屋で寝ちゃダメなの!?」

 

 

バスの中で激闘を繰り広げた集とるりが、今度は言い争いを始める。

というより、集が一方的に罵声を浴びせられているのだが、その愉快な会話を聞きながら陸は千棘をちらりと見る。

浮かない顔で俯き、何か迷っているように見える。

 

理由はわかっている。楽の額の古傷の原因を聞いたからだ。

だが、それが一体千棘と何の関係があるのだろうか。それが陸には分からない。

 

 

「そうだ。千棘ちゃんは温泉に入ったことってあるの?」

 

 

「この旅館、温泉があるんだってー」

 

 

「温泉!?私、一度温泉に入ってみたいって思ってたの!わー楽しみ~!」

 

 

「わ、私、大勢でお風呂なんて初めてで…」

 

 

俯いていた千棘は、小咲に話しかけられたのをきっかけとしたのか、明るいいつもの様子を取り戻し女子たちで話に花を咲かせ始める。

その様子を見た陸は、ふう、と息を吐いた。

 

今、千棘にあの時のことを聞くのは少しまずいかもしれない。

それに、そんなに大した問題でもないのかもしれない。今は置いておこうと陸は決めておく。

 

 

「さて、自由時間もまだあるし、せっかくだからトランプでもやろうぜ?普通にやってもつまんないし、負けたら罰ゲームで!」

 

 

悪戯っぽい笑みを浮かべながら集が不意にそんなことを言い始める。

小咲がそんな集に「罰ゲーム…?」と不安げな表情で問いかける。

 

 

「そうだな…。負けた人は自分のスリーサイズを…」

 

 

「舞子君?」

 

 

「冗談です!」

 

 

罰ゲームを自分の欲望のままに告げる集を、るりが威圧して止める。

とはいえ、このまま終わってはつまらない。集はめげずに欲望に従って罰ゲームの案を口にしていく。

 

 

「じゃあじゃあ、今日の下着の色を…」

 

 

どすっ

 

ボディーブロー

 

 

「自分のセクシャルポイントを…」

 

 

ばきっ がすっ

 

顔面への、右左のワンツー

 

 

「体を洗う時、まずはどこから…ぎゃあああああああああああ!!!」

 

 

べきっ

 

鼻への左ストレート

 

容赦ないるりの攻撃に、ぼろぼろになって倒れた集。

それでも、彼の精神力はまだ死んでいなかった。

 

 

「じゃ、じゃあ…。初恋のエピソードとか…」

 

 

「…それくらいなら」

 

 

集が口を開いた瞬間、自身の拳をスタンバイさせていたるりは、集の口から出てきた意外にもまともな案を聞いて拳を止める。

 

 

(初恋か…。まだ来てないし、俺がやっていいものか?ま、デメリットはないし、純粋にトランプを楽しむとしますか)

 

 

罰ゲームが、初恋のエピソードを話すに決まったのだが、陸は今まで生きてきた中で恋というものをしたことがない。

つまり、陸には負けても罰ゲームなし。ただただ純粋にトランプゲームを楽しむことができるのである。

 

何故か、顔を真っ赤にしている楽に千棘、小咲に鶫には悪いが、自分は四人の反応などを見ながらゲームを楽しませてもらおう。

陸は心の中でそっとほくそ笑むのだった。

 

 

 

 

そんな中、始まったトランプゲーム。種目は、集の一声で決まったババ抜きである。

 

順番は、陸、集、千棘、楽、小咲、るり、鶫の順で時計回りに円で並んでいる。

鶫から始まり、鶫は陸の手札から一枚カードを引き、次にるりが鶫の手札から一枚カードを引く。

そして、次は小咲がるりの手札からカードを一枚引くのだが…。

 

 

「…っ!!!!!?」

 

 

((((わかり易っ!!!))))

 

 

陸、楽、集、るりの四人が同時に心の中で叫ぶ。

それほど、小咲の態度はわかりやすかった。

顔を絶望に染め、汗をかきながら口をあわあわと開閉させている。

 

明らかに、ババを引いたことがわかる。

 

 

「は、はい。次、一条君」

 

 

「お、おう…」

 

 

そして、楽も小咲の手札から一枚カードを引こうとして、手をかける。

 

 

「…」

 

 

小咲の顔が、蕩けてしまいそうな笑みを浮かべる。

楽は疑問に思い、その隣のカードに手をかける。

 

 

「…」

 

 

しゅん、と小咲の顔がしぼむ。

楽は、再び先程手にかけたカードを触る。

 

 

「…」

 

 

また、小咲の顔が花開く。

 

 

(ジョーカー!?これ、絶対ジョーカーだろ!!)

 

 

内心、絶叫する楽。

 

楽がどちらを選ぶか、ドキドキしているのか、小咲は顔をきゅっ、と…引き締めているのかそうでないのかわからない表情になる。いや、本人は引き締めているつもりなのだろうが、その表情が猛烈に楽のツボをつつく。

 

 

(…あぁ~、俺のバカぁ~!)

 

 

ジョーカーがどれかわかっている。それと違うのを引けば得なのはわかっている。

だが、それでも。

 

楽は思わず、小咲の手札から一枚引く。

途端、小咲は蕩けたようにふぅ~、と息を吐いて落ち着き始める。

 

そう、楽はジョーカーを引いたのだ。

 

損なことをしているのだが、まだまだゲームは始まったばかり。

勝負はこれからである。

 

 

(あ、それ、ジョーカー…)

 

 

楽が、自分に言い聞かせている間に千棘が楽のジョーカーを引いてしまった。

途端━━━━

 

 

((((だから、わかり易いって!!!))))

 

 

千棘の顔が絶望に包まれた。

 

千棘が、沈んだ表情のまま手札を集に向けると、集はすっ、と一枚カードを引いて自分の手札に加える。

 

集は、自分の手札をランダムにシャッフルしてから陸に向ける。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

陸は、手を集の手札の前で止めて、集の目をじっと見つめる。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

動かない二人。

陸は鋭い視線で集を射抜くが、集は顔に笑みを張り付けてまったく動かない。

 

…二人の中では、すでに激しい戦闘が始まっているのだ。

 

 

(さっき、桐崎さんがジョーカーを引いたのは間違いない。後は、集がジョーカーを引いてるかどうかだが…)

 

 

(…やばい、見てる。さっさとカード引いちまったからなぁ…。楽みたいに反応を見てから引けばよかった)

 

 

千棘以外知らぬことだが、集は先程千棘の手札からジョーカーを引いてしまっている。

だから、内心は陸の視線にびくびくしているのだがさすがは集。それを外に全く出さない。

 

 

「…集、お前。ジョーカー引いたか?」

 

 

「さあ?どうだろうね?」

 

 

一言交わし、再び睨み合う二人。

だが、それも一瞬のこと。陸が口を開いた。

 

 

「集。お前、嘘を吐くとき目が揺れる癖があるぞ」

 

 

(((((え?そうなの?)))))

 

 

「そうか?」

 

 

「…ちっ、さすがに引っかからないか」

 

 

(((((嘘なのかよ!)))))

 

 

盛大に心の中でのツッコミを受けながらも、にらみ合いを続ける二人。

 

十秒、二十秒。…一分。

陸と集の頬を、一筋に汗が流れたその時だった。

 

 

「さっさと引け!」

 

 

「へぶっ」

 

 

隣のるりが、陸の頭にチョップを喰らわせる。

 

ずっとにらみ合いを続ける二人に、ついにるりの我慢の限界が来たのだった。

 

 

 

 

進むババ抜き。

そして、ついに残ったのは二人になった。

 

一人は、一条楽。そしてもう一人は、桐崎千棘。

 

あの後、再び小咲にジョーカーが回ってきたが、身を切る思いで非情となり、ジョーカーをスルーし続けた。

だが今日の小咲は相当の運を持っていた。手札の枚数、そして引いたカードの組み合わせによりどんどん手札の数を減らしていき、最後に残ったカード(ジョーカー)を楽に引かせて上がったのだ。

 

その結果、残ったのは楽と千棘の二人になったのである。

 

さあ、どちらが勝ち、どちらが負けるのか。

だが結果はわかり切っている。全員の予想は、楽の勝ち、だ。

 

今も、楽がクラブの2のカードに手をかけると千棘の表情がくわっ、と絶望に染まる。

これで楽はどちらがジョーカーかわかっただろう。後は、楽は自分が勝てるカードを引くだけだ。

 

 

「…」

 

 

「…あ」

 

 

楽がカードを引く。だがここで勝負は終わらない。

楽が引いたのはジョーカーだったのだ。

 

 

(…バカか。ホント、そんな性格してるよ楽は)

 

 

苦笑しながら内心つぶやく陸。

そんな中でも、勝負は続く。

 

千棘がゆっくりと手を差し出して…、カードを引く━━━━

 

 

「くぉらぁああああああ!!集合時間はとっくに過ぎてるぞおおおおおおおお!!!」

 

 

と思われた瞬間、襖が勢いよく開かれ、怒鳴りながら部屋の中に入ってくるキョーコ先生、

 

 

「とっとと準備して集合しろ!!!」

 

 

「うっは!早く行こうぜ!」

 

 

ふん、と勢いよく鼻から息を吐いてからキョーコ先生は去っていき、それに続いて陸たちも部屋を出て行く。

 

だが、皆が部屋を出て行く中、楽と千棘はそれぞれの手札を見ていた。

 

 

「…良かったな」

 

 

楽は、持っていたカードを放りながら部屋を出て行く。

座り込んでいた千棘が、そんな楽を不満げに見上げる。

 

千棘が持っていた二枚の手札。その手札の中には、ジョーカーが入っていたのだった。

 

 

 

 

 

部屋を出た陸たちは、クラスメートたちと共に食堂で夕食を取った。

基本、ここでの食事は食い放題で、店員に注文すれば用意してくれる。

 

男子も女子も、そのテンションのままに食べ進めていく。

その結果、腹は膨れ、食事を終えた全ての人たちは満足げな表情を浮かべる。

 

 

「さてと…。楽、陸。風呂に行こうぜー」

 

 

「…覗きしようなんて言わねえよな」

 

 

「言わない言わない!俺だってもうガキじゃねえんだから!」

 

 

不安だ。

集はそう言うが、やりかねないのが集である。

 

入浴時間は男女それぞれに振り当てられており、男子が先に入り、男子に当てられている入浴時間が終わると同時に女子の入浴時間が始まる。

何故そんな変な仕組みになっているのか。それは集みたいなやつを警戒してだろう。

要するに、覗き対策だ。

 

なので、基本覗きは不可能なのだが…、集なら何かをしでかしかねない。

 

 

「おーい一条兄ー。フロントに電話が来てるぞー」

 

 

三人で部屋に戻る途中、キョーコ先生が手招きしながら楽を呼ぶ。

 

誰からの電話か、楽は不思議に思いながらフロントへと向かっていく。

 

そんな楽を、物陰から睨みつける不審な影があった。

 

 

(ふふふ…。一条楽、貴様の社会的生命は…、今日で終わりだ!!)

 

 

(ん?あいつ、クロード?何でここにいるんだ?)

 

 

クロードの殺気に気が付いた陸は、振り返って彼の姿を見つける。

 

 

(…何かするつもりじゃないだろうな)

 

 

内心でつぶやきながらも、陸は無視して部屋へと向かう。

さすがに、こんな場所で騒ぎを起こせるわけがない。そんなことをすれば逆にクロードに被害が及ぶ。

 

そう考えながら、きっと大丈夫だろうと結論付けて部屋に戻った陸は、集と共に風呂場へと向かう。

 

そして、陸と集が男子の脱衣所へと入った直後だった。

 

 

(ふふふふ…。さて…)

 

 

クロードがあくどい笑みを浮かべながらその場で立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「おーい。もう男子の入浴時間は終わりだぞー。上がらねえのかー?」

 

 

「まだだ…。まだ俺たちの入浴時間は終わらんよ…!」

 

 

どこぞの赤い閃光のようなセリフを吐く集を、ため息をつきながら眺める。

いや、集だけではない。彼のまわりにはたくさんの男子が集まっており、付近の竹の柵に向けて耳を近づけている。

 

陸には、この先の集たちのなれの果てが見えている。だが、彼らにそれを言っても止まるとは思えない。

 

巻き添えは喰らいたくない。陸はさっさと風呂をあがって脱衣所に向かう。

 

 

「な、何やってんのよあんたはーーーーーーーー!!!」

 

 

「お前こそーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

 

その最中、千棘と楽の叫び声が聞こえた気がしたが、さすがにこればかりは本気で気のせいだと結論付ける。

楽が、女湯にいるはずがないだろう。そんなこと、できるような度胸もないし。

 

双子だからこそ、すぐにわかること。

陸はそんなはずはないと自分に言い聞かせながら、脱衣所で浴衣を着るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

結局、陸は部屋の中で寝転がりながらテレビを見ていると、まずぐったりしながら集が帰って来た。

聞くと、入浴時間を超えて風呂に入っていたことが教師たちにばれ、怒られたという。

 

はっきりと、集に自業自得だと告げてから、今度は二人でテレビを見る。

テレビで流れる漫才を聞いて爆笑していると、小咲とるり、鶫が部屋に帰って来た。

部屋に五人が帰ってきたところで、再びトランプを始める。

 

罰ゲームは、小咲と鶫の強い否定でなしになった。

先程と違い、大富豪で遊ぶ五人。

 

すると最後に、ぐったりとしながら、そして何故か頬を染めながら楽と千棘が部屋に帰って来た。

 

何かあったのかを二人に問いかける陸は、何故か二人によくわからない言い訳を聞かされる。

 

陸が疑問符を浮かべる中、ついに部屋メンバー全員でトランプゲームを始める。

勝った負けたで一喜一憂しながら、時間は過ぎていく。

 

遂に消灯時間となり、男子と女子のそれぞれの部屋に入り、布団に入りだす。

 

 

「…俺、トイレ」

 

 

陸はそう言って寝る前にトイレを済ませることにする。

 

だが、トイレに入っていると部屋の方から男二人の悲鳴が響き渡る。

手を洗い、トイレを出て男子の寝室に入る陸。

 

 

「…あれ?二人がいない」

 

 

しかし、布団の中に二人の姿がない。

どこへ行ったのか、ふと視線を横にやってベランダを見遣ると…。

 

 

「…何で二人は吊るされてるんだ?」

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛…」

 

 

「何で俺まで…」

 

 

屋根に縛られたロープで足を吊るされ、逆テルテル坊主の体勢でぶら下がっている楽と集の姿があった。

血が昇り、顔色が悪い(集は何故か出血している)を助けてから、三人並んで布団に入り、眠る。

 

騒ぎながらも過ぎていった一日。

そうして、林間学校一日目は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第14話 リンカン(3)

林間学校編ラストです


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい一条。今夜のイベントの事、知ってるか?」

 

 

陸が味噌汁を啜っていると、正面で座る男子生徒がこちらに身を乗り出しながら問いかける。

 

陸は、今日のイベントの予定を頭の中に思い浮かべ、そして今夜の予定へと思考を移行させる。

 

 

「…肝試し?」

 

 

「そう!肝試しだ!山から帰ったら肝試しをやるんだ!!」

 

 

お椀をお盆の上に置いて答える陸に、男子生徒は拳を力強く握りながら熱弁を始める。

 

 

「ただの肝試しじゃないんだぜ?クジで男女二人組のペアを作るんだ。そしてさらに重要なルールがもう一つ…」

 

 

そこで言葉を切ったかと思うと、勢いよく立ち上がる男子生徒は両目から滝のごとく涙を流しながら叫ぶ。

 

 

「ペアになった男女は、必ず手を繋がなくてはならない!どうだこの天国ともいえる、まったく拘束してこないルールは!燃えてきたァアアアアアアアアアアア!マジで俺、この学校に入ってよかったぜぇえええええええええええ!!!」

 

 

「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」

 

 

「落ち着けお前ら。みんな冷たい目で見てるぞ」

 

 

正面の男子だけでなく、陸のすぐそばで座っていた友人たちも熱狂し出す。

陸も、周りの視線が集まっていることに気づいてそれを忠告するのだが、止まる気配がない。

 

 

「…ダメだこりゃ」

 

 

放っておこう。

陸は諦めて、ため息をついてからお盆を持って立ち上がる。

 

何で朝からこんな目に遭わなければならんのか。疲れた。

 

少しだけ憂鬱な気分を抱きながら、陸は空になった食器を乗せたお盆を片づけに行くのだった。

 

 

 

 

「…ということで、向こうも騒いでるけど、あんたは何としても一条弟君とペアになりなさい」

 

 

ビシャアッ

 

片腕をテーブルに乗せて言うるり。そして、その言葉の対象である小咲は、飲んでいたお茶のストローを咥えたまま吹き出してしまったせいで、溢れたお茶が顔にかかってしまう。

 

 

「なりなさいって…、ペアってくじで決めるんじゃ…」

 

 

「気合で何とかしろ」

 

 

「そんな無茶な…」

 

 

小咲の言う通りである。ペアはクジで決めるため、何としても誰かとペアになりたいと願ってもどうしようもないのだ。

そんな小咲に、気合で何とかしろと言うるりが無茶苦茶なのである。

 

るりは、ハンカチで顔を拭く小咲にさらに続ける。

 

 

「あんたさ。この林間学校で何も進展しなくていいの?どんな形にせよ、こっちから仕掛けていかなきゃ何も始まらないでしょ」

 

 

顔を拭きながら俯く小咲。

実際、昨日の一日目でもるりは何度か小咲にチャンスを作っていた。

そこで積極的に行けばよかったのだが、それができないのが小咲。

 

るりが何とか作ったチャンスを全て不意にしてしまった。

寝ている時、周りに聞こえないほどの小さな声ではあるが、小咲はるりに説教を受けたのだ。

 

 

「勇気、出すって決めたんでしょ?」

 

 

るりの言葉に、はっと顔を上げる小咲。

 

そうだ、決めたんだった。勇気を出して、この恋を成就させようと努力すると決めたのだ。

こんな所で、足踏みしている場合じゃない。

 

 

「もし私があいつとペアになったら、そのクジあんたに譲ってあげるから。確率は二倍よ」

 

 

さらにるりは、お盆を持って立ち上がりながら言った。

 

るりも、応援してくれているのだ。

わかっていたことだが、改めてそのことを実感した小咲は心の奥からじーん、とこみ上げてくるものを感じる。

 

 

「ペアになれたら暗がりで押し倒しちゃえばいい…」

 

 

「るりちゃん!」

 

 

最後の一言で、こみ上げてきたものは何処かへ行ってしまったのだが。

 

るりから少し遅れて、朝食を食べ終えた小咲は空の食器を片づけて食堂を出ようとする。

 

 

(…あ)

 

 

出口から少し離れた所、一機の自販機がある。

その前に立っている男子生徒の後姿を見て、小咲は足を止めた。

 

 

(一条君…。一人なのかな?)

 

 

自販機から注がれる飲み物が、紙コップに入るのを待っているのは陸だった。

先程までは、友人たちと一緒にいたはずなのだが今は一人のようだ。

 

小咲は、足を止めたままじっと陸を見つめていたのだが、不意に足を陸の方向へと踏み出した。

 

 

(勇気…!)

 

 

出すと決めた勇気を、ここで出さないでいつ出すのだ。

少しだけだっていい。陸と話したい。

 

 

「お…おはよう一条君。昨日は眠れた?」

 

 

「小野寺?」

 

 

飲み物の入った紙コップを取り出し、呷ろうとした陸は振り返って小咲の姿を見とめる。

そして、笑みを浮かべてから小咲の問いかけに答える。

 

 

「ああ、よく眠れたよ。それより、昨日の夜は驚いたよ。楽と集があんなことになっててさ」

 

 

「あ、あれはるりちゃんが…ね」

 

 

カラカラと笑いながら、答えた陸はその答えに続いて昨日のあの惨状を話す。

 

あの惨状とは、陸がトイレから戻ってから見た、あの楽と集の逆テルテル坊主である。

襲っていた眠気が一瞬で吹き飛んだため、かなり印象に残っている。

 

 

「ははっ。よくやるな、集の奴も。それに宮本も容赦ねえな」

 

 

「止めようとしたんだけど…、千棘ちゃんと鶫ちゃんも一緒になっちゃって…」

 

 

陸は知らないことなのだが、あれはるり、千棘、鶫が起こしたことである。

いや、原因は集であり、悪いのは集なのだが。さすがにやり過ぎな気がして、小咲は止めようとしたのだ。

全く止めてくれなかったのだが。

 

 

「いや、良い教訓に…ならんな。あれでもまだめげないな、集は」

 

 

「え…。あれでも…?」

 

 

無駄に精神力の高い集。あれでもまだ、バカを止める想像ができない陸。

それを口にする陸を、小咲は呆然と見つめる。

 

二人は、そんな会話をしながら部屋へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

午前、昼にかけて山登りをして来た陸たちは宿舎に戻り、たまった疲れを取りながらその時を待っていた。

 

そして、ついに━━━━

 

 

「これより、恒例の肝試し大会を開始する!準備はいいか野郎どもーーーーーーーー!!」

 

 

「「「「「おおーーーーーーーーーーーーー!!!」」」」」

 

 

肝試しの時間がやってくる。

キョーコ先生が呼びかけると、全員が叫び声をあげてその呼びかけに応える。

 

 

「じゃ、先生たちはここで一杯やってるんで。後は適当にやってくれ」

 

 

「おい教師共」

 

 

全員のテンションが上がる中、教師のテンションも上がっていた。

生徒たちが肝試しで盛り上がっている間、教師たちはお酒で盛り上がろうとしているのだ。

 

さすがに勝手すぎるような気がした陸は、自分が生徒という事も忘れて荒々しい言葉でツッコム。

しかしそれでも教師たちは止まらず、ついに酒に手を出し始めた。

これはもう、諦めるしかないようだ。

 

 

「じゃあ、女子から先にくじを引いてくださ~い!」

 

 

そして、ペアを決めるためのくじ引き。まずは、女子からくじを引いていく。

ここは特に盛り上がる所もなく、すぐに終わってしまう。

 

次は男子がくじを引く番である。

陸も列に並んで、自分の番が訪れるのを待つ。

 

 

(さて、俺は誰とペアになるんだろ。知り合いだといいんだけど)

 

 

心の中でつぶやきながら、一歩ずつくじの入った箱へと近づいていく。

そして、陸の前の人が後二人となったとき、いきなりとある女子の声が辺りに響き渡った。

 

 

「へ~、小咲は、12番だったんだ~。小咲は、12番~。小咲は、12番~」

 

 

何故、三度同じことを言ったのか。

陸がその声が聞こえてきた方に目を向けると、何故かこちらにどや顔を向けてくるるりに、そのるりの肩を掴んで揺らしている小咲がいた。

 

どうやら、先程小咲のくじと思われる番号を口にしたのはるりのようだ。

 

 

(12番、か。まあ、小野寺とペアになったら、他の知らない人と組むよりは楽しそうだな)

 

 

そしてついに、前の人がいなくなり陸がくじを引く番となる。

 

陸はためらいなくくじの入った箱へ手を入れる。

 

その様子を小咲が両手を握って祈りながら見つめる。

 

 

(…これ!)

 

 

陸は、一枚の紙を箱から取り出す。

二つ折りにされた紙を広げて、番号を確認する陸。

 

紙に書かれた番号は…12。

 

 

(あ…、ホントに小野寺とペアか)

 

 

なれたらいいな、くらいにしか思っていなかったがまさか本当に小咲とペアになれるとは思っていなかった。

 

陸は、ペアとなった小咲の所へ行こうと足を向ける。

 

 

「…?」

 

 

(ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!!)

 

 

「おち、つけ、おち、つけ」

 

 

顔を真っ赤にして、先程よりも凄い勢いでるりの肩を揺らす小咲に、表情は変わっていないが本人にしては必死なのだろう。おち、つけ、と繰り返し口にするるりの姿があった。

 

何故、あそこまで小咲は騒いでいるのか。疑問符を浮かべながら陸は小咲の所へと歩み寄っていく。

 

 

「小野寺。よろしくな」

 

 

「ふぁい!?あ、よ、よろしくお願いします!」

 

 

声をかける陸に、緊張しているのか、噛み噛みになりながら言葉を返す小咲。

こうして、陸と小咲はペアになった。

 

 

他のペア

 

 

「何であなたが?」

 

 

「男子が人数少ないらしく、男子役に…」

 

 

るり、鶫

 

 

「怖かったら抱き付いていいよ桐崎さぁ~ん」

 

 

「私の握力、ゴリラ並らしいんだけど」

 

 

「やっぱりその辺の木にでも抱き付いてください桐崎さぁ~ん」

 

 

千棘、集

 

 

「よろしくね、一条君」

 

 

「ああ、よろしくな」

 

 

楽、ショートヘアの女子A

 

といった感じでペア決めのくじ引きは終わり、いよいよ肝試しの開催である。

 

この肝試しは、ただ決められたコースを歩くだけだ。

だが、その途中ではお化け役の人たちがどこかで脅かしに出てくる。

そんな中、男子と女子は手を繋いだままゴールを目指すのだ。

 

ある意味で、過酷な肝試しである。

 

 

「12番のペアの人、準備お願いしまーす」

 

 

肝試しが始まってから十五分ほど経った頃、ついに陸と小咲のペアが呼ばれる。

 

 

「呼ばれたな。じゃあ行くか」

 

 

「え…、あ、手を繋ぐんだよね…」

 

 

陸が小咲に右手を差し出し、小咲がその手を左手で取る。

繋がった、陸と小咲の手。二人は、手を繋いだままスタート地点へと足を進ませる。

 

 

「はい。もう少し待っててくださいね」

 

 

肝試しの実行委員の人が、時計を見ながら二人の足を止めさせる。

 

二人の目の前には、木々の間でつながる暗い道が。この道を通ってゴールを目指すのである。

とはいえ、決められたルートを通って道を一周してこの場に戻ってくるだけなのだが。

 

 

「では、出発してください」

 

 

すると、時計を見ていた実行委員の人が口を開く。

スタートの合図の直後、陸と小咲の足は同時に踏み出される。

 

 

「じゃあな陸ー。楽しめよー」

 

 

(小咲、しっかり)

 

 

スタートした二人に掛けられる声。片方は、耳には届いてこないのだが。

 

 

「ああ、先行ってくるわー」

 

 

(う、うん…。頑張るよ、るりちゃん!)

 

 

楽に声をかけられた陸は、気楽そうに言葉を返し、るりにアイコンタクトを向けられた小咲はかわいらしく両手で拳を作って意気込む。

 

小咲にとって、これほど大きなチャンスはない。

何とかこのチャンスをものにして、陸に接近したい。

 

…そう、思っていたのだが。

 

 

「ぐぉおおおおおおおおおお!!!」

 

 

「き、きゃああああああああああああ!!」

 

 

「お、落ち着け小野寺」

 

 

スタートしてから五分ほど経った後、最初の脅かし役の人が飛び出してくる。

盛大に驚いた小咲が陸の首に思い切り抱き付いてくる。

 

 

「幸せな奴は…、そぉこぉかぁ~…」

 

 

「ひぃいいいいいいいいいいい!!」

 

 

「お、小野寺…」

 

 

小咲は、脅かし役の人が出てくるたびに驚き、その度に陸の首に抱き付いて。

 

 

「呪ってやるー!!」

 

 

「いやぁあああああああああああああ!!!」

 

 

「…」

 

 

大分歩いてきたころには、もう…。

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

 

「だ、大丈夫か小野寺…」

 

 

陸の腕にしがみついて、ぐったりとしながら歩く小咲の姿があった。

 

無意識なのだろう。いつもの小咲なら自分がしでかしてるこの行動に恥ずかしさを覚えて逃げてしまう。

だが今はそんなことを気にしている余裕はないのか、小咲はずっと陸の腕にしがみつき続ける。

 

さて、小咲にしがみつかれている陸も、全く何にも思わないわけがない。

そういう所に疎いとはいえ、陸とて年頃の男の子だ。

 

 

(や、柔らかい…。女の子って、こんなに柔らかかったのか…?いや、小野寺が…なのか…?)

 

 

全く意識しないはずがない。

それに、腕が何かふにゅりと柔らかいものに包まれている気が…、いや、気にしない。気にしないったら気にしない。

 

 

「ほら小野寺、もうすぐゴールだ。頑張れ」

 

 

「う、うん…」

 

 

陸の励ましの言葉に弱弱しく答える小咲。

相当疲労が溜まっているようだ。ただでさえ、午前中は山登りをしていたのだから。

 

部屋に戻って休んだとはいえ、さすがに疲労が取り切れるわけもない。

 

 

「…ん。ほら小野寺。光が見えてきた。ゴールじゃないか?」

 

 

「ほ、ホント…?」

 

 

「…ホントだよ。ほら、見てみろって」

 

 

陸の視界に、きらりと光るものがあった。あれは恐らく、肝試しのスタート地点に置いてあるライトだ。

小咲を元気づけるために、再び励ましの言葉をかけると小咲は潤ませた目を上目気味に陸に向けて聞き返す。

 

一瞬、言葉を詰まらせた陸だが何とか小咲の問いかけに答える。

 

…正直、危なかった。理性がぷつんと切れそうになった。

 

 

「小野寺、もう少しだから。頑張れ頑張れ」

 

 

「うぅ~…」

 

 

何度も何度も小咲に励ましの言葉をかけながら、歩く陸。

もう、手だけでなく体のほとんどが密着して歩きづらいのだが、そのことを口に出しては言わない。

 

本気で怖がってる小咲に、離れろなんて可哀想すぎて言える訳がない。

 

 

「あ、いちじょ…っ!」

 

 

「なぁっ!?」

 

 

そして、ゴール付近にいる人たちも道を歩いてくる陸と小咲の姿を捉えられる所まで来た。

 

既にゴールしている男子たちに見つけられた陸と小咲。瞬間、男子たちは動きを固め、陸を睨む。

 

 

「え…?」

 

 

「一条てめぇー!」

 

 

「兄弟そろって羨ましい…!二人とも死んでしまえー!!」

 

 

罵声を浴びせられる陸。理由がわからず首を傾げる。

 

だが、それでも男たちは怨嗟の視線を陸に浴びせ続ける。

そして女子は━━━━

 

 

「きゃあああああああ!寺ちゃん、一条君に抱き付いてるー!」

 

 

「えぇ!?もしかして…、もしかして!?」

 

 

女子は男子とは違い、歓声を上げ始める。

 

男子といい女子といい何を騒いでいるのか。

さらに疑問符を浮かべながら、陸は、そして小咲はゴールを果たす。

 

瞬間、大勢の男子たちが陸に襲い掛かってきた。

 

 

「「「「「いぃちぃじょぉうぅううううううううう!!」」」」」

 

 

「え…え?」

 

 

「「「「「うぅらぁめぇしぃやぁああああああああああ!!」」」」」

 

 

「な、何で…」

 

 

陸はすぐに踵を返して森の中へと駆けこんでいく。

その陸を追いかけて、男子たちも森の中へと入っていった。

 

 

「何だよお前ら!肝試しよりも、お前らの方が怖いって!!」

 

 

「「「「「殺す殺す殺す殺す殺す」」」」」

 

 

「うわぁあああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

叫びをあげる陸と、怨嗟の声を出す男子たちは再び森の中へと消えていった。

そんな男子どもの背中を眺めながら、女子たちは呆れたようにため息を吐いた。

 

 

「やれやれ、何やってるんだか」

 

 

その中には、陸たちより一足早くゴールしていたるりも入っていた。

るりも、他の女子たちと同じくため息を吐いた。

そして、ゴールを果たした小咲に歩み寄っていく。

 

 

「小咲、お疲れ様。…小咲?」

 

 

「…」

 

 

小咲に声をかけるが、小咲は全く反応を返さない。

るりは小咲の前に回って、目の前で手を振る。

 

 

「おーい、小咲ー。生きてるー?」

 

 

「…」

 

 

じっとしている小咲は、不意にいきなり顔を真っ赤にさせる。

 

 

「うわっ」

 

 

驚くるり。その中、小咲は肝試しの中で自分がしでかしたことを思い出していた。

 

 

(わ、私!一条君に抱き付いちゃった!あんなに密着しちゃった!な、なんて大胆なこと…!)

 

 

「小咲、どうしたの?小咲ー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁあああああああああああああああ!!!」

 

 

「「「「「待てこら一条ぉおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 

「おい千棘、あっちから声がする!」

 

 

「ホント!?やっと戻れる…」

 

 

自分たちのおかげで救われた二人のことに気づかず、陸たちは未だに追いかけっこを続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

様々なものを残して、または奪いながら林間学校は終わりを迎えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話 ナマエデ

たくさんのお気に入り登録、そして評価とありがとうございます


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸ー!!」

 

 

C組の前の廊下。

そこに立っていた陸、小咲、るり。

 

その横を通ろうとした、たくさんのノートを抱えた千棘が陸を呼ぶ。

 

 

「この日誌、どこに持っていけばいいんだっけ?」

 

 

「ん?さっき先生が理科準備室に持ってけって言ってたじゃん」

 

 

陸が問いに答えると、千棘はそっかそっか、と言いながらどこか危なっかしくふらふらとしながら歩いていく。

 

 

「…?千棘、お前何してんだ?」

 

 

「見て分かんないの?ノートを運んでるのよ」

 

 

「ふーん。…手伝うよ、ほら」

 

 

「い、いいってば!」

 

 

「お前は良くても俺たちは良くないんだよ。お前に転ばれでもしたらノートが汚れるじゃねえか」

 

 

「何ですって!?」

 

 

「何だよ!」

 

 

千棘が歩き出すと、教室の中から楽が現れて千棘に話しかける。

結果、並んで歩きながら口論を始める。すぐに姿が見えなくなったため、その先どうなったかはわからない。

 

 

(…林間学校から、本当に距離が縮まったよなあの二人)

 

 

陸の思う通り、楽と千棘はあの林間学校の中で距離がかなり縮まった。

何がきっかけとなったかは大体予想が着く。あの大勢の男子たちの追跡を振り切って戻ったときに聞いたあれ。

 

千棘が森の中で迷い、楽が迎えに行ったという話。あれがきっかけとなったのは間違いないだろう。

 

それに、何より二人の距離が縮まった証拠ともいえる…

 

 

「名前…?」

 

 

「え?」

 

 

陸がいろいろ考え込んでいると、隣の小咲が陸に顔を向けて聞いてきた。

 

 

「ああ。あの二人が名前で呼び合うようになってさ。何がなんだかわかんないけど、俺も千棘と名前で呼び合うようになったんだ。普通に俺たちは名字で呼び合えばいいと思うんだけどな」

 

 

「っ!」

 

 

楽だけでなく、陸も千棘と名前で呼び合うようになったのだ。

そうなったのは、昨日千棘が楽の家に来た時だったのだが、言われた時、陸はきょとんとした。

 

ついでにという事でそう言う風になったのだ。

何がついでなのか、さっぱりわからないが。

 

それと、何故か楽が必死に千棘を止めようとしていた。

初め、千棘は不思議そうな顔で楽を見ていたが、いきなり何かを察したように目を見開いたが、その時にはすでに遅く、陸は千棘を名前で呼んでしまったのだ。

 

 

「…おふぅっ!」

 

 

「!?」

 

 

昨日のことを思い出していると、急に小咲のくぐもった声が聞こえてくる。

慌てて目を向けると、小咲は横腹を抑えて蹲っていた。

 

 

「い、痛いよるりちゃん…」

 

 

「うるさい、先越されたあんたが悪い。…あんたもいっそ、名前で呼びなさい」

 

 

「できないよ…」

 

 

「?」

 

 

こそこそ小咲とるりが話しているが、陸の耳にその言葉は届かない。

何を話しているのか、小咲に聞こうと口を開こうとした時、教室の扉が開いて中から鶫が現れた。

 

 

「おい、でぃ…一条陸。貴様、お嬢を見ていないか?」

 

 

「千棘なら、楽と一緒に理科準備室に行ったぞ?」(今、ディアナって呼びかけたな)

 

 

「そ…、貴様!いつの間にお嬢を呼び捨てに!?」(気にするな)

 

 

陸の答えを聞いた鶫は、そのまま自身の本題に入ろうとしたが寸での所で陸の千棘の名前呼びにツッコミを入れる。

あまりに自然に呼ぶものだから思わずスルーしかけた。

 

陸は、先程した説明を鶫にする。鶫は初め、般若のごとき表情をしていたが、説明を終えた頃にはいつもの表情に戻っていた。

 

 

「なるほど。…まあ、お嬢が良いと言うのなら私が口出しする権利などない。っと、それよりもだ」

 

 

陸から理由を聞いて納得した鶫は、本来の本題の話に入る。

 

 

「実は、皆さんにお嬢には内緒のお話があるのです。丁度お揃いのようですし、少しお時間を下さいませんか?」

 

 

「…集は?」

 

 

「それに、一条兄君もいないわ」

 

 

「…あの男はいらん。それと一条楽には、一条陸。貴様が伝えておいてくれ」

 

 

「何かわかんないが、わかった」

 

 

今この場にいない、千棘を除いたメンバー、集と楽については解決した。

…解決したのだ。

 

 

「実は今日、お嬢のお誕生日なのです!なので、私はお嬢を楽しませて差し上げるべく、サプライズバーティ等を計画中でして。ぜひそのパーティに皆さんをご招待したいのです」

 

 

「パーティ?」

 

 

「わー!もちろん行くよ!」

 

 

「誕生日か…。なら、プレゼント用意しなきゃな」

 

 

何と、今日は千棘の誕生日だったらしい。

それは何ともめでたい。陸たちは当たり前のごとく鶫の招待を受ける。

 

すると、るりが千棘の誕生日プレゼントについて話しを始めた陸と小咲を見て、何かを思いついたかのように掌をポン、と叩いた。

 

 

「小咲、一条弟君。二人でプレゼント選んできなよ」

 

 

「えっ!?」

 

 

「え?」

 

 

いきなりそんなことを言いだするりに、小咲は驚愕し、陸も小咲ほどではないが驚いて目を丸くする。

 

 

「るるる、るりちゃん!?」

 

 

「宮本、お前は来ないのか?」

 

 

小咲と陸がるりに問いかける。

だが、るりは何処かで聞いたことのあるような棒読みで二人を流す。

 

 

「あーじつはきょうずっとおなかいたくてさー」

 

 

「お昼、A定食二つも食べてたでしょ!?」

 

 

「ほら、二人で相談した方が早く決まるでしょ?」

 

 

「なら宮本も来た方が…」

 

 

「いいからとにかく行け」

 

 

「「え」」

 

 

変な言い訳をするるりに食い下がる小咲に、陸もるりも一緒に来た方が早いのでは、と聞くが最後には問答無用。

るりは二人に命令して黙らせる。

 

 

「よし。喫茶店に五時に集合。もちろん、二人とも私服でね」

 

 

「何でそこまで細かく!?」

 

 

「宮本は来ないのに…」

 

 

もうこれ以上、るりに口答えすることは許されなかった。

陸と小咲は強引に家へと帰される。

 

 

「あ、一条弟君。一条兄君には私が伝えておくから安心して」

 

 

あ、最後の退路が絶たれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、家で制服から私服に着替えて喫茶店にやってきた陸。

店の中の窓際のテーブルについて、コーヒーを飲んでいた。

 

店の中ではかなりのカップルが寛いでおり、どこか空気が色づいているような気がしてならない。

陸を除く、男一人で来ている客は居辛そうにしている。

 

 

(しかし、何か最近の宮本は強引な気がするな…。特に、俺と小野寺が関するときは)

 

 

そんなことを思いながら、陸は持っていたカップをテーブルに置く。

 

 

(…これ、何かデートっぽくね?)

 

 

本当に不意に、いきなりのこと。陸はそんなことを考えた。

今陸は気づいたのだが、店の中にはカップルがたくさんいる。

カップル専用のドリンクを飲んでいる強者もいる中、この席で自分と小咲が話していたら…、デートに見られるかもしれない。

 

 

(…て、そんなわけないか。俺と小野寺はただの友達だ)

 

 

そう。そんなはず、あるわけがない。そんなこと、許されるはずがない。

 

 

(俺が、小野寺みたいな素敵な人とデートとか、できるわけがない)

 

 

時間は、過ぎていく。

陸が店内の待つ中、ついに集合時間を過ぎてしまった。

 

 

(遅いな小野寺…。まさか、何か事故でも!?)

 

 

一瞬出かかった考えに、思わず立ち上がってしまいそうになる陸。

だがその直後、店の外に現れた人影にそれは止められる。

 

走ってきたのだろう、頬を紅潮させ、息が荒くなっている小咲が店の外で立っていた。

それだけではなく、小咲はきょろきょろと何かを探しているように辺りを見回している。

 

 

(…あ、これって俺を探してるんじゃ?そういえば、店内にいるって言ってなかったな)

 

 

そこでようやく陸は、店内で待ち合わせだと言っていないことに気が付く。

 

外に出て呼びに行くか、と思った時、小咲は店内に目を向ける。

 

気付いたか?目が合ったような気がしたため、そう思った陸だったがそれは違った。

 

小咲は窓に向かって深呼吸をすると、前髪を整えて…、ニコッと笑った。

まるで、デートの相手を待っている女の子が、身なりを整えて気合を入れているかのように。

 

 

「…」

 

 

ぽかん、と口を開ける陸。

その頬が、僅かに紅潮していることに本人は気づかない。

 

 

「…?」

 

 

すると、窓の向こうにいる小咲も陸が視線を向けていることに気づく。

座っている陸に目を向けて…、みるみる顔が赤くなっていった。

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 

少しの間見つめ合っていた二人だったが小咲が慌てて店内に入ってきたことでそれは途切れた。

小咲は陸が着いているテーブルまでやってくると、陸の向かいの席に座って、テーブルに崩れ落ちた。

 

その体勢で居続ける小咲。その間、何も話さない陸。

 

そして、不意に小咲が顔を横に向けて口を開いた。

 

 

「で…では早速、千棘ちゃんのプレゼントについて相談しようかな…?」

 

 

(…そうか。スルーしてほしいのか。わかった、任せろ)

 

 

心の中だけで、胸にとん、と拳をぶつける陸。

 

 

(しかし…。小野寺の私服姿って初めて見たけど、普通に可愛いな。今までは制服姿でしか話したことないから、何か新鮮だ)

 

 

店員にコーヒーを注文している小咲を見ながら思う陸。

…小咲は、去っていく店員に笑われたことにショックを受けている。

 

どうやら、先程の光景を見られていたようだ。

恥ずかしさに再び紅潮するが、小咲はすぐに気を取り直して陸の方を向いて問いかける。

 

 

「ねえ、誕生日ってどんなもの貰うと嬉しいかな?」

 

 

「ん、うーん…。俺は男だからな。千棘が好きそうなものは、同じ女子の小野寺の方がわかるんじゃないか?」

 

 

「んー…」

 

 

小咲の問いかけに、逆に聞き返す陸。

正直、答え方としては最低だがしかし陸は男だ。

さらに、女の子の誕生日プレゼントなど上げたことがない。何が欲しいかなど、わからないのだ。

 

 

「…よしっ。お店で見ながら考えようよ!きっとその方が早いと思う!」

 

 

「そう、だな。よし、そうしよう。じゃあさっさと飲み物飲んで店出ようぜ」

 

 

そう言ってから、陸はコーヒーを飲みほす。

だが、小咲はまだコーヒーを頼んだばかり。それもまだコーヒーが来ていないのだ。

 

 

「あ…、小野寺。慌てなくていい、ゆっくりでいいから」

 

 

頼んだアツアツのコーヒーを急いで飲もうとする小咲を、陸は慌てて止めた。

 

 

 

 

 

 

 

「良かったね~、良いものが見つかって。喜んでくれるかな?千棘ちゃん」

 

 

「そうだな。喜んでくれると思うぞ」

 

 

ホクホクとした表情で、それぞれ袋を持って歩く陸と小咲。

 

だが、小咲のホクホク顔は直後、収まってしまった。

どこか真剣そうな表情で陸のホクホク顔を見つめる小咲。

 

じっと見つめられれば、当然陸は気づく。

はっ、と我を戻して小咲に視線を向ける。

 

 

「どうした小野寺?俺の顔に何かついてるか?」

 

 

ぺたぺたと顔を触りながら聞いてくる陸に、小咲は体の前で両手を振りながら首を横に振る。

 

 

「ち、違う違う!えっと…」

 

 

どうしようか、小咲は心の中で悩む。

 

けど、知ってほしい。陸には、知ってほしい。

 

小咲は、決意した。

 

 

「ねえ一条君、ちょっと寄り道していいかな?」

 

 

「ん?」

 

 

そう言って、小咲は陸を先導する。

二人は住宅街の中を歩き、時には車道を横切って、長い階段を上って。

狭い路地を通ると、そこには絶景が存在していた。

 

 

「おおー…。こんな狭い路地の奥にこんな所が存在するとは…」

 

 

「昔、偶然見つけたの。私の秘密の場所なんだ」

 

 

景色に目を向けて感嘆の声を漏らす陸に、こちらも景色に目を向けながら説明する小咲。

 

良い所でしょ?と、聞いてくる小咲の顔は明るい。

 

何かやりきった、という感じを受ける表情をする小咲に目を向けて陸は問いかける。

 

 

「すごいなホントに…。他には誰が知ってるんだ?」

 

 

「知らないよ?」

 

 

自分なんかに教えてくれるのだから、他にも知っている人がいると思っていた陸。

だが、返ってきた言葉は予想していたものとかけ離れたものだった。

 

 

「…え?」

 

 

「誰にも教えてないよ?一条君に初めて教えたの」

 

 

無邪気な笑みを浮かべて言う小咲。

そんな小咲に、躊躇いがちに口を開く陸。

 

 

「え、いや…。いいのか?そんな秘密、俺なんかに教えちゃって?」

 

 

「一条君、だからだよ。私、一条君に知ってほしいって思ったから教えたんだよ?」

 

 

何だろう、今日の小咲はいつもより積極的な気がする。

まるで、消極的な彼女を持つ彼氏のような気持ちを感じる陸。

 

だが、誰にも教えていない秘密を自分に教えてくれた。

これは、誰にも言う訳にはいかないだろう。

 

 

「そう、か…。ありがとな小野寺。俺、ここのこと絶対言わないから。約束」

 

 

言いながら、陸は右手の小指を小咲に向ける。

小咲は一瞬、向けられた小指を見てきょとんとするが、すぐに何かを察して笑顔になる。

 

 

「うん!約束だよ?陸君」

 

 

そう言いながら、小咲も右手の小指を出して…、指切りをする。

 

 

「…小野寺。その…、名前」

 

 

「あ…、嫌だった、かな」

 

 

今までと違い、名前で呼ばれたことに驚く陸。

そんな陸を見て、嫌がっているのでは、と感じた小咲は手をさっ、と戻して不安げに視線を逸らす。

 

今日は何故だか積極的に行けたため、陸を名前で呼んでみたのだが…、まさか、嫌だった?

 

不安に感じる小咲。だが、すぐに陸がその不安を晴らす。

 

 

「いや…。嫌じゃないよ。…小咲」

 

 

「あ…」

 

 

名前…

 

呆然と陸に視線を向けて眺める小咲。

 

名前で、呼ばれた…

 

少しずつ、実感がわいてくる。

笑みが、止まらない。

 

 

「ありがとう…。陸君」

 

 

浮かんだ笑みを存分に陸に向ける小咲。

釣られて、陸もまた笑みを止められなくなる。

 

 

「じゃあそろそろ千棘んちに向かうか。時間もちょうどいいし」

 

 

「あ、そうだね。行こうか」

 

 

気付けば、そろそろ良い時間である。

陸と小咲は、その場を去って千棘の家へと向かう。

 

 

「そうだ。小咲の誕生日は何時なんだ?」

 

 

「え?私は…、実は、一週間後なんだ」

 

 

「は?もうすぐだったの?うわ、急いでプレゼント用意しなきゃな」

 

 

「い、いいよ!そんな無理しなくて!それより、陸君の誕生日は何時なの?」

 

 

「え?俺は…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第16話 パーティ

再び、陸(ディアナ)の恐ろしさの一端が…


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千棘の家は、先程までいた小咲の秘密の場所から少し遠い場所に位置している。

 

そこから千棘の家に行くためには、電車に乗らなければならない。

最寄りの駅に着くまでの間、二人は隣に並んで座って談笑する。

 

周りに迷惑がかからない様に、小さな声で話していたはずなのだが他のお客から睨まれた時は小さく縮こまってしまった。

ちなみに、睨んでいたお客が男性だったという事は二人とも深く考えなかった。

 

目的の駅で電車を降り、歩いて十分ほど。

千棘の家が見えてきた。

 

 

「ここが千棘ちゃんのお家?」

 

 

すでに、陸と小咲以外のメンバーは揃っていた。

鶫にるり、楽、そして何故か集が到着し、千棘の家を見上げていた。

 

 

「…すっごく大きいね~」

 

 

「大きいっていうか…、城じゃん」

 

 

るり、集、楽と同じように呆然と千棘の家を見上げる陸と小咲。

正直、見た感想は、家というよりも城としか言いようがなかった。

 

うちを囲む豪華な塀に、門の横にはオブジェが飾られている。

城だ。城としか言いようがない。西洋風の城だ。千棘は王族だったのか(錯乱)

 

 

「ところで…、何故貴様がここにいる?」

 

 

「あはは!水臭いな~、誠士郎ちゃん」

 

 

「帰れ」

 

 

今までツッコまなかったのだろうか、鶫が集に冷たく帰れと言い放つ。

 

そんな中、門の向こうで歩く人影が現れる。

その人影は、門の前に立つこちらの存在に気が付くとこちらに歩み寄ってくる。

 

 

「…」

 

 

唖然、と目を見開いてこちらを見つめるのはこの家に住む少女、千棘である。

 

陸たちも、現れた人影が千棘だと判別すると笑顔を浮かべて手を上げる。

 

 

「あ、千棘ちゃん。お誕生日おめでとー」

 

 

「な、な、なーーーーー!?」

 

 

鶫の計画は全くばれていなかったのだろう。

陸たちがなぜこの場にいるのかわからない千棘は、頭が混乱して言いたい言葉を上手く口に出すことができない。

 

 

「な、何で皆がここに…?」

 

 

「本日はお嬢のお誕生日という事で。恐れながら私、お嬢に内緒で皆さんをご招待したのです」

 

 

ようやく、おどおどと自分の聞きたいこと、何故皆がここにいるのかを問いかける千棘。

その問いには、鶫が笑みを浮かべながら答える。

 

 

「…」

 

 

千棘は、唇の端をひくひくと震わせながら、門を開けると、集の隣に立っていた楽の腕を掴んで敷地の中へと引っ張っていく。

 

 

「お、おい!何だよ急に…」

 

 

いきなり引っ張り込まれた楽は、千棘に抗議の声を出す。

だが千棘は楽の腕を離さず、少し皆から距離を置いたところで楽の腕を離して小声で話しかける。

 

 

「ど、どうしよう…。私、まだ皆に家がギャングだってこと話してないよ…!」

 

 

「え?お前、まだ話してなかったのかよ…」

 

 

楽は内心、というより外面でも全体で千棘に呆れてますよ感を醸し出す。

何と、まだ千棘は家庭の事情を友人に話していなかったのだ。

 

 

(いや、まあ…、気持ちはわかるけど…。俺の家に来たことある集とか小野寺とか宮本には話したとばかり…)

 

 

やくざの家に入ったことのある小咲たち三人には話していると思っていた楽。

だが千棘はあの三人にさえ話していなかった。

 

楽はため息を吐く。

このまま放っておいても千棘は何も言わないだろう。

なら、自分が背中を押せばいい。…いや、自分が代わりになればいいじゃないか。

 

 

「おーい皆ー。こいつんちってさー」

 

 

「わーーー!!ち、ちょっとーーーー!!」

 

 

千棘がぶつぶつと何かをつぶやきながらどうするか悩んでいる中、すたすたと楽が門の方へと歩いていきながら皆を呼びかける。

瞬間、楽が何をしでかそうとしているのか悟った千棘は、慌てて楽を止めるべく走り出す。

 

 

「…へぇ~!」

 

 

「…」

 

 

なお、間に合わなかった模様。

楽の話を聞いて、小咲は感嘆の声を漏らし、るりはいつもの無表情のまま。

 

千棘は皆の反応を見るのが怖く、頭を抱えてしゃがんでいる。

 

 

「千棘ちゃんって、すっごいお嬢様だったんだ~~~~」

 

 

「…え?」

 

 

思いもよらぬ小咲の言葉に、千棘は思わずはっ、と顔を上げる。

小咲は無邪気に笑みを千棘に向けながら続ける。

 

 

「すごいね~!だって、陸君たちと同じってことでしょ?…あれ?どうしたの?」

 

 

無邪気の小咲の言葉。その最後の問いかけには、二重の意味が込められていた。

 

まず、呆然と千棘がこちらを見ていることに対して。

そしてもう一つは、陸君、といった瞬間に物凄い勢いで振り向いてきたるり、楽、集に対して。

 

 

「こ、小咲…。あんた、一条弟君をいつから下の名前で…」

 

 

「………っ!」

 

 

恐る恐るといった感じでるりが問いかける。

瞬間、小咲は皆の前で陸を下の名前で呼んだのだと自覚し、急な恥ずかしさに襲われる。

 

陸に下の名前で呼んでいいと言われ、気が緩んでいた面もあったのだろう。

特にまずいということはまったくないのだが…、恥ずかしいという感情は小咲の羞恥心を擽る。

 

 

「ああ。今日、小咲とプレゼント選びに行ったときにな。名前で呼び合おうってなったんだ」

 

 

「なっ!?陸、お前も小野寺を名前で、しかも呼び捨てで呼んでるのか!!」

 

 

声を上げている楽ではない。るりも集も、先程まで唖然としていた千棘も、陸と小咲を見て目を口を大きく開いている。

 

 

「何の話だ?小野寺さまと一条陸が何なのだ?」

 

 

分からないのは首を傾げる鶫と陸だけ。

 

結局、楽たち四人は、陸が四人の頬を叩くまで立ちすくし続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ハッピーバースデ~~~!お嬢~~~~!!!」

 

 

「お誕生日、おめでとうございま~~~~す!!!」

 

 

楽たちが復活し、早速鶫を先頭にして屋敷の中に入った陸たち。

そして、三分ほど歩いたところにあった大きな扉を潜ると、突如、ぱん、ぱぱん、とクラッカーが鳴り響く。

 

すでにパーティ会場に集まっていた男たちが、千棘の誕生日を祝い始める。

 

 

「これはこれは…。お嬢のご学友の方たちもいらして下さったのですか。ようこそ、歓迎いたします」

 

 

「あ…、はい!本日はお招きいただき、ありがとうございます!」

 

 

千棘が男たちに囲まれて祝われていると、その男たちの集団の中から白いスーツに、サングラスをかけた若い男が陸たちに歩み寄ってくる。

 

若い男、クロードは陸たちに笑みを浮かべながら挨拶を交わす。

 

 

「…おぉ。これはこれは、一条家の楽お坊ちゃんではございませんか。あなたもいらっしゃっていたのですね?」

 

 

すると、楽の姿を見とめたクロードが、楽に顔を近づけて、影のある笑みを浮かべながら話しかける。

 

 

「これは困りましたな~…。楽お坊ちゃんはさぞ素晴らしいプレゼントをご用意されているでしょうし…。私、プレゼントを渡すのが少々恥ずかしくなってきてしまいましたよ…」

 

 

(こいつ、だんだん態度が露骨になってきたな…)

 

 

苦笑を浮かべる楽の前で、明らかな挑発をするクロードを見て心の中でつぶやく陸。

 

とそこで、クロードの目が陸の姿を捉える。

 

 

「こ、これは!陸お坊ちゃんもいらっしゃっていたのですか!?」

 

 

「え?あ、はい」

 

 

しゅばっ、と俊敏な動作で陸の前に跪くクロード。

陸は、少しだけ体を引いて戸惑いを見せながらクロードに答える。

 

 

「今まで挨拶もせずに、申し訳ございませんでした!ディアナのご活躍はお耳に入っております!不肖クロード、あなたのご活躍の数々に、勝手ながら尊敬の念を…」

 

 

「おい、ちょっとこっちこい」

 

 

このまま放っておいたらまずい事態になると感じ取った陸は、クロードの腕を掴んで会場の外へと直行する。

 

後ろから、小咲が陸を呼び止める声が聞こえてきたが、立ち止まっている暇はない。

陸はクロードを会場の外へと連れ出した。

 

 

「ど、どうされたのでしょうか…?」

 

 

クロードが戸惑い気味に陸に問いかける。

陸は、荒くなった息を整えてからクロードの問いかけに答える。

 

 

「クロードさん…。あの、皆の前でディアナと呼ばないでほしいのですが…」

 

 

「そんな!クロードさんなどと!クロードと呼び捨てでお願いします!」

 

 

「あ、あぁ。じゃあクロード。あの、皆の前でディアナと呼ばないでくれ」

 

 

改めて言った陸に、クロードは首を傾げる。

 

 

「し、しかし…」

 

 

「呼ぶな」

 

 

「しょ、承知いたしましたーーーー!!」

 

 

ぎろっ、と鋭い視線をクロードに向けると、クロードは先程まで渋っていた態度はどこに行ったのやら、地面に膝をつき、頭を下げるという土下座の体勢で陸に返事を返す。

 

これで大丈夫だろう。自分のことを知っているクロードだ。自分との約束を破ろうと思わないはずだ。

陸はため息をつきながら扉の取っ手に手をかける。

 

 

「俺に対する尊敬のうちの少しだけでも、楽に向けてあげれば…」

 

 

「それは不可能です」

 

 

即答だった。

 

陸とクロードが会場の中に入ると、すでにビーハイブメンバーと小咲にるり、集のプレゼントは私終わっていた。

 

 

「おいおい、どこに行ってたんだよ陸」

 

 

「ちょっとそこのグラサンとお話を」

 

 

集の頭の上に疑問符が浮かぶ。

それを無視して、陸は自分が買ってきたプレゼントが入った袋を千棘に手渡す。

 

 

「はいこれ。誕生日、おめでと」

 

 

ありがとう、と口にしてから千棘は受け取った袋の中を見る。

 

 

「うわぁ!リボンだ、可愛い~!」

 

 

「千棘は毎日リボン着けてるから。たまにでも良いから着けてほしいな」

 

 

「うん!必ず着けるよ!」

 

 

喜んでくれている千棘を見て、自然と笑顔になる陸。

 

 

「良かったね、喜んでくれて」

 

 

「ああ。小咲のおかげだよ、ありがとな」

 

 

陸が千棘に渡したプレゼントのリボン。あれは、小咲がアドバイスをくれて選んだものなのだ。

 

 

『千棘ちゃんが良く使うものを上げればどうかな?』

 

 

この言葉を聞いて、即思いついたのがリボンである。

毎日千棘は頭にリボンをつけている。だから、リボンを上げたら喜んでくれるのではないか。

 

そこから、陸は小咲と話し合いながらデザインを選んで…。そして、千棘に渡したのだ。

 

 

「ふふ…。では、次は私から。楽坊ちゃんのプレゼントに比べれば粗品かもしれませんが…」

 

 

さて、次はクロードが千棘にプレゼントを渡す番になる。

クロードは、何か布をかぶせられた大きなものに近づいて、両手を広げる。

 

 

「お受け取り下さい、お嬢!超高級車、マイバッハのオーダーメイドモデルです!」

 

 

クロードの言葉と共に、布が取られると中から輝く黒いボディーを持った車が姿を現す。

これは凄い。超豪華。一億円以上の価値だ。

 

だが…

 

 

「いや、免許とか持ってないし、いらないわ」

 

 

クロードが凍り付く。

 

まだ千棘は免許を持っていないし、取れる年齢でもない。

車を渡されても困るだけである。

 

クロードの動きが固まっている中、最後のプレゼント。楽のプレゼントが千棘に渡される番である。

楽は男たちに背中を押され、千棘の眼前に押し出される。

 

 

「がーんばれ!」

 

 

「がーんばれ!」

 

 

「「がーんばれ!」」

 

 

「うるさいぞ陸、集!」

 

 

男たち&陸と集にプレッシャーがかけられる中、楽は千棘に袋を手渡す。

 

千棘が、袋の中の物を取り出して…、空気が凍りついた。

 

楽が千棘に渡したのは、頭に千棘が着けている同じタイプのリボンを着けたゴリラのぬいぐるみだった。

会場の中の様々な所から、ぷつんと何かが切れる音が響く。

 

 

「小僧、どういうつもりだ…?」

 

 

「こりゃあれか…?お嬢がゴリラとでも言いてぇってのか…?」

 

 

「えぇ!?いや、俺は真面目に考えて…!これを見た瞬間、びびっと来たって言うか…!」

 

 

男たちに詰め寄られる中、必死に弁明する楽。

そんな楽を見つめていた千棘が、不意に笑みを吹き出した。

 

 

「あはは、ありがと。嬉しいよ」

 

 

笑う千棘を、呆然と眺める一同。

特にクロードの表情は目を瞠る。

 

 

「え!?そ、そんなんでいいんですかお嬢!?」

 

 

「いや、お嬢が良いんなら別に俺たちも良いんですが…」

 

 

「な、何故!?何故ですかお嬢~~~~!!?」

 

 

ニコニコ満面の笑みを浮かべる千棘。

本当に、喜んでいるのか。それは、本人しかわからない。

 

 

 

 

 

 

 

プレゼントを渡し終えると、そこからはどんちゃん騒ぎである。

集は男たちと混ざって…、というより中心に立って笑いを取り、るりはひたすら食事に集中している。

 

そして、陸と小咲は窓際の壁の傍で立って談笑していた。

 

 

「すごいね。千棘ちゃんの誕生日は、いつもこんなに楽しそうなパーティするんだね」

 

 

「そうだな。…あいつは別だけど」

 

 

陸がそう言うと、二人は会場の隅っこで体育座りをする悲しい男の背中に目を向ける。

 

クロードである。

自分のプレゼントはいらないと言われるどころか、楽のあのプレゼントは嬉しいと言った千棘に相当ショックを受けたようだ。

あそこだけ、まるで別世界に見える。

 

 

「ははは…。陸君の誕生日もこんな感じなの?」

 

 

「あ~、そうだな。ここまで豪華な感じじゃないけど…、もっとひどい騒ぎになるな」

 

 

陸と楽の誕生日の日は、必ず二人以外の男たちは潰れる。酔いつぶれる。

そして次の日、部屋の中は酒の臭いで充満し、男たちは二日酔いで苦しむのである。

 

 

「へぇ~。二人の誕生パーティ、行ってみたいな~」

 

 

「止めた方が良い。ぜっっったい止めた方が良い」

 

 

というより止めてくれ、と付け加えた陸を疑問符を浮かべながら見る小咲。

何でここまで強く止めようとするのか。

 

 

「もしかして…、来てほしくない…?」

 

 

まさか、パーティに来てほしくないのではないだろうか。

小咲はその不安を持って、陸に問いかける。

 

 

「いや!そういうわけじゃないんだ!でも…、いや、本当に止めた方が良い。これは忠告」

 

 

「そ、そうなの…?」

 

 

「ああ。楽に聞いても俺と同じこと言うから。どうしても来たいんなら止めないけど…。まあまだ先だし、ゆっくり考えてくれ」

 

 

最後にそう締めくくって、その話を終わらせる陸。

まだ小咲は納得し切っていない表情だったが、これ以上陸に聞いても無駄だと悟って頷き返す。

 

 

「それにしても、千棘ちゃんと一条君、どこ行ったんだろ?」

 

 

「そういえば…。いないな」

 

 

そこで、二人は楽と千棘が会場内にいないことに気づく。

辺りを見渡してみるが、どこにもいないと思われた。

 

 

「小咲ちゃーん、楽しんでるー?」

 

 

二人の横から、手を振りながらこちらに走ってくる千棘の姿。

小咲は、寄りかかっていた壁から離れて千棘に駆け寄っていく。

 

 

「千棘ちゃん?もぉ~、どこ行ってたの~?」

 

 

「ごめーん。ちょっと散歩してて」

 

 

二人が話す中、陸も歩み寄って千棘に問いかける。

 

 

「なあ千棘。楽がどこにいるか知らないか?」

 

 

「え!?えっ、と…。どこかで迷子にでもなってるんじゃないかしら?あははは…」

 

 

「?」

 

 

何か誤魔化しているような態度をする千棘に、疑問符を浮かべる陸。

もう一度問いかけようとするが、再び千棘は小咲と楽しげに談笑し始める。

 

 

(…まあ大丈夫だろ。楽はほっといて俺も好きなだけ食うか!)

 

 

楽なら大丈夫だろうと結論付け、陸は皿とフォークを持って食事の乗ったテーブルへと向かう。

 

その間、楽は、陸と楽の二人が記憶の彼方に忘れ去っていた思い出について聴いていたなど、思いもせず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第17話 シャシン

原作といつも以上に変わらない展開です。最後以外は。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?俺が小咲と千棘に、小さい頃に会ったことがある?」

 

 

千棘の誕生日パーティが終わって次の日の朝。

学校へと向かう道の途中、陸は目を見開いて楽を見ながら聞き返した。

 

 

「ああ。千棘の親父さんが言うにはそうらしい」

 

 

「…ふ~ん」

 

 

何でも、楽が言うには、陸は小さい頃、楽と小咲と千棘と遊んでいた時期があったらしい。

楽他二人もそうだが、陸は全く覚えていない。今も思い出そうとしているのだが、全くその光景を映し出すことができない。

 

 

「でもお前は遊んでた、とは言えなかったらしいぞ?お前、川の流れをじっと見てただけらしいからな」

 

 

「は?何だそりゃ?」

 

 

楽の言葉に、表情を歪めながら問い返す。

 

陸自身、覚えてはいないのだが。

小さい頃、陸は今と違ってかなり寡黙な性格をしていた。

何を話しかけても、うんやらああやら、最低限の返事しか返ってこない。

今とは全く逆の性格をしていたのである。

 

 

「で?小咲と千棘が持っている鍵は、楽が10年前に会った女の子との約束に関係があるんじゃないかと、そう考えているわけだ」

 

 

「ああ…。悪いな、今まで黙ってて」

 

 

今、楽から聞いた話を整理して復唱する陸に、楽は申し訳なさそうに謝る。

だが陸は、笑いながら「いいよ別に」と返してからもう一度口を開く。

 

 

「それで?一番重要な楽のペンダントはどうなった?」

 

 

そう、話の中で考える限り、約束の真相を知るために一番重要なのは、楽が肌身離さず着けているペンダントである。

だが、今日の楽はそのペンダントを着けていない。

 

何でも昨日、千棘の持っていた鍵が本物かどうかを確かめるために、ペンダントに差し込んだのだが…、誤って千棘が折ってしまったのだ。

そして、折れた鍵の先端は、ペンダントの鍵穴の中で取れなくなってしまい…。

 

 

「ああ。集が知り合いに修理を頼んでくれたよ。ちょっと時間がかかりそうな感じだけど、まあすぐ戻ってくるだろうって」

 

 

楽のペンダントは、集の知り合いに預けてある。

腕は確かだから安心しろ、と集が言っていたため安心して大丈夫だろう。

 

 

「おお!楽、陸!おっはよーう!」

 

 

「ん、集」

 

 

「おはよ」

 

 

小さな交差点に出た所で、集が二人の右側の道から現れる。

 

そこからは集も加わって三人で、学校への道を歩き進めていく。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、おはよう楽」

 

 

「おう…、おはよう…」

 

 

陸たちが校舎の中に入り、下駄箱で靴を履き替えようとすると、すでにそこには千棘の姿があった。

楽が立ち止まり、千棘が立ち止まった楽の姿に気づいて挨拶を交わす。

 

 

「…じゃあ楽。俺は先に行ってるわ」

 

 

「俺も、ちょっと飲み物買ってから行くから」

 

 

両側からポン、と肩を叩いてから楽を置いてそれぞれの目的の方向に進み始める陸と集。

陸は、靴を履き替えて階段を上り、楽よりも先に教室に到着する。

 

 

(…げっ、クロード)

 

 

扉を開け、教室に入ると向かいの木の枝の上でクロードが双眼鏡を構えてこちらを見張っていた。

陸の姿を見た瞬間、いきなりクロードは直立不動して、勢いよく腰を折って頭を下げる。

 

陸はうんざりした表情で横を向き、クロードを無視して席に着く。

 

教科書等を机の中に入れ、時計を見る。

まだ、ホームルームには少し時間がある。

 

 

(…寝るか)

 

 

そう思いながら、ぐったりと机に体重を任せ、目を瞑る。

 

すると、そこに陸と集に置いて行かれた楽と、千棘が並んで教室に入ってくる。

 

 

(あ、あの眼鏡…。なるほど、今日は監視ありの日か…)

 

 

クロードが双眼鏡を通してこちらを見ている。

今日は、気を引き締めて恋人の振りをしなければならない。

 

 

「よ~し…!今日も気合入れて恋人やるか…。いくぞハニー…!」

 

 

言いながら、楽は千棘の肩に手を置く。

同時、千棘の体がびくりと震え、聞きなれないか細い悲鳴が聞こえてくる。

 

 

「きゃっ…」

 

 

(…きゃ?)

 

 

何だ、今の声は。

訝しく思い、楽は目を千棘に向ける。

 

そこには、顔を真っ赤に染め、俯かせている千棘の姿があった。

楽は、そんなしおらしい千棘の姿に、呆然とつぶやく。

 

 

「お…おい…。何で赤くなってんだよ…」

 

 

「なってない!テキトーなこと言わないでくれる!?」

 

 

声をかけてくる楽に、ムキになって言い返す千棘。

 

大丈夫、なのだろうか?

 

ともかく、今は信じるしかない。

クロードの目の前では、ほんの少しでも怪しいことなどできはしない。

 

 

「おっはよー、一条君に桐崎さん!今日も朝からアッツイね~!!」

 

 

「は、はっはっは!そうだろうそうだろう!!何てったって、俺たちはラブラブカップルなんだからな!!」

 

 

背後から声をかけてくる女子二人。

早速演技の見せ所だ。楽は振り返って、千棘とのラブラブっぷりをアピールする。

 

それに、千棘もつづ…

 

 

「ハハ、ソーネ」

 

 

かなかった。どこかの夢の住人のごとく言葉を発する千棘。

 

疑問符を浮かべるクラスメートたち。絶望に感情を落とす楽。

 

千棘は、どうしてしまったのだろうか。

 

 

 

 

「何やってんだ、あの二人…」

 

 

先程のやり取り、机に臥せながら陸も聞いていた。

 

大丈夫だろうか。あれでは、ただでさえ怪しんでいるクロードが確信を持ってしまう可能性だって出てくる。

 

楽はいつも通りだ。だが、問題は━━━━

 

 

「陸君、おはよう」

 

 

「ん…、小咲。おはよう」

 

 

何時の間に来ていたのか、小咲が陸の傍らに立って、笑みを浮かべながら挨拶をしてきた。

陸も、体を起こして笑みを浮かべて挨拶を返す。

 

 

「…ねえ陸君、千棘ちゃんと一条君。喧嘩でもしてるの?」

 

 

「あ?あぁ~…、そういうわけじゃないんだけど…。千棘がなんかな…」

 

 

小咲も違和感を覚えていたのだ。

そして、先程の続きだが、問題は千棘である。

つい昨日までは問題なかった。楽に触られたら、大体殴るか、演技の途中であれば密着し返すというやり取りを繰り広げていたはずなのに。

 

今日になって、急に変わってしまった。

今も、頬を染めながら楽と口論する千棘。二人は、クラスメートの視線が向けられていることにも気づいていない。

 

 

「…ホントに、どうしちゃったんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の口論は、チャイムが鳴り響いたことにより強制的に終了させられる。

クラスの生徒たちは全員席に着き、少しするとキョーコ先生が教室の中に入ってくる。

 

キョーコ先生は教壇に両手を置いて、生徒たちを見ながら口を開く。

 

 

「はーい、皆ちゅーもーく」

 

 

どこか別の場所に視線を向けている生徒も、その言葉でキョーコ先生に視線を向ける。

全員がこちらを向いていることを確認したキョーコ先生は、伝えるべき情報を話し始める。

 

授業について、提出したノートについて。

そして、林間学校の写真が焼き上がったことを生徒たちに伝える。

 

 

「各自欲しい写真の番号を書いて提出すること。…後、恥ずかしくても好きな人の写真は手に入れとけよ?だいじょーぶ!先生、誰が誰の写真を購入したなんて野暮なこと言わないから」

 

 

何を言っているんだこの人は。

教室にいる生徒たちの心はシンクロする。

 

そして、一時間目二時間目と授業時間は過ぎていき、放課後。

陸たちは、林間学校の写真が張り出されている廊下へとやって来た。

すでに写真の前は大勢の人が殺到している。

 

これは、写真を選ぶのに苦労しそうだ。

 

 

「うわぁ~…。これ、好きなのを選んでいいの!?」

 

 

「そうだけど…。あんまり買いすぎるなよ?」

 

 

張り出されているたくさんの写真を見て、千棘が目を輝かせている。

 

陸は、そんな千棘の様子を横目で眺めていた。

 

 

(朝はどうしたのかと思ったけど…、大丈夫、なのか?)

 

 

陸がそう思った次の瞬間には、いつの間にか人の波を乗り越えて最前線へと行き、鶫と一緒にはしゃいでいる姿があった。

 

大丈夫なのだろう。ともかく、自分たちも写真を選ばなければ。

 

陸たちも千棘と鶫に続いて人の波を乗り越え、一番前の列へと辿り着く。

 

 

「私、るりちゃんと写ってる写真が欲しいなー」

 

 

「私は別に」

 

 

「え」

 

 

自分が写っている写真を探しながら、小咲とるりが言葉を交わす。

すると、不意にるりがある写真を見つけ出す。

 

 

「あ、これなんてどう?私と小咲が写ってるよ」

 

 

「え?どれどれ?」

 

 

るりが指差す写真、486番。

小咲はもちろん、陸たちもその写真に目を向ける。

 

確かにその写真には、小咲とるりの後姿が写っていた。…かなり小さいが。

その写真のほぼ全面に、陸の姿が写っていたが。

 

 

「え?これ?小さ…」

 

 

「これならもっと探せばいいのがあると思う…、ていうかこれ俺じゃん」

 

 

明らかに陸メインで写されている写真である。

これだったらもっと探せば良いものが見つかるだろう。

 

とりあえず、自分の姿が写っているという事で486番を申込用紙に書き込んで、再び写真を探し始める陸。

 

その間、小咲は顔を真っ赤にして、ポコポコとるりの頭を叩いていた。

 

 

「あ、これ。陸と小野寺が写ってるぞ?」

 

 

「え?」

 

 

「え!?」

 

 

すると、今度は楽がある写真を見つけた。

陸と小咲、そしてるりと千棘も楽の指さす方に目を向ける。

 

今度は、521番。陸と小咲が並んで写っている。

それも、肝試しのスタートする直前だったのだろう。二人は手を繋いでいた。

 

 

「おお…」

 

 

「…」(ど、どうしよう!欲しい!でも、こんな写真を買ったなんて誰かに知られたら…!)

 

 

見事に自分が写っている写真を見て陸は感嘆し、小咲は顔を真っ赤にして買おうかどうか全力で迷い始める。

 

そして、小咲が出した決断は…。

 

 

「な、中々ないね?欲しくなる写真って!」

 

 

今はこう言って誤魔化すことだった。

さすがにこの場ですぐに決断を下せるほどの勇気を、小咲は持っていなかった。

 

だが、この男は違ったのである。

 

 

「え?いらないの?俺は欲しいけど…」

 

 

「っ!…っ!」

 

 

小咲はさらに耳まで赤く染めて絶句する。

何と、陸は申込用紙に521番を書き込んでいたのだ。何のためらいもなく。

 

 

「え、あ…。ほ、欲しい!もちろん欲しいよ!?」

 

 

「だよなぁ~。俺と小咲が写ってるのなんて、珍しいんじゃないか?」

 

 

(((すげえよ…。あんた、マジですげえよ…)))

 

 

どこか悲しげに見える陸の表情を見て、慌てて小咲も申込用紙に番号を書き込む。

そして、笑みを浮かべながら言い放つ陸を見て、楽たち三人は心の中だけで声を揃え、つぶやくのだった。

 

陸はその後、楽たちから少し離れた所で写真を探し始めた。

まだ写真選びを始めたばかりの生徒が多いのだろう。奥の方の写真は、立っている生徒の姿がなく、楽に探せると判断したからだ。

 

何やら背後で集のくぐもった悲鳴が聞こえてきたが、無視して陸はそこで写真を探し始める。

 

 

「…ん?これ…」

 

 

そこで、陸は一枚の写真に目をつける。

一見、それは満面の笑みを浮かべる千棘の姿がメインの写真だ。

 

だが、陸が見つけたのはそこではない。

千棘の後ろ、少し開いた扉の向こうに映る小咲の姿。

 

それは、まさに着替えの途中という危ない光景だったのだ。

 

 

(…先生、ちゃんと検閲しろよ。さっさと持ってって、先生にデータを消してもらうか)

 

 

幸い、この写真を見た生徒はいないようだ。

陸はさっ、とその写真を取り出して職員室へと向かう。

 

そして、廊下の角を曲がろうとして、体の向きを変えた所で…。

 

 

「あ…。悪い」

 

 

「あ、ゴメンナサイ!」

 

 

誰かにぶつかってしまった。

さらにその拍子で写真が落ちてしまう。

 

陸は、落とした写真を拾うためにしゃがもうとしたところで、ぶつかった相手の顔を目にする。

 

 

「…あれ?小咲?」

 

 

「陸君?」

 

 

陸とぶつかった相手は小咲だった。

先程、写真を選んでいたのになぜこんな所にいるのか。だが、それを問うことは出来なかった。

 

 

「あ、これ…。陸君の写真?」

 

 

「あ!」

 

 

さすがの陸も焦る。

小咲が、床に落ちた写真を拾おうとする。

 

それは、先程取り出した小咲の着替え中の光景が写ってしまった写真なのだ。

そんな写真を見られたら…。

 

 

「…これ」

 

 

「っと、ありがとな拾ってくれて。じゃ、俺ちょっと用事あるから」

 

 

見られたか?いや、大丈夫だ。

 

内心で繰り返しながら小咲から写真を奪うような形で受け取り、改めて陸は職員室へと向かう。

 

呆然と、陸の背中を眺める小咲の視線に気も向けないで。

 

 

「今の写真…」

 

 

先程、陸が落とした写真を拾った小咲。

一瞬だけだが、その写真に写った満面の笑みを浮かべる女の子の顔を見てしまった。

 

 

「千棘ちゃん…」

 

 

可愛らしい赤いリボンを着けた女の子。この学年にはたった一人しかいない。

 

しかし、何故陸はそんな写真を持っているのか。

…いや、わかっている。わかっているが、認めたくないだけなのだ。

 

 

(陸君…、もしかして…)

 

 

小咲の心に、影が差す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題の写真を届け、解決した陸は家へと帰ることにした。

まだ、写真を選ぶ期間は続く。無理して今日中に選びきる必要はないと考えた。

 

 

「おう、帰ったか陸」

 

 

「ん、珍しいな親父。今日はずいぶんお早いお帰りだな」

 

 

笑みを向けて迎える親父を、陸は皮肉を込めた言葉を浴びせる。

しかし、親父は全く気にすることなく、がっはっはと豪快な笑いを上げる。

 

だがその直後、浮かべていた笑みをすっ、と引いて、鋭い視線を陸に向ける親父。

 

 

「陸、話がある。俺の部屋に来い」

 

 

「…」

 

 

先程までの緩んだ空気はどこへ行ったのか。

すっかり冷え切った空気を残して親父はその場から歩き去っていく。

 

陸は、去っていく親父の後姿を少しだけ眺めてから視線を戻し、靴を脱いでから自分の部屋へと向かって荷物を置く。

そしてすぐに親父の部屋へと向かう陸は、先程の親父の表情を浮かべる。

 

あの表情を浮かべた親父が話すこと、大体予想が着く。

前回は中三の秋。いつもと比べて間隔は狭いが、妥当なラインだろう。

 

親父の部屋に入った陸に、何の脈絡もなく親父は言い放った。

 

 

「陸。てめえには明日から、香港に行ってもらう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回から超オリジナル話です。陸君は香港へと向かいます。
香港で、陸君は何をするのか…。


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第18話 ホンコン(1)

香港です。私、香港のことなど知らないので、違和感を覚えた読者様がいらっしゃったら申し訳ございません。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理高校、1-C教室。ただいま、ホームルームの真っ最中である。

教壇の上に立ったキョーコ先生が、一枚の紙を見ながら告げる。

 

 

「えーおはよう諸君。今日も元気に行こう…と言いたいところなんだが、一条陸は今日からおよそ一週間、家庭の事情という事で学校を休むそうだ」

 

 

その言葉を聞いた生徒たちは、表情に困惑を浮かべながらざわつき始める。

入学してから、陸はここまでまだ休んだことはない。それに、小学中学と付き合ってきた人たちならばわかるのだが、陸は年に一度ほど長期間休むことがある。

陸と昔からの付き合いの人たちは、またか、といった表情を浮かべている。

 

 

「ねえダーリン。家庭の事情らしいけど…、何か知ってる?」

 

 

「…まあ、な」

 

 

キョーコ先生が何やら「家庭の事情って、何なんだよ」と愚痴を漏らす中、千棘が身を乗り出して楽に近づいて問いかける。

返ってくる楽の答えは、どこか曖昧なもの。

 

 

「どうしたのよ?元気ないわよ?」

 

 

「…まあ、お前らには話してもいいかな。ホームルーム終わったら、鶫も連れて屋上に来い」

 

 

楽の顔はどこか浮かない。

それが気になった千棘は楽の様子を窺う。

楽も、千棘と鶫ならばあれを話してもいいか、と考えて、屋上に来るように言う。

 

千棘は、きょとんと目を丸くするが、すぐに頷く。

 

そしてホームルーム終了後、楽と千棘と鶫の三人は屋上に集まっていた。

 

 

「…え!?香港?!」

 

 

「それも、悪徳組織の鎮圧、か…」

 

 

楽が話した、陸が学校を長期的に休む理由に千棘は驚き、鶫は考え込むように拳を顎に当てる。

 

 

「確かに、香港にはかの叉焼会が手を焼いている組織があると聞いてはいたが…。その鎮圧に、ディアナが向かわされるとはな…」

 

 

「ちゃーしゅーかい?それに、ディアナって何なの?」

 

 

鶫のつぶやきは、すぐ傍にいた千棘の耳には届いていた。

叉焼会、それに、ディアナとは何なのか。

 

 

「叉焼会は、中国の中で一番規模が大きく、そして一番歴史が古い組織です。ディアナは…、まあ簡単に言えば、裏社会に通じる、一条陸の異名です」

 

 

「異名…?」

 

 

こくん、と首を傾げる千棘。そんな千棘にさらに詳しく説明を続ける鶫。

 

 

「はい。何でも、狙った標的は逃さない。狙った獲物を必ず狩る。という意味で、狩猟の神でもあるディアナという異名が着けられたのです」

 

 

ここまで、陸は任された仕事を失敗したことがない。

その事実もまた、異名の有名さに拍車をかけていた。

 

 

「でも、ディアナって…女神でしょ?陸は男じゃない」

 

 

そこで千棘は、一番気になる所にツッコミを入れた。

 

そう、ディアナとは女神の名前である。陸はもちろん男。

それなのに、何故男である陸にディアナという異名が着けられたのだろうか。

 

 

「あぁ…。陸は小学生のころからたまに仕事に連れてかれてたんだけど…。その時、あいつの髪って女の子みたいに長くてさ…」

 

 

その千棘の問いに答えたのは楽だった。

 

陸が仕事に出始めたのは、小学三年生の頃のこと。

その時の陸は、髪が背中まで伸び、動くごとに揺れるのである。

 

陸が初めて仕事に出た時、その仕事は今回と同じ、ある組織の鎮圧だったのだが、陸にやられた男たちが目にしたのだ。

長い髪を輝かせ、舞い踊るかのごとく敵を屠る、陸の姿を。

まさにその様は、女神だった、と後に語ったのだ。

 

 

「で、陸は裏社会で<ディアナ>って呼ばれ始めたんだ…。あいつ、なんて失礼な!て暴れてたなぁ…。初めて知ったときは」

 

 

陸が二度目に仕事に出た時、初めて自分にディアナという異名が着けられていることを知った。

だがその時、陸は小学四年生。ディアナという言葉の意味を知るはずもない。

 

そこで陸は親父に聞いたのだ。ディアナとは何なのかと。

 

返ってきた言葉は、月の女神。

当然、陸はショックを受けてしまう。

 

陸が長い髪を切ったのは、そのすぐ後だった。

 

 

「…そっか。あんたが朝から元気なかったのは、陸が心配だったからなのね…」

 

 

「…まあ。毎年毎年味わってるんだけど…、馴れないんだよな…」

 

 

楽が、毎年毎年陸が危ないことをしに行っていることを知ったのは、中学生になった時である。

当然、親父にも陸にも止めるよう告げた。

 

だが、親父はそういう事は陸に言えと相手にしなかったし、陸も、自分は集英会が好きだからといって止まらなかった。

 

そこから楽は毎年、弟が命の危険に晒され、もしかしたら死ぬかもしれないという懸念を抱きながら生活するという期間、最大一か月をその状態で過ごしてきた。

 

この年で四年目。だが、陸にしては八年目。

未だ、楽はこの懸念を抜き取ることができない。

 

 

「ふん。貴様が心配するまでもない。あのディアナが…、一条陸が、そう簡単に死ぬはずがない」

 

 

俯く楽を、鶫が素っ気なくはあるが慰める。

 

その言葉を聞いた千棘が、楽が目を見開いて鶫を見る。

 

 

「…な、何ですか。お嬢も…」

 

 

まじまじと見つめらる鶫が、もじ、と体を縮こませる。

 

 

「いや…、鶫が俺を心配してくれるなんて…」

 

 

「うん…、何か意外だね…」

 

 

「なっ!?わ、私は貴様の心配などしていない!!」

 

 

顔を赤く染めて否定する千棘。どう見ても、恥ずかしがっているようにしか見えない。

 

 

「ふふ…、ははは!」

 

 

「はははは!!」

 

 

「わ、笑うな!笑わないでくださいお嬢~!!」

 

 

笑いながら、屋上から去っていく三人。

だが、楽は笑いながらもこう心に決めるのだった。

 

 

(小野寺には…、絶対に言わないでおこう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香港国際空港、現地時間で9時30分に陸は到着した。

スーツケースを引いて空港から出て、指定された場所へと向かう。

 

陸はバス乗り場を通り過ぎ、傍の横断歩道を渡ってすぐの黒いビルの前に止まっているリムジンの傍で立ち止まる。

リムジンの傍には、黒いスーツを着た男性が立っていた。男性は、陸の姿を見とめると、綺麗に腰を折ってお辞儀をする。

 

 

「お待ちしておりました。集英会、一条陸様でございますね?」

 

 

「ああ。…叉焼会の王天宇か?」

 

 

男は陸の言葉に頷き、王とお呼びくださいと告げる。

 

ここまでの会話、全て陸と王は英語でこなしている。

こういう外国での仕事が多い陸は、否が応でも英語を使えるようにしなければならなかった。

 

ちなみに、中学からこれまでの英語のテスト、陸は全て満点である。高校受験も込みで。

 

さて、リムジンに乗り込んだ陸だが仕事の概要について聴いていた。

 

今回、陸が標的にする組織の名は、麻竹会。叉焼会の中では、支那竹会と言われている。

支那とは、中国では蔑称として使われている。まわりに害しか及ぼさない麻竹会に、蔑称を使うのにためらいがないという事だろう。相当手を焼かされているようだ。

 

 

「しかし、叉焼会の規模があれば俺の…、いや、他の組織の手を借りなくても鎮圧できるんじゃないのか?」

 

 

「いえ…。残念ながらそういうわけにはいかないのです」

 

 

陸が問いかけると、王は首を横に振りながらその言葉を否定する。

 

 

「今、叉焼会はかなりきわどいバランスで成り立っている状態なのです。前首領が急死してから、首領候補の人たちが相次いで死去。現首領である奏倉様も頑張ってはおられるのですが…」

 

 

「そう上手くはいかない、か…」

 

 

俯きながら言う王から引き継いで、陸が一番王が言いづらい言葉を窓の外に視線をやりながら口にする。

 

 

「まあ、今の首領は優秀ではあるが若いからな。様々な組織が、今が好機と襲ってくるのも致し方なし、か」

 

 

「その通りでございます」

 

 

現叉焼会首領、奏倉羽(かなくらゆい)は、若干16歳で就任。

前首領が死去した影響で弱体化した組織を、必死に立て直そうと努力していることを陸は知っている。

 

 

「…ここからは、首領の家族として聞かせてもらう。…羽姉は、元気にしているか?」

 

 

不意に、陸がそんなことを口にする。

 

王は、首領を姉と呼んでいる、傍から見たら訳の分からない言動をする陸に対して、何ら表情を変えずに答える。

 

 

「はい。今日も、あなた様にお会いしたがっており、抑え付けるのが大変だと連絡が入りました」

 

 

「あ…、そう…」

 

 

陸と、今日本にいる楽。そして、叉焼会首領の奏倉羽は、幼馴染なのだ。

羽が小学六年、陸と楽が小学三年の時に羽は転校してしまい、そこからはあまり連絡も取れず時は過ぎていたのだが。

7年ぶり、もしかしたら会えるかもしれないと陸も期待していたのだが…、やはり無理なようだ。

 

話を聞く限り、羽は強引にでも来ようとしているようだが、不可能だろう。

陸が滞在するのは香港、羽が今いる場所は、恐らく北京なのだから。

 

二都市間の距離、およそ3000㎞。…やはり不可能である。

 

陸は、自分に会いたいとはしゃぐ羽を想像する。

…昔とあまり変わっていないのだろうか。いつか会ってみたいものだ。

 

陸が思い出にふけっていると、リムジンが大きな建物の前に止まる。

先に王が降り。反対側に回って陸側の扉を開ける。

 

 

「ここが、陸様にお泊り頂いてもらうホテルでございます。お部屋は、最上階のスイートルームでございます」

 

 

「そこまでしなくていいんだが…」

 

 

「いえ。陸様には最上級のおもてなしをしろとの、首領からのご命令ですので」

 

 

(羽姉…)

 

 

何てことをするのだ…。いや、その心遣いはありがたいのだが…。

 

 

「いや、スイートルームは止めてくれ。なるべく、建物の少ない道路に面した普通の部屋を用意してくれ。許可がもらえたら、スイートルームとそのお客の部屋を交換してもらっても構わない」

 

 

「…承知いたしました」

 

 

正直、一客としては横暴ともいえる暴挙なのだが、叉焼会ならばこのくらい簡単にできるだろう。

それに、スイートルームと交換できるのだ。こんな魅力的な交換条件を飲みたいと思う人は大勢いるだろう。

 

 

(最上階、それもスイートルーム。まわりの建物の状況から見て、狙撃するには絶好のポイントだからな。羽姉には悪いけど、部屋は変えさせてもらおう)

 

 

周りには、多くの高層ビルやら高級ホテルやらが並んでいる。

陸を客として最高のもてなしをしようという羽姉の心遣いなのだろうが…、最上階の部屋というのは最悪のチョイスである。

 

麻竹会に陸が叉焼会の援軍として来ているという情報が渡っている可能性がある。

まだ視線を感じたことはないが、これから陸が見つかり、そして監視を受けるという可能性だってある。

 

そんな状況で、最上階でなおかつ、見事な景色を見せるために窓が多くなっているであろうその部屋に泊まってしまったら…、狙撃の格好の標的になってしまう。

 

 

「陸様。お部屋に関してですが、ご要望通りのお部屋をご用意できました」

 

 

「そうか…。お代に関しては、そちらに任せるという事でいいんだよな?」

 

 

ホテルのロビーに入った陸に、王が駆け寄って話しかけてくる。

用件は、陸の要望通りの部屋が取れたという事。

 

陸は王に向かって頷く。王もまた頷き返し、黙って陸を先導してエレベーターに乗り込む。

 

陸の部屋は、三階の一部屋。

窓は一つだけであり、さらにベッドの傍らで寝転がれば、外からは姿が見えなくなるという好条件である。

 

 

「では。私どももこのホテルの部屋にお泊りしています。何か御問題があれば、508にご連絡ください」

 

 

「…わかった」

 

 

「では、二時間後にもう一度お訪ねします。その時に、今回のあなたのお役目について詳しくご説明いたします」

 

 

王の説明を聞きながら部屋の点検を行い、カーテンを閉め、最後に内線を見つけてから頷く。

 

王がそう言い残して部屋を去っていくと、陸はスーツケースを壁際に置き、再び部屋を調べ始めた。

念のため、可能性は少ないだろうが盗聴器の点検である。

 

コンセントのカバーの裏、テーブルの裏、ベッドの裏。

様々な設置しやすそうな場所を点検し、盗聴器は仕掛けられていないという事を確認すると、陸はホッと息を吐く。

 

点検を終えた陸は、部屋ごとに置かれているテレビを本体のスイッチを押して付ける。

 

陸はその後、スーツケースの中からゲーム機PFPを取り出し、電源を入れてゲームを始める。

ちなみに、そのゲーム機の中に入っているのは日本で大人気である、魔物を狩るゲームである。

 

画面の中で、キャラクターが日本の剣を手に巨大な魔物に立ち向かっていく。

 

長い間の移動時間で疲れた体を休めるという名目で、陸は自身の欲望を満たすべくゲームに没頭するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そうか、無事に到着したか。わかったね。後は任せるよ」

 

 

「夜ちゃん夜ちゃん!陸ちゃん、着いたって!?」

 

 

北京にある、とある家のとある一室。

そこには、一人の女の子と女性がいた。

 

夜と呼ばれた女の子は、持っていた携帯電話をテーブルに置いてから、わくわくと体を揺らしている女性に目を向ける。

 

 

「そうね。無事についたようね。けど、やはりスイートルームには泊まらなかったそうね」

 

 

「えー!?むぅ~、陸ちゃんのバカ…」

 

 

夜の最後の言葉、スイートルームに泊まらなかったという言葉を聞いて、女性は唇を尖らせて拗ねる。

 

 

「普通ならそうするね。首領もわかってたね」

 

 

「まあ…、そうだけど…」

 

 

夜が女性を横目で見ながら告げると、女性はしゅん、と俯いてしまう。

 

 

「でも、陸ちゃんには会えなかったし…。少しでも楽しんでもらえたらな、て思って…」

 

 

「無理ね。ディアナは仕事をしに来たんだから、楽しむなんて無理よ」

 

 

この二人、ただいま陸がゲームをして楽しんでいるなど全く知らないのである。

 

 

「…やっぱり私、今から香港に「おバカ。やめろ」…はい」

 

 

可愛らしく女性が両拳を握ったかと思うと、勢いよく駆け出して部屋を出ようとする。

だが、女性が部屋を出る直前、夜が先程までとは違う、殺気の籠った声を発すると、女性の動きは固まり、ぎぎぎ、と錆びたロボットのような動きをしながら振り返り、弱弱しく返事をする。

 

そんな女性の様子を見た夜は、ため息をついてから口を開く。

 

 

「我慢するね。後一年もすれば日本に行ける。そしたら、あの双子にだって会えるね」

 

 

「…そうだね。うん、ありがとう夜ちゃん」

 

 

またまた夜の声の様子は変わり、今度はまるで幼子を宥めるような声で女性を慰める。

女性も、言葉を返しながら夜に笑みを向けてから、長い髪を揺らしながらテーブルに着く。

 

 

「さーて!陸ちゃんも頑張ってるんだし、私も頑張らなくちゃ!」

 

 

女性…、叉焼会首領、奏倉羽は、いつか訪れる再会を夢見て自身の役目に身を埋めていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




羽がここでの登場!陸には会いませんが…。


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第19話 ホンコン(2)

予約投稿です


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸が、学校を休み始めてから5日。

その日、学校は休みであり、小咲は家の部屋のベットの上で寝ころんで天井を見上げていた。

 

 

「…陸君」

 

 

中学の時もそうだった。一年に一度ほど、一週間、最長で一か月も休んでいたことがあった。

どうしたのか気になり、陸が休んでいる最中に楽に聞いたり、学校に来るようになった陸に聞いたりもした。

 

だが、返ってくる答えは、毎回『大したことはない』。

一週間、一か月も休んで大したことないはずないのに、陸も楽も理由を教えてくれなかった。

 

知りたい。陸が休んでいる理由を知りたい

今までも思ってきたことだが、今回はあることも相まってさらにその気持ちが大きくなっている。

 

あの、陸が持っていた千棘の写真だ。

あの写真は、写真の端に映っている着替え中の小咲に気づいた陸が、教師に持っていって報せるために取り出したものだったのだ。

それを、小咲は勘違いしてしまった。

 

 

「陸君…」

 

 

今、何をしているのだろう。

会いたい。会って、お話がしたい。

 

今まで、ここまで会いたくはならなかったのに。

 

 

(…これって、陸君の事、もっと好きになっちゃったってことなのかな)

 

 

体を転がし、右腕を下にして頭を乗せる。

小咲の目に映るのは、自分の部屋の全体。

 

タンスや引き出し、部屋に置かれている家具は可愛らしい物が揃っている。

小さい頃、母にこれがいい、と必死に頼んで買ってもらったものばかりだ。

 

だが今は、その可愛らしい色は霞んで見えてしまう。

 

 

(陸君…、会いたいよ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…?」

 

 

不意に、陸が目を虚空に向ける。

じっ、とその方向に目を向けたまま陸は黙ってしまう。

 

 

「どうかされましたか?」

 

 

「…いや」

 

 

傍らにいた王が、どうしたのか様子を聞いてくる。

陸は、視線を向けたものの何もない事を確認してから答える。

 

 

(…バカか。小咲がいるわけないだろ?小咲の声が聞こえた気がするとか…、あり得ない)

 

 

自分を呼ぶ小咲の声が聞こえたような気がしたのだ。

この香港に、小咲がいるはずがないのに。そんなこと、あり得るはずがないのに。

 

小咲に会いたいと、思ってしまう。

 

 

(落ち着け。今は仕事の最中だぞ、集中しろ)

 

 

現在、陸は小さ目の乗用車に乗って、窓の外に目を向けていた。

その視線の先には、サングラスをかけスーツケースを持った黒スーツの男が、車道を挟んで向こう側の歩道を歩いている。

 

今の状況を説明するには、一昨日まで時を遡る。

 

 

「取引?」

 

 

ホテルの部屋の中で、陸が鋭い視線を向けながら相手に問いかける。

その視線の先にいるのは、王だ。王は表情を変えずに、陸に口を開く。

 

 

「はい。麻竹会が、二日後…つまり明後日に何かしらの品物の取引を行うという情報が、諜報員から入ったのです」

 

 

王が陸の部屋にやって来たのはつい先ほど。

何やら報告があるとやって来た王が持ってきた情報は、この仕事に終止符を打つための道を示す重要なものだった。

 

 

「迂闊だな。そんな情報を外に漏らすとは…、とはいえこちらにとっては好機だな」

 

 

その取引がどういうものなのかは知らないが、明らかに機密にすべき情報を簡単に漏らしてしまった麻竹会は迂闊としか言いようがない。

 

 

「…場所もわかっているのか」

 

 

「はい。ここから15㎞地点にある小さなビルです」

 

 

これには唖然としてしまう陸。まさか場所まで漏れているとは思わなかった。

 

 

「…罠じゃないのか?」

 

 

「はい。その可能性も考え、諜報員には更なる調査を命じております」

 

 

どうやら、王も同じことを危惧していたようだ。

ここまで情報が漏れてしまっていると、罠ではないかという恐れも浮かんでくる。

 

いや、それほどまでに麻竹会は組織としてあるまじきことをしてしまっているのだ。

組織の壊滅につながっていく恐れもある情報を、漏らしてしまっているのだ。

 

 

「…ともかく、何にしても行ってみるべきだろうな。明後日といったか、その取引は」

 

 

「はい」

 

 

王にもう一度確認を取ってから、陸は最後にこう言った。

 

 

「なら、その情報に誤りがあった、罠だ等の報告がない限りは明後日の取引、探りに行く」

 

 

 

 

 

こういう経緯があって今に至る。

陸が視線を向けている黒スーツの男は、周りに悟られないようにはしているが、ちらちらと顔を小さく動かして辺りの様子を探っている。

 

そして、不意に立ち止まるともう一度辺りを見渡して、路地裏へと入っていった。

 

瞬間、陸は王に目を向け、王もまた頷いて返す。

 

 

「追え。繰り返し言うが、悟られないように気を付けろ」

 

 

王は、襟元に取り付けられているマイクに向かって小声で語り掛ける。

すると、男が入っていった路地裏に、二人の男たちが入っていく。

 

捜査員が男の行方を探っている中、陸たちは路地裏への道をその目で睨むだけ。

車内は沈黙が支配し、外から聞こえてくる歩く往来のざわめきは今の陸と王の耳には入ってこない。

 

 

「…何だ。…そうか、わかった。引き続き、監視を続けろ」

 

 

「どうかしたか?」

 

 

路地裏の方に視線を集中させている中、再び王の口が開かれる。

恐らく、男の方に動きがあったのだろう。陸は王に問いかける。

 

 

「男は、路地裏を通って小さなビルの中へと入っていったそうです。引き続き、監視を命じておきました」

 

 

「…そうか」

 

 

王の判断に誤りはない。捜査員の存在が悟られていないのならば、監視を続けるべきだ。

そして、男に捜査員の存在に気付いたという様子はなかったという。

 

となると、やはり王と同じように監視を続けるべきだと陸も判断する。

 

再び訪れる沈黙。捜査員の報告を待つ陸と王。

 

だが、おかしい。報告を待ち始めて一時間が過ぎる。

念入りに取引が続いていると言われればそれまでなのだが、すでに品物も決まっているのだから、払う代金だって決まっているはず。

 

ここまで時間がかかるとは思えない。

 

 

「…っ?」

 

 

そこで、陸はバックミラーに映った黒い車に気づく。

一見、何の変哲もない車。だが、陸が注目したのはその車内。

 

完全に、車内の運転席、助手席に座っている二人の男の目が、こちらの車を捉えている。

 

陸の背筋に、寒気が奔る。

 

 

「車を走らせろ!」

 

 

「え…?」

 

 

「早く!」

 

 

運転手が戸惑った声を漏らすが、構わず陸は運転手に怒鳴りつける。

陸の強張った表情と、物を言わせぬ声に思わず運転手はアクセルペダルを踏んで車を走らせる。

 

 

「陸様、何を…」

 

 

「王。捜査員に連絡を取れ。…まあ、遅いだろうがな」

 

 

え、と声を漏らした後、王は陸の言う通りに捜査員に連絡を送る。

だが、それは陸の危惧していた通り、そして王が考えていなかった結果を呼び込む。

 

 

「おい…。どうした!返事をしろ!」

 

 

「…やはりか。俺たちは誘い込まれたんだよ。奴らの思い通りにな」

 

 

麻竹会から漏れてきた取引の情報。それが嘘だったとまでは断定できないが、それを餌にこちらを誘い込んできたのは間違いないだろう。

 

陸は後方をバックミラーを通して見る。

あの黒い車は、こちらを追ってきていた。

 

 

(こちらの拠点を特定するつもりだな。だが、そうはさせない)

 

 

この車を追って、陸たちが泊まっている拠点を特定しようとする意図を悟る陸。

 

陸は、なるべく後方にいる男たちに怪しまれないよう、座ったまま問いかける。

 

 

「人が中々来ない場所は近くにないか?後ろから追ってくる車を迎え撃つ」

 

 

「なっ…」

 

 

「後ろを見るな。こちらが向こうの思惑に勘付いていると気づかれたくない」

 

 

陸の言葉に、目を見開きながら振り返ろうとした王を陸は引き留める。

 

 

「…はい」

 

 

「それで、この近くに人が来ない場所、目立たない場所というものはあるか?」

 

 

「港…、港はこの時間帯、出発する船もなく人は少ないかと…」

 

 

陸の言う通りに、僅かに動いた体の位置を戻す王を一瞥してから、陸はもう一度問いかける。

その問いに答えたのは、ハンドルを握る運転手だった。

 

港…。陸は一瞬、他の所はないのかと口を開きかけるが今はそんなこと言っていられる場合じゃない。

 

 

(くそ、甘く見過ぎた…。何でこんな簡単なことを見抜けなかった…!?)

 

 

目を細くし、歯を食い縛って自身の失態を悔やむ陸。

いつもの自分ならば慎重に対応していたはず。

 

初めて、集英組のお供をつけずに一人で来たから?プレッシャーを感じていた?

それとも━━━━

 

 

(…どうでもいい。ともかく、今はこの状況を逆手に取ることを優先する)

 

 

確かに、状況だけ見るとこちらが追い込まれているようにも見える。

だが、逆に考えれば、上手くいけばこちらが向こうを領域に呼び込める好機。

 

陸は気持ちを入れ替え、次の行動に移るための準備を始める。

 

 

 

 

 

 

 

後方の車、助手席の男が不意に口を開いた。

 

 

「なあ、おかしくないか?ホテルが多く立ち並ぶ通りからこんなに離れて、あいつらはどこに行こうとしているんだ?」

 

 

「さあな。もしかしたら、俺たちの逆を突くために、思わぬところを拠点に構えているのかもな。ま、それも無駄になるんだけどよ」

 

 

いやらしい笑みを浮かべながらハンドルを握る男。

確かに、そう言われればそれまでなのだが、しかし助手席に座る男の胸に差した影は晴れてくれない。

 

前の車を追う男たち。

前の車は止まる気配を見せず、ついに人通りの少ない所まで走ってきてしまった。

 

 

「なあ…。マジでおかしくないか?こんな所に…」

 

 

「何がおかしいんだよ?俺たちの裏をかこうとしてるんだ、人通りの少ない所に拠点を置くのは当然だろう」

 

 

懸念を口にする助手席の男だが、ハンドルを握る男は相手にしてくれない。

しかし、男の言う事にも一理あるのだ。助手席の男は強く言い切ることができず口を噤んでしまう。

 

まだ走る前の車。そして、対象は人のいない港へと入っていった。

 

 

「おい、これはさすがに…」

 

 

「まさか奴ら!ここに車を止めて寝泊まりしてるんじゃ!?」

 

 

さすがにおかしい。そう思った助手席の男だったが、運転手の男はそうではないようだ。

この港に車を隠し、そこで寝泊まりしていると運転手の男は考える。

 

こればかりは引いてはいられない。いくら何でも、これはおかしすぎる。

 

 

「おい!奴らを追うのはいいが、まずは本部に連絡を…」

 

 

「ふざけるな!本部に連絡するのは奴らを見つけてからだ!」

 

 

運転手の男を止めようと、助手席の男は声を張り上げるが止まらない。

 

運転手の男の中にあるのは、対象の拠点を見つけて手柄を上げる。その事だけ。

 

 

「ふざけてるのはどっちだよ!状況を考えろよ!」

 

 

「考えてるに決まってんだろうが!ここで拠点を構えている奴らを見つける!そうすれば組織にとっても優位になるはずだ!」

 

 

運転席の男の頭の中では、すでにここで叉焼会の者たちが拠点を構えているのは決定事項のようだ。

後は、その拠点の場所を特定するだけ。そう考えている。

 

 

(くっそ!何でこんな奴とコンビ組まなきゃならないんだ!)

 

 

心の中で悪態をつく助手席の男。

ドライブテクを買われ、今回の任に就いた隣の席に座る男だが、どうも短絡的なのだ。

その上、自己中心的な性格をしており、言い出したら聞かないという欠点を持っている。

 

この任で、カーチェイスの可能性を考えてこの男を抜擢した組織のボスだが、どうやらその采配は失敗だったようだ。

 

 

「ともかく慎重になれ!まずは車を止めろ!走行音で奴らが気づいて移動する可能性だってある!」

 

 

「…わかった。確かにそうだな」

 

 

ともかく、車を止めなければ話にならない。

バカな男の頭にもわかる様に説明し、車を止めるように言う。

 

今回は男も納得したのだろう。

それでも渋々といった感じなのだが、頷いてブレーキをかける。

 

だが、余りにも遅すぎた。

 

 

「…なっ!?」

 

 

「何だ!?」

 

 

いきなり襲う車体の揺れ。車体が右に傾き、運転手のコントロールが効きづらくなる。

 

火花を散らしながら、ようやく止まった車から降りる二人。

何だったんだ、と息を吐きながら降りた二人は、こちらに向けられる銃口に気づく。

 

 

「動くな。…麻竹会の一員だな?」

 

 

二人が目を向けた先、そこには銃口を向ける陸と王の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第20話 ホンコン(3)

Qこれは何の小説?

Aニセコイです


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…おい、あの二人からまだ連絡が来ないのか?」

 

 

薄暗い、事務所の社長室の中で恰幅の良いスーツを着た男が傍らの秘書官の男に問いかける。

秘書官は、その手に携帯電話を持って画面を見るが、首を横に振ってこたえる。

 

 

「いえ。こちらのエサにはかかったと連絡は来たのですが、後の連絡はまだ」

 

 

表情を曇らせながら答える秘書官に、恰幅の良い男はにまりと笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

「まあいい。どうせこの場所を特定することなどできまい。たとえ、特定することができたとしても…、こちらにも強力な味方がいるのだからな」

 

 

男は、言いながら背後の窓際に立つマントを纏った人物を一瞥する。

 

窓際に寄りかかって立っていた人物は、その男の言葉を聞きながらにやりと笑う。

 

 

「お任せ下さい。このレッドスネーク…、狙った獲物は逃しません」

 

 

唇を舌で舐めまわし、底冷えするような低い声でそう告げる。

 

この人物は、麻竹会のメンバーではない。

だが、麻竹会リーダーである恰幅の良い男が雇った傭兵である。

 

近頃、叉焼会のこちらを探る動きが活発になっているという情報を耳に入れ、念には念を入れ、強力な傭兵を雇ったのだ。

 

雇った人物が口にした、レッドスネークとはまさに、その人物の二つ名である。

 

この男が訪れる場所には、必ず血が流れる、

この男の眼光に捉えられた者は、生き永らえることは出来ない。

 

紅き蛇は、その目の奥で姿を思い浮かべながら、得物の到着を待つ。

 

 

「…何だ?」

 

 

そんな時、男のデスクにある内線の音が響く。

すぐに男は受話器を取って耳に当てて、かけてきた相手に用件を聞く。

 

 

「…何?何だと?」

 

 

男は、話を聞くごとにその目を見開いていきついには立ち上がる。

 

 

「叉焼会の奴らが乗り込んできた!?なら、早くそいつらをぶち殺せ!そうすれば本部の奴らへの威圧にもなる!ああ!早く行け!」

 

 

受話器を叩きつけるように戻した男は、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。

 

 

「…来ましたか」

 

 

天井を仰いでいる男に、マントの男が声をかける。

 

 

「ああ。まあ、貴様の出番はないとは思うが、一応準備はしておいてくれ」

 

 

声をかけられた男は、にやりと笑みを浮かべながらマントの男に言葉を返す。

 

 

「貴様、何をしている!早く貴様も行かんか!」

 

 

「は、は…、はいっ!」

 

 

恰幅の良い男は、この中でボーっとしている秘書に向かって指示を出す。

秘書は、返事を返してから慌てて部屋の外へと駆け出て行く。

 

 

「…来るさ」

 

 

その光景を眺めていたマントの男が、椅子に座って息を吐く男には聞こえない様にぽつりとつぶやいた。

 

 

「必ず来るさ…。月の女神はね…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

港で、二人の男を捕らえた陸たち。

銃を向けて脅し、上方を履くように聞けば、片方の男がすぐに吐いてくれた。

 

その男は、彼らの車内で運転をしていた方の男だったのだが、そんなことを露知らない陸。

すぐに吐いてしまった男を非難する男と、命が大事だと主張する男の言い争いをただ呆然と眺めることしかできない。

 

一まず、二人の男を落ち着かせた陸たちは、男たちを拘束し王が呼びだしたメンバーたちに身柄を引き渡す。

確かに身柄を引き渡したことを確認した陸たちは、すぐさま男から聞き出した麻竹会の拠点としているビルへと急ぐのだった。

 

 

「…これが、あいつらの言っていた拠点」

 

 

そして、男たちの言う通りの場所に着くと、眼前にそびえ立つのは小さいビル。

一目に憑かない場所に建てられた、如何にもなビル。

 

条件的には明らかにここだ。

 

だが、決めつけるわけにもいかない。まだ、それを裏付ける確証はない。

 

 

「王さん、俺が一人で行きます。離れた所で待機していてください」

 

 

見た所、前方入り口の警備は万全のようだ。

二人が配置されており、正面からの侵入は不可能に見える。

 

だが、陸は堂々と正面入り口まで足を進め、そして二人の警備員に針路を塞がれる。

 

 

「おい貴様。ここに何の用だ」

 

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ」

 

 

険しい顔で陸の進路を塞ぐ、二人の警備員を一瞥する。

 

そして陸はそっと口を開いた。

 

 

「ああ、ここに用があって来たんだ。…入らせてもらう」

 

 

長々と話をする気はない。話をしてわかってもらえるとは思っていない。

陸はすぐさま右手左手にいる警備員の顔面を両腕で殴って怯ませる。

 

 

「がっ!?」

 

 

「なっ…、なにっ…」

 

 

二人がひるんでいる間に、陸はそれぞれの背後に回り込んで首筋に手刀を入れて意識を刈り取る。

 

見張りを失った正面玄関を、陸は易々と侵していく。

 

 

「何だ!」

 

 

「誰だ貴様は!?警備員はどうした!?」

 

 

正面ゲートから堂々と入ってきた陸の姿を見て、ロビーにいた男たちが大声で喚きはじめる。

 

 

「お前たちに何も話す気はない。おとなしくここを通してくれるなら、お前たちには何もしない」

 

 

「はぁ!?何言ってんだこのガキが!!」

 

 

「舐めてんじゃねえぞクソガキ!」

 

 

強がりな戯言と取ったのだろう、男たちは警棒などそれぞれの獲物を手に取って陸に襲い掛かる。

それに対して、陸もまた腰に差した刀を抜き放つ。

 

陸の振るった刀は、陸に襲い掛かってきた三人の獲物を半ばから斬り落とす。

目にもとまらぬ速さで斬撃を入れてきた陸を、男たちは信じられないとばかりに目を瞠って見つめる。

 

 

「もう一度言う。黙って通してくれ。そうすれば、俺は何もしない」

 

 

鋭い目で辺り一帯を見回しながら告げる陸。

 

先程の陸の芸当、そして今現在伝わってくる強烈な殺気に後ずさる男たち。

 

 

「…」

 

 

陸はこれ以上何も言わず、ビルの奥へと駆け出して行った。

後方に注意を向けるが、銃などを使って背中を撃とうとするような輩は居ないようだ。

 

陸は足を進めながら、通信機に手をかける。

 

 

「王、正面ロビーは突破した。そこにいる男たちの拘束を」

 

 

そう言って、陸は通信機の電源を切って階段のある方へと足を進めていく。

先程、港で拘束した男の話によると、麻竹会ボスのいる部屋は三階にあるという。

 

陸は階段を上り、二階へと辿り着くのだが…。

 

 

「おらぁ!てめえ、何者だぁ!!」

 

 

「一階から連絡があったぞ!ガキが、生きて帰れると思うなよ!!」

 

 

いきり立って、やって来た陸に襲い掛かってくる男たち。

中には、拳銃を持っている男までいる。

 

一階の時の様に簡単にはいかなさそうだ。陸は気を引き締めてかかる。

 

鉄パイプや、刀を持った男たちが襲い掛かってくる。

陸も手に持っている刀を構えて、男たちを迎え撃つ体勢を整える。

 

陸は、刀を振るって男たちの鉄パイプ、刀を弾き飛ばした後、男たちの腹に峰打ちを入れて意識を奪っていく。

 

だが、突っ込んできた男たちだけでなく、後方で銃を構える男たちの二波がくる。

 

一方の陸もまた、服に隠れていた銃を取り出して男たちに向ける。

陸は、一度引き金を引くとすぐに前方に向かって跳びかかる。

前転して、前からの銃撃をかわし、体勢を整えて再び銃を向ける。

 

二度、引き金を引いてから陸は腰を上げて駆けだす。

陸は、後方から放たれる銃弾を、壁の陰に隠れてやり過ごしながら最後の階段を目指す。

 

 

「邪魔だ!」

 

 

陸は、刀を手に立ちはだかろうとする者の集団を蹴散らし、最後の階段を上る。

 

三階へと辿り着くと、そこには一階、二階ほど多く人の気配は感じられなかった。

二階からは男たちの怒号が聞こえてくる。王たちが上手くやってくれているのだろう。

 

 

「…」

 

 

三階を探索し、一番奥。そこには、一瞥程度でしか見てきてはいないが、やけに豪華に思える大きな扉がある。

この先からは、確かな人の気配が感じられる。

 

間違いない。陸は迷わず、麻竹会元首がいる場所であろう部屋に足を踏み入れる。

 

 

「…ようこそ。歓迎するよ」

 

 

扉を開け、その正面。豪華なデスクに腰を下ろすふくよかな男が、笑みを浮かべながら陸を出迎える。

そんな男を、陸は目を細め、冷たい眼光を含んだ眼差しで睨みつける。

 

 

「まさか、こんな短時間で、それも単独でここまで来ようとは思わなかったよ。ディアナの力、侮っていたようだ」

 

 

「やはり、俺が叉焼会に手を貸していることを知っていたのか」

 

 

陸の眼光を見に受けながらも、余裕な態度を変えずに言葉を続ける男。

その男の言い方で、陸は麻竹会が自分が叉焼会の援助に参上していたことを知っていたのだと悟る。

 

 

「だから言ったでしょう?ディアナは必ず来る、と」

 

 

と、そこで男の影に隠れて姿が見えなかった。マントを被っていた男が姿を現す。

言いながら、マントの男は鋭い眼差しを陸に浴びせてくる。

 

瞬間、陸は目の前のマントの男が、相当の実力を持っていることを感じ取る。

冷たい殺気、隙の見当たらない立ち振る舞い。明らかに実戦慣れしている。

 

 

「っ!」

 

 

「ふっ…」

 

 

次の瞬間、マントの男、その直後に陸が拳銃を互いに向かって構える。

 

だが、そこで互いの動きは止まった。引き金に指をかけ、だが力は入れず。

牽制し合う陸とマントの男。

 

 

「やれ、ヘルスよ。この男を、殺せ」

 

 

笑みを浮かべたまま、ふくよかな男は告げ、椅子から立ち上がると陸の背後、扉へと駆け出す。

 

 

「っ!?」

 

 

「おっと、させないよ」

 

 

当然、陸は男の動きを止めるべく刀を抜こうとする。

だがその前に、ヘルスと呼ばれた男が銃を陸に向けて発砲する。

 

 

「ちっ!…くっ」

 

 

ヘルスの動きを横目で捉えた陸は、膝を曲げ、自身の顔面を狙った銃弾をかわす。

その間に、あの男は部屋を出て逃走を開始する。

 

陸も追いかけようとするが、ヘルスがこちらに接近しながら銃の引き金を引く。

すぐさま陸は体を翻しながら横へと駆ける。

 

 

「これでもあの人の護衛だからね。行かせないよ」

 

 

笑みを浮かべ、弾切れをした銃を投げ捨て、新しい銃を取り出したヘルスは陸を狙う。

陸も銃をヘルスに向けて発砲。

 

それぞれが、相手の指の動きを捉え、銃弾をかわし続ける。

 

しばらくこの状態で膠着を見せる。

 

 

「…この程度なのかい?」

 

 

ヘルスは、そう言いながら、もう一方の腕を振るう。

 

 

「!?」

 

 

そこから投げ出されたものを見て、陸は目を見開く。

すぐにその場から後退して、両手で耳を抑え、目を閉じる。

 

瞬間、部屋の中で弾ける閃光。先程ヘルスが投げたものは、スタングレネード。

爆発音と、爆発時の光で相手の五感を一時的、規模が大きいものとなれば永久に奪う事すら可能な兵器。

 

だが、その爆発も一瞬。陸はすぐに両耳から手を離し、同時に閉じていた瞼を開ける。

 

 

「ねえ、本当に?」

 

 

「しまっ…!」

 

 

直後、不機嫌そうな表情で陸の懐に飛び込むヘルス。

ヘルスは、マントの中から長剣を取り出し、陸に向かって振り下ろす。

 

陸も、持っていた刀でヘルスの斬撃を防ぐ。

 

 

「本当に、ディアナの強さはこんなものなの?」

 

 

ヘルスはさらに、持っていた銃を陸に向けようとする。

 

陸は持っていた銃を投げ捨て、空になった手で銃を握るヘルスの手首をつかんで抑える。

 

 

「違うよね?僕が見たディアナは…、こんなものじゃなかった」

 

 

「何を言っているのかは知らないが…、生憎、お前の要望通りにするつもりはない」

 

 

両手に力を込めて押し合う陸とヘルス。

歯を食い縛りながら力を込める陸と違い、ヘルスは明らかに余裕そうだ。

 

そして、それと同時に不機嫌そうに陸を睨む。

 

 

「…僕相手じゃ、本気になれないってことかな?まあ、それでもいいけど、ね!」

 

 

言いながら、ヘルスは陸の腹に蹴りを入れる。

堪らず、後退してしまう陸に向かって再び発砲。

 

 

「くっ」

 

 

陸はそれに対し、刀の腹に手を添えながら盾に構え、放たれた銃弾を防ぐ。

 

 

「でも、やっぱり嫌だなあ。本気のディアナと闘えずに、命を奪うなんて。どうやったら本気になってくれる?」

 

 

無邪気に問いかけながら、ヘルスは陸に向かってさらに銃弾を連射する。

陸は、すぐに横へとステップしてヘルスとの間合いを保つ。

 

こうして銃弾をかわし続ける陸だが、その間合いの限界はある。

これ以上近づかれれば、銃弾をかわすことは不可能だ。

 

陸は相手との間合いを保ちながら銃弾戦を繰り広げる。

その間、不機嫌そうなヘルスの表情は変わらない。

 

しかし次の瞬間、マントに隠れて良く見えなかった唇が、やけによく見えるようになる。

三日月形に歪んだヘルスの赤い唇が、陸の目に捉えられる。

 

 

「日本にいる…。君の大切なお友達を殺したら、本気になれる?」

 

 

「っ!」

 

 

まさか、知っていたというのか。

 

ディアナの強さに何故か執着を見せるこの男。自分のまわりを調べていたのだ。

 

それなのに、何故その間自分に襲い掛かってこなかったのかはわからない。

だが、自分の周辺の友人関係を知っている。

 

 

「たとえば…、小野寺小咲とかいう娘を殺したら、君は本気になれるのかな?」

 

 

この男は、ここで逃がすわけにはいかない。そう考えていた陸の耳に、そんな言葉が飛び込んでくる。

 

友人が…、小咲が、殺される?

 

この男は、小咲を殺すと言ったのか?

 

瞬間、陸の中で全てが嵌る。

見るのは相手の目、手、足の動きだけ。

今いる部屋の状況は全て頭の中に入っている。

それらの情報以外は、全てカット。

 

陸は、ヘルスが撃つ銃弾をかわすと、手に持っていた拳銃をヘルスに向かって投げつける。

 

 

「なっ!?」

 

 

まさか、武器を投げて来るとは思わなかったのだろう。目を見開いて驚愕するヘルスだが、顔を横に傾けて陸が投擲した拳銃を避ける。

 

だがその間に、陸はヘルスの懐へと飛び込んでいた。

刀を振り上げる陸。目を見開き、歯を食い縛りながら足を動かし後退しようとするヘルス。

 

陸の刃は、確かにヘルスの体を切り裂く。少なくない血がヘルスの体から噴き出す。

だが、浅い。ヘルスは、まだ動ける。

 

 

「これが、君の本気かい?」

 

 

追い込まれているのはヘルスの方だ。それなのに、ヘルスは笑みを浮かべる。

 

 

「これを待っていたんだよ、僕は!今の君を殺すことを…、僕はずっと待ち望んでいた!」

 

 

初めて見たのは、三年前。

恐るべき立ち回りで、襲いくる組織の一員たちを薙ぎ払っていたその姿。

 

憧れの念を覚えた自分に、怒りを抱いた。

彼を殺すことに、いつから執着していたのだろう。

それも、ただの彼じゃない。本気で、全力で自分に殺意を持った彼を。

 

どうすれば自分に本気で殺意を持ってくれるか。

日本に入国し、彼を観察し始めたのは、彼を見てから二年後。

 

たった一週間という短い期間ではあったが、彼の友人関係はあらかた洗い出した。

特に、小野寺小咲という娘と親しくしていることを知ったヘルス。

 

この女を殺して…、その犯人が自分だと知ったら、彼は殺意を覚えてくれるだろうか?

 

 

(まさか、言葉だけでこうなってくれるとはね)

 

 

眼前で、刀を振り下ろす陸を見ながら心の中でつぶやくヘルス。

陸に対し、ヘルスは剣を振り上げて対抗する。

 

先程とほとんど同じ展開。先程は、そこからヘルスが銃を向け、陸がそれを抑えた。

 

だが、今回は陸が先に動く。ヘルスから距離を取ったかと思うと、ヘルスの視界から陸の姿が消える。

 

 

「え…、きえっ!?」

 

 

陸の姿を見失った直後、右腕から衝撃が伝わる。

衝撃はヘルスの全身を襲い、大きく体を投げ出す。

 

投げ出されたヘルスの体は壁へと叩きつけられ、そして彼の眼前には刀の切っ先が突きつけられた。

 

 

「…やっぱり、強いね」

 

 

「…」

 

 

睨み合う二人。ヘルスが話しかけるが、陸からの返事はない。

 

 

「どうするの?僕を、殺す?」

 

 

この問いかけにも、陸は返事を返さない。

 

 

「僕は本気だよ。君が生かしてくれるのだったら、再び僕は君の前に現れる。その時は…、周りにも危害が及ぶかもね」

 

 

「…だろうな」

 

 

この言葉には、陸も反応した。だが、その反応は言葉だけではなく。

 

ヘルスの体から鮮血が噴き出す。噴き出した血は、陸の顔面から足まで飛び散ってかかる。

 

 

「迷いなし…か…。やっぱり…、きみ、は…」

 

 

ヘルスの体から力が抜けていくのが目に見えてわかる。

 

最後に、彼は何を言おうとしたのだろうか。わからないし、知るつもりもない。

 

陸は、最後にヘルスの死体を一瞥してから部屋を立ち去る。

麻竹会のボスがこの部屋から去っていったが、恐らく王が、叉焼会が対応しているだろう。

 

 

(…これが、俺のしていること)

 

 

まるで、自身に刻み付けるかのように心の中でつぶやいた陸は、すっかり静まり返ったビルの中を歩く。

 

陸の予感通り、一階に戻った陸は、縄で縛られ拘束された麻竹会のボスを含めた全てのメンバーの姿を目にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そう。成功した、ね。お疲れね、王」

 

 

『労いのお言葉、感謝します。夜様』

 

 

国内の時間ではもう夜中。そんな中、北京にある叉焼会本部の一室で、夜は受話器を耳に当て王と話をしていた。

 

 

「それで、どうだった?ディアナの様子は」

 

 

そんな夜の口から出たのは、陸の異名でであるディアナ。

 

夜の問いに、王はすぐに答える。

 

 

『単独で、麻竹会のビルを突破。三階の社長室で、レッドスネークと戦闘、並びに撃破。その間、三十分とかかりませんでした』

 

 

「それはそれは…、恐ろしいほどの戦闘能力ね」

 

 

王の答えを聞き、歯をむき出しにしながら笑みを浮かべる。

 

今回の麻竹会とのいざこざ。本当ならば、陸の、ディアナの力など必要なかった。

あの程度で、他の組織から力を借りるほど叉焼会は柔くない。

 

陸を呼び出したのは、この夜の提案だった。

 

当然、昔馴染みが来るという事で羽は喜んで夜の案に賛成する。

 

夜の案の表側は、麻竹会の鎮圧のためにディアナの力を借りる。

だが、その裏側はディアナの能力がどれほどの物か、見極めるため。

 

 

『一条陸…。夜様の期待以上の力を持っているやもしれません』

 

 

「…謝謝。彼は、明日一日ゆっくり休んでから帰るのだろう?」

 

 

『いえ、何でも学校に早く復帰したいから明日には帰ると』

 

 

「おやおや…。そうか。じゃあ、お前も休むといいね」

 

 

夜は目を丸くしながら、王に言葉をかけてから電話を切る。

 

電話を切った後、夜は部屋を出て廊下を歩きながら考える。

 

 

(まさか、王があそこまで言うとは思わなかったね…。やっぱり、羽にはあいつがいいかもしれないね)

 

 

この、夜が心の中で浮かぶ一つの考え。

これが、後に陸のまわりで騒動を起こすこととなるなど、まだ誰も知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後のフラグを建てるために書いたこの香港編…。
ここまで長くなるとは思いませんでしたが、これにて終結です。
次回からはいつもの学校生活に戻ります。


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第21話 ハンカチ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あ!」

 

 

「陸坊ちゃん?どうかされたんですかい?」

 

 

香港から戻ってきた陸は、早速次の日の朝、学校に行くべく準備を進めていた。

顔を洗い、制服に着替え、今は居間で楽の作る朝食を待っていたのだが、不意に陸は目を瞠りながら声を上げた。

 

傍にいた竜が陸に声をかけるが、何かを考え込んでいる陸にはその声は届かない。

 

 

(あれ…。あ、やばっ。仕事のせいですっかり忘れてた!)

 

 

目を見開いたまま、陸はさぁーっ、と顔を青くする。

 

 

(約束…、過ぎてるじゃん!いや、仕方ないこととはいえ…、き、今日でも大丈夫か?)

 

 

陸は、香港に言っていたことによりすっかり忘れていた約束を思い出したのだ。

その約束はすでに陸の手によって破られてしまったのだが…、今からでも謝罪と共に、約束していたあることをしてあげたい。

 

しかし、今日中にそれを成し遂げるには時間がなさすぎる。

ましてや、朝食を食べてからでは絶望的である。

 

 

「竜!俺はもう出る!楽にも言っておいてくれ!」

 

 

「えぇっ!?あ、坊ちゃん!?」

 

 

竜だけでなく、居間にいる全ての男たちが驚く中、陸は大慌てで鞄を手に取って居間を出る。

そして、すぐさま玄関で靴を履いて乱暴に扉を開け放つ。

 

 

「行って来まーす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理高校、1-C組教室。

ホームルーム開始まで残り五分。だが、ほとんどの生徒は席に着かず、それぞれのグループで固まって会話に花を咲かせていた。

 

しかしそんな中、一人だけ他の人たちとは真逆な雰囲気を醸し出している人物がいた。

 

 

「小咲…。あんた、最近元気ないわね。いや、大体原因は予想ついてるんだけど…。中学の時はそこまでひどくなかったわよね?」

 

 

「うぅ~…。そうだけど…」

 

 

その人物とは、今、席に着いたまま後ろを向いて問いかけたるりに、弱弱しい声で答えた小咲である。

るりの視線を受けている小咲は、机に額を乗せ、目線を床に落としている。

 

さて、小咲が何故、こんな状態になっているかというと…。

 

 

「一条弟君、今日もまだ来てないわね。兄の方がもういるってことは、今日も休みかしら」

 

 

「…うぅ~」

 

 

まだ、教室に姿を現していない陸である。

るりの言葉に、小咲は小さな声で唸ってしまう。

 

 

「一条弟君の事といい、その鍵の事といい…。あんた、今年は濃い一年を過ごしてるわね」

 

 

「…」

 

 

このるりの言葉に、小咲は何も返すことができなかった。

小咲がこうなっている理由は、ただ陸が学校に来ていないという訳だけではない。

 

今も小咲が鞄の中に入れている、小さな鍵のことも今の小咲の状態に拍車をかけていた。

 

 

『…俺達四人。十年前に何か約束をしてるんだ』

 

 

楽の口から出た言葉。

千棘や楽、一週間ほど前、陸が休みだしてから入れ違いで転校してきた万里花、そして今日未だ来ていない陸、そして小咲。

昔、短い期間ではあるが、出会い、そして遊んでいたという。

 

それだけではなく、楽のペンダントは十年前、結婚の約束をした女の子にもらったものらしいのだが、その約束の女の子が自分かもしれない。そんな可能性をつい先日、小咲は聞いたのだ。

 

 

「…あんた、気にし過ぎよ。あんたが今好きなのは、一条弟…、陸でしょ?」

 

 

「そう…だけど…」

 

 

るりの言う通り、気にしすぎなのかもしれない。

だが、それでも小咲には衝撃が大きすぎた。

 

るりは、まだ項垂れている小咲を見て小さくため息を吐く。

自分とて、こうして小咲を元気づけるために先程の言葉を言ったのだが、驚きは小さくない。

 

今は陸のことが好き。それは小咲にとっては変わらない。恐らく、これからもそうあり続けていくだろう。

だが昔は、もしかしたら楽のことが好きで、そして再会したら、結婚をしようと約束したかもしれない。

自分だったら、どう思うだろう。多分、小咲程ではないが悩んでいただろうとるりは思う。

 

もし、本当にその約束の女の子が自分だったら…。昔を捨てるか、今を捨てるか。

 

 

(…何でこんな時に弟君はいないのよ)

 

 

陸がいれば、少しは変わっていたかもしれない。

そう思いながら、扉に目を向けるるり。

 

それと同時に、チャイムが鳴り響く。ホームルーム開始時間だ。

 

そして、またそれと同時に…、るりは大きく目を見開いた。

 

 

「…小咲、来たわよ」

 

 

「…え?誰が?」

 

 

小さく声を出するりに、小咲は項垂れた体勢そのままで聞き返す。

チャイムが未だなり続ける中、るりは小咲の問いかけに短く答えた。

 

 

「一条弟君」

 

 

「…え?」

 

 

ぴくり、と小咲の体が小さく動き、直後小咲は体を起こしてるりが見ている方の扉に目を向ける。

 

 

「あ…!」

 

 

走ってきたのだろう、やや息を切らし、額の汗を腕で拭いている。

 

一週間休み続けていた陸が、ようやく戻ってきたのだ。

 

 

 

さて、陸が一週間ぶりに戻ってきたことを喜んでいた小咲。

陸が学校に来なくなってから、ずっと会いたいと思ってきた。喜びを感じないわけがない。

 

一時間目の授業中、教師の話をそっちのけでずっと、陸になんて話しかけようか考え続けていた小咲。

 

知っての通り、小咲は基本奥手である。思い人に、積極的に話しかけることは基本、出来ない子だ。

それが災いしてしまい、小咲は一時間目後、二時間目後、三時間目後の休み時間、陸に話しかけることができずに過ごしてしまう。

 

そして今。昼休みなのだが、それでも小咲は陸に話しかけることができず、それどころか、陸は万里花と話している始末である。

 

 

「お久しぶりです、陸様。お会いできてうれしいですわ」

 

 

「マリー、だよな?久しぶりだなー。ずいぶんおしとやかになったもんだな?」

 

 

「ふふ。陸様こそ、あの時からは考えられないほど、活発になっておりますわよ?」

 

 

互いに笑みを浮かべながら会話に花を咲かせている二人。

それを見つめる小咲の胸に、ちくりと痛みが奔る

 

 

「お、陸。一緒に弁当食おうぜー」

 

 

「あぁ。すぐいk「楽様ぁあああああああああ!!」」

 

 

陸と万里花が話していると、そこに楽が入り込んで陸を昼食に誘う。

陸が楽に返事を返そうとするが、途端万里花が楽の名を呼びながら弾丸のごとく楽の元へと突っ込んでいく。

 

 

「ごふぅっ!?」

 

 

「楽様!ぜひ私もご一緒させてくださいませ!三人で昔話に花を咲かせましょう!?」

 

 

万里花は、どこか挑発的な笑みを千棘に向けながら楽に言う。

その笑みを向けられた千棘は、ムッと唇を尖らせるが、何も口にしない。

 

 

「あ…、橘?楽が、死にそう…」

 

 

睨み合う千棘と万里花。そして、楽の危険を報せる陸。

楽は、万里花の体当たりを受け、なおさらに万里花が楽の腹に頭を押し付けているため呼吸困難に陥っている。

 

 

「ぐ、ぐふぅ…」

 

 

「あら…」

 

 

「ら、楽!?」

 

 

陸の言葉を受け、ようやく万里花が頭を離して楽から少し離れた。

途端、楽はうめき声を上げながら崩れ落ちる。

 

万里花は片手を口元に当てて声を漏らし、千棘は焦ったように楽に呼びかける。

 

 

「…」

 

 

そして陸は、呆れているのか笑っているのか。どちらかわからない微妙な表情を浮かべながら三人を眺めている。

 

 

「…」

 

 

「あんたは行かないの?」

 

 

その間、楽しげにやり取りをしている陸たちを見つめていたのは、昼食をとっている小咲とるり。

るりが、何か物欲しげに陸たちを見つめている小咲に問いかける。

 

 

「…私、覚えてないし、覚えられてないから」

 

 

悲しげに、視線を落とす小咲。その視線の先には、まだたくさん残っている弁当箱があった。

小咲は箸でご飯を掬い、口の中に入れながら陸を見る。

 

陸は、千棘と万里花の口論、そして二人に挟まれてあたふたしている楽を見て目に涙を浮かべながら笑っていた。

 

 

「…」

 

 

小咲は、箸をケースに仕舞い、弁当箱に蓋をして鞄に入れる。

 

 

「小咲、まだ残ってるわよ?」

 

 

「うん、でも食欲ないから…。ちょっとお水飲みに行ってくるね?」

 

 

まだ、小咲の弁当にはたくさん料理が残っていた。

だが小咲は食欲がないと言って、弁当箱を鞄に仕舞うと教室を出て行ってしまう。

 

教室を出る際、小咲がちらりと千棘と万里花を宥めようとする陸を見たのをるりは見逃さなかった。

 

教室を出た小咲は、廊下を歩いていた。

水を飲みに行くと言って出た小咲だが、向かうは水道のある方とは逆方向。

 

階段を上がって屋上へと出る小咲。

外へ出た瞬間、強い風が小咲の髪を揺らす。

 

 

「…」

 

 

小咲は屋上を歩き、柵に両腕を乗せて空を見上げる。

 

 

(陸君…、やっぱり、忘れちゃってるよね…)

 

 

小咲が思うのは、今も教室で楽たちと話しているであろう陸の事。

 

 

(一週間、休んでたんだもんね…。しょうがないよね…)

 

 

きっと、陸はすっかり忘れているだろう。

自分との約束、あの時、千棘の誕生日パーティに行く途中で約束した、あの事を。

 

 

(…おめでとうって、一言だけでも、欲しかったなぁ)

 

 

プレゼントはいらない。そこまで求めていない。

だが、一言、誕生日おめでとうとだけでも言ってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ~、悪いな陸。手伝ってもらっちゃって」

 

 

「あぁホントだよ。俺、放課後大事な用事があったのに」

 

 

すでに、授業は終わって放課後。日も傾いて、紅に染まっている空の下、学校の飼育所に陸と楽はいた。

何でも、今日は千棘が早く帰らないといけない用事があるらしく、陸が手伝いに引っ張られたのだ。

 

こういう時、我先にと楽についていく女の子、万里花がいるのだが彼女も千棘と同じく用事があると言って、ぽろぽろと涙を流しながら迎えのリムジンに乗って去っていった。

 

 

「そういえば、お前今日は朝食食べずに家出たんだっけ?もしかして、用事ってそれに関係してることなのか?」

 

 

「ん、あぁ。まあそんなとこ。じゃ、楽は帰ってろよ。俺、ちょっと学校で忘れ物をしたからさ」

 

 

楽の返事も待たず、陸は置いてあった鞄を持って駆けだす。

 

本当ならば、帰りのホームルームを終えてすぐにその用を済ませていたはずなのだが、思わぬ障害(楽)の乱入のおかげで予定が狂ってしまった。

 

 

(もう、帰ってるかもな…)

 

 

玄関から校舎内に入り、様々な場所に顔を出す陸。

 

図書室、理科室、家庭科室、まさかとは思ったが職員室にも顔を出す。

 

だが、そのいずれにも陸の目的の人物の姿はなかった。

 

 

(…最後に教室を見て、いなかったら明日にするか)

 

 

陸は、そう心に決めながら階段を降り、1-C組の教室を覗く。

 

 

「あ…」

 

 

C組の教室、窓の方から数えた方が早いその席に、陸の探していた人物は座っていた。

視線を落とし、何故か悲しげな雰囲気を纏ったその人物は、誰かを待っているかのようにじっと身動きせずに座っていた。

 

 

「小咲」

 

 

「え…」

 

 

陸が探していた人物、小咲は陸に声を掛けられると、一瞬はっ、と目を瞠るとすぐに扉の方へと視線を動かす。

 

 

「ここにいたのか。いや、教室にいなかったら帰ろうと思ってたけど、良かった」

 

 

ほっ、と安堵の笑みを浮かべながら陸は席から立ち上がってこちらを見つめる小咲に歩み寄る。

 

 

「陸君、どうしてここに…?」

 

 

「ん?あれ?小咲、忘れてる?」

 

 

不思議そうに首を傾げて問いかける小咲を見て、陸はまさか覚えているのは自分だけなのかと疑問を浮かべる。

 

 

「いや…、まあ遅くなっちゃったけどさ…。やっぱり約束したから…これ」

 

 

「あ…」

 

 

陸は、言いながら鞄をごそごそと探って、中から小さく包装されたものを取り出し、小咲に手渡す。

 

陸から放送された何かを受け取った小咲は、思わず小さく声を漏らした。

 

 

「誕生日、おめでとう」

 

 

「っ…、おぼ、えて…」

 

 

小咲は、もうすっかり忘れられているものだと思っていた。

今日、こうして陸を待っていたのだが、期待と同時にその心の大半は来ないだろう、という諦めが占めていた。

 

だが、陸は自分の誕生日を覚えていて、こうして来てくれた。

言葉だけでなく、プレゼントも持ってきてくれた。

 

 

「いや…、ごめんな。覚えていたわけじゃなくて、正確には思い出した、なんだけど…」

 

 

「ううん…、嬉しい…。ありがとう、陸君…!」

 

 

どうやら、本当に小咲の誕生日のことを陸は忘れていたようだ。

だが、それでも思い出し、そして自分の所にお祝いに来てくれた。

それが、小咲にとって何より喜ばしい事だった。

 

 

「…中、見ていい?」

 

 

「っ、あ、ここではダメだ。帰ってからにしろ」

 

 

「えぇ!?何で?」

 

 

「…慌てて買ってきたものだから、大したものじゃないんだ。ガッカリするところ見たくない」

 

 

「そ、そんなことないよ!」

 

 

陸は、きっとがっかりすると繰り返し言うが、小咲は絶対にそんなことはないと断言できる。

 

だって、何でもいいのだ。陸が、プレゼントしてくれた。それだけで、今の小咲には十二分に幸せなのだから。

 

 

「ともかく!帰ってから開けろよ!じゃあ、俺は帰るから!」

 

 

「あ、陸君!一緒に…」

 

 

一緒に帰ろう、という言葉を言い切る前に陸はさっさと行ってしまった。

 

置いてかれた、という結果になってしまったが、小咲の中には悲しいという感情は湧いてこなかったそれどころか先程の陸の表情、頬を赤らめて、恥ずかしいと感じていることがすぐにわかるような格好で去っていった陸を思い浮かべ、小さく吹き出してしまう。

 

 

「小咲」

 

 

「え、るりちゃん?」

 

 

自分も帰ろうか。そう思い、陸からもらった包装物を鞄に大切に入れようとした時、教室の前の廊下でるりの姿を見た。

小咲は、包装物を入れようとした手を止めると、鞄を持ってるりに歩み寄る。

 

 

「帰ってなかったの?」

 

 

「ええ、図書館にいたのよ。それにしても…」

 

 

てっきり帰ったと思っていたるりがまだ残っていた。

驚いている小咲の前で、るりは小咲が握っている包装物に目をやる。

 

 

「良かったわね、小咲。プレゼント」

 

 

「え…、え!?み、見てたの!?」

 

 

「ええ。小咲と帰ろうかと思ってきたら、あんたと一条弟君が話してて。隠れて見てたの」

 

 

先程のやり取りを見られていた。小咲は頬を染め、目を見開きながらるりに問いかける。

 

 

「ど、どこから!?」

 

 

「『ここにいたのか。』から」

 

 

「最初からじゃない!!」

 

 

どこから見ていたのか、聞いて見れば何と最初からだと答えるるり。

別に、聞かれて恥ずかしい会話をしていたわけでもなかったのだが、小咲は羞恥にさらに頬を染める。

 

 

「それより小咲。それ、開けてみなさいよ」

 

 

「え…。でも、陸君は帰ってからって…」

 

 

「今ここに彼は居ないわ。あんただって気になってるんでしょ?さっさと開けなさい」

 

 

陸の、帰ってから開けろと言う言葉を守ろうとしていた小咲だったが、るりの言葉に考え直す。

 

今ここに陸は居ない。ここで小咲が包装を開けても、陸はわからない。

 

 

(開けて、いいのかな…?)

 

 

握る包装物に視線を落とす小咲。もう一度、考える。本当に、開けていいのか。

 

 

(いい、よね…?)

 

 

だって、陸は今いないのだから。

開けたい。陸が何をくれたのか、気になって仕方がない。

 

 

(ゴメンね、陸君…!)

 

 

心の中で、陸に謝罪してから小咲は包装を開ける。

包装を開くと、中には…。

 

 

「これ…」

 

 

「ハンカチ、ね」

 

 

可愛らしい、桃色のシンプルなハンカチが入っていた。

 

 

「なぁ~んだ。指輪でも入ってるのかと期待してたのに~」

 

 

「そ、そんなわけないでしょぉ~!」

 

 

るりはハンカチから視線を逸らすと、つまんなさげに息を吐いてそんなことを言う。

小咲がその言葉に憤慨して言い返す。

 

 

「でも、良かったじゃない。期待してなかったんでしょ?プレゼント。大切にしなさいよ」

 

 

「…うん」

 

 

先程のつまんなさそうな空気から一変。るりは小咲に真剣な眼差しを向けて言い放つ。

小咲も、陸からもらったプレゼントを無碍に扱おうなど思っていない。

 

もらったこのハンカチ、ずっと、大切に使おう。

小咲は心の中で、そう誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おまけ

「おい!開店前で悪いが、ちょっと品物みせてくれ!」


「え…、陸坊ちゃん!どうしたんですかこんな時間に!?」


「いいから!とっとと中に入れてくれぇ~!!」


朝早く、周辺の住民はある開店前の雑貨屋の扉をどんどん叩きながら叫ぶ少年の姿を見たという…。


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第22話 テツダイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時期はすでに七月下旬。そう、高校の夏休みが始まる時期である。

陸たち凡矢理生も例に漏れず、本日は終業式の日である。

 

陸たちは式を終えて教室に戻り、夏休み前最後のキョーコ先生の話を聞いていた。

 

 

「ま、話すことなんてなんもないけどなー。楽しい夏休み、羽目を外さずに、事故に気を付けて過ごすんだぞー」

 

 

キョーコ先生の言葉は至ってシンプルなもので、陸たち1-Cは学年の枠を超え、校内の中で一番早く下校時間を迎えていた。

 

立ち上がって最後の挨拶を終えると、各々友人たちと共に談笑しながら教室を出て行く。

当然、陸もその一人であり、挨拶を終えた途端、席のまわりに集まってきた友人たちと共に教室を出る。

 

そして、すれ違うクラスメートと挨拶を交わしながら廊下を歩いていた。

 

 

「陸君!」

 

 

友人含めて四人並んで歩いていた陸の背後から、陸を呼ぶ声が聞こえてくる。

陸だけでなく、友人たちも同時に振り返る。背後には、カバンを持った小咲が立っていた。

 

小咲は、男子四人の視線を一斉に受け、思わずたじろいでしまう。

 

 

「お前ら、先帰ってていいぞ。どうした小咲?」

 

 

陸は、友人たちに告げてから自分を呼んだ小咲に歩み寄る。

友人たちは、それぞれ「またな」など挨拶を陸に告げてから階段を降りていく。

 

小咲はほっ、と息を吐いてから歩み寄ってくる陸に口を開いた。

 

 

「あの…、今度の週末なんだけど…。空いてるかな…?」

 

 

「週末?」

 

 

小咲の問いかけを聞き、陸は週末に何か予定が入っていないかを思い返す。

 

 

「…ない、な。ないけど、どうかしたのか?」

 

 

週末に予定は入っていないと判断すると、陸は小咲の用事を問いかける。

すると、小咲はどこか困ったような笑顔を浮かべて陸に説明する。

 

 

「あのね?バイトをお願いしたいの。実は、ウチの従業員さんが急用で来れなくなっちゃって…」

 

 

「バイト?バイトって…、和菓子屋おのでらの?」

 

 

小咲が言うには、小咲が指定したその週末。家の和菓子屋さんの従業員が、その日に急用が入り来れなくなったという。

だから、その日、陸にバイトを頼みに来たとのこと。

 

小咲の実家は和菓子屋であり、小咲も手伝うことになっているそうだが、それでも手が足りないという。

 

 

「お母さんがね、なるべく料理ができる人が良いって…。私、身近で料理が上手な人って、陸君しか知らないから…」

 

 

目を彷徨わせ、最後には視線を落として小さくつぶやく小咲。

 

正直、楽も料理ができるし、楽に任せれば陸にとっては一番楽な選択だ。

だが、小咲の家は和菓子屋。和、だ。陸の得意分野である。

 

 

(…とはいえ、和菓子なんて作ったことないけど)

 

 

日本料理は作ったことはあっても、和菓子を作ったことはない。

いや、お盆などでおはぎを作ったことはあるが、専門的なそれに手を着けたことはない。

 

しかし、だからといって断るという考えは今の陸の頭にはない。

 

 

「わかった、週末だな?何時までに行けばいい?」

 

 

「っ!ありがとう!えっと…」

 

 

先程まで沈んだ様子だった小咲の顔が輝く。

 

陸は、内心で良かった、とつぶやきながらバイト当日の説明を小咲から受けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あちぃ」

 

 

ぽつりとつぶやく陸。

今日は、和菓子屋おのでらでのバイト当日であり、陸は朝早く家を出て小咲の実家へと向かっているのだ。

 

朝早いとはいえすでに夏真っ盛り。ジンジンと夏の日差しが照らしている中、外を歩くのは陸にとってそれなりの苦痛になる。

 

 

(小咲の家、冷房効いてるといいな…)

 

 

頼みの綱は、小咲の家、和菓子屋の店舗の中の冷房が効いていることである。

さすがに、効いていないはずがないだろうが、今の陸にとっては重大なことである。

 

料理人として呼ばれているという事は、食材や料理を汚さないためにも長袖長ズボンの格好でいなければならない。

厨房に冷房は期待してはいけないことだが、せめて店舗の中だけでも…。

 

 

(…でも、和菓子のことは猛勉強してきたけど、通用するんだろうか)

 

 

先程も書いたが、陸は和菓子というものを知らない。

小咲がバイトを頼んできたその日から約一週間、時間が許す限り勉強してきたはいいが、それが通用するとは限らない。

何とか期待に応えたいのだが…。

 

 

「…ん、ここか?」

 

 

陸の視界に、和菓子屋おのでらと書かれた看板が見えてくる。

 

実は、陸はここ和菓子屋おのでらに来たことがない。

ここに和菓子を買いに来たことがある楽と集に場所を聞き、こうしてやってくることができたのだが。

 

まだ、開店時間前。扉にも、開店前という札が掛けてある。正面から入れるだろうか。

 

恐る恐ると足を踏み出すと、自動扉が開く。

どうやら開店前でもここは開くようになっているようだ。

 

 

「お邪魔します…」

 

 

ここもまた、恐る恐ると店内に足を踏み入れる陸。

始めてきた店内の中を巡り見ながら中へと入っていく陸の耳に、怒鳴り声が飛び込む。

 

 

「んだとぉ~~~!!?仕入れが一品も来ないだぁ~~~!!?」

 

 

ドスの効いた、迫力のある声に心構えしていなかったとはいえ、思わず陸がひるんでしまう。

声が聞こえてきた方を見ると、そこには丸椅子に座って受話器を耳に当てながら、メモ帳と鉛筆を持った女性の姿。

 

女性は目を吊り上げ、誰と電話しているのか、大声で息巻いている。

 

 

「いい!?夕方には間に合わせなさい!!後でそっちに取りに行くから、わかった!!?…ったく!!」

 

 

電話が終わったのか、悪態をつきながら受話器を乱暴に元の場所に戻す女性。

だが、女性は表情を変えず、手を額に当てて何かブツブツつぶやいている。

 

 

「…ん?」

 

 

「っ」

 

 

陸が、じっとつぶやいている女性を眺めていると、その女性が不意に陸の方へと目を向ける。

ぴくっ、と体を震わせる陸に、女性は容赦なく鋭い視線を向ける。

 

 

「何…?学生さんがウチに何の用かしら…?子供は飴でも舐めてな…!」

 

 

「え…?あの、俺は…」

 

 

如何にも、邪魔をするなと言いたげな雰囲気をぶつけてくる女性。

陸は、女性に自分が何をしに来たか説明しようと口を開く。

 

だが、陸の動きは突然現れた人影に中断させられた。

 

店の裏から現れたその人は、ダッシュで女性の腕にしがみつく。

 

 

「待ってよお母さん!その人だよ!今日のバイトの人!」

 

 

「小咲…?」

 

 

「っ!?」(お、お母さん!?え…、若っ!!)

 

 

現れた人影、小咲は女性、小咲の母、奈々子に陸について説明する。

奈々子と小咲が話をしている中、陸はというと、目を見開いて小野寺親子を眺めていた。

 

 

(え…、若い。若いってこの人。本当に母親?姉じゃなくて?…それに、小咲の売子姿、似合ってるな)

 

 

最後のは、無意識である。

 

 

「…はぁ?料理得意な人って聞いてたから、どんな知り合いなのかと思ったけど…。あんたの同級生?この人がバイトの人だっていうの?」

 

 

小咲の説明を聞き終えた奈々子は、小咲に問いかける。

小咲は奈々子の問いかけに、こくこくと頷いて答えた。

 

奈々子は、頷いた小咲を見てから、陸へと視線を移す。

そしてまた小咲に視線を戻した後、一度息を吐いてから口を開いた。

 

 

「あのね小咲?今日私が欲しかったのは、曲がり形にも調理場に入れる人。調理場はね、職人の聖域なの。それを、ちょっと料理の出来る高校生に…」

 

 

「り、陸君はそんなんじゃないもん!」

 

 

(小咲…?)

 

 

ため息交じりに言う奈々子に、小咲はどこかむっ、としながら言い返す。

陸がどこかびっくりしたような目を向ける中、小咲はさらに続ける。

 

 

「陸君は毎日、家族のご飯を一人で作ってるんだよ?しかもすごく沢山…、何十人分を一人でだよ!?」

 

 

毎日じゃなく、楽と一日ずつ交互に、とここで言うことはしない。

ここで自分が認められないとなると、一番困るのは自分ではなく、小咲と奈々子なのだ。

 

わざわざ、彼らが困るようなことを彼らにさせるわけにはいかないため、陸は口を閉じて黙り続ける。

 

 

「うーん…、そこまで言うなら…」

 

 

すると、手を顎に当てて何かを考え込む奈々子。

陸が頭の上で疑問符を浮かべる中、奈々子は陸を呼んでどこかに連れていく。

 

そして五分後、陸は職人服に着替えて厨房にいた、

着替えた陸を厨房に連れてきた本人、奈々子は作業台に寄りかかりながら告げる。

 

 

「何か作ってもらいましょ。使えるかどうかはこっちが判断するから、ダメだったら帰ってもらうよ?」

 

 

「え…」

 

 

いきなりの奈々子の提案に、思わず呆然と声を漏らしてしまう陸。

 

一週間、和菓子について勉強してきた陸。だが、何度も言うがそれだけで成果が存分に出るほど料理というのは甘くない。

なの、だが…。

 

 

(…何でお前が張り切ってるんだよ)

 

 

両手を可愛らしく握りしめ、期待の眼差しを向けてくる小咲を呆然と眺める。

 

小咲だけでなく、奈々子も興味深げに陸を見つめてくる。

娘の小咲があそこまで言った陸の腕前を、内心では見てみたいと感じているのだ。

 

 

(…ここまで来て引き下がるつもりもないし、いっちょやってみるか)

 

 

ダメで元々。小咲には悪いがやるだけやって、ダメだとはっきり言われて帰ろう。

 

それでも、一矢報いてやろうと全力で和菓子作りに取り組む陸。

食器の水気を取る姿を、奈々子は見逃さない。

 

 

(…和菓子についてはよく分かっていないようだけど、相当料理慣れしてるね。小咲の言うことは、事実だったわけか)

 

 

小咲の期待の眼差し、奈々子の観察する視線を向けられている中、陸は簡単な牡丹餅を完成させる。

 

陸自身は、上手くできたと感じている。だが、それを判断するのは店長である奈々子。

奈々子は、陸が作った牡丹餅を口に入れて、咀嚼する。

 

 

「…ほー」

 

 

咀嚼した牡丹餅を飲み込んだ奈々子が声を出す。

表情が動いていないため、陸にも何を考えているのかわからない。

 

果たして、奈々子の判断は如何に。

…陸より、小咲の方が緊張している。

 

 

「えーと?一条君って言ったっけ?」

 

 

「あ、はい」

 

 

陸の名字を読んだ奈々子は、にっこりと笑みを浮かべて口を開く。

 

 

「お前、ウチにお婿に来なさい」

 

 

「…は?」

 

 

いきなりそう言い放つ奈々子に、呆然と声を漏らす陸。

陸の隣では、小咲が顔を真っ赤にしている。だが、陸は先程の奈々子の言葉の衝撃でそのことに気づいていない。

 

 

「いや~、最初はどうかと思ったけど、あんたも案外いい男連れて来るじゃな~い」

 

 

「お、男!?べ、別に陸君はそんなんじゃ…」

 

 

「あれ?そういえばあんた、彼の事名前で呼んでるわね…。隅に置けないわね、小咲~」

 

 

「お母さん!!!」

 

 

親子のやり取りを、陸はただただ呆然と眺めることしかできない。

 

 

「まあそれよりも、これなら少しは任せられそうね。小咲、一番簡単な奴と餡の作り方を教えてやんな。私は午後まで店番してるから」

 

 

すると、先程とは打って変わって真面目な様子で小咲に告げる奈々子。

その後、奈々子はレジへと向かうために通路へと向かう。

 

だが、調理場を出る直前、振り返った奈々子の表情はかなり面白がっているような笑みを浮かべていた。

 

 

「それにしても、あんたって男の前だとそんな顔するんだね~?それに、このチャンスに男を紹介してくるなんて…、小咲ちゃんたらだ・い・た・ん♡」

 

 

「もぉ~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 

 

これ以上ないくらい顔を真っ赤にさせて憤慨する小咲を見て、にょほほほ、と笑いながら奈々子は調理場を去っていく。

陸は、そんな奈々子の姿をひたすら、ただ、未だに呆然と眺めることしかできなかった。

 

陸の前で、はぁはぁと息を切らす小咲。その小咲に、陸はようやく口を開くことができた。

 

 

「何か…、強烈なお母さんだな…」

 

 

「ご、ごめんね…。気にしないでいいから!」

 

 

さて、無駄話もそこまでにする。

陸と小咲は、奈々子の指示通り簡単な作業を進めていく。

 

小咲の説明通りに陸が作業を進める。そして、陸が味付けを済ませた菓子の飾りつけを小咲が完成させる。

まさに、理想のコンビである。

 

そして作業中に少しだけ会話に花を咲かせていると、不意につぶやいた小咲の言葉がこれである。

 

 

「ふふっ…。陸君が味をつけて私が形を整えたら、良い和菓子ができそうだね」

 

 

「っ!!!?」

 

 

小咲は言った後、自覚がないのかいきなり頬を染めた陸を不思議そうに見つめる。

陸は、何度も咳払いをし、深呼吸をして気持ちを落ち着けてから口を開いた。

 

 

「小咲。あんまりそういうことは言わないようにな」

 

 

「え?うん…?」

 

 

頷く小咲。だが、小咲の表情を見て陸は、小咲は絶対にわかっていないと確信するのだった。

 

 

「小咲ー。ちょっと出てくるから店番よろしくー」

 

 

「あ、はーい」

 

 

陸と小咲が、言われた作業を終えた丁度その時、店番をしていた奈々子が言う。

小咲は奈々子に返事を返してから、陸と共にレジへと向かう。

 

二人は並んで立って、やってくるお客さんを待つ。

すると、奈々子が店を出て十分ほど後、一人の老人がお店の中に入ってきた。

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 

「おー、今日は小咲ちゃんが店番かい。こりゃツイとるのー」

 

 

「こんにちは吉野さん、いつもありがとうございます」

 

 

やって来た老人は、どこか嫌らしげな笑みを浮かべて小咲に話しかける。

小咲も、笑顔を浮かべて老人の言葉に返事を返す。

 

老人の注文した品を陸がケースから取り出し、老人から代金をもらう。

 

 

「どうじゃ?よかったら今度、儂とデートでも…」

 

 

「もー、またまた~」

 

 

すると、何と老人は小咲にデートを申し込んできた。

冗談だと思っているのか、小咲は無邪気に笑っているが…。

 

 

(このじじい…、本気だぞこれ…)

 

 

二人のやり取りを眺めていた陸が、老人の内心を読み取る。

 

 

「はいはいお爺さん。お釣り、615円ですよ」

 

 

「お、ありがとうよ坊主」

 

 

陸からお釣りを受け取った老人は、小咲にだけ挨拶をしてから去っていく。

陸は、そんな老人の後姿を眺めながら言う。

 

 

「…ずいぶん色気づいた爺さんだな」

 

 

「あはは。あの人、いつもああなの」

 

 

いつもああ…?

つまり、あの爺さんはいつも小咲に色目を使っているという事…?

 

 

(…あ、何かイラってきた)

 

 

この調子で、やってくるお客さんに対応していく陸と小咲。

さすがにあの老人ほど特徴的なお客は来なかった。順調に店番を進めていく二人。

 

そして、そろそろ夕方時。陸のバイトの時間も終わりに差し掛かって来た時である。

 

店の扉がガタガタと音を鳴らす。それだけでなく、外の方からはビュービューと音が聞こえてくる。

 

 

「外、風が強くなってきたね…」

 

 

「そういえば、台風が接近してるって言ってたな」

 

 

組の人になるべく早く帰ってくるようにと言われたのを今頃思い出した陸。

 

すると、今度はざあああぁ…、という音が外から聞こえてくる。

 

 

「…降ってきたね」

 

 

「結構強いな…。小咲のお母さん、大丈夫かな?」

 

 

雨だけでなく、雷の音も聞こえてくる。

これは、交通機関がストップする可能性だって出てくる。

 

今、店を出ている奈々子が心配になってくる陸と小咲。

だが、陸に関しては自分のことを心配すべきである。

 

 

「あ…」

 

 

「電話?」

 

 

レジの横の電話の着信音が鳴る響く。すぐに小咲が受話器を取って対応する。

 

 

「もしもし、和菓子屋おのでらです…。え、お母さん?」

 

 

小咲の声を聞く陸。どうやら、電話をしてきたのは奈々子のようだ。

この天候で、どこか交通機関がストップしたのだろうか。そうだとしたら、奈々子はどうするのだろう。

何か見通しは立っているのだろうか。

 

内心で心配する陸。

 

 

「…えっ!?え、お母さん!!待って…」

 

 

急に、小咲が慌てたように声を張り上げる。

小咲から視線を外していた陸は、目を丸くして小咲の方に視線を戻す。

 

陸の視線が注がれている中、小咲はそっと受話器を戻して陸の方へと振り返る。

 

 

「どうかしたのか?」

 

 

困った表情を浮かべている小咲に陸が問いかける。

小咲は、少しだけ間を置いて、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「あの…ね?お母さん、台風がすごくて危ないから帰れないって…」

 

 

「うわ…、それはしょうがないな」

 

 

「それと…」

 

 

やはり奈々子は帰ってこれないようだ。

心配にはなるが、恐らく大丈夫なのだろうと根拠のない結論へと至る陸。

 

陸がそう内心で考えている中、小咲はさらに言葉を続ける。

そしてその言葉は、陸を大きく驚愕させるのだった。

 

 

「帰らせるの危ないから…。陸君には泊まってもらえって…」

 

 

「…はい?」

 

 

驚きが、陸の要領を超える。

大声で叫ぶこともできず、ただ茫然と声を漏らすだけ。

 

陸と小咲が視線を交わし続ける。

 

だが、そんな中でも時間は進む。

時間は進むが、結論は何も変わらない。

 

 

 

 

 

こうして、陸は何ら予定になかった、お泊りをすることになるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、この先どうなるのか…。(ワクワク


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第23話 オトマリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和菓子屋おのでらの店内に、外で雨が地面に当たる音と冷房が効いている音だけが流れる。

 

ただ、バイトをしに来ただけなのに。

いや、どうして台風が接近しているこの時期にバイトを頼んだなどと小咲を責めるつもりは毛頭ない。

むしろ陸の方とて台風のことをすっかり忘れていたのだから、そんな権利はない。

 

しかし、それでも、この一言だけは心の中だけでも言わせてほしかった。

 

 

(どうしてこうなった!?)

 

 

台風が町を直撃。通り過ぎるのはいつになるだろうか…、少なくとも今晩中は強い風が吹き続けるだろう。

その間、陸は家に帰ることは出来ない。つまり、一晩この家にいなければならない。

 

つまり、お泊り━━━━

 

 

「いやいや、他の家の人は?ほら、お父さんとか」

 

 

「お父さんも今日、用事があって帰ってこれないの…。妹も、寮生活してるから…」

 

 

あ、小咲って妹いたんだ。

出かかったその言葉を陸は済んでの所で飲み込む。

 

今はそんなことを気にしている場合じゃない。

このままでは、一晩小咲と二人で一つ屋根の下で過ごすことになってしまう。

 

 

「やっぱり駄目だ。さすがに女の子一人の家に泊まったりは出来ないって。悪いけど傘借りるぞ。何とか帰るから」

 

 

「え、でも…」

 

 

陸は、渋る小咲から傘を借りてから扉を開けて外に出る。

瞬間、陸の目の前に広がるのは惨憺たる光景。

 

雨が痛みさえ感じるほど陸の顔へと叩きつけられ、さらに強う風が物々を吹き飛ばしている。

さらにどこかから何かが割れる音が聞こえてくる。

 

 

「うお!?瓦が降ってきやがった!!」

 

 

「気を付けろ!そこの坊主も外に出るんじゃねえ!!」

 

 

「「…」」

 

 

本当に、どうしてこうなったのだろう。

陸は結局、帰ることを断念せざるを得ず、店の中へと戻った。

 

これではもうお客も来れないため、まだ早いが陸と小咲は閉店の札をかけて片づけを始めていた。

 

しかし、本当にこれは小咲の家に泊まるしかないのだろうか。

他に、何か手はないのだろうか。陸は考えながら片づけを進める。

 

 

(小咲だって、男と二人は嫌だろうしな。何とかしたいけど…)

 

 

そんなことを思う陸の背後では、小咲が<和菓子屋おのでら>と書かれた暖簾を下ろしていた。

手慣れた手つきで片づけを続ける小咲は、特に何も思っていないようにも見えた。

 

 

(…困ったな。どうしてもニヤニヤしちゃう)

 

 

そんな訳でもなかったようだ。

小咲は頬に手を添えて、つり上がってしまうのを抑えようとする。

 

 

(だ、ダメ!こんなみっともない顔、陸君に見せられない!戻れ~、戻って私の顔~!)

 

 

両手で頬をぐにぐにと解して、小咲はよし、と陸の方へと振り返る。

 

 

「えっと、それでどうしようか。その…夕食とか…」

 

 

「ん、そうだな…?ん?」

 

 

小咲が、これからどうするかを話し合うため陸に話しかける。

陸も片付けの手を止めて小咲の方へ振り返って、とりあえず案を出そうとして…、動きを止める。

 

 

「…どうした?ニヤニヤして、何か面白い事でもあったのか?」

 

 

「ふぇっ!?」

 

 

何と、完璧だと思っていた表情がまだにやけていたのか。

小咲は慌てて両手を頬に添えて確かめる…。うん、まだにやけていました。

 

 

「え、えっと…。その、昨日見たテレビが面白くて、その…、思い出し笑い…?」

 

 

「?…?」

 

 

(う、うわぁ~ん!ダメ!全然抑えきれないよ~!!)

 

 

苦しい言い訳をした小咲は、疑問符を浮かべて呆然としている陸を見て、遂に耐えきれず陸から目を逸らして後ろに振り返ってしまった。

その光景を見た陸は、さらに疑問符を浮かべる。

 

 

(…やっぱり、男を家に泊めるのは、女の子にはとても緊張するんだろうか)

 

 

それも、ある。それも、あるが…、小咲としてはまた違った理由があることに陸は気づかない。

 

 

「じゃ…じゃあ、いろいろ話し合って決めようか。まずは部屋に上がってもらって…」

 

 

「え」

 

 

少しして、落ち着いた小咲が振り返り、口を開いた。

そしてその口から出た言葉に、陸は呆けた声を漏らす。

小咲もまた、今先程、自分が何を言ったのかを思い出す。

 

 

(わ、私ったら何て大胆なことを~!!)

 

 

「部屋?え?いいのか?」

 

 

まさか、部屋に上げてもらえるなど思ってもいなかった陸。

だが、小咲もまた自分がこんな大胆なことを言いだすとは思っていなかった。

 

ともかく、動揺を抑えて取り繕おうとする小咲。

 

 

「も、もちろん…。だって、別に…ね」

 

 

「いや…。ね、て言われても…」

 

 

同意を求められても困るのだが…。

 

すると、陸の困ったよな表情を見てどうしようかと悩み始めた小咲がふと思い出す。

 

今、自分の部屋はどうなっている?

綺麗にしてるね、と友達には言われるが、陸からしたら汚い部屋だと思われたりしないだろうか。

そう感じた小咲の行動は早かった。

 

 

「あ、でもちょっと待って!少しだけ片づけさせて!着替えもしたいし!」

 

 

「え?いや、気にしなくていいから。ゆっくり…」

 

 

びゅん!と陸の言葉を最後まで聞かず小咲は二階へと上がっていった。

相当急いでいるのが、ばたばたという大きな足音で簡単にわかる。

 

さらに直後、扉が開く音、そして閉まる音が聞こえ、何をしているのだろうかばったんばったんと音が下にまで響き渡ってくる。

 

 

(…何をそんなに片づけているんだ)

 

 

小咲が何をしているのか、気にはなるが自分も小咲が戻ってくるまでに着替えを済ませておかなければ。

陸は、周りからは見えない影になっている所で、作業服から朝に着てきた私服へと着替える。

 

着替え終わる陸だったが、二階から聞こえてくる物音は収まっていない。

だが、先程の何かを動かしているような音とは違い、今は掃除機の音が聞こえている。

片付けだけでなく、掃除までしているようだ。

 

 

「…」

 

 

何で、そこまで一生懸命になっているのだろうか。

陸が不思議に思った途端、陸の脳裏でよみがえる一言があった。

 

 

『ずっと…、ずっと…!』

 

 

顔を真っ赤にして、絞り出すように話していたあの時の小咲。

何を言おうとしていたのか、何となくだが陸には分かっていた。

そして、それと同時にその可能性を否定していたのだ。

 

 

「…まさかな」

 

 

今、こうしてまたその可能性を否定する陸。

あり得ない。あり得てはいけない。自分に、そんな資格などない。

 

だから、今までずっと、拒否し続けてきたのだ。

 

 

「俺みたいな汚い人間に、そんな資格はない」

 

 

その一言が、今の陸の象徴である。

これ以上、傍には行けない。これが飽くまで、限界の距離なのだから。

 

 

 

 

 

(…これで、大丈夫かな?)

 

 

片づけ、掃除、そしてファブ〇ーズを部屋に巻いてから小咲は次に着替えを始める。

引き出しから、次々に部屋着を取り出し、小咲は白いワンピースを着ることに決める。

 

着替えも終えた小咲は、陸を呼びに行くために部屋を出ようとする。

だがその直前、小咲はハッ、と机の上にある写真立の存在を思い出す。

 

小咲が目を向けた机の上にある写真立。

その写真には、中学の頃の運動会のある一光景が写されていた。

 

写真に写されている全員が笑顔に包まれている。

そして、その中心にいるのは、襷をかけ、赤いバトンを宙へと掲げてまわりの友人から抱き付かれている陸の姿があった。

 

これは、中学最後の運動会で、陸と小咲のクラスがリレーで一位を取った時の光景である。

その写真を、小咲は机の上に飾っていたのだ。

 

こんな写真、陸に見られたら…、小咲は慌てて写真立をそっと倒して中を見られないようにする。

そして、今度こそ部屋の外へと出て陸を呼びに出るのだった。

 

 

「適当に寛いでくれていいから」

 

 

「ああ…」

 

 

陸が部屋に入ると、小咲が扉の前で立っていた。

 

少し失礼だとは思ったが、陸は小咲の部屋を見回す。

可愛らしい家具が置かれ、女の子らしい色合いの部屋になっている。

それに、どこかいい香りが…。

 

 

「あ、私お茶入れて来るね」

 

 

「いや、お構いなく…」

 

 

小咲が部屋を出て、パタパタと足音が遠ざかっていく。

小咲が戻ってくるまで、陸は小咲の部屋に一人である。

 

もう一度、陸は小咲の部屋を見回した。

 

…うん、まさにザ・女の子といった感じの部屋だ。

 

 

「ん?」

 

 

すると、陸は気になるものを見つけた。

それは小咲の勉強机の上にある物で、写真立なのだが何故か伏せてあるのだ。

 

 

(何で伏せてあるんだ?)

 

 

首を傾げる陸。

何か見たらまずいものでも置いてあるのだろうか。

 

 

(…見たい)

 

 

豊富な陸の好奇心が暴れ出す。

見てはいけない。女の子の物を無暗に見てはいけない。

 

わかってる。わかってるのだが…、好奇心が疼いて仕方ない。

 

見ては駄目だろうか…。いや、駄目に決まっている。

だが、もしかしたらただの家族写真かもしれない…。だとしたら見てもいいのでは?

いやダメだ。いや見てもいいだろう。いやだめd…

 

 

「…」

 

 

陸が、そっと手を差し出す。

その差し出された先は、机の上に伏せてある写真立。

 

見てもいいじゃないか。たとえそれがいけないことだったとしても今、小咲はこの部屋にはいない。

さっと見て、さっと元に戻す。それでいい。

 

 

(…南無三!)

 

 

ついに好奇心に屈した陸が、写真立に手をかけて、いざ中の写真を見ようとした…その時だった。

 

 

「お待たせー。お茶持ってきたよー」

 

 

「っ!!?」

 

 

もう、自身の身体能力をフルに使った。

小咲が扉を開けたその音が聞こえた瞬間、陸はばっ、と用意されていた座布団の上に正座で腰を下ろす。

 

 

「うむ、ご苦労。礼を言うぞよ」

 

 

「…?どうぞ…?」

 

 

表情からは陸の動揺はわからなかっただろう。

だが、その口調の変化は小咲に疑問符を浮かばせた。

 

しかし、陸への信頼の証だろうか、小咲は特に陸に突っ込みを入れなかった。

それがまた、陸に罪悪感を募らせる。

 

 

(ゴメン小咲…。俺、もう二度とこんなことしないから…)

 

 

心の中で誓う陸。そんな陸を知らず、小咲は口を開く。

 

 

「えっと、じゃあ夕食なんだけど…」

 

 

「ああ。出前もこの天気じゃ来れないだろうし…。手作りするしかないな。時間も時間だし、そろそろ作り始めないと」

 

 

ただ今、六時を少し回った所である。

夕飯を作り上げるのに約一時間として、作り始めるには今が絶好の時間帯である。

 

 

「うん。材料はちゃんと冷蔵庫にあったし…、私が作ろうと思うんだけど…。ほら、陸君はお客さんだし」

 

 

「っ!!」

 

 

陸の体がびくりと震え、戦慄する。

思い出すのは、前に楽が風邪を引いたときのこと。

 

小咲、そして一緒にいた千棘の二人がしでかそうとする所業の数々。

未だに、陸の中に刻み込まれていた。

 

 

「い、いや!お客さんだからこそ、俺が作るよ!こうして泊めてもらうんだから、何かしなきゃな!!」

 

 

「え、でも…」

 

 

「さてと!キッチンはどこにあるんだ?」

 

 

物を言わさぬ陸の口調。

それが、小咲に少しだけ胸の痛みを与えた。

 

小咲も、自分が料理を苦手にしていることを自覚している。

何度もトライし、克服しようとするのだが上手くいかない。

そして、それを知っているために陸は自分に料理をさせまいと必死になっているのでは、と思うと胸が痛む。

 

 

「小咲にも手伝ってもらうからなー。材料切りとか」

 

 

「あ…」

 

 

本当に、自分の心は単純だ。

さっきまで、沈んでしまった心がすぐに明るくなる。

 

陸と一緒に、料理ができる。材料を切るという簡単な手伝いしかできないが、それでも隣で料理ができる。

それだけで、こんなにも嬉しくなってしまう。

 

 

「うん!こっちだよ!」

 

 

小咲は陸を先導してキッチンへと案内する。

 

キッチンへは、小咲の部屋を出て左に曲がって突き当りの扉を出るとすぐだった。

小咲の家の居間とキッチンは一つの空間の中にあり、そして当然冷蔵庫もその中にあった。

 

陸は、小咲に許可をもらってから冷蔵庫を開ける。

冷蔵庫の中には、小咲の言う通りたくさんの食材が並んでいる。

 

少しの間、中を眺めた陸は頭から一つのレシピを絞り出す。

 

 

「…うん。和風ハンバーグでも作るか」

 

 

「和風、ハンバーグ?」

 

 

陸のつぶやきを聞いた小咲が、オウム返しで言いながら首を傾げている。

陸は振り返って説明する。

 

 

「言葉のままだよ。まあ、ハンバーグを作ってソースと大根おろしを乗せるだけなんだけど…。っと?」

 

 

簡単に陸が和風ハンバーグについて説明していると、陸のポケットの中の携帯電話が鳴りだした。

陸は電話を手に取って画面を見る。

 

 

「楽からだ…。悪い小咲、冷蔵庫からハンバーグの材料出しててくれ」

 

 

「うん、わかった」

 

 

そういえば、帰りが遅くなる、というより明日になることをまだ家に知らせていなかった。

陸はキッチンを出て少し離れた所で通話ボタンを押す。

 

 

「もしもし」

 

 

『陸!お前、どうしてるんだ!?帰れるのか!?どうなんだ!』

 

 

電話を耳に当てた途端、スピーカーから響く楽の怒鳴り声。

思わず耳から電話を離した陸は、楽の声が収まったのを確認するともう一度耳に当てる。

 

 

「悪いな楽。今日は家に帰れなそうだ」

 

 

『は?じゃあお前どうするんだよ。つうかお前、今どこだ?』

 

 

「今、小咲んち。今日はこのまま小咲んちに泊めてもらう」

 

 

今日は家に帰れなさそうだという事と、その言葉の後に聞かれた楽の問いに答える陸。

スピーカーからは、楽の呆けた声が聞こえてくる。

 

 

『小野寺の家に、泊まる?え?いや、マジで?』

 

 

「大マジ。冗談抜きで、俺が帰ろうとした時はもう雨も風も強すぎて」

 

 

驚愕する楽に、事の顛末を簡単に説明する陸。

 

 

『あ…、いや、わかった。明日には帰れるんだよな?』

 

 

「台風がいきなり速度を落としてまだこの町に居座ることがない限りはな」

 

 

冗談めかした陸の言葉に、楽が笑っているのがわかる。

陸の顔にも、笑みが浮かんでいる。

 

 

『そうか、わかった。じゃあ明日な。小野寺に変なことすんなよ?ま、家族もいるだろうしそんなことできないだろうけどな~』

 

 

「するわけないだろバカが。ああ、じゃあな」

 

 

電話を切る陸。

そして携帯ををポケットに戻して、再びキッチンに戻る。

 

 

(…家に俺と小咲の二人だけ、て聞いたら楽はぶったまげるだろうな)

 

 

にしし、と悪戯っぽい笑みを浮かべながら、驚く楽を思い浮かべる。

 

まあ、言うつもりはないけど、と内心で追加してキッチンにたどり着く陸。

 

 

「…小咲、どうして唐辛子を出してるんだ?」

 

 

「え?ほら、辛味も必要かなって」

 

 

大惨事になるまでに戻れてよかった、と心の底から安堵する陸。

陸は小咲の暴走を止めてから、改めて材料を取り出し調理を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、原作と違ってガチのお泊まり路線です


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第24話 オフロニ

お泊まり編最終話です

二週間にわたるテスト期間…。
更新が…更新がぁ…。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ごちそうさまでした」

 

 

「お粗末様でした」

 

 

陸の正面に座っている小咲が、手を合わせながら言う。

彼らの手元には、すっかり空になった食器が並んでいた。

 

 

「おいしかった…。すっごくおいしかったよ!」

 

 

「うん、そう言ってくれて嬉しいけど…。何か悔しそうに見えるけど、気のせいか?」

 

 

小咲の声の調子を聞いて、その言葉が素直に出たものだというのはわかる。

だが、小咲の表情は…、どこか引き攣っているように見えた。

 

 

(陸君が料理得意だってことは知ってたけど…、こんなにおいしいなんて…。すごくおいしかったけど…、でも、悔しいよ…)

 

 

陸の料理を食べられたことはとても嬉しく感じる小咲。

しかし、それと同時に女として負けた気がして悔しく感じる小咲。

 

そんな小咲の心中を露知らず、陸はただ首を傾げるだけ。

 

 

「…じゃあ、私は食器を片づけるね。陸君はソファでテレビでも見てて?」

 

 

「え、いや。俺も手伝うよ」

 

 

小咲が、陸の分の食器も重ねてキッチンへと持っていく。

陸も手伝うと言うが、小咲はそれを止める。

 

 

「ううん。さっきも、ほとんど陸君がやっちゃったし…、このくらいやらせてほしいな」

 

 

先程の調理、小咲も材料を切るなど手伝いはしたが、味付けなどほとんどは陸がこなした。

だから、食器洗いくらいは自分に任せてほしかった。

 

陸はそんな小咲の気持ちを悟り、キッチンに向けて踏み出そうとした足を戻す。

 

 

「…わかった。じゃ、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうよ」

 

 

「うん。どうぞそちらでごゆっくり」

 

 

どこかお互いに悪戯めいた声で言い合った陸と小咲は、同時に笑う。

 

そして陸は小咲の言う通りにソファに座って、傍のテーブルの上にあったリモコンでテレビの電源を入れる。

まず、画面に映ったのはバラエティ番組。芸人たちが、色々な競技で優勝を争うという類の番組だった。

 

陸はチャンネルを回す。次に映ったのは、ある有名な医者を追ったドキュメンタリー番組。

ドキュメンタリーには全く興味がない陸は、すぐにチャンネルを回した。

 

すると、次に映った映像に陸は小さく「おっ」と声を漏らす。

 

画面に映るのは、球場。つまり、野球の試合である。

 

 

(そうか。確かにこっちでは台風だけど、北の方はまだ影響はないのか)

 

 

それも、画面に映る球場はドームである。外は雨が降っていても、試合に影響はないのだ。

 

陸はリモコンを置いて野球の試合を見ることにする。

 

すでにイニングは終盤七回に入っている。得点は3-4で、この球場を本拠地としているチームが負けている。

今は裏の攻撃、つまりこの球場を本拠地としているチームの攻撃中である。

 

相手のチームはすでに先発の投手を降ろして、リリーフの投手を登板させている。

 

と、ここで打席に入っていた打者がボールを引っ掛け、セカンドゴロに倒れた。

これでワンナウト、打席に入るのはチームの四番、それどころか日本の四番と呼ばれている超強打者。

 

 

(ランナーなし、一点差。一発狙いでいくかな?)

 

 

キッチンで小咲が食器を洗っている音など、今の陸には聞こえてこなかった。

目の前で繰り広げられる真剣勝負に陸は目を釘付けにしている。

 

 

(陸君って、野球が好きなんだ)

 

 

その光景を、小咲は食器を洗いながら眺める。

初め、ぽちぽちとチャンネルが回っていたテレビが急に止まったことが気になった小咲が目を向けると、テレビには野球中継が映っていた。

 

そして陸は、無言で集中し目を釘付けにしている。

誰もが簡単にわかる、陸は野球好きであるという事。

 

 

「…くすっ」

 

 

思わず笑みを零す小咲。

今まで見たことのない陸の姿が、そこにあるのだ。

想い人の新たな一面が、そこにあるのだ。

 

小咲は、食器を落とさないように視線を落として、その上でたまに、テレビに集中する陸の後姿に目を向けながら食器の片づけを続ける。

 

そして、時間は過ぎて二人が食事を終えてから三十分ほど経つ

 

野球の試合はすでに最終回、それも裏のツーアウトである。あの後、両チームが一点ずつ取り合ってスコアは4-5。

だが、裏のチームの攻撃は、二人ランナーを出している。つまり、一打サヨナラのチャンスなのだ。

そしてさらに、これは野球の神様の悪戯なのか、ここでチームの四番が打席に入る。

 

単打あり、長打あり、さらに選球眼もよしとまさに隙のないバッター。

 

これは敬遠もありか、と一瞬考える陸だったが、ランナー二人とはいえ塁は空いていない。

つまり、経験をすれば同点のランナーを三塁に置くことになる。

 

 

(…勝負!)

 

 

キャッチャーが座る。

 

点差は一点、緊迫する場面で四番と勝負というまさに野球好きにとってはこれ以上ないというほど心が躍る。

陸はますますテレビに目が奪われていく。

 

 

「…」

 

 

そんな陸は、気づかない。

小咲が、ソファに座って、テレビに集中する陸を笑みを浮かべながら見つめていることに。

 

最中、テレビの中の試合は一球で終わることとなる。

投手が投げた一球目を、積極的に打者が狙う。

 

しかし、振ったバットはボールの下を叩き、高く上がる。

上がったボールをレフトが捕り、ゲームセット。反撃虚しく、北のチームは試合に敗れた。

 

 

「む…」

 

 

それを見つめていた陸は、小さく一瞬だけ唸り声を漏らした。

特に、チームが好きという訳ではないのだが、今、打ち取られてしまった打者を陸は陰ながら応援していたのだ。

 

これ以上、野球中継を見続ける必要はない。

陸はチャンネルを回し、ニュースの天気予報が画面に映る。

 

 

「はぁ~…」

 

 

そして大きく息を吐きながら、陸はソファの背もたれに体を任せる。

 

 

「…ふふっ」

 

 

「こ、小咲?」

 

 

その光景を見ていた小咲が、耐えきれずに吹き出してしまう。

そこで陸は、ようやく小咲が洗いものを終えて戻ってきたことに気づいたと同時に、何故笑われてしまったのかがわからず戸惑ってしまう。

 

陸に戸惑いの視線を向けられる小咲だが、込み上がる笑いを抑えることができない。

想い人のどこか可愛らしくも思える一面を見て、込み上がる笑いを抑えることができない。

 

 

「ご、ごめんね…?あんな陸君、初めて見たから…」

 

 

「な、何か面白いことしたのか?」

 

 

「そ、そうじゃないけど…、ふふっ」

 

 

小咲は何を見たんだ?何を面白いと感じたんだ?

戸惑う陸だが、小咲が何を感じて何故笑っているのかがわからない。

 

そんな陸ができるのは、ただ笑い続ける小咲を眺めることだけ。

頭の上に疑問符を浮かべながら陸は小咲が笑いを抑えるのを待つのだった。

 

陸が何も言わずに待ち始めてから、小咲が笑いを収めたのはすぐだった。

ニュースで居間の台風の状況を中継されている画面の映像を見ながら小咲が口を開く。

 

 

「あ、陸君。その…、陸君の寝る所なんだけど…」

 

 

笑いを収め、二人でニュース中継に目を向け始めてから、小咲は皿洗いをしている最中に、洗い終えたら決めなければと思っていた要件を口にする。

 

それは、陸の寝る所である。

小咲の家には、三つの個人の部屋がある。

 

一つはもちろん、小咲の部屋。そして妹の部屋、夫婦の部屋の三つである。

 

空いている部屋などはない。

妹のベッドに寝かせるのは気が引けるし、夫婦の部屋は陸自身が嫌がるだろう。

 

 

「えっと…、私の部屋に布団を敷いて寝る?」

 

 

「っ、いや待て待て待て待て」

 

 

僅かに頬を染めて聞いてくる小咲に、陸は首をぶんぶんと横に振る。

 

 

「落ち着け。男と同じ部屋で二人で寝るなんて、小咲は嫌じゃないか?嫌だろ?」

 

 

「べ、別に、陸君とだったら…」

 

 

陸の問いかけに、細い声で答える小咲。

だが、最後に何を言ったのかは、陸の耳には届かなかった。

 

 

「いや、さすがにそれは駄目だ。布団を貸してくれるならここの居間まで俺が運んで敷く。ここに敷いちゃ駄目なら、俺はソファで寝る」

 

 

「そ、それは駄目だよ!」

 

 

ソファで寝ると言いだした陸を、小咲は慌てて止める。

 

 

「そうだね…。居間に布団を敷こうか…」

 

 

少し…、ほんの少しだけ残念だが、さすがに自分の部屋で二人で寝るのは駄目だろう。

小咲は陸の前者の案、居間に布団を敷くことに賛成する。

 

そこで小咲は、陸が寝られるスペースをどうやって作ろうかと考える。

家の居間は、ソファやテーブル、テレビなどでスペースが使われており、布団を敷けるほどのスペースは残っていない。

陸が寝られるスペースを作るには、先程上げたどれかの位置をずらすしかないだろう。

 

 

「ソファをテレビ側にずらしてスペースを作ろっか」

 

 

「了解。ありがとな、小咲」

 

 

小咲の言葉に返事を返した後、礼を言う陸。

 

二人はさっそく、廊下側にあるソファをテレビ側に寄せ、その後、押し入れから布団を出して作ったスペースに敷く。

 

 

「ふう…。じゃあ後は、お風呂だね」

 

 

「え…、いや、そんな。風呂なんて一日くらい入らなくたって…」

 

 

布団を敷き終えると、小咲がお風呂についてどうするかを話そうとする。

だが陸としては、今日に関しては風呂に入るつもりはなかった。

そこまで小咲に、小野寺家に迷惑をかけたくはなかった。

 

だが小咲は、そんな陸に少しだけ不機嫌そうな表情を向けて口を開く。

 

 

「ダメだよ。陸君、たくさん働いたから汗かいたでしょ?遠慮しないで、お風呂に入ってください」

 

 

「いや、でも…」

 

 

「じゃあ今からお湯を入れて来るね?少し時間かかるけど、待ってて」

 

 

何か言いかけた陸を遮って、小咲はパタパタとお風呂場へと小走りでいく。

陸は小咲を止めようと、一瞬手を伸ばしかけるがすぐにゆっくりと引っ込める。

 

迷惑を掛けたくないという思いもあるが、小咲の好意を断るのも気が引ける。

それに、もう迷惑ならとっくにかけている。それなら、とことん小咲に甘えよう。

 

お風呂場から戻ってきた小咲に、陸は「ありがとう」と礼を言う。

小咲も「どういたしまして」と返してから、陸の隣に腰を下ろす。

 

お風呂のお湯が沸いたという合図の曲が流れるまで、二人は並んでテレビを見続ける。

 

 

「陸君、先にお風呂行く?」

 

 

「いや、先に入れよ。男が入った後とか、女の子としたら嫌だろ」

 

 

お風呂にお湯が入れ終わると、小咲はお風呂場から戻って気ながら問いかけてくる。

 

お風呂に入る順番についてなのだが、男の入ったお湯に浸かるのは、女の子としては嫌なのでは?と考えた陸が、小咲に答える。

 

 

「いいの?」

 

 

「良いも何も、ここは小咲の家だろ。それに、レディファーストってことで」

 

 

小咲が許可を求めるように聞いてくるが、ここは小咲の家だ。陸の許可など必要ない。

 

そして小咲は、陸の悪戯っぽい笑みを浮かべながら口にしたレディファーストという言葉に、少しだけ笑いを漏らす。

 

 

「そっか。なら、お言葉に甘えさせてもらうね?」

 

 

「いや、甘えるもなにもここは小咲の家だから…」

 

 

笑顔を向けて言う小咲。

小咲の言葉に、陸はあきれ顔を浮かべながら返す。

 

小咲は、自室から着替えを持ってきてからお風呂場へと入っていった。

 

さて、小咲はお風呂へと入り、陸はソファに座ってテレビ番組を眺める。

時折、テレビに映るタレントの言葉に笑い声を上げながら小咲が上がるのを待つ陸。

 

そして、小咲がお風呂へと入ってから一時間ほどしただろうか、お風呂場からがらっ、と扉が開く音が聞こえてくる。

 

扉が開く音を聞いた陸は、お風呂場の方へと視線を向ける。

 

 

「っ」

 

 

そして、息を呑んだ。

 

 

「あ、陸君。お風呂空いたよー」

 

 

陸の視線の先にいたのは、お風呂上がりで、頬をやや紅潮させた小咲がいた。

 

小咲は陸に歩み寄りながら言う。

 

 

「あ…あぁ、わかった」

 

 

陸は、心の中の動揺を悟られないよう努めながら答え、ソファから立ち上がる。

 

お風呂場へと向かうために、陸は小咲とすれ違うのだがその瞬間、心地よいシャンプーの良いにおいが、小咲の女の子らしい良いにおいと合わさって陸の鼻をくすぐる。

 

陸の心臓の鼓動が加速する。そそくさとお風呂場へと逃げるようにして入っていく陸。

そんな陸を、小咲は首を傾げながら眺めていた。

 

 

「…俺は何も見てない。感じてない。確かに小咲は可愛かったが…、俺は何も見てない」

 

 

おふろ場にはいった陸は、壁に手を着きながら自分に言い聞かせるために必死につぶやいていた。

 

脳裏に過るのは、先程の小咲の姿。

どこかクールな印象を与える青色のパジャマ。だが、そんな青も小咲と重なれば可愛らしさを感じる。

そして、パジャマ姿だからなのだろう、小咲の胸元がいつもよりも開けていて…、陸にダイレクトにダメージを与えた。

 

 

「何もない何もない何もない何もない何もない何もない…」

 

 

陸が立ち直ったのは、つぶやき始めてから五分が経ってからであった。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは、何事もなく時間は過ぎていった。

立ち直った陸は風呂に入り、上がってもう一度小咲と並んでテレビを眺める。

 

先程、悟りを開いた陸は、もう小咲の姿に動揺を覚えることはなかった。

 

陸と小咲は会話を楽しんでいたが、気が付けば時計の短い針は0を差し、長い針は2を差していた。

ここまで時間が過ぎていたのかと驚きながらも、二人はそろそろ寝なければとテレビを消し、それぞれの寝る場所に分かれる。

 

小咲とおやすみと挨拶を交わしてから、陸は居間の灯りを消し、布団に潜って目を閉じた。

 

 

「じゃ、俺は帰るよ」

 

 

「朝ごはんくらい、うちで食べていっても良かったんだよ?」

 

 

そして今、陸と小咲は小野寺家の玄関にいた。

陸は昨日着ていた私服を身に着け、小咲もパジャマから部屋着へと着替えていた。

 

 

「いや、これ以上迷惑はかけられない。家に帰ってから食べることにするよ」

 

 

「…うん」

 

 

時刻は八時を回った所。陸は、朝ごはんを家で食べようという小咲の誘いを柔らかく断って、一条家へと帰宅することに決めたのだ。

 

 

「泊めてもらってありがとな。今度、何かお礼するよ」

 

 

「ううん。私も、陸君にお夕飯作ってもらったから気にしないで」

 

 

靴を履き終えた陸が振り返って、改めて泊めてもらったことに礼を言う。

小咲は、小さく手を振って陸に答える。

 

そんな小咲は、陸から視線を外すと床に落とす。

瞳を揺らし、何か考え込む。

 

 

「じゃあ、お邪魔した。ホントにありがとな」

 

 

「あ…」

 

 

陸が手を振りながら扉の取っ手に手をかける。

そんな陸を見て、小咲はわずかに声を漏らした。

 

まだ、帰ってほしくない。だが、そんなこと陸には言えない。

せめて、もう一言…、もう一言会話したい。

 

そんな思いが、小咲の足を一歩踏み出させた。

 

 

「あの、陸君!」

 

 

「ん?」

 

 

扉を開けて、外に出ようとした陸が小咲に呼び止められ再び振り返る。

振り返って視線を向けてくる陸にもう一度小咲は口を開く。

 

 

「あの…、あのね?私たち…、学校とかで良く話してるのに…、お互いメールアドレスとか知らないな…て…」

 

 

きょとん、とする陸。

小咲は顔を真っ赤に染めて、陸の顔を見れずに俯いてしまう。

 

 

(な、何言ってるの私!?一言だけ陸君に声をかけるだけのつもりだったのに…!)

 

 

心の中で絶叫する小咲。

何てことを言ってるんだ自分は。

ああ、見なくたって分かる。陸の戸惑った表情。

 

まさに、陸の浮かべている表情は小咲の思っていた通りだった。

だが、その次に起こした陸の行動は、小咲の思っているものとは全く違うものだった。

 

 

「そういえばそうだな。じゃあ交換しとくか」

 

 

「っ!!?」

 

 

陸の笑みを浮かべながらの言葉に、小咲はバッ、と勢いよく顔を上げる。

その時、陸はポケットの中から携帯を取り出していた。

 

 

(あ、え?本当に?)

 

 

混乱する小咲。だが、これだけはわかる。

 

陸と、メールアドレスと交換ができる。

それだけで、今の小咲には十分だった。

 

 

「ち、ちょっと待ってて?携帯持ってくるから!」

 

 

小咲は階段を駆け上がり、部屋に戻ると机の上に置いてあった携帯を手に取った。

そしてすぐに玄関へと戻ると、赤外線を準備し、すでに準備を終えた陸と携帯を向き合わせる。

 

ピロン、と二度、それぞれの携帯の受信音を聞いた後、陸は今度こそ、手を上げて小咲の家を去る。

 

 

「じゃあな小咲。また今度な」

 

 

「うん。またね、陸君」

 

 

扉が閉まり、陸の姿が見えなくなる。

 

いつもの小咲なら、ここで少しだけ表情を落として、少しだけ胸に悲しみが募る所だったのだが今は違った。

 

 

(…やった。やったーーーー!!)

 

 

携帯の画面に映る、陸の電話番号とメールアドレスを見つめながら小咲は小躍りする。

 

これで、いつでも陸と連絡が取れる。

そう思うと、心が跳ねて仕方ない。

 

小咲は、扉の錠を閉めてから階段を上がる。

きっと、もしその時の小咲の姿を見たものがいればこう言うだろう。

 

小咲の頭から、音符が出ていた、と。

 

 

「私、頑張ったなぁ…。陸君とたくさん話して、アドレスの交換もして…。…るりちゃん、褒めてくれるかも」

 

 

蕩けた微笑みを浮かべながら、小咲はソファに寝転がって携帯の画面を見る。

 

そこには、確かに陸の電話番号とアドレスが存在している。

 

それを確かめた小咲は、再びへにゃり、と蕩けた笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

「「「「「坊ちゃぁああああああああああああああああああああん!!!」」」」」

 

 

「うお!?何だ!?」

 

 

家に帰宅した陸を待っていたのは、玄関に仁王立ちしていた集英会の全てのメンバーだった。

そして、その全てのメンバーが例を盛れずにその両目から涙を流していた。

 

 

「え、何で泣いてる?」

 

 

「坊ちゃん…、坊ちゃんは、ついに大人の階段を昇ったんでやすね…」

 

 

「は?」

 

 

泣いてる理由を尋ねた竜の口から出た言葉は、陸を硬直させる。

 

 

「楽坊ちゃんから聴きやしたぜ…。昨日、陸ぼっちゃんは彼女の部屋に泊まってくるって…」

 

 

「…」

 

 

陸から、ピシィッ、と何かが凍り付く音と共にぶちぃっ、と何かが切れる音が響く。

それに気が付かずに、竜たちはおいおいと涙を流し続ける。

 

 

「坊ちゃん…、あっしたちは嬉しいですぜ~…」

 

 

「くぅ~…。これで、三代目も安泰だ…」

 

 

竜たちが何か言っているが、陸の耳にはまったく届かない。

陸の頭の中にあるのは…、竜たちにくだらない嘘を見つけた楽への怒りだけ。

 

 

「らぁぁぁくぅううううううううううううう!!!」

 

 

地の底から這い出てくるような、低くおどろおどろしい声が陸の口から出る。

その声に、楽はすぐに気づく。

 

 

「え?陸?どうした?」

 

 

「お前は…、お前はァアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

「え?え?何だよ、は?」

 

 

恐ろしいスピードで迫る陸に、楽は戸惑いが隠せない。

 

何故、ここまで陸は怒りを自分に向けているのか。全く心当たりがない。

 

 

「お前は!お前は!お前はァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

「な、何だよ!う、うわぁあああああああああああああああ!!!」

 

 

陸と楽の、地獄の追いかけっこが始まるのだった。

 

 

 

 

 

「ごめんな、楽。飲み物奢るからさ」

 

 

「…ファンダ一週間分な」

 

 

陸と楽の傍らには大量の男たちの死体が並んでいた。

 

何が起こったのか、それは本人たちが知ることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




楽が竜たちに言ったセリフ
「今日、陸は台風で帰れないから。クラスメートの女の子の家に泊まってくるってよ」
悪戯っ気な気持ちが全くないわけではなかった楽でしたww


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第25話 ウソツキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外では、ギラギラと太陽の日差しが降り注ぎ、喧しい蝉の声が響き渡る。

そんな七月下旬、陸が小咲の家でお泊まりをしてから三日後のこと。

 

 

「「「「こんにちは~~!!」」」」

 

 

陸と楽の家に、五人の人物が上がり込んでいた。

 

小咲、千棘、鶫、るり、集の五人がそれぞれの靴を抜いて陸と楽の家の廊下へと入っていく。

 

 

「いや~、楽んちで勉強会すんのも二回目か~。でも、何でこのタイミング?」

 

 

「知らねえよ。何か、鶫の発案らしいけど…」

 

 

おじゃましまーす、と小咲たちが入っていく中、集と楽が言葉を交わす。

 

 

「へぇ~、誠士郎ちゃんが…。こりゃ珍しい」

 

 

「ふん…。夏休みの宿題など、早めに済ませておくのに越したことはないだろう?」

 

 

ちらっ、と横目で鶫を見ながら集が言うと、鶫は淡々と返事を返す。

 

そんな鶫に集は「真面目だねぇ~」と、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら返す。

 

楽たちが、陸の部屋に向けて歩き出そうとする。

その時、楽の視界の端から飛び込んでくる者があった。

 

 

「楽様ぁ~!お会いしたかったですわぁ~!!」

 

 

その人物は楽の腰に両腕を巻き付け、楽の胸に自身の顔を擦りつけながら楽様楽様と言い続ける。

楽は、その人物を見下ろしながら頬を紅潮させる。

 

 

「た、橘!離せよ!」

 

 

「えぇ~?良いではありませんか、楽様ぁ~」

 

 

楽は抱き付いてきた人物、万里花の肩を掴んで引き離そうとするがこの細い体のどこからこんな力が生み出されるのか。

男の楽の力をもってしても万里花を引き離すことができない。

それどころか、万里花との密着面がさらに大きくなっていく。

 

万里花の女の子らしい良いにおいと体の柔らかさが、楽の体を包み込む。

 

年頃の男子にとっては堪ったものではない。

 

 

「ちょっと万里花!だ、ダーリンから離れなさい!!」

 

 

「あぁん…、楽様ぁ!」

 

 

と、そこで千棘が万里花の両腋から腕を通して楽から引きはがす。

名残惜しさから万里花が悲しげな声を漏らすが、楽としては助かった。

 

あのまま続けられていたら…、どうなっていたかわからない。

 

 

「…私はあいつを呼んではいないのだがな」

 

 

「ま、橘さんなら楽のいる所に飛んでくるだろうからなー」

 

 

「…私は貴様のことも呼んではいないのだが」

 

 

楽と万里花、千棘のやり取りを眺めていた集と鶫が言葉を交わす。

「つれないな~、誠士郎ちゃんは~」と、くねくねしながら言う集を無視して先を行っている小咲とるりの後を追う鶫。

 

 

「お嬢、それに貴様ら。早く行きましょう」

 

 

今回の勉強会も陸の部屋を借りて行われる。

すでに、陸は部屋で楽たちを待っている。

 

楽たちは陸の部屋へと足を急がせる。

 

 

「…ところで、さっきから気になってたんだけど。その機械は何なの、鶫?」

 

 

陸の部屋に到着し、人数分のお茶という陸の歓迎を受けた楽以外の六人はそれぞれの場所に腰を下ろしてべ恭道具を鞄から取り出そうとする。

だがその過程の中で、千棘が鶫の眼前にある機会に目を向けた。

 

その機械から伸びる線の端に付いている二つの取っ手を鶫がそれぞれを両手で掴んでいる。

 

家を出た時から気にはなっていたのだ。

勉強会に行くにしては、やけに鶫の荷物が大きいと。

 

 

「ああ、これは勉強会の合間のレクリエーションにでもと思いまして」

 

 

「…何企んでんのよ」

 

 

「嫌ですよお嬢。何も企んでなどおりませんよ」

 

 

持ってきた機械を、レクリエーションに使うと言う鶫を千棘は疑わしげに目を細めて見つめる。

千棘の疑いの言葉を、鶫はさらっ、と否定するのだが…、その瞬間。

 

 

ビーーーーーーーーー

 

 

甲高い警告音が鳴り響く。

 

流れる沈黙。表情を固まらせる鶫。

初めに硬直から解かれたのは、陸だった。

 

 

「なあ鶫…。それって、嘘発見器じゃ…?」

 

 

「そ、そうなんですよ!偶然ネットで見つけまして!」

 

 

どこか見覚えのあるフォルム。

頭の中から、ここ一条家の蔵にも似たようなものがあることを絞り出した陸が鶫に恐る恐る問いかける。

 

そして、その問いの鶫の答えは、YES。

さらにネットで偶然見つけたという苦しい言い訳も付いてきた。

陸は思わず苦笑してしまう。

 

 

「へー、面白そうじゃん!さっそく試してみよーぜー!」

 

 

「それもそうだな。俺は嫌だけど」

 

 

鶫のネット云々が嘘だと気づいているのかいないのか、少なくとも楽は気づいていないだろう。

集と楽が面白そうだと感じ、早速試そうと言い出す。

 

だがその時、楽の隣に腰を下ろしていた千棘がギョッ、と体を震わせると楽の耳元で何か囁いている。

そしてその直後、楽も千棘と同じように体を震わせる。

 

 

(…あ?これってちょっとやばくね?もしかして、鶫はこれが狙いなのか?)

 

 

それを眺めていた陸が、ある結論へと辿り着く。

 

鶫が持ってきた嘘発見器。万が一にもネットで偶然見つけたということはあり得ないだろう。

恐らく。ビーハイブの技術部が開発したそれなりの性能を持っている機器に違いない。

この機械が示した事実は、九分九厘本当のことになるだろう。

 

では、この機械を楽に試されたら?

たとえば、本当に楽は千棘のことを愛しているのか?と質問されたら?

 

この嘘発見器は、見逃さないだろう。

 

 

「では早速だが一条楽!貴様からやってみないか!?」

 

 

「え!?ちょっ、何で俺が!」

 

 

陸の予想通りだ。

鶫がいきなり嘘発見器の取っ手を楽に押し付け始める。

 

 

(あ、やばい。どうしようかこれ…)

 

 

「まっ、まあまあ!鶫が持ってきたんだし、鶫がやったら?言いだしっぺなんだし!

 

 

「お、お嬢!?」

 

 

陸がどうしようかと悩んでいると、千棘が鶫を宥め始める。

そして鶫も、千棘の言う通りだと感じたのか、それとも仕える人物の命には逆らえないと考えたのかはわからないが、素直に両手に機器を握って質問を待ち始める。

 

 

「あ、じゃあ私が質問していいかな?」

 

 

「小野寺さま?」

 

 

すると、小咲が手を上げて鶫に問いかける。

 

 

「鶫さんは今、好きな人は居ますか?」

 

 

「っ!!!?」

 

 

無垢な笑顔を浮かべながら小咲が質問を口にした途端、鶫は目を見開き顔を真っ赤にさせる。

 

 

「い、いえ…。そんな人は私にはいませんよ…」

 

 

小咲の問いをNOで答える鶫。

やっぱりか、と辺りが息を吐こうとしたその時。

 

 

ビーーーーー!ビーーーーー!

 

 

嘘発見器は、芯をガリガリガリと揺らしながら音を発する。

つまり、鶫の答えは…。

 

 

「やっぱり!」

 

 

「違います!!」

 

 

必死に否定する鶫。ついにはこんなことを言い出す始末。

 

 

「まあ嘘発見器なんて、元々当てになるものではありませんしね…。質問が悪かったのかもしれませんが…」

 

 

「んー…、そっか…」

 

 

難を逃れた。鶫はそう思っただろう。

だが、本人には自覚はないものの、小咲は鶫を逃がさない。

 

 

「じゃあ鶫さんは今、恋をしていますか?」

 

 

「してません!」

 

 

ビーーーーー!

 

 

再び質問を投げかける小咲に、鶫はすぐさまNOと答える。

そして直後、音を発する嘘発見器。

 

 

「…こ、壊れてるのかな?この機械は?」

 

 

バンッ!と機械に手を張り当てながら鶫は機械の中は外面に視線を巡らせる。

必死にこの機械の出した結果は嘘なのだと弁明し続ける鶫は、ターゲットの楽に視線を移す。

 

 

「私のことはいいんですよ!ほら一条楽、貴様の番だ!」

 

 

「えっ」

 

 

鶫がぽいっ、と機器を楽の手に放る。

思わず受け取ってしまった楽、そんな楽に詰め寄りながら鶫は質問をする。

 

 

「貴様はお嬢のことを本気で愛しているのか?YESかNOか…?」

 

 

本気だ。本気の目だ。

これで、悪い結果が出ればすぐに鶫は楽の排除にかかるだろう。

 

結果は見えている。YESと答えれば嘘と、NOと答えれば本当だと機械は示すだろう。

 

陸は何時でも動けるように備える。

鶫が動いたその瞬間、陸も迎撃に動けるようにする。

 

 

「そ、そんなもんYESに決まってるじゃねーか…」

 

 

楽が、答える。沈黙が、流れる。

 

…音が、出ない。芯も、揺れない。

 

 

(…あれ?)

 

 

「くっ!どうやら本当のようだな…」

 

 

何処か悔しげに鶫がつぶやく中、陸は、そして楽もまた戸惑いの表情を浮かべていた。

陸も楽も、こんな結果が出るとは思っていなかった。

 

 

(まさか、不良品?いや、そんなはずは…)

 

 

陸は考える中、ふと楽の隣に座る千棘が視界の中に映る。

千棘は、目を見開いて頬を染めて…。この結果に驚いているように見える。

 

 

(まあ当然だろうな…。でも、そこまで顔赤くしなくても…)

 

 

思わぬ千棘の反応に、陸はまさか、とある結論に着きかけるがすぐに首を振って否定する。

 

そんな中、次は万里花が質問を受ける側になっていた。

万里花に質問をするのは、あることが気になっていた千棘。

 

 

「ダーリンとキスしたって言うのは本当?」

 

 

「っ!?」

 

 

千棘の口から出た質問に、陸は大きく目を見開いて驚愕する。

 

 

「それはもちろん…、本当ですわ」

 

 

「…っ!!?」

 

 

そして満面の笑みを浮かべた万里花の答え、嘘発見器が何も反応を見せないことにさらに大きく陸は驚愕する。

 

 

「え…、ちょっ…」

 

 

何が、一体何があったんだ。

 

後で楽を問い詰めてやると心に決める陸を余所に、次に質問を受けるのは小咲になる。

 

 

「ずばり、小野寺のバストはC以上?それとも以下?」

 

 

小咲に質問をしたのは集。そしてその問いを言い切った直後、集は横合いから飛び込んできた拳を受け、吹っ飛んでいく。

吹っ飛んだ集を追ってるりが駆け抜け、そして倒れ込んだ集にさらなる追撃を加えていく。

 

 

「い…いじ…い…」

 

 

るりの容赦ない攻撃を受けている集の悲鳴が響き渡る中、小咲が顔を真っ赤にさせて必死に答えようとする。

 

 

「こ、小咲!?良い!良いんだ!頑張らなくていい!!」

 

 

そんな小咲を見た陸が小咲の背後から手で口を塞いで、肩をトントンと叩いて落ち着かせようとする。

 

小咲を落ち着かせようとしながら、陸は小咲の手から機器を奪い取ると千棘へと投げ渡す。

 

 

「ほら!次は千棘だ!」

 

 

「えっ、えぇ!?」

 

 

「なら、次は私は質問を」

 

 

陸から機器を投げ渡された千棘は、慌てて他の人に渡そうとするがその前に万里花が質問を口にしてしまう。

 

 

「桐崎さんは楽様と、キスはもう済ませたのかしら?」

 

 

「「ぬなっ!?」」

 

 

「り、陸君、もう大丈夫…」

 

 

「ん、そうか」

 

 

万里花が質問し、楽と千棘が驚愕する中。陸はようやく落ち着きを見せた小咲を離す。

…まだ顔が赤い気がするが、先程よりも収まっているため大丈夫だろうと判断する陸。

 

そんな中、千棘が万里花の質問に答えるべく口を開く。

 

 

「いや、それはまだ…。私たちはピュアなお付き合いを…」

 

 

質問に答えた千棘は直後、はっ、と何かを思い出したのか目を瞠る。

そして、それと同時に嘘発見器も反応を見せていた。

 

 

「「「「え!!?」」」」

 

 

「マジで!?楽、お前いつの間に!!?」

 

 

「「してないしてない!断じてしてない!!」」

 

 

集たちが驚愕し、陸が楽に問いかける。

楽と千棘が必死に否定するが、機器が示した現実は変わらない。

 

陸は、いつの間に…、ともう一度つぶやく。

 

 

「じゃあほら!次はあんたよ!」

 

 

「え?」

 

 

兄の成長を喜んでいた弟陸に、千棘からのプレゼント。

陸の両手には、嘘発見器。

 

 

「え?え!?」

 

 

「ほら!誰か質問しなさいよ!」

 

 

「あ、じゃあ俺が!」

 

 

これまでのやり取りを見てきた陸。

この発見器を受け取り、質問されたものに訪れる末路を見てきた陸。

 

嫌な予感が、陸の胸に奔る。

さらに質問を受け持ったのは何と集。

 

これは、まずい気がする。

 

 

「ち、ちょっとまっ…」

 

 

「陸、三日前お前は小野寺の家にバイトをしに行ったそうだが…、その時、この町は台風が通過していたな…」

 

 

質問の前に前置きをする集に、陸と小咲以外の面々がぽかんとした視線を送る。

だが陸と小咲の二人は、まさかと目を瞠る。

 

 

「陸!俺の質問はこれだ!お前は、小野寺の家にお泊まりをしたのか!!?」

 

 

来てしまった。この質問が、来てしまった。

 

どうするか…、とりあえずまずは答えるしかない。

 

 

「い、イエス…」

 

 

結局事実なのだから、こう答えるしかない。

嘘を吐こうかとも考えたが、すでに楽は事実を知っている。

イエスと答えても問題ないと陸は考えたうえで答えた。

 

機器は…、何も反応を示さない。つまり、陸の答えは真実。

 

 

「「「「おーーー…」」」」

 

 

「「…」」

 

 

これは恥ずかしい。

感嘆の声を漏らす面々に対し、陸と小咲は頬を染めて俯いてしまう。

 

だが、二人にはまだ集の追撃が待っていたのだ。

 

 

「じゃあ陸!小野寺の家で何かいかがわしいことはあったかぁ!?」

 

 

「っ!?そ、そんなことあるわけないだろ…っ!

 

 

更なる集の質問に、すぐさま否定で答えようとする陸。

だが、答えを言い切ったその直前、陸の脳裏にある光景が過る。

 

お風呂から上がった直後の小咲の姿。可愛らしいパジャマ、いつもと比べて開いている胸元。漂うシャンプーの良いにおい。

これを思い出してしまった陸の末路は、決まってしまった。

 

 

「「「「な、何ーーーーーーーーーーーーー!!?」」」」

 

 

「ち、違う!断じて違う!!」

 

 

「え…?え?」

 

 

今度は、楽も集たちに交じって叫び声を上げる。

 

陸は必死に否定し、小咲は陸を見つめて戸惑いの声を漏らす。

 

違う。違うと言っても、現実は何も変わらない。

 

だが、陸にできることはたった一つだけなのだ。

 

 

「違うんだぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第26話 エンニチ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏といえば、何を思い浮かべる?

海、山、プール、虫取り、等々。夏には楽しむべくイベントがたくさんある。

 

そんな夏特有のイベント、その一つに今、陸は足を踏み入れていた。

 

 

「いらっしゃっせー」

 

 

「せー」

 

 

鉄板の上の焼きそばの麺をヘラで混ぜながら陸が言うと、傍らに笑みを浮かべながら立っている男も陸に続く。

 

現在、陸は縁日の会場にいた。そしてその中で組が出している屋台の手伝いをしているのだ。

こういう縁日のようなイベントは、組としては大切な資金源となっている。

 

 

「坊ちゃん、そろそろ休んだらどうです?朝から働き通しじゃないですか」

 

 

「ん?いや、俺は夜に休み貰ってるんだからその分働かないと」

 

 

男の問いかけに、陸は焼きそばをまとめ、プラスチックの容器に盛り付けながら答える。

そして陸は、焼きそばが盛り付けられたプラスチック容器の何個かをビニール袋に入れて持ち上げる。

 

 

「あれ?どこに行くんすか坊ちゃん?」

 

 

「これ、他の屋台の連中に差し入れに行ってくる」

 

 

一度振り向いてから男の問いに答えると、陸はすぐに屋台の外へと足を向ける。

後ろで、涙交じりで「坊ちゃん…、あんたってお人は…」という声が聞こえてきたが陸は振り返らずに足を進ませていた。

 

陸のシフトは後一時間ほどで終わる。そうすれば、後は自由な時間だ。

 

昼間に休みをもらって、夜にまた手伝いに戻るという選択もあったが、陸にとって縁日とは夜が一番盛り上がるというイメージがあるのだ。

それは決して間違いではなく、花火大会など大きなイベントは大体夜にある。

 

ともかく、陸は縁日を夜で楽しもうとシフトを朝から昼、夕方にかけて入れてもらったのだ。

 

 

「おーい、差し入れ持ってきたぞー」

 

 

「あ、坊ちゃんじゃないですか!?差し入れってそれですかい?」

 

 

ああ、と答え、かき氷の屋台を経営していた三人の男の内、出迎えてくれた男に陸は持っていたビニール袋を手渡す。

 

 

「焼きそばじゃないですか!これ、あっしらにくれるんですかい!?」

 

 

「差し入れなんだから、上げるに決まってるだろ?」

 

 

驚いて聞いてくる男の手に、無理やりビニール袋を握らせながら問いに答えた陸は、すぐに振り返る。

 

 

「じゃ、頑張れよ」

 

 

「「「ありがとうございやしたー!」」」

 

 

手を上げて、歩きながらエールを残すとかき氷屋台の男たちは声をそろえて陸に礼を言ってくる。

 

陸はそのまま焼きそばの屋台へと戻って再び働き始める。

 

時間は過ぎていき、陸のシフト終わりの時間が迫ってきていた。

売り上げは上々。陸の料理の腕がこの売り上げに大きく貢献しているのは言うまでもない。

 

 

「坊ちゃん!ちいと早いですがそろそろ上がってくだせえ!」

 

 

「え?いや、まだ…」

 

 

焼きそばを焼いていると、傍らで客を呼んでいた男が陸に声をかけてくる。

 

上がれと言う男に、陸はまだ時間は早いのでは?と返すつもりだったのだがその前にもう一人の男が陸の持っていたヘラを取り上げる。

 

 

「あ、おいっ」

 

 

「朝から坊ちゃん働き詰めだったじゃないですか。そろそろ休んでくだせえ」

 

 

男の手からヘラを取り返そうとする陸だが、先程上がれと声をかけた男が陸の腕を掴んで止める。

すると陸からヘラを取った男が陸に言葉をかける。

 

陸は少しの間考え込んで、すぐに決める。

 

 

「…わかった。お前らの言葉に甘えさせてもらうよ」

 

 

「そうしてくだせえ!」

 

 

「後は俺たちに任せてください!」

 

 

陸が出した結論は、二人の言葉に甘え休憩、というより仕事を上がるというもの。

二人に声をかけてから、陸は屋台から出て行き人の往来へと入っていく。

 

日が高かった時よりも歩く人の数が目に見えて多くなっている。

やはり、縁日は夜の方が盛り上がるという陸の考えは正しいのだろうか。

 

とりあえず、今はその事を置いておこう。

 

 

「おーっす」

 

 

「おっ、陸坊ちゃん!シフト上がったんすか?」

 

 

まず初めに陸が顔を出したのは組が経営しているたこ焼きの屋台。

陸の顔を見ると、組員が陸に挨拶をしていく。

 

 

「ああ。ということで、たこ焼き一パックくれないか?」

 

 

「了解しやした!何個でも!」

 

 

陸は組員にたこ焼き一パックを注文する。

といっても、陸は集英会ボスの息子。そんな人から組員が金をとるという事はしない。

 

そう、陸はタダで、お金を使わずに縁日を満喫することができるのだ。

友達と来たときなどはとても役に立つ。一人の時は、とても悲しくなる特権に成り下がってしまうのだが。

 

 

「そういや、楽坊ちゃんはビーハイブの彼女さんと一緒にいましたが、陸坊ちゃんは一人なんですかい?」

 

 

「…グサッときt…え?楽が千棘と一緒にいたのか?」

 

 

陸は一人で来たのか、と聞かれたことで胸にグサッ、と何かが刺さる。

だがその直後、ある言葉が気になりすぐに男に聞き返した。

 

楽がビーハイブの彼女さんと一緒にいた。つまり、楽は千棘と縁日を回っているという事だ。

 

 

(何か、だんだん親密になってるなあの二人…。口論の数も少なくなってる気がするし)

 

 

陸は少し前からの楽と千棘のやり取りを思い返す。

口論をすることもあるが、それも会った当初の頃よりもその時間も回数も少なくなっている。

 

明らかに親密になっていく楽と千棘の関係。

 

 

(…何か、面倒なことが起きそうな起きなさそうな)

 

 

色々と嫌な予感がする陸。それは果たして当たるか否か…、それはまだわからない。

 

注文したたこ焼きを受け取った陸は、少し外れた所でベンチに腰を下ろしてたこ焼きの味を満喫していた。

陸がたこ焼きを食べ終え、ベンチの横にあったゴミ箱に空になったプラスチック容器を捨てて往来へと戻る。

 

そして陸は様々な遊戯を堪能した。

射的、金魚すくい。陸は頭にお面を乗せながら綿あめを食べながら歩いていた。

 

 

「ほらっ、こっちこっち!」

 

 

「待ってよー!」

 

 

「早く行かないと間に合わなくなっちゃうわよ!?」

 

 

「…何か騒がしいな」

 

 

陸の横を何やら人たちが、特に女性が一方向に向かって駆け抜けていく。

 

陸もその方向に足を向けて歩き出す。

かなりの数の人たちがその方向へと駆けているのだ。気になって仕方ない。

 

 

「…何だあれ」

 

 

そして陸は見た。奥に建てられたお寺の前で集まっている大量の人の塊を。

思わず、ぽかんと口を開けて呆然としてしまう。

 

それほど、お寺の前には多くの人たちが集まっていたのだ。

 

 

「きゃあああ!やった、恋結び買えた!」

 

 

「私も私も!」

 

 

陸の傍にいた少女二人が何かはしゃいでいる。

恋結び、という言葉が聞こえてきた。

 

 

(恋結びって確か…、恋愛成就の効能があるって言われてるお守りだっけ?)

 

 

そういえば、楽がこの縁日で絶対勝ってやると宣言していたのを思い出す陸。

まあ、自分には興味もなく、特にお守りの効能などを信じている質でもないため楽の宣言を冷たく聞き流していたのだが。

 

 

「こんなに混むのか…。そんなに恋結びの効能は確かだと思われてるってことか?」

 

 

ここまで恋結びが人気だとは知らなかった。

これ程までになると、まったく呪術などを信じていない陸でももしや、という思いが湧き出てくる。

 

 

「ま、買わないけど」

 

 

だが、買う買わないという問題とはまたそれは別だ。

それに、買おうと思ったとしても恐らくあのお寺にたどり着くまでに売り切れてしまうだろう。

 

無駄なことをしようとするような性格ではない。

さっさと戻って、縁日をさらに堪能し、組の奴らをひいひい言わせてやろうかと悪だくみをしながら元の道を戻っていく。

 

すると、陸の体にどん、と何かがぶつかってくる。

 

 

「きゃっ」

 

 

「あ、すいません」

 

 

ぶつかってくれた何かは、小さく悲鳴を漏らす。その悲鳴を聞いて、陸はその相手が女性だと悟る。

陸は謝罪しながら、その女性の姿に目を向ける。

 

桃色を基調とした花柄の浴衣を身に着けた可憐な少女。

陸はその少女を見て、大きく目を見開いた。

 

 

「え…、小咲?」

 

 

「り、陸君!?」

 

 

花柄の浴衣を着た少女、小咲は陸の姿を見て同じく目を大きく見開いていた。

 

そして、この時陸は気づかなかった。

小咲の手に、恋結びが握られていたことに。

 

 

「…小咲、お前も買いに来てたのか?」

 

 

「陸君も…、恋結びを買いに来たの?」

 

 

たくさん女性が恋結びを買いに来ているのだから、小咲だって買いに来ていたとしても不思議ではないだろう。

 

小咲は、陸の言葉に対して聞き返す。

 

 

「いや、俺は何かたくさん人がこっちの方に走ってたから覗きに来ただけ。買いに来てるのは楽じゃないかな?」

 

 

「え?一条君は買いに来てるの?」

 

 

「家で宣言してたからな…。『スーパーウルトラ縁結びアイテム…。恋結びを俺は絶対に手に入れてみせる!』て」

 

 

恋結びを買いに来ているのは陸ではなく楽だという事を小咲に説明すると共に、家で宣言していた楽の言葉を一字一句違わずに小咲に伝える。

小咲は、苦笑を浮かべながら乾いた笑い声を漏らす。

 

 

「で、小咲は買えたのか?」

 

 

「え?」

 

 

「え?て…。ほら、恋結び」

 

 

陸は、小咲に恋結びは買えたのかと問いかける。

途端、小咲が何かを隠した仕草を見せる。陸は首を傾げ、何を隠したのかと聞こうとするがその前に小咲が口を開く。

 

 

「わ、私は買えなかったんだ!もう売り切れちゃってて!」

 

 

「え…、あ、そうなのか」

 

 

何か慌てているように見えるのは気のせいだろうか。

ともかく、何かは知らないが、言いづらいことがあるのならば深く問い質しはしない。

 

 

「さてと!俺はもう行くけど、どうする?小咲も来るか?」

 

 

「え?」

 

 

「ちなみに、俺と一緒に来ると食べ物も遊びも全部タダになるぞ?」

 

 

悪戯っぽい笑みを浮かべながら、陸は小咲に目を向けて言う。

小咲は、戸惑いの表情を浮かべながら首を傾げる。

 

陸が言う、食べ物も遊びも全てタダになる。この言葉の意味が読み取れなかったのだ。

そのことを悟った陸が、小咲に詳しく説明をする。

 

 

「このお祭り、組の奴らが結構屋台出してんだ」

 

 

「え?陸君の家の人たちが?」

 

 

陸の説明に、小咲が目を丸くして返す。

 

 

「で、でも私の分まで…」

 

 

「大丈夫大丈夫。俺と小咲の二人分くらい大したことないって。結構客は入ってるんだぞ?」

 

 

自分と小咲の二人がお代を払わないくらい、大したことではないと言う陸だがそれでも小咲は渋っている。

 

 

「小咲って、ホントそんな性格してるよな…」

 

 

「そう、かな…?」

 

 

小咲は優しい。だが、優しすぎるのもどうかと思う。

これは、優しいどころか完全なお人よしである。

 

 

「そ、そんなの陸君だってそうでしょ?」

 

 

「は?俺が?」

 

 

お人よしに関してを小咲に伝えた陸だったが、逆にそのまま言葉を小咲に返されてしまう。

 

思わず呆気にとられ、目を瞠り、口を半開きにさせて人差し指を自分に向ける。

 

 

「俺が優しい?お前、本気で言ってる?」

 

 

「ほ、本気だよ!陸君、いつも自分を犠牲にして他の人を助けようとして…」

 

 

「そんなことねえよ。俺はいつだって自分が一番だって思ってるんだぞ?」

 

 

自分は優しくないと言い切る陸に、陸は優しいと言い切る小咲。

初めは穏やかに言っていた二人だが、少しずつ声に力が入っていく。

 

 

「だから、俺は優しくないって」

 

 

「ううん!陸君は優しい!」

 

 

何でこの娘はここまで食い下がってくるのだろう。

だんだん、この話の相手をするのが下らなく感じてくる。

 

陸は大きくため息を吐いた。

ああ、もういい。自分の負けでいい。

 

 

「わかったわかった。俺は優しい、それでいいな」

 

 

「あ!陸君、バカにしてるでしょ!?私、本気で思ってるんだからね!」

 

 

「ああ、わかったって」

 

 

本当に、何でここまでムキになるのだ。

いや、それは自分にも当てはまるのだが…、たかが自分が優しいか優しくないの問答くらいで何であそこまでムキになったんだか。

 

 

「ほら、さっさと行こう。せっかくの縁日、楽しもうぜ」

 

 

「むぅ~…」

 

 

これ以上、押し問答をするつもりはない。その意志を込めながら小咲の前を歩きながら言う陸。

小咲も、頬を膨らませて不機嫌そうにはなっているが、陸の誘いを断ろうとする様子もなく何も言わずに陸についていく。

 

少しだけ、距離は離れてしまっているが初めて二人の縁日が今この時、始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回に、続く


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第27話 フタリデ

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば陸君。一条君はどうしたの?」

 

 

陸の少し後ろを歩いていた小咲が、ふと口を開く。

 

 

「いや、今は多分、恋結びを買おうとしてるところだろうけど…。さっきも言わなかったっけ?」

 

 

この答えは、先程も小咲に陸は言った。

だが、小咲が聞きたかったのはそういうことではない。

 

 

「ううん。一条君は誰と一緒にいるの?一人なの?」

 

 

小咲が聞きたいのは、楽が今、誰と一緒にいるのかだ。

陸が楽と一緒にいないということは、楽が一人でいるかそれとも誰かと一緒にいるか。

 

陸が一人でいる時点で、恐らく後者の方が可能性は高い。

 

 

「ああ。楽は千棘と一緒にいると思うぞ」

 

 

「え?二人で一緒にいるの?」

 

 

「そう。俺が見たわけじゃないんだけどな」

 

 

集英会が経営しているたこ焼きの屋台で働いていた男が言っていたことだ。

陸自身が見たわけではないが、あり得ないことでもない。

 

縁日を二人で回らなければ、他の人たちに怪しまれる恐れがある。

それに、最近の二人の中は少し近づいてきている。別に意外とも思わない。

 

楽がどうしているかを話している内に、二人は人々の往来の中に戻ってきていた。

 

そして、さらに歩いていくと二人の姿を見とめる一人の男の姿があった。

 

 

「おお?坊ちゃん!休憩に入ってたんすか!」

 

 

それは、集英会が経営している金魚すくいの屋台。

先程も通り過ぎていったが、あの寺に向かう多くの人たちの陰に隠れて陸の姿が見えていなかったのだ。

 

だが今は、その多くの人は寺にいる。ここを歩いている人の数は先程よりも少ない。

陸の姿を見つけるのは簡単だったのだ。

 

 

「それに、そのお嬢ちゃんは勉強会の時にも家に来ていた娘じゃないっすか?」

 

 

金魚の入った水槽の傍で、丸椅子に座っていた男は陸の背後にいた小咲を見つけて声をかける。

陸の陰に隠れていた小咲が、隣へと姿を見せる。

 

 

「どうする小咲。やってみるか?」

 

 

「え?」

 

 

不意に陸に問いかけられる小咲。

目を丸くして陸の方へと振り向いて聞き返す。

 

 

「お、やりますかいお嬢さん?ああお代の事なら気にせんでください。坊ちゃんのお連れさんから金をとるなんてことはしませんから」

 

 

「えぇ?いや、そんな…」

 

 

「おっと、さっきも言っただろ小咲?俺と来ると、食べ物も遊びも全部タダになるって」

 

 

男の言葉に小咲は戸惑い、戸惑った小咲に陸が付け加える。

 

小咲と会った時に陸は言った。縁日の食べ物も遊びも全てタダになると。

 

 

「ほ、本当に良いんですか?」

 

 

「もちろん!十分稼ぎは溜まっていますし、それにさっきも言いましたが坊ちゃんのお連れさんから金をとるなんてできませんぜ」

 

 

確認してくる小咲に、男は手を軽く振りながら答える。

 

やや引きつってはいるものの、小咲は笑みを浮かべる。

優しすぎる小咲は、少し躊躇いがあるのだろう。

 

 

「大丈夫だって。俺が休憩に入った時からもう、黒字は決定してるもんだから」

 

 

「…それなら、お願いします」

 

 

陸のその言葉を受けて、躊躇いを消し去って二人の誘いに乗る。

男からポイを受け取って、小咲はしゃがんで水槽の金魚と向かい合う。

 

陸も小咲の隣にしゃがんで見守る。

 

小咲の握ったポイが、水中の中に入る。

小咲が狙っている金魚は、ベタな赤く平均的なサイズのもの。

 

小咲はポイを上げて、金魚を掬いだす。

 

 

「あっ」

 

 

途端、小咲は小さく声を上げた。

ポイの網は破れ、掬ったと思われた金魚は水の中へと落ちて戻っていく。

 

 

「あぁ…」

 

 

「あらら」

 

 

小咲は落胆の声を漏らし、陸は小咲のポイから逃げた金魚の行方を目で追う。

 

小咲は肩を落とす。陸は立ち上がろうとして、再びしゃがむ。

 

 

「よし、なら次は俺の番だ。ポイとお椀貸して」

 

 

「え?でも、これもうほとんど破れて…」

 

 

陸は、小咲が持っていたポイとお椀を受け取る。

だが、小咲が持っていたポイはもうほとんど破れてしまっている。

これ以上使えない、小咲はそう思っていたのだが…、陸にとっては大した問題ではない。

 

陸はほとんど破れたポイを水中の中に入れる。

そして、ポイの枠にわずかに残った網を使って…、金魚を掬いあげた。

 

 

「「「「「え?」」」」」

 

 

小咲だけではない。周りにいた人たちも目を丸くして声を上げた。

 

陸は本当にわずかしか残っていない網を駆使して金魚を掬いあげ、素早く無駄のない動きで掬った金魚をお椀の中に入れる。

 

これだけでも驚くべきことだ。

だが、陸の動きはこれだけで終わらなかった。

 

さらに、先程と同じように素早く無駄のない動きを繰り返し次々に金魚を掬いあげお椀の中に入れていく。

 

芸術的にさえ見える陸の動きは小咲を、周りの人たちを魅了する。

 

 

「ふ…、さすが坊ちゃんですね…。楽坊ちゃんには負けてしまいやしたが、今度はそうはいかないですぜ」

 

 

(楽?)

 

 

何でここで楽の名前が出てきたのか。

疑問に思う陸だったが、男が背後から取り出した水槽を、そしてその中身を見てそれどころではなくなってしまう。

 

 

「これは陸坊ちゃんへの対策として用意した秘策です。とくと堪能あれ!」

 

 

「と、トビウオだと!?」

 

 

大きく胸を張って、ついでにドヤ顔を浮かべながら水槽の中を晒す。

水槽の中で泳いでいたのは、トビウオ。

 

ぴちゃぴちゃと水しぶきを上げながら跳ねるトビウオ。

中には、地面に落ちてしまいぴちぴちと力なくあがいているものもいる。

 

 

「ほ、本気か…?」

 

 

「坊ちゃん二人にはいつも苦汁を飲まされてきましたからね…。楽坊ちゃんには錦鯉という刺客を捕らえられてしまいやしたからね…。陸坊ちゃんには、お灸を据えさせてもらいますぜ」

 

 

ぎらっ、と鋭く光る眼差しを向けられる陸。

そんな男に、陸は白い歯を見せて笑みを浮かべながら、同じく鋭い眼差しを向け返す。

 

 

「面白い…。受けて立ってやる!」

 

 

金魚掬いで負けたことはなかった。そしてこれからも、負けるつもりはない。

このトビウオにも…、そして、同じ道を歩んできた楽にも!

 

陸はポイを水中の中へと潜り込ませる。

 

跳ね続けるトビウオたち。その中から、一匹を選んで陸は集中的にその一匹に視線を集中させる。

ぴちぴちと、狙いをすませたその一匹が跳ねる中、陸はタイミングを計る。

 

 

(ここ━━━━)

 

 

陸の目が見開かれる。タイミングは、ここだ。

ポイを、上げる。その過程の中には、陸が狙っていたトビウオ。

 

決まった、これは捕れる。確信する陸。

ポイの網にトビウオが囚われ、そのまま水の外へと引き上げられる━━━━

 

 

ぴちゃん

 

 

やけに、その音は響き渡った。

その音は、水音。そしてその水音は、水槽の水から発せられたものではない。

 

陸の持っていたお椀の中の、水の音。

 

水中から跳ね上がった、陸が狙っていたものとは違うトビウオが、陸の持っていたお椀の中へと入った音。

 

周りを静寂が包み込む。

陸がどうやってトビウオを捕獲するのか、そればかりに目を集めていた周りが、小咲が。

そして何よりも、何としてもトビウオを掬ってやろうと意気込んでいた陸も。

何が起こったのかわからないと言わんばかりに、目を見開いて口を呆けたように開けている。

 

 

「ば、バカな…。こ、今年も負けたというのか…」

 

 

「あ…、そうだな…」

 

 

ただ、一人だけ。

金魚すくいの屋台を経営していた男だけは、トビウオを捕らえられてしまったことに落胆を隠しきれていなかった。

 

捕らえた、というよりは捕らえられに来たというのが一番正しい気がするが。

 

男が信じられないと言った表情とは対称的に、陸は至って冷めた表情。

 

 

(もう、どうでもいいや)

 

 

掬った分から二匹ほどもらって、陸はここから立ち去ると心に決めたのだった。

 

 

 

 

 

「す、凄いよ陸君!あんなにたくさん金魚を掬えるなんて!」

 

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 

何とも微妙な雰囲気になってしまった。

それもこれも、あのトビウオとトビウオを用意したあの男のせいだ。

 

家に帰ったらあの男を特訓と称して叩きのめしてやろうと決意を固める陸。

 

そしてその思いは傍に置いておき、陸は手に持った金魚二匹が中で泳いでいる袋を小咲に差し出す。

 

 

「え?」

 

 

「これ、小咲に上げるよ。俺ん所には結構いるし」

 

 

陸の家には、金魚や他にも熱帯魚が飼育されている。

仲間が増えると楽が大喜びしそうなものだが、そんなものはどうでもいい。

 

 

「でも、これは陸君が掬ったんじゃ…」

 

 

「そうだけど、家にはたくさんいるしさ。小咲がいらないって言うんなら、俺が持って帰るけど」

 

 

陸の言葉を聞いて小咲は慌てて首を横に振る。

 

 

「ううん、嬉しいよ!大切にするね?」

 

 

陸からもらうものが嬉しくないはずがない。

小咲は陸から袋を受け取って、中でゆっくりと泳ぐ金魚を眺める。

たったそれだけなのに、勝手に笑みが浮かんでくる。こらえることができない。

 

 

「…どうした小咲?急に笑い出して」

 

 

いきなり笑みを浮かべる小咲を不思議に思った陸が小咲に問いかける。

 

いつもの小咲ならば、ここで慌ててそんなことないと否定していたところだろう。

だが、今の小咲は違った。

 

 

「ううん、何でもないっ」

 

 

花が咲き乱れたような、そんな笑顔を陸に向けて答える。

思わぬ小咲の笑顔に、陸はたじろいだようにわずかに体を引かせながら頬をわずかに染める。

 

 

(何か…、いつもと違うような…)

 

 

陸と二人きりで縁日を歩いている。

それが無意識ながら小咲のテンションを上げているのか、だがそんなこと陸も小咲も気が付くことは出来ない。

 

 

「さ、陸君!次に行こっか!」

 

 

「え、あっ。おいっ」

 

 

鼻歌交じりに小咲が陸の前を歩き出す。

陸も、慌てて小咲を追いかけようとする。

 

だが、その時だった。

ぶちっ、と小咲の足下から何かが千切れるような音が響き渡ったのは。

 

 

「「え?」」

 

 

二人同時に、呆けた声を漏らす。

二人が音の原因へと目を移す。

 

その先は、小咲の左足の下駄。

さらに正確に言うと、下駄の鼻緒。見事に切れてしまっている。

 

 

「うわ、いきなりだな…」

 

 

これでは、これ以上小咲は歩くことができない。

鼻緒を直せば早いのだが、こんな多くの人が通る所で座り込んで鼻緒を直すことなどできるはずがない。

 

何処か人気のない所まで移動しなければいけないのだが…、小咲を歩かせるわけにはいかない。

 

 

「…しょうがないか」

 

 

「え?」

 

 

これはしょうがない。

自分がしたいわけではない。それは断じて違う。

 

 

「小咲、乗れ」

 

 

「…え?」

 

 

小咲に背中を向けてしゃがむ陸。しゃがんだ陸の背中を呆然と眺める小咲。

 

 

「え…っと…」

 

 

「嫌か?なら、小咲は片足を裸足で歩いてもらうことになるけど」

 

 

「っ、い、いいよ!うん!裸足で歩くから、陸君に無理させられない!」

 

 

「っ」

 

 

こんな時でも、小咲は人のことを気遣って…。

 

 

(優しいってのは、そういうことを言うんだよ!)

 

 

内心で悪態をつきながら、陸は無理やり小咲の体を背負う。

 

きゃっ、と短い悲鳴が頭上から聞こえてくるが構わず陸は小咲の体勢を整えて、そのまま歩き始める。

 

 

「り、陸君!私歩くから!」

 

 

「ダメ」

 

 

「だ、駄目って…」

 

 

「ダメ」

 

 

降りる、自分で歩くと何度も小咲は言うが、その度に陸は駄目という一言の一点張り。

揺らぐ空気がまったくない。

 

ついに小咲も諦めて、陸の好意に甘えて自分の体重をその背中に預けていた。

 

 

「ご、ごめんね?私、重いよね…」

 

 

陸に背負われながら、小咲は小さな声で言う。

 

 

「いや、そんなことない。と言うより小咲、ちゃんと食ってる?小咲は細いからちゃんと食わなきゃダメだぞ」

 

 

 

だが陸はまったくそんなことはないと思っている。

それよりも、軽すぎるとまで感じていた。

ちゃんと朝昼夜とご飯を食べているのだろうか、心配になってくる。

 

 

(…しかし)

 

 

小咲の問いかけに答えを返してから、陸はそっと横目ですぐそばにある小咲の顔を見る。

 

小咲の顔は、恥ずかしさからか紅潮している。

そして、小咲の息が陸の頬にかかって少しくすぐったい。

 

息と共に、小咲の女の子らしい匂いが陸の鼻孔を通る。

それだけでも男心は苦しくなってくるというのに、背中には小咲の柔らかさが全面に伝わってくる。

特に、大きく柔らかい二つの塊は…、陸の精神力をガリガリと削りにかかっている。

 

早く、早く降ろさねば。どこか、どこかいい場所は。

 

願望ともいえる思いを抱きながら、小咲を背負ってから五分。

たかが、五分、されど五分。今まで感じたこともない長い五分を乗り越え、陸は屋台が並ぶ道から少し離れた所で小咲を降ろした。

 

今までの動揺雑念全てを胸の奥へと封じ込め陸は小咲の鼻緒を直す。

 

 

「…よし。これで今日一日くらいは歩けるだろ」

 

 

「ありがとう…」

 

 

切れた鼻緒を結び終えると、陸は小咲の隣に腰を下ろす。

 

今すぐにもう一度往来の中に戻ってもいいのだが、何やらそんな空気でもない。

陸は何も言わず、小咲の横で座り、空を見上げる。

 

見えるのは、木の葉、そしてその陰に隠れて見えずらくなっている星空。

 

 

「さて、どうする小咲。もっかいあの中戻って回るか?それとももう少しこのまま休んでくか?」

 

 

今、二人にある選択肢は二つ。

陸の言う通り、縁日を今すぐ回るか。それともここでもう少しこのままでいるか。

 

 

「…もう少し、このままでいたいな」

 

 

「…そっか」

 

 

小咲の答えは、このままでいること。

 

決して明るい雰囲気ではない。だが、暗い、嫌な雰囲気でもない。

それどころか、この雰囲気がどこか心地よいとさえ感じる。

 

こののんびりとした時を過ごすのは、久しぶりだ。

 

 

「…」

 

 

陸は横目で小咲を見る。

小咲は、じっ、と目の前で歩く人たちを眺めていた。

 

何を思っているんだろう。

陸はそのまま小咲の横顔を見つめ続ける。

 

だがずっと見つめていれば、誰だって気づくだろう。

さらに陸と小咲の距離はそう離れていない。

すぐに小咲は陸の視線に気づいて、陸へと目を向ける。

 

交わる二人の視線。

だが、二人は二人の目から視線を離すことはなかった。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

何か、先程とは違う空気が二人の間で流れ始める。

 

この、空気は何だ?

小咲が近づいてきているのは気のせいか?

 

…いや、小咲に近づいているのは

 

俺?

 

 

「なー」

 

 

「「っ!」」

 

 

急に聞こえてきた声に、目を見開く二人。

 

別にしてまずいことなどしていないのに、心臓が高鳴ってしまう。

 

 

「ね、猫…?」

 

 

聞こえてきた声の主は、猫。

何時の間に来ていたのだろう、その猫は陸の足下に座り込んでいた。

 

ブチ模様の可愛らしい猫。陸は右手を猫の頭の上に乗せて優しく撫でる。

 

猫は嫌な顔をせず、陸の手を甘んじて受け入れ、気持ちよさそうに目を細めている。

 

 

「あっ、陸!その猫捕まえてくれ!」

 

 

「は?」

 

 

「っ」

 

 

陸が猫を撫で、猫は気持ちよさそうにゴロゴロ鳴いて、そんな陸と猫を小咲が眺めて。

そんな時間が流れていた時、不意に陸を呼ぶ声が響き渡った。

 

陸がその声の方へと振り向いた瞬間、陸の右手から柔らかい毛並の感触が消えた。

 

 

「あ…」

 

 

「あぁっ!待てこら!!」

 

 

猫が走り去っていき、その猫を追いかける人影が陸と小咲の眼前を横切っていく。

 

 

「あれって…」

 

 

「楽?」

 

 

その人影が楽だと認識するのは少しだけ時間がかかった。

 

何故楽があの猫を追いかけているのかは知らないが、あの猫はともかく楽は許さん。

帰ったらあいつと一緒にたたきのめ…

 

 

(あれ?俺、何でこんなイライラしてるんだ?)

 

 

そこで陸は自分がイライラしていることを自覚する。

 

何故?何故自分はこんなにイラついている?

 

 

「陸君?どうしたの?」

 

 

「…いや、何でもない。それより、そろそろ回らないか?もう休憩はいいだろ?」

 

 

「あ、うん」

 

 

陸の様子がどこかおかしいことに気付いた小咲が声をかけるが、陸は何でもないと答える。

そして立ち上がると、陸は縁日に戻ろうと小咲を誘い、小咲も陸の誘いをすぐに受ける。

 

 

(…さっき)

 

 

陸に続いて立ち上がり、陸の後をついていく小咲はふと先程の光景が脳裏を過った。

 

こちらを見つめてくる陸。その陸の目から目が離せなかった自分。

 

そして、少しずつこちらに近づいてくる陸。近づいていく自分。

 

 

(…そんなこと、あり得ないよね)

 

 

心に浮かんだ可能性を打ち消そうとする小咲。

あり得ない。そんなこと、あり得ない。

 

だけど…、だけど、もしかしたら…。

 

打ち消すことのできない気持ちを抱えながら、小咲は陸と共に往来の中へと戻っていく。

 

 

「…」

 

 

胴の部分の帯。

下側の輪になっている部分に入れた、恋結びにそっと触れながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




大学の友達が不意に言った言葉。
「女子の浴衣って強調されるよなー」

何がとは言いません。
ですが、この言葉であのシーンが出来上がりました。


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第28話 ウミベデ

これが、最後の投稿になります。
活動報告にもありますが、夏休みは実家に帰ります。
去年よりも長い間、投稿を休ませてもらうことになると思います。


 

 

 

 

 

 

いよいよ、陸たちの夏休みも終盤へと差し掛かってきていた。

授業が再開するまで、残り一週間強。

 

宿題もそれぞれ一段落が着き、この一週間をどのように過ごすかを考えていた陸と楽、集の三人。

楽の部屋で集まり、何をしようかと話し合った。

 

そんな時、楽の一言が予定を決めることとなったのだ。

 

 

『そういえば俺達、海に行ってないよな』

 

 

 

 

 

「直、夏休みも終わるし…海くらいは行かねえとなー」

 

 

それぞれが、簡単なTシャツや短パン、パーカーを背負い、楽の手にはパラソル。

陸と集の手には大きめの荷物が握られている。

 

そして彼らのまわりには、いつものメンツである女子メンバー。

 

先程の集のセリフ通り、彼らは海に旅行へとやってきていたのだ。

 

 

「私、日本の海って初めて!ノースカロライナ以来かな」

 

 

「私は見るだけですが、モルディブ以来でしょうか」

 

 

(セレブかお前ら…)

 

 

何気ない会話に聞こえるが、そこに出てくるのはセレブご用達の国ばかり。

そんな会話をすぐ傍らで耳にしていた楽が内心で、会話をする千棘と万里花にツッコむ。

 

 

「俺も、海に来るのなんてレダン島以来だな」

 

 

「え?レダンに行ったの!?あそこってアクセスが不便だから行くのが難しい所じゃなかった!?」

 

 

「うん?まあね。親父に連れてかれてさ」

 

 

(陸よ、お前もか!)

 

 

ちなみに、そのレダン島のビーチには楽は行っていない。

レダン島に行ったのは裏の方の仕事関係だったのだから。

 

なので、海を楽しむ時間も正直ないに等しかったのだが、あの美しい風景を一目見ただけでも得をしたと今でも陸は思っている。

 

 

「あーもう、楽しみ!私いっちばーん!!」

 

 

「おい、こらてめっ!」

 

 

我慢ができなくなってしまった千棘が、両手を上げながら駆けだしていく。

楽たちも慌てて追いかけ、眼前の塀を上がる。

 

そして、塀を超えた彼らの目に映るのは、白い砂浜に青い海。

砂浜には、咲き乱れる花のような、色とりどりのパラソル。海ではバレーをしている者や、泳ぎの競争をしている者など人それぞれの方法で楽しんでいた。

 

 

「キャァッホーーー!!!」

 

 

「わーい」

 

 

「おいこら!パラソル張るの手伝え!」

 

 

はしゃぎながら、パーカーを脱ぎ捨てて海へと直行する千棘にるり。

そんな二人を追いかける楽。

 

少しして、楽に連れられて渋々といった感じで戻ってくる千棘とるりも加わって、パラソルを立て、荷物を整理し始める。

 

だが、その光景は周りの男共を魅了していることに全員が気づいていなかった。

 

 

「何だよあの美女軍団…」

 

 

「レベル高ぇ~…」

 

 

「まさか、芸能人じゃないよな…」

 

 

男どもの視線を受けながら、陸たちは準備を進める。

そんな中、集がいつもと違う鶫の姿に注目し始める。

 

 

「あらら?誠士郎ちゃん、今日は女の子らしい水着じゃない、どしたの?」

 

 

集が注目したのは、鶫の水着姿。

 

鶫が身に着けているのは水着は、真っ赤なビキニ。

だが、他のメンバーとは違って、上の水着は肩にかけるタイプのものではなく背中に巻くもの。

 

鶫の抜群のスタイルがこれでもかと言わんばかりに晒されている。

 

 

「わ、私はスーツで良いと言ったのです。それなのに、お嬢が…」

 

 

「海にまで来て何を言ってんのよ。観念しなさい」

 

 

やはり、鶫が進んで身に着けたものではないのだろう。

話を聞く限り、千棘が無理やり着させたもののようだ。

 

まあ、このような水着を鶫が進んで着るわけがないのだが。

 

 

「?」

 

 

そこで、鶫がようやく周りから向けられる視線に気づく。

だが、初めとは違い、鶫に向けられているのは男だけではなく、鶫と違って恵まれていない女の視線も向けられている。

男は頬を染め、女はちっ、と舌打ちしながら。

 

 

「これだから胸なんて要らないんです…」

 

 

「まあまあ、せっかくの体なんだし自信持ちなさいよ」

 

 

自分を抱き締めるように腕を巻いて、小さく縮こまる鶫に、鶫の胸を凝視しながら言う千棘。

 

そして、鶫の背後からそろぉ~っと近づく人影。

 

 

「えい!」

 

 

「ぎゃあ!?き、貴様何を!?」

 

 

その人影は、鶫の背後から腕を巻いて豊満な胸を揉みしだく。

鶫は悲鳴を上げて、その手から逃れようともがく。

 

 

「むっ…。やはり私より大きいですわね…」

 

 

鶫の胸を揉んでいるのは万里花だ。

万里花は明らかな戦力差に不満げな顔をしながら鶫の胸を揉み続ける。

 

 

「あ、ホントだ。何この弾力!」

 

 

「お、お嬢まで!」

 

 

さらに千棘まで加わって状況は混乱。

 

 

「…あいつら、男がいるってこと忘れてるだろ」

 

 

「見ないのが一番だ」

 

 

その状況を凝視している楽、そして無言な集。

陸は、底へ目を向けずに準備を進めていた。

 

 

「てか集。さっきから何をやってんだ?」

 

 

「C…C…B…」

 

 

そして、双眼鏡でどこかを見ながらつぶやく集。

何をしているのか気になった陸が集に問いかけた。

 

 

「B…B…おお!?あれはEか!?あそこにはFクラス!」

 

 

「おーい集。そろそろ気づかないとやばいぞー」

 

 

次の集のつぶやきで、何をしているのか悟る陸。

そして、同じように気づいたある者が集の背後で、荷物から取り出したバットを構えている。

 

陸が集に警告を出すが、集は全く気が付かない。

 

 

「そおい!」

 

 

「ごはぁ!?」

 

 

結局、集は背後の人物、るりのバットスイングの餌食となってしまった。

 

陸は、その光景から視線を外してため息をつくと、整理し終えた荷物を置いて立ち上がる。

 

 

「…ん?」

 

 

すると、楽と千棘が不良に囲まれている光景を目にする。

特に騒ぎにはなっていない上に、何もせずに不良は立ち去って行った。

 

ふう、と息を吐いてから陸は海に入ろうと、Tシャツを脱いで敷いたシートの上に置いて歩き出す。

 

 

「ぎゃーーーーーーー!!」

 

 

直後、陸の頭上から悲鳴が響き渡る。

見上げると、何故か飛び上がっていく楽の姿が。

 

 

「…」

 

 

見てない。何も見てない。

 

ともかく、今の光景を見ていないことにして陸は海の中へと入っていく。

 

足に、心地よい水の冷たい感覚が染み渡ってくる。

 

陸は、足元を、足にかかってくる波を眺めながら足を進めていく。

足下から膝に、膝から、ついに足がつかなくなり、体全体が。

 

陸は体を浮かせて、水面で仰向けになって空を見上げる。

 

日差しが、青い空が見えるのがここまで心地よいと感じたのは久しぶりだ。

 

 

「わぁあああああああああああ!!」

 

 

「…」

 

 

また、先程と同じ人影が空を横切ったような気がするが、気のせいだと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと…。それじゃあ、夜の食事当番を決めておこうか。夜はバーベキューセットを借りることになってるから」

 

 

それぞれが海を楽しんだ後、日も傾きかけた時間帯で皆は集まって話し合う。

話し合いの内容は、夕食を作るのは誰にするか、だ。

 

決める方法は、くじ引きですぐに決まる。当番も二人という事で決まった。

 

早速、皆はくじを引いて、引いた紙の端を見る。

 

 

「「げ」」

 

 

「おー!恋人同士で当番かあ!よろしく頼むぞ楽!」

 

 

紙に端に色が塗られているのが、当番となる外れくじ。

そしてそのくじを引いたのは、楽と千棘の二人。

 

 

(つまり、実質一人か…。頑張れ楽)

 

 

だが、千棘は料理ができないに等しい。恐らくそれは、バーベキューにも当てはまると思われる。

つまり、それは料理当番は楽一人に等しいという事。

 

心の中だけで楽にエールを送る陸。

 

 

「じゃ、頑張れよ二人ともー!」

 

 

「よろしくねー」

 

 

「お嬢、私も…」

 

 

「あんたも来る」

 

 

「楽様ー!私もお手伝いしm…」

 

 

「お前も来るんだよ」

 

 

楽と千棘以外のメンバーは、夕食を二人に任せて再び海へと向かう。

 

楽と千棘が夕食の準備をしている間、陸たちはビーチバレーや小咲の砂の作品の作業を手伝ったりした。

特に小咲の作品は芸術の域に達しており、手伝うといっても砂を集めたりなどの簡単な作業しかできなかったのだが。

 

笑いが途切れることなく時間は過ぎて、日が沈みかけてきたころ楽が陸たちを呼ぶ。

夕食が完成したのだ。

 

 

「少し騒がしかったようだけど、何かあったのか?」

 

 

「は?…いや、何も」

 

 

楽と千棘が夕食を準備していた時、二人がいる方から二人の声が度々聞こえてきたのだ。

どちらかというと、怒声と言うべき声が。

 

それが気になった陸が、楽に問いかけるが楽は答えてくれない。

 

 

「…そうか」

 

 

特に大したことではないのだろうと判断した陸は、そのまま楽を追い越してすでにコンロのまわりに集まっている小咲や千棘たちの元へ向かう。

 

そして集からプラスチックの皿と割り箸をもらい、割り箸を割るとコンロで焼いている肉や野菜を取っていく。

 

 

「あ、貴様!その肉は私が焼いていたものだぞ!」

 

 

「あら、そうなのですか?申し訳ありません」

 

 

「謝りながら食べるんじゃない!あぁ!舞子集、貴様も!」

 

 

「油断しちゃダメだよ誠士郎ちゃん」

 

 

鶫、万里花、集が肉を巡って争いを始める。

万里花、集が鶫の焼いた肉を奪おうとして、鶫は自分の肉を何とか死守しようとする。

 

 

「ホント、あの三人は何を騒いでるのかしら…」

 

 

「ホントだな。あ、この肉焼けてる」

 

 

「あ、ちょっと。その肉は私が焼いてた…」

 

 

「ん?何か言ったか宮本?…いてっ、おい何だよ急に。痛いって、何で膝蹴りしてくんの?」

 

 

陸が、るりと一緒に呆れの視線を鶫たち三人に向ける。

そして陸は、焼けた肉を取って口へと入れる。るりが止めようとする前に。

 

 

「どうしたんだよ宮本」

 

 

「離しなさい一条弟君。あんたを蹴れないじゃない」

 

 

「蹴るな!」

 

 

るりの頭を掴んでるりの動きを止める陸。

 

 

「るりちゃん、やめなよー!」

 

 

「小咲も離して。こいつを、こいつを蹴れない」

 

 

「「だから蹴る(ら)な(いでよ)!」」

 

 

暴れるるり、るりを止める陸と小咲。

 

るりを止めながら、陸と小咲はある方向に視線を向けていた。

それは、千棘。他の人たちと違い、黙ったまま静かに肉を食べ続ける千棘。

 

千棘は顔を俯けて、物思いに耽っているような、そんな暗い表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食も食べ終え、辺りはすっかり暗くなっていた。

暗くなったことにより、明るい時には見えていた海の中は全く見えなくなってしまう。

 

そんな暗い海を、太陽に代わって空に上がった月が照らしていた。

その光景を、陸は防波堤に腰を下ろして眺める。

 

 

「陸君」

 

 

「小咲?」

 

 

楽たちが今いるだろう所から少し離れた所に陸は居る。

まさか、見つかるとは思っていなかったため陸はやってきた小咲を見て目を瞠る。

 

 

「隣いい?」

 

 

「ん、ああ」

 

 

許可をもらった小咲が陸の隣に腰を下ろす。

 

何を話そうか…、いや、何も話さずこのまま静かに過ごすのもいいか。

そんな風に考えていた陸に、小咲が口を開く。

 

 

「ねえ陸君。千棘ちゃんの様子…、おかしかったよね?」

 

 

「…そうだな。何か元気がなかった」

 

 

小咲が聞いてきたのは千棘の事。

夕食を食べ終え、陸がここにやってくる前も千棘の沈んだ様子は変わっていなかった。

 

とはいえ、原因がわからない以上どうすることもできない。それは、陸も小咲もわかっている。

 

 

「皆は?どうしてる?」

 

 

「じゃんけんで負けた人が後片付けしてる。舞子君、陸君のこと探してたよ?」

 

 

「ははっ、そりゃいいや。後片付けを回避できたんだな」

 

 

集たちは後片付けをしているらしい。

そして、その当番を決めたのはじゃんけん。

 

陸はそのじゃんけんに参加していない。自動的に後片付けを回避したのだ。

 

 

「ま、後の報復が少し怖いが…、何とかなるだろ」

 

 

「はは…」

 

 

しかし、戻った後の仕返し、何をされるかわからない。

少しだけ恐怖感を感じるが、まあ何とかなるだろうと自分に言い聞かせる陸。

 

そんな陸を、小咲は苦笑気味で眺めることしかできなかった。

 

 

「…なんだか不思議だね。中学の頃は、こうして陸君を…、名前で呼ぶことも、一緒に海に来ることも想像してなかった」

 

 

「お互い、そんなに話す方でもなかったからな」

 

 

思い出すのは中学の頃。

陸と小咲が出会ったのは中学二年の時のことだった。

 

出会った後も、話す機会は多くはない。

友人、というよりは知り合いという方がまだ合っていた。

 

あの時は、ここまで仲が良くなるなど考えてもいなかった陸と小咲。

 

 

「ねえ陸君。陸君は、楽しかった?」

 

 

「…ああ、すごく。小咲はどうだった?」

 

 

「うん!もちろん楽しかったよ」

 

 

それぞれの問いかけに答える、陸と小咲。

 

この旅行はたった一泊だけ。つまり、明日はもう帰るという事。

 

楽しかったと答える陸だったが、内心ではもっと遊べばよかったと小さく後悔していた。

 

 

「…ふう」

 

 

陸は息を吐きながら、両手をついて空を仰ぎ見る。

 

ここは、都会からは離れた場所。星空が、良く見える。

 

 

(あれが白鳥座。ということはあれは夏の大三角形。琴座、わし座)

 

 

空を見上げて星座を眺める陸。その陸の横顔を、小咲が見つめていることに気付かない。

 

 

(…楽しいなぁ。こうして一緒にいるだけで、こんなに元気になるなんて)

 

 

この気持ちは、中学の時と変わらない。いや、中学の時よりもさらに大きくなっている。

 

もっと一緒にいたい。もっとこんな時間が続いたらいい。

 

 

(好きだなぁ…、やっぱり…)

 

 

改めて、陸が好きなのだと小咲は実感する。

 

陸も小咲も、口を開かない。言葉を出そうとするが、出てこない。

 

こんな空気、二人には覚えがあった。

そう、この空気はあの時。縁日の時と一緒だ。

 

小咲の草履を直した時、人気の少ない場所で二人で座っていた時。

 

 

「ねぇ、陸君…」

 

 

だからなのかもしれない。あの時もそうだった。

勝手に体が動いて…

 

 

「キスしても、いい…?」

 

 

今この時と、同じように━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第29話 ハナビデ

久しぶりの投稿です。
久しぶりすぎて…、文章がおかしくなってる気がします。


 

 

 

 

 

 

 

真夏といえども、日が沈めばそれなりの冷たい風は吹く。

その冷たい風が不快なものになるか、それとも心地よいものになるかの違いはあるのだが。

 

二人を包む風は、肌を刺す冷たさはなく心地よい。

 

そして、その風に吹かれて揺れる髪を抑えながら小咲は少しずつ我を取り戻していく。

 

空に向けていた顔を、平行に、そして下の海面へと落としていく。

 

 

(…今、私なんて言った!!!?)

 

 

これでもかと目を見開いて、自分に向けて問いかける小咲。

 

 

(え!?今のって頭の中に浮かんだだけ!?それとも口に出したの!?…出した気がする。え、どうしよう…!?)

 

 

両掌で顔を覆い、必死にこみあげてくる熱を収めようとする。

だが、そんなことで小咲の中の熱は収まらない。

それどころか、次々に懸念が浮かびさらに熱は上がっていく。

 

 

(ど、どうして陸君は何も言わないんだろ…?聞いてた、よね…。うぅ…、突然キスなんて、引かれただろうな…)

 

 

陸の反応を恐れながら、小咲は覆っていた手を僅かに外し、恐る恐る陸の方へと目を向ける。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

小咲が目を向けた方には、先程と変わらず空を見上げている陸の姿、横顔がある。

 

 

(あれ…?聞こえなかったのかな…。それとも、私…)

 

 

「…ん?どうした小咲、俺の顔に何かついてるのか?」

 

 

小咲の顔から熱が一気に引いていく。

もしかしたら、自分がキスと口にしたのは気のせいなのかもしれない。

 

そう小咲が思った時、空を見上げていた陸が小咲の方に目を向けて問いかけてくる。

 

 

「う、ううん、何でもないよ。…じゃあ陸君、私先に皆のとこに戻ってるから」

 

 

「あ、そう?俺はもう少しここにいるよ」

 

 

報復回避の方法も考えたいし。そうぼそりと陸がつぶやいたのを小咲は聞き逃さなかった。

思わず苦笑を浮かべて小咲は陸から離れていく。

 

しかし、本当に良かった。

もしあの時、本当にキスと口にしていればどうなっていたか。

 

小咲は、胸を撫で下ろしながらこちらに手を振っている千棘の元へと駆け出していく。

 

 

 

 

 

 

一晩明けて二日目━━━━

 

先日と同じく、空は晴れ渡り、日差しは容赦なく砂浜で歩く者、寝そべっている者、海の中で泳ぐ者の全てを照らす。

こんな時、人は冷たい海の中へと潜りたいと思うのがほとんどだろう。

 

しかし、この人物はそれができない。

それどころか、何故か自分を見上げる少女に説教をされていた。

 

 

「あなたは、どうして一条弟君と帰ってこなかったのよ」

 

 

「いや、それはね?昨日も言ったけど、陸君がまだ星を見たいって言うから…」

 

 

「ならあんたも、『やっぱり私ももう少し星が見たいな』とか言って一条弟君の隣で座ってなさいよ」

 

 

小咲を、責めるような目で見上げているのはるり。

小咲に説教をしているのもるり。

 

昨日、小咲は自分から陸を探しに行く役を買って出たのだが、戻ってきたのは小咲一人。

まだ陸は星を見たいと言ったことを説明したのだが、るりには納得いかなかった模様。

説明を終えたすぐ後、るりに腕を引かれて連れてかれた小咲は今と同じように説教を受けたのだ。

 

そして今日。再び小咲は同じ内容でるりに説教を受けているのだ。

これは堪らない。

 

 

「大体あんたはね…」

 

 

「…あ」

 

 

まだまだ続くるりの説教。そんな中、小咲はふとある存在に気付く。

るりが両腕を組んで、目を瞑っている間にそっとその場から離れてその存在へと近づいていく。

 

 

「千棘ちゃん!」

 

 

声をかける小咲。

小咲の目の先には、シートの上で寝転がっている千棘の姿があった。

 

千棘は瞑っていた目を開けて、駆け寄ってくる小咲の方に向ける。

 

小咲は、走ったことによってずれた前髪を整えながらこちらを見上げる千棘に口を開く。

 

 

「千棘ちゃん、どうかしたの?昨日から元気ないみたいだけど…」

 

 

昨日の夜、陸とも話したが今日も千棘の様子はおかしい。

昨日、海に来たときはかなりはしゃいで遊んでいたというのに今日は何もせずにこうして寝そべっているだけ。

 

 

「何か悩み事とかあるの?私、相談に乗るよ?」

 

 

「ううん…、悩んでるってわけじゃ…」

 

 

千棘は上半身を起こすと、目を泳がせながらはっきりしない口調で言う。

 

だが、ふと言葉を切ると、千棘は小咲の目をまっすぐと見て口を開いた。

 

 

「…ねえ小咲ちゃん。これ、私の事じゃないんだけど…」

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 

コンビニの店内を出るときに流れる特有のチャイム音が陸の耳に届く。

彼の手に握られているのは、今回の海に来ているメンバー分のおにぎりである。

 

 

「さて、と。これで全員分買ったな?」

 

 

「ああ。飲み物の方もばっちりだぜ」

 

 

「じゃ、早く戻ろーぜ。皆、お腹すかせて待ってるだろーし」

 

 

陸の他にも、楽と集。海に来た男メンバー三人組が勢揃いしていた。

男三人集は、海から歩いて五分ほどの所にあるコンビニに昼食のおにぎりと、メンバー分の飲み物を買いに来ていたのだ。

 

 

「いやー、しかし毎年の事ながら暑いねー。戻ったら、昼食前に海に入って体冷やしてくるかな」

 

 

「お前、それするんだったらちゃんと体拭いてから来いよ。濡れた体でシートに座るんじゃねえぞ」

 

 

信号が赤のため立ち止まった三人。そして楽と集が会話をしている中、陸はふうっと息を吐く。

 

 

「…なあ陸、お前、何かあった?」

 

 

「は?急にどうした?」

 

 

そこに、不意にこちらを覗き込みながら問いかけてくる集。

陸は、目を瞠りながら問いかけてきた集を見遣る。

 

 

「いや、何かお前今日ずっと上の空じゃん。気づいてないかもしれないけど、俺と楽が話しかけても、反応してない時あったぞ?」

 

 

「っ」

 

 

唇を閉めて、思わず息を詰まらせる。

そして、陸はすっと目を斜め下へと移し、地面へと視線を向けた。

 

楽と集はじっ、と陸を見つめてくる。陸は、そんな二人に何も言うことができない。

 

 

「…ま、言いづらい事なら無理に聞かないけどさ。お前も色々大変みたいだからさ」

 

 

「…悪い」

 

 

真剣な眼差しから一変、集は優しげな眼で陸を見ながら言う。

そんな集に、陸は苦笑を浮かべながら答える。

 

本当に、集には敵わない。

これでも楽と違って、集英会の跡継ぎとしてそれなりの苦を乗り越えてきた陸。

だが、集の目を誤魔化せたことは一度もない。

 

 

「集が何を言ってるのかはわからんが、いつでも相談に乗るからな?何てったって、俺は兄だからな」

 

 

「…あまり頼りにはならなそうだけどな」

 

 

胸をとん、と拳で叩きながら楽が言い、陸は目を細くして冷ための視線を向けながら返す。

楽がぐっ、と何かが刺さったかのごとく、胸に置いていた拳を解くと、今度は掌で自身の胸を掴む。

 

 

「ど、どうせ俺なんて…」

 

 

「あぁ楽?落ち込んでるところ悪いけど、もう青だぞー。…ありゃりゃ、聞こえてないな」

 

 

「少ししたら復活するって。そんなことより皆待ってるんだ、早く行こう」

 

 

しゃがみこんで項垂れ、そして歩く人たちに訝しげな視線を向けられる楽を置いて陸と集は横断歩道を渡って浜辺へと戻っていく。

 

楽が復活したのは、その場から陸と集の姿が見えなくなった頃だった。

 

 

「…あれ?陸?集?…俺、置いてかれた?」

 

 

哀れ、楽。

 

 

 

 

 

 

 

二拍三日の旅行、最後の夜。

旅行の最後を飾るイベントは、花火である。

 

といっても、陸たちが止まっている宿の近くでは花火大会という催しはない。

陸たちがしているのは、店で置いてある手持ち花火である。

 

 

「やっぱ最後は花火だよな~」

 

 

「わ、私、こういう花火は初めてでして…」

 

 

火薬部に火をつけた花火を手に、集がしみじみと呟き、万里花が恐る恐る、花火の火薬部をすでに火をつけているるりの花火から火を分けてもらおうとする。

 

万里花は、花火に火が付き、火を噴きだしているのを見て驚き走り回っている。

そんな万里花を見て一同に笑いが起こる。

 

 

「あれ?桐崎さんがいないな。さっきまでいたのに」

 

 

目から零れた涙を拭ってから、集は辺りを見回してから言う。

つい先ほどまで、海をじっと見つめていた千棘の姿が見えなくなっていたのだ。

 

 

「私、探してくる…!」

 

 

「あ、良いよ小野寺。俺が行くから」

 

 

集の言葉の後、小咲も辺りを見回して千棘の姿がない事を確認すると、すぐに千棘を探しに行こうとする。

だがその小咲を止めて、楽がゆっくり駆けだしていった。

 

 

「あ…」

 

 

小咲は、千棘を探しに行った楽の後姿を見ながら昼の千棘との会話を思い出していた。

 

 

『それは、恋ではないかと思われます』

 

 

『な、なななななっ!?恋ぃいいいいいいいいい!!?』

 

 

千棘の真っ赤に染めた頬、そして戸惑いの表情が脳裏に浮かぶ。

 

千棘の相談を受けた小咲。

その内容とは、千棘の友達について。

 

ある人の前で胸がドキドキしたり苦しくなったりして、前みたいに普通に話せなくなってしまったという事。

何でも、最近急にそうなってしまい原因がわからないと。

 

実は、小咲は最近に同じ相談を受けたことがあった。

その相手とは、鶫のことだ。

 

その時はるりも一緒にいて、二人で同じ答えを導き出したのだ。

 

その答えとは、恋。

 

小咲は、その時と同じ答えを千棘に返した。

千棘から返ってきた反応は、先に述べた通り。

 

 

(千棘ちゃん、どうしたんだろ…)

 

 

小咲は花火の火を見ながら少しだけ千棘を怪訝に思っていた。

確かに、友達が恋をしていることを知れば、それは驚くべきことなのかもしれない。

 

だが、あの時の千棘の反応は━━━━

 

 

(恥ずかし…がってたよね?千棘ちゃん…)

 

 

目を見開いて、頬を染めて、体を小刻みに震えさせて。

間違いなく、千棘は恥ずかしがっていたように思える。

相談の答えは、飽くまで友達に対してのものなのに。

 

 

「小咲。火、消えてるぞ?」

 

 

「え…、あれ?」

 

 

いつの間にかぼうっとしていた小咲。

すでに花火の火が消えていたことにも気づかず、しゃがんで花火を持った体勢のまま固まっていたのだ。

 

それを怪訝に思った陸が、小咲に歩み寄って声をかけた。

 

 

「陸君?」

 

 

「どうした?何か悩み事でもあるのか?」

 

 

先程の小咲の表情は、何かを考え込んでいるような感じだった。

それについて、陸は問いかける。

 

 

「…ううん、大丈夫。ちょっとしたことだから」

 

 

小咲の答えは、否定。

 

確かに千棘の態度は少し怪しい気はするが、もしその懸念が当たっていてもそれはめでたいことではないか。

千棘が、恋をした。それは友として、喜ばしい事ではないか。

 

 

(…あれ?でも、もしそれが本当なら一条君は…、あ)

 

 

だが直後、何かを察してしまう小咲。そしてそれと同時に、考えていたことを全て忘れ去ろうとする小咲。

 

忘れ去る直前に、これから相当苦労するであろう千棘にエールを送って。

 

小咲の隣にしゃがんで、新しい花火を渡そうとする陸のすぐ隣で、勢いよく首を横に振る小咲を、陸は戸惑いの表情で眺めることしかできない。

 

 

「ほ、ホントに大丈夫なのか?」

 

 

「う、うんっ。あ、ありがとう」

 

 

小咲に問いかけながら花火を渡してライターに火を灯す陸。

陸から花火を受け取った小咲は、陸に礼を言いながらライターの火に花火の火薬部を近づける。

 

少し間を置いてから、小咲の持つ花火から火が噴き出る。

それを見た陸は、ライターの火を消してポケットの中に入れると、自分の分にと持っていたもう一つの花火の火薬部を小咲の花火に近づける。

 

二人の花火が並んで、芸術の火を噴き出している。

 

二人の背後では、何やら鶫の怒声と集の悲鳴が響き渡っている。

何か集が悪戯をして、鶫を怒らせ追いかけられているのだろう。

 

がすっ、ごきっ、ばきぃっ、と物騒な音が聞こえてくるがもう慣れたもの。

…慣れたくもないのだが。

 

 

「あ…」

 

 

と、そこで小咲の花火が消えてしまう。

そして陸の花火も少し間を置いて小咲のと同じように火が消えていく。

 

 

「花火、バケツの中に入れて来るね?後、新しい花火も持ってくるから」

 

 

「あ、あぁ…」

 

 

火薬の切れた花火を陸から受け取って立ち上がり、バケツが置いてある方へと歩いていく小咲の後姿を陸はじっと眺める。

 

この時、陸の脳裏には昨日の夜のある光景が蘇っていた。

 

防波堤に座って見つめていた夜の海。

そして、陸の隣には小咲が腰を下ろしていた。

 

 

(あの時、小咲はなんて言ってたんだろうか…)

 

 

あそこで、小咲が何かを言っていたような気がするのだ。

吹いていた風に遮られ、何を言っていたのかはわからない。

もしかしたら、ただの気のせいで何も言っていなかったのかもしれない。

 

今日、昼食の買い出しに行った時もその事が気になってしまい、ぼぉっとしていた事を楽と集に指摘されてしまった。

 

正直、自分でもどうでもいいことを気にしているなと感じている。

いつもなら、こんな小さな事は気にせずにスルーしていたと思う。

 

だが今は何故か気にしなければいけないような…、はっきりしないがそんな気がしているのだ

 

 

(…我ながら意味がわからん)

 

 

今、自分が感じているものと同じ感情をもし誰かが感じていてその事を自分に相談されたとしよう。

皆はなんて答えるだろう?

 

 

(俺なら、速攻で気のせいだろ、て結論付けるだろうな。もしこれが他人事なら)

 

 

しかしこれは他人事ではなく自身に起こっていることである。

 

 

「陸君。はい、これ」

 

 

「あ…、さ、さんきゅー…」

 

 

陸が考え事をしている中、小咲は自身の分と陸の分の二本の花火を手に持ってやってくる。

陸の前に立って、目の前に花火を差し出している。

 

陸は小咲が差し出しているほうの花火を受け取る。

そしてポケットの中に入れてあったライターを取り出して火を灯す。

 

先に小咲の持っている花火に火をつけて、次に自分が持っている花火に火をつける。

 

陸と小咲の手に握られている新しい花火が火を噴く。

細工がされているのか、時間が経つと火の色が変わっていく。

 

 

「…陸君?」

 

 

ぼぅっと弱まっていく火を眺めていた陸を、不意に小咲が呼ぶ。

 

陸は一拍の間を置いてからはっ、と小咲の方に振り向く。

 

 

「ん…、どうした?」

 

 

振り向いた視線の先には、眉を顰めて心配そうにこちらを見つめてくる小咲。

小咲は心配げな表情を変えないまま口を開く。

 

 

「陸君、ずっとぼうっとしてたけど…、どこか調子でも悪いの?」

 

 

小咲に問いかけられて、陸はわずかに目を見開く。

 

小咲はあまり鋭い方ではない。

どちらかといえば、他人に対して鈍い方だと陸は思っている。

 

小咲に気づかれるほど様子がおかしくなっていたのか、今頃になって自覚する。

 

 

「何でも…、いや」

 

 

何でもないと答えようとするが、この際だ。

気になっていたことを今ここで聞いてみよう。

 

あの時、小咲が何を言っていたのか。

そして何故、そのことをここまで自分が気にしているのか。

あの時のことを、知らなくてはならないという使命感に襲われているのかを。

 

 

「なあ小咲。昨日の夜の事なんだけど…」

 

 

「ん?」

 

 

小咲が無垢な笑顔で陸の言葉に耳を傾ける。

 

 

「防波堤で話したよな、俺と。あの時、最後に…」

 

 

何を言おうとしたんだ?

 

という言葉は、陸の喉の奥へと飲み込まれた。

陸の目がゆっくりと見開かれ、そしてばっ、と陸は小咲から視線を移して背後へと振り返る。

 

 

「…陸君?」

 

 

急に振り返った陸に戸惑いながら、小咲は問いかける。

 

 

「…なあ小咲。今、何か聞こえなかったか?」

 

 

「え?…ううん、何も聞こえなかったけど」

 

 

小咲には聞こえなかったらしい。

 

 

(気のせい、か?…いや)

 

 

一瞬出た気のせいという考えをすぐに否定する。

あれは気のせいではない。確かに聞こえた。

 

あの声は…。

 

 

(…千棘の声だ)

 

 

小咲に問いかけようとした瞬間、遠くの方から聞こえてきた千棘の声。

まるで、怒声の様にも悲鳴の様にも聞こえた千棘の声。

 

 

(何かあったのか?でも、楽が探しに行ってるし…)

 

 

この時、陸は楽がいるから大丈夫だと判断した。

千棘の声から聞こえてきた方から、すでに火薬が切れた花火に視線を移す。

 

 

「…陸君。さっき何か聞こうとしてたけど…、どうしたの?」

 

 

小咲が、先程言いかけた陸の問いかけについて聴いてくる。

 

だが、一度途切れた流れは簡単に戻すことはできない。

 

 

「…いや、何でもない。あまり大したことじゃないしな」

 

 

陸の言葉に、そうなんだ、と返した小咲の声を聴きながら陸はもう一度千棘の声が聞こえてきた方へと視線を移す。

 

楽と千棘の姿はない。二人で何をしているのか。

 

 

(…まあ、大丈夫だろ。すぐに戻ってくる)

 

 

この時、陸は今、楽と千棘がいる場所へと向かうべきだった。

楽観的に捉えず、すぐに駆けつけるべきだった。

 

この判断が、後に大きな騒動を引き起こすことなど陸は想像もしていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第30話 ハイヤク

昨日一昨日と大学の文化祭を楽しみました。
そしてこの小説でも、文化祭編に突入です!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海への旅行から一週間と強が過ぎた。

雲一つないほどに晴れ渡った今日。本日から凡矢理高校、新学期です。

 

新学期…、なのだが…

 

 

「楽、元気出せって。今日から新学期なんだぞ?」

 

 

「…俺は元気だ」

 

 

通学路を進む陸の隣には、高校に入学してからは珍しく楽の姿があった。

中学生の頃から、共に登校するのは数えるほどしかなかったのだが、楽と千棘が恋人の振りをし始めてからは全くと行っていいほど登校を共にすることはなかった。

 

だが本日。楽は登校を千棘と共にすることはなく、新学期初日の登校を陸と共にすることになっている。

 

 

「…なあ楽、いい加減教えてくれよ。あの日、千棘と何かあったんだろ?」

 

 

「そんなこと…、俺が聞きてえよ」

 

 

実は楽、あの旅行の日から全く千棘と会っていないのだ。

本人は千棘と連絡を取ろうとしているようなのだが、千棘の方が全く音沙汰無し。

楽の方からはもうどうしようもないという状況なのだ。

 

陸は、千棘に連絡が取れなくなった時から何度も楽に心当たりはないかと問いかけているのだが、楽は決して答えようとしてくれない。

それだけではなく、日が経つごとに目に見えて楽がイライラし始める。

 

 

「…はぁ」

 

 

「…」

 

 

陸は隣を歩く楽を見遣ってから、すぐに視線を前に戻しながらため息を吐く。

 

結局、教室に着くまでこれ以上の会話をすることはなかった。

 

教室に着くと、楽は何も言わずに自分の席に着いて荷物の整理を始める。

陸はその様子を少しの間眺めると、再びため息をついてから自分も席に着いて荷物の整理を始める。

 

 

「陸君!」

 

 

鞄から教科書、ノートやプリントが入れてあるファイルを机の中に入れていると背後からこちらを呼ぶ声が聞こえてくる。

陸が振り返ると、こちらに笑顔を向けながら歩み寄ってくる少女。

 

 

「小咲?」

 

 

小咲は陸の傍らに着くと、口を開いた。

 

 

「おはよう。えっと…、早速なんだけど…」

 

 

「ああ、おはよう。…うん、聞きたいことはわかる。けど、俺にもよく分かんねえんだ」

 

 

小咲が挨拶をしてくると、戸惑いがちにどこかへ視線を向ける。

陸も小咲に挨拶を返してから、その視線を追ってみる。

 

小咲の視線の先は、机に肘をついて何かを考え込んでいる楽の姿。

それを見て、陸は小咲が何を言いたいのかを悟る。

 

 

「何回も聞いてるんだ。でも、何も答えてくんなくて…」

 

 

「そう、なんだ…」

 

 

陸だけでなく、小咲も、あの時旅行に行った全てのメンバーが楽と千棘が連絡を取らなくなったということを知っている。

その情報の発信源は陸ではなく、千棘の様子を心配した鶫。

 

鶫からの連絡は当然陸にも届いて、それから何度かお互いそれぞれ楽と千棘の様子を聞き合っていた。

 

しかし何の解決の手立てはなく、この突然の二人の変化の理由はわからず終い。

結局そのまま今日、新学期を迎えてしまったのだ。

 

 

「あ…」

 

 

陸が旅行の日からの楽の様子を思い出していると、小咲が教室の扉に視線を向けながら小さく声を漏らした。

その声を聞き取った陸が、小咲が見ている方へと視線を向ける。

 

 

「あ」

 

 

陸も思わず声を漏らした。

 

教室の、黒板側の方の扉。

その扉は開かれ、教室の中に入ってくる一人の人物。

 

その人物は、声をかけてくる人たちに返事を返しながら楽の方へと近づいていく。

そして、楽の座っている席の隣の席にその人物は着く。

 

そう、先程教室に入ってきた人物とは、あの旅行の日から連絡を取ることができなくなった桐崎千棘。

 

 

「おはよう」

 

 

「お、おう。おはよう…」

 

 

千棘は、視線を向けてきている楽に普通に挨拶をすると、楽はつっかえながら千棘に挨拶を返す。

 

それから何か会話を交わしているようだが、内容は他の人たちの話し声に遮られてこちらには届かない。

 

 

「心配してたけど…、大丈夫みたいだね?あの二人」

 

 

「…いや」

 

 

楽と千棘が会話をしている様子を見ていた小咲が、不意にそんなことを口にした。

だが、小咲が言った言葉とは裏腹に、陸は険しい目で二人を眺めながら言う。

 

 

「大丈夫じゃないな、あれは。特に、千棘の方が」

 

 

「え?」

 

 

「見てわからないか?千棘は、まったく楽と視線を合わせようとしてない」

 

 

見ていると、楽と千棘は会話はしているものの全く目が合っていない。

特に、千棘に関しては楽の方を見ようとしていない。

明らかに、二人の関係は回復しているようには見えない。

 

 

「あ…」

 

 

小咲も気づいたのだろう。

先程浮かべた安堵の表情が悲しげに歪んでいく。

 

陸は険しい表情のまま楽と千棘の様子を見つめる。

ずっと変わらず、楽は千棘の方を見ているものの千棘は楽の方を見ようとしない。

 

さらによく見てみると、話しかけているのは楽の方だけのようだ。

 

 

(難儀な問題になりそうだなぁ…)

 

 

楽と千棘の仲が拗れる所は何度か見たことはあるが、ここまで冷えた拗れ方は見たことがない。

この問題はかなり長引きそうだと、憂鬱な気分に陥る陸。

 

 

「あ…、じゃあ席に戻るね?」

 

 

「ん、ああ」

 

 

楽と千棘の様子を陸と小咲の二人が眺め続けていると、鐘が鳴り、生徒たちは自分の席へと戻っていく。

当然小咲も例外ではない。陸に一言声をかけてから自分の席へと戻っていく小咲。

 

席へと戻る小咲の後姿を一瞥してから、陸は教室の中に入ってきたキョーコ先生に目を向ける。

 

キョーコ先生は教壇の上に立つと、机に出席簿を置くとHRを始める。

クラス係や委員への連絡事項を伝え終えると、今度は文化祭についてを話し始めた。

 

文化祭に関しては、集がその担当に決まっているようで、キョーコ先生が教壇を降りると今度は集が教壇に上がって話し始めた。

 

 

「はいはい注目~~~!!文化祭実行委員、舞子集から大切な連絡があるからよく聞けよ~~~!?」

 

 

両手を机に置くと、集は力強い笑みを浮かべながら口を開く。

 

 

「我がクラスの出し物は、厳正な投票によって文化祭当日に行われる演劇に決まった!気になる演目は…『ロミオとジュリエット』!」

 

 

我らが1年C組の出し物は演劇に、そしてその演目に関しては集の案によってロミオとジュリエットに決まった。

さらに集はその配役を決めるべく話を進めていく。

 

 

「さて諸君…。その配役について一つ提案があるんだ…」

 

 

すると、話している途中で集が目を怪しく光らせながら声を潜めて話し始める。

 

 

「主役であるロミオとジュリエットについてなのだが…、わがクラスのラブラブカップル!一条楽と桐崎千棘嬢にお願いしようと思うのだがいかがだろうかー!?」

 

 

「なあっ!?」

 

 

演劇の主役であるロミオとジュリエットの役。

その役を、集は楽と千棘にお願いしようと提案したのだ。

 

そんな集の提案に対して、クラスの反応は一つだった。

 

 

「さんせーい!」

 

 

「異議なーし!」

 

 

「よろしくー!」

 

 

反対意見は全くなく、クラスメイト達の口から出てくるのは賛成の言葉だけ。

楽が慌てて周りを見回すが、状況に変化はない。

 

だが…

 

 

「やらない」

 

 

それは、ざわめく教室の中で不自然なほど響き渡った。

 

その声の主は、楽の隣の席に座っている千棘。

千棘は、頬杖をついて廊下の方を見ながら続ける。

 

 

「演劇に興味もないし、やりたくもない。誰かほかの人に譲るわ」

 

 

淡々と、やりたくないという旨を伝える千棘。

 

 

「…そっかぁ。仕方ない、じゃあ誰か他の人に…」

 

 

「はい!」

 

 

千棘の一声によって、どこか微妙な空気が流れようとするのを止めるべく集が明るく声を出す。

すると、集の他の人にという言葉に反応するものが一人現れる。

 

 

「ジュリエット役、私がやりますわ!」

 

 

立ち上がるは、橘万里花。

万里花はずんずんと楽の方へと移動すると、その胸に頬を寄せて抱き付く。

 

 

「私と楽様の演じるロミオとジュリエット…。ああ、何と素晴らしい劇となることでしょう!共に頑張りましょうね、ロミオ様!」

 

 

「誰がロミオ様だ!いやホントに待ってくれ!俺、マジでロミオなんてやりたくねえんだ!」

 

 

「え~~~!?」

 

 

万里花がその凄まじい勢いを以て楽を飲み込もうとするも、楽は万里花の顔を鷲掴みにしながら様子を眺めていた集に向かって訴える。

 

 

「仕方、ねえな。平等にくじを引いて決めるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…何故?あの流れの中で、何故俺に決まる!?)

 

 

陸は表情を変えないまま驚愕していた。

陸の手に握られているのは、端が黒く塗られている細く切られた紙。

 

そう、この紙は当たりくじともいえさらに外れくじともいえる。

引けばロミオ役に割り振られることを決定づけられることとなるくじ。

 

 

「え、えっと…」

 

 

さらに隣には、これまた陸と同じように端を黒く塗られたくじを握っている少女…小野寺小咲。

 

 

「じゃあ、神聖なるくじの結果…。ロミオ役は一条陸!ジュリエット役は小野寺小咲に決まりました~!!」

 

 

集の声と共に、歓声と拍手が二人に送られる。

その中心にいる陸と小咲は、互いに目を見合わせる。

 

 

「え…、えぇ!?」

 

 

小咲は頬を染めながら戸惑いの声を上げている。

一方の陸は…。

 

 

「お、俺が主役?は?今まででやった一番目立つ役なんて馬だぞ馬!無理に決まってる!」

 

 

実は、陸がこれまでにやったことのある演劇の役は全ていわゆるチョイ役と言われるもの。

その中でも一番目立つ役は馬の役である。

 

そんな陸が、いきなり主役をやれと言われても…、本人にしたら堪ったものではないのである。

 

 

「小野寺さん」

 

 

「へ?」

 

 

すると、不意に小咲の肩が誰かに叩かれたと同時に名を呼ばれる。

小咲が振り返ると、両目を輝かせながら詰め寄ってくる万里花が。

 

 

「変わってくださいまし」

 

 

「ええ!?」

 

 

万里花の口から出たのは、変わってほしいと頼む言葉。

小咲が戸惑っていると、万里花は両腕を振りながらごね始める。

 

 

「良いではありませんか良いではありませんか!私は楽様と主役を演じたいのです!陸様は見ていれば主役に乗り気ではない様子…。ならば小野寺さんが了承してくだされば私と楽様が主役を演じられるのです!」

 

 

「え、えーと…」

 

 

(これは…、チャンス!?)

 

 

小咲が詰めよられている中、陸もまた万里花と同じく目を輝かせる。

 

この機に乗じて楽に主役を押しつけることは簡単だろう。

小咲が了承を出せば万里花が主役となり、そして楽は間違いなく万里花の勢いに負けて主役をやることになるだろう。

 

主役を回避することができる!

 

陸が内心で企みを膨らませる。

主役をやるなど御免だ。そんなこと、やりたくないというよりもできるわけがない。

 

そう思い、陸が口を開こうとする。

だがその前に、もう一人の主役に決まった少女が口を開く。

 

 

「ご、ごめんね橘さん?その…実は、わたしもやってみたいなって…思ってて…」

 

 

(え?)

 

 

この瞬間、陸の心には企みを破られたというよりも、主役をやりたいと言った小咲への驚きが大きかった。

 

小咲は、自分から進んで目立つところへは行かないタイプだ。

そんな小咲が主役をやりたいと言っている。何の心境の変化だろうか?

 

 

「…ふ~ん?そうですか。なら、私と楽様は万が一の時のための代役、ということで手を打ちますわ。よろしいですか、舞子さん?」

 

 

「え、俺も!?」

 

 

何か含まれた笑みを浮かべながら万里花が、妥協案を言ってから集に了承をもらう。

 

そして何時の間にやら巻き込まれた楽が自分を指さしながら問いかける。

その問いは無視されることとなったのだが…。

 

と、ここで陸ははっ、と我に返る。

 

 

(これ…、もう逃げられる雰囲気じゃない)

 

 

気付けば、陸と小咲が主役という旨で話が進んでいた。

 

 

「じゃあ、放課後から劇の練習を始めるから教室に集合な!」

 

 

集の言葉に、クラスメートたちが返事を返していく。

小咲もこくりと頷いているのを陸は横目で確認する。

 

 

(やるしか…ないのか?)

 

 

何を考えているのかはわからないが、主役をやるにはかなりの勇気が必要だろう。

どちらかというと控えめな性格の小咲からしたら怖いとさえいえるかもしれない。

 

それでも、小咲は主役をやると言った。

 

 

(俺が断るわけにいかねえじゃねえか…)

 

 

もう、覚悟するしかない。

正直やりたくないが…、覚悟するしかないだろう。

 

この日、生まれて初めて陸が劇の主役を演じることが決定したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第31話 サイアク

前回、サブタイトルの話数が漢数字になっていたため修正しました。
そして今回、短いです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期が始まってから三週間。

あっという間に時間は過ぎていき、本番の文化祭は間近に迫り、劇の練習も本格的になっていた。

 

劇に使う器具を作る人、衣装を作る人。

そして陸や小咲たち、劇に出演する人に分かれてそれぞれ準備を進めていく。

 

 

「おお、ジュリエット…。僕の瞳には最早、君しか映らない…」

 

 

「え…あ、う…」

 

 

「…はいカットー」

 

 

陸が、手を差し伸べながらセリフを言うが、対する小咲は頬を染めて動きを止めてしまった。

 

練習が始まって当初から小咲はこんな調子だ。

その手に台本はないため、セリフは覚えているようだが…、こういうロミオが言う告白染みたセリフを陸が口にするとこの通り顔を赤くして固まってしまうのだ。

 

 

「小咲、恥ずかしいのはわかるけど…、頑張ってくれよ。もうすぐ本番だしさ」

 

 

「う、うん…。わかってるんだけど…」

 

 

もう、本番まであと数日しか残っていない。

陸は苦笑を浮かべながら小咲にエールを送る。

 

 

「まあまあ陸、とりあえず練習はここで区切りを入れよう。お前たちには少ししてほしいことがあるからね」

 

 

「してほしいこと?何だよ集」

 

 

外はまだ明るい。それなのに練習に区切りを入れると言い出した集を不思議に思い、陸が問いかける。

すると集は右手の人差し指を立てて、チッチッチ、と横に振る。

 

 

「二人だけでなく、役全員にはこれから…。お楽しみ、衣装合わせをしてもらう!」

 

 

 

 

 

 

 

集が衣装合わせをすると言ってから五分後。

教室の扉が開き、中に西洋風の、まるで貴族たちのパーティにでも行くかのような整った服を身に着けた陸が入る。

 

 

「おお陸。良く似合ってるじゃないか」

 

 

「楽…、お世辞は言わなくていい」

 

 

整った格好をした陸を見た楽が、にや着いた笑みを浮かべながら言う。

陸は目を細めて楽を見ながらうんざりしたように返事を返した。

 

 

「しかし、これが手作りか…。凄いな…」

 

 

「いかにも!作ったのはウチの手芸部員たちだが、材料集めには俺も一役買ってるんだぜ?」

 

 

「へぇ~…」

 

 

楽から視線を外した陸が、身に着けている服を眺める。

 

今着ている服は、お店で買ってきた代物ではない。同じクラスの生徒が作ったのだ。

手芸部員なのだから多少の裁縫は出来ると思ってはいたが、ここまで本格的な服まで作れるとは予想できなかった。

 

集が色々劇のために自分がしてきたことを自慢しているように胸を張りながら説明しているのに耳を傾ける。

すると、女子が着替えるためにカーテンで区切られたスペースの奥から女子たちの声が聞こえてきた。

 

 

「え~~~!?何故私の衣装がないのですか!?」

 

 

「だって橘ちゃん代役でしょ?丈は寺ちゃんに合わせるよ」

 

 

どうやら、区切りのカーテンの奥では小咲の衣装合わせが行われている様だ。

自分と同じ主役の彼女が着る衣装…、気にならないと言ったら嘘になってしまう。

 

とここで、区切りのカーテンがぱっと開かれる。

奥から現れるのは、白いフリルのついたドレスを身に着け、髪の毛を背中まで降ろした小咲の姿。

 

 

「あ…」

 

 

「陸君…」

 

 

小咲が現れた瞬間、陸だけではなく劇の準備を進めていた者たち全員が動きを止めて小咲の姿に目移りする。

その身麗しい姿に、目が釘付けとなる。

 

 

「えへへ…、似合うかな…」

 

 

「え、あ…ああ。似合ってる、よ」

 

 

首を傾げながら笑みを浮かべて小咲が陸に聞いてくる。

 

何とか小咲の問いかけに答えることができた陸だが、今の小咲を前にして体が硬直していた。

顔が熱くなり、心臓がいつもよりも高鳴って、原因がわからず頭の中は混乱する。

 

今まで、こんなことは一度もなかった。

人を目の前にして、ましてやこんな少女を目の前にしてこんなにも緊張して動けなくなることなど一度もなかった。

 

 

「陸君もその衣装、似合ってるね。かっこいいよ」

 

 

「っ!あ、あぁ…。ありがとう…」

 

 

褒められて嬉しかったのか、陸にはわからないが小咲は満面の笑みを浮かべて陸の服装を褒める言葉をかける。

 

 

(か、かっこいい?俺が?は?)

 

 

周りがカッコいい、と囁いているのを耳にしたことは何度かある。

これでも女子に何回か告白されているし、そういう風に思われているのかなという自覚といったら変だが思いもある。

 

だが、こんな面と向かって言われたことはなかった。

こんな風に向き合って、笑顔を向けられて言われたことなど…。

 

 

(…ん)

 

 

どこか舞い上がった気持ちを持っていた陸だが、不意に視界に入ったある光景によってそんな気持ちは一瞬でどこかへ消え去ってしまう。

 

ある光景とは、今教室の扉の傍に隠れるようにして立っている楽の姿とそんな楽に気づきながらも何も言わずに去っていく千棘の姿。

あの旅行の日からもうひと月近くたつというのに、二人の関係は全く回復の兆しが見られない。

 

 

(…今は、劇の練習に集中だ)

 

 

楽の方に向けていた視線を前へと戻して気を取り直す。

楽と千棘も気になるが、今はもうすぐやってくる文化祭に集中しなければ。

何ていったって主役なのだ。今までやって来たチョイ役とは訳が違う。

 

陸は教室から出て男子トイレの個室の中に入り、合わせが終わった衣装から制服に着替え、再び劇の練習を始めるべく教室へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

しかし翌日、そんな陸の決意を揺るがす事態が起こるのである。

 

 

(…やばい。これはやばい)

 

 

まず陸は事態が起こる前から危機感を感じていた。

 

教室の窓の外、そこに立つクロードがナイフの腹で掌をぺシぺシ叩きながら楽に眼を飛ばしていたのだ。

これは完全に怪しまれている。疑われている。仲が拗れてしまったのではないかと、少なくともクロードは確信を持っている。

 

陸が見守る中、冷や汗をかきながら楽が教室から走り去っていく。

恐らく千棘を探しに行ったのだろう。

 

 

(さて、これで仲直りできるか…。まあ、何だかんだで仲良い二人だし心配ないとは思うけど)

 

 

あの二人に関してはあの二人の問題である。他人が手出しすることではない。

何があったのかは結局話してくれなかったが、少なくとも他人が手出ししていいような問題ではないと陸は思う。

 

今はあの二人を信じて、陸は劇の練習、本番への仕上げを進めていく。

 

 

「なあ陸、ここもっと感情込められないか?この場面は、ジュリエットに会いたくて仕方がない時なのに、召使がロミオの前に立ちふさがってるんだ。もっとこう…、そこをどいてくれっていう苛立ち?」

 

 

「何で疑問形なんだ…。まあやってみるけど」

 

 

集と二人で台本を見直しながらここはこうした方が、ここはこのままの方が良い、などと話し合う。

小咲の方もクラスメートの女子と共に台本を見直している。

 

皆、文化祭に向けて必死に準備を進めている。

 

そんな中、あの二人の中がさらにこじれていることも知らずに。

 

 

パン────────

 

 

それは、突然、嫌に響き渡った。

皆、動きを止めてその音のした方へと目を向ける。

 

音がした方は廊下だ。教室の中に、先程のような音を発するものはない。

 

教室の窓を開けて、皆が廊下の様子を見る。

 

 

「楽…?」

 

 

廊下に立っている二人の内の一人の名を呼ぶ陸。

 

窓を開けて飛び込んできた光景は、呆然と立ち尽くす楽と手を振り切った体勢で動きを止めていた千棘の姿だった。

 

皆が見つめる中、千棘はすぐに反転してその場から立ち去っていく。

 

 

「…悪い陸。少し外すわ」

 

 

「あ…、楽っ」

 

 

そして楽もまた、千棘とは逆の方向へと姿を消していく。

陸は楽を一度だけ呼び止めたが、楽が止まらないのを見てすぐに諦める。

 

何があったのだろうか。

楽が教室を去ってからのわずかな間、一体何があったのだろうか。

 

この日、家に帰った後、陸は楽に問いかけたのだが決して答えようとしなかった。

 

また謎が増えてしまったが、一つだけ、楽と千棘の仲がさらに拗れてしまったという事だけはわかる。

楽が何かしたのか、それとも千棘が何かしたのか。

 

わからないことだらけだが、それでも文化祭本番の日は近づいていく。

劇の準備も、着々と進んで行く。

 

 

 

 

 

そして、文化祭までの数日は飛ぶように過ぎていき、楽と千棘の間に流れる空気は最悪のまま

 

文化祭当日を迎えることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当はもう少し進める予定だったのですが、何かすごく長くなりそうだったので区切りのいいところで切りました。

さて、次回は遂に劇が始まります。
陸と小咲は劇を成功させられるのか?
楽と千棘は一体どうなってしまうのか?

文化祭編が本格的に動き出します!


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第32話 ユウカイ

文化祭編…、だったのになぁ…ww








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理高校文化祭、通称凡高祭が幕を開けた。

この凡高祭は二日間日程で行われる。陸たちのクラスがやる劇は二日目に予定されている。

つまり、この一日目では陸たちは自由だと言っていいだろう。

 

 

「お、一条!おはよう!」

 

 

「おう、おはようさん」

 

 

朝、陸は他のクラスの友人たちに声を掛けられながら自分の教室へと向かっていた。

 

陸とすれ違う生徒たちは決まって全員笑顔を浮かべていた。

高校での初めての文化祭なのだ、気持ちはわからないでもない。

何を隠そう、この陸も初めての高校での文化祭にワクワクしている一人なのだから。

 

 

「お、陸。今日はいつもより少し早いじゃない」

 

 

「そうか?別にいつも通りだと思うけど」

 

 

胸のワクワクに、ニヤケてしまう顔を抑えて教室に入った陸に一番最初に声をかけたのは、扉の前で友人と談話していた集だった。

集は、今日陸が来た時間がいつもよりも早いことを指摘する。

陸は集の言葉を否定したが…、その時の陸の表情を見た集は目を光らせる。

 

口を猫のような形にして笑みを浮かべながら陸に歩み寄り、肩に腕を回して耳元で囁く集。

 

 

「ま、ワクワクするのも仕方ないよなー?何てったって高校初めての文化祭…。それに陸は明日、生まれて初めて主役をやるんだからなー?」

 

 

「べ、別にワクワクなんてしてない」

 

 

ニヤニヤと笑いながら言ってくる集から視線を逸らして顔を押し返しながら陸は反論する。

だがその顔には、はっきり図星と書かれていることを陸は全く気付いていなかった。

 

 

「とぉ陸、楽は?」

 

 

視線を逸らし、僅かに頬を染めている陸をにまにまと眺めていた集は不意に笑みを収めると楽について陸に問いかけた。

まだ楽は教室の中にいない。陸と一緒に来るとばかり思っていた集の予想が外れた。

 

 

「…俺が家を出た時はまだ着替えてたからな。まだ着くまでかかると思うぞ」

 

 

「いや、まあそれもあるけどさ…」

 

 

集の問いかけに答える陸。

だが陸が答えたのは今、楽がどこにいるのかという事だけ。

確かにそれも気になる所ではあるが、本当に集が聞きたかったのはその事ではないのだ。

 

 

「楽…、どうなった?」

 

 

「…まだどこか塞ぎ込んでる」

 

 

集が聞きたかったのは、楽の今の様子。

先日、千棘との一件があってから楽と千棘の二人は目を合わせようともせず関わることなくこの文化祭まで来てしまった。

クラスの中では、二人の破局の時か?と囁かれている。

 

そんな中、楽はいつも通りに振る舞っていると思っているのだろうが、いつも近くにいる陸たちは楽にどこか元気がないことに気付いていた。

 

そこにこの文化祭というイベント。

集は少しでも楽の気が明るくなっているのでは、と期待したのだが…、陸の答えはその機体を裏切るものとなってしまった。

 

 

「そっか…。ま、折角の文化祭なんだ。楽しんでこうぜ?」

 

 

「ああ…」

 

 

笑顔を浮かべて集は陸に声をかけるが、陸の表情は浮かない。

集も浮かべた笑みを再び潜めて陸を眺めていた時、教室の扉が開いて中に入ってくる人物。

 

 

「…」

 

 

「おっ、おっす楽!お前もいつもより早いな~!」

 

 

教室に入ってきたのは、楽。

陸は無言で入ってきた楽を見つめ、集は潜めた笑みをまたまた浮かべて楽へと駆け寄っていった。

 

首に腕を回された楽は、「は?いつも通りだろ…、てかお前もってなんだよ」と集に言葉を返していた。

特に変わった様子はないように見えるこのやり取り。

だが集も分かっているだろう、楽の目の下に薄く隈ができていることを。

 

 

「…くそ」

 

 

力になってやれないのが、どうしようもなく辛い。

 

しかしそれも仕方のない事なのだ。

今回ばかりは、当人たちでどうにかするしかない。

周りの人たちが何を言おうと何も変わらないし、決して解決などするはずがない。

 

だがそれでも…、今まで、生まれてからずっと共にいた楽が見たことのない程苦しんでいる所を見たくない。

 

陸は筆記用具や文化祭の概要が書かれたしおりなどいつもより少ない荷物を入れたカバンを机に置いてから小さく悪態をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

「さてと、今日は俺たちは基本自由行動だからな~。どこ行こっか?」

 

 

朝の簡単なホームルーム、そして体育館での文化祭開会式も終えて、1-Cの控室に集まって陸たちはこれからどう文化祭を過ごすかを話し合おうとしていた。

集がいつものように陽気な声で皆に問いかける。

 

すると、その問いの直後すっ、と誰かの手が上がる。

 

 

「…すまんが、私は抜けさせてもらう。お嬢の様子が気になるからな」

 

 

手を上げた人物とは、鶫だった。

 

鶫の言葉で気付いたと思うが、今ここに千棘の姿はない。

開会式が終わるとすぐに、どこかへ姿を消してしまったのだ。

さらに朝から陸たちの傍に…もちろん鶫も例外ではなく近寄ろうともしなかったため、鶫は見失ってしまったのだ。

 

 

「そっか…。うん、しょうがないよね。なら、楽も一緒に探してあげたら?」

 

 

「は?何で俺が…」

 

 

鶫が最優先するべきことは千棘の傍で千棘を守ることである。

そのため、鶫は文化祭を皆で楽しむことは出来ない。今は。

 

それを察した集が、鶫から楽に視線を移して提案した。鶫と共に千棘を探すことを。

 

当然、楽は集の提案を拒否しようとする。

今の彼らの関係は、一言で表せば<無>が相応しいと言えるほど。

会話も無く、目を合わせることも無く、席が隣同士であること以外で傍に寄ろうとすることも無い。

 

そして楽は今の千棘との関係を受け入れようとしている。

だから、千棘を何故自分が探さなければいけないのだ。そう考えている。

 

 

「おいおい冷たいな~楽は。恋人の桐崎さんを探してあげないの?」

 

 

「いや、それは…」

 

 

楽は咄嗟に集の、千棘との恋人発言を否定しようとした。

集は、他の面々は知っているのだから。千棘との恋愛はただの偽物なのだと。

 

だが、この場でただ一人それを知らない人物がいる。

それは、千棘を探そうと立ち上がっている鶫だ。

絶対に楽と千棘の関係を知られてはならない、ビーハイブの一員である鶫だ。

 

楽は言葉を飲み込んで、大きくため息をついた。

 

 

「わかったよ…。探せば良いんだろ探せば」

 

 

観念するかのように、ゆっくりと気だるげに立ち上がる楽。

楽はすでに扉の前に立っていた鶫の隣まで行き、彼女と共に廊下へ出て行った。

 

残った陸たちは、出て行った二人を見届けてからもう一度向かい合う。

 

 

「さて…と。改めて…、どこか行きたいことある?小野寺」

 

 

「え!?え、えっと…、私は…うーん…」

 

 

再びどこへ行くかを話し合う。

 

不意に集に質問を振られた小咲は、目を虚空へと上げ、あごに人差し指を当てて首を傾げながら考える素振りを見せる。

 

だが、小咲が考えている最中にも関わらず、るりが口を開く。

 

 

「小咲は一条弟君と文化祭回ればいいじゃない。私はちょっと一人で見たい出し物があったから」

 

 

「え」

 

 

「る、るりちゃん!?」

 

 

不意に飛び出したるりの言葉に陸は目を丸くして固まり、小咲は素っ頓狂な声を上げて驚愕する。

 

二人、そして集のにやついた視線を受けながらるりは立ち上がって教室を出ようとする。

 

 

「ま、待ってるりちゃん!」

 

 

小咲は立ち上がり、立ち去ろうとするるりの袖をつかんで動きを止める。

そして耳元で後ろの陸と集の二人に聞こえない様に声を潜めてるりに言う。

 

 

「ど、どうして?四人で回ればいいでしょっ?」

 

 

「何言ってんのあんたは。この文化祭、大きなチャンスなのよ?まさかこんなに早くあんたと一条弟君を二人きりにできるとは思ってなかったけど…、何としても彼との距離を縮めなさい」

 

 

「そ、そんなぁ…、あぁっ!」

 

 

小咲は、何とかここにいる四人で文化祭を回りたいとるりに掛け合う。

 

いや、陸と二人で回ることを嫌がっているわけではないのだ。そんなこと、あり得ない。

だが…、心の準備が全くできていない。小咲にとってはあまりに急な出来事なのだ。

今こうしている間にも、心臓がばくばくと高鳴って仕方ない。気を抜けば暴れ出しそうなほど。

 

ハッキリ言えば、恥ずかしすぎる。

 

しかし小咲の努力もむなしく、るりは無情にも小咲の手をほどいて片手を上げながら控室を出て行ってしまった。

それだけではなく、集さえもにやにや笑みを浮かべながら陸の肩を叩いてそのまま控室を出て行ってしまう。

 

もうすでにクラスの皆はそれぞれ行きたい出し物の元へと行ってしまった。

ここにいたのは、陸たちだけだったのだ。

 

楽と鶫、るりと集も控室を出て行った今、控室の中にいるのは陸と小咲の二人だけ。

 

 

「…どうする?俺は小咲が良いんなら一緒に行きたいけど」

 

 

「えっ!?」

 

 

流れた沈黙を破ったのは、陸の言葉。

そしてその言葉は小咲にとっては思いもよらぬものだった。

 

今まで何かを二人でするときはいつも小咲から陸を誘っていた。

しかし今回、二人で文化祭を回ろうかと陸から誘ってきたのだ。

 

小咲はばっ、と勢いよく首を回して陸を見る。

陸は扉の方に体を向けながら顔だけを小咲の方に向けて見ていた。

 

 

「あ…、私も…陸君が良いなら…行きたい、です…」

 

 

何故、最後に敬語になったのだろう…。自分で自分にツッコむ小咲だが、陸はおかしな敬語に触れることはしなかった。

 

 

「なら行こうか。文化祭、盛大に楽しもうぜ!」

 

 

「うん!」

 

 

 

 

 

 

さて、ということで控室を出た陸と小咲。

行きたいところは何処かという話になり、互いにそれを譲り合ってしまい時間を潰してしまうという事もあったが、昼も近くなってきた頃には笑顔が止むことなく文化祭を謳歌していた。

 

これまでに二人が行ったところを振り返ると、まず一年のクラスにあった小さな映画館。

たった十五分という短い時間ではあったが、それなりに面白い物語が見れたと二人は感じている。

そして次に行ったのは二年のクラスにあった、科学実験を使った出し物。

その中で一番目を引いたのは、教室中央に置かれていた巨大な装置。

スタート地点に小さな鉄の球を置くと色々な仕掛けをクリアしていきながらゴールにたどり着くというあれである。

時に二人は歓声を上げながら、球がゴールするところを見届けると出し物担当の人に説明を受けながら実験を見て、体験して、気づけば一時間近くその場にいてしまった。

 

そして今、三年の廊下の混み様を見て、三年の出し物を見るのを諦めてから二人は一年の教室が並ぶ廊下へと戻ってきていた。

 

 

「さてと…。取りあえず一周してきたけど…、喉乾いたな…」

 

 

「うん、そうだね…。楽しくて忘れてたけど…、開会式が終わってから私たち、何も飲んでなかったね」

 

 

開会式を終えて、控室で楽たちと分かれて、二人でいろんな出し物を見に行って、教室の中で映画を見て、遊んで…。その間ずっと何も飲んでいなかったのだ。喉が渇くのも無理はない。

 

 

「じゃあ何か買ってくるか。確か飲み物の売店は一階の玄関前だったよな?」

 

 

「うん、そうだよ」

 

 

この凡矢理高校文化祭では、校舎に元々置かれている自販機の他に玄関前で飲み物を売っているブースがある。

文化祭には生徒だけでなくその家族や、他校の人もやってくる。

そのため、校舎にある自販機だけでは足りないだろうという配慮である。

 

そして文化祭のために用意された飲み物の中には、校舎の自販機には入っていない人気の飲み物も売られているという話である。

要するに、ブースで買った方が正直お得なのだ。

 

陸と小咲は一階に降りるべく階段の方へと足を向けようとする。

だがその時、二人を…正確には二人の内一方を呼び止める声が背後から聞こえてきた。

 

 

「おーい、一条ー!」

 

 

「…上原?」

 

 

階段がある方へと振り返って…、今度は声が聞こえてきた方へと振り返る二人。

すると、二人が目を向けた先にはウェイターの衣装を身に着けた男子生徒がこちらに駆け寄ってきていた。

 

陸がその男子生徒の方を見て呟いた通り、この男子生徒の名前は上原卓実。

中学時代、一年の時に同じクラスになってからずっと友人として交流してきた人物である。

だが、クラスが一緒だったのはその一年間だけであり、当然同じ高校に入ってから今、クラスは別である。

 

 

「お…と、小野寺さんも一緒だったのか…。あれ?二人?」

 

 

「そうだけど…。…何だよ」

 

 

駆け寄ってきた卓実は、陸と小咲が二人で回っていることを聞いた途端、どこかの眼鏡男が見せたような類のニマニマとした笑みを浮かべる。

 

 

「いやぁ~、遂に一条君にも春が来たのか~。何だよ~言ってくれよ~。いつから二人は付き合ってんだよ~」

 

 

「つきっ…!?」

 

 

「ふぇっ!?」

 

 

卓実の性格から、女子と二人で文化祭を回っていることを知られてからかわれるのは覚悟していた。

しかしまさか付き合っていると勘違いされるとは思っていなかった。

 

陸と小咲は同時に頬を紅潮させて目を見開く。

 

 

「あれ?違うの?」

 

 

「違うっ。確かに二人で回ってはいるけど、付き合ってない!」

 

 

きょとんとした表情を浮かべながら聞いてくる卓実に、先程の付き合ってる発言を否定する陸。

その隣で、小咲もこくこくこくこくと何度も頷いて同調している。

 

それを見た卓実は、今度は不満気に両手を後頭部につけながら口を開く。

 

 

「何だよ…、つまんねえの。てっきり付き合ってんのかとばかり…」

 

 

「つまんねえって…」

 

 

まるで自分たちの関係をネタにしているかのような…、そんなの堪ったものではない。

じと―とした目で眺める陸に卓実はカラカラと笑う。

 

 

「いや、すまんすまん。ちょっと今のは軽率だったかな」

 

 

卓実は何かを見つければすぐにからかいにかかるし、時に相手をするのが疲れるときもあるが自分が悪いとわかればすぐに謝ることができる。

だから、どうしても憎むことができない。いや、憎もうとしているわけでもないのだが。

 

 

「と、二人とも。今から俺のクラスの出し物に来ない?カフェやってんだけど」

 

 

すると卓実が陸と小咲をクラスの出し物の客として招待しようと二人を誘う。

陸と小咲が行ったのは、卓実のクラスとは別のクラス。それに卓実は出し物はカフェだと言った。

今、二人は喉が渇いている。卓実が誘ってきたのはカフェ。

 

 

「ちょうどいいな。俺は行こうと思うけど、小咲は?」

 

 

「うん。私も行きたいな」

 

 

二人の意見は一致し、卓実の出し物へと足を運ぶことに決める。

 

そんな中、陸と小咲のやり取りを見ていた卓実が再びきょとんとした表情を浮かべていた。

 

 

「名前で呼び合ってる…。なあ、やっぱり二人って付き合ってるんじゃ…」

 

 

「「違う!」」

 

 

きっぱりと卓実に否定を入れてから、案内されて卓実のクラス、B組の教室へと足を入れる。

 

卓実に空いてる席に座ってくれ、と言われた二人は窓側に空いていた二人用のテーブルに着く。

 

 

「うわぁ~…、中はこんなにオシャレになってたんだね~…」

 

 

「これは…、正直驚いた」

 

 

教室の中は、いつも見てきた殺風景なものから変貌していた。

 

学生によくありがちなたくさんの折り紙の装飾は控えめに、だがその代わりに布を切って作った疑似的な壁紙のおかげで人気カフェとも比べられるほど良い雰囲気が出来上がっていた。

 

うっとりとしながら教室の中を見渡す小咲と、純粋に驚きに目を染めながら天井を見上げる陸。

 

天井にぶら下がっている電灯にも仕掛けがされていた。

電灯には色のついたビニールテープが巻かれており、教室の中に大人な雰囲気を醸し出させている。

 

 

「お客様、ご注文は如何しますか?」

 

 

教室内を見回していた二人に、店員が声をかけてくる。

声をかけられた二人は同時に店員へと目を向けて…、まったく何を注文するかを考えていなかったことを思い出す。

 

 

「す、少し待ってください。小咲、何頼む?」

 

 

「あ、えっと…。アイスティーを…」

 

 

「俺は…、アイスコーヒーを」

 

 

「アイスティーおひとつ、アイスコーヒーおひとつでよろしいですね?」

 

 

二人の注文を復唱する店員に頷くと、店員は伝票を置いてから奥へと去っていく。

 

店員が去ってからは、特別なことは何もなく、これからどうするかを話す陸と小咲。

その結果、楽たちを探そうという結論に至った。

 

特に、千棘を探しに行った楽と鶫はどうしただろうか。

集は楽に千棘と仲直りをしてほしいという思惑も込めて鶫と一緒に行かせたのだから、その後二人はどうなったかも気になる。

 

 

「お待たせしました。アイスティーとアイスコーヒーです」

 

 

ここで、二人が頼んだアイスティーとアイスコーヒーが届く。

それぞれの前に置かれたカップを手に取って、中に入った液体を口に含む。

 

 

「…普通に旨いな。誰が入れてるんだろ」

 

 

文化祭の出し物、つまり全て学生がやっているという事。

あまり期待していなかったというのが陸の本音だったのだが、考えていたよりも上手くできていて内心驚いていた。

 

小咲もアイスティーを堪能していた。

 

 

(ここまでクオリティーを高く仕上げるとは…、誰か実家でカフェやってる人がいたんだろうか)

 

 

心の中でつぶやきながら、コーヒーを口に含めていく陸。

時に小咲と会話を交わしながら、遂に注文した飲み物を飲み終えた二人。

 

もうそろそろ昼食時という事もあり、どうせならばこのカフェで昼食を済ませようかという話になった時…、バンっ、という何かが叩きつけられたような音が教室中に響き渡った。

 

音の発生源は、廊下の方。目を向ければ、その発生源はこの教室の扉だという事が分かった。

何故なら、息を荒げながら扉を開けた体勢で立ち尽していた一人の男子生徒がそこにいたからだ。

 

そしてその男子生徒は、陸と小咲にとって馴染み深い人。

 

 

「ら、楽?」

 

 

「陸…、頼む。助けてくれ!」

 

 

楽は、呼吸を整えることなく教室の中に入り、席に着いていた陸の元に歩み寄った。

そして、テーブルに両手を置くと、陸も、そして小咲も驚愕する一言を口にするのだった。

 

 

「千棘が…、攫われた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第33話 ゲンイン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理市内某所、ここは倉庫の中だろうか?

もう使われてはいないらしく、ガラスの破片は飛び散ったまま、中にあるコンテナのほとんどは破損。

かろうじて壊れず残っていた椅子に、千棘は座らされていた。

 

両腕は背後に伸び、両手首、両足首は手錠で拘束されている。

これが紐だったなら力づくで抜け出すことができたのだが…、さすがの千棘も金属をちぎることなどできるはずもなく、身動きができない状態にいた。

 

さらに千棘の傍では三人の男性、そしてその周りにはおよそ三十人ほど入るだろうか、多数の男たちが立っていた。

 

 

「さて、と…。とりあえずこれでビーハイブのお嬢さんを誘拐することができたわけだが…、ははっ。ホント助かったぜ。どうやってビーハイブの保護下にある嬢ちゃんを攫おうかと考えてたら…、護衛もなしに一人で歩いてんだからよ!」

 

 

ぎゃははは、と品のない笑い声が千棘の鼓膜を揺らし、千棘は隠すことなくその表情に不快感を顕にする。

 

 

「あんた…、私を攫ってどうするつもり?」

 

 

両手足を拘束されているものの、目や口、顔を拘束されはしなかった千棘。

傍で笑っていた筋肉質の男に問いかけると、男は千棘の表情を見て目を見開いた。

 

 

「ほぉ?さすが、巨大ギャングの一人娘といったところか…。誘拐され、これから何をされるかもわからないというのに…、冷静でいられるか」

 

 

「舐めないでくれる?アメリカにいた頃はあんたみたいな奴らに結構ちょっかいかけられてたから」

 

 

誘拐されたことはないものの、未遂までならアメリカにいた頃千棘は何度か経験していた。

日本よりもアメリカの治安は悪い。その分、争いごとに巻き込まれることは決して少なくはなかったのだ。

 

 

「あんたを誘拐した理由か…。心配すんな。俺たちが用があるのはビーハイブという組織にじゃねえ」

 

 

「え?」

 

 

男の思わぬ言葉に千棘は目を丸くする。

てっきり、自分を人質にして組織を潰すかそれとも吸収するか、どちらにしろビーハイブにあだ名すつもりだとばかり思っていた。

 

だが男の狙いはそうではなかった。

 

 

「あのお前の恋人…、一条とかいうガキに用があるんだよ…」

 

 

「っ!?」

 

 

男の狙い、それはビーハイブではなく集英組。それもその息子の楽なのか。

千棘は目を見開いて驚愕する。

 

しかし何故?確かに楽はやくざの息子ではあるが、そういう裏の世界ではあまり知られてはいないと鶫から聞かされたことがある。

むしろその弟、一条陸の方が裏世界では有名であると鶫は言っていたはずなのだ。

 

だがその答え、理由を男は次の瞬間口にする。

 

 

「俺たちはよ…、香港で暗躍していた組織、麻竹会に深く繋がっていたのよ…。そして、近いうちに一気に力をつけるための一大取引をするつもりでいた。そのための費用も向こうに出した。だが…、取引をする前に麻竹会は潰された…」

 

 

男は目を伏せ、声が少しずつ弱くなっていく。

だが直後、勢いよく顔を上げ、目を血走らせて叫ぶ。

 

 

「おかげで俺たちは泥水を啜るネズミのような生活を強いられたんだよ!サツから逃げて、飯を食うのにも苦労するような生活、何で俺たちがしなきゃならない!だから俺たちの憎しみをぶつけてやるのさぁ!お前の恋人…一条陸になぁ!」

 

 

「…は?」

 

 

男の言葉を聞きながら、ただの自業自得ではないかと呆れていた千棘だったが、最後に出てきた名前に目を見開いた。

楽、じゃない。男が口にしたのは陸の名前。

つまり男たちの目的は楽ではなく陸。

 

しかしどういうことなのだろうか?麻竹会というのが何なのかは知らないが、ビーハイブや集英組のような何らかの組織なのは間違いない。

その組織を、陸が潰した?それに聞いていればその麻竹会が潰れたのはつい最近らしいが…、陸がそんなことをしているような素振は…。

 

 

(あっ…)

 

 

その時、千棘の脳裏に空席になっていた陸の席の光景が過る。

そうだ、陸は林間学校の直後一週間ほど学校を休んでいた。

 

まさか…、その時に?

 

 

(ということはこいつらは…、楽と陸を間違えてるってこと!?)

 

 

そうだとしたら何という…、要するに自分は巻き込まれたという事だ。

 

思わずため息をついてしまう千棘。幸いにもそのため息は千棘を誘拐した男たちに見つからなかったが。

 

 

(まあ大丈夫でしょ。うちはもちろん、陸も相当腕が立つって鶫は言ってたし…)

 

 

男たちには気の毒だが、自業自得だ。大事なことだから二度言った。

もう少しすれば、彼らは相当痛い目に遭うことになるだろう。

 

 

(…あいつも、来てくれるのかな?)

 

 

千棘は近いうちに助けに来るだろうビーハイブ、もしかしたら来るかもしれない陸が男たちをぼこぼこにしている光景を想像する。

 

そして、自分を助けるために先陣を切る楽の姿────────

 

 

(…ないない。そんなのあり得ないって)

 

 

冷めた表情で一瞬浮かべた想像を打ち消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待て楽、落ち着け。一回人が少ない所に行ってからもう一度詳しく教えてくれ」

 

 

「い、いやでも!千棘が…っ」

 

 

教室の中に入って、驚愕の言葉を口にした楽に落ち着くように言う陸。

だが楽からしたら、千棘が誘拐されたのだ。こうしている間にも、千棘に何がされているのか分かったものではない。今すぐにでも助けに行きたい。

じっとしていられないのだ。

 

だが陸は落ち着かない楽の胸倉をつかんで引き寄せる。

陸の顔が間近に迫り、楽は言葉を飲み込んで押し黙る。

 

 

「…気持ちはわかるけど、こんな所で騒いでてもどうにもならないだろ。今は落ち着いて、話を聞かせろ」

 

 

「…わ、わかった」

 

 

何とか楽は落ち着いたようだ。

しかしすぐにまた錯乱するかもしれないため、陸はすぐに楽を連れ出すことにする。

 

 

「小咲ゴメン。後でちゃんと小咲の分も支払うからさ、会計頼めるか?」

 

 

「あ…、うん、わかった」

 

 

小咲も楽と同じように混乱しているに違いない。

だが陸の言葉に頷いて立ち上がると、会計を担当している生徒の元へと歩み寄っていった。

 

それを見届けてから陸は楽の腕を掴んでそのまま廊下に、そして階段を降りて人気が少ない所に連れていく。

 

 

「…さて楽。詳しく話せ、千棘が攫われたってどういうことだ?」

 

 

正直、千棘が攫われたなど信じがたい話なのだ。

 

千棘は組織ビーハイブの長、アーデルトの一人娘。

彼女を護衛のシステムはかなり強固であり、この学校に来る時でさえも鶫の他に何人かの組員が千棘を監視しているはず。

そんな千棘を誘拐することなど、普通ならば不可能なはずなのだ。

 

 

「それが…、控室でも鶫が言ってたけど、千棘を見失って…、あれから二人で手分けして探してたんだ」

 

 

陸に問われた楽が説明を始める。

 

 

「でも、なかなか見つからなくて…。もしかしたら外にいるかもしれないって思って…、そしたら…」

 

 

「…千棘が誘拐されてるところを見たってことか?」

 

 

陸の問いかけに頷く楽。

いや、楽の判断は正しい。そのまま楽が考えなしに突っ込んでいかなくて本当に良かったと陸は安心して息を吐く。

 

 

(けど、いくら何でも手際が良すぎる…。やっぱり千棘を狙った犯行だって考えた方が自然だな。…目的はビーハイブの領地?それとも資産か?)

 

 

楽の話を聞きながら陸は犯人たちは千棘を狙っていたと考えた。

千棘を利用してビーハイブの何を狙っているのか…、今度はそれを考え始める。

 

 

「り、陸…」

 

 

「っ…、楽、この事を俺以外の誰かに話したか?」

 

 

「い、いや…」

 

 

陸が思考している中、不安げな表情を浮かべて楽が弱弱しく声をかけてくる。

思考の奥から意識を浮かび上がらせ、陸は楽に問いかけ、楽はその問いかけに首を横に振ってこたえる。

 

 

「よし、なら良い。楽は今から鶫にこの事を報せろ。けど、鶫以外の人には絶対に言うな。そのことを肝に命じろ」

 

 

「わ、わかった…。鶫に知らせればいいんだな?」

 

 

陸の出した指示を復唱する楽に向かって頷くと、楽はすぐさま駆け出していった。

 

これであと五分もすれば鶫はクロードなどの幹部に千棘のことを連絡して、彼らは動き出すはずだ。

 

 

(さて、その間に俺も動くとするか…)

 

 

十中八九犯人は千棘を人質にするために攫ったはずだ。

ならばしばらくの間は千棘の無事は確保できたと考えていい。

 

だが、気になることもある。

 

 

(ビーハイブの力を狙っているのなら、千棘を攫ったことを報せなければ意味がないはずだ…)

 

 

しかし楽を見送ってから陸は校舎内を歩いているのだが…、まるで様子が変わっていない。

千棘が攫われたのだ。鶫やクロードが大騒ぎしそうなものだが…。

 

いや、千棘を救うためにも騒ぎを起こすわけにはいかないと考えて静かに行動している、とも考えられる。

だが…、それでも。

 

 

(…何か嫌な予感がするな)

 

 

陸の中で何かが引っかかる。

その引っかかりを気のせいだと考えればそれまでなのだが…、何故だか気になって仕方がない。

 

 

「…待てよ?」

 

 

陸はふと足を止める。

右手の親指を顎に当てて何かを考えている素振を見せる。

 

 

(俺が香港で麻竹会を潰したのが大体二か月前…。少し遅い気もするが、これは偶然なのか?)

 

 

陸が思い出したのは二か月前、香港で壊滅させた組織、麻竹会。

叉焼会が取りこぼすとは考えにくいが、もし残党がいるのなら期間的には丁度良いのかもしれない。

 

だが、そう考えると何故千棘を攫ったのかが疑問に残る。

自分に復讐するために千棘を攫ったのなら、それなりにこちらの交友関係は調べてあるはず。

しかし交友関係を調べたのならば、千棘は自分ではなく楽の恋人であるという事はわかっているはずなのだが…。

 

 

(…え、まさか。いやそんなことは…)

 

 

少し考えて…、陸は考えられない、しかしそうでなければ辻褄が合わない結論を導き出す。

 

 

(俺と楽を間違えてる…、それか、双子の兄弟がいるという事を知らない…?)

 

 

バカな、と一言で一蹴したいほど馬鹿らしい考え。

だがそう考えると、一気にすべての辻褄が合ってしまう。

 

千棘を攫ったのは、自分の恋人だと考えたから。

誘拐のことをビーハイブに知らせなかったのは、飽くまでターゲットは自分だから。

それと、楽が千棘の誘拐を見ていたことを犯人たちは気づいていたのだろう。だからこそ、誘拐のことを誰にも公開しなかった。

 

 

(…いくら何でも甘すぎる。よくもまあそんな策でどうにかなると思ったもんだ)

 

 

あまり裏の方の世界での生活は長くないのだろうか、さすがにこれは少し呆れてしまう。

 

 

「一条陸!」

 

 

「鶫?楽。それに…、小咲まで…」

 

 

思わず苦笑を浮かべながら息を吐いた陸を呼ぶ声が背後から聞こえてきた。

振り返ってみると、こちらに駆け寄ってくる鶫と楽、そして小咲の姿が。

 

 

「一条楽からすべて聞いたぞ。まず一番に貴様に話していたという事もな」

 

 

「ああ。組織の方には伝えてあるんだろうな?」

 

 

周りには聞こえない様に小声で話す陸と、問いかけに頷いて返す鶫。

 

 

「ならちょっとついてこい。少し話したいことがある」

 

 

「え…、あ、あぁ。わかった」

 

 

先程出した、あまりにも馬鹿らしい結論を鶫に話さなければいけない。

そう思って、陸は鶫についてくるように言う。

 

 

「楽と小咲はもう戻れ。そして今までのことは全部忘れろ」

 

 

「なっ…、おい陸っ」

 

 

「で、でも…」

 

 

鶫を連れていく前に、陸は後ろに立つ楽と小咲にはついてこない様に釘を差す。

当然だ。楽と小咲…、特に小咲に関しては全く無関係だ。

 

楽だって集英組という組織の中に入るものの、裏の世界の住人では断じてない。

これ以上、関わらせるわけにはいかないのだ。

 

 

「これ以上は来るな。じゃなきゃ…、後戻りできなくなるぞ」

 

 

「「っ」」

 

 

楽と小咲は、これまで見たことがなかっただろう。

今浮かべている、裏の世界の陸としての顔を。

 

鋭い眼光は楽と小咲を射抜き、二人の動きを硬直させる。

楽と小咲は陸についていくために踏み出そうとした足を止める。

 

 

「楽。お前は公務員になって真っ当に生きていきたいんだろ?小咲。お前はどうするかはわからないけど…、少なくとも真っ当に生きていきたいだろ?なら、これ以上は踏み込むな」

 

 

最後にそう言いながら一瞥して、陸は二人に背を向けて去ろうとする。鶫も、去っていく陸に黙ってついていく。

そんな二人の背中を、楽と小咲は見ることしかできず、ただ黙って見送る…。

 

そうしてくれるだろうと、陸は思っていた。

 

 

「嫌だ」

 

 

短く、そう言い切った楽の声が聞こえてきた。

陸は目を見開いて、勢いよく振り返る。

 

楽はまっすぐこちらを見据えて、陸が振り返ったのを見るとこちらに歩み寄ってきた。

 

 

「陸、お前の言う通りだよ。俺は公務員になって真っ当に生きて…、だからやくざの仲間入りなんて絶対に御免だ」

 

 

言葉を切った楽は、足を止めて呆然とする陸の前に立って続ける。

 

 

「だけど…、目の前で連れ去られた恋人をそのままにして自分だけ安全な所にいられるほど、腐っちゃいねえんだよ!」

 

 

大きく目を見開いて、楽はそう叫んだ。

 

陸は思わず隣に立っている鶫に視線を向けた。

同じく鶫も陸に視線を向けており、そこでようやく陸は鶫も自分と同じように振り返っていたことに気付く。

 

鶫も楽と小咲は引き下がると思っていたのだ。

だがその思い…、いや、願いとは裏腹に楽は食い下がってきた。

 

 

「あ、あの…。私も!私も千棘ちゃんが…」

 

 

「あぁちょっと待て。まずは場所を移動しよう」

 

 

楽に続いて小咲も陸たちに食い下がろうとするが、それを陸が止める。

 

二人は…特に楽は気づいていないのだろうか。

今、四人がいる場所は廊下。文化祭を楽しむ生徒たちやその保護者たちがたくさん歩く廊下である。

 

さて思い出してほしい。楽はここで先程、何と口にしたのかを…。

 

 

「っ!?」

 

 

「あ」

 

 

楽は一瞬にして顔を真っ赤にして、小咲は他に人がいることに今気づいたのか、小さく声を漏らした。

 

 

「とりあえず、ここから離れるぞ。どうするかは外で話そう」

 

 

ざわつく人ごみの中から抜け出すべく、陸が先導して場所を移動し始める。

 

とにもかくにも、千棘を救出すべくこれからどう行動するかを話し合わなければならない。

その際、陸にも話したいことがあるし、楽と小咲の説得もしなければならない。

 

 

(文化祭なのに、どうしてこうなった…。千棘を誘拐した奴らは徹底的にボコろう)

 

 

内心で固く誓いながら、陸は息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で千棘を救出、出来るかな…?


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第34話 カイケツ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誘拐されてからどれほど時間が経っただろう。

視界の中に時計など、今の時間を報せるようなものは何もなく、自分がどれだけの時間この倉庫にいるのかわからない。

 

目を見回した後、千棘は短いため息をついてからニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら煙草を吹かす男を一瞥する。

一体、どんな理由で自分を誘拐したのかと疑問に思っていたが、まさかただのやつあたりだとは思っていなかった。

 

自分の恋人、一条楽の“弟”、一条陸への復讐…というよりやつあたり。

彼らの野望を阻み、さらに彼らに途轍もない苦汁を飲ませた陸へのやつあたり。

 

まあまさか、陸も麻竹会という組織を潰したことでこのようなことになるとは思っていなかっただろうが…。

 

 

「おい、そろそろ一条陸とビーハイブの奴らが救出に来る頃だ。てめえら、それぞれ自分の武器を持っとけ」

 

 

短くなった煙草の火を、足で踏んで消した男がまわりの男たちを見回しながら言う。

千棘には素知らぬことだが、千棘が誘拐されてからすでに二時間が経っている。

 

ギャングの組織が警察に頼るはずはない。自分たちだけで千棘を助け出そうとするはず。

 

 

「くくっ…、だが奴らは手を出すことができない。こっちに、奴らの長の娘という切り札がある限りな…!」

 

 

男はちゃんと歯を磨いているのかと聞きたくなるほど汚くなった歯を剥き出しにして笑みを浮かべて千棘を見遣る。

目を向けられた千棘は、目を鋭くして男を睨み返す。

 

 

「…強がりやがって。まあ見てろ。お前の家族同然の奴らも、大切な恋人も…、みぃんな目の前でくたばっていくからよ!」

 

 

見るも醜い笑みを浮かべて顔を千棘に近づけて言う男。

そんな男に冷ややかな目を向けながら千棘は口を開く。

 

 

「歯、汚いわよ。ちゃんと磨いてる?息も臭いからあんまり近づかないで」

 

 

千棘の口から出た言葉に男は大きく目を見開いて、直後歯ぎしりさせ、怒りで目を血走らせる。

 

 

「このアマぁ…!」

 

 

さすがに失言だったか、こちらは誘拐された身。

拘束されているため、いつもの力は出せないためやられ放題なのだ。

 

しかし…、やはりダメだ。こんな奴らに媚び諂う事なんかしたくない。

 

男が拳を振りかぶる。間違いなくその拳は、次の瞬間千棘の顔面目掛けて振り下ろされるだろう。

だが千棘は目を閉じない。目を閉じたら、この男に屈することになる、そう思ったから。

 

怒りに表情を歪ませた男は、容赦なく拳を千棘の顔面へと振り下ろす。

後一瞬もすれば、途轍もない痛みが自分の顔を襲うだろう。

 

多分鼻先を狙ってるだろうし…、鼻は折れるだろうか。

何とか、後遺症なく治せるといいんだが…。

 

そんなことを考えながら、拳が命中するのをただ待つ千棘。

 

この時の千棘は、拳が命中することはないという事を知る由もなかった。

 

 

「お嬢ぉおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

「っ!?な、何だ!?」

 

 

突如起こる爆音、直後たくさんの男たちの叫び声が響き渡る。

千棘を攫った男たちは突然の現象に、それぞれの驚愕の表情を見せる。

 

先程の爆音は、千棘の正面の壁が吹き飛んだ音。

そして爆音の直後に響き渡った男たちの叫び声は…。

 

 

「お嬢、ご無事ですか!?返事をなさってください!」

 

 

「く、クロード!」

 

 

クロード率いる、ビーハイブの面々だった。

さすがに全員を連れてくるという事はないだろうが、それでも一瞬にして倉庫の中を埋め尽くすほどの数を引き連れてクロードが千棘を救出しにやって来たのだ。

 

 

「なっ…、な…なぁっ!?」

 

 

あまりの数に、男も想定外だったのか。ただただ驚愕の声を漏らすことしかできない。

 

 

「貴様か…、お嬢を拐したクソ共は…」

 

 

「っ!て、てめえら!これ以上近づくんじゃねえ!」

 

 

眼鏡を触りながら千棘を誘拐した犯人たちのリーダー格を睨みつけるクロード。

だが、驚愕から我を取り戻した男が銃を取り出し、傍らの千棘に突きつけながら喚き散らす。

 

 

「ほら見ろ!てめえらの大切な千棘お嬢様だ!こいつの命が惜しいだろ!?おい、一条陸はどこだ!ここに来ているんだろ!?」

 

 

「貴様…、貴様ごときがお嬢の名を呼ぶなど…!」

 

 

「聞いてんのか!」

 

 

銃口を千棘のこめかみに押し付ける男が、陸を呼ぶ。

そんな中、男が千棘の名を呼んだことに激昂するクロードを見て相手にされていないことを悟った男はさらに喚く。

 

 

「てめえら状況がわかってんのか!?大切な大切なお嬢様の命は俺の手に握られてんだぞ!?わかったらさっさと俺の言う通り、このお嬢様の恋人…一条陸を出せぇッ!」

 

 

声を枯らせながら叫ぶ男。

その男を、周りを囲むビーハイブの面々は目を丸くさせながら眺めていた。

 

 

「おい、こいつ…」

 

 

「あぁ、やっぱりあの坊主が言ったことは本当だったのか…」

 

 

するとビーハイブの面々が小声で話し始める。

 

この時、彼らが何を話しているかを察していれば、少しは違う結果が出たのかもしれない。

だが男はただ彼らは自分たちを舐めているのだと、状況がわかっていないのだとしか考えなかった。

 

 

「てめえら…、いい加減にっ」

 

 

「いい加減にするのはお前だよ」

 

 

さらに激昂しようとする男の言葉を遮って、別の男…いや、少年の声が割り込んでくる。

 

誘拐犯たちを囲んでいたビーハイブだが、さらに向こうは壁となっておりそこまでは侵攻していなかった。

そのため誘拐犯たちは正面のビーハイブの面々を警戒して…、背後にまで注意が回っていなかった。

 

突然聞こえてきた声に驚愕し、すぐさま振り返る男たち。

そして目に入るのは、男たちを見て笑みを浮かべる一人の少年。

 

その少年は、男たちがずっと憎み、標的としていた者。

 

 

「一条…陸…」

 

 

呆然と、口を半開きにして少年の、陸の名前をつぶやくリーダー格の男。

だが直後には、肉食動物が獲物を見つけたかの如く大きく唇が裂ける。

 

 

「おらてめえらどけ!大事な大事な恋人の元気な姿を見せなきゃいけねえからなぁ!」

 

 

ビーハイブに囲まれ、陸の姿も見えず、まさか計画は失敗したのかと不安を浮かべていた男たちの表情に光が差す。

陸が姿を現した途端、きびきびと動き出す男たち。

 

彼らを囲むビーハイブへの警戒は解かず、尚且つ男たちは二方向に分かれて道を作る。

結果、陸から真正面に銃を突きつけられている千棘の姿が見えるようになる。

 

 

「り、陸っ」

 

 

「おーおー、彼氏が来て嬉しいか?まあ、ちょっと待ってろや」

 

 

来てくれた。来てしまった。

千棘は陸の姿を見た直後、男たちの狙いを報せようと身を乗り出して口を開こうとする。

だがそれは、掌で口を塞いでくる男によって阻まれてしまった。

 

 

「千棘を離せ」

 

 

「あぁ、離すさ。だがその前に…、こっちの用を済ませてからだ」

 

 

「っ、んー!んー!」

 

 

鋭い視線を向ける陸に、男は見下ろすように背を反らしながら下卑た笑みを向ける。

 

そして男の言葉を聞いた瞬間、再び千棘が陸に向かって報せようとする。

 

駄目だ、すぐに戻れ。この男たちが狙ってるのは、陸の命だ。

そう報せようとするが、口を塞ぐ男の手の力が強くなり、思うように言葉を出すことができない。

 

 

「…そうか。何をすればいい?」

 

 

「そうだな…。まあまずは、こっちに歩いて来い。ああ、その腰の物騒なものは地面に置いてな」

 

 

こちらに来いと言う男は、陸の腰に差してある刀を忘れずに手放させる。

陸も男の指示に素直に従って腰に差した刀を地面に置いて、ゆっくり千棘に銃口を突き付けている男へと足を向ける。

 

陸が、一歩一歩近づいてくる。

口を塞がれている千棘が、必死に口を塞ぐ手をどかそうとする。

 

男たちが、自分たちの領域に近づいてくる陸をにやつきながら見つめる。

 

 

「…バカが」

 

 

不意に男が呟いた。

瞬間、千棘に突き付けていた銃口を離し、男に向かって近づく陸へと向ける。

 

千棘が反応する暇もなく、男は躊躇いなく引き金を引いた。

 

鋭い発砲音が響き渡る。

千棘が、ビーハイブの面々が大きく目を見開く。

 

そして陸は────────

 

 

 

 

 

 

 

 

────────腰に差していたもう一本の刀を抜き放った。

 

陸が降り抜いた刀は男が撃った銃弾を切り裂き、自身の体には傷一つ付くことはなかった。

 

 

「…は?」

 

 

男が、誘拐犯たちが呆然と今起こった信じられない光景に動きが固まってしまう。

 

そんな素人でもわかるような隙を、見逃すほど陸は、ビーハイブは甘くない。

 

 

「千棘!」

 

 

「今だ!」

 

 

呆然とする、千棘の傍らにいる男に向かって疾駆する陸と、クロードの指示と共に誘拐犯グループに向かって突撃していくビーハイブの面々。

 

 

「なっ、くっ!」

 

 

いち早く冷静さを取り戻したのは、千棘の傍らにいた男だった。

男はすぐに千棘のこめかみに銃を向け直そうとする。

 

男に残された選択肢はそれしかないのだ。

再び千棘の命を自分の手に戻して、陸たちの動きを封じるしかない。

 

だが、その動きは遅すぎた。

 

 

「させるかっ」

 

 

千棘に向けられようとした銃を、男の懐に飛び込んだ陸が刀の腹ではたき飛ばす。

鈍く短い男の悲鳴と共に銃はどこかへと飛んでいき、同時に男は唯一有効な武器を失う。

 

即座に陸は男の腹に拳を入れ意識を刈り取る。

 

 

「…ふぅ、これでとりあえず安心かな」

 

 

「り、陸…」

 

 

無造作に男を地面へと落とす陸を呆然と眺める千棘。

たった一分にも満たない時間の間、千棘は信じられない光景を目の当たりにしたのだ。

 

呆けてしまうのも仕方ないとは思うが、今はすぐにここから抜け出さなければならない。

 

 

「話はあとだ、ここから逃げるぞ」

 

 

「え…あっ」

 

 

陸は、千棘に拘束された両手をこちらに向けるように言い、そして向けられると懐から銃を取り出し、発砲。

手錠を破壊すると、次に両足を拘束している手錠も銃で破壊し、千棘の手首をつかんで走り出す。

 

 

「あっ、てめえ!待ちやがれ!」

 

 

駆けだす二人だったが、すぐに陸と千棘の逃亡に気づいた男が銃を向けてくる。

 

 

「させるわけねえだろーが!お嬢をこんな目に遭わせやがって、てめえら明日日の光を見れねえと思え!」

 

 

だがすぐにビーハイブの男が陸と千棘に銃を向けた男に襲い掛かる。

 

ビーハイブという強力な助っ人がいる今、陸と千棘は簡単に逃走することができた。

倉庫の傍に待機させていた車が見えてくる。

 

 

「千棘、あの車に乗れ。あいつらバカみたいで、周りに見張りを置いてなかったからもう一人で大丈夫だ」

 

 

「え?り、陸は…」

 

 

「俺はもうちょっとこっちにいるよ。協力してくれたビーハイブの人たちに礼を言わなきゃいけないしな」

 

 

もう事件は解決したと言わんばかりの陸の物言いに、千棘はぽかんとする。

だがその表情は、次の陸の言葉に引き締まってしまう。

 

 

「車の中に、千棘と話したがってる奴がいる。…ちゃんと、仲直りしろよ」

 

 

「っ!?」

 

 

その言葉を最後に、陸は再び男の雄叫び、悲鳴がひしめく倉庫の中へと向かっていった。

 

陸の背中が見えなくなると、千棘は不自然に止めてある車に目を向ける。

 

車の中には、こちらを心配そうに見てくる小咲、そして楽の姿があった。

 

 

「…」

 

 

千棘は車へと足を進める。

 

扉の取っ手に手をかけて、開けて中へと入る。

 

 

「千棘ちゃん!」

 

 

「千棘…」

 

 

すでに車の中に乗っていた小咲と楽が、中に入ってきた千棘を出迎える。

だが千棘は…、楽の方に目は向けず、小咲にだけ目を向ける。

 

 

「ありがとう。…心配かけて、ごめんね?」

 

 

「ううん…、千棘ちゃんが無事で、本当に良かった…!」

 

 

さてここで車に乗っている、運転手を除いた三人の位置だが、小咲は助手席に、千棘と楽は後ろの席に座っている。

 

絶賛すれ違い中の千棘と楽には少し気まずい位置だが…、ここだけの話、何とか二人に仲直りしてほしいと考えた陸と小咲が仕向けた思惑である。

 

このままここにいても何にもならない。運転手は千棘に一声かけてから車を発進させる。

 

千棘を桐崎家へと送り届ければ晴れて千棘の救出完了だ。

 

 

「…何で来たわけ?」

 

 

「は?」

 

 

すると不意に、千棘が小さく口を開いた。

誰に向けられたものかは定かではないが、この声は最近楽にとっては聞きなれてしまった低い声。

十中八九楽へと向けられたものであるとすぐにわかった。

 

 

「何でってそりゃ…、じっとしてられなかったからだよ。お前は、俺の恋人だからな」

 

 

「っ」

 

 

楽の言葉、特に最後の部分を聞いて千棘はピクリと体を震わせる。

 

 

「……って言ったくせに」

 

 

「…は?今なんて…」

 

 

千棘の声が小さく、楽の耳には届かなかった。

そのため、楽は千棘に聞き返す。

 

直後、窓へと顔を向けていた千棘が勢いよく体ごと楽の方へと顔を向ける。

 

 

「あんた、言ったでしょ!?私となんかどうせ上手くいかないって!」

 

 

「え…」

 

 

「浜辺で言ったじゃない!喧嘩ばっかりで上手くいくわけないって!何で…、それなのに何で今更…」

 

 

正直、楽にとって千棘が何を言っているのかよくわからなかった。

確かに千棘の言う通り、浜辺でそのようなことを言ったことは覚えている。

 

だが、それが一体…

 

 

(まさか、こいつ…)

 

 

そこで楽は、ある一つの結論に至る。

 

 

「べ、別に、だからってお前を嫌ってるわけじゃねえよ」

 

 

「…え」

 

 

「確かに、俺とお前が上手くいくわけねえとは思ってるぞ?でもよ…」

 

 

ああ、言っていると何故か恥ずかしくなってくる。

思わず楽は千棘から目を逸らして、続けた。

 

 

「それと、嫌ってるかどうかなんて別の問題だろ…。俺、お前が攫われたところ見て…、マジで焦ったんだぞ…」

 

 

「っ」

 

 

千棘が息を詰まらせる。

楽が本気で言ってるかどうかなど、見ればわかる。本気でなければ、どうしてそこまで恥ずかしがることがあるだろう。

聞いてる千棘の方まで恥ずかしくなってきてしまう。

 

だがすぐに取り直し、再び楽から窓の外へと目を向けた。

 

 

「そっか…。嫌って、ないのか…」

 

 

「千棘…」

 

 

楽から見たら、視線を逸らした千棘はまだ機嫌を戻していないように見えた。

何とかこちらの気持ちを伝えるために言葉を続けようとする楽。

 

 

「…」

 

 

言葉を続けようとして…、楽は口を閉じた。

そんな必要ない事を、楽は気づいたからだ。

 

 

「…そっか」

 

 

楽の視線の先で、何かつぶやいている千棘。

その口元は、緩やかに笑みの形を描いていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

(…あれ?あいつは俺に嫌われてるって思ったからあんなにへそ曲げてたのか?だとしたら…、あれ?)

 

 

最後に楽に疑問を残して、千棘誘拐事件は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おまけ

「あ、ちょっと楽!あんなこと話してよかったの!?」

「あ?何がだよ」

「だって、さっきの話、私たちが本当の恋人じゃないって完全にばれちゃう…あぁ!」

「はぁ…、大丈夫だよ。その運転手はお前の…」

「やあ、千棘」

「え…パパ!?何で!?」

実はこの車の運転手…、千棘のパパでした!

(…楽坊ちゃんの頼みとはいえ、何であっしがこんなことを)

トランクの中には、竜が…。


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第35話 チェック

ゴッドイーターリザレクション、買いました。
はまりました、すいません。









 

 

 

 

 

 

 

「坊ちゃん…。いくら怪我はないっつっても、やっぱり大事を取って今日は休むべきだと思うんですが…」

 

 

「いや、俺が抜けたら劇が台無しになっちまう。それに昨日から何度も言ったけど、相手が大したことなかった分ぐっすり寝れたし、体の疲れもないから大丈夫だ」

 

 

凡矢理高校の制服を着て、靴を履きながら陸は後方から心配げに問いかけてくる竜に返事を返す。

 

今日は文化祭二日目、つまり陸たちのクラスの劇が行われる日である。

 

前日、千棘を救うためにならず者たちとドンパチ戦った陸だが、相手が弱かったのもあり怪我一つ負わなかった。

体に疲れはないし、気分も上々。…まあ気分が良いのには一つ理由があるのだが。

 

 

「おら、いつまでしょぼくれた顔してんだ竜。強面のお前がそんな顔してもまったく心に響かねえぞ」

 

 

「ひ、ひでえっすよ坊ちゃん…」

 

 

未だ竜が心配げにこちらを見つめてきているのだが…、普通ならば大丈夫だと竜を安心させるための言葉を言わなければならない。

しかしそれは先程に一度言った。それに竜のような厳つい男にそんな顔されてもぶっちゃけ全く嬉しくないというのが陸の本音である。

 

 

「ああ。それと昨日も言ったけど、劇は見に来るんじゃねえぞ。お前らが来たら他の生徒たちが見に来なくなっちまう」

 

 

「えぇ!?あ、あれは冗談じゃなかったんすか!?てっきり陸坊ちゃんの照れ隠しかと…」

 

 

「んなわけねえだろ。じゃ、俺は行くからな」

 

 

「あぁ、坊ちゃん!」

 

 

最後も竜に辛辣な言葉をかけて陸は横開きの戸を開けて外へと出る。

 

陸が出る前にすでに楽は家を出ているため、今日は特に心配することはない。

 

後、先程言った陸の気分がいい理由だが…、今日、楽の方が先に家を出ていることに関係している。

楽が陸より先に家を出るようになったのは高校に入ってからである。

正確には、楽が千棘と偽物の恋人の関係を始めてから。

 

そう、今日楽は千棘と共に登校しているのである。

 

昨日、車の中で千棘を待っていた楽には当然怪我もないし、千棘の方は心配されたが目立った怪我はなく、本人が今日は絶対に学校に行きたいと譲らなかったため、千棘の父アーデルトも苦笑を浮かべながら登校を許したらしい。

 

ずっと気に病んでいた楽と千棘の仲の拗れ。

目に見えてイライラしている楽をもうこれ以上見なくてもいいのだと思うと、心は踊る。

あの楽を見ているとこちらまで気分が悪くなるのだから、堪ったものではなかった。

 

ルンルン気分で、気を抜いたらスキップしそうになるほど上機嫌で陸は校舎の中へと入っていく。

 

ほとんどは昨日と同じ光景。

一つだけ違うのは、昨日と違ってすれ違う生徒たちがどこか落ち着いているように見える所だけ。

 

 

「お、一条!おーい皆、もう一人の主役が来たぞぉ~!」

 

 

「は?」

 

 

意気揚々と陸のクラス、C組に控室として割り振られている教室の扉を開けると、すぐにこちらに目を向けてきた男子生徒が声高らかに叫びだす。

 

何が起こったのか飲み込めなかった陸は呆然と声を漏らすと、途端陸のまわりをクラスメートたちが取り囲む。

 

 

「おい一条、今日は頼んだぞ!」

 

 

「劇が盛り上がるかどうかはお前と小野寺にかかってるんだからな!」

 

 

「大丈夫?一条君、緊張してない?」

 

 

「衣装はばっちりだから心配しないで!」

 

 

「…」

 

 

クラスメートたちは自分を励ます(?)言葉を言っているのだろうが、みんな一斉に違う言葉を発しており、陸からはよく聞き取れない。

だが黙っていると陸は今からすでに緊張しているのだと勘違いして、さらに大きく陸に声をかけてくる。

 

 

「あぁもううるさい!俺は緊張してないし、劇の事だってわかってるから!席に着かせてくれ!」

 

 

何を言っているのかわからない中、我慢強く皆が言っていることを聞き続けていた陸だが、さすがに限界だった。

まず初めに一喝してまわりを黙らせると、すぐさま前に立つ人たちを押しのけて空いているスペースに荷物を置いてどすっ、と腰を下ろす。

 

 

「ははっ。お疲れだな、陸」

 

 

「集…」

 

 

片膝を立て、膝の上に肘を乗せてため息を吐く陸。

そんな陸に声をかけてきたのは、眼鏡を光らせる集だった。

 

 

「ま、あんまり怒ってやるなよ。皆、劇を成功させるために必死なんだから」

 

 

「それはわかってる。けど、お前もあそこでずっと何を言われているのわからないまま囲まれてたら俺の気持ちもわかるぞ」

 

 

「はははっ。でもよ陸、有名な俳優たちはあそこを笑顔で乗り切っていくんだぜ?」

 

 

「俺は俳優じゃないって…。それとも劇の主役なんだから、俳優みたいになれってのかよ…」

 

 

ニマニマ顔で言ってくる集を陸は軽く睨む。

だがこういうやり取りは昔から続けてきたこと。集はまったく怯むことはなかった。

 

 

「り、陸君っ」

 

 

「ん?」

 

 

視線を集から外して床に落とし、もう一度ため息を吐こうとした所で自分を呼ぶ声に気づく。

自分を呼ぶ声が聞こえてきた方へと視線を向けると、そこには胸元で両拳を握り、何やら意気込んでいる様子でこちらに目を向けている小咲の姿があった。

 

 

「小咲…、どうした?」

 

 

「陸君!劇、頑張ろうね!絶対成功させようね!」

 

 

「い、いや…。小咲、今から張り切ったら疲れるz…」

 

 

「頑張ろう!」

 

 

「…」

 

 

話を聞いてくれない。

これは、張り切っているというより緊張で周りが見えていないという風に見える。

 

陸は立ち上がり、小咲に歩み寄るが、小咲本人は陸の接近に気づいていない様子。

何かぼそぼそ呟いて、近づく陸の方を見ていない。

 

陸は小咲の眼前に両手を出して、勢いよく張り手。

 

 

「ひゃぁっ!?」

 

 

「…ぷっくく」

 

 

驚いて飛び上がる小咲を見て、吹き出してしまう陸。

噴き出してからも笑いを抑えるのに必死になっている陸を、小咲は不思議そうに眺める。

 

 

「り、陸君…?」

 

 

戸惑いを含んだ声を聴いて、陸はん゛ん゛、と咳払いをしてこみ上げる笑みを抑え込む。

 

 

「小咲、張り切るのはわかるけど張り切りすぎるのもダメだ。今からそんなに気負ってたら絶対本番で失敗するぞ?」

 

 

「で、でも…」

 

 

陸が言っていることはわかる。それでもどこか煮え切らない、といった様子で俯く小咲。

 

 

「きっと、小咲はみんな頑張ってくれたんだから、自分が失敗したらみんなを裏切ることになるとか思ってるんだろ?」

 

 

「っ」

 

 

「図星か。まあ、気持ちはよくわかるけど」

 

 

事実、程度の違いはあれど陸も小咲と同じように皆のためにも失敗したくないと思っている。

 

 

「小咲、それでも気負いすぎちゃダメだ。それで失敗したら、きっとものすっごく後悔するぞ?」

 

 

「…」

 

 

いつの間にか、小咲の頬の紅潮は収まっていた。

小咲はまっすぐに陸の目を見つめる。

 

 

「そうだよ寺ちゃん!私たちのことを考えてくれるのは嬉しいけど、寺ちゃんはまず劇を楽しむことを考えなきゃ!」

 

 

陸と小咲の会話を聞いていたのか、準備期間中に劇に出る人たちのための衣装を作ってくれた文芸部の少女が小咲に寄りかかりながら声をかける。

 

いきなり声をかけられた小咲は、目を見開いて呆気にとられたような表情になるが、文芸部の少女の言葉を聞き終えると笑顔を浮かべて頷いて応えていた。

 

 

「おー、青春しとるねー。けど、ちょっと静かにしてもらうよ。ホームルーム始めるからなー」

 

 

教室の扉が開いて、キョーコ先生が現れる。

キョーコ先生は室内での小咲と文芸部の少女のやり取りを見て笑みを浮かべるが、すぐに静かにするように言って教壇の上に上る。

 

いつもと相変わらず、キョーコ先生が行うホームルームは短い。

平日はもちろん、この文化祭でも連絡事項は簡潔かつ分かりやすく伝えてそれで終わり。

 

教師として何か他に言うことはないのだろうかとも思わないでもないが、早く終わることは生徒にとって何よりも嬉しい事である。

 

さて、キョーコ先生が言うには文化祭二日目の展示開始時間は九時からだという。

ホームルーム開始時間が八時二十五分、ホームルームが終わったのが八時半になるかどうか。

 

約三十分ほどの時間が空いている。

 

 

「よーし皆、劇の最終チェックといこうじゃないか!劇に出る人は窓側に、衣装係やステージ設営の人は廊下側に集まろう!」

 

 

何と集がリーダーシップを発揮して指示を出している。

いや、クラス委員なのでこれ以外にも何度かしっかり働いている所は見ているのだが。

 

集と昔からの付き合いである陸と楽は、集の働きぶりを何度見ても慣れない。

今も、二人は同じ表情で、口を同じ大きさ程半開きにして呆然としている。

 

 

「ほら陸、立てよ。他のクラスはまだホームルーム中だろうし、大きな声で演技は出来ないけどセリフの確認くらいはできるだろ?」

 

 

「あ…あぁ、わかった」

 

 

「楽もだ。一応お前は名目上陸の代役になってるんだ。お前もセリフの確認はしてもらうぞ?」

 

 

「…そういやよ集。橘はどうした?」

 

 

集の指示に従って立ち上がる陸。そして集の言葉を聞いてふと思い立ち、問いかけた楽。

 

楽の言葉で陸もはっ、と気づいたが、教室の中に万里花の姿がない。

千棘の事があって気にすることができなかったが、昨日も姿を見せなかった。

 

 

「あぁ、何でも風邪引いたらしいよ?本人は今日は絶対行くって騒いでたらしいけど」

 

 

けらけら笑みを見せながら万里花の欠席に理由を説明する集。

 

 

「…ともかく、これでジュリエットの代役は期待できないってことか」

 

 

「っ」

 

 

陸は、横目で小咲を見ながら口にする。

 

他人からは、何故プレッシャーをかけるような言葉をと責められそうなものだが、陸としても思惑がある。

 

 

「…大丈夫、だよ。うん。万里花ちゃんには悪いけど、精一杯主役を楽しみたいから!」

 

 

「…」

 

 

他の人には気づかれないほど僅かにだが、陸は笑みを浮かべながら頷いた。

 

先程の陸の言葉は、今の小咲の精神状態を確かめるため。

さっきのように小咲が気負いすぎていないかを確かめるため。

 

今の小咲は、さっきと違って笑顔を浮かべられるほど、劇を楽しむと言えるほど余裕を持っている。

 

 

(これなら大丈夫だろ。セリフも本番一週間前には覚えてたんだし、心配なのはど忘れだけか)

 

 

特に小咲に関しては心配することはなさそうだ。

後は小咲が本番で変なセリフのど忘れをしないことと、自分の事だけ。

 

 

(…大丈夫。家でもしっかり練習してきたし、人前が特に苦手なわけじゃないし)

 

 

何でも、集が盛大に宣伝してくれやがったせいでかなりの人数が陸たちの劇を見にやってくる予定らしい。

それに、釘を刺しておいたが竜たちが劇を見にやってくる可能性だってある。

 

かなりの大勢の視線が自分に、劇に出る人たちに集中する。

 

それを考えると心臓の鼓動が加速するが…、大丈夫だ。やれる、と自分自身に言い聞かせる陸。

 

陸たちは劇の最終チェックをすることに集中しすぎ、気が付けば九時を過ぎていた。

陸たちの出番は午後のため、時間的にはまだ余裕あるが文化祭をまだまだ回りたいという者もいる。

 

劇のチェックを続ける者、文化祭を回る者の二つに分かれて再び作業を行う陸たち。

当然、陸と小咲はチェックを続けることを選び、二人でセリフを確かめ合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ついにその時がやって来る。

 

陸たちは、舞台裏で自分たちの前の出番のクラスの出し物を見ながらスタンバイするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は劇です。


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第36話 ホンバン

かなり難産でした…。原作の劇をそのまま書くわけにはいかないし、かといって良い案も出てこない…。
リザレクションを友達とやるのが楽しすぎて書く時間が中々取れない…。

と、とりあえず書き上げたので投稿します。
楽しんでいただけるといいのですが…。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台の表から、ノリが良く気持ちの良い音楽が聞こえてくる。

現在は、二年D組によるコンサートが行われている。その次は一年B組の漫才。

そして陸たちの出番はその次に用意されていた。

 

舞台袖では劇に使われる用具の整理、舞台裏では劇で使う背景の準備が進められている。

劇に向けた準備が完成に近づく中、陸たちの緊張もMAXまで高まってきていた。

 

 

「いよいよだね…。頑張ろうね、陸君」

 

 

「ああ。やるだけやってやろうぜ」

 

 

そして、劇の主役、ロミオとジュリエットの役である陸と小咲は舞台袖から着々と進められている最終準備を見守っていた。

 

陸と小咲は西洋のパーティに着ていくような、麗しい衣装を身に着け、さらに陸は高貴さを見せるために髪をバックにし、小咲も結んでいた髪を下ろしている。

 

 

「いやぁ~、しかし陸がドラマや映画でよく見るこんな衣装を着ることになるなんてな…。しかも似合ってるし」

 

 

「小咲ちゃん、すっごく似合ってる!可愛い!」

 

 

しみじみとつぶやく楽と、目を輝かせながら感激する千棘の姿が二人の目の前にあった。

特に千棘は先日の衣装合わせの時に教室内にはいなかったため、陸と小咲の衣装を見るのはこれが初めてなのだ。

 

 

「俺だって思ってなかったよ。こんな恰好…、それも人前に出るなんて」

 

 

「ありがとう、千棘ちゃん。でも、千棘ちゃんが言うほど似合ってるかな…?」

 

 

陸と小咲は楽と千棘のそれぞれに返事を返す。

だが、陸が晴れ晴れしい笑みを浮かべている中、小咲は打って変わって苦い笑みを浮かべていた。

 

 

「そんなことないよ小咲ちゃん!すっごく綺麗だよ!似合ってるよ!」

 

 

自身が身に着けている衣装を見下ろす小咲に、千棘がむん、と両こぶしを握りながら言い返す。

さらに、続いて陸もそっと掌を小咲の頭に乗せながら口を開いた。

 

 

「千棘の言う通りだぞ。それに、また不安になってるのか?」

 

 

「そ、そうじゃないけど…。…ううん、やっぱり不安になってるのかも」

 

 

陸の問いかけに、先程とは違って素直に答えた小咲。顔を俯かせながら胸の内をつぶやいた。

本番直前、主役である者は誰だって不安や緊張を感じるに違いない。

 

 

「さっきも言ったけど、主役は二人だからな。今の気持ちを感じてるのがもう一人いるって考えたら少しは違うと思うけど」

 

 

優しく小咲に言葉をかける陸。

自分だって、きっと今の小咲と同じ気持ちだということを伝える。

 

だが、先程言った通りこの気持ちを感じている人は他にももう一人いると考えるだけでふっ、と気持ちが軽くなる。

この対処法が小咲に効くわからないが…、少しでもマシになれば。

 

 

「陸君も…同じ?」

 

 

「ああ。傍から見たら普段と同じなのかもしれないけど、心臓マジでバックバクだ」

 

 

見上げながら問いかけてくる小咲に、陸は左手を左胸に当てて上下に動かして緊張しているとジェスチャーしながら返す。

 

小咲も、手をそっと胸に当てて目を閉じる。

 

何を考えているのだろうか、それは定かではないが次に目を開けた時には、小咲の顔にはきれいな笑顔が浮かんでいた。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

無言で頷きあう二人。そして、そんな二人を一瞥してから、楽と千棘がその場から離れていく。

 

そして時間は過ぎ、開演五分前。

誰かが脚立から落ち、落ちた人を助けた小咲が捻挫するなんていうトラブルもなく開演直前まで至った。

 

だが、主役の二人の顔には緊張も不安もない。

 

 

「…頑張ろうね、陸君」

 

 

「ああ。成功失敗はどうでもいい。けど、笑顔で終われるような劇にしようぜ」

 

 

目を見合わせ、笑い合い、頷き合う。

 

 

<お待たせ致しました。続いての出し物は、一年C組による演劇、ロミオとジュリエットです>

 

 

 

 

 

 

 

『これから語られますは、悲しい恋の物語…。血で血を洗う争いを続ける二つの家、モンタギューとキャピュレット。生まれついたロミオとジュリエットは、皮肉にも恋に落ちてしまうのでした…』

 

 

冒頭、集の悲しげな感情の籠った声でナレーションが入る。

 

 

「ああ、何故私たちの両親は憎み合い、妬み合い、争うのでしょう…。本当ならきっと、私たちの様に手を取り合い、想い合うこともできるというのに…」

 

 

続いて流れる小咲のセリフ、悲しげな表情で腕をそっと伸ばしながらのセリフは観客の心をがしりと掴む。

 

続くは、陸のセリフなのだが…、その前に割り込むある男たちの声で陸は動きを止めてしまう。

 

 

「おー、坊ちゃーん!カックイ―!」

 

 

「ビデオ回してやす!頑張ってくだせー!」

 

 

(あ、あいつら…)

 

 

無駄だとは思っていた。だが、もしかしたらとも思っていた。

結論、組の者には何を言っても無駄だという事が分かった。

 

 

(…集中、集中)

 

 

思わぬ乱入者に途切れかけた集中の糸を繋ぎ直す陸。

 

それからは組の者たちはおとなしかった。

ビデオを回すのに必死なのか、陸の主役の姿に見とれているのか、演技に心を打たれているのか。

三つ目だと嬉しいのだが、そこは今は置いておく。

 

劇は進み、いよいよ大詰め。

ロミオが、屋敷に閉じ込められたジュリエットに会いに行く最中、召使に出会い場面である。

 

 

「キャピュレット家が、あなたの命を狙っております」

 

 

「…たとえどれ程危険だとしても、私は行かなければならない。そこをどいてくれ」

 

 

召使役の鶫のセリフの後、陸も渾身の演技で返す。

 

 

「今も彼女は、あのバルコニーで待っている…!」

 

 

キャピュレット家の屋敷へと急ぐ場面。

今こうしている間にも、ジュリエットは屋敷のバルコニーでロミオを待っているのである。

 

 

『止まらないロミオ…。しかし、この召使はただの召使いではなかったのです』

 

 

「は?」

 

 

思わず呆けた声を漏らす。とっさに掌で口を覆った。

 

だが、見開く目と、内心の驚愕は変わらない。

何故なら、先程のナレーションは陸の頭の中に全くなかったからだ。

 

どういうことだ、と考える前に咄嗟に陸は鶫の方へと振り返りながら後方へと跳躍する。

陸の眼前を、銀の煌めきが横切っていった。

 

 

「っ、何を…!」

 

 

この言葉は、演技ではなく本心から出たもの。

何故なら、もう少しで陸の首が刎ねられていたのだから。

 

 

「ロミオ…。貴様をお嬢様の所へ行かせはしない」

 

 

陸の目の前では、レイピアの切っ先を陸の方に向ける鶫…召使の姿。

 

これも劇の一環?先程のナレーションに鶫には驚いた様子はない。だとすると、これは演技なのか?

しかし、鶫が持っているレイピアは…。

 

 

(本物、だぞ…!)

 

 

きっと、劇を見ている客たちにはわかっていないだろう。

だが、眼前まで迫ったあの一瞬だけで陸はすぐに悟った。

 

鶫の持っているレイピアは、本物だと。

 

 

(訳が分からん…。もしかして、これはこの時のために…?)

 

 

陸は内心で思考しながらそっと腰に差してあるレイピアの柄を撫でる。

このレイピアは、劇が始まる直前に集に渡されたものだ。

 

モンタギュー家とキャピュレット家は敵同士。ならば、ジュリエットがいるバルコニーへ向かうのに武器を持たないのは不自然だろうと集は言っていたのだが…。

 

 

「先程も言っただろう?キャピュレット家があなたの命を狙っていると…。私も、その一人さ」

 

 

鶫が、にやりと笑みを浮かべる。

 

演技、だと思いたい。だが、何故かこの笑みは本心から浮かんでいるような気がしてならないのだ。

額から流れる汗が止まらない。

 

 

「ロミオ、覚悟!」

 

 

「う、おっ」

 

 

レイピアを脇に差して突っ込んでくる鶫。

陸はすぐさまレイピアを抜き放って応戦する。

 

 

「おい鶫…。これはどういうことだ…!?」

 

 

きぃん、と耳障りな金属音を響かせる中、傍までやって来た鶫にまわりには聞こえない小さな声で陸は問いかけた。

 

 

「ふん、舞子集の差し金だ。私と貴様の戦闘能力を使わないのは勿体ないと言ってな。ただの純愛も良いが、どうせならアクションも付けたかったらしい」

 

 

「あんのやろう…」

 

 

鶫の口から出た言葉は、全て集の差し金だという事。劇が終わったら殴ると陸は心に固く決意する。

 

 

「心配するな。本気の斬り合いを一般人に見せるわけにはいかないだろう、加減はする。だが…」

 

 

レイピアに力を込めて押し合う陸と鶫。

すると鶫がふと口を開き、そしてぞくりと背筋に寒気が奔るほど狂気の笑みを浮かべた。

 

 

「せっかくだ。貴様の力を再確認する」

 

 

「っ!」

 

 

直後、鶫は後退すると劇に使用されているレンガを掴んで陸に向かって放る。

陸はすぐさま横にステップ、レンガは陸の真横を通り過ぎていくが、着地地点へと鶫が接近してきていた。

 

 

「ちっ」

 

 

小さく舌を打ちながら、陸は鶫の一文字のスイングに対してレイピアを縦に構える。

鶫の振るうレイピアが陸の構えるレイピアに当たる。

 

二人は何度も交錯し、何度も斬り合わせる。

 

二人の激闘は、観客を魅了し、言葉を失わせる。

だが、劇は時間が限られている。陸の心にも鶫の心にも、心地よい感情が満ちてくるがいつまでもこうしてはいられない。

 

陸と鶫は、何度目かの交錯と共に目を見合わせ、小さく頷き合う。

 

二人は着地と同時に切り返し、互いに接近、交錯する。

 

きぃん、と金属音が響き渡る。

陸と鶫は、レイピアを振り切った体勢のまま動かない。

観客も、二人の姿から目を離さず、口を閉じて息を呑む。

 

 

「…はっ」

 

 

先に動いたのは鶫だった。大量の息とともに吐き出された声と共に体勢を崩し、床に倒れ伏す。

当然、刃傷沙汰にはなっていない。陸も鶫もそれだけにはならないように細心の注意を払っていた。

 

だが、あまりの激しい動きに、見ているだけで伝わってくる緊張感に思わず観客は鶫が斬られたのではないかと思い込みざわつき始める。

 

観客のざわめきは鶫から全く出血がない事に気づいたことですぐに収まる。

 

 

「…通らせてもらう」

 

 

ぼそりとつぶやいた陸は、倒れている鶫には目もくれず舞台袖に向かって歩き始める。

 

 

「…くくっ、油断したな。言ったはずだろう?キャピュレットは貴様の命を狙っていると」

 

 

「っ!?」

 

 

このセリフも、陸の頭にはなかった。そしてその次の瞬間、舞台袖からこちらに押し寄せてくる大量のクラスメートも。

 

クラスメートたちは陸を取り囲み、腰に差しているレイピアに手をかけていた。

 

 

「ロミオ…、貴様をお嬢様の元に行かせはしない…。たとえ私たち全員の命と刺し違えてでも、ここで止めてみせる!」

 

 

陸が目を丸くしている中、よろよろと立ち上がりながら鶫が声高々にセリフを叫ぶ。

直後、陸を囲んでいたクラスメートたちが襲い掛かり…暗転。

 

いきなりの展開の変化に観客たちが表情に驚愕や笑みを浮かべる中、舞台から陸たちは去り、舞台袖へと消える。

 

そして舞台袖へと入った直後、次の場面へと移るために担当の生徒たちが舞台に用具を設置していく。

 

 

「…おい鶫、これも全部集の考えか?」

 

 

「あぁ、全てあいつの考えだ」

 

 

陸は、隣に立っていた鶫に問いかける。

これ、とは先程の場面で起こった陸にはまったく知らされていなかった展開である。

 

 

「…刃は潰されてたけど、問題にならなかったのかよ」

 

 

初め、困惑で気が付かなかったものの鶫と斬り合わせている内にレイピアの刃は潰されていることにようやく気が付いたのだ。

しかしそれでも本物、凶器である。教師たちに注意されていなかったのだろうか。

 

 

「担任は、刃が潰されてるならいいよ、と許可を出したようだぞ」

 

 

「…」

 

 

キョーコ先生なら言うかもしれない、と納得できてしまうのが何となく嫌だと思う陸。

 

 

「と、そうだ一条陸。この後の最後の場面だが…」

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ロミオ様…。今日はもう来て下さらないのでしょうか…」

 

 

C組の総力を使って作り上げた、キャピュレット家の屋敷がライトに照らされた舞台の上に現れる。

そして、バルコニーにはジュリエットの衣装に身を包んだ小咲。

 

両手を握り合わせ、天井を見上げながらロミオを想うジュリエットを演じる。

 

 

「私は、あなたを待ち続けます。あなたを…、永遠に愛し続けます…。たとえ、あなたが私を忘れ去られてしまったとしても…」

 

 

仰いでいた顔を俯かせ、目を閉じる小咲。

そして握り合わせていた手を解き、小咲は振り返って外から目を背けた。

 

 

「あなたを忘れることなどあり得ません。何故なら、私はあなたを永遠に愛し続けるのだから…」

 

 

「ロミオ様っ…!?」

 

 

舞台袖の方から響いた声に観客が沸いた。

だがそれと同時に、バルコニーに立つ小咲の顔が驚愕に染まる。

 

何故なら、陸が着ている衣装が所々破れているのだから。

先程の鶫との演技、クラスメートたちの登場。それらは集から口止めされていた小咲だったが、今の陸の衣装は全く聞かされていなかった。

 

 

「り…、ロミオ様!?だ、大丈夫でしょうか!?」

 

 

陸、と本名を呼ぼうとしたところをかろうじて抑え、何とか観客にぼろを見せないことに成功した小咲。

だが大丈夫なのか、という問いかけにはまったく演技という感情はなく本心から出たもの。

 

それが功を奏し、観客は言葉を出さず劇の展開に目が釘付けとなっていた。

 

 

「私のことはどうかお気になさらず。ただのかすり傷ですから…」

 

 

「ロミオ様…。まさか、キャピュレットの刺客に…」

 

 

本来なら、ここにやって来たロミオは刺客に襲われ怪我をしているという設定だ。

つまり、今まで陸と小咲は集の作り出した展開に振り回されてきたもののここからは台本通りに進めればいい。

 

終焉まで、後はラストスパートである。

 

 

「…あぁ、どうしてあなたはロミオなの?あなたがロミオでなければ…、あなたが敵の名前を持ってさえいなければ…、私は…全てをあなたに捧げられるというのに…」

 

 

「…私にとって、あなたの敵である名前は不要なものでしかありません。ですが、名前からは私だけの力では逃れることは出来ません」

 

 

陸は、バルコニーから降りている縄のはしごを掴み、登る。

 

 

「ですが、あなたがほんの少し力を私に下さるだけでロミオではなくなります」

 

 

はしごを一段一段上る陸。

 

 

「私を、恋人と呼んでください。さすれば、新しく私は生まれ変われます。今日からもう、ロミオではなくなります」

 

 

「ロミオ、様…」

 

 

二人の間に流れる沈黙。

だが、何故だろう。この沈黙は、ただの沈黙ではない。

 

他の誰にもわからない。それがわかるのは、今この舞台にいる二人だけ。

 

 

「愛して、います…。愛しています。あなたを…愛しています、ロミオ!」

 

 

小咲が、笑う。陸も、笑う。

 

小咲が手を差し伸べ、陸も手を差し伸べる。

 

二人の手が重なった瞬間、劇の終わりを告げるブザーが鳴り響く。

観客の大きな歓声が体育館中を包み込み、陸と小咲は歓声を上げる観客を一瞥して、再び目を見合わせて笑い合う。

 

その間、二人の手はずっと結ばれたままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はオリジナル回を予定しています


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第37話 ウチアゲ

サブタイトル通り、文化祭の打ち上げの話です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~…、皆さん。月並みな言葉になりますが、文化祭、お疲れさまでしたー!」

 

 

「「「「「おおおおおおおおおおぉ!!!」」」」」

 

 

「色々言葉にしたいことはあるけど、待ちきれない奴もいるみたいだしな…。じゃあ皆、コップを持てよー!?」

 

 

クラス全員の視線の先に、立ち上がって皆を見回しながら挨拶をしている集。

集はテーブルに置いてあるコーラの入ったコップを持ち上げ、掲げながら言った。

 

集の言葉に従って、クラス全員が自分が頼んだ飲み物が入ったコップを持つ。

 

 

「じゃあ、さっきも言ったけど…。文化祭、お疲れさん!乾杯!」

 

 

「「「「「かんぱああああああああい!!!」」」」」

 

 

さて、これまでのやり取りで分かるとは思うが…。現在、陸たち一年C組は打ち上げパーティを行っていた。

文化祭終了した翌日、劇で使った資材を片づけてその夜に集が予約した店に集まってわいわい騒いでいた。

 

 

「おい一条!お前の演技マジで凄かったぞ!ホントに主役初めてやったのか!?」

 

 

「ゴリ沢…、それ昨日も言ったよな。初めてだよ」

 

 

当然、打ち上げには陸も参加していた。

陸の正面に座る強面男ゴリ沢が身を乗り出しながら聞いてくるが、どれだけ他の人には信じられなかったとしてもそれが真実である。

 

 

「けどよ、ゴリ沢の気持ちもわかるぜ…。同じクラスの俺達もマジで感動したもんな」

 

 

「あぁ。観客にも泣いてる人いたほどだぞ?」

 

 

「へぇ…。それは…、俺としても嬉しいな」

 

 

陸たちの劇の評判はものすごい勢いで学校全体に伝わった。

劇を見に来ていなかった生徒が、『あ、ロミオだ!』と廊下を歩く陸に言ってきた時は驚いたものだ。

 

陸は手に持っていたコップをテーブルに置いてから笑みを浮かべた。

 

劇に出演、それも主役をやった身としてはやはり良い評判を聞くと嬉しくなってしまう。

先程陸が浮かべた笑みも、自分から意識的に浮かべたものではなく思わずといったものだ。

 

 

「けどよ、一条も凄かったけど小野寺もやばかったよな?」

 

 

「あぁ…。どっちかっていうと目立つことを苦手にしてるイメージがあったけど…」

 

 

今度は陸から小咲についての話題に移る。

 

 

「小咲はやる時はやるからな。できて当然とは言わないけど…、それくらいできるんだよ」

 

 

ゴリ沢、そしてもう一人隣に座っていた佐藤が話している間に口の中に入れていた餅のベーコン巻を飲み込んでから陸が言う。

すると、ゴリ沢と佐藤が陸の方を見てにんまりと笑みを浮かべた。

 

 

「…何だよ」

 

 

いきなりニマニマし始めた二人に、陸は戸惑いを見せながら問いかける。

何かおかしい事でも言っただろうか?思い返すが、心当たりは考え付かない。

 

 

「お前さ…、小野寺と付き合ってんの?」

 

 

「…は?」

 

 

聞いてきたのは、正面のゴリ沢だ。陸は目を丸くして呆けた声を漏らす。

 

 

「あ、それ!俺も気になってた!」

 

 

さらに隣に座っていた男子。

 

 

「おい一条!お前ら兄弟そろって美人に手を出しやがって…!」

 

 

もう一方の隣の男子も。

 

 

「兄弟そろってっておいお前ら!」

 

 

さらに少し離れた所で女子に囲まれた楽が声を張り上げる。

 

 

「「「「「手を出してないとでも言う気か!?」」」」」

 

 

「い、言え…。…」

 

 

男子たちの問いかけに楽は口を噤んでしまう。

 

何故なら…、今、女子に囲まれて座っている楽に否定などできるはずもないのだから。

それも、いつもの面子(千棘たち)にである。

 

 

「やれやれ…」

 

 

基本、男子全員と仲が良い楽だが話題にほんの少しでも女子という項目が入ってくると一気に楽に向けられる態度は冷たくなる。

 

そして陸もまた、クラスの紅一点である小咲と親しい所為か、楽程ではないもののたまに冷たい態度を向けられることがある。

 

とはいえ、冷たい態度を向けてくるのは一部であり、ほとんどはゴリ沢や左藤の様にニヤついた笑みを向けてくるか暖かい目で見てくるかのどちらかなのだが。

 

今、顔を真っ赤にしている小咲を女子たちが微笑まし気に見守っているように。

 

 

「で、どうなんだよ一条。付き合ってんの?」

 

 

「付き合ってない」

 

 

ほとんどの男子が楽に憤怒の視線を送っている中、佐藤が結局小咲と付き合っているのかどうか聞いてくる。

陸はすぐに否定する。

 

決して、仲が良い事を否定するわけではないが断じて恋人関係ではないという事は断言する。

 

 

「え、マジかよ?」

 

 

「何でそんなに驚いてんだよ…」

 

 

陸が否定すると、佐藤が目を見開いて驚愕する。

 

 

「いや、だって…。え?お前、嘘ついてねえよな」

 

 

佐藤が信じられないと言わんばかりに問いかけてくる。

だが、何回聞かれても、問いかけられても事実は変わらないもの。

 

 

「ついてない。付き合ってないぞ」

 

 

嘘などついてはいない。表情を全く変えずに答える陸に、納得し切れてはいないように見えるものの佐藤は引き下がる。

 

 

「…ま、お前はそんな嘘つく奴じゃねえよな。あまり納得いかないけど」

 

 

「何でだよ…」

 

 

最後に納得いかないと口にして、そしてその言葉のままの感情を表情に浮かべながらからあげを齧って口に入れる。

 

陸は事実を言っただけなのに何で納得してくれないのか、と不満に思う。

それと同時に、付き合っていると思われるほど仲睦まじくしているだろうか?

 

 

「してる」

 

 

「心を読むなよ」

 

 

佐藤は読心術を使えるというのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

打ち上げが始まってから約二時間、もう少しで二時間が経つという所。

打ち上げもそろそろお開きという時間になった。

 

パーティが始まったのは六時半、現在八時二十五分。

打ち上げもそうだが、学生の身である以上そろそろ帰らなければいけない時刻である。

 

 

「じゃあそろそろラストオーダーにしますか!食べ物は時間的に難しいから、飲み物を頼みたい人は言ってくれー」

 

 

集が立ち上がり、皆から最後の注文を集計する。

陸も、打ち上げでの四杯目、さすがに四杯コーラを飲みたくはないためウーロン茶を頼んだ。

 

クラスメートたちも、飲み物を頼みたい人は集に言って、注文を聞き終えた集はスイッチを押して店員を呼び、皆から聞いた飲み物を注文する。

 

注文してから少し経ってから、集が注文した通りの種類と数の飲み物が届けられる。

集と他二人が注文した人に飲み物を配っていく。

 

 

「おう、サンキュー。いやぁ~しかし、どうせなら酒の一杯でも飲めば良かったかな~?」

 

 

「あほ」

 

 

初め、少し離れた所に座っていた男子生徒はいつの間にか陸の隣にやってきて、飲み物を仰ぐ。

そして陸も、バカなことを言った男子生徒に一言軽口を放ってからウーロン茶を仰いだ。

 

残り三分もないため、少し急いで飲み物を飲み干した陸。

他のクラスメートたちが帰る準備をし始めたため、陸も続いてズボンの後ろのポケットに財布があることを確認して立ち上がる。

 

 

「ひっく」

 

 

打ち上げ終了の名残惜しさを含んだ話し声が聞こえてくる中、その声とは異なる音が響き渡った。

クラスメートたちは静まり、その音の発生源の方へと目を向ける。

 

 

「…小咲?」

 

 

音の発生源は、小咲が座っていた方…、というより小咲そのものだった。

顔を赤くさせ、頭がフラフラと揺れ、明らかに異常な様子に戸惑いながら隣のるりが声をかけた。

 

 

「…るり…ちゃん?」

 

 

ぼう、と声をかけたるりを見つめる小咲。

何も口にせず、ただるりを見つめる小咲。

 

だが不意に、小咲がるりから視線をずらすと、陸と目が合った。

 

 

「あ~…、りくくんだぁ~…」

 

 

「っ?」

 

 

何だろう、小咲の声がいつもより色っぽく聞こえる。

陸を見つけた小咲は、ハイハイして陸の方へと近づいていく。

 

 

「ど、どうした?」

 

 

いつもとは明らかに違う様子の小咲に戸惑いを見せる陸。

 

 

「ねぇ、りくくん…。だきついて、いい…?」

 

 

「ぶっ」

 

 

「「「「「っ!!!!!!?」」」」」

 

 

陸の前に女の子すわりの体勢で止まった小咲の口から飛び出した衝撃の一言に陸は噴き出し、他のクラスメート全員は息を呑み、言葉を失くす。

 

 

「お、おいちょっと待て。これ、小野寺の飲み物!お酒だぞ!」

 

 

「は?い、いや…。小野寺のウーロン茶はちゃんと注文したぞ?」

 

 

すると、小咲たちの近くで飲み食いしていた楽が、小咲の飲んでいた飲み物を見てそれがお酒だと気づく。

だが集は小咲からウーロン茶を頼まれ、そして確かにウーロン茶を注文したのだ。

 

それにもし、数を間違えたとしてもお酒を頼むなどあり得ない。

 

 

「…店員が間違えたな」

 

 

「ねえ、りくくん…。だめ、なの…?」

 

 

「ダメ」

 

 

小咲の飲み物は店員が間違えたのだと悟る陸に、小咲が詰め寄る。

 

抱き付かせてと頼む小咲に、その度にダメと答える陸。

 

どこからどう見ても、どう考えても小咲は酔っているとしか思えない。

 

 

(けど、俺達学生として予約したんだぞ?何で酒なんか…)

 

 

「あ、あの!このウーロン茶と間違えてウーロンウィスキーを…あぁ!」

 

 

陸が小咲の相手をしていると、店員が慌てた様子で駆けこんできた。

そして、陸に寄りかかろうとしている顔真っ赤の小咲を見て、もうすでに遅かったと悟った店員。

 

 

「も、申し訳ありません!あの、ウーロンウイスキーを頼んだお客様がいて、その…」

 

 

「あぁ、もういいですから…。それと、持ってきたウーロン茶ですけど申し訳ないのですがお下げしてもらっていいですか?」

 

 

何度も謝罪する店員に、ウーロン茶を下げてもらうように言って下げてもらう。

 

 

「あ~…、とりあえずもう時間だし、店から出ようか」

 

 

集も戸惑いを隠せないまま、しかしこれ以上店にいるわけにもいかないため出るように皆に言う。

 

 

「ほら、立て小咲」

 

 

「んー…、だっこ…」

 

 

「宮本、頼む」

 

 

「え、えぇ…」

 

 

「むー、けちー」

 

 

だっこを断り、小咲をるりに託した陸は振り返ることなく店の出口へと向かった。

 

外に出ると、駐車場で固まって最後の談笑をし始める。

時間も時間であり、家が近くにない人は車で迎えに来てもらう。

 

で、ここでも小咲がやらかす。

 

 

「いやっ。りくくんといっしょにかえるの!」

 

 

「あのね小咲…。ここからじゃあなたの家と一条君の家は逆方向なのよ?わがまま言わないで」

 

 

「いやっ!」

 

 

陸と一緒に帰りたいと駄々をこねる小咲。るりが何とか宥めようと努力しているが、効果はない。

 

 

「あぁ、良いよ宮本。小咲は俺が送ってく」

 

 

「いや、でも…」

 

 

「ここから小咲の家まで五分くらいだろ?そのくらい大丈夫だ」

 

 

陸と小咲の家はここから逆方向ではあるが、小咲の家はここから近い。

そのため、陸は別に小咲を送っていくことに抵抗はないとるりに伝える。

 

 

「なら…、頼めるかしら。この娘もあなたじゃないと嫌って聞かないし…」

 

 

「了解。じゃあ楽、先に帰っててくれ」

 

 

「おう、気を付けろよ」

 

 

るりから小咲を預かって、腕を掴んだ陸は楽に声をかけてから小咲の腕を自分の肩に回して歩き始める。

 

背後から楽が声をかけてくるが…、夜道に気を付けろとしか聞こえないはずの言葉に、何か含まれているような気がするのは気のせいだと思いたい。

 

店の駐車場から出た陸と小咲は、小咲の家への帰路を進む。

あの店から小咲の家まで歩いて五分ほどだが、このペースだと十分くらいかかるかもしれない。

 

 

「…りくくん、おこってる」

 

 

「?何だよ急に」

 

 

すると、急に小咲が口を開いた。

 

 

「怒ってないぞ」

 

 

「うそ、おこってる」

 

 

「いや、だから…」

 

 

「おこってる!」

 

 

完全に酔っぱらっている小咲。

いつものお淑やかさが完全に失われてしまっている。

 

 

「…はいはい、怒ってるよ。確かに小咲は酒を飲んだんだろうけど、ジョッキを見たらほんの少しだったじゃないか、何でそこまで酔っぱらえるんだよ」

 

 

「うぅ…」

 

 

自分で聞いて、自分の考え通りの言葉を返されてへこむ小咲。

少し陸も、相手をするのを面倒くさく感じてしまう。

 

 

「…りくくん」

 

 

「…どうした?」

 

 

「…げき、せいこうしてよかったね」

 

 

再び陸を呼んだ小咲は、急にそんなことを言い始めた。

まだ舌足らずは変わっていないが、少しは酔いが覚めてきたのだろうか?そう思いたいが。

 

 

「そうだな。小咲の演技、凄かったぞ」

 

 

「へへ…、そうかな?」

 

 

にへら、とした笑みを浮かべながら陸を見上げる小咲。

 

 

「りくくんもすごかった…。さいごのばめん、わたしどきどきしたよ」

 

 

「そっか。なら演じた俺としても嬉しいことこの上ないな」

 

 

最後の場面は愛を確かめ合う場面。

演技で人をドキドキさせたという事は、それだけ演技に身が入っていたという事。

陸としてはこれ以上ない褒め言葉である。

 

 

「ねえ、りくくん…。ひとつききたいんだけど…、いい…?」

 

 

「ん?」

 

 

小咲の声のトーンが先程とは変わった。

声に真剣味が帯び、先程のようなじゃれついている感じが無くなっている。

 

 

「もし、わたしのさいごのせりふ…」

 

 

「…」

 

 

「もし…」

 

 

小咲は何が聞きたいのか、耳を傾ける陸だが…、最後にもしと口にしてから小咲は何も言わなくなってしまった。

 

 

「小咲?」

 

 

それだけでなく、小咲から伝わってくる重さが増したような気がするのだ。

陸は小咲の方に視線を向けて問いかける。だが、小咲は何も応えない。

 

 

「…寝てるし」

 

 

少し顔を前に出して小咲の顔を覗き込むと、両目は閉じられ、規則正しい寝息が立てられていた。

 

眠ってしまった小咲、このままの体勢では少し辛いものがある。

陸は小咲の体が地面に落ちないように注意しながら背に背負い、持ち上げた。

 

小咲をおんぶして、再び歩き始める陸。

 

 

「…おい小咲、一体何を聞きたかったんだよ?」

 

 

小咲が眠る直前、聞きたいことがあると言った。

それは一体何なのか、問いかけるが当然眠っている小咲が応える訳はなく。

 

 

「…お疲れ、小咲」

 

 

昨日は劇の緊張、今日は資材の片づけで労働。疲れてないはずがない。

 

陸は優し気に笑みを浮かべながら背中の上で眠る小咲に声をかけ、視界に見えてきた小咲の家へと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おまけ

「あら?一条の坊やじゃない…っ!?きゃぁああああああ!小咲ちゃん、大胆なことしてる!!」

「あ、あの…。小咲さん寝てるので、少し静かにした方が…」

「これはもう決定?決定よね!?早速式の準備しなくちゃ!」

「…」

陸が小咲の家に着いたときの、小咲母とのやり取りである


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第38話 スベラセ

いやぁ~、プレミア12の初戦快勝!あぁメシがウマい!
ということで投稿です。

後、受験生の方は申し訳ありません。
このタイトルの理由は、最後にわかると思います。











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例年と比べて圧倒的な盛り上がりを見せた文化祭が終わり、本日から通常の授業日程になる凡矢理高校。

圧倒的な盛り上がりの一つの要因となった劇、ロミオとジュリエットのロミオ役を務めた陸も、いつも通りの時間に起きていつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間に学校へ着いていた。

 

別に文化祭で劇をしたからといって特に変わったことなどなく、自分の席に着いて、荷物を整理したら朝の友人との雑談にのめり込む。

 

陸が学校に着いてから十分もすれば、人が少なく寂しい教室も一気に騒がしくなる。

 

 

「楽様~!おはようございますですわ~!!」

 

 

ほら、早速教室に入ってきた楽に万里花が元気よくいつも通り抱き付いていった。

抱き付かれた楽はやめろ、と口にしながらも顔を赤くして万里花を引き剥がそうとはしない。

そして、隣の千棘もいつも通り、楽の胸に頬をすり寄せる万里花を見て怒りのオーラを…。

 

 

(…ん?)

 

 

友人の話で浮かべていた陸の笑みが、一瞬にして引く。

 

陸の視線の先にいるのは、楽と万里花を見て明らかにムカついている千棘の姿。

いつも通りならば、怒っている千棘を見ても特に何とも思わなかったのだが…、今は違った。

 

 

(な、何でそんなに…)

 

 

今、陸は恐怖を感じている。

千棘の怒りを見て、初めて恐怖を感じている。

 

それ程までに千棘の怒気は凄まじいものがあった。

しかし、つい先日までは万里花が楽に猛アタックしている所を見てもここまで怒ることはなかったはずなのだが。

 

 

(ど、どうした?楽、お前なんかしたのか?)

 

 

千棘が明らかにいつも以上に怒っている原因がわからない。

まあ、自分には心当たりもなく、それに千棘をここまで怒らせることなどできるはずもないので自分が原因という可能性を一瞬にして消す。

 

というか、楽が原因と考えるべきだろう。楽が原因しかあり得ない。

 

 

「さ、ホームルーム始めるわよー」

 

 

そうこう考えている内にチャイムが鳴り、キョーコ先生も教室に入ってきてホームルームが始まった。

これもまたいつも通りで、学年の枠を通り越して学校の中で一番早くホームルームが終わる一年C組。

 

一時間目が始まるまで約二十分の空白がある。

 

 

「おーい、一条きゅーん」

 

 

「気持ち悪い呼び方すんなっ」

 

 

すると、ホームルームが終わった直後、集が楽を呼び、楽が席から離れた。

 

その様子を見ていると、席から離れた楽を千棘が目で追っているではないか。

いや、別にそれは特段不思議ではないのかもしれないが…、問題はその後。

 

集と話している楽を、見つめているかと思えば、急に頭を抱えてグルグル回り始める。

明らかに千棘の様子がおかしい。

 

 

(…今朝の異常なまでの怒りに何か関係があるのだろうか)

 

 

何度も言うが、今日の千棘はいつもと様子が違う。

楽と千棘の関係上、土日含めてほぼ毎日の様に二人と顔を合わせ、その上客観的に様子を見れる陸だからこそ気づける僅かな千棘の変化。

楽でも気づけないほどの小さな変化。

 

そのはずなのに

 

 

(何でだ?千棘がすっごく変わった、て思えてならないのは、何でなんだ?)

 

 

「おーい、陸ー!」

 

 

「ん?」

 

 

頭に浮かんだ疑問について思考する暇もなく、陸は誰かに呼ばれる。

自分を呼んだ方へ顔を向けると、そこでペンダントを手に握りしめた楽がこちらに向かって手招きしていた。

 

楽の他にも、小咲、千棘。万里花が周りに立っている。

 

 

「ちょっと来てくれ!」

 

 

「…?」

 

 

断る理由もなく、断る気もない。

楽に来いと言われた陸は、何で?と疑問符を浮かべながら席から立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…!?ペンダント返ってきたの!?」

 

 

千棘の驚愕の声が屋上に響く。

その言葉を聞いて、そういえば楽のペンダントを近頃見てなかったなと思い出す陸。

 

どうやらペンダントは何らかの理由で壊れ、修理に出していたようだ。

 

 

「おう、まあ一応な。この四人には伝えておいた方が良いと思ってよ…」

 

 

「ん?何で?」

 

 

陸が楽に聞き返す。

楽がそのペンダントをずっと大事に持っていることを陸は知っている。

だがかといって、別にペンダントが壊れようが無くなろうが、気の毒には思うものの結局陸には関係ないのだ。

 

それに、自分だけでなく小咲、千棘、万里花にも伝えた方が良いと楽は言った。

 

今ここにいる五人に一体何の共通点があるのか、陸には分からない。

 

 

「ああ、そうか。そういえば陸は知らないんだったよな…」

 

 

「…?」

 

 

首を傾げる陸に、楽は説明した。

 

この五人は、十年前に出会い、そして仲良くなったことがあると。

そして楽のペンダントはこの三人の中の誰かにもらい、結婚の約束をしたのだと。

ペンダントの錠は、三人の中の誰かの鍵と合う。そしてその錠が合った鍵を持っていた女性が、楽の約束の相手なのだと。

 

 

「…その約束の話、与太話じゃなかったんだ。すまん楽、今までずっと疑ってた」

 

 

「おい!え!?約束の相手見つかるといいなって言ってたのに!?疑ってたの!?」

 

 

十年前に楽がした約束の話は何度か聞いたことがあるのだが、陸は内心で、んなわけないだろまったく、夢見る乙男かお前は、とツッコみまくっていた。

 

 

「そうか…。橘は覚えてたんだけどな…。小咲たちとも会ってたのか…」

 

 

「陸様は小さい頃とても寡黙な方でしたから。それに、初めて私の言葉を聞いたとき、方言が珍しかったのか驚いていました」

 

 

「あぁ…。あの時、陸は滅多に表情動かさなかったから俺も陸がびっくりしてるところ見て驚いたぜ…」

 

 

何か楽と万里花が話しているが、陸の記憶にはまったくない。

いや、万里花のことを覚えていた時点で記憶にないという事はないのだろうが、記憶の奥からその思い出を引き出すことができない。

 

 

「え…。あんた、昔はそんなに不愛想だったの?」

 

 

「知るか」

 

 

千棘が昔の陸について問いかけてくるが、正直そんなことはないと思う。

 

 

「確かに、二人の言う通り今よりは寡黙だったとは思うけど…、そこまでひどくは…」

 

 

「ひどかったぞ」

 

 

「鉄仮面とはまさにあのことでしたわ」

 

 

「そ、そこまで…?」

 

 

言うほど寡黙ではないと否定しようとした陸だったが、言い切る前に楽と万里花がさらに釘を刺してくる。

陸がショックを受けている中、小咲が苦笑を浮かべながらつぶやく。

 

 

「あ~…、でも怒った時はわかりやすかったな…。小学生の頃なんて、こいついじめっ子をぼこぼこにしてたんだぜ」

 

 

「あら、そのようなことがあったのですか…。そういえば、初めて私の病室に来た時も強引に引っ張られた楽様に怒っていらっしゃったのかしばらく楽様にも一言も話しませんでしたわね」

 

 

「おいお前ら。人が覚えてないのを良い事に好き勝手言ってんじゃねえ」

 

 

「「でも事実だし(ですし)」」

 

 

「…」

 

 

自分の過去を好き勝手口にする楽と万里花。

明らかに、自分が覚えてないことを利用して色々こちらに口撃しているようにしか見えない二人を止めようとする陸だが、二人の容赦ない反撃に口を閉じてしまう。

 

 

「…て、そうじゃないでしょ!陸の昔のことも聞きたいけど、今はあんたのペンダントよ!」

 

 

「え?聞きたいの?やめてくれ」

 

 

「あ、すっかり忘れてた…」

 

 

「え、俺は無視?」

 

 

と、ここで話が脱線していることに千棘が気が付いて元のペンダントについてに話題を戻す。

陸が何か言っているが、こちらは無視していく。

 

 

「ペンダントは直ったのですね?なら早速、どれが本物の鍵か確かめましょう!」

 

 

「いや、待て待て!」

 

 

ともかく、屋上に来て最初に楽が言った通りペンダントは返ってきた。

ならばと、万里花が我が先にとペンダントの鍵穴に自分の鍵を挿し込もうとする。

 

だが勢いよく突っ込んでくる万里花を、楽は両掌を横に振って必死に止める。

 

 

「まだこれ、壊れてるんだよ!」

 

 

「「「え?」」」

 

 

(そういや、返って来たとは言ったけど直ったとは言ってないな)

 

 

楽の言葉に、小咲と千棘、万里花が呆けた声を漏らしている中陸は楽の言葉を思い返していた。

確かに、帰って来たとは口にした楽だが、直ったとは言っていない。

 

その後、楽が説明してくれた。

鍵穴に入り込んだ千棘の鍵の先は取り出すことは出来たのだが、どうやらペンダントの鍵穴には他に何かが入り込んでいるようなのだ。

それも厄介なことに取り出すことが難しいらしく、中を開くにはペンダント自体を叩き割るしかないらしい。

 

 

「「「「…」」」」

 

 

ここまできて、結局ペンダントの中身はおあずけか。

楽死ね、と心の中でつぶやく陸。

 

そして…

 

 

「…」

 

 

「うぉおおおおおお!待ってくれ!俺にとっては大事なものなんだよコレ!?」

 

 

一体どこにそこまでの量が入っていたのか、万里花の懐から様々なピッキングやらに使う器具やハンマーが取り出される。

 

すぐに楽は万里花がペンダントの中身を取り出そうとしていることを悟り、必死にペンダントを守り通そうとする。

 

 

「でもよ楽。ペンダントを壊すってことも頭の隅に入れておけよ?いくら小さい時のこととはいえ、ここまで複雑になってる約束の真相、知りたいだろ?」

 

 

「…まあ、うん」

 

 

ペンダントを壊すことに楽は断固反対らしいが、どうしても約束の真相を知りたいのならペンダントを壊すことも選択肢として入れて置けと楽に忠告する陸。

 

 

「…で、楽。話は終わりか?終わりなら、そろそろ教室に戻りたいんだが」

 

 

「あ、ああ。悪かったな陸、事情も説明しないで呼び出して」

 

 

「いや。昔、ここにいるみんなと会ったことがあるって知っただけでも十分来た価値はあるよ。…ただ楽、橘。後で覚えて置けよ」

 

 

「「ひぃっ」」

 

 

まだ一時間目授業開始には少し早いが、一時間目は移動教室のため少し早めに行っておいた方が良い。

最後に楽と万里花を睨み脅してから、校舎の中に入って階段を降りる。

 

 

「陸君!」

 

 

「?」

 

 

すると、背後から階段を駆け下りてくる足音と共に自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

振り返ると、小咲が少し息を切らしながら階段を降りてきて…

 

 

「え?」

 

 

「なっ」

 

 

足を滑らせた。

 

重力に従って落ちる小咲に向かって陸は両腕を伸ばし、つかむ。

小咲の体重と共に床へと流れようとする体を両足で踏ん張って止め、小咲を片腕で抱え込み、もう一方の手で手すりを掴む。

 

 

「あ…あ…」

 

 

「ふぅ…」

 

 

今、小咲の体は床の方を向いており表情を窺い知ることは出来ない。

だが陸には分かる。下手をすれば、自分は床に叩きつけられて重傷を負っていただろうという恐怖に小咲は襲われている。その証拠に、小咲の声は震えている。

 

 

「危ねえ…。気を付けろよ、小咲」

 

 

「ふぁ…ふぁぁ…」

 

 

恐怖で力が入らないのだろうか、ぐったりとしている小咲をぐいっ、と引き上げてしっかり彼女の足で立たせる。

 

両手を離し、小咲は自分の足で立っているのだが…全く動かない。

何故?

 

不思議に思った陸は、小咲の顔を覗き込む。

 

 

「…小咲?」

 

 

「ふぁぁぁ…、ふぇぇぇ…」

 

 

「顔、赤いぞ?おい?」

 

 

良くわからないが、小咲の顔は真っ赤に染まり頭の天辺からしゅぅ~と煙が上がっている。

 

焦点が合っていない目が、ふと陸の方を向く。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

何拍かの空白。そして────

 

 

「わぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

「え?こ、小咲?おい!走るなって!また落ちるぞ!?」

 

 

「ひゃわぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

急に大声を上げながら駆けだした小咲。

だがさっきの今だ。また小咲が足を滑らせたり段差を踏み外すかもしれない。

 

それに、今の小咲は明らかに異常である。慌てている。危険性は大だ。

 

陸は小咲を追いかける。

 

 

「…良かったな、ここで転んで」

 

 

「ふゅぅ~…」

 

 

そして、廊下で前のめりに倒れ込んでいる小咲を見て陸はほっ、と息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




予定ではペンダントの話で終わらせるつもりだったのですが、文字数が少なかったので階段云々の話を追加しました。

感想ください!
豆腐メンタルの私のための優しい感想をください!ww


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第39話 カタマル

良いサブタイトルが思いつかねえ…。
このタイトルの由来はあとがきにて…。










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽~、飯まだ~」

 

 

朝、冷房は効いているはずなのだがどこか暑苦しく感じる食堂に陸は足を踏み入れた。

今日の朝食当番は楽のため、陸はのんびりとした朝を迎えていた。

 

 

「うるせぇ、急かすな!もう少しだから待ってろ!」

 

 

「…あー、俺だったら今から五分前にもう朝食出来上がってたのになぁ~。楽は遅いなぁ~」

 

 

「だああああああああああああ!!」

 

 

朝食を急かした後の楽の反応を面白がった陸がさらに追撃を入れると、調理場から楽の発狂している叫び声が聞こえてくる。

さすがにこれ以上楽をからかったりはしないが、どこかワルな顔をしながら陸はくっくっく、と笑みを零す。

 

 

「おらっ、お望みの朝食だ!これで文句ねえだろ!?」

 

 

「いや、文句じゃなくてただ楽の調理が遅いって言っただけなんだけどな~」

 

 

「あああああああああああああああ!!!」

 

 

何かどや顔でお盆に載せてあった料理を陸の目の前に置いてきた楽に向かってすまし顔で返す陸。

先程の言葉が反撃の一手だったのだろう。カウンターで反撃された楽は再び、今度は両手で頭を抱えながら発狂する。

 

陸はそんな楽を見て笑みを浮かべながら楽が置いたサラダに箸をつける。

 

 

『では、朝の占いにいってみましょー!』

 

 

「?」

 

 

口に入れたサラダを咀嚼していると、テレビから音声が聞こえてくる。

ふと目を向けると、画面にはいつも入っている、ものまんたの朝バシッ!ではなくお目覚めテレビが入っていた。

 

この朝の番組には毎日、番組の序盤と終盤に占いが組まれており血液型で分けて運勢を発表している。

 

 

『A型の方の今日の運勢は最高!気になるあの人と急接近するかも!?ラッキーカラーは燃えるような赤でーす!』

 

 

「ん」

 

 

A型は陸の血液型である。別に占いを信じているわけではないが、朝一番に今日はいい日になるでしょうと言われて悪い気はしない。

少しご機嫌になりながら陸はサラダを飲み込んでパンに手をつける。

 

 

「何だよ陸…。哀れな俺を見てご機嫌になりやがって…」

 

 

「…」

 

 

少し誤解した楽が憂鬱そうに表情を歪ませながら陸の正面の席に着いて朝食を食べ始める。

 

こうして、本日の双子は対称的な朝を迎えたのだった。

 

 

「じゃあ、俺は先に行くからな」

 

 

「おう」

 

 

楽が朝食を食べ終え、着替えるために自室へ向かおうとしたところで、玄関の扉の取っ手に手をかけた陸が家を出ようとする。

 

凡矢理生徒の中でも陸はかなり朝早くに学校に着く方で、こうしていると楽はいつもギリギリに出ているように感じられるがこれでも楽は毎日ホームルーム開始五分前には教室に着いている。

むしろ陸が早すぎるのだ。

 

まあ、登校時間の早い遅いの話は置いておく。

家を出た陸はいつもと同じ道を歩く。時折、車道を走る車とすれ違いながら足を進める陸は、少し先に見覚えのある後姿を見た。

 

 

「あれは…」

 

 

その後姿、女子用の制服を着ている少女。どこか重そうな足取りで歩く少女。

 

 

「小咲!」

 

 

「っ」

 

 

陸が前を歩く少女、小咲を呼ぶと彼女はびくんっ、と大きく体を震わせて足を止める。

足を止めた小咲に陸が駆け寄り、声をかける。

 

 

「珍しいな、こんな所で会うなんて」

 

 

「あ、うん。今日は早く起きちゃって…。じゃあ私はこれで…」

 

 

「え…?あ」

 

 

振り向いた小咲の顔は真っ青で、さらに小咲の顔色に戸惑っている内にさっさと先に歩いて行ってしまった。

そそくさと歩く小咲の後姿を陸は呆然と眺める。

 

 

「…なんか俺、避けられてる?」

 

 

そう口にするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校に着いても、陸に対する小咲の態度は変わらなかった。

陸が話しかけても、最低限の返事をしてから不自然に話を切って去っていく。

いつもなら小咲の方から話しかけてくれるのに、明らかに不自然だ。

 

さて、小咲の態度も気になるが今、陸たちのクラスは科学の授業で実験を行っていた。

それぞれ四人グループに分かれて実験を行い、次の科学の授業までにレポートを書き上げ提出するという課題。

 

そして陸は楽、千棘、小咲の四人でグループに割り振られていたのだが…。

 

 

「…」

 

 

「な、なあ陸…、小野寺と喧嘩でもしたのか?」

 

 

「いや、そんなことはないんだけど…」

 

 

やはり他の人から見ても小咲は不自然に思えるようだ。

楽が小声で言ってくるが、喧嘩などしていないし、そもそも何で避けられているのか心当たりが全くない。

 

そして何故か、小咲は陸だけを避けている。

他の人はいつもの態度で接しているのに。今も千棘と並んでプリントの指示通りに薬品を入れている。

 

 

「何で…」

 

 

何か嫌われるようなことをしただろうか?そんなことは全くないと思うのだが。

もしかしたら、自分は大したことないと思っていても小咲にとっては傷つくことをしたのだろうか。そうだとしたら、謝らなければ。

 

 

(よし。この授業終わったら小咲に謝りにいこう。あ、でもその前に何で小咲を怒らせたのか考えないと…)

 

 

小咲に謝罪することを決意して、陸は一体自分が何をしたのか考えながら実験の結果をプリントに写していく。

 

 

「きゃぁっ!」

 

 

「っ!?」

 

 

陸が思考していると、突然近くの方から小さな爆発音とともに何かが割れる音と悲鳴が耳に届く。

驚き、目を見開いて声が聞こえてきた方へと目を向けると、そこにはテーブルの上に散らばったビーカーの破片、立ち上る煙、そしてその中心にいたのは小咲だった。

 

 

「こ、小咲!大丈夫か!?」

 

 

「り、陸君!ダメ!」

 

 

「っ、あっつ…!」

 

 

とりあえず、小咲の傍に散らばったビーカーの破片を払おうとする陸だが、破片に触れた途端、高熱に反射で手を引いてしまう。

 

触れた指がヒリヒリと痛む。どうやら火傷したようだ。

 

室内は思わぬ事故にざわめいている。

 

そんな中、火傷の手当てを受け始めた陸を心配そうに小咲が見つめていたことを陸は気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい陸、大丈夫か?」

 

 

「大したことないって。ただの小さいやけどだから」

 

 

右手の薬指に巻かれた絆創膏。

先程の実験で負った火傷について楽が問いかけてくるが、火傷自体小さなものだった上に今はもう痛みは消えている。

 

 

「しっかし、先生が入れる薬品を間違えてその間違った薬品に気づかず実験を始めて…。先生のミスもそうだけど、お前たちもツイてなかったよな」

 

 

一クラス四十名。四人グループ、計十グループ。

つまり、間違った薬品を引き当てる確率は十分の一。

 

 

「そういえば、薬品を持ってきたのは小野寺だったよな」

 

 

「っ」

 

 

「?」

 

 

「ははっ、なら運がないのは小野寺だったってことか」

 

 

「っっっっっ」

 

 

「っ!?」

 

 

陸の傍で楽と集が話している。

さらにその近くでは小咲たち女子のグループが話しているのだが…、楽と集の話が続くごとに小咲の体が震え、そして震えが大きくなっている。

 

小咲の態度もそうだが、こういう細かい所でも異変がたくさん見つかる。

 

 

(俺、ここまで怒らせてたのか…?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み────────

 

陸は謝罪すべく、小咲の姿を探す。

 

陸は実験の後、考え続けていた。自分の何の行動が小咲を怒らせたのだろうと。

そして、思い出した。自分は昨日、小咲のお菓子を食べてしまったということを。

小咲には秘密に、こっそり小咲が持ってきていたグミを食べてしまった。

 

周りには小咲以外のいつもの面子がいて、グミを食べた後、その食べたグミが最後の一つだと気づいた陸はそそくさと帰ったのだが…。

陸が最後のグミを食べた小咲が怒り、そしてあの態度につながった。

 

正直、それだけで小咲が怒るだろうかという疑問があるのだが、心当たりはこれしかない。

 

 

「なあ宮本、小咲どこにいるか知らないか?」

 

 

「あら…、小咲ならさっきまで席にいたんだけど…。ごめんなさい、知らないわ」

 

 

「そうか…」

 

 

小咲の居場所を知っていそうなるりに問いかけるが、るりは知らないらしい。

るりが知らないなら他の人も知らないだろう。

 

陸は昼食もとらず、教室を出て小咲を探しに行く。

 

一階、二階、三階と廊下を歩いて小咲を探すがどこにもいない。

後は中庭か屋上だ。

 

 

「まず中庭から探すか…」

 

 

陸はまず中庭を探すことにしたが…、この選択は正解だった。

ちらっ、と中庭を覗くとそこには体育座りでどこか落ち込んでいるように見える小咲がいた。

 

 

「小咲」

 

 

「っ…、陸、君…?」

 

 

何で、何で泣きそうな顔をしているんだろう。

これは、怒っているというより悲しんでいるように見えるのだが。

 

 

(え…。怒りを通り越して悲しいってこと?え?)

 

 

そんなはずないだろう。

 

 

「ど、どうした小咲…。やっぱり、昨日のことを気にしてるのか?」

 

 

「…昨日?」

 

 

ともかく、自分の心当たりが原因なのかを確かめようとする陸。

陸の質問に、首を傾げる小咲。あれ?

 

 

「ほら…。昨日、小咲のグミ勝手に食べた…」

 

 

「…え?」

 

 

「あ、いや…。小咲が落ち込んでる理由、心当たりがこれしかなくて…。ほ、他に何かしたんだったら謝る!」

 

 

頭を下げて謝ることができた陸。だが、小咲は頭を下げる陸をぽかんと目を丸くして見つめていた。

まるで、何で謝るの?と言わんばかりに。

 

 

「え、えっと…。落ち込んでなんかいないし、陸君は私に何もしてないでしょ?昨日私のグミを食べたことも気にしてないし…」

 

 

「…」

 

 

小咲があたふたしながら陸に言う。

陸は顔を上げて小咲の目を見返す。

 

 

「マジ?」

 

 

「うん」

 

 

…本気で言っている様だ。つまり、今までの懸念は全て杞憂。

 

 

(…何か恥ずかしいな)

 

 

勝手に考えて勝手に思い込んで、そして勝手に行動して全てが空回りである。

軽い黒歴史になってしまった。

 

 

「そ、そうか…。なら良かったんだけど…、でも。落ち込んでないってのは嘘だろ」

 

 

「っ」

 

 

ともかく、自分が何か悪い事をしたわけではないことはわかった。それに関しては安心した。

だが、小咲が言った落ち込んでいないという言葉は間違いなく嘘だ。それだけはわかる。

 

もし落ち込んでいないというのが本当ならば、何で小咲の瞳が揺れているんだろう。

何で、小咲は泣きそうになっているんだろう。

 

 

「…言いたくないなら無理には聞かない。でも、助けが欲しい時は遠慮なく言えよ?」

 

 

「…うん。ありがとう」

 

 

ずっとどこか影が差していた小咲の表情に笑顔が灯る。

それを見た陸も笑みを浮かべて、ぐん、と体を伸ばした。

 

 

「いや、しかし良かった。今日の小咲の態度がおかしいから、昨日のことで怒ってるんだとばかり…」

 

 

「そんなことで怒らないよ…、もう」

 

 

小咲は、小さく頬を膨らませて、でもすぐに笑顔を浮かべて陸に言い返す。

 

言い返した小咲に笑みを返した後、陸は中庭の自販機に歩み寄って小銭を入れる。

コーラのボタンを押し、自販機から出てきた缶を手に取る。

 

 

「じゃあ、もう教室に戻ろうぜ。弁当食う前に昼休み終わったら堪ったもんじゃねえ」

 

 

「うん、そうだね」

 

 

陸が言って、小咲が頷いて返す。

 

そして喉が渇いてしまった陸はコーラの缶のタブを引く。

その、瞬間

 

 

「────────」

 

 

「きゃあああああああっ!り、陸君っ!」

 

 

缶の口からコーラが噴き出す。

噴き出したコーラは陸の顔面を濡らし、陸の着ている制服を濡らす。

缶を振ったりしていないのに、何で?

 

呆然と疑問に思う陸だが、している場合ではない。

陸は着替えるべく保健室に行く。小咲もついて来てくれた。

 

 

 

 

その後、陸は小咲から何で態度がおかしかったのかを聞いた。

何でも小咲は朝に陸と同じ占い番組を見ていたらしい。

 

小咲の血液型はOなのだが、運勢最悪という結果が出たらしい。

朝から気分最悪、そしてその占いの結果を裏付けるかのように次々に襲い来る不運の数々。

 

さらにその不運は周りの人を巻き込みそうだったため、今日は陸に近づかないと決めていたらしい。

まあ、その決意も陸の前には無駄だったのだが。

 

 

「…アホ」

 

 

「あうっ」

 

 

小咲から今日の態度の原因を聞いた陸は、小咲の額にチョップを入れた。

こちとら小咲に嫌われたのかと思ってはらはらしたというのに…、まあそのことは口にしないが。

 

 

「そんなくだらない理由だったとは…」

 

 

ため息交じりにつぶやく陸。

 

 

「で、でも!実験の時に陸君火傷しちゃったし、さっきも私が近くにいたせいで…」

 

 

「んなわけねえだろ。てか、もし占い結果が本当だとしても友達にさけられたら悲しい」

 

 

「っ」

 

 

たとえどんな理由があったとしても、小咲に避けられて悲しかった。

友達に避けられて、悲しくないはずがない。

 

 

(…悲しい、よな?)

 

 

陸の目の前で、小咲が俯いている。

少し言い過ぎただろうか?いやでも、全部本当のことだし、まさか占いを真に受けて避けられていたなんて下らなすぎるし。

 

 

「ごめんなさい…」

 

 

「分かればいい。今度からは気を付けてくれよ」

 

 

小咲の頭を掌でポンポン、と叩いた後、陸は小咲の腕を掴む。

 

 

「ほら、早く教室に戻るぞ。いつまでも落ち込んでんな。俺はもう許したんだ。いつまでも落ち込んでると…」

 

 

「は、はい!教室に戻ります!落ち込んでもいません!」

 

 

きらん、と怪しく陸の目が光ったのを見て小咲は慌てて立ち上がる。

それを見た陸は、腕から手を離して、保健室の扉を開ける。

 

 

「じゃあ行くぞ。もう昼休み終わっちまう」

 

 

小咲のあまりの変わり身の早さに思わずといった笑みを浮かべた陸。

何はともあれ、仲直り(?)できた二人は並んで教室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、昼食は食べ損ねました。

二人で次の授業でお腹を鳴らし、顔を真っ赤にさせました。

これも、小咲の占いが悪かったせいなのでしょうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




雨降って地固まる
これがサブタイトルの由来です。
あーこれホントに諺通りになってんのか…。


久々の解説コーナー

ものまんたの朝バシッ!
朝の人気ニュース番組。人気の司会者であるものまんたが出てニュースを伝えるという事で視聴率もかなりのもの。
ちなみに、来週を最後にものまんたはこの番組から去るらしい。

お目覚めテレビ
これもものまんたの朝バシッ!同様朝のニュース番組である。
ニュースだけでなく、最近のトレンドや占い等々面白い企画が多くあり、かなりの視聴率を獲得している。


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第40話 シュウゲキ

祝!プレミア12ベスト4進出!









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも通りの登校、いつも通りの授業、そしていつも通りの放課後。

たまに怖くなってしまうほどいつも通りで平和な一日を謳歌する陸は、校舎から出て帰路に着こうとしていた。

 

陸の友人たちは部活やら用事やら彼女とのデート(爆発シロ)やらで皆さっさと早足で帰ってしまい、今日は一人で下校しようとしていた。

 

掃除当番である楽たちを待つという選択肢もあったのだが、何故か今日は早く家に帰りたいという気持ちに駆られて楽たちを置いて帰ろうとしている。

 

とまあ、こういう経緯で陸は帰路に着いているのだが、校舎を出てすぐから陸は背後に何者かの視線を感じていた。

ただの視線なら無視してもいいのだが、今感じている視線から殺気が感じられるのだ。

 

 

「…よし」

 

 

陸はその場で立ち止まってから一言呟く。

 

そして陸は、彼から見て左手にある脇道へと飛び込んでいった。

陸は鞄をしっかり肩に引っ掛けて脇道を駆け抜ける。

 

視線の主であろう気配もしっかり着いてくる上に、こちらに近づいてくる気配も感じられる。

 

 

(やる気満々…てか?)

 

 

陸は駆けながら脇道に散らばるごみをしっかり目に映す。

 

相手がこちらに襲い掛かる気がある様に陸自身も相手を迎え撃つ気なのだ。

だが、今陸の手元に得物はない。そのため、脇道のごみを目につく物はないかと探っているのだ。

 

 

「…っ」

 

 

陸は両足を踏ん張って急ブレーキをかけて立ち止まる。その足元には、少し汚れている木刀。

 

相手がどういう武装をしているのかはわからないが、脇道のごみにこれ以上期待してはいけない。

刃物になる刀が脇道に落ちているなどあり得ないのだから。

 

 

(むしろ木刀があるだけツイてるな)

 

 

恐らくここをたむろ場にしているチンピラが落としたものだろう。

そういう類の人をどちらかといえば毛嫌いしている陸だが、今回はそのチンピラに感謝する。

 

 

「…来たか」

 

 

陸が足元の木刀を拾ったと同時に、自分を追ってきていた気配の主も陸の背後で立ち止まった。

振り返る陸の目に映るのは、一人の少女。

白い髪に金の瞳、真っ白いコートに身を包み、首元には真っ赤なマフラー。

 

この姿、見覚えがある。

 

 

「ビーハイブのヒットマンの資料で見たことあるな。確か、『ホワイトファング』」

 

 

「あら。かの有名なディアナに知られているなんて、私も捨てたもんじゃないわね」

 

 

陸が言うと、目の前の少女はどこか挑発するような口調で言い放つ。

 

 

「初めまして、あたしの名前はポーラ。早速なんだけど…、お手合わせ願おうかしら」

 

 

「え」

 

 

少女、ポーラが自身の名を告げた瞬間、懐から多量の武器を取り出す。

どこかで見たことあるような武器の取り出し方に呆けた声を出す。

 

だが、陸には呆けている暇などない。

武器を取り出したポーラが次にする行動など決まっている。

取り出した銃を陸に向け、躊躇いなく引き金を引く。

 

 

「っ!」

 

 

陸は膝を曲げ、姿勢を低くすることでポーラが放った銃弾をかわす。

頭上を通り過ぎていく銃弾を見もせず、陸はポーラを見据える。

 

ポーラは陸が銃弾をかわしたことは想定済みだったのか、驚きもせず、次の手を打ってきた。

ポーラは銃口を陸に向けたまま、どこかから取り出した手榴弾を放ってくる。

 

陸はその場から跳び退いて距離を取る。

 

陸が持っている武器は木刀だけ。逆に相手はどこの戦争に行くのかと問いたいほどの大量の武装。

相手が何を考えているのかはわからないが、何としても相手を無力化しなければならない。

 

だがこちらと相手の武器による戦力差は明らかだ。

こちらからの手は慎重を期さなければならない。

 

 

「っ!?」

 

 

手榴弾が爆発し、それにより沸いた煙を切り裂いてポーラが突っ込んでくる。

彼女の手には小型のナイフ。

 

通常の陸ならば、愛用の刀で迎え撃つのだが現在手にあるのは木刀。

迎え撃てば敗北は目に見えている。

 

陸は木刀を握っていない方の腕を伸ばし、ポーラが突き出してくる手首を掴んで力を込める。

 

 

「ブラックタイガーから聞いて驚いたわ…。まさかあのディアナが学校なんかに通っているなんて…」

 

 

それぞれ合わせている腕に力を込めている中、笑みを浮かべながらポーラが言う。

 

力比べならば当然、男である陸の方が分がある。

そして今この力比べもその格の通り陸が押し切り、ポーラは飛び退き、後ろ三回転捻りで距離を取る。

 

 

「あなたほどの人が…、あんなぬるま湯に浸かって生活しているなんて思っていなかったわ!」

 

 

「ちっ…!」

 

 

地面に着地する前に叩こうと、ポーラに向かって突っ込んでいった陸だったが、彼女は空中で体勢を整えて銃を構え、陸に向かって発砲する。

 

やむを得ず、陸はその場から横にステップして銃弾をかわす。

 

 

(くそが…!この手にあるのが刀だったら、弾を斬って突っ込めたってのに!)

 

 

陸の内心、元にある自身の裏の口調が滲み出ているのは追い詰められている故か。

ポーラは自身の持つ大量の武装を上手く扱ってくる。対して自分の得物は木刀という頼りないものだけ。

 

 

「だからかしら?得物も持たずに外に出るなんて!」

 

 

ポーラに一方的に追い詰められている陸だが、一つだけ引っかかっている所があった。

それは、初めは挑発的に見えたポーラの態度が変化している所である。

 

余裕に見せ、尚且つ自分を挑発していたはずが、今では顔を怒りに歪ませ傍から見れば余裕がないように見える。

 

彼女と接触したことはなかったはずだが、一体なぜそこまで自分に対して怒りを抱いているのか。

 

 

「あんな所にいるからよ!あんな温い人たちに囲まれているから…だからっ」

 

 

「「「坊ちゃぁあああああああん!!!」」」

 

 

髪を乱しながら首を激しく振り、銃を構えるポーラ。

しかしその直後、どこからか聞こえてくる野太く低い叫び声。

 

 

「っ」

 

 

ポーラは目を見開いてすぐにその場から後退する。

それと同時に、陸の前に、まるで陸を囲む壁のごとく男たちがポーラに対して立ち塞がった。

 

 

「坊ちゃん、大丈夫ですかい!」

 

 

「竜…」

 

 

やって来た男たちの一人、竜が陸に声をかける。

 

 

「…『ドラゴンクロウ』」

 

 

「ずいぶん懐かしい名を言うじゃねえか嬢ちゃん…。しばき倒すぞ」

 

 

竜が持つ二つ名を口にするポーラと、主といえる少年に襲い掛かったポーラを威圧する竜。

 

竜のまわりの男たちも、ポーラを睨みつけていた。

 

 

「待て、竜。そいつは俺が片を付ける」

 

 

「ぼ、坊ちゃん?」

 

 

竜たちはやる気のようだった。だが陸はそれを腕を伸ばして制し、一歩竜たちよりも前に出る。

 

 

「こいつの狙いは俺だ。それも、ただの恨みや憎しみじゃない」

 

 

何か、期待をしていたのにそれを裏切られたかのような。

 

それを口にはしなかったが、心の中で呟く陸。

ポーラが自分を恨んでいたから襲ってきたのというのはどこか違う気がする。

 

 

「別にいいのよ?お仲間と一緒にかかってきても」

 

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいけどよ…。部下の手を煩わせないのも、上司の仕事だと思わねえか?」

 

 

先程とは変わって、挑発的な態度に戻るポーラ。

そして、いつもの優し気のある口調から、乱暴なものに変える陸。

 

同時に、陸のまわりに纏う空気が一変した。

それを感じ取ったポーラの表情も変わり、こめかみから汗が垂れる。

 

 

「ふ、ふん。あんた、その得物のままで戦うつもり?さっきまであんたは押されっぱなしだったこと、忘れたの?」

 

 

ポーラの言う通りである。

得物の数、質ともに圧倒的に劣る陸は先程までずっと劣勢にあった。

 

一人で戦い続けるのはまだいい。だが陸は得物を取り換える素振りを見せないのだ。

しようと思えば、竜などの男たちに言って取り換えることは出来るはずなのに。

 

 

「あんた程度、これで十分だからな」

 

 

「っ…、言ってくれるじゃない」

 

 

完全に、陸に舐められていると感じたポーラは再び大量の武器を取り出す。

対する陸も、手に握りしめた木刀をポーラに向ける。

 

両者の対峙、竜たちは陸の言葉に背くことは出来ず言われるまま離れる。

 

そして、初めに動き出したのは陸だった。

陸は一気にポーラに向かって踏み出していく。

 

陸の踏み込みは先程よりも圧倒的に速かった。

ポーラは一瞬呑まれそうになるもすぐに取り直し、陸から距離を取りながら陸に向かって銃を連続で発砲する。

 

先程までの陸ならば、突進を止めて横にステップして銃弾をかわしていた。

だが今の陸は、ポーラに向かって踏み出す足を止めることはしなかった。

 

自身を貫かんとする銃弾を、体を傾けて回避しつつ、尚且つスピードを緩めることなくポーラに迫る。

 

 

「っ!?」

 

 

ポーラは自身が撃った銃弾をかわされたことを驚愕しつつも動きを鈍らせることなく、弾切れした銃を投げ捨てると、新しい銃で陸に向かって発砲する。

 

両者の距離は先程よりも迫っている。銃弾をかわすことは難しいだろう。

だからなのか、陸はポーラが放った銃弾に対して木刀を差し出した。

 

木刀を差し出したと同時に陸は体勢を低くする。

 

木刀は銃弾によって当然破損する。

そして陸はそれを見ることなくポーラの懐に飛び込んだ。

 

 

「くっ!?」

 

 

両者が急接近し、ポーラは銃を撃つことができなくなる。

陸はポーラの顔面に向かって容赦なく拳を突き出す。ポーラは首を傾けることで陸の拳をかわすが、その間に陸はポーラの背後に回り込む。

拳を突き出した方の腕は伸ばしたまま、背後に回り込むと当然腕は曲がり、そしてポーラの首を巻き付ける。

 

 

「…これで満足か?」

 

 

「舐めないでくれる?この程度で私を制圧できたとでも思ってるのかしら?」

 

 

完全に制圧されたように見えるポーラだが、挑発的な態度は変わらない。

 

だが陸にとってポーラのこの態度は想定済みだった。

だから、ポーラに止めの一手を打つ。

 

 

「っ!?」

 

 

陸は、ポーラの首を巻き付けている方の腕の先の拳を開き、彼女の視界にソレを入れながらしっかり指で掴んだ。

 

ポーラはソレを見ると、目を見開いて驚愕する。

 

陸が持っているソレとは、先程ポーラの銃弾が砕いた木刀の破片だった。

掌の半分ほどのサイズだが、先端は鋭くとがっており力を込めれば人間の皮膚を切り裂き、血管を切り裂くこともできるだろう。

 

そして陸がその破片を突きつけるのは、ポーラの頸動脈。

 

 

「…私の負けね。煮るなり焼くなり好きにしなさい」

 

 

自分を襲ってきた割には潔すぎるポーラ。

 

しかし陸はポーラには自分を殺すつもりはない事はわかっている。

だからその旨を伝えようと口を開こうとした瞬間────────

 

 

「ポーラ───」

 

 

「?」

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

底冷えする低い声が響き渡る。

 

それが自分に向けられたものではないと察していたおかげか、陸はやや目を丸くしただけだったのだが、ポーラは小さく悲鳴を上げてびくりと震えあがった。

 

首に巻きつく陸の腕にもそれは伝わっており、ポーラが感じている恐怖の程度をしっかり感じ取る。

 

 

「この声…、鶫か?」

 

 

ポーラを呼んだのは鶫の声だ。陸は声が聞こえてきた方へ目を向けて声の主を確認する。

もちろん、目を向けた先には鶫が立っていた。

 

 

「つぐ…み?」

 

 

鶫を見て、陸の表情は固まった。

 

 

「ポーラ…。何をしているのかな…?」

 

 

「あ…いや…。ブラックタイガー…、お、落ち着いて…」

 

 

「私は至って冷静だ…。冷静だからこそ…、今、貴様を断罪しなければならない…」

 

 

「あ…あぁ…」

 

 

一歩一歩こちらに近づいてくる鶫。

何か…、このままじゃまずいことになる気がした陸は竜たちに助けを求めるべく目配せした。

だが竜たちは首をぶんぶんと横に振ってそれは無理だと陸に伝えてきた。

 

 

「一条陸…、ポーラをちょっと返してくれないか?」

 

 

「そ、そんな人を物みたいに」

 

 

「一条陸…、ポーラをちょっと返してくれないか?」

 

 

「イエスマム!」

 

 

陸、鶫に屈する。

 

陸はポーラを開放し、そしてポーラの背を両手で押して鶫に差し出した。

 

 

「ち、ちょ!おい、ディアナ!何とかしてくれええええぇぇぇぇ…」

 

 

その後、鶫も陸も何も言わず、ポーラの叫び声だけが虚しく路地裏に響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うちのバカが狼藉を働いてしまい…、申し訳ありませんでした」

 

 

「い、いや…。ポーラに殺気はあっても殺意はない事はわかってたから…。気にすんなって鶫」

 

 

「だが…」

 

 

「気にするな」

 

 

「…わかった。だが最後にもう一度だけ謝罪させてくれ。…申し訳なかった」

 

 

鶫の謝罪を陸はすぐに受け入れる。

ポーラに殺意がなかった以上、彼女を制圧した時点でそれ以上事を荒立てるつもりはなかった。

 

 

「ポーラ…だっけ?俺を試したかっただけだったんだろ?」

 

 

「…」

 

 

ぐず、ぐず、と真っ赤な鼻を鳴らすポーラに声をかける陸。

 

 

「あたし…、アメリカであなたのうわさを聞いてて…。憧れてて…、だから…」

 

 

「…そうか」

 

 

ポーラが自分に憧れているというのは初耳だったが、その言葉を聞いてどこか複雑な気持ちを抱く陸。

 

 

(人を痛めつけて憧れる、か…。裏の世界で過ごしている以上、こういう評判が付きまとうことは覚悟してたけど…)

 

 

香港に行った時も、自分を殺すために画策していた男を手にかけたこともあった。

有名になるほど、標的になりやすい裏の世界。

 

今回は幸運だった方だ。ポーラは憧れの念を持っていたおかげでこの程度で終わったが、そうでなければもしかしたら命のやり取りをすることになったかもしれない。

 

 

「まったく…。明日アメリカに帰るのだろう?おとなしくしていろ」

 

 

「いてっ」

 

 

未だぐずり続けるポーラと、彼女の頭に拳骨を入れた鶫が去っていくのを見送ってから、陸たちも家への帰路に再び着く。

 

 

「坊ちゃん、車用意してありやすぜ。乗りますかい?」

 

 

「…あぁ。頼むわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第41話 オソレテ

非リア充の敵、クリスマスの始まりです










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化祭が終わってから、アメリカからポーラがやって来たこと以外は特にこれといった事件もなく平和な日々が過ぎていった。

夏の暑さも今ではすっかりなくなり、代わりに冬の突き刺すような寒さが辺りを包む。

 

そう、冬なのだ。

冬といったら外せないイベントを、皆は当然知っているだろう。

 

 

「いやぁ~、もうすぐクリスマスだね~…。ということで、俺はクリスマスの日にクラス皆で行うパーティを企画している!」

 

 

放課後、教室の中で集が片腕を掲げて高らかと叫んだ。

 

そう、集の言う通り冬のイベントといえばクリスマスである。

友達とバカ騒ぎするもよし、家族と一緒に楽しむもよし、恋人と暑い夜を過ごすのもよし(死ね)。

本来、キリストの誕生日を祝う日なのだが日本人のほとんどはただ自分の楽しみのためだけに過ごすクリスマス。

 

当然、陸たちもその例外ではなくクリスマスの予定を今、こうして考えていたのだが。

 

 

「お前が企画すんのかよ。…俺、クリスマスの日用事があるから」

 

 

「ウソつけぇい!」

 

 

集がパーティを企画すると聞いた陸は、僅かに表情を歪ませると集から視線を切ってぼそりと呟いた。

 

明らかに自分だけ助かろうとしているようにしか見えない陸のつぶやきに、楽がすぐさまツッコミを入れた。

 

とまあクリスマスの予定を話しているといっても結局はいつも通りのバカらしいやり取りをしているだけなのだが。

 

 

「パーティ…。でも、千棘ちゃんと一条君は二人で過ごした方がいいんじゃないかな?」

 

 

「え?あ、あぁ…。おい千棘、俺達はどうする?」

 

 

すると小咲が、楽と千棘の事情を考えて言ってくる。

確かに、楽と千棘は二人でクリスマスを過ごした方が良いかもしれない。

 

楽もそう考えて隣にいる千棘を見遣って問いかけた。

 

 

「…千棘?」

 

 

「……す……く……ま…」

 

 

だが千棘は楽の問いかけに答えない。それだけではなく、何やらぼそぼそと呟いている。

 

様子が気になった楽が千棘に顔を近づける。

 

 

「クリスマス…クリスマス…」

 

 

「ち、千棘!?」

 

 

先程までいつもと変わらない様子だった千棘が、今は顔を真っ青にしてただただクリスマスとうわ言の様に呟き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?クリスマスにお母さんが来る?」

 

 

千棘の異常な様子に、話し合いがお開きになった後。

陸、小咲、楽、千棘の四人は下校途中の公園のベンチに座って話していた。

 

正確には陸、小咲、楽の三人が千棘の話を聞いていたのだが。

そして千棘の話を聞いた小咲が疑問の言葉を上げた。

 

 

「お母さんが来るって…、良い事じゃないか。何でそこまで怖がってんだよ」

 

 

「というか、千棘のお母さん見たことねえな。いつも何やってんだ?」

 

 

小咲と同じように疑問に思った陸が千棘に問いかけ、その後楽が千棘の母について問いかける。

 

 

「私のお母さん、ある企業を経営してるんだけど…。世界を飛び回ってて、会えるのはクリスマスの日だけなの」

 

 

千棘が、千棘母は何をやっているのか説明する。

 

 

「そんなに忙しいんだ…。でも、折角会えるのにどうして怖がってるの?」

 

 

忙しく、滅多に会えない母に会えるのだ。普通ならば喜ぶところのはずなのだが。

再び小咲が千棘に怖がっている理由を問いかける。

 

 

「私のお母さん、怒ったらすごく怖いの…。お父さんもクロードも皆…、怒ったお母さんには逆らえないの…」

 

 

(((うわぁ…)))

 

 

ギャングの長の千棘の父、アーデルトや千棘のことになると狂暴になるクロードも逆らえない。

一体どんな人なのだろうか…。

 

 

「…なあ。もしかして、千棘のお母さんって『マダムフラワー』?」

 

 

「っ!?陸、ママのこと知ってるの!?」

 

 

「「?」」

 

 

マダムフラワー

 

その単語に千棘は驚愕し、小咲と楽は疑問符を浮かべて首を傾げる。

 

 

「やっぱりそうか…。じゃあ納得だわ。あの人雰囲気半端ないし、マジで忙しいし」

 

 

「なあ陸、マダムフラワーって何だよ?」

 

 

陸の予想通り、千棘の母はマダムフラワーだったようだ。

 

一人で納得している陸に、楽が問いかける。

 

 

「千棘のお母さんの異名だよ。仕事の手腕があまりに凄いおかげでいつの間にかそう呼ばれてたらしい」

 

 

「…ねえ陸。あんた、ママに会ったことあるの?」

 

 

やけに陸が母について詳しいことが気になった千棘が聞く。

 

 

「ん、あぁ。取引で来たこともあるし、年始には良く家に来てるぞ?」

 

 

「え、マジ?」

 

 

千棘の問いかけへの陸の答えを聞いて楽が目を丸くして驚く。

 

それもそのはず、楽はそんなこと全く知らないのだ。

いや、もしかしたら自分が知らない間に来客としてきた千棘の母とすれ違ったりしているかもしれないのだ。

 

 

「世間って狭いんだな…」

 

 

「そうね…」

 

 

楽と千棘が目を見合わせて声を掛け合う。

 

 

「千棘ちゃんのお母さん、どんな人だったの?」

 

 

「すごくきれいな人だったよ。さっきも言った通り、雰囲気半端なかったけど」

 

 

そして陸と小咲も千棘の母について話していた。

 

二組がそれぞれ微妙に違う内容について話していた時、誰かの携帯の着信音が響き渡る。

 

 

「あ、私のだ」

 

 

着信音が鳴っている携帯は千棘のものだった。

千棘は携帯を開き、通話ボタンを押してから耳に当てる。

 

 

「もしもし?あ、パパ?」

 

 

千棘に電話を掛けてきたのはアーデルトだったようだ。

アーデルトと話す千棘を眺める陸たち三人。

 

だが、変化が起きるまでにそう時間はかからなかった。

 

 

「え?ち、ちょっとパパ!?それどういうこと!?二人って…え!?ちょっ」

 

 

ベンチから立ち上がった千棘が大きな声でアーデルトに詰め寄っている。

千棘がアーデルトに問いかけているのだが、結局納得のいく答えは聞けなかったのか。

言葉を言い切る前に電話を耳から離し、画面を見つめだす。

 

 

「ど、どうしたんだ?」

 

 

ただならぬ千棘の様子に、楽が代表して問いかける。

 

ゆっくりと顔をこちらに向けた千棘は、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「明日の夜、ママが来るんだけど…。その時、楽を紹介したいから連れて来いって…」

 

 

「え?」

 

 

千棘も楽も、表情は呆けたものになっている。

 

陸も小咲も、目を見合わせる千棘と楽を呆然を眺める。

 

この先程の電話がクリスマスに起こる、楽と千棘の仲が変わるきっかけとなる事件の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、楽に何があったのかはよくわからないのだが、クリスマスまでバイトをすることになったと言ってまったく家に帰ってこないようになった。

 

流石の陸もおかしいと感じて父に相談したのだが、父はカラカラと笑いながら大丈夫だと答えるだけ。

 

こういう笑いを父がするという事は、本当に大丈夫なのだろうが、いくら何でも二日間も帰ってこないというのは心配になる。

 

少し話が変わるが、楽が家にいない間にクラス内でのクリスマスパーティが行われる日程が決まっていた。陸はるりから小咲と共にプレゼント交換のための品物を買いに行こうと誘われた。

 

そして今日、プレゼントを買いに行くために家を出ようとした時、小咲から千棘も共に行くことになったと連絡があった。

これはチャンスだ。一昨日、何があったのかを千棘に聞くことができる。

 

陸は自宅を出てバスに乗り、大きなデパートの最寄りのバス停で降りた。

 

デパートの入り口前まで行くと、すでに小咲とるりが待ち合わせ場所に指定したそこに立っていた。

最初に陸の存在に気付いた小咲が笑みを浮かべながら手を振る。

 

 

「こんにちは、陸君」

 

 

「おう、こんにちは。…千棘はまだみたいだな」

 

 

小咲とるりを見遣って挨拶を交わした陸は、周りを見回して千棘がまだ来ていないことを確認する。

 

 

「一条君、まだ帰ってきてないんだよね…」

 

 

昨日の夜、陸は小咲とメールを交わしてその中で楽についてを報せていた。

だからこうして小咲が楽がバイトをして家に帰ってきていないことを知っているのだ。

 

 

「一条君が帰ってきてないって…、どういうことなの?」

 

 

陸と小咲の会話が引っかかったのか、るりが問いかけてくる。

その問いかけに陸が応えようとした、その時。

 

 

「ごめんね!遅くなっちゃった!」

 

 

少し離れた方から声が聞こえてきた。

るりの問いかけに答えるために開いた口を閉じた陸が、声が聞こえてきた方へ目を向けると、そこにはこちらにやってくる千棘の姿が。

 

千棘は陸たちの傍で立ち止まって、きょとんとした表情で陸たちを見つめる。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「どうしたのって…。千棘ちゃん…、リボンはどうしたの?」

 

 

今ここで陸は千棘に楽は一体何をしているのかと聞けたはずだ。

だが、出来なかった。

 

その理由は、先程小咲が口にした通り千棘のリボンにあった。

 

今、千棘はリボンを着けていなかった。

下ろされた髪が風に揺れ、どこか輝いているように見える。

 

要するに陸は見とれていたのだ。

小咲も同じように見とれていたことが救いだったことに陸は気づかず、呆れたようにるりが見遣っている。

 

 

「あ、うん…。ちょっとイメチェンしてみたんだけど…、似合ってないかな…?」

 

 

「ううん!すっごく似合ってるよ!」

 

 

「ええ。見違えたわ」

 

 

確かに、リボンをとった千棘はいつもより大人っぽく見えた。

陸としてはむしろリボンがない方が良いのでは?と思ってしまえるほど。

 

その後、少しの間四人は千棘のリボンについて話すのだが、千棘が話を切るとすぐにデパートの中に入っていった。

 

 

「そういえばさ、楽はどうしたんだ?家にも帰ってこないし、心配なんだけど」

 

 

デパートに入っておよそ三十分後、ふと千棘に聞こうとしていた楽についてのことを思いだした陸が問いかける。

 

すると千棘は、何故か沈んだ表情で俯いてしまう。

 

何かまずい事でも聞いてしまったのだろうか?いつも快活である千棘の沈んだ様子を見た陸は僅かに慌ててしまう。

 

だが千棘は、陸の心配をよそにすぐに笑顔を浮かべて口を開いた。

 

 

「楽なら今、ママの所でバイトしてるわ。帰ってないのも当然ね。あなた達のお父さんから許可ももらって、泊まり込みで仕事してるから」

 

 

「バイトって…え?マダムフラワーの所で?はい?」

 

 

まさかの回答に目を丸くする陸。

千棘の母の所でバイト、それはつまり世界で一番忙しいと言える人と共に仕事をしているという事。

 

 

「…楽、死なないかな?」

 

 

「…大丈夫だと思うわよ。ママも楽にそこまで無理させないと思うから…」

 

 

世界一忙しい人と仕事をしている楽が心配になり、陸がぼそりと呟く。

千棘はなんとかフォローしようとするのだが、それでも不安を感じているらしい。

 

これ以降、陸と千棘の二人での会話は買い物中行われなかった。

それぞれ、プレゼントを買い終わるとデパート内の飲食店で昼食を取ろうという話になったのだが、千棘だけ断って帰ってしまった。

 

 

「千棘ちゃん、元気なかったね…」

 

 

話し合った結果に入ったファーストフード店で、小咲がぽつりとつぶやいた。

周りの客たちの話し声で消え入りそうになった声だったが、正面に座っている陸と隣に座っている、るりの耳にはしっかり届いていた。

 

 

「そうね。いつもなら一緒に食べるって言ってたはずなのに」

 

 

るりも千棘の様子に不自然さを感じていた。

いつもの彼女なら、喜んで昼食に一緒したはずだとるりは言う。

 

陸もまた、その通りだと思っていた。

会話だけを見る限りいつも通りに感じられたのだが、時折、会話から外れた時に浮かべていた寂しげな表情。

あれは一体何だったのか。

 

 

「…昨日帰ってきた千棘のお母さんと何か関係あるのかねぇ」

 

 

口の中に入っていたハンバーガーを飲み込んで、陸が言う。

陸の言葉を聞いた小咲とるりの視線が陸に注がれる。

 

 

「だってさ、正直それ以外考えられねえだろ?昨日は何だかんだいっていつも通りだったんだ。母親と何かあったとしか思えない」

 

 

小咲もるりも、何かを考え込むように俯く。

 

 

「母親が帰ってくるってだけであんなに怖がってたんだ。…あんまり、親子関係上手くいってないのかもな」

 

 

だが、もしそうなら自分たちにできることなど何もない。

そういう思いも込めて陸は先程の言葉を口にした。

 

母と娘の関係に、部外者ともいえる自分たちが口を挟むことなどできない。

いくら友達だと訴えても、部外者の一言で片づけられる程度の関係でしかないのだ。

 

 

(…まあ、俺達よりも一歩深い関係にいる奴はいるけどな)

 

 

自分たちでは、何もできない。

だが…、恋人であるあいつならばどうだろう?

 

千棘と母の関係に違和感を覚えたら、まず間違いなくお節介を起こすあいつ。

そして、あれやこれやの内に何とかしてしまうあいつ。

 

 

(千棘の事はぜぇんぶ楽に任せて、俺はクリスマスパーティを楽しむとしますかね)

 

 

手元の、すでに包むものがなくなった紙をぐしゃぐしゃに丸めてお盆に置いてジュースの入ったカップに刺さるストローを咥えながら、陸は心の中で呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




現実ではクリスマスまで後一か月ほどですね。
私は全く予定はありません。ですが恐らく友人と朝までバカ騒ぎするんでしょうね…。(遠い目)

皆さんの予定はどうでしょう?
特にリア充の方の予定を知りたいですねぇ。
呪いをかけてあげたいですから…。(ゲス顔)


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第42話 ホワイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月24日、クリスマスイブである。

この日の夕方、陸はクラス内で行われるクリスマスパーティに出席するべく外へ出ていた。

 

ついこの間まで夏だったのに、包み込むような不快な暑さから突き刺すような痛い寒さに変わっている。

しっかり三重で着込んでいるのだが、想像以上の寒さに抱えるように両腕を体に回してぶるりと体を震わせる。

 

向かう場所は、集が予約したホール。

集合時間までまだ余裕はあるが、そこではすでに集を初めとした数人がパーティの準備をしているだろう。

 

陸は先日、プレゼントを買いに行くために乗ったものと同じバスに乗って、目的のバス停で降りる。

そして違う路線のバスに乗り換えて、集合場所に一番近いバス停で降りた。

 

一番近いとはいえ、そこから歩いて十分ほどかかる。

竜たちがリムジンで送っていくと言ってきたのだが、その目的のホールは町中にあり、目立ちたくないからと理由を付けて断っておいたのだ。

 

だがあまりの寒さに思わずそのことを陸は後悔していた。

 

 

「────陸君!」

 

 

すると、陸の少し前の歩道の脇に車が止まった。

その車の窓が開くとそこから小咲の顔がひょこっ、と飛び出して陸を呼んだ。

 

 

「こ、小咲?」

 

 

目を丸くして、車に乗る小咲に駆け寄る陸。

 

 

「ほら坊や!送ってってやるから車に乗りな!」

 

 

「え…、いや、もうすぐ着きますし…」

 

 

「いいから乗れ!」

 

 

「り、了解しました!」

 

 

後五分ほどで着くという所にいたため、思わず断ろうとした陸だったが小咲母の有無を言わさぬ口調に圧され、yesの言葉と共にすぐさま車に乗り込んだ。

 

後部座席に乗り込んだ陸を確かめてから、小咲母は車を発進させる。

 

 

「陸君、歩いてきたの?家から遠いのに…」

 

 

「確かに遠いけど…、リムジン走らせて目立つよりは全然いいかなって…」

 

 

歩いてきた理由を聞いた小咲は、陸の返事を聞いてあっ、と何かを察したような表情になる。

そして陸の方に振り返らせていた顔をゆっくり前へ戻してしまう。

 

 

「あら、坊やの家はお金持ちなのかしら?…小咲、頑張って玉の輿狙いなさい」

 

 

「お母さんっ!!!」

 

 

「…」

 

 

相変わらずの小咲母のパワフルさに陸、苦笑中である。

しかし、こんな風に何かと自分と小咲を接近させようとする小咲母だが、自分の家がやくざの家だと知ったらどう思われるだろう?

 

 

(…少なくとも、おれに対する態度は一変するだろうな)

 

 

怒鳴られるだろうか?罵られるだろうか?

 

どちらも考えられるが、小咲に近づくなと言われるのは恐らく間違いないだろう。

 

まあそのどちらでもなく、陸の家がやくざだと知っている可能性もあるのだが。

 

 

「ほら小咲、いつまでも悶えてないの。着いたからさっさと降りなさい」

 

 

考え込む陸をよそに恥ずかしさに悶えている小咲に容赦なく厳しい口調を叩きつける小咲母。

小咲がこうなっているのは自分のせいだと分かっているのだろうか…。

 

陸が外に降りてからすぐ後に小咲も車を降りる。

 

 

「じゃあ、パーティが終わったらまた連絡しなさい。坊やも、一緒に乗せてあげるから」

 

 

「あ、いえ。帰りは家の人に迎えに来させますのでお構いなく」

 

 

陸と小咲を送り届けてくれた小咲母が、窓から顔を出して小咲に言ってから次に陸に視線を移し、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら言ってくる。

 

心遣いは嬉しいのだが、パーティが終わるのは遅くなるだろうし、そんな時間に送ってもらうのは悪い気がする。

その上、小咲母の顔が明らかに悪い顔をしている。嫌な予感がしてならない。

 

やんわりと断ると、そう?と唇を尖らせながら小咲母は不平を口にする。

 

 

「…まあいいわ。じゃあ二人共、楽しんで来なさい?」

 

 

最後に、先程の悪戯なものとは違い、見る者を魅了させるだろう笑顔を浮かべて二人に声をかけてから車を走らせていった。

 

 

「…ホント、小咲のお母さんはパワフルだな」

 

 

「ゴメンね…。ホントにゴメンね…」

 

 

美しい笑みを浮かべていった小咲母だが…、本性を知っている陸の心にはまったく響かなかった。

悪い人ではないというのはしっかり感じているのだが、それでもあの人ほど話していて疲れる人に出会ったことはないと断言できる。

 

 

「…とりあえず、会場に入るか」

 

 

「うん…」

 

 

この場で立ったままいても仕方がない。

陸としては予定よりも早くなったが、今は会場に入ることにする。

 

建物に入り、受付で名前を告げると奥にスーツを着た男性が案内してくれる。

 

少し歩いた先には大きな扉があり、そこを開くと中はすでにパーティ会場としての準備が終わっており、すでに会場に来ていたクラスメートたちが談笑していた。

 

 

「あ、寺ちゃん!一条君!」

 

 

会場のホールに入った陸と小咲に気づいた女子生徒が駆け寄ってくる。

 

女子生徒は、二人の傍で立ち止まるとこっちこっちと言って手招きする。

女子生徒に連れられて案内された場所には、先日集に問われた注文してほしい飲み物がテーブルの上にあった。

 

 

「ここが寺ちゃんと一条君の場所ね。一条君…、楽君はまだかな?」

 

 

「あぁ…。多分遅れてくると思う」

 

 

二人を所定の場所に案内してくれた女子生徒が、楽はどうしたのかと聞いてくる。

しかし、楽が今何をしているのかは陸にも詳しくわからない。

このパーティに来れるのかどうかも、正直分からない。

 

取りあえず、女子生徒には詳しい事をぼかして応えておいた陸。

 

すると、少し離れた所から足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてくる。

 

 

「陸様」

 

 

「橘?」

 

 

こちらに歩み寄ってきたのは万里花だった。

万里花は陸に声をかけてから、首を傾げて口を開く。

 

 

「楽様はまだいらっしゃらないのですか?てっきり、陸様とご一緒に来ると思っていたのですが…」

 

 

「あぁ、楽なら遅れて来るって言ってたぞ?」

 

 

先程の女子高生に問われた時と同じように、楽は遅れてくると答える。

 

多分、ここには来ないと思うと心の中で付け加えながら。

 

 

「あら、そうなのですか…。残念ですわ…」

 

 

本当に心の底から残念そうに俯きながら言う万里花。

 

しかし、改めて考えるとパーティにも来れないとは。

どこまでハードな仕事を楽はさせられているのだろう。

マダムフラワーから頼まれたバイトは想像を絶するほどなのだろうか…。

 

 

「あ、千棘ちゃん!」

 

 

すると小咲が入り口の方に視線を向けながら立ち上がり、手を振り始める。

小咲が目を向けている方を見ると、そこにはホールの中に入ってくる、先日と同じくリボンを外して髪を下ろした千棘の姿があった。

 

先日よりも少しは元気になっただろうか?

そう思って見た千棘の顔は、陸の期待を裏切り先日と変わらない沈んだ表情を浮かべていた。

 

それでもやはり、人の前ではいつも通りに振る舞っている千棘がいる。

 

 

(…何やってんだよ)

 

 

心の中で悪態をつく。

その矛先は、今頃バイトで働きまわっているだろう楽。

 

本当の恋人ではないとはいえ、他の人とは明らかに違う、それでもとても深いつながりを持っているはずだ。

それなのに、何でクリスマスの日に、千棘にこんな顔をさせているのだろうか。

 

 

(まさか、何も思ってないとか言わねえよな?)

 

 

もしそう思っているのなら、絶対に殴る。

顔の形が変わってしまうまでひたすら殴ってやる。

 

 

「り、陸君。どうしたの?顔怖いよ…?」

 

 

心の中だけで憤怒していたと思っていた陸だったが、燃え上がる感情は外面まで出てしまっていたらしい。

隣に立っていた小咲が引きつった顔で覗き込みながらどうしたのか問いかけてくる。

 

陸はそっと深呼吸して気持ちを落ち着かせてから口を開く。

 

 

「何でもない、大丈夫だ」

 

 

小咲が心配そうな顔でまだこちらを見ているが、何を聞いても無駄だと悟ったのか陸から視線を外して千棘の方へと駆け寄っていった。

 

陸も、千棘の元に行った小咲を見遣ってから自分に割り当てられた場所を記憶してから友人たちの元へと歩み寄っていった。

 

 

 

 

 

パーティが始まったのは、陸と小咲が別れて別々の友人たちの元へ行ってから十分後の事だった。

 

そういえば集の姿が見えないなと周りを見回してすぐのこと、ホールの照明が落ち、直後ホール内にあったステージにライトが当たる。

すると、いつの間にそこにいたのだろう、スーツを着て、首元に蝶ネクタイを着け完全に司会者の格好をした集の姿があった。

 

集は、『レディーーーーーースエーーーーーーンドジェントルメーーーーーーン!!』と気障な仕草を振りまきながら叫んだ。

 

 

『やあやあ皆さん!本日はこの私が企画したクリスマスパーティにご出席いただき、ありがとうございます…』

 

 

「おい舞子!こんな上手そうな料理を前にしてまだ待ってろってのか!?さっさと食わせろ!」

 

 

「そうだそうだ!」

 

 

「俺もう我慢できねえよ!」

 

 

集が舞台上で挨拶を始めるが、クラスの男子たちが集に向かってヤジを飛ばす。

 

ヤジを飛ばされた集は、カラカラと笑ってヤジを聞き流している。

 

 

「うんうん、わかってるわかってる。俺もそんなに長い挨拶をする気はないから。でも、こんなすごい場所を取ったり、料理を作ったり…。手伝ってくれた人達にはお礼を言っとこうぜ?」

 

 

集のセリフの最後の一文に、ヤジを飛ばしていた男子たちは静まる。

 

集が手招きすると、これまたいつの間にそこにいたのか。

十人くらいの男女たちがステージに上がる。

 

それぞれ何をしてくれたのかを集が説明してから、クラス皆でお礼を言う。

 

ここまで盛大にお礼を言ってくれるとは思ってなかったのか、ステージに上がった人たちは戸惑いの表情を浮かべたもののすぐに笑みを浮かべて、また機会があれば呼んでくださいと言ってくれた。

 

パーティの準備を手伝ってくれた人たちはこれから仕事があるため、すぐにホールから去っていく。

 

この場に来れなかった人にもお礼を伝えてくれるらしく、集も改めて電話という形にはなってしまうがお礼を言っておくと伝えていた。

 

さて、少し長い前置きになってしまったがこれにてパーティの開催である。

 

集にヤジを飛ばしていた男子たちは我先にと皿に次々料理を盛り付け、口の中にかっ込んでいく。

一方女子たちは男子と違い、ゆっくり自分のペースで料理を口にしていた。

 

そして、陸は────

 

 

「おーい陸、何かっこつけちゃってんだよ!」

 

 

「いてっ」

 

 

ホールの端で立っていた陸の肩を、集がばしん、と音が鳴るほどの強い力で叩く。

 

 

「別にかっこつけてないし。ただ…あのテンションについていける気がしないだけで」

 

 

「あぁ…。まぁ…、うん」

 

 

陸の視線を追った集は、さっきまでと打って変わって陸に同感した。

 

二人の視線の先には、男子たちが戦争を繰り広げていた。

 

 

「おい、俺のとったターキー食ったの誰だよ!」

 

 

「てめえ!俺のピッツァを返しやがれ!」

 

 

「なああああああああああ!?俺のジュースが何でこんなおぞましい色にぃいいいいいいいい!?」

 

 

楽しんで、はいるのだろう。

だが…、ついていけないしついていきたくもない。

 

ついていったら、自分が自分でなくなるような…、そんな気がしてしまったから。

 

 

「はは…。そう言えば陸、お前、いつの間にターキーなんかとって来たんだ?始まってから、ターキーの方に行ってなかったと思うんだけど…」

 

 

「何言ってんだ。とったからここにターキーがあるんだろ?盗って来たから、な」

 

 

集の問いかけに陸はにやりと悪い笑みを浮かべて先程ターキーを盗られたと怒鳴っていた男子生徒に視線を向ける。

そして、陸が一体何をしたのかを集は悟った。

 

 

「お、お前…」

 

 

確かに、あの激しい戦闘には参加していないものの…、しっかり陸は戦争に参加していたようだ。

飽くまで奇襲という形で…。

 

 

「ちなみにあのジュースも俺がやったぞ。あそこまでおぞましい色にした覚えはないんだけどな…」

 

 

最後に苦笑を浮かべながらまた罪(?)の告白をする陸。

あのジュースに止めを刺したのは陸とはまた別の生徒のようだが。

 

 

「あ!おい、外見ろよ!雪降って来たぞ!」

 

 

そんな言葉が聞こえてきたのは、パーティが始まってからどれくらい経ってからだろう。

その言葉に従って、クラスの皆が窓の外へと目を向けると、確かにチラチラと白い雪が舞い降りていた。

 

 

「うわぁ…」

 

 

「ホワイトクリスマスだねぇ…」

 

 

空から舞い降りる雪を見ながら、ホワイトクリスマスなどいつ以来だろうかと思い返す陸。

少なくともここ数年、ホワイトクリスマスはなかったはずだ。

 

 

「綺麗だね…」

 

 

「あぁ」

 

 

パーティが進むうちに、陸は再び小咲と合流していた。

小咲がぽつりと呟いた言葉に、陸も呟き返す。

 

先程までどんちゃん騒ぎだったホール内が、たったほんの少し舞い降りる雪によって静まり返っていた。

決して悪い空気ではないのだが、誰もが声を出すことを戸惑ってしまうほど外の景色に魅了される。

 

その空気を破ったのは、今この場にいる誰でもなく。

 

突如現れた黒い車だった。

 

 

「千棘ぇええええええええええええ!!!」

 

 

彼らの目の前の、窓の外で止まった車の扉が開くとそこから飛び出してきたのは、千棘の名を叫ぶ楽だった。

 

 

「ら、楽!?」

 

 

千棘も、陸と同じように楽は今日、パーティに来れないと考えていたのだろう。

目を見開いて驚愕しているのが見てわかる。

 

千棘はホールを出て、楽を出迎えに行く。

他の陸を含めた生徒たちも千棘を追ってホールを出る。

 

入り口付近にたどり着いたときには、すでに楽と千棘は会話をしていた。

というより、声の大きさから聴いたら喧嘩をしているようにも感じる。

 

 

「私、行かないわよ!?」

 

 

「あぁ!もういいからさっさと来い!」

 

 

見ていると、楽は千棘を何処かに連れて行こうとしている様だ。

千棘の手を掴んで引っ張っている。

 

だが千棘は腕を引っ張る楽に抵抗している。

 

 

「貴様、一条楽!お嬢をどこに連れて行こうとしているんだ!」

 

 

「そ、そうよ!まず私をどこに連れて行こうとしてるのかを教えなさいよ!まずそれからよ!」

 

 

「あぁ、もう!」

 

 

理由はわからないが、楽は相当急いでいるらしい。

楽にどこへ行こうとしているのか問いかける鶫と千棘に対して苛立ち始めている。

 

その苛立ちのせいか…、楽はまわりのことを考えず、とんでもないことを口にしてしまった。

 

 

「高級ホテルのスイートルームだよっ!!」

 

 

「「「「「────────」」」」」

 

 

空気が、凍った。

 

当然、千棘も。鶫も。

その隙を狙って、楽は千棘を外へと引っ張り出す。

 

 

「「「「「えええええええええええええええええええええええ!!!!?」」」」」

 

 

そして外へと出て行った楽と千棘の動きを見て、ようやく空気が動き出す。

 

 

「なっ、な…。なぁああああああ!!?」

 

 

「ら、楽様…?」

 

 

クラスの皆もそうだが、特に鶫と万里花はかなりショックを受けていた。

 

 

「楽…?」

 

 

そして陸も、鶫や万里花程ではないものの楽の突然の行動に衝撃を受けていた。

 

高級ホテルのスイートルームに千棘を連れていく。

つまりそれは、楽は千棘とそうしたいということ。

 

 

(な、何があったんだ?)

 

 

心の中はただただ驚愕に包まれる。

 

しかし…、時間が経つ程に少しずつ好奇心が沸いてくる。

楽が何のために千棘を連れ出したのか。何か気持ちの変化はあったのか。

 

そして…、高級ホテルのスイートルームで何をするのか。

 

 

「「…」」

 

 

陸と集は目を見合わせて、にやりと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クリスマスの没ネタを載せると言ったな
あれは嘘だ


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第43話 ソノゴハ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい陸、楽は?」

 

 

「ダメだ。昨日も帰ってこなかった」

 

 

たったこれだけの会話。

だがこの会話にどれだけの意味が込められているのか、皆にわかるだろうか。

 

 

「じゃあ…、あの計画を実行に移すぞ」

 

 

集がポケットの中から携帯を取り出し、そう口にすると周りにいる全員が同時にこくりと頷いた。

 

集は携帯のボタンを押し、耳元に当てる。

電話を掛けた先は────────

 

 

「よお楽!」

 

 

楽だ。

 

 

「今日クリスマスだけどさ、お前時間あるか?実は今日、クラス皆でクリスマスパーティやるんだけど、お前ら来ない?…あぁ、それならお前ら居ないと盛り上がらないなってことで解散したんだよ。それでまた今日、パーティやろうって話になって。うん…うん…。おぉ、来てくれるか!そっかそっか!じゃあ、時間と場所教えるからな~」

 

 

集が、陸たちに向かって目配せをしながら親指を立てる。

 

瞬間、電話の向こうにいる楽に聞こえない様に注意しながら…、陸たちは歓喜した。

目をきらんと光らせ、唇を三日月形に歪ませた。

 

例外も僅かながらいるが…、本日再び行われるパーティを楽しみにした者はこの場にいる全てと言っていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

───────聞かせて貰おうじゃないか。

 

───────あの後、何があったのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わー!もう飾り付け終わってるー!」

 

 

「貸し切りかよ…。すげえな…」

 

 

「ここの店長が知り合いでね」

 

 

楽は知らないが、今いるパーティ会場は昨日ほど広くはない。

それでもクラス全員が余裕を持って入れるほどの広さ。

それ程の部屋をすぐさま確保することができる集の人脈は一体どうなっているのか…。

 

 

(下手したらそこらのチンピラやくざより人脈あるぞ…)

 

 

陸も、集を横目で眺めながら心の中で呟いた。

 

さて、集の人脈には驚かされたが本来の目的は忘れない。

このパーティはただの囮。本命は…

 

 

「良かったな千棘。パーティに参加できて」

 

 

「うん!私、皆のとこに行ってくるね!」

 

 

笑みを向け合いながら声を掛け合う楽と千棘の二人。

あのパーティの後、高級ホテルのスイートルームで何をしたのかを問い質すこと。

 

なのだが───────

 

 

(お前ら…。気持ちはわかるが、もうちょっと気持ちを抑えろよ…)

 

 

陸以外のほとんどは顔に、<早く聞きたくて仕方ありません!>と書かれているようなものだ。

ニヤニヤと笑みが抑えられず、その上目を楽の方に向けてしまっている。

 

千棘は気づいていないようだが、楽はどうも怪しんでいるように見える。

 

しかし、気持ちはわからないでもない。

陸としても、もしかしたら自分の兄が大人の階段を昇っていったのかもしれないのだ。

はっきりいって、今すぐにでも楽を問い質したい。

 

だが、駄目だ。

 

片方を捕まえても、もう片方は逃げてしまう。

クラスの総意は、二人の視点からの言葉を聞きたい。だ。

 

二人を問い質さなければ意味がない。

 

 

「陸」

 

 

「…集か。楽の方を見なくていいのか?」

 

 

楽と千棘をしっかり見張る陸に、集が声をかけてきた。

 

 

「あぁ、大丈夫大丈夫。ちょっと怪しんでるかもだけど…、まあ誰も言わなきゃ俺たちの考えなんてわかんないでしょ」

 

 

「…それもそうだな」

 

 

どうも警戒しすぎのようだ。

集の言う通り、こちらの思惑を言いさえしなければ楽と千棘にばれるはずなどないのだ。

そしてばれさえしなければ、楽も千棘もこの場から逃げ出すなどしないだろう。

 

まあともかく、何が言いたいのかというと…

 

 

「「決して逃がさん」」

 

 

こういうことである。

 

さて、ここから起きた出来事を簡単に説明させてもらおう。

まず楽は万里花を見つけ、彼女の元へといった。

 

早速地雷を踏みに行った楽。思わず吹き出してしまう陸と集。

 

話を聞こうと耳を澄ますが、少し距離が離れているせいで良く聞こえない。

だが、話し始めて少しすると。目に涙を溜めて万里花がどこかへ走り去っていった。

楽が地雷を踏んだのか、それとも万里花が耐えきれなくなったのか。

 

どちらかはわからないが、呆然と万里花が走り去っていった方を眺める楽を二人は呆れ笑いを浮かべて眺めていた。

 

次に目についたのは千棘である。

何やら女子達に昨日の夜について問われているようだが…、全く本人はその質問の本質に気づいていない。

鈍さ、ここに極まれりである。

 

そこに、千棘に近づいていったのは鶫だ。

先程と同じように、距離が離れているため話の内容は聞こえてこないが何やら千棘が照れているように見える。

 

恐らく、「大人びた」やら「美しくなられた」などの言葉をかけられたのだろう。

そしてそれを純粋な意味で捉えた千棘が照れた、といったところだろうか。

 

そこから再び女子達が質問を再開して、千棘が答えて。

女子達の顔はどんどん赤面していき…、それは鶫も例外ではなく。

だが他の女子達と少し違う所は、赤面に加えて鶫の目がグルグルと回り始めている所である。

明らかに、混乱している。

まだ続く質問に対する千棘の答えに、耳まで赤くなり、ついにはくらくらと頭が揺れ始めた。

 

そして、千棘を呼びに来た楽の声を聞いて遂に限界に達したのだろう。

楽のすぐ横を通り過ぎ、そのまま会場を出てどこかへ走り去っていった。

 

 

「「あーあ…」」

 

 

もうこれは確実に決定だろう。

鶫は楽に惹かれている。

 

ここまで確信には至れなかったものの、あの態度でようやく確信に至った。

 

 

「陸君…」

 

 

「ん?小咲?どうした」

 

 

楽と千棘の行動を監視していた陸に、小さな声で小咲が声をかけてきた。

陸が振り返ると、苦めの笑みを浮かべて、されどその頬を僅かに赤く染めた小咲がこちらに歩み寄ってくる。

 

先程の女子生徒たちによる千棘との問答。

あの時、ちらりと小咲の姿が見えていたため近くにいたのだろう。

 

そして千棘への問いも千棘の答えも、耳にしていたはず。

 

 

「やっぱり千棘ちゃん…。一条君と、その…あの…」

 

 

「…可能性は高いよな。ていうかほとんど確定なんだよな」

 

 

小咲の、僅かだった頬の赤みが増す。

小咲の頭の中は、きっと絡み合う恋人ふた…やめておこう。

 

ともかく、少し刺激的な光景を浮かべているのだと思う。

そして恐らく、あの二人がそうなったことはほぼ間違いないと思われる。

 

 

「あー、もう我慢できねえ!俺はもう聞くぞ!」

 

 

とここで、男子生徒の一人が高らかと叫んだ。

 

集が期を待て、と釘を刺しておいたのだがどうやら我慢が限界に達したようだ。

 

しかし陸や集、さらに小咲としても早く聞きたいのは山々である。

幸いにも、楽と千棘はちょうど会場の中心辺りで立っている。逃げ場は、ない。

この男子生徒の思うようにやらせてみよう。

 

 

「一条!お前、昨日のあの後はどうしたんだ!?」

 

 

「あ、あの後?…何だよ、あの後って」

 

 

「とぼけんじゃねえぞ!」

 

 

まさに単刀直入。ど真ん中剛速球を投げ込んだ男子生徒だったが、楽には見逃されてしまった。

だが、本人にそのつもりはなさそうだが、逃れようとする楽を更に登場したもう一人の男子生徒がしっかり捕らえる。

 

 

「昨日…。桐崎さんと高級ホテルのスイートルームで過ごしたんだろ!?その時のことを詳しく教えろってんだよ!」

 

 

「「は?」」

 

 

楽だけではない。千棘も一緒に目を丸くして呆けた声を漏らした。

 

一拍の静寂。

 

楽と千棘はあの後のことについて思い当ったのか、顔を真っ赤にさせた。

 

 

「い、いや!あれは違う!違うんだ!」

 

 

「はぁ!?何が違うんだよ!二人でホテルで過ごした!これはもうそういう事だろうが!」

 

 

「た、確かにそれはそうだけど…。そもそも俺は千棘とホテルで過ごしてなんかいねえんだよ!!」

 

 

「「「「「はぁ?」」」」」

 

 

今度は、楽と千棘以外の全員が呆けた声を漏らす番だった。

 

それをチャンスと見計らった、楽と千棘が必死に説明を始める。

 

千棘の母が仕事で忙しく、クリスマスに会えないことに千棘が落ち込んでいたこと。

何とか千棘を母と会わせてあげようと楽が必死に働いたこと。

そして昨日、千棘の母を高級ホテルのスイートルームに待たせて楽が千棘を迎えに行ったのだと。

 

 

「…紛らわしいことすんなカス」

 

 

「カス!?」

 

 

「大体なんだよ、あんな言い方じゃそう考えるのが当然じゃねえか。せっかく昨日のことを聞きたくてこんなパーティ開いたのによ。使った予算返せやごら」

 

 

「理不尽!?」

 

 

光を失った目を楽に向けて辛辣な言葉をかけ続ける陸。

 

他の生徒も例外ではなく、口こそ開かないものの冷たい視線を楽にかけ続けていた。

 

 

「人に期待させておいて…、殴るぞ」

 

 

「いやいやいやいや!知らねえし!お前らが勝手に勘違いしただけだし!」

 

 

「ごめんね千棘ちゃん、勘違いしちゃって…」

 

 

「え?あ、うん…」

 

 

陸が楽に毒舌攻撃をかけている中、千棘はクラスの女子達から謝罪を受けていた。

 

 

「あ、あれ?何この扱いの差は…」

 

 

「…まあ、俺達の考えていることは間違いだったと認めるさ。でもさ…、結局、昨日は家に帰ってこなかった。何だかんだで千棘と一夜は過ごしたんだろ?」

 

 

「っ!!?」

 

 

「図星か」

 

 

行為をしなかったことはわかった。

だが…、一緒に一夜を過ごしたことに関しては間違いない様だ。

 

 

「大丈夫だ楽。俺は何もする気はないよ、ただ昨日の夜、何をしてたのか知りたかっただけだから」

 

 

「そ、そうなのか?」

 

 

「…こいつらは知らんけど」

 

 

もしかしたら助かるかもしれない。

そんな希望を持った楽に、陸は容赦なく宣告した。

 

 

「一条…」

 

 

「なるほど…。つまりお前は、橘さんを騙して泣かせたという事か…」

 

 

「鶫さんも…、騙していたのか、一条」

 

 

「え?いや、それは違う。違うってお前ら。何でそんな怖い顔してんの?何で拳を握ってんの?何で俺の方に近づいてくんの!?」

 

 

誤解という事はわかったが、その結果。

たとえ本人に悪気はなかったとしてもクラスのアイドル二人を騙し、そして泣かしてしまったという犯行が明らかになってしまった。

 

ん?鶫に関しては千棘が犯人なのでは?

そこはあれだ。男はいつも理不尽な目に遭うのだよ。特に女絡みの時は。

 

 

「うわあああああああああああ!り、陸!たすけてくr」

 

 

襲い掛かる男子たちの波に飲み込まれる楽。

それを見届けた陸は、呟いた。

 

 

「暑苦しい所に飛び込むのは嫌だ」

 

 

襲われる楽に背を向けて、血を分けた兄を見捨ててしまう陸。

まあ、殺されはしないだろうし大丈夫だろう。

 

 

「誤解…。良かったぁ…」

 

 

「…」

 

 

お腹空いてきたし、何か食べようかと皿を取りに行こうとする陸の目の前で、安堵のため息を吐きながら小咲がしゃがみこんだ。

 

 

「そう、だよね。そんなはずないもんね。高校生でそんな…、そんなことするはずないもん!信じてたよ私!」

 

 

「思い切り顔真っ赤にしてたけど?」

 

 

「はうっ」

 

 

うん。小咲の言う通りだ。

高校生でそういう事は駄目だろう。

ちょっと面白がっていた自分に反省する陸。

 

それと同時に、ほんの少しだけ考えてしまう。

 

もし、小咲と自分が恋人同士だったら。

もし、楽と千棘と違ってホテルの一室で過ごすことになったとしたら。

 

 

「…アホか」

 

 

だがすぐにその考えを打ち消す。

そんな事態になるはずなどないのだから。

 

けどもし…、本当にそうなったとしたら?

 

自分は、耐えられるのか?

 

 

(!?)

 

 

一瞬浮かんだ考えに、自分で驚愕する。

何で、そんな考えが浮かんだのか。

 

 

(あり得ないって。何でそんなこと考えてんだ、俺は)

 

 

自身に起こっている小さな変化に、陸は気づいていなかった。

 

先程から、ようやく立ち上がって千棘の元に向かう小咲を見つめていることも陸は気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はオリジナル回の予定です
最近、陸と小咲をイチャイチャさせていなかったので…、ここらで鬱憤をを晴らすかのごとく甘い話を書きたいなww


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第44話 オツカイ

すいません…、甘くなりませんでした…。
けどこの話は飽くまで次回への布石ですので…、しょうがないね!








 

 

 

 

 

 

 

 

 

波乱のクリスマスパーティが終わった。

学校も冬休みに入り、寒さに震えながらも一日中家の中で好きなことができるという幸を陸は堪能していた。

 

昼前まで寝て、ご飯を食べてすぐゲーム。

たまにパソコンを開いて調べ物をしてまたゲーム。

誰かに呼ばれて、戻ればすぐゲーム。

 

完全にオタクの生活である。

 

というより、陸はオタクなのだ。

アニメ、漫画、ラノベにゲーム。

ゲームに関してはオンラインで廃人達と張り合えるほどやり込んでいる。

 

 

「…お前、ホントゲーム好きだよな。ちょっとは外に出たらどうだ?」

 

 

今日も冬休みに入ってからずっと続けてきたゲーム三昧の生活。

しかし少し違うのは、今、陸の部屋に楽がいることである。

 

他人がプレーしているゲームの画面を見て何が面白いのかはわからないが、陸が嵌っているオンラインゲームのプレー画面をじっと眺めていた楽がふと口を開いたのだ。

 

 

「別にいいだろ。やるべきことはやってるし、成績は楽より上だ」

 

 

「このっ…」

 

 

声をかけてきた楽に目も向けずに返事を返した陸。

 

陸の言う通り、これだけのぐうたら生活をしているにも関わらずコツコツ勉強し続ける楽より成績が上なのは事実。

 

 

「それにゲームや漫画を買ってる金だって俺が稼いだ金だ。文句を言われる筋合いはねえぞ」

 

 

陸の部屋にある大量のゲーム機や漫画等はまさに言葉の通り陸の金で買ったものだ。

オンラインの利用料金も、パソコンの使用料金も全て陸が払っている。

 

親とそういう条件を定めて買ったものなのだから。

 

 

「いいじゃねえか。どうせここまで好き放題できるのはあと少しだけなんだから」

 

 

「…」

 

 

あと少し。

この言葉が、楽の胸にのしかかる。

 

陸はいつもゲームをしている時、あと少しと言う。

楽にはその意味が分からなかった。なのに何故か、胸にモヤモヤと嫌な予感が奔るのだ。

 

この時の楽は知る由もない事だが、これがどういう意味なのかを知るのはそう遠くない未来である。

 

 

「陸―、部屋にいるかー?」

 

 

「親父?」

 

 

すると、部屋の外から陸楽の父、一征の陸を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

楽が扉の方に驚きの目を向けている中、陸はゲーム画面に集中を向けて。

 

 

「いるぞー。入れよ」

 

 

と短く言う。

 

その陸の言葉が発せられるか否や、障子が開いて一征が部屋に入ってくる。

 

 

「おぉ、楽もいたのか。っと、陸。ちょっと頼まれごとしてくんねえか?」

 

 

「…何?」

 

 

一征は楽の姿を見つけて笑みを向けると、すぐに陸に視線を移して口を開いた。

 

陸は少しの間コントローラの操作に集中して、画面がロード画面に移ってから一征に返事をする。

 

 

「頼まれ事って?」

 

 

「いやぁ、ちぃと和菓子が食いたくなってきてよ…。買ってきてくれねえか?」

 

 

「…自分で買いに行けよ。ていうか家にねえのか?」

 

 

「ねえな」

 

 

和菓子が食べたいという一征を陸は突き放す。

だが、そんな陸に一征はしつこく食い下がった。

 

 

「いいじゃねえか陸。お前、冬休みに入ってからずっと家でゲームゲームだ。たまには陽の光を浴びねえと、体がもたねえぞ?」

 

 

「生憎、外にはちゃんと出てるよ。だから今外に出る必要はない」

 

 

「お、おい陸。お使いくらい行っていいじゃねえか。ていうか、いつもは行ってるだろ?何で今回だけそんな頑なに断るんだよ」

 

 

一征の頼みをひたすら断る陸に疑問を持った楽が問いかけた。

 

ロードが終わり、アバターキャラがホームタウンに戻ったことを確認した陸は楽の方に目を向ける。

 

 

「楽。変だと思わねえか?いつもお使いを頼むときは竜辺りに言わせてる親父が何で今回この部屋まで来たのか」

 

 

「え?あぁ、そういや…」

 

 

陸の言う通り、一征はいつもお使いを頼むとき、他の人に頼んで陸たちにその要件を伝えている。

なのに何故か、今回はわざわざ陸の部屋まで頼みに来ている。

 

楽も疑問に思い、一征の方を見て首を傾げた。

 

 

「簡単だ。親父は俺をお使いに出させて、その間にゲーム機占領してプレーする気なんだよ」

 

 

「はぁ!?」

 

 

何とも下らない理由である。

 

 

「別にいいじゃねえかよ。おめえはいつでもやれんだ。たまには親に譲ってくれたってよ」

 

 

「今日という日が駄目なんだよ。今日の夕方から週一限定クエが始まるんだよ。どうせ一回貸したら明日になるまで譲ってくれねえんだろ?」

 

 

「んなのまた来週まで待てばいいだろ」

 

 

「オンラインゲーマーとしてんなことできるわけねえだろうが」

 

 

「…」

 

 

何でだ。何故なんだ。

陸と一征の言い争いはとても下らないものだ。そのはずなんだ。

 

なのに…

 

 

(何でこんなに体が震える!?怖えよ!)

 

 

楽の体全体がぶるぶる震える。

額から汗がとめどなく溢れてくる。

そして何よりも、二人の間に流れる空気が怖い。

 

 

「なあ親父。いつまでもガキと思って俺を甘く見てんじゃねえぞ」

 

 

「ほぉ。言う様になったじゃねえか…。なら、試してみるか?」

 

 

瞬間、二人の間に流れる空気がさらに冷え込む。

楽は表情を強張らせ、一歩二歩後ずさってしまう。

 

できることならば、楽は今すぐにでもこの部屋から走り去りたかった。

だが、体が固まってしまい、思うように動かすことができない。

まるで金縛りにあったかのように。

 

 

「…わかったよ。行ってくりゃいいんだろ」

 

 

直後、部屋の中に流れる緊迫した空気が一気に霧散した。

その事により、楽の体から力が抜け、床に座り込んでしまう。

 

 

「おっと。すまねえな楽。陸が思ったより濃い殺気出してくるからついこっちも本気出しちまった」

 

 

座り込み、大きく乱れた息を吐く楽の肩に手を置きながら一征が言葉をかける。

 

 

「何やってんだよ。さっさと部屋から出りゃいいものの」

 

 

「で、できなかったんだよ!体も動かねえし!」

 

 

楽が、片膝を立て、力を込めて立ち上がろうとしながら陸に抗議する。

 

しかし立ち上がることができず、陸に抗議してから疑問符を浮かべる。

 

 

「あー、無理すんじゃねえ。俺たち二人の殺気を一遍に受けたんだ。後五分くらいは立てねえだろうな」

 

 

「なっ」

 

 

苦笑を浮かべながら放たれた一征の言葉に、楽は目を見開いて驚愕する。

 

 

(お、俺の家族は化け物か…)

 

 

陸の訓練している姿を見て、その強さを知っているつもりだったのだが…、改めて楽は家族の人外っぷりを確認することになった。

 

 

「じゃあ行ってくるからな。何買ってくればいい?」

 

 

「おう、どら焼き頼むわ」

 

 

「もう始めてるし…。はぁ…。じゃあな」

 

 

データを記録し、電源が切られたハードに新たなソフトを入れ電源を入れている一征の姿を見てため息を吐いてから陸は自室を出て行くのだった。

 

 

「で、家出たはいいけど…、どこで買おうか」

 

 

身支度を済ませ、家を出て歩きながらどの和菓子店でどら焼きを買おうかを考える陸。

傍に中々おいしいお店があるから、そこに行くかと決め…かけた。

 

 

「…おのでら行くか。ちょっと遠いけど」

 

 

足を止め、ぽつりと呟いた。

 

おのでらとは、勿論、小咲の家族…小野寺家が経営している和菓子屋だ。

少し距離は遠いが、腕は相当。傍の和菓子屋にはちょっと悪いがそのお店よりも腕が良い。

 

 

「うん、そうしよう」

 

 

おのでらならば親父もかなり喜ぶだろう。

 

そう考えた陸は、横切ろうとした交差点の前で足を右に向ける。

その方向とは、和菓子屋おのでらがある方向だ。

 

 

「あれ、陸君?どうしたの?」

 

 

「どうしたのって…、和菓子買いに来たに決まってんじゃん…」

 

 

店に入ると、レジの傍に小咲が立っていた。

陸の姿を見とめると、小咲は目を丸くして驚いていた。

 

何をしに来たのか聞いてきた小咲に、苦笑を浮かべながら答える陸。

バイトを頼まれたわけでもない。ならば買い物をしに来たに決まっているのだから。

 

 

「どら焼き五つ頼むわ」

 

 

「あ…、はい。かしこまりました」

 

 

陸が希望の品物を頼むと、小咲はにこりと笑顔を浮かべてから屈んで棚からどら焼きを取り出そうとする。

 

 

「あら?一条の坊やじゃない!なに?小咲に会いに来たのかしら?」

 

 

「買い物ですよ、奈々子さん…」

 

 

小咲がどら焼きを取り出し、袋に仕舞う作業を行っていると奥から小咲の母、奈々子が現れた。

にまにまと悪戯っぽい笑みを浮かべながら問いかけてくる奈々子にため息混じりで違うと陸は答える。

奈々子は笑みを収め、今度は不満そうな表情を浮かべてつまんないの、と口にする。

 

 

「はい陸君、お頼みになったお品です」

 

 

「お、サンキュー」

 

 

袋に入れられたどら焼きを小咲から受け取った陸は、来ていたコートのポケットから財布を取り出す。

小咲から料金を聞き、会計を済ませようとする。

 

するとその光景を見ていた奈々子が、口を開いた。

 

 

「そうだ小咲。もう手伝いは良いから、坊やの家に遊びに行ってきなさい」

 

 

「え!?」

 

 

「何を…」

 

 

ぱっ、と口から出た言葉に小咲は戸惑い、陸は呆れる。

 

 

「正月前で忙しいから客は少ないだろうし、私一人で大丈夫だから。…これを機会に、坊やの唇でも奪ってきなさい」

 

 

「お母さん!!!」

 

 

後半に何を言ったのかは良く聞こえなかったが、顔を真っ赤に染めている小咲を見るに碌なことを言わなかったのだろう。

 

 

「で、どうする小咲。来るなら来ても良いぞ?何もない家で退屈するだろうけど」

 

 

「え!?え、えっと…」

 

 

来たくないならそれでも良いし、来たいのなら歓迎する。

陸は小咲の意思に任せることにする。

 

小咲は考える素振りを見せて…、その耳元で何やら奈々子が呟いている。

見る見るうちに小咲の頬が真っ赤に染まっていって…、ぶんぶんと手を振って奈々子を追い払う。

奈々子はにょほほと笑いながら小咲から少しずつ離れていく。

 

 

「じゃ、じゃあ…。お邪魔していいですか…?」

 

 

「ん。なら早く着替えて行くか」

 

 

か細い声で問いかけた小咲に答える陸。

陸の返答を聞いた小咲は、こくりと頷くと階段を昇って二階へと上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

着替え終わった小咲と陸は家に帰ってきていた。

小咲を玄関へと上げ、部屋へ案内する。

 

 

(そういや、親父部屋にいるんだったな。…変な誤解されなきゃ良いんだけど)

 

 

小咲を案内しながら、今部屋にいるだろう一征が小咲を見た時の反応を心配する陸。

一征の性格から、恐らくチャンスとばかりに陸をからかいにかかるだろう。

 

『何だ、彼女を連れ込んだのか?陸もやるようになったじゃねえか』

 

等々言って。

 

 

「はぁ…」

 

 

「?どうしたの、陸君」

 

 

「いや、何でもない」

 

 

ため息を吐く陸。

 

心配してきた小咲に大丈夫だと伝えてから、自室の障子の取っ手に手をかけて開ける。

 

 

「楽、親父はどうした?」

 

 

「一条君?」

 

 

「あれ?小野寺、どうしてここに?」

 

 

一征がいるだろうと思われた部屋にいたのは楽一人。

楽はコントローラーを握って振り返り、小咲の姿を見て目を丸くした。

 

 

「家に来たいって言うから連れてきたんだよ。で、親父はどうしたんだ?トイレか?」

 

 

「へぇ…。と、親父なら何か急な仕事が入ったとかで、急いで出てったぞ」

 

 

小咲が家に来た理由を聞いた楽が一瞬にやりと笑う。

すぐにその笑みを収めて陸に一征がどこへ行ったのかを答えた。

 

 

「…あんのクソ親父、人をパシリに使っときやがって」

 

 

怒りに震えながら呟く陸。

 

 

「あ、あぁ…。親父が買ってきたどら焼きは食っていいぞって」

 

 

「当たり前だ。これで食っちゃ駄目だって言ってたんなら一発殴ってやる」

 

 

いつ帰ってくるかわからない、それも他人にお使い行かせて勝手に出て行った人のためにお菓子をとっておきたくはない。

 

 

「まあ、とにかく入っていいぞ」

 

 

「う、うん…」

 

 

ここまで、一条兄弟の会話に置いてきぼりだった小咲を部屋の中に入れて、陸も続いて入り障子を閉める。

 

 

「ほら、座りな」

 

 

「ありがとう…」

 

 

陸は部屋の隅に置いてある座布団を取り、小咲の傍に置いて座るように促す。

小咲は陸にお礼を言ってから、静かに座布団の上に腰を下ろした。

 

 

「で、楽はドラ〇エやってんのか?」

 

 

「おう。と、宝箱だ」

 

 

楽の前のテレビ画面には、四人のキャラクターが縦に並び、プレイヤーの意の通りに動いている。

その進む先には宝箱があり、楽は開けようとしている。

 

 

「あ、楽。その宝箱は止めておいた方が…」

 

 

「げぇっ!?モンスター!」

 

 

陸の忠告も間に合わず、宝箱に扮したモンスターに襲われてしまった。

 

 

「あらら…」

 

 

「あっ!即死魔法…、はぁ!?全滅!!?」

 

 

陸が呆れ笑いを浮かべている中、画面の中ではゲームオーバーとなっていた。

 

パーティ全体に効果を示す即死魔法を喰らってしまった。

一度で四人全員が死ぬというのは可能性はかなり少ないはずなのだが、その少ない可能性を楽は引き当ててしまった。

 

楽は思わずごろん、と後ろに上体を倒して放心状態になる。

 

 

「っははは!すげえリアルラックだな楽!」

 

 

「ふっ…ぷぷ…」

 

 

陸と、あまり状況がわかっていないはずなのだが、それでもパーティが全滅し、それも楽がかなり運の悪いことに当たってしまったことはわかったのだろう。

陸と共に笑みを零す小咲。

 

 

「さて、見てのとおり俺の部屋には漫画やゲームしかない。小咲はゲームあまりやらないんだろ?」

 

 

「うん…」

 

 

陸の問いかけに小咲は頷いて答える。

 

 

「なら、人生ゲームでもやるか。楽は盤持って来いよ。三人じゃつまんねえだろうから、俺は他のメンバー連れてくる」

 

 

「わかった」

 

 

「小咲はここで待っててくれ。…不安ならついてくるか?」

 

 

「う、ううん!大丈夫だよ?」

 

 

やくざの家で一人になるのは不安かもしれないと思った陸が小咲に問いかけるが、小咲は首を振って答える。

 

 

「なら行くから。楽はすぐ戻ってくるだろうし、大丈夫だから」

 

 

「うん」

 

 

小咲に声をかけてから楽と共に部屋を出る陸。

それぞれ、別の方向に廊下を歩くのだった。

 

 

(…陸君の部屋。またここに来れた…)

 

 

陸と楽が去った部屋の中で小咲は周りを見回した。

 

春に来た時と、あまり変わっていない。

本棚の位置、テレビの位置、勉強机の位置。

変わった所は、前よりも本やゲームソフトの量が増えた所だろうか。

 

 

(…陸君の匂い)

 

 

ちょっと変態染みているのはご愛嬌である。

 

 

 

 

 

 

 

楽が持ってきた人生ゲームで、陸が連れてきた竜たちと共に遊んだ。

気付けば外はすっかり暗くなっていた。

 

 

「小咲、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」

 

 

「あ…、そうだね。もう六時過ぎちゃったし…」

 

 

「え?嬢ちゃん、家に泊まってくんじゃないんですかい?」

 

 

陸と小咲の会話を聞いていた男一人が聞いてくる。

 

 

「アホか。女の子をこんなむさ苦しい所に泊まらせるわけねえだろ」

 

 

「む、むさ苦しい…」

 

 

「ひ、ひでえッスよ…」

 

 

小咲が泊まる?そんなはずないだろう。

学生の身で、同級生の男女が同じ家で夜を越すなどできるはずがない。

いや、前に泊まったことあるけど…、あれは飽く迄アクシデントがあった上の事であって…。

 

というか小咲としてもこんな男だらけの所で泊まりたくないだろう。

 

 

「じゃあ、そろそろお暇するね」

 

 

「ああ。玄関まで案内するよ」

 

 

小咲がコートを着るのを待ってから、部屋を出て玄関まで案内する。

 

 

「つまんなかっただろ?男だらけに囲まれて、嫌だっただろ?」

 

 

「そ、そんなことないよ!皆すごく面白かったし…、楽しかったよ」

 

 

「そっか…。それなら、招いた身として嬉しいわ」

 

 

本心から言っているのか、それとも…。

小咲は嘘を吐けない性格だから、本心から言っているのだと思う。

 

ともかく、小咲が楽しんでいたことを知ってホッとする陸。

 

 

「あ…、もう暗いしな。送ってくよ。おーい、誰か俺のコート取ってきてくれ!」

 

 

「え?そ、そんな!大丈夫だよ!」

 

 

暗い夜道を女の子一人に歩かせるわけにはいかない。

小咲は抵抗するが陸はコートを組の男に持ってこさせる。

 

 

「冬だから不審者は少ないだろうけど、さすがに心配だからよ」

 

 

「でも…、寒いよ?」

 

 

「アホ。んなの小咲も同じだろうが」

 

 

陸の意志は固い。

男が持ってきたコートを受け取り、陸は腕を通して前のボタンを閉める。

 

 

「じゃあ行くか」

 

 

陸と小咲は靴を履こうとして…、その時。

横開きの扉がガラガラと開いた。

 

 

「あぁ~、参った参った…。まさかあんなことになるとはよぉ」

 

 

「すいやせん…。じゃあ、車戻しに行った奴を手伝いに行ってきやす」

 

 

「おう。無理すんなよ」

 

 

外から入ってきたのは二人の男。

そのうち一人は、一征だった。

 

 

「親父?」

 

 

「陸か?…んだよおい、彼女連れ込んだのか?ったく、お前もやるようになったなぁ」

 

 

どら焼きを届けようとして部屋に入る前、予想したのとまったく同じ反応をした一征にため息を吐く陸。

 

 

「何だ?今から帰る気か?」

 

 

「あぁ。この娘、送ってくから」

 

 

「ん~…、無理だと思うがな」

 

 

「は?」

 

 

小咲を送るという陸に、一征が無理だと言った意味が分からず陸も小咲も首を傾げる。

 

 

「今、すげえ雪降っててよ。ラジオで言ってたけどよ、何でも記録的積雪だとよ」

 

 

「「…へ?」」

 

 

呆けた声を出す陸と小咲。

その時、静まった玄関に一人の男の声が届いた。

 

 

「うわっ、すげえ雪だな。こりゃ今日はもう外に出れねえぞ」

 

 

その声は、やけに玄関で響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ということで、陸が小咲の家にお泊りして今度は小咲の番です。
陸がお泊りした時は食事とか何かと騒がしい場面を描いていましたが…、次は少し静かな場面を描きたいですね。
まあ、陸の家という場なので何だかんだで騒がしい場面も描かなければいけないのでしょうが。


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第45話 オトマリ(2)

イチャイチャしてない…だと…?
あれ?イチャイチャさせる予定だったのに…、何でシリアスになってるんだ?(困惑)









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん…。それでね、出来たら迎えに来てほしいんだけど…。うん、そうだよね。できないよね…」

 

 

今、陸の目の前で小咲が電話をしている。その相手は小咲の母、菜々子である。

小咲が家に帰るために、菜々子に迎えを頼んでいるのだが…、小咲の言葉を聞いている限り、どうやら迎えは難しそうだ。

 

 

「え?ちょ、何言ってるのお母さん!!」

 

 

それにどこか聞き覚えのある小咲の叫びも聞こえてくるし、本当に迎えは期待できなさそうだ。

 

 

「親父。リムジンは出せるか?」

 

 

「無理に決まってんだろ。あの嬢ちゃんにゃ悪ぃが、今日はここに泊まってってもらうしかねえな」

 

 

小咲が奈々子と電話している中、陸は隣に立っていた父、一征にこちらで小咲を送っていくことは出来ないかと問いかけてみるが、返答は陸の予想通り、否。

 

 

「うん…。じゃあ、今日は陸君の家に泊まるね?明日、お昼までには…え?そのまま住めb…!お母さん!!」

 

 

あぁ、また奈々子が何か爆弾を落としたのだろう。

小咲は表情を羞恥の色に染めて、再び叫んだ。

 

陸は目を一の字に閉じて呆れ顔、一征も小咲が何を言われたのか大体の見当付いているのか、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 

小咲はその後、一言二言、菜々子と交わしてから電話を切った。

 

相当激しい戦いだったのだろう。

小咲は激しく息を切らしており、満身創痍でこちらにやって来た。

 

 

「あ、あの…。聞こえてたと思いますが…、今晩泊めていただけませんか…?」

 

 

「おう、歓迎するぜ」

 

 

いつもの小咲なら恥ずかしがって中々言い出せない言葉なのだろうが、今感じている激しい疲労がその羞恥を何処かに飛ばしてしまっている。

 

あっさりと小咲は泊めてくださいと頼み、一征もすぐに小咲の頼みを了承した。

 

ここまでは簡単に予想できる。

一征ならたとえ外の状態が良かったとしても小咲に泊まっていけば良いとか言っただろうし(本気で)、組員たちも乗り気なのが目に見えている。

 

だが一つだけちょっとした問題が。

 

 

「楽にはなんて言おうか?」

 

 

問題といっても本当にちょっとしたことだ。

思わず声を漏らした陸も、その後に正直に話せば納得するだろうとすぐさま結論付ける。

 

少し楽が騒がしくなるかもしれないが…、その時は一発殴ればおとなしくなるだろう。

 

まぁないとは思うが、もし小咲を外に放り出すようなことをした瞬間その命を刈り取ってやる。

 

 

「えっと…、陸君は良いかな…?すごく迷惑かけちゃうと思うけど…」

 

 

皆が知らぬところで謎の決断を下した陸に、小咲が不安気に目を伏せながら聞いてくる。

 

こうして家主である一征や組員たちに許可をもらったのは良いが、陸がどう思っているのか不安なのだ。

 

 

「友達を最悪の天候の中に放り出すほど薄情じゃないさ。自分の家だと思ってゆっくりしてけよ」

 

 

宿泊の許可をしてくれるか否か問いかけてくる小咲に、陸は微笑みを浮かべて頷きながら答える。

 

不安を表情に浮かべていた小咲が、陸の返答を聞いて表情を明るくさせる。

駄目だ、と言われることも覚悟していたのか、そんなことするはずないのだが。

 

 

「もしかしてさ。小咲、俺が駄目って言うと思ってた?そんな薄情な奴って思われてたんだ、俺」

 

 

「え!?そ、そんなこと…」

 

 

「うわぁ、ショックだわ~。中学からの付き合いだし、そこまで信用されてなかったとは思ってなかったわ~」

 

 

「うぅ…。ご、ごめんなさい…」

 

 

「こらてめぇ陸。女の子を困らせてんじゃねえぞ」

 

 

「いてぇっ!」

 

 

鎌をかけると、これでもかと動揺する小咲をひたすらからかう陸。

だが少しやり過ぎてしまったか、小咲が俯いてシュンと小さくなりながら陸に謝ってしまった。

 

陸もしまった、と思うがすでに遅し。一征の鉄拳が陸の脳天に打ち込まれた。

 

 

「いつつ…。い、いや、謝るのは俺の方だって。大丈夫、さっき言ったことなんてこれっぽっちも思ってないから」

 

 

「う、うん」

 

 

あぁ、雰囲気が微妙になってしまった。

陸は先程、しゅんとした小咲を見ておぉっ、と思ってしまった自分をぶん殴ってやりたいという思いに駆られる。

だが過去に戻ることなどできるはずもなく、罪悪感と後悔が陸の中をグルグルと駆け回るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ともかく、謝り続けて小咲に「大丈夫、気にしてないよ?」というありがたい言葉を笑顔と共に受け取った陸は楽に小咲が家に泊まることを伝えた。

 

楽は目を見開いて驚いたが、外の様子を見るとさらに驚いていた。

そして、外がこれでは小咲は帰ることができないと察し、すぐに小咲を歓迎することとなる。

外の様子とは別に、陸の顔が恐ろしかったということもまたすぐ様小咲を歓迎したひとつの理由となっているのだが、陸が知る由もない。

 

小咲の泊まる旨を組員全員に伝え終えると、すぐに一征が陸と楽、そしてその他料理が得意な組員たちに夕食の準備をするように言う。

小咲も手伝おうとしたのだが、陸と楽が全力で阻止した。お客さんに料理などさせられない、という理由を作って。

 

前に家に泊まりに来た時、陸に夕食を作ってもらったから今度は自分が作りたいと小咲は言ったのだが、何とか説得して押し留めることに成功した陸たちはすぐに夕食の準備に取り掛かる。

 

そしてできたのは、何のパーティをやるんですかと聞きたくなるほどの豪勢なものばかり。

あるテーブルには大きなピザが、あるテーブルには切り分けられた大量のステーキが、あるテーブルには寿司が。

普通のパーティでもここまでやらないだろうとツッコまざるを得ないほど豪勢な料理たちを前に、ただただ呆然とするしかない小咲。

 

そんな小咲をよそに、宴じゃ宴じゃと騒ぐ組員たち。

我先にと手を付けていく組員たちを見てさらに圧倒される小咲。

そしてふと横を見れば、そんな組員たちと張り合って料理を手にしていく陸たち親子。

 

この場にいる全ての人に勝たなければ…、何も食べることは出来ない。

そう悟った小咲は、意を決して箸を料理につけるのだった。

 

とまあ長々と食事の風景を描写したが、今、小咲はお風呂から上がった所である。

 

男どもが大量に入った形跡がある大浴場ではなく、小咲は大浴場から少し離れた所にある小さな、とはいっても普通の家から考えれば大きいのだがお風呂場で温まっていたのだ。

 

 

「お、嬢ちゃん。お湯加減は良かったかい?」

 

 

「あ、えっと…。い…っせいさん?」

 

 

ドライヤーで拭いた髪がちゃんと乾いているか確かめながら、風呂場に行くために通った道を思い出して歩く小咲に背後から呼びかける声が。

 

小咲が振り返ると、こちらに歩いてくる男。一征の姿があった。

陸の父の名前を思い出す小咲を見て、一征はきょとんとした顔をしてから笑みを浮かべる。

 

 

「あぁ~、さんなんて堅苦しい呼び方は止めな止めな。じじいやらおっさんやら、何ならお義父さんでもいいんだぜ?ん?あっはは、これなら結局さんって付いちまうか!」

 

 

「っ…」

 

 

一征が好きな呼び方を選ばせるために色々な例を口にする。

その中の一つ、『お義父さん』の所で小咲は顔を真っ赤にさせてしまった。

 

 

「ん、さすがにお義父さんは早ぇか?はっははは!!」

 

 

小咲の顔が真っ赤になった理由を察した一征が、豪快に笑い飛ばす。

それを聞いた小咲は、さらに紅潮を広げて耳にまで達してしまう。

 

 

「…なぁ嬢ちゃん。陸の事なんだがよ」

 

 

「え…、は、はい?」

 

 

すると、隣にまで歩み寄った一征が先程までの豪快な声質ではなく、どこか悲しげな雰囲気を籠った声で小咲に話しかける。

思わず戸惑ってしまう小咲だったが、一征の方を見て聞き返す。

 

 

「あいつ…、学校で浮いてたりしてねぇか?何か、問題起こしてたりしてねぇか?」

 

 

「え…」

 

 

悲しげに目を伏せて聞いてくる一征に一瞬、呆気に取られてしまう。

 

先程の豪快な様子からは想像できない、心配げな表情を見せる一征。

 

 

「あの…。そんなことは全くないですよ?陸君はクラスの中心ですし、むしろクラスに起きた問題を解決してくれてます」

 

 

全く嘘偽りなく、小咲は一征の問いかけに答える。

小咲が言ったことはすべて事実だ。陸はいつもクラス内で数多くの友人と笑い合って過ごしているし、誰かが揉めてたりしているといつも間に入って仲介している。

 

一征が持っている懸念は、はっきり言っていいが杞憂だ。

 

そう確信を持って答えた小咲なのだが…、気持ちが伝わらなかったのか一征の表情はすぐれない。

一体、何をそこまで心配しているのだろうか。考える小咲に、一征が口を開いた。

 

 

「あいつはな…、信じられねえかもしれねえがガキの頃は俺や、楽にさえも口を開かない時ってのがあったんだ」

 

 

それは、どこかの屋上で聞いたことがある。あの時の陸は、今まで見たことのない慌て方をして微笑ましかったのを思い出す。

 

 

「いや、口だけじゃねえな…。一時期は心も開いてなかったかもしれねえ」

 

 

「えっ…」

 

 

その一言には、小咲も目を見開いて驚愕し、思わず声を漏らしてしまう。

 

心を、開かなかった。今は笑っていない時の方が珍しいとすら思えるほど明るく過ごしている陸が、家族にも心を開かなかった?

 

 

「そうしちまったのは、紛れもねえ俺自身なんだ。…もしかしたら、陸は今でも本心を俺に見せていねえのかもしれねえ」

 

 

嘘を言っているようには見えない。

 

一征は今、親の顔をしている。子供を本気で心配し、子供に対する過去の失敗を一征は本気で憂いている。

 

 

「嬢ちゃん、いきなり何言ってんだこの爺さんはって思うかもしれねえ。でもよ…、高校の間だけで良い。あいつの事…、それとなく見てやってくれねえか?」

 

 

ずっと目を伏せていた一征が顔を上げ、真っ直ぐ小咲の目を見つめる。

 

正直、小咲には何故一征がここまで必死になっているのかがわからない。

だがそれは、きっと小咲が学校やその他…、友人たちと一緒にいる陸しか見たことがないからわからないのだろう。

 

だから、今思えばここが始まりだったのだろう。

 

 

「はい」

 

 

この一言が本当の始まりとなる。

まだ、小咲はこの一言が、この決意が自分にどれだけの事態を引き起こすのか知る由はない。

 

だが、この時は信じていた。きっと陸のことをこれからゆっくり知っていくことができるのだと。心の端では、その事を喜んでいたかもしれない。

 

それでも、世の中は甘くない。簡単に上手くいくことなど一握りよりもさらに少ないのだ。

 

 

 

 

「嬢ちゃん、俺ぁ覚えてるぜ…」

 

 

立ち去る小咲の後姿を眺めながら、一征は不意に呟いた。

 

 

「二人がまだガキだった頃…、嬢ちゃんは必死に陸と遊ぼうとしてたことを。他の娘は諦めたってのに…、嬢ちゃんだけは諦めなかったことを」

 

 

「感謝してるんだぜ?嬢ちゃんのおかげなんだからな。…今の陸があるのは」

 

 

この呟きは小咲には届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、小咲。湯加減は良かったか?熱かったり温かったりしてなかったか?」

 

 

「…ふふ」

 

 

自分が寝る布団を敷いてくれている陸が自分を見つけ、初めに言った言葉を聞いて思わず小咲は噴き出してしまった。

陸が敷布団の上に毛布を置きながら戸惑いの表情を浮かべる。

 

 

「な、何だよ」

 

 

「ふふふ…、ご、ごめんね?だって陸君、一征さんと同じこと言ってるんだもん」

 

 

「親父と?」

 

 

『お湯加減は良かったかい?』『湯加減は良かったか?』

微妙に違う所もあるにはあるが、全く同じセリフと言っていいだろう。

こういう所を見たり聞いていると、やっぱり親子なんだなぁと微笑ましく思える。

 

 

「親父が何を言ったのかは知らんけど、何だ。風呂からあがってから親父と何か話したのか?」

 

 

「え?あ…、うん。まぁ…」

 

 

たった一言だけで、一征と話したことを見抜いてきた陸。

 

 

「へぇ。…なぁ、親父、何か変なこと言ってねえよな?もしそうだったら教えてくれ。ちょっとぶっ飛ばしてくるから」

 

 

「そ、そんな事じゃないよ?陸君は学校でどうしてる?とか、友達と上手くいってるのか?とか、聞かれただけだから」

 

 

一征と話した内容を聞いてくる陸に、小咲は嘘は言っていない。

全てを言ってはいないが、嘘を吐いたわけではない。

 

陸に罪悪感が沸いてしまうが、あの話の内容を陸に言う訳にはいかないだろう。

というか…、言ったら言ったで自分が恥ずかしすぎる。

 

あの話は、もしかしたら要するに『陸を頼む』と言われたのではないかと時間が経ち小咲はそう飲み込めてきた。

 

 

「…まぁいいさ。親父に口止めでもされてんだろ?小咲から聞かなくても後で親父に聞いてやる」

 

 

「…」

 

 

やめて

 

この一言が喉元まで出てきてしまう。

もし陸が一征に聞いて、一征が答えてしまったら…。もう陸と顔を合わせることができなくなる。

 

だが何とか言葉を飲み込んで小咲は耐え切った。耐え切ったのだ。

 

 

「…くくっ」

 

 

「?」

 

 

ふと気付けば、陸は布団を敷き終えていた。そして小咲の方を見て、不意に笑みを零す。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「あ、いや…」

 

 

突然噴き出した陸に問いかける小咲。デジャブを感じるのは気のせいだろう。

 

 

「夏休みの初めの日に、俺が小咲の家に泊まっただろ?で、小咲も冬休みの初めの日に家に泊まりに来てる。何かおかしくなっちゃってさ。俺、小咲と初めて話した時なんかこんな風になるなんて思ってなかったわ」

 

 

本当に面白そうに、それでいてどこか柔らかい声で笑う陸を、小咲はじっと見つめていた。

笑い続ける陸の横顔を見つめながら、小咲は一征の言葉を思い出していた。

 

 

『俺や、楽にさえも口を開かない時ってのがあったんだ』

 

 

『一時期は心も開いていなかったかもしれねえ』

 

 

一征はああ言っていたが、こうして陸を見ていると本当に想像がつかない。

想像がつかない、のだが…。

 

 

(何でだろ…。一征さんの話を聞いてから…、明るくしてる陸君を見たら不思議と嬉しくなってくるっていうか…、何だろう?)

 

 

今の陸を見ていると、心が躍ると同時に安堵のような…。

小咲自身、今感じているものが何なのか、どう言い表せばいいのかわからない。

 

しかし、無意識に一言だけ小咲は口にする。

 

 

「良かった…」

 

 

「ん?小咲、何か言ったか?」

 

 

「ううん、何も言ってないよ」

 

 

何が良かったのかはわからない。けど、小咲は心の中で確かにそう思ったのだ。

 

陸が明るくなって、本当に良かったと。

 

 

「さてと、何もすることなくて暇だろ?あまり興味ないかもしれないけど、俺の部屋でゲームするか?」

 

 

「あ、あまり上手じゃないよ?」

 

 

「小咲の部屋にゲームひとつもなかったからな、初心者なのはわかる。でも…、退屈だろ?別にバカにしたりしないからさ、少しでいいからやってみようぜ?嫌だったらすぐに止めていいから」

 

 

「う、うん…」

 

 

この時、小咲は戸惑っていた。

ゲームをやったことは一度もない。どんなゲームをするかはわからないが、自分は絶対にヘタですぐに負けて陸を退屈にさせてしまうだろう。

 

だが、皆も知っているだろう。小咲は指の器用さを。

指が器用=ゲームが上手い、ではないのだがそれでも少なからず有利不利には影響するだろう。

そして、小咲は指が器用と同時にゲームの才能もあったのだ。

 

 

「あぁっ!?小野寺、それ以上は…あぁっ!!」

 

 

「っはははははは!えぐい!その攻撃のしかたはえぐすぎる!」

 

 

「え!?えぇ!?」

 

 

良くわからないが、四人一緒に遊べる対戦ゲームで楽をすぐに倒してしまった。

 

初心者にやられてしまった楽はショックを受け、小咲のプレースタイルのえぐさに爆笑する。

小咲は何故陸に笑われているのかわからずおどおどしているが…、陸に誘われた時の沈んだ心境とは打って変わり、その表情には確かに笑顔が浮かんでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第二のオトマリこれで終了です…。

イチャイチャしてねえじゃねえか、何があったんだ。(憤怒)
手が勝手にシリアスにしたんだよ、悪いか。(憤怒)

さて、今後の話の予定なのですが…、正月を描こうかどうか悩んでいます。
原作ではあのカオスな話ですが…、陸君は恐らくあの出来事に参加させられないんですよ。
陸君はやくざの後継者筆頭ですし、間違いなく組の仕事や挨拶で忙しい。
…そんな話、読みたいですか?自分ならぶっちゃけ読みたくない。

ということで、正月をどうするかどうかは考えます。
正月の次はバレンタインの話ですし、そしたらまず間違いなくイチャイチャが描ける…!(確信)
イチャイチャが描けない正月なんて…、と、とりあえずこちらで考えますので次回の投稿をお待ちいただけると嬉しいです。


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第46話 オトナリ

正月は飛ばしました。
あのイベントは楽一人が被害者になるからこそ面白いものだと思いますし…。

後、今回はバレンタインではありません。
その後の展開を描きやすくするための繋ぎ(?)の回です。
ではどうぞ。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は冬休み明けの学校初日、始業式の日である。

あの小咲のお泊りからは陸には特に事件も何もなく平和な日々を過ごしていた。

 

ともあれ、無理やり特筆するとしたら正月、年始の日だろう。

陸は家に挨拶をしにやってくる人たちを一征と共に応対していた。

あのマダムフラワーが経営する企業から二人、幹部と名乗る男が挨拶をしに来た時は驚いたものだ。

まぁ、一征は毎年人は違うが挨拶しに来てるぞと言った時はもっと驚いたが。

 

とにかく今年陸は初めて一征と一緒ではあるが組に挨拶をしに来る人たちの対応を経験した。

 

これが冬休み中に起きた事件である。

楽の部屋に行った時、何故か楽が寝込んでいて本人に聞いても理由は覚えていなかったらしいが…、陸に起きた事件は他にはないのである。

 

 

「よーし、皆よく聞け―。これから席替えするぞー」

 

 

そして今、始業式を終え、配布物を受け取りホームルームも終えたと思ったその時、キョーコ先生がそんなことを言い始めた。

 

 

「いやぁ~、私としたことが二学期にすっかりやり忘れちゃってねー。早く帰れると思った皆には悪いけど、ちゃっちゃとやっちゃおうか」

 

 

クラス中から不満が垂れる中、キョーコ先生はクラス委員にくじを作る様に指示する。

 

そんな中、陸は椅子の背もたれに体重を預けながら天井を見上げていた。

 

 

(席替えか…。そういえば確かに、二学期にはやらなかったな)

 

 

もうこの席にいるのが当たり前のように感じていた。

大分後ろの方の席だったため、居心地もよかったし正直あまり席替えしたくないというのが陸の本音。だが…

 

 

「はぁーい!私は楽様の隣の席が良いですわー!」

 

 

「席替えだって言ってんでしょー。自分の運に祈りなさい」

 

 

立ち上がり、手を上げながら言う万里花の様に席替えを望む人も少なくないはず。

むしろ席替えをしたくないという人の方が少ないと思われる。

 

現に、先程まだ帰れないのかと不満を垂れていた人たちのほとんどは今では笑顔を浮かべてくじが完成するのをまだかまだかと待ち構えている。

 

 

(…まぁ、キョーコ先生の言う通り自分の運に祈るとしますかね)

 

 

こうなってしまっては仕方がない。何としても後ろの席を、出来れば一番後ろで窓側の席になる様に祈り、そしてついにくじを引く。

 

その結果は────────

 

 

「きゃ~~~~~!楽様がこんなに近くに~~~~~!!」

 

 

「おいおい…、いつもの面子が勢揃いって感じだな…」

 

 

「よろしくね、皆」

 

 

「うっひょ~~~!俺らツイてんな~~~!!」

 

 

「何故貴様の近くになど…」

 

 

顔を真っ赤にして喜んでいる万里花。

何処か呆れ顔を浮かべて、でもその表情には確かに喜が浮かんでいる楽。

笑顔を浮かべて周りの人に挨拶する小咲。

両手を上げてはしゃぐ集。

不満げな口調のように聞こえるが、頬を僅かに染めている鶫。

喜ぶ五人を眺めているるり。

 

この六人が教室の前、それも真ん中という位置的には最悪な場所とはいえ固まっている。

これはテンションが上がるだろう。

 

さて、楽が言ったいつもの面子。残る二人がどこになったかというと…。

 

 

「桐崎さん、隣の席の山田です」

 

 

「前の席のゴリ沢です、よろしく」

 

 

千棘は廊下側の端から二番目、一番後ろの席になった。

それも、周りを全て男子に囲まれた状態。

 

 

(うわぁ…。気の毒に…。気持ちはわかる、うん)

 

 

頭を抱え、現実を嘆く千棘の姿を見て同情する陸。

そう、同情できてしまうのだ。

 

 

「ち、千棘。近くの席になったな。よろしく」

 

 

「り、陸~…」

 

 

何故なら、陸は千棘の隣の席になった体。

陸の席は廊下側の一番端、そして一番後ろの席である。

つまり、千棘を囲む男子の中の一人となってしまったのだ。

 

何故だか申し訳ない気持ちになる陸をよそに、この席替えの結果に不満を持つクラスメートたちが現れる。

 

 

「え~!俺のまわりに女子全然いないじゃん!」

 

 

「俺も、こんな前の席嫌だよ!」

 

 

「私、前じゃないと黒板の字が見えないよ…」

 

 

男子二人の意見はどうでもいいが、女子の意見は取り入れなければならない。

 

 

「やり直しを要求する!」

 

 

目が悪い女子だけをどうにかすればいいと思うのだが…、クラスの誰かがそんなことを叫んだ。

 

 

「ふふ…、ごねても駄目ですわ皆さん。席替えにやり直しなどというものは…」

 

 

「いいわよー」

 

 

「え!?」

 

 

万里花がどや顔で要求を突っぱねようとするも、キョーコ先生が机に顔を載せながらだらけた表情で要求を受け入れる。

目を見開いて驚愕する万里花をよそに、キョーコ先生はクラス全員からくじを回収し再びくじ引きの準備を始める。

 

 

「いやまぁ?三学期ともなりゃあんた達にも色々とあるだろうし?生徒の自主性を重んじて、ね?」

 

 

「え~~~~~~~~~~!?」

 

 

万里花が明らかな不満を顔に表している。

 

それを眺めてから、陸はこっそり隣の千棘に目を向ける。

 

 

(あ、やっぱりホッとしてる)

 

 

明らかに安心し、胸をなでおろしている千棘の姿があった。

 

そして再び始まるくじ引き。その結果は…。

 

 

「鶫ーーーーー!!」

 

 

「お、お嬢…」

 

 

「うわっと、あぶね…」

 

 

後ろの席で千棘、鶫、楽と左から順番で並んでいる。

小咲は窓側から二番目の真ん中の席。万里花は一番窓側。集が廊下側の一番後ろの席で、るりが小咲の隣の席に位置していた。

 

そして陸は…

 

 

「やり直しを要求します」

 

 

「なっ!?貴様、一条陸!何の理由があって…」

 

 

手を上げながらキョーコ先生にやり直しを要求する陸。

鶫が立ち上がり、陸に指を差しながら怒鳴る。

 

 

「俺、一番前の席は嫌なんで。もう一回くらいやり直してもいいでしょ」

 

 

「いいわけあるかー!」

 

 

「いいよー」

 

 

「はぁ!?」

 

 

どこから聞いてもどうでもいい理由。

鶫がさらに激昂するが、キョーコ先生はやり直しを認める。

 

折角楽の隣になれた鶫は、ショックで顔を青くするのだった。

 

 

(すまん)

 

 

そして陸は心の中で謝罪するのだった。

 

 

「先生、やり直しを要求します」

 

 

次のくじ引きでも、今度はるりが結果に不満を持ったらしくキョーコ先生にやり直しを要求する。

隣の集の戸惑いの表情が面白かった。

 

その次のくじ引きでは、千棘と万里花が隣同士になり二人がやり直しを要求した。

 

何度やっても誰かが不満を持ち、やり直しを要求する。

生徒の自主性を重んじている(?)キョーコ先生はその要求を受け入れる。

 

そんな感じで何度やっても席が決まらない。

流石のキョーコ先生も、痺れを切らす。

 

 

「は~い、もう時間がないからこれが最後の一回ね~。もう恨みっこなしだよ~」

 

 

ついにラスト一回が宣告される。

皆の表情が緊張感に満ち、手に汗を浮かべながらくじを引く、

 

 

(いや、何でそんなに緊張してるんだよ。…いや、俺も後ろの席になりたいけどさ)

 

 

例外も一人いるが、その例外も内心の欲は抑えきれない。

くじを引く番になると、僅かに手に汗を滲ませる。

 

 

「じゃ、皆くじを開いてー」

 

 

皆がくじを引き、キョーコ先生がくじを開くように言う。

 

果たして、結果はどうなったのか。

 

 

(…よっしゃーーーー!一番後ろ、それも窓側の端じゃねえか!)

 

 

陸にとっては最高の位置を取ることができた。

 

陸は嬉々としながら、気が緩めばスキップしてしまいそうなほど心を躍らせながら新たな自分の席に腰を下ろす。

 

 

(うわぁ、夢にまで見たこの席…。もう離れないからな!)

 

 

…少し行き過ぎている。気持ち悪い。

 

 

「あれ?」

 

 

「?」

 

 

机に頬擦りしていると、隣から戸惑いの声が聞こえてきた。

陸はその声に我に返り、自分の行動を顧みて僅かに頬を染めながら声が聞こえてきた方へと振り向く。

 

 

「り、陸君…」

 

 

「小咲?」

 

 

何と、隣の席に座っていたのは小咲だった。

そして陸は小咲の前に座っている人物を見て目を丸くする。

 

 

「お、千棘も近いのか」

 

 

「小咲ちゃん!陸も!」

 

 

千棘は、後ろに座る小咲に声をかけた後、小咲の隣の席に座る陸に目を向けて挨拶する。

 

 

「…何だこれ」

 

 

さらに、これだけではなかった。

千棘の隣、そして陸の前に座る人物。

楽が千棘、小咲、陸と並ぶ面子を見て目を丸くしながら呆然としていた。

 

 

「…何だこれ」

 

 

「ら、楽!あんた、席ここなの!?」

 

 

「あ、あぁ…」

 

 

「一条君も近いんだね、よろしくね?」

 

 

知らぬは本人たちだけ。

傍から見れば、どこか運命さえ感じさせるこの並び。

 

 

(…静かには過ごせなさそうだな)

 

 

陸は、小咲の向こう側で口論を始める楽と千棘を見て思う。

 

 

(でも、悪い気はしないな)

 

 

自分が一番望んでいる静かな時は諦めなければならないようだが、まったく悪い気はしない。

むしろこれからの三学期が楽しみになってくる。

 

始まる前はどうなることかと思っていた席替えだったが、無事乗り越え、さらに最高ともいえる結果を手に入れた陸なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁるりちゃん。近くになったよ、やったねるりちゃん」

 

 

「…」

 

 

 

 

「何故貴様の隣になど…」

 

 

「それはこちらのセリフですわ」

 

 

 

 

いつもの面子、その他の結果である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ということで席替えです。
この後の展開もそうですが、陸小咲楽千棘の四人が一カ所に固まる席順を作りたかったんや。
そのためだけにこの回を描いたんだ、悪いか!(笑)

次回は今度こそバレンタイン回です。




それと、ニセコイには関係ありませんが活動報告である報告があります。
興味がある方は覗いてみてください。


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第47話 センソウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外はすっかり暗くなり、早い人はそろそろ寝はじめるようなそんな時間。

小野寺家のキッチンには明かりが点いており、そこには可愛らしいエプロンを身に着けた小咲がいた。

 

 

『次は残りのメレンゲを加えて…』

 

 

耳には、肩に挟まれた受話器が当てられ何やら電話の相手から料理のレシピの説明を受けている様だ。

 

 

『…ねぇお姉ちゃん、やっぱり私無茶だと思うなぁ。お姉ちゃんが手作りでおいしいチョコ作るなんて』

 

 

「いいから、次教えてよ次…!」

 

 

言われなくてもわかっている。自分が料理下手だという事は。

だがこれは譲れない。今ここだけは、絶対に譲ることは出来ない。

 

 

「うぅ…。私もこんな風に料理上手だったらなぁ…」

 

 

『いや、お姉ちゃんはちょっと特別というか…』

 

 

電話をスピーカーモードにしてテーブルに置き、小咲は下準備を終えたものをオーブンの中に入れる。

後は、焼けば終わりだ。少し苦労したが、これで明日は安心…。

 

そう思い、小咲がスイッチを押したその直後…、轟音が響いた。

 

 

『お、お姉ちゃん!?今の音なに!?』

 

 

「…」

 

 

電話から慌てる声が聞こえてくるが、小咲はその声に返事を返すことができない。

呆然と、蓋が開き中から黒い煙を上げるオーブンを眺める。

 

 

「…私、今なに作ってたの?」

 

 

『何って…、ガトーショコラでしょ?』

 

 

この失敗から、小咲への試練は始まる。

何度も何度もトライを続け、何度も何度も失敗が続き…、気づけばもう日を跨ぐ時間にまで来てしまった。

 

 

『お姉ちゃん、もう止めたら…?私、眠くなってきたよ…』

 

 

「ご、ごめん。もう少しだけ…」

 

 

『それ、さっきも言ってたよ…』

 

 

電話の相手もさすがに眠くなってきたようだ。そしてそれは、小咲にも同じことだった。

けど、諦めたくない。何とか、おいしく作りたい。その思いが、ひたすら小咲を突き動かす。

 

 

『ねぇ、やっぱりお姉ちゃんには無理だよ…。チョコなら明日の朝に買えばいいんだから。相手の事も考えないと…』

 

 

「そんな事ないもん…。私だって、たまにはおいしく…」

 

 

受話器から聞こえてくる言葉に、小咲は唇を尖らせながら返し、そして口の中に新たにできたチョコを入れる。

 

先程までは、入れた瞬間に衝撃が奔った。しかしさらに前には完成にさえ至らなかったのだから成長した方だろう。

しかし、今回は違った。口の中に広がるのは、確かなチョコの甘み。それこそ、コンビニやスーパーなどで売られている商品よりも断然…

 

 

「おいしい…!」

 

 

『え!?』

 

 

上手くいった…?上手くいった!

 

心の中に歓喜が満ちる。受話器から賛辞の言葉が聞こえてくるが、小咲は返事を返さない。返すことができない。

感激と、明日は絶対にこのチョコを渡したいという欲求が全てを支配していたからだ。

 

そう、明日は二月十四日。

バレンタイン──────乙女の戦争の日である。

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいな、楽が俺と一緒に学校行くなんて」

 

 

「ん…まぁな。今日は何か早く起きちまったし、千棘も今日は一緒に行けないとかメールで来てたからよ」

 

 

バレンタイン当日、陸はいつも通りの時間に、楽はいつもより早い時間に家を出て、双子は並んで歩いていた。

二人は特に当たり障りない話を交わしながら学校の敷地内へと入っていく。

玄関へと入り、先に陸が下駄箱から上靴を取り出して履き替える。

 

陸が上靴を履いている間、楽も下駄箱を開けようと取っ手に手をかけて…、勢いよく開けた。

 

 

(…今、期待したな)

 

 

「期待したな、貴様」

 

 

「してない。ぜんっぜんしてない」

 

 

陸の内心の呟き、そしていつの間に背後に来ていたのか集が楽の耳元で囁いた言葉は重なった。

即座に楽が否定の言葉を言うが、先程の行動を見ればチョコを期待していたのは明らかだ。

 

さらに、楽の愚行はそれだけではなかった。

教室に入り、陸と楽はそれぞれの席に座る。

 

陸は先日の席替えで楽の後ろの席になったから、前の楽の行動が良くわかってしまう。

楽は、机の上に鞄を置くと体を傾けて机の中を覗き込んだ。

 

 

「期待したな、貴様」

 

 

「し、してないって言ってんだろ」

 

 

玄関での集と同じ言葉を楽だけに聞こえるようにボリュームを下げて言う陸。

集の時と同じように、楽はすぐに否定するが…バレバレである。

 

 

「ていうか、お前はどうなんだよ陸。期待してねえのか?」

 

 

「期待っていうか…、確信、かな?」

 

 

「は?」

 

 

陸の言葉を怪訝に思い、眉を顰める楽をよそに陸は机の中に手を入れる。

 

 

「…やっぱりあった」

 

 

「…」

 

 

机の中から取り出されたのは、可愛らしいピンクの包装に包まれたチョコ。

楽は目を点にして、呆然と陸の手が握る物を見つめる。

 

 

「…俺たち双子なのに、どうしてこうまで差が広がったんだ」

 

 

「知るか」

 

 

少し嫌な言い方をした陸だが、大体小学五年生くらいからだろうか。

チョコをもらう様になり、そしてそれから毎年バレンタインにはチョコをもらい続けてきたのだ。

 

先程の陸が言った確信とは、これまで毎年本命義理に関わらずチョコをもらい続けてきたから多分今年ももらうだろというものだったのだ。

 

 

「俺だって本命はそう何度ももらってないぞ?ほら、これだって友達からだし」

 

 

「…何でそんなのわかるんだよ」

 

 

「だってこの紙に書かれてる名前の人、彼氏いるから」

 

 

「…」

 

 

リア充でした。双子の弟は、彼女こそいないものの完全なるリア充でした。

 

 

(何だよお前の交友関係の広さはよぉ…。小せえ頃は先が心配になるくらいコミュ障だったくせに…)

 

 

心の中で感じた安堵の気持ちはもうどこかに行ってしまった。

 

先程も言ったが、どうしてここまで差が開いてしまったのか。

別にそこまでかけ離れた行動はしていなかったはずなのに…。

 

 

「おはよう、もやし」

 

 

「ん…、あぁ、おはよう」

 

 

落ち込む楽に、冷ややかな挨拶がかけられた。

楽が見上げると、そこには楽を見下ろす千棘が立っていた。

 

千棘は楽から視線を外して、椅子を引いて腰を下ろし鞄から教科書などの荷物を出して整理を始める。

 

 

「…ねぇ、今日は何でみんな浮足立ってるの?」

 

 

「あ?…あぁ、お前アメリカ育ちだからバレンタインの事知らねえのか?」

 

 

「あぁ…、バレンタインね。そっか、今日はバレンタインなのね…」

 

 

「…」

 

 

前の席に座る二人のやり取りを、陸は黙って眺める。

 

 

「千棘は楽にチョコ上げんの?」

 

 

「はぁ!?」

 

 

そして陸が千棘に、楽にも聞こえるように問いかける。

瞬間、千棘は両目の端を吊り上げて陸を睨みつける。

 

 

「そんなわけないでしょ?確かにこいつとは恋人の振りしてるけど、そこまでする義理ないじゃない」

 

 

ボリュームを抑え、周りに聞こえないようにして千棘は言う。

 

その言葉を聞いた楽は、少しショックを受けたように表情を歪めるが、千棘は知らぬ顔でそっぽを向いている。

 

 

(…素直じゃねぇ)

 

 

そんな千棘の様子を見て、陸は呆れたようにため息を吐く。

どうせ楽のためにチョコを作ってきたのはわかっている。…出来はわからないが。

 

何で素直に渡せないんだか…、気持ちはハッキリしてるんだろうに。

 

 

「ほーい、皆席に着け―」

 

 

素直じゃない千棘に呆れている中、チャイムが鳴り、同時にキョーコ先生が教室に入ってきた。キョーコ先生がファイルを机に置き、教室にいる生徒を見回した。

 

 

「…小野寺はどうした?欠席か?」

 

 

そこで、キョーコ先生が小咲が席にいないことに気付く。

席に鞄などもないし、まだ学校に来ていないのだろう。

 

陸も楽と千棘のやり取りを見ながら気にしていたのだが、風邪でも引いたのだろうか。

 

と、そこに教室の扉が開く音が響き渡った。教室にいる人たち全員の視線が集まる。

そこには、こそこそと体を小さく縮こまらせながら教室に入ってくる小咲の姿があった。

 

 

「おー、小野寺。遅刻なんて珍しいな」

 

 

「す、すいません…」

 

 

「昨日、遅くまでチョコ作って寝坊したのか?おーおー、青春してるなー」

 

 

「ち、違います!」

 

 

途端、ドッと笑いが溢れた。

だがそれと同時に、キョーコ先生の言葉を真に受けた男子もいた。

 

 

「小野寺が、チョコ…」

 

 

「ふっ、そのチョコは俺が頂いた…」

 

 

「小野寺さん…、も、もしかして僕に…」

 

 

(丸聞こえだぞお前ら、もっと声を抑えろ)

 

 

心の欲望を抑えられず、口に出してしまう数人の男子に内心で忠告するがもちろん届くはずもなく。

周りの席に座る女子達に、冷たい視線を向けられていた。

 

 

「はぁ…」

 

 

「でも、本当に珍しいな。どうしたんだ今日は?」

 

 

「あ…、ちょっと寝坊しちゃって…」

 

 

ため息を吐きながら席に着く小咲に、陸がこっそり話しかける。

小咲はハッ、と顔を上げて陸に返事を返す。

 

寝坊、か。やっぱり、キョーコ先生の言うようにチョコを作っていたのだろうか?

だとすれば、小咲がチョコを渡したいと思う相手がいるという事だ。

…何だろう、少し気になってしまう。決して口には出さないが。

 

 

「…あれ…、陸君。その包みは…」

 

 

「ん?あぁ、これ?チョコ。勿論義理だけどな」

 

 

ふと、小咲の目が陸の机の上にいく。陸の机の上には、ホームルーム前に陸が机の中から出したチョコがあった。

そのチョコについて問われた陸は、正直に友達からもらった義理チョコだと答える。

 

その時、一瞬だけ小咲が悲し気に眉を顰めたことに陸は気づかなかった。

 

 

「そっか…。良かったね、陸君」

 

 

「まぁ…、もらわないよりはマシかな?」

 

 

「っ…」

 

 

今度は、前の人へも聞こえるように少しボリュームを大きくして答える陸。

直後、僅かにピクリと楽の体が震えたのを陸は見逃さなかった。思わず小さく吹き出してしまうのだった。

 

 

 

 

 

「そういえば、今日橘来てないよな?」

 

 

「あぁ…。風邪でも引いたのかねぇ?」

 

 

授業が終わり、放課後。ホームルームが終わって教室を出た陸と楽、集の三人は集まって話をしていた。

その時、ふと楽が言って集が答える。

 

 

(…いや、今日がバレンタインだと考えると橘なら間違いなく風邪を引いてたとしても無理して学校に来ようとするはず。だけど、まだ来てない。…それはつまり)

 

 

「あっ、楽様!」

 

 

楽と集が万里花の欠席について話している間、陸は万里花が学校に来ない理由は他にあると考えていた。

そんな中、三人の背後から聞こえてくる声。

 

振り返れば、そこには…巨大な楽の像。

 

 

「は?」

 

 

呆けた声を漏らす楽。陸と集も、あんぐりと口を半開きにさせて楽の像を見つめる。

 

そうして見つめている内に気づいたのだが、あの楽の像の材料はチョコだ。こちらまで甘い匂いが漂ってくるのがわかる。あの楽の形をしたチョコが間違いなくおいしくできていることが、わかる。

 

だが…

 

 

(怖い…、怖ぇよ…)

 

 

万里花とすれば溢れる楽への愛を込めたつもりなのだろうが、見ている側からしたら正直恐怖しか感じない。それは、受け取る側の楽の方が大きいだろう。

 

 

「っ!」

 

 

「あっ!逃がしませんよ、楽様!」

 

 

現に逃げ出した楽がそれを物語っていた。

 

 

「逃げたくなる気持ちはわかるけど…、ちゃんと最後は食べてやれよ、楽」

 

 

ぽつりと、楽へ忠告した陸は集と分かれて鞄を持ち、帰るために玄関へと向かう。

 

 

「陸君、待って!」

 

 

だが、一階へ降りる階段に差し掛かったその時、背後から先程とは違う声が陸を呼び止めた。

立ち止まって振り返ると、そこにはこちらへ駆け寄ってくる小咲の姿があった。

 

 

「小咲?」

 

 

「あのっ、私!陸君に渡したいものが…きゃっ」

 

 

何かを抱えているのが見えたが、それが何なのかを確認する前に走っていた小咲が派手に転んでしまう。

 

 

「小咲!?大丈夫か!?」

 

 

慌てて陸が倒れた小咲に駆け寄ろうとする。

 

 

「来ないで!」

 

 

「え?」

 

 

しかしその前に、小咲が陸が近寄ろうとするのを拒む。

思わぬ小咲の大きな声に、陸は驚き立ち止まる。

 

陸の目の前で小咲は、震えながらゆっくり立ち上がる。

 

 

「大丈夫…、大丈夫だから…」

 

 

大丈夫なら、それで良い。

 

それで良いのだが、どう見ても大丈夫のようには見えない。

 

 

「…ごめんね」

 

 

「あ…」

 

 

突然、立ち上がったと思えば走り出す小咲。

 

何か自分に用があったんじゃないのか?転んで大丈夫だったのか?

聞きたいことはたくさんあるが、何よりも一番陸が聞きたいのは。

 

 

(何で…、泣いてるんだ…?)

 

 

小咲が駆けだす直前、一瞬だけ見えた目から零れる光るもの。

 

何が起こったのかわからず、少しの間、陸はその場で呆然と立ち尽くすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第48話 ワタシテ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく作れたのに…、これじゃ渡せないな…」

 

 

どんよりと暗い気持ちを漂わせながら、中庭で小咲は呟いた。

小咲は芝生に正座で腰を下ろし、目の前にバラバラになってしまったチョコレートの入った袋が開かれていた。

 

そう、先程陸の目の前でこけた時、この袋が自身の体の下敷きになってしまったためこのようになってしまったのだ。

 

 

「あ、やっぱりおいしい…」

 

 

チョコレートの一かけらを口に含み、味わう。

チョコレートはしっかりとした苦みとほんのりとした甘みのバランスが良く、本当にこれを作ったのかと自分でも信じられなくなってしまう。

 

 

「おいしく作れたのにな…」

 

 

小咲自身、自分が料理を苦手としているという自覚はある。

だから、何としてもこのチョコレートを陸に渡したかった。

 

それなのに、自分のミスでチョコレートを台無しにしてしまった。

それがどうしようもなく悔しく、どうしようもなく悲しい。

 

 

「勿体ないなぁ…」

 

 

こんなもの、渡せない。自分で渡せなくしてしまった・

 

小咲はチョコレートをぱく、ぱく、と口に入れる。

何かしていないと、必死に留めている感情が流れ出しそうだったから。

 

 

「あれ?小咲ちゃん?」

 

 

その時だった。背後から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

振り返ると、きょとんとした顔でこちらを見ている千棘の姿が。

 

 

「千棘ちゃん…」

 

 

「どうしたの?こんな所で」

 

 

千棘は小咲に歩み寄って問いかける。

 

何をしている、と聞かれても答えられない。

自分自身でも、何をしているのかわからなくなってしまっているのだから。

 

 

「小咲ちゃん、それチョコ?」

 

 

「え?あっ、えっと…」

 

 

すると千棘が小咲の背後を覗き込んで、開かれた袋の中身を見た。

 

 

「あっ!そのチョコ、陸にあげるんでしょ!」

 

 

「ふぇぇぇっ!?」

 

 

え!?何で!?何で知ってるの!?

 

まさにそう言わんばかりに小咲は顔を真っ赤に染め、目をまん丸く見開く。

 

 

「小咲ちゃん。私もそうだけど、楽も舞子君も、るりちゃんも知ってるよ?」

 

 

「る、るりちゃんは私も知ってたけど…、え!?一条君と舞子君も!?」

 

 

いつの間に自分の思い人がここまで知れ渡っていたのだろう。

るりが教えたのだろうか?…後で問い詰めよう。

 

 

「それで、小咲ちゃん。そのチョコ、陸にあげないの?」

 

 

「…うん。もう、駄目になっちゃったし」

 

 

首を傾げながら問いかける千棘に、小咲は微笑みながら答える。

 

バラバラになったチョコを渡されても、不快な思いをするだけに決まっている。

 

だから、渡さない。渡せない。

諦めるしか、ない。

 

 

「小咲ちゃん…」

 

 

「千棘ちゃんは、チョコ誰かにあげないの?」

 

 

千棘の表情が悲しく染まる。

 

そんな顔をしないでほしい。これは自分のドジで招いた結果なのだ。

千棘が、そんな風に悲しく思う必要はない。

 

小咲は自分の話題から今度は千棘の話題に移そうとする。

 

 

「え?私?」

 

 

千棘の表情も、きょとんとしたものに変わる。

話題を変えることに上手くいったようだ。

 

 

「私は…、あげようと思ってる人は…いる…かな」

 

 

「え?」

 

 

千棘が、チョコを渡したいと思っている人がいると言った。

小咲は目を丸くして、口を開いた。

 

 

「それって、千棘ちゃんの好きな人?」

 

 

「…うん」

 

 

僅かに頬を染めて頷く千棘。

 

千棘の好きな人。

小咲の頭の中に、ある少年の顔が思い浮かぶ。

時には喧嘩をして、時には笑い合って。千棘と、とても仲良くしている少年の顔。

 

 

「それって…、一条君?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ!この辺で小咲を見かけなかったか?」

 

 

「寺ちゃん?ううん、見てないけど…」

 

 

廊下で見かけた女子のクラスメートに問いかけるが、答えは否。

 

 

(どこ行ったんだ…?さっきの小咲、様子がおかしかった気がしたんだが…)

 

 

先程突如去った小咲を追ったが、見失ってしまった陸。

その後、小咲を探し続けているのだが全く見つからない。

 

 

「待たんか貴様―――!!」

 

 

「うぉおおおおおお!誠士郎ちゃん、堪忍やぁああああああああああ!!」

 

 

小咲の姿がないか、辺りを見回す陸の耳に二人の男女の声が届く。

その声が聞こえてきた方へ視線を向けようとすると…、目の前を横切る二人の人影。

 

 

「集…、鶫も…?」

 

 

何やら二人は必死で…、本当に生きるか死ぬかの勢いで追いかけっこをしている。

 

 

「何してんだあの二人…。いや、そんな事よりも小咲だ」

 

 

どうしたのか気になるが、今は置いておくべきだ。小咲を見つけることが先決。

陸は視線を周りに回しながら、再び歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

千棘の目が見開かれ、だが瞳が揺れているのがわかる。

千棘の顔もみるみる赤くなっていく。

そんな千棘の様子を見て、小咲は悟る。

 

 

「…ふふっ」

 

 

「え…」

 

 

不意に笑いだす小咲。そんな小咲を見て、千棘が呆然と声を漏らす。

その千棘の反応が、小咲の笑いをさらに引き出してしまう。

 

 

「ふふふ…、ふふっ」

 

 

「え?えっと…、小咲ちゃん?」

 

 

笑いを止められなくなった小咲に、戸惑いの目を向けながら千棘が声をかける。

 

 

「ご、ごめんね?でも…、千棘ちゃんの反応が…」

 

 

正直、バレバレだ。千棘は、楽に思いを寄せているのだ。

 

日頃の行動を見ていれば、何となく予想は出来たのだが…、時折見せる楽への厳しい態度が確信に至らせてくれなかった。

 

 

「千棘ちゃん、一条君のことが好きなんだ?」

 

 

「えぇ!?え、えっと…あの…」

 

 

千棘の顔を染める赤みが、耳まで広がる。

 

 

「やっぱり…」

 

 

「ち、違うの!このチョコはえっと…」

 

 

「一条君に渡すんでしょ?」

 

 

「…うん」

 

 

違うと否定する千棘だが、顔を見ていると嘘を吐いているのが良くわかる。

止めに一言問いかけると、千棘は顔を真っ赤にして俯きながら小さく頷いた。

 

 

「こ、小咲ちゃんだってそのチョコ、陸に渡す気だったんでしょ?…これからどうするの?」

 

 

話題を戻されてしまった。

千棘は赤くなった表情を戻して、真剣な声音で小咲に問いかける。

 

 

「…どうするも、もうこれは渡せないよ。でも、作り直すにしても、これを作るのにスっごく時間がかかっちゃったし…。陸君が帰るまで間に合う訳ないよ…」

 

 

このチョコレートを作り上げるために要した時間が、およそ五時間。

今の時間は三時半を回った所。どう考えても、下校時間まで間に合うとは思えない。

 

諦めるしかないのだ。

諦めるしか…

 

 

「諦めちゃダメだよ?」

 

 

「え?」

 

 

自分自身を諦めさせようとした所で、千棘が一言言い放った。

 

 

「チョコ、陸に渡したいんでしょ?だったら最後まで諦めちゃ駄目」

 

 

千棘が小咲の隣に腰を下ろし、体を小咲に向ける。

指をちょん、と小咲の鼻に当てて言う。

 

 

「でも…」

 

 

「小咲ちゃんは陸のことが好きなんでしょ?だったら、チョコを渡さなきゃ!今日はバレンタインデーなんだよ?」

 

 

「…」

 

 

千棘の言う通りだ。こんな所で諦めたら…、だが、どうしようもない問題もあるわけで。

 

 

「でも…、材料も持ってきてないし…」

 

 

「あ、材料ならあるよ?実は、ぎりぎりまで試行錯誤しようって思ってて…」

 

 

「今までどこに持ってたの!?」

 

 

材料が手元にないという問題がある…と思われたのだが、小咲の言葉通り、今までどこに持っていたのか不思議に思えるほど大量のチョコの材料を取り出す千棘。

 

小咲が呆然と大量のチョコの材料を眺める中、千棘は小咲の肩をポン、と叩きながら口を開いた。

 

 

「小咲ちゃん。もう一度チャレンジしよう?私も…、頑張ってチョコを楽に渡してみる」

 

 

「千棘ちゃん…」

 

 

「私も手伝う。だから…ね?」

 

 

小咲に手を差し伸べる千棘。

小咲は幾瞬か考え込んでから、その手を取って立ち上がった。

 

 

「私、頑張る。もう一回おいしいチョコを作って、陸君に渡すよ!」

 

 

「うん!」

 

 

決意を秘め、小咲が言う。

千棘も勇気を出しているのだ。自分だって勇気を出せるはずだ。

 

失敗するかも、とは考えるな。できるはずだ。

 

二人は教師に許可をもらい、家庭科室で早速調理を始めた。

 

張り切って始めたは良いものの、知っての通り料理を苦手としている二人である。

小咲の想像通り、そう簡単に上手くいくはずもなかった。

 

昨夜と違い、初めから完成には至れたもののやはり人に食べさせることができる代物はできなかった。

何度も何度も失敗して、だが決してあきらめることなく試行を繰り返す。

 

普通の人ならば、こうして失敗が繰り返される中ショックが重なっていくだろう。

それなのに、何故か小咲と千棘は楽しんでいた。

二人だから、というのもあるだろう。こうして思い人のために努力することが、どうしようもなく楽しいのだ。

 

 

「わっ、大変!千棘ちゃん、もうこんな時間だよ!?早く行かないと、一条君帰っちゃうよ!」

 

 

「え…、でも…」

 

 

試行錯誤を繰り返す中、当然時間は過ぎていき、遂に時計の針は六時に迫ろうとしていた。

千棘が言うには、今日は飼育係の仕事で忙しくしているらしいのだが、そろそろ帰ろうとしていてもおかしくない。

 

 

「でも、チョコまだできてないし…」

 

 

「駄目だよ!今日中に渡せなくなっちゃう!」

 

 

だが、陸へ渡すチョコは未だ完成していないのだ。

手伝うと言ったにも拘らず、自分だけチョコを渡しに行くという事はしたくない。

それが千棘の内心だった。

 

それは、小咲にもわかっている。

だがだからこそ、千棘にはチョコを渡しに行ってほしい。

 

 

「手伝ってくれてありがとう。私は大丈夫だから。ギリギリまで頑張って、絶対においしいの作る」

 

 

小咲は千棘の両手を握って、さらに続ける。

 

 

「だから千棘ちゃんも…、頑張って」

 

 

「小咲ちゃん…」

 

 

力強い小咲の目に映る、千棘の目の変化。

 

躊躇いから、決意の色へ。

千棘は頷いて、家庭科室を去っていった。

 

その後、一人になった小咲は再び試行錯誤を再開する。

何度も何度もチャレンジして、そのたびに失敗して、だが先程と同じように決してあきらめることなくひたすら繰り返す。

 

 

(諦めたくない…!千棘ちゃんとも約束した…。私自身が、陸君に渡すって決めたんだから!)

 

 

小咲が味付けを終え、まだ固める前のチョコレートを指につけ舐める。

 

瞬間、小咲の体全体に衝撃が奔る。

 

 

「え…。これは…」

 

 

 

 

 

 

 

小咲がチョコレートを作っている中、陸はずっと小咲を探し続けていた。

その結果、今の時間は六時を回っていた。

 

校舎を歩く生徒もかなり少なくなり、すれ違う教師に「早く帰れよー」と声を掛けられる。

 

 

(ずっと探したけど…、全く見つからなかったな。もう帰ったのかねー…)

 

 

廊下で壁に寄りかかっていた陸は、壁から離れ、生徒玄関へと向かう。

 

 

「俺も帰るか」

 

 

小咲の事も心配だが、これ以上探しても見つかるとは思えない。

もう帰ってしまった可能性の方が高いだろう。陸は靴を履き替え、校舎の外へと出る。

 

 

「待って、陸君!」

 

 

直後、背後から声が聞こえた。

立ち止まり、振り返ると、そこにはこちらに駆け寄ってくる小咲。

 

 

「小咲?まだ、学校にいたのか…」

 

 

帰っていると思っていたのだが、小咲はまだ学校にいたのだ。

 

しかし、今までどこにいたのだろうか?

ひとしきり校舎内は探し回ったと思うのだが…。

 

 

「陸君、あの…。よかったら、これ…!」

 

 

「小咲、これって…」

 

 

「受け取って、もらえないかな…」

 

 

陸の前で立ち止まった小咲が、小さな袋に入れられたチョコレートを差し出した。

 

 

「え…、これ、俺に?」

 

 

「うん…。本当はもっと早く渡したかったんだけど…」

 

 

チョコを受け取り、問いかける陸。

だが、このチョコを見る限り…

 

 

「これ、手作りか…?」

 

 

このチョコは手作りの様だ。

陸の中で蘇る、過去の記憶。家のキッチンで広がった、戦々恐々の光景。

 

 

「お、おいしいから!」

 

 

「っ」

 

 

小咲も、陸の気持ちを読み取った。

陸は小咲が料理下手なのを知っている。だから、チョコを受け取った時に躊躇いを一瞬見せたことにも気づいた。

 

でも、食べてもらいたい。陸にだけ、このチョコを食べてほしい。

 

だってこれは…

 

 

「っ!うめぇ!」

 

 

「でしょ!!?」

 

 

数々の失敗の中で唯一出来た…、昨夜作った物よりもさらに完成度が高い物を作り上げたのだから。

 

自覚していないのだろう、陸は表情を蕩けさせながら夢中でチョコレートを味わう。

その様子を見ていた小咲が笑みを零していたことにも気が付かなかった。

 

 

「じゃ、じゃーね陸君。また明日」

 

 

「あ、どうせなら一緒に帰ろうぜ?俺、チョコ食いながら待ってるから」

 

 

「…うんっ」

 

 

チョコの美味から我を取り戻した陸が、小咲を誘い、小咲も輝くような笑顔を浮かべて頷いて返す。

 

小咲が荷物を取りに校舎へ戻り、その間陸は小咲から受け取ったチョコを味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

(喜んでくれた…。喜んでくれた…!)

 

 

荷物を取りに教室に戻っていた小咲は、両手を自分の頬に添えて先程の陸の表情を思い出していた。

 

あんな蕩けた陸は見たことがなかったが、口元が緩んでいたのはしっかりと見たし、喜んでくれたのは間違いないだろう。

 

 

「千棘ちゃん…、私、頑張ったよ…!」

 

 

もうとっくに楽にチョコを渡し終えているだろう千棘。

千棘との約束を守り、自分の決意を成し遂げた小咲。

 

 

「あっ、早く行かなくちゃ…」

 

 

陸が喜んでくれたことに喜ぶのは後にしよう。

今頃陸は、寒い外で自分が来るのを待っているのだから。

 

だが、陸の所へ戻った小咲が見たのは、先程と同じように蕩けた表情を浮かべて立つ陸だった。

そう、小咲が来るまでの間再びチョコレートを味わった陸は蕩けた表情に逆戻りしてしまったのだ。

 

 

「…ふふ…、ははは!」

 

 

いつもの陸の表情とのギャップに、先程よりも大きく笑い声を漏らしてしまう小咲。

 

何とか笑いを収め、目から零れた涙を拭ってから小咲は陸をこちらの世界に呼び戻すべく足を陸へと向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第49話 マラソン

ふと気が付いたのですが、お気に入り数がめっちゃ上がってる…。
評価もつけてくれた人が増えてた…。すごく嬉しいです。

低評価は少しショックではありますが、評価を付けてやろうと思ってくれるだけでもありがたいです。




>訂正
投稿ミスをしてしまいました。
投稿してすぐに読んでくださった皆様、申し訳ありませんでした。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は~い、皆さん明日は何の日かわかりますか?ピンポーン、マラソン大会の日で~す」

 

 

誰もその問題に答えてないというのに、勝手に正解音を口で出すキョーコ先生。

そして彼女の言う通り、明日はマラソン大会の日なのだ。

 

 

「え~~~~!?」

 

 

「面倒くせぇ…」

 

 

「やりたくなーい」

 

 

マラソン大会は、男女の部で分かれ、全学年の生徒が競い合う競技だ。

男子は二十キロ、女子は十五キロを走る。

 

 

「え~~~~、じゃないよ。前々から言ってたでしょ?ちゃんと頑張りなさいよー」

 

 

不満を漏らす生徒たちを見て苦笑を浮かべながら言い聞かせるキョーコ先生。

 

 

「あーあ…、遂にこの日が来ちゃったねー…」

 

 

「雨で中止になってくんねえかな~…」

 

 

「え、そう?私はちょっと楽しみにしてるんだけど」

 

 

「ま、人それぞれだろ?俺は面倒に思ってるけど…」

 

 

マラソン大会についてを話し合う声が教室内で響く中、陸たちがそれぞれのマラソン大会への気持ちを口にした。

 

四人の中で千棘だけが楽しみにしているのだが、この会話で分かる様にマラソン大会を楽しみにしている者はクラスの中で少数である。

 

 

「ちょっと!少しはやる気を出しなさい、特に男子!」

 

 

「え~?マジだるいわ~」

 

 

「何か賞品ねえの~?」

 

 

さらに、やる気のないものが多い中、特に多いのは男子生徒たちだった。

その上、やる気のない態度を隠さないのが質悪い。

 

 

「ったく、あんた達は…」

 

 

遂にはご褒美まで求める男子たちに、キョーコ先生はため息を吐いて呆れてしまう。

だがその時、ふとキョーコ先生の中にある案が浮かんだ。

 

 

「よしっ、それじゃあこうしよう!」

 

 

キョーコ先生の言葉に、クラス中が視線を向ける。

 

 

「男子の部で優勝できた奴には賞品として、好きな女の子とキスできるキス券をやろう」

 

 

にへらっ、と微笑みながら言うキョーコ先生。

そして直後…

 

 

「「「「「おっしゃぁああああああああああああああああ!!!」」」」」

 

 

一瞬にして先程の態度から打って変わり、やる気に満ち溢れた表情で雄たけびを上げる男子たち。

その光景を見ていた千棘が、慌てて立ち上がる。

 

 

「ちょっと先生!?それはさすがにあんまりじゃないんですか!?」

 

 

「まぁまぁ、ちょっとほっぺにチュッ、くらいでいいからさ♡」

 

 

悪びれなく言うキョーコ先生だが、それは教師としてどうなのだろうか…。というより、人としてどうなのだろうか。

 

 

「お、おい!お前、一位になったら誰を指名する!?」

 

 

ほとんどの男子が喜びと驚愕に表情を染める中、一部の男子たちが一位になった時のことを想定して誰を指名するか聞き合っていた。

 

 

「俺か!?お、俺は…、やっぱり桐崎さんを!」

 

 

「…」ぴくっ

 

 

「おい、お前は!?」

 

 

「俺はもちろん小野寺だ!」

 

 

「…」ぴくっ

 

 

千棘の名が聞こえた時は楽が、小咲の名が聞こえてきた時は陸が無言で小さく体を震わせる。

 

 

(ち、千棘を指名!?い、いや、俺には関係ねえ。知ったこっちゃねえ!)

 

 

(…?何で俺は今、イラッとしたんだ?…何で?)

 

 

楽は勢いよく席から立ち上がり、隣の千棘から怪訝な視線を受けながら頭を振るい、陸は机の上で頬杖をついて頭から疑問符を浮かべる。

 

こうして、様々な感情が渦巻く中、楽と陸は気が付かなかった。

 

楽には多くの男子生徒の怨嗟の視線が、陸には同じく男子生徒のどこか複雑そうな視線が向けられていたことに。

 

 

 

 

 

そして翌日、朝の九時。女子生徒たちがスタートラインに並ぶ。

 

沢山の女子生徒たちが並ぶ中、スタートに備えて小咲はストレッチを行っていた。

 

 

「…はぁ。でも、どうしてこんなことになったんだろ」

 

 

「何よ急に。どうしたの?」

 

 

「るりちゃん…。昨日の話だよ、…はぁ」

 

 

小咲のため息に反応したのは、隣で立っていたるりだった。

問いかけに答えた小咲の言葉に、るりも「あぁ」と合点がいく。

 

 

「ま、あんたは引く手数多だろうしね。ちょっと覚悟しといた方が良いんじゃない?」

 

 

「え!?そ、そんなことないよ!るりちゃんだって、もしかしたら指名されるかもしれないよ?」

 

 

「あぁ~、ないない」

 

 

実際、小咲を指名したいと考えている男子はかなりいるだろう。

小咲には自覚がない様だが、昨日のホームルームでキョーコ先生からあの発表があった時、小咲の名を口にしていた男子をるりは何人か見かけていた。

 

小咲は、無表情で首を横に振るるりを苦笑い気味で見る。

 

 

(で、でも…。本当にるりちゃんの言う通りなら、誰が言ってたんだろ…。…もしかして、陸君…?)

 

 

「あんた、今一条弟君のこと考えてたでしょ」

 

 

「ふぇ!?」

 

 

内心で、もしかしたら陸が自分を指名したいと口にしたのではないかと考えた瞬間、その内心をるりが言い当てる。

 

 

「一条弟君が私を指名したがってるかも…、とか考えたでしょ」

 

 

「そそそ、そんなことないもん!」

 

 

「…一条弟君、あなたを指名したいって言ってたわよ?」

 

 

「………嘘だよね?」

 

 

「そうだけど、少し信じたわね」

 

 

「るりちゃんのバカぁ!」

 

 

必死に誤魔化そうとする小咲だが、るりが逃すはずもなく。

結局小咲が押し切られた形で勝負を投げ出してしまった。

 

それから少し経ってから、女子の部がスタートするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『まもなく男子の部がスタートしまーす。男子はスタート地点に集合してくださーい』

 

 

女子の部でスタートした生徒たち全員がゴールしてから十分後、放送が流れ男子たちが指定された地点へと移動する。

 

当然、陸も例外ではない。陸もスタート地点に移動し、真ん中よりも前の場所で足を止めてストレッチを始めた。…怪我だけはしたくないし。

 

 

(しっかし…、クラスの奴は皆張り切ってやがんな…。一番前の列とか全員同じクラスじゃねえかよ…)

 

 

あんなご褒美を目の前で垂らされればこうなるのはまあわかるのだが…。

周りの男子が引くほどに張り切っているのはどうかと思う。

 

 

(…そういや、マラソンで優勝すれば誰かとキス、だっけ?)

 

 

先程の女子のレースがあまりに白熱したため頭から抜けていたのだが、優勝したものは好きな女の子とキスをする権利を得るのだ。(陸のクラス限定で)

 

 

(…そういや、誰か小咲を指名したいって言ってたっけ?)

 

 

そこでさらに、キョーコ先生の発表の直後に誰かが言ったセリフを思い出す。

 

 

『俺はもちろん小野寺だ!』

 

 

(…優勝しよう。皆だって、隙でもない人とキスするのは嫌なはずだ。俺が優勝して、こさ…誰か適当に指名して誤魔化せば平和に解決するはずだ)

 

 

取りあえず、他のクラスの人が優勝すればそれで終わりなのだが、何故だろう。

陸上部や他のスポーツ部活で体力をつけている人はたくさんいるはずなのに、クラスの男子の気迫を見ると、間違いなくクラスの誰かが優勝するだろうと確信してしまう。

…根拠はないのだが。

 

そして陸は、指名する人を誰にするか考えてすぐに小咲の顔を思い浮かべたことをなかったことにした。

 

 

『それでは男子の部、スタートしまーす』

 

 

「っ」

 

 

次の瞬間、スタート地点に立った教師が拡声器を使って男子生徒に伝える。

ざわめいていた男子生徒たちは一斉におとなしくなり、スタートに備えて姿勢を低くする。

 

グラウンドにいる全ての者が口を開かず、ピストルを宙に掲げた教師の合図を待つ。

 

 

「よ~い……、どん!!」

 

 

合図が放たれた瞬間、一斉に走り出す男子たち。

 

…一人を除いて。

 

 

「お、おめえら!騙したなぁああああああああああああ!!!」

 

 

「わーはははは!一条!お前にだけはキス券は渡さーん!!!」

 

 

スタートで出遅れた楽が、前方で走る集団を必死に追いかけ、楽の前で走る同じクラスの生徒たちは勝ち誇った笑みを浮かべて楽と距離を保ち続ける。

 

だが、彼らは気が付いていなかった。

 

 

「ムヒョヒョヒョ、楽には悪いが俺はこっち側に就かせてもらうよん」

 

 

先頭を走る集すらも、気が付かなかった。

 

いや、先頭を走っていると思っていた集、といい直した方が良いか。

 

集よりもさらに前方、気配を消し、誰にも気づかれず走る少年がいたことに。

 

 

「え…、陸君!?」

 

 

「あれ、小咲?休憩所の係だったんだな」

 

 

スタートしてからおよそ四十五分ほど、十五キロ地点。最後の休憩所にたどり着いた陸はそこで小咲の姿を見た。

陸は小咲から水の入ったコップを受け取り、立ち止まってゆっくり水を口に含んでいく。

 

 

「あれ、一条君!?は、速くない!?このペースだと、校内新記録だよ!?」

 

 

そしてもう一人、休憩所のテントの中にいた女子生徒が陸の姿を見て驚愕する。

この女子生徒の言う通り、校内新記録を出すような勢いで陸は走行距離を消化していた。

 

 

「一条君、あまりこういうイベントで頑張るタイプじゃないと思ってたんだけど…」

 

 

「ん?んん…、まぁ、あんな事にならなかったら、適当に流してたと思うけど」

 

 

水を飲みほしたコップを机に置いて、女子生徒に返事を返す陸。

途端、陸に話しかけた女子生徒は目を丸くして口を開いた。

 

 

「え!?一条君、誰か好きな人いるの!?」

 

 

「っ!?」

 

 

「え?」

 

 

「だって、ご褒美目当てで頑張ってるのよね?だったら…」

 

 

「あ、いや、それは違う。違うんだ」

 

 

確かに、あの返事を聞けば総勘違いされるのも仕方ないだろう。

陸はそう考え直して、訂正を入れる。

 

 

「むしろ逆だよ。あんなの…ダメだろ。ほら、小咲だって好きでもない人にキスするのは嫌だろ?」

 

 

「え?え…、うん…」

 

 

「…」

 

 

「優勝して、適当に誤魔化して平和に解決しようかと思ってさ。…っと、そろそろ行かなきゃな」

 

 

陸は二人に軽く手を振って再び走り出す。

凡矢理高校に陸上でそれなりの結果を残している人がいるため、油断しているとあっという間に抜かされてしまう危険がある。

 

…あれ?別に他のクラスの人なら優勝を譲ってもいいんじゃ?

 

ふとそんな考えが頭を過るが、その希望はある凶悪参謀によって打ち砕かれていることは陸に知る由はなかったのである。

 

 

 

 

 

 

「一条君、凄いねぇ。寺ちゃんのために頑張ってるんだねぇ?」

 

 

「え?そんな事ないと思うけど…。ほら、陸君はご褒美を誤魔化したいって言ってたし」

 

 

「…はぁ、寺ちゃんは鈍いねぇ」

 

 

「?」

 

 

小咲も、陸自身も気が付かないようだったがあの時陸は確かに言った。

 

 

『小咲だって好きでもない人にキスするのは嫌だろ?』

 

 

この時、陸が言った名前は小咲だけ。陸はきっと根本で小咲を助けたいと思っているのだ。

だから、あの時に例ですぐに小咲の名を出したのだ。自分が傍にいたにも拘らず。

 

 

「まあ、あのペースだったら大丈夫でしょ。ご褒美についてで怖がる必要はないみたいだね」

 

 

ともかく、このままなら好きでもない人とキスをする心配はなさそうだ。

自分も、クラスの皆も。…もちろん、小咲も。

 

 

 

 

 

 

 

結果はもちろん、陸の優勝だった。

陸がゴールしてから十五分ほど経った頃、楽と集が並んで必死にラストスパートをかけていたのだが、その様子を陸は必死に笑いをこらえながら見ていたことは言うまでもない。

そして先にゴールをしていた陸を見て、唖然とする二人を見て噴き出したのも言うまでもない。

 

そして優勝した陸に、キョーコ先生がキス券と書かれた紙が渡された。

 

 

「まさか本当に用意してるとは…」

 

 

「当たり前だろ?賞品なんだから」

 

 

もしかしたらただの冗談なのかもしれないという陸の願望を一瞬で打ち砕くキョーコ先生は、誇らしげに胸を張っている。

 

 

「で?あんたは一体誰を指名するの?」

 

 

「もちろん、小咲を指名するのよね?」

 

 

「ち、千棘?宮本…って」

 

 

いつの間にか自分の傍らに寄ってきていた千棘とるり。

さらに陸に駆け寄ってくるクラスの女子達が、きゃあきゃあ色めき立ちながら陸に問いかける。

 

 

「一条君、誰を指名するの!?」

 

 

「わ、私でもいいんでげすよ?」

 

 

「やっぱり寺ちゃんなのかな!?」

 

 

「わ、私でもいいんでげすよ?」

 

 

何か二人ほどおかしなのがいた気がするが、陸は気にしないことにする。

 

ともかく、確かに体裁を整えるためにも誰でもいいから指名しなければ。

 

 

(…やっぱり、小咲かね?)

 

 

いつだったか、誰かに小咲と付き合っているのかと聞かれるほどまわりからは親しく見られている様だし、それが一番自然だろう。

 

陸が小咲を指名しようと口を開いた…その時。

 

 

「あー、こらこら。あんた達、ちょっと勘違いしてるんじゃない?誰がクラスの女の子から選んでいいって言った?」

 

 

「「「「「…へ?」」」」」

 

 

キョーコ先生がついてくるように言い、従って陸たちがキョーコ先生の後をついていく。

 

 

「…さ、好きな女の子を選ぶといい」

 

 

(何だよこのオチ)

 

 

陸の目の前にいるのは、笑顔で手を向けるキョーコ先生。

そしてキョーコ先生が向ける手の先には、飼育小屋から出された、メスの動物たちが。

キョーコ先生はお洒落をさせたとでも思っているのだろうか?頭にはリボンを着けている。

 

 

「えー!?何だよそれ―!」

 

 

「やる気出して損したぜ、先生のバカヤロー!」

 

 

「あ~ら、私は最初からそのつもりだったけど?あんた達が勝手に勘違いしただけでしょー」

 

 

一生懸命走った男子生徒たちがキョーコ先生に抗議するが、キョーコ先生が何食わぬ顔で抗議を物ともしない。

 

 

「…はぁ。ま、誰も被害に遭わずに一件落着ってことかな?」

 

 

何か釈然としないが、何はともあれ解決したということでいいのだろう。陸は地面に座り込み、天を仰いで息を吐いた。

 

 

「…!?」

 

 

「お疲れさま」

 

 

不意に、頬に冷たい感触が奔り陸はびくりと体を震わせた。

振り返ると、そこにはこちらを覗き込みながらピカリスエットの缶を握った小咲が立っていた。

 

 

「これ、飲む?」

 

 

「あぁ、ありがとう」

 

 

小咲から缶を受け取り、蓋を開けてピカリを口に含む。

 

 

「おーい陸―!三位までの人の表彰式をやるってよー!」

 

 

「ん…んく…。あぁ、わかった!今行く!小咲、これ持っててくれ」

 

 

表彰式のことをすっかり忘れていた、

楽に呼ばれた陸は急いで駆け寄り、楽と並んで表彰式を行う場所へと向かう。

 

 

「…」

 

 

表彰式の会場へと向かう陸の後姿を、陸から受け取った缶を握りしめながら見つめる小咲。

 

 

『小咲だって好きでもない人にキスするのは嫌だろ?』

 

 

あの後、少し考えてみたのだがこの言葉は自分を心配してい言った言葉なのではないだろうか?いや、そうであってほしい。

 

 

「陸君…。ありがとう」

 

 

結局、最後に下らないオチがついてしまったが、マラソンの話はこれでおしまい。

 

小咲は、陸から受け取った缶の飲み口に口をつけ、少しだけ中のジュースを口に含んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第50話 オカエシ

 

 

 

 

 

 

 

 

「…よし、後はこれを焼けば完成だ」

 

 

外から見れば、巨大な和風の屋敷。中を見ても普通の家では考えられない廊下の広さと長さ、部屋の多さに圧倒されること間違いなしだろう。

そんな一条家のキッチンには明かりが点いており、そこでは陸がその手のお皿をオーブンに入れていた。

 

 

「ったく、何が俺が先に作るから後にしてくれだ楽の奴め。何度も何度も作り直しやがって。…あーあ、もう二時じゃねえか」

 

 

オーブンに皿を入れ、蓋を閉めてスイッチを押してから上を見上げて時計を確認すると、すでに二時を越していた。

 

オーブンの中にある皿の上に乗っているのは、一口サイズのクッキー。

そう、これは先月のバレンタインのチョコをくれた人へのお返しのためのお菓子だ。

学校から帰って、夕食を食べ終えてから作ろうと思っていたのだが、いつの間にか楽がキッチンを使っており、陸は後に回されてしまったのだ。

 

その後、入浴を済ませたり部屋でゲームしたりして楽を待っていたのだがいつまで経ってもキッチンは空かず、楽が陸を呼びに来た時は日を越してしまっていたのだ。

 

もうコンビニで買ったもので済ますか?と考えたりしたのだが、今年チョコをくれた女子は二人なのだが、どちらも手作りを渡してくれた。

だから、こちらも手作りで渡すのが礼儀だろうと考えた陸はこうして遅くまで起きてお菓子を作っていたのだ。

 

…そう、ここまで来ればもう分かるだろう。

明日はホワイトデー。つまり、乙男の戦争が行われ(ません。

 

 

「…よし、大丈夫だ」

 

 

焼き上がったクッキーの一つを齧り、味を確かめる陸。

その後、齧ったクッキーを口の中に放り込んだ後、明日に渡すクッキーが載った皿をラップで包み、冷蔵庫の中に入れる。

 

 

「さてっ…と!ようやく寝れる…」

 

 

冷蔵庫の扉を閉め、大きく体を伸ばしてから電灯を消してキッチンを出る。

そして陸は自室に戻り、布団の潜って眠りについたのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「坊ちゃぁあああああああああああああん!!熱があるじゃないっすか!だ、大丈夫なんですかい!?」

 

 

「いや、熱があるっつってもたかが37.2度だぞ?微熱だし、学校に行く」

 

 

「そ、そんな!坊ちゃんの身に何かあったら…、あっしたちはぁああああああああああ!!」

 

 

「何もねえっつうの」

 

 

翌朝、体を起こすとどこか頭が重かった。体もだるいし、念のためで体温計で熱を測ってみたら…、この結果である。

37.2度という微熱だが、どうやら組員たちには大問題のようで。陸を囲んで何とか学校に行くのを止めさせようと説得している。

 

 

「いや、だから。確かにだるいけど、授業受ける分は何も問題ないって。今日は体育もないし」

 

 

「でもよ陸。確か冬休みに入る前だったか?予防のために37度を超えた場合は学校に来ないでくださいって書いたプリント貰っただろ?」

 

 

「…そうだっけ?」

 

 

何とか学校に行こうとする陸を、今度は楽が止めた。

陸は覚えていないのだが、楽の言う通りのことが書かれたプリントを確かにキョーコ先生は配布した。

保護者に渡す用のプリントなので、楽しかそのプリントを貰っていなかったのだが。

 

 

「止めといた方が良いんじゃねえの?もしお前が学校行って、他の人に風邪が感染ったら目も当てられねえだろ」

 

 

「…そうだな」

 

 

何はともあれ、37度を超えた場合は学校に来るなという決まりがある以上、その規定を超えた熱を出している陸が行くわけにはいかないだろう。

 

だが、陸は一つだけ心残りがあった。

 

 

「ホワイトデーのクッキー…、渡せなくなっちまうな」

 

 

「あぁ…。何なら、俺が持ってってやろうか?風邪で休みだって聞けば納得してくれるだろうし」

 

 

陸の心残りとは、昨夜…というか今朝作ったクッキーの事だった。

学校を休むとなると、自分はそのクッキーを持って行けず、お返しとして渡すことができない。

 

だが、その陸の心配を楽が払拭した。

 

 

「頼めるか?」

 

 

「おう、任せろ」

 

 

陸が問いかけると、楽は胸を拳でトンと叩いて答えた。

 

 

「…なら頼むわ。非常に不本意だが。本当に渡せるか心配だが」

 

 

「俺は幼稚園のガキじゃねえぞ!?」

 

 

じと目で楽を見ながら、渋々といった感じでクッキーの事を楽に託す陸。

 

だが…、できることなら、自分の手で渡したかった。

 

 

「クッキーは冷蔵庫に入れてある。クッキーを入れるための袋は俺の部屋の机の上。クッキーの数は偶数にしてあるから、半分ずつ入れて持ってけよ」

 

 

「おう、了解」

 

 

自分の我が儘を抑えて、クッキーが置いてある場所などを楽に教え、陸は足を自室がある方へと向ける。

 

 

「じゃあ竜、他の奴らに感染したら困るから部屋に戻るわ。腹は減ってるから、飯持ってきてくれ」

 

 

「了解しやした、坊ちゃん!」

 

 

手を振りながら背後にいる竜に指示を出してから陸は自室に戻る。

風邪を引いているというのに、部屋から出歩くというのもどうかと思うから。

 

 

(でも実際、寝たいと思えるほど体調悪くねえんだよな…)

 

 

高々微熱。他の人を考えなければ迷うことなく学校に行くことができる程度のものなのだ。

 

 

(…布団に潜って漫画でも読むか)

 

 

部屋にいても暇だろうし、とりあえず竜が朝食を届けに来るまで漫画を読むことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?陸君がお休み?」

 

 

朝、いつまで経っても陸が来ないことを不思議に思った小咲が、斜め前の席に座る楽に問いかけるとその答えが返ってきたのだ。

 

 

「本人は行く気満々だったけどな…。念のために説得して休ませたんだよ」

 

 

「…そっか」

 

 

風邪なら、仕方ないだろう。小咲は俯きながら自分にそう言い聞かせる。

 

 

(でも…、ホワイトデーのお返し、楽しみだったのにな…)

 

 

陸から、贈り物がもらえる。何をくれるかはわからないだろうが、思い人からもらうというだけで嬉しいものがある。

昨日の夜も、今日のホワイトデーで何を貰えるだろうかと楽しみとドキドキで中々眠れなかったのは言うまでもない。

それほど小咲は陸からのお返しを楽しみにしていたのだ。本人には自覚がなくとも、他の人から見れば明らかに沈んで見えるような表情を浮かべていても不思議ではないだろう。

 

 

「…」

 

 

勿論、自分に対する感情には鈍い楽でも小咲の気持ちはすぐに読み取れた。

だから、陸との約束を破ることになってしまうが…、渡そうと思っていたクッキーを机の中に仕舞い、小咲に話しかけたのだった。

 

 

「なぁ、小野寺。陸から伝言なんだけど…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…俺、学校休んで何やってんだか」

 

 

外から赤い光が差し込んでくるようになった。時間は四時を過ぎ、そろそろ楽も帰ってくるだろう時間帯。

 

陸の熱はすっかり引き、暇になったため部屋でゲームをしていた。

ゲームのBGM 、効果音が部屋の中で響く中ぽつりと陸は呟いた。

 

熱が引き、寝ようにも寝られなくなったとはいえ学校を休んで遊ぶ。

風邪を引いたことは事実なのだが、少し罪悪感が陸の胸を襲っていた。

 

 

「「「「「楽坊ちゃん、お帰りなさいやせー!」」」」」

 

 

部屋の外から、組員たちの声が聞こえてきた。楽が帰ってきたのか。

陸はそんなことをぼんやり考えながら、手に握るコントローラーを操作する。

 

 

「おーい陸、大丈夫かー」

 

 

「おー。起きてるから入っていいぞー」

 

 

すると、部屋の障子のすぐ向こう側からだろう。楽の声が聞こえてきたため、陸はテレビ画面に顔を向けたまま返事を返す。

すぐに障子が開く音が聞こえ、トントンとこちらに歩み寄ってくる足音が聞こえてくる。

 

 

(…?ずいぶん静かに入ってくるな。風邪引いてると思って遠慮してんのか?)

 

 

だがその直後に、部屋に入ってくるもう一つの気配を感じた。

その気配の主は、遠慮なしにどしどし足音を立てて部屋の中に入ってきたのだ。

 

 

「おい陸!お前、学校休んだくせにゲームやってんなよ!」

 

 

「しょうがねえだろ。大体、元々微熱で学校行こうと思えば行けたんだぞ?昼前にはすっかり体調も回復してたんだ。寝ようにも寝れなかったんだよ」

 

 

楽の叱責する言葉が響き渡る。陸は先程と同じようにテレビ画面に目を向けたまま楽に返事を返して…そこでふと思いかえした。

 

 

(あれ?気配が二つ?…じゃあ、今俺の傍にいる奴誰だよ!?)

 

 

バッ、と振り返って陸が見た人物。

 

 

「え、えっと…。げ、元気そうで安心した…かな?」

 

 

さすがにゲームをしているとは思っていなかったのだろう。

苦笑を浮かべながら、小咲がこちらを覗き込んで声をかけてきた。

 

まさか小咲が来ると思っていなかった陸。

あまりの衝撃に、コントローラーを落としてしまい…、それから数秒後、テレビ画面にはでかでかと<GAME OVER>という文字が描かれた。

 

 

「こ…、小咲?な、何で…?」

 

 

「え…。陸君が私を呼んだんだよね?一条君から聞いたんだけど…」

 

 

「は?」

 

 

小咲を呼んだ?自分が?

バカな。いくら微熱とはいえ、自分から他人を苦しませることになるかもしれない行為をさせるものか。

それに、楽から聞いただと?

 

今度は、すぐに思い当った。

 

 

「…おい楽、お前小咲に何言った?俺が小咲を呼んだ?もしまだ俺が熱引いてなかったら今頃、小咲に風邪が移ってたかもしれなかったんだぞ?」

 

 

「い、いや…。まぁ、その…な?これには訳があって…な?」

 

 

鋭い視線を向け、声に殺気を込めて楽を問い詰める。

楽は片手で頭を掻きながら、視線を辺りに彷徨わせる。

 

すると楽が、鋭い視線に耐えながら陸に歩み寄ってきた。

そして陸の傍らまで来ると、しゃがんで陸と視線を合わせ、陸の手にそっと何かを握らせたのだ。

 

 

「…これは」

 

 

「自分で渡せ。小野寺、お前が休みだって知った時すげぇ落ち込んでたんだぞ?」

 

 

それだけ言って、楽は小咲に一言だけ何かを言い残してから部屋を出て行った。

 

部屋に残された陸と小咲は、何も言えずにただ部屋の中ではゲームオーバー時に流れる悲しげな曲だけが響き渡っていた。

 

 

「えっとさ…、楽になんて言われたんだ?」

 

 

この微妙な空気を破ったのは陸だった。

先程、小咲が言った『一条君から聞いた』という言葉が気になったのだ。

 

 

「その…、陸君が、ホワイトデーのお返しを今日中に渡したいから家まで来てほしいって言ってたって…。違ったの…?」

 

 

「いや、今日中に渡したかったのは本当の事。でも、そのために楽に小咲に渡すクッキーを預けてたんだけど…あの野郎…」

 

 

どうやら楽は自分との約束を破り、色々事情を改竄して小咲に伝えた様だ。伝えもしなかった、自分からの伝言を。

 

 

「クッキー?」

 

 

「あ、そう。小咲へのお返し、クッキー作ったんだ。…楽のせいで、こんな簡単のしか作れなかったんだ。楽のせいで」

 

 

自分でも気が付かなかったが、陸はお返しの物を口にしてしまった。

それに気づいた小咲が陸に聞き返し、陸が肯定で答える。

 

 

「一条君がどうかしたの?」

 

 

「あいつ、自分が納得する出来にならないとか言ってずっとキッチン占領してたんだ…。その結果、俺はこんなシンプルなものしかできなかったわけ。ほら、あいつのお返し見なかったか?」

 

 

「あ…」

 

 

首を傾げながら問いかける小咲に、陸が再び答える。

昨日の、一条家のキッチン事情についてを説明した。

 

そして最後に陸に問われた小咲は、楽が持ってきていたおいしそうなショートケーキを思い出した。

あのショートケーキを楽は、千棘と万里花と鶫の三人に渡していた。千棘については知っていたが、他二人からもチョコを貰ったのだろう。

 

 

「そっか…。でも、嬉しい。陸君がちゃんと私の事を考えてくれたんだって…」

 

 

「っ」

 

 

自分からすれば、もっと何とかいいものができなかったのかと後悔していた陸。

だが今、目の前で花が咲いているような笑顔を浮かべている小咲を見ればそんな思いは何処かへ吹き飛んでしまった。

 

それだけでなく、小咲の笑顔を目の前にして胸が高鳴り、頬が紅潮していく。

 

 

「そ、そうか!それならこっちも作った方として嬉しいな!ほほほらっ、これ、お返しのクッキーだ」

 

 

「わぁ…。ありがとう、陸君!」

 

 

小咲笑顔、再び。

陸の頬はさらに紅潮した。

 

陸は小咲を直視できず、視線を逸らし、立ち上がりながら口を開いた。

 

 

「そ、そろそろ外が暗くなるな。ちょっと部屋の外で待っててくれ。着替える」

 

 

「え?どうして?」

 

 

「夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかないだろ。送る」

 

 

陸は小咲を方向転換させ、部屋の外へ追いやる。

 

 

「そ、そんな!いいよ!陸君、風邪引いてるんでしょ?」

 

 

「さっきも言ったけど、熱はもう引いた。元々微熱だったんだし、大したことないんだよ」

 

 

熱はもうない。風邪についても心配いらない。

何度も言い聞かせるが、小咲は両手を振りながら一人で帰る一人で帰ると言い続ける。

 

 

「あぁ、もう黙れ!俺が小咲を送りたいんだ!黙って送られろ!」

 

 

この平行線のままの押し問答に、遂に耐えられなくなった陸が小咲の鼻先に指先を向けながら怒鳴る。

すぐに陸は小咲に背を向けて部屋に戻り、障子をバン!と閉める。

 

 

「え…え?えぇ!?」

 

 

そして、着替えるための服をタンスから出していると部屋の外から小咲の戸惑っているような、恥ずかしがっているような声が聞こえてくる。

 

何をそんなに動揺してるんだ?

 

疑問に思った陸は、寝間着からセーターに着替えながら自分が言ったことを思い返す。

 

 

『俺が小咲を送りたいんだ!黙って送られろ!』

 

 

「っ!」

 

 

自分が何を言ったのかを自覚した陸は、一瞬にして顔を熱くさせた。

陸は勢いよく頭を振って、顔の熱を下げようとする。

 

 

「何考えてんだ…。友達、しかも女子なんだ…。俺の行動は当たり前だろ…?」

 

 

ぼそぼそと自分に言い聞かせる言葉を並べる陸。

 

そして、ジーンズを穿き、コートを着て、完全に自身の動揺を消してから陸は障子を開いて部屋の外に出る。

 

 

「よし小咲、行く…ぞ?」

 

 

部屋の外に出た陸が見たのは、顔を真っ赤にさせてしゃがみこむ小咲の姿だった。

 

 

「陸君が…陸君が…私を、送りたいって…」

 

 

「…」

 

 

どうやら、自分が考えていたよりも先程の言葉は恥ずかしいものだったらしい。

次からは少し気を付けた方が良いだろう。

 

少し成長したと、勝手に思い込んでいる陸であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あまり区切りにふさわしくない話じゃない気がしますが、この話で一年生編は終わりです。
次回からは二年生編。登場人物も増える…、描くのが楽しみです。ww


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2年生
第51話 フタゴト


主人公が全く出ない場面を描くのがこんなに難しいと思わなかった…。
ということで、陸君は今回ほとんど出てきません。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春。それは始まりの季節。暖かな風が桜の枝を揺らし、髪をくすぐる。

そんな四月──────私は今日から高校一年生です!

 

念願叶って家の近くの高校に合格…、今まさにこれから始まる高校生活に胸を膨らませている所です!

 

高校生ってどんな感じなのかな?

取りあえず、初日は空も真っ青で桜も咲いて…、何だか素敵な恋とか始まっちゃいそうです!

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんて、思ってたのに…)

 

 

ルンルン気分で通学路を歩いていた少女の目の前には、下卑た笑みを浮かべたガラの悪い男たちが立っていた。

 

 

(なんだか初日から、大ピンチだよぉ~!)

 

 

顔を青くして、ぶるぶる震えることしかできない少女に男たちは話しかけていた。

 

 

「ねぇねぇお嬢ちゃん、高校生?可愛いねぇ~」

 

 

「学校なんかサボって俺らと遊ぼうぜ~?」

 

 

(あわわわわ…、どうしよぉ~…!)

 

 

さらに距離を詰めてくる男たちを見て、思わず少女は目を瞑ってしまう。

そんな少女に、怖がっているのを知ってか知らずか男の一人が少女の肩に触れた。

 

 

「ひぇっ…」

 

 

実はこの少女、中学時代は女子校に在学していたのだ。

確かに女子にとって恐怖を抱く状況とはいえ、ここまで過敏に反応してしまうのにはこういう理由があったのである。

 

 

(あっ…、だめだ…。いしきが…)

 

 

遂に、恐怖のあまりに少女はくらくら頭を揺らしながら意識を手放していく。

そして、目が真っ暗になる…その寸前だった。

 

 

「なぁ、女の子一人を囲んで楽しい?」

 

 

「あ?んだよてめぇ…」

 

 

ふらりと地面にしりもちをついて…、その衝撃のおかげか僅かに意識がはっきりした。

自分の前に立つのは、制服を着た少年。自分と同い年か、それとも少し上か。

 

 

「おいてめぇ、盾突くと容赦しねえぞコラ」

 

 

「お、おい待て…。こいつは…」

 

 

「あのさ、朝っぱらから何やってんだよ。こんな下らねえことしてねえで仕事しろよ仕事」

 

 

「あぁ!?んだよてめぇ!」

 

 

「や、やめろって!」

 

 

(だれ…?このひと、たすけて…)

 

 

何か男たちが少年を見て騒いでいるが、再び薄くなっていく意識のせいでよく聞き取れない。

 

 

「こいつ、あの集英の若頭だよ…。関わらねえ方が良いって…!」

 

 

「っ、ま、マジかよ…」

 

 

「お、おい。もう行こうぜ…」

 

 

もう、どうなったのかはわからなかった。

 

次に目が覚めた時、少女は──────

 

 

「え…、ここは…?」

 

 

白いカーテンに囲まれたベッドの上だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?王子様?」

 

 

目の前の、赤みがかった茶髪の少女が目を丸くして聞き返してきた。

 

 

「そーなの!私が絡まれてるときに颯爽と現れて、『女の子一人を囲んで楽しい?』て!すっごくかっこよかったんだよ!?」

 

 

「…それが待ち合わせをすっぽかした理由?私ずっと待ってたのに…」

 

 

「はうっ…、ゴメンね風ちゃん!まさかあんなことがあるなんて…」

 

 

他人からは全身からハートマークが出ているように見える少女に、風、彩風涼が苦笑を浮かべながら言う。

その言葉を聞いたもう一人の少女が、少しだけ涙目になって謝罪した。

 

この少女、当初は風ちゃんと共に登校する約束をしていたのだが、今朝のあの件のせいでその約束を守ることができなかったのだ。

さらに風ちゃんはいつまで経っても来ない少女を待っていて…、少女の心は先程と打って変わって罪悪感で一杯になってしまった。

 

 

「ううん、春が無事でよかった…。でも春?顔も見てないし、名前もわからないんでしょ?また会えるかな?」

 

 

「会えるよきっと…!ここの制服着てたし、この学校にいるのは間違いないもん!それに、手掛かりもあるし…」

 

 

春と呼ばれた少女が、意識を失う直前に記憶できた少年の姿を思い出しながら言う。

確かに、あの少年が来ていたのは凡矢理高校の学生服だった。つまり、この学校の生徒なのは間違いないはず。

 

 

「あ…、もう少しお話聞きたかったけど、もうすぐチャイムが鳴るね…」

 

 

「え?もうそんな時間…、じゃあ私、席に戻るね」

 

 

いつの間にそんな時間になっていたのか、春は急いで自分のカバンを置いた席に着く。

そして、この教室に入った時にはいなかった銀髪の少女が隣に座っていることに気付く。

 

 

「こんにちは!私この席なんだけど、お隣さんですよね?どうぞよろしく…」

 

 

春がいる方とは逆の方に目を向けていた銀髪の少女だったが、自分に声をかけているのだと気づき、振り返る。

そこで、春は少女の金の目を見て悟った。

 

この少女、外人である。

 

 

「あ、あの…。お名前は…?」

 

 

「ポーラ。ポーラ・マッコイ」

 

 

ポーラ…マッコイ。

 

何故かはわからないけど、マッコイとは呼ばない方が良い気がする春。

少し失礼かもしれないが、名前で呼ぶことを決意した。(その決意、正解である)

 

 

「よろしくね、ポーラさん!私は…」

 

 

「名乗らなくていいわ。別に覚える気ないから」

 

 

「…え?」

 

 

そして、春も自分の名を名乗ろうとしたのだがその前にポーラに制止されてしまう。

 

 

(え…、今の態度はちょっと冷たすぎるんじゃ…。何か他人と関わりたくない理由でもあるのかな…?)

 

 

ポーラの態度に一瞬、気を悪くしかけた春だったがすぐに何か理由があるのではと疑問を持つ。

 

 

「あ」

 

 

「…え?」

 

 

だがその直後、ポーラの気の抜けた声と同時に床にごとりと落ちる二つの丸いもの。

春は、目をまん丸くしてその落ちた丸いものを見つめ、ポーラは「失礼」と声をかけてから何の動揺も無くその丸いものを拾う。

 

 

(あ、あれ?さっき落ちたのって手榴弾だよね?しかも偽物とは思えない重量感だったけど…え!?)

 

 

このポーラという少女、実はすごく怖い人なのでは?と思ったところで春はハッと我に返る。

 

 

(そうだ…。怖い人といえば、私、大事なことを忘れる所だった!私、朝に助けてくれた人の他にも必ず探し出さなきゃいけない人がいるんだった!)

 

 

膝の上に置いた両手をギュッと握りしめて春は改めて決意する。

 

 

(必ず、見つけ出さなきゃ…!)

 

 

と、波乱の朝を乗り越えた春は初めての高校の放課後を迎えた。

春は、担任の先生に言われ、あるプリントを運んでいたのだが…。

 

 

「きゃっ!」

 

 

「あ、悪ぃ」

 

 

その途中、廊下を歩いてた男子とぶつかり持っていたプリントを落としてしまった。

 

 

(も、もー!何よ今の男子…)

 

 

謝罪を一言くれたことはまだいいが、まず前を見て歩いてほしい。というより、プリント拾うのも手伝ってくれないとは。

春はため息を吐きたい気持ちを抑え、散らばってしまったプリントを拾い集める。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

「え?」

 

 

すると、プリントを集める春の背後から男子の声が聞こえてきた。

 

 

「す、すみません。何か手伝ってもらっちゃって…」

 

 

「いいって、ただのついでだし」

 

 

そして今、春は先程声をかけた男子と並んで歩いている。

二人の手元にはプリントがある。先程、隣の男子はプリントを拾うのを手伝ってくれ、さらに一緒に職員室へ運んでくれているのだ。

 

春は改めてその男子の顔を見る。

俗に言うイケメンではないが、顔立ちは整っていると思う。ちょっとはねた癖っ毛に、こめかみ辺りには十字の髪飾りが着けられていた。

 

 

(…今朝の人と似てるかな?でも…、まさかね)

 

 

朝、助けてくれた人と似ているような気がするが、まさかこんな簡単に出会えるとは思えない。

春は浮かんだ考えを振り切って、それよりも優先するべき、少年へのお礼を言おうと口を開いた。

 

 

「おーい一条!キョーコ先生が探してたぞー!」

 

 

「おう、サンキュー!すぐ行くわ!」

 

 

「!?」

 

 

一…条?

 

今、廊下を歩いた男子生徒は隣の男子生徒を一条と呼んだ?

そして、隣の男子生徒はそれに返事をした?

 

 

「…あの、つかぬことをお聞きしますが。この学校に一条という苗字の方は他にも?」

 

 

「え?いや、俺の他にもう一人いるけど…」

 

 

「え…、あ、そうですか…」

 

 

その返答を聞いて、春はふぅと息を吐いた。

もし、この人が…、あの人だったら…。お礼を言うどころの騒ぎじゃなくなっていた。

 

 

「そういえば先輩、二年生とおっしゃいましたよね?それにさっき一条という人は二人いるって…」

 

 

「ん?それがどうかしたのか?」

 

 

「実は私、二年生にいるある人を探してまして…」

 

 

そこで春は思い出した。プリントを拾う途中で、この男子生徒は二年生だと言っていたことを。

そして、この男子生徒は一条という人は自分の他にもう一人いると。

 

 

「私、一条楽という人を探してるんです。それで、先輩にその人が誰なのか教えてほしくて…」

 

 

「え?一条楽は俺だけど…」

 

 

「え───────」

 

 

春のまわりだけ、空気が凍りついた。

 

 

「あ、あなたが一条楽先輩?」

 

 

「あぁ」

 

 

「あのヤクザ集英組の息子の?」

 

 

「お、おう」

 

 

「超絶美人の彼女がいるにも関わらず、多数の美人を侍らせているという噂のあの?」

 

 

「待て待て待て!何だよその噂!」

 

 

「ひぃっ!近寄らないでください!」

 

 

男子生徒…一条楽が詰め寄ってくる。春は思わずプリントを投げ出して勢いよく後ずさる。

 

 

「はっ…!じゃあまさかさっきのも…、さっき私に優しくしてくれたのも、女の子に取り入る手口の1つだったんですね!」

 

 

「い、いや…、あの…」

 

 

「ひどい!優しい人だと思ってたのに!」

 

 

「話を…聞いて…」

 

 

再び、一条楽がこちらに歩み寄ろうとするのを春は睨んで止める。

 

 

「私、あなたに一つ言っておくことがあるんです!」

 

 

そう、この一条楽に会ったら必ず言おうとしていたこと。

 

 

「これ以上、私のお姉ちゃんに…」

 

 

その言葉を、言おうとした。

 

だが、直後窓から流れてきた強い風によってそれは遮られてしまった。

 

その風は、ピンポイントに春に当たり、周りのプリントと共に春のスカートを巻き上げてしまったのだ。

 

慌ててスカートを押さえる春。顔を赤くして、視線をそっぽに向ける楽。

 

 

「…見ました?」

 

 

「…高校生になってクマさんはないかと」

 

 

頭が沸騰した。

 

 

「サイッッッッテー!!ホントサイテーです!この女の敵ー!!」

 

 

正直、自分でも何をしたのか覚えていない春。

だが楽の頬に赤い手形が付いているのを見る限り、自分は楽に力一杯ビンタをしたのだろう。

 

…グッジョブ、私。

 

 

「一条君、どうしたの?」

 

 

「お、小野寺?」

 

 

すると、楽の背後から聞こえてくる聞き馴染みのある声。

楽の背後を覗き込めば、そこには自分にとって馴染み深く、大切な家族の姿が。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 

「あれ、春!?どうしてこんなとこに…」

 

 

「お姉ちゃん安心して!私が来たからにはもう大丈夫だから!!ね!?」

 

 

「お、お姉ちゃん…?」

 

 

現れた姉、小咲に駆け寄り、両手を握って言い聞かせる春。

そして、背後で呆然としている楽に振り返り、両手を広げて春は言い放った。

 

 

「私は小野寺春。小野寺小咲の妹です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい一条弟ー」

 

 

「あれ?キョーコ先生、どうしたんですか?」

 

 

「いやー、一条兄が中々来なくてよー。悪いけど、ちょいと頼まれごとしてくんないかな?」

 

 

「…楽の尻拭いですか」

 

 

「兄を恨むんだな」

 

 

キョーコ先生に声をかけられた陸は、はぁ、と大きいため息を吐く。

 

 

「わかりました。で、頼まれ事って何ですか?」

 

 

「おう。実はウサギのエサがいつもより早く少なくなってたんで、補充に行ってほしいんだわ」

 

 

うわ、飼育係じゃない俺が何でそんなことしなきゃいけないんだ。

 

キョーコ先生の頼まれ事を聞いた陸の、率直な感想である。

楽の手伝いで飼育小屋に行ったことは何度かあるが、一人で飼育係の仕事をするのは初めてである。

 

 

「…わかりました。で、そのエサはどこにあるんですか?」

 

 

「エサは飼育小屋の近くにある倉庫の中だ。いやぁ、悪いな、クラスは別になったってのに」

 

 

「別にいいですよ。先生にはお世話になりましたし」

 

 

「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ。じゃ、頼んだぞー」

 

 

去っていくキョーコ先生の後姿を見るのは一瞬。

すぐに陸は飼育小屋に行くために玄関へと向かう。

 

 

(…しかし、他の皆は同じクラスだってのに俺だけ違うクラスか。ちょっと凹むな…)

 

 

先程の会話でもあった通り、陸のクラスの担任はキョーコ先生ではない。

さらにそれだけではなく、キョーコ先生の担任から外れたのがいつもの面子の中では陸だけなのだ。

 

クラス分けというイベントがある中、いつかはそういう事はあると覚悟していたことなのだが…、自分以外は皆同じクラスというのは少しグサッとくるものがある。

 

 

(しかし、あの小咲の様子はどうかと思うけどな…。まぁ、何だかんだ皆ずっと一緒だったからな。ショックを受けるのも無理ないか)

 

 

楽、小咲、千棘、万里花、鶫、集、るりの名前はあって、陸の名前だけがないと知った時のあの小咲の真っ白な顔を思い出しながら陸は飼育小屋の倉庫へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(はぁ…、もう最悪。朝はあんなに楽しみだったのに、どうしてこうなっちゃったんだろ…)

 

 

あれから、小咲の他にも超絶美人の彼女にもう一人、楽が従わせていると思われる美人さんが現れさらに騒動は混沌化した。

 

まぁ、スカートの中を見られたことをカミングアウトし、直後に彼女に殴り飛ばされる楽を見て少しだけスカッとしたが。

 

 

(もう…。お姉ちゃんはどうしてあんな人のことを好きになったんだろ…?…何とか思い止まらせなくちゃ)

 

 

正直、ただ一条楽という人物がいるだけならば春は接触を取る気はなかった。

だが、その一条楽に小咲が惚れているというのなら話は別だ。

 

 

『うん、それでね?一条君がね?』

 

 

あの時の姉の恥ずかしげな笑顔を春は簡単に思い出せる。

 

 

『な、なに言ってるの春!?』

 

 

入学前に、姉に好きな人は一条という人なのかと問いかけた時の姉の真っ赤な顔もすぐに思い出せる。

 

だが、今日、あの一条楽と出会って改めて分かった。

姉からあの人を引き離さなければならない。そうでなければ、絶対に姉は後に悲しい思いをすることになる。

 

 

(でも…、お姉ちゃん信じてくれなかったしな…。どうしたらいいんだろ…)

 

 

どうやって、姉に一条楽の本性を教えてあげればいいのか悩んでいたその時、春の目に掲示板に張られた一枚のプリントが入る。

 

 

(飼育係…)

 

 

その掲示板には部活勧誘のポスターが張られていて、その中で春は飼育係の一枚に目が引かれた。

 

頭の中で想像する。可愛らしい動物たちに囲まれる自分の姿を。

 

 

(…良い)

 

 

春はその紙に書かれた地図の通りに歩き、飼育小屋へとやってきていた。

だが、そこで見たのは…

 

 

(何で…、あの人がここにいるの!?)

 

 

先程別れたはずの一条楽によく似た後姿だった。

 

 

(もうっ、何で今日はこうもあの人に振り回さなきゃならないの!?はぁ…、帰ろ)

 

 

「今日は小咲、来ないみたいだなぁ」

 

 

「っ」

 

 

心の中で絶叫し、飼育小屋に背を向けて帰ろうとした春の動きが止まる。

 

今、あの男は何と言った?

自分の姉を、何と呼んだ?

彼女がいる癖に…、他の女の子の下の名を平気で呼んだ?

 

 

「サイテーですね…」

 

 

「へ?」

 

 

気付けば春は、その男の背後まで来ていた。

そして吐き捨てた声に、目の前の男が振り返る。

 

 

「あんな美人の彼女がいながら、私のお姉ちゃんに手を出してたんですか?」

 

 

「彼女?あの、何か勘違いしてない?」

 

 

「何が勘違いですか!誤魔化そうとしたって無駄…です…よ?」

 

 

そこで、春はふと気づいた。

確かに目の前の男は一条楽によく似ているが…、どこか違う雰囲気がある。

それに、一条楽が着けていた十字の髪飾りをこの男は着けていない。

 

 

「…一条楽先輩、ですよね?」

 

 

「え、君、楽と知り合い?」

 

 

目の前の男が、目を丸くして問いかけてくる。

 

 

「あ、あの…」

 

 

「残念だけど、俺は楽じゃないよ。俺の名前は一条陸。楽の双子の弟だから」

 

 

笑みを浮かべて言う男を、まじまじと見つめる春。

確かによく似ているが…、どちらかというこっちの方がカッコいい。

それに、一条楽よりも髪の毛の癖がないように見える。

 

 

「ふ、双子!?」

 

 

だがそれよりも、あの一条楽に双子がいることに驚いた春。

そして直後、春の頭の中で色々な謎が氷解していく。

 

まず、プリントを運んでいた時に一条楽が言った一条はもう一人いるという言葉。

あのもう一人の一条とは、この一条陸の事なのだろう。

 

そして次は先程の一条楽を囲んでのやり取り。

自分のパンツが見られたとカミングアウトした時の小咲の反応である。

あの時、姉は一条楽に殴りかかろうとした彼女を苦笑を浮かべながら止めようとしていた。

 

…普通なら、思い人が他の女の子のパンツを見たと知ったら少しくらいショックを受けるものではないだろうか。

それなのに、姉はどこか微笑ましいものを見るような目であのやり取りを見ていて。

 

 

(もしかして、お姉ちゃんの好きな人って…)

 

 

目の前には先程の笑みを浮かべたまま、じっと見つめてくる春を見返して首を傾げる目の前の一条陸と名乗った男。

 

 

(こっち…?)

 

 

そして、察する。

 

色々と、自分は勘違いしていたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第52話 ケンカニ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は土曜日、つまり学生にとっては休日である。

さらに翌日は日曜日、言うまでも無くその日も休日だ。

 

つまり、何が言いたいのかというと…。

 

 

「ひゃっはぁあああああああああああ!遊び放題だぜぇえええええええええええ!」

 

 

ということである。

 

自室で目を輝かせながらテレビの前に座る陸は、一心不乱に両手で握るコントローラーを操作している。

陸の目の前のテレビ画面では、剣を握ったアバターが巨大な龍の足下で立ち回っている。

 

さらにその傍ではまた別のアバターが剣を振っており、そして後方には杖を持ったアバターが立っている。

そう。今、陸がプレーしているゲームはオンラインである。

 

 

「よしっ、ふらつき始めたな…ん?」

 

 

画面の中の龍が、血を流しながらフラフラし始めた。これは、もう相手モンスターに残された体力が少ないという事を示している。

陸がもう少しで討伐を終えられると僅かに笑みを零したその時、部屋の中の勉強机に置いてあった携帯電話が鳴り始めた。

 

聞こえてくるのはアラーム音ではなく着メロ、つまり今陸の携帯に届いているのは電話。

 

 

「うわ…、ちょっと…よっ!」

 

 

陸はゲームに搭載されているチャット機能で、『少しだけ前線から外れます』とパーティ仲間に知らせてからアバターを龍の攻撃範囲から外れる所まで後退させる。

 

そしてコントローラーから手を離して急いで机の上の携帯を取り、誰から電話が来ているのかを確かめる。

 

画面に書かれている名前は、<小野寺小咲>。

 

 

「はい、もしもし」

 

 

すぐに通話ボタンを押し、電話を耳に当てて肩で挟み、再びコントローラーを握って操作を始める。

勿論、チャットで『今戻ります。すいませんでした!』と謝罪を入れるのを忘れずに。

 

 

『もしもし、陸君?小野寺ですけど…』

 

 

「おう、小咲。どうした?」

 

 

前線に復帰して直後に、<対象を討伐しました>というロゴが画面に載り、小さく拳を握りながら陸は壁に掛けてある時計を見上げながら小咲に要件を問いかけた。

 

ただ今の時間、九時二十分。電話をしてくるには少々遅いと思われる時間帯だ。

 

 

『あのね?陸君にまた、バイトを頼みたいの』

 

 

「バイト…?あ、和菓子屋のか?」

 

 

小咲が電話をしてきた理由は、和菓子屋おのでらのバイトの件だった。

 

 

『実は、明日勤務する人が二人も来れなくなって…。それでお母さんが陸君にまた来てほしいって』

 

 

「うわぁ…」

 

 

日曜日になれば、他の日よりもかなりお客が多くなるだろう。

そんな日に、二人も人員が欠けることになるとは…少しだけ同情の念を抱いてしまう陸。

 

 

「ん、わかった。前と同じ時間に行けばいいのか?」

 

 

『っ、うん!ありがとう、陸君!』

 

 

了承の返事をすると、陸の耳に小咲が歓喜する声が聞こえてくる。

 

そして直後、小咲から前にバイトをした時と同じ時間に来れば良いと返事を聞いてから、少しだけ話してからお休みと言い合って陸は電話を切る。

 

小咲との電話を終え、陸は再びテレビ画面に集中し始めた。

翌日に予定が入ってしまったため、オールでゲーム熱中とはいかなくなってしまったが、あの夏のバイトから陸は和菓子を作る練習を隠れて続けていたのだ。

その成果を見せつけてやろうと小さくほくそ笑みながら明日を楽しみにする陸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます~」

 

 

と、いうことで和菓子屋おのでらへとやって来た陸。

 

 

「お、来たわね少年!」

 

 

「よろしくね、陸君」

 

 

「…」

 

 

小咲母、小咲、そしてもう一人の少女の三者三様のお迎えを受けていた。

 

小咲母は両手を腰に当て、どこか好戦的に見える笑みを浮かべ、小咲は体の前で両手を重ねて陸に笑顔を向けながら迎えてくれた。

 

そして、もう一人の少女だが…唇の端が引き攣っている。

明らかに陸を歓迎しているようには見えない。

 

 

(…あれ?そういえばこの子って…、飼育小屋の前で楽の悪口言いまくってた子じゃね?)

 

 

ここで陸は、その少女が飼育小屋の前で少しだけ話した子だという事を思い出す。

話したというよりは、少女の口から出てくる楽への罵言を聞いていたというのが正しいのだが。

 

 

「お姉ちゃん…。何で一条先輩が助っ人なの…?」

 

 

「え?前に一度うちに助っ人に来てもらって経験あるし…、お母さんも腕を認めてるし…」

 

 

「え!?お母さんが!?」

 

 

陸へ向けていた表情のまま、少女…春は小咲へと顔を向けて陸がここにいる理由を聞く。

そして小咲からの返答を聞き、目を見開きながら陸の方へと勢いよく振り返った。

 

 

「こ、この人が…?お母さんに認めてもらった…?」

 

 

「み、認めてもらったかどうかは知らないけど…。ま、まぁここに呼ばれたってのは事実だぞ?」

 

 

わなわなと震えながら、信じられないという面持ちで見つめてくる春に取りあえず事実を伝える陸。

 

 

「で、でもでも!私がその分頑張れば済む話でしょ!?要らないよ助っ人なんて!」

 

 

「そういう訳にもいかないでしょ?もう来てもらってるんだから」

 

 

よくはわからないが、春は陸が助っ人だという事を認めたくないようだ。

何とか自分が頑張るからと食い下がっている。だが、そんな春を意外にも止めたのは苦笑を浮かべる小咲母だった。

 

流石に母親に言われれば少しはおとなしくなるだろうと考える陸。

もしかしたら、何だかんだで認めてくれるかもしれないという希望も持ったのだが…そこまではさすがに高望みすぎた様だ。

 

小咲母に言われた春は、直後鋭い視線を陸に向けてくる。完全に、敵視されている。

 

 

(…これ、とばっちりなんだよな?だって俺、この子に何もやってないんだぞ?楽、ホントマジで何したんだよ…)

 

 

スカートの中を見たというのは確かにひどい事だと思う。

事実、それを聞いた陸は家に帰った後に楽の頭に五個ほどたんこぶを付けておいた。

 

しかしそれだけでここまで怒るのは少しいき過ぎだと思われる。

間違いなく、他に楽が何かしたとしか思えない。

 

 

「…おや?」

 

 

すると、陸と春が見つめ合って(陸はげんなりとした目で、春は怒気を含んだ目で)いるのを見ていた小咲母がにやりと笑みを浮かべる。

 

 

「あらら~?春、もう一条君と仲良しになったの?小咲、大変ね~。ライバル登場しちゃったわよ?」

 

 

「「何言ってるのよお母さん!!」」

 

 

(…うん、何となく安心した。この人がいつも通りで安心した)

 

 

小咲母は相変わらずの様だ。おかげで春から伝わる怒気が少しだけ小さく…ならなかった。

むしろ小咲母の言葉は春の怒気を煽ってしまったようだ。

 

ともかく、いつまでも何もしないでいるわけにもいかず、陸と小咲、春は厨房に行って何をするかを話していた。

 

 

「まずは、前回と同じ餡作りからね。陸君、覚えてる?」

 

 

「大丈夫、ちゃんと復習してきたからな」

 

 

否、復習などしていない。昨日は日を跨ぐギリギリまでゲームをしていた。

だが、陸は前回のバイトから和菓子について勉強を続けていたのだ。餡作りくらいお手の物である。

 

 

「陸君、そこの小さじ取ってくれる?」

 

 

「ん。…小咲、そこのボウル取ってくれないか?」

 

 

「はい」

 

 

「…」

 

 

餡の味付けをする陸、小豆を洗う小咲。そして、二人の間に挟まれる春。

春も陸と同じく餡の味付けをしているのだが、作業をしながらもその視線は陸の手元に向けられていた。

 

 

「…あの、春ちゃんだっけ?俺、君に何かしたかな?」

 

 

当然、その視線に陸が気づかないはずもなく。

作業の手を止めて、思わず春に問いかけた。

 

 

「…いえ。ま・だ・何もされていません」

 

 

「…」

 

 

やっぱり何もしてねえんじゃねえか。ていうか、まだを強調するな。

 

とは口に出して言えず、心の中だけに留める。

 

 

「ねぇ陸君、新しいクラスには慣れた?」

 

 

「まぁな。小咲たちとは離れたけど、中学からの友達とか多かったしすぐ慣れたな」

 

 

「そっか…。うぅ…、でも陸君だけ違うクラスなんて…、何で陸君だけ…」

 

 

「いや、クラス替えの結果なんだからさ。しょうがねえだろ。しっかし、あのクラス替えの紙を見た時の小咲のあの顔…、ぷくっ」

 

 

「え!?わ、私、何かおかしかった!?」

 

 

「おかしかったっていうか…、面白かった?」

 

 

「ふぇえええっ!?」

 

 

「…」

 

 

再び始まる陸と小咲の会話。そして再び二人の会話に挟まれる春。

 

 

(…はぁ)

 

 

陸に向けられる春の視線が、冷たいどころか熱くなってくる。

勿論、変な意味ではなくただただ怒の感情でだが。

 

 

「…あのさ、さすがに理不尽じゃないか?確かに楽は俺の兄弟だけど…、そんなに同一視されてもこっちが困る」

 

 

「っ」

 

 

さすがに、陸も我慢ができなくなってしまった。

作業の手を止めて、こちらを睨みつけてくる春に言い放つ。

 

 

「で、でも!あなたもヤクザの息子なんでしょ!?どうせ女の子を侍らせて最低なことを…」

 

 

「春!」

 

 

「っ!?」

 

 

今度は、小咲の我慢の糸が切れてしまった。

怒鳴られた春が、信じられないという思いと悲しみに染まった面持ちで小咲の方へ振り返った。

 

 

「陸君はそんな人じゃない!春、一条君もそうだよ?二人とも、春が思ってるようなことはしてない。何の噂を聞いたのかは知らないけど、全部春の誤解なんだよ?」

 

 

何か楽はついでみたいな言い方になってはいるが、小咲は春が抱いている陸と楽への誤解を解こうとしている。

陸としても、春に言いたいことはあるのだがここで自分が口を挟んでしまえば逆効果になるだろうことはわかっているので、二人のやり取りを黙って見守る。

 

 

「…もういいよ」

 

 

「え?」

 

 

「もういいよ!そんなにこの人が良いなら、二人で仕事しててよ!ここは私一人でやるから、二人はお母さんを手伝ってきてください!」

 

 

「は、春!?」

 

 

誤解が解けなくてもいい。だが少なくとも、今日のバイトに集中できるくらいになってくれれば。

そう願っていた陸の目の前で、春が大声で怒鳴る。

 

陸を、小咲すらも突き放して春は高く重なる、完成した和菓子が載ったお盆を一人で持ち上げようと力えおこめた。

 

 

「春、一人でそれは出来ないよ!」

 

 

「私は一人で大丈夫なの!お姉ちゃんはあっち行ってて!」

 

 

(どうしてこうなった?)

 

 

まさか春がここまで頑固だとは思わなかった。

だが、陸の中で怒りは沸かなかった。それだけ、春が姉を思っている証拠なのだから。

 

寧ろ春の反応は自然のものだろう。ヤクザの息子を家族から遠ざけたいと思うのは普通の事である。

 

 

(…帰った方が良いかもな)

 

 

陸は、春にそう伝えようと口を開こうとする。

しかしその瞬間、高く積み上がったお盆を持ち上げた春がよろめいた。

 

 

「は、春!」

 

 

「っ!」

 

 

呼びかける小咲の声を聞きながら、陸は駆けだす。

すぐに春に駆け寄り、背後から春の体に腕を回してその手に自分の手を重ねて力を込める。

 

 

「っ、な、何を…」

 

 

「ば、バカ!ちゃんと力入れろ!」

 

 

すぐ傍に陸がいることに驚いたのだろう。力を抜いた春に陸はすぐに一喝入れる。

 

 

「ちょっ、何してるんですか!離してください!」

 

 

「こんな時に意地張ってる場合か!取りあえずこれ戻すぞ!」

 

 

「いいです!一人で運べますから!大丈夫ですから離してください!」

 

 

「大丈夫なわけねえだろ!こんな重ぇもん、お前一人で運べるってのか!?」

 

 

「運べます!運べますからあなたはもうどっか行っててください!」

 

 

プチン

陸の中で、短く、何かが切れる音が響いた。

 

 

「あぁ、もう黙れ!!!」

 

 

「「っ!?」」

 

 

春と、少し離れた所に立っていた小咲すらも驚いてびくりと体を震わせる。

 

 

「そこに戻すぞ」

 

 

「…はい」

 

 

陸の怒鳴り声に、パニックから落ち着いた春に声をかけて、お盆を元の場所に戻す。

 

そしてすぐに春の手をお盆から離し、陸自身もお盆から手を離して春と密着していた体もすぐに離す。

 

 

「春!」

 

 

「お姉ちゃん…」

 

 

「大丈夫?怪我はなかった?」

 

 

直後、小咲が春に駆け寄り、何か怪我はしなかったと心配して聞き始める。

 

 

「うん…。どこも怪我してないよ」

 

 

「そっか…、良かったぁ…」

 

 

小咲が安堵の息を大きく吐く。そんな小咲を見ていた春が、顔を俯かせて口を開いた。

 

 

「あの、お姉ちゃん…。怒ってないの…?」

 

 

「え?何に?」

 

 

「だ、だって…。私、一条先輩に悪口沢山言っちゃったし…、さっきあんな事言っちゃったし…」

 

 

あんな事とは、春がお盆を持ち上げようとする直前に言ったことだろう。

頭が冷えた今になって、ようやく自分がしでかしたことを春は自覚したようだ。

 

 

「…怒ってるよ?」

 

 

「ぅ…」

 

 

「私の友達を、あんな風に言われて…。怒らないわけがないよ」

 

 

「…」

 

 

春の目に涙が浮かぶ。

 

 

「でも…、春が無事でよかった」

 

 

「え…?」

 

 

「もう…。あんまり心配させないでよ…、ね?」

 

 

姉妹というより、親子にしか見えない二人のやり取り。

それでも、とても強い絆が二人の間に確かに見える。

 

 

「お姉ちゃん…、ごめんなさい…。あんな事言って…、ごめんなさい…!」

 

 

「うん…。許すよ。許すから…、泣かないでよ春」

 

 

遂に春の涙腺が崩壊してしまった。

両目から涙がぽろぽろと流れ、春の口から聞こえてくる言葉をスムーズに聴き取れなくなる。

 

 

「あと春?もう一人、謝らなきゃいけない人がいるでしょ?」

 

 

「…」

 

 

春の頭を撫でていた小咲が、そんなことを言った。

そのセリフを聞いた陸がふと小咲の方に視線を向けると、先程まで小咲に頭を撫でられていた春がこちらに歩み寄ってきていた。

 

 

「…あの」

 

 

「…」

 

 

何か、今まさに一歩成長する我が子を見守っているような、そんな気分になりながら言葉を絞り出そうとする春を見つめる。

 

 

「さっきはごめんなさい…。悪口、たくさん言ってごめんなさい…」

 

 

声は小さいが、しっかりその言葉を陸は聞きとっていた。

 

 

「あと…、助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

そして、その謝罪の言葉と共に春はぺこりと頭を下げた。

 

正直、お礼まで言われるとは思っていなかった陸。

少しは誤解が解けてきたという事なのだろうか。

 

 

「…少なくとも、あの一条楽先輩よりはマシな人だとわかりました。でもっ、まだ認めませんから!あなたにお姉ちゃんは渡しません!」

 

 

「わぁあああああああああああああああ!!」

 

 

「…?」

 

 

渡さない?なんぞ?

 

首を傾げる陸の目の前で、小咲が何やら春に詰め寄っている。

 

 

「春!もぉ!もぉおおおおおお!!」

 

 

…何がなんだかさっぱりわからない。

 

 

(しかし…、少しは距離を縮められたとは思うけど…和解まではまだまだ遠そうだなぁ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと春の性格悪くし過ぎたというか…、子供っぽくしすぎましたかね?
そこら辺、少し感想が欲しいです。豆腐メンタルに優しい、感想を下さい。


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第53話 カンサツ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸が、ふと異様な光景を見たのは昼休みの事だった。

隠れているつもりなのだろうか、草の絵が描かれた段ボールからぴょこっ、顔を出して何かを見つめている二人の少女。

 

それを見た瞬間、陸は立ち止まり、目を点にしてその光景を眺めていた。

 

二人の少女は何やらこそこそと話しているようだが、こちらの方には良く聞こえてこない。

 

 

(…もう一人はわかんねえけど、あの子、春ちゃんだよな?)

 

 

ここで陸は、二人の少女のうち黒髪の少女が春だということに気付く。

 

陸はまだこちらに気づいていない少女たちの後ろまで歩み寄り、しゃがんで顔の位置を合わせてから小声で話しかけた。

 

 

「なぁ、何やってんの?」

 

 

「うひゃぁっ」

 

 

直後、可愛らしい叫び声が春の口から飛び出した。

即座に春は振り返って陸の顔を見る。

 

 

「い、一条先輩…。こんな所で何やってるんですか?」

 

 

「いや、それこっちのセリフ。こんな怪しい格好して、何やってんの」

 

 

春が陸に問いかけるが、それに関しては陸が聞きたいことである。

段ボールなんか持ってきて、何をやっているのか春に聞くが、先程春ともう一人の少女が視線を向けていた方を見ると、そこには小咲と話している楽の姿があった。

 

 

「…あぁ、なるほど」

 

 

察する。春は楽を監視していたのだ。

ただ、どういう経緯でもう一人の少女がここにいるのかはわからないが。

 

 

「…春。今、一条先輩って…」

 

 

「あ、風ちゃん。この人は一条陸先輩。一条楽先輩の双子の弟なの」

 

 

「ふ、双子?」

 

 

(…春ちゃんと会ってから思ってたけど、集英組の息子が双子ってことはあまり知られてないんだな。後、俺よりも巷では楽の方が有名みたいだし)

 

 

陸の思っている通り、現に風ちゃんと呼ばれた少女は目を丸くしてこちらを見てきている。

恐らく、楽の存在は知っていたが、陸については全く知らなかったのだろう。

 

 

「一条陸です。えっと…」

 

 

「あ、私は彩風涼といいます」

 

 

「彩風さん…も、楽が気になってあいつの行動覗いてるの?」

 

 

「風ちゃんって呼んでください。皆にそう呼ばれてますから。…はい、本当に春の言う通りの人なのかなって」

 

 

風ちゃん、本人が良いと言ってくれたため今度からはそう呼ばせてもらおう。

風ちゃんも楽のことが気になったらしい。まぁ、見ている限り春とはかなり仲のいい友人だと思われるため、春が楽に抱いている評価は耳に胼胝ができるほど聞かされているのだろう。

 

 

「って、こんな話してる場合じゃないですっ。あの人を止めないと…!」

 

 

「まぁまぁ、もう少し様子を見ようよ」

 

 

ここで春が、楽に話しかけられている小咲の事を思い出し、楽を止めようと立ち上がろうとする。

だが、そんな春の手を掴んで風ちゃんが宥めている。

 

…この二人の関係性が少しわかった気がする。

 

 

「あ、風ちゃん。あの人だよ、一条先輩の彼女」

 

 

「あの人が…、凄くきれいな人だねぇ…」

 

 

「…」

 

 

そこに、楽に歩み寄ってくる千棘を見た春が風ちゃんに千棘についてを教えているのだが…、春が陸と楽のどちらも一条先輩と呼んでいるせいか、陸の胸に何か大きな違和感がのしかかる。

 

別に、自分には彼女なんていないのだが…。

 

 

「あ、今度は男の人が来たよ?」

 

 

「わっ、誰だろ~。凄いイケメンだね~」

 

 

「…」

 

 

次に来たのは鶫。何かプリントを見せながら楽に話しかけているようだが…、やはり初めて見る人には男と間違われてしまう様だ。後で二人に本当の事を教えてあげよう。

 

 

「あ、また女の人が」

 

 

「げっ、あの人は…!」

 

 

「あ、押し倒された」

 

 

さらにやってくるのは万里花。万里花は勢いよく楽に抱き付き、楽はその衝撃に耐えきれずに倒れてしまう。

 

 

「…何か凄い撃たれてるんだけど」

 

 

「…」

 

 

すると、鶫がすぐさま拳銃を取り出して楽に向かって発砲する。

唖然とする春と風ちゃんだったが、救いなのは鶫が撃っているのが実弾ではないという事である。

 

 

「あ、お姉ちゃんどっか行っちゃった」

 

 

「…」

 

 

風ちゃんは目を点にしてその光景を眺め、春ちゃんはショックを受けているような、呆然としながらその光景を眺めている。

 

風ちゃんはどうかわからないが、春としては楽の本性を暴こうとしていたのだろう。

その結果が、あれである。

 

 

「これ、春が邪魔する必要あるの?」

 

 

「…どうなんだろ」

 

 

春の心の中ではきっと、色んなものがグルグルと回っているのだろう。

楽が色々して、たくさんの女の子を侍らせ居る所を証明しようと出てきた矢先、あれだ。

 

 

「春ちゃん、楽のまわりはいつもあれなんだ。…あの光景を見て、春ちゃんは楽が女の子を侍らせてるって思った?」

 

 

「…いえ。…でも、まだ少し見ただけです!」

 

 

少し春の中で楽への評価が揺らいでいるようだが、やはり先入観が深く刻まれているみたいだ。

陸が春に言い聞かせてみるも、春の気持ちはまだ変わらないようである。

 

 

「あら、春じゃないの。あなた、同じ高校だったのね」

 

 

「あっ、るりさん!お久しぶりです!」

 

 

すると、こちらに歩み寄ってくる少女、るりの声が三人の頭上から聞こえてきた。

るりは春、風ちゃんを目をやって次にるりを見上げる陸の顔を見る。

 

 

「一条弟君?あなた、春と知り合いなの?」

 

 

「知り合ったのはつい最近だけどな。まぁ、少し話す程度の中にはなってるよ」

 

 

少し驚いたように、るりの目が僅かに見開かれる。

小咲の妹である春と、いつの間にか陸が親しくなっていたことに驚いているのだ。

 

 

「るりさん!一条先輩…、一条楽先輩ってどんな人なんですか?教えてほしいんです!」

 

 

「…?」

 

 

「…」

 

 

春が、陸に何か言おうと口を開きかけたるりに問いかける。

るりは視線を春に移してから、再び陸に視線を移す。

 

 

(…私の印象を言っていいのかしら?)

 

 

(おう。どんと言ってやれ)

 

 

二人の間には、アイコンタクトでこういう会話が行われていた。

会話が終わると、るりは春に視線を戻して口を開く。

 

 

「そうね…。一言で言えば、鈍感屑野郎…と言った所かしら」

 

 

「ぶった切ったなおい…」

 

 

確かに思い切り言ってくれと許可は出したが、まさかそこまで弩ストレートにぶちかますとは思わなかった。

 

その結果…、案の定、春の表情が険しくなっていく。

 

 

「…やっぱり悪い人なんだ」

 

 

「でも春、あんたは余計なことしない方が良いわよ。…というか、する必要がないって言った方が正しいか」

 

 

「なっ、何でですか!?だって、お姉ちゃんが…!」

 

 

先程、楽の辛辣な評価を口にしていたるりが突如そんなことを言いだしたのを春は信じられなかったのだろう。

目を見開いてるりを見上げ、その真意を問いかける。

 

 

「あなたは小咲のことを心配している様だけど…、大丈夫。一条兄君はあなたが心配しているようなことは絶対にしない。むしろ…」

 

 

「?」

 

 

…何でるりはこちらを向いているのだろう。

疑問に思いながら陸は首を傾げる。

 

 

「ともかく、一条兄君のことは放っておきなさい」

 

 

「…」

 

 

最後にそう言い残してるりは去っていった。

その時の、るりの後姿を見ていた春の顔が陸の中で印象に残っていた。

 

何度も何度も思わされているが、やはり春は姉のことを…、小咲のことを大好きなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迎えた放課後。特に用事もないため、陸は鞄を持って早く帰ろうとしていた。

楽も小咲も千棘も鶫も万里花もるりも集も、同じクラスにいながらさらにどうやら同じ班になったおうで、今週は掃除当番に割り当てられているらしい。

 

今日はさっさと帰って、ゲームでもするかと、家で何をするかを考えながら廊下を歩いていた陸。

 

 

(…喉渇いた)

 

 

ふと、自分の喉が飲み物を欲していることに気付き、すぐそこに位置していた中庭にある自販機へ向かう。

 

陸は歩きながら鞄から財布を取り出し、百円玉を取って自販機の中に入れる。

 

 

「「あ」」

 

 

その直後、自分と同じように小銭を自販機に入れようとしていた少女の存在に気が付いた。

 

 

「…どうぞ。一条先輩の方が早かったですから」

 

 

「わ、悪いな春ちゃん」

 

 

その少女とは、春。春は少し冷たい口調で陸に言い、陸はその言葉に甘えて何を飲むかを選ばせてもらう。

 

 

(…抹茶ラテにしよう)

 

 

陸は抹茶ラテのボタンを押し、自販機の中から出てきた抹茶ラテのカップを取り出す。

 

そして次は春の番なのだが…、小銭を入れ、ボタンを押そうとしていた春の手が不意に止まった。

陸が不思議に思って見てみると、春の指の先、抹茶ラテのボタンなのだが、陸が買った分で売り切れてしまったのだ。

 

 

「…どうぞ。俺、他の飲むからさ」

 

 

別に絶対に抹茶ラテを飲みたいという訳でもなかったため、躊躇わずに陸は抹茶ラテを春へと差し出す。

 

 

「あ、ありがとうございます…。これ、代金です」

 

 

だが春はどうやら抹茶ラテを飲みたかったようで。陸からカップを受け取り、自販機から取り戻した百円を陸に差し出す。

 

 

「いや、別にいいよ」

 

 

「私がそれじゃ嫌なんです。それに、先輩に借りを作りたくありませんし」

 

 

「…」

 

 

少しは評価は上がっているとは思うが、やはりまだ評価はマイナスの域のようだ。

 

春がそう言うんじゃ仕方ない。こういう時はむしろ受け取らないと逆にさらに相手を嫌がらせてしまうだろう。

陸は春から小銭を受け取り、折角だからここで使わせてもらうことにする。

 

 

(…あ、ファンダ。量は少ないけど、入荷したんだな)

 

 

陸は自販機のボタンを押し、出てきたペットボトルを取り出してキャップを開け、呷る。

口の中で炭酸特有のぱちぱちする感覚を楽しみながら少しずつジュースを飲む。

 

 

「…昨日はごめんな」

 

 

「え?」

 

 

飲み口を口から離し、陸は言った。

 

この謝罪は、先日のバイトについての事である。

 

 

「急に邪魔してさ、驚かせちゃっただろ?…それに、俺が来てなかったら小咲と喧嘩なんかにならなかっただろうし」

 

 

陸の中で特にのしかかっているのは、春と小咲が言い争いになったことである。

あの原因は間違いなく自分。自分が来ていなかったら春と小咲は喧嘩することはなかったと陸は思っているのだ。

 

 

「別に…。あれは私のせいです。お姉ちゃんの気持ちも考えないで、あなたに色々言って…」

 

 

あれ?もしかして、謝ろうとしてる?春ちゃんが?

 

そう思いながら言葉を続ける春の横顔を陸は眺める。

 

 

「…変に優しい人ぶらないでください。確かにあなたのお兄さんよりはマシな人だと認識してますが、まだあなたのことを信用しているわけではないです!」

 

 

(…うん。これもヤクザの宿命なんだよな…、少し凹むけど)

 

 

仕方のない事とはいえ、やっぱり少し凹む。

 

 

「本当に…、世の中は広いですよね。あなたのお兄さんのような最低な人もいれば、私を助けてくれた王子様みたいな素晴らしい人もいて…」

 

 

「王子様?」

 

 

すると不意に、春が奇妙なことを言いだす。

 

王子様?助けてくれた?

 

 

(…あれ?そういえば俺、どっかで春ちゃんを見たことあるような気が…)

 

 

春の言葉を思い返すと、ふと春に既視感を抱く陸。

 

そして、思い出した。

 

 

(あ、そうか。春ちゃんってあの時の子だ)

 

 

この年度に入って最初の授業の日。登校中、女の子を不良から助けた。

その女の子が、春だったのだ。今まですっかり忘れていた。

 

 

「そうだ。もしかしたら先輩が知ってるかもしれませんね…。実は…」

 

 

そこから、春はあの朝のことをとてもこと細やかに説明を始めた。

 

頬を赤らめ、憧憬の念を隠さず曝け出しながら説明する春に、少し陸は恥ずかしくなってしまう。

 

 

「それで私、王子様の手掛かりを持ってるんです」

 

 

「…手がかり?」

 

 

呆然としながら春の説明を聞き流していた陸だったが、その単語に我を取り戻した。

 

手掛かりとは何だ?何か自分が落としたのだろうか?

特に失くしたものはなかったはずなのだが…。

 

 

(…そういえば、楽が騒いでたな。ペンダントを失くしたって)

 

 

「これなんですけど…」

 

 

陸は、春の取り出したものを見て大きく目を見開いた。

 

 

「あああああああああああああああああああああああ!!?」

 

 

「わっ、何ですかいきなり!」

 

 

全てを思い出す。

 

陸が気を失った春を運んでいる途中、陸よりも遅れて家を出た楽に追いつかれたのだ。

そして陸は楽に自分のカバンを持たせ、楽と一緒に春を保健室へと運んだのだが…、恐らくその時に楽はペンダントを落としたのだろう。

その後、ペンダントは春の手へと渡って…。

 

 

「そ、それ。保健室に落ちてたんだろ」

 

 

「え…、そうですけど…。な、何で知ってるんですか!?」

 

 

「知ってるもなにも、俺が君を助けた王子様なんだよ。楽にも手伝ってもらったんだけど、その時にあいつそのペンダントを落としたみたいで…」

 

 

「はぁ!?」

 

 

春が素っ頓狂な声を大きく漏らす。

 

 

「王子様があなたなはずないでしょう!?嘘つかないでください!王子様は身長は確か百八十センチ以上で、顔はハリウッド俳優風で声も爽やかな声優さんのような人だったんです!私のかすかに残る記憶の中では!」

 

 

(い、イメージが美化されてる!?)

 

 

というか、そんな人がこの世界にいるのだろうか。何かしら一つは要素が欠けていると思うのだが…。

 

 

「あぁ、確かめる方法はある!だからもし俺がその王子様だったら、そのペンダントを渡してくれないか?」

 

 

「…あなたが、王子様だったら?」

 

 

ともかく自分が王子様だという事を証明するしかない。

ペンダントが楽、自分の近しい人の物だとわかれば遠まわしにはなるものの証明になるはず。

 

そう思って、陸は春に言うが…。春の様子がおかしい。

 

 

「もし…、もしそんなもしもが本当だったとしたら…。私は怒りのあまりこのペンダントを粉々にして投げ捨てます!」

 

 

(そ、そこまで!?)

 

 

改めて、何度目かの春の自分への評価の低さを思い知らされる陸。

…少しくらい信じてほしいのだが。

 

 

(けど、どうする?春ちゃんが持ってる楽への評価が地の底まで落ちてる以上、俺が何とかするしか…)

 

 

楽のペンダントなのだから、楽に任せればいいのでは?と一瞬考えた陸だったが、そんなもの結果は見えている。

春の言う通り、ペンダントは粉々に砕かれ投げ捨てられてしまうだろう。

 

どうにかして、自分にペンダントを渡してもらわなければ…。

 

 

「…やっぱり、あなたはそういう人だったんですね。昨日、私を助けてくれた時、少しは良い人なのかもしれないって思ったのに」

 

 

「え…」

 

先程の怒り溢れる様子とは打って変わって、ショックを受け、沈んだ様子で春が言った。

 

 

「もういいです。あなたには頼りません」

 

 

「あっ、ちょっと!」

 

 

最悪だ。評価が落ちるどころか、愛想まで尽かされてしまった。

春は陸に背を向けて去っていってしまう。

 

 

(あぁ、くそ!悪ぃ楽、ちょっと俺じゃどうにもなんねえわ…)

 

 

こうなったら仕方ない。少し狡いが小咲に事情を話して説得してもらおう。

さすがにこればかりは引き下がるわけにはいかないから。

 

 

「…あ」

 

 

陸は、去っていく春の背中を眺めていたのだが、その時春のすぐ横にある足場が不安定になっていることに気付く。

さらにそれだけではなく、不安定になった足場は春の方へゆっくりと傾いていくではないか。

 

 

「おい、あぶねえ!」

 

 

陸は春の方へと駆け出しながら、彼女に襲い掛かろうとする危険を伝える。

 

直後、足場が一気に崩れ、鉄パイプや足場に載っていたバケツなどが春に向かって落ちてくる。

 

春がそれに気づいたのは、その時だった。

呆然と自分に向かって落ちてくる足場を見ることしかできない春。

もう、今から避けようとしても間に合わないだろう。

 

彼女が最後に感じたのは、体全体を包み込むような暖かな感触だった。

 

 

 

 

 

 

 

「…ん」

 

 

目が、覚める。

赤い空が見える。白い雲が流れているのが見える。

 

 

(そうだ、私…。崩れてきた足場に潰されそうになって…、それで誰かに…)

 

 

「っ!?」

 

 

ここで春は飛び起きた。

 

生きてる。自分は、生きている。

足場に潰されたと思っていたのだが…、一体何が起きたのだろうか?

 

春は、自分に掛けられていた制服が誰の物か疑問に思ったその時。

 

 

「気が付いたか?」

 

 

「え…」

 

 

背後から男の声が聞こえてきた。

呆然としながら、振り返った春の目に見えたのは。

 

 

「一条先輩…」

 

 

先程、別れたはずの陸だった。

 

 

「あの、私…どうなったんですか…?足場に潰されそうになった時、誰かに…」

 

 

そこで、思い出す。

あの時、周りには誰もいなかったことを。

 

そう、今そこにいる陸以外。

 

 

「あ、あの…。先輩が助けてくれたんですか?」

 

 

「え?」

 

 

「…もしかして、やっぱり、先輩が…その…」

 

 

「っ」

 

 

考えられるのは、陸が自分を助けてくれたという事。

そして、先程は全く信じられなかったのだが…。陸が、自分が思っていた王子様なのだろうか?

 

 

「…いや、君を助けてくれたのは例の王子様だ」

 

 

「え!?」

 

 

だが、陸の口から出てきたのは春が考えていなかった答えだった。

 

 

「あっ、あの時の王子様が!?でも、何で先輩が王子様の事を…!」

 

 

「…実はな…。内緒にしてほしいんだけど、実はあいつは…」

 

 

春は問いかける。

あの時の王子様がここに現れたのだろうか。だが、もしそうだとしたら何で陸は王子様の事を知っているのだろうか。

 

陸の口から出てきたのは、とても重い、そして壮絶な王子様の背にのしかかる運命だった。

 

 

「裏の人間に命を狙われていてな(本当)、素性を隠して行動してるんだ(地味に本当)。俺とあいつは唯一無二の親友(というか同一人物)で、今あいつは俺だけが頼りでな。君に奴の事を話せば君にも被害が及ぶと思って(本当)…。そのペンダントもあいつの思い出の品でな。あまり人の目につかないようにしてくれると助かる…」

 

 

陸の本心など露知らぬ春。そんな春は、こんな言葉を…

 

 

「そ、そうだったんですか!?わ、私にも何か手伝えることはないんでしょうか!?」

 

 

(ア、アホの子がおる…)

 

 

簡単に信じてしまった。

陸の呆然とした視線に気づくことも無く、春は王子様の運命を憂い、そしてまた助けてくれたという事に喜びを覚える。

 

 

「そっか…、また助けてくれたんだ…!」

 

 

春はまだ見ぬ王子様を思い、また会えるように願う。

 

だが、そこでふと気づく。

 

 

「そういえば…。先輩、ずっとそこにいたんですか?」

 

 

「え…、あ、あぁ。あいつは君を助けてからまたどっか行っちまったからな」

 

 

やっぱり、自分にかけられた制服は陸の物だった。

 

あの時、まだ空は青く、今は空は赤い。自分が気を失ってから、陸は長い間そこで立ちっぱなしでいてくれたのだ。

 

 

「…制服、ありがとうございます。後…、さっきはあんな事言ってすいませんでした。やっぱり、少しはましな人だったんですね」

 

 

「ん…、まぁ、どういたしまして?」

 

 

制服を返しながらお礼を言い、そして先程ひどいことを言ったことに関する謝罪をする春。

 

 

「…照れないでください。不快です」

 

 

「…」

 

 

そして、照れながら頭を掻く陸に冷たい言葉を投げかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




取りあえず、春との絡みは一段落つきました。
次回からはまた小咲をバンバン出していきますよ!


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第54話 プールデ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「プール掃除?」

 

 

「あぁ。明日なんだけどよ…、キョーコ先生に頼まれちまって」

 

 

すっかり夜は更け、陸は寝間着に着替えて寝る気満々の格好で布団の上で楽の話を聞いていた。

 

何やらキョーコ先生に頼まれ事をされたみたいで、ホームルームで彼女がその事についていう事は忘れていたらしく、丁度最後まで教室に残っていた楽にそれについて頼んだらしい。

 

 

「なるほど…。それで俺に泣きついてきたと」

 

 

「なきつっ…、いやまぁ手伝ってほしいのは本当だけどよ…」

 

 

「で?他に声かけた奴は?」

 

 

「…」

 

 

「…おい、まさか」

 

 

少し楽と言葉を交わした後、陸は自分以外の誰に声をかけたのかを楽に問いかけた。

だが、返ってくるのは沈黙。

 

 

「集…」

 

 

「…だけ?」

 

 

そして沈黙の後、楽の口から出たのは集の名前。

陸は他に人はいないか問いかけるが、楽は無言で頷く。

 

どうやら楽が呼べたのは陸と集だけのようだ。

 

 

「何で…」

 

 

「ほ、他の奴らにも声はかけたんだ!でも…、めんどくさいって…」

 

 

「…はぁ」

 

 

楽にはあまり人望がない様だ。

陸はため息を吐き出しながらその事を実感する。

 

 

「俺と楽、集の三人じゃ大変だろ。とりあえず片っ端から知り合いに連絡とるぞ」

 

 

「し、知り合いって…」

 

 

「小咲とか千棘とか…、そこら辺の奴らに手伝ってもらえるか聞くんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、困り切って私に泣きついてきたと」

 

 

「…どっかで聞いたことのあるセリフだな」

 

 

暖かい陽の光が射す中、プールサイドには髪を二つに結い、水着の上にパーカーを羽織った千棘が腰を下ろしていた。

 

 

「でも、プール掃除って何かワクワクするわね…!」

 

 

「前向きだなおい…」

 

 

「それで?私の他には誰に声かけたの?」

 

 

これまたどこかで聞いたことのある問いかけを千棘がしてくる。

 

 

「とりあえずお前の他のいつものメンバー。後、男子中心に呼びかけたんだがこいつら以外軒並み断られてな…」

 

 

「あんた、人望ないわね」

 

 

千棘の呆れた目の先には、楽の他に陸と集の二人が立っていた。

 

 

「いやー、女子の面子を教えてやればみんな集まったろうに…」

 

 

「人の事ダシに使えるかよ…」

 

 

集が、間違いなく大勢の男子が集まるだろう提案をするのだが楽はそれは出来ないと否定する。

 

陸は内心で集の言う通りにすれば皆集まるだろうと確信するが、他のメンバーをダシに使わなかった楽を褒めていた。

 

 

「陸君!」

 

 

すると直後、更衣室の扉がある方から陸を呼ぶ声が聞こえてきた。

陸たちが振り返ると、小咲が、春が、るりと風ちゃんが、それぞれに似合った水着の上にパーカーを羽織ってこちらに向かってきた。

 

特に、小咲と春の手にはバスケットが握られている。

恐らくその中には、小咲が買って出て、そして春が作ったお昼ご飯が入っているのだろう。

 

 

「お待たせ!今日はよろしくね?」

 

 

「悪いな、昨日は遅くに電話かけて」

 

 

「ううん、困ったときはお互い様でしょ?」

 

 

陸と小咲が挨拶を交わしている中…、陸はこちらを目を細めて睨みつけている春に勿論気が付いていた。

…いや、睨みつけているというより何か品定めをしているような、そんな眼だ。

 

 

(何だ…、何か気持ちに変化でもあったのか?)

 

 

先日までの春だったら問答無用で陸と小咲を引き離しにかかっていただろう。

しかし今日の春はそれをしない。ただ、陸を見つめ続けるだけ。

 

そしてこうしている間にも、陸と楽が呼んだメンバーが次々にプールサイドにやって来た。

鶫、万里花。そして鶫が呼んだのだろう、ポーラ・マッコイ。

万里花が到着した時、彼女と千棘に軽く一悶着はあったが、楽が取り直して皆で早速プール掃除を始める。

 

まずプールに足首が沈む程度の量の水を浸し、楽と集が持ってきたブラシでプールの床をゴシゴシと擦る。

 

その時、陸と楽が洗剤をプールの床にばら撒く。

一通り床全体に洗剤を塗ると、二人はすぐにブラシを握って皆と同じように床を擦り始める。

 

 

「…この光景、ビデオにして売り出せば儲かると思うんだ」

 

 

「止めとけ、敵に回すと恐ろしい奴ばかりだぞ」

 

 

いつの間にか、気づけば女子達は掃除を止めて遊び始めていた。

何故だろう、女子達のまわりが輝いて見えるその光景に、集がぽつりと呟き楽が即座にツッコミを入れる。

 

 

「おーい、遊んでないで掃除しろー。さっさと終わらせてみんなで泳ぎたいだろー?」

 

 

楽と集の会話を聞きながら、陸は遊んでいる女子達に呼びかける。

すると女子達は直後、はっ、と目を瞠らせて先程までの楽しげな雰囲気から一変。プール掃除に少し行き過ぎじゃないかと思えるほど集中し始める。

 

しかし、掃除をしながらという変化はあったものの楽しげな雰囲気を取り戻すにはそう時間はかからなかった。

 

それから数十分ほどかかり、午後を回った頃。プールの床にあった汚れは消え、掃除が終わったという事で昼食を摂ることになった。

 

ブルーシートを敷き、その中に一人を除いて全員が腰を下ろして小野寺姉妹が用意した昼食を堪能する。

 

 

「おいっしぃいいい!これ全部春ちゃんが作ったの!?」

 

 

「盛り付けはお姉ちゃんに任せたんです。そしたら、普通のお弁当だったはずがいつの間にか高級幕の内に…」

 

 

最初に料理を口に入れた千棘が感嘆の声を漏らす。

手放しで褒められた春が僅かに頬を赤くしながら、姉である小咲も弁当製作を手伝ってくれたことを話す。

 

その際、普通に作ったはずの弁当から高級感あふれる幕の内弁当になったことも添えて。

 

 

「…錬金術」

 

 

「そ、そんなんじゃないよ!もぉ~…」

 

 

無意識の内に内心を呟いていたのだろう。頬を染めた小咲が陸の肩をポコポコ叩きながら反論する。

全く痛くもないし、本気で怒っているようにも見えないのだが…。そんな小咲の様子を可愛く思えてしまうのは自分が何かおかしくなったせいなのか?

 

 

「ポーラさん!一緒に食べないのー!?」

 

 

すると、陸の視界の端で春が立ち上がり、皆の輪に加わらず木の上に登り、腰を下ろしていたポーラに声をかけた。

 

だがポーラは春の呼びかけに応えず、一瞬だけ視線を向けてからすぐにそっぽを向いてしまった。

 

 

「少し分けてもらっていいかな…。後で私が渡そう」

 

 

鶫の言う通り、彼女がポーラに昼食を渡せば恐らく素直にポーラは昼食を口にするだろう。

だが…、春はそれでは納得しないようで。

 

昼食を食べ終え、皆がプールで遊び始めてから春はポーラが登った木に近づいていった。

 

 

(…頑張れ)

 

 

春は、ポーラの心を開こうとしているのだろう。ポーラと友人になりたいのだろう。

 

それには険しい道のりになりそうだが、きっと春ならやり遂げる。

陸はそう小さく確信しながら、心の中で春にエールを送ってから足元に置いてあったホースを持ち、少し離れた所にあった水道の蛇口を開き、水が出たことを確認してからホースの口を楽へと向ける。

 

 

「ぶふぉっ!?り、りくてめっ…なっにを…やめっ…!」

 

 

「はははっ!」

 

 

ホースから勢いよく放たれる水が、楽の顔面に容赦なくぶつけられる光景を見ながら陸は遠慮なしに爆笑するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「…」

 

 

小咲の視線の先には、水を止めたホースを置いてプールの中に入ってきた陸と集が上手くコントロールしてビニールでできたボールを楽にぶつけて遊んでいる光景があった。

 

陸と集はもちろん、ぶつけられている楽も本気で嫌がっているようには見えず、時折三人の笑い声がこちらにも聞こえてきていた。

 

 

「何やってんのよ小咲」

 

 

「ひぃあっ!?る、るりちゃん?」

 

 

楽しげな陸の様子を眺めていた小咲だったが、突然背後から聞こえてきた声で振り返った。

背後にはるりが眉間にしわを寄せながら小咲を見上げており、いかにも不機嫌ですと言う表情を浮かべていた。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

 

「どうしたのじゃないでしょ。何であんたは一条弟君の所に行かないのよ」

 

 

るりが両手を腰に当てて小咲に言う。

 

 

「だ、だって…。陸君、あんなに楽しそうだし…。邪魔したくないし…」

 

 

「あら、それは大丈夫みたいよ。見ての通り、橘さんがもう突っ込んでいってるから」

 

 

「え?」

 

 

るりの言う通り、先程陸たちがはしゃいでいた場所では、万里花に抱き付かれて楽がおぼれかけているのが見える。

そして、陸と集が万里花を必死に止めようとしている光景も。

 

 

「で、でも…。急に陸君の所に行ったって、陸君が変に思うだけだよぉ…!」

 

 

「そんなことないわよ。その成長したあんたを存分に見せつければいいじゃない」

 

 

「…成長?」

 

 

手を掴み、自分を陸の元へ連れて行こうとするるりのある一言に疑問を持つ小咲。

 

成長…とは、一体何のことなのだろうか?

 

 

「あら、違うの?その水着、大きくなったから去年と違うのを買い替えたんでしょ?」

 

 

「…っ!!!?」

 

 

小咲の頬が、まるで爆発したかのように一瞬で真っ赤に染まった。

 

 

「お、お、大きく!?」

 

 

「違うのかしら?」

 

 

「ち、ちがっ…くはない、けど…」

 

 

いや、るりの言う通りではあるのだが…。

最近、ふと水着を着てみると胸の所がきつく感じ、母の買い物に着いていくついでに新しいのを買ったのだが。

 

そんなはっきりと、誰かに聞かれるかもしれないこんな場所で言わないでほしい。

 

 

「ともかく、あんたはその成長した武器で一条弟君を魅了してきなさい」

 

 

「る、るりちゃん!待ってってばー!」

 

 

もう、るりは何も言わない。小咲の言葉にも耳を貸さず、引っ張って陸の元へと行く。

 

 

「一条弟君、小咲が混ぜてほしいって」

 

 

「宮本?ま、混ぜるって、何に?」

 

 

「るりちゃぁん…!」

 

 

陸は今まさに溺れかけていた楽を救出したところで、るりの言葉の意味が良く読み取れていなかった。

 

 

「いいから、さっさと行け」

 

 

「え?きゃぁっ!」

 

 

るりの暴走をただ見ていることしかできなかった小咲は、突如自分の背後に回り込んだるりの意図がわからなかった。

 

だから、直後のるりの行動には本当に驚愕することになる。

 

小咲の背後に回ったるりは、小咲を力一杯押したのだ。

 

陸に向かって。

 

 

「え…、うぉっ」

 

 

「ふぇっ?」

 

 

さらに、ただるりに押されただけではなく踏ん張ろうと力を込めた足が滑ってしまう。

結果、小咲の体は傾いて…、陸の胸に丁度良くぽすりと収まることになったのだ。

 

 

「だ、大丈夫か?」

 

 

「ふぁ…、ふぁぁぁぁっ…」

 

 

顔が真っ赤になるどころではない。頭からは煙が上り、小咲の思考が全く働かなくなってしまう。

 

唯一出来たことは、陸の顔を見上げることだけ。

しかも、見上げたは良いものの陸の顔を至近距離で目にすることになってしまい、頭の中が真っ白になる小咲。

 

 

「小咲…?おい、小咲!?」

 

 

ここで陸も小咲の異変に気が付く。

小咲の目の焦点が合っていない。顔が真っ赤になり、そっと手を小咲のおでこに当てれば尋常じゃない熱が伝わってくる。

 

 

「お姉ちゃんに何してるんですかあなたはぁあああああああああああああ!!!」

 

 

「え?ぐほぉっ!?」

 

 

誰かに助けを求めようとした直後、ドスの効いた叫び声と共に強烈な衝撃が背中に奔った。

さらにその叫び声の主は陸の腕の中にいた小咲を掻っ攫って凄まじい速度で陸から距離を取っていく。

 

 

「最低最低最低ですっ!お姉ちゃんにセクハラするなんて、ホント最低です!」

 

 

「え、ちが…」

 

 

「こっちに来ないでください!お姉ちゃんに近づかないでください!」

 

 

先程の叫び声の主は春だった。もちろん、小咲を連れて行ったのも春だ。

 

また、大きな勘違いをされてしまった陸は春の説得を試みる。

そして陸と共にるりも協力を…というより、小咲がこうなった原因は彼女なのだから当然なのだが。

 

ともかく、二人で話した結果誤解は解けた。

 

陸の言うことはあまり効果はなかったようだが、るりは信用しているのだろう。

原因は自分にあるとるりが詳しく話すと、あっさりと納得してくれた。

 

様に見えたのだが、るりにそう見えるようにしているだけのようで、るりが視線を春から外すと突如陸の方を睨んできた春。

 

 

「ま、まぁ…。春ちゃんは遊んできなよ。小咲は俺が見ておくから」

 

 

「何言ってるんですか。お姉ちゃんは私が見ます。あなたなんかに任せられません」

 

 

「いや、だけど…。あの子、放っておいていいのか?」

 

 

「え?」

 

 

陸は、るりと共に春の説得をしている途中、パーカーを脱いで水着姿になったポーラに気づいていた。

春と話している内、ポーラは春に対してまだ少しのようだが心を開いたらしい。

 

どこか不安げな目を春に向けて、その姿は助けを求めているように見える。

 

 

「友達になりたいなら今がチャンスだぞ?」

 

 

「…わかりました。でも、もし変なことをしたら承知しませんから!」

 

 

そう言い残し、春はポーラの元へと駆け寄り、手を掴んでプールの中へと二人で飛び込んでいった。

 

だが…、ポーラは泳げなかったらしく、ジャバジャバと必死にもがいているのが見える。

 

 

(…チョット狡い言い方しちまったけど、良かったな春ちゃん)

 

 

先程の不機嫌そうな顔とは打って変わって、ポーラと手を繋いでいる今の春の表情は輝いていた。

 

 

(あ、怒った)

 

 

だが、他の人と一緒に春に近づこうとする楽を見た瞬間また表情が逆戻りしてしまった。

まだまだ、春が一条兄弟に心を開くようになるのは先になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、小咲が目を覚ましたのは日が傾き始めた頃だったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第55話 シツレン

お久しぶりです。投稿を再開します。
…といっても、またすぐに実家に帰るのですが。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、ホームルーム終わり!じゃあ、今日も一日頑張れよー」

 

 

チャイムが鳴るその前に、キョーコ先生がホームルームの終わりを告げて教室を出て行く。

そして教師が出た直後に、席に着いていた生徒たちはそれぞれの思う所に足を運び、友人と話し始める。

 

 

「しかし、早いもんだな…。二年になってもう一月経ったぜ?」

 

 

「すっかり慣れちゃったわね」

 

 

もちろん、楽たちも例外ではなく。隣同士で座る楽と千棘のまわりにいつもの面子たちが集まっていた。

 

 

「そうだな。…でも俺としては、同じ教室内に陸がいないってのはまだ慣れないんだよなー」

 

 

「あぁ…。お前、陸とは小学の時からずっと同じクラスだったもんな」

 

 

「おう。だから一年の時、お前らと同じクラスになった時は驚いたわ」

 

 

二年になって一ヶ月。当初は癖になってしまっていたのか、時に一年の教室に足を踏み入れそうになる時もあった。

だが今はもうそんなこともなく。今ある光景が当たり前のこととして受け入れられている。

 

 

「うん…。やっぱり、陸君がいないのは寂しいよね…」

 

 

「そうね。あんたは特にそうでしょうね」

 

 

「るりちゃん!」

 

 

その中で、集がぽつりと口にした陸がクラスにいないというセリフに小咲が反応した。

先程まで浮かべていた笑みは消え、どこか寂しげな表情で俯いてしまう小咲。

そんな小咲に、遠慮なく踏み込んでいったのはるり。

 

るりの吐いたセリフは小咲にとって自身の秘めている気持ちは周りにばれてしまう恐れのあるものだった。

すぐに小咲は真っ赤な表情でるりの追撃を止めにかかる。

 

 

「お~い、今日の日直誰だ~?まだプリント残ってっけど」

 

 

小咲とるりの攻防をある者は暖かく、そしてある者は疑問符を浮かべながら見守っていると、教壇の上に立った男子生徒の声が聞こえてくる。

 

 

「…誰だっけ、今日の日直」

 

 

「「あ」」

 

 

小咲がぽつりと呟き、そしてある二人が同時に短く声を漏らした。

 

黒板に書かれている、日直の名前。

 

一条楽

宮本るり

 

 

「すっかり忘れてたわ。珍しい取り合わせね、一条君」

 

 

「そうだな。何だかんだこんな風に隣で歩くってことはなかったな…」

 

 

プリントを半分ずつ持ち、楽とるりは廊下を歩く。

楽がもっと持つと言ったのだが、るりが断固として譲らなかったため半分ずつという事にしている。

 

 

「それにしても、あなたの悪友はどうにかならないのかしら?あれには節操というものがなさすぎるわ」

 

 

「あいつは昔からああだからな…」

 

 

プリントを運ぶ中、るりがどこかげんなりとした様子の声で言う。

 

こうしてプリントを運ぶ前、集がやらかしてるりに殴られている光景を楽は思い出す。

 

何とかならないかとるりは言うが、集のあの性格は昔からだ。

正直、言って直すとは思えないし、それに楽は…一条兄弟は、集のあの性格に何度も助けられている。

 

 

「あなたも大変ね。まぁ、あのバカに好かれた相手というのも随分お気の毒なことだけど…」

 

 

だから、るりが今ここにいない集に辛辣な言葉を並べる所を楽は苦笑を浮かべて眺めることしかできない。

 

しかしそれも、次のるりの言葉を聞くまでの事だった。

 

 

「そうだ。あなたは知ってるの?舞子君の好きな人」

 

 

「…は?」

 

 

楽の足が止まり、目が丸く見開かれる。

 

 

「何の話だ?」

 

 

「…は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一条家の屋敷。とある一室…と言うか陸の部屋。

 

その主である陸はテレビ画面の前に座り、ゲーム機のコントローラーを操る。

そしてもう一人、この部屋の中にいる人物。楽は座布団を枕にして寝転がりながら、陸の部屋にあった漫画を読んでいた。

 

 

「…なぁ陸」

 

 

「あ?」

 

 

不意に、楽が陸を呼ぶ。

陸はテレビ画面に視線を向けたままで、楽に続きを促す。

 

 

「集の好きな人、知ってるか?」

 

 

「…は?」

 

 

一瞬、だが確かに陸はテレビ画面から視線を外し、楽の方を見た。

 

 

「いや、知らねえよ。ていうか、あいつ好きな人とかいたの?」

 

 

「…だよなぁ。あいつ、自分のそういう事は全く言わねえからなぁ」

 

 

陸はポーズ画面を開き、ゲームを中断して楽に向き直ってから問いかける。

だが楽の答えはどこか煮え切らない。

 

 

「宮本に聞かれたんだよ。集の好きな人は誰だって。何か集が宮本に好きな人がいるって言ったらしいけど…」

 

 

「宮本が?」

 

 

何でもるりから聞いたことらしい。

 

 

「…想像つかねえな。あいつの好きな人なんて」

 

 

「え?ほら、田中さんとかどうだよ。たまに話してるの見かけるぞ?」

 

 

「そんなの普通だろ。あれはただの友達だろうな」

 

 

楽が何故か落ち込んでいるのだが、そこは無視する。

何か「普通…普通…?」と呟いているのだが、知らないと言ったら知らない。

 

 

「…キョーコ先生?」

 

 

「は?」

 

 

「いや、集の奴、キョーコ先生には微妙に態度違くないか?やけに尽くしてるっていうか…」

 

 

「…さすがにそれはねえんじゃね?だって、教師だぞ?」

 

 

「…だよなぁ」

 

 

思いついた瞬間、間違いないという手ごたえを感じた陸だったがさすがにそれはないと考え直す。

 

 

「…でも、屋上でその事について聞いた時に言ってたな。『俺の好きな人は手の届かない高嶺の花だ』って…」

 

 

「…」

 

 

部屋に沈黙が流れる。

ポーズ画面によって音量が抑えられたゲームのBGMだけが寂しく響き渡る。

 

 

「…なわけねえよな!だって教師だぜ教師!」

 

 

「そうだな!まぁとにかく、集の恋を応援しような!」

 

 

ともかく、集の好きな人はキョーコ先生ではない。

そう結論付けた二人は再びそれぞれのやりたいことを再開する。

 

だが、二人は心のどこかで確信していた。集の好きな人が誰なのかを。

それと同時に二人は、そうであってほしくないと願ってもいた。

 

何故なら…、もしそれが正しいのなら、集の恋がどうなるのか。結末は決まっているのだから。

 

 

 

翌日の朝、ホームルームを受けていた陸は隣の教室から聞こえてきた多数の大声に驚いて目を見開いた。

 

 

「な、何だ?」

 

 

「うるせえな…、少しは静かに出来ねえのかよ」

 

 

周りの生徒たちが驚き、ある者は僅かに怒りを滲ませているのがわかる。

 

 

「あぁ…。多分、日原先生が寿退職の件を報せたんだろうな」

 

 

「…は?」

 

 

頬杖を思わず崩してしまう陸。

 

寿退職?え?キョーコ先生が?

 

 

「え、マジで?あの先生結婚すんの?」

 

 

「うわ、マジかよ…。英語の授業楽しみだったのにな~」

 

 

「キョーコ先生、彼氏いたんだー」

 

 

「どんな人だったんだろーねー」

 

 

「…」

 

 

さすがに楽たちのクラス程ではないものの陸のクラスでもざわつき始める。

どれだけキョーコ先生の人気が高かったのか、この光景を見れば窺い知れるだろう。

 

だがそんな中、陸だけは俯いて考え込んでいた。

 

思い出すのは、昨日の楽との会話。集の好きな人について話しあったあの時。

 

昨日は強引に結論を出したのだが、冷静になって考えればますます集の好きな人がキョーコ先生なのだという確信が強くなっていった。

 

 

(集…。今、お前は何を考えてる?)

 

 

もし陸の考えが正しいのなら。集は失恋をしたという事になる。

 

ショックを受けているのだろうか。それとも、いつもの様子で先生の結婚を喜んでいるのだろうか。

 

 

「…」

 

 

ホームルームが終わり、担任の先生が教室を出る。

直後、陸は席から立ち上がって教室を出た。

 

行先は、偶然すぐに見つけることができた。

 

 

「楽!集!」

 

 

前を並んで歩く二人が振り返った。

 

 

 

 

三人がやって来たのは屋上。周りを囲む柵に寄りかかり、陸は二人の会話に耳を傾ける。

 

 

「俺たちもいずれ結婚とかすんのかね?」

 

 

「さぁな~。でも、楽ならその辺大丈夫なんじゃね?お前には可愛い彼女がいるし」

 

 

「はぁ!?ムリムリ!誰があんなゴリラ女と!」

 

 

今この場に千棘がいたら、楽は宇宙にある無数の星の一つになっていただろう。

 

 

「…なぁ集。お前、キョーコ先生の結婚についてどう思ってる?」

 

 

楽がふすー、と興奮を冷ますために大きく息を吐いていると、陸がふと集に問いかける。

集は、彼から見て楽の奥にいる陸を見て、口を開く。

 

 

「どうって、そりゃよかったなって思ってるよ。あのまま行き遅れになったら可哀想だなーって思ってたところだったし」

 

 

ニヤニヤと笑みを浮かべながら答える集。

傍から見れば、いつもの様子と何ら変わらない。なのだが…

 

 

(集…、やっぱり…)

 

 

陸には分かる。そして、陸が分かることは楽にも分かることで。

 

 

「珍しいな…。お前、嘘ついただろ」

 

 

「…ほぇ?」

 

 

呆然と、集が楽の方を見て声を漏らす。

 

 

「…何のことだい、楽?」

 

 

「たまに分かるんだよ。『あ、こいつ今、嘘ついてんな』って」

 

 

集の表情は呆然としたまま変わらない。

今度は、それを見ていた陸が口を開いた。

 

 

「小六ん時、お前の母さんが入院しただろ?その時と同じ顔してたぞ」

 

 

「…」

 

 

陸にもばれていたのか…。

 

まさにそのままの言葉が集の顔に浮かんでいる。

 

珍しく、集の感情が簡単に読める。それほど、今の集は動揺しているのだ。

 

 

「…恐ろしいもんだな、幼なじみって」

 

 

「…マジ?」

 

 

「マジ。大マジでござる」

 

 

結局、昨日陸が言っていた通りだったのだ。

 

 

「え、いや…。いつから?」

 

 

「入学してすぐ。一目惚れみたいなもんだったよ」

 

 

混乱する楽がかろうじて問いかけ、すぐに集が答える。

 

入学してすぐという事は、約一年もの間、集はキョーコ先生に抱く思いを秘め続けていたのだ。

 

 

「告白はしねえの?」

 

 

集の顔を覗き込みながら、陸が問いかける。

 

 

「はは、するわけないよ。相手はもう結婚するんだ。そんな事したって、ただ迷惑にしかならないって」

 

 

笑っている。笑っているのだ、集は。

 

今すぐに叫びたいだろう。今すぐに泣いてしまいたいだろう。

 

それなのに、集は笑っている。

 

 

「いいんだよ。これはこれで良い思い出だろ?俺はこの初恋を青春のほろ苦い一ページとしてそっと心の中にしまうって決めたのさ」

 

 

集の決意は固い。

 

 

「それでいいんだよ」

 

 

いつもは朗らかに見える集の笑顔が、今は寂しげに感じる。

いつもと同じように笑っているのに、今は全く違うように感じる。

 

 

「ほら、そろそろ授業が始まっちまう。戻ろうぜ?」

 

 

流れた沈黙を破ったのは集だった。陸と楽に背を向けて、屋上を出て階段を降りていく。

 

 

「お、おい待てよ集!」

 

 

慌てて、陸と楽も集を追いかける。

二人は集に追いつくと、三人で並んで廊下を歩き始める。

 

 

「じゃあな陸。また放課後な」

 

 

「おう」

 

 

そして、三人は別れ、自分の教室へと入ろうとする。

 

その時、陸の足は止まって…集の方へと振り返った。

 

 

「集!」

 

 

「?」

 

 

集だけではない。並んでいた楽も振り返った。

 

 

「失恋の味、存分に味わっとけよ」

 

 

「…にゃろ!」

 

 

ニヤリと笑みを浮かべながら言い放って、すぐに陸は教室へと逃げ込む。

集の笑顔が引き攣った所までは見えたが、そこからはわからない。

 

きっと今頃、陸の奴はまったくあーだこーだと楽に文句を垂れているだろう。

 

 

「…はぁ」

 

 

先程の悪戯っ気な様子とは打って変わり、陸は教室に入るとすぐにため息を吐いた。

 

 

「どーした一条!何かショック受けることでもあったのか?」

 

 

その様子を見ていた、陸の友人が肩に腕を回して聞いてくる。

陸はすぐに回された腕を解いてから答える。

 

 

「何もねえよ。後、先に言っとくけど宿題は見せねえからな」

 

 

「なっ!?そ、そんな殺生な…。見せてくれよぉ、一条。なぁ~」

 

 

背後から懇願する言葉が聞こえてくるが、すべて無視。

陸は席に着いて、一時間目に使う教科書や資料を机の中から取り出す。

 

それから三分くらいだろうか、宿題見せての猛攻を凌ぎ切った、陸の学校での一日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第56話 マンゾク

四文字縛りが大変だ…。

それと、勘違いしてほしくないのでサブタイトルについて補足を…。

正確には、<ジコマンゾク>です。
四文字縛りなので、後半の四文字だけを取っていますが…。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前は、何だか一人だけ大人だなぁ』

 

 

高校に入ってすぐの事だった。

 

いつもの通り、下校しようとしていた時。背後から声をかけられた。

 

振り返れば、そこにいたのは自分の担任になった女性の先生。

確か、日原先生…だっただろうか。本人は、キョーコ先生と呼んでくれと言っていたはず。

 

 

『ちゃんと青春しろよ?』

 

 

いつも、他の人よりも一歩後ろにいた。

周り全体が見れるように。誰か困っている人を、すぐに見つけられるように。

 

そのおかげで、ある兄弟を助けられた。その兄弟との、大切な絆ができた。

不満はない。ただ…、どこか物足りなさを持っていたのかもしれない。

 

その事を、目の前の先生はすぐに見抜いたのだ。自分でも気が付かなかったことを。

 

この瞬間から、自分は先生のことを目で追うようになっていた。

 

最初はただ少しに気になった程度だったのが、だんだん変わっていく。

目で追うだけだったのが、いつしか自分から積極的に先生に話しかけるようになり…。

遂には、先生の仕事を自分から手伝いに行くようになっていた。

 

先生といることがとても心地よくて、とても楽しくて。

 

それは、舞子集が日原教子へ恋に落ちた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

陸と楽は、屋上で立っている集の後ろで、彼の後姿を眺めていた。

キョーコ先生の結婚の件について聞いてから、毎日屋上に来ている集。

 

 

「…明日だな。先生が退職すんの」

 

 

「…そうだな」

 

 

楽が話しかけるも、返ってくる返事にいつもの陽気さはない。

先日、二人が集の恋について知った時から、この三人でいる時だけ集は少しだけ仮面を外す。

 

 

「…お前は、いつも俺の恋を応援してくれてたよな」

 

 

そんな時、ぽつりと楽が呟いた。

 

 

「小三時に告白しようとした時や、振られた時。小六ん時にまた好きな人ができた時に相談したのもお前だった。…まぁ、あんまり応援とは言えない行動も多々あったが」

 

 

「まぁまぁ」

 

 

今、楽に本気で好きになっている人はいない。だが過去にそういう人はいた。

そんな時、集は必ず応援してくれていたのだ。

 

 

「だから俺も、お前を応援するよ」

 

 

「…」

 

 

ちらりとだが、集が振り返った。

 

楽は自分がクサい事を言っている自覚はあるのか、恥ずかし気に少しだけ頬を染め、集から視線を外して続ける。

 

 

「お前が何も言わずに先生を見送るなら、何も言わねえことを応援する。俺にできることはそれしかねえからな…。だからよ…、先生が行っちまったら…飯奢ってやる」

 

 

集に歩み寄って、隣で柵に寄りかかって言い切った楽を、ぽかんとした様子で見る集。

だがすぐに穏やかな笑みを浮かべた集は、ぽつりと言う。

 

 

「…サンキューな、楽」

 

 

この時、二人のやり取りを眺めていた陸。

心の中で、あれ?俺空気になってね?と、呟いたがそこは陸。しっかりと空気は読む。

 

 

「あれ~?陸君は俺の事応援してくれないのかなぁ~?」

 

 

読もうと、したのだが。振り返った集が、屋上を出ようとした陸に悪戯気な声をかける。

 

ぴたっ、と動きを止めた陸は直後すぐに振り返り、集へと駆け寄るとその背中に張り手を入れる。

 

 

「いっ…!」

 

 

「応援するに決まってんだろうが!お前がどんな行動を取ろうとしても、俺は応援するぞ!?」

 

 

張り手を受け、涙目になった集に陸は自分の気持ちを言う。

 

集は気づいただろうか?陸の言ったこの言葉の意味を。

 

どんな行動を取ろうとしても、俺は応援すると言った、陸の言葉の本当の意味を。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。迎えた、キョーコ先生の最後の登校日。

それでも、生徒たちはいつも通りの生活を強いられる。

 

授業を受けて、休み時間を過ごして、また授業を受けて。

 

放課後、陸はC組の生徒たちと一緒に職員玄関へ行っていた。

キョーコ先生の見送りをするためである。

 

 

「おー、一条弟も来てくれたのかー。嬉しいぞー。なんせ、お前の薄情な兄は来てくれなかったからなー」

 

 

「今までお世話になりました。…兄にはしっかり言い聞かせておきます」

 

 

最後に、互いにニヤリと笑みを向け合って、陸は挨拶を終えた。

 

キョーコ先生は他の生徒たちとも挨拶を交わし、最後に一人、生徒たちを代表した女子から花束を受け取って校舎を去っていった。

 

キョーコ先生の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた陸たちは今、それぞれの用事がある場所、または教室へと散り散りに戻っていた。

 

 

「行っちゃったね…、先生…」

 

 

「そうだなー」

 

 

そんな陸の隣には、小咲がいた。

キョーコ先生がいなくなるということが寂しいのだろう。その声にいつもの明るさはない。

 

 

「でも…、先生も言ってたけど一条君どこに行ったんだろうね?舞子君もいなかったし…」

 

 

「…」

 

 

楽がどこにいるのかはわからないが、集のいる場所なら簡単に思いつく。

きっと今頃、屋上でキョーコ先生の歩く姿を眺めているのだろう。

 

あそこなら、玄関からよりも長くキョーコ先生の姿を見ることができる。

そこで、気持ちの整理を付けようとしているのだ。

 

 

(…本当にそれでいいのかよ)

 

 

昨日、陸は言った。どんな行動を取ろうとしても、応援すると。

しかし、陸としては集に自分の思いをキョーコ先生に打ち明けてほしかった。

 

そういう気持ちを乗せて、あの言葉を言ったのだが…、やっぱりわかりづらかっただろうか。

それとも、分かった上でそれを選択したのだろうか。

どちらにしても、陸が集にしてほしいことを強制する権利などない。

 

心がモヤモヤとして、納得はできないが…。集がそれを選んだのならただそれを応援するだけだ。

 

 

「あれ…、舞子君?」

 

 

だから

 

それを見た時は本当に驚いた。

 

小咲の声にはっ、と顔を上げて見ればそこにはこちらに全力で疾走してくる集の姿。

額に浮かぶ汗などお構いなし。歯を食い縛って、必死に力を込める。

 

 

「集!」

 

 

「…」

 

 

二人が目を見合わせた瞬間、同時に笑みを浮かべ合う。

そして陸は、右腕をそっと挙げた。

 

すれ違う瞬間、集が思い切り陸の掌をぶっ叩いた。

 

ハイタッチとは言いづらい、だが確かに陸のエールは集に届いた。

 

 

「いってぇぇ…。ちょっとは手加減しろよな…」

 

 

「だ、大丈夫?」

 

 

しかしいくら何でも力を込めすぎだ。

集に叩かれた掌がジンジンと疼き、痛いのか痒いのかよくわからない感覚が襲う。

 

目の前の光景に、戸惑いながらも手を押さえる陸を気遣う小咲。

 

 

「あぁ。…小咲、急用ができた。ちょっと行ってくるな」

 

 

「え…。あ、陸君!?」

 

 

小咲の声が背後から聞こえてくるが、今はそれ所ではない。

 

 

(悪いな小咲。でもさ…、ここは行ってやらなきゃダメだろ!)

 

 

生徒玄関で靴を履き替えて、外で雨が降っているのを見た。

天気予報を聞いて、念のために持ってきておいた傘を傘立てから取り出したところで、陸はもう一人、外に出ようとしている人物を見た。

 

 

「楽…」

 

 

「陸、お前もか?」

 

 

傘を差して、外に踏み出そうとした楽が振り返って問いかけてきた。

 

その楽の問いかけに、陸は頷いて答える。

 

 

「…行こうぜ」

 

 

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、集は振られた。

それも当然だろう。何せ相手はこれから結婚しようとしている女性だ。ここで告白を受ける方が逆に驚きだ。

 

キョーコ先生を乗せたタクシーは行ってしまい、しばらくの間ずっと集はその場で立ち尽していた。

 

激しく降りしきる雨は、少しずつ弱くなっていって…、遂には雲の切れ間から陽の光が射しこむようになっていた。

 

 

「…お節介が過ぎたか?」

 

 

「…いや」

 

 

雨が止み、傘を閉じた陸と楽。

そして楽がぼうっと立ち続ける集にそっと問いかける。

 

短く、小さな声で返した集。その集の声は、先程よりもどこか吹っ切れているような感じを受けたのは気のせいではないだろう。

 

 

「…なぁ楽。約束…、たこ焼き奢ってくれよ」

 

 

陸たちはそのまま学校にも戻らず、近くにあった屋台でたこ焼きの入ったパックを二つ買って食べていた。

 

 

「…何で陸の分まで金を払わなきゃいけないんだ」

 

 

「気にすんなよ、小せえ男だな」

 

 

「気にするに決まってんだろーが!」

 

 

集と飯を奢る約束はしたが、陸とはそんな約束をした覚えはない。

なので楽は憤慨しているのだが、陸に言われたセリフを聞いてさらに憤慨した。

 

 

「いいじゃねえか楽。ちょっとくらい気にすんなよ」

 

 

「…くっ」

 

 

つい先程、傷心したばかりの集に言われてしまってはもう言い返すことは出来ない。

ここはぐっと耐えて、楽は自分が買ったタコ焼きに舌鼓を打つことにする。

 

 

「集、帰りはファミレス寄ろうぜ。当然、楽の奢りで」

 

 

「お、いいねー」

 

 

「良くねえ!」

 

 

我慢すると決めた楽だったが、さすがにこればかりは聞き流すことは出来なかった。

 

集は良い。集は良いのだ。だが陸、てめえは駄目だ。

 

楽は目だけで陸にそう伝える。陸はその意を受け取ったのか、表情を不満気に歪めた。

 

 

「んだよ、小せえ男だな」

 

 

「小さくてもいい。この際もうそんなことどうでもいい。ファミレスに行くんなら自分で金を出せ」

 

 

「最低だな楽。おい集、こいつお前との約束破ろうとしてるぜ」

 

 

「陸の話だよ!集はちゃんと奢るっての!」

 

 

陸と集が顔を近づけ、ショックを受けているような表情を向け合っているが、口が悪戯気に歪んでいることに楽は気づいていた。

 

 

「ちぇっ」

 

 

陸が舌打ちしているが、もう楽は構わない。

お前に買ってやるのはそのタコ焼きだけだ。

 

 

「…さて、こうして俺は告白して見事に振られたわけだが。お前らはどうなんだ?」

 

 

「?」

 

 

「どうなんだって…、何がだよ」

 

 

口の中でタコ焼きを咀嚼していた集が、口の中の物を飲み込んでからそう口にする。

陸は首を傾げ、楽は集に聞き返す。

 

 

「恋だよ恋。楽はずっと桐崎さんと恋人の振りをしているわけだが、何か心境に変化はあったりしないの?」

 

 

「…ねえよ、んなもん」

 

 

嘘だ。

 

瞬時に陸と集は察する。

少なからず、千棘と出会った当初に向け合っていた侮蔑は、今ではすっかり無くなっているはずだ。

それが恋とつながってるかどうかはまだ定かではないが、楽の千棘に対する気持ちは間違いなく変わっているはず。

 

 

「で、陸は?」

 

 

「俺は…、特にないよ」

 

 

「ホントに?」

 

 

次に集の照準は陸へと移った。

陸はすぐに無いと答えたのだが、集は笑みを浮かべてさらに問いかけてくる。

 

 

「…何だよ集。やけに喰い付いてくるじゃん」

 

 

「いや?ただ陸の恋模様に興味があっただけなんだけど…、そっかぁ、何もないのかぁ~」

 

 

こいつ…

 

心の中で集に悪態をつく陸。

間違いない、こいつは察している。

 

 

「…まぁ、俺もお前の選択を応援するよ。でも…、もしお前が後悔しそうなことをしようとしたら、楽が俺にしたようにケツを蹴飛ばしてやるから」

 

 

「っ…」

 

 

駄目だ。完全にばれている。

集の言った言葉を借りるが、幼なじみと言うのは本当に恐ろしいものだ。

 

…兄弟は全く気付いていないというのに。

 

 

「おい楽、ちょっと面貸せ」

 

 

「え?いや、何で?はい!?り、陸さん!?何でそんな般若のような表情をしていらっしゃるのでしょうか!?」

 

 

「黙れ。お前のせいで俺に厄介ごとが舞い込んできたんだ。お前のせいで」

 

 

「何で二回言ったの!?ていうか俺、何もしてないだろ!?」

 

 

陸と、襟を掴まれ引きずられていく楽を眺める集は、そっと空を見上げていた。

 

 

(やれやれ…。ま、俺の趣味じゃないやり方だったけど、すっきりはしたから結果オーライ、かな?)

 

 

心の中で呟き、集はいつの間にかすでに百メートル離れた所まで行っていた陸と楽を追いかける。

 

 

「おいおいチミ達、歩くのが速すぎだよー」

 

 

まだ、傷は残っている。

でも少なくとも普段と同じように振る舞えるくらいには楽になった。

 

だから集は、自分のではなく親友二人の恋模様に思いを馳せることにする。

特に片割れ…、弟の方は目を離したらすぐに後悔する方に行ってしまいそうだから大変だ。

 

 

(…次の恋は、当分先でいいや)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




集の心境、上手く書けているといいのですが…。
原作でも、いつもはバカなのでこういうシリアスの方では上手く動いてくれない…。


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第57話 カイモノ

ふと気付けば、総合評価が千越え…。
今までそれなりに多く小説を書いてきましたが、初の快挙ですやったぁあああああああ!!

これからも頑張って書いていきます。なので、どうか私の拙作を見てやってください。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…買い物?」

 

 

『そう、買い物。私が行くことになってたんだけど』

 

 

本日は日曜日。授業はなく、休みの日である。

そのため、午前中いっぱい惰眠を貪るつもりだったのだが…、陸は携帯の着信音で目を覚ますことになった。

 

陸に電話を入れてきたのは、るりだった。

何でも、今日に小咲と共に買い物に行く約束をしていたらしいのだが。

 

 

「宮本は行けねえのかよ?」

 

 

『わるいわね。ちょっとこっちでよていはいっちゃってー』

 

 

「棒読みだぞ。ツッコんだ方が良いよな、おい」

 

 

るりに予定が入ったらしく、小咲と買い物に行くことができなくなったらしい。

…本当かどうか怪しいものだが。

 

 

「…本当に行けないんだな?」

 

 

『えぇ。ほんとうにいけないの』

 

 

また棒読みなんだが…。いや、気にしないでおこう。

 

陸は内心で結論付けて、本当にるりに用事があるのだと思い込むことにする。

 

 

「ていうか、何でそこで俺に電話するんだよ。他の女子の友達に電話すればいいじゃん」

 

 

『そうね。小咲と約束した場所は…』

 

 

「聞けや」

 

 

るりの中で、陸が小咲と買い物に出ることは決定事項らしい。

 

どうしてこうなった。

 

 

 

 

 

 

 

暑い。この一言に尽きる。

もうすぐ六月なのだから当然なのだが、まだ夏とは言い難い時期。

 

それに、梅雨の時期も近づいてきているという事で湿気が鬱陶しく感じる。

 

 

(…まだ夏じゃないんだから、もう少し涼しくなれや)

 

 

服装は夏に着るような薄地の物を着用しているというのに。

今年はかなり猛暑が目立つ夏になるのではないか、そんな予感を感じながら陸は凡矢理駅前の広場、そこに植えてある一番大きな木の近くで立っていた。

 

そう、ここがるりが小咲と約束していた待ち合わせ場所である。

何でも凡矢理市内にあるデパートではなく、少し離れた所にあるさらに大きなショッピングモールに行くつもりだとるりが言っていた。

 

 

(…ホントにいいのか俺で?宮本はその方が小咲は喜ぶって言ってたけど…、やっぱ普通に女子の友達と行った方が楽しいと思うけど)

 

 

少し立つのが面倒くさくなってきたため、先程までカップルが座っていたベンチに腰を下ろす。

座る前に、軽くベンチの足に蹴りを入れるのを忘れずに。

 

 

「…やっぱ十五分前は早すぎたんじゃねえか。何が十五分前行動は当たり前だよ宮本の奴」

 

 

何か今日はるりに振り回されっぱなしの日である。

るりに十五分前に行けと言われたため、その通りにしたのだが小咲は未だ来ない。

 

明日、学校で会ったら何て言ってやろうかとぼんやり空を見上げながら考える陸。

 

 

「え…、陸君?」

 

 

そこで、誰かが陸を呼ぶ声が聞こえてきた。

いや、誰かというか…陸はすぐにその声の主が誰なのかわかったのだが。

 

 

「小咲…、春ちゃんも?」

 

 

「私がいちゃ悪いですか。というより、どうして一条先輩がここにいるんですか!?」

 

 

ぐてぇ、と背もたれに預けていた姿勢を戻して声が聞こえてきた方へと顔を向けると、そこには戸惑いの表情を浮かべた小咲とこちらを睨んでくる春の姿があった。

 

 

「え…、あれ?宮本から連絡いってないのか?」

 

 

「る、るりちゃん?何も来てないけど…」

 

 

(宮本ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)

 

 

心の中で絶叫する陸。

何とるりは用事があるから行けない小咲との買い物を自分に行かせた上に、その事を小咲に知らせていなかったのだ。

 

いや、小咲と買い物に行くこと自体は嫌なことじゃないしむしろうれ…ごほん。

 

ともかく、明日るりに言う文句の材料が一つ増えた。必ず問い詰めてやるという決意をさらに強くする陸。

 

 

「…ということなんだ」

 

 

「そ、そっか…。用事があって来れないんだ…」

 

 

…やっぱり嫌そうな顔してる。

 

俯く小咲を見て思う陸。

やはり他の女子の友達と一緒に行った方が良いのではないか。

というより、春もいることだし自分は帰った方が良いのではないか。

 

 

「あのさ、俺、小咲が一人になると思ったから来ただけだからさ。春ちゃんもいることだし、帰るよ」

 

 

「え…」

 

 

あ、あれ?何か言う言葉ミスした?

 

何故か小咲の顔にショックがアリアリと浮かんでいる。

 

 

(いや、さっき小咲は嫌そうな顔したよな?で、俺が帰るって言ったらこんな悲しそうな…、え、マジでわからん)

 

 

「そうですね。お疲れさまでした一条先輩」

 

 

「え?あ、あの…折角来たんだし、陸君も行こうよ!」

 

 

「お姉ちゃん!?」

 

 

さらにお誘いまで来た。

これは何かの気遣いだろうか?それとも本気で言っているのだろうか?

 

 

「お姉ちゃん、私たちは買い物に行くんだよ?服とか、女の子物のグッズとか…、一条先輩がついて来てもつまらないと思うよ?」

 

 

「う…、で、でも…」

 

 

こうして見ると、一見陸の事を気遣っているように感じられる春。

だが陸は見逃さない、一瞬、こちらを見遣った時の春のにやりとした笑みを。

 

こうやって陸のために言っている感を装って、小咲を納得させようという算段なのだ。

 

別に、何としても行きたいという訳でもないしいいのだが…。

 

 

(…ん?)

 

 

ここで陸が春に違和感を感じる。

違和感といってもごく小さなもので、もしかしたらただの気のせいと言う可能性もあるのだが。

 

 

「…なぁ、やっぱりついていっても良いかな?」

 

 

「え?」

 

 

「はぁ!?」

 

 

陸の言葉に、小咲は嬉しそうな、春は信じられないという気持ちを込めて声を漏らす。

 

 

「いや、今日二人が行くのって隣町のショッピングモールだろ?前からあそこ行ってみたいって思ってたから丁度いいなって」

 

 

「うん…、うん!行こうよ陸君!」

 

 

「…」

 

 

小咲が破顔して、こくこくと何度も頷く。

そして春は、ジトッとした目でこちらを睨んできている。

 

怪しまれてる…のだが、陸がついていこうとしてるのは寧ろ春のせいでもあることを本人は知らないのである。

 

やはり春が小咲に反論するのだが、小咲が何とか説得して春は納得…したのだろうか。

『もう勝手にしてください』と言ったからついて行かせてもらうが、どうもいつもの春とは様子が違う気がする。

いつもの春なら、姉と二人で行く買い物に自分もついていくことなど許すとは思えないのだが…。

 

 

「何してるんですか!置いていきますよ!」

 

 

「あ…、悪い!」

 

 

…やっぱり、いつも通りなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

電車に揺られることおよそ十五分。最寄りの駅で降りてさらに歩くこと十分。

目的地であるショッピングモールに到着した三人。

 

小野寺姉妹が規模の大きい土地を前に目を輝かせている中、陸はそれを眺めながらちらりと春を見遣る。

移動している間、度々春の様子を見ているのだが特に目立った異変はない。

 

勿論、陸に様子を見られているということを春は気づいていない。

そこら辺はしっかり陸は弁えている。

 

 

(…ちらちら年下女子高生を見るか。俺って傍から見たら変態なんじゃ…)

 

 

ふと、もしかしたら自分って危ない奴なのではないかと自分に疑いを掛けようとする陸。

 

 

「陸く~ん!行くよ~!」

 

 

「あ、あぁ!」

 

 

気付けば小野寺姉妹はすでにモール内に入ろうとしており、駅の時と同じように置いてかれようとしていた陸は、慌てて二人を追いかけるのだった。

 

 

「春、これ似合うんじゃない?」

 

 

「んー…、可愛いけど私にはちょっと派手すぎると思う。あ、お姉ちゃんこれとかいいと思うよ!」

 

 

「…」

 

 

ショッピングモールに入って、姉妹が真っ先に向かったのはファッション店。

女性用の衣服が並ぶ場所で、すでに陸は三十分もの間二人を待ち続けていた。

 

 

(女子の買い物が長いとは知っていたが…、これ程とは…!しかも、まだ終わる気配がないだと…!?)

 

 

内心で戦慄する陸。何しろ、小咲と春の二人には疲労の色が見えな…

 

 

(あれ?春ちゃん、疲れてきたのかな?)

 

 

春の顔色が少し悪いように見える。

だが、春の顔には心の底から楽しんでいる、そんな微笑みが浮かんでいる。

 

 

「先輩、暇じゃないんですか?」

 

 

「え?」

 

 

いつの間にか考え込んでいた陸は、傍に来ていた春に気づかなかった。

春は陸の前に立ち、顔を見上げながら問いかけてくる。

 

 

「暇…だな、うん。暇だ」

 

 

「…なら何で来たんですか。こうなる事くらいわかりますよね」

 

 

君の様子がおかしいって感じて、心配だったから。

 

とは言えない。言える訳がない。

そんなことを言えば、待っているのは凍えるほどの冷たい春の睨みである。

 

 

「そ、そういえば小咲はどうした?…まさか喧嘩したんじゃないだろうな!?」

 

 

「そんなはずないじゃないですか。お姉ちゃんなら、試着室ですよ」

 

 

話を誤魔化し、問いかけた陸へ答えを返した春は、目を何処かへと見遣る。

その視線を追って行くと、確かに春の言う通り試着室があった。

カーテンが閉まっているという事は、そこに今、試着をしている小咲がいるのだろう。

 

 

「そうか…。なら良かった」

 

 

「…」

 

 

二人が喧嘩したのではなくて良かったと、安堵の息を漏らす陸。

そんな陸を、じっと見上げてくる春。

 

 

「…どうした?」

 

 

「いえ。…先輩って、おかしな人だなと思いまして」

 

 

「はい?」

 

 

何を言われるのかと警戒していた陸だったのだが、まさかおかしな人呼ばわりされるとは思っていなかった。

 

 

「何を言っている。俺は世界のスタンダードと巷で言われている男だぞ」

 

 

「嘘つかないでください。大体、誰があなたをそんな風に呼ぶんですか」

 

 

「俺」

 

 

ため息を吐く春。

 

失礼な、本当の事だぞ。

 

言葉には出さないものの、心の中で小さく憤慨する陸。

 

 

「…そういう所がおかしいんです」

 

 

「いや、何で?」

 

 

「だってそうでしょう?私、あなたにずっと敵意を送って来たんですよ?なのに何でそんな風に私と普通に話せるんですか」

 

 

普通の人ならば、陸の様に誰かに敵意を送り続けられれば間違いなくその敵意を送って来た者から距離を取ろうとするだろう。

だが、陸はそうしなかった。

 

だから、春は陸をおかしな人だと表したのだ。

 

 

「いやだって、春ちゃんの反応は普通だろ?」

 

 

「…は?」

 

 

「むしろヤクザんとこにいる俺と平然と接することができる小咲たちの方がおかしいんだよ。春ちゃんは普通」

 

 

「…」

 

 

春がぽかんと口を半開きにさせて唖然としている。

 

…何故?

 

 

「それに大切な姉にヤクザんとこにいる人が近づいてたら普通に敵意送るだろ。ていうか俺だったらする」

 

 

腕を組み、ゆっくりと頷きながら言う陸。

 

 

(うん、やっぱり俺は世界のスタンダードだな)

 

 

心の中のセリフは、無視しておく。

 

 

「…ぷっ、ふふ」

 

 

「な、何?」

 

 

すると、突然春が小さく笑い始めた。

何か笑われることをしただろうか?陸は表情に戸惑いを浮かべながら問いかける。

 

 

「だって…、一条先輩って…やっぱり変です…ふふ」

 

 

「…」

 

 

そういえば、春が笑っている所を初めて見た気がする。

いや、先程も春が笑っているのは見てきたが、こうして自分と二人でいる時に笑っているのは見たことがなかった。

 

しかし、ここでそれを言えば馴染み始めてきたあの仏頂面が戻ってきてしまうので言わないことにする。

 

 

「だから、俺は世界のスタンダードなの。通常なの」

 

 

「っはは!だから、そういう所がおかしいって言ってるんですー!」

 

 

だから何故だ。

陸の疑問がさらに深まっていく。

 

それでも…、またさらに春と距離が近づいたのは嬉しく感じる。

やっぱり、〇〇〇の妹に嫌われるというのは、少し心に来るものがあったから。

 

 

「…あっ」

 

 

「?」

 

 

春が声を上げ、さらに目を見開くのを見て疑問符を浮かべる陸。

春の視線が自分の背後に向けられていることに気付き、陸は振り返って春の視線を追いかける。

 

 

「…あ」

 

 

それを見て、一瞬だった。一瞬で、陸の動きは止められた。

 

 

「うぅ…、そんなに見ないでよ…」

 

 

そこには、白いワンピースを着て、さらに麦わら帽子をかぶった少女。

うん、小咲の事だ。小咲がいた。

 

どう表現すればいいのか陸には分からなかった。

ただただ今の小咲の姿に見惚れてしまい、似合っているという事しか頭の中で考えることしかできなかったのだ。

 

 

「は、春ぅ~!やっぱり恥ずかしいよぉ~!」

 

 

「大丈夫だってお姉ちゃん!すっごく似合ってるよ!」

 

 

「うぅ~…」

 

 

それに、服装だけじゃない。

今、小咲は顔を赤くして悶えているのだ。悶えているのだ!

 

服装の清楚な感じから、恥ずかしがる小咲の可愛さというギャップを受けてさらに魅力が倍増している。

これを見て耐えられる男子がいるだろうか。いや、いるはずがない。

 

 

「り、陸君…。どうかな…?や、やっぱり変…かな…」

 

 

「っ!」

 

 

先程記した通りに加え、さらに上目遣い。

小咲は陸を殺しに来ているのだろうか…、そうとしか思えなくなってくる。

 

だが、陸の意識ははっきりしていた。いや…、先程の小咲の言葉が陸の意識を取り戻させたと言った方が正しい。

 

変、だと?そんなはずはない!

 

 

「似合ってる…」

 

 

「え?」

 

 

何でそこで聞き返すのか。また、同じことを言わなければならないじゃないか。

 

陸の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 

 

「だから、似合ってる!今まで見たことないくらい、小咲がきれいに見えるって言ってるんだ!」

 

 

「っ!!!!?」

 

 

(…あれ?俺、今なんて言った?)

 

 

はっ、と我に返る陸。

そして、思い返す。自分が今言った言葉を。一文一句、違えることなく。

 

 

「…っ!!!!?」

 

 

目の前にいる小咲と同じように、噴火のごとく顔を真っ赤にさせる。

 

周りでは、何やらひそひそと声が聞こえてくる。

ちらりと見遣れば、微笑ましそうにこちらを見てくる他の客たちが。

 

 

「…一条先輩、やっぱりあなたは敵です」

 

 

春がぼそりと呟いたが、陸は気づかない。

 

いつもならば容易く聞き取れるほどの距離だったのだが、その容易くができないほど今の陸は混乱しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この話、もう少しだけ続くんじゃ


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第58話 タオレテ

成人式に出てきました。
久しぶりに、高校だけでなく小中の友人と会えて楽しかったです。

更新も再開します。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常人では目にも留まらぬ速さで視線を逸らした陸と小咲。

そして小咲はバタバタと、慌てて試着室へ。元着ていた服に着替えて戻ってきた。

 

 

「あ、あれ?小咲、そのワンピース買わないのか?」

 

 

「え?だ、だって…、似合わないし…」

 

 

戻ってきた小咲の手には、先程まで着ていたワンピースがなかった。

買わないつもりなのだろうか、陸が問いかけると、小咲は似合わないと返してきた。

 

いや、何でそうなる。あんなに恥ずかしさに耐えて似合ってると言ったのに。

え、まだ他に言ったことがあるだろう?さて、ナンノコトデショーカネー。

 

 

「似合ってるって言ったじゃないか…。買わないのが勿体ないレベルだったぞ…」

 

 

「え…。そ、そうかな…?」

 

 

小咲に言葉をかける陸の頬が、再び染まる。

それと同時に、脳裏に浮かぶあのワンピース姿の小咲。

 

…うん。やっぱりまた見たい。

 

 

「一条先輩と同意見っていうのは癪だけど…、でも、本当に似合ってたよお姉ちゃん」

 

 

「春まで…」

 

 

一瞬、陸を睨んでから春は小咲に微笑みかけて言う。

春も、陸と同じようにワンピース姿の小咲に魅入られていたのだ。

 

先程春が言った通り、陸と同じ思いを感じたことに少し苛立ちを感じたようだが。

…いや、少しじゃないのかもしれないが。

 

 

「…じゃあ、買おうかな」

 

 

ぼそりと呟いた小咲。その呟きを耳にした陸と春は、互いを見合わせながら微笑む。

だがすぐに、はっと我に返った春が膨れっ面に戻って陸から視線を外してそっぽを向く。

 

 

「もう、春ったら…。…陸君、ちょっとお会計してくるね」

 

 

「あぁ」

 

 

陸への態度が変わらない春を見て、ため息を吐いてから小咲は陸に一言声をかけて先程のワンピースと麦わら帽子を取りに行く。

 

そして、二人残された陸と春だったのだが…、春はずっと陸と目を合わせようとしない。

そんな春を見つめる陸だが、ため息を吐いてすぐに視線をワンピースと麦わら帽子を持ってレジに向かう小咲に移す。

 

 

「…?」

 

 

少しの間、小咲を眺めていた陸だったがすぐ隣から聞こえてくる僅かに荒い息遣いを耳にして目を向ける。

 

 

「春ちゃん、どうかしたか?」

 

 

「…何がですか?別にどうもしませんが」

 

 

続いて、陸は春に声をかけるが、振り返った春の答えは素っ気ないものだった。

 

 

「…なら、いいけど」

 

 

陸はレジで会計しようとする人たちの列に並ぶ、小咲へと視線を戻す。

小咲が並ぶ列は、その前にも後ろにもたくさんの人が立っており、会計が終わるまで少し時間がかかるだろう。

 

陸はもう一度、ちらりと春を見遣る。

先程とは違い、陸と同じように列に並ぶ小咲を見ていた、春の横顔が見える。

 

 

「…」

 

 

振り返った春の顔を見た時も感じたが、やはり間違いない。陸は確信を持った。

 

 

「春ちゃん、悪い」

 

 

「え?」

 

 

陸は一言そう口にして、春に歩み寄る。

春はきょとんとしながら、歩み寄ってくる陸を見上げて…

 

 

「ひゃぁっ!?」

 

 

悲鳴を上げた。

 

その彼女の首には、陸の手が触れられていた。

 

 

「な、何するんですかぁ!?」

 

 

「…」

 

 

陸の手を振り払って、春は怒声を上げる。

 

だが、陸は春の首に触れていた掌をじっと眺めていた。

 

 

「…春ちゃん、体調悪いだろ?」

 

 

「っ…」

 

 

春が息を呑んだのがわかる。やはり図星か。

 

 

「いつからだ?…最初からか?」

 

 

「…」

 

 

再び問いかけるが、春は黙ったまま。

 

 

(何でもっと早く気付かなかったんだ…。待ち合わせ場所で会った時から、春ちゃんはずっと不調を感じていたんだ)

 

 

何という精神力なのだろう。ここまで、自分が気づかないほどに隠し続けていられたとは。

 

 

「春ちゃん、小咲が戻ってきたらすぐに帰ろう」

 

 

「そ、そんな!どうしてあなたなんかにそんな事を!」

 

 

「小咲なら絶対に同じことを言う」

 

 

陸に喰ってかかっていた春の勢いが弱まる。

 

陸の言う通り、もし陸が言わなくても小咲が同じことを春に言っていただろう。

それは、陸よりも春の方がわかっているはずだ。

 

 

「春ちゃんが無理をすることなんて、絶対望まないだろ。小咲は」

 

 

視線を春から、レジで会計している小咲に向けて陸は言う。

 

今、春が体調を崩していることを小咲が知ったら、間違いなく春を連れて家に帰ろうとするだろう。

そして無理やりにでもベッドに寝かせて、ゆっくり休ませようとするはずだ。

 

 

「…一条先輩。お願いがあります」

 

 

「ん?」

 

 

春が不調を感じているのは確実。

恐らく、風邪だろうし小咲が戻ってきたら事情を話して、すぐに帰ろうと陸が考えていたその時、春が体を陸の方に向けて話しかけてきた。

 

知っての通り、春は陸に対して敵意丸出しである。

話しかけることはあるものの、大体は目だけを向けて体を向けようとはしない。

 

本人が意図していることではないのだろうが、敵意を持っているからこそのこの行動なのだろう。

 

だが珍しい事に、今、春は陸に体を向けて話しかけている。

 

 

「どうした?」

 

 

お願い、とは何なのだろうか。

少なくとも、集の様に突然掌を返すかのごとくおふざけをし始めるという事は考えられないだろうが。

 

 

「このまま…、お姉ちゃんと一緒に買い物をしていてくれませんか…」

 

 

「…何言ってるんだ。じゃあ、春ちゃんはどうする気だ」

 

 

「私は一人で大丈夫です。一人で帰って、ゆっくり休んでいます」

 

 

「そんなことできるわけないだろ。体調を崩してるってわかってるのに、そんなこと…」

 

 

「お姉ちゃんは!」

 

 

一人で帰るという春の言葉を陸は断ろうとするが、春の声に一まず口を閉じる。

 

 

「お姉ちゃんは…、あなたと買い物するのを…お出かけするのを凄く楽しんでるんです。…だから」

 

 

「だからだよ」

 

 

もし、春の言う通りに。小咲が自分とこうして行動することを楽しんでいたとしたら、それはとても嬉しい事だし、自分としてもそうしたいという気持ちもある。

 

だが、だからこそなのだ。

 

 

「春ちゃん一人だけ仲間外れにして、楽しめる訳ないだろ。俺も、小咲も」

 

 

「っ!」

 

 

春の目が大きく見開かれる。

陸が言ったセリフに、驚いているのだろうか。

 

 

「何だよ。俺、そんなに人でなしに見えたのか?」

 

 

「い…いえ…。そんなことは…」

 

 

思われていたようだ。

わかっていたことだが…、やはり少し凹む。

 

 

「陸君、春!お待たせ!春、ここで何か買ってく?それとも、もう次の店に行く?」

 

 

そうして話している間に、会計を終えた小咲が戻ってきた。

こちらに駆け寄ってくる小咲に、陸も歩み寄っていく。

 

 

「小咲。次の店に思い馳せてるとこ悪いんだけどさ、春ちゃんが…」

 

 

「春?春がどうかしたの?」

 

 

「ちょ、ちょっと…」

 

 

戻ってきた小咲に、陸は春の容態を説明する。春が止めようとするが、陸は構わずに小咲に説明する。

 

 

「…春。ずっと調子が悪かったの?」

 

 

「う…、で、でも。家を出た時は大したことなかったんだよ?ここに来た時もそうでもなかったし、今だってちょっと頭が痛いくらいだし…」

 

 

「それでも、無理してこんな所に来る必要なんてなかったでしょ!?」

 

 

「ちなみに、俺は待ち合わせ場所で会った時からどこかおかしいなって思ってた」

 

 

「ひぇっ!?な、何で分かったんですか!?」

 

 

「…はぁ~るぅ~?」

 

 

「ひぃいいいいいっ!?」

 

 

よ、余計なことを言ったのかもしれない。

 

小咲としては、このモール内に入った時から春が体の調子がおかしいことを自覚したと思っていたようだ。

だが、陸は合流した時からどこか春がおかしいという事を感じ取っていた。

それをつい、口を滑らせてしまったのだが…、小咲のドスの利いた声が二人の耳を震わせる。

 

 

「お、お姉ちゃん…」

 

 

「…春。家に帰ったら、少しお話しようね?」

 

 

「は、はぃぃいいいいいいいい!!」

 

 

「…」

 

 

小咲と春のやり取りを見ていて、陸は今までの十六年間の人生の中で新たに教訓を得た。

 

世の中には、本当に怒らせてはいけない人がいる。

 

 

 

 

 

 

春への説教もほどほどに、陸が小咲を止めてから三人はモールから出て駅へと向かっていた。

駅まで歩いて十分。少し距離が遠いが、そこまで行くための便利な交通手段などなく、歩いていくしかない。

 

 

(…うわ、ちょっとやばいかも)

 

 

陸と小咲の二人が並んで歩いているのが、少し前の所に見える。

春は二人から数歩後ろの所を歩いており、その足取りも重い。

 

 

「春ちゃん、辛いか?」

 

 

すると、陸がこちらに振り返って問いかけてくる。

陸に続いて小咲も足を止めて、こちらに振り返ってくる。

 

二人共、心配げな表情を向けているのがよくわかる。

 

 

「大丈夫ですよ。お姉ちゃんも、そんな顔しないでよ」

 

 

自分は今、どんな顔をしているだろう。

ちゃんと、平気そうな顔を出来ているだろうか。

 

正直、辛い。体が熱い。頭が痛い、くらくらする。

少し気を抜けば、今すぐにでもこのコンクリートの歩道に倒れ込んでしまいそうだ。

 

でも、お姉ちゃんに心配を掛けたくない。

…一条先輩に、こんな姿を見せたくない。

 

 

「春ちゃん!?」

 

 

「春!」

 

 

あれ?どうしたの?急に大声を出して。

二人共、そんなに慌ててこっちに走ってきて…。駅はあっちだよ?

 

ちょっと…、一条先輩、そんな馴れ馴れしく触らないでください。

お姉ちゃんも、どうしてそんなに叫んでるの?

 

…あれ?何も、聞こえない。何も、見えない。

 

目の前が…真っ暗に…。

 

 

 

 

 

 

「…はっ!」

 

 

気が付けば、春は何処かに体を横にしていた。

目を開ければ、見覚えのある天井が視界に広がり、慌てて起き上がればいつもの見慣れた自分の部屋の光景が。

 

 

「…私」

 

 

自分はどうしたのだろうか?

陸に体の不調を悟られ、姉に報され怒られて。

モールを出て駅に向かって、それから…どうしたのだろう。

 

そうだ。陸と小咲が振り返って、急に駆け寄ってきて。

色々、二人に疑問を持っていたら目の前が真っ暗になって。

 

思い返していると、部屋の扉が開かれた。

ゆっくりと開いた扉の外から入ってきたのは、濡れたタオルを持った小咲。

 

 

「あ、春!もう起きたの?」

 

 

「お姉ちゃん…」

 

 

春が体を起こしていることに気付いた小咲が、早足で春へと近寄る。

 

 

「でもダメだよ?顔赤いし、体だるいでしょ?寝てなきゃダメ」

 

 

小咲は春の両肩に両手を添えて、優しく力を込めてそっと春の体を寝かせる。

 

 

「…お姉ちゃん。一条先輩は?」

 

 

ふと、春は今ここにいるのが小咲だけだという事に気が付いた。

小咲がここにいるという事は、陸も一緒に来ているはずなのだが。

 

 

「陸君は、春を家に運んでからすぐに帰っちゃったよ?自分がいたら、春が休まらないだろうって…」

 

 

「え…、一条先輩が私を!?」

 

 

自分が、陸に運ばれた?

 

小咲から聞いた瞬間、春の頬が一瞬にして染められた。

 

一体、どのように運ばれたのだろう。

おんぶ?肩に腕を回して、引っ張られた?それとも…

 

 

(…そんなわけないよね。普通に考えて、負ぶわれたのかな…)

 

 

お姫様抱っこ!?

と考えた所で、すぐに冷静を取り戻す春。さすがにそれはないだろう。

 

 

「…よし。春、喉渇いたり、お腹空いてたりしてない?」

 

 

「…ちょっと喉渇いたかな」

 

 

「そっか。なら、ピカリスエット持ってくるね」

 

 

濡れたタオルを春の額に当てた後、そう言い残してから小咲は部屋を去っていった。

 

 

「…」

 

 

小咲が部屋を出れば、訪れるのは沈黙。

 

春はそっと体を起こし、ベッドから降りて立ち上がり勉強机の引き出しを開いて中からある物を取り出した。

 

それは、ペンダント。

王子様が助けてくれたあの日、保健室で拾った王子様の物と思われるペンダント。

 

春はそれを手に取り、ギュッと握りしめる。

 

 

(…私が思ってたのより、ほんの少しは違うみたいだね。お姉ちゃん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第59話 ソウシツ

めちゃ難産でした…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!戻ってきた!戻ってきたぁああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

「…はぁ」

 

 

陸の目の前で、楽が歓喜の表情を浮かべながら叫び、踊り狂っている。

そんな楽の右手には、前に失くしたペンダントが握られていた。

 

このペンダントは春が拾っており、何とか渡してほしいと陸が試行錯誤したものの断固として渡してくれなかった。

だが、一体どんな心境の変化だろうか。今日の放課後、帰るために生徒玄関を出ようとした時、春に呼び止められこのペンダントを渡されたのだ。

 

 

「おい楽、気持ちはわかるけど静かにしろ。近所迷惑だぞ」

 

 

「っと…、そうだな…。でも…、やっと戻って来たなコノヤロー。一時はどうなる事かと思ったぜ」

 

 

「…」

 

 

外はすっかり暗くなっていた。夜中といって差し支えない時刻である。

そんな時間に騒ぐ楽を陸は止めたのだが、今度はペンダントに頬擦りを始める楽。

 

もう、何をしてもこの男は止まらないだろう。ペンダントに愛情を注ぎ続けるだろう。

 

陸は最後に、静かにするように忠告し、楽をその場において部屋へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

翌日、学校にいつも通りの時間に行き、いつも通りの生活を送る陸。

 

 

「一条ー、ゴミ捨て行ってくんねー」

 

 

「…貸一な、上原」

 

 

今年、クラスが同じになった友人、上原に言われた陸はその通りに行動する。

燃えるゴミ、燃えないごみをそれぞれ入れる二つの箱を持ち上げ、教室を出る直前に上原に悪戯っぽい笑みを向けて。

 

 

「あ、やっぱ待って。ジャンケンで決めようジャンケンで」

 

 

「じゃあな」

 

 

「い、一条ぉ~~~!!!」

 

 

慈悲を求める上原の声を無視して、陸は教室を出てごみを収集する場所へと向かう。

 

凡矢理高校の、ごみを集める場所は一階の職員玄関、そのさらに奥という校舎の端といって良い場所にあるのだが、そこへ行くためには生徒玄関の前を通らなければいけない。

 

 

「お、陸じゃん!」

 

 

ということで、ごみを捨て終わり、再び生徒玄関の前を陸は通るのだが、そこには鞄を持って帰ろうとしていた集たちの姿があった。

 

 

「何だよ、ごみを捨てに行ってたのか?お前を探してたんだけどよ」

 

 

集の次に声をかけてきたのは、昨日、結局日を跨ぐ時間までペンダントを返してもらった喜びに浸り続けていた楽。

 

 

「探してた?俺に何か用でもあったのか?」

 

 

「俺達これから〇ック寄ってくんだけどさ、お前も行かねー?」

 

 

良く見れば、鶫がいない。何か用事があるのだろうか。

わからないが、ともかく鶫を除いたいつものメンバーでマックに寄るつもりだったようだ。

 

そして、集が陸も一緒に行かないかと誘ってきた。

 

 

「ちょっと待っててくれよ。もう少しで掃除終わるからさ」

 

 

当然、断る理由などない。陸は了承の意味も込めて、集たちに待っててほしいと頼んだ。

 

集たちも、陸の頼みに喜んで了承し、さっさと終わらせてくるようにとおふざけが入った言葉を陸にかける。

 

 

「うん、じゃ、お疲れさん。気を付けて帰るんだぞ」

 

 

やや早足で教室に戻った時、すでに机は並べられ、後は陸が戻ってくるのを待つという状態になっていた。

 

陸は二つのごみ箱を元の場所に置き、他の班の人たちが集まっている場所に駆け足で行き、そして先生が掃除の終了を告げる。

 

 

「一条ー、一緒に帰んねー?」

 

 

掃除を終えると、廊下に置いていた鞄を持ち上げ、玄関で待っている集たちの元へ急ごうとした時、上原が声をかけてきた。

 

 

「あ~、悪い。先約がいる」

 

 

「…」

 

 

上原に断りを入れる陸。だが、直後、上原の表情が曇る。

 

 

「…どうかしたか?」

 

 

「いや…。なぁ一条」

 

 

「ん?」

 

 

表情が暗くなった上原が、陸を呼ぶ。

だが、何かを言おうと口を開いた上原は、すぐに口を閉じて俯いてしまう。

 

 

「…いや、何でもない。じゃあな」

 

 

「あ、おいっ」

 

 

鞄を肩にかけ、走り去っていく上原。

 

陸は、彼を呼び止めようとするがその時には上原は廊下の角を曲がってしまい、姿が見えなくなってしまった。

 

 

「何だよ、あいつ…」

 

 

急に落ち込み、急に走り去っていった上原。

あそこまで、あいつは気まぐれだっただろうか?それとも、やはり自分が何かしたのだろうか。

 

 

「…ま、いいか。それよりもみんなが待ってる」

 

 

よく考えてみれば、二年になって陸だけクラスが別れてからこうして皆で下校中にどこかに寄るという事はしなかった。

 

…うん、久しぶりで楽しみだ。

 

 

「お、陸!遅いぞー!」

 

 

玄関に着くや否や、集が陸に文句を垂れる。

確かに陸がここで彼らと話してから、すでに十分ほど経ってはいるが、掃除をしていたのだから仕方ないだろう。

 

いや、掃除はすぐに終わってその後は友人と話していたのだから言い返すことができないのだが。

 

 

「はいはい悪い悪い。ほら、さっさと行くぞ」

 

 

「あ、あれ?皆、何で俺を置いてくの?おーい」

 

 

言い返すことは出来ないが、陸は適当に聞き流す。

さらっ、と集の横を通り過ぎ、すでに先に下駄箱で靴を履き替え始めていた集以外の面子に追いつく。

 

その直後、集も慌ててついてくるのを気配で感じながら、陸はちらっ、と歩きながら頭を抱えている千棘の姿を見た。

 

 

「…なぁ集。千棘、どうかしたのか?」

 

 

少し歩き、玄関から外に出て今度はしゃがみこんでしまった千棘を見てさすがに耐え切れず、隣を歩いていた集に千棘に何があったのかを問いかける陸。

 

 

「あぁ~…、それ、俺も気になってたんだよね~。何か今日、楽と桐崎さん一度も話さなかったし、多分そこら辺が関係してると思うんだけど…」

 

 

喧嘩、か。

最近は小さな喧嘩こそあったものの、長い間影響が続くような大きな喧嘩は全くなかった二人。

 

いや、まぁ喧嘩するほど仲が良いというし。どんどん喧嘩していいんじゃないか?

あ、こっちに被害が及ぶような喧嘩はご遠慮願いたいですけど。

 

 

「おい!馬鹿お前…、何ボーッとして!」

 

 

「「は?」」

 

 

「…えっ!?」

 

 

すると、陸と集の脇を通り抜ける一人の影。

その人物は、大きな声を張り上げながら千棘の両肩を掴んで押し出した。

 

その人物とは、陸と集の前を小咲、るり、万里花と一緒に歩いていた楽だった。

陸と集が疑問符を浮かべながら、楽の行動を見遣る。

千棘も、頬を染めながら目を見開いて戸惑いの目を楽に向ける。

 

そして直後、楽の顔面、丁度眉間の辺りに何かが突き当たる。

 

 

(こ、硬球!?)

 

 

それが何なのか、即座に気が付いたのは陸だった。

すぐに陸は、力なく倒れ込もうとする楽へと駆け寄る。

 

 

「ら、楽!?」

 

 

「楽様!?」

 

 

「い、一条君!」

 

 

「おい、お前、思い切り顔にいったぞ!?」

 

 

続いて、事態を読み込んだ千棘が倒れてしまった楽の傍によって問いかける。

さらに万里花、小咲、るりに集も楽へと駆け寄っていく。

 

 

「ねぇ聞いてんのちょっと!?ねぇってば!」

 

 

「お、おい!あまり揺らすな!」

 

 

目の前の惨劇に、かなり動揺したのだろう千棘が、気絶した楽の襟をつかんでグラグラ揺らす。

慌てて陸が止めに入るが、千棘は錯乱しているのか、止めようとしない。

 

さすがに、これはまずいと感じた陸は、力づくで千棘と楽の間に体を割り込ませようとする。

 

 

「…ん?」

 

 

しかし直後、パチリと楽の目が開いた。

それを見た陸たちは、楽が意識を取り戻したことに安堵の息を漏らす。

 

 

「だ、大丈夫ですか楽様?立てますか?」

 

 

万里花が上半身を起こした楽に手を差し伸べる。

そんな万里花の手を楽は見て、そして万里花の顔を見上げた。

 

 

「…あれ?あなたは、誰ですか?」

 

 

「…え?」

 

 

万里花の呆けた声が、やけに響き渡る。

 

 

「おい楽、変な冗談言うなよ。つまんねえぞ」

 

 

「あの…、あなたも、どなたなのですか?」

 

 

続いて、楽は陸を見て…、陸にも万里花と同じことを問いかけた。

 

 

「ここはどこで…、僕は…誰なんでしょう…」

 

 

楽が辺りを見回しながら言う。

そんな楽の姿を、陸たちはただただ眺めることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「記憶喪失ですな。頭部に受けたショックによる一時的な記憶の混乱ですよ。一応CTも撮りましたが、脳に異常は見つけられませんでしたし。しばらく様子を見るしかないでしょうなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

「て、言われたんだけど…」

 

 

「「「「「「…」」」」」」

 

 

公園で集まった陸たち。

そこで、医者に言われたことをそのまま陸は小咲たちに告げた。

 

今ここにいるのは八人。下校するときにはいなかった鶫も、楽が陥った状態の知らせを受けて駆け付けたのだ。

 

あの後、陸は楽を連れて病院に直行した。

その結果、告げられた症状は<記憶喪失>。

 

 

「一条、 楽…。それが僕の名前なんですか?」

 

 

「うん…。本当に何も覚えてないの?」

 

 

手鏡に映る自分の顔を眺めながら、自分の名前を何度も呟く楽。

正直、何も知らないで傍から見たら不気味な光景としか言いようがないのだが、事情を知っている以上、受け止めることしかできない。

 

 

「そそそそんな楽様!私のことまで忘れてしまわれたのですか!?私です万里花です思い出してくださいましぃ~!!!」

 

 

「あばばばば…、す、すみませ…」

 

 

錯乱した万里花が、両目に涙を浮かべながら楽の両肩を掴んでグラグラ揺らす。

 

 

「俺の事も覚えてない…よな。病院に行くときも、すげぇ不思議そうな顔で見てたし」

 

 

「す、すみません…」

 

 

何とか万里花を楽から引き離してから、陸が問いかけようとするが病院に行く途中の楽の表情から覚えているというのは十中八九ないだろう。

現に、楽も物凄い申し訳なさそうな顔で謝罪してきた。

 

 

「ていうことは俺も覚えてないよな。一応幼なじみで、陸の次に付き合い長いんだけど…」

 

 

「…本当にごめんなさい」

 

 

集も撃沈。結局、楽はこの場にいる誰の事も覚えていなかった。

 

 

「あの…僕はみなさんとはどういう関係だったのでしょう?」

 

 

「俺とは双子の兄弟。他の皆とは友達だな」

 

 

「あ、あなたとは兄弟だったのですか?それも双子の…」

 

 

「あ、楽が兄な。俺は弟」

 

 

陸が楽にこの場にいる皆の関係を説明する。

楽は皆の、それぞれの顔をゆっくりと見回していく。

 

 

「しかし、我々はともかく兄弟の一条陸に幼なじみの舞子集。それに恋人のお嬢のことまで忘れてしまうとは…」

 

 

「え…」

 

 

「っ」

 

 

それは、つい口から出てしまった言葉だった。

その言葉を言った鶫を見て、楽は呆けた声を漏らす。

 

 

「恋人…。僕には恋人がいるんですか…?」

 

 

「…」

 

 

千棘の表情が中々凄い事になっている。

それもそうだろう、楽との関係は飽くまで演技なのだから。

 

だが、そのことを知らない鶫の勢いは増す。

 

 

「そ、そうだ!この桐崎千棘お嬢と貴様は昨年から交際していて、それは仲睦まじい間柄だったのだ!」

 

 

「ちょっ、鶫…!」

 

 

千棘が止めようと、背後にいる鶫に振り返る。

だが、止めようにもすでに遅い事にすぐに気が付いた千棘は、自分を見つめる楽の方に視線を向ける。

 

 

「あ…えと…」

 

 

楽の顔を見つめる千棘の頬が真っ赤に染まる。

 

 

(…やっぱり、そうか)

 

 

そして、それを見た陸は確信した。

こんな時にどうかとは思うが、千棘は間違いなく楽に惚れていると。

 

今まで、何度かそうなのではないかと考えたことはあったが、確信までは持てずにいた千棘の楽に対する感情。

それに決着が着いた瞬間である。

 

 

「そんな、何だかとても嬉しいです。こんなに綺麗で可愛い方が僕の恋人だったなんて…」

 

 

だが、その発覚すらも吹き飛ばすほどの威力を持った言葉を楽は直後に言い放った。

 

可愛い、綺麗。

どちらも、普段の楽ならば千棘には絶対に言わない言葉だ。

 

それも、僅かに照れの感情もにじませて。

 

 

「あの、本当に恋人だったのですか?どう考えても僕と釣り合うようには思えないのですが…」

 

 

「え…あ、うん…。一応…。でも私、あんたにそんな事言われたの初めてなんだけど…」

 

 

「そ、そうなんですか!?」

 

 

千棘と自分が恋人だったことを信じることができなかった楽が問いかけ、その問いに答えた千棘の言葉に驚愕する楽。

 

そして、楽は再びさらに巨大な威力を持つ言葉を次の瞬間言い放つ。

 

 

「でしたらきっと、照れくさくて言えなかったんでしょうね。だって、こんなに綺麗な方なのに…」

 

 

止めて!千棘のライフはもうゼロよ!

 

そう言いたくなってしまうほど、千棘の顔は真っ赤である。

もう真っ赤になりすぎて、首まで赤く見えるのは気のせいだろうか。

 

 

「あの…!やっぱり私の事、思い出せませんか!?」

 

 

「え…と、橘さんでしたっけ…。すみません、本当に何も…。あなたは僕とどんな間柄だったのでしょう?」

 

 

千棘がしゃがみこみ、悶絶する中。万里花が楽に歩み寄って再び問いかけた。

だが、楽の答えは変わらず。そして楽は万里花にこの二人の関係について問いかける。

 

 

「婚約者でございます」

 

 

万里花から返ってきたのは、超巨大爆弾だった。

 

 

「………!!!?」

 

 

驚きすぎて、声が出せない楽。

それでも、何とか陸たちにこの答えの意味を問おうとしているのだろう。

自分の指を、万里花と千棘の間で往復させる。

 

 

「ち、ちょっと!話を盛らないで!」

 

 

「何をおっしゃっているのでしょう?私は事実をお伝えしただけですわ」

 

 

我を取り戻した千棘が万里花に詰め寄るが、まったく堪えた様子はなく。

 

 

「あ、あの…。僕は二股をしていたのですか…?…何だか、記憶を取り戻すのが怖くなってきました」

 

 

「し、心配すんなって。…まぁ確かに屑野郎ではあったけど」

 

 

「何か言いました?」

 

 

「いや、何も」

 

 

ともかく、一悶着あったが何とか取り直す。

これから、楽の記憶を取り戻そうという方針も決まり、時間も時間だし帰ろうという事になったのだが…。

 

 

「そういえば陸さん。僕の家はどこにあるのでしょうか?」

 

 

「さんはいらないぞ。いらない…けど、家か…」

 

 

ここに来て、新たな問題が現れてしまった。

ざざっ、と陸と楽以外のメンバーが一瞬にして集合する。

 

 

「ねぇ、どう思う?あいつこのまま帰らせていいと思う?」

 

 

「普通の人間が、自分の家があれだと知らされたらどう思うか、か…」

 

 

「何だか今の楽様、前よりも繊細な感じですし…。卒倒なさるかもしれませんわ」

 

 

「そもそもヤクザの息子が記憶喪失になったって分かったら、それだけで大騒動だよね」

 

 

(あ、あいつら…)

 

 

何か色々と好き放題言われているが、すべて事実なので何も言い返せない。

 

 

「そのまま連れ帰る…は、難しいかもな。あいつらを黙らせるのは簡単だけど、楽自身がどうなるか分かったもんじゃないし…」

 

 

((((((あの人達を黙らせるのは簡単なんだ…))))))

 

 

集たちの目が点になる。その光景を、陸は疑問符を浮かべながら眺める。

 

 

「と、ともかく。一条君を連れ帰ることができないなら、どうするの?」

 

 

「…まぁ、任せとけ」

 

 

楽をどうするのか、問いかける小咲。

少しの間、考え込んでから陸は楽の前に立った。

 

 

「あのな楽。実は、俺達の親は海外旅行に行ってる。俺は友達の家を転々として泊まらせてもらってるんだ」

 

 

「そうなんですか。…あれ?僕はどうしてたのですか?」

 

 

息をするように嘘を吐く陸。

だが、その陸の言葉に疑問を持った楽。

 

陸は友達の家に泊まらせてもらっていると言ったが、その前に『俺は』と言った。俺達ではなく。

 

 

「楽は彼女の家に泊まらせてもらってた」

 

 

「え?」

 

 

「え!?」

 

 

楽と千棘が同時に声を上げる。

 

楽は千棘を見遣り、千棘も楽を見つめ返す。

 

 

「なっ、違います!楽様は私のいぇ…むぐぅ!」

 

 

万里花には悪いが、少し黙ってもらう。陸は万里花の口を手で塞ぎ、動きを止める。

 

陸は気づいていたのだ。楽が記憶喪失になったと知らされてからずっと、千棘は自分を責めていた。

 

 

「で、でも…。今、僕は桐崎さんが知っている一条楽ではないですし…」

 

 

「あっ…」

 

 

全くの嘘っぱちなのだが…、今まで千棘の家に泊まっていたと信じた楽が、今日は千棘の家ではなく他の人の家に泊まろうと、集を見る。

 

記憶がない以上、今の自分は皆が知っている一条楽ではない。

それを、楽は自覚していたのだ。

 

 

「で、でも!楽がそうなったのは私がぼーっとしてたせいだし…、責任があるっていうか…」

 

 

必死に、本当に必死にそう口にする千棘。

 

 

「うーん、そうだね。やっぱり、恋人といる方が良いかもしれないね」

 

 

「ですね。お嬢も心配でしょうし」

 

 

「むー!むー!」

 

 

千棘の言葉に、集と鶫が加える。

確かに、恋人と一緒にいられる方が楽にとっていいかもしれない。

 

小咲とるりも、何も言わないがそう思ってやり取りを見守る。

 

ちなみに、万里花としては不満たらたらなのだが陸に口を塞がれているせいで何も言うことができない。

 

 

「でも…」

 

 

だが、楽はそうはいかないだろう。

やはり年端もいかない男女が同じ屋根の下で過ごすというのに抵抗があるのか。

それとも、千棘の事を気遣っているのか。

 

陸たちにはわからないが、渋る楽。

 

 

「…」

 

 

しかし、キュッとスカートの裾を掴みながら俯く千棘を見て、何かを言おうと開いた口を閉じた。

 

 

「…わかりました。一晩、よろしくお願いします。桐崎さん」

 

 

そして、楽は腰を折り曲げ、礼儀が整ったお辞儀をして千棘にそう言ったのだった。

 

楽は千棘の家でお世話になることになる。

これで少しは気が紛れるだろうと思い、ちらりと陸は千棘を見遣る。

 

だが、千棘の顔は未だ優れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

「それで、一条弟君。あなたはどうするの?」

 

 

「どうする、とは?」

 

 

「だって、あなたも誰か友人の家に泊まらなきゃ一条兄君が怪しむんじゃない?」

 

 

「いや、そんなことねえだろ。楽に言いさえしなきゃわかんないって」

 

 

「…ちっ。小咲の家に泊まらせようと思ったのに」

 

 

「るりちゃん!」

 

 

「?」

 

 

 

おまけその2

「そうだ楽。言っとくけど、鶫は女の子だからな」

 

 

「え!?そうだったのですか!?」

 

 

「…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この話、飛ばそうかとも考えたんですが…。ペンダントの謎につながる話でもあったので描くことにしました。
くそっ…、小咲との絡みを描けないのが辛い…。


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第60話 サクセン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「記憶喪失だぁ?」

 

 

珍しく、一征は目を丸くして本気で驚いた様子を露わにした。

 

 

「おいおい…。それ、マジかよ?」

 

 

「マジも大マジ。ていうか、改めて考えたら生きてるってだけでも感謝したいくらいだ」

 

 

帰宅した陸は、楽の身に起こったことを一征に説明していた。

 

千棘を助けようとして、空から降ってきた硬球が顔面に激突したこと。

その結果、記憶を失くしてしまったこと。医師が言うには、命に別状はないという事も。

 

 

「確かに、な。ったく、お前がついていながら何やってんだよ」

 

 

「仕方ねえだろ。俺だって別に万能ってわけじゃねえんだ」

 

 

あの時、もし空から硬球が来ていたことに気が付いていたら…、助けることは出来たかもしれない。

一征に言い返した陸の言葉も、楽が生きていたからこそ言えた言葉だ。

もし、あの事故で楽が死んでいたら…、後悔の念に苛まれていた。

 

正直、一征の言うことも最もである。

 

 

「で、楽はアーデルトんとこにいると…。何で家に連れ帰って来なかったんだ?」

 

 

「今の楽はかなり繊細でな…。家の奴らを見たらどうなるかわからなかったのと…」

 

 

一征が楽を連れて帰ってこなかった理由を陸に問いかける。

陸は、記憶を失ってしまった今の楽の性格について説明。

 

 

「と、何だよ?」

 

 

「…その方が良い気がした。勘だ」

 

 

二つ目の理由を言い淀んだ陸を疑問に思った一征が再び問いかけ、陸は簡潔に答える。

あの時、何故か自分でもわからないがそう思ったのだ。

 

楽のためにも、千棘の所に任せておいた方が良いと。

 

 

「…ほぅ」

 

 

陸の答えを聞いた一征の口元が笑みを描く。

 

 

「ま、お前の勘はよく当たるからな。お前がそう思ったんならその方が良いんだろ」

 

 

一征は笑みを零しながら、腰を下ろしていた座椅子の肘掛けに肘を立てて頬杖をつく。

 

それを見ながら、陸はそっと口を開いた。

 

 

「親父、聞いてもいいか?」

 

 

「んぁ?」

 

 

笑みを零す際、閉じていた両目のうち片目だけを開いて陸を見ながら一征は短く返事を返す。

 

 

「もし、楽と千棘が…。本気になったら、親父はどうする気だ?」

 

 

「楽と、お嬢ちゃんが?本気って…」

 

 

拳から頬を浮かせ、もう片方の目も開いて陸を見る。

 

 

「俺が見ている限り、千棘は完全に本気になってる。…楽も、自覚こそないけど時間の問題だぞ」

 

 

一征があんぐりと口を開けたまま、呆然と陸を見る。

 

 

「…くっ、がははははは!マジか!おい陸、それは本当なんだな!?」

 

 

「あぁ」

 

 

楽と千棘のやり取りを見ていれば、一征ならばすぐに気づきそうなものだが如何せん一征は初めに楽と千棘に恋人をやってくれと頼んでから、陸が知る限りあの二人が一緒にいる所を見ていないはず。

 

一征は初めて知った息子の事実に、堪らず豪快に笑いだす。

 

 

「はぁ…、いやぁ、ついに楽にも春が来たってか?かはっ、面白れぇ」

 

 

「…」

 

 

「っとぉ、で?俺がどうする気かって?」

 

 

陸の変わらない真剣な視線を受けて、一征は笑いを止めて口を開く。

 

 

「んなもん、知らねえよ。そういうのは本人たちが決めるもんだろ?」

 

 

「…そうだけどよ」

 

 

「あぁ、言っとくが、向こうがどう思うかってのも俺ぁ知ったこっちゃねえからな。怒ろうが悲しもうが」

 

 

その時、一征は垣間見せた。

 

裏世界の住人としての、集英組の長としての顔を。

 

 

「ま、向こうが楽に手を出そうってんなら、徹底的に叩き潰すがな」

 

 

「っ…」

 

 

自分でも、相当強くなっていると自負している陸。

だが、今見せている一征の顔を前にすると、そんな自信は一瞬にしてどこかに吹っ飛んでしまう。

 

父ならば、やってのけるだろう。

ビーハイブが楽に手を出した場合、完全に彼の組織を潰しにかかるだろう。

そしてそれは、確実に達成される。

 

そうして、父はのし上がってきたのだ。

牙を向けてくる者を滅ぼし、手を返す者も滅ぼし、そうやって集英組は規模こそ小さいものの、手を出す者がいなくなるほどの地位を確立した。

 

 

「だが、アーデルトがいる限りそれはねぇって確信してるさ。あいつ、楽のこと結構気に入ってるみてぇだからよ」

 

 

全てを凍てつかせるのではないかと思わせるほどの冷たい空気を霧散させ、一征は朗らかな笑みを浮かべながら言う。

陸も、強張らせていた体の力を抜いて、ほぅっと息を吐いた。

 

 

「かははっ、おめぇもまだまだだな。この程度で委縮しちまうか?」

 

 

「うるせぇ、親父が異常なんだよ」

 

 

「何言ってんだ、俺がおめぇくらいの時でおめぇと同じ立場だったら、小便漏らしてたぞ?おめぇの方が異常だっての」

 

 

一征が再びがははは、と豪快に笑いだす。

 

 

「まぁ、楽の記憶の方はおめぇに任せるぞ陸。…いや、千棘嬢ちゃんに任せるって言った方が正しいか?」

 

 

「そうだな。後者の方が正しいかもな」

 

 

ニヤリと笑みを向け合いながら陸と一征は言い合う。

そして、少しの間笑みを向け合い続けると陸が立ち上がり、襖がある方へと足を向ける。

 

 

「じゃぁ、楽のことは伝えたからな。明日も親父は仕事だし、何も出来ねえとは思うけど」

 

 

「…仕事、すっぽかしてやろうか」

 

 

「止めろ」

 

 

ぽつりと呟きを漏らした一征に、すぐさま喝を入れる陸。

 

いつもなら、笑い飛ばしてから冗談を交えつつという感じなのだが、この時の一征が割と本気の顔をしていたため、陸も本気で止めにかかったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

「あの…、僕は何をしているのでしょうか?」

 

 

今、陸の目の前では万里花と鶫に一方ずつの腕を拘束され、動けなくなっている楽の姿。

 

 

「えーと、この辺でいいのかな…。千棘ちゃん、いいよ!」

 

 

そして、電話をしている小咲。

 

 

「うぉおおおおおおおおお!」

 

 

「え?」

 

 

そして、高い塀を飛び越えて楽の方へと落下していく千棘。

いや、最後おかしくね?

 

そう、これは楽と千棘の出会いを再現しているのだ。

その理由は至って簡単、楽の記憶を取り戻すためである。

 

楽の記憶を取り戻すために、何かきっかけを楽に掴ませようという方針に至った陸たち。

では、そのきっかけをどうやって掴ませればいいのか。

 

その結果、親しい人達…、つまり、千棘たちの出会いを再現すればいいのではないかという結論に達したのだ。

 

 

「とりゃ!」

 

 

「ぎゃぁあああああああああああああ!!」

 

 

陸がこうなった経緯を思い返している間に、千棘は楽に膝蹴りをかまし、楽は悲鳴を上げながら倒れてしまう。

 

少し楽の体が心配だが…、記憶がなくとも受け身のとり方は体が覚えているだろうと根拠のない確信を持つ陸。

 

 

「どぉ!?何か思い出せた!?」

 

 

「いたた…。あ、あの。これは一体…」

 

 

「いや…、あんたが何か思い出せるように私たちの出会いを再現したんだけど…」

 

 

「ぼ、僕たちそんな鮮烈な出会い方をしたんですか!?」

 

 

楽が驚く。いや、その反応も当然の事なのだが。

あの時陸はその光景を目撃したから良かったが、もしそうでなければ楽の話を何を馬鹿なと笑い飛ばしていただろう。

 

 

「わ、悪かったわね…。あんたに言っちゃ意味ないと思って…」

 

 

「いえ、そんな…。僕のためにしてくれたことなんでしょう?それより、桐崎さんに怪我がなくて良かったです」

 

 

流石に悪かったと感じたのだろう、千棘が楽に謝罪する。

すると、楽は千棘に微笑みかけながら優しい言葉を投げかけた。

 

直後…、千棘は頬を紅潮させながら校舎の壁を殴り始め、万里花も頬を紅潮させながら蹲り、鶫も特になんもないように見えるが僅かに頬が紅潮しているのが良くわかる。

 

 

「…なぁ集」

 

 

「…何?」

 

 

「…このまま楽の記憶が戻らないのも面白そうって思った俺は、滅茶苦茶最低ヤローだよな」

 

 

「…俺もそう思ったから、仲間だな」

 

 

小さく囁き合いながら、二人は同時にため息を吐いた。

 

 

「「?」」

 

 

その様子を、小咲とるりの二人が疑問符を浮かべながら眺めていたことも気づかずに。

 

 

「でも、今のだとなにも思い出せなかったみたいですわね…」

 

 

「じゃあ他の人もやってみようよ。…小咲ちゃんどう?」

 

 

「え!?」

 

 

「!?」

 

 

小咲は、目を見開いてたじろぎ、そして陸は表情こそ動かさなかったが僅かに身構える。

 

 

「小咲ちゃんと楽は同じ中学で会ったのよね。どんな感じで出会ったの?」

 

 

「え、えーと…。私は…」

 

 

「…小咲ちゃん?」

 

 

楽と小咲の出会いを千棘は聞いたのだが、小咲は頬を赤くしてもじもじする。

千棘だけではなく、他の者たちにも疑問符が浮かび始める。

 

ただそれは、陸とるり以外だが。

 

そして、小咲の状態を見かねたるりが口を開いた。

 

 

「この子と一条兄君の出会いはね…。小咲が食堂で一条“弟”君にアツアツの中華丼をぶちまけたことが切欠だったのよ」

 

 

「「「「「………」」」」」

 

 

「るりちゃん、しーっ」

 

 

るりが言い放った直後、小咲がるりを止めに入るのだが当然ながら時すでに遅し。

るりの話を聞いた千棘たちはとても痛そうな目で陸を見つめていた。

 

 

「じゃあ、やる?」

 

 

そんな中、るりがどこからか取り出したアッツアツの中華丼が入ったどんぶりを取り出す。

 

 

「やりません!」

 

 

「ていうかそのどんぶりどこから取り出した!?」

 

 

早速、るりがその時の再現をしようとするが、即座に小咲と陸が止めに入る。

しかしそれよりも、るりは一体どこからどんぶりを取り出したのか。

 

後に、それこそ何年も後。このるりの芸当について皆で討論する時が来るなどこの時はまだ知る由もない。

 

 

「次は…誰やる?」

 

 

「では私がやりましょう。私との出会いというならば少なからず強烈だったので、何か思い出すかもしれません」

 

 

「え」

 

 

るりが渋々どんぶりをしまうと、千棘が次に誰との出会いを再現するか悩む。

 

だから、るりはどこからどんぶりをというツッコミは受け付けないので悪しからず。

 

ともかく、次は鶫との出会いを再現する。

鶫は自分が買って出ると言いながらチャキ、と懐から銃を取り出すと一気に楽の懐に飛び込み、顎に銃口を突きつけた。

 

 

「さぁ吐け!なぜお嬢に近づいた…!?」

 

 

(そういえば、こいつらはこんな出会い方だったな…)

 

 

楽の表情が凄い事になっている。

そんな楽を見ながら、陸は楽と鶫の出会いを思い返していた。

 

あの時は、鶫が本気で楽を撃とうとしていたから大変だった。

…いや、別に本気で大変だったとは思っていないが。

 

 

「あの、鶫さん…」

 

 

すると、楽が銃をそっと掴んで優しく下ろす。

鶫も本気で撃とうとしているわけではないので、特に抵抗せずに楽のされるがままになっている。

 

そして、楽はさらに続けた。

 

 

「協力してくださるのは嬉しいのですが、女性がこんなものを持つのは良くないと思います」

 

 

「へ…」

 

 

「鶫さんにはもっと、可愛いものがお似合いですよ」

 

 

何か、微笑みながら物凄いことを言い始めた。

直後、鶫は爆発したように顔を一気に真っ赤にさせてじり、じり、と後ずさる。

 

 

「ち…ち…、違うんだぁああああああああああああ!!!」

 

 

「あ、鶫!?」

 

 

(違うって、何が違うんだろ…)

 

 

鶫がどこかへ駆け出して行ってしまった。

慌てて千棘が呼び止めようとするが、鶫は一瞬にしてその背中を遠くし、そう時間がかからない内に背中が見えなくなってしまった。

 

 

「…では、次は私が」

 

 

突然の鶫の行動に呆然としていた陸たちだったが、楽の傍らにいた万里花がすっ、と楽に視線を向けて、次は自分がと買って出た。

 

しかし万里花と楽の出会いはどんなものだったのだろう。

陸は万里花と病院で出会ったはずなので、楽もそこは同じはずだ。

 

さて、万里花はどうやって出会いを再現するのか…。

 

 

「楽様!」

 

 

「は、はい!」

 

 

万里花は楽の名前を呼びながら、そっと正面から近付いて…

 

 

「無理に思い出さなくていいんですよ?私とまた思い出を作りましょう…」

 

 

「え」

 

 

「コラコラコラ!!!」

 

 

うん。これでは楽の記憶は戻らないらしい。

陸たちは、誰かの家にて集まって作戦会議をすることに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

和菓子屋おのでらの二階。つまり、小野寺家の住居の一室。

小咲の部屋に陸たちは集まっていた。

 

部屋の中心にはいちまいの紙が置かれており、そこには<第一回楽の記憶を取り戻そうの会作戦会議!!>と書かれている。

第一回ということは、第二回があるのだろうか…。

 

部屋の中には六人。

集と楽は一階にいて、冷静になって戻ってきた鶫を入れた陸たちが小咲の部屋で話し合っていた。

 

まあ、話し合いなどなく、紙を囲んだ千棘、万里花、鶫の三人がただならぬ空気を出して黙っているせいで陸、小咲、るりの三人が口を挟めずにいるのだが。

 

 

「何か、記憶がないのもありなんじゃ…」

 

 

直後、紙を囲んだ三人が同時にびくりと体を震わせた。

先程の声は、その紙を囲んだ三人の内の誰かが言ったはずなのだが…。

 

 

「ちょっと、誰よ今言ったの!」

 

 

「わっ、私じゃないですわよ!?」

 

 

「そ、そうだ!記憶がなくていいわけがない!」

 

 

うん、この三人に任せてたらダメだな。

 

 

「でもよ、他に何を試す?ぶっちゃけさっきやった以上の事ってない気がするんだが」

 

 

「正直、手詰まりに近いわよね…」

 

 

まだ、たった一つの手段を試しただけなのだが、それでも先程の手段はかなり核心に近づける手段だったためにあれが上手くいかないとなるとかなり作戦を絞らなければならない。

 

 

「やっほー」

 

 

「おう、集。楽はどうした?」

 

 

「小野寺のお母さんが見てくれてる」

 

 

すると、小咲の部屋に集が入ってきた。

 

 

(楽にとっての強い記憶、か…。皆との出会いじゃダメなんだから…)

 

 

もっと、楽にとって印象が強い事。何かないだろうか?

 

 

「う~、何も思いつきませんわー!何かヒントになるような物はないのですかー!?」

 

 

「キャーーーーー!!やめて万里花ちゃん!!」

 

 

この何も進展しない状況に耐えられなくなった万里花が、泣きながら小咲の部屋を漁り始める。

小咲が悲鳴を上げながら万里花を止めようと駆け寄る。

 

 

「…これは…」

 

 

すると、万里花の動きが止まる。

 

 

「ん?」

 

 

「どうかしたの?万里花」

 

 

急に動きが止まった万里花を疑問に思い、千棘と鶫が視線を向ける。

続いて、陸やるりたちも視線を向けて、ここにいる皆が万里花が握っているそれに気が付いた。

 

 

「…何?その絵本…」

 

 

万里花が持っていたのは、絵本。

こちらから見えるのは、その絵本の裏表紙。

 

そこに描かれているのは、千棘と同じ、赤いリボンを頭につけた少女の絵だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前半のシリアス(?)とは一体何なのか…。
まぁ、少しずつタグの集英組最強を回収していかなくちゃね…。


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第61話 ケツマツ

ぶっちゃけ、読まなくていい回です。
楽の記憶喪失編自体、この小説にとってそこまで面白みもない話でしたし…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「万里花、その本は…」

 

 

千棘が、万里花の手に握られている物を見て呆然と呟いた。

 

 

「ちょっと、その絵本見せてくれる?」

 

 

「はい?」

 

 

そして千棘は、万里花に手を差し出しながら問いかけた。

万里花は、何故?と聞きたげな顔をしながらも特に何も言うことなく絵本を千棘に手渡す。

 

 

「タイトルは…、かすれて読めないわね」

 

 

千棘は本を返し、表紙に書かれているはずのタイトルを読もうとしたが、残念ながら文字がかすれてタイトルが読めなくなってしまっていた。

 

 

「わー、懐かしい!これ、小さい頃からずっと持ってる絵本なんだよ。もう何年も手に取ったことなかったんだけど…」

 

 

小咲が千棘の手に握られている絵本を覗き込みながらそう言った。

どうやらもう何年も前に手に入れた本だったようで、とても小咲は懐かしんでいる。

 

しかし、他の者から見れば初めて見ただけの、ただの絵本。

特に何も思うことなくその絵本の表紙を眺めていた。

 

そんな中、千棘が表紙を開いて一ページ目を目にする。

 

直後、そこに書かれていた文字を見た千棘は大きく目を見開き、信じられない様に唇を震わせる。

 

 

「<ザクシャインラブ>…?」

 

 

この、<ザクシャインラブ>という言葉がどうかしたのだろうか、千棘はその文字から目を決して離さない。

ずっと見つめたまま、動かないでいた。

 

 

「千棘ちゃん?」

 

 

小咲が怪訝に思い、千棘に呼びかけながら肩を叩こうとする。

だが、小咲の手が千棘の肩に触れる前に部屋の扉が開かれた。

 

 

「あの…、小野寺さんのお母様が、飲み物は麦茶でいいかって…、あれ?どうかなさったんですか?」

 

 

部屋に入ってきたのは楽だった。

小咲の母から飲み物を何にするかを聞くように言われたらしい。陸たちに飲み物をどうするか聞こうとして、部屋の中の状態を見て戸惑いを見せる。

 

一冊の絵本を見て、固まる千棘にそんな千棘を心配する陸たち。

正直、気にならないという方がおかしな気もする。

 

 

「…その絵本」

 

 

すると、振り返っていた千棘の手に握られた本を見て、何やら呟く楽。

 

 

「え?これがどうかしたの?」

 

 

「…いえ。何だか、この本を見ていると、何かを思い出しそうで…」

 

 

「「「「えぇっ!?」」」」

 

 

右手で頭を押さえ、少し苦しそうに表情を歪ませながら言う楽。

 

 

「ほ、本当!?楽!」

 

 

「はい…。それと、昨日言いそびれてしまったのですが…」

 

 

目を見開いた千棘が詰め寄ると、楽は絵本から目を逸らし、千棘の方を見ながら口を開いた。

 

昨日、千棘の家で感じた事。その事について、楽は説明を始めた。

 

千棘の家で、自分が持っていたペンダントを見ていると何かを思い出しそうになったこと。

そして、その話を聞いた千棘がそのペンダントの鍵を取り出すと、それもまた楽の中で何か変化を及ぼそうとする。

 

 

「自分でも誰だかわからないんですが、何か…小さな女の子の姿が頭の中を過るんです」

 

 

「それって、十年前に楽が約束したって女の子なんじゃないか?」

 

 

千棘に続いて、小咲と万里花が取り出した鍵。

小咲が鍵を取り出す際、陸が受け取った絵本。楽が首にかけているペンダント。

 

間違いない。楽の記憶を取り戻すためのポイントは十年前の思い出だ。

だが、そうなるとその絵本も十年前の約束に何らかの関係があるという事になる。

 

 

「あのね?実は私、その絵本どこか見覚えがあるのよね…。それに、私のこのリボンって小さい頃呼んでた絵本が切欠だってママが教えてくれだんだけど…、何かその子のと似てない?」

 

 

すると、直後に千棘がそんな事を口にした。

 

確かに、千棘のリボンは絵本に描かれている女の子がしているリボンと酷似している。

 

千棘がリボンをするようになったのは、この絵本の女の子がきっかけになっていると考えるのは少し早とちりになるだろうか…。

 

 

「ねぇ万里花、あんたは何か知らない?」

 

 

「さぁ…、私は何も…。部屋をもっと引っ掻き回せば他にも何か出てくるでしょうか…」

 

 

「もうダメだってば!」

 

 

(…?)

 

 

万里花は千棘や小咲と違って、再会するまで楽のことをしっかり記憶していた。

だからだろう、千棘が万里花に絵本の事について何か知っているかと問いかけるのだが、万里花は何も知らないと答える。

 

 

「…とにかく、これを読めば何かわかるかもしれないわ。もしかしたら記憶を取り戻すヒントだって…」

 

 

言いながら、千棘は小咲や万里花、鶫に目配せした後、四人は同時に頷いた。

 

千棘は、表紙をめくった。

 

内容は、よくあるような話だった。

 

ある二つの国に、それぞれ住む王子と姫の物語。

二人は幼いながらも互いを想い合っており、大きくなったら結婚をしようという約束もしていた。

 

だが、二つの国の間に起こった戦争によって二人は離れ離れになってしまう。

 

別れの日、姫は『ザクシャインラブ』という言葉と、錠を王子に渡す。

そしていつか二人が再会したら、この鍵でその中の物を取り出して幸せに暮らそうと約束したのだ。

 

しかし、想いあっている二人はどうしても会って話したくなってしまう。

遂に、王子は堪らず城を飛び出して駆けだしたのだ。

 

王子は姫がいる城へと走るが、何度も障害が王子の前に立ちふさがる。

その度に、鍵を持った女の子たちが助けに来てくれて、ようやく姫がいる城までもう一息という所まで来る。

 

 

「…あれ!?」

 

 

そこから、物語はどうなるのか。

ページをめくろうとした千棘の手は止まり、代わりに呆けた声が口から洩れる。

次からのページが破れ、先が読めなくなってしまっていたのだ。

 

 

「え、え?この先のページは?」

 

 

「そ、そういえば…続きを失くしたから読まなくなったような…」

 

 

千棘が問いかける先、小咲は額に汗を浮かばせながらぼそぼそと呟いている。

 

 

「うわ、何かもどかしいわね!」

 

 

「確かに気になります。二人は無事に再会できたんでしょうか…」

 

 

「どうだったかな…。ハッピーエンドだったような気もするし、逆だった気もするし…」

 

 

千棘、鶫、小咲がどこかすっきりしなさそうに話す。

 

確かに、エンディングを直前にして続きを読めないというのは少しすっきりしない。

 

 

「…確か、悲しい結末だったような気がします」

 

 

「楽…!?」

 

 

誰も物語の結末が分からないと思われた中、記憶を失っているはずの楽がその結末を口にした。

この場にいる皆が目を見開いて驚きを見せる。

 

 

「楽、お前…。何か思い出したのか?」

 

 

「は、はい。とても断片的なんですけど…。僕がその、頭の中に浮かぶ女の子と初めて会ったのはとても小さい時で…。その子は一人で本を読みながら泣いていたんです。それで、僕が何で泣いているのかと尋ねると、絵本の結末が悲しいって答えました。なので、僕は最後の数ページを描き変えて、ハッピーエンドにしてあげたんです。それが、その事の最初の出会い──────」

 

 

楽は、十年前に約束をした女の子との出会いについてを話し終えると、千棘たちがいる方へと視線を向ける。

 

 

「思い出せたのはこれだけなんですが、何か聞き覚えはありましたか?」

 

 

じっ、と楽の話に耳を傾けていた千棘たちに問いかける楽。

 

 

「…ごくうっすらと?」

 

 

どうやら、覚えてなさそうな小咲に千棘。

うん、進展はしなさそうだ。

 

 

「すみません、こんな事しか思い出せなくて…」

 

 

「いいのいいの、少なくともこれで少し前進したわ!」

 

 

前進したかどうかはわからないが、前進させるためのキーは見つかった。

とにかく、十年前の何かで楽に刺激を与えれば何らかの進展があるだろう。

 

 

「もっと十年前の事で刺激があれば、何か思い出すかもしれない。私、家に同じ本がないか探してみる!」

 

 

「私も、何か手掛かりになりそうなものを探してみるね!」

 

 

それは、この場にいた者全員がわかることだろう。

作戦会議を終え、それぞれの家へと帰るために分かれる千棘たち。

 

 

「おーい、一条のボーヤー。せっかく来たんだから、夕ご飯食べていかない?」

 

 

「お、お母さん!?」

 

 

自宅へ帰ろうと足を向けた時、小咲母がそう言って陸を呼び止めた。

陸が振り返ると、小咲が驚いている様子がよく見える。

 

 

「ううん、むしろ夕ご飯を食べていってほしいのよね~。ボーヤ、よく家に手伝いに来てくれるし、前にひどく吹雪いたときには小咲を泊めてくれたし。お礼したいのよね」

 

 

「いや、それを言うなら台風で帰れなくなった時に僕を泊めてくれたじゃないですか」

 

 

「でも、その時に夕飯を作ってくれたのはボーヤでしょ?小咲が教えてくれたわよ」

 

 

何という事だ。いや、あの時に起こったことを母親に説明をするのは当然のことだとは思うが…、今となってはその事を憎らしく思ってしまう。

別に小咲を責めるつもりは毛頭ないが。

 

 

「いやでも…」

 

 

「ええい!ボーヤは今夜は家で夕飯を食べる!はい決定!」

 

 

「えぇ!?」

 

 

まさかの強行。これはひどい。

 

 

「ち、ちょっと待ってください!さすがにそれはそちらの迷惑になるんじゃ…」

 

 

「ならないわよ。未来の小咲の旦那と今から交流するのも悪くないしね」

 

 

「お母さんっ!!!」

 

 

小咲の顔がもう真っ赤っ赤になっている。

いや、さすがにさっきの小咲母の言葉はこっちも恥ずかしくなってきたが。

 

 

「えっと…。拒否権は…」

 

 

「ない」

 

 

「…」

 

 

うん、逃げられそうにない。

というより、逃げようとしたら酷い目に遭いそうな気がする。

 

 

「じゃ、じゃぁ…。家に連絡入れときますね…」

 

 

「素直でよろしい♪」

 

 

確かに、この親子の見た目はそっくりだが…。性格は正反対だと改めて気づかされる陸だった。

 

 

「良かったわね小咲」

 

 

「るりちゃぁん…」

 

 

「ふふ…。陸様も春が来ているのですね…」

 

 

「ぷくく…。じゃあな陸。お幸せにー」

 

 

るり、万里花、集は完全に楽しんでいる。

こっちはそんな余裕はないというのに。

 

結局、三人は助けてはくれず。さっさと自宅へと帰っていき、陸は小咲母に首根っこ掴まれ家の中へと拉致されるのだった。

 

ちなみに、家の中に来た陸を見た春が、一騒動引き起こしたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

千「楽の記憶が戻った!」

 

 

陸「あ、良かったな」(小咲母に振り回されてグロッキー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




楽の記憶の扱いがひどい?知るか、この小説の主人公とヒロインは陸と小咲なんだよ!

大体、この楽の記憶喪失編で描かなきゃいけなかったのは絵本の発見であり、他はおまけにして良かったんですよ。
たださすがにそれじゃ、あかんでしょという事で丁寧に描写しましたが…。
いやでも、最後に恥ずかしがる小咲を描けただけで楽記憶喪失編を描いた価値はありましたよ…。( ;∀;)


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第62話 ココロニ

ほとんど原作通りです。ぶっちゃけ、前回よりも読まなくていい回かもしれません。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽が記憶を取り戻したその翌日…、というより、千棘から楽が記憶を取り戻したと連絡が来た時にはすでに日を跨いでいたから同じ日になってしまうんか。

ともかく、その日は千棘の誕生日だった。

 

別に千棘の家に泊まっていた方が良かった気がするが、家に帰ってきていた楽と一緒に、千棘の家へと向かうために皆と待ち合わせした駅前へといく。

 

 

「「「「「え…!?記憶が戻った!?」」」」」

 

 

まず、陸と一緒に来た楽を見て小咲たちが驚き、そして楽が記憶を取り戻したと伝えて再び、さらに大きく驚愕を見せる小咲たち。

 

 

「おう。正直、あんまり覚えてねえんだけど…、何か迷惑かけちまってたみたいで悪かったな」

 

 

楽が家に帰って来た時、陸は眠っていたため次の朝になってしまったのだが、記憶を失っている間の事を楽は覚えていないと聞いた。

 

 

「いえそんな!楽様が記憶を取り戻してくださって…、本当に良かったですわ!」

 

 

感極まった万里花が、楽へ抱き付く。

急な万里花の抱き付きに、楽は動くことができずにされるがまま。

 

 

「橘万里花、貴様!一条楽から離れろ!」

 

 

そして、万里花の行動に憤慨した鶫が二人を引き離そうとする。

 

うん、この光景もどこか懐かしく感じる。

 

 

「はぁ、はぁ…。と、ともかく、本当によかったぞ。これならお嬢の誕生日パーティに参加できるな」

 

 

貴様が記憶を失っていてはパーディどころではなかったと、本当に安堵した様子で言う鶫。

 

鶫がしていたのは、パーティの心配なのだろうか…。それとも、楽の事を心配していたのだろうか…。

 

 

「…なぁ、記憶喪失になってた間の俺ってどんな感じだったんだ?」

 

 

鶫の言葉に、少しショックを受けた様子でいた楽だったが、不意にそんな事を聞きだした。

 

確かに、気になるのも仕方ないだろう。何せ、楽は記憶喪失状態の自分を全く覚えていなかったのだから。

 

 

(寝てた時、急に『楽坊ちゃんが帰って来たぞぉおおおおおおお!!!』て叫び声が聞こえてきた時は飛び起きたもんな…。次の日も、楽の奴皆に囲まれてたけど、何か変な顔してたし)

 

 

楽が複雑な気分を抱いていたのは間違いない。

 

 

「…え?何?どうしたんだよ、え?」

 

 

さて、そんな楽の問いの答えだが…。楽に返ってきたのは、沈黙と赤面しながら目を背ける万里花と鶫の態度だった。

 

さらに、ケラケラと笑う集に苦笑する小咲。るりは無表情のままだが…、唇の端がひくついて見えるのは気のせいだろうか?

 

ともかく、楽にとっては思わぬ回答だったようで、不安を隠せないでいた。

 

 

「お~い、お姉ちゃ~ん」

 

 

楽が再び、今度は万里花と鶫に問いかけようと口を開きかけた時、少し離れた所から誰かを呼ぶ、聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。

 

皆が振り向けば、そこにはこちらに手を振る少女、春。

その傍らには、どこかワクワクしているように見える風ちゃんと、仏頂面を浮かべているポーラの姿が。

 

そう、今年の千棘の誕生日パーティには春、風ちゃん、ポーラの一年生組も参加することになっているのだ。

 

 

「春ちゃん!ポーラ!あと、風ちゃん、だよな?お前らもパーティ参加するのか?」

 

 

「はい!一応招待してもらいました!」

 

 

「私は、ビーハイブの一員だしね。参加しなきゃまずいだろうって思って…」

 

 

どうやら春と風ちゃんは招待されたようだ。

ポーラは…、素直じゃない。多分、春と風ちゃんに誘われたのだろう。

渋々ついてきた感を醸し出そうとしているが、楽しそうにそわそわしているのを陸は見逃さない。

 

ここでそれを指摘するという空気が読めない行動はしないが、内心、微笑ましく思いながらポーラを見遣っていた。

 

 

「一条先輩、記憶喪失になってたんですよね?そのままお姉ちゃんに事を忘れちゃえばよかったのに」

 

 

「…あの、春ちゃん?記憶喪失になったのは<楽>の方なんだけど…」

 

 

「あ、そうでしたっけ?すいませぇん、間違えちゃいましたぁ」

 

 

「…」

 

 

悪意ある笑みを浮かべながら、春が陸に言う。

陸は春の発言の間違いを指摘するが、それも予見していたようで、春は掌で口を抑えながらホホホと笑っている。

 

小咲が春にこらっ、と注意を入れているがあまり効果はなさそうだ。

 

 

「言っとくけど、千棘んち見てもビビんじゃねーぞ?あいつんちのパーティは規模がちげーから」

 

 

「ご心配なく。お姉ちゃんにすごく大きな家だって教えられてますから」

 

 

時間が近づいてきているため、陸たちが移動を始める。

そして直後、楽が春に千棘の家に関して注意を促すが、春はその言葉に冷たく返す。

 

陸への態度は少し温かみが含まれているが、楽への態度は未だ冷たいままだ。

 

後々、楽と春ちゃんの関係も何とかしなきゃな。

いやでもその前に、自分と春ちゃんの関係も良いとは言えないのか…。

 

など、楽と春のやり取りを見て、陸が考え始める中、一同は切符を買い、電車に乗り、陸も楽と春について考えていたことをすっかり忘れた頃、千棘の家に到着するのだが・・。

 

 

「…………でかーーーーーー!!!」

 

 

春の叫び声が、辺りに響き渡る。

 

小咲から千棘の家について教えられたとは言っていたが…、ここまでの規模とは予想していなかったのだろうか。

口を大きく開けて、プルプル体を震わせながら千棘の家というか城を見上げている。

 

取りあえず、放っておけば立ち直るだろうと判断し、鶫が家の中の者に門を開けさせて陸たちは中に入っていく。

 

 

「キャ~~~~!桐崎先輩すっごくキレ~~~~!!」

 

 

「あ、ありがとう…」

 

 

千棘と合流するまでにそう時間はかからなかった。

 

ただ、少し気になったのは鶫の様子。

どこかそわそわして、表情がにやにやしていた。

 

 

(もしかして、ドッキリしようとしてたのか)

 

 

陸は内心で、そう予想を立てる。

だが残念なことに、千棘は全く驚いていない。多分、あっさり見破られている。

 

 

「「「「「ハッピーバースデー、お嬢―!!」」」」」

 

 

パーティ会場に入れば、直後に大量のクラッカーを鳴らすビーハイブ組員の男たち。

この人たちも、鶫と同じようにドッキリを仕掛けているという気持ちでいるのが手に取るようにわかる。

 

うん、千棘は全く驚いていない。完全に見破られている。

 

 

「お、お姉ちゃん…。き、桐崎先輩って何者…」

 

 

「え?えっと…、お嬢様?」

 

 

パーティの規模に驚いていた春が、小咲に問いかけている。

だが春よ、その質問相手の選択は完全に間違えているぞ。

 

 

「ちっ、小僧…。性懲りもなくまたのこのこと現れたな!」

 

 

「げっ」

 

 

やはり、こいつもいたか。

 

クロードよ。

 

クロードは楽の姿を見つけると、体全体から怒気を纏わせながら話しかけていた。

 

 

「少しは肝が据わったようだが、その程度で私に認められたとは思わないことだ…。今日こそは雪辱を果たしてやる!果たして、私のプレゼントを超えることは出来るかな…?」

 

 

雪辱…。どこで受けたのか。

楽はまったく見覚えないといった感じだし、千棘すらも呆れた様子でクロードを見ている。

 

その事に気付かず、クロードは今年もずいぶん大きな…

 

 

(てかでかっ!?何だよあれ!?何が包まれてるんだ!?)

 

 

白い巨大なカーテンが、巨大な物体を包んでいる。

全長、百メートルには至らないだろうがそれでもそれに匹敵する程度の大きさを持っている物体。

 

 

(…自家用ジェット機とか言わねえだろーな)

 

 

「ご覧くださいお嬢!今年は私、大枚はたいて、お嬢専用の自家用じぇっt(ry)」

 

 

何か…、もう、この先の展開はわかるだろう。言わなくとも。

 

クロードは今、会場の隅で膝を抱えていじけている。

 

しかし、まさか本当に予想通りの物だとは思わなかった。

さすがにそれは自嘲するだろうと思っていたのだが…、クロードには常識というものはないのだろうか。

 

 

「さ、次は坊主の番だぜ?」

 

 

「今年はどんなプレゼント持ってきたんだよ」

 

 

クロードに続いて、組員たち、そして陸たちもプレゼントを渡してついに最後に楽の番となった。

去年と同じように、組員たちからプレッシャーを受けている楽。

 

 

(何か…、不安そうな顔してるなぁ…)

 

 

袋からプレゼントを取り出そうとする楽を見て、千棘が物凄く不安そうな顔をしている。

というのも、去年の楽からのプレゼントはゴリラのぬいぐるみだから…、気持ちはよくわかる。

 

 

「どうせ大したもの用意してないんでしょ?」

 

 

「…」

 

 

春は相変わらずだ。ぼそりと呟いているが、その呟きはしっかり楽の耳に届いていて。

ずっとプレッシャーを受け続けていた楽が、先程よりも楽そうな顔になっているのは何故なのだろう。

 

 

(いやけど、今年はマシな方だよな)

 

 

「まぁ、今年も直感で選んだんだけどよ…。ほら」

 

 

今年は、楽は陸と一緒にプレゼントを選んだ。

とはいっても、陸は楽の選択に何も口出ししなかったのだが…、楽が選んだものを見て、良さそうだと思ったのは事実である。

 

 

「花…束…?」

 

 

そう、楽が千棘のプレゼントに選んだのは花束。花の種類はスイートピーだ。

 

 

「おう、なんだなんだ?坊主、今年はずいぶんまともなもん贈って来たな~!」

 

 

「やりゃできんじゃねーか!」

 

 

組員たちも、どこかホッとした様子で楽を讃えている。

 

 

「…これって」

 

 

「いや、俺もらしくねーとは思ったんだけどよ…。何か、絶対それを渡さなきゃいけねーって気がして…。俺にもよくわからねえけど…」

 

 

陸たちには知る由もない事だが、楽が渡した花、スイートピーは昨日、小咲の家で行われた作戦会議の後の帰り道で、千棘と一緒に入った花屋で見たものだった。

 

昨日という事は、楽はまだ記憶喪失の状態で。つまり、今の楽はその時の事を覚えていないはず。

 

だがもしかしたら、楽は頭ではなく、心で覚えていたのかもしれない。

というのは、何年も後に陸と楽が話した内容である。

 

 

「そっか…。ありがとう、楽。嬉しい…!」

 

 

「…おう」

 

 

本当に嬉しそうに破顔する千棘に、照れくさそうに頭を掻く楽。

そんな二人の様子を陸たちは、会場にいるある一部の者以外すべては、微笑ましく見守るのだった。

 

 

 

 

 

おまけ

「くそっ!何故お嬢は、私のプレゼントには喜んでくれなかったのに…、あんな小僧が贈った物にはあそこまで喜んでいらっしゃっているのだ…!」

 

 

「…」

 

 

楽が千棘にプレゼントを渡した直後、

二人が見つめ合っているのを見ていたクロードは、ハンカチを噛み締め、引き千切らん程の勢いで悔しがっていた模様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次!次からようやく陸&小咲が描ける!!(歓喜)


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第63話 オナヤミ

ここまで来ると、タイトルが重複していないか心配になってくる。

ホント、二百話をカタカナ四文字縛りでタイトルつけてる古味先生はすげーっすわ…。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も遅くなり、そろそろ誰もが寝る準備を始めることを考え出す時間帯。

そんな中、小野寺家二階。食卓のテーブルの上には、様々な種類の和菓子が並べられていた。

 

桜餅、どら焼き、饅頭、その他諸々。

 

 

「どぉ?小咲、秋の新作の感想は」

 

 

「んー…。もう少し栗の甘みを生かせるといいかも…」

 

 

テーブルに並ぶ和菓子の数々は、小咲母が秋に新作として出す候補として作った試作品。

そして、その試作の味見を任されているのが、我らが小咲なのだ。

 

 

「それにしても不思議だなぁ~…。どうしてウチで一番味が分かるお姉ちゃんが、料理できないんだろう?」

 

 

「それは私も知りたいんだけど…」

 

 

手先が器用で、あっという間に錬金術のごとく料理の見た目に高級さを付け足すことができる小咲だが、料理の味だけは壊滅的。

さらに小咲は、舌もまた有能なものを持っていた。

小野寺家の中で、一番味が分かるのは小咲なのである。

 

そのため、小咲の料理下手は家の中で最大の謎となっている。

 

 

「じゃあ、お父さんに感想伝えて来るね。あ、そうだ。お姉ちゃん」

 

 

全ての味見を終えた小咲の感想を聞いた春が、椅子から立ち上がって、居間から出ようとするが不意に小咲を呼びながら彼女の元に歩み寄る。

 

 

「味見役頼んどいてなんだけど、最近少しお肉ついてきてない?気を付けないと、すぐに太るよ~?」

 

 

「だ、大丈夫だもん。ちゃんと気を付けてるし…」

 

 

春が、軽く小咲の両頬を引っ張りながら聞いてくる。

 

この時、小咲は何も問題ないと答えたが、春に続いて居間を出た時、ふと最近の自身の生活を思い返す。

 

近頃、小咲はよく味見役を頼まれている。まぁ季節の変わり目という事で仕方のない事なのだが、それとは他にも、家で春とおやつを食べたり、外で千棘や鶫などの友人たちと帰りに食べ歩きをすることも少なくない。

 

 

(…ちょっと、体重計乗ってこようかな?べ、別に心配ってわけじゃないけど)

 

 

小咲は洗面所に足を踏み入れ、壁際に置いてある体重計を引っ張り、スペースの広い所で両足を体重計に乗せる。

 

 

「…っ!!!!?」

 

 

直後、小咲の全身に雷にも似た衝撃が奔る。

 

体重計が記した数字を見た小咲は、わなわなと震えながら自身が着ていた上着を脱いでネグリジェ姿になる。

少しの間動きを止めていた小咲だったが、今度は不意に片足を浮かせ始める。

 

その後も色々何やらしていたのだが、うん、何をしても結果は変わらない。

 

 

(う、うそ…。数日計んなかっただけで、こんな事になるなんて…!確かに、思い当るフシは幾つかあるけど…。それでも急にこんなに増えるなんて…!)

 

 

現実を受け入れ、体重計を元の場所に戻してから小咲は鏡の前に立つ。

両頬をぐにぐにいじりながら、自分の姿を確認する。

 

正直、見た目的にはあまり変わっていないような気がする。

だが、先程も春に言われたことを思い出す。

 

 

(そう思ってるのは、私だけなのかな…。人から見たら、このお腹は大変なことになって見えるのかな!?)

 

 

自分のお腹を見下ろしながら思う小咲。

 

もしかしたら陸にも、そういう風に見られているとしたら…、思われているとしたら…。

 

 

(大変だ…!すぐに何とかしないと…!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…小咲の様子がおかしい?」

 

 

昼休み、陸は自分のクラスに来た楽の言葉を聞いて目を丸くする。

 

 

「いや、おかしいって言うけどさ。どこをどう見ておかしいって感じたんだよ」

 

 

「んー…。どこがって聞かれると…。あ」

 

 

陸が小咲の様子の変化について楽に聞くが、楽は両目を虚空に見上げて考え込んでいる。

 

いや、様子がおかしいって思ったのにどこがおかしいのかわからないのか。

 

陸がツッコミを入れようとしたその時、楽は口を開いた。

 

 

「お腹が鳴ってた」

 

 

「…は?」

 

 

「いや、だからさ。お腹が鳴ってた」

 

 

「…それはつまり、小咲はお腹を空かせてるってことか?」

 

 

陸の問いかけに、楽はおう、と返事を返す。

 

うん、ますます意味が分からない。

 

取りあえず楽は言いたいことを言えたからか、次の授業が体育だという事もあり教室へと戻っていった。

 

 

(ていうか、寝坊して朝ギリギリになって飯食えなかったんだろ?それがどうしたんだよ)

 

 

小咲の様子について考える陸。

それとも、他に何か理由があるのだろうか?

 

 

(…もしかして、ダイエット?)

 

 

瞬間、かちりと歯車が合う。

 

確かに、それだと一番しっくりくる。

 

寝坊をしたと先程考えたが、小咲が寝坊をするとは少し考えにくい。

だとしたら、ご飯を食べることを戸惑わせることがあったという事なのだが…、ダイエットだと考えると全てがしっくりくる。

 

 

(いやでもそれだと…。正直、なにもできないよな…)

 

 

女の子には色々ある。男は全く気にしないことでも、女の子にとっては大問題である。

ましてや、体重のことなど…、男からその話題に触れることはタブーだ。

 

今回ばかりは本当にどうすることもできなさそうだ。

 

ともかく、昼休みも終わり五限目。陸のクラスの授業は数学だ。

 

 

(…あ、楽のクラスの体育、ソフトボールかよ。くそ、羨ましい…)

 

 

陸は何と、この学年になって初めの席替えで窓側の一番後ろの席を掴み取っていた。

昨年に陸と同じ暮らしだった男子たちからは不正だ不正だと騒がれはしたが、結局陸はそのまま天国にも等しい席で悠々自適に学校生活を送っている。

 

そんな陸が不意に窓の外に視線を向けると、グラウンドで体育をしている楽たちのクラスの男子たちの姿があった。

楽たちはソフトボールをやっていた。

 

野球好きな陸としては、物凄く楽を羨ましく思えてしまう。

 

 

「じゃあこの問題を…、一条。解いてみろ」

 

 

「…あ」

 

 

楽しそうにソフトボールをする楽たちを眺めていたのだが、教師に当てられてしまった。

さらに、ご丁寧にも教師は手招きしている。黒板に書けという事だ。

 

 

(うわ、めんどくせー…)

 

 

指数関数を使った、まあそこまで難しい問題ではないのだが。

わざわざ黒板に行く羽目になるとは。

 

黒板へと向かう陸を見る友人たちの目は、面白がっているようにしか見えない。

 

授業が終わったら、絶対にしめると心に誓いながら陸はチョークで黒板に数字の羅列を描いていくのだった。

 

 

「おいてめーら、先生に当てられた俺を見て笑ってたな」

 

 

「そ、そんなことないぞ?むしろ一条の事かわいそーだなーって思ってただけだ」

 

 

「そうだぞ?別にざまあみろなんて思ってないからな?」

 

 

「なるほどざまあみろって思ってたのか」

 

 

「お、お前…!余計なことを…!」

 

 

うん、やっぱりしめよう。

 

改めて心に決め、友人たちの頭に両手を伸ばそうとした…その時だった。

 

 

「陸!」

 

 

バン!と勢いよく扉が開かれた音と同時に、誰かが大声で陸を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

突然の騒音に、即座に振り向いた陸の視線の先にいたのは、

 

 

「楽?」

 

 

昼休みに教室に来たばかりの楽だった。

楽は、何故かはわからないが息を切らしながらずかずかと教室に入ってくる。

 

 

「何だよ楽。今度は何の用だ?」

 

 

あれ?怒ってる?

 

俯いて、顔が見えない楽の様子が尋常じゃない。

焦っているようにも見えるし、怒っているようにも見える。

 

 

「小野寺が倒れた」

 

 

「…は?」

 

 

 

「体育の授業中に、小野寺が倒れた。今、保健室にいる」

 

 

陸の頭の中が、真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん…んー…」

 

 

目を開くと、すぐに真っ白い天井が視界に入る。

 

ふと窓があることに気付き、そして赤みがかった日光が見えることからすでに夕方に差し掛かっていることにも気づく。

 

 

(そうだ…。私、体育で…。泳いでたら、急に意識が…)

 

 

体を起き上がらせる。

すぐに周りを見回して、今いる所が保健室のベッドの上だという事を理解する。

 

そう、ベッドの上で寝ていたのは体育で倒れたという小咲である。

五限目で倒れてから約二時間近く、小咲は保健室のベッドで眠り続けていたのだ。

 

 

(先生、いない…。来るまで待とうかな?)

 

 

「…あれ、起きてたのか?」

 

 

保健の先生が今いないことに小咲が気づいた直後、保健室の扉が開かれた。

先生が戻って来たのかと思った小咲が目を向けると、扉を開いた人物は起きている小咲を見て口を開いた。

 

 

「り、陸君!?」

 

 

「まったく、倒れたって聞いて焦ったぞ?特に熱もないし、貧血だろうってさ」

 

 

陸は扉を閉め、小咲に歩み寄ると手に持っていたボトルのお茶を手渡す。

 

 

「あ、ありがと…」

 

 

小咲は陸からお茶を受け取り、お礼を言う。

 

 

「春ちゃんも心配してたぞ。『私が看病するんです!先輩は引っ込んでてください!』

て、騒いでたし。でも何か、お母さんに呼ばれたみたいで、めっっっちゃ渋々帰ってったけど」

 

 

「…ふふ」

 

 

陸が言っていた光景が目に浮かぶ。小咲は思わず笑みを零してしまう。

 

 

「さてと、小咲。俺は今、怒ってる」

 

 

「え?」

 

 

直後、陸が無表情のままだがそんなことを言いだした。

小咲は笑みを収め、目を丸くして陸の顔を見上げた。

 

 

「理由、わかるか?」

 

 

「…ううん。わからないよ…」

 

 

何か陸を怒らせるようなことをしただろうか。

昨日の夜、思いつきたくないことは散々思いついたのに、本当に思いつきたいことは全く思いついてくれない。

 

何をしたのだろう。自分は、何をしてしまったのだろう。

 

 

「小咲さ、朝ごはん食べてないだろ。後、五限目に倒れたってことは昼も抜いたか?」

 

 

「(びくんちょ!)」

 

 

ザ・図星。

小咲はこれでもかとばかりに体を大きく震わせる。

 

 

「ったく…。別にダイエットを止めようとは思わないぞ?小咲にだって…まぁ、言いたかないけど事情はあるんだし。でもさ、倒れるまで自分の体いじめるなんて何考えてんだよ」

 

 

「…」

 

 

普通、女子がしているダイエットが男子にばれた場合、相当恥ずかしい思いをするのだろう。

 

だが今の小咲は、恥ずかしい所かむしろ悲しさすら感じている。

自分が蒔いた種が、まさか陸にまで心配を及ぼすことになるとは。

 

 

「大体ダイエットする必要あんのかよ…。むしろちゃんと食べてんのか心配になる暗い細いぞ」

 

 

「え?」

 

 

顔を俯かせて沈んでいた小咲だったが、今の陸の言葉を耳にしてすぐに顔を上げる。

 

 

「あ、あの陸君。今、何て…」

 

 

「は?」

 

 

目を丸くして問いかける小咲に、訝しげな表情を浮かべて目を向ける陸。

 

 

「何てって…。ちゃんと食べてんのか心配になるくらい小咲は細いって…」

 

 

「っ」

 

 

「ちゃんと食わねーからぶっ倒れんだぞ?次からは注意しろよ、ったく…」

 

 

陸がため息を吐きながら何か呟いているが、今の小咲には聞こえていなかった。

 

何しろ陸は、自分の事を細いと言ったのだ。

昨日、体重が増えたはずの自分を。その自分を、細いと。

 

 

「それともなんだ?食事が喉を通らないくらい深刻な悩みでも抱えてんのか?…もしそうなら、相談に乗るぞ?」

 

 

先程とは打って変わって、心配そうな顔を浮かべて問いかけてくる陸。

 

 

「…ううん、大丈夫。もう、解決したから」

 

 

「え?」

 

 

何だ、悩む必要なかったじゃないか。

一番、そう思ってほしくなかった人は、全く違うことを思っていた。

 

 

「…ちなみに、悩んでたことって何だったんだ?」

 

 

「ふふ…。秘密です」

 

 

何処か拍子抜けした表情をした陸が、問いかけてくる。

 

小咲はそんな陸の目をまっすぐ見つめ返してから、人差し指を唇に当て、にっこり笑って首を傾げながらそう答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後の小咲の仕草、物凄く書きたかった。
それだけで、私は満足した。


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第64話 タスケテ

後悔してない。後悔してないからな。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六月十四日の朝。陸はタオルケットをどけて体を起き上がらせる。

そして両腕を上げ、思いきり伸びをする。五秒くらいそのままでいると、一気に脱力させる。

陸だけでなく、ほとんどの人は朝起きた直後にこれをして目を覚まさせるだろう。

 

 

「ふぁ…。んー…」

 

 

陸はあくびをしながら立ち上がり、目をこすりながらふとカレンダーを見る。

 

今日の曜日を確かめて、頭の中でその曜日に割り当てられた授業の時間割を思い出す。

 

 

(今日は数学に生物…、それに変更とかで化学まであるんだっけか。最悪だ…、理数系科目勢揃いじゃねーか…。ん?)

 

 

今日の時間割を思い出して、気分が沈んでしまったその時、カレンダーの明日の日付に赤いペンで丸が付けられていることに気付く。

 

その日に何かあっただろうか?考え込みながら、陸はカレンダーに近づいてその日付に何があるのかを確認する。

 

 

「…ぁあああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

カレンダーに書かれていることを目にした時、ほんの少し残っていた眠気が一気に吹き飛んでしまう。

 

 

「ぼ、坊ちゃん!?」

 

 

「な、何かあったんですかい!?」

 

 

陸の大声に反応した、組の男たちが慌てて部屋に駆け込んでくる。

 

陸は、カレンダーの前で頭を抱えて立ち尽していた。

 

そして、陸の視界。赤い丸が付けられていた六月十五日。

そこにはしっかりこう書かれていた。

 

<小咲の誕生日>と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「春ちゃん、折り入って頼みがあるんだ」

 

 

「お断りします」

 

 

昼休み。陸は二階にいた。

先程のセリフで分かる通り、春を探すためだ。

そして、廊下を歩いていた春を見つけて話しかけ、頼みがあると言ったのだが…。

頼みの内容も聞かずに断られてしまった。

 

 

「え、内容も聞かずに?」

 

 

「どうせろくでもない事でしょう?」

 

 

「いや、そんなのじゃないけど…」

 

 

本当に、春との距離は少しずつ近づけているとは思うが未だ自分への印象は改善し切れていない。

いやでも、そんなことで諦めるわけにはいかない。

去年は気づいた時には日付は過ぎていて、時間がなく慌てて買いに行ったのだが今年な違う。

気付いたのは前の日。目的を果たすには時間は十二分にある。

 

 

「明日、小咲の誕生日だろ?だから、プレゼント選びに来てほしいんだけど…」

 

 

「プレゼント選び、ですか?」

 

 

何でそんなに拍子抜けしたような顔をするのだろう。

自分が何か鬼畜な頼みごとをするとそんなに思っていたのだろうか。

 

 

「そりゃ私も放課後に選びに行く予定でしたけど、それならるりさんに頼めばいいじゃないですか」

 

 

「頼みに行ったさ。行ったんだけど…、『小咲と行けばいいじゃない』って意味不明な事を言われて断られた」

 

 

あの時は目が点になった。小咲の誕生日プレゼントを選びに行きたいと言っているのに、何で小咲と行けばいいじゃないという答えになるのか。

全くもって意味が分からなかった。

 

 

「頼むよ。一人じゃ小咲が喜びそうな物、見当が付かないんだ」

 

 

去年は即興でハンカチを買ったが、本当ならもっとしっかりしたものを買いたかった。

今年こそはという思いがある。だから、春には何としても一緒について来てほしいのだが。

 

 

「んー…。いや、でもなー…」

 

 

手を顎に当て、考え込んでいる春。迷っているのがわかる。

少し前までなら、即答で否定されていただろう。

 

だがこれならば…、もうひと押しすればいける!

 

 

「なぁ、大麻呂デパートって品揃えもよくてプレゼント選びには最適だと思わないか?」

 

 

「は?」

 

 

春の目が丸くなる。

何を言ってるんだこいつ、という目をしている。

 

 

「そういえば、確か今、和菓子フェアというものをやっていたような…」

 

 

「っ」

 

 

ぴくりと春の体が震える。これは…どうだ?

 

 

「待ち合わせはどこにします?」

 

 

「現地で」(早ぇなおい…)

 

 

和菓子に携わっているから、釣れるとは思っていたが…あまりの即答で頼んだこちらが驚いたほどだ。

 

陸の想像以上に春の和菓子好きは相当のものだったという事だろう。

 

 

(ふぅ…。何とか味方になってもらえたか…。これで、プレゼントについては百人力だな)

 

 

何はともあれ、春の協力を得た陸は、理数系科目三連星を乗り越えてから大麻呂デパート前に立っていた。

そう、春との待ち合わせの場所に。

 

 

「ぎりぎり間に合ったな…。でも、春ちゃんはまだみたいだな」

 

 

待ち合わせに決めた時間は四時半。今、丁度その時間になったのだが春は未だ来ていない。

 

陸は往来を歩く人たちをぼーっと眺めながら春が来るのを待つ。

 

 

「先輩、こっちでーす!」

 

 

待ち合わせ時間から五分ほど過ぎたくらいだろうか、スクールバッグを肩にかけた春がこちらに駆けてくるのが見えた。

春は陸の前で立ち止まって、あろうことかこう口にする。

 

 

「先輩、五分遅刻です」

 

 

「…君がな」

 

 

「少し迷いました」

 

 

自分が遅刻したかのように言う春だが、遅刻したのはその春である。

その事は忘れないでほしい。

 

 

「あの、条件は覚えてますよね?プレゼント選びには協力しますが、プレゼント以外は全部先輩の奢りですからね」

 

 

「はいはい、分かってますよ…」

 

 

和菓子フェアというイベントを餌にして春という協力者を釣った陸だったが、あの後さらに条件を付けられたのだ。

それが、春が言ったプレゼント以外は全部先輩の奢りというもの。

 

つまり、イベントで買う和菓子は全て陸がお金を払わなければならない。

 

まぁそれでも、陸の貯金にはあまり響かないから別に良いのだが。

 

 

「小咲ってどんなもの貰うと喜ぶかね?」

 

 

「さぁ…。私はいつも自分の好きな物あげてますけど」

 

 

「ほう…。春ちゃんは今年何あげるんだ?」

 

 

「今年は服を上げようと思ってます。好みの物が見つかるといいんですけど」

 

 

春は取りあえずの見当は付けている様だ。

自分は何を買おうか…。まずは雑貨屋に行くことにした。

 

ぬいぐるみなどが並んでいる棚の前で、良さそうなものを探す。

 

 

「あ、先輩。この蛇のおもちゃなんてどうですか?」

 

 

「…春ちゃん、真面目にやってくれ」

 

 

ついて来てくれたはいいが、あまり協力的じゃない。

あの時のエサに釣られただけで、本当に協力しようと思ってついて来たわけじゃないのはわかるから別に怒りはしないが…、少しくらい協力してくれたっていいじゃないかと文句を垂れそうになってしまう。

 

 

「…それにしても、ずいぶん真剣にプレゼントを選びますね」

 

 

「え?あぁ、まぁ…。友達のプレゼントだぞ?真剣に選ぶのは当然だろ」

 

 

何やら疑わし気な視線を向けながら問いかけてくる春に答える陸。

 

 

「ふーん…」

 

 

それ以上追及してくることはなかったが、あまり納得していない様子。

だがこういう場合、こちらから何か言うともっと疑わしく思われてしまうのは簡単にわかるから特に何も言わない。

 

 

「…さて、大体目は通しましたし、絞り込むのは後にしてお楽しみといきましょう!先輩、ジャンジャン奢ってもらいますから!」

 

 

「おう、どんと来い!」

 

 

待ち合わせ時間ぎりぎりになってしまったのは理由がある。

陸は大麻呂デパートに行く途中、銀行に寄っていたのだ。もちろん、お金を引き出すために。

春が遠慮しないのは目に見えている。今、陸の財布にはそれなりの金額が入っている。

 

 

「…」

 

 

ふと見ると、春はたくさんの屋台を目の前にして頬を緩めてウキウキしている。

頭の中で、何から食べに行こうと考えているのが簡単に悟れる。

 

 

「おーい、買ってきたぞー」

 

 

このまま放っておいたら、どれくらい時間がかかるだろう。

想像がつかないため、春が「うふふふ」と笑いながら悩んでいる中、陸はさっさと春が好きそうなものを売っている屋台に行って菓子を買ってきた。

 

 

「あ!何を勝手に…!私にも好みってものがですねぇ…!」

 

 

春の文句は、陸が買ってきたものを口にした瞬間に止まった。

 

 

「先輩!これはどこで…!」

 

 

「あの角の饅頭屋」

 

 

「案内してください!」

 

 

相当お気に召したらしい。

 

うん、正直に言おう。後に、ここから先の事を陸は思い出そうとしても思い出すことができなかったという。

 

 

「こっちの羊羹もうまいぞ!」

 

 

「すぐ行きます!」

 

 

「先輩!ここの葛餅どうです!」

 

 

「ぬっ、やるじゃないか!」

 

 

「春ちゃん、次はこれを!」

 

 

「先輩、次はあれを!」

 

 

「次は…」

 

 

「次は…」

 

 

「次は…」

 

 

気付けば、フェアをやっているエリアに置いてあるテーブルの上にたくさんの和菓子が並べられ、陸は春と対峙していた。

 

 

「ふふ…、やりますね先輩。先輩のおすすめはどれもなかなかどうして…」

 

 

「春ちゃんこそ…。君のおすすめはどれも俺の好みを突いてくる…」

 

 

まるで、相対する好敵手。

互いに疲労困憊になりながらも、好戦的な表情は崩さず、笑みさえ浮かべながら睨み合う。

 

…いや、どうしてこうなった?

 

 

「しかし、俺と春ちゃんの好みって似てるよな。ホント、笑えて来るくらい」

 

 

思わず、笑みを零しながら言う陸。

 

 

「なっ…」

 

 

それに反して、春の顔色は真っ青に悪くなる。

 

 

「似てません!誰が先輩なんかと!」

 

 

「そこまで、嫌か…?」

 

 

「全力で否定しますっ。さっきとかお店の人になんて言われたと思います?『デートですか?』ですよ?屈辱です!」

 

 

「…」

 

 

屈辱…。そうか、屈辱ですか…。

何か、悪い印象を持たれていることは自覚しているし、理由も身に覚えがあることなのだが…、屈辱か…。

流石に少しショックだ。

 

 

「まぁ、十分堪能させてもらいました。その事だけはお礼を言います。でもそろそろ、プレゼントを決めちゃいましょうよ。私もいつまでもあなたと一緒にいたくありませんし」

 

 

「…」

 

 

追い打ちを受けた。

さらに、春は陸の返事を待たずにさっさと行ってしまった。

 

 

「…あれ?そういえば、春ちゃんは今年は服を買うって…、ちょ、春ちゃん!そっちは服屋と逆方向だぞ!?」

 

 

陸も自分の分を探そうかと思ったのだが…、そういえば待ち合わせの時も少し迷ったと言っていたのを思い出す。

まさか春は…、重度の方向音痴なのではないだろうか。

 

どうやら、別々で選びに行くという事は出来ないらしい。

 

 

(まぁでも、俺も服屋で何か選ぶって言う選択肢もあるよな。もちろん、春ちゃんとはジャンルが被らないものを)

 

 

春を服屋へと連れて行った後、今度こそ春と別行動に入る。

流石の春も、この狭い範囲で迷うという事はないだろう。

 

 

(んー…。何が良いだろ…。ここから選ぶ…いや、もしここで選ぶんだったらまず春ちゃんが何を選ぶかわからないとどうしようもないな…)

 

 

ていうか、二人から服を渡されるのも小咲からしたら困るのではないだろうか?

 

 

(…やっぱり別の場所で探そう。でもそしたら、方向音痴のはるちゃんを置いてくという事に…)

 

 

どうしよう。

…いや、前にも実感したが女の子の買い物は相当長い。

春ちゃんも、プレゼントを決めるまで時間がかかるのではないか。

 

そう考えた陸は、春に一言声をかけて別行動することに決める。

 

 

(春ちゃんは…、ん?)

 

 

春を探す陸。だが、その時、陸はある光景を見た。

その光景とは───────

 

 

 

 

 

 

(何で…、何でこんなことになってるんだろ…)

 

 

春の目の前には、頭を金髪に染め、両耳にピアス、さらにズボンを腰辺りにまで下げたガラの悪い男が立っていた。

 

今、春がいる場所は試着室。

良さそうなものを選び、自分を使って小咲に似合うかどうかイメージしようとしたのだが…、試着室のカーテンを閉め忘れるというミスを犯してしまった。

カーテンを開けたまま、春は服を脱いでしまい、さらにそれをガラの悪い男に見られてしまい…。

 

 

「なぁ、男を誘ってたんだろぉ?ほら、お望み通り来てやったからさぁ」

 

 

「ひっ…」

 

 

下卑た視線を向けてくる男に、思わず小さく悲鳴が漏れてしまう。

 

叫べばきっと、誰か助けに来てくれるのだろうが、背後に回り込んだ男に口を塞がれそれをすることができない。

この光景を誰か見ていないのだろうかと願ってみると、ご丁寧なことにカーテンは閉められている。

 

 

「ったく、んだよ嬢ちゃん。自分から誘っときながら、脱がさせようってか?へへっ…、好きだぜそういうの」

 

 

「っ!?」

 

 

違う。そんな訳ない。誰があんたなんかと。

 

そう言いたい。言いたいのに…、口が塞がれて言うことができない。

いや…、たとえ口を塞がれていなくてもできなかったかもしれない。

何故なら、今の春は足が震え、両手も震え…、恐怖で口も上手く動かせるような状態じゃないから。

 

 

(助けて…)

 

 

だから、今の春は願う事しかできない。

 

 

(助けてよ…)

 

 

誰かが、助けに来てくれることを。

 

 

「へへっ…」

 

 

(助けてっ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人の連れに、何やってんの?」

 

 

シャッ、とカーテンが開く音。その直後、ついさっきまでずっと聞いていた、覚えたくもないが覚えてしまった少年の声。

 

 

「あぁ!?んだよてめぇは!」

 

 

「いや、何だよって。その娘の連れだけど」

 

 

「ふざけんな!消えろ!」

 

 

「いやいやいや、何言ってんのあんた。頭沸いてんの?」

 

 

(この声…)

 

 

自分の口を塞いでいる男と言い争っている相手。

 

 

(せ、先輩…?)

 

 

「あのさ、今あんたがしてることわかってんの?犯罪だよ?今その娘から離れてくれたら黙っててやるからさ」

 

 

「はっ、何だよてめぇ。脅してるつもりかよ?」

 

 

「脅してるも何も…」

 

 

「舐めんじゃねえぞ!?あぁ!?」

 

 

「えぇ~…」

 

 

全く話が通じない男。

目に見えて呆れている陸。

 

 

(…?)

 

 

ため息を吐いている陸。だが、よく見ると春の方を見て何かをしている。

 

唇を開け、閉めた歯を指さしている。

 

 

(…あ)

 

 

陸の意図を察する春。

確かに、それくらいならできるかもしれない。

 

 

「あぁ、もういいからてめぇ消えろ!俺ぁこの彼女と帰るからよ!」

 

 

「いやだからその娘は俺の連れだって言ってんじゃん…」

 

 

「そんなくだらねえ嘘吐いてんじゃねえぞ!?証拠はあんのか証拠hっ、いてぇ!!」

 

 

陸と男が再び言い争い始める中、春は口を塞いでいる男の手に思い切り噛みついた。

 

叫び声を上げながら、男は手を春の口から離す。

途端、弾かれたように春は男から離れ、陸の方へと突っ込んでいった。

 

 

「先輩!」

 

 

「おっと…」

 

 

陸の胸に飛び込む春。

普段の春ならば絶対にしない行動だが、今の春はそれどころでないほど混乱している。

 

陸もそれが分かっているからか、何も言わずに胸の中にいる春の頭にそっと掌を置くだけに留める。

 

 

「てっめぇ…!もうキレた…。てめぇら二人共、ただじゃおかねえ!」

 

 

「へぇ…、ただじゃおかない、ね」

 

 

「先輩…?」

 

 

陸は何をしているのだろう。

もう、後は店の人達に任せて逃げればいいのに。

 

男は気づいていないのか、この騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってきている。

店の人も、何故か陸の後ろであたふたしている。

 

 

「…いい加減にしろよ」

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

「キレたいのはこっちなんだよ。大切なプレゼント選びを邪魔されて、大切な人の妹を泣かせて…。今すぐにでもお前のその顔握りつぶしたいくらいなんだよ」

 

 

直後、陸の腕が伸び、その掌は男の顔を掴み、握りしめる。

 

 

「あが、あがががががががが」

 

 

「でもさ、そんなことしたら俺の手が汚れるじゃん?ただでさえ滅茶苦茶汚れてんのにさ、もっと汚れちゃうじゃん?いや別に汚れるのは良いんだけどさ、お前のきったねぇ血でだけは汚したくないんだよね」

 

 

「あががががががががが!!」

 

 

相当痛いのだろう。男の両目からは涙が、鼻の両穴からは鼻水が止めどなくあふれ出す。

 

 

「どいてくれ!ここを通してくれ!警察だ!」

 

 

「…ようやく来たか」

 

 

すると、陸と春の背後から騒がしく男の声が聞こえてくる。

振り向けば、そこには警察官が人ごみを掻き分けてこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 

 

「ほら、お迎えだ。しっかり逮捕してもらえ」

 

 

「ひ、ひゃい…」

 

 

先程までの威勢はどこへやら。陸の掌から解放された男は座り込み、陸の言葉に素直に返事を返した。

 

 

「さて…。どういう状況かね、これは?」

 

 

「えっと…。この娘が被害者です。で、そこに座り込んでるのが加害者。で、加害者を動けなくさせたのが俺です」

 

 

「そ、そうか…。と、ともかく君、交番で話を聞かせてもらうよ」

 

 

陸から事情を聞いた警察官。加害者と聞いたガラの悪い男がガタガタと震えている理由が気になるのか、ちらりと陸を見遣るがまずは男を立ち上がらせる。

 

 

「君たちにも話を聞きたいんだが…、大丈夫かい?」

 

 

「…こっちは無理そうです。俺だけじゃダメですか?」

 

 

「…まぁ、今日の所は良いだろう。そっちの娘からは後日という事でいいかい?」

 

 

「…」

 

 

この事態に関わった三人から事情を聞こうと警察官が聞いてくる。

陸はすぐに答え、春も少し間が空いたものの頷いて答える。

 

 

「じゃぁ、君も来てくれるかい?」

 

 

「待ってください。まずは事態を報せて、家族が来てからでいいですか?さすがに放っておいたまま行けないです」

 

 

「…そうだな」

 

 

素直な警察官で何よりだ。

 

ともかく、陸は携帯を取り出して小咲に連絡を入れる。

事情を説明すると、小咲はすぐに小咲母と一緒に迎えに行くと答えてくれた。

 

 

「…春ちゃん、今から小咲とお母さんが迎えに来てくれるって」

 

 

「…はぃ」

 

 

か細く答える春。どれだけの恐怖を感じたのか、容易く察することができる。

 

小咲と小咲母が来たのは、陸が電話をしてから二十分ほど経った時だった。

二人は息を切らせながら春の元へと駆け寄り、その腕で力一杯春を抱き締める。

 

 

「春!春!」

 

 

「大丈夫だった?怪我はない?」

 

 

「うん…。先輩のおかげで…」

 

 

小咲と小咲母がこちらに向かっている間に、春は服を着ていた。

いつまでも下着姿ではさすがに本人としても嫌だろう。

 

 

「…お姉ちゃん。…お母さんっ」

 

 

春の両目から涙がこぼれる。

家族が来たことで、安堵感に包まれたのだろう。

 

陸に助けられたことで、一応の警戒は解かれたようだがやっぱり家族というのは違うのだろう。

 

春の表情から、恐怖が消えたのが分かる。

 

 

「坊や…。本当にお礼を言うわ。春を助けてくれてありがとう」

 

 

「陸君…!本当にありがとう…!」

 

 

春を抱きしめたままだが、小咲と小咲母が陸にお礼を言う。

 

 

「いえ、こちらこそ…。春ちゃんから目を離したからこんな事になって…、申し訳ありませんでした」

 

 

「そんなことないよ!もし、陸君がいなかったら…、今頃どうなってたか…」

 

 

陸からしたら、むしろ春をこんな目に遭わせて責任を感じていたのだが…。

小咲がそんなことないと、本当にありがとうと陸に言う。

 

 

「ともかく、早く春ちゃんを家に連れて帰やれ。春ちゃん、凄く疲れてるだろうし」

 

 

「うん…。陸君、本当にありがとう」

 

 

もうこれで何度目かのお礼を言う小咲。

 

 

「坊や。いつか絶対にお礼するわ。楽しみにしててね」

 

 

「いや、別にそんな…」

 

 

小咲と小咲母が春と手を繋ぎ、春が真ん中になる並びで歩き出す。

 

 

「陸君、また明日ね!」

 

 

「おう、また明日!」

 

 

「…」

 

 

陸と小咲が挨拶を交わす中、春はちらりと陸を見遣っていた。

 

春が見ている中、陸はここまで待っていた警察官と話し、そして春達とは別の方向に歩き出した。

 

 

「っ」

 

 

陸の背中を目にする春。瞬間、何かが陸の背中と重なった。

 

 

(…そんな、こと…、あるわけないよね)

 

 

陸の背中が、一体何と重なったのか。

それは、春以外知る由もない事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、ようやく終わったか」

 

 

とっくに夜も更けた時間。警察官との話を終えた陸は交番から出ていた。

 

 

「坊ちゃん!」

 

 

「おう、竜。迎えに来てくれたのか」

 

 

交番から出る直前に、家に迎えを頼んでおいたのだがまさか竜が来るとは思っていなかった。

 

竜は陸を迎えに行くために使ったリムジンの扉を開ける。

陸は竜が明けた扉から車内に入り、柔らかな椅子に体を沈める。

 

 

(しかし…、本当に春ちゃんが無事でよかった。気づくのが遅れてたら、マジでやばかったな)

 

 

リムジンに竜が乗り込み、運転手が車を動かしたのを振動で感じながら内心で安堵する陸。

 

 

(後…、俺、ずいぶん恥ずかしいこと口にしちまったなぁ…)

 

 

それと同時に、自分が口にしたあることを思い出す陸。

 

 

(…やっぱ、そうなのかね?)

 

 

ずっと考えていたことなのだが、やっぱりそうなのだろう。

自分には、そんな資格などないというのに。やはり、理屈ではないという事か。

 

 

 

 

 

 

恋というものは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




唐突じゃね、とツッコみたくなる人がいらっしゃるかもしれません。
でも一応、フラグは撒いたつもりだったんですけどね。
あの時とかこの時とかあれとかこれとか。

しかし、陸君が自覚したはいいですが本人はその気持ちを打ち明けるつもりは全くありません。これからも隠し続けます。
なので、小咲ちゃんにはもっと頑張ってもらわねば…!

あ、あと、春ちゃんごめんなさい。m(__)m
でも、原作で見てると何でこうならないんだろうって思ってしまったんです。
前書きにもある通り、後悔はしてません!

うわぁ、これから来るであろう感想が怖いよぅ…。


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第65話 ヨウスハ

オリキャラ…ていうか、いつになったら原作で出てくるのか。
待ちきれずにこちらで出してしまいましたが…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が襲われたという事件の翌日。その日も普通に普段通りに学校では授業が行われる。

勿論、陸も例外ではなく、教室で特に面白みもない授業を受けていた。

 

 

「じゃあ、全員気を付けて帰ろよー。部活の人も怪我なくな」

 

 

そして今、帰りのホームルームを終え、掃除をするグループのために全員がそれぞれの机と椅子を後方へと下げる。

 

 

「さて、と…。…いた」

 

 

陸も自分の机と椅子を下げて、カバンを肩に下げて教室から出ると辺りを見回した。

そうして陸は友人と話している目的の人物へ歩み寄る。

 

 

「小咲」

 

 

「あ…、陸君?」

 

 

陸が探していた人物は小咲の事だった。

小咲の隣にはるりがいて、二人で何を話していたのか気にならないわけではないが、ここでそれを聞くほど陸はKYではない。

 

 

「あのさ、えっと…。春ちゃんの事なんだけどさ…」

 

 

「あ…。うん、ちょっと待ってて?」

 

 

春の名を口にするだけで、陸が何を話そうとしているのかを察する小咲。

るりに、少し外すと伝えてから陸の隣まで来て、二人は少し離れた所まで行く。

 

 

「…で、早速だけどさ。春ちゃんはどうしてる?大丈夫なのか?」

 

 

単刀直入に、気になっていることを問いかける陸。

昨日、警察に事情を話している途中からずっと気になっていた。春は今、どうしているのだろうと。

 

 

「うん…。平気そうにはしてるけど…、ちょっと無理してるみたい。今日は無理やり学校を休ませたの」

 

 

「…そっか」

 

 

どうやら、春は大事をとって今日の学校を休んだようだ。

まぁ昨日あんな事に巻き込まれてしまったのだから、当然と言えば当然なのだろう。

 

 

「…なぁ、帰りに小咲の家に寄っていっていいか?」

 

 

「え!?え…、ど、どうして?」

 

 

「ほら、春ちゃんのこと気になるし。…小咲や小咲の母さんはああ言ってくれたけど、それでも春ちゃんには謝らなきゃいけないから」

 

 

陸が家に寄りたいと言うと、小咲の顔が真っ赤になる。

どうした、と気にはなったが、理由を問われた陸は今の自分の心境を正直に答えた。

 

すると、紅潮していた小咲の頬がすぐに色は収まり、表情も締まる。

 

 

「あれは陸君のせいじゃ…」

 

 

「いや、そう言ってくれるのは嬉しいし、一番悪いのはあのくそ野郎だってこともわかってる。それでもさ、春ちゃんには一言謝るべきだと思うんだ」

 

 

陸は悪くないと言い続けていた小咲が口を噤む。

 

他が何を言っても、自身がそうと決めたのならどうすることもできない。

特に陸はそういう所は頑固だ。それを、小咲はよくわかっていた。

 

 

「…わかった。ちょっと待ってて。すぐに鞄持ってくるね?」

 

 

「あ、いや。そんなに急がなくても…」

 

 

小咲が急いで、教室の前廊下の壁際に置いていった鞄を急いで取りに行く、

陸からしたら別にすぐに行きたいという訳ではなく、少し顔を出すだけのつもりだった。

 

陸は急がなくても良いと伝えようとしたのだが、小咲はすぐさま鞄の所まで行ってしまい、それを伝えることができなかった。

小咲はるりに何か一言かけ、返事を受けてから陸の方へ戻ってくる。

 

 

「お待たせっ、じゃあ行こっ?」

 

 

「…あぁ」

 

 

何か学校でやりたかったことはないのか。

友人とまだ話し足りなかったりしないのか。

 

少し気になった陸だったが、特に小咲に未練があるようなそういう様子は見られない。

 

もし小咲が何かやり残したことがあるという未練があったとしたらその事を言ってくれるだろうし、それを隠していたとしても隠し事が苦手な小咲の事だ。すぐにわかる。

 

そうして、校舎の外に出た陸と小咲。

…生徒玄関に行く途中、「そこのべっぴんさん!おいの女にならんと!?」という騒がしい声が聞こえてきたが、気にしない。

 

小咲が微妙に汗をかいていたような気がするが、それは気のせいだろう。

 

 

「陸君、あれから帰りは何時頃になったの?」

 

 

「んー…。家に着いたのは九時ちょっと前位かな…。思ったよりも早く解放されたしな」

 

 

昨日の帰宅した時間を小咲に問われて答える陸。

 

昨日はあれから、警察に交番に連れてかれ、話を聞かれた、

しかし、陸は関係こそあるものの加害者でも被害者でもなく、どちらかというと目撃者という立場に近かった。

なので、発端はよくわからず、それでも予測をして店内の監視カメラに映っているのではないかと警察官に言った。

 

それから、警察が店内の監視カメラの映像を調べる時間があり、その間陸はずっと椅子に座ったまま待ち続け…、待つこと一時間、証拠の映像を手に入れたという事でようやく解放されたのだ。

 

 

「そんなに…。ご、ゴメンね。本当は私たちが何とかしなきゃいけないことだったのに…」

 

 

「いや、小咲は春ちゃんの傍にいなきゃダメだっただろ。あれは俺が行くのが一番正解だったって」

 

 

何で小咲が謝ってくるのか。

確かに被害者である春と小咲は血縁関係にあるものの、事件に関しては全く関係はない。

口にはしないが、あそこで小咲が警察についていっても逆に困ることになっていただろう。

 

陸も言っていたが、あそこは陸が行くのが一番正解だったのだ。

 

 

「もう過ぎたことだしさ。俺の事は気にすんなって。小咲が気にするべきなのは、俺の事じゃないだろ?」

 

 

「…うん」

 

 

そう。小咲が気にするべきことは、心配するべきことはこんな事ではない。

もっと気に病んで、傷ついている人を、家族が小咲にはいるのだから。

 

 

「ただいまー」

 

 

「お邪魔します」

 

 

そこからは他愛ない会話をして、気づけば小咲の家の前に着いていた。

 

まず小咲が鍵を開けて扉を開き、陸を中に招く。

陸が初めに玄関に入り、続いて入ってきた小咲が扉の鍵を閉める。

 

陸は履いていた靴を脱ぎ、向きを整えてから小咲が来るのを待つ。

小咲も靴を脱いで床に上がり、陸の一歩先に出て会談へと足を向ける。

 

 

「あ、お帰り小咲」

 

 

すると、廊下の奥。お店がある方から男性の声が聞こえてきた。

二人がその方向に顔を向けると、そこには優し気な面持ちをした男性が立っていた。

 

 

「あれ…。その人は?」

 

 

「この人は一条陸君。中学からの友達なの。あ、陸君。こちらは私のお父さん」

 

 

「おとう…さん?」

 

 

小咲母とはまた違った顔立ち。

先程も描いたが、この男性は優し気な顔立ちをしている。

少し吊り眼で、きつめの印象を与える小咲母とは対称的といえる。

 

小咲、春姉妹の顔立ちはどちらかというと小咲母に似ているが、小咲の優し気な雰囲気と性格は父親に似たのだろう。

 

 

「一条…。あ、えっと…、小咲の父です」

 

 

「あぁ…と…。一条陸です。いつも小咲さんにはお世話になっております」

 

 

うん。この初めて会った人に何て挨拶をすればいいのか困っている仕草なんか小咲とかなり似ている。

 

何はともあれ、陸と小咲父は挨拶を交わす。

 

 

「そっかー。小咲にも下の名前で呼び合う仲のいい男の子ができたのかー。…成長したね」

 

 

「お、お父さん!?」

 

 

うん。この何か微笑ましく眺めている時の表情も小咲と似通っている。

この二人、かなり親子なんだなと実感する陸。

 

 

「えっと、一条君…だっけ?菜々子から聞いてるよ。たまに家に手伝いに来てくれてるんだって?」

 

 

「あ…、はい」

 

 

「そうか…、すまないね。菜々子は君の事を相当気に入ってるみたいだ。これからも菜々子が君を引っ張り込もうとするだろうけど…、気を悪くしないでくれると嬉しい」

 

 

「い、いえ…。そんな事はないので、ご心配なく…」

 

 

どうやら陸の事は小咲母から聞いていたようだ。

そして、小咲母の強引さに頭を抱えているようだ…。

それを見越して謝罪をする小咲父に、返事を返す陸。

 

 

「ちょっとー!電池まだ見つからないのー!?」

 

 

「おっと…、早く行かないと菜々子に怒られる…。じゃあ、またいつかゆっくり話そうね。後…、君が来ていることは奈々子に内緒にしておくよ」

 

 

「は、ははは…」

 

 

店の方から、小咲母が小咲父を呼ぶ声が聞こえてくる。

小咲父は最後に陸に二言かけてから、店の方へと去っていった。

 

 

「…お母さんとは対称的だな」

 

 

「娘の私が言うのもあれだけど…、ホントそうだよね…」

 

 

小咲もそう感じていたらしい。

別に嫌いだとかそういう訳ではないのだが…、話していて疲れることがあるのが少し困る。

 

逆に小咲父とは話していると、癒されるというのは変だが…、何というか、不満を飲み込んでくれそうな気がする。

小咲母は愚痴を言うと持っている不満を助長させそうで怖い。

 

 

「春ー、入るよー」

 

 

小咲の部屋の隣。そこが春の部屋なのだろう。

扉をノックしてから小咲はドアノブを捻って扉を開ける。

 

 

「あれ、お姉ちゃん?もう帰って来たんだ」

 

 

「ちょっと春?ベッドの上でお菓子なんか食べて…」

 

 

小咲の背中に遮られて見えないが、どうやら春はベッドの上で何かで退屈を凌いでいたようだ。

 

それと、自分が来ているのに気づいていないようなので、陸は春に姿が見えるように体の位置をずらす。

 

 

「…なっ!?」

 

 

「おっす」

 

 

春の目が大きく見開かれ、口がパクパクと開閉している。

何で?という感情がありありと顔に書かれているのが分かる。

 

 

「いや、何というか…。心配してたけど、元気そうで良かったわ」

 

 

「…っ!?」

 

 

今、春はピンク色の可愛らしいパジャマを着て、ベッドに寝そべりながらお菓子を食べていた。

前日、あんなことがあったから塞ぎ込んでいないかと心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。

 

 

「ちょっ…、一条先輩、出てってください!変態!スケベ!」

 

 

「いや何でだよ…」

 

 

本当に元気そうで、何よりだ…。

 

 

「コラ、春?陸君は春の事を心配して来たんだよ?そんな言い方しないの」

 

 

「う…、で、でも…」

 

 

「小咲、俺も来るタイミングが悪かったし。うん、でも本当に元気そうで良かった。この調子なら、すぐに学校に行けるようになるな」

 

 

タイミングも何も、春が今、何をしてるかわからない時点で陸にはどうしようもないのだが…。

でもこういう時は男が謝るべきなのだという事を陸はわかっていた。

 

春に謝った後、笑みを浮かべながら声をかける陸。

 

 

「た、確かに怖かったですけど…。ちゃんとカーテンを閉めておけば回避できたことですから…」

 

 

(これは…、本当に元気そうか?)

 

 

自分で割り切っているのか、春は思ったよりもショックを受けていないように見える。

見えるだけで、内心ではどう思っているのかはわからないが…、ともかくそういう風に見えるように振る舞えるという事が分かっただけでも収穫か。

 

 

「そっか…。なら良かった。じゃあ、春ちゃんが元気だってこともわかったし、俺はもう帰るよ」

 

 

「え?もう帰っちゃうの?」

 

 

元々、ちょっと春の様子を覗いたらすぐに帰るつもりだったため、陸はここでお暇しようとする。

小咲が目を丸くして呼び止めてくるが、ここは空気が読める男陸。

というか、昨日の事もある今この状況で、長い間居座る事などできない。

 

 

「すぐ帰るつもりだったし、それにもうすぐ夕飯の準備もしなきゃだろ?邪魔するわけにはいかないだろ」

 

 

「そっか…」

 

 

陸が帰ると言うのなら止めることは出来ない。

少し残念そうな顔をするが、すぐに笑みを浮かべて陸と向き合う。

 

 

「じゃあな春ちゃん。ゆっくり休めよ」

 

 

「あ…」

 

 

春に手を振りながら一言かけて、陸は足を扉へと向ける。

そして、ドアノブに手をかけ、回そうとした。

 

 

「待ってください!」

 

 

そこで、背後から春が陸を呼び止める声がした。

陸は動きを止めて振り返る。そこには、やや俯き気味で、僅かにもじもじしている春。

 

春は少しの間、そうして視線を彷徨わせていたが、不意に陸をまっすぐ見据えて、口を開いた。

 

 

「あの…。昨日は、助けてくれてありがとうございました」

 

 

「…え?」

 

 

「き、昨日はちゃんとお礼を言えなかったですから…。その…」

 

 

そういえば、昨日はそんな場合じゃなかったし、お礼を言われてなかったなと思い出す陸。

正直、そんなことは気にしていなかったし、そのまま何も言われなくても全く気にならなかっただろう。

 

 

「…何ですか」

 

 

「いや…。春ちゃんが素直にお礼を言ってくるとは…」

 

 

春がお礼を言ってきたというまさかの事態に、驚いた陸。

だからだろう、つい余計な一言を口にしてしまった。

 

 

「危ない所を助けてくれた人に、普通はお礼を言うでしょ!?そんな当たり前のことができない人だと思ってたんですか!?」

 

 

「あ、いや、そういう訳じゃ…。ごめん、ごめん!」

 

 

これは完全に自分の非である。陸はすぐに両手を合わせ、頭を下げて春に謝る。

 

 

「ふんっ」

 

 

「…」

 

 

すっかり機嫌を損ねてしまった春。どうすればいいか…。

 

 

「えっと…」

 

 

「何してるんですか?もう帰るんじゃないんですか?ていうか、さっさと帰ってください」

 

 

「はい。そうさせてもらいますごめんなさいでした」

 

 

これはもうこれ以上ここにいてはいけない。そう悟った陸は、流れるような動作で回れ右。

そしてドアノブを捻って扉を開け、再び流れるような動作で外に出て扉を閉めて行った。

 

 

「もう…、?」

 

 

陸が出て行った扉を少しの間眺めてから、呆れたような目で春を見る小咲。

 

だがそこで、小咲が見た春の表情。

 

 

「…」

 

 

春は、部屋の扉をじっと見つめながら、確かに微笑んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

「ご、ごめん!さっき菜々子から聞いたんだ!昨日、春を助けてくれたのは一条君だって…。これ、お礼なんだけど、受け取ってほしい!」

 

 

「え?あ、いや、昨日は当然の事をしただけですし…。そんなたくさんもらえませんよ」

 

 

「そう言わずに!じゃないとこちらの気が済まないんだ!」

 

 

「えぇ…」

 

 

玄関に行き、陸が靴を履こうとした時に起きた、小咲父との一幕である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ていうことで、小咲父の登場です。
そして、春の様子にも変化が…?

あ、B連打しないでくださいお願いします。


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第66話 オネガイ

最近のペースと比べると間が空いてしまいました。
理由は、他の小説を投稿していたのと、試験があったことです。

まぁ、試験は比較的楽でどちらかというと前者の方が大まかの理由なのですが…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が巻き込まれた事件から、三週間。特に事件も起きず、陸はいつも通りの生活を送っていた。

それでも、強いて上げるならば…、万里花から楽が預かったオウムだろう。

何でもそのオウムは楽様という名前を付けられており、エサをあげるのにも色々やらなければいけないことがあったり、次の日の朝、気づけば逃げ出していたり。

逃げたオウムを探すのに陸も駆り出されることとなり、大変だった。

 

まぁ…、結局、陸の手は必要なくなって、その上、楽がとんでもなく恥ずかしい目に遭うことになって。

それを見ていた陸はとんでもなく大爆笑していた。

 

さて、そんなごくごく普通(?)の日々が過ぎ、今日。

 

 

「ほぉ~。七夕大会なんてもんがあんのか」

 

 

顎から伸びる髭を撫でながら、一征が呟く。

 

 

「あぁ。まぁ大会っつっても勝負事はやらないで、ただでっけぇ笹に自分の願いを書いた短冊をぶら下げるだけなんだけどよ」

 

 

一征の呟きに、楽が返す。

 

今、楽と一征が話していたことは、明日に凡矢理高校で行われる七夕大会についてだ。

だが、楽が言った通り、大会といっても別に勝負事が行われるわけではない。

笹に自分の願いを書いた短冊をかける。まぁ、幼稚園でやる七夕のイベントを盛大に行うだけだ。

 

 

「…ん?そういやぁ、高校の笹の納品は確か…」

 

 

すると、一征が目を斜め上にやりながらふと口を開く。

 

 

「あの神主が用意してたはずだなぁ」

 

 

「誰だよ、あの神主って?」

 

 

一征の口から出てきた、あの神主というものに疑問を持った陸が問いかける。

 

 

「おぅ、あの時陸は俺と一緒に新年の挨拶に来る奴らを相手してたんだっけな。楽は覚えてるだろ?正月に世話になった神主」

 

 

「…あぁ!え、笹を用意してくれるのってあの神主さんなのか?」

 

 

一征に聞かれ、楽は思い出したようだ。

だが、その神主と会ったことがない陸は二人の話についていくことができない。

 

 

「だから、誰なんだよ。その神主って」

 

 

「あぁ。正月に神社の掃除を手伝いに行ってさ。そこの神主さんをやってるお婆さんが、凄腕の霊媒師なんだよ」

 

 

「霊媒師ぃ?」

 

 

「いや、信じられないかもしんねえけどよ。マジであの人の能力凄かったんだぜ?」

 

 

元々、幽霊や超能力を全く信じていない陸。さらに、実際にあったことがないというのも相まって、不信感を抱いた陸はじと目で楽を睨む。

 

 

「まっ、信じらんねえのも無理はねえわな。仕方ねえよ」

 

 

じと目で見る陸と、神主について説明を続ける楽を眺めながら一征はふっ、と笑みを浮かべながら言う。

 

 

「さ、てめぇらはさっさと寝な。特に楽は、明日は早ぇんだろ?」

 

 

「あっ!そういや明日は、朝のエサやり頼まれてんだ!」

 

 

「俺は手伝わんぞ」

 

 

一征に指摘された楽が、明日の朝にやらなければいけないことを思い出す。

 

そして陸は、そんな楽が次に何かを言おうとする前に先回りして言い放つ。

 

 

「ぐっ…、し、しょうがねぇ…。明日は俺一人でやるか…」

 

 

「しょうがねえじゃねえだろ。大体、俺は飼育係じゃねえんだぞ。元々手伝う義理はないんだよ」

 

 

陸と楽が言い合いしながら、障子の方へと足を向ける。

 

 

「じゃあ親父、俺達はもう寝るわ」

 

 

「いや、俺はまだ寝る気はないけど…。まぁおやすみ」

 

 

「おう、おやすみ」

 

 

楽が障子を開け、陸が部屋から出て、その次に楽が出て障子を閉める。

 

すぐに陸と楽は部屋へと戻り、楽は寝て、陸はテレビの電源を付け、そしてコードが繋がったゲーム機の電源を入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日。前日話した通り、凡矢理高校では七夕大会の準備が進められていた。

外では教師や職員たちが笹を運んでおり、校舎の中では生徒たちが配られた短冊にそれぞれの願いを書いていた。

 

 

「しかし、願いっつってもなぁ~…」

 

 

「何だよ一条、まだ悩んでたのか?こんなの適当に浮かんだのを書いときゃいいんだよ」

 

 

「その適当が全く浮かばねえんだよ」

 

 

短冊を机に置き、右手でくるくるとペンを回しながら悩む陸に、とっくに願いを書き終えて冷やかしに来た上原。

 

 

「ていうか、お前は何て書いたんだよ?」

 

 

「俺か?俺はな…」

 

 

どんな願いを書いたのか。陸が問いかけると、上原は短冊を見せてくれる。

 

 

<奇跡の杖がドロップしますように>

 

 

「…なるほど」

 

 

「もう何体ミラクルリッチを倒したと思ってんだよぉ!全くドロップしねえんだよぉ!」

 

 

「まぁ、ドロップ率1/8192だからな…。俺はドロップしたけど」

 

 

「お前のリアルラック少しでいいから俺に分けてくれよぉおおおおおおお!!!」

 

 

両目から涙を流しながら、陸の両肩を掴んで揺さぶってくる上原。

 

上原が短冊に書いた願い。先程の陸と上原の会話を聞いていればわかると思うのだが、<奇跡の杖>とはあるゲーム、それもオンラインのレアアイテムである。

そのアイテムを手に入れるためには、ミラクルリッチというMobからドロップさせなければならないのだが、そのドロップ率がかなり低い。

 

陸はミラクルリッチの乱獲を始めて二日で手に入れることができたのだが、上原はそこから一週間、未だに手に入れることができていないのだ。

 

 

「あぁ、うっとうしい。離れろ」

 

 

「うぅ…」

 

 

まだ涙を流している上原を引き剥がして、陸は改めて短冊に書く願いを考える。

 

 

<別にゲームで願いたいことなんて特段ないしな…。…ま、これでいいか>

 

 

短冊を笹に飾りに行く時間まで、残り三分となった所で、陸はペンを走らせる。

 

少し下らない事で、書こうかずっと悩んでいたのだが、この際もうこれで良いだろう。

 

 

「じゃぁ、短冊飾りに行くぞー。もう書き終わってるよな?」

 

 

陸が短冊に願いを書き終えた直後、教室に担任教師が入ってくる。

 

そして教師に言われ、陸たちは笹が置かれている生徒玄関前へと向かう。

 

 

「で?一条は結局なんて書いたんだよ?」

 

 

「…」

 

 

廊下を歩いていると、隣を歩く上原に問われる。

問われた陸は、一瞬上原を見遣ってからすぐに視線を外し、口を開く。

 

 

「別に。下らない事だよ」

 

 

「下らない事なら教えてくれたっていいじゃんか。なぁなぁなぁ」

 

 

軽く受け流してさっさと歩く陸だったが、上原は往生際が悪く、まるでぶら下がるかの如くしつこく陸に問いかける。

 

玄関に着くまでの間、陸は上原を無視し続けていたのだがそれでもまだ聞き続けてくる上原に嫌気が差し、ふとこう口にする。

 

 

「男の願いにそこまで興味があるのか。なるほどお前にはそんな趣味があったのか。おーい、上原が…」

 

 

「うわぁああああああぁあああああああ!!!待て待て待て待て!そんな趣味ない!お前の願いにも興味ないっ!」

 

 

上原の追撃を軽くあしらい、逆に大きなダメージを与えた陸はにやりと笑みを浮かべながら靴を履き替え、外へ出る。

 

玄関前には大きな笹が…、一瞬で分かるほど不自然に曲がった状態で立っていた。

 

 

「え」

 

 

「な、何だ?」

 

 

呆然と立ち尽くす陸と、目を丸くして驚きの声を上げる上原。

 

しっかり見ると、かなり大量の短冊が笹に掛けられている。

その重みで笹の幹が曲がってしまっているのだ。

 

 

(三学年全員分の短冊でもあそこまでの数にならないぞ…)

 

 

謎の光景に疑問を持ちながら、陸は笹に近づいてその短冊に何が書かれているのか。小隊を確かめる。

 

 

<楽様とデートに行きたいですわ♡>

 

 

<楽様と(今度は二人で)遊園地に行きたいですわ♡>

 

 

<楽様と水族館に行きたいですわ♡>

 

 

<楽様と二人きりで─────

 

 

表せばキリがない程の数の短冊。そして書かれている同じような内容。

 

陸の両目は点となり、そしてその願いを書いた人物の正体もすぐに察する。

 

 

「コラァーーーーー!誰だ、こんなに短冊をぶら下げたのは!!」

 

 

「短冊は一人一枚!!」

 

 

「えぇ!?まだこんなにありますのに!」

 

 

(…まだぶら下げる気だったのか、橘)

 

 

呆れすらをも通り越し、尊敬の域にまで達する。

というか、デートに行きたいと書いた短冊、今度は楽と二人でとはどういうことだ。

楽と遊園地に行ったのか。楽は教えてくれなかったぞ。

 

心の隅で、帰ったら問い詰めると決意しながら、一枚の短冊を除いた万里花の全ての短冊を教師たちが外したのを見て、陸は列に並んで短冊を飾る順番を待つ。

 

 

「やれやれ…。とんだアクシデントがあったな…」

 

 

「…あぁ」

 

 

陸と上原は無事に自身の願いを書いた短冊を飾り終え、教室へと戻っていった。

万里花によって起こったアクシデントのせいで、余裕を持って教室を出たはずなのだがもう授業開始ギリギリの時間になってしまった。

 

 

「あっ、やべぇ!次の数学の宿題、まだ途中だった!」

 

 

「あら大変。でも見せんぞ」

 

 

前にもこんなことがあったような、とデジャブを感じながら上原の次の行動を読んで彼の思惑を阻む陸。

 

「せ、殺生なぁ…」と、悲しい声で言ってくる上原だが、陸は無情である。

というか、たとえ陸がノートを見せるという選択をしても時間的に間に合わないため完全に詰みなのだが。

 

 

「起立!礼!着席!」

 

 

教室に戻り、席に着いた上原の無駄な努力を眺めていると、授業開始のチャイムが鳴る。

本日の日直が号令をし、席に着くと早速教師が教科書を開き、チョークを持って黒板と向き合った。

 

 

「…あ、いけね。そういえば、あの笹移動しなきゃいけないんだっけ」

 

 

すると、すっ、と席に着く生徒たちの方に体の向きを戻した教師がそんなことを言い始めた。

 

 

「じゃあ…、七月七日…。七割る七は一ってことで、出席番号一番の一条。今からあの笹、移動させといてくれないか?」

 

 

「な、割り算だと!?」

 

 

正直、教師が今日の日付を口にした瞬間、笹を運ぶ役目は自分には来ないだろうと確信した陸。

普通、足し算だろうそこは。まさか割り算で来るとは思わなかった。

 

 

「ていうか俺一人ですか!?」

 

 

「大丈夫大丈夫。あれ、思ってたよりも軽いから」

 

 

どうやらあの先公は笹を陸一人に運ばせるつもりらしい。

 

何か自分はあの教師にしただろうか…。特に嫌われるようなことはしてないと思うが…。

 

結局、陸の反論も叶わず一人すごすごと教室を出ることとなった。

 

 

「一条ー!言い忘れてたけど、中庭に笹を置いといてくれー!」

 

 

「へーい」

 

 

教室の扉を開け、顔だけ出して伝えてくる教師に陸は背を向けたまま返事を返す。

 

そして陸は、廊下を通り抜け、玄関を出て笹の前に立つ。

 

 

「…これを一人で運べってのかあの先公。たぶんいけるとは思うけど、持ちづらそうだなおい」

 

 

自分がこれを一人で持つという視点で笹を見ると、すごく重そうに見える。

まぁぶっちゃけいけるとは思うが、これを運ぶには土を入れてある竹でできた箱を掴まなければならない。

 

その体勢で運ぶと考えると、相当めんどくさそうである。

 

 

「り、陸君!」

 

 

「え…、小咲?」

 

 

箱の底を持つため、しゃがもうとしたその時、背後から陸を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると、激しく息切れをしながらなおこちらに駆けてくる小咲の姿が。

 

 

「私も…手伝いに…」

 

 

「え、マジ?」

 

 

何という幸運。小咲の手が加われば、相当この笹運びが楽になる。

 

 

「むしろ私一人で運んでもいいんだけど」

 

 

「いやそれは無理だろ、ていうかさせられないって。どうしたんだそんな鬼気迫って…」

 

 

手伝いの手が来たことを素直に喜んでいた陸だったが、小咲の鬼気迫る表情に思わず引いてしまう。

いやさすがに、汗を掻きながら光のない瞳を向けて話してくる人が眼前にいて、正直この反応は当然だと陸自身思う。

 

 

「じゃあ、そっちの方持ってくれ」

 

 

「う、うん」

 

 

陸と小咲は向かい合う形で立ち、せえのと合図をかけて同時に箱の底を持ち上げる。

 

ゆっくりと中庭の方へと笹を運ぶ二人。

不意に、陸が小咲の方を見ながら口を開いた。

 

 

「そういえばさ、小咲は短冊に何て書いたんだ?」

 

 

「えっ、私!?わ、私は…戦争が無くなるようにって…」

 

 

「そ、壮大だな…」

 

 

小咲は何とも壮大な願いを短冊に託したものだ。

…小咲には悪いが、その願いは多分叶うことはないと思う。

 

 

「り、陸君はどんな事を書いたの?」

 

 

「俺?俺は…、戦争が無くなるようにって」

 

 

「むー…。陸君、からかってるでしょ!」

 

 

「ははは、ばれたか」

 

 

今度は小咲が陸に問いかけてくるが、陸は悪戯っぽい笑みを浮かべて先程の小咲の返事と同じ言葉を返す。

頬を膨らませ、不満げな表情を浮かべる小咲を陸は笑みを浮かべながら眺める。

 

 

「ゆっくりだぞ、ゆっくり…。よし、これで移動完了だな」

 

 

笹を地面に降ろし、中庭への移動を終えた陸と小咲。

 

 

「やれやれ…。このまま授業サボっちまおうかな…」

 

 

「だ、駄目だよそれは…」

 

 

こんなめんどくさい事をさせられる羽目になった原因、今教室で授業を行っている教師の顔を思い浮かべたらイライラしてきた。

陸はこのまま授業をサボろうかと本気で考えて口にしたのだが、それを聞いた小咲が苦笑を浮かべながら止める。

 

そんな調子で、二人はそれぞれの教室へ戻ろうと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?この笹、設置場所間違ってるじゃないか」

 

 

「移動させないとな」

 

 

 

 

 

 

 

小咲は今、ご機嫌だった。

陸が笹を移動させると廊下から聞こえてきた会話で分かった時はどうなる事かと思ったが、これでもう陸に自分が短冊に書いた願いを知られることはない。

 

まさか、知られるわけにはいかないだろう。

<陸君の彼女になれますように。>という願いを、陸だけには知られるわけにはいかない。

 

 

(でも、本当に願いが叶っちゃったらどうしよう…。彼女…、彼女かぁ…)

 

 

何はともあれ、陸に知られることなく願いを短冊に、笹に託せた小咲はホクホク顔で教室へと戻る。

 

 

「…あれ?あの笹、移動してね?」

 

 

だが、この陸の言葉でその上々気分はどん底に落とされることとなる。

 

見れば、中庭の真ん中に置いていたはずの笹が窓際まで移動していたのだ。

しかも、今いる場所は二階。笹の頂が良く見える場所である。

 

そして、その笹の頂は小咲の短冊が飾られている場所。

 

 

「まっ、いいか。さっさと教室戻ろうぜ」

 

 

「う、うん」

 

 

思わぬ不幸だったが、願いが書かれている方は幸い向こうを向いている。

ここはさっさとこの場から離れて…、と思ったその時、小咲は目にする。

 

突然吹いた風が、小咲の短冊を揺らしている所を。

小咲の願いが、風によって見え隠れしている所を。

 

 

(ヒョワァア~~~~~~~~~!!!)

 

 

まずい、これはまずい。

ここで陸に短冊が見られずに済んだとしても、後々他の人に見られてしまう。

 

 

(こ、これはもう回収するしか…!)

 

 

考えるよりも前に、小咲は駆けだした。

 

 

「お、おい?」

 

 

背後から陸の戸惑いを含んだ声が聞こえてくるが、構っている暇はない。

早く短冊を回収し、無事を確保しなければ。

 

小咲は笹付近の窓を開け、体を乗り出して手を伸ばす。

 

 

「小咲!?危ねーぞ!」

 

 

(もう少し…!)

 

 

陸の警告の言葉も、今の小咲には聞こえない。

ただ目の前の爆弾(短冊)を処理するために動くのみ。

 

 

「取れた…!っ!?」

 

 

さらに体を乗り出すと、遂に小咲の手は短冊を掴む。

だがその直後、小咲の足は滑り、体が外へと吸い込まれていく。

 

 

「小咲!」

 

 

何が起こったのか読み取れず、ただ茫然と全身を包む浮遊感を味わっていた小咲の腰が何者かの両腕でがしりと掴まれる。

 

もちろん、その何者かとは陸であり、小咲も当然それはわかっている。

わかっているからこそ、今自分の身に迫る危機も忘れ、思い人に抱き付かれていると意識してしまう小咲の頬が真っ赤に染まる。

 

 

「ぐぐ…、あぁ!!」

 

 

次の瞬間、小咲の体はとんでもない力で引っ張り込まれ、校舎の中へ。

そして陸と一緒に倒れ込むこととなった。

 

 

(はわわわわわわ…)

 

 

倒れ込んでも未だ抱き付かれている小咲は頬を真っ赤にしたまま。

 

だが、小咲から陸が離れ、そして

 

 

「小咲、正座」

 

 

「え?」

 

 

「正座」

 

 

無表情で言われた時、羞恥は抜け、残ったのは大きな大きな罪悪感。

 

 

「…何やってんだバカヤロー!あぁ!?危険かどうかの見わけもつかねえのかてめえは!!」

 

 

「うぅ…、ごめんなさい…」

 

 

容赦なく陸の罵声が小咲に浴びせられる。

 

だが、言い返せない。

完全に自業自得であり、そして何より陸が自分を心配していっているのだとわかっているからこそ、ただ謝ることしかできない。

 

 

「…何であんな無茶したんだ」

 

 

「それは…。どうしても人に見られたくないお願いを書いちゃって…」

 

 

もう嘘を吐いて誤魔化すことは出来ない。

先程の行動の理由を聞かれた小咲は、正直に、内容までは言わなかったが理由を答える。

 

 

「やっぱり、戦争がなくなるようにってのは嘘だったか」

 

 

「う…」

 

 

やはり陸にはあのごまかしは効いていなかったようだ。

恐る恐る陸の顔を見ると、陸は大きくため息を吐いていた。

 

 

「ったく…。それでも俺に言えよ。短冊の中見ずに手伝えることくらいあるだろ」

 

 

俯いていた小咲の顔が上がる。

 

 

「小咲が落ちないように支えるとか、俺がそっぽ向きながら短冊を取るとか」

 

 

指を一つ一つ折りながら、短冊の中を見ずにできる手伝いを口にしていく陸。

 

 

「もうあんな危ねえことすんなよ。もしそういう事をしなきゃいけなくなったら、絶対に誰かに相談しろ」

 

 

「…うん」

 

 

 

 

 

 

 

(…やっぱり、神頼みは良くないよね。これは自分の力で叶えなきゃ)

 

 

陸からの説教を受け終え、授業が終わって昼休みに入ると小咲はすぐに新しい短冊を貰って笹の前までやって来た。

 

だが、短冊に書く願いが決まらない。

いっその事、本当に戦争が無くなるようにと書いてやろうか。

 

 

「…あ」

 

 

願いはどうしようかと考えていると、小咲はふとある短冊を目にした。

 

 

「…ぷっ、くすくす」

 

 

小咲はその短冊に書かれた内容を見て笑みを零しながら、ポケットに入れてあったペンを持ち、短冊に今この瞬間に決めた願いを書き記す。

 

 

「…叶うといいね、陸君」

 

 

 

 

 

 

<お寿司を死ぬほど食べたい。 一条陸>

 

 

<陸君の願いが叶いますように。 匿名希望>

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

「坊ちゃあん!今日の夕飯は寿司でっせー!」

 

 

「な、何だと!?」

 

 

一時間後、食べ過ぎで動けなくなった陸を多数の人物が発見する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




陸の大好物は寿司です。
特に好きなネタは、ブリです。


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第67話 トイカケ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七夕大会も終わり、季節は流れていく。

高校生たちの厚き門、期末テストも終わり、成績も出され、ついに夏休みへと突入する。

 

 

「春ー。今度の花火大会の事なんだけどー」

 

 

春を呼びながら、部屋へと小咲が入ってくる。

椅子に座ってファッション誌を呼んでいた春は、ページに載っている見事に洋服を着こなす女性たちから小咲へ視線を移す。

 

 

「私、クラスの皆と行くんだけど春も一緒に来ない?」

 

 

「え?別にいいけど…」

 

 

小咲の口から出たのは、明日の花火大会に行こうという誘いだった。

姉妹だけではなく、小咲の友人たちと一緒にという事なのだが、その人達とはそれなりに交流もあるため一緒についていく事に抵抗はない。

 

 

「…それって、一条先輩も来るの?」

 

 

「…」

 

 

春はふと気になったことを口に出し、小咲に問いかけてみた。

だが、それを口にした途端、小咲の表情は固まり、ゆっくりとその顔は床の方へと俯いていく。

 

 

「あ、あれ?お姉ちゃん、どうしたの?」

 

 

何かいけないことでも言っただろうか?

もしかして、一条先輩と喧嘩でもしたのだろうか?

 

小咲の様子を見た春が心配する。

 

 

「…陸君。来れないって」

 

 

「え?」

 

 

「去年、陸君は屋台を手伝ってたんだけど…、今年もその手伝いをするって…」

 

 

「…」

 

 

そういえば、先輩は料理で来たんだっけ。

と、陸の意外な特技を思い出す春。その能力を生かしている陸に思わず感心してしまう。

 

 

「…でも、お兄さんの方は来るんだ」

 

 

「…うん」

 

 

陸は来れないようだが、兄については特に小咲は口にしなかった。

つまり、弟の陸は来れないが兄の楽は手伝いをすることなくこちらに来るという事になる。

 

 

「…まあ別にいいけど。関わりさえしなきゃ」

 

 

「春…」

 

 

春は冷たい表情でそう口にする。

小咲はどこか残念そうに表情を歪めているが、これでも前の春から考えれば柔らかい反応になっているのだ。

 

前の春は、楽と距離が近づくと考えるだけでも寒気がするほど毛嫌いしていたはずなのだ。

他にも多数人がいるからとはいえ、楽と夏祭りを共にするのは相当春の楽に対する態度が変わってきていると言える。

 

 

「でもお姉ちゃん、残念だったね。一条…陸先輩が来れなくて」

 

 

「え!?ど、どうして?」

 

 

「…お姉ちゃん、誤魔化そうとしたって駄目だよ。お姉ちゃんが陸先輩の事を好きなのはわかってるんだから」

 

 

小咲はとぼけようとするのだが、傍から見たら丸わかりである。

正直、わかっていないのは好かれている陸本人だけだと春は思っている。

 

 

「でも、お姉ちゃんが好きなのが陸先輩で良かったよ…。お兄さんの方だったら…、絶対私止めてたよ。あの人には彼女もいるんだし…」

 

 

「あ、あはは…」

 

 

小咲の好きな人が陸で本当に良かった。楽よりはまだ良かったと今、改めて感じる春。

 

 

「そ、そういえば春!最近陸君と仲良くなれたみたいだね!」

 

 

「…何か強引に話題が逸らされた気がするけど、でも仲良くなんてなってないよ」

 

 

小咲の話題の振り方に違和感を感じながらも、春は返事を返す。

 

実際、仲が良くなったというのは少し違う気がする。

確かに、悪い人とはもう思っていないが…仲が良いというのは違うと思う。

 

 

「ていうかお姉ちゃん、さっきの反応見て思ったんだけど…、私に何か隠し事してるの?」

 

 

「めめめ滅相もございません!」

 

 

…やっぱり何か隠し事してる。

春は確信を持つが、恐らくその隠し事というのは楽についての事だろうし、興味がないためそれ以上は聞こうとしない。

 

 

(まあいいや。それよりも、風ちゃんとポーラさん誘っちゃおうかなー)

 

 

とりあえず楽の事は置いておこう。そんな事よりも、明日の花火大会に友人二人を誘おうかと考える春。

 

すっかり楽の事は頭から抜け、明日の花火大会を楽しみに、思いを馳せる。

 

 

 

 

 

 

 

花火大会当日。小咲が言っていた通り、陸は組で出している屋台を手伝って回っていた。

ある時は焼きそば屋台、ある時はたこ焼き屋台、ある時はお好み焼き、ある時は金魚すくい等々。ともかく、去年は夕方から仕事を抜けて祭りを楽しんでいたのだが、今年はそんな暇はなさそうだ。

 

 

「おーい、来たぞー」

 

 

「ぼ、坊ちゃん!来てくださったんすね!」

 

 

ちなみに今、陸は初めに手伝いに行った焼きそば屋台へと戻ってきていた。

とりあえず一段落つくまで陸が手伝ったはずなのだが、そろそろ夕飯時という事で客足が一気に増え、手が回らないとヘルプが来たので陸が向かったという訳だ。

 

汗を拭いながら、鉢巻を着けた男二人がやって来た陸の姿を見てほっと安堵の笑みを浮かべる。

 

 

「で?俺はまたさっきみたいにそば焼けばいいのか?」

 

 

「はい!よろしくお願ぇしやす!」

 

 

テーブルに置いてあった消毒液の入ったスプレーを取り、両手に撒いてしっかりほぐしてから陸は金属のヘラを受け取って鉄板に置かれた麺をかき混ぜ始める。

 

 

「焼きそば二つー」

 

 

「焼きそば三つー」

 

 

忙しなく屋台の中の三人が動き回るが、ひっきりなしにお客がやってくる。

陸が来たという事でしっかり回ってはいるが、それでも何とかといった感じである。

 

仕事を続けていく内、空もだんだんと暗くなっていき、ついには真っ暗になっていく。

陸が焼きそば屋台を手伝っている間、何と全く他の屋台からヘルプが入らず、陸はそのまま焼きそば屋台を手伝い続けていた。

 

 

「…ん?」

 

 

何度も繰り返し続けた作業、ソースをかけて麺を混ぜていた所。

ふと視界に入った一人の少女に見覚えを感じた陸は顔を上げてその少女を注視する。

 

 

「あれは…」

 

 

人ごみで見え隠れしているが、陸は見逃さなかった。

一人、俯いて歩いている少女を。

 

 

「春ちゃん!」

 

 

陸は左手に握っていたヘラを置き、その方の腕を上げて手を振りながら少女を呼ぶ。

 

 

「あ…、先輩!?」

 

 

呼ばれた少女、春は視線を向けた先にいた陸の姿に驚き、目を見開いている。

青い花柄の浴衣を着た春が、こちらに駆け寄ってくるが多くの人が並ぶ列に阻まれる。

 

 

「おっと…。坊ちゃん、行ってやってくだせぇ!」

 

 

「え、いや…。でもここで抜けたら…」

 

 

「いいですって!本当にやばくなったら他の屋台から誰か引っ張ってくりゃいいんすから!」

 

 

額に汗を滲ませながら笑みを向けて言ってくる男に、陸は一瞬呆けた表情を浮かべるが、すぐに唇が笑みを浮かべ、こくりと頷く。

 

 

「なら、ここで抜けさせてもらうわ。大変だろうけど、後は頑張れよ」

 

 

腕に巻いていたタオルを取り、そのタオルで額の汗を拭いながらそう言い残した陸は、タオルを空の段ボールの中に投げ入れてから春の元へと駆け寄る。

 

 

「せ、先輩、抜けちゃって大丈夫なんですか?」

 

 

「ん、まぁ、大丈夫でしょ。あれでも何年もこういう屋台経営をやってきてる奴らだし」

 

 

心配げに問いかけてくる春に、さらっと答える陸。

そんな陸を、春は苦笑を浮かべながら見上げていた。

 

春からしたら陸が強引に後の事を押し付けてやって来たという風に見えるのだろう。

しかし、実際は陸の言う通りであの二人はお祭りで屋台を経営した経験はかなり多くある。

こういう大量に客がやってくるという修羅場も乗り越えてきているに違いない。

 

…詳しくは知らないが。

 

 

「本当に大丈夫だって。それより、春ちゃんはどうしてこんな所にいるんだ?他の奴らはどうしたんだ?」

 

 

そこで陸は話題を切って。どうして春が一人でいるのかを問いかける。

そう。今、春は一人で歩いていたのが気になっていたのだ。

 

 

「その…、ちょっと皆と逸れちゃって…。携帯で連絡を取ろうともしたんですけど…」

 

 

「あー…、こういうお祭りのときってたまに繋がんなくなるんだよなぁ…」

 

 

どうやら迷子になってしまったらしい。携帯も電波混雑のために繋がらなくなっており、八方塞がりのようだ。

 

 

「じゃあ、一緒に皆を探すか」

 

 

「え?でも…」

 

 

陸からすればここで一人で行くよりも春と一緒にいた方が良い。

そのため、皆を探そうと提案したのだが、春は戸惑いの表情を見せる。

 

 

「それに、春ちゃんを一人にさせたらもっと迷いそうだし」

 

 

「そ、そんなことありません!」

 

 

反発する春を見て、陸は大笑いする。

 

 

「とにかく、俺もこれから自由に行動できるようになったんだ。楽や小咲たちとも合流したいから、一緒に探してくれよ」

 

 

「…そ、そこまで言うなら、仕方ないですね」

 

 

今度は言い方を変えて、頼むように春に言う。

すると、春は頬を染めてそっぽを向きながら了承する。

 

そんな春の姿を見て、くすりと笑みを零す陸は春の隣で歩きながら周りを見回して楽たちの姿を探す。

 

だが見えるのはまったく見覚えのない人や、学校でたまにすれ違ったりする少し見覚えのある人。

 

いつもつるんでいる人たちの姿は見えない。

 

 

「んー…、楽たちいねえなー。…もしかして、逆方向か?」

 

 

あまり離れた所にはいないと思っていたため、今歩いている方にはいないのではと考え始める陸。

 

 

「は…」

 

 

逆の方を捜してみようかと隣を歩く春に言おうとした陸だが、俯いて、何処か様子がおかしい春を見て言葉を止める。

 

 

「…春ちゃん、どうかした?」

 

 

「え…」

 

 

だが、陸の声はしっかり聞き取れたようで、俯けていた顔を上げる春。

 

 

「ど、どうって、何がですか?」

 

 

「いや、何がって言われても…。何か様子がおかしいなって…」

 

 

「…」

 

 

何がと聞かれても少し困るのだが、とりあえず率直に感じたことを陸は答える。

答えた、のだが、春は再び黙って俯いてしまう。

 

 

「あ…あー!にしても楽たちはどこにいるのかねー!もしかしたら、手分けして春ちゃんのこと探してたりするのかなー!」

 

 

どこか落ち込んでいるようにも見える春を見て、陸は不自然なくらいに声を張り上げて言う。

 

すると春は突然、勢いよく顔を上げて陸を見上げ、口を開いた。

 

 

「先輩。聞きたいことがあるんです」

 

 

「聞きたいこと?」

 

 

春の突然の行動にやや驚きを見せながらも、何とか返事を返す陸。

 

聞きたいことがあると言った春だったが、言いづらい事なのか、言葉を絞り出そうとしているように口を開閉させている。

 

だが、やっぱり難しいのか、春は目を伏せてしまう。

 

 

「…」

 

 

黙り込んでしまった春を見ながら、陸も黙って春の言葉を待つ。

 

そして、春は再び顔を上げ、その問いを口にした。

 

 

「…一条楽先輩と桐崎先輩が、偽物の恋人っていうのは…本当ですか?」

 

 

「…え?」

 

 

春の口から出てきた問いに、陸は表情を固まらせる。

 

頭に浮かぶのは、何で、どこで、というはっきりしない単語ばかり。

 

そんな陸を、真剣な表情で春は見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなりそうなのでとりあえずここで切ります。


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第68話 ケッシン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で、瞳を揺らしながら見上げてくる春の姿。

先程、春の口から驚くべき言葉が飛び出した。

 

 

『…一条楽先輩と桐崎先輩が、偽物の恋人っていうのは…本当ですか?』

 

 

自分自身が春にその事を口にした覚えは全くない。

楽や千棘が春に告げることも恐らくないだろう。春の楽に対する態度を考えればそれは容易にわかる。

ならば小咲か?いや、小咲もない。妹とはいえ、勝手に秘密を漏らすような人ではないという事は陸がわかっている。

 

 

「…どこで知った?」

 

 

冗談で聞いているのではない。本当ですかと春は口にしたが、本人の中で確信を持っている。

 

 

「るりさんと舞子さんが話しているのを聞いてしまって…」

 

 

(…集)

 

 

春がそう言った瞬間、陸は心の中で集を咎めた。

集が傍にいる春に気づかなかったとは考えにくい。

 

さすがに面白そうだなどと考えてやったのではないと思うが、春がどういう行動に出るかわからない今、少しはその後どうするかというのを考えてほしかった。

 

 

「それで…、どうなんですか?本当の事なんですか?」

 

 

「…まず一つ聞かせてほしい。何で君はそれを俺に聞く?俺のことは嫌いなんだろ?」

 

 

改めて問いかけてきた春に、問い返す陸。

直後、春はぐっと押し黙って陸の目から視線を落とす。

 

だがその間は僅か。すぐに顔を上げた春は口を開く。

 

 

「…今は違います。少なくとも、先輩は私が考えていたような人間ではないってわかりました」

 

 

少し照れくさそうに、そう口にする春から思わず陸は視線を外してしまう。

 

…できることなら、嫌われたままの方が良かったのかもしれない。

 

 

「それに、もし本当なら私、先輩に相談がしたいんです」

 

 

「…相談?」

 

 

春の口から出た一つの単語に、陸は顔を上げて聞き返す。

 

 

「相談って、何を?」

 

 

「だって、私…、今まであの人が平気でたくさんの女の子を侍らせる最低な人だって思ってて…。先輩もお姉ちゃんも、あの人はそんな人じゃないって教えてくれてたのに…。ずっとあんな態度をとってきて…」

 

 

要するに、勝手な思い込みで楽を嫌い、冷たい態度を取り続けて今。どんな態度で接していいのかわからないのだろう。

 

陸は、苦笑を浮かべながら一つ息を吐いてから春の問いに答えるべく口を開く。

 

 

「とりあえず、楽と千棘の関係についてだけど…。春ちゃんの言う通りだよ。あの二人は恋人同士じゃない」

 

 

「っ…」

 

 

春は眉を顰め、悲しげな表情で俯いてしまう。

 

つまり、春の抱いていた楽への印象は勝手な思い込みだという事。

それなのに、ずっと楽を蔑み続けて…そんな自嘲が春を襲う。

 

 

「それで、これから楽とどう接すればいいかだけど…」

 

 

「…」

 

 

「まぁ、一言謝っとけば大丈夫だろ」

 

 

「…へ?」

 

 

どうすれば楽に許してもらえるだろう。どれだけ謝れば、それとも土下座か、はたまた…。

と色々考えていた春は、陸のあっさりとした答えにぽかんと呆気にとられた表情を浮かべて顔を上げた。

 

 

「別に楽は怒ってなかったし…。色々運が悪かったりしたけど、“あんな所”ばかり見られたらそう思われるのも仕方ないって」

 

 

「…」

 

 

口があんぐりと開かれ、ただただ呆然としている春。

 

 

「…あの人、どんだけお人好しなんですか。馬鹿が褒め言葉になるレベルですよ」

 

 

「さすがにそれはどうかと思うけど…、お人好しなのは同感」

 

 

さすがに馬鹿が褒め言葉になるはひどいとは思うが、楽がお人好しなのは全面同意である。

楽と過ごしてきた時間が一番長い陸が言うのだから、それは相当である。

 

 

「でも春ちゃんにとっては幸いだろ。さっきも言ったけど、一言謝ればそれで済むと思うから」

 

 

「い、いや…。それじゃ私の気が…」

 

 

春の言うこともわかる。陸に対する態度もそうだったが、楽に対する春の態度はもっとひどかった。

何というか、まるで親の仇を見ているような…。それはさすがに大げさかもしれないが、傍から見ていて第一に陸がそう思うなほど春の態度には冷たさが満ちていた。

 

 

「んー…。じゃ、適当に何か景品取ってそれ渡して謝ればいいんじゃね?」

 

 

「え…、でも…」

 

 

「何だよ、双子の弟の意見が信用できないってのかー?」

 

 

「そ、そういうわけじゃ…」

 

 

それで大丈夫だと言っているのに、なかなか春の態度が煮え切らない。

もうこの際、渋る春を無視して陸は辺りを見回す。

 

 

「お、春ちゃん。あれなんか楽喜ぶと思うぞ。行こうぜ」

 

 

「え?あ、あの、本当にそれだけでいいんですか?ていうか、手を引っ張らないでください!」

 

 

春の抗議の声を無視して、彼女の手を掴んで陸は目を付けた場所へと連れて行く。

 

 

「ほら、あれだよあれ」

 

 

「あれって…、くまのぬいぐるみですか?」

 

 

その場所へと辿り着いた陸が指差す先。そこには輪投げの一等の景品として置かれているくまのぬいぐるみが。

春は疑わし気な視線を陸に送る。

 

 

「あの、本当にあの先輩はぬいぐるみが好きなんですか?」

 

 

「信じられないとは思う。けど、あいつ意外とこういう可愛い系の物が好きなんだよ」

 

 

春の問いかけに、至って真剣に答える陸。

疑わしく細められた春の目が元へ戻っていく。

 

 

「…本当なんですね?」

 

 

「あぁ。俺が保証する」

 

 

春が問いかけ、陸が頷く。

 

少しの間、春は考える素振りを見せてから財布を取り出し、中から二百円を取り出して輪投げを始める。

 

 

「…うぅ」

 

 

しかし結果は、一等どころか参加賞を貰う始末。

どうやら春はこういう遊戯は苦手としているようだ。

 

 

「…春ちゃん。もっかいお金出して。俺が取るから」

 

 

「え…」

 

 

戸惑いを見せる春だが、再び二百円を取り出して陸に渡す。

 

次は陸が輪を貰って輪投げに挑戦する。

 

その結果───────

 

 

「出ましたー、一等賞ー!!」

 

 

「ええええええええぇ!!?」

 

 

陸が輪を投げた回数はたったの三回。

その三回で陸はあっさり輪投げをクリアしてしまったのだ。

 

ふぅ、と息を吐く陸に春は驚愕を隠せない。

 

 

「ちょっ、一回で一等賞って…」

 

 

「ま、こういうのは昔から得意でさ」

 

 

陸はほぇ~、と驚きの目を向けてくる春を見ながら去年も同じようなことがあったなと思い出していた。

去年は小咲に金魚すくいの腕を披露して、今の春と同じように驚いていた。

 

…一つ違うのは、屋台主のせいでその後微妙な空気になってしまった事か。

 

 

「よし、とりあえず楽への謝罪用のブツは用意できたわけだけど…。この際、他の皆が見つかるまで祭りを楽しむとするか」

 

 

「あ…」

 

 

くまのぬいぐるみを春に手渡し、その春に背を向けて大きく伸びをしながら言う陸。

すると、背後から春のか細い声が耳に届く。

 

 

「あ、春ちゃんは嫌だったら別に…」

 

 

さすがに、それは嫌だったか。

陸はやっぱりみんなを探そうか、と言うために口を開こうとする。

 

だがその前に、春が口を開いた。

 

 

「いえ、嫌じゃありません」

 

 

「え?」

 

 

思わぬ春の答えに、目を丸くする陸。

 

そんな陸をよそに、春は陸が見たことも無い輝くような笑顔を浮かべながら続けた。

 

 

「せっかくお祭りに来たんですし、このまま二人で回っちゃいましょう。…あ、もちろん全部先輩の奢りですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式の時に助けてくれた王子様の背中を見たような気がした。

 

春は隣で歩く陸を横目で見遣る。

 

先程、ぬいぐるみを手渡された後、陸は大きく伸びをした時。

陸の背中が、春の中であの王子様の背中と重なった。

 

良く考えれば、陸が王子様だという要素がたくさんあるではないか。

まず、春が拾ったペンダント。あれが陸の言う通り楽の物だったとするならば、気を失った自分を運ぶときに楽が手伝ったのだとすれば、簡単に合点がいく。

 

他にも、崩れたパイプの山から誰かが自分を助けてくれた時。あの時、近くにいたのは陸だけだった。

陸は王子様が助けたのだと言っていたが…、本当は…。

 

それに、春の中で決定的だったのは一か月前の出来事である。

そう、デパートで小咲の誕生日プレゼントを選んでいた時のあの事件だ。

 

助けてくれたのは、王子様ではなく陸だった。

いつも助けてくれたのは、頭の中で思い浮かべていた王子様ではなく、今隣で歩いている陸だった。

 

そう、憧れていた王子様はずっと身近にいたのだ。

 

 

「春ちゃん…、春ちゃん?」

 

 

「あ…。ど、どうかしましたか?」

 

 

不思議そうにこちらを覗き込む陸。

心なしか距離が近いような気がして、思わず春は顔を赤らめる。

 

 

「あのさ…。俺、今までずっと働いてたわけよ…。…お腹減ったのであそこのタコ焼き買っていいですか」

 

 

「…別にいいですよ。どうしてそんなに言い訳染みたこと言ってるんですか」

 

 

そんな親に恐る恐る何かを頼む子供のような態度で言わなくてもいいのに。

 

笑みを零しながらすぐに、春は陸の手を掴んでひっぱり、タコ焼き屋台の列に並ぶ。

 

 

「本当に、先輩って変な人ですね」

 

 

「だぁかぁらぁ、俺は(ry

 

 

腹ごしらえも終えて、さっそく陸と春は祭りを回る。

 

金魚すくい、ヨーヨーすくい、射的にストラックアウト。

特にストラックアウトは、陸の本格的な投球フォームに驚いてしまった。

 

 

(…あれ?変だな)

 

 

某人気アニメの黄色いネズミのお面を着けながら、陸がものまねをした時はその上手さに思わず爆笑してしまった。

 

 

(私…)

 

 

「春ちゃん、ほら」

 

 

「え…、これ…」

 

 

「さっき知り合いの屋台を見つけてな。買ってきた」

 

 

いつの間に買っていたのだろう。今川焼を陸から渡される。

 

 

(私、楽しんでる───────)

 

 

 

早速陸がそれを口に含んだのを見て、春も続いて今川焼を口に含む。

 

 

「おいしい!」

 

 

「だろ?これ、絶対春ちゃん好きだって思ってたんだよなー」

 

 

何とおいしい今川焼なのだろう。

春は勢いよく二口目にかぶりつこうとした時、ふとある事を思い出す。

 

 

「あ、あの…。先輩、さっきからお代…」

 

 

「ん?あぁ…、大丈夫大丈夫。こんなときくらい先輩風吹かさせろよ。それに…」

 

 

あの輪投げの後からずっとお代を出しているのは陸だ。

お財布事情はどうなっているのだろうか。もしかしたら、自分は遠慮をしなさすぎなのではないかと心配した春が陸に問いかける。

 

だが、陸は余裕さえ感じさせる笑みを浮かべて、財布からそれを取り出した。

 

 

「念のため、いつも多めに持って歩いてるからな」

 

 

「お、おぉ~…」

 

 

陸の財布から取り出されたのは…諭吉。

何でそんなに持ってきているのか。今日は屋台のシフトで一杯で、祭りに出る予定はなかったのではないのかというツッコミは受け付けません。

 

春は、その光景を目を輝かせ、感心の声を漏らしながら見つめる。

 

 

「てことで、遠慮はすんなよ?春ちゃんは俺と二人で不服だろうとは思うけど…、せっかくのお祭り、楽しまなきゃ損だろ?」

 

 

「っ…」

 

 

その陸の言葉で、春は悟る。

陸は、自分が落ち込んでいることに気付いていたのだ。

楽に対する最悪の誤解に気づき、今までの自分の態度を攻め続けていたことに気付いていたのだ。

 

だから、陸は自分を元気づけようとしている。

 

 

「…あ」

 

 

春自身、その時に何を言おうとしたのかわからない。

でも、何か言わなければと口を開いて、声を絞り出そうとしたその時。

 

春と陸の視界の横で、何かが光った直後に低い爆発音が響き渡る。

 

普通ならば焦る所なのだろうが、視界に入った光の色がその正体を物語る。

 

 

「うわ、始まっちまったな…。悪いな春ちゃん、俺と二人で見る羽目になっちまって…」

 

 

パラパラという音が鳴り響く中、さらに次々と打ち上げられていく光。

 

陸がその感動的な光景に目を向ける中、春は陸の横顔を見つめていた。

 

 

「私は別に、先輩と二人でも不服じゃないですけど…」

 

 

「…え?」

 

 

笑みを浮かべてながら花火を見ていた陸だったが、その笑みを固まらせて春の方に目を向ける。

 

 

「わ、私はもう先輩の事嫌いじゃないですし!?ほら、先輩は私を助けてくれた恩人でもありますし!?そんな不服に思うほど嫌だとは思ってませんよ!」

 

 

「あ、あぁ…。そう…?」

 

 

怒涛の勢いで言葉を並べる春に、陸は苦笑を浮かべている。

 

もうすでに、春は陸から視線を外しているためその表情に気づくことはなかったが。

そして、春の顔が伏せられているため、その顔が真っ赤に染まっていることに陸も気づいていない。

 

 

「春!陸君!」

 

 

どこか居た堪れない空気になってしまった所で、どこかから聞き覚えのある声が聞こえてくる。

春と陸がその方向へと目を向けると、人ごみを通り抜けてこちらに向かってきている小咲を先頭とした皆の姿があった。

 

 

「あっ」

 

 

「っ、小咲!」

 

 

すると、この人ごみの中の誰かの足に引っ掛けたのか、小咲の体勢が前へと崩れてしまう。

それを見た陸が、真っ先に小咲の方へと駆け寄っていく。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 

春も小咲の方へと駆け寄ろうとするが、その時にはもう、小咲は陸の胸で受け止められていた。

 

 

「っ…」

 

 

その瞬間、ちくりと胸が痛む。

小咲が転ぶことなく、怪我をすることも無かったのに。

今の二人の体勢を見ていると、ちくちく胸が痛む。

 

 

(どうして…)

 

 

何故、と春が考えようとした時、今までとは規模が違う光と音が響き渡る。

 

春も、陸も小咲も、他の人達もその花火を目にした。

 

それは、この花火大会で伝統となっている一玉、お結び玉。

カップル二人で目にすると、その二人は永遠に一緒になれるという言い伝えがある、伝説の一玉。

 

 

「綺麗…」

 

 

「あぁ…。形はベタだけど、すげぇわ…」

 

 

小咲と陸が、寄り添うような形でそのお結び玉を目にしている。

それは、小咲にとってとても良い事であり、自分にとっても姉の恋路の進展を喜ぶべきなのに。

 

それなのに…、今までで一番、胸が痛んだのは何故なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花火すごいキレーだったねー。春もちゃんと見れた?」

 

 

「うん、ばっちり」

 

 

花火大会が終わり、その後、春たちの中でも花火大会が行われ、解散して家に帰った。

春と小咲はその後、すぐに二人でお風呂に入っていた。

 

 

「お姉ちゃん、よかったねー。先輩とあんな近くでお結び玉見られて」

 

 

「ふぇっ…」

 

 

ニヤニヤと笑みを浮かべながら小咲に問いかける春。

小咲の顔が一瞬で真っ赤に染まり、びくりと体が震えたことにより大きく水が揺れる。

 

 

「それも、その前には先輩に抱きしめられちゃって…。これはお姉ちゃんの恋が叶うのも近いかなー」

 

 

「は、春ー!」

 

 

さらに追撃を加える春に、頬を染めたまま困った顔をする小咲。

 

うん、やはりそうだ。小咲の想いは…

 

 

「じゃ、私はもう上がるねー」

 

 

「うぅ…」

 

 

これ以上からかうと怒られそうなので、さっさと退散することにする春。

頬を染めたまま恨めし気に春の背中を見てくる小咲を無視して、春は風呂場から上がって体を拭き、パジャマに着替える。

 

 

(そっか…。やっぱり、お姉ちゃんは先輩の事が好きなんだ…)

 

 

小咲が陸を想っていることはわかっていたはずなのに。

何で今になって思い知らされると、こんなに胸が痛むんだろう。

 

 

(…私は)

 

 

もう、気づくしかない。

本当なら、許されないこの想いと向き合うしかない。

 

 

(好きなんだ…。先輩の事が…)

 

 

扉を開け、部屋の中へと入りベッドへと飛び込む。

 

陸の事を考えると、心が躍るようになったのはいつからだろう。

陸の顔を見て、ドキドキするようになったのはいつからだろう。

 

陸と小咲が仲睦まじげにしている所を見て、胸が痛むようになったのはいつからだろう。

 

いずれも、自覚したのは今日。

でも、自覚したからこそそれは、前からずっと抱いていた思いだという事がわかる。

 

 

(…私はお姉ちゃんを応援しよう)

 

 

気付いた思いを受け止めて、春が出した結論は小咲を応援することだった。

 

 

(二人がくっつけば、この気持ちも諦められる…)

 

 

両目から涙を流しながら、必死に決意を揺るがそうとする恋心を抑え込む。

 

 

(だから…、早く諦めさせてね…。先輩…、お姉ちゃん…)

 

 

涙を拭いて、決意を固めた。

 

その、はずだった。

 

 

「こんちゃーす」

 

 

次の日の朝、春の思いも露知らずお店の中に入ってくる思い人。

 

 

「あ、陸君。いらっしゃーい」

 

 

「いやぁ、親父がここの味にすっかりはまっちまってなー。強引にお使いに出されちまったよ」

 

 

「…」

 

 

どうして…、どうしてこの人はこんなタイミングで来るのだろう。

 

諦めるって決意を固めたばかりなのに。

姉の恋を応援すると決めたばかりなのに。

あっけらかんとした顔で入ってきた思い人に、ふつふつとここで炎が燃え上がる。

 

 

「お、春ちゃん。いやぁ、昨日の楽は傑作だったなー!ははははは!」

 

 

「っ!」

 

 

陸の笑い声を聞いた瞬間、春の限界が訪れた。

 

ずんずんずんと歩みを進め、お店のシャッターを下ろす春。

 

 

「…え?」

 

 

「ち、ちょっと春!?」

 

 

陸と小咲の戸惑いの声が聞こえてくるが、知ったことではない。

 

しかし…、陸が来ただけでこんなに心が躍るという事は、まだ気持ちの整理がついていないという事なのだろうか。

 

春の心の葛藤は、まだまだ続きそうである。

 

 

 

 

 

おまけ

お結び玉を見た後。春は楽に今までの誤解を謝罪した直後の事である。

 

 

「あの…、これ、お詫びの品です…」

 

 

「…ぬいぐるみ?」

 

 

「はい。せん…、陸先輩が楽先輩は可愛い系の物が好きだって…」

 

 

「…おい陸」

 

 

「何だよ」

 

 

「…俺のぬいぐるみ趣味は秘密だって言っただろーが!何で春ちゃんに言ってんだよ!」

 

 

「春ちゃんの気持ちを汲んだ上だぞ。ありがたく受け取れ」

 

 

「いや春ちゃんにはお礼を言うさ!でもその前にやるべきことがある!」

 

 

「ほぉ、春ちゃんへのお礼よりも大切な事とな?お礼をそっちのけにしてでもやるべき事とな?それはそれは大切な事なんでしょーなー」

 

 

「うがぁあああああああああああああああ!!!」

 

 

軽い兄弟喧嘩が起こってしまったのはご愛嬌である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ということで、こういう風になりました。
そして質問なのですが、ハーレムタグをつけた方が良いのでしょうか。それとも、ハーレムまではいかないものの小野寺春というタグをつけるべきなのでしょうか。

活動報告にも同じことを載せてあるので、そちらに回答をお願いします。


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第69話 ヤクソク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?恋人の振りぃ?」

 

 

ケータイを耳に当てた楽の素っ頓狂な声に、対戦ゲームをして遊んでいた陸と集が振り返る。

 

未だ夏休みの真っ最中、アポもなしに家へと来た集と、陸と楽はゲームで遊んでいたのだがその途中、楽のケータイにるりから電話が入ったのだ。

 

そのるりと会話をしていた楽だったのだが、思わぬセリフに陸も楽も目を丸くしている。

 

 

「いや、何でそんなことに…、後で説明する?今すぐ準備して凡矢理駅に来い!?え、いやでも…、あ、はい。すぐに行きます」

 

 

るりが何を言ったのかは聞こえないが、楽の返答を聞く限り大体の予想がつく。

 

初めは何らかの頼みごとをるりがしていたのだろうが、恐らくかなり切羽詰まった状況なのだろう。

ドスの利いた声で楽に命令した、といった所か。

 

しかしわからないのは、楽が聞き返していた恋人の振りという言葉である。

…まさか、るりとも付き合ってる振りをするのだろうか。二股か、二股なのか楽は。

 

等々考えている内に、通話が切れたようだ。耳からケータイを離して呆然としている楽。

 

 

「…宮本からだったんだろ?どんな用だったんだよ」

 

 

さっさと、率直に聞きたいことを楽に問いかける陸。

楽は問いかけた陸へとゆっくりと視線を移し、呆然としたままこれまたゆっくりと口を開く。

 

 

「宮本が…、今日、曽おじいさんの家に行くらしいんだ…」

 

 

「…で?」

 

 

「それで…、何か宮本は行きたくなかったみたいで、彼氏がいるって理由をでっちあげて断ろうとしたみたいなんだけど…、その彼氏を連れて来いって言われたらしくて…」

 

 

「…」

 

 

とりあえず、楽は完全に巻き込まれたという事らしい。

さらに、楽が言うには、るりは大量の男子の写真から適当に一枚選び、その人を彼氏という事にして断ろうとしたらしい。

その上、テレビ電話で話していたらしく、写真に写った男子の顔も見せてしまっているという事。

つまり、楽を連れて曽おじいさんの家に行くしかるりには選択肢が残っていないという事なのだ。

 

 

「…ま、どんまい。ゆっくり楽しんで来いよ」

 

 

「おい!そんな他人事みたいに…」

 

 

「だって他人事だし」

 

 

陸からすれば他人事のため、特に感じることも無く。

せっかくの旅行なんだから楽しめば?といった感じである。

 

 

「なぁなぁ楽!俺もついてっていい!?」

 

 

「は?何でだよ?」

 

 

「だって面白そうだし!」

 

 

だが陸と違って、集は楽が巻き込まれている事態を面白そうだと感じたらしく、ついていくと言い張っている。

 

 

「いや、まぁ…いいんじゃね?行くんなら準備しなきゃだけど…」

 

 

「なら俺もう帰るわ!陸、楽しかったぜ!」

 

 

「お、おう…」

 

 

一目散に部屋から出て行く集。

 

 

(そこまで面白そうか?…いや、面白そうだな)

 

 

とはいえ、ついていこうとまでは思わないが。

 

 

「ほら、楽も準備しろよ」

 

 

「…陸は来ないのか?」

 

 

「俺はゲームしてる。ていうかこんな暑い中出て歩きたくねえ」

 

 

「ホント…、俺はお前が引きこもりにならないか心配になるよ…」

 

 

大丈夫だ、それはないと楽に答えながら陸はゲームソフトの入れ替えを始める。

そんな陸を見てため息を吐いてから、楽も部屋から出て行く。

 

さて、これで陸の部屋からは主以外誰もいなくなった。

つまりこれからは陸が完全なる自由を得たことになる。

 

 

「よし、早速期間限定クエストをやりに…」

 

 

ソフトの入れ替えを終え、ゲーム機を起動させるためにスイッチを押そうとする陸。

だがその瞬間…、陸のケータイの着信音が鳴り響いた。

 

 

「…」

 

 

スイッチを押そうと手を伸ばした体勢で陸の動きが止まる。

そんな中でも、ケータイの着信音は鳴り続けている。

 

 

「…くそっ」

 

 

立ち上がり、テーブルの上に載るケータイを取り、通話ボタンを押して耳に当てる。

 

 

「もしもし」

 

 

『あ、陸先輩ですか?小野寺春です』

 

 

電話を掛けてきたのは、春だった。

春はどんな心境の変化があったのか、あの花火大会の日から陸の事を名前で呼ぶようになっていた。

もちろん、先輩を付けてだが。

 

 

『実はですね、今、水族館のチケットを二枚持ってるんですよ。本当は今日、私とお姉ちゃんでいく予定だったんですけど…、私、お母さんにお仕事頼まれちゃいまして…』

 

 

「…話が読めてきたけど、一応続きを聞こう」

 

 

読めたというより、もう確定だろう。次に春の口から出てくる言葉は。

 

 

『先輩、私の代わりにお姉ちゃんと水族館に行ってくれません?』

 

 

『は、春!?』

 

 

何か電話の向こうで小咲が驚いている声が聞こえてきたが、小咲の了承は得ていないのだろうか?

 

 

「あのさ春ちゃん。小咲の驚いてる声が聞こえてきたんだけど…、まさか…」

 

 

『何を言ってるんですか?お姉ちゃんは近くにいませんよ』

 

 

『は、春!何を勝手に…!』

 

 

春は惚けているが、間違いなく電話の向こうで春の近くに小咲はいる。

そして小咲は、自分を水族館に誘おうとしている春を止めようとしている。

 

 

「あのさ春ちゃん、お誘いは嬉しいけど、小咲も嫌がってるみたいだし、俺じゃなくて千棘辺りを…」

 

 

『あぁ~、違いますよ!もう、お姉ちゃんが止めようとするから陸先輩、お姉ちゃんが嫌がってるんだって勘違いしてるよ!?』

 

 

『え、えぇ!?』

 

 

何か言い争いが始まったようだが、大丈夫だろうか。

別に姉妹喧嘩を止めるつもりはないが、自分との電話中ということを少し考えてほしい。

 

 

『あ、あの…陸君?』

 

 

「…小咲?」

 

 

少しすると、今度は春ではなく小咲の声が聞こえてきた。

 

 

『私は、その…。陸君と水族館に行きたいけど…、だめ、かな…?』

 

 

「…」

 

 

もう前から思っていることなのだが、どうして小咲はいつもそんな狡い聞き方をするのだろう。

断る気はさらさらないのだが、たとえあったとしてもそんな気はみるみる消えていくだろう。

 

 

「いや、駄目じゃないけど…。なら、行くか…?」

 

 

『…うん』

 

 

何で…何でこんな微妙な空気になったのだろう。

結局微妙な空気はそのまま変わらず、待ち合わせ場所と時間を決める陸と小咲。

 

場所は現地、時間は十三時という事で決まる。

 

 

(さて、待ち合わせ時間は決まったけど…。十三時か、すぐに準備して家でなきゃ間に合わねえな)

 

 

本当は十四時にしようという話だったのだが、春の横やりによって一時間、時間が早まってしまった。

 

 

(しかし、前までの春ちゃんからは考えられないな…。小咲と水族館に行けなんて…)

 

 

本当に、あの花火大会から春は変わった。一体どんな心境の変化があったのか…。

 

ともかく、そんな戸惑いは心の隅に置き、陸はすぐさま外出の準備を始める。

顔を洗い、歯を磨き、部屋着から外出用の簡単な夏服に着替える。

 

そして組員の一人におにぎりを作らせ、できたそれをラップで包んで袋に入れる。

 

 

「陸坊ちゃん、帰りはどれくらいになるんで?」

 

 

「わからん。まあ、夕飯までには戻るとは思うけど」

 

 

玄関で靴を履きながら竜と話す。

いつ帰れるかはわからないが、さっき言った通り夕飯までには帰れるだろう。

というよりそれまでに帰らないと、小咲の親も心配するだろうしこちらの組員たちも喧しくなる。

 

 

「じゃあ、行ってくるわ」

 

 

「おす!行ってらっしゃいやせ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

水族館前に到着した陸。ここに来るまでに乗った電車の中で腹ごしらえも済ませ、準備万端。

辺りを見回したが、まだ小咲はここに来ていないようだ。

 

 

(時間は…、五分前か。そろそろ来るか?)

 

 

ただ今の時間、十二時五十五分。待ち合わせ時間、一時まで残り五分。

まあ、約束した時刻を考えたら小咲が来るのはギリギリか、それとも遅刻してくるかもしれない。

 

 

「り、陸君!」

 

 

「お?」

 

 

そう思っていたのだが…。陸の予想に反して小咲は五分前にやってきた。

とても慌てた様子で、少し汗が流れている。

 

 

「おい、大丈夫か…?」

 

 

「はぁ…はぁ…、だ、大丈夫」

 

 

陸の元に駆け寄った小咲が、両手を膝について息を荒げている。

 

 

「大丈夫そうには見えないけど…、ちょっと休むか?」

 

 

「はぁ…、大丈夫。せっかく陸君と遊ぶんだもん、こんな所で時間を無駄にしたくないから」

 

 

「っ」

 

 

花が咲いたような、そんな輝かんばかりの笑顔を浮かべて言う小咲に息を呑む陸。

 

さらに今になって気付いたのだが、小咲が着ているのは白いワンピース。そして頭には麦わら帽子。

そう、これは前に陸と小咲、春の三人で買い物に行ったときに小咲が買ったものだった。

今日、小咲はその服装を選んでここに来たのだ。

 

 

「そういえばその服…、前に買ったものだよな」

 

 

「あ…、うん。覚えてたんだ…」

 

 

帽子を撫で、身に着けているワンピースを見下ろしながら頬を染める小咲。

 

 

(あぁもう…、一々仕草が卑怯なんだよな…)

 

 

口には出さないが、そんな事を考える陸。

ただでさえ容姿が整っているというのに、それに加えてその可愛らしい仕草は効果抜群。

 

陸も思わず頬を染め、小咲の顔から視線を逸らしてしまう。

 

 

「…と、とにかく!大丈夫なら、もう館内に入ろう。それにこうして話している間に休めただろうし」

 

 

「あ…、うん!じゃ、行こっか!」

 

 

陸と小咲は頬を染めた赤を収め、笑みを向け合いながら並んで歩き始める。

 

久しぶりの…いや、初めて約束し合ってのデートの行先は、木地里(きっちり)水族館。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




木地里(きっちり)はオリジナルです。
あの水族館は何ていうんでしょうね?


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第70話 トモダチ

水族館とか…行ったことはあるらしいんですが、もう昔の事で…。
正直これが限界でしたごめんなさい…。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天国、極楽、まさにそんな言葉が似合う夏休みも、もう残り少なくなってきた…ある日。

陸は珍しく家から外に出て歩いており、そしてその隣には小咲が歩いていた。

 

…いや、隣というのは少し語弊がある。だがどう言い表せばいいのかわからない。

傍らと言えばいいのか、それとも眼前と言えばいいのか。ともかく、陸のすぐ傍には小咲がいた。

 

 

「こ、小咲。大丈夫か?」

 

 

「う、うん…。大丈夫だけど…」

 

 

前に水槽のガラス、後ろに陸、この板挟みの状態で。

 

陸が縮こまった体勢で立たざるを得ない小咲に問いかける。

小咲は大丈夫だと答えたのだが…、それにしても、いくら夏休み真っ只中とはいえ、こんな状態になっているとは思わなかった。

 

小咲のすぐ後ろに立っている陸だが、その彼のすぐ後ろにもまた人が立っていた。

そのすぐ後ろにも、そして隣にも…、たくさんの人が。

 

今、陸と小咲は水族館の入り口付近にいるのだが、ここまででわかる様にかなり混んでいる。

何とか人ごみの間に体を入れて進もうとする二人。

 

 

「お…、小咲、俺の手つかめ」

 

 

「え…?あっ…」

 

 

水族館に入ってから、五分くらい経っただろうか。ようやく陸の視界に人ごみの終点が見えた。

体が人ごみから抜けると、陸は今だ人ごみの中にいる小咲へ手を伸ばす。

 

しかし、差し伸べた陸の手をぼんやりと眺めるだけの小咲。

仕方ない、と陸は小咲の手首を掴んで引っ張る。

 

 

「あ…ありがとう」

 

 

何故陸が手を差し伸べたのかよくわからなかったのだろう。

人ごみから抜けた小咲は、合点がいったような顔になり、陸へお礼を言う。

 

 

「さて、と…。中はゆっくり回れそうだな。どこから行こうか」

 

 

小咲の方を見て一つ頷いてから、陸は周りを見回しながら言う。

入り口付近はかなり混んでいたが、中はスペースに余裕があった。

それでもまだ、結構混んでいるように見えるのだが…。

 

 

「…あ、陸君!あれ!」

 

 

「ん?」

 

 

すると、陸と同じように周りを見回していた小咲が、不意に陸の服を引っ張りながらどこかを指さす。

陸は小咲の顔に目を向け、そして視線を小咲が指差している方へと向ける。

 

<イルカショー 1:30~ イルカスタジアムにて>

 

 

「イルカショー?」

 

 

小咲が指差している方には、イルカショーの開催時間と場所が書かれた看板が立っていた。

陸はその看板を見てから、小咲へと視線を戻す。

 

 

「見たい…んだな」

 

 

「…」

 

 

見たいのか?と問いかけようとしたのだが、その言葉を言い切る前に小咲は答えを示していた。

目を輝かせ、にっこりと笑いながらコクコクコクと頷き続けるという形で。

 

 

「じゃあ…、行くか?」

 

 

「うんっ」

 

 

あまりの食い付きぶりに、思わず少し引き気味になってしまった陸だが、すぐに気を取り直して小咲に確認する。

 

小咲は問いかけてくる陸に、もう一度、深く頷いて応えた。

 

イルカスタジアムへたどり着くのに、そう大した時間はかからなかった。

案内板を見て、現在地と方向を確認しながら進み、陸と小咲はイルカショーが始まる五分前には席に着いていた。それも、幸運なことに空いていた最前列の席に。

 

 

「(わくわくわくわく)」

 

 

「…」

 

 

席に着いた陸は、隣でうずうずと落ち着かない様子でいる小咲を横目で見ていた。

 

いつもは見られない、あまりに高いテンションの小咲に新鮮味を感じる陸。

…もう少し落ち着くことは出来ないのかという恥ずかしさもあったりなかったりだが。

 

興奮する小咲を宥めながら待つ三分は、今までの中でも一番ではないかと思えるほど長く感じた。

 

ショーが始まると、それは凄かった。

とはいえ、小咲は子供のように騒いだりはしなかったのだが。

 

ならば、何がすごかったのか。

 

 

(うわ、すげぇ…。今まで見たことないくらい小咲の目が輝いてる。テンションが上がってる。ていうか、テンションが上がり過ぎて何も言えてねえ)

 

 

何というか、無言で訴えてくるのだ。

あのイルカが凄い、あのイルカが可愛い、あのイルカに乗ってみたい等々。

 

え?何で小咲は何も言っていないのにわかるのか?

…実際に今の小咲の目を見てみればわかるさ。

 

と、まあこんな感じの小咲もそうだが、実はイルカショー初体験という陸もかなり楽しんでおり、様々な芸を繰り広げるイルカを見て歓声を上げたりしている。

 

さて、その調子で陸もイルカショーに釘付けになっていき、いつしか小咲と同じように目を輝かせ始めたその時、あるちょっとした事件が起こる。

 

 

『さて、お次のショーはお客様にも手伝ってもらいたいと思います!』

 

 

次は何を見せてくれるのか、ワクワクしながら待っていると司会の女性がお客を見回しながらそう口にした。

 

そこでふ、と陸は我に返る。

我に返って…、司会者の言葉を飲み込み、これはもし選ばれたらイルカと戯れられるのでは?という考えに至る。

 

…先程まで感じていた興奮が再燃した。

 

選ばれたい。選ばれてイルカと戯れたい。

いつしか隣で陸と同じように興奮している小咲の事も忘れ、イルカのこと以外頭からなくなっていく。

 

 

『では、そこのカップルお二方!こちらへ来ていただけませんか!?』

 

 

陸と小咲の動きが止まったのは、全く同じタイミングだった。

 

 

(え、カップル?誰の事だ?)

 

 

(あれ…、あの人、私の方向いてる…)

 

 

自分が手を向けられていることに気付いた陸と小咲は、そこで自身が一人でここに来ているわけではないという事を思い出す。

そして、互いに顔を見合わせて…、司会者の言ったカップルが誰の事なのかを悟る。

 

 

「えっ…、わ、私たちですか!?」

 

 

「…どうやらそうらしい」

 

 

互いに無言でショーについて語り合っている内、いつの間にかかなり距離が近づいていたようで。

そんな二人の距離感を見て司会者が勘違いしてしまったのだ。

 

 

「私たちはそんな…!」

 

 

「ま、まあまあ。弁解してたら時間押して司会者の人も困るだろうし…、ここは空気読んどこうぜ」

 

 

というよりこれはチャンスだろう。

まさかショーのお手伝いに選ばれるとは。イルカと戯れることができる。

 

このチャンスを逃したくはない。

 

カップルと間違われ、小咲は嫌かもしれないが…、悪いがここは付き合ってもらおう。

 

 

(うん、後で謝るから小咲。だから今は…、俺のためにと思って協力してくれ)

 

 

心の中で何度も謝りながら、小咲の前に立ってステージに立つ陸。

 

 

『ではこの旗をお持ちに。こちらの合図で旗を上げると、ルー君がジャンプしますので』

 

 

白、赤の旗を陸と小咲にそれぞれ手渡しながら、司会者の人が説明をしてくれる。

 

 

『それでは二人共、手を繋いで下さ~い!』

 

 

そして説明が終わり、いよいよショーに入るのか。

と、思っていたのだが今、自分たちは周りの人にカップルと思われている。

ていうか、今やろうとしているショーはカップル向けに設定されているのだろう。

 

ともかく、言う通りにしなければ怪しまれる。

陸は小声で、小咲にだけに聞こえるように謝ってからそっと手を握る。

 

 

「っ、ひ、ひゃぁっ!ま、まだ心の準備が…」

 

 

だがその直後、顔を真っ赤にした小咲が勢いよく手を離し、さらにその勢いに乗ってもう片方の、旗を持っている方の腕を上げてしまった。

 

 

「あ」

 

 

『あ、ちょっと、まだ…』

 

 

呆けた声を漏らす陸と、思わぬ小咲の行動に焦る司会者。

そして、調教師に仕込まれた通りの行動をするイルカ。

 

 

「っ」

 

 

傍目でイルカの泳ぎを見た陸は、次に起こることを確信して咄嗟に小咲に覆いかぶさる。

 

小咲の顔に戸惑いが浮かぶが、それに構っていられない。

 

小咲に覆いかぶさった陸はそのまましゃがみこみ、直後に襲い掛かる事態に備えて心を構える。

そして、次の瞬間。

 

陸の背中に、大量の水がかけられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

陸の目の前で、深々と頭を下げて謝罪してくる小咲。

理由は、もちろん先程のイルカショーでのことだ。

 

小咲が旗を上げてしまったせいで、ジャンプをしたイルカ。

その際に上がった水しぶきで陸の服はびしょ濡れになってしまったのだ。

 

 

「いや、気にすんなって。それにむしろ、謝んなきゃいけないのは俺の方だろ。いきなり手なんか繋いじゃって…。一言声かけてからの方が良かったな」

 

 

「…」

 

 

悪いのは、全部自分なのに。

それなのに、怒ることなく、笑って許しながらむしろ自分が悪かったと謝ってくる陸。

 

 

「いやぁ、ホント悪かったわ。あの時、カップルじゃないので他の人を指名してあげてくださいって言っとけば良かったのによ。小咲も、カップルだなんて間違われて嫌だったろ?」

 

 

「っ」

 

 

聞き捨てならない言葉が、小咲の耳に届いた。

 

瞬間、今まで申し訳なさにずっと黙っていた小咲の中で何かが燃え上がった。

 

 

「そんなことない!」

 

 

「え?」

 

 

陸が目を丸くしているのが分かる。

だが、今の小咲はそれでも止まらない。

 

 

「本当は陸君とちゃんとショーを楽しみたかった…。カップルだって間違われても嫌じゃなかった!」

 

 

「!?」

 

 

ただでさえ丸くなっていた陸の目が、さらに見開かれる。

 

小咲も、言い切った後ふと我に返る。

 

…今、自分はなんて言った?

 

 

「…っ!!!!!?」

 

 

先程、自分が言ったことを思い返して一気に顔を真っ赤にする小咲。

 

両手を前に出し、あわあわと振りながら小咲は口を開く。

 

 

「あ、あの…、その…」

 

 

「…」

 

 

ポカンとしながら、陸は黙って小咲の言葉に耳を傾ける。

その頬が染まっていることに、気づかない小咲は相当パニックになっているのは言うまでもない。

 

 

「ほ、ほらっ。陸君とは友達として仲が良いって思ってるし、カップルって間違われても嫌じゃないくらいは信じてるっていうか…」

 

 

「…」

 

 

ちゃんとした理由になっているだろうか。違和感なく言えているだろうか。

心配になって、思わず顔を俯けてしまう。

 

いつかは絶対、この思いを陸に打ち明けたいと思っている小咲だが、その大事な告白がこんなはっきりしないものになるのは嫌だ。

 

告白するなら、はっきりと自分で好きだと伝えたい。

だから、今は…今は。

 

 

「…そっか。そうだな、俺達、友達だしな。そんな気を遣わなくても良かったな」

 

 

陸が笑顔を浮かべながら返す。

小咲も、俯けていた顔を上げる。

 

 

「それよりさ、俺の服濡れてるだろ?ちょっと気持ち悪いし、そこの売店でTシャツ買いたいんだけど、選ぶの手伝ってくれるか?」

 

 

「…うんっ!陸君、どんなシャツが良い?」

 

 

「んー…、イルカが描かれてるシャツとか?」

 

 

互いに笑顔を向けながら、売店へと足を踏み入れる。

 

その後、陸と小咲は色んなシャツを比べるのだが、この間ずっと笑いが途絶えることはなかったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

陽も沈み、辺りが暗くなり始めた時間帯。

陸は家へと帰宅し、玄関で靴を脱ぐ。

 

 

「坊ちゃん、おかえりなさいやせ!もうすぐ夕飯ですので、待っててくだせえ!」

 

 

「おう、了解」

 

 

ちょうど、玄関へと入ってきた組の男から言われた陸は手を上げながら返事を返す。

 

玄関を抜けて、自室へ入った陸は出かけた当初着ていた服が入った袋を床に置き、ポケットに入った携帯電話をテーブルに置いた。

そして、ドスンと座布団に腰を下ろし、後ろ手で床に両手を付いて天井を見上げる。

 

 

「…ふぅ」

 

 

その体勢のまま動かない陸。じっ、と天井を眺め続ける陸。

 

胸の内では、何を思っているのか。

 

 

「おぅ、陸。帰ってきてんだろ?入るぞ」

 

 

すると部屋の外から低い男の声が聞こえてくる。

その声の主は、陸の返事を待たずに障子を開けて部屋の中に入ってきた。

 

 

「何だよ親父。何か用なのか?」

 

 

入ってきた男、一征を見て陸は姿勢を直して問いかける。

いつも仕事で忙しい一征は、基本的に用がなければ部屋まで来ない。

その用が、本当に下らない事も多々あるのだが…。

 

 

「おぉ、ちょっと急いでお前に知らせてぇ事があってよ」

 

 

「知らせたいこと?」

 

 

一征は、陸におぅ、と返してから口を開いた。

 

 

「さっき、叉焼の方から連絡が入った。詳しい日付はまだ決まってねえみてぇだが、近い内に羽が日本に来るってよ」

 

 

「…はい?」

 

 

夏休みは、もうすぐ終わる。

 

それと同時に、嵐ももうすぐやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想待ってまーす。


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第71話 ライホウ

前話で名前だけ出たあの人が登場します。
これで、キャストは揃ったわけです…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人によっては耳障りに思える音も、今は何故か心地よく感じられる。

周りには黒服を身に着けた男たちや、常人では考えられないほどサイズが小さめの女の子。

 

そんな周りから見れば怪しさ満点の人達と共に、女性は地面に足を着ける。

 

 

「日本…、本当に久しぶり…」

 

 

風で揺れる髪を押さえながら、晴れ渡った空を見上げる。

 

 

「元気かなぁ…。陸ちゃん…、楽ちゃん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「♪」

 

 

親しい友人でも、滅多に見ることのない程ご機嫌な様子で陸は外を歩いていた。

その手には、小さなビニール袋。そしてその中には─────

 

 

(寝坊しちまった時にはマジで焦ったけど…、ラスト一本!間に合ったぞモンハンZ!)

 

 

一本のゲームソフト、超大人気シリーズモンスターハ〇ターの最新作。

 

朝一に起きて、店に並ぼうと予定していた陸だったが何という不覚、寝坊してしまった。

慌てて、顔を洗ってからご飯も食べずに家を飛び出して…、何軒か回った所で奇跡的に買うことができたのだ。

 

 

(もうしばらくできないって覚悟してたけど…、これは運命だ!神様が残り少ない夏休みはゲーム漬けで生活しろって言ってるんだ!)

 

 

感動しているのか、ほろりと涙を流しながら心の中で的外れなことを呟く陸。

 

何かもうワクワクしすぎて落ち着いていられず、そして早くケースを開けてプレーしたいという思いに駆られ、走り出す。

 

 

「…?」

 

 

もう、ゲーム以外の事は考えられなかった。

 

だから、家に着いた時の異様な光景を見た時の陸の衝撃は凄まじいものがあった。

 

 

(…何であいつらがスーツとか着てんだ)

 

 

燃え上がっていた心が冷えていくのが分かる。

そして代わりに頭の中に湧き上がってくる疑問符たち。

 

 

「お、陸坊ちゃん!お帰んなせぇ!」

 

 

「…竜、何やってんだ」

 

 

スーツをしっかり着こなすだけでも普段から考えれば信じられないというのに、さらにぴっしり横一列に並んでいるのだからなお質が悪い。

 

怪訝そうな目を向けながら竜に問いかける陸。

 

 

「あ…、そういや陸坊ちゃんには秘密になってたんでしたね…。今、叉焼会の首領が来てて…あぁっ!坊ちゃん!?」

 

 

竜が言葉を言い切る前に、陸は駆けだした。

 

背後から聞こえてくる竜の声を無視して、陸は玄関の扉を乱暴に開け、玄関で靴を脱ぎ捨てる。

 

 

「親父!おいどこだクソ親父!」

 

 

廊下をどたどたと鳴らしながら歩く陸から、廊下の端へと並んで道を作る組の男たち。

 

 

「…おい、親父はどこにいる」

 

 

「へ、へいっ!ぼ…ボスなら今、執務室に…」

 

 

不意にぴたりと止まった陸は、すぐ横にいた男に一征の居場所を聞く。

執務室にいるとしっかり聞いた陸は、進路を変更。客室へと向いていた足を回れ右で方向転換し、再び歩き出そうとする。

 

 

「…陸ちゃん?」

 

 

「え?」

 

 

すると、背後から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

竜の声では止まらなかった陸の足が、その瞬間ぴたりと止まった。

 

陸が振り返ると、そこにはこちらを目を丸くしながら見つめてくる、綺麗な女性が。

長い髪を腰辺りまで下ろし、カチューシャを着けている。

 

 

「陸ちゃん!」

 

 

「…え?」

 

 

その女性は次の瞬間、笑顔を弾けさせてこちらに駆けてくる。

陸は、ただただその女性を呆然と眺めるだけ。

 

その間にも、女性は陸の両手を掴んで上下に振りながら話しかけてくる。

 

 

「うわぁっ、陸ちゃんも大きくなってる!元気にしてた~!?」

 

 

「…羽…姉?」

 

 

「うん!そうだよ、陸ちゃん!」

 

 

呆然としていた陸の表情も、羽と呼ばれた女性と同じように笑顔へと変わっていく。

 

 

「うわぁ!一瞬、誰だか分かんなかった!羽姉こそ大きくなったなぁ!」

 

 

「へへへ…、もう六年…七年ぶりかな?本当に久しぶりだもんね?」

 

 

「しかし、今日来るとは思ってなかったわ…。親父も近いうちに来るとは教えてくれたんだけど、それ以外は何も言わなかったし…」

 

 

羽の姿を見て、話している内に抱いていた怒りは何処かへ去っていったようで。

親父と口にしても怒りが沸くことはなく、羽と会話を続ける陸。

 

 

「あ…、ゴメンね?それ、私が秘密にしてほしいって言ったの。ビックリさせたくって」

 

 

「…そういえば、竜も俺には秘密とか言ってたな」

 

 

意外な人から陸が知りたい答えを聞き、そこで竜も核心に至る言葉を言っていたことを思い出す。

 

 

「あ、羽姉、楽とは会ったか?実はさ、楽の奴今彼女いるんだよ…」

 

 

「うん、ついさっき会ったよ。今、そこの部屋で桐崎さんと話してたの」

 

 

「え、何だ。もう会ってたのかつまらん」

 

 

陸は視線を羽から外し、羽が言っていた部屋の中を覗く。

 

 

「おう、陸」

 

 

「お邪魔してまーす」

 

 

座布団に座っていた楽と千棘が、手を上げながら挨拶してくる。

 

陸は部屋の中へ入り、座布団に座るとその陸の後をついてきた羽も陸の隣に腰を下ろす。

 

 

「そっか…。あんたと幼なじみってことは当然、陸とも幼なじみってことよね…」

 

 

「今頃気付いたのかよ…」

 

 

今まで何を話していたのかは知らないが、千棘が顎に手を当てながら頷き、その横で楽が呆れたような目で千棘を見ている。

 

陸は疑問符を浮かべて首を傾げ、その隣で羽がくすりと笑っている。

 

 

「それにしても…、陸ちゃんは変わったね。昔は全然しゃべらなかったのに、今はこんなにしゃべってる」

 

 

「…なぁ、俺ってそんなに変わったか?確かに昔は無口だったなとは思ってるけど」

 

 

「「変わったよ」」

 

 

「お前には聞いてねえよ楽」

 

 

しみじみと変わったねと言う羽に問いかける陸だが、何故かその問いかけに羽と一緒に答えた楽に間髪入れずにツッコミを入れる。

 

 

「もう、陸ちゃん覚えてないの?あの頃の陸ちゃんは私が何を話しかけても全然しゃべらなかったんだよ?」

 

 

「…そうだっけ」

 

 

「そうだよ。頷いたり何かリアクションしたり、返事はしてくれてただけ良かったけど…」

 

 

「…」

 

 

俺って、そこまで無口だったの?ちょっと大げさに言い過ぎじゃね?

 

と、内心で呟く陸だが口には出さない。

口に出せば、羽と楽にツッコまれるのが目に見えてるから。

 

 

「…この調子じゃ陸ちゃん、あの事も覚えてないでしょ」

 

 

「あの事?」

 

 

ニコニコと笑顔を浮かべながら陸を見つめて、羽が問いかけてくる。

羽が言うあの事というのに全く思い当る節がなく、陸は羽に問い返す。

 

すると、羽はニコニコと浮かべていた笑顔をそのまま変えず、口を開く。

 

 

「私のファーストキスを奪ったこと」

 

 

陸はひっくり返り、楽と千棘は正座をしたまま物理法則を無視して飛び上がる。

 

 

「ふぁ、ファースト!?はじ、初め…はいぃ!?」

 

 

「あ、やっぱり覚えてないんだ。ひどいな~、大切な初めてだったのに~」

 

 

顔を真っ赤にして慌てふためく陸。いや、本当に何も覚えてない。

 

 

(え…!?そんな事…あったっけ!?は!?)

 

 

外だけでなく、内でも動揺しまくりの陸を、楽と千棘は頬を染めながら眺めている。

 

 

「ま、マジか陸…。お前、いつの間に…」

 

 

「いや、ホントに覚えてない!て、ていうかウソだろ!?ウソだって言ってくれ!」

 

 

「え~?ひどいな~」

 

 

信じられないと言わんばかりの目で陸を見ながら言う楽。

そんな楽の言葉を切り捨ててから、懇願するように羽に詰め寄る陸。

 

そして不満げに頬を膨らませる羽は、頭を抱える陸を見つめながらそっと頬を染める。

 

 

「でも…、陸ちゃんは私を…」

 

 

((…ん!?))

 

 

陸は頭を抱えていたため羽の表情を見ることができず、さらに混乱していたため羽の呟きも聞き取ることができなかった。

だが、楽と千棘は別で。

 

羽の表情を見れて、呟きも聞き取ることができたため、悟る。

 

これは、もしかしたら後に大きな嵐が起きるのではないか、と。

 

 

「あ…あー…。羽姉ちゃんはいつまで日本にいる予定なんだ?」

 

 

「うん?そうね…、実は期間は特に決めてないんだ。しばらくはぶらっとしようかなって思って」

 

 

ともかく、堪らずこの空気を変えようと、楽が今までの話題を反らして羽の滞在期間について聞く。

だが、詳しい事は決めていないようで、羽はわからないと答えた。

 

 

「あ、そうそう。陸ちゃん、楽ちゃん。実は私、こっちにいる間は二人と同じ高校に通うのよ。これからは毎日会えるねー。明日から新学期だし」

 

 

「え、そーなの?」

 

 

楽も千棘も目を見開き、陸も復活して驚いた様子を見せる。

 

 

「何だよ。わざわざ転校してくんのか?」

 

 

「なら、羽姉は俺たちの先輩になるってことか」

 

 

「…うふふふふ」

 

 

陸と楽が言う。そして、そんな二人を羽は笑みを浮かべながら見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

次の日、羽が言っていた通り新学期の初日。

とはいっても、あるのは始業式や教室の掃除だけで本格的な授業は明日からだ。

 

そして今は、その始業式が終わり、掃除が始まるまでの休み時間である。

 

陸は席に着き、机で頬杖をつきながら周りに立っている友人たちと談笑していた。

 

 

「お、おい一条…。あの先生が、お前を呼んでくれって」

 

 

「は?先生?」

 

 

すると、友人たちの輪を分けてやって来たクラスメートが、戸惑いの表情を浮かべて、黒板側の扉を指さしながらそんなことを言ってきた。

 

友人たちはそのクラスメートが指さす方へと視線を向ける。

その際、僅かに体を動かす者もいて、そのおかげで人と人の間が空き、そこから黒板側の扉を目にすることができた。

 

 

「ん?あの人誰だ?」

 

 

「あんな人、見たことねえよな」

 

 

「制服着てないってことは教師?すっげー美人だな…」

 

 

「っ!!!?」

 

 

友人たちが何やら話している中、陸の頬杖が崩れ、顔面を机へぶつけてしまう。

 

その際に響いた音に、友人たちが振り返って陸を気遣うがそれさえも気にならない程今の陸は動揺している。

 

 

「な、何で…」

 

 

痛む顔面を押さえながら、席から立ち上がった陸はその教師がいる方へと向かう。

 

 

「陸ちゃーん、やっと会えたねー!」

 

 

「教師かよ!羽姉!」

 

 

てっきり、先輩として来るとばかり思っていた。

だって転校って言ってたし、あの時は何も言わなかったし。

 

だが、そんな陸の予想はあっさり外れ、昨日と違って髪を三つ編みにした羽はにっこり笑いながら目の前に立っている。

 

 

「これからはこのクラスの英語を担当します。これからよろしくね?」

 

 

本当に、羽が来てからは驚かされてばかりだ。

 

手で額を押さえながら、天井を仰ぐ陸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この話を読んだ人はわかるでしょう。

さて、改めて聞きます。
ハーレムというタグをつけた方が良いのでしょうか?

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第72話 ブチキレ

陸君がぶち切れます。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『は?あの新しく入ってきた先生が、お前の幼馴染?』

 

 

友人たちの呆然とした表情が、鮮明に頭に浮かび上がる。それに、ぶっちゃけ自分も友人たちと同じ表情をしていたと思う。

 

ていうか、どうやって教師になれたのだろう?教員資格とかいつ取ったのだろう?

 

 

(…まさか、叉焼会の力でごり押ししたとかないよな)

 

 

ありそうで怖い。羽の頼みなら叉焼会全体が働きそうで怖い。

 

陸はこれ以上恐ろしい予想をしないように努めながら、肩からずり落ちそうになった鞄の位置を直して歩き出す。

 

すでに帰りのホームルームは終わり、ほとんどの生徒が教室から出て廊下にたむろったり帰ろうと玄関に向かったりしている。

 

陸は後者の方で、初めは楽と羽を誘って帰ろうとしたのだがすでに二人の姿はなく。

それどころか他の、小咲や集たちの姿もなかったためほんの少ししょんぼりしながら階段を降りていた。

 

まあ、羽に関しては教師だし、色々とやらなければいけないこともあるだろうし仕方ないのだろうが。

…楽は少しくらい待っててくれたっていいじゃないか。

 

 

「陸君!」

 

 

怒り(楽に対して限定)すらも湧いてきた時、陸は靴を履き替えていたのだが生徒玄関の扉の方から陸を呼ぶ声が聞こえてきた。

目を向ければ、そこにはこちらに手を振る小咲の姿があった。

 

 

「良かった…。まだ学校にいたんだね」

 

 

「…待ってたのか?俺が来るの」

 

 

安堵のため息を吐く小咲に、キョトンとしながら問いかける陸。

すると、小咲は笑顔を浮かべて、陸を見上げながらこくりと頷いた。

 

うわ、やっぱり小咲優しいわー。どっかの薄情な糞兄貴とは雲泥の差だわー。

 

等々しみじみと感動する陸だったが、すぐに我に返る。

 

 

「っと…、待ってた…て、どうしたんだ?」

 

 

「え?え…っと…」

 

 

ホームルームが終わり、教室から出て見てわかったのだが、それなりに早く小咲たちのクラスのホームルームは終わっていたはずだ。

千棘やるりたちと一緒に帰ればいいものを、こうして自分を待っていたのだから何か理由があるはずだ。

なので、陸は小咲にその理由を問いかける。

 

 

「えっと…、陸君に聞きたいことがあって…」

 

 

「聞きたいこと?」

 

 

「ち、ちょっとここじゃ聞きづらいからっ、歩きながら話そう!?」

 

 

何故か慌てふためく小咲を見て疑問符を浮かべる陸。

ともかく、小咲の言う通りに、玄関、校門を出て歩道を歩き始める。

 

それでも話し始めない小咲。

相当、話しづらい事なのだろうと考えた陸は小咲が口を開くまで黙って待ち続ける。

 

歩道へ出て五分ほど経っただろうか、校門前ではたくさんいた生徒の数も減ってきた所。

不意に小咲が口を開いた。

 

 

「あの、陸君…。さっき言った、聞きたいことなんだけど…」

 

 

「…ん」

 

 

学校からここまで離れるまで小咲は一言も話さなかったのだ。

自分が考えているよりも、難しい事なのかもしれない。

 

陸は、顔を俯かせる小咲を見つめながら次の言葉を待つ。

 

そして、小咲は顔を上げて陸の目をしっかり見据えて口を開いた。

 

 

「…っ。陸君と羽先生って、どんな関係なのかな~って…」

 

 

「…は?」

 

 

思わぬ内容に、呆気にとられた。

 

どんな相談事だろう。どんな悩みなのだろう。ちゃんと小咲のためになるように話に乗らなければ。

そんな事ばかり考えていた陸の目がまさに言葉の通り点になる。

 

 

「羽先生って…、奏倉羽…?」

 

 

「そう…です…」

 

 

どうやら陸の考え通り、小咲の言った羽先生とはあの羽の事らしい。

 

 

「羽姉との関係っつっても…、幼なじみとしか…。てか、そっか。キョーコ先生の後釜に就いたんだ、羽姉は」

 

 

「ほん…とう?」

 

 

「…え、何?」

 

 

羽は小咲たちの担任に就いたようだ。…楽が何かぼろを出して男子たちに叩かれている光景が目に浮かぶ。

だが、それよりも気になるのは未だどこか悲しげに瞳を揺らす小咲である。

 

 

「あの…。羽先生が言ってたんだけど…、日本にいる間、陸君の家に居候するって…」

 

 

「…は?」

 

 

およそ一分足らず。陸は二度目の衝撃を受けた。

 

 

「え…え?はい?何それ、俺何も聞いてないんだけど?」

 

 

「え?」

 

 

今度は小咲が目を点にする番だった。

 

 

「で、でも、一条君が陸君は知ってて黙ってるかもしれないって…」

 

 

「いやいやいや、さっき小咲に聞いた時はむしろ楽が知ってて黙ってたって思ったんだけど…。あいつ、さっさと帰ったみたいだから…」

 

 

「あ…、一条君、お父さんに問い詰めるって急いで帰っちゃって…」

 

 

なるほど、色々と合点がいった。

多分、千棘や万里花、鶫は羽のカミングアウトにショックを受けて一人で帰ってしまったのだろう。

集とるりは…まあ、それぞれマイペースに面白がって帰ったのだろう。

そして小咲は、玄関前で自分を待っていたと。

 

 

「…あの糞親父。羽姉が来た時も俺には知らせてくれなかったんだ。絶対一発ぶん殴る」

 

 

「て、手加減してあげてね…?」

 

 

何やら暗いオーラを醸し出しながら呟く陸に、苦笑しながら小咲が言う。

 

ここでやめろと言わない辺りが、だいぶ陸の事を理解してきたように感じられる小咲であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい糞親父ぃ!羽姉が家に居候するたぁどういう事だぁ!?何で俺に知らせなかったんだ、ぁあ!?」

 

 

竜に一征の居場所を聞き出し、すぐさま応接室へと向かった陸。

乱暴に障子を開けながら叫ぶ陸の視界に、上座に座る一征と、並んで座布団に座る楽と羽の姿が飛び込んできた。

 

 

「おう、陸、帰って来たか」

 

 

「おう、陸、帰って来たか、じゃねえんだ糞親父。羽姉が来た時も詳しい日時が分かったら俺に知らせるとか言っときながら何も連絡くれなかったなぁ。こちとらいい加減ぶちぎれっぞ」

 

 

楽はガタガタと震え、羽も蟀谷に一筋の汗を垂らす。

そんな中、一征だけがケラケラ笑いながら陸に返した。

 

 

「居候も黙ってるのも羽の希望よ。お前ら二人を驚かせてぇっつってな」

 

 

「…そうなのか?」

 

 

一征の言葉が本当なのかを、陸は羽に確かめる。

 

 

「うん。…昨日の事もそうだけど、ごめんね?気分悪くしちゃったよね…」

 

 

陸の問いかけに頷く羽。そしてその後、落ち込んで俯いてしまう羽。

 

 

「い、いや、別にそういうわけじゃ…。ゆ、羽姉がそう言ったんなら俺はもう何も言わねえ」

 

 

「…ありがとう、陸ちゃん」

 

 

羽がそう望んだのなら文句を言うつもりはない。

久しぶりの再会なのだから、相手を驚かせたいという気持ちはよくわかる。

 

 

「おっと、そうだ陸。羽の部屋はおめぇの隣の部屋を使わせるつもりだ。色々と面倒見てやってやんな」

 

 

「おい待て親父どういうことだゴラ」

 

 

怒りを収めようとした陸だったが、次の一征の言葉に怒りが再燃してしまう。

 

 

「何でわざわざ隣の部屋を?空いてる部屋なら他にもあるだろーが」

 

 

「急いで準備できるのがその部屋しかなくてよ。思春期の少年君には悪ぃが、我慢してくんな」

 

 

「…」

 

 

挑発だ。ただの挑発だ。ここは我慢だ我慢。

 

 

「気ぃ付けろよ陸。欲望が爆発して、羽を襲わねぇようにな!」

 

 

「…」

 

 

がはははと笑う一征。それに対して陸は…、切れてはいけない一本の糸が切れてしまった。

 

 

「…親父。いつだったか言ってたよな?『男が生きている内には、絶対に殴らなきゃなんねえ相手が目の前に出てくる』って」

 

 

「…言ったなぁ」

 

 

「その意味がようやく分かったよ…。俺が殴らなきゃなんねえのは。あんただ糞親父ぃいいいいいいい!!」

 

 

呟いている内に、すでに立ち上がっていた一征へと飛び込んでいく陸。

その陸を見て、一征はまるで獲物を狙う肉食獣のごとくにやりと笑みを浮かべた。

 

 

「はっ、いいぜ陸、かかってきな!」

 

 

陸の右ストレートを首を傾けるだけでかわしながら一征が言う。

 

そこからはもう、常人では見ることすらできない領域の展開の速さだった。

 

ジャブ、フック、ストレートと入り混じった殴り合いが二人の間で行われる。

だが、殴り合いといっても二人の攻撃は互いには全く当たらず、部屋の中にはひっきりなしに空気を切る音が響くだけ。

 

 

「うわぁ…、久しぶりだな、陸と親父の喧嘩は…。今回はずいぶん間隔長かったなぁ…」

 

 

「ら、楽ちゃん、止めないの…?」

 

 

「いや、俺なんかじゃ止めらんねえし…。てか、もう見慣れたし…。あぁ、障子が…」

 

 

羽が心配そうに陸と一征の交錯を見つめる。

一方の楽は、それよりも二人の喧嘩によって倒れてしまった障子が心配のようだ。

 

楽の様子を見ていると、どれほど二人の喧嘩が日常茶飯事かを思わせる。

 

 

「あのなぁ糞親父!前々から言おう言おうと思ってたけどよぉ!いくら冗談でも言っていい事とそうでない事の判別ぐらい出来ねえのかよ、あぁ!?」

 

 

「わかんねえなぁ!んなことよりも、こんな程度の事で怒るてめぇの器の方がしれてらぁ!!」

 

 

「こっの…!」

 

 

別にこのくらいの言い合いはいつもの事だ。互いの挑発には乗らない二人。

だが…、陸は内心で苛立っていた。

 

 

(余裕かよ…、糞親父!)

 

 

その理由は、目の前で余裕の笑みを浮かべている一征である。

割と本気で打ち込んでいるというのに、全く余裕の笑みを崩さない一征。

 

現在どれ程差が開いているのかを、否応なしに思い知らされる。

 

 

「…腕上げたな、陸よぉ」

 

 

「…余裕そうに笑いやがって、信用できねえっての!」

 

 

ニヤリと笑みを深める一征の右肩に向かって、拳を突き込もうとする陸。

それに対して一征は腰を捻り、体の角度を変えることで回避する。

 

 

(これで…どうだ!)

 

 

これまでの二人の戦いは、全て両手のみで行われていた。

というのも、互いに素手とはいえ何でもありでやってしまったら部屋が滅茶苦茶になってしまうため、暗黙のルールの上で行われているのだが。

 

しかし陸は、その暗黙のルールを破る。

 

体の角度を変える時にできた勢いに任せ、陸の横へと回り込んだ一征に向かって突き出す左足。

 

卑怯とは言わせない。本気で戦う時は、どんな汚い手を使ってでも勝てと教えてきたのは一征なのだから。

 

 

「お?」

 

 

これには一征も不意を突かれたようで、目を丸くしていた。

だが、陸は一征の不意を突いただけで、一征の反応速度を超えることは出来なかった。

 

 

「っと…」

 

 

「なっ…!?」

 

 

一征は体を回転させながら陸の蹴りをかわすと、さらに突き出された陸の足首を両手で掴む。

 

そして、合気道の技、本来ならば相手の手首を掴んでやる技なのだが、それを応用して一征は陸の体を反らして床に叩きつけたのだった。

 

 

「…マジ?」

 

 

「あそこで蹴りを入れて来るとは思わなかったわ。ま、それでもまだまだ俺には及ばんっつうこった」

 

 

もう、喧嘩を始める前に抱いていた怒りは何処かへ去ってしまった。

ただ今感じているのは、不意を突いたはずの自分をあっさり捌いてしまった一征への敬意。

 

やはり、まだまだ親の背中は遠い。

 

 

 

 

 

あの後、唖然としていた羽と楽を起こして羽の部屋の整理を行った。

そこで楽が色々とラッキーなハプニングを起こしてしまったが…、割愛する。知りたい人は…、想像にお任せする。

 

それと、羽がこちらを見ながらやけにニコニコしていたのだが…、あれは何だったのだろうか?

…ニコニコというよりも、ニヤニヤの方が近いかもしれない。

改めて考えてそう思う陸だった。

 

その後は特に変わりはなく、陸は風呂に入って、ご飯を食べてゲームをして。

ただ、一つだけ変わったのは風呂以外のそれらをしている時に、隣に羽がいたという事だけ。

 

 

(…やけにゲーム強かったな羽姉。結構焦らされた場面もあったし)

 

 

羽とゲームをしていた時の事を陸が思い返していた時、すでに十一時を越していた。

セーブをしてゲーム機の電源を切った陸は、歯を磨いてから部屋に布団を敷く。

 

鞄に明日の授業で使う教科書や資料、ノートを入れてから電気を消し、タオルケットの中に潜る。

 

羽がいるという事で、やはり少し興奮していたのか、眠気はすぐにやってきた。

それに抵抗することも無く、陸は眠りへと落ちていく…。

 

 

「っ」

 

 

ふと目が覚めたのは、大体四時くらいだろうか。

誰かがこの部屋の障子を開けた音で陸は目を開けた。

 

何故ここまで接近されるまで気が付かなかったのだろうか。

その理由に気が付いたのは、みしりと畳が踏まれる音が耳に届いてからだった。

 

部屋に入ってきた相手から、全く殺気が感じられないのである。

 

これができるということは相手は相当な手練れだ。

しかし、一征もいるこの家に侵入してくるとは…。

 

 

「…」

 

 

どくんどくんと心臓の鼓動がうるさい。

 

狙いは何だ?この部屋に来たという事はやはり自分か。

 

しかし何故?ここまで完璧に殺気を消せるのならば、自分よりも先に一征を狙った方が早いはずだ。

 

 

(…そういえば、前もこんな事があったような)

 

 

そこまで考えた時、何故かこの事態に既視感を感じる陸。

 

…そうだ、あれは自分が小学生の頃。それも、まだ羽が家にいた時の事。

 

 

(あれは確か、羽姉が…)

 

 

どさり、と何かが倒れ込む音が自分の背後から聞こえる。

 

 

(…おい、まさか)

 

 

色々考えている内に、全てを察した陸はそれが正しいかを確かめるために、視線を背後へと向ける。

 

そこには─────

 

 

「ん…、りくちゃん…」

 

 

「…」

 

 

気持ちよさそうに眠る、羽の顔が間近にあったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




親子喧嘩、勃・発!

まあ、軍配は当然一征に上がりましたけどね。ww

元々、陸君がキレることは考えていたのですが、書いてる最中に…
<あれ?そういえば一征ってまだ戦ってないよね?陸君の戦闘力は一征の教育の賜物だし…、そろそろ描写しておいた方が良いんじゃ…>
と、割と本気で悩みまして。ああいう形で親子喧嘩を挟みました。

あぁ、陸君も下らない挑発に乗っちゃって。ww
まだまだ未熟ものですね。ww(お前が言うなこの駄作者がww)


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第73話 ムカシハ

すぐに消えてしまいましたが、日間ランキングに、それもかなり上位の方に入っていました。
読者が少しでも、楽しんでいただければという気持ちは変わりませんがたくさんの人に評価されているとわかると、とても嬉しいですね。

これからも応援、よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁ…、あれ、陸坊ちゃん…。今日は早いんすね」

 

 

「ん?まぁ…うん、今日は珍しく早く目が覚めた」

 

 

一条家の敷地内にある、十坪はあろうかという巨大な道場の中。

四時に目が覚めてから、陸はずっとここで木刀を持って素振りをして汗を流していた。

 

そんな事をしておよそ二時間、陸からすればあっという間だった時間。

そろそろシャワーを浴びて学校へ行く支度をしなければと思ったのが六時ちょっと前。

 

道場にあくびをしながら竜が入ってきた。

 

 

「お前、毎日朝ここに来てるよな。ホントよくやるわ…」

 

 

「でも、坊ちゃんも中学生になるまでは毎朝鍛錬に来てたじゃないすか」

 

 

陸が生まれる前から、竜は毎朝の鍛錬が日課になっているという。

それに対して自分は…、竜の言う通り中学に入るまでは毎日の朝と夜に道場で鍛錬を行っていた。

だが、それも中学に入ってから回数が減っていき、そして高校に入ってからはもう週に一度行けば多い方になってしまうほどになっている。

 

 

(授業が難しいから復習と…、何よりゲームだよなぁ。親父は何も言ってこないけど、これからの事を考えると…)

 

 

「それより坊ちゃん、そろそろ風呂行ってきた方が良いんじゃないすか?学校、遅刻しちまいますよー」

 

 

話している内に考え込んでしまっていた陸は、竜の声で我に返る。

 

そうだ、こうしている間にいつの間にか六時を過ぎてしまっている。

早くシャワーを浴びて汗を流さなければ。

 

 

「っと、そうだな。竜も、朝飯には遅れんなよ」

 

 

「了解しやしたー!」

 

 

竜に一言かけてから、陸は木刀を元の場所に戻して道場を出る。

家の中に入ってからはまっすぐ風呂場へと行き、汗を流す。

 

風呂から上がり、体を拭いて新しい寝間着に着替えた時には六時半を過ぎていた。

しかし、この時間はいつも陸が起きている時間。もう少し遅くても全然間に合う時間なのでかなり余裕を持てている。

 

 

(さて、と…。時間余っちまったけど、さっさと制服に着替えるか)

 

 

髪をドライヤーで乾かしてから、陸は自室へと向かう。

 

 

「…ん?」

 

 

角を曲がり、自室まであと少し歩けばという所。

自室の障子が開いている。

 

 

(羽姉が起きたのか?)

 

 

一瞬、足を止めた陸はすぐに歩き出す。

そして自室の前に立って…、開いた障子の向こう、つまり部屋の中を見て固まってしまった。

 

 

「…何やってんだ、楽?」

 

 

「え?」

 

 

部屋の中には、楽と羽の姿があった。

どうやらまだ羽は寝ていたようだが…、問題はそこではない。楽の体勢が問題だった。

 

楽は四つん這いで羽の傍らに座っており、彼の片手は羽の胸元で止まっていたのだ。

 

 

「…通報します」

 

 

「待て待て待て待て!待ってくれ陸!違う、違うんだぁああああああああああああ!!!」

 

 

てくてくてくと、テーブルまで歩み寄ってそこに置いてある携帯を取る。

そして容赦なく、一一〇番を押す陸を止めようと、楽が飛びついてきた。

 

 

「へぶっ」

 

 

勿論かわされ、楽は顔面から障子にダイブしたのだが。

 

 

「んぅ…、あれ…、ここは…?」

 

 

先程の楽の大声で目が覚めたのだろう、ゆっくりと羽の体が起き上がり、シパシパとする目で陸の部屋を見回している。

 

 

「…私の部屋じゃ、ない?」

 

 

「おはよう羽姉。ここは俺の部屋だ」

 

 

「り、陸ちゃん?楽ちゃんも…」

 

 

寝ぼけ眼だった羽の目が、陸の姿を見てから大きく見開かれる。

 

 

「…はっ!二人共もしかして、私が寝ている間に…」

 

 

「違うわ!!」

 

 

「はぁ…。羽姉が寝ぼけて部屋の中に入って来たんだよ。まだあの癖、治ってなかったんだな」

 

 

ボケ…なのか?羽にツッコむ楽と冷静に状況を説明する陸。

 

 

「あ…、そうなんだ」

 

 

「…」

 

 

何でしょんぼりしているように見えるのだろう。疑問符を浮かべる陸をよそに、楽が口を開いた。

 

 

「それより、姉ちゃんに聞きたいことがあるんだけどさ…。その胸の鍵、一体何なんだ?」

 

 

「え?」

 

 

羽と陸の目が丸くなる。二人が見ている中、楽が懐からあのペンダントを取り出す。

 

 

「…そうか。楽は羽姉の胸を触ろうとしていたわけじゃなかったんだな」

 

 

「んなわけねえだろうが!お前、家族を信用できねえのか!?」

 

 

「いやだって昨日のあれがあったから…」

 

 

「うぐっ…、と、ともかく!今はその鍵の事だ!」

 

 

話を逸らして、陸から視線もそらして、楽は羽に問いかける。

 

 

「俺も陸も、よく覚えてねえんだけど…。俺達と姉ちゃん、十年前に一月くらい旅行に行ったことねえか?そんで、旅行の先でした約束について…、何か思い当ることはねえか?」

 

 

「旅行?何だ?楽、そのペンダントと旅行の何が関係してるんだよ」

 

 

「お前は黙ってろ」

 

 

ひでぇ。

楽はその約束についていろいろと調べてるから知ってるんだろうけど、ぶっちゃけ関係ないと思っている陸は約束については全く知らないに等しい。

 

 

「どうしても思い出したい事があるんだ。姉ちゃん、何か覚えてねぇか…?」

 

 

「…それ、まだ大事に持ってたんだね。じゃあ、他の子達もそうなのかな?」

 

 

楽のペンダントを眺めてから、体を伸ばしながら羽が言う。

 

 

「他の子達…!?まさかそれって…!」

 

 

「もう少し様子を見てからにって思ってたけど…、昼休みくらいに皆とお話ししようかな?」

 

 

「…」

 

 

陸は全く話に付いていけない。いや、その話というのは楽がした約束についてという事はわかるのだが。

多分、羽の言う他の子達というのが鍵を持っている小咲たちという事も予想できるのだが。

 

 

(まぁ、俺には関係ないし…。そろそろ飯もできただろうから食堂に…)

 

 

「あ、陸ちゃんも昼休みに屋上に来てねー」

 

 

「解せぬ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前に行われる授業が終わり、昼休み。

陸は鞄から弁当を取り出そうと手を伸ばして…、止めた。

 

朝の事について思い出したのだ。羽が言っていた事を。

 

 

(確かに、俺も楽が言ってた旅行ってのに付いていったんだろうし、全く関わっていないとは言いづらいけど…、それでも約束したのは楽だろうに…。何で俺まで呼び出すのかねぇ)

 

 

手を戻し、席から立ち上がって教室を出る陸。そのまま足を階段の方へ向け、屋上へと行った陸を待ってたのは、自身を呼んだ羽に、楽と千棘、小咲、万里花、それと鍵は持っていないはずの鶫。

 

 

「おい、遅いぞ陸」

 

 

「悪かったな。ちょっと忘れてたんだよ」

 

 

そのままお弁当を食べていたかもしれない。

まあその時は、この中の誰かが自分を呼びに来たのだろうが。

 

二人が一言交わしてから、早速楽と羽が朝に判明したことの説明を始める。

もちろん、説明するのは今朝に判明したこと。

 

 

「…うそ。10年前。奏倉先生もあの場所にいて、鍵まで持ってるなんて…」

 

 

説明を終えた羽の掌に載っている鍵を、呆然と眺める他の女子達四人。

 

 

「私の方こそ、昨日は凄くびっくりしたんだよ~?あの時に会った皆が勢揃いしてるんだもん」

 

 

「皆の事、覚えてるんですか…?」

 

 

羽の言いぶりから、今いる全員の事を覚えているようだ。

小咲が、その事について問いかけ、羽が頷く。

 

 

「千棘ちゃん。小咲ちゃん。万里花ちゃんに、鶫ちゃんとも会ったわね」

 

 

「え?先生、鶫のことまで知ってるの!?」

 

 

どうやら、羽は鍵を持っていない鶫とも会っているらしい。

いや、羽が会っているという事は、羽だけでなく陸たち全員が会っているという事になる。

 

 

「お嬢から聞きました。どこかで見た覚えがあると思っていましたが、まさか叉焼会の首領であらせられたとは…」

 

 

「今はただの先生よ。よろしくね、鶫ちゃん?」

 

 

鶫と言葉を交わしてから、どこか感激した様子を見せながら羽が皆を見回す。

 

 

「それにしても、凄い偶然だよね…。皆、お互いの事を覚えてないのに集まるなんてね…」

 

 

自分たちが覚えていないことを、羽は色々と覚えている。

ということは、もしかしたら。その事を察した千棘が羽に向かって口を開いた。

 

 

「あの、先生は昔の約束の事を、何か覚えてるんですか?」

 

 

「え?」

 

 

問われた羽が、千棘の方に視線を向ける。

 

 

「私たち皆、十年前に楽と何か約束をしたらしくて…。でも、それについてなにも思い出せないんです。先生は何か覚えてませんか?」

 

 

(俺は違うぞ千棘よ)

 

 

言葉には出さないが、これだけは絶対だという事にツッコミを入れる陸。

 

そんな中でも、羽と千棘のやり取りは続いていて。

 

 

「あー…、約束…ね…」

 

 

拳を口元に当て、視線を虚空にやる羽。

皆が緊張して喉を鳴らす中、陸だけは他の皆とは全く違う事を考えていた。

 

 

(あ…、この仕草、どうやって誤魔化そうか考えてる時の羽姉の癖だ)

 

 

ふと思い出す陸。

そして、その癖が出ているという事は─────

 

 

「ごめん、全然覚えてない」

 

 

こういう事である。

陸は苦笑を漏らし、楽や小咲たちはずこーっと崩れ落ち、万里花だけは変わらず澄まして立っている。

 

 

「…?」

 

 

だが、他の皆が起き上がる中ふと万里花に視線を向けた陸は違和感を感じる。

 

楽たちが騒いでいる中、視線を落とし、俯いている万里花。

まるで、何か心苦しい事を隠しているかのように…。

 

 

「約束の事は覚えてないけど…、それ以外で良ければ、少しは覚えてることもあるよ?」

 

 

「わ!聞きたい聞きたい!」

 

 

約束の事はともかく、何かしら昔の事について教えてくれるという羽。

聞きたいという千棘の要望に従って、早速羽が口を開く。

 

 

「二人は覚えてないって言ってたけど、千棘ちゃんと小咲ちゃんはすっごく仲が良くてね?何をするのもいつも一緒で、凄く微笑ましかったわ」

 

 

何となく、羽が言うこともわかるというか、納得できる。

現在の千棘と小咲は、もう親友同士という言葉を体現している感じで、大の仲良しである。

 

今も、羽の説明を聞いた千棘と小咲は喜びあって、両手を繋いではしゃいでいる。

 

 

「それと、万里花ちゃんは体が弱くてあんまり外に出られなかったけど…、千棘ちゃんや小咲ちゃんとも遊んだ事があるのよ?」

 

 

「え!?私、あんたとも会ってたの?」

 

 

「覚えてませんわね」

 

 

楽と陸は、万里花と遊んだ事を覚えていたのだが千棘たちは覚えていなかった。

なので、万里花は千棘たちとは会っていないと考えていたのだがそうではなかったようだ。

 

 

「やっぱり、私の事も覚えてない?あの時、私が一番長く万里花ちゃんと一緒にいたんだけど…」

 

 

「全く。申し訳ありませんけど」

 

 

(…橘、嘘が見え見えだぞ)

 

 

唇の端を吊り上げ、わざとらしく強調しながら言う万里花。

…何か羽といざこざでもあったのだろうか?羽を見ている限りそんな感じではないのだが。

 

 

「そっかー…、残念だなー…。昔はあんなに仲が良かったのに…」

 

 

残念そうに言う羽。

 

 

「昔は、ここにいる皆でお風呂にも入ったこともあるのに…」

 

 

さらに続ける羽。

 

一瞬、間が空いて…ほとんど全員が飛び上がった。

 

 

「ちょちょちょ…その話はぁ~~~~~~!!!」

 

 

「あれ?何か思い出した?」

 

 

その中でも一番反応が激しかったのは万里花だった。

…うん、やっぱり何かあったらしい。

 

 

「「「「み…、皆でお風呂…?」」」」

 

 

「そうだよー。だけど、すぐに万里花ちゃんがのぼせちゃってね。その時…」

 

 

「ふんぎょわぁーーーーーーーーーーー!!!」

 

 

ただでさえ巨大爆弾を投下したというのに、羽はさらに爆弾を投下しようとする。

それは、万里花が寸での所で食い止めたが。

 

 

「あー。完全に思い出しました。そういえば私、あなたが大嫌いでした」

 

 

「えー!?私は大好きなのにー!」

 

 

…本当に、何があったのだろう。

 

 

「と、ともかく!結局、約束の事はわからないままか…」

 

 

「ごめんね…?何も覚えてなくて…」

 

 

とりあえず、この流れのままでは万里花が参ってしまいそうだ。

それを察した楽が話を変える。

 

 

「…そういえば、先生今、あんた達の所に居候してるんでしょ?変なことしてないでしょうね」

 

 

さらに、千棘がさらに先程の話から遠ざけていく。

だがその問いかけは、その事を意識しての物ではなく本心から出た質問なのだろうが。

 

 

「し、してねーよそんなの」

 

 

「…未遂だったけどな」

 

 

じと目で楽の方を見る千棘と、強い口調で否定する楽。

そして、にやりと笑みを浮かべながらぼそりと呟く陸。

 

その呟きは、地獄耳の千棘にはしっかり聞き取れていたようで。

 

 

「…楽?」

 

 

「ひぃっ!?ち、違うんだ!あの時は…」

 

 

般若のごとく怒る千棘に、顔全体に汗を流しながら後退する楽。

 

夫婦喧嘩は放っておこう。

自分が蒔いた種の癖に、そういう方針を決め込んだ陸がそろそろ帰っていいかを聞くために口を開こうとした。

 

しかしその前に、羽が再び爆弾を投下することを知らずに。

 

 

「でも、昨日の陸ちゃんの布団は寝心地良かったなぁ。今夜も寝ちゃおうかな?」

 

 

「「「「「「…」」」」」」

 

 

陸は勿論、小咲に千棘、楽、鶫、万里花でさえも一瞬にして固まってしまう。

 

 

「あ、あの…、陸君…。先生と一緒に…寝たの…?」

 

 

「っ!?ち、違う!違うんだ!一緒には寝てない!寝てないから!」

 

 

陸の方を見て問いかける小咲。必死に弁解する陸。

 

その姿は、先程の楽と千棘の二人に重なるものがあるが、一つ違うのは小咲の目に涙が浮かんでいる所である。

怒るのではなく、悲しんでいる。男の身としては心にグサグサと刺さるものがあり、堪ったものではない。

 

 

「陸君…」

 

 

「ゆ、羽姉は昔から他人の布団に潜りこむ癖があって…。羽姉が部屋に入ってきた時にはもう起きてたから!布団に倒れ込んでからはすぐに布団から出たから!だから泣かないでくれぇーーー!!」

 

 

途中、何で自分はこんなに必死になって弁明しているのだろうと疑問を感じた陸だったが、ともかく今は小咲の誤解を解かなければ。

 

 

「…」

 

 

ただ、その事に必死だったせいか。

陸は羽にじっ、と見つめられていることに気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後一話、もしくは二話ほど羽との絡み中心の話が続きます。
小咲とのイチャイチャを楽しみにしている方は、もう少しお待ちください…。


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第74話 カゾクヲ

これで、取りあえず羽との絡みは一段落。
もう少しかかるかなと思っていましたが、一話で収めることができました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やっぱりか」

 

 

昨日と同じ、早朝の四時。障子が開く音、そして背後でどさりと何かが倒れるような音。

見れば、気持ち良さそうに寝ている羽の姿があった。

 

これを警戒して、陸は昨日。早めに布団に入っていたのだがそれは正解だった。

ちょっと注意したくらいで癖を直そうとする羽じゃないのは陸が一番分かっている。

 

 

「ったく…、そうだ。今日は確か、数学の小テストがあったな」

 

 

一昨日、数学Ⅱの授業の終わり、担当の教師が次の授業で小テストを行うと口にしていた。

せっかく早起きしたのだから、その勉強をすることにする。それに、数学Ⅱの授業は一時間目なのだし。

 

ということで、朝からゲームというちょっと駄目な欲望を抑え込んで、陸は勉強机に着く。

 

教科書を開き、テスト範囲のページを確かめ、板書を取ったノートを見直す。

公式を見直してから、学校で配布された問題集で演習する。

 

 

「…もう六時か」

 

 

気付けば、小テストの範囲も超えて問題を解き進めていた陸。

集中し出したら止まらなくなる陸は、二時間も経っていたことに気が付いた。

 

 

「おい羽姉、起きろ。もう六時だぞ」

 

 

椅子から降り、開いた教科書、ノート、問題集を鞄に入れてから布団ですやすや寝ている羽の体を揺する。

 

 

「…ふわ…、おはよう…りくちゃん…」

 

 

「おはようじゃない。前からそうだけど、何でいつも俺の布団に潜り込んでくるんだよ…」

 

 

「だって、気づいたら移動してるんだも~ん」

 

 

全く悪びれていない。人の布団に入って、勝手に気持ちよさそうに寝て…。

本当の主である自分は、朝早くから勉強という今まででは考えられない事をしていたというのに。

 

 

「それにしても陸ちゃん、いつも私より早く起きてるみたいだけど…、何してるの?」

 

 

「…今日は珍しく勉強してました」

 

 

「あらえらい!」

 

 

いつも早く起きていることに気が付いているのなら、少しは注意してほしいのだが。

 

と、心の中で呟く陸。だが、言っても無駄なのはわかっているのでそれは口にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 

小テストの手ごたえは抜群。朝に勉強した所が思い切りテストに出たため、ぶっちゃけ計算間違いさえしていなければ満点確実である。

 

という感じでテストも終わり、その後の授業も済ませて今は昼休みである。

生徒たちは教室内で、席を移動して昼食を食べ始めるのだが、陸が鞄から取り出した弁当箱は何故か二つ。

しかも片方は、可愛らしいピンク色の包みで包まれた物。

 

 

「おいおい一条…、お前そんな趣味が…」

 

 

「断じて違う」

 

 

陸の前の席に腰を下ろした上原が、カバンから出した二つの弁当箱、その一方を見て、じとりとした目でこちらを見てくる。

 

あらぬ疑いを掛けられていることをすぐに悟った陸は即座に否定する。

 

 

「陸ちゃーん!」

 

 

すると、教室の扉の方から陸を呼ぶ元気な女性の声が聞こえてくる。

 

その相手が誰なのかをすぐに察した陸は、可愛らしい方の弁当箱を持って、教室の扉の方へと行く。

 

 

「ほら、羽姉。これだろ」

 

 

「そうそう!ありがとー」

 

 

教師である羽は、陸と楽よりも先に家を出ている。その時、弁当箱を家に忘れて行ったのだ。

普通なら、羽が担任である楽が弁当箱を持っていくべきなのだが、今日は珍しく楽が家を早く出て行ってしまい、羽が弁当箱を忘れて行ったことに気づいたのが、陸が家を出る直前の事だったのだ。

 

陸はこちらに歩み寄ってくる羽に弁当箱を渡す。

そして、自分も昼食を取ろうと席に戻ろうとしたのだが…

 

 

「あ、陸ちゃん」

 

 

「ん?」

 

 

「寝癖ついてる。も~…、昔からそういうとこは無頓着なんだから~…」

 

 

にっこり笑いながら、背伸びして陸の頭を撫でる羽。

 

教室内で見ていた生徒たちに衝撃が奔り、撫でられた陸は僅かに頬を染めて羽の手を払う。

 

 

「ちょっ…、そんなベタベタすんなよ!」

 

 

「えー?」

 

 

頭に乗せられた手を払うと、羽は不満げに頬を膨らませる。

 

 

「大体、俺は生徒だぞ?教師がそんなにベタベタして来たらまずいだろ…」

 

 

「あ、そっか。なら…」

 

 

今の陸と羽は、飽くまで生徒と教師である。

そんな二人が先程の様に、こんな公衆の面前で密着したらまずいだろう。

 

そういう意図を込めて言った陸の言葉は確かに羽は届いていたのだが…、次の瞬間、羽はとんでもない行動に出る。

 

 

「先生モード、解除~♪」

 

 

「「「「「っ!?」」」」」

 

 

眼鏡を外した羽は、陸を椅子に座らせてベタベタ密着してくる。

 

 

「ほら陸ちゃん、じっとしてて~」

 

 

「ちょっ、おまっ…!あんたに理屈は通じないのか!?」

 

 

天然というか、それともただのバカなのか…。

昔感じていたものと同じ疑問が、頭の中に再び蘇る。

 

陸は、羽の手を振り払ってから立ち上がって自分の席に足を向ける。

 

 

「ほら、もう用も済んだだろ。職員室に戻って、弁当食って来いよ」

 

 

「むぅ~…。陸ちゃんのケチ」

 

 

もうケチでも何でもいい。不満げな視線をビシビシ背後から感じるが、無視を決め込む。

ここで羽に構ったらどうなるかは、身に染みて経験しているのだから…。

 

 

「お、おい一条。昨日も気になってたけど、あの先生とどんな関係なんだよ」

 

 

「…」

 

 

今、問いかけてきた上原だけでなく、クラス中の人達が陸の机の周りに集まってくる。

 

 

「別に、ただの幼なじみだけど…」

 

 

「幼なじみだとぉ!?」

 

 

「貴様!やはりあの一条楽の血を分けていたなぁ!!」

 

 

「小野寺小咲に続いてあの奏倉先生…!女の子に囲まれながらもどこか苦労してるように見える一条楽よりも質悪いぞ…!」

 

 

「…」

 

 

本当にただの幼なじみなのだが…。

色々好き勝手言われる陸は、周りの怒声を無視して包みを開けて昼食を食べ始める。

 

 

「「「「「聞いてんのか一条ぉ!!!」」」」」

 

 

「…はぁ」

 

 

初めに卵焼きを口に入れた時、男子たちが突然怒鳴り始める。

卵焼きを咀嚼して、飲み込んでからため息を吐く陸。再び、男子たちが陸へ悪口を言い始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「陸ちゃーん、一緒に帰ろ―」

 

 

「ごめん。ちょっと、友達に委員会の仕事替わってくれって頼まれてんだ」

 

 

この会話が大体五時くらいだっただろうか。今はもう、楽と一緒に家に着いているだろう。

いや、今日は楽が買い物に行くと言っていたし、それに着いていっているかもしれない。

 

空も赤みがかって、暗くなり始めた。

 

 

「ごめんね、一条君。わざわざ手伝ってもらって…」

 

 

「別にいいよ、気にしなくて。それに、あいつの事情を考えればしょうがないんだしさ。さて…、と!終わったことだし、さっさと帰るかな…」

 

 

一緒に仕事をした女子と挨拶を交わしてから、陸はカバンを持ち、図書室から出る。

 

これでわかるように、陸は図書委員の仕事を手伝っていたのだが、本来の図書委員である男子が陸に仕事を替わってほしいと頼んできたのだ。

その男子生徒は、部活の関係で昼休み後に早退していった。その時に、陸に仕事を替わってほしいと頼んできた。

 

その仕事も終わったため、陸は生徒玄関で靴を履き替え、校舎を出て帰路に着く。

 

 

「…どうして、あなたがここにいるんです?」

 

 

いつも陸が通っている道の途中には、公園がある。その公園の傍の道で、陸は不意に立ち止まった。

 

そして、視線を前に向けたまま、誰に向けたのかわからない問いかけをする。

 

 

「夜さん」

 

 

「…やっぱりばれたか。ディアナは欺けないね」

 

 

「何を言ってるんですか。本気で気配を隠そうとしてないくせに」

 

 

直後、公園の木の上から陸の背後に何かが降り立つ。

振り返ると、傍から見れば子供にしか見えない小さな背丈の少女が立っている。

 

陸はその少女を夜(いえ)と呼び、さらに敬語で話しかけている。

 

 

「いいんですか?あなた達の首領の事を見ていなくても」

 

 

「今あれ、集英会の本家にいるね。そんな気を張らなくてもだいじょぶ」

 

 

「そうなんですか?今日の楽の買い物に着いてくって思ってたんだけどな…」

 

 

「あれ、お前を待ってる言てた。弟の方は、部下連れて出てる」

 

 

羽はどうやら家に残っているようだ。てっきり、楽と一緒に買い物に行ってるとばかり思っていたのだが。

 

 

「それで、夜さんはどうしてこんな所にいるんです?まさか、こんな世間話をしに来たわけじゃないでしょう?」

 

 

「そのまさかね。お前とこうして会うのは久しぶりだし、ちょと話したい思ただけね」

 

 

「えぇ…」

 

 

何か大事な話をしに来たのだろうと思っていたのに、まさかのただ話しに来ただけ。

ちょっと拍子抜けしてしまった陸。

 

 

「それよりお前、うちの首領と一緒に寝てるみたいね。朝、お前の部屋から首領が出てくるとこ見たよ」

 

 

「あれは昔からの羽姉の癖でしょ。夜さんも知ってますよね?他人の布団に潜り込んでくる羽姉の癖」

 

 

陸はこの時、夜が知っていてからかっているのだと思っていた。

だが、夜の返答は思いもよらぬものだった。

 

 

「何ソレ。そんな癖ある、聞いたことないよ」

 

 

「え?」

 

 

こちらを見上げながら返事を返してくる夜。

 

 

(あれ?昔からの癖…、今も変わってないし…。あれ?)

 

 

「…どういうことわからないけど、取りあえずささと帰るね」

 

 

思わぬ返事を受けて、考え込む陸に夜が声をかける。

気付けば、陸は足を止めてその場で立ち尽していた。

 

夜に声を掛けられ、陸は止めていた足を再び動かす。

ここから先、特に二人は話すことも無くそのまま一条家へと辿り着く。

 

陸は家の中に入り、夜はふと目を離した瞬間どこかへ行ってしまっていた。

 

 

「あ、陸ちゃんおかえりー」

 

 

「羽姉」

 

 

玄関で靴を脱ごうとした時、玄関の隣の部屋からひょっこり羽が顔を出す。

 

 

「もうすぐ楽ちゃんも帰ってくるから待っててねー。今日のご飯は鍋だよー」

 

 

「こんな夏の日に鍋…」

 

 

どうせ、組の男たちが気まぐれで食べたいとか言い出したのだろう。

鍋の日は必ず戦争になるというのに…、それが夏に起こった時は地獄としか言い表しようがなくなるというのに…。

 

何てことをしてくれるんだあいつらは。ていうか楽は何で止めなかったんだ。

内心で、小さくだが憤慨する陸。

 

羽と挨拶を交わし、靴を脱いで家に上がった陸は着替えるために部屋へと向かう。

 

 

「おう、陸。今日はずいぶん帰りが遅かったじゃねーか」

 

 

「ちょっと、委員会の仕事の手伝い頼まれてな」

 

 

その途中、廊下を歩いていると前から一征が姿を現した。

 

 

「羽姉が、今日は鍋だって言ってたぞ」

 

 

「おっ、鍋か。面白い夕飯になりそうじゃねーの」

 

 

一征に今日の夕食の献立を知らせると、にやりと笑みを浮かべながらそう口にする。

 

 

「けど、まだ楽は帰ってきてねえんだろ?まだかかるんかねぇ…。ちょっと腹減って来たんだがなー…」

 

 

眉を八の字にしながら言う一征。

その時、ふと陸がちょっと前から聞きたいと思っていたことが頭の中に浮かぶ。

 

 

「あのさ親父、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」

 

 

「あ?どうしたよ」

 

 

陸とすれ違う形でそのまま立ち去ろうとした一征が足を止める。

 

陸は、振り返ってこちらを見てくる一征に口を開く。

 

 

「羽姉の事なんだけどさ…、何で俺達と一緒の学校に行きたいなんて言い出したんだ?ただでさえ、組織の事で忙しいだろうに…、そんな無理してまでどうして」

 

 

「あら?言ってなかったっけか」

 

 

教師として生徒と関わっている姿を見ていると忘れがちだが、羽は叉焼会の首領である。

叉焼会の規模を考えれば、はっきり言って教師をやっている時間などないように思える。

 

だからこそ、そこまでして何故、自分たちと一緒の学校に行こうとしたのかが分からなかった。

ただでさえ、一つ屋根の下で一緒に暮らしているのに。学校に行っている間はともかく、それ以外ならずっと会うことはできるというのに。

 

その事は勿論、一征にも分かっているはずだ。

だがその一征は、陸の方を見て目を丸くしている。

 

 

「あのなぁ陸。今、羽は天涯孤独の身なんだわ」

 

 

「…え?」

 

 

天涯…孤独?

 

呆然と先程の一征と同じように目を丸くする陸。

 

 

「何年か前に両親が病気で逝っちまってよ。兄弟はいねぇ、頼れる親戚もいねぇ。羽にとっちゃあたとえ血は繋がってなくとも、おめぇらだけが最後の繋がりだったのよ」

 

 

羽の両親の顔を、陸も楽も見たことはない。

ただ、羽はずっと両親を喜ばせたいと言って努力していたのは今でも印象に残っている。

 

羽が、両親の事が大好きだという思いは物凄く感じたことを覚えている。

 

両親が死んで、一人になった羽はその時、どんなことを思ったのだろう。

自分では想像もつかない。

 

 

「おめぇらに会うために、相当無茶やったみてーだぜ?強がっちゃいるが、あいつは元来寂しがり屋だからな」

 

 

知ってる。羽は一人でいることを極端に嫌っていることは、昔から知っている。

 

 

「言ってたぞ。久々に会ったおめぇらがまた、『姉ちゃん』って呼んでくれたのが嬉しかったってよ」

 

 

「…」

 

 

一征はそう言ってから、今度こそその場から立ち去っていった。

陸は一征の背中が見えなくなってから、部屋へと戻って部屋着に着替える。

 

その間、思い浮かぶのは久しぶりに会った時の羽の顔と言葉。

 

涙を目の端に溜めながら、自分たちとの再会を喜んでいた羽。

 

 

(羽姉が叉焼会の首領になった事は知ってた。でも、その裏にそんな事情があったなんて…)

 

 

それも、一征の言い忘れが一番の原因だったのだが、それに対する怒りは全く沸いてこない。

むしろ、どうして羽が首領に着任した時に、もっと事情を調べておかなかったんだと自分を責める陸。

 

その後、夕食を食べている時、何度も羽が話しかけてきたのだが自分でも自覚できるほど上の空で碌な返事ができなかった。

 

 

「…またか」

 

 

そして今。いつもの朝の四時ごろ。

障子が開く音。そして背後で何かが倒れ込むような音。

 

振り向けば、陸の予想通り気持ちよさそうに眠る羽の姿が。

 

 

「…」

 

 

『何ソレ。そんな癖ある、聞いたことないよ』

 

 

日本に来る前は、しっかりしなければと自分を抑え込んでいたのか。

それとも、一人で頑張っていたせいでその相手がいなかったのか。

 

わからないが、どちらにしても羽がずっと寂しがっていた事はわかる。

 

 

「…家族なんだし、一人にするわけにはいかねえよな」

 

 

羽の閉じられた目にかかった前髪を、そっと人差し指でどける。

そして、陸はその掌で羽の頭を一度だけ撫でた。

 

 

(…でも、だからといって一緒に寝るのは違うと思うんだ)

 

 

陸は布団から出て、テレビの前に置かれた座布団に腰を下ろす。

そしてリモコンを手にして、テレビの電源を入れる。

 

さらにゲーム機の電源を入れて、陸はコントローラーを手に握った。

 

 

 

 

 

(今…、陸ちゃん、撫でてくれたよね…)

 

 

ふと目が覚めた時、自分の頭に暖かいものが乗っかっているのが分かった。

目を開けると、その時にはもう陸は布団から出てテレビの電源を点けていた。

 

ゲーム機の電源を入れて、コントローラーを握ってボタンを連打している陸。

そんな陸の背中を見ながら、小さく笑みを零して想う。

 

昔から変わっていない後姿を見ながら、想う。

 

 

(…ずっと好きだったよ、陸ちゃん。…弟としてじゃなく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第75話 ソウダン

久しぶり…でもないけど、何故かそう感じられる小咲メイン回。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆、一度は悩んだことがあるだろう。これから先、自分がしていきたいことは何なのか。

悩んだことがないという人は、これからきっと悩まされることになるだろう。

 

小野寺小咲、高校二年生。今まさに彼女は、自分の進路について悩んでいた。

 

母は家を継げと言っている。春と、そして陸と一緒に店を継いでほしいと言っている。

だが、小咲はふと思うのだ。

 

この世のどこかに、本当に自分がしたいことが…自分しかできないことがあるのではないかと。

 

 

「知るか!んなもん自分で考えろ」

 

 

「…相談、乗ってくれるって言ったのに」

 

 

「大体、あんたのやりたいことなんて私が知るわけないでしょ」

 

 

この会話で分かる通り、小咲は自分の進路についてるりに相談していたのだ。

 

るりを小さなカフェに呼んで、相談を持ち掛けたのだが…。

彼女から返ってきたのは無情なもの…いやまあ、進路の事は自分自身で決めなければいけない事なのだが。

 

 

「あんた、こないだの進路相談の事まだ引きずってんの?」

 

 

るりが小咲に問いかける。

そしてるりの言う通り、つい先日、二年生内で三者面談が行われた。

 

小咲も当然、二年生なので母と一緒に担任である羽と三人で進路について話し合った。

小咲母は、真っ先に家を継げと言い、小咲も特にこれがやりたい!というものがないため何となく流される形で肯定の意を示していた。

 

…小咲母が陸と小咲の事についてで暴走し出した時はどうなるかと思ったが。

何とか問題も無く、そのまま面談は終わってしまった。

 

 

「進路というならいっそ、お嫁さんにでもしてもらえば?一条弟君に」

 

 

「もう!今はそんな話をしてるんじゃなくて…!」

 

 

ジュースの入ったコップを手に、ストローを咥えながらるりが小咲をからかう。

 

 

「でもね小咲、それはあんた自身が決めなきゃいけないことだし、あんた自身にしか決められないのよ?ってゆーか、和菓子屋は嫌なの?」

 

 

「…嫌じゃないよ。むしろ、お母さんやお父さん、春と一緒に切り盛りしていくのはきっと楽しいと思う。でも…」

 

 

もしかしたら、それ以外にもっと何か、自分にしかできないことがあるかもしれない。

そう、思ってしまうのだ。

 

 

「るりちゃんは、翻訳家になるのが夢なんだよね?どうしてなりたいって思ったの?」

 

 

まだ高校に入る前、中学生の頃にるりから聞いた事。

るりが翻訳家を志したきっかけを、小咲が問いかける。

 

 

「んー…、私は元々本が好きだったからね。ある時、ずっと楽しみにしてた海外の作家さんの新作が出て、それを自分なりに和訳して読んでたのよ」

 

 

「和訳って…」

 

 

さすがはるりというべきか。和訳なんて…、自分なんかには出来っこない。

 

るりは、さらに言葉を進めていく。…心なしか、口調がだんだんと強くなっていっている。

 

すると数日後、その作品の和訳版を読んだ人の感想をネットで見たらしい。

だが、その人はるり自身が受けた印象とは全く違う感想を書いていたという。

 

初めは、受け取り方は人それぞれだろうと納得していたらしい。

それでも、何となく気になったるりはその作品の和訳版について調べてみたらしい。

 

 

「そしたらね、和訳版では原作とは全く違う解釈で書かれていたの。…正直腹が立ったわ。私ならもっと、百倍も面白く訳すことができるのに、キィーーーーーーー!ってね」

 

 

「す、すごいなぁ…、るりちゃんは…」

 

 

ただただ感心するしかない小咲。

そんな小咲から視線を外しながら、るりは再び口を開いた。

 

 

「世の中には、言葉の壁のせいで本来ならもっと深い感動を与えられるはずの作品がたくさんある。それを伝えるべき人の力不足によって、十分に伝わらない事が多くあるという事実をその時に知ったのよ。だから私は、作品を書いた人の想いをもっと上手に、もっと多くの人に伝えられる橋渡しをしたいって思ったの」

 

 

「…凄い。凄いよるりちゃん…、凄く大人っぽい…!」

 

 

「が、柄にもない事を話したわね…」

 

 

感心を通り越して、感動すら覚えるるりの話。

目を輝かせる小咲に一瞬視線を向けたるりは、頬を染めながらすぐにそっぽを向いてしまう。

 

 

「でも、これは飽く迄私の場合よ。あんたの事はあんたにしかわからないんだから」

 

 

「…うん」

 

 

しかし、るりの言う通り先程の話は飽く迄るりの話である。

その話が、小咲の参考になるかどうかはこれからの小咲の選択によって変わる。

 

 

「もっと他の人に聞いてみたら?もしかしたら、あんたでも気づいてない一面を気付かせてくれる人がいるかもしれないし」

 

 

「うん…、そうしてみる」

 

 

やっぱりるりは凄い。ハッキリした目標を持って、その目標に向かって努力をして。

 

 

(それなのに、私は…)

 

 

 

 

次の日、早速、まずは鶫と千棘に話を聞いてみた。

特に、鶫はグラフや図などを使ってわかりやすく色々と自分の性格や能力に合った職業について説明してくれた。

 

でも結局、自分自身で答えを出すことはできず。

 

とりあえずは、鶫が例として出してくれた職業に就く自分を想像したりして考えていた。

 

 

(…ダメだ、全然わかんにゃい)

 

 

だが、ダメ。小咲の頭の中はグルグルたくさんの考えが回って一つを絞り出すことができない。

 

頭の中を整理できない小咲は、あの狭い路地の奥にある彼女の秘密の場所に立ち寄っていた。

柵に腕を乗せ、その腕に頭を乗せて寄りかかる。

 

 

(今の私がしたい事…、そんなの…)

 

 

自分が本当にやりたい事。自分に向いている向いていないなどを考えず、ただ自分がやりたいことを率直に思い浮かべる。

 

 

「…陸君」

 

 

思い浮かんだのは、陸の顔だった。

小咲は、自分でも気づかずに彼の名前を口にする。

 

 

「え?」

 

 

すると、小咲の真下から誰かの声がする。

その声に聞き覚えを感じた小咲は、びくりと体を震わせながら視線を下に向ける。

 

 

「あれ…、小咲?」

 

 

「り、陸君…!」

 

 

そこにいたのは、階段を上ってこちらに来ようとしている陸だった。

 

陸は見上げながら目を丸くし、小咲も目を見開いて頬を赤らめて驚いている。

 

陸はそのまま階段を上り、小咲の隣で立ち止まってカバンを下ろす。

 

 

「ぐ、偶然だね…。良くここに来るの?」

 

 

「そうだな…、最近は良く来るな」

 

 

「…そっか」

 

 

何と陸はここに良く来ているらしい。それだけ、ここを気に入っているという事なのだろうか。

もしそうならば、この場所を教えた自分としても嬉しいものがある。

 

 

「それで?何かあったのか?」

 

 

「え?」

 

 

不意に、陸が両手で柵を握り、顔だけをこちらに向けて問いかけてきた。

 

 

「さっきの小咲の顔、何か悩んでますって顔だったぞ」

 

 

「っ…」

 

 

この短い間で、陸は見抜いていたのだ。小咲が、何かに悩んでいるという事を。

 

問われた小咲は、陸に話した。自分が何について悩んでいるのか。

そして、それを解決するために友人に色々と聞いていることを。

 

 

「…なるほど、進路の事ねぇ。確かに、先の事決めんのは難しいからなー」

 

 

「…陸君は、将来何になりたいのかは決めてるの?」

 

 

「俺?俺は…」

 

 

小咲は、将来やりたいことについて陸に問いかける。

陸は目を虚空に上げて考える素振りを見せてから、口を開いた。

 

 

「俺は…、まだ決まってないんだ。悪い、多分その相談には碌に乗れねえわ」

 

 

「う、ううん!むしろ、陸君が同じように悩んでるってわかって…ちょっと安心したっていうか…」

 

 

謝罪してくる陸に、両手を振りながら言う小咲。

 

陸は謝ってくれたが、むしろ陸が自分と同じように将来について悩んでいるのだと知れて良かったと思う小咲がいる。

 

 

「あっ、ごめんね!?陸君だって悩んでるのに…、そんな安心したなんて…」

 

 

「いやいやいや、俺だって小咲も同じように悩んでるんだって安心したよ」

 

 

今度は小咲が陸に謝る。陸が悩んでいることを知って安心するなど、失礼極まりないだろう。

それなのに陸は、笑いながら自分も一緒だと言ってくれた。

 

その言葉を聞いた小咲は、ほっ、と安堵の息を漏らす。

 

 

「でも、もう高二の秋だし、そろそろ将来の事決めないとだよね…」

 

 

「そうだなー。ま、俺はぶっちゃけ小咲はそんなに焦らなくても良いと思うけどな」

 

 

「え?」

 

 

その陸の言葉は、小咲にとって思いもよらない言葉だった。

 

 

「だって、小咲はもしやりたい事とか見つからなくても、和菓子屋の手伝いしながら探したりできるだろ?小咲の母さんだって、小咲が本気でやりたいって思ってるなら止めたりはしないだろうし」

 

 

「…」

 

 

「あ、どうしても何も見つからないってなったら俺じゃなくてもいいから誰かに言えよな。将来の事は他人には決められなくても、その人を後押しすることはできるんだから」

 

 

考えてもみなかった。高校にいる内に、早く見つけなければという使命感に囚われていた。

ゆっくり見つけて行こうなんて、考えられなかった。

 

 

「…ねぇ。陸君は、その…、私に何になってほしいって思う…?」

 

 

「小咲に?何になってほしい?」

 

 

陸が、きょとんと眼を丸くしているのが分かる。

 

 

「んー…。よく分かんねえな。…看護婦とか?」

 

 

「か、看護婦?」

 

 

「だってほら、小咲すげぇ優しいし。患者に人気でそう」

 

 

小咲は知らぬことだが、陸は頭の中で小咲の看護婦姿を想像していた。

白い看護服を着た小咲が患者を世話する光景。そしてその患者はじぶ、いやこれ以上はいけない。

等々、妄想を働かせてしまった事を小咲は知らない。

 

 

「小咲は何かないのか?現実的じゃなくていいから、頭の中に浮かぶもの」

 

 

「現実的じゃ、なくて…」

 

 

今度は陸に問われた小咲は、ぼんやりと陸の言葉を復唱する。

 

 

「え…と…」

 

 

小咲は先程、ここで陸と会う直前に頭に浮かんだある事を思い出す。

それは現実的とはとても言えない。いや、ある意味では現実的かもしれないが、それでも今この時期で考えるのは少し現実的とは言いづらい。

 

 

「私、は…」

 

 

でも、現実的じゃなくていいなら─────

ちょっと、恥ずかしいけど…

 

 

「あ、あのね…。陸君は…。私がお嫁さんになったりしたら、どう…思う…?」

 

 

「…え」

 

 

言ってしまった。いくら現実的とはいえ、お嫁さんになりたいなんて…。

 

 

「…そりゃ、良いお嫁さんになるんじゃね?」

 

 

「え?」

 

 

思わず聞き返してしまった。

 

だって、高校生がお嫁さんになりたいなんて…普通なら言われた方は反応に困る所だろう。

それなのに陸は、全く驚いた様子も見せずに答える。

 

 

「小咲優しいし、旦那になる男を羨ましがる奴はたくさんいると思う」

 

 

柵で頬杖を突きながら言う陸。

 

 

「で、でも私、料理とかできないし…」

 

 

「んなの出来る奴を旦那にすればいいだけじゃん。それに、どうしても料理したいなら練習しろ練習!」

 

 

ぽかん、と呆けてしまう小咲。ここまで真面目に話してくれるとは思ってなかった。

正直、冗談だろと笑い飛ばされるとばかり思ってなかった。

 

 

「けどさ小咲。ちょっと言い方気を付けろよな。あんな言い方じゃまるで、俺のお嫁さんになりたいみたいに聞こえたぞ」

 

 

「…え?」

 

 

小咲は先程自分が言ったことを思いかえす。

 

 

『陸君は…。私がお嫁さんになったりしたら、どう…思う…?』

 

 

「っ!!」

 

 

ぼっ!と、一瞬にして顔が真っ赤になる小咲。

そんな小咲を見ながら、陸は笑っている。

 

 

「大丈夫だって、わかってるから。例えばの話だろ?」

 

 

「そ、そう!そうなの!ご、ゴメンね!?変な言い方して!」(あぁもうバカバカバカ!どうしてここですぐに否定する言葉を言っちゃうかなぁ!!)

 

 

言葉とは裏腹に、内心では全く違うことを思っている小咲。

もちろん、そんな事は露ほども知らない陸は笑みを浮かべながら視線を景色の方に向ける。

 

 

「うおっ」

 

 

「?」

 

 

すると陸が、びっくりしたような声を上げる。

恥ずかしさに顔を真っ赤にしていた小咲は、その声で我に返り、陸の方を見る。

 

 

「見てみろよ小咲。すげぇ綺麗だから」

 

 

「…うわぁ」

 

 

ここには何度も来ている。だけど、門限の関係で今この時間帯の景色を見たことがなかった。

 

夕陽が射し込み、空は赤みがかっている。

何の障害物もない高い場所から見下ろす町並みに加え、空が綺麗に赤く染まっている。

 

思わず、小咲の口から感嘆の声が漏れた。

 

 

「この時間帯の景色も凄いけど、ここから夜景見たらもっと凄いだろうな…」

 

 

「…うん」

 

 

陸の言う通り、ここから見る夜景はどれだけ美しいだろう。

星空も見れて、街頭や建物の光に彩られる街並み。

 

 

「せっかくだし、ここで暗くなるまで待ってるかなー…と?」

 

 

不意にそんな事を陸が言った時だった。小咲のではない携帯の着信音が響き渡る。

小咲のではないという事は、勿論それは陸の物である。

 

陸はポケットから携帯を取り出して耳に当てる。

 

 

「もしもし、あぁ親父か。…買い物?俺が行けってか?前に楽たちが行ってきたばかりじゃねえか。…ジャガイモが足りない?じゃあ、ジャガイモだけ買ってくればいいのか?」

 

 

陸が通話を終えるまで待つ小咲。

そして、陸は通話を切って携帯をしまうと小咲の方を見る。

 

 

「だーめだ、買い物頼まれた。夜景はまた今度だな」

 

 

「…そっか」

 

 

ちょっと残念だが、仕方ないだろう。陸には陸の事情があるのだから。

 

 

「じゃあ、いつか見に来よう?ここの夜景」

 

 

「そうだな」

 

 

笑顔を向け合いながら、約束する二人。

 

いつになるかはわからない。でも、絶対にまたここに来たい。

 

 

「…ありがとう、陸君。相談に乗ってくれて」

 

 

「え?いや、碌に乗れてなかったと思うけど…」

 

 

「ううん、そんな事ないよ。…本当に」

 

 

陸が買い物に行くため、もう行かなければならない。悩みが晴れた小咲も、陸に続いて帰路に着く。

 

陸と道を分かれてから、小咲は先程陸が言っていたことを思い出していた。

 

 

(私のやりたい事、まだハッキリはしてない。けど、探していこう。一まず、今はお嫁さんになりたいから。…料理は、もう少し頑張ろうかな)

 

 

家に着き、玄関で靴を脱いで家に上がると、小咲は言った。

 

 

「ただいまー!今日の晩御飯、私が作ってもいいー?」

 

 

「「え!?」」

 

 

直後、小咲母と春の驚愕の声が、しっかり小咲の耳に届くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第76話 メイレイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼間こそまだじりじりとした暑さを感じるものの、夜に寝苦しく感じたり、朝起きると汗で不快な思いを感じたりという事は少なくなってきたそんな時期。

 

雀の鳴き声を聞きながら、陸は二人以外は無人のリビングで、テーブルに羽と向かい合って着いていた。

 

羽が新聞を読んでいる所を何となくぼうっと眺めながら、コーヒーの入ったカップを咥える。

 

すると、横開きの戸が開かれ、誰かがリビングに入ってくる足音が聞こえてきた。

 

 

「おーす…、おはよー皆…」

 

 

入ってきたのは、大きく口を開けて欠伸をする楽だった。

しかし、楽は皆と口にしたが先程の通り、リビングには今、陸と羽以外は誰もいない。

 

 

「あれ…、何だ、誰もいねーのか?」

 

 

「おいおい楽、忘れたのか?今日は家にいる奴らは組員旅行に出てるんだぞ」

 

 

「あー…、そういえばそんな事言ってたっけか…」

 

 

そう。何故、朝早くから男臭さ満載のリビングに三人しかいないかというと、答えは簡単。

全員、外出しているからである。組員旅行、何年かに一度、そういう行事を行っている集英組。

ちなみに、陸は何故行っていないのかというと、おっさんだらけの旅行なんか楽しくないという理由からである。

ちなみにちなみに、陸はその理由を組の男たちの前で口にしたことがあるのだが、かなりの人数の男たちの心にぐさりと刺さり、涙を流すものまで現れたという。

 

頭を掻きながら家の中にいる人数が少ない理由を思い出した楽は、ふと携帯を取り出す。

 

マナーモードにしていたのか、携帯は着信音は鳴らさず細かく振動していた。

 

陸は、通話ボタンを押して携帯を耳に当てる楽を見ながらふと口を開く。

 

 

「…この時期、ほとんどの奴らスマホにしてるんだよなぁ。俺もスマホに替えようかな」

 

 

「あれ?陸ちゃん、まだガラケーだったの?」

 

 

陸の呟きは、向かい合っていた羽に聞こえていたようで。

新聞を読んでいた羽が、ひょっこりこちらへ顔を覗かせながら問いかけてきた。

 

 

「何だかんだガラケーもスマホも変わらんだろって思ってたんだけどな…」

 

 

何か自分がガラケーを使ってる時に、他の人がスマホを使っていると、とてもスマホが最先端というか便利というか、ともかく羨ましく思えて仕方なくなる。

 

 

「…今度親父と相談すっかな」

 

 

「ふふ…。陸ちゃんの好きにしたら良いと思うよ」

 

 

にこりと羽が微笑みながら、陸の呟きに返事を返す。

 

そんな風に話している内に、いつの間にか通話を終えた楽がこちらに来ていた。

 

 

「楽。電話の相手、誰だったんだ?」

 

 

「集だよ。今日、一緒に釣具店に行かないかって」

 

 

「釣り具?何だよ楽、お前、釣りにはまってんのか?」

 

 

楽に電話を掛けてきたのは集だったらしい。

そして楽は、陸が知らない内に釣りを始めていたようだ。本当に全く知らなかった。

 

 

「で?行くのか?」

 

 

「いや。今日は静かだし、一日勉強に使おうって思う。集にもそう言っといた」

 

 

楽の言う通り、旅行で奴らがいない今、静かな家の中は勉強には絶好の環境といえる。

 

 

「さて、と!さっそく部屋に戻って勉強すっかな」

 

 

「真面目だねー楽は。遊びに行かねえのか」

 

 

「そうだ!勉強なら私が教えてあげよっか?陸ちゃんも一緒に教えてあげる!」

 

 

伸びをしながらリビングを出ようとする楽、そんな楽に声をかける陸。

そして、二人に勉強を教えると、名案を思いついたように表情を輝かせながら言う羽。

 

 

「お、それは助かるかも…。なら、お願いしまーす」

 

 

「はい、お願いされました。陸ちゃんは?」

 

 

おふざけが入っているのだろうが、楽と羽が学校での生徒教師の関係をここで演じ始める。

すると羽は、すぐに返事を返さなかった陸の方を向いて問いかけた。

 

 

「あぁ、俺は後でお願いするわ。今はちょっと…」

 

 

羽の提案を丁重に断ってから、陸はリビングを出ていく。

そんな陸を、きょとんとした目で眺めていた羽がふと口を開く。

 

 

「陸ちゃん、最近、道場に良く行くわよね」

 

 

「最近っていうか、毎日だな。朝だったり夜だったり、時間帯はバラバラだけど…」

 

 

陸は、最近になって、特に羽がここで生活するようになってから良く道場に行くようになった。

さらに、数日前辺りからは毎日陸は道場に通っている。

 

 

「ここ二、三年はそういう事はしてなかったんだけどな…」

 

 

再び、戦いの訓練を始めた陸。

 

楽も当然、子供の頃は陸と一緒に訓練を受けていた時期があった。

だが、あまりの激しさに楽はすぐ音を上げてしまい、逆に陸は訓練を続け、親父…一征の教える技術をどんどん吸収していった。

 

陸を鍛えている時の一征の表情は、楽が今まで見てきたどの表情よりも、ある意味輝いていたのを覚えている。

 

 

「…とにかく、勉強だ勉強」

 

 

陸の事は気になるが、そういう危なっかしい事に自分が首を突っ込んだら逆に陸の迷惑になるのは楽自身よくわかっている。

 

だから今も、訓練を再開した陸に関わることはせず、自分がやりたいことを始める。

 

羽と一緒に、自室へ行こうとする楽。

しかしその時、来客を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 

「?」

 

 

「何だ?届け物かな…」

 

 

チャイムを聞いた楽と羽は、玄関へと向かってやって来た客が誰なのかを確かめる。

 

 

「…!?」

 

 

扉を開けて、そこにいた人達を見て…、楽は目を見開いて驚愕した。

 

 

 

 

 

リビングを出て、道場に向かっていた陸。

だがリビングから道場はそれなりに遠い場所にあって。同じ敷地内にあるというのに、入り組んでいても廊下を歩くのが一番最短ルートなのだが、それでも辿り着くまでに五分ほどかかってしまう。

 

 

「…来客か?」

 

 

そこで、陸は家のチャイムの音を耳にする。

しかし、こんな朝から誰がこんな家にやってくるのだろう。

 

家の者が組員旅行でいないという事は、交流のある組織には伝えてある。

 

…いや、だからこそ来たのか?そこを狙って─────

 

 

(…ないな。もしそうだとしたら、夜さんが一掃してるはず)

 

 

今この家にいるのは、陸と楽だけではない。

叉焼会の首領である羽、そしてその側近である夜もいるのだ。

 

もし、そういう目的の輩が家に近づいていたとしたら、ここに辿り着く前に夜が対応しているはずだ。

 

 

 

(ま、何かの届け物だろ。俺が行かなくても楽が対応してくれる)

 

 

楽が何とかしてくれるだろうと考えた陸は、目的の道場へと方向を変えずに歩く。

歩いていたのだが、懐に入れておいた携帯から着信音を鳴り始めた。

 

 

「…何だよ楽。てか、家の中にいるんだから直接来いよ」

 

 

携帯を開くと、楽からの着信だと画面が示していた。

通話ボタンを押し、耳にあててうんざりとした気持ちを隠さず言う陸。

 

 

『いや、お前の言う通りなんだけどよ…。ちょっと急ぎっていうか…、ともかく、すぐリビングに来てくれねえか?』

 

 

「…どうしたんだよ。さっきのチャイム、誰か来たのか?」

 

 

タイミングがタイミングだ。間違いなく、楽の用事とは先程のチャイムを鳴らした人物の事で確定だろう。

 

その、来客が誰なのか楽に問いかける陸。

すると楽は、陸が予想していなかった答えを返した。

 

 

『あの、よ…。千棘たちが…、今、家に来てるんだ…』

 

 

「…は?」

 

 

 

 

一言二言交わしてから、陸は通話を切ってリビングに向かう。

 

しかし、こんな朝…というには少し時間が遅いが、それでもどんな用があってここにきているのだろう。

別にこの家で何かをする約束なんかはしてはいない。

 

 

「あっ!わ、私も手伝いたいなぁー!!」

 

 

「私にも任せろ!」

 

 

「私一人で十分ですわ!」

 

 

「?」

 

 

もう少しでリビングに着くという所で、その方向から聞こえてくる複数の声。

陸は疑問符を浮かべながら、角を曲がってその声の主たちを見る。

 

 

「いや、そんなに手伝い要らねーんだが…」

 

 

「ううん、大丈夫大丈夫。楽ちゃん、私一人で大丈夫だよ」

 

 

楽たちはリビングには居らず、キッチンの前で何やら話していた。

 

ほんの少ししか内容を聞いていないが、話している場所がキッチンという事を考えたら、恐らく昼食のことについて話しているのだという事が予想できる。

 

そして、昼食を作る役目を買って出たと思われる羽が一人でキッチンの中へ入っていく。

 

そんな羽の後姿を楽たちが眺める中、陸は並んだ三人、楽、集、そして小咲の背後で立ち止まる。

 

 

「手伝わなくていいのか?」

 

 

「うぉっ!?」

 

 

「お、陸じゃん」

 

 

「陸君!?」

 

 

陸の接近に気づいていなかった三人。それぞれの度合いは違うものの。三人とも目を見開いて陸を見て驚いていた。

 

 

「ね、姉ちゃんが一人でやるって言ってんだ。大丈夫だろ」

 

 

「…俺もお前も、羽姉の料理は食った事ねえよな」

 

 

「俺もないなー。…なあ二人共、羽姉はどっちの分類だと思う?」

 

 

キッチンから、羽の鼻歌が聞こえてくる。

そして、小咲が呆然と眺める中、陸、楽、集の三人は小声で話し合っていた。

 

集が言った、どっちの分類。

そのどっちとは勿論、料理ができる方か、それともできない方か、という二つである。

 

現在、ここにいる女子達では、小咲と千棘ができない組、万里花と鶫ができる組に分けられている。

 

 

(…どっちだ)

 

 

(姉ちゃんは、どっちなんだ!?)

 

 

ごくりと喉を鳴らして待つ中、キッチンから羽が姿を現す。

 

 

「できたよ~!」

 

 

羽に続いて陸たちがキッチンの中に入る。

すると、キッチンのテーブルに置いてあったのは…

 

 

「焼き餃子を作ってみましたー!」

 

 

「おぉ~!うまそ~!」

 

 

まさに中華料理の王道。焼き餃子が置かれていた。

香ばしい匂いが陸たちの鼻をくすぐり、食欲を湧かせる。

 

 

(((((おいしい…。紛れもなくおいしい…!)))))

 

 

餃子を口に入れれば、広がるのは見事な味。

 

どうやら羽は料理ができる方の分類のようだ。

その事実が、小咲たちの心に刺さる。

 

 

(この人、完全無欠なのかしら…)

 

 

「それと、こっちが水餃子でこっちが揚餃子。こっちは梅餃子、こっちはチーズ餃子。これはカレー餃子に生餃子、エビ餃子…」

 

 

皆が感心したりショックを受ける中、羽が次から次へと様々な種類の餃子を出していく。

 

…そう、餃子ばかりが出てくるのだ。

 

 

「あのさ羽姉。…まさか」

 

 

「うん。私、餃子以外は作れなくって…」

 

 

((((あ、欠点ぽいとこあるんだ))))

 

 

軽く頭を掻きながら、照れたように言う羽。

そして、それを見て安心する女子達一同。

 

様々な感情が渦巻きながら、昼食を済ませた陸たちは大広間へと移動する。

本当は楽の部屋へ行こうとしたのだが、楽が頑なに拒否して譲らなかったため、仕方なく場所を大広間へと移動したのだ。

 

さて、大広間へと移動した陸たちは何をするのか。

 

 

(何でこんな事になった…?休日に押しかけて来た女子達と王様ゲームって…、傍から見たら変態の所業の気が…)

 

 

そう、陸たちは王様ゲームを始めることになっていた。

昼食を…餃子を食べ終えた陸たちは、集の案と万里花の賛同で王様ゲームを始めることになったのだ。

 

 

「あんた、変な命令したら許さないから」

 

 

「分かってますよー!ちゃんと健全な範囲にしまーす!あ、でも無難すぎるのもダメだからねー。つまらなくなるから」

 

 

集が暴走する前に、集を諌めるるり。

 

あまり信用できないが、取りあえず返事を返した集は早速作ったクジを皆に引かせてゲームを始める。

 

 

「じゃあ、最初の王様は…おっ、桐崎さんだー!」

 

 

初めに王様になったのは、千棘だ。

 

 

「…じゃあ、二番が六番の頭を撫でる!とかどう?最初だし」

 

 

少し考えた後、王様が命令を告げる。

 

王の命令を聞いた陸たちが、それぞれの番号を確認する。

 

 

「…あ、俺二番だ」

 

 

「私六番ー!」

 

 

(あ)

 

 

引いたくじの番号を確認すると、二番は楽、そして六番は羽だった。

 

そして、その面子を見た千棘は呆然と目を丸くした。

 

 

(私、何ていうアシストをー!)

 

 

(何やっているのですか桐崎さんー!)

 

 

頭を抱える千棘と万里花が見る中、楽は羽の頭を撫でて命令をこなす。

 

学校で、楽と羽は本当に生徒と教師なのかと疑いたくなるほどスキンシップが激しい。

嫌らしい意味ではないのだが…、本当に自分たち以上に互いの事を知っていると見せつけられているようで、千棘たちにとっては複雑である。

 

 

「…」

 

 

そして、それは小咲にとっても同じだった。

陸はクラスが違うものの、羽とすれ違うごとに一言二言交わす。それか楽しそうに少しの間会話したり。

 

 

「あっ」

 

 

すると、再びクジを引いた小咲は、自分が王様になったことに気付く。

 

ともかく、陸と羽、そして楽と羽が一緒になるような命令をしない。

そのためには、王様の自分に何かするように命令すれば何とかその事態を防ぐことができる。

 

 

「えーと、じゃあ…。五番の人が王様に…」

 

 

ぴくりと皆の体が震える。

小咲なのだから、あまり無茶な命令はしないのだろうが…それでもどんな命令を出すのか気になってしまう。

 

 

(無難過ぎない命令…。膝枕とか…?あっ、でも!もしも相手が陸君だったら…、それに男子は一条君や舞子君だっているんだし…!)

 

 

どんな命令を出すか迷う小咲。

 

膝枕と言うか、それとも他の安全なものにするか。

膝枕にすれば、もしその命令を陸がすることになったら…、だが陸以外の男子になってしまったら…。

 

 

「あ、頭を撫でるで…」

 

 

皆が崩れ落ちた。ていうか、さっきと同じ命令なのはありなのか…。

 

 

「えっと、五番は俺だな」

 

 

「え!?」

 

 

五番を引いたのは陸だった。そして、立ち上がった陸を見て目を大きく開く小咲。

 

小咲へと歩み寄った陸は、その掌で小咲の頭を撫でる。

時間は決められていないため、先程の楽と羽の時と同じ程度の間隔で終わらせる。

 

そして命令をこなした陸は、元の場所へと戻っていく。

 

 

(…膝枕にしておけば)

 

 

後悔しても、すでに遅し。

撫でられて嬉しいという気持ちはあるが、それ以上に悔いが残った小咲であった。

 

それからもゲームは続き、次に王様になったのは万里花だった。

 

何を思ったのかは知らないが、どや顔しながら一番が王様にキスをしろと命令した時は皆が驚愕した。

したのだが…、その肝心の一番が鶫だと判明した時の万里花の表情を見て憐れみすら覚えてしまった。

 

結局、その命令は嫌がる鶫が泣き出してしまってお流れになり、そして次のくじ引きが始まった。

 

その結果、次の王様になったのは…羽。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回に続く──────


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第77話 続・メイレイ

久しぶりの連投!疲れたー。ww








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(羽さんが…)

 

 

(王様…!)

 

 

番号ではなく、端が黒ペンで塗られたクジを握った羽。

いつものほのぼのとした笑みを浮かべている羽だが…、異様な空気を纏っているように感じるのは気のせいだろうか。(気のせいである)

 

 

((((一体、どんな命令を…!))))

 

 

どのような命令を出すか見当がつかないからこそ、不気味に感じる。

 

そんな空気の中、羽の唇がにこりと三日月形に歪み…直後、開かれる。

 

 

「それじゃあ…、二番と七番の人は─────」

 

 

小咲の時とは比べ物にならないほど大きく、びくりと皆の体が震える。

 

そして─────

 

 

「私に好きな人を教えてもらおうかな♪」

 

 

一人を除いて…、皆の内心に衝撃が奔る。

羽の命令を聞いた瞬間、自身のクジの番号を確認する。

 

しかし、一体誰が…

 

 

「ふっ…、二番と七番ね…」

 

 

ゆらり、とゆっくり立ち上がる人影。

皆の視線が、その人影に集中する。

 

 

「二番は俺だ!!」

 

 

「集!?」

 

 

眼鏡を光らせ、クジの番号を見せながら名乗り出た集は、演技染みた仕草を見せながら口を開く。

 

 

「いやぁ、当てられしまっちゃ仕方ない。ちょっと恥ずかしいけど、ルールだもんな」

 

 

「てかお前今、好きな人とかいんのか?」

 

 

「もちろん!」

 

 

集の真実を知る者は数少ない。その内の一人である楽が、集に問いかける。

すると集は、即座に力強く答えた。

 

 

「俺の好きな人は…、羽姉!あなただ!」

 

 

「「「「「えええええええええええええ!!!?」」」」」

 

 

集に言われた羽が、きょとんとしながら指先で自分を指す。

 

 

「と!」

 

 

「「「「「…と?」」」」」

 

 

だが、集の言葉はまだ終わっていなかった。

羽の名の後、<と>の言葉で続けられる。

 

皆が呆然とした表情となり、目が点となる。

そんな中、集は浮かべた笑みを変えぬままさらに続ける。

 

 

「桐崎さんと~、小野寺と~、誠士郎ちゃんに万里花ちゃんと~…」

 

 

次々にこの場にいる女子の名前を口にする集。

訝し気な皆の視線を受けながら、集はここに来てから一番の笑顔を浮かべて言う。

 

 

「皆大好べぅ!」

 

 

言おうと、したのだろう。言い切る直前に、突如横合いから張り手が飛んで来なければ言い切る事は出来ただろう。

 

集は倒れ、直後、彼の額が何者かによって踏まれる。

 

 

「一応聞いておいてあげるけど、何故私の名前はない?」

 

 

「あれ?なかったっけ?ごめんごめん」

 

 

ぐりぐりと足で突かれる集。足が伸びる方へと集は笑みを向ける。

…ここまで来ると、尊敬の念すら抱きたくなる。

 

 

「大丈夫だよ、安心して♪僕、るりちゃんの事も大好き…ってあだだだ!!?るりちゃん、痛い痛い!ちょっ、洒落にならないってるりちゃんんんんんんんんんんんん!!!?」

 

 

((((舞子君で良かったぁ~…))))

 

 

ひとしきり集をボコった後、何者か…るりは元の場所に腰を下ろす。

 

さて、二番の集が命令をこなした。次は、七番を誰が引いたのかだが。

 

 

「ふぅ…。次は私の番ですわね」

 

 

集とは違う何者かが立ち上がる。

 

 

「恥ずかしいけど、発表致しましょうか。私の大好きな─────」

 

 

「さ、次の王様決めるよー」

 

 

「人ん話ば聞いてくれんね!?」

 

 

七番を引いた、万里花。…もう、彼女の好きな人が誰なのかは目に見えて明らかである。

万里花の発表の前に、すでに皆はクジを戻して新たに引き始めていた。

 

 

「でも、ちょっと残念だなぁ~」

 

 

「何が?」

 

 

順番にクジを引く中、ふと羽が呟いた。

羽の隣に座っていた陸の耳にその呟きが届いており、聞き返した。

 

 

「陸ちゃんとか楽ちゃんの好きな人、聞いてみたかったなー。後…」

 

 

羽の思惑が分かった陸は、横目で羽を睨む。

すると羽は、さらに笑みを深めながら、どこかへ視線を向ける。

 

 

「小咲ちゃんの好きな人とか…」

 

 

「え?」

 

 

小咲が羽に視線を向ける。

目を丸くする小咲と、深い笑みを浮かべる羽が視線を合わせる。

 

二人の間に流れる空気は、周りの朗らかなものとは違った微妙なものになっている。

 

 

「…ん?」

 

 

小咲と羽の空気を気にしながら、陸はくじを引こうとしたその時、家のチャイムが鳴り響く。

 

 

「何だ、また誰か来たのか。陸、見てきてくれ」

 

 

「何でだよ。何で当たり前のごとく俺に言うんだよ」

 

 

「だって、朝は俺が行ったし」

 

 

「関係ねえだろ」

 

 

陸と楽の間に、先程の小咲と羽とは違った殺伐とした空気が流れる。

 

睨み合う兄弟。目を鋭くさせ、睨み合う。そして、陸と楽は片手の拳を握って構えた。

 

一触即発の空気。集と羽以外の皆がそわそわする中、陸と楽は同時に口を開いた。

 

 

「「…ジャン、ケン!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

一条家、集英組の門の前。春が風ちゃん、ポーラと共にやってきていた。

 

和風の巨大な屋敷の存在感、そして何ら感じられない人の気配に圧倒される。

 

 

「ここが、先輩の家かぁ…」

 

 

「静かだね。誰もいないのかなぁ…」

 

 

風ちゃんが言った通り、あまりに静かすぎる。

ヤクザの家と聞いていたから、春はかなり騒がしそうな印象を持っていたのだが。

それなのに、話し声どころか人の気配すら感じられないのだ。

 

 

「お姉ちゃん、大丈夫かなぁ…。ここ、ヤクザの家だよ!もしかしたら、ひどい事されてるかも…」

 

 

「大丈夫だよ。お姉さん、何度か来てるんでしょ?」

 

 

「で、でも…」

 

 

風ちゃんはそう言ってくれるが、春としては心配で堪らない。

 

朝、突然陸の家へと行くと残して出かけて行った小咲。

いくら今、人の気配がしていないとはいえ、ここはヤクザの家である。

何が起こるか、春では到底想像もつかない。

 

 

「ふん、無礼な歓迎をするようなら私が吹き飛ばしてあげるわ」

 

 

「…ところで、ポーラさんは何でここに?」

 

 

先程も言ったが、春と風ちゃんの他にこの場にはポーラもいる。

物騒なことを言うポーラに、冷や汗を掻きながら春が問いかける。

 

 

「今朝、ブラックタイガーが凄い勢いで飛び出していったから面白そうだと思って♪にしても、ドデカイ屋敷ねぇ」

 

 

「そうだねぇ。あ、春ってこういうの好きなんじゃないの?」

 

 

「え?」

 

 

そう。ポーラの言う通りここには鶫もいる。

小咲と同じように家を飛び出していったようで、春とは違った意味ではあるが気になったポーラはここに来たようだ。

 

そんなポーラが、集英組の屋敷の規模に感心する。

 

風ちゃんがポーラに賛同し、そして春にふと問いかけた。

 

 

「春って和菓子もそうだけど、基本的に和のテイストが好きじゃない?」

 

 

「そうだけど、別にそれだけで…」

 

 

「あれ?」

 

 

風ちゃんの言葉に反論しようとした春。しかしその時、敷地の中から声が聞こえてくる。

 

その声に気付いた三人が視線を向ける。

 

 

「春ちゃん、風ちゃん…。ポーラまで、何でこんな所にいるんだ?」

 

 

三人が視線を向けた先には、こちらに歩いてくる和服を着た陸が。

 

 

「あ、お邪魔してますー」

 

 

「…」

 

 

「!!?」

 

 

風ちゃんがこちらに歩いてくる陸に挨拶をし、ポーラは無言で頭を下げる。

そして春は、陸の格好を見た瞬間に顔を真っ赤にして固まってしまった。

 

 

「…どうした春ちゃん」

 

 

「せ、先輩…。その恰好は…」

 

 

「ん、これか?家にいる時はこの格好なんだけど…」

 

 

固まった春が気になった陸が声をかける。

その陸を直視できず、春が微妙に陸の顔から視線を外しながら問いかける。

 

陸の格好は和服。家にいる時はいつもこの格好である。

 

 

「何だよ。似合ってないってか?」

 

 

「はは…、全くですよ…。着られる着物が可哀想ってもんですよ…」

 

 

「あーそうかい」

 

 

震えた声で言う春。そんな春を苦笑しながら見る陸。

 

 

「ともかく上がれよ。小咲と鶫もいるから。様子を見に来たんだろ?」

 

 

陸が先導して、三人を案内する。

真っ先にポーラがついていくが、春と風ちゃんは動かない。

 

いや、正確には動けない春と、心配して春の傍にいる風ちゃんといった所か。

 

 

(…どうしよう。先輩がカッコよく見える。ていうか着物って!着物って!!狡いですよ先輩!すごく似合って…!諦めるって決めたのに!先輩のバカバカバカバカぁ!!)

 

 

これが、春の内心である。

両手で真っ赤な顔を覆う春。

 

そして、そんな春を微笑ましそうに眺める風ちゃん。

 

 

「春…。春って、超かわいい」

 

 

「急に何!?」

 

 

突如、そんな事を言い出す風ちゃん。

戸惑いながらも、ともかく陸の案内に続いて家の中へと入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆がいる大広間へと入る陸たち。

春やポーラの姿を見て、小咲と鶫が驚いた様子を見せる。

 

 

「どちら様?」

 

 

「小咲の妹とその友達。一年生なんだ」

 

 

先程までいた場所に、陸が腰を下ろすと羽が問いかけてきた。

陸は、春達が何者なのかを羽に説明する。とはいえ、至って簡潔なものだが。それで十分だろう。

 

 

「ふーん…、そっかぁ」

 

 

何故か、面白いものを見つけたかの如く笑みを深める羽。

 

 

「それにしても先輩…。昼間から女の子を集めて王様ゲームって…」

 

 

「言うな、言わないでください。地味に気になってたんだから…」

 

 

春の言葉がぐさりと陸の心に刺さる。

それだけは、指摘されたくなかった…。

 

ともかく、春達に今やっていることの説明も終わった所でゲームの再開である。

 

再開する直前、春と風ちゃんが何やらぼそぼそ話していたが…、何だったのだろう。

しかも、二人は隣同士で座らず、春は小咲の隣で、風ちゃんは陸の隣で腰を下ろす。

 

 

「あのさ風ちゃん、春ちゃんの傍にいなくていいのか?」

 

 

「大丈夫です」

 

 

風ちゃんに問いかけるが、にっこりと返事を返してくる。

…何なのだろう。

 

早速、春、風ちゃん、ポーラの分を加えたクジを引く。

その結果、王様となったのは…、先程加わった新メンバーの一人、風ちゃんだった。

 

 

「おっ、早速一年生!ご命令をどうぞ~!」

 

 

風ちゃんが王様となった事を知った春の表情が輝く。

…本当に、先程の春と風ちゃんのこそこそ話が気になって仕方ない。

 

さらに、直後に春と風ちゃんがサッササッサとおかしな行動を始める。

腕を動かし、足を動かし、まるでこの仕草で会話をしているように見えるのは気のせいだろうか…。

 

 

「コホン、では王様が命令します」

 

 

咳払いしてから、風ちゃんが命令を口にする。

 

 

「九番は、二番を十秒間抱き締めてください」

 

 

「あ…、俺、九番だ」

 

 

陸が引いたクジには、九と書かれている。つまり、自分が誰かを抱き締めなければならない。

 

女子は…さすがに恥ずかしくて嫌だ。別に男子は嫌じゃないという訳ではないが、男子も男子で嫌だが…。

風ちゃんはいきなりずいぶんな命令をしてくる。

 

この先ゲームを続けたらどうなるか…、先行きが不安である。

 

ていうか、また春と風ちゃんがおかしな動きを始めている。

本当に何をしているんだ…。

 

 

「…えーと、九番は俺なんだけど。二番って春ちゃんか?他は皆違うって言ってたんだけど…」

 

 

「ふわ…あわわわ…」

 

 

皆の番号を確かめたが、二番は見つからなかった。残ったのは、春だけ。

陸が歩み寄ると、春は顔を真っ赤にして震えはじめる。

 

うん、そうだよな。恥ずかしいよな。俺だって恥ずかしいよ。

 

 

「気持ちはわかるけど…、ルールだから。さっさと済ませようぜ」

 

 

「えっ!?いや、その…」

 

 

何だかんだ逃げようとはしない春。

混乱しすぎて、動けないのかもしれない。

 

…今のうちに済ませてしまおう。

 

春の背後から、そっと両腕を回す。

なるべく、密着する部分が少なくなるように注意しながら十秒経つのを待つ。

 

十秒経ち、陸は春から離れる。

 

 

「ごめんな」

 

 

そして、耳元で小さく謝ってから元の場所へと戻る。

 

未だ、顔が真っ赤なままの春。…本当に悪いと心の中で謝り続ける。

 

 

「ん!?次は私が王様か!全員私にお菓子を持ってまいれ!」

 

 

「子供だ!子供がいるぞ!」

 

 

「あ!次は私だ!」

 

 

「ちょっ、何て命令してるのよ!」

 

 

「これホントにやるの…?」

 

 

「次は私が!私が!!」

 

 

さらに続く王様ゲーム。楽しんでいる内に、気づけば外が暗くなり始めた。

それに一番初めに気づいた羽が口を開いた。

 

 

「ところで、そろそろ日も暮れるけど…。皆、帰らなくても平気なの?」

 

 

「え?もうそんな時間?」

 

 

「気づきませんでしたわ…」

 

 

ゲームの命令をこなしていた千棘と万里花、そして皆が羽に視線を向ける。

 

 

「じゃあ、そろそろ帰…っ」

 

 

二年女子一同が、目を見合わせながら帰ろうかと口にしようとしたその時、四人は気づいた。

今ここで帰ると、家に残るのは陸、楽、羽の三人だけになるという事に。

 

 

「…どうした皆?」

 

 

いきなり動きを止めた四人が気になった楽が問いかける。

 

すると、四人がゆっくりこちらに振り返る。

 

 

「今日は泊まっていきます」

 

 

「…は?」

 

 

「はぁああああああああああああああ!!?」

 

 

千棘のその言葉に。そして、千棘だけでなく四人皆がその気である事に驚愕する陸と楽。

だが、これで終わりではなかった。

 

 

「お姉ちゃんが泊まるなら私も泊まろうかな…」

 

 

「私もー♪」

 

 

「私もー」

 

 

「ちょっ、風ちゃん、ポーラに春ちゃんまで…」

 

 

さらに春、風ちゃんにポーラが続いて泊まると口にする。

 

 

「ちょっ、皆落ち着けって…」

 

 

「なら、ご飯の準備しなきゃ。餃子で良い?」

 

 

「姉ちゃん!?ていうか、また餃子!?」

 

 

羽はもはや止める気すらないらしい。いや、期待はしてなかったが…、一教師としてここは止めてほしかったというのが陸と楽の本音だった。

 

 

「私も楽様に何かお作りしますわ!」

 

 

「私は食材を調達してきまーす」

 

 

「なら私はお皿洗ってくるー」

 

 

「じゃあ私は─────」

 

 

「ねえ!皆泊まるの!?本気なの!?ねえ!?」

 

 

皆、完全に泊まる気満々である。そして羽は受け入れる気満々である。

 

皆がご飯の準備を始める。そんな中、陸と楽はただただ呆然と眺めるだけ。

 

 

「…どうしてこうなった」

 

 

今、陸ができるのはただ、その一言を口にするだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第78話 カイサイ

今回から文化祭編です。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の暑さはどこへやら。時には心地よい涼しさ、時には突き刺すような寒さ。

そんな涼やかな秋空の下、凡矢理高校は周りの寒さとは裏腹に、熱い盛り上がりに包まれていた。

 

校舎には色とりどりの装飾が施され、生徒たちも普段の制服を着ている者もいれば、仮装をしている者も多数いる。

 

 

「おーい一条ー!このバケツに水汲んできてくれー!」

 

 

「あいよー」

 

 

陸たちのクラスも、開会式前の仕上げを行っていた。

 

陸たちのクラスが行うのは縁日。

他に、コスプレ喫茶という案が出たのだが、隣のクラス…楽たちのクラスとのジャンケンで負けてしまい、結果、縁日を行うという事で決着したのだ。

 

 

「よっ、と…」

 

 

陸は、水道の蛇口を捻って閉める。水を汲み終わった二つのバケツを、両手で持ち上げて教室へと戻る。

 

廊下を歩きながら辺りを見渡せば、制服を着ている生徒はほとんどいない。

着ている者は、生徒会や開会式で進行を行う人達だろうか。

 

もちろん、陸も制服を身につけずに仮装している。とはいっても、和装をしているので家にいる時と全く変わらないのだが。

 

黒の浴衣に、青い半被を肩にかける。これは、寒い時期に着ているいつもの服装である。

 

クラス内で、“祭”と書かれた半被を揃えようという話が出たのだが。残念ながら本番までに間に合わず。

人数分の半被は出来なかった。

 

陸を含めて、約半分のクラスメートたちは半被を着ることができていない。

もちろん、和装はクラス一同で固定されていることだが。

 

 

「ちょっと、扉開けてくれ」

 

 

教室の前まで来て、両手が塞がっているため丁度傍にいたクラスメートに扉を開けてほしいと頼む。

すぐに扉を開けてくれ、陸はありがとう、と一言口にしてから教室へと入り、汲んだ水をビニールプールの中に入れる。

 

縁日内でやる出し物は、ヨーヨーすくいに射的、それと食べ物を出すためにタコ焼きと焼きそばの材料を用意してある。

 

陸の役目は料理の方に割り振られており、他の出し物の手伝いをしながらも食材の整理も手伝っている。

というか、料理グループのリーダーは陸と言っていいだろう。

本番前に、たこ焼きと焼きそばの味付けをクラスメートに教えたのは陸なのだから。

 

 

「おい一条!何か呼ばれてるぞ!」

 

 

「は?」

 

 

バケツをしまい、まだ段ボールから出していない食材を出そうとそちらに足を向けた時、教室の扉の傍にいたクラスメートに呼ばれた。

 

陸を呼んだクラスメートとすれ違い、開いた扉から廊下を覗く陸。

 

 

「ん、何だ。皆勢揃いで」

 

 

教室の前で陸を待っていたのは、楽に小咲に千棘に、先日、一条家に泊まっていった、ポーラ以外の一同が廊下で立っていた。

 

 

「お、陸。…てか、お前も和服なのな。家にいる時と何も変わってねえじゃねえか」

 

 

「お前が言うな」

 

 

廊下に出た陸に話しかけてくる楽。

陸が着ている和服を見てそう言ってくるが、楽も家にいる時と同じ和装なので、楽だけにはそれを言われたくなかった。

 

 

「あぁ、お前のクラスはコスプレ喫茶だっけ?…俺らからぶんどった」

 

 

「はっはっは!ぶんどったとは心外だなぁ。僕は正々堂々とジャンケンで勝っただけだよ?」

 

 

「わかってるって。冗談だ」

 

 

先程も言ったが、陸のクラスも楽のクラスと同じコスプレ喫茶を案として出していた。

結果、ジャンケンで負けてしまいコスプレ喫茶を譲る事となったのだが。

 

 

「…?小咲、春ちゃん、どうした?」

 

 

「「…」」

 

 

集と冗談を言い合っていた陸は、ふとこちらをぼぉっと見つめている小咲と春に気が付いた。

 

春は、仮装の代名詞といえる魔女の服装。

そして小咲は…、いわゆるゴシックロリータというやつで、スカート部にリボンが付いた黒のドレスに黒の厚底ブーツ、頭には黒のカチューシャ。

 

 

(…うん。可愛い)

 

 

何とか口からは出さなかったものの、春も小咲も…特に小咲は似合いすぎている。思わずにやけてしまいそうだ。

だが、小咲本人としては恥ずかしいだろうし、何とか表情に出さないようにする。

 

 

「あ、あの、先輩…」

 

 

「陸君、その服装…」

 

 

「これか?俺のクラスは縁日やるからな。ちょっと、作業が間に合わなくて服を統一できなかったんだけど、和装は絶対って決まったから」

 

 

「「…」」

 

 

呆然と、陸は知らぬことだが、陸の姿に見惚れる小咲と春。

二人が我に返ったのは、基本的に鈍い千棘がどうしたの?と、二人に聞いた後の事だった。

 

 

「そ、そうだ!先輩、お姉ちゃん!私たちのクラスでやってるお化け屋敷に来ませんか!」

 

 

「お化け屋敷?」

 

 

すると春が、陸と小咲を誘う言葉を口にする。

 

春のクラスがやる出し物は、お化け屋敷だという。春の服装からわかる通り、陸のやっている縁日の和風とは逆に、洋風のお化け屋敷のようだ。

 

春は魔女の服装で、他に風ちゃんが吸血鬼、ポーラは…何故か猫娘だという。

洋風とはいかに。

 

 

「俺、午前中は空いてないんだよな…。午後からは空いてるんだけど、小咲は?」

 

 

「私も、午後から空いてるかな。午前中はシフトが…」

 

 

どうやら、陸も小咲も午前中は空いていないようだ。

そのため、昼休みに昼食を取ってから合流し、春のクラスに行くという事で決定した。

 

 

 

 

 

 

「一条―。午後から、俺達と回らねえか?」

 

 

開会式を終え、午前の部を済ませた昼休み。

昼食を食べ終えた陸に、上原含む五人の友人たちが誘いに来た。

 

 

「悪い、もう先約がいる。そいつと一緒に回る約束してるんだ」

 

 

もちろん、先約とは小咲の事である。まだ春のクラスのお化け屋敷に行くと約束しただけで、文化祭を回る約束まではしていないのだが…、咄嗟にそう口にして断りの返事をしてしまった。

 

 

「…」

 

 

「へぇ…。おい一条、その先約って小野寺の事だろ?」

 

 

「!?」

 

 

弁当箱をしまおうとした陸の動きがぴたりと止まる。

そして、そんな陸を見た友人たちがにやりと笑みを浮かべる。

 

 

「やっぱりかー。…なあ、お前マジで小野寺さんと付き合ってねえの?」

 

 

「付き合ってない」

 

 

「ぶっちゃけ信じられねえんだよなー。あんな仲睦まじい姿を見せつけられてたら」

 

 

「見せつけてない」

 

 

友人たちが陸をからかい始める。

陸はそんなからかいを一言で受け流し続けるが、僅かに頬が染まっていることに陸自身気が付いていない。

だが、友人たちはそのことに気付いており、だからこそからかいの勢いがさらに増していく。

 

 

「いい加減にしろ!そろそろ午後の部が始まるから、俺は行く!」

 

 

「はいはーい」

 

 

「いいねー、彼女持ちは」

 

 

「俺たちは男だけで寂しく文化祭を回るとしますか」

 

 

「だから違ぇっての!」

 

 

冷静な陸ならば絶対にしない、不自然に話を切って離脱するという行動。

だからこそ、珍しく怒鳴った陸を見ても友人たちの笑みは浮かんだまま。

 

だが、一人だけ。上原だけは、からかいが始まってからもずっと、神妙な面持ちのまま陸を見続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「春ちゃんはA組だっけ?」

 

 

「うん」

 

 

教室の前で合流した陸と小咲は、階段を降りて一年の教室が並ぶ廊下を歩いていた。

春のクラスであるA組の教室へと、すぐに辿り着く。

 

 

「お姉ちゃん!先輩!」

 

 

陸と小咲が教室の前に着いてからすぐ、教室内から春が出てきた。

一瞬、教室の中が見えたのだが、お化け屋敷らしく真っ暗で、春がすぐに扉を閉めてしまったため、中の詳細な様子は良く見えなかった。

 

 

「すいません、すぐに案内したいんですけど、あそこの列に並んで待っててください」

 

 

「うわ、長いな…」

 

 

「わかった。ほら、行こう陸君」

 

 

春が指差した方には二十人くらいが並んでいる。

まあ、二十人が一人ずつ入るわけではないため、待ち時間はそれほど長くはならないと思うが、それでも人数が人数のため列がかなり長く見える。

 

最後列に陸と小咲が並んでから、およそ二十分ほどだろうか。

長くは待たないという予想に反して、長く待つことになったがそこで陸と小咲の一つ前のグループが教室内に入っていく。

 

大体、一グループが出口から出て来るまで四、五分といったところ。

もうすぐ、陸と小咲の番がやってくる。

 

 

「うおぉ…、マジで怖かった…」

 

 

「やべぇって…。あれはやべぇって…」

 

 

「「…」」

 

 

大体、予想していた通り五分くらい経っただろうか。出口から男子たちのグループが出てくる。

 

出口から出てくるグループの様子は、並んでからずっと見てきたのだが…その度に、仲がどうなっているのか気になってしまう。

 

正直、文化祭レベルだし、大したことないだろうと考えていた陸と小咲。

息を切らせ、顔色を悪くして出てくる人達を見続ければ、心配になるのも仕方ないと言えるだろう。特に小咲は。

 

 

「はい、次の人どうぞー」

 

 

陸と小咲が呼ばれ、教室の中に入る。

 

中は薄暗く、装飾もかなり凝っており不気味さ満載だ。

 

 

「…かなり凝ってるな。大丈夫か、小咲?」

 

 

「う、うん…」

 

 

小咲の返事の声が弱弱しい。まあ、先程も言った通り出口から出てくる人たちの様子が尋常ではなかったため、その反応も仕方ないのだが。

 

しかし、このまま立ち止まっていても他の人に迷惑になるため、早速進み始める陸と小咲。

だがそのすぐ、扉のすぐ近くに立てかけられていた障子から、いきなり両手が飛び出した。

 

 

「きゃぁあああああああああああ!!!」

 

 

「うぉっ」

 

 

突然の事に驚く陸と小咲。

陸は体をびくりと震わせ、小咲は陸の胸へと飛び込む。

 

跳び出てきた両手は、障子に空いた穴の中へと戻っていく。

 

 

「びびび、びっくりしたぁ…」

 

 

「いきなりか…。…」

 

 

警戒という警戒をしていなかった陸は、いきなり驚かされてしまった事に情けなく感じると同時に悔しく感じる。

 

次からは、絶対に驚かねぇ、と決意を固めた陸は警戒心を強くする。

 

 

「「あ」」

 

 

その時、ふと陸も小咲も、今の自分たちの体勢に気が付く。

 

小咲は陸の胸に頭を当て、両手を陸の背に回している。

陸もまた、その両手を小咲の肩に乗せている。

傍から見れば、抱き合っているようにしか見えない体勢。

 

呆けた声を、陸と小咲は同時に漏らし、そして同時にばっ、と体を離す。

 

 

「ご、ゴメンね陸君!」(わぁー…、私ったら思わず…!)

 

 

「い、いや、大丈夫だから…」(な、何だこのベタ展開…)

 

 

陸も小咲も、頬を染めて顔を互いから背ける。

 

 

「ど、どうする?無理そうなら出るか?」

 

 

「う、ううん。大丈夫」

 

 

いきなりの小咲の怖がり様から、ちょっと大丈夫なのかと心配になった陸。

そのため、陸は問いかけるが小咲は首を横に振る。

 

 

「ほら、去年の林間学校でも私、陸君に迷惑ばかりかけてたでしょ?だから、ほら…リベンジっていうか…」

 

 

「…」

 

 

そういえば、林間学校でも同じことがあったなと思い出す陸。

あの時も、ここに入って最初に驚いた時と同じように、抱き付いてきていた。

 

ただあの時は今と違って、恥ずかしいと思う暇もなく小咲の腕の締め付けの強さにひたすら痛がっていたが。

 

 

「それにもう油断しませんから!迷惑かけませんから!」

 

 

両手を体の前で振りながら謝ってくる小咲。

 

ていうか、先程もそうだが小咲の仕草は一々可愛すぎる。

仕草を見せられるこっちの身にもなれと思うのは、陸の勝手である。

 

 

「よーしっ、もう何が来ても驚かないからっ」

 

 

(…驚いてほしい)

 

 

張り切る小咲を見て、そう思ってしまうのはダメだろうか…。

 

 

「ふ?」

 

 

と、そこで張り切ってすぐ、小咲の顔に何かが張り付いた。

小咲はそれを掴み、何なのかを確かめた。

 

 

「…きゃぁあああああああああああああ!!!こんにゃくぅううううううううううう!!!」

 

 

「え…?こんにゃ…」

 

 

小咲の顔に張り付いたのはこんにゃくだった。天井から糸で吊るされているこんにゃくだった。

陸は知らない事だが、小咲はこんにゃくが苦手である。それも、ただ苦手なのではない。

 

再び陸に抱き付く小咲。さらに直後─────

 

 

ぺたぺたぺたぺったん

 

 

さらに複数のこんにゃくが二人の服に張り付く。

そしてその、ぺったりとした不快な感覚は服を通り越して体に伝わってくる。

 

 

「きゃ───────────!こんにゃくやだぁあああああああああああああ!!!」

 

 

「いててててて…。こ、こんにゃく嫌だ?え?食べられないとかじゃなくて…」

 

 

小咲の、あまりのこんにゃくの嫌がりようを見て察する。

 

小咲は、こんにゃくを食べるのが苦手なのじゃない。こんにゃく自体が苦手なのだと。

 

その後も、次々とお化け屋敷の仕掛けが小咲を襲う。

先程のこんにゃく攻めでダメージを負った小咲は、陸から離れることができず、ただ仕掛けに怖がることしかできず。

 

リベンジを誓ったものの、結果は林間学校の時と何ら変わらないものとなってしまった。

 

 

「あ…、おい小咲。もうすぐ出口だぞ?」

 

 

「ほ、ほんと…?」

 

 

陸の胸に顔を埋めながら顔を見上げてくる小咲。

頬を紅潮させ、目の端に涙を溜める小咲の表情は、いい意味で陸の心に突き刺さる。

 

 

「あ、あぁ。本当だから。もう少しだから頑張れ」

 

 

「…うん」

 

 

本当に怖いのだろう。それでも笑顔を浮かべながら、頷く小咲。

 

止まっていた足を動かし、出口に向かって歩き出す二人。

 

 

「グォオオオオオオオオオオオオオ!!!…リア充くたばれ」

 

 

「きゃぁああああああああああああああああああ!!」

 

 

不気味な影が、陸と小咲の前に飛び出してくる。

 

もうすぐ出口、最後の仕掛けという事だろう。

ゾンビのマスクを被った人影は、最後に何か呟いてから去っていった。

 

再び悲鳴を上げる小咲。陸の体に思い切り密着する小咲。

だがその際、小咲の足が陸の足に引っかかってしまった。

 

 

「え」

 

 

「あっ…」

 

 

陸と小咲の体がよろけ、重力に従って床に倒れる。

 

 

「いたた…」

 

 

「ん…、小咲、大丈夫…か…」

 

 

床に倒れた陸の体勢は、四つん這いの状態だった。

何とか両手を床に突いて体が床に叩きつけられることは防いだが、床に打った膝がジンジンと痛む。

 

陸は、膝の痛みを我慢して、思わず閉じた目を開ける。

 

そこで、一緒に倒れた小咲は大丈夫だろうかと問いかけようとする陸だ。

 

しかし、開いた陸の目に飛び込んできた光景を前に─────固まってしまった。

 

四つん這いになった陸の両手両足。そこに挟まれるように、小咲が仰向けに倒れている。

要するに、陸が小咲を押し倒したようなそんな体勢になっているのだ。

 

 

「…あ…」

 

 

固まった陸をよそに、小咲の目も開いた。そして、陸と同じように動きが固まる。

 

みるみる、二人の顔が赤くなっていく。

 

 

「え、えっと…」

 

 

「…あっ、わりぃ!すぐどく!」

 

 

小咲が、真っ赤な顔で困った表情になる。

そこで陸は、自分がどかなければ小咲は動けないという事に気が付く。

 

すぐに立ち上がって、小咲から体をどかせる陸。

 

その際に小咲から視線を逸らしてしまったため、目にしたわけではないが小咲も立ち上がったことが音で分かる。

 

 

「えっと…、とりあえず、出ようか…」

 

 

「…そうだな」

 

 

小咲が声をかけてくる。その言葉に陸も同意して、二人は出口から教室を出てお化け屋敷をゴールした。

 

ゴールする直前、多数の殺気が感じられたのは気のせいではないだろう。

 

 

「…本当にごめんね。私、テンパってばかりで…」

 

 

「いや、俺もビビったし…。ていうか、俺こそゴメン…。あんな…っ」

 

 

お化け屋敷を出て、廊下に座り込んでしまう二人。

そして互いに謝り合うが、その時に先程の体勢を思い出してしまった陸と小咲は再び顔を真っ赤に染めてしまう。

 

 

「…おい小咲。その腕」

 

 

「え?…あ」

 

 

視線を逸らしてしまった陸だが、不意に視線を小咲に戻すと、ふとある事に気が付く。

 

 

「さっき転んだ時に擦りむいたんだな」

 

 

「はは…、大丈夫だよこれくらい」

 

 

「ダメだ。絆創膏貰ってくるから、ここで待ってろ」

 

 

大丈夫だと小咲は言うが、腕を擦りむいてしまったのは自分のせいだと自責の念を感じる陸。

小咲にここで待ってるように言ってから、陸は保健室に絆創膏を貰いに行くために立ち上がって歩き出す。

 

 

「あ…、先輩…」

 

 

「春ちゃん?」

 

 

その時、教室から出て廊下にいた春の姿があった。

春は陸の姿を見た途端、何故か悲しげに表情を歪める。

 

 

「…お化け屋敷楽しかったよ。良く出来てて驚いた」

 

 

「…それは良かったです」

 

 

春は微笑んで返事を返してくるが、表情が悲しげなのは未だ変わらない。

 

 

「ちょっと小咲が怪我してな。保健室で絆創膏貰いに行ってくるから、その間、小咲のこと見ててくれるか?」

 

 

「はい、わかりましたー」

 

 

陸は春にそう言い残して、再び歩き出す。

 

だが…、先程の春の悲しげな表情が頭に浮かんでどうにも気になってしまう。

 

 

「…なぁ春ちゃん。何か元気ない?」

 

 

「え…」

 

 

「疲れてんなら、あんまり無理すんなよ」

 

 

声をかけてきた陸を呆然と見てくる春。

そして、陸は春を案じる言葉を掛けてから今度こそ保健室へと歩き出す。

 

階段を降りるために角を曲がる陸。

そのためだろう。ずっと、陸がいた場所を見つめ続けていた春の視線に気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

「…ふふふ。明日、二日目…。この僕の計画は遂に花開く!」

 

 

文化祭一日目が終了し、誰もいない、夕陽が射し込んだ教室内に一人、男子生徒が立っていた。

その男子生徒は、一枚の紙を見つめて、何やらほくそ笑む。

 

 

「ふふ…。計画成就のためにも、二人には協力してもらうよ…」

 

 

そして、その紙にはこう書かれていた。

 

<特別審査員 一条陸 小野寺小咲>と。

 

そして、男子生徒はかけている眼鏡を奥で目を細めながら、小咲の名を見てさらに笑みを深めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




陸の服装のイメージは、ぬらりひ〇んの孫のリ〇オですね。
まさに、ザ・和!といった感じで好きです。


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第79話 ミスコン








 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理高校文化祭、一日目が終了。

本日は二日目なのだが、この二日目は午前はクラスの出し物が中心に行われるが、午後からは体育館で大きなイベントが催される予定だ。

 

そのイベントとは…その名も、<ミス凡矢理コンテスト>

これは自由参加であり、見学をするもしないも生徒の意思に任せてはいるが、毎年ほとんどの生徒たちがこのコンテストを見るために体育館へ押しかけるほどの人気イベントだ。

 

現に今、昼休みもまだ余裕があるというのにかなりの人数の生徒たちが体育館への移動を始め、体育館入り口に長い列ができている。

 

 

「で?俺と小咲はその特別審査員とやらに選ばれた、と…」

 

 

「そうそう!だから、お二人さんにはこの椅子に座ってミスコンを見守っていただきたいと…」

 

 

「おい集、それはいつ決まった?少なくとも昨日までには決まってたよなぁ。それで、俺達には黙ってたと?」

 

 

「痛い痛い、陸、痛い。このままじゃ頭割れちゃぅうううううううううううううう!!!」

 

 

そして陸は、そんな人が入り始めた体育館の中。アリーナの脇に建ててある運営のテントの中にいた。

隣には小咲、目の前には陸の手に頭を握られている集が悲鳴を上げていた。

 

 

「い、いやだって!前もって二人に言ったら断られるって思ったから!特に陸はこういうイベントってあまり好きじゃないだろ!?」

 

 

「…まぁ、断るわな」

 

 

「何も参加しろなんて言わないって。大体お前男子だし。ただ、審査員として協力してくれってだけなんだ」

 

 

「…」

 

 

集が言っているのはただの言い訳だ。言い訳なのだが…的を射ているのが微妙に陸の中に刺さる。

 

しかし、一つだけ陸の中で疑問があった。

 

 

「ていうか、何で俺と小咲なんだよ。他の人を適当に選んだって良かったじゃんか」

 

 

そう。何故、自分たちなのか。

断られるとわかっているのなら、何故他の人を選ばなかったのか。

何故、そこまでのリスクを負ってまで自分たちを選んだのか。

 

陸はその理由を集に問う。

 

 

「ほ、ほら、二人は去年、ロミオとジュリエットの役を演じただろ?あの時の盛り上がりってお前らが思ってる以上に凄かったわけよ。今年も、ロミジュリに勝るイベントは出て来るかっ!?て話題になるくらい。だから、そんな有名なお二人に審査員として出てもらったら盛り上がるかなって…。それより陸さん、そろそろ離してくれませんかね」

 

 

「…」

 

 

一応、ちゃんとした理由だった。これで下らない理由だったら、本気で集の頭を握りつぶすところだったのだが…。

 

 

「私は…、審査員くらいなら…。別に参加するわけじゃないし…」

 

 

「え」

 

 

「ほ、本当に!?小野寺、ありがとう!」

 

 

どうするか、陸が悩んでいると、小咲がそう口にした。

陸は目を見開いて小咲へと振り返り、集は顔を輝かせながら小咲に礼を言う。

 

 

「ほらほら~。小野寺は承諾してくれたぞー?これは陸も受けてくれないと~」

 

 

「頭がパァーンてなりたいか?」

 

 

「すいませんそれだけはやめてくださいでも審査員は受けてくださいお願いします。」

 

 

「…はぁ」

 

 

ちょっと調子に乗った集を脅し、ため息を吐いてから頭を離す。

 

まぁ、小咲の言う通り参加するわけでもないし、それに飽くまで審査員。司会としてイベントをまとめる訳でもない。

 

 

「…俺もやるよ、審査員」

 

 

「おぉ!さすが陸殿!ありがてぇありがてぇ…」

 

 

陸が審査員を受けると、集が両手でごまを擦りながらぺこぺこ頭を下げてくる。

 

とまぁ、このような経緯で陸と小咲は、特別審査員をすることとなったのだ─────

 

 

 

 

 

 

そして、昼休みも終わり、体育館に設置された椅子全てが人で埋まり、それどころか壁に寄りかかってみようとしている人もたくさんいる中、ついにその時がやってくる。

 

 

『え―…大変長らくお待たせいたしました。ミス凡矢理コンテスト!!まもなく開催いたします!!』

 

 

「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」」」

 

 

司会の集が開催を宣言すると、会場内にいる生徒(全て男子)達が雄叫びを上げる。

 

その前からガヤガヤと騒がしかった館内がさらに騒がしくなっていく。

生徒達がどれだけコンテストを楽しみにしていたのかが良くわかる。

 

その間にも、実況席に座る集ともう一人の男子生徒が何やら世間話を始める。

陸はテーブルに肘を突きながらその話をぼーっとしながら聞いていたのだが、不意にマイクを持った集がこちらを向く。

 

 

『ではここで、本コンテストの特別審査員を務める、一条陸さんにお話を伺ってみましょう』

 

 

「っ!?」

 

 

ばっ、と集の方を向く陸。

その顔は、<おい、聞いてないぞ!?>と、ありありと語っている。

 

だが、目の前の集は猫口で笑っている。それだけではなく、いかがですか?と、本当に話を伺いながらマイクを向けてきている。

 

 

「あ、えっと…。去年は僕、このイベントの事を知らなかったのですが…、ここまでの規模とは思いませんでした。なので、どのようなコンテストになるのか楽しみです」

 

 

『ありがとうございましたー!』

 

 

とりあえず、何か言わなければと焦りに駆られた陸は、思っていることとそうでないことを混ぜてコメントした。

 

コメントを終えた陸は、再び司会の仕事に戻る集をちらりと睨む。

 

後で、〆る。

 

 

『それでは皆さん!ミス凡矢理コンテスト、スタートで~す!!』

 

 

陸が決心を固めていると、遂に集がコンテスト開催宣言を行った。

 

そこからは展開が早く、早速エントリーナンバー一番の娘が呼ばれ、イベントが進んで行く。

 

基本的に、ステージに上がった女の子は自己紹介をした後、アピールポイントを聞かれ、それからは人それぞれ違った質問をされる。

その質問は、今の所全て、集が出しているのだが…何故そこまでポンポン次々にネタを出せるのか。不思議に思いながら、陸はステージに上がる女の子を眺める。

 

 

『それでは次の方参りましょう!エントリーナンバー十二番!ご入場ください!』

 

 

空気が変わったのは、この時だった。

これまではひたすら盛り上がっていた会場が、その女の子が入場した途端、ほぉっ、とため息にも似た吐息に包まれる。

 

ステージには、可愛らしい和装の売子姿に身を包んだ女の子が上っていた。

 

 

「…え、あれ、春ちゃん?」

 

 

「春!?出場してたの!?」

 

 

さらに、何と売子姿の女の子は春だったのだ。

春がコンテストに出ていたことに驚愕した陸と小咲は、ただ目を見開くことしかできない。

 

 

『何ともキュートな女の子が入ってきました!それでは、学年とお名前をお願いします!』

 

 

こういうイベントにはあまり積極的に参加しない人だと思っていた陸。

 

 

(あ、うん。何か、春ちゃん自身が出たいと思って出たわけじゃなさそうだな…)

 

 

マイクを渡された春は、ステージ上であたふたしている。

明らかに、自分の意志で参加したわけじゃなさそうだ。

 

しかし、出場したことには変わりない。このまま何もせずに、ステージを降りることはできないのだ。

 

 

『え、えーと…。一年A組、小野寺春です。よろしくお願いひま…あっ』

 

 

自己紹介をしようとした春。途中までは良かったのだが、最後に噛んでしまった。

途端、春の姿に魅了されていた人たちが盛り上がり始める。

 

 

「かわいいぞー!」

 

 

「頑張れー!」

 

 

男子も女子も関係なく、春を応援する声がこだまする。

 

 

「あぁ、春~。だ、大丈夫かな?大丈夫かな~…」

 

 

「落ち着け…」

 

 

そして、陸の隣に座る小咲も、春が心配で仕方ないらしく。

あわあわ体を揺らして、今にもステージに飛び出していきそうな空気を醸し出している。

 

 

『それでは、自分のアピールしたいことをどうぞ!』

 

 

『あ、アピール?』

 

 

続いて、他の女の子も聞かれていたアピールポイントを問われる春、

 

春は、どちらかというとあまり自分に自信が持てないタイプな上、当初はコンテストに参加するつもりもなかったようだし、あまり考えていないだろう。

 

困っている春を見た小咲がさらに心配を深くし、さらには席から立ち上がろうとしている。

 

 

「春…春…」

 

 

「はいはい春ちゃんが心配だなー。…てか小咲って、こんなキャラだったか?」

 

 

妹が心配過ぎてキャラが崩壊している小咲の手首を掴んで止める陸。

そうしている間に、何か思いついたのか、春が口を開いた。

 

 

『えっと…。私の家は、凡矢理商店街で和菓子屋を営んでまして…。上品で優しい味わいをモットーに、四季折々の素材を活かした和菓子を取り揃えております。和菓子のご入用の際はぜひ、和菓子屋おのでらをごひいきに…て、すみません。ただの宣伝です…』

 

 

何を言うのかと思っていると、春は家の和菓子屋について語りだした。

しかも、アピールというより、宣伝になってしまったが…まぁ、会場は盛り上がっているので結果オーライといった所だろう。

 

集も、特に指摘するつもりはない様だ。

 

 

「頑張ってんなー、春ちゃん」

 

 

ステージ上で頑張る春を眺めながら、不意に呟いた陸。

隣の小咲も、涙を流しながらぱちぱちと拍手している。

…どうしたというんだ、小咲。

 

 

『では特別審査員の一条さんは、何か質問などありませんか?』

 

 

『…はい?』

 

 

油断していた。そうだ、集はこういう奴だった。

 

先程、何ら打ち合わせしていなかった事を<一度>したからって、もうそれで打ち止めだった事などなかったというのに。

 

 

『あー、えーと…』

 

 

マイクが向けられている以上、あまり時間はかけられない。

とはいえ、好きな食べ物は?等のベタすぎる質問は会場の空気を下げてしまう。

 

 

(こうなったら…、春ちゃん、すまん)

 

 

心の中で春に謝罪をしてから、陸は口を開いた。

 

 

『では…。恋をするなら、年上と年下。どちらがいいですか?』

 

 

あぁ…、遠目でもわかる。春の顔が真っ赤になっている。

 

本当にゴメン、ともう一度心の中で謝ってから、陸は春の答えを待つ。

 

 

『…と、年…上?』

 

 

何度も口を開閉しながら、遂に春が答えた。

途端、会場内で喜びの叫びと悲鳴が入り混じる。

 

 

『何と!春さんは年上が好みのようだ!僕もこんな後輩が欲しぃー!エントリーナンバー十二、小野寺春さんでした!皆さん、暖かな拍手を!』

 

 

今までで一番といっていい盛り上がりを見せた春のアピールは終了。

 

それからは順調に…とはいかず、色々トラブルが起こる。

 

まず、春の次に出てきたエントリーナンバー十三の人。

銀髪で、クールな服装を着こなした少女…ていうかポーラが現れたのだが、集の質問に答えず、自己紹介もせず、ひたすら無言のまま、しびれを切らした集がポーラのターン終了宣言をしてしまった。

 

そして、そのポーラの次に出てきたのは何と万里花だった。

何やらマントを纏い、衣装を見せずにステージに上がった万里花は、マイクを係の人からぶんどり、楽の物宣言しながらマントを取って身に着けた衣装を見せつける。

瞬間、会場内にいたほとんどの者の頬が染まる。万里花が身に着けた衣装は、何ともきわどいビキニ水着だったのだ。

 

会場内の男子を魅了し、中には鼻血すら出す者もあらわれたのだが…、布の面積が規定違反と判断され、万里花は失格扱いにされてしまった。

 

会場内の男子達はため息を吐いていたが、当然だろう。

飽くまでこれは高校の文化祭。布の面積が小さすぎればそれは失格になってしまう。

 

以降はトラブルは起きず、平和にイベントは進んで行った。

 

予選も無事に終了し、投票を行い、本選に進む五人を選出。

その結果、春が選ばれたことを聞いた小咲は滅茶苦茶喜んでいた。

 

さらに本選も進み、五人の更なるアピール。

春も、どんな心境の変化があったのか、他の人と同じ、いや、それ以上の真剣さで本選に臨んでいた。

 

そしてついに…その時が来る。

 

 

『それでは、結果発表!』

 

 

本選も終わり、最終投票も終わり、残すは結果発表のみ。

 

集や、他の係の人達の集計も終わり、ようやく最後の生き残り…優勝者が発表される。

 

 

『第二十三回、ミス凡矢理コンテスト!栄えあるミスの栄冠に輝いたのはー…』

 

 

会場の生徒達が息をのむ中、集は口を開いた。

 

 

『エントリーナンバー十二!小野寺春さんです!』

 

 

会場内が、沸いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




かなり中途半端な終わり方になってしまいましたが…、長くなりそうなのでここで切る事にしました。
次回で、文化祭編は終了となります。


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第80話 ツゲズニ

これにて、文化祭編は終了です。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩。踊りましょうか」

 

 

陸の目の前で、微笑みながら言う少女。

だが、その少女の瞳は、悲しげに揺れていた。

 

 

 

 

 

 

『ミスの栄冠に輝いたのは、小野寺春さんです!』

 

 

歓声に包まれる会場。

コンテストは、春の優勝という結果で幕を閉じることとなった。

 

すぐに表彰式が行われ、春の手に記念トロフィーが渡される。

 

 

『では続いて、本コンテストの優勝賞品をお渡しします』

 

 

春が持っているトロフィーは飽くまでオマケ。このコンテストに出場する者ほとんどは、集が言った優勝賞品を目当てにしているのだ。

 

そして、その優勝賞品とは─────

 

 

『本コンテストでは毎年お馴染み!一日限りの超ビッグチャンス!本日、夕方から始まる後夜祭のフォークダンスにて!一緒に踊る男性を指名できる券です!!』

 

 

集も言っていたが、実はこの一緒に踊る男性を(ry券は、コンテストを始めるようになってからずっと優勝賞品として受け継がれてきた。

 

 

『毎年数々のロマンスを生み出してきたこの強制指名券!今年は誰が選ばれるのでしょう!?』

 

 

ちなみに、ここで選ばれた男子には拒否権などない。

まあ、これまで拒否した男子はいないのだが…。そんな空気が読めない男子はいなかったのだが。

 

 

『それでは春さん!ご指名ください!』

 

 

『…あー』

 

 

先程まで盛り上がっていた会場内が静まり返る。

春は、一体誰を指名するのか。次に春の口から出てくるその男の名を聞き取ろうと、全神経を両耳に集中させている。

 

 

『それじゃあ…。一条陸先輩、お願いしていいですか?』

 

 

「…え」

 

 

「「「「「ええええええええええええええ!!!?」」」」」

 

 

春の口から出てきたその名に、会場中が衝撃に沸く。

 

 

「え…は?俺!?」

 

 

「は、春…?」

 

 

『な、なんと!春さんが指名したのは、特別審査員の一条陸さんです!まさか…、これは、まさかなのかぁ~!?』

 

 

陸も小咲も、目を見開いて戸惑い、集は面白いものを見たと言わんばかりにニヤつきながら陸の方を見ている。

 

会場にいる一部の男子たちが、一条死ねー、と暴言を吐いて盛り上がる中、春が苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

 

『あの、誤解しないでください。私、あんまり男子の友達とか知り合いがいなくてですね。この学校でちゃんと喋ったことのある一条陸先輩にお願いしたまででして…』

 

 

「「「「「…」」」」」

 

 

『私には特に好きな人とかいませんが…、ここでそんな人を指名したら告白同然ですよ!?私、そんな勇気は持ち合わせてません!』

 

 

春の言葉に、一同呆然と仕掛けたが、その次の言葉で笑い声で沸く。

 

 

「良かった~…。春、陸君と仲良くなってくれたんだね…」

 

 

「そう…なのか…?明らかに、妥協に妥協を重ねてって感じに見えるんだが…」

 

 

会場に拍手が湧き起こる。そんな中、審査員席に座る小咲が感動に涙を流しながら言い、そして陸は苦笑を浮かべながら呟く。

 

何はともあれ、これにて、ミス凡矢理コンテストは閉幕である。

 

 

 

 

 

 

そして今。閉会式も終え、いよいよ後夜祭が始まる所。

陸の許に、春が歩み寄ってくる。

 

 

「えっと…」

 

 

「…先輩、緊張してるんですか?」

 

 

「なっ…、俺、こういうの初めてだし…。こういうイベント、あまり積極的に参加しなかったし…」

 

 

「はいはい。言い訳は良いですから、早く行きましょう」

 

 

春に手首を掴まれ、引っ張られる陸。

向かう先は、たった今点火され、燃え上がるキャンプファイヤーの周り。

フォークダンスに参加する者は、そこでパートナーと共に踊るのだ。

 

 

「なぁ春ちゃん。俺、フォークダンスの踊り方とか分からないんだけど…」

 

 

「…はぁ。なら今から覚えてください。簡単なので、すぐに覚えられますから」

 

 

待機の途中、ちょっとしたトラブルも起きたがBGMが始まる前には解決でき、いよいよ踊り出す。

 

 

「…春ちゃん、本当に良かったのか?」

 

 

「何がです?」

 

 

「その…、俺なんかで…」

 

 

曲に合わせて踊り始めて、少しした時だった。

不意に、陸が口を開き、春にそんなことを問いかけたのは。

 

 

「…仕方ないでしょ?あれって、女子とか選んじゃダメなんですから。私、本当に男子の友達いないんですよ」

 

 

「いや、まぁ…。春ちゃんが良いなら別に俺は何も言わないけど…」

 

 

春は中学は女子校で、男子との付き合いを苦手としている。

そのため、入学してからおよそ半年がたっても未だ、同い年の男子の友達ができていない。

 

唯一、春が他人に男子で友達と言えるのは陸だけである。

兄は…まぁ知り合いとはいえるが、友達とはいいづらい。誤解に対する謝罪はしたが、まだどこか気まずい空気が流れている。

 

 

「…」

 

 

陸との会話が切れてしまった。どちらも特に話し出そうとせず、黙ってダンスを続ける。

周りの男女たちは、楽し気に会話しているのに、陸と春の間だけは気まずい空気が流れる。

 

春は、気づかれない様にちらっと後ろを見上げて陸の顔を見遣る。

陸は踊りながら、じっと燃え上がるキャンプファイヤーを眺めていた。

 

春も、陸の視線を追ってキャンプファイヤーを眺める。

ぱち、ぱち、と木が燃える音が周りの話し声でかき消されながらもここまで届く。

 

 

「…っ」

 

 

そして、春は視線を前に戻しながら唇を噛む。

少し痛いが…、こうでもしなければ、せっかくつけた決心が揺らいでしまいそうだった。

 

 

「先輩っ」

 

 

「お、おぉ?」

 

 

背後で、陸が驚いているのが分かる。

今、陸はどこを向いているだろう。自分の方を向いているだろうか?

 

それとも、まだキャンプファイヤーの方を見ているのだろうか。

だとしたら、それはかなりショックなのだが…。

 

 

「先輩っ…、あのっ…」

 

 

「…」

 

 

「先輩は…、今までずっと、私を助けてくれて…。楽先輩と仲直りしようとした時も…、お姉ちゃんと喧嘩しちゃったときも…、デパートに行った時も…」

 

 

言え。言え。言え。

何度も何度も、自分の心に言い聞かせる。

 

このために、コンテストで優勝したいと思ったのだ。

陸に思いを告げるために、風ちゃんも協力してくれたのだ。

 

 

「だから…だから…っ」

 

 

陸は何も言わない。何も言わずに、春の次の言葉を待っている。

 

そして、春は────

 

 

「…あ、ありがとうございました」

 

 

「へ?」

 

 

告げることは、できなかった。

固めたはずの決心が、何の音も立てず、まるで溶けていくかのように消え去っていく。

 

 

「だから、ありがとうってお礼を言ってるんです!さっさとどう致しましてくらい言ってください!」

 

 

「あ…、え…。ど、どう致しまして…」

 

 

…どうしてこうなったのだろう。

思いを告げると決めたのに。どうして、まるで八つ当たりをするかの如く陸に怒鳴ってしまったのだろう。

 

 

(うぅ…。私のバカバカバカぁ!)

 

 

結局、思いを告げられずにフォークダンスは終わってしまうことになる。

 

思いを寄せる人の傍にいられる心地よさ。

そこから春が抜け出すには、まだまだ時間がかかりそうである。

 

 

 

 

 

 

後夜祭にて、フォークダンスが行われる中。

小咲は、るりと一緒に羽に頼まれた片づけをしていた。

 

 

「…ねえ小咲。本当にあれでよかったの?」

 

 

「え、何が?」

 

 

すると、不意にるりが問いかけてきた。

看板で使われていた、バラバラになった木材を持ち上げて、るりの方に視線を向けて聞き返す小咲。

 

ちなみに、この木材はキャンプファイヤーの燃料として使われるものである。

 

 

「確かにコンテストで優勝した春にはフォークダンスを踊るパートナーを決める権利があった。そして、それには強制になるって舞子君も言った。だけど…、何もしないで、ただ見てるだけで、本当に良かったの?」

 

 

「…」

 

 

今、コンテストで優勝した春は、パートナーとして指名した陸と一緒にフォークダンスを踊っている。

 

もし、陸が春に指名されなかったら…、小咲は陸とフォークダンスを踊りたいと考えていた。

しかし、それはできず。ただ、春に指名された陸を見ていることしかしなかった。

 

 

「…しょうがないよ、あれじゃ。それに、春も陸君の事を見直してるみたいだし、私は嬉しいよ?」

 

 

「…なら、いいけど」

 

 

話はここで途切れる。

 

小咲とるりの二人は、持ち上げた木材をグラウンドへと運び、後は生徒会に任せてその場を離れる。

 

 

「小咲、私飲み物買ってくるけど。あんたも何かいる?」

 

 

「え、なら私も…」

 

 

「いいって。お茶で良い?」

 

 

有無を言わせぬ空気に思わずうなずいてしまう小咲。

るりはさっさと行ってしまい、小咲は仕方なくるりに任せてその場で待つことにする。

 

 

「…はぁ」

 

 

小咲は校舎の壁に体を預けて、ため息を吐く。

 

 

(…何か、疲れたなぁ)

 

 

去年はとても楽しく、疲れる暇もなく終わった文化祭。

今年もとても楽しくはあったが…、文化祭が終わった今、どっと疲れが襲ってくる。

 

 

「小野寺、さん?」

 

 

「え?」

 

 

下に向けていた視線を、上へ上げて空を見上げようとしたその時。

不意に横から誰かの声が聞こえてきた。

 

振り向けば、そこには一人の男子生徒がこちらを見て立っていた。

確か、名前は…

 

 

「上原君…?」

 

 

「お…。俺の名前、知ってたんだ。嬉しいねぇ」

 

 

確か、彼の名前は上原卓実、といったか。

 

上原が、にかっと笑いながらこちらに歩み寄ってくる。

 

 

「てか、小野寺さんは…。あぁ、そうか。一条はコンテストの優勝者に指名されたんだっけ」

 

 

「っ…」

 

 

春と陸が仲良くなってくれて、嬉しいと思っていたはずなのに。

何故か、ちくりと胸が痛む。

 

 

「そっか…。一条は別の人と…」

 

 

「…?」

 

 

胸の痛みはすぐに治まり、いつもの調子に戻る。

ふぅっ、と短く息を吐いてから小咲は、少し離れた所で自分と同じように壁に体重を預けて立つ上原を横目で見遣る。

 

右手を顎に当てて、何かブツブツつぶやく上原を、首を傾げながら見る小咲。

すると、上原はバッ、と小咲の方へと振り向いた。

 

 

「小野寺さんっ」

 

 

「は、はいっ?」

 

 

いきなり振りむき、そして急に張り上げられた声に驚いてしまった小咲。

そんな、驚いた小咲の前で上原が言葉を続けようとする。

 

 

「良かったら、俺と…」

 

 

「小咲ー」

 

 

だが、その言葉は突如割り込んできた小咲を呼ぶ声で止められてしまう。

 

小咲は、その声が聞こえてきた方へと振り向く。

そこには、二本のお茶のペットボトルを持ったるりの姿が。

 

 

「ほら、あんたのお茶」

 

 

「うん、ありがと」

 

 

「…」

 

 

駆け寄ってきたるりにお茶を手渡される小咲。

そして、お茶を受け取ったところで小咲は上原が何かを言いかけていたことを思い出す。

 

 

「あ、上原君。えっと…何かな?」

 

 

「…いや、何でもない。じゃあ、俺はこれで」

 

 

「え…」

 

 

言いかけていたことは何か、問いかけたのだが、上原はグラウンドとは逆の方へと走り去ってしまった。

 

 

「…あの人って確か、上原君、だっけ?何話してたの?」

 

 

「えっと…、何か話す前に行っちゃったっていうか…」

 

 

るりが問いかけてくるが、小咲としても上原が何をしに来たのかよくわからなかった。

 

それをそのまま返すと、るりは一言、ふーんと呟きながらペットボトルの蓋を開ける。

 

 

「…あんたも罪よね」

 

 

「え?るりちゃん、何か言った?」

 

 

「何にも」

 

 

るりが何か言った気がしたのだが。るりは否定し、ペットボトルを呷る。

 

そんなるりを見て、小咲は首を傾げるがこうなったるりは、同じ質問をしても答えてくれないという事はわかっている。

なので、これ以上問いかけることはせず、るりと同じようにペットボトルの蓋を開け、ゆっくりと呷ってお茶を口に含むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




上原…、一体奴は何なんだー(棒)



お気に入り登録数が千を突破しました。
読者の皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。


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第81話 トラウマ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化祭が終わり、その最中に使われた資材などの片付けも終わり、振替休日を挟んで最初の授業の日がやって来た。

振替休日にしっかり気分転換ができたおかげか、文化祭の疲れをしっかりとった状態で朝を起きれた陸。

 

羽の寝ぼけ乱入というハプニング(日常)もあったが、今日からまた学生の本分に臨むことになる。

 

 

「で、あるからしてー…。サマータイムを含めたこの時差はー…」

 

 

現在の授業は地理。この科目は選択科目で、教室には陸とは違うクラスの生徒も多数いる。

陸は机に頬杖を突き、利き手に持つシャープペンをくるくる回して少し遊びながら教師の話を聞いていた。

 

しかしその直後、陸をアクシデントが襲う。

 

 

(…あ?)

 

 

どう形容したらいいのかわからない。

ただ、背筋に強烈な寒気が奔った瞬間だった。陸の意識が暗い闇の底へと落ちていく。

その途中、自分の体がゆっくりと傾いていくのが分かる。

 

 

(何で俺、倒れてんの?)

 

 

思考もはっきりしてる。

なのに、視界が暗くなっていく。耳が聞こえなくなっていく。

 

 

(やべ、もう無理)

 

 

その思考を最後に、ぷっつりと陸の意識は途切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

ふと耳に入ったチャイムの音で、陸は目を覚ました。

目を開けた瞬間、飛び込んできたのは白い天井。寝転がっている様だから、それは当たり前なのだが。

 

しかし、天井の模様がいつもの教室とは少し違う気がする。

 

 

「…保健室?」

 

 

上体を起こし、周りを見回すと、陸が今寝ている場所はベッドだと気づく。

そして周りはカーテンで仕切られている。うん、間違いなくここは保健室だ。

 

 

「…でも、何で。…っ」

 

 

しかし、どうして自分は保健室で寝ているのか。

理由を知るため、陸は今日のこれまでの行動について思い返す。

 

いつも通りとして受け入れたくはないが、いつも通り朝、羽が布団に潜り込んできて。

それと同時に陸も起き、道場へ朝の鍛錬に行った。

 

そして、六時に鍛錬を止めて汗を流し、身支度、朝食を済ませて七時半には家を出た。

学校に着いて友人と駄弁り、ホームルームも終えて移動教室。地理の授業を受けていて、確か─────

 

ここまで思い返した瞬間、ずきりと鈍い頭痛が奔る。

まるで、頭がここから何が起こったか、思い出すことを拒んでいるかのように。

 

 

(何だ…。何があったんだ?)

 

 

手で頭を押さえながら、必死に思い出そうとする陸。

だが、原因不明の頭痛が続くだけで、何も思い出すことができない。

 

それから少しの間、何とか思い出そうとしていた陸だったが結局何にもならず。

とりあえず、目が覚めたことだし保健室から出なければと思い、上靴を履いてベッドから降りる。

 

そして、陸がカーテンを開けたと同時に、保健室の扉も開いた。

 

 

「失礼しまーす。…お、陸。目が覚めたのか?」

 

 

「楽?」

 

 

保健室に入ってきたのは楽だった。

 

楽がこちらに歩み寄ってきて、さらに椅子に座って何か作業をしていた保健の先生が振り返り、陸の方を向く。

 

 

「あら一条君、起きたのね。体は大丈夫?」

 

 

「はい。特に異常はないと思います」

 

 

「そう…。熱もなかったから、ただの貧血かしらね?」

 

 

貧血…、貧血か。

貧血で倒れたのなら、目が覚めてからすぐに動けるのは頷ける。

 

だが…、違う気がする。わからないが、貧血で倒れたのではないという謎の自信が陸の中にある。

 

 

「あー…、とりあえずもう大丈夫なんだろ?次は四時間目なんだけど、出れそうか?」

 

 

「ん?あぁ、多分」

 

 

ともかく、体に異常がないなら授業は出なければ。

楽の問いかけに、陸は頷いて答える。

 

 

「あら…。もう少し休んでていいのよ?」

 

 

「いえ、大丈夫です。次の体育の授業、ソフトボールなので何としても出たいです」

 

 

楽は、次は四時間目だと言った。つまり、陸は二、三時間目を丸々潰したという事になる。

その事にも驚いたが、まず四時間目は体育。そして、その授業内容はソフトボール。

 

二、三時間目の事は昼休みにでも友人に聞けばいい。

だが体育はそうはいかない。聞いても何ら意味がない。絶対に出たい。

 

表情にその意志をたっぷり浮かべながら、陸は保健の先生に言う。

すると、保健の先生は一瞬呆けた顔になると、すぐに呆れたように息を吐いた。

 

 

「わかったわ。さっきも言ったけど、熱もないから大丈夫でしょう。でも、少しでも異常を感じたらすぐにここに来なさい。わかった?」

 

 

「はい、ありがとうございます。失礼しました」

 

 

ちらっと横目で時計を見ると、次の授業が始まるまであと五分しかない。

許可をもらった陸は、保健の先生にお礼を言うとすぐさま挨拶をして保健室を出る。

 

 

「ちょっ、待てよ陸!し、失礼しました」

 

 

そそくさと出て行った陸を追いかけて、楽も保健室を出る。

 

 

「おい、次体育って…。ホントに大丈夫なのか?」

 

 

「あぁ。…そういやさ楽。何で俺は倒れたんだ…って、楽に聞いたって分かんねえか」

 

 

陸を心配する楽が問いかけてくるが、本当に体は大丈夫だ。

そう返事を返してから、陸は楽に自分が倒れた理由を問いかけようとした。

 

しかし、よく考えれば楽は自分と違うクラスだ。いくら兄弟、それも双子とはいえ見てない所で倒れたその理由が分かるわけがない。

それも、熱もない、異常もない。それに保健の先生も貧血と言っていたではないか。

 

 

(でも…、貧血じゃない気がするんだよな…)

 

 

また、先程も感じた謎の自信が心を過る。

一体この自信は何なのだろうか。陸は疑問符を浮かべながら、未だ返事をしない楽に視線を向ける。

 

 

「…」

 

 

「…おい。何か知ってるのか?」

 

 

「あー…えぇっと…」

 

 

楽に視線を向けた陸は、見た。楽が浮かべている苦笑、そして蟀谷から流れる汗を。

間違いない。楽は何か知っている。

 

陸はもう一度問いかける。

 

 

「…姉ちゃんが、歌ったんだ」

 

 

「…う、た…?」

 

 

うた

 

うたった

 

ねえちゃんが、うたった

 

ゆいねえがうたった

 

羽姉が、歌った。

 

 

「…っ!!?」

 

 

「…思い出したか」

 

 

そうだ。そうだった。どうして忘れていたんだろう。

 

羽が歌ったと楽が言った瞬間、全ての思い出が陸の頭の中で過った。

 

昔、羽が歌う時、陸はいつもその歌を聞かされていた。

音痴などという域を超え、まさに魔王の歌ともいうべきそのメロディーを聞き続けていた。

 

そしていつしか、陸は羽の歌を聞くごとに気絶するようになっていた。

 

そう。陸は、羽の歌がトラウマになっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「え…。音楽の先生の代役…?生徒の前で校歌を歌う…?」

 

 

「陸ちゃん!引かないでよぉ~!」

 

 

授業が終わり、陸が帰宅してからおよそ一時間後。羽も帰宅した後に聞いた話は、陸の心に衝撃を与え、表情を固まらせた。

 

しかし、それは当たり前である。

 

羽曰く、音楽の教師の代役をすることになった。そしてその代役をさせることになった音楽の先生は陸のクラスの授業も担当していたのだ。

つまり、陸は羽の音楽の授業を受けるという事になる。

 

さらに、凡矢理高校では月に一度、全校生徒が体育館に集まって朝礼をするのだが。

羽曰く、その朝礼で、生徒の前に立って校歌を歌う今月の当番になったという。

 

羽の歌がトラウマになっている陸としては、地獄にも等しい週になりそうだ。

 

 

「だ、大丈夫だって。来週まで、俺たちが練習を見ることになってるから。何とかするって」

 

 

「練習…だと…?」

 

 

楽のその言葉を聞いた時、コンマ何秒かの世界で陸の思考が巡らされた。

 

練習。来週までに間に合わせる。

羽の歌の下手さから考えると、休み時間などのちょっとした暇も使わないと到底間に合いそうにない。

そう、例えば、家にいる時とか…。

 

当然、羽の歌は同じ家にいる陸の耳にも届くだろう。

…地獄か。

 

 

「…ごめんね、陸ちゃん。大丈夫!陸ちゃんに聞こえない様に、近くの公園で練習するから!」

 

 

「…」

 

 

微笑んで、なのにどこか悲しげな表情を浮かべた羽が言う。

 

 

「…俺も練習に付き合うよ」

 

 

「え…、で、でも陸ちゃんは…」

 

 

「まずは音程をしっかりとる事を考えないといけないだろ?それくらいなら、声量を抑えてもできるだろ」

 

 

どんなに歌が下手でも、しっかり声を出して歌えば大丈夫というが…それを羽に当てはめてはいけない。

もしそんな事をしてしまえば、陸と同じ被害者を生み出しかねない。

 

だから、まずはしっかり音程を取る事から始めなければいけない。

そしてそれならば、声量を抑えても練習できる。

 

確信はないが…、声量を抑えれば、もしかしたら耐えられるかもしれないと陸は考えたのだ。

 

 

「…もう!そういう所が好き!」

 

 

「ちょっ、離せ羽姉!」

 

 

感激した羽が陸に抱き付く。抱き付かれた陸は、引き剥がそうと羽の肩を掴んで力を籠める。

 

そして、そんな二人のやり取りを、楽は微笑ましげに眺めて…

 

 

(あ、これ、小野寺の恋を応援する立場の俺にとっては焦らなきゃいけないとこ…なのか?)

 

 

「姉ちゃん、練習しないのかー」

 

 

我に返った楽は、羽を諭すために口を開いたのだった。

 

この日から、早速練習は開始された。

思惑通り、声量が抑えられれば陸は耐えることができた。(少しきついが、そこは我慢)

 

予定に沿い、まずは音程をとることを第一としたのだが…、羽はどれだけ練習しても全く成長が見られない。

 

いきなり校歌の音程を取らせるのはハードルが高かったかと考えた陸と楽は、発声練習で音程を取る練習を提案。

だが、ダメ。

 

しかし、さすがにこれをできなければどうすることもできない。

ひたすら、羽にそれを練習させていたのだが…、全く音程を取ることができず、ついに朝礼の前日まで来てしまった。

 

 

「なっ…、どうしたんだよ姉ちゃん!その声!」

 

 

「いやぁ…、気づいたらこうなってて…」

 

 

さらに、前日の朝、早速練習を始めるために陸、楽、羽の三人が合流した時だった。

陸も楽も目を見開いて驚愕した。挨拶をした羽の声が、ガラッガラにかれていたのだ。

 

 

「ったく…。毎日夜遅くまで無理するからだぞ。そろそろ止めようって、何度も言ってたのに…」

 

 

「うぅ…」

 

 

呆れ顔でため息を吐きながら陸が言うと、羽は縮こまりながら俯いてしまう。

 

 

「でも、どうすんだよ…。本番明日だぞ?これじゃ歌えねえだろ…」

 

 

楽の言う通り、羽の声がこんな状態では碌に歌うことはできないだろう。

 

 

「こりゃ無理だろ。羽姉、明日は誰かほかの先生に替わってもらったら?」

 

 

「!そんな…、でもっ」

 

 

羽自身、これでは歌えないという事はわかっているのだ。

だが、ここまで練習に付き合ってくれた陸と楽。それに、貴重な休み時間、手伝ってくれた千棘や小咲、万里花と鶫。

それらの人達への申し訳なさが、無意識に羽の顔を上げ、羽の喉が嫌だと言わせそうになる。

 

 

「…、…。そうだね…。私、まだ全然上手く歌えないし…、これじゃまたみんなに迷惑かけちゃうもんね。ありがと、陸ちゃん。楽ちゃん」

 

 

しかし羽は、自分の我が儘を抑えてそう言った。

精一杯微笑もうとしたその顔は、僅かに悔しさと悲しさに歪み、握った両手は震えている。

 

陸も楽も、ここまで懸命に練習した羽に歌ってもらいたい。

だが、それをすればどれだけの人に迷惑をかけるかわからない。

 

ダメだ、歌わせるな。自分の身だって恋しいだろう?

 

 

(…ダメ、なんだけどなぁ)

 

 

こんな事を考える自分は、甘いのだろう。

 

 

「ま、時間はもう少しあるし。替えてもらうのはギリギリになったってかまわないんだからさ。羽姉が練習したいんなら、俺達も付き合うぞ?」

 

 

「…陸ちゃん」

 

 

そう言う陸を見た羽の目の端に、涙が溜まっていく。

 

そしてそんな羽を見た陸は、次に羽が何をするのかをすぐに悟る。

 

 

「陸ちゃん!」

 

 

「だがさせない」

 

 

飛び込んでくる羽。体を翻してかわす陸。

 

かわされた羽は、床の上でヘッドスライディングをする羽目になってしまった。

 

 

「むぅ…、陸ちゃんのケチ」

 

 

「ケチじゃない。いい加減、抱き付くのやめろ」

 

 

唇を尖らせる羽を無視して、さっさと練習させるために移動する陸。

 

三人は楽の部屋に入り、早速羽が発声練習を開始する。

 

 

「…?」

 

 

「…あれ?」

 

 

羽が歌い始めてから少しして、二人の目が丸くなる。

 

目の前で歌う羽の声に、異常が発生していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。いよいよ本番の日。

 

 

『以上、校長先生のお話でした。続いて、校歌斉唱です。生徒の皆さんは、ご起立ください』

 

 

校長の話も終わり、遂にその時がやって来た。

 

校歌斉唱。

 

生徒たちが、当然陸も立ち上がる。

 

少し経つと、ステージに羽が上り、設置されたマイクの所で立ち止まる。

 

 

(…しっかし、驚いたよな。喉が潰れたら歌声がまともになるなんて)

 

 

伴奏が始まり、校歌を歌い始める。

未だ、気絶するなどの被害者はゼロだ。

 

そう、羽の歌声は至って普通なものの、前の圧倒的破壊力は誇っていないのだ。

 

前日の朝から、羽の歌声はまともになっていた。

そして、陸と楽は、喉が潰れると羽の歌声がまともになるという謎の法則を発見したのだ。

 

そうと決まれば話は早い。羽には悪いが、朝礼までは喉を治させるわけにはいかない。

ひたすら羽に歌わせ続ける。歌声がまともならば、陸が気絶する心配もないため、しっかりはきはきと羽に歌わせ続けた結果、今に至る。

 

 

(…はぁ。何とか、これで乗り切れるだろ)

 

 

内心で安堵のため息を吐きながら、陸も校歌を歌い続ける。

 

だが…、そうそう順調にいかないのが世の摂理である。

 

 

(うん、ちゃんと歌えてるみたい。喉の調子も良くなってきたし…)

 

 

ここまで、自分の歌声で迷惑をかけた様子が見られない事で、自身に課せられた謎の法則を忘れてしまう羽。

 

羽の喉が潰れると、歌声がまともになる。

つまり、喉の調子が良くなるとどうなるか─────

 

 

(最後の一小節、ファイトっ)

 

 

歌っていると、徐々に喉の調子が良くなっていったことに調子に乗ってしまう羽。

ラストスパートといわんばかりに、声量を上げてしまった。…調子が戻った喉で。

 

 

「あぁ!?一条、どうした!」

 

 

「り、陸~!」

 

 

「い、一条が倒れたぁ!」

 

 

悲劇は、起こってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




陸君…。乙。


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第82話 ハタラク

友人たちと旅行に行ってきました。
とはいっても、あまりお金がないので遠い所にはいきませんでしたが…。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸君!」

 

 

不意に呼ばれたのは、昼休み。昼食を済ませたものの、まだ物足りなく感じた陸は購買へと向かっていた。

 

教室を出て廊下を歩いていた所で、陸の背後から自分を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

 

 

「おう小咲。どうした?」

 

 

振り返ると、片手をひらひらと振りながらこちらに駆け寄ってくる小咲の姿があった。

小咲は陸の前で立ち止まり、ふぅ、と一息吐いてからこちらに向き直る。

 

 

「えっと…。あのね?今度の週末なんだけど…、予定空いてないかな?」

 

 

「え?」

 

 

こちらを見上げながら問いかけてくる小咲。

そういえば、こんな聞かれ方を何度かされたことがあった。

そういう時は、いつも─────

 

 

「またバイト、頼めるかな…?」

 

 

自分にバイトを頼んでくる時だ。

 

陸は体ごと小咲の方へと振り向かせて口を開く。

 

 

「別に予定はないから大丈夫だけど。何だ、また和菓子屋の手伝いか?」

 

 

「いや…それが…」

 

 

陸は、和菓子屋おのでらのバイトを頼まれているのだとばかり思っていた。

だが何故か、そう言った陸の前で小咲が苦笑を浮かべている。そして、手を合わせてお願いしてきた。

 

 

「今回は、温泉旅館でのバイトなの…」

 

 

「…はい?」

 

 

 

 

 

 

小咲との約束の日、土曜日。陸は先日小咲が言っていた温泉旅館へ、小咲と一緒にバスに乗って向かっていた。

 

 

「ウチがよく和菓子を卸してる旅館なんだけどね。親戚のおばさんがそこの女将さんをやってて、この時期は人手が足りなくなるの。私も何度かお手伝いに行ったことがあるんだ」

 

 

「ほー…」

 

 

バイト先の旅館について説明する小咲と、その隣に座って話を聞く陸。

 

 

「でも、俺なんかで良かったのか?旅館のバイトなんて…、ぶっちゃけ知識ゼロだぞ」

 

 

「陸君に頼むのはほとんど力仕事らしいから…。陸君が考えてるような接待とかは頼まれないと思うよ。それに…」

 

 

旅館の仕事といえば、宿泊客を相手に接待などがイメージのほとんどを占めていた。

そのため、頼みを受けたは良いものの、陸は後になってバイトの事を考えて不安に駆られていたのだ。

 

だから、そんな言葉を口にした陸に、小咲は微笑みながら返事を返した。

そして、少し間を置いてから続ける。

 

 

「ホント言うと、ほとんどお母さんの指名だったんだけど…。あの子なら役に立つわよって、向こうに言っちゃって…」

 

 

「…それ、もし俺に予定があったらどうする気だったんだ?」

 

 

「…強引に連れてきなさいって」

 

 

「…」

 

 

結局、そこに収束してしまうのか。さすが小咲母ともいうべきなのか。

小咲の表情を見る限り、小咲も何かしらの苦労をしたようだし…。

 

 

(はぁ…。まあ、力仕事だけなら何とかなるだろ)

 

 

そんな事を考えながら陸は、ちょくちょく小咲と会話しながら目的地に着くのを待つ。

二十分ほど経っただろうか、バスが目的地近くのバス停の到着する。そこからさらに十五分ほど温泉街を歩いて、陸と小咲はようやく旅館に辿り着く

 

正面門から入り、すると具多利湯(ぐったりゆ)と書かれた看板、そして暖簾がかけられた建物が。

その建物こそ、陸と小咲がバイトをすることになっている旅館。

 

 

「いらっしゃい、小咲ちゃん!久しぶり!いつもいつも悪いわね~」

 

 

旅館へと近づいていくと、建物の中から花柄の着物を着た綺麗な女性がこちらに歩み寄ってきた。

 

 

「こんにちはおばさん!今日はよろしくお願いします!」

 

 

その女性が立ち止まると、小咲が一歩前に出てぺこりと頭を下げる。

 

そして頭を上げると、小咲は手を女性の方に向けて、陸に紹介する。

 

 

「陸君、この人が女将さんの…」

 

 

「あ…。一条と申します。今日はよろしくお願いします」

 

 

目の前の女性が女将だと紹介された陸も、頭を下げて挨拶する。

 

すると、女将さんは一瞬、ぽかんとした表情で陸を眺めると手を口元に当てて口を開いた。

 

 

「あ、君が菜々子ちゃんの言ってた一条君ね?期待してるよ~。菜々子ちゃんがずいぶん買ってるみたいだから~」

 

 

「…菜々子ちゃん?」

 

 

「あ。お母さんの下の名前なんだ」

 

 

「…へー」

 

 

何やらすごく期待されているみたいだ。小咲母の下の名前を頭の隅に入れておきながら、改めて頑張らなければと意気込む陸。

 

 

「それじゃ早速で悪いけど、すぐに仕事に入ってもらうわね。まずは着替えてから、後で小咲ちゃん、いろいろ教えてあげてね」

 

 

「は~い」

 

 

「はい」

 

 

挨拶を終えて、すぐに旅館の中に入る陸たち。

女将さんの指示に返事を返した陸と小咲は、別々の部屋で仕事着に着替える。

 

 

「さて、着替え終わったけど…。小咲はまだか」

 

 

着替え終わった陸が、ここに来る道中で着ていた私服を畳んで端に置き、まだ着替え終えていない小咲が来るのを待つ。

 

大体、五分ほど待っただろうか。陸の耳に障子が開く音が届き、振りむいて目を向けると、着物に着替えた小咲が廊下に出ていた。

 

 

「あ、陸君。上手く着替えられた?」

 

 

「あぁ。和服の類は慣れてるからな」

 

 

こちらに歩み寄る小咲の問いかけに答える陸。

こういう和服は、昔から毎日着ていた物だ。特に手間取ることも無くさっさと着替えることができた。

 

 

「そっか。前、陸君の家に行った時も、文化祭の時も凄く似合ってたもんね」

 

 

「あ…、あぁ…。そう…?」

 

 

にっこりと微笑みながら言う小咲に、陸は思わず僅かに頬を染めてしまう。

そして小咲もまた、今自分が言ったことを自覚したのか、みるみる頬が赤らんでいく。

 

 

「…あ」

 

 

だがそれは一瞬。小咲は陸の襟元に視線を向けた時、何かを見つけたのか声を漏らす。

 

 

「ちょっとよれてる」

 

 

小咲は両手を伸ばし、いつの間にかよれていた陸の襟元をキュッと直す。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

そして先程と同じように、すぐに自身が何をしたか自覚する小咲。

先程よりも早く、先程よりも真っ赤になる小咲の頬。

 

 

「あ、あー…。じゃ、じゃあ早速仕事の説明するね?こっちに来てくれる?」

 

 

「お…おう」

 

 

ささっ、と陸から離れて先導する小咲。

そんな小咲に、僅かに頬を染めながらついていく陸。

 

廊下を歩く足音だけを響かせ、陸と小咲はある一部屋に入っていく。

二人の最初の仕事は、この部屋の掃除と敷布団の片付けらしい。

 

 

「おっとと…」

 

 

「あ、そういうのは俺やるよ。せっかくの男手なんだから」

 

 

陸が宿泊客が使っていたと思われる湯呑をお盆に載せていると、持ち上げた敷布団が重かったのか、よろける小咲の姿が目に入った。

 

陸は立ち上がり、小咲から布団を受け取るために歩み寄る。

 

 

「ありがと。じゃあお願い…きゃっ!」

 

 

小咲は、お礼を言ってから陸に布団を渡そうと振り返ろうとする。

だがその時、畳に置かれたシーツに小咲が足を滑らせてしまう。

 

 

「小咲!」

 

 

後方に小咲の体が傾いていくのを見て、慌てて陸は駆ける。

 

陸は小咲の背中を受け止め、小咲が持っていた敷布団を支える。

 

 

「ふぅ…。大丈夫か?」

 

 

「うん…。ありが…と…」

 

 

小咲の目を覗き込みながら陸が問いかける。

その問いかけに、小咲は頷いてからお礼を言った。

 

しかし、お礼を言い切った時、小咲は今の自分の体勢を見る。

どこからどう見ても、小咲は背後から陸に抱きしめられているようにしか見えない。

 

 

「ふわぁっ!?」

 

 

「あ、ちょっ…」

 

 

慌てて離れる小咲。だが思い出してほしい。今、小咲は自分がよろけてしまうほど重い敷布団を持っている。

そんな状態で、慌てて動かそうとすればどうなるか。

 

まず小咲は陸から離れて、再び体勢を崩した。

だが今回は、背後に押し入れがあったため小咲は助かる。

 

しかしこれで終わりではない。小咲が寄りかかった押し入れには、まだ宿泊客が使っていない敷布団が入っていた。

その敷布団が、小咲が寄りかかった際にバランスが崩れてしまったのか、外へと傾いていく。

 

 

「「え」」

 

 

敷布団が崩れ、陸と小咲目掛けて落ちてくる。

咄嗟に陸が、小咲の体ごと自分も倒れ、落ちた敷布団が頭に当たり、首の骨に負担がいくという事態を回避する。

 

小咲を押し倒す形になってしまったが、この時の陸は四つん這いの体勢で、まだ小咲から距離が離れていた。

だが、次々に敷布団が陸の背中に落ちていく内に、思わず肘を崩してしまう。

 

その結果、陸と小咲は重なる形で、超至近距離で目を合わせることになる。

 

 

「ご、ゴメン!すぐに離れるから!」

 

 

恥ずかしさに蹲りたい気分だが、それを我慢して陸は布団の中から抜け出して小咲から離れる。

小咲も、陸が離れてからすぐに布団の中から抜け出す。

 

 

「小咲、その…」

 

 

気まずい。気まずすぎる。

とりあえず、この空気を何とかしなければと小咲に声をかける陸。

 

 

「大丈夫…。大丈夫だから…」

 

 

大丈夫、大丈夫と繰り返す小咲。だが、小咲は陸に背を向けてこちらに目を合わせてくれない。

 

そして─────

 

 

「気にしてないから~~~!!!」

 

 

「あ」

 

 

陸に背を向けたまま、勢いよく駆け出して行ってしまう小咲。

陸はその姿を、呆けた声を漏らしながらただ眺めることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

結局、陸と小咲は気まずい雰囲気のまま、別行動で仕事を続けた。

休憩時間中、陸は小咲に話しかけたのだが、すぐさまどこかへ小咲は行ってしまう。

そして、そのまま夕暮れ時にまでなってしまった。

 

 

「…やれやれ」

 

 

女将さんに少し待っててと言われている陸は、夕焼け空を見上げながらその指示に従っていた。

その頭の中で、小咲と自分の間に流れている気まずい空気をどうするかと考えながら。

 

 

(…しかし遅いな)

 

 

女将さんに言われて待っている陸だが、いつまで経っても女将さんが来ない。

 

まさか、忘れられてる?と、考え始める陸。

 

 

(…ちょっと探しに行くか)

 

 

流石に心配になり始めた陸が立ち上がった、その時だった。

 

 

「大変!」

 

 

「!?」

 

 

小咲の声が聞こえた。

陸はすぐに駆けだし、その声が聞こえてきた方へと向かう。

 

 

「どうかしましたか!?」

 

 

その声が聞こえてきたのは厨房からだった。

暖簾を分けて、顔だけを覗かせながら陸は中の人に問いかける。

 

厨房には小咲、女将さん、そして板前さんと思われる老人の姿があった。

 

 

「陸君…、それが…」

 

 

小咲と女将さんが、どこか浮かない表情を浮かべて陸を見る。

 

 

「板前さんが、急に腰を悪くしちゃって…」

 

 

「どうしよう…。もう夕食の準備を始めなきゃいけないのに…」

 

 

二人の言う通り、もうこの時間帯から夕食の準備を始めなければ間に合わないだろう。

しかし、板前さんは腰を押さえたまま動けない。

 

 

「でーじょーぶだ俺ぁ!こんなもん…、あだだだだ…!」

 

 

「ほらもう、無理なさらないでください…」

 

 

それでも、長い間厨房を守ってきた意地があるのか、何とか立ち上がろうとする板前さん。

だが腰が痛むのだろう、それは叶わず椅子に腰を掛けたまま。

 

 

「困ったわ…。今日はお弟子さんも来てなくて、代わりがいないのに…」

 

 

「…」

 

 

どうやらかなり八方塞がりな状況のようだ。

板前さんは立てない。いつもはいると思われる弟子も今日はいない。

 

御客に出せる料理を作れる人がいないという状況だ。

 

これは、どうするか。陸も何とかしなければと、女将さんと一緒に考え始めたその時、声が響いた。

 

 

「…陸君なら、できるかも」

 

 

「え」

 

 

厨房の中で沈黙が流れる。

陸も含めて、厨房にいる誰もが小咲へと視線を向けた。

 

 

「陸君はとっても料理が上手なんです!お母さんも認めるくらいの腕なんです!」

 

 

「へー、あの菜々子ちゃんが?」

 

 

当然、小咲の両親が和菓子屋を営んでいることを女将さんは知っているだろう。

だからか、目を丸くしながら陸の方に視線を向けている。

 

だが、板前さんはそうではなかった。

 

 

「けっ、板前を舐めんなよ嬢ちゃん。ガキのままごとで務まるような、そんな甘っちょろい世界じゃねえんだ」

 

 

何も知らない板前さんからすれば、陸は多少料理ができる子供としか思えないのだろう。

 

 

「できます!」

 

 

だが、小咲は決して意見を曲げなかった。

 

嫌味ではなく、信念に基づいて口にした板前さんの言葉に、真っ向からぶつかった。

 

 

(…それしかないか)

 

 

睨み合う小咲と板前さんを眺めながら、陸はふぅ、と息を吐いてから口を開いた。

 

 

「あの、代わりが務まるなんて思ってません。でも、言われた事は何でもします」

 

 

方法は、もうこれしかないだろう。何とかできるのは、自分しかいない。

 

 

「やらせてください。お願いします」

 

 

言ってから、腰を折ってお辞儀をする陸。

 

小咲にあそこまで言わせながら、ここで引くなんてこと、できるわけがないだろう。

 

 

「…手加減しねえぞ」

 

 

「望むところです」

 

 

最後の忠告とばかりに言う板前さん。それに対し、陸は顔を上げてただ一言だけ返した。

 

 

「…すぐに着替えな」

 

 

「っ、はい!」

 

 

陸は今着ている仕事着から、女将さんが貸してくれた白衣に着替える。

 

そしてすぐに厨房へと戻り、板前さんと共に調理を始めた。

 

 

「よし、まずは出汁をとれ」

 

 

「はい」

 

 

板前の仕事は甘くないと、わかっていたはずだった。

だが、陸自身、どこか甘く見ていたのかもしれない。

 

 

「ダメだ、遅い!雑味が出ちまってる!もう一度やり直せ!」

 

 

「はいっ」

 

 

家で作る時は、多少失敗しても、少し味が崩れた程度なら気にせず料理を出していた。

しかしここでは違う。どこまでも完璧を求められる。少しの失敗も許されない。

 

それだけではなく、陸自身、上手くいったと思えた出来でも板前さんにとってはそうではない事が多々あった。

 

 

「切るのが遅ぇ!野菜の繊維に逆らうんじゃねえよ!」

 

 

「ダメだダメだ!切り口が死んじまってる!」

 

 

「これじゃねえってんだよ!何遍言わせりゃ気が済むんだ!もう一度!」

 

 

板前さんの怒声が、何度も何度も響き渡る。

その怒声に、陸はただひたすら従い続ける。

 

 

(陸君…!)

 

 

「…っ」

 

 

両手を組んで祈る小咲。そんな中、少しずつだが板前さんの言葉が変わってきていた。

 

 

「いいぞ、様になって来たじゃねぇか!次はてんぷらだ!まずは小麦粉を軽くつけて…」

 

 

怒声だらけだった板前さんの言葉が、陸を褒める言葉へと変わっていく。

それは、この短時間で確かに、陸の料理の腕が上がっている事を示していた。

 

 

「おい坊主。飾り切りは出来るか?」

 

 

「あ…。いえ、それは…」

 

 

すると、少し欲が出てきたのか、板前さんがそう口にし始めた。

 

陸は、板前さんにできないと返事を返そうとする。

 

 

「あっ…、私がやります!」

 

 

だが、ここにいるのは陸と板前さんだけではなかった。

そして、飾り切り。まさに、適材なのはこの人しかいないだろう。

 

手を上げて名乗り出た小咲が、早速飾り切りを実行する。

 

 

「おぉ~!やるじゃねぇか嬢ちゃん!じゃあ次は菊を作ってくれ!」

 

 

小咲の腕に板前さんはご満悦だった。

そのまま小咲は、陸が完成させた料理の飾り切りを続ける。

 

初めは出汁をとる事すら手こずっていた陸は、今では板前さんに指示を一度でこなし続け。

さらに小咲の手も加わり、調理のペースがさらに上がっていく。

 

そして─────

 

 

 

 

 

 

「あー…。すごくドキドキしちゃった!」

 

 

「俺も…。調理中、ずっと膝がくがくしてたわ…」

 

 

夕食の予定時間を少し超えてしまったものの、無事に調理を終えた陸と小咲は、女将さんから仕事は以上だと告げられ、外で腰を下ろして休んでいた。

 

 

「陸君、大活躍だったね。全部陸君のおかげだよ」

 

 

「…いや。あそこで小咲が、俺ならできるって言ってくれなかったら…」

 

 

陸を褒める小咲。

だが、もしあそこで小咲が、陸ならできると言ってくれなかったら。

きっと陸は、名乗り出もしなかった。

小咲が信じてくれなかったら、あそこまで上手くいかなかった。

 

 

「それに小咲も頑張ってただろ。俺は飾り切りとかできなかったし…」

 

 

「…ううん。私も、陸君とだから頑張れたの」

 

 

小咲も頑張っていたじゃないか、と陸が言ったが、小咲は首を横に振る。

そして、微笑みながら小咲は口を開いた。

 

 

「ありがとう、陸君。すごくかっこよかった」

 

 

「…それはどうも」

 

 

たまに無自覚に。こっぱずかしい事を口にするからホントに困る。

陸は頬を染めて、思わず小咲から視線を逸らしてしまう。

 

 

「あっ、いけない!私たちもう帰る準備しなきゃ!早くしないとバス無くなっちゃう!」

 

 

「マジ?なら早く女将さんに挨拶して帰ろう」

 

 

気付けば、辺りもすっかり暗くなり。時間も八時を超えている。

最終バスは八時半。すぐに着替えて、急いでバス停に向かわなければ。

 

陸と小咲は建物内へと入り、女将さんの姿を探す。

 

 

「あ、いたいた二人共!こっちこっち~!」

 

 

陸と小咲が女将さんを見つけた時、女将さんもまた陸と小咲を探していたようで、二人を見つけると笑顔を浮かべてこちらに手招きしてきた。

 

 

「はい、これ。少ないけどバイト代」

 

 

「あ。ありがとうございます」

 

 

「ありがとうございます!」

 

 

女将さんからバイト代を渡される陸と小咲。お礼を言ってから、挨拶をしようと口を開く。

 

 

「それじゃ準備は出来てるから、こっちに来てくれる?」

 

 

「…準備?」

 

 

だが、二人が言葉を発する前に女将さんが口を開いた。

女将さんは陸と小咲を先導して、とある一室へと案内した。

 

 

「あの、準備って何ですか?俺達、早く帰らないと…」

 

 

もしかして、まだ何か仕事があるのだろうか。

そう思った陸が女将さんに問いかける。すると、振り返った女将さんはどこか生温かい笑顔を浮かべていた。

 

 

「な~に言ってるの。菜々子ちゃんから聞いてるでしょ?」

 

 

「「…?」」

 

 

まるで、照れちゃって!と言わんばかりの女将さんの様子に、陸と小咲は目を見合わせながら首を傾げる。

 

そんな中、女将さんは部屋の障子を開けながら言う。

 

 

「今回のバイトのお礼に、無料でペア一泊プレゼント~!」

 

 

「「!!?」」

 

 

ぶわっ、と陸と小咲の髪の毛が逆立った。

 

 

「も~、小咲ちゃんたら隅に置けないんだから~。菜々子ちゃんから恋人ができたって聞いた時は私まで嬉しくなっちゃって♪」

 

 

本当に嬉しそうに女将さんは語るが、陸も小咲もそれどころではなかった。

女将さんが障子を開けた部屋の中には、ちゃっかり布団が敷かれていた。それも、二組。

そう、二組だ。

 

ようするに、陸と小咲に一部屋に二人で泊まれと言っているのだ。

そしてこの事態を作り出したのは、今頃テヘペロ、とお茶目な顔をしているであろうあの人。

 

 

(何やってんのお母さぁぁ~~~~~~~ん!!!)

 

 

ちらりと横目で見る陸の視線の先で、小咲は心の中で絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第83話 コンヨク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人で過ごすには少し広すぎる部屋に、綺麗に敷かれた二組の布団がある。それも、並んで、隣同士で。

陸も小咲も、その光景を前に固まっていた。

 

 

「それじゃ、ごゆっくり~♪」

 

 

「待って待っておばさん!」

 

 

固まっている陸と小咲の背後で、さりげなく女将さんがその場から立ち去ろうとする。

もちろん、陸も小咲も振り返り、代表して小咲が慌てて呼び止めた。

 

 

「違うから!私たち、恋人とかじゃないから!」

 

 

「あらあら。そんなに照れなくてもいいのに~」

 

 

小咲が陸との恋人関係について否定するが、女将さんはにまにまと笑みを浮かべたまま聞く耳を持たない。

それどころか、小咲が照れているのだと勘違いまでしている。

 

 

「でももう、今日のバスはなくなっちゃったわよ?」

 

 

「え。で、でもまだあるはずじゃ…」

 

 

「休日は早く終わっちゃうの。ここ、田舎だからねー」

 

 

さらに、女将さんは二人にもうバスはないと告げる。

陸が一応問いかけるが、答えは変わらず。だが確かに、休日はバスの本数が少なくなるのはよくある事だ。

これは休日のバスの本数を確認しなかった陸と小咲のミス。

 

 

「ま、そういう訳だから、楽しんでってちょうだいな。おやすみなさーい」

 

 

そう言い、うふふふふと笑い声を残していって女将さんは去っていった。

ご丁寧に、障子もしっかり閉めてから。さすが、女将の鑑である。

 

 

((…どないひまひょ))

 

 

(いや、確かに俺も小咲も、一回ずつ相手の家に泊まってる。でも…、さすがにこれはないって…)

 

 

(うぅ…。べ、別に陸君さえ構わないなら私は嬉しいけど…。でも…、私たち、ただの友達だし…)

 

 

女将さんが去ってから、ずっと黙ったまま考え込む陸と小咲。

 

しかし、帰りのバスがない以上、今日はここでお世話になるしかない。

やっぱり一部屋は止めてくれと頼んでも、相手の迷惑になるのは目に見えている。

 

 

「…よし、決めた」

 

 

「え?」

 

 

不意に陸が呟き、小咲が呆けた声を漏らしながら丸くなった目を向ける。

 

小咲の視線を受けながら、陸はいそいそと作業を始める。

敷かれた布団の一方を運び、押し入れの中へと入れていく。

 

 

「…陸君、何してるの?」

 

 

「押し入れに布団敷いてる。俺、ここで寝るから」

 

 

「ドラ〇もん!?」

 

 

どこぞの蒼い猫型ロボットの様に、押し入れの中で寝ると言い出す陸。

小咲は一言、鋭いツッコミを入れてからではあるが、慌ててすぐに陸を止めにかかる。

 

 

「い、いいよそんなことしなくても!陸君なら私は安心できるから…。私は別に、ね?」

 

 

「…そう?」

 

 

笑顔を浮かべてそう言ってくれる小咲。

小咲が本気で気にしないのなら、陸もわざわざ押し入れの中で寝たくもないし、ちゃんと部屋の中で寝るのだが。

 

 

(…信頼してくれてるんだろうけど、何か複雑なんだが)

 

 

ちょっと複雑な思いを抱きながら、陸は一方の布団から距離をとった所に布団を運んで敷き直す。

さすがに、当初、この場に敷かれていた距離で寝るわけにはいかない。

いかないったら、いかない。

 

 

「そうだそうだ、二人共~」

 

 

何はともあれ、ここで泊まるという方針は固まった所で、部屋の外から女将さんが二人を呼ぶ声が聞こえてきた。

直後、障子が開かれ、廊下で正座をしてこちらを見る女将さんが言う。

 

 

「先にお風呂入っていらっしゃいな。お客様の入浴時間は過ぎてるから、今ならゆっくり入れるわよ。後片付けもしたいし」

 

 

初め、さすがにこれ以上は世話になるわけにはいかないと思った陸が口を挟もうとした。

だが、最後の言葉で気持ちを改める。

 

この旅館では、お客の入浴時間以外なら従業員も入っていいことになっているのだろう。

そして、陸と小咲はここにバイトをしに来た。少し無理があるが、取りあえず自分たちは従業員という扱いなのだ。

 

 

「じゃあ、頂くとするかね」

 

 

「そうだね。せっかくの温泉だし」

 

 

再び部屋に来た女将さんが去ってから、陸と小咲はお言葉に甘えることに決める。

というより、拒否権はないだろう。陸と小咲が入るまで、後片付けができないと言ったも同然だったのだから。

 

部屋を出て、お風呂道具を借りてから大浴場へと向かう。

男湯と女湯に分かれて更衣室に入る。

 

 

(…色々、予定外の事はあったけど、折角宿泊できるんだ。楽しくするに越したことはないよな)

 

 

服を脱ぎながら、そんな事を考える陸。

 

こんな事になるなら、トランプやらウノやら持ってくるんだった。

いや、この事態を予想するなどできる訳もないのだが。

 

風呂から上がった後、多分あるだろう麻雀盤でも借りるか、などなど考えながら手拭いを持って浴場へと入る陸。

 

体を洗い、じっくり温まってから露天風呂へと足を向ける。

 

 

「さてさて、露天はどうなってるかな?」

 

 

ワクワクしながら外に出る陸。

秋らしい冷たい風に、体を震わせながらそそくさと温水に足を入れていく。

 

 

(あれ…。他に誰か入ってたのか)

 

 

奥へと足を進ませていると、湯気で姿は隠れていたが一人、露天風呂に入っている人がいた。

といっても、まだ来たばかりか、それとも上がろうとしていたのか。その人物は立ち上がっていたのだが。

 

 

「どうも、こんばんはー」

 

 

入浴時間が過ぎているため、お客ではないはず。

ならば、従業員という事で間違いないだろう。

 

バイトで働いている内に、向こうに自分の事が知られているかもしれないと思った陸は、未だ湯気で隠れて姿が見えないその人に挨拶をする。

 

しかし、目の前の人物、やけに細いように感じるのだが…。

 

 

「あ、こんばん…」

 

 

湯気が、風によって晴れた。そして、陸は目にする。目にしてしまう。

 

手拭いで正面が一部隠れている以外はあられもない姿の、先程分かれたはずの小咲を。

 

 

「「…」」

 

 

互いに衝撃が奔る。

 

 

「ここここ、小咲ぃ~~~~~!?」

 

 

「りりりり、陸君!?」

 

 

叫び声を上げながら、二人は傍にあった岩を使い、背中合わせになる事で互いの姿を見えなくなるようにする。

 

 

「なな、何で小咲がここにいるんだよ!?」

 

 

「り、陸君こそ、どうして…」

 

 

「確かに俺達、分かれて脱衣所に入ったよな…。何で中が…あ」

 

 

「…あ」

 

 

混乱しながらも話を進めていく内に、陸も小咲も察した。

そして、ふと二人が目を向けた先に、それが正しいことを決定づける内容の看板が立っていた。

 

 

<ここは混浴です>

 

 

((混浴…))

 

 

何てことでしょう、具多利旅館の温泉は、混浴だったのです。これには匠の遊び心が感じられますね。

…おふざけはここまでにしましょう。

 

 

「小咲はこの事…」

 

 

「…知りませんでした。私、お風呂で働いた事なかったから…」

 

 

まあ、知っていれば教えてくれただろう。まさか知っていて教えてくれないなんてこと、小咲に限ってあるわけもないし。

 

 

「ごめんね、陸君…。私がちゃんと把握してれば…」

 

 

「いや、俺だって気づかずに入っちまったんだ。謝る事ねーよ」

 

 

しかし、さすがにお風呂を一緒にというのはまずいだろう。これは受け入れるわけにはいかない。

陸は立ち上がりながら、口を開いた。

 

 

「俺、もう上がるわ。小咲はゆっくり入れよ」

 

 

「え…、あっ。私は!」

 

 

そのまま上がろうとした陸だったが、小咲の声に立ち止まる。

水の音がしない事で、小咲も陸が立ち止まったことに気付いているだろう。小咲はさらに続ける。

 

 

「私は…、別に、平気だよ…?」

 

 

「…いやいやいや、そんな無理しなくたっt」

 

 

「無理なんてしてないよっ」

 

 

「俺は男子、小咲は女子なんだぞ?俺たちがそういう関係だったらまた別の話になるんだろうけど、そうじゃないんだから、そこら辺は弁えないと」

 

 

「っ」

 

 

陸の言っている事はすべて事実である。だが、その言葉は小咲の心に刺さるもので。

思わず息を呑んでしまう小咲だったが、ここで止まらなかった。

 

 

「陸君なら…、平気だから…」

 

 

何故かはわからない。いつもなら、ここで引き下がっていただろう。

でも今は違った。小咲は、さらに陸の奥へと踏み込んでいく。

 

 

「俺ならって…。あのな小咲、男は皆オオカミだっていうだろ?あれって別に冗談で言われてるわけじゃないんだ。ホントにそういう奴だっているんだぞ?」

 

 

「陸君は、そんな人じゃないもん」

 

 

「あのな、俺は小咲が思ってるほど良い奴じゃないんだぞ?」

 

 

「そんな事…っ」

 

 

思わずといった感じで小咲が振り返る。

今の格好を考えると、振り返ってしまうと色々と危ないはずなのだが、二人の間にある岩のおかげで事なきを得る。

 

しかし、今はその事を気にしている場合ではない。

 

言葉を中断させられた小咲は、今まで見たことはない、悲しげな陸の瞳を目にする。

ずっと楽し気に、時には怒り、いつも明るい陸の見たことのない一面。

 

 

「ともかく俺は上がる。気にしなくても、十分温まったからさ、小咲はゆっくりお湯に浸かっとけよ」

 

 

「あ…」

 

 

悲しげな小咲の声を背に、陸は露天を出ていく。

 

結局そのまま、この時にできた気まずい雰囲気は払拭されることはなく。

 

翌日、始発のバスに乗るため、陸と小咲は朝早くに旅館を出ていった。

 

 

「…すぅ」

 

 

「…はぁ」

 

 

そして今。バスに揺られている内に眠くなったのか、小咲が陸の方に寄りかかってすやすやと寝てしまっている。

 

そんな小咲の寝顔を眺めながら、陸はため息を吐いた。

 

 

(…俺、何であんな事言ったんだろ。小咲が良いって言ったんだから、言葉に甘えて入ればよかったのに)

 

 

思い出すのは昨日の、露天風呂での事。

今になって不思議に思う。どうして、自分はあそこであんな事を言ったのだろう。

 

 

(…嘘、吐きたくなかったのかね)

 

 

おかしな話だが、昨日、自分が何を思ってその言葉を言ったのか、さっぱり覚えていないのだ。

だから、陸が今思ったことは飽くまで想像である。

 

 

(そろそろ、限界なのかもしれない)

 

 

陸は、もう一度、気持ちよさそうに眠る小咲の寝顔を見る。

 

どうして自分がこんなに悩んでいるのか、わかっているのだろうか。

 

 

(お前のせいなんだぞ?…自分勝手な話だけどな)

 

 

そっと、小咲の髪に触れながら心の中で呟く。

 

 

(…ごめんな)

 

 

昨日、あんな気まずくなってしまったのは完全に、全て自分のせいだ。

その事を謝罪してから、陸は髪に触れていた手を、小咲の頭へと持っていく。

 

その手で、一度、二度頭を撫でてから、陸もまた目を閉じ、すぐに襲ってきた眠気に身を任せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からお待ちかね(?)のあの話が始まります。
どの話かは、次回のお楽しみです。ww


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第84話 トラブル

某神漫画のような展開は一切ないので悪しからず…。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…おい楽、いい加減鬱陶しいぞ。いつまでもいじけてんじゃねえ」

 

 

「でもよぉ…、でもよぉ陸ぅ…」

 

 

部屋の隅っこで、体育座りで暗い空気を醸し出しながらいじけている楽に、辛辣なセリフを吐く陸。

 

今日、数日後にまで迫った修学旅行の班分けが二学年全クラスにて行われた。

何でも、その班分けで、いつもの面子が一緒の班になったらしいのだが…、楽だけは特にあまり話したこともない人達と一緒の班になったという。ハブられてしまったという。

そのため今、楽は一生懸命いじけているのだが、陸からすれば鬱陶しいことこの上ない。

 

 

「陸はどうせ良い班だったんだろ…?どうせさ…どうせさ…」

 

 

「…はぁ」

 

 

否定はしない。楽の言う通り、それなりに良いメンバーと同じ班になることができた。

 

 

「まあ、恨むならお前の運の悪さを恨め」

 

 

「ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

両拳を畳に打ち付けながら楽が叫ぶ。陸はそんな楽に目もくれず、ゲーム機の電源を入れる。

 

 

「ショックなのはわかるけど、いじけすぎて修学旅行に遅刻したりすんなよ~」

 

 

冗談っぽく、この時の陸はそんな事を口にしていた。

 

 

 

 

『も~。あれだけ朝早くって言ったのに…、もう新幹線出ちゃう時間だよ?』

 

 

「…ごめんなさい」

 

 

駅とは全く違う方角の、小さなお店の前で陸は羽姉と通話をしていた。

普通、遅刻の報告をするなら担任の教師にするべきなのだが、携帯に担任の番号を登録し忘れており…、仕方なく羽に電話することにしたのだ。

会話の内容からわかる通り、今日が修学旅行の日であり、そして陸は遅刻確実である。

 

この遅刻にはやむを得ない事情があるのだが、それをここで言っても言い訳にしかならないため喉の奥に飲みこむ。

 

 

『とにかく一度、学校へ向かって。そこにタクシー回しておくから、それで駅に…』

 

 

羽がこれからどうしたらいいかを説明してくれるが、途中で言葉が切れる。すると、羽姉とは違う教師の声が小さく聞こえてくる。羽は誰かほかの教師と話しているのだろうか。

陸は疑問符を浮かべながら、羽の次の言葉を待つ。

 

 

『もう一人、遅刻した子がいるらしいから。その子と一緒に来て。もう遅れちゃダメだよ?』

 

 

「…はい」

 

 

羽との通話を切り、言われた通りに学校へと向かう陸。

さすがにこれ以上遅れるわけにはいかないため、カバンの位置を直しながら駆ける。

 

十分ほど走ると、視界に校舎が見えてきた。

 

 

(…ん、あの車だな)

 

 

残り百メートルで校門という所で、校門前に止まっているタクシーが見えた。

恐らくそれが、羽が言ったタクシーだろう。

 

 

(もう一人いるって聞いたけど…、まだ来てないみたいだな)

 

 

羽曰く、陸の他にもう一人、遅刻した生徒がいるという。

陸はタクシーの傍らで立ち止まり、辺りを見回して探すが人の姿は見えない。

 

 

(…ここで立っててもな。先に車内に座ってるかな?あ、それだけでも金取られたりすんのかな?)

 

 

先にタクシーに乗ってしまおうか、どうしようか、悩む陸。

 

 

「…あれ!?」

 

 

すると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。陸は思考を切って、声が聞こえてきた方へと振り返る。

 

 

「な、何で…?」

 

 

「…小咲」

 

 

そこには、ここまで走ってきたのだろう。頬が紅潮し、息を切らせた小咲が立っていた。

 

 

(もう一人遅刻した人って…、小咲の事だったのか)

 

 

こちらを見てくる小咲と陸の目が合う。

そのままじっと、視線を合わせたまましばらく、二人は動きを固まらせたままだった。

 

 

 

 

 

 

ともかく、タクシーに乗った二人は凡矢理駅へ辿り着き、陸が二人分の切符を頼んでいた。

 

 

(こっから京都まで二時間ちょい。…今頃、楽たちは静岡辺りか)

 

 

本来の集合時間は六時。陸たちが乗る予定の電車は七時発。

 

 

(向こうで先生が待っててくれるらしいし、午後のスケジュールには間に合うだろ)

 

 

切符を買い、電光掲示板を見上げながら考える陸。そして、買った切符を小咲に手渡す。

 

 

「あ、ありがと…」

 

 

「…」

 

 

お礼を言う小咲。それに対し、いつもならばどういたしましての一言でも口にする陸だが、何故か今は何も口にしない。

それだけでなく、二人の間に流れる空気がどこかぎこちない。

 

 

((…気まずい))

 

 

そしてその事は、何よりも陸と小咲がわかっていた。

こうなった原因も経緯も、二人は全てわかっている。

 

 

(…はぁ。あのバイトから、陸君と一言もしゃべってないよ…)

 

 

電車に乗り、隣で座る陸の横顔を横目で見遣りながら内心で呟く小咲。

そう、この気まずい空気が流れ始めたのは、先日のあのバイトの日。

正確には、不本意ながらも混浴をすることとなった、露天風呂での会話を終えた時からである。

 

あれから二人は一言も言葉を交わしていない。

何度か廊下ですれ違ったり、他に楽やるりたちもいたものの、一緒に帰ったりもした。

だがその間も言葉を交わすことはなかった。

 

 

(…はぁ。完全に俺のせいだよな…)

 

 

小咲と同じように、心の中で呟く陸。

そう、この事態は完全に自分のせいだ。自身と小咲の間に気まずい空気が流れているのも、小咲が悲しげにしているのも全て自分のせいだ。

 

自分のせい、なのだが…。あの言葉だけは認められなかった。認めることはできなかった。

傍から聞けばどれだけ下らなくても、陸にとっては大きな言葉。

 

 

(でも…、やっぱり責任感じてるよな。感じてるんだよなぁ…)

 

 

俯いている小咲をちらりと見遣る陸。その悲しげな表情は、陸の予想が正しいことを裏付けていた。

 

 

(どうすりゃいいんだ…)

 

 

ここで謝ったって、根本的な解決にはならない。

ならば、自分がどう思ったかを説明すればとも考えるが、それをするとなると、これまでの自分の過去を説明しなければならない。

 

それだけは避けたい。

 

 

『名古屋、名古屋ー』

 

 

あれこれ考えている内に、気づけば新幹線は名古屋に着いていた。

 

ここまで来れば、京都まであと一息といった所なのだが…、ちなみにここまで、二人の間で会話はただの一度も行われることはなかった。

 

新幹線が発車するのを待つ。すると、車内にチャイムが鳴り響いた。

 

 

『お客様にお知らせします。当新幹線は、強風のため一時運転を見合わせます。大変ご迷惑をおかけしますが…』

 

 

「「え」」

 

 

突然の知らせ。それも、陸と小咲にとってはかなり悪い、運転見合わせという知らせ。

 

 

「そういえば、季節外れの台風が来てるってニュースが…」

 

 

「…このままじゃ、運休の可能性もあるな」

 

 

「えぇ!?」

 

 

下手をすれば、修学旅行に参加できないという事にもなりかねない。

 

新幹線に乗ってから初めての会話をしながら、どうするべきか陸は考える。

 

 

(俺だけなら別に、運休になっても羽姉に知らせてそれまで。でも別にいいんだけど…。小咲はそういう訳にもいかないよな…)

 

 

自分だけなら、修学旅行に不参加でも仕方ないかで済ませることができる。

だが、小咲はどう思うだろう。間違いなく、がっかりする。相当なショックを受けるに違いない。

 

 

「…小咲、他の電車に乗り換えるぞ。在来線ならまだ動いてるはずだ」

 

 

「え…、でも、先生に相談した方が…」

 

 

「早くしないと、台風がもっと強くなる。そしたら間違いなく、電車全部運休になる。…修学旅行、行けなくなるぞ」

 

 

「…うん。分かった」

 

 

小咲の言う通り、教師に連絡を入れるのも一つの手だろう。

だが、相手が天候となると教師でもどうする事もできない。さらに今は一刻を争う。

だったら、すぐに行動に出るのが吉だろう。

 

陸と小咲は新幹線を降り、そのまま在来線へと移動して京都を目指す。

 

 

「何だか、凄い旅になっちゃったね…」

 

 

「そうだな…。まさかこんな事になるとは…」

 

 

あまりの事態に、先程まで流れていた気まずい空気はどこかへ飛んでいってしまった。

隣に座った二人は、いつもの調子で話しながら電車が京都へ着くのを待つ。

 

 

「…あれ?」

 

 

「…止まったな」

 

 

だが、まだ京都どころか途中の駅にも着いていないというのに、突然電車が停止してしまった。

 

そして直後、車内放送が流れた。

 

 

『お客様にご連絡します。現在、前方の線路に熊が侵入したため、緊急停車しております』

 

 

((熊!?))

 

 

さらに、安全が確認されるまで運転を見合わせると続けられる。

つまり、いつ再発進するか見当がついていないという事だ。

 

 

「これ、結構時間かかるぞ…」

 

 

「ど、どうしよう…」

 

 

「…こうなったらバスだ。バスに乗るぞ」

 

 

すぐに決断を下す。陸と小咲はバスの路線を確認し、京都へ行くバスに乗り込む。

 

 

「多少時間はかかるけど、さすがにもう…」

 

 

陸はここで、迂闊な言動をしてしまった。途中で言葉を切り、陸は目を見開く。

 

その直後、ぷしゅー、という煙が吐き出されるような音が響き、ゆっくりバスの速度が減少していく。

そして遂に、バスは停車した。

 

 

『…申し訳ございません。エンジントラブルが発生し…』

 

 

「ば、バカな…」

 

 

確かに、まさかと思って言葉を止めようとしたが…、本当にフラグになってしまうとは。

陸と小咲は先程と同じようにすぐに決断する。

 

 

「まさかタクシーに乗る事になるとはな…」

 

 

「ここまで来ると、もう何があっても驚かないね…」

 

 

「…小咲。それもあかん」

 

 

「え?」

 

 

この会話から、およそ三十秒後。カーブを曲がり切れず、タクシーが道路からはみ出し、木に衝突して止まってしまった。

 

 

「いやぁ、最近こういう事が多くて…」

 

 

((多いの!!?))

 

 

幸い、陸も小咲も運転手にも怪我はなく。だが、運転していた老人の言葉に陸と小咲は驚愕した。

 

もう、運転しちゃダメだよお爺ちゃん。

 

 

「てかやべえよこれ。…このまま待つしかないか?」

 

 

ここまでトラブルが続くとは。こういうのは漫画の世界だけに起こるものとばかり思っていた。

 

だが現に、それは起きている。

二人は選ばなければならない。ここで助けが来るのを待つか、それとも再び何かしらの行動を起こすか。

 

 

「すっかりお昼も回っちゃったし…。もしかして今日はこのまま、京都に着かないかも…」

 

 

「っ」

 

 

不安を含んだ小咲の声が聞こえる。

 

 

(てかおかしいだろ。何で起こした行動が次から次へと裏目に出るんだよ…)

 

 

今日ほどついていない日は初めてだ。

…何かそう考えたら、イライラしてきた。

 

どうしてこうなった。神様はそこまで自分たちが京都へ行くことを拒むか。

 

 

「あああああああああ!もうキレた!こうなったら何が何でも京都へ行ってやる!神なんかクソ喰らえだ!」

 

 

「え?え?陸君?」

 

 

突然叫び出した陸を、戸惑いの目で見てくる小咲。

そして小咲の視線を受けながら、陸は荷物を漁ってとある道具を取り出す。

それは─────

 

 

 

 

 

 

 

 

「…いやぁ、まさかこんな山奥で学生さんを拾うたぁ思わなかったぜ。君たち、どっから来たの?」

 

 

「えと…、凡矢理市から」

 

 

「凡矢理!?遠くない!?」

 

 

軽トラックを運転する男性と話す陸。そう、陸があの時取り出したのはペンとノート。

陸が起こした行動とは、ヒッチハイクだったのだ。

 

その結果、そう時間も経たない内に、今乗っている軽トラックの運転手が快く乗せてくれた。

まぁ、中には入れず、外の荷台に乗るという条件がついてきたが。

 

 

「良かったね。親切な人に拾ってもらえて」

 

 

「まさか修学旅行でヒッチハイクをする羽目になるとは思わなかった」

 

 

無事、ヒッチハイクに成功した二人が安堵の息を漏らしながら言葉を交わす。

しかし今二人がいる場所は結局は外。それも冷えてきた秋、さらに走る車。

 

 

「…クシッ!」

 

 

「…ごめんな。寒いだろ」

 

 

陸が着ていた制服の上を、小咲に貸してはいるがやはり寒いようで。

くしゃみをした小咲に謝罪する陸。

 

 

「…ぷっ、くすくす」

 

 

すると、陸が謝罪した直後、小咲が噴き出し笑い始めた。

 

 

「?何笑ってんだ?」

 

 

「だ、だって…」

 

 

突然笑い出した小咲に戸惑いながら陸は問いかける。

その問いかけに、小咲は微笑みながらこう答えた。

 

 

「だって、おかしくて…。こんなにトラブル続きで、はちゃめちゃでヘンテコな旅。他じゃ絶対に味わえないもん」

 

 

呆然と小咲の言葉を聞き続ける陸。

その陸の目の前で小咲はさらに続ける。

 

 

「私、すっごく楽しいよ?それに陸君が一緒だから…、全然不安じゃない」

 

 

「…」

 

 

ぽかんと口を開けて、目をまん丸くして、そして頬がわずかに染まる。

 

本当に狡い。というより、どうしてそんなことを思えるのだろう。

 

先日、あんな下らない事でへそを曲げて、勝手に相手から避けて。

そんな自分に、どうしてそんな顔ができるんだろう。

 

 

「小咲」

 

 

「ん?」

 

 

「…ごめんな。ずっと、俺の勝手で…。小咲、嫌な思いしただろ」

 

 

「あ…」

 

 

どうやらすっかり忘れていたらしい。事実上、自分たちは喧嘩状態に近かった事を。

まぁ、それだけこのトラブル続きが小咲にとって衝撃的だったという事だろう。

 

 

「…ううん、気にしてないよ。私だってきっと、陸君に嫌な事を言ったんだよね?…ごめんなさい」

 

 

「っ…」

 

 

全部自分が悪いのに。それなのに、小咲は謝ってくる。

 

本当に、自分が情けなくてしょうがない。

 

 

「…ありがとう」

 

 

こんな情けない自分を許してくれてありがとう。

きっと知りたいだろう、陸の心に触れた言葉について聞かないでくれてありがとう。

 

自分に、笑ってくれてありがとう。

 

 

「よし、こうなったら京都に行くぞ。今日中に辿り着いてやろうぜ」

 

 

「うんっ、がんばろーっ」

 

 

暗い話を止め、ちょっと大げさに京都へ辿り着く宣言を行う陸。

その陸のノリについていき、小咲も片腕を上げながら声を返す。

 

 

「…なるほど、愛の逃避行ってやつか」

 

 

「違います!」

 

 

「…」

 

 

このやり取りをずっと聞いていた運転手が、温かい笑みを浮かべながら言い、即座に小咲が否定する。

 

会話をしなくなったのはつい先日からなのに、こういうやり取りが懐かしいと感じてしまう。

 

 

(やっぱり良いよな…、こういう感覚)

 

 

顔を真っ赤にさせながら、もうっ、と恥ずかし気に憤慨している小咲を見ながら陸は思う。

 

こうして、大切な人の傍にいられることの心地よさに、陸は限界を先延ばししてしまうのだった。

 

 

「…ん?」

 

 

「…あれ?」

 

 

ちなみに、陸と小咲の不運はまだまだ終わっていなかった。

突如、二人が乗っていた軽トラックが止まる。

 

 

「…やべ、エンストしたっぽい」

 

 

「「!!!?」」

 

 

もう、今いる山さえ下りれば京都という所まで来ていたのが幸いだった。

二人は結局最後の手段、徒歩という手段を選択するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第85話 ホウコク

Q.投稿がここまで遅れた理由は?

A.ガ〇ダムブレイカーが全部悪いんだ








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凡矢理高校修学旅行も、三日目に入っていた。二日目の午前中は映画村、昼食を挟んで午後は東大寺に行った。

そして今日は、京都市、大阪市内でそれぞれの班の自由行動が許されている。

 

 

「…ふぅ」

 

 

「なぁ一条ー。今日の予定の事なんだけどさ」

 

 

洗面台の蛇口から流れる水を止め、タオルを取って顔を拭く陸。すると、背後からこちらに歩み寄ってきた同じ班の生徒が声をかけてきた。

 

 

「どうした?」

 

 

「今日の一発目、二条城の予定だったけどよ。ちょっと変更しようって話になったんだ」

 

 

「変更?どこに?」

 

 

声をかけてきた生徒が言う。

陸達のグループは、今日の最初の目的地を二条城と決めていたのだがその予定を変更したいと。

 

自分が顔を洗っている間にそんな話になっていたのだろうか?

ともかく、その変更する場所を知るために問いかける陸。

 

 

「阿波弥大参寺っつー寺なんだけど…」

 

 

「…何だよそのいかにも事件が起きそうな寺は」

 

 

どうも物騒にしか聞こえない名前の寺が生徒の口から飛び出してきた。

 

 

「いやまあ…、別にいいけど。他の奴らとは話したんだよな?」

 

 

「あぁ。お前が顔洗ってる間に決めたから」

 

 

やはり、自分が顔を洗っている間に話していたようだ。

 

しかし、その阿波弥大参寺に一体何があるのだろう?そんな急に行きたくなるようなご利益が、その寺にあるのだろうか。

 

 

「なぁ。その阿波弥大参寺…だっけ?その寺って…?」

 

 

陸がその寺について問いかけようと振り向いた時だった。陸は、グループのメンバーが手にしている物を見る。

 

ある者はフィギュア。ある者はプラモデル。ある者はアイドルの団扇に、ある者は写真集。

お土産にしても、明らかに京都ならではのものではない。ていうか、どう見ても自分のために手に入れたものにしか見えない。

 

 

(…何か企んでるな)

 

 

自分の手に握っている物を見て、恍惚としているメンバーたちを見ながらため息を吐く陸。これから行く場所で、何やら波乱が起きそうな気がするのは、どうにも気のせいではなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

朝食を食べ、身支度をして荷物をまとめてから旅館を出る。自由行動を終えた後、大阪のホテルに移るというのが今日の予定だ。

 

さて、旅館を出た陸達は、朝に話した通り阿波弥大参寺へと向かう。

寺へと向かう参拝客に、やけに女性が多い事を不思議に思いながらも陸は寺の境内へと足を踏み入れる。

 

 

「…普通の寺だな」

 

 

「いやいや、見た目で判断しちゃいけねえ」

 

 

「何でも、凄いご利益があるとか…」

 

 

「…てか、そのご利益は何なんだ?急に行きたくなるくらいなんだ、相当凄い…」

 

 

メンバーと話している内に、この寺のご利益についてが気になった陸は問いかけようとする。だがその時、陸の言葉を遮って聞き慣れた声が耳へと届いた。

 

 

「楽様ー!じっとしてくださいまし~!」

 

 

「うぉおおおおおおおおお!だからちょっと待てって~!」

 

 

(…?)

 

 

陸の言葉は中断され、代わりに奇妙な光景がその目に飛び込んできた。

 

弓を持った万里花が、必死に逃げる楽を追いかけながら矢を射っている。その光景に戸惑いながら、陸は疑問符を浮かべた。

 

 

「何だこれ…、矢じゃない…?てか、あいつらどこ行った?」

 

 

万里花が撃った矢が足元に落ちていることに気付き、陸はしゃがみ込んでそれを確認する。

 

そこで、陸はそれが矢ではない事に気が付くと同時に、いつの間にかメンバーがこの場からいなくなっていることにも気が付く。

 

 

(偶然、あいつらがこの寺に行きたいと言い出し、この寺に着いたら偶然追いかけっこしてる楽と橘がいた。…あほか、偶然じゃねえだろこれ)

 

 

明らかに重なりすぎている。これを偶然で片づけるほど陸はバカではない。どう考えても、グループのメンバーと誰か…というか万里花だろう。それらが結託して企み、自分をここに連れてきたに違いない。

 

 

(でも、理由が分かんねえな…)

 

 

この場に楽がいるという事は、楽も同じグループメンバーに連れてこられたのだろう。自分と同じように。

 

そして、その理由は今行っている追いかけっこにあるのだろう。だが自分は何故ここに連れてこられたのだろう。万里花が好きなのは楽のはずだ。それを考えれば、ここに連れてくるのは楽だけで十分なはずだが…。

 

 

(あぁ…。ここは縁結びの寺か)

 

 

そこまで考えた所で、この寺にどんなご利益があるのかに気づく。恐らく、今目の前でやってる追いかけっこも何らかの縁結びに関係しているのだろう。

 

だとしたらますます謎だ。どうしてここに自分が連れてこられたのか。

 

 

「こらー、万里花ー!勝手は許さな…?」

 

 

「…?」

 

 

深まる謎について考えていると、聞き覚えのある声が万里花を止めようとする。だが、その言葉は途中で止められ、疑問符が浮かんでいるのが目に見えてわかる。

 

声が聞こえてきた方へと目を向けると、追いかけっこを行う楽と万里花を目を点にして眺める千棘と鶫の姿が。

 

 

「…て、あいつらも参加するのか」

 

 

二人をじっと見ていると、神主さんが歩み寄り、二人に弓と矢を渡す。

そして、千棘はあっという間に楽を追いかけていく。鶫は何やら葛藤しているが…、まあ、そう時間が経たない内にあの輪に加わるだろう。

 

 

(さて、俺はどうしようか…。てか、あいつらはあっさり俺を見捨てていきやがって…)

 

 

楽たちの事は放っておいて、これからどうしようか考える陸。

 

一番いい方法は教師に連絡することだろう。というか連絡するしかない。全て話し、あいつらには強烈な折檻を受けてもらう事にしよう。

 

早速、陸はほくそ笑みながら携帯を取り出し、電話帳から教師の番号を出す。しかしそこで、陸は再び聞き覚えのある声を耳にし、動きを止めるのだった。

 

 

「り、陸君!?」

 

 

「え、小咲?」

 

 

いつの間にやら小咲までここにやって来ていた。ていうか、よく考えたら同じ班である万里花を追いかけてここに来るのは当たり前のことだ。

 

 

「ど、どうして陸君がここに…」

 

 

「…罠にかけられた」

 

 

「…何言ってんの?」

 

 

声をかけられた陸はこちらに駆け寄ってくる小咲、一緒に来た集とるりに返事を返す。三人はその意味がよくわからず、首を傾げているが。

 

 

「てか、何が起こってんだこれ。意味わかんねえ」

 

 

「あー…。万里花ちゃんがまたやらかしたみたいなんだよねー」

 

 

「…やっぱり橘か」

 

 

やはり万里花の差し金だったようだ。陸は呆れのため息を吐き、もう一度口を開いた。

 

 

「けど、楽はわかるけど…。何で俺までここに連れてこられたんだか。間違いなく、橘の仕業だとは思うんだけど」

 

 

「あー…。うん、なるほどねー…」

 

 

「…」

 

 

「え?何だよ二人共、わかるのか?」

 

 

「?」

 

 

ふと口にした呟きを聞いた集とるりが、まるで何かを悟ったかのように頷き始める。どうやら、万里花の目的がわかっているようなのだが、問いかけても真面目に答えてくれない。

 

 

「何だよおい。おしえt…」

 

 

答えが気になる陸が何度も問いかけていると、眼前を矢が横切っていった。あわや、横っ面に当たる所だった。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

「…ふぅ」

 

 

小咲、集、るりが黙り込んだ陸を見つめる。三人が見つめる中、陸は一つ息を吐いてまわりを見回す。

 

千棘と万里花が撃った矢がそこら中に散乱している。鶫も千棘に協力しているようで矢こそ撃っていないものの追いかけっこに参加はしている。

 

 

「きゃっ!」

 

 

「うおっ、あぶねっ!」

 

 

さらに千棘と万里花が撃った矢を楽がかわすため、周りの参拝客に矢が当たりそうになっている。どこからどう見ても、営業妨害。最早犯罪の域にまで達しそうだ。

 

 

「…てめぇらぁあああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

そして陸も、危ない目に遭った。自分の不注意でもあるため、そこは置いておくが…、周りの参拝客にまで迷惑がかかるのは看過できない。

 

 

「いい加減に、しろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

「「「「!!?」」」」

 

 

陸の怒声に、楽たち四人は驚き、動きを止める。

そこを見逃さず、陸は続けた。

 

 

「てめぇら、ちとこっち来い」

 

 

「え…あ、陸?」

 

 

「こっち来いっつってるだろーが!」

 

 

「「「「は、はい!」」」」

 

 

楽や千棘に万里花、さらに鶫でさえ気圧され、陸の前まで行き、特に言われてもいないのに正座までする始末。

 

 

「…てめぇら、説教の時間だ」

 

 

周りに迷惑をかけまくった四人に、裁きが下される。

 

 

 

 

 

 

「ったく…。じゃあ何だ?お前らは橘に買収されたと」

 

 

「はいその通りです。申し訳ありませんでした」

 

 

陽も沈み、夕食も済ませた後、割り当てられた部屋へ向かった陸は同じ班のメンバーを全員正座させ、事情を聴いていた。

 

やはり陸が睨んだ通り、メンバーは万里花に買収されていた。

 

 

「まっ、俺からは特にねえけどさ。…先生には伝えておいたから。きっちり説教受けて来い」

 

 

「「「「「ち、ちくしょーーーーーーーーーーー!!」」」」」

 

 

悔しさに満ちた叫びをあげるメンバーを置きざりに、陸はあくびをしながら部屋を出る。

部屋の外にまで叫び声が聞こえてくるが、無視してエレベーターがある方へと足を向ける陸。

 

京都の旅館にも売店はあったが、この大阪のホテルにも売店はある。何か大阪ならではの面白い商品があるのではないかと考え、足を向けたのだ。

 

二十五階から二十階へ。このホテルには一階、十階、二十階に売店があり、陸の部屋がある階層から一番近いのが二十階の売店なのだ。

 

エレベーターから降りると、陸は売店へと足を踏み入れる。

棚に置かれている商品を見回しながら、売店を歩いていると見覚えのある背中が陸の視界に入ってきた。

 

 

「小咲」

 

 

「あ、陸君」

 

 

小咲もまた、この売店に来ていたようだ。小咲の班の千棘に鶫、万里花と別の班の楽の四人もまた、陸の班のメンバーと同じように説教を受けているため暇なのだろう。

 

 

「宮本は?」

 

 

「るりちゃんは今、シャワー浴びてるから。何かお菓子と飲み物を買いに来たんだ」

 

 

「そうか。…俺も、今はもう部屋に誰もいないからさー。暇だから来た」

 

 

「あ…はは…」

 

 

会話の内容に、小咲が苦笑を浮かべる。小咲もまた、あの寺にいたため陸の班のメンバーがしでかした事を知っている。小咲が浮かべている苦笑の中に、疲労の色も含まれているのは決して気のせいではないだろう。

 

 

「…修学旅行も、折り返しだね」

 

 

「だな。あっという間だよなー。…特に今日は」

 

 

再び苦笑を浮かべる小咲。だが反論しないあたり、心のどこかではその通りだと感じているのだろう。

 

 

「でも…、もうすぐ二学期も終わりだね」

 

 

「…何だよ急に」

 

 

「ううん、何でもないけど…。ただ、もうすぐ三年生だなって」

 

 

「…そうだな」

 

 

商品を見て歩きながら話す二人。

 

確かに、修学旅行が終わればすぐに二学期が終わり冬休みに入る。三学期に入れば、あっという間に三年生になるだろう。残された高校生活は、あと半分なのだという事実をここに来て強く実感させられる。

 

 

「…ん?」

 

 

少し物思いに耽った所で、陸の携帯の着信音が鳴り響く。

 

 

「ちょっと出てくるわ」

 

 

「あ、うん」

 

 

小咲に一言かけてから、陸は売店を出て電話に出る。

 

 

「竜…?…もしもし」

 

 

画面を見ると、着信先は竜と書かれていた。すぐに着信ボタンを押して声をかける。

 

 

『坊ちゃんですかい!?すぐに出てくれて助かりやす!』

 

 

「何だよ、そんな慌てて…。何かあったのか?」

 

 

ここ最近、見たことがないほど慌てた様子で竜が電話を掛けてきているらしい。声の様子ですぐにわかる。陸は、竜に何をそんなに慌てているのか問いかけた。

 

 

『大変です!おやっさんが…』

 

 

「…親父がどうした?」

 

 

 

 

 

 

『おやっさんが、急に倒れられて…!』

 

 

 

 

 

 

「っ…!」

 

 

こつん、と携帯が床へと落ちた音が耳に聞こえた気がした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当は、映画村の所も描くつもりだったのですが…。少しでも早く話を進めるために飛ばしました。
ていうか、ぶっちゃけ、早く終わらせて他の小説、そして今、懐で暖めている新しい小説を書きたいというのが本音です。

そして、父が倒れたという事で…クライマックスが近づいてます。
大体、後十話くらいで終わらせるつもりです。(理想は百話で完結)


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第86話 ホンシン

お待たせしました。ちゃんと書けてるか不安ですが、楽しんでもらえると幸いです。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三年間の高校生活のちょうど半分が過ぎた時期に位置する修学旅行。その修学旅行も終わり、凡矢理高校二年生は学校に通い、いつもの日常を取り戻し始めていた。

 

それは楽や小咲達も例外ではない。クラスで授業を受け、友人と過ごし、放課後に当番であれば掃除を済ませて帰宅する。その日常を繰り返していた。旅行前とは全く変わらない。…ある一点を除いては。

 

 

「一条君、その…。陸君は、まだ…?」

 

 

「…あぁ。俺も何とか話をしようとはしてるんだけど…、あいつ、俺が起きた頃には外出してるみたいで…。しかも夜遅くまで帰って来ねぇし、一日中帰って来ない時もあるみたいだし…」

 

 

放課後、楽や小咲達はいつものメンツで帰路に就いていた。楽と小咲、千棘に鶫に、万里花に集にるりに…。ただ、一人だけ…陸だけが、その場に姿がなかった。

 

陸は修学旅行が終わってから一週間、一度も学校に来ていないのだ。小咲達は勿論、楽ですら陸がどうして休んでいるのかわかっていない。

 

 

「でも楽、あんた言ってたわよね?組の人達は何か知ってるみたいだって」

 

 

「あぁ、俺も竜に聞いてみたさ。けど…、いつもいつもはぐらかされちまう」

 

 

今、楽は家の中で除け者にされている気分だった。その理由は、先程の千棘の問いかけの中にもあった、陸の事である。

 

先程も言ったが、楽は陸がどうして学校を休んでいるのか理由を知らない。だが、何故か組の者達はその理由について何かしら知っている様子が見られるのだ。

当然、楽はその理由を竜や他の誰かにも聞いている。しかし、その度にはぐらかされ…結局、陸が今なにをしているのか、知らないのは楽ともう一人、羽だけという状況だ。

 

 

「でもさ、陸が休んでるのって親父さんの容態を気にしてるからじゃないの?」

 

 

「けどそれじゃ、一日中帰って来ない理由にならないだろ。親父はただの疲労だってわかってるんだから、そこまで神経質になるこたないし…」

 

 

修学旅行中、楽に連絡が入った。父、一征が倒れたと。楽は陸と一緒に、教師の協力も得て旅行途中でも構わずすぐに帰りの新幹線に乗った。

新幹線に乗る前に連絡した通り、駅に迎えに来た竜と一緒に一征が運ばれた病院に急行。

 

まあ結果は先程楽が言った通り、ただの疲労と医者に言われたのだが…。思えばその時から、陸の様子がどこかおかしかったのを覚えている。

表情を引き締め、下唇を噛み締めて、目はどこか決意に満ちていて──────

 

 

「楽様、そんなに悲しい顔をしないでくださいまし…。私が抱き締めて…」

 

 

「やめんか!」

 

 

楽が考え込んでしまう中、万里花が楽に抱き付こうとし、その万里花を千棘が服の襟を掴んで止める。

 

 

「何をするのですか、桐崎さん」

 

 

「何をするのですかじゃないわよ!…少しは楽の気持ちを考えなさい」

 

 

万里花に呟いた千棘の声は、他の者の耳にも届いていて。考え込んで俯く楽を見遣る。

 

 

「…心配?」

 

 

「…うん」

 

 

そんな中、小咲の元に歩み寄ったるりが小さく問いかけた。小咲はその問いかけにこくりと頷く。

 

 

「何だか…嫌な予感がして…」

 

 

楽に向けていた視線を地面に向ける。俯きながら、小咲はもう一度小さく呟いた。

 

 

「このまま…、陸君と離ればなれになっちゃう…。そんな予感がして…」

 

 

小咲の胸中に、暗い予感が募っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指定された場所に指定された回答を記入し終え、蓋をした万年筆をコロコロと机の上に放り投げる。そして腰を掛けた椅子の背もたれに体重を乗せると、背もたれがギギギと音を鳴らす。

 

 

「…ふぃ~」

 

 

天井を仰ぎ見ながら、大きくため息を漏らすのは、本来ならば組長がすべき仕事をこなす陸。長が体調を崩し入院している為、若頭候補である陸が買って出たのだ。

 

が、まだまだ若い陸にはその重さは計り切れず。想像以上の仕事量に初めは思わず目を丸くして呆然としてしまったほどだ。

 

書類仕事は勿論、対象の取引先に出向いたり、どんなに小さな反抗勢力も見逃さないよう目を光らせる。今日は何とも早く、夕方に、それも楽の帰宅よりも早く帰れたが…、処理しなければならない書類がいつも以上に机の上に積み重なっている。

父はそれらをずっとやり続けてきたのだ。子供である自分たちにはこれっぽっちも疲れ等見せず、笑顔を見せながら…ずっと。

 

 

「陸坊ちゃん…」

 

 

「ちょっと楽観視しすぎてたわ。…親父はこんな事をずっとやり続けてきたんだな」

 

 

組が安定してからは荒事にあまり関わらなくなったものの、その代わりと言わんばかりに増えた事務仕事。こなしてもこなしても新たに入ってくる仕事に、嫌気が差してくるほど。

 

 

「坊ちゃん、その…。明日からはアッシ達が!だから、坊ちゃんはいつも通り学校に…」

 

 

「そういう訳にはいかねぇだろ」

 

 

胸を拳でどん、と叩きながら竜が言ってくる。が、陸は苦笑いを浮かべるだけで頷くことはしない。

 

 

「これは、俺がやるべきことだろ?」

 

 

「…」

 

 

「手伝いはともかく、お前らに任せるわけにはいかねぇんだよ」

 

 

竜の気持ちはとても嬉しい。それに、竜の言葉を聞くにその気持ちを抱いているのは竜だけではないのが解る。もしかしたら、親父も自分と同じ事を何度も言われていたのかもしれない。

 

それに反して、陸はどうだ。今という和やかな瞬間に甘えて、一征の疲労に気付こうともしなかった。そんな自分が、部下に甘えるなど、どうしてできようか。

 

 

「…楽はどうしてる?」

 

 

背もたれに掛けていた体を前へと戻し、デスクに右肘を立てて頬杖を突きながら竜へ問いかける。

 

修学旅行が終わってから一週間。陸が学校を休み始めてから五日。その期間、陸は楽とすら接触を避けていたのだが、一昨日から楽がその事に関してうるさくなっている事は知っている。楽だけではない。携帯の着信履歴やメールを見てみれば、集に千棘に、るりに万里花や鶫。そして、小咲。友人達から心配の連絡が寄せられている。着信、メールを合わせれば、二十を超える連絡が来ていたのを、陸は全て無視していた。

 

一つ屋根の下で暮らしている楽からも、痺れを切らしたのか今日、メールが届いていた。そろそろ強引にこちらへ来る頃だろうと思われる。だがそれでも、陸はまだしばらく、楽とも顔を合わせるつもりはなかった。

 

そのため、楽の様子を竜へ問いかけたのだが…

 

 

「よく陸坊ちゃんの様子は聞かれますぜ。けど、最初の頃よりは強引な感じじゃないっすわ」

 

 

「…ふーん」

 

 

陸が考えていたものとは違った答えが竜の口から聞こえてきた。

 

 

「なら、おとなしくしてるんだ」

 

 

「そうっすね」

 

 

何とも意外な報告が聞けた。思ってるよりも、心配されてないのだろうか?…悲しい。

い、いや、きっと信頼されてるんだ。そうだ。どうせすぐに戻ってくると信じてもらえてるんだ。そ…んな訳ないね。

 

それに、携帯に入っている連絡の多さから、心配されていないというのも考えられないし考えたくない。

 

 

(…何か企んでたりしてねぇよな)

 

 

学校帰り、皆を引き連れて家に招くとか、楽が考えそうで怖い。でも、もしそうなったとしても、陸は誰にも会うつもりはない。

 

 

「…あの、坊ちゃん」

 

 

「ん?」

 

 

不意に、竜が話しかけてきた。視線をそちらに向けると、何か思いつめたような、そんな顔をした竜が陸を見ていた。

 

 

「あの話…、本当なんですかい?いや、あっしらとしては嬉しい話っすけど…」

 

 

「…本気だよ。つか、嬉しいならそんな顔すんなや。強面のお前がそんな顔しても似合わねえぞ。てか、気持ち悪ぃ」

 

 

物思いに耽ったようなその表情が、恐ろしいくらい竜に似合わな過ぎて、思わず笑みを零す陸。

 

 

(…そうだ。何を揺らいでるんだ、俺は)

 

 

ひでぇっすよ坊ちゃん、と言いながら豪快に…笑おうとしている竜を見ながら思う。

 

 

(もう、戻れないんだ。戻っちゃいけないんだ、あの場所には)

 

 

頭に浮かぶのは、全員で笑い続けた、あの日常。ずっと終わる気がしなかった、和やかな一時。だが、それはもう終わりを告げようとしている。

 

 

(もうすぐ、俺は────)

 

 

改めて決意を固める陸の脳裏に、一人の少女の寂し気な顔が過った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…はぁ」

 

 

静かな自室で、溜め息の声が響く。いつもは隣から聞こえてくる電子音も、ここ最近はめっきり聞いていない。だがそれよりも、ここ一週間、隣の部屋の主と全く会えていない事が、憂鬱で仕方なかった。

 

 

「陸ちゃん…」

 

 

長く伸びた髪が乱れるのも構わず、部屋に敷いてあった布団に勢いよく倒れ込む。

 

 

「ずいぶん寂しそうね、首領」

 

 

「え?あ、い…夜ちゃん!?」

 

 

悲しくて寂しくて、思わず目から涙を零しそうになったその時…。羽に声をかけてきたのは、腹心である夜だった。

 

全く気配を感じさせなかった夜に驚いて目を見開く羽は、飛び上がる様に起き上がる。

 

 

「そんなに、あの坊ちゃんに会いたいか?」

 

 

「え…いや、その…」

 

 

「…なに、会いたくないのか」

 

 

「え!?あ、会いたいよ!」

 

 

堪らず大声を出してしまった。羽は頬を染めながら、両手で口を覆う。

何て恥ずかしい事を言ったのだろう…。いや、心の底からの本心なのだが。もし部屋の傍に誰かがいたら…、聞かれていたら…。

 

 

「大丈夫ね。部屋の外には誰もいないよ」

 

 

「心を読んだ!?」

 

 

「顔見れば解るね」

 

 

夜に心を読まれ、動揺する羽。しかし、他人からすれば今の羽の顔を見ればすぐに解るのだが。それは、羽が知る由もなく。

 

 

「もう…」

 

 

頬を膨らませ、不機嫌ですよと言わんばかりの顔でそっぽを向く羽。そんな羽を、ぴくりとも表情を動かさずに眺めていた夜が、不意に口を開いた。

 

 

「会いに行くか?ディアナに」

 

 

「…え?」

 

 

羽も、裏に深く通ずる叉焼会の首領を伊達にやっている訳じゃない。夜が口にしたディアナという単語が何を示しているのか、当然分かる。

 

だからこそ、夜の言葉に驚愕し、振り返る。

 

 

「首領が望むならその願い、叶えるよ」

 

 

「…」

 

 

呆けて口を開けたままの羽と、未だ表情を動かさない夜の視線が交じり合う。

 

 

(陸ちゃんに会える…?)

 

 

夜の言う通り、本当に陸に会えるならとても嬉しい。羽の顔に、笑顔が浮かぶ。

 

 

「夜ちゃん、お願いできるかな?私、楽ちゃんに…」

 

 

「待った」

 

 

堪らず、立ち上がった羽は、この事を楽に伝えるために部屋を出ようとする。

 

学校で楽が、友人たちと集まって陸の事について毎日相談している事を羽は知っていた。だからこそ、すぐに楽に、彼らに陸に会えるかもしれない事を伝えたかった。

 

だがそれに、夜が待ったをかける。

 

 

「首領、本当にそれでいいのか?」

 

 

「え?」

 

 

夜に呼び止められ、振り返った羽は固まってしまう。

 

それでいい、とは何の事だろうか。解らない。…解らないのに、何故か、胸が掴まれたかのような感覚に陥る。

 

 

「それでいいって…、どういう事?」

 

 

「そのままの意味ね。…首領今、皆でディアナに会いに行く思てたね。でも、本当にそれでいいのか?」

 

 

「…」

 

 

何で…、何で言葉に詰まるのか。それでいいというか、それがいいに決まってるではないか。

なのにどうして…。

 

 

「首領、もう一度言う。本当に、それでいいのか?」

 

 

「…」

 

 

頭に浮かぶのは陸の顔。小さい頃、全く感情を表に出さず、無表情を貫いていた陸。だが、成長をして、幼さが残りつつも男らしい顔つきになり、久しぶりに会った陸は、あの頃からは考えられないほど笑うようになっていた。

 

そして、陸が笑う時、一番多く傍に居たのは…

 

 

「…夜ちゃん」

 

 

「…」

 

 

陸の傍で一緒に笑う、一人の少女の顔が浮かんだ瞬間、羽の心は固まってしまった。

 

 

「陸ちゃんに会わせて」

 

 

「…仰せのままに」

 

 

羽の口からは、夜の問いかけ全てに対する答えは出てこなかった。

だが、羽の顔が、その答えを語っている事を夜はしっかり悟っていた。

 

夜が羽に向かって一礼をしてから、障子…からではなく、窓から外へと出ていった。羽は、そんな夜の背中を眺めて…、壁に背を寄りかからせ、ずるずると床へ崩れ落ちる。

 

 

(私…)

 

 

自分でも、先程の言動が信じられなかった。

 

皆で陸に会いに行く、それが一番だと思っていたはずなのに…、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。けど…、止められなかった。夜の言葉に心を掴まれ、気付けば口にしていた。

 

 

(…でも)

 

 

それでも、自分でも羽は解っていた。あれが、心の奥底にあった、本心なのだと。

 

誰かと一緒にではなく、二人きりで陸に会いたい。そんな醜い欲望が、何にも勝る自分の本心なのだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




羽が…、羽が…真っ黒になってしまう…。


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第87話 ケツベツ

大変…本当に大変、お待たせしました…。
ようやく書き上げる事ができました。いや、言い訳はしません。遅くなってしまい、申し訳ありません。

しかも長い間待たせた挙句、今回、凄まじいシリアス回でございます。タイトルを見れば大体想像つくと思いますが…。

この話の陸の行動に不快感を抱く方もいるかもしれません。ですが、温かい目で陸くんと仲間たちを見守っていただければと思います。

それでは、長々とした前書きはこの辺にして、本編をどうぞ。











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、予兆はあった気がする。初めて会ってから親しくなって、友達として付き合う様になって時が経つ毎に、ふとした時に表情に影が差すようになっていた。決定的だったのは、修学旅行直前に陸と一緒に行った旅館のバイト。思わぬ形で混浴する事になったあの時、明らかに陸の様子は今までとは少し違っていた。今まで感じた事のない刺すような雰囲気。まるで自分を拒絶しているようで戸惑ったのを覚えている。

 

それでも、ずっとこのまま一緒に…たとえ、自分が望むような関係にはなれなくとも、笑い合える関係がずっと続くのだと、そう疑わなかった。だって、考えた事もなかった。陸と会えなくなるなど、考えた事もなかったのだ。

 

だが、陸は違ったのかもしれない。いずれ来る別れの時を、ずっと覚悟していたのか。

 

「もう、お前らと会うつもりはないよ」

 

何故だろう。どうしても小咲は、その言葉をそのまま受け取る事が出来なかった。

一緒に一条家へと来た皆は、目を見開き、全員が戸惑いと驚きを表情に浮かべている。

だが小咲だけは、小さく唇を噛み締め、どこか悔しさを滲ませていた。

 

(どうして…)

 

「竜、どうせそこで聞いてんだろ?お客様のお帰りだ。玄関まで送ってやれ」

 

着物姿の陸は立ち上がると、そのまま部屋から退室していく。

そんな陸の後姿を見つめる小咲は─────

 

(どうして、そんなに悲しい顔をするの…?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん!お姉ちゃん!」

 

「っ…、春?どうしたの?」

 

「どうしたのって…、それはこっちの台詞だよお姉ちゃん。さっきからずっとぼうっとして」

 

「…ううん、何でもない」

 

陸の事で考え込んで、春に気が付かなかった…とは言わない。言ったら、春はまず呆れ、そして怒り出す事は解り切っているから。

 

「…どうせ陸先輩の事でも考えてたんでしょ」

 

「…うん」

 

それにまず第一、自分の考え事など、春には見通されているに決まっているから。これまで一度も、春に嘘を突き通せたことがない。いつの間にか、楽と千棘の交際がフリだった事もばれていたし…。本当に、どうしてばれたのかがさっぱり解らない事の一つだ。

 

「本当にあの人は…。少しはいい人だって見直したのに…、お姉ちゃんを悲しませて…!

 

「…」

 

やはり怒り出す春。最近…というより、陸が学校に来なくなり、その事について小咲が悩んでいる事を悟ってから、陸と会ってすぐの頃を彷彿とさせる荒れ様を春は見せるようになった。

 

「でも…。きっと何か事情があるんだよ」

 

「事情って…、それがお姉ちゃんを悲しませていい理由にはならないの!」

 

御尤も。全く言い返す言葉が見つからない。

 

「ともかく明日、一言言ってやらなきゃ!」

 

ふんすふんすと意気込む春。明日、小咲と春、他にもるりや集、千棘に鶫と万里花と、一条家に赴く事になっている。それでも果たして陸に会えるのかという話だが、それに関しては楽が解決している。いや、陸本人にアポイントをとっていないため解決したとは言い難いのだが、組の男から明日は陸に外出する予定はないという話を聞き出したという。今日の学校で楽がその話をし、ならば明日会いに行こう、という話になったのだ。

 

そしてその話は春に伝わり、春も一緒に行く、説教してやるという事で今に至る。

 

「ホントに陸先輩は…。大体あの人は────」

 

「…」

 

未だに陸に対する不満を口にする春を見て苦笑い。…春も本気で言葉通りの気持ちを抱いている訳ではないはずだ。いや、100%信用し切っているという訳でもないだろうが。明るく振る舞って自分を元気づけようとしている、そんな妹の心遣いに姉は気付いていた。

 

その方法が、思い人への悪口を言い並べる、というのは少々複雑ではあるが。

 

「…大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 

「春?」

 

「きっと話してくれるよ。今までずっと休んでた理由も、私たちと連絡を取ろうとしなかった理由も。…ていうか、全部吐かせようよ、ね?」

 

やや表情が優れないままだった小咲に、今度は優しい声音で話しかける春。と思ったら、優しい声音はそのままに、なかなか恐ろしい事を口にする春に再び苦笑い。

 

「だから負けちゃだめだよお姉ちゃん!お姉ちゃん優しいから、先輩が話したくないとか言い出したら分かった、とか答えそうで…。とことん追い詰めなきゃダメなんだからね!?」

 

「…」

 

何でそんな、彼氏の浮気で破局の危機を迎えてる彼女へのアドバイスみたいな台詞を言っているのか。まだ陸とはそんな関係では…いや、まだというのは飽くまでもその────

 

初めは春の可笑しな台詞へのツッコみだったのが、いつの間にやらどこの誰に向けてか解らない言い訳へシフトしていく内なる小咲。そしてそんな小咲に気付かず再び陸への不満を言い連ね始める春。

 

こんな小野寺姉妹のやり取りはひたすらループを繰り返し、夜遅くまで続いたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなこんなでやって来ました本日。さあ、一体どんな釈明が聞けるのか楽しみですね!」

 

「黙りなさい。そんなお茶らけた空気じゃないのは解ってるでしょ」

 

「いやそうだけど、あまりに深刻な空気なのもどうかと思ってね?…あれるりちゃん、どうして拳を振り上げてるのかな?もしかしてそのまま振り下ろす気jふぎゃっ!」

 

後ろの方で漫才している眼鏡コンビはいつもの事なので放って置くとして、現在小咲たちが立っているのは一条家の門の前。時刻は午後一時、集合時刻になったと同時、開いた大きな門の奥。家で小咲たちの到着を待っている楽以外の全員がこの場に集まっていた。

 

誰かがそう言った訳でもなく、誰かが先に歩き始めたという訳でもなく。後方で漫才をしていたるりと集の二人もすでに静まっている。小咲たちは門を潜り、一条家の敷地内へと足を踏み入れる。門を開けたと思われる二人の男が、両脇で頭を下げて道を歩く小咲たちを見送っている。

 

鍵は開いており、チャイムを押すことなく家の中へと入る事が出来た。

 

「…よう」

 

「楽…」

 

玄関で小咲たちを待っていたのは、この家に皆を集めた楽。全員が靴を脱ぐのを待ってから、廊下を歩き始めた楽についていく。長い廊下を何度か曲がっていくと、他の場所とは少し雰囲気が違う、陽の光が届きづらい、薄暗い廊下が小咲たちの目の前に現れる。その一番奥には、ここまで見てきた廊下の脇のものとは違う、大きく仰々しい障子。

 

楽の歩くペースが速まる。それを見て、小咲は直感する。あの障子の奥に、陸がいるのだ。

どくん、と一際強い胸の鼓動が高鳴り、その後も速いペースで鼓動が鳴り続ける。

何を話せば、千棘たちは思いっきり陸を問い質すつもりでいるようだが、あまり陸が嫌がる事を強要したくはない。かといって、陸の口からどうして自分たちの前から姿を消したのか、これまで何をしてきたのかを聞きたいという気持ちもある。

 

(ど、どうすれば…。あっ)

 

「おい陸!今すぐ色々と言ってやりたい事があるけどよ、とりあえず!」

 

小咲が葛藤している間にふと気付けば障子の前に辿り着き、そして楽が勢いよく障子を開けた。

バン!と障子が壁に当たる音が響く中、突然姿を現した楽、そしてその後ろに立つ大勢の友人たちを目にして、呆然と口を半開きにさせている陸に、楽はさらに一言続けた。

 

「皆を連れてきたぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は移り、少し広めの座敷の部屋に案内された小咲たちは人数分用意された座布団に腰を下ろしていた。ほとんど家具が置かれていない、部屋の中央に大きめのテーブルがあるだけの殺風景な部屋。ここは賓客がこの家を訪れた時に最初に案内される部屋、所謂客室だ。

 

そう、小咲たちが案内されたのは陸の部屋ではなく客室。その事実が、どうしようもなく今の自分と陸との距離の遠さを容赦なく突き付けてくる。室内に広がる静寂も相まって、小咲の気持ちを大きく沈ませる。

 

「…で?」

 

たくさん言いたい事はある。だが、いざ本人を目の前にしてその話題を口に出す事ができずにいた小咲たちに痺れを切らしたのか、陸が口を開いた。

 

「何しに来たんだよ。俺忙しいし、用ないなら戻りたいんだけど」

 

「っ、ちょ、ちょっと待て!」

 

テーブルに両手を突き、立ち上がろうとした陸を隣に座っていた楽が止める。

止める、が、そこから先を口にする事ができない。

 

何を言えばいいのか解らない。少し前まで、自分たちの近くで笑っていた陸と、今目の前にいる陸がまるで別人に見える。纏っている雰囲気がまるで違う。

 

「ねぇ、一条弟君。あなた、どうしてこんな事をしているの?」

 

何もできずにいた小咲たち。だが、それはたった一人を除いて、だったらしい。

 

「…こんな事、とは?」

 

「解らないの?学校に来なかったり、私たちの連絡を無視したり。あなた、急にどうしたの?」

 

陸の雰囲気に臆さず、小咲の隣に座るるりが陸に問いかけた。ここにいる誰もが一番知りたい、何故陸が自分たちの前から姿を消したのか、その原因を。

 

「…陸、お前が学校を休み始めた理由については、何となく想像できんだよ」

 

先程までとは打って変わり、黙り込んだ陸に次に言葉を掛けたのは楽だった。

 

「けどよ、何でなんも相談してくれねぇんだよ。そりゃ、お前が相談したくない気持ちだって解るけどよ…」

 

陸が楽を横目でちらりと一瞥する。と、ふと一つ、大きく息を吐く陸。

 

「別に、相談したい事なんて何もない。楽、お前少し勘違いしてるぞ」

 

テーブルに頬杖を突く体勢から、陸は体を後ろに倒して両手を座敷に突いて天井を仰ぐ。

そして、陸を見つめる皆の顔を見回し、再び口を開いた。

 

「今、俺は後悔している。さっさとお前らと縁を切っとくべきだったってな」

 

「なっ…!」

 

「陸!あんた、何を言って…!」

 

目を見開く楽、両手でテーブルを叩きながら声を荒げる千棘。

そして、視線を鋭くさせたるりが静かに問いかける。

 

「どういう意味かしら」

 

「そのままの意味だよ宮本。そのくらい解らないお前じゃないだろ?」

 

るりの問いかけに対し、どこか挑発気味に答えを返す陸。るりの視線が更に鋭くなる。

以前、まだ小咲たちと笑い合っていた時、何度かこれと同じ類のるりの視線を陸は受けた事がある。その時、実際陸がどう感じていたのか…、全く意に介していなかったのだろう。

るりの視線を受けながら、陸は更に挑発を返している。

 

「何の用かと思えば、そんな下らない事で呼んだのか?あまり俺の時間を減らしてくれるな」

 

「っ…!」

 

笑みを浮かべる陸に、顔を真っ赤にした千棘が立ち上がり、何も言う事なく拳を振るう。

 

「…久しぶりに会ったけど、短気なのは変わってないな。そんなんだから楽にゴリラやら猿女とか言われんだよ」

 

「こっ…の!」

 

何度も楽を吹っ飛ばして来た拳を、陸は片手で、それも利き手ではない左手で抑えてみせる。千棘が陸の手から拳を引き抜こうとするが、びくともしていない。

 

「はっ」

 

嘲笑を浮かべながら陸は軽く千棘の手を押した、ように小咲は見えた。が、千棘の体はあっさりと後方に倒れていく。

 

「千棘!?」

 

「お嬢!」

 

尻もちをつく千棘に、楽と鶫が駆け寄る。

 

「陸、てめぇ!」

 

「怒鳴る相手が違うだろ、楽。先に手を出したのはそいつだ」

 

「そういう話じゃねぇだろ!」

 

怒鳴り声を上げる楽に陸は見向きもしない。

 

部屋の空気が明らかに変わっていた。ここに案内されてすぐと、今。一時期、楽と千棘が仲違いしていた時と同じ空気。だが、今、流れる空気の方が比べ物にならないほど剣呑としている。

 

「…見損なったわ」

 

「…見損なってもらえるほど評価してもらってたのか。驚いたよ」

 

「っ…」

 

るりは座ったまま陸の顔を見上げ、言う。口を開いたるりを見下ろし、陸は全く変わらない挑発的な調子で返答する。

 

その際、るりの隣で座る、今まで一言も発していない小咲と目が合った。

 

陸の瞳が一瞬、揺れた気がした。

 

「陸様。…あなたはやはり、そちらを選ぶのですね」

 

「…」

 

陸と小咲の視線が交わる中、ふと、小咲と同じく無言のままだった万里花が口を開いた。

万里花の目は、陸を敵意に満ちた目で睨む千棘やるりと違い、陸を気遣う色があった。

そして、それは万里花の隣にいる集もまた、悲しげな眼で陸を見上げている。

 

そんな二人の視線には見返すことなく、陸は小咲たちに背を向けた。

 

思えば、予兆はあった気がする。初めて会ってから親しくなって、友達として付き合う様になって時が経つ毎に、ふとした時に表情に影が差すようになっていた。決定的だったのは、修学旅行直前に陸と一緒に行った旅館のバイト。思わぬ形で混浴する事になったあの時、明らかに陸の様子は今までとは少し違っていた。今まで感じた事のない刺すような雰囲気。まるで自分を拒絶しているようで戸惑ったのを覚えている。

 

それでも、ずっとこのまま一緒に…たとえ、自分が望むような関係にはなれなくとも、笑い合える関係がずっと続くのだと、そう疑わなかった。だって、考えた事もなかった。陸と会えなくなるなど、考えた事もなかったのだ。

 

だが、陸は違ったのかもしれない。いずれ来る別れの時を、ずっと覚悟していたのか。

 

「もう、お前らと会うつもりはないよ」

 

何故だろう。どうしても小咲は、その言葉をそのまま受け取る事が出来なかった。

一緒に一条家へと来た皆は、目を見開き、全員が戸惑いと驚きを表情に浮かべている。

だが小咲だけは、小さく唇を噛み締め、どこか悔しさを滲ませていた。

 

(どうして…)

 

「竜、どうせそこで聞いてんだろ?お客様のお帰りだ。玄関まで送ってやれ」

 

着物姿の陸は立ち上がると、そのまま部屋から退室していく。

そんな陸の後姿を見つめる小咲は─────

 

(どうして、そんなに悲しい顔をするの…?)

 

陸が今までずっと、心の内に抱いていた苦しみに初めて気付いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…坊ちゃん」

 

「…何も言うな」

 

戸惑い、驚愕、敵意に満ちた視線を背に浴びながら部屋を出た陸に、部屋の前に立っていた竜が声を掛ける。その言葉に、その気持ちに返事をする気力は今の陸になかった。

 

よろよろと揺れる体を何とか制し、執務室へと足を向ける。

だが、廊下の角を曲がり、竜の姿が見えなくなった所まで来ると、陸は腕を壁につけ、体を傾ける。

 

「…これでいい」

 

この一言の中に、どれだけ陸の苦しみが詰まっていただろう。

 

「これでいいんだ」

 

孤独の闇の中。陸の小さな呟きは、誰にも届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第88話 シンジツ

お久しぶりです。また一年という間が空いてしまい申し訳ありませんでした。
ニセコイの投稿待ってますという感想やメッセージ嬉しかったです。

これからは鬱展開に一段落つくまではこっち中心に投稿していきます。
ただ、それでも亀更新になる可能性大ですが…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何なのよ…。何なのよ、あいつッ!」

 

陸との再会、対話を終え部屋から追い出されてから十分ほど。楽達は解散せずに一同、楽の部屋に集まっていた。陸が、現在家にいる組の中での最高責任者が帰れと言った以上、その手下達はその言葉に従い、楽以外の面々を家から出す必要があるのだが、組の男達は楽の部屋に入る面々をただ見ているだけだった。さすがにあの陸の態度の変貌には少々思う所があるらしい。

 

そしてそれは楽達も同じだった。特に陸に突き飛ばされた千棘とるりは相当フラストレーションが溜まっているらしく、千棘は拳で皆で囲んでいるテーブルをどんどん叩き、そしてるりは尋常じゃない黒いオーラを噴き出している。

 

「最低ッ!マジ最低ッ!」

 

千棘に関しては怒りが臨界点を超えており、もう語彙力が大変な事になっている。というより、楽としてはいい加減テーブルを叩くのを止めてほしい所だ。見ろ、千棘の拳が叩き付けられている所に僅かに罅が奔っている。

 

「あいつ、私達が…小咲ちゃんがどんな思いでいたのか解ってない!」

 

「いえ。解ってたのよ。解ってた上であんな…」

 

「もっと屑じゃないのよ!」

 

もう言いたい放題だ。いや、楽としてもあの陸の態度、言動にはショックを受けたし言いたい事もある。

 

だが、陸があんな態度をとった理由の一部を背負っている以上、千棘とるりの言葉は少なからず楽の胸にも突き刺さっていた。

 

そう、楽は陸の変貌の訳を知っている。そして楽だけじゃなく、きっとあの三人も――――――――

 

「喧しいですわ。嘘のだとしても、恋人の気持ちに気付かず何故そこまで暴言を吐き続けられるのでしょう」

 

「はぁ?」

 

千棘の口から更なる陸への不満が吐き出されようとしたその時、万里花が口を開いた。千棘は視線を上げて苛立たし気に万里花を睨む。

 

「いきなり何よ。あんな風に言われたのよ?私の事はまだ良いわ。でも、あいつは小咲ちゃんの気持ちを踏み躙って…!」

 

「あら、桐崎さん。陸様のあの態度が、言葉が、本気で仰っていたものだと。あなたはそう言うのですか?」

 

万里花のその返しが千棘にとって意外だったのか、千棘は目を丸くして呆けている。そしてもう一人、るりもまた目を丸くして千棘を鋭く睨む万里花を見つめていた。

 

「桐崎さん、それに宮本さんも。思い出してください。これまでの陸様の顔を、声を、行動を。私達と一緒に笑って、私達と一緒に遊んで、時に私達を叱って」

 

高校に入ってから一年と約半年。陸と過ごした時を思い返す。陸といる時間は笑いが絶えず、でも時に誰かが仲違いした時は陸が橋渡しを試みてくれて、そして誰かがやり過ぎた時には叱ってくれた。

 

「…思い出しましたか?」

 

「…でも。じゃあ何で、陸はあんな事を…」

 

「簡単ですわ。そうしなければいけない理由が、陸様にはあったから」

 

「だから、その理由が解らないって…!」

 

「俺達のせいだよ」

 

万里花のはっきりしない答えに急かされたように、迫る千棘に今度は集が口を開いた。

千棘達の視線が今度は集に集まる。だが、その中の半分。楽、万里花、鶫は悲し気に目を伏せた。

 

「俺達と親しくなったから、陸はああしなくちゃならなくなったんだ」

 

「…意味解んない。私達と親しくなったからって、何言ってんのよ…」

 

部屋中に沈黙が流れる。千棘とるりが視線を巡らせて、他四人の表情を見回してから、千棘がまた疑問を投げかける。

 

「桐崎さん、忘れたのかい?陸がどういう奴なのか。この家にとって…、集英組にとってどういう立場にいるのか」

 

「…あ」

 

千棘の瞳が揺れる。唇を震わせ、ゆっくりとその顔が俯いていく。一方のるりはまだ集の言っている意味が理解できないようで、千棘の表情の変化に首を傾げている。

 

「宮本様。一条陸は集英組の若頭。いずれ、組を継がなくてはならない」

 

「あ…」

 

「やくざの世界というのは、皆様が思っている以上に過酷で、血生臭いものですから。きっと、一条陸は…」

 

集の代わりに鶫が説明し、今度はるりも察したらしい。陸が何故、あんな態度をとる必要があったのか。あんなに無理やりに、突然に自分達と縁を切らなければならなかったのか。

 

「親父が倒れたからな。多分あいつ、もう時間がないんだって思ってるんだと思う」

 

嫌な沈黙が流れる中で楽が口を開き、そして楽は小咲の方へ体を向けて不意に頭を下げた。

 

「悪い、小野寺、皆。俺がやくざとか、そういうの嫌がらずに向き合えてたら違った結果になってたかもしれない。…俺が陸を手伝えられれば一番だけど、逆に陸の迷惑になっちまう」

 

楽はこれまで組を継ぐ事を嫌がり、嫌な言い方をすれば全てを陸に押し付けていた。

家族なのに、兄弟なのに、陸一人に押し付けてしまった。

もし楽がそうした事から逃げず、陸と一緒にいたとしたら。今、陸が苦しい時に支えられたかもしれない。そうすれば、陸一人に負担が全ていかずに、陸にこんな事をさせずに済んだかもしれない。

 

そう思ったら、楽はどうしようもなく小咲に、皆に申し訳なくなってしょうがない。この事態を引き起こしたのは自分の不甲斐なさだ。陸に、小咲に、皆に悲しい思いをさせたのは自分だ。

 

(俺が…、俺のせいで…!)

 

「楽…」

 

悔し気に歪む楽の顔を見て、隣に座る千棘が楽の肩にそっと手を添える。

 

「…そっか」

 

この場に来てから。陸に部屋から追い出されてから、一言も言葉を発さなかった。この場にいる誰もが一番、彼女の心情を心配していた。

 

「小咲…」

 

るりが小咲の顔を覗き込む。

彼女の目から、一筋の雫が流れ落ちていた。

 

「陸君に嫌われた訳じゃなかったんだね」

 

小咲の口から出てきたのは安堵の言葉。先程の陸の言葉と態度が本気なものじゃないと確信した小咲の顔は笑っていた。

 

泣きながら笑っていたのだ。

 

「でも…、もう、会えないね」

 

「小咲」

 

「会っちゃ…ダメなんだね」

 

心優しい小咲は陸の思いを汲んでしまう。察してしまう。

自分達が嫌いではない事は本当だとしても、縁を切りたいという陸の言葉もまた本当なのだ。その言葉の真意がたとえ陸が言ったような思いから出たのではないのだとしても、もう、陸のためにも、関わる訳にはいかない。

 

「…小咲。アンタ、本当にそれでいいの?」

 

「…」

 

小咲の選択に堪らずるりが問うが小咲の意志は変わらなかった。小咲は涙を流しながら頷く。

 

小咲自身は嫌なはずなのに、陸の為に、好きな人の為に身を引く選択を下そうとしている。

 

「…やっぱりあいつ、一発ぶん殴らないと気が済まないわ」

 

「ええ。小咲を泣かした分、徹底的にね」

 

そしてそんな小咲の姿が、陸の真意を知って揺らいだ二人の心を改めて固めた。

 

「おいおい。さっきも言ったけど陸は…」

 

「ええ、解ってるわよ。でもこれは、女を泣かした最低な男に私達が勝手にムカついてるだけ」

 

もう二人は誤解していない。陸の本当の気持ちを、自分達を守るために遠ざけようとしたのだと解っている。だがただ一つだけ。その行いが、一人の女の子を泣かせた。その結果がどうしても、二人には許せなかった。

 

「…二人共」

 

「何よ、舞子君。言っておくけど、止めても…」

 

「俺も二人に協力するよ」

 

「むだ…は?」

 

怒りの炎に包まれる千棘とるりは、てっきり集は自分達を止めるのだろうと、そう思っていた。だが彼の口からは二人を止めようとする言葉は出てこない。というより、協力とは一体どういうつもりなのか。

 

「俺さ、前に約束したんだ。陸が後悔しそうな選択をしようとしたら、ケツを蹴飛ばしてやる、って」

 

「…っ、集。お前…」

 

何故、と聞きたげな二人に集は両腕を広げて演目ぶった仕草を取りながら言った。

その言葉は以前、集が失恋してしまった後、陸に言った言葉だった。

 

あの時楽は集が言った言葉の意味を解りかねていたが、もしかしたら集はその時からいずれこうなると予想していたのか。いずれ陸が、後悔する選択をするだろうと、解っていたのか。

 

「舞子君…」

 

「あら、舞子さんだけではありませんよ?私も協力致しますわ」

 

続いて協力に名乗り出たのは万里花。胸を張り、誇らしげに続ける。

 

「いずれ私は楽様と夫婦になる。そうなれば陸様は私の義弟という事になりますわ。夫の家族を救うのもまた、妻の役目ですもの」

 

「は…ハァッ!?あんたこんな時に何言ってんのよ!」

 

万里花の宣言に千棘が顔を赤くして憤慨し、言い争いに発展。ギャーギャーと騒ぐ二人を置いて、今度は鶫が胸に手を当てて口を開いた。

 

「私も勿論協力させてもらいます。お嬢をお守りするのが私の役目…。それに、小野寺様を泣かせた一条陸が許せないのは、私も同じですから」

 

「鶫ちゃん…」

 

楽はこの場にいる全員の姿を見回す。つい先程まで沈んでいた空気が今ではすっかり晴れていた。だが、足りないのだ。一人足りない。もう一人いないと、やはり駄目だ。

 

「小野寺」

 

「一条君…?」

 

楽が呼ぶと、小咲はゆっくりと振り向いた。目の周りが赤くなりながら、未だ涙が止まらない小咲に、楽は笑いながら続ける。

 

「俺さ、また小野寺と一緒にいる時のあいつの顔、見てぇわ」

 

「っ…」

 

楽は思う。今まで十七年間陸と一緒にいたが、陸が一番良い笑顔を浮かべる時は、隣に小咲がいる時だった。自分や親父、馴染みの組の男達と一緒に騒いでいても、あんな笑顔を浮かべた事はなかった。

 

また、あの顔を見たい。そして笑い合う陸と小咲を見ながら、ここにいる皆でまた笑うのだ。

 

「小咲」

 

再びるりが小咲に呼びかけた時には千棘と万里花の言い争いも収まっており、皆の視線が小咲に集まる。小咲はたじろぎながらるりの視線と交わして、次の言葉を待つ。

 

「小咲はどうしたいの?」

 

「私は…、もう…」

 

「どうするつもりなのかを聞いてるんじゃないの。()()()()()()()を私は聞いてるの」

 

「っ…」

 

小咲の息が詰まる。胸の奥を覗かれているようで…いや、もう目の前の親友には見透かされている。るりだけじゃない。きっと、この場にいる皆に。小咲がどうしたいのか、もう悟られている。

 

「…嫌だよ」

 

「小咲」

 

「…嫌だよ。これでお別れなんて嫌だよ。また陸君に会いたい!」

 

堰が決壊し、ゆっくりと流れていた涙の勢いが増す。ぽろぽろと目から流れ落ちた涙が下へと落ち、畳を濡らす。

 

「ダメだって解ってる!私の自分勝手だって解ってる!でも…、だけど…!もっと陸君と一緒に居たいよぉ…っ!」

 

「小咲っ」

 

泣き叫ぶ小咲の頭をるりが胸に抱える。小咲もるりの胸に縋りながら更に泣き続けた。

 

「…決まりだな」

 

「あぁ。よっしゃ!今からもっかい陸んとこに乗り込むぞ!」

 

全員の心が一つになり、立ち上がろうとする。誰もが陸をこちら側に連れ戻す。

その思いで再び、陸の元へと向かおうとした。

 

だが、この場にいる誰も解っていなかった。

この事態はそんな簡単な話ではないのだと。

 

「悪いけど、アンタ等を行かせる訳にはいかないのよ」

 

「っ、皆下がって!」

 

突然聞こえて来た第三者の声。楽達のものじゃない。楽達の前にすぐさま出たのは鶫だった。楽達を背後に置き、部屋の窓の傍らに立つ小さな人影と対峙する。

 

そう、そこに立っていたのは一見子供と見紛うほどの小さな少女だった。だが、この中で鶫だけは知っていた。その見た目とは裏腹に、この少女は只モノではないという事を。

 

「夜さん…?」

 

呆然と名を口にする楽を、夜は何も答えずただ見ているだけ。

睨み合いが続く中、ふと背後から部屋の障子が開く音がした。楽達はその音で振り返り、鶫も体は夜の方へ向けたまま視線だけ背後に向ける。

 

「…羽姉」

 

障子を開け、部屋に入って来たのは今まで見た事がない、真剣な表情をした羽だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




久しぶり過ぎて原作キャラの口調とか、それすら不安という…。
そして今回は陸君出てこなかったけど、今の私は陸というキャラをちゃんと描写できるのか…。

まあそんな事よりも今回の話、陸君をぶっ飛ばしたいという欲求に駆られながら書きました。あのヘタレはどうしようもないあぁマジ糞ヘタレ…。

さっさと鬱展開終わらせてまた陸と小咲のいちゃいちゃ書きたいなぁ~…。

まあ、まだしばらくできそうにないんですけどねぇー…。(´;ω;`)

余談
ちなみにこの話は23時51分に投稿されるように予約したのですが、2351(ニセコイ)…。無理がありますね、はい、すみません。


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第89話 テキタイ

この話を読む前に第45話にある小咲と一征の会話をさらっとでも見直す事をお勧めします。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽の部屋の中に一歩、二歩と入って来る羽。羽は楽達からいつも一緒に話す時よりも少し離れた所に立ち止まると、その直後に夜が一瞬で羽の傍らに移動する。楽達は勿論、対峙していた鶫にすら気付けない速度で、だ。

 

いつもより少し離れた距離。その距離が、今の楽達をどうしようもなく不安にさせた。

いつから部屋の前にいたのだろうか。もしかして、今の話を聞いていたのだろうか。

だとしたら何故、羽はこちらの傍に来ないのか。これじゃあまるで―――――――――

 

「…楽ちゃん達は、やっぱりそうするんだね」

 

「羽姉…」

 

悲し気な羽の呟きに、やはり先程までの話を聞かれていたのだと楽達は悟る。しかしだとしたら何故、今まで黙って話を聞くだけだったのか。何故、今の段階で、楽達の妨げになるようなタイミングでこの場に現れたのか。

 

「何でだよ…」

 

いや、その疑問の答えはもう楽達の中で出ていた。

両拳を握って、楽は羽を睨みながら声を上げる。

 

「何でだよ、姉ちゃん!何で()()()()()立ってんだよ!」

 

「…」

 

楽の叫びに羽は何も答えない。ただ悲し気に、唇を噛み締めながら楽達を見つめるだけだった。その羽の代わりに夜が一歩、羽の前に出て口を開く。

 

「これが首領(ドン)の意志だからね」

 

「意志…?」

 

「そう。今、首領は叉焼会にとって…自分にとっても大きな選択をした。その選択を後押しするためにも、お前達をディアナに会わせる訳にはいかない」

 

羽の意志。羽にとって大きな選択。そんな事を言われても、楽には何の事だかさっぱり解らなかった。理解するには全く言葉が足りない。ただそれは楽にとって、だ。ある人にとってはその言葉だけで、羽の意志がどういうものなのか理解するに足りたらしい。

 

「あなた…、まさか…」

 

「軽蔑する?…するよね。でも、もうそれしか方法はないから。陸ちゃんに見てもらうには、これしかないから」

 

唖然と目を見開き、信じられない様に羽に視線を向けるのは万里花だ。その視線に受けて立つ様に羽も視線を交え、今まで聞いた事もない冷たい声で万里花に言葉を言い放つ。

 

その言葉を聞いた万里花は未だ呆然としたままだったが――――――――

 

「でも、万里花ちゃんなら私の気持ち、解るよね」

 

「っ」

 

羽がそう言った途端、見開いた目が鋭く細まり、瞳に怒りを宿して羽を睨みつけた。

 

「ふざけないでください。確かにあなたの気持ちを察する事は出来ました。ですが、まるで私があなたと同類の様な、その言い草は気に入りませんわね」

 

これまた今まで聞いた事がない、怒りに満ちた万里花の声だった。万里花と羽は決してぶれる事なく視線を交わし続けながら更に言葉を交わす。

 

「そうかな?あなたも私と同じでしょう?思い人に見てもらえない」

 

「えぇ。確かにそこは同じですわね。まだ私の想いは楽様に受け取ってもらえていない。ですけど…、うちとアンタを一緒にせんでもらいたか」

 

羽の言に言い返す内、万里花の優雅な言葉遣いが次第に崩れていく。そしてその毎に、万里花の声が更に怒りに満たされていく。

 

「うちはアンタみたいに諦めたりせんばい!自分の魅力で相手を振り向かせる事を諦めたアンタとうちを、一緒にすんなぁっっっっ!!!」

 

万里花の怒声に空気が固まる。ある者は意外そうに目を丸くし、ある者は悲し気に万里花を見つめ、またある者は全く怯まず表情を変えず、ただ今の様子を眺めるだけ。

 

顔を赤くして、これでもかと目を吊り上げて、怒声を上げた万里花はしばらくの間切れた息を整えてから、すっと元の優雅な雰囲気に戻る。そして万里花に怒鳴られた羽は俯き、前髪で目が見えなくなってしまった。ただ、影に覆われ微かにしか見えない唇が小さく、笑みの形を浮かべたのは気のせいだろうか。

 

「…そう、だね。確かに、私とあなたを一緒にするのはあなたにとって失礼だわ。ごめんなさい」

 

「謝られても困りますわ。むしろ私こそ、あんなはしたない声をあなたに浴びせてしまい、申し訳ありませんでした。ですが…、今はそんな事、どうでもいいのです」

 

口調に優しさが戻り、目もいつもの慈愛が戻り始めた万里花だったがすぐに、再び目を吊り上げて羽を睨む。

 

「あなたはそちら側。私達の敵。そう解釈してよろしいのですね?」

 

「…うん、そう。私は今、万里花ちゃんの…楽ちゃん達の敵」

 

「姉ちゃん!」

 

結局未だ、万里花と羽が交わした言葉の真意を計り兼ねている楽。ただ一つ、それでも解る事がある。羽は自分達のしようとしている事を…、陸を救う事を良しと思っていない。

 

「ごめんね、楽ちゃん。でも…、私は想いを捨てきれない。他の人を見てるって解ってても、私は…」

 

悲し気に楽に視線を向けていた羽だったが、不意にその視線は別の場所に向けられる。

羽に視線を向けられた誰かはぴくりと体を震わせ、不安げに羽と視線をぶつけながら次の言葉を待つ。

 

「私は、陸ちゃんの事が好きだから」

 

それは宣戦布告だった。

 

羽は知っている。この中で誰が一番、陸の近くに居たいと思っているのか。

羽は知っている。この中で誰が一番、陸の事を想っているのか。

羽は知っている。この中で誰が一番、陸の思慕を受けているのか。

 

「私が陸ちゃんを支える」

 

胸元で両手を握り締めながら、小咲は力強く言い放つ羽をただ見ている事しかできない。

その言葉を最後に、去っていく二人の背中を見ている事しかできない。

 

ぴしゃりと障子が締まる音が、静まり返った部屋の中で響き渡る。

立ち上がり、陸を連れ戻してやろうと沸き上がった明るい気持ちはあっという間に冷え切ってしまった。

 

「姉ちゃん…、本気で…」

 

楽が呆然と、悲し気に呟きを漏らす。羽と夜が通り抜けた障子を見つめたまま、両拳を固く握りしめる。

 

「何となく陸が好きなんだなとは思ってたけど…、だからこそ、俺達に味方してくれると思ってたんだけどな…」

 

後頭部を掻きながら集も口を開く。

そう。この中で察しの良い者、集やるり、そして先程の言い合いから恐らく万里花も羽が胸に秘めていた想いに気付いていた。だからこそ、陸を連れ戻す事に味方してくれると集は思っていたのだ。

 

だが、実際は違った。

 

「いいえ、舞子さん。確かに彼女は陸様を好きなのでしょうが…、あなたが思っている程、綺麗な想いではなかったようですよ」

 

「え?」

 

集だけではない。この場にいる誰もが、万里花の口から出て来た言葉の意味を読み取れなかった。万里花は右手で左腕を握りながら、険しい表情で続ける。

 

「えぇ、彼女の想いは本物です。とても強く、陸様を想っている。だからこそ…、彼女は今の状況を好ましく思っているのでしょう」

 

「…どういう事だよ、橘」

 

「…飽くまでこれは私の勝手な予想です。ですが…、先程の彼女の言葉で私は間違っていないと確信しました」

 

万里花の表情は変わらず険しいまま。その万里花らしくない表情が、更に楽達の不安を加速させる。

 

その中で万里花はゆっくりと、自分が勝手に立てた予想を…。先程の会話で強く間違っていないと確信した予想を口にする。

 

「彼女はこの状況を利用して、陸様の妻になろうとしているのでしょう」

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

「そうかい。ったく、俺がいない間に好き勝手しやがって」

 

病院のベッドの横の窓から見える空を見上げながら、その男は溜め息混じりに言った。

どうやら息子は息子なりに精一杯、組を守ろうとしているようだが…、そのやり方は親であるその男にとって納得し難いものだった。

 

そして何より、息子が追い込まれているこのタイミングを、自分が息子の傍にいられないこのタイミングを利用するように、自分に黙って息子に取り入ろうとする奴らも気に入らない。どうせならしばらくの間、組は息子に任せて自分は休んでいようとちょっとしたサボリ心が擽られていたのだが…、そんな暇はない様だ。

 

「おい竜。陸や叉焼の奴らには悟られてないだろうな」

 

「へい。尾行の気配はありやせんで、坊ちゃんも全く気付いた様子は」

 

「…はぁ~。こっちにとっちゃ都合が良いとはいえ、全く気付いてねぇか。それもまた情けねぇというか何というか…、複雑さな」

 

男…、陸の父親であり、集英組組長でもある一条一征は掌で額を覆い、大きく息を吐いた。その呼吸の中には安堵、落胆、まさに一征の言葉通り複雑な感情が込められていた。

 

「とはいえ、まあ仕方ねぇわな。あいつもまだまだ若造。自分(てめぇ)の事で精一杯、か」

 

「…おやっさんが入院されてから、あまり寝てないようで」

 

「かーーーっ、青いねぇ!自分をすり減らしてでも組を、皆を守るってか!」

 

掌で顔を覆ったまま天を仰いだ一征は豪快に笑い声を飛ばす。かと思えば不意に笑い声は止み、直後―――――――

 

「だが、そんなのは餓鬼がする事じゃねぇよなぁ。竜」

 

「…へい」

 

視線を下ろし、ベッドの傍らに片膝を突く竜を見下ろす一征。そんな一征の言葉に悲痛な声で短い返事を返しながら、竜は小さく頷いた。竜が頷いたのを見てから、一征は再び窓の外に広がる青空を見上げる。

 

「まだ早ぇんだよ、陸。それはまだ…、(おれ)の役目なんだよ」

 

悲しげに呟きながら、一征は思いを馳せる。

 

昔から一度教わった事を全て熟せる、そんな子だった。

まるでスポンジが水を吸収するかの如く、剣術も、体術も、銃の使い方も、組長としての退屈な事務仕事も、陸は一度教えただけで習得した。一征が身につけるために何度も何度も練習し、教わった事を陸は一度で理解し、習得したのだ。

 

陸はある種の天才だった。現代の時代ではほとんど必要がない、武の天才であり、現代の時代でも大きく活用できる智の天才。どちらも、一征には備わらなかった大きな才能。だからこそ、一征は陸に全てを叩き込んだ。この子はどこまで往けるのか。いずれ自分を超え、その先に足を踏み込み、やがてどこへ辿り着くのか。そんな好奇心に一征は年柄もなく駆られてしまったのだ。

 

だが、すぐに一征は後悔する事となる。

 

陸が六歳になって少し経った時だった。一征は仕事で海外に行く事になり、数人の組員と陸を連れていった。別段、危険な仕事ではなくただ交流のあるグループとの商談があった。荒事になる可能性は低く、陸を連れて行ったのも早い内に慣れさせてやろうというちょっとした出来心だった。ただ、世の中はいつでも危険と隣り合わせである。裏の世界とは全く関わりがない表の世界でもそう言われているのだ。裏の世界に踏み込んでいる一征達の傍らに存在する危険の重さは計り知れない。

 

突然現れたのは、商談の相手のグループとは敵対している組織だった。どこからか一征達が来るという情報を掴み、待ち伏せしていた。とはいえ武闘派として鳴らしていた集英組、その選りすぐりの面子にとっては戦いにすらならない程度の相手だった。それに、こうした突然の襲撃も決して多くはないが別に珍しいものでもない。裏の世界では有名な集英組の存在を嫌う組織は多くある。だからこそ一征達はいつも通りに対応し、いつも通りに対処した。

 

だが、この時一征達はつい失念してしまっていた。自分達にとっては何の問題もない出来事でも、初めて来た、それも小さな子供にとってはそうではない。大きな脅威であるという事を。

 

すぐさま一征達は振り返る。最悪の光景を想像しながらも、無事でいてほしいと願いながら。

 

結果だけ云えば、一征達の最悪の想像からは掛け離れていた。陸は無事だったし、むしろ陸は襲い掛かった敵を返り討ちにしていた。これまで一征が陸に課してきた教育が生き、そのおかげで陸は生き延びた。一征にとって喜ぶべき成果といえる。

 

しかしそれでも、一征は心の底からその結果を喜ぶ事などできなかった。

 

一征達が見たのは右手に血で濡れた刀を握り、足元に倒れる襲撃者を無感情に見下ろす陸の姿だった。陸に返り討ちにされた襲撃者の身体からは大量の血が流れ、流れた血は血溜まりとなって陸の靴を赤く濡らしていた。

 

―――――――誰だ

 

普通の人間ならば口を覆い、湧き上がる嘔吐感に耐えながら逃げ出していただろう。もしくは、耐え切れずにその場で吐瀉するか。だが陸は、まだ子供の陸はそのどちらでもなく、ただ無感情に死体を見下ろすだけ。

 

―――――――誰だ

 

言葉が出なかった。確かに普段から感情に乏しい子供だった。ただその瞳は雄弁に意志を語った。時には肯定を、時には否定を、時には悲嘆を、時には喜楽を、時には憤怒を。陸とずっと一緒だった家族も、組員の男達も、今は外国で暮らしている母も、陸の顔から感情を読み取る事が出来た。

 

だが今、一征達は陸から何の感情も読み取る事が出来ない。陸が何を思っているのか、何を考えているのか、何を感じているのかが解らない。

 

―――――――誰だ

 

子供がするべきじゃない。してはいけない顔だ。

ようやく、一征は自分がしてしまった事の重大さを悟った。

 

―――――――こいつをこんな風にしちまったのは

 

確かに陸には才能があった。自分が教えた事を全て吸収し、実行できる力があった。

だから何だ。まだ陸は子供じゃないか。例えできる能力があったとして、それに伴う代償にどうして、今まで気付く事が出来なかったのだろう。ただの子供に、この小さな体に、弱い心に、自分は何をした。

 

あぁ、そうだ。

 

―――――――陸を壊したのは

 

「おやっさんっ」

 

「っ…」

 

竜の呼び声で我に返る。呆然としたままの一征を見て、心配になったのだろう。

こうして陸の過去を思い返し、後悔の渦に呑み込まれるのは何度目か。その度に竜や部下に我を呼び起こされる。今になって後悔しても遅いのだが、何時になっても後悔を止める事は出来ない。きっと、一生罪に苛まれ続けるのだろうと一征は半ば諦めている。そしてそれが、自分への罰だとも考えている。

 

「とにかく、陸や叉焼の奴らには悟られるなよ。…きつい役目を背負わせちまうが」

 

「坊ちゃんのためでさぁ。…これが少しでも、坊ちゃんに対する償いになるんなら…いや、そうでなくとも、あっしらは坊ちゃん達の為に命張ります」

 

過去に囚われているのは一征だけではない。当時から組にいた者達は皆、同じ様に過去の過ちを悔いている。その中でも更に古参、集英組が立ち上がった当初から一征の右腕として働き続ける竜の当時の塞ぎようは周りの者にも影響を及ぼしていたのを一征は未だに覚えている。

 

「…楽達は今頃、何してるだろうなぁ」

 

ふと、そんな事が一征の口から零れた。

 

陸が笑顔を見せる様になったのは何時からだっただろうか。あの事件から一征は陸から武器を遠ざけた。裏に関わる事から遠ざけた。子の心を壊していた事に気付く事さえできなかった自分にそんな資格があるのかどうか解らなかったが、何とか陸の心を癒してやろうと努力した。

 

寝る間を惜しんで陸との時間を作った。陸とばかりズルいと言われてからは楽との時間も作った。この時ようやく、一征は親の難しさを実感した。そして同時に、今までこの二人に親として、ほとんど何もしてやれてなかった事を痛感した。

 

そうして時間は過ぎ、陸が笑顔を取り戻す小さな、それでいて大きな切欠は意外と早く待っていた。

 

「あの嬢ちゃん…、まだ陸を見捨ててねぇかなぁ」

 

小さな少女は陸の前に現れ、時に全く相手にされない事に泣きそうになりながらも陸の手を握り続けた。あの時、少女の心に()()()がいたとしても、陸と最後まで向き合い続けたのは、家族以外にはあの少女しかいなかった。

 

だが一征の仕事が終わるまでという短い邂逅はあっという間に終わり、それ以降も二人を会わせる事は出来なかった。それが四年前、陸と楽の中学の運動会に出向いたあの日、グラウンドで成長した少女の姿を見た時は思わず大声を出しそうになった。こんな偶然があっていいのか、と驚きに満ちた。そしていつの間にやら二人は友人として付き合うようになり、去年は天候のせいとはいえ互いの家で一晩明かすほどの仲になり、今は――――――

 

「坊ちゃん達も頑張ってやす。…おやっさんが言ってた嬢ちゃんも、一緒に」

 

「…そうか。…そうかぁ」

 

楽も、陸の友人達も、あの少女も諦めないでくれている。ならば、自分も役目を果たそう。

 

一人の親として。そして組を預かる一人の男としても。

 

一征は感慨深そうに崩していた表情を一瞬にして引き締め、前を見据えた。

 

「陸よぉ…。まだてめぇに、明け渡す気はねぇぞ?」

 

誰も素知らぬ所で、陸を支えようと奔走する者達が皆の前に現れるのは後少しだけ先の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




突如始まる重い回想。もう少し明るくならんのかとも思いましたが、この小説最大のクライマックスになるかもしれないのでとことんやってしまえと書き上げました。
書くこちら側も気が滅入りそうな話はもう少し…もう少し続くんじゃぁ…。


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第90話 カリソメ

話がほとんど進まない。進めたいのに進まない。助けて。_(:3 」∠)_








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと全身の感覚が巡り、目を覚ます。瞼を開ければカーテンの隙間から漏れる太陽の光が視界に入る。首を回し、枕元に置いてあった目覚まし時計にはセットしてあった時刻よりも早い時間が。設定を元に戻してから再び目覚まし時計を置き、両腕を上げて大きく体を伸ばす。

 

一気に脱力し、立ち上がって鏡を見ながら乱れた髪を整える。…酷い顔だ。

別に肌が荒れてるとか、目の下に隈があるとかそういう事じゃない。ただ、鏡に映る自分の顔を見てどうしようもなく嫌悪感が湧いた。

 

でも、どうしようもなかった。衝動を堪える事が出来なかった。しょうがないじゃないか。ああするしかなかったのだから。どうしても隣にいたかった。あの人の隣に自分以外の誰かがいるのが我慢できなかった。

 

これが自分の顔だ。いつでも誰にでも笑顔を振り撒き、その裏で黒い感情を胸に秘め、そして欲望に任せて皆を裏切った女の顔だ。

 

きっと皆、自分を許せないでいるだろう。それでも止まれない。踏み出した足を戻す事はもうできない。とっくに後戻りできる段階は越えている。こちらの準備は出来ているし、まだ向こうの返事は貰ってないものの選択肢はあって無いようなものだ。向こうができる返答はYES、それのみ。もし断れば…、今のあの人達には先はない。

 

あぁ、こんなはずじゃなかったのに。正々堂々勝負して、自分の魅力で振り向かせる、そのつもりだったのに。昨日、万里花に言われた言葉が突き刺さる。今が初めてじゃない。昨日からずっと、思い出す度に胸が切り刻まれるような、それ程までにあの言葉は効いた。

 

「一緒にするな…かぁ…。ホントだよね。私は…、私なんか…」

 

胸元をぐっ、と握り締めながら「私なんか」と繰り返す。

本当にどうしてこうなってしまったのだろう。あの時、夜に唆されたから?違う。あの人が違う人を見てる事に気付いたから?違う。それだけなら、夜を振り払って努力していたはずだ。あの人が違う人を見ていても関係なく、少しでも自分を見てもらえるよう努力していたはずだ。

 

なら、何故。

もう無理だ。勝てない、と諦めてしまったからだ。万里花の言う通りだ。何も間違っていない。全部正しい。だからこそ、深く深く、あの言葉が胸に刺さっている。

 

『うちはアンタみたいに諦めたりせんばい!自分の魅力で相手を振り向かせる事を諦めたアンタとうちを、一緒にすんなぁっっっっ!!!』

 

何度も何度も、思い出す度に胸に言葉という杭が突き刺さる。関係ない、もう自分のやる事は決まってる。そう言い聞かせても、言葉は自分を追い詰めてくる。振り払っても振り払っても、纏わりついてくる。

 

「でも、無理だもん…。真っ向からじゃ…、絶対に勝てない…。だから…っ」

 

そう、勝てる筈がないのだ。正々堂々ぶつかっても、勝てない。だって、あの人が見た子は、敵である自分から見ても眩しいと思えてしまうほどの人だったから。だから――――――

 

「こうするしか、ないの」

 

堂々巡り。こうするしかないと言い聞かせ、それでも汚い自分への嫌悪が纏わりつき、そしてまたこうするしかないと言い聞かせる。出口のないループに囚われながらも、奏倉羽は進むしかない。進むしか、このループから抜け出す事は出来ないのだから。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇ ◆

 

 

 

 

 

 

どれだけ気が乗らなくとも、どれだけ心が暗くとも、行かなくてはならない。それが学校である。高等学校は義務教育ではないし、たとえ義務教育でも一日程度休む事くらいどうという事でもないのだが、ズル休みというのは周りの心象を悪くするし、何よりその一日の休みが勉学の遅れを大きくする。真っ当な大学へ行って、真っ当な会社へ入り、真っ当な暮らしをするという明確な将来の目標がある楽にとってはその遅れはなるべくしたくないものである。

 

それに、気は乗らないし気分は暗いし、学校など正直行きたくはないが、家にいるだけというのも気が滅入る。そしてそれは、きっと他の者達も同じだったのだろう。楽が教室に入った時には、いつものメンバーが揃っていた。教室に入ってくる楽を見ると、一人を除いて皆が笑顔で手を振って来る。

 

「おはよう、ダーリン」

 

「あぁ。おはよう、ハニー」

 

修学旅行前に行った席替えで隣の席になった千棘と挨拶を交わしながら、鞄を机横に掛け、中から教材を取り出して机の中に移す。机に頬杖を突き、視線だけを楽に向ける千棘。別段いつもと変わらない姿だが、先程の挨拶、いつもより声の調子が暗かった事を楽は逃さず感じ取っていた。

 

「おはようございます楽様ぁ!本日もお元気…のはずがありませんよね」

 

「橘…」

 

そして楽が机に着くのを待ってから飛び付いてくる万里花というのもまたいつも通りの日常なのだが…、今日の万里花は楽の一歩前で立ち止まり、気遣わし気に楽の顔を覗き込むに止まった。

 

千棘と万里花だけではない。いつもなら千棘と話していると必ず傍に寄って来る鶫は席に着いてこちらの様子を見ているだけ。こういった合間の時間はいつも二人一緒にいる小咲とるりはそれぞれの自分の席に着いたまま。集こそいつもと変わらない様子に見えるが、どこか明るく装っている風なのは楽には解っていた。

 

皆、昨日の事が尾を引いている。そして一番昨日の事で傷ついているのは、きっと――――――

 

(…小野寺)

 

一番窓際の席で空を見上げている小咲。教室に入った時も、小咲だけが楽に気付かなかった。

昨日の事を考えているのだろう。陸の言葉を――――――そして、羽の言葉を。

 

(結婚、か。陸と羽姉が…。でも、それにしても…)

 

昨日のあの後、結局陸に会いには行けずに解散する事となった楽達。それに後で竜に聞いたが、楽達と話した後陸は急な仕事で外に出たという。羽と夜に足止めされようがなかろうが、どの道陸には会えなかったのだ。

 

しかしここで一つ、楽の中で疑問が残った。何故、羽と夜が楽達をあそこで足止めしたのかだ。二度目になるが、竜曰くあの後すぐ陸は家を出たという。つまりこれまた二度目になるが、陸がどこにいるか解らない以上、結局は楽達はあの時、陸に会う事は出来なかった。ならば、足止めする必要はどこにあるのだろうか。

 

(…いや、違う。あったんだ。あの二人にとっては)

 

思考が廻る楽の頭の中で一つ、ある可能性が過った。

 

(そうだ、これなら辻褄が合う。()()()()()()()()()()()。陸がもう家にいなかった事を。でも、何で…)

 

あの時二人はもうとっくに陸が家にいなかった事を知らなかった。だから、楽達を陸に会わせまいとした。ならば今度はもう一つ疑問が浮かぶ。何故、羽と夜がその事を知らなかったのかだ。婚約者の動向を全く知らないなんて事――――――

 

(あ…。まだ、違う?)

 

ここで楽は思い出す。もうとっくに陸と羽の結婚が決まったものだとばかり思ってしまっていた。だが、()()()()()()()()()()()()()じゃないか。羽も夜もそれっぽい事は口にしたが、どちらも陸と羽が結婚する事が決まったとは言ってない。

 

二人のあの態度から察するに、恐らく申し込んだのは羽側からだ。そして、まだ陸から了承を得ていない。だとすればまだ希望はある。陸を説得して、羽達の提案を断れば…。

 

(でも…、どうやって?)

 

希望が湧いたと気持ちが明るくなった楽の胸の中で再び闇が広がり始める。

きっと陸は自分達と出くわさない様に色々と考え、立ち回っているだろう。その心根がどうあれ、こうと決めたら頑なに揺らがない性格なのだから。その上、家にいる夜もまた自分達と陸を会わせまいと動いている。

 

陸を説得するどころか、陸と会う事すら難しいというのが現状だ。それにたとえ陸と会えたとしても…、どうやって説得すればいいのか。陸の心を動かす事が出来る言葉は何なのか。

 

(…だぁぁぁぁあ!何でこんな事になってんだよ!最近まで…、つい一週間前まで、何もなかったのに)

 

「楽…?」

 

「楽様…?」

 

頭を抱えて悶える楽を、千棘と万里花が首を傾げながら見つめる。そんな二人の視線は全く気にならず、楽はただただ自身の思考の渦にのめり込んでいく。

 

(くっそ!大体陸も陸だ!俺達の為に俺達と距離を置くとか、そんな事望んでると思ってんのかあいつ!)

 

そして深くのめり込んでいく毎に、楽の中で沸々と怒りが湧き上がる、

 

(あぁぁぁぁぁぁぁあ!苛々してきた!もう知らん!説得とか知らん!絶対にあいつを引きずり出してやる!そんでぶん殴る!百発くらいぶん殴ってやる!)

 

「ら、楽…?」

 

「ら、楽様…?」

 

ピタリ、と動きを止めたと思えば今度は両手で拳を握り、ダカダカダカダカと机を叩き始めた楽に困惑の色を隠せない千棘と万里花。楽の情緒不安定ぶりはあの万里花ですら戸惑わせるものだった様だ。

 

(俺の分、千棘の分、橘の分、鶫に宮本に集の分で一発ずつ。そんで小野寺の分で計百六発殴ってやる!)

 

小咲の分は百発分らしい。

当然の事ではあるが。

むしろ百発では足りないまである。

 

心の中でシャドーボクシングする楽の目は、戦士の瞳をしていた。

 

「楽…。アンタ、ホントにどうしたの…?」

 

「楽様…。何故突然、シャドーボクシングを始めるのですか…?」

 

訂正

無意識のうちに現実でも楽の拳は唸っていた。

 

 

 

 

 

 

「…悪い、心配かけた。落ち着いた」

 

朝のHR中、ちらちらと心配げに楽に視線を向けていた千棘と万里花に謝罪する楽。

今はすでにHRは終わり、一時間目の授業までの休み時間に入っていた。

 

楽の隣の席の千棘、朝、楽と千棘と話した万里花。朝は楽の席に集まらなかった鶫、小咲、るり、集と今はいつもの面子が集まっていた。

 

「?何だ楽。お前、桐崎さんと橘さんに何かしたのか?」

 

「い、いや。何かしたって訳じゃないけど…、ちょっと二人の前で情緒不安定になったというか、精神に異常を来したというか…」

 

朝の三人のやり取りを知らない集達は楽のはっきりしない物言いに首を傾げる。

 

「…ま、どうせ一条君が可笑しな事して二人を困らせたんでしょ」

 

「どうせって…、いや事実なんだけどさ…」

 

るりの中の楽評を今すぐ問い質したくなった。何とかその衝動は抑え込むが。

 

「なーんだ、やっぱ楽が何かしたんじゃん」

 

「いや、二人に何かしたわけじゃな…おい、やっぱって何だ。いつも思ってたけど集、それに宮本も、お前らの中の俺はどうなってんだ」

 

訂正

衝動は抑えられなかったようだ。

 

「え?いやぁ~、そのぉ~…」

 

「屑、変態、ハーレム野郎」

 

「待て待て待て待て!何だそれ…いや最後のマジで何!?」

 

楽の問いかけに、集は虚空を見上げながら何か言いたげに言い淀み、一方のるりは何の抵抗もなくあっさりと楽に対して言葉のナイフ…いや、言葉のビームサーベルを突き立てまくる。

 

「る、るりちゃん!」

 

「え~?だって事実だしぃ~。小咲だってそう思うでしょ?」

 

「お、思わな…!おもわ…おも…」

 

「小野寺さん!!?」

 

悲報

小野寺小咲、楽を庇う事を諦める。

 

更に集もるりの言葉に曖昧な笑みを浮かべている所を見ると同意してるとしか思えない。何て事だ、ここに楽の味方は一人もいない。

 

「は、は、ハーレムって…!一条楽貴様!お嬢の他に懇意にしている女がいるというのか!?」

 

「えぇ!?い、いや!いないいない!俺は千棘一筋だって!」

 

「ひ、一筋…」

 

「む」

 

いや、るりの言葉が聞き逃せない人という意味では一人、味方。ただある側面から見たらという意味で実際には味方どころか楽を追い詰める敵としか思えないのだが。

 

鶫が懐から取り出した拳銃を楽へと向けて怒鳴る。慌てて楽は弁明し、その弁明の内容に頬を染める一人の少女と不満げに唇を尖らせる一人の少女。そして、後者の少女が直後、楽の左腕へと飛び付いた。

 

「た、橘!?」

 

「あら、楽様はハーレムなど築いてはおられませんわ?何故なら…、楽様には私がいるのですから…」

 

「まぁりぃかぁぁぁぁぁぁあ?」

 

楽の左腕に抱き付く万里花を楽の右側から睨み付ける千棘を意に介さず、万里花は更にアプローチを激しくさせる。それに対して千棘の怒りもヒートアップして…。そんな光景を眺める鶫達は。

 

「ね、鶫さん。ハーレムに見えなくもないでしょ?」

 

「い、いや…。まあ橘万里花の暴走はいつもの事ですし、見えなくもないですが…、ハーレムと言うには女性の数が二人というのは少ない気が…」

 

「あら、二人だけじゃないわよ?アタシが見る限り、一条君に思いを寄せてる子は三人ね」

 

「一条楽――――――――――――!!!貴様ァ――――――――――――!!!」

 

うぇぇぇぇ!?と突然の鶫の再びの乱入に狼狽する楽の姿を見ながら、るりはこくりと一度頷いてから、

 

「やっぱり、ハーレムにしか見えないわ」

 

「だねぇー」

 

「あ、あはは…」

 

集の同意と小咲の苦笑を伴いながら呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ま、まあ最近シリアス話が続いてましたしね?こういう息抜き回が必要ですよね?
え?一人足りない?息抜きにならない?


_(   )_ゴロン


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第91話 トツゼン

もうここまで来るとサブタイトルが被ってるかも解らないので毎回投稿する前に目次でサブタイトルを読み返してます。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、家を出る前はあんなに憂鬱だった学校も、いざ来て友人と過ごすと心情は幾ばくかマシになっていた。休み時間、るりや千棘達と話す時間の中ではマイナス思考に囚われる事はなかった。しかし授業中、ふとした時に頭に浮かぶのは陸の事ばかり。先生の話はほとんど頭に入って来ず、先程の数学の時間、指名された時はかなり慌てたものだ。

 

昼休みが過ぎ、午後の授業が始まる凡矢理高校。小咲は次の授業の教材を取り出し、机の上に置く。次の時間は…英語だ。そして小咲のクラスの英語を担当するのは…、小咲達が思い悩む事柄の中心人物である奏倉羽。

 

先日の事があり、もしや休んでいるかもしれないというちょっとした小咲の願望は裏切られ、他のクラスの生徒から話を聞く限り羽は普通に学校に来ているらしい。まあ、あれだけで休まれては学校側も困るだろうが。

 

しかし教室で、授業中とはいえ顔を合わせるのはやはり気まずいというしかない。他の皆も同じなのだろう。すでに席に着いている皆の顔を見回すと、やはり浮かない表情を浮かべていた。

 

「っ―――――――」

 

チャイムが鳴る。これは予鈴ではなく、本鈴。そして本鈴が鳴ると共に開く扉。廊下から教室に入って来るのは勿論、羽だ。

 

教壇の上に立ち、授業に使う教材やプリントを机の上に置いてから――――――一瞬、視線が交わった。

 

「はい。じゃあ日直の人、お願いします」

 

すぐに視線が離れ、羽はいつもの笑顔を浮かべながら本日の日直の生徒に号令を促す。それに従い、日直が号令を始める。起立、礼を終えてから早速授業が始まる。

 

前回の授業までで進んだページを開き、ちょっとした復習を終えてから次のページの内容へ移る。いつもの授業の内容だ。笑顔を浮かべて、たまに生徒を指名して質問を投げ掛ける。

 

そう、いつもの授業の内容なのだ。いつもの。羽に変わった様子は、全く見られなかった。決別とも思える言葉を投げ掛けた相手とその翌日に顔を合わせている。だというのに、全くその様子は変わっていないのだ。

 

白いチョークで綺麗な英字を黒板に書き、重要なポイントは色を変えて示す。

そんな何らいつもと変わらない授業を進める羽は、教科書を眺めながら口を開いた。

 

「じゃあ、ここを誰かに読んでもらおうかな?えーと…」

 

手を口元に当てながら考え込む羽は、ふと黒板の右下に書かれた今日の日付に目を遣る。

 

「今日は11月16日、か…。じゃあ11+16で…出席番号27の人!」

 

「っ」

 

出席番号27。それは小咲のものだった。あまりに咄嗟の事で小咲は驚きで動けなかった。

 

羽の視線が動けない小咲を捉える。クラスメイト達の視線が小咲に注がれる。小咲はまだ、羽と視線を交わしたまま動けないでいた。

 

「小野寺さん?どうしたの?教科書の108ページからだけど」

 

「あ…っ、はいっ。すみませんっ」

 

苦笑いしている羽の声で我に返る。羽との確執はあるがそれで授業を止めるのも関係ない人達に悪い。小咲はすぐさま立ち上がって、羽が言ったページの英文を読み上げる。

 

こうして生徒を指名して、英文を読ませるのも羽の授業の特長だ。そして、そうやって生徒に読ませる時は大抵―――――――

 

「はい。じゃあ次の授業でここの音読テストするからねー」

 

その部分の音読テストが次の授業で行われるのだ。

テストの予告を受け、一部の生徒が「げぇっ」と憂鬱の声を上げる。

こうした音読テストもそうなのだが、羽は次回に小テストをするという予告を突然する事もある。いや、他の教科の授業でも小テストはあるのだが、羽の場合はその回数が多い。生徒からの評判が良い羽の授業だが、その点に関しては生徒の悩みの種になっている。

 

「それで、108ページの7行目の文を見てほしいんだけど…、あ」

 

羽が授業を進めようとした直後、授業の終わりを報せるチャイムが鳴る。羽はほんの数瞬考える素振りを見せてから一つ息を吐いてから口を開いた。

 

「じゃあ、授業は終わりにします。皆、音読テストの事忘れちゃ駄目だよ?」

 

最後に釘を刺す事を忘れず、日直の号令が終わってから羽は教材を持って教室を出て行った。

 

小咲は勿論、楽達の誰にも声を掛けず。

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

11月ともなると暗くなるのも早くなる。夏頃はまだ昼間のごとく明るい時間だが、この時期では放課後になると日没が始まろうとしている。

 

帰りのホームルームが終わり、掃除の為に机と椅子を下げてから当番の生徒達と担任は教室に残り、それ以外の生徒は教室を出る。ある者は部活に、ある者は廊下で友人と駄弁って時間を潰す。

 

そして例に漏れず放課後を迎えている小咲達は、皆で集まりながらも何も話さず、ただ生徒達の喧騒の中で立っていた。

 

「…とりあえず、帰ろうぜ」

 

沈黙の中で口を開いたのは楽だった。このまま廊下に居座る訳にもいかず、小咲達は玄関へと下りる。その間、いつもとは違う空気に包まれた小咲達を、すれ違う知り合いの生徒が心配そうに視線を送って来ていた。

 

あの羽の態度は小咲と同じく皆も絶句した様だ。自分達と諍いがあった事など他人に微塵も感じさせない、いつもと変わらないあの態度。どうしてあそこまで平静でいられるのか、まるで何もなかったとすら、あの会話は夢だったのかとすら思いそうになった。

 

「なあ、一条」

 

誰も喋らず、沈黙が続く中不意に誰かが楽を呼んだ。呼ばれた楽だけではく、傍にいた小咲達も声が聞こえて来た方へと振り向く。一斉に大勢の視線を受け、たじろぎながらそこに立っていたのは一人の男子生徒。小咲は、その男子生徒に僅かに見覚えを感じた。

 

「上原…だっけ?どうしたんだよ」

 

「あぁ、いや…。別に大した用…なんだけどさ」

 

上原、と呼ばれた男子生徒は僅かに俯き、後ろ髪を掻く。はっきりしない態度だが、口調ははっきりと、直後に楽に問いかけた。

 

「あいつ…陸の奴、どうしてる?親父さんが倒れてからずっと休んだままだからよ」

 

「…ぁ」

 

小さく、誰にも聞こえない程小さな声が小咲の口から漏れた。

そうだ、思い出した。この上原という男子は陸の友達だ。文化祭の後夜祭で少し話したのを小咲はようやく思い出した。

 

陸の父が倒れたという事情は、陸と親しかった友人達には広まっているようだ。きっと上原はその事情を知り、修学旅行が終わってからずっと休んでいる陸が心配になったのだろう。

 

「あー…陸の奴は…」

 

言い澱む楽。それもそうだろう。今まであった事を全部話す訳にはいかない。一部を掻い摘んで話す事も出来ない。もし話したとしても、まず信じてくれるかも解らない。

 

「…元気だよ。悪い。でも、それしか言えねぇ」

 

「…そっか」

 

だから、楽は一言しか伝えない。真剣に友達を心配する、弟を心配してくれる人に嘘を吐く訳にはいかない。でも、全てを話す訳にもいかない。だから一言、たった一言しか伝えられない。

 

上原はそのたった一言を噛み締める様に、ゆっくりと瞼を開閉させ、それからニカッと笑みを浮かべた。

 

「そっか。元気なんだな、あいつ。ならいいや」

 

「っ…悪い」

 

「なんだよ、何も謝んなきゃいけない事なんてないだろ」

 

きっと、上原は怒りを抱いているはずだ。そうでなくとも、隠し事をされて良い気がするはずない。それでもその事を言及しなかった。きっと楽はどうしようもなく情けない気持ちで一杯だろう。家族を心配してくれた人に、本当の事をほとんど何も言えないなんて。

 

「なあ、皆はこの後暇か?」

 

すると上原は、いきなりそんな事を聞いてきた。俯いていた楽の顔が上がり、振り返り、小咲達を顔を見合わせる。

 

「俺は暇だけど…。皆は?」

 

「私達は何もないわよ?ねぇ、鶫」

 

「えぇ、お嬢」

 

「私もありませんわ」

 

楽、千棘、鶫、万里花は予定は何もないと答える。その後も集、るりも同じ様に返答し、小咲もまた暇だと伝える。

 

「ならさ、ちょっと…俺に勉強教えてくんね?もうすぐ中間だろ?学年上位の桐崎さんに鶫さん、宮本さんに舞子もいるしさ」

 

上原がそう言い、そして思い出す。そういえば、もう少しで中間テストが始まる、と。ここ最近色々あり過ぎてすっかり忘れていた。教室の掲示板にテスト範囲が張り出され、そうでなくても先程、ホームルームで担任が張り出された範囲の変更を報せていたというのに。

 

しかしそうなるとテスト勉強をしっかり始めなければいけなくなる。陸の事も気になるが、小咲の成績はお世辞にも良いとは言えない。高校に入って、陸を含めたこのメンツで遊ぶようになってから勉強もこのメンバーで集まってするようになって。それから成績は上がってはいるのだが、対策なしにテストに臨めばどうなるか、小咲自身が一番よく解っている。そしてそうなれば、誰が一番困るのかも。

 

陸の事を言い訳にはできない。してはいけない。だけど、それでも―――――――――

 

「…悪い、上原。ちょっとそういう気分じゃねぇや。一人を省いて皆で集まって勉強なんて…できねぇ」

 

陸一人を仲間外れにして勉強会なんて、できるはずがない。あんな言葉を吐かれても、小咲の胸を満たすのは陸だ。そして他の皆にとっても、掛け替えのない友人なのだから。

 

断りの返事をされた上原は一瞬、悲しげな顔をしてからすぐに笑顔を浮かべて、

 

「…なら、あいつが学校に復帰してからにしよう。そしたら皆で一緒に…あ、俺も入れてほしいんだが」

 

と、言った。

 

「…あぁ。陸が戻ってきたら、皆で、上原も入れて集まろう」

 

この上原の誘いは勿論楽が断る事はなく、小咲を含めた全員も不満もなく、受け入れる。

 

勉強会をする事はなかったが、その後、上原も含めて下校の途に着く。ぎこちない空気は僅かながらに残っていたが、集や上原がふざけて空気を和ませたり、るりや鶫を怒らせたりと下校前に小咲達を包んでいた沈んだ空気は消えていた。

 

るりと鶫に容赦なくぶっ飛ばされる集を見た上原が「俺、あの二人の前ではあまりやり過ぎないようにしよう…」と、引き気味な反応に小さな新鮮さを感じる。だって、集が殴られるなんていつもの事だし…。小咲もその度に二人を止めはするが、もう無駄だろうなと心の底で諦観を抱いてたりなかったり…。

 

「じゃあ私はここで」

 

「俺もこっちだ」

 

「あんたはついてこないで」

 

「あ…はは…。宮本、集もまた明日な」

 

道中、道が分かれた所でるりと集が。

 

「またねー、小咲ちゃん!」

 

「上原も。その…、ありがとな」

 

「さぁ楽様!こんな女置いて二人で帰りましょう!」

 

「貴様!お嬢に向かってなんて口の利き方を!」

 

交差点で楽、千棘、万里花、鶫が揉めながら小咲と別れる。

そして、この場に残ったのは小咲と上原の二人だけになった。

 

「…上原君のお家って、こっちだったんだね」

 

「うん。俺も、小野寺さんの家がこっちなんて初めて知ったよ」

 

二人になってから少しの間会話がなかったが、沈黙の空気に耐え切れず小咲から話しかける。小咲から振られた話題に上原が答え、会話が始まる――――――――

 

「…」

 

「…」

 

事はなかった。話は進まず、ただの質疑応答で終わり会話にまで至らなかった。

再び訪れる沈黙。気まずい空気が流れる。というか、楽達がいるまでテンションが高かった上原はどこへ行ったのか。前だけ見て、小咲と目を合わそうともしない。先程、小咲から話しかけて返事をした時も小咲の方を見なかった。

 

(私と話したくない、のかな…?)

 

何か自分の知らない所で、彼の気に障る事をしていたのだろうか。覚えはないが、無自覚に上原を傷付ける事をしていたのかもしれない。しかし、もしそうだとしたら自分は何をしたのか。謝るにしても、まずそれを思い出さなければ話にならない。

 

「…ねぇ、小野寺さんってさ」

 

「え?」

 

考え込む小咲に、不意に上原が話しかけた。上原の声が耳に届き、思考が切れた小咲は顔を上げる。上原は先程と同じくこちらに目を向けていなかったが、何やら照れ臭そうに虚空を見上げて蟀谷を掻いていた。

 

「あー、その…」

 

「…?」

 

何やら言い澱んでいる。何か言いづらい事なのだろうか。もしかしたら、疑問だった自分が上原を傷付けた行動を責められるかもしれない。

 

「俺の勘違いだったらごめん。あのさ…」

 

何かを決意したように上原は大きく息を吐いてから、小咲の方を見た。

 

「一条の…弟の方な?あいつの事、好き…だろ」

 

「…うぇっ!?」

 

変な声が出た。今まで出した事がない声が出た。

顔が熱い。というか全身が熱い。今はもう残暑もなくなった秋真っ盛りだというのに。実は今日は秋の気温の記録更新していたりするのだろうか。

 

「…やっぱり」

 

「え、え!?えっと…」

 

何も答えられない小咲を見て察した上原の前で狼狽する事しかできない。

そしてこの暑さの正体は気温ではないと、上原の態度でようやく察する。

 

それにしても恥ずかしすぎる。これまでるりにしか…、いや、多分もう楽達にも察せられてるだろう。それでも身近な友人にしか悟られなかった恋心が、これまであまり交流のなかった、それもよりにもよって陸の友人の男子に見抜かれてしまうとは。

 

「あー、大丈夫だから。別に誰かに言いふらしたりなんてしないから」

 

「う、うん…」

 

何やら勘違いされている。いや勿論、この気持ちを誰かに言いふらされるのも嫌だが、まず何より上原に知られた事がどうしようもなく恥ずかしいのに。もうどうしようもないのだが。

 

「…小野寺さん達が悲しそうな顔するのって、あいつのせいなんだろ?」

 

「え…っ」

 

突然、ずっとにこやかに笑っていた上原の表情が一変した。

その顔に浮かんでいたのは怒りだった。そしてその怒りの対象は考えるまでもない。

上原が口にしたあいつ―――――――陸の事だろう。

 

「…」

 

「べ、別に陸君のせいって訳じゃないよ…。陸君は何も悪くない。何も…」

 

そう、陸は何も悪くない。何も悪くないからどうしようもないのだ。陸が自分達と縁を切ろうとするのは自分達のため。それなのに、それがどうしても嫌で仕方なくて。

 

陸ともう会えないのが、嫌で―――――――

 

「俺なら、そんな顔させない」

 

上原の歩く足音が止まり、それに気付いた小咲も立ち止まり、振り返る。

その顔に怒りを張り付けたまま、上原はそこに立っていた。

 

「小野寺さん。…俺、小野寺さんの事が好きだ」

 

「…え?」

 

そしてその告白は突然、何の脈絡もなく、小咲の耳に届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、いきなり現れてくれた上何とか君ですが、問題です。このキャラのフルネームは何でしょう。ちなみに作者は音は覚えてましたが下の名前の字は忘れてました。(笑)






うじうじ回ももうすぐ終わります。そこからは反撃回の始まりです!


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第92話 サイカイ

前回の前書きにて、投稿する前に目次でサブタイトルを読み返してると書きましたが、正確には”サブタイトルを声に出して読み返してる”です。






…くっそどうでもいいな(ぼそっ










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

告白された事は何度かあった。小学生の時、中学生の時。片手で数えられる程ではあるが、経験はあった。高校に入学してからは一度もなかったが、男子から告白を受けたという経験はしていた。ただ小学生の時は誰かと恋人となって付き合うというその行為が怖かったのと、中学の途中からは思い人ができたというのもあって、まだ特定の誰かと付き合うという事はしていない。

 

ちなみに、小咲は素知らぬことだが、高校に入ってから未だ彼女に告白する男子が現れていないのは陸の存在が大きいというのはとある界隈で出回っている情報である。

 

話を戻すが、今、小咲の目の前にいる上原卓実はつい先程、小咲に告白をした。好きだと、はっきりと告げた。思わぬ告白に小咲はただただ驚きの余り立ち尽くす事しかできない。目を丸くする小咲から視線を外さず、真っ直ぐに見つめる上原某。何とも言えない気まずい空気が二人を包み、秋の冷たい風が二人の間で流れる。

 

「え…えっと…」

 

正直、反応に困るというのが小咲にとっての本音だ。恥ずかしさはある。異性に好きだと告白されたのだから、当然と言えば当然だ。ただ、それよりも疑問の方が大きい。これまで小咲に告白してきた人達は、多かれ少なかれそれなりの交流があった。同じクラスだったり、同じ委員会だったりと共通点があった。この上原とも陸という共通の友人がいるにはいるが、ハッキリ言って交流はほぼゼロに等しい。

 

「…ごめん。いきなりこんな事言われたって困るよな。それに、俺と小野寺さんってほとんど話した事ないし…」

 

どうやら上原もその事については解っていたらしい。ほとんど、と言ってもあの後夜祭での会話が初めての会話なのではないだろうか。だというのに、自分のどこを好きになったというのか。

 

「でも、好きになっちゃったんだ。小野寺さんの事、好きになっちゃったんだ。…だから、あいつが許せない。好きな人にあんな顔させる一条が、許せない」

 

「っ…」

 

再び陸に対しての怒りが、上原の表情に表れる。

そしてようやく、先程から陸への怒りをあれだけ露わにしていた理由が解った。

 

「…」

 

俯いて黙り込む小咲。そんな小咲を見つめる上原。二人の横の車道を車が横切っていく。

 

上原の気持ちは小咲にもよく解る。好きな人が悲しんでいる所を見ると、苦しんでいる所を見ると自分も悲しくなる。苦しくなる。その対象が自分だというのがかなり複雑であり、恥ずかしくもあるのだが。

 

ただ、だからこそ助けたいのだ。苦しんでいる陸を。小咲の好きな人を。そんな自分の気持ちはただのお節介だと思っていた。陸の迷惑になると思っていた。でも昨日、それは間違いだと解ったから―――――――

 

(あ…)

 

ふと、我に返る。そうだ、何を迷っているのか。もう答えは出ているのに、どうして自分は考え込んでいるのだろう。昨日も皆の前で宣言したのに、忘れてしまっていた。羽の言葉で揺らいでいたが、心の奥底で定まった決意は変わらない。

 

「…ごめんなさい」

 

「…」

 

俯いていた顔を上げて、真っ直ぐに小咲を見つめる上原を見返して、ハッキリとした口調で小咲は言った。

 

「上原君の告白には応えられません。私は…」

 

そうだ。私は―――――――

 

「陸君が好きだから」

 

この気持ちだけは、絶対に変わる事はないのだから。

 

「…今、こんなに苦しいのに?」

 

「それは陸君も同じだから」

 

「悲しいのに?」

 

「それも、陸君も一緒だと思う」

 

数秒、見つめ合う。小咲の決意が籠った視線が、上原の視線と交じり合う。

そして先に視線を逸らしたのは上原だった。

 

「…あーあ、やっぱダメかぁ」

 

「上原君」

 

「解ってたさ。…小野寺さんって、意外と頑固というか…意志が固いよな」

 

まるでこうなると解っていたかのように、上原は笑いながら天を仰いだ。そんな彼の姿を見て、小咲の胸に一筋の小さな痛みが奔る。一人の男子の想いを踏み躙ったという事実を、小咲は今、噛み締める。

 

「…ごめんなさい」

 

「あー、もう謝んなくて良いよ。さっきも言ったけど、小野寺さんが一条を好きだって解ってたんだ。…それでも、気持ちを伝えないで終わるのだけは嫌だったから」

 

あぁ――――――言う通りだ。何も告げぬまま諦める。それだけは絶対嫌だ。

諦めるにしても、ちゃんと自分の気持ちを伝えて、相手に断られて、その上で諦めたい。

 

だから、上原の気持ちを受け入れる訳にはいかない。自分の気持ちに嘘を吐きたくはないから。

 

「だからさ、小野寺さんも、その…頑張れ」

 

「上原君…」

 

勇気を振り絞って告げた自分の想いを跳ね除けられ、身を引き裂かれるような思いをしているだろう上原の口から出たのは、エール。これから小咲がどうするのかを悟った上原からのエールは、小咲の力に変わる。

 

「じゃないと俺、許さないから。…一条を」

 

「そっち!?」

 

そして漲った力は直後、あっさりと霧散した。他の誰でもない、エールを送った上原によって。

 

「あっははははは!いくら振られたばかりでも、好きな人に暴言なんて吐けないって!」

 

思わず見事なツッコミを披露した小咲を見て腹を抱えて笑う上原は、すぐに笑い声を収めながら、目尻から覗いた涙を指で拭ってから再び口を開く。

 

「でも、他に好きな人がいるって断られた俺の身にもなってよ。それで相手が告白もしませんでしたとかになったら俺ぶん殴るよ?一条を」

 

「…じゃあ、絶対に陸君に告白しなきゃね」

 

怒りの対象はもう陸から動く事はないらしい。だが上原は声に出して言わないものの、もし自分が怖気づいて何も行動しなかったら自分の事を恨むだろう。

 

別に上原の為に告白する訳じゃない。小咲は自分の為に、陸に告白すると決めたのだ。それでも、自分に振られたばかりの人が苦言一つ言わずに頑張れと応援してくれた。

 

「ありがとう」

 

最後にお礼を言って、一度、深々と頭を下げて、小咲はその場から走り去った。今まで歩いていた家の方へではなく、来た道へと。

 

上原とすれ違い、小咲は後ろを振り返らず、髪を揺らしながら走る。その足取りには、もう迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ。振られた振られた!」

 

振られたばかりだというのに、やけに清々しかった。ずっと言えずに秘めていた気持ちを曝け出し、それでも思いは届かず、だというのに胸に残ってるのは清々しさだった。

 

小咲にも言ったが、振られるのは解っていた。だって、ずっと見てきたのだから。好きな人が、親友の傍にいると、他の人に向けているのとは違う笑顔を浮かべていたのを。あの人の目に、自分が映る事はない。そう、あの笑顔を見る度に思い知らされた。それでも想いを捨てることは出来なかった。こんなに一人の女の子を好きになるのなんて初めてだった。

 

自分で言うのもなんだが、これまでそこそこモテてきた。それなりの数、告白されたし何度か付き合った経験もあった。だがあまり長続きはしなかった。今考えれば当たり前だ。告白を受けはしたが、飽くまで付き合っても良いかなと思っただけで、本気でその人の事を好きで付き合った事はなかったから。

 

だから、この気持ちは届かないと知った時は物凄くショックだった。想い人の目が向けられている親友を心の奥で恨んだ。何も知らないで自分といつも通りに笑って会話する親友が憎かった。

 

でも、憎み切る事が出来なかった。今まで笑い合って、時には喧嘩して、そんな親友を心の全てで憎む事は出来なかった。

 

何時しか、もう諦めようと思うようになった。もう無理だと思うようになった。それでも想いは捨て切れなかった。そんな矢先だ。陸が学校に来なくなったのは。

 

最初は何とも思わなかった。珍しく今日は休みなのか、程度にしか思わなかった。だが次の日も、その次の日も、何時まで経っても陸が学校に来ることはなかった。日にちが経つ毎に想い人の顔が暗くなっていく。

 

そして今日、上原の我慢は限界を迎えた。こんな顔は見たくない。自分といるよりも笑顔になれるなら、と思ったのに、これなら諦めようとしなければ良かった。上原は行動に移した。

 

結果、あっさりと振られた。何でいきなり告白してしまったのだろう。もっとゆっくり距離を縮めてから告白すれば解らなかったのに。そんな後悔の念がふと過る。だがすぐに、それでも無理だったよ。結果は変わらないよ。と、もう一人の自分が告げる。

 

そうだ。今日、行動に移して、小咲と話して思った。小咲が悲しんでるのは陸のせいだ。でも何であんなにも心痛めているのか。それは―――――――

 

「入り込める訳ねぇだろ。小野寺さん、一条の事好き過ぎだろ」

 

自分が思ってる以上に、小咲が陸の事を想っているからだ。

 

「ホント、マジであんなに想ってくれてる人を泣かしたらぶん殴るからな。一条」

 

そして、上原は小咲を想う最中で一つ、確信した事があった。

 

「…小野寺さんは正直に気持ちを伝えに行くぞ。だから、お前も自分の気持ちに嘘吐くんじゃねぇぞ」

 

こんな所でこんな事を言っても、言葉は届かない。それでもこれから邂逅するであろう二人を応援すべく、上原は空を見上げながらポツリと呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

小野寺小咲は運動音痴である。これは覆す事の出来ない事実である。体育の球技は勿論、水泳はカナヅチ、長距離走でも課題の数の周回を熟せない時もある。そんな小咲は今、全力疾走していた。口から漏れる息、頬に流れる汗、縺れそうになる足。それでも小咲は走り続ける。

 

全力疾走する小咲を驚きながら見る通行人に構わず、信号のない交差点を左折。その交差点は、楽達と別れて上原と二人になったその場所だった。

 

もう楽達は家に着いただろうか。それとも、まだか。もしまだ外にいるのなら、早く追いつきたい。いや、家に着いていたとしても関係ない。小咲がする事は変わらない。

 

(会いたい…。早く会いたい!)

 

もう関係ない。ただ自分に正直なる。そうして良いと解ったから。小咲はもう揺るがない。

 

「はぁっ…、はぁっ…!…?」

 

乱れる息を抑えながら走り続ける小咲。すると、横の車道を黒塗りの如何にもな高級車が通り過ぎていく。と思いきや、その車は小咲の5メートル程前方で止まると、後部座席左側の扉が開いた。

 

明らかに自分に用があって止まったように見えるその車を見て小咲は立ち止まり、中から出てきた人物を見て小咲は目を見開く。

 

「あっ…!」

 

「よう、嬢ちゃん。こうして顔合わせんのは久しぶりだな」

 

車の中から出てきたのは和服を着こなす熟年の男性。想い人の面影があるその男は、小咲を見て快活な笑みを浮かべながら声を掛けてきた。

 

「り、陸君のお父さん…!?」

 

そこに立っていたのは、陸と楽の父、一条一征だった。修学旅行中に倒れ、未だ容態が芳しくないはずの男が、今目の前に平然と立っていた。

 

「ど、どうして…!?まだ入院してるはずじゃ…」

 

「あー。その話は、まあ…とりあえず乗ってくれや」

 

「え?」

 

小咲がそう言うと、一征はバツが悪そうに蟀谷を掻いた。そして不自然に話を誤魔化すと、車の方へ小咲を手招きした。

 

首を傾げる小咲。いや、本当にこの人は何をしているのか。どうしてこんな所にいるのか。容態はどうなのか、外に出ても大丈夫なのか。頭の中でグルグルと巡る疑問が小咲の足を縫い止める。

 

「だー!こっちは急いでるんだ!悪いがついてきてもらうぜ!」

 

「え…、え!?ちょっ…、きゃああああ!」

 

傍から見れば明らかな誘拐だ。和服を着た男が黒塗りの車に女子高生を無理やり乗せる。もし近くで第三者がこの光景を見ていれば間違いなく通報されていた事だろう。だが幸運にも目撃者はおらず、小咲自身も悲鳴こそ出したものの相手が顔見知りという事もあって抵抗する事なくすんなり車に乗せられた。

 

後部座席で隣り合って座る小咲と一征。そして運転席には、小咲が一条家に行く度必ず見かけた、陸と楽は竜と呼んでいた男が座っていた。

 

「よし竜、出せ。急げよ」

 

「へい!」

 

一征の命を受けて竜が車を走らせる。小咲が乗っているせいか、急げと言われたにも拘らず車はゆったりと優しく発進した。…そのまま穏やかにとはいえ加速しているが。

 

「え、えっと…」

 

「ん?…あぁ、さっきの質問に答えてなかったな」

 

遠慮気味に一征に視線を向けるとすぐにそれに気付かれた。

いや、確かにその事も気になるが、まずそれよりも何故自分は車に乗せられたのか。そしてどこに向かっているのか。今の小咲はそっちの方が気になっていた。

 

「俺の容態だけどな、まあ…とっくに良くなってたんだよな」

 

「え…えぇ!?」

 

さっきと同じように、バツが悪そうに言う一征。外に出ている時点で容態は良くなっているとは思っていたが、しかしとっくにとは一体何時からなのか。

 

「てか、ぶっちゃけ過労で倒れただけでどっか悪くなった訳じゃねぇから、退院の許可は二日後には貰ってた」

 

「えぇぇぇぇぇぇぇ!!?」

 

もう驚く事しかできない。というか、退院できたのなら何故今まで姿を現さなかったのか。

 

楽は父の事をずっと心配していた。一征が入院している間、陸は一人で苦しんでいた。

その間、この男は何をしていたのか。

 

「…嬢ちゃんが気ぃ悪くすんのは当たりめぇだな。けどよ、こうでもしなきゃ何時まで経っても叉焼の奴らが尻尾出さねぇからな」

 

「…?」

 

再び、疑問。叉焼…恐らく叉焼会の事だ。その事については小咲も少しではあるが聞かされている。羽を首領とした中国をある意味支配していると言っていい大マフィア。しかし、一征が姿を隠す事と叉焼会にどういう関係があるのか。

 

「あいつら昔っから陸に目ぇ付けててな。弱体化した組織をまた強化するために陸を引き入れようと躍起になってんのよ。そんで、その方法とやらが…陸と羽を結婚させる」

 

「っ…」

 

息を呑む。羽達との会話が頭の中で蘇る。

 

「まあ、羽の奴は昔から陸に想い寄せてたからな。多分、陸と一緒になりたいって気持ちは本気だろうよ。が、その結婚を周りの奴らに利用されるのは我慢ならねぇ。けどあいつら、俺が頭にいる間は全然行動に移そうとしねぇんだ」

 

「…だから」

 

「そうだ。だから、俺は入院し続けた。容態はとっくに良くなっちゃいたが、院長してる知り合いに頼んでな。そしたら案の定動き出しやがった。なーにを焦ってんだか」

 

そうか。一征は父として、陸のためを思って姿を見せていなかった。それが解り、小咲は胸を撫で下ろす。…それでも。

 

「…二人にはちゃんと、謝ってくださいね。騙してた事を」

 

「…あぁ、そうするつもりだよ」

 

二人を、陸と楽を騙してた事には変わりない。その事だけは受け入れられなかった。例えどんな理由があろうとも、二人に謝るべきだ。

 

一征も解っていた様で、小咲の言葉に頷きながら答えた。

 

小咲はふと窓の外に目を向けた。かなりの速度で走っている。法定速度?ナニソレと言わんばかりに車は猛スピードで走っている。見覚えのある景色が横切っていく。

 

目的地は、決戦の地はもうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




見えてきた…。シリアスの終わりが見えてきたぞ…!


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第93話 キキョウ

キリの良い所で終わらせた結果、少し短くなりました。m(__)m







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーテンを閉めて窓から差し込む西日を遮った部屋の中、その中心で一人の少女が畳の上で何をしているでもなく膝を畳んで座っていた。頭部の左右二ヶ所で髪をお団子に纏め、身丈に合わない大きめの衣服を身に着けた、瞳に光を映さない一人の少女。

 

叉焼会首領、奏倉羽の側近である夜はゆっくりと瞼を閉じて思考に身を投じる。

 

頭の中で巡るのはとある二人の事。言うまでもなく、夜の主である羽と現在長が不在の中集英組を取り仕切っている陸の事だ。もうすぐあの出来事から二週間になるのか。集英組組長である一条一征が倒れ、病院に運ばれたのは。それは陸と楽が修学旅行で家を空けていた時に起きた事だった。

 

あの時は家中が大騒ぎになった。当然だろう。突然、押しも押されぬ組の大黒柱が倒れたのだから。あれから一征の容態が回復したという報せは入っていない。その間、組を守っていたのは一征の息子であり、組の若頭でもある陸だ。長不在の中、夜から見ても陸は良くやっていた。この機を逃すなとばかりに外からシマに侵入してくる敵対組織の対処をしながら一征が請け負っていた仕事を熟し、恐らくほとんど睡眠時間もないのではないだろうか。

 

そしてそんな集英組の状態を見て、夜は陸を、集英組を取り込むにはここしかないと考えた。羽を、言い方は悪いが唆して陸に結婚を持ち掛けさせた。もしこの話に乗るのなら、組の立て直しに大いに手を貸すという条件も付けて。

 

しかし即決されるとは思っていなかったが、まさかここまで決断に時間が掛かるとも思っていなかった。一応、陸自身の意志が固まるまで待つとは言ったが、さすがにこちらにも我慢の限界というモノがある。だが、だからといって陸に決断を急かすのは首領の意に反する。どこまでも冷徹で、いざとなれば首領といえども組織のためになるならば、という覚悟もある夜だが、今回の件に関しては円満に事を進めなければならない。陸を取り込む事が第一目的だとしても、それで強引に結婚させて夫婦仲が拗れるのはあってはならない。

 

「やれやれ…。あの坊やも案外、決断力がないね」

 

陸は解っているはずだ。どちらの道をとるべきか。

 

夜は日本に来てから、何度か陸の動向を探っていた。陸が羽ではない他の女性に気を向けている事にも気付いていた。そして、それは恐らく今も―――――――

 

「もうあの坊やは限界。さて、どうなるか…」

 

だがもう陸は限界だ。夜には解る。これまで奮闘してきた陸だが、若すぎた。力がある故に、陸は壊れる。経験が、体力が、能力の大きさに追いついてない。それらが齎す結果は、末路は、もうすぐそこまで迫っているだろう。

 

「…?」

 

もう陸に残された時間はない、そう考える夜の耳に慌ただしい床を叩く足音が届く。その足音は次第に、夜がいる部屋の方へと近づいてきて、そして部屋の前で音が止んだ。

 

「夜様!至急報告が!」

 

「なんだ」

 

扉越しにいる人物が叉焼の組員だと声から悟り、夜は立ち上がって扉を開けてから続きを促す。この様子から、恐らく只事ではない何かが起こったのだと予期する夜だったが――――――

 

「集英組組長が、たった今帰ってきました!」

 

「…なに?」

 

さすがにそれは予想していなかった。

夜の表情が一瞬、ほんの僅かだが歪んだ。

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

中に入った途端、ちょうど玄関の前を通り過ぎようとした男に見つかってからたった三分程。家の中は大騒ぎになった。小咲、一征、竜を囲む大勢の男達。一征と竜の背後に隠れながら小咲はその様子を眺めていた。

 

二人を囲む男達は皆、笑みを浮かべ、そして涙を流していた。陸がいたとはいえ、ずっと不安だったのだろう。これから組がどうなるのか、そして何より一征がどうなるのか。一緒にいる小咲の事など見えておらず、男達はただ長の帰還を喜び合っていた。

 

(えっと…)

 

しかし、一体何時までこうしていなきゃならないのか。ずっと音沙汰がなかった長が帰って来て嬉しいのは解る。だが家に入ってから多分もう十分以上経ってるんじゃないだろうか。ずっと、小咲達は玄関から一歩も動いていない。靴すら脱いでいない。床に上がってすらいない。扉の前でずっと足止めだ。

 

「おいおい、何の騒ぎだこりゃ…」

 

「楽坊ちゃん!」

 

男達の背に隠れて見えないが、聞き馴染んだその声は小咲の耳にも届いた。まるで訓練された軍人の如く、男達はぴたりと黙るとその少年を中心に一征へと繋がる道を開けた。

 

「なっ…、親父!?」

 

「おぉ、楽!久しぶりだなぁ、元気にやってたかぁ?」

 

そして楽は男達がどいたその先にいる一征を目にし、驚愕を顕わにした。一征も愛する息子を前にして、再会の笑みを浮かべる。

 

和服姿の楽が一征へと駆け寄ると、隣に立つ竜、そして二人の背後に隠れていた小咲を順に見た。

 

「は!?小野寺!?…はぁ!?」

 

「こ、こんにちは。一条君」

 

特に小咲を目にした時はただでさえ見開いていた楽の目が飛び出んばかりに剥き出しになった。容態が未だ不安定と思われていた父が帰って来ただけでなく、その父と共につい先程別れたはずの小咲が現れた。楽のキャパシティーはオーバーしているのだろう。楽はただただ二人の間で視線を巡らせ、目を白黒させる事しかできずにいる。

 

そんな楽の様子に小咲は苦笑を浮かべながら一言、挨拶をする。本当につい先程別れの挨拶をしたばかりだというのに、何か変な感じだ。

 

「さて、と。再会の挨拶も程々にしとかねぇとな。竜。もうすぐ陸が帰って来るんだったな」

 

「へい。予定だとそのはずでさぁ」

 

「っ…。陸って…、親父」

 

再会の喜びに満ちた空気は一征のたった一言で一瞬にして霧散した。その一言だけで、現在の組の状況を知る者達は皆、容態が良くなっていないはずの一征が突然帰って来たのか、その理由の一部を悟った。

 

歩き出した一征と竜、そして小咲の三人に道を開ける男達。その三人にやや遅れて、続くように楽も追いかける。

 

「お、おい親父。親父の身体はもう良いんだよ、な。大丈夫なんだよな?」

 

「あ?んなのここに俺がいるのを見りゃ分かんだろ。鈍いなぁ、おめぇ」

 

「色々あり過ぎて混乱してんだよ!マジで大変だったんだぞ!?俺じゃねぇ!陸がだ!」

 

早足で歩く一征の前に楽が立ちはだかった。その表情は怒りに満ち、一征を正面から睨み付けていた。

 

その顔を見て、小咲は思った。さっきの自分と同じだと。楽も一征に騙された被害者の一人だ。だがその事について楽は怒っている訳じゃない。陸を騙した事を怒っているのだ。

 

楽の視線を真っ直ぐに受け止めた一征は、一度息を吐いてから口を開いた。

 

「俺にはおめぇらに謝罪する義務がある。説明する義務がある。が、後にさせてくれ。今は、やらなきゃならん事がある」

 

一切楽の視線から目を逸らす事なく、一征は楽の怒りを受け止める。十数秒、視線を交わし合う時間は楽の方から終わりを告げた。両目を閉じ、片手を腰に当てて大きく息を吐いてから、楽は言った。

 

「…後で全部話してもらうからな」

 

「あぁ。分かってる」

 

二人の間で流れた剣呑な空気が霧散し、一征を先頭に再び歩き出す。

 

(そういえば、どこに向かってるんだろう…?)

 

ここでふと小咲は思う。玄関前で話を聞けば、今陸はこの家にいないという。今現在起こっている問題に決着を付けるのは良いが、それは陸がいなければどうする事も出来ない。もうすぐ帰って来ると言っていたが、さて今、我々はどこを目指しているのやら。

 

(…あ。ここって…)

 

数歩後、小咲は今目の前にある景色に既視感をおぼえた。それもつい最近にだ。

 

最近、一条家に来た事は…あった。昨日、まだ何も知らないでいた自分達が、陸に一言文句を言ってやろうとしたあの時。そう、この廊下の先、集英組組長が使う仕事部屋に陸はいた。

 

「さて、と。んじゃ、陸が帰って来るまでここで待たせてもらうとするかね」

 

他の部屋を仕切る障子とは違い、今目の前にある障子は豪華な装飾がされていた。昨日は小咲の前に立っていた楽は集達の背に隠れて見えなかったし、楽がさっさと障子を開けてしまったため見る事が出来なかった。

 

一征が豪華な装飾を開け、部屋の中へ入ろうとして―――――――立ち止まった。

一征の両隣にいた楽と竜もまた立ち止まり、そして小咲も部屋の中にすでにいた二人を目にして立ち止まった。

 

「…お元気そうで安心しました。おじ様。もうすっかり良くなったようですね。知りませんでした」

 

「あぁ。お陰様で急いで帰って来る羽目になっちまった。もうしばらくゆっくりベッドで横になってるつもりだったのによ」

 

まさに売り言葉に買い言葉。血の繋がりこそないものの、一時期は同じ屋根の下で家族として過ごした二人とは思えないやり取りだった。互いに笑みを浮かべながら、鋭い視線をぶつけ合う。

 

蟀谷から一筋の冷や汗が流れる。気を抜けば意識を失いかねないプレッシャーのぶつかり合いが部屋を満たす。それでも小咲は倒れない。ここで倒れたら二度と、もう陸に会う資格が無くなる、そんな予感がした。

 

「んじゃ、色々と聞かせてもらおうじゃねぇの。俺がいない間、アンタ等と陸でどんな話があったか。全てな」

 

「…」

 

小咲の固い決意とは別に、あちらで散らばる火花は更に激しさを増していた。

組織を背負う二人の長が対峙し、決戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なんか静かだな」

 

役者は、揃う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




親父「…」(バチバチ)
羽「…」(バチバチ)
夜「…」(ジーーー)
小咲「…」(ビクビク)
楽「…」(ビクビク)

陸「?」
おいてめぇ


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第94話 センタク

楽の兄貴が兄貴する回








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空気が重い。いつだったか、珍しく父も声を荒げて両親が喧嘩した事があった。その時と似ていると小咲は胸の奥で感じた。ただ、その時と今では大きく違うものがあった。

 

それは、部屋に満ちた空気の密度。あの時は小咲と春と二人で固まりながら両親の余り見ない姿に震えたものだが、それとは比べ物にならない。飽くまで空気だ。雰囲気だ。実際に重さが身にかかる事なんてあり得ない。なのに、体が重い。まるで全身に得体の知れない何かが纏わり付いているかのようだ。これまで、ごく普通の家庭で育ってきた小咲にとって、初めて感じるやくざの世界の空気。

 

陸は、この世界で生きてきたのだ。

 

陸と出会い、過ごしてきて、彼の事を知ってきたつもりだった。だが、それは間違いだった。本当に、ただの()()()でいただけだった。明るい表の世界で笑っていた陸は、ずっと暗い裏の世界に身を投じていたのだ。自分が知らない所で、今のような殺伐とした空気に満ちた世界で、身を削っていたのだ。何も知らなかった。何も知らない癖に、陸が好きだと、恋人として付き合いたいと、友人に言っていたあの頃の自分が恥ずかしい。

 

座布団の上で膝を畳んで座っている小咲は、膝の上に置いていた手を強く握り締める。

 

(でも…今は違う)

 

心の中で呟く。前の自分とは違うと。

好きな人の全てを知っているとは思っていない。むしろ、これでもまだほんの一部しか陸のいる世界に踏み入れていないのだとすら思う。それでも、小咲にとって大きな一歩だった。陸の隣で過ごしたいのなら、決して避けては通れない道に、小咲は足を踏み入れたのは確かだった。

 

「…で?俺がいない間に色々と好き放題やってくれてたみたいじゃねぇの。羽よぉ」

 

「人聞きの悪い事を仰らないでください。私はただ、りく…。若頭に提案をしただけですよ?叉焼、集英、お互いにとって良い未来が築ける提案を」

 

小咲の隣から、前方から、相手に有無を言わせまいとする威圧感が籠った声がする。

集英組組長一条一征が、叉焼会会長奏倉羽が、小咲達が見た事のない姿を見せている。大勢の部下を預かる、組織の長としての姿を。

 

特に羽には、いつも学校で先生をしている姿や、普段のどこか抜けている様子しか見てこなかった小咲と楽は大きな衝撃を受けた。一征とは二回り以上歳が離れているにも関わらず、彼に対して物怖じする様子は微塵も見られない。

 

羽と知り合ってすぐの頃、陸と鶫から叉焼会という組織についてほんの少しだが聞いていた。陸がいる集英組も、鶫が所属しているビーハイブとも一線を画す規模、そして歴史を持つ大組織。そんな組織を若くして背負う羽の本当の姿が、小咲の目の前にあった。

 

「お互いにとって、ねぇ…」

 

「…何か?」

 

「そのお互いってのはよぉ、陸と羽の二人の事なのか?それとも、集英と叉焼の事なのか?」

 

「…」

 

一征の問いに羽は口を閉ざす。その表情には何の変化もないが、果たして内心はどうなのか。

一征の問いかけに何も答えない。それが全てを物語っているのではないのか。

 

「その両方よ」

 

「…ほぉ?」

 

だが、羽が口を閉ざして数秒後、代わりに口を開いたのは羽の傍らに控え、これまで一度も喋らなかった夜だった。

 

「俺は羽に質問したんだが?」

 

「どっちが答えても同じよ。ディアナへの婚約の申し出は私と首領が話し合ってからしたもの。この件に関しての私の言葉は、首領の言葉も同じね」

 

「…」

 

一征の目が細まる。彼の頭の中で一体どんな考えが、胸の中でどんな思いが巡っているのか。そして、先程の一征の問いかけから口を閉ざしたままの羽も、一体どんな心境で――――――

 

「おやっさん」

 

「おう、何だ?」

 

その時、障子の向こう側から一征を呼ぶ男の声が届いた。一征は顔を障子の方へと向けて返事を返す。

 

「若頭がお帰りになりやした。着替えてからこちらに来ると言ってやす」

 

「あぁ、そうか。報告ご苦労」

 

陸が帰って来た。もうすぐ陸がここに来る。あぁ、ただそれを聞いただけだというのに、胸を満たしていた恐怖が薄らいでいく。本当に何と自分は単純なのだろう。もうすぐ想い人と会えると解っただけで、この空間の空気が平気になるのだから。

 

「…あの、なにか…?」

 

「いや。何でもねぇ」

 

するとふと、隣で胡坐を掻いている一征がこちらを見下ろしているのに気が付いた。その顔は何とも微笑まし気に、まるで今の小咲の心境を悟っているかのようで。

 

気恥ずかしさを抑える小咲と微笑ましげな表情を変えない一征のやり取り。それを一征を挟んで向こう側に座っている楽が首を傾げながら、三人の対面にいる羽と夜が見つめていた。

 

「っ」

 

障子が開く音は何の脈絡もなく、突然響いた。小咲の息を呑む音はその音に掻き消される。

部屋にいる全員が同時に目を向ける。その先には紺色の和服に身を包んだ、険しい表情を浮かべた陸が立っていた。

 

陸はまず羽と夜を、そして楽、一征と視線を回してから。

 

「―――――――」

 

一征の隣に座る小咲を見て、一瞬呆気にとられたように目を見開いた。

 

すぐに険しい表情に戻ったが、どうやら小咲までもがここにいるとは思っていなかったらしく、更に今の状況を陸に報せた部下からも小咲の事は教えてもらっていなかったらしい。陸が隠しきれなかった小さな動揺を、小咲は見逃さなかった。だからといって、何がどうなったという訳でもないが。

 

現れた陸を見た途端、こちらを見てほしいと思った。自分と陸の視線が交わった瞬間、話したいと思った。だが、できなかった。この部屋の空気が、そして何よりすぐに険しいものへと戻った陸の表情が小咲を留まらせた。今は我儘を通すための時間じゃないと思い出させた。

 

「お帰り糞親父」

 

「あぁ、ただいま馬鹿息子」

 

陸は無表情なまま、一征は挑発気味に笑みを浮かべて、親子は挨拶を交わした。

 

「で?まあ大体どんな話をしてるのかは予想つくが…、何で部外者がいんの?二人も」

 

「っ…」

 

部外者。二人。誰と誰の事を指してるのかは一目瞭然だ。僅かに体を震わせる小咲は内心、小さくないショックを受けていた。確かに部外者というのはその通りではあるのだが…、その事を陸の口からはっきりと言われたのはショックだった。陸との距離が更に開いたような気がした。

 

「おいおい。この二人は関係者だろーが。一人はおめぇの兄貴で、もう一人は…っと、こいつは俺の口から言っちゃぁいけねぇか」

 

「…何の事だ」

 

陸の鋭い視線が一征を射抜く。小咲には理解できなかったが、陸にとって言われたくない何かを一征は口にしようとしたらしい。その言葉が何なのかまでは小咲には解らなかったが。

 

「おら、とりあえずおめぇも座れや。話が始まらねぇ」

 

「…ちっ」

 

舌打ちし、一征を一瞥してから陸は楽の隣へ歩み寄ってから腰を下ろそうとして――――――

 

「おい。おめぇの座るとこはそこじゃねぇだろ」

 

「は?」

 

動きを止めた。一征のその一言に陸はおろか、小咲も、楽も、羽も夜も目を白黒させる。

 

「…何言ってんだあんた」

 

「おら、とっとと座れや。話が始まらねぇ」

 

「…」

 

先程とほぼ同じ科白を繰り返す一征を睨んでいた陸は、もう諦めたように大きく溜め息を吐いてから立ち上がり、今度は小咲の隣で腰を下ろした。

 

「…ヘタレが」

 

「何か言ったか」

 

「ヘタレ」

 

「…」

 

30㎝程、小咲から離れた所で腰を下ろした陸を呆れを含んだ目で見ながら小さく呟いた一征。耳聡くその呟きを捉えた陸がぎろりと睨むが全く効果なし。それどころか今度はハッキリと同じ単語を口にした一征に何も言う事が出来ず、陸は一征から視線を切って正面の羽と夜を見据えた。

 

「それで、何の話をしていたんです?」

 

もうこれ以上、一征に構っていたら話が進まないと判断したのか、陸はその問いを一征ではなく羽と夜に向けた。先程までの陸と一征のやり取りを戸惑いを浮かべた表情で見ていた二人は顔を引き締めた。

 

「どうやらお前の父親は、首領とお前の結婚に不服があるらしいよ」

 

「っ…」

 

夜の口から出た答えに、陸は表情を歪めた。それはまるで、そうであって欲しくなかったと語っているようだった。

 

「まだ陸は答えを出してねぇんだろ?それなのに、もう結婚が決まったみたいな言い方しないでほしいねェ」

 

「ほぉ?けど、ディアナはどうするべきか、もう解ってるように見受けられるが?」

 

「…」

 

陸を間に挟んでの言葉の応酬。その中で、陸は膝の上で拳を握り、未だ表情を歪めたままだった。それが、夜の言葉の真偽を物語っていた。

 

しかし陸は口を開かない。陸の中で出た答えを、或いは未だに答えが出ていない事を口に出すのを躊躇している。

 

「まるで脅しだな」

 

その時、この部屋に入ってからは初めて声を上げた者がいた。

 

楽だ。

 

楽は一斉に集まる視線に一瞬怯みながら、纏わりつくプレッシャーを振り払うように大きく頭を振り、夜を真っ直ぐに見据えながら続けた。

 

「どうするべきかとか、そうじゃないだろ。陸が選ぶのは、陸がどうしたいかだろ?」

 

楽が話す中、小咲は陸の様子を覗き見た。

俯いたままだった。表情は歪んだままだった。むしろ、顔に浮かぶ苦悩が濃くなってるようにすら見えた。

 

「話を聞いてたらアンタ等は、自分達に都合が良い選択を陸に選ばせるよう誘導してるようにしか思えない」

 

「人聞きが悪いね。そな事してないよ。…そな事せずとも、ディアナは自分がどういう選択をすれば周りがどうなるか解ってる」

 

「ふざけんな!俺が言ってんのはそうやって陸を苦しませる権利がアンタ等にはねぇって事だ!」

 

問いに対する夜の返答に、堪らず楽は立ち上がった。今の楽にはもう、部屋を満たすプレッシャーなど感じてすらいないだろう。それを凌駕するほどの怒りを、今の楽は抱いているから。

 

「…なぁ羽姉。ホントにこれで良いのかよ。もしこれで陸と結婚できたとして、ホントにそれで良いのかよ!!?」

 

次に楽はその怒りの表情を羽に向けた。そして問いかける。本当にこれで良いのかと。陸を苦しませ、自分の下へと誘い込む。これが羽の望みなのかと。

 

「陸の事好きなんだろ!?何でこんな事すんだよ!陸を苦しませて…、なぁ羽姉!」

 

「…」

 

羽は何も答えない。楽を見ようともしない。表情は変わらない。この部屋で小咲達を待ってた時と変わらず、無を浮かべたまま。

 

「…羽姉」

 

「坊やが何を言たて変わらないよ。もう首領は覚悟を決めてるね」

 

「…そんな覚悟、捨てちまえよ。好きな人を苦しませる覚悟なんてよ…!」

 

夜の言う通り、羽には自分の言葉は届かないと悟った楽はドスンと乱暴に、音を立てながら腰を下ろした。そして胡坐を掻いた膝に頬杖を突きながら最後に捨て台詞を吐く。

 

小咲からは楽の顔は見えない。だがきっと、今の楽は小咲が見た事ないほど怒りに満ちた顔をしているんだろう。頬杖を突いた腕とは逆の拳が固く握られていた。

 

「…なぁ陸よぉ。すっげぇ恥ずかしくて青くせぇ台詞を楽が吐いてたけどよ。…まあ、綺麗事じゃあ回んねぇわな。特にこういう世界じゃよ、楽が言ってた事なんて真っ先に切り捨てるべきモンだ」

 

「…」

 

「けどよ…。俺ぁよ、今の間だけでもおめぇに綺麗事を通してほしいのよ」

 

陸の目が見開き、ゆっくりと顔が一征の方へと振り向かれた。

 

「…俺ぁおめぇがまだ小せぇガキの頃からヤクザのイロハを仕込んできた。戦闘技術、交渉技術、おめぇがスポンジみてぇにどんどん覚えてくからよ、つい楽しく感じてた俺を今はぶん殴ってやりてぇ」

 

懺悔だ。小咲は直感的にそう感じた。

陸が小さい頃に一征と何があったのか、小咲は知らない。だが小咲は、一征の懺悔を聞きながら、以前に一征と二人でした会話を思い出していた。

 

『あいつはな…、信じられねえかもしれねえがガキの頃は俺や、楽にさえも口を開かない時ってのがあったんだ』

 

『いや、口だけじゃねえな…。一時期は心も開いてなかったかもしれねぇ』

 

『そうしちまったのは、紛れもねえ俺自身なんだ。…もしかしたら、陸は今でも本心を俺に見せてねえのかもしれねえ』

 

暖房が行き届いてなかった寒い廊下で、あの時も一征は今みたいに懺悔をしてるように小咲に話していた。

 

『嬢ちゃん、いきなり何言ってんだこの爺さんはって思うかもしれねぇ。でもよ…、高校の間だけで良い。あいつの事…、それとなく見てやってくれねえか?』

 

思えば、その時だろうか。自分の中でどこかまだフワフワしていた陸が好きだという想いが、硬く固まったのは。どんな過去が陸に在ろうとも、振り払われるまでは絶対に想いは消さないと思うようになったのは。

 

…最近、その決意が揺らいだのは大っぴらに言えないが。

 

「陸。難しい事は言ってねぇ。おめぇの望みを言え。そんで、その望みを叶える手伝いを俺達にさせてくれ」

 

「っ…!」

 

先程までそっぽを向いていた楽も、今は陸の動向に目を向けている。一征が、小咲が、羽が、夜が、陸の選択を今すぐに求めていた。

 

「…おれ、は」

 

唇を震わせながら何かを言おうとする陸と一瞬、小咲の目が合った。

すると、陸の震えがその瞬間に止まった。

 

震えが止まった陸は、何が起こったか解らないと言わんばかりに目を見開いて…そして、笑った。

 

「…俺は―――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回決着!







の予定


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第95話 ツナガリ

長かった、あー長かった。

VS羽、決着です!








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸。難しい事は言ってねぇ。おめぇの望みを言え。そんで、その望みを叶える手伝いを俺達にさせてくれ」

 

望み…?

望みって…、何だっけ?

 

俺が今までしてきた事は間違いだったのか?俺はただ、見たかった。家の中で、組の中で笑う人達を見ていたかった。ずっと、それを守りたいから、親父の扱きに耐えてきた。別にその事について親父が後悔する必要なんてない。むしろ、突然親父が甘くなった事に戸惑ったくらいだ。

 

それが俺の望みじゃないのか?ならば、そう言おう。言おうよ。言えよ。

何で動かないんだよ。おい、開けよ。

 

「…おれ、は」

 

言え。組を守るのが俺の役目だと。そのために、俺は羽姉と結婚すると。

…何で言えない。ただ言葉を紡ぐだけ、簡単だろう?何で…、拒むんだよ。

 

俺が羽姉と結婚すれば、集英組は大きな後ろ盾を得る事になる。俺は集英組を継ぐどころか関わる事すら難しくなるだろうが、親父の後は竜に任せれば大丈夫だ。叉焼会の恩恵を得て、集英組はより強固になる。ならば、俺がとるべき選択は…決まっているはずだ。

 

なのに俺の意に反して喉は声を発してくれない。何でだよ。ふざけるな。今更尻込みなんて許されると思ってるのか。俺の身勝手で傷ついた人達がいるのに。今更――――――

 

「―――――――――」

 

隣の人と目が合った。瞬間、息苦しさが一瞬にして消えた。頭の中を覆った霧が晴れた。

 

あぁ、何だ。簡単な事じゃないか。俺の望み、何で俺自身が解ってなかったのか。

俺は、ただ――――――――

 

だが、これは叶えてはいけない願いだ。だから俺はずっと迷っていたのだから。深く望みながら、叶えてはいけないという板挟みでずっと苦しんできた。そして俺はその願いを振り切ると決めたのに。

 

つい笑みが零れる。俺はこんなにも意志が弱い人間だったのか。でも、口に出すくらいなら良いか。

 

そう思って、口を開く。さっきまであんなに動く事を拒んでいた唇は、考えられない程あっさりと開いた。

 

「…俺は、集英組にいたい。組の皆を()が背負いたい。それが…、子供の頃からずっと俺が望んでた事だ」

 

まず、それを口にしてから、言葉を紡ぐ俺を見ていた小咲に顔を向ける。

突然笑みを向けられ、目を丸くする小咲に内心小笑いしながら俺は、もう一つの願いを口にする。

 

「後…、まだ、皆といたい」

 

「っ…」

 

目の前の小咲が息を呑む。そして両手で口を覆ったと思うと、その両目から一筋の雫が零れた。

 

「りく、くん…」

 

「…ごめん。多分、傷付けたよな。ごめん」

 

小咲は口を両手で覆ったまま、二度、頭を振ってから口から手を離し、人差し指で涙を拭って笑顔を見せる。

 

「陸君が何を考えてたのか、知ってたつもり」

 

「うん」

 

「だからね、私は諦めようと思ってた。それが陸君のためだって思って。でも…やっぱり諦めたくなかった。これからも、陸君と一緒にいたいって思った」

 

「…うん」

 

小咲の言葉を受け止める。

 

あの時はこれが一番だと思っていた。こうする事が小咲の、皆のためだと思っていた。

だって、当たり前じゃないか。やがてヤクザの組の後を継ぐ男と付き合いを持つなんて、普通の生活をこれから送る人にとってただの重荷にしかならない。そう考えての選択だった。でも結局、あの時の選択は小咲を傷付けるだけに終わっていたらしい。

 

俺は相当な馬鹿だ。少し考えればこうなる事くらい解ったのに。

俺がヤクザとかどうとか、そんな事を気にして離れてく奴じゃないなんて事くらい、解っていたのに。

 

でも、今は違う。それでもいい。それでも、俺は――――――――

 

「ありがとう、小咲」

 

「陸君」

 

「だけど…、ごめん」

 

それでも俺は、選ぶ。俺と関わってたら碌な事にならない。あんな裏のごたごたや抗争なんかに巻き込みたくない。だから俺は、

 

「もう、お別れだ」

 

二度と関わらない方を選ぶ。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

陸の言葉を今まで黙って聞いていた一征は閉じていた瞼をゆっくりと開けた。そして開けた視界を左、陸と小咲がいる方へと向ける。小咲の向こう側にいる陸の顔はどこか晴れ渡っているように見える。小咲は一征からは背中しか見えず、表情は窺えない。それでも、今小咲がどんな心境でいるか、予想くらいはできる。

 

「…陸よぉ。お前ぇ、さっき俺が何て言ったかもう忘れちまったのか?」

 

これまで黙っていた一征が不意に声を発した事に驚いたのか、小咲が目を丸くして振り返った。陸もまた、小咲とは違い驚いた様子は見られないが、一征の言葉の意味が読み取れていない様子で一征を見ていた。

 

「陸.お前ぇの望みは、組にいたい。友達と一緒にいたいで良いんだな?」

 

「あ、あぁ…。だけどな、親父。俺は…」

 

「うっせぇ!だけども糞もねぇ!俺はな、お前ぇの望みは聞いたがお前ぇの選択なんて聞いてねぇんだよ!」

 

横暴だ、と言いたげな陸の顔を無視して一征は更に畳みかける。

 

「俺達はもうとっくに決めてんだ!お前ぇがここにいたいのならいろ!絶対に、誰が何と言おうと、お前ぇを叉焼にゃ渡さねぇ!」

 

「い、いや…、()?」

 

苦笑いを浮かべていた陸の表情が固まり、そしてまさか、という驚愕の表情へと変わる。

陸だけではなく、一征達に対面に座る羽と夜も目を見開いていた。

 

「おい、親父…!」

 

「という事だ、羽。悪ぃが断らせてもらうぞ」

 

「何を勝手に!」

 

「うるせぇ!拒否権なんかねぇからな。誰かの為にとかいう理由で身を削る選択なぞこれからはさせねぇ」

 

自身の声を無視して話を進める一征に怒声を上げる陸。それに対して一征もまた声を張り上げて応戦する。

 

「…決裂、という事でいいのですね?」

 

一征と陸の互いに譲れない意志がぶつかる中、今の空気には似つかわしくない冷や水の様な声が響き渡った。睨み合っていた一征と陸が、二人のやり取りを見つめていた小咲と楽が、声がした方へと視線を向ける。

 

「陸ちゃん。あなたが選ぶのは、そっちでいいのね?」

 

「ゆい、ねぇ…」

 

羽の視線を受け止める陸を一征は横目で見遣る。

 

先程は瞳が揺れ、手が震え、明らかに迷っていた様子だった陸。だが今は、全くそんな様子は見受けられない。本人はああ言ってはいたが、もう陸の中で答えは出ているのだ。自分達が重荷になっているせいで、選んではいけないと思い込んでいる。

 

「誰のためでもねぇ。お前ぇのための選択をしろ、陸」

 

「――――――――――」

 

陸は振り返らなかった。一征の言葉は聞こえていたはず。だが、振り返らなかった。

これ以上口出しは出来ない。限界まで背中は押した。後はもう、全ては陸に委ねられる。

 

「…はぁ」

 

すると陸は、明らかに呆れたように大きなため息を吐いた。

 

「誰かのための選択はするなって、人としてどうなんだよ親父…」

 

こちらに振り向かないまま、陸は頭を振りながら口を開いた。

そして、陸に真っ直ぐと視線を向ける羽に向き直り―――――――

 

「悪い、羽姉。結婚は出来ない」

 

ハッキリと、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

真っ直ぐにこちらを見据える陸の瞳に、もう迷いはなかった。こちらが結婚を申し込んだ時や、返事はまだかと聞いた時はあんなにも迷いで一杯だったのに。

 

だけど、何故だろう。振られたにも拘らず、意外にも気持ちは晴れやかだった。

別に悲しくない訳じゃない。悔しくない訳でもない。むしろ今すぐにでも泣き出したいくらいだ。でもそれ以上に、何だろう――――――清々しいというか、そんな気持ちも大きかった。

 

「…ねぇ陸ちゃん。その選択がどういう事か、解ってる?」

 

「あぁ、解ってる。それでも俺は、結婚したくない」

 

問いかければ、即答で追撃が返って来た。完全に止めを刺された。

 

結婚()()()()()()()()()と返って来たらまだチャンスはあると思えたが、結婚()()()()()と来た。これ以上ない程の振り文句だ。もう望みはないだろう。

 

「―――――――」

 

大きく、長く、ゆっくりと息を吐く。

 

(解った上で、断るんだね)

 

叉焼会は集英組よりもずっと長い歴史を誇り、その規模もずっと大きい。そんな叉焼会からの提案を断る事は、叉焼会の面子を潰す事にも等しい。そんな仕打ちを受けた組織はその後どうするか。簡単だ。断った相手への宣戦布告である。

 

集英組は規模こそ大きいとは言えないものの、武闘派として名を馳せている組織だ。普通ならそんな組織に喧嘩を売るのは愚昧極まりないのだが…、叉焼会にとっては関係ない。集英組など、他の組織と団栗の背比べをしているようなもの。

 

(…とは、ならないんだよね)

 

十数年前までの叉焼会ならば、そうだった。だが今は違う。まだ若く、それも女の羽に後を継がせなければならない程、今の叉焼会は弱体している。というのも、むしろそこを立て直そうという意図が陸の結婚の中にあった。今の叉焼会が集英組と全面的に戦えば、負けはしないだろうが相当のダメージを追うのは必至。

 

恐らく、一征はそれに気付いた上であの強気な態度を崩していない。叉焼会は強気に出られない。そう、一征は考えているのだろう。陸も叉焼会の弱体については知っているだろうが、もし戦う事になれば滅ぶのは集英側だと悟っているからこそ羽との結婚を受けようとした。

 

二人の意見の対立は、一征に軍配が上がった。陸はハッキリと、羽との結婚を断った。

 

「…首領、どうする?望むのなら、今すぐ力づくにでもディアナを連れて帰れるが」

 

「「っ」」

 

考え込む羽の傍らで、夜が陸と一征の二人を睨みながら凄まじい殺気と共に小さな声を発した。小さな声と云えどもこの空間に響き渡るには十分で、夜の声を聞き取った二人が前に出て、小咲と楽を背に身構える。

 

それに対して夜は、二人から視線こそ離さないもののピクリとも動かない。

動く必要がないのだ。例えこの至近距離から二人が襲い掛かったとしても、夜はすぐさま対応できる。羽を庇いながらでも、陸と一征の二人を相手取る事が出来る。その確信が夜にも羽にもあった。

 

夜の言う通り、力づくで陸を連れて行く事もできる。本当に陸が欲しいのなら、そうするべきと思う。でも、それを選ぶ事は今の羽にはできなかった。

 

『うちはアンタみたいに諦めたりせんばい!自分の魅力で相手を振り向かせる事を諦めたアンタとうちを、一緒にすんなぁっっっっ!!!』

 

『…なぁ羽姉。ホントにこれで良いのかよ。もしこれで陸と結婚できたとして、ホントにそれで良いのかよ!!?』

 

あぁ、本当にどうしてこうなってしまったのだろう。

 

万里花の言う通り、自分の魅力で陸を振り向かせる事を諦めて、こんな卑劣な手に染めて陸を手に入れようとした。でも、本当にそれで陸と結婚できたとして、自分は幸せに思えるのだろうか。

 

楽の言葉で、羽はようやく自分の本当の望みを思い出した。羽は陸が欲しかったのではない。いや、それも一つの願いではあるのだが、本当の願いは――――――【陸と笑い合って、幸せに過ごしたかった】のだ。

 

…幸せに思える筈がない。羽も、陸も。友を裏切って、家族を裏切って、二人で笑って過ごせる訳がない。

 

「…夜ちゃん、やめて」

 

「…」

 

殺気を発し続ける夜に命じると、夜は即座に殺気を収めた。途端、強張っていた陸と一征の表情が緩み、その後ろの小咲と楽は大きく安堵の息を吐いた。

 

(小咲ちゃん…)

 

小咲は安堵の息を吐いてから、今度は安堵の笑みを浮かべていた。だが、それは自身が無事だった事に安堵しているのではないのだと羽はすぐに解った。

 

小咲の視線の先にあるのは陸の背中だ。小咲は、陸が傷つかずに済んだ事に安堵していたのだ。

 

(…凄いね、小咲ちゃん。私と違って)

 

小咲がここに来るのにどれだけ覚悟が必要だっただろうか。表の世界で暮らしているとはいえ、少なからず裏の世界にも触れていた楽と違って全く縁が無かった小咲は、この短い会合の中でどれ程の恐怖を味わっただろう。それでも逃げずに向き合い、陸の傍にいたいと想いを告げて。

 

否定されるかもしれないという恐怖もあったはずだ。自分はその恐怖に負け、素直に想いを告げる事から逃げてしまった。その違いが、容赦なく羽の胸に突き刺さる。そして、思い知る。

 

(もう…、駄目だ)

 

心の隅で、諦めてしまった。小咲に負けたと、認めてしまった。

 

それでも…、まだやり残した事がある。今更遅いとは思うが…、これだけはさせてほしい。せめて、これだけは許してほしい。

 

「ねぇ、陸ちゃん。私ね?…陸ちゃんの事、ずっと好きだった。今でも、結婚を断られた今でも好き」

 

「…」

 

あぁ、何だ。告白って、こんな簡単な事だったのか。羽は想いを告げた後、思わず拍子抜けしてしまった。だって、実際にしてみればあっさりと秘めていた想いは口から出てきてくれた。

 

「ごめん、羽姉。俺は羽姉の気持ちに応えられない」

 

そして、これまたあっさりと陸は羽の想いを振り払った。先程のやり取りで解ってはいたが、堪えるものはある。せめてもう少しくらい迷う素振りでも見せられないのか、此奴は。

 

「…そ…っか」

 

両目を伏せる。零れ出そうとする涙を何とか押し留める。

 

駄目だ、泣くな。せめて最後くらい、年上として、二人の姉として強い所を見せたい。

 

それは羽の意地だった。

 

「…一征さん。結婚の話は、無かったという事に」

 

「…おう。良いんだな?」

 

「そちらが断ったのでしょう?それとも、無かったという事を無かった事にします?」

 

試すように問いかけてきた一征におどけて返してみれば、一征はくすりと笑いながら肩を竦めた。

 

「…じゃあ、行きましょう。夜ちゃん」

 

「…」

 

声を掛けた羽に、何も言わずについていく夜。

 

「それでは。失礼致しました」

 

そして最後にそう告げて、障子を開けて部屋を出て行こうとする羽。

 

「…なぁ、羽姉!」

 

そんな羽に、楽が口を開いた。

 

「…なぁに?楽ちゃん」

 

出て行こうとした足を止め、笑顔を浮かべて振り返る羽。続いて何かを言おうとした楽は、何と言おうか悩む素振りを見せながら、やがておずおずと告げだす。

 

「…その、だな。…羽姉は、俺達の姉ちゃんだって事は、その…変わらねぇ…よな…?」

 

「…」

 

楽の口から出てきた言葉に羽は思わず目を丸くする。

 

「いや、その…。羽姉はとんでもない事したけど、喧嘩くらい家族なら誰だってするし…」

 

「喧嘩って…。そんな単語じゃ当て嵌まらないと思うけど」

 

「でも!…姉ちゃんは、姉ちゃんだけだし…。…ぁぁぁあああああ!何言ってんだ俺!自分でも解らなくなってきた!」

 

ぐしゃぐしゃと両手で髪を掻きながら楽はキッ、と力の籠った眼で羽を見据えた。

 

「羽姉が俺達の家族なのは変わんねぇ。それだけ言いたかったんだ」

 

「――――――」

 

良い、のだろうか。あんなひどい事をこの兄弟に、その家族に、友人にしでかして。二人の姉を名乗って、本当に良いのだろうか。

 

陸に目を向ける。羽を振り払ってからずっと黙ったままだった陸は気まずそうに視線を逸らしてから、一度、ゆっくりと頷いた。

 

もう、二人と会う資格なんてないと思っていた。せめてもの償いとして、集英との関わりだけは保とうと、きっとこれから先、羽との婚儀を断った集英に遺憾を持つ者達を宥め、繋がりだけは切れないよう努めるつもりではあった。だがこれから先、二人の家族でいられるとは思っていなかった。

 

そんな羽とは裏腹に、兄弟はその繋がりを切ろうとはしなかった。それだけで、報われた気がするのは余りにも単純だろうか。

 

「…ありがとう!楽ちゃん!陸ちゃん!」

 

羽の顔には輝く笑みが浮かんでいた。それは陸達が久しぶりに見た、羽の本当の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これでこの小説のシリアス回は最後となります。
後は最終回まで小咲とのイチャイチャか小咲とのイチャイチャか小咲とのイチャイチャかほのぼのか小咲とのイチャイチャか小咲とのイチャイチャになります。(`・ω・´)


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第96話 ミンナト

活動報告にて少し質問を書いてます。この小説で追加したタグについてです。
あまり気にしないで良いとは思ってますが、念のために皆さんの意見を聞きたいです。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう言い方は変だが、何というか、拍子抜けした。もっと食い下がって来ると思ってたし、今この場で戦闘になる覚悟もしていた。そうなった場合、後ろの二人だけは何としても逃がす、と。

 

対峙していた相手は夜。叉焼会の首領が先代の時代から側近を務め、戦闘力も陸と一征の二人を悠々相手に出来る。それ程の高い実力者なのだ。

 

夜が暴れている間に、在日している他の組員を呼びよせ集英組を叩くという選択肢も向こうにはあったし、今日、集英組が滅ぶというのもあり得た。だが、叉焼会は――――――羽はそれを選ばなかった。以降も集英組と友好的な関係を続ける事を選んでくれたのだ。

 

勿論、それは困難な道だ。格下である集英組側に首領の婚約を断られたという事実は、叉焼会の構成員にとって大きな意味を持つ。快く思わない者は多く出てくるだろう。それ程までに羽の選択は常識から外れたものだ。

 

(羽姉…)

 

傷ついたはずだ。自分が傷付けたのだ。今回の結婚は、叉焼側に黒い思惑があったのは確かだが、それだけではなかった。羽の中には確かに陸が好きだという想いがあった。それを陸は振り払い、受け取らなかった。

 

普通ならこれまでの関係が崩れていた。しかし羽は、これからも姉弟という関係を保ちたいと言ってくれた。なら、自分に出来るのはそのために努める――――――いや、違う。自分に出来る事ではなく、自分がしたい事なのだ、それは。羽と姉弟のままでいたい。余りに自分勝手とは思うが、それが陸の本心だ。

 

「陸君…」

 

組の、叉焼会とのこれからについて考えを馳せていた陸の耳朶を、陸に呼びかける声が打った。振り向けば、陸を呼びかけた本人である小咲が、その向こうから一征と楽がこちらを覗き込んでいた。

 

「あ、あー…。その…」

 

こうしてこの三人と改めて向き合うのが何というか、気まずい。特に小咲と楽には、はっきりと決別と言っていい言葉を吐き掛けているためかなり気まずい。真っ直ぐに顔を覗き込んでくる小咲から思わず視線を逸らしてしまう。

 

「く…」

 

「…」

 

そんな陸を見ていた一征が小さく笑みを噴き出した。笑い事じゃない。この件に関しては完全に自業自得だし、一征にとっては他人事だが、笑われるのは少々気分が悪い。一睨み利かせると、一征は一瞬目を丸くしてからフイッとそっぽを向いて口笛を吹き始めた。高みの見物状態である。

 

「…」

 

とにかく、今この場で何と言えばいいのだろうか。いや、謝罪をするのはもう決定なのだが何と切り出せばいいのかサッパリ解らない。陸の17年間の人生の中で一番と言っていい程、葛藤している。だって、本当に解らない。初っ端からごめんなさいと言うのは何かおかしい気がするし、かといって、ぺらぺらと前置きを並べるのもどうかと思う。

 

――――――待って、マジでどう切り出せばいいんだ。誰か教えてくれ。俺に答えを…ハッ!そうだ!こういう時こそ親に助けを求めるんだ!だって親父言ってたし!俺の望みを叶える手伝いをさせてくれって!また皆の所に戻るには謝罪は絶対条件!親父、一緒に考えてくれ!俺はどうやって切り出せばいい!?

 

――――――自分で考えろ、阿呆。

 

――――――ですよねー。

 

一征との一瞬のアイコンタクトにて出された答えは至極当然のモノだった。まあ陸も混乱していたとはいえ本気で一征に助けを求めていた訳ではないので、別段気にしていないが。

 

これは、誰の手も借りてはいけない。陸自身の問題なのだ。

 

「…すまなかった」

 

「…」

 

「最初、俺が皆から離れる事が皆の為になるって思ってた。…俺は皆が思ってる以上に手を汚してる。この手で人を殺した事だってある。そんな奴は皆の傍にいない方が良いって思って…、いや、今でも思ってる」

 

「陸、お前…っ」

 

陸の言葉はまるで、羽についていくべきだったと言っている様で、楽は堪らず口を開こうとした。だが、一征に一瞥され、更に頭を振るのを見て言葉を留める。

 

「現に、俺を襲ってきた奴が言ってたからな。小咲を殺す、って」

 

「っ…」

 

「なっ…!?」

 

小咲と楽が目を見開いて絶句している。陸の様子を横目で見ていた一征も目を細めた。

 

思い出すのは去年の事。確か、林間学校が終わって少ししてからだろうか。一征の命で香港に行った時だ。叉焼会と敵対する組織を潰しに行った時、相手が雇った殺し屋が言い放った言葉だ。

 

そう、とっくに陸は小咲達を巻き込んでいたのだ。まだ襲撃されたりという目立った被害はないが、それもいつ降りかかって来るか解らない。ならば、羽と結婚して叉焼会と繋がりを深くし、組の力を強くすれば小咲達も守れる。そう考えていた。

 

「…小咲、楽。俺と…ヤクザと付き合っていくってのはそう言う事だ。自分が知らない間に標的にされているかもしれない。それでも――――――」

 

「それでも!…私は、陸君と一緒にいたい」

 

どうして、そんな風に躊躇いなく、はっきりと言えるのだろう。一緒にいたいだなんて。これからも陸と付き合いを続ければどうなるか、小咲はもう解っているはずだ。それを解った上で、小咲はそう答えたのだ。

 

…本当に何でだよ。下手すれば死ぬことだってあり得るのに。バカじゃねぇの。

 

そんな心境とは裏腹に、陸の口は笑みの形を浮かべていた。

 

「…守るよ」

 

「え?」

 

「俺は小咲達を守る。ずっと自信なかったけど…、俺も一緒にいたいから。ここにいたいから」

 

「…うん」

 

陸が微笑みかければ、小咲も綺麗な微笑みを返した。そしてどちらからともなく手を差し出し、握り合う。指を絡め、何かを確かめ合う様に。

 

「…うぉっほん」

 

「「っ!!!?」」

 

一征の咳払いが響いた瞬間、二人はバッ!と音が出る勢いで二人は離れ、顔を背けた。

 

完全な無意識だったが、かなり恥ずかしい事をした。それも、一番見られちゃいけない奴の前で。

 

「イイモン見れたな、楽」

 

「あぁ。いやぁ、アチィなぁ~。もう秋で寒くなってるってのに暑くなってきたぜ」

 

「…あぅぅ~」

 

ニヨニヨと笑いながら揶揄い攻勢に出る二人に、真っ先に小咲が顔を真っ赤にしてノックダウン。陸も小咲に負けず劣らず顔を赤くして羞恥に耐えていた。

 

そんな二人を微笑まし気に眺めていた一征と楽だったが、不意に一征が立ち上がり、二度、手を叩いた。

 

「さて、と。話もついた事だし、とっとと出ようや。今頃、竜達が首を長くして待ってらぁ」

 

このまま執務室にいてどうとなる訳でもないし、話が終わった事を組員達にも教えなければ。

 

最初に立ち上がった一征に続き、陸達も部屋を出て行く。

 

「…おめぇらよぉ、居間で待ってろっつったよなぁ」

 

「で、ですがおやっさん!待ってろって言われても、ジッとしてられなくて…」

 

(あー…。気配は感じてたけど、やっぱいやがった)

 

いざ部屋を出てみれば、その廊下には大勢の男達が並んでいた。さっきまでの話の途中から気付いてはいたが、どうやら話を盗み聞きしていたらしい。一征に軽く叱られている竜の奥では、何人もの男達が涙を流していた。

 

「坊ちゃん…、いえ、若頭!あっしらは…あっしらはぁ~!」

 

「本当に申し訳ねぇ!若頭の気持ちを察してやれねぇで…!情けねぇ、ちくしょぉ~!」

 

「あ~、解った。解ったから。むさ苦しいから泣き止め」

 

男泣きする部下達を苦笑いを浮かべながら宥める陸。しかし一向に泣き止まない男達に、もう言っても無駄と悟った陸は溜め息を吐いてからもう無視する事にした。

 

「ほら、てめぇらもいつまでも泣いてんじゃねぇ。今日は陸と楽のダチも呼んで宴にすっからよ」

 

「…はぁ?」

 

竜を叱り終えた一征が泣いている男達を見回しながらそう言った。

 

「宴って、何でだよ」

 

「んなもん決まってんだろ。俺の退院祝いだよ」

 

「…」

 

陸が宴を開く理由を聞いてみれば、一征は自分の退院祝いだと答える。

何という事でしょう。とっくに容態は回復してたくせに入院期間を延ばした身でそんな事を宣うのですか、この男は。

 

呆れる陸と楽の冷たい視線を物ともせず、一征はニヤリと笑いながら陸を見て続けた。

 

「何か文句あっか?」

 

「…いーや、なーんにも」

 

文句なんかない。例え文句を言ったってこうと決めた一征がそれを曲げる筈もない。

諦めた陸は何も言わない事にする。

 

未だに泣き続ける男達の前を陸達は素通りして居間へと向かう。小咲は泣いている男達を心配そうに見ていたが、陸が気にしなくて良いと窘めて居間へと入った。

 

その後、楽と小咲が手分けして千棘や鶫達、いつも集まる面子に電話を掛けて一条家に集まるように呼び掛ける。その際に陸と羽の結婚が取り止めになった事も報せて。

そして楽と小咲が友人に呼びかけている間、一征は部下たちに命令し、この場に集まれる人数分の食事を出前で頼むよう指示を出す。陸の好物である寿司は勿論、中華等の多くの料理が机に並ぶのはもう少し後の事である。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

まだ十一月とはいえ、夜になれば冬の兆しが顔を覗かせる。刺すような寒さが羽が着たセーターを通り抜け、身体に伝わって来る。

 

「うぅ…。何か上に羽織れば良かったかな…」

 

寒さに身を震わせながら呟く。

陸達との会談を終えた後、羽は部屋に戻らず真っ直ぐ玄関から外に出た。

これ以上、あの家に居たくなかった。

 

陸も、楽も、一征も、あの家にいる皆はきっと、羽の所業を許し、また住まわせてくれるのだろう。だが、羽はそうしたくなかった。誰が何と言おうと、自分にはもうそんな資格はないのだから。

 

「で、どうするね首領。荷物は部下に任せて、中国に帰るか?」

 

「ううん。もう少し日本にはいるつもり。ここで帰ったら、学校の人達に迷惑掛けちゃうから」

 

夜のこれからの行動についての問いかけに、羽は間を置かずに日本に残ると答える。

羽の中ではせめて、今年度が終わるまでは教師を続けるつもりでいる。まだ楽達の前担任である日原先生が寿退職したばかりで、その上自分までまたすぐに退職となれば、かなり大勢の人達に迷惑が掛かる。その理由が理由なだけに、それだけは避けたいというのが羽の本音だった。

 

「…」

 

再び沈黙が流れる中、ふと思う。今頃、あの家ではどうなっているのだろう。陸が家に残る事、そして一征の退院祝いをする準備でもしてるかもしれない。もしそうだとしたら、きっと千棘達も呼ぶのだろう。つい先月くらい前までは、その輪の中に自分がいた事が今では信じられない。

 

また、あの輪の中に戻りたい。でも、あの輪を壊そうとした自分が戻って良い訳がない。

 

「…あっ」

 

「?」

 

そういえば、夜は何も言わない。いや、夜から何かを口に出すという事は普段からあまりないのだが、それにしても夜が進めた縁談を駄目にして、何か一言言われる覚悟はしていたのだが。夜はその事について全く口にしない。

 

いつもと変わらない無表情だが、その裏で何を思っているのだろう。もしかしたら、自分の決断を不満に感じてたりしてるのだろうか。

 

「…夜ちゃん、その…」

 

「…」

 

先程不意に羽が声を上げてからずっと見上げていた夜に、しどろもどろになりながらも話を切り出す。

 

「り、陸ちゃんとの結婚…駄目にしてごめんなさい」

 

「…」

 

「え、えっと…その…」

 

羽を見上げたまま何も言わない夜。それがまた不安を助長させる。更に言葉を続けようと、羽が口を動かそうとして――――――

 

「何を謝る必要があるね」

 

「…え?」

 

再び口に出そうとした謝罪の言葉を、喉奥へと飲み込んだ。

 

「え、だ、だって…。夜ちゃんは陸ちゃんを叉焼に取り込もうとしてたんでしょ…?だから私に結婚をけしかけて…」

 

「あぁ、それもある」

 

「…それ、()?」

 

夜の答え方に引っ掛かりを覚え、聞き返す。

 

「けど、こうなる事は解てたね。あの坊ちゃん、小咲とかいう娘に懸想してたのは目に見えて明らかだたよ。首領に勝ち目がない事なんて百も承知よ」

 

「ひ、ひどい…。じゃ、じゃあどうして…」

 

「決まってるね。首領、アンタに踏ん切り着けさせるためよ」

 

思わぬ答えに目を丸くする。

 

「ディアナに想いを伝えたい。でも断られるのが怖い。あのままうじうじしてたら組のためにも首領のためにもならない。だから強引に結婚話を進めようとした」

 

「…」

 

「ディアナが断るのなら首領の踏ん切りがついてよし。ディアナが受け入れるならそれもまたよし。どっちにしても、叉焼にとってはメリットがあるね」

 

何という裏事情。まさか断られる事を前提にあの話を進めていたとは。

 

(…てことは、ちょっと待って?)

 

そして羽はある事に気が付く。

 

「ね、ねぇ夜ちゃん。その話って…」

 

「勿論、幹部連中には伝えてあるよ。そうでないと、断られた時に面倒になる」

 

「…」

 

という事は何か。これから集英組と親交を続けるためにどうすればいいか考えてたのは全部無駄という事か。

 

あまりにあんまりであんまりすぎる仕打ちに言葉が出ない羽。そんな羽を表情変えず横目で見続ける夜はふと立ち止まった。

 

「で、どうする?」

 

「え?あの、さっきも言ったけど…」

 

「そうじゃない。結婚の話よ。言っとくけど、ディアナ以外の婿候補はたくさんいるね。今、うちには首領しか血筋を継ぐ者はいない。首領が跡継ぎを生まなきゃ叉焼は終わりよ」

 

今すぐ跡継ぎを生まなければいけない、という訳ではない。ただ、首領の血筋を継ぐ者が羽一人しかいない以上、羽に何かがあれば叉焼は終わる。今すぐである必要はないが、急ぐ必要はある。

 

――――――それでも

 

「…夜ちゃん。振られたばかりの女の子に他の男の人との結婚薦めるってひどくない!?もう少し慮ってくれてもいいんじゃないかな!?」

 

「…」

 

ふいっ、とそっぽを向く夜。全く羽を慮る様子は見られない。

 

「もう…」

 

小さく溜め息を吐いてから、羽は小さく笑う。

 

「…もう少し、時間が欲しいかな」

 

「…」

 

そっぽを向いていた夜が、羽を向いた。

 

「ちゃんと自分で誰かを選んで、恋をして、そうやって誰かと結ばれたい。他の誰でもない、自分の為に」

 

すでに暗くなった夜空を見上げながら、羽は続ける。

 

「いつになるかは解らないけど…、それじゃダメかな」

 

「…」

 

最後に、羽を見上げる夜に視線を向けてから、そう言い切った。

それに対し、夜は少しの間黙ったまま羽の顔を見つめていた。

 

「…私とお前の立場から考えたら、そんなの言語道断ね」

 

そして、はっきりとそう言った。

 

やっぱり、駄目か。

羽の顔に諦めが浮かんだその時、夜が再び口を開いた。

 

「でもお前は叉焼会の首領で、私はその部下。首領が何かを望むのなら嘆願でなく、命令すればいい」

 

「っ…」

 

一瞬息を呑み、そして笑みを浮かべながら羽は命ずる。

 

夜我命令你(イエウォミンリンニー)【命令するわ夜】。請相信我(チンシャンシンウォ)等我哦(デンウォオ)【私の事を…信じて待ってて】」

 

「…我明白了(ウォーミンバイラ)【仰せのままに】、首領羽」

 

そこに確かにあったのは、首領と側近が本当に信じ合った瞬間の光景だった。

 

「…ん?」

 

その時、ズボンのポケットからスマホの着信音がした。羽はポケットからスマホを取り出し、画面に映る名前を見て一瞬、悲し気に顔を歪めてから、一度深呼吸をして通話欄をタップした。

 

「も、もしもし。楽ちゃん?」

 

『おい、羽姉!どこ行ったんだよ!』

 

「え…へ?えっと…」

 

『車の音…?羽姉、まさか外にいんのか?』

 

何ともタイミングが悪い。車通りの少ない道を歩いているのだが、どうしてこんな時に通り過ぎていくのか。そして案の定、その音は電話の向こうにいる楽の耳にも届く。

 

『ったく…。おい羽姉、これから親父の退院祝いすっから、とっとと戻って来いよ』

 

 

「え?あ、あの、私…」

 

『いいか?千棘達も待ってるからさっさと帰って来いよ!』

 

その言葉を最後に通話は切れた。有無を言わさず、楽は羽に早く帰って来いと告げてきた。

 

帰るも何も、もう自分はあの家に行くつもりはない――――――

 

「行けば良い」

 

「…夜ちゃん?」

 

「行きたい違うか?」

 

「…」

 

行きたい。それは行ってはならないという気持ちに塗り固められたもっと深くにある気持ち。

 

「でも…、良いのかな?」

 

「良いも何も、招いてるのは向こうね。まあ首領が行きたくない言うのなら別に良いが」

 

「…」

 

あの家にいるのは陸達だけじゃない。楽が言っていたが、彼らが呼んだ千棘達も居る。

また、あの輪に加われる?その資格が、自分にはある?

 

「…首領はどうしたい。しなくてはならない、じゃなく、どうしたい?」

 

それはあの時、陸が問われた質問だった。どうしなくてはならない、ではなく、どうしたい。

 

そんなもの、とっくに答えは出ている。

 

「…皆と、会いたい」

 

「なら、行けば良い」

 

それ以降、夜は喋らなかった。その代わり、羽よりも先に歩き出した。

一条家がある方向へと。

 

「…そう、だね。私、皆に会って、謝って来る」

 

そうだ。皆といる資格がない?それよりも前にまず、皆に言わなければならない事があるだろう。

 

そして、許されるのならば、また皆と一緒に―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当はこの回でVS羽の章を終わらせて、次話から最終章!
といきたかったのですが、一万文字超えそうだったので分けました。
その結果、100話で収まらなくなりそう…。(´;ω;`)


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第97話 ホシゾラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千棘達が家に来るまで、楽と小咲が電話を掛けてから一時間と掛からなかった。

最初にリムジンに乗った千棘と鶫が来て、千棘が陸の姿を見つけた途端大声で文句を言いながら詰め寄って来た。だが、その目には大粒の涙が浮かんでおり、挙句の果てに嗚咽で文句すら言えなくなり、小咲に抱き付きながら大泣きしてしまった。鶫には何も言わなかったが、呆れたように溜め息を吐いていた。

 

その次に来たのはこれまたリムジンに乗ってやって来た万里花だった。万里花は千棘と違い、落ち着いた様子で陸に話しかけてきた。が、一言陸に掛けた後、すぐさま楽に抱き付きに行った結果、一瞬にして涙が引っ込んだ千棘と揉めていた。そんな騒がしい光景もどこか懐かしく、微笑ましく陸は感じた。

 

その後、るりと集が一緒に来て、陸の顔を見て集が何か言おうとするがその前にるりがジャンピングクロスチョップを陸の顔面に撃ち込んだ後、陸を正座させて説教を始めた。あれ、何でだろう。宮本ってこんな怖かったっけ?等と感じながらるりの言葉に頷いて答える機械になりながら説教を受けている最中に、春、風ちゃん、ポーラの三人がやって来て、るりの説教に春が加わる事になった。

 

小咲を悲しませるな、お姉ちゃんを泣かせるな、今度同じような事をしたら只じゃ置かない等々言われ、三十分程で説教は終わった。先程の千棘もそうだったが、自分達の事ではなく、小咲の事しか自分に言わないのは、まあ、そういう事なのだろう。

 

説教が終わり、立ち上がる事を許可された陸は楽と共に厨房で更なる追加の料理を作ろうとして、ふと気付く。そういえば、羽はどこへ行ったのだろうと。執務室での対談が終わり、部屋を出てから一度も姿を見せていない。千棘達に羽との対談の内容を簡単に説明してから、羽を呼びに向かったが、部屋にいる気配はなかった。家中を手分けして探したが、見つからなかった。

 

皆で合流してから楽が電話を掛けると、外にいるという。羽に早く家に帰るように言ってから、陸と楽は厨房ですぐに料理を始める。大勢分の料理を作っている間に出前を頼んでいた品も次々届く厨房にいてどういう話をしたかは聞こえなかったが戻って来た羽と千棘達も何やら話したようで、完成した料理を運ぶ最中に様子を見れば別に彼らの間に変な空気なんかは感じなかった。

 

準備が完了した時にはもう夕飯には少々遅い時間になっていたが、その分空腹感が増し、食事が始まってからあっという間に料理は減っていった。頼み過ぎたか、作り過ぎたかと思っていたのだがそれとは逆に足りないという事態が起き、再び陸と楽が厨房に入る始末。

 

そうして騒がしくも楽しい、久々の家族の、友人の団欒は続いている。

 

「…疲れた」

 

今、陸は縁側に腰を下ろして星空を見上げていた。現在の心境は、たった今口にした一言で察しが付くだろう。

 

楽しかったのは本当だ。嬉しかったのも本当だ。だが現在、リビングでは誤って口にした酒によって酔った千棘、万里花、鶫が暴れている。楽が必死に止めようとしていたが、勿論できるはずもなく。こういう時止められそうな親父や武闘派の男達は面白がって止めようともせず。三人に楽が押し倒された所でターゲットが移らない内にそっと抜け出してきたのだ。

 

まあ、抜け出した理由はそれだけではないが。

 

「陸君?」

 

体勢を後ろに倒し、両手を背後に突いて星空を仰いだその時、陸の左側。リビングから続く廊下の方から声がした。

 

「…ついてきたのか?」

 

「…うん。突然、出てっちゃうから。気になっちゃって」

 

陸が振り返った方に立っていたのは、風で揺れる髪を押さえて微笑む小咲だった。

陸の問いかけに答えた小咲は陸のすぐ隣で腰を下ろし、先程までの陸と同じように星空を見上げる。

 

「うわぁ、凄いねぇ~!」

 

「うん。ここから見る星は子供の頃から好きだった」

 

感嘆の声を上げる小咲。それ程に、縁側から見える星空は綺麗なのだ。子供の時は良く、楽と一征と、母が海外に行く前は親子四人で空を見上げていたものだ。

 

「…あと何回見れるかなとか思ってたんだけどな。解らんもんだ」

 

空を見上げていた小咲が振り向くのを感じながら、昨日までの自分を思い出す。

長不在の中、多忙の日々を送っていた陸だが、ほんの少し寝る時間が出来ればその前に必ずこの場に来ていた。星を見上げて、かつての団欒を思い出して、もうすぐここから夜空を見れなくなるんだな、と哀愁の念を抱いたりして。

 

でも、もういつでもここに来れるようになった。来て良いのだ。

それも全部、皆のお陰だ。皆がいなかったら、ここにいたいと思う気持ちにすらならなかった。そして、小咲と楽が来てくれなかったら。あの時、小咲と目が合わなかったら――――――

 

「…ありがとう」

 

「え?」

 

「来てくれて、ありがとう」

 

あの時、選択を迫られた時、もうその時から陸の中で答えは決まっていた。今になってからようやくその事に気が付いた。だが、怖かったのだ。その答えを口にする事が。その選択をした瞬間、どうなるのか怖かった。

 

やっぱり駄目だ、と。誰が何と言おうと、そうするべきなのだと思ったその時だった。小咲と視線が交わったのは。その瞬間、恐怖があっという間に流されて、代わりに何故か勇気が湧いてきた。その理由も、今なら解る。

 

なお、一方の小咲は何が何だかわからない様子。何故陸にお礼を言われたのか、サッパリ解らないようで首を傾げている。その様子が面白くて、陸はつい笑みを零してしまう。

 

「え?…え?」

 

「クッ…、クククッ…。いや、何でもない…」

 

手の甲で口を隠しながら笑い続ける陸に更に小咲の戸惑いは深くなり、そしてその様子を見て陸は更に笑い続けるというループを何度か繰り返すまで、陸の笑みは収まらなかった。

 

「…小咲のお陰なんだよ。俺がここにいられるのは」

 

「?私、何もしてないよ?」

 

「…うん、小咲は何もしてない。でも、小咲のお陰なんだ」

 

意味の解らない事を言っている自覚はある。戸惑ってる小咲に申し訳なくもある。

ただ、正直に話すのは恥ずかしすぎる。小咲を見ただけで勇気が湧いたとか、言える訳がない。

 

「ごめん、何言ってるか解んねぇよな。ま、感謝してるって事だけ伝わればいいんだ」

 

「う、うん…」

 

納得し切れてはいないようだが、これ以上陸に話す気はないと解ったのだろう。これ以上小咲は追究しなかった。

 

「…」

 

「…」

 

流れる沈黙。二人が見つめ合う中、周りからは虫の鳴き声が聞こえてくる。

さぞ心地よい時間、という訳ではなく現在絶賛十一月。真冬程ではないとはいえ、夜になればかなり冷える。陸はいつもの和服の上に羽織を着ているためそこまで寒いという訳ではないが、小咲は違う。

 

「くしゅんっ」

 

可愛らしいくしゃみ。ようやく陸は小咲の格好が外へ出るには薄い物だと気付く。

 

この家には制服の格好で来た小咲だが、今は羽から借りたラフな格好でいる。

 

「寒くなって来たな。そろそろ戻るか」

 

「あっ…」

 

今の小咲の格好でここに居続けるのは体に毒だろう。そう思い、立ち上がって混沌の戦場ことリビングへ戻ろうとした陸だが、どこか名残惜しそうな小咲の声を耳にして踏み出そうとした足を止めた。

 

「…どうした?」

 

「えっと…、その…。もう少しここに、居たいかな…?」

 

「?」

 

そんなにここから見える星空が気に入ったのだろうか。しかしそんな物、何時でも見れる。構わず小咲にもう一度戻ろうと提案しようとしたその時、先に小咲が続けて口を開いた。

 

「今戻ったら、皆がいるから…。もうちょっと、陸君と二人で…いたい…」

 

「…」

 

あれ?今って夏だったかな?ていうかさっきまで寒かったのに何でいきなり暑くなったんだ?十一月だよ?冬が目の前だよ?おかしいな。

 

「あ…あの…。違くてその…!」

 

「違うの?」

 

「あ、いや、違くない!あの…、う…」

 

可愛い。何だこの可愛すぎる生物。こんなのこの世界に居ていいのか。

 

顔を赤くしてあたふたする小咲を見続ける。このままじっと観察していたい欲求に駆られるが、陸はぐっとそれを我慢して羽織を肩から外し、小咲の肩に掛けた。

 

我に返った小咲が目を丸くして陸を見上げている。陸はそんな小咲は見ず、黙ったまま小咲の隣に再び腰を下ろした。

 

「あと五分な」

 

「…うん」

 

腰を下ろした陸は、それから少しの間は星空を見上げていたのだが、不意に視線をずらして隣へと向けた。同じように、小咲が陸の方に視線を向けたのも全く同じタイミングだった。

 

視線が交わる。これまで何度もこうして小咲と視線を交わしてきたが、何だろう。今のは何か違う気がした。

 

綺麗な小咲の黒い瞳に吸い込まれそうになる。というより、吸い込まれてる気がする。小咲の顔が近付いて来ている気がする。…こんな事が、以前にもあった気がする。

 

(…そうだ。去年の夏祭りだ。小咲と…その…、キスしそうになった時だ)

 

あの時は、もし猫と猫を追いかけていた楽が来なかったらどうなっていたのだろう。

 

心落ち着かせる虫の鳴き声はもう全く陸の耳に聞こえてこなかった。代わりに聞こえてくるのは、自分の心臓の高鳴りだけ。うるさい、止まれ、と心の中で叫ぶが全く聞く耳を持ってくれない。

 

小咲が目を閉じた。同じように陸も目を閉じる。そして更に顔を近づけて――――――僅かに聞こえて来た物音。そして我に返った陸の勘は、確かにその気配達を捉えた。

 

「…陸君?」

 

いつまでも待っていた感触が来ない事に不思議に思った小咲が目を開け、どこかを見ている陸を見上げる。陸は小咲の背後、廊下の角を睨んでいた。

 

「お、おい…。もう少ししゃがめって…」

 

「ち、ちょっと楽、押さないでよ…」

 

「…それよりも桐崎さん、私に寄り掛からないでくれません?重くて敵いませんわ」

 

「は、はぁ!?誰が重いって!?」

 

「お、お嬢。あまり大声を出されては…」

 

「「…」」

 

さすがに気が付いた小咲も振り返って陸と同じ方を見る。

 

何やら揉めているらしい。おかげで気配に気が付き、羞恥プレイを回避する事が出来たのだが。

 

「…」

 

「あ…」

 

立ち上がる陸。僅かに声を上げる小咲。だがその声は先程の名残惜しそうなものとは違い、何かを悟り、諦めたような、そんな気持ちが込められていた。

 

「大体ねぇ!あんたが邪魔だからこうして寄り掛からなきゃ見えないんじゃない!もう少し前に行きなさいよ!」

 

「そうすると陸様と小野寺さんに気が付かれてしまうではありませんか」

 

「お、おい千棘。橘も落ち着けって。陸に気が付かれる…!」

 

「…楽、もう遅いみたいだぞ」

 

「…私は先に行かせてもらうわ。行きましょう、春、彩風さん」

 

「ちょっ、るりちゃんずるいって!お、俺も!」

 

「は?お、おい宮本?集?」

 

「…申し訳ありません、お嬢。私、この瞬間だけ、お役目を放棄させていただきます!」

 

「え?つ、鶫?」

 

近付いてくる陸に気付いたて逃げ出した集、るり、鶫、春に風ちゃん。まあいい。あの五人の折檻はいつでもできる。それよりもまずは、この三人から始めるとしよう。

 

「随分楽しそうじゃん」

 

「「「っっっっっっっ!!!!!!!!!!!?」」」

 

ビクゥゥゥゥゥゥッ、と体を震わせる三人。そしてギギギギギ、と機械の様に陸の方を見上げる。

 

「りりりりりりり陸…。ぐ、偶然だな。俺達もちょっと星空を見たいと思ってだな…」

 

「そ、そうよ!別に二人で出てったアンタと小咲ちゃんが気になってついてきたとかじゃないのよ!?」

 

「おいばか!」

 

動揺しすぎて楽はどもりまくるし、千棘は墓穴を掘るし、万里花は…こっそり逃げようとした所を陸に襟を掴まれ捕らわれた。

 

「…有罪」

 

「「「…はい」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間ほど経ち、偶然縁側を通りかかった組員に三人は見つかった。何故か三人は気絶しており、敵襲と勘違いした組員は組を混乱に陥らせるのだった。

 

ちなみに残りの五人も陸に捕まった。どうなったのかは…、恐ろしくて何も言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに楽達が出歯亀してる時、ポーラはリビングで料理に夢中になってます。
最初は楽達と一緒にしてたのですが、ポーラの性格考えたら陸の恋愛模様には興味ないんじゃね?と思いまして。


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第98話 オサソイ

少し時間が掛かってしまいましたが、最新話です。

それでは、一条家双子のニセコイ(?)物語、最終章の始まりです。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずずずず、と音を鳴らしながら咥えたストローを吸い、お茶を飲む。テーブルの上には空になった弁当箱が二つ。向かい側には自分のものではない席に着いた上原が。上原は爪楊枝で歯の間を弄っている。そんな姿を見ながら、本当にこいつ高校生か?と疑ってから窓の外を見上げる。

 

もうすっかり冬真っ只中だというのに穏やかな空模様で、教室で暖房を焚いてはいるが窓側に座っていると暑くすらある程だ。

 

「平和だなー」

 

「そうだなー」

 

「…先月に友人関係が崩壊しそうだったなんて思えないなー」

 

「…本当にな」

 

ポカポカと暖かい日差しを受けながら間延びした声で言う上原に相槌を打つ。

実際に平和そのものだからそうだとしか返せないし、上原の皮肉にも何の反論も出来ないので一言で返す事しかできない。

 

あの集英組と叉焼会のいざこざが解決してからもう一か月が経とうとしている。その間、全く事件はなく、上原の言う通り本当に平和に日々は過ぎていった。陸も休んでいた学校に再び行くようになり、以前までの日常に戻って来たのだ。

 

「…ホントに、何にもなかったなー」

 

「…何なんだよ、言いたい事あるならハッキリ言えよ」

 

「べーつにー」

 

「…」

 

ぐでーっと陸の机に体を倒した上原が見上げながら含みのある言い方で陸に言う。その視線を見返しながら陸が問いかけるも、素っ気なく問いは流される。

 

「この一か月、一条と小野寺さんの間に何にも無かった事が信じられないだけだよ」

 

「あんじゃねぇか言いたい事」

 

と思いきや、溜め息混じりで返って来た返事に即座にツッコミを入れる。

いや、これも揺るぎない事実なので何の反論も出来ないのだが。

 

「とっとと告白しろよな。いつまで掛かってんだよ」

 

「いや…、その…。機会が、ないというか…、何というか…」

 

「へたれ」

 

「…」

 

グサッ!と鋭い刃が突き刺さる音がした。現実に何かが刺さった訳ではないのに陸の身体は仰け反り、思わず胸を押さえて蹲る。

 

既に陸は上原からずっと抱いていた気持ちを教えてもらっていた。その上で、陸もまた

胸の奥の本音を上原に吐いていた。自分は、小咲が好きだと。そして上原から応援するという友として嬉しい言葉ももらい、いざ告白へ―――――――と、なるはずだったのだが。

 

先程までの会話で解る通り、この一か月、陸は何の行動も出来ていない。上原からへたれと言われるのも当然である。

 

だが、陸の機会がないという言葉もあながち間違いとは言い切れないのだ。現に陸はこれまで何度か告白しようと、思いを言葉にして告げようと試みた事はあったのだ。だがその度に邪魔が入り、微妙な空気になって告白はお流れになって来た。

 

ある時は、二人の傍にあった藪から猫が飛び出してきた。

ある時は、二人の傍にあった公園で遊んでいた子供のボールが二人の間を横切った。

ある時は、告白を口に出そうとしたその瞬間にお婆さんから道を聞かれた。

ある時は、家の周りに掛けていた水を掛けられた。

ある時は、上から植木鉢が落ちてきた。

 

もう後半二つはワザとなんじゃないかとすら疑ってしまう。

というより神様が告白させまいとしてるのではないかと陸は本気で考えそうになる程だった。それ程までにこの一か月、邪魔が入り続けた。

 

「俺だって、頑張ってはいるんだよ…」

 

「…」

 

今度は陸が机に体を倒しながら呟いた。これまで邪魔され続けてきた憂鬱やら鬱憤やらが、この一言に全て込められていた。

 

上原はブツブツと不貞腐れている陸を見下ろしながら一つ、溜め息を吐いてからゆっくりと口を開いた。

 

「一条、 今日の日付言ってみろ」

 

「…は?いきなりなに―――――――」

 

「いいから言え」

 

「…12月23日」

 

「明日は?」

 

「12月24日」

 

「その日は何だ?」

 

「…何だ?」

 

「死ね」

 

「意味解らん」

 

12月24日が何だと聞かれて、何なのか聞き返したら死ねと言われたでござる。理不尽でござる。

 

「12月24日といえばクリスマスイブだろうが!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「…お前、マジで言ってる?」

 

「いや、だから何なんだよ」

 

上原に言われるまでもなく、12月24日がクリスマスイブだという事くらい陸も解っていた。ただ、上原が聞いているのはクリスマスイブだからこそのその先の事だ。うん、サッパリ解らない。何が言いたいんだこいつは。

 

「はぁ~~~~~~~~~~…」

 

「何で俺、こんなでかい溜め息吐かれてるの?お前の言葉が足りなさすぎるだけだろ?俺が悪いの?」

 

というより上原ってこんなキャラだったっけ?いきなり死ねとか口にするような柄悪い奴だったっけ?

 

親友の新たな側面を目の当たりにして戸惑う陸を余所に、溜め息を吐き終えた上原は続ける。

 

「凡矢理から何駅か行った所にでかいショッピングモールがあるのは知ってるよな?」

 

「…?」

 

「…あるんだよ。でかいショッピングモールが」

 

何かまた呆れられた気がした。しかし知らないものは知らないのだから仕方がない。

ないったらないのだ。

 

「そこにはな、中庭に伝説のモミの木ってのがあってな。そこで行われるイルミネーションを男女二人で一緒に見ると、一生幸せでいられるという伝説があるんだ」

 

「…何でお前、そんな事知ってんの?相手もいないのに。チョットキモイゾ…」

 

「うっせぇ!てか最後、聞こえてるからな!」

 

理不尽な仕打ちに対する陸のちょっとした仕返しである。効果は覿面だったようで、顔を赤くして怒る上原を見て少し溜飲が下がった。

 

「で?その伝説のモミの木が何なんだよ。…まさか、一緒に行こうとか言い出すつもりじゃ」

 

「んな訳ねぇだろうが馬鹿!…小野寺さんと一緒に行ったらどうだって言ってんだよ」

 

「小咲と?」

 

僅かに顔を覗かせた上原ホモ説…いや、前まで小咲の事が好きだったのだからバイ説か。は、上原本人に真っ先に否定された。まあ当たり前だが。もし本当にそうだったとしたら縁を切るべきか考えるところだった。

 

ではなくて、本題は小咲とそのイルミネーションを見に行けという事だ。別に伝説が本当だとか信じる訳ではないが、告白のシチュエーションにはうってつけではある。クリスマスイブという日付もまた告白にはぴったりと言える。

 

「告白して、イルミネーション見て、そして夜は二人でホテル行け。そんで大人になって帰って来い、一条」

 

「なぁ、お前ってそんなキャラだったっけ?ホントにお前上原か?実は集の変装とかじゃねぇよな?」

 

目の前で良い笑顔を浮かべながらグッ、と片手でガッツポーズしている男が上原かどうか怪しくなってきたが、先程の戯言はともかくイルミネーションに関しては本気でどうするか迷っている。というか行きたい。小咲と二人で。ただ―――――――

 

「そういうのって、カップルが行くもんだよな…。付き合ってもない俺と小咲が行きたがるか…」

 

「は?付き合ってるとかそうじゃないとか関係ないだろ。多分、付き合ってない男女もたくさん行くだろうよ」

 

「…そうか?」

 

そんなものなのだろうか。いや、別にそういう世間体の事を気にしてる訳じゃない。問題は、小咲が陸と行きたいと思うかどうかであって――――――

 

「そんなの聞く前からぐだぐだ考えてんじゃねぇよ。だからお前はへたれなんだよ」

 

「…」

 

再び迷いの渦に呑み込まれそうになったその時、上原の容赦ない口撃が陸を襲った。

だが一理ある。余り気にしすぎると機会を逃すのは身をもって経験してきた事だ。

…機会を逃してきたほとんどの理由は人間の力ではどうしようもない理不尽なのだが。

 

「…放課後、誘ってみる」

 

「おう、誘え」

 

…背中を押してくれたのは本当に感謝しているが、あの容赦ない口撃は止めてほしい。

ていうか何でそんな偉そうなんだ。人の椅子で何でそんなにふんぞり返れるんだ。別にその椅子は陸の椅子でもないのだが。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

「って事で小咲。あなたには私と春のぬいぐるみを貰ってきてもらうわ」

 

「…何がて事でなのか解らないよ、るりちゃん」

 

陸が小咲をイルミネーションに誘おうと決意するほんの少し前、こちらでも何やら話が始まっていた。小咲とるりは陸と上原の様に一つの机で対面して椅子に座っている。

 

どうやら何の脈絡もなくるりが話し始めたようで、野菜ジュースのストローを咥えている小咲は戸惑っている様子だ。

 

「あんた、ここから何駅か電車で行った所に大きいショッピングモールがあるのは知ってるわね?」

 

「う、うん。知ってるけど…」

 

「あー、知ってる!そこの中庭にあるモミの木に伝説があるのよね!」

 

小咲とるりの二人で昼食を摂っている訳ではなく、二人の周りには千棘、鶫、万里花の三人が机は違えど集まって一緒にいた。そしてるりの言葉に反応したのは千棘で、その千棘が発した伝説という単語に小咲が反応する。

 

「伝説?」

 

「うん!モミの木のイルミネーションを男女が二人一緒に見ると、一生幸せなカップルでいられるっていう伝説!」

 

「あら、あの木にそんな伝説があるなんて…。明日、楽様を誘って行こうかしら」

 

「ちょっ!万里花、あんたねぇ!」

 

いつもの如く揉め出す二人を苦笑を浮かべながら眺める小咲の耳に、涼しいるりの声が届いた。

 

「二人には悪いけど、明日…というより、今回は小咲に譲ってもらえるかしら」

 

「へ?」

 

「「「?」」」

 

るりの正面に座る小咲、揉めていた千棘と万里花、そして二人を止めようとしていた鶫が疑問符を浮かべる。

 

「あそこのイルミネーションは年に一度…、クリスマスイブの日にしか行われないのよ。だから今年は、小咲と一条弟君に譲ってほしいの」

 

「あら、別に私はダブルデートでも…」

 

「ゆ ず っ て も ら え る か し ら」

 

「もう桐崎さん、駄々を捏ねないで頂けます?今年は小野寺さんと陸様に譲って差し上げましょう」

 

「私、何も言ってないんだけど!?」

 

るりの只ならぬ気迫に負けた万里花は言いかけていた言葉を止め、罪を千棘に擦り付けようとする。目を見開いて即座にツッコミを入れる千棘には素知らぬ顔で、万里花はつん、とそっぽを向いている。

 

「…私も楽と一緒に行きたいけど…、うん。今年は小咲ちゃんとあいつが二人で行くべきよね」

 

「千棘ちゃん…」

 

千棘は、モミの木の伝説を知ってから好きな人と一緒にイルミネーションを見に行きたいと思っていたのだ。その気持ちを押し殺してでも、千棘は小咲の背を押してくれる。万里花も同じだ。きっと、どうしても楽と行きたいと思ってるはずだ。先程はるりの気迫に圧されて引き下がったかのように見えたが、千棘の背後で微笑んでいる姿を見て、小咲はそうではないと悟った。万里花も、千棘と同じように応援してくれているのだ。

 

「皆…」

 

「小咲。…行くわよね?」

 

これまで、何度もるりにアプローチを強要されてきた。それを彷彿とさせる言い方ではあるが、雰囲気がまるで違う。るりも、千棘も、万里花も、これまで何も言わなかった鶫も、小咲を応援している。

 

「…うん、行く。今度こそ私、陸君に告白する」

 

つい一か月前も、同じ様に宣言して結局告白する事が出来なかった。…まああの時は思わぬ邪魔が入り、別に小咲が尻込みしたとかそういう訳ではないのだが。あれは違う。

 

決意を固めて宣言する。小咲の目に迷いはない。小咲はきっと、やり遂げるだろう。

 

(…まあ、謎の修正力が働かなければだけどね)

 

そんな頼もしい小咲の姿を見ながら、上原から陸が告白しようとする度に何が起こったかを聞いていたるりは一抹の不安を抱くのだった。

 

 

 

 

 

 

◇  ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

本日の全ての授業が終わり、帰りのホームルームも終わり、陸は今日は掃除当番ではないため鞄を持って廊下を歩いていた。上原は傍にいない。一人で行け、と陸に言い残して他の友人とさっさと帰ってしまった。まあ、元から一人で行くつもりだったし、付いて行くとか言い出したら殴ってでも止めるつもりだったが。

 

陸が歩みを進めている方向は当然、小咲達がいるクラスである。今日は小咲達は陸と同じく掃除当番ではないはずだ。恐らく、教室の前で陸が来るのを待っている。そう考えながら歩き、目的の教室の前までもう少しという所で、廊下を歩く他の生徒の間から、こちらに向かってくる小咲の姿が見えた。

 

「小咲?」

 

小咲の周りには誰も居なかった。ほとんどの時間、共にしている親友のるりの姿もだ。怪訝に思いながらも、誰もいないのなら誘うのに好都合だ。陸は体の向きを変えながら生徒を避け、尚もこちらに歩いてくる小咲に近づいていく。

 

「小咲」

 

「あ、陸君っ」

 

手の届く距離まで近づき、軽く肩を叩きながら名を呼ぶと、小咲は弾けるように笑顔を浮かべながらこちらに振り向いた。

 

「…皆は?いないのか?」

 

「う…、うん」

 

るりや楽達の事を聞くと、何故か小咲は頬を染めながら俯いてしまった。理由が解らず首を傾げるが、ともかく先程も思ったがイルミネーションに誘うには好都合だ。まずは校舎から出て、他の生徒に話が聞かれない場所に行く事に決める。

 

「なら、今日は二人で帰らないか?皆どこ行ったのか知らんけど…、ちょっと、小咲に話したい事があってさ。あまり皆に聞かれたくないんだ」

 

「え?…うん、いいよ」

 

絶対に誘う、と決意したのは良いが、改めて顔を合わせると気恥ずかしさが浮かんでしまう。だがこの感情にはもう慣れたものだ。失敗続きではあったが、告白しようとする度に経験してきた感情なのだから。

 

小咲の了承を得て、二人で校舎を出る。何気ない会話をしながら帰路を歩き、友人や家族とも話してる時すら感じない温かみを覚え、やっぱり好きだな、と惚れ直しつつ歩き続ければ、陸と小咲の周りには生徒の姿は見えなくなり、いるのはただの通行人と時々通る車だけ。

 

もうすぐ陸と小咲がいつも別れている交差点に差し掛かる。

その交差点が目視できる所まで来た時、陸は口を開いた。

 

「なあ、小咲。…明日って、予定あるか?」

 

「え?…明日?」

 

「あぁ。何か、家の方で用事あったりとか…」

 

「ううん。ないよ?」

 

第一段階クリアー。イブの日、小咲に予定はない。なら、もう誘うのに躊躇う理由はない。

 

「凡矢理から何駅か行った所にショッピングモールあるの知ってるか?」

 

「え?うん、知ってるけど…」

 

「…明日、さ。…一緒に、その…、行かないか?」

 

途中、言葉に詰まりながらも言い切った。逸らしたくなる視線は真っ直ぐ小咲に向けて、返答を待つ。

 

小咲は目を見開いてこちらを見上げる。そして、ゆっくりと口を開いて―――――――

 

「私も…」

 

「え?」

 

「私も、誘おうと思ってたの…。陸君と一緒に、行きたいって」

 

「…」

 

言葉が出なかった。偶然…じゃ、ないのだろう。多分、仕組まれていた。どちらかが尻込みして誘えなくても、残った一方が誘う、と狙いを付けて。どちらも誘えなかったというパターンは残ってるが、その場合はどうせ夜にメールで誘えと促すつもりとか、そういう所だろう。

 

「そっか…。小咲も同じか」

 

「うん。…陸君、一緒に行ってくれますか?」

 

「当たり前だろ。てか、最初に誘ったの俺だぞ?断る訳ないだろ」

 

「ふふ…、そうだよね」

 

微笑む小咲と並んで再び歩き出す。もう、誘う前の緊張は全部消えていた。

ただあるのは、明日が待ち遠しい、もどかしい気持ち。

 

早く明日になれ。

 

早く明日にならないかな。

 

同じ気持ちを抱きながら、陸と小咲は手を振り合いながらそれぞれの家路へと別れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




デートの始まりじゃあああああああああああああああああああ!!!


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第99話 ハジマリ

100話で収める事を諦めました。
多分101話か102話で終わると思われます。さすがにそれ以上にはならないかと。(笑)










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸ちゃん、財布は持った?ハンカチは?念のためにポケットティッシュも持って行った方が良いよ?」

 

「あー、うん。全部持ってるよ、大丈夫だよ」

 

「陸ちゃん、トイレは済ませた?待ち合わせ場所は間違えて覚えたりしてない?知らない人についてっちゃ駄目だよ?」

 

「なぁ羽姉、俺もう17歳なんだが。小学校低学年のガキじゃないんだが」

 

あたふたと慌ただしく家を出ようとする陸を心配する羽を窘める。その心配の仕方が完全に5、6歳の子供を持つ母親だ。せめて自年齢程度の心配の仕方が良いのだが。

 

というより、現在陸はそんな事よりももっとツッコみたい事がある。

友人と出掛けるだけで羽や楽や、更には一征までもが玄関まで見送りに来てるのかも盛大にツッコみたい所だ。だがそれよりも何故…、何故だ。

 

「いってらっしゃいやせ!若頭!」

 

「くぅ~…。若頭が娘と逢引きしに行くなんて…、いつの間にか大きくなって…うぅ…っ」

 

「…っ」

 

敬礼してる者。

涙を流す者。

無言で親指を立てる者。

 

…何故こいつら皆、見送りに来てるんだ。数が多すぎて後ろの方では陸を見ようとジャンプしてる者までいる始末。何なんだこいつら。

 

「咲子よぉ…、陸も男になるぞ…。おめぇに見せてやりてぇなぁ…」

 

一征はしみじみと虚空を見上げながら何か言ってる。まるで母が死んでいるみたいな感じになってるが断じて違う。母は生きている。

 

「弟に先越されるのは兄としちゃ複雑だけど…、頑張れよ、陸!今日はお前のご飯はないからな!」

 

「あ、うん。夕飯も一応外で食ってくるつもりだけど」

 

サムズアップで言葉を掛けてくる楽に当たり障りのない返事を返すが、何だろう。何か話が食い違っている気がしてならない。どう食い違っているのかまではさっぱり解らないが。

 

「陸ちゃん。お昼も夜もお寿司とかラーメンとか食べに行っちゃ駄目だからね?ちゃんと小咲ちゃんとお店を選んで入るのよ?」

 

「…」

 

もう返事する気も失せる。というより、約束の10時まで時間がない。本当はもっと早く出るつもりだったのだが、思わぬ足止め(玄関にいる奴らに)を喰らったせいで時間が掛かってしまった。もう構わず出る事にしよう。

 

「じゃあもう行くわ。…一応言っとくけど、尾行とか止めろよ」

 

「「「「「…」」」」」

 

「おい」

 

何で一斉に視線を逸らした?まさかそのつもりだったんじゃないだろうな?

 

一応、少し辺りを警戒しながら行く事に決めた。小咲と一緒に歩いてる時にサブリミナル竜とか嫌すぎる。

 

羽の言ってた事が引っ掛かり、一応ポケットの中を確認してから横開きの扉を開けて眩しい日差しが射す外へと足を踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

現在9時55分。休日且つ、クリスマスイブなのも相まって凡矢理駅前は多くの人達が集まっていた。そのまま通り過ぎる人もいれば、駅前の広場で立ち止まっている人もいる。ただそのほとんどに共通しているのが、その誰もが誰かと一緒にいる。男達の集団も居れば、男女のカップルと思われる二人も。一人で歩いてる人はほとんど見当たらない。まあ陸の様に待ち合わせの為に一人で歩いてるという人もいるのだろうが。

 

待ち合わせ時間まで残り五分。もう小咲は来ているのではなかろうか。少し歩く足を速めて進む。本当ならもう十五分くらい早く来れていたのに。あいつらがマジあいつらが。

 

「…やっぱり先に来てたか」

 

駅前の広場にある犬の銅像。そこを小咲との待ち合わせ場所に指定していたのだが、やはり小咲はすでに銅像の前に立っていた。時刻9時57分。時間にはギリギリ間に合ったのだが、マナーとしては余裕でアウトだ。相手を待たせてしまってる時点で完全にアウトだ。

 

周りの人が多いため走る事は出来ない。速足のまま歩き、そして10メートル程にまで接近した時、小咲の目がこちらを向いて、笑顔で手を振って来た。こちらも手を振り返し、小咲の目の前まで辿り着く。

 

「悪い、待たせたか?」

 

「ううん。ついさっき来た所だから」

 

定番の答えが返ってきたが、小咲の頬が赤い所を見ると結構前から待っていたのが解る。

昨日までは暖かかったのに、今日になっていきなり冬らしい寒さが押し寄せてきた凡矢理市。

 

「…嘘つけ、顔赤いぞ。ずっと待ってたんだろ」

 

「えっ?そ、そんな事…」

 

優しい小咲はそんな事はない、と言おうとしたのだろう。が、軽く睨み付けて無理やり言葉を止めさせる。

 

「…悪かった。寒かっただろ」

 

「…ううん。これからの時間が楽しみで、あまり気にならなかったから」

 

「…」

 

…そう、思ってもらえてるのならこちらとしても嬉しいが、面と向かって言われるのは少し照れるというか何というか。とりあえず、これ以上追及するのは野暮というものだろう。しかし小咲に寒い思いをさせたのは事実。この償いは…、まあ、今回のお出掛けで楽しく過ごす事で償わせてもらうとしよう。

 

そう、胸の中で決意しながら改めて小咲の格好に目を通す。

白のコートを身に纏い、赤いミニのフレアスカート。視線を更に下に向ければ黒の二―ハイソックスが目に入り、そして白のロングブーツを履いている。視線を上に戻せば首元には桃色のマフラーを巻いている。頭の上には可愛らしい帽子。肩にはこれまた可愛らしいショルダーバッグが掛かっている。

 

「…えっと。変、かな…?」

 

陸が何を見ているのか察したのだろう。一度自分の格好を見下ろしてから、不安そうに見上げてくる小咲。まずい、全くそんな事はないのに。

 

「変な訳ないだろ?…似合ってる」

 

「…そっか。なら、良かったな…えへへ…」

 

ここで恥ずかしがって言い澱めば小咲がもっと不安がってしまう。即座に、胸の奥の本音を口に出す。それは正解だったようで、小咲は嬉しそうにはにかんだ。

 

…うん、やっぱり可愛い。

 

「じゃあ…、行くか」

 

「…うん」

 

口に出そうになった更なる感想は今度は抑え、身体を駅の方へと向け、小咲に声を掛ける。これ以上ここに立っていても仕方ないし、むしろ周りの人の邪魔にもなる。頷いた小咲と一緒に広場を横切り、南口から駅へと入り券売機で切符を買う。路線図で目的の駅とどの路線に属してるかを確かめてから、電光掲示板で何番線に電車が来るかを見る。

 

そして、電車が止まる発車番線に着いたはいいのだが―――――――

 

「これ…、全員乗るのか…?」

 

「凄く混んでる、ね…」

 

余り電車を使わないため普段この時間帯、どの程度の人数がこの電車、路線を使うのかは知らないが、これは異常だと陸も小咲にも解る。だっておかしいもん。通勤ラッシュかよ。そうツッコみたくなる程だ。

 

ただ普通の通勤ラッシュとは違い、列には多くの女性も交じっている。それだけで、彼らの大体の目的は察せる。

 

「これ…、皆イルミネーションが目的なのかな…?」

 

「…まあそうだろうな。ただ時間帯も早いし、直接モールに行く人は多くないんじゃないか?」

 

あのショッピングモールの中には映画館やレストラン街、ゲームセンターとかなりの娯楽施設が整っているが、さすがに今からモールに行って、イルミネーションが始まるまで過ごすには少々時間が長すぎる。まあ陸と小咲は直接モールに行こうと決めていたのだが。先程も言ったがあそこは施設が充実している。映画を見るのはもう決まりとして、後ゲーセンや色んな店を覗いてる内に時間なんてあっという間に潰れるだろうという陸の楽観的な考えである。

 

事実、小咲と一緒にいると本当にあっという間に時間が過ぎていくので、この楽観的な考え方が後にあんな事を―――――――とかいう展開はない。

 

更にショッピングモールの周りには動物園や遊園地もあり、この集団はそれなりに分散されると思われる。最終的にはモールのモミの木に集まるのだろうが。

 

二人が列の最後尾に並んですぐ、陸と小咲が乗ろうとしていた電車がやって来た。が、陸と小咲が乗る前に車両は満員になり、二人が乗る事なくその電車は走り去っていった。次の電車が来るのは五分後。

 

やはり周りにいる多くはカップルなのだろう。彼氏、彼女と楽し気に話す声が聞こえてくる。

一方の陸と小咲は男女の組み合わせとはいえ、カップルではない。互いに気付かず好き合ってはいるが、カップルではない。むしろ好き合っているからこそ、この空間が居心地悪く感じられてしまう。

 

周りからはどう見られているのだろう。彼らと同じようにカップルに見られていたりしてるのだろうか。そんな考えが過り、互いに話に踏み込めない。…彼らに見えてるのは彼らのパートナーだけなのだという事にも気付かず。

 

そうこうして…いやしてないのだが、電車が到着し、今度は陸と小咲も乗り込む事が出来た。ただ、今回は列の前の方に立っていたため、後から乗り込んでくる人達にどんどん押し込められていく。気付けば壁際まで押しやられていた。

 

「「…っ!!?」」

 

小咲と視線が合った。間近で。

 

今、陸は壁に両手を突いて体を支えている状態なのだが、小咲はその陸の両腕の中にいた。しかも小咲の顔は陸の胸元の間近にあり、傍から見たら陸が小咲を抱き締めている様に見えなくもないというか、というより少し陸が腕を曲げたらまさにそうとしか見えないような体勢である。

 

バッ、と同時に視線を避け合う二人。その顔はこれでもかと真っ赤に染まっている。

 

(あー、マジであの時から小咲の事意識しちまう。小咲が好きだって自覚した時もここまでじゃなかったのに…!)

 

陸が心の中で喚く。あの時、とは言うまでもなく、縁側であったキス未遂事件である。

去年の夏祭りの時も同じ事はあったが、その時も出来事の直後はともかくここまで長引きはしなかった。

 

好きなのだから意識するのは当然なのだが、感情の大きな揺れについ戸惑ってしまう。

前までは別に目が合っただけでここまで胸が高鳴ったりしなかったのに。

 

『この先、車内が揺れる事がございます。ご注意ください』

 

互いがこれまでにない程の近い距離にいる事を意識し、全く会話がないままおよそ十分。目的地まで後二駅という所まで迫った時、車内にそんなアナウンスが響いた。それから何秒くらい経っただろうか。

 

大きく車内が揺れた。

両手を突いていた陸の体勢がぐらつくほどに。

 

「っと―――――――」

 

「っっっっっ!!!!!!!?」

 

ぐらついた陸の身体は陸から見て前方に倒れる。すぐに両腕に力を込めて離れるが、結論から言うと僅かながらでも陸の身体は前方に倒れた。別に転ぶ事もなかったし、体勢が揺れる程度、普段ならどうでもいい事なのだが…。

 

今、陸のすぐ前には小咲がいる。僅かに倒れた陸の身体は小咲の身体と密着する。それはもう盛大に。しかも同じように体を揺らした背後の人がこちらに寄り掛かる。すぐに向こうから離れたが、陸が小咲から離れようとすると、その背後の人が妨げになった離れられなくなってしまった。

 

全力で無理やり離れる事も出来るが、そんな事をすれば多くの乗客を怪我させてしまう。

 

「…悪い。もう少しで着くからそれまで我慢してくれ」

 

「…」

 

小咲は何も返事しない。ちらりと視線を下げて小咲の様子を見ると、その顔は真っ赤に染まり、羞恥の余り小さく震えてすらいる。

 

(出来るなら離れたいけどできないし…。ベベベベベ別に伝わってくる感触が心地いいからとかそんなんじゃないからな!?)

 

陸も相当混乱しているようだ。心の中の独り言がまさにそれを物語っている。一体こいつは誰に言い訳をしてるのだろうか。

 

結局、次の駅で更に人が乗り、陸と小咲の密着度も更に増し、目的の駅で降りた時は二人共グロッキー状態だった。駅を出る前に、休憩スペースで十五分程ベンチに座ってから、ようやく外に出るのだった

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

思わぬ攻撃に遭ったせいで考えていたより十五分程遅くなってしまったが、陸と小咲は例のショッピングモールに着いた。着いた途端、小咲がパンフレットを取って来ると言ってすぐにどこかへ走り去ってしまったのだが、それが陸にはありがたくもあった。この時間を使って、心を落ち着かせる事が出来る。きっと小咲も同じ理由で一度、別行動をしたんだと思う。

 

浮ついてた心も落ち着き、小咲を追おうかとも考えたがすれ違ってややこしくなっても面倒臭いので店内に入ってすぐの所で小咲を待っている。

 

「陸君!パンフレット持って来たよ!」

 

そこに、小咲がパンフレットを片手に戻って来た。小咲の顔からはもう羞恥の感情は感じられない。陸と同じく、落ち着いたようだ。

 

「よし。…じゃあ、少し早いけど昼にしようぜ。そんで食いながらパンフレット見てどこ回るか決めよう」

 

「うん、そうしよっか」

 

小咲がパンフレットを開き、そこに描かれたモール内の地図を小咲と一緒に除いてフードコートの場所を確認し、まずはそこを目指して歩き出すのだった。

 

現在の時刻、11時ジャスト。

 

陸と小咲のデートが今、本格的に始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作で楽ママの本名出てきてないんで適当に付けました。

楽ママって小咲ママ、千棘ママ、万里花ママと同級生で、三人の名前が菜々子、華、千花と花の関係で共通してるので咲子と付けました。最初は蕾、と考えたのですが皆咲いてるのに一人だけ蕾って…と思い咲子にしました。

飽くまでオリジナルです。原作の設定ではないので悪しからず。


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第100話 カップル

ゴールデンウィーク中、執筆に充てた時間―――――――0!

いや、親戚が遊びに来たりしてたんでしょうがなかったんです。

…まあ、平成終わるまでにクリアしたいと思ったゲームに嵌って二週目に突入したのも原因の一つですが。

間が空いて、申し訳ない。m(_ _)m

という事で今更ですが令和最初の投稿です!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喫茶店の席に対面で座り、パンフレットの地図を見ながらどこを回るか話し合う。

テーブルの端にはすでに空になった、それぞれが頼んだ料理の皿とコーヒーカップが置かれている。

 

喫茶店に着くまで話したもののどこを回るかは決まらず、じゃあまずは昼食を食べてからにしよう。食べながらそれぞれ考えようという事になっても、食事中は思いの外会話が盛り上がり、考える暇すらなかったという。

 

結果、食べ終えてから改めて話し合いが始まったのだが―――――――

 

『小咲はどこか行きたい所見つけたか?』

 

『え、えっと…。陸君は?』

 

『…』

 

話し合い終了。

昨日の内にここの所まで詰めておけば良かったと後悔するも遅く、時間だけが過ぎていく。

 

「…うし、決めた」

 

「陸君?」

 

そして、陸はもう苦肉の策に出る事にした。

 

「まずは映画を見よう。そんで映画を見てからは…、行き当たりばったりでいく」

 

「え?」

 

「どうせこうして考えてても決まんねぇんだ。なら行動するしかねぇだろ。こんだけ広いんだ。適当に回ってたら興味を惹くもん見つかるだろ」

 

るりなんかに聞かれたら呆れられそうだが、もうこれしかない。ここにはゲームセンターもあるし、これでも選択に困るようなら小咲と一緒にゲームしまくるのも―――――――あれ?案が良いかもしれないぞ?小咲とゲーム…、そういえばいつ以来だろうか。

 

「うん、そうだね。でも…、その前にね?」

 

「ん?」

 

小咲は笑顔を浮かべて頷き、了承してくれた。その様子からは不満などは感じられなかったが、何やら心残りがあるようで。小咲は首を傾げた陸にこう続けた。

 

「一回、クリスマスツリー見に行かない?」

 

「…あぁ、そういえば」

 

イルミネーションが始まるまではまだあるとはいえ、小咲の言う通り一度ツリーを見に行くのも悪くない。陸と小咲は建物に入ってからそのまま飲食店が並ぶエリアまで来たため、まだツリーがある中庭には行ってないのだ。

 

「じゃあ一度中庭まで行くか」

 

「うん!その前に、食器片付けないとね」

 

とりあえずの予定を決めた二人は席を立ち、会計を割り勘で済ませてから中庭へと向かう。中庭は今いるエリアから少し離れた所にあるが、同じ階層に位置している。パンフレットに描かれた地図をたまに覗きながら、道を間違えないように進む。

 

ツリーがある中庭は周りがガラス張りされた空間になっていた。ガラスを通して見える空は待ち合わせした時よりも少々曇っており、日差しが辛うじてここまで届くといった空模様だ。

 

そして中庭の中央に存在するツリーは、それはそれは大きく、陸と小咲が見た事のない程のサイズだった。

 

「おっきぃねぇ~~~…」

 

「すげぇ貫禄だな…。樹齢何年だよこれ…」

 

小咲は感嘆の声を上げ、陸は呆然と呟きながら二人はツリーの天辺を見上げる。

ツリーの天辺には定番である星のオブジェが飾られ、そこから大量のライトや装飾が施されていた。まだ周りが明るく、ライトも点灯してない状態だが、確かにこういった装飾等に疎い陸でも、点灯した状態を見てみたいと思わせる程見事な光景だった。

 

「…イルミネーションは八時からの五分だけ。絶対に間に合わないとな」

 

「うん。でもそれまでは…、楽しもうね」

 

ツリーを見上げていた視線を下ろし、隣の小咲へ、陸へと向けて互いに微笑み合ってから、その場を離れる。

 

「じゃあ…まずは映画でも見るか?定番過ぎるかもだけど」

 

「うん。えっと…映画館は…」

 

映画館の階層までエレベーターで、そして凡矢理シネマまで来た二人は今日公開されているスケジュールを見ながらどの作品を見るか話し合いを始める。

 

「小咲はどれが見たい?」

 

「えっと…、陸君は?」

 

とまあ話し合いを始めたは良いものの、どちらかというと相手を立てる性格をしている二人が話し合ってもこうなるだけである。そして陸自身、こうなるだろうなと予想していたため特に動揺もせず、とりあえず一通りの作品を眺める。

 

「…あ」

 

「ん?どれか見たい作品でもあった?」

 

「え?あ、いや…。ニャックやってんなーと思って」

 

ふとある作品が目に留まり、つい漏れた声を小咲は聞き逃さなかった。陸に問いかけると、陸は一瞬視線を揺らがせてから、可愛らしい猫が自由の女神像の近くを歩いているアニメ絵を指差しながら答えた。

 

「へぇ~…。陸君ってこういうの見るんだ?」

 

「いや。楽が見たがってたなって思い出しただけなんだ」

 

「え?一条君ってこういうのが好きなの?」

 

「あぁ。楽は動物系の映画が一番好きみたいだな。…小咲は?こういう映画は好きか?」

 

「…うん。動物系の映画は私も好きだけど…、陸君は見たい映画あったんじゃない?」

 

誤魔化せたと思い油断した瞬間、小咲はどこか確信を持ったような表情を陸に向けて問いかけた。

 

「…何で?」

 

「だって陸君さっき、ニャックの紹介絵の方見てなかったもん」

 

「…」

 

何故ばれたし。小咲の勘が鋭くなりすぎててちょっと恐怖を感じる陸だった。

 

「…これ」

 

「…これって」

 

陸が指差したのは、とあるヒーロー映画。二年前からシリーズが始まった三作目。アメリカで撮られた作品だが、日本でも爆発的人気を誇っている作品である。陸もシリーズ一作品目から魅了された一人であり、この三作品目もいつか時間が出来たら見に行こうと思っていたものだった。

 

ただ今日に限っては別の話だ。ヒーロー映画という事でやはり女の子は見たいと思わないだろう、と陸は考えた。だから真っ先にその作品を選択肢から外したのだが――――――あっという間に小咲に悟られてしまった。

 

「これ、るりちゃんが見に行きたいって言ってたな~」

 

「…宮本ってこういうの好みなんだな」

 

前から女の子らしいというか、そういった趣味から掛け離れているとは思っていたがここまでとは、陸は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

「…それじゃあ、これにしようよ」

 

「…は?」

 

そして一瞬の静寂の後、陸の方を向いた小咲はそう言った。

 

「え、いや…。良いのか?言っとくけど、小咲が気に入りそうな映画じゃないぞ?それにこの映画って三部作目だから、一作品目から見てないと解らない場面とか出てくるだろうし…」

 

「でも、陸君は見たいんでしょ?」

 

「…」

 

何も言えない。また後日に来ればいいとか、そういう風に言えば良かったのに、本心を見透かす小咲の笑顔を前にして口にする事が出来なかった。

 

「それに私も…、陸君が好きな映画に興味湧いたから」

 

「…」

 

言い方がズルい。そういうつもりじゃないんだろうけど、そういう風に聞こえるから性質が悪い。

 

強制的に乱された心を深呼吸をして落ち着かせてから、もう何を言っても小咲は揺らがないと諦め、口を開く。

 

「じゃあ…、これにするか?」

 

「うん」

 

「…後から止めとけば良かったって言っても駄目だからな?」

 

「そんな事言わないよ」

 

結局、陸の希望通りの映画を見に行く事になった。チケットを二人分、ポップコーンは昼食を摂ったばかりなので無し。それぞれの飲み物を購入して、受付近くの休憩スペースで席を取って時間を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

(とんでもねぇ…、何だあの展開。次回が楽しみ過ぎる。来年が遠すぎる。やべぇ)

 

上映時間約三時間。迫力あるアクションシーン、駆け引きをも楽しめる戦闘シーン。ちょっとしたロマンスシーンには小咲が隣にいた事もあり赤面。そしてラストに主人公の親友が実は黒幕だったという予想のつかない展開が次々に陸を襲った。

 

「…どうだった?小咲、面白かったか?」

 

だが陸は途轍もない満足感を得たが小咲はどうだったか解らない。上映中、何度か陸を見ていたからもしかしたら面白くなかったかもしれない。陸は僅かな恐れを抱きながらも小咲に問いかけた。

 

すると小咲は振り返り、そして興奮冷めやらぬといった表情で口を開いた。

 

「うん!凄く面白かったよ!正直最初はちょっと不安だったんだけど…。特に最後の…」

 

小咲とはそれなりに長い付き合いになるが、今まで見た事ないほど小咲は興奮していた。顔を真っ赤にし、目を輝かせながら饒舌に語る小咲に陸は微笑まし…くは思わなかった。

 

「だよな!?まさかあいつが黒幕だったとか…。だってあいつ、一作品目から主人公と一緒に敵と戦ってたんだぞ?それがいきなりああなるとか…」

 

むしろ小咲と一緒に興奮していた。小咲と一緒にこの話題で盛り上がれるとか思わなかったと同時に、それができてどうしようもなく嬉しい。

 

「俺、一作目と二作目のブルーレイ持ってるけど、良かったら貸すぞ?」

 

「え?良いの!?うん!見たい見たい!」

 

「そっか。じゃあ…、次の学校の日か…それか休み中に会える機会があるか…。まあいつになるか解んないけど、約束するよ」

 

あぁ、また一人信者が増えてしまった。作品の罪深さに身震いしながらも、陸は本来の目的を決して忘れてはいなかった。

 

「さて、次はどこに行くか…」

 

「…はっ」

 

小咲はどうやら興奮するあまり本来の目的を忘れかけていたらしい。まあ気持ちは解らないでもないが。

 

「…まあ昼飯ん時に決めた通り適当に回るか」

 

吹き抜けになった空間を見上げながら呟く。来る前から広いとは知っていたが、実際に中に入るとその広さは想像以上だと言わざるを得ない。本来、デートで適当に回るなんてタブー中のタブーなのかもしれないが、むしろこの広さのショッピングモールの中からどこに行くかなんて目的を決める方が難しい。

 

それに、別に全ての時間をただ歩き回る事に充てるつもりもさらさらない。

 

「なあ。小咲って普段どんな所回るんだ?」

 

「私?…う~ん。雑貨屋さんとかかな?後、家具が置いてる所は好きでつい見ちゃうかな」

 

「ふーん…。服屋とかは行かないのか?」

 

「春と一緒の時は行くよ?るりちゃんと一緒の時はあまり行かないかも」

 

「あー…。宮本ってあまりファッションとか興味無さそうだもんな。俺もだけど…」

 

当てもなく歩きながら、小咲と談笑する。

 

「雑貨屋…、家具屋か…」

 

小咲が普段回る所はこの二つ。特に家具屋に関しては好きとまで言ってたからイルミネーションが始まるまでに寄っておきたい。陸は地図を眺めながらルートを整理する。

 

「…じゃあまず近くの雑貨屋でも覗くか。そんで、その次は二階の家具でも見てこう」

 

「え?そ、それじゃあ私の好きな所だけだよ?」

 

「勿論、その後は俺の行きたい所にも行かせてもらう。特にゲーセンは絶対に行くからな。これは絶対だ」

 

戸惑う小咲を押し切り、まずは小咲の行きたい所を中心に回る事に決める。

まずはここから近い雑貨屋に足を向けた。

 

その後、二人は陸が言った通りのルートを回る。

 

「…これ、楽が好きそうだな。買ってくか」

 

「陸君。これも一条君は好きなんじゃないかな?」

 

「…小咲、楽ってそんな爺臭いイメージある?」

 

雑貨屋ではそれぞれ楽、そして春へのちょっとしたお土産を購入したり。

 

「人を駄目にするベッドって…。随分大袈裟に紹介してんなこれ」

 

「そうだね。でもちょっと気になる…っ。っ…っっ…っっっ!陸君これすっごく柔らかい!陸君も触って触って!」

 

(…さっきも思ったけど、小咲ってこんなにテンション振り切れる奴だったんだな)

 

家具のコーナーでは人を駄目にするベッドに小咲が虜になったり。

 

「わぁ~!陸君、猫さん皆可愛いね!」

 

「あぁ、可愛いな。…ごめん小咲、ちょっとツッコませて。何でそんなに動物に好かれんの?」

 

途中にあったペットショップで、そこにいた動物の全てが小咲の虜になったり。

 

ゲームセンターでリズムゲームやシューティングゲームを二人で楽しんだり、女性服の店で小咲に合いそうな服を選んだり。まあその服は小咲が遠慮した事で購入には至らなかったが。

 

 

「…ちょっとあそこのカフェで休もうか」

 

「うん。喉も渇いてきたし…」

 

そんな感じで楽しんでいた二人だが、さすがにノンストップ、休憩なしで歩き回っていたからか、疲れが出始めていた。

 

そんな時に陸の目に留まったのは昼食に立ち寄った喫茶店とは違う店。飲食店が並んでいたエリアとは離れた場所にあった喫茶店は近寄ってみると何故かかなり混んでるように見えた。

 

「いらっしゃいませ!…二名様でよろしいでしょうか?」

 

「はい」

 

「ではお席にご案内します」

 

混んではいたが二人分の席は空いていたらしく、二人は向かい合って座る二人用の席に案内された。

 

席に着いてから店内を見渡せば、店の中にいるほとんどの客がカップルだと解る。中には四人用の席に男の集団が座っていたが、誰もが居心地悪そうな表情をしている。

 

(…てかこれ、俺達もそう見えてんのか?)

 

そしてふと気付く。カップルじゃないとはいえ、男女二人でいるのは事実。周りからは、そういう風に見えているのではないだろうか。

 

「…」

 

何故か小咲の様子が気になってしまい、恐る恐る視線を向けてみる。

 

「…」

 

どうやら小咲も陸と同じ考えに至ったらしい。顔を赤くして、恥ずかし気に俯いている。

 

「…さて小咲、何頼む?ちょっと小腹も空いてきたし、何か食うモン頼むか?」

 

「え!?あ、う、うん!えっと…」

 

メニュー表を開き、二人で眺める。陸はとりあえず飲み物はアメリカンコーヒーに決めているが、何を食べるかはまだ決め兼ねていた。小咲はどうだろうか、と思い視線を向けて、小咲の様子がおかしい事に気が付いた。

 

「…?」

 

小咲は顔を真っ赤にしてメニュー表に載っている何かを見ている。視線を追ってその何かを目にして…、陸も僅かに頬を染めた。

 

「あー…、頼むか?それ…」

 

「え!?え、えっと…その…」

 

これって声を掛けちゃいけないパターンだっただろうか。いやでも別に小咲が頼みたいのなら吝かではないというか。とにかく嫌ではないのだ。小咲が見ていたメニュー、カップル専用パフェを頼むのは。

 

「別にカップルじゃない奴が食べたって逮捕とかされる訳じゃないだろうし。丁度俺達は男女二人だし…。その…、頼んでみるか?」

 

「…えっと、じゃあ――――――お願いします」

 

お願いされちゃったので、もう腹を括る。

一度深呼吸をしてから、陸は近くに店員がいるか見回し、丁度隣の席に品を届けていた店員を呼び付ける。

 

そして陸と小咲の分の飲み物を頼み、カップル専用パフェを注文したのだった。

顔を赤くする陸と小咲を見た店員が小さく笑ったのは気のせいじゃなかった。

 

ちなみに、パフェは美味しかった。ただ恥ずかしさの余り急いで食べてしまい、あまり堪能することは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おい陸てめぇ、頼みたかっただけだろ!(作者の心の叫び)

はい、タイトル見てアレを期待したそこのアナタ。まだですよ?先走らないでください。落ち着いて下さい。まだだ…まだわらうな…!


という事で次回、最終回!
の、予定

まあ最終回といってもその後にエピローグがあるんですけどね。
なので完結までは後二話の予定です。

>2019 5/11 追記
はい、多分本当にあと一話になりそうです。多分次が最終回です。エピローグなくなると思います。すみません。


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第101話 コクハク

最終回です。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

背後から聞こえてくる店員の声。その声が若干、震えてたように聞こえたのは気のせいだろうか。

 

小咲と陸はカップル専用パフェを食した後、それぞれ頼んだドリンクを一気飲みしてそそくさと喫茶店を出た。休憩するために入ったのに、全く目的を果たせなかった。

 

(うぅ…、まだ顔が熱いよ…)

 

目に入ったのは偶然だった。陸が開いたメニュー表を一緒に見ていた時、ふと小咲の視界に一人用にしては少々大きいパフェの写真が入った。その写真のすぐ下に書かれたメニュー名が、カップル専用パフェだった。

 

頼みたい、とは思ったが頼もう、とは思っていなかった。陸と一緒に同じパフェをスプーンで突く光景を想像したりもしたが、決して頼もうとは思っていなかった。

 

だがそんな時、小咲の様子を察した陸が「頼むか?」と聞いてきたのだ。

頭では断ろうと考えたのだ。何故なら自分達はカップルではないのだから。そこまでの関係には至っていないのだから。それなのに、気付けば陸にお願いします、等と口走り、本当に二人でパフェを突く事になった。

 

嫌だったわけではない。むしろ逆、嬉しかったくらいだ。想い人とカップルの真似事が出来たのだから。だがそれに反して、羞恥は小咲を容赦なく襲った。周りがどうとか微々たる問題。小咲にとって問題なのは、陸に()()()()()()()()()を食べたいとお願いした事なのだ。ぶっちゃけ、告白も同然の発言である。

 

まあ、陸は逆に自分達が周りからどう見られているのかを意識しすぎてその発言について深く考えられる状態ではないのだが。その事を小咲は知らない。

 

(大丈夫、だよね…?嫌だよ、告白はちゃんとしたいもん)

 

陸が先程の発言について気にしてる様子がないため安堵する。あんな何ともいえない形で告白を終えてしまうなんて嫌すぎる。

 

…しかし、どうにも残念に思えてしまうのは意志が弱すぎるのだろうか?

 

(…うわぁ、もう外暗くなってる)

 

陸と並んで歩きながら、ふと傍にあった窓から外を覗くとすでに陽は沈み、夜の闇が辺りを包んでいた。時計を見上げれば、もう7時を少し回っていた。。喫茶店を出てからまた当てのない散策を始めた小咲達。しかしもう大体の遊べる場所は回った事と、先程の喫茶店でほとんど休めなかった事もあり、二人はフードコートにて、窓際の二人用席で休憩を再開した。二人の間のテーブルには、陸の奢りで買ったフライドポテト。小咲も出すと言ったのだが、陸がこのくらい出すと譲らなかったため、お言葉に甘える事になった。

 

そうして談笑しながら休んで今、本当にあっという間に時間が過ぎていた。ここに着いたのが大体11時頃。それからもう8時間もここで過ごしていたのだ。

 

「…早いな、もう7時か」

 

「…うん」

 

陸も時間に気が付いたらしい。小咲と同じように時計を見上げて、ぽつりと呟いた。

 

「そろそろ、中庭に行かないとね。人たくさん来そうだし、早めに行かないと場所とられちゃうかも」

 

「…」

 

「…陸君?」

 

もうすぐこの幸せな時間も終わる。その事に僅かな悲しみを覚えながらも、小咲は笑顔を浮かべて陸に言う。だが陸は視線を伏せ、口元に手を当てながら何か考え込んでいた。そうして少しの間その体勢のまま固まってから、不意に顔を上げて小咲の方へ視線を向けた。

 

「なあ小咲。中庭に行く前にちょっと寄りたい所があるんだけど、良いか?」

 

「え?うん、良いけど…、どこに行くの?」

 

「まあ、それは行ってからのお楽しみって事で」

 

顔を上げてそう言った陸の案に小咲は同意し、少し前を歩く陸の後に続く。

陸について行ったそのフロアは、洋服や靴、バッグ等を売るブランドが並ぶ場所だった。

陸はその場所を迷いなくどんどん歩み進んでいく。一体どこへ向かっているのかという疑問を胸に抱きながら、小咲も陸に続いて進む。

 

「…ここって」

 

通路を進んでいた陸はその途中で曲がり、小さなショップに入っていく。

入口から中に入って視線を巡らせば、ここがアクセサリー類を取り扱ってる店だという事がすぐに解った。

 

いや、小咲は店内に入る前から、この店がアクセサリー類を売っている店だという事を知っていた。

 

「り、陸君…」

 

「この店の前を通った時、店内を見つめてただろ。気付いてたぞ」

 

まさか、と目を向ければ、そこには悪戯成功と言わんばかりに笑みを浮かべた陸が振り返っていた。

 

そう。この店の前をすでに小咲と陸は一度通り過ぎていた。その時小咲は店内にある可愛らしいアクセサリー達に目を奪われていたのだが、その事は陸に筒抜けだった様だ。

 

「今日はイブだからさ。誘いを受けてくれたお礼も兼ねてプレゼントを…」

 

「え?で、でも…」

 

「そんな顔すんなよ…。さっきも言ったけど今日はイブだぞ?プレゼントくらい遠慮しないで受け取ってくれよ」

 

陸の言う通り、今日はクリスマスイブ。友人にプレゼントを渡す事は至極自然な事といえるだろう。ただ問題なのは、陸自身が何の見返りを求めていない事だ。プレゼントをもらい、それだけで終わらせたく等ない。

 

「…私も陸君に何かプレゼントする」

 

「え?」

 

「今日はクリスマスイブだよ?プレゼントくらい遠慮しないで受け取って欲しいな」

 

ちょっとした意趣返しである。陸が悪いのだ。プレゼントをあげる事だけ考えて、貰う事などこれっぽっちも考えてない陸が。

 

「…あぁ、ありがとう。なら、ここで小咲へのプレゼントを選んでから――――――」

 

「それなら、良い商品がありますよ?」

 

「「っ!!!?」」

 

微笑む陸がお礼を言い、続けて何か言おうとしたその時、二人の背後から、それも至近距離から声がした。ビクッ、と体を大きく震わせながら振り返ると、そこには眼鏡をかけた女性の店員が眼鏡を指でくいくいさせながら立っていた。というか、いつからそこに立ってたのだろうか。

 

全く気配感じなかったぞ…。何者だこの店員…

 

「そんな事はどうでもいいのです!それより、付き合いたてと思われる二人にぴったりの商品があるのですよ!」

 

「いや、付き合ってないんですが…」

 

陸が何か呟いてたが、その言葉を聞き取ることは出来なかった。何を言ったか聞こうとする前に、店員が勢いよく小咲と陸に何らかの商品をプッシュする。

 

こちらです!と店員が手を伸ばした先にあったのは、隣同士に掛けられた二つのネックレス。

 

「この二つはペアになってまして。お二人にお似合いかと!」

 

それにしても、この店員はどうしてこんなにもテンションが高いのか。というか興奮してるように見える。顔が少し赤いし。

 

「…うん。小咲に似合いそうだな」

 

「そ、そうかな…?」

 

二つのネックレスには、それぞれチェーンに青、赤に表側が塗られたリングが掛けられていた。派手ではなく、かといって地味でもない。どちらかというと遠慮がちな性格の小咲にはかなりドンピシャな商品だった。

 

「…うん。これが良いな」

 

「…これ、ペアって言ってたけど?」

 

「?」

 

「いや、これ買うって事は、その…、俺とお揃いって事になるんだけど…」

 

あぁ、そういう事か。小咲がこれが良いと言った事に何やら戸惑っていると思ったが、そんな事を気にしていたのか。

 

「うん。それが良いの」

 

「っ…」

 

息を呑む陸。店内に沈黙が流れる。

あれだけテンションが高かった店員も、今は声を抑えている。

 

僅かに頬を染めた陸が、恥ずかし気に小咲から視線を逸らした。

…何か、陸が恥ずかしがるような事を自分は言ったのだろうか?

 

「…じゃあ、これでお願いします」

 

「…あー、毎度ありがとうございました。ごちそうさまでした」

 

陸の同意も得られ、ペアのネックレスを買える様になったのは良いが、店員の言った『ごちそうさま』とは一体どういう意味なのか。何故か陸の頬の紅潮がさらに広がったが、その理由も解らず小咲は首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

◇   ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

アクセサリー店で会計を済ませた後、店を出てから陸と小咲はそれぞれの首にネックレスを着け合った。陸の胸元には青いリングが、小咲の胸元には赤いリングが二人が歩く度に揺れている。もう完全にお揃いのリングを身に着けたカップルの完成である。この光景を目撃した人に付き合ってないと教えても信じてもらえないレベルである。

 

そんな初々しさとアツアツっぷりを見せつけながら二人は中庭へと辿り着く。時刻は八時になる十分前。時間的には丁度良いと言えるが、中庭にはすでに多くのカップルが集っており、幸いツリーのサイズが大きいから良かったものの、陸と小咲が立っている位置はかなり後方の場所になってしまった。

 

「悪い。あの店に寄らずに真っ直ぐ来てたらもう少し前で見れたかも…」

 

小咲がこちらを向く。

もし中庭に来る前にあのアクセサリー店に寄らなければ、もう少しマシな場所でイルミネーションを見れたかもしれない。陸は少し悔やんでいた。イルミネーションを見た後に行くという選択肢もあったのに。

 

だがそんな陸の後悔を余所に、小咲は微笑みながらこう答えた。

 

「ううん。むしろ、このネックレスを着けてイルミネーションを見れるから。謝らないで?」

 

「っ…」

 

本当にこの女の子はいつもはとても恥ずかしがり屋の癖に、変な所で鈍感で、そんな勘違いしそうになる言葉を口にして。先程のアクセサリー店でもそうだった。きっと自分が言っている言葉が他人にどう聞こえるかなんて考えてないのだろう。ただ、自分が思ってる事を素直に口にしている。

 

だからこそ、陸の心はどうしようもなく揺るがされ、勘違いしそうになってしまうのだ。

 

それが勘違いだとも気付かずに。

 

「それにしても凄い人だね…」

 

「あぁ。…ホント、もう少し早く来れたら」

 

「もう、気にしないで良いのに。早く来すぎても退屈だっただろうし、このくらいの時間に来て正解だったんだよ」

 

「…そう言ってくれると気が楽になる」

 

小咲の天使の如き優しさに触れ、感激しながら小咲と談笑する。

今日、このショッピングモールに来て起きた出来事を思い返し、振り返る。

本当に色々な事があった。…思い出したくない恥ずかしい出来事もあったが、そのほとんどが楽しく、胸を満たすものだった。

 

そうして小咲と会話を続ける内、その時は訪れる。

 

陸の視界の端で強烈な光が輝き、同時に歓声が沸く。陸と小咲は話していた口を止め、視線を輝きの方へと向ける。

 

「…きれい」

 

隣の小咲がぽつりと呟いた。

ツリーのライト全てが輝き、葉に取り付けられていた装飾を照らす。小咲はその光景に魅了されていた。

 

かくいう陸もその光が彩る芸術に魅せられ、目を奪われていた。

ただ告白のシチュエーションとして丁度良い程度にしか思っていなかったイルミネーション。だが今は、この光景を見る事が出来て良かったと心の底から思えた。

 

「メリ~クリスマ~ス!ただいまよりこの場に居合わせたお客様限定に特製のぬいぐるみをお配りしま~す!」

 

「どうぞお受け取りくださ~い!」

 

この場の誰もがイルミネーションに魅了される中、マイクで拡声された声が響き渡った。声が聞こえて来た方へと視線を向けると、赤いサンタの衣装を着た二人の女性店員が大量のぬいぐるみが入った箱と一緒に中庭の端に立っていた。

 

「あっ!私、春とるりちゃんのぬいぐるみ貰ってこなきゃ!」

 

「あぁ…、そういえば二人に頼まれたって言ってたな。なら、一緒に行くか」

 

二人でぬいぐるみを貰うための列に並び、順番を待つ。そして陸と小咲が一つずつ、二つのぬいぐるみを貰って列を離れたその時、丁度イルミネーションが終わる時が訪れた。たった5分の幻想の時間が終わりを告げる。

 

「あ…。イルミネーション、終わっちゃったね」

 

「次はまた来年、か」

 

また来年。その時、自分はまたここに来ているだろうか。もし来てるのなら、その時は誰と一緒に?

 

…叶うのなら、また小咲とが良い。

 

「…なぁ小咲」

 

「ん?」

 

ふと少し先の未来に思いを馳せた途端、陸の胸の奥から想いが溢れた。

そして溢れた想いは、振り返った小咲に今度こそ告げられる。

 

「好きだ」

 

「…え?」

 

一言、短く口にされた言葉を受けて小咲は固まった。

 

「小咲が好きだ」

 

「…」

 

小咲の顔がみるみる内に赤く紅潮していく。それでも視線は陸から逸らさず、信じられないといった表情で陸を見上げていた。

 

「…悪い、いきなり言われても困るよな。別に今すぐ返事が欲しいとか、そんな事は思ってない。ただ、今言いたかった」

 

正直な気持ちを嘘偽りなく吐露する。これはただの身勝手だ。小咲の気持ちを考えずに先走ったただの自分勝手な行動。だからすぐに返事を求める事はしない。小咲だっていきなり告白なんてされて、混乱しているだろう。

 

「…帰るか。イルミネーションも終わったし、あまり遅くなるのも心配するだろうし」

 

遂に顔を真っ赤にして俯いてしまった小咲に声を掛ける。もうイルミネーションを見るために集まっていたカップル達の一部は帰るために中庭を出て行っていた。恐らく帰りの電車はまた行きの電車の様に混む事が予想される。ここに留まり過ぎて、中々帰れなくなるという事態は避けたい。

 

陸は一歩、二歩と小咲の様子を見ながら歩き出す。続いて小咲も歩き出した事を確認してから視線を前に向けた。

 

(…やっぱいきなり過ぎたかな?でも我慢できなかったし…)

 

先程の小咲の様子を思い返しながら、告白を急ぎ過ぎたかと後悔の念が湧き始めた。

 

もう少し落ち着くべきだったか、そう頭の中で考え出した、その時だった。

 

「…小咲?」

 

「…」

 

右手に温かい何かが触れた。その何かが小咲の手だと気付いたその時には小咲の手は陸の手を握り、陸の手もまた小咲の手を握っていた。

 

「…私も」

 

「え?」

 

「私も…。陸君の事、ずっと好きだったから…」

 

もっと顔を赤くしながら、絞り出すように言った小咲の言葉は、周りの喧騒に掻き消される事なく確かに陸の耳に届いた。

 

「っ…!」

 

何も返事を返す事が出来ない。言葉が出ない。小咲が勇気を出して口にした想いに、返す事が出来ない。

 

だから言葉の代わりに、陸は小咲の手を握る右手に力を込めた。小咲に痛みを感じさせない様に、それでも確かに小咲に伝わるように。

 

「ぁ…」

 

どうしようもなく顔に熱が籠り、小咲の顔を振り返る事が出来なかった陸には見えなかった。

 

小咲が握り合う自分と陸の手を見ながら、小さく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

◇   ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 

陸の予想通り帰りの電車は混み合っていたが、行きの時の様に一本電車を逃すという事態にはならず、陸と小咲は順調に帰路に着く事が出来た。車両内ではイルミネーションについて話すカップル達の話し声で満ちていたが、陸達は気恥ずかしさで会話する事が出来なかった。

 

想いは一緒だった。それはとても嬉しい事で、喜ぶべき事だ。だが、それでも想いが通じ合っていた事を確かめ合ってすぐ、会話を盛り上げるなど二人に出来る筈もなく。電車が凡矢理駅に着き、二人が駅を出るまでほとんど会話はなかった。

 

(…昼は曇ってたのにな)

 

口から白い息を吐きながら空を見上げる。周りの明るい光のせいで星を見る事は出来ないが、夜の闇に包まれた空には雲一つ存在しなかった。きっと、町中から離れた場所でなら見事な星空が見られる事だろう。例えば、陸の家の縁側とか、後は―――――――

 

(…そうだ。そういえば、約束したよな)

 

そこまで考えた時、陸の脳裏でとある場所で小咲と交わした約束を思い出した。

小咲もきっと忘れてしまっているだろう小さな約束。

 

「小咲。帰る前にさ、最後に寄りたいとこがあるんだけど」

 

「え?良いけど…、どこに行くの?」

 

「それは行ってからのお楽しみって事で」

 

ついさっきしたやり取りをしながら陸は小咲に手を差し出す。差し出された陸の手を小咲は目を丸くしながら見つめ、陸は差し出した手を引き戻そうとする。

 

だがその前に陸の手は小咲によって引き止められていた。

 

「小咲…?」

 

「…」

 

顔を真っ赤にして陸の方を見ようとしない小咲。それでも何を思っているかは握られた手を見れば明らかだった。

 

「…」

 

陸は何も言わずに歩き出す。小咲もそれに続いて歩き出す。モール内で手を繋いだ時は陸が僅かに前を、小咲が僅かに後ろを歩いていたが、今は隣同士並んで歩いている。二人は駅前の広場を横切り、そのままイブの日に盛り上がる繁華街から離れていく。繁華街から離れていくと、次第に辺りを照らす光が減って行き、何時しか道を照らす明かりは街灯と周りの家の中から漏れる電灯の光だけになった。

 

陸と小咲は繁華街の賑わいも届かない住宅街を歩いていく。手を繋いだ先で歩く小咲が時折何やら聞きたげな視線を向けて来るが、見て見ぬふりをして足を進める。ここで行先を教えるのは面白くない。もう少しで着くんだし、小咲には驚いてもらおう。

 

まあ、ここまで来ればどこへ向かってるのかそろそろ気付きそうなものだが。

 

歩道の途中にあった狭い路地を通り、長い階段を上る。

 

「陸君、ここ…」

 

「覚えてるか?前に約束したの」

 

階段を上った先には少し開けた空間。左側を見れば、そこには夜の闇の中に散らばる多数の光が。地上に広がるまるで星空の様な絶景が広がっていた。

 

「ここで一緒に夜景を見ようって言ったよな」

 

「あ…」

 

目を見開いた小咲。ようやく、いつかのやり取りを思い出したらしい。

 

そう、その約束をしたのはまだ夏の暑さが残った九月の頃だったか。小咲に教えてもらってから、陸はたまに学校帰りにここへ夕焼けに照らされる街並みを見に来ていたのだが、あの時は丁度偶然小咲も来ていた。その時は小咲は進路に悩んでいて、その事について相談に乗ったのだが…、何故かそういう約束をしたのは覚えていた。どういう経緯で約束したのかは忘れたが。

 

「うん…、思い出した」

 

「まあ忘れてるよなー。俺も思い出したのは偶然だったし」

 

二人は地上で輝く星座を見下ろしながら言葉を交わす。

ショッピングモールで見たイルミネーションは見る人の心を沸き上がらせるような光景だった。

今、目の前にある光景はイルミネーションとは逆で、見ていてどこか心が安らいでいく光景。

 

「…綺麗だね。ずっとこの場所を知ってたけど、夜に来たらこんな景色を見られるなんて」

 

「そうだな、綺麗だ。でも…」

 

この幻想的な景色に目を奪われている小咲の横顔に目を向ける。

 

確かに眼下に広がる夜景も美しいものだ。でも、陸にとっては隣にいる女の子の方がよっぽど美しく、綺麗に見えた。

 

「小咲の方が綺麗だよ」

 

「―――――――」

 

バッ、と勢いよく振り向いた小咲の顔は真っ赤に染まり、両目は潤み、形の良い唇はパクパクと開閉していた。何か言いたいのだろうが、恥ずかしさで何も言えない、といった所か。

 

「り、陸君!」

 

「何だよ、ホントの事だぞ」

 

「ほ、ほんとって…!」

 

顔を真っ赤にして大声を出す小咲に素直な本音を返してやれば、更に小咲は狼狽する。これ以上ないほど真っ赤に染めた顔が更に赤くなったように見えた。

 

「も、もう…」

 

耐え切れなくなったのか、陸から視線を逸らして俯いてしまった。

 

…嫌だ。もっとこっちを見てほしい。

 

「小咲」

 

「あ…」

 

小咲の顎に親指と人差し指を添え、視線がこちらを向くように軽く押し上げる。

俯いていた小咲の顔は上がり、視線が陸の目を見上げた。

 

視線が重なる。空気が静かになる。周りには誰もいない。時間的にここに来るような人は自分達以外には誰もいない。

 

三度目だ。

どこか他人事のように、陸は頭の隅でそう思った。

去年の夏祭り、先月の家の縁側。そして今日、小咲と一緒にいてこんな空気になったのは三度目だ。

 

二度ある事は三度あるという諺がある。

そして三度目の正直という諺もある。

これらの諺はまさに、今この瞬間の為にあるものではないのか。

 

小咲が目を瞑る。それを見た陸もまた目を瞑る。

これまでと同じ流れ。前回、前々回はここまで来て邪魔者が入ったが、今回は違う。

 

「…」

 

「ん…」

 

夜空に浮かぶ月が照らす中、二つの影が一つに重なった。

たったの数秒。だが二人にとってとても長い数秒の後、二人は離れる。

 

「…はは」

 

「…ふふ」

 

そして、至近距離で目を合わせながら同時に笑みを零してから、もう一度唇を重ねた。

今度は先程より長く。それぞれの身体に両腕を回し、抱き合いながら。

 

「…好きだ、小咲」

 

「うん。…私も、陸君が大好き」

 

唇を離してから、もう一度想いを告げ合う。

 

このままずっと抱き合っていたい、という気持ちは抑え、陸は小咲の身体を離す。

もうさすがに小咲は家に帰らなければ家族が心配するだろう。…母親はどうも逆に興奮しそうな気もするが、あの常識的な父親と姉が大好きな妹は今頃まだ帰らない小咲を心配しているはずだ。

 

「…帰ろうか。家まで送るよ」

 

「え?でも、そしたら陸君の帰りが…」

 

「彼女くらい送らせてくれよ。彼氏の役目だろ?」

 

「か…。かのじょ…」

 

また顔を真っ赤に染めて俯いてしまう小咲。だが今は先程のように嗜虐的な気持ちは湧いてこなかった。逆にその姿に微笑ましさを覚える。

 

「ほら。今頃春ちゃん心配してるぞ?」

 

「う、うん」

 

小咲の背を軽く叩きながら促す。小咲は頷いてから、陸と一緒に地上で輝く星々に背を向けて二人で歩き出した。

 

数歩歩いてから、二人はどちらからともなく手を伸ばした。

伸ばした手は一度軽く触れ合ってから、二人の間で繋がった。

 

二つの星空に挟まれながら、二人の男女は階段を下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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アトガキ

第1話を投稿してから約4年…。こんなに長くなるとは思ってなかった…。

 

皆様、こんにちは。もう何も辛くないです。

『一条家双子のニセコイ(?)物語』をお読み下さり、ありがとうございました。

この話が完結したのは、本当に応援してくれた読者の皆様のお陰だと思ってます。本当にありがとうございました。

 

大体、この小説は『あれ?何か小野寺負けちゃいそう…。ざけんな!こうなったら俺の小説の中で幸せにしてやれぇ!』というノリで書き始めたのに、気付けば一年生編だけで50話使うわ二年生編終盤でとんでもないシリアス展開にしちゃうわで…。いやまあ主人公の設定考えてる時に終盤はちょっとシリアスにしてやろうとは思ってたんですけどね?起承転結は大事です。

 

この起承転結ですが、転については一条陸というキャラクターができた時点で考えてた展開でした。

やっぱり楽と違ってヤクザの世界に深く関わっているという設定でしたので、ちょっとそこの所で騒動を起こそうと。それじゃあ、どういう騒動が良いのか考えた時に、陸と似たキャラを見つけました。はい、お察しの通り、奏倉羽です。二人は表の世界で過ごしながらも、陸は殺しをしてたり羽は大組織の首領をやってたりと裏では結構えげつない事をしてます。

 

じゃあこの二人を中心にした騒動にしよう!そうだ!二つの組織のパイプになるための政略結婚騒動だ!

という所まではすぐに考えられたのですが、ならその騒動の詳細をとなると中々考え付きませんでした。

何故なら、原作で似たような騒動があったからです。はい、そうです。橘万里花の結婚騒動です。

 

一瞬、その展開を真似て二人の結婚式中に楽達が乗り込んで、結果集英と叉焼の本格戦争起こそうか、という考えも過りましたが即ボツ。だってそうなったら集英組滅んじゃう。いくら叉焼が弱体化してる設定でも歴史と規模が違い過ぎる。なら式を開く前、何なら婚約成立前に解決させなきゃ集英組詰みじゃん!と気付いた時には遅し。まあ書きながら展開考えていこう、と決めてすでに小説は投稿済み。そのままこの騒動をどう収拾付ければいいのか決断できないまま二年生編へ、修学旅行へ。ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!

 

…はい、皆さん。これが途中、一年もの間投稿が開いた理由です。完全な馬鹿な作者の力不足のせいです。本当に申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした。何度謝っても足りないくらい本当に申し訳ありませんでした(意味不)。

 

それでも何とか完結までこぎ着けられてホッとしてます。

きっと、ここの展開おかしくね?と思ってしまう場面もあったでしょう。けどこれが自分の限界です。全力を尽くした結果です。ニセコイの二次小説で、書きたい事を全て書き尽くしました。批判は全部受け止めます。

 

まあそんな感じで長く続いたこの作品も完結しました。上記にもありますが、本当に皆様のお陰です。

しばらく小説を放棄してた時期がありますが、メッセージで『ニセコイ楽しみにしてます』や、『ニセコイ続けてほしいです』という声が聞けて本当に嬉しかったです。本当に励みになりました。

 

続編…というより、まだ万里花の騒動や三年生編残ってるよ?と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、多分書きません。少なくとも今は書く気はないです。

 

というのも、これ以上書くと完全な蛇足になってしまうと思ってます。陸と小野寺が結ばれてハッピーエンド。これでええやん。これは陸と小野寺のラブストーリーなんや。と、決断したのが本格的に投稿を再開し始めた時。そしてそれと同時にタイトル詐欺にも気付いてしまう。『一条()()のニセコイ(?)物語』おい双子はどうした。楽はどうした。

 

という事で、多分続きはないです。番外編としてちょくちょく当てのない話を書きたくなったら書きますが、続きはないです。多分。本当に多分。言い切る事が出来ない自分が情けない…。

 

お気に入り件数:1945件

感想:199件

総合評価:2334pt

 

こんなにも多くの評価と感想をありがとうございました。現段階の数字なので、これから減ったりするんでしょうが…本当にありがとうございました。

 

これにてあとがきを締めさせてもらいます。しつこいようですが、最後に…

 

皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

 

冬。ここまで広い屋敷では全ての部屋に暖房を設置する事は出来ず、それは陸の部屋も例外ではない。今日は特別寒い中、震えながら寝間着を脱ぎ、制服へと手早く着替えてから急いで部屋から出る。

 

陸の部屋からリビングに行くためには一度玄関の前を通らなければいけない。陸が玄関の前に差し掛かった時、丁度リビングの方から楽が駆け足でやって来た。

 

「おう楽。もう出るのか?早くね?」

 

「あぁ。ちょっと動物の様子が気になってな」

 

すでに学校へ行く支度万端の様子の楽に理由を問えば、そんな答えが返って来た。楽は飼育係として多くの動物を世話している。こうして早くに家を出る事は珍しくないのだが、こんなにも寒い日でも関係なしの楽にちょっとした尊敬を覚えながら外へと出る楽の背中を見送る。

 

横開きの扉がぴしゃっと音を立てながら閉まったのを見届けてから、陸は回れ右をして改めてリビングへと向かう。すでに中では今日の朝食当番である楽が作った朝食をそれはもう美味しそうに頂いている男達の姿があった。そんな見慣れた光景からすぐに視線を流し、いつも陸が座っている椅子に腰掛け、楽が準備した朝食にしっかりと食事前の挨拶をしてから箸をつける。

 

10分程で食べ終えた陸はすぐに席を立ち、洗面所で歯を磨いてから、部屋へと戻る。部屋へ戻った陸はタンスの中から取り出したコートを着、勉強机の横に掛けてあるスクールバッグを持って部屋を出ようとして―――――――そこでふと何かが足りない事に気が付き足を止めた。

 

回れ右をした陸は再び勉強机へと向かい、そこから何かを取り、それを首に回して身に着けた。

 

それはネックレス。クリスマスイブの日、小咲と一緒に買ったペアのリングが付いたネックレスだ。

ネックレスを着けてから一度鏡を見ておかしな所がないかを確認してから、陸は部屋を出る。

スクールバッグを持ち、廊下を歩き、玄関で靴を履いてから行ってきます、と口にしてから扉を開けて外へ出る。

 

外へ出た陸を容赦なく冬特有の刺すような寒さが襲う。空は晴れ渡っているにも拘らず、そのアンバランスな寒さに小さく身震いしてから歩き出す。

 

玄関扉から20メートルほど先にある正面門から敷地を出て、左に曲がる。いつもの登校光景だ。

だが今日、陸はいつもとは少し違った気持ちでこの道を歩いている。

 

今日は冬休み明けの初めての学校の日。だから特別な気持ちでいる訳ではない。

 

ただ――――――――

 

「あ、おはよう。陸君」

 

「おはよう、小咲。待たせたか?」

 

「ううん。今来たばかりだから」

 

「…小咲は待ってたとしてもそう言いそうだからな」

 

「ほ、ホントだよ!?」

 

今日は初めて、彼女と二人で登校する日でもある。

 

ちょっぴり小咲を揶揄い、休み明けの学校の日特有の憂鬱さを吹き飛ばし、小咲と並んで歩き出す。

 

「それにしても、今日は寒いねー」

 

「あぁ。昨日までは結構温かかったんだけどなー」

 

そんな他愛もない会話は、まだ二人が付き合う前にしてた会話と何ら変わらない。それでも、二人の間で繋がった手が、二人の関係が前とは違うという事を示していた。

 

「それでね?陸君」

 

「ん?」

 

「その…、そろそろ離さないと、誰かに見られちゃいそうなんだけど…」

 

「…嫌か?」

 

「い、嫌じゃないけど!…は、恥ずかしい」

 

恥ずかしそうに俯く小咲。そんな仕草が陸を意地悪くさせるという事に彼女が気付くのは、一体何時になるのやら。

 

とはいえ、この光景を友人に見られ、どういう事だと聞かれたり小咲と恋人同士になったと周りに広まったりするのも面倒なため、仕方なく、本当に仕方なく陸は小咲の要望通りに手を離す。

 

「あ…」

 

「…離してほしい?離さないでほしいの?どっちだよ」

 

「…ど、どっちも」

 

「無茶言うなよ…」

 

小咲の無茶な要求に苦笑を浮かべる。

 

こんな何気ないやり取りで、こんなにも愛おしく思うようになるとは。

少し前の自分では考えられなかった。でも、決して不快ではない。むしろ――――――――

 

「小咲」

 

「ん?どうしたの?」

 

「好きだ」

 

「…もう、不意打ちは禁止って言ったのに!」

 

顔を赤くして陸の腕を、ぽこぽこと叩く小咲。そんな仕草がどうしようもなく可愛くて、愛おしくて、それでいて面白くて。堪らず陸は笑い出す。

 

「ど、どうして笑うの!?もう、陸君!」

 

「あっはははは!ごめん、ごめんて…ぷっはははは!」

 

笑うのを止めない陸に小咲は頬を膨らませ、遂にはそっぽを向いてしまった。

さすがに笑い過ぎたかと、陸は何とか込み上がる笑みを抑え、小咲に謝り倒す。

 

陸の方を向かない小咲と、それでもめげずに謝り続ける陸の姿は完全にカップルの痴話喧嘩である。

この光景が陸と小咲と同学年の生徒の目に入り、元々流れていた陸と小咲が付き合っているという噂の勢いを更に加速させるという事を、二人は知らない。

 

「もう…」

 

「ごめんて。もう言わないから、許してくれよ」

 

「…もう言わないのは、駄目」

 

「は?」

 

「た、たまになら…、言っても良いよ…」

 

「…」

 

あー、抱き締めたい。キスしたい。やってもいいですか?あ、駄目ですか。ですよね、解ってますよ。

 

心の中でいっそ押し倒しちまえと暴れる悪魔を必死に抑えながら深呼吸。いきなり深呼吸を始めた陸に疑問符を浮かべる小咲は無視。てかあなたのせいなんですが。解ってますか?解ってませんね。

 

こんな感じできっと、これから先も陸は小咲に悶え苦しめられるのだろう。だが、嫌じゃない。むしろどんと来いと構えるくらいだ。

 

何故なら、一条陸は小野寺小咲が、どうしようもなく好きなのだから。

 

だから、ちょっと抱き締めても良いですか?

 

「ダメ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2年生(後)
第102話 シンネン


お久し振りです。つい最近まで物凄く暑かったのにあっという間に冷え込みましたね…。皆さんは風邪など引いていませんか?ちなみに私は引きました。

という事で(どういう事?)、私の気が変わった結果、二年生編(後)が始まります。

※この話は前話アトガキよりも以前の話になります。








 

 

 

 

 

 

 

 

身を包む冷たい空気を切り裂いて、青空に浮かぶ太陽が温かな日差しを照らす。周りを歩くのは家族か、友人か、はたまた恋人か。皆一様に笑顔を浮かべ、両脇に屋台が並ぶ参道を歩いている。

 

「へぶしっ!はぁ~、やっぱ日本は寒ぃなぁ~」

 

「そりゃ、南の島に比べたらね~」

 

隣から聞こえてきたくしゃみの音に振り向けば、鼻の下を指で擦りながらごちる楽の姿が。そしてその向こう側には髪の毛を二つに結い、花柄の着物を着た羽が。

 

そう、陸達もまた、この参道を歩く一人なのだ。昨日、自室の炬燵に籠ってのんびりしていた所、千棘がスマホアプリのメッセージで初詣を誘ってきたのだ。断る理由もなく陸は了承。その時、疲労困憊で布団で寝込んでいた楽もそのメッセージには気付き、誘いに了承。そして同じく千棘に誘われていた羽と共に今日、三人で神社へとやって来たのだ。

 

ちなみに先程羽が口にした南の島というのは、楽が万里花と一緒に行ったキリバスの国にある孤島の事だ。陸の素知らぬ所で行われていたのだが、何やら万里花は寝ている楽を連れてその孤島に行ったらしい。そして楽と万里花は二人でその島でサバイバル生活を送ったという。

 

「しかし、橘は残念だったな。しゃーねぇけど」

 

「あぁ…。何か、絶対行きます!とか言ってたけど、本田さんがさせねぇだろ」

 

ポツリと呟いた陸に、楽が返事を返す。そう、万里花は今日の初詣に来れないのだ。

 

何でもサバイバルの途中で万里花が持病で倒れてしまったらしい。帰ってきてからの検査の結果は大事なかったようだが、今日は残念ながら来れないという。だが、冬休み明けの学校には行ける予定との事だ。

 

「おーい、三人ともー!こっちこっちー!」

 

そうして歩いていると、前方から聞き覚えのある自分達を呼ぶ声が。

 

「「「「「明けましておめでとうございまーす!!!」」」」」

 

今日来れない万里花以外のメンバー達はすでに揃っていた。この寒い中、何故そんなにもと聞きたくなるような高いテンションで、年始の挨拶を繰り出してきた。

 

「おう、あけおめー」

 

「おめでとさん」

 

「みんな、明けましておめでとー!」

 

陸達は各々挨拶を返して、集まったメンバーの中に加わり歩き出す。

 

陸、楽、集以外の八人の女性陣は皆着物を身に着け、集にとっては何とも目の保養になる光景だろう。

 

(…まあ、小咲を見て鼻の下伸ばすもんならぶん殴らせてもらうが)

 

「…な、なんだ。今、寒気が…」

 

メラッ、と、僅かに漏れた殺気は届き、集は強烈な寒気に身を震わせたのだった。

 

「い、いや~。ここに来るのも一年ぶりだね~。今日は巫女のバイトはないの?」

 

「ねーよ。去年の事はあんま思い出したくねぇんだけど…」

 

寒気を振り切った集が、いつもの明るい口調で言うと、楽がどこかうんざりした様子で返事を返す。

 

「去年は皆で初詣に行かなかったんですか?」

 

「いや、一応俺以外は行った。はずなんだが…」

 

「え?陸先輩は行かなかったんですか?」

 

「あぁ。去年はちょっと用事があってな」

 

楽と集が去年の正月について話していると、その内容に疑問をもったいない一年生組、春と風ちゃんが陸の方へと振り向いて問いかけてきた。が、去年は一征と共に挨拶回りに出ていた陸はそこに参加しておらず、曖昧な返答をするしかなかった。

 

「楽に聞いても話したくねぇ、思い出したくねぇって頑なだし」

 

「へぇ~」

 

そうして話していると、ふとこちらに振り向いた集が目を光らせ、何かを企んだような笑みを浮かべながらこちらへ寄ってきた。

 

「聞きたいかい?」

 

「「え?」」

 

「聞きたいかい?」

 

「「えっと…はい」」

 

「…そうか。実はね…、あれ?誠士郎ちゃん?桐崎さんも怖い顔して…」

 

勢いに押されながら、集の問いかけに春と風ちゃんが頷くと、ニヤニヤしながら集が話そうとする。だがその直後、物凄い形相でこちらを向いた千棘と鶫が集を木陰へと連れていきーーーーーーーーそこからは何かを殴る音と呻き声が聞こえてくるだけだった。

 

「気にしなくていいんだよ~、気にしないで。ホントだよ?」

 

更に小咲もこちらに来たかと思えば、先程の話を終わらせようとする。…そこまでされると逆に気になってしまうのだが。

 

(…しかし)

 

まあ無理に聞きたい訳でもないため、もうその話は掘り返さない事にする。それにそんな事よりも、今の陸には重要な事があった。

 

それは、今の小咲の格好である。

 

小咲が着ているのは桃色を基調とした花柄の着物。羽程派手に花柄が描かれている訳ではないが、それが逆に小咲に似合っている気がする。いつもは流している髪の毛も結っており、新鮮さを感じる。

 

(去年もこれ着てたのか?だとしたら…、去年の俺のバカ野郎!)

 

今の小咲を去年も見れたかも、と考えると無性に去年挨拶回りに同行した自分に怒りが湧いてくる。もし可能ならば、一発殴ってやりたいのだが…。

 

「どうしたの?」

 

「うおっ…」

 

胸の中のモヤモヤと戦っていると、突然陸の視界に小咲の顔が飛び込んできた。自分の世界に入り込んでいた陸は、驚きのあまりつい声を漏らしてしまう。

 

「あ、ご、ごめんね?驚かせちゃったかな…」

 

「あぁいや、まあ驚いたけど、気にすんな。考え事してた俺が悪い」

 

驚かされた事が特に気に障った訳でもなく、陸は小咲に手を上げながらその旨を伝える。

 

「考え事?」

 

陸の前方から隣に移った小咲は、陸の顔を見上げながら問いかけてきた。陸は一瞬、目を見開いてから空を見上げてーーーーーーー

 

「去年、小咲達と一緒にいなかったのが勿体なかったなって思ってさ」

 

「へ?」

 

「小咲の着物姿。去年も見れたのかなって」

 

恥ずかしげもなく、正直にそう答えたのだった。

呆気にとられ、硬直した小咲だがすぐに立ち直り…そして、顔を真っ赤にした。

 

「え…ちょっ…陸くん!?」

 

「あっははははは!似合ってるよ、着物姿。髪型も新鮮だな」

 

「…ありがとう」

 

慌てる小咲に続けて今日の格好についての感想を伝えると、更に顔を赤くさせた小咲は遂に俯いてしまった。其の様子が何とも可愛らしく、愛おしく、今すぐ小咲を抱き締めたいという衝動に駆られてしまう。当然、こんな公衆の面前でそんな事できるはずもなく、我慢するしかないのだが。

 

「…あ」

 

悶々とした気持ちを抱えながらも、何とか衝動を抑えた陸は、再び小咲に視線を向けて、彼女の首にかかる鎖を見た。それは、クリスマスイブに二人で買った、お揃いのネックレス。

 

実のところ、小咲と顔を会わせるのはクリスマスイブの日以来だった。あれから毎日メールのやり取りはしていたが、こうして実際に会って話す事は出来ないでいた。年末はそれぞれの家の用事で忙しく、会う約束を取り付けられなかったのだ。だから今日が、恋人同士となって初めて顔を会わせる日となる。

 

「陸くん?」

 

「…明けましておめでとう、小咲」

 

「…うん。明けましておめでとうございます。陸くん」

 

ゆっくりと歩きながら、微笑み合った二人は新年の挨拶を交わす。

 

「そういえば、陸くんは神様に何てお願いするの?」

 

「ん?」

 

「この神社だったら本当に叶っちゃいそうだから、下手なお願いできないねって皆で話してたんだ」

 

「…あー」

 

不意に小咲の口か出てきた問いかけに初めは戸惑うものの、小咲が続けてした説明によって陸は思い至る。確かに、ここの神主の事を考えると本当に願いが叶ってしまいそうだ。

、小咲が続けてした説明によって陸は思い至る。確かに、ここの神主の事を考えると本当に願いが叶ってしまいそうだ。

 

しかし、もしそうならば今の陸にとってまさに文字通り、願ったり叶ったりだ。

 

「んなの決まってんじゃん」

 

「え?」

 

「可愛い彼女とずっと居られます様にってお願いする」

 

「…」

 

黙り込み、俯く小咲。横目で様子を見遣ると、その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「そ、それなら私も」

 

「ん?」

 

「り、陸くんとずっと一緒に居られます様にってお願いするつもりだったもん…」

 

「…お、おう」

 

小咲にしては珍しいストレートな言葉に、陸もまた頬を染める。

 

まだ想いを通じてから一週間。にも関わらず、完全に二人の間に流れる空気は新婚夫婦並に満たされていた。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

前方で、二人並んで歩く男女がいる。自分の想い人と姉が、まるで恋人の様に歩いている姿を、小野寺春は複雑な気持ちを抱きながら眺めていた。

 

その光景を見ていて思い出すのは、クリスマスイブの夜、陸とのお出かけから帰ってきた姉との会話。

 

『お帰り、お姉ちゃん!どうだった?先輩とのデートは』

 

『…』

 

『…お姉ちゃん?』

 

『あ、え…は、春?ど、どうしたの?』

 

完全に上の空だった姉。その後、もう一度陸とのデートはどうだったかと聞いてみれば、顔を真っ赤にして『何にもなかったよ!うん!何にも!あはははは!』と笑いながらダッシュで自室へと逃げ込んでしまった。もう陸と何かあったとしか思えなかった。

 

そして今、仲睦まじく歩く陸と小咲。まだハッキリとした話は聞いていないが、あれはもう完全にーーーーーーー

 

「気になる?」

 

「うぇっ!?ふ、風ちゃん!?」

 

いつもの優しげな笑みを浮かべながら覗き込んできた風ちゃんに驚き、声を上げながら立ち止まる。

 

「き、きき気になるって何が?私は別に、お姉ちゃんと先輩が仲良さそうで良かったな~って思ってただけで…」

 

「ふ~ん?」

 

嘘だ。今、自分は友達に嘘をついた。でも、風ちゃんのこの笑い方は絶対に誤魔化されてない。騙されていない。春の本心を見抜いている。

 

「春はそれでいいの?」

 

「…それでいいも何も」

 

風ちゃんが聞いてくる。その問いかけが、春の心を更に暗くする。

 

「あの二人は、もうーーーーーーー」

 

「怪しいわね」

 

そう、怪しいーーーーーーって、あれ?

 

「ひゃあっ!宮本先輩!?いつの間に…」

 

「ついさっきよ。それよりも春もあの二人、怪しいと思うわよね」

 

「え?あ、はい…」

 

突然春と風ちゃんの間に現れたるり。そして何故かるりに服の襟を掴まれ引き摺られてる集。前の二人も気になるが、この二人にも一体何があったのだろうか。

 

「俺達も同じだよ」

 

「い、一条先輩?皆さんも…」

 

続けて現れたのは楽と千棘と羽、鶫にりんご飴を咥えているポーラ。ポーラはいつの間に屋台で買ったのだろうか。

 

楽は顎を手で触りながら前の二人を見つめながら続ける。

 

「陸の奴、イブの日に小野寺とどうなったかって聞いても何もねぇよとしか言わねぇんだ。…何もねぇ訳ねぇだろ。あんなの見せられちゃぁなぁ」

 

「えぇ。小咲も私に同じ事を言ってたわ。…間違いなく、イブの日に二人の間に何かあったわね」

 

千棘と羽、鶫が首をこくこくと、同時に頷く。るりに掴まれている集もまた、か細い声で「おれもそうおもいまーす…」と口にしたのを春は聞き逃さなかった。

 

「気になるな」

 

「気になるわね」

 

「右に同じ」

 

「気になる気になる」

 

「私も…、正直」

 

年上組が集まり、視線を見合せ、再び何かを決意するかのように大きく頷いた。

 

「「「「「聞き出そう」」」」」

 

「ちょっ、皆さん!?」

 

何でこんなにも団結してるのか。いや、自分も気にならないと言えば嘘になるのだが。

 

「春、私達も」

 

「風ちゃん!?」

 

まさかの風ちゃんも同じ気持ちという。何という事だ。味方が消えた。

 

「なに?何してるの?焼きそばでも買うの?」

 

何も解ってない人が一人。

 

「あびゃー」

 

行動不能が一人。

 

「ひとまず、列に並ぼう。二人を問い質すのはお参りしてからで」

 

「「「「「了解」」」」」

 

「…はぁ」

 

先程も言ったが、気にならないと言えば嘘になる。だが、出来れば真相を聞きたくない、知りたくないという複雑な思いをかかえながら、意気込んで進む楽達についていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、それ所ではなくなる騒動に陥ることは、まだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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