彼は再び指揮を執る (shureid)
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彼は耽る

 

「じゃあ行ってくるね、提督」

 

雲ひとつ無い晴天の下、海原へと抜錨していった年端も行かぬ少女達。

その後姿を何度夢で追いかけただろうか、決して届くことの無い右手を永遠と伸ばし続ける。

 

無精髭を蓄え、目元に深い隈を浮かべた男は、蛍光灯を掴む様に天井へ手を翳す。あの日から眠れたことなど一度も無かった、頭の片隅から離れたことなど一度も無かった。頭痛を覚えながらも毛布を蹴散らし、ベッドから這い出た男は散乱していた煙草の一本を手に取り火を着ける。クローゼットに寄りかかると、何も見据えることの無いその視線を再び天井へと向ける。男はその時の始まりを、寝起きの頭で思い起こしながら再び目を閉じた。暗い視界に浮かび上がるのは初めて話した艦娘の顔であった。もう五年前になるだろうか、男は提督と呼ばれる職に就いた。

 

突如現れた海を荒らす怪物、深海棲艦。

その怪物を打ち倒す者艦娘。

それを指揮する提督――。

言わば人類の救世主であった。

 

普通提督には軍属の人間が選ばれる。深海棲艦が現れてからは、提督学が海軍兵学校の過程に組み込まれ、その中から優秀と判断された者が提督として選ばれていた。その後、港に深海棲艦防衛策として莫大な税金を投入し、鎮守府を建設。当初は人類の反撃の拠り所として機能させようとしたが、その思惑は外れ、大本営を悩ませる結果となっていた。深海棲艦に打撃を与える指揮を執れる者が現れなかったのだ。

学生時代には優秀な成績を修めた者も、いざ深海棲艦と戦うとなると、押し寄せてくる深海棲艦に防戦一方であった。莫大な税金を投入した手前、どうしても成果が欲しかった大本営は焦り、成果を挙げることの出来なかった提督を鎮守府から除名し、次の提督へと引き継がせていた。一年の間、ジリ貧な戦いを繰り返している内に、深海棲艦は海域の半分近くまで詰め寄っていた。国民は引きあがり続ける税金に耐え切れず、デモを起こす寸前であった。そんな情勢に大本営は頭を悩ませ続けていた。その渦中、防衛の要とされている、横浜鎮守府にある男が着任した。

 

「……ここが横鎮か、広いなー」

 

海軍兵学校卒業時の成績は可もなく不可もなく、そんな自分に防衛の要所である横浜鎮守府提督の仕事が回って来たのだ、世も末ということだろう。なんでも前提督は大本営からの圧力や深海棲艦の恐怖に発狂し、夜の間に逃げ出したとの話だ。一家全員が軍属という身から、両親に無理やり学校に入学させられ、特に居たくもない軍に従事している身だ。戦場に出たことも、本物の指揮を執ったこともない。どうせすぐに除名され、いつもの仕事に戻るだけだ。しかしまあ、仕事は仕事である。横浜鎮守府の門を潜ると、事前に入手していた見取り図を手に、司令室へと足を向けた。

司令室へ向かう道中、何人の艦娘とすれ違ったが、どの娘も自分の風体を見るやいなや、緊張した面持ちで敬礼し、自分がその場を離れるまで敬礼を続けていた。

誰に語る訳でもなく、敬礼している艦娘を横目で見ながらぼやく。

 

「律儀なもんだねえ、やっぱりお堅い場所は肌に合わないなー」

 

司令室まで後少しといったところであろうか、廊下の少し先から綺麗な黒髪から肩までかかる程のおさげを垂らした、大人しそうな女の子が歩いてきていた。その女の子は自分の姿を見ても、これといって緊張するわけでもなく、壁に寄り自分に道を空けると、やる気無さそうに敬礼をした。その憮然とした態度は嫌いではない、むしろ好感がもてた。艦娘は写真では見たことがあったが、やはり実際見てもただの少女にしか見えない。

 

「えっと、司令室はこの先でいいの?」

 

もちろん司令室の場所は把握していたが、その少女に興味が湧き、話しかけるネタとして利用する。

 

「えーっと、はい、そこの角を曲がれば……すぐです」

 

「ありがとう、名前は?」

 

その時点で少女は敬礼を止め、自分へ向きなおす。

 

「雷じゅ……あー……重雷装巡洋艦の北上です。……あなたが新しい提督ですか?」

 

違和感丸出しの敬語に少し笑いそうになりながら、北上と向きなおす。

 

「敬語が嫌ならいいよ別に、気にしないし」

 

「そう?助かるー。あんまりお堅いの合わないんだよね、あたしって」

 

北上はけらけらと笑うと、人懐こそうな笑みを浮かべ、壁に寄りかかった。

 

「今までの提督はお堅い人多かったからね、提督は頑張って続けてよね?」

 

北上は悪意無く言ったようだが、こっちの事情を知っている者からすれば笑えない台詞である。お上はなりふり構ってられないのだ、血税を使い、成果を挙げられない日々が続く。そんな大本営に不満を募らせた国民が、鎮守府の存在意義について問うようになってきたのだ。もちろん北上にとっても笑い話ではないのだが、こっちの裏事情は彼女達には通らないようにしている。当然だ、命を張って戦うのは彼女達艦娘なのだから、余計な不安をかける必要は無い。

 

「まあぼちぼちやるよ、じゃあまた」

 

「はいよー」

 

北上と別れると、廊下のあちこちに目をやり、横鎮の部屋の多さに驚きながらも指令室の前へと辿り着いた。ドアノブに手を伸ばすが、少し緊張し手を引っ込め、深呼吸する。

 

「……ふぅ、なるようになるか」

 

決意を固め、ドアノブを捻る。

その扉を開いた瞬間から、俺の提督としての生活が幕を開けたのだ。

 

 

 

「ふぅ…………」

 

 

目を開くと、煙草から肺に入れた空気を天井へと吹き出す。もう何度目だろうか、そのドアノブを開くまでの光景を思い出すのは、そんな平凡よりショッキングな事件が多数あったのだが、その光景が脳裏にやたら染み付いている。提督になってしまった後悔からだろうか、着任する前のことばかり思い出してしまう。思えばああなる前に辞める機会はいくらでもあった、しかし、何も特技がないと思っていた自分が深海棲艦を屠り、人類の英雄として奉られた時の快感が忘れられなかったのだ。天賦の才というやつだろうか、深海棲艦がどう攻めてくるのか、何を狙っているのかが手に取るように分かった。学問優秀な同輩には出来ず、苦労せずにそれが出来ていた俺は天狗になっていた。兵法も大して学ばず、独自の戦略で深海棲艦を屠り続ける。常勝船隊とも言われていた、しかし今思えばそれは運が良かっただけなのだろう、艦娘の轟沈、つまり艦娘を死なせることがなかったのも、ただ運が良かっただけだ。そのことを思い知らされたのは着任してからちょうど二年が経った夏の日だった。横浜鎮守府の艦隊は、敵に侵略された海域を破竹の勢いで奪還し、それにあおられ周りの鎮守府も我こそはと士気を上げ、人類は快進撃を進めていた。

そして、侵略された海の八割以上を取り戻した時、各鎮守府の提督が大本営から招集され、告げられたのだ。

 

LastEnemy海域強襲作戦。

 

どれ程大本営がその時を待ち続けてその名前が付いたのか、人類が海の主導権を握るための最後の最重要海域からそう名付けられた。

そのLE作戦では、負け知らずだった俺の第一艦隊が第一主力艦隊として選ばれることになった。

 

正規空母赤城。

正規空母加賀。

軽空母龍驤。

高速戦艦金剛。

高速戦艦比叡。

重雷装巡洋艦北上。

 

 

赤城を旗艦としたその第一主力部隊は、もはや人類反撃の要といっても過言ではなかった。

他鎮守府からも高練度の艦娘が選ばれ、大本営や民衆、そして各鎮守府に所属する提督や艦娘までもが勝利を疑わなかった。ドックから海原へ抜錨していく艦娘達を見送ると、何の不安も無く提督室へと戻った。基本的に最重要海域を攻略する時は、電波により敵に場所が悟られないよう無線を封鎖するか否かの判断を下す。無線を封鎖するとこちらの指示が届かず、予想外のことが起き艦隊に乱れがあった時に混乱し、危険が増すが、偵察機に見つからない限りは敵からの居場所の特定が困難というのは非常に魅力的であった。その時の俺は、彼女らの意見を聞き入れ、無線封鎖を行うことにした。そうなると抜錨前に戦略を伝え、後は現場の判断に任せるしか無いが、横浜鎮守府の第一艦隊は全員が高い練度を誇り、経験も大いに積んでいたため、よほどのことがあっても混乱することなど無いと考えていた――。

 

 

その結果、鎮守府へと生還したのは、大破した軽空母龍驤のみであった。

他鎮守府の艦隊も半分以上の艦娘が轟沈し、その日、人類は大打撃を受けた。

皮肉にも人類が勝利を確信していた日に、主力艦隊壊滅、支援艦隊半壊と言う人類が大敗した知らせが届いた。煙草を一本吸い終わり、もう一本の煙草をくわえ、火をつけようとマッチを擦ろうとした瞬間、部屋中にチャイムの音が鳴り響いた。宅配を頼んだ覚えも、自分を訪ねる来訪者の覚えも無い。男は一瞬出るか悩んだが、煙草とマッチをシャツの胸ポケットに入れるとゆっくりと立ち上がり、ドアへと歩み寄った。その安っぽい部屋には覗き穴が付いていないため、カギとチェーンを外しドアを開く。そこに立っていたのは、陰陽師風の赤い服に、黒のミニスカート、ツインテールと艦首を模したサンバイザーが特徴の少女が立っていた。予想外の来訪者に男は目を見開き、言葉を詰まらせる。

 

「……えと、久しぶりやな……」

 

おずおずと関西弁で話しかけてきた少女は、一瞬目を合わせたが、男の風体を見て気まずそうに目を逸らす。目の前の少女はあの日の第一艦隊から唯一生き残った、軽空母龍驤だった。男にとっては、あの日龍驤が抜錨して以来、顔を合わせていなかった。

 

「…………いきなりどうした?」

 

「……えー……ちょっち時間……ええか?」

 

歯切れが悪く、目線を泳がせながらその言葉を紡ぐと、龍驤は目線を外へ向けた。男の記憶では、本来の龍驤は元気がトレードマークといってもいい程活発な艦娘だった。しかし、向かいの龍驤からはその欠片も感じさせないほど、言葉に高揚が無かった。男は少し考えると、足元のサンダルに足を通し、初夏の日差しが照りつける外へと踏み出した。横浜鎮守府郊外の山の麓にあるそのアパートから出た二人は、龍驤の先導で舗装されたアスファルトの上を歩き始める。自分はこの少女に何か言うべきことはないのだろうか。大破で帰還し、即入渠したため顔を合わせる機会が無く、錯乱した自分はそのまま逃げるように提督を辞めた。当初、もし会うことが出来たら真っ先に謝ろうと考えていたが、月日が経つにつれ、その感情は薄れてきていた。自分の手で死地に送り、目の前で仲間を死なせたこの無能と誰が会いたいだろうか、謝って許される話ではない。それまでの成果から、莫大な報奨金は得ていたため、ならばいっそ、会わずにこのまま余生を過ごそうとも考えていた。二度と会うことが無いと思っていた龍驤の背中を見つめながら歩いていた男は、胸ポケットに入れた煙草の一本を取り出し、マッチを擦る。振り返り、それを見た龍驤は驚きつつも、悲壮な表情を浮かべ呟く。

 

「煙草……吸うようになったんやな」

 

「………………」

 

「……やっぱりあの日の……ことか?」

 

「……で、用は何だ?」

 

男は龍驤の問いには答えずに、ぶっきらぼうに問い返す。そんな男の態度に業を煮やした龍驤は、眉間に皺を寄せ大きなため息を吐くと、男に詰め寄る。

 

「もう単刀直入に言うで!また横鎮の提督に復帰する気あらへんか?」

 

「……断る」

 

「何でや!?キミだって聞いたんやろ!?あの日の責任はキミには無いって!」

 

あの日艦隊が壊滅した原因は、誰も予想出来る筈のない、深海棲艦の新たな進化だった。

 

「誰も深海棲艦が艦娘に化けるなんて予想出来るわけ無いやろ……無線封鎖だって、みんな納得してのことやったし……」

 

その日、第一艦隊はLE海域へ向かう道中、作戦には無かった第二支援艦隊と合流していた。

その支援艦隊は、自分達より後に出撃する予定だった為、追いつくのはおかしいと考えたが、支援艦隊の旗艦から、急遽作戦の変更があり、第一艦隊と合流し迂回したルートを取れと言う指示があったことを伝えられた。そのルートは作戦海域から外れて、敵地裏側へ回り込むものだった。突然の作戦変更に旗艦赤城は戸惑ったが、深海棲艦と他艦隊の動きを見切った提督の奇襲の作戦の一つだろうと考え、その指示に従い進路を変更した。もし無線封鎖をしていなければ、提督へ留意点の確認を込めて連絡を取っていただろう。そうなっていれば、主力艦隊全滅と言う悲劇が起こることは無かった。ルートを迂回し、周りに艦隊が居なくなったその場所で、突如金剛達の電探に敵影が映った。その数は徐々に増え、第一艦隊は夥しい量の深海棲艦に囲まれていた。

 

「敵機確認……!?何で!?」

 

「この辺にエネミーが居るなんて情報……」

 

そこからはまるで地獄絵図だったという。他艦隊も偽の支援艦隊から伝えられた作戦により、バラバラの進路を取り、孤立していたのだ。そこを大量の深海棲艦に襲われた。後の龍驤の証言と、第二支援艦隊を出撃させた鎮守府の提督の証言は一致しておらず、大本営は深海棲艦がその支援艦隊に成りすましていたという結論に至った。敵側に支援艦隊の編成が割れていたのだ。つまり出撃前の時点で、鎮守府に艦娘の皮を被った深海棲艦が居たということになる。これを受けた大本営は急遽対策を練り、各鎮守府の艦娘にIDなどを配布する対策を取り、深海棲艦を鎮守府に立ち入らせない対策や、無線封鎖の禁止などの対策を取り、問題を緩和させたが、失ってしまったものはあまりにも大きかった。結果的に主力艦隊の壊滅という失態を犯した男には普通厳しい処罰がある。誰にも予想出来るはずのない事態が起こっても、命を握る提督と言う立場は、予想できませんでしたでは済まされないのだ。

今まで奇抜な作戦が型に嵌り、成功し続けたのは単に運が良かっただけということに男は気づいた。男はその後悔から処罰を甘んじて受けるつもりだったが、大本営からすれば、男には再び海を取り返すために指揮を執ってもらうことの方を望んでいた。慢心から自分が二年間共に戦ってきた仲間を殺したのだ。その事実に耐え切れなくなった男は全てを投げ出し、この郊外へと移り住んだのだ。龍驤は入渠を終えた後、提督が無理を通して鎮守府を去っていたことを知った。横浜鎮守府には新たな提督が着任したが、男の様な指示を出せるはずも無く、人類は再び窮地に立たされていた。目の前で仲間が傷つき、自分だけが逃がされた。

再び海へ抜錨する勇気が湧かず、その様子を傍観していた龍驤は、提督の艦隊が勝ち進んでいたのはただ運が良かっただけだとは決して思わなかった。意表を突く作戦も含め、艦娘を信じ、艦娘が自分を信じていることを自覚し、深い絆があったからこそ、常勝船隊とまで呼ばれていたのだ。無線封鎖もその結果である。気持ちの整理がついた龍驤は、三年の時を経て現住所を大本営から聞き、単身で提督の下を訪れていた。

 

「深海棲艦がどんどん陸に近づいてきとる……このままやとどうなるか分かるやろ!?」

 

「今更戻ってどうする?俺にはもう指揮する資格なんてない」

 

龍驤は自分の言葉を聞き入れようともしない男の胸倉を掴み上げると、深い隈が残る光の宿っていない男の目を睨み付ける。

 

「っ……わかっとるわ!あんたがどんだけ辛い思いしたか!……でも……ここで終わったら一生……キミはこのままやろ……」

 

男の生気の無い瞳を見つめながら、龍驤は胸倉を掴んでいた手を離すと、肩を落とし脱力し、踵を返し一歩踏み出すと立ち止まった。

 

「……ウチはキミのことが好きや。勉強嫌いで、でもみんなが思いつかんような作戦を考える自称天才の提督。いっつも赤城や金剛にちょっかい出して加賀や比叡に怒られる。そんな馬鹿やっとるウチの提督が大好きやった」

 

「……何言うてんのやろ、ちょっち疲れたかな」

 

龍驤は再び歩みを進め、肩を落としながら男との距離を離していく。

男はそんな龍驤の背中を見つめながら、吸い終わった煙草を地面へ落とし踏み潰すと、何も言わずに帰路についた。

 



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不知火は訪ねる

龍驤が男と再会した翌日の昼、真上に位置する太陽が横浜鎮守府の屋根を容赦なく照りつける中。とある駆逐艦の部屋で、大きな溜息が漏れていた。

 

「演習……全然勝てないね……」

 

「私達の練度が足りてないのでしょうか……」

 

陽炎型一番艦の陽炎は午前中に行われた他鎮守府との演習の結果を受けて、その日十度目の溜息をついていた。それを受けて同じく陽炎型の二番艦不知火は、相方の溜息の多さに溜息を吐く。

 

「そもそも戦艦や空母の先輩相手じゃいくら練度を高めても無駄っぽいー!」

 

「もっと作戦を練らないとだめかもね……」

 

白露型の四番艦夕立は、椅子に座りながら足をバタバタとさせ、相方の白露型の二番艦時雨は、そんな夕立の肩に手を置きなだめる。

 

「呉鎮の白露や村雨はどんどん勝ってるっぽいのに……」

 

今は別の鎮守府に所属している同じ白露型の姉妹艦の顔を思い浮かべ、陽炎の溜息がうつったのか夕立も先ほどから溜息を繰り返している。この四人に加え、演習で負った傷を癒すため現在入渠中の睦月型一番艦の睦月、二番艦の如月の二名を加えた艦隊が編成されている。

陽炎達が所属しているのは、艦娘の維持に必要な資源を蓄えるための遠征や、海流の影響から駆逐艦のみでしか進めない海域を攻略するために、駆逐艦のみで編成された艦隊。通称第七駆逐隊は、編成から一ヶ月経つも、演習に勝利したことが無かった。

 

「大体相手が悪いのよ、どうみても駆逐艦のみで勝てる編成じゃないわよ」

 

「確かに、艦隊の自信をつけるために呼ばれているとしか思えないわね」

 

午前中の演習相手は、戦艦が二隻、正規空母が二隻、重巡が二隻と、駆逐艦では到底敵わない編成だった。

 

「あー……これじゃあ私達のやる気が削がれてくわ……」

 

陽炎はベッドに倒れこみ、枕に顔を押し付けると足をバタバタと布団に叩き付ける。

 

「まあこれも駆逐艦の宿命ってやつなのかな……」

 

「納得いかないっぽいー!」

 

「…………」

 

その様子を見ていた不知火は、ある一つのことを考えていた。演習というのは、相手に掠り傷一つつけることが出来なかったとしても、練度自体は上昇する。つまり、演習を続けていれば、練度は必ず、艦娘の力を更に引き上げることの出来る改造まで達するのだ。しかし、負け続けると当然やる気がなくなり、コンディションは最悪となり続ける。それは遠征や出撃にも影響するし、勝てない相手とはいえ、自信も失っていってしまう。自分が見ている限りでも、第七駆逐隊一人一人の練度は決して低くないはずだ、一矢報いるチャンスは必ずある。

 

「午後から夕方までは自由でしたね、ちょっと出てきます」

 

不知火は腰掛けていた椅子から立ち上がると、引き出しから外出許可証を取り出し、机に向かい用紙に記入し始める。

 

「あれあれー、不知火どっか行くの?」

 

「ええ、少し駄目もとではありますが……演習の勝ち方を朝霧提督に尋ねてみます」

 

不知火の口からその名前が出た瞬間、その場の空気が少し重くなる。おそらく艦娘なら誰でも聞いたことがあるであろう提督の名前だった。当時深海棲艦に蹂躙され続けていた人類が、反撃の狼煙を上げるきっかけとなった人物。そして、鎮守府設立以来最も悲惨だといわれたLE作戦の中心人物。会ったことはないが、彼の考える作戦は思いもよらないもので、幾度と無く深海棲艦を欺き、葬り去っていったという。不知火は、その当時の主力艦隊唯一生き残りの龍驤が、昨日会いに行ったと聞き、住所を尋ねてみたのだ。断られると思ったが、龍驤はすんなり住所を教えてくれたため、今日の演習がまた負けに終わったなら、昼の休みを利用して訪ねようと思っていたのだ。

 

「でももう、その人提督を辞めたって聞くけど……」

 

「それでもアドバイスだけならもらえるでしょう、いやもらうまで帰らないつもりです」

 

陽炎は、まだ見ぬ朝霧提督を不憫に思い、顔の前で小さく合掌した。不知火は頑固だ、見た目はクールなのだが、実は自分より激情家だったりする。もし朝霧提督の家に行き、話を聞いてもらえなかったら、恐らく話を聞いてもらえるまで家の前に居座るだろう。

 

「頑張ってねー」

 

「ボクも一緒に行った方がいいかい?」

 

「いえ、一人で大丈夫です」

 

不知火は外出許可証を書き終えると、それをそのまま陽炎に渡し、秘書艦である正規空母の瑞鶴に手渡すよう頼んだ。

 

「ほい、いってらっしゃい」

 

自分達、第七駆逐隊の部屋を後にし、玄関前の姿見の前でネクタイなどをチェックし、手袋をはめなおすと、よしと呟き提督の自宅目指し歩き出した。提督の自宅までは、徒歩では少し時間がかかるが、普段から訓練で鍛えている不知火にとってはそれほど苦にはならなかった。久しぶりの外出に心が躍り、少し顔を緩ませ穏やかな笑みを浮かべると、あちこちの景色を見渡しながら歩みを進めていた。

 

「……こんな顔陽炎には見せられないわね」

 

気付けば、提督の家の前に到着していた不知火は、緩んだ頬を両手で叩き、いつもの凛とした表情に戻すと表札のない扉の前に立つ。メモを何度も確認し、そこが朝霧提督の住所だということを確認すると、深呼吸しインターホンを押す。いくら話を聞けるまで帰らないと言ったとはいえ、この日差しの中居座り続けるのも流石にしんどい。不知火は一度で出てくれることを祈りながら、ドアノブを見つめる。そのチャイムの音に合わせて、中で少し物音がすると足音が近づいてきた。チェーンとカギを回す音が聞こえると、すぐにドアノブが回転し、ゆっくり扉が開いた。ドアの隙間から覗かせた顔は、不知火は目の前の男が本当に自分が探していた提督なのか一瞬疑問に思えるほど、酷い形相だった。しかし不知火は動じず、背筋を伸ばして敬礼する。

 

「陽炎型二番艦不知火です。朝霧提督にお伺いしたいことがあり、失礼だとは思いましたが連絡手段がなく、突然押しかけた所存です」

 

「……龍驤に頼まれたのか?」

 

「いえ、龍驤さんからは住所を伺っただけです。司令には演習の助言をいただきたいのです」

 

「…………演習?」

 

「はい」

 

「嫌だと言ったら?」

 

「助言頂けるまでこの場を離れません」

 

不知火は表情を変えずに淡々と言い続ける。そんな相手の気持ちを知ってか知らずの憮然とした不知火の態度を見て、今は亡き正規空母加賀の姿を重ねる。朝霧は溜息を吐くと、聞くだけ聞いてやると言い、不知火を家の中に通した。

 

「失礼します」

 

不知火は部屋に入る前に律儀に頭を下げると、ゴミや脱ぎ捨てられた服が散乱する部屋の中へ足を踏み出す。辺りを見渡し、座れる場所を見つけると、朝霧が腰かけるのを待ち、それに合わせて自分も正座する。

 

「単刀直入に聞きます」

 

その時、不知火は今まで眉間に皺を寄せ常に険しい顔をしていた朝霧の顔が、少し緩み、口角がほんの数ミリ上がったことに気付いた。

 

「……不知火に何か落ち度でも?」

 

朝霧は不知火には分からない程少ししか表情を動かさなかったが、不知火に一発で見抜かれたことに驚き、眉間の皺を多少緩める。

 

「いや、昨日からよく単刀直入に話を聞かれるなと思ってな」

 

「……はい?」

 

「いやすまん、続けてくれ」

 

不知火は怪訝な表情を浮かべたが、朝霧の表情がほんの少しだけ穏やかになったのを見て、自分が何か粗相をしでかした訳ではないと安心する。

 

「駆逐艦六隻のみで、戦艦や空母相手に勝利することはできますか?」

 

朝霧は少し俯き、考えるとすぐに不知火の三白眼と目を合わせる。

 

「……出来ないこともない」

 

「ではご指導いただけませんか?」

 

「……何でわざわざ勝ちたいんだ?確かにやる気は無くなっていくだろうが、練度は確かに上昇していくだろ」

 

「他鎮守府の艦娘から、私達はボランティア艦隊など揶揄されていることを耳にしました」

 

「やる気やコンディションを無償で上げさせてくれる艦隊ってか?」

 

「非常に悔しかったです。不知火達の第七駆逐隊は決して劣っているとは思えません」

 

「で、見返してやりたいと?だけど正攻法で駆逐艦が戦艦空母部隊に勝つのは無理だ」

 

「それでも、何がなんでも勝ちたいんです」

 

その時点で、不知火は目の前の提督の印象が、数分前より大きく変わっていた。もちろん不知火はLE作戦の概要を詳しく知っているし、それによりその男が提督を辞めたのも知っている。だからあんな形相で日々を過ごしているのも納得ししていた。

 

(……どうしてなかなか、朝霧司令は思ったよりよく喋るのですね)

 

対面した時点で無口で不愛想な印象を受けたが、凡そ数分の会話で不知火より多くの言葉を紡いでいた。そして朝霧は深く考え込んでいた。あの日から三年、一度も深く眠れた日はない。別に自分を脅かすものなど存在しないというのに、何故か夢の中では不安に押しつぶされ、あの情景を何度も描き出していた。貯金で生涯を過ごすなどと考えていたが、このまま行けば確実に、天寿を全うする前に病気で確実に死ぬだろう。何かを成し遂げなければ、その悪夢が終わることはない。あの日の、あの海域を攻略し因果を断ち切らない限りは、一生沈んでいった少女達の幻影に追われ続けるだろう。しかし、今更自分に戻る場所はあるのだろうか、人類が立て直そうという時、逃げ出し全てを投げ出した自分に。それにまた少女達を海原へ送ることが出来るのだろうか、死地へ送り出すことが出来るだろうか。

 

ここで終わったら一生……キミはこのままやろ……。

 

龍驤のあの言葉が頭に響く。自分は罪を償うべきなのか、だとしたら提督になることによって罪は償われるのか、そもそも自分に罪は何なのか。頭の中で様々な疑問が飛び交い、混ざり合う。

 

「…………ちょっと外で待ってろ」

 

不知火はそう言われるがまま、外へ向かうと、ドアの前で照り付ける太陽を見つめていた。

およそ数分でドアは開き、そこには青いジーンズに、黒いシャツ、青い上着を羽織った朝霧の姿があった。

 

「行くぞ」

 

「横浜鎮守府にお戻りになるのですか?」

 

「とりあえず会ってみるだけだ」

 

朝霧はそれだけ言うと横浜鎮守府へと向かい、不知火はその一歩後ろを歩き出した。

道中、お互い一言も口を開かなかったが、不知火も朝霧も特に気まずいといった雰囲気はなく、気を使って無理に話題を作るということはなかった。

 

「…………こう言う言い方はなんですが、司令はまだ軍籍は残っているのですが?提督は辞めたと聞いてましたが」

 

「ああ……俺は辞めると言って辞表を出したが、お上がいつでも俺が戻れるように、俺は自宅謹慎兼療養中扱いになってる」

 

「つまりまだ軍属の身ではあるのですね?」

 

「まあな、俺は戻る気はさらさら無かったし、辞めたと思ってもらった方が良かったが……」

 

「ですが、現に司令は戻られているでしょう」

 

「そうだな……気持ちの整理はある程度ついていた。しかしキッカケがなかったんだろうな」

 

「……私が横鎮に配属されたのは、一年ほど前ですが、その時から龍驤さんはいつも司令のことを心配そうに話してましたよ。昨日会いに来られたのでしょう?」

 

「ああ、いざ会ってみると……なかなかな、素直に戻るとは言えなかった」

 

あの龍驤の後ろ姿が脳裏に焼き付いている。

そうか、自分は謝りそびれていたのだった。あの日のことを、逃げ出してしまったことを謝りたかった。

 

「司令の手腕は聞いています。横鎮に戻られることを検討なされては?」

 

「………気が向いたらな」

 

不知火は、それはつまり提督に復帰する気が多少はあるのではないのかと考えたが、言葉には出さず、そっと胸にしまった。

 



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彼は指揮する

「はぁ…………」

 

演習から戻った龍驤は、まるでホテルの大浴場のような入渠ドックで、一人溜息を吐いていた。朝霧提督の問題は、時間が解決してくれるはずだとの御達しを、大本営から受け会いに行くことはしなかった。しかし、いつまで経っても彼は戻らない。自分の気持ちも整理ができた龍驤は、三年ぶりに会いに行くことを決意した。やはり、久々に会った提督は、まるで別人のように変貌していた。眠れないのだろう、目の下には濃い隈を浮かべ、口調を軽口だったものから、ぶっきらぼうなものになっていた。別に自分は喧嘩しに行ったのではない、話がしたかった。自分達は提督を決して恨んではいないし、蔑んでもいない、また戻ってきて欲しいと。しかし、かみ合わない会話に思わず感情を爆発させてしまい、すぐに別れてしまった。

 

「……確か不知火があいつの住所聞いてきとったな……会いに行ったんやろか」

 

道中、携帯電話を使い大本営へ連絡を取っていた朝霧は、通話を終えポケットに携帯をしまう。

 

「やっぱり戻る旨を伝えていたのですか?」

 

「いや、とりあえず横鎮に入る許可を貰った。今日日IDがないと入れないからな」

 

深海棲艦が艦娘に化けることがあると言う事実から、鎮守府のセキュリティーは今までの手薄なものから、厳重なものとなっていた。一応未だ軍属とはいえ、知った顔がいないのではすんなり入ることが出来ないと考え、大本営に話を先に通していた。横浜鎮守府に着いた二人は、番兵に挟まれた門を潜る。

 

「19040朝霧」

 

「ご苦労様です」

 

大本営が素早い手回しをしたのだろう、番兵に明かす身分として、大本営から不規則な数字の羅列をその場で伝えられ、仮の身分証明とした。多少改修が行われたが、根本は変わらないその鎮守府に、思わず着任当時の光景がフラッシュバックし、立ち眩みを起こす。不知火はふらついた朝霧の背中を支える。

 

「あまり無理はなさらないでください」

 

「気にするな、少し日を浴びすぎただけだ」

 

不知火は第七駆逐隊の部屋へと朝霧を案内するために、少し前を歩き先導し始めた。鎮守府の宿舎へと足を踏み入れようとした瞬間、目の前から懐かしい顔の少女が歩いてきていることに朝霧は気付いた。薄緑色のツインテールを垂れ下げ、空母特有の弓道着に身を包んだ少女は、不知火と一緒に居るのが朝霧だということに気付いた。少女は足を止め、目を見開き、呆然と立ち尽くすと、ようやく声を絞り出した。

 

「提督……さんなの……?」

 

「……瑞鶴か」

 

本日秘書艦を担当していた、正規空母五航戦瑞鶴は、少し遅めのご飯を食べに食堂へ向かう最中だった。あの日、姉の翔鶴と共に、後方支援艦隊に所属していた二人は、出撃した直後に異変を伝えられ、轟沈の危険にさらされることはなかった。朝霧はバツが悪そうな表情を浮かべると、瑞鶴の反応を待った。瑞鶴は身長差から朝霧を少し見上げると、敵意を含んだ目で睨みつける。

 

「……今更何しにきたのよ」

 

不知火が、朝霧は自分が呼んだことを説明しようとしたが、朝霧に手で制される。

 

「戻ってきたら悪いのか?」

 

「ふん、どうでもいいわよ。どうせあんたの居場所はどこにもないわ」

 

瑞鶴は鼻を鳴らし、そう言い放つと、朝霧の横を通り過ぎ宿舎を出ていく。

 

「まあ、予想していたことだが、古参の連中には随分嫌われてるな……さっき聞いたが今ここに提督は居ないんだろ?」

 

「今現在この鎮守府には提督が着任していない状況が続いています、前提督は一月程前に除名になってしまいました」

 

「ここは鎮守府の要だろ、提督が居なくていいのか?」

 

「はい、その繋ぎとして龍驤さんや瑞鶴さんなどが秘書艦兼提督を務めることがあったのですが……その手腕を鎮守府の面々から推され、経験豊富な龍驤さんや瑞鶴さん、翔鶴さんが提督をやるべきだと皆が大本営に進言しました。最初は大本営の方も不安がっていたのですが、蓋を開けてみれば下手な提督より的確な指示を出すとのことで、未だに提督の席は空白になっているのです」

 

「とっかひっかえ代わる提督よりは遥かにマシだろうな」

 

「しかし、業務が大変ですし、やはり提督という存在は欲しいところですね」

 

不知火は期待を込めた眼差しを、息を切らしながら階段を登っている朝霧に向ける。

 

「歓迎されてないみたいだがな」

 

不知火の部屋へと向かう道中、様々な艦娘とすれ違ったが、提督の顔を知らぬ者はみな私服の男が艦娘の宿舎を歩いている事に疑問を浮かべていた。

その中で、かつて朝霧の下で指揮を受けていた艦娘三人と対面していた。

 

「あれー!お久しぶりー!私のこと覚えてるー?」

 

軽巡川内型の三番艦那珂は、マイクを持つ仕草をした右手を上げ、提督を見ても変わらぬ笑顔を浮かべる。

 

「……提督じゃん、今更どうしたの?」

 

「姉さん……」

 

同じ川内型の一番艦の川内は、明らかに不快そうな表情を浮かべ、見下すような視線を送る。その隣二番艦神通は、不安そうにその動向を見守っている。

 

「野暮用だ」

 

横の不知火は口を挟まずに、体を壁に寄せると、それぞれの顔を見渡す。

 

「もしかしてまた提督になるつもりなの?あんな大変な時逃げ出しといて」

 

「…………」

 

朝霧は答えない。それがまぎれもない事実だからこそ、言い訳をせずに川内の辛辣な言葉を受け止めていた。

 

「まあいいや、今ここ提督いないし、空母の先輩達に苦労かけてらんないからね」

 

川内はそう言い残し、提督の横を通り過ぎていく。神通は慌ててその後を追い、提督とすれ違う時にも目を合わせようとしなかった。

 

「んー……随分嫌われちゃってるね、提督」

 

「お前はどうなんだ?」

 

「私は別に気にしてないよ、仕方なかったことだし……あ!もし提督に戻ったなら那珂ちゃんをセンターにお願いしまーす!」

 

那珂はハキハキとした声で言うと、頭を軽く下げ、二人の姉妹の後を追っていった。

 

「……もう少しで部屋です」

 

そこから一分程歩いた所で、不知火は足を止め自室の前で提督と向きなおす。

 

「ここが不知火達の部屋です」

 

不知火は三回ほどノックし、中から陽炎の返事が聞こえたことを確認すると、ドアノブを捻り、ドアを開き、朝霧に部屋に入るように促した。

 

「入ります」

 

「不知火ー、意外と早かった……ね?」

 

「如月ちゃん……あの人は?」

 

「さっき陽炎ちゃんから聞いてた人じゃないかしら」

 

「誰?っぽい」

 

陽炎達はドアから入ってくる人物が不知火とばかり思っていたが、そのドアをくぐった人物は、自分達の知らない男だった。その後に不知火が続き、ドアを閉めると、疑問を解消するために一同の前に一歩踏み出す。

 

「こちら朝霧提督です、第七駆逐隊に会ってみると足を運んでいただきました」

 

朝霧はその部屋で様々な寛ぎ方をしている面々を見渡し、適当な空いた椅子を探すと腰掛ける。

 

「そういうことだ、一応自己紹介しておくと三年前まで此処の提督をやっていた」

 

「三年前……?あの時の提督さんっぽい!?凄い人だって聞いてるっぽいよ!」

 

夕立は犬のように飛び跳ねると、提督に駆け寄り顔を見上げる。睦月も好奇心から朝霧に近寄るが、そのやつれた表情を見て少し驚き距離を取る。

 

「では、皆さん御揃いのようですしこれから――」

 

不知火が演習に関する会議を始めようと、陽炎の寝転んでいるベッドに近寄ろうとした瞬間、その部屋のドアが勢いよく開かれた。ドアを蹴破らんとする勢いで部屋に転がり込んできたのは、吹雪型駆逐艦の一番艦、吹雪だった。その部屋の全員がぎょっとした表情で、汗まみれで息を切らしている吹雪に目を向ける。

 

「どうしたの吹雪ちゃん!?」

 

夕立は手を床に着いている吹雪に駆け寄ると、肩に手を置く。

 

「第六駆逐隊のみんながっ……ハァ……ハァ……遠征中に深海棲艦に襲われたって……」

 

「暁ちゃん達が!?」

 

吹雪は肺から溢れて来る空気を飲み込み、しどろもどろになりながらも今の状況を伝える。

朝霧は俯きながら話を黙って聞き、他の面々は心配そうな表情を浮かべ、中でも陽炎は貧乏ゆすりをし、今すぐ駆けつけたい衝動を抑えていた。吹雪の話を不知火がまとめると、タンカーの護衛任務に遠征していた第六駆逐隊、暁、響、雷、電の四人は、比較的安全な海域にも関わらず、凶悪な深海棲艦に襲われたと打電が入った。

 

「それで暁達は……」

 

「何とか逃げられたみたい。でも雷ちゃんと暁ちゃんの艤装が完全に壊れちゃって浸水したみたいで……今は近くの珊瑚礁地帯の浅瀬に避難してるって」

 

「私達は今動くことが出来ますが、出撃の命令ですか?」

 

「いや!兎に角司令室に来てって瑞鶴さんがっ!」

 

その言葉を聞いた陽炎達は、真っ先に部屋の外へと向かい、指令室に向かい駆け出す。

不知火は朝霧の顔へ視線を向けると、朝霧は顎で司令室を指した。

 

「本当にすみません」

 

不知火は申し訳無さそうに頭を下げると、陽炎達の後を追った。

 

「タンカーはどうなった?」

 

「えっと……損害無く目的地に辿りついたそうですが……」

 

「護衛なしでか?」

 

「はい、深海棲艦が狙ったのは暁ちゃん達だけだったそうなので」

 

「…………………もしかしてな」

 

吹雪と二人取り残された朝霧は、顔を上げ立ち上がると吹雪に歩み寄り、手を差し出す。小さく頭を下げ、差し出された手を掴んだ吹雪は、多少よろけながら立ち上がる。それを確認すると朝霧は部屋の外へと足を向ける。この男は誰なのかと疑問を浮かべている吹雪を傍目で見ながら、朝霧は低く唸り司令室へと走り出す。

 

「暁達はっ!?」

 

ノックをすることも忘れ、指令室に飛び込んでいった第七駆逐隊の面々は、部屋に取り付けられている無線機と睨めっこしている翔鶴と、デスクに向かっている瑞鶴の姿を確認し、すぐさま横に並ぶ。食堂へ向かうはずだった瑞鶴は、道中その打電を聞きつけ、一緒に居た吹雪に第七駆逐隊を呼んでくるように伝えると、大急ぎで司令室に戻ってきていた。瑞鶴はそれを受けて椅子から腰を上げると、重い足取りで駆逐隊の前に立つ。背筋を伸ばし、敬礼すると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている瑞鶴の言葉を待った。

 

「話は吹雪から聞いたようね、とりあえずは安全よ……でも、あの海域に戦艦タ級や空母ヲ級がいるなんて……」

 

敵深海棲艦の強さのランクは、イロハ順に分かれており、その中でも戦艦級、空母級は艦娘側と同じで駆逐艦からすれば脅威そのものだった。遠征で深海棲艦に襲われることは珍しくはないが、今までそれは駆逐艦級と、脅威になり得ないものばかりだった。第六駆逐隊が襲われた海域には、軽巡ヘ級程度までしか確認されておらず、第六駆逐隊のみで事足りるという大本営の判断だった。

 

「すぐ助けに行きます!」

 

駆逐艦同士は基本的に仲間意識が非常に高い。仕事は遠征の護衛任務や、戦艦や空母のバックアップ。そんな立場から妬みが生まれることもある駆逐艦だが、その中で切磋琢磨していこうという意識があり、そのことについて語りあったりすることもある。他の艦種は仲が悪いという訳ではないが、駆逐艦娘は特に仲が良く、その中でもよく話したことがある第六駆逐隊の面々に危険が訪れたとあっては、陽炎は気が気ではなかった。

 

「ええ、でもあそこ一帯はまだ危険があるわ。今、手の空いてる重巡が――」

 

その時、司令室のドアがゆっくりと開き、中に入ってきた人物を見て、瑞鶴は顔を引きつらせて睨み付ける。翔鶴は驚いたという表情を浮かべながら、無線機の前の椅子から立ち上がり、朝霧の顔を見つめる。

 

「何しにきたの?」

 

「翔鶴、呉鎮と舞鎮の電話番号が入ったファイルはどこにある?」

 

「えっ……あ、今お持ちします」

 

朝霧は瑞鶴と目も合わせずに横を通り過ぎると、提督用のデスクに置かれた受話器を取ると、ファイルを漁っている翔鶴を待った。

 

「ちょっとっ!何するつもりっ!?」

 

「俺が指揮を執る」

 

「ハァ!?いきなり何よ!」

 

瑞鶴は噛み付かんとする勢いで朝霧に詰め寄ると、受話器を掴んでいる左手首を右手で掴む。興奮した艦娘の力に締め付けられた手首は、血の流れを塞き止め、手首に激痛が走る。

 

「いい加減にしてよね!いきなり戻ってきたと思ったら今度は――」

 

「時間がないから愚痴は後で聞いてやる。翔鶴、あったか?」

 

「はい、こちらです……瑞鶴?」

 

「っ…………翔鶴姉……分かったわよ」

 

朝霧は右手でファイルを受け取ると、瑞鶴が手を離し自由となった左手でファイルに記載されている他鎮守府の番号を打ち込んでいく。

 

「他に何か出来ることは?」

 

その言葉に手を止め、顔を上げ翔鶴と目を合わせる。翔鶴は、他の朝霧を知る艦娘とは違い当然のように朝霧の指示を仰ぎ、変わらぬ表情を浮かべている。その表情を見た朝霧は今更ながら、その意中を問う。

 

「……いきなり来た俺を信じるのか?」

 

「はい、私の提督ですから」

 

「……そうか」

 

「ああもう!分かったわよっ!とりあえず聞いてあげるわ!」

 

瑞鶴は大きく舌打ちすると、呆然と成り行きを見つめていた第七駆逐隊の前に立ち、回れ右をする。それに合わせて翔鶴も瑞鶴と並び、朝霧の指示を待った。この瞬間から、三年前に止まっていた時間がようやく先へと刻み始めた。その時計の進んだ先には何があるのかは分からないが、一度進めてしまったものは止めることは出来ても、もう戻すことは出来ない。

朝霧は、再びこの時計を自ら止めてしまうようなことがあったなら、自ら命を絶つことを決心し、その思いを胸に秘めながら受話器に耳を当てた。

 



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第六駆逐隊救出作戦

瑞鶴との話し合いの結果、第六駆逐隊の救助の為に出撃した重巡を中心とした編成部隊は、辺りを警戒しながら南方の珊瑚礁付近へと向かっている。

 

「暁ちゃん達大丈夫かな……」

 

妙高型四番艦、末っ子の重巡羽黒は、先ほどから大破座礁した暁達の安否を憂い、沈んだ表情を浮かべていた。そんな羽黒を見かねた同じ妙高型二番艦の那智が、羽黒の近くに身を寄せなぐさめる。臨時の艦隊ではあるが、旗艦を務めることになった利根も、羽黒に心配をかけさせまいと声をかける。

 

「大丈夫じゃろう、あそこ一帯は本来強い深海棲艦は確認されておらん。たまたま移動中じゃった戦艦級に出遭っただけじゃろう。しかしまだ近くに敵が残っとるかもしれん、急がねばな」

 

「姉さん、目的地までそう遠くありません、そろそろ偵察機を出しましょうか?」

 

「……そうじゃな、頼むぞ筑摩よ」

 

「はい」

 

筑摩は腕に装備されているカタパルトを上空へと向けると、敵の位置を探る水上偵察機を射出し、付近の警戒を行った。その後に続く川内は退屈そうに後方から敵影の確認を行い、神通もその後に続く。

 

「あー夜戦がしたかったのになー」

 

「姉さん、今は暁ちゃん達が先です」

 

「だって、私達の出番なさそうだしね」

 

「そんなことはないです。私達も付近の哨戒と言う立派な役割が――」

 

「ッ利根姉さん!」

 

その時、筑摩の耳に、艦載機から敵影を確認したとの情報が飛び込んだ。そして、それに続く敵艦隊の編成情報を聞いた筑摩は、目を見開き言葉を失う。しかし、報告の義務がある。肺から喉を通ろうとしない空気を、無理やり押し出し言葉にする。

 

「敵艦隊……十二隻です。その中に……南方棲戦姫らしき敵影が……」

 

筑摩の言葉に全員が息を呑み、未だ敵影が見えていない水平線上を見つめる。南方棲戦姫、それは南方にあるEnemy海域に鎮座する最強の深海棲艦。何編成も連携し、作戦を考えつめた末にようやく対等になるであろう、艦娘にとってのまさに怨敵と言える存在だった。

 

「どうしますかッ!?」

 

「っ…………」

 

この瞬間、利根は暁達の救助、深海棲艦の撃退、南方棲戦姫の対処など、様々な思惑を頭に巡らせた。南方棲戦姫は今の編成では確実に歯が立たない、では撤退すべきか、そうなれば助かるはずだったかもしれない第六駆逐隊が確実に沈む。かと行って無理に突破しようとすれば、自分達が確実に沈む。

 

「ッ……夾叉!後ろからですッ!」

 

その利根の思考を寸断するように、自分達の少し前方と後方に轟音と共に水しぶきが上がった。砲撃を海上のような何も無い目標に命中させるのは至難の業だ。なので、砲弾をある程度の場所に打ち込み、そこから前後左右に場所を修正し、中点に合わせた敵に弾を命中させる。後方から砲撃を受けたということは、今自分達は前後から挟み撃ちをされていることに気付く。

 

「利根姉さんッ!」

 

「分かっておるッ!総員左舷へ旋回ッ!挟み撃ちは避けるのじゃッ!第六駆逐隊から引き離すぞッ!」

 

利根を先導に進路を左方へと変更し、砲弾を避けながら、第六駆逐隊と深海棲艦の距離を離そうとする。しかし、相手に空母が多数居るのだろう、敵艦から放たれた艦載機から逃れることが出来ずに、殿を務めていた那智、羽黒に被弾する。

 

「くッ……副砲に被弾ッ!」

 

「こっちは主砲にですッ」

 

「振り切るぞ!」

 

艦娘の命とも言える、足に装着した艤装の主力を上げ、後方からの追撃を振り切ろうとする。しかし、一定の距離を空けると、深海棲艦は追ってくることを止め、そのまま第六駆逐隊の居るであろう方角へと進路を変更する。

 

「なッ……まずいッ!追うのじゃ!」

 

此処で引いてしまっては、第六駆逐隊を見殺しにすることになる。進路を変更した深海棲艦の後を追うと、再び深海棲艦はこちらに主砲を向け、その砲弾を放つ。

 

「く……カタパルトに被弾っ……」

 

敵艦から発射された砲弾が、運悪く筑摩のカタパルトに直撃し、爆風により、電探やその他の副砲、鎮守府と連絡を取る為に必要な無線も破損する。

 

「どうするんだ!?このままだと南方棲戦姫がッ!」

 

「分かっておるッ!しかし……」

 

南方棲戦姫と対敵すればこちらは確実に損大な被害を受ける。かと言って放っておけば、第六駆逐隊どころかこの付近の海域が奪われてしまう。この付近は、陸路では賄いきれない資源輸送の海路として使用されているため、此処を奪われてしまうと資源の調達が困難になる。それだけはなんとしても阻止せねばならない。かと言って喧嘩を吹っかけてしまえば、此方の負けは明白になる。いたちごっこを繰り返すか否かの判断を迫られていた。

 

「姉さんッ!鎮守府に応援をッ!」

 

筑摩が鎮守府への応援を要請しようとした瞬間、筑摩の目には目視出来る敵側から反対、つまり利根の後方から自分達に向かってくる青白い四本の筋が目視出来た。それは今まで嫌と言うほど見てきた、重巡の天敵潜水艦から放たれる魚雷であった。水中を掻き分けながら向かってくるその魚雷は、命中率が低いものの、当たってしまえば例え戦艦でも一撃で大破する恐れのある代物だった。雨の様な砲弾に晒されている今、その魚雷を避けることは困難だった。

 

「危ないッ!」

 

筑摩の尋常ではない叫び声に、利根は咄嗟に振り向き、魚雷が迫っていることを察知した。それと同時に、羽黒や那智、川内と神通にも魚雷が向かってきていること気付く、周りを潜水艦に囲まれていたのだ。挟叉の水しぶきで、今まで目視出来なかった魚雷は、眼前まで迫ってきていた。

 

「不味――」

 

面々は咄嗟に体を捻り、魚雷を回避しようとするが、各二本ずつ放たれた魚雷の一本が、羽黒、川内に命中する。那智、神通、筑摩に向かってきていた魚雷は運よく逸れて行ったが、利根には二本とも魚雷が直撃し、辺り一帯に爆音と共に水飛沫が上がった。羽黒、川内は命中したものの、被害は片足の艤装が壊れ、上手く機能しなくなってる程度だった。しかし、利根には魚雷が直撃していたのだ。筑摩は心臓が締め付けられ、息が出来ず、肺を握り潰されたような感覚に陥った。魚雷が二本とも直撃するということは、良くて大破、運が悪ければそのまま轟沈し、海へ沈んでしまう可能性があった。利根に駆け寄ると、案の定利根は意識を失っており、足に装着している艤装は完全に壊れ煙を上げており、両足が海へと沈んでいた。沈ませまいと筑摩は利根の両腕を掴み、支える。那智、神通も片足の艤装が壊れ、バランスを失いそうになっている姉妹を助けるために肩を貸し、沈まぬように立て直す。

 

「利根姉さんッ!しっかりして下さいっ!」

 

利根がこの状況になってしまっては、逃げることは不可能に近い、筑摩は状況を確認する為に、利根を沈みかけている海中から引き上げ、右腕を肩に回し掴み、左手で腰を支える。

 

「皆さん被害状況は!?」

 

「羽黒が中破ッ!私はなんとか少破で済んだ」

 

「川内姉さんは中破ッ!私も少破です!」

 

此方の被害は甚大だった。仮に今から鎮守府に連絡出来たとしても、潜水艦に囲まれてしまった今、支援要請しても確実に艦隊は間に合わない。もし先に支援艦隊を出してくれていたとしても、恐らく駆逐艦部隊であろう。目の前に居る南方棲戦姫には歯が立たない。

 

筑摩から希望の光が消えようとしていた。みな被害を受けた艦を支えているために、まともに動ける者は居ない。最低でも前方に南方棲戦姫を含めた艦隊が二つ。後方からは戦艦らしき砲撃が続き、潜水艦に囲まれている。頭の中が真っ白になり、視界が薄れ、やがて絶望に染まって行く。その不安が那智や神通にも伝わり、士気が低下していく。次魚雷を撃たれれば、確実に沈む。そんな面々に更に追い討ちをかけるように、前方から南方棲戦姫が迫ってきている事に気付いた。戦艦クラスであったなら、自分達があがけばまだ対処可能だが、今目の前に居る南方棲戦姫は別格であり、自分達が足掻いたところで何の抵抗にもならないといったところだった。ミシッと、その事実が筑摩の心にひびを入れる。しかし、このまま成す術なく終わる訳にもいかない、諦めてしまっては確実に終わってしまう。

 

「皆さん、魚雷に注意しつつ右舷へ旋回ッ!浅瀬に向かいます!」

 

筑摩は利根が崩れ落ちないように、腕を握りなおし、体を支えると、先導に立って潜水艦の間を突破し、挟み撃ちを避けようとする。その動きを受けて、潜水艦は再び魚雷を発射してくるが、予め軌道を予測し、直撃を避ける。今の状況では、潜水艦を落とす事は不可能に近いため、そのまま振り切ろうと艤装の主力を更に上げる。意識のある羽黒と川内を支えている二人とは違い、完全に意識を失っている利根を支えている筑摩の動きは鈍く、敵艦載機の的となっていた。しかし反撃する術も無く、ひたすら包囲網を突破しようと潜水艦の魚雷が飛び交う中を突っ切る。その時、敵の動きに違和感があった。後ろから砲撃を繰り返していた戦艦達が動きを止め、振り向き始めたのだ。南方棲戦姫までもが此方から目を離し、戦艦達と同じ方角を見つめていた。原因は分からなかったが、光明が生まれたことに希望を見い出し、魚雷と敵艦載機の攻撃を避けながら奮闘する。恐らく、鎮守府から応援に来た駆逐艦達だろう。そちらに注意が向いた今、このまま行けば突破できるではないか。駆逐艦達を囮のような扱いにするのは気が引けるが、駆逐艦は動きが素早く、砲撃が命中することは少ない。加えて潜水艦に対する攻撃手段も持っている為、その場を凌いでくれるだろう。その隙に自分達が何とか第六駆逐隊を救出できれば。等、様々な希望が生まれ、筑摩は顔を上げる。

 

「ッ―――」

 

そんな筑摩を地獄に落とすように、自分達の視線の先に、とある深海棲艦が鎮座していることに気付く。

戦艦レ級。

それは鬼や姫の名がついては居ないものの、それに匹敵する程の戦闘力を持っており、今の自分達を一体で沈めることの出来る深海棲艦だった。レ級は此方の姿に気付くと、不気味な笑顔を浮かべ、艦載機を放った。それは持ち直そうとしていた筑摩の心に大きな亀裂を入れる。やがて決壊したダムの様に筑摩の心を完全に折る。

 

「筑摩さんッ!」

 

「筑摩ッ!」

 

那智と神通の叱咤にもわずかに顔を上げただけで、筑摩はすぐに顔を落とし、腕の中に居る愛しい姉に目を向ける。

 

「もっと姉さんと一緒に――」

 

筑摩の耳に、確かに、この場に居るはずのない音が届いた。最初は幻聴とでも思ったが、それはやがて確実なものになってくる。聞きなれた羽音が、確実に海の潮風と共に響き渡る。

それは紛れも無く、空母から放たれた艦載機だった。

 

「第一次攻撃隊。発艦始めッッ!」

 

 



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第六駆逐隊救出作戦

時は少し遡り、横浜鎮守府の司令室にて。呉鎮守府へと向けて発信した電話が、数コール後に取られ、若干のノイズと共に艦娘の声が受話器の向こうから流れてくる。

 

「はい、呉鎮守府指令室です」

 

「こちら横浜鎮守府だ、緊急だからすぐに答えてくれ。ここ数日間、高難易度海域に出撃したか?」

 

「え……?」

 

その日は出撃する予定が無く、二航戦飛龍は提督の補佐役、秘書官として司令室で雑務をこなしていた。呉鎮守府の指令室で鳴った電話をすぐさま取った飛龍は、聞き覚えの無い声と突然の質問に返答に一瞬戸惑う。今は野暮用でたまたま提督が司令室に居らず、代わりに電話を取ったのだが、答えていいものなのかと悩む。しかし、受話器横に設置されたディスプレイの発信番号は確かに横浜鎮守府の司令室であり、緊急を要すると言う事で返答することを決める。

 

「はい、先日第一艦隊がE海域に出撃しました」

 

「その中に鬼か姫は居たか?」

 

深海棲艦はイロハ順に名前がつけられるが、それとは一線を画した強さを持つ深海棲艦が居る。それはより人型に近く、より人類に対する憎しみを持っており、鬼や姫の名をつけられている。先日まさに自分が参加していた為記憶に新しい。

 

「そういえば……elite級やflagship級は居ましたが、鬼や姫といった上位固体は確認出来ませんでした。そこは現在の最深地でしたので少し疑問でしたが」

 

「その出撃した海域は?」

 

「南のサーモン海域です」

 

「助かる、礼はまた」

 

朝霧はそう言い残すと一方的に電話を切り、こちらの指示を待っている面々に体を向ける。

 

「ビンゴだ、舞鎮にかける手間が省けた。瑞鶴、第六が対敵したのは何隻だ?」

 

「目視で十一隻、大体二艦隊分よ」

 

「……今出撃しているのは?」

 

「さっき重巡の利根、筑摩、那智、羽黒、軽巡の川内、神通に第六駆逐隊の捜索、付近の哨戒に行ってもらったわ」

 

「……まずいかもな」

 

「どういうことです?」

 

朝霧はファイルを棚に並んだファイルを漁り、第六駆逐隊から最後に打電が入った珊瑚礁付近の地図を取り出すと、サーモン海域との距離を測る。目を地図に落としたまま、緊張と焦燥が混ざった音色で翔鶴を呼び寄せる。

 

「対敵地点は?」

 

「この辺りだそうです」

 

翔鶴は朝霧によって広げられた地図の、ある一点を指差す。

 

「……多分奴らは第六駆逐隊を餌にしてる。間抜けに助けに行けば鬼か姫とご対面だ」

 

その地図を折りたたみ、ポケットに押し込むと顔を上げ、司令室に設置されている入渠中の船を見ることの出来るディスプレイを確認しながら、頭を回転させる。

 

「それって……」

 

その言葉を聞き、一同に動揺が走る。陽炎を始めとする駆逐艦の面々は少し青ざめており、瑞鶴はしまったという表情を浮かべる。

朝霧の異様な焦り様を見た瑞鶴は、先ほどの電話と照らし合わせ一つの結論を出す。

 

「助けに来た艦隊を確実に沈めるための手の込んだ罠……ってこと?」

 

「可能性が高い、今すぐ出るぞ」

 

「はいッ!」

 

一同は敬礼すると提督としての朝霧の指示を仰ぐ。

 

「瑞鶴!戦艦と空母を集めて一秒でも早く追いつけ!一人も沈ませるなッ!第七駆逐隊は燃料を全部使ってもいい、全速で珊瑚礁を迂回して瑞鶴達と向かい合う形を取れッ!」

 

陽炎を先頭とし、真っ先に出撃ドッグへ走り出した第七駆逐隊の後に朝霧も続き、残された瑞鶴は鎮守府内の放送で手の空いてる者を募る。朝霧は第七駆逐隊の小さくなっている背中を見ながら、とある場所へ向かう道中。更に考えをまとめていく。まず第六駆逐隊が一人も轟沈していないことが疑問だった、戦艦や空母に襲われて大破二人だけというのは有り得ない、何よりタンカーに攻撃が向いていなかった。さっきの呉への電話で、南方奥地のサーモン海域で姫や鬼の存在が確認できなかった事を知り、最悪の可能性を考える。

 

深海棲艦はだんだんこちらの心理を理解し始めている――。

第六駆逐隊を沈めずに、かつ逃げられない状況に追い込めばどうするか、確実に奴らはこの死に損ない共を助けに来るだろう。あちらには燃料などの資源が限られている。救助に来るのは海域を攻略する空母や戦艦中心の編成ではなく、少々手強い深海棲艦を相手するつもりの編成だろう。ならば、その油断を掬ってやろう。同じ方角のサーモン海域に上位固体が居る、そこを捨ててもいい。この作戦ならば、助けに来た間抜けな重巡や軽巡を沈め、その後ゆっくりと猪口才駆逐艦共を確実に沈めることが出来る。

 

「……させねーよ」

 

最後の作戦を打つ為、朝霧は入渠ドッグへと急いだ。その道中、ガラスを通し窓から漏れ、容赦なく照りつける日差しに顔をしかめると、晴天の空を見上げる。朝霧が見上げた空と同じ空。雲無く、日差しが燦々と照りつけ続けているその晴天を、翔けている艦載機は筑摩達を挟み込んでいた深海棲艦に狙いを定め、爆撃を開始する。艦載機が放たれた水平線上を見つめると、瑞鶴、翔鶴を先導とした、軽空母龍驤、隼鷹、飛鷹の空母機動部隊が此方に向かい滑走している姿が見えた。その後から、航空戦艦扶桑、山城、榛名、霧島、鈴谷、熊野と、戦艦を中心とした遊撃部隊が続く。戦艦による主に南方棲戦姫へ狙いが定められた砲撃は、確実に南方棲戦姫の足を止め、その装甲を剥がしていく。

 

「何で……主力部隊が……」

 

呆気に取られていた筑摩だが、自分達の目の前にはレ級が未だに佇んでいることを思い出し、警戒態勢を取る。レ級から放たれた艦載機は、空母部隊の艦載機により撃ち落されたが、戦艦の名の通りレ級は強烈な砲撃も手にしている。レ級は再び不気味な笑みを浮かべると、その主砲を筑摩達に向ける。

 

「くっ……主力部隊は間に合わないっ!皆さん左舷へ旋回!主力部隊に合流します!」

 

主力部隊が此方に到着するより、レ級の砲撃で自分達が沈められるのは火を見るより明らかだった。背中に備えられた主砲はその笑みとは裏腹に、筑摩達の命を一撃で刈り取る死の鎌と成りえる。神通達は指示通り、舵を左舷へ取り、旋回運動を開始する。しかし、神通達の後ろに筑摩は着いておらず、その場に取り残されていた。

 

「筑摩さんッ!」

 

筑摩は足を踏ん張り、旋回しようと試みるが、利根を支えている上、自分の艤装も砲撃で故障する箇所が出ており、先ほどの全速運動により足の艤装は満足な機能を果たしていなかった。もはや動くことも出来なくなった筑摩は、今まさに砲撃を撃たんとしているレ級と目が合う。何とか目視出来るという距離ではあったが、筑摩は確かに、レ級が木偶と化している自分達を嘲笑っているのが読み取れた。

 

「此処まで……きて――」

 

もはや此処までかと思い、せめて利根だけは庇おうとレ級に背を向け、利根を抱き寄せ目を瞑り、衝撃に備える。しかし、筑摩の耳に届いたのは、自分達を屠る衝撃では無く、爆音と共に上がる水飛沫の音だった。

 

「間に合ったっ!第七駆逐隊の出番よみんな!」

 

全速で後方へ回り込んでいた第七駆逐隊は、レ級へ魚雷を一斉掃射し、間一髪のところで砲撃を防いでいた。駆逐艦の攻撃とはいえ、魚雷が背後から直撃したレ級は、装甲の半分が崩れ、海に膝を着いていた。先ほどの笑みとは一変、その表情は玩具を目の前で取り上げられた子供の様に、憎悪の感情が浮かんでいた。レ級は筑摩達から第七駆逐隊へ主砲を向け、砲撃するが、万全の状態の駆逐艦相手に、夾叉無しでは掠りもしない。

 

「みんなっ!筑摩さん達を助けに行くわよ!」

 

陽炎の一言により、レ級と一定の距離を空け、面々は手にある副砲をレ級に放ちながら円を描くように筑摩へ滑走する。一方の主力艦隊は、空母ヲ級や戦艦タ級を確実に沈めながら、南方棲戦姫へと近付いていった。

 

「敵艦残り駆逐艦六隻、軽巡四隻!南方棲戦姫と戦艦レ級!行けるわ!」

 

空母部隊は、後方に居た深海棲艦は戦艦の遊撃部隊全て撃破したことを確認すると、前方の深海棲艦へ艦載機を発艦する。潜水艦の攻撃に注意しつつ、意表を突かれ、統制が乱れている深海棲艦を次々と撃破していくと、第七駆逐隊が筑摩達と合流したことを確認する。

 

「このまま駆逐艦と軽巡を落とすわ!その後あの二体を片付ける!」

 

駆逐艦や軽巡の群れを落とさなければ南方棲戦姫に近付くことが出来ない。しかし、此方の損害は殆ど無く、筑摩達も無事陽炎達と合流しレ級の砲撃から守っている。此方の有利は動かなかった。一方、南方棲戦姫は、自分達の手が読みきられていることに気付き、イラつきを覚える。

 

「コザカシイ人間ドモガ……ッ!」

 

しかし、こうなってしまっては此方側は沈んでいくしかない。

遠くない未来、駆逐艦や軽巡が落とされ、自分やレ級も数の暴力により屠られるだろう。

 

ならば。

 

ならば――。

 

「セメテアノ駆逐艦ダケデモ……シズメル」

 

南方棲戦姫の脳裏には、自分達に餌として生かされている駆逐艦四隻の姿が過ぎる。あの駆逐艦なら、レ級か自分の砲撃一発で確実に沈めることが出来る。南方棲戦姫はレ級に合図を送ると、同時に駆逐艦や軽巡に命令を出す。自分達の盾となれと。

 

「なっ……」

 

今まで縦一列の単縦陣を取っていた駆逐艦達が、急に動きを見せた。南方棲戦姫を隠すように、横一列に並び、進路を珊瑚礁へと向け全速で滑走し始めていた。それを受けたレ級も踵を返し、珊瑚礁へと向かい走り出す。

 

「撤退かしら……?」

 

「いやあの方向は……まさか……ッ!」

 

瑞鶴の脳裏には、助けを待っているはずの第六駆逐隊の姿が映る。勝ち目がないと踏んだ深海棲艦が、確実に艦娘を屠るため、瀕死の第六駆逐隊へ引導を渡しに向かったのだとすれば。南方棲戦姫の狙いに気付いた瑞鶴は、艦載機を放ち、戦艦達も砲撃を打ち込むが、十数に上る駆逐艦達の壁を突破することが出来ない。

 

「っ!全艦全力で追うわよ!……私の馬鹿!」

 

出遅れたと唇を噛んだ瑞鶴は、慢心していた自分に渇を入れ、全速で南方棲戦姫の後を追う。その後、第七駆逐隊に追いついた瑞鶴は、鎮守府へ撤退の指示を出す。

 

「第七駆逐隊は筑摩達を連れて鎮守府へ戻って!」

 

その頃には、南方棲戦姫の姿は、目視でなんとか確認できるほどの距離まで離されていた。

 

「お願い間に合ってッ!」

 

空母機動部隊、そして遊撃部隊は艤装に力を込め、オーバーヒートによる破損も厭わず、まさに全身全霊で敵深海棲艦を後を追う。

 



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第六駆逐隊救出作戦 終結

「私達……大丈夫……なのかな」

 

完全に艤装が破損し、足の半分が水に沈み、照りつける日差しに体力を奪われ続けている第六駆逐隊の雷は、その日五度目の弱音を吐く。普段、私を頼りなさいと、強気な姉を演じている彼女だが、今の状況は最悪に近く、自然と弱音が漏れていた。

 

「しっかりして雷ちゃん!絶対助けに来てくれるよ!」

 

それを支えているのは同じ姉妹艦の電。弱気になっている雷を何度も励まし続けている。今日は厄日を言っても過言ではない日だった。安全とされている海域で、何時も通りタンカーの護衛任務を行っていたはずが、敵主力艦隊に出遭い雷と暁が大破してしまった。なぜか自分達にある程度の砲撃を行うと、踵を返していった深海棲艦に疑問を持ちつつ、これは僥倖だと珊瑚礁付近まで逃げ込んでいた。兎に角味方の救援を待つことしか出来ない電は、また深海棲艦がやって来るのではないかと言う恐怖に襲われていた。暁も雷と同様に、艤装に酷い損傷を受けており、意識も朦朧としていた。今は同じ姉妹艦響の腕の中で、苦しそうに寝息を立てている。もしまた、深海棲艦に見つかるようなことがあれば、逃げ足の無い自分たちは確実に沈む。雷、暁を見捨てたのならば、逃げることは可能だろうが、そんな選択肢は彼女らの中ではありえないことだった。いよいよ雷が六度目の弱音を吐こうとしたその時。

 

「……っ、電、何か来るよ」

 

響は、自分達が逃げてきた方角を見据えると、目を凝らした。それは水平線上で点としか認識出来ず、それがもし深海棲艦だった時のことを考えると、電と響は青ざめる。しかし、その不安を悟られないように腕の中に居る姉妹に激励を飛ばす。

 

「助けが来たみたいだよ、暁」

 

「来てくれたのです!」

 

「……本当?」

 

雷は薄目を開けると、笑顔で自分を見ていてくれている電の顔が飛び込んでくる。それに安心すると、再び目を閉じ、体を預ける。二人の心臓は今にも弾け飛びそうだった。心拍数の限界を超えているのではないだろうかと思うほど、心臓の鼓動は高鳴り、大量の汗が額から流れ落ちる。あれが凶悪な深海棲艦だったらと思うと、気が気ではなかった。点がやがて姿になり、それを認識出来るようになる。それはやがて二人の視界にくっきりと映る。

まず目に入るのは凶悪と言える笑み。

場違いの黒のレインコートに身を包み、前面を露にしているその扇情的な姿は、まさに二人にとっては死神といえる。

 

「ッ――――――」

 

二人はあまりの衝撃に、声にならない叫び声を上げる。まるで肺を直接握りつぶされたかのように、肺の中の空気が一気に外気へと吐き出される。それの反動で一気に空気を吸い上げようとするが、過呼吸を起こす寸前まで呼吸が乱れていた。逃げるどころの話ではなく、二人は蛇に睨まれた蛙のように、指一本たりとも動かすことが出来なかった。レ級は目標を見つけると、先ほどの雷撃により損傷した砲撃部と握り締めると、無理矢理引きちぎり海へと投げ捨てる。主砲一本あれば事足りると言わんばかりの行動は、二人の心に更なる恐怖を植えつける。レ級の遥か向こう、それはまだ点としか分からないが、大量の黒い点が押し寄せてきているのは理解できる。それでも尚、心が折れなかったのは、その黒い点の上空を、見慣れた艦載機が飛び交っているのが確認できたからだった。電は恐怖心を何とか押さえつけ、今の状況を判断する。恐らく、空母部隊が助けに来て応戦しているが、深海棲艦は自分達を沈める気で向かってきているのだろうと。自然と暁の手を強く握り締め、響は神に祈った。この状況を打破出来ることと言えば、空母がレ級を沈めてくれることだが、それはあの黒い点、恐らく駆逐艦に阻まれているのだろう、対空射撃により艦載機を落とされ叶うことはなかった。これが意味することは、自分達はレ級に屠られると言うことだった。響はそっと目を閉じると、腕の中で寝息を立てている姉にしがみつき、その温もりを感じていた。もう、この暖かさを味わうことは出来ないのだろう。これまでずっと四人で過ごし、戦い、生き残ってきた。

もし、神が居るのならば。

レ級は砲撃可能な距離まで滑走すると、第六駆逐隊目掛け最初の砲撃を放つ。その砲撃は電達の後方に着弾し、轟音と共に水飛沫があがる。

せめて自分以外だけでも助けて欲しい。そして二発目の砲撃は、電達の少し手前で着弾する。

 

ああ、次は――。

 

「ぎりぎりセーフ!なのね♪」

 

次に響いた轟音は、第六駆逐隊に砲撃が命中したものではなく、レ級を中心として上がった水飛沫だった。

レ級は最期に見た。青白い光が、泡を立てながら自分へと向かってくるのを。それは数十本にも上り、避けることは叶わない。その数秒後、視界は白く染まり、体から力が抜けていくのを感じた。完全に体が崩壊し、海の中に沈んでいくレ級の目には、多数の魚雷を構えた艦娘達が映っていた。それは朝霧の最後の砦。瑞鶴達が出撃して行ったその後、入渠ドックに着いた朝霧は、ドック入り口のディスプレイに入渠中の伊8、伊19、伊58、伊168の名前がある事を確認すると、残り入渠時間が五分にも関わらず、艦娘が入渠を一瞬で終えることの出来る貴重な高速修復剤を四つ使う。突然高速修復剤を使われた事に驚いた伊号潜水艦の面々は何事かとドックから飛び出してくる。

 

「何でちかー……後五分でバケツなんて……」

 

「あれ、もしかして……提督なのッ!」

 

入渠ドックの前で待っていた朝霧の姿を確認した潜水艦伊19は、朝霧の顔を見るやいなやその胸に向かい走り出し、飛び掛る。それを受け止めた朝霧は後ろに仰け反りそうになるが、右足を一歩下げ踏ん張り、立ち止まる。

 

「俺のこと覚えてたか?」

 

「忘れるわけないのね!……でもどうして此処に?まさかまた――」

 

朝霧は伊19の後頭部に手を回すと、胸板に向かい引き寄せ、伊19の顔を埋める。

 

「わふっ」

 

「重要なことを話すから一回で覚えろ」

 

朝霧は先ほどポケットに押し込んだ地図を取り出し広げると、入渠ドッグの入り口に叩きつける。伊19以外はその地図を食い入るように見つめ、伊19は胸に押し付けらた顔を上げ、腕の中で地図を見上げる。

 

「第六駆逐隊が珊瑚礁付近で座礁しているのは聞いたか?」

 

「さっき放送で聞いたの」

 

「珊瑚礁付近に上位固体が来ている可能性がある、だからお前らは真っ先にこの第六駆逐隊を探し出せ」

 

朝霧は地図の珊瑚礁地帯を丸で囲むと、そこから、先ほど翔鶴から伝えられた第六駆逐隊が対敵した地点を×で印をする。そしてその場所と、丸で囲まれた地点を線で結び、その中点にペンを押し付ける。

 

「お前らは出来れば此処で待機してろ、かなりの確率で戦艦か重巡が通る筈だ」

 

「つまりイク達は此処で待ってそれを落とせばいいのね?」

 

潜水艦と言う名の通り伊19達は海へと潜り続ける。全員がスクール水着を着用し、背丈も小学生ほどのそれは、隠密に優れ、敵からの攻撃を一定の艦種からしか届かない。敵艦載機に見つかることの無い潜水艦は、待ち伏せとしては最高の艦種だった。

 

「理解が早くて助かるな、今すぐ行けるか?」

 

伊号潜水艦の顔を見渡すと、四人とも目を合わせ、首を縦に振った。

 

「お前らが最後の砦になる、頼んだぞ」

 

「はーい!」

 

「分かったわ」

 

「やるでち!」

 

「頑張る」

 

各々が返事を返すと、朝霧は伊19を引き離し、司令室へと駆け出した。その後姿を見ていた伊19は、直ぐに出撃と命令されたにも関わらず、朝霧の背中が小さくなるまでその場を動かずに立ち尽くしている。

 

「イク、どうしたの?」

 

伊168がそんな伊19の様子を不安がり、近付き顔を覗き込む。伊19は嬉しそうな、それでいて退屈そうな表情を浮かべていた。

 

「……ん、何でもないの。その内戻ってくれるはずなのね」

 

「早く行くでち」

 

伊168は伊19の意味深な台詞に首を傾げるが、伊58に引っ張られ、出撃ドッグへと向かった。伊19達はなかなか第六駆逐隊を発見できずにいたが、寸での所で発見し、それに対峙しているレ級に雷撃を仕掛けていた。それは際どいものであったが、まさに第六駆逐隊の命を刈り取ろうとする三撃目の寸前、伊号潜水艦が放った魚雷はレ級に届き、それを食い止めていた。響達が顔を上げると、そこには海の中から浮上してきた伊号潜水艦の姿が見えた。

 

「みんな……」

 

「お礼はいいの、提督にいってなの!」

 

「危なかったー……遠征ばかりだと魚雷が当たるか心配になるでち」

 

「間に合ってよかったわ……」

 

「やりましたね」

 

レ級が先行し、まさに第六駆逐隊に襲い掛かろうとしていることを確認した瑞鶴は、気が気ではなかったが、突然現れた伊号潜水艦により事なきを得たことを確認すると、その弓を駆逐艦に向ける。

 

「みんなっ!最後の大勝負よ!全機発艦ッ!」

 

瑞鶴の最後の号令により放たれた艦載機、砲撃により駆逐艦や軽巡は悉く海底に沈み、残すは南方棲戦姫のみとなった。しかし、駆逐艦が沈み、広くなった視界の中に、南方棲戦姫は既に居らず、軽く見渡すがその姿を確認することは出来なかった。

 

「どうするー?偵察機出すー?」

 

航空巡洋艦鈴谷は、その軽い口調で瑞鶴に指示を仰ぐ。

 

「……いや、此処は引きましょう。兎に角珊瑚礁付近は奪還出来たわ、いずれまた取り返しに来るかもしれないけど、今は退避が得策よ。レ級は片付いた訳だし」

 

「そうだねー。帰ってみんなで間宮さんとこにアイス食べにいこっ!」

 

筑摩や雷達以外でも、南方棲戦姫の砲撃を受け、中破しているものがおり、深追いするのは危険と判断し、撤退命令を出す。その日、絶望的な状況下がいくつもあったが、結果的に戦死者、つまり轟沈したものは居らず、揃って鎮守府へと帰還した。人類の反撃とは程遠いが、その第一歩が切り開かれた瞬間だった。

 

 



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彼は向き合う

「以上、色々問題はあったけど隊から損耗は無かったわ」

 

「ご苦労」

 

第六駆逐隊救出作戦から帰還した瑞鶴は、出撃結果を報告するために司令室へ訪れている。

一足先に戻った筑摩達は、即入渠ドッグに入り、怪我を癒し始めていた。今回は負傷者が多く、普段は使わない場所が多い入渠ドッグを全て開放し、負傷者の回復に充てている。瑞鶴は報告を終え、部屋を後にしようとするも、足が止まりその場で地団駄を踏んだ。

 

「どうした」

 

「……あんたのことをまだ認めたわけじゃないけど、今回は助かったわ」

 

そう捨て吐くと、瑞鶴は司令室のドアを乱暴に閉め、部屋を後にした。入渠ドッグへ、負傷者の詳細を確認するために向かう道中、瑞鶴は今回の作戦について自分のミスの多さに頭を抱えていた。仮にもし、あの男が来なかったら、先行させた重巡は壊滅、それを救助しようと向かった艦隊もじりじりと損耗していき、戦果は無残な結果に終わっていただろう。悔しいが、最後のレ級を取り逃がした時、自分達に成す術はなく、神に祈るしかなかった。あの男はそれすらも先を読み手を打っていた。瑞鶴は唇を噛み締めながらそのことを告げると。

 

「それはお前らの責任じゃない、俺が持つ責任だ」

 

朝霧は書類に落としていた視線を上げ、瑞鶴と目を合わせると、その一言だけを残し、再び大本営に提出するであろう書類に目を落とした。その一瞬だが、朝霧の瞳に変化があったように感じられた。三年ぶりに再会したその瞬間は、光と言うべきか、生気が宿っておらず、見ているだけで此方の気力が削がれそうなものだった。

 

「私は……どうすれば良かったのよ」

 

あの作戦の責任はあの男一人にあるわけではない。むしろあの男が自分一人の責任だけだと、全て背負い込み、勝手に壊れていっただけなのだ。そんな男を見て、瑞鶴は言葉が見つからず、ただ傍観することしか出来なかった。すると、鎮守府内放送が鳴り響き、軽空母龍驤が司令室に呼ばれた。艦娘の装備を整えるための工廠にて、龍驤は艦載機の整備を行っていたが、その言葉に重い腰を上げ司令室へと向かう。

 

「失礼するで」

 

龍驤はあえて司令室のドアをノックせずに入る。これは朝霧が昔提督を務めていた時からの名残りで、朝霧があまりに部屋に入る時ノックをしないため、龍驤も対抗して朝霧が居る時はノックをせずに入っていた。お堅い上下関係を嫌っている朝霧は、特に気にも留めていなかったが、今の朝霧も気にしていない様子だった。

 

「……ああ」

 

「……何か用か?」

 

龍驤も話したいことは山ほどあったが、何から話していいか分からず、まず呼ばれた立場から話を問う。朝霧はバツが悪そうに、深く腰掛けた椅子から立ち上がると、司令室の中心に置かれている、向かいになったソファーの片側に座る。中心のガラス製のテーブルを隔て、向かいに龍驤が腰掛ける。朝霧は何かを言いたそうに口を開けようとしていたが、そわそわと体を動かした挙句、胸のポケットから取り出した煙草に火を着ける。

 

「ぶっ……」

 

その様子が、まるで初恋の中学生が人生初めての告白に乗り出すような、そんな初々しさを感じ、思わず噴き出してしまう。

 

「いや、やっぱキミはキミやなあ」

 

龍驤は満足げに笑みを浮かべると、腰を上げ朝霧の隣に密着するように座る。朝霧は視線を天井に向け、煙を吹き出す。

 

「もう無理せんでええんちゃうか」

 

「何がだ」

 

「此処にはキミをまだ認めてない艦娘が大勢おるかもしれへん、けど今よりは、前のままのキミの方が絶対取っ付きやすいと思うで」

 

「………………」

 

もともと朝霧は無表情、無口等ではなく、むしろ話好きの龍驤よりも話し、よく笑う人間だった。セクハラまがいの行動も珍しくなく、龍驤の中ではおちゃらけた男のイメージが定着していた。しかし、作戦に事関しては真剣そのもので、そのメリハリがあったからこそ、前主力部隊は愛想を尽かさずに付き従っていた。三年の間誰とも接することなく、歪み、捻くれた感情が渦巻いている結果が、今の朝霧だった。咥えていた煙草を、テーブルの上に置かれた灰皿に押し付けると、背もたれに体重を預ける。この司令室の天井を見上げるのは何度目だろうか、三年前もよく見上げていた。自分は全てを捨てた気になり、提督から逃げてきた。しかし、自分が今まで積み上げてきたものはそう簡単に捨てることは出来ないようだ。龍驤が訪ね、不知火が訪ね、救出作戦に立会い、提督に復帰した。偶然が重なったように見えるが、それは全て朝霧を思い続けた龍驤から始まったことだった。繋がりがあり、縁がある。

 

「人との繋がりを作るのはなかなか難しい、しかし、人との繋がりを絶つことのほうがよっぽど難しいもんだ」

 

なんて言葉を、両親からよく聞かされていたのを思い出す。隣に居る龍驤は逃げ出した後もただ一人、愛想を尽かさず自分を思い続けてくれた。その手が、あの生活を続け、抜け出す機会を失っていた自分を引き上げてくれた。瞬間、今まで心の胸の奥に溜まっていたものが少し、取り除かれたような気がした。

 

「言いたい事があったんだ」

 

「何や?」

 

「悪かった」

 

「ええよ。それじゃ、おかえり」

 

「ただいま」

 

「何や、えらい素直になったやん」

 

「…………今日は疲れたな」

 

朝霧は靴を脱ぎ、ソファーの端に足を投げ出すと、龍驤の膝の上に頭を乗せる。

 

「ったく、甘えんぼやなあ」

 

龍驤は懐かしい感覚に陥り、同時にこの瞬間を手放すまいと、朝霧の頭を優しい手つきで撫でていく。そんな二人だけの空間を、僅かに開いたドアの隙間から覗き込む人影があった。

 

「ちょっと!どうすんのよ!入りづらいじゃない!」

 

「うわー!龍驤さん大胆っぽい!」

 

司令室の前にて、作戦により聞きそびれた演習の勝ち方を、聞こうと集合した第七駆逐隊の面々は、ドアの隙間から中の様子を伺っていた。まるで新婚のような雰囲気に、入るタイミングを逃し、六人は立ち往生していた。

 

「あらー、羨ましいわねえ」

 

「ふむ。提督は膝枕が好きなのかな」

 

「睦月も好きにゃー」

 

色恋沙汰が大好きな駆逐艦娘達は、聞くのは後日にしようとその場を引き上げると、就寝時までその話題で持ちきりになっていた。その後、司令室の前を通りかかった艦娘はみな、ドアの隙間が開いている事に気付き、覗き込んだ先の光景を見て、嬉しそうに言いふらした。翌日から三日間、龍驤はそのことでからかわれ続けることなり、頭を抱えた。

 



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秘書艦瑞鶴の一日 午前

朝霧が着任していた頃の横浜鎮守府は、提督の雑務等の補佐をする秘書艦を、一日ごとに交代して行うことを方針としていた。秘書艦になれば様々な業務に追われ、苦労が多く、疲労が溜まっていくが、その分様々な内情を知ることが出来、勉強になることが多いことが理由だった。その方針を崩すことも無く、朝霧は第六駆逐隊救助作戦の翌日、書類整理が多いのを見て、経験豊富な瑞鶴を秘書艦に任命していた。午前七時、艦娘達はその眼を半分閉じながらも、朝食が作られている食堂へと向かう。そこを受け持っている間宮の作る料理は絶品で、特にデザートに関しては、娯楽が少ない艦娘達の心のオアシスとなっていた。その間宮のデザート無料券が様々な取引に使われることもしばしばだった。朝霧は、龍驤の膝に頭を預けたまま睡眠を取り、次に目を覚ました時には朝日が昇っていた。龍驤は既に居らず、薄い毛布が腹部にかけられているだけだった。司令室の後方にある窓から照りつける朝日が、黒いシャツを汗で濡らしていた。すぐさま司令室の横の部屋にあるシャワーへ向かうと、汗を流す。これほど清々しい気分で起きたのは何年振りだろうか。ソファーで寝たものの、家の布団で寝るよりも疲れが取れ、いつも半目以下だったものが、今朝は倍近く開いている。シャワーを浴びている最中、着替えをどうするか悩んだが、その脱衣所に自分の家にあるはずの着替えが、数着畳まれている事に気付いた。

 

「おかんかあいつは」

 

即座に龍驤の顔が頭の中に思い浮かぶ。用意された服に着替えていると、司令室がノックされたことに気付き、急いで脱衣所を出る。

 

「起きてる?」

 

「ほい」

 

「ほら……ふぁーあ……朝ごはん行くわよ」

 

瑞鶴は午前七時丁度に司令室を訪れ、その半分開いた目をこすりながらあくびをし、食堂へ誘う。朝霧はタオルを首にかけたまま、青い上着を羽織ると、出口へと向かった。

 

「もっと敬意を払ってもいいんじゃないの」

 

「そんなただの風呂上りのおっさんみたいな奴にどう敬意を払うのよ」

 

朝霧は瑞鶴のその言葉に、愉快そうな笑い声を上げると、昨日から何も食べていないことを思い出し、食堂へ向かう足を早める。

 

「……なんか変わったわね、と言うか戻ったわね。昨日龍驤と何かあったの?」

 

「ああ、慰めてもらった」

 

「良かったわね」

 

「瑞鶴は慰めてくれないのか」

 

「黙りなさい」

 

瑞鶴はこの会話に懐かしさを覚えながらも、少しの楽しさを思い出した。三年前は三年前で、この自由気ままな男の手綱を取るのが一苦労だったが、逆に昨日までのこいつはただの不愉快な男だった。馬鹿だが、これの方がこいつらしい。こっちの方が変に気を使わなくていいし、疲れなくて楽だ。それでもなお、沈んでしまった艦のことを思えば、素直に楽しむと言うのは不謹慎と言えるかもしれない、あれはそれほどの事件だったのだ。自分は賢いと言い切れる頭も無い。翔鶴に聞けば答えてくれるだろうか。ただ、もしこの場に赤城や加賀が居れば、間違いなく楽しんで何が悪いのかと答えるだろう、なら。

 

「そうね……まあ、これからも長い付き合いになりそうだし。愚痴くらいは聞いてやるわ。て・い・と・く・さ・ん」

 

「そりゃどーも」

 

そんな会話を広げているうちに、食堂へと辿りついた。朝の食堂は腹を空かせた艦娘達でごった返しており、それぞれ仲の良い艦娘同士でテーブルを囲っていた。

 

「いっぱいね……席空いてるかしら」

 

「いや、先食べてて良いよ」

 

朝霧は、食事を受け取る場所まで歩み寄ると、喧騒に負けないように手を叩き、目の前の食事に夢中な艦娘達の注意を向けさせる。すると、今まで食事や会話に夢中だった艦娘は顔を上げ、朝霧の顔を見てひそひそと話し合っている。ぴたりと喧騒が止んだことを確認すると、それぞれの艦娘の顔を見渡しながら話し始めた。

 

「昨日から横浜鎮守府提督に着任した朝霧です。知ってる人ー」

 

「知ってるのー!」

 

「はーい!」

 

朝霧は右手を頭のすぐ上まで上げると、ノリの良い駆逐艦や潜水艦が飛び跳ねながら挙手する。もちろん川内型や、空母勢は朝霧を知っていたが、瑞鶴や川内達はまたいつものかと溜息を吐き、無視しながら食事をすすめる。

 

「はいどーも。まあ俺の名前くらいは聞いたことがある人も多いと思います。俺から指定するルールは秘書艦を毎日交代でやることです。以上。一つだけ質問に答えよう」

 

朝霧がそう締めると、艦娘達は顔を見合わせ、再び喧騒が食堂内に響く。陽炎は、誰が先に質問するかを言い合ってるのを耳に挟んだ。しかし、第七駆逐隊のテーブル、特に不知火は、先日との朝霧のギャップに騒然としていた。

 

「何かキャラ違うよね」

 

「違うといいますか、別人ではないでしょうか」

 

食事を終え、食器が乗ったトレイを手に持ち、テーブルを離れようとした翔鶴は、その様子に気付きテーブルに近付く。

 

「あの人は本来、あのような振る舞いばかりですよ」

 

「うっそ!……昨日会った時なんて不知火から上機嫌と口数を取ったような人だったのに、信じら――」

 

陽炎がその言葉を紡ぎ終わる前に、不知火の手刀が脳天に突き刺さる。涙目になりながら、陽炎は脳天を両手で押さえつけると、木製のテーブルに突っ伏した。

 

「なんであんな感じだったっぽいんですか?」

 

「皆さんが知っての通り、あのLE作戦で、あの人が指揮していた第一艦隊は龍驤さん以外は轟沈してしまいました」

 

「それを悔やんで、ですか?」

 

「そうね。だから龍驤さんと只ならぬ仲にあると言うのも、それがあってでしょう。昨日も龍驤さんと一晩を過ごし、あのように元に戻られたのですから」

 

翔鶴は、この第七駆逐隊の面々が、先日の深夜までこの話題で盛り上がっていたことを思い出す。その言葉に、第七駆逐隊から黄色い声が上がる。

 

「やっぱり提督は龍驤さんを……」

 

如月は頬を染めながら、未だに軽空母が揃っているテーブルで寝ぼけ眼の龍驤に視線を移す。

 

「はーい、質問――」

 

誰が質問するのかと牽制しあってる中、重巡のテーブルから手が上がる。重巡鈴谷は、第六駆逐隊の沈んだ雰囲気を放っているテーブルに気付くと、今自分が気になっていた昨日の指揮の話を振るのは野暮だと思い、質問を考え直す。

 

「はい鈴谷」

 

「昨日龍驤さんとナニしてたんですかー?」

 

「ナニ?」

 

「ナニ」

 

「ぶっ――」

 

「……大丈夫?」

 

その鈴谷の言葉に、まだ半分寝ぼけていた龍驤は、飲み込もうとしていたものを吐き出しそうになる。噎せ返っている龍驤の背中を、横の席に居た飛鷹が擦る。

 

「残念ながら何もしてません」

 

「えー」

 

各テーブルから野次が飛ぶが、朝霧は気に止めずに踵を返すと、朝食を用意していた間宮の前に立つ。

 

「お久しぶりですね」

 

「いやー、間宮さんの料理をまた食べれるとは、感激よ」

 

「私もまた会えて良かったです」

 

間宮のエプロン着、そしてその全てを包み込むような笑顔に母親のオーラを感じ取りながら、朝食の乗ったトレイを握り空席を探す。すると、川内型の三人が座っているテーブルに、一つ席が空いてることに気付いた。

 

「一緒にいいか」

 

「駄目」

 

「夜中外出禁止にするぞ」

 

川内は顔を上げずに即答するが、朝霧はお構いなしに空席に腰掛ける。

 

「よく昨日の今日で馴れ馴れしく出来るね提督は」

 

「ん?喧嘩したつもりは無かったけど」

 

「んー、そういえばそうだね」

 

昨日は川内が一方的に辛辣な言葉を並べただけと言うことを思い出す。

 

「まあいいや、昨日のままだったら本当に口聞いてやんないところだったけど……ね?神通」

 

「え?あの……」

 

突然話を振られた神通は、川内の意地悪めいた笑みに気付き、顔を俯かせる。散々川内と神通の愚痴に付き合わされた那珂は、朝食を食べ終わると既にうとうとと、船を漕ぎ始めていた。

 

「まー気にしてないよ。いただきます」

 

この男は本当に気にしていないのだろう、黙々と食事を頬張っていくその様子を見ると、自分がこの男の秘書艦を務めた日の食事を思い出す。互いが互いに、口に物を含んでいる時に笑わせようと攻防し合うのだ。その結果、大抵は面白いことをしようと思ったこと自体が面白くなり、川内が勝手に自滅することが多かった。

 

「今度はやめないでね?提督」

 

「善処するよ」

 

川内の皮肉も特に気にしていない様子の朝霧を、つまらなさそうに、かつ少し嬉しそうに見つめていた川内は、食べ終わったトレイを手に取ると、既に本眠に入った那珂の髪を撫でる。

 

「ほーら、行くよー」

 

「んー……那珂ちゃんはー……今日はお休み……」

 

未だに寝ぼけている那珂を引きずりながら、川内達はそのテーブルを後にした。空腹を一気に満たすように、朝食をかきこんでいった朝霧は、川内達が食堂を出るのと同時に食べ終わり、トレイを間宮に返却する。その頃の食堂内では、大多数の艦娘の食事は終わり、各々のテーブルから雑談が始まっていた。戦艦の席に混じり、雑談を交えながら朝食を取っていた瑞鶴を見つけると、背後から忍び寄り、垂れ下がったツインテールを両手で掴もうと狙いを定める。向かいの山城は怪訝な視線を向け続けていたが、気にせず手を伸ばす。しかし、その手を横に座っていた翔鶴に掴まれ、目を合わせながら笑顔を浮かべられた朝霧は殺気を感じ、他のテーブルを見渡す。すると、第六駆逐隊の面々が、じっとこちらに視線を送っていたことに気付き、テーブルに近付いた。

 

「よー、はじめまして」

 

朝霧の緩い表情であげられた右手に、四人の強張った顔が少し、解れたことを確認すると、暁、雷と並んでいる席の間に滑り込み腰を下ろす。普段の二人なら、必ず何かしらのリアクションを取るはずだが、少し朝霧と目を合わせただけで、すぐに視線を落とし俯く。

 

「少しそこは狭いんじゃないかな」

 

「大丈夫大丈夫。そいで、なんか言いたそうな顔してたけど」

 

その言葉に、四人の口は一気に重くなり、電と響は互いに視線を交わし、朝霧は二人の様子から昨日のことであろうと目星をつける。しかし、これは本人の口から告げるべきことであり、気長に待つことを決め、緩やかな表情を崩さずにテーブルにもたれかかる。

 

「…………怖いのよ」

 

集中していなければ聞こえないような、そんな暁の僅かな呟きを、朝霧は聞き逃さなかった。

瑞鶴からの報告で全てを把握している。遠征に向かったと思えば、敵の駆逐艦では到底敵わない敵の主力艦隊と遭遇し、姉妹達が傷ついた。助けを待っていた末に、レ級が此方を確実に沈めるために向かってきたのだ。あの恐怖の凄まじさは、電と響が今こうしてこの席についているのも奇跡だろうと朝霧は思う。雷、暁も、いつ助けが、そしていつ沈められるか分からない恐怖の中、炎天下に晒されながら海上に留まり続けたのだ。

 

「遠征に行くのもね、怖くなったのよ。艦娘失格ね」

 

朝霧は、第六駆逐隊とは面識が無く、四人の普段の様子を知らなかったが、それでもこの雷と暁の気の沈みようは異常と取れた。四人とも確かに、駆逐艦相応の元気が無く、目に生気が宿ってないように見える。その目は、昨日までの自分とはいかないが、それに類ずるものを感じる。

 

PTSD。

心的外傷後ストレス障害。それは強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなり時間が経ってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものだ。震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になると言われており、それに艦娘が罹るのも少しだが報告されていた。普段艦娘は命の危険に晒されているのだが、特に昨日の第六駆逐隊のような、ただ処刑を待つだけのような体験をしたのなら、致し方ない話であった。テーブルに投げ出していた両手を上げると、そんな雷と暁の頭の上に乗せ、優しく、そして力強く撫で始める。

 

「お前らが艦娘失格なら、俺は提督失格だよ。現に今お前らは此処にいる、立派じゃないの。俺なんてビビって勝手に逃げ出してよ、全部ほったらかしてこの鎮守府から出て行ったんだよ」

 

その言葉に、今まで俯き続けていた暁、雷は顔を見上げ、朝霧と目を合わせる。この黒いシャツに青い上着、傍から見れば提督だとは思われないような、自由気ままそうなこの男の言葉が、少しだけ雷と暁の興味を惹いた。

 

「……どうやって戻れたの?」

 

「時間が解決してくれるってのもあったけどよ、まあ自分を思う誰かのおかげよ」

 

「……出撃するまで時間がどれだけかかるか分からないのよ。そんな艦娘もう――」

 

「じゃあプールからはじめるか!俺とか他の艦娘共誘ったら喜んでついてくるぞ」

 

他の艦娘の談笑に混ざり、朝霧は高らか笑い声を上げる。電は、瑞鶴からこの男のおかげで自分達は助かることが出来たことを聞いていた。敵の心理を読み、咄嗟の機転と戦略で自分達を救い上げた提督。高笑いしているこの男も、まさに昨日までは暁達と同様、死んだ瞳を浮かべ、心を閉ざしていたという。三年の月日を要したが、それは朝霧が一人に逃げ続けた結果だった。今の暁、雷には二人の姉妹が居り、鎮守府の仲間がいる。

 

「オラァ!プール行きたい奴手ェあげろォ!」

 

「プール!プール!」

 

「偶には塩の無い水を泳ぎたい!」

 

突如立ち上がった朝霧は、まだ残っている艦娘達に向かい、大声で叫ぶ。またもや駆逐艦や、潜水艦が真っ先に挙手し、重巡のテーブルからもちらほら手が上がる。

 

「ねえ、あの提督っていつもああなの?」

 

先程から目立つ朝霧の奇行に、山城は溜息を吐くと、瑞鶴に視線を戻す。

 

「あんなんでいちいち反応してたら身が持たないわ、無視無視」

 

「あら、瑞鶴。私は興味あるのだけど……」

 

「ダメよ翔鶴姉!あの馬鹿のことだからみんなの水着……きっと翔鶴姉のを見て――」

 

「でも楽しそうねえ」

 

「ダメよ姉様!姉様の水着は誰にも!」

 

朝霧の一言で、今まで各々の話題で談笑していた艦娘達は、プールと言う話題で持ちきりになった。海ばかりでは飽きるので、艦娘はプールと言う存在が恋しくなってくるのだ。新しい水着を買うだの、潜水艦が駆逐艦に潜水勝負を申し出たりと、食堂内は更に活気が増す。

 

「雷ちゃん!暁ちゃん!プール行くのです!」

 

「ハラショー。じゃあ新しい水着を買ってこないと」

 

いつも二人を頼っているばかりの私が、今度は二人を支える番であると、電はそう心に刻み込む。その気持ちは響にもあり、朝霧と目を合わせ、目線でありがとうと伝える。周りが沈んだままの気持ちでは、前向きになるはずも無い。二人の目に、少しだけだが光が戻ったことを確認すると、第六駆逐隊のテーブルを去り、未だに喧騒が続いている食堂を後にした。

 



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秘書艦瑞鶴の一日 午後

朝食を終え、司令室に戻った瑞鶴の目には、朝霧が書類を睨み付けたまま、微動だにしていない姿が映った。

 

「何してるのよ」

 

「んー」

 

瑞鶴は、秘書艦用の執務机に腰掛けると、ペン立てに刺さっている筆の一つを手に取り、机の上に丁寧に並べられた書類にペンを走らせていく。睨めっこに疲れたのか、書類を机の上に放り投げると、瑞鶴にちょっかいを出そうと椅子から立ち上がる。しかし、一歩踏み出したところで司令室のドアがノックされ、それを諦めると返事を返し、ソファーに倒れこみ、そのまま仰向けに寝転ぶ。

 

「失礼しまーす」

 

司令室を訪れた人物は、中に入るやいなや、緑のロングヘアを靡かせながら、朝霧が寝ている方とは反対のソファーに向かい飛び込んだ。瑞鶴はいつもの光景だと気にせずに、黙々とペンを走らせていく。朝霧は業務をよくサボっていたが、やるべき仕事だけはその日の内に必ず終わらせるので、瑞鶴は特に文句を言うことも無かった。しかし、自分の書類が終わったからと言いながら、自慢のツインテールにちょっかいをかけて来ることがしばしばあったので、過去に数回、艦載機を撃ち込んだことがある。

 

「あー、落ち着くー。今日は非番だしここで遊んでていいよね」

 

うつ伏せで倒れこんだまま、鈴谷は気の抜けた声で朝霧に問う。前提督の時も、こうしてこのソファーで寛いでいたものだ。

 

「好きにしなさいな」

 

「やたー」

 

朝霧は天井を見上げながら、先程まで睨み合いを続けていた書類の内容を思い出していた。

 

「なあずいずい」

 

「何よ」

 

「建造しようと思うんだが」

 

「…………」

 

建造。

それは新しい艦娘を生み出す技術である。艦娘と言う存在が登場してからも、その全貌は解明されきっていない。その中でも、建造という方法で艦娘が誕生することは確認されており、それを行う権限が提督にはあった。数が増す一方の深海棲艦に対し、艦娘の絶対数は必ず減っていく。それを補っているのが建造であり、鋼材、燃料、弾薬、ボーキサイト。これらの艦娘に必要不可欠な資材を使い、艤装を作り上げる。提督として取るに足る存在がそれを行った時、大戦時、海の底へと散って行った艦がその思いに答え、艤装に宿る。人の形を成し、今の姿になるのだ。大本営の調査で、建造されたばかりの艦に、どこから来たのか問うと、自分は昔沈んだ船で、自分を必要としているものに呼ばれて来たと、一律の回答が帰ってきている。このことから、厳密に言うと艦娘は人間では無いのだが、その身体、思考、言動、感情、どれを取っても人間そのものであり、陸に居る時は完全な人間として扱われている。問題が一つあり、この建造は誰もが行えるわけではない。大本営の調査結果によると、提督として着任した者でも、建造により生まれたものは、ただの艤装のガラクタだった例が報告されている。何度やっても失敗したが、別の提督が行った瞬間、新たな艦が生まれた例も報告の中にある。

かと言って、むやみやたらに建造を行うことは許されていない。

建造を行うための資材は、現行業務でも大量に消費しており、建造に充てる分の資材の確保が難しいのだ。大本営に建造申請を送り、承認を得てようやく建造が行えるのだ。更に、一度建造に失敗したらその提督には二度と建造許可が下りない。無駄な資材の消費を避けるためだ。どんな提督が成功に導き、失敗するのか、数多の実験から、提督としての資質が重要となる、それが大本営の答えだった。

過去に沈んだ艦は大勢居る。

建造により、沈んだ艦が還って来た例は多数報告されている。

ならば轟沈しても次の艦を作ればいい、と言うことにはならない。建造した瞬間の艦は、同じ艦でもそれまでの記憶は一切無く、装備や経験も振り出しに戻ってしまう。それまでどれだけ思い出を共有していようが、その艦が沈んだ瞬間、それは全て無に返る。建造と言うが、実際には降臨の儀式と言っても差し支えないだろう。艦を沈め、建造を繰り返していた提督に、艦が一切応えなくなった例もあり、艦娘を真剣に見据え、信じることが出来る人物のみに許されたものが建造であった。朝霧は既に五度、建造を行っている。結果は五回とも成功しており、赤城、加賀、金剛、瑞鶴、龍驤。その五隻が、朝霧の想いに答え、その姿を表したのだ。現在横で寝転んでいる鈴谷も、自分の後の提督に呼び出されたものだろう。その提督が自分の前から居なくなった時、その艦は何を考えるのか。そう考えると、自分のしてきたことの罪深さが更に重く圧し掛かる。誰に建造されようが、その鎮守府に着任し、その提督と共に戦うことを決めた時点で、その艦娘にとっての提督は、その人間なのである。

仮に自分がもう一度赤城を建造したとしても、その赤城は、自分の知っている赤城とは別人である。手間のかかる自分に怒ることも無く、何時も笑みを絶やさなかった、まるで大和撫子を象徴するような女性。他の艦もそうだ、二年の間、数え切れないほどの出来事があり、絆があった。それを捨て去ってしまった自分に、再び艦は応えてくれるのだろうか。大本営の決まりから、一度建造に失敗した提督は二度と建造を行えない。今の自分が提督として、取るに足る存在か分からない、だからこそ、その一歩を踏み出そうか悩んでいた。

 

「良いんじゃないかしら。どこの鎮守府も万年人不足だし」

 

「鈴谷も賛成ー。この鎮守府大きいのに戦艦四隻は少ないっしょー。正規空母も二人だけだし」

 

「そうか、んじゃあやってみるか」

 

建造に関わらず、資材を消費する時は、逐一大本営に向けて提出する資料に詳細を書き込む。

無駄な資材の消費を避けるためであった。昔、提督になった男が、資材を大量消費しながら私利私欲のまま艦隊を動かしていたことがあった。それが露見してからと言うもの、大雑把だった資材の用途は常に大本営にチェックされていた。

 

「そういえば、あれはまだ残ってるのかな」

 

朝霧はソファーから跳ね起きると、戦術指南書が纏められている木製の本棚の前に立ち、ガラス戸を開く。そして、その指南書の中から、中央付近にある一つの本を手に取るとページを捲っていった。すると、僅かな金属音と共に、銀色の鍵が床に転がり落ちた。

 

「お、あったあった」

 

朝霧はその鍵を手に取ると、机の引き出しの中に放り込み、再びソファーに寝転んだ。

 

「何よそれ」

 

「秘密。それじゃあ建造の許可証書いといてー」

 

「はいはい」

 

朝霧は瑞鶴に仕事を任せると、既に昼寝の体制に入っている鈴谷と同様、睡眠を取る為に頭の後ろで腕を組み目を閉じた。艦載機の整備を終え、午後過ぎの空母遠征まで特にすることが無かった龍驤は、暇つぶしにと司令室へ向かう。扉を開け、先ず目に飛び込んで来たのは、二つのソファーに寝転び昼寝している馬鹿二人と、それをまるで居ない者と扱いように机に向かいペンを走らせている瑞鶴の姿だった。

 

「おー、こいつらまた寝てるんかぁ」

 

鈴谷は前任の提督の時から、よく司令室に遊びに来ては直ぐにソファーで眠っていた。朝霧も書類をある程度終わらせると、よくそのソファーで眠っていた。

 

「鈴谷は知らないけど、こいつは疲れてるんでしょう、まあ寝かしておいてあげるわ」

 

「おやぁ、今日の瑞鶴秘書艦はお優しいなぁ」

 

「……あなたの太股の寝心地が悪かったんじゃない」

 

「なぁ!?朝もそうやったけど何でみんな知っとるんや!」

 

「しーらない」

 

龍驤は顔を真っ赤に染めると、何やら言い返したそうに口をもごもごとさせたが、やがて吹っ切れたのか朝霧の横に寝転び、添い寝し始めた。瑞鶴は、ようやく書類の半分に差し掛かったかと言う所で、扉がノックされたことに気付いた。

 

「どうぞー」

 

「失礼しますわ、鈴谷は――」

 

扉を開けて現れたのは、ソファーに寝転んでいる鈴谷の姉妹艦、熊野だった。瑞鶴は書類に目を落としたまま、後ろを親指で指す。その先に視線を移し、気持ちよさそうに寝息を立てている鈴谷の姿を目撃すると、またかと溜息を吐く。

 

「まったく……はしたないですわね」

 

「そっちの二人にも言ってやってよ」

 

この横浜鎮守府最高責任者と、現横浜鎮守府最古参がソファーで寝転び昼寝している様を指す。

 

「…………」

 

呆れた表情を浮かべた熊野だったが、その二人の様子を見て、鈴谷が寝転んでいるソファーに自身も寝転び始めた。瑞鶴は、座ったまま体を捻り、後ろを振り向くと、怪訝な表情で熊野を見つめた。

 

「何やってんのよ」

 

「ちがっ!違いますわよ!これは鈴谷がソファーから落ちてしまわぬようにわたくしが外側のガードに……」

 

「今まで鈴谷がソファーから落ちたことなんて一回も無いわよ?」

 

「万が一ですわ!猿も木から何とやら、と言いますわ!」

 

熊野はそう言い張ると、鈴谷の横で目を瞑り、少しの時間を空けて寝息を立て始めた。

瑞鶴の書類がようやく終盤に差し掛かろうとしていた所で、再び司令室のドアがノックされた。今日はやたら来客が多いと思いながら、扉の向こうへ返事を返す。

 

「失礼します!朝霧提督は居られるでしょうか!」

 

少し賑やかと思えば、その扉の向こうに居たのは、陽炎達第七駆逐隊の面々だった。陽炎を筆頭に部屋に入ると、その光景を見て後方の如月達が盛り上がる。

 

「うわぁ!ラブラブっぽいー!」

 

「両方のソファーも濃い雰囲気だね……」

 

「よし!睦月も寝るよ!」

 

「スペースが無いんじゃないかしら」

 

「寄りかかれば何とかなるっぽい」

 

「ちょっと!何寝る前提になってるのよ!今日こそ演習の勝ち方を――」

 

「でもその提督さんも寝てるっぽい」

 

「………………」

 

「睦月も眠いであります!」

 

「遠征までは時間があるね」

 

陽炎は、此方を向いている瑞鶴に視線を向けると、盛大な溜息の後に首を縦に振った。それを見た睦月、如月、夕立、時雨は手を上げ喜ぶと、ソファーへ向かい駆け出す。陽炎と不知火は、その様子を見つめながら互いの顔を見合わせる。

 

「あんた達はどうするのよ」

 

目の前で気持ちよさそうに眠られては、起こす気力も起きず、更に冷房の効いたこの部屋は昼寝をするには快適であった。

 

「……まずい!足が勝手に!」

 

眠りの魔力へと引き寄せられ、陽炎は一人芝居をうちながらソファーへと歩み寄って行く。不知火もそれに続くと、陽炎が腰を下ろし、もたれ掛かった横に座り込む。

 

「不知火も引き寄せられました」

 

「そうね。おやすみ」

 

地面に座り込み寝るのは、普段の瑞鶴ならば絶対に許していないのだが、こうなってしまってはもはやどうでもよかった。

 

「それにしても……ねえ」

 

この部屋には、現在総勢十名の艦娘が昼寝をしている。鎮守府の主となる作戦室であり、全ての司令塔になるこの司令室で、許されて良いものなのか。艦娘達の気持ちよさそうな寝顔を見ていると、怒りは湧いてこず、代わりに溜息ばかり出てくる。こんな光景、この男が居ない鎮守府で有り得ただろうか、せいぜい鈴谷が昼寝しに遊びに来るだけであり、大勢で昼寝等有り得なかった。それもこの男のせい、いや、この男のお陰だろうか。出撃は必ず隊を組む、仲が良いのに越したことは無いのだ。

太陽が真上を通り過ぎ、沈もうとした頃。

 

「うーん。終わったあー」

 

ペン立てに筆を戻すと、立ち上がり背を伸ばした。昼寝をしていた連中は、遠征やらで朝霧を残して出て行ったが、この男は未だに熟睡していた。

 

「どんだけ寝てるのよこいつ……」

 

掛け時計を見ると、そろそろ夕飯の時間だと言う事に気付き、食堂へ向かおうと朝霧を起こす。

 

「ほら、起きなさい、夕食行くわよ」

 

「んー……後瑞鶴の胸が大きくなるまで……」

 

朝霧の戯言に、鉄拳を振り落とすと、胸倉を掴み、ソファーから引き摺り降ろした。

 

「ってぇ……何気にしてた?」

 

「馬鹿やってないで行くわよ」

 

何時もと変わらず、書類仕事を終えただけの一日だったが、たまには良いだろうと思うと、朝霧の仕度を待った。

 

「まっ、賑やかは嫌いじゃないわね」

 

「ん?何か言ったか?」

 

「別にー。さーて、今日の夕食楽しみね」

 

こんな仕事に就いている関係上、必ず終わりは来てしまう。ならそれまで、楽しんでいてもバチは当たらないだろう。瑞鶴は朝霧に見えないよう背を向けると、笑みを浮かべ、食堂へと歩み始めた。

 



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意地と意地

秘書艦としての一日が終わり、今まで秘書艦を務めていた癖で、早起きした瑞鶴は、今日の秘書艦が翔鶴であることに気付き、再び布団に体を沈める。並んでいた布団は丁寧に畳まれ、部屋の端に積まれていた。今日は非番と言うこともあり、この眠気を邪魔されることも無い。瑞鶴は枕に顔を埋めると、そのまま意識を手放した。次に瑞鶴が目を覚ました時には、太陽が真上に昇り、カーテンの隙間から容赦無く日差しが照りつけていた。もぞもぞと芋虫のように布団から這い出ると、目を半分閉じたまま布団を畳み、寝巻きから艤装へと着替える。主砲や副砲などの艤装は、基本的に出撃ドッグに置いてあり、出撃の時のみ使用する。しかし、呼び出された当初から来ていたこの服は艤装と言えるか怪しかったが、艦種ごとに同じ様な着こなし方をしているので、艤装でいいと瑞鶴は思った。色や模様は基本的に姉妹艦ごとにある程度同じなので、着替え用を大本営が大量に用意してくれている。部屋から出た瑞鶴は、非番なので特にすることも無かったが、職業病なのか、何時もの見回りとしてドックを回ることにした。艤装を整えたり、製作、艦娘の建造などを行う工廠では、夏場と言うことで熱気が篭り切っていた。その中で汗まみれになりながら、艦載機の整備をしている龍驤と、艤装を見つめ何やら呟いている工作艦明石の姿があった。

 

「ご苦労様ねえ」

 

普段なら世間話でもしに行きたいところだが、サウナと化している工廠に踏み入る勇気は無く、次の入渠ドックへと向かった。すると、入渠ドックの前で何やら人だかりが出来ていることに気付いた。瑞鶴は人だかりの前に居た吹雪に話しかけると、奥で何が起こっているのかを聞いた。

 

「それが、座礁していた艦娘を保護したって聞いて……」

 

「艦娘が?」

 

艦娘は基本的に艤装をつけてさえいれば、轟沈以外では死なない。何故かは解析中だが、艤装には、普通なら即死の深海棲艦の砲撃から身を守る力があった。噂では艤装に宿る妖精さんのお陰とも言われている。瑞鶴は、その艦娘のことが気になり、人だかりを掻き分けながらドックの入り口の前に出る。そこには険しい顔を浮かべた朝霧と、同じく悲愴な表情の翔鶴が居た。何が起こったよりも、その二人の表情に瑞鶴は不安を覚える。

 

「ちょっと……何があったのよ」

 

「瑞鶴か、遠征に出てた途中、座礁していた艦娘を保護したみたいだけど」

 

「イクのお陰なのー!」

 

「恥ずかしいわ」

 

伊19は人だかりの中から右手を上げ、飛び跳ねる。横に居た伊168は恥ずかしそうに伊19の腕を掴む。

 

「その艦娘って?」

 

「横須賀鎮守府所属だそうだ」

 

横須賀鎮守府。

神奈川県には二つの鎮守府が近辺に存在する。最大の鎮守府と言われる横浜鎮守府と、横須賀鎮守府だ。首都である東京に近く、主要な建物が固まっている此処を落とされないために、鎮守府が横浜周辺に二つ設置されたのだ。瑞鶴は、なかなか名前を言いたがらない朝霧に疑問を抱くが、高速修復剤を使ったのか、既に入渠を終えていることをディスプレイで確認する。

その目で確認するために、入渠ドックの入り口を見つめる。やがて扉が開き、出てきた人物に、瑞鶴は心臓が飛び出しそうになり、一瞬息が止まる。

 

「大丈夫?」

 

「……はい……御陰様で」

 

綺麗な黒髪を、左側で留めたその短いサイドテール。そして何より、自分と同じ正規空母の艤装。

一航戦加賀の姿がそこにはあった。加賀が建造されたのは前々から知っていた。一昨日鎮守府に就き、まだ情報をまとめていない朝霧は知らなかっただろうが、朝霧が提督を辞め半年程だろうか、一航戦の赤城と加賀の二人が呉鎮守府にて建造されたとの報告があった。呉鎮守府には既に、二航戦の蒼龍と飛龍の二人が所属していたため、正規空母が居ない横須賀鎮守府に転属された話を小耳に挟んだことがある。何時も自分に嫌味を言ってくるが、その本心は自分達のことばかり気にかけ、心配している不器用な正規空母。見た目は御淑やかそうだが、怒ると怖く、実は熱血家の先輩。それが瑞鶴の加賀に対するイメージだった。横須賀鎮守府の提督は、あの作戦から代わっておらず、優秀な男だと聞いていたため、正規空母一人のみを座礁させたことに関しては、何かあったのではないかと勘ぐる。いや、勘ぐらずとも、確信した。

 

「いつから……座礁してたのよ……」

 

その気高き一航戦加賀の瞳に見覚えがあった。

横で険しい表情を浮かべているこの男が、かつて浮かべていた瞳だ。

 

「…………覚えてません。日が六度昇ったのは覚えています」

 

それを聞いた朝霧のこめかみがひくついたのを、翔鶴は見逃さなかった。翔鶴はそっと、朝霧の左手に自分の両手を重ねると、顔を見上げ目を見つめた。

 

「提督?」

 

「ああ、ありがとう翔鶴」

 

朝霧は強張っていた体から、ゆっくり力を抜いていくと、周りに居た艦娘達に体を向け叫ぶ。

 

「そろそろ昼飯か!加賀を食堂に連れて行ってやれ!間宮さんのご飯はおいしいからなー」

 

その言葉に艦娘達は顔を見合わせ、ざわつき始めたが、直ぐに電や雷を筆頭に加賀の手を握ると、食堂へ引っ張っていく。艦娘達に囲まれた加賀は、戸惑った表情を浮かべながら朝霧に目を移すが、朝霧は笑顔で手を振る。加賀はあの目のまま、少し頭を下げると、成すがままに食堂へ引っ張られていった。

 

「司令室に、後は龍驤にも」

 

その場に取り残された瑞鶴、翔鶴、朝霧だったが、朝霧の一言に両名とも頷くと、瑞鶴は工廠に居る龍驤を呼びに行き、翔鶴は朝霧と共に司令室へ戻る。その後、集まった三人の前をソファーに座らせると、自身もソファーに腰掛ける。瑞鶴、翔鶴、そしてその向かいに龍驤、朝霧が座ると胸ポケットにしまっていた煙草を取り出し、火を点ける。龍驤は道中、瑞鶴から加賀のことを聞いており、あの目をしていたと言う言葉が気にかかり、朝霧の目を見据えていた。

 

「で、加賀のあの様子、何があったのよ」

 

「雷と電に頼んであるよ。俺が聞くより話しやすいだろ」

 

「はっきり言って、あの様子は異常よ」

 

普通、一週間近く助けが来ず、深海棲艦に見つかれば即轟沈させられてしまう状況に陥れば、ああなる可能性がある。しかし、此処に居る誰もが加賀と言う艦娘を知っている。あの時までの経験や記憶は無いが、その艦娘は確かに加賀なのだ。その加賀が全てを諦めたような、あんな瞳を浮かべる筈が無いのを、四人は知っていた。

 

「……なあ龍驤」

 

「なんや?」

 

「横須賀鎮守府の提督は今もあいつ、墨田のままなんだよな」

 

朝霧は、近場と言うこともあり、横須賀鎮守府の提督とはよく語り合った仲だった。年は二つ下に当たり、何時も敬語を使う礼儀正しい男だった。最後に顔を合わせたのは、あの作戦の会議で大本営に呼び出された時であり、それ以降は連絡を取っていなかった。朝霧に負けず劣らずの策士で、一週間も加賀を座礁させたままにする男では無いのは、朝霧が一番よく知っていた。普通艦娘が座礁したならば、救助部隊を編成する筈である。しかし、一週間近くも座礁していたということは、何も手を打たなかったのである。それが貴重な正規空母だからと言う話ではない。例え駆逐艦だろうが、真っ先に助けに行くのが提督としての定めであった。論より証拠と、煙草を灰皿に押し付け、朝霧は立ち上がると受話器を取り、横須賀鎮守府へ電話を掛ける。三度呼び出し音がする前に、受話器が取られ、その向こうから懐かしい声が聞こえて来る。

 

「はい、横須賀鎮守府の司令室です」

 

「……よう墨田。横浜鎮守府の朝霧だ、覚えてるか」

 

朝霧の口調は何時もの軽いものではなく、不機嫌も相まって低く、ドスの利いたものとなっていた。

 

「あれ先輩、そう言えば提督に復帰したって小耳に挟みましたよ」

 

「一昨日な」

 

「もう、忘れるわけないじゃないですか、逃げ出した負け犬のことなんて」

 

その口調は三年前と変わっていなかったが、最後の台詞には確かに悪意が込められていた。その責任と事実を受け入れている朝霧は、反論せずに会話を続ける。

 

「座礁していた正規空母加賀を発見、保護した。調べてみたらお前の所属だったな」

 

「ああ、あれですか?なんだ生きてたんですか」

 

その言葉を聞いた瞬間、朝霧は目を見開くと、受話器を壊れんばかりの勢いで握り締める。離れて座っている龍驤達には、会話が聞こえなかったが、龍驤はそっと立ち上がると、朝霧のそばに寄り添う。

 

「じゃあ先輩が持ってきてくれませんか?此処から近いですしね。あ、ついでにドッグ入れておいて下さいね」

 

そう言い捨てると、墨田は一方的に電話を切り、それと同時に朝霧は握り締めた受話器を叩きつける様に戻した。

 

「……何か言われたんか?」

 

龍驤は心配そうに顔を見上げる。その顔を見た朝霧は深呼吸すると、冷静を取り戻しはじめた。

 

「あーもう、可愛いな龍驤は!……兎に角加賀の様子を見に行ってみるか」

 

朝霧のその言葉に三人は頷くと、道中、電話の内容を三人に話しながら食堂へと向かった。

 



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意地と意地

正午の食堂は既に賑わっており、空いている席がちらほらと見える程だった。食堂に辿り着いた加賀は、電の言うがままに空いている席へ座る。その向かいに電が座り、隣に雷が着席する。他の艦娘達は昼食と雑談に夢中になっており、加賀の存在に気付く者は、数名しか居なかった。皆の注目を浴びてしまうと、加賀も話し辛いだろうと考えていた電はこれ幸いにと胸を撫で下ろす。昼食の受け取り口はまだ混み合っており、先に話を聞こうと電が話を切り出す。

 

「言い辛いと思うのです。だけど何があったか話して貰えませんか?」

 

電のその言葉に、顔を俯かせたが、隣に座っている雷には、加賀が少し考え込んでいる様に見えた。一体何分間考え込んでいたのだろう、食堂に到着した朝霧に視線が合った電は、首を横に振る。加賀が膝に乗せ、握りこぶしを作っていることに気付くと、雷はそっと手を重ねる。加賀は俯いていた顔を上げると、真っ先に飛び込んでくるのは電の人を安心させる優しい笑顔と、笑顔を浮かべながら食事をとっている艦娘達だった。

 

「……皆さん仲が良いのですね」

 

「はいなのです。食事の時間はこうしてみんなで何時も集まってるのです」

 

「…………いえ、やはり。私が至らない事があり、この様な結果になってしまったのでしょう」

 

「……失敗しちゃったの?」

 

「はい……ですが、提督は元々私達を見ていないのでしょう」

 

いまいち嚙み合わない会話に、電は頭を悩ませていると、後ろから歩み寄ってきた朝霧が加賀の頭の上に優しく手を置く。

 

「まあ昼飯でも食べて、ゆっくりしていきなよ」

 

「ですが……私は戻らなければ。高速修復剤まで使って頂いたのですから」

 

「加賀に早く帰って欲しくて使った訳じゃねーよ。兎に角飯を食え」

 

朝霧は、何時の間にか此方に視線を注いでいた艦娘達に、目線で合図すると、瑞鶴達に昼食を持って来て貰おうと頼んだ。事情は分からないが、空気を察した艦娘達は何時も通りの雑談に花を咲かせ始めた。

 

「分かったわ」

 

瑞鶴達が昼食を取りに行ってる間、朝霧は加賀の頭を優しく撫で続ける。過去に自分がやろうとした時は蹴り飛ばされたのだが、目の前の加賀はまるで小動物の様に体を丸め、成すがままになっている。此方からは加賀の顔が見えなかったが、向かいの電に目線を合わせると、電は嬉しそうに小さく頷いたので、そのまま手を止めずに髪を梳かす様に撫でる。昼食を取って来た瑞鶴達は、向かいの電と、加賀、雷の前に食事を置くと、後は朝霧に任せたと、別のテーブルへ向かった。朝霧は撫でていた手を止め、引っ込めると、電の横に腰掛けた。

 

「司令官は食べないの?」

 

「ああ、腹減ってないからな」

 

先程からの怒りでとうに食欲は失せてしまっていたので、昼食を取ることをせず肘をテーブルに突く。

 

「ささっ、食べましょう」

 

雷の言葉で、電は箸を手に取ると、野菜や魚類をふんだんに使用したサラダや揚げ物などに手をつけていく。据え膳食わねば、と言った所だろうか、せっかく自分のために作って貰った料理に手を出さないなんて事は出来ず、サラダを口へと運ぶ。加賀は今まで半分閉じていた目を見開くと、口元に手を当てた。

 

「美味しい……」

 

「でしょう!間宮さんの料理は絶品なのよ!」

 

雷は本当に美味しそうに料理を口の中に運んでいく。

 

「……これも……美味しい……」

 

それにつられ、次は揚げ物、漬物と、次々に料理を完食していく。

やがて目の前の料理が無くなりそうになった所で、加賀の箸が止まる。朝霧の目には、その箸が震えているように見えた。加賀は箸を降ろすと、俯き始めた。その体は僅かだが震えていた。雷はそっと加賀の肩に手を乗せると、屈託の無い笑みを浮かべ、背中を擦り始めた。今まで海面に浸り、冷め切っていたその背中に、小さな、それでいて力強い暖かい手を加賀は感じた。

 

「怖かったわね、分かるわ。私も少し前に同じ目に合ったもの」

 

「でも、みんなが居たから。安心出来たのよ」

 

それを皮切りに、加賀は今まで溜めきっていたものを吐き出すように、嗚咽し、雷の胸に顔を埋めた。雷は優しく加賀の背中を撫で続ける。電は加賀の涙につられてしまったのか、同じ様に嗚咽し、大粒の涙を流し始めた。こうなってしまっては、雷の涙腺も持つ訳が無く、決壊したダムのように号泣し始める。何故見ず知らずの、初めて会った私に。

こんな暖かい手を差し伸べてくれるのだろうか。何故何も悲しいことなんて無い筈なのに、この二人は号泣しているのか。加賀はその中で、艦娘同士の温もりを感じていた。その様子を黙って見ていた朝霧は、表情を変えないまま立ち上がると、直ぐ近くで食事を取っていた翔鶴と目を合わせる。

 

「なあ翔鶴!軍用車って今点検中だったよな!」

 

「…………ええ、残念ですが。駅まで遠いですし……今日中に加賀さんを横須賀へ帰すことは出来そうにないですね」

 

本当に軍用車が点検中だったわけではないが、朝霧の思惑を察し、翔鶴は変わらぬ笑顔で返答する。朝霧は目線でお礼を言うと、ポケットから携帯電話を取り出した。そして、先程打ち込んだ番号と、同じ番号を打ち込む。流石に此処まで来ると、周りの艦娘達は何が起こっているのか気になり、食事や雑談そっちのけで、朝霧達を見つめる。加賀達も目元を袖で拭いながら、顔を上げ朝霧を見上げる。数コール後に、その電話は取られた。

 

「はい、横須賀鎮守府の司令室です」

 

「朝霧だ、単刀直入に言う。加賀を横浜鎮守府に迎え入れることを決めた」

 

「随分急に言いますね。欲が出ましたか?」

 

「そんなところよ」

 

「ですが、僕としても貴重な正規空母ではありましたから、簡単に手放したくないんですよ」

 

どの口が言うのか、朝霧の眉間に皺が寄ってきたのを、はらはらしながら周りの艦娘は見守る。

 

「そうだ、じゃあ加賀さんを賭けて一勝負どうですか?」

 

「……何のだよ」

 

「同じ提督同士ですし、演習で決めませんか?僕が負けたら、辞令を出して加賀さんをお譲りしましょう。僕が勝ったら……そうですね。資材援助の名目でそっちの資材を半分くれませんか?」

 

資材の半分と言うが、何処の鎮守府の今ある資材でぎりぎり運営しているのだ。それを半分譲ると言う事は、横浜鎮守府の機能が完全に低下することを意味していた。しかし、朝霧は意に介さず、肯定の返事を返す。

 

「……良いぞ」

 

「では……日時は明日の午後から。場所は此方の鎮守府正面海域。ルールは旗艦の戦闘不能で敗北。これでどうです?」

 

「分かった」

 

「いやぁ助かりましたよ。少々資材不足で悩んでいたので。捨て艦が思わぬところで役に立ちそうです。あ、どんな編成で来られるので?」

 

資材不足を悩んでいた所に、タダで資材を貰える。こいつは本当にそう思っている。此処まで来ると、どうしてこの男は此処まで代わってしまったのだろうか、朝霧は返って冷静になる。しかし、次の墨田の発言で、再び朝霧の頭に血が沸きあがる。

 

「ああ、其方には弱小の駆逐艦を集めたボランティア艦隊がいるそうですね、出来ればそれで。無駄な資材は消費したくないですからね。では明日」

 

再び、一方的に電話を切った墨田に、朝霧はそっと携帯を閉じると、此方に注目していた艦娘達から第七駆逐隊のテーブルを見つける。そこに歩み寄ると、陽炎らはどう見ても冷静ではない朝霧に恐怖しながら体を竦める。

 

「演習が決まった、夕方俺の部屋に集合してくれ」

 

「えっ?あ……はい……」

 

ただ返事することしか出来ず、それを確認した朝霧は電達に声をかけると、食堂を去っていった。龍驤と翔鶴は急いで後を追い、後の皆は状況を飲み込めず困惑していた。電は、雷と共に加賀を宿舎へと連れて行き、その後姿を見送った瑞鶴は、隠し通すことが皆の嫌疑に繋がると感じ、先程の電話内容を推測しながら皆に理由を説明した。

 

「ええええええええええええええええええええええ!?」

 

そこで訳は聞いた第七駆逐隊の面々は、自分達の重要な役割に思わず絶叫し、驚愕する。他の艦娘達からは驚きの声が上がる程度だったが、第七駆逐隊は錯乱し、引っくり返る寸前だった。つまり、自分達が明日の演習で負ければ、加賀が引き取られ、更に資材まで奪われるのだ。顔を引きつらせながら陽炎は皆の顔を見渡す。全員が全員、あの不知火までもが顔を引きつらせ、互いの顔を見合わせていた。

 

「……とりあえず、ご飯食べよ」

 

陽炎はどうすることも出来ないと観念したのか、返って冷静になり、手をつけたままの昼食に箸を伸ばした。ざわめきが止まない食堂の中で、瑞鶴は朝霧が去って行った食堂の出口を、不安そうに見つめていた。

 



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意地と意地

朝霧の頭には、今朝から血が昇りきっていた。普段なら少し時間を空ければ引いていくのだが、今の朝霧は冷静さを失っていた。視界が少しぼやけ、目の焦点が合わない。ただ墨田から加賀を奪う為に、どんな手段を使って第七駆逐隊を勝たせてやろうか、司令室に向かう道中はそればかりに頭を支配されていた。演習は正々堂々と言う言葉があるが、それは互いの練度を高める目的のみであり、言わば練習試合のようなものだった。使用するのは演習用の弾の為、演習で事故でも轟沈することは絶対に無い。勿論実弾を使うわけではないが、しかし朝霧はそれをままごとではなく、深海棲艦を相手取る時と同じくどんな手段を使ってでも勝つ本気の戦いにするつもりであった。早歩きで司令室を目指していた朝霧に、翔鶴と龍驤が追い付き肩を並べる。龍驤と翔鶴は、朝霧のその様子を伺い、尋常ではないことを察する。司令室に辿り着く寸前、龍驤は我慢ならずに朝霧に問う。

 

「……演習するんやってな、横須賀と」

 

「……ああ」

 

「加賀を賭けてか?」

 

「ああ」

 

「負けたらどうなるんや?」

 

「資材の半分をくれてやる」

 

「勝つ保障はあるんか?」

 

「絶対勝たせる」

 

「それは第七駆逐隊の負担になるんちゃうか」

 

「あいつらは勝ちたいって俺の所に訪ねて来たんだよ。勝って加賀をこの鎮守府に配属出来る大義名分もあ―――」

 

それより先の言葉を紡ぐことは出来なかった。右に並んでいた龍驤の左拳が、朝霧の頬にめり込む、横に居た翔鶴は咄嗟に避け、朝霧はそのままの勢いで転がりながら廊下の壁に叩きつけられた。艦娘は艤装を装着している間は、身体能力が跳ね上がる。しかし、普段の時点でも、大の大人を殴り飛ばす程の腕力は備えていた。口の中が切れたのだろうか、頬骨の鈍痛と共に血の味が広がっていく。翔鶴は険しい表情を浮かべていたが、龍驤を止めることはしない。考えは同じだった。

 

「いってえな……」

 

「切れた線は繋がったか?キミはなんのためにそんなアホな勝負に乗ったんや」

 

「加賀の為だろ」

 

「本当か?」

 

「お前はムカつかなかったのかよ」

 

「ああムカついたで!こんなに怒っとるんは久しぶりや!だからってウチらが冷静にならんかったらどうするんやッ!」

 

「あのクソッタレに加賀を返してもいいのかよッ!」

 

「だからって第七駆逐隊を巻き込んでええと思っとるんか!?そんな手段を選ばん勝負で勝ってもあいつらは全然嬉しくないやろッ!」

 

「このままで終われるのかよッ!」

 

「それで解決すると思ってるんかッ!」

 

朝霧は立ち上がり、龍驤の胸倉を掴んだ瞬間、再び龍驤の右拳が朝霧の顔面に突き刺さる。再び吹き飛ばされた朝霧は、壁に頭を打ちつけ、一瞬意識が飛びそうになる。昔の朝霧だったら、この時点で暴れまわっていた所だろうが、目の前の龍驤の悲しみと怒りを持ち合わせた表情が視界に入り、手が止まる。それに加え、あの時期を経由した故か、昔より感情の起伏が落ち着いてきた為、若干の冷静さを取り戻してきた。目の前の龍驤の本気の拳が、朝霧の目を覚ました結果だった。

確かに墨田の変貌の様は、先程から朝霧の胸の奥にもやもやとしたものを残していた。あの作戦がキッカケなのは確実と睨んでいたが、それだけでまるで人間が変わったようになるものなのだろうか。自身もそうなっていたと思ったが、心を閉ざし拒絶していただけで、根本の性格は変わらなかったと龍驤は言っていた。墨田自身は優しく、艦娘のことを何時も憂い、その事で一晩を語り明かしたこともある。それが艦娘を捨て、他の隊を侮辱し、歪みきってしまっていた。それはやはり、あの艦娘が関わっているのだろうと朝霧はぼんやりとした頭で考える。

 

「……あー、俺殴られてばっかりじゃん」

 

「でもキミ絶対にウチのこと殴らんやろ」

 

龍驤の嫌味の無い笑顔に朝霧は溜息を吐くと、右手を龍驤に向かい伸ばした。その手を取ると、座り込んでいる朝霧を引っ張り上げる。

 

「あんま気負いせん方がええで」

 

「そうですね。他鎮守府のことまでは、あまり考えすぎない方が」

 

あの加賀を前にしては、冷徹に取れる翔鶴の台詞だが、実際何処の鎮守府も自分の場所で精一杯なのだ。それを資材の半分まで賭けてしまう朝霧の言動は、秘書艦からしてみればあまり褒められたものでは無かった。しかしそれは秘書艦としての立場の助言であり、表には出さないが、向こう見ずだが親身になって艦娘のことを考えているこの朝霧を翔鶴は気に入っていた。これより先は朝霧の判断に任せるとして、司令室に戻った後は、治療を龍驤に任せ何時も通りの業務に戻る。デスクに戻った朝霧は、早速パソコンを使い大本営のデータベースを閲覧していた。龍驤は艦載機の整備はある程度終わっていた為、戻る必要も無く、救急箱からガーゼを取り出し、朝霧の頬に貼り付けてく。朝霧はあの作戦の轟沈者を完全に把握して居ない、その為にデータベースを確認していた。そして、LE作戦の轟沈者の欄を見つけ、横須賀鎮守府の項目を確認する。他の鎮守府では隊が半壊している中、横須賀鎮守府唯一の轟沈者。

 

「やっぱりな」

 

「なんや?」

 

龍驤は朝霧の作業が気になり、背後から画面を覗き込む。

 

「横須賀の轟沈者……旗艦大和。これか」

 

戦艦大和、それはこの御時勢においての知名度は遥かに高く、艦に興味が無い人間でも名前位は聞いたことがあるだろう。その大和を唯一建造し、秘書艦として苦楽を共にし、LE作戦まで戦い抜いたのが、横須賀鎮守府提督墨田だった。朝霧自身も大和とは何度か会っており、傍目から見ても互いを信頼しきっている仲だと直ぐ分かった。何度か朝霧と赤城、墨田と大和と呑みながら世間話や愚痴、自慢話などを語り合ったこともある。

 

「……ああ、横須賀の轟沈者は大和だけやったな……なんでも隊を庇って一人で深海棲艦相手に立ち回ったって、生き残った艦娘に聞いたことがあるわ」

 

「……それでイカれたってか」

 

「運が、悪かったんちゃうか」

 

「……運が悪かったのか」

 

朝霧は第一艦隊が轟沈し、絶望の淵に立たされた時、どうしていいか分からず軍を去った。墨田は大和が轟沈し、絶望の淵に立たされた時、どうしていいか分からず壊れてしまった。その二人に差は無い。ただ手段が違っただけであり、どちらもそうなる可能性はあった。しかし、二人の周りの艦娘には大きな差があった。

 

龍驤の心の中には朝霧が居た。朝霧には龍驤が居た。他の艦娘が軽蔑し見捨てた男を、現実から目を逸らし、心を閉ざしきった朝霧に、手を差し伸べた者が居た。逆に朝霧の心が壊れ、暴挙に走ったなら、今の様に龍驤は殴ってでも止めるだろう。

墨田に居たのは大和だけだった。その大和が沈み、暴挙に走った男を止める艦娘は居なかった。もし大和以外が沈み、その暴挙に走ったなら、大和は殴ってでも止めていただろう。しかし大和はもう居ない。その差が今の現状だった。

 

「……何にせよ、目を覚まさせるしかないな」

 

「……どうやってや?」

 

「お前にやられたのと同じ手段をな。ま、ちょっと行って来るわ。……後、第七駆逐隊に伝えといてくれ」

 

「そうやな、このままやったらあいつら緊張で眠れんやろうし」

 

龍驤は朝霧の手当てが終わると、司令室を後にした。翔鶴は二人のやり取りが終わったことを確認すると、書類の上にペンを放り、立ち上がり朝霧と目を合わせる。

 

「行くんですね」

 

「……まあな」

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「恨んでますか。私達のこと」

 

朝霧は今までの流れから、現実を拒絶していた自分を放置していたことに対する後悔だと察する。一瞬きょとんとした顔を浮かべた後、何時も通りのやる気の無さそうな、緩やかな表情を見せる。

 

「俺が恨んでると思うか?」

 

「思ってません」

 

「じゃあ聞くな」

 

朝霧は何時もの私服に、今朝届いていた提督の証である白い軍帽を被ると、ドアに向かい歩き出す。それは決して気乗りするものでは無かったが、同じ境遇にあり、今の墨田の気持ちを理解しているのが、朝霧ただ一人だった。かつての一人の友人として、自分の手で、目を覚まさせるしかない。朝霧は自分の体に、また痣が出来ることを想像し、脱力したが、翔鶴の強い眼差しを受けて右手を軽く振る。

 

「まあ、行ってくるわ」

 

「はい」

 

ドアを開け、廊下へと消えていった朝霧を見送った後、再び着席し書類と向き合う。自分は朝霧のことを想っている。それが恋愛感情かどうかは分からないが、敬愛している。知っていたことだが、朝霧の心には別の人が居る。

 

「……敵いません、ね」

 

普段の人前では見せない溜息を吐くと、頬に手を突き、もし自分が龍驤より先に朝霧の元を訪れていたならと、邪な気持ちを浮かべ、自己嫌悪に陥っていた。それでも秘書艦としてすることがあると考え、椅子から立ち上がり、鎮守府内放送で戦艦榛名の名を呼ぶ。榛名には秘書艦兼提督を担っていた時、よく手伝ってもらっていた。およそ数分後、司令室に訪れた榛名に、午後の秘書艦の後続を頼み込む。

 

「いいですけど、珍しいですね。翔鶴さんが」

 

「ええ。少し、行くところがありますので」

 

翔鶴は、榛名に秘書艦の仕事を頼むと、妹の瑞鶴を探しに司令室を後にした。

 



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意地と意地

墨田は司令室のデスクで、明日の編成を考えていたが、上手く纏まらず天井を見上げる。秘書艦の赤城は、変わらぬ穏やかな表情のまま、机に向かいペンを走らせている。こんな自分に文句一つ言わず、仕事を淡々とこなす優秀な秘書艦は、下を向き続けていた為か、首を捻り背伸びをすると腰を上げた。

 

「お茶、淹れますね」

 

「……ええ」

 

もう戻れない。いや戻れるのかもしれない。

朝霧は戻った。自分は戻れるのか。

考えども考えども、浮かぶのは大和の笑顔だけだった。あの作戦から、思想や理念が全て失せていき、出撃どころか指揮を執ることを捨てていた。だらだらと近隣海域の防衛のみに出撃させ、戦果を上げぬ日々が続いていた。半年経ち、提督を辞めることも考えていた矢先、とある鎮守府から大本営に衝撃的な報告があった。

ドロップ。

その名の通り落としたのだ、深海棲艦が艤装を。姫級を討伐した後に、深海棲艦の残骸の中から海に浮いていたのを艦娘が回収した。その鎮守府の提督が、それを使い工廠で建造を行った結果、艤装に魂が宿り艦が生まれた。それは今までの建造と違った部分が確かにあった。その艦娘の記憶、経験、想いの全てが宿っていたのだ。少し前にその海域で沈んだ艦娘が蘇った、と言うのが最終的な報告だった。この報告を聞いて躍起になった提督は多かった。自分が沈めてしまった艦が、完全に戻ってきてくれるのだ。自分もその一人だった。

しかし、現実はそう甘くなかった。落とさないのだ。幾度の日々を重ねても、艤装を落とした報告は、半年に一度あるかどうかと言ったところだった。それも、駆逐艦といった軽量級の艦娘が多数で、戦艦級の艤装を落とした報告は一件もない。更に、大和が沈んだ海域は既に奪還された海域の最奥、深海棲艦の最後の防衛線。先ず辿り着くことさえ難しい。焦りが生まれた。朝霧とさほど変わらない時期に着任したからこそ、朝霧がたった二年でLE海域まで辿り着いていたことの偉大さが身に染みていた。一年経とうが、半分どころかその半分ほどしか海域を取り戻せていない。基本的に、艦娘と深海棲艦の戦いは消耗戦になる。敵旗艦を削り、消耗させ、最後に一気に叩きその海域を制圧する。それには時間を要していた。朝霧の様に消耗戦ではなく、旗艦を一気に仕留める方法でない限り、一歩ずつしか前に進んでいかない。しかし、時間を要するだけで確実に前には進んでいる。墨田は我慢が出来なかった。未だに海を彷徨う大和のことを想うと気が狂いそうだった。いや、もう狂っているのか。

提督の間ではタブーとされているが、時間をかけずに海域を奪還する方法がある。艦娘が傷を負い、中破状態や大破状態に陥ると、痛み分けのまま撤退し次の機会を待つ。しかしそれを無視し、轟沈覚悟で進撃したならば、犠牲と引き換えに多大な戦果を得ることが出来る。

何時からだろうか。

 

「進軍して下さい」

 

自らの手で引導を渡し始めたのは。その命を下した瞬間、自分は提督としての資質を地に踏みつけたのだ。建造することも、もう叶わないかもしれない。仮に大和の艤装を手に入れて、こんな手段を取った自分の想いに答えてくれるのだろうか。考えれば考えるほど、その命令の後悔が胸を満たす。しかし振られた賽の目を変えることは出来ない。

 

「ですが提督……」

 

「敵旗艦は消耗しきってます。進軍して叩きましょう」

 

もう、止まらない。

大本営も文句は言わなかった。

轟沈したのは駆逐艦ばかりだった。それほど痛手ではない。

上は戦果さえ上げていれば文句は言ってこないのだ。

もう、止められない。

 

「提督……第一艦隊はもう疲労困憊です……」

 

「高速修復剤を使って下さい。一気に海域を取り返します」

 

その命令を出しても何も感じなくなった時には既に、何人の艦娘が海の藻屑となったのか、考えるだけで頭痛がする。そんな自分を少し、現実に引き戻す報告が先日入った。人類の英雄とも称されていた朝霧提督が、横浜鎮守府に着任したと。そして先程、北方海域奪還時に行方不明となっていた正規空母加賀を発見したとの報告を受けた。表情には出さないが、赤城は心底喜んでいただろう。自分はどうだろう。

ああそうか、と思うだけだった。

こんな自分に大和が答えてくれる筈無いのはとっくに理解していた。何をやっているのか、自分でも分からない。畏怖に支配された目。怯えた目を自分の鎮守府の艦娘から向けられ続ける日々。

 

「提督、お茶が入りましたよ」

 

「…………」

 

もう考えたところでどうにもならない。此処まで地に落ちてしまっていては、もうこの鎮守府の艦娘から信頼を得るのは無理だろう。それでもまだ、葛藤出来る程壊れてはいないのは、目の前の赤城のお陰だろう。自分の無理な命令も受け入れ、同時に憐れむ様な目で自分を見続ける。憐れみだろうがなんだろうが、自分を見てくれていることが寸前で墨田を踏み留まらせていた。机の上に湯気が立ち込めたままの湯飲みが置かれる。それに手を伸ばし、頭を切り替え資材を獲得するためにも明日の編成を練ることに決めた。伸ばした手が、湯のみに触れる寸前、司令室のドアの向こうから、何やら金属を引き摺るような音が聞こえた。だんだんそれは近付いてくる。提督をやっていると、第六感が鋭くなるのかもしれない。そのドアの向こうには、邪悪の根源のような、ドス黒いモノを感じた。一瞬朝霧の顔が頭を過ぎったが、違う。あれは人間の怒りなどのものではない。憎しみと狂気にまみれた、憎悪の塊。そして、その音は一気に司令室のドアの前まで近付いてくる。墨田はデスクの引き出しからリボルバーを取り出すと、右手に握りハンマーを引く。

 

「赤城さんッ!」

 

銃口をドアに向けると同時に、轟音が横須賀鎮守府内に鳴り響いた。木製のドアが粉々に砕け散り、墨田の頬を何かが掠めていく。それは後ろの窓ガラスを粉々に粉砕し、後ろの木々を薙ぎ倒していった。ドアの向こう、司令室の前に立っていたのは此処にいる筈がないモノ。黒いレインコートに、深く被ったフードからは銀髪を覗かせている。後方からは太い尻尾のようなものが蛇のように伸びており、その先端には戦艦を模した深海棲艦特有の意匠が施されている。狂気を孕んだ赤い瞳が、二人の恐怖心を駆り立てる。

 

「な――――」

 

こんな玩具では傷一つつけること叶わないと一瞬で判断し、墨田は迷わず眼球に狙いを定め、リボルバーの引き金を引く。

 

「ギャァァァアアアアアアアアアアア」

 

発射された弾丸は、同時にレ級の左目を撃ち抜き、レ級は深海棲艦特有の耳を劈く悲鳴を上げる。悶えながらその尻尾を振り回し、司令室のドア付近の壁を粉砕していく。墨田は陸自の知り合いに撃ち方を教わっただけであり、ピンポイントで目を撃ち抜けたのは完全なまぐれだった。この好機を逃すべきではないと、墨田はリボルバーをズボンのベルトに差し込むと、立ち尽くしている赤城の手を取り風通しのよくなった司令室の出口を目指す。後ろに退路は無い。両手で左目を押さえ、未だ我武者羅に尻尾部分を振り回しているレ級の横を走り抜けるのは至難だったが、待っていても嬲り殺しにされるだけだった。尻尾の動きをよく見ながら、腰を落とし進む。レ級の真横に差し掛かった時、不規則な軌道を描いている尻尾が赤城目掛けて振り下ろされた。

 

「ッ――――」

 

墨田は赤城を庇うように体を抱き寄せ、咄嗟に右腕を掲げると、レ級のその尻尾は墨田の腕に直撃し、墨田の右腕の骨を粉砕する。声にならない叫び声を上げると歯を食いしばり、右肩を無理矢理捻り尻尾を薙ぎ払う。赤城はバランスを崩し、ふらついている墨田を支えると、引っ張りながらも司令室の廊下へ這い出る。

 

「提督ッ!」

 

「大丈夫……です」

 

赤城に肩を預け、二人は廊下を走っていく。真後ろからは不快な金切り声と共に、様々なものを破壊する轟音が響いてくる。道中、赤城は壁に設置されている警報機のボタンを叩き押すと、鎮守府内に音の低い警報が鳴り響く。警報は普通海からの敵襲に使うものだが、それは司令室から発せられた警報のみであり、廊下に設置されている警報機は、直ちに鎮守府外へと避難を要するものだった。深海棲艦が艦娘に化けることがあることから、念の為に設置されたものであった。途中、廊下の端に横たわっている複数の艦娘を発見した。レ級に襲われたのだろうか。駆逐艦の皐月と菊月、軽巡の天龍が意識を失っていた。恐らく、レ級がこの司令室を目指している道中、相対した艦娘は皆同じ状況だろうと判断する。艦娘に備わっている元の力のお陰だろうか、駆逐艦の二人に目立った外傷は無かった。しかし二人を庇ったのか、多量ではないものの天龍の腹部からは血が流れ、右腕はあらぬ方向へと曲がっていた。

 

「……赤城さん、手の空いている者で鎮守府内の負傷者の避難を急いで下さい」

 

「提督はどうされるんですか」

 

「あれを引き付けてきます。こんな所で皆さんに死なれては困りますから」

 

「ですが――――」

 

「これは命令です」

 

幾度と繰り返してきた、拒否権の無い上官からの命令。赤城は怪我の重い天龍を背負うと、墨田に背を向ける。

 

「ご武運を」

 

墨田は赤城が走り去って行ったのを確認すると、腰に差していたリボルバーを左手に握り、司令室を目指し歩き始めた。折れた腕は紫色に変色し、血が滴っている。激痛と暑さから大量の汗が額に浮かぶ。今逃げてしまえば、自分は助かるだろう。自分が死んでしまっては、大和に会うことも叶わない。レ級を相手取ったところで、数秒と持たないかもしれない。しかし、これが自分の過ちに対する罰なのだろう。今まで見捨ててきた艦を、この手で救おうとする日が来るとは夢にも思っていなかった。もう、あの眼差しで艦娘から見られるのには疲れてしまった。もう、建造も出来ないであろう自分が大和に会うのは不可能だ。なんて事はない、何れ自分に返ってくると思っていたツケが、今日返ってきただけの話だ。

終わらせよう。もう、終わらせよう。足が重い。

死に向かい進軍していった艦娘はこんな気持ちだったのだろうか。

こんな拳銃一丁では絶対勝つことは出来ない。死刑台に上る死刑囚と言ったところだろうか、墨田は自分を嘲笑いながら、未だに周りの窓や壁を破壊しつくしているレ級の元へ向かう。墨田はせめて艦娘達の避難が終わるまでは、レ級を引き付けることを決め、重い足を引き摺りながら廊下を歩いて行った。

 



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意地と意地

まだ司令室付近に居るのだろうか、地響きの様に鳴り響いている破壊音はさほど離れていなかった。階段を昇り司令室がある三階へと辿り着くと、廊下に身を出しレ級の姿を確認する。その瞬間、レ級は動きを止め此方に体をゆっくりと向ける。左目から青い血を流し、怒りに顔を歪めているその姿に、背筋が凍り付いた。艦娘達は攻撃手段があるとはいえ、こんな化け物と日々対峙しているのだ。レ級は再び金切り声を上げると、墨田目掛け走り出した。尻尾を振り回し、辺り一帯の窓ガラスを砕きながら走ってくる様は、恐怖そのものであった。しかし震えは無い。確かに死ぬのは怖いが、それを前にしてみればそれ以上に自分のしてきた事の後悔の方が重かった。墨田は身を翻すと階段を駆け下り、兎に角艦娘が多く居るであろう宿舎から引き離そうと考えていた。聡明な赤城の事だ、この建物からは既に避難を始めているだろう。

縺れそうな足を必死に動かし、階段を駆け下りる。

レ級は転がり落ちるように墨田を追いかけ、階段の踊り場の鏡や窓を全て破壊しながらその背中に狙いを定める。止まってしまえば砲撃の的になる。兎に角駆け回る以外墨田に手段は残されていなかった。一階まで降り切った墨田は、その廊下に艦娘の姿が無いことを確認すると、一気に廊下の出口目掛け走り始める。この先を抜ければ、木々が生い茂る鎮守府の裏手に出ることが出来る、身を隠すのに最適であった。出口まで後十数メートルと行ったところか、廊下に身を出したレ級は、間髪入れずに背中の主砲から出口に向かい砲撃を放った。

 

「不味――」

 

墨田は咄嗟に地面へ倒れこむと、頭上をレ級の砲撃が通過する。その砲撃は出口の扉に直撃し、一帯のコンクリートを吹き飛ばした。崩れ落ちたコンクリートが出口を塞ぎ、それは人一人がやっと通れる大きさ程しか隙間が存在しない。あそこを通っている時間は無い。体を起こし振り向くと、レ級は既に次の主砲を此方に向け、勝利を確信したのか不気味な笑みを浮かべる。

 

「数分しか時間を稼げなかった……か」

 

この鎮守府で自分を助けようとする艦娘等居ない、居てもせいぜい赤城か加賀位だろう。その二人も今は居ない、孤立無援とはこのことか。自分の価値など、やはりそれほどのものだった。墨田は上げかけていた腰を落とすと、目を瞑り最期の時間を待った。

しかし、情けない。自分が得た物など、大和以外無かったのだろう。

 

 

「まーだ死ぬのは早いんじゃねえの?」

 

 

「はい!青葉にお任せ!ッ主砲!ッてぇぇぇ!」

 

その瞬間真横の窓ガラスが割れ、レ級は外から放たれた砲弾を避けることは叶わずに直撃する。左肩に直撃すると、砲弾は爆音と共に火柱を上げ、ドアを巻き込みレ級の体ごと隣の部屋へと吹き飛ばした。火柱に反応したスプリンクラーが作動し、辺りに燃え広がろうとしていた炎を打ち消す。窓から身を乗り出し、廊下に降りたその男の姿は、三年前と変わっていない。

一瞬姿を見れば提督と呼べるのは帽子だけ、後は私服といっても差し支えなかった。腰からは日本の軍刀を下げ、呆れた表情を浮かべている自分の目標である男の姿があった。

 

「……先輩」

 

「おーおー、俺がやる前にレ級にやられてんな。生きてっか」

 

重巡青葉も朝霧に続き廊下へ降りると、墨田の元へと駆け出した。

 

「大丈夫ですか!?怪我は……腕が酷いですね……」

 

「何で……」

 

「俺がぶっ飛ばしてやろうと思って来たんだけどな。まあ先にもっと酷い一撃貰ってるみたいだけど」

 

朝霧は横須賀鎮守府付近まで来た瞬間、海上警報ではない、鎮守府の避難警報が鳴り響いたことを受け鎮守府内へ駆け出すと、有事に備えて重巡か戦艦の艦娘の散策に出ていた。最初に出会ったのが、過去の横須賀鎮守府第一艦隊所属であり顔馴染みであった青葉だったことが功を奏し、事情を説明し即納得させると艤装を取りに工廠へ走っていた。そこで赤城と出会い、墨田の場所を聞きつけると二人は司令室を目指しその結果、墨田の命を間一髪で救ったのだった。軍刀は、過去に墨田の趣味として工廠に置かれていたものをくすねて来ていた。墨田の無残な右腕に視線を移し、直ぐにレ級が吹き飛ばされた部屋を睨みつける。青葉は墨田に肩を貸すと、腕を回し立ち上がらせる。

 

「……青葉さんも何で、僕なんかを――」

 

青葉は申し訳無さそうな、それでいて戸惑っているような、そんな表情を浮かべる。あの作戦以来、どう接していいか分からなかったこの男の瞳に、僅かな光が灯ったのを青葉は気付いた。

 

「艦娘が提督を助けない理由はありません」

 

「……僕は今まで貴方達を見捨ててきました」

 

「誰だって何をやってるのかわからなくなる時はありますよ。そんな時、私達が支えるべきでしたのに……すみません」

 

何故、自分が謝られているのか、墨田は心底不思議になっていた。非は全て自分にある。にも関わらず、青葉は考えること無く真っ先に自分を助けに来ていた。

 

「ま、人の縁なんてそうそう切れたりしないもんよ」

 

それは朝霧が身に染みていることでもあった。自分が拒絶し、縁を断っていたつもりでも、それは繋がっていることもある。あの作戦まで切磋琢磨し、共に苦楽を歩んできた第一艦隊の艦娘達は、戸惑いながらも墨田を想っていた。壊れてしまうほど一人で抱え込んだ墨田も、それを止められなかった青葉達も、それがそれぞれの罪である。

 

「説教は後だ、今はあれをどうにかするぞ」

 

砲撃の轟音と共に、廊下へ飛び出したレ級が見たのは、既に近くの窓から青葉達を先行させ、中庭へ出ている朝霧達の姿だった。レ級は窓から青葉目掛け主砲を放つ。青葉は墨田の両足を左手に受け、右腕を肩に回すと持ち上げ、その場から横に避ける。逸れた砲弾は青葉の横を過ぎ、その先にある食堂に突き刺さった。青葉は、墨田を抱えこのまま逃げることも出来たが、それでは朝霧をレ級の眼前で放置することになる為、それが出来ずにいた。

 

「全く……貴方にも逃げて欲しかったんですがね。まあ貴方がすんなり逃げるとも思えませんが」

 

「正解。……おい」

 

レ級がガラスを突き破り、中庭に降り立つと同時に、腰に差していた軍刀の一本を墨田に放る。墨田は慌ててそれを左手で受け取る。

 

「死ぬならやることやってからだ」

 

青葉は墨田を地面に下ろし、墨田は受け取った軍刀を鞘から抜く。

 

「司令官。あんまり無理は……」

 

「大丈夫ですよ。青葉さん、これ以上逃げ回っても鎮守府の被害を増やすだけです。それに恐らく宿舎の避難もまだ終わっていません。レ級は此処で仕留めましょう」

 

「はい!青葉にお任せ下さい!」

 

この場でレ級に直接的なダメージを与えることの出来る者は、青葉一人であった。それでも朝霧が軍刀を用意したのは、体に刃は通らずとも、人間と同じく首部分は人間の力でも何とか削ぎ落とせる強度だった。しかし、首を掻っ切る為には、あの暴れ狂っている尻尾を通り抜けなければならない。

 

「朝霧さん、どうしますか?」

 

中庭の広さは小規模の体育館程だろうか、遮蔽物が無く、常に互いの動向が分かる位置関係にもなっていた。辺りに人の気配は無い、墨田の命令を実行していた赤城が、助けに行こうとした艦娘達を止め避難の手助けに充てているのだろう。支援は期待できそうに無い。この三人で、海上の悪魔とも称される戦艦レ級を屠らなければならなかった。三人とレ級の距離は凡そ二十メートル。砲撃の仕草を見せれば、避けられる距離ではある。問題は、青葉の砲撃では決定的なダメージが与えられないという点だった。先程レ級が吹き飛んだのは、油断している所に砲撃が刺さった所為であり、正面からの砲撃では急所に命中することは絶望的である。止めを刺すには、やはり首から上を刎ねる以外方法は無かった。時間を掛け、避難を終えた赤城達の援護を待つのも手だったが、それまでに腕とはいえ、大怪我をしている墨田を守りきるのは不可能に近い。

 

「やるっきゃないな」

 

朝霧は軍刀を右手に握ると、墨田は苦痛に顔を歪めながらも左手に軍刀を握る。先程から頭を回転させているが、遮蔽物も火気類も回りに見当たらず、どうレ級を倒していいか、妙案が浮かばなかった。ゆっくりと考える時間など無く、レ級は今にも此方に砲撃を撃って来そうなそぶりを見せている。するとレ級は、砲撃ばかりでは避けられると判断したのか、その凶悪な尻尾を振り回しつつ、墨田に向かい駆け出した。

 

「墨田ッ!」

 

墨田はレ級を中心に、時計回りに走り出すと、青葉は逆の方向へと駆け出す。それに合わせ墨田に向かって行ったレ級の視界から、青葉が消えた瞬間、青葉は背中の主砲をレ級に向かい放つ。次の瞬間、辺りに聞き覚えのある嫌な羽音が鳴り響く。同時に青葉は背中に衝撃を受け、前方へと吹き飛ばされる。放たれた砲撃は、動きを読まれていたレ級の尻尾に阻まれ、本体へ届くことはなかった。

 

「な……にが……」

 

「艦載機……何時出しやがった……」

 

「青葉さんッ!」

 

戦艦と言う名を得ていながら、戦艦レ級は空母の攻撃手段である艦載機を放つこと出来る。恐らく、レ級を吹き飛ばした部屋の窓から放っていたのだろうか、レ級は念入りに、此方に気付かれないよう後方に待機させていた。背中から爆撃が直撃した青葉が前方に吹き飛ばされた結果、地面に叩き付けられ意識を刈り取られそうになり、レ級の前に無防備な姿を晒すこととなった。主砲からは煙が上がり撃てるかどうか際どい状態になり、副砲は大破し使い物にならなくなっていた。レ級は止めを刺そうと即座に墨田から青葉に視線を移す。頭より先に、体が動いていた。墨田はレ級へ向かい全力へ駆け出すと、今まさに振り上げられた尻尾に向かい、剣を突き立てる。しかし、その刃が尻尾に通る事は無く、数センチ突き刺さった所で弾かれる。レ級は鬱陶しそうに右腕を振り抜くと、突き立てていた刀ごと墨田を吹き飛ばした。刀は折れ、墨田の胸部にレ級の拳が突き刺さる。あばらが折れ、肺の空気が外気へと叩き出された。

刀を鞘に納め、その隙に青葉との距離を詰めていた朝霧は、青葉を抱えると、レ級に背を向け走り出す。レ級はそれを見逃す訳も無く、泳がせていた尻尾を朝霧に向かい振り降ろした。

 

「すまん青葉ッ!」

 

朝霧は意識が朦朧としている青葉を前方へ放り投げると、体を捻り地面に転がり込んだ。真横の地面をレ級の尻尾が抉り、小規模のクレーターが現れていた。あれを喰らっていたらと想像した朝霧の背中に冷や汗が流れ落ちる。気持ちを切り替え素早く立ち上がると、刀を抜きレ級の首元目掛け刀を振り抜いた。これが自分達の何倍もの大きさの姫級だったならば、骨が折れていただろうが、レ級の体は朝霧よりも圧倒的に小さく、駆逐艦程の大きさしかなかった。

しかし、渾身の力を込めて振りぬかれた刀を、レ級は難なく素手で受け止める。

 

「いッ―――」

 

レ級は刃を素手で握ったまま、刀を握ったままの朝霧ごと後方へ放り投げる。刀を放さなかった朝霧は放物線を描きながら後方を舞い、地面に叩き付けられる。朝霧が叩き付けられたと同時に、レ級は一歩で距離を詰め、振り上げられた尻尾が朝霧を襲う。頭に衝撃を受け刀を手放し、三半規管が機能していない朝霧は、我武者羅に体を捻った。結果、レ級の尻尾は朝霧の腹部の肉を数センチ程抉り地面に突き刺さると、同時にまるでゴルフの様に朝霧の体を薙ぎ飛ばした。レ級は完全なる止めを刺すために、その背部の主砲を地面に横たわる朝霧に向ける。

 

「っさせません!」

 

殆ど壊れかけている青葉の主砲から、断末魔とも言える砲撃が放たれた。同時に主砲は火を噴き、青葉は攻撃手段を失ったが、その砲撃はレ級の顔面に突き刺さり、爆破炎上した。レ級が今まさに放とうとしていた砲撃は、その衝撃により青葉の方向へと向きを変え飛んでいく。その砲撃を避けることも出来るはずが無く、砲撃が真横に着弾し、青葉を中心に爆炎が上がる。

青葉は更に後方へと吹き飛ばされ壁に叩き付けられた。

レ級は疑問だった。

何故陸では虫ケラ同等の人間と艦娘が此処まで粘るのかと。意識はあるものの、朝霧と墨田の両名は何箇所も骨が砕け、全身打撲に脳震盪と満身創痍だった。では、さっさと終わらせてしまおう。提督と呼ばれる指令を出す人間を殺すのが自分の役割だ。

 

墨田は想う。

こんな自分の最期に手を差し伸べてくれた青葉を絶対に助けたい。強く宿るその気持ちが、地へ堕ちてしまいながらも残っていた最後の意地が、墨田を震え上がらせ立ち上がらせる。そして、その墨田の目を覚まさせるために、一人の友人として、同じ苦しみを味わった提督として、死なせまいと朝霧もまた意地を見せる。二つの意地と意地が圧倒的力の差を前に、深海棲艦レ級の前に再び立ちはだかった。吹けば飛ぶような二人が立ちはだかった所で、レ級からすれば何の脅威にもならない。だが深海棲艦は理解していない。男の意地が、人間が真に見せる底力を。墨田と朝霧はこの戦いに終止符を打つべく、地面を蹴り上げた。

 



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意地と意地

レ級からすれば酷く簡単な作業だった。あるのは尖った棒切れ、脅威になる武器では無いのに加え目の前の二人は虫の息。尻尾を薙ぐだけで終わるだろう。走り込んで来ている二人の内一人が落ちていた棒切れを拾ったが、何ら問題は無い。静かに尻尾を斜めに振り上げると、墨田が攻撃範囲内に入った瞬間横腹目掛け振り下ろす。このまま二人同時に吹き飛ばせばいい。

しかし、レ級の予想とは裏腹にその尻尾は鈍い音と共に停止した。墨田が寸前で踏みとどまると、左脇で尻尾を受け止め左腕を絡ませる。そのままレ級の尻尾を捻り切る勢いで全体重をかけ体を捻った。レ級の尻尾の根元から鈍い音が響き、紫色の血が吹き出す。

 

「先輩ッ!」

 

堪らずレ級は暴れまわるが、墨田は全身の力を注ぎ尻尾を極め続ける。朝霧その隙に拾い上げた刀を両手に握ると、左手を刀の頭に添えレ級の首目掛け突き立てる。その刃はようやく、レ級の首元に届いた。貫通とはいかなかったが、深々と突き刺さった刀の先からは夥しい量の血が溢れ出す。レ級は断末魔の叫び声と共に朝霧の右腕を左手で、頭部を右手で握りつける。レ級の力により握られた右腕からは鈍い音を立て、頭部からはレ級の手がめり込み血が吹き出す。

 

「ああああああッ!」

 

朝霧は叫び声を上げ己を奮い立たせる。激痛を通り過ぎ、脳内物質が大量に分泌され痛みを凌駕する。

 

「ッ!」

 

咄嗟に右足でレ級の足元を蹴り飛ばし、レ級は朝霧が刀を押し込んでいるのも相まってバランスを後方へと崩す。地へ背中を叩き付けられたレ級の首元に、更に朝霧の刃が突き刺さる。それは後方へと貫通し、地面へ深々と突き刺さる。前方へ倒れながらも、左手に握った刀は決して離さなかった。墨田は叩き付けられた衝撃で一瞬尻尾に込めていた力を緩めるが、すぐさま両足を根元に巻き付け尻尾の自由を封じ続ける。痛みが先程から墨田の脳味噌を支配している。緩めてしまえば楽になれる。

しかし、それは自分を救った青葉と朝霧の想いを踏みにじる事になる。今まで艦娘の想いを踏みにじり続けた自分だったが、自分を助けるのが間に合ったと分かった時のあの青葉の表情を見た時。こんな自分を心配してくれている艦娘がまだ居ると分かった時。確かに芽生えた。

この娘を死なせたせたくないという確かな想いが。そしてまだ死にたくないという想いが。

倒れこんだ衝撃で一瞬自由になった右腕で刀を握り、首を切り捨てる勢いで全体重を右方へとかける。レ級の意地だろうか、右手は未だに頭部を握り締めており、その力は頭蓋骨ごと脳を握りつぶさん勢いとなっていた。しかし朝霧も引かず、歯を食いしばり更に刀に力を込める。

更に右足でレ級の右腕を踏み潰し自由を奪う、普段の力なら一瞬で振りほどかれてしまうだろうが、青葉の砲撃、墨田の固め技によりレ級は確実に弱っていた。

基本的に刃は押し引きを経てその切れ味を発揮する。朝霧は刃を突き立てたまま力任せに押し込んでいるため、レ級の首を切断するには至らない。このままでは自分の頭蓋骨が砕かれてしまう。自分が死ねば、どうなるだろうか。自分を待ち続けていた龍驤は、どうなってしまうだろうか。二人が託してくれたこの好機を逃せば、全員が死ぬ。

ダメだ。それは。

 

「絶対に駄目だッ!」

 

更に力込め続け、その力と比例して朝霧の頭蓋骨が悲鳴を上げていく。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あッ!」

 

獣の咆哮にも近い雄叫びを上げながら刀を地面へと押し倒す。

その雄叫びに応える様に、一発の銃声が中庭に響き渡った。その瞬間、まるで糸が切れた操り人形の様にレ級の体から力が抜け、暴れまわっていた尻尾は墨田の腕の中で抵抗を止めた。

 

「ッハァ……ハァ……ハァ……」

 

レ級の首元は殆ど引き千切れ、一帯は紫色の血で染まりきっていた。朝霧は最後の力を振り絞り、レ級の繋がっている首の皮を刀で切断しきると、頭部を蹴り飛ばした。同時に崩れ落ちる様に地面へと転がり込んだ。墨田は左手に握っていたリボルバーを手から滑り落とすと、頭を地に着け脱力した。

 

「……ハァ……生きてるか」

 

「ハァ……ハァ……なんとか」

 

朝霧の右腕は終局と同時に折れ、横腹からはレ級に抉られた傷が広がり大量の血が流れ出す。更にレ級の握力により皮膚を削られた頭部からは血が滴っている。墨田の右腕は砕け、あばらは何本か圧し折られていた。レ級の断末魔が消えたのを見計らってか、中庭の周りから声を聞きつけてきた艦娘達が集まってきた。朝霧は寝転んだまま首を捻り、艦娘達に視線を向ける。

負傷者と軽量級の避難を終えた重巡や戦艦の姿が見える。全ての艦娘が艤装を装備しているが、何故援護してくれなかったのかと一瞬考えたが、自分達がレ級と揉み合っていたことを痛む頭で思い出した。レ級に砲撃するということは、そのまま朝霧達を吹き飛ばすことにもなる。

 

「……それは流石に死ぬな」

 

もう指一本も動かせないと目を瞑ると、聞き覚えのある声が遠くの方から叫んでいるのに気付いた。二つのそれは足音と共に段々と近付いてくる。朝霧の直ぐ真横で止まり、恐らく覗き込んでいるのだろう、目蓋に感じていた日差しに陰りが生まれた。

 

(翔鶴と瑞鶴か……)

 

何故此処にいるのか、恐らく自分が暴れすぎないか諌めに来たのだろう。目蓋を開けるのも億劫で目を閉じたままにしていたが、自分の名前を叫ぶ声が余りに悲痛で居た堪れない気持ちになる。もしかしたら死んでいると思っているのではないか。実際の力無く血を流し横たわる見た目は死にそうではあったが、本人に死ぬ気は毛頭無い。こんな時であったが、少し悪戯をしようと考え力無く倒れているフリをする。すると、自分の頬に冷たい雫が落ちてきたのを感じた。翔鶴が自分を叫ぶ声は嗚咽を帯びており、大粒の涙が頬を伝っていく。流石に不味いと薄目を開けると、真っ先に翔鶴の顔が目に入った。横に居る瑞鶴も泣いている事を期待したが、険しい表情を浮かべているだけだった。

 

「提督ッ…………!」

 

翔鶴は朝霧に意識がある事が分かると、その胸元に顔を押し当て声を上げて泣き続ける。

 

「ッてええええ!」

 

「何よ、元気じゃない」

 

元から知っていたのか、そんなに心配していなかったのか、瑞鶴はあっけからんとした態度で朝霧を見下ろす。

 

「……にしても」

 

翔鶴と言う艦娘は余り激情を他人の前で見せたりはしない。人目憚らず泣いている姿を見たのは、瑞鶴と朝霧にとって初めてのことだった。

 

「何よそんなに俺のことが心配だったか」

 

「もう……翔鶴姉も大変ね」

 

瑞鶴は翔鶴の肩に手を置くと、朝霧の右脇に腕を滑り込ませる。翔鶴は妹の意図を察すると、朝霧の左脇に腕を回し、二人で両肩を貸す。

 

「ってぇえええ!右腕折れてるんだから優しく!」

 

「翔鶴姉を誑かした罰よ。で……大丈夫なの、横須賀の提督は」

 

「……ん、ああ」

 

朝霧は地に足を着けゆっくりと立ち上がると、同じく墨田を囲んでいる艦娘の様子を伺う。艦娘達は複雑な表情を浮かべていたが、痛々しい姿になりながら自分達を守り抜いた自分達の提督の姿を見て、真っ先に肩や手を貸し合っていた。墨田は艦娘達の顔を見渡すと、俯きながらその手を借りる。艦娘達の今の自分を見る目に、あの畏怖や恐怖の感情は無い。

 

「大丈夫だろ、あいつが思ってる以上に艦娘は強いもんよ」

 

「……これからやっていけるのかな」

 

「ま、いざこざはあるだろうけど、それはアイツ次第よ」

 

「……私達も微力ながら支えていきましょう」

 

「おっ!泣き止んだか翔鶴――ってええええッ!」

 

翔鶴をからかおうとした瞬間、瑞鶴の右手が朝霧の折れた腕を襲う。朝霧は堪らず悲鳴を上げながら折れた右腕を何とか動かし、右手で瑞鶴の胸部に触れようとするが足を踏み付けられる。大怪我を負いながらも、その和気藹々とした雰囲気を作り出す朝霧に感嘆し、二人のじゃれ合いを見た翔鶴から笑顔がこぼれる。

 

「帰りましょうか、私達の鎮守府へ」

 

「…………ああ」

 

「その前に病院よ」

 

「……ひっでえ一日だった」

 

「……全くね」

 

加賀を見つけ、墨田と邂逅し、横須賀へ殴り込みをかけた。そこでレ級に出遭い、死闘を繰り広げた。死者はゼロのまま、長い戦いの一日は幕を閉じた。

 



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本命は誰だ

横須賀鎮守府襲撃事件から早一週間が経過した。

入渠ドックに入った青葉と、すぐさま病院に運ばれた朝霧と墨田の命に別状は無かった。しかし三日は絶対安静と診断された為、朝霧は着任早々三日間鎮守府を空ける結果になったが、横浜鎮守府には元から提督兼秘書艦を務めていた瑞鶴達が居た為滞りなく進んでいた。そこから四日間の休息を取り、朝霧は横浜鎮守府の司令室の椅子に舞い戻っていた。医者には渋い顔をされたが、提督が居なければ鎮守府が崩壊すると無理を通して提督の座に復帰した。折れた右腕には添え木がされており、抉られた腹部と頭部も未だに包帯が巻かれている。一方の墨田は一週間の絶対安静が言い渡され、更に一週間の入院が必要と診断された。加賀はすぐさま自分の意思で横須賀鎮守府へ戻り、赤城と共に墨田の帰りを待っていた。

 

「はい、あーんして下さい」

 

「あ゛あ゛ー役得じゃぁー」

 

右手が使えない朝霧は、昼食時の食堂にて翔鶴に甘えご飯を口へと運ばせていた。当番が巡りその日の秘書艦になっていた吹雪は、入る余地が無いと睦月の横で食事を取っている。瑞鶴は非常に渋い顔をしていたが、レ級を相手取り横須賀を守った末に怪我を負っている朝霧に何も言えず、横で睨み続けていた。周りの艦娘達もその様子を興味津々に見守っている。二人の後ろに座っている山城は羨ましそうに、そして恨めしそうに見つめていた。

 

(私も怪我をすれば扶桑姉さまにッ……)

 

しかし、艦娘は基本的に怪我をしても入渠ドックにさえ入ってしまえば治ってしまう。叶わぬ願いに溜息を吐くと、改めて自身の司令官である朝霧を見つめ、一週間前のことを思い出す。朝霧が入院したのち、瑞鶴は皆が集まる夕食の食堂にて一連の出来事を皆に説明していた。

 

「って訳で、提督は今入院中だからまた私達が提督の仕事を引き継ぐわ。秘書艦はあいつの意向通り日替わりで」

 

瑞鶴の説明に食堂は驚愕の声に染まっていた。あのレ級を、素手と刀一本で倒したと言うのだ。食事中の各テーブルの艦娘達はその話題で持ちきりだった。

 

「霧島?レ級って素手で倒せるものなのかしら?」

 

「うーん……成せばなるのかしら」

 

「と言うより地上で、それも鎮守府のど真ん中でレ級と出くわすのって……あの提督も不幸ね……」

 

「……お見舞いに行ったほうがいいのかしら?」

 

戦艦テーブルにて、実際その火力からレ級と対することが多い戦艦達はその強さを身に持って知っている。榛名は首を傾げ霧島に尋ねるが、当人は困った表情を浮かべたまま箸を動かす。

 

「筑摩よ!凄いのお我輩達の提督は!」

 

「いや凄いとか次元じゃないと思うんですけど……」

 

「うむ、その話を聞くと俄然闘志が沸いてきたぞ!今度白兵戦で――」

 

「那智姉さん……素手じゃ絶対に勝てませんよ……」

 

「うーむ……野蛮人ですわ……」

 

「ていうか有り得なくない……」

 

重巡のテーブルにて、朝霧は実は深海棲艦か、はたまた未来から来たロボットではないかと話が飛躍していき、大盛り上がりのまま食事を進めていた。

 

「へえー、凄いわねあなたの旦那」

 

「誰が旦那や」

 

「男だねぇ、あの提督!こりゃ龍驤もほっとかないか!」

 

「まあ……冷静に考えてみると実際凄いわね……翔鶴姉?」

 

「え?あ、ええ。そうね……私達なんて海の上で精一杯なのに」

 

空母テーブルでは、飛鷹と酒を嗜んでいた隼鷹に真っ先に龍驤が茶化され、それを眺めつつ瑞鶴と翔鶴はどっと押し寄せてきた疲労を感じながらご飯をかきこんでいた。

 

 

「レ級を白兵戦で……人間なのあの人」

 

「不知火達の提督としてはふさわしい人物なのではないでしょうか」

 

「睦月も倒すにゃー!」

 

「私達は海の上でも厳しいわね……」

 

「提督さん凄いっぽい!」

 

「いや凄いというより……なんだろう。もう人類史上初の快挙になるんじゃないかな」

 

第七駆逐隊のテーブルでは、改めて朝霧と言う人間の存在について話し合っていた。

その時、夕立は飛鷹と隼鷹のからかい攻めにあっている龍驤を見つめると、とある疑問を口にした。

 

「提督さんって、誰が好きっぽいのかな?」

 

その一言に一同は恋バナ大好き駆逐艦の血が騒ぎ、主に夕立、如月、陽炎がレ級の話題はそっちのけで朝霧の本命の人物について議論を交わし始めていた。

 

「やっぱり龍驤さんかなー、なんか訳アリそうじゃん」

 

「でも翔鶴さんとも仲よさそうっぽい!」

 

「もしかしたら瑞鶴さんかもしれないわね」

 

結局誰か結論が出ないままその日の夕飯を終え、鎮守府に復帰したら即質問しようと言う結論に至った。そして、朝霧が今現在翔鶴と馴れ馴れしくしている様を見て、夕立は得意気に鼻を鳴らしていた。

 

「やっぱり翔鶴さんっぽい!」

 

「じゃあ聞いてみなさいよ」

 

得意顔を向けてくる夕立に陽炎はそっぽを向くと、朝霧にそのことを質問するように促した。

 

「何時聞くの?」

 

「……今とか?」

 

「……流石に気まずいっぽい」

 

「じゃあ皆でじゃんけんしましょう。負けた人がこの場で質問を」

 

「僕達も入ってるの!?」

 

「当たり前でしょ、この話を聞いた時点から一蓮托生よ」

 

「睦月選手、負けられません」

 

乗り気でない不知火も無理矢理じゃんけんに参加させ、各々が自分だけは負けたくないと言う想いと、本命を知りたいと言う想いを乗せ右手を振り翳した。

 

「「じゃんけんぽん!」」

 

「……何故不知火が」

 

「よしッ!よしッ!よしッ!」

 

不知火の恨めしい視線を受けながらも、陽炎はその場でガッツポーズし、提督のテーブルへ行くように促す。

 

「どの様に聞けば?」

 

「ストレートに好きな人は誰?って言っちゃいなさい!」

 

「はぐらかされた場合は?」

 

「んー、確かに答えずらいかもしれないわね……お嫁にしたい艦娘とかでもいいんじゃない?」

 

「………………」

 

皆は憐れみの視線を向けながら、耳だけは澄ませ食事を進めている。こうなってしまっては、絶対に行かされることが分かっていたので、不知火は観念して席を立つ。話題の渦中にある第七駆逐隊の横で食事を取っていた吹雪は、自分がターゲットにならなかったことに胸を撫で下ろす。皆が座っている中、いきなり立ち上がり提督の下へと歩いて行った不知火に、辺りの艦娘は静まり返り動向を見守っていた。その様子に気付いた朝霧は、丁度食事を終えた為顔を正面へ向け、何故か不機嫌そうな不知火と目を合わせる。

 

「どーしたぬいぬい」

 

「第七駆逐隊の皆が知りたがっていることなのですが」

 

「んああ、演習か。そう言えば教えられて――」

 

「いえ、司令官はどなたのことが好きなのですか?」

 

不知火は辺りの空気を気にした様子も無く、直球に尋ねる。この時ばかりは不知火が適任だと言えた。他の艦娘では尻すぼみしてなかなか質問出来ないことが容易に想像出来る。一瞬全艦娘の会話が止まり、空気が凍りつく。そして不知火がやったぞ、と。まるで単身で敵武将の首を討ったかのような、辺りから尊敬の眼差しを受ける。何だかんだと皆恋バナは大好きであった。飛鷹は見ていた。龍驤は興味なさそうに、何時もの馬鹿をやっているとした目で見ていているが、だんだんと腰を朝霧の方向へとずらして行き、椅子からずり落ちそうになりながらも何とか聞き漏らさないようにしていたのを。翔鶴の横の瑞鶴は気付いた。何時もの笑顔を浮かべているものの、その顔は非常に引き攣っており、握っているスプーンが震えている。伊号潜水艦の面々は、川内型を曳航させ海を克服するための遠征に向かい、この場に居ない第六駆逐隊の夜の肴にしてやろうと、椅子から立ち上がると付近まで詰め寄る。

 

「んー……みんな好き、とかは駄目なの?」

 

「不知火は構いませんが、皆は納得しないと思います」

 

「難しいねえ」

 

「ではお嫁にしたい艦娘ではどうでしょうか」

 

「あ、それなら赤城」

 

まさかのこの場に居ない艦娘の名前が挙がった事により、第七駆逐隊のテーブルを起点として食堂内の艦娘から一斉にブーイングが起こった。それと同時に龍驤は椅子から転がり落ち、翔鶴の持っていたスプーンが真っ二つに折れ曲がった。

 

「なんで赤城さんなのよッ!此処に居ないじゃないッ!」

 

「提督さんずるいっぽい!」

 

「そうなの!それは逃げた答えなの!」

 

「うるせぇぇぇ!年上っぽそうな包容力のある女が嫁になったら最高って言ってるだけだよッ!」

 

その言葉に翔鶴の折れたスプーンが完全に圧し折れ、先端部分がテーブルへと転がる。瑞鶴は暗に翔鶴は意識されていないことに気付き、どのような言葉をかけたら良いのかと考えていた。龍驤はすぐさま立ち上がり、震えた手で食べ終えていた食器を持つと、おぼつかない足取りで返却し食堂を後にしていた。

 

「あちゃー、ありゃ重症だねえ」

 

「まあ、きっぱり言う辺りは凄いわよね……」

 

喧騒が止まない中、朝霧はさっさと食器を返却すると、未だにブーイングを背に受けながら食堂を後にした。残された翔鶴は、未だに定まってない目の焦点を虚空に向けており、瑞鶴に肩を揺さぶられようやく我を取り戻した。

 

「あ、ええ。瑞鶴?別に気にしてないわ、ありがとう。瑞鶴もそう思うわよね?」

 

「私は何も言ってないわ……」

 

その日の秘書艦であった吹雪は司令室に戻ると、午前中に悪戦苦闘していた書類の束の前に座り気合を入れる。先に司令室に戻りペンを走らせている朝霧に視線を移すと、素朴な疑問をぶつける。

 

「あの、深海棲艦が地上で鎮守府を襲った話ですけど……何かそれを防ぐ対策があるんですか?」

 

「いや、出来る対策つったら鎮守府の周りにレ級の砲撃程度じゃびくともしない城壁を作ることくらいだろうからねえ。成りすましは対策できるけどゴリ押しで来られたらお手上げよ」

 

「それじゃ泣き寝入りってことですか……?」

 

「まーそうなるな。そんな鎮守府を強化する金ないんよ。税金もいっぱいいっぱいだしさ」

 

「そうなんですか……」

 

未だ人類は危機的状況にある。もし深海棲艦が一斉に地上に上がって来ようものなら、それを察知しそうなる前に対策をすぐさま取れるが、先週のように単独で圧倒的力を持った深海棲艦が襲撃してきたなら、未然に防ぐ方法は無い。群れならばすぐさま発見できるが、単独行動なら監視の目を抜けやすい。出来る対策と言えばせいぜい堤防の哨戒をより厳しくし、完全に監視し続けることのみだった。吹雪は皆が思い出を持ち、共に戦ってきた拠点となるこの横浜鎮守府が大好きだった。しかし、この先鎮守府が安全とは言えなくなる未来もあるのだろうと想像し、落胆の溜息を吐く。

 

「んまー大丈夫よ。俺が何とかするし、瑞鶴や翔鶴、龍驤も居る」

 

「そうですか……」

 

「……他に何か聞きたいことある?答えられる範囲なら答えるよー」

 

朝霧のその言葉に、吹雪は少し考え、この暗い話題から離れようと先程の出来事を思い出す。

そして一度深呼吸し、勇気を振り絞って声に出す。

 

「あっ……あのっ、司令官は実際どなたがす……好き……なんですか?」

 

「んー、なに?知りたいのぶっきー」

 

「え?あの……気になったので」

 

「ま、その内分かるよ」

 

朝霧は手にしていた書類を吹雪へと差し出し、それを受け取った吹雪はその書類に書かれている文字に興味を惹かれた。

 

「ケッコン……カッコカリ?ですか?」

 

「言い得て妙だよな。ケッコンする訳じゃないから(仮)だってさ、良いネーミングセンスだよ」

 

「結婚するんですか?」

 

「指輪を渡すだけだよ。信頼と絆がある艦娘が受け取ったなら、その艦娘の練度が限界に達してても、それ以上の練度の向上が見込まれるだってさ」

 

「へえー。って、もう申請してるじゃないですか!」

 

「そりゃね、俺だって好きな相手に渡してみたいもんよ。指輪くらいな」

 

「でも赤城さんは横須賀に――」

 

「あれは嫁にするならって例だよ。勿論俺にも好きな人は居るさ」

 

「じゃあその人は――」

 

「まだぶっきーには早い話よ」

 

これ以上詮索しても、満足できそうな返事は返ってこないと考えた吹雪は、その書類に秘書艦承認のサインを書き足し、書類の束の上に積み重ねた。

 

(私も……いつか誰かに貰えるのかなあ……)

 

吹雪は花嫁姿をぼんやりと想像しながら、慣れない書類仕事と格闘し続け、へとへとになりながらその日の秘書艦を終えた。



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新しい仲間が到着したわ

朝日が地平線から顔を出し、鎮守府の白い壁に日差しが照りつけ始めた頃、その日の秘書艦であった陽炎は工廠の暑さに悶えていた。朝とは言え、真夏の工廠は火気を多用する為外とは比べ物にならない程温度が上がり、更に潮風で機械類が傷んでしまわぬように換気の為少し開ける以外は、基本的に扉は閉めてある。

秘書艦の順番が第七駆逐隊まで回り、旗艦と言うことで無理矢理秘書艦の座を奪い取ってきたのだ。職権乱用に近いものがあるかもしれない。朝霧の秘書艦は人気がある。確かに書類仕事は退屈だが、それ以上に窮屈しないのであった。本人の方針が、仕事さえやれば後は何をしても基本的に問題ないというものであり、書類仕事を全力で終わらせた艦娘が冷房の効いたソファーの上で寝転がり、気持ちよさそうな顔で眠っているのを見て殺意が何度か湧いていた。瑞鶴に士気に関わるから止めさせろと言われていたが、その本人もよく昼寝をしているのに加え、昼寝をする為に期待以上の書類仕事が毎回行われる為、瑞鶴も殆ど諦めていたのだ。

しかし一番の人気は、朝霧自身も様々な海域を攻略してきた歴戦の猛者とも言えるため、その朝霧の過去話を語って貰えるということだった。まだ見ぬ海域の話を聞けるとあり、秘書艦になった翌日の食事のテーブルは質問の嵐になっていた。

 

「あづいぃ……明石さぁーん……」

 

「今はそんなに暑くないわよ。昼頃になればもっともっと!」

 

「いやぁぁぁ………」

 

「そいで明石さんよ。艤装は出来たかい」

 

「はい!ばっちりです!いつでも建造できますよ!」

 

先日建造の許可が下りた為、早速明石に艤装の製作を頼み、朝早くから工廠を訪れていた。早朝と言うこともあり、いつも工廠に居る明石と朝霧、そして本日の秘書艦である陽炎の三人がその場に立ち会っていた。建造に立ち会う機会は滅多にない為、陽炎は物珍しさについて来たが、早速そのことを後悔していた。司令室に戻ってしまおうとも思ったが、此処まで来たら見てみようと耐え忍んでいた。

 

「んじゃ、暑いしぱっぱと終わらせるか」

 

「どんな艦が来るんですかねー。楽しみですね」

 

「まだ出来ると決まったわけじゃねーよ」

 

「提督なら大丈夫でしょう!」

 

建造に特別な方法も機械も存在しない。艦娘の元の艤装を作成し、それに触れ呼び出すだけで建造は終了する。しかし、過半数はその艤装が変化することは無く、建造は失敗に終わる。

 

「…………」

 

(あれ……緊張してるのかな……って、ここはまさか秘書艦の出番かしら!?)

 

朝霧が少し緊張した面持ちで、艤装の前で耽っているのを見た陽炎は近寄り肩に手を置く。

 

「司令なら大丈夫だって!陽炎がついてるわよ!」

 

事実朝霧はその艤装になかなか触れられずにいた。勿論自信が無いわけではないが、万が一失敗した時のことを考えてしまっていた。その手に勇気を貰えた気がした。

 

「……っし!」

 

朝霧は艤装に触れ、目を瞑る。その時に口上を述べる必要は無い。

 

(まあ、色々あったけど。もうちょっと提督を続けるからさ、俺と一緒に戦いたい艦娘が居たら此処に来てくれ)

 

大戦の末期まで戦い抜き、海へと沈み底で漂っていた艦の魂は自分を想い呼ぶ声を聞いた気がした。その暗い海底に光が差し、吸い込まれていくような感覚に陥った。次に意識を取り戻した時には、天窓から差し込んだ光に目を眩ませ、茹だる様な暑さの中に立っている感覚があった。それがやがて感覚では無く、実体のものだと把握する。この目の前の男が、自分のことを想い、自分を必要としている提督。提督なのは白い帽子部分だけであり、後はジーパンに黒いシャツの男。人柄の良さそうな、自分の好みでもある好青年だった。先ずは自己紹介しなければならないだろう。

 

「英国で産まれた帰国子女の金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」

 

「新しい仲間が到着したわ!」

 

「成功みたいですね」

 

自己紹介を終えても、目の前の男は何も喋らず、呆然と立っているだけだった。一方、その横にいるのは自分と同じ艦の仲間だろうか、二人はこそこそと話し合っている。

 

「えっと、提督ぅー!どうしたんデスカー?」

 

 

目の前にいるのは紛れも無い金剛。その姿を見た時、あの日までの思い出がフラッシュバックする。勿論今の金剛に記憶があるわけではない。しかし、意識するより先に体が飛び出していた。此方の顔を不思議そうに覗き込んでくる金剛に両手を回し、強く抱き寄せるとその胸に顔を埋める。

 

「WHAT!?大胆な提督ネー、でも時間と場所をわきまえなきゃノンノンヨ!」

 

陽炎は、瑞鶴から艦娘にセクハラ紛いのことをしようとしたならば、容赦無く制裁を加えてもいいと言われていたため、金剛を抱きしめた瞬間身構えるが、朝霧のその体が震えている事に気付いた。

 

「……泣いてるんデスカ?提督」

 

朝霧は嬉しかった。何よりも自分が沈めてしまった金剛が、再び自分の想いに応え戻ってきてくれたことが、何よりも嬉しかった。金剛は驚いた顔をしていたが、やがて子を慰める母親のような優しい表情を浮かべると、帽子の上からその頭をゆっくりと撫でていく。陽炎と明石はどうすることも出来ず、ただその様子を傍観していた。

 

「……司令って金剛さんと知り合いだったのかな」

 

「あ、思い出したわ。確かあの作戦の第一部隊に金剛さんが所属してたのよ」

 

「じゃあ感動の再会ってことなの?」

 

「……かなぁ」

 

そんな朝霧と金剛の様子を、扉の隙間から見つめる視線があった。日課の艦載機の整備を行おうと工廠を訪れていた龍驤は、扉に顔を張り付け唖然とした表情を浮かべていた。やがて踵を返すと宿舎まで駆け出して行き、五航戦の眠る部屋のドアを壊さんばかりの勢いで開く。

 

「えらいこっちゃで!」

 

「ッ何!敵襲!?」

 

翔鶴より先にドアが叩き付けられた音で目が覚めた瑞鶴は、掛け布団を放り投げ体を起こす。

汗だくで部屋に転がり込んで来た龍驤の様子を見た瑞鶴は、サイレンがなっていないことに不安を覚える。それにつられ翔鶴も目を覚まし、体を起こすと半目で周りを見渡す。

 

「んー……おはようございます」

 

寝ぼけ眼の翔鶴の両肩を握り、揺すり起こすと翔鶴は少し不機嫌になりながら目を開いた。

 

「今工廠に行ってみたら金剛が建造されたんや!」

 

「……は?」

 

 

瑞鶴は心底不思議そうな表情を浮かべると、何が大変なのか把握するために龍驤の次の言葉を待った。

一方の翔鶴はまだ眠そうだった目を開ききると、口元に手を当てた。

 

「金剛さんが……それは不味いですね」

 

「……何が不味いの?」

 

「あの金剛の事や……比叡が居らん今、あいつといちゃいちゃし放題な筈やでッ!」

 

瑞鶴はそこまで言葉を聞くと、時計を見上げ時刻が六時にもなっていないことを確認し、龍驤の背後に忍び寄る。間髪入れずに両手を胸に回すと、そのまま龍驤を持ち上げ部屋の外へと全力で放り投げる。

 

「おやすみ」

 

瑞鶴はそっぽを向くと布団へ体を倒し、欠伸をしながら目を瞑った。向かいの壁に叩き付けられた龍驤は、腰を抑えながら立ち上がると翔鶴に手招きする。翔鶴は普段の艤装へと着替えると、布団を畳み部屋の外へ歩み出た。

 

「確かに問題ですね。比叡さんがストッパーになっていたので抑えられていましたが……忌々しき事態です」

 

「やろ?行く行くは出来ちゃいましたー!なんて事になりかねんわ……」

 

二人は既に顔を出し切った太陽から差し込む日差しが漏れる廊下を歩き始めると、窓から見える工廠の外観に目を移した。

 

「……にしても、龍驤さんはそんなに提督のことが好きなんですね」

 

「なっ!えっ!ちゃうで!?あいつに目の前でいちゃいちゃされると皆の士気も下がるやろうし――」

 

「私は好きですよ、提督のこと。Likeでは無くLoveで。だから金剛さんが来たのは嬉しいことですが、同時にライバルが出来たとも思いました……龍驤さんもそうなんでしょう?」

 

「え……いや、んー……」

 

此処まで走って真っ先に自分に伝えに来ておいて、何を言いよどんでいるのかと翔鶴は呆れ顔を浮かべる。翔鶴は自分のこの気持ちが恋愛感情かは分からなかったが、横須賀鎮守府にて死んでいるかも分からない朝霧の姿を見た時、胸が締め付けられ自然と涙が溢れ出してきた。

第一主力部隊にいなかった時は意識する程度だったが、こうして朝霧と一緒に居る機会が増えるにつれて、その感情が次第に恋愛感情だと理解するようになっていた。一方の龍驤は視線を天井に向けると、少しの間唸り続ける。

 

「んー……まだ分からんわ……」

 

「じゃあ私が貰っちゃいますね」

 

「それはあかんでッ!」

 

「なんでですか?」

 

「えっ?……あー……」

 

(面倒くさい人ね……)

 

しかし、翔鶴は朝霧の心の中に居るのは自分では無いと薄々感じ始めていた。食堂で話した赤城の名前は、言い逃れのためだと言う事はショックであったが理解はしていた。自分も鈍いわけではない、龍驤が朝霧のことを想っているのは当の昔から知っている。何が恥ずかしいのか、その気持ちをなかなか人に伝えられていなかった。その時、龍驤は朝霧と再会した時、はっきりと本人の前で好きだと告白していたのを思い出し、顔を真っ赤に染める。

 

(いやあれは……流れと言うか……ノーカンやノーカン!提督として好きって意味で……)

 

悶えながら宿舎を出たその時、視線の向こうにある工廠の扉が開き、中から金剛と朝霧、そして陽炎が出てくるのが見えた。朝霧も向かって来ている二人の姿を認めると、手を挙げ叫ぶ。

 

「うーす!早いねえ!」

 

「え、ええ。おはようございます」

 

「せっかくだから紹介しとくか、さっき鎮守府に来てくれた金剛だ。まあ二人とも知ってると思うけど」

 

「よ、よろしく」

 

「よろしくお願いします」

 

「Hi!金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」

 

「二人は艦載機の整備か?」

 

「え!?あ、そうやで」

 

「は、はい」

 

まさか恋敵と偵察ともいえず、苦笑いしながら頷く。

 

「それじゃまた」

 

三人は司令室へ向かい歩き出したのだが、すれ違うと同時に金剛が朝霧の右腕に自分の両手を絡ませたのに龍驤は気付いた。下唇を噛み締め、渋い表情で背中を見送っていることに気付いた翔鶴も振り返り、そのことに気付く。

 

「……大胆になれれば有利でしょうか」

 

「……やなぁ」

 

金剛のことを羨ましく思いながら、二人はせっかくだと言うことでサウナの様な工廠へ入っていった。

 



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横浜鎮守府防衛ライン死守戦

それは金剛が建造されてから三日目の早朝、日が昇る寸前の司令室。正式な申請も終え、横浜鎮守府の一員なった金剛の装備を考え、日中を過ごした次の日。前日から続く面倒な書類仕事を終えた朝霧は、眠い目を擦りながらソファーへと倒れこんだ。徹夜に付き合わせた秘書艦の不知火は部屋に帰しており、この鎮守府で寝ていないのは今日の仕込みをしている間宮と早朝から遠征に出ている第六駆逐隊くらいだろうか。ようやく眠れると、電気を消そうと体を起こし、紐を手に取った瞬間。

 

「此方見張り台、此方見張り台。応答願いますッ!」

 

司令室に備えられている無線機から、見張り台の憲兵による無線が入った。その声は焦りに染められており、朝霧は嫌な予感が胸を過ぎった。ソファーから飛び起きると、飛び込むように無線機に走り通話ボタンを押す。

 

「此方司令室、どったの」

 

「鎮守府正面海域に敵影確認……距離凡そ二海里!」

 

「数は?」

 

「此方から見ても……測定不能です!兎に角夥しい量の……」

 

「分かった、すぐ戻ってきて」

 

朝霧は同時に右手を振り上げ、サイレンを鳴らすボタンへと腕を振り下ろした。けたたましいサイレンが早朝の横浜鎮守府に鳴り響く。宿舎に居た艦娘はほぼ同時に飛び起き、寝巻きから艤装へと切り替える。その中に文句を言う艦娘は一人も居らず、皆真剣な面持ちで部屋を飛び出した。

 

「ドックの道中でいいから聞いてくれ、正面海域に測定不能数の深海棲艦を観測した。敵艦種は不明。今から編成を言うからそれで出撃してくれ」

 

第一主力部隊となった、瑞鶴、翔鶴、金剛、榛名、霧島、龍驤。

第二部隊となった、利根、筑摩、羽黒、隼鷹、山城、川内。

第三部隊となった、鈴谷、熊野、那智、飛鷹、扶桑、神通。

第四部隊となった、陽炎、不知火、夕立、時雨、睦月、如月の第七駆逐隊の面々で編成が組まれ、兎に角見張り台より此方に入れさせるなと指示を受け、抜錨していった。

 

「吹雪と那珂は出撃ドックで待機!大破者が出て帰還したら入れ替わりで出撃!」

 

 

そして、伊号潜水艦の面々は、出撃前に司令室へと呼び出されていた。

 

「なーに提督!」

 

「すまんね、重要な事を頼むのはいつもお前らになってる」

 

「頼られてるのは気分が良いです」

 

「じゃあ概要を説明する」

 

朝霧は正面海域の地図を手に取ると、テーブルに叩き付けた。鎮守府の正面は、鎮守府を頂点とした逆三角形の地形になっている。そして、そこの見張り台は底辺部分に設置されており、その底辺部分を赤線で引く。

 

「先ず此処がデッドライン。此処より踏み込まれると鎮守府に砲撃が当たる。するとお前らの飯も寝るとこも無くなるからきばれよー」

 

「此処を死守すればいいのね!」

 

「いや、数が多すぎるから防戦一方になる。燃料を消費して枯渇したとこにドスンよ」

 

「じゃあどうするの」

 

「横須賀に援軍要請を出しといた。上手くいけば挟める」

 

「それまで何とかする!なのね!」

 

「これは万が一……と言うか、逆に言うならお前らが本命であいつらは時間稼ぎかな」

 

「どういうこと?」

 

「多分あいつらだけじゃ押し切られる。横須賀のと挟めてもこっちは限りある燃料で戦ってっからねえ、だから」

 

朝霧は赤線の少し先、恐らく交戦地帯になるであろう場所に×印を付ける。そしてその上から二本の縦線を少し間隔を空け書いていく。

 

「あいつらが持ちこたえてくれるなら、此処に深海棲艦は居る筈よ。そいで輸送用のドラム缶十つにありったけの爆薬を詰める。明石に手伝ってもらうように言ってあるから、後は百メートルの紐でドラム缶を括って、等間隔で並べる、それをこの線上に仕掛けていけ」

 

「それを持って潜るの?」

 

「そう、一個一個浮かしたら敵に怪しまれるからねえ。全部括り終わったら両端を二人ずつ一気に引き上げる、そいで海上に浮いた後はドラム缶に魚雷を撃ち込みまくれ。誘爆で深海棲艦を巻き込んで燃え広がる」

 

「魚雷外すかもなの、それに此処に深海棲艦が居なかったら?」

 

「もし外してもあいつらが撃ち込んでくれるよ、もし居なくても水中で待機。あいつらなら絶対あの場所で深海棲艦を足止めしてくれる」

 

「オッケーなの!」

 

「ほんと理解が早くて助かる、お前らの危険は爆弾を引き上げた瞬間、海上に姿を見せることになるからな」

 

「大丈夫!イク頑張るの!」

 

「みんなもいいか?」

 

「「はい!」」

 

四人は敬礼し、返事をすると踵を返し、準備する為に工廠へと走っていった。朝霧はソファーに腰掛けると、再び正面海域地図に目を落とした。判断の遅さは命取りになる。今や横浜鎮守府の秘密工作艦隊となりつつある伊号潜水艦に下す指示は、最も早くなければならない。この急造の作戦には穴が多数ある。もし予想より早く突破されたら、もし敵に潜水艦が居たら、海底に潜った後に一気に進行されてしまったら。等々作戦を煮詰めたい部分もあったが、この様な防衛戦では悠長に考えている暇は無い。後は伊号潜水艦と出撃部隊の臨機応変な対応に期待し、無線機の前へと歩み寄った。司令室から、続々と海へと抜錨していくことを備え付けのディスプレイで確認すると、無線機を使い艦娘達に概要を伝えていく。

 

「正攻法じゃ無理だ。伊号潜水艦が水中から爆薬入りのドラム缶で中心の深海棲艦を吹っ飛ばす。横須賀の支援部隊と何とか見張り台前で食い止めてくれ。第一部隊は正面!第二部隊は左翼!第三部隊は右翼!第四部隊は後方で他の隊の援護!突破されそうな場所に駆けつけろ!」

 

「第一部隊旗艦瑞鶴、了解よ。任せて」

 

「第二部隊旗艦利根、了解じゃ!」

 

「第三部隊旗艦鈴谷、了解っしょ!」

 

「第四部隊旗艦陽炎、まっかせてー!」

 

「もし大破したなら帰って来い。絶対に無理はするなよ」

 

先行した第一部隊の瑞鶴は、見張り台まで辿り着くと既に深海棲艦が目視まで迫って来ていた。瑞鶴、翔鶴、龍驤の空母部隊は真っ先に艦載機を放ち、敵数と敵艦種の確認に出る。海上を地平線から顔を出した朝日が照らし、雲無いその日は敵影を確認するには粗方目視で可能であったが、正確な数の把握の為に艦載機を放っていた。

 

「何としても此処で食い止めるわよ」

 

「やな!」

 

「敵……凡そですが駆逐艦四十!軽巡四十!重巡が二十!戦艦が十!空母が十!鬼、姫は見当たりません!」

 

翔鶴の報告を聞き、とりあえず胸を撫で下ろした朝霧だったが、胸にある不安はまだまだ消えなかった。恐らく無駄弾を使わずに全弾を敵深海棲艦に命中させても、その全てを殲滅することは不可能である。其処で潜水艦部隊の出番だったが、相手が対潜水艦の爆雷を投射して来たなら、頓挫してしまう程その作戦には危うさがあった。しかし、司令室での朝霧に出来ることは的確な指示のみであり、後は艦娘達を信じるしかなかった。

 

「……翔鶴、敵の隊列は?」

 

「基本的に全艦種混合の単縦陣です。やはり目標は鎮守府正面のようです」

 

「了解、気を抜かずに」

 

「はい」

 

無線機から手を離し、眼前の椅子に腰掛けると胸ポケットから煙草を取り出し火を点ける。何時も通りの白い天井を見上げると、今日と同じく鎮守府の全艦娘が抜錨して行ったあの日の光景が浮かび上がる。敵艦に脅威と成り得る存在は確認できず、現在位置も撤退が直ぐ可能な鎮守府正面海域。しかし、戦いは非情であり、戦場では予想外の出来事が起こり続けることを朝霧は深く理解していた。朝霧は非常事態が起こらないことを祈りながら、無線機の受信ランプを見つめ続けていた。正面へ鎮座する第一部隊は、旗艦瑞鶴の指示により一斉射撃が開始された。

 

「じゃあ行くわ!第一次攻撃隊。発艦始め!」

 

「行きますヨ!My Sister達!撃ちます!Fire~!」

 

「はい!金剛お姉さま!」

 

左翼に回り込んだ第二部隊は、利根と筑摩の水上偵察機、山城の瑞雲により敵深海棲艦の位置を正確に把握すると、旗艦利根の合図により一斉掃射の指示が出された。

 

「行くぞ!第二部隊!砲撃開始じゃ!」

 

それと同時に右翼に展開していた第三部隊の鈴谷と熊野、扶桑により偵察が行われ、直後砲撃が開始される。

 

「行くよー!鈴谷の部隊!全艦砲撃始め!」

 

この瞬間より、朝霧が今回着任して初めての大規模作戦が開始された。



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横浜鎮守府防衛ライン死守戦

深海棲艦は艦娘達の位置を把握し、その脅威を認めると進軍を止め空母から夥しい量の艦載機が発艦される。第二部隊と第三部隊の第一砲撃は、駆逐艦や軽巡が殆ど盾のように使われ、大半がそれに阻まれていた。成果として駆逐艦を八隻、軽巡を四隻轟沈させたが深海棲艦側からすれば痛手ではない。直後その後方から脅威となりえる重巡や戦艦の挟叉が始まった。空母によって放たれた艦載機は本命の空母や戦艦へ向かい翔けて行くが、空母ヲ級によって放たれた艦載機に阻まれる。間を抜けた数機の艦載機が砲撃を開始するが、二隻のヲ級を少破に追いやっただけに終わった。戦艦による砲撃もはやり駆逐艦に阻まれ、駆逐艦を三隻沈めただけに終わる。瑞鶴は偵察機より、敵に大した数の被害を与えてられていないことを確認すると、第二次砲撃の指示を出す。

 

「く……第二次攻撃隊。発艦始め!」

 

瑞鶴は今までの経験と知識を持って現状の打破を考え抜いていた。弾薬や艦載機には限りがある。それを使い切ってしまうと撤退を余儀なくされ、正面を請け負っている自分達が撤退してしまうと一気に攻め込まれる可能性がある。しかし、出し惜しみしていても押し切られてしまう。背後から第七駆逐隊による援護が行われているが、駆逐艦の砲撃では精々敵駆逐艦を沈めるのが関の山だった。第二、第三部隊とのローテーションを考えたが、此方が切れる頃には他の部隊の弾薬も底を突いているだろう。砲撃は全艦同時に行う為、一隻一隻戻るのでは時間がかかりすぎ、かといって砲撃のタイミングをずらしていても圧倒的な数の深海棲艦に押し切られてしまう。現状可能な作戦は、兎に角全機全弾を使い食い止め、潜水艦の策に命運を託すことであった。

 

「絶対に食い止めるわッ!」

 

しかし、現実は理想通りにはいかない。

 

「きゃっ!」

 

「ッ!Shit!」

 

重巡と戦艦の砲弾が、翔鶴と金剛に砲弾が直撃する。同時に此方の艦載機の間を抜けてきた敵艦載機が上空を舞い、やがて爆撃を投下し始める。

 

「総員回避ッ!」

 

第一部隊は爆撃の間をすり抜けながらも、艦載機や砲撃で応戦し続ける。しかし、前面に出ている駆逐艦や軽巡の攻撃が空母部隊を襲い始め、戦況が押され始める。

 

「もうッ!鬱陶しい!翔鶴姉大丈夫ッ!?」

 

「何とかいけるわッ!」

 

「当たったら一大事やで!」

 

空母の場合駆逐艦といえど、砲撃を受けてしまえば無傷ではいられない。破損が蓄積し、やがて駆逐艦や軽巡の砲撃で大きな損傷を負う様になる。軽空母の龍驤は装甲が薄い為、駆逐艦の砲撃でも大事になる恐れがあった。

 

「Me達に任せるネッ!」

 

そこで装甲が厚く、駆逐艦の砲撃程度ならば大きな痛手にはならない戦艦三人が前に進み出る。装甲と火力を兼ね備えた金剛達は、邪魔になっている駆逐艦や軽巡を確実に沈めていく。

そこに間髪いれず、空母部隊も艦載機を発艦し続ける。

第二部隊、第三部隊の軽空母隼鷹、飛鷹も重巡や戦艦の陰に隠れ、持てる限りの艦載機を発艦する。三つの部隊の戦艦や重巡は確実に駆逐艦や軽巡を沈めて行き、戦況を持ち直す。空母ヲ級による艦載機も、主力空母が一隻で踏ん張っている他部隊の分まで撃ち落していく。しかし、全ての艦載機を落としきることは不可能に近く、撃ち漏らした敵艦載機が第二部隊と第三部隊を襲う。

 

「川内ちゃん大丈夫ッ!?」

 

「ちょい……きついかも」

 

「不幸だわ……もうッ!」

 

「くっ……私をこのような格好に……!」

 

「熊野ッ!みんなも大丈夫!?」

 

「私は大丈夫だが……敵戦艦の砲撃で熊野が大破ッ!」

 

敵位置は作戦通り食い止めているものの、徐々に各隊に損耗が出始めていた。やがて弾薬が半分を切り、その時点で敵駆逐艦や軽巡の数は半分近くまで減りつつある。残りの弾で重巡や戦艦は落としきることは不可能に近いが、この時点で瑞鶴は現在工廠で作業中の潜水艦の爆薬により敵を殲滅出来る算段がついていた。

 

「敵駆逐艦と軽巡を半分落としたわ、此方の弾も半分ってとこかしら」

 

「各艦の被害状況を」

 

「……ちょっときつめね。翔鶴姉が中破、艦載機はまだ発艦出来るわ、後は金剛が中破、他全員小破よ」

 

「第二部隊!我輩は大丈夫じゃが、筑摩が中破じゃ!他も小破!川内が大破ッ!撤退指示を出しておるから那珂を出撃させてくれッ!」

 

「了解。那珂!」

 

「はいー!那珂ちゃんにお任せー!」

 

「第三部隊!熊野が大破したから帰還させたよッ!後はみんな中破と小破!」

 

「了解、吹雪!行けるか!」

 

「はい!吹雪抜錨します!」

 

「第四部隊!みんな小破以下よ!」

 

「了解、そろそろ第一部隊の弾が切れる、ふんばれよ」

 

朝霧は指示を終えると椅子に腰掛け、両手で目元を押さえると地団太を踏む。徐々に戦艦や重巡達の装甲に損傷が溜まり始める。駆逐艦や軽巡を蹴散らした後に出てくる重巡や戦艦の砲撃は非常に脅威になる。

 

「……急げよ……イク……」

 

一方工廠では、着々とドラム缶の準備が進められている。明石は的確な指示を出し、伊19らは爆弾と化したドラム缶をロープで縛っていく。

 

「急ぐのねみんな!」

 

「頑張るでち!」

 

「もう少しね」

 

「こっちは終わりそうよ」

 

作業が終盤に差し掛かった時点で、膠着状態であった正面海域の第二部隊、第三部隊に動きがあった。那珂と吹雪が合流し、敵駆逐艦を残り十隻近くまで減らした時点で、戦艦や重巡が眼前に姿を現したのだ。敵は間髪入れず砲撃を行い、邪魔な戦艦や重巡を確実に沈める算段だった。

 

「本命の登場じゃな……ッ羽黒!」

 

「きゃッ!」

 

「きっつー……本腰入れるよ!」

 

「まずッ!敵機直上よ!気をつけて!」

 

全艦娘の残弾が残り僅かであり、損害が蓄積され続けている戦艦や重巡は機動力を失い、その砲撃や艦載機の爆撃が直撃する。更に正面の空母部隊では賄いきれなくなった艦載機が第二、第三部隊を襲う。小破だった者は中破、そして大破していき、一気に戦況が覆ることになった。鈴谷は隊の状況を確認するが、皆弾が底を突きそうなのに加え、前線で耐え忍んでいた自分と扶桑の二人が大破したことにより、撤退を考える。第二部隊も利根、筑摩、隼鷹が大破し、撤退を余儀なくされていた。しかし、今此処で撤退してしまえば数の利で押され部隊は壊滅し、敵の砲撃は全て正面の第一部隊に向く。そうなれば押し切られてしまうのは必然であり、撤退の選択を捨てざるを得なかった。もし朝霧に判断を仰げば撤退命令が下るのは分かっていたので、利根は筑摩と隼鷹を後方に下げる。大破状態であろうと、隊として形さえ保っていればハッタリも効くと利根は考えていた。

 

「山城ッ!羽黒ッ!ふんばれるかの!那珂は援護じゃ!」

 

「やるわ!姉さまのためにも!」

 

「任せて下さい!」

 

「今日だけはセンター譲ってあげる!」

 

一方の鈴谷も利根と全く同じことを考えており、大破していた扶桑と共に下がり、残った那智達に前線の死守を委ねる。

 

「行くぞ!」

 

「はい!」

 

敵の正面攻撃を受け続けた第一部隊は轟沈者こそ出ていないものの、他部隊の倍の数の戦艦や重巡を相手に取っており、戦艦全艦大破と何時押し切られてもおかしくは無かった。

 

「不味いわ……もう艦載機が……」

 

「ッ!敵機確認!」

 

休み無く発艦され続ける艦載機に、ついに対応しきれなくなった瑞鶴は朝霧に判断を仰ぐことを考えたが、夥しい量の艦載機が此方に向かい放たれていた。一瞬絶望の文字が瑞鶴の脳裏を過ぎる。今背を向けても蜂の巣になるだけであった。

かといって此処に棒立ちしていても、それの結末は余りに分かりきってる。

 

 

「お待たせしましたッ!」

 

その瞬間、瑞鶴の無線に聞きなれた声が届く。同時に上空を舞っていた敵艦載機が、見覚えのある日の丸印が刻まれた艦載機によって次々と撃ち落とされていく。瑞鶴達の向かい、深海棲艦を挟んだ形で到着した横須賀の支援艦隊の砲撃が次々と深海棲艦を薙ぎ倒していく。

 

「ッ!大破者は撤退!後はこっちに合流!正面で全部食い止めるわッ!」

 

支援艦隊の到着を確認した瑞鶴は、大破者の即刻撤退を命じる。この瑞鶴の命令時点で大破していなかった者は、遅れて抜錨した那珂と吹雪、加えて飛鷹のみであった。ほぼ全艦が撤退していくのを認めた深海棲艦は、そのまま押し切ることを考えたが、後方の支援艦隊によってそれを阻まれていた。赤城を旗艦としたその支援艦隊は、赤城、加賀、千歳、千代田、青葉、衣笠と空母を中心に編成されており、航空戦で不利が生まれることを危惧した朝霧の編成だった。

 

「みんな!待たせたのね!」

 

その無線を聞いた瞬間手に握っている弓を引き、大破者が帰還したことを確認すると瑞鶴は残りの艦載機を全て発艦する。

 

「全機発艦ッ!任せたわよ潜水艦のみんな!それに第七駆逐隊!」

 

持ちえる艦載機を全て発艦した空母部隊は同じく撤退し、正面海域のデッドラインに立っているのは第七駆逐隊、そして吹雪、那珂のみであった。普通なら即押し切られる編成であったが、支援艦隊の圧倒的な空爆によりそれを食い止めていた。陽炎は目視で敵艦を確認し、戦艦や空母ヲ級が相当数残っていることに気付き、支援艦隊の攻撃のみでは殲滅に至らない事を把握し、潜水艦による作戦の成就を願った。その願いが届いたのか、既に目的地点の海底まで辿り着いていた潜水艦が海上へと顔を出し、ドラム缶を引っ張り上げる。敵編成に高度な知能を持った個体は居ないことが功を奏し、残った駆逐艦や軽巡はドラム缶より潜水艦へと目が向く。

 

「みんな気合入れるのね!」

 

伊19は引っ張り上げたドラム缶が何らかのアクシデントで爆発しないことを想定し、再び海に沈んでしまうことを恐れとある指示を出していた。潜水艦の面々は再び海中に身を潜めると、近くの軽巡や重巡に忍び寄り、直接その紐を結びつけ始める。これは暴挙にも近く、爆雷を放たれれば直撃し大破する恐れがあった。しかし、伊19は海面に浮いたドラム缶に魚雷を命中させる確率より、海上の仲間がドラム缶を撃ち抜いてくれる確率を取った。一度潜水艦として姿を認められれば、次に顔を出すのがより困難になる。仲間を信じた結果、より成功の可能性の高い作戦を選んでいた。それは素早く遂行された作戦だった為、全ての紐を結びつける事に成功したが、案の定撤退する瞬間投下された爆雷は、伊19と伊8に直撃した。

 

「はっちゃん!」

 

「イク!」

 

伊168と伊58は素早く二人に駆けつける。ほぼゼロ距離で命中した爆雷は二人の艤装を完全に破損させていた。次の爆雷が来る前に伊58と伊168は二人を抱きかかえると、その作戦の成功を海上の仲間に託し、鎮守府へと撤退した。その過程の報告を受けた陽炎は、敵深海棲艦の中心に浮かぶドラム缶の姿を確認した。深海棲艦に直接括りつけられている為、移動してしまえば作戦は無為に終わる。

 

「悠長にしてる時間は無いわッ!ドラム缶を狙いなさい!」

 

第七駆逐隊の面々は一斉に射撃を始め、狙いをドラム缶へと定める。支援艦隊には空母と戦艦の相手を任せ、自分達はドラム缶へと集中していた。

 

「当たらないっぽい!」

 

「ッ……時間が無いのにねッ!」

 

海の上に鎮座する深海棲艦に砲撃を命中させる事すら困難である。それを波に揺られ、海面を上下している小さなドラム缶にピンポイントで命中させるのは至難の業であった。残弾も底を突く寸前で、紐が括りつけられている深海棲艦を直接沈めるのも不可能に近かった。

 

「どうするの!?陽炎ッ!」

 

時雨は焦りを含んだ声を陽炎にぶつける。他の面々も口には出さないがその表情には焦りを浮かべており、旗艦である陽炎に視線を集める。陽炎は乾く唇を舌で濡らすと、唸りながら第七駆逐隊の前に出る。

 

「ッ……やるしかないわッ!」

 

時間が無い為打開策を考え付くことが出来ず、苦肉の策を取ることを決める。これを提案すると、皆が羽交い絞めにしてでも自分を止めようとすることが分かっていたので、陽炎は何も言わず進路を前方へ向ける。

 

「陽炎……何を……?」

 

「ごめんね、不知火。後で怒られてあげるから」

 

陽炎は深海棲艦の蠢く中心、その直下のドラム缶へと進路を定めると、その一歩を踏み出した。やがて残り燃料の全てを使う勢いで加速し、深海棲艦との距離を全力で詰め始めた。

 



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横浜鎮守府防衛ライン死守戦 終結

「陽炎ッ!」

 

不知火は遠ざかっていく陽炎の後姿に思わず右手を伸ばすが、直ぐに後ろへ翳し面々を諌める。陽炎の目的は言わずもがな理解していた。此処で皆で陽炎を援護しようと突撃してしまうと敵の注意が全て此方に向いてしまう可能性がある。単艦なら敵の注意も向き辛いであろう。

後でこってり絞ることを心に決めると、その障害物と成り得る駆逐艦や軽巡に砲台を向ける。

 

「陽炎を援護します。ラストチャンスですから残弾を全て使い切りましょう」

 

不知火は振り向き皆の顔を見渡すと、不満そうな表情を浮かべながらも、陽炎を信じて副砲を敵へ向けたのを確認し穏やかな表情で呟く。

 

「良い仲間に巡り会えたものですね、陽炎」

 

既に深海棲艦との距離を半分近くまで詰めている陽炎の背中を見据えると、接触しそうな艦に狙いを定め砲撃を放つ。それを背に感じた陽炎は、砲台から伸びているアームのトリガーを強く握る。陽炎の存在を危惧した駆逐艦が砲撃を放ってくるが、駆逐艦の長所でもある速力を駆使し、蛇行を繰り返しながら確実にドラム缶が狙える距離へと詰めていく。

 

(撃てて二発……絶対に外せないわ)

 

不知火らの援護もあり、砲撃が直撃する事無くその場所まで辿り着いた。爆発に巻き込まれない範囲かつ、確実に狙える距離まで近付くということは、深海棲艦と目と鼻の先で狙いを定めることになる。しかし、託していった仲間の為にも陽炎は強い決心で主砲をドラム缶へと向ける。演習や修練で何度もやった、目標物への砲撃。自分に注意が向いている駆逐艦は二隻、軽巡が一隻。不知火達の砲撃のお陰で此方に砲撃が向くことは無いが悠長にしている時間は到底無い。少し震える右手を押さえつけると、覚悟を決めトリガーに指をかける。

 

「よしッ!」

 

波が一瞬穏やかになり、ドラム缶の動きが静止した瞬間、トリガーにかけた指に力を込める。

それとほぼ同時であった。

 

「陽炎ッ!」

 

普段声を荒げることの無い不知火の焦燥にまみれた声が、無線の奥から陽炎の脳内を突き抜ける。トリガーを引くと同時に、陽炎は強い衝撃に襲われた。目の前がぼやけ、頭が打ち付けられた様な感覚に陥り、体が真横へ吹き飛ばされる。放たれた砲撃は見当違いの方向へ向かい、何も無い海面に水飛沫を上げるだけに終わった。遥か斜め前方からの重巡リ級による砲撃が、陽炎に直撃する。頼りの主砲は煙を上げながら大破し、陽炎は海上を転がりながら海面に叩き付けられた。不知火は陽炎を助けようとその進路を陽炎に向けようとした直前、無線から消え入りそうな陽炎の声が届いたのに気付いた。

 

「だい……じょうぶ……」

 

陽炎は歯を食いしばり、半分沈みかけた右足を海に突き立ち上がると、未だ無事だった魚雷管をドラム缶へ向ける。伊19らが魚雷でドラム缶を狙うのを拒んだように、魚雷を直接命中させるのは至難の業であった。

 

「奇跡くらい……起こりなさいよ……ッ!」

 

酸素魚雷を四本、ドラム缶へ向けて発射すると同時に、陽炎の体を崩れ落ち、海へと倒れこんだ。それを見た不知火らは全力で陽炎の下へと滑走していく。陽炎によって放たれた魚雷は、白い泡を上げながらドラム缶へと一直線に向かって行く。しかし、波に揺られたドラム缶がその進路からずれ、魚雷の先が向かう先から外れたのを陽炎は倒れながらも目撃する。

 

「駄目……なの……」

 

陽炎は落胆し、此方に砲台を向けている駆逐艦や軽巡の姿を見た後その顔を伏せる。

それは幾重にも重なった偶然だった。陽炎が発射した魚雷を避けようと駆逐艦がその場所からずれた。更に不知火達が此方へ駆けているのを見た軽巡が砲撃を向ける。

その砲撃の射線上から避けようとした駆逐艦がその場所から戻った瞬間、魚雷とドラム缶が交わった。直後、腹部まで響き渡る轟音と共に、ドラム缶が爆発を起こし、近くに居た深海棲艦を巻き込み大炎上を起こす。それに誘爆したドラム缶からも爆発が起き、次々に火柱が上がる。やがて深海棲艦の中心から空に向かい、黒煙と火花が吹き出し、未だ残っていた深海棲艦を木っ端微塵に吹き飛ばし、その場所に残っているのは灰と焦げた金属の塊のみとなった。

陽炎は爆風で少し後方へと吹き飛ばされ、その意識を失おうとしていた瞬間、自分の正面に最も信頼している相棒の顔が映ったのを確認し、安堵するとゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

「今回の作戦についての報告よ」

 

未だごった返している入渠ドックに入ることを後回しにし、被害と戦果をまとめた瑞鶴は司令室へ訪れていた。

 

「ご苦労さん、とりあえず入渠状況は?」

 

「被害が酷い艦から先に入って貰ってるわ、一応救急だったのは陽炎だけ。他はみんな一応元気だけどバケツは使う?」

 

「第一部隊には全員バケツ。他はキリが無いからな。我慢してくれ」

 

「そうね。敵深海棲艦は全ての轟沈を確認。大破者は多かったけど轟沈者は居らずよ」

 

「了解。横須賀の支援部隊には少しの間こっちに居てもらってくれ。万が一ね」

 

「伝えておくわ……まあ、流石って言っておこうかしら。これだけの深海棲艦の数に攻められて鎮守府に被害無し、轟沈者無しなんてのはね」

 

「いや、運が良かっただけよ、時間が無くてももっと作戦を煮詰められた」

 

朝霧は腰掛けていた司令の椅子から立ち上がると、煙草を咥えながらソファーに腰掛ける。

顎で対面を指し、瑞鶴に座るように促す。瑞鶴は手に取っていた手書きの報告書を、中央のテーブルに放るとソファーへと腰を下ろす。

 

「そうかしら?」

 

「おうよ。陽炎に特攻させなくてもこっちが状況を理解して支援部隊になんとかドラム缶を撃ち抜いて貰うべきだった。どうも無線報告だけじゃ状況を理解するのは難しいんよな。カメラでもつけてくれたらいいのに」

 

「無い物強請りしないの。で、独断行動を取った陽炎にはお咎め無し?」

 

「俺がしなくてもどうせ不知火にきつーいお説教貰うだろ」

 

事実入渠ドックに入り意識を取り戻した陽炎は、不知火と顔を合わせるのが恐怖であった。

この後あの不知火からこってり絞られると思うと、一生ドックに籠っていたい気分に陥っていた。

 

「まあ大きな被害無く終わって良かったわ。それじゃ、ちょっと休んでくるわね」

 

瑞鶴が司令室から出て行くのを見送った朝霧は、今回使用した弾薬や燃料の数を聞きに行く気になれず、ソファーに寝転がり続けた。全艦娘が弾薬をほぼ持てる限り使いきり、燃料も全て消費し、更に殆どが大破しており、修復に使う鋼材など、莫大な数の資材を消費したのだ。しかし、敵深海棲艦を全艦轟沈させた戦果もあり、いくつかの資材は大本営から援助されるのだが、全てを埋め合わせするには足りなかった。

 

「……あー……鬱になる……」

 

金剛が入渠を終えたら慰めて貰おうと決心し、報告などの事務仕事が山積みであったが徹夜明けの眠気には勝てず、そのままソファーで泥のように眠り始めた。

 



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彼を想うのは

「はぁ……」

 

「提督さんさっきから溜息ばかりっぽい!と言うより最近溜息ばかりって時雨も言ってたよ!」

 

「……はぁ」

 

朝霧は握り締めていた書類をデスクに叩き付けると、顔面を書類の上からデスクに埋める。その日秘書艦であった夕立は、初めての秘書艦の仕事に悪戦苦闘しながら書類に噛み付いていた。鎮守府襲撃から四日経った日の夕暮れ。全ての艦娘が入渠を終え、その間に大きな襲撃も無く滞りなく作戦は終結していた。資材の埋め合わせは大本営の支援では足りないものだと高を括っていたが、その功績を称えられ消費した資材は全て賄われる事になった。悩みの種が一つ消えたのだが、もう一つの悩みの種が朝霧の脳内をぐるぐる回り、仕事に手がつけられない状態にあった。資材調達の旨が書かれた書類と共に同封されていたのは、以前申請していたケッコンカッコカリの指輪だった。本物のプロポーズ時に使用されるもののように、高価な箱に内包された指輪。飾り気が無く、白銀の簡素なリングを誰に渡すものかと、先日から一日中考えていた。

 

「あー……んー……」

 

艦娘の高まりきった練度を引き上げる為に使用される指輪を貰う資格がある艦娘は、この鎮守府内に二人居た。かつてより朝霧の下で指揮を受け続けていた瑞鶴と翔鶴であった。龍驤はあの作戦の直後、海に出る事を控え実践から遠ざかっていた為、その練度までは後一歩足りていなかった。意味を成さないだけで、信頼の証として練度が足りていない艦娘に渡すことも可能だったのが、朝霧の悩みの種だった。

 

「どうしたもんかねえ……」

 

先程から何度も引き出しを開け、中に置かれているリングを見つめ溜息を吐く。

夕立が書類仕事の捗らなさに怒りを爆発させる寸前、司令室のドアがノックと同時に開き、その先から明石が部屋の中に飛び込んでくる。

 

「失礼します!」

 

「それノックの意味無くない」

 

「いやあ失礼しました。提督が何やら恋煩いで仕事に手がつかないと苦情が出ているみたいなので!」

 

「別にしてないけど」

 

「またまたぁ、そんな提督に良い物を作りましたよ!」

 

明石は手に握っていた黒い縁に度の入っていない何の変哲も無いメガネを朝霧の前に突き出す。

 

「三日かけて作りました!艦娘の提督に対する信頼度と好感度を見ることの出来るメガネです!」

 

「なんかどっかで聞いたようなメガネだな。人の気持ちを勝手に見るような非人道的なもの作っていいの」

 

「まさか、直接人の気持ちなんて見ることは不可能ですよ。いいですか、このメガネは――」

 

明石曰く、艦娘の艤装には特別な力が宿る。艦娘は自分の艤装を信じ、艤装には艦娘を守る力があったりと、一心同体の関係である。その艤装には人間には見えないが、艦娘からは妖精さんと呼ばれているものが宿っている。共に戦い続けた艤装には、艦娘の強い想いが宿っている。

 

「このメガネにも妖精さんが宿っています。その妖精さんを通して艤装をつけている艦娘を見ると、艤装の妖精さんを通してその艦娘の想いを知ることが出来るのです!」

 

「妖精さんねえ……」

 

朝霧は半信半疑でメガネを受け取ると、直ぐにメガネをかけ、レンズを通し明石と夕立を見る。艤装をつけていない二人を見ても何も起こらず、至って普通の伊達メガネだった。

 

「艤装をつけている艦娘を見ると分かる筈ですよ!そのメガネの妖精さんには、見た艦娘の提督に対する提督としての信頼度、貴方自身に対する好感度を教えて貰えるように取引してあります!」

 

「……これが本当なら世紀の大発明じゃないの」

 

「いえ、ただ見れるだけなので、他の使い道はないですよ」

 

(それでも凄いんじゃ……)

 

朝霧はその日の予定を思い出し、もう少しで近海へ遠征のために出撃していた第六駆逐隊が帰還することを思い出した。

 

「まあ……試しにね。夕立ー、任せたぞー」

 

「提督さんだけずるいっぽい!夕立も行く!」

 

「流石に司令室に誰も居ないのは不味いでしょ」

 

「ぶー」

 

夕立は頬を膨らませながら駄々をこねていたが、今サボってしまえば今日中に書類仕事が終わらないことも理解していたので、やがてペンを握り書類と睨めっこを始めた。

 

「では!頑張ってくださいね!」

 

明石は笑顔を浮かべながら司令室を後にし、朝霧はその背中を見送ると、第六駆逐隊が戻ってくるはずの出撃ドックへと足を向けた。すれ違う艦娘皆にからかわれながらも、出撃ドックへ着いた朝霧は時計に目を移し、じき戻って来る時間であることを確認すると、壁に寄りかかり帰りを待った。凡そ五分ほどで出撃ドックに姿を見せた第六駆逐隊は、朝霧の姿を見ると嬉しそうに声を上げ手を振った。朝霧は手を振り替えすと、真っ先に陸に上がり、自分の目の前まで走ってきた雷の艤装を見つめる。

 

「あれ、どうしたの司令。そのメガネ」

 

「いや、ちょっとな。もう海は慣れたか」

 

「うん!司令官のお陰よ!」

 

その時、メガネのレンズの端に、小さな人の形をした物体が映った。

 

(うお……)

 

思わず声を上げそうになるが、悲鳴を飲み込むとその物体を見つめる。これが明石の言っていた妖精さんだろうか、直後その妖精さんの声が頭に響いてきた気がした。

 

『どうも、駆逐艦雷の貴方への信頼度は高。好感度は高です』

 

(んー……まあ、好かれてるのか)

 

「そうか。みんな何かあったら言えよー」

 

どの基準で高なのかは分からなかったが、続けて隣に居た暁の艤装を見つめる。

 

『駆逐艦暁の貴方への信頼度は中。好感度は中です』

 

(あれ、暁の好感度は普通位なのか……そんなに話してないからか)

 

そのメガネが本物だと分かると、次第に好奇心が湧き、電、響と視線を移していく。

 

『駆逐艦電の貴方への信頼度は高。好感度は中です』

 

(提督としては信頼されてるけど、人間としてはまだ距離があるのか……)

 

『駆逐艦響の貴方への信頼度は中。好感度は中です』

 

(響は暁と同じくらいか。みんなそこそこ提督としては信頼してるけど。人間関係としてはまだ中くらいか)

 

「それじゃ、皆で休んでるわね!」

 

「おう、お疲れ」

 

背を向け艤装を返却していく第六駆逐隊を見ながら、朝霧は次の行き先を考えていた。その指標に高が存在する時点で、低も存在することを理解した朝霧は少し躊躇ったが、好奇心には勝てず次の艦娘を探すべく入渠ドックへと向かった。道中、入渠を終えたであろう川内とすれ違った。川内は艤装を出撃ドックへと返却する為なのか、艤装を背負ったままであった。

 

「あれ、提督じゃん。何そのメガネ」

 

「んー。ちょっとイメチェン」

 

「似合ってないよー」

 

ケラケラと笑う川内の艤装を見つめると、再び妖精さんの声が頭の中に響く。

 

『軽巡洋艦川内の貴方への信頼度は中。好感度は激低です』

 

「低ッ!」

 

「ん?何?」

 

「いや……何でも」

 

(激低って何だよ……会ったばかりの時だったらどうなってたんだ……測定不能とか)

 

川内と別れてからは、艦娘達とすれ違うものの、皆艤装を背負っておらず確認することは出来なかった。辿り着いたドック前のディスプレイを確認すると、中に入っているのは昼過ぎの遠征で深海棲艦と対敵し、傷を負った第七駆逐隊の面々だった。夕立が秘書艦だった為、代わりに川内が加わっており、全艦小破の浅い傷だったが入渠時間を大幅に超えて入渠ドックへと入り浸っていた。中からは楽しそうな談笑が響いており、お風呂気分で浸っていることを朝霧は理解した。艤装が少しでも破損した場合は、入渠ドックに艤装と共に入る。律儀な艦娘は服を脱ぎ、艤装を抱えて入るのだが、大雑把な艦娘は皆艤装と服を身に着けたまま湯船に浸かっていた。基本的に駆逐艦は艤装をつけたまま入ることが多かった。朝霧はノックをしても聞こえないだろうとその扉を開けると、案の定面々は艤装をつけたまま湯船に浸かっていた。

 

(見てくださいと言わんばかりのシチュエーション!)

 

「ちょ……何よッ!」

 

いきなり開いた扉に全員が視線を向け、朝霧の姿を確認すると陽炎は胸元を腕で隠し叫び声を上げる。一方の時雨や不知火は特に気にしないといった様子で湯船に浸かり続けていた。

 

「どうしたんだい提督。そのメガネ」

 

「ん、これでみんなの艤装見たら俺への信頼度とか好感度が分かるらしいから。見に来た」

 

朝霧は最初に目を合わせていた時雨の艤装に視線を移す。

 

『駆逐艦時雨の貴方への信頼度は高。好感度は中です』

 

「どうだったの?」

 

「んー……まあ普通……なのか?」

 

「僕は提督のこと信頼してるよ」

 

「それ本人の前で言うものなの……?」

 

次は呆れ顔を浮かべていた陽炎へと視線を向ける。陽炎は咄嗟に艤装を見られないよう、朝霧から見えないような角度で湯船の底へと艤装を隠す。しかし、次の瞬間には、睦月と如月が陽炎へと飛びかかり、艤装を引っ張り上げられる。

 

「いやぁぁぁぁぁぁ!見ないでぇぇぇ!」

 

『駆逐艦陽炎の貴方への信頼度は高。好感度は激高です』

 

「へえー」

 

朝霧はしゃがみこみ、にやにやと陽炎を見つめると、陽炎を取り押さえている睦月、如月にも視線を移す。

 

『駆逐艦睦月の貴方への信頼度は中。好感度は高です』

 

『駆逐艦如月の貴方への信頼度は中。好感度は高です』

 

「睦月達はー!?」

 

「駆逐艦に好かれすぎじゃないのか……」

 

少なくとも第七駆逐隊の面々からは嫌われていないことを確認し、安心すると顔を真っ赤に染め此方を睨み続けている陽炎を宥める。

 

「いや誰にも言わないからさ」

 

「もうお嫁に行けないわ……」

 

ゆっくりと腰を上げると、最後に物言わず此方を見つめていた不知火と目を合わせる。

不知火は艤装こそ外し抱えていたものの、面倒だったのか服を脱がずに湯船の端に凭れ掛かっていた。

 

『駆逐艦不知火の貴方への信頼度は激高。好感度は激高です』

 

「ぶッ!」

 

「何々!どうだったの!?」

 

その結果に朝霧は思わず噴き出し、故障かと思いもう一度不知火を見つめる。しかし何度見ても結果は変わらず、不知火は表情を変えずに朝霧を見つめ続けている。

 

「……ぬいぬいそんなに俺のこと好きなの?」

 

「…………」

 

朝霧の発言に、陽炎は先程とは打って変わって元気を取り戻し立ち上がると、不敵な笑みを浮かべ不知火ににじり寄る。

 

「しーらーぬーいー!」

 

「何?」

 

「いやー!そうかー!不知火もだったのねー!」

 

不知火は陽炎の発言に反論しなかったが、代わりに陽炎の胸倉を掴むと湯船の反対側へと放り投げた。朝霧は何時も通りの不知火の表情かと思ったが、照れた為か少しの変化があったことに気付く。からかおうかとも思ったが、陽炎と同じ末路を辿ることは目に見えていた為すぐさま入渠ドックを後にした。

 



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彼を想うのは

入渠ドックを離れた後、この暑さの中工廠へ行ってみる気も起きず、他に行き場所も考えつけなかったため司令室へと足を向けていた。道中不知火の姿が頭にちらつき、その好意について漠然と考える。特別何かをした訳では無く、秘書艦の時に一緒に一日を過ごしたが、大きなアクシデントも無かった。

 

「……まあいいか。好かれて損なことはないし」

 

「Hey!提督ゥー!Tea Timeにしまショ!」

 

司令室がある最上階への階段を昇ろうと一段目に足をかけた時、頭上から金剛の声が響く。階段を見上げると、仁王立ちした金剛が笑顔で自分を見下ろしている姿が映った。

 

「いきなり悪いんだけど、艤装つけてくれ!」

 

先程の出来事を心の片隅に追いやると、正面の金剛を見据え頭を下げた。金剛は慌てて階段を駆け下りると、朝霧の肩に手を置く。

 

「What?そのメガネは……それに艤装デスカ?」

 

「嫌ならいいんだけど」

 

「いえ、よくわかりませんがOKデス!」

 

金剛から承諾を得ると、二人は出撃ドックへと再び足を運ぶ。お茶をしようと司令室を訪れたものの、朝霧が不在で探しに行こうと思っていた矢先に出くわしたと聞き、手間が省けたとレンズを通し金剛を見つめる。その横顔は何時も通りの表情だったが、朝霧から見て心なしか嬉しそうであった。

 

「なあ、瑞鶴とか翔鶴とか、何処行ったか知らない?」

 

「……工廠へ艦載機の整備に行ったそうデスヨ」

 

他の艦娘の話題を出された金剛は、眉を顰め口を噤み、その表情に不快感を表した。その事に気付いた朝霧は何とかご機嫌を取ろうとこの後お茶を飲むことを約束し、出撃ドックへの階段を降りる。ドックに辿り着くと、金剛は置かれている艤装を背負い朝霧と向き直す。

 

「これでOKデス?」

 

「ああ」

 

金剛の艤装を見つめると、先程までと同様メガネの端に妖精さんが映り、頭の中に声が響く。

 

『戦艦金剛の貴方への信頼度は中。好感度は激高です』

 

「んん?」

 

予想外の結果に首を傾げ、再び艤装を見つめるもその結果は変わらない。朝霧のその様子につられ金剛も首を傾げ、此方を覗き込む。

 

「どうしましタ?」

 

「いや……すまんかったな、ちょっと工廠に寄って直ぐ戻るから、お茶の準備しといて」

 

「……直ぐ戻って来てくださいヨ?あんまり他の娘と仲良くするのは許さないからネ!」

 

「分かってる分かってる」

 

未だ怪訝な表情を浮かべ、睨みつけてくる金剛を尻目に踵を返すと、工廠へ駆け足で向かう。

道中、メガネの妖精さんに問いかけようと、メガネを外しそのレンズを見つめる。

 

「えっと……妖精さん?」

 

『はい』

 

「見た通り金剛は俺に凄い懐いてるけど、あんまり信頼されてないの?」

 

『信頼度と好感度は別です。戦艦金剛は貴方に強い好意を抱いてはいますが、戦場を共にした回数はまだ一回だけです。得る信頼もないのでしょう』

 

「厳しいな……」

 

真夏の工廠に来る物好きは、艦載機の整備を日課としている空母か普段から居座っている明石だけである。工廠の前の扉に立つと、既に溢れだしてくる熱気に扉へ伸ばした手を思わず引っ込めるが、覚悟を決め取っ手に手を掛ける。再びメガネを掛け直すと、真夏の工廠への扉を開き、中から溢れてくる熱気に思わず顔を顰めるが、中に朝霧が一番知りたかった瑞鶴、翔鶴、龍驤の三人の姿があることを確認し、漂う熱気の中、腕を振り斬り進んでいく。額から汗を流し、見たことのない黒縁のメガネを掛けながら険しい表情を浮かべ歩み寄ってくる朝霧に、一同は顔を上げ互いに見合わせる。

 

「えっと……何それ?」

 

瑞鶴は薄ら笑いを浮かべると、目線を手元の艦載機に落とす。朝霧は瑞鶴の使っている弓が真横に置かれていることに気付き、レンズを通して見つめる。先程とは違い、朝霧は妖精さんは何やら唸っているように見えた。事実直ぐに返って来ていた妖精さんの声が無く、沈黙が続く。

 

『……はい、正規空母瑞鶴の貴方への信頼度は中。好感度は中です』

 

「んんん?」

 

朝霧は思わずメガネを外し、少し腰を落とすと椅子に腰かけている瑞鶴と目線を合わせる。

 

「何?」

 

「いや……んー」

 

瑞鶴とはかなり古い付き合いになり、例の一件があったものの既に信頼されているとばかり思っていたが、その予想とは裏腹の結果に肩を落とす。

 

「どうなの妖精さん」

 

『色々な気持ちが渦巻いているので難しかったですが、以前程の信頼はまだ得られていないそうです』

 

「……うい」

 

「何さっきから一人で呟いとんねん」

 

「そのメガネ似合ってますよ」

 

翔鶴は艦載機から視線を朝霧に向けると、普段を変わらぬ笑みを浮かべ、龍驤はやれやれと苦笑いを浮かべる。

 

「…………翔鶴はさ」

 

「はい?」

 

「俺が逃げ出した時、どう思った?」

 

この緩やかな雰囲気でその話題が振られると思ってもいなかった翔鶴は目を細め、表情が固まり真剣な眼差しを朝霧に向ける。

 

「悔しかったですね。私がもっと支えるべきだったんじゃないかと。私に貴方の横に立つ資格はないと思い塞ぎ込みました」

 

「龍驤は?」

 

一方の龍驤は、朝霧と談笑する時と同じ様な笑みを浮かべると、何時も通りの口調で返答する。

 

「まあその内帰ってくると思っとったわ。帰ってこんからわざわざ連れ戻しに行ったんやで」

 

朝霧は心を決めると、本命であった二人の艤装を見つめる。今度は瑞鶴と違い、メガネの端に映った妖精さんは此方にサムズアップし、ウィンクすると同時に声が響く。

 

『正規空母翔鶴の貴方への信頼度は激高。好感度は激高です』

 

『軽空母龍驤の貴方への信頼度は激高。好感度は激高です』

 

「……ふぅ、明石!」

 

「はいはーい!」

 

朝霧はメガネを外し、折りたたむと機材の陰から此方の様子を伺っていた明石にメガネを放る。明石は慌ててメガネを受け取ると、手元と交互に朝霧を見る。

 

「もういいんですか?」

 

「ああ。まあ暇つぶしにはなったかな」

 

「何の話や?」

 

「何でもないよ、龍驤は俺のことがだーいすきってことが分かったからいいや」

 

「何でそうなるんやっ!」

 

それは普段通りの光景だった。朝霧が龍驤をからかい、翔鶴がそれを見て顔を綻ばせる。瑞鶴はそれを宥め、やれやれと溜息を吐く。瑞鶴はそれを、第一部隊と朝霧の間で見た過去の光景と被らせる。二度と見ることは出来ないと思っていた光景だった。姉がこれ以上悲しまないよう、そしてこの鎮守府から再び提督が居なくなる事態が起きないよう、自分が支えると決心し、整備していた弓を強く握りしめる。

 

「……今度は離さないようにしなさいよ」

 

「……瑞鶴?何か言ったかしら?」

 

「いーや、なんでも無いわ」

 

「じゃ、司令室に戻るわ」

 

ある意味優柔不断な決断を出すと、朝霧は満足げな表情を浮かべ龍驤の頭を強く撫でる。未だに噛みついてくる龍驤を尻目に工廠の出口へ向かうと、悩みの種を一つ解決させ、金剛のお茶を飲めることを思い出し両手を天に突き出す。司令室に戻った朝霧は金剛のお茶を飲みながら外出許可の旨を夕立に伝えると、一緒に行くと駄々を捏ねる夕立を抑え、デートと勘繰り一緒に行くと駄々を捏ねる金剛を抑えつけ鎮守府を後にした。

その頃、雑談に飽きた第七駆逐隊はみな湯船を出て入渠ドックを後にしていたが、一人不知火は湯船に体を沈め、天井を見上げ続けていた。もしかしたら朝霧のあのメガネが何時もの余興で、口から出まかせを言っていたのだろうか。しかし、陽炎の反応を見ればそれは無いとも言える。加えて余興にしても引き際を知る朝霧が、人の感情面に関してからかうことは無い。好意を抱いている自覚は無かったが、そういうことなのだろうか。不知火は両手でお湯を掬うと、両手の中に映る自分の姿を見つめる。こんな不愛想な女を好きになることなんてあるのだろうか。それに朝霧には龍驤や翔鶴と言った面々が居る、自分では到底敵いそうにない敵が。

 

「敵……?なんの敵なのかしら」

 

その問いに答える者は居らず、夕飯時まで入渠していた不知火は再び陽炎にからかわれ、何時も通りの制裁を加えその日は幕を閉じた。

 



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ケッコンカッコカリ

夏が終わりに近付き、夕暮れが少し早まってきたある日。未だ蒸し暑い司令室に、ガンガンと冷房を効かせアイスを食べていた秘書艦の鈴谷は、横のソファーで不機嫌そうな声を上げている朝霧をご愁傷様と言った顔で傍観していた。

 

「ったく、面倒な話だな」

 

「またお小言貰ったのー?」

 

朝霧は海域関係の書類を中央のテーブルに叩き付けると、足を投げ出し此方を向いていた鈴谷に受話器を放る。アイスを食べ終わった鈴谷が慌てて受話器を両手で受け取ったのを確認し、ソファーへと倒れこんだ。深海棲艦から海を奪還するまでに、攻略する必要のある海域が三つ存在する。最南方に存在する南方海域、そして最北方に存在する北方海域、最東方に存在するLE海域。北方海域は、かつて艦娘を犠牲にし続けていた墨田の功績により奪還し、残りは二つとなっていた。この海域はどれも最高難易度を誇り、墨田が奪還に成功した作戦時も、加賀を犠牲に進軍したからこそ攻略が成しえていた。

朝霧は司令室のソファーの上で海域攻略の作戦を漠然と立てていた。しかし、今の面々ではLE海域どころか南方海域すら攻略は難しいだろう。その要因として、ずば抜けて高い練度を誇り、経験を積んだ艦が少ないということだった。過去の第一部隊はひたすら出撃を続け、何より多大な経験があったからこそ、戦果を挙げ続けていた。現在の横浜鎮守府で主力と成り得る艦娘は瑞鶴、翔鶴、龍驤しか居らず、圧倒的に数が足りていなかった。榛名や霧島は練度そこそこで、山城、扶桑も入渠時間が長く練度が上昇し辛いのが現状だった。金剛も着任したばかりで、経験、練度共に難関海域に出るのはまだ難しく、防戦を繰り返す毎日だった。

しかし、朝霧が着任してから立てた功績である第六駆逐隊の救助、陸地での深海棲艦の撃破、圧倒的数の深海棲艦の殲滅等々、人類にとっては再び希望が垣間見える報道がなされていた。

英雄の凱旋と銘打たれた記事は人類の反感の心を諌める結果となっていた。かと言って黙って待っていれば再び人類は痺れを切らし、大本営に反感の心を抱くことになる。朝霧の下には、定期的に大本営から海域攻略での戦果を急く声が届いていた。鈴谷は他の秘書艦から、度々かかってくる電話に朝霧が苛立っていることを聞いており、その電話の主を尋ねずとも態度で理解していた。

 

「大変だねー。提督業って」

 

「良い事ねーよ。胃が痛いだけ」

 

「良い事あるじゃん。可愛い女の子に囲まれてさ」

 

「…………」

 

鈴谷の言葉に、机の中に未だ大切にしまわれている指輪のことを思い出していた。一つしか無い指輪を渡す相手も決まり、後は渡すだけとなったのだが、その機会が訪れず未だ手つかずとなっていた。

 

「なあ鈴谷」

 

「んー?」

 

受話器をデスクに戻した鈴谷は再び事務机に戻ろうとしたが、一度休憩を挟んでしまうと書類仕事をする気になれず、粗方今日の執務を終えていた為、助走をつけソファーへと飛び込む。

 

「指輪とかってやっぱロマンチックな雰囲気で貰った方が嬉しいもんなの」

 

「人によるんじゃない?鈴谷は気持ちさえあればオッケー!」

 

「そんなもんなのか」

 

「何々!?指輪鈴谷にくれんの!?」

 

「欲しいの?」

 

「欲しい!……の?……いや……まあ一応……?」

 

未だ唸りながら言葉を詰まらせている鈴谷を尻目に、朝霧は鎮守府内の放送を鳴らす為に無線機の近くに寄る。

 

「えー、翔鶴。司令室に来て」

 

それだけを告げると放送を切り、朝霧はデスクへと戻り引き出しを開ける。中にしまわれた箱を手に取ると、ズボンのポケットへ無造作に突っ込み再びソファーに腰かけた。鈴谷は意味有り気な視線を朝霧に向けていたが、空気を察したのか咳払いをするとそそくさと司令室を後にした。

 

「失礼します」

 

その時鈴谷とすれ違うように、開け放たれた扉を翔鶴が潜り、律儀に頭を下げ朝霧の前へ立つ。朝霧は翔鶴を正面に座らせると、腰を上げ背筋を伸ばしソファーに座りなおす。

 

「…………」

 

「あの、提督?」

 

呼んでおきながら、一向に話を切り出そうとしない朝霧に、翔鶴は次第に怪訝な表情を浮かべ始める。

 

「………………」

 

朝霧は先程から落ち着きがなく、そわそわと腰を浮かせ座り直しては煙草に手を伸ばし、その手を引っ込めている。この仕草を翔鶴は知っていた。龍驤から聞かされていた通り、なにか本人にとって恥ずかしくて言い辛い事を話す時、この様に挙動不審になると。朝霧が自分を一人呼び出し、恥ずかしいと言える事を自分に言おうとしているのだ。翔鶴は次第に期待が膨らみ、心臓の鼓動が徐々に増していく。室内は冷房で冷え切っているものの、握りこんだ拳からは汗が滲んできている。どれだけ静寂が続いただろうか、部屋に響くのは空調から送り出される冷風と共に鳴る機械音だけだった。

 

「翔鶴!」

 

「ひゃい!」

 

突然の朝霧の声に驚き、声が裏返る翔鶴は頬を赤く染め口元を両手で押さえる。両手で押さえていなければ、口から心臓が飛び出してしまうのではないだろうかと翔鶴は危惧してしまう程、鼓動は高鳴り、心臓は暴れだしていた。

 

「…………あー。いや、すまん!何でもないっ!」

 

「へ?」

 

朝霧は間髪入れず立ち上がると、司令室の扉を勢いよく開く。

 

「ちょっ!」

 

「きゃっ!」

 

すると廊下から部屋の中へ三人の人影が転がり込んできた。それは朝霧のプロポーズを期待し大急ぎで熊野を呼びに行った鈴谷、鈴谷に呼ばれた熊野、そしてたまたま前を通り過ぎた陽炎が折り重なるように倒れこむ。

 

「……何やってんの?」

 

「何やってるじゃないっしょ!このヘタレ!」

 

「ですわ!」

 

「ヘタレ!」

 

「………………」

 

何も悪いことをしていない筈が、散々罵倒された朝霧は居ても立ってもいられず部屋から飛び出していく。呆然と成り行きを見守っていた翔鶴は我に返ると、ソファーに深く腰掛け、背もたれに全体重を預ける。その様子を見ていた面々は、気まずそうに顔を俯かせると、床に手を突き立ち上がった。

 

「鈴谷追っかけてくる!」

 

鈴谷は咄嗟に踵を返すと、走り去っていった朝霧の後を追う。残された熊野は翔鶴と向かいのソファーに腰かけ、陽炎もつられて隣に座る。

 

「気に病むことありませんわ」

 

「気にしてませんよ……」

 

明らかに意気消沈している翔鶴に対する言葉が見つからず、二人は顔を見合わせ溜息を吐く。

朝霧に憧れ想いを抱いている陽炎は複雑な心境に陥り、顔を俯かせる。駆逐艦と言う艦種は基本的に蔑ろにされやすい。敵深海棲艦を何体も屠れるような火力も耐久も無い。朝霧が来るまで遠征と負け戦の演習ばかりだった陽炎は、艦娘としてのやる気や意思を失っていきつつあった。しかし、あの男は着任早々自分達に作戦を任せ、その後も作戦の要の一つとして起用してきた。そして、決定打となったのは加賀を発見した事から起こった横須賀でのあの事件。

後から瑞鶴に聞いた話では、朝霧が激昂したのは自分達第七駆逐隊のことを馬鹿にされたのが一番の原因だったと言う。初めて駆逐艦である自分を本気で見据えてくれる提督と出会い、陽炎は密かに朝霧に憧れた。だからこそ、横浜鎮守府防衛戦では自らの危険を顧みずその戦果を上げようとした。勿論託した仲間の為が大きかったが、その根底には朝霧に勝利と言う戦果を届けたいと言う気持ちが強かった。恐らく不知火も同じだろう、しかし朝霧からすれば、自分とは違い此処に来るキッカケを作った不知火は少し特別なのだろう。

 

(……妬いちゃうわね)

 

しかし、指輪の存在を知らない陽炎は告白するのかと思っており、てっきり告白するなら龍驤とばかり考えていた。翔鶴を選ぶということは、龍驤を捨てることになる。まさかいくらヘタレとは言え、二人ともに告白することなんてあり得るのかと、陽炎は正面の翔鶴を見ながらその行く末を想像していた。

 

その日の深夜、皆が寝静まった中、翔鶴は布団に入るものの眠れず夕暮れの出来事が脳裏に渦巻いていた。朝霧が何を伝えたかったのかは何となく分かるが、それを口にして貰えなかったことが翔鶴にとって何よりショックであった。布団を頭まで被りなおすと、起きている者にしか聞こえない程度の音で部屋の扉がノックされた事に気付いた。急いで布団を捲り、隣で寝ている瑞鶴を起こさないように扉まで忍び寄る。扉を開けた先には、今日の秘書艦であった鈴谷の姿があった。

 

「どうされました?」

 

「……やっぱり起きてたんだ。食堂に行ってみて」

 

「え?あの……」

 

「ったく……不器用な男ねぇ」

 

鈴谷は一方的にそう言い残し、欠伸をしながら自室へと戻っていった。翔鶴は寝巻のまま、首を傾げながらも食堂へと歩き始める。すると宿舎の窓から未だに食堂の電気が消えていないことに気付く。普段間宮は仕込みをする時、厨房の電気はつけるものの食堂の電気をつけてはいない。不審に思いながらも食堂への扉を開くと、中からアルコールの匂いが溢れだし思わず顔を顰める。そこには、酒臭さが立ち込める中心のテーブルに突っ伏している朝霧の姿があり、向かいに座っている隼鷹は翔鶴の姿を認めると、少し辛そうな表情で立ち上がる。

 

「いやあ、提督はかなり酒強かったよ!なっかなか酔わなくてねえ」

 

翔鶴は何の話か分からず、肩に手を置き食堂から去っていく隼鷹の後ろ姿を見送ると、未だテーブルに突っ伏している朝霧に歩み寄る。

 

「……提督。こんな所で寝てるとお体に障りますよ」

 

「あー……翔鶴?」

 

朝霧はふらつきながら顔を上げ立ち上がると、翔鶴に寄り掛かる。肩に手を回し、体を支えると食堂の厨房へと視線を移す。間宮は目で片づけは任せろと合図すると、翔鶴は申し訳なさそうに頭を下げ朝霧を引きずって行く。やっとの思いで司令室まで辿り着いた翔鶴は、体勢を崩しそうになりながら何とか扉を開けるとソファーへと朝霧を寝かせる。電気を点けた翔鶴は、意識が混濁している朝霧に何か飲ませようと辺りを見渡す。

 

「なー翔鶴」

 

「何ですか?」

 

「これ、受け取ってくれ」

 

朝霧はぶっきらぼうに言いながらポケットを弄り、中から小さな箱を取り出し翔鶴に押し付ける。その眼差しは一瞬素面に戻ったのかと錯覚するほど真剣で、真面目なものだった。それと同時にソファーに深く項垂れると、朝霧は目を瞑り寝息を立て始める。

 

「何かしらこれ……」

 

翔鶴はその箱を開け、中に入っていたものを見て驚愕の表情を浮かべると、そっと箱を閉じ深呼吸した。再び箱を開けた翔鶴の目に入ったのは、変わらず白銀の指輪だった。指輪と朝霧を交互に見比べ、鈴谷の言い残した言葉の意味をようやく理解する。何時も艦娘とセクハラまがいのスキンシップと、フランクに接しているのに、いざ本気で向き合おうとしたら奥手になるヘタレな男。そんな男が何とか指輪を渡す為に、わざわざ隼鷹を誘い酔い潰れるまで呑み続けた。それを察した鈴谷が翔鶴を呼びに行ったのだ。翔鶴は朝霧の横に腰かけると、両手で指輪の箱を握り目元に押し付ける。

翔鶴は思う。この男のことだ、自分一人を選ぶなんてことはしないだろう。恐らく龍驤にも指輪を渡すのかもしれない。自分は複数人の中から選ばれただけかもしれない。しかし、酔ってはいるものの朝霧は自分の意思ではっきりと指輪を渡した。これ程嬉しいものなのだろうか。

冷房が切られうだるような暑さの部屋のせいか。喉の奥が熱くなり、目頭も一緒に熱くなる。

朝霧の精一杯の想いに、翔鶴の頬を涙が伝う。

 

 

「私も大好きです。提督」

 



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ケッコンの証

その日の龍驤は終始不機嫌であった。

向かいの席で夕食を取っていた飛鷹は、言われずともその理由を察していた。右方向から漂う甘い雰囲気に、飛鷹自身も少し機嫌を斜めにする程で、翔鶴は惚けた顔をしながら一日中左手薬指に輝く指輪を見つめ続けていた。一方戦艦のテーブルで扶桑にちょっかいを出し、山城と金剛に噛みつかれている朝霧は何時も通りといった様子だった。

 

「えー、まあ……艦娘の練度の限界を超えることの出来る指輪が送られてきました。ので、この鎮守府で一番練度の高い翔鶴に渡しました。他意は結構ありますが、気にしないで下さい」

 

今朝、朝霧からケッコンカッコカリの説明がなされ、練度が限界に達している艦娘の能力を引き上げる効果があり、他意も含まれているそれは、どう見てもそれは愛情の証にしか見えない。周りからは驚きの声が上がり、飛鷹自身もそれは龍驤に渡すものとばかり思っていた。

 

(練度が足りなかったのかしら……)

 

練度が足りていないのであれば渡しても無駄になるだけなので、その効果を発揮する翔鶴に渡すのは道理と言えよう。しかし、その瞬間から龍驤は眉を吊り上げ、口をヘの字に曲げながら乱暴に食事を頬張り始めた。

 

「ちょっと、行儀悪いわよ」

 

「…………」

 

飛鷹の忠告を無視し、さっさと食事を終えた龍驤は日課の整備に工廠へと向かった。それ以降工廠から出てきておらず、夕食に顔を出したと思えばその顔は今朝と変わらず不機嫌であった。何時も賑やかで笑いが絶えない第七駆逐隊のテーブルは今朝からお通夜状態であり、談笑の中心となる陽炎は一言も喋っておらず、不知火は何時も通り無口であるが、その表情は非常に渋いものだった。夕立達は苦笑いを浮かべながら陽炎達を励ますが、その表情は浮かばれなかった。

 

「ほら、夕立達は空母の先輩達と違って練度が上がりにくいっぽい!」

 

「そうだよ。陽炎達だって練度が上がれば――」

 

「大丈夫よ……覚悟はしてたし、ね?不知火」

 

「不知火は元から気にしてないわ」

 

とは言ったものの、二人の表情は浮かばれないものだった。

 

(んー……と言っても……何か悔しいなー)

 

食事を終えた陽炎は一人で食器を片づけると、そそくさと食堂を後にし、その後を不知火が追う。朝霧は陽炎達の後ろ姿を確認し、そろそろ山城から殺されかねないと察すると、テーブルから逃げるように食器を返しその日の秘書艦だった羽黒に所用があると伝えた。

 

「えっと、じゃあ先に戻って書類整理をやっておきますね」

 

「おう、すまんな」

 

食堂を後にした朝霧を見送っていた翔鶴は、再び視線を指輪へと落とすが、その心には少しの不安が含まれていた。自分が朝霧にしてやれたことなど何一つ無いにも関わらず、指輪を貰えたのはやはり練度が高まっていたという理由だけではないのかと。やはり、練度が足りずとも朝霧に会いに行った龍驤が貰うべきではないかと。指輪を貰い、舞い上がっていた翔鶴は愛の告白とばかり考えていたが、ケッコンカッコカリの特性のみで自分に渡されたのではないかと、心の隅にもやもやとした感情が渦巻いていた。それでも指輪を貰えたのは事実であり、今だけは朝霧のパートナーになれることを喜んでいた。そんな翔鶴は知る由も無かったが、朝霧は翔鶴に対し非常に感謝の念を抱いているのは事実であった。鎮守府に戻った時、瑞鶴を初めとした昔の自分を知っている者が快く迎えいれる訳もなく、軽蔑の眼差しを向けられていた。そんな時、翔鶴は変わらず朝霧を受け入れた。それが朝霧の心にどれだけの安息を与えたかを。

 

「翔鶴姉?あんまり気にすることじゃないわよ」

 

「え?ええ……」

 

「あんな男と翔鶴姉は釣り合わないわ。この戦いがもし終わったら、翔鶴姉に相応しいもっといい男探すわ」

 

「あら瑞鶴、私はあの人のことをお慕いしているわ」

 

「じゃあ瑞鶴と提督、どっちを取る?」

 

「どっちも大切よ」

 

「ずるいー!」

 

自然と笑みを浮かべられていた翔鶴は、瑞鶴に感謝すると食器を返却し、明日に備え宿舎へと向かった。一方の朝霧は食堂を出た陽炎の姿を探し、廊下を駆け回っていた。そして、一人で入渠ドックと併設されている浴場へと向かっている陽炎を発見し、後ろから駆け寄る。足音に気付いた陽炎は振り返ろうとするが、そのまま陽炎に向かい手を広げ飛び込んだ朝霧に阻まれる。

 

「かーげーろーうー!」

 

「ちょっ、何よ!」

 

「何一人でしょぼくれてんの!」

 

「うっさい離れて!誰か!憲兵さんー!襲われるー!」

 

陽炎は否定の発言を取っているが本心から拒絶している訳では無く、本気の艦娘の力で振りほどかれれば、只の人間の朝霧などひとたまりもない。しかし、その手が胸付近に忍び寄っているのを見た陽炎は、肘を鳩尾に打ち込み朝霧を引き離す。

 

「痛っ!」

 

「あんまり調子に乗らないで!」

 

「ったく、良い物あげようと思ったのによ」

 

「へ?」

 

朝霧はジーパンのポケットから、長方形の手に収まるサイズの白い紙袋を取り出すと陽炎に手渡す。それを受け取った陽炎は怪訝な表情を浮かべながら紙袋を頭の上に掲げ、透かして中を見ようと試みる。

 

「開けていいぞー」

 

「ホント?」

 

陽炎は言われるがまま紙袋の封を開け、中に入っていたものを左手の上へと滑り落とす。それはケッコンカッコカリの指輪同様、何の装飾も無い白銀のブレスレットだった。明石のメガネを使ったその日、外出した際に購入していたものであり、渡すタイミングを計っていたが、朝霧は翔鶴と同様場所と雰囲気は考えずに渡すことを決意した。

 

「わ、何これ」

 

「ま、指輪の引換券みたいなもんかな、練度が高まったらそれと交換してやるよ」

 

「へ、へえー……」

 

「それなら海に出てる時でも付けられるだろ」

 

「そうね……でもいいの、これを私に?」

 

「旗艦で頑張ってるご褒美みたいなもんだよ。要らない?」

 

「いるいるいる!ありがと!」

 

「大切にしてくれよ」

 

「まっかせてー!」

 

陽炎はそのブレスレットを嬉々としてポケットにしまうと、笑みを浮かべながら踵を返し、浴場へと足を踏み出した。

 

「さてと……ん?」

 

スキップしながら浴場へ向かう陽炎を見送った後、背後に人の気配を感じすぐさま振り向くと、物陰から此方を覗いていた不知火が慌てて身を潜めた。

 

「ぬーい!」

 

「…………」

 

「しーらぬい!」

 

「……何ですか?」

 

不知火は観念したのか物陰から姿を現し、朝霧の前に歩み寄る。その表情は何時も通りの鋭い三白眼に無表情だったが、前に立った不知火はまるで餌をお預けされた犬の様にそわそわと忙しないものだった。

 

「何してたの」

 

「何でもないです」

 

朝霧は不知火の本心を察したが、悪戯心から少し遊ぶことを考えた。

 

「そう、じゃあまた明日」

 

「え?…………はい」

 

その言葉を聞いた不知火は小さく頭を下げると、捨てられた子犬の様にとぼとぼと浴場へと歩き始めた。朝霧は流石に罪悪感が生まれ、背後から不知火を抱きしめる。前のめりになりかけた不知火は朝霧を睨み付け、腕を振り解く。

 

「あー!冗談だって!」

 

朝霧は不知火から体を離すと、ポケットから同じ紙袋を取り出し、不知火に手渡す。

 

「そう言えば此処に来る一番のキッカケは不知火のお陰だったっけ。今更だけど礼を言うよ。ありがとう」

 

「……大したことはしていません」

 

「いやいや。で……不知火の練度が達したら指輪貰ってくれるか?」

 

不知火は少しの間考える素振りを見せ、先程のお返しと言わんばかりに首を横に振る。

 

「嫌です」

 

「おいいいい!」

 

「冗談ですよ」

 

不知火は穏やかな笑みを浮かべると朝霧の目を見据え、はっきりと首を縦に振る。まさか自分が朝霧から何かを貰えるとは思ってもおらず、少し目頭が熱くなる。目付きが悪い、戦艦並の眼光だとか、無表情だとか、色々言われるがそれ以前に自分も女だ。慕っている異性からプレゼントを貰えるのは非常に嬉しい。

 

「そか、んじゃ大切にしてくれよ」

 

不知火は両手でブレスレットを包み込むと、頭を深々と下げ踵を返した。

 

「さて、後は……」

 

最後に渡す人物の場所は見当がついており、そこから直ぐの工廠へと足を向けた。最低限付けられた照明に照らされただけの薄暗い工廠内に入った朝霧は、艦載機を呆けながら眺めている龍驤の姿を確認する。扉が開けられた音に気付いた龍驤は顔を上げ、朝霧の姿を認めると艦載機を床に置き、立ち上がる。

 

「何やこんな所に」

 

「んー、ムードもへったくれもない場所だけどいいか」

 

「……何の話や?」

 

「これ受け取ってくれ」

 

照明に照らされた朝霧の手の上を見ると高価そうな小箱が開かれており、中には先程陽炎達に渡した白銀のブレスレットとは違い、小さなダイヤが散りばめられた本物の指輪が収められていた。

 

「わ!え?」

 

龍驤は突然の朝霧の行動に戸惑い、素っ頓狂な声を上げる。

 

「龍驤の練度はもう少しで達するからその時はケッコンカッコカリの指輪を貰うけど。それとは別に」

 

「これをうちに……?」

 

「まあ何だ、長い付き合いになるな」

 

「そやなあ」

 

「感謝してるよ、凄く」

 

「うちもや」

 

「艦娘と正式な婚約は結べないから、形だけになるけど」

 

「ええよそれでも。めっちゃ嬉しいわ」

 

「えーあー。軽空母龍驤、貴女の事が好きです」

 

「はい、私も貴方の事が好きです」

 

自分で言っていて可笑しな標準語に龍驤は苦笑いしながら指輪を受け取ると、両手の中に箱を収める。すると朝霧は龍驤の前に歩み寄り、両手を腰へと回す。察した龍驤は視線を泳がせながらも、震える手で指輪をポケットへしまい両手を朝霧の腰へと回した。何度も瞬きし、心臓の鼓動が最高に高まる。口の中の水分が全部無くなったのではないかと錯覚する程喉が渇く。

 

「あー!えー!うちこう言うの初めてなんやけど!」

 

「俺も」

 

「えっと、んじゃ……」

 

体格差から見下ろす形になり、朝霧の顔が龍驤の口元へと迫る。龍驤は息を呑み今にも爆発しそうな心臓を無理矢理抑えつけると、目を瞑る。

 

 

「わっ!きゃっ!」

 

その瞬間工廠の隅から何かを盛大に崩したような、金属音が鳴り響き、朝霧と龍驤は思わず体を離すと、その場所に視線を移す。すると崩れた鋼材と共に、明石が地面へと転がり込んできたのが映る。

 

「……何してんの?」

 

「あ!お気になさらず!続けてください!」

 

「……台無しすぎるやろ」

 

朝霧と龍驤は顔を見合わせると、思わず笑いを漏らし、タガが外れた様に笑い声を上げる。

二人の様子を伺い続け興奮した明石がもっと近寄ろうと思った所、姿を隠すために薄暗くしていた為足元にある機材に気付かなかったのだ。そのまま転げ、鋼材の山に激突していた。

 

「あれー……私のせいでした?」

 

明石は恥ずかしそうに頬をかくと、崩れた鋼材を片づけ始める。朝霧は踵を返すと、右手を振りながら工廠を後にした。龍驤は再びポケットから指輪の箱を取り出すと、蓋を開け中を確認し見つめ続ける。

 

「羨ましいですねえ」

 

「やろー?」

 

翌日、上機嫌の三人に対し、翔鶴がふくれっ面を浮かべ続けたのは言うまでもなかった。

 

 



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孤独な戦い

「そいじゃ、三日空けるよ」

 

「はい、留守は任せて下さい」

 

夏が終わりを告げ、初秋に入ろうとしていた横浜鎮守府は大きな事件も無く、何時も通りの穏やかな日々が流れていた。そんな中、大規模作戦の立案の為に各鎮守府の提督が数名大本営へと招集されていた。難関海域である南方海域制圧の目標を掲げた大本営は、何としても奪い返し、再び最後の海域へと望むことを強く推進していた。深海棲艦の大きな進攻も確認されておらず、朝霧は万が一を考え三日間出撃は控えるように命じ横浜鎮守府を後にしていた。残された翔鶴は司令室のソファーに腰かけ、その日の予定を確認していた。第六駆逐隊と第七駆逐隊の護衛任務が入っているだけで、他は予定がなく、訓練でも行ってみようかと画策していた所で司令室のドアが開かれた。

 

「あれ?翔鶴姉?さっき宿舎に居なかった?」

 

「……?私はずっと此処に居たわよ」

 

司令室に入るなり驚きの表情を浮かべた瑞鶴は、翔鶴の顔を見つめながら向かいのソファーに座る。翔鶴はお茶を淹れようと立ち上がり、棚から湯呑を取り出す。

 

「見間違いかなぁ……」

 

瑞鶴は唸りながらも頭を切り替え、久しぶりに兼任する提督に少々の緊張を覚えながらも、翔鶴が淹れたお茶を口に運んだ。朝霧が鎮守府を離れた二日目、敵の襲来も無く、翔鶴が画策した訓練に皆へとへとになりながらも平穏な日常があった。そんな中、ここ最近少し奇妙な現象が鎮守府で起こっていたのに陽炎は気付いた。

 

「あれ?不知火?さっき食堂に行くって言ってなかった?」

 

訓練を終え、宿舎へと向かっていた陽炎は、先程食堂へ行くと言って別れた不知火と宿舎の出入り口で出くわした。不知火は何時も通りの無表情であったが、長い時間共に戦ってきた陽炎には、不知火の纏っている雰囲気に違和感を感じた。

 

「…………いえ、少し忘れ物を」

 

一瞬固まった後、不知火はぶっきらぼうに答えると、陽炎を横切り司令室のある建物へと歩き出した。

 

「食堂行かないの?」

 

「…………ええ、少し」

 

陽炎は目を細め、首を傾げながら不知火の後ろ姿を見送ると、宿舎へと足を踏み入れた。

自室へ戻った陽炎は、誰も居ないことに退屈を覚えながらベッドへと飛び込み天井を見上げる。

 

「変ねえ……」

 

ここ最近、陽炎は鎮守府全体に違和感を感じていた。別れたと思えば別の場所でその人物と出会ったり、見かけたと思えばその反対方向に姿を確認したりと。最初は見間違いかと思っていたが、余りに頻度が多すぎる。

 

「んー……疲れたかなー……」

 

空腹も程々に、訓練の疲れで強い眠気を感じていた陽炎は目を瞑り、直ぐに意識を手放した。

次に目を覚ました時には日が暮れ、部屋は窓から差し込む夕日に照らされていた。寝ぼけ眼を擦りながら時計を見つめるが、ピントが合わずベッドから這いずると時計に近寄り夕食までまだ時間がある事を確認する。まだ暑さが残っており、喉の渇きと汗に滲んだ服に不快感を覚え、風呂を求め立ち上がると宿舎の入口へ向かい歩き出した。

 

「は……」

 

人は余りに理解が出来ない光景を見た時言葉を失う、艦娘も例外では無かった。陽炎はその光景に渇いていた口の中の水分が全部失われたような感覚に陥り、軽い吐き気を覚える。そこは部屋から出て直ぐの廊下、この時間は皆基本的に風呂か外で自由に過ごしている為、宿舎の廊下に人影は無いに等しい。その白い廊下に不釣合いな赤色。戦いに身を投じている自分にはよく憶えのある命の色。

 

「睦……月……?」

 

多少距離があるが横たわっているのは如月であることは一目瞭然だった。その直ぐそば、ぴくりともしない如月を見下ろしている睦月は陽炎の存在に気付くと、その顔を上げた。

 

「ひっ……」

 

短い悲鳴を漏らし、悲鳴が喉元まで上がってくるが理解不能な状況に声が上がらない。目を合わせた陽炎は、それは睦月ではないと確信する。容姿、姿形はどれを取っても睦月なのだが、憎しみに駆られたようなドス黒いその瞳は、それがあの無邪気な睦月であることを否定していた。

 

「だ……誰よ……」

 

微動だにしない睦月に怯えながら何とか声を発した陽炎は、震える足に右拳を振り下ろすと二人と距離を詰めていく。すると睦月は直ぐそばの窓に拳を振り翳し、ガラスを叩き割ると、踵を返し廊下を駆け出していく。外まで響き渡った音と共にガラスが地面へと落下していき、外に居た艦娘は何事かと宿舎三階を見上げる。余りの突然の行動に陽炎は呆け棒立ちしていたが、我に返り如月へ駆け寄る。抱き起した如月の腹部からは血が滴っていたが、陽炎は意を決し傷口を確認する。

 

「良かった……そんなに深くは……」

 

しかし危険な状態にいる事は変わらず、艤装を着けていない艦娘は妖精の保護を受けることが出来ない為命の危険がある。陽炎は助けを呼ぼうと考えたが、割れたガラスを不審に思った艦娘が駆けつけてくれることを思いその場で如月を介抱する。頭の中ではあれが何か、本物の睦月はと、様々な疑問が駆け巡るが如月のことが第一と考え助けを待つ。やがて直ぐに階段を駆け上がる複数の音を聞き取り、胸を撫で下ろすとその先を見つめた。

 

「陽炎ッ!」

 

真っ先に視界に飛び込んだのは最も信頼出来る不知火の姿であり、陽炎は安堵の表情を浮かべると如月を降ろし立ち上がった。此方に駆けている不知火の表情までは確認出来なかったが、やがてその表情に気付き陽炎は戦慄する。滅多に感情を表情に出さない不知火の憤怒の表情に、陽炎は怯み一歩身を引く。駆け寄った不知火の振り翳された拳が一瞬見えたのを理解した後、その衝撃で後ろへと転がり頭が真っ白になる。陽炎はじんじんと痛む頬を右手で抑えつけると、此方を見下ろしている不知火を恐る恐る見上げた。

 

「見損なったわ」

 

「なんで……」

 

後ろから来た重巡達により如月は保護される。しかし陽炎は不知火に殴られた事実より、その重巡の影に居る睦月の姿に驚愕し言葉を失った。

 

「睦月が教えてくれたわ。如月と喧嘩して、手をあげたと……それもこんな……」

 

「ちっちがうっ!」

 

「睦月が見たと言ってるわよ?」

 

陽炎が睦月に視線を移した時、顔を伏せ表情こそ見えないものの睦月は嗚咽しながら泣きじゃくり、重巡達に介抱されている姿が映った。その瞬間目元を腕で覆っているその隙間、確かに睦月と目があった。それは笑っていた。只笑っているのではない、嘲り笑っているのが見えた。

 

「ッ!そいつから離れてッ!」

 

陽炎は立ち上がると震える足を何とか抑えつけ、未だに顔を伏せている睦月へと指を指す。その怒号に睦月は更に体を震わせると、再び大声を上げて泣き始める。

 

「……陽炎?話を聞かせてくれるか?」

 

那智は冷徹な目線を陽炎に向けると、不知火の横を通り過ぎ此方に歩み寄ってくる。陽炎はパニックを通り過ぎ、一瞬冷静さを取り戻すとある決断をし、踵を返した。そして足が縺れながらも全速力で廊下を駆け出し、突然の行動に呆気に取られた不知火と那智は我に返り後を追う。

 

「羽黒ッ!如月を頼む!」

 

「は、はい!」

 

二人は既に廊下を横切り見えなくなった陽炎を追い、羽黒と遅れてきた川内達は如月をドックへと運んで行った。

 

「ッハァ……ハァ……」

 

汗まみれになった服の袖で流れ落ちる汗を拭うと、陽炎は身を潜めた資料室の陰で腰を下ろした。必死に頭を落ち着かせ、現在の状況を整理する。最近起こっていた違和感、そしてあの明らかに常軌を逸している睦月。

 

「ハァ……もしかして……」

 

陽炎はそんなことが有り得るのかと考えたが、ふと右腕にはめられているブレスレットを見つめ気付く。このブレスレットを送った張本人、朝霧が提督を辞めることになった作戦。その作戦失敗の主な要因になった深海棲艦による艦娘の擬態。もし、それがこの鎮守府内で今起こっているとすれば全ての辻褄が合う。そして偶然自分はまんまと罠にはめられたのだろう、あそこを通り過ぎたばかりに。陽炎はそこから更に話を展開していく。恐らく、深海棲艦は艦娘に成りすましながらこの鎮守府に滞在していた。そして友好関係等を探りながら実行に移す日を伺っていたのではないかと。提督である朝霧が此処を離れた瞬間の事件だ、偶然とは言い難いであろう。仲の良い艦娘と二人きりになり、徐々に始末していく。ところがその時間、普段は誰も居ないはずの宿舎三階に自分が居た。そして咄嗟に自分に罪を被せ、鎮守府内を混乱に陥れようとしたのだろう。

 

「はは……冴えてるわね……私……」

 

まだそれが事実と決まったわけではないが、その仮説が矛盾なく辻褄が合ってしまう。そして何より、陽炎にはあれが睦月ではないと言う自信は言い切っていい程あった。

 

「……どうするかしら」

 

このまま放っておけば犠牲者が増えてしまう。

 

「ッ……じゃあ本当の睦月は!」

 

あの様に大仰に振る舞ったのだ、本物の睦月が居ては計画は頓挫してしまう。それが指し示す意味を陽炎は瞬時に理解する。陽炎は第一に睦月を探し出す事を優先し、資料室の扉を恐る恐る開け人気の無い事を確認すると廊下を駆け出した。

 



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孤独な戦い

「何処よ!もう!」

 

睦月の身を案じ駆け出したものの、手がかりは無く目星となる場所も思い浮かばなかった。只でさえ時間が無い状況に加え、ショックと混乱が鬩ぎ合っている陽炎は先程から目元付近を流れ落ちていく汗に苛立ちを覚え始めていた。その時、鎮守府内放送を告げる甲高いチャイムが鳴り響き、陽炎は体を震わし思わず廊下の陰に身を潜める。

 

「駆逐艦陽炎、早急に司令室へ来なさい」

 

それは確かに翔鶴の声だったが、何時も通りの優しい音色では無く、苛立ちを含めたような低い音声だった。陽炎は下唇を噛み締めると、再び艦娘に見つからないように腰を低く保ちながら宿舎の廊下を駆け出した。三階へと戻ると付近の部屋を隈なく探すが、それらしき姿は見当たらず更なる焦りが陽炎を苛む。それに追い打ちをかけるように、二度目の放送が鳴り響く。

 

「駆逐艦陽炎を発見した艦娘は確保した後、司令室へ同行させて下さい」

 

これで猶予は無くなった、自分を見つけた艦娘は捕えにかかるだろう。どれだけ弁解したところで意味を成さない、その間に更に犠牲者が増えるかもしれない。転がり落ちる勢いで二階へと降りた陽炎は、その場で立ち止まり視線を前方へ固定させた。二階の廊下の突き当たり、何かを引き摺った様な血の跡が続いている事に気付いた。まだ日が落ち切ってない今、日差しに照らされた事により気付いたそれは、不運な陽炎に唯一味方した。その先の扉は、普段使われていないシーツ等が保管されている物置と化している部屋だった。辺りを見渡し、人影がない事を確認すると物置部屋へと駆け寄る。

 

「無事でいてっ……」

 

意を決し、扉を開けた先には、如月同様ぐったりと項垂れている睦月の姿あった。深海棲艦に閉じ込められた後移動したのだろうか、血を引き摺った跡が壁際まで続き、その壁に背を預けている睦月に駆け寄る。

 

「睦月ッ……!」

 

肩を揺するが反応は無く、夥しい量の出血が床を血で染めていた。普通の人間なら確実に手遅れになるが、艦娘の生命力、そして入渠ドックへと入る事さえ出来れば睦月は助かる可能性が大いにある。此処で陽炎は頭を更に回転させる。もし睦月を連れおめおめと入渠ドックへ行ったとしたなら、自分が確実に終わる。腹癒せに睦月までと言われるのが落ちであろう。傷つけた相手をわざわざ入渠ドックへ運ぶのかと反論した所で、かつての仲間に手を出してしまった罪悪感からだろうと言われてしまうのではないだろうか。今の自分は傍から見れば気のふれた駆逐艦娘のレッテルを貼られている。何を言っても無駄になるだろう。此処で自分が捕まってしまえば全てが終わってしまうかもしれない。

 

「いや……でも……もし信じてもらえたとして……」

 

陽炎の話が事実なら、隣に居る艦娘がもしかしたら深海棲艦かもしれない。それを確かめる術も無く、疑いが疑心暗鬼を呼び、確実に鎮守府内は混乱の嵐であろう。

ならば。

 

「上等よっ……」

 

陽炎は睦月を抱きかかえると、今艦娘達が持っている全ての疑い憎しみを自分に集める事を決意し廊下へと飛び出す。悪役が居れば、人はそれを悪と決め立ち回る。この事実を変に信じさせるより、気の触れた艦娘を演じ続けるのが現時点の最善策ではないかと陽炎は考えた。震える手で睦月を抱きしめながら、宿舎を出た陽炎は入渠ドックへと走り出す。

 

「っ……不味っ!」

 

その角を曲がれば入渠ドックと言う所で、ドック前から喧噪が漏れてきていることに気付く。それは不安を煽る放送に加え、如月の容体を案じた艦娘達がドックの前で人だかりを作っていたのだ。体を建物の角に押し付け、顔だけを出し様子を伺っていた陽炎は、背後に気配を感じ咄嗟に振り返った。

 

「陽……炎……?」

 

今の自分を見たらどう思うだろうか。艤装は睦月の血で塗れ、顔は汗と疲労で塗れている。

擦り減った精神が苦悶の表情を浮かべさせていた。

 

「夕立……」

 

唖然と立ち尽くしている夕立を尻目に、陽炎は睦月をそっと地面へと降ろすと、踵を返し全力で宿舎へと駆け出した。一方の夕立は我に返ると、睦月へと駆け寄りドック前の人だかりへと声を上げる。

 

「ッハァ……ハァ……」

 

再び宿舎の資料室へと戻った陽炎は、壁に全体重を預け首を垂れる。あの夕立の怯えた表情が更に自分の精神を削る。このままでは本当に気がふれてしまいそうだ。訓練の疲労とは比べ物にならない疲労が陽炎を襲い、思わず目を瞑ってしまう。もしこのまま眠り起きた時全てが夢ならどれ程安堵するだろうか。

 

「嫌っ……嫌!嫌!」

 

陽炎は両手で頭を抱えると、膝に顔を埋める。それ以降思考することが出来ず、陽炎はそのまま意識を手放した。

日は完全に沈み、鎮守府に夜が訪れていた。陽炎は意識を取り戻した瞬間跳ね起きると、辺りを見渡し何も変わりのないことを確認する。血に塗れた手と艤装が今までの出来事が夢ではないことを物語る。

 

「寝ちゃった……馬鹿……」

 

一瞬あの深海棲艦の手によってまた犠牲者が出ているのではないかと勘繰ったが、事実を確かめる術は無く、陽炎は更に苦悶の表情を浮かべながら資料室のドアの取っ手を握る。しかし、陽炎が取った苦肉の策により、艦娘達は難を逃れていた。気がふれた陽炎が鎮守府の何処かに潜んでいるかもしれない、そう伝えられていた駆逐艦や軽巡は固まって宿舎の部屋で待機しており、重巡や戦艦が陽炎の捜索にあたっていた。陽炎の目的は逃げることだろうと読んだ翔鶴達は、鎮守府の周辺を捜索しており、その深海棲艦は艦娘と二人きりになるタイミングを計れず攻めあぐんでいた。その事実を知らない陽炎はこれからどうすればいいかわからず、全てを投げ出してしまいそうになる。あの深海棲艦を見つける術は無い、何とか睦月と如月はドックへと運ぶことに成功したが、根本の問題は解決していない。司令室のある建物の裏手、背の高い木々が生い茂る林を見つめながら、陽炎は建物に背を預け途方に暮れていた。寂しい、辛い、負の感情ばかりが陽炎の脳裏を過る。

 

「っ……陽炎!」

 

人気の無いその場所に突然響いた声に、陽炎は体を震わせ立ち上がる。その聞き覚えのある声に陽炎は目を見開きながら、声のした方向に視線を向ける。月明かりや一階建物から漏れる光に照らされ、その姿を確認する。

 

「司令……」

 

陽炎は安堵の余り思わず涙を流しそうになる。この男なら事情を話せば絶対に分かってくれる。此方に歩み寄ってくる朝霧に陽炎は飛び込もうとも考えたが、ある疑惑が生まれその足を止める。

「止まってッ!」

 

突然の陽炎の怒号に朝霧は思わず足を止める。冷静に考えてみれば、何故この男が此処に居るのだろうか。疑惑が疑惑を呼び、陽炎の脳内を疑心が支配していく。

 

「司令は出張中だったわよね……」

 

「陽炎の事が心配だったから飛んで帰ってきた」

 

「…………」

 

陽炎は朝霧を睨み付けながら一歩ずつ距離を取る。朝霧はそれに合わせて一歩ずつ陽炎との距離を詰めていく。

 

「証拠……見せてよ……」

 

常識的にその証拠を示すことは不可能である。しかし陽炎自身はもはや歯止めが効いておらず、一種の錯乱状態に陥っていた。限界まで擦り減った精神と疲労は、知らずの内に陽炎の心に疑心暗鬼の種を蒔き、それを実らせていた。朝霧は何も言わず、陽炎に向かい一歩ずつ、ゆっくりと近付いていく。

 

「止まって……」

 

「おーおー、そんなに睨むなよ、可愛い顔が台無しよ」

 

「うっさいッ!止まりなさい!」

 

しかし朝霧はその足を止める事をせず、手を伸ばせば届く距離まで陽炎に詰め寄った。どうしたものかと朝霧は溜息を吐いた瞬間、その溜息と共に吐瀉物を吐き出してしまうのではないかと錯覚する程、強い衝撃が腹部を襲う。体がくの字に折れ曲がり、朝霧は思わず膝を突き嗚咽する。それに追い打ち、陽炎の振り上げられた右足が朝霧の左腕に突き刺さる。折れはしなかったものの、余りの激痛に悶えてしまう程の威力のそれは、更に朝霧の脇腹に叩き付けられる。地面を転がっていく朝霧に対し、錯乱し続けている陽炎は止めを刺すと言わんばかりに朝霧に詰め寄る。

 

(不味ッ!流石に死ぬぞこれッ!)

 

朝霧はふらつく足を地面に突き立て、陽炎と距離を取るが、その距離を一歩で詰めた陽炎は朝霧の胸倉を掴む。

 

「あんたを殺せば終わるのよね……全部ッ!」

 

「陽炎ッ!」

 

頬に打ち付けられた陽炎の拳は朝霧の頬を切り裂き、歯が突き刺さった口内には血の味が広がる。朝霧は血反吐を吐くと、その変わらない表情を陽炎へと向ける。

 

「あの人にまで化けるなんてッ……絶対許さないっ!」

 

頭に血が上り切っている陽炎は更に頬骨付近へと拳を振り抜く。意識が飛ぶ寸前だった朝霧はそれを頬へ受けると同時に歯を食いしばる。

 

「なあッ……陽炎ッ!」

 

「うっさいッ!」

 

朝霧は意を決すると、次の拳が振り上げられた瞬間、陽炎の首へ両手を回す。

 

「むっ――」

 

それと同時に体を全力で抱き寄せると、その唇を陽炎の唇へと重ねる。余りの突然の行動と、奇妙な感覚に陽炎は目を見開き、振り上げた拳を静止させる。やがて熱した鉄を氷水へと浸した様に、頭に上っていた血が徐々に下りてくる。幾秒の間そうしていただろうか、完全に脱力しきった陽炎は朝霧の腕の中から地面へと滑り落ちる。

 

「ッハァ……ハァ……わ……私……」

 

冷静に考えてみれば、自分に嬲られている時点でこの男は本物の朝霧だったのだ。もし深海棲艦だとすれば、弱っている自分など一撃で葬り去ることが出来ていただろう。尻餅をついた陽炎の横に腰を下ろした朝霧は、陽炎の頭を優しく撫でるとそっと抱き寄せる。

 

「怖かったろ、まー俺が来たからには安心よ」

 

その言葉にどれ程救われただろうか、陽炎の目からは決壊したダムの様に涙が溢れる。朝霧のシャツに顔を押し付けると、声を押し殺しながら嗚咽する。陽炎が泣き止むまでの間、虫や蚊に襲われながらもその場から動かず、優しく背中を撫で続ける。

 

「落ち着いたか?」

 

「……うん」

 

「あれ、俺の初めてだったんだけど」

 

「……私も」

 

「ならおあいこか」

 

「……うん」

 

朝霧はゆっくりと腰を上げると、痛む体の節々に顔を歪ませながら背伸びをする。

 

「そいじゃよっと」

 

「ひゃっ!」

 

そして陽炎から事情を聞く為に陽炎を抱きかかえると、司令室へと足を踏み出した。



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孤独な戦い

『あの個体は少し単調にやり過ぎ。もっと敵を凝らし、そして馴染み、じっくりと屠れば効果的なんじゃないかな』

 

道中陽炎に経緯を聞き、嫌な予感を感じ朝霧は足を早める。陽炎を抱えたまま司令室のドアを蹴破った朝霧は、突然の大音に体を震わせた瑞鶴と翔鶴と目を合わせる。唖然としている二人に構うことなく部屋の中まで歩みを進めると、陽炎をソファーに寝かせた後提督専用の椅子へと腰かける。

 

「ちょっ……何時戻ったの!?しかもその怪我……それに陽炎!」

 

瑞鶴は朝霧と陽炎の顔を交互に見合わせている中、朝霧は翔鶴と目を合わせると視線を落とす。朝霧は一瞬目を見開くと、深呼吸し受話器を手に取った。

 

『厄介な艦娘はこの場居ないし、砲を持っていない艦娘は殆ど脅威にならない』

 

「ちょっとすまん」

 

受話器の内線に切り替えるボタンを押すと、工廠へ繋がるボタンを押しつつそそくさと部屋の外へと出る。朝霧が部屋を出た後、取り残された陽炎は申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、猫の様に腰を丸めていた。瑞鶴は頭を抱えると、疲労感を隠せない表情で呟く。

 

「はぁ……訳分からない事ばかりね……とりあえず、話はあいつが戻って来てからに――」

 

『だけど、先ずはこの艦娘から――』

 

「悪い悪い」

 

瑞鶴が言葉を紡ぎ終わる前に朝霧は部屋へと戻ると、受話器を戻し再び椅子に腰かけた。

 

「で、話を聞かせて貰うわよ……っと、その前に陽炎が見つかったって報告しないとね」

 

『今この場では、こいつさえ始末すれば、残りを消すのは簡単。背を向けたなら――』

 

「ちょっと、瑞鶴さ」

 

「何よ?」

 

「瑞鶴の好きな食べ物って何?」

 

「ハァ!?こんな時に何言ってるのよ……」

 

「いや、俺はカレーが好きなんだけどさ」

 

『………………』

 

「はいはい、馬鹿言ってないで」

 

瑞鶴は朝霧に背を向け無線機へ足を踏み出す。その瞬間朝霧は翔鶴を睨み付けると、高揚の無い口調で翔鶴へ話しかける。

 

「なー翔鶴」

 

「はい?」

 

翔鶴は無表情で朝霧と向き直すと、首を傾げ次の言葉を待つ。

 

「指輪、どったの?」

 

その言葉に瑞鶴は無線機の寸前で足を止めると、踵を返し翔鶴の手元を見る。

 

「……この指輪が何か?」

 

翔鶴は右手を顔付近まで掲げると、人差し指に嵌っている指輪を朝霧に見せつける。朝霧は顔を顰めながら立ち上がると、右手で椅子を握り左手をデスクに突く。

 

「そろそろ限界か……いや、深海棲艦は結婚指輪を左手の薬指に嵌めるなんて知らないんだろうかと思って」

 

次の瞬間、朝霧は右手に握った椅子を持ち上げ、全力で翔鶴へ向かい投げつける。陽炎は突然の行動に驚きソファーから転がり落ち、瑞鶴は短い悲鳴を上げながら尻餅をつく。

 

「チィッ!」

 

翔鶴は椅子を左手で薙ぎ、左の壁へと弾き飛ばすと尻餅をついた瑞鶴に向かい距離を詰める。

その間、朝霧にとっては嫌な思い出のあるレ級特有の尻尾がうねりを上げながら翔鶴から生える。朝霧がデスクの上を飛び越えた瞬間、司令室のドアが轟音と共に吹き飛んだ。吹き飛んだドアはレ級へ直撃し、バランスを崩すが倒れる寸前で後ろ足を突き踏み止まる。

 

「Just Timingネッ!」

 

「間に合いましたねッ!」

 

艤装を装備した榛名と金剛が部屋へと飛び込んでくる。それを受けた朝霧はソファーから転がり落ち、頭を抱えている陽炎の上から覆い被さり、金剛は腰が抜けている瑞鶴を抱きかかえる。目前にあったドアを鬱陶しそうに払いのけたレ級が次に見た光景は、戦艦を簡単に屠ることの出来る41cm砲が眼前に突き付けられているものだった。火花が散ったと思えば、次の瞬間には下腹部まで突き抜ける衝撃と轟音と共にレ級の上半身を吹き飛ばし、その体ごと後方の窓ガラスへと叩き付けた。窓ガラスは粉々に砕け、レ級の体は窓から落下していく。

 

「大丈夫ですか提督!」

 

「ああ、何とか生きてる」

 

朝霧は体をゆっくり起こすと、風通しのよくなった司令室を見て溜息を吐く。金剛に抱えられていた瑞鶴は呆然とその光景を傍観していたが、我に返ると立ち上がり辺りを見渡す。

 

「ちょっと……本物の翔鶴姉は何処よッ!」

 

「翔鶴の指輪をしてたんならそういうことだろ」

 

朝霧は無線機に駆け出すと、鎮守府内全域に届く範囲のマイクを入れる。

 

「総員に告ぐ、艦娘に成りすましていた深海棲艦は仕留めた、陽炎も無事だ。今は恐らく翔鶴が危ない、全力で探し出せ」

 

その言葉を聞いた瑞鶴は一目散に司令室を飛び出し、金剛は心配そうに朝霧を見ていたが、朝霧に顎で外を指され翔鶴の捜索へと向かう。それを見送った朝霧はソファーへと腰かけ、未だに地面へと寝転がっている陽炎を手招きする。

 

「何?」

 

近付いて来た陽炎を抱き上げると、膝の間に座り込ませる。陽炎は一瞬抵抗したが、疲労感から足掻く事無く、むしろ役得と考え背中を朝霧の胸へと預ける。

 

「榛名は残ってくれ、念の為な」

 

「はい、手当いたしますね」

 

榛名は救急箱を棚から手に取ると、朝霧の横へと座り救急箱を開ける。

 

「それで、何で翔鶴さんに化けてるってわかったのですか?」

 

朝霧は内線で明石に連絡を取り、近くに居る戦艦か重巡に艤装を持たせて大至急司令室へ来るように伝言していた。明石は大急ぎで飛び出し、たまたま陽炎捜索の為に通りかかっていた金剛と榛名を見つけ、司令室へ全速力で向かうように伝えたのだった。司令室に辿り着く寸前、中から何かが壊れる音がし、嫌な予感を感じ飛び込んできたのが事の顛末だった。

 

「まあ指輪を右手人差し指にしてたってのと、一番は今榛名がやってくれてることか」

 

榛名は首を傾げながら頬へガーゼを貼る。

 

「手当て……ああ、分かりました!」

 

その時、朝霧の言葉の意味を理解し成る程と頷くと納得する。

 

「怪我をしてたのに翔鶴さんは何も仰らなかったんですね」

 

「そそ、あいつなら真っ先に駆け寄って来て事情を聞いて手当てしてくれるだろうからね」

 

「良いですね、その信頼関係」

 

「全くだよ」

 

「あれ、と言うことはこの怪我、レ級にやられた傷じゃないってことですね」

 

「どっかのじゃじゃ馬にやられた」

 

陽炎は肩を竦めると、猫の様に丸くなり申し訳なさそうな表情を浮かべると顔を伏せた。

 

「はい、終わりましたよ」

 

「すまんな、じゃあ俺は安全確保出来て事情をみんなに伝えたらまた大本営戻るから」

 

「そのお怪我で大丈夫なんですか?」

 

「ほったらかして来たからな、戻らないとどやされるし、ついでに今の事報告しないと」

 

「……横須賀の時もそうでしたが、鎮守府の警備……榛名分かります、ザル警備でしたっけ」

 

「そう言ってやるな、IDがクソの役にも立ってないって皮肉言ってくるから。まあどうにかなる問題でもないんだけどなー……作戦も近いし」

 

「海域攻略……でしたね」

 

「ああ、近日中に攻略するのは確定してるよ」

 

朝霧は大規模作戦に多少の不安を覚えつつも、行動が早く何とか一命を取り留めた翔鶴を発見し、入渠させた報告を瑞鶴から受け一同を食堂へと集合させた。その時ばかりは入渠している翔鶴以外の横浜鎮守府に所属する全ての艦娘が集められ、間宮の夕食を頬張りながら朝霧の話に耳を傾けていた。睦月、如月は既に入渠を終え席についている。

 

「――と言うこと。まあ滅多にある事じゃないけどみんな警戒するように」

 

「でもさ提督ー。何とかならないのー?結構洒落にならなくない?」

 

鈴谷の言葉に一同は関心を向け黙り込むと、朝霧の次の言葉を待つ。

 

「次の作戦が終わったら鎮守府周辺にセンサーかなんかつけてもらう様に頼んでみるよ。これで二件目なら対処してくれるはずよ」

 

「おー、頑張って説得してきてねー」

 

「はいはい。それじゃまた行ってくるわ。瑞鶴、龍驤。任せた」

 

朝霧は喧噪の止まない食堂を後にすると、次の南方海域攻略の編成を頭で練りながら鎮守府出口へ向かい廊下を歩いて行った。食堂内では何時も通りの談笑が続いているが、何処かぎこちなく、一人食事を取っていた陽炎は居心地が悪くなり席を立つ。さっさと食堂を出た陽炎は、後ろから追いかけてくる足音に気付き踵を返す。

 

「……陽炎」

 

陽炎に追いついた不知火はバツが悪そうな表情を浮かべ、下唇を噛みながら正面へ立つ。歯切れが悪く、謝ろうにもどう弁明していいか分からず言い淀んでいる不知火に笑いを漏らす陽炎。

 

「気にしてないよ。仕方なかったもん」

 

「……本当に、悪かったわ」

 

「そうね。じゃあそのブレスレット頂戴?私指輪二個貰うから!」

 

「……それは……」

 

「じょーだんよ、冗談。間宮さんのデザート券三枚で許してあげるわ」

 

「陽炎……」

 

「……私も、何時までもうじうじしてたら性に合わないわね」

 

陽炎は食堂へ駆け出すと、一同の前に立ち大きく息を吸う。各テーブルの艦娘達は顔を見合わせると、視線を陽炎へと注ぐ。

 

「私のせいで色々誤解させちゃったみたいでごめんなさい!でも今皆がこうして笑ってご飯を食べられてるのは私のおかげでもあります!」

 

陽炎の唐突な言葉に一同は一瞬固まったが、やがて拍手と共に大歓声が生まれた。暗い出来事を暗いまま終わらせればそれは士気の低下にも繋がる。それを理解している艦娘達は全員が無事だったことも含め、大歓声と共に場を盛り上げる。調子に乗った軽空母達が酒を呑み散らかし、駆逐艦を巻き込んで陽炎を胴上げしたりと食堂内はてんやわんやとなっていた。皆薄々大規模作戦が近付いていることを察していた為、この面子と次に顔を合わせられる保証が無いことも理解している。それも含め、いざという時の為自重した数人の艦娘を除き、酒を飲み明かしどんちゃん騒ぎとなりその日は幕を閉じた。

 



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束の間の休息

「どうなの!?」

 

「…………」

 

大本営から帰還し、作戦決行が二週間後に決定した旨を朝食時に伝えたその夕方。朝霧は浴衣姿の艦娘達に囲まれ、外出許可証を突き出されていた。その日の朝霧は珍しく、秘書艦であった扶桑にちょっかいを出す事無く、黙々と書類や資料と睨み合いを続けていた。扶桑は作戦の事となると真剣に向かい合う朝霧の姿を見て、翔鶴達が好意を向けているワケを再度認識していた。途中扶桑に手を出すことを危惧した山城がちょくちょく司令室を訪れていたが、昼食も取らずデスクに居座っている姿を見て安心すると、宿舎へと戻っていった。

 

「どうぞ、余り根気を詰めすぎないで下さいね」

 

扶桑は湯呑に淹れたお茶を朝霧に差し出すと、朝霧は隈だらけの目で扶桑を見上げ湯呑を受け取った。

 

「根気詰めないとな、資源管理と艦隊編成で大規模作戦攻略はほぼ決まる」

 

そう言いながらお茶を啜った朝霧は再び書類に目を落とし、それを確認した扶桑は司令室の壁にかかっているカレンダーに目を移した。今日に向かい一週間前から×印がついており、今日の日付に二重丸が記されていた。陽炎が毎朝これ見よがしにカレンダーに×印をつけていくのを横目で見る朝が続いていたが、今日がその当日であった。

 

「提督は行かれないのですか?秋祭り」

 

横浜の下町で行われる秋祭り、その祭りを毎年心待ちにしている艦娘は多く、浴衣を買いに行ったりと祭りに向けての準備を着々と進めていた。朝霧は大規模作戦の事もあり、最低限の遠征以外は出撃を控えていた。その為多くの艦娘が鎮守府で暇を持て余している。勿論訓練を行っている者や、装備の整備に勤しむ者も居るが、基本自由の命令を受けた駆逐艦娘は滅多に無い休みを堪能していた。朝霧自身もピリピリとした雰囲気で作戦に臨むことを良しとせず、かと言って呆けすぎて緊張感を損なわぬよう、瑞鶴と翔鶴に羽目を外しすぎない様に見張りを頼んでいた。まさか夕方、その瑞鶴と翔鶴が艦娘達を引き連れ、お揃いの浴衣姿で押しかけてくるとは夢にも思わなかった。

 

「……祭り行くの?」

 

「ええ。勿論許可してくれるわよね」

 

「…………」

 

「どうなの!?」

 

後ろの駆逐艦達は既に行くことが決定しているような会話をしており、普段諌め役を担っている那智や羽黒でさえ、浴衣姿で談笑していた。此処で断ると士気に関わる可能性があるのに加え、恐らく朝霧が駄目なら秘書艦である扶桑を説得し、外出許可をもぎ取っていくだろう。鎮守府が蛻の殻になる可能性を危惧したが、瑞鶴から祭りに行かない艦娘達の名を聞き、要事に備える事は出来ることを確認する。

 

「……準備いいな。行かない奴らは納得したのか」

 

「恨みっこなしのクジ引きで決めたから大丈夫よ、お土産も勿論買ってくるわ!」

 

「…………行ってらっしゃい」

 

「やったー!」

 

その言葉に駆逐艦や潜水艦達は飛び跳ねると、扶桑に外出許可証を手渡し次々に部屋を飛び出していく。翔鶴は物欲しそうな目で朝霧を見つめていたが、姉妹水入らずで楽しんで来いとの朝霧の言葉に瑞鶴と司令室を後にしていった。やがて扶桑と二人きりに戻った司令室に浴衣に着替えた山城が顔を出し、扶桑の分も含め、二枚の外出許可証を朝霧のデスクに叩き付ける。

 

「行かせて頂きます、いいですね?」

 

「駄目よ山城。今日は私秘書艦で――」

 

「いやいいよ。行ってきな」

 

「ですが……」

 

「書類は全部やっとくし、龍驤は残るみたいだからもしものことがあっても大丈夫だよ」

 

「…………」

 

「気を遣わなくてもいいよ別に。普段頑張ってくれてるんだからこれ位のご褒美はあってもいいだろ」

 

「そうですよ姉様!書類は全部この人に押し付けて――」

 

「お前には言ってないぞ」

 

「……では、お言葉に甘えます。何かあったら直ぐ戻りますので」

 

「おう、楽しんで来い」

 

山城に引き摺られていく扶桑を見届けた後、未だ決めきられていない編成に再び頭を悩ませ始めた。祭りごとや賑やかなものが大好きな朝霧は当然参加したかったが、復帰してから初の大規模作戦に緊張を覚え、何度も何度も編成を考え直していた。大本営に出頭していた時にも殆ど眠れておらず、現在も碌な睡眠を取っていなかった。もう一息と扶桑が淹れたお茶を飲み干した瞬間、扉の向こうから短いツインテールを揺らしながら、部屋の中を覗き込んでいた龍驤の姿が視界に入る。

 

「なんや、祭り行かんかったんか?」

 

「……まーね」

 

「行って来ればええよ。ウチがみといたるし」

 

「……いやいい」

 

「良くないわ。そんな顔で指揮される身にもなってみ。息抜きも大事やで」

 

「……龍驤は俺と行きたい?」

 

「そりゃ行きたいで。でも鎮守府に誰か残っとらんとあかんからね。キミは誰か連れて楽しんできなよ」

 

朝霧は龍驤の好意を無碍にする気も起らず、進めていた書類を龍驤に手渡すと、再度お礼を言う。

 

「ありがとう」

 

「ええよ」

 

朝霧は菩薩の様な笑みを浮かべた龍驤を思わず崇め、手の平を顔の前で合わせ拝み始める。頭にチョップを入れられ、さっさと行ってこいと促された朝霧は司令室を出ると、既に日が落ち暗くなっている廊下を歩き始める。既に祭りへ行く予定であった艦娘は全員鎮守府を飛び出しており、向かった先で誰かと出店を回ろうと決め鎮守府を後にした。秋祭りは活気に溢れており、子供からお年寄りまで様々な人々が出店を楽しみ、その中に紛れている艦娘達も祭りを堪能していた。

 

「よー、満喫してんなー」

 

「あ!提督なの!」

 

頭にお面を乗せた伊19は、共に外出を勝ち取った伊8と共にフランクフルトを食べながら出店を回っていた。伊19は朝霧の腕に抱き付くと、猫なで声を上げながら視線を横の綿菓子屋に向ける。

 

「イク綿菓子食べたいな」

 

「……良いよ。はっちゃんもいるか?」

 

「うん」

 

朝霧は懐から財布を取り出し、二人分の綿菓子を購入すると腰を曲げ二人に綿菓子を手渡す。

 

「ありがとうなのー!」

 

「Danke!」

 

伊19達と別れた朝霧は、何やら射的屋の前で人だかりが出来ている事に気が付いた。人だかりを掻き分け屋台の前に出ると、見覚えのある髪型の女性が二人、勝ち取った景品を横に積み上げ、射的屋の景品を根こそぎ奪わん勢いで次々と的を落としていく。

 

「これでPerfectネ!」

 

「流石です金剛お姉様!私も負けませんよ!」

 

「おーおー。店主泣いてんじゃねえか、その辺にしとけよ」

 

「What's!?提督!来てたのネ!」

 

金剛は霧島を引き連れ、各屋台の射的屋を根こそぎ襲撃し、店主を泣かせながら景品を荒稼ぎしていた。

 

「似合ってるな、浴衣。金剛も霧島も可愛いぞ」

 

「キャー!提督大胆ネ!」

 

「ありがとうございます」

 

恐らくクジ運で参加出来なかったであろう榛名を憐れみながらも、朝霧は金剛に羽目を外しすぎない様釘を刺すとその場を後にする。目的も無くぶらぶらと歩いていると、小さな人影が二つ、金魚掬い屋の前でしゃがみ込み、唸りながら網と金魚を交互に見つめていた。

 

「もー!何よこれ!直ぐ破けちゃうじゃない!」

 

「難しいな、これは」

 

「せめて一匹くらい持って帰ってあげないと、雷と電に申し訳ないわ……」

 

「コツがあるんだよ」

 

「わっ!……ってあれ、司令官じゃない」

 

金魚掬いに悪戦苦闘していた暁は、水槽から顔を上げると、朝霧と目を合わせる。泣きそうになっていた暁を見かねた朝霧は、右手を暁へと差し出す。

 

「貸してみ」

 

朝霧は半分破けていた暁の網を受け取ると、暁と響の間にしゃがみ込み、水槽を泳ぐ金魚に狙いを定める。

 

「よっと」

 

網の端に金魚を吸い寄せると、軽々と金魚を掬い上げ響が手に持っていた器へ金魚を入れる。

 

「……!ハラショー」

 

「凄い司令!どうやったの!?」

 

「網を水につけるのは金魚を掬う一瞬だけでいいんだよ。直ぐ破けるからな」

 

「貸して!やってみるわ!」

 

朝霧は暁に網を返し立ち上がると、頑張れよと頭を撫で、子供扱いしないでと暁に反発された所で踵を返すと、他の艦娘を探しにぶらぶらと出店を回り始めた。

 



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束の間の休息

人混みに流されながら辺りをキョロキョロと見渡していると、見覚えのある桃色の頭が短く縛ったポニーテールを左右に揺らしているのが視界に入る。真っ先に悪戯する事を思いついた朝霧は、浴衣姿の大衆の中、艤装姿の明らかに浮いた存在になっている不知火の背後に忍び寄る。背後に気配を感じ、不知火が振り返ろうとした瞬間、両手を目元へと被せようと手を伸ばす。しかし、その直前に両腕を鷲掴みされた上に朝霧の関節を極め腕からは嫌な音が響く。

 

「ぐあああああああああああ!」

 

「おや、司令でしたか」

 

朝霧だと分かると何時もの事だと溜息を吐き、両手を離す。涙目になりながらも朝霧は道端を親指で指し、人混みを掻き分けながら進む朝霧の背中を不知火が追う。道端へ出た朝霧は石垣に背中を預けると、後から来た不知火と目を合わせる。何処となく表情が沈んでいる様に見えた朝霧は、一人で棒立ちしていた事に疑問を覚え尋ねる。

 

「何で一人で居たの」

 

「陽炎と居たのですが、はぐれてしまいました」

 

「そうかい…………って、どした?」

 

不知火はもたれかかっている朝霧の横へ寄り添うと、道端から人だかりの出来ているたこ焼き屋をまじまじと見つめ、直ぐに横目で朝霧をチラ見し、また視線をたこ焼き屋に戻す。五回程繰り返すと、朝霧は観念して背中を起こすと両手を上げる。

 

「あー!分かったよ!買ってくればいいんだろ!」

 

「不知火は何も言ってませんが?」

 

「目が買えって言ってたぞ」

 

朝霧は再び人混みの中へ体を押し込むと、流されぬようまるで激流の最中の対岸へ渡る様に足を踏ん張る。やっとの思いでたこ焼き屋の前に辿り着いた朝霧は、順番を待ちながら目の前でたこ焼きを買っていく人々を見つめる。まさかジーパンにシャツ一枚姿のこの男が横浜鎮守府提督だと思う者は居らず、家族連れや学生、将又恋人等様々な市民がたこ焼きを手にし、笑顔を浮かべている。

 

「…………」

 

たこ焼きを買って戻った朝霧は、不知火に発泡スチロールの容器を手渡すと、辺りを見渡し座れそうな場所を探す。少し先にあった神社の石段を見つけると、不知火に同行を促し石段付近まで歩み寄る。歩き疲れた人々が疎らに座っており、五段目まで階段を昇った所で腰を下ろす。その横に座り込んだ不知火はたこ焼きの容器を開けると、一つのたこ焼きに刺さっている爪楊枝を手に取る。

 

「……昔な」

 

「ふぁい?」

 

熱々のたこ焼きを頬張りながら、予想外の中身の熱さに舌の上を転がしていた不知火は、突然の朝霧の言葉に無理矢理たこ焼きを飲み込む。

 

「俺がまだ提督になり立ての頃。最初っから戦果を上げられた訳じゃなかった」

 

「…………」

 

朝霧が自身の過去を語ることは滅多に無く、秘書艦時に聞ける昔話は海域攻略の話ばかりであり、身の上話を聞くのは不知火が初めてだった。腰を上げ座り直した不知火は容器の蓋を閉じると、緊張した面持ちで次の朝霧の言葉を待つ。

 

「そんな堅くなるなよ、只の思い出話だからさ」

 

「そうですか」

 

再び容器の蓋を開けた不知火は、二個目のたこ焼きに爪楊枝を刺し、大口を開け頬張る。

 

「上からはずっと愚痴を聞かされててさ、最初は鎮守府に攻められてばかりで訳も分からず資材大量消費、それでも必死に防衛ばっかやってたけど何回も大目玉食らってさ」

 

「鎮守府を防衛したって戦果は貰えないし、誰かに褒められるワケじゃない。支持されるのは難解海域を攻略した提督だけだってな。何でこんなクソつまんねえ事してんだろうなって北上に愚痴ったら、丁度その時やってたこの祭りに連れて来られてよ」

 

 

 

「まー、確かに私達のやってることって直接褒められたりする事って全然ないよねー。でもまあ、此処で皆が笑ってお祭りを楽しめてるのは頑張ってる提督のお陰だと思うよ。少なくともアタシは提督が頑張ってること知ってるよーって……らしくなかったね」

 

 

 

「そう言われてな、年甲斐なく号泣した」

 

「あっふあふ、色々大変だったのですね」

 

「まーそういう事よ、この話にオチは無いし、偶々思い出しただけ」

 

朝霧の表情を見た不知火は、四つ目のたこ焼きに爪楊枝を刺し、持ち上げると口へは頬張らず、たこ焼きを見つめ視線を朝霧に向ける。体を横へ向け、無言でたこ焼きを口元に差し出してきた不知火に朝霧は一瞬戸惑ったが、口元を緩めるとたこ焼きを頬張る。

 

「……うまいな」

 

「……はい」

 

体を正面へ戻すと、再びたこ焼きを口の中へと放り込み流れていく人混みを見つめる。まだ暑さが残っている初秋の夜が、じめじめとシャツを汗で濡らし始めたのを感じ、帰ろうかと腰を上げようとした時。

 

「不知火も」

 

「ん?」

 

「不知火も知っています。不器用なのに艦娘と過度なスキンシップを取ろうとして空回っているヘタレな司令を、告白しようとして逃げ出したもの」

 

「おいぃ!そこでその話するの!?」

 

「……そして司令が皆の事を真剣に考えて、考えて……とても必死なのを」

 

不知火の真剣な瞳に朝霧は思わず押し黙り、恥ずかしさからか胸ポケットから煙草を取り出し咥える。少し震える手で火を点けると、話を続けていく不知火の言葉に耳を傾ける。

 

「…………」

 

「初めて会った時、正直不安でした。この人が司令になって鎮守府は大丈夫なのかと」

 

「…………」

 

「たった三か月程ですが、様々な事がありました。そうしていく内に段々その人に興味が出てきました」

 

「…………」

 

「その人はヘタレで不器用ですが、艦娘を分け隔てなく大切にする方でした」

 

「…………」

 

「やがて興味が好意に変わりました。最初は分からなかったのですが、確かにその人の事が好きになっていました」

 

「…………」

 

「その人にプレゼントを頂いた時、舞い上がってしまいました。ですがどうしてでしょう、それ以上の物が欲しくなってきました」

 

「…………」

 

「朝霧司令。不知火は司令の事をお慕いしております。もし戦いが終わることがあれば、その時は結婚して頂けないでしょうか」

 

表情は何時も通りの冷静な不知火であったが、手袋の中は汗で塗れ、先程から容器を持つ手が震えている。鎮守府内なら絶対に言えなかったこの言葉だったが、祭りの雰囲気が不知火の告白を後押しさせていた。返事を待つ不知火の頬は紅潮し、背中や額からは汗が流れ落ち唇やシャツを濡らしていく。

 

「……すげえ嬉しいよ。でも俺には好きな人が居るんだ」

 

「……そうですか」

 

朝霧は不知火と目を合わせないまま、階段を降りていくと携帯灰皿に煙草を押し込み人混みの中へ入っていく。その背中を立ち尽くしながら見送った不知火は、頭を垂れると残りのたこ焼きに爪楊枝を刺していく。目頭が熱くなっていき、ぼやけていく視界に、初めての涙を流すと言う不思議な感覚を覚えていく。断られることは分かっていた、翔鶴に指輪を渡してるのも、龍驤の事が好きなのも。しかし、言わずにはいられなかった。普段感情を露わにする事は少ない自分だが、朝霧には自分の正直な気持ちを知っていて欲しかった。

 

「……しょっぱいですね。塩なんてかかっていましたか」

 

「っと、居た―!不知火ー!……って、何で泣いてるの!?」

 

その時、聞き覚えのある声と共に、相方の陽炎が階段を駆け上がってくる。不知火の顔を見るや否や、陽炎は驚きの声を上げる。長年の付き合いだが、陽炎は不知火が涙を流している所をまだ見たことが無かった。

 

「……別に」

 

「もう!そんなに私とはぐれて寂しかったの?不知火は可愛いなー!」

 

「…………」

 

何時もなら鉄拳が飛んでくる所だが、しおらしく俯いている不知火に陽炎はどうしたもんかと頭を悩ませる。

 

「まー、胸なら貸してあげるわよ。泣きたい時は思いっきり泣いたらいいのよ」

 

陽炎は不知火の横に腰を降ろすと、そっと不知火の頭に手を回し、両手で優しく撫で始める。

陽炎の胸へ顔を押し付けた不知火は、声を押し殺して嗚咽し始めた。

司令室に戻った朝霧は、書類が全て片付いている事に驚きながらも龍驤に感謝し、ソファーへ腰かける。デスクに散らばっていた編成の書類はファイルに纏められており、それを手に取ると再び編成についての思考を巡らせていく。十数分後司令室の扉がノックされ、断りを得て扉を開けた人物に朝霧は驚きのあまり手に握っていたファイルを床に落とす。

 

「失礼します」

 

「っとと……ぬいぬい、どした?」

 

泣きはらした目のまま目の前に立ちはだかる不知火に少し恐怖を覚えると、まさか報復されるんじゃないかと身構える。

 

「色々考えましたが、妻では無く愛人としてなら大丈夫ではないでしょうか」

 

「……は?」

 

「と言うことで、失礼します。たまにはお休みになられて下さいね」

 

突然の不知火の告白に言葉を失っていた朝霧は、部屋を去った後も呆け続け、後に部屋に訪れた鈴谷に顔をつつかれ正気を取り戻した。

 

「どうしたの?そんな間抜けな顔で」

 

「……いや、一夫多妻制って良いよねって」

 

「いや……浮気は良くないでしょ」

 

こうして日々は過ぎて行き、大きな襲撃も無くついに作戦決行前日を迎えた朝霧は、司令室に睦月と如月を呼び出していた。

 

 



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睦月型駆逐艦の戦い

後部座席で揺られていた如月は、横に座っている睦月の顔と窓から見える景色を交互に見比べていた。うつらうつらと舟をこぎそうになっている睦月に少し笑いを漏らすと、背もたれに体重を預け窓からの景色を見つめる。ついに南方攻略作戦が展開され、鎮守府は慌ただしくなっていた。数ある鎮守府の中でも高い戦力を誇っている横浜鎮守府からは、大規模作戦の際に艦娘が他鎮守府へ転属になることが多々あった。主力部隊が抜けてしまった鎮守府は戦力が手薄になる。それに加え、備蓄されている資材は殆どが作戦に投入される為、鎮守府に残された艦娘達は必然的にコストがかからない駆逐艦が多くなる。既に北部や東部にある鎮守府からは南方へと作戦部隊が先行しており、今回の作戦の要となる佐世保鎮守府からも本隊が出撃したとの報告が全鎮守府に届けられた。会議の結果、如月と睦月の二人は駆逐艦の数が不足していた呉鎮守府への転属が決定していた。転属と言っても作戦時のみであり、作戦が終了次第横浜へと戻る。睦月型は総じて耐久に乏しい。朝霧は決して口にはしないが、自分達が海路で呉鎮守府へ向かわないのは、その装甲から他の駆逐艦と比べ大破する可能性が高く、安全の為陸路で作戦海域へ向かっているのではないかと感じていた。駆逐艦娘であることは誇りに思っている。しかし、性能の壁はどうしても超えられない。

夕立及び時雨はその性能から他鎮守府に引っ張りだこになる事が多い、陽炎や不知火も同じだ。その上まだ大規模改装を残していると言うのだ、末恐ろしくなる。しかし自分達はどうだろうか、第一次改装を終えただけで、次の大規模改装の目処は立ってない。どれだけ体を鍛えても、砲撃の火力が上がる訳では無い。どれだけ足を鍛えても、速力が上がる訳では無い。

無論鍛えることにより扱いの練度は変わってくるが、機械を扱っている以上元々の性能を超える事は叶わない。過去に睦月型が作戦の為に見捨てられ、散っていった例もある。

 

「……むー……どうしたの如月ちゃん?」

 

「えっ?」

 

自然と眉間に皺を寄せていることに気付いた如月は、直ぐに何時も通りの表情を浮かべる。

 

「難しい顔してたから」

 

それでも如月は腐る事は決してなかった。それは朝霧が出発時に自分達に持たせた荷物、その艤装以外に託された二つの装備は朝霧の信頼が前面に出ている物だった。三式水中探信儀と三式爆雷投射機、三式ソナーや三式爆雷と略されることもある。潜水艦に対して大きな打撃を与える事の出来るソナーと爆雷は、まだ数が普及しておらず一般的に使われるのは九三式ソナーや九四式爆雷である。その性能を大幅改良したそれは非常にレアリティが高く、本来大規模作戦の為に佐世保へ輸送されてもおかしくない代物である。

 

「これを……如月達にくれるの?」

 

「内緒な、それ公にしてないから」

 

「って、勝手に作ったの!?」

 

朝霧が現役時代に残した小さな鍵、それはまだ資材管理が疎かの時代に少しずつ備蓄していた資材の保管庫だった。秘密裏に明石と装備開発を進め、朝霧は主砲や艦載機開発では無く、駆逐艦の強みと言える潜水艦への打撃の強化に重点を置いていた。その結果資材をほぼ使い尽くし完成したのが三式ソナーと三式爆雷だった。現在資材管理は厳しく、開発した装備は逐一資材消費量と開発結果を報告する義務がある。

 

「こんなの上にバレたら即作戦の為に上納だよ」

 

「でも……」

 

「いいんだよバレなきゃ、それにお前らにしか出来ないことがあるだろ。俺に出来るのはそれを後押しする事だけだから気にすんな」

 

命令違反の危険を冒し、果てには性能に乏しい自分達に託された最新装備。しかし気負いする事は決して無く、信頼の証として受け取ったそれは二人に多大な勇気を与えた。

 

(……ありがとう。あなた)

 

「何でもないわよ……それはそうと、睦月ちゃんは如月達の行先覚えてる?」

 

「もー!覚えてるよー!」

 

如月は無邪気な笑顔を振りまいている睦月に感化され、自然と笑みを浮かべられていた事に気付き小声で感謝の意を述べると、呉到着までまだまだ時間がある事に気付き体から力を抜いた。横浜鎮守府に残された朝霧は、誰も居ない食堂にて編成資料を見ながら一人で酒を呷っていた。主力部隊として空母や軽空母、戦艦に重巡と、主力戦力が殆ど駆り出されており、鎮守府に残されている主戦力は榛名のみであった。大規模作戦ほど練度が高まるものは無く、進水して間もない金剛は作戦の部隊に組み入られていた。三杯目の日本酒を胃袋に流し込んだ瞬間、食堂の扉がガラガラと音を立て開かれたが、朝霧は気にせず目線を落とし酒を呑む。

 

「……提督」

 

サイドテールを揺らしながら、朝霧の席の向かいに腰を下ろした一航戦の加賀は間宮から杯を受け取り日本酒を注ぐ。

 

「不安そうですね」

 

「不安だよ」

 

大規模作戦に全ての戦力を投入してしまい、鎮守府が襲撃され落とされてしまっては本末転倒である。正規空母として高練度の瑞鶴と翔鶴が作戦に参加し、代わりに横浜に加賀が転属する事が決定していた。作戦に参加する正規空母は二航戦に五航戦、大鳳や海外艦等多くの主力が投入されている。一航戦の戦力は絶大だが、正規空母の数は作戦に足りており、二人は今回待機の命令となった。

 

「安心出来る作戦なんて無いからな」

 

「……そうですね、ですが提督の艦娘達は非常に優秀です。きっと戦果を上げて帰ってくるでしょう」

 

「……だといいけどね。で、墨田とは最近うまくやってるの?」

 

「はい。まだぎこちない感じはありますが、段々皆からの信頼を集めています」

 

「そうかい」

 

「提督のお陰です。感謝してもしきれません」

 

「そりゃどーも」

 

その時、突如朝霧の携帯電話が食堂内に鳴り響き、加賀は驚きのあまり杯を落としそうになる。ポケットから携帯電話を取り出すと、ディスプレイを確認する。そこに表示されていたのは如月の携帯番号であり、加賀に一言断りを入れ即座に通話ボタンを押す。

 

「すまん」

 

「はい」

 

電話に出た朝霧の耳に届いたのは焦燥を含んだ如月の声であり、嫌な予感が先行し一気に酔いが醒める。

 

「どした」

 

「今静岡辺りなのだけど、車が止まったのよ」

 

「……なんで」

 

「事故みたい……凄い渋滞よ」

 

「……ドライバーに代わって」

 

「朝霧中将でありますか?」

 

「ほい、渋滞してるって?」

 

「はい、先の事故の影響で、車は当分動きそうにありませんね」

 

「んあー……公共交通機関使っとけばよかったか……近くに駅はある?」

 

「…………はい、車を降りて南下していけば駅があります。徒歩で二十分程でしょうか。高速道路を降りたばかりなので徒歩で向かうことは可能です」

 

「駅使った方が早そうかね。如月に代わって」

 

「司令?如月よ」

 

「地図で駅の場所を確認、艤装を持って駅にいけるか?」

 

「ええ。任せて」

 

「何かあったら逐一報告、以上」

 

電話を切った朝霧は携帯電話を机の上に置き、再び腰を下ろす。

 

「……何か?」

 

「んにゃ大した事じゃないよ。まー作戦ってのは何か起こるのが通例なのか」

 

電話を切った如月は携帯電話をポケットへしまうと、地図を受け取り駅の位置を確認する。

ドライバーに頼み車を路肩に寄せて貰うと、後部へ回り込み艤装が入ったバッグを肩にかける。

 

「じゃあ、後はお願いしますね」

 

「はい、お気をつけて」

 

如月と睦月は地図を睨めっこしながら、少し寂れた下町の商店街を歩き始める。艤装の重さに息を切らしながら商店街を歩いていた睦月は、腹の虫が鳴り始めた事に気付き、如月に目線で合図を送る。昼時を過ぎたものの、商店街の各方位からは食欲をそそる匂いが漂っており、睦月の腹の虫は更に暴れ始める。

 

「ご飯食べる?」

 

「うん、お腹空いたにゃー」

 

「さっき調べて貰ったら、特急電車に乗るまでまだ時間があるみたいね。ご飯にしましょう」

 

如月は辺りを見渡すと適当な食堂へ足を向け、展示されていた食品サンプルを見て食欲が生まれ始める。睦月が我慢出来ないと扉の外から中が混雑していないことを確認すると、引き戸に手をかけ扉を開ける。

 

「こんにちは」

 

「こんにちはー!」

 

「いらっしゃい」

 

ちらほら仕事の休憩中であろう客が居るものの、昼時が過ぎている店内は空いており、店の端に場所を決めバッグを床に置き睦月はソファーに飛び込み、如月は向かいの椅子に腰かける。

店主であろう初老の女性が水をテーブルの上へと置くと、目を輝かせながらメニューを食い入る様に見つめる睦月の様子を見て笑みを浮かべる。

 

「見ない顔だけど、旅行かい?」

 

「……はい。お薦めはありますか?」

 

「ウチの海鮮焼きそばは絶品だよ」

 

「焼きそば食べるー」

 

「きさ……私も焼きそばにしようかしら」

 

「はいよ」

 

メニューを賜った店主が厨房へ入っていくのを見送ると、出されたお冷に口をつける。汗をかいた体に染み込むお冷に唸りを上げる睦月を見て微笑みながら、如月は両肘をテーブルに突き頬へ手を当てる。その時、食堂の扉が勢い良く開かれ、二人は体を震わせ何事かと入口に視線を移す。入口にはまだ若い青年が立っており、食事を進めていた初老の男性達が座っているテーブルへ駆け寄る。盗み聞きするつもりは無かったが、狭い店内に数名の客のみでありその声は二人へと届く。

 

「山口さんの所の若いのが海に出たって……」

 

「っ……何だと!?今は鎮守府から哨戒が出ておらんぞ!」

 

深海棲艦の特徴の一つに、攻撃対象は船、そして鎮守府のみと言うものがある。今まで深海棲艦が鎮守府以外の海沿いの町に攻撃した例は報告されておらず、現在も海沿いの住民は変わらず生活を続けている。しかし、一度海へ出てしまえばその船は深海棲艦の攻撃対象になり、轟沈される可能性がある。その為海に出る時は艦娘による護衛が不可欠であり、睦月達も度々船舶の哨戒任務に当たっている。現在は大規模作戦が展開されており、護衛を依頼する事が出来ず、どの町も海へ出る事は控えていた。

 

「また山口さんと喧嘩したとかで……」

 

「連れ戻せ!沖に出たらどうしようもないぞ!」

 

男性達は慌ただしくカウンターへ食事代を叩き付けると、一斉に店外へ飛び出していく。

その様子を傍観していた二人は顔を見合わせる。

 

「……どうするの?如月ちゃん」

 

「どうするって……如月達は早く呉に……」

 

その時、トレイに焼きそばを二人前乗せた店主がテーブルへ歩み寄り、皿を二人の前に並べる。出来立ての焼きそばは二人の食欲を刺激するが、先程の話が脳内を先行しており、箸を手に取らず店主へ疑問をぶつける。

 

「ごめんね、騒がしくて」

 

「さっきのって……」

 

「ああ……将来漁師を継ぐかどうかでよく揉めてる親子が居てね……こんなご時世、親は海の男なんて継がせたくないんだけどね」

 

「でも海へ……」

 

「……ええ、助けに出てるだろうけど……今海に出たら……」

 

二人は再び顔を見合わせると、無言で頷き箸を手に取り焼きそばを一気に胃袋へとかきこんでいく。

 

「ちょっと、そんなに急がなくても」

 

「っん……急いでやる事が出来ました」

 

「っはぁ……ご馳走様!美味しかったにゃー!」

 

二人はバッグを肩にかけると、代金を支払い店の外へと飛び出す。一目散に港へ駆け始めた睦月の後を追う如月は、道中携帯電話を取り出し再び朝霧へ通話をかけた。



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睦月型駆逐艦の戦い

「何かあったの」

 

「司令?それが――」

 

数コール後に電話が取られたのを確認した如月は、朝霧に要件を端的に伝えていく。船の救助に向かう旨を伝え終えた後、無言で唸っている朝霧に少しの不安を覚えた。上官である朝霧が出撃要請を拒否すれば二人は海へ出る事が叶わない。現時点が作戦中である事を考慮すれば、拒否される可能性も十二分に有り得た。渋っている朝霧に如月は出発前に朝霧に言われた言葉を反芻し、それをそのまま口に出す。

 

「これは如月達にしか出来ない事よ、あなた」

 

「…………一つ」

 

「何?」

 

「やるからには絶対に助けろよ」

 

「ええ、ありがとう」

 

如月は通話を切り携帯電話をポケットへ放り込むと睦月と肩を並べる。

 

「どうだったの?」

 

「大丈夫だって、急ぎましょう」

 

「うん!」

 

携帯電話をテーブルの上へと置いた朝霧は、盃が空になっている事に気付き、一升瓶に手を伸ばす。加賀は先に一升瓶を手に取ると、目で合図し朝霧は盃を差し出す。

 

「色々と大変なのですね」

 

「まったくな」

 

朝霧は艦娘に対して信頼を置いているのと同じ程度、現実的に物事を考えている。睦月型は火力に乏しく、耐久や装甲も薄い。その事を考慮して真っ先に本隊から二人を外し他鎮守府への警護に充てていた。敵重巡を屠る火力も無ければ、敵重巡から守る装甲も無い、だからこそ二人は自分達に出来る事を知っている。持たざるが故に自らの幅を理解している。それは戦闘において非常に有効な、一つの才能だった。敵に及ばなければ恥じる事無く撤退する、血の気が多い駆逐艦娘の誰もが出来る芸当では無い。それが睦月型の出来る事であり、睦月型の戦いだった。だからこそ朝霧は二人のみの出撃を許可していた。

港付近まで辿り着いた二人は、息をゆっくり整えながら肩にかけていたバッグを降ろし、漁港付近に人だかりが出来ているのを確認し歩み寄った。言い合いを続けている輪から外れている若い男性を見つけ、如月は声をかける。

 

「あの」

 

「ん?何だいお嬢ちゃん達」

 

「どなたか船で沖へ出ていったのですか?」

 

「ああ、それで助けに船を出すのに、色々モメててな……この様子だとまだ決まりそうにないな」

 

「睦月ちゃん」

 

如月は目線で睦月に合図すると、降ろしたバッグに駆け寄り中に入っている艤装を手に取る。

手慣れた手付きで艤装を装備すると、バッグの奥にしまわれていた三式ソナーと三式爆雷に目が留まる。艦娘は装備出来る艤装の数が固定されている。

現段階の睦月と如月には三つの装備が可能になっており、基本的には主砲を二つ、加えて魚雷や電探が主流になっている。今は作戦期間中であり、数が多くない電探は皆本隊に集められており、今の如月達には主砲が二つ、魚雷が一つ装備されていた。

 

「……睦月ちゃん、このソナー。持っていくわね」

 

「……うん。睦月は爆雷持っていくね」

 

二人は主砲の一つの代わりにそれぞれ三式ソナー、三式魚雷を装備すると、踵を返し先程話しかけた男性の元へと駆け出した。現実的な選択をすると、睦月型の主砲が二つから一つになった所で、倒せる敵駆逐艦が数隻から二隻になる程の変化しかない。だからこそ、もし潜水艦が居た時の事を考え、二人は貴重な装備の枠に対潜水艦装備を装着した。砲雷撃戦は華であり憧れでもある。しかし二人は理より実を取っていた。如月達の様子を傍観し、呆気に取られていた男性は、我に返ると如月達と向かい合う。

 

「お嬢ちゃん達……艦娘だったのか」

 

「はい、移動中のトラブルで少し寄り道を。救助は私達に任せて下さい」

 

「そうだな……時間が無い、頼めるか?爺様方には俺が話しておくよ」

 

「はい、その船の向かった方角は?」

 

「この港をそのまま直進していったそうだ。あのクルーザーはもう古くて速度は出ない。もしかしたら追いつけるかもしれん」

 

「任せて下さい」

 

二人は勢い良く海へ向かい駆け出すと、地面を蹴り上げまるで走り幅跳びの様に海へ向かい飛び出す。

 

「駆逐艦如月、出撃します!」

 

「如月ちゃんと睦月の艦隊!いざ参りますよー!」

 

海へ降り立った二人は速力を上げ、水平線へ向かい海を駆け始めた。その様子を傍観していた男性達は呆気に取られながら、二人の背中が小さくなるまで立ち尽くしていた。その日は雲がほんの少しだけ太陽にかかっているものの、日差しが海面に照り付けている快晴であり、見晴らしもよく波も穏やかだった。電探や偵察機が無い事が不便で仕方なかったが、無い物ねだりである事が分かっていた如月は声には出さず周囲を警戒しながら先へ進んで行く。五海里程直進した地点で如月は速力を落とし眉間に皺を寄せ周囲を見渡す。つられて睦月も敵影を確認するが、それらしき物は見当たらない。その様子を横目で見た如月は右手の人差し指を二時の方向へと向ける。

 

「如月ちゃん?」

 

「……よく見て」

 

睦月は如月に促され、指差された方向を凝視する。水平線上に見える黒い点、それが深海棲艦である事を睦月は即座に把握し如月に視線を移す。如月はその指を三時の方向へ向け、遥か先の海面を指し示す。そこには船舶等が走行した跡である航跡が伸びており、その航跡は五時の方向へと旋回している。

 

「如月ちゃんッ!」

 

如月は思考を巡らすより先に足を五時の方角へと踏み出し、全速力で航跡を目指し海面を疾走する。その後を睦月が追い、ただ速く滑る事のみを考え航跡をなぞる様に船を追う。

 

「見えたッ……!」

 

航跡が続く水平線の先、二時の方角から迫り来る深海棲艦から逃げる様に旋回している船の姿を捉えた。深海棲艦より先に船に辿り着く為、更に速力を上げる。二人は一言も発さず、歯を食い縛りながら全力で海面を蹴り上げ風を切る。

 

 

 

思えば馬鹿な事をした。舵を取りながら何度も後悔に震える手を無理矢理抑えつける。何時もの喧嘩からヤケになり、海へ繰り出したのが間違いだった。こんなご時世護衛を随伴させずに海へ出る事の愚かさは、きつく両親から言いつけられていた。後ろからは黒い悪魔が自分を追っている、祖父が残した年代物のこのクルーザーでは逃げ切れる筈も無い、後一分もすれば追いつかれるだろう。流れる涙を拭う気力は無く、ハンドルを取る手により無理矢理体を立たせているだけだった。ガソリンの残量を指し示す針は、既に空の方向へと振り切っている。どちらにせよ追いつかれるのは時間の問題だった。やがて船はゆっくりと速度を落としながら動きを緩めていく。これから確実に死ぬと分かってしまうと、恐怖で頭が支配され何を考えられなくなる。現に自分は今、ただ深海棲艦に背を向け舵を取る事しか出来ない。刻々と近付く処刑の時間に気が狂いそうになり、ついに全体重を支えていた手を離してしまい尻が床へと叩き付けられる。振り返れば確実に深海棲艦と目が合う事になる。まるで視線を固定されたかの様に前を見つめる事しか出来なかった。やがて腹の奥まで突き抜ける様な轟音と共に、船の前方に視界を遮る程の高い水飛沫が上がる。再び響いた轟音に次は無いと目を瞑り、両親の事を思い浮かべた。

 

(ごめんッ……)

 

 

 

「如月ちゃんッ!」

 

しかし、その瞬間耳に届いたのは自分の船が木端微塵になる音では無く、こんな所で響く筈の無い少女の悲鳴だった。その悲痛な叫びに思わず体を背後へ捻り状況を確認する。すると直後、クルーザーの後方に何か重い物が叩き付けられた様な、鈍い音が響き渡った。震える足を殴りつけ、船の後方へと歩み寄ると、そこにはあらぬ方向へと曲がった左腕から血を滴らせ、顔に無数の痣を作っている少女が肩で息をしながら立ち上がっていた。少女は自分の存在に気付き、振り返ると安堵した表情を浮かべる。

 

「良かった……ハァハァ……間に合ったみたいね」

 

「その怪我……それに……艦娘……?」

 

こんな場所に船も無く人間が居る事の意味は、海の仕事の手伝いに携わっていた身なら考えるまでも無かった。

 

「少し……待ってて……ね。今片付けるから」

 

「如月ちゃんッ!大丈夫!?」

 

「ええ……それより――」

 

如月は笑みを残したまま船から飛び降りると、急いで駆け寄って来た睦月を諌める。すぐさま深海棲艦へと視線を移すと、その数を目視で確認する。

 

「駆逐艦が二隻だけ……行ける……わね」

 

 

「うん、行くよ如月ちゃん」

 

睦月は如月の身が心配であったが、先ずは深海棲艦を倒す事が先決だと判断し主砲を駆逐艦へ向ける。

 

「主砲、撃ちます!」

 

如月は痛みに顔を歪めながらも、狙いを定め主砲を深海棲艦目掛け撃ち抜く。睦月と同時に発射された砲弾は、放物線を描きながら深海棲艦の直上へと吸い込まれていく。やがて爆音と共に火柱を上げ、煙が晴れた先には駆逐艦二隻の姿は無く、残骸が海上を漂っていた。

 

「轟沈確認……」

 

「うん、それより如月ちゃん!大丈夫なの!?」

 

身を挺して深海棲艦の砲撃から船を守った如月は肩で息をしており、魚雷管は使い物にならなくなっていた。睦月に肩を借り、体を預けた満身創痍の如月は意識を何とか保とうと唇を噛み締める。

 

「ええ……早く……戻りましょうか……」

 

朦朧とする意識の中、如月は睦月に心配をかけぬ様笑顔を向けるが、無事だったソナーが反応している事に目を見開く。ソナーには三時の方角に敵影が映っており、凄まじい勢いで距離を詰めている。

 

「潜水――」

 

敵砲撃の直撃により意識が薄れ、注意力が散漫していた如月は、既に自分達が潜水艦による魚雷の射程圏内に入っていた事に気付いていなかった。その事を理解した直後、白い泡を吹き上げながら一直線に向かう魚雷を目視で確認する。如月は咄嗟に睦月を突き飛ばすと、睦月を庇う様に魚雷に背を向ける。

 

「きさ――」

 

爆風で吹き飛ばされる睦月の目に映ったのは、背中の艤装から火を上げながら海面に叩き付けられる如月の姿だった。海面を転がる様に吹き飛ばされた睦月は直ぐに顔を上げるが、睦月の視界には如月の姿は映っていなかった。半分沈んでいた片足を無理矢理引っ張り上げ立ち上がり、周囲を見渡すが如月の姿は何処にも無い。声を上げようとするが、肺から上手く空気を吐き出せない。泣きそうになりながら周囲を見渡すと、とある物が視界に入り絶句する。

 

 

そこにはただ一つ、如月の艤装が海面を漂っていた。

 



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睦月型駆逐艦の戦い 終結

 

水面から漏れる太陽の光が段々と遠くなっていく。その先は何も無い、暗闇が支配する深海であり、艦娘の墓場でもある。沈みゆく如月は体がまるで石化していると錯覚する程、体に自由が無かった。意識だけが朦朧と残っており、轟沈の恐怖よりも仲間との思い出が強く浮かび、その一つ一つが水面に上がっていく泡に映り込んでいる様に見えた。

最期に考えるのは睦月の顔であり、ついに如月は指一本も動かす事が出来ず、ゆっくりと目を閉じる。次に目を覚ますと自分はどうなるのか、もうあの陽の光を浴びる事は叶わないのか。

 

(如月の事……忘れないで……ね……)

 

その時、意識が飛ぶ寸前の如月は妙な感覚に襲われた。

瞑っていた瞼の上から容赦無く差し込んでいた光が消えていった思えば、再び瞼の上に光が点り始める。そして体が急に浮上する感覚に襲われると、次の瞬間には日差しが照り付ける海面へと飛び出していた。

 

「だぁっ!……ッハァ!……ハァ……!」

 

海上に浮いた浮き輪から垂れ下がるロープを手繰り寄せながら、如月を引っ張り上げた青年は、そのまま浮き輪にしがみつくと失われた酸素を補給しようと息を荒げる。考えるより先に体が飛び出していた。こんな自分を命を懸けて助けてくれた女の子が、目の前で沈んでいくのを黙って見ていられなかった。突然海面から顔を出した如月と、それを支えていた青年に驚き一瞬戸惑ったが、青年に引っ張り上げられた如月を見た睦月は必死の形相で駆け寄ると、膝を海面に突き首に手を回す。

 

「如月ちゃんッ!」

 

「大丈夫なのか……意識が無いみたい……かな……」

 

「……うん、艤装の一部分でも残っていれば……でも早く、ドックに入渠させないと……」

 

如月にばかり注意を寄せていた睦月だったが、決して潜水艦の存在を忘れた訳では無かった。

ソナーが無い今の睦月では潜水艦に対しての砲撃の命中率は遥かに落ちる。弾は最初に装填されていた数発のみの今、無闇に爆雷を投射するのは得策とは言えなかった。

 

「深海棲艦の……潜水艦か……」

 

「数は一だけだと思う……如月ちゃんのソナーはもう壊れちゃってるみたいだし……」

 

如月が装備していたソナーに目を移すが、艤装の殆どがその機能を失っており、生命を最低限維持する為の働きを行っているだけだった。残る策は潜水艦が此方に魚雷を撃ち込んだ瞬間を狙うのみであった。しかしその策には危険が伴う。睦月はその事を理解しながらも冷静に、そして残酷に判断を下す。

 

「……深海棲艦は船舶より艦娘。それに被害が大きい艦娘をより狙いやすい習性があるの。このままいけば君と如月ちゃんに魚雷を撃ってくる」

 

「…………船に戻る暇はない、か」

 

「うん……でも睦月の爆雷なら絶対に一撃で沈める事が出来るの。だから――」

 

「いいよ。信じる」

 

「……ごめんね」

 

「自分で蒔いた種だし。やるよ」

 

「爆雷を撃ち込んだら、絶対に助けるから」

 

睦月は青年から受け取ったロープを体に巻き付け、背を向け立ち上がると、流れ落ちる汗を腕で払いのけながら全神経を集中させる。このまま逃げ回るのも手ではあったが、確実に自分の周りに潜水艦が居ると分かっている今、叩いておかなければ後々厄介になる。もし失敗すれば、如月だけでなく一般人のこの青年も確実に命を落とす。それだけはあってはならない。強烈なプレッシャーに苛まれながら、高まる鼓動を何とか落ち着けようと深呼吸する。これは苦肉の策と言えた、全方位を睦月一人でカバー出来る筈も無く、もし死角からの魚雷に反応が遅れてしまったらその時点でこれまでの努力は水の泡となる。しかし、穏やかな波のお陰で見晴らしは良い。潜水艦に対する砲撃は何度も訓練した、それが今の睦月の支えになっていた。

何時来るか分からない魚雷に神経をすり減らしながら海面に立ち続ける睦月だったが、極度の緊張から限界まで高まっていた集中力はその時間に反比例して落ちていく。

故に睦月は気付かない、既に如月達に向け魚雷が発射された事に。

 

 

「……艤装の……妖精さん」

 

体を密着させている青年にも聞こえない程の声量で呟いた如月は、苦痛を通り越して何も感じなくなったその体を無理矢理動かそうとするが叶わない事を受け、代わりに目線だけをソナーへと落とすと、再び消え入りそうな声で呟く。

 

「……ほんの一瞬で……良いの……映して……ッ」

 

睦月から見て七時の方角、真っ暗だったソナーにほんの一瞬、敵影が映ったのを如月は見逃さなかった。如月は肺に吸えるだけの空気を送り込むと、振り絞る様に声を上げた。

 

「七時の方角ッ!距離三十ッ!」

 

「ッ!」

 

睦月は考えるより先に体が動いていた。その如月の叫び声通りの場所に爆雷を撃ち込むと、艤装を発進させその場から全力で駆け出す。白い泡を立てながら水の中を進んでいた魚雷は、如月と青年のほんの数十センチ横を掠めると、水平線の彼方へと消え去っていく。投射された爆雷は潜水艦に命中し、跡形も無く消し飛ばしていた。急に海面を引き摺られたものの、浮き輪と如月を決して離さなかった青年は、顔を浮き輪の上へと預け溜息を吐く。如月に目を移すが、既に意識は無く青年に体を預けていた。

 

「生きてる……のか……」

 

「……うん、ごめんね……怖い思いさせちゃって」

 

「いや……本当にありがとう、君等が居なかったら俺は今頃……」

 

「……どういたしまして」

 

「……その子にも、言っておいて」

 

「うん……それじゃ、帰ろっか」

 

睦月は完全に意識を失った如月を抱き起すと、浮き輪にしがみついている青年が振り落とされない様に速度を調整しながら海の上を滑走する。自分の腕の中で眠る痛々しい相棒の姿に、胸が張り裂けそうになる。

 

「……如月ちゃん」

 

如月は強い。あの事件の時もそうだ、深海棲艦が化けていたとはいえ、姿形が同じ睦月に殺されかけたのに、何も心配いらないと何時もの笑みを浮かべていた。今回もそうだ、如月が居なければあの船はどうなっていたか、自分は見ている事しか出来なかった。そして最後の力を振り絞り、如月は自分を助けてくれた。悔しさから涙が出そうになるが、唇を噛み締め堪える。

 

「……もっと、もっと強くなるにゃ、だって睦月はお姉さんにゃしぃ」

 

次に如月が目を覚ましたのは、見覚えのある入渠ドックの天井だった。まだ朦朧としている意識の中、五体満足な事を確認すると体を起こし辺りを見渡す。

 

「よ、ご苦労様」

 

この浴場には不釣合いな恰好の男が、背を向けながら浴槽の淵に腰かけ林檎の皮を剥いていたのを目撃し言葉を失う。器用に繋がった皮を銀のボールへと落としていくその男は、紛れもない如月の上官であり、司令である男。

 

「あなた?」

 

「おう」

 

朝霧はそう言いながら剥き終わった林檎を等分に切ると、その一つを齧り旨そうに咀嚼する。

艤装を装備したままの如月は服が修繕されていることを確認すると、浴槽から立ち上がり朝霧の横に腰かける。

 

「良いかしら」

 

「食うか」

 

「ええ」

 

如月は林檎を咀嚼しながら、事の顛末が気になり朝霧に問いかける。

 

「……作戦は、どうなったのかしら」

 

「んー。轟沈者無し、成功したよ。もう少しで主力部隊が帰ってくる」

 

「……終わったの?じゃあ如月は――」

 

「大変だったんだぞ、睦月が泣きそうな声で電話してきて如月がやばいだの。急いで近くの鎮守府でとりあえず一命を取り留めて、こっちに運んで貰った。そしたら三日丸々入渠だってよ」

 

「そんなに?駆逐艦で……」

 

「轟沈して生身の人間に引き上げられるなんて前例無かったからどうなるか分からなかったけど、修復にとんでもない時間はかかるみたいよ」

 

「……そう。睦月ちゃんは?」

 

「小破止まりだったし、あのまま呉行ってるよ。もうすぐ帰ってくるんじゃない」

 

如月は林檎を食べ終えると腰を上げ、最も信頼する相棒を出迎えようと出口へ歩み寄る。朝霧はその背中を見つめながら林檎を齧り、それともう一つと付け加えた。

 

「お前が助けた青年、感謝してたよ。今度また改めてお礼を言いに来るって」

 

「待ってるわ」

 

「伝えとくよ」

 

「……ねえあなた」

 

「ん?」

 

「……いや、何でもないわ」

 

如月は最も信頼する上官に心の中でお礼を言うと、入渠ドックを後にした。その後、作戦報告を纏め終えた朝霧はとある事情から工廠を訪れており、その場には龍驤、瑞鶴、翔鶴に川内型の三名と、かつての朝霧を知っている面々が集まっていた。面々の前に置かれている艤装は、その場に居る全員に見覚えがあり、当然ながら朝霧にも見覚えがあった。その五連装酸素魚雷はかつての主力部隊に居た北上の愛用していた艤装であり、それは今作戦中に敵姫級を撃破した時、回収したものだった。今回の大規模作戦は複数のドロップが確認されており、現在各鎮守府の提督はその艤装を使った建造に臨んでいた。朝霧もその一人であったが、その北上の艤装を前に戸惑いを隠せなかった。

 

「北上が沈んだのが東方で、これ拾ったのが南方か」

 

「まあ、もしかしたら思て回収して来たんやけど……」

 

「姫級なら移動するのも確認されてるし、もしかしたら、ね」

 

「…………ああ」

 

一同から向けられる視線を受け止め、深呼吸すると、明石により修復が終えられたその艤装の前で腰を落とす。各面々が固唾を呑んで見守る中、朝霧は右手をゆっくりと翳すと、その手で艤装に触れる。

 

 

「へえー、私を秘書艦に?まーよろしくー」

 

 

「提督ー、眠そうだねー。あたしも眠いよ」

 

 

「あー!間宮アイスずるーい!」

 

かつての北上との想い出が朝霧の脳内でフラッシュバックする。朝霧が初めて会話した艦娘であり、朝霧の最初の秘書艦。そして朝霧が初めて恋焦がれた相手。飄々として掴みどころがないその艦娘に散々手を焼かされた。

もし、これがお前なら。もう一度、帰って来てくれ。

 



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意中の人

意識が暗闇に溶けていた様な、何も考えられないそんな感じだった。最初に呼ばれた時とは違う、本当に不愉快な真っ暗闇。どれだけそうしてたかは知らないけど、凄く懐かしい感覚があたしの中に流れ込んできた。急に寒い海底から海の上に引き上げられた様な、そこにはやっぱり海底とは違う温かさがあった。沈んだ瞬間、皆とは違って特に悔いは無かった。次に生まれる時は戦艦か空母が良いなーなんて思ってたくらいだ。そう思ってたけど、ホントの最期の瞬間、一つだけ悔いが浮かんだ。馬鹿で、頭が良くて、ヘタレで、実は泣き虫なあの提督。あたしが居なくても大丈夫かなーって。何だかんだ着任したてから一番長く傍に居たから、そりゃそう言う情も湧いちゃうよね。結局、伝えられなかったなー。まあ、一回伝えようとしたけど、恥ずかしくてはぐらかしちゃったし。それだけが心残りだったかな。段々意識が鮮明になって来る。体があるっていいねー。生きてるって感じするよ。

ホントに戦艦や空母になってないか期待したけど。

やっぱり、あたしは重雷装艦だった。

 

 

「えーと、やっほー提督、久しぶり」

 

久しぶりすぎて何を言えばいいか分からなかったから、とりあえず挨拶してみる。おー、提督かなり老けてる。浦島太郎の気分だよ。そう思って周りの連中を見渡してみると全然変わってなかった。まぁ艦娘だしねぇ。

 

「えー、あたしの事もしかして忘れちゃったー?」

 

未だに阿保面浮かべてる提督の顔を見上げてみる。と言うか提督なのに軍服着なくても大丈夫なのかな。老けてると言うかやつれたみたいに見える。まぁ提督の事だから、あの後どうなったかは想像つくけど。

 

「……お前の間抜け面がまた見られてよかったよ」

 

「お、言うねー。感動の再会って場面じゃないの?」

 

素直じゃないなー、顔見ればどれだけあたしの事待ってたか直ぐ分かるのに。それと提督の後ろには嘗て戦った仲間の顔があった。でもそれは随分少なくて、やっぱりそう言う事だったんだと実感する。とりあえず近くに居た唯一の主力艦隊出身の龍驤にどれくらい経ったか聞いてみる。

 

「どれ位経ったの?」

 

「三年と三ヶ月、待たせすぎやアホ」

 

「ごめんごめん」

 

腰からぶら下がってる魚雷を見て改めて帰って来た事を実感する。そうなると、お腹が空くし、甘い物も食べたくなる。

 

「とりあえず間宮アイス食べにいきたいねぇ」

 

「那珂ちゃん賛成ー!」

 

「じゃあ私も……」

 

「……そうね。復帰祝いってところかしら」

 

那珂と神通の様子は特に変わらなさそうだ。ただ瑞鶴さんと翔鶴さんは何か逞しくなってる様な気がする。それと、翔鶴さんの薬指に嵌っている指輪が死ぬ程気になってしまう。もう沈むのはゴメンだけど。

 

「さんせーい」

 

「いいぞー、行くか。全部川内の奢りで」

 

「なんで!?」

 

「毎晩喧しいって苦情が来てるからよ。悔い改めろよ」

 

「あー、そう言う事言うんだ。私提督の秘密知ってるんだよー。言っちゃうよー」

 

「俺疚しい事とか一切無いんで」

 

「この前司令室で疲れて寝てる瑞鶴さんの胸揉んで――」

 

「誤解です」

 

「……瑞鶴の、何ですって?」

 

「いや誤解だよ。まず揉む胸が無いから。せめて翔鶴位まで育ってからどうぞ」

 

「じゃああれなんだったの?」

 

「擦ってた」

 

瑞鶴と翔鶴にお尻を蹴られながら食堂へ連行されていく提督を見て思わず笑ってしまう。そうだよねー。此処が私の場所だったっけ。とりあえず艤装は置いて行こう、重いし。後から続いていく龍驤に走って追いつくと肩を並べて歩き出す。

 

「変わらないねえ」

 

「せやなぁ、けど大変やったで。あの後捻くれた提督が引き籠ってなぁ」

 

「へー。それで帰って来たの?」

 

「……まぁ、そやなあ」

 

恥ずかしそうに頬を掻きながら言う龍驤を見て、誰が提督を連れ戻したのか直ぐに分かった。

 

「で、あの指輪何なの?」

 

「あれなぁ。ケッコンカッコカリとか言うて、艦娘の能力を引き上げられる代物らしいわ」

 

結婚、カッコカリとか言ってるけど、指輪渡して薬指に嵌めてる時点でそう言う事なんじゃないの。あーあ、相手は翔鶴さんかー。先寄越されちゃったな。となると、龍驤も失恋仲間なのかな。結局主力艦隊比叡さん以外皆提督の事好きだったみたいだからねえ。そんなあたしの心中を知ってか知らずか、意中の提督は相変わらずセクハラでぼこぼこにされちゃってる。川内にまで嬲られてるのは流石に可哀そうな気もするけど自業自得か。

 

「生き残ったのは龍驤だけ、なのー?」

 

「いきなり重い質問やな……ウチ以外全員沈んでしもたわ。現時点じゃ金剛、赤城、加賀は建造されとるけど、戻って来れたのはあんただけや」

 

「戻って来れたって?」

 

「普通は沈んだ艦娘が次建造される時は記憶も練度も綺麗サッパリ無くなってるんやけどな。深海棲艦から艤装が解放される時があるらしいんや。それで建造した艦娘はあんたみたいに記憶と練度を持って建造されるんや」

 

「私はそれで拾われたってワケね」

 

「佐世保鎮守府で比叡らしき艤装も引き取られたし、もしかしたら勢揃いなんて事もあるかもしれんなあ」

 

「……勢揃いかぁ」

 

縁起悪そうだけど。あの面々とやる作戦は確かに心地よかった。そのもしかしたらが実現する可能性はあるのかなーと考えてる内に、食堂に着いた。おお、懐かしい。全然変わってないなーこの食堂も。皆が適当に席に座っていく中。あたしは厨房に近付いて間宮さんに挨拶しに行く。中を覗いてみると忙しそうに料理の仕込みをしてる間宮さんの姿があった。向こうは直ぐこっちに気付いて変わらぬ笑みを浮かべてくれる。

 

「お久しぶりですね」

 

「やっほー、また間宮さんの美味しい料理食べられるの、感激」

 

「誰かさんと同じ事仰いますね」

 

間宮さんは甘味の準備をしながらテーブルに突っ伏している提督に視線を向けた、成る程ね。

厨房を出てみると、提督の両端は既に予約席だったのか、翔鶴さんと龍驤が座っていた。川内達は一つ隣のテーブルで待ち遠しそうに甘味の話題で盛り上がっていた。テーブルに突っ伏した提督の懐を弄って、甘味引換券を奪い取った瑞鶴さんが、嬉しそうにその券を間宮さんの所に持っていく。ああ、ご愁傷様提督。提督も好きだもんねー間宮デザート。好きなだけ食べれちゃうと皆ずっと食べてキリが無いから引換券制にしたんだよね。提督と龍驤がよく取っ組み合いで引換券を奪い合ってたのを思い出すよー。

まあそんな感じで久しぶりのデザートを堪能した後は、提督に勧められて鎮守府内を見回る事にした。と言っても、変わらないし流石に覚えてるから特に感慨深い事も無かった。ただ、見慣れない顔ばかりって言うのは変な感じだったねえ。そんな中、見覚えのある顔が向かいから歩いて来てるのに気付いた。龍驤の話だとあっちは覚えてないだろうから、初めましてでいいかな。

 

「Oh!Newfaceネ!」

 

「初めましてー、北上です」

 

「金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」

 

相変わらず変な片言で喋る金剛さんの懐かしい顔を眺めながら、横を通り過ぎる。まぁ、あれだけ一緒に戦って覚えてないのはちょっと寂しい気もするけどね。さて、これで宿舎以外は大体見回ったかな。外は段々暗くなって来てるし、そろそろ夕飯時かぁ。とりあえず司令室に戻ってみるかな。懐かしの司令室が直ぐ近くだった事もあって、夕飯まで司令室でのんびり過ごす事にした。扉の前まで来ると、ノックしようか迷ったけど特に必要無いと思ってドアを開ける。

 

「あーらら……」

 

夕暮れの司令室のソファーで、提督と龍驤が肩を寄せ合いながらうたた寝してるのを見てしまった。よくよく気になってた龍驤の指輪の事も考えて、もしかしたら提督は一夫多妻制みたいな暴挙に走ったんじゃないかと勘繰ってしまう。それでも、この二人を見てると――。

 

 

「はぁー」

 

もう太陽が沈む寸前、あたしは食欲も湧かず一人防波堤に座って海を見て黄昏てた。遅刻したあたしに元から入る余地なんて無かったんだ。翔鶴さんの時で覚悟はしてたけど。

いや待てよ、一夫多妻制ならあたしにも――。

 

「おー、何黄昏てんだよ」

 

そんな時、ナイスタイミングか、将又最悪なタイミングか。提督があたしの横に座り込んでくる。

 

「何さー」

 

「飯、わざわざ呼びに来てやったんだよ」

 

「……食欲無い」

 

今までだったら引っ張って連れてかれた所だけど、帰って来たばかりのあたしを気遣ってか、提督はそれ以上何も言わずにあたしと一緒に海を眺めていた。どれ位そこに居たんだろう、日が完全に落ちて辺りが真っ暗になる。

 

「もうご飯無いよ、お腹空いてたんじゃないの?」

 

「誰のせいだと思ってんだよ」

 

「さあ」

 

さて、まあ、気持ちの整理もついたし、そろそろ戻りますかね。だけど提督はあたしが立ち上がった後も、一人海を見続けていた。

 

「戻らないの?」

 

「……あー、そのなんだ」

 

お、この提督の反応。変わってないなー。何時も言いたい事はズバズバ言うのに、恥ずかしい事は急に歯切れ悪くなるんだよね。言いたい事は大体わかるけど、悪戯心からあえて問いただしてみる。

 

「何々?」

 

「まあ……」

 

「何さー」

 

「……えー、そのな」

 

「うん」

 

「嬉しかったよ、お前が帰って来て。その、これでやっと横鎮に雷巡が増えるしな」

 

素直じゃないなあ。でもこんなヘタレが、自分の意志でちゃんと指輪を渡したんだよね。

あたしにはくれないのかなー。前鎮守府に居た時は気持ちそこそこだったけど、今こうして帰って来たらこの気持ちがより強くなってるのが分かる。

 

「ねえ、提督好きな人出来たの?」

 

「ぶっ!」

 

いきなりすぎたか、提督があまりのぶっ飛んだ質問に吹き出してしまう。

 

「……ああ、出来たよ」

 

「龍驤?」

 

「…………見てたのか」

 

「さあねえ。じゃあ何で翔鶴さんに指輪渡したの?」

 

「練度が足りなかったんだよ。あれは練度が足りてない艦娘がつけても意味無いからな」

 

成る程、そう言う事だったのね。って事はあたしの練度凄い事になってる筈だしもしかしたら。

 

「まあ……その…………ウチらいい感じだった……じゃん?」

 

駄目だ、あたしもヘタレだった。肝心な事を言おうとしたら言い淀んじゃう。これじゃ前と変わらないなー。

 

「………………いや、何でもない。もう戻るよ―」

 

あー恥ずかしい。提督に背を向けてさっさと建物に戻ろうとした時、後ろから声をかけられる。

 

「指輪は無理だけど、同じ位良い物やるよ」

 

「…………楽しみにしとくよー」

 

何かな、同じ位ってそれってつまり指輪をくれるって事と同じ意味なんじゃないの。嬉しいねえ。何より提督の口から、あたしに指輪をくれるって言ってくれたのが。自然とスキップになっていたのにも気付かない位浮かれたあたしは、直ぐにお風呂を済ませて布団へ飛び込んだ。

散々眠ってた筈だけど、今夜はよく眠れそうだよ。

 



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曙と朝霧提督

違う鎮守府の門を潜るのは何度目になるのだろうか。綾波型八番艦の曙はサイドにまとめた紫色の髪を揺らしながら物思いに耽っていた。その重い足を何とか前に進ませながら番兵に了承を得て、昼時で賑わっている横浜鎮守府の門を潜る。南方作戦が終わって直ぐ、五回目の異動命令が下された。理由は考えるまでも無い、あれ程提督に暴言や砲撃諸々、好き勝手やってきたのだ、厄介払いの他無い。此処は陸に上がる上位個体の深海棲艦に何度か襲われたと聞いた事がある。その対策として周囲を取り囲む壁の補強に勤しむ作業員を横目に司令室目指し歩き始めた。

佐世保を追われ、呉や舞鶴を経由しながらついに此処まで来てしまった。まさか日本横断をする事になるとは当初は考えもしなかった。当初は多少のやる気があった。しかし、自分の記憶を思い出す度引け目を感じ、周りとの温度差を感じる様になってきた。今更自分ごときに何が出来ると言うのだろうか。戦艦ならまだしも最も数の多い駆逐艦、重宝される事も無く役に立つ事など遠征くらいのものだ。気づけば提督に当り散らし、目に余ると佐世保を追い出された。次の呉でも、舞鶴でも、此処のお隣の横須賀でも。横須賀ではあの何時も敬語のニコニコしている提督は何も言わなかったが、秘書艦の赤城や加賀に追い出されたに等しい。此処の提督は大層優秀だったと聞く、過去の大敗で一度身を引いたが再び戻ってきたと。どうせ戦果に目が眩んでほとぼりが冷めて戻ってきたんだろう。自分が一番嫌いなタイプの人間だ。

 

「……どいつもこいつも、クソ提督ばっかり」

 

口癖にもなりつつ台詞を吐き捨てると、大きな溜息を吐く。もう此処を終点にしようか。解体されれば特に問題無く人としての余生を過ごせる。今度追い出されたなら、潔く艤装を返還して普通の生活に戻ろう。悲惨な艦としての最期だったが、せっかく人間の姿になれたのなら普通に最期を遂げたいものだ。

 

「潮達は元気かしらね……」

 

佐世保に残っている仲間の顔を思い浮かべ、らしく無い独り言を漏らした曙は頬を両手で叩くと頭を振り、重い艤装を引き摺る様にしながら司令室の前まで辿り着く。此処までの鎮守府では流石にノックや挨拶はしていたが、どうせ最後になる事を考えノックをせずドアノブを捻る。扉を開け、足を踏み入れるとぶっきらぼうに挨拶を並べていく。

 

「綾波型の八番艦、曙よ。横須賀から異動に――」

 

曙が踏み入れた司令室の中は静寂に包まれており、目の前の提督用デスクには誰も座っていない。代わりに中央のソファーで緑髪のロングヘアーの少女と、おさげをソファーから垂れ下げたヘソ丸出しの少女が気持ちよさそうに熟睡していた。目の前の光景に理解出来ず、流石の曙も頭を抱えてしまう。司令室といえば、鎮守府の中心で全ての指令を司り人類の反撃の起点となる神聖な領域ではないのか。曙は部屋の外へ出ると、部屋の上に取り付けられているプレートを何度も見直すが、其処が司令室である事に間違いはない。その時、廊下の向こうから誰かが歩いてきている事に気づき、少し緊張しながら荷物が詰まったバッグを廊下に下ろす。緑色のツインテールを揺らしながら歩いてきたその日の秘書艦であった瑞鶴は曙の姿を認めると、緩やかな笑みを浮かべ歩み寄ってくる。

 

「貴女が曙ね?」

 

「え、ええ」

 

「予定より随分早かったのね。出迎えしようと思ってたのに」

 

秘書艦に睨まれ居心地の悪い鎮守府をとっとと出てきたとは言えず、お茶を濁すように頬を掻く。

 

「瑞鶴よ、よろしくね」

 

「曙です、よろしく」

 

流石に正規空母に真っ向からぶっきらぼうに接する訳にもいかず、瑞鶴が差し出した右手を握り返す。曙は態度がそっけないものの、艦娘に喧嘩を売って鎮守府を追われてきた訳ではない。提督に限度の無い暴言を尽くし、提督を信頼する者達に睨まれてきたのだ。

 

「……提督はどこに行ったのかしら?」

 

「あー……今は昼休みだから、多分釣りに行ってるんじゃないかしら?」

 

「釣り?」

 

「秋刀釣りよ」

 

「……釣れるの?」

 

「釣れる訳無いでしょ、こんな浅瀬の堤防で」

 

「……一応挨拶に行ってくるわ」

 

「あらそう。なら荷物預かるわ」

 

「良いの?」

 

「ええ、あいつなら門を出て東に少し歩いた所に居ると思うわ。絶好の釣り場とか言ってたし」

 

「ありがとう」

 

瑞鶴に素直に感謝しながら曙は荷物を手渡すと、提督の頭に不安を覚えながら門目掛け歩き出した。道中すれ違う艦娘達の会釈を、ほんの数ミリ頭を下げ返していきながら、先程の瑞鶴の台詞を思い返し少しの違和感を感じていた。瑞鶴は躊躇い無く提督の事をあいつ呼ばわりしていた。今までの鎮守府でそんな事言おうものなら提督大好き艦娘達に罵詈雑言だ。

一体どんな提督なのだろうかと、様々な考えを巡らせながら自然と早歩きになっている事にも気づかず門を出る。海岸沿いを少し歩いていくと、堤防が続く開けた場所に出た。辺りを見渡すが、提督のトレードマークとも言える真っ白な軍服が見当たらない。代わりにジーパンに黒シャツ、上から灰色のジャケットを羽織った男が釣り糸を垂らしているのを見つける。

まさか。考えたくも無かったが、他に人影は見当たらない。恐る恐る距離を詰め、その男の背後に立つと、男は釣竿を横へと置き腰を上げる。

 

「えーと、綾波型八番艦、曙か?」

 

「………………」

 

嫌な予感が的中し、顔を引きつらせながら首を縦に振る。

 

「おー、よく来たな。横浜鎮守府提督の朝霧です。よろしく」

 

「……よ、ろしく」

 

こんなのが提督なのか。引き攣った顔が戻らない。趣味で釣りに来ていたおっさんと言われても否定できないその男は、何かを言い澱んでいる曙を見て何かを察したのか、釣竿を手に取り屈託の無い笑みを浮かべ曙に差し出す。

 

「そうかそうか!曙も釣りをしたいのか。竿はまだあるからとりあえず貸してやるよ」

 

「誰かするかぁぁ!」

 

空っぽのバケツを尻目に釣竿を差し出し続ける朝霧の前で拳を握り締めた曙は、一度深呼吸する。冷静を保つ為この馬鹿を放って置いて鎮守府に戻る事を決意し踵を返す。

 

「ぼぉぉのぉぉぉ!」

 

その瞬間、脇腹を鷲掴みにされ、自分でもかつて発した事のないような悲鳴を上げる。

 

「ひぃやぁぁん!」

 

「連れない事言うなよ。誘っても誰も来ないしおじさん寂しいよー」

 

「やっやめ!」

 

自分の脇腹を弄り続ける男に制裁を加えようと握り締めた拳を更に硬く握る。次の瞬間その拳を朝霧の顔面目掛け振り抜く。曙の拳をモロに受けた朝霧の体は背後に吹き飛ばされ、海の中へと吸い込まれていく。

 

「死ね!クソ提督!」

 

そう吐き捨てると曙は朝霧に目もくれず、鎮守府へと戻る。頭に上がった血が下り、少しやりすぎたのでは無いかと思い始めたが、あんな事されれば誰でもあんな反応するだろうと納得し、正当防衛を頭の中で自己主張した。再び司令室へ戻ると、既にソファーで寝ていた二人は居らず、瑞鶴が机と向き合いながら淡々と書類仕事をこなしていた。

 

「あら、早かったわね。会えた?」

 

「……一応」

 

曙の反応の鈍さを察した瑞鶴は事情を問うと、頭を抱え曙に頭を下げる。

 

「ほんっとうにごめんなさい!後できつーく言っておくから……いや、今からね」

 

瑞鶴は机の横に立てかけてあった弓を手に取ると、司令室の向かいの窓へ歩み寄る。

 

「ぎ、艤装?」

 

「秘書艦の時は何時も持ち歩いてるわ。こう言う時の為にねっと……全機爆装、準備出来次第発艦!目標、鎮守府堤防の提督、やっちゃって!」

 

躊躇い無く弓を引いた瑞鶴は、目標を朝霧に定め艦載機を発艦した。羽音と立てながら空を駆けて行く艦載機達を見送ると、瑞鶴は一息吐きながら司令室に戻る。弓を置くと、ソファーに曙を座るように促し、瑞鶴はお茶を淹れようとポットへ近づく。

 

「紅茶もあるけど、お茶がいい?」

 

「お茶でいいわ……その、提督は何時もあんな感じなの?」

 

「んー、まあそうね。でも初対面の相手にセクハラは珍しいわね。貴女気に入られたんじゃない?」

 

「冗談じゃないわよ」

 

溜息を吐きながら瑞鶴の差し出されたお茶を手に取ると、息を吹きかけ冷まし始める。

 

「……瑞鶴は」

 

「ん?」

 

向かいに腰掛けた瑞鶴はお茶を啜りながら視線を曙に向け返答する。

 

「私が此処に来た理由、知ってるの?」

 

普段なら絶対こんな話を切り出す事はないのだが、この鎮守府の雰囲気にのまれたのか、瑞鶴が聞き上手だからか、話す気の無い事まで話してしまう。

 

「ええ。此処では日替わりで秘書艦をやるのだけど、そうなると色々と中の情報も知る機会が多いのよ。最近はバタバタしてて瑞鶴がずっとやってるけどね」

 

「…………」

 

「提督への暴言に砲撃ねえ……ま、此処ではそんなに気にする事も無いわよ」

 

たった今提督に向かい艦載機を発艦した瑞鶴に言われた曙は、その説得力に頷きながらお茶を啜る。

 

「それでも、私は提督が嫌いよ……みんな」

 

「あら気が合うわね。瑞鶴も嫌いだったわ、あの提督」

 

「……秘書艦なのに?」

 

「秘書艦でも嫌いなものは嫌いよ。まあ最近は認めてあげてるけどね。中くらいまで」

 

「……付き合いは長いのかしら」

 

「そこそこね。三年ちょっとくらい」

 

何故だろうか、どの艦娘も提督に対し様々な好意を持っている。にも関わらず提督の事をハッキリ嫌いと言った艦娘に初めて出会った曙は、同類を見つけた為か少し安堵の溜息を漏らす。

曙はカップをテーブルに置くと、ソファーに深く腰を預け天井を見上げた。もしかしたら自分は此処でやっていけるのではないか、そんな予感が曙の胸を過ぎっていた。しかし、例に漏れず此処には朝霧を慕う艦娘も居るだろう事は予想出来る。そんな艦娘と衝突するであろう未来に頭を悩ませながら、曙は言葉を漏らす。

 

「やっていけるのかしら、ね」

 

「……まあ、名誉の為に言っておくけどあの男は駆逐艦だろうが決して蔑ろにはしないわ。提督としてなら、あいつは信頼してるわ」

 

そう言う瑞鶴の顔は穏やかで、先程艦載機を撃ち込み嫌いと言い放った人間の顔とは思えなかった。

 

(……そう、瑞鶴も、なのね)

 

「お茶ありがとう」

 

「もういいの?」

 

「ええ。宿舎に戻ってるわ」

 

曙はそそくさと立ち上がると、司令室を後にする。好きな提督も、信頼出来る提督も居なかった。結局自分の仲間等居なかったのだ。肩を落とした曙は宿舎の道を尋ねる為、近くを歩いていた艦娘に声をかけた。

 



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曙と朝霧提督

「ちょっといいかしら」

 

「へ?あ、うん」

 

「宿舎ってどっち行けばいいのかしら」

 

「えーと……此処から出て右の方に歩いていけば見えるけど」

 

「ありがと」

 

「あ、あの!」

 

曙は礼を言うとそそくさとその場を去ろうとするが、背後から声をかけられ足を止める。振り向いた曙の顔は不機嫌オーラが溢れており、本人も必要以上に他の艦娘と関り合うつもりもなかった。共に作戦を行う艦娘と交友を深めることは非常に大切と言えるが、曙は自分から関わる事をせず、その態度に愛想を尽かした艦娘達もまた曙と関わる事を諦めた。曙自身は来る者拒まず去るもの追わず精神なのだが、いかんせんその態度で自分が嫌われていると思い込んで離れていった艦娘が多々いたのだ。

 

「私駆逐艦の吹雪って言います!貴女は?」

 

「……今日此処に配属された駆逐艦曙よ」

 

突然見知らぬ艦娘に話しかけられた吹雪は、その愛想の悪さに顔を引き攣らせながらも、勇気を出して声をかけていた。愛想が良く、どんな艦娘とも仲の良くなれる吹雪は、何時も通り距離を詰めて曙と会話を試みる。

 

「案内するよ!」

 

「いいわよ別に」

 

「いいからいいから」

 

曙はそれ以上何も言わず、吹雪と肩を並べながら宿舎への道のりを歩み始める。

 

「曙ちゃんは何処から来たの?」

 

「………横須賀」

 

本当は佐世保から鎮守府を転々として来たのだが、説明するのが億劫になった曙はぶっきらぼうに返事を返す。この時点での曙の吹雪に対する印象は良いものではなかった。

かつて同じ様に話しかけてきた艦娘達は皆離れていった。どうせこの駆逐艦も同様なのだろうと。

 

「へえー。お隣さんだったんだ。一緒の艦隊で戦えるといいね!」

 

「…………そうね」

 

適当に返事を返しているのに、吹雪は嫌な顔ひとつせず会話を続けている。そうしている内に宿舎の前まで歩いて来たその時、向かいから第七駆逐隊の面々が歩いて来た。真っ先に新顔である曙の姿を認めた夕立は、共に居た吹雪に手を振った後、小走りで駆け寄ってくる。

 

「新しい艦娘っぽい?」

 

「うん、今日配属になった駆逐艦の曙ちゃん!」

 

「夕立だよ!よろしく!」

 

「よろしく」

 

夕立に続き、続々と曙の前に顔を並べた第七駆逐隊の面々は曙に挨拶していくが、曙は表情一つ変えず淡々と挨拶を返していく。

 

「ありがと。此処までくれば分かるわ、じゃ」

 

曙は一方的に吹雪に礼を言うと、他の面々と目を合わせる事無く、そそくさと宿舎の中へと入っていった。その背中を見届けた夕立は頬を膨らませながら時雨に抱きつき、愚痴を漏らす。

 

「愛想悪いっぽいー!」

 

「ほ、ほら。今日配属されたばかりで緊張してるんだよ。きっと」

 

「むー!」

 

その様子を傍から見ていた朝霧は、ずぶ濡れになりながら、更に多少焦げた上着を手に持ちながら低く唸っていた。そんな朝霧の背後から足音が聞こえたと思えば、背中に柔らかい感触と共に前に倒れそうな衝撃が襲う。

 

「テイトクー!そんなボロ雑巾みたいになってどうしたんデスカー!」

 

「色々あってな……ほら、シャワー浴びに行くから離れろ」

 

「嫌デース!もう離しませんヨ!」

 

「おら、胸揉まれたくなければ離せ」

 

「oh!大胆ネ!時間と場所を弁えてくれさえすればオ――」

 

金剛が言い終わる前に朝霧のチョップが金剛の脳天に突き刺さり、金剛は呻きながら頭を抱える。何時もならセクハラに乗ってくれるのだが、少し様子の違う朝霧にそれ以上踏み込む事はせず、背中を見送る。道中、鎮守府に馴染めそうにない曙の事をずっと考えていた。

本人が心を開かなければ、朝霧には手の打ちようがない。吹雪の様な天真爛漫な駆逐艦が接し続けて心を開いていくしか手がないだろう。司令室へ戻った朝霧は、シャワーを浴び替えの普段着に着替えると、涼しい顔で机に向かっている瑞鶴を睨む。

 

「なんか艦載機に爆撃されたんだけど、知らない?」

 

「さあ」

 

朝霧は怪訝な視線を瑞鶴に向けながら、椅子に腰掛けデスクの受話器を手に取り、横須賀の司令室への番号を押し耳に当てる。数コール後に取られた受話器の奥から、赤城の声を確認した朝霧は墨田に代わってもらうよう促す。

 

「お久しぶりですね。珍しいじゃないですか電話なんて」

 

「曙が着いたぞ、追い出したって?」

 

「……やっぱりその事でしたか。僕も反対したんですが、あの態度は目に余ると加賀さんが」

 

「俺は鎮守府に馴染めない艦娘には全力で手を打つけど、馴染もうとしない艦娘は切り捨てるぞ。士気下がるし」

 

「先輩なら何とかなると思って横浜への転属を薦めたんですが」

 

「どうにもならんよ、本人にその気がないならな」

 

「……ですが、彼女は駆逐艦としては非常に優秀です。多大な戦果を上げてくれるでしょう」

 

「駆逐艦一隻の戦果と鎮守府全体の士気低下はどう見ても釣り合わないだろ」

 

「……珍しいですね。先輩がそこまで言うなんて」

 

「俺だって愚痴の一つは言いたいよ。まあ、また何かあったら連絡する」

 

「はい」

 

受話器をデスクに置くと、瑞鶴は席を立ち上がりポットへ歩み寄る。お茶を淹れながら先程の会話の内容を察していた瑞鶴は曙の事について問う。

 

「どうするの、あの子」

 

「どうもこうもねえよ。墨田は好き放題やって良い提督が俺だから此処を推したんだろうけど――」

 

「違うの?」

 

「……否定はしない」

 

「じゃあいいじゃない。他のとこでは提督に粗相をして追い出されたんでしょ?艦娘同士のトラブルは聞いてないわよ。その内馴染めるんじゃない?」

 

「……だといいけどな」

 

朝霧は瑞鶴の淹れたお茶を啜りながら、デスクの上に散らばった資料から一つの書類を手に取り見つめる。建造依頼と書かれたその紙をデスクの空いたスペースに置くと、ペンと手に取り書類に書き込んでいく。

 

「あら、建造?」

 

「まあ、愚痴ついでに切り捨てるなんて言ったけど。どうせ俺には出来ないから何とかするんよ。胃がいてえ」

 

その台詞を聞き、瑞鶴はやはりこの男の事が嫌いになりきれていなかった事を再確認する。元々は普通の仲と言えたが、あの日を境に完全に愛想を尽かしていた。主力の空母が居なくなり海域攻略は困難を極めた、果てには提督の仕事を兼任するなど瑞鶴自身に負担がかかりすぎていたのだ。その末にのこのこと戻って来たのだ、出会った瞬間殴りつけてやろうかと思っていた。

時を経て、次第に朝霧の気持ちを理解するようになってきた。傍から見ても、兼任した自分からしてみても、提督にかかる負担は凄まじい。それを踏まえ、戻って来た事は既に認めている。瑞鶴には想像もつかない程の覚悟があったんだろう。曙には嫌いではなく、嫌いだったと言った辺り、自分の感情はとっくに動いていた事を自覚する。決して恋愛感情では無いが、何時も艦娘を想い真剣な朝霧の事が好きだった。手渡された建造依頼に、駆逐艦の建造が記されている事に朝霧の思惑を察し、書類を大本営に提出する為封筒にしまっていく。

 

「じゃ、それ近いうち出しといて」

 

「了解」

 

朝霧は一息吐くとソファーへ飛び込み、体をもぞもぞと動かしながら仰向きになり目を閉じる。一方の曙も宿舎の自室に戻った後、朝霧と同じくベッドに寝転がり天井を仰いでいた。

朝霧の配慮か偶然か、川内型を含む、吹雪と同室になっていた事に少し驚きながらも、迫り来る眠気には耐える事が出来ず瞼をゆっくりと下ろしていく。

次に曙が目を覚ました時には既に日が落ちきっており、そろそろ夕餉の時間といったところだった。目を開こうとするが、顔に影がかかっている事に気付き、薄目で自分の寝顔を覗き込んでいる不届き者の正体を確かめた。

 

「……何してんの」

 

「曙ちゃんの寝顔可愛いなーと思って」

 

そこには満面の笑みを浮かべている吹雪が、ベッドの縁から体を乗り出し曙を見下ろしていた。暇人ねと呟きながら曙は体を起こすと、働かない頭を何とか起動させ柱にかかっている時計を見上げる。

 

「ご飯ですよ」

 

「そう」

 

ベッドから這い出ると一度床に転がり、そのままの勢いで立ち上がると何事も無かったかの様に皺が出来た艤装を手で伸ばしていく。その部屋には三段ベッドが二つ設置されており、川内型が姉妹でベッドを使っている為、吹雪は何時も三段ベッドを一人で使っていた。そんな中相方が出来た事がつい嬉しくなり、ベッドの上から下を見下ろしてみる等舞い上がりながらはしゃいでいた。

 

「食堂の案内するね」

 

「ええ」

 

先程から曙が会話を短く切っているにも関わらず、吹雪からは一切の不快感が無く、自然と会話を運んでいる。こんな良い娘がまだ残っていたのねと感心しながら、曙は吹雪と肩を並べて食堂へと向かった。既に賑わっている食堂に到着した吹雪は、席を確保する為に辺りを見渡すと丁度端の二席が空いている事に気付いた。間宮から夕食を受け取ると、隣に座っていた扶桑姉妹に一言断りを入れ、曙と向かい合うように座った。

 

「あら、新しい娘?」

 

「はい!駆逐艦の曙ちゃんです!」

 

「よろしくね」

 

扶桑は何時も通り覇気の無い話し方で曙に微笑みかけると手を差し出した。曙は蚊の飛び回る音程の声量で挨拶を返すと手を握り、続けて山城とも握手を交わした。その後直ぐに両手を合わせると、間宮の夕食に手をつけ始める。まるで興味を示されなかった山城は不幸だわと嘆きながら夕食を口に運んでいく。半分程手をつけた所で、入り口の方が賑やかになっている事に気付き、顔こそ向けないものの耳を傾け動向を探る。どうやらあのクソ提督が食堂に到着し、駆逐艦と潜水艦がはしゃいでるだけの様だった。時折曙と言う単語を耳に挟んだが、自分には直接関係無いと無視を決め込み、たまに話題を振ってくる吹雪へ適当に相槌を返しながら、箸を進めていく。段々その声が此方に近付いて来ている事に苛立ちを覚えながらも、視線を落とし続ける。

私を話題に上げるな、放って置いてくれ。

やがてその声が真横に来て、吹雪と会話を始めるが曙は一向に顔を上げない。曙は時折横目で睨み不機嫌なオーラを放つが、朝霧は気にした様子も無く会話を進めていく。

 

「あー、今日から此処に配属になった駆逐艦曙だ。仲良くしてやってくれよー」

 

小学校の会かと、よろしくー等と飛び交う言葉にピーマンを噛み潰した曙は、椅子を引き勢い良く立ち上がると、食べ終わった食器を手に取り返却口へ歩いていく。

 

「つれねえなーぼのー」

 

「馴れ合いたいならよそでやってよ」

 

「馴れ合うにこしたことはないだろ。艦隊は一人で組めんぞ」

 

その異質な空気に周りは押し黙り、二人の動向を見守っている。問題児が来る、と風の噂で情報を得ていた艦娘達は、その理由を何となく察しながら傍観する。

 

「良いわよ別に、どうせ駆逐艦なんて遠征して随伴して終わりよ。くっだらない」

 

「ひねくれてんなー」

 

曙の心のもやもやが更に降り積もる。これ以上話していては爆発してしまうと、曙自身もここでそれを爆発させてしまうのはただの八つ当たりの他ないと理解していた為、平静を保とうと深呼吸する。震える手で食器を返却し、朝霧に背を向け出口に向かい歩き始める。

自分でも何がしたいのか分からなくなってくる。幾度も蔑まれ続け鎮守府を追われ、原因が自分にあると理解しながらも無意味なプライドがそれの解決を阻む。何故自分はこんなことになりながらも艦娘であり続けようとするのか。

思えば羨ましかったのかもしれない。戦果を上げて素直に褒めて貰っている艦娘達が、素直に褒めている提督が。自分の性格から素直に褒めて貰おうとはせず、口を開けば憎まれ口を叩いてしまう。

もしかしたら、もっと素直になればこんな思いをしなくて済むのではないか。だが無理だからこうなっている。何かきっかけがないか、曙はそんな事を思いながら横須賀の門を潜っていた。そして行き着いた横浜鎮守府、ここの提督は今までとはまるで違う男。この男ならもしかしたら自分を扱いきれるのではないだろうか。後ろで文句を垂れる男にそんな期待を抱いてしまう。自己完結の結果、先程のもやもやが取れた事を感じ、相変わらず身勝手だと足を止める。

 

「……曙」

 

背後から聞こえたその言葉と同時に、目の前に紙切れが放り投げられる。地面に視線を落とすと、そんな淡い期待を裏切られ、その紙切れに艤装返還申請書と書かれている事に気付く。

 

「辞めたいなら辞めろよ、俺が強制する理由はないし」

 

その瞬間、平静を保っていた曙の理性は吹き飛び、朝霧の胸倉を掴み上げた。

 



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曙と朝霧提督

胸倉を掴み上げられた朝霧は表情一つ変えず、怒りに震える曙を見下ろしていた。そのまま朝霧のシャツを引き千切ってしまうのではないかと錯覚する程、強く掴み上げた曙は、自身を見下ろすその目を見てかつての艦としての記憶がフラッシュバックする。この時点で朝霧は、まだ頭の片隅に居座り続けていた曙を見限る選択肢を消去し、睨み続ける曙の目をじっと見据える。本当にドライでどうでもよければ、こんな紙切れ一枚を見せられた所で何を感じないだろう。しかし、根は真面目で誰よりも艦として誇りを持っていた曙にはそれを見過ごす事など出来なかった。

 

「私は用無しって訳!?」

 

「郷に入っては、ってな。排他的な艦は此処には要らねえよ」

 

「ああもう、ほんっとクソ提督が!」

 

曙はそこで言葉を切ると、事の成り行きを傍観している艦娘達に視線を移し、込み上がって来た物を全て吐き出すように罵倒を並べた。それはずっと曙が抱えていた疑問であり、謎であり、受け入れ難い事実だった。

 

「あんた達もよッ!どいつもこいつも口を開けば提督提督ッ。気持ち悪いったりゃありゃしないわ!そんなにこいつが好き!?」

 

「そうなんだろうよ」

 

「艦娘として生まれた瞬間提督好きになるように脳みそ書き換えられてんじゃないの!?」

 

恐らく日本中の艦娘の中で、提督たる資質を得ない者を除き、提督の事を嫌っている艦娘は曙以外は存在しない。かつて勝手に役回りを押し付けられ、全ての責任を押し付けられた曙は憎しみの感情が強く、艦娘として生まれた時全てが憎かった。それは深海棲艦として生まれたのではないかと錯覚する程だった。だが周りはどうだろうか、飼い主に尻尾を振る犬が如く、提督に擦り寄り曙から見ればただ媚を売っている犬ばかり。唯一心を開けたのは共に戦った潮達だけであり、前述の事が起因し曙は自然と排他的で内向的な性格になっていった。次第に提督に近しい者に嫌悪感が沸き、かつての艦としての記憶を経て、自分達が死地に向かう中のうのうと陸地で胡坐をかいている提督を非常に嫌うようになっていった。

まるで今まで塞き止めていた物が決壊し、全ての心を吐き出してしまうように、次々に曙の口から罵声が漏れる。

 

「解体したいのならすれば!?大好きな提督に尻尾振ってるだけの連中と仲良くね!」

 

こんな事を此処で言って何になるのか、今日出会った此処の面々にそれをぶつけてもただの八つ当たりにしかならない。ならば言葉を引っ込めようか。しかし、一度零れてしまった物を器に戻す事は出来ない。

 

「あんただって何で戻ってきたの!?そんなに戦果が欲しくなったの!?一度は逃げ出した負け犬がッ!」

 

止めてくれと、頭の中で曙が叫ぶ。頭の中はぐちゃぐちゃで、完成したパズルのピースを引っ繰り返した様に思考がまとまらなくなっていく。

 

「私みたいな駆逐艦存在する理由なんてないわよねッ!あんたもそう思ってるんでしょ!?」

 

朝霧はその間も何も言わず、ただ哀れみもせず、同情もせず曙を見つめていた。

 

「ッ……クソ提督!」

 

その態度が癪に障り、曙は胸倉を掴んだまま突き飛ばすと、勢い良く踵を返し食堂の出口へ駆け出していく。

 

「曙ちゃ――」

 

 

吹雪が慌てて席を立ち、曙を追いかけようとするが、朝霧は手でそれを制す。やれやれと言った表情で煙草を咥えた朝霧は、曙の背中を見つめながらゆっくりと後を追った。

 

何処まで走って来たのだろうか、見覚えのある道を我武者羅に走り回っていると、気がつけば朝霧と初めて出会った堤防まで来ていた。そこで足を止めた曙は、肩を落とすと鎮守府から漏れる光に照らされた堤防に腰を下ろし水平線を見つめた。言ってしまったと、今まであんな大勢の前で啖呵を切った事は無かった。それも着任して一日も経っていない中で、あんな事を言ってしまったのだ。熱した鉄に氷水が被せられた様に、曙は冷静さを取り戻し、迫り来る後悔の念に苛まれる。

 

「本当……何やってるんだろ私」

 

見限られ続けた曙は、鎮守府を転々とする度に自身の記憶と重なり心にもやもやが降り積もって行った。かつての提督達は確かに優秀だった。人と人との不毛な戦争は終わり、理解の出来ない理由でいがみ合う上層部も居ない。提督は艦娘を信頼し、艦娘は提督に期待に応える。

曙には素直に出来ず、容易くやってのける周りが非常に眩しく見えた。

 

内心では関わりを欲している曙だったが、先程曙の事を考え皆に自然と紹介しようとした朝霧を拒絶した。積もり積もった鬱憤が爆発してしまったのだ。すればどうだろうか、清々しいものだ。言いたい事をぶちまけるのがこれ程気持ちの良いものなのだろうか。今ままでの提督に対して罵倒していたものの、心の中まで暴露した事は一度も無かった。例えるならば会社で上司への鬱憤が溜まりに溜まり、全く関係無い取引先の社長率いる役員の前で暴言を吐き散らして会社を飛び出してきた気分だった。そんな事をすればクビになるのは火を見るよりも明らかであり、これでもう此処での生活も終わりだろう、解体の事を本気で考える。

 

「なんで……こんな事」

 

言うつもりは無かった、言って解決する問題では無いと曙は思っていたからだ。一度も吐露した事無かった心中を簡単に吐き出してしまった理由を漠然と探っている最中。自分が走ってきた道から、微かに足音が聞こえてくるのが分かった。それは段々と近付いて来ており、やがて顔が露になるとそれが今最も会いたくない人物だと分かり、曙は顔を引きつらせる。

 

「よーぼの。頭冷えたか」

 

「どう言う神経してるの?」

 

思わず頭の中で思った言葉がそのまま出てしまった。まるで何時もの朝の挨拶を交わすが如く、朝霧は普段通りの口調で曙に歩み寄ってきた。間髪入れず曙の隣に座り込むと、咥えていた煙草の火を消し、携帯灰皿の中へと押し込んだ。

 

「曙が俺の事そんなに信頼してたとは、一目惚れか?」

 

「……意味不明すぎるわよ。頭の中どうなってるの?」

 

何をどう繋げれば信頼と言うワードに辿り着くのか。本気で分からなかったが、朝霧が来る直前まで考えていたものの答えを自覚し、喉まで出ていた次の罵倒を飲み込む。

 

「……怒ってないの」

 

「怒ってるように見えるか」

 

「全然」

 

「ならそういうこった。まあ強いて言うなら曙を此処までほっといた連中に怒ってるよ」

 

最後の最後、曙は天運に見舞われた。不幸続きな前世、艦娘としての人生の中で、ようやく報われたと言ってもよかった。

 

「心配しているの?」

 

「だから見に来た。吐き出せばすっきりしたろ?」

 

「……私にその気は無かったわ。だけどあんただからこそ、何か吐き出す気になった」

 

人間も艦娘も、誰しも何かを背負い、気負いながらそれを消化して生きている。消化しきれない分は、何かしらの方法で積もり行く前に晴らしていく。しかし相談出来る相手が居らず、それを溜め込み続けていた曙は溜まった鬱憤を晴らすのが非常に下手であった。降り積もった鬱憤は曙の心を蝕むが、それを内向的に処理し、更に悪化させる。

しかし、朝霧との出逢いこそ曙の天運だった。その提督らしからぬ男は曙の心中を察し、その問題を解決する手助けをした。曙はその男を無意識に信頼し、その手助けを受け取った。この男なら大丈夫と、初対面で曙はそれを感じ取っていた。だからこそ朝霧に全てを吐き出し、心の中を曝け出す気になったのだ。

 

「陸でのうのうと見てるだけのクソ提督。大嫌いだった」

 

「なら俺がボートで曳航しようか?」

 

「引っ張ってあげようかしら」

 

「面白そう」

 

「邪魔なだけよ」

 

「……あの戦争は終わった。今いるのは明確な敵。くそったれの深海棲艦」

 

「……そうね」

 

「過去を顧みるのは良いけど、前向かねえと一生進まんぞ」

 

「……分かってるわよ」

 

「にしても犬ねえ。犬っぽい、ぽいのは居るけどな」

 

「……私を怒らせる為にわざとあんな真似したの?」

 

「不器用で悪かったな」

 

「……お互い様よ」

 

曙はさて、と一息吐くと腰を上げ、スカートについた砂を払い落とす。先程まで見つめていた水平線がやけに鮮明に映った。こんな感覚はかつて無かった、曙には分からなかったが、世間一般で言う吹っ切れた状態であった。そのまま朝霧に背を向けると、元来た道を歩き始める。やがて歩く速度が上がり、次第に駆け出したその背中を見つめていた朝霧は、煙草を咥えると灰に煙を流し込み、空へ吹き上げた。

 

「ああいうかっこええ事はすらすら言えるのに。なんで告白になったら途端へたれるんやろなあ」

 

「……覗き見とは趣味が悪い」

 

龍驤は曙が走っていった反対方向から顔を出すと、腰を下ろしている朝霧の横に座り込み、体を密着させる。朝霧の腕を掴み、両手で握り締めると、肩に頭を預け猫なで声を漏らす。

 

「つよなったなあ」

 

そっと目を閉じた龍驤の頭を撫でた朝霧は、曙の事を案じたが、根はしっかりしている曙の事を信頼し、もうしばらく二人の時間を楽しむ事を優先した。

 



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曙と朝霧提督

息を切らしながら食堂の前まで辿り着いた曙は、膝に手を突き大きく息を吸った。ゆっくりと呼吸を整えると、両手を跳ね上げるように膝から手を離すと、よしと短く呟き顔を上げた。先程食堂から飛び出して凡そ十分も経過していないだろう。食堂からはまだ喧騒が漏れており、つい先刻の曙の一件を気にしたでも無い様子が伝わってくる。握りこぶしを作り、意を決して食堂の扉を勢い良く開くと、中に居た面々は一斉に振り返り、曙に視線を合わせた。それは敵意の視線でも、憐れみでも、同情でも無く、ただ純粋に驚いたといった視線に曙は少し拍子抜けすると、頭を左右に振り大股で面々の前へと躍り出た。食事を続けていた艦娘や、今の今まで雑談に花を咲かせていた艦娘達も手や口を止め、曙へと視線を集めた。

 

(言うのよ……曙)

 

自身が少し震えている事に気付いた曙は、何とか口を開こうとするが、中々開かない自身の口に嫌気が差していた。

 

(このままだと何も変わらないわよッ……)

 

俯き続けていた顔を少し上げると、一番近くの席に座っていた吹雪と目が合う。吹雪はまるで女神のような優しい表情を浮かべると、右手を握り締め曙にエールを送った。曙はそれに後押しされる様に顔を思い切り振り上げると、肺から込み上げる空気に乗せ一番伝えたい胸の内を言い放った。

 

「ごめんなさいッ!」

 

食堂の隅から隅まで響き渡って行った声と同時に、曙は振り上げた頭を思い切り下げる。曙の一世一代の勝負の時、これ程緊張した瞬間は戦艦級と対峙した時にも無かったであろう。静まり返る食堂に、口から飛び出しそうな心臓の鼓動を押さえつけ、皆の応答を待った。

もし、許されなかったら。あれ程大見得切って出て行った人間がものの十分で戻ってきて、許してもらおうなど虫が良すぎるのではないか。凡そ五秒も無かったその静寂の間、頭の中を様々な思惑が交差し、気が気ではなくなりそうになった。しかし、そんな曙の小さな考えを吹き飛ばすように、食堂は大歓声に包まれた。

 

「良く言ったぞ!今夜は飲み明かそう!」

 

「うむ、一件落着のようじゃな!」

 

曙は突然の出来事に体を一瞬震わせると、顔を上げ何事かと辺りを見渡した直後。

 

「曙ちゃぁぁぁぁん!」

 

視界に入ったのは目尻に涙を浮かべている吹雪の姿だった。吹雪は曙に飛び掛ると、そのまま両手を背後に回し押し倒した。

 

「ちょっ、何よッ!」

 

「もぉ!曙ちゃんが出て行っちゃうんじゃないかって心配したんだよ!」

 

曙は頬を赤らめると、気恥ずかしそうに目を逸らし吹雪を押しのけた。

 

「辞めないわよ。もう吹っ切れたわ、何処かのお馬鹿さんのお陰で」

 

吹雪はそれが朝霧の事を指しているのだと察し、感謝の意を心に浮かべながら曙に寄り添い食堂の面々に頭を下げた。

 

「気難しい子ですがどうかよろしくお願いします」

 

「出会ってまだ初日の人間に言われたくないわよッ!」

 

「だって、もう友達だもん」

 

二人の掛け合いに食堂内は笑いに包まれる。その様子を傍から傍観していた瑞鶴は、周りとの空気に隔離されているかのように、一人物思いに耽っていた。もし朝霧が来る前の鎮守府でこんな事をのたまわったなら、言いたくは無いが即干されていただろう。それ位皆心に余裕は無かったし、他人を最低限気にかけることしか無かった。たとえ戦況が有利で心の余裕があったとしてもこの雰囲気を作る事は叶わなかっただろう。一人一人が秘書艦を毎日交代する七面倒臭い制度だったが、朝霧は会話の中で悩みを聞き、相談に乗る事で心の負担を取っ払っていた。心に余裕があるのは非常に重要だ。余裕が無ければ焦り、焦れば判断を誤る。

 

「……何かむかつくわね」

 

「瑞鶴?」

 

「先に戻ってるわね」

 

食器を返した瑞鶴は、まだ喧騒の止まない食堂を後にした。

 

 

翌日の昼下がりの司令室、その日の秘書艦として任命された曙は、右往左往しながら部屋中を駆け回っていた。一応の罰として司令室に存在する書類の整理を言い渡され、勝手が分からないながらも書類整理と悪戦苦闘していた。ソファーにふんぞり返り、煙草を吹かしながら愉快そうにその様子を見ていた朝霧に殺意を覚えながらも、性根が真面目な曙は日が暮れるまでに仕事を終わらせようと必死になっていた。しかしどうだろうかこの鎮守府は。

 

「ちぃーっす!昼寝に来たよー!」

 

「おーおー、頑張ってるねー……お休み」

 

「のび太かお前は」

 

昼寝常習犯の鈴谷と北上が訪れ、我先にとソファーへ飛び込んだ。鈴谷は空いたソファーに、北上は朝霧に頭を預け何処かの眼鏡の少年よろしく、目を閉じた瞬間には既に寝息を立てていた。汗を流しながらせっせと働く傍で気持ち良さそうに寝られてしまっては、モチベーションが下がってしまう。恨めしそうに睨む曙に、朝霧は空いている左側のソファーをおいでと言わんばかりに手で叩いた。

 

「クソ提督ッ!」

 

誘惑を断ち切った曙は再び書類整理に戻る。すると二人に続くように、二つの人影が勢い良く司令室へ飛び込んでくる。

 

「ぽいぽーい!」

 

「遠征帰りで少し眠いね」

 

「ぽーい」

 

「ぽい?」

 

「ぽいぽい」

 

「ぽい!」

 

「日本語で話そうよ……」

 

夕立は朝霧の膝の上に飛び込むと、頭を胸板へと預ける。苦笑いしながら時雨も夕立の傍へと歩み寄るが、せっせと動き回っている曙に気付き声をかける。

 

「手伝おうかい?」

 

「いいわよ。私の仕事だから……おやすみ」

 

既に目が泳いでいる時雨を気遣い、助けを断った曙は、そのままソファーの端に座り寝息を立て始めた所まで見送り、書類に目を落とした。それから凡そ二時間程経っただろうか、何時の間にか眠っていた朝霧も含め、五人は誰も目を覚ましていない。整理に一区切りを付け、一息吐いた曙はお茶を淹れ一気に飲み干した。

 

「ふぅ……大体終わったわね。……にしても」

 

ソファーの前に回りこんだ曙は、幸せそうに口を開けいびきをかいている朝霧を見て少し羨ましくなった。これ位素直に生きられれば、どれ程楽になるだろうか。曙は辺りを見渡すと、人影が無い事を確認し足音を立てないよう朝霧に忍び寄る。

 

「……むぅ。そうよ、これは頑張った自分へのご褒美よ、三十分くらい」

 

早朝から駆け回っていた曙は、心地の良い眠気に襲われており、更に目の前で気持ち良さそうに眠られていた事もあり眠気が限界に達していた。目を擦りながらソファーに腰掛けると、頭を背もたれに預け、朦朧とした意識の中で朝霧に頭を預けている北上に視線を向ける。

 

「……ごほうび」

 

少し悩んだ後、空いている左肩に頭を乗せそのまま意識を手放した。

 

「……わぁぁ!寝過ごした!?」

 

夢の中まで聞こえてきた警鐘に飛び起きた曙は、真っ先に時計を確認する。既に時計の針は六時を刺しており、当初起きようと思っていた時間を遥かに越えていた

 

「おーおはよう」

 

デスクで一枚の書類を手にしていた朝霧は、その書類を両手で丸め込むとゴミ箱へと放り込んだ。瑞鶴に一言告げ建造依頼を撤回した朝霧は、曙に歩み寄り問題をあっさり解決した吹雪に感謝しながら腰を上げた。

 

「……吹雪は良い艦娘だな」

 

「へっ?……え、ええ。確かに良い子ね」

 

「……えらく素直になったな。誰かに似て」

 

半年前の自身と曙の姿を重ね合わせながら、人との繋がりの大切さを再確認し、上着を羽織る。

 

「ほら、飯だ飯。いくぞー」

 

「ちょ、待ちなさいよ!」

 

慌ててソファーから飛び起きた曙は朝霧の背中を追う。肩を並べ食堂へ向かう道中、曙はふと朝霧に声をかける。

 

「ねえ、提督」

 

「ん?」

 

「……ありがと」

 

「んんっ?聞こえなかったな、もう一回言ってくれ」

 

「…………ッチ」

 

「ちょっ!ギブギブギブ!すみませんでしたッ!」

 

朝霧のしたり顔に曙は朝霧の腕を捻り関節を極める。

 

「この私が来たからには、この鎮守府は安泰って言ったのよッ!クソ提督!」

 

腕を唸りながら押さえている朝霧を尻目に、曙は夕餉を終えたら佐世保に居る潮達に手紙を書いてみようと決め、鼻歌交じりに食堂へ駆け出した。



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恋するヲ級

どこまでも続く灰色の空の下で、岩礁に腰掛け頭を岩に預けていた空母ヲ級は、まだ見ぬある人物を思い浮かべ碧い瞳を輝かせた直後、その日三度目の溜息を吐いていた。自分の周りは誰も彼も憎しみを持ち、ただ海へ繰り出す者達を蹂躙し続けている。自分も深海棲艦としてはそうあるべきはずなのだが、周りに比べ生み出された時からその感情は希薄だった。最初はその様なものなのだろうと思っていたが、案外自分だけらしく、当初は周りに合わせていたがそれも惰性となっていた。あの血の気盛んな中、自分は特に艦娘に対し何も思っていませんなどとのたまわったなら、即沈められてしまうだろう。他の空母よりも更に強力なflagship、艦娘の無線を傍受して自分がフラヲ改と略され、恐れられているのを知っている。駆逐艦や軽巡程度にやられる自分ではないが、流石に無限に沸いて出る深海棲艦との連戦は骨が折れる。

目を瞑ったヲ級は、ただでさえおかしかった自分が更におかしくなってしまったあの日、横浜鎮守府へ襲撃を仕掛けたあの日の事を思い出していた。旗艦であった自分は遥か後方から偵察機を飛ばし、無難な指示を飛ばしていた。鎮守府に攻め込むには非力すぎる面子にやる気が起きなかったヲ級は、とっとと撤退してしまおうと考えていたが、存外奮闘している仲間に少し期待しつつ援護を行っていた。憎い訳ではないが、戦う艦として生を受けたのだ。敵城へ攻め込んでこれを落とす。生きる目的としてそれを達成してみたかった。

しかし、その戦闘は凄まじい爆発と共に幕を閉じた。あろうことがドラム缶を爆発させまとめて吹き飛ばしたのだ。かつて戦った相手にこれ程ぶっ飛んだ作戦を用いてきた者が居ただろうか。あらかじめ後方で直ぐ撤退出来るようにしていたヲ級は、棲地へ戻る道中、あの作戦を決行した指揮官の事を思い浮かべていた。それからもそうだ。優秀な指揮官が着任したのだろう。あの鎮守府の成果は目覚しい。あのレ級が単身乗り込んで敗北したと言うのだ。深海棲艦内で囁かれている噂では素手でレ級を倒した等と広がっている。その話を聞くと皆が苦虫を噛み潰したような顔をするが、自分は陰でケラケラと笑っていた。素手であのレ級に挑む馬鹿が居るのかと。

会いたい、会って話がしてみたい。その気持ちが生まれ始め、月日が経つ毎にその気持ちは強くなっていた。これが恋焦がれると言う事なのだろうか、生物学的上は雌にあたるであろう自分だ、恋くらいはする。どうにも自分は指揮が上手ではない、どうせなら優秀な指揮官の下で戦ってみたいと言うのが艦の性ではないだろうか。いっそ寝返る事も考えていたが、それは絶対に成し得られない事も理解していた。のこのこ鎮守府へ向かいでもしたものなら、間違いなく蜂の巣だ。仲間になるどころか会って話す事も叶わないだろう。

 

「でも顔だけでも見たい、うーむ」

 

しかし、あの男ならばと。一人呟いたヲ級は決心を決め、自分の頭部に付いている艤装部分を取り外すと、岩礁の隙間に隠し、両手を組み天へ伸ばし背伸びをした。直後、銀色の髪を揺らしながら黒いマントを靡かせ、進路を横浜鎮守府へ向け滑走し始めた。

 

一方、横浜鎮守府では吹き付ける風に体を震わせている艦娘達が、鎮守府正面海域にて隊列移動や砲撃等の基礎訓練を行っていた。朝霧も堤防からその様子を傍観しており、動きに乱れが無いかチェックしながら寒さに唸り声を上げていた。

 

「ねー提督ー。そんなに寒いんだったら戻ったら?」

 

横で堤防に座り込んでいた北上は、その日秘書艦であった為訓練を免れた事にほっとしながら朝霧の様子を愉快そうに見ていた。顔面蒼白になっている朝霧は、暖を求めて先程から北上に抱きつこうとしているのだが、度々飛んでくる艦載機や砲弾に阻まれ寒さと落胆に打ちひしがれていた。

 

「提督たるものー、隊の練度を確認するのは仕事として当然なのであーる」

 

「あたしにセクハラしようとするのも提督の仕事なの?」

 

「当然であーる。と言うかそのヘソ出しルックで寒くないの」

 

「勿論寒いよ。戻っちゃおうか」

 

「後は俺が見とくから良いよ」

 

「ま、提督が居るならずっと此処に居るよ。たとえ寒い中でもさ」

 

「きゃー北上さん素敵」

 

「いえーい」

 

北上と惚気ている朝霧にその日五度目の艦載機を飛ばそうかと考えていた龍驤はだったが、偵察機を飛ばす訓練の最中、戻ってきた偵察機の報告に唖然とし、横に居た飛鷹に声をかける。

 

「なあ」

 

「何?」

 

「五海里先に敵影が一つ見えるんやけどな」

 

鎮守府正面に敵影が一つ映る事は多々ある。恐らく艦隊から逸れてしまったのであろう駆逐艦が一隻度々出現するのだ。飛鷹は何時もの事だと思いながら、同時に新しい艦載機を試すチャンスでもあると思ったが、見つけた龍驤に譲る事に決めた。しかし、何故わざわざそれを自分に報告したのかが分からず、問い返す。

 

「駆逐艦でしょ?」

 

「……空母ヲ級や。それもflagship、それも丸腰。真っ直ぐこっちに向かって来とる」

 

その発言を聞いた飛鷹は目を丸くし、開いた口が塞がらなかった。歴戦の戦士である龍驤でさえ状況が飲み込めず戸惑っていた。深海棲艦は艦娘側と同じく隊を組む、単身より勝率が遥かに上昇する為だ。それが単身、しかも丸腰で乗り込んできていると言うのだ。思考出来るレベルの深海棲艦がこんな暴挙に出る理由が分からなかった。

 

「罠かも知れへん。ありったけの偵察機出すで。ウチは偵察機出したらあいつに報告するわ」

 

「了解」

 

偵察機を発艦した龍驤は、踵を返し朝霧の元まで全力で駆け寄り、その様子を見ていた朝霧は龍驤の表情に只事ではないと察し、表情を引き締める。事の顛末を報告した龍驤は、眉毛をひん曲げている朝霧の判断を仰ぐ。

 

「とりあえず、周囲十海里、潜水艦でも何でも他の敵影があったら即落とせ。一つも無かったら此処まで通せ」

 

「他の連中はどうするんや」

 

「敵影があったなら警戒態勢、無かったなら金剛と不知火以外全員引き上げさせろ、ついでに見張り台にも報告」

 

「……了解したで」

 

深海棲艦を朝霧の眼前に通すのは気が引けたが、思慮深い朝霧の思惑に口を出す訳にはいかず、指示を実行するため皆に声をかける。その際戻ってきた偵察機の報告に敵影は無く、同時に飛鷹の偵察機にも敵影は映らなかった。朝霧の指示通り皆を引き上げさせ、まだ予定時間に届いてないにも関わらず終了した事に皆疑問を浮かべていたが、早く終われる事の嬉しさの方が勝っており、さっさと引き上げドックへと戻って行った。頭にクエスチョンマークを浮かべている金剛と不知火を引き連れ朝霧の元へ戻った龍驤は、次の指示を仰ぐ。

 

「龍驤も戻ってて良いよ」

 

「せやけど」

 

「大丈夫だって」

 

「…………」

 

龍驤は納得いかないと言った表情で、渋々陸へ上がりドックへと歩いていく。その際も、朝霧は思考を続け、考えうる可能性と状況を洗い出していった。疑問を今すぐにでもぶつけたい二人だったが、海域攻略時にしか見せない程真剣な表情で思考している朝霧に聞くにも聞けず、戸惑っていた所を、察した北上から事情を説明された。何故ヲ級は丸腰で乗り込んできたのか、一番可能性が高いのは囮だ。しかし、囮ならわざわざ絶大なる戦力になるフラヲ改を使う必要は毛ほども無い。それに周囲に敵影は無かった。次に不意打ち。丸腰で友好的に近付き、油断した所を仕留める。艦載機を飛ばさずとも深海棲艦なら人間一人位は軽く捻り潰せるだろう。それを避ける為に金剛と不知火を呼び寄せた。

次にあるのは内情調査。同じく丸腰で友好的に近付き油断させ、手の内を探る。これが一番現実味があるだろう。これは分かっていれば防げる。会話をすればある程度相手の心理が分かってくる。思考し終わった朝霧は何故わざわざリスクを背負って会う必要があるのだろうかと自問自答したが、答えは直ぐに出た。事情は分からないがそのヲ級はリスクを負った。それも余りに分が悪いものを。恐らく此処以外の鎮守府でそんな暴挙を冒したのなら、即海の底だろう。もしかしたらそのヲ級は沈む覚悟で伝えたい事があるのかもしれない。敵との対談、それは少しでもこの戦争を変えるかもしれない、その可能性に賭け朝霧はヲ級を待つ。何事もそうだ。何か大きい事を成す時、其処には必ずリスクがある。

 

「……正気デスカ?」

 

「不知火も反対です」

 

「お前らを信頼してっからよ」

 

朝霧は自分に好意を寄せている金剛と不知火を護衛として選んでいた。もしヲ級が少しでも朝霧に危害を加えようとしたのなら、鼠を狙う猫よりも早くこの二人はそのヲ級を消し去るだろう。じきに到着するであろう瞬間を待っていた朝霧は、少しの緊張を覚え煙草に火を点ける。

慌てて艤装を装着しに行った北上が戻り、朝霧と三人は吹き付ける風に体を震わせその時を待つ。

 

「……来ましたね」

 

最初はただの点だったが、それは段々と形を成していく。朝霧どころか、北上達でさえ頭部の艤装を外したヲ級を見たことが無かった。朝霧はそれを外すと案外普通の人型なのだと思いながら、眼前へ近寄ってくるヲ級を見下ろした。それと同時に金剛と不知火の警戒レベルが跳ね上がる。話は聞いていたが、いざ深海棲艦と向かい合うと言うのは緊張してしまう。だがこのヲ級が想い人に何かしようとした瞬間、首から上を消し飛ばす覚悟だけは揺るがなかった。

吹き付ける風に黒いマントを靡かせながら、その碧い瞳を朝霧に向けたヲ級は、やっと会えたと表情を緩める。この時点で朝霧はこのヲ級は普通ではないと一瞬で悟った。深海棲艦はかつての観測で憎しみ以外の感情を決して見せる事は無かったからだ。

 

「すまんね。こんな出迎えで」

 

瞬きすらせず、銃口を突きつけている金剛と不知火を尻目に、ヲ級は気にしていないと言った表情で返答する。

 

「いいよ、会ってくれただけでも有難いし」

 

「……まあこんな所ではなんだな。あがっていくか」

 

「じゃ遠慮無く」

 

堤防に手を突き、陸へ飛び乗ってくるヲ級に想像していたよりも遥かに人間臭さを感じ、そのペースに呑まれそうになる。朝霧は頬を手で叩くと、深呼吸し司令室へ向かう事を決め踵を返す。その後を北上が追い、次にヲ級が追う。そして北上と挟み込むように金剛と不知火が後から着いて行った。

 

 



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恋するヲ級

傍から見ればこの一行はどう見えていたのだろうか。何時も通りの朝霧に無表情の北上が続き、その後ろに何故か笑顔の空母ヲ級が続く。更に後ろには、瞬きすらせず殺気立っている金剛と不知火が艤装を構えながらヲ級の背中を睨み付けている。皆が入渠ドックへ行く中、向かう元気も無く自室へ戻って一眠りしようとしていた陽炎は、その一行の姿を目の当たりにし咄嗟に陰に身を潜めていた。

 

「あわわわ……何よあれ……何でヲ級……しかもflagshipじゃない……」

 

遠目からであった為何を話しているのか分からないが、少なくとも艦娘三人は一言も口を開いていない。そんな中、朝霧とヲ級が楽しそうに会話しているのは傍目からでも理解出来た。後ろの不知火に至っては目線で人が殺せそうなほど目つきが鋭く、眉間にかつて無い程皺が寄っている。その異様とも呼べる空間に足を踏み入れる勇気は無く、こっそり後をつけてみようかと思い立ったその瞬間。

 

「何やってんのよ、こんな所で突っ立って」

 

「わひゃぁぁぁ!」

 

背後から突然声をかけられた陽炎は体を震わせながら飛び上がると、そのまま自分の足に足をかけ腰から盛大に床へ転げ落ちる。

 

「……そんなにびっくりした?」

 

自室に忘れ物を取りに向かっていた曙は呆れ顔を浮かべ、唸りながら腰を摩る陽炎を見下ろす。涙目になりながら立ち上がった陽炎は、慌てて物陰から朝霧達の姿を確認するが、そこには既に一行の姿は無かった。

 

「ああ!見失っちゃった……」

 

「何がよ」

 

「いやね、司令とヲ級が楽しそうに話してて、その後にとんでもなく怖い顔をした不知火と金剛さんが一緒に居たの」

 

曙は一瞬きょとんとした表情を浮かべ陽炎と視線を合わせていたが、やがて目を瞑ると溜息を吐き、肩に手を置く。

 

「ごめんなさい……打ち所が悪かったのね……その、間宮さんのとこいこっか?甘味奢ってあげるわよ」

 

「私は正常よっ!」

 

嘗て無いほど優しい表情を浮かべている曙に抗議の声を上げるが、甘味を奢って貰えるならそれでいいかと考え、後に話を聞けばいいと結論を出し食堂へ向かった。一方、じきに司令室へ到着しようとしている一行の中の不知火は、気が気ではなかった。朝霧に考えあっての事だろうとそれ程口出しはしなかったが、敵の親玉とも言える深海棲艦を想い人の眼前に晒すと言うのは非常に不安になる。道中緊張の糸を切らさないようにしながら、もし何かあったらこのヲ級をどうバラバラにしてやろうかと考えていた程だ。金剛も同様、瞬きした回数は普段の半分以下になっており、道中殆ど息を止めていた。滞りなく司令室に入っていった朝霧は、真っ先にソファーに腰掛け、向かいにヲ級を座らせる。北上にお茶を淹れるよう指示すると、先程の砕けた表情とは一転し目を細め口角を下げる。不知火と金剛は緊張を切らさないように朝霧の傍で仁王立ちし、艤装の引き金からは決して手を離さない。

 

「さてさて、本題に入るか」

 

先程まで、深海棲艦の私生活について尋ねたりしながらも、此方の重要な生活のルーチンに関しては一切漏らさなかった朝霧にちゃっかりしているなと思いながら、北上はヲ級にお茶を差し出す。

 

「何でまた、こんなとこに丸腰で来たの」

 

「一目惚れしたの」

 

煙草を取り出し、口に咥えようとしていた朝霧は思わず煙草を落とす。同様一切気を緩めなかった金剛と不知火の二人も思わず頭が真っ白になる。一方の北上は、この男はついに深海棲艦まで誑し始めたのかと呆れた表情で溜息を吐く。

 

「ドコカデオアイシタコトアリマシタッケ?」

 

「いや無いよー。ただ面白い指揮する人だったから、一度会ってみたいなって。会ってみたらかなり好みかもと思って、やっぱり一目惚れ」

 

「…………」

 

様々な思考を巡らせ、壮大な駆け引きを想像していた朝霧の頭の中はパニックになり、嘘を言っている風には見えないヲ級を見て更に混乱する。

 

「付き合って下さいって訳ではないよ、会話しにきただけ、ついでに仲間にしてくれないかなと思って」

 

「……本気で言ってんの?」

 

「こう見えて私強いよ」

 

それは満場一致で肯定されるだろう。正規空母より高い耐久を持ち、あの大和型を一撃で大破させる火力を持つ海上の悪魔とも言えるフラヲ改、戦力としては申し分が無い。

 

「質問するぞ、嘘は言うな」

 

「いいよ」

 

「他の深海棲艦にお前みたいなのは居たか」

 

「居ないよ。かなりの数見てきたけど、私みたいなのは私だけだった、隠してる様子も無いし」

 

これは朝霧も納得した。単純な話深海棲艦は皆、目に深い闇を覆わせている。しかしこのヲ級の碧い瞳は非常に澄んでおり、魅入ってしまう程だった。軍属だと派閥や上下関係に悩まされる事になる。その為会話で相手の心理をある程度把握出来るスキルは磨き上げられる。今までのヲ級の話に裏はなさそうなのは薄々感じていた。

 

「お前が此処に来たのは知られているか?」

 

「うーん。ばれてないんじゃないかな、私や……そっちは鬼とか姫級って言ってたっけ?まあ思考出来るのとかは結構気ままだから気にされないかも」

 

「本当に会話しに来ただけなのか?」

 

「うん。お茶まで出して貰えるとは思わなかったけど」

 

「……憎くないのか、俺等が」

 

「えっと……深海棲艦?は皆その気持ち持ってると思うよ、何でかは分からないけど。私の場合その気持ちは少なくて、それ以上に普通に戦いたかっただけ」

 

「あの鎮守府襲撃の時に来てたってな、それもただ戦うためか?しつこいけど憎いからじゃないよな?」

 

「銃に銃を撃つなって言う?」

 

「んあー……」

 

一通り質問し終わった朝霧は、どうしたものかと腰を深く落とす。戦争の和平でも無く、不意打ちでも無く、ただ会話をしに来たヲ級の処遇を決めかねていた。非常に悩み続けている朝霧を満足そうに見つめているヲ級は、北上が淹れたお茶を飲み干し一息吐いていた。

 

「ねー、仲間にしてくれたら色んな事してあげるよー」

 

戦力としては非常に強力、スパイと言う線も今の会話で殆ど消えた。かと言って朝霧は簡単にはいと返事をする事も出来なかった。先ず、朝霧はこの鎮守府の面々と深海棲艦が仲良くなる事を良しとしたくなかった。もし仮に仲間を引き入れたとしよう。恐らく最初は深い溝があるだろう。しかしこのヲ級の表裏の無い性格ならそれも埋まり、じきに信頼が生まれるだろう。

そうなると絶対生まれる感情がある、それはもしかしたら敵にもこのヲ級みたく仲間になってくれる艦が居るのではないかと言う淡い希望。もしかしたらそれを契機に敵と交渉し、この戦争を終結させる事が出来るかもしれないと言う淡い希望。ならば話してみようかと、それこそ敵の思う壺になる。敵も馬鹿じゃない、それを利用して近付いてくるだろう。そうなれば内側から崩されて鎮守府は終わる。誰も彼も敵の真意を見抜ける訳ではないのだ。特に電の様な敵も助けてあげたいと言う思想は非常に危険になってくる。かつての人間同士の戦争では電の思考は納得出来る、敵とは言え同じ種族の人間なのだ。しかし今相手にしているのは正体不明の殺戮兵器、分かち合える訳も無い。

そもそも大本営にどう報告すればいいのか、根拠は朝霧の直感と経験、それで敵を仲間に引き入れるには弱すぎる。隠していても否が応でも目立つヲ級は、出撃すればたちまち上に報告されるだろうか、その末路は実験台にされてバラバラになるだろう。嘗て深海棲艦を捕獲しようとした試みは多々あった。解析する事が出来れば特攻弾等の開発も可能であったからだ。しかし、本能か敵に情報を漏らさないような作戦か捕獲しようとした深海棲艦は皆自爆し、一片の欠片を残す事も無く自害する。今までレ級を二体確保しているものの、どちらも既に死体になっており、良い結果は得られていない。そんな中、非常に貴重な生きている深海棲艦、しかも上位固体が手に入ったとなればお上は喜んでこのヲ級を解体するだろう。

 

「……すまん」

 

「……そっか」

 

ヲ級は言葉を短く切ると、残念そうに目を細め腰を上げる。

 

「お茶ありがとね、楽しかった。話せて良かったし」

 

「……帰るのか?」

 

「うん。目的は果たせたし」

 

「……あーその、何だ」

 

「ん?」

 

「泊まっていけば」

 

「は?」

 

その言葉に横に座り込ながら事の顛末を見守っていた北上と、不知火、金剛の声が同時に重なる。きょとんとした表情で言葉を失っていたヲ級は、周りを見渡し再び朝霧と目線を合わせる。

 

「良いの?」

 

「まだ話し足りないだろ、俺もだ。色々聞きたいし泊まっていけよ」

 

朝霧はこのヲ級をむざむざとお上に引き渡したくは無かった。個人的にはこのあっさりとした性格のヲ級は気に入ったし、私情を挟む訳でも無く、非常に貴重な敵とのパイプだ。それを解体してもし何も成果が得られなかった時の事を考えると、このまま無事帰らせるのが一番だろう。しかし、もし此方に繋がっている事がバレた時の事を考えたら、もうこのヲ級と話す事が叶わなくなる。そうなる前に、もっと様々な情報を聞き出しておきたかった。本音を押し殺した朝霧は、渋い表情を浮かべ横で座り込んでいる北上のおさげを引っ張り遊び始める。

 

(我ながら嫌な性格だな)

 

「司令」

 

「分かってるって。全責任は俺が取るし、目を離さないからさ」

 

「違います、司令の身を案じています」

 

「もー。可愛いなぬいぬいは。心配すんな」

 

「ですが」

 

「俺の事信頼してないの?」

 

朝霧は不知火に近付くと、優しくも力強く頭を撫でる。一瞬抵抗した不知火だったが、顔を赤らめてそのまま手を受け入れる。改めてこの男は凄いと不知火は実感する。あまつさえ深海棲艦とお友達になってしまう提督が何処に居るだろうか。

 

「テイトクー!護衛のご褒美が欲しいネー!」

 

空いた手で同様に金剛の頭を撫でる。流石に此処まで来ればこのヲ級に敵意が無い事が分かった二人は、それ以上何も言わず部屋を後にした。北上は頑張ってねと言い残すと、二人の後を追う。

 

「…………」

 

此処に来るまでその感情は薄かったのだが、それを目の当たりにヲ級は非常に羨ましくなった。今まで駒として深海棲艦を使い、艦隊を指揮していた。そこに信頼関係がある筈も無く、淡々と出撃する毎日。こんな風に優秀な指揮官と毎日を過ごし、一致団結して共通の敵に挑む事が出来ればどれだけ毎日が楽しくなるだろうか。それが叶わない事が分かっていたからこそ、ヲ級はやりきれない気持ちがあった。本音としては朝霧はそれを察しており、せめてもの手向けとしてそれを提案していた。

 

「まあなんだ、この鎮守府に艦として入った時点で俺の部下だ」

 

「…………空母ヲ級!着任しました!」

 

「着任おめでとう」

 

ヲ級は今まで浮かべた事も無かった満面の笑みを浮かべると、朝霧の横へ移動し体を密着させる。その暖かさに気が緩んだヲ級は、頭を肩に預け目を瞑る。

 

「…………提督」

 

「ん?」

 

「……呼んでみたかっただけ!」

 



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恋するヲ級

陽が水平線へと沈み、どの家も食卓に明かりが灯り始めた頃、白い息を吐き出すと共に愚痴を漏らしながら、不知火は眼前を歩く二人を背後から睨み付けていた。

 

「ねー。あれ何?光ってるね」

 

「コンビニっつー便利な店」

 

「ねーあれは?」

 

「あれは――」

 

事の発端は突然のヲ級の思いつきによるものであり、ヲ級とデートに行くと言うトチ狂った発言に、不知火は堪らず二人の後を着いて行っていた。たまたま外出しようとする所に居合わせた為、朝霧を問い質し、ヲ級の外を見てみたいという希望を叶えてやるつもりだと返答された。借りを作りたかった朝霧だが、不知火は何が起こるか分かったものではなく、当然反対したが、どうしてもと言う朝霧に押されてしまっていた。言われずとも見張りとして誰かつけるつもりだったらしく、不知火はどうせなら事情を知っている自分が行くのが筋だろうと見張りを申し出ていた。コートを羽織り、ニット帽を被っているヲ級は傍から見れば深海棲艦に見える事も無く、その瞳以外はごく普通の人間の容姿だった為騒ぎになる事もなかった。一方の不知火は艤装の上からコートを羽織っており、何時でも手持ちの単装砲の引き金を引けると脅しをかけながら後ろを歩く。何もしないと呆れ気味に呟くヲ級だったが、自分の立場を考えれば当然であり、もし此処で騒ぎを起こせば朝霧の首が外国位まで吹っ飛んでいくだろうと溜息を吐いた。

 

「そういえばお前らって何か食べるの?」

 

「食べないよ、食べなくてもなんか生きていけるし」

 

「哺乳類じゃないのか……」

 

「深海類?」

 

「何でもありだな……」

 

不知火も深海棲艦の生態には興味があり、途中からは朝霧とヲ級の会話に耳を傾けていた。

集中していたその時、腹の虫が鳴り続けていた事に気付き、食堂へ向かう最中であった為、我に返ると既に強い空腹感を覚えていた。

 

「司令、意見具申」

 

「はい」

 

「お腹が空きました」

 

「…………」

 

「私も何か食べる」

 

「……じゃあ適当にファミレス入るか」

 

「わーい」

 

「ぬーい」

 

街の繁華街まで出てきており、夕食時の街中は大層賑わっており、どの店も家族連れやカップルで溢れていた。目新しい物ばかりで興奮していたヲ級だったが、人ごみに息苦しさを感じ始め、何処か休まる場所を要求した。繁華街では目線を一周させれば何処かに飲食店が存在し、その内の一つに目を止め、はぐれないようヲ級を先導し不知火が続く。店前まで来た朝霧は、入り口から賑わっている店内が見え順番待ちがあるかと思ったが、運良く一席だけ空席があり、店員の案内を受け通して貰う。道中、その明るい店内の奥に不釣合いなサングラスをかけた不審な三人組が視界に入り、朝霧は目を細めるが、気に留める事を止め席に座る。ヲ級は始めて入る店内の様子に圧倒され、だらしなく口を開けながら椅子に腰掛けた。不知火のその桃色の髪は非常に目立ち、艦娘である事が一目で分かったのか、不知火の姿を見てひそひそと話しを始める人間が増える。しかし、それは侮蔑の意味を込めていない為、不知火は全く気にせずメニューを手に取り何を頼んでやろうかと唸り始める。艦娘と言う存在は非常に珍しく、街中で会う事は滅多に無い。その為どうしても視線が集まってしまう。不知火も珍しいものを見る時は同じ反応をするだろうと思っている為、気に留めなかった。しかし、目立ちすぎるのも良くないだろうと考え、失礼承知でキャップを深く被り、朝霧にメニューを手渡した。

 

「何にすんの」

 

「んー……タンカー襲った時、中に入っていた缶詰食べてみたんだけど、あれ中々美味しかったよ」

 

「どんなの」

 

「……サバの味噌煮?」

 

「ファミレスにはねーよ」

 

「不知火は決めました」

 

「じゃー私は提督に合わせるー」

 

「順当にミックスグリルか……」

 

呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばし、呼び鈴のボタンに力を入れた瞬間、それを掻き消す様な爆音が店内に鳴り響いた。人々は短い悲鳴を上げ、何事かと体を震わせるが、朝霧、不知火、ヲ級はその音に聞き覚えがあった。朝霧はそれを命令し、不知火はそれを実行する。そしてヲ級はそれを何度も受けた。嫌程聞いてきたその銃声は、二発目が鳴り響き、店内は静寂に包まれる。テロリストに遭遇する確立はいか程のものか。学生時代退屈な授業中によくそんな妄想を浮かべていた朝霧だったが、まさか自分が遭遇するとは夢にも思っていなかった。

先程見かけたサングラスの男達は、店員にカーテンを閉めさせると、客席に押し込め静かにしろと銃を掲げる。男達が店内を闊歩していく中、皆一言も声を発さず、顔を伏せ小刻みに震えていた。朝霧も同様顔を伏せ続けていたが、一人の男が朝霧の横で足を止める。

 

「……何処かで見た顔だな。新聞で見たな……そう、横浜の提督が一人でファミレスか?」

 

「悪いかよ」

 

朝霧はバレてしまっては仕方が無いと顔を上げると、目の前のコップを手に取り水を飲み干す。次の瞬間朝霧の顎に激しい鈍痛が走ると、ソファーの上を転がり壁に叩き付けられる。男は突き上げた拳を下ろすと、朝霧を見下ろし銃を突きつける。

 

「いや、あんたも運が無いな。丁度良い交渉材料が出来たと思ってな。死ななかったら、だけどな」

 

 

 

「ね――」

 

 

「静かにッ!」

 

 

不知火はヲ級の口を塞ぎ、声を殺してヲ級を睨みつける。その気迫に圧倒されたヲ級はそのまま押し黙ると、カウンターの陰から様子を伺う。朝霧は咄嗟に不知火を自分の下から離れる事を命令し、同時にヲ級を不知火に任せた。常人では絶対に間に合わない距離を一瞬で走り抜け、不知火とヲ級はカウンターの陰へ身を潜めていた。朝霧は不知火、ヲ級のコップをどさくさに紛れ足元に隠すと、一人で来た事を装っていた。これは保険であり、もしもヲ級の存在がこの場で晒されてしまうような事があればどうなるか。想像に難くない。状況が飲み込めない筈のヲ級が何をやらかすか分かってものでは無く、不知火に引率を任せていた。耳を澄まし、朝霧と男の会話を聞き逃さないようにする。

 

「目的は……金か?釈放か?」

 

顎を撥ねられ、切れた口内から唇を通して流れる血を拭うと男を睨みつける。

 

「どちらとも、と言いたいな。同志の解放。それと惰弱な艦娘等に頼っている軟弱者への鉄槌も出来たな」

 

その瞬間、朝霧は近頃ある過激な宗派とも言える団体が一斉逮捕された話を思い出していた。

大本営からの知らせに目を通しただけであったが、この日本の行方を小娘共に任せておけないと、鎮守府や艦娘の解体を要求し、核兵器保有を訴える過激団体の存在を。不知火を引っ込めておいて良かったと内心安堵するが、状況は非常に良くなかった。この男達の目標からすれば、朝霧は討つべき敵である。騒ぎを聞きつけた仲間の二人も駆け寄り、男から状況を説明される。その瞬間、サングラスをかけている為表情は伺いにくいがやはり、朝霧見る目が変わる。

 

「警察と大本営に連絡しろ」

 

朝霧を殴り飛ばしたリーダー格らしき男は、そう命令するとソファーへ土足で踏み込み、頭を壁に預けている朝霧の胸倉を掴む。銃を突きつけられても表情を変えない朝霧をソファーから引き摺り上げると、右手に握った拳を朝霧の左頬へと叩き込んだ。テーブルの上へ叩きつけられた朝霧は、そのまま床へと転がり落ちた。腰を打ちつけられ、乾いた咳を漏らすと殴られた頬を押さえつける。

 

「日本男児として恥ずかしくは無いのか?あんなガキ共のお守を続ける」

 

男はソファーから降りると、起き上がろうとしていた朝霧の腹部を蹴り上げる。咄嗟に腕で庇ったものの、爪先は鳩尾へと突き刺さり、堪らず再び床へと崩れ落ちる。周囲の人々は心配そうに朝霧を見ているが、止める事が出来る筈も無く、成す術無く顔を伏せ続ける。

 

「あんなガキの遊びではこの戦争は勝てんぞ。分からんのか?」

 

朝霧は男を逆上させない様、反論したい気持ちを抑え、腹の底が煮えたぎりながらも口を噤む。今優先されるべきは周囲の一般人の安全であり、それを守る為ならは朝霧は恥辱に塗れ、激痛にも耐える決意があった。

 

 

 

「大丈夫なの提――」

 

状況は飲み込めていないが、不知火に言われ声を潜めたヲ級は不知火の様子を伺う。

かつて声が出ない程気圧された事が自分にはあっただろうか。ヲ級が今まで恐れる物と言えば三式弾位のものだった。上位固体の自分には怖い物等無い。だが、思わず身を引いてしまった。その不知火の表情は鬼人に迫るもので、握り締めているカウンターの縁を握り潰さん勢いで力を込めていた。朝霧は顔を上げ、カウンターに隠れている不知火と目を合わせる。不知火は頷きこの男達を殲滅すると合図を送るが、朝霧は首を横に振る。男達の各距離は離れている、一人ならば何とかなるだろうが、残りの二人を押さえつける事は難しい。安全を考えるならば、今は耐えるしかなかった。見ている事しか出来ない自分に不知火は心底腹が立った。

何とかこの状況を打破出来ないかと模索するが、得策が思いつかず、更には上官である朝霧に止められている為行動に移す事が出来ない。

また一発。

胸倉を掴まれ、立ち上がらさせられた朝霧の頬に拳が叩き込まれる。男達に手加減は無く、この提督をこのまま嬲り殺しにしても良いと考えていた。勿論交渉の際はそれを伏せる。重要拠点の横浜鎮守府提督を始末するのは今の日本を打倒する第一歩だと男は考えていた。這い蹲る朝霧の頭上に足を振り下ろし、罵声を浴びせながら足を捻る。その暴力と罵声の一つ一つが、不知火の心の中に怒りを蓄積させていく。

 

「あまりやりすぎると不味くないか?」

 

仲間の一人がリーダー格の男に声をかけるが、構わないと朝霧への暴行を続ける。

 

「そいつ、俺にもやらせて下さいよ」

 

その時、警察と大本営へと電話し終わった仲間の男がその場に戻り、男と目を合わせる。

 

「ちょいと私怨がありましてね」

 

「……好きにしろ」

 

リーダー格の男は踵を返し、辺りを見回りの為に歩き始めた。止めた男も敵わないと背を向けると、同様に店内を闊歩し始める。朝霧の目の前にしゃがみ込んだ男は、朝霧の髪の毛を掴み、顔面を引き摺り上げる。

 

「俺の親友が死んだのは六年前だ、まだ覚えてるぞ。艦娘のミスで乗ったタンカーが沈んでな。無能な艦娘と提督のせいでよッ!」

 

六年前は朝霧が着任する前の時期であり、朝霧とは直接的な関係は無かった。しかし私怨とは恐ろしく、恨みの対象さえ居れば、それで胸を晴らそうとする。

 

「これはあいつの分だ」

 

男は腕を振り上げると、固く握り締めた拳を朝霧の顔面目掛け振り下ろす。

 

しかし、男の拳は朝霧の眼前で止まる。耳元で確かに聞こえた。その凍るような声を。

 

「ではこれからは、不知火の分です」

 



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恋するヲ級

その瞬間からの不知火の行動は迷いが無く、非常に素早かった。殴りかからんとしていたその腕の肘を掴んだまま軽く腕を薙ぐと、まるでゴムボールを放るかの如く男の体を天井へと放り投げる。男は一瞬宙に浮いた感覚に陥るが、次の瞬間には凄まじい衝撃が襲い、意識を吹き飛ばした。その鈍い音に気付いたリーダー格の男は素早く振り返り、腰から下げていたマシンガンを握り締め、銃口を向ける。

暴れだした人質が居るのかと思い、粛清してやろうと意気込んだ男だったが、その光景に唖然とし、言葉を失う。男はそれを見た。脱げたキャップから覗かせた、桃色の髪を揺らしながら宙を舞う少女を。トリガーを引く間も無く、もう一人の仲間の男はその少女の餌食となり、壁と眠りを共にする事となった。地に足を付け、床へと降り立った少女は視線を此方側に向けると、その鋭い眼光で憎悪を込めながら睨みつけてくる。艤装を外し、艦娘としての防御力を維持する機能を破棄した不知火は、代わりに圧倒的な身軽さを身に着けていた。しかしそれは諸刃の剣であり、艤装を纏っていない今の不知火に銃弾が直撃すれば、軽傷ではすまないだろう。不知火自身もそれを自覚している。しかし、自分の身などどうでも良かった。

 

「お前、艦娘か」

 

「陽炎型二番艦、不知火。参ります」

 

一目でその少女が艦娘だと言う事は理解した。ならば躊躇う必要は無い。容赦無くトリガーを引き、無慈悲な銃弾が不知火へと吸い込まれる。同時に人々は悲鳴を上げながらテーブルの下へと頭を下げ、頭を抱えその脅威が去るのを怯えながら待つ。蹴り上げた床がミシミシと悲鳴を上げ、抉れる程力強くその足を踏み出した不知火は、テーブルの上へ飛び乗り、男へ向かい距離を縮める為テーブルの上を走り抜けて行く。確実に屠る為に絶え間なく降り注ぐ銃弾の数々は、不知火の眼前を掠めながら壁や窓ガラスに穴を開ける。数発掠めながらも、直撃する事無く間合いまで迫った不知火は、一瞬で終わらせる為再び床を強く蹴り上げ、男の眼前へと距離を詰める。まさかあの距離を全て避けられるとは思っていなかった男は、咄嗟に勢い良く懐に手を捻じ込むと同時に、それを不知火の眼前に放る。男は同時に腕で目を覆うと顔を俯かせ、体を背後へと逸らす。

 

「ッ――――」

 

その円状の筒は、抜かれたピンと共にゆっくりと宙を舞う。不知火は一瞬グレネードかとも考えたが、それでは男の命は無い。男の行動からそれがスタングレネードである事を察するが、その時には既に筒は破裂寸前であり、不知火は咄嗟に目を固く瞑る。やがてグレネードが炸裂し、店内は強烈な閃光で覆われる。

サングラスに加え、目を腕で覆い顔を伏せていた男はダメージを負うことは無く、すかさず立ち上がると思考を巡らせる。咄嗟に体を逸らした不知火は強烈な目眩に襲われながらも、這いずりながらテーブルの下へと滑り込んでいた。殆ど直撃に等しいダメージを負った不知火は、何とか目を開けようとするが、思うようにはいかず一旦息を潜める選択を取った。艦娘の姿は見えない、閃光は確かなダメージを与えていた事を確信すると、取るべき行動を選択した。

あの艦娘を屠るのは非常に骨が折れる。ならば、邪魔をされる前に確実にあの提督を殺しておけばいいのではないかと。もし此処で自分が捕まってしまっても、横浜鎮守府提督の首と言うのは戦果の一つとしては十分すぎる。

少しふらつきながらも、あの死に損ないへ銃口を向ける。もう邪魔するものは居ないだろう、この引き金を引けば終わる。そう思いながら向けた銃口の先には、一人の少女の背中が映っていた。

 

「大丈夫?凄く眩しかったねー」

 

碧色の髪を揺らしながら、横たわっている朝霧の背中を擦っていたヲ級は、殺気を感じ立ち上がると踵を返す。首を傾げているその少女に男は退けと一言告げる。

 

「なんで?」

 

「……死ね」

 

押し問答をしている場合ではない。あの艦娘が何時復活するか分かったものではない。その人間を殺戮する為の兵器は、容赦無く口から火を吹きながらその弾丸を弾き飛ばした。このまま撃ち続ければ後ろの提督諸共お陀仏なのは確実だ。男はそう確信し次の目標である不知火へと頭を切り替えた。

 

「いたたっ」

 

しかしその頭は切り替わること無く、そのままその思考を停止する事となった。先程の艦娘は銃弾を掠めただけで腕から出血していた。海へ出ている時はいざ知らず、今の艦娘にはこの兵器は有効打となる。ならば何なのだ、目の前の生き物は。銃弾がまるでゴム鉄砲のように、その少女の体に当たっては跳ね返っている。

そのマガジンが無くなるまで弾を撃ち続けた男は、一瞬の間の後、ようやく自分の持っている銃の弾が切れた事に気付く。そして、その弾を撃ち切ってなお、目の前の化物に掠り傷一つ与えていないことにも。事前に艦娘は人間と違い圧倒的な運動神経を備えている事は知っていた。そして艤装と呼ばれている装備を外している時は、たとえ艦娘であろうとこの兵器で事足りる事も事前に調べていた。

 

「何これ?もしかしてこんなので私を倒せると思ったの?」

 

ああまたかと、ヲ級は溜息を吐く。感謝や信頼等とは無縁であったが、周りの環境から憎悪や恐怖と言った感情とは慣れ親しんでいる。目の前の男が浮かべている表情には見覚えがある。小賢しい駆逐艦や軽巡が己の持てる武装を使い、全てを振り絞り自分へ攻撃を放った後の顔だ。せめてもの慈悲に、直接手を下してやろうと足を一歩踏み出す。

 

「私のご飯を邪魔した罰」

 

「来っ……来るなぁあああああ」

 

ヲ級は一歩、一歩と更に男へ歩み寄っていく。男は錯乱状態に陥りながらマシンガンを手放すと、腰に差していた拳銃を手に取りそのトリガーを引く。真っ直ぐ歩いてきているヲ級へ銃弾は全て直撃するが、それがヲ級を傷つける事は無く、男の叫びとは虚しくひん曲がった弾丸が床へ転がり落ちていく。目の前のドス黒いモノは果たして艦娘と呼べるのだろうか、それは純粋な殺意。それと対峙した男は、不知火の暴力を目にしながらも失わなかった冷静さを失っていた。

腰が抜け、後方へと崩れ落ちた男の眼前で立ち止まったヲ級は、無表情で右手を振り翳すと、左手で男の胸ぐらを掴む。まるで先ほどの意趣返しのように右手に力を込めたヲ級は、その拳を振り抜こうと体を捻る。

 

「そこまでです」

 

殆ど回復していない視界に不快感を覚えながらも、半分目を瞑り不知火はヲ級の肩に手を置く。男は既に気を失っており手を話したヲ級の腕から力無く崩れ落ちて行った。

 

「良いの?」

 

「貴方のそれでは死んでしまいます。後はあちらに任せましょう」

 

強い立ち眩みに襲われながらも、何とか立ち上がった朝霧は、何時の間にか外で待機していた警官隊に割れた窓から突入を要請する。やがて警官隊が流れ込み、速やかな犯人の確保や客の保護等が滞り無く行われた。軍属でもある朝霧は、自分から事情聴取を買って出るが、先に救急車へと案内される。

 

「司令……」

 

隠していた艤装を身に纏い、先程のダメージが殆ど無くなった不知火は朝霧の身を案じ顔を俯かせながら、そして朝霧が無事であった事に安堵しながら歩み寄っていく。ヲ級は朝霧の命に別状は無いことに安堵すると、ファミレスの外に展示されている食品サンプルに目を輝かせながらディスプレイに張り付いていた。

しかし、背後から聞こえた乾いた音に何事かと振り向いたヲ級は、左頬を手で抑えた不知火が頭を下げ、朝霧が右手を振り抜いている光景を目にした。

 

「命令違反の罰だ。待機してろと言っただろ」

 

「ですが、司令が」

 

「俺の事なんてどうでも良いんだよ。結果的に直接的な怪我人は俺だけだったが、運が悪けりゃ一般人にまで被害があったかもしれないんだよ」

 

「……申し訳ありませんでした」

 

口惜しいが命令違反は事実であり、何も言い返せない不知火は悔しさで肩を震わせた。だがそれを未然に防ぐ事など不可能であり、どうしようも無かったのは事実だった。その運の悪さも呪いながら頭を垂れる。

 

「と、此処までは上官として、だ」

 

次の瞬間、不知火の後頭部へ手を伸ばした朝霧は、先程とは打って変わって優しく不知火を抱き寄せると、頭を胸部へと埋める。

 

「ッ――――」

 

「ありがとよ、助かった。流石ぬいぬい。頼りになるな」

 

「……ずるいです、本当に。これを誰にでもやってらっしゃってるんですか?たらしの原因はこれですね」

 

朝霧のジャケットを掴むと、上げられない顔を更に胸部へと押し付ける。

 

「……いてて。まあそう言うな。俺はこれから病院とか事情聴取とか色々あるから、ヲ級連れて戻っててくれ」

 

「はい」

 

不知火はヲ級へ視線を向け、目で合図をすると鎮守府へ向かい歩き始める。慌てて不知火の横へと追い付く。一連の流れを見届けていたヲ級は、何故人間はこんな回りくどい言い方をするのだろうと疑問に思い、それを不知火にぶつける。

 

「さあ、魚類には分かりませんよ」

 

「深海類ですぅー」

 

艦娘との和解はやはり難しいと嘆いたヲ級だったが、食べられなかった夕食を代わりに食べさせてくれると言う不知火の言葉に、腕を振り上げると、先程の悩みは吹き飛び、一転嬉々としながら帰路へ着いた。

 



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恋するヲ級

「あ、おかえり不知火。何でこんなとこに……って誰それ」

 

徒歩で鎮守府へと戻った二人は、何故か食事を終えた筈の陽炎と鉢合わせていた。ヲ級は不知火を無表情で見つめ、不知火はしまったと額に手を当て唸り声を上げる。なるべく他の艦娘に見つからないようにと考えた不知火は裏門を潜り、人気の無い道から食堂へと向かおうと考えていた。

 

「陽炎こそ、何故こんな所に?」

 

その場に明かりを与えているのは、厨房へと続く食堂の裏口の扉から漏れる光のみであり、互いの顔がやっと見えるほどの暗がりの中、不知火はなるべくヲ級を前に出さぬように体を前面へと押し出す。陽炎はヲ級の姿を目撃していたが、不知火が庇ったのに加え、暗がりの中であった為顔を鮮明に読み取る事は叶わなかった。

 

「いやぁ、ちょっとお腹が空いちゃって、間宮さんにこっそり何か作って貰おうと……」

 

「今夕餉を食べてきたのでは?」

 

「今日は何時もよりお腹の虫が暴れてるのよ」

 

「全く……なら不知火が間宮さんに頼んで部屋に持っていってあげるわ」

 

とっとと人払いを済ませておきたい不知火は陽炎を追い返す為、疲労困憊の体に鞭を打ち陽炎が飛びつきそうな提案を申し出る。案の定それに食いついた陽炎だったが、足を踏み出してきた不知火の表情を見るや否や顔を顰め、顔をじっくりと覗き込む。怪我の部分は腕で押さえており、おくびにも出さなかったつもりだったが、陽炎は怪訝な視線を送り続ける。

 

「どしたの?何かあった?……で、あれ誰?」

 

「司令の知り合いよ。気にしないで」

 

「嘘……だろうけどいいわ、事情有りそうだしこれ以上は何も言わないわ」

 

「…………助かるわ」

 

「うーん、今日の所はさっきの事諦めておくわ、あまり無理はしちゃだめよ」

 

不知火を信じ、それ以上追求しなかった陽炎は腹の虫を鳴り響かせながら踵を返した。そんな相方に感謝しながら、不知火は食堂の裏口をノックし、返事を確認した後扉を開く。そして一言断りを入れると、厨房へと消えて行った。成り行きを傍観していたヲ級は、ファミレスでの朝霧と不知火の掛け合いを思い出しながら、今のやり取りを経て胸にもやもやとした物を溜め込んでいた。朝霧が不知火を咎めながらも直ぐに感謝した理由も、陽炎が何も言っていない不知火を気遣ったのも、ヲ級には理解に苦しむ事だった。数分後、裏口から出てきた不知火の手にはトレイが握られており、その上には卵やレタスを挟んだサンドウィッチが乗せられていた。

 

「特別に作って貰いました」

 

「はやーい」

 

「まあ、一応司令を助けて貰った事は感謝しています。これはそのお礼と思っていただければ」

 

不知火の感謝の念にまた、胸の表面を覆うようにもやもやが降りかかってきた。気になっている人間である朝霧が心配で見に出ただけであり、助けた気は無かった。助けたのは結果であり、過程はそうであったと不知火に伝えるが、同じ話だと切り捨てられる。深海棲艦に助け合いの感情は無く、ヲ級自身にはよく分かっていなかった。トレイを手渡した不知火は食堂の壁に背中を預け、少し雲がかかっている夜空を見上げる。同じく壁に凭れ掛かったヲ級は腰を下ろすと、サンドウィッチを手に取り一口頬張る。

 

「おいしい」

 

「間宮さんに伝えておきます」

 

それ以降言葉を発さず、無言でサンドウィッチを頬張り続けたヲ級は、最後の一つを手に取り、口をつけ始める。

 

「私はやっぱり、分からないよ」

 

「……何がです?」

 

「最初はあの提督の指揮で戦ってみたいと思ったの。流石に無理だろうと思ったけどとりあえず会ってみたかった。それが話まで出来て、おいしいものまで食べられた」

 

「良かったのでは」

 

「そう。だけど分かった。私は貴女達と一緒に戦えない」

 

「……」

 

「貴方達は単独では戦わない、艦隊を組む。そんな貴女達と戦う、多分それが私には出来ない。さっきから貴方達の言ってる事がよく分からないの」

 

「……実の所、不知火にもよく分かっていません」

 

「ぶっ、何それ」

 

不知火は空になったトレイをヲ級から取り上げると、それを脇へと挟み壁から背中を離した。

それにつられ立ち上がったヲ級は不知火が見上げていた夜空へと視線を上げる。

 

「先程、何故陽炎が一言も話していない不知火の気持ちが分かったのか。不知火には分かりません」

 

「変なの」

 

「ですが、不知火は陽炎が分かった事に対して、疑問は特にありませんでした」

 

「……分からないよ」

 

「それが信頼です」

 

「……やっぱり、無理みたいだね」

 

ヲ級は名残惜しくコートを脱ぎ、両手に握ったコートに少しだけ力を込めると不知火に差し出す。

 

「……一緒に戦い続ければ、分かるかも知れません」

 

「いや、多分無理。私は深海棲艦。貴女達は艦娘。元から無理があったんだよ」

 

コートを受け取った不知火は、抱えていたトレイと共に裏口横の室外機の上へ置くと、見送ると言いヲ級を先導し歩き始める。背伸びしたヲ級は手袋を嵌めなおすと、闇に溶けるような黒いマントを靡かせながら不知火の後へ続く。

 

「提督に言わなくていいの?」

 

「あの人も分かっているでしょう」

 

「……それも、分かんないなあ」

 

防波堤まで来たヲ級は、海へと飛び降りると一瞬崩したバランスを取り直し、海面に足を着け不知火を見上げる。

 

「色々ありがとね」

 

「はい」

 

驚くほどあっさりと夜の水平線へと消えて行ったヲ級の背中を見届けた不知火は、これから先程までの出来事を瑞鶴や龍驤に事細かく説明しなければならないと思い、その日一番の溜息を吐いた。鎮守府が豆粒程まで小さくなった地点で足を止めたヲ級は、比較的穏やかな波に少し揺られながら空を見上げた。先程食堂から見えた曇りの空とは違い、それは星が鮮明に見えるほど澄んでおり、海上から見る空は手を伸ばせば届きそうであった。

 

「……やっぱり、こっちの方が好きだな」

 

だが心地よくはあった。自分の運命を呪いながらも、ヲ級はとっとと艤装のある岩場まで帰ろうと足を向ける。これからどうしようかと考えたヲ級は、流石にあの鎮守府へ攻め入る気は起きず、隣の横須賀にでもちょっかいをかけてやろうかと画策していた。なんてことは無い。また深海棲艦としての生活に戻るだけだと思っていた。その時までは。

 

「あらぁ、何処へ行ってたのかしら?」

 

艤装のある岩場まで後一海里も無いであろうその場所で。佇んでいたそれは、ヲ級を見下すような視線を送り、不気味な笑みを浮かべていた。

 

「何処でもいいでしょ」

 

ヲ級は平静を装いながら、それの横を通り過ぎようと距離を詰める。

 

「すっごく良い所に行ってた気がするのよぉ。例えば」

 

それの横を通り過ぎる直前、確かにヲ級の耳にその言葉が届いた。

 

「敵棲地、とかぁ?」

 

深海棲艦が艤装を外す事は絶対に無い。外しても何一つメリットが無いからだ。恐らくこれは自分がボロを出す瞬間を狙っていたのであろう。足を止めたヲ級は、一瞬で思考を巡らせると、ある一つの決断を叩き出す。こいつを、防空棲姫と呼ばれているこいつを此処で沈めておくべきだと。ヲ級が身に纏っていた雰囲気が変化した事に気付いた防空棲姫はニヒルな笑みを浮かべると、その白い髪を靡かせながら刹那の間を経て魚雷を発射する。

体を捻りいともたやすくそれを回避したヲ級は拳を握ると、左手の親指を突き出しそれを下へと向ける。

 

「駆逐艦がのぼせあがっちゃった?」

 

「試してみるぅ?」

 

「今日はお友達いないけど大丈夫ー?」

 

防空棲姫。日本で最後に確認されたのはあの作戦以来であり、駆逐艦の名を冠しているものの、その砲撃の破壊力は大和型を一撃で大破させる。何といってもその名の通り、対空性能において右に出るものはおらず、空母の天敵と言ってもいい存在だった。空母ヲ級としての艤装は持っていないが、この化け物の前ではあってないようなものである。ヲ級は素手で防空棲姫を葬り去る手段を選び、一瞬でその距離を詰める。

一方の防空棲姫は余裕の笑みを崩さなかった。丸腰のヲ級相手に引けを取る程柔ではないと、此方へ突っ込んでくるヲ級へ強者の風格を見せ付けるようにその場に棒立ちしていた。驚くほどあっさりと懐へと入り込んだヲ級は、間髪入れず渾身の力を込めた右手を心臓目掛け突き出す。この時、ヲ級は防空棲姫に対する認識を一つだけ誤っていた。LE作戦で艦娘達を最も苦しめたのはその火力でも、対空能力でも無かった。

突き出した右手は防空棲姫の胸へと直撃している。確かな手ごたえを感じたヲ級だったが、眼前に映った防空棲姫の表情は非常におぞましいものであった。

 

「イタイじゃなぁい」

 

全く効いていないと主張するように、余裕を含んだ語気でそう漏らした防空棲姫は、主砲をヲ級の顔面へ向け間髪入れず撃ち抜いた。上半身をほぼ垂直に仰け反らせ、鼻先を掠めていった砲弾を見送ったヲ級は再び拳を突き出す。防空棲姫は防ぐ事をせず、寸分狂わず先程と同じ箇所へ拳が突き刺さるが、表情一つ変えずヲ級を見下している。

その装甲は現在確認されている深海棲艦の中でも類を見ないものであり、並みの戦艦級の火力でも全く歯が立たないものだった。ヲ級の素手が弱い訳では断じて無い、駆逐艦に放てば恐らく跡形も無くなり、武装した戦艦級であろうと渡り合えるであろう。そんなflagshipヲ級改の拳だったが、防空棲姫からしてみれば、全く脅威と成り得なかった。一瞬、自身の敗北を悟ったヲ級は退避する事も考えたが、此処で仕留めて置かなければ後々厄介だと判断する。

しかし、その一瞬の隙を防空棲姫は見逃さなかった。ヲ級の突き出された手を両手で掴んだ防空棲姫は確実に砲撃を命中させる為、ヲ級を引き摺りあげる。

 

「ッ――――」

 

咄嗟に左手で防空棲姫の右腕を掴んだヲ級は、腕力だけで防空棲姫の両手にぶら下がり、体を捻りながら右足を防空棲姫の腹部へと叩き込んだ。蹴りの威力は素手の何倍もの威力を持つ。堪らずヲ級の腕を離した防空棲姫は後ろへと仰け反ると、眼前へ垂れ下がった白い長髪をかきあげる。支えを失ったヲ級は海面へと叩き付けられるが、すぐさま体制を建て直し顔を上げる。そのかきあげられた髪から覗かせた防空棲姫の表情は、苦痛に歪んでいるものではなく、先程と同じく不気味な笑みを浮かべていた。

 

「あらぁ、残念ねぇ」

 

ほぼゼロ距離、避けるには不可能な程迫っていたその魚雷は、ヲ級の右半身へと直撃した。

 



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恋するヲ級

意識が一瞬飛んでいた。

右半身の感覚が無い。今分かるのは少しの波に抗う事も出来ずに海上を成すがままに漂流している事だけだった。まだあれの気配はある、しかし追撃してくる様子も無い。恐らく自分は既に死んでいると思っているのだろうか。まあそうだろう、自分でも驚いている、これでまだ死んでいない事に。このままやり過ごそうとヲ級は考える。右腕が無いのは不自由だが、此処を乗り切れば回復し生き長らえる事は出来るだろう。ヲ級は波に身を任せ、完全に気配を殺し、防空棲姫がこの場を離れる時を待つ。

 

さてどうしたものかと、防空棲姫は自分の眼前で仰向けに力無く海上をたゆたっているヲ級を見下ろしながら考えに耽っていた。右腕は跡形も無く吹き飛び、右脇腹はごっそりと抉り取られ、右目は完全に潰れ辺りを蒼色の血で染め上げているヲ級は先程からピクリとも動かない。

これがあの鎮守府で余計な事を洩らしている可能性は非常に高く、それが浸透する前に決着を付けに行くべきだと考えていた。盾として下位固体を大量に投入すれば後は自分一人で何とかなるだろう。本当は上位固体をつけるのが万策だろうが、生憎この裏切り者のせいで火急となってしまった。ヲ級に背を向け、下位固体を呼び寄せ始めた時、一瞬何かの気配を感じ振り向くが、そこにあるのはヲ級の死体だけであった。

 

「気のせいねぇ」

 

あれは自分に背を向け何をやっているのだろうか、その疑問は次の瞬間には晴らされる事となった。下位固体を呼び寄せている。つまり鎮守府に襲撃を仕掛けると言う事なのだろう。

 

(…………あそこにあの人は居ない、どうでもいいや)

 

ヲ級の記憶では朝霧は鎮守府にはまだ戻っていない筈である。あの出来事から今まで数時間程しか経っていない。鎮守府が落とされても朝霧に危害が加わる訳ではない。自分には関係の無い話だ。

 

(…………関係無い)

 

防空棲姫は桁外れの強さを誇っている。恐らく鎮守府総出で討伐に当たっても、勝てる保障は無い。数艦は必ず海の底で眠る事になるだろう。自分は深海棲艦だ、個人的好意で朝霧を好いているが、艦娘と馴れ合うつもりも無い。第一瀕死の自分に何が出来るのだろうか、足止めにしても数秒も持たないだろう。その事実にかえって冷静になったヲ級は漠然と考えていた。何故自分はあれに敵わなかったのだろうと。同じ深海棲艦でも当然固体差があり、性能の差がある。だがこれ程通用しないものなのだろうか。

艦娘にも同じ事が言える。何度か追い詰められた場面はあった、しかしそれは全て痛み分けで終わっていた。何故だろうか。

 

(関係、無い)

 

こんな場面で、まさかこんな哲学じみた事を、自分が考える事になるとは思わなかった。だがその答えはあっさりと出た。あそこに行かなければ一生辿りつかなかったであろう答え。生きるものの義務であり権利である。皆自分の命を優先させるからだろう。艦娘は此方が幾ら弱っていようが、隊に轟沈の危険がある者が出たら惜しみなく撤退していく。だが例外が多少あった。確かあの鎮守府近くのもう一つの鎮守府、一時期あそこにこっぴどくやられた記憶がある。何故だろうか、それは我が身を優先せず、轟沈覚悟で攻めてきたからだった。ならばもしかすれば。その時、朝霧の一言が脳裏を過ぎる。

 

「まあなんだ、この鎮守府に艦として入った時点で俺の部下だ」

 

(…………だったら、――すれば褒めてくれるかな)

 

だがそれをしようと思えば、確実に自分は朝霧に褒められる機会を得る事も無く、海の底に沈むだろう。朝霧が不知火や金剛を撫でていた光景を思い出す。褒められた事は一度も無い。どんな気分になるのだろうか。不知火も金剛も非常に嬉しそうだった。

こいつを、こいつを沈めれば、それは朝霧にとって喜ばしい事である。それを実行すれば、朝霧は喜んでくれるだろう。ならば自分の身などどうでも良い、何故なら朝霧が好きだから。

 

「あらぁ?まだ生きてたのぉ?」

 

「………………」

 

防空棲姫は背後から不自然な飛沫が上がったのを受け振り向くと、恐らく立ち上がっただけでも奇跡であろうヲ級がそこに立っていた。

 

「あのまま死んだフリで良かったんじゃないのぉ?」

 

「お前を、殺すッ!」

 

依然隙だらけの防空棲姫の懐に踏み込んだヲ級は覚悟を決める。体は殆ど限界に近い、此処だ、此処で決めなければもう立ち上がることすら出来ないだろう。この時、唯一ヲ級に味方したのは、防空棲姫の慢心だった。万全の状態で挑んで全く歯が立たなかったヲ級が、最後の特攻に出ただけだった。全く脅威ではない。しかし、目の前のヲ級は先程までの保身で挑んできたヲ級ではない。思い人の為、深海棲艦としてでは無く、朝霧の部下として、艦娘としての意義の為。そして何より、自らの命を差し出した渾身の特攻。

残った左手を突き上げ、防空棲姫の首をそのまま握り潰す勢いで掴みあげる。防空棲姫は煩わしいと握った拳を、ヲ級の右脇腹へと突き出す。容赦無く抉れた箇所に拳が突き刺さるが、ヲ級は左手の力を緩めない。抉れた箇所が完全に空洞になるが、それでもヲ級は防空棲姫の首を絞め続ける。徐々に増していく力に、一瞬身の危険を感じた防空棲姫は、ヲ級を何とか引き離そうと、腹部を蹴り飛ばすが、それでもヲ級の手は離れない。

頭部と体が別れるのではないかと思う程強く握り締められた防空棲姫は一瞬冷や汗をかいたが、冷静に対処する事を選び未だに首を絞め続けているヲ級の左腕に狙いを定める。

これだけ張り付かれていては砲撃は使えない、自分に被害が出てしまうからだ。先程の魚雷も少々危なかった、回避行動を取っていなかったら少なからずダメージを受けていた筈であった。だが、瀕死のヲ級の何処にこんな力があるのだろうか、本当に握り潰されそうな焦燥感に駆られ、選択の余地は無いと判断する。これさえ何とかしてしまえば、後はただの達磨だろう、ヲ級の左腕に主砲を容赦無く撃ち込んだ。

強烈な爆風が周囲を襲う。主砲が直撃したヲ級の左腕は確実に跡形も無いだろう、その証拠に自分の首に掛かっていた圧力が消えた。視界は爆風に包まれ何も見えないが、もう死体を確認するまでも無い。我ながら自分の砲撃の威力に惚れ惚れする、少々視界が歪む程の威力だった。

 

「…………に」

 

なんだ、髪が引っ張られた様な感覚があった。

 

「……を――殺すッ!」

 

何が起こったのだろうか、目の前にあるのはヲ級の両足。

右腕も、左腕も完全に吹き飛ばされたヲ級は最後の力を振り絞り、吹き飛ばされまいとしたヲ級は、間一髪の所で防空棲姫の髪の毛に文字通り喰らいつく。血が出んばかりの勢いで歯を食いしばったヲ級は、両足を振り上げ、防空棲姫の首を挟み込むように絡ませる。それは艦娘にも、深海棲艦にも辿り着けなかった境地。純粋な殺意、そして純粋な好意の力。嘗て無い程力を込めた両足を、全身を捻りまるで鋏で物を切るように締め上げる。

防空棲姫は生命の危機を感じ、自分の中で鳴らされ続けている警鐘に従いヲ級を排除しようと拳を振り上げる。振り上げた拳はヲ級の顔面に突き刺さる、確かな手応えがあった。しかし自分を締め上げる力は緩まない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」

 

言葉を発する事も出来ず、ただもがくだけになった防空棲姫に、ヲ級は獣の様な雄叫びを上げながら。その頭部を捻じ切った。力無く崩れ落ちた防空棲姫に、受身を取る事も叶わずヲ級は海面に叩き付けられる。

 

「提督……私……やったよ……褒めて……くれるかな」

 

褒めて欲しいと両手を空へと伸ばそうとするが、その両手は既に失われている。痛みなどとっくに感じておらず、今は心地の良い気分だけがヲ級を包み込んでいた。やっと分かった。人の為に、何かを成し遂げると言う行為が。何故あの時不知火は自分の身を危険に晒して朝霧を助けたのか。

穏やか波に揺られながら、夜空を見上げたヲ級は瞳から一筋の粒を落とすと、その目をゆっくり閉じる。

 

「でも……やっぱり……寂しいな……」

 

そのヲ級の遺言を聞き届ける者は居らず、それは夜の潮風に掻き消されていった。

 

 

 

「もしもーし」

 

「先輩ですか?」

 

「おう」

 

そこは何時もと変わらない昼下がりの司令室。一日の入院を経て病院を抜け出してきた朝霧は、デスクでその日秘書艦であった山城をどうからかってやろうかと画策していた所に、墨田からの電話を受けていた。

 

「今から上に報告する所ですが、近隣の哨戒にあたっていた青葉さん達が防空棲姫の死体を見つけたと報告がありました」

 

「防空棲姫ッ!?」

 

これには流石の朝霧も声を上げて驚いていた。防空棲姫と言えばまさに深海棲艦最後の砦とも言って良い最強の上位固体であった。山城は突然声を上げた朝霧に驚き、体を震わせると同時に落下したペンを拾いながら不幸だわと呟く。

 

「ええ……かなり不可解な状況みたいです。胴体と首がまるで捻じ切られたように離れた防空棲姫と、近くに両腕と右目の無いフラヲ改の死体も発見されています。仲間割れの線がありますが」

 

朝霧は墨田の言葉を受け、言葉を詰まらせると胸を締め上げられた様な気分に陥る。

 

「……ああ、分かった」

 

「ですがこれで、LE攻略にかなり近付いたんじゃないでしょうか。あの防空棲姫と、フラヲ改が同時に居なくなったんですから」

 

「……そうだな」

 

「……先輩?」

 

「いや、何でもない。報告よろしくっ」

 

「はい」

 

朝霧は受話器を置くと、山城に少し出てくると言い残し司令室を後にする。

 

「司令?」

 

道中朝霧とすれ違った不知火は、朝霧の様子を不審に思い声をかける。朝霧は着いて来いとジェスチャーすると、不知火を待たずに足を進めて行った。防波堤まで一言も言葉を発さず辿り着いた朝霧は、その場に座り込むと容赦無く照りつける日差しに顔を顰めながら水平線を見つめる。冬の潮風が朝霧に吹き付けるが、意に介した様子も無くただただ呆けている。

 

「……俺は間違っていたかな、不知火」

 

その時点で不知火は朝霧の真意を察し、寄り添うように腰を落とした。

 

「……あの時、ヲ級を帰した不知火の判断が間違っていました」

 

「いや、どうせ翌日には帰してた、それが少し前になっただけだよ」

 

「……やはり此方側に懐柔させれば」

 

「……そうすべきだったのか、分からん。あそこであいつを追い返していたらあいつは死なずに済んだかも知れない。だけど、そうなったとしてもどうせ何処かの艦娘があいつを沈める」

 

「………………」

 

「……お前はそれで良かったのか、ヲ級」

 

少なくとも、ヲ級が鎮守府を訪れなかったらこの話は始まる事無く、何時も通りの日常として過ぎ去って行っただろう。その問いに答える者は居らず、ヲ級と同様、その言葉は潮風に掻き消されていった。

 



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北上様は昼寝がしたい

「提督さーん!ていてい提督さーんぽいー!」

 

ヲ級との邂逅から一週間、変わらぬ日常を過ごしていた鎮守府の面々だったが、電達姉妹と吹雪と共に、近隣の哨戒に向かっていた夕立が司令室へ飛び込んできた。両手からはみ出す程の黒い塊を抱えており、バランスを崩しながらもデスクの前まで駆け寄ってくる。

その日の秘書艦の北上は相変わらずソファーで寝転び熟睡しており、朝霧も暖房が効いた司令室の中でうとうととしていた。しかし、夕立が抱えている物を見るやいなや一気に眠気が吹き飛び、デスクから腰を上げる。

 

「お前それ……」

 

「ぽい!」

 

主人に投げられた物を咥えて持ってきた犬の様に、抱えていた物を差し出してきた夕立の頭をとりあえず撫でると、それを夕立から受け取る。

 

「何処で拾った?」

 

「ここら辺全く敵が居なかったから、かなり奥の方まで哨戒に行ったっぽい!」

 

「それで?」

 

「少し休憩しようと思って岩場で休んでたら、隙間に入ってたの!」

 

それは紛う事なきヲ級の頭部にある艤装であり、その持ち主に朝霧は心当たりがあった。艤装を装着していないヲ級等此処最近ではあのヲ級しか居らず、他に居るとも考えられなかった。

どうしたものかとその艤装を見つめていたが、明石に解析させてみようと夕立に工廠へ持って行く様に促した。

 

「ぽい!」

 

夕立は朝霧から艤装を受け取ると、再び両手に抱え司令室から飛び出していった。

 

「…………ふぅ」

 

「訳ありみたいだねぇ」

 

「起きてたんかい」

 

「あんだけ騒がれたらね。それに、あの艤装」

 

「……ああ。と言っても、本体はもう死んだのが確認されてる。この話は終わり、防空とフラヲ改が減った、喜ばしい事よ」

 

「…………」

 

北上は曇る朝霧の表情にそれ以上追及する事も無いと判断し、再びソファーの端に頭を預け寝息を立て始める。朝霧は再びヲ級の事が頭の中を過ぎり、やりきれないと溜息を吐きながらソファーへ腰掛け、北上の頬をつつき始める。

 

「司令!司令!しれしれ司令!」

 

今度は慌てふためいた陽炎が司令室に転がり込んで来る。すかさず朝霧の向かいのソファーへ飛び込むと、体を起こし両手でテーブルを叩く。

 

「何?」

 

「如月と睦月が!男と!歩いて!いたの!」

 

「……マジ?」

 

「マジ!さっき不知火引っ張って買い物行ってる帰り道に見かけたのよ!」

 

「よし!」

 

朝霧は無線機に駆け寄り、マイクを鎮守府内へ切り替えると頭の中で現在鎮守府内に居る艦娘を思い出し、陽炎、不知火の他に曙が非番だった事を思い出す。

 

「曙!不知火!至急司令室へ来るように!」

 

放送を切ると、陽炎から詳しい話を聞くためにデスクへ座り直す。

 

「それで、相手は?」

 

「遠目だったから詳しくは見えなかったけど、同い年位かしら」

 

「あいつら……」

 

朝霧はあらかじめ如月と睦月から外出許可証を受け取っており、それが計画的な行動だと判断する。

 

「って事はナンパじゃないよな」

 

「あの子達がナンパする訳無いじゃない……それにナンパに乗る性質でもないでしょ」

 

「何!?敵襲!?」

 

息を切らせながら司令室の扉を開けた曙は、両手を膝に突き、息を整える。その背後から不知火が部屋に入り、陽炎と朝霧を見た時点で先程の話かと思い、急いで損をしたと溜息を吐く。

朝霧は深刻な表情で両手を組み、顎を乗せ顔を俯かせる。その様子に只事では無いと曙は固唾を呑んで朝霧を見つめる。

 

「さて、諸君、如月と睦月が男と歩いている事が陽炎の報告から明らかになった」

 

「……は?」

 

「と言う事で、不知火、陽炎、曙、俺で尾行したいと思う」

 

「はい!賛成であります!」

 

嬉しそうに手を上げた陽炎だったが、不知火は乗り気ではなく、曙に至っては状況が掴めず呆然と立ち尽くしていた。我に返った曙は右手の拳を握り締めると、足を一歩踏み出す。

 

「まあ、司令が行くなら」

 

「ちょっといい?」

 

(ッ……やられるッ!)

 

笑顔で駆け寄ってきた曙に朝霧は恐怖し、不意を突く様に部屋の隅を全力で駆け出し、司令室を飛び出す。間髪入れず朝霧の背後を追いかけ、司令室から走り去って行った曙を見送った後、陽炎は不知火と顔を合わせる。

 

「どうする?」

 

「…………」

 

「放っておいてあげなよ、そう言う関係じゃないみたいだしさー」

 

「わっ!起きてたんですか?」

 

「あれだけ騒がれればねぇ……」

 

「すみません。北上さんはその相手の事を知っておられるのですか?」

 

「んー。前手紙のやり取りしてるの見て、聞いてみたんだけど。大規模作戦の時に助けた男の子とらしいよ」

 

「あの時の……確か海に出た男の子をあの二人が助けたんだっけ?」

 

「そゆこと。提督が思ってるような関係じゃないみたいだしさ」

 

「そっか……じゃあ、やめとこか」

 

「ええ」

 

一言断りを入れ部屋を後にしていった二人に、ようやく眠れると頭を預けた北上だったが、再び司令室の前に響き渡る足音に嫌な予感が胸を過ぎる。朝霧が戻ってきたのかと思ったがそれは足音が一つであり、誰だろうと想像するが検討もつかず、通り過ぎてくれる事を祈りながら目を瞑る。

 

「北上さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

しかしその願いは叶う事無く、ノック無しに司令室の扉が開けられたのは本日三度目だなと思い、もしかしたらこの鎮守府は治安が良くないのではと冗談めいた事を考える。その声、その呼び方には非常に心当たりがある。姉妹の声を忘れる筈も無い。その人物が自分の体目掛け飛び込んできたのを受け、ソファーから転がり落ち、素早く避ける。

 

「おおう、久しぶりだねぇ。大井っち」

 

「北上さぁん!」

 

体を起こした北上の両手を掴んだ球磨型四番艦、重雷装巡洋艦の大井は感動の余りその場で泣き喚き始める。目の前に居る大井は紛う事無き自分の知る大井であり、あの作戦からの生き残りである。

 

「良かった!帰ってきたんですね!」

 

「うん。待たせちゃったね」

 

「早く来たかったんですけど!中々都合がつかなかったんです!ごめんなさい!」

 

北上の記憶では現在大井は舞鶴鎮守府に居る筈であり、よく此処まで来たものだと感心する。

 

「うん。あたしも久しぶりに会えて良かったよー」

 

「今日は此処に泊まるので沢山お話しましょうね!」

 

「良いよー。あたしは今日秘書艦だから、夜にねー」

 

「はい!……そう言えば、あの人は?」

 

大井が言うあの人が朝霧であると理解した北上は、どう説明したものかと考えたが、ありのままの事を大井に話す。それを聞いた大井はクスッと噴出すと、穏やかな笑みを浮かべながら体を起こす。

 

「先に挨拶して来ますね」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

大井を見送った北上は、ソファーに這い寄ると、仰向けに寝そべり天井を見上げる。そして意外だった大井の反応について考え始める。大井がこの鎮守府に居たのは半年程であり、此方側の海域を攻略するのに舞鶴から呼ばれていた。その当時の大井の朝霧に対する態度は酷いものだった。原因の一つに、自分が朝霧と非常に仲が良かったのがあるだろう。大井は自分の事を非常に好いている。そんな自分が朝霧と仲良くしていたら、面白くないだろう。

最初は喧嘩ばかりしていた。取っ組み合いの喧嘩もしていたが、どっちが勝つかなんて想像に難くない。しかし、大井は表面上は刺々しい態度ではあったが、内心しっかりと朝霧の事を認めていたのも事実であり、北上も大井のそう言う所が好きだった。

姉妹であり、同じ雷巡として大井の本質は知っている。排他的に見えても相手の事はしっかり認めている不器用な性格。自分が沈んだ事に対して、大井は朝霧を恨んでいるのだろうかと考えていたが、今の様子を見るにそれは無いらしく、殺される事は無いだろうと安心し目を瞑る。

意識が遠ざかっていき、心地良い眠りに就く寸前、これで何回目だろうか、廊下を駆け抜ける足音が聞こえてくる。

 

「金剛お姉さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

止めろ、金剛が此処に居る保障が無いのに何故此処に走って来るんだと北上は渋い顔をするが、その人物が理屈で動いてる訳も無いと諦め、体を起こす。その元気溌剌とした声、今日は良く旧知の仲と会うなと苦笑いしながら勢い良く飛び込んできた比叡と顔を合わせる。

 

「あれ!?北上さん!」

 

「おっすひえー」

 

「久しぶりですね!佐世保から参りました!」

 

「ご苦労さーん。金剛なら演習場だよー」

 

「演習場ですか……それにしても」

 

比叡は司令室を見渡し、あちらこちらへ歩み寄り、懐かしそうに部屋中を歩き回る。其処はかつて自分が育ち世話になった場所であり、比叡からすればこの部屋は非常に感慨深いものだった。

 

「変わってませんね」

 

「うん。あたし達が居なくなった時から、ね」

 

「……そう言えば、金剛お姉さまも」

 

今この鎮守府に居る金剛は、確かに金剛であるが比叡を知っているあの金剛ではない。北上と違い、朝霧によって再び建造された時点でかつての金剛が戻って来る事は無い。

 

「ですが、金剛お姉さまは金剛お姉さまです!」

 

「ひえーらしいね」

 

北上は旧友と話せた事が嬉しくなり笑顔を見せながらも、本日の秘書艦である北上に、大井と比叡の来訪は知らされておらず、まさかアポなしかと考え肩を竦める。

 

(ホント……二人らしいねぇ)

 

「はっ!こうしちゃいられません!演習場へ行って来ます!司令への挨拶はまた後で!」

 

嵐が過ぎ去った様に一瞬で静まり返った司令室に、もう昼寝する事を諦めた北上は、我が提督である朝霧がそろそろ帰ってくる頃合だと考え、腰を上げる。曙との追いかけっこで喉が乾いているだろうと想像し、久しぶりにお茶を淹れてやろうとポットへ歩み寄る。

この平和な時間も後少しと言うのは理解している。防空棲姫が亡き今、あの海域を攻略する日は近いだろう。近日中に召集がかかったなら、それはそう言う事になる。

そうなれば、作戦が成功しようが、今顔を合わせている面々と再び会える保障は何処にも無い。それ程凄まじい戦闘になるであろう事が想像出来る。

 

「……でもやるしかない。悲しいけどこれ、戦争なのよね」

 

気が滅入ってしまうと、頭を切り替える為に夜大井と話す話題を考え始める北上だったが、やはり不安は拭えなかった。そして北上の予想は的中し後日その便りが届き、二日後、朝霧は大本営へ召集される事となった。

 



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LastEnemy海域攻略作戦始動

「ふぅ…………」

 

「らしくないですね。そんな顔するなんて」

 

「そりゃそうだろ、トラウマレベルの作戦だぞ、これ」

 

大本営での作戦会議を終えた朝霧は、会議室の前で資料を握り締めながら溜息を吐いていた。

肩を竦めながら歩み寄ってきた墨田は、手に握っていたコーヒーの缶を朝霧に手渡す。それを受け取った朝霧は一言お礼を言いながら蓋を開ける。

 

「あの時よりも参加する艦の数は遥かに多い、それでも不安よ。姫級がわんさか居るんだぞ」

 

LE海域、深海棲艦は其処から沸いて出ているとも言われており、日本から見て東方にあるそこを統治すれば、日本が持つ海域が圧倒的に広くなる。現在深海棲艦を完全に根絶する事は不可能と言われている為、そこの海域を奪還する事が最終目標といわれている。これを成功させれば、深海棲艦が出現する前とさほど変わらない範囲の海を手にする事が出来る。そうなれば軍備も縮小される事となり、国内の船舶の渡航であれば艦娘による護衛も必要なくなる。押し込めたままその付近の防衛を固めれば、深海棲艦が此方へ進行するルートは無くなる。実質海域を深海棲艦から取り戻す事となる。

 

「それに、俺の鎮守府の第一艦隊、ありゃ意趣返しかよ」

 

「似合ってると思いますよ?」

 

会議の主題でもあった艦娘の編成。各鎮守府の提督により念入りにそれは組まれ、その結果として、横浜鎮守府の第一艦隊はあの当時と全く同じ編成に決定していた。

 

「……まあ、やりやすくていいな」

 

不思議と気負う事も無く、あの面々とまた作戦が出来る日が来るとは夢にも思っていなかった朝霧は、この編成を推した墨田に内心感謝しながらコーヒーを飲み干す。

 

「赤城さんと加賀さんには直ぐにそっちへ向かってもらいます。飛鷹さんと翔鶴さんにも早めに此方へ向かって貰うようお願いします」

 

「はいよ」

 

作戦は二週間後に予定されており、それに備え現在より艦娘達の鎮守府の異動が行われる事となっていた。東方作戦の主要鎮守府として横浜、横須賀の鎮守府が選抜され、主な機動部隊はこの二つの鎮守府に集まる事となるほぼ全戦力が投入されるこの作戦は当然失敗する事が許されず、国民の不安や反対勢力の事を考えると、二度目の失敗は有り得なかった。

 

「……やれる事をやるさ」

 

「ですね」

 

墨田と別れた朝霧は、帰りの車の中で資料を睨み付けながら他艦隊の編成を考え続けていた。

戦力が偏らない様に他鎮守府の編成と見比べながら、比較的戦艦の多い横浜の戦艦をどう振り分けるかや、潜水艦をどう使うか等、考える事が山積みになっていた。普段なら何かを読もうものなら車酔いしてしまう朝霧だったが、それを全く感じない程集中し続け、気付けば横浜鎮守府に到着していた。

運転手に一言礼を告げると、車から降り横浜鎮守府の門を潜ろうとするが、その寸前で足が止まる。あの時門を潜ってからおよそ半年が経ち、激動の時を過ごしていた事を思い返す。あの時は潜った瞬間目が眩んだが、門を潜った今、視界が鮮明に映っている。そして司令室へ向かう道中、廊下を歩きながらこの半年間の数々の思い出を振り返っていく。

龍驤が訪れ、不知火に連れられ戻ってきた鎮守府。電達を助け、レ級と白兵戦をした。鎮守府が奇襲されたり、ケッコンについて多々悩んだ。本当に多くの出会いと出来事があり、様々な人間に支えられてきたと実感する。司令室の扉を開けると、其処には変わらぬ光景が広がっていた。瑞鶴がデスクに向かい合い、鈴谷と北上がソファーに寝ている。この光景を胸に刻んでおこうとしたが、また見る事が出来ると思うようにし頭を横に振った。

 

「あら、お帰り」

 

「おう」

 

瑞鶴に資料の内容を説明する為に北上と鈴谷を追い出した朝霧は、ソファーに腰掛け資料を机の上へ放る。お茶を淹れた瑞鶴は湯呑みを朝霧に差し出すと、向かいのソファーへ腰を下ろし朝霧の放った資料を手に取る。

 

「いよいよ、ね」

 

「…………ああ」

 

「にしても、第一艦隊にあの時の編成を使うなんて」

 

「俺じゃねえよ、墨田に言え」

 

「いや、良いんじゃないの。やっぱりあんたに似合ってるわよ、あの艦隊は」

 

「……そりゃどーも」

 

「にしても、これから忙しくなるわね」

 

「ああ……頼むぜーずいずいー」

 

「そこらへんは任せてよ。伊達に運営能力育ててないわ。今だったら大淀さん並よ」

 

「頼もしい」

 

「……あんたこそ、大丈夫なの」

 

「俺か?」

 

朝霧はどう答えたものかと頭を掻き、目を泳がせていたが、素直な気持ちを答える事に決める。

 

「気にしてないと言ったら嘘になるけど、不安じゃねえよ。何故なら俺の第一艦隊は最強よ」

 

「らしいわね」

 

瑞鶴は笑みを漏らすと一息入れ、勢い良く立ち上がる。これから艦の異動や、二週間後に向けての綿密な作戦の計画や、演習が必要になる。そうなると必然的にそれをまとめる艦が必要になるが、瑞鶴程適任な艦も居らず、これまでの大規模作戦とは一線を画す規模になるものの、経験を積んだ今の瑞鶴からすればさほど問題のあるものではなかった。

 

「じゃ、やるわよ。提督さん」

 

「……やっと呼んでくれたな、覚えてるぞ、あの時皮肉で一回言われたっきりだそれ」

 

「そう?もう認めてるわよ、提督さんの事。じゃ、やる事あるから」

 

瑞鶴はそう言い残すと異動の旨を各艦に伝える為に司令室を後にする。残された朝霧は腰を上げると、居ても経っても居られず、既に此方へ向かって居る筈の赤城と加賀を迎える為に門へととんぼ返りし始めた。比叡は帰る寸前に大本営から報せを受けており、大規模作戦が展開されればどの道此方へ来る為、此方へ留まっておいた方が良いと判断され横浜鎮守府で待機していた。門前へと向かった朝霧は、背中を門に預け煙草を咥え二人の到着を待つ。煙草を一本吸い終わった瞬間見えた車に、思ったより早く到着したなと思いながら吸殻を灰皿へと押し込む。車から降りた赤城と加賀に手を上げ軽く会釈し、それを受けた二人も頭を下げる。

 

「お久しぶりです」

 

「おっす、赤城とは一応初めましてだっけ」

 

「はい。噂はかねがね。本日よりよろしくお願いします」

 

挨拶を軽く済ませた朝霧は、司令室へ案内しようと踵を返す。後に加賀、赤城が続き、初めて入る他の鎮守府に目を輝かせた赤城は辺りをキョロキョロと見渡す。道中すれ違った龍驤を捕まえ、司令室へ戻った朝霧は府内放送で金剛、比叡、北上を召集する。元気良く廊下を駆け抜け司令室へと飛び込んできた金剛に、比叡が続く。そして後から眠そうな北上が司令室に入り、そこにはあの時の第一艦隊の面々が揃っていた。

 

「楽にしていいよー」

 

背筋を伸ばし、微動だにしなかった赤城と加賀だったが、その言葉に反応しソファーへ寝転んだ北上につられ少し体勢を崩す。龍驤は向かいのソファーに座り、その横に金剛が腰掛ける。比叡は金剛の膝の上に腰を下ろすと、頭を預ける。その様子を見た赤城と加賀は顔を見合わせ、緊張していた顔を緩ませると、二人は北上が寝転んだソファーの横に腰掛ける。

デスクから見るその光景は、まさにあの時のものであり、あまりの懐かしさに話す内容を忘れ呆けてしまう。

 

「キミー。そのまま寝るんちゃうやろなー」

 

「っおう……まあそうだな」

 

朝霧は作戦概要について話そうと考えが、自然と自身の胸の内を語り始めた。

 

「赤城と加賀、金剛は詳しく分からないと思うけど。俺はこの面々が揃う事になるなんて夢にも思ってなかった」

 

その言葉に、北上、比叡、龍驤は同感し、深く頷く。一方の三人はあの作戦の話だけは聞いていた為、その意味を理解していた。

 

「先ずはお礼かな。皆ありがとう……そして赤城!」

 

「はい?」

 

「この艦隊の旗艦はお前に任せる。色々負担が大きくなると思うけど……頼んだ」

 

「お任せ下さい」

 

「加賀、一航戦としての戦い期待してるぞ。それと赤城の事も支えてやってくれ」

 

「ええ。期待していて」

 

「金剛、お前がこの艦隊を引っ張ってやれ、旗艦だけが艦隊を任される訳じゃないからな。それと皆を頼れ」

 

「オッケー!目を離しちゃノンノンヨー!」

 

「比叡も金剛を支えてやってくれ、厳しい戦いになるからな」

 

「はい!比叡の戦い見ていて下さいね!」

 

「北上!最近魚雷撃ってなくて溜まってるだろ。好きなだけ撃っていいぞ」

 

「おっ!しびれるねえ。りょーかい」

 

「龍驤……色々世話になりっぱなしだったな。お前と会えて本当に良かったよ」

 

「何やぁ、こんな時に告白かいな」

 

満更でもない龍驤はにやけながら次の言葉を待つ。

 

「茶化すなよ。頼りにしてるぞ、この作戦の成功にはお前が絶対不可欠だからな」

 

「何やプレッシャーかけるなぁ……了解や。任せとき!」

 

改めて面々を見渡した朝霧は、ようやく此処まで戻って来れたと実感する。これが正真正銘最後の戦いであり、朝霧はこの作戦がどう転ぼうが、これで手打ちだと考えていた。

自身に出来る事は指揮だけであり、後は艦娘達にかかっている。毎度見ているだけの自分がもどかしくなる。今もそうであった。こうして激励する事しか出来ない悔しさを胸に抱えている。その事が顔に出ていたのか自然と俯いてしまい、それを見た龍驤は仕方が無いと立ち上がると、朝霧の両手に自分の手を重ねる。

 

「あんな。誰もあんたが陸の上に居る事を責めたりせえへんよ。……まあ、こんな時やからな。その……言うんやけどな」

 

顔を上げた朝霧と目を合わせた龍驤は、こっぱずかしそうに顔を真っ赤にすると、決心し口を開く。

 

「安心するんや、キミが待っててくれるとな。他の連中もそうやと思うで、大切な人が居るから頑張れるんや。やからそんな風に悲観的になるんは徒労って奴や」

 

「……大胆だな」

 

「うるさい!この際やからなんでもええねん!やからキミは何時も通りそこでふんぞりかえっとったらええんや!」

 

「りょーかい」

 

「ほな……今から二週間しかない!皆!忙しくなるでぇ!」

 

龍驤の声に反応し、面々は声を上げる。この場をどう締めようか考えていた朝霧だったが、龍驤に感謝しながら今この瞬間を迎えられた幸せを噛み締める。自分の提督人生を締めくくる最後の大舞台に胸を高鳴らせ、かつ冷静にその瞬間を待つ。

二週間はあっと言う間に経ち、冬が終わり春の陽気に包まれ始めた中、作戦当日を前にした深夜、朝霧は宿舎へと出向いていた。

 



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作戦前夜

現在横浜鎮守府には、本来在籍している艦娘の半数も居らず、翌日の作戦の為の第四艦隊分、二十名が宿舎にて寝泊りしていた。各部隊の会合は既に済んでいるが、これは朝霧個人として色々話しておきたいのに加え、他意を含みながら寝静まる寸前の宿舎を訪れていた。

最初に訪れたのは第二艦隊の宿泊部屋であり、臨時で部屋前の名札の上から手書きの紙が貼り付けられており、その中には連合艦隊にふさわしい名が連なっていた。

ノックしようと手を眼前に差し出すが、中から漏れる喧騒に必要もないと苦笑いしながら手を下ろし、扉を開けた。

 

「貴方達ッ!明日は作戦なのよッ!?全く……ここのAdmiralは一体どういう教育を……」

 

「そりゃすまんな、見たところお前のとこのプリンツも暴れてるみたいだけどな」

 

寝巻き姿で溜息を吐く戦艦ビスマルクの前には、夕立、時雨対プリンツ、大井と言った構図で枕投げが広がっていた。

 

「みなさぁぁん!寝ましょうよぉ!」

 

大規模改装を終え性能が桁違いに上昇し、見事主戦力に抜擢された阿武隈は、必死に止めようと間を割って入っているものの、何度も凄まじい勢いで飛び交う枕の餌食になり床で哀れに轟沈していた。

 

「まっいいじゃねえのよ。賑やかなのは」

 

「全く……それで、何か用かしら?緊急の打ち合わせ?」

 

「んーいや、特に用って訳は……」

 

朝霧は遊び人だ。作戦中はともかく、羽目を外す時はとことん外す事を生きがいとしており、それを咎める事もない。目の前で枕投げ等と言う面白そうな光景が広がっていては、参加せざるをえない。

 

「いくしかねえッ!」

 

朝霧は体勢を低く保ちながら、床で突っ伏している阿武隈を拾い上げると、盾にしながら枕投げの中心へ突撃して行く。はっと目を覚ました阿武隈だったが、自分の置かれている状況を理解する間も無く、再び顔面に枕がめり込み気を失う。

 

「提督さんもやるっぽいー!」

 

「おうよ、重巡なんか怖くねぇぇぇ!」

 

「ファイアー!」

 

「野郎ぉぉぉぉぉぉぶっ殺してやらぁぁぁぁぁ!」

 

一瞬止めに来たのではと考えたビスマルクだったが、溜息を吐き諦めると床に転がっている阿武隈を回収し、ベッドへ押し込むと何か呑んで来ようと部屋を出ようとする。その瞬間、プリンツが渾身の力で投げた枕がコントロールを失い、ビスマルクの後頭部に直撃する。

 

「ッ…………」

 

まるで氷点下の世界に入ったかの様に全員の体が硬直し、ゆっくりと振り向いたビスマルクの顔を見たその場の全員が戦慄する。

 

「誰?」

 

笑顔で言うビスマルクに、朝霧は真っ先にプリンツを指差そうとするが、それよりも早くプリンツが朝霧を指差す。それに続き、大井が目を逸らしながら朝霧を指差し、夕立と時雨は悩んだ結果朝霧を指差す。首を横に振り、必死に否定する朝霧だったが、次の瞬間には顔面に枕がめり込み、壁まで吹き飛ばされる。朝霧以外の全員が口を唖然とさせ、ビスマルクへ視線を向ける。そこには笑顔で寝ろとジェスチャーするビスマルクが仁王立ちしており、皆口を合わせておやすみなさいと叫ぶと布団へと潜り込んだ。

 

「はい、Gute Nacht」

 

ビスマルクが去り、騒ぎが納まった部屋の中、朝霧はふらつきながら体を起こすと、次の第三艦隊が宿泊している部屋へと足を踏み出した。此方の部屋は先程と違いかなり静まり返っており、部屋の扉を静かにノックすると、部屋の覗き込む。既に電気は消えており、唯一点いている枕元の蛍光灯の明りを頼りに、読書に勤しんでいる艦娘の姿が見えた。

 

「あれ?提督!」

 

声の出所を探ると、もう寝る所であったであろう飛龍が、布団の中から朝霧を見上げていた。

 

「どうしました?」

 

「んにゃ、顔を見たくなっただけだよ」

 

その部屋に居た睦月、如月既に熟睡しており、利根、筑摩も眠りについていた。そして読書をしている艦が隼鷹であった事に死ぬほど驚きながらも、飛龍を手招きする。布団から這い出した飛龍は、他の艦が起きないように息を殺すと、部屋の入り口まで歩いてくる。朝霧は右手を上げ、少し待てと合図すると、隼鷹の読んでいる本を覗き込みに行く。蛍光灯から見える余りの真剣な表情に、何か愛読書でもあるのかと気になったが、そこには酒の銘柄が多数記載されており、真剣な眼差しで本に赤丸をつけていた。

朝霧は声を殺しながら高笑いすると、それに気付き顔を上げた隼鷹も声を出さずに大笑いする。その様子を見ていた飛龍は修学旅行生かと苦笑いしつつも、羨ましそうに二人を見つめながら廊下へと出る。

 

「おまたー」

 

「いえ」

 

廊下へ出た二人は、まだ冬が残り少し冷える中をゆっくりと歩き始めた。窓からは月明かりが漏れ、雲一つ無い空が二人の表情を鮮明に映し出していた。

 

「久しぶりだっけか」

 

「はい。作戦の時はよくお世話になりましたね」

 

朝霧が身を引く前からの仲であり、多数の作戦で指揮を執る事があった飛龍は、数少ない前の朝霧を知る艦娘だった。

 

「すまんな。前衛支援を任せて」

 

第三艦隊の任務は主力部隊の所謂サポートであり、本格的な戦闘を行うのは第一、第二艦隊になる。前衛支援はある意味一番地味とも言える役割であり、目的の敵棲地への道中をサポートするのみと華に欠ける。しかし、これがどれ程重要か朝霧も飛龍も理解しており、朝霧の発言も建前としてだけだった。

 

「いえいえ、嬉しいですよ。凄く、貴方とまた戦えて」

 

「……にしても色っぽくなったな。彼氏出来た?」

 

「もうっ、こんな時に無粋ですよ」

 

「いやいやー、居ないならどうかなーって」

 

「めっ!龍驤さんが居るでしょう?にしても変わってませんねえ……」

 

飛龍は変わってなかった朝霧に呆れながらも安心しつつ、心地良い時を過ごす。

 

「なんだろな、まあ、作戦前はこうやって一緒に居ないと気が触れそうになるんよ」

 

「送り出す側も難儀なのは凄く分かりますよ」

 

「まあそれは今まではの話。今回は不安じゃないよ……目的のナンパも失敗したし、次行くかー!」

 

宿舎をゆっくりと歩き回っていた二人だったが、何時の間にか部屋の前まで戻って来ており、飛龍に礼を言うと朝霧は軽く手を振る。

 

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました!」

 

丁寧に頭を下げた飛龍が部屋の中へ入って行ったのを確認した朝霧は、最後の第四艦隊が寝泊りする部屋へと足を向けた。部屋前の紙には瑞鶴、蒼龍、陽炎、不知火、山城、扶桑の名が記載されている。扉を開けようとした朝霧だったが、先に向こうからドアノブが回され、思わず身を引く。

 

「わっ、司令」

 

眠そうな目を擦りながら出てきた陽炎に道を空けた朝霧だったが、左手でシャツの端を掴まれ、成すがままに陽炎の後を続く。髪を下ろした陽炎に新鮮味を感じながら、後頭部を見つめていた朝霧だったが、突然立ち止まった陽炎に転びそうになる。

すると次の瞬間、陽炎は顔を朝霧の腹部へと押し込むと、両手を腰に回す。

 

「おう、どうしたよー」

 

何も言わずただ抱き締め続ける陽炎に困ったと頬を掻いていた朝霧だったが、頭を撫でながら引き離すと、近くの階段に腰掛けるよう促した。

 

「……しれぇ」

 

「ん?」

 

「……こわい」

 

「敵がかー?大丈夫だって、今回の面子は一味違――」

 

「ちがうっ!」

 

陽炎は立ち上がると、朝霧と目を合わせながら次の言葉を発そうとするが言い淀んでしまう。

しかし、拳を握り締めると震える声で言葉を紡いで行った。

 

「敵なんて怖くないのよ……でももし沈んじゃったら……もう司令とも、不知火とも、皆とも会えなくなる……そう考えたら……眠れなかったの」

 

嘗ての作戦では考えもしなかった。しかし、陽炎がこの半年間で過ごした時は、確実に陽炎の宝物であり、手放し難いものとなっていた。そんな事は考えまいとしていたが、作戦が迫るにつれ頭の中をぐるぐると回り始め、目を瞑れば恋しい半年間の思い出が蘇っていた。

そんな陽炎の様子を見かねた朝霧は少し待ってろと言い残すと、全力で階段を駆け下りて行った。ものの二分もしない内に息を切らしながら帰ってきた朝霧は、手に何かを握っており、それを陽炎へ向かい突き出す。

 

「これ……」

 

「お守り、これがあったら絶対大丈夫!俺を信じろ!」

 

朝霧が差し出したお守りは手作りの様で袋には何も書かれておらず、中には小さな堅い物が入っているのに気付いた。お守りを受け取った陽炎はそれを両手で握り締めると、垂れ下がっていた紐を首からかける。

 

「どう?安心した?」

 

「全然」

 

「おいぃぃぃぃ!」

 

「冗談よ……その、ありがと。何か元気になった……気がする」

 

「おう、それでいいんだよ。病むだけ損、元気になった気がしただけでも儲けもんよ……それに、そのお守り、本当にご利益あるからな!信じろよ!」

 

「はいはい……じゃ、明日に備えて寝るわ」

 

陽炎は苦笑いしながら首から下がっているお守りを手でなぞると、朝霧にお礼を言い背を向ける。しかし、一歩踏み出し立ち止まった陽炎は、少しの間静止し、肩を振るわせ始めた。

 

「そう言えば、私だけ言ってなかった」

 

「ん?」

 

「好き」

 

「ん?何だって?」

 

「もう!何でもない!」

 

顔を真っ赤に染めながら走り去っていく陽炎の背を見送った朝霧は、もう少し散歩をしておこうと階段を降り始める。陽炎にああ言ったもののこうして部屋を回った朝霧自身眠れておらず、期待と不安、様々な思いが交錯していた。

 

「……なるようになる……か」

 

結局一睡も出来なかった朝霧は、作戦当日他の艦娘に茶々を入れられながらも、無糖のコーヒーを一気に飲み干し気合を入れ、出撃予定が集う面々の前に立った。

 



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LastEnemy海域攻略作戦

この戦争の終着点とも言える決戦を目前に控えた実感が沸いて来た面々は、何時も以上に顔を強張らせて固唾を呑んでいた。出撃ドックにて、今まさに出撃せんとしている艦隊を前に、何を話せばいいかと少しの間唸っていた朝霧だったが、変に緊張させないよう何時も通りの言葉をかけることを選ぶ。大規模作戦は何度も経験がある艦娘ばかりだが、こればかりは緊張せずにはいられなかった。

 

「あー、作戦に変更は無い。お前らが一番慣れてる正面突破だ。それと、分かってると思うけどこの作戦で最も負担が掛かってかつ危険が伴うのは第一艦隊と第二艦隊になる。しっかり支えてやってくれよ」

 

先頭に立つ第三艦隊、道中支援部隊旗艦の飛龍は力強く頷き、第四艦隊、決戦支援艦隊旗艦の瑞鶴も同様緊張に顔を引き攣らせながらも任せてと告げる。

 

「間宮さんに頼んで宴会の準備しておいて貰うから、まあ何時も通り、な」

 

朝霧のその言葉に一同は声を合わせ返事をすると、飛龍を始めとした道中支援部隊が先行する為、次々に抜錨して行く。それに続き、瑞鶴が後を追おうと海面を目前に深呼吸し、ふと壁に背を預けている朝霧へ振り返る。自分の艦娘人生で一番世話を焼いてやった男の顔をもう一度目に焼き付けておこうと朝霧を見つめる。

 

「んだよ、照れるだろ」

 

「言ってなさい。じゃ、宴会準備よろしくねっ!」

 

第三部隊が抜錨していった所で、先程から顔が強張り続けている第二艦隊旗艦のビスマルクの背後に忍び寄り、背中を突く。

 

「わっひゃっぁ!」

 

緊張と興奮が相まり、人目憚らず素っ頓狂な声を上げたビスマルクは、腹を抱えて笑う朝霧を涙目で睨みながら海面の前へと立つ。

 

「覚えてなさい」

 

「覚えとくよ」

 

海へと降り立っていくビスマルクに第二艦隊の面々が続く。次に抜錨する第一艦隊と向き合った朝霧は、とうとう此処まで来たと感傷に浸る。あの時から伸ばし続けていた手がようやく届く。本当の意味での最終決戦に、自分はただ作戦を立案するだけの無力な存在だと言う事を実感する。

 

「提督」

 

そんな朝霧の心中を察したのか、赤城は朝霧の両手を握り、手の中に包み込むと何時も通りの面持で朝霧に微笑む。

 

「いってきますね」

 

「……ああ」

 

「とりゃぁー!」

 

そんな赤城を押しのけるように朝霧に飛びついた龍驤は、両手を腰に回し、顔を胸部へと押し付ける。

 

「うぉっと、どした急に」

 

「いやぁ、もう味わえんかもしれんから、今の内にイチャついとかな!」

 

「不吉なこと言うな」

 

「あでっ!」

 

龍驤の脳天に右手を振り下ろすと、龍驤は涙目になりながら頭を抱えその場に蹲る。それに触発された比叡は、金剛へと飛び掛かり、同時に金剛が朝霧へ飛び掛り、朝霧はそれを避ける。

支えを失った金剛と比叡は床を転がり、飛び込んできた金剛に巻き込まれた龍驤も共に床を転がり、出撃寸前に三人が床を這っていると言う珍妙な光景が広がっていた。

 

「ったく……まあ安心した。何時も通りの馬鹿ばっかりで」

 

「違いないねー」

 

北上は相棒の魚雷を撫でながら、久しぶりに思う存分撃てるとうずうずし、加賀にちょっかいを出そうと背後に忍び寄るが、気配を感じ取られた加賀と目が合い、蛇に睨まれた蛙の様に停止する。

 

「おら、第二艦隊が待ってるぞ、とっとと行け!」

 

「ふふ……では、第一艦隊旗艦赤城、抜錨します!」

 

ほんの数秒の内に海へ降り立ち、水平線の彼方へと駆けて行った背中を見えなくなるまで見つめた後、駆け足で司令部へと戻って行った。

 

「視界は良好……良い天気ですね」

 

「んーお酒が呑みたいっ!」

 

先行した第三部隊の役目は所謂ヒットアンドウェイ。決戦の地までの道中に現れる敵を掃討し、主力部隊の余力を残す事である。かと言って完全に掃討しきる事は不可能であり、被害を受けない程度かつ、敵棲地まで持つように弾薬と燃料を残しながら敵を沈める。

撃ち漏らしを主力部隊が掃討する事により互いに被害を最小限に抑えながら進軍する事が可能だった。逆に第三部隊が機能しなければ、道中の敵が全て主力部隊に回ってしまう為、非常に大切な役回りでもあった。

 

「姉さん、そろそろ」

 

「そうじゃの、偵察機を出す頃じゃな」

 

まだ目視では確認出来ていないが、最初の深海棲艦と敵対する地点まで近付いた事を察し、二人は足を止め偵察機を発艦する。航空巡洋艦である利根、筑摩はいち早く接敵する為に偵察機を飛ばし、速やかに敵を発見する役回りがあり、艦種もそれに適役である。

直ぐ様偵察機から敵影の報告があり、一同は隊列を単縦陣に切り替え、目視出来る範囲まで近付いていく。

 

「如月ちゃん、他の鎮守府の皆はもう敵と出会ってるのかにゃ」

 

「うーん……如月達が最初じゃないかしら」

 

他の鎮守府の面々も同時にLE海域に進軍しているが、最深部へと辿り着く予定なのは横浜鎮守府の主力部隊である。主力部隊以外の鎮守府の役回りは、主力部隊が速やかに最深部へと辿り着く様に敵を掃討して行く事だった。その面々と違い、最深部への最短ルートであるこの海路は、非常に力を持った深海棲艦の温床になっている。目視した敵影の中にもflagship級やelite級が混ざっており、これを第三部隊だけで掃討しきる事は不可能だった。

 

「敵発見……重巡ネ級elite、重巡リ級flagship、雷巡チ級flagship、駆逐ハ級後期型elite、駆逐ロ級後期型elite、駆逐ロ級後期型elite」

 

「うっひゃぁ、いきなりきっついねえ」

 

「皆さん行きますよッ!隼鷹さん、狙いは出来るだけ駆逐艦へ!艦載機発艦始め!」

 

「如月ちゃん!ファーストマーチだよッ!」

 

「ええっ!」

 

「行くぞ!筑摩!」

 

「はい!」

 

主力部隊へ回しておきたくない無い敵として、真っ先に駆逐艦があがる。通常海域の駆逐艦は全く脅威では無いが、高難易度海域で確認される駆逐後期型の動きは素早く、加えて魚雷の威力も非常に高くなっている為、何としても此処で落としておきたかった。逆に言えば戦艦級が居る主力部隊であれば、重巡や雷巡は直ぐ落とす事が出来る。此処で駆逐を仕留めれば、主力部隊が無傷で此処を突破する可能性も出てくる。

飛龍の弓から放たれた九七式艦攻、村田隊は容赦無く駆逐艦を蹴散らして行く。続いて生き残った駆逐艦を確実に仕留める為に隼鷹の放った彗星が駆逐艦を爆撃していく。駆逐艦を空母組へと任せた睦月、如月はより攻撃が通りやすい雷巡へ狙いを定める。放物線を描きながら砲弾は雷巡に直撃し、落とせなかったものの魚雷が撃てなくなる中破まで被害を与える。

同時に利根、筑摩の20.3cm連装砲が火を噴き、砲弾は直撃しなかったものの、重巡二隻の腕を削り取って行く。

 

「敵被害状況は!?」

 

「駆逐ロ級二隻轟沈確認じゃ、ハ級が大破。雷巡チ級中破。重巡リ級、重巡ネ級が小破!」

 

その会話を無線を通して聞いていたビスマルクは上出来と不敵な笑みを浮かべると、その場からの撤退命令を下す。

 

「了解です……皆さん、先へ行きます!」

 

進路を大幅に変更し、攻撃した深海棲艦を避けるように迂回しながら、次の地点へと駆け出していく。主力部隊が接敵した時には既に敵艦隊は壊滅的な被害を被っていたが、抜かりがないよう航空戦で仕留める事を視野に入れ、赤城は加賀と息を合わせ艦載機を空へと撃ち放つ。

 

「敵魚雷に注意しつつこのまま進軍しますッ!進路は変わらず南東へ!」

 

赤城と加賀の放った艦載機により、敵リ級及びネ級が大破し、間髪入れずビスマルクの合図で一斉射撃が開始される。夕立、時雨の放った砲撃によりリ級、ネ級が大破し、大井、阿武隈の魚雷により残りのハ級、チ級を落とす事に成功した。

 

「敵影無し……では、このまま第三艦隊の後を追います」

 

敵艦隊の壊滅を確認した赤城は、すぐさま第三艦隊の後を追いつつ司令部へと無線を飛ばす。

 

「提督、初戦は全艦隊損害無し。このまま進軍します」

 

「了解。愛してるよー」

 

朝霧の返答を確認し、初戦が無事に切り抜けられた事に安堵しつつ、気を引き締めながら海を駆けて行った。大規模作戦において初戦で被害が甚大になる事も珍しくは無い。そうなれば一時撤退しなければならず、他鎮守府との足並みもずれてしまう。

朝霧は最深部まで被害は少ない事を祈りながら、次の赤城の報告を待った。

 

 

 

「さーて、結構進んだんじゃない?」

 

「そうですね……海も荒れてきました。そろそろ対敵してもおかしくありませんね」

 

そこは既に最深部へと差し掛かる海域であり、海は先程までの穏やかなものとは違い波が荒れ、雨こそ降ってこないものの空は薄暗くなっていた。時期を察した利根、筑摩は再び偵察機を出す事を具申し、飛龍からお願いしますとの返事を受けすぐさま発艦に取り掛かる。足を止めた一同は、灰色の空を飛び去っていく偵察機を見つめ、警戒態勢へと移行した。

偵察機からの報告を待っていた利根の顔が異様に渋くなり、同じく筑摩も眉間に皺を寄せる。

 

「……どうでした?」

 

「報告では敵は一艦隊。空母ヲ級改flagship、空母ヲ級flagship、重巡ネ級elite、駆逐ニ級後期型elite、駆逐ハ級後期型elite、駆逐ハ級後期型eliteじゃ」

 

「うっひゃぁー。もうフラヲ改が出てきちゃうのか」

 

ヲ級flagship、そしてヲ級改flagshipの名が利根の口から漏れた瞬間、一同に緊張が走る。

どちらも現状どの艦娘でも一撃で大破させる事が出来る艦載機を持っており、駆逐艦など掠っただけでも大破する可能性まであった。

 

「……出来る事をやりましょう。目標は駆逐艦へと絞りますッ!総員戦闘準備ッ!」

 

一度の砲撃だけでこれらを攻撃したとしても、全敵が中途半端に被害を受けるだけに終わってしまう。狙いを完全に駆逐艦へと絞り、これらを全力で落とす事を専念するのが飛龍の判断だった。荒れる海に足を取られぬよう進軍し、目視で敵を確認した瞬間、一同は戦慄する。何度見てもあのフラヲ改の蒼い瞳には嫌な思い出しか無く、こればかりは慣れないものがあった。

 

「敵艦見ゆ。行きますよッ!艦載機発艦用意ッ!」

 

飛龍の号令で一同は主砲を構えると、敵艦隊の駆逐艦へと狙いを定める。此方を目視で確認したヲ級は両手に持っていた杖を右手へと持ち替えると、左手を掲げ艦載機を空へ放っていく。飛龍及び隼鷹の艦載機と、フラヲ改二隻の艦載機が飛び交い、航空戦を繰り広げる中、以下四名は駆逐艦へ砲撃を放って行った。

放物線を描きながら砲弾は駆逐艦の頭上へと吸い込まれていくが、紙一重で砲撃を回避した駆逐艦は、間髪入れず睦月へと砲撃を放つ。旋回しながら陣形を崩さない様攻撃を回避するが、その合間に見えた飛龍の苦虫を噛み潰した様な顔に一抹の不安を覚える。

前回は上手く直撃したものの、基本一度限りの砲撃の為何度も敵艦隊に被害を与える事は難しい。飛龍は悔しさを抑えながら主力部隊へと無線を繋ぐ。

 

「……申し訳ありません。空母ヲ級改flagship、空母ヲ級flagship、重巡ネ級elite、駆逐ニ級後期型elite、駆逐ハ級後期型eliteは依然損害無し。駆逐ハ級後期型eliteが中破」

 

「感謝します。そちらの被害は?」

 

「ありません。このまま進軍します。健闘を」

 

ほぼ無傷の艦隊を相手に主力部隊は顔つきを変え、此処からが本番だと各艤装を握りなおす。

赤城は敵の正確な陣形を飛龍から受け、陣形を組み直す。

 

「第四警戒航行序列に入りますッ!敵艦は五隻ッ!行きます!」

 

「敵艦見ゆ、ね。皆!行くわよッ!」

 



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軽空母龍驤

海水で濡れた手を服で拭いながらこれまで共にした艤装である巻物広げる。

広げられた巻物から手のひらサイズの水晶の様なものが浮かび上がると、瞬く間に空へと駆けて行く。何度繰り返した動きだろうか。百、千、いや万かもしれない。ただ愚直に艦載機を飛ばし、敵を屠り続けた。何度艦載機を飛ばす訓練を繰り返したか、これを愚直と言わず何と言うか。整備を怠った日など無い。あの作戦で出撃を拒んでいる間も艦載機の整備は欠かす事は無かった。

 

「……正念場やな」

 

フラヲは余力を残して勝てる相手では無い。ましてやフラヲ改まで居ては被害艦が出ない方がおかしいと言っても過言ではない。龍驤は一呼吸置くと、高鳴る心臓を押さえつけながら赤城と加賀にとある事を告げる。

 

「赤城、加賀。あのヲ級は任せてくれへんか」

 

「ッ……何をっ!?」

 

「あんたらはこの先の敵棲地でやる事あるやろ、こう言うのは軽空母の役目や」

 

軽空母と空母では根本的に搭載出来る艦載機の数や火力に差がある。これは駆逐艦が重巡や戦艦に火力で劣る事と同義であり、それを埋める為に駆逐艦は日々砲撃の精度を上げる。空母の艦載機は基本的に妖精さんに各々の動きを預け、それ全体を空母がある程度命令し艦載機を操る。故に空母は錬度を上げる為に、艦載機を完全オートでは無く、一機でも多くマニュアルで動かす為の訓練を行う。しかし、砲弾が飛び交う戦場で艦載機を自分の意思で操るのは容易な事では無く、更に非常に集中力を要する為、赤城と加賀でさえ十機程操るのがやっとであった。後どれ位で最深部へ到達するだろうか、もしかしたらまだまだ敵が出てくるかもしれない。しかし、これは自分にしか出来無い事であり、これが自分の使命。

 

「自分で動かせる艦載機以外は引っ込めや」

 

「ちょっと待って下さいッ!敵艦載機は凡そ六十機ッ!それじゃ……」

 

「ウチ全部がやる……ええやろ、キミ」

 

「………………」

 

その会話を無線で通して聞いていた朝霧は、一瞬の間固まっていたが、直ぐ様了解の返事を出すと、龍驤は心の中で礼を言いいながら赤城と目を合わせる。返事を返した朝霧は、直後に深く椅子へ腰を預け項垂れる。出来る事ならそんな事はやって欲しくはない。艦載機全てに意識を回すと言う事は、他の注意が散漫になる。そうなればどうなるかは想像に難くなく、ましてや結婚を約束した相手にゴーサインを出すのは何が何でも阻止したい。しかし、龍驤はそれ以前に艦であり兵器である。無論それがヤケクソの捨て身であれば絶対に許可は出さないが、龍驤は唯一それが出来る。その本分を奪う事は朝霧にも出来ない事であった。

 

「……分かりました。私と加賀さんは全力でサポートします」

 

「……助かるわ」

 

龍驤が放った艦載機、流星改二十八機にその旨を伝え、同時に現在交戦中の第一艦隊、第二艦隊へ震える声を無理矢理押し込め言い放った。

 

「……今からキミらに敵艦載機を指一本触れさせへん。その代わり砲撃戦は頼んだで」

 

それがどれ程戦艦や駆逐艦達の負担を軽くさせるか、龍驤は身に染みている。空を飛び交う一機一機が自分の命を狙っているのだ。そんな中で他の皆は神経をすり減らしながら戦っている。高鳴る鼓動で心臓が破裂するのではないかと錯覚する程心拍数が上がり、息が荒くなる。

赤城が見た龍驤は既に瞬き一つしておらず、見方によってはただ空を見上げながら呆けている様にも見える。しかしそれでも隊列は一切乱しておらず、赤城達の動きに合わせ回避行動や旋回を淡々と行っており、その姿に赤城は感服する。

 

最初に音が消えた。

 

周りで鳴り響いている筈の砲撃音は掻き消え、静寂の世界が訪れる。

 

体が動かなくなる。

 

しかし、気が遠くなる程繰り返した隊列運動を体が勝手に実行する。灰色の空に自分の体ごと溶け込んでいく様な感覚に陥る。まるで空から下を見下ろす様な、この局面を将棋盤を見下ろす棋士の様に艦載機を操っていく。周りに光は無い、ただ眼前の局面をただただ見下ろす。

暗闇にただ一人、相手の顔も見えない。そんな孤独の中、淡々と戦況を読み切っていく。

 

歩が前に出た。

何故か、一瞬考えた後、奥に角が控えているからだろうと察する。ならばその進路を断とう。

敵艦載機が一機墜落する。

 

次にいきなり桂馬が攻めてきた。

何故か、此処でこれを取るか。いや、これを取った先に飛車が控えている。その進路に歩を置こう。そして桂馬を取る。敵艦載機が一機墜落する。

 

何だ、自分の銀の先に香車を置いて来た。取らなければならない。だが、これを取ればその隙に別の角が銀を取る。どうすればいいか、どれが最善手か。どうすれば味方に被害が及ばないか。

 

「龍驤さん」

 

その時、暗闇に座る自分の隣に、確かな気配を感じた。悩む龍驤の横から赤城が顔を覗かせる。

 

「何や?」

 

「此処に歩を置きましょう。同時に香車をお願いします」

 

「ありがとな」

 

「ならその角は私が取ります」

 

赤城と反対方向から加賀が盤を指差す。

 

「頼んだで」

 

敵艦載機が二機墜落する。

将棋は続く。意識を切らせてしまえば、間違い無く将棋盤へ向かい倒れてしまうだろう。キツい、しんどい。負の感情が腹の底から込み上げてくる。まるで水を張った洗面器に顔をつけ続けている様だ。顔を上げたい。しかし、龍驤の肩を赤城と加賀が支える。自分は一人ではない。一人では不可能な事も、仲間が支えてくれる。それに応えようと歯を食いしばる。

 

「龍驤さん」

 

「なんや?」

 

「貴女は何の為に其処までするのですか?」

 

「何でやろなーって、決まっとるやん。ウチらは艦や、提督に戦果をプレゼントする為やろ」

 

そこは龍驤の心中。誰にも明かさない龍驤の内面。

 

「それに、提督はウチに指輪、くれたんや。これ位しか、ウチにはお返し出来へんからな」

 

「では提督の為にと言う事ですか?」

 

加賀が首を傾げる。

 

「こう言うと薄情かもしれへんけど、皆何かの為に戦っとるやろ。ウチはたまたまあいつやったってだけやな」

 

「提督の事が好きですか?」

 

「当たり前や。だからこんだけ踏ん張れるんや。辛くても、痛くても、あいつが待ってくれとる。それだけでウチは戦える」

 

そろそろ終盤だろうか、盤面は此方に有利。このまま行けば敵の王は取れるだろう。一瞬龍驤は安堵する。しかし、将棋は盤面全てが戦場であり、どの場所からも互いに王を狙っている。

集中力が一瞬散漫になった瞬間。王の前へ、金が置かれた。周りに駒は無い。取ってしまおう。

これで撃墜、後は――。

 

「龍驤さんッッ!」

 

赤城が何かを必死な形相で叫んでいる、が、何を言っているのか聞き取れない。先程まで聞こえていた声は既に無く、龍驤の耳には何一つ音が入って来ない。

何をそんなに叫んでいるのだろうか。

次に将棋盤を見下ろした瞬間、既に自分の王は無く、其処には敵の飛車が鎮座していた。

何故だ、盤面に飛車等居なかった筈だ。何故――。

凄まじい衝撃と共に龍驤は海面を転がって行き、水の冷たさ、そして左腕に走った激痛が龍驤の意識を現実の世界へと返す。それは敵重巡が沈む直前、苦し紛れに放った一撃。少し避けるだけで回避出来るその砲撃は、本来なら当たる筈の無い龍驤の左腕に直撃した。

立膝を突いた龍驤は、凄まじい激痛、そして精神の消耗に胃の中の物を全て海面へと吐き出す。そして崩れ落ちそうになった瞬間、両脇から赤城と加賀が支え、龍驤を立ち上がらせる。

 

「………ど……なった」

 

「敵艦隊……壊滅です。此方の被害は龍驤さん以外……無しです」

 

赤城は龍驤の姿を見ると、唇を噛み締めながら震える声で報告する。

 

「はは……よかった……わぁ」

 

龍驤の覚悟が艦隊全員の意識を跳ね上げた。全員が龍驤の覚悟を受け取り、その覚悟に応えた結果、対空に要する弾薬を殆ど消費せず、無傷で敵を壊滅させた。しかし、艦隊皆の龍驤を見る目が凍り付いている事に気付く。

 

「なんか……左腕が寒いなあ」

 

龍驤の意識が段々現実へとリンクされていき、左腕に妙な違和感を感じた。赤城は表情を歪めると、龍驤を引き連れ第二艦隊と合流する。左肩を支えていた赤城の艤装は血で塗れている。加賀が右腕を支えているのに対し、赤城は左肩を支えている。

 

「……報告です。敵艦隊壊滅。此方の被害は軽空母龍驤。艤装に影響は無いですが……左腕欠損」

 

その赤城の声を聞き、ようやく龍驤は自分の左腕が跡形も無くなっている事に気付く。どう声をかけていいか分からなくなっている艦隊の面々に対し、龍驤は驚く程淡白に服を破り、右手と口を器用に使いながら左肩を力を込め縛る。

 

「……気に……せんといてや……これ位ドックで治るわ……それに艦載機はまだ……残っとるで」

 

奇跡的に艤装が無傷だった事が不幸中の幸いだった。艦娘である以上、入渠さえすればどんな怪我でも全快する。しかし、傷自体は治るものの、欠損した部位と言うのは戻る事は決して無い。胃に穴が空こうが、骨が砕けようが体の内部的な傷は癒えるが、完全に消え去った部位は修復される事は無い。これ以上進軍させるべきだろうか、赤城は非常に悩んでいた。

此処で撤退しては龍驤の覚悟は水の泡になる。しかし、片腕を失い精神を消耗しきった龍驤を進軍させるのもまた、非常に危険であった。この危険海域を単独で退避させる事は不可能である。かと言って駆逐艦を曳航させれば、主力戦力から二人も戦力を失う事になる。これが海域の緒戦だったなら、一旦退避と言う考えもあったが、其処は既に最深部近くである。

赤城は自分の判断では決めかねると朝霧に判断を仰ぐ。眉間に皺を寄せ低く唸る朝霧だったが、龍驤のある呟きで更にその顔を歪めた。

 

「ははっ……指輪、無くなってもうたな……」

 

「っ…………」

 

その時、主力部隊と朝霧の元に第三艦隊からの飛龍から打電が入る。

 

「敵確認しましたッ!敵編成は空母ヲ級改flagship、空母ヲ級改flagship、軽巡ツ級elite、軽巡ツ級elite、駆逐ニ級後期型elite、駆逐ニ級後期型elite……恐らく編成から見てこれが敵棲地目前でしょうか……」

 

酷すぎる。

朝霧はそう呟きながら天井を仰ぎ、フラヲ改が二体も確認された事にこの作戦の難易度を改めて実感する。

 

「なら、それもウチが……やるで」

 

「っ……ですがッ!」

 

「ええねん。こうやってまたこうして……此処まで来れたんは……皆のお陰や……恩返しさせてな……」

 

朝霧は唇を血が出んばかりの勢いで噛み締めながら、感情論を捨て考える。もし、次の戦いで再び龍驤が敵空母を相手取り、今と同じ無傷で最深部へ辿り着ければ、どれ程勝率が上がるだろうか。第三艦隊は道中で弾薬を全て消費する。撤退すると同時に龍驤を曳航させる事も可能だろう。この采配が全ての鍵を握る。朝霧としては龍驤の考えと同じく赤城と加賀を最深部の為に温存させておきたい。

かと言って、今回はたまたま片腕で済んだものの、あれが艤装に直撃すれば轟沈の可能性だってあった。どす黒い感情が湧き上がってくる。冷や汗がシャツを濡らし、額は汗で塗れている。戦いに絶対は無い。朝霧はそれが身に染みており、更に判断を決めあぐねる。

 

「提督ッ!砲撃を開始しますかッ!?」

 

飛龍の声に第三艦隊へ砲撃命令を出すと、決めあぐねている時間も無くなっている事に焦りを生む。

 

「信じてや、ウチを」

 

「……龍驤……頼めるか、だけど条件だ。絶対次の戦闘で第三艦隊と一緒に退避しろ」

 

「……ありがとうな」

 

龍驤は皆と向きなおすと、何時も通りの人懐っこい笑顔を浮かべ言い放つ。

 

「次も絶対艦載機には邪魔させへん。せやから、頼むで」

 

主力艦隊の最古参であり、鎮守府を支え続けた仲間に此処まで言われ、燃えない艦娘等居ない。先程からの龍驤の覚悟に艦隊のモチベーションは上昇の一途と辿っており、所謂戦意高揚状態にあった。

艦隊は進軍する。この時、全員の心中には絶対に沈ませるものかと、断固たる決意があった。

その雰囲気を朝霧は感じ、龍驤に感謝しながら第三艦隊の報告を待つ。赤城はこの時、朝霧が言ったこの作戦には龍驤が必要不可欠と言った意味が、戦力としてだけでは無く、その覚悟とそれが及ぼす全体の戦意高揚にあると察する。

同じく龍驤は心の中で断固たる決意があった。

 

 

キミは、この作戦が失敗したらどうするんやろな。

やっぱり此処から出て行くんか?

絶対に、ウチがそんな事はさせへん。

さて、もうひと踏ん張りや。

 

 

 

 

 



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ただいま

周りは妙に静かだ。いや、そんな筈はある訳が無いにも関わらず、それは海の上にぽつりと一人で取り残されている様な感覚だった。大丈夫だ、背中は見えると自分に言い聞かせながら、龍驤は赤城の背中を必死に追い続ける。どれ位進んだだろうか、五分か、十分か。

もはや無線から届く筈の声も聞こえない。半分開いた目を凝らしながら、必死に水平線の先を見据え続ける。ようやく黒い点が視界に入り、敵との距離が目視出来る程まで近付いた事を理解する。赤城が何かを叫んだ後、総員が戦闘態勢に入る。恐らく自分の艦娘人生最後の戦いであろう、集大成としては申し分無い相手だ。

力が入らない右手に艤装を落としそうになりながら、渾身の力で握った巻物を口元まで持って行き、巻物の端を力一杯噛み締め艤装を展開する。残りの艦載機は全て出そう、先程と違いフラヲ改が二体。敵艦載機の数は桁違いになる。そう決意すると赤城、加賀と呼吸を合わせ空へと艦載機を放つ。また、此処に来るとは思わなかったと、暗闇の中で一人、龍驤は将棋盤を見下ろす。先程までとの違いは、もはや赤城、加賀の姿は無いと言う事だ。無傷であった時とは違い、満身創痍の自分には赤城と加賀の艦載機との呼吸を合わせるのは不可能だろう。

五分五分から始める筈の将棋は、既に自陣が有利な状態であり、龍驤は驚いたと同時に笑みを浮かべる。第三艦隊に感謝しつつ、此処が正念場と覚悟を決めた龍驤はよしと意気込むと、将棋盤を見下ろし艦載機を操っていく。

一方砲撃戦を繰り広げる主力部隊の比叡、金剛は鬼人に迫る勢いで駆逐艦を薙ぎ倒していた。

戦艦の砲撃を受けた駆逐艦二隻は跡形も無く消し飛ぶが、その際駆逐艦の砲撃は比叡の足を掠めており、艤装にやや損害があった。しかし、自分達が早く片付ければ片付ける程、空母部隊は楽になるとの信念の元、関係無いと切り捨て第二艦隊がツ級へ狙いを定めている事を確認する。ツ級は既に第三艦隊が落としており、第二艦隊にそのままもう一隻のツ級を任せると、自分達は憎きフラヲ改へと照準を向ける。同時だった。第二艦隊がツ級を撃破した瞬間、金剛と比叡は足を完全に止め、狙いを絞りに行く。

これで砲撃に晒される危険は無くなった。後はフラヲ改の艦載機だけだが、それは自分の頼れる仲間が食い止めてくれている。普段なら足を止める等有り得ない暴挙だが、それを打破する為に空母の覚悟が自分達を支えてくれている。これを一撃で決める為と、戦艦のみに持つ事を許されている牙、火力を跳ね上げる九一式徹甲弾を装填する。非常に高価なものの為弾数は一発限りしか無く、後の最深部の戦いを考えると温存しておくのがセオリーだろう。

しかし、命を張ってこの一戦に望んでいるものが居る。ならばその想いに応えるのが仲間だと、比叡と金剛は想いを込め徹甲弾を撃ち抜いた。

胃から込みあがってくるものを無理矢理飲み込みながら、何時終わるとも知れぬ局面を見下げながら、龍驤は必死に耐えていた。

恐らく一呼吸でも間を置くと切れてしまう。その細い線を手繰りながら艦載機を操っていく。

戦況は此方有利だが、非常に厄介なのが残っている。今の龍驤には味方を狙い撃とうとしている艦載機を落とす事に必死で、あのフラヲ改落とす決定打に欠け攻めあぐねていた。

耐えろ、耐えろと必死に拳を握りながら意識を切らさない様にただただ愚直に将棋盤を見下ろす。その時、ふと自分の膝元が視界に入る。そこにはあるはずの左手は無く、自分の左腕が失われてしまった事を意識する。不味い。

 

「えーあー。軽空母龍驤、貴女の事が好きです」

 

あの時、自分の想い人が決意を固めて差し出してくれた指輪。不味い、今それを思い出すな。

もう、その指輪は腕ごともがれてしまった。

 

「ッ……ハァ……ハァ」

 

気付けば龍驤は先程までと同じ風景を見ており、空は見下げるものではなく見上げるものになっている。完全に集中力を切らせてしまった龍驤は慌てて艦載機を操ろうとするが、頭痛や激痛、疲労で立っているのがやっとだった。不味い、自分のせいで仲間に被害が、と龍驤は青ざめ顔を上げるが、その瞳に映ったのはかつてより戦い抜いた戦友の背中であった。

おさげを揺らしながら振り返った北上は、優しい笑みを龍驤に向けると、右手の親指を立て頷く。

 

「お疲れ様ー」

 

その言葉と同時に耳を劈く程の爆音が鳴り響き、前方は火の海に包まれる。比叡と金剛の徹甲弾が直撃し、まだ息があったフラヲ改へ北上と大井の魚雷が命中していた。その魚雷に耐えられる筈も無く、海上から敵深海棲艦の姿は完全に消失していた。それを見届けた龍驤は一気に体の力が抜け、そのまま背後へと倒れこむ。

 

「っ、……ありがとうございます」

 

背後から赤城が龍驤の背中を支えると、腕の中で気を失っている龍驤へお礼を告げ、第三艦隊へと無線を繋ぐ。直ぐ近くで待機していた第三艦隊と合流すると、飛龍へ龍驤の事を頼むと、飛龍は真剣な眼差しで強く頷く。龍驤と共に撤退していった第三艦隊を見届けると、現状を確認し、朝霧へ報告する。

 

「提督、第一艦隊、軽空母龍驤が退避。戦艦比叡が小破。第二艦隊は夕立が小破です」

 

「……ご苦労、じき第四艦隊が到着する。合流次第進軍」

 

「了解です……それと、提督此処からは……」

 

「……んああ……無線封鎖……か」

 

最後の進軍命令を受けた後、万全を期して此処からは無線封鎖をする事を赤城は提案する。

元より最深部では無線封鎖を決定していた為、朝霧は赤城が言い出さずとも命令していたが、無線封鎖には思う所があり、中々気が進まないものだった。

 

「……提督」

 

「ん」

 

「必ず、帰って来ます」

 

「……ああ、頼んだぞ」

 

朝霧は無線を切ると、両手を目に当て顔に手の平を押し付ける。後は祈る事しか出来ない。何度経験しても此処からの感覚は慣れはしない。その時、切った筈の無線から声があり、まだその旨を伝えていない第四艦隊からだと言う事を察する。

 

「提督さんッ!?」

 

瑞鶴の焦りを含んだ声色に、朝霧は心臓を鷲掴みされた様な感覚に陥り、冷や汗を拭いながら応答する。

 

「どうした」

 

「合流地点予定地点付近で姫級を確認したわッ!離島棲鬼、軽巡ツ級elite、駆逐ハ級後期型elite、駆逐ハ級後期型elite、軽母ヌ級flagship、輸送ワ級flagshipッ!」

 

どうすべきか、朝霧は思考を巡らせる。この様な時の為に、赤城には無線封鎖後のトラブルは各自判断と伝えてある。恐らく第四艦隊と合流が難しいと判断されれば、主力部隊は進軍するだろう。そうなれば此処で確実に姫級を落としておきたい。いや、此処で落とさなければ挟み撃ちになる可能性だってある。判断は遅くなればなる程不利になる。瑞鶴に必ず敵を殲滅する様に命令する。

 

「任せて、腕が鳴るわッ!」

 

その瞬間、朝霧は無線を叩き付けると転がる様に司令室を飛び出し、階段を駆け下りていく。

工廠目掛け一直線で走り抜いた朝霧は、扉を突き破る勢いで工廠の中へと入って行く。

 

「わっ、どうしました?」

 

鎮守府待機となっている明石は尋常じゃない朝霧の様子に目を丸くしながら小走りで近付くと、息を荒くしながら床に手を突いている朝霧の顔を覗き込む。

 

「あの艤装はどうなった!?」

 

「あのって……まさかヲ級の艤装ですか?一応私なりに弄ってみましたけど、分からない事だらけですね。構造はやはり空母に近いものがありましたが……あれがどうかしましたか?」

 

「今すぐ出してくれッ!」

 

朝霧の気迫に押され、明石は首を傾げ頭にクエスチョンマークを浮かべながら、夕立が持ち帰っていたヲ級の艤装を朝霧の前まで運び出す。龍驤が抜け、第四艦隊も姫級が相手となれば本体に合流出来る可能性は低い。そうなると、圧倒的に空母の数が足りなくなる。幾ら一航戦の二人とはいえ、抑えているもののこれまでの戦いで艦載機や燃料を消費している。

かと言って他鎮守府から空母を呼ぼうにも、恐らく現在の交戦だけでも手一杯だろう、それに加え応援を待っていて他深海棲艦と対敵してしまっては、最深部までに燃料や弾薬が足りなくなる。よって赤城は進軍すると朝霧は判断しており、そうなれば一気に勝ちの目が薄くなる。

戦況は空母によって左右されると言っても過言ではなく、その空母が半分以下になると、敗戦濃厚とも言える。

 

「提督?まさか……なんですけど……」

 

明石はもしかして艦娘史上初となる、とんでもない現場を目撃する瞬間に居合わせているのでは無いかと勘繰り始める。しかし、朝霧がやろうとしている事は恐らくそれであり、明石自身にも何が起こるかは検討がつかなかった。そんな事を考え付く馬鹿は、いや、やろうとする馬鹿は恐らくこの男だけだろう。

 

「……やるぞ」

 

もし、失敗したら。いや、失敗するだけならまだいい。もし建造されたヲ級が敵深海棲艦側だったなら、確実に自分と明石、いやこの鎮守府全体が焼け野原になるかもしれない。

普通ドロップした艦を建造すると記憶が引き継がれる。しかしそれは艦娘の話である。深海棲艦に適用される根拠は何処にもない。しかし、もし此処であの朝霧を好いていたヲ級が帰ってきたなら、これ程頼もしい援軍も無いだろう。ヲ級と朝霧との間の事情を聞いていた明石は、戦況が好ましくない事を察し、かける言葉を探すが見つからず、口を噤む。

 

「戦争にリスクは付き物。だよな」

 

「……はい!」

 

自分に言い聞かせつつ覚悟を決めると、生唾を飲み込んで見守る明石の前で手を伸ばし、艤装に手を触れる。一瞬、工廠の中が光に包まれると、朝霧はその眩しさに思わず目を瞑る。此処までの様子は艦娘の建造と変わらない。ならばそこにヲ級が立っているならば、それは成功と言えよう。

 

「わっ!」

 

恐る恐る瞼を開けた朝霧は、目の前に人影がある事に気付き、とりあえず建造が成功した事に安堵する。流石に目の前にフラヲ改が居るとなると怖くなったのか、明石は短い悲鳴を上げると駆け足で朝霧の背後へと回り込む。やがて最大のリスクである、ヲ級がどちら側の存在になっているかと言う事を心臓を高鳴らせながら確認する。

目を瞑り、そこに立ち尽くしていたヲ級がゆっくりと開けたその瞳は、紛う事無き澄んだあの碧色の瞳であり、朝霧と目を合わせたヲ級は一瞬口を開け呆けていたが、やがて朝霧に向かい飛び掛ってくる。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁ!」

 

飛び掛ってくるヲ級に驚き尻餅をつく明石を尻目に、朝霧はヲ級を受け止めると、顔を上げたヲ級と目を合わせる。

 

「……ただいま」

 

「おかえり」

 



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最深部

第四艦隊の姿が見えない。作戦が必ずしもそれ通りに行く事はむしろ稀であり、トラブルは付き物である。この海域の事だ、もしかしたら自分達と合流する前に他の深海棲艦と対敵しているのかもしれない。

 

「――さん」

 

しかし、無線封鎖をするまで朝霧からその旨は伝えられていないのに加え、自分達に報告も無い。つまり何らかの理由で遅れているか、いや、遅れていたのなら朝霧から前もって何か伝えられる筈だ。なら無線封鎖直後、つまり自分達と合流直前に何かあったと考えるべきだろう。

 

「――城さん」

 

そうなれば、もしかしたら深海棲艦が直ぐそこに迫っていたと考えるべきだろうか、ならば見切りをつけて早々に進軍するべきだが、第四艦隊を欠いたまま最深部へと向かうのは些か危険ではないだろうか。

 

「赤城さんッ!」

 

「へっ……あ……ごめんなさい」

 

加賀に耳元で叫ばれ、ようやく我に返った赤城は、第二艦隊旗艦のビスマルクに赤城の考えを伝え状況を判断する。

 

「そうね……その可能性はあるわ。第四艦隊との合流は難しくなったかもしれないわね。そうなると……」

 

「いこういこうー。どうせ提督の事だし、空母が足りない事に関しては何とかしてくれるってー」

 

楽観的な北上の気の抜けた声に、一同の張り詰めていた緊張は多少薄らいだが、北上の言うとおり此処で足を止めていても仕方が無いと言う事実も各々の頭の中には浮かんでいた。

 

「……では、進軍します。恐らく次が最深部。深海棲艦もより強力なものになるでしょう。ですが――」

 

「私達に任せて下さいネー!」

 

「はい!比叡!気合入れて行きます!」

 

「あら、ドイツ艦だって負けてないわよ。ねえプリンツ」

 

「はい!ビスマルクお姉さま!」

 

「北上さぁぁん!頑張りましょう!」

 

「阿武隈も、頑張ります!」

 

「いっちゃいますかー」

 

「夕立も行けるっぽい!」

 

「行こう!」

 

赤城は面々の心強い声に強く頷き、今まで自分を支え続けてきてくれた加賀と目を合わせる。

何も言わずとも伝わっていると、笑みを浮かべた加賀に感謝の念を抱きながら、目標を最深部に見据え主力部隊は海の上を駆け出した。

一方、横浜鎮守府工廠では、未だにヲ級が朝霧から手を離さず、顔を胸板に埋めていた。

あの時伸ばせなかった手を朝霧の腰へ回し、あれから一言も声を漏らさずただただその余韻に酔いしれている。

 

「あのー。ヲ級さん?そろそろ、と言うか頭のそれがゴツゴツ当たって痛いんですけど」

 

「……仕方ないね。色々聞きたいことはあるんだけど……」

 

「簡単な事よ、お前を造ったんだよ。つまりこれで完全な俺の部下って事だな」

 

「へえー。深海棲艦って提督も作れるんだ」

 

「言い方に語弊があるな……。お前だから、だよ」

 

「キャー!それって告白?」

 

「やかましい。それに時間が無いんだよ」

 

「何?私の初陣?」

 

「ああ、と言っても最初で最後になるかもな。今すぐ今から教える海域まで行って深海棲艦共をぶっ倒して来い」

 

「了解であります、提督どの」

 

帰って来たばかりのヲ級は、不思議と気分が良かった。勿論沈んだ時の事を忘れた訳ではない。しかし、今はあの時よりも心の奥底が澄んでおり、多少あった人類への敵意が完全に失せている事に気付く。ヲ級は自分の頭部の艤装を撫でながら、朝霧から体を離すと、改めて向かい合う。

 

「そう言えば、私が行っても大丈夫なの?見た目完全にヲ級だよ」

 

盲点だったと頭を抱えた朝霧は、肝心のコンタクトを取っていた不知火が第四艦隊に居る事に気付く。現状主力部隊でヲ級の事情を知っているのは北上と金剛位であろう。加えて敵が入り乱れる最深部で突っ込んで行ってはもしかしたら敵として狙われる可能性もある。

こうして向かい合いヲ級の瞳を見ると明らかに異質であり、判別はつくのだが、今の主力部隊にそれを見分けろと言うのは不可能であろう。

 

「……どうしようか、無線は封鎖してるし」

 

「じゃあこれで行く?」

 

ヲ級は頭部の艤装を外すと慎重に床へ置き、背に羽織っている黒いマントをその上に被せる。

白銀のサラサラとした髪が露になったヲ級は、パッと見てもヲ級に見えない。ヲ級をヲ級たらしめている部分はやはりあの頭部の艤装であり、それがなければ一瞬誰だか分からなくなる。

 

「それじゃあ艦載機出せないんじゃないか」

 

「いいよ別に、私素手でも強いし。あのオバさん沈めたの素手だよ?」

 

このヲ級は艤装が無いまま防空棲姫と戦い、そして勝利した。勝利したと言うより相打ちと言う表現が正しいであろうが、このヲ級が艤装を持たずとも戦力になりえるのはその発言で理解する。制空権が欲しかったのだが、直接相手を殴り倒せるならば、それでもお釣りが来る程だろう。

 

「……分かった、その代わり絶対に条件がある」

 

「んー?」

 

「沈むな。この前はいざ知らず、お前はもう俺の艦だ。素手とはいえ捨て身の攻撃は絶対にするなよ」

 

「当たり前だよ。せっかく提督とまた会えたのに、このチャンスを溝に捨てるなんてしないよー」

 

「……じゃあ、頼めるか?」

 

「了解!」

 

その後、ヲ級に正確な場所を伝え、すぐさま出撃するよう命令し、出撃ドックへと急ぐ。事の成り行きをただただ傍観していた明石も急いでその後を追う。今までは岩場や堤防から直接降りていたヲ級は、少しはしゃぎながらドックの中を見渡すと、海面の目前で足を止め振り向く。

 

「じゃ、行ってくるねー。五分で終わらせてくるよー」

 

「ああ、行って来い」

 

勢い良く海面へと飛び出したヲ級は、嘗て無い程の速度で海面を疾走し、気付いた時には既に水平線の奥へと消えていった。

 

「ええと……凄く頼もしいですね」

 

「……フラヲ改だからな」

 

「でも、ヲ級の見分け方って瞳の色ですよね。あれって両方青色ですけど普通のヲ級では無いんでしょうか」

 

「防空棲姫を倒したのなら確実にフラヲ改だろ。出会った時はもう両方青色のオーラが出てたよ」

 

「うーん……謎な事ばかりですね」

 

「だな。さて、俺は戻るから、あの艤装片付けておいてくれ」

 

「はい」

 

朝霧が司令室へと向かい歩き始めている間、ヲ級は吹き抜ける涼しい風に心を躍らせていた。

まさか戻って来れるとは夢にも思わなかった。ヲ級は両手を空に向け手を伸ばすと、その手を握り締める。あの時、伸ばそうとももげてしまった手、それが届く。気分が高揚し、更に速度が上がる。これ程気分が良いのは初めてだろう。今ならどんな敵が来ようと素手でも倒せる自信がある。黒い手袋を嵌め直したヲ級は段々雲が重なり合い薄暗くなって来ている事に気付き、警戒体勢に入る。

 

「まっ、何が来ようが私は無敵だー!」

 

 

 

 

「プリンツッ!」

 

「大井っちッ!」

 

「きゃぁ!」

 

「くッ!」

 

そんなヲ級とは裏腹に、主力部隊の面々の表情は非常に渋く、息を切らせながら歯を食いしばっていた。覚悟はしていた。だが敵のあまりの強大さに、一同の士気は下がり始め、戦況は大きく傾いていた。

防空棲姫。

戦艦棲姫。

戦艦棲姫。

重巡ネ級elite。

駆逐ニ級後期型elite。

駆逐ニ級後期型elite。

それはあまりに強力であり、防空棲姫の対空能力は赤城と加賀の心を折ってしまう程であった。艦載機を撃てども撃てども全て叩き落され、その度薄ら笑いを浮かべている防空棲姫がまさに死神にも見えた。敵に空母が居ないのが幸いだろうか、それでも空母がただの置物と化している現状は非常に不味いと言えた。

戦艦棲姫の砲撃が直撃し、プリンツ、大井の艤装は炎上し、使い物にならなくなる。一撃一撃が非常に強力な戦艦棲姫の砲撃が矢の様に降り注いで来る。

その光景に戦慄した阿武隈は、必死に心が折れぬ様耐えながら魚雷を放つ。雷巡までとは行かないものの、大規模改装により強力な魚雷を撃てる様になった阿武隈は戦艦棲姫へ狙いを定め放つが、目視で回避された後、反撃されその砲弾が脇腹を掠めていく。

開幕に大井とプリンツが大破したものの、阿武隈と夕立、時雨の踏ん張りで何とか初っ端に駆逐艦二隻とネ級を落としたのは幸先が良かったが、その後戦況は膠着状態が続き、やはり防空棲姫と戦艦棲姫二隻が非常に脅威であった。防空棲姫に狙いを定めるも、戦艦棲姫が壁になり攻撃が届く事が無い。それに加え戦艦棲姫は火力、装甲、耐久がどれも優れており、そう簡単に落とせる相手では無かった。更に絶望的なのは、防空棲姫の装甲であった。戦艦棲姫を遥かに凌駕するその装甲は、そうやすやすと抜けるものではなく、軽巡や駆逐艦の砲撃程度なら掠り傷一つつける事さえ出来ない。赤城は先ず狙いを戦艦棲姫に絞るように決定し、それを各々に伝える。主力部隊の面々は先程から戦艦棲姫への攻撃に重点を置いているが、決定打に至っていない。

その理由は敵の火力によるものであり、敵三体の内どの砲撃が直撃しても大破が確実と、まるでロシアンルーレットとも言える状況で冷静になり切れるもの等居なかった。

更に空母の艦載機は悉く落とされ、もう出せる残りの艦載機は残っておらず、撤退しようにも目の前の敵から全力で逃げる燃料も無く、大破した二人を庇いながら背を向けるのは不可能とも言えた。

ならば、倒さねばなるまい。しかし、唯一まともに動け、敵に打撃を与える事の出来るのは現状ビスマルク、金剛、比叡、北上の四人であった。

時雨はプリンツを、夕立は大井に手を貸し、敵の砲撃を避けるので精一杯であった。

 

「お姉さま」

 

「デスネ。私達で決めるしかありまセン」

 

「どうするのッ!?」

 

「考えてる暇は無いねー。あたしの魚雷も後一回しか撃てないし……仕方ないか、あたしとビス子が一瞬隙を作るから、二人は頑張ってねー。後赤城さんと加賀さんはそのまま艦載機出して防空棲姫の足止めで」

 

「誰がビス子よ!」

 

「……いいんデスカ?私達に託して」

 

「良いも悪いも無いよ。信じてるからさー。じゃ、ちゃっちゃと行きますか!」

 

北上は金剛、比叡、ビスマルクにその作戦を伝えると、その内容を聞いたビスマルクの顔は蒼白になり、出来るものかと怒鳴る。

 

「まあ、やるしか無いよね」

 

「うっ……分かったわよ。その代わりあなたもしっかり狙ってよね」

 

「ほいほい」

 

思い立ったが吉日と言わんばかりに北上は作戦実行の為、最後の魚雷を二隻の戦艦棲姫の間に発射する。

そのタイミングに合わせ、赤城と加賀は残り少ない艦載機を発艦し、金剛と比叡はその魚雷の後を追うように海面を疾走し始める。

 

 

「チャンスは一回、このまま当たらない砲撃を撃つより絶対当たる距離で撃つのが賢いよねえ。あたしの魚雷が戦艦棲姫に当たる前、と言ってもどうせ当たらないから届く前じゃないと意味ないけど。あたしとビス子で魚雷を直接撃ち抜くよ。そしたら大爆発。それに乗じて金剛と比叡が戦艦棲姫を叩く、多分一番難難易度高いのは動いてる魚雷に直接当てるうちらだから、頑張ろー」

 



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バトンを繋げ

 

自分が天才だと思った事がある。それは驕りでは無く、他人に出来ない事がいとも容易く出来た。更に雷巡として高みに登り続け、性能面を取れば戦艦とも引けを取らないと言えるだろう。15.5cm三連装副砲のトリガーに指を掛けながら、北上は己の手が少し震えている事に気付いた。時は着々と迫る。戦艦棲姫が特攻を仕掛けてくると勘違いし、その主砲を金剛と比叡に向けたその瞬間から、弾が発射されるまでの刹那の間、それが迫りつつある事に動揺しているのだろうか。アドレナリンが大量に分泌される。視界はぼやけ心なしか先程より暗くなっている様に感じる。そして周りの音が消え、まるで自分だけの世界に入り込んだ様に北上は感じられた。

 

「ねえ提督」

 

「ん?」

 

「外したらどうしよっか」

 

考えるな。

 

「大丈夫、大丈夫。外しても次がある」

 

ぽつんとだだっ広い空間で向かい合っている目の前の朝霧の顔はよく見えない。

 

「だよねえ。援軍も来るかもしれないし」

 

チャンスは一度だ。援軍も来る訳が無い。

 

「そうそう、何時ものお前みたいに気楽に考えようや。適当にやれよ」

 

「かな?まあとりあえず撃ってみて外れたらその時だよねえ」

 

今まで物事を楽観的に考えても、その物事を蔑ろにした事等一度も無い。止めろ、あたしの提督は絶対そんな事を言わない。

 

「そう言うことだ」

 

しかし、北上の声は届かない。まるで何かが自分に絡み付いているかの様にさえ錯覚する程、北上の平常心は雁字搦めになっていた。朝霧はヘラヘラと笑っている。もうその時が来る、焦燥感のみで卒倒しそうな気分の悪さだ。ああ、もう終わりか。また、あの時みたいに自分は仲間と共に沈――。

 

「しっかりしなさいッ!」

 

その瞬間、目の前に居た朝霧がまるで飛散する様に消え去り、直後胸倉を掴み上げられる。

 

「それでも主力艦隊の一員なのッ!?Admiralが貴女を主力艦隊に抜擢したのは性能が良いからッ!?違うでしょッ!」

 

「っ!」

 

「貴女が雷巡北上じゃなく、北上だったからこそでしょッ!?」

 

どんな強敵だろうと物怖じしない。楽観主義者に見えてもその実、向かう事に関しては真剣で一直線に進んで行く。仲間の事を思いやり、着任当初の朝霧を支え続けていた横浜鎮守府の立役者。その瞬間、胸倉を掴んでいたビスマルクの背後に、今度ははっきりとした形で朝霧の姿が映った。朝霧は右手を握り締め、北上に向かい突き出す。

 

「行けよ、北上」

 

「りょーかい」

 

大丈夫だ。視界は鮮明に見える。今なら海の上に浮かぶゴルフボールにさえ当てられそうだ。

自分の肩に置かれたビスマルクの手に自分の手を重ね、感謝の意を呟く。

 

「ほいじゃー、ハイパー北上さまの本気、見せますかー!」

 

時は迫った。後コンマ数秒後には戦艦棲姫の主砲は金剛に向けられるであろう。その腕が上がりきる直前。戦艦棲姫の目の前にはまるで海中から何かが噴出した様に感じる程、凄まじい水柱が視界を覆う。

それはまるでリレーの様だった。同じ想いのバトンを受け渡していく。北上とビスマルクのバトンは、確かに金剛と比叡の手に渡った。突然の水柱に怯んだものの、先程までの進路へすかさず主砲を放つ。しかし、その主砲は水の中を空しく通り抜けて行き、海面へと突き刺さる。

水柱の水位が低くなっていき、戦艦棲姫の視界がようやく取り戻された時には既に、金剛と比叡の姿は無い。戦艦棲姫は野生の勘を働かせ、両者共に主砲を死角となる左右へと向け、間髪入れず撃ち抜く。

左方の戦艦棲姫が主砲を放った直後、爆音と共に火柱が上がり、戦艦棲姫はとりあえず一匹仕留めたとほくそ笑む。しかし、その爆音に紛れ右方の戦艦棲姫からの火柱が噴き力無く崩れ落ちていた。

 

「コザカシイ……」

 

これで一対一かと考え、戦艦棲姫は右方の戦艦棲姫を仕留めたであろう戦艦と向かい合う為体を捻り、主砲を向ける。此方へ向かい主砲を構えていたのは髪の長い方の戦艦であり、先程自分が仕留めたのは短髪の方かと判断し、直後に主砲をそれに目掛け撃ち抜く。

二人の距離はもう十メートルも無いだろう。当たれば一撃必殺の距離と成り得る。戦艦棲姫の放った砲撃は金剛の顔面を掠めて行く。対に金剛の放った主砲も戦艦棲姫を掠め、砲弾は海の中へと吸い込まれていく。

それから数秒も無く、再び互いに銃口を向け合い、主砲を撃ち抜く。金剛が放った砲撃はまたもや戦艦棲姫の脇腹を掠めて行き、戦艦棲姫の放った砲弾を回避しようと体を捻る。

しかし、その瞬間、まるで何トンもの重りが自分の上に圧し掛かったかの様に膝が垂直に折れる。先程一隻目の戦艦棲姫を沈める際、その砲撃は直撃はしなかったものの、力が入らなくなる程度には金剛の右足にダメージを与えていた。

やがて戦艦棲姫の砲弾は自分の眼前まで迫り、それを回避する手段も無く金剛の腹部に砲弾が直撃し、大爆発を引き起こす。凄まじい衝撃に、意識が飛びそうになりながらも何とかそれを手繰り寄せる。しかし、体は思う様に動かせず、崩れ落ち始める。

とりあえず厄介な戦艦を仕留めたと、戦艦棲姫は崩れ行く金剛を眺めた後、残りの艦娘をどう処理しようかと体を向き直す。その直前。煙が上がっている中から、確かに、その戦艦が右手の拳を前に突き出しているのが映る。

 

何を――。

 

確かに繋いだデス。比叡――。

 

バトンは渡る。

 

その瞬間、戦艦棲姫の足は海面から離れ、何かに持ち上げられている様な感覚に陥る。一瞬何が起きているのか理解出来なかったが、それの正体を見て理解する。

それもその筈であった。何故なら額から血を流し、圧し折れた右腕を宙に遊ばせ、鬼の形相で此方を睨み付けながら左手一本で自分を持ち上げている戦艦が其処に立っていたから。

 

「艦娘をッ!嘗めるなァァァッ!」

 

こうなれば避けるも何も無い。考える間も無く火を噴いた比叡の主砲は戦艦棲姫の上半身を吹き飛ばし、その反動で自身も海へと転がって行く。

 

「ッハァ……ハァ……」

 

海へ沈んでいく戦艦棲姫を確認した比叡は、歯を食いしばりながら金剛へと駆け寄り、左腕を掴むと自身の肩へと回し、立ち上がらせる。比叡は頭から飛んでいたと焦りつつ防空棲姫の動向を確認するが、空母が操る決死の艦載機に舌を巻き、此方からは意識が反れている事に安堵し、金剛を引っ張りながら隊列へと復帰する。

そして加賀の最後の艦載機を撃ち落した後、既に満身創痍の面々へと向き直し、不気味な笑みを浮かべる。

 

「ッ……」

 

厳しい。と赤城は冷静に現状を把握する。比叡、金剛は言わずもがな大破。プリンツ、大井が大破し、夕立と時雨が付き添っている。北上は魚雷を撃ち尽くし、阿武隈とビスマルクも弾薬が尽きかけている。加賀の艦載機は殆ど残っておらず、赤城の艦載機も底を突く所だった。それに加え両名とも防空棲姫の砲撃を多少なりとも受け、艦載機をマニュアルで動かし、精神力を大幅に消耗していた。現状で防空棲姫を撃破するのは不可能と言い切っても過言では無く、残された手段は撤退のみだったが、これ程大破者が出ていればそれも厳しい。

自分が囮になる事も考えたが、今の墨田も朝霧も、それを絶対に許さないだろう。

 

(……提督)

 

それは長いトンネルの様だった。

赤城は艦として沈んだ頃から、そのトンネルを歩き続けている様な気がしていた。

最初は全く先が見えないような暗いトンネルだったが、段々と先に光が見えてきている様に感じた。やがて光は大きくなり、もう出口の直前まで足を踏み入れている所まで来ていた。

しかし、その光は遠ざかっていき、再び周りは闇ばかりのトンネルに取り残されていた。

 

「赤城さ――」

 

ああ、よく見える。自身に迫っている防空棲姫の砲撃が。

もう腕も上がらず、その砲撃を避ける事も叶わない。

 

防空棲姫の火力は凄まじい、小破している自分ならばもしかすれば轟沈するかもしれない。

ごめんなさい、加賀さん。言葉にしようとするが口も開かない。

 

ああ、後一秒――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだ、眩しい。刹那の間、赤城の進んでいたトンネルは既に出口を抜けており、そこには目も開けてられない程の光が満ちていた。

振り返った赤城の視界の先には朝霧が立っており、顎で前を指し示した。

 

 

 

最後のバトンが渡る。

 

赤城に着弾する寸前、その砲弾は不自然な動きで上へ跳ね上がると、赤城を飛び越え後方の海面へと着弾する。目の前には白い布が靡いており、それは赤城の眼前を覆う。

そしてそれは前方へ遠ざかって行き、防空棲姫の元へと駆け出していた。

 

 

 

 

 

思考が停止していた。

だが、その時北上は何故か自分の役割が分かっていた様に感じた。ああ、自分のキャラでも無いな。大声を出した記憶等無い。しかし、それを受け取った北上は、大きく息を吸うと、腹の底から湧き上がってくるものと共にかつて無い程の声を上げる。

 

「総員ッ!あのヲ級を援護ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 

 

 

 

  

ああ、楽しい、愉しい、嬉しい。ヲ級はかつて無い程多彩な感情が胸に渦巻く中で、頬を緩ませ顔を綻ばせながら海上を疾走していた。皆が自分の為に、傷つきながらも決死の形相で防空棲姫への砲撃を続けている。背に受けたその想いを今なら感じられる。使役するだけでは無く互いを助け合う艦娘、思えばそれに近くもあり遠くもあるどっちつかずの存在だった自分は、誰よりもそれに憧れていた。今、それが叶っている。普通に突っ込んでいけば防空棲姫の的であろうが、艦娘達の援護により此方に狙いを定め辛くなっている。

おおよそ顔が鮮明に見える距離まで近付いただろうか、先程まで握り締めていた拳に更に力が入る。高ぶった感情を更に高揚させ、己の拳に力に宿らせて行く。

動けるものは全員、ただ我武者羅に防空棲姫への砲撃を続けていた。

無論これが決定打になる筈も無いが、その一つ一つが防空棲姫のヲ級への狙いを阻害していた。先程まで余裕の表情を浮かべていた防空棲姫も、小賢しいと眉を顰め、眼光が鋭くなっている。

ああ、五メートル程だろうか。ヲ級は道中、落ち着かないと海上に漂っている白い布を羽織り、背に靡かせていた。その白い布を掴み、防空棲姫の顔面へ向かい放り投げる。

眼前一杯に広がった白い布に視界を奪われた防空棲姫は、咄嗟に顔面を両手で覆い衝撃に備える。視界を奪われた瞬間、顔面を庇ってしまうのは生物としての性であり、一種の条件反射であった。

 

「ばーか」

 

最期、確かに聞いた。同胞である筈のヲ級の気の抜けた声を。それは自分達とは違い、憎しみも怨念も篭っていない純粋な発声。

 

 

嗚呼、このヲ級は、一体何を見て、何を得たのだろうか。

 

「オマエハ……」

 

そうでも無ければ、最強と自負している自分の装甲を素手で、それも一撃で打ち抜く何て事、出来る筈が無いだろう。防空棲姫の問い掛けに、ヲ級は答える事無く、防空棲姫の胸部を貫いた手を引き抜きながら大きく息を吐いた。

 

「おーわり」

 

振り返ったヲ級の目に映る艦娘を見て、此処まで来るのが決して容易では無かった事は垣間見える。美味しいとこ取りかなと思ったヲ級だが、あの惨状を見てそうも言ってられなかったかと自己完結し、主力部隊へと歩み寄って行く。

一瞬警戒した赤城だが北上に視線を移し、目で合図すると任せたと頷き、北上は気の抜けた返事を返すとヲ級へと駆け寄る。

 

「あー、提督の命令?」

 

「うん、ぶっ飛ばして来いって。役に立ったよね?」

 

「役に立ったどころか……来なかったらやばかったよ、さんきゅー」

 

北上は右手を顔の横へと上げると、ヲ級も首を傾げながら見よう見まねで右手を上げる。ヲ級の右手に自分の手を叩き付けると、お疲れと肩を叩き一同を見渡す。

 

「よし。帰るよー」

 

その言葉に漸く自分達が勝利したと実感した面々は、ある者は叫びながら仲間と抱き合い、ある者は泣きながら飛び跳ねる。

そんな中、赤城は冷静に無線を繋ぐと、司令部へと打電を入れる。

 

「提督」

 

「ああ、聞こえてるよ」

 

朝霧は赤城の無線を通して聞こえる歓喜の声に、浮いていた腰をゆっくりと降ろすと全艦隊へと無線を飛ばす。

 

「諸君ご苦労ッ!LE海域攻略作戦は成功した、とっとと帰って来いッ!」

 

やる事が山積みだなと重い腰を上げた朝霧は、とりあえずは間宮の手伝いに行こうと食堂へと足を向けた。

 



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彼は再び指揮を執る

「ぼのぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁ!」

 

 

「やめっ!ちょ!マジ何処触ってんのよッ!」

 

作戦が終了したその晩、間宮食堂には横浜鎮守府を始めとする面々に加え、横須賀鎮守府一同が乱痴気騒ぎを起こしていた。

朝霧は目に入る艦娘に片っ端から飛び掛り、ある者はやれやれと受け入れ、ある者は返り討ちにし食堂内はかつてない程の大騒ぎになっていた。

皆高速修復剤により傷は癒え、呑めや歌えや無礼講で騒ぎ合い、普段寡黙で真面目な不知火でさえ、目に入る全ての艦娘にビールを浴びせていた。

 

「…………ああ」

 

幸せだ。赤城は日本酒を呷りながら自分の中を駆け巡るその感覚に浸っていた。隣でビールを呑んでいた墨田は、何も言わず赤城と目を合わせ首を捻る。

 

「自分にはもったいないですね」

 

闇の中を彷徨い続けたその先、何があるのか。その答えが眼前に広がっている。

 

「それは僕の台詞ですよ」

 

加賀と不知火の取っ組み合いと言う恐らく一生見られないであろう光景に苦笑いしながら、赤城は日本酒を飲み干すと、とっくりをテーブルに置き立ち上がる。

 

「何処へ?」

 

「行ってきます」

 

ああ、この笑顔だ。墨田は満面の笑みを浮かべた赤城の背中を見送る。その赤城は少々優勢だった加賀に飛び掛ると寝技を仕掛ける。気高き一航戦、その二人が取っ組み合いに加わり、周りは更にヒートアップし野次や声援が飛び交う。そこだ、締め落とせと物騒な声を聞きながら、墨田は椅子から立ち上がり外の風に当たってこようと食堂の入り口へと踏み出す。

それに気付いた朝霧は、明石と目を合わせると羞恥で放心状態の曙を放り出し、外へと出た墨田の後を追う。

 

「よう」

 

「先輩?」

 

「ちょっと付き合えよ」

 

朝霧は明石を連れ、工廠の方を指差すと、墨田はその後に続き工廠へと向かう。道中、幾つか見える星を眺めながら、朝霧はふと墨田に問い掛ける。

 

「誘っておいてあれだけど、お前にはきついかも知れないから、戻ってもいいんだぞ?」

 

朝霧は目的を話していないが、こんなタイミングで工廠に呼び出したのだ、大方の目処はついている。墨田は無言で首を横に振ると、朝霧はそうかと呟き工廠の扉を開け明りを点す。

それは中央に、小奇麗に整理されている工廠内に不釣合いな物が無造作に置かれていた。

 

「明石さんよ、準備は出来てるんだよな」

 

「はい!ちょっと火急でしたが、全力で当たらせて貰いました!」

 

「…………」

 

それは艤装、では誰の艤装だろうか。いや、現艦娘の中でそれを使いこなす事が出来る艦娘等、唯の二人しか居ない。その巨大な砲身、そこから繰り出される砲撃は深海棲艦を紙屑の様に薙ぎ払う、現艦娘最強の火力を持つ51cm三連装砲に墨田は息を呑んでいた。

 

「どうするよ」

 

「……意地悪ですね、先輩は」

 

今の自分に提督の資質があるかどうかは分からないのは事実だ。しかし、この瞬間を狂ってしまう程待ち侘びたのも事実であった。墨田は中々踏み出さない足を右手で殴りつけると、一歩一歩ゆっくりとその艤装に歩み寄って行く。それを眼前に見据え、さあ、手を伸ばそうかと決意するが、その手は一向に出てこない。

怖い、ああ怖い。もし帰ってきてくれなかったら、今までの自分は何だったんだろうか。無言で見守る朝霧だったが、その内心は気がどうにかしそうであった。

もしこれで大和が応えてくれなかったなら、この男はその場で自殺でもしかねない。それ位の覚悟で狂い、それ位の覚悟で戻って来た。しかし、朝霧は食堂の皆を思い出し、その不安は一気に消え去っていた。でなければ、横須賀の面々があんな顔を出来る筈が無い。

 

「信じてやれよ」

 

「…………」

 

「大和を、それにお前の艦娘を」

 

「……はい」

 

手が伸びていた。それに触れるのは何年振りだろうか。建造自体もう何年も行っていない。ただ触れるだけのその作業に随分心が削られた。

 

だが良かったのだ、そんな削られた心がお釣りで帰ってくる程、素晴らしい人が其処に立っていたのだから。

 

大和撫子を象徴する様な長い黒髪に、凛とした顔付き。墨田より背が一回り高い位置から見た光景は、非常に懐かしいものだった。

そしてまた、丁度自分の胸辺りの暖かな感覚も、非常に懐かしかった。少し回らない頭を必死で働かせていたが、最初に言うべき事は考えずとも出てきた。

 

「ただいまです。提督」

 

「…………おかえり」

 

顔を上げた大和は、朝霧と目を合わせると少し頭を下げる。朝霧は右手を上げ後はごゆっくりと頷くと、明石を連れ食堂へと戻って行った。未だに自分の胸に顔を埋め嗚咽している自分の提督に、やれやれと苦笑いすると、その頭に右手を乗せ優しく撫でていく。

 

「変わってませんね」

 

「……大和、大和!」

 

「はい、あなたの大和ですよ」

 

 

食堂に戻った朝霧は、未だに続く赤城、不知火対加賀を観戦し野次を飛ばしている龍驤を見つけると、テーブルに置かれていたビール瓶を手に取り忍び寄る。

 

「りゅぅぅぅぅじょぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

「わっひゃぁぁぁぁぁぁ!」

 

背中にビールを流し込まれた龍驤は悲鳴を上げながら辺りを転がる。その様子を腹を抱えて笑っていると、背後から気配を感じ、身構えようとするが時は既に遅い。

 

「しれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

「ぁぁぁぁぁぁ!」

 

陽炎から背中にビールを流し込まれた朝霧は、龍驤と共に床へと倒れ込む。そしてその背後、曙は手に持っていた爆発寸前のビール瓶の栓を抜き、陽炎の後頭部へとぶっ掛ける。乱痴気騒ぎは終わらない。ようやく食堂が静かになったのは、皆が疲れ果てて眠り始めた二時間後の話であった。

 

「さて……」

 

朝霧は端のテーブルに座りながら食堂の床やテーブルで雑魚寝している何十人もの艦娘に思わず笑いを溢すと、どうしようかと溜息を吐いていた。

 

「それで、何でキミは呑まへんかったんや?」

 

「……ん?ああ」

 

龍驤は朝霧の横へと腰を下ろすと、右手で頬杖を突きながら朝霧に問う。大の酒好きである朝霧が、この騒ぎの中一口も呑んでいない事に龍驤だけが気付いていた。朝霧は気恥ずかしいなと頬を掻くと、煙草を咥えながら呟く。

 

「もったいないだろ、酔ってこの光景を忘れたら」

 

「……やなあ」

 

しばらくの間無言で食堂内を見つめていた朝霧だったが、靡いている龍驤の左袖を見ながら気まずそうに煙草を吹かす。謝ってはいない。普通の提督なら自分がもっとしっかりしていたら、そうさせずに済んだと謝っている所だろうが、朝霧は謝罪の言葉は述べていない。それがどれ程龍驤を侮辱するか分かっていたし、それを龍驤も分かっていた。

 

「明石が、義手作ってくれるってよ」

 

「へえ、明石の腕やったら信頼出来るわ、ちょっち不便やからなあ」

 

「……そうだな」

 

「なあ」

 

「ん?」

 

「キミは続けるんか?提督」

 

海域を取り戻したと言っても、やる事は山積みである。中継基地を作るのにも護衛が必要になり、まだ残党の可能性を否定出来ない為暫く哨戒は続くだろう。しかし、軍備は縮小され、協議次第だが横浜鎮守府か横須賀鎮守府のどちらかが解体される事は明白だった。そうなれば朝霧は墨田に提督を譲り、自身は身を引くつもりでいた。

 

「んー……」

 

「まあ、ウチはキミに出て行ってほしく無い一心で戦ったんやけどな」

 

「んじゃあ続けた方がいいか?」

 

「それは離れ離れになるかもしれんからって話しや、腕もこれやし、戦争も一息吐いたんや、一緒に暮らせばええんちゃうか?」

 

「天才」

 

「決まりやな」

 

驚く程あっさり同棲の持ちかけを肯定され、まあ予想通りだったかと龍驤は苦笑いする。その会話をテーブルを背に腰掛けながら聞いていた翔鶴は、寄り添って眠っている瑞鶴の頭を撫でると、ケッコンカッコカリの指輪を見ながら物思いに耽る。同様に床に転がっていた不知火と陽炎は、ブレスレットを手で弄りながら手で目を覆う。二人は結局指輪を貰えなかった事に悔しさを覚えたが、優柔不断にするのでは無くきっぱりと一人を選んでくれた朝霧に感謝しつつ、これからまた良い男を捜せばいいかと決意しながら寝息を立て始めた。

 

「そいえば、最後はあのヲ級のお陰やってな?これには来られへんかったんかいな」

 

「まあ流石に明るみになったから報告しないとな、案の定上に召還された。まあ絶対悪い様にはならないだろ、今回の作戦の立役者だしな」

 

一旦大本営にて様々な検査やカウンセリング等を受ける為に召還されたヲ級は、その場で鎮守府を破壊してしまうのでは無いかと思うほど駄々を捏ねたが、朝霧の帰ってきたら相手をするとの説得により、渋々了承していた。

 

「……そう思えば、まだやり残した事いっぱいあるな」

 

「ん?」

 

「まだ不知火と陽炎に指輪を渡してないし、そのヲ級の件もだ。多分あいつ俺以外の話は聞かないだろうからなあ、それに一年も経ってない内に辞めたらまた川内にいびられる」

 

「じゃあまだ続けるんか?」

 

「……どうしよ?」

 

「……好きにせえや」

 

「じゃあ、提督は墨田に任せて非常勤で鎮守府に出勤とかどうよ、お前は家で家事とか」

 

「んー。それええんちゃう?そん代わり家でいーぱいかまってもらうで?」

 

「おうよ、決めたッ!そうしようッ!やるぞぉぉぉぉぉぉぉ」

 

朝霧は椅子から飛び上がると、思い立ったが吉日と早速その件を大本営と相談する為に司令室へと走り出す。その背中を見ながら、龍驤はこの男と出会って良かったなとの想いに耽ると、心地良い疲労を感じ顔をテーブルへと突っ伏した。

 

 

 

そしてその騒ぎから一週間が経ち、横須賀鎮守府の司令室のデスクの上へ湯呑みを置いた大和は、ソファーの上で寝転んでいる北上とヲ級を見て溜息を吐いていた。

 

「もう、だらしないですね」

 

「まあまあ、あっちではずっとこんな感じだったそうですし」

 

「うーす」

 

「おはようございます。早いですね」

 

「ケツ蹴られながら出てきた」

 

元々固まっていた鎮守府の解体に加えた朝霧の要求はすんなりと通り、横須賀鎮守府の非常勤として通う事となっていた。執務は墨田に任せ、演習や訓練の指導を主に行い、また何時も通りの日常が其処には広がっていた。

陽炎や不知火は練度がケッコンカッコカリに至るまでと怒涛の勢いで訓練を積み重ね、それに付き添っていた曙と吹雪は余りの疲労に毎日根を上げている。

瑞鶴と翔鶴や、加賀、赤城等は基地の建設の護衛として大半は横須賀鎮守府を出ており、他の鎮守府の艦娘も殆どがそれに駆り出されていた。

 

「あ。そうだ、先輩。今日急用で大本営へと出向く事になったんですが、午後から入っている呉との演習の指揮、お願いして大丈夫ですか?」

 

「演習……演習ッ!?」

 

そのワードにヲ級は飛び起きると、目を輝かせながら墨田に問い詰める。詰め寄ったヲ級を引き剥がした大和は、裏のある笑顔で首を横に振る。そんな大和の意思を汲み取れる訳も無く、ヲ級は首を傾げながら墨田の返事を待つ。

 

「ええ、ヲ級さんにもその演習に参加して貰いますよ」

 

「いえーい!」

 

ヲ級は右手を朝霧に向かい差し出すと、朝霧はその右手に手を叩きつける。こんなもの何処で覚えて来たんだと疑問に思う朝霧だったが、本人が楽しそうだったので詮索はしなかった。

 

「それじゃあ、お願いします」

 

「へーい、帰りは遅くなるかもって連絡入れとかないとな……」

 

「すっかり新婚ですね」

 

「あーもうラブラブよ」

 

「では、僕達は朝食に行ってきます」

 

「ほいほい」

 

司令室を後にした大和と墨田を見送った後、朝霧はソファーに腰掛け天井を見上げる。

一度は手放した。それを皆が手繰り寄せた。もう一度手放そうとしたが、それを手繰り寄せたのはまたもや皆だった。

 

「まあ、天職って奴かね」

 

朝霧は再び指揮を執る事になる。それは挫折や苦難の道のりであったが、最後に辿り着いたその指揮は敵を屠るものではなく、安寧のものであった。

その事に感謝しながら、朝霧は窓の外を見上げる。あの部屋から見た外とは違う、光に満ちた空に眩しいと顔を顰めるがそれは心地の良いものである。

 

「さーて、給料貰う為にも仕事しないとな」

 

朝霧は演習の編成を考える為にデスクへと向かい合う。しかしものの五分で急激な眠気が襲い、顔をデスクへと突っ伏した。

その数分後目を覚ました北上は、変わらない朝霧を見て安心すると、自室から持ってきていた安眠用毛布を朝霧に掛け部屋を後にする。

 

窓から射す光は、何時までも朝霧を照らし続けていた。

 

 



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