艦娘でも提督でもない生まれ変わり方 (奥の手)
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プロローグ どこだ、ここ

椅子にどっかりと座り込むか、ベッドにごろんと寝転んで読まれるとなかなかいいと思います。
なお時雨お姉さんはまだ出ない模様。


「い……ッ……」

 

目の奥を強烈な光が差す。

 

うっすらと開けたまぶたの隙間から、さらに光が入り込む。

 

徐々に慣れてくると、自分が野外で仰向けに寝ていることが分かった。

ゆっくりと体を起こす。

 

「……どこだ、ここ」

 

がらがらの喉からひび割れた自分の声がした。

 

辺りを見回す。

目の前に飛び込んできた光景は、一方が真っ青で透き通った海。

反対側がうっそうとしたジャングル。

そして自分の尻の下には、何とも寝心地のいい砂浜が。

 

視線を自分の体に落とす。

 

「……」

 

服を着ていない。素っ裸だ。靴も下着もシャツもズボンもない。一糸まとわぬ姿であった。

 

そして。

 

…………縮んでいた。全体的に、縮んでいた。手も、足も、胴体も。

なにもかもが小さい。

 

俺は今年から高校生になるはずだ。

 

だが今目の前にしている体は、確かに自分の意志で動かせるものの、明らかに十五年間共にしてきた体ではない。

 

遙か遠い昔に、公園と林をかけずり回った、あの頃の体躯にそっくりである。言うならば、小学校低学年のそれだった。

 

「どういうことだ」

 

意図せず声が漏れる。枯れているが、まるで女の子のように高かった。

 

でも俺は男だ。

この体がいかに縮んでいても、ついてるモノはついている。

 

性別まで変わっている訳ではなく、単に声変わりを迎えていないだけだろう。

 

訳が分からない。

 

こんな所に出向いた覚えはないし、こんな体になった経緯も覚えていない。

 

しかしこうして自分の意志で動かせる体があり、こうして周りの景色は変わらずそこにあるのだから、これは夢ではないと予想。

 

試しに古典的な方法で確認する。

 

「…………いひゃい」

 

ひょっとして、と思う。

 

頭の中にある言葉が思い浮かんだ。転生だ。

 

いや、もしかすると転移だとか召喚だとかかもしれないが、何にせよ自分の身に到底理解しがたい事態が起こっているのだと認識する。

こういう時こそパニックになってはいけない。

今自分に出来ることをしなければいけないはずだ。

 

自然と頭の中にそんな考えが浮き出てくる。

 

とりあえず辺りの状況確認。それと水の確保だな。

 

 

浜辺沿いに歩いていると、いくつか森の中に入れる通路があった。

 

獣道だ。

しかしとりあえずは浜辺を歩く。

 

予想するにここは島である。

島であれば、いずれ自分が目覚めたあそこへぐるりと回って帰ってくるはずだ。

 

島の全容を確かめてから奥へ入ってもいいだろう。

道すがらに民家とかあるかもしれない。そうなればラッキーだ。

 

と、考えていたのだが。

 

もう何時間も歩いている。

 

足取りが重い。

部活には入っていたし、体力づくりもしていたので、受験シーズンの落ち込みがあったとしてもここまで酷くはないだろうに。

 

「はー…………はー……」

 

息が荒くなる。素っ裸で炎天下の中を歩き回っているのだから無理もない気がするが、こんなにもすぐにバテることはないだろう。

 

そう思いながら額の汗を拭ったとき、自分の細い腕が視界に入った。

 

忘れていた。

今の自分の体は幼い。

小学校低学年の子供に、裸で何時間も炎天下の中を歩かせたらどうなるか。

 

他人事のように考える自分がいたが、その予想はそのまま体に返ってくる。

 

目の前がかすみ始めた。まずい。

 

俺はすぐに浜辺から外れ、森と浜辺の境目、ちょうど良い日陰の所へと潜り込んだ。

 

急速に喉の渇きを意識する。そういえば何も飲んでいない。

 

水の確保が最優先だった。

まず森の中を探すべきだった。

 

己のいきなりの失策に頭を抱えたが、ではこれからどうすればいいのかと悩む。

 

この体、もうあと数十分も動いたらそれこそ命が危ない。

この日陰でいくら休憩を取っても根本的に脱水症状からは逃れられない。

どうする。

どうすればいい。

 

考えるために動かす頭は、しかし危機感だけを警鐘して、あろうことか睡魔を呼び寄せてきた。

 

徐々にまぶたが重くなる。

雪の中ではないのだから寝たって死にはしないさ、と確証のない言い訳を心の中で呟き、俺の意識は疲労を感じる幼体と共に地面へと吸い込まれていった。

 

 

目が覚めると波の音が近かった。

 

辺りは薄暗く、体がひんやりとしていた。ゆっくりと起きて周りを見る。

 

海の向こうがほんの少し明るくなっていた。

 

自分が気を失う前に感じていた暑さは無くなって、やや肌寒い空気が辺りに立ちこめている。

 

そして、

 

「……この露、飲んでも大丈夫だろうか」

 

近くの葉っぱに水滴が付いていた。

体は依然として水分をほしがっている。しかしこの幼い体が、まともに浄化していない水を飲んでも大丈夫だろうか。

 

いや、少しくらいいいだろう。

 

俺は葉っぱに口を付ける。

水滴の一粒一粒を大切に舐めた。

 

のどが潤ったなどと言うことは全くないが、それでも、気分的にはいくらか楽になった気がする。

 

立ち上がる。あたまがふらふらする。

マズイ状況から脱してはいない。

 

眠ったことで一時的に体力が回復しているだけ。

倒れてしまう前に湖でもため池でもいいから見つけなければならない。

 

じゃあ、これからすることは決まっている。

獣道を見つけてそこから森に入り、運が良ければ水にありつける。悪かったときのことは考えない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

重い体を引きずってその場から移動し始める。

 

どこか入れる獣道を探して。

 

 

しばらく歩くと見つかった。

それも、今までのような細いものではなく、なにか大きなものが出入りしている広い獣道だった。

 

(わだち)と言ったか。車が草むらを通ると出来るあれだ。あれよりは細いがそれくらいはある。

 

しかしここで再び頭を何かがよぎる。

 

…………獣道は、何かが通るから獣道なんだ。

それも頻繁に、これくらいの道幅を必要とする大きな何かが。

 

つくづくこの体は危険なことに対しての警鐘が鋭い。

どういう訳か分からないが、前の俺なら考えも付かないような警告を自分に出してくる。

 

命の危険と隣り合わせだからだろうか。なんにせよ、無視していいことではない。

 

この道幅を必要とするような獣というと、イノシシとか熊の類だろう。

 

だがよくよく考えると、森と言うよりはジャングルが広がる環境である。

はたして、おおよそ南の島と言うのがふさわしい場所にイノシシや熊は出るだろうか……?

 

「……わからない」

 

考えても仕方がないがたぶん出ない気がする。

というか出たらそのとき。どのみちこのままでは脱水症状で命を落とす。

 

僅かでも希望に賭けて歩いた方が得策だろうと結論付けた。

 

海の方に見えていた僅かな光が、ほんの少し大きくなっていた。

 

つまりあの太陽はこれから昇っていき、残り少ない俺の体力をがんがん削っていくというわけだ。

ちくしょう。

 

歩き出す。そういえば、この獣道からは砂浜が途切れている。

地面が踏み固められた土なのだが、裸足の足で万が一にでも木の枝なんかを踏んでしまうと怪我をするだろう。

 

気を付けなければ。

 

 

いくら意識をしていても、いくら注意をしていても、人間は間違いや事故を起こしてしまう。

 

それが命に関わることになるのは人生の中でも希だが、俺のこの事故とも不注意とも言える状況はたぶん命に関わると思う。

 

踏んでしまった。とても鋭い木の枝を。ざっくりと。

 

脱水症状がわりとヤバイ域に達しているせいか、目の前がふらふらしていた。

獣道に入ってそんなに時間は経っていない。

ゆえに水は見つけられず、こうしてかなり深くまで木の枝を足に突き刺すハメになった。

 

とても痛い。

 

痛さで意識が覚醒されるが、同時に遠くもなっていく。

意識が消えかかると、再び痛みで覚醒する。その繰り返しだ。

 

獣道のど真ん中で座り込み、足の状態を見る。

左足だ。足の裏からかなりの血が流れている。

枝は刺さったままで、幸い貫通はしていない。

 

保健の授業で習ったことを思い出す。

 

釘や枝が刺さったときは、すぐに消毒をしないと破傷風になる。

それと、刺し傷は深いとき、あえてすぐには抜かない方がいい。

刺さったものが破れた血管を止めてくれているから、もし抜いたら大量に出血することもあるからだ、と。

 

今俺に出来ることは、この刺さった枝を見つめて痛みに耐えることだ。

 

消毒はおろか移動も出来ない。

 

完全に、完膚無きまでに、詰んでいた。

 

このままでは間違いなく体力が切れる。

いや、その前に、ここはジャングルのど真ん中だ。

 

どうして気付かなかったのか。

イノシシや熊でなくとも、恐ろしい動物はわさわさいるだろう。

人食い蛇とかいるんだろうか。死んだふりしたら大丈夫かな。

 

よけいなことが頭をとめどなく過ぎる。

 

考えても考えても、自分が命を落とすシチュエーションしか思い浮かばない。

 

だんだんと、足の痛みがうすれてきた。

 

気がつくと、あおむけにころがっていた。

 

足がしびれる。

 

いたくない。

 

こわい。

 

からだが、いうことを、きかない。

 

こわい。

 

おきられない、しゃべれない、おきれない。

 

やだ、いやだ、こわい。

 

しにたくない。しにたくない。

 

そらが、みえた、あおい、そらが、なみだで、ゆがんだ。

 

 

 

 

誰かが大きな声で叫んでいたのを、くぐもった世界の中で聞き、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一話 どこかは分かって、誰だ俺

 

 

音が聞こえる。

 

水の音だ。

 

それほど大きくはなく、ちょうどタオルの水を絞っているような、そんな小さな水の音だ。

 

目を開けたい。

今何が起きているのか知りたい。

 

しかしその欲求とは裏腹に、まぶたは重く、体も沈み込むようにしてぴくりとも動かない。

 

「ぅ……」

 

小さなうめき声が漏れる。その声が自分の耳に入る。

根拠はないが自分は生きているのかもしれないという希望が感じられた。

 

「動いちゃダメだよ、大丈夫だから」

 

不意に声が聞こえた。頭のすぐ側から、やさしい、しかしまだ幼さの残る少女の声がした。

 

「こ、こ……は?」

 

弱々しい自分の声が発せられる。

少女の声よりも幼い。

 

そうか、今の俺は大分若返っていたんだったな。幼児化と言う方が正しいだろうが。

 

「ボクの部屋だよ。時間は夜の……九時を回ってるね」

 

夜の九時。ずいぶんと寝ていたように感じる。

 

重いまぶたに渾身の力を入れて目を開ける。

ふるふると視界が揺れながら、徐々に、ここがどんなところで、自分がどういう状態なのかを理解した。

 

死んではいないようだ。

 

天井は木造で、白熱電球がぶら下がっている。

枕元にもスタンド電気が光っている。

どちらも強すぎず弱すぎない、柔らかく暖かい光を発していた。

 

そして自分は横たわっている。

ここは少女の自室だと言った。

 

ならば自分が今寝ているのは、きっと少女のベットだろう。

肌触りの良いシーツと薄い掛け布団が体を包んでくれていた。

…………衣服は、どうやら身につけていないらしい。

 

「びっくりしたよ。朝のランニングをしてたら小さな男の子が倒れてるんだもの。それも裸で、足に木の棒まで刺してさ……何があったの?」

 

スタンド電気に少女の顔が照らされていた。

 

黒い髪を三つ編みにして左の肩口から垂らしている。

瞳の色はすんだ青。セルビアンブルーというのかな。

精悍な顔立ちは、幼さと、頼もしさの両方が感じられた。

 

「……わからないん、です。気がついたら、裸で、浜辺にいて……何も飲めなくて、それで」

 

いい終わる前に、そういえば足はどうなったのかと疑問に思った。

あれほど痛かった足が、今は何ともないのだ。

 

気になったので聞こうとしたが先に少女が口を開いた。

 

「そうか……君もなのかな」

 

明らかにその一言は、俺に向けてというよりも独り言に近かった。

何のことか分からなかったが、言いながら少女は、ボトルをこちらに渡してくれた。

 

先程の水音はこれだったのか。

 

「気を失っている間にも何度か口に入れたんだけど、まだ足りないだろうからしっかり飲んでおくんだよ。薄めたスポーツドリンクだから」

 

ボトルを両手で受け取る。片手では持ちきれない。

ボトルが大きいのではなく、単に俺の手が小さかった。

 

少女は俺の背中に手を回してくれて、ゆっくりと、ベットの上に座らせてくれた。

下半身は掛け布団で隠れているがやはり何も着ていない。恥ずかしい。

 

「あの…………助けて頂いてありがとうございます」

「気にすることはないよ、ほら飲んで。ゆっくりね」

 

少女はそう言うと部屋の中を少し移動して、タンスと思われる所からスポーツウェアを上下セットで取り出した。

 

俺はそれを横目で見ながらボトルを口に付け、傾ける。

丁度良く薄まってよく冷えたスポーツドリンクは、体に染み渡り、もはや脱水症状の影は微塵も残っていなかった。

 

…………いや嘘、まだ体がだるいからそれは言い過ぎだ。

でもまぁだいぶ楽にはなった。

 

少女が戻ってくる。

両手に抱えられていたのは、赤い布地に白い線が入った、よく見る長袖ジャージだった。

 

「丁度いい大きさの服がないから、これでガマンしてね」

「あ、ありがとうございます。その……体もなんだかさっぱりしてて」

「足の手当のついでにね、昼間に濡らしたタオルで拭いておいたんだ。また後で拭いてあげるよ」

 

気を失っている間、きっと全身くまなく見られているんだろうな、とは思った。

恥ずかしかったがそれよりも、命を救ってくれた目の前の少女……いや、今の俺から見るとお姉さんに、俺は心から感謝した。

 

「ほんとうに、ありがとうございます」

「いいよいいよ。ボクも楽しませて貰ったから」

「…………?」

 

ちょっと言っている意味が分からない。

 

「君の体を拭くときに、いろいろと興味深いことが分かったんだ」

 

お姉さんはニコリと笑った。いや、その……その笑顔の意味は何でしょうか。

 

「あぁそうだそうだ。自己紹介がまだだったね」

 

お姉さんはこちらの心中不安を微塵も感じていないようなそぶりで、やはり明るい微笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。

 

「ボクは白露型駆逐艦2番艦〝時雨〟だよ。よろしくね。君の名前は?」

「…………あ……れ……?」

 

全身の血が凍りついた。

 

時雨お姉さんの自己紹介の意味がわからないというのもある。

 

でもそんなことより、もっと、根本的に、気にかけていてもおかしくないことに俺は今まで気付いていなかった。

 

とたんに胸が苦しくなり、喉が急激に呼吸を阻む。

 

俺の名前は、何なんだ。

 

 ○

 

数分後。

 

部屋の中には、裸でベッドに座っている男児がいた。俺だ。

 

時雨お姉さんが晩ごはんを持ってきてくれるというので、俺はその言葉に甘えて部屋で待つことにした。

その間にジャージを着ようとしたら、あろう事か手伝うと言いだしたので、流石にそれは断った。

 

これくらい一人で出来る。

 

「…………」

 

と思っていたが出来なかった。

 

思うように手足が動かせない。

 

脱水症状と熱中症が悪かったのか、包帯の巻かれた足にそっとズボンを通そうとして同じ穴に足が両方入ってしまい、しかも抜けなくなった。

 

仕方がないので上を着ようとしたら今度は袖の所に頭が入ってしまい前が見えず、そのまま腕まで絡まった。

 

回復したと思っていたが、幼い体であれは深刻なダメージだったらしい。思いどおり手足が動いてくれなかった。

 

よく考えれば、というか考えなくとも、目覚めた時点で目も開けられない状態だったのに回復できているはずがないだろう。

 

もぞもぞと芋虫のように動く。

手足が余計に動かせなくなる。

 

結局このジャージ迷路からは脱出できそうに無かったので、とてつもなく恥ずかしいが時雨お姉さんを待つことにする。

 

…………以前の、高校生になるはずだった俺から見れば彼女は年下だが、今のこの体からはもうそんな風には思えない。

 

人間の適応能力とか、アイデンティティとでも言うのだろうか。

 

他人から見た自分の容姿が幼かったら、例え中身が高校新入生だったとしても振る舞いや考え方の節々で見た目相応の行動をとってしまう。

 

つまり下半身のあそこだけが露出して、体の上下に衣服を絡め付けた男児がベットで転がってもぞもぞしているという現象が起きても、何とか言い訳が出来ると思う。

 

違うか。違うな。

 

「な、なにしてるのさ」

 

クスクスという小さな笑いと共に、時雨お姉さんは部屋に戻ってきてくれた。

 

「だから手伝うって言ったんだよ。まだ思い通りに動けなかったでしょ?」

「はい……」

 

ぐうの音もでない。

 

「よい、しょっと。はい、これでいいかな?」

 

手際よく服の袖を通してくれて、足の方も、裾が大分長いがちゃんと腰の位置までズボンをあげてくれた。

恥ずかしさで耳まで赤くなっているのがバレなければいいけれど。

 

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ。無理もないからね」

 

顔が赤いのは見破られていた。

あそこを間近に見られていたことが恥ずかしかったのだが、どうやら芋虫状態になっていたことが恥ずかしいのだと勘違いしてくれた。

 

いやどちらも羞恥の極みだが。

 

時雨お姉さんの持ってきた料理はおかゆだった。

湯気が出ている。

中に緑色の葉っぱが小さくなって入っているから、ほうれん草か何かだろう。

 

体に良さそうだ。

 

俺はベッドに座ったまま、おかゆへと手を伸ばした。

すると、

 

「服も一人で着られないのに、御飯が一人で食べられるとは思わないな、ボクは」

 

おっしゃるとおりで。

時雨お姉さんはニコニコしながら、スプーンでおかゆを掬うと、何度かふーふーと息を吹きかけて冷ました上で,俺の口まで運んでくれた。

 

照れるような気恥ずかしいような気持ちが最初はしたが、それよりも二日ぶりの食事は涙が出るほど美味しかった。

 

「ふふ、泣かなくてもいいじゃないか」

 

…………本当に泣いてしまっていたらしい。

 

濃いめの味付けは、きっと熱中症で失っていた塩分を摂るためだろう。

ほうれん草が入っている理由は分からないが、やっぱり体のことを考えてくれているのだろうか。

 

底知れない優しさを感じ、目からあふれる涙を止めることが出来なかった。

生き延びた安堵もそこに上乗せされている。

 

「とても、とてもおいしいです」

「よかった。あとで提督にそう伝えとくよ。提督が作ってくれたんだよ、このおかゆ」

 

時雨お姉さんが作ったわけではないらしい。そして、作り主の名前に違和感を覚えた。

 

「ていとく……?」

 

聞き覚えのない単語だった。

 

「そう。ボク達のリーダーとか司令官、と言った方が分かりやすいかな」

「あの、それなんですけど」

 

さっきの自己紹介の時に気になったことだ。

 

俺自身のことについては、また後で相談してくれるらしい。

記憶のない事実に取り乱しかけたが、時雨お姉さんは「大丈夫、大丈夫」と慰めてくれた。

 

もう落ち着いたから話をしてもいいような気がしたが、タイミングがいいので時雨お姉さんの事について質問をしてみる。

こちらも気になっていたことだ。

 

「さっき言ってた〝駆逐艦〟って、あれ軍艦のことですよね?」

「うん。そうだよ」

「時雨お姉さんは、軍艦なんですか」

「うーん……」

 

なにか困ったような表情を浮かべた。

 

「ボクは、というかボク達は艦娘っていうひとつの役割を与えられた人間なんだ」

「かんむす?」

「そう。聞いたこと、ないかな?」

 

ない。

 

駆逐艦と言う言葉はこの世界に来る前に何度か聞いたことがある。たしか社会の、歴史の授業だ。

 

でも〝艦娘(かんむす)〟なんて言葉は聞いたことがない。

 

「なんなんですか、艦娘って」

「うー……ん。今ここで詳しく教えてあげてもいいんだけどね。たぶん、提督から話を聞いた方がいいと思うんだ」

 

言えない事情があるという風な感じではなく、どう説明すると分かりやすいだろうかと考えた末に、その〝提督〟から話を聞いた方がいい、といったニュアンスだった。

 

なぜかは分からない。この世界のことなのだから誰でもいいんじゃないかなとは思ったが、これだけお世話になった彼女がそう言っているのだから、やっぱり何か考えがあってのことだろう。

 

時雨お姉さんは、残りのおかゆも全て食べさせてくれて、食べ終えると俺は両手を合わせてごちそうさまをした。

 

「提督との話はまた明日にしようか。今日はもう体を拭いて寝た方がいいよ」

「はい」

「それじゃ、ちょっと待っててね」

 

言うと、時雨お姉さんは空の食器を持って部屋から出て行った。

 

それにしてもだ。

 

「提督、艦娘、駆逐艦…………?」

 

艦娘というのが何かはよく分からない。

 

ただ、司令官、駆逐艦といった軍事用語が出た時点で、あまり穏やかな世界の話ではないような気がする。

 

もしかするとここは戦場で、彼女は兵士で、俺は捕虜か何かと間違えられているのかもしれない。

 

いや、捕虜はないか。

だったらあんなに手厚い看護はしてくれない。

捕虜のために傷の手当てをして、自室のベットを貸して、あげく体まで拭いてくれる。

そんな都合のいい戦場はないだろう。

 

そこまで考えて、ふと、部屋を出る前の時雨お姉さんの言葉を思い出す。

 

――――体を拭いて……寝る、だと。

 

耳まで羞恥の色に染まったのと、湯気の出ているお湯に柔らかそうなタオルを手にした時雨お姉さんが部屋に帰ってくるのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ノーマル時雨は瞳の色がブルーなんですね。


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第二話 俺は誰で、彼女は英雄

この物語の作者は、世界史のクソかっこいい雰囲気も大好きです(宣言)
一番は時雨お姉さんですが。


 翌朝。

 

ベットの上で目を覚ます。

隣を見るが、そこには誰もいなかった。

 

昨晩あの後、体を拭いた時雨お姉さんは「ここはボクのベッドでもあるからね」と言いながら俺を抱き寄せ、あたかも抱き枕のようにして眠りに就いてしまった。

 

彼女の腕にすっぽりと収まってしまう今の自分の体の小ささにも驚くが、思いのほか恥ずかしさを感じなかったのにも驚いた。

 

ここに来る前の俺なら、きっと鼻血の1、2Lは出していただろう。

 

代わりに、例えようのない安心感があった。

母親の腕の中は、あんな感じだったのかもしれない。

 

今彼女がいないのは、おそらく早朝ランニングに出ているからだ。

彼女があのとき走っていなかったら今頃俺は干からびていただろう。

感慨深いものがある。

 

足の傷を庇いながらベッドから降りる。

 

赤ジャージのズボンはだいぶ丈が長く、腕の方もかなりの長さが手先からだらんと垂れている。

 

はたから見れば、子どもがイタズラで着ているように見えるだろう。

 

窓枠の側に立つために、ズボンの裾をたくし上げながら歩く。

 

包帯を巻いた左足からは僅かだが痛みが出始めていて、ひょこひょことした足取りになってしまう。

痛み止めが効かなくなってきているのかもしれない。

 

ただ、めまいがせずちゃんと立てているところを見るに快調に向かっていると思われる。

 

木枠にはまった透明なガラスの向こうには、太陽が半分よりも大きめに顔を出していた。

 

一言で言って綺麗な景色だ。

 

しかし窓枠に背が届かない。背伸びして、半ばぶら下がる形になってようやく太陽が拝めている。

 

腕が疲れたので一旦地に足を付ける。

枕元に返ってきて、小さなテーブルの上に置いてあるボトルを両手で掴む。

 

昨晩作ってくれたスポーツドリンクの残りだ。

片手ではどうにも手が小さすぎて掴みにくい。

不便だが体のことを言っても仕方がないだろう。

 

ややぬるくなったそれを飲み、まだ少し残ったままにして蓋を閉めて、テーブルに戻す。

そのままベッドへとごろんと転がった。

 

昨日は気付かなかったが、このシーツには時雨お姉さんの臭いが染み付いていた。

それをかいで興奮するとかならまだ高校生らしいのだろう。変態のようでもあるが。

 

しかし、こみ上げてくるのは安心感と不安だった。

 

残り香をかいで安心するとは一体どういう体なのか。

不安なのは、もしかするとここには時雨お姉さんがいないということを意識してしまうからだろうか。

 

なぜかわからない安心と不安でベッドをゴロゴロしていると、部屋の扉が開かれた。

 

「ただいま。そろそろおきてるかな」

 

シャワーを浴びてきたのだろうか。頭からタオルが掛かっている。

 

時雨お姉さんだ。と思うやいなや、ベッドから飛び降りて抱きついてしまった。

 

「…………おかえりなさい」

 

涙声になっていた。

自分でも驚くような行動だったが、時雨お姉さんはさらに驚いたようだった。

 

「ど、どうしたんだい。そんなにさみしかったの?」

「たぶん……」

 

何も言わず、ただ優しく時雨お姉さんは頭を撫でてくれた。

 

頭二つ分ほども身長差がある俺と時雨お姉さん。

彼女の胸に耳がくっつき、そして聞こえてくる心音はとても穏やかなものだった。

 

 

「朝ご飯にしようか」

 

ジャージから制服に着替えた時雨お姉さんは、洗濯するジャージを抱えながら俺に振り返った。

 

俺も答える。

 

「お腹が空きました」

「だよね。ボクも空いたよ。そろそろ出来てる頃だろうし下の食堂に降りようか」

「はい」

 

そう言うと時雨お姉さんは左手にジャージ、右手に俺を抱えて部屋から出ようとした。

 

「あの……」

「なんだい」

「なぜ、だっこするのですか」

「痛み止めが効かなくなってくる頃だし、階段はその傷で降りると危ないよ」

「ひ、一人でも降りられます」

「ダメだよ」

 

ささやかな抵抗むなしく、俺はだっこされたまま階段を下りていった。

 

程なくして洗濯室の前に来る。

左の脇に抱えたジャージをカゴに入れた時雨お姉さんは、そのまま俺を降ろさず、食堂へと入っていった。

 

「座ってて」

 

背もたれ付きのイスに座わらされ、待てと言われたのでそのまま待つ。

時雨お姉さんはトレイを二人分取って、受け取り場所から食事を受け取った。

 

それを視界の端で捕らえながら、俺は辺りを見回す。

 

この建物、この食堂に来るまでで分かったことが二つある。

 

一つは木造と言うこと。

田舎の小学校なんかがイメージに近いだろう。

この食堂も例外なく木造で、イスとテーブルが並んでいる。

イスはプラスチック、机は木製だった。

 

分かったことの二つ目はこの建物が2階建てと言うこと。

まぁこの二つが分かったからと言って、たいしたことではないのだが。

 

この建物があるのは俺が目覚めて死にかけていたあの浜辺とそう遠くない場所にあるというのも、今朝分かったことだ。

 

時雨お姉さんがランニング出来るくらいの距離にあるのだから間違いないだろう。

 

そうこう考えている内に、二人分のトレイを持って時雨お姉さんが帰ってきた。

トレイには肉じゃがと白ごはん、味噌汁、キュウリの漬け物、あとプリンがのせられていた。

 

「「いただきます」」

 

二人そろって合掌。

 

箸を持ち、味噌汁を啜った後に肉じゃがに手を付ける。

うん。ちゃんと手は動くので心配ご無用のようだ。

 

時雨お姉さんも同じ事を気にかけていたようで、ちらちらとこちらを見ていたが、安心したのか自分の漬け物をぽりぽりと噛んでいる。

 

味付けはやや濃い。

昨日の話を思い出す。

もし彼女が軍人なら、体を動かすのが仕事である。

 

ならば自然と、カロリーと塩分をしっかりと取れるような食事が配給されるはずだろう。

事実今朝も時雨お姉さんはランニングに出ていたのだから、この濃い味付けの説明は十中八九ただしい。

 

美味しい朝食が冷める前に食べ尽くしたかったのだが、この幼い体はあまり量を必要としていないらしい。

 

半分ほど食べたところで箸が進まなくなってしまった。

 

せっかく作ってくれたものを残したくはない。

誰が作ってくれたのかは分からなかったが、そんな失礼なことは出来ないと、心では思うが箸が進まない。

 

そんなときだった。

 

「お腹がいっぱいになったら、残してしまってもかまいませんよ」

 

ゆっくりと落ち着いた、気品を感じる声だった。時雨お姉さんよりも年上の声。

 

後ろを振り返ると、見たことのない女性が割烹着で微笑んでいた。

その手には食事ののったトレイ。

 

皿には山が出来ていた。

 

「お隣、よろしいですか?」

「あ、はい! もちろんです」

 

一礼して女性が席に着く。

 

山の正体は白いごはんと肉じゃが。

 

あ、ジャガイモが落石した。

 

「珍しいね扶桑。いつもは厨房ですますのに、どうしたんだい?」

 

時雨お姉さんが箸を止めて聞いていた。

この女性は扶桑と言うらしい。

 

「お客さんが重体だと聞いていたので心配していました。ですが、回復されたようで安心です」

 

俺を見て微笑む。

儚さと美しさの入り交じった笑みだった。

 

俺を見るために、わざわざ隣まで来てくれたらしい。

 

扶桑と呼ばれた女性は席についても箸を持たず、俺の方へ向き直って口を開いた。

 

「扶桑型戦艦1番艦、〝扶桑〟です。よろしくお願いしますね」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 

俺も慌てて箸を置き向き直った。

お辞儀をした視界の端で、時雨お姉さんがニコニコとしながら言っていた。

 

「この料理、作ってるのは扶桑なんだよ」

「お口に合えば良いのですが……」

 

自信なげに言う扶桑。

 

とても美味しい旨を伝えたのだが、なにぶん量が多かったことも正直に伝える。

 

嘘を言っても仕方がない。毎食たびに申し訳ない気持ちになったりさせてしまうのは双方望ましくないことだろう。

 

すると扶桑は「いただきますね」と一言告げると、俺のトレイからプリンを残して、後のものは全て自分のトレイにおいてしまった。

 

プリンを残したのはきっと俺に食べてもらうためだ。

俺の容姿から判断してのことだろう。嬉しい。ありがたくいただきます。

 

その後、俺は遠慮なくゆっくりとプリンを食べ始めた。

上品な甘さが口に広がる。

 

カップが空になった時、時雨お姉さんも食べ終わったようだ。

 

扶桑…………いや、扶桑さんは、俺がプリンを食べ終えるよりも早くに、トレイ上の全ての料理を胃袋におさめていた。

 

 

 

 

一体あの細いお腹のどこに、あれほどの山が入ったのか。

そしてなぜあんな神隠しが出来たのか。

山が消えた、一瞬で。

 

心底疑問に思ったので時雨お姉さんに聞いてみると、

 

「扶桑は戦艦だから」

 

と返ってきた。

 

意味が分からないので考えないことにしよう。

 

程なくして朝食を終えた俺と時雨お姉さんは、一旦自室に帰ることにする。

 

扶桑さんは一足先に、食器を洗うからと言ってまた厨房へと戻っていった。

俺達も部屋へ行こうと言ったら、再び時雨お姉さんにだっこされて、こうして部屋へと帰ってきた。

 

「あの、時雨お姉さん」

「なんだい」

「ここには、俺と時雨お姉さんと、扶桑さんしかいないんですか?」

「あと提督がいるよ。今は……そうだね。ボクを入れて四人しかいないね」

 

一体ここが何の施設なのかは結局分かっていない。

 

扶桑さんは自分のことを戦艦だと言っていた。

 

時雨お姉さんが駆逐艦。

 

じゃあ、やはり彼女たちは軍艦なのだろうか。

それが彼女たちの言う〝艦娘〟なのだろうか。

 

だとするとここは軍の施設、基地とか拠点だと思うのが妥当だろうか……。

 

分からないことだらけだが、少なくとも今は、俺の命の心配はないと思われる。

 

彼女たちは味方のようだし、俺のためにおかゆを作ってくれたという〝提督〟も、殺すような相手にまさかそんなことはしないだろう。………たぶん。おそらく。

 

しないよね?

 

物思いにふけっていると、時雨お姉さんから声をかけられた。

 

「いろいろと気になるみたいだね。提督もそろそろ朝食が終わってるだろうし、任務消化の前にちょっと訪ねていこうか」

 

俺は頷き、今度こそ言う。

 

「一人で歩きます」

「ダメだよ」

 

無念。

 

 

その扉は執務室、と書かれていた。

 

この向こうに提督が、もとい司令官がいるのだろう。

 

軍隊のお偉いさんだ。

彼女たちが言うに〝戦艦〟〝駆逐艦〟を我が手に収めて指揮を執る人物が、この扉の向こうにいる。

 

どんな怖い人なのだろうか。

厳ついおじさんか。社会の教科書の写真みたいなあんな感じの。

 

多分そんな気がする。

 

時雨お姉さんは一度俺を床に降ろすと、服装を正し、髪の乱れを整える。

 

整えなければならないほど彼女の黒髪が乱れているわけではないが、今一度左肩に垂れている三つ編みを気にして、息を吸い、そしてドアをノックした。

 

二度、コンコンと鳴らす。

いい音でなった扉の向こうから

 

「どーぞー」

 

と声がした。

 

…………? 女性?

 

「失礼します」

 

時雨お姉さんの声と共に開かれた扉。

その向こうには、背の高い女性が立っていた。

 

白い学ランのような服装。

 

胸にはたくさんの勲章が付いている。

 

髪は透き通るように白く、長い。腰の位置まである。

 

目鼻立ちは深く整っており、右目に黒い眼帯を付けていた。

 

妙齢だが美しかった。

 

そして、凜とした声を張って、彼女ははっきりと名前を名乗った。

 

「ホレーショ=ネルソンだ。宜しく頼むぞ少年」

 

 

右手と右目のない美しい女性は、左手で敬礼してニコリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




~明日に役立つ歴史解説(※個人差があります)~

フランスの英雄、あのナポレオンは皆さんご存じでしょうか。

彼は陸での戦いにおいて右に出る者はいないほどの最強チートっぷりでした。

陸のチートキャラがいれば海のチートキャラもいます。

そのナポレオンの海洋進出を阻み、「もしこのトラファルガーの海戦で負けたらイギリスは終わる」という状況でそれを阻んだのがイギリス最大の英雄、隻眼隻腕の提督こと「ホレーショ=ネルソン」です。

世界史のテストには先ず間違いなく出て来ますね。

ネルソン提督は、フランスとの戦力差が圧倒的に不利な状況(実質倍率は2倍近い戦力差)にもかかわらず「トラファルガーの海戦」で圧勝し、ナポレオンによる海洋進出を防衛、イギリス史上最大級の危機を乗り越えました。

ただネルソン提督、この戦いで亡くなっています。


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第三話 俺は俺で、彼女はネルソン

「座りたまえ」

 

ネルソン提督は俺を応接室に通すと、ソファを進めた。

俺は遠慮せずに座らせて貰う。

 

正直、サイズの大きなジャージに足のケガがあわさって長くは立っていられなかった。

そう言えば痛み止めがきれてきたのを今更ながら思い出す。痛い。

 

時雨お姉さんは席を外せと言われていた。

その際いくつか指令を出されたようで、短く返事をするとどこかへ向かっていった。

 

「では、何から話そうかな」

 

目の前の女性――――右手がなく、右目も眼帯を付けているこの女性は、確かにかつてのイギリスの英雄、ホレーショ=ネルソンの名を名乗った。

 

俺は疑問をそのまま口にした。

 

「あなたは、あのネルソンさんなんですか?」

「君の言うあのってのがどのネルソンを指すのかは分からないが、私はイギリスのネルソンだ」

 

女性が胸を張った。結構大きい。そのまま続ける。

 

「英国のために死力を尽くせたことを誇りに思っている。できればもっと尽くしたかったがね」

「トラファルガー海戦で、命を落とされましたか?」

「あぁそうだ。なにやら私の死体は酒の樽に入れられて本国まで持ち帰られたと聞いたよ。確かコニャックだったかな」

 

ネルソン提督は楽しそうに笑った。

 

間違いない。

 

教科書に出て来たとき、このホレーショ=ネルソンがいかに凄い人物であったかを社会の先生が熱弁していたから、よく覚えている。

 

歴史上の人物が、今ここにいるのだ。

 

「ですが、ネルソンは男じゃありませんでしたか……?」

 

次なる疑問をぶつける。答えはすぐに返ってきた。

 

「私はもちろん男だったよ。神様がこの世界に降ろすときに『もう不倫しないように』って願いを込めたんだよ」

「不倫?」

「不倫の意味が分からないかね」

 

ネルソン提督はカラカラと笑った。

 

バカにしないで下さい、と言おうとして今の自分が小学校低学年、悪ければ幼稚園児に見えるということを思い出す。

 

そんな幼子が知っているはずのない言葉ではあった。だが、

 

「いえ、知っています」

「だろうね」

「…………?」

 

だろうね? どういう意味だ。

 

「私はね、不倫して子供まで作ってしまったんだよ。悪いことだとは思っているが後悔はしていない」

 

悲しそうな顔になる。

 

もしかすると、生まれた子供の成長が見られなかったのかもしれない。

この人の表情はコロコロ変わるな。

 

そんな事を考えた矢先、ネルソン提督の顔から表情が消えた。

 

いや口元は笑っているが、目が笑っていない。左目から陽気な光が失せている。

 

「…………君は、どこから来たのかね。そして何者なのだ」

 

心臓の鼓動が早くなった。

 

――――言っていない。誰にも言ってないはずだ。俺がたぶん、この世界の人間では無い、などと。

 

本当のことを言えばいいのか、それとも言ってはいけないのか思案しようとした瞬間、ネルソン提督は釘を刺した。

 

「私だって普通の人間では無いぞ。よそ(異世界)から来た。この世界に来て約六十年が経つが、この体は少しも老いを見せない。君だってきっとそうだろう。あとになって〝あの時ちゃんと言っていれば〟なんて後悔しないように、よく考えて言葉を選びたまえ」

 

捲し立てて嘘をつくなと言っている。

 

ならば、正直に言う他なかった。

 

「わかりません」

「…………へ?」

 

ネルソン提督は固まった。

睨んでるわけでも、疑うわけでもなく、ただひたすら固まっていた。

 

 

 

 

応接室には二人の人間が座っている。

 

ひとりは長い白髪の長身の女性で、右手と右眼がない美しい人。

もうひとりは、ちんちくりんの体にサイズの合わないジャージを纏った幼児。つまり俺だ。

 

ネルソン提督はしばらくして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……え……わからない?」

「はい。俺が誰で、どうやってここに来たのか、少しも思い出せません」

「自分の名前は?」

「思い出せません」

「もとの性別は」

「男です」

「年齢は」

「15歳でした」

「うーん」

 

何に対して唸ったのか、ネルソン提督は形のいい眉を寄せ、左手を顎に当てて考える。

 

そのまま少し時間が過ぎて、彼女は俺の目を見ながらおもむろに言った。

 

「嘘は言っていないようだね。そうか、何となく納得できるよ」

「何がですか」

「君が記憶を、部分的に失っている理由」

 

ネルソン提督はニコリと笑った。

人当たりの良い笑顔だ。

 

知っているなら教えて欲しい。

なぜ俺は記憶がないのか? 

 

いや、全然無い訳じゃない。

言われたとおり、部分的には覚えている。

 

どうして自分の名前が思い出せないのか。

 

名前が思い出せないのは不安だった。だから知りたい、理由があるなら。

 

笑顔を向けている今のネルソン提督なら、きっと教えてくれる。

 

「ぜひ教えて下さい」

「だめだ」

 

一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

 

ダメ、と。

 

そう言われた。

 

なぜだ。この流れなら教えてくれるのが自然なんじゃ……。

 

「…………」

 

あまりにも俺がショックを受けた顔をしていたのだろう。

見ようによっては泣きそうな顔だったのかもしれない。

 

ネルソン提督は慌てたように左手を振り「ちがうんだ」と弁明した。

 

「君はまだこの世界のことを何も知らない。そんな状況で今君の身に起きていることを説明しても1割も理解出来ないだろう」

 

提督は続けた。

 

「まずは少しずつ環境に慣れて欲しい。ここがどういう世界で、どういったことになっていて、そしてその上で君がしなければならないことを教えよう」

「俺自身におきていることを教えてはくれないんですか」

「今すぐには無理だが、ある程度時間をおいたら話してあげよう。なに、急ぐことでもないぞ」

 

ニコニコ笑うネルソン提督。

本当にこの人の表情はよく変わる。

 

名前が思い出せないこと、いやそれ以外にも忘れていることがあるのだが、それら全てを含めて忘れていることそのものが不安だった。

 

たまらない。誰かに理由を教えて欲しい。

 

出来ることなら失った記憶を取り戻したい。

 

そんな俺の思いを知ってか知らずか、ネルソン提督は何かに気付いたらしい。

あとで教えてくれるというのだから、頼ってしまっても良いと思った。

 

自分が何者か分からないという不安は残ったが、少なくともまだ何かを知るには猶予があって、ネルソン提督の決断にゆだねてもそれは大丈夫なのだろう。

 

全く根拠のない信頼を寄せることになる。

しかしここで頼れるのは、会ったばかりのこの人と、そして時雨お姉さんぐらいである。

 

頼らざるを得ない。

というより、頼れる相手がいる事が嬉しかったし安心もした。

 

そう思うとホッと胸のつかえがとれて、同時に、左足に痛みが走った。

 

「痛ッ……」

「ん? おお、例の怪我か。どれ、見せてみなさい」

 

ネルソン提督は立ち上がる。身長が高い。

 

腰まで伸びた綺麗な白髪を、左手一本で瞬時に後ろでまとめくくった。

手慣れた手つきだった。

 

俺の足下まで来てからしゃがみ、長いジャージをめくりあげる。

 

「ずいぶんと大きなジャージだな」

「時雨お姉さんのです」

「ははは、時雨がお姉さんか。確かに、今の君から見たら彼女はお姉さんだな」

 

身体年齢5~6歳からすれば、どんな女性もお姉さんである、とネルソン提督は付け足した。

巻いていた包帯を丁寧に外す。

 

傷口を見て、

 

「んーこりゃ跡が残るね」

「べ、別に足の裏なんですから気にしませんよ」

「まぁそうだな」

 

と言って、近くの戸棚から救急箱を取り出した。

 

「痛み止めがきれてるだろうからこれを飲んでおきなさい。それと、ちょっと染みるよ」

 

水無しで飲める錠剤を口に入れてもらい、足には消毒液を拭きかけられた。

 

予想以上に染みて涙がこぼれた。

痛い。すごく痛い。

 

「大丈夫だいじょうぶ。男の子だろう?」

 

ネルソン提督が励ますように言う。

その口調は、明らかに、確かに、幼児を励ますそれだった。

 

「お、れが、15歳だったってこと、忘れてませんか」

 

涙をボロボロ流しながら聞いてくる男児に対して、ネルソン提督は答えた。

 

「どれだけ前の世界で15歳だったとしても、残念ながらもう君は15歳ではない。今の私が男の振るまいが出来ないのと同じようにね」

 

 

包帯を取り替えて痛み止めが効き始めてから、俺は応接室をあとにした。

脇には一冊の古いノートを抱えている。

 

ネルソン提督がこの世界に来た時にまとめ上げた、この世界に関する大まかな情報らしい。

 

それはつまり六十年ほど前の情報と言うことになるのだけれど。

 

色あせたノートを抱えて、二階へ通じる階段の下で立ち止まる。

 

…………さて。

 

二階に時雨お姉さんはいない。

今は任務とやらで出かけているらしい。

ならばこの階段を苦労して上がっても、部屋にカギが掛かっているかもしれない。

 

ネルソン提督はこれから本格的に仕事なので、午後の五時までは執務室に入ってはいけないと言われた。

 

当然だ。彼女は軍人で、多分相当偉い人だ。

ちょっとそんな風には見えないが。

 

とりあえずこのノートを見てみたい。

 

ネルソン提督は「これ見たら大体分かるから明日にでも君のことを教えてあげてもいいんだけどね」とウィンクしていたが、本当だったとしたら何と薄い内容の世界なんだろうか。

 

どうかそんな事はありませんように。

 

「どこで読もうか」

 

この建物を散策して、読み場所を探すには足がもたない。

 

そんなとき頭の中で今朝の光景が映し出された。

食堂だった。そうか、行ってみよう。

 

 

食堂は開いていた。

誰もいないらしい。

 

イスは全てテーブルの上に跳ね上げられていて、しんっと静まりかえっていた。

 

近くのテーブルのイスを降ろす。

座って、だいぶ疲れた足の筋肉をもみほぐし、ノートの最初のページをめくった。

 

 ○

 

日記のような形式と、たぶんネルソン提督の描いた絵だろう。

それが時々挿絵として入ったノートは、一言で表すなら『敵図鑑』だった。

 

提督の絵は結構上手かった。

 

この世界は深海棲艦というものがいるらしい。

そいつらは人間が我が物顔でジャブジャブしていた海を乗っ取り、同じようにジャブジャブしだした、と書いてある。

ほんとかよ。

 

私(ネルソン提督のこと)が死んだ約二百年後の軍事力を持ってしても対抗できず、ついには人間のジャブジャブする海域は完全に失われてしまった、と。

 

そしてまるで救世主のように誕生した対抗手段、それが〝艦娘〟だった。

 

艦娘は、正確には元々人間の女性で、適正反応を示す〝艤装〟を付けた人物を言うらしい。

 

生まれたときに与えられた名前を捨て、〝艤装〟の一部、または宿り主として生まれ変わるそうだ。

 

〝艤装〟が機械に近いがために、彼女たち自身の寿命はほぼ永久的らしい、とも書かれている。

 

らしい、となるのはたぶんネルソン提督自身が調べたわけではないからだろう。

 

また彼女たちの豆鉄砲はなぜか深海棲艦にとどき、なぜかダメージを与えられ、そしてなぜか沈められる。

 

豆鉄砲と書いた下には矢印がしてあり、軍艦の大砲のような、でもちょっと違うかんじの何かが描かれていた。

たぶんこれで戦うのだろう。

それにしても豆鉄砲とは……。

 

おおよそその先は、様々な敵の特徴や行動パターンなどが解説図付きで書かれていた。

 

深海棲艦についても、艦娘についても大体分かってきたと思う。

 

昨日からお世話になっている時雨お姉さんや扶桑さんも艦娘だと言った。

人間の海での自由のために、今も戦っているのかもしれない。

 

ノートの最後の方にはこう書いてあった。

敵の出没パターンは三十年経っても特定できない。

なにかこちらの航行に関して歪みがあるようにも思える。

 

どういう意味だろうか。

 

〝航行に関する歪み〟ってのが引っかかる。

今日の夜直接聞いてみよう。

 

 ○

 

お昼時になると、食堂でノートを見返していた俺の所に、わざわざネルソン提督が来てくれた。

左手のトレイにはお湯の入ったカップラーメンが二つ。

 

「何かわかったかい」

「深海棲艦と艦娘については大体分かりました。ネルソン提督は大変な仕事をされているんですね」

「ははは……まぁ、この世界に来る以前に比べればたいしたことはない。実際に戦場に出るのと、無線で司令室から指示を出すだけなのとでは全然ちがうだろう」

 

ネルソン提督の生きていた時代に無線はない。

確か旗を揚げて連絡を取っていたはずだ。

そう思うと技術は進化したのだろうな。

 

「もう食べてもいいと思うぞ。どっちがいい」

「ど、どちらでも」

「じゃあ私は醤油で」

「……ネルソン提督、どちらも醤油なのですが」

「一度やってみたかったのだよ」

 

なんなんだこの人は。

 

そういえば、提督自らがこうして料理(?)をして持ってきているが、他に給仕の人とかはいないのだろうか。

 

今朝も、艦娘自らが作って食べていたことになる。

その疑問を聞いてみた。返ってきた答えは簡潔だった。

 

「そりゃ人がいないからな」

「派遣とか雇ったりとかしないのですか」

「しないしされないな。全部自分たちで何とかするんだよ。物資は送られてくるから食うに困ることはない」

 

そういうものなのだろうか。

 

軍の食事は、そのまま兵士の士気に関わる。

兵士自らが炊事をするなどよっぽど最前線じゃない限りあまり考えられない。

 

ここが最前線だとしたら、司令室を離れてのんびり麺をすすってるこの女性は相当の無能だろう。

そうとは思えない。

 

「どうしてそんなに……人手不足なんですか?」

「いや、ちがう。大体の原因は私にある」

 

どういう意味だろうか。

 

「私はこう見えても、軍の中でも上の方にいる立場なんだ。もうかれこれ六十年近く活躍し続けているからな。一歳も年を取らずに」

「はい」

「考えてもみろ。年功序列式の軍上層部に、不老で天才のピチピチギャルが居座ったらどっかに飛ばしたくなるだろう」

 

ピチピチギャルにはあえて突っ込まない。

 

「なるほどそう言うことでしたか」

「でも私が使える人材だということは変わらん。そこで、物資は送るが戦力と人手は最小限という素敵なリゾートの完成だ。因みにこの島は結構大きい。名前はないがな」

「どうやってお仕事をされるんです? 戦力がないのに戦争は出来ないんじゃ」

「君はここの艦娘に何人会ったかね」

「二人です。時雨お姉さんと扶桑さんの二人」

「まだあと五人いるからな。総勢七名の精鋭だよ」

 

そう言ってネルソン提督はニヒルな笑みを浮かべ、上手そうに麺をすする。

 

飲み込んで、スープを飲み、一息ついて俺を見ながら自慢げに言った。

 

「いろんな艦隊からハブれて集まって繋がった、最高精鋭の寄せ集め艦隊だ」

 

 ○

 

昼ご飯を終えると提督は執務室兼司令室に帰っていった。

結局〝航行の歪み〟については聞き逃したが、まぁ今日の晩に聞くとしよう。

 

それにしても気になることが増えた。

 

まだ知らない五人の艦娘達。

彼女たちはいま作戦中でしばらく帰ってこないらしい。

扶桑さんと時雨お姉さんはその作戦には参加していないから、ここにとどまっているのだと言っていた。

 

そうそう、この建物は鎮守府というそうだ。

 

 

 

 

 

 




やっとの事で少年は、この世界の状態を知ることが出来ました。



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第四話 私の転生Ⅰ

本編の展開が弱いのにネルソン提督の事についても書きたい。ならば本編をすすめながら書いたらいいんじゃない。(無謀)

しかしやってみなければ成長はしないので何事も挑戦。



 

 

夕方。

 

太陽が半分ほど沈んだ頃、扶桑さんと時雨お姉さんが帰ってきた。

 

どこに行っていたのかと聞くと「偵察だよ」と言っていた。

遠出していたらしい。

 

二人ともやや疲れた表情で執務室へ行き、二言三言ネルソン提督と話をしてから部屋をあとにした。

 

時雨お姉さんが聞いてくる。

 

「そろそろ夕飯時だけど……何が食べたい?」

「選べるんですか」

 

俺は扶桑さんの顔を見る。儚げな笑みからは、

 

「何でもというわけにはいきませんが、大体のものは作れますよ」

 

と返ってきた。お言葉に甘えて、今一番食べたいものを言う。

 

「ハンバーグが食べたいです」

「もちろん作れますよ。材料もあります。すぐに用意しますね」

 

そう言うと小走りに扶桑さんは厨房へ向かっていった。

 

時雨お姉さんは俺をだっこすると、

 

「今日は何かしていたのかい」

「ネルソン提督とお話をしました。あと、深海棲艦と艦娘の事について少しだけ勉強しました」

「そっか。じゃあ、ボク達が今日何をしていたか話すのもいいかもしれないね」

 

ボク達、というのは扶桑さんと時雨お姉さんの事だろう。

今日何をしていたのか。それは気になった。

 

俺を抱えたまま食堂へと向かう。

もうなんだかだっこされることに抵抗を覚えなくなってきた。

 

ネルソン提督の「君はもう十五歳ではない」という言葉を思い出す。

心身一体。体の変化は心の変化。確かによく聞く言葉だが、こんなにも顕著なものなのか……。

 

食堂に着く。床に降ろされたのでイスをテーブルにセットするのを手伝う。全部で四つ。ということは、

 

「時雨お姉さん」

「なんだい」

「今日はネルソン提督も一緒に食べるの?」

「今日は、と言うか夕食は毎日一緒だよ。ネルソン提督がそうしようって言ったんだ」

 

なるほどあの人らしいことだ。

俺はイスに座る。隣に時雨お姉さんが来た。

 

厨房からは、鼻歌交じりに調理をしている扶桑さんと、誰かが話をしているのが聞こえた。

 

気になったので遠目で覗くと、ネルソン提督がフライパンを器用にふるってハンバーグをひっくり返していた。二つ同時にだ。すごい。

 

「提督は料理が好きなんだ」

 

時雨お姉さんも見ていたらしい。

 

「よくああやって扶桑さんといっしょに作ってるんですか?」

「忙しいとき以外はそうだね。今はたぶんそんなに忙しくないんじゃないかな」

 

昼間聞いたときには、この鎮守府から五人の艦娘が出撃しているそうだったが、ほったらかしても大丈夫なのだろうか。

心配だったが、たぶん何の問題もないような気がする。何となくだが。

 

程なくして、時雨お姉さんは立ち上がり、トレイを四つ用意した。

俺も手伝おうと長いジャージをまくり上げたが「座ってて」と言われたのでおとなしくしておく。

言うことはちゃんと聞かないと。

 

時雨お姉さんが両手で二つ、ネルソンさんと扶桑さんが一つずつ持ってテーブルまでやってきた。

扶桑さんの皿には、山になった白ごはんとハンバーグが存在感を放っている。

 

四人全員がそろうと、ネルソン提督以外は両手を合わせ、彼女は左手だけで合掌の形を作っていた。

 

こうしてみると腕が一本しかないのはやや痛々しいが、本人は全く気にしていないようだ。

 

「「「「いただきます」」」」

 

俺も箸を持ち、ハンバーグに突き立てる。

芳醇で濃厚な香りと、あふれ出す肉汁が食欲をそそる。

 

今日は勉強したからお腹が減っているというのもあるかな。

 

「いやあ、相変わらず扶桑の作る飯は旨い」

 

ネルソン提督が嬉しそうに食べていた。

器用にハンバーグを白ごはんの上にのせて食べている。

 

扶桑さんも、添え野菜のニンジンを口に運んで飲み込んでから口を開いた。

 

「それは良かったです。でも提督もご一緒に作ったのですよ。良い焼き加減です」

「かれこれ三十年は美味しい料理作りを目指してたからな。これからも目指す。どうせ不老だし」

 

言いながら美味しそうにニンジンをほおばっていた。

 

俺の隣に座っている時雨お姉さんも、もぐもぐとニンジンを噛んでいた。

三人同時にニンジンを食べているので俺もつられてニンジンを食べてみる。甘みのある、いいニンジンだ。うまい。

 

「そういえば、ボク達が今日何をしていたか聞きたいんだったね」

 

唐突に時雨お姉さんは言った。答える。

 

「はい。偵察って言ってましたっけ……?」

「うん。正確には強行偵察。本土の大艦隊が近いうちに動くらしいから、その航路上の確認だよ」

「大変でしたけどねぇ」

 

扶桑さんが困ったように微笑んでいた。ネルソン提督が続ける。

 

「航路上に運悪く敵の艦隊が集結していてな。すぐさま引き返すようにしたんだが」

「あいつら、ずいぶんとしつこく追いかけてきたんだ」

 

時雨お姉さんが不満げに口をとがらせた。

 

ケガはしていないらしい。

 

たった二人で強行偵察。それが危険なのかどうかは分からないが、ネルソン提督も苦笑いしているからもしかすると危険だったのかも。

 

そんな事を考えていると、ネルソン提督は驚くべき事を口にした。

 

「どうせ航路を確認しても意味がないのにな」

 

チャンスかもしれない。今朝から気になっていることを、このタイミングで聞いてみる。

 

「ネルソン提督、聞きたいことがあります」

「ん? なんだい」

「提督のノートの最後のページにあった〝航行の歪み〟って、何のことですか」

 

ネルソン提督はしばらく答えず、箸を動かしていた。ハンバーグの最後の一切れを飲み込むと、ゆっくりと俺を見て口を開いた。

 

「それを話すなら、私がこの世界で目覚めたところから話さないといけない」

 

左目から陽気な光が消えている。

真面目な時のネルソン提督だ。

 

俺は理由の分からない緊張感を覚え、箸を止めた。

扶桑さんも時雨お姉さんも、箸を止めてネルソン提督を見ている。二人も気になるのだろうか。

 

「…………少し長くなるかもしれん。食べ終わって、お茶でも飲みながらにしよう」

 

 そう言ったネルソン提督の表情に、おどけた様子は感じられなかった。

 

 

 ○

 

 

全員が食べ終え、扶桑さんが人数分の紅茶を用意してくれた。

お茶請けにビスケットもある。

 

「それじゃあ、話そうか。私がこの世界に来たばかりのことは、二人にもまだ話してなかったね」

 

二人……時雨お姉さんと扶桑さんのことか。

 

ネルソン提督と二人がどれ程長く行動を共にしているのかは分からないが、二年や三年といった感じではなかった。

十年単位でいると思ったが、流石にネルソン提督がこの世界に来てからずっと一緒というわけではないらしい。

 

「ボクも知りたかったんだ。何で提督は片手と片目しかないんだろうって」

 

デリケートなところをストレートに時雨お姉さんは聞いた。遠慮がないな。

 

苦笑いしながらネルソン提督は答える。

 

「この腕と目は、この世界に来た瞬間からもう無かったよ。たぶん私の前世の特徴からそのままだったんだろう」

 

ネルソン提督の左目が、遠い過去を見るようなものになった。

 

 

 ――――――○――――――

 

 

波の音がする。

 

波が当たり、弾け、退いていく音だ。

 

磯の香りが強い。

 

何十年とかぎ続けた香りだ。

ここに硝煙の臭いが入ると、瞬く間に戦場の香りだな。

 

…………戦場? まて。私はさっきまで何をしていた。

 

思い出せ、思い出せ!

 

「――――ッ!」

 

勢いよく起き上がる。周りを見渡す。

 

太陽の強い光が目に入り、一瞬視界が真っ白になる。左手で影を作り、辺りを見回す。

 

「…………どこだ、ここ」

 

 三百六十度、全てが海だった。

自分の体は岩礁に乗っかっている。

そこそこ広いもので、わりと平らであった。

 

自分が先程まで何をしていたのか、鮮明に思い出せた。

 

ナポレオンの海洋進出を阻み、イギリスの存亡を賭けた戦いを繰り広げていたはずだ。

戦いには勝利した。銃で撃たれ、甲板に伏して、痛む胸を押さえながら勝利の知らせを聞き、私は……。

 

胸を押さえる。

そこに痛みはなく、代わりに柔らかな感触が返ってきた。

 

「なんだ……これは」

 

胸が、ある。

 

豊満で形の良い胸が、ある。

 

衣服を纏っていない。

何も着ていないが故に太陽の光が容赦なく肌を照りつける。

その照らされた肌は白かった。

 

「…………」

 

言葉を失った。

 

自分の体とは思えない。

ただ、失った右手と右目の視界はそのままであった。

 

左手で右手の肩口を撫でる。やはり右手はなかった。左目を覆い隠すと、自分の視界は奪われ、完全に真っ暗な闇となる。

 

「はぁ……」

 

溜息が漏れた。

うなだれる。

そうすると自分の髪の毛が目の前に垂れてきた。

 

真っ白で、長く、美しい髪の毛だった。

 

「…………」

 

何が起きているのかわからない。

分からないが、もう少し、このまま全裸で岩の上に座っておこう。

 

なんせまだ生きているのだ。

死んでいない。

あれは栄誉の死であったが、こうして体を動かせているのだから、もう少しはのんびりしていよう。

 

命があって悲しむことはないだろう。

 

「それにしても、裸で座るとケツが痛い」

 

凜とした声で発せられた自分の言葉は、おおよそこの声音にふさわしいものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここよりしばらくは、転生したてホヤホヤネルソン提督の話になります。
彼、いや彼女は転生後も海から縁が切れるどころか、海に囲まれての誕生となりました。


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第五話 私の転生Ⅱ

 

 

容赦のない太陽の照りつけと、ごつごつとした硬い岩の座り心地に耐えられなくなった私は、一度海の中へと入った。

 

海水はひんやりと心地よく体を包み込んでくれる。

 

女が、素っ裸で、見渡す限りの大海原の中で海水浴をしている姿を想像するとなぜか笑えた。

そして足の裏に何かがぶつかるのを感じ取った。

 

岩だ。岩礁は海面から飛び出ている部分とそうでない部分があるらしい。

 

片手では泳ぎづらいのでこういった地形は助かる。

足が岩についていれば、不用意に体力を消耗する心配もないだろうし。

 

「さて……」

 

これからどうしようか。

 

見渡す限りの大海原である。

 

文字通り、海以外に何もない。食料も、水も、当然船も。

 

正直言って相当に厳しい状況だ。

水がなければ三日と持たない。

泳いで移動するにも、目視できる範囲では陸地が見えない。

 

満足に泳げない私では、到底ここから移動することは不可能だろう。

 

困った。困ったぞ。

 

考えれば考えるほどに、せっかく生き延びたこの命をこの場で絶つ未来しか見えてこない。

 

…………いや、まだ、そうと決めるのは早いか。

 

そもそもこの体は私の体ではない。

 

背も、筋肉も、器官も、あらゆるものが私でない。

 

47年間を共にした体を今手放して、こうして若い女の姿に変わっている。

 

常識的には説明できない現象が起きているのだ。

まだこれからも、もしかするとそういったことが起きるかもしれない。私の知る常識を覆すなにかが。

 

しかし結局は自分でどうすることも出来ない状況である。

考えるのを止め、なるべく体力の温存に励むとしよう。

 

体が少し冷えてきた。左手と右足を岩の側面に引っかけ、よっ、と声をあげて海から上がる。岩がお腹に当たって痛かった。

 

その時だった。

 

海から上がった直後、私が上がった方とは反対側に広がる海、その、目視できる範囲のギリギリの所に私は何かが浮いているのを見た。

 

最初は漂流するゴミかと思った。

目を細め、岩の上に立ち、左手で左目の上に影を作る。

そうして何となくその浮かぶものが人の頭のような気がして、

 

「そんなわけないな」

 

私は首を振りながら岩の上に寝転んだ。太陽が眩しかったが、若干冷えた体を温めるのには丁度良かった。

 

 

それから五回ほど、暑くなったら海に入り、体が冷えたら岩へ上がりを繰り返した。

 

気付くと太陽は夕日となり、半分ほど海の中へと沈んでいた。

 

海面にきらきらと光が反射する。

光のリングが幾層にもなって海面の道の向こうへ消えていく。

 

幻想的で美しい光景だ。

美味しいワインとチーズがあれば幸せなのだが、ワインどころか水の一滴もない。

 

喉が渇いた。

 

まだ耐えられないほどではないが、半日でここまで乾くものとは思わなかった。

 

思えば船の上では水が貴重なため、温存するように飲んではいたが、それでも、直射日光と潮風にこんなにも長く晒される場所にはいなかった。

 

岩に直接当たる肌も、知らぬ間にやや赤くなっている。

服を着ないことがこれほど過酷とは、なかなか勉強になることだな。

 

夕日を拝みながら岩に寝転ぶ。

 

夜の間は寝ればいい。

月が明るくても、万が一があってはいけないので海には入らないようにする。

潮の満ち引きの心配もあったがこちらは大丈夫そうだった。

満潮でもこの岩場が沈むことはない。安心して寝られる。

 

まぶたを閉じた。

空腹で腹が鳴ったが、何も口に入れられるものはない。

 

 

 

 

夜中に目が覚めた。

 

腹が減っているからだろうか。

 

目を開けて最初に飛び込んだのは綺麗な夜月だった。

満月が少し歪んで楕円形になっているが、明るかった。

 

背中が痛い。私は立ち上がると、少しだけ体を動かした。

 

すぐに腹の虫が鳴ったが無視を決め込む。鳴いたって何もないのだ。あるなら食べたい。

 

再び仰向けになって、もしここから生きて帰れたら何が食べたいかと思案する。

 

美味しいワインが飲みたい。

チーズもあるといいな。

フィッシュアンドチップスも悪くないかもしれない。脂っこいが今は食べたい気分なんだ。

 

左目から涙が出て来た。

 

死ぬことが怖いのか? 

戦場に身を置く男が何を今更。

 

…………いや、もう違うか。

今は戦場にいるわけでもないし、男ですらもない。

 

怖いのだろうな。

自分の気持ちを客観的に見られる自分がいるのだから、まだ余裕はあるだろう。

しかし、刻一刻と迫る自分の死を、何も出来ず、何のために死ぬかも分からず、ただただ飢えと渇きで命を落とす。

 

まだ1日目だ。そう悲観することはないのかもしれない。

 

一滴の水もないと言うことは三日もすれば命が危ういのだから、そんな悠長な状況ではないのだがな。

 

自分の考えを自分で否定し、涙の止め方が分からないまま、私は二度寝にありついた。

 

 

 

 

日の出と共に目が覚める。

 

起き上がると、ほんの少し目の前が歪んだ。

 

一瞬だが平衡感覚を失い、私は座ったまま立ち上がることが出来なかった。

 

まぁいい。

 

立たなければいけない理由もない。

 

このまま座って日の出を拝もう。

 

太陽が海面上に完全に姿を現すと、私はゆっくりと立ち上がる。

 

立てた。しかし、すぐに体中が脱力感に襲われる。

 

今日はもう海に入らない方がいいかもしれない。

 

入っても、岩に上がる力が無ければ、待っているのは海底への片道旅行だ。

 

再び座り、しばらくしてそれもしんどくなり、やがて横になって眠りに落ちた。

 

 

 

 

太陽が照りつける。

 

暑い。

 

目を開けて、ほんの少し体を起こす。

 

ただそれだけの動作で息切れがし始めた。

 

頭が痛い。

 

体を倦怠感がハグしている。

 

まずいと思ったが、そのまま意識を失った。

 

 

 

 

気付かぬうちに寝ていたらしい。重いまぶたを開けようとした。その時だった。

 

『しっかりするでち! 目を覚ますの!』

 

音が聞こえた。

 

おおよそ波の音しか聞こえなかったこの場所に、それ以外の音が聞こえたのは初めてだった。

 

同時に体を揺すられる。

湿っぽかったので、海水に濡れているようだ。

私を抱きかかえる何者かからは、濃い潮の香りがした。

 

ゆっくりとまぶたを開ける。

 

しばらく焦点が定まらなかったが、徐々に、私は少女に抱えられているのだと分かった。

 

幼い顔立ちが近くにある。整ってはいるが、あまり見ない顔の作りだ。何と言うか平べったい。

 

『あ、目を覚ましたでち。はっちゃん、この人目を覚ましたでち!』

『よかった……見つけるだけ見つけて目の前で死なれちゃ、はっちゃん寝覚めが悪いです』

 

私を抱えている少女は、あまり見慣れない髪色をしていた。

 

赤毛を明るく、薄くしたような、言うならばピンク色だ。

海水がしたたり落ちている。海に潜っていたのか?

 

目線だけを、もう一人の方へと向ける。

 

反対側からこちらを心配そうに覗き込んでいる少女は、金髪だった。この髪も、やはり海水に濡れていた。

 

『年は……二十代後半でしょうか。片腕と片目がありませんが、ここでケガをした、という風ではありませんね』

『傷口がふさがってるもんね。髪も長いし、白いよ。不思議な人だけど、何でこの人裸なのでち? 提督指定の水着を無くしたのかなぁ』

『まだ潜水艦と決めるわけにはいきませんよ。そもそも艦娘かどうかも――――』

 

何を言っているのか分からない(・・・・・・・・・・・・・・)

 

聞いたこともない言葉を喋っている。

私は声を出そうとして、しかし乾燥した喉から出て来たのはうめき声だけだった。

 

それを聞いて二人の少女は慌てたように何事かを言い合い、金髪の子が腰に付けた袋から何かを取り出した。

 

『艦娘かどうか分からないけど、もし人間だったら大変です。こんなところで何時間も放置されて、下手したら飲まず食わずかもしれません。ゆっくりでいいからこれを飲んで』

 

中から水の音がする。

 

飲める水だ。私は左手で入れ物を受け取り、口へと運んだ。

 

体中に水分が染み渡る。

喉が潤い、全身の渇きが癒される気がした。

 

もう一口、もう一口と頂く内に、全て飲んでしまった。

 

海の上の水は貴重品だ。

瀕死の状態とはいえ、断りもなく全部飲んだのはまずかったかもしれない。

 

おわびと、だが何よりも、心から感謝の気持ちを伝えなければ。

 

「助かったよ、ありがとう。おかげで命拾いした。全部飲んでしまったが、大丈夫だったかね……?」

 

少女達はきょとんとしている。

 

うすうす気付いてはいた。

彼女たちの言語が私に分からないならば、私の言語もやっぱり通じない。

当たり前のことだろう。

 

言葉が違うことに少女達も気付いたようだ。

あたふたし始めた。

 

『な、何を言ったんでち』

『深海棲艦の言葉じゃないわね。ドイツ語でもないし、もちろん日本語でもない。わからないけど、〝さんきゅー〟って言った気がする』

『じゃあ、英語かもしれないでち。はっちゃん、しゃべれる?』

『無理よ。ドイツ語は出来るけど英語は無理』

『ど、どうするでち。外人さんには言葉が通じないし、このままここに放っておくこともできないよぉ』

『でも私達だけじゃ鎮守府まで連れて帰れないわ。一旦戻って、また来ましょう』

『それ、どうやって伝えるの。通じないのにバイバイしたら、この人置いて行かれたと思うでち』

『それもそうね……でも、言葉ってのは七割がジェスチャーで伝わるって本に書いてあったの。身振り手振りで何とか伝わるかもしれない』

 

少女達がこちらを向く。

私は握ったままの入れ物を金髪の少女へと渡した。受け取った少女はこちらを向いたまま何か言った。

 

『私達は潜水艦娘なので、あなたを陸地までは運べません』

 

自分の胸を押さえたり、私を指し示したりしている。

 

『これから一旦この場所を離れ、救援を呼んできます。少しですが食べ物もあるので食べていて下さい』

 

腰の袋から何か取り出した。

黒い、マスケット銃の弾のような大きさの何かが、透明な袋に入れられていた。こんなものは見たことがない。

 

少女は袋から黒い弾を捕りだし、私の口元へ持ってきた。

 

「い、いやまて。それは食べられるものなのか」

『これは飴と言います。甘くて美味しくて、手頃にカロリーも取れます』

 

何事か言って無理矢理口に突っ込まれる。

 

入った弾は、しかし鉄や鉛とは違って非常に甘かった。

 

大昔に食べたことのある、フランスからの輸入菓子に味が似ていた。

 

心底驚くと顔に出ていたのだろう。少女も満足そうに頷くと、袋を私の傍らに置いた。

 

『好きなだけ食べてくれて構いません。噛んでもいいですが、出来れば舐めていた方がいいでしょう』

「ありがとう。甘くて、とてもうまい。これ噛んでも大丈夫なのか? まとめていくつか食べてみたい」

『気に入ってくれたようで何よりです』

『すごいでち。何話してるか分かんないけどちゃんと話してる気がするよぉ』

 

金髪の少女は立ち上がり、私を抱きかかえている少女の方へと向いた。

 

『さて……。よく考えると、私一人が鎮守府まで帰投し、ゴーヤちゃんはここに残っていてもいいのではないかと思いました』

『え、でも一人だと危ないかもでち』

『戦闘は極力避けます。潜水艦の隠密生を最大限に生かし、全力で鎮守府に帰れば大丈夫よ』

『ゴーヤは何してればいいのー?』

『彼女と話をしてあげて下さい。ずっと独りぼっちでしたでしょうし』

『わかった。上手く通じるか分からないけど、頑張るでち』

『それに、無いとは思いますが深海棲艦に襲われるのも怖いです』

『それはゴーヤ一人じゃどうしようもないでち』

『それもそうですね……なるべく早く、むかえに来ます』

 

金髪の少女は、一度私の頬を撫でてから何かを言った。たぶんさようなら的な何かだろう。

 

振り返り、

 

『では、頼むわね』

『大丈夫でち』

 

少女は海へ飛び込んだ。これから夜になると言うのにだ。

 

「あの子、大丈夫なのか? これから夜になるし、まさか泳いで陸地まで……いや、それより君たちはどうやってここまで来たんだ」

 

周りを見える範囲で見渡すが、船の類はどこにもない。

 

『どうしたの? どこか痛いのぉ?』

「君たちはどこから来たんだ?」

『上はあー言う? お姉さん、下っ端なのでち?』

「……多分通じてないな、これ」

『ちょっと早口で何言ってるかわからないでち』

 

ピンクの髪の少女は私の頭を撫でだした。

 

『綺麗な髪色。これで人間だったら逆にびっくりだよぉ。きっとぜったい艦娘でち』

 

少女はしばらく私の頭を撫でていた。その表情は慈愛のそれだった。

助かったのかもしれない。金髪の子は多分助けを呼びに行ったのだろう。頭がぼーっとして上手く考えがまとまらないが、泳いでいっても助けを呼べるような何かがあるのだろう。

 

命をつなぎ止めてくれた二人の少女に感謝しつつ、私は丸くて甘いやつをがっさと口へ放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ゴーヤの口調は思ったよりでちってない。


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第六話 私の転生Ⅲ

空の光が失われていく。日が沈み、今日もまた明るい月が顔を出してきた。

 

『それはそんなにいっぺんに食べるものじゃないよぉ』

「噛んだら歯にくっつくな。やはり噛むものではないのか……」

 

ピンク髪の少女は困ったような表情で何事か言った。

構わず、私はボリボリと甘い球を噛む。どうしてもいっぺんに食べてみたかったのだ。

 

『あんまりいっぺんに食べると体に悪いよぉ。一つずつにしようね』

 

何を言っているか分からないが、人差し指を一本立てている。

一つ食べたいのか? 元々これは君たちのものだ。遠慮せずに食べて欲しい。

 

私は球を一つ取り出すと、少女の口元へと手を伸ばした。

依然、体に力が入りにくいが、抱きかかえられているため口元へ差し出すのは困難ではなかった。

 

『え、ゴーヤにくれるの? ありがとでち』

 

私の指ごとパクリとくわえる。ひな鳥か。

 

『鉄砲飴は美味しいでち。外人さんも、さっき驚いてたから多分初めて食べたんだよね? おいしかった?』

 

何か言っているが全くわからないので微笑み返しておいた。

 

なぜか少女は満足そうにうなずくと、再び、私の頭をなで始めた。

なでるのが好きなのだろうか。

 

空に目をやると、明るい月がハッキリと見えた。

今夜は気分の良い夜になりそうだ。

 

 

『ん……ちょっと足がしびれてきたよぉ。ごめんね、おろすでち』

 

私の頭を少女が抱き上げ、ゆっくりと岩の上に降ろした。

 

金髪の少女がいなくなって数十分が経過する。

私を見つけたときから、いや、もしかするともっと前からかもしれない。ピンクの髪の少女はずっと私を抱きかかえてくれていた。

 

おかげで平静を取り戻せた。

安堵で涙を流しはしても、恐怖で涙を流すようなことはしないだろう。

 

水も飲めた。

甘い食料も頂けた。

助けも今呼んでくれている。

 

思えばかなり危ない状況だったのだ。

改めて、彼女たちに感謝がしたい。

したいが、なんと言えばいいのだろうな……。

 

そうだな。無事に助かって落ち着いたら、この子達の言語を勉強しよう。

 

言葉が違うのだ。きっと文化も違う。私の知らないさまざまな事が学べるに違いない。

 

そう思うと年甲斐もなくわくわくしてきた。

 

見たことのない土地。

食べたことのない料理。

まだ見ない新しい出来事や発見が、きっとこの先山ほど待ち受けているのだろう。

 

楽しみだな。

 

『ふふふ……なんだかお姉さん、幸せそうな顔をしてるでち』

 

 

月がだいぶ高く昇った頃。

 

金髪の少女が助けを呼びに行ってから、数時間が経った。

 

私は浅い眠りについたり、甘い球を一つずつ舐めたりして過ごしていた。

睡眠はたっぷり取っているのでもう眠くないのだが、何もする事がないと寝るしか暇が潰せない。

 

体のほうはまだ起こせないが、もう左手を動かすくらいなら億劫に感じなくなった。良い兆しだ。

 

ピンク髪の少女は、時折私を膝の上にのせて何事か呟きながら撫でていた。

また岩の上に降ろしては、辺りをキョロキョロと見渡している。

 

彼女が、私の頭を撫でているときの表情と、辺りを見渡すときの表情は別人だ。

 

撫でているときは慈愛に満ちた、本人も楽しんでいるような優しい表情をしている。

それが一変して、見回すときには険しい表情になる。

眉根を寄せ、目をこらし、人影一つたりとも逃す気がないような様子である。

 

さながら船の見張り員のようであった。

 

敵を警戒し、いち早く見つけては艦隊へ信号旗をあげさせる彼等のような。

 

まさかこんな所にフランス軍はいないだろう。

いたら、剣も船も銃もない我々ではどうすることも出来ない。

 

おまけに私は動けない。

この幼げな少女一人で敵襲を相手にするのは酷なことだ。

あり得ない話だがもしそんな事になったら、おとなしく捕虜になるしかないだろう。

 

少女が立ち上がる。

私はそれを目で追った。

 

平らな岩の隅の方までゆっくり歩いて行き、乗り出すようにして遠くを見つめている。

 

しばらく、微動だにしなかった。

 

じっと目をこらす少女。

 

その視線の先を私も見てみるが、暗くてよく分からない。

とくに何かがいるわけではなさそうだが――――。

 

『……気のせいでち』

 

少女はくるりと振り返って帰ってきた。

 

何もなかったようだ。よかった。

あまりに真剣な表情で見るから、何かいるのかと思うじゃないか。

 

心配させないでくれ寿命が縮む。

 

 

少女は私の横で眠りについた。

数十分に一度起きては辺りを警戒し、再び眠りにつく。

その繰り返しで夜が明けだした。

 

私の方は相変わらず体が動かない。

浅い眠りを繰り返し、少女が体を起こす度に私も眠りから覚める。

 

何度か少女に頭を撫でられて、何かを言われていた。

表情からは「心配しないで」みたいな内容だと予想する。

 

日が昇る。

欠伸をしながら少女は目をこする。

 

「おはよう」

『ぐっどもーにんぐでち』

 

挨拶は通じるのか。

驚いた。イントネーションが酷かったが。

 

この子は一晩中、寝ては目覚めて警戒して、を繰り返していた。

満足に睡眠を取っているとは思えない。

疲労がたまっているはずなのに相変わらず私のことを気にかけるようなそぶりを見せる。

 

そんなに私は心配されるような状態なのだろうか。

確かに自力で起きられそうにないが。

 

この岩の上の生活は、たぶん三日目に入っている。

私の意識がもうろうとしていたあの時に、丸一日気を失っていたとかを除いてだ。

もしそうなっていたら流石に分からん。

 

ふと気がつくと、体の上に何かがかかっていた。

 

左手で持ち上げてみる。

白く、大きなリボンのついた衣服だった。

 

見覚えのあるその形と色に首を傾げ、さてどこで見たかと考える。

 

そうして、すぐ隣で辺りを見回している少女の上着だと気がついた。

 

少女の服装は奇妙なものになっていた。

体の胴体を水色のぴっちりとした素材の何かで包んでいる。

 

あの上からこれを来ていたらしい。

不思議な服装だなと今更になって思った。

 

少女はこちらの目線に気付いたらしく、

 

『それ、使ってくだち。お姉さん裸じゃ恥ずかしいでしょ? もっと早くに気付いて上げられなくてごめんね』

 

と言いながら服で私の前を隠す。

 

言葉の意味こそわからないものの、表情からは申し訳なさを感じる。

〝見せつけてんじゃねぇよクソビッチ〟などと言われていないのは確かだ。

 

別に恥ずかしさを覚えたわけではない。

 

しかしなんとなく服が恋しくなってきた。

丸三日と衣服を身につけずに肌を外気に晒し続けるのは、あまり心の持ちようとしては宜しくない。

 

岩も当たって痛いしな。背中の方は感覚が無くなってきているし。

 

甘い球を一つ口へ放り込む。

気付くと最後の一個だった。

 

空になった袋を見つめる。

甘く、固く、元気をもらえる味だった。

もし手に入るのならばまた食べたい。

 

口の中の甘い幸福感に満たされつつ、私はおもむろに左を向いた。

 

寝転んだままなのでそれほど視界が広くはないが、太陽に照らし出された海面上は、キラキラと幻想的に光り輝いていた。

 

日の入りが美しければまた、日の出も同じくらいに美しいな。

 

その海面上に何かが見えた。

黒い点がいくつか集まったそれは、ちかちかと光を放っていた。

 

なんだろうな、あの光。

何かに似ている気がするが思い出せない。

 

どこか、とても最近見たような気がし――――

 

『あぶないッ!!』

 

少女が私に覆い被さるのと、爆音が耳をブッ叩いたのはほぼ同時の事だった。

 

 

気がつくとそこは戦場となっていた。

 

いや、戦場と呼ぶにはあまりにも理不尽で、あまりにも一方的な戦局である。

 

海面上、遠くに見えた黒い点が発した光は砲撃の光だった。

 

見覚えがあるのも納得した。

 

ほんの三日ほど前まで、その光と砲撃のさなかで私は死んだのだから。

 

ピンクの髪の少女はなぜか海中へと飛び込んでいった。

 

飛び込む寸前、こちらを向いて何か必死に叫んでいたが、砲弾の音と舞い上がる海水のせいで何も聞こえなかった。

 

残された私は何も出来ない。

 

幸いなことに、まだ一発も岩へと直撃はしていない。

岩の周辺に次々と着弾する砲弾は、海水を巻き込み、巻き上げ、大粒のシャワーにして叩き降りてくる。

 

ひさびさのシャワーが海水とはちょっと意味がないだろう。

全く体が綺麗にならん。

 

そろそろ死ぬかもな。

 

直感で分かる。

戦況は圧倒的にこちらの不利。

 

相手の国も数も分からないが、こちらは武器どころか満足に動く体すら持ち合わせていないのだ。

 

大砲なんぞ使わなくとも簡単に私を殺せるのに、よほど税金が余っているのかね。

 

少女は、たぶん逃げたのだろうな。

 

ここまで泳いできたみたいだし、戦闘海域から泳いで逃げることが可能なのかはさておいても、きっとここに残るよりかは生き延びる確率は高いだろう。

死ぬのは私だけでいい。

 

岩の端に砲弾が直撃した。

 

動けない体にこぶし大ほどの石がぶつかり、白い肌を容易く切り裂いた。

痛みが走る。

左手を見ると真っ赤な血液が流れ出ていた。

 

腹の辺りにも痛みがある。

左手で触るとヌメリがあった。

 

この感触は覚えている。

フランスの人間に船の上で撃たれて倒れ伏したとき、胸を触るとこの感触があった。

血だ。真っ赤な血が流れている。

 

だんだんと音が聞こえなくなってきた。

耳鳴りがする。

 

水しぶきの上がる音も、ヒュルヒュルといいながら落ちてくる砲弾の音も、もう聞こえなくなってきた。

代わりにキーンと高い音が鳴っている。

 

視界が暗くなる。

端の方から徐々に、明るい空がその範囲を狭めていく。

 

「……………ッ……エグッ……ッ……」

 

嗚咽が聞こえる。

押さえようとしても、しゃくり上げるのどを嗚咽は容赦なく漏れていく。

 

左目が熱かった。

目元を撫でてみると濡れていた。

海水ではない。

 

泣いていた。

涙が出ていた。

これから死ぬというこの状況が、たまらなく悲しい。

 

国のために戦って死ねるならそれでもいい。

でもこれは違う。

 

何の為かわからないが女の体になり、死にかけ、二人の少女に助けられたと思ったらこうして蜂の巣にされている。

 

こんな、理不尽で、馬鹿げてて、メチャクチャな最期があるものか。

 

胸元には少女の上着があった。

 

左手で握りしめる。

 

このひどく理不尽な状況でも、こうして、誰かが私を救おうとしてくれていた。

それだけが励みになった。

 

「エグッ…………死にたくない……死にたくない……」

 

弱々しい声しか出てこない。

 

心の中には、もう、「死にたくない」の一言しか残っていなかった。

 

そんな願望は露も叶わず、頭に激しい痛みが走って、私の意識は無残に散らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話 私の転生Ⅳ

――――――――○――――――――

 

おかしな世界が広がっていた。

 

前も後ろも下も上も、全てが真っ白の世界。ただ一つ自分の体があるだけで、他には影も形もない。

 

「…………死ん……だのか?」

 

喉を突いて出てきたのは、思いの外ハッキリと、そして凜とした声だった。

 

自分の体に目を落とす。

そこにあるのは、47年間連れ添ったあの体ではなく、豊満な胸とくびれた腰、長く美しい白髪を流した、そして右手のない女性の体だった。

 

三日という短い間だったが、不思議と馴染むものがある。

 

だがおかしな事に、生前の軍服を身につけていた。

 

胸元には勲章がついている。

立派な行いで貰った自慢の勲章で、紛れもなくこれは私の勲章、私の軍服だ。

 

なぜこんな所に?

 

『やぁ』

 

どこからともなく声が聞こえた。

振り返るが誰もいない。

キョロキョロと辺りを見回すが、自分の服がすれる音以外何も聞こえず、気配も感じない。

 

『ちがうちがう、頭の中に直接話しかけてるんだ。よくあることさ』

「何を言っているんだ」

『言葉は通じてるはずだよ。そのままの意味さ』

 

そう言われると確かに、この響いてくる声は明らかにイギリス語ではない。

 

にもかかわらず、何を言っているのか意味は通じている。

一体どうなっているんだ。

 

「……私は死んだのか」

『いや、死んでなんかないよ。かなり危なかったけどね』

 

謎の言葉はそう継げた。少し声音が高い。女性の声に聞こえる。

 

「ここはどこなんだ」

『君の生きていた世界と、君がこれから生きる世界の間だよ』

「はぁ?」

『そんな間抜けな顔しないでよ。せっかくの美貌が台無しだよ』

 

あまりにも突拍子のないことを言われ、理解が追いつかない。世界……の間?

 

『突然のことで何を言ってるか分からないかな』

「これでわかる人間は世界が取れるだろう」

『ははは、そんな大仰なことでもないよ。君が体験したことは、こことは別の世界ではよくあることなんだ』

「ろくに体も動かせず、砲弾で蜂の巣にされることがかね」

『いやいや、そっちではなく』

 

まったく会話の趣旨がつかめない。

 

『君の身に起きたのは〝転生〟っていうんだ』

「転生? 生まれ変わると言うことか」

『生まれ変わりとか、トリップとか、言い方は厳密に言うと違うんだけどね。まぁ、とりあえず転生だと思ってくれていい』

「それで? それがどうした」

『君が戦っていた……あぁ、生前の方ね。男の時代。あの世界とは似て非なる世界に、とある事情で来てもらう必要があった』

「なぜ私に」

『わたしの気まぐれ』

 

思わず笑いが吹き出した。面白い奴だが、なんなんだこいつは。

 

「大事なことのように思うが、気まぐれで決めて良かったのかね」

『ふふふ……って言うのは冗談でね。ぱっと見、君が適任だと思っただけだよ。探せば他にもいるんだろうけど、君に決めたんだ。これはわたしの裁量だよ』

「そうか、何となく分かった。選ぶのがめんどくさかったんだな」

『そんな言い方はあんまりだなぁ。まぁそうだけど』

「…………それで、私を転生させてどうしようというのだ」

 

間が開いた。空気が引き締まる感じがした。ここからは真面目な話だろうか。

 

『戦いを終わらせて欲しい』

「戦い? 戦争をしているのか?」

『そうだよ。わたしの居る世界では海の戦いが絶えない。どっちかが滅びれば終わるんだろうけど、どっちつかずで終わりそうにないんだ』

「人間と人間の争いなのだろう? ならいずれ――――」

『違う。片方は人間、片方はバケモノだ』

 

バケモノ。

 

その言葉を聞いてなにか背筋に冷たいものがあった。

私は、知らず知らずにそのバケモノを見た気がしてならない。

 

『君がここに来る少し前に、君が見ていたものだよ。黒い転々。近くで見たらきっと言葉を失うよ』

「そうか……あの砲撃は、人間のものではなかったのか」

『深海棲艦って言うんだ。まぁこの辺については、君がこっちの世界で目が覚めてから勉強してよ。わたしから教える必要は無い』

「そうかい」

 

何となく話が見えてきた。

 

「それで、私はどっちの陣営につけばいい」

『もちろん人間側だよ。それに、ただで頑張って欲しいとは言わない』

「なんだね。なにか報償でももらえるのか」

『不死では無いけど不老になれるよ。私も君の頭の中に住ませてもらうことになるけどね』

「不老……」

 

年を取らない。

一度は、そんな夢物語を考えたこともあったかもしれない。

 

ただ、

 

「知らない世界で不老になっても、仕方なくないか? それに不死じゃない。戦場に出るなら不死の方が良くないか?」

『君の生きた世界、君の生きた時代とはだいぶ技術が進んでるからね。直接戦場に出なくても指揮が執れるんだよ』

 

なんだと。

それはすごいな……。

 

指揮官が戦場に出ないというのは兵士の士気に関わる気がするが、それでも興味深いことを聞いた。

一体どうやるのやら。

 

『わたしの能力も好きに使えるよ。存分に役立てて使って欲しい』

「能力? 何か特別な技術が使えるようになるのか」

『技術というか……その辺も、こっちの世界のことを知ってからの方が理解しやすいかな』

「わかった。それで、私はこれからどうすればいい」

『君の体は、実はわたしのちょっとした手違いで早くに世界へ出してしまったんだ』

 

岩の上での生活……というか遭難のことを言っているのだろう。

 

『申し訳ないとは思ってるんだけど、深海棲艦からの襲撃を受けて、わりと危ない状態なんだ』

「おいおい。転生しょっぱなから死にかけじゃないか」

『でも死んではないから安心して。しばらく療養と回復に努める必要があるけど、時間はたっぷりあるから』

「体が欠損していたりは?」

『前の世界で失ったものまでは直せないんだ。ごめんね』

「まぁそうだろうなとは思った」

 

岩の上にいたときから、右目と右腕はなかった。

まぁいい。不便だがその方がしっくりする。

 

『こっちの世界に来てからの体の様子は、危なかったけど彼女たちのおかげで大事ないから』

「彼女たち? 誰のことかね」

『君がこれから何年もお世話になる娘達だよ。起きたらすぐ近くにいるだろうから、挨拶してね』

「わかった」

 

言葉が通じるかは知らんがな。

 

『何か他に聞きたいことはない?』

「私の頭の中に住むと言うことは、君は何か、悪魔的なものなのかね」

『うーん……ちょっと違うけど、その良い奴バージョンって感じかな。君の味方だし』

「そうか。危害を加えられるとかではないのだな」

『しないよ。お世話になるのはわたしの方だしね』

「次はいつ話せる」

『そんな、恋人みたいなこと聞かれても……ほら、わたし達女同士だし』

「いつ話せる」

『いつでもどうぞ。わたしと話したいなぁって思ったら、いつでも話せるよ』

「そうか」

『でも君が一人の時の方が良いかもね。君、わたしと話すときずっと声を出してるから危ない人に思われちゃう』

「なんと、全く気付かなかったな……」

 

目が覚めたら、気を付けるとしよう。

 

『そろそろいいかな。目が覚めると思う』

「そうだな。楽しみだ」

『年甲斐もなくわくわくしてるね』

「英国紳士は老いすらも楽しむが、老いが無くとも生を楽しむ。自分の知らない世界となったらなおさらだ」

『あ、そうそう。それなんだけどね』

「どうした」

『君の生きた時代はちゃんと歴史として残ってるよ』

「つまり……?」

『君が死んでから以降の世界が、君の居た世界と酷似しているから、興味があったら調べてみると良いよ』

 

私が死んだあとの、世界。

私が死んだあとの、イギリス。それを見られるのか。

 

あ、いやでも、国が無くなってたりとかしたら嫌だな……征服されちゃ

ってたりとか。

 

「私の国は……イギリスは、あの後も元気にやっていたか?」

『そりゃもう。まぁこっちの世界ではたぶん、イギリスに行くのは難しいけどね』

「そうか。いや、ちゃんと祖国があるのなら、それだけで満足だ」

 

私は責務を果たせた。あの世界に、あの時代に、あの体にもう悔いはないな。

 

『それじゃ、またしばらく後に』

「あぁ。――――あ、待ってくれ!」

『何、どうしたのさ』

「そういえば、自己紹介がまだだったろう」

『あ、そっか、そうだよね。いや、でも、わたしは君のことを調べ尽くしてるから、盲点だったよ』

「ホレーショ・ネルソンだ。よろしくな」

『よろしく。わたしの名前は正式にはないんだけどね。ある世界では〝応急修理女神〟って呼ばれてた』

 

女神と呼んでくれていい、と彼女は言った後、私の意識は白い世界を後にした。

 

 

 

 

――――――――○――――――――

 

 

意識が覚醒される。

鼻の奥に、何か強いアルコールの香りを感じ取った。

 

「ッ……ん……ここ、は……?」

 

体を起こそうとする。

しかし、両肩を誰かが優しく押さえ、やんわりとそれを阻止してきた。

 

「まだ起きちゃダメデース。安静にしていてくだサーイ」

 

そのまま仰向けに寝かされる。

 

自分の体は柔らかなベットの上にあり、薄手のシャツとショーツを身につけていた。

 

焦点を声の主へと合わせる。

徐々にハッキリと見えてきたその顔は、心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「誰だ……いや、ちがう、それより、なぜ君はイギリス語が?」

 

そう。少女の言葉は聞き取れる。

紛れもなく私の母国語だった。

 

ここがあの岩場と同じ世界、同じ状況であるならば、私はイギリス語以外の言葉を聞くはずだ。

 

もしかして場所が違うのか……?

 

「英国で生まれた、帰国子女の金剛デース。生まれたのに帰国子女っておかしいじゃんって突っ込みはナンセンスネー」

「イギリス生まれだと? じゃあ、ここはイギリスなのか?」

「違うデース。やっぱりあなた、そうだったんですネー」

 

うんうんと首を縦に振って言う少女の顔は、満足げだった。

 

「潜水艦の子達から、『英語を話す綺麗なお姉さんだ』って聞いて、たぶんアメリカ人かイギリス人だと予想してマシタ」

「イギリスだ。ここはじゃあ、どこなのだ」

「日本デース」

 

にほん? 聞き覚えは、たぶん、ないな。

聞かない名だ。

 

「どの辺にあるのだ」

「イギリスを世界の中心としたら、この辺は極東、東の端っこネー」

 

極東……。インドよりもさらに東に行ったところか。

なるほど言葉が違うわけだ。

 

「何にせよ、危ないところを助けて貰ったようだな。感謝しても仕切れないだろう」

「イイってことデース。困ったときは、お互い様。これが日本の心ネー」

「そうか……良い国だな」

 

自分の体を見る。

 

シャツの下は、丁寧に包帯が巻かれていた。

かなりの量が巻かれていたが血は完全に止まっていた。

これほど高度な治療ということは相当なお金も掛かっているだろう。

 

身元不明の、それも戦場で倒れ伏した瀕死の人間にここまでしてくれるとは、感謝の念が絶えないな。

 

「本当に、ありがとう」

「お礼なら、提督にしてくだサーイ。彼、付きっ切りで貴女の看病をしてましたデース」

「提督……そうか。ここは海軍なのか」

 

船をまとめる司令官自らが怪我人の看病とは、暇なのか温情深いのか分からなくなるな。

だが、これは、良い機会かもしれない。倍にして恩が返せる。

 

「私も、一時期は船の指揮を執っていた。おごり高ぶるつもりはないが、海戦の自信はある。どうか私に、指揮の手伝いをさせて欲しい」

 

言うと少女はやや驚き、

 

「貴女は……ちょっと不思議なひとデース。誰もいない岩の上に全裸で遭難してたり、死にかけてたのにちゃんと回復したり、あげく艦隊の指揮まで執ったことがあるなんて…………何者なんデスか?」

 

訝しげな表情になった。

 

首を傾げながら聞いているので可愛らしいが、その目は、捕らえた捕虜を尋問するときの調査官のそれだった。

 

こちらの正体が全くつかめず、あまりに怪しすぎる。ので、少しでも情報を聞き出したい、そんなところか。

 

とはいえ全てを教えてもたぶん信じてはくれないだろう。

 

別の世界から来たなどと言っても、危ない人に見られるか、悪魔付きだとか思われるかもしれない。

 

あのバケモノと同種だなどと思われてもやっかいだ。

たしか深海棲艦、と女神は言っていたか。

 

「私は…………私の名前は、ホレーショ・ネルソンだ。昔イギリスの海軍将校を勤めていた」

「ホレーショ……〝ネルソン〟? それは確かですカー?」

「ん? そうだが」

 

少女は顎に手を当てて考え出した。やがて、

 

「〝ロドニー〟と言う単語に、聞き覚えはありますかー?」

「ロドニー……いや、そんな名前は聞いたこと無いな。人なのか」

「いえいえ、知らないならいいんデース」

 

何かわからないが丸く収まったらしい。

 

その後、暖かいスープと柔らかいパン、紅茶とクッキーを用意してくれたので、遠慮せず頂いた。

特に紅茶は美味しかった。

 

食べた皿を片付けてもらい、痛み止めなるクスリを飲み、一息ついたとき眠気に誘われた。

 

本当はすぐに、その〝提督〟と呼ばれる人物に感謝の辞を伝えたかったのだが、

 

「一週間は運動厳禁ネー。痛みがないからって傷が治った訳じゃないから、ちゃんと安静にしてくださいネー」

「歩くのもダメなのか」

「とりあえず明日になるまではダメデース」

 

だそうだ。

まぁ眠いし、今日はこのまま寝させて貰おう。

 

軍の内部のはずなのに、ずいぶんと緩い気もするがこんなものなのだろうか。

いや、時代も国も違うのだ。こんなものなのかもしれない。

 

「なにか、退屈しのぎに欲しいものとかありますカー? 明日以降なら、座って読書ぐらいならオッケーだと思いマース」

「そうだな……この国の言語が学びたいな。あの岩で私を救ってくれた二人の少女に、この国の言葉で礼が言いたい」

「わかったデース。日本語の本とか、辞典とか持ってきて上げるネー」

「あ、あと、歴史を綴ったものとかあるか? この国のものと、世界中のことが載っているものの二つがあるとなお嬉しい」

「もちろんありマース。歴史の教科書を持ってきて上げるネー。…………あ、イギリス表記の方が良いですカー?」

「その方が助かるな。勉強の合間に読みたいし」

「わかったデース。見つけてきマース」

「ありがとう。本当に」

 

少女は、「となると日本史の方は私の手書きになりそうデース」と言いながら去っていった。そこまでしてくれるとは、本当に恩が返せるのか心配になってきた。

 

 

 

 

翌日早朝、静かな部屋を見渡すと、近くのテーブルに何冊かの本が置かれていた。

そのうちの一つはイギリス語表記、タイトルは「世界史」だった。

 

何気なく手に取り、十九世紀初頭の歴史の項目を見る。

 

そこには、〝イギリス史上最大の英雄、ホレーショ・ネルソン〟と書かれていた。

 

私は激しく赤面した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八話 私の転生Ⅴ

 

胸に広がる、例えようのない嬉しさをとりあえずは落ち着ける。

 

ゆっくりと本を閉じてからテーブルの上に置き、辺りを見回した。

 

座ったままの姿勢は鈍痛が走る。

さっと辺りを観察すると、昨日はわからなかったことがわかってきた。

 

まずここは非常に清潔だ。船の中ではない。

 

木造の室内。落ち着いた色合いの調度品。

客間で手当をして頂いている、と考えるのが自然だろう。ベットもシーツもさわり心地が柔らかく、気持ちいい。

 

長く座っているのは予想以上に体に障る。私は横になり、シーツにくるまった。

 

「どうしたのだろうな」

 

思いは、ここへ来るよりも前、あの岩場での自分の気持ちへと向いていた。

 

理不尽な死に対する抵抗心と恐怖心。

その結果、幼子のように涙を流してしまった自分。

生前に軍人をしていた男だと言っても、信じられないような弱々しい態度だった。

 

しかし不思議と恥ずかしくはなかった。

 

涙の止め方も、あの胸が締め付けられる様な悲しみも、間違いなく自分のものだったからだ。

感情のコントロールが出来なかった、そう説明付けると、少しはわかるかもしれない。

 

だが説明の根拠には何一つなっていない。

なぜあの程度のことで感極まったのか。

そもそも、なぜ死に対する恐怖で涙を流してしまったのか。

 

思い当たってわかるようなことではなかったので、女神に聞いてみようと考えた。

もう一度辺りを見回し、人の気配がないことを確認して呼んでみる。

 

「女神。話がしたい」

『どうしたんだい』

「なぜ私は、あの程度のことで泣いてしまったのだ」

 

言ってから、しまったと思った。

他人に相談するには、自分の心中を洗いざらい吐露する必要がある。

そう考えた瞬間、耐え難い羞恥心に襲われた。

 

「あ、いややっぱ……」

『ううん、全部説明する必要は無いよ。わたしは君の一部も同然。君の考えてる事や悩んでいる事くらいわかるよ。つらいだろうし、言わなくて良い』

「…………そうか。恩に着る」

『それで、どんな答えが欲しいの?』

「答え、なのか」

 

確かにそうだ。

私は慰めて欲しいのだろうか。しかしなんだかそれは違う気がする。

 

「なぜ、あのように、感情が抑えきれなかったのか。それに理由があるのなら、知りたい」

『考えられる理由としては、君が女だからだよ』

 

私が女だから? 要領を得ないな。

 

この体のことを言っているのだとしたら、おかしい。

こちらに来てからまだ一週間も経っていない。私が女だというのは、少々違う気がする。

 

生前は47年間も男として生きてきたのだ、女のつもりだった覚えはない。

 

「どういう意味なんだ」

『心身一体。体の変化は心の変化ってね』

「言いたいことはわかるが、一週間も経っていないのだぞ? ましてあの岩場で言うなら三日だ。三日で、心まで変化してしまうものなのか」

『する』

 

簡潔に、女神は言い放った。

 

『何か勘違いしているみたいだから、あらかじめ言っておくよ』

「……?」

『自分の体に起きた変化って言うのは、自分が思った以上に内面にも響いてくる。腕を失えば、失った体に最適の心理状態が働いて、適用しようとするはずだ』

「それはまぁ、あったかもしれないな」

 

右腕を切断したときも、不思議と後悔はなかった。

 

落ち込むことはあったかもしれない。

失ったことで心を痛めた時期もあった。

 

だがそれをいつまでも引きずってはいなかったはずだ。

 

軍人にとって命とも言える腕を失い、冷静に、このまま退役かな、と考えただけだった。

 

結局身は引かず、隻眼隻腕の指揮官としてお呼ばれしていたが。

 

『おなじことさ』

「体が女になったら、例え僅かな間だったとしても、感情まで女になると言うのか」

『そうだろうね。特にこの世界では、体の変化は如実に心に表れる。生き物の防衛本能かもしれないね』

「そうか。そうなのか」

『女性は、感情が高ぶると涙が抑えられない。泣きたくなくとも、悲しいときには涙が出る。そういうものだよ』

 

女神はそう付け足して、別れを告げた。

 

納得は、まだ出来ていない。

 

だが自分の身に起きていることなのだ。おいおいわかってくるだろう。

 

女の体になったから、女の感情を持つ。

前世から残されたのは、感情ではなく技術だけ。

 

そう整理をすると、別に気にする必要は無いのかもしれないな。

ことある事にビービーと泣くつもりはないが、泣きたいのをガマンする必要も無いのかもしれない。

 

安心した。胸のつかえが一つ落ち着いた感じがする。

 

 

コンコン、とドアがノックされた。

 

「どうぞ」

「オジャマシマース!」

 

昨日の少女が朝食を運んできてくれたようだった。

名は、確か金剛と言ったか。

挨拶を交わすと、心配そうな顔をして覗き込んできた。

 

「具合の程はどうデスカー?」

「鈍く全身が痛い。長くは座っていられないな」

 

シーツの中から苦笑いを浮かべて返しておく。

起きられなくはないが、この様子では歩く事はできないだろう。

 

「朝食はどうするデース」

「食べたい。そこのテーブルにおいといてくれると助かる」

 

手の届くところに置いてもらい、私はゆっくりと起き上がった。痛みで少し顔を歪ませてしまう。

 

「無理して食べることはないデース」

「ケガは食わねば治らんからな」

「軍人らしい考えだけど、何事も適度が大切デース」

「そうだな、肝に銘じておく」

 

直食はパンと野菜のスープ。それとチーズだった。

 

「一人で食べられますカ?」

「大丈夫だ」

 

そう答えると金剛は安心したように頷き、それから申し訳なさそうに一礼し、部屋から去っていった。

 

彼女も軍人なのだろうか。

忙しいことに代わりはないだろう。

もしかすると、彼女も指揮官なのかもしれない。

 

朝食は美味しかった。

ややスープが濃いめだったが、体が塩分を欲していたのでありがたい。

 

水差しからコップへ水を注ぎ、昨日飲んだ痛み止めと同じものを飲んでいると、再びドアがノックされた。

 

 

 

 

入ってきた男は、まだ若かった。

青二才、と言う言葉が本当によく似合う若者だった。

 

着ている服は一目で、制服なのだと理解出来た。

数は少ないが左胸にバッチがついている。

 

勲章だ。この若さで、この青臭さで、しかし努力をしっかりと積んでいるのが伺える。

 

男は若かったが、恐らくここでもっとも偉い人間だ。

どことなく雰囲気がそうであった。

 

白くすらりとした制服に身を包んだ彼は、一つ礼をすると、やや強ばった声と表情で話しかけてきた。

 

「具合はどうだね」

「……少し痛みますが、クスリを飲んだのでもう大丈夫でしょう」

 

流暢なイギリス語だった。

私の言葉を聞いて安心したのか、彼はイスを引っ張ってきて、ほっとした表情をしながらそこに座った。

 

「イギリス語が話せるのですね」

「昔勉強していたからな。思わぬところで役に立って嬉しいものだ」

「私の治療もして下さったと聞きました。ありがとうございます」

「怪我人の手当をするのは当たり前だ」

 

感謝の意を伝えると、意外な言葉が返ってきた。

 

私の常識とややずれている気がする。立場が上の人間が、わざわざ怪我人の手当をしてくれるとは……。

 

この施設での私の扱いは未だ不明だが、少なくとも賓客でないのは男の態度から伺える。

 

敬われるわけでもなく、警戒こそされども、手当をされるような存在。ここでの私の立場なのだが、いまいち振る舞い方がわからないな。

 

とりあえず自己紹介だ。

 

「私の名前は、ホレーショ・ネルソンです。あなたは?」

「ここの総まとめ役だ。提督、司令官、指揮官。好きなように呼んでくれ」

「指揮官は一人だけなのですか」

「そうだ」

 

どうやら金剛は指揮官ではないらしい。では一体何者なのだろうな。

 

こちらの疑念には男は気付かず、しばらく私を見つめたまま、何も言わなかった。

その表情は、若干に不安の色を見せていた。

なにが不安なのかは予想がつく。

 

「私の正体を、計りかねているのですね?」

「そうだ。君は……何者なのだ」

 

隠していてどうにかなるものではない。むしろこの先の生活を考えると、この男に、洗いざらい伝える必要があった。

 

私は何があったのか、どのような経緯でここに来たのか、私は何者なのかを、隠さず全て男に語った。転生者であることも含めて。

 

 

「そうか…………」

 

全てを話し終えると、彼は狐につままれた様な顔をして、そうしていくつか質問をしてきた。

 

私がこの世界について何を知っているか、と言った類の質問だったが、ほとんど何も知らない私は、素直にそう伝えた。

 

彼は一つ頷くと、この世界の様々なことについて丁寧に教えてくれた。

 

私の死後、二百年間の間にずいぶんと人類は成長したようであった。

詳しいことは自分で勉強するつもりだが、聞くだけによればその内容はすさまじく感じた。

 

スイッチ一つで国が滅ぶ。

ボタン一つで人が消し飛ぶ。

 

そんな兵器を人類は生み出す事に成功していた。

そしてそれを持ってしてもなお、今、海の支配権は人間では無く深海棲艦が握っているということも。

 

驚かざるを得なかった。

 

この時代の人間がそのような恐ろしい兵器をもってしても勝てなかった相手に、しかしこの数年で奇跡のような存在が現れたという。

 

それが金剛であり、岩場で私を救ってくれたあの少女達…………艦娘であった。

彼女たちは唯一深海棲艦に対抗できる手段であり戦力である。

 

そしてこの目の前の若い男は、そんな彼女たちを束ねて指揮し、深海棲艦から人間の海域を取り戻す。

 

話を聞いた私の頭は、ただただ、好奇心と探求心に染められていた。

 

私の知らない戦場。

私の知らない戦い方。

私の知らない兵器。

私の知らない海の戦い。

 

恩を返す事を差し引いても、ただこの好奇心だけで、充分に私はこの世界で生きていく理由が見つかった。

 

目的のために努力する。

目の前の若者は、きっと人類の勝利のために努力するのだろう。

ならば私はそれに手を貸す。

救って貰ったこの体と技術は、この男の、この艦隊の勝利のために使って見せよう。

 

そう決心した私は、彼の指揮を手伝わせて欲しい旨を伝えた。

 

私が歴史上の人物であることに彼は疑いを隠さなかったが、それが本当かどうかは、私の体が回復しきったときに確かめさせて貰うと言った。腕の見せ所である。

 

それまでに、この国の言語と歴史、それから、この時代の海の戦い方を徹底的に学習してみせる。

 

 

――○――

 

 

一ヶ月後。

 

私の体は完治した。包帯が取れ、右手と右目は相変わらずだが、もう自由に歩き回ることが出来る。

 

言語はまだ習得途中だが、歴史と海戦についての知識はあらかたそろった。

イギリス語での指揮になるが、幸い指揮官と金剛は言葉がわかる。

私の指揮は指揮官と金剛を通して、日本語へと翻訳されるだろう。

 

この一ヶ月間は様々なことがあった。

 

岩場で私を救ってくれた二人の少女は、はっちゃんとゴーヤ、と言うらしい。

正式名称は伊8と伊58。

 

彼女たちには、片言の日本語で礼を言った。あの岩場で砲撃されていたとき、ピンクの髪の子は一人で奮戦していたらしい。それも海の中から。

 

「こんな勇敢な兵士は見たことがない」

 

と伝えると、

 

「戦闘はただの訓練でち」

 

などと言ってクルージングに出かけていった。彼女は本物かもしれない。

 

あの時くれた甘い球は、鉄砲飴と言うらしい。以来、私のお気に入りなので指揮官がちょくちょく買ってきてくれた。

 

嬉しそうに食べる私を見て、彼は頬を赤く染めていたな。

可愛いものだが、彼に愛を迫られても私は困る。

まだ私の中身には男の部分が残っているのだろう。

全力でお断りさせて頂く。

 

この体についても様々なことがわかってきた。

まず、身長がやや高い。ここの指揮官ほど高いわけではないが、彼曰く「日本人女性の平均は軽く超している」そうだ。

 

体中の採寸を計ったときに言われたのだが、その採寸は私の制服のために計ったようだ。

 

右目には包帯を巻いたまま、出来上がった制服に腕を通したときの、言いようのない幸福感をいまだに覚えている。

鏡に映った私を見たときも、私と提督を含め、その場にいる者全てが息をのんでいた。

 

白銀の髪を腰まで伸ばし、豊満な胸と整った顔立ち。

安産型とは言い難い細い腰が、しかし真っ白な制服によく似合っていた。

 

私の長身にズボンは映える。

 

生前の軍服もあれはあれで気に入っていたが、今のこの私の姿にはこちらの方がお似合いだろう。

 

右の袖に腕が通ることはないのだが、正装はこれにマントをつけて目立たなくするそうだ。

それも着けて貰った。

 

右目の包帯を取って眼帯をはめる。

金糸の刺繍が入った真っ黒なマントを羽織る。

 

なぜかサーベルを渡されたので左手に持って仁王立ちになると、この制服をデザインした少女は満足げに頷いた。

 

制服の他には、指揮官の執務室のある建物に、自室も頂いた。

好きに使っていいらしい。

 

仕事も与えられた。

 

指揮官補佐、参謀。

それが私の役職となった。

 

光栄なことだ。正式にこの国の海軍へ入るにはまだ手続きを踏む必要があるらしいが、先ず間違いなくこれで仲間入りらしい。

 

推薦の手紙一つで人を海軍へと入れられるあの若者は、あれでいて結構な役職だったようだな。青二才などと言ってはいけまい。

 

一ヶ月間の勉強の成果は、満足のいくものだと思う。

 

兵器の特徴も、艦娘という存在も、深海棲艦の存在も、一冊のノートにまとめ上げることが出来た。

 

自己解釈や思ったことを素直に綴ったノートだ。これからも発見があれば付け足していこう。

 

体が完治した。

もう動ける。

知識もある。

私の頭脳を使うときが、そして私の真価が試されるときが来た。

 

大規模な反攻作戦を今日から開始すると聞いている。

海域奪還率50パーセント。これが目標だ。

 

艦娘を動かすための資材、練度、兵装、どれをとっても、私の立てた作戦には申し分ない。

 

十二分に力を発揮できるだろう。

後は作戦中の指示に全てが掛かっている。

この時代には無線という便利な道具があり、それが全てを可能にするのだ。

 

無線はすごい。まるで魔法だ。どこにいても鉄砲飴を取り寄せられるのだ。技術の革命とも言えるなこれは。

 

 

 

 

司令室には二人の人間が座っている。私と指揮官だ。

 

目の前には大きな海図と、私が用意した色つきの駒。そして無線機。

 

『ハロハロー! こちら旗艦、金剛デース! 聞こえますカー?』

「聞こえるぞ」

 

指揮官が返事をする。やりとりは全て英語だ。

 

「作戦内容は頭に入れているな」

『ばっちりデース! ぬかりはたぶんありまセーン!』

 

たぶんでは困る。

 

私は口に含んでいる鉄砲飴を頬へと寄せ、しゃべれるようにしてから無線のスイッチを入れた。

 

「こちらネルソン。金剛、聞こえるか」

『お、ネルソン参謀も一緒なんデスネー! わたし達の良いところ、目を離しちゃノーなんだからネー!』

「あぁ。頑張ってくれ」

 

無線が一旦切れる。艦娘達は鎮守付近海の海へ集結していた。

数は、金剛以下十二名。戦艦、重巡洋艦、正規空母、そして潜水艦を含む構成だ。

 

始め潜水艦が艦隊に含まれているのを見て、指揮官は首をかしげていた。

理解出来ていないようだったので、私の考える潜水艦の有用性とその使い方を説明すると「そんな事に潜水艦を使う奴は初めて見た」と感心してくれていた。

 

戦場は、相手のド肝をぬいた者が勝利を手にする。

これは大体どんなところでも変わらんだろう。

 

指揮官が無線を入れた。全艦対象にしている。小さく息を吸い、

 

「それではこれより作戦を開始する。第一、第二連合艦隊、抜錨。出撃せよ」

 

落ち着いた指揮官の声の元、私の初の指揮作戦は静かに幕を――――

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!!』

 

開けなかった。すさまじい音量の雄叫びが無線の向こうから響いてくる。

びっくりして鉄砲飴を口から取り落としてしまった。

 

 

作戦開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




鉄砲飴、おいしいですよね。なかなか売ってないんですけど。


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第九話 私の転生Ⅵ

司令室には大きなモニターがある。

 

モニターは、リアルタイムで作戦行動中の艦娘を空から映し出している。

無人航空機にカメラを取り付け、戦闘海域でも構わず通信衛星を通して高々度から艦娘や敵の位置情報を視覚化する装置だ。

 

便利なモノであり、これがあるから状況に合わせて指揮を出せる。

 

作戦成功率はグッと上がり、より正確により細かく、戦闘海域の情報が入ってくる。

 

一年ほど前に、私の隣に座る指揮官が取り入れた制度らしく、今はどの鎮守府も導入している技術だそうだ。

 

その功績もあって、彼はこの若さである程度高位の地位に付いている。しかしその地位のわりには、彼の勲章の数は少ない。

 

理由は功績に作戦行動が含まれていないからだ。

彼はあまり作戦がうまくいってないということである。

 

ならば、だ。

 

私が彼の隣に座る限り、彼はこれから戦闘分野でも戦果を上げ、胸の勲章を増やしていくことだろう。

それが私の恩返しであり、この世界で生きる最初の一歩だ。

 

 

 

 

青い海が広がっている。

 

高々度から流れる一面の大海原は、しかしある所を境に唐突と黒みを帯び、その海域の空は厚い雲に覆われている。

 

一目見て、その海域に近づいてはいけない、近づけば生きては帰られない。そう本能的に悟るのがそこである。

 

そんな海域へ向かう艦娘が十人、真横に並んで陣を置き、早くも遅くもない速度で水面に航跡を残していた。

 

黒い海の波は不気味なほどに静かであり、そこを突っ切る十人の艦娘達もまた、不気味なほどに落ち着いていた。

 

いや、落ち着きはただの緊張で、誰も軽口を叩く気になれないのだ。

 

旗艦は金剛。

 

彼女を中心として左右に展開する正規空母、重巡洋艦、両脇を挟むようにして金剛と同型艦の比叡、榛名、霧島が並ぶ。

 

右側に比叡と榛名、左側は霧島だけという、左右非対称な戦力配置であった。

 

「ネルソン参謀の作戦は変わってマース……」

 

沈黙に耐えられず金剛が口を開く。

作戦開始の合図の時は、みんな気合いの入った声で抜錨した。

 

しかし、作戦海域までの道のり。

だんだんと近づくにつれて心中は穏やかなものではなくなっていった。

 

今までにない戦い方。

 

たったそれだけ、しかし戦闘に置いて経験こそが生死を左右するもっともなファクターであるのは、金剛自身が一番わかっているはずだった。

それ故の不安。

 

今更どうこうできるわけではないし、ネルソン参謀のことが信用できないわけでもない。

しかし、一抹の不安はいつまで経っても彼女の心にしがみついていた。

 

ネルソン参謀。

あの人は不思議な人である。

 

潜水艦娘の子が、「所属不明の女性を発見した」と鎮守府に報告に帰ってきたあの日の夜。

 

大急ぎで救助艇と、金剛含む主力艦隊が出撃、程なくして敵の大艦隊と接触し、退けながらも彼女を回収した。

 

伊58はボロボロであったが、敵艦隊の四分の一を黙らせるほどの奮戦をしていた。

 

彼女はこの鎮守府でもトップクラスの実力を持つ。

潜水艦にしてもはや潜水艦のやることがついでであるかのように、毎日クルージングをしては己を鍛えている。正直言ってまねは出来ないだろう。

 

ネルソン参謀は鎮守府に来てから、必死に勉強をしていた。

 

提督曰く、彼女は艦娘ではなく過去の異世界から飛んできた転生者。

イギリスの英雄だという。

 

正直、艦娘だと言われた方が信じられる。

イギリスの戦艦、ネルソンの名前は聞いたことがあるし、彼女の姉妹艦のロドニーも存在しているはずだ。

 

だが、あの人(ネルソン参謀)は艦娘ではない。

必死にこの一ヶ月間勉強し、何度も私達が海を走るのを研究していた。参謀として、指揮をする人間の立場に立って。

 

やはりにわかには信じられないのだ。

 

ネルソン参謀は、ハッキリ言って、私達と同じ存在に見える。

艤装を付け、海を駆け、大口径の砲をあるがままに操る艦娘。

そういう風にしか見えないのだ。

何がそうさせているのかはわからないが、彼女の存在がそう見えてしまう。

 

イギリスの英雄の移り変わりだからだろうか。

そうは言われても信じられないが、私が本気で英語を使ってもちゃんと受け答えが出来ていた。

 

それどころか日本語は話せない。少々古い言い回しの英語ではあったけど、あれは確実にネイティブの喋り方だった。

 

でもだからと言って艦娘のように見える説明にはなっていない。

私と同郷だから。そんな事は理由にならない。

 

……まぁ、いい。たとえ彼女が艦娘であろうと無かろうと、私達は彼女のことを受け入れるし、気に入っている。

 

彼女もまた、艦娘を興味深そうな、それでいて親しみのある目で見てくれている。

信用しても良いのだろう。

突拍子もない、言ってしまえば危険きわまる作戦だが、彼女を信用し、私達の命を預けてみよう。

 

なぜかそうしても良い信頼感が、ネルソン参謀からはあふれ出していた。

 

 

 

 

司令室。

 

私は小さくなった鉄砲飴を頬へと寄せ、新たに黒々とした砂糖のかたまりをつまんで、口へ放り込む。

先程落とした分は綺麗に洗って食べようとしたが、指揮官に止められてしまった。仕方がない。

 

コロコロと口の中で幸せの一粒を転がしながら、この一ヶ月間学んだこと、そしてそこから編み出した今日の作戦をおさらいする。

 

金剛を旗艦とする水上打撃部隊は、全部で十隻である。

 

この世界の海戦は、六隻を最大として一艦隊と見なし、二艦隊で一つとする大型の艦隊は十二隻を最大とする。

それがこの世界の定石である。

その上、この十二隻を最大として動く艦隊は「連合艦隊」と呼称され、〝第二艦隊には最低でも護衛駆逐艦が二隻、それを率いる軽巡洋艦が一隻必要〟である。

 

この私が編み出した艦隊は、その定石をぶち壊している。

そもそも水上打撃部隊に正規空母が二隻入ることはない。

 

この世界で編み出された定石が、何度も深海棲艦と戦った上で有効な編成であった、それ故に定石とした、それは私もわかっている。

だからこそ、私は疑問に思わざるを得なかった。

 

過去がどうであったか。

それは大切だが、戦場は常に揺れ動くものだ。

生き物と言っても良い。

 

相手が生きていて、学習してくるのであれば、それはすなわち同じ手が二度は通じないと言うことだ。

 

私は生前、何度もそんな目に遭ってきた。

常識では覆せない。

普通の考え方では打ち倒せない。

 

過去から何かを見つけるのなら、それを練り直す必要がある。

 

練った結果の産物として、エジプトでのナポレオン遠征艦隊は私の手によって屠られた。

 

その経験を生かす。

 

私はモニターに注視した。

その中の映像は、高い視点からどんよりとした海域を広く映し出している。

 

モニターの端には、あきらかに艦娘とは異質の生物が海の上を移動していた。

 

 

 

 

「電探に感あり!」

 

金剛含め十隻の大型艦娘達は、一番左端、霧島の無線越しの声で全身に緊張を走らせた。

 

既に初弾は装填済み。後は、ネルソン参謀の指示通りに砲撃する。

 

「第一射、ファイヤーッ!!」

 

金剛の号令に合わせ、金剛、比叡、榛名、霧島が、遠くに見える深海棲艦の群れに向かって一斉射。

 

狙いなど付けない。私達はここにいるぞという、超射程からの威嚇である。

 

単黄陣、その両脇と中央からの砲弾は、いくつかが深海棲艦に直撃。

しかし致命傷とまではならず、充分に、こちらの存在に気を惹くことが出来たようだった。

 

目的は達成である。

 

すると深海棲艦側がちかちかと発光し始めた。あれは間違いなく砲撃の炎、その光である。

 

直後、金剛達の周りの海水が跳ね上がった。

 

ヒルルルルルルル――――という嫌な音を伴いながら、周囲の海水を空高く舞いあげる。

 

お返しとばかりに飛んできた敵戦艦の砲弾は、しかし一発も金剛達には当たらない。

もともと単黄陣は敵の攻撃が当たりにくい上に、今は艦娘同士の左右の距離も相当に取っている。

 

加えてこの距離、当たるわけがなかった。

まぁ、こちらの攻撃力もたかがしれているわけなのだが。

 

「赤城! 加賀! あなたたちの出番ネー!」

「了解です」

「鎧袖一触よ。……油断はダメね」

 

正規空母二人が弓を引き、放つ。海面すれすれを飛んだ矢は瞬く間に艦上爆撃機へとなり、急速にその高度を上げていく。

 

続けざまに矢を放つ。

それは艦上戦闘機となり、たった今飛び立った爆撃機を高速で追い越し、その前後を挟むようにして護衛に回った。

 

程なくして、敵の艦載機が見えてきた。

爆撃機は高度をさらに上げ、その直下を戦闘機がひっつくようにして護衛する。

 

それを合図に、金剛は叫んだ。

 

「全艦、前速前進デース! 隊列が乱れないようにしてくだサーイ!」

 

最大速力がバラバラの艦隊。

真横に一列であることを最重要目標として、それでも、練度の高い彼女たちはそれまでよりも早い速度で前進した。

 

進みながら空を見る。

敵の艦載機とこちらの艦載機が真っ正面から交差する。

 

金剛は目を疑った。

 

敵の艦載機が次々と打ち落とされている。

何機かこちらの戦闘機も被害が出ているが微々たるもの、爆撃機に至っては一機も落ちていない。

 

なぜなのかわからなかった。わからなかったが、これもネルソン参謀の指示した艦載機の運用の仕方である。

結果のほどは火を見るより明らか。効果は抜群である。

 

敵の防空網をかいくぐり、深海棲艦の最後尾へと到達した艦上爆撃機は、身を翻し、垂直降下から一気に高度を落として抱えた爆弾を投下した。

 

深海棲艦の数は十二隻。

戦艦、重巡洋艦、空母を含み、駆逐や軽巡洋艦級も見て取れる。

標準的な水上打撃部隊である。

 

そしてそのうちの後方にいた何隻かが、艦上爆撃機の攻撃をもろに受けて沈んでいった。重巡洋艦二隻、駆逐二隻だろう。

 

最後尾を叩かれた深海棲艦は、慌てたように速力を上げ、一気にこちらとの距離が縮まった。お互いに砲戦に持ち込める距離である。

 

しかし。

 

金剛はあらかじめネルソン参謀に指示されたように、号令をかけた。

 

「左右へ展開! 左ヨン、右ロクの陣形デース!!」

 

急速に進行方向を変える。水しぶきが足下から上がり、それでもなお、速度を落とさず回頭する。

 

左側へ霧島を先頭とした四隻の艦隊が、右側へ榛名を先頭とした六隻の艦隊が、それぞれに散開した。金剛は榛名側の最後尾に付く。

 

単黄陣だった陣形は左右へ割れ、進行方向を斜めに左右へ別った二つの艦隊(・・・・・)は、単縦陣で敵の前に躍り出た。

それも、半ば包囲する形の、T字有利で。

 

深海棲艦が狼狽していた。

 

当たり前だ。目の前で敵の陣形が崩れたかと思ったら、いつの間にか包囲される形になっているのだ。

 

急いだように砲を向ける、しかしバラバラに向けられた砲に統一性の欠片もなく、こちらの艦隊を狙うにはその動きは遅すぎる。

 

「「全艦、全砲門――――」」

 

榛名、霧島両艦の号令が掛かる。

 

「「ふぁいあーッッ!」」

「ちょ、何でワタシの真似をするデスカー!?」

 

すさまじい轟音と共に海を穿った砲弾の嵐は、慌てふためく深海棲艦の艦隊を跡形もなく海底へ沈めた。

 

 

 

 

司令室。

 

「なんだ……今のは……」

 

指揮官が私の隣で目を丸くしていた。

その視線は、さながら敵の公開処刑ショーとも言える光景を映し出したモニターに釘付けであった。

 

「今のは作戦の初っぱなに過ぎません。まだまだこれからですよ」

 

口の中で鉄砲飴を転がしながらそう伝える。

 

作戦は成功だった。

 

「いや……何をしたんだ。相手が一発も撃てていなかったぞ」

「そういう風に誘導したんです。陸戦の基本〝退いてから囲んでぺちゃんこにしろ〟の応用です」

「り、陸戦だと」

 

理解が追いついていないらしい。

そう、陸戦だ。

 

彼女たちの戦っている場所は海の上。

潮風が吹き、波があり、足場は陸の上とは到底比べられない不安定さを持つ。

 

だがしかし、彼女たちは人の形をし、人の形のまま海の上を滑り駆ける。

いくら名前が船の名を受けていようとも、立っている場所が海と呼ばれる場所であろうとも、彼女たちのやっていることは限りなく陸の上での戦闘に近い。

 

ならばである。陸の上での戦闘方法、集団戦法を用いて見てはどうなるだろうか。

 

陸戦の指揮は執ったこともある。その経験と、定石をあえて崩す戦い方を試験的に登用してみた。

 

結果は成功だ。

敵はこちらの動きを理解出来ていない。

戦力を分散させることで敵の狙いは拡散する。

だがこちらの狙いさえ集中させれば後れを取ることはない。

つまり囲ってしまえば問題はないのだ。

 

「まだ、次の敵が来ますよね?」

 

指揮官に聞いてみる。

 

「あぁ。今のは斥候だ。敵の本体はこの先にいる」

 

わりと大きな艦隊に見えたけど、あれで斥候か……。

いや、この程度、か。

 

この先もうまくいくように願っていよう。

斥候であの戦果だ。大勝利と言ってもいい。期待はしている。

 

「なぁ、ネルソン参謀」

「どうしました?」

「航空機のこと、聞いてもよいか」

「なんでしょう」

「なぜ、爆撃機は一機も撃墜されなかったのだ」

「そうですね……」

 

あのやり方は、たんに運が良かっただけかもしれない。

 

戦闘機同士のドッグファイト。

これに爆撃機を巻き込んでしまわないようにあえて高々度を飛ばさせて、その真下に護衛機を付ける。

 

無理に敵を落とそうとせず、それでいて前方に重なる奴を撃てと指示を出した。

 

敵がアホウだったからかもしれない。

律儀に戦闘機を狙ってきたおかげで爆撃機は無害だった。

敵の頭が良かったらあそこまでうまくはいかなかっただろう。

 

正直、空中戦はこの一ヶ月で身につけた付け焼き刃の知識。

あまり期待しないで欲しい。

 

と、伝えた。

 

「君は天才なのか……」

 

否定はしない。肯定もしないけど、今回は本当に運が良かっただけだ。

 

そんな感じで指揮官と楽しく話をしていると、無線機から連絡が入って来た。

 

『テートクー! ネルソン参謀ー! 見ててくれマシタカー??』

「あぁ、ばっちり見ていたよ」

「素晴らしい戦果だ。だが気は抜くなよ」

 

指揮官が釘を刺す。

しかしその声には、嬉しさがにじみ出ているようだった。

そのまま続ける。

 

「この先に敵の本体がいる。そいつを潰せば、この海域の開放率は50パーセントに到達する。今回の目標だ」

『気を引き締めて、最後まで油断は禁物ネー!』

「そうだ」

 

指揮官は頷くと、無線機をこちらに渡した。

私からも指示を出す。

 

「金剛」

『どうしました? ネルソン参謀』

「ここからの陣形は、重巡洋艦四隻を前に、空母の二人を間に、金剛達四人を後ろにして、それぞれ横一列の単黄陣、それが三列になるようにしてくれ」

『了解デース』

 

信用してくれているようだ。

出撃直後の表情は、なれない戦法に不安を持っていたようだったが、今はもう、自信を持って言うことを聞いてくれている。

 

「それとこの陣形は前後に強いが、強いのは前後だけだ。左右の防御はザルなので、横からの奇襲に警戒するように」

『わっかりマシター』

 

最後に、先程の戦果をもう一度ねぎらって、無線は切られた。

 

モニターに目を移す。そこにまだ敵の姿はない。

 

 

 

 

 

 

 




「退いてから囲んでペチャンコにしろ」は古代ローマ、あのハンニバル対スキピオの時代からありました。どっちがやったか忘れちゃいましたが。


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第十話 私の転生Ⅶ

海の中。

 

そこは通常ならば人の出入りできるところではなく、まして深海棲艦に制海権を握られている現状に関しては、その最たるものと言っても過言ではない。

 

長い歴史の中で人間は海と関わってきたが、いずれもが海の上、海面に船を浮かべることで満足してきた。

 

しかし近い歴史において。

海上はもちろん人の移動手段として栄えていたが、その反面で、海中へと手を伸ばした人間達もいた。

 

戦争に利用されることを主軸とした海中での移動は、しかしながら、選ばれた者だけがその移動を可能にし、思うがままに海上を手込めにすることが出来た。

 

ドイツ海軍の無制限潜水艦作戦。

 

これと同じ事がわたしたちにも出来る。

 

海の上を恐怖の底へたたき落とす。

どれだけ深海棲艦がはびころうとも、どれだけ深海棲艦が蹂躙しようとも。

 

――――海の中は、わたしたちの領域でち。

 

 

 

 

司令室。

 

モニターを注視しながら新たに鉄砲飴を口へ放る。

瞬時に口いっぱいに上品な甘さが広がり、思わずほおに手を当ててしまう。

 

「ずいぶんと恍惚な表情をするのだな」

「美味しいですから」

「だが食べ過ぎは体に悪いぞ」

「はい、気を付けますね」

 

指揮官に注意された。

でも美味しいんだから仕方ないじゃないか。

 

ここ司令室には、先程の報告以来あまり緊張した雰囲気は漂っていない。

 

作戦行動中なので気を抜くべきではないのだが、例のモニターに敵の姿は見あたらず、会敵しそうな気配もない。

 

ずっと張り詰めていてはいざというときに集中できないものだ。

休息も良き軍隊の必需品である。

 

「本当にまだ敵がいるんですか?」

「たった一部隊潰した程度で敵が黙るわけはない。たまたま過疎化しているだけだろう」

 

敵が過疎化するという表現がそもそも違う気がするのだが。

 

この世界の海戦はいささか疑問点がたくさんある。

今起きている現象もそうだ。

 

敵がばったりと見あたらなくなり、気配も何も現れなくなる。

モニター越しの情報とは言えこれは戦争にしては首を傾げたくなる現象だ。

 

てっきり敵が撤退したと思ってしまう。

もしそれが敵の思惑であるなら警戒せねばならないが、どうにも罠の臭いがしない。

長年の感がそう伝えている。

 

それにこちらの進行の仕方にも不可解な点がいくつかある。

なぜ、羅針盤を使ってもっと正確に航路の確保を取らないのか。

 

海の上にも道はある。方角を決め、到着点を決め、その上で航路を決めるべきだ。

 

だと言うのに彼女たちは羅針盤も持たずに大海原へと出て行った。

 

数日前に、この疑問を指揮官に聞いたのも覚えている。

返ってきた答えは「羅針盤は意味がない」だった。

 

なんでも、海域に入ったとたん使い物にならなくなり、ぐるぐると永遠に回り続けるのだそうだ。

 

確かにそれでは使えないが、ならなぜ回っている原因が突き止められないのだろうか。

専門の機関が研究しているとは言っていたけれど、何も解明できていないらしい。

 

それ故に、海図も持たず、羅針盤も持たず、行き当たりばったりで来た道だけは帰還用に覚えておく。

そんな謎の進行を今現在も行っている。

 

敵に会わないのも納得できるかもしれないな……………。

 

「――――む?」

 

そんな事を考えていると、指揮官が一つうなりを上げた。

 

「どうしました?」

「敵だ。数が多い」

 

私も慌ててモニターを見る。

 

そこには、海面にひとかたまりの黒い集団が映し出されていた。

海面上に加え、その少し前方には、恐らく艦載機と思われる集団も。

 

指揮官が無線を入れた。

 

「金剛!」

『わかってマース! 電探の反応には、二十隻とらえてるデース!!』

「二十………」

 

多いな。

 

私は指揮官から無線を受け取り指示を出す。

 

「金剛、正規空母の二人に通達してくれ」

『なんて言うデース?』

「全艦載機を戦闘機にし、二機一組で高々度から奇襲攻撃。雲を背にして、上下に振るように攻撃しろ」

『了解デース』

「それと、三式弾装填。近づいた奴からたたき落とせ」

『言われなくても、きっちりシュートしてアゲルネー』

 

無線が切れる。

 

正直、空中戦の指揮には自身がない。

練度の高い飛行隊なのだから、各々の判断で飛んだ方が良いような気もする。

 

だがまぁ、方針を決めるのは重要だ。

敵に裏目に取られない限り、方針のある集団はまとまりがある。

目的の拡散を防いだ結果は、魅力的な戦果が待っている。

 

口の中の鉄砲飴をコロコロと転がしながら、私は、モニターの中の敵の動向を一瞬たりとも見落とさないつもりで監視した。

 

 

 

 

「やけに数が多いですね……」

 

榛名は不安に曇る心中をそのまま吐露した。隣にいる比叡も頷いている。

 

後方四隻の戦艦娘達の距離はそれほど離れていない。

そう言う指示が出たからだ。肉声でも充分に会話が出来る。

 

先程から電探に反応する艦隊があった。

その数は二十。決して少ない数ではない。しかし、

 

「これくらいはまだ想定内デース。いつもよりチョット多いけど、初めての数ではないヨ!」

 

金剛もそう口にする。

 

そうなのだ。これくらいの大艦隊はちょくちょく遭遇する。

ネルソン参謀を救い出したときも、確かこれくらいの数はいた。

 

「赤城、加賀、さっき言ったとおりデス」

 

赤城が首肯。加賀も、

 

「うちの子達に掛かれば、あの程度の数は朝飯前です」

 

言いながら同時に弓を引く。

やや仰角から放たれた矢はしばらくして戦闘機へと姿を変え、命令通りに高度を上げていった。

 

「金剛お姉様、どうするのですか?」

 

霧島が金剛の方を向きながら指示を仰ぐ。

 

最前列は重巡洋艦娘四人。やや距離を開けている。

二列目は正規空母娘の二人。

最後尾は金剛達戦艦娘四人が、やや間隔を狭めて布陣している。

 

この陣形での集敵方法はあらかじめ聞かされている。

 

恐らく敵は航空機動部隊。

空母を中心とした大艦隊を展開している。

ならば空母を叩くことが最優先目標だが、

 

「先に駆逐、軽巡級を仕留めるネ」

「どうしてですか?」

 

比叡が首を傾げながら聞いてきた。

 

「ネルソン参謀がそう言ったってのもあるし、これも今回の作戦の一つダヨ」

「駆逐級、軽巡級の先攻始末。その後は?」

「正規空母の二人を庇いながら対空戦闘、距離を詰めたら敵の戦艦級と重巡級を墜としに掛かるネ」

「了解です」

 

比叡は頷くと、まずは三式弾を装填した。他の三人も装填する。

 

「重巡洋艦の四人も、オーケーデスカ?」

「大丈夫じゃ」

 

重巡洋艦娘四人のリーダー、利根が首尾良く返事をする。

 

彼女たちの連携はあの利根が指揮をしている。

リーダーとして頼れるし、何より指示が的確というのが頼もしい。

 

ネルソン参謀はあえて、艦種別にリーダーを決めていた。

 

元々艦隊を二つにばらけさせるのが当初からの計画であったからだ。

艦種別に分ける方法。

均等に戦力を分ける方法。

やや偏りを出して敵を誘導する方法。この三種が主な作戦概要である。

 

「ッ! 先頭飛行隊、交戦に入りました!」

 

赤城から全艦への無線。

敵側に傍受されていてはマズイので無線封鎖をしくべきなのだが、ギリギリまではその必要は無いだろう。

 

重要な作戦は秘匿してあるし、もう既に動き出している。

 

「三式弾、発射ようい!」

 

戦艦娘四人が砲を構える。狙う先は、味方艦載機の撃ちもらした敵艦載機。

 

「――――撃ちます! ファイヤーッ!!」

 

時限信管式の対空砲弾が空中で爆ぜる。

 

次々と敵機が打ち落とされるが、そのうちの数機はまだ残っており、頭上付近へと接近した。

虫の羽音のような低温を響かせながら、腹に抱えた爆弾を上空から降らせてくる。

 

爆発音。周囲の海水が飛び散り、潮の香りが辺りに霧散した。

 

「ッ! 被害は!?」

 

視界が晴れると同時に叫び、辺りを見るが、誰も損傷はしていなかった。

航空優勢、空はこちらに有利となった。

 

「これより砲雷撃戦に入りマス! ――――散開!」

 

右へ榛名と比叡、左へ霧島と金剛が回頭する。

速力を上げ、その後ろに空母、重巡洋艦が均等に分かれてくっついてくる。

 

戦艦二、重巡二、空母一の輪形陣。

これが瞬時に二艦隊出来上がった。

 

大きく両サイドへと広がっていく。

移動しながらも狙いは敵駆逐艦、最前列の集団へと付けていく。

 

直後、敵が撃ってきた。

戦艦級の砲撃が金剛、霧島側の輪形陣を襲う。

霧島のすぐ後ろにいた赤城が顔をしかめた。

 

砲弾がまとまって降ってくる。ヒルルルルルルーと言う高い音と共に、辺りの海面を穿っていった。

 

集中的に金剛サイドを攻撃する深海棲艦に対して、榛名、比叡側はその隙を逃さなかった。

 

「金剛お姉様に砲撃をするなど、この比叡が許しません!」

「そんな勝手は、榛名も、許しません!!」

 

二人の砲が火を噴いた。

時間差で重巡二人の砲火も加わる。そのうちの一人は利根であった。

 

「前列の駆逐艦は仕留めたようじゃ! 二列目の軽巡はどうすればええ!?」

 

利根が叫ぶ。

敵の砲撃が少なからずこちらにも飛来していた。

水しぶきが顔に散ってくる。

 

その問いには榛名が答えた。

 

「再装填に時間が掛かります! 二列目は金剛お姉様と霧島に任せましょう!」

 

数秒後、金剛達のいる辺りからすさまじい砲弾が発射される。

 

榛名の言葉通り、寸分違わぬ狙いで二列目の軽巡、駆逐級を大破撃沈させた金剛達は、そのまま敵の側面へと躍り出た。

 

とっくの昔に無線は封鎖してある。

直接言葉を交わさなくとも、長年の信頼と連携の成せる技であった。

 

敵の護衛駆逐艦と軽巡洋艦は全滅。

残るは戦艦級と重巡級。そして、

 

「げ……フラグシップのヲ級デース」

 

しかも三隻であった。

 

怨嗟のこもった黄黒色のオーラを纏い、艦載機をしきりに吐き出している三隻のヲ級。

 

それらを墜とされるのを嫌うかのように、重巡リ級と戦艦タ級、ル級が囲って防御陣をしいている。

 

二十隻あるうちの十隻は駆逐と軽巡であった。

つまり既に半分の数は沈めていたが、戦力的にはここからが正念場である。

 

敵は輪形陣。

中央のヲ級を仕留めるには、まず戦艦と重巡洋艦を黙らせなければならない。

 

「あれは固そうです。どうしますか、金剛お姉様」

 

霧島が敵を睨んだまま金剛へと聞いた。

金剛は上空の敵艦載機に注意をしながら、返答する。

 

「このまま敵の側面から注意を惹きつつ、榛名達の砲撃を通りやすくするデース」

「しかしそれではヲ級が……」

「大丈夫。ネルソン参謀を信じるネ」

 

ウインクをしながら、金剛は三式弾を装填、ヲ級が吐き出した艦載機に向かって牽制射撃を始める。

 

「上はワタシと赤城に任せて、残りのみんなはあいつら(戦艦・重巡)をお願いシマース!!」

「艦載機の皆さん、発艦してください!」

 

赤城が戦闘機を撃ち放つ。金剛が別方向へ三式弾を叩き込む。

 

霧島と、後ろに続く二隻の重巡洋艦娘、愛宕と高雄は、それぞれの砲を仰角に設定。

前方に見える戦艦タ級に砲撃を加えはじめた。

 

「あくまで敵の注意がこちらに向けばオーケーネ! 深追いはノーなんだから!」

「わかってます!!」

 

霧島の砲撃はタ級に命中。

中破させた。

しかしまだ一隻だけである。

 

「ん~やっぱり固いですねぇ~」

 

愛宕は眉を八の字に曲げながら、それでいてどこか楽しそうな声色で砲撃を続けている。

 

「あれでは利根と筑摩の武装でも抜ききれないかもしれませんね」

 

高雄は本気で心配していた。

 

こちらが囮に出るのであれば、向こうが確実に敵を黙らせてくれなければならない。

そうでなければこちらが一方的に叩かれる。

 

しかし、味方を信用して初めて成り立つのがこの連携戦である。

今までこのような、一つの連合艦隊を戦闘海域で二つに分けるなどという戦い方はしたことがなかった。

 

だが、やるしかない。

ネルソン参謀の作戦に成功を願う、ただその一念のみを今は抱えることにした。

 

一方の比叡、榛名側。

 

金剛達の意図を汲み取り、あえてゆるめに敵前方へ布陣する。

そうすることで敵が侵攻しにくくなり、自然と敵は前進速度を緩める。相手の動きが緩慢になればこちらの砲撃も当たりやすい。

 

そして何より、今のこの状況こそが、ネルソン参謀の望んだ戦況である。

 

榛名と比叡は徹甲弾を装填、群がる戦艦群へと斉射した。

続いて利根、筑摩の砲火も、金剛達へ向いている重巡リ級の後ろを叩いた。大破させる。

 

「この調子じゃな。筑摩には負けん!」

「私ではなく、深海棲艦と勝負をして下さいね」

「わかっておる」

 

次々と砲撃を加える。

その間、四隻の大型艦に守られるように巡航する加賀は、榛名の後ろで空をずっと見つめていた。

 

赤城の艦載機が圧されている。

金剛の三式弾を敵が嫌っているために、赤城の航空機へ戦力が集中し始めていた。

 

「このままではマズイですね……皆さん、頼みます」

 

矢をつがえ、赤城の艦載機がいる辺りへ引き放つ。

瞬く間に戦闘機に姿を変え、彼女の援護へと回っていった。

 

搭乗員の妖精が親指を立ててニコリとしていたのがよく見えた。良い子だ。

 

この戦いで赤城、加賀の両艦とも戦闘機以外を出撃させていない。

 

だがそれで良かった。

 

もしこれで艦爆や艦攻を発艦させていたら、間違いなく全てたたき落とされていただろう。

それどころか、防空網が薄くなることで敵の艦載機の攻撃をもろに被っていたかもしれない。

 

フラグシップのヲ級は侮れない。三隻ともなると言わずもがなだ。

 

こちらの空からの対艦攻撃は出来ないが、まぁ、やられるよりかは別に良い。

 

それに無理に仕掛ける必要は無い。

こちらの作戦は順調に進んでいるようだったから。

 

 

 

 

海の中。

 

くぐもった、腹に響く砲撃音が上から聞こえてくる。

 

しかしその吐き出された砲弾は、潜水艦に届くことは絶対にない。

浮上しない限り、戦艦や重巡洋艦なんぞただの浮遊物に過ぎなかった。

 

その安心感があってこそ、この作戦を承諾できた。

 

「……まったく。いくらゴーヤたちが強いからって、こんなメチャクチャな作戦は思いつかないでち」

「そうですよね。帰ったらネルソン参謀にシュートーレン作らせてやります」

 

伊58と伊8。

ゴーヤとハチは、二人並んで深海棲艦の真下を潜行していた。

 

上を見上げる。丁度その視線の先に、空母ヲ級が二隻いた。

 

「右はゴーヤがやるでち」

「では左を私が」

 

瞬時に決める。ゴーヤは手に持っていた酸素魚雷を、

 

「…………」

 

しまった。これでもう、魚雷を撃つことは出来ない。

ハチも同じようにして酸素魚雷を格納した。

 

代わりに二人が取り出したのは、頑丈そうなロープであった。

 

「んじゃ、行くでち」

 

急速浮上。

みるみるうちにヲ級の足が近づいてくる。

 

瞬く間にゼロ距離となった二人は、そのまま海面に顔を出した。

 

「ぷはーッ! 海の中からコンニチワー、ゴーヤだよ☆」

「ヲッ!?」

 

驚愕の表情を浮かべるヲ級。その様子は、何が起きているのか理解出来ていなかった。

 

「海の中は良いよねー。やっぱ……沈めてナンボよね」

 

ゴーヤはヲ級の足に素早くロープをくくりつける。

 

未だに何が起きているのかわかっていないヲ級は、しかし本能で危険を察知したのか、大急ぎでその場から逃げようとした。

 

「もう遅いでち」

 

結んだロープの先を一気に引っ張りながら海中へと急速潜行。

 

じたばたと暴れるヲ級は、瞬く間に膝、腰、胸と海水に浸かっていき、徐々に力が無くなっていくのか、動きが緩慢になっていった。

 

海水を飲んだのか、苦しそうにむせながら、必死に両手でもがいている。

 

そのまま引き込む。

 

「ヲ…………」

 

最後には、諦めたような、そして泣きそうな表情で海中へと全身を沈めていった。

 

「魚雷じゃ装甲が抜けないかもしれないから、確実に沈めるために引っ張り込む……ネルソン参謀はメチャクチャでち」

 

一言呟いたゴーヤは、後ろを振り返る。

 

力なく沈んだヲ級を抱え、余ったロープで手足と体をしっかりと縛り付ける。

 

そして腰の入れ物から、携行型の小さな酸素ボンベを取り出し、ヲ級の口に装着した。

 

「沈む前にあんな顔されたら、やっぱり良心が痛むでち」

 

ヲ級は気絶したまま、海中をゴーヤに連れられて漂っていった。

 

 

 

 

一方ハチも、同じように浮上して、同じように足にロープを巻き付けていた。

 

しかし、

 

「ん……気付かれましたか」

 

三隻目のヲ級がこちらに振り返っていた。

ゴーヤの方はもう任務を完了したらしい。

 

「予定通りです。あなたにはロープの代わりに、これをさしあげましょう」

 

ハチは腰から魚雷を取り出す。

信管がむき出しになった、少しでも衝撃を加えれば爆発するように調節されているもの。

 

それを、投げた。三隻目に向かって。

 

足にロープを結ばれているヲ級が、驚愕の表情で目を見開いていた。

 

放物線を描きながら海面上を飛来した魚雷は、みごと三隻目のヲ級の頭に命中。あれでもう艦載機は飛ばせない。

 

ハチはそれを確認すると同時に急速潜行。

縛り付けたロープの先を持って海中へと引き込んだ。

 

潜行する直前に見えた二隻目のヲ級の顔は、「お前のような潜水艦がいるか」という顔をしていた。

 

「いるわよ。あなたたちの方にはいないでしょうけど」

 

海中で気絶したフラグシップのヲ級を縛り上げ、小さな酸素ボンベを口に付けて任務は完了した。

 

 

 

 

海上は騒然となっていた。主に深海棲艦側が。

 

守っていたはずの空母たちが、瞬く間に二隻は消失、残る一隻も再起不能の大破となっている。

 

慌てふためき混乱する戦艦と重巡洋艦たちだったが、さすがにフラグシップに付いていた主力艦隊である。

 

立て直しも早く、一目散に撤退しようとした。

 

そこを逃すほど、金剛達は甘くはない。

 

後退し始めた深海棲艦の少し前にばらけさせて砲弾を落とし、深海棲艦が完全に回頭したのを見計らって前方から後方へ舐めるように砲弾を浴びせかける。

 

前からも後ろからも攻撃をされ、先頭を切っていた戦艦は直撃を受けて轟沈した。

統率力が著しく低下している。

 

各個撃破。

散り散りになった深海棲艦を海の藻屑にかえるのに、それほど時間は掛からなかった。

 

 

金剛以下、潜水艦を含む変則編成の連合艦隊は、自軍損害ゼロ、敵軍撃沈十八、拿捕二。

 

空前絶後の大勝利であった。

 

 

 

 

 



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第十一話 私の転生Ⅷ

ホレーショ=ネルソン。

 

白銀の髪に隻眼隻腕。

天真爛漫で勉強家。

日本海軍に突如現れ、初の作戦立案にも関わらず、史上希に見る大勝利を飾った上、敵を二体も生け捕りにするという類い希なる活躍を見せた美女。

 

そんな噂は瞬く間に海軍軍令部に広まっていった。

 

ゴーヤとハチが敵の拿捕作戦に成功したさらにその半年後。

私は晴れて正式に、この国、日本での海軍将校へなることが出来た。

 

敵の拿捕。

 

それも生きたまま捕らえたことは、相当に大きな戦果だったらしい。

 

研究と作戦。

そのどちらにも大きな功績を残した私は、士官学校へ在学することもなく、その能力を買われて一発で将校へとなることが出来た。

 

階級は大尉。

この鎮守府の指揮官も私と一緒に昇格し、今では大佐となっている。

 

様々な権限も与えられ、正式に海軍の将校となったため、私が望めば艦娘と鎮守府をすぐにでも用意する。

 

そうまで言われるほどに私はこの世界、この時代へと立場を擁立することが出来た。

 

 

この半年間は、長いようで短かった。

しかし同時に私は様々なことを発見した。

 

まずは艦娘について。

彼女たちには「妖精」というものが見えている。

否、彼女たちだけではなく、どうやら私にも見えている。

 

大きさはまちまちで、手のひらサイズの者もいれば、膝に頭が届くくらいの奴もいる。

 

彼女たちの存在は、艦娘に関わるありとあらゆる所に見え隠れしていた。

艦娘の艤装。艦娘の工廠。艦娘の私室に至るまで、本当に、あらゆる所へ。

 

そして私も例外ではない。

私に至っては、私の頭の中にその妖精がいる。

 

名前は応急修理女神。私をこの世界に引き込んだ張本人である。

 

彼女が妖精の一種だと気がつくのにそれほど時間は掛からなかった。

ひっきりなしに金剛が、

 

「ネルソン参謀は絶対に艦娘デース! きっと艤装をうっかりなくしちゃった娘なだけデース!!」

 

と騒ぎ立てて大事になってしまったからだ。

 

私は艦娘ではない。

女神にも直接聞いた。

間違いはない。

 

ただ、艦娘が私を艦娘だと思ってしまうのは、この女神に原因があるらしかった。

 

艦娘は艤装と一心同体である。

体の半分は艤装であり、彼女たちが〝艦娘〟であるためにはその艤装が必要不可欠である。

 

そして艤装には妖精が宿り、彼女たちはその妖精を体の一部として受け入れている。

 

体の一部に妖精が宿る。

 

そういう解釈をしても良い。

そしてこの場合私は〝体の一部に妖精が宿る〟という状態になっている。

 

それ故に金剛は私が艦娘に見えて仕方がないのだろう。

当然だが私に艤装はない。

 

鎮守府にいる全ての艦娘に、私がどういう人間なのかを説明した。

 

別に隠すことでもない。

この世界でやっていくからには、いずれ全てを話さなければならないのだ。

無理矢理艤装を付けられて海に放り出される前に明かしておいた方が良い。

 

驚いた者もいれば、知っていたようなそぶりをする者もいる。

様々な反応であったのだが、みんな等しく私のことを認めてくれた。

 

私は受け入れられたのだ。

別に受け入れられるかどうかが問題なのではなかったが、それでも、改めて彼女たちと何かがつながれたような気がした。

 

応急修理女神がどういう存在なのかは私もわからない。

私の味方で、艦娘の妖精で、一種この世界の神のような存在である。

 

わかるはずはない。

だから別にわからなくても良いのだろう。

仲が良ければそれでいい。

 

 

味方がわかって、敵もわかる。

 

ハチとゴーヤが連れ帰ったヲ級のうち、ハチの方は研究機関へ引き渡した。

眠りが深く、こちらの方が研究個体として適正だったらしい。

もう一体の、ゴーヤの方は鎮守府に残った。

 

残ったと言っても半ば拘留。

装備は取り上げ、手足は拘束し、少しでも怪しい動きを見せたらすぐに処分できるよう準備をした。

 

私は捕らえたヲ級と話をした。

ゴーヤが連れ帰ったヲ級の方だ。

 

「…………」

 

ヲ級は怯えていた。今にも泣きそうな瞳をこちらに向ける。

小刻みに手足が震えている。私から目を反らさない。

 

ベッドに手足を拘束され、頭の発着艦装備を取り上げられ、装備という装備をはぎ取られた状態である。

 

まるで人だった。ただの、恐怖に怯える少女に見える。

 

見た目は限りなく人の造形。

髪もあれば手足もある。

私の容姿と比べてしまえば、よっぽど私よりも人間である。

あくまで容姿だけならだが。

 

だが、彼女は感情を見せていた。

怯えという立派な感情である。

得体の知れないバケモノにも、人が見せる感情と寸分違わぬものを持っている。

目の前の少女はそうである。

 

「私の言葉が、わかるか」

 

ヲ級はここに来てしばらく経つ。

一週間ほどか。その間、私達は何も与えていない。

 

彼女等(深海棲艦)が何を食べ、何を飲むのかがわからなかったから。

それでも何も変化はない。一体どういう構造をしているのか。

 

「私の言葉、わかるか?」

 

英語で話しかける。

この鎮守府の艦娘で、私の言葉がわかる者はそうそういない。そう考えるとこの質問はおかしいか。

 

「…………ヲ」

 

一言、そう言った。いや鳴いた、か。それは返事ではないだろう。

 

人間の声に酷似していた。

ただ「を」っと発音すれば真似が出来るような、そんな鳴き声であった。

 

つまり彼女は人間の声帯を持っている。

研究次第かもしれないが、もしかすると人の言葉がしゃべれるようになるかもしれない。

 

「…………私と一緒に、日本語の勉強でもしてみるか」

 

ほほえみかけながらそう問うと、彼女は少しだけ、警戒と怯えを緩めたように感じられた。

 

 

その他わかったことと言えば、主に海域についてだろう。

 

私は海域を攻め続けた。

目標開放率五十パーセントと言われた海域を、三ヶ月かけて何度も攻め、ついには九十パーセント近くまで解放した。

 

何度も大群と衝突したが、その度に上手く撃退、あるいは撃沈し、連戦に連勝とは言わずとも、最低でも引き分けまで持ち込んだ。

 

だが、解放には至らなかった。できなかった。

 

何度同じルートを進行させても、何度同じ方角から進撃させても、どういう訳か毎回全く違う場所から帰還してくる。

 

航行中に航路がずれているとしか思えなかった。これは不思議であった。

 

やはり羅針盤がないことが影響しているのだろうか。

そのわりにはちゃんと、艦娘は遭難せず帰ってくる。

方向感覚を見失っているわけではない。

ではなぜ……。

 

考えてもわからなかった。

女神に聞いてもわからなかった。

彼女にも、検討が付かないらしい。

なるべく原因は早い内に見つけたい。

そうしなければいつまで経っても海域は深海棲艦のものである。

 

しかし、八方ふさがりな気がしてならない。

ヲ級の研究、あるいは鎮守府のヲ級の教育が進めば、何か手がかりがつかめるかも。

 

その程度の期待しか出来ないのが現状であった。

故に保留である。未来の私に託してみよう。

 

 

 

 

そうして過ぎた半年は、次第に一年。

 

二年。

五年。

十年。

 

特に代わり映え無く、特に進歩することもなく、したのは私の日本語と、ヲ級の日本語だけである。

 

むろん艦娘の練度は上がり続け、私は中佐となり、指揮官は少将となった。

 

同じ海域、違う敵、違う航路。

 

訳がわからない。

十年戦って一度たりとも同じ編成の艦隊に出くわしていない。

 

その度に戦法を変え、作戦を変え、中には共通の戦法でも通じる者もいた。だが大半は通用しない。その度に私は頭をひねった。

 

攻めては押し返されている同じ海域は、どういう訳かこちらの艦隊が消耗していなくても、向こうが圧していることもある。

 

負けていないのに、圧されている。

一戦一戦は勝っている。

 

だと言うのに、まるでのれんを叩いているかのように、全く手応えを感じない。

 

感じなかった手応えはそのままこちらへと入ってきて、いつの間にか戦線が下がっている。

 

しかし深海棲艦は一定以上は踏み込めていない。

こちらの防衛線を突破してくることはない。

最終防衛線を、少なくともこの十年は破られていない。

 

戻された戦線を再び押し上げ、押し続け、気付けば再び戻される。

 

訳がわからない。

さすがの私も迷ってしまう。

何か間違えているのではないか。

根本から何か違うのではないかと。

 

不安になる度に指揮官や女神に相談した。

だが彼、彼女も全く原理がわかって居らず、正直完全にお手上げだった。

 

その事に気付いているのが、この鎮守府の、私達だけであることも問題だった。

 

はっきりいって、本部は無能である。

十年戦ってわかったが、彼等は何の成長もしていない。

 

目先の勝利。

目先の戦果。

 

そればかりを見ているが為に、私達の鎮守府は連戦連勝。

その功績により、全海域が人間の手に帰る未来はそう遠くないと思っている。

全くそんな事はない。

 

気持ちはわかる。

たしかに一戦ごとに見てみれば、とうの昔に世界を三つは取れている。

 

だが実際の現状を理解していない。

なぜ彼等がわからないのかすらもわからない。

本当に彼等は海域踏破率が伸びていると思っているのだろうか。

 

思っているのだ。だからこそ私達の階級は上がり続けている。

 

無能な本部と、不可解な海域。

 

どうしようもなくストレスがたまる。

十年も、精神に異常を来すこともなくやってこられたのが不思議に思う。

 

いや、なぜここまでやってこられたのか。

その答えはわかっている。

ひとえに艦娘と学友がいたからだ。

 

艦娘は、見ているだけで励みになった。

特に駆逐艦は面白い。

個性という言葉は彼女たちのためにあるのだろう。

そう思えるほどにほほえましかった。

 

このあいだなんかは。

 

駆逐艦の子たちがそろって、一緒に風呂に入ろうと提案してきた。

この鎮守府の駆逐艦全員がだ。

ざっと十五人ほどだろう。

 

私の手を引き、大浴場へ行き、各々服を脱いでは湯船に飛び込んでいった。

 

駆逐艦は元気が取り柄。

そう思ったわたしの目に、一人の少女が映っていた。

 

彼女は脱衣場の隅で呆然と突っ立ていた。

私の後ろを歩いていた子だ。

彼女も私と同様、手を引かれていた。

 

その子は今朝配属されたばかりだった。

私の所にはまだ正式な挨拶に来ていない。

 

来て早々、元気な駆逐艦たちの気迫に圧倒されたのかな。

 

私はそう思い、彼女の元まで行き、しゃがんで目線を合わせてあげた。

話しかける。

 

「きみも一緒に入ろう」

「ウチ軽空母や……」

 

名前を聞き、艦娘になる前の実年齢を聞き、再三私は頭を下げて彼女を寮へと送っていった。

 

面白い学友もいる。

 

十年前にここへ来た、一体の深海棲艦だ。空母ヲ級だ。

 

ヲ級が鎮守府に来てしばらくの頃。

 

最初の一ヶ月間は拘束していく方針だった。

食べ物と飲み物、これをどうするかが先決の問題として迫っていた。

 

流石に二週間、何も飲ませてやれないでいると、彼女は見るからに憔悴していた。

 

目はうつろになり、怯えの表情はなくなり、全体的にぐったりとしている。

 

ベッドに拘束されたまま、彼女はこの二週間、一時たりとも暴れなかった。

私が見に来たときも、話しかけたときも、抵抗するそぶりは見せなかった。

 

私は捕らえた敵兵が弱っていくのを見て、恩情をかけようとは思わない。もし情けの心を持ってしまえば、それは軍人として欠陥である。

 

……と、生前の私なら思っていた。

だが日本のことを金剛にいろいろと聞いて、なるほど素晴らしい国だと納得したことがある。

 

金剛はそれを武士道と言った。

 

「〝敵意なきは敵にあらず。〟あの戦い(太平洋戦争)でも、この教えに則って敵兵を救助した艦長がいるネ」

 

私はそれを聞き、考えを改めた。

 

捕虜であろうと、敵であろうと、一切の敵意も持たず、ただ怯え恐怖の瞳を向ける者に、このような扱いはあんまりだと。

 

甘い考えかもしれない。

拘束を解いた瞬間に、暴れ出して被害が出るかもしれない。

 

相手はバケモノだ。

憔悴している演技かもしれない。

 

そういう考えはあった。

だが、それがわかっているのなら、暴れることも考慮しながら拘束を解いてやればいい。

 

もとより彼女を殺すつもりはない。

これは温情ではないし、例え温情だったとしても、別に良いではないか。

 

暴れるかもしれないから縛っておく。

それは、暴れられたら勝つことの出来ない弱者の発想だ。

 

私達は違う。

たとえ彼女が暴れようとも大丈夫だ。

 

拘束器具をゆっくりと外す。

隣にいる指揮官は、やや距離を取っていた。

彼は警戒しているのか。

 

だが、彼は止めない。

目の前のバケモノを、バケモノでも、それでもこのまま拘束したまま生きながらえさせるのは道理が違う。

彼の表情はそう告げていた。

 

結局、ヲ級は暴れなかった。

うつろな目で私を見て、外された拘束具を見て、力なく笑った。

 

……笑った。

少しだけ口角を上げ、でも確かに、彼女は微笑んでいた。

 

「やっと信じてくれた」とでも言いたげな目で。

 

ヲ級の背中を支えてやり、ベッドの上に座らせる。

水を入れたコップを渡してやると、彼女は私を見た。

 

「飲んで良いぞ」

 

言葉が通じたとは思えない。

だが彼女は両手で、危なげに、コップを持って一口飲んだ。

 

続けて飲む。

んく、んく、んく、と幼い子供が飲み物を飲んでいるかのように、彼女は水を飲んでいた。

 

「……ヲ」

 

笑顔で、そう鳴きながら、飲み終わったコップを差し出してきた。

 

それからの彼女の回復は早かった。

 

飲み物も食べ物も、人間と同じ物で良かったのだ。

なんでも嬉しそうに食べるし、何でも美味しそうに飲む。

 

私が鉄砲飴を一つくれてやると、彼女はよほど美味しかったらしい。

私の真似なのかはわからないが、両手を頬に当てて嬉しそうに飛び回っていた。

相変わらず「ヲッ!」としか言わないが、上機嫌の時には必ずそう言っている。

気に入ってくれて何よりだ。

 

そして当初の目論見通り、私は彼女と日本語を学んだ。

教えて貰うのは鎮守府にいる艦娘たちからだ。

 

作戦指揮で深海棲艦を沈めた後に、ヲ級と一緒に勉学に励む。

複雑な気持ちが最初はしたが、彼女は気にかける様子はない。

と言うより、鎮守府陣営にいる事の方がまるで楽しいかのようなそぶりを見せる。

 

一度モニターを見せたこともある。

 

ある程度私も日本語がしゃべれるようになった時。

ヲ級もまた、片言だが日本語がしゃべれていた。

 

確かヲ級が来てから五年が経過していたはずだ。

 

あのときは、ヲ級から提案してきた。

 

「ワタシモ、ミタイ。タタカウノ、ミタイ」

 

といった感じで。

 

作戦司令室に入れるのには迷った。

倒される深海棲艦を見て暴れるかもしれない。

 

だが一方で、もし何ともなければ、海域の謎が解けるかもしれない。

深海棲艦なら何か知っているかもしれない。

リスクはあるがリターンもある。

 

そう思い、護身用に武装した艦娘と共にモニターを見せた。

 

「コンゴウ! コンゴウ! ガンバレッ!」

 

モニターの中では、金剛が戦っている。

先頭に立って戦艦ル級と撃ち合いをしている。

 

その光景を、ヲ級は、両手を胸の前で握ってぷるぷると上下に振りながら、金剛を(・・・)応援していた。

 

結果は良い方向に傾いた。

艦娘と日本語の勉強をしていたのが大きくプラスに働いた。

金剛には特にお世話になっているからな。

 

海域の謎も、もう少し日本語が上手くなって、高度な会話が出来るようになったら聞いてみよう、とあのときは思った。

 

十年経ってもまだ上手にはしゃべれないので、もう数年待つことになるけどな。

 

彼女は完全に鎮守府側だ。

もはや容姿以外に深海棲艦だと言える物がない。

いや、その容姿すらも、金色に光る瞳を含めてだんだんと真人間らしくなってきた。

 

私とおそろいの白銀の髪に、金色の瞳。

実は服装も、日によっては深海棲艦の服ではなく、ジャージやセーラー服を身に纏っている。

 

彼女が自分で選ぶのだ。

今日はこれが良い、と私に見せてくる。

 

彼女は私の部屋に住んでいる。

一緒に勉強しているうちに、私と一緒が良いと言い出した。

そう言うのならば、別に断る理由もない。

 

そして毎朝起きると、

 

「ネルソン、コレ、キョウハコレ」

 

とクローゼットから引っ張り出してくるのだ。

たまに水着を持ってくるので、そう言う日は風呂場で水浴びをさせる。

別の服を持ってきてやっても良いのだけどな。

たぶん泳ぎたいのだろう。

 

その水着が、私の部屋のではなく、潜水艦娘の部屋から持ってきた物であったときには、流石に変えざるを得なかった。

入らないからな。いろいろと。

 

 

 

 

そんな感じの十年間であった。

 

ストレスや悩みも深かったが、それを埋めるように楽しい仲間と友人が出来た。

願わくはずっと共にしたい。

ずっと共に生きていたい。

 

十年経った。

 

指揮官もそれなりに貫禄が出て来た。

寡黙で冷静で適切に戦場の指揮を執る。

 

唯一、私が鉄砲飴に舌鼓をうっているとき、その、私を見ているときの顔が欠点だが。

せっかくの貫禄も台無しになるほど、頬を赤らめるからな。

 

彼は若いが、青臭くはない。

もう立派な指揮官だ。

 

だが私は、ホレーショ=ネルソンは年を取らない。

貫禄も小じわも出てこない。

それを知っているのは私自身と、指揮官と、この鎮守府の艦娘だ。

 

――――そう。本部の人間は、私が不老であることを知らない。

 

私が別時代、別世界から来ていることを、一つも知っていないのだ。

 

本部に知らせるのはまずい。

何かされるかもしれない。

 

艦娘にそう言われ、指揮官にもそう言われ、私は転生した身分を隠すことに決め込んだ。

 

これからは内緒だ。

謎の美人。

ホレーショネルソン参謀の生い立ちは、もう誰にも話さない。

 

そう決めた時から二十年。

私がこの世界に来てから三十年。

あっさりとバレた。だって年取らないもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十二話 私の転生Ⅸ

三十年間容姿の変わらない女がいる。

 

それだけで充分に怪しかった。

鎮守府から異動した艦娘が情報をもらしてしまったのかとも思ったが、そもそも隠した方が良いことを提案してきたのは艦娘たちだ。

 

彼女たち全員の口が堅かったかと言えば首を傾げるよりほかないが、とは言えバレた理由はそれが原因ではないだろう。

 

三十年経っても若々しいまま。

この世界に来た時の見た目年齢が二十代中盤から後半だとしたら、三十年後は五十代だ。

 

私の生前よりも年を食っている。

皺の一つもないようなおばちゃんなどいないだろう。

 

私は本部から審問にかけられた。

 

何者なのか。

どこから来たのか。

何が目的なのか。

この先どうするのか。

 

答えようのない物は答えられなかったが、知っていることは全て話した。

 

嘘偽りなく全てだ。

 

だがまぁ、そう簡単に信じてもらえるわけではない。

そりゃそうだ。

突拍子がなさ過ぎる。

 

本部の連中も大体中身が入れ替わっていて、私がこの世界に来た時にはまだ若かった連中もいただろう。

 

面識がないわけではない。

私の活躍に憧れていた連中も、それなりに偉くはなっていた。

 

私が立てた作戦で動いた奴もいただろう。

手助けをしてやった奴もいた。

少しの間だが、作戦立案に対して教えを説いてやる事もあった。

 

そういった連中だけで人員が構成されていたならば、本部の動きも変わったかもしれない。

 

だが一枚岩の軍事組織なんぞ、この世にはない。

 

私を快く思わない連中もたくさんいる。

憎むとまでは行かないだろうが、老いを見せない、得体の知れない参謀がうなぎ登りで昇進するのだ。

 

嫉妬と憎悪と権力にまみれた人間は、私を簡単に追い詰めた。

 

むろん、指揮官は猛反発して私を庇ってくれていた。

だが一塊の指揮官に過ぎない彼には、いくら階級や功績があろうとも、出来ることに限界が来る。

巨大な権力には勝てなかった。

 

本部は私を、海軍から追い出した。

 

理由はいくらでもつけられた。

正体もわからず、出自も不明。

 

あげく不老などという常識から逸脱した存在を、国防の要に置くことは出来ない、と。

 

その国防に貢献していたのは誰だと問うてやりたかったが、私一人でやっていたわけではないし、彼等の力でなら、私の功績そのものを抹消することも出来るだろう。

 

過去三十年分の私の功績を、指揮官一人のものに移し替えれば済むものだ。

 

階級と軍籍を剥奪され、身元が証明されるまでは、軍に近づくことは許されなくなった。

 

つまり、半永久的に追放だ。

身元の証明など出来るはずもない。

まず出自がないのだから、私にはどうすることも出来なかった。

 

「ちょっとずさんだったんじゃないか、女神」

 

鎮守府を去る一日前。

静かな自室で、真っ昼間からベッドに転がり、私は一人呟いた。

 

『こんな事になるとは思わなかった……ごめん』

「いや、私にも落ち度があるだろう。なにか、もっとこう、早い段階で行動できていたかもしれない」

『だったとしても、先のことを見通せなかったわたしが悪いよ』

「まぁ、違いないな」

 

力なく笑う。

 

やり残したことが多すぎる。

命を救ってくれたお返しに、この鎮守府で、海域を奪還すると決めていたはずだ。

 

恩を返すと。倍にして返すと。

 

倍どころか相当分も返せていない。

海域は未だ一つも開放できずに、ただ、無意味に三十年を過ごしてしまった。

 

あんな訳のわからない状態じゃ仕方が無いとも思えるが、それを研究して、解明して、乗り越える必要があっただろう。

 

それが私には出来なかった。

結局謎は未解決。

先延ばしにした結果がこのザマだ。

 

「これからどうしよっか」

 

誰に聞いたわけでもなく、ただそう言葉が出た。

しかし女神は答えてくれた。

 

『軍部を離れて、一般人として生活するのさ』

「それじゃお前の願いは叶えられないぞ」

『どっちみち今のままじゃ変わらないよ。軍にいても、離れても、戦争が終わることはない』

「……そうだな」

 

私はベッドから起き上がり、姿鏡の前に経つ。

 

「この姿も、見納めか」

 

着古した真っ白の海軍制服。

右の袖はだらりと垂れ、金色のボタンはくすんでいる。

 

三十年間お世話になった制服だ。

正装の黒マントも何度も着た。

右手を隠すために考えられたデザインだが、私はあれが気に入っている。

かっこいいからな。

 

もうこの制服に袖を通すことはない。

何とかして軍部に戻って来られたら、あるいはあり得るかもしれないが、確率は低い。

 

出自の証明は出来ないし、当然偽造するわけにも行かない。

残された可能性は私の能力が必要とされたときだけだろう。

 

限りなく、その可能性はない。

 

私がこの世界に来る前は、私がいなくとも、日本が消滅することはなかった。

 

艦娘がいれば最終防衛戦を守ることは出来るからだ。

私は海域を攻められるが、攻める必要がないのなら、当然私も必要ない。

 

長い間戦えば、国力は疲弊すると思っていたが、全くそんな事もないようだし。

 

日本は島国。

海上輸送が出来なければ、それこそ国家の存亡に関わると思われた。

 

だが実際には、深海棲艦が出て来てから、石油や銅材が各所で取れ、海さえあれば自国で確保してあまりあるほどの現象が起きている。

 

石油を輸入する必要は無い。

食料も、陸路を通って北側から渡す。

距離が短いので楽に持ち込める。

 

技術の進歩こそ無いものの、国が飢え滅びることはない。

深海棲艦の進行をとどめることさえ出来ていれば、国家の存亡は無いに等しい。

 

だからこそ、一般人となっても暮らせるだろうし、仕事があれば金に困ることもない。

 

「……それでいいのか」

 

良いはずはない。

約束した。

この戦いを終わらせると。

 

それは私の義務であり、職務である。

今は無理でも、必ずこの戦争を終わらせる。

 

『そのための不老だしね。殺されない限り、君は不死身だ』

「そうだな。のんびり一般生活を送る間に、海域の研究でもしてみようか」

『時間はたっぷりあるよ。日本語も完璧だから、どこででも働ける』

「どこででもは無理だろう」

 

私は肩をすくめ、そして荷物をまとめに掛かった。

 

とは言え数は少なく、私物はほとんど無いに等しい。

 

思えばこの三十年、ずっと作戦と勉強ばかりだった気がする。

 

別に楽しかったから良いのだが、これからは、もう少し日本の遊びに没頭しても良いのかもしれない。

伝統を学んで、芸術を学んで、遊んでみるのも悪くないな。

 

ふと、古びたノートが取り出された。

 

「あぁ……これか」

 

三十年前、この世界のことを大まかにまとめたノートだった。

ことある事に補足と手書きの絵を書き込んで、それなりにわかりやすくはまとまっている。

 

「ペンは……………っと、あったあった」

 

ノートの後ろの方を開き、空いたスペースに書き込んだ。

 

「〝敵の出没パターンは三十年経っても特定できない。なにかこちらの航行に関して歪みがあるようにも思える〟……っと」

 

思ったこと、わかったことをひたすら書いたノートだが、この文章だけは、ついぞわからなかった事なんだな。

 

いつかわかるようになるといいな。

その時は、海域を開放できるだろう。

 

「んじゃ、挨拶回りに行こうかね」

 

そうして、軍属生活最後の一日は、静かに、幕を閉じなかった。

 

 

 

 

「ネルソン参謀の功績をたたえ、ここに祝福の杯を掲げる! 乾杯!!」

 

指揮官の久々に聞く大声のもと、大ホールに集まった鎮守府所属の全ての艦娘が高らかに叫んだ。

 

「「「「かんぱーい!!!!」」」」

 

時刻は夕方。

 

日が半分ほど沈み、辺りが暗くなり、空が濃い紫色になった頃。

 

仕事を終えた指揮官と全ての艦娘が、数日前から密かに用意していた、私の送別会を開いていた。

 

「指揮官…………ありがとうございます」

 

左目から涙が出る。

嬉しさのあまり感極まってしまった。

こうなったらもう止まらない。

 

いい年した指揮官は照れているのか、目を反らしながら静かに言った。

 

「ずいぶんと世話になったからな」

「お世話になったのは私の方です。命を救って頂き、でも……その恩はお返しできませんでした」

「海域を開放することだけが、その全てではない。君のおかげで得られたものは数えきれんよ」

 

指揮官は小さく笑い、そして小皺の目立つ顔をくしゃりとゆがめ、残念そうな顔をした。

 

「……本部から君を守ろうとしても、出来なかった。私はそっちの方が申し訳なく思う」

「いえいえ。どうしようもありません。いつかはこうなるはずでしたから」

「まぁそうかもしれんがな。せめて……いや、よそう。決まったことを嘆くもんじゃないな」

「そうですよ。死に別れというわけでもありません。ちょくちょく顔は出しに来ます」

「鉄砲飴を抱えて待っていよう」

「ありがたくいただきますね」

 

は、は、は、とにぎやかに笑い、指揮官はどこかへと歩いて行った。

 

その後は、次々と艦娘が話をしに来た。

懐かしい思い出や、これからの生活の話。

どれもこれも、みんな楽しく笑って過ごしていた。

 

送別会、というよりパーティーに近い催しは、様々なイベントが用意されていた。

 

ビンゴゲームやファションショー、艤装を使っての射的大会。

飲めや食えやの大騒ぎで、しかし用意された料理と酒は、どれもとても美味しかった。

 

駆逐艦娘たちと一部の潜水艦娘たちには、まだ酒は早かったのでジュースが用意されていた。

 

空母娘たちが酒で飲み比べを始めると、駆逐艦娘と潜水艦娘がそれを真似し始めた。

 

炭酸ジュースをこれでもかと飲んだゴーヤの腹が、妊婦のようになっていたのには流石に笑った。

 

「苦しいでち……ネルソン参謀、つつかないでぇ……」

「炭酸でやる奴があるか」

 

ゴーヤの顔は苦しそうだったが、幸せそうな顔にも見えた。

しかしスクール水着でその腹はいろいろと思うところがあるな。

 

盛り上がりを見せるパーティー。

各々が存分に楽しみ、存分に飲み、存分に食っている。

 

そんな中、ふと、声をかけられた。

 

「ネルソン」

 

振り向くと、赤色のドレスに身を包んだ、ヲ級が立っていた。

 

そう言えばさっきまでいなかった。

何をしていたのか気になったが、そのまま返事をする。

 

「どうした?」

「話があるから、屋上まで来てほしい」

 

ヲ級は、流暢な日本語でそう言って、静かに去っていった。

 

落ち着いた喋り方と凜とした声。

私と指揮官の声音や喋り方を足して2で割ったような印象を受ける。

 

彼女は成長した。

もう「ヲッ」っとだけ言っていたあの頃の面影はなく、すっかり日本語がしゃべれている。

 

肌も色白の人間と遜色なく、髪も普通に伸びてくる。

今は、私と同じ腰の辺りまで伸ばしている。

 

彼女を深海棲艦だと言っても、もう誰も信じまい。

それほどに彼女はこの三十年間で、人間へと近づいた。

見た目の年齢は全く変わっていないのだが。

 

私は大ホールを出て、階段へと向かった。

 

上がっていき、屋上へと出るドアを開けると、その端の方の柵にもたれ掛かるようにして、ヲ級が海を眺めていた。

 

やや強い風が、首の辺りをなめていった。

私とヲ級の白髪が、月明かりに揺らされた。

隣に立ち、同じようにして柵にもたれ掛かる。

 

「お待たせ」

「いや、そんなに待ってないよ」

 

薄い微笑みを浮かべながら、ヲ級はゆっくりと口を開いた。

 

「明日出るんだよね」

「そうだな」

「……さみしくなるよ」

「私だってそうだろう。これからは、一人で、今までとは違う生き方になる」

「…………」

 

ヲ級は俯いた。いつぞやの、つらそうな、悲しそうな、泣きそうな顔になる。

 

「そんな顔するなよ」

「でも……嫌だな」

「なにが?」

「ネルソンと離ればなれになるの」

 

今生の別れじゃない。

いつもとは言えないが、年に数回は顔が見られる。

そう伝えても、彼女は納得しなかった。

 

月明かりに照らされた彼女の顔は青白く、まるで病弱な少女であるかのようだ。

実際は風邪など引いたこともないが。

 

そんな顔に、何かを決意するような力がこもった。

こちらに振り向き、私の目を見る。

 

「ネルソン。どうして私を連れて行けないの?」

「それは前にも言っただろう。君はこの鎮守府の所属だからだ」

「でも私は軍人じゃない。軍籍があるわけでもないし、所属と言っても籍が置かれている訳じゃない」

「それでも、だめだ」

「どうして?」

「それは…………」

 

言っても良いのだろうか。

彼女は深海棲艦で、私は人間なのだからと。

 

どれだけ人間に近づいても、彼女が深海棲艦であった、否、深海棲艦である事は覆せない。

 

この三十年間で、本部に残る彼女のデータはだいぶ霧散してきてはいる。

彼女よりも、三十年前、ハチが捕らえたもう一体の深海棲艦の方に注目が行ったから。

 

研究体として度外視された彼女は、もしかすると、忘れられているのかもしれない。

本部にはもうデータもない。

資料もない。

うまくいけば、隠し通して彼女を連れ出せるかもしれない。

 

でも指揮官は許さないだろう。

彼女はあくまで深海棲艦。

いくら私がよくっても、世間は彼女を許さない。

 

そうであるなら、指揮官が、許可を出すこともない。

彼はあくまで軍の人間。

この国の守護者だ。

 

それゆえに、連れて行けない。

 

「…………私が、深海棲艦だからでしょ?」

 

ヲ級が、力のこもった目でそう言った。

 

私は非力に頷く事しかできなかった。

思わず彼女から目を反らす。

彼女は私を見つめ続けた。

 

「そんな目で見ないでくれ。私には、どうすることも出来ないんだ」

 

苦し紛れにそうもらす。

事実私にはどうしようもない。

本当は彼女と共に生きていきたい。海域の研究のこともある。

 

彼女から話を聞いても、詳しいことはわからなかった。

でも今まで何の進歩も無かったこの疑問も、あるいは、これから時間をかけて考えればわかってくるかもしれない。

 

彼女自身がそう言ったのだ。

自分たちの住む家をあまりじろじろ観察しないのと同じ事。

時間をかければ何か見つかる、と。

 

研究のことだけではない。

 

楽しかった。

嬉しかった。

 

共に肩を並べて勉学に励むことの出来る友人を持つことが、これほどまでに幸せなこととは思わなかった。

 

最高の相棒で、学友で、親友だ。

ずっと一緒に過ごしたい。

離ればなれにはなりたくない。

 

青臭い考えだと思う。

ばからしい考えだと思う。

でも、それが、私の心を支配していく。

 

もうあきらめはついたはずなのに、それなのに、彼女と離れるのがつらすぎた。

 

いつしかそのつらさは涙となって、左の頬を伝っていた。

 

「ネルソン、泣かないで」

「でも……そう、なんだ……っ……私、だって……」

 

喉の奥がひくつく。

嗚咽が漏れる。

 

こんなにも弱いところが見せられるのも、彼女だけだ。

心から歩み寄れた、ただ一人の、親友。

 

ヲ級が、私よりも頭一つ分小さなヲ級が、やさしく両手を広げて、抱きしめてくれた。

 

「私はネルソンの友達だよ。ずっと一緒。――――ずっと」

 

小さな腕の中で、私は、涙が枯れるまで泣き続けた。

 

 

 

 

翌朝。

 

鎮守府の正面ゲート前。

 

時刻は早朝で、もうそろそろ太陽が顔を出す。

辺りは静まりかえっており、まだまだ世界は就寝中だ。

 

朝靄が、ひんやりと肌を冷やしてくる。

初夏の風が時折吹く。

 

私は私服だった。

真っ白なワンピースである。

頭には、つばの広い麦わら帽子を被っている。

 

艦娘が選んでくれたものだ。

良いセンスをしていると思う。

長いスカートの端が柔らかな風で揺れるのは、見ていて気持ちが良い物であった。

 

「…………」

 

正面ゲートには、三人の人間が立っていた。

 

一人は私、ホレーショ・ネルソン。

一人は指揮官。この鎮守府の最高責任者。

そしてもう一人は、

 

「おはよう、ネルソン」

 

ヲ級だった。

 

彼女は、私と色違いの、黒いワンピースに身を包んでいた。

頭にはおそろいの麦わら帽子。

片手には、旅行バック。

 

「どういう、こと…………だ?」

 

理解が出来ない。

指揮官を見る。

彼は肩をすくめながら、そしてヲ級の背中を押し、小さな声で「自己紹介して」とささやいた。

 

ヲ級はやや緊張した面持ちで、しかし凜とした声でハッキリと言った。

 

「私の名前はフレンダ・ネルソン。あなたの妹にして唯一無二の友人です」

 

ニカッ、っと笑った。イタズラっぽい満面の笑み。

 

…………え、いや、待て、妹? 何を言ってるんだこいつは。

 

「どういうことなんだ、指揮官」

「どうもなにも、そのままさ。彼女は戸籍を〝フレンダ・ネルソン〟として、君の戸籍〝ホレーショ・ネルソン〟の妹となるように位置づけた」

「は………え、どうやって?」

「軍部に手を出されないところなら、私にだって権限はある。というかコネだな。昔ちょっと作った借りを、返して貰っただけさ」

 

指揮官はこともなげにそう言うと、小じわをくしゃりと縮めて笑った。

 

私の戸籍は、確かにある。

いろいろ不便だろうからと、この世界に来てしばらくして指揮官が作ってくれた。

 

軍部に提出する正式な出自として使うことは出来なかったが、それでも私が、この国で生きていくためには不自由しない状態になっている。

 

で、そこに、ヲ級の戸籍を無理矢理作ってねじ込んだのか。

 

信じられん。

 

「なんというか、言葉が出て来ません。でも……」

 

私はヲ級――――否、フレンダの方へ向き直った。ゆっくりと近づき、その小さな肢体を抱きしめる。

 

「これで一緒にいられるんだな」

「よろしく〝おねぇちゃん〟」

 

腕の中でフレンダが笑う。

つられて私も笑ってしまった。

 

お姉ちゃんか。そんな呼ばれ方をしたのは生まれて初めてだ。

 

「……あれ、じゃあ、昨日のあれは、演技だったのか?」

「上手に出来てたでしょ。今日のために一芝居打っとこうと思って」

 

顔を上げたフレンダの顔には、無邪気な笑顔が広がっていた。

 

私は肩をすくめながら、その笑顔を浮かべるほっぺたをプスリと指でさしてやった。

騙されたお返しだ。

 

そのまま指揮官の方に向き直って、改めて頭を下げる。

深く、感謝の意を込めて。

 

「指揮官、本当に、ありがとうございます」

「いい。手ぶらでここ(鎮守府)を去らせるわけにはいかんからな」

 

満足げに指揮官は頷いた。

 

彼女はフレンダ。

深海棲艦などではなく、彼女は、ただの、私の妹で私の親友。

私の家族。

 

そう判断して下さった。彼の裁量で、彼の器で、彼の力で。

 

一日や二日で戸籍がどうにかなるとは思えない。

ということは、ずいぶん前からこうすることに決めていたのか。

 

私が鎮守府を去らなければならないと決まったときから、きっと。

 

本格的に恩が返せなくなりそうだ。

感謝してもし切れない。

 

私は再度礼をして、フレンダの旅装に問題がないことを確認して、

 

「今まで、本当に、お世話になりました」

「こちらこそ」

 

敬礼。

 

 

 

 

ゲートを通り、並んで立ち去る二人の女性を見送りながら、指揮官は、

 

「本当に姉妹にしかみえん」

 

静かにそうつぶやいた。

 

真っ黒なワンピースと、真っ白なワンピース。

おそろいの帽子と、おそろいの白髪。

腰の辺りで揺れるその髪は、ほとんど同じ調子で揺り振れていた。

 

指揮官は心の中で呟いた。

ヲ級がネルソンのフレンダ(友達)として、願わくはずっと側にいられるようにと。

 

 

 



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第十三話 私の転生Ⅹ 俺の召喚

「長くなったが、こんな感じだ」

 

食堂に四人の人間が座っている。

一人は俺。その隣には時雨お姉さん。向かい側に扶桑さんと、ネルソン提督が。

 

ネルソン提督は一息つくと、すっかり冷めた紅茶を煽った。俺もビスケットを一つつまむ。

 

ネルソン提督の、この世界に来てからの三十年間。それを二時間かけて話して貰った。

時計は午後の十時を指している。まだ風呂にも入ってないが、左足の傷に障るので入るわけにはいかないだろう。

今日もタオルで拭くだけかな。

 

だが、まだ話したいことがたくさんある。このままお開きにするのは望ましくない。

 

「ネルソン提督」

「なんだい、少年」

「どうして軍を去ったのに、ネルソン提督はここにいるんですか?」

 

聞きたいことの確信はコレではなかったが、とりあえず聞きたかったので聞いてみる。

 

ネルソン提督は困ったように微笑んで、こちらを見ながら答えてくれた。

 

「一般人としての生活は、大体十年とちょっとだったと思う。軍が最終防衛線すらも守れない状況になってしまってね」

「つまり、呼ばれたって事ですか?」

「そうだ。苦渋の決断だったらしいぞ。私が戻ることに苦々しい顔をする者が大半だった」

 

プライドとか、権威とか、そんな感じの問題だろうか。よくわからないが。

 

「戻った私は参謀としてではなく、提督として各地の鎮守府を転々とした」

「あ、じゃあ提督と会ったのはその時なんだ」

 

時雨お姉さんが何かに納得した顔で呟いた。

 

そうか。じゃあ時雨お姉さんとネルソン提督は、もう十年近くは確実に一緒にいるということか。

その間この話を一度もしなかったのは、何か理由があるのだろうか。別段気にすることでもないか。

 

いろいろと思うところはある。でも謎がだいぶ解けてきた。

〝航路の歪み〟については、少なくともだいぶ納得がいった。

ネルソン提督が長年思い悩んで、そしてたぶん今も悩み続けている問題なんだ。

 

一応聞いてみる。

 

「その、海域の謎については何かわかりましたか?」

「フレンダと研究を続けるうちに、一つだけわかったことがある」

 

ネルソン提督はビスケットをかじって、飲み込んでから口を開いた。

 

「深海棲艦側が何かしているわけではなく、あくまで人間側の航路に異常があると判断した」

「えぇ……どういう意味ですか?」

「攻めているのは人間側だ。深海棲艦はあくまで〝攻撃に対する防衛〟をしているに過ぎない」

「でも人間側の防衛線まで突破されたから、ネルソン提督が呼ばれたんですよね」

「その防衛線まで押し返すのには何ら問題がないのだよ」

 

あぁ、なるほどわかってきたぞ。

 

深海棲艦が支配する海域を攻め込んだときだけ、その謎の現象、〝攻めているのに戻ってるループ〟が起きるのか。

ゆえに深海棲艦が何かしているわけではなく、勝手に人間側が空回りしていると。

 

深海棲艦側の意見と考え、視点があるからこそ気がついたことなのか。いや、違うな。たぶん俺にわかりやすくするためにかなりざっくりとした説明なんだろう。

 

でもまぁ、詳しく話されても理解出来ないだろうから、とりあえずは考えないようにしとこうか。

これは俺の問題じゃなくて、ネルソン提督の問題だしな。俺が気にしてもしかたがない。

 

それよりも俺自身のことについて聞かなきゃいけない。

 

俺の正体は何なのか。何のためにここにいるのか。

どうして記憶の一部が消えているのか。

 

「それで、ネルソン提督。俺は一体なんなんですか……?」

「白い世界で、話を聞いたりはしていないのか」

「ないです。覚えてないだけかもしれませんが」

「自分が死ぬ直前の記憶は、どうだ」

「死んだ……んですかね? 全く思い出せないんです」

 

ネルソン提督は机にひじをつき、視線を机に落とした。何かを考えている。

 

何を考えているんだろうと思っていると、向かい側に座る扶桑さんが穏やかな声で言ってきた。

 

「先程の提督の話からすると、あなたにも妖精がいると思うんです」

「俺に、ですか」

「はい。始めて見たとき、艦娘と同じ存在だと思ってしまいましたから」

 

あ…………。

 

そうか。それで時雨お姉さんが〝面白いものを見せて貰った〟って、あの時言っていたのだろうか。

 

艦娘は女の子しかいない。女の子しかなれない。これはネルソン提督のノートに書いてあった。

でも俺の体は紛れもなく男の子で、しかし艦娘の視点では俺は艦娘と同じ存在に見える。

 

さぞかし珍しかっただろうな。

体は男の子で、でも艦娘に見える。俺の体は時雨お姉さんに、隅々まで観察されたというわけ。

 

何だろうちょっと恥ずかしい。

 

悶々としているとネルソン提督が顔を上げた。

 

「少年、聞いて欲しい」

「はい」

「多分君は死んでいる。私の目から見ても、そして今女神と話をした結果も、君は私とほとんど同じ存在だ」

 

黙っていたのはその、頭の中の〝女神〟と話をしていたのか。

 

ここに来る前の世界だったら精神科医を薦めていたところだったが、さっきの話を聞いた後にそんな事は微塵も思わない。

 

「でも、俺には頭の中で相談に乗ってくれる人はいませんよ」

「そこなんだ。私も女神もそこが一番わからない。なぜ何の説明もないのか、目的を伝えないのか。女神が珍しく憤慨している」

 

おぉ女神さんはご立腹なのか。

同じ妖精として、異世界から人間を召喚したんだから、ちゃんと説明とお願いをするべきだ、と。

 

っていうか、その妖精って存在は一体何なんだろうか。少なくともここに来てから一度も見ていない。

まだ日がたっていないからかな、でも俺にも妖精は見られるのだろうか。

 

聞いてみるか。

 

「時雨お姉さん、俺にも妖精は見えますかね」

「たぶん見えると思うよ。ボクも君を見たときから、なんだかネルソン提督と似ているなって思ったんだ」

 

だとしたら見られるはず、と言って、時雨お姉さんは立ち上がった。

 

「ちょっと待ってね、連れてくる」

 

そう言うと足早に去っていった。

 

時雨お姉さんを見送ると、ネルソン提督が口を開いた。

 

「少年の頭に妖精がいる事は間違いない。限りなく私と同じ存在であることも間違いない。でも記憶が一部無くなっているのは、私の予想でしかないんだが聞いてくれるか」

「もちろんです。教えて下さい」

「私の生い立ちでも話したとおり、私は数日間、岩の上で遭難していた。その間女神から話があったわけじゃない」

「はい」

「で、だ。今の君の状況がもし私の時と同じなら、たぶん今後何かしら連絡が取れると思う。私のようにな」

 

それはつまり、俺がまだ白い世界に行っていないから妖精と話が出来ていない、と言うことか。

 

「でも、それって記憶がないのとどう関係があるんですか?」

「女神が言っているんだが、もしかするとその妖精の存在が君の存在と何かしら問題を起こしているのかもしれない、と」

 

いや、どういう意味なんだ。存在が問題?

ネルソン提督が続ける。

 

「自分で言うのも何だがな、私は生前、それなりの人間だったと思う。教科書に載せられたのには驚いたが、結果的に私の存在は大きなものであったらしい」

「そうですね。歴史上の人物ですし」

「で、そんな私は女神に選ばれ、この世界の戦争を終わらせようと動いている」

「はい」

「世界の情勢を変えるかもしれない人間、もとい存在なのだ。人間の可能性を不平等だと言っているわけではないが、そこいらの一般市民に出来る大業ではないと思う」

「俺は……あぁ、そうか。確かに前の世界では、ただの一般人でした」

「どういった経緯で君が選ばれたのかはわからないが、この世界で背負った使命と、生前の君の存在価値が釣り合わなかったとき、もしかすると何か弊害が出るのかもしれない。あくまで予想だが」

 

つまり俺は、間違った選定をされてこの世界に来たあげく、背負った使命とやらに釣り合わないから弊害が出ていると…………?

 

何かが、胸の奥をチクリと刺した。

 

「ただいま。ほら、妖精だよ」

 

唐突に時雨お姉さんが帰ってきた。

俺はそちらの方を見ると、

 

「わぁ……」

 

思わず感嘆した。

先程のなにか得体の知れない感覚は胸の奥に残っていたが、今はそれを奥に押し込む。

 

時雨お姉さんは妖精を手のひらにのせたまま、隣のイスに腰を下ろした。

机の上をトコトコと小さな妖精が歩いている。

 

俺の前で止まり、一度驚愕の表情を浮かべ、すぐに元の顔に戻って一つ礼をした。

何だったんだ今の。まぁいいか。

 

手のひらサイズ。人形のような顔立ちと、後ろで茶髪を一つくくりにした小さな生き物。

 

「十二㎝単装砲の妖精だよ。見える?」

「見えます。……可愛いですね」

 

「可愛いだなんて、照れますよ」

 

しゃべった。妖精が。

少し驚いたが、そう言えばネルソン提督の女神も喋るのか。同じ妖精なら当たり前だろう。

 

「それにしてもあなた、おかしなひとですね。変人です」

 

妖精が首を傾げながら真顔で言った。…………え?

 

「俺、そんなにおかしいですか」

「もうとても。変態です。変態さんです」

「こ、こら」

 

時雨お姉さんが妖精の頭をちょっとつついた。

まてまて、出会ってそうそう変人だの変態だの、大変失礼な妖精だな。

 

そんな事を言われる覚えはない。なんなんだこいつは。

 

「俺のどこが変なんですか」

「存在がもう卑猥です。この世の者ではありません。死ね」

 

何かが俺の中で崩れ落ちた。怒りの感情ではなく、なぜか涙が出て来てしまった。

 

は、え……涙? 

 

なんで俺泣いてるんだろう。図星だから? 全裸で芋虫になってたから?

 

でもあれはなりたくてなったわけじゃない。断固として。

って言うかこいつに見られたわけじゃないだろう。

 

「こら、何でそんな事言うのかな」

 

怒った時雨お姉さんが立ち上がり、妖精の首根っこを捕まえた。

 

俺は原因不明の悲哀に襲われ、涙で視界が歪んでしまう。

おかしい。何でこんなに悲しいんだ。何がこんなに悲しいんだ。

 

歪んだ世界で、扶桑さんも慌てたように立ち上がり、

 

「大丈夫ですか!? ど、どうしたんでしょうか…………」

 

オロオロしつつ、俺の背中をなでてくれた。

 

その慌て方から、自分の事ながら、何か異常なことが起きているような気がした。

 

しかしネルソン提督だけは何もせず、ただ、陽気の消えた左目で俺の様子をじっと見ている。

左手で頬杖をついて、何かを見定めるように、じっと。

 

「ッ……エグッ……ヒック……」

 

止め方がわからない。

涙があふれる。

なぜこんなに悲しいのかもわからない。

 

妖精に言われた言葉に傷ついたのか。

 

ちがう。絶対違う。なんかそんな感じじゃない。

 

心の奥が揺れていく。

わけがわからず、ただ、悲しいという気持ちだけが頭の中を支配する。

 

目の前が暗くなっていった。視界がだんだん狭くなる。

 

この感覚、あれだ、意識が無くなる寸前だ。

 

酷い嗚咽と理解出来ない心の動き。

 

ほとんど暗転した視界の端で、暴言を吐いた妖精の口が、動いているのが何となくわかった。

 

『だいじょうぶ』

 

彼女は確かにそう言った。

 

直後、俺の意識が消え去った。

 

 

 

――――――――○――――――――

 

 

 

「え…………」

 

そこは真っ白だった。

 

右も左も上も下も、ただただ純白の白い世界。

 

自分の姿に視線を落とす。

そこにはあの、幼体があった。数日たっただけなのに、なぜか慣れ親しんでしまってる幼い肢体。

 

ただ違ったのは、さっきまで着ていた時雨お姉さんの赤いジャージではなく、これはなぜか懐かしく感じる、学生服だった。

詰め襟の、黒色の、学生服。胸には見慣れた校章が。

 

まちがえようもない。俺の通っていた中学校の制服だ。

 

袖と裾が長すぎるせいで、時雨お姉さんのジャージ以上に余った部分が垂れてしまう。

でもそんな事はどうでも良い。

 

ここって、この場所って、たぶん――――。

 

『ごめん、驚かせたね』

 

後ろから声がした。日本語じゃない。でも、何を言っているのか自然と内容が理解出来る。

 

振り向くと、そこには妖精がいた。先程俺を罵倒した、茶髪の、ポニーテールの妖精だ。

 

あれ? 頭の中に直接話しかけるんじゃなかったっけ……?

 

『君の心を無理矢理開いて、この場所に呼び出したんだ』

 

妖精は申し訳なさそうにそう言った。

 

『さっき言った言葉は全部嘘だよ。ここに呼ぶためにメチャクチャなことを言っただけだ。その……でもちょっとやり過ぎた。ごめんね』

「あ、いえ、別に」

 

首を振って、傷ついているわけではないと伝える。確かに訳のわからない事が起こったが、あれはここに呼ぶために必要なことだったという。

謝ってくれたし、申し訳なさそうにしているし、それを責める理由なんて俺には無い。

 

「君が俺の妖精……?」

『違うよ』

 

首を横に振っている。

 

「え、じゃあ何で、俺はここに」

『かなり大変な事になってたから』

 

妖精はトコトコと俺の足下まで来る。ちょこんと座って、俺にも座るように促した。

それに従って俺も座る。

 

「大変な事って……なにが」

『本来ね、ここは人間が来る所じゃないの。妖精だけが自由に入れる、うーん……仕事部屋、かな』

「仕事部屋?」

『ちょうどいい言葉が見つからないから、そう言わせて貰うけどね。まぁそんなかんじの所なんだ』

 

そうなのか。

 

「で、その仕事部屋に、なんで君が俺を呼んだの?」

『うん、まず、その前にわたしの質問に答えて欲しい』

「あ、はい」

 

何を聞かれるんだろうか。

 

『ここに来たことは?』

「無いです」

『前の世界の記憶は?』

「あるところと、無いところがあります」

『頭の中に声は聞こえる?』

「君の声のこと……」

『じゃなくて、わたし以外の妖精の声』

「ぜんぜん聞こえないよ」

『わかった。こりゃまずい』

 

え、そんな、不安になるようなこと言わないでよ……。

 

『わたしは今、君の頭の中にいる妖精がつくり出すこの空間に、オジャマしている形になる』

「う、うん」

『でも本来それをするなら、この部屋の持ち主、つまり君の頭の中の妖精の声が聞こえるはずなんだ。君にも、わたしにも』

「でも何も聞こえないよ?」

『わたしの所には、かすかに聞こえる。〝助けて〟って聞こえるんだ』

 

そんな。じゃあ、何かよくわからないけど、俺の頭の中の妖精は今危険な状態なのか?

 

『なんで助けを呼んでるのかまではわからないけれど、こんな事態になってる原因は一つしか考えられない』

「わかるの? 何でわかるの?」

『わたしも妖精だからだよ。やろうと思えば、別の世界から人間をこの世界に呼ぶことが出来るから』

「君や女神だけじゃなくて、妖精なら誰でも呼べるってこと?」

『そう。でも妖精が呼べる人物には個人差がある。その人物の生きていた世界で、その人物が、その世界にとってどれくらい重要かで難易度が変わってくる。妖精の力が強ければ強いほど強力な存在の人物が呼び出せる』

「じゃあ歴史上の人物が呼び出せた女神って……」

『あぁ、彼女はバケモンだ。トップクラスとかそんな領域を遙かに超えてる。そして君の存在も桁違いに負荷が掛かる』

「俺は、でも、ただの中学生だったはず……だよ」

『それでも君は〝艦娘〟の存在を知らなかったんでしょ? 時雨から聞いたよ』

 

そんなことを時雨お姉さんに話した覚えは……あ、いや言った気がする。うん。

 

「そうだけど、それがどうしたの?」

『君の頭の中の妖精は、艦娘を知らない遠い世界の住人から誰かを召喚したかったんだ。でもたぶん、そのための力がその妖精には足りなかった』

「…………」

『結果的に中途半端な召喚になって、君の記憶は一部消え、君の頭の妖精は今にも存在が消えかかっている』

「そんな、それじゃもしその妖精が消えたら……」

『間違いなく君は死ぬ。この世界で君の存在が認められているのは、君が何かしらの使命を課されていることと、その妖精が頭の中にいるからなんだ』

「何とか出来ないの!?」

 

そんな危ない状況になってるのに、のんきにハンバーグを食べていたのか。

 

いや、まて。

 

もしかしてその、俺の頭の中の妖精はずっと異常を知らせてくれてた……?

 

記憶がないことに謎の不安があったのも。取り乱しかけたのも。

いや、それよりもっと前、あの浜辺に降り立った時の、前の世界じゃ考えられないような危険に敏感な警鐘も……。

 

『助ける方法が無い訳じゃない』

「…………何でもする。お願いだから教えて」

 

自分の死が怖いのもある。死にたくないから助かりたい。それもある。

 

でもこの目の前の妖精は言った。〝何か使命を課されている〟と。

そして今、俺にその使命をお願いしようとしていた妖精が、死んでしまうような危ない状況に陥っている。

 

危険な目に遭ってまで俺を呼びたかった理由。命を賭けてまで呼ばなければならなかった理由。それがあるはずなら、俺はそれを聞かなきゃいけない。

 

『どんな方法でもかい?』

「何でもする。助けたい。助けなきゃいけない」

『どうしてそこまでするんだい。君には、言ってしまえば関係のない世界の話だ』

 

そうかもしれない。確かにそうだ。

 

でもネルソン提督の話を聞いて、何となくだが俺には帰るところがない気がした。

元の世界で死んだからこの世界にやってきた。

 

今俺の頭の中で死にかけている妖精が、たまたま俺の命をこの世界に呼んだ。

 

そんな気がする。記憶が戻れば、それもわかる。

戻すためには、その妖精を助けなければ。

 

それに、

 

「俺がやらないといけないことなんでしょう? たぶん、俺にしかできないことなんでしょう?」

『わからないよ。それを知ってるのは君の妖精だけだ』

「じゃあ助ける。助けないとダメだ。それに俺も死ぬんだから助けないと」

 

妖精は黙った。静かな瞳をこちらに投げてくる。

俺を見定めている視線だった。俺の、覚悟を見ている目。

 

やるしかないのだから覚悟もなにもあったものか。

助けなければ俺も死ぬ。さっきからそう言っている。

 

『ふふふ…………そうだね。そのとおりだよ』

 

妖精は頷くと、笑顔で言った。

 

『助ける方法はただ一つ。わたしも君の頭に入る。君の妖精と力を合わせて、君一人を召喚しきる』

 

 

 

『――――わたしが入ると言うことは、君も艦娘になると言うことだ』

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十四話 俺の召喚Ⅱ

白い世界に、一人の人間と一匹の妖精が座っていた。

人間は俺。妖精は妖精。

 

『わたしが入ると言うことは、君も艦娘になると言うことだ』

 

艦娘になる。

 

そう言われてもよくわからない。俺はこの目で、時雨お姉さんや扶桑さんが戦っているところを直接見ているわけじゃない。

 

「俺が艦娘になって、どうするの?」

『戦うかどうかは君が決める。戦う力は、たぶんあると思う』

「たぶんって…………もし戦うとしたら、俺はどうなるのかな」

『ネルソン提督の指揮下に入って、時雨や扶桑と海に出るんだよ。深海棲艦と命がけの戦いをする』

「…………それが俺の使命?」

 

妖精は困った顔になる。小さな眉を傾ける。

 

『おそらくだけど違うと思う。君の妖精がなんの妖精なのかがわからない限り、その意図は汲み取れない』

「艦娘になってしまったから、本当にやらなきゃいけないことが出来なくなったりはしないのかな」

『艦娘になること自体に問題はないと思う。と言うか、わたしが頭に入るだけであって完全に艦娘になるわけではないからね』

「え……っと、どういう意味?」

『艦娘には妖精が〝宿って〟いるでしょう。ただの人間が、その数を増やすと言うことはそれだけで艦娘に近い存在になる。でも君は残念ながら男の子だから艦娘にはなれない。限りなく、それこそネルソン提督よりも艦娘に近い存在にはなるけどね』

 

艦娘に近い存在。つまりこの妖精が俺の頭に入ることで、俺はもしかすると艦娘と同等か、あるいはちょっと下の位置的存在になる。で、戦おうと思えば戦う選択もあると言うことか。

 

要するに艦娘みたいになるわけだ。俺の命と、俺の妖精を助ける代償に。

 

戦争に参加することに恐怖を感じないわけじゃない。むしろ怖い。

でも今の話からしてみれば、別に無理に戦わなくても良いという。

あくまで選択肢の一つ。どうするかは自分で決められる。

 

デメリットらしいものが見つからない。少なくとも今の話からは、全て俺に都合が良い。良すぎるぐらいに感じてしまう。

 

何か悪いことがあるんじゃないかと警戒するべきかもしれない。けれども他に方法が無いのもやっぱり変わらないことだろう。

 

断るというか、選ばない理由は微塵もない。

 

「それでお願い。俺と、俺の妖精を助けて欲しい」

『わかった。とりあえず君の頭の中の妖精とコンタクトを取るよ。事情を説明して、わたしと力を合わせて君を召喚しきる』

「ありがとう。その、よろしくお願いします」

 

妖精が立ち上がった。俺も立つ。

 

『…………』

 

ふと、妖精の表情が柔らかな笑みに変わっていた。

人形のような相貌に似合わず、哀愁というか、郷愁というか、なんだか似合わない面持ちをする。

 

「何でそんなのび太みたいな顔してるの」

『誰がのび太だ…………ちょっと久しぶりだなと思っただけさ』

 

妖精が背中を見せる。小さな背中は、やはりどこか影がある。

 

『久しぶりに仕事が出来る。ずっと倉庫の奥で眠ってただけだからね』

「え、使われなかったの?」

『十二㎝単装砲なんてもう誰も使わないよ。このまま解体されて資材にされると思ってた。…………ありがとね、少年。これでわたしも退屈しない』

 

妖精は光の粒になって、やがて目の前から消えていった。

 

 

………………え、ちょっと待って俺は? 置いて行かれたの?

 

 

 

――――○――――

 

 

「どうだ、女神」

『何度やってもダメだね。完全に閉じきって全く心に入れない』

 

私は一つ溜息をつき、椅子の背もたれに身を預けた。静かな部屋に、僅かにきしむ音が鳴る。

 

ここは私の部屋だ。いつも寝ているベッドには、先程意識を失った少年がすやすやと寝息を立てている。

 

ベットと机とただの椅子。たったそれだけの簡素な部屋は、私がここに寝るためだけしか帰ってこないからという理由がある。

 

私の個人的な嗜好品は執務室に置いてある。

ここにはおおよそ生活品というものはそろっていない。

 

でも寝る分には充分だ。少年が気持ちよさそうに寝ているのも、その証拠の一つである。

 

机の上のスタンド電気だけが柔らかく光っており、部屋の隅の方は薄い闇をたたえている。

 

「…………」

 

静かに立ち上がり、そっと少年の元に寄る。革靴が木造の床をこつこつと鳴らす。

 

起こさないように、でもよっぽどのことがないと起きないだろうとも思うので、それほど気を張り詰めてはいない。

 

光にぼうっと照らされた幼い顔を覗き込む。

 

長めの黒髪。

幼い顔立ち。

きめの細かい柔らかな肌。

 

どこからどう見ても幼児と児童の間に見えるその容姿は、しかし中身は15歳だという。

 

普通の人間ならば信じないだろう。いや、私以外の人間ならか。

 

艦娘が私に感じていた事が、今の私にはハッキリとわかる。

 

彼は私と同じだ。一目見たときからそう感じた。

 

頭に妖精が宿っており、艦娘に艦娘だと間違われてしまうような、そんな不思議な存在である。

 

でも少年は何もわかっていなかった。と言うか覚えていなかった。

何が起きているのかと私も女神も考えた。

 

女神にいたっては、彼の妖精と会合すべく何度も心に入ろうとしたという。

 

でもできなかった。今もなにも出来ないらしい。

 

「一体何がどうなっているのだろうな」

 

胸騒ぎがする。悪い知らせではないと思うが、何か起きてしまうような気がする。

 

『少年の意識が消えているのは、先ず間違いなくあの場所に呼んでいるからだろう』

「白いところか? 少年の妖精が呼んだのか」

『いや、そうではなさそうだ』

「じゃあだれが」

『十二㎝単装砲の妖精だろう』

 

何となくそんな感じはした。

 

あの後。

 

少年は急に意識を失い、時雨がぶら下げていた妖精も光の粒になって消えていった。

時雨と扶桑は慌てたが、まずは出来ることからしようと少年をここに運び込んだ。

 

その時点で女神が、少年の存在に何かしらの危機が迫っていることを感知したが、私の中に宿った身では出来ることが限られるらしい。

少年の命に関わることだったが、別の妖精の反応もあったためひとまずそいつに任せたそうだ。

その妖精と言うのが、十二㎝単装砲のあいつだろう。

根も葉もない罵声を浴びせ、少年を泣かせたあの妖精だ。時雨が珍しく怒っていた。

 

そして数十分がたって今に至る。

 

少年の呼吸は安定している。消えてしまいそうな気配もない。

相変わらず女神には何も出来ないようだったが、少しだけ少年の存在が安定を取り戻したと言っている。

 

一体どういうやりとりをしているのか理解の範疇を超えているが、いちいちそんなものを知る必要は無い。

 

それよりも、少年を心配する理由は何なのだろうと、ふと考えたが答えはすぐ出た。

 

私と同じ存在だからだ。

この世界で私にはやることがある。それは恩を返すことだが、返す相手はもういない。

 

彼は、指揮官は、少し前に亡くなった。幸せそうに笑いながら、ベットの上で逝ってしまった。老衰だから仕方がないが。

 

だが私のすることは変わらない。海域を開放することは私の義務だ。この世界に私が生きる、なにより大きな目的だ。

 

そんな私と同じ存在。そうであるなら、この少年は私のように何か義務を持つかもしれない。あるいはもう持っているのか。

 

それが私と相反することか、それとも助長し助け合えることか。

わからないが私は確かめる必要がある。

 

少年がこの世界に来た意味を、知ってみたいと思うのだ。

 

少年の頭をそっと撫で、静かに再びイスに座る。

 

「女神」

『なんだい』

「お前はどう思う」

『昨日から何度も、そればかりだね。わたしは変わらずこの子がどういうものなのか計りかねてるよ』

「お前が私にしたことと同じ事なんじゃないのかね」

『そうかもしれないし、違うかもしれない』

「でも異世界から呼んだ存在なのは事実だろう」

『そうだね』

「…………不毛な考えはやめた方が良いか。いくら私が考えても、状況が変わる事はないからな」

『考える事と、それに対策を練ることは大切だっていつも言ってるじゃないか君が』

「そのとおりだがこれはわけが違う。異世界だとか、存在理由だとか、私の理解を超えている。大体お前にわからない事を考えてもしょうがないのはいつものことだ」

『海域のこと?』

「そうだ」

 

机の上を何となく見つめる。海域のことは、六十年たっても未だに解決していない。

この少年が、万が一にでも――――

 

「ん?」

 

ふと、何か気配がした。

後ろを振り返る。しかしそこには何もいない。

 

『…………ネルソン』

「あぁ」

 

女神も気配に気付いている。だがこの感じ…………どこか人とは違うような気がする。

 

直後、少年のベットがもぞもぞと動いた。腹の辺りがもぞもぞと。

 

私は立ち上がり、息を殺してそこに近づく。掛け布団を左手で掴み、

 

「ッ!」

 

一気に引っぺがす。そこには、

 

『わわ、ぶたないでね!』

 

――――――――今まで見たことのない、奇妙な妖精がひっついていた。掛け布団の方に。

 

 

 

 

一言で言って、魔女のようだ。

 

紺色の布地にフリルと星柄のとんがり帽子。長い髪はゴーヤのようなピンク色で、上の方で二つにくくっている。結び目には紫のぼんぼんが。

服装も、白と黒のセーラー服を改造したようなものを身につけている。

 

「妖精…………なのか?」

『そうだろう』

 

女神も具現化した。久しぶりに見るな、このはっぴ姿。まさに大工そのものだ。

 

『ここ………どこですね?』

『私の宿り主の鎮守府だ』

 

ピンク髪の妖精は喋り方がおかしい。フレンダの日本語がへたくそだった頃を思い出す。

 

『そっか……じゃあわたし、助かってるね! ありがとなのね!』

 

ピンク髪の妖精は嬉しそうに飛び跳ねる。いったいこいつは何者なのだ。

 

「喜んでいるところ申し訳ないが、軍の施設に不法侵入したお前を見逃すわけにはいかない。これからの質問に嘘偽りなく答えろ」

『返答次第ではぶっ殺す。ネルソンが』

「そんな事はしないけどな」

 

凄みをきかせた女神が怖かったのか、飛び跳ねていた妖精は大人しくなった。仰向けで寝る少年の腹の上に正座する。

少年はこれだけあっても起きないので、よほど深い眠りだろう。たぶん当分は起きないな。

 

「お前は何者だ」

『妖精ね! その……名前はよくわからないけど、ぐるぐる回すのが仕事なのね!』

「ぐるぐる回す?」

 

何のことだろうか。妖精が憑くと言うことは艦娘の艤装か装備だろう。回すような装備というと…………タービンか?

考えていると女神が聞いた。

 

『お前、何の妖精だ?』

『だから名前はわからないのね!』

 

自分の装備の名前がわからないとは、こいつ大丈夫か。

 

『なぜここにいる』

『この子を召喚しようとして、力が足りずに危なかったのね!』

 

妖精が少年をちらりと見る。

力が足りずに危なかった? つまり、少年を召喚しようとした張本人がこいつと言うことか。

 

『力が足りずにどうやって召喚しきったんだ』

『手助けしてくれた子がいたのね! 茶髪で、ポニーテールで、何か影が薄そうな子ね!』

「十二㎝単装砲の妖精のことか」

 

影が薄いとか助けて貰ったのに失礼な奴だな。まぁ確かに薄いけれども。

 

しかし妙だな。本当にこいつが少年を召喚しようとしていたなら、なぜ少年は目を覚まさない。

 

…………あ、いや、もしかしてまだ、十二㎝単装砲の妖精と話をしてるのか。だったらまだ目覚めないか。

 

『何が目的で、お前は少年を召喚したんだ?』

 

女神がいきなり核心を突く質問をした。妖精のその答え次第では、少年の今後の取り扱いが変わってくる。

敵か、味方か?

 

妖精は先程までのウキウキした表情とはうって変わって、真面目で、沈痛な面持ちになった。

正座した上にのせた手を、きゅっと握りしめてこちらを見上げる。

 

『…………戦争を、終わらせて欲しいのね』

 

同盟成立。仲良くしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十五話 俺の召喚Ⅲ

真っ白な世界。幼い自分の体以外には何もなく、影も、人も、物もない。

 

「退屈だなー」

 

左足の傷が気になったので見てみたら、なぜかそこには何もなかった。傷跡すらも残っていない。

 

そうか、たぶんここにいる限りは、ケガや傷は関係ないのだろう。

ネルソン提督の話を思い出す。確か砲弾で出来た傷は、この場所では綺麗になくなっていたはずだ。それと同じ事だろう。

 

十二㎝単装砲の妖精が姿を消してしばらく経つ。俺を召喚しきると言っていたが、あれから何も変化がない。

 

暇なので少し歩いてみる。

 

「…………」

 

何もない。バカみたいに同じ景色が続くだけ。こんなところが職場だったら頭がどうにかしてしまいそうだ。

…………それは妖精さんに失礼なことかな。ここが職場だって言ってたし。

 

「誰もいないし、退屈だなぁ」

 

生前――――かどうかはわからないが、前の世界の自分の声とは似ても似つかない声を発する。

 

思えばこの二、三日でいろいろなことがあった気がする。主に気絶して、回復して、話を聞いただけだけど。

 

時雨お姉さんは優しい人だ。扶桑さんも優しい人だ。

ネルソン提督も、軍人とは思えないほど優しい人だ。

 

軍人はみんな怖い人っていうのは、俺の勝手な妄想だろうか。

 

でも教科書に載っていた話なんかを思うと、やっぱりネルソン提督はとても優しい人だと思う。

 

「敵を助けて親友になる…………不思議な話だけど、でもフレンダさんには会ってみたいなぁ」

 

そう言えば今はどうしてるんだろう。十年程前からネルソン提督は軍に戻ったから、フレンダさんも鎮守府に帰ったのかな?

 

でも一緒にいたいって言ってたんだから離ればなれにはならないよね。

 

ネルソン提督に聞いてみようか。でも、ここは戦場だって言うし、その、まさか…………うん。やっぱり聞くのやめとこう。

あえて言わなかったのかもしれないし、もし聞いて怒られたら嫌だもんな。

 

それにしても、戦争か。

 

日本は平和だとばかり思ってた。戦争なんかとは全くの無縁で、これっぽっちも自分が参加することになるとは思わなかった。

 

いや、まだ戦うわけじゃないかな。でも戦場にいる以上は巻き込まれてるんだから、結局は戦うことになるのかも?

 

「なんだか怖いけど、でもあんまり実感がないなぁ」

 

ここは名前のない孤島だってネルソン提督は言っていた。じゃあ日本の本土もあるわけで、そこに行けば一般人として平和な生活が送れるらしい。

 

…………ん?

 

あれ、じゃあなんで戦ってるんだ?

 

平和な生活が送れるなら、どうして戦争をする必要があるのだろう。なんかおかしな話だな。

 

空襲とか、空爆とか、資源枯渇で危険が迫っているのなら戦う理由もわかるけど、別にそう言うわけじゃないならどうして戦争なんかしてるんだろう。

 

それも六十年以上も続く戦争を。

 

何か見落としているのかな。ネルソン提督の話か、ノートか、それとも授業の内容か。

 

えー……っと、あ、そうか。ネルソン提督が軍に戻ってきた理由があった。

 

たしか最終防衛線まで深海棲艦が来たからだ。そこを破ってくるって事は、やっぱりほっといたら危険があるんだ。

 

防戦一方だけど守れてる間は問題ない。危険が去らないだけであって、危険が及んでくることはない。

でも嫌だろうね。休む間もなく守らなきゃいけないんだもの。それに自由に海が渡れない。

 

戦う理由は、探せばいくらでもありそうだな。

 

「なるほど、自由のために戦うとかかな。かっこいいかも」

『うん、全くその通りね!』

「わわわわぁぁぁっ!!!」

『あ、びっくりさせてごめんね!』

 

突如頭の中に声が流れた。十二㎝単装砲の妖精じゃない。

 

頭の中に直接声が聞こえるって事は、

 

「君が、俺を召喚した妖精なのかな?」

『その通りね! まぁ、一人じゃ召喚しきれなかったから、あの子に手伝って貰ったけどね』

 

あの子、と言うのは十二㎝単装砲の妖精のことか。

 

「あれ、その妖精、どこへ行ったの?」

『疲れたから寝るって言ってたのね! もう君の頭の中に入ってるから、叩き起こしたかったら呼べばいいのね』

 

俺は鬼か。そんな事するわけ無い。

 

『それで、わたしはあなたと話がしたいのね! いい?』

「…………ちゃんと事情を説明してよ」

『そのつもりね!』

 

俺はその場に腰を下ろす。膝を抱えて、体育座りをする。この体は小さいので、あぐらをかくよりこの体勢の方が楽だ。

 

「なにから話を聞かせてくれる?」

『まず、君の記憶がないことについてね』

 

あ、そういえば、もう召喚が終わっていることになるんだよね。

 

俺の――――おれ――――僕は――――。

 

「…………え?」

 

僕の名前、なんだっけ。

あれ、でも、僕の召喚はもう終わってるんだよね?

 

「え、召喚しきったら、記憶が戻るんじゃなかったの」

『誰がそんな事を言ってたね?』

「あれ、言ってなかったかなぁ……」

 

いや、確か、十二㎝単装砲の妖精が言っていた気がする。召喚が中途半端だから、記憶も一部が飛んでいると。

 

「召喚が途中だったから、記憶が無くなってるんじゃなかったの?」

『それもあるけれど、本当はもうちょっと複雑なのね』

 

妖精は一度そこで区切ると、一気に説明し始めた。

 

『わかりやすい言葉で言えば、代償なのね。この世界に君を召喚するときに、何か代償として貰わないと、召喚することが出来ないのね』

「代償って……普通は召喚する側が出す物じゃないの?」

『どこの世界の普通なのね!』

「あ、そっか」

 

それもそうか。世界が違えば常識も違う…………のか?

いやいやそれはおかしいだろう。

 

『この世界に先に転生していた――――いや召喚かな、ネルソン提督も代償を払ってるのね!』

「何を? 右腕とか?」

『寿命なのね。彼の場合は偉人だから、それだけで召喚できたけど、君はただの凡人だから、寿命と記憶を払って貰ったのね』

「寿命って、でもネルソン提督は不死なんだよ。何でそれで寿命が代償?」

『〝寿命で死ぬことが許されない〟って事なのね。…………この世界に呼んだのは、やることがあるから呼んだのね。勝手に老衰して責務を果たさないのは、許されないことなのね』

 

なるほどそれで寿命が代償か。減るんじゃなくて、死なせない。そういうことか。

 

勝手に呼んでおいて代償にペナルティとか、ちょっと自分勝手すぎるとも思ったけど、でも妖精は妖精で命の危険も犯してるから、どっこいどっこいかもしれない。

 

それに、前の世界で命を落としているのだとしたら、事実上の救済措置になる。代償というのもうなずける。

ネルソン提督に関しては、どう考えても命拾いだし。

 

ふと、気になった。

 

どうしてこの妖精がこんなにもネルソン提督のこと――――もしくは、女神について詳しいのか気になった。

 

今の話が本当なら、女神はネルソン提督に嘘をついていることになる。

ネルソン提督の話では、女神はネルソン提督に報償として不老を与えるはずだった。

 

もしかすると女神なりの配慮とか? やさしい嘘ってやつかもしれない。

 

だいたい記憶に関しては納得がいった。それじゃあ次だ。

 

「召喚には妖精個人の力も大切なんでしょう? 大きければ大きいほど、存在感のある人が召喚できるって」

『その通りなのね。君の場合は、艦娘を知らないような遠い世界から呼び出したから、わたし一人じゃ失敗したのね』

「どうして艦娘を知らない僕を……ううん、ちがう、そうじゃなくて、どうして僕のいた世界から、僕を召喚したの?」

『もう記憶のことは良いのね? その質問に答えるなら、また別の説明をしなきゃいけないのね!』

「うん。なんとなく、記憶は戻らないってわかったからそれでもう安心だよ」

 

そう。戻らないとわかっただけでも、別に良いかなと僕は思った。

 

いまさら家族の顔や自分の名前を思い出しても、未練が残ってしまいそうだ。まだ僕が死んだかどうかは、不確定なことだけど。

 

それに思い出したこともある。

前の世界での僕の一人称は〝僕〟だ。〝俺〟じゃない。これだけでも、発見だろう。

 

『じゃあ説明するね。君をこの世界に呼んだ理由は、戦争を終わらせて欲しいからなのね』

「ネルソン提督と一緒の目的?」

『そう、この世界の、深海棲艦と人間の戦いに、終止符を打ちたいのね』

「わかった。それなら納得だよ。協力しない理由はない」

 

ネルソン提督のお手伝いが出来る。時雨お姉さんや扶桑さんと、同じ目標が持てる。

妖精が言っているのはそう言うことだ。ならば従う。力になりたい。

 

「で、僕には何が出来るの?」

『ずっとネルソン提督がわからなかったことを、解決できるね!』

「えっと……?」

『わたしのぐるぐるを使えばいいのね。あと、君自身も、十二㎝単装砲の妖精の力で、海に出ることが出来るのね!』

 

それはつまり、海域の謎が解けると言うことか。よかった。早速ネルソン提督の力になれる。

でも今の流れだと、戦場には出ないといけないのかな。

 

「その、僕はやっぱり戦わないとダメなのかな」

『男の子なのね! 戦わずに引きこもっちゃダメなのね!!』

「やっぱりそうなるよね」

 

覚悟を決めなきゃいけないかな。でもまだわからない。戦うって言っても、どうやるのかなんてこれっぽっちもわからない。

 

「戦い方は、時雨お姉さんや扶桑さんに教えて貰えばいいのかな?」

『…………』

「妖精さん?」

『え、あぁ、うん、そうなのね! 艦娘がいれば、たくさん教えて貰えるのね』

 

わかった。こわいけど、ひとまず戦い方ぐらいは教えて貰おう。

 

『君を召喚した理由は、わかって貰えたのね』

「どうして僕を選んだの?」

『適任だったから、としか言えないのね。わたしの力の限界もあったし…………』

「そっか、うん。しかたないよね」

『巻き込んだこと、怒ってるのね?』

 

妖精の声が弱々しい。

 

今の感じだと〝適任だった〟って言うのは嘘に聞こえる。正確には〝召喚できる人が君程度の人間しかいなかった〟だ。

 

でも仕方がないのだろう。妖精は妖精で頑張っている。命の危険を晒してまでも、自分が出せる限界の力を出し切ったんだろう。

その結果が僕の召喚。

だったら、べつに良いんじゃないかな。

 

戦争に参加する事になったのはちょっと怖いけど、でも、こうまでしても、この妖精は戦争を止めたいらしい。

どうして僕がこんな目に、とは、不思議と思わなかった。

 

「怒ってなんか無いよ。一緒に頑張ろう」

『ありがとなのね。君は優しいのね!』

「そんなことないよ。頼まれたら断れない性格なんだ」

『いじめられそうな性格なのね!』

 

妖精が笑った。こいつ遠慮がないな。

 

ずいぶんと明るい性格のようだ。喋っていてこちらも楽しくなる。

 

『他に質問はある?』

 

何となく最後の質問の気配がしたので、ずっと気になっていたことを聞いてみる。

 

「僕は、前の世界ではどうなっているの」

『どうって…………どうこたえればいいのね?』

「うーん、死んじゃったからこの世界に呼ばれた、とかさ」

『それはわたしにはわからないのね』

「ネルソン提督は命を落としたときに、女神がこの世界に呼んだらしいけど?」

『あの人のいた世界はそう遠くない所にあったのね。お隣さん程度の距離なのね。でも君は遠かったから、覗く余裕は無かったのね』

 

なるほどそうか、わからないのか…………。

まぁ、だったらこれも、あまり気にしないようにしよう。戻らない記憶と同じように、わからない事はとりあえず保留。

 

それにしても、世界が遠いとか近いとか、なんか聞いたこともないスケールの話だなぁ。当事者は紛れもなく僕だけど。

 

などと考えていると、妖精はゆっくりと伝えてきた。

 

『とりあえず、今まで迷惑かけたのね』

「うん、でこれからもでしょ?」

『まちがいなくそうなのね! よろしくするのね!!』

「ふふふ…………うん、よろしく!」

 

妖精の活発な声と共に、俺の意識は白い世界を後にした。

 

 

――――○――――

 

 

「ン…………」

 

柔らかな光が感じられる、薄く目を開けると、知らない部屋の知らないベッドに、自分の体は横たわっていた。

 

「目が覚めたか、少年」

 

声がした方を仰ぎ見ると、薄明かりの中に、綺麗な女性が座っていた。

 

部屋は薄暗い。弱々しいスタンド電気の明かりだけが唯一の光源だ。

しかし怖さや物寒さは感じられない。目の前に見知った女性、ネルソン提督がいてくれたからか。

 

ネルソン提督は立ち上がり、こつこつと足音を響かせながら、枕元まで寄ってきた。そのまま僕の頭を撫でる。

 

「ネルソン提督、今何時ですか」

「夜中の三時だ。時雨と扶桑は就寝に入った」

 

長い間あの白い世界にいた気がするが、何日も寝っぱなしだったわけではないらしい。いや、長いと言っても、そういえばほんの数時間か。

 

自分の服装に目を落とすと、衣服が替えられていた。赤いジャージと同じくらいの大きさで、今度は青いジャージだった。

気を失っている間に取り替えてくれたのだろう。ほのかに時雨お姉さんの香りがする。

 

視線を上げると、微笑んでいるネルソン提督と目があった。僕はゆっくりと口を開いた。

 

「僕、妖精に会いました。僕を召喚した妖精です」

「私も会ったよ。話は全て聞いた」

 

ネルソン提督はベッドの縁に腰掛けて、やさしい視線で見守りつつ、頭をなで続けてくれた。

 

「これから、よろしく頼むぞ少年」

「必ずお力になれるように頑張ります」

「ははは、なるほど。その見た目でそう言われると、こちらが申し訳なく思ってしまう」

「でも中身は15歳です」

「今の私からすれば、どちらも子供だ。もう百年以上生きていることになるからな」

 

自慢げな笑顔を浮かべるネルソン提督は、その笑顔のまま立ち上がる。僕の体をゆっくりと起こしてくれた。

 

「さて、それじゃあ正式にこの世界にやってきた祝いに、一緒に風呂でも入るかな」

「え、お風呂ですか?」

「なんだ嫌いか? 風呂」

「いえ、その、そんな事はありません。むしろ好きなほうです」

「あ、あぁ! もしかして恥ずかしいのか?」

 

ニタニタと意地悪げな笑みを浮かべた。

 

「そ、そんなわけ無いじゃないですか!」

「そのわりには顔が赤いようだぞ」

「こ、これはその…………あ、そうだ! 足! 足のケガがあるんで、お風呂に入るのはまだ早いと思います!」

「だから私が一緒に入るんだろう。一人じゃ危ないからな。なんなら、時雨と扶桑も呼んで入るか? ほら、私だけじゃ腕が足りんし」

「い、いやそれは流石に! 起こすのはよくないです!」

「では私と入ろうか。こちらに来て、風呂はまだ一度も入ってないだろう?」

「そ、そうですけどその、ひとりで入れますから…………」

「そう言わんと、ほらおいで。というか一人は危ないだろう」

 

左手一本で抱えられ、抵抗しようとじたばたするが全く脱出できそうにない。力の差がありすぎる。

 

「小さな子供はいいものだな……私も欲しくなってしまう」

『悪いが子供は産めんぞネルソン』

「わかってる女神。この子で充分だ」

 

どこかから聞き慣れない声がした。

ベッドの足下のやや広いところで、はっぴ姿の大工みたいな妖精がゴロゴロしていた。そうかあれが女神なのか。

 

いやそれよりちょっと待ってくださいネルソン提督。あなた今「この子で充分」とかおっしゃいましたか。

 

僕を小脇に抱えたまま、ネルソン提督は部屋を出た。

廊下は明かりが付いたままで、木造の天井に白熱灯が白く光っている。

 

「…………ネルソン提督、本当に、恥ずかしいんです、認めますからやめてくださいぃぃ」

「認めても変わらんよ。せっかく風呂があるんだから、体を拭くだけじゃいかんだろう」

「あ、足の傷は……」

「それも、実は一つ試したいことがあるからな。悪いが協力して貰うぞ」

「そんなぁ」

 

恥ずかしい。すごく恥ずかしい。時雨お姉さんに体を拭かれたときよりも恥ずかしい。

顔から火が出て来そう。

 

「おや?」

 

しばらく歩いていると、ネルソン提督が声をあげた。

 

僕は小脇にぶら下げられた状態なので床しか見えていなかった。ので、何があったのかわからなかった。

願わくは何か起きていて、このまま羞恥のイベントを回避できたらいいなと思っていると、

 

「あ、提督! 大丈夫だったの!?」

 

時雨お姉さんが起きていた。

 

「問題ない。危険は去ったぞ」

「そっか、よかったぁ……」

 

時雨お姉さんの安堵の声が聞こえてくる。

その声に続いて、今度はネルソン提督が質問した。

 

「こんな時間にどうしたんだ。トイレか?」

「うん。それに、その子が心配で眠れなかったんだ。でもよかった。無事なんだね」

「少年がちゃんとこの世界に入れたからな。詳しい話は明日しよう」

「わかった」

「で、だ。問題は去ったし、これから記念に風呂へ入れようと思ってな」

 

ネルソン提督の嬉しそうな声。

さっきは祝いとか言ってたじゃないですかヤダー。

 

しかし直後に後悔した。大人しく、もっと早くに連れて行かれていれば良かったことを。

 

時雨お姉さんは、

 

「提督一人じゃ大変でしょ? ボクも一緒に入るよ!」

 

今まで聞いた中で一番嬉しそうな声でそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もうお気づきの方もいるでしょうが、作者は時雨が大好きです。扶桑さんも大好きです(あまり活躍していませんが)


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第十六話 湯けむりはそんなに都合良くない

いつもと若干毛色が違います。


脱衣所。

 

本来そこは二種類の空間に分けられる。

 

主に男性が使うことを想定された男湯の脱衣所。

主に女性が使うことを想定された女湯の脱衣所。

 

孤島の拠点、この鎮守府の中に、上の二つはどちらとも用意されていた。

艦娘が使うのは当然女湯。

たまに客人として男性が来るので、男湯とその脱衣所も一応敷設されている。

 

そして僕はいま、女性用脱衣所にいる。

 

目の前には三人の女性。

 

一人は長身で、白銀の髪をたたえた隻眼隻腕の美しい女性。

一人はやや身長が高く、豊満な体つきに底知れぬ包容力を思わせる黒髪の美女。

一人は幼く、しかし精悍な顔つきと落ち着いたオーラがその見た目の幼さを払拭する美少女。

 

なぜ増えてるし。あ、さっき時雨お姉さんが呼んでたっけ。

 

扶桑さんはやや眠そうな表情だった。でも嫌に思っている風ではなさそうだ。

 

「…………」

 

僕は床に座っている。細い竹で作られたシートは座り心地がとても良い。

青いジャージの上の服、だいぶ余っている裾の部分を、お山座りした膝にすっぽりと掛けてみる。よく小学校の頃やっていた形。

服が伸びるからやめなさい、と母親に怒られたのを思い出す。この服のサイズなら伸びることはない。

 

そして目の前で、三人が同時に脱ぎ始めた。

脱ぎ終わりが一番早かったのは時雨お姉さん。

 

彼女は脱いだ衣服を丁寧にたたんだ後、それを脱衣カゴの中に入れた。

 

白い肌に目を奪われる。

直後、桜色の何かが見えた。見えてしまった。見えちゃった。見えちゃってしまったのであわわわわわわ――――。

 

いてもたってもいられなくなって、抱えた膝に顔を埋める。息を吸うと時雨お姉さんの香りがした。こんな時にまでそんな事を気にしなくて良いじゃないか…………。

 

「ほら、早く脱ぐよ」

 

時雨お姉さんが近づいてきた。

恐る恐る顔を上げると、その体にはタオルが巻かれている。

安堵のせいか、自然と声が出た。

 

「…………タオル、するんですね」

「え? あ、無い方が良かったかな」

 

結び目に手をかけて取り払おうとする時雨お姉さんに、急いで立ち上がり抱き付く形でそれを制止。

これ以上何かされたら僕の体はもちません。

 

「じゃあ脱ぐよ。はい、ばんざいして。そうそう」

 

時雨お姉さんはしゃがみ込み、僕と目線が同じになる。

 

言われたとおりに両手を挙げる。上のジャージを引っこ抜かれると、今度は下のジャージをずり下げられた。

 

当然だがパンツは穿いていない。何が当然なんだと思うけど。

 

いや、だって時雨お姉さんのを穿くわけにはいかないじゃん。僕のは無いんだよ…………。

 

「じゃあ入ろうか。他の二人はもう行ってるみたいだし」

 

気がつくとネルソン提督と扶桑さんはいなかった。

 

時雨お姉さんに抱きかかえられる。ふと、左足のことが気になった。

 

「時雨お姉さん、足の包帯は取らなくて良いの?」

「あ…………取った方が良いかもね。ガーゼも一応はがしておこうか」

「痛くないかな?」

「わからないよ…………でも、ネルソン提督があれを試してみたいって言ってたし、外しておいた方が良いのかも」

 

あれって何だ。すごく気になる。

 

時雨お姉さんは一度僕を床に降ろすと、そのまま座るように言ってきた。言われたとおりに座り、左足を差し出す。

しゃがみ込み、やさしい手つきで処置してくれた。

ぐるぐる巻きの包帯を取り、ガーゼをはがす。

 

グロテスクな傷口が見えている。出血は止まっているが、少しだけ痛みが出始めている。

お風呂から出たら痛み止めを貰おう。

 

「よし、じゃあ行くよ」

 

取り去ったガーゼをゴミ箱に捨て、包帯をきれいにまとめて置いてきた時雨お姉さんは、再び僕を抱き上げた。

 

タオル越しに柔らかな感触が伝わってくる。ダメだ。意識しちゃダメだ。そこを意識したら大変なことになる。主に僕の下半身が。

 

そう思えば思うほど、不憫なことにこの体は、恥ずかしさと共に男の象徴を鯉のぼりさせ――――ん?

 

あれ。おかしいな。死ぬほど恥ずかしいけれど、なぜか下半身が熱くならない。鯉はいつまで経ってものぼってこない。

 

もしかして、いやもしかしなくても、これが〝体の変化は心の変化〟ってやつなのか?

幼くなったら、その、ゴールデンボールがジュリアナを踊ることもないし、鯉がのぼりまくって跳ね回ることもなくなるのか。

 

よく考えればこの年齢って、オトコノコノハジメテもまだ来てないよな。

 

なんだ、じゃあ、恥ずかしい事だけに目をつむれば、これは純粋に楽しいことじゃん。時雨お姉さんとネルソン提督と扶桑さんと一緒にお風呂に入るって言うとっても楽しいそれだけの――――。

 

そんなわけねぇ。

 

「やっぱり恥ずかしいです」

「だめだよ。お風呂に入らないと。体を洗うことだけが目的じゃないんだから」

 

時雨お姉さんは薄く笑いながら言っている。その、目的って何なんですか。僕を食べることですか。やめてください泣いちゃいます。

 

そうこうしているうちに入り口についた。なんかけっこうな距離を移動した気がする。渡り廊下的なところを歩いたような。

 

ここ一階だよね? てことは別の建物に来たってこと?

 

などと考えていると引き戸が開けられた。

カラカラカラカラ――――

 

「…………わぁ、すごい」

 

思わず声が出た。

 

目の前にはうっすらと湯気が立ちこめた、そして予想を遙かにしのぐ光景が広がっていた。

広い。めっちゃひろい。リゾート地の温泉屋さんぐらいはある。

 

「良い施設でしょ」

「はい……すごいです! でも何で軍の拠点にこんな立派なお風呂があるんですか?」

「ネルソン提督の要望だよ。艦娘の疲れを癒すのは、まず第一に風呂だろうって。たくさん拡張して、今のこれになったんだ」

「すっごく広いです。びっくりしました。…………それにたくさん種類がありますね」

 

そう、施設の広さだけじゃない。その種類も相当に多い。

 

普通の四角いお風呂はもちろん、ぶくぶく泡の出ているものから、なにやら緑色に光っているもの。屋外には露天風呂も確認できる。あ、サウナもある。

 

その様子に感動していると、横から声が掛かってきた。

 

「どうぞこちらへ来て下さい。まずは体を洗いましょう」

 

扶桑さんだ。

僕は時雨お姉さんの腕の中で、視線だけをそちらに動かし、

 

「…………」

 

言葉を失った。

扶桑さんは全裸だった。タオルの〝タ〟の字も見あたらない。

顔が熱くなるのをはっきりと感じる。

目のやり場に困った末、あたふたしながら時雨お姉さんの胸にうずくまってしまった。

 

あ、柔らかい。

 

「扶桑、何でタオル巻いてないんだい」

 

時雨お姉さんの呆れた声が飛んでいる。

 

「いつも()けてないですよ? 時雨こそどうしたんですか、急におしとやかになっちゃって」

「ボ、ボクは別にいつも通りだよ」

「ふふふ…………タオルなんて巻いてるの、始めてみましたわ。いつもはスッポンポンで満潮達とセッケンで遊んでいるでしょう。カーリングとかサッカーとか――――」

「わわわわわわっ! ダメだよ扶桑! そんな事言っちゃダメ!」

 

聞いちゃったモンは仕方ない。そうか、時雨お姉さんはセッケンでカーリングしてるのか。僕はどちらかというとホッケー派。

 

「ふふふ、まぁ、とりあえず体を流しましょう。ここにいてもしょうがないですよ」

 

扶桑さんの後を時雨お姉さんはついて行く。

ちょっと歩いて、僕に聞こえるか聞こえないかぐらいの声でささやいた。

 

「いつもはその…………ちゃんと大人しく入ってるよ。たまに遊ぶだけだもん」

「わかります。カーリング楽しいですもんね」

「い、いいもん。ボクはどうせ子供だから…………」

 

え、時雨お姉さん拗ねてるの? 拗ねちゃってる? わぁお珍しい。アンビリーバボー。

 

「少年、やっと来たか。隣に座りな」

 

ネルソン提督の声がした、なんとなく、でももうホントに、確信に近い感じでそちらを見る。

 

「…………」

 

やっぱり全裸かよコンチクショウ。

 

まっしろな肌と成熟した体。左手一本で器用に頭を洗っている。長い白髪が、頭の上でモコモコと泡を立てていた。

 

「――――提督、お背中流しますね」

「背中じゃなくて頭を頼む」

「えぇ、もちろんです」

 

いつの間にか扶桑さんが、シャワーを持ってネルソン提督の後ろに立っていた。お湯を出し、その頭を流してあげている。

 

扶桑さんもネルソン提督も、ある一部分が結構でかい。ナイスなお山になっている。

真っ白な肌と湯気が相まって、それはもう、視線のやり場に困るけれど、吸い込まれるように見入ってしまった。

 

しかし直後に扶桑さんと目があって、僕の頬がカァァっとなるのを自覚した。微笑まないでよ扶桑さん…………。

その柔らかな笑みのまま、僕を抱いている時雨お姉さんの方を見た。

 

「時雨、洗ってあげてください」

「うん」

 

時雨お姉さんに降ろされると、ひょこひょこと飛びながらネルソン提督の左隣に着席。

 

時雨お姉さんが足下にかがんで、ケガをしている左足を持ち上げて、その下に使わない洗面器を敷いてくれた。だいぶ高さを稼いだので、直接お湯はかからない。

 

「流すよ」

 

お湯を頭からかけられる。シャワーの温度は適温。熱過ぎず、冷た過ぎずだ。

 

「目をつむって、開けちゃダメだよ」

 

言われたとおりにぎゅっと目を閉じた。別に目を開けていても洗えないわけでは無いけれど、言われたとおりにしていよう。

誰かに頭を洗われるのなんて、もう何年ぶりだろなぁ…………。

 

やさしい手つきで包まれるように洗ってもらった。なんというか、自分で洗うときの数百倍心地良い。

思わず眠気を誘ってしまう。

 

「流すね」

 

しばらくゴシゴシして、きれいに泡を流してくれた。

 

「それじゃあ次は体だね」

「いえ、自分で洗えます」

「背中は一人じゃ洗えないでしょ?」

 

それもそうだけど、このまま身を任せたら絶対に背中だけじゃ済まないでしょう。たぶん。

 

「えっと……背中だけで良いですよ」

「前は洗わなくても良いの?」

「いいです。洗えます」

 

振り返って時雨お姉さんの顔を見る。

 

イタズラする直前の子供のような表情をしていた。ニタニタした笑顔だ。

やっぱりこの人楽しんでる! 僕が恥ずかしがるの見て楽しんでる!!

 

「か、からかわないで下さいよぉ」

「だってなんだか楽しいんだよ。弟が出来たみたいでさ」

 

そりゃ、時雨お姉さんからしたら僕はじゅうぶん弟に見えるだろうけど、僕からしたらちょっと違う。

何というか、見上げる形の年下というか、おっきな妹というか、一人の女の子というか…………。

 

いや、でもやっぱりお姉さんか。間違いなくお姉さんか。疑う余地が無くなってきた。

 

そうこうしているうちに、背中をやさしくスポンジが走った。

 

ゆっくりと、上下に、でも時々早くなってマッサージのようにリズムが付いてくる。

気持ちいい…………寝ちゃダメだけど…………眠くなる……。

 

「前も洗うよ」

「…………時雨お姉さん、僕ちょっと眠たいです」

「さっきまで寝てたのに? ――――って、そっか。気を失ってても、寝てたわけじゃないもんね」

「たぶんそうです。ずっと起きてる感じでした。なので、その……ぁぅ……そこは自分で洗いますから」

「どこ?」

「今洗ってるところです」

「もうちょっとで洗い終わるから――――はいできた。流すよ」

 

ささやかな抵抗はむなしくも意味を成さなかった。もうやだ恥ずかしいよ。誰か助けて。

 

シャワーをかけられ、体中の泡が落とされる。立ち上がって片足立ちになり、おしりの泡も流して貰った。

 

「よし、じゃあ湯船に入ろうか。どこに行きたい? 好きに選んでよ」

「あの泡が出てるところに入りたいです」

「うん、わかった。おいで」

 

僕は万歳をする形になり、脇から時雨お姉さんに抱き上げられる。

 

しっかりとだっこされて、そのまま泡の出るお風呂まで来た。

 

先程から眠気がすごい。よく考えると今って夜中の三時なんだよね。

そりゃ眠くもなるよね。もうこのまま寝ちゃおうかな…………。

 

時雨お姉さんの腕の中は安心する。そのおかげで、と言って良いのだろうか、ウトウトと船を漕いでしまう。

 

時雨お姉さんは僕をだっこしたまま湯船に浸かった。腰の上に僕を乗せて、いわゆるコアラだっこの形になる。

 

左足の傷に染みないか気になったけど、不思議と全く痛くなかった。何だろうこれ、ほんと不思議だ。

 

下からすごい数の泡が出ている。ボコボコいってる。

横の壁にも穴があって、そこからも勢いよく空気が出ているらしい。

 

これが、泡風呂か。ニュアンスが違うような気もするけど。

 

「気持ちいいね」

「はい。すごく……ふぁぁ…………」

 

あくびが出てしまった。

 

「眠たい?」

「とってもねむたいです」

「寝てもいいよ」

「え、でも……」

「上がるときになったら起こしてあげるから。起きなくても、ちゃんとベットまで連れて行ってあげるよ」

 

そうまで言われたら甘えちゃおうかな。

時雨お姉さんの温かい腕の中で、心地良い泡の刺激に背中を打たれながら、僕は、

 

「それじゃあ…………おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 

眠りに落ちた。

 

 

――――○――――

 

露天風呂。

 

ここで飲む日本酒は格別である。

私はこの世界に来て気に入ったものがたくさんあるが、その中でもこの〝露天風呂と日本酒〟は最高の部類に入ると思う。

 

「うまいな、扶桑」

「月を肴にお酒をたしなむ…………とても風流だと思います」

 

それに一人で飲むより誰かと飲んだ方が数倍美味しい。

 

扶桑は私にお酌をしてくれた。お返しに私もなみなみと注ぎ返す。

 

今日の月は結構明るい。ここからは海も見えている。

海面に月の光が反射して、まるで真っ白な光の道が浮かんでいるようだ。美しい。最高だ。

 

「ネルソン提督」

 

少し酔いが回っているのか、扶桑は上気した顔でそっと私の名前を呼んだ。

 

「なんだ」

「あの少年は、私達にとっての何でしょうか」

「わからんな」

 

別にくそまじめな意味で質問しているわけではないだろう。ただ何となく、私も扶桑も気分が良くて、そして話題としたらあの少年のことが最適だっただけの話だ。

 

今宵は飲むぞ。なんせめでたい日だからな。

 

「ネルソン提督は、あの少年のことは好きですか?」

「どういう意味で好きというのだ」

「子供として、です」

「いいものだと思うぞ、子供は。あんな子を戦場に出すのはやや心配ではあるが、本人が望むかそれとも――――」

「あの子の使命だったら、仕方のないことですね」

「そうだろう」

 

ぐいっ、と一気に日本酒を煽る。喉の奥から焼けるような暖かさが伝わってくる。

これだな。日本酒はやはりこの独特の強さがうまいのだろう。

 

「…………扶桑は、子供が欲しいと思ったことは?」

「ありますよ。あの少年を見ていると、自分も子育てをしたくなります」

「まぁ……それはそうだろうな。私ですらも欲しいと思った」

『だが悪いがそれは出来ない』

 

女神が急に現れた。ここ何十年と姿を見せなかったのに、さっきからちょくちょく何をしてるんだ、こいつ。

 

女神は服を脱いでいた。そして桶の中に湯を張って、気持ちよさそうに入浴していた。

 

『良い湯だな』

「鎮守府の湯だからな。ここは妖精が管理している。知らなかったのか?」

『さっき会った妖精から聞いたよ。これは礼をするべきだな』

 

とろけた顔で女神が言った。その姿を見て、扶桑は少し驚いた後に、

 

「女神さんですね? 私、たぶん初めてあった気がします」

『そうだな。いつもネルソンにお世話になっている、応急修理女神。通称女神だ』

「扶桑です。扶桑型戦艦一番艦の。よろしくお願いします」

『よろしく』

 

扶桑が指先を差し出すと、女神がそれを掴んで握手した。なんとも微笑ましい。

 

しかし、先程の話の内容が気になった。扶桑が子育てしたいとな?

 

「扶桑、お前、艦娘になってからどれくらい経つ」

「十年と少しでしょうか。老化は止まっていますので、ネルソン提督と同じように不老ですよ」

「知っている。しかし、その…………子供は、どうなのだ?」

「たぶん産めないと思います。月のものがありませんし、そもそも体の成長が止まっているので、やっぱり機能そのものも停止しているかと」

『扶桑の言うとおりだよ。ネルソン、君と同じ原理なんだ』

「そうなのか…………」

 

今まであまり考えなかったが、そう言われればそうなのだな。艦娘は自分の子供が抱けないのか。

そう考えると、少しだけ不憫に思ってしまう。欲しいと思っても作れないのか。

 

まぁ、作戦に支障をきたすので、しょうがないというか仕方ないのだが。

艦娘の使命は戦うことだ。艤装を解体し、普通の体に戻ったら、子供を作ることも出来るだろう。

 

それまではガマンだ扶桑。あの少年もいる事だし。

いや、その考えは少年にとって失礼か。…………でも愛情から来る考えだから、別に問題ではないのだろうか。

母性愛というやつか。

 

『ネルソン』

「なんだ、女神」

『そろそろいい時間じゃないか?』

「ん? あぁ、そうだな」

 

女神が催促するように言ってきた。酒も少しまわってきたし、続きの晩酌はまた後にしようかな。

 

「扶桑、ちょっと試したいことがあるから行ってくる。付いてくるか?」

「そうですね、あの少年のことですよね」

「そうだ」

「拝見させて下さい」

 

扶桑と私は立ち上がる。女神は、いつの間にか消えていた。私の頭に戻ったのだろう。

 

露天風呂から屋内へと入る。

外気のひんやりとした空気とはうって変わって、湿度の高い、風呂場独特の空気が肌を舐める。

 

辺りを見回し、程なくして少年を抱いている時雨を見つけた。

エアーバスに浸かっている。

近づいてみると、時雨の腕の中で少年は気持ちよさそうに眠っていた。

 

後ろから声をかける。少年を起こさないように、あえて声量を絞ってから。

 

「時雨、あれをやってみよう」

「うん、わかった。起こさない方が良いよね?」

「そうだな、寝かしといてあげてくれ。疲れているだろう」

 

言うと、時雨は湯船の中で自分の巻いていたタオルをほどき、少年の体に巻き付けた。

 

湯冷め防止のためか。細かいことに気が利くな。

 

立ち上がって、私を先頭に時雨、扶桑の順である場所に向かう。

 

そう歩く距離ではない。

浴場の一角、ひと一人が入れるだけの小さな浴槽に、時雨はゆっくりと少年を浸けた。

 

扶桑は私と時雨の意図を察したらしく、浴槽の近くにおいてあるバケツ(高速修復材)を取ってきて、私の左手に渡してくれた。

 

「もしこの少年が艦娘、あるいはそれに準ずる存在なら、この治療法が適用するはずだ」

 

私の言葉に二人は頷く。

 

そうだ。この少年は、この少年を召喚した妖精が言うに、十二㎝単装砲の妖精の力で、限りなく艦娘に近づいているらしい。

ならばバケツ(高速修復材)が効く。

 

しかし、これが効いてしまうということは、この少年が戦場に出ることになる理由になってしまうんじゃないか、と思いが巡る。

艦娘と同じ治療が効くのであれば、この少年がこの世界で負った責務は、つまり戦場に出て戦うことだ。

 

私はハッキリ言ってそれを望むわけではない。身勝手な考えだが、この子にはまだ早すぎる。あまり危険な目には遭わせたくない。

 

「…………」

 

だからといって試さないわけにはいかない。いずれ決まることなのだ。この少年が戦場に出るか、出ないのか。

それは今ここで、この瞬間に決まるわけではない。だからこそ、今、小さな傷で試してみるのだ。

 

間違ったタイミングで実験して、取り返しの付かないことになるわけにはいかないからな。

 

「いくぞ」

「うん」

「はい」

『やってみてくれ』

 

女神も見てるのか。一瞬そう思い、私はバケツを少年に傾けた。

 

薄く緑色に光る液体が、少年の浸かっている温水に溶け込む。

 

「ちょっと見てみるね」

 

狭い浴槽に時雨が入った。少年の体が小さいので別に窮屈なわけではないのだが、くつろげるようなスペースではない。

 

時雨はそれでも一瞬、湯につかった瞬間幸せそうな顔になり、しかしすぐに引き締めて少年の左足を覗き見た。

 

「…………完全にではないけれど、傷は小さくなってるよ。しばらく浸かってたら、完治すると思う」

 

時雨の言葉は、淡々としていた。

 

そうか。じゃあ、やはり艦娘に近いのだろうな。

 

私も大概に艦娘に近いが、こうまで如実に傷が回復するわけではない。一般の人では高速修復材なんぞ全く意味を成さないが、私には、ちょっと傷の治りが早くなる程度には機能する。

 

そしてこの少年は、その数倍の効力を受けたようだ。

 

少年が戦場に出る理由が、一つ確実になってしまったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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間話 彼女が装備研究員

今話は本編と少し離れた「間話」となります。
あの娘の話です。



――――日本領海域防衛軍本部(略称〝海軍本部〟)付属研究所支部――――

 

 

「長すぎるよね。厨二くさい名前もいい加減にして欲しい」

「正式名称なんだから仕方ないよぉ。文句言わないで早く書くでち」

「わかったわかった」

 

出来上がった試作装備に油性ペンで証明欄を書く。

アホみたいに長くなるのでもういっそ〝海軍〟とだけ記せばいいんじゃないかと思ってしまう。

 

「これで、あとは本部の研究所に送るだけ」

「そうだよぉ。でも送るのは明日でいいと思うでち」

「まぁそうかな。もう日もくれるし、そうしようか」

 

窓の外を見る。ここ――――装備開発研究所から見える海は、少し見下ろす位置にある。小高い丘の上に建っているので眺めがいい。

 

太陽はそろそろ海の中に入るだろう。水面に反射するオレンジ色の光が、よりいっそうここからの眺めをよいものにしてくれる。

 

私は白衣のポケットにペンをしまい、先程出来上がったばかりの試作品をもう一度見た。

 

試製四十一㎝三連装砲。

 

こいつにはロマンが詰まっている。あの四十六㎝砲が出来るまでは世界最強だった四十一㎝砲。

その三連装なのだ。もうロマンの固まりだ。なかなかカッコイイデザインだし。

ちょっとでかいのが気になるけど。

 

「でもこれ、どうやって運搬するでち?」

「輸送任務の発注をかけておいたから、回収部隊が今晩中には来ると思う」

 

このロマン・オブ・ロマンは本部まで海上輸送となる。したがって艦娘に輸送船の護衛をしてもらいつつ、これを本土に送り届ける。

他にも出来上がったサンプル品や装備をいくつか運び込みたいので、そこそこの戦力と船を依頼した。

 

きびすを返し、研究室から出る。ゴーヤが後ろから付いてきた。

 

「どんな艦娘達が来るのぉ?」

「わからない。どの程度の数をよこしたのかもわからない」

「なにそれぇ!? 規模の説明もしないで本部は艦娘を派遣したの!?」

「受注した戦力は満たしているとか言ってた。詳しい艦種や人数は言わなかったなぁ」

「もちろん問い詰めたんだよね?」

「当然したよ。なんて返ってきたと思う?」

「………………〝一研究所に教えることではない〟とか? 教わる必要があるから聞いてるのに」

「まったくそのとおり。ほんと嫌になるよあの無能集団は。秘匿が美徳とか考えてんのかね」

「お、ちょっとうまいでち」

 

真っ白な廊下に靴がコツコツと床を叩く音が響く。

いくつか角を曲がり、スライド式の自動ドアの前に建つ。パスコードを入れて、プシュッと空気の抜ける音と共にドアが横に開く。

 

「今日はありがとう、ゴーヤ」

「いいよぉ。これが仕事だもん」

「孤独な女の愚痴や相談に付き合うのが仕事か。そんな艦娘は君しかいないだろうね」

「立派な仕事でち。あと、護衛もそこに入るでち」

ここ(研究所)じゃほとんど意味がないよ」

「まぁその通りだねぇ」

 

ケラケラと二人で笑う。

 

「あ、今日の晩ご飯はどうするぅ?」

「そうだな……ゴーヤチャンプルとか食べたいな」

「狙ってる?」

「いや、純粋に食べたい。甘めでお願い」

「わかった。鉄砲飴溶かして流し込んでやるでち」

「やめてそれは食べられない」

「あやまるでち」

「ごめんなさい」

「ゆるすよぉ。それじゃあ一時間後に持ってくるでち!」

「あぁ、お願いする」

 

去っていったゴーヤの背が見えなくなるまで見送って、私は自室に入ってスライドドアを閉めた。

パスコード付きの小部屋。特に見られて困るようなものはないが、見られて恥ずかしいものならいくらかある。

そう言う意味では、もともと重要書類置き場だったここを私の自室にしたのは正解か。

 

ふかふかのベッドと書類だらけのワークデスク。

ヘルニアにやさしいお値段高めのワークチェア。でも別に私はヘルニアではなくて、単に座り心地が気に入っているから座っているだけ。

 

くだらない事を考えながらそのイスに座る。ふと見ると、机の上のパソコンにメールを受信した表示が出されていた。

 

「珍しいね……誰からかな」

 

開いてみる。

 

 

〝親愛なる我が妹へ。私の艦隊の半数以上がそちらに向かっている。特に問題ないと思うが約一名が恐ろしく元気がないだろう。あまり気にせず、そして絶対に構わずたんたんと仕事を伝えてやってくれ。いいか、絶対に相談には乗るなよ。意味もなしに徹夜するハメになる〟

 

 

元気がない? なら元気を出せるようにしてあげた方がいいんじゃないの?

 

「お姉ちゃんは何を考えてるのかよくわからないや…………」

 

まぁいいか。任務に支障が出そうなくらい落ち込んでたら、私の徹夜の一つや二つぐらい、その娘のために使ってもいい。

だいたいどの子か予想が付くし。

でもお姉ちゃんの艦隊なんだから、任務に支障が出るようなことはないでしょう。あの子達強いし、優秀だから。

 

「それにしても、輸送任務の護衛ってお姉ちゃんの艦隊がやるんだね。ちょっと意外だなぁ。無能な本部もたまには気を回してくれたのかな?」

 

私はメールを〝お姉ちゃんからのメールフォルダ☆〟に保存して、ついでにプリントアウトする。

 

プリンターから出て来た紙を丁寧に折りたたんで、机の中の〝お姉ちゃんからの手紙箱☆〟にそっとしまう。

 

これらを見られたら私はきっとショックで死ぬだろう。

見るような人物がここにはいないから別に心配することではないかもだけど。

 

「はぁ……でも、お姉ちゃんの艦隊じゃなくてお姉ちゃん本人に会いたいなぁ」

 

叶わない願いではないが、なかなか実現は難しい。もう五年近く会っていない。

 

「会いたいなぁ、会えないかなぁ」

 

ベッドに倒れ込んでゴロゴロする。白衣がシワになるけどかまうもんか。どうせ洗濯したらシワシワだし。

シワシワの白衣姿でも、見るのは鏡とゴーヤだけ。ぶっちゃけどんな格好で過ごしたって何も変わらない。

 

あぁ、でもお姉ちゃんがいきなり現れたりとかしたら恥ずかしいな。やっぱり身なりはちゃんとしてよう。嫌われたら傷つくし。

 

なんて考えているとあっという間に一時間が経った。

スライドドアを何者かがノックした。

 

「フレンダちゃん、ごはん持ってきたよぉ」

「ありがとうゴーヤ。今開けるね」

 

今夜はゴーヤチャンプルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フレンダが亡くなる? んなわけないでしょ!
ってことでフレンダはちゃんと生きています、安心してください。

次回はちょっと昔の話になります。


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挿話 10月24日~25日

これは「あの日」に関わる話です。
すこし暗いかもしれません。そのような心づもりでお願いします。

少年が世界にやって来る一年前のお話です。

ネルソン提督視点でお送りします。




「ふぅ…………だいぶ片付いたか」

 

山のような書類に目を通し、判を押しては崩していく。

毎日のこの仕事も、今日の分はそろそろ終わりそうだった。

 

時計を見る。日付があともう少しで変わる。

 

壁に掛けたカレンダーには、今日と明日の所に赤いバツ印が打ってあり、その横には同じく赤い字で〝休暇日〟と書いてある。

 

私の休暇ではない。現にこうして夜中まで、薄暗い執務室でテーブルライトに照らされながら仕事をしている。

 

艦娘の休暇だ。私の指揮下にある総勢七名の艦娘の。

彼女達のために私は今日明日の丸々2日、一切の訓練も戦闘も任務も放棄することを義務づけている。

艤装すらもつけさせない。

 

10月24日と25日。この2日間は、彼女達に戦争をさせてはいけない。

 

 

「……寝る前に少し散歩でもするか」

 

執務室をあとにして、夜間灯火の柔らかい光に照らされている鎮守府の廊下を歩く。

木の床を靴が叩き、コツコツと鳴るその音は、控えめに反響して廊下の奥へと去っていった。

 

「さて」

 

一度食堂の冷蔵庫へ寄り、中から缶コーヒーを取りだして、制服のポケットに忍ばせる。

 

玄関口から外に出ると、少し冷える風が、潮の香りを含みながら鼻をかすめて通り去った。

 

もう秋だな。きっと明日は冷え込むぞ。

 

「海か。丘か……丘だな」

 

浜辺へ続く道とは反対方向、ジャングルの中を通り抜け、小高い丘に向かう道を行く。

 

小さな山になっているこの先には、お情け程度の展望台が設けてある。夕日と朝日を拝むなら、あそこで鉄砲飴と缶コーヒーを飲みながらぼーっとしてるのが一番いい。

 

細い道を月明かりの青白い光に照らされながら、足下に注意して丘を登った。

 

目的地が見えると、その階段を上り、円状に作られている最上階へ到着する。

 

「……みつけた」

 

二人いた。時雨と満潮だ。

 

月下に照らされた淡い桃髪と美しい黒髪は、どちらも結われていなかった。

 

二人は並んで展望台の柵に肘をつき、海面を照らす夜月を眺めている。

 

私の存在には気付いているだろう。でも振り向かない。

後ろから近づいて、二人の間に入り込み、白い鉄柵に肘を付けた。

 

「……抜け出した懲罰は受けるわよ」

 

満潮がぶっきらぼうに言い放った。

 

「いや、いい。私も抜け出している。お互い様だ」

「そう。何でここに来たかは聞かないでよ」

「わかりきったことを聞くつもりはない」

 

私は小さく笑いながら、ポケットから缶コーヒーを取り出した。

プルタブを引き、ぷしゅっと音を立てて開いたそれを一口煽る。

 

そして満潮に差し出した。

 

「飲むか?」

「いらない」

「そうか。時雨は?」

「飲まないよ。でもありがとう」

「あぁ」

 

もう一口飲む。香ばしい薫りが鼻を抜ける。疲れた体には最高だ。

 

そして月に視線を戻す。時雨も満潮も口を開かず、ただただ青白いそれを眺めていた。

 

 

「……なんか、こんな夜はやっぱり眠れないね」

 

唐突に時雨が呟いた。

 

私はそれに続ける。

 

「今日だからか?」

「そうかも。…………満潮はどう思う」

「おなじよ。ぐっすり出来る方がどうかしてるわ」

「眠って忘れる方法もある」

「私には無理」

「ボクも無理かな」

 

私は、自然と口元が緩むのを感じていた。

 

「まぁそうだな。私も、こんな夜は特に眠れん」

 

言いながらコーヒーを傾ける。

 

潮風が月明かりに透ける白髪を、ほんの少し揺らした。

 

そろそろ、話を切り出してもいいだろうか。

いつまでもこうしているわけには、いかないからな。

 

逡巡はほんの僅かの間。

 

小さく息を吸い、なるべく自然に、なるべく当たり障りのないように呟いた。

 

「やはり、つらいか?」

 

二人のどちらかに向けて聞いたわけではない。

どちらにも、あるいは艦娘という全ての存在に問いかけたかったのかもしれない。

 

答えたのは満潮だった。

 

「……そうね」

「泣きたいなら私の胸に来てもいいぞ」

「いやよ」

「私は元気づけているつもりなのだよ。どうかね? 元気は出そうかい」

「ばっかみたい」

 

突き放すように言った満潮だが、その声音にいつもの強さはなかった。

 

私は少しだけ考えた。

 

あと一歩、彼女に近づくにはどうすれば良いか。

考え、ゆっくりと問いかけた。

 

「君は、どんな思いでここに立つ?」

 

満潮の方を見る。

 

彼女の表情が消えた。

視線が下がり、まぶたが揺れ、肩を震わせながら呟いた。

 

「……悔しいわ。でも私には何も出来ない。助けられないし、私の手なんて、みんなには届かないわ」

「ちがう。今の君は強い。守れるだけの力がある」

「そうね、そうかもしれないわ。わかってるけど…………でももう、私がいるところは……」

 

満潮の頬が一筋だけ、月の光に反射した。

 

「私の……私は、どこにいればいいのよ……居場所なんて、どこにも……」

「ちゃんとある。〝満潮〟も〝君〟も、ここにいればいい。君の座る場所は、ここにある」

 

満潮は何も言わなかった。

 

ただひたすら、あふれ出す涙を堪えようとして、それでも耐えられずに顔を伏せた。

 

くぐもった彼女のむせび泣く声は、明るい夜月に吸い込まれていった。

 

 

 

 

どれくらいそうしていただろうか。

 

私も時雨も何も言わない、静かな時間だけが緩やかに過ぎ去った。

 

遠く聞こえる波の音に紛れて、満潮は弱々しく口を開く。

 

「…………もう、大丈夫よ。だからほっといて」

「そうはいかん。部下を思うのは私の勤めだ」

「…………」

 

満潮は顔を上げて服の袖で目をこすると、私の方を睨んできた。

赤く腫らした瞳でまっすぐにこちらを見据えている。

 

しかしふいっ、とすぐに目線をそらし、何も言わないまま階段の方へと歩き出す。

 

振り返って彼女を見る。

 

時雨も何か言いたそうに、満潮の行方を目で追っていた。

 

だが口を開いたのは満潮だった。

 

「……席、預けるわよ」

 

蚊の鳴くような小さな声。それを海風が、確かに運んでくれた。

 

「まかせとけ」

 

階段を下りる彼女の横顔は、ほんの少し赤かった。

 

時雨にもそれは見えていたらしい。

 

「今日の満潮、やけに素直だったね」

「たまには本音を言わせてやらんとな。今日は特に」

「最近は結構わかるようになったでしょ? 何が言いたいかとか」

「年単位で世話をしていれば誰でもわかるもんだ。反抗期の子どもみたいで、これはこれで楽しいけどな」

 

時雨は鉄柵にもたれかかったまま苦笑した。

 

「あんまり子供扱いしちゃダメだよ提督」

「扱いと考え方は別物だ」

「うん?」

「子供だと思いながら大人のように扱う。保護者とは等しくそうあるべきだ。女性は特にな」

「含蓄があるね。さすが子育てのプロ」

「誰も成人式を迎えんのだがな」

「年取らないから?」

「そのとおり」

 

くす、と時雨は微笑んだ。

 

月明かりの青白い光は、彼女の顔をぼんやりと浮かび上がらせている。

 

その表情はまだ明るい。だがもうじきだろう。

 

彼女と私はもう約十年間、この関係を保っている。

上司と部下。指揮官と兵士。相棒と仲間。

秘書艦こそ扶桑に任せてはいるものの、ここ十年ほどで最も長く一緒にいる者と言えば、時雨の他にはいない。

 

そしてこんな月の夜は、これでもう何度目か。

 

艦娘は自分の艤装を通してあの戦いの記憶を共有している。

 

仲間を残して沈んだ最期。

助けようとして助けられなかった過去。

護衛対象に自らの手でとどめを刺した記憶。

 

それら様々な光景が自分の追体験として重なって、まるで、自分が海の上でそんな運命をたどってきたかのように感じてしまう。

 

時雨も例外ではない。

 

ことさら、彼女の場合はあの地獄の光景を終始見ることになる。

 

レイテ沖、スリガオ海峡戦。

 

山城を旗艦とする西村祥治(にしむらしょうじ)中将指揮下の囮艦隊は、10月25日未明に単独での突撃作戦を決行した。

結果は惨敗。生きて離脱できたのは駆逐艦「時雨」のみであった。

 

日本が深海棲艦との戦いに旧日本海軍艦の名を持つ彼女達を登用した当初から、意図的に、海軍は太平洋戦争時の編成になってしまうことを避けてきた。

 

理由は記憶のフィードバックがあるからだ。

トラウマや心的外傷ストレスが引き起こされることを極力避けるため、海軍はあえて編成をバラバラに砕いていた。

 

だが、大戦期の編成全てを避けることは不可能に近い。

連合国との戦いで沈没や除籍を繰り返し、度重なった再編成の全てをかいくぐることは出来ない。

 

今の我々海軍にも、都合でやむを得ず相性の良い艦娘を固めることがある。

 

ゆえにどこかにしわ寄せが必要となり、結果として私の持つ艦隊は最悪とも言える形で編成されている。

 

扶桑、山城、最上、時雨、満潮、朝雲、山雲。

 

時雨を除いた彼女達は、先の戦いで地獄の中に倒れ伏し、10月24、25日はその記憶が彼女達を苛んでしまう。

 

ゆえにこの2日間は戦いから遠ざける。私なりの配慮である。

 

場合によっては私が助けるが、多くは、彼女達自身でどうにかして乗り越えてきた。

 

身を寄せ合って一晩を過ごすことで乗り越えられる者。

扶桑、山城、朝雲、山雲がそうである。

 

また最上は幸いなことに、あまり苦しむ様子がない。

きっと沈む間際、乗組員が救助されているからだろう。

本人に一度聞いたことがあるが、そうかもしれないと言っていた。

 

扶桑、山城、朝雲、山雲、最上。

彼女達は乗り越えられる。

つらい記憶は、この一晩だけで収められる。

 

例外が二人いるのだ。

 

そのうちの一人、満潮の場合は少し境遇が違う。

 

彼女は艦娘になる前は孤児だった。

親を事故でなくし、親戚をたらい回しにされたあげく、虐待を受けていたことが発覚して福祉施設に引き取られた。

 

その数年後、艦娘としての適正があることが分かり、本人も望んで艦娘となった。

 

だがなってしまったのは駆逐艦「満潮」だ。

その艦暦は、運が悪いことに、孤児であった彼女にあまりにも酷似しすぎていた。

 

大戦期の〝満潮〟は修理中に仲間が全滅。

転属された先でも次々に仲間を失い、結果的に〝満潮〟は所属部隊を点々としていた。

そうして迎えた最期が、西村艦隊でのレイテ沖海戦だ。

 

孤児だった頃の彼女。

艦船としての満潮。

 

その二つのつらい記憶ゆえに、頭では理解していても、心の奥底で居場所を求めて探してしまう。

艦船としての命日である今日は特に。

 

だが、もう大丈夫だ。

 

今の彼女は違う。居場所は必ずここにある。

 

私が責任を持って、彼女の席を守ってみせる。

 

「…………すこし、風が冷たくなってきたな」

「うん。明日は冷えるかもしれない」

 

それぞれで折り合いを付けて、過去の記憶と向き合っている。

今日のこの日だけは苦しいかもしれんが、ただ一人を除いて、私の艦隊も乗り越えられるだろう。

 

そう、一人を除く。

放って置いてはいけない娘がいる。

 

時雨は違う。

彼女はダメなのだ。

この日だけは、この夜だけは。

もう何度目かになるこんな夜も、時雨だけは――――。

 

 

 

 

「提督、コーヒーまだ残ってる?」

「あるぞ。飲むか」

「うん」

 

月は先程よりも心持ち明るく光っており、時雨の儚げな笑顔を照らしていた。

私が飲みかけの缶コーヒーを渡すと、時雨は残りを一気に飲んだ。

 

「眠れなくなるぞ」

「もう寝る気はないよ」

「朝までいる気か?」

「…………そうだよ。朝まで、死ぬまで戦ってた人達がいる」

 

始まった。

ここでもしアプローチを間違えれば、時雨はしばらく、今日の状態を引きずってしまう。

 

今まで何度か失敗してしまった。

その度にもう二度とこんな時雨は見たくないと心に誓った。

 

だから間違えてはいけない。

彼女の心を壊してはいけない。

 

「時雨」

「あの夜に目を瞑ることはしちゃだめなんだ」

 

時雨は小さくそう言った。缶コーヒーを握る両手が、僅かに震えている。

 

静かに目を伏せた彼女に、次の言葉をどう掛ければいいのか躊躇った。

 

躊躇ったが、続けるほか無かった。そのままにしてはいけない。

 

「君のその記憶は、君自身の体験ではない。負い目を必要以上に感じることは――――」

「それじゃダメなんだよ!」

 

叫び、抗議の目を向けるように、時雨は揺れる瞳で私を見た。

 

「みんなが忘れても、みんなに忘れられてても、ボクだけは…………忘れちゃいけないんだ」

 

その声は震えていた。目に、月の光が弱々しく反射する。

彼女の呼吸が少しだけ乱れた。

 

その僅かな揺らぎは止まらなくなり、あふれ出した涙が頬をつたう。

嗚咽混じりに、止められない涙を袖で拭いながら、彼女は言葉を紡いでいた。

 

「ボクは…………ボク、は…………ヒグッ……エッ………グッ………」

「もういい、時雨。もう、いい」

 

細い肩を抱き寄せる。

力なく震えている。

 

「ごめんなさい、みち……しお……ヒグッ……ごめんなさい……ごめんなさいッ……みんなぁ……」

「大丈夫だ、時雨」

「ボクだけ……ッ……ボクだけ、生きて」

「…………」

 

頭を撫でる。震える肩を抱きとめる。幾度となくしゃくりあげる小さな背中を、絶え間なくさすってやる。

 

何度も、何度も許しを請う時雨に、私は掛ける言葉が見つからなかった。

 

月明かりは、代わり映え無く残酷に、時雨の涙を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ私は、彼女達を――――。

 

 



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第十七話 小さな体に小さなコンパスⅠ

改めまして本編が動き始めます。


目が覚めた。

 

先ず始めに聞こえたのは、窓を叩く激しい雨音だった。

 

体を起こして周りを見ると、自分の寝ていた部屋が時雨お姉さんの所だと認識できた。

ただ部屋全体が薄暗い。不気味さすらも感じてしまう。

 

窓の向こう側を見ると、なるほど太陽は全くその光を出していない。薄暗いのも納得できる。

今日は雨。かなり激しい大雨だ。

 

壁に掛けてある時計を見上げると、時刻は午前十一時を指していた。

 

少し起きるのが遅かったかな。

でも昨日は夜中の三時にお風呂に入って、そのまま眠ってしまったから、こんな時間になるのも仕方がないだろう。

 

むしろ睡眠時間にして七時間とちょっと。まだ少し眠たい。

二度寝しようか。

 

そう考えた瞬間に空腹感が襲ってきた。ころころとお腹が鳴っている。

朝ご飯を食べないと。いや、もう昼ご飯か。

 

「…………時雨お姉さん、どこ行ったのかな」

 

不意に不安が襲ってきた。

 

時雨お姉さんが隣にいない。

 

そうわかった途端に体の芯を氷のようにさみしさが襲う。

たまらず掛け布団の端を強く握った。何か、何か良くないことが起きているような気がする。

 

このままこのベッドで寝ることは出来ない。眠気なんてもう欠片もなかった。

 

誰かと話がしたい。たまらなくさみしい。

もしかすると今、この鎮守府には僕一人しかいないんじゃないだろうか。

 

みんなに置いてけぼりにされたかもしれない、と考えると、その不安はいっそう強いものになってしまった。

 

「妖精さん。いるかな? お話したいよ」

『おはよう少年。何かな』

 

十二㎝単装砲の妖精だった。頭の中で直接声が響いている。

 

その声を聞いた瞬間に、ほんの少し、不安やさみしさが薄らいだ。

 

「よかった…………いてくれてよかった」

『わたしはどこにも行かないよ』

「うん。そうだけど、その、なんか…………ありがとう」

『ふむ? よくわからんが、不安に思う必要は無いよ。時雨は仕事だし、ネルソン提督は下の執務室にいるはずだ。そんなに寂しがるな』

「うん。そっか…………わかった。ありがとう、妖精さん」

『ははは、ずいぶんとしおらしくなったな。昨日は〝妖精〟と呼んでいた気がするが』

「そうかな?」

 

あまり覚えがないけれど、なんだか妖精さんと呼ぶほうがしっくり来るから今後はそう呼ぼう。

 

部屋は依然と薄暗い。響いているのは僕の声だけだった。

ぬぐえない不安は孤独から来ていた。

 

何をしたらいいか思いつかない。

とりあえず、妖精さんを頼ろうと想った。

 

「妖精さん、僕はこれから何をすればいいの?」

『とりあえず左足の傷を見てごらん』

「わかった」

 

掛け布団をどけてベッドの下の方で折りたたむ。

そのまま、左足に視線を移す。

 

「あれ?」

 

そこには包帯もガーゼも巻かれていない。

 

足の裏をのぞき見る。

 

何もなかった。きれいさっぱり、傷跡すらも残らずすべすべお肌がそこにはあった。

 

「妖精さん? これ、どうしたんだろ」

『昨日風呂に入ったのは覚えてるかい』

「うん」

『わたしは君の頭で寝ていたから、君を召喚した妖精から又聞きしただけなんだがな――――』

 

妖精さんは一度区切ると、突如ベッドの上に姿を現した。

人形のような相貌。明るめの茶髪を後ろで一つに括っている。服装はセーラー服。

紛れもなく昨日の夜に見た、あの妖精さんだった。

 

見知った姿が目に見えると、心の中の不安がまた少しだけ溶けた気がした。

 

『…………こっちの方が安心するようだね』

「うん。ありがとう」

『君の頭にいたら〝さみしいよこわいよ〟とばかり流れて来て、こちらが申し訳なく思ってしまう』

 

妖精さんはクスリと笑った。

そっか、僕の感情は筒抜けだったのか。でももう大丈夫。

一人じゃなくなった。

 

『話を戻そうか』

「うん」

『昨日君が風呂に入って眠っているうちに、ネルソン提督がある実験をした』

「どんな実験?」

『君を艦娘用の高速修復材に浸けることだ。艦娘がダメージを負ったとき、あれに浸けると瞬時に回復、傷もふさがる』

「へぇ~すごい。そんなのがあるんだ」

『で、それを君に使ったら結構な効果が現れたということだ』

「傷が無くなってるのはそのせい?」

『そうだ。艦娘程じゃないが君の傷の修復は瞬時にして進んだようだ』

「へぇ…………」

 

怪我をしてもすぐに治るのか。世の中にはすごいものがあるんだな。

 

「それじゃあ今度から怪我したら、そこに浸かっていればいいんだね」

『高速修復材は貴重なものだ。ドッグに入るぐらいなら良いだろうけど、あれはそんなにぽんぽん使うものじゃない』

「あ、そうなんだ。うんわかった」

 

頷きながら答える。

でもそうか。傷が瞬時に治るなんて魔法みたいだけど、だったらなおさら貴重なものだよね。

怪我しないように気を付けるのは当たり前。

 

そこまで考えると、ふと、自分の中から不安な気持ちが取りさらっていることに気がついた。

そして代わりに空腹感が襲ってくる。今度は大きくお腹が鳴った。

 

「…………もうぜんぜん怖くなんか無いよ。妖精さん、ありがとう」

『不安なときにはまた話をして上げよう』

「うん。お願いね」

 

元気が出て来た。薄暗い部屋がさっきよりほんの少し明るく感じた。

 

『少年、下に行こう。ネルソン提督の所に行って何か食べ物を貰ってこよう』

「わかった。服はこのままでいいかな?」

 

昨日目覚めた時と服装は替わっていない、ダボダボでかなり大きな青ジャージ。相変わらず時雨お姉さんの香りがする。

 

『着替えた方が良いだろう。時雨のタンスから拝借しよう』

「勝手に借りて怒られないかな?」

『今朝、時雨から頼まれたからな。君が起きたら着替えさせてくれって』

「そっか」

 

彼女と仲直りできて私も安心だ、と妖精さんは小さく呟いた。何のことだろう? まぁいっか。

 

ベッドから降りて恐る恐る左足を床に付ける。

痛みはまったく走らなかった。改めて感心した。

 

「ほんとに治ってる」

『そりゃそうさ。あぁ……自分で着替えられるか? わたしじゃ流石に小さいから手伝うことは叶わんぞ』

「で、出来るよひとりで!」

 

タンスの前まで行き、どこの引き出しを開ければいいのか迷ってしまった。

迷うと言っても一番上の引き出しには背が届かない。

とりあえず下から見てみようかな。

 

ガラッ。

 

「…………」

『時雨はこんなのを穿いているのか』

 

タンスの上から妖精さんが覗き込んでいる。

丁寧に収納されたきれいな布の陳列は、いわゆる下着。わかりやすく言うとパンツだった。

 

白いものから黒いもの、薄いピンクのものも見えている。

実にバリエーションに富んだカラフルな桃源郷がそこにはあった。

 

頬が赤くなるのを感じながらそっと引き出しを元に戻す。

 

「…………言わないでね」

『わたしだって命は惜しい。墓場まで共に持っていこう』

 

下から二番目を開ける。こちらはトレーニングウェアだった。

 

『ここから借りよう』

「うん」

 

どれにしようか迷った。時雨お姉さんのお気に入りとかあるのだろうか。それを借りるのはちょっと遠慮した方が良いだろう。

 

「どれを借りたらいいのかな」

『そこの黄色いのなんてどうだ』

 

言われたとおり、一番手前にあった黄色いジャージを引っ張り出す。

サイズは今まで借りていたものと全く同じ。というかたぶんこのサイズしかないだろう。

 

「これにする」

『三着で見事に信号機だな』

「そういえばそうだね」

 

小さく笑みがこぼれた。

 

手早く青ジャージを脱いで丁寧にたたみ、黄色ジャージを身につける。

袖と裾をまくり上げて、青ジャージを小脇に抱えて、妖精さんを肩に乗せる。

 

『では、いざ食事をとりに』

「はーい」

 

時雨お姉さんの部屋を後にした。

 

 

 

 

執務室前。

 

ここに来る途中に一度洗濯室に寄り、カゴの中に青ジャージを入れておいた。

それと、念のため食堂を覗いたけど扶桑さんも時雨お姉さんもいなかった。もちろんネルソン提督も。

 

廊下と階段は電気が付いていた。まるで台風でも来ているかのように外は大雨と風が強く吹いていた。

 

執務室の扉を見上げる。

 

「たぶんここにいるんだよね」

『たぶんな』

 

息をのみ、なぜかはわからないけどちょっと緊張する体を落ち着かせて、ドアを二度ノックした。

 

コンコン。

 

「あ、目が覚めましたか? 入って良いですよ」

「あれ?」

『扶桑か?』

 

ドアの向こうからした声は、ネルソン提督のものではなかった。

 

「失礼します」

「どうぞ」

 

ドアを開ける。

昨日の朝見た執務室とは、ちょっとだけ雰囲気が変わっていた。

机の上にはモニターと無線機。積み上がった書類と地図みたいなのもある。

 

そしてその机の向こう側には、ヘッドホンをした扶桑さんがモニターを睨みながら座っていた。

 

その表情は、儚げな笑みでも柔らかな表情でもなく、何かマズイ状況が起きているかのような苦しそうな顔だった。

 

『扶桑? どうしたんだ』

 

肩にいる妖精さんが聞いてくれた。

 

「やや想定外の事態が起こってしまいました」

「ネルソン提督はどこに?」

「海軍本部です。今朝方迎えが来て、時雨とヘリで向かいました」

『それで指揮を扶桑が代わりに?』

「ええそうです。妹の山城達の方も、かなり状況が逼迫(ひっぱく)しています」

 

山城?

 

もしかして、この鎮守府から出ている残りのネルソン提督の艦隊か?

 

うん、この状況から見るに間違いなくそうだ。

 

『何があったのか教えてくれ』

「今は無理です。山城達の方が片づいてからにして下さい」

 

その声は切羽詰まっていた。

 

僕は駆けだして扶桑さんの隣に立つ。

 

モニターの中には、航空映像のように高い箇所から鮮明に海上を映し出す様子が写っていた。

 

「これは…………?」

『なにッ!』

 

妖精さんが声をあげる。驚愕の声そのものだった。

 

『輸送任務だろう!? なぜこんな状況になっている!』

「敵の偵察機に掛かってしまったようです」

 

何が起きているのか僕の目にはわからなかった。

けど、広い海の映像には、真ん中に普通の船舶と、その周囲を囲むようにして進んでいる五つの人影が見えた。

 

船舶はそれほど大きくない。全長三十メートル。漁船ぐらいの起きさで、コンテナのような箱を積んでいる。

 

その船舶を等間隔で円になるように囲っているのが、おそらくネルソン提督の艦隊だろう。

 

そしてそこからだいぶ離れた位置。

 

距離がどれ程なのかはわからないけど、扇状に、山城さん達の進行方向を阻むようにして黒い点々の集団が展開している。

 

「何あの黒いの…………?」

『少年、よく見ておくんだ。あれが深海棲艦だ』

「え」

 

じゃあ敵? でも、え、だってこの数は…………えぇっ!?

 

「て、敵だらけじゃん!」

『五十はいるだろうな。戦艦クラスも見える。これでは輸送任務どころではない』

 

妖精さんの言葉に扶桑さんが頷いた。

無線機のスイッチを入れ、ダイヤルをいくつか回す。

 

「こちらネルソン艦隊本部。聞こえますか?」

『姉様!?』

 

無線機の横のスピーカーから驚いたような声が聞こえてきた。

 

「状況は最悪です。把握していますか?」

『最上の偵察機から入電がありましたが、未帰還です。恐らく撃墜されました…………』

 

スピーカーからやや落ち込んだ声が聞こえてくる。

しかしすぐに、また元気な様子でしゃべり始めた。

 

『でも扶桑姉様が見守って下さるなら私はいくらでも戦えますわ!』

『アンタが戦えても船が沈んじゃ意味ないのよッ!!』

 

別の声が飛んできた。焦ったような、そして怒気を含んだ声である。

 

その声に向かって扶桑さんが話しかける。

 

「満潮、よく聞いて」

『なによ!』

「すぐに回頭してその海域から離れなさい」

『出来ないわ。そんな事をしたら輸送任務は失敗よ』

「失敗でも構いません、船を捨てて逃げなさい。もしそのまま進行すれば、間違いなくあなたたちは沈んでしまいます」

『わかってるわよ! 出来ないって言ってるでしょう!!』

 

満潮と呼ばれた人が怒鳴り散らした。

 

「妖精さん」

『どうした少年』

「どうにかして勝てないの? 五十隻って、そんなに多い数なの?」

『計算してみろ。海の戦いは船舶の数を二乗したらその艦隊の兵力になる』

「二乗……山城さん達が五人だから、二十五で、敵が五十としたら――――」

 

五十の二乗がすぐに出ない。ええと――――えぇ……。

 

「…………二十五対…………二千五百」

『ご名答。で、勝てると思うか?』

 

首を横に振らざるを得ない。

 

モニターを見る。輸送船の集団と黒い扇は着々とその距離を詰めていた。

 

扶桑さんが無線機に叫びかける。

 

「山城! すぐにその海域を戻りなさい!!」

『姉様の命令ですから戻りたいのは山々ですが、後ろは潜水艦隊が迫っているんです!』

「ッ! 爆雷は!?」

『朝雲と山雲がありったけ投下しましたが、勢いを押さえるぐらいにしかなりませんでした』

「なんてこと…………」

 

扶桑さんが両手で顔を覆った。前髪がぐしゃぐしゃになる。

その肩は震えていた。

 

どうにも嫌な空気が流れ始める。楽観出来る雰囲気ではない。

心から、さっきとは違う不安が襲ってくる。

 

自然と僕の声も焦りを含んだものになる。

 

「妖精さん、このままじゃ山城さん達が……どうにかならないの!?」

『わたしにはどうしょうもないよ』

「ネルソン提督は? ネルソン提督に聞いたら、この状況もどうにか出来るんじゃないの?」

 

質問には、かすれた声で扶桑さんが答えてくれた。

 

「…………提督は、海軍トップの会談中です。こちらから連絡の届かないところにいます」

 

絶望的。

 

なんで、どうして、こんなことに。

 

『緊急事態用の打電は?』

「とっくの昔に打っています。まったく届いている気配がないので、もしかすると提督の身にも何かあったのかもしれません」

 

そんな……。

 

目の前が暗くなる。

 

モニターを見据えると、黒い扇と船舶の距離は先程よりも縮まっている。今にも扇状に大砲の発射炎がのぼるかもしれない。

 

そうなったら終わりだ。

 

会ったことも、話したこともない人たちだけど、あそこにいるのは扶桑さんの妹と時雨お姉さんの友達だ。

 

何もしなくて良いわけがない。

助けなくて良いわけがない。

 

助けたい。このままここで指をくわえて見ているだけなんて、そんな、そんなのはあんまりだ。

 

しかしどうすればいいのか思いも付かず、僕は無意識に口を開いた。

 

「どうにか出来ないの……?」

「今考えてます! 黙っててッ!!」

『扶桑!』

 

扶桑さんの叫びは僕に向けてのものだった。妖精さんがそれを咎める。

 

『当たる相手を間違えるな! 少年にわめいて何になる!!』

「あ…………ッ……ごめんなさい……」

 

一度僕を見て、申し訳なさそうに視線を落とした。

いや、僕も、何も出来ないくせに無神経に呟いただけだ。悪いのは僕だ。

 

「扶桑さんは……悪くありません。だれも……」

 

扶桑さんの肩が震えている、頬に一筋の涙が伝う。

 

「こんな事になるなら……私も……行けば良かった……」

『それはちがう。行ってもどうにもならん』

 

妖精さんが首を振る。その表情には、同じように焦りが浮かんでいた。

 

沈黙が流れる。重い空気が執務室をいっぱいにする。

 

しかし静寂は一瞬だった。

 

『姉様!! 指示をッ!!!』

「――――ッ!」

 

モニターを見る。その中で、黒い扇がチカチカと瞬いていた。

 

 

 

 

始まった。絶望的な砲戦が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十八話 小さな体に小さなコンパスⅡ

空模様は灰色。低くうねるような厚い雲が一面の上空に広がっている。

 

波は不気味なほどに静かである。しかし色はドス黒く、この海域がまともな生態系を維持できていないことを明確にしている。

 

そんな海の上を、一隻の船を囲むように五人の艦娘が航行していた。

 

先頭を行く山城が無線機に叫びかける。

 

「姉様!! 指示をッ!!!」

 

遥か前方。僅かだが視認できる黒い集団。それがチカチカと瞬いているのを確認した。

満潮の目にはその光が砲撃の発射炎であることが即座に理解できた。全身が強ばる。心拍数が跳ね上がる。

 

『煙幕展開! 並びにM(マグネトロン)ジャマー起動!』

「「「了解!」」」

 

無線機からの扶桑の声に、満潮は間髪入れず返事をする。自分を叱咤。気持ちを一気に切り替える。

 

固まっている場合ではない。

 

煙幕とジャマーの展開は駆逐艦である満潮、朝雲、山雲の仕事である。後れを取れば、それはすなわち部隊の全滅を意味している。

 

「ふッ!」

 

一息に十二㎝連装砲に煙幕弾を装填。ガシャンッ! という威勢のいい音が響く。

三人は同時に、別々の方角に向かってそれを撃ちあげた。

 

直後に敵の砲弾が降ってくる。

 

鉄の雨とも形容できる攻撃は、しかしこちらを正確には取らえきれていなかった。

近くに猛烈な勢いで着弾する。

 

海面を穿ち、巻き上げられた海水を容赦なく頭から浴びてしまう。

だが満潮はそんな事にはつゆほども構わず、立て続けに二発の煙幕弾を撃ちあげた。

 

弾は上空でパラシュートが開き、全方位に真っ白な煙を降らせている。

 

瞬く間に辺りが白く染まる。これで敵がこちらを視認することは出来ない。

 

「もう一つ!」

 

腰に付けているカンテラのような小さな装置のスイッチを入れる。

 

(マグネトロン)ジャマー。

フレンダが研究、開発した対電探用ジャマー装置。

海面上の波長をマイクロ波で測定する電波探信儀(マグネトロン)に対して、同じ波長で電波をぶつける。

こちらの位置座標を隠蔽するだけでなく、誤差を生ませて相手にたたきつけるため、相手はこちらの位置を間違えて認識する。

 

ただし自分たちも電探が使えないため戦闘で用いるのは諸刃の剣だが、逃げることだけに目標を置くなら、これほど上手い装備はない。

 

「それに加えてこの距離なら、たぶん大丈夫ね」

 

そう。目算だがあの距離で駆逐艦や軽巡洋艦の砲は届かない。せいぜい戦艦の電探射撃に脅威を感じるレベルだが、それはジャマーがあればひとまず大丈夫だ。

 

――――いける。輸送船を捨てなくて済む。

 

この船を捨てることは、そのまま司令官の顔に泥を塗ることになる。

あの人の立場は理解しているつもりだ。そして私達が任務を失敗したとき、どんな輩がそこにつけ込んでくるかも容易に想像できる。

 

〝ネルソン司令官は無能。こんな奴に国防は任せられない。〟

 

絶対そういう事態になる。

 

扶桑は私達の命を守るために、輸送船を見捨てろと言った。

間違った選択ではない。どうせオートコントロール(自動操縦船舶)である。人間が犠牲になるわけじゃない。

 

でも。

 

「たった一度の失敗も、私達は許されないのよ」

 

だからこの船は守り抜く。必ず本土に運んでみせる。

 

『第二戦速! 進行方向から九時の方角へ回頭して下さい!』

 

扶桑から言われるままほぼ直角に、左へ向きを変える。足下の波が大きく跳ねあがり、かなりの速度でもといた場所から遠ざかる。

 

艦隊の動きに合わせて輸送船も自動で操舵する。原理はよく分からないが、これもフレンダさんの技術が投入されているらしい。

 

敵からの砲撃は散漫になっていた。遠くで着弾の音が激しく聞こえるが、こちらに飛んでくる弾は僅かである。

ジャマーが良い仕事をしてくれていた。助かる。

 

深海棲艦からの最初の砲撃からわずか三十秒足らずのことだった。

進行方向の転換。煙幕とジャマーによる一時的な目くらまし。

このままこの海域を抜け出せれば…………。

 

『被害は!?』

 

無線機を通しての扶桑の声。

間髪入れず返事を返す。

 

「無いわ!」

『なし!』

『ありませぇ~ん』

『大丈夫だよ!』

『艤装にかすりました、小破です……不幸だわ……』

 

山城は相変わらずのようである。

元気づける意味も込めて、満潮は無線機にしゃべりかけた。

 

「不幸不幸言ってるからバチが当たるのよ。たまには幸せそうな発言の一つもしてみなさいよ!」

『姉様もいないのに幸せなんて訪れません』

「あぁ、そうね」

 

見たところ輸送船もノーダメージ。今のところは奇跡的に無事である。

 

だがいつまでもつかは分からない。

 

煙幕が切れないよう断続的に撃ち続けている。

これのおかげで目視されることはない。

 

羽虫のような飛行音が聞こえないので、敵の艦載機は飛んでいないのだろう。

 

あれだけいた敵の集団も、撃ってきているのは戦艦だけ。

それもジャマーのおかげで的外れな位置に着弾してる。

 

運が良い。ただそれだけだ。

何がどう転ぶかわからない。少しでも運に見放されたら海の藻屑になりそうだ。

 

…………そう言う意味では、アンタ(山城)もあながち不幸じゃないわよ。

 

満潮はそんな事を思いながら、次の煙幕弾を装填した。

 

 

――――○――――

 

 

執務室。

 

ネルソン提督の艦隊は左へ回頭、真っ黒な扇形の包囲を離脱しようと試みている。

 

深海棲艦からの最初の砲撃。

それから三十秒あまりが経過した今、モニターの中では異様な光景が広がっていた。

 

次々と撃ち続けている深海棲艦の砲弾は、しかしネルソン提督の艦隊とはかなり離れた海面に吸い込まれていく。

煙幕で白く染まった一帯。たぶん深海棲艦側からは何も見えていない。

 

でもそれだけのせいじゃないだろう。

 

さっき扶桑さんが言っていたMジャマー。強力な効果を発揮しているのか、面白いように砲弾がバラバラの方向に飛んでいる。

 

でも。

 

『いつまでもは続かんぞ、扶桑』

「分かっています。対抗策を考えているところです」

 

場に少し落ち着きが戻ってきた。

ほんの少し前までは目の前が暗くなるほどの事態だったが、よほど運が良いらしい。誰も沈まず、誰も傷ついていない。

山城さんが少しだけ心配だけど、問題はないようだし。

 

扶桑さんも平静を取り戻している。

 

妖精さんがモニターの前でちょこんと体育座りをしたまま、モニターを食い入るように見つめていた。

 

『――――む』

 

うなった。僕もモニターを見ると、黒い扇形の包囲は、ゆっくりと崩れ始めていた。

密集していたはずの黒い固まりが、ネルソン提督の艦隊めがけて薄く長く伸びていく。

 

「動いてるの?」

『戦艦だけをその場に残し、駆逐や軽巡、重巡が接近しようとしているな』

「近づかれるとマズイんじゃ……」

 

妖精さんは頷いた。

 

『扶桑。あれを逃げ切るのは無理だ。いっそ潜水艦隊の方へ突っ込んだ方が良いんじゃないのか』

「駆逐艦の娘たちは雷撃を避けられますが、山城や最上は万全とは言えません。彼女たちの危険を顧みないのはダメです」

『だがこのままでは』

「はい、わかっています。あの数に追いつかれれば最後…………誰も生きては帰れません」

 

扶桑さんの表情は、例えがたいものだった。悔しそうな、悲しそうな――――でも諦めてはいない顔。決して投げ出してなどいなかった。

 

「扶桑さん。大丈夫です。まだ、まだ何かきっとあります」

 

無責任なことを言っているのはわかっている。

何かある、なんてそんな根拠の無いものを求めることが的はずれなのは知っている。

 

僕は戦争なんてわからない。戦い方なんてわからない。

何かの正体を頭で考えて、思いつくはずは無かった。

 

でも、何か忘れている。

そしてその忘れているものが、忘れている存在が、いま必要な何かの正体なんだ。

そんな気がしてならない。

 

扶桑さんは大きく息を吸い、一つ頷くと、決意をあらわにした表情で無線機に叫んだ。

 

「全艦に通達! 敵深海棲艦の艦隊が動き始めました。重巡を含む大型の水雷戦隊です。このままの速力では追いつかれるため、あなた達の最大出力を一時的に出して下さい! 両舷前進一杯ッ!!」

『そんな事をしたら山城が置いてけぼりよ! いいの!?』

 

満潮さんが即座に反論。しかし扶桑さんは続けた。

 

「山城の装甲値はあなた達の中で最も高いです。殿(しんがり)に守りの堅い船を寄せ、輸送船へのダメージを防ぎます」

『…………それ、山城に死ねって言ってるようなもんよ。被害担当艦になれって。わかって言ってるの?』

「百も承知です。私は、山城を信じています」

 

力強い言葉だった。

 

扶桑さんは、山城さんが危険な目に遭うのを承知で艦隊の速力を上げようとしている。

 

駆逐艦と山城さんでは、絶対に山城さんの方が遅いはずだ。これまでの動きでそれはわかる。

全員が山城さんの速力に合わせていた。それを、一時的にとは言え壊す。

最悪、攻撃が山城さんに集中することになる。

 

扶桑さんの指示に従って、山城さんは輸送船の後ろ、最後尾へと赴いた。

艦隊の移動速度が上昇する。

 

「山城、出来ますね」

『姉様にそんな言葉を貰ってまで、出来ないなんて言う奴はこの世にいません。いたら私が沈めてやります』

「――――お願いだから、生きて帰って」

『被害担当艦なんて久しぶりの仕事で腕が鳴ります。だいたい駆逐や軽巡の砲でこの私が沈みますか?』

「沈みませんね」

『そのとおりです。魚雷は精密射撃で全弾はじいて見せましょう』

 

山城さんの言葉に、扶桑さんは口元を抑えていた。目が潤んでいる。

 

苦渋の決断だろう。艦隊全員の命を守るために、自分の姉妹を危険にさらす。それがどんなにつらいことで、決断にどれ程の勇気が必要か想像するのは難しくない。

 

輸送船を捨てるという選択肢はなさそうだ。先程の満潮さんの独り言は、扶桑さんを含めて全員に無線で伝わっている。本人は気付いてなさそうだけど、おかげでネルソン提督の立場を守るという、みんなの意志が固まった。

 

だから山城さんが危険な目に遭う。運が悪ければ取り返しの付かない事態になるかもしれない。

ネルソン提督の立場を守ることに、山城さんの命をかける意味は?

 

あるだろう。ネルソン提督が海軍から追い出されれば、この艦隊は解散。みんなバラバラになる。

そんなのは嫌だ。

 

結果的にみんなは、みんなのために戦っている。ネルソン提督のために戦っている。

 

心が痛くなった。山城さん本人が良くっても、それは山城さんだけが背負っていい危険じゃない。そもそも沈んだら意味がない。

 

でも、艦隊の全滅を避けるために、解隊されることを避けるために。

山城さんはリスクを負う。扶桑さんの妹は、死ぬかもしれない危険を負う。

 

なにか、扶桑さんにかける言葉はないだろうか。

どうすることも出来ないなら、せめて僕に出来ることをしたい。

 

かすれた自分の声を振り絞り、扶桑さんの背中から、僕は口を開いた。

 

「大丈夫です扶桑さん。山城さんは必ず生きて帰ります」

「…………そうね。そう、よ。みんな、山城も、みんな生きて必ず帰るの。誰も沈ませたりなんか――――」

 

『そのとおりなのねッ!!!!』

 

直後、淡い光と共に小さな魔女が現れた。

 

「わわぁ!?」

『妖精!? お前、どこに行ってたんだ?』

 

執務机の上には、魔女を彷彿とさせる大きな黒帽子を被った、小さな妖精が立っていた。

 

『やっと同調できたのね。あんな遠い海域にあわせるのは流石に疲れたのね!』

『あわせる? 何を言っているんだ』

『説明は後! 少年、早くこのぐるぐるを回すのね!!』

 

言うやいなや黒帽子の妖精さんは、僕の手のひらに何かを出した。

両手で水を掬うようにして、光の固まりが集まっていくそれを受け止める。

 

輝きが収まったそこに現れたのは、

 

「…………羅針盤?」

『そんなわけ無いのね。羅針盤は回すものじゃないのね』

 

だが手のひらに収まっている小さな装置は、誰がどう見ても羅針盤だった。

N、W、S、Eの文字とその間にも細かい方角。中央には赤と黒で塗り分けられた針も付いている。

 

「これを回すの? どうやって?」

『中央を持ってルーレットみたいにすればいいのね。止めるのはわたしの能力なのね!』

「回すとどうなるの?」

『あの艦隊を正しいルートで導けるのね。詳しいことは後で説明して上げるから、さっさと回さないと彼女たち全滅するのね!!』

「わ、わかった!」

 

中央の出っ張りを持って、ルーレットのように回す。

 

カラカラカラカラカラ――――――――。

 

針ではなく、なぜか文字盤の方がまわっている。

 

『えいっ!』

 

ビタッ! と音がしそうな程に、まわっていた文字盤がとまる。針は、北西を指していた。

 

瞬間、僕はこの方角にあの艦隊を導かなければいけない、という感覚に襲われた。

なんだこれ。わからない。でも心の底から、北西の方角にネルソン提督の艦隊を進めないと、あそこにいる全員が命を落とすような気がしてしまう。

わけがわからないが、指示せずにはいられない。この羅針盤の針が示す方角に導かなければ気が済まない。

 

扶桑さんから無線機を受け取り、半ば叫ぶ形で早口に伝えた。

 

「みなさん北西の方角に進んで下さい!! 早く!!」

『え、誰?』

 

山城さんの声が帰ってきた。でもその質問には答えない。答えている場合ではない。

 

「いいから早く! 早く北西にッ!」

『わ、わかったわよ。全艦回頭! 北西に進路変更!』

 

モニターを見る。艦隊がやや右斜めの方角に進路を変えた。その直後だった。

 

周囲の海が爆発した。

海水が一瞬で白く染まり、何メートルも高く打ち上げられる。

 

『きゃあぁぁぁ』

『わぁぁぁぁぁ!』

 

無線機から悲鳴が聞こえる。だが、モニターの中の輸送艦隊は、その海の爆発に全く巻き込まれていなかった。

よく見るとその爆発は、大量の砲弾による海面の隆起であり、滝のように海水が落ちている。

輸送艦隊の進む方角以外が、真っ白な海水で覆われる。

 

「何が起きたんですか!?」

 

扶桑さんが僕から無線機を取り即座に反応。

返ってきた答えは、

 

『敵の一斉射撃です! ジャマーの効果が切れています!!』

 

山城さんの叫び声が執務室に響く。扶桑さんは続けた。

 

「そのまま北西の方角に進んで下さい!」

『大丈夫なんですか!?』

「その方角以外に進むと、砲弾の餌食になりますよ!!」

 

モニターを見ればそれは明らかである。現場の詳しい状況はわからないが、少なくとも、北西の方角に弾は一発も落ちていない。

 

――――え、一発も?

 

まるで海面に道が出来たかのように、砲弾と砲弾の間に平和な海路が出来ている。

白く隆起する死の海面と、黒く穏やかな北西の方角。

 

『もう何となくわかるのね? 少年』

「あの羅針盤の指す方角は、安全なところを示しているんですか…………?」

『そう。まぁ、〝針の指す先が必ずしも安全なわけじゃないけれど、指さないところは間違いなく危険〟って、別の世界の妖精は言ってたのね』

「これが……でも、なんで僕が?」

『この世界の海域の常識を打ち破るには、艦娘すらも知らないような遠い世界から呼ぶ必要があったのね』

「それで僕を召喚したんですか? じゃあ、僕のこの世界での役割って――――」

『そう。艦隊の進路を決めるのが、君のこの世界での存在理由なのね。これを回せる人間をこの世界に出すために、わたしは君を呼んだのね』

 

そうか。そうなのか。

 

僕の役割は、これなのか。

危険な海域に入らないよう、指し示してみんなを救える能力なんだ。

 

『あと、やっぱりこれは羅針盤なのね?』

「え、違うの?」

『羅針盤は回すものじゃないのね。これは少年が回してわたしが止める、いわば占い装置みたいなものなのね』

「でも形がまんま羅針盤だし…………羅針盤でいいんじゃない?」

『君がそう言うなら、じゃあ羅針盤なのね』

 

羅針盤の妖精は笑顔で頷いた。

 

その様子を見ていた扶桑さんと単装砲の妖精さんは、

 

「…………もうちょっと詳しく話を聞かせて下さい」

『わたしにも頼む』

 

納得できている感じではなかった。

 

モニターの中の輸送艦隊は、見る間に黒い集団を突き放し、数十秒で戦闘海域から離脱した。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

安全圏。

 

一概にそう呼ぶには少し的外れではあるけれど、モニターの中の光景は、先程のような絶望的なものとはほど遠く、落ち着いて見られる光景だった。

 

相変わらずの曇天だが、砲弾の雨が降ることはない。先程の大艦隊は跡形もなく消えていた。

 

しばらく航行していると、深海棲艦を進路上に発見、迎撃に掛かる。

 

「単縦陣! 同航戦になります、輸送船に弾が当たらないよう早急に決着を付けて下さい!」

『了解!』

 

扶桑さんの指示に山城さんが答えた。

同時に、深海棲艦に向かって砲火を加える。

 

敵の数は六。重巡二、軽巡一、駆逐三だと単装砲の妖精さんは言った。

 

山城さんの主砲が敵の重巡を捕らえる。まずは一隻を動けなくした。

 

ほぼ同時に輸送艦隊の重巡洋艦娘、最上さんの主砲も敵のもう一隻の重巡を黙らせる。

 

『満潮、朝雲、雷撃用意! てー!』

 

山城さんの叫び声に合わせて、よく似た髪型の二人の少女が、リコーダーのような魚雷を射出した。

 

海面すれすれを這う四本の雷跡は、吸い込まれるように残りの深海棲艦に一本ずつ命中、海の底へと沈める。

 

大破したまま動かず沈まずである敵の重巡洋艦は、山雲さんという駆逐艦娘の人が主砲でとどめを刺した。

戦闘開始から十秒と経っていない。

 

「素晴らしい砲雷戦です」

『姉様に褒めて頂けるなんて。まだまだこれからもがんばれます!』

『ふんッ! ………………まぁこんなものね』

 

満潮さんの言葉に、あまり聞き慣れない声の人がつっかかった。確か朝雲さんと言ったか。

さっき一緒に雷撃した人だ。

 

『ちょっと満潮、もうちょっと素直に喜べないわけ?』

『なによ。別に褒められるようなことはしてないわ。当たり前の仕事よ』

『まぁそうだけどさ、なんかもうちょっとこう……まあいっか。満潮らしいし』

『ちょっと朝雲それどういう意味よ』

『朝雲姉~ちょっとこっち来てぇ~』

 

無線機から様々な声が聞こえてくる。わざわざ全艦通信にする意味はあるのだろうか。うん、たぶん無い気がする。

 

『少年、これが最後の進路変更なのね。回すのね!』

「わかった」

 

カラカラカラカラ――――ビタッ!

 

「北東?」

『なのね!』

 

扶桑さんに羅針盤を見せてから、艦隊に進路の変更を指示、その方角に進んで貰う。

 

深海棲艦からの包囲から脱出して十五分ほどが経った。

 

あれからいくつかの敵艦隊と会敵するも、いずれも六隻以下、それ以上の数に出くわすことはなくなった。

戦闘の度に羅針盤を回し進路の変更を入れていく。

 

進み出した輸送艦隊の、中程にいる満潮さんから無線が入った。

 

『そこの…………男の子? さっきのはなに?』

「えっと、なんのことですか?」

『包囲から抜け出すときの進路変更の話よ。どうしてあんなピンポイントで安全な方角を示せたの。何をしたのよ』

 

強い口調で質問される。

知らず怖じ気づいてしまった。怒られているのだろうか。

 

「いえ、その僕は……うぅ……」

『あぁ、もう。別に怒ってるわけじゃないわよ。ただあの進路変更から妙に敵の手応えが強いから、何をしたのか確認してるだけ』

「手応えですか? いえ、僕はなにもしていませんよ…………?」

『とぼけないで』

「ひっ」

 

なさけない声が喉から漏れる。この人本当に怒ってないのだろうか。

 

『もうちょっとやさしく言いなよ、満潮』

 

最上さんの心配そうな声が聞こえてきた。

 

『ごめんね。この子ちょっと口調はきついけど、根は良い子だから』

『余計なお世話よ』

 

最上さんの言うとおりだったとしても、ちょっと満潮さんは怖いかもしれない。

 

『で? 少年。まだ返事を聞いてないわよ』

「は、はい。でも僕も何が起きてるのか詳しくはわからないんです。ごめんなさい……」

『別に謝らなくても良いわよ』

 

興味がそれたのか、僕に話しかけることはなくなった。

この人怖いなぁ。鎮守府に帰投したら、なるべく目を合わせないようにしよう。

 

扶桑さんは海図と進路を照らし合わせ、何度か首を傾げていた。

その様子を見ていた単装砲の妖精さんが海図の側に座って話しかける。

 

『何か気になるのか?』

「はい。進行方向がいつもとは比べものにならないほど明確なんです。こんなにも航路がハッキリ見えたのは初めてです」

『今までは霧の中を進むような航路だったしな。なにか海域に変化が出ているのか?』

『その通りなのね』

 

羅針盤の妖精さんがいつの間にか座っていた。海図を挟んで反対側、ちょうど単装砲の妖精さんの向かい側。

 

「海域に変化ですか?」

 

扶桑さんが首を傾げながら質問する。

 

『そうなのね。少年のおかげで、正しいルートを導き出せるようになったのね』

「その言い方だと、正しくないルートもあるように聞こえるのですが…………」

『今まではどっちも存在しなかったのね。ただの〝海域〟としか存在していないのね』

「何が違うんです?」

『少年がこの世界に出て来たことで、わたしも、あとこの羅針盤も、この世界に存在できるようになったのね』

「はい」

『だからなのね。正しいルートが無ければ正しくないルートも存在しない。光がないと影が出来ないのと同じなのね。でも、この羅針盤を回せる存在が出て来たとき、それは正しいルートの存在をつくり出すということなのね』

「では、正しくないルートというのは……」

『それがさっきの大艦隊なのね』

 

扶桑さんが息を飲んだ。単装砲の妖精さんも驚いている。

 

『じゃあ、輸送艦隊が進路を変えたら、今すぐにでもあの大艦隊と衝突するのか?』

『そう言うことなのね。正しくないルートを進むことは、つまり生きて帰れないルートを進むことなのね』

「なんてこと…………」

『大丈夫なのね。羅針盤に逆らわなければ、逆に言うと安全で確実な道を取れるのね』

 

あれ? じゃあさっき満潮さんが言っていたことは、もしかしてこれが原因?

 

「ねえ羅針盤の妖精さん」

『なに?』

「さっき満潮さんが言ってた〝手応えが大きい〟って、もしかしてルートのことと関係がある?」

『流石にそこまではわからないのね。でももしかすると、敵を確実に叩いてるとか、そういうことはあるかもなのね』

「正しいルートだから?」

『そうなのね。たぶん』

 

それだけ言うと、羅針盤の妖精さんはあくびをした。

 

『ふあぁ……あんなに遠いところを測定すると流石に力を使いすぎるのね。もう二度とやりたくないのね』

「あ、僕の中で寝る?」

『そうさせて貰うのね。おやすみなのね』

「おやすみなさい」

 

羅針盤の妖精さんは淡い光に包まれて消えた。僕の手には、小さな羅針盤が残された。

 

「遠いところはもう測定できないって言ってたね」

「はい。つまりこれから先、艦隊行動には現場で進路を決定しなければいけません」

『少年が海に出ることになるな』

「うん。…………僕にできるのかな」

『わたしが付いている。大丈夫だ』

 

単装砲の妖精さんが小さな手で胸を叩いた。

 

不安はあるけど、僕がいればもう大丈夫なんだ。

僕とこの羅針盤があれば、艦隊があんな目に遭うことも、霧を掴むような謎の航行になることもない。

 

――――輸送艦隊はもうあと少しで本土に着く。

 

最後まで気は抜けないけど、ネルソン提督の艦隊は無事に到着できるだろう。

みんなが帰ってきたら、僕も海に出る練習をするんだ。

 

窓の外は、相変わらず豪雨と暴風が吹き荒れていた。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

東京都 日本領海域防衛軍本部 会議室

 

通称で海軍と呼ばれる、そのトップに立つ人間達がこの会議室に集められていた。

 

白軍服に白い帽子。帽子は、今は全員が机の上に置いている。

 

私は失った右腕を隠す意味と、あと単純にカッコイイので黒いマントを羽織っている。新調してから年月が経つので少しほつれ初めてはいるが、この間金糸の刺繍を新しくしたので見栄えはだいぶ良くなっているだろう。

いやぁカッコイイ。これが私の正装だ。デザインしてくれたあの艦娘にはまたいつかお礼がしたいな。

 

辺りを見回す。

 

厳つい人間がぞろりと長机を囲むと、どうにも威圧感がある。

私もそのトップの一人で、現にこうして末席に座らされているのだが、これではむさい男連中の中に一輪だけ咲くハブられ花だな。

階級も、私は大佐でここにいるそのほかの人間は全員が少将以上。末席になるのも分かる気はするが。

 

…………ここにいる誰よりも長生きしているし、戦果も貢献度も頭一つ抜けている。

だが、この扱いには高度な政治的理由が絡むらしいから、納得するしかないだろう。

 

まぁいい。そんな事よりとっとと会議を終えて、東京ばな奈をお土産に買って帰るんだ。あと鉄砲飴も補充しとこう。

 

「みんな集まったか」

 

見ればわかるだろう、と思ったが口には出さない。

 

二人ほど出席していない。全員に声をかけたのなら、何らかの理由で来られなかった二人だろう。

私ですら呼ばれたのだからハブられているとは考えがたい。

 

上座に座るのは現海軍大将、総司令官である人間だ。名前は忘れた。

 

「今日集まってもらったのは他でもない。深海棲艦の急速な戦力拡大についてだ」

 

出たよ。

対して観測もしていないのに〝勢力が伸びている(気がする)から大艦隊を編成して反抗戦を開始する〟とか言い出すんだろう?

どうせ攻めても意味がない。しかも攻めるのは結局私だ。

 

話を聞く価値もないが、東京ばな奈のためだと思えばガマンできる。

 

そんな事を考えていると、大将の、シワの深い顔が悔しそうに歪んでいた。

 

「単刀直入に言おう。硫黄島が陥落した。今から三時間前の事だ」

 

は?

 

「さらに状況は深刻を極める。日本海方面の舞鶴鎮守府が現在攻撃を受けている。全力で防衛線を張っているとのことだが、持って一週間が限度だそうだ」

 

…………。

なんだと。

 

日本海方面が攻撃を受けている? 冗談じゃないぞ。

それはすなわち、北方からの食料輸入に頼っている日本からすれば補給路が断たれたことになる。

ほんの数本しかパイプラインがないのに、大部分が機能しなくなるぞ。

 

当然、備蓄資材が尽きれば国民は飢え死にである。

 

いやそれ以前にマズイのは硫黄島だ。あそこが陥落したということは――――。

 

「バカな! 東京が空襲されるではありませんか!!」

 

やや若い、恐らく四十代前半の男が私の心を代弁してくれた。

 

そうだ。それはマズイ。硫黄島が陥落したならば、つまり爆撃機がポンポン東京の空までやってくる。

 

そして私の鎮守府も、その東京と硫黄島から三角関係にある位置づけだ。その気になれば我が鎮守府も空爆される恐れがある。

 

なんだこの状況。東京ばな奈なんて買ってる場合ではないぞ。

 

大将が苦い顔で口を開く。

 

「硫黄島の陥落が確認できたのが一時間前。確認を取ると同時に、君たちを招集した」

「だからヘリで呼んだんですね?」

「そうだネルソン君。……でよかったか」

「さんでも提督でも君でも構いません。で、どうするおつもりで」

「早急に硫黄島を奪還する。あそこから爆撃機を出してはならん」

 

そうなると一番近いのは私の鎮守府ということになる。だが今の私に動かせる艦隊はいない。いるのは扶桑と、ここに引き連れた時雨だけだ。

 

たった二隻で奪還するのはさすがの私も不可能である。

 

「私の鎮守府からは戦力が出せません」

「知っておる。輸送任務中じゃな」

「はい」

「関東方面から何とかして戦力を集める。一週間以内に奪還した後、舞鶴の防衛戦を援助、時期を見て日本海の深海棲艦を掃討する。輸送路を確保するのじゃ」

「総司令官」

「なんじゃ」

 

先程の四十代ほどの男が手を挙げた。

 

「本当に硫黄島は陥落したのでしょうか」

「貴様何を言っておる」

「いえ、これは敵の偽装作戦かもしれません」

 

こいつ何を言っているんだ。

 

「関東方面の戦力を硫黄島奪還のために用意させ、その間に舞鶴を落とす作戦かもしれません。戦力の拡散が目当てと私は見ます」

 

なるほどアホか。

せいぜい、舞鶴の方が自分の鎮守府から近いため、自分の所だけ早めに支援艦隊を送って戦果を独り占めしようなどと考えているのだろう。

硫黄島に送る戦力はない。自分だけは舞鶴に集中して送りたい、と。

 

クズめ。キツイお灸を据えてやる。

 

「お言葉ですが中将、どのようにして硫黄島の陥落を深海棲艦が偽装するのでしょうか」

「やりようはいくらでもある」

「そうですか。では総司令官、彼の鎮守府に硫黄島偵察の全権を委譲することを具申します。彼自身に〝偽装作戦である〟事を証明して貰いましょう」

「な!?」

 

ガタッ! と音を立てて男は立ち上がった。

 

「当然の事かと。敵の偽装作戦である可能性は捨てきれません。であるならば、〝やりよう〟とやらを思いついている者が、敵の欺きであることを前提に偵察をするべきです。いかがでしょう?」

 

男は目を見開いて驚きを隠そうともせず、続いて悔しそうに顔を歪めて静かに座った。

 

目先の戦果に目が眩んだからそうなるのだよ若造。覚えとけ。

というか国防の危機に自分の戦果を気にしている時点でもうダメだろこいつ。

 

「ふむ、ネルソン君の意見、確かに正当と考える。土佐中将、貴様に硫黄島偵察の任を与える」

「了解……しました……」

 

良いじゃないか若造。偵察も立派な仕事だよ。

 

「さて、状況の把握と今後の指針はこれでよいかな」

 

全員が頷く。さっきの男はうなだれている。

 

方針は決まったが状況はかなり厳しい。一週間以内に一つの島を奪還する。

この世界に来て六十年が経つがこんな事は一度もなかった。

 

最終防衛線を軽々と越えての急な占領。しかもものの数時間でやられている。

硫黄島にも守備隊がいたことから考えるに、これまでの深海棲艦からは先ずあり得ない動向だ。

加えて、比較的穏やかだった日本海方面の深海棲艦。この勢力が急激に成長、侵攻してきた点も引っかかる。

 

何かが変わった。それは間違いない。

海域か、敵か、それとも両方か。

 

変わったのならば良い機会だ。これを機に何か、何か変化があればそれでいい。

願わくば海域の開放に繋がる、そんな変化があればいいな。

 

いずれにしても時間はない。

 

海軍のトップは能無しが多いが、全員が全員使えないわけではない。

総司令官も少しはやれる。関東方面の戦力招集は彼に任せて問題ない。

 

そして集めた戦力は誰が使うか。

 

「硫黄島奪還の指揮官を決めたい」

 

場が静まる。静寂の後、総司令官は私を見た。

 

「――――ネルソン君」

「わかりました。最善を尽くします」

 

マントの内ポケットから鉄砲飴の袋を取り出し、一つ摘んで口の中へ放りこむ。

 

戦争だ。本気を出す。

 

口の中の甘い幸福感にやる気がにじみ出てきた時だった。

 

会議室の扉が乱暴に開かれた。開いた主は、私のよく知る艦娘だった。

 

時雨は額に玉のような汗を浮かべてその場で叫んだ。

 

「空襲だよ!! 百機近い爆撃機がこっちに向かってるッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 



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第十九話 小さな体に小さなコンパスⅢ

時雨がいた場所はこの建物の隣、連絡通路で繋がった別棟である。

会議室にいるトップ連中が秘書官として連れてきた艦娘達だ。会議中、彼女たちは仲良くお茶をしたり訓練に励んだり装備の点検をしたりして時間を潰す。

 

各々の提督の選定で、秘書官は選ばれている。

 

練度が最も高い者。個人的に気に入られている者。日替わりで交代している者。

要するに選び方はてんでバラバラ、同じ艦娘であるということ以外は、あそこに集まるのは所属や能力が全く違った子達になる。

 

時雨も当然その一人で、私の場合はいつもは扶桑が秘書官なのだが、今回は輸送艦隊のこともあるため臨時で時雨を登用している。

 

その時雨が、余り見せない切羽詰まった表情で、ノックもせずに扉を開け放した。

 

「百機近い爆撃機がこっちに向かってるッ!!」

 

私の方を向いて叫んでいた。

一瞬、言葉の意味を理解出来なかった。

場がシンと静まりかえり、時雨の荒い息だけが響く。

 

私と時雨の目があった。

 

「…………時雨、ノックはしような」

「ごめん提督。急いでたんだ」

「な、なにがあったんだ!!」

 

突然、先程までうなだれていた男がイスを鳴らして立ち上がった。土佐(とさ)中将と言っていたか。

四十代前半だが私から見れば若造だ。

 

その若造が続ける。

 

「説明してくれ! 爆撃機って、確かなのか!?」

「大和が対空電探に反応があったって。数は約百機。嵐で多少の誤差はあるかもしれないけどって」

 

その言葉を聞いて大将が唸った。

戦艦大和。彼女を秘書官としているのはこの老人、海軍総司令官であるこの人だ。

 

「大和の索敵に掛かったならば、間違いあるまい。こうなることを危惧して対空電探を持たせていたからな」

 

そうなのか、なかなか優秀じゃないか。見損なっていたようなので評価を上げる必要があるな。

 

大将は続けた。

 

「時雨よ、大和は今どこにおる」

「対空戦闘の用意をしてる。装備保管庫からいろいろ引っ張り出してくるって」

「わかった。お前達、住民への退避命令、および対空装備の配備と、戦力の確保じゃ。いそげ」

 

言われるやいなや、大将から近いところに座っていた何人かがすぐさま立ち上がり、会議室を去っていった。

住民の避難指示や戦力確保については彼等が動く。

 

私には他にやるべき事があるだろう。別に動く必要は無い。

 

イスに深く腰掛けたまま、事の顛末を考える。

 

「…………」

 

時雨が嘘を着く理由は無いし、大和が索敵ミスをした可能性もない。確認は自分で取れないが、取る必要がないのが事実である。

 

だがおかしい。

 

硫黄島が落ちてからまだ三時間しか経っていない。たった三時間だ。

どんな精鋭が飛行場設営を超高速で行ったとしても、三時間で完成するわけがない。深海棲艦なら可能なのか? いや、奴らに陸地をどうのこうの出来る手段はそうそう持って無いと、経験上判断出来る。

 

だとするならば、考えられるのは一つだろう。

 

艦載機を爆撃機として飛ばせることの出来る敵。海に出ることなく、しかし陸地を開設することもなく、その中間の存在でありながら爆撃機を飛ばせるような奴。

まだ見ない新たな敵が硫黄島には巣くっている。

 

「時雨、敵機の到着まであとどのくらいだ」

「一時間も無いと思う。大和はそう言ってたよ」

 

なるほどな、タイムリミットは一時間。

 

対空装備をどれほど配備できるかにもよるだろうが、まともにぶつかると百機は恐らく防ぎ切らん。

 

「ふむ…………大将」

「どうした」

「作戦立案は私がしてもよろしいですか」

「もとよりそのつもりじゃ。その…………君しかおらんじゃろう」

「それもそうですね」

 

私と大将は苦笑いを浮かべながら頷いた。

 

ちょっと場所を変えて考えるか。外の空気を吸いながらの方がいいだろう。

煮詰まったわけではないが見落としていることがありそうだ。

 

「大将、少し席を外してもよろしいですか」

「かまわんが、なにか良い案が浮かびそうかね」

「検討はあります。外はこの嵐ですから、敵もまともには飛べないでしょう」

 

そう言い残して、私は会議室をあとにした。時雨もそれに着いてきた。

 

 

一階の玄関口から外を目指す。

 

この施設は海に隣接しており、海軍本部の建物でありながら関東方面の鎮守府としても機能している。ここの提督はあの大将だ。

だから戦力や装備はそこそこ集まるだろう。対空というカテゴリのみで絞るとどうなるかは未知数だが。

 

扉を開け、外に出ると猛烈な風と雨が吹いていた。

厚い雨雲が空を覆い、太陽の光は全く出て居らず、夜は何時間も前に明けたはずなのにあたりはまったく薄暗い。

玄関口の白熱灯は灯ったままだった。そこに横殴りの雨が吹き込んでいる。

 

「来るときよりも酷くなっているな。これでは帰りのヘリが心配だ」

「鎮守府の方は大丈夫かな?」

「扶桑達か。あそこはあれでも意外と頑丈だ。台風程度では吹っ飛ばん」

「あ、うん、それもそうだけど…………空爆とか」

「大丈夫だろう。占領したてほやほやの状態で、戦力も固めずに二正面作戦を立てるなど愚かにも程がある。そんな相手ならこの戦いは楽に終わるな」

「確かにそうかも」

 

納得したように何度か時雨がうなずいた。

 

「…………」

 

顔を上げて外を眺める。強い風に雨が踊り、木の葉や枝も地面をせわしなく動いている。

 

かなり風が強い。まともに編隊を組んでの空爆はできんだろう。

 

状況をもう一度整理しようか。

 

敵の数は約百機。

天候は嵐。風も強く、まとまっての編隊飛行は至難の業。

さらにこちらの艦載機は、この天候では飛ばせない。よって空での迎撃は不可である。

出来ることは対空砲での牽制や機銃による撃墜のみ。

残された時間は一時間弱。

 

さあどうするか。あまりよろしい状況じゃ無いぞ。考えろネルソン。

私の頭なら、そして過去の情報を照らし合わせれば、答えが出ないはずはない。

 

「提督」

「どうした時雨」

「敵って、どんな高さで飛んでくるのかな」

「ん?」

「ほら、この雨と風でしょ? 普通の高度で攻めて来るとは思えないんだけど…………」

 

真っ黒な空を仰ぎ見る。小さな木の葉がいくつか空で舞っていた。

舌の上で鉄砲飴を何度か転がす。右へ左へ前へ後ろへ。黒糖の上品な甘さが脳の回転をフルにしてくれる。

 

しばらく無言で思索するうちに、一つの結論が思い浮かんだ。

 

「答えよう」

「うん」

「恐らく低空で来る。高度一万メートル以上まで飛べば雨雲は関係なしに飛行できるだろうが、だとしたら爆弾を落とすことは出来ない。レーダーシステムがあるわけでもないので、雲の上から遥か下界に落とすのは無理だ。だから低空、二千メートル以内に現れる」

「じゃあ、低い位置から飛んでくるなら、ボク達で向かい撃つことはできるよね?」

「できる。だが風が強いのでこちらの対空砲もそう簡単には当たらんだろう。弾道が逸れるのは目に見えている」

「じゃあどうするの?」

 

時雨は首を傾げながらこちらを覗き込んだ。

その顔にいくつか雨粒が飛んできて、玄関口の白熱灯に鈍く小さく反射した。

 

「…………」

 

ひらめいた。この天候ならばあれしかない。

 

「――――探照灯を使う。スエズの奇跡をここでやる」

 

 

会議室前。

 

「時雨はここで待っていてくれ」

「わかった」

 

中に入る。そこにいたのは二人だけだった。

大将と、土佐中将だ。

 

「他の方々はどうされたんですか?」

 

私の質問に答えたのは土佐中将だった。

 

「…………住民の避難誘導に乗じて、シェルター内に避難した」

 

おいおい冗談だろ。

もうそいつら全員クビ切ってくれよ。敵前逃亡は死刑でいいだろう。使えないとか言うレベルを遥かに超えているぞ。

 

「…………ふざけてますね」

「そう怒るなネルソン君」

「怒るのが当然に思えるのですが大将」

「彼等に今死なれては、舞鶴での作戦指揮に支障が出る。あまり人が多すぎても指揮系統が混乱するじゃろうしな。これでよいのじゃ」

 

大将が容認するのは構わないが、まがいなりにも軍のトップに立つ人間が市民と共に尻尾巻いて隠れるのはどうなのかね。

 

怒りを通り越して呆れがくるとは、なるほど今のこんな気持ちか。

だがもうそんな事に構っている時間はない。

 

残った人間だけでもいい。戦力と設備があれば私が何とかしてみせる。

 

…………よく考えると、この若造は残ったのだな。とんだバカだったが根性だけは座ってるのか。見直したぞ。

 

「土佐中将、大将、お聞き下さい」

「うむ。その前に一つ良いかネルソン君」

「はい、なんでしょう?」

「私の名前は蜻蛉(かげろう)だ」

「………………」

 

なんてことだ。名前を忘れていることを悟られてしまったか。

いやいやまずいな。失礼なんてレベルではないぞ。

 

「大変申しわけありませんでした」

「よい。不老ではいちいち覚えておくのもつらかろう」

「…………いままで、一部を除いてろくな人間がいませんでしたので。記憶するのも煩わしかったんです」

「私はどうかね」

「そこそこ尊敬に値します。死ぬまで覚えておきましょう。土佐中将も」

「ははは、正直なお人じゃ」

 

蜻蛉大将は気分を害するようでもなく、むしろ私とのやりとりを楽しんでいるように思えた。

 

かなり人としてダメな部分を私は見せたつもりだったのだが、気に入られてしまったのか……?

土佐中将も、心なしか私に好気の目を向けている。恨まれるようなことはしたが、そんな目を向けられる覚えは無いぞ。

 

相変わらずニコニコとしたままの蜻蛉大将がゆっくりと、まるで独り言のように呟いた。

 

「決心がいった。やはり君は娘のようじゃな」

「なぜ今そのような事を」

「死なせるわけにはいかんからじゃよ」

「…………?」

「シェルターに退避したまえ」

「はぁ!?」

 

なにを、え……つまり、私に逃げろと言っているのかこの爺さんは。

 

「なぜですか!」

「君はこの国にとって必要じゃ。権力争いに埋められてしまっているが、誰もが君を尊敬しておるし、頼りにしておる。こんなところで死ぬのはいかん」

「それはつまり、私は生き残り、あなた達はここで死ぬという意味ですか」

「死ぬと決まったわけではない。君から作戦を聞き、私と土佐君が指揮を執る」

「必要ありません。私は戦えます」

「聞き分けの出来んお人じゃなぁ…………必ず安全である保証はないのじゃ。百機というのが多いか少ないかで言えば、多い。全てが爆撃機ならばとんでもない規模じゃ」

「だからこそです。私も尽力させて下さい!」

「…………」

 

蜻蛉大将は机に肘を突き、自分の両手を目の高さで組んだ。笑顔はもう消えていた。

 

眼光が鋭い。今まで見てきたどの大将とも、この人は何かが違った。

 

根底にあるのは私と同じなのかもしれない。国のために戦う。責務のために戦う。

権力や地位のためではなく、自分の守るべき者のために戦うという姿勢そのものが。

 

こんな人間がいたんだな。本部の連中はほとんどが腐っていると思っていたが、この人は、そのほとんどには入っていない。

 

だが、それと私が退避するのは別問題だ。

 

いくら彼が頼み込もうと、悪いが私は職務を全うしないで逃げるなど、そんな事はありえない。

 

「どうしても退かんかね」

「退きません。退く意味がありません」

「なぜじゃ」

「こんな事でいちいち自分の命を秤にかけていては、戦場になど出られません」

「ふ…………ふふ、ふはははははははは」

 

蜻蛉大将は高らかに笑った。笑い、満足そうに何度も頷き、土佐中将に向き直った。彼はイスに座ってこちらを静かに眺めていた。

 

「やはりそうじゃろうな。土佐君よ、どうだね」

「彼女の覚悟に勝てる人間はいないでしょう。少なくとも私では無理です。やはり尊敬しますよね」

 

土佐中将が苦笑いを浮かべながら首を振っていた。話が見えない。

 

「何の話ですか、土佐中将」

「いやね、数刻前の会議で私は硫黄島の偵察を任されたろう」

「ええ」

「ありがとな。私の力では、その任に着くことはできなかった。これで復讐できる」

「復讐…………ですか?」

「そうだ。今日来ていなかったふたりのうちのひとりは、硫黄島の守備隊だ。そして私の親友だよ」

 

なんだと。では、あのバカみたいな発言は全部演技だったのか。

言われてみれば妙に芝居くさかった気もするが、だが、もし私が硫黄島偵察の任を具申しなかったら、無駄骨だったんじゃ……。

 

いや、もしかすると蜻蛉大将とも仲がいいのか。きっとそうだな。

だから事前に話を聞き、あらかじめ硫黄島関連で関わる事を確約した上で、会議で流れを〝この人が硫黄島の案件に関わる〟と、その場にいる全員に示したかったのか。横槍を刺されないように。

 

根性だけではない。バカでもない。優秀かどうかはわからんが、少なくとも先を見越して判断出来る人物か。

本部の無能集団と一緒にするのは間違いだ。

 

「君ならば、私を硫黄島に近づけてくれると思っていた。泊地の一指揮官に過ぎない私では、こんな大きな作戦には関われないからな」

「そんな事は…………いえ、それよりも、御友人の冥福を」

「かまわん。軍人にはつきものだ」

 

土佐中将は柔らかく笑いながら、そのまま続けた。

 

「出来れば君には、退避して欲しかったんだがね。やはりだめか」

「だめです」

「うん、まぁそれもそうだな。私も戦うと決めている。大将も」

「そうじゃ」

 

蜻蛉大将も、小さく笑いながら返事をした。

 

全員戦う。ここに残る。誰一人として退避しない。

 

本部の連中の中でも特別、彼等は違うだろう。

権力や地位のためではない戦い方を、この二人は出来る。違いない。

 

「では……もうあまり時間がありません。考えついた作戦をお話ししてもよろしいでしょうか」

「たのむ」

「よい」

 

私もイスに座り、作戦の概要を説明した。

 

 

「なんというぶっ飛んだ発想じゃ」

「東京を丸々隠すというのか。信じられん」

 

蜻蛉大将も土佐中将も見事に目を丸くした。

それもそうだ。奇抜極まる作戦である。

 

第二次世界大戦期。

 

スエズ運河をドイツ爆撃機に狙われていたイギリス軍は、ある人物を登用した。

彼の名はジャスパー・マスケリン。職業はマジシャンだ。

 

スエズ運河への爆撃を何とかして回避するために、彼が取った作戦は〝ニセモノ〟だ。

 

光と音。これを全く関係のないところでスエズ運河のように造り出して、爆撃機の目を狂わせる。

ニセモノのスエズ運河を造り、本物は遠く離れたところでそのなりを隠す。

 

作戦は見事に成功し、ニセモノの運河に攻撃が集中、本物は守り切れたというわけだ。

 

これをやる。

 

関東方面のこの鎮守府から離れた海まで艦娘を出し、大量の探照灯であたかも東京の防空網がそこにあるように思わせる。

敵はその後方を攻撃するはずだ。だがあるのは闇と雨と霧に隠れたただの海。本物の東京はそこより遥か先にある。

 

探照灯の位置で対空機銃、そのずっと後方で対空砲と三式弾装填済みの戦艦を配備し、徹底的にたたき落とす。

 

「この作戦で行きましょう」

「良いな」

 

蜻蛉大将は深く頷いた。土佐中将も、浅く何度も頷いて、同意を表してくれている。

 

「戦力はどれ程集まりましたか」

「戦艦は大和、長門、陸奥の三隻。軽巡並びに重巡がそれぞれ四隻ずつ、駆逐艦は八隻が出撃可能じゃ」

「対空装備は」

「戦艦の三人には三式弾がフルで渡せるわい。そのほかも、対空機銃、対空砲共に申し分ない」

「探照灯は」

「駆逐の子らに持たせよう。八つもあれば足りるかね?」

「充分でしょう。防空網が海岸線より遥かに前であることがバレ無ければそれでよいのです」

 

言った後、鉄砲飴がいつの間にか溶けて無くなっていた事に気が付く。

懐から取り出し、一つ口の中へほおる。

 

その様子を土佐中将が凝視していた。

 

「…………噂はやはり本当なのだな」

「なにがです?」

「ネルソン提督は鉄砲飴を常になめている」

「つ、常にではないですよ。作戦立案だったり、作戦指揮中はなめていないと落ち着きませんけど」

 

いいながらもう一つ取り出し、

 

「どうぞ、土佐中将」

「お、では頂こうか」

「蜻蛉大将も」

「ふむ、もらおうかね」

 

三人それぞれが口に入れ、中でコロコロと転がす。

白髪の目立つ老人と、四十代に入ったおっさんと、眼帯黒マントの若い女が机を囲って飴をなめる。

こんな光景はここでしか見られんだろうな。

 

「うまいな」

「ですね」

「でしょう」

 

さて、作戦開始だ。

 

 

 



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第二十話 小さな体に小さなコンパスⅣ

作戦に関わる艦娘へのブリーフィングが終わった。

 

概要は簡単だ。三段階の迎撃態勢を敷き、かつ東京の町を隠し通す。

最も遠い位置に駆逐艦。その少し手前に軽巡洋艦と重巡洋艦。最後の砦に戦艦が来る。

 

駆逐艦は八隻。

睦月型から睦月、如月、弥生、卯月。

陽炎型から陽炎、不知火、雪風。

最後に島風。

 

探照灯を用いる第一防空網は、限られた時間でなるべく沖合へ出て行く必要がある。

沿岸地域からの距離を稼ぐ。それは本作戦の要といっても過言ではない。

快速の足を持つ駆逐艦にしか出来ない仕事だ。

 

今現在動ける艦、そして練度の問題をクリアしたのは、この横須賀鎮守府に所属していた睦月型と各提督が引き連れてきた秘書艦である。どちらも登用した。

 

秘書艦編成だが比較的速力の出せる陽炎型と島風がいる。

睦月型は横須賀所属なだけあって、頻繁に出撃しているからか経験値そのものは非常に高い。

速力のハンデをここで補って欲しい。

 

軽巡洋艦、重巡洋艦はそれぞれ四隻。

長良型から長良、五十鈴、阿武隈。

阿賀野型から矢矧。

 

高雄型から摩耶、鳥海。

利根型から利根、筑摩。

 

見知った顔ぶれもいる。懐かしいが、今はそんな事を言っている場合ではない。

 

選定の理由は単純に対空値への高さと練度、あとは姉妹の連携が上手いことだ。

 

第二防空網は激戦になる。爆撃がモロに降ってくる場所であり、それゆえ連携を駆使してお互いをカバーしつつ迎撃する必要がある。

全てを押さえなければいけないわけではないが、なるべく第一、第二防空網で敵勢力を削りたい。

 

そして第三防空網。

 

戦艦三隻。

長門、陸奥、大和による掃討戦になる。

防げなかった敵航空勢力を完全にここで叩けるか。出来なければこちらは火の海になる。

文字通り砦だ。何としてでも防ぎたい。

 

余剰戦力として、時雨を初めとした秘書艦何隻かによる臨時編成の最終防空網もある。沿岸部分に配置する。

だが彼女等が対空砲を撃つときは、横須賀と東京がやられるときだ。デッドラインと呼ぶのがふさわしい。

なるべくそんな事態にはさせたくない。

 

 

司令室。

 

巨大なコンソールやモニター、無線機が立ち並ぶこの場所で、私と蜻蛉大将はモニターの前に座っていた。

 

土佐中将は現在、別室にて沿岸地域に配置する防空戦力の調整を行っている。

彼もいっぱしの指揮官だ。上手く戦力をまとめ上げ、最悪の場合に備えてくれる。そう信じて任せるしかない。

 

「間に合うかのう」

「ギリギリですね」

 

モニターの中では駆逐艦が全速力で航行している。

最大戦速。本気で走る駆逐艦は、横殴りの雨をものともしていなかった。

 

この調子でいけば沿岸部からの想定距離をギリギリ稼げるだろう。

睦月型の四人が頑張ってくれている。そのおかげで思ったより距離を取れていた。

 

暴れる髪を如月が困り顔で押さえたとき、睦月から無線が入った。

 

『こちら睦月です! 現在沖合から四十キロ地点に到達。敵の反応はまだありません、このまま進みますか?』

「進んでくれ。反応が一キロ以内に出た地点で停止し、探照灯起動、敵に向かって対空弾をばらまいてくれ」

『りょうかーい!!』

 

元気よく睦月が返事をし、私はそこで無線の回路を切り替えた。

 

「五十鈴、現在の地点は」

『沖合三十キロよ。もうあと五キロで配置に着くわ』

「気を抜くな。いつでも回避運動がとれるようにしておくんだ」

『あら、私を誰だと思っているの? 逃げる前に撃ち落とすわよ』

「その意気だ」

 

別の回線から無線が入った。

 

『こちら摩耶だ。現在二十五キロ地点。聞こえてっか?』

「聞こえている。もうあと五キロ進んだら停止してくれ」

『おうよ。で、敵の正確な数は絞り込めたのか?』

「先程大和から報告があった。現在敵は南南東、百二十五キロ地点を北上中。数は百三機だそうだ」

『相変わらずウソみたいな索敵能力だなぁ……付き合いなげぇーから信じられるけどよ』

「確かに冗談じみているな」

『ま、百機程度じゃこの摩耶様はどうにもならねぇって!』

「油断はするんじゃないぞ」

『わかってら!!』

 

無線はそこで切った。

 

先刻あった大和からの報告は、予定配置の二十キロ地点に到達したことと、敵の詳細な数や距離だった。

 

「にしても、なぜ大和はあんなに索敵能力が優れているのですか? 普通ならせいぜい七十キロから百キロほどが感知の限界だと聞きましたが」

 

たまらず気になったので蜻蛉大将に質問する。返ってきた答えは、

 

「訓練すれば出来るようになる、と言っていた」

 

苦笑いを浮かべている。呆れたような、しかし誇らしげな顔だった。

 

「訓練、ですか」

「大和はその性質上、あまり前戦へ出すわけにはいかん。後方海域で退避させていると〝暇なので索敵することにします〟とか言い出した」

「動き回ったと言うことですか?」

「最初はワシもそう思ったんじゃが、違った。目視で五十キロ先の敵を感じ取り始めたんじゃ」

「…………」

 

それはもはや目視とは言わない。

 

「暇つぶしの索敵でそこまで精度を上げられるとは…………目からウロコです」

「じゃな。しかも今では、何も装備していない状態で百キロ付近は見えるそうじゃ。だから電探を持たせれば、対空なら三百キロ先でも感じ取るし、水上なら二百キロ離れた敵でも正確に測定できる。その限界値は未だに本人でもわからんそうじゃ。上がり続けておるとな」

「恐ろしい戦艦ですね」

「頼もしい戦艦じゃよ」

 

その気になれば二百キロ手前から硫黄島の情勢も掴めるということか。こんな艦娘がいたとは、今まで情報がなかったことを不思議に思う。知らなかった。

奪還作戦では大いに働いてもらうことになりそうだ。

 

鉄砲飴を取り出して口に含む。

 

照明を絞った司令室は、モニターの明かりだけがぼうっと室内を照らしている。

こうすることでよく見えるからだ。モニター上に見落としもなく、的確に指揮が執れる。

 

だがしかし何というか、この暗さは手元で作業をする分には不便だな。

鉄砲飴を取り出しにくい。

 

懐へとしまい、机の上の時計に目をやる。

時間だ。

 

「無線封鎖をかけます」

「うむ」

 

これは敵を騙す作戦である。つまり情報が漏れれば全て終わり。

 

防空網が沿岸にないことを隠し通すために、わざわざ都市の電気を落としてまで隠蔽した。東京および神奈川の町は一部の主要施設を覗いて現在停電中、明かりを完全に奪っている。

 

海軍の特別指令で政府が動いた結果なのだが、ここまでして、もしこの作戦が失敗したらただでは済まないことになる。

 

例え都市の爆撃被害が軽かったとしてもだ。それほどに都市を停電させることは経済機構にもリスクを負わせる。

 

…………しかし他に方法は無かっただろうな。沿岸で防空戦をしても意味がないし、隠すなら明かりは消す必要がある。

この天候だからこそ、探照灯であっても欺くことが可能なのだ。使えるものは天気でも使う。用いる手段は最善を尽くす。

 

「全艦に通達。無線封鎖を実行する。これより以後は暗号文を用いた打電のみを使用する」

『大和、了解です』

『摩耶、あぁそれと軽巡の連中も了解だとよ』

『睦月の艦隊、了解です!』

 

実行。

 

同時にモニターを見る。

 

風雨で映像がやや揺れているが、相変わらず鮮明な航空画像で三つの防空網を映し出してくれている。

これだけハッキリ映るのだから偵察に使っても良さそうだが、なぜか艦娘がいるところまでしか飛ばせないのだ。

 

六十年以上前、私を救ってくれたあの指揮官が導入した制度だが、あの頃使用していた無人航空機とは違うテクノロジーが使われている。

艦娘の装備と同じ技術、すなわち妖精が絡んでいる。

 

世の中には私の理解出来ないものが山ほどあるな。

いや理解出来ないことの方が多いのかもしれん。

 

――――トゥーツツー、トートーツツ、トーツー――――

 

「来たようじゃな」

「睦月からの打電です。〝ワレ、テッキハッケンセリ〟…………始まりましたね」

 

モニターの中で、駆逐艦娘たちが探照灯を一斉に起動した。

 

 

――――○――――

 

 

濃い水のにおいと、鼻孔をツンと叩く潮の香りが、激しく混ざり合っている。

大雨と強風が容赦なく体にぶつかってくるが、しかし睦月は少しもそんな事は気にかけていなかった。

 

風が激しく吹いているのになぜか海面が荒れていない。戦闘を意味する海域では、今まで何度も見てきた現象だ。

不気味ではあるが走りやすいので、願ったり叶ったりだろう。

 

隣を行く如月に向かって、満面の笑みを投げながら話しかける。

 

「いししッ! なんだか楽しいね如月ちゃん!」

「どうしたの急に? 頭ぶつけた?」

「ひどい! ぶつける場所なんてどこにもないよ!?」

「急に変な笑い方するからぁ……でも、楽しいって気持ちはわかるわねぇ」

「でしょでしょ! なんだか、テンションがこうふわぁーって!」

「それ抜けちゃってるから引き締めた方がいいわねぇ…………来たわ」

 

言われ、対空電探に反応が出たことに気付く。

無線封鎖された直後だった。急いで打電を打ち、探照灯を起動する。

 

バシャッ! と小気味良い音と共に光の道が上空に走る。

 

横殴りの雨が光線に反射し、通常の夜間に灯したときよりもハッキリと空間を照らし出す。

 

「今って、朝の十時ぐらいだよね如月ちゃん」

「そうね。暗いわよね。私も思ってたけど、でも台風の日ってこんな感じでしょう?」

「そうかなぁ…………うん、そうかも。おかげでよく照らせるしね」

 

光の先。もう目視できる距離に、敵の航空機と思われる機体が見えていた。まだ対空砲の射程じゃない。もっと引きつける必要がある。

 

雨が海面を叩いている。ざぁざぁという雨音と一緒に、お腹の底から響いてくる低い音が、徐々に近づくのがハッキリと分かった。

 

敵の爆撃機の音だ。虫のような音とも取れるし、雨に交じるとまるで土砂降りの中でギターを弾いてるようにも聞こえる。

そんな人見たこと無いけれど。

 

「あの音聞くと、背筋がゾクゾクしてくるわねぇ」

「うれしいの?」

「そんなわけないでしょぉ」

 

如月は笑顔で対空砲弾を給弾した。ガシャ、ジャコンという音が周囲の駆逐艦からも聞こえてくる。

自分の分も準備万端だ。あとは狙いを付けて引き金を引く。それだけだ。

 

探照灯の明かりを左右に振りながら、あたかも動揺しているかのように光の道筋をばらけさせる。

作戦の一つだ。こうすることでここが沿岸だと勘違いさせる。

 

てんでバラバラに交錯する八本の光線は、しかしそう見えているだけであって、実は敵の全容を掴もうと正確に編隊を照らしていた。

よく見る黒い艦載機。たぶんアレが、ネルソン提督の言う爆撃機だろう。

 

「多いわねぇ。百機なんてたいしたことないと思ってたけど、やっぱ低空だと身に来るものがあるわ」

「あれ全部爆撃機かな」

「護衛機もいるでしょう。でもこちらは空母を使わないし、そっちの方は無視しても構わないわぁ」

「だね」

 

砲を上空に構える。

あと少し。もう少し。もうちょっと。もう――――入った!

 

「てえぇーいっ!!」

「やだぁ、髪が傷んじゃ……って、今は関係ないわねぇ!!」

 

七隻の駆逐艦から一斉に砲火が放たれた。

雨音に交じって湿ったような轟雷が響き、敵航空隊の最前列にぶち当る。

 

ガァンッ、と鈍い金属同士がぶつかる音。探照灯に照らされていない箇所でも分かるくらい、炎が明るく燃え上がった。

空中で敵機が爆散する。

 

「こういうの、〝きたねぇ花火が上がったぜぇ~にししし!〟っていうのかな? 如月ちゃん!」

「だまって撃ちなさぁい」

「はーい」

 

続けて装弾、発射。装弾、発射。

次から次へと沸いて出てくる敵機に向けて、正確に狙いを付けて引き金を引く。

 

雨と風で弾道はズレる。しかし密度が濃いためか、少々ずれても狙った標的のとなりに当たる。適当に撃っては当たらないだろうが、そう神経質にはならなくて良さそうだ。

 

陽炎と不知火も同じだった。

 

「不知火! 右八十度!」

「わかっています。左の四十度、さらに上を頼みますよ」

「了解!」

 

同時に撃つ。見事に探照灯の先で敵機が火を噴いた。しばらくしたら堕ちるだろう。

かつては同じ部隊に勤め、今では別々の鎮守府の秘書艦となっている二人だったが、その意気が乱れることは決してなかった。

 

「雪風は沈みません! 堕ちるのは……ん? あれ、飛行機って堕ちるであってましたっけ?」

 

雪風はアサルトライフルのように改造した対空機銃を構え、特に狙いは付けずに弾をばらまきながら呟いた。

狙わなくても弾が機体に吸い込まれていく。

 

「あっていますよ」

「そっか、ありがと不知火!!」

「二人ともしゃべっている暇があったらドンドン撃って!」

「しゃべりながら撃っています」

「しゃべりながら墜としてますっ!」

 

頭上に黒い集団が到達した。

重苦しい音と耳障りな虫の羽音が耳を叩く。

 

近づいた機体を逃すことなく撃っていたが、上空の比較的高い位置を飛ぶものは大半を逃してしまっていた。

 

睦月、陽炎たちからやや離れたところに配置している二人は、

 

「うーちゃんあんまり撃ててなかったぴょん」

「そんなことは……たまたま位置が悪かっただけ」

 

あまり爆撃機は飛んでいなかった。それでも、射程に入ったものは卯月と弥生の二人で全てを撃ち落としていた。

 

「……向こうはまだ続いてるみたい」

「だね。まぁ今から行ってもしょうがないぴょん! ここの辺りは片付いたみたいだし、逃した機体は軽巡と重巡の人達が頑張ってくれるぴょん!」

「うん」

 

卯月は睦月の姿を捕らえていた。少し遠くで探照灯をせわしなく動かしながら、対空砲の発射炎をちらちらと瞬かせている。

しばらくして、その方向の発射炎もまばらになり、とうとう砲撃の音は静まった。

 

海面を雨が叩く音だけが、辺りには満ちていた。それ以外には自分の背負う艤装の機械音しか聞こえない。

 

睦月の耳にも、もう虫の羽音は聞こえてこない。

 

「行っちゃったかな」

「そのようねぇ」

 

飛び去った方角の上空を睨み付ける。姿はもう見えなかった。あるのは、横っ飛びにふく大粒の雨と、不気味な平たい海面だけ。

 

黒い集団はものの数分で飛び去った。作戦通り、第一防空網に爆弾は一発も投下されていない。たぶんうまくいっている。

 

そして。

 

「あれ、もう終わったの…………?」

 

島風は一発も撃つことなく。自慢の快速で誰よりも探照灯による偽装工作に従事していた。

 

 

 

 

司令室。

 

イスに座りながら私は、妙な感覚を持っていた。

 

――――手応えがある。

 

僅かだが、今までの防空戦と比べると違いがあるように感じられた。

なんというか、敵の戦力を確実に削っているような、何かをがりがりと減らせたような。

 

正体は分からないが、この今までにない手応えは好調の兆しと見ていいだろう。作戦云々よりも規模が大きな話のような気もするが、とりあえず今のところ順調である。

 

第一防空網にて敵戦力の二十パーセントを削ぐことが出来た。

ここまでの戦果は予想していない。期待以上の大成果だ。

 

「ここからですね」

「そうじゃな。軽巡、重巡の第二防空網で戦力の四分の三を削る……じゃな?」

「はい。出来ないことではありませんよ、彼女たちなら」

 

利根と筑摩は成長している。あれから大きく練度が上がった。

摩耶と鳥海も頼もしい。防空において右に出るものはいないだろう。

 

心配なのは彼女たちの被害の方だ。

 

回避運動がまともに取られなければ、陸地攻撃用の爆弾をもろに被ることになる。

彼女たちに耐えられるダメージではないだろう。その意味では、隠れながら撃墜した方が身のためではあるのだが。

 

まぁ大半は海に落ちる、ここまで来れば。

つまり爆弾を海に落としてから、爆撃地点が陸地でないと気付いたときにはもう遅い。

進んだところで戦艦の対空砲火が牙をむくし、そもそも撤退してくれる可能性も考えている。

 

奴らがどんな頭を持っているか分からないが、戦力の八十パーセント近い喪失を生むことは、紛れもなく作戦の失敗を表す。

バカか、奥の手がない限り、奴らはこっちまで向かわない。

 

どちらにせよそこまで事が運べば、敵の隠し手がない限り、私達の勝利は確実だ。

 

 

 

 

「来たわね」

 

五十鈴は対空電探から、もうすぐそこまで敵が来ていることを感知した。

 

空を見上げる。

 

大粒の雨が顔を叩き、目を細めなければ水滴が入ってしまう。

 

だがその水滴が、緊張で熱を帯びた頭を冷ましてくれる。

落ち着くなぁと思ったとき、

 

「前髪が崩れちゃう……」

 

溜息混じりの声が聞こえた。

 

「そんな事気にしてたら戦えないわよ」

「そうだけど……うぅ……」

 

ベージュと黒のセーラー服に身を包んだ阿武隈は、うっとうしそうな顔で降ってくる雨から前髪を守っていた。

しかし既にずぶ濡れなので、あまり意味を成してはいない。

おでこに張り付いたその様は、鏡を見せると本人は嫌がりそうだったが、五十鈴にとっては別におかしな髪型ではなかった。

 

改二となっている二人の装備は、素人が見ると特殊部隊のそれを思わせた。

限りなく銃器に近く、事実銃器のようにしてこの対空機銃は扱うのだけれども。

そこいらの銃と一緒にされては困る。これは私達艦娘にしか扱えない特別な装備だ。

 

「雪風、ちゃんと使えたかな?」

 

阿武隈はなおも前髪をいじりながら、しかし心配そうに五十鈴へと尋ねた。

五十鈴所有の対空機銃を一つ貸してあげたからだ。

 

「あの子は何でも出来るわよ。最悪、主砲を撃ったって当たるかもしれないんだから」

「あぁ……わかる、それ」

 

だから心配はしていない。

 

敵機の集団が視界の端に入ってきた。

 

「――――阿武隈、仕事よ」

「わかってる」

 

薬室に一発目を給弾する。

 

暗い空には、もう目視できる距離に爆撃機が迫っていた。

 

照準を合わす。

 

五十鈴は肩にぴったりと銃床を付け、頬当てを固定して狙いつける。

阿武隈は両手に持った拳銃型の高角砲を、肘をのばしてピンと構える。

 

アサルトライフル型と二丁拳銃型。これでは確かにエージェントだ。

 

「ふふふ……二丁拳銃のエージェントだなんて、格好いいわね」

「五十鈴おねぇちゃん?」

「何でもないわよ。――――掃射」

 

ガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!

 

静かな号令と共に、二人の持つ三機の対空砲は、激しく銃火を瞬かせた。

 

 

「始まったみてぇだな」

「そのようですね」

 

軽巡の四人よりやや後方にいた摩耶と鳥海は、手元の対空砲に弾を込めつつ、油断無く空を睨み付けていた。

視界の端で五十鈴と阿武隈が撃っているのが見えた。対空機銃のチカチカとした発射炎、一定のリズムで撃ち出される弾の音が、それなりに距離があるはずだが、ここまでしっかり届いていた。

 

敵の集団、最前列が火を噴いている。

 

「いたぜ、あれだ。だいぶ数が減ってるみてぇだ」

「駆逐艦の子達が頑張ったんでしょう」

「負けてらんねぇな!」

「そのとおりです!」

 

構える。同時に機関始動、第一戦速で敵集団を横切る形に移動する。

 

「防空重巡洋艦、摩耶様のお出ましだぁッ!! こっから先は行かせねぇぞ!!!」

「鳥海、これより防空戦に入ります!! 対空砲用意!」

 

五十鈴、阿武隈を通り越した爆撃機が、高度を下げてこちらに迫る。

 

――――バカめ。てめぇらの狙う先はただの海だ!

 

「落ちやがれ、発射!」

「よーく狙って、てーッ!!」

 

轟音。火薬のにおいが雨に紛れて鼻孔をくすぐる。

弾に当たった爆撃機は瞬く間に炎上し、そのまま手前の方へ落ちていった。海面で炎が揺れている。

 

だがまだいる。後続の奴が同じようにこちらめがけて突っ込んできた。

ブゥゥゥンンンンと音程がだんだん低くなりながら、気に障る音をまき散らして降りてくる。

 

陸地の高射砲か何かと勘違いしているのだろうか。

高度を落としてくる爆撃機は、腹に抱えた爆弾を落とすべく、一気にこちらへ接近する。

 

「鳥海! 狙われてるぞ!!」

「わかっています、反転しながら撃って下さい!」

「了解だ!!」

 

叫びながらぴたりと照準する。息を素早く吸い、止める。

 

「フッ!」

 

肺に溜めた空気を鋭く吐きながら、引き金を引く。同時に足下は反転。ほぼ百八十度の回頭をする。

重巡洋艦らしからぬ動き方だったが、ようはバスケットボールをするようなイメージだ。出来ないことはない。

 

弾は当たった。だがまだ落とせない。とどめがいるがこちらの砲はもう弾が入っていない。

再装填が必要。

 

「鳥海! とどめを刺してく――――」

 

目線だけで鳥海のいた方を見る。

 

だが目に入ったのは、二機の爆撃機が鳥海めがけて爆弾を落とした直後だった。

 

マズイ。あたしの対空砲には弾が装填されていない。

今から入れ直したんじゃ間に合わないぞ。

 

「鳥海、逃げろ!!」

「くッ!」

 

鳥海は爆弾めがけて発砲した。時限信管の対空砲弾が上手い具合に当たり、一つは空中で爆発した。

 

あと一つ。だが今ので鳥海の対空砲も弾切れだ。再装填しなければ撃てない。

 

「ちっくしょう! 避けろ鳥海!!」

 

叫ぶ。彼女はとっくに回避行動を取っているが、間に合わない。

 

突然、背後で爆発音がした。熱い風が背中を襲ってくる。首だけを動かして振り返ると、自分の目を疑った。

さっきとどめを刺し損なった機体が見事に空中で爆散していた。

 

「鳥海さん伏せて!」

 

続けざまに高い叫びがあがる。数瞬遅れて、鳥海をめがけていた空中の爆弾が、対空機銃の弾幕に射貫かれた。

熱風が容赦なく頬をなめる。目を細め、誰が助けてくれたのかその姿を確認した。

 

後ろに矢矧、前に長良の姿がある。なぜここに?

いや…………そうか。敵がこっちに集中してきたから、加勢に来てくれたのか。

 

「鳥海さん、ケガは!?」

「ありません。ありがとう」

 

長良は鳥海の様子を心配し、問題ないことを確かめるとすぐさま上空の敵に向かって発砲し始めた。それに鳥海も続いていく。

 

摩耶は振り返り、移動しながら矢矧に近づいた。

 

「借りを作っちまったな」

「いえ、当然の手助けです。頑張りましょう」

 

お互いに頷く。まだまだ敵の勢力は目標値まで削れていない。

 

矢矧は艤装を上空へ、摩耶も再装填して対空砲を上に向ける。

 

辺りでは火柱と水柱がせわしなく立ち上っていた。

金属の焦げるにおい、硝煙の漂う香り、海水と雨粒が蒸発して出来た水煙。

 

むせ返りそうになりながらも、いまだに被害はゼロである事を摩耶は心からありがたく思った。

さっきは危なかった。もうあんな目には遭いたくない。

 

 

「向こうはちょっと危なかったようじゃな」

「そのようですが、こちらもあまりのんびりはしていられませんよ」

 

利根と筑摩も爆炎に晒されていた。

 

墜とした機体が海面に浮かび、そこに爆弾が当たって激しく燃える。さながら陸地を爆撃しているようにも見えるだろうが、海面に近いこちらとしては熱くて熱くてかなわない。

薄暗い空間をオレンジ色に照らしてくれるので、足下はよく見えるのだが。

 

「汗が噴き出るぞ、筑摩」

「どうせこの雨ですから汗も水も変わりませんよ」

「そりゃそうじゃが……」

 

口を動かしながらも、右へ左へ操舵する。その都度上空へ対空砲を向け、目に掛かる爆撃機を片っ端から攻撃する。

 

「いっそ雷とかで堕ちてくれんかのぉ、連中。うっとうし過ぎるぞ」

「深海棲艦が雷程度でやられるなら、自衛隊の皆さんがとっくの昔に消しています」

「まぁそれもそうか。しかし我々だけで片付けるというのもやはり……んん!! 筑摩、弾切れじゃ!」

「援護します!」

 

艤装に次弾を装填する。その間にも上から爆弾が降ってくるので、筑摩に援護して貰いつつやることを済ませてとっとと加勢する。

 

「世話かけるの」

「いつものことです。……あ、今度は私です。頼みますね」

「任せておけ!」

 

撃ち、装填し、撃っては再び装填する。

 

墜としていくその一機ごとに、今までにはなかった手応えを感じていた。

 

「なんか、敵を倒しとるって感じがするのう。そう思わんか筑摩?」

「同感ですよ。ふふふ…………不思議ですね」

 

激しい爆音と熱風の中、汗だくになりながら二人の重巡は敵機を墜とし続けていた。

 

 

二十分後。

 

敵はありったけの爆弾を落とし、目標地点をさらに奥、つまり沿岸部へと変更したように高度を上げて飛び去っていった。

 

短いようではあるが一秒たりとも気を抜くことが許されなかった。

激しい戦闘に、五十鈴はそこそこ疲労、隣の阿武隈も、膝に手を突いて荒い息を整えている。

 

その顔にはススがつき、艤装の一部と黒いセーラー服の三分の一が焦げおちていた。

 

「阿武隈、ケガは?」

「中破かな。体の方は大丈夫。艤装は……ちょっと激しくいっちゃったかも」

「帰ったら直せるわよ。私もちょっと貰っちゃったし」

 

自分の姿も見る。対空機銃は壊され、艤装も半分がオシャカになっていた。

ちょっと……ではないだろう。思いっきり中破だ。

 

辺りを見回す。

 

海面には燃えさかる敵の機体が散乱しており、辺りを明るくオレンジ色に照らしている。

 

敵は去った。元の戦力から考えて、百三機のうち八十機は墜としただろう。

目標達成だ。残りは戦艦の三人がやってくれる。

 

「うまくいってよかったね」

「そうね。まぁほんとは全滅させたかったんだけど、結構手強かったし上等かしら」

「もう…………素直じゃないんだから」

「いいのよこれくらいで。ちょうど良いの」

「なにが?」

「なんでもないわ」

 

自分に厳しく誇りを持って。

そうしていれば、間違えることはないだろう。

 

五十鈴は戦闘終了の打電を打ち、重巡四人と矢矧、長良が集まっている所までゆっくりと進んでいった。

 

 

「敵はもう気付いているな」

 

腕組みをしたまま長門は呟いた。隣に立つ大和もそれに頷く。

 

「残る数は二十機です。みなさんだいぶ頑張ってくれたようですね」

「あぁ、期待以上だ。すばらしい。それで……敵の動向は?」

「高度を上げたのでこちらの作戦内容には明らかに気付いています。撤退も、しないようですね」

「あれだけ墜とされたら来ても意味がないだろうに。何を考えているんだ?」

「わかりませんね」

 

大和は首をゆっくりと横に振っている。

その様子を黙って眺めていた陸奥は、二人の少し後ろから落ち着いた声で口を開いた。

 

「でも、敵の機体の種類までは特定できないのでしょう?」

「はい。私の対空電探でも、そこまでは難しいです」

「だったら、例えば今までにないような強力な機体で編成されているとか…………」

 

少し考え、大和は陸奥に振り返って呟いた。

 

「…………あるかもしれませんね」

 

妹の心配に長門も納得する。確かにあり得ることなのだ。

自分の対空電探に出ている敵編隊の方角を睨みながら、ではどんな可能性があるだろうかと考えた。

 

強力な機体。例えば二十機であっても東京の町を火の海に変えられるような、超重爆撃機か。

 

現代兵器でもあるまいし、そんな事はないと思う。仮に爆撃機ならば。

 

そう――――

 

「…………いずれにしても、爆撃機ならば我々で撃ち落とせる」

 

その言葉に陸奥も大和も頷くが、三人の胸につかえた不安の雲が晴れることはなかった。

 

 

 

 

 



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第二十一話 小さな体に小さなコンパスⅤ

叩きつけるようにして頬を雨が濡らしてくる。

相変わらず風も強く、髪の毛が逆らうことなくその勢いに踊らされる。

 

しかし、長門を始めとした戦艦娘である三人は、天候による自身への影響はさして気にしていなかった。

 

「そろそろか」

「そうですね」

 

長門の呟きに大和が答える。

 

砲身がゆっくりと動き出した。

 

雨が艤装の金属面を叩く音に混じり、ガシャンと調子の良い音で薬室に弾が給弾される。

 

弾種、三式弾。

方角、南東。

高度、三千メートル。

距離、四千メートル。

敵反応、二十機。

 

油断なく砲身を向ける。

 

長門、陸奥の四十㎝砲が合わせて十六門。

大和の四十六㎝砲が九門。副砲を合わせれば延べ十五門。

 

――――ここで止める。なんとしても、どうであろうと。

 

長門は胸の前で組んだ両手に力を込めた。

 

仄暗い空の向こうを仰ぎ見る。電探の反応が、もう視認できる距離を示していた。

 

「あれですね」

 

大和の落ち着いた声と同時に、雨音に交じって低く唸るような飛行音が耳に触れ始める。

 

見えた。ちらちらと、その全容が横殴りの雨にかき消されながらも、確かに長門の目には映っていた。

 

「対空戦闘用意」

 

叫ぶことも慌てることもなく、いつもと変わらない声で指示を出す。

出した本人の長門自身、自分が恐ろしいほど落ち着いていると気付いていた。

 

敵の数が少ないから? 違う。 ここまでうまくいっているからか? それも違う。

 

敵がなぜ進んできたのか。その謎が解けないまま、しかし今、もうすぐそこに姿が見えているからだった。

 

そして、怖かった。

 

何をしてくるのか分からなかった。

それゆえに平静を保ち、冷静に判断し、決して取り乱すことのない状況を作る。

 

何が起きてもいいように。

 

――――だからこそ、やってきた機体の半数が、異形の白い化け物でも動揺は微々たるものだった。

 

 

「…………なんじゃ、あの白い機体は」

 

蜻蛉大将が唸りながらモニターを凝視していた。

私の感想も同じである。

 

この世界に来て六十年。今まであんな機体は見たことがない。明らかに新手だった。

 

「分かりませんが、新参の数は十機です。戦艦の上空を通り過ぎるところを外さなければ、問題はないでしょう」

 

そうだ。勝てる。

 

残る敵数はたったの二十機。たったと言ってもこの全てが都市に爆弾を落としたらただでは済まないが、集中した対空装備の戦艦からすれば、心配するような戦いではない。

 

作戦はここまでうまくいっている。

敵側が戦力の八十パーセントを失ったにも関わらず退かない理由は分からないが、もしあの白い機体が敵の奥の手なら、十分に対処できる戦力である。

 

黒い機体が十機。

白い機体が十機。

 

先行しているのは黒い方で、白いのはそのやや後方、そして上空を飛んでいる。

 

「あの白機体がどんな意図で編成されているのかは分かりませんが、たった十機では何も出来ないでしょう」

 

そうだ。それほどに第三防空網には強い信頼を置いている。

一隻で二十機を相手にするわけではない。ガチガチの対空兵装の、それも全艦娘の中でもトップレベルの三人が事を構えた対空砲火だ。

 

たった二十機にどうにか出来るものではない。

 

「…………」

 

そのはず、だよな。

 

東京の町が、防空網から遠く離れていることはすでにバレているはずだ。

そして戦艦が都市に届く前に配置してあるということも。

 

いや、戦艦がいるかどうかまでは分かっていないかもしれないが、どう考えても沿岸部までにまだ対空勢力を用意していることは、敵も簡単に想像がつくだろう。

戦艦だろうが重巡だろうが、なんにせよ〝いる〟と考えが行くはずだ。

 

では。

 

ではなぜ墜とされると分かっていながら、無謀にもたったの二十機でこちらに向かってきているのか。

 

私は何か考え違いをしていないか? 何か大きく大事なことを、見落としてしまってはいないだろうか?

 

鉄砲飴をなめ終わった。

新しいものを取り出そうとしたときに、私の鎮守府から持ってきた端末が光っているのに気がついた。

 

赤いランプの高速点滅。

 

それは私の艦隊に危機が迫っているときのために用意した、緊急事態用の打電だった。

 

ゾクッ――――。

 

氷のような悪寒が全身を駆け回る。

 

すぐに内容を確認しようとしたときに、

 

「ネルソン君ッ!!」

 

蜻蛉大将が唐突に叫んだ。

 

驚きながらも急いでその視線を追う。

 

モニターの中。

 

上空を行く白と黒の艦載機。それを待ち受ける三人の戦艦娘。

 

それ以外に映っていたものは、彼女達めがけて突き進む、無数の白い雷跡だった。

 

 

「なにッ!?」

 

長門は反応が早かった。

 

自分たちを囲むようにして迫ってくる幾本もの魚雷攻撃に、一番最初に気付いていた。

同時に叫ぶ。

 

「大和! 陸奥! 全方位雷撃だッ!」

「え!?」

「ッ!」

 

言われ、一瞬遅れながらも二人は事態を瞬時に掴み、恐ろしく速い対処をした。

 

タービンをフル回転。唸りを上げながら、主機が激しく振動する。

 

三人はそれぞれバラバラの方向に進み、円状に集約してくる雷跡めがけて自ら体を滑り込ませた。

 

スクリューが作った足下の波が激しく巻き上がる。タービンへの負荷が危険域に達している。

 

だが三人ともまったく意に掛けず、速度を緩めず包囲から抜ける。

 

元いた場所に集まった魚雷は、そのうちの何本かが時限信管だったのか、ボガァンッ! とくぐもった音を立てて爆発した。

それに周囲の魚雷が巻き込まれる。

 

辺りの黒かった海面が、一瞬にして白く染まり、海水を山のように舞い上がらせた。

 

「きゃぁぁぁぁぁ!!!」

 

たまらず上げた陸奥の切羽詰まった叫び声が、縦続く爆発と水の落ちる音にかき消される。

 

容赦ない海水のシャワーに、もの凄い水圧で襲われた。頭から足先まで、塩水がくまなく流れていく。

 

「くッ! ちょッ…………!!」

 

直後、隆起しながら激しくうねる海面に、陸奥は足下を掬われた。

 

バランスが崩れる。たたらを踏みながら海面に視界を落としたとき、目に入ったのは二回目の魚雷攻撃だった。

半径三十メートルほどの円状に、自分のいるところを中心にして小さくなりながら集まってくる。

 

――――この範囲だと、お姉ちゃんと大和も巻き込まれてしまう。

 

「第二攻撃よ!! ふたりとも避けてッ!!」

 

出せる限かぎりの声で叫んだ。ふたりの姿は、降ってくる海水のせいで捕らえることが出来ない。

 

それより自分だ。もうすぐそこまで、バランスを崩した私めがけて、命を刈り取る魚雷が近づいている。

 

シュー、と圧縮した窒素をまき散らしながら進む敵の魚雷群は、寸分違わず足元へとやってきた。

身をひねりながらすんでの所でやり過ごす。

だが。

 

一本の魚雷が右足のスクリューにかすった。

 

鼓膜を容赦なく襲う爆音と、骨を砕くような衝撃が足から伝わり、一瞬遅れて陸奥の体は棒きれの如く真横に吹き飛ばされた。

 

海面に二回叩かれる。

 

ゴロゴロと慣性で転がされる。

 

爆心地点からだいぶ離れた場所で、仰向けの状態のまま浮いている。

 

「くふぅ………………」

 

肺にあった空気が漏れる。苦しい。

 

だがまだ、生きている。

 

体の方も大丈夫。腕も足も指も頭も、何も欠損はしていない。外傷は、たぶんない。

 

そして仰向けになっているが、沈んではいかない。ということは艤装もギリギリ大丈夫かな。

 

代わりに耐えがたい痛みが全身に走っている。

起きられない。足がしびれる。体が動かない。

 

耳はキーンと鳴っていて、しばらく使い物になりそうにない。視界も揺れる。今にも意識を失いそうだ。

 

そんな状況に。

 

ぼやぼやと霞む目に映ったのは、例の二十機の爆撃機だった。

くぐもってよく聞こえない耳には、まるであざ笑うかのような低く憎らしい重低音が響いている。

 

私の真上に通りかかる。

 

不快な音をぶちまける二つの黒機が、仰向けのまま動けない私の上空で、その身を翻した。

 

…………あぁ、そうか。

 

私もお姉ちゃんも大和も、そしてネルソン提督も蜻蛉大将も。

 

硫黄島が占領されたから、てっきり空爆が来ると思っていた。

 

でも違うよね。この戦争って、別にあの戦い(太平洋戦争)じゃないものね。

 

歴史に踊らされた。盲目的に信じてしまった。一度だって同じ未来は存在しないはずなのに、私は、私達は、どういうわけか勘違いしていた。

 

あれは東京の空襲が目当てじゃない。私達(・・)の攻撃が目当てなんだ。

 

 

『――――! き――――む――――!!』

 

何を言っているのかわからないわ、ネルソン提督。耳がもう聞こえないの。

 

なにか命令をしているけれど、インカムから聞こえてくる音は、上空の爆撃機にかき消されてしまう。

おかしいな。耳元の音が聞こえないのに、どうして何メートルも離れた音が聞こえるのかしら。

 

もしかしてもう死んじゃうから? あぁ、そう、ね。

いやぁだな…………もっと、やりたいこといっぱいあったのに…………。

 

「どうせ、沈むなら……戦いの中で、沈みたか――――」

「バカなこと言わないで下さい!!」

 

直後、仰向けの視界に様々な光景が映った。

 

空中の敵が二機同時に爆発。空に花火が咲いたように、三式弾の弾子が宙に舞った。

一瞬遅れて視界が反転する。目の前には、緩く隆起している黒い海面が広がった。

お腹が圧迫される。

 

陸奥は、全速力で突っ込んできた大和に抱きかかえられていた。

まるで駄々をこねた幼児を無理矢理連れて行くかのような乱暴な抱え方だった。

 

「沈むなんてさせません! 絶対に生きて帰るんです!!」

「やま……と?」

 

首をなんとか動かして顔を見る。大和だ。間違いない。

 

体がバラバラになりそうな痛みが走ってきた。でもそんな事は思考の片隅に追いやってしまう。

なぜ、私はいま大和に抱きかかえられているのだろう。大和が…………

 

「助けに来てくれたの?」

「当たり前です。大事な仲間が沈みかけているのに、助けない人なんていませんから」

 

言われ、気がついた。

 

無事だと思っていた艤装がない。腰回りに付けていた四十㎝砲の砲塔は、跡形もなく消えていた。

あのとき海面に浮いていたのは、艦娘としての浮力ではなく、ただ、人としてあそこに浮いていたのか。

 

よく沈まなかったものだ。奇跡としか思えない。

 

大和の抱え方は乱暴だった。けれども、もう自分には自力で航行する力が無い。

 

「大和! 陸奥! 撤退だッ!!」

 

長門のその声が聞こえたのを境目に、陸奥の意識は途絶えていた。

 

 

「全艦撤退だ。繰り返す、直ちに撤退せよ」

 

私は至って静かな声で、無線機へと呼びかけた。もう無線封鎖の必要は無い。

 

陸奥が危なかった。大和が駆けつけ、長門があの機体を撃っていなければ、あるいはあれを使うしかなかったかもしれない。

 

だがもう大丈夫だ。とりあえず大和がいる限り、そう簡単には沈まんだろう。

 

モニターの中は、理解不能な光景が広がっていた。

 

突如現れた無数の雷撃。

まるでタイミングを計ったかのような、完璧な円状の包囲攻撃。

 

大和が水中の敵まで感知できるのかどうかは分からないが、まず、あんな出現の仕方は明らかにおかしかった。

 

まるで急に沸いたかのような攻撃だ。恐ろしいにもほどがある。

 

第一、第二防空網にも変化があった。

 

駆逐艦雪風の水上電探に、無数の敵反応が、しかも何の前触れもなく包囲してくる形で出現した。

第二防空網も同じだ。矢矧の電探が、五十隻近い敵水上艦を捕らえていた。

 

戦艦娘達への雷撃とほぼ同時だった。

それは、しかも扶桑からの緊急打電とも被っている。

 

なにか起きている。簡単に見逃せないまずいことが起きている。

 

「雪風、上手く敵の包囲をすり抜けられるか」

『やってみます!!』

「みんなを先導しろ。陣形は単縦陣。必要ならば魚雷での反撃を許可する。だが逃げることを第一に考えろ」

『わかりました! 艦隊をお守りしますッ!!』

 

矢矧にもつなぐ。

 

「矢矧」

『状況は分かっているわ。でもかなり難しいわよ』

「五十鈴と阿武隈以外に被害は?」

『私と鳥海さんが小破、利根さんが中破』

「利根のバックアップを筑摩に、五十鈴と阿武隈は摩耶の護衛で動け。鳥海、長良は矢矧を援護しろ」

『了解だぜ』

『分かりました』

『まかせといて!』

 

摩耶と筑摩、長良から返答。そのまま続ける。

 

「旗艦を矢矧に使命。艦隊を先導、電探の反応が最も薄いところから包囲を突破しろ」

『ん、了解したわ』

「それと、第一防空網の駆逐隊が逃げてくる。どうしても無理だったら雪風についていけ」

『彼女がいると他の艦娘が危険ね。寿命が吸い取られるような気がするわ』

「いや、そういう言い方は…………」

『あら、ふふふ。冗談よ』

「そうか。――――頼んだぞ」

『頼まれたわ。まかせて』

 

無線は終了。第一、第二防空網の全員は、ひとまずこれで撤退を待つ。

 

次だ。

 

「長門」

『なんだ』

「対空戦闘の余裕はあるか」

『私だけなら出来る』

「大和は?」

『陸奥を抱えたままでは出来ん。それと、抱えてなかったとしても彼女は戦力にならんぞ』

「は?」

『前線に出ていなかったからか、敵機への一発目を外してしまった。だから陸奥の上に敵が来ることになったんだ』

「…………」

 

蜻蛉大将を横目で見る。

大将はバツの悪そうな顔で、帽子のつばを下にさげた。

 

「…………すまん」

「えぇ。演習ぐらいはさせてあげて下さい」

「その通りじゃ。猛省する」

 

ちょっと頭が痛くなった。まぁ、うん、でもまぁいいか……いいかな、うん。平常心平常心。

 

モニターを見る。戦艦娘を襲う雷撃はもう見えていないが、代わりに敵の機体を引き連れてしまっている。

黒い機体八機のうち、四機。白い機体十機のうち五機が、速度を上げて戦艦娘達を追い抜いた。

 

「対空戦闘、大和の後方より、長門単艦での迎撃を行え」

『目標は』

「最低でも五機。余力があれば九機墜とせ」

『残りはどうするのだ。鎮守府がやられるぞ』

 

その通りだ。

 

敵は都市部への爆撃が目当てではなく、初めから艦娘の攻撃が目的だった。恐らく鎮守府もその対象だ。

こちらの戦力を削ぎに来ている。硫黄島奪還を遅らせるために。

 

「大丈夫だ、用意はある。だがなるべく迅速に頼む」

『分かった。九機を目標に墜としてやろう……今いる奴らか。いい、三分でケリを付ける』

「頼む」

『まかせろ』

 

無線を切る。

 

「ふぅ…………」

 

敵の意図に気付けなかったのは私のミスだ。

 

第一、第二防空網であれほど数が減らせたのも、敵は、初めからこうなるように仕向けたかったからだろう。

油断か…………いや、そもそも囮か。

あの白い艦載機の説明がつかんが、そうである可能性は高い。

 

本命は沸いて出て来た艦隊だろうか。だがそのわりには最後の詰めが甘いな。

私が同じようにやるならば、第一防空網の時点で航空隊に攻撃させる。そうしなかったのは、深海側に何か考えがあったのか。

それとも、あの急に現れた艦隊は敵の意図するものではないのか…………?

 

なるほど。だとしたらあの残っていた二十機が、敵の本気の攻撃隊か。この線が強いな。

 

なんにせよ、歴史を見て経験とし、作戦を立てている人間側を奴らはまるであざ笑っている。

いい。そちらがそのような態度を取るなら、私ももう容赦はしない。

 

これは奴らの宣戦布告。ならば相手をとってやる。

 

「ネルソン君や」

「なんですか、大将」

「土佐中将からじゃ」

 

無線機を渡された。耳に当て、彼の準備の程を聞く。

 

『こちらはギリギリ大丈夫だ』

「数は?」

『残念だが対空戦闘の経験がある秘書艦は二隻しかいない。今やっとその二隻が海へ出られるようになった』

「他の子達はどうです」

『一応対空装備は持たせている。だが出す準備が間に合わんので、岸壁で高射砲台として動いてもらう』

「わかりました。海に出る二隻は? 時雨と、もう一人は誰なんです」

『…………時雨だと、よく分かったな』

「私の子ですから。状態や出来ることはこの世の誰よりも理解しています」

『ははは、なるほど確かに。もう一人は私の秘書艦だよ。夕立だ』

「ほう」

 

彼女達に直接の接点はないだろう。同じ隊にいたことも恐らく無かったはずだ。

だが、姉妹である。

 

「面白い組み合わせですね」

『息の合う事を祈る』

「私からも」

『ところでだが、彼女達の指揮はどうするかね』

「こちらも少し余裕が出来ました。お任せ下さい」

『うむ、頼む』

 

無線が切られる。

 

扶桑からの緊急通信はいつの間にか途絶えていた。

折り返して連絡しても、応答がない。

まさかとは思ったが、鎮守府そのものが攻撃されたら、その知らせが届くようこの端末には入れている。

それがないので直接的な被害はないはずだ。何より、さすがの私も輸送艦隊の指揮をモニターも見ずに又聞きで指揮できる自信はない。

 

大丈夫だ。それよりこちらの任務に専念せねば。

 

状況は三つ。

 

第一、第二防空網の艦隊を撤退させること。

大和、陸奥を攻撃から守るため、敵の航空機をなるべく早く長門に墜とさせること。

そして、時雨と夕立を海へ出し、沿岸から五キロ地点でギリギリの対空戦闘を行うこと。

 

ここで敵航空隊を足止めにする。

逃したら、練度の低い艦娘達に一縷の望みを掛けることになる。

 

…………今日何度目かの、そうはなって欲しくない、だな。

 

実際なりかけているのでどうとも言えないが、時雨ならば。

そして戦力の程は未知数だが、夕立もいる。

 

夕立の練度はそう高くないだろう。土佐中将のいる泊地は日本海側だ。今までならば戦闘がそう無かった方面。練度は期待できん。

が、対空戦闘の経験があるのは大きい。戦艦である大和ですら経験がなければ外すのだ。

 

長門の到着に間に合うまでの、時間稼ぎで構わない。それだけでも十分だ。

 

モニターに目を落とす。

 

駆逐隊と軽巡、重巡洋艦娘達が合流した。

流石雪風だ。包囲を突破できたようだな。運がいい。

その勢いで第二防空網の包囲も抜けて欲しい。

 

そして。

 

大和と彼女に抱えられた陸奥。その後方、一人振り返り、鈍色の空を仁王立ちで眺める長門がいる。

 

もうすぐそこに敵機が来ていた。数は九機。

 

第一、第二防空網で墜とせていたのがフェイクならば、こちらは本命。本気の飛行隊だ。

敵の練度がどうかは分からない。

だが確実に今までとは違う。

作戦を立てる頭も持っているし、何よりこれまでのようなハリボテ感がない。

 

戦っている。戦えている。

敵もこちらも、これでやっと戦争になる。そんな感じがしているのだ。

 

『提督!』

「時雨か」

 

無線機から突如声がした。

 

『もう出てもいい?』

「あぁ。目と鼻の先まで爆撃機が近づいている」

『数は?』

「長門がどれ程がんばれるかによるが、確実に来ているのは九機だ。増える可能性もある」

『わかった』

「それと、敵の狙いは東京ではない。私達だ」

『え…………』

 

状況を把握していなかったか。土佐中将には先程、蜻蛉大将が連絡していたのだが。

 

「理解出来るか」

『うん。つまり、攻撃はボク達を狙ってくるんだよね』

「そうだ」

『よかったよ。やりやすい』

 

薄く時雨が笑っているのが、無線機越しでも伝わった。

これはいける。

 

「では夕立、時雨両艦の出撃を許可する」

『うん、分かった。駆逐艦時雨、出撃するね』

「夕立も、頼んだぞ」

『はじめましてっぽい?』

「そうだな」

『うん。がんばるっ! 駆逐艦夕立、出撃よ!!』

 

 

 

 

 

 




夕立のぽい度が足りない。


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第二十二話 小さな体に小さなコンパスⅥ

本編「小さな体に小さなコンパス」が終わります。


長門の目に映る機体は全部で九機。白いのが五機、黒いのが四機。

その中でも、最前列を行く2つの黒機に注目していた。

 

「まずはあれだな」

 

風を物ともしない敵の機動力には驚いたが、しかしそれ故に動きを読むことは簡単だった。

目に付けている二機はとりあえず、他の集団からやや離れた位置にある。

まずは奴らだ。一撃を加えて、このまま過ぎ去ろうものならたたき落とすぞという意志を向けてやる。

 

耳を振るわせる重低音が雨に紛れながら近づいたとき、

 

「――――第一砲塔、三式弾一斉射」

 

落ち着いた、場合によっては冷徹とも取れる号令と同時に轟音が轟いた。

宙を舞う雨を衝撃波ではじき飛ばし、海面すらもびりびりと振るわせる。

 

放たれた2つの三式弾は、二機のうち一機を弾子に捕らえ、腹から火を噴かせて叩き堕とした。

 

もう一機は取り逃がした。急激に高度を下げる。他の機体がそれに続き、まるで援護するかのように身を翻してからこちらに向かってきた。

 

ヘイト管理は成功している。これで残機全てをこちらに注目させられた。

 

高度を落とした飛行編隊はそのままこちらへ直進。海面から僅か三十メートルほどの超低空で迫ってくる。

 

「ナメているのか? 対空機銃展開。弾幕を張れ。奴らの頭をあげさせるな」

 

艤装を操る妖精に指示を出す。

艤装に取り付けられている対空機銃が、ガガガガガガガガガガガ――――と激しく金の薬莢を海にばらまいては、徹甲弾を連続でまき散らす。

 

二番砲塔の狙いを定める。弾幕で頭上を固定してから、敵中央列に向けて放ってやる。

 

「撃て」

 

発射炎が横殴りの雨を一瞬で焦がし、水平に放たれた三式弾は空中で爆散。無数の小さな焼夷弾頭となり、敵編隊中央に襲いかかる。

 

だが。

 

「…………なるほどな」

 

前列を行っていた三機の黒い機体は三式弾の餌食となり、跡形もなく空中で塵になった。

しかし後ろについている白い機体は、その、ふざけた笑いを浮かべる赤い口をいっそう大きく見せつけて、左右へ扇状に急速展開をして見せた。

 

対空機銃がそれを追う。一定間隔で射出される曳光弾がその弾道を指し示すが、旋回速度が敵の速力に追いつかない。

追いかけっこをしているかのように、高度三十メートル付近で機銃の弾道と白い敵機が入り乱れる。

 

「くッ……速い」

 

少し焦りが出た。

三分で片を付けると言った。守ることが出来れば、すぐさま鎮守府へと向かい、残りの飛んでいった奴らも墜としに行かなければならない。

だがもし三分以上掛かったら。時間が経てば立つほど、鎮守府の、蜻蛉大将とネルソン提督が危険にさらされる。

 

白い機体は対空機銃の弾幕を物ともせず、海面すれすれに高度を下げたかと思いきや、何かを海の中へと落としていった。

 

――――航空魚雷!!

 

なるほど確かに艦上攻撃機(艦攻)だな。陸地など攻撃する気は毛頭無かったのか。

 

続けざまに残りの四機も、僅かな時間差と角度を付けて放ってくる。

おそろしいほど正確だった。

 

タービンを目いっぱい動かし、右へ大きく旋回しながらその場に円を書くように退避する。

 

二本の魚雷がシュウゥゥゥゥゥと音を立てて左側を通り過ぎた。

気を抜かず、今度は体を左に倒す。舵が壊れそうなほど急旋回をし、左にカーブをするよう回避する。

 

三本の魚雷は右足の真横を、ほんの親指の先程の距離で通り過ぎ、明後日の方向へ泳いでいった。

 

こちらの速度は緩めず、かなり速い巡航速度を保ったまま、之字運動で敵の飛行体を分散させる。

 

しかし、強い。

 

機銃掃射は的確に避け、狙う魚雷は寸分違わずこちらを捕らえている。

しかも陸奥が、一発食らった程度であのダメージを負うのだぞ。

この海域、この戦闘で敵の使っている魚雷は、今までの物とは比べものにならない破壊力だ。

航空魚雷だって例外ではないだろう。当たっていいものではない。一発たりとも。

 

強い。強すぎる。

 

「…………だがそれでこそ、だ。やっと張り合いが出て来たな」

 

曳光弾は依然と敵の機体を捕らえられない。イタチの追いかけっこからいっこうに効果が進まない。

直後、敵を追う弾道が消え去った。

対空機銃の音が一斉にやむ。弾が切れた。次発装填完了まで一分かかる。

 

弾幕がやんだその隙を逃すほど、敵はぬるい集団ではなかった。

 

五機が一斉に高度を上げる。長門の目にはその腹に、またしても航空魚雷が抱かれているのが確認できた。

一体どこからどのタイミングで付けたのかはわからない。だが確かに、一度撃ったはずの敵は再び魚雷を再装填している。

 

深海棲艦だからか。なんでもありか。

でも言ってしまえばこちらも似たような物だ。よくわからない、でも使い方は熟知しているバカでかい大砲を振り回して、これまたよくわからない原理で海面を走り、よくわからない防護膜で深海棲艦の攻撃から生身の体を守っている。

 

どっちが化け物だ。どっちもか。

 

だが敵が人間を追い詰めようとしているなら、私は、艦娘は、戦わないといけないのだ。

それが使命だ。課された唯一の義務なのだ。

 

三式弾は全砲塔に再装填済み。次に奴らが高度を落としたとき、もう航空魚雷は撃たせない。

 

敵の耳障りな音が近づいてくる。音が段階的に高くなる。

高度を急激に下げ始め、海面すれすれまで落ちてくると、猛スピードでこちらにめがけて突っ込んできた。

 

「あまり艦娘をナメて貰っては困る。何がお前達をやる気にさせたのかは知らないが、今更本気で戦争を仕掛けて何か変わると思うな」

 

一番砲塔、敵最前列中央。

二番砲塔、敵上部左寄り。

三番砲塔、敵下部右寄り。

 

「全砲門、一斉射――――てーッッ!!!」

 

爆炎と砲声が黒い海面に反射し、光と音が辺りに轟き、衝撃波は海面を容赦なく穿った。

 

一斉に放たれた八発もの三式弾は、包囲するように白い機体へ飛来する。

 

空中に花火が舞う。オレンジ色に輝く何千発もの焼夷弾子が、たった五機で作られた飛行編隊を軽々と飲み込んだ。

直後に黒煙が辺りを包み込む。同時に何かが爆発する音。熱風と衝撃波がここまで届き、長門は顔を庇いながらその光景を凝視していた。

 

「…………やったか」

 

手応えはある。あれほどの黒煙と衝撃波が上ったということは、敵の航空魚雷を巻き込んで爆発したということだ。

全滅か。ありったけの、今撃てる最高峰の対空攻撃を持ってして。

 

だが。

 

立ち上る黒煙の合間から、二機の機体が飛び出した。

 

白い悪魔は血ぬれのように真っ赤な口を打ち開き、狂気を浮かべて叫ぶかのように低い音をまき散らす。

 

「な、に――――」

 

距離が縮まる。敵は頭がいい。こちらの機銃は弾切れで、主砲も再装填が必要で、さらには先程避けられたことから今度はギリギリの距離で魚雷を放ちにやってきた。

 

なすすべがない。対空機銃装填完了までまだあと三十秒ある。

三十秒後には、先程自分が上げた炎と同じ光景を見ることになる。今度は、自分の体で。

 

「…………あぁ」

 

死を覚悟した。赤く裂ける口から笑い声が聞こえ、腹に抱えたドス黒い魚雷が放たれる。

その瞬間。

ふざけた笑いを浮かべた顔が、盛大に真横へ吹き飛んだ。

 

『さー逝っちゃって☆ 連装砲ちゃん、射的ゲームだよッ!!!』

 

インカムから愉快な声が聞こえてくる。

直後、目の前で対空砲弾が爆発した。

 

「なん――――くッ!」

 

細かい鉄の破片が体中を襲うが、それは先程横に吹き飛ばされた白い機体も同じだった。

ことさら、そいつは無事では済まなかった。もろに鉄の破片を浴び、胴体から火を噴き出して。遠く離れた海面に吸い込まれていった。

 

『――――第一射、ヒット。第二射、ターゲットエイム』

 

先程とは違い落ち着いた、しかし違和感の固まりを印象づける声が、無線越しに呟かれた。

 

『…………ファイア』

 

横に吹き飛ばされなかったもう一機も、同じ方向へ派手にぶっ飛ぶ。一瞬、対空機銃の曳航弾道が見えた気がした。

 

『――――第二射、ターゲットヒット。一時沈黙を確認。とどめをお願いします』

 

無線の先程からのその声音に、ふたりの少女の顔が思い出される。

 

「島風と、雪風……なのか?」

『せーかいだよ! 連装砲ちゃん、思う存分撃っちゃって!!』

「ちょ、ま――――」

 

またしても目の前で対空砲弾が爆散。鉄の破片が艤装に当たり、一番砲塔に穴が開く。

敵機は穴が開くどころでは済まされず、鉄の雨をありったけ浴びて海中へと没していた。

 

「島風ェェッ!!」

『オウッ!』

『だから言ったじゃないですか! 長門さんごと撃つなんてメチャクチャです!』

 

雪風の屈託の無いいつもの声に、長門は安堵と同時に薄ら寒いものを感じていた。

 

 

 

 

モニターを見ながら私は、長門の戦闘が終わりを告げたことを確認しつつ、時雨と夕立の方に注視した。

 

だが頭では先程の光景がまだ余韻を引いている。

 

駆逐隊と軽、重巡隊が合流した後に、駆逐隊の退避指示を矢矧に一任して、雪風と島風を組ませた上で長門の援護へまわるよう指示を出した。

 

圧倒的快速の島風と、群を抜く幸運の持ち主である雪風は、最短距離を最高スピードで縫い合わせ、長門のもとへ間に合わせることが出来た。

 

結果は見事に九機撃墜。長門は頑張ってくれたし、島風と雪風も、ギリギリだったが間に合った。

 

「しかし……すごいですね」

「あれが幸福艦雪風の本領じゃよ」

 

雪風の持つ、五十鈴の機銃はあんな使い方も出来るのかと、開いた口がふさがらない。

バックパックからスコープを取り付けたかと思うと、膝立ちになり、対空機銃をぴたりと構えて距離二千メートル(・・・・・・・・)から狙撃を始めてしまった。

 

しかも見事に当てている。

無線越しに聞こえた雪風の声は、まるで人が変わったかのように、本気を出しているのがよくわかる声音だった。

 

何にせよ良い方向に傾いた。だが。

 

…………まだ、終わらない。残る敵九機の集団は、もう時雨の目には捕らえられているらしい。

 

「時雨」

『うん、見えてる。間違いなく九機いるよ』

「奴らは強い。特に白い奴は桁違いだ。十分に警戒してぶっ叩け」

『提督らしいアドバイスだね』

「もはや二隻では艦隊行動もなにもないからな。戦略と言うよりは君たち自身の腕に掛かっている」

『それ頼りにされてるっぽい?』

「あぁ。頼りにしている」

『ありがとー!』

 

モニターの中で夕立が手を振っていた。どこに向かって振っているのかと思ったら、鎮守府の方角に向いている。

 

『………………ん?』

 

すると時雨が突然首を傾げながら、

 

『提督、見て』

「…………」

 

モニターを見るよう促してきた。言われるまでもなく、すでにその異変には気付いていた。

蜻蛉大将も例外でない。

 

「帰っておるのか」

「かもしれません。撤退、ですね。なぜ今更?」

『どうするの提督』

『追い打ちするっぽい?』

「いや…………そうだな、放っておけ。深海棲艦の艦載機を追撃しても、あまり意味はないだろう」

 

沸いて出てくるも同然だからな、今までは。

硫黄島から来ていることはもう明らかだ。別に追跡する必要もない。

 

全艦通信にして無線機に呼びかける。

 

「全艦に告げる。敵航空隊は現在撤退中。繰り返す、現在撤退中」

 

モニターからは、敵の姿はもう見えなかった。完全に逃げ去った。

 

「――――この戦いは我々の勝利だ。各自、周囲を十分に警戒し、帰投せよ」

 

 

敵が退いた理由には、おおよその見当がつく。

 

狙いはこちらの戦力を削ぐことと、もうひとつあった。

偵察だ。人間側がどれ程の戦力を硫黄島に注ぐつもりか、あらかじめ知りたかったのだろう。

 

十分に情報が集まったので、別に無理をして鎮守府まで爆撃しなくても良い。敵はそう判断した。

もし鎮守府まで来ていたら時雨と夕立の足止めを使い、島風と雪風を向かわせるつもりだった。

 

どのみち迎撃は可能。敵もこちらのそういった状況を悟り、進む意味が真になくなったと判断した。そう考えるのが妥当だ。

 

とりあえず危機は去った。まだ硫黄島を奪還するという根本的な問題が残っているが、私の島を拠点に横須賀の艦娘を出撃させる。この線で行けばいいだろう。

 

できれば私の艦隊を使いたいのだが、輸送任務が終わるまでは関与させることは不可能だな。

 

 

三時間後。

嵐は見る間に去っていき、夏の終わりの空にふさわしい、抜けるような青空がもどってきた。

 

嵐の有無すらも深海棲艦と関わりがありそうだったが、それを調べるのは私の仕事ではない。

 

「…………提督」

「どうした時雨」

 

一仕事を終えた私は、書類手続きや事後処理、これからの作戦概要などを蜻蛉大将へ丸投げし、時雨を連れて横須賀の港町まで赴いた。オシャレなテラスがある、あまり人通りのない静かなカフェにいる。

 

結果的には都市への空爆を防いだのだ。また私の戦果が見えないところでプラスされる。

終始、大将はあそこに座っていただけだしな。事後処理くらい働いてくれてもいいだろう。

 

今はこの良い天気の下で、時雨とのんびりキャラメルマキアートを堪能したい。

 

と思ったのだが。

 

「提督は、硫黄島が取られたから、空爆が東京に来るって思ったの?」

「痛いところを突いてくるなぁ」

「おしえてよ。ボクは…………てっきり来ると思ったんだ。ううん。ボクだけじゃないと思う。みんな」

「私もそのみんなに入る。来ると思った。まぁ結果的には無事で済んだわけだったが、一歩間違えれば大変なことになっていたかもな。反省だ」

「提督でも、勘違いすることがあるの?」

「私は別に神様じゃない。人並みに間違えるし、ドジも踏む。だが踏んだままにしないからこそ成長があるというわけだ」

「…………やっぱり、提督はすごいよ」

「私よりすごい人間は山ほどいる。時雨が知らないだけだ」

「この日本にいるの?」

「一人は確実に。可愛く、天才で、何でもつくり出す。少し生活能力に欠けるのが欠点だがな」

「へぇ~」

 

キャラメルマキアートのほのかな苦みとふんだんな甘さを楽しみながら、今日のこの数時間は、きっとこんな反省会では済まされない重要な戦闘だったと、私は心に深く刻んだ。

 

島に帰ったら一度書面にあげて見直そう。ちゃんと研究する必要がある。

 

それに硫黄島の件も。輸送艦隊に何があったかも気になる。やることは一杯だ。

――――そう言えば連絡してみようか。そろそろ通じるかもしれない。

 

「時雨、扶桑達に連絡を取ってみるか」

「そうしよう。緊急打電が入ったんでしょう?」

「折り返したが繋がらなかった。何かあったかもしれないが、鎮守府そのものの危機だったら別の知らせが届くからな」

「じゃああの少年と扶桑は大丈夫なんだね」

「輸送艦隊はわからんがな」

「…………たぶん何があっても生き残りそうな気がする」

「理由を聞いても?」

「それは内緒」

 

にこっ、と時雨は笑い、彼女の分のアイスティーが運ばれてきたので受け取った。頼んでおいたチーズケーキも、二人分受け取った。

 

私はキャラメルマキアートを一口飲んでから、携帯端末を取り出して、衛星通信を経由した無線電話を鎮守府に向かって発信する。

 

 

 

 

電話には少年が出た。

何があって、どうなって、少年が何のためにこの世界に召喚されたのか。

私と時雨は端末越しに、世界の始まりを聞いていた。

 

 

 

 



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間話 装備研究員の一日

一段落着くと突如出てくる、時系列完全関係なしのゆるゆるフレンダ編をどうかお楽しみ下さい。


朝。

 

目覚ましが鳴るのでブッ叩いてからもう一度ベッドで意識を落とす。

 

五分後に再度鳴った目覚ましを黙らせようとする一歩手前で、むくりと私は体を起こす。

 

「ふぁぁぁぁ……眠い」

 

目覚ましを止め、ベッドから降り、パジャマを脱いで一息つく。

別に下着姿でラボを歩いても問題はないけれど、急な来客とか急なお姉ちゃんとかあったらそれこそ切腹ものなのでちゃんといつもの服に着替える。

 

クローゼットから引っ張り出したジーパンを穿き、同じく引っ張り出した真っ白なTシャツを着る。その上からシワ一つ無い白衣をバサッと羽織る。

 

ゴーヤがアイロンがけしてくれているので助かる。三日周期で洗濯とアイロンが施された白衣がまわるこのシステムは、やはりゴーヤなしではうまくいくまい。

というか私はここ(研究所生活)に来て気がついた。

 

家事が出来ない。何一つ出来ない。

 

洗濯も掃除も料理も皿洗いもなーんにも出来ない。

 

思えばお姉ちゃんとの生活では全部お姉ちゃんがしてくれていた気がする。料理は超一流に美味しかったし、片手しかないはずなのに洗濯も皿洗いも掃除も妖怪並みに器用に済ませた。

 

私が手伝おうとすると「仕事が増えるからアニメでも見ててくれ」と言われる始末。

 

まぁアニメは好きだし、と言うか大好きだし、家事の代わりに私はいろいろ勉強してたから、特に迷惑をかけてたわけじゃない。たぶんきっと。

 

ラボでの生活も似たようなものだ。勉強してた内容を今度は使っているだけで、家事全般は全てゴーヤがやってくれてる。

 

ゴーヤはすごい。強いし、出来るし、かわいいしでもう何でここにいるのか分からなくなってきた。対する私は哀れだな。

 

なんかむなしくなってきたので、あとお腹が減って鳴っているのでとりあえず部屋から出る。向かうのは食堂。

 

朝食はちゃんと部屋から出て、食堂で食べることがルールになっている。

食べるのは私とゴーヤだけなんだけど、なんでもこうした方が生活習慣的に良いらしい。詳しくはゴーヤの考えなので私にはよく分からない。

 

食堂では、既に配膳がすまされてイスにはゴーヤが座っていた。

 

「ごめんゴーヤ。待った?」

「待ったよぉ。また五分延長したでしょ」

「そんなカラオケみたいに言わなくても」

「さっさと座って食べるでち」

「あい」

 

今日の朝食はアサリの味噌汁と鯖の味噌煮、白ごはんとキュウリの塩もみ。

デザートはプリン。デザートだけ洋風だな、よくあるよくある。

 

「「いただきます」」

 

しばらく無言で胃袋の中に食材を放り込む。空腹なんだ仕方ない。

味は、まぁおいしいな。おいしいからこんなにしっかり食べられるんだ。

でもお姉ちゃんの料理と比べちゃいけない。ごめんねゴーヤ。

 

「今日は何するでち?」

 

ひと段落着いたらゴーヤが口を開いた。

 

「ちょっと設計図を完成させたい。基本理論値はもう出てるから午前中に描けると思う」

「じゃあ午後からはお休みにする?」

「それもいいね。今日はゆっくりゲームでもしようか。エスコンの続きがしたい」

 

朝食を全て食べ終わり、食器を片付けたあと、

 

「じゃあ研究室に行ってるよ」

「お皿洗い終わったら手伝いに行くでち」

「うん」

 

私は研究室に向かってゆっくり歩いた。

 

食後の激しい運動はゲロる。前に一度やってしまった。太鼓の達人は朝食後にやるモンじゃない。

 

 

 

そこそこ広めの研究室。

清潔な白を基調としながら、部屋の壁や隅の方は電子機材やアナログな設計道具が散在している。片付けなんて滅多にしないけど、たまにゴーヤが整理してくれてるのでこれでもまだマシな方だ。

 

研究室の隅の方から、新品の模造紙を引っ張り出す。あと鉛筆と定規を用意した。

 

部屋の中央の大きな作業台に模造紙を広げる。作業台の端の方にノートパソコンを置いてから起動する。

部屋の隅の方にはでっかいコンソールやモニターもある。それらも全てスイッチを入れる。

 

ノートパソコン内の理論値や仮設計図から模造紙に描き出し、所々部屋のコンソールから計算と修整を加えていく。

 

しばらく作業をしていると、研究室にゴーヤが入ってきた。

 

「どんな感じでち?」

「それは何を設計してるのかって質問かい?」

「そうそう。で、その設計の進み具合とか」

「上々だね。思ったよりスムーズに行くし、形にするのは難しくないだろう」

「へぇ」

 

言いながらも紙面に書き込む。今のところ順調である。

ん? いやちょっとまて。主翼の位置がもうちょっと前か。

いや、まてまてそれより――――

 

「…………推進力を維持するにはこの形がやはりいいな……ぅーん……あ、でもこっちの尾翼が………ぁ、あれも…………」

「こりゃ集中してるでち」

 

そうしてだいぶ時間が経って、気がつくとゴーヤはきえていた。

 

時計を見てみる。針が正午を指してた。

 

いやちょっと夢中になりすぎたかな。いなくなったのも気付かないなんて、まぁいつものことではあるけれど。

 

机に広げられた模造紙には、びっしりと文字や図形が描いてある。完成した。満足のいく設計図だ。

 

一つ頷いたら、お腹がきゅうきゅう鳴り出した。

お腹空いた。お昼ごはん食べよう。

 

 

食堂の方に向かう。

昼は自室でも研究室でも中庭でも、つまりどこで食べても良いのだが、ごはんができるのはこの食堂の厨房なのでとりあえずそこを訪ねてみた。

 

「いいにおいがするな……卵と、ソーセージか」

「当たりでち。今日のお昼はサンドイッチね。どこで食べる?」

「設計図は完成したし、今日は中庭で食べよう。天気が良い」

「ちょうど出来たでち! 持っていくから、中庭で待ってて」

「わかった」

 

中庭に到着。

木の下のベンチに座って待つ。

木漏れ日が気持ちいい。ほんと、天気の良い日は外で食べるのも悪くない。

 

ここ最近はあの設計図を書くためにパソコンとにらめっこばかりだったしな。

実際に紙に書くのはスムーズだった。あとは素材を要請して、試作してみる行程だな。

 

理論的にはうまくいく。設計図もおそらく完璧だ。あとは、使いこなせる者を絞り込むだけ。

 

まぁなんとかなる。

 

そんな事をあごに手を当てながら考えていると、バスケットに入ったサンドイッチをぶら下げて、ゴーヤが出入り口からやってきた。

 

同じベンチの隣に座る。ゴーヤの膝の上でバスケットは開けられて、中からボリュームのあるサンドイッチが飛び出した。

 

「でかいな」

「おいしいよ」

「いただきます」

「はいどうぞぉ」

 

両手で持たなければこぼれ落ちてしまいそうなそれを、口いっぱいにかぶりつく。

 

ふわりとしたパンの食感と少し甘めの炒り卵。スパイシーでクリスピーなソーセージとベーコンがマヨネーズによってまとめられる。

口の中が幸せ。もうほんと、素晴らしい天気だし素晴らしいごはんだし最高だよ。

 

「ほいひい」

「でしょう。まだあるからおかわりしても良いよ」

「たべふ」

「飲み込んでからね」

 

ゴックンしてから手元のサンドイッチを再びほおばる。

あっという間に食べ尽くし、もう一つもらい、それも食べ尽くす頃にはだいぶお腹がふくれてきた。

 

ゴーヤも食べ終えたみたいで、バスケットの中身もカラッポだった。

 

「ごはんも食べたし、エスコンしようか」

「あ、ゴーヤはちょっと哨戒してくるでち。試作型の魚雷も試射してみたいし」

「水素魚雷のこと?」

「そうそう」

「んじゃあ使った感想教えてね。小型化する代わりに威力が落ちたから、装薬に水素を配合して作ったんだけど、余り安定しないかもしれないから」

「自爆しなきゃそれでいいでち」

「その心配はない。当たった敵の確認が取れなくなる可能性があるんだよ」

「なんでそんな威力にしたでち」

 

ゴーヤは厨房の方へバスケットを戻すため、私は娯楽室でゲームをするためそれぞれ移動した。

 

 

ここ数日は時間さえあればエスコンをしている。

 

いやぁたのしい。

 

私も40年以上前は虫みたいなのをビュンビュン飛ばしていたけれど、やっぱあんなモン航空機とは言えないね。

今思えば何で私あんなもの飛ばして喜んでたんだろ。艦娘に失礼だわ。あんなかっこわるいので戦争するとか。

 

それに比べてこの、洗練されたボディとカッコイイ兵装。動きからしてもう時代の流れというか進化を感じる。

あと無線。無線はやっぱり無いとダメだ。これがあるのと無いのとではかっこよさが大きく違う。

この若干ノイズの入る感じがたまらなくカッコイイ。むっつり無言で連携の〝れ〟の字もない深海棲艦なんてもう最悪だよ。二度とあんな陣営就くものか。

 

それからこのミサイル。当たったときの爽快感がすごい。敵にフレアまかれたらちょっと心がしぼむけど、その時はドッグファイトからの機銃掃射だね。これもまた当たると気持ちいい。やっぱ当ててナンボだな。

 

そういえば空対空ミサイルってどうやって作るんだろうか。研究者として是非とも研究開発してみたい。

いつか装備として開発できたらいいけどなぁ。

 

今のあれが上手く形に出来たら、それと扱える子が見つかったら、本気で研究して制作してみよっと。

 

 

五時間後。

 

哨戒から帰ってきたゴーヤはやや疲れた顔をしていたけど、ケガは一つもしていなかった。

先にシャワーを浴びてきたのか、セッケンの良い香りが鼻をくすぐる。服装はスクール水着ではなく大きめのTシャツにハーフパンツ。

ゆったりとした部屋着姿だ。

 

「ずいぶん遅かったじゃん。敵が来てた?」

「ううん。防衛線を越えてまでは来てないよ。今日も平和」

「じゃあなぜこんなに遅くまで?」

「水素魚雷の試射に夢中だったでち。思わずたくさんやっちゃったよぉ」

「どうだった」

「撃った感触はまずまずでち。ちょっと狙いが付けにくいから、炸薬を減らしてくれると推進が安定するでち」

「威力は?」

「申し分ないでち。確かに一体だけを狙って撃つのは過剰火力でもったいないけど、群がったところに扇状射撃したら恐ろしく効果的でち」

「なるほどよかった。扇状射撃はどれくらいの数が相手だった?」

「五十はいたかなぁ。長射程雷撃だったから二本くらいはずしちゃったけど、射出した十本で五十体が消えたから、かなり効率は良いと思うよ」

 

要するに八本当てて五十体沈めたのか。恐ろしい潜水艦だな。もはや潜水艦かどうかも疑わしくなる。

 

まぁ、それだけ私の開発した水素魚雷はしっかりした出来になっているらしい。これなら試製として提出しても問題ないかもしれないな。

強すぎて問題とか厨二炸裂も良いとこだけど。

 

 

その後は夕ご飯を一緒に食べ、なぜかゴーヤと共にお風呂に入り、今は自室に向かって移動している。

 

「今日は良い日だった。明日も午後は休みに…………いや、ちょっと装備研究を進めてみるか」

「またしばらく研究室に籠もるでち?」

「進み具合によるよ。良い感じだったら籠もるかも」

「朝食だけは出て来てね」

「わかってるわかってる」

 

着いた。パスを通してドアを開ける。

部屋に入り、振り返ってゴーヤの顔を見る。

 

「今日のサンドイッチは最高だった。お姉ちゃんが作ったのと同じくらい美味しかった」

「どんだけネルソン提督が好きなのでち」

「え、べ、別に好きなわけじゃないし! ただその、美味しかったって言ってるだけだし!」

「わかったよぉわかってるよぉ。いつかその〝お姉ちゃんの作った料理〟よりおいしいと言わせてやるからね」

「ふふふ、それはどうかな?」

「このシスコン」

「待て待てなんだそれは! ちがうってば!! ちがうからな!!!」

 

なんて奴だこの子ったらもう。

 

くふふふ、と意地悪げな笑みを浮かべるゴーヤだったけど、すぐに疑問の色を表情に出した。

なんだろう何か聞きたいのかな。

 

「そうだそうだ、フレンダちゃん」

「どうした?」

「今日の午前中に設計してたの、あれ何を作ろうとしているの?」

「試作F‐22戦闘機だよ。愛称はラプターちゃん」

 

 

 

 

 

 

 




フレンダの名前の由来は「friend」の読みからきています。
願わくはずっと友達としてネルソン提督のそばにいられるように、という今は亡き指揮官の思いがこもっているのですが、本人の気持ちは友達どころかそれ以上ですね。
そんな娘も作者は好きですが。

でもこの名前どこかで聞いたことあるなぁと思って検索したところ、やっぱり知ってるあの子の名前でした。ぴったり同じ。
武器に関わるところはそっくりだけど、それ以外はかすってもいない関連性です。フレンダ自身があの子の転生とか全くそんな感じではありません(笑)


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間話 装備研究員の三時のおやつ

本編にぶち込まれる2連続の間話。
時系列は関係なし。
実はフレンダ研究所は高知県の南へだいぶ行ったところにある離島の研究施設――――というのは裏設定なので本編とはそう関係ありませんが、フレンダとゴーヤの住む研究所はそんな感じの所にあります。
大きさはご想像に任せますが、島民がいくらかいる感じです。小学校も存在します。というか小中併合の雛○沢みたいなイメージです。つまり人口もそれくらい。

では、フレンダ研究所のゆるゆるだるだる回です。




研究所、午後三時過ぎ。

 

「おなかすいたー。ゴーヤ、なにかあるー?」

「今ホットケーキ焼いてあげてるでち。イスに座って待ってて」

「はーい」

 

十分後。

 

「まだー?」

「わかったからちょっと待つでち。ほら…………はい、どうぞ」

「やった。ありがとうゴーヤ。おいしそう」

「熱いから気を付けて食べるんだよぉ」

「わかってるって」

「お好みで生クリームも付けていいよ。はい」

「お、おいしそう」ゴクリッ

 

実食。

 

「フーフー……ング……ハフッハフッ! はふひ(熱い)!!……」モグモグ

「だから言ったでち。ほら牛乳」

はひはほ(ありがと)

「もう、せっかちだよぉ。急いだって無くなるわけじゃないんだから、落ち着いて食べればいいのに」

「ング……ング…………ぷは! だって熱々を食べるのが美味しいんだからな!」

「わかるけど火傷しちゃだめだよ。よくフーフーして」

「大丈夫だいじょうぶ。熱いの食べてれば口の中がなれてくるから」

「それもう手遅れでち」

 

 

「フーフー……モグモグ…………ゴックン」

「で? ここ最近研究室に閉じこもってるけど、何作ってるでち?」

「追尾撮影装置だよ」

「追尾撮影装置……? 何に使うのぉ」

「お姉ちゃんの観察」

「フレンダちゃん知ってる? 盗撮って犯罪なんだよ?」

「や、やだなぁ……あの、あ、あれだよあれ。お姉ちゃんの艦隊の調子とか観察して、今の現場ってどんな装備が必要なのかなぁっていうリサーチだよ!」

「しょっぱな欲望が駄々漏れだったから説得力皆無でち」

「う……でもね? もう五年だよ? 五年も直接会ってないんだよ?」

「だからって偵察機飛ばして盗撮するなんて許される事じゃないでち」

「誰も盗撮なんてしない」

「じゃあ観察?」

「そう観察」

「だれの?」

「お姉ちゃん」

「だめじゃん」

「しまった」

 

 

「で、何で急にそんな事しようと思ったでち?」

「別に急ってわけじゃないんだけどね」

「どゆこと」

「一年ぐらい前だったかな。オートコントロール(自動操縦船舶)の基礎設計書つくって本部に提出したでしょ」

「うん」

「あれね、本当はお姉ちゃんの艦隊を常に追いかけられるようにって思って作った追尾装置の基礎研究だったんだよ」

「え? じゃあもしかして……」

「もともとは偵察機にしてお姉ち――――艦隊を見守るために作ってた」

「いまお姉ちゃんって言ったでち」

「気のせい気のせい。それで、一年前は設計概念を本部に預けちゃってたから、一から組み直して今度は海だけじゃなくどこからでも撮れるように、小型のヘリみたいにしたってわけ。UAVとかって言うのかな」

「より細かいネルソン提督の動向を探れるわけだね」

「そうそう。お風呂とか寝室とかトイレとか」

「通報するでち」

「しまった」

 

 

「でもね、自動で盗撮出来るように作ってた設計案が、いつの間にか輸送船になってるのはさすがに私も驚いた」

「ツッコむべきか今考えてるでち」

「何を?」

「いや、べつにぃ」

「でね。今作ってるのはすごいんだよ」

「人類に貢献できそう?」

「というより私の生活に貢献できそう」

「どの部分の生活かは聞かないでち」

「? なんのこと」

「わかってないなら別にぃ」

「…………? まぁいっか。それでね、ほんとに小型化が成功してるから、手のひらサイズの撮影機が出来たんだよ」

「手のひらサイズ!? じゃあ建物の中も飛ばせるって事!?」

「そうそう。で、バレたら意味がないから完全無音の光学迷彩付き。飛行音どころか姿すら見えないから、どこでも撮れる」

「この人に技術力を与えた人類を恨むでち」

「なにが?」

「ぜんぶでち。――――それ、なにかもっと公共の場で役立てる道具には出来ないのぉ?」

「公共……あれかな、ネットで売りさばいて社会経済に貢献するとか」

「売った先で大問題になるからダメでち」

 

 

(なんとかして完成を阻止しないと、ネルソン提督の私生活が危険でち)

「でもアレなんだよねぇ。まだ問題がちょこっと残ってて」

「問題?」

「うん。撮った映像をリアルタイムで見られないんだよ。だから飛ばしたあと戻ってこさせて、撮ったものを確認するから、メモリが大容量じゃないと欲しい映像も撮れないかもしれない。その場で取捨選択してメモリを節約できないんだ」

「そうまでして私生活を撮る理由って一体なんなんでち…………」

「知りたいと思わない? おね――――艦隊の動きとか普段の生活とか」

「艦娘の生活ならゴーヤがいるよぉ。十分でしょ?」

「全然足りない。駆逐艦とか戦艦とか、もっともっといろんな人達のデータも集めたい」

「〝も〟って辺りに悪意を感じるでち」ボソボソ

「なにか?」

「なんでもないよぉ」

 

――――○――――

 

お昼のおやつタイムが過ぎ、夕日が沈むまで研究室で作業をして、ゴーヤと一緒に晩ご飯を食べて、私は只今入浴中だ。

 

「ふぅー……きもちいい」

 

艦娘用、というよりゴーヤ用に作られたドッグは、それほど広いわけではない。

一般家庭用の浴室、浴槽と大きさは変わらない。一人用だな。

そこに私もお世話になっている。もとよりこの研究所には風呂がここしか用意されてない。私が使うことも兼ねているのだろう。

 

風呂は落ち着く。研究の名案がふと浮かぶこともある。

 

チャプチャプと紫色の水面をすくっては、そっと自分の肩に掛ける。いくらか掛けると飽きたので、洗面器ですくって頭からバサァー。

 

今日はラベンダーの香りがする入浴剤が入っている。先に済ませたゴーヤが使ったらしい。

お肌にもいいタイプで、あと腰痛とか疲労回復にも効くらしい。疲労以外正直どうでも良いけど。

 

「にしても、どうやってリアルタイムで送信しようか」

 

行き詰まったな。送信する手段がないわけじゃないけど、それをするとステルス性が消える。お姉ちゃんの普段の様子が撮りたいのに、カメラを意識させてしまっては意味がない。まぁどんなお姉ちゃんが撮れても最高なんだけど。

 

うぅ~ん、こまったなぁ。

 

「…………また明日考えようか」

 

自動追尾の設計理論は完成した。一年前のアレは艦娘しか追えなかったが、今回のはもっとうまくいった。

何でも認識できるから、何でもロックオンできる。あとはどんな物に積み込むかで、追尾性能も変わってくる。

 

「…………」

 

あれ?

 

「――――あれあれ?」

 

これ誘導ミサイル作れるんじゃないか?

 

 

 

 

 



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第二十三話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅠ

やっと少年の視点へ戻ってきました。
長かった…………。


窓から見た空は澄んだ青に染まっていた。

雨があがって、そよ風が心地よく入り、暖かい光が差し込んでいる。

 

ここは食堂。僕は、遅い朝食兼昼食を食べていた。

 

「味は濃くありませんか?」

「ちょうど良いです。すごく美味しいですよ」

 

食堂のテーブル、僕の向かい側に座る扶桑さんは、やわらかな笑みを浮かべながら聞いてきてくれた。

 

テーブルにはピラフとオムレツ、レタスとキュウリ、デザートにプリンが運ばれている。

 

やさしい味付けのこれら料理は全て扶桑さんが作ってくれた物だ。量も調節してくれて、小さめのお皿に盛りつけてくれたのでちゃんと残さず食べられる。

 

輸送艦隊は無事に目的地へ到着。

ネルソン提督からも、先程連絡があった。

 

大変だったらしい。こちらも相当に冷や汗をかく事態だったけど、向こうはそれ以上に直接命が危なかったんだとか。

 

でも、あの人が死ぬ想像は、実のところできなかった。死にそうにない。率直にそう思う。

 

ネルソン提督と時雨お姉さんは夕方には帰るらしい。輸送艦隊を連れて。

 

大型のヘリを用意して、輸送艦隊の五人を乗っけて一緒に帰ると言っていた。

理由はやっぱり危険だからだろう。

 

僕と羅針盤の妖精さんの力が無ければ、もう海を渡ることは自殺行為に等しくなる。

そしてその妖精さんは遠いところを測定するのには膨大な力が必要だと言っていた。

 

今もまだ眠っている。それを考えると、うかつに海上を経由することは出来ないのかも。

 

ふと、気になった。

 

「扶桑さん」

「ん、どうしました?」

「僕がいないともう海には出られないんですよね」

「航海してすぐに囲まれるわけではないと思いますが、遠洋航行はまずできないでしょうね」

「それって、日本全国のどこでもそういう事になっているんですか?」

「うーん。もしなっていたら大変ですけど、かといって私達にどうにか出来る問題ではないですからねぇ」

「あ…………そうですよね」

 

とくん、と心臓に一瞬の緊張が走った。

 

ネルソン提督の報告にあった〝駆逐艦と軽、重巡洋艦を包囲した敵艦隊〟ってどう考えても羅針盤から外れてたから出てきたんだろうし、だとすると…………うん。

 

「僕も早く海に出られるようにならないといけない気がします」

「羅針盤のことですか?」

「はい」

「確かにそうですね。…………ですが、焦ってはいけませんよ。訓練も受けたことがないんです。しっかり練習して、最低でも艦隊行動が取れるようになってからじゃないと」

「でも、硫黄島はどうするんですか? 一週間しかないってネルソン提督は言ってました」

「提督はきっとあなたを使うつもりはありませんよ」

「え?」

「ここから硫黄島までは六百キロほどです。当然羅針盤がないと危険であることは変わりませんが、提督は何か考えをお持ちのような気がします」

「考え……ですか」

「はい。元々あの方は戦争のプロです。四十年近くも戦って、お話にあった前の世界でも三十年以上戦っています。海の上の戦いで、羅針盤がないから出来ないなんて事はあの方は言いませんよ」

 

確かに、そうかもしれない。

心配する必要は無いかな。何せネルソン提督だ。

扶桑さんの言うとおり、どうにでもして上手くやっちゃう人なんだ。

 

硫黄島以外の、日本各地の艦娘の航行についてもそのうち何かあるかもしれない。僕が大きく関わってくることなのは間違いないけれど、それまでにやれることは決まっている。

 

海に出られるようにする。硫黄島には間に合わなくても、それ以外できっとみんなの力になってみせる。

それがこの世界で僕がいる意味だから。

 

そう心に呟いて、ふわふわのオムレツを一口すくって口へ運んだ。

 

 

二十分後。

 

ごはんを食べ終えて、自分で食器を片付けるために厨房へ運んだ。

背が足りなくてシンクの中に入れるのに苦戦していると、後ろから扶桑さんが抱きかかえてくれて、水の中にお皿をつけられた。

背が足りないってこんなところで苦労するのか。

 

扶桑さんはシンクの前に立ち、お皿を洗おうとスポンジを手にする。

 

「僕も洗うの、手伝います」

「え? 別に大丈夫ですよ」

「でも他にすることありませんし」

「うーん…………それもそうですね。ちょっと待ってて下さいね」

 

そう言うと扶桑さんはパタパタと走って食堂へ行き、イスを一つ持ってきてシンクの前においてくれた。

コレで背が届く。というか、よく考えたら僕邪魔なだけかもしれない。

 

でもイスまで運んできてくれて今更「やっぱりいいや」は流石にダメだ。そんな失礼なことは出来ない。

 

「んしょ……」

「洗剤で滑らさないように気を付けて下さいね」

「はい」

 

スポンジで泡立たせ、皿を洗って、シンクにおいた物を扶桑さんが仕上げにもう一度洗ってきれいにすすぐ。

 

僕の洗ったあとのお皿はどう考えても力不足で汚れが落とせていなかった。

…………これだめじゃん。完全に邪魔者じゃん。

 

でも扶桑さんは何も言わず、ただずっとやさしげな笑顔のまま隣でお皿を洗っていた。

 

 

全ての食器を洗い終わってから、二人で厨房を立ち去ろうとしたときに。

僕は前を行く扶桑さんに思い切って聞いてみた。

 

「艤装を貸して下さい」

「だめです」

 

振り絞った勇気が音を立てて散った気がした。

 

「私の艤装なんて使ったらペチャンコになっちゃいますよ」

「あ」

 

そう言えば扶桑さんって、山城さんのお姉さんか。って事はあんなに大きな物を背負って戦うのか。

そりゃ僕が背負ったらせんべいみたいになっちゃうかも。

 

でももう今日から、今すぐにでも練習を始めたいんだ。一分でも早くみんなの役に立てるようになりたいから。

 

その気持ちを素直に伝えた。

 

扶桑さんはいくらか悩み、悩んで、最終的に僕の前にかがんで目線の高さを合わせると、

 

「私の艤装は貸せませんが、満潮の予備の艤装がありますから、それを使わせて貰いましょう」

 

え、満潮って確かあの怖い人か…………。

 

「だ、大丈夫なんですか? あんな怖い人の物を勝手に借り――――あ、こ、怖い人じゃないです」

「ふふふ、大丈夫ですよ。確かにきついことを言いますけど、やさしい子です。私から借りる旨は伝えておきますから」

「じゃあ…………よろしくお願いします」

 

ぺこりと頭を下げる。やった、これで練習できる。

でも本当に大丈夫なんだろうか……。ちょっと不安だ。

 

 

「これが〝艤装〟です」

 

装備保管庫という札があった部屋から、扶桑さんはいくつかの物を持ってきて、鎮守府の玄関口に並べてくれた。

 

今両手で差し出された物は、ランドセルより少し大きいぐらいの、ごてごてした機械だった。

 

「これが艤装……」

 

革紐の付き方から、ランドセルのようにして背負うことはわかった。たしかモニターの中の駆逐艦の人達もそんな感じで背負っていた。

 

袖のかなり余るジャージをまくり上げてから、その、満潮さんの艤装を背負ってみる。

 

「あ、ちょっとそのままで居て下さいね」

 

扶桑さんは僕の後ろに回り、何やら細長い布を取り出してジャージの袖と背負った艤装とをくくりつけた。

 

「これでこの長い袖を気にする必要はありませんね」

「おぉ、すごい」

 

たしかに落ちてこない。ぴったりまくり上げたまま固定できている。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ。サイズが合わない服装ではケガをしちゃいますからね。次は下です」

「下?」

 

え…………うん。確かに足の方もかなりすそが余っていて、たくし上げてもずり落ちてくる。

 

「これを穿きましょう」

 

そう言って満面の笑みを浮かべる扶桑さんの両手には、プリーツスカート(・・・・・・・・)が握られていた。

 

「――――ひっ!」

「そんな怯えた顔をして…………どうしたんですか?」

「いやどうしたって、ちょ、ちょっと待って下さい! 何でスカートを!? 誰のですか!?」

「満潮のですよ」

「お願いしますそれだけはやめてください!」

 

たしかに裾がこのままだと危ないのはわかる。けど何でスカートが出てくるんだ。

 

「そのままでは危ないですし、スカートなら裾を心配する必要がありませんからね」

「周りの目を心配します!」

「私しかいませんよ」

「うぅ…………」

 

いや扶桑さんに見られるのも恥ずかしいのですが。

 

でもこれ穿かないと練習させませんと言われたらどうすることも出来ない。

そもそも僕にはサイズの合う服がないのだから。

 

いやいや、でも…………。

 

「…………僕、パンツはいてないんですよ」

「あれ? え、そうなんですか?」

「サイズがありませんし、そもそも男物の下着がここには…………」

 

僕の顔から火が出そうだった。耳まで熱い。

 

「うーん、まぁでも一緒にお風呂に入った身です。この際気にしないで下さい」

「えぇー……」

 

そんなムチャな。

 

「穿かないと訓練はお預けです…………と言うより、その裾ではどうすることも出来ませんよ」

「う、上みたいに縛れないんですか?」

「無理です。股下を艤装で止めることになるので、もし転けたら潰れますよ?」

 

何が潰れるとは言わなかったけど想像はつく。それは嫌だ。

 

練習はしたい。海に出たい。

モニターの中の光景に憧れている自分がいる事は、否定しない。カッコイイと思ったんだ。

でも、上半身ジャージで下半身はノーパンスカートの男児なんて何が格好いいんだ。

 

訓練はしたいけど、スカートを穿くなんて抵抗がありすぎる。

 

でも、今すぐにでも海に出たいし、練習がしたい。

 

背に……腹は代えられないかな…………。

 

「…………わかりました。穿きます」

「よかった。どうぞ」

 

扶桑さんに手渡され、広げて、その薄い紺色のプリーツスカートを眺めてみる。

眺めたところで恥ずかしさは消えなかった。

 

「ちょ、ちょっとの間だけでいいですから、後ろ向いててくれますか」

「ええ。いいですよ」

 

扶桑さんが背中を向けたのを確認し、ジャージのズボンの腰紐をほどいてずり下げる。

 

スカートの穴に両足を入れ、腰まで上げて、肩紐を両方の肩に引っかけた。

 

「できました」

「はーい。…………あ、長さを調節しますね」

 

扶桑さんは膝立ちのまま肩紐に手を伸ばし、スカート丈が膝より少し下になるくらいで調節した。

 

足下から股に掛けてが恐ろしくスースーする。

スカートってこんなに不安になるのか。女子はよくこんな物を穿いて外を歩けるな。

 

「どう…………ですか」

「やっぱりジャージでは様になりませんね」

「さ、様なんてどうでも良いですよ!」

 

耳からも火が出そうだ。

恥ずかしさで頭から湯気がでてるかも。

 

「み、見えてはないですか?」

「何がです?」

「いじわるしないで下さいぃ……」

「ふふふ、大丈夫ですよ」

 

よかった。とりあえず、よかった。

 

「これでもう練習しても、いいんですよね?」

「はい。あぁ、あとはこれを履いてください」

 

渡されたのは靴だった。ごてごてしていて、手に持つと重くて、こんな物を履いて自由に走り回るのは多分無理だろうなと思った。

でもこれは海の上を移動するための靴だ。陸地はたぶん関係ない。

 

履いてみるとぴったりだった。満潮さんと足のサイズが一緒……? いや、なんか今、靴の方が僕の体に合わせてシュッとなった気がするんだけど、気のせいかな。気のせい…………かな? だよね。

 

近くにあった姿鏡に目をやると、そこには上半身を黄色いジャージで包み込み、薄い紺色のプリーツスカートを肩紐で吊った5歳くらいの男児が、恥ずかしそうに立っていた。泣きたい。

 

幼い顔立ちと、男の子にしては少し長めの黒髪が、表情を隠して中性的に見せてはくれるけれど、悶絶死しそうなことには変わりなかった。

 

「いきましょうかね」

「はい」

 

玄関口から外に出る。扶桑さんは何も背負っていない。

恥ずかしさでまだ顔は赤いだろうけど、鏡で見た自分の姿を記憶の彼方に吹っ飛ばしたら、少しは平常心が帰ってきた。

 

落ち着くと、扶桑さんが何も背負っていないことに疑問を持つ。

 

「扶桑さんも一緒に海へ出ると思ったんですが……出ないんですか?」

「浅瀬で試しに浮いてみるだけなので、私は陸から見ています。浜辺に行きましょう」

 

そうなのか。

 

鎮守府から出てしばらく歩く。獣道のような、轍のような、踏み固められた土の続く道だ。見覚えがある。

 

浜辺についた。

 

「せっかくですからこれも持ってみましょう。弾は抜いてあります」

 

手渡されたのは銃のような物だった。

 

「これ、もしかして…………」

『わたしだよ。十二㎝単装砲だ』

 

手に持ったものから声がした。妖精さんの声だった。

 

『進水式か』

「え、そうなの?」

 

扶桑さんの方へ向くが、

 

「いえ、ただちょっと浮いてみるだけです。ちゃんと訓練して一人前になったら、正式に挙げましょう」

『そうか』

 

そっか。まぁそうだよね。

 

僕はその、十二㎝単装砲の重みを確かに受け取った。

ずっしりとしていて、頼もしくて、でもどこか儚かった。

 

これが兵器。これが兵装。これが、艦娘の武器なんだ。

 

「では、ちょっとだけ前へ進んでみて下さい」

「普通に歩くようにすればいいんですか?」

「そうですよ」

 

言われるまま浜辺を進んで海面へと足を付ける。

満ち引きで砂と海水が交互に足元を撫でていくが、海水が来た時だけ、ふわりと浮いているような感覚がした。

 

ついには完全に海面へ立つ。深さは膝下くらいしかないけれど、僕は、今確かに海の上に立っていた。

 

「す、すごい…………すごいよ! みてみて!!」

「はい。上手に出来ていますよ」

『ちゃんと立てているじゃないか』

 

気を抜いたら足を滑らせそうだった。氷の上に立っているような感覚がする。

 

「これで、どうすれば進めるんですか?」

「前へ行くイメージをして下さい。イメージです。アイススケートをするつもりで、ゆっくりと進む想像を」

 

前へ行くイメージ。前へ、前へ…………。

 

足下から少しだけ波が出た。パチャパチャと控えめな音を立てて、背中の艤装からはほんの少しの振動を感じる。

 

そして進んだ。歩く速度よりもずっと遅いけど、少しずつ僕は海面を滑っていた。

 

「や、やった! やったよ扶桑さん!!」

「はい。でも気を抜くと――――」

 

扶桑さんの顔を見ようと振り返ったその瞬間。

僕は扶桑さんが逆さまに立っている光景を目にしていた。数瞬遅れて頭から海面に突っ込んだことは言うまでもない。

 

 

それから休憩をはさみつつ四時間ほど、僕は扶桑さんに見守られながら浅瀬で動き回っていた。

 

ある程度進めるようにはなったけれど、まだ小走り程度までしか速度が出ない。あと、曲がれない。曲がり方がわからない。

十二㎝単装砲の妖精さんと扶桑さんは、

 

『初めてでこれならまだいいセンスだろう』

「そうですね。私もそう思います」

 

と言っていたけれど、四時間の間に僕は全身が海水漬けになっていた。二桁は確実に転けている。

センス…………本当にいいのか疑わしい。

 

水を滴らせながら浜辺に上がると、

 

「そろそろ提督とみんなが帰ってくる頃ですね」

 

夕日がオレンジ色に輝いていることに今更ながら気がついた。

海面にキラキラと反射しているその様子を見て、

 

「…………扶桑さん」

「何ですか?」

「今日の夕飯はカレーがいいです」

「ふふふ。いいですよ。材料もありますからそうしましょう」

 

無性にカレーが食べたくなった。

 

 

鎮守府への帰り道。

 

遠くからヘリの音が聞こえてきた。パタパタパタパタという軽い音が徐々に近づき、だんだんと大きく力強くなってくると、僕らの上空を通り過ぎていった。

 

僕は走った。扶桑さんが何か言ったような気がしたけれどよく聞こえなかったので構わず走った。

 

鎮守府が見えると、その前の広場には迷彩柄の大きなヘリコプターが止まっていた。

 

「わぁ…………」

 

初めてこんな間近で見た。

強そうな兵装がヘリの両脇にたくさん付いている。人知れず心が躍っていた。

 

ローターの回転速度が急激に上がる。ヒュィィンと風をきる音が耳を叩き、足元に強い風が流れ込んできた。

離陸するようだ。

 

ふわっと浮くと、その迷彩柄の巨体はあっという間に上空へと飛んでいき、高い木が遮る緑の向こうへ姿を消した。

 

「すごいや。あんなにおっきな音で飛ぶんだぁ…………」

 

ヘリが去った方向を見ながら思わず呟く。

 

 

直後、聞き慣れないけれども耳に残る声が聞こえてきた。

 

「…………何でパンツはいてないのよ」

 

夕日に照らされた二つ括りの桃色髪、冷淡な印象を抱かせるツリ上がった目。

 

腕組みをしながら吐き捨てるようにそう言った少女から、僕は慌てて目線を逸らした。

 

オレンジ色の地面は、少しばかり涙で歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 



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第二十四話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅡ






「土産とこれからについての話がある。……が、とりあえず扶桑以外は、全員シャワーを浴びてから食堂に集合。扶桑は執務室に付いてきてくれ」

 

鎮守府へと入って早々、全員を廊下で立ち止まらせ、ネルソン提督はニコニコしながらそう告げた。

 

「わ~い。おふろ~」

「よかったわ。体中がべとべとよ」

「扶桑姉様と入りたいのですが……」

 

各々が返事をする。

 

ネルソン提督は左手をひらひらと振りながら、扶桑さんをつれて執務室へと入っていった。山城さんの顔が暗い。

 

ネルソン提督が扶桑さんと一緒なのは、たぶん今日起きたことを詳しく聞くためだろう。

多くは僕のことなのだから僕も一緒にいた方がいい気がするけれど、でも体中が海水漬けだから後でお話しすればいいかな。

 

時雨お姉さん以外のみんなは、口々に何か言いながら、お風呂場へと向かっていった。

「今日はきつかった-」だったり「お土産って、なんだろね~」という声も聞こえる。

 

ガヤガヤとした話し声が遠ざかり、廊下がしんと静まりかえってから、僕は隣を見た。

 

木造の廊下には僕と時雨お姉さんだけが残っている。

 

「時雨お姉さん……おかえりなさい」

「ただいま。ケガはない?」

「僕は全然、大丈夫です。時雨お姉さんは……?」

「ボクも大丈夫だよ。出撃はしたけど、戦闘はしてないからね。とりあえずお風呂に行こう」

「はい」

 

並んでゆっくりと歩き出す。

隣に時雨お姉さんがいるということが、なによりも嬉しかった。

 

でも…………。

 

自分の着ているものを見る。

生乾きの黄色いジャージに、下は湿ったプリーツスカート。時雨お姉さんと満潮さんの服。

 

「あの」

「なに?」

「時雨お姉さんの服、勝手に借りちゃったんですけど……」

「いいよ。わかりやすいところに出してあげてれば良かったって、後から気付いたんだ。ちゃんと着替えられてて安心した」

 

笑顔でそう言う時雨お姉さんは、こちらに視線を落としながら、言葉を続けた。

 

「満潮は、何か言ってた?」

「〝パンツもはかずにスカートなんて穿くもんじゃないわ〟……と、怒られました」

 

ついさっき、そう言われた。

輸送用のヘリが離陸した後にだ。

 

僕は満潮さんが怖い。

もの凄く怒っていた。

 

夕日が沈む中、満潮さんは僕を見下ろしながら言った。

つり上がった目で、腕組みをしながら、「もう二度と、こんな格好で海に出ないで」って。

 

あらかじめ扶桑さんから服を借りることは伝えられていたみたいだけれど…………。

上手く伝わってなかったのかもしれない。

 

でも僕には下着がない。どうしようもなかったんだけど、でもやっぱりそんな言い訳をしたらもっと怒られるかもしれない。

 

「……僕、満潮さんが怖いです」

「怒られたから?」

「たぶん…………」

 

時雨お姉さんは小さく笑うと、

 

「まぁ、満潮は、べつに言葉そのまんまのことを言いたいわけじゃないと思う」

「…………?」

「本当に君が満潮の服を着ていたことを嫌がって言ったわけじゃない、ってこと」

「そう……なんですか」

「何か意味があると思うから、僕の方からさりげなく聞いとくよ。そんなに落ち込まなくて良いし、満潮はそんなに怖くはないよ」

「…………」

 

そうは言われても、怖いものは怖い。

あの目で、あの声で、何か言われるとそれがどんな意味でももう悪いようにしか取れそうにない。

 

でもそんな事を時雨お姉さんに伝えるのは、なんだかいけないような気がしたから、僕は黙ったまま並んでお風呂場へと歩いて行った。

 

 

 

 

「……恥ずかしいの?」

 

こくりとうなずきながら、僕は湿っぽい服を洗濯カゴに入れて、時雨お姉さんに手を引かれながら広い脱衣所を後にする。

 

時雨お姉さんは体にタオルを巻いていた。僕は何も巻いていない。

本当は巻きたかったけれど、腰に付けると地面すれすれまでタオルが伸びてて、足に絡めると危ないからって時雨お姉さんに止められた。

 

確かにちょっと危ないのはわかる、でもやっぱり見られると恥ずかしい。

 

浴場の扉を開けるともうもうとした湯気が全身をなめてきた。

 

「朝雲姉~背中洗ってあげる~」

「じゃあお願いし――――って冷たっ! ちょ、山雲! それ水、水だからッッ!!」

「あ~ごめんね~わざとです~」

「止めて! 止めて! 冷たいからぁ!!」

 

洗い場の方から叫び声が聞こえてきた。

 

「なんだか楽しそうだけど、夕飯が出来るからなるべく早く上がるように言わないと」

 

苦笑しながらも時雨お姉さんは早足で歩いて行き、洗い場の端ではしゃいでいる二人に二言三言伝えていた。僕もその後を追う。

 

見渡す限りでは、他の、山城さんと満潮さん、最上さんは見えていない。きっと露天風呂にいるのだろう。

 

僕は洗い場のイスに座ってスポンジを取り、ボディーソープでモコモコと泡を立ててから体の海水を洗い落としていく。

 

今日は初めて海に出た。初めて海の上を歩いた。

 

たくさんこけたけど、いつかみんなみたいに、格好良く海の上を走りたい。練習すれば、いつか出来るようになるのかな。

 

そんな事を考えながらふと隣を見ると、時雨お姉さんがタオルを外して体を洗っていた。

 

あわてて視線を前に戻す。曇った鏡には自分の姿が見えていないけれど、たぶん、顔を赤くしていると思う。 

 

恥ずかしいというか、見てはいけないものをみてしまっているような、そんな気になってくる。

 

一刻も早く体と頭を洗って、湯船の方に行きたい。

 

大急ぎで体を洗っていると、背中から声をかけられた。

 

「君が~うわさの男の子かな~?」

 

振り向くと時雨お姉さんと同じぐらいの背丈の人が、タオルを巻き付けた体を少しかがませて、こちらを覗き込んでいた。

 

「え、あ、えっと……」

「山雲と言います~よろしくね~」

「あ……はい、よろしくお願いします」

 

のんびりとした声と口調、少し癖のある灰色の髪と、茶色の瞳。

無線機越しにもよく聞こえていた声の人だった。

 

急に話しかけられて少し体が強ばった。

ただ、そのやさしげな口調から、すぐに体の力は抜けて、そうすると僕はある事に気が付いた。

 

体中あわだらけのまま、ぺこりとおじぎをする。

 

――――そう。名前を名乗ろうとしたけれど、僕はできなかった。まだ思い出せない。

 

今までずっと「君」や「少年」と呼ばれていた。

違和感があまりなかったから気にしていなかったけど、今の僕には名前がないんだ。

名無しのごんべぇ……そんな名乗り方はできない。

 

名前がまだ無い事を伝えようと、立ち上がって山雲さんの方へ向いた時、今度は横から声をかけられた。

 

「背ちっちゃい…………あ、私は朝雲。満潮と山雲の姉妹よ。よろしくね」

 

声のした方を向く。

 

直後、視界一杯に肌色がひろがった。

いや肌色だけじゃない。薄いピンク色の部分が、やや小高い丘の上に――――。

 

「朝雲姉~タオルは~?」

「え? あぁ、付けなきゃダメ?」

「一応男の子なんだから~それくらいしてあげようよ~」

 

そんな会話が流されていく。僕はその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。

 

見ちゃいけない理由がある。一つは見てしまった僕が恥ずかしい気持ちになるから。

もう一つは、もしそれで怒られるようなことがあったら、きっと見ちゃった僕が悪いから。

 

怒られたくないから初めから見ないようにする。だから見たくない。なのに……。

 

「あぁ、ごめん。すぐ取ってくるわ」

 

小走りで去る足音が遠ざかると、肩をやさしく叩かれた。

 

触れられた瞬間びくっ、としてしまい、おそるおそる顔を上げる。

 

しゃがみ込んで目線の高さを合わせてくれた山雲さんが、そこにはいた。

 

「ごめんね~朝雲姉にも悪気はないから~」

「…………見ちゃったの、怒られたりしませんか」

「見せつけるつもりはなかったと思うし~それで〝みられたー〟って怒るような朝雲姉じゃないから~安心して~」

 

茶色い瞳を細めながら優しくほほえみかけてくれた山雲さんは、シャワーを手に取り、僕の体の泡を流し始めた。

 

足に力が入らない。

本気で怒られるかと思った。

ひざがまだ震えている。

 

「……どうしたの?」

 

時雨お姉さんの声がした。

 

見上げると怪訝そうな顔をしていて、この数十秒の間に起きたことを山雲さんが説明してくれた。

 

聞き終わって、時雨お姉さんが首を傾げる。

 

「時雨~? どうしたの~?」

「え、あぁ、いや、なんでもないよ」

 

しかしすぐに笑顔に戻ると、時雨お姉さんはしゃがみ込んだまま立てなかった僕を抱き上げて、イスに座らせた。

残っていた体の泡を流し、そのままシャンプーをとって僕の頭を洗ってくれる。

 

「それじゃあ~山雲は先に浸かっとくね~」

「うん。ボク達も後で行くから」

「朝雲姉もつれていくわ~」

 

声が遠ざかり、しばらくすると遠くの方で「えぇ!? 私怒ってなんか無いよ!!?」という声が聞こえた。

もしかすると朝雲さんにも全部話したのかもしれない。

 

「あはは……たぶん、朝雲はこっちに来るよ。その前に流そうか」

 

時雨お姉さんはシャワーの温度を調節して、頭の泡を流してくれた。

 

全部流し終わって、

 

「ほら、立てる?」

「……はい」

 

立って後ろを振り向くと、案の定、朝雲さんと山雲さんがいた。山雲さんはさっきと変わらない優しげな笑みを浮かべている。

 

「…………」

 

朝雲さんは時雨お姉さんや山雲さんより少しだけ背が高い。

栗色の長い髪の毛を、今は頭の後ろでまとめ上げている。

 

僕は一瞬だけ朝雲さんの表情を見たけれど、すぐに目線を下げてしまった。

直視できない。さっきは「怒ってない」って声が聞こえたけど、でも、それでも、なんだか顔を見るのが怖い。

 

俯いたまま黙っていると、朝雲さんは膝を床に付けて、おずおずと僕を覗き込む様にしながら言った。

 

「ええっと……裸とか、別に見られたから怒るなんて事はないし、むしろタオル付けてなかった私の方が悪いわけで……だからその、なんでそんなに怒られるって思ってるのか正直よく分かんないんだけど、私はぜんぜん大丈夫というか、その……」

「つまり朝雲は怒ってないし、怒らないから、君が怖がる必要は無いんだよ」

 

時雨お姉さんは僕の頭を撫でながらそう言った。

 

おそるおそる顔を上げる。

 

本当に申し訳なさそうな表情で、朝雲さんは「怒らないから、大丈夫大丈夫」と言ってくれた。

 

安心して涙が出そうになるのを必死に堪えていると、ゆっくり、朝雲さんが抱きしめてきた。

 

「なんというか……ネルソン司令から聞いてたより、ずっと幼ないわね……」

 

耳元でそう呟いた朝雲さんのその言葉に、僕は、僕自身が、僕じゃないような気がして、それが悲しくて、結果的には泣き出してしまった。

 

 

 

 

鎮守府の露天風呂に三人の艦娘が浸かっている。

 

山城、最上、満潮だ。

 

「ふー……疲れた。ボクもうくたくただよ」

「行きで数日帰りは一日。これでもいつもよりは早く帰還できた方ね。扶桑姉様と入りたかったわ……」

「早く帰れたのは良いけど、いつもの倍は戦った気がする。もう疲れたよ、はぁぁぁぁぁーーー…………」

 

最上はぶくぶくと泡を吹きながら湯の中に頭を沈めていった。

 

「最上撃沈」

 

真顔で山城はそう言うと、自分も肩まで深く浸かって、何度か首を揉む。

左手、右手と交互に動かしながら、しかし対して肩こりには効いていないと悟り、ちゃぽんと両手を投げ出した。

 

そのまま視線だけを動かして、さっきからうつぶせで黙っている満潮に話を振る。

 

「満潮は何をそんなに落ち込んでいるのかしら?」

「別に落ち込んでなんか無いわよ」

「そのオーラでよく言うわ」

「ほっといてよ。なによオーラって」

「あの少年のこと?」

「…………」

 

満潮のつっけんどんな対応にも全く意に介さず、話を進めていく。

強引な方法だが、満潮の悩みはまさにそれだった。

 

「…………べつに、困ってるわけじゃないわ」

「どう接したらいいかわからない、かしら?」

「うるさいわね」

 

満潮は体を起こして山城の方に向き直る。

鬱陶しそうな言葉とは裏腹に、その表情は暗かった。

 

「…………別に、あいつが私のことをどう思ってるとか、そんなのはどうでも良いのよ。ただ、顔見たそばから泣きそうになったりとか、ちょっとアドバイスしただけでいちいち泣かれたら、こっちが悪いみたいになるじゃない」

「え、あれアドバイスだったの?」

「そうじゃなかったら何なのよ」

「怒ってるようにしか聞こえなかったわ。〝なに私の服着てんだよ〟ってかんじで」

「そんなわけないじゃない」

「満潮がそう思ってても、あの子には伝わってないわよ。…………私が聞いてても、そう聞こえたのよ。満潮の言いたいことって結局何だったのかしら?」

「…………」

 

数十秒の間が開いた。

満潮は落とした視線を何度かあげて山城の方をみたが、何か言おうとしても寸前で口ごもってしまう。

 

言いたいことはあるが、プライドがそれを許していない。

 

山城には今の満潮が悩んでいるのがわかっていた。だからこそ、返事をせかすような真似はしない。

 

と、満潮が、ふいに山城の後ろを覗き込んだ。

 

「…………山城」

「なんですか」

「最上が」

「え? ――――うわッ! 最上!!」

 

あわてて振り向き、水面下で真っ赤になって目を回している最上を抱き上げる。

 

「うぅーん……」

 

山城がその顔をぺちぺちと叩いて目を覚まさせるが、あまり反応がない。

 

少し強めに何度か叩き、やがて赤ら顔の最上はうっすらと目をあけて二人を見た。

 

「……寝てたみたい」

 

たった今沈没しかけた言い訳にしてはありきたりだったが、二人を呆れさせるには十分な内容だった。

 

「何してるのよ…………」

「いやーちょっと疲れてて。うっかり」

「とっとと上がって寝た方が良いわ。ドックで沈没とか冗談にならないわよ」

「ほんとだねー……ボク、先に上がるよ」

 

ふらふらしながら去っていった最上の背中を、山城と満潮は顔を見合わせながら見送った。

 

「途中で倒れたりしないでよ」

「がんばるよ……」

 

入り口の戸が閉まり、辺りは湯のそそがれる静かな水音だけに包まれる。

 

空はほとんど藍色で、ほんの少し、西の方にオレンジ色の残滓が見えている。

肌寒さを感じさせる夏の終わりの風が、露天風呂を抜き去った。

 

しばらくして静寂を破ったのは、満潮の小さな声だった。

 

「…………あんな格好で海に出たら、風邪を引くわよ」

 

主語がなかったが、少年に対してのことだとすぐに気が付き、山城は満潮の方を見ながら聞き返す。

 

「満潮のスカートをはいていたことに怒ったのではなく?」

「違うわよ。パンツをはかないまま、しかもスカートでなんて、風邪を引いてもおかしくないわ。それが心配だからもうするなって言ったつもりだったのよ」

「残念ながら伝わっていないでしょうね。あとでちゃんと言ってあげた方が良いわ」

「…………」

 

満潮は視線を落としたまま、

 

「無理よ…………」

 

蚊の鳴くような小さな声で、ゆっくりと首を横に振る。

その表情には、どうすればいいのかわからないといった困惑の色が見えていた。

 

それがわかったところで山城にはどうすることもできなかったし、そもそもなぜそれくらいのことが満潮にはできないのか、理解に苦しんだ。

だから、

 

「そう」

 

興味を失った。

顔が半分沈むまで湯の中に浸かり込み、濃い藍色の空を仰ぎ見る。

 

そこは光の弱い星たちが輝いていた。

 

 

 

 

 








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第二十五話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅢ

時雨が好きだけれども。
なぜか書いていると朝雲と山城が可愛くなっていく。


座り心地の良い執務イスに深く腰掛け、机を挟んだ向かいに立つ扶桑を見る。

体の前で両手を合わせ、儚げな笑みを浮かべる彼女は、いつもと変わらないおっとりした口調で話を切り出した。

 

「まずは、無事の帰還を感謝します。提督」

「私からもだよ扶桑。よく艦隊を守ってくれた」

「いえ…………本当の意味で輸送艦隊が無事だったのは、あの少年のおかげです」

「確かに彼の存在は大切だ。だが居ただけで艦隊が無事に帰投できるわけではない。私は、扶桑に任せて良かったと思っている」

「もったいないお言葉です。ありがとうございます」

「そうかしこまらないでくれ」

 

言いながら自分の顔が綻ぶのがわかった。

 

何よりも良い結果に転んでいるのだ。

輸送艦隊は無事。誰一人欠けることなくまたここに集まることが出来た。

東京の空も一事はどうなることかと思ったが、奇跡的にも被害は出ていない。

 

何かが大きく変わったにも関わらず、こうして代わり映え無い現状があることに安堵の息をもらしてしまう。

 

だが、それでもいいと思う。

 

現状の問題は山積みだが、それはこれから対処していくことであって、過ぎた危機に胸をなで下ろすことを誰が咎められるだろうか。

本当に、みんな無事で良かった。

 

「さて……」

 

気持ちを切り替えよう。

私は鞄から紙の束をおもむろに取り出すと、それを扶桑へと手渡した。

 

「これは?」

「明日からの作戦書だ。飯を食い終わったら、コピーして全員に渡そうと思っているが…………見て欲しいのは最初のページだ」

 

扶桑は紙束をしばらく眺めていた。

その表情がだんだんと険しくなる。

 

右へ左へと動く彼女の瞳が紙の最後まで来て止まり、一度まぶたを閉じてから開かれると、不安な面持ちで私へと問いかけてきた。

 

「硫黄島といい舞鶴といい、通信機から聞いたお話より現状はだいぶ厳しいですね」

「敵に新種が含まれているというだけでも困りものだよ。加えて硫黄島はマズイ。喉元に銃口を突きつけられている気分だ」

「…………提督、どうなさるおつもりで」

「そうだな」

 

どう答えればいいのか考えたが、出せるようなものではなかった。なにより不確定要素が多すぎる。

だからこそ、今現在わかっていることは伝えておく。

 

「舞鶴の方まで私が面倒を見ることにはならんと思うが、硫黄島攻略の全権は私にある。偵察を行い、戦力を見極め、最少の消費で最大の結果を出さねばなるまい。それもあまり時間がない」

「厳しいですね……」

 

まったくだ、と思わず苦笑してしまうが、しかし偵察の権限は土佐(とさ)中将が持っている。それを考えると私の艦隊から出鼻で戦力が削られることはないので、少し負担が減るのは喜ばしい。

 

偵察だって危険は危険だ。海域の性質がどれ程変わったのかは未知数だが、高をくくっていい仕事ではない。土佐中将がどれ程やれるのか、あまり期待はしていないが任せるより他はない。

 

そして今現在、その偵察のための出撃するポイントがどこからなのかわからない。

候補はいくつかあるのだろうが、硫黄島から直線距離で最も近いこの鎮守府が利用される確率は、非常に高い。

 

それに伴ってある問題が浮上する。少年のことだ。

 

「扶桑、最後のページにも目を通してくれ」

「わかりました」

 

扶桑が言われるままページをめくり、せわしなく目線を動かして読み解いていく。

 

そこに書かれているのは、少年をこの場所から遠ざける為の計画内容だ。

 

少年が海域の攻略上重要な役割を果たすのは目に見えている。だがだからといって海へ出すわけにはいかない。

当然、彼の存在が海軍本部に知れ渡れば、事情など関係無しに海域攻略のために使われてしまう。

 

まともに航行することも出来ない彼を、並み居る敵陣へ放り込んで艦隊の進路を決定させるなど不可能に等しい。にもかかわらずあいつら(海軍本部)はそれをしようとするだろう。

 

それだけは避けたい。いずれ少年を海域の攻略のために登用するにしても、それは彼が満足に海を動けるようになってからだ。今じゃない。

 

で、あればとるべき手段はそう残っていない。もっとも確実なのは彼を隠し通すことだ。

 

この鎮守府が出撃ポイントになる可能性が高い以上、海軍のお偉方も何人かここへ来る。

その目全てを欺くのは不可能なので別の場所へ移すのだ。

 

ただ、この想定はやや雑である。

 

これから数日間、少なくとも硫黄島を奪還し終わるまで、この鎮守府は敵の攻撃目標となってもおかしくないのだ。

天気予報が晴れときどき十トン爆弾になるかもしれないこの場所に、海軍のお偉方が集まるかどうかは、正直彼等の気合い次第だ。

 

どっちにしろ少年をこの場所に置きたくはない。雨が降るから家に籠もるのとはわけが違う。降ってくるのは焼夷弾か爆弾だ。それを思えば、やはり少年は別の場所へ移すほか無い。

 

しかしまぁそう簡単に輸送ヘリなど使えるわけじゃないのもまた事実なのだ。これがやっかいで、どうしようかと頭をひねって、結果的に出した答えは――――

 

「提督、これ、ここに書いてあることをそのままの意味で取ると、あの子が〝艤装〟扱いなのですが…………」

「そのとおり。少年を何とかしてこの場所から遠ざけたいが、輸送ヘリは笛を鳴らして呼べるようなものじゃない。彼には悪いが〝装備〟になりすまして、とある場所へ送られてもらう」

 

扶桑の顔が晴れない。少年を荷物扱いすることに反対なのだろうか?

 

「提督……これは、偽装工作ですよ。重罪です。本部に知れると、提督の身が危ないです」

「あぁ、なんだそんなことか」

「そんなことってッ…………!!」

 

声を荒げた扶桑は、机に両手をついて身を乗り出してきた。

 

「なぜ…………普通に少年を送り出すことは出来ませんか!?」

「本部に少年の存在が漏れるのはマズイ。少なく見積もっても今明かして良い状況ではない」

「で、でも……これでは提督が……」

 

私のことを本気で案じていくれているようだった。

そうまで心配してくれるのは嬉しいが、扶桑が思うほど危ない橋を渡っているわけじゃない。

 

「扶桑、少し落ち着いて、よく聞くんだ」

「……はい」

「偽装とは言え装備を送ることに偽るつもりはない。いくつかの装備と一緒に〝ついで〟で少年を送るのだ。だからもし本部にバレても言い訳は効くし、少年が何者かと聞かれても適当にはぐらかすことはできる」

「軍の施設に子どもが紛れ込んでいることそのものを咎められる可能性があります」

「あったとしてもたいしたことじゃない。私の身内だとか扶桑の子どもだとか何とでも言い訳は付く」

「…………私の子ども、というのは確実に嘘がばれます」

「うん、今のは無しだ。私の子供というのもまずい。隠し子になる。生前からあまりそういうものに良い思い出がない」

 

遠い昔の事だが、子どもがらみで一悶着合ったのは事実だ。

 

「まぁ、扶桑が思うほど危ないわけではないよ。私の首はこの程度では飛ばんし、そもそも発覚したらの話だ。バカ正直になって取り返しの付かないことになるぐらいなら、私は嘘をえらぶ」

 

扶桑の顔は未だに晴れず、複雑そうな面持ちだったが、とりあえず納得してくれたのか、小さく頷きながら身を引いてくれた。

 

さて。

 

少年の移送には2、3日掛かるかもしれん。準備期間と実際の手配を考えたらそのくらいだろう。

ただ、お偉いさんが動くのにはもっと掛かる。そういう意味ではそこまで急ぐ必要は無いかもしれんが、不測の事態はつきものだ。

 

今夜にでも送り先にコンタクトを取って、受け入れ体勢を整えて貰おう。早ければ早いほうがいい。

 

「さて、扶桑。話はこんなところだが、なにか気になる点はあるか?」

「少年のことについては全員にお話しする予定でしょうか」

「一応な」

「わかりました」

 

儚げな笑みを浮かべるが、扶桑の表情にはまだ影が残る。全て取り除くことなど不可能かも知れないが、こうも秘書艦を不安がらせては指揮官として後ろめたいものを感じる。

 

私は席を立って扶桑の肩を軽く叩き、

 

「心配は無用だ。実は偽装工作など今に始まった話では無い」

「え?」

「経験値ゼロで本部の目を欺いているわけではないのだよ。励ましになるかわからんが、こんなことは些細なひとつの嘘に過ぎん」

 

自然と笑みがこぼれる。

思い浮かべたのは白衣姿で、私とおそろいの白い髪、澄んだ黄色い大きな瞳。

 

海軍本部どころか、世間を未だに何十年も騙し続けてられていることをほくそ笑みながら、カレーを作るべく厨房へと向かった。

 

 

 

 

硫黄島からの夜間襲撃を警戒して、今この建物は明かりを最小限に落としている。全員が風呂から上がってすぐに、灯火制限を敷いた。

 

久しぶりに大勢が集まったこの食堂も、明かりが外に漏れないよう、机の上にいくつかのカンテラを置いて光源にしている。

オレンジ色の弱い光がじんわりと辺りを照らしているが、生活するのに困るほど暗いわけじゃない。むしろ暖かみのある、心地よいとも言える空間がそこには広がっていた。

 

「なんだかキャンプみたいね。これはこれで良いと思わない?」

 

朝雲が声を弾ませながら隣に話しかけているが、かけられている本人はまぶたをシパシパとさせながら弱い返事で頷いている。

 

少年は眠そうだった。さっきから何度も目をこすっている。

 

今日は初めて海に出たそうだ。

慣れぬ操作に全身を海水漬けにし、さっきまで風呂に入っていて、丁度良く体が温まっているのだろう。くたくただろうな。そりゃ眠くもなる。

 

「ごはん食べたらすぐに寝よう。それまでがんばるんだよ」

「時雨お姉さん…………眠たい」

「がまんがまん」

 

困り顔を浮かべながらも時雨はしっかりと少年の面倒を見てくれている。

 

まだ鎮守府から少年を移す話はしていないが、よくよく考えると少年が一番懐いているのはこの時雨のような気がする。

引き離してしまうのは少年の為にも時雨の為にもやや心が痛むが、なに、硫黄島攻略までの辛抱だ。長くても二週間かからんだろう。

 

食卓には九人分のカレーが並んでいる。

 

さて食べようかという時になって、一人足りないことに気が付いた。

 

「…………最上か」

「はぁ…………そうね。疲れてるのか知らないけど、ドックで眠っておぼれかけたから、先に上がって寝てるのよ。ちょっと呼んでくるわ」

 

言いながら満潮は盛大な溜息をもう一度つき、席を立って食堂を後にした。

 

ドックで溺れるほど疲れているのか? どうしたんだ最上。

 

その時、偶然、うつらうつらしていた少年が目を覚まし、時雨のそでを両手で握ったのが目に入った。

満潮を目で追っているが…………あれは怖がっている? なぜだ?

 

なんだかよくわからんがちょっと面白いものを見た気分だ。今後の観察がはかどりそうだな。

 

「…………そんなに怖い?」

 

朝雲が小さな声で少年に訊いているのが、私の耳にも届いた。山城と扶桑と山雲は何やら別で話し合いをしているので、朝雲の声は、近くに座っている私と、時雨と少年にしか聞こえていない。

 

どれどれ。何の話かな。

 

「満潮はね、ああやって態度だけ見ると人を攻撃しているように見えるけど、あの子自身はそんなつもり全然無いのよ」

「でも…………」

「君が怖がる気持ちはわかるけど、ほら、怒られることしてなければ怒るような人じゃないわよ」

「…………僕怒られることしちゃってたから」

 

少年の表情が先程から暗いのはそのせいか。眠そうにしているが常に怯えているように見えるのは満潮のせい――――今の会話の感じだと、確実に満潮がなにかやらかしたようだな。

しかも分が悪いことに、たぶん満潮は怖がらせるつもりで少年と接しているわけじゃない。

 

こりゃどっかで助け船を出してやらんとあいつ(満潮)グレるぞ。

 

しばらくすると満潮と最上が帰ってきた。

後ろを付いてきた最上はだいぶ疲れているようで、愛想笑いを浮かべながらも動作の節々に疲労が感じられる。

 

「待たせちゃってごめん、みんな」

「かまわんよ。食べよう」

 

最上が疲れている。

……これはちょっと、明日最上を使うのは避けた方が良いと思うほどに。

輸送艦隊全員がやや疲れているようには感じるのだが、彼女一人だけこうまで疲弊している理由が思い当たらなかった。

 

まぁ、疲労を抜いてやれば大丈夫か。

 

全員が席に着き、挨拶をしてから、おのおのがカレーをほおばっていく。

少年の為に少し甘めに作ってある。

一応、机には一味唐辛子を用意しているが、誰も手を付ける者はいなかった。

 

「そう言えば、自己紹介とかどうします?」

 

山城が目の前のカレー山を半分ほど切り崩した頃、私の方へ聞いてきた。

 

時雨と扶桑以外はこの少年と顔を合わせるのは初めてになる。

 

ここへ帰る輸送ヘリの中でいくらか少年についての話はしておいたが、紹介の時間を取るのも悪くないかもな。

ただ、当の本人が眠そうにしているからなるべく手短にしてあげたいと思う。

 

「食べ終わったらやろう。お茶を飲みながら」

 

納得したように頷き、山城は再び山を消す作業に移った。

 

その様子を眠気なまこで見ていた少年は、睡魔と戦いながら時雨にカレーを食べさせて貰っていたが、全員が食べ終わる頃には半分ほど残して完全に夢の世界へと行ってしまった。

 

残念ながら少年本人とのお話は出来そうにない。まぁ明日の朝すればいいだろう。

 

 

 

 

皿を片付け終わって、さてどうしたものか考える。

 

少年は食堂のイスを二つ並べた上でスヤスヤと寝息を立てている。このままここに寝かせておくのはマズイ。風邪を引く体なのかどうかわからんが、もし引いてしまうとしたらこのままではいかん。

 

「時雨、部屋に連れて行ってもらっても良いか?」

「いいけど……提督、実はね」

「ん?」

「今日は朝雲が一緒に寝たいって。この子と」

 

振り返ると、照れているのか頬を掻きながら朝雲が立っていた。

 

「べ、別にどうしてもってわけじゃないけどさ、一日だけで良いから、ちょっと一緒に寝たいなって…………司令、ダメかな?」

「時雨がいいなら良いだろう。私の許可を取ることではないぞ」

「ほんと? 時雨からは了解取ってるから、じゃあ、今日は私の部屋で」

 

連れて行くよ、と一言残して、軽々と少年を抱き上げた朝雲は自室へと運んでいった。

 

いつの間に仲良くなっていたのか。だからさっき少年の隣に座って話をしていたのかな。

 

朝雲と普段仲良くしている山雲の様子が気になるが、先程はたいして動きを見せなかった。

とはいっても、べつに朝雲と少年が仲良くしていたからといって、気にするほどでもないか。

 

…………思えば、山雲はここへ来た当初、扶桑と山城に声をかけられる度に腹痛を訴えていたな。原因が何となく推察できたからあえて放っていたが、自然と打ち解けることが出来たようだし。

 

もしかすると満潮の件は、私が手出ししない方が良いかもしれん。まだ様子見だ。

 

と、ひとり物思いにふけっていると大事なことを思い出した。

 

「時雨」

「なに?」

「艦隊の全員に、このあと食堂へ集まるよう伝えておいてくれ」

「わかった」

 

走り去る時雨の背中を見送ってから、私も食堂を後にして、執務室へと向かう。

 

 

 

 

作戦書を持って再び食堂へと来た時には、少年以外の全員が集まって座っていた。

テーブルには紅茶とクッキーが置かれている。いつもの光景だ。

 

「まずはこれに目を通してくれ」

 

紙を配る。

カンテラの淡いオレンジ色の光では若干書類が読みづらいが、仕方がない。ガマンしてもらおう。

 

作戦書の内容は、硫黄島が占拠されていることと舞鶴が攻撃を受けていること。

それに伴って明日からの硫黄島奪還作戦についてが書かれている。少年の輸送に関しては記載していない。

 

彼女達はしばらく無言で読んでいたが、満潮が口を開いた。

 

「質問いいかしら」

「どうぞ」

「横須賀からの増援…………これは、詳細はないの?」

「増援と言いつついくらかの艦娘が送られてくるだけだ。来るのは明日だが時間までは決まっていない」

「全部あなたが指揮するの?」

「攻撃はな。偵察は土佐中将という方が来る。たぶん、ここを拠点にするだろうから、場合によっては偵察も攻撃もその人とやるかもしれん」

「使えるのかしら……」

 

満潮が苦虫を噛みつぶしたような顔でそう呟いたのを、ここにいる全員が聞き取った。容赦ないな。

私が肩をすくめて苦笑していると、今度は時雨が手を挙げた。

 

「送られて来る艦娘は? もうわかってるの?」

「大和は確実に来る。あとはわからんが、舞鶴に回す戦力と関東を守るための戦力以外は極力送ると言っていた。たぶんもうあと四人くらいだろう」

「へぇ~すごいわね~」

「大和……? 誰かしら」

 

彼女の名前を知っている者もいるようだが、知らない者もいるようだった。

 

大和についての簡単な情報を伝えると、その偵察能力の高さを聞いてどよめきが起こる。

ただし戦闘で使えないことを告げると何とも微妙な顔になった。気持ちはわかるぞ。私もきっとこんな顔になっていたと思う。

 

「他に質問は」

「は~い」

 

山雲が気の抜ける声で返事をしながら手を挙げる。

 

「あの子のことで~す。いないと、敵に囲まれちゃいますよね~?」

 

少年のことだった。

 

話題に出ると思っていたし、この機を見計らっていた。ちょうどいい。

 

先刻の扶桑との話を全員に伝え、海域の攻略は少年無しで行うことを説明する。

 

「あの子無しで、取り返せるの~?」

「できる。というより、本来戦場はそういうものだ」

 

私はそう信じて疑わない。

 

少年がいれば確かに楽なのだろう。輸送艦隊の報告では、少年が指示した方角には最大で六隻の敵しかいなかったと聞く。

 

――――そんなものは戦場ではない。私が経験した海戦は、そんなオママゴトとは比べものにならない。

 

ゆえに、少年がいないと島一つすら取り返せないなどという事があってはならない。そんな事に落ちぶれてしまえば、私は過去の栄光をドブに捨てることになる。

 

栄誉に掛けて勝利を誓う。

 

「それと、少年の存在は本部から隠し通す。お偉いさんがここへ来ることになっても大丈夫なように、少年を別の場所へ送る。あとは、この場が危険だからだな。疎開だ」

「よくわかりました~」

 

山雲がのんびりと頷きながらクッキーへと手を伸ばし、一つ摘んでサクサクと食べ始めた。

私も一つ摘んで口へ放り込む。バターを良く練り込んであるからだろう、市販品だがなかなかうまい。紅茶に合う。

 

舌鼓を打っていると、最上が右手に紅茶を持ちながら、眠そうな顔で左手を挙げていた。

 

「って事は、明日来る横須賀の艦娘にも知られない方が良い?」

「少年が海域の航行上重要な人物だ、というのが知られなければ大丈夫だ。べつにこの場所にいる事自体を隠す必要は無いし、最悪、送られてくる艦娘に口止めしておけばいい」

「ばれたりしない?」

「ばれたときには、あちらさん(海軍本部)の出方で我々の身の振り方を変える」

 

〝考える〟ではなく〝変える〟のだ。

少年の存在がもし万が一にでも本部に知れたら。そして本部が、私の想定するような行動をとったら。

 

迷わず身の振り方を変える。もうその決意は、少年と出会ったときからしている。少年の能力云々には関係のない次元の話だ。

 

言外に込めてしまった私の思いに、もしかすると扶桑は気付いたのかも知れない。

わたしの目を見て離さない。

眉根を寄せている。怪訝と不安の交じった表情。

 

ただ私はその話をここでするつもりはないし、あくまでそれは〝最悪の事態〟になったらのことだ。私の想定する中で最も悪い方向へ傾いたら、の話だ。

 

ゆえに要らぬ心配をさせるのは御法度だし、まして扶桑がその事を考えるのは望ましくない。扶桑の目を見て、出来る限り微笑んでやる。それ以上考えなくていいと。

 

伝わったようだ。少し困った顔をしているが、小さく頷くと表情を和らげた。

 

私はすぐに全員の方を向き、

 

「…………さて、まぁこんな感じで明日からやって欲しい。簡単な形ですまないが、ブリーフィングは以上だ」

 

席を立ち、自分の分のカップを下げようとしたところを山雲に引き留められた。

 

「司令さ~ん? 作戦会議は終わったんだけど~山雲、ちょっと気になることがあって~」

「なにかね」

「あの子の名前とか、あとさっき言ってたお土産とか~」

 

おっと、そうだよな。たしかに大事なことだ。

 

「とりあえず土産だな」

 

急いで執務室に戻って、いくつかある紙袋をひっさげて食堂へ戻る。

 

全員に東京で買ってきたお土産を配っていく。お菓子だったり、キーホルダーだったりしたが、普段の労いと明日からの応援の意味を込めて渡していく。

 

たいていが喜んでくれたが、時雨と朝雲はそわそわしていた。

お土産よりも大事なものがあるといった感じだ。いやもうわかるよ。ごもっともだ。

 

「提督、それで……」

「あの子の名前、無いんでしょ? どうするつもりなの?」

 

二人して心配そうに聞いてくる。

 

確かにその通り、彼には名前がない。いや、あるのだろうが本人が思い出せない以上無いのと同義だ。

 

思えばずっと〝少年〟と呼んできた。今まではそれでよかったかもしれんが、これからもそのままではさすがに問題だ。

明日来る横須賀の艦娘からも怪しまれないために、名前ぐらいは考えておかないと誤魔化しようがない。

 

とは言え。

 

「どうしようかね」

 

本当にどうしようか。

 

頭を抱えていると、山城が呟いた。お土産の一つである艦艇型〝扶桑〟の小さなキーホルダーを、キラキラした目でほおずりしている。涎がたれている。

 

「装備の名前からもじってあげるとか、羅針盤に関係のある名前にしてあげとけば良いんじゃないんですか? 私は姉さまが付けた名前ならどんなものでもいいですが」

「山城、嬉しいのだけどちょっと口を拭きましょう………」

 

扶桑がティッシュで山城の口を拭っているのを横目に、ふと考える。

 

山城の言うとおりだ。彼の能力にあった名前なら、彼自身も納得するだろうし、何よりきっとすぐ覚えられる。

名前がないというのは確かに不便だろう。時雨が前に話していたが、彼は名前が思い出せなくて取り乱したこともあったそうだし、それくらい大事なものだ。

 

わかりやすい名前を付けてあげた方が良い。

 

「羅針盤から考える、か。いいかもしれん。彼の役目によく合うような」

「安直すぎることはない……?」

 

時雨が首を傾げている。

まぁ確かにそうかもしれんが、

 

「わかりやすい方が良いだろう。小難しい名前より、すっと彼を認識できた方が良い」

「たとえば?」

「コンパス君とか」

 

一瞬、薄暗い食堂の時間が止まった。

直後に強烈な大ブーイングを食らい、結局少年の名前は私以外の艦娘全員で吟味することとなった。

 

悪くないと思うんだがコンパス君。わかりやすいだろう。何でダメなんだ…………。

 

名前は明日の朝までにいろいろと候補を出して、早朝、決めてから少年へプレゼントするそうだ。

みんな疲れているだろうにどこからそんな元気が出るのか。これが若さか。そうか。

 

ふと、壁に掛けてある時計を見る。

 

そろそろいい時間だろう。最上が居眠りを始めている。

私と扶桑はまだ風呂にも入ってないし、ここでお開きにしよう。

 

 

 

 

風呂から上がり、扶桑と別れた私は自室に向かう前に執務室へと入った。

 

薄暗い部屋のデスクライトのみを点灯させ、パソコンを立ち上げてメールソフトを開く。

 

送る内容をどうしようか数分考え、結局あまり着飾らずに用件だけを伝えることにした。

 

『なるべく早い期日、可能なら三日以内にそちらへ人間を一人送るので、二週間ほどかくまって欲しいこと』

『送る人間は私と同じように異世界から来ていること』

『海域の特性が変質したと思われること。そしてその原因が彼にあり、出来るのならば解析して欲しいということ』

『最後に、絶対に本部の人間に彼の存在がバレないようにして欲しいこと』

 

 

フレンダ研究所へ当てたそのメールの返信は、3分と経たず帰ってきた。

 

『おっけー。お姉ちゃんのお願いとあらば、なんでもござれだよ!』

 

元気の良い奴だ。

 

『ところで輸送機の手配とかもうしてるの?』

 

フレンダからの返信は質問で終わっていた。答えない理由は無い。

 

『書類は作っているがまだ依頼には出していない。明日早くに要請しようと思うが、移送する人間は極秘扱いだ。つまり要請内容を偽装して装備の輸送扱いにしているので、本部のバカ共はただの運送だと思ってすぐ動かんかもしれん』

 

30秒で帰ってきた。

 

『じゃあ私のヘリで迎えに行くよッ!! 5年ぶりのお姉ちゃんの顔、楽しみにしてるから!!!』

 

――――――――はぁ!?

 

 

 

 

 

 

 

 




朝雲がツンツンしているのかと思いきやそんな事はなかった。


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第二十六話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅣ

注※ 若干の流血表現が含まれます。苦手な方はそんな感じの心づもりでお読み下さい。


――――…………。

…………――――、…………・・・――。

……・……・・・……。

 

漂うような、流れるような。

まどろみの中で覚醒を待つ意識は、しかしいつまで経っても覚めることはなく、眠りの底に沈んでゆく。

 

ぼんやりと目の前が照らされる。

柔らかな明かりを孕んだ視界は何も映さず、しかしそこがどこかであることだけは感じ取れた。

 

遠くで笑い声がする。

辺りは白いもやがかかっている。

 

あぁ、これはあれだ、夢だな。

私は夢を見ている。ハッキリわかるぞ。

 

じゃあここは…………はは、そうか、これはまた懐かしい夢ときた。

 

公園だ。公園の片隅にあるベンチに、私達は腰掛けている。

 

隣には黒いワンピースにそでを通した、麦わら帽子の女が座っている。フレンダだ。

 

対して私の服装は、彼女とよく似た白いワンピース。頭にも、同じように帽子を被っている。

 

遠くで笑い声がする。

視界の端にもやを追いやる。そうすると見えてきたのは、元気な声の主だった。

 

すべり台で、ブランコで、砂場で、草原で。

連なって滑ったり、立ち漕ぎをしていたり、お山を作ったり、鬼ごっこをしていたり。

 

アパートの真ん前には、大きな公園があった。

ここへよく来た。昼飯を食べるために、私の作ったサンドイッチを持って。ほんのピクニック感覚だった。

 

元気にはしゃぐ彼らの背中を見つめ、サンドイッチを食べ終わると、たまに一緒に遊んだ。

そして転んだ子どもの世話をする。

 

よく転ぶんだよ彼らは。鬼ごっこをした時なんて特にな。

そんで大声で鳴き出す。大粒の涙を流して、口を大きく開けながら。

 

その度に、私の持ってきた絆創膏を貼ってやる。いつもポケットに入れていたが、家に帰るときにはなくなっていた。

 

でも貼ってやったらまた笑うんだよ。そんで〝おねえちゃんさわったから鬼ねー〟などと言ってくる。

 

まったくだ。

 

彼らはよく笑う。泣いていたと思ったらすぐ笑う。それはもう、ころころと音が聞こえてくるほどに。

 

 

あぁ、そうだよな。そのために私は帰ってきたんだ。

ここ(海軍)に、帰ってきた。

 

 

 

――――あの笑顔を守るために。

 

 

 

 

「ン…………夢、か」

 

ゆっくりと起き上がり、窓の外を見ると空が白み始めていた。

良いぐらいの時間だろう。まだ少し早いが、二度寝するような気分じゃない。

 

「…………女神」

『なに?』

「懐かしい夢を見た」

『へぇ、そうかい。わたしは夢の中身までは見られないからな。ぜひ教えて欲しい』

「…………またこんどな」

『は? え、ちょ、話ふっておいてそれはないだろう』

「執務が死ぬほど残っている。サボったら文字通り死ぬ感じの」

『それはそうだが、片手間で教えてくれるぐらい――――』

「終わったらだ。さて、仕事をしよう」

 

ベットから降り、制服に着替え、私は自室を後にした。

 

 

 

 

執務室に入ると、昨晩のフレンダとのやりとりをメモに残した紙がある。

机の上のそれを手に取り、もう充分覚えてはいるが念のため読み返す。

 

今日の午前11時に迎えに来る。

 

使用するヘリはフレンダ研究所所属の輸送機で、権限はフレンダが全持ち。

なんでも研究成果を海軍本部へ送らずに、政府側の組織へこっそり横領させる代わりに奪い取った権限らしく、輸送全般はもちろん、人員の派遣をすることも出来るらしい。

 

なにやってんだあいつぶっ飛びすぎだろ。一人で戦争始める気か。

 

ただ、闘うために送ることの出来る人員は持っていないので、実質動かせるのは輸送ルートだけらしい。

 

私としてはそれで充分だ。少年を安全に研究所まで送れるのならそれでいい。

というより、もしこれで戦闘員まで抱えていたら流石の私も黙ってない。あきらかに目立ちすぎるので釘を刺しているところだが、本人は持っていないというのでそれを信じよう。

 

ともあれ少年の輸送は片付いた。

本来なら、硫黄島の連中とドンパチしながらの同時進行になる計画だったが、思いの外早くに片付いた。より安全でしかも確実だ。本当に助かる。

 

さて、となると横須賀から送られてくる艦娘がいつ来るかが気になるな。

もし鉢合わせるようなことになったら若干だが面倒だ。どう言い訳をすればいいかわからん。

 

と、そこまで考えていると机の上のパソコンにメールを受信したライトが灯った。

 

「この早朝から送られてくると言うことは…………やはりか」

 

開き、読み進めると、予想通り海軍本部からだった。

 

横須賀からの増援についての詳しい情報と、舞鶴についての報告だった。舞鶴の方は別フォルダになっている。

 

「どれ…………」

 

横須賀から送られてくる艦娘は全部で六人。

 

 

戦艦、大和。

正規空母、赤城・加賀。

軽巡洋艦、五十鈴・阿武隈。

駆逐艦、雪風。

 

先の戦いで五十鈴と阿武隈は損傷していたはずだが、これはバケツを使ったようだな。なぜ彼女達を選んだのか蜻蛉(かげろう)大将の意向が掴めない。が、別にそこまで勘ぐる必要は無いか。

 

悪くない増援だ。正規空母を二人も寄越してくれたのはでかい。私の艦隊ではいかんせん航空戦力が薄いから、空の手があるのはありがたい。

 

増援の到着時刻は午後一時。伴って、偵察隊の権限を持つ土佐中将も、同じ時刻を目指して到着するようだ。

フレンダとは鉢合わせない。これで安心できる。

 

そしてやはりここが拠点になるのか。事前通達とか相談とか、何もないあたりがずさんな海軍らしいところだが、まぁいい。

 

「あの二人に会うのは久しいな。元気で何よりだ」

 

私の初陣にも出向いてくれた赤城・加賀の息の合った働きは、今でも覚えている。今回のこの作戦へ従事してくれることを素直に嬉しく思う。

 

懐かしい二人の顔を思い浮かべながら、今度は舞鶴の報告とやらに目を通す。

 

「…………」

 

あれ。

 

ちょっと書いてあることが頭に入ってこない。もう一度読み返す。

 

「………………うそだろ」

 

読み間違いではない。

 

舞鶴が、一晩で敵勢力を撃退したと書いてある。

 

そんな事はあり得ない。どこかから流れて来たデマかと思い、送信してきたアドレスを再度確認するがどう見ても海軍本部だった。

 

「フレンダのイタズラじゃないよな……」

 

おてんばとは言え、この状況で嘘の情報を送ってくるほどふざけたやつじゃない。

だが念のため確認のメールを入れると、

 

『さすがにいくら私でもそんな事はしない。でもちょっと信じられないので本部にハック掛けて調べてくるね』

 

と返ってきた。朝早いメールにこんな早さで返ってきたということは、さてはあいつ寝てないな。朝は弱いはずだ。

 

というか、さらっと本部にハッキングしかけるとかどういう思考回路してるんだ。

 

そのまましばらく待っていると、

 

『その情報の信憑性は高いよお姉ちゃん。データベースにはちゃんと舞鶴鎮守府から直接報告がされてる。詳しい状況はまだ未報告みたいだけど……』

 

海軍のセキュリティ弱すぎだろ…………それともフレンダがおかしいのか。いやどっちもか。

 

とりあえずフレンダからのメールに感謝の返事を入れておき、イスに腰掛けて考える。

 

ちょっと私の認識を大きく超えた事態になっている。

あそこの指揮官がそんな優秀だった話は聞いたことがない。

昨日の連絡では持って一週間が限度などとほざいていたのだろう? それがなんだ、ものの一晩で撃退した?

 

これは一体何の冗談だ。よもや敵が原因不明の撤退を始めたとでも言うのか。

 

いや流石にそれならそうと報告するはずだ。いくらクズ共でも敵の撤退を自分の手柄に――――しないとはかぎらんか。よく考えればその筋はあるな。

 

だとすると一連の説明は付くが、今度は敵側がなぜ撤退したかの理由がわからない。

昨日の空襲は我々の戦力を見るためだと結論尽くが、舞鶴もそうなのか? 本拠地を直に攻撃しておいて?

 

そっちの方がありえんだろう。

 

そこまで考えていると、フレンダから追加でメールが来た。

 

『舞鶴鎮守府は、現存戦力を持って敵を撃滅。現在追撃作戦に移行中だってさ』

 

………………わけわからん。

 

あそこの指揮官がいきなり能力覚醒したとかそんな感じの理由しかもう思いつかんぞ。

 

まぁ、もう、いい。とりあえず現状を受け入れよう。

 

今残っている最大の課題は、これで硫黄島の奪還のみとなった。個人的な問題としては少年を本部から隠すこともある。

 

どちらにしても計画に変更はない。このまま続ける。

 

ふと窓の外を見ると、外はもう明るくなっていた。

 

時計を見ると朝の六時。そろそろ全員を起こした方が良い。

 

私が席を立とうとしたのと、執務室の扉がノックされたのは同時だった。

足の力を抜いて尻を落ち着ける。

 

「入っていいぞ」

「失礼します、提督」

 

扉の向こうに立っていたのは扶桑。

手にはクリップボードを持っており、その表情はどこか嬉しそうだった。

スキップでもしながら入ってきそうな勢いで、執務机の前に立つ。

 

「あの子の名前、今朝からみんなで話し合った結果、決まりました」

 

いつもよりにこやかな表情で机の上に置かれたボードには〝恵〟と書かれていた。

 

「…………〝めぐみ〟?」

「いえ違います、〝けい〟です」

「おお、(けい)くんか。これまた覚えやすいところに落ち着いたな」

「いろんな意見を取り入れた結果、〝恵方巻き〟の最初の文字から取りました」

「めでたい方角に由来し、文字通り艦隊に恵みをもたらす…………いいな。呼びやすいし。食べ物から来ているところにユーモアを感じる」

「流石にコンパス君はダメですからね」

「あれは忘れてくれ」

 

言うなり私も口元がゆるむ。これで少年を呼ぶときにも困らない。(けい)だな。もう覚えたぞ。

 

にこにことご満悦の扶桑を横目に、私はふと、クリップボードの端に書かれていた別の事柄が目にとまった。

鉛筆で小さく走り書きされたそれは、私の艦隊を構成する艦娘の名前が書かれていた。

 

いや、正確には、最上以外のだ。彼女の名前がない。

 

扶桑も私の目線に気付いたらしい。微笑みは一転し、きゅっと口元を結んで私の顔を見た。

 

「扶桑、これは……?」

「今朝集まった子たちの名前を控えたのですが、最上だけ、部屋から出て来ませんでした」

「出てこなかった? 起きていなかったということか」

「いえ、体調不良を訴えていたのですが、部屋に入れてもらえませんでした」

 

おいおい、どういう事だ。

何か胸騒ぎがするぞ。

 

「今は?」

「そのままです。ここへ来る前に一度寄ったのですが、中からは苦しそうな声しか聞こえませんでした。その事について相談しようかと…………」

 

あわてて席を立つ。

まさか、昨日の輸送任務でダメージを負っているのか。

だとしてもそんなそぶりはなかったぞ。疲れているようには見えたがそれだけだ。

それにドックにも入っている。ダメージが残っているなど考えがたい。

 

巡りまわる考えをそのままに、机の引き出しから取り出したマスターキーを制服のポケットへ滑り落とす。

 

「扶桑、医務室から救護箱と、念のためドックからバケツを持ってきてくれ」

「わかりました。すぐに用意します」

 

焦る気持ちを抑えながら、最上の部屋を目指す。その間にも彼女の様子を一から思い起こす。

 

昨日任務から帰る途中のヘリの中ではそれほど疲れていなかった。少なくとも顔に出るほどではない。

 

だが風呂から上がった途端に目に見えて疲労していた。食事の時も、その後の会議でも、いままで滅多なことでは居眠りなどしなかった最上が、最後の方では眠りこけていた。

 

満潮の話ではドックの中でおぼれかけたと言っていたし、様子がおかしくなったのは昨日の日没後となるか。

 

なんだ。どうしたんだ最上。

 

自然と焦りが歩を早め、階段を上った後はもうほとんど走っていた。

 

最上の部屋の前に立つ。ポケットからマスターキーを取り出し、躊躇なく鍵を開ける。

 

「最上!」

 

いいながらドアに手を掛け、間髪入れず開け放つ。

 

部屋に入った瞬間、むっとした臭気が鼻をくすぶった。まるで魚市場にでも立ったかのような生臭さと、そして鉄を濡らしたような臭い。よく知っている、紛れもない血のにおいだった。

 

ほぼ同時に目に入ったのは、ベッドの上で体を横にして転がる最上。

腹を押さえて身を縮こまらせている。

 

目を引いたのはその下半身。

ベッドには斑紋状の真っ赤なシミが広がり、白いシーツを染めていた。最上の寝間着も、はっきりとわかるほどその内股は赤く染まっている。

 

「最上、最上! しっかりしろ!」

 

しゃがみ込んで肩を揺すると、最上は苦しそうに呻きながら、目を少しだけ開けた。

 

「何があった。しゃべれるか?」

「てい……とく。おな、か、痛い…………」

「わかった。今扶桑がバケツを持ってきてくれている。もう少しの辛抱だ」

 

だがそんなものでどうにか出来る気がしない。

腹を押さえる最上の顔は尋常でなく歪んでいた。額には汗が浮き、唇を強く噛んで痛みに耐えているその様子は、どう考えても今まで見たことのない様子だった。

 

「提督! バケ……――――え、最上!?」

 

扶桑が救護箱とバケツを持ってきてくれたが、救護箱の方も正直役に立つかわからん。

だがいま何が起きているのか、何が原因で最上がこんなことになっているのか分からない以上、出来ることと言えば、バケツをひったくって躊躇いなく最上にぶっかけるしかなかった。

 

緑色の液体はベッドのシーツごと最上を包み、纏っている衣服を遠慮無く濡らす。

 

これでどうにか、せめて痛みが治まってくれなければどうしようも無い。

 

私と扶桑のただならぬ声を聞きつけてか、廊下からパタパタと誰かが走ってくる音がした。

 

「扶桑姉様、どうしたんで――――え」

 

山城だった。彼女は一度私を見て、それからベッドでびしょ濡れの最上を見て、最後に血が滲んだシーツと最上の下半身を見て顔を歪めた。

 

「最上、痛みは?」

 

私はしゃがんで最上の顔を覗き込むが、歯を食いしばる彼女の表情から鑑みるに、まったく効果がない。

 

どうすればいいんだ。いやそもそも何が起こっているんだ。

 

内股に血の跡があるということは、赤痢か? だがこの部屋は生臭さと血のにおいしかしなかった。だいたい艦娘が内臓系の疾病にかかるなど聞いたことがない。少なくともこの六十年は。

 

一体どうしたのか。なにがおきている。

全くわからないまま八方ふさがりで、どうしようも無く左手で頭を抱えたとき、おもむろに山城が口を開いた。

 

「提督……? この臭い、もしかして……」

「なにかわかるのか」

「えっと、提督、経験はおありで……?」

 

要領を得ない。山城は怪訝そうな顔で眉根を寄せながら聞いてくるが、何の経験かわからない。

 

いや、まて。状況に飲まれて気が急いている。一度落ち着こう。

深く息を吸って吐き出し、頭の中を切り替える。その間にも、自分の今までの人生で見たことのある状況と最上の現状で一致するものがないか探し続ける。

 

「すまん、山城、何についての経験だ」

「その…………」

 

山城が頬を染めた。やや恥じるように言葉を躊躇っている。

私の横に立つ扶桑がそんな山城の様子を見て何かに気付いたのか、口元に手を当てて「まさか」と呟いた。

 

「山城、教えてくれ。何のことだ」

 

目線が下がり、逡巡しながら頬を染め、小さな声で彼女は言った。

 

「…………生理、じゃないですか。最上の、それ」

 

 

 

 

それからの動きは早かった。

扶桑と山城は艦娘になる前にすでに何年も経験している身なだけあって、〝体を冷やすと悪化する〟と言いながらすぐさま最上を連れてドッグへと入っていった。

 

私は他にも起きている艦娘、というか全員に事情を説明し、出来れば現場を(けい)に見せたくなかったので、部屋を封鎖して時雨と満潮に片付けさせた。最上のためにも、恵のためにもあれを見せるのはマズイ。

 

そしてその間、私と山雲で鎮守府の朝食作り、朝雲には恵を見ていてもらう。

 

山城は本当に頼りになった。

 

こういう時、女性は体を冷やしてはいけず、また暖かい食べ物で血流を良くしたほうが症状に効くらしい。ついでに貧血対策もしたほうがいい。

 

鎮守府全員分の料理を作りながら、最上の分は別で作る。暖かく、飲みやすく、貧血にも効く食材でスープを作った。

 

隣で手際よく山雲が手伝ってくれるのでありがたい。

 

最上の分とは別に作った、鎮守府用のスープをかき混ぜながら、胸で詰まっていた息を深く吐き出す。

 

無性に鉄砲飴がなめたくなった。朝飯前だが……まぁ、いいだろう。

ガマンなどせず制服のポケットから一つ取り出して口へ含む。

 

「…………ふぅ」

 

落ち着いてきた。思考もだいぶまとまってくる。

 

それにしても――――生理だと。

 

そうか。それは確かに納得できる。どうりで私の経験では思い当たる節がないわけだ。

 

私は見てくれこそ女だが、生殖機能は一切無い。女神が必要ないと判断して作らなかったから。

当然生理の経験など無いし、男の体だった頃など言わずもがなだ。

 

だが知識として持っていないわけではない。

個人差はあるが、重い場合は腹がよじれるほど痛いそうだし、全身に倦怠感も来るという。

 

完全に最上の症状に合致する。昨日の様子で疲れていたのはその前兆で、今日ベッドがあのようになっていたのも全て納得がいく説明だ。

 

だがしかし、それでも決定的に、あってはならない矛盾が生じている。

 

「艦娘は一切の生殖機能も身体的成長も無くなる。生理などありえんし年も取らん。それがなぜ…………」

 

山雲の隣でおもわず独りごちてしまう。それほどに訳がわからない。

 

この六十年間、それも私一人の経験ではなく公式の研究でそのことは明らかだ。

 

女神が私に対して、この世界での責務を全うさせるために最適な身体を用意したというのなら、同じ理由で艦娘たちも身体的特徴を変化させる。

 

艦娘となるその日まで月に一回来ていたものは止まるし、もし持病を抱えていたらそれもなくなる。風邪や病にかかることも滅多にないし、深海棲艦からの攻撃を受けても生身の体はある程度無傷で済む。そういった、人間とは違った認識が必要だという意味で〝艦娘〟として彼女たちは呼ばれている。

 

現に、生理が止まっているからこそ艦娘はだれもそのような用品を身につけていないし、だからこそ最上は……言い方が悪いが、ベッドを赤く染めたのだ。

 

数年間、いや艦娘によっては数十年の間アレは来ていないだろう。最上は艦娘になって日が浅いわけではない。そりゃ、付ける必要の無い物は付けないだろう。

 

「まいったな。一体何がどうなっている…………」

 

硫黄島攻略開始、その当日にして不可解な事件が二つも起きてしまった。

 

舞鶴のどう考えてもおかしい反攻戦。

最上のどう考えてもあり得ない現状。

 

頭が痛くなるのを感じるが、ことに最上の方は直接我々に関係のある問題だ。いや、と言うよりは、最上だけの問題ではないかもしれん。

それこそ艦娘の概念そのものをひっくり返すような。

 

…………まさかな。あって欲しくないが、まさか。

艦娘が人間になったなどと、言ってくれるなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




流血注意と書きながら作者本人がクラクラする始末。

以下おまけ。


――――ドックにて――――

最上「ごめん二人とも……ありがと」
扶桑「気にする事じゃないわ」
山城「最上は、艦娘になる前は重い方だった?」
最上「けっこう…………ここ数年無い痛みだったから。やられちゃったよ」イテテ
扶桑「私達は大丈夫かしら…………」
山城「もし姉様がなった時には、後片付けは私に任せて下さい」キラキラ
扶桑「自分でするわ」ニコニコ


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第二十七話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅤ

本編で初めてのフレンダ視点。

そして「月と湯けむりと蜂蜜ワイン」編が終わります。


夜も深くなってきた頃。

 

研究所の照明は夜間灯火に切り替えられ、私の部屋も例外なく就寝用の弱い光に変わっている。

なんでもリラックス効果が得られる代物らしくって、オレンジ色のやわらかな光が視覚的に体を癒してくれるらしい。

 

ところが。

 

私の目の前で光り輝いているディスプレイが、この自室を白々と照らし出している。

やわらかく儚いオレンジ光は、強烈で遠慮のない画面の光に押しつぶされて見る影もない。

 

いいでしょべつに。

リラックス効果のあるマメ電球なんて正直どうでも良いよ。

明かりなんてパソコンの光で十分。寝るときはどうせ目をつむるんだから。

 

「はぁ、今日はどこからメールが来てるかな」

 

フォルダを開いて、数百通たまったそれをうんざりしながら流し目で確認していく。

 

研究報告とか要請とか「その研究成果俺にクレクレ」メールが大半を占めているので、あまり本気では見ていかない。

 

たまに興味をそそられる依頼があるので、ここ最近はもっぱらそんな感じのやつにだけ返信をしている。

 

本部の奴らなんて私の研究成果を勝手に塗り替えて「俺らが発明しました」みたいな顔して海軍に提出するんだから、そんな奴らの報告なんか読んでやるもんか。泥棒どもめ。

 

ま、あいつらも盗作が表沙汰になるのを恐れてるみたいだし、それをダシにして私は好き勝手やらせてもらえるから良い感じに拮抗してるんだけどね。

 

そう思うと別に問題はないか。

報告は読んでやらんけどな。

 

「んー……(マグネトロン)ジャマーの上位互換を作ってくれ、かー。あれ以上精度あげると通信機器に影響出るから止めた方が良いんだけどなぁ……まぁ検討だけはしてあげるか」

 

一人そう呟きながら、次々とページをスクロールしていき、大量のメール差出人が誰であるかを確認していく。

 

海軍本部。

海軍本部。

海軍研究所。

研究所本部。

地方研究所本部。

海軍本部。

海軍研究所。

ネルソン。

海軍研究所。

地方研究所。

研究所本部。

研究所本部。

研究所本部。

研究――――。

 

「んん!!??」

 

通り過ぎた中に思いも寄らない名前があり、いそいで元の位置に戻す。

 

「お、お姉ちゃん!? なんで依頼メールから!?」

 

間違えようもなくお姉ちゃんだった。

 

依頼メールは久しぶりだ。

私用でのメールは極々不定期で別フォルダに送られてくるけど、私個人への完全な依頼メールはもう何ヶ月ぶりだろうか。

 

「なんだろ……わくわくする」

 

期待に胸を膨らませながら急いで開き読み進める。

 

同時進行でメールをプリントアウトして、秘蔵フォルダと宝箱にしまうのも怠らない。

だいぶコレクションが増えてきたけど、まだまだ私はこんなものじゃ満足出来ないもんね。

 

これからも増えていくことでしょう。

 

「どれどれ…………人間を一人送らせて欲しいって…………え、別の世界からきたの? お姉ちゃんと一緒? それはまた変な人を呼び込んだねぇ」

 

でもお姉ちゃんと同じ境遇の人なら何か面白いことがわかるかも。

ああちょっといじってみたい。

いじってもいいのかな。どうかな。

 

「……って、依頼内容にあるのか。研究していいんだね。んと…………わぁ、これは面白い」

 

たぶん今の私は、映画の悪役さながらのドス黒い笑顔をしていると思う。

口元がにんまりとゆるんでしまうのが、自分でもわかった。

 

海域が変化した原因が彼にある――――そう、そっか。

 

夕方に哨戒から帰ってきたゴーヤが違和感を訴えてたのは、気のせいじゃないんだね。

これは何かある。

 

面白い。心底面白くなってきた。

 

送られてくる人間がどんな人物か気になるけど、そうか、二週間ほど(かくま)いながらその人を好きにいじくり回して良いんだね。

 

どんな人なんだろ。やっぱお姉ちゃんに似てるのかな?

 

だとしたらゴーヤには長めの海域調査に出て貰おっと。

 

「…………ん? 待てよ。でもそういえば鎮守府に動きがあったような」

 

すぐに専用のアプリケーションを起動して確認作業に移る。記憶が正しければ、お姉ちゃんの鎮守府に新しい人影があったはず。

 

忍び込ませた小型UAVからの映像をあたってみる。

 

ゴーヤにこっそり隠れて開発したかいがあった。こういう時にやっぱ役に立つ。

ステルス機能も付けられたし、バレることなく鎮守府内の様子をリアルタイムで覗けるんだ。

映像の録画も出来る点に私の魂が籠もってる。

 

今回はその録画から、該当の人物を捜し出す。

 

…………これ、ゴーヤには開発するなって止められたけど仕方ないよね。艦娘の観察も大事な調査の一つだよ。

 

「ええっと……あ、これか」

 

再生。

 

……。

…………。

………………。

 

ふむ。わかったぞ。

 

送られてくるのはこの男の子か。

残念、お姉ちゃん似じゃなかった。

全然違う。

 

でも、まぁいっか。

それじゃあこの子を二週間、海軍本部から隠し通しつつ骨の髄までしゃぶり尽くしてデータを取らせて貰いましょう。

 

あ、いやでもお姉ちゃんこの子のこと結構気に入ってるなぁ。傷つけないように気を付けよ。

お客さんは丁重に研究させていただきます。

 

「でもどうやってこっちまで送るのかな……? 訊いてみよ」

 

その旨を質問して、数分もしないうちにメールは返ってきた。

 

『書類は作っているがまだ依頼には出していない。明日早くに要請しようと思うが、移送する人間は極秘扱いだ。つまり要請内容を偽装して装備の輸送扱いにしているので、本部のバカ共はただの運送だと思ってすぐ動かんかもしれん』

 

おおおおおッ!!!

 

やった! やったよこれ!!

これって、つまり〝輸送手段が決まってない〟ってことじゃんッ!

 

うれしい! 嬉しすぎる!!

 

あまりに嬉しすぎてちょっとおしっこ出ちゃった! まぁいっか!!

 

『じゃあ私のヘリで迎えに行くよッ!! 5年ぶりのお姉ちゃんの顔、楽しみにしてるから!!!』

 

……ふう。これでよし。

 

ちょっと落ち着こう。深呼吸、深呼吸。

 

明日が楽しみだ。楽しみすぎてもう今日は眠れないぞ。

 

ということは一晩中なにしようかなぁ。手持ちぶさただなぁ。

 

仕方がないのでUAV越しにお姉ちゃんの寝顔を観察しようか。

 

あ、いや、そうじゃないね。せっかく明日会うんだからおめかししないと。

手土産に開発した物も持っていってあげよう。どうせ輸送機だし一杯詰めるし。

 

と、そうだそうだ。詳しい打ち合わせをしなくっちゃ。

 

そのあとシャワー浴びて、化粧して、お土産の品を選定しよう。

 

 

 

 

窓の外を見ると、太陽が水平線にほんのちょっとだけ頭を出していた。

朝が来る。すがすがしい、そして待ち遠しい朝が来る。

 

お姉ちゃんの所へは午前11時に行けるから、それまであともうちょっと。

 

ほんの6時間ほどの辛抱か。うわ長いな。

 

「とりあえず持っていく物はこれくらいかな。あまり多くても困るだろうし」

 

目の前に並べた大小様々の艦娘用装備をもう一度目で点検していく。

 

今日から硫黄島を取り返しに行くとお姉ちゃんから聞いたので、その支援が出来るよう、レーダー系統や駆逐艦でも扱える装備を中心に持っていくことにした。

 

 

お姉ちゃんの艦隊は駆逐艦が多いからね。

あの子達が柔軟な戦いをすれば、お姉ちゃんの勝利はより確実になるでしょう。

 

シャワーも浴びたし、頭も冴えてる、持ってくお土産も用意した。

本当は化粧とかしたかったけどよく考えたら今までしたこと無いのに出来るわけないよね。

 

まさかゴーヤはしないだろうし。しょうがない。このままでいっか。

 

「にしてもあの少年は気になるなぁ。海域の何を知っているのやら。案外何も知らなかったり? まぁ、それを調べるのも私の役目か」

 

お土産を並べている研究室を一旦あとにして、ゴーヤとの朝食の時間までは自室に籠もっている事にする。

 

小型UAV越しに見る映像は、残念ながら無音だ。

映像は鮮明なんだけど、なにぶん音がないから、まだこれを完成品とは言えないかも知れない。

 

充分な成果をここ二週間ほど私にもたらしてくれているけれど、まだまだ改良の余地はあるか。

 

ともあれこの映像をよく観察することにしよう。

 

せっかくリアルタイムで見られるんだし、こんな朝早い鎮守府はまだ見たことないから新鮮だねぇ。

 

さてさて。

暇をもてあましてはいけないよ。

時間は有効に活用するんだ。お姉ちゃんどこかなぁ……って、あれ?

 

なんか鎮守府が活動してる。

 

まだ起きるような時間じゃないと思うけど、もうみんな起きてるみたい。

心持ち表情が明るいし、こんな朝早くから何してるんだろ。

 

気になるなぁ。

 

「みんな集まってる…………って、んん? 最上がいない? 彼女一人だけハブられてるとかちょっと可愛そうじゃない」

 

キーボードを操作して、最上の部屋を目指すよう指示を出す。

ただ建物の内側からでは部屋が見えないかも知れないので、一旦屋外へ出してから、窓ガラス越しに撮るよう指示。

 

数分して、最上の部屋の窓に着いた。

レースのカーテンが掛かっているので、透けて見える部分に自動補正を掛けて中がよく見えるようにする。

カーテンごときに私の好奇心は邪魔されないよ。

 

「…………なにあれ。最上大丈夫なの?」

 

部屋の中の最上はお世辞にも普通とは言えなかった。

股から血が出てるし、ちょっと確認しづらいけど顔も苦しそう。お腹を押さえてるし。

 

「どっかで見たなこの光景……思い出せ、思い出せ……あ」

 

これアレじゃない? 

押さえてるところがあそこって事は、人間特有の、アレじゃない?

 

「えぇ、でも艦娘に来るなんて聞いたこと無いし……いや今まで来てないからって決めつけちゃダメだけど……」

 

でももし、最上が苦しんでる正体がアレだったとしたら。

 

何かちょっとややこしいことになる。

艦娘そのものの定義が怪しくなるレベルで。

 

これはちょっと最上も借りてこようかな…………この様子じゃどうせ硫黄島攻略には使えないだろうし。

苦しんでる艦娘を無理矢理働かせるなんて、お姉ちゃんは絶対しないだろうし。

 

よし。あの男の子と、最上もついでに渡して貰おう。

いろいろと忙しくなるだろうけど、これで何か発見があったらラッキーだもんね。

 

っと、なんだかんだしていたらいい時間になってきた。

そろそろ朝食かな。食堂へ行こう。

 

 

 

 

今日の朝ご飯はトーストと牛乳とサラダにベーコン。

デザートはプリン。んんー洋風だね。モーニングだね。

 

「ところでゴーヤ」

「なに」

「ごはん食べ終わったら、ちょっと買い物行かない?」

「いいけど、どこに行くでち。11時にはネルソン提督の所に着かなきゃでしょ?」

「そうだけど、お土産リストに急遽付け足さないといけない物が出来たんだ。ドラックストアへ行こう」

「あぁー、うん。わかったよぉ」

 

サクサクとトーストを食べ終わり、サラダとベーコンも牛乳で流し込み、最後にプリンを楽しんだら、足早に自室へ戻って白衣を脱ぐ。

 

外出するのに白衣は着る必要ないもんね。上着がいるほど寒くもないし……Tシャツのままでいっか。

下はいつものジーパンで。

 

お姉ちゃんの所へはもう少しオシャレして行くけど、今はちょっと出るだけだし、こんな格好で。

 

お姉ちゃんの所には…………黒のワンピースかな。懐かしいって言ってくれたらうれしいな。

よし決まり。ドラックストアから帰ってきたら黒のワンピースに着替えよう。

 

財布を持って電気系統を落とし、研究所の玄関まで行く。

 

ゴーヤは先に来ていた。

白いハーフパンツに薄いピンク色のフード付きトレーナーを着ている。

 

お腹の所にポケットみたいなやつが付いているあれだ。

両手をそこに突っ込んでいる。

 

「待った?」

「ぜんぜん。早く行くでち」

 

 

 

 

ドラックストアへ行き、目当ての物を物色していく。

 

どれが良いんだろうな。

金ならあるから、なんなら全種類買っていってあげても良いんだけど。

 

「一体何を買おうとしてるでち」

「ん? あ、えっとね、お姉ちゃんからちょっとしたおつかいで。生理用品をね」

「…………?」

 

一体誰が使うんだ、と訝しげな顔をしたゴーヤに、しかしこっそり作ったUAVの存在を話すわけにはいかないので適当に誤魔化す。

 

「なんか最上が始まっちゃったみたいで」

「ちょっと信じられないでち。艦娘は来ないでしょ?」

「それがまぁ来たんだよ。あのままじゃ可愛そうだし、たぶん用意とか何もないだろうから持っていってあげようと思って」

「ちょっと待つでち。最上って、あの最上?」

「そう、お姉ちゃんの艦隊の最上だよ」

「だよね? ゴーヤより年上だよねぇ?」

「身体年齢はね。おそらくゴーヤより上」

「じゃあ始まったって変でち。ちょっと遅すぎるよぉ」

「あー……」

 

言われてみれば確かにそうだ。

 

じゃあ、止まってたものが再来した、って感じか。

 

「でもどっちにしてもあの様子は間違いないだろうから、持っていってあげることに変わりはないかな」

「へー…………ふーん……」

 

気が付くと視線がそこにあった。

 

ゴーヤが私を見ている。

わたしの目をじっと見ている。

 

なにか私の嘘を暴くときにする感じの、ジトッとした目で私を見ている。

あ、これヤバイ。なにかミスった。

 

「…………フレンダちゃん。おつかいだよね? ネルソン提督の」

「えぁ、あ、そ、そうそう。おつかいだよ。お姉ちゃんからの頼まれごと」

「そうだよね? なのに何で――――」

 

そこまで言って何か思うところがあったのか、ゴーヤは急に話を打ち切って、ふわっと柔らかく笑うと、

 

「……まぁ、もう詳しくは聞かないでち」

 

そう言ってくれた。

 

「恩にきりますゴーヤさん」

「ネルソン提督に報告するでち」

「え」

 

持ち上げて突き落とす感じでそう言ったゴーヤは、もの凄く意地の悪い笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

ゴーヤのアドバイスもあって、いくつかの生理用品を買いそろえた私達は研究所へと帰ってきた。

 

UAVがモロバレしてしまったので、もう開き直ってゴーヤに録画した映像を見せてみる。

私が黒のワンピースに着替える傍ら、イスに座って映像を見ているゴーヤは感嘆と落胆のない交ぜになった声をあげた。

 

「思ったよりネルソン提督が映ってないでち……」

「当たり前じゃん。こう見えてもちゃんと仕事してるんだよ私」

「疑ってごめんね。ネルソン提督には秘密にしといてあげるでち」

「ゴーヤ……ありがと」

 

よっしゃ作戦成功。

 

お姉ちゃんの映像だけ別フォルダに移しておいてよかった。

ロックも掛けてるしバレることはない。この勝負、私の勝ちだねひゃっほい。

 

心の中でガッツポースをしながら、ふとディスプレイを見るとメールが来ていた。

 

「あ、ちょっとゴーヤいい?」

「うんいいよ」

 

席を譲ってもらって、メールを開く。

差出人はお姉ちゃんからだった。

 

内容は、なんというか、お姉ちゃんが私を疑っている感じだった。

UAVのことじゃないよ。

舞鶴が敵を一晩で潰したとか。なんか嘘みたいな情報が届いたらしくって、それを流したのが私じゃないのかって。

 

いくら私でも大事な作戦を前にしてそんなイタズラを働いたりはしない。

その辺の分別はちゃんとあるよ。

 

でも一応私のイタズラじゃないことを裏付けるために、本部のデータベースにハッキングを仕掛けてから、情報を得る。

 

舞鶴はお姉ちゃんが聞いたとおり、たった一晩で敵を撃退したらしい。

 

これが普通なのか異常なのか私にはよくわからないけれど、お姉ちゃんからの文面を見る感じちょっとおかしな事らしいので、とりあえず引き続いて情報を入手。

 

手に入れた情報には、舞鶴が敵を撃退した上に追撃までしているとわかったのでそれも送っておく。

 

お姉ちゃんからの返信には感謝の言葉も入っていたので、受け取ったメール全部を今すぐプリントアウトして宝箱にしまいたい――――のだけど、後ろにゴーヤがいるので今はやめておこう。

 

「舞鶴って強いの? ゴーヤ」

「ゴーヤも詳しくは知らないけど、そんなに優秀な指揮官がいるとは聞いてないでち。でも艦娘は強かったような……正直よくわからないでち」

「ふーん」

 

まぁ、どうでもいいか。私達の気にすることではないね。

 

時計を見ると、そろそろ輸送機が迎えに来る時間だった。

 

積み込みもあるし、その後は移動もある。

もうあとちょっとで、待ち焦がれたお姉ちゃんと会えるんだ。

 

お姉ちゃんと会えることだけじゃない。

海域について、艦娘について、とても面白いことが起きているようだ。

最上を引き渡してくれるかはわからないけど、まぁあの調子じゃ作戦の登用はないだろうし、ちゃんと頼めば大丈夫。

 

私はお姉ちゃんを信じるよ。

信じるまでもなく優しいのは知ってるけどね。

 

わくわくする。楽しみだ。いてもたってもいられない。

 

「ん、ヘリが来たみたいでち」

 

無線機を片手にそう呟いたゴーヤと共に、私達は研究室へと向かった。

 

ゴーヤには先にお土産の装備を運び出して貰って、私は研究室のコンソールをいじる。

 

自動防衛システムを作動。

この研究所、並びに島そのものを防衛する目的で本部に内緒で作った対深海棲艦撃退システム。

名前は……特に決めてないし、発表する気もないので考えていない。

 

これを作動させておけば、万が一私達が、というかゴーヤがここに帰ってこられなくても、ある程度の深海棲艦を追い返すことは出来る。

 

1600人の島民は、百単位の深海棲艦が攻めてきても撃退できるくらいのシステムで一応守られる。

万が一のためだ。

 

でもこのシステムも万能じゃない。弾は無限にあるわけじゃないからな。

 

出来れば何も起きずに、ちゃんと帰ってこられることを祈ろう。

 

ドラックストアの袋を持って屋上に上ると、ヘリポートには見慣れた迷彩の巨体が鎮座していた。

緩くプロペラがまわっている。

 

「お待たせしました」

 

そう言いながらヘルメットとサングラスを取ったのは、このヘリの運転手。

笑顔が素敵な初老の男性で、名前は斉藤さんだったかな。

 

人間は彼だけ。乗ってきたのも彼だけ。

斉藤さんは優秀なパイロットで、私が金と研究成果で組織ごと買収したから信頼も厚い。

 

こうして本土からヘリで来たときに、たまに研究所で一緒にお茶も飲んでいるので、わりと仲も良い方だ。

今日は時間がないのでお茶は出せないけどね。

無事にお姉ちゃんの元から少年と最上を連れて帰ったら、みんなでお茶にしよう。

 

そんなわけでパイロットである彼にも手伝って貰いながら、お土産の装備とドラックストアの袋を抱えて、私とゴーヤは研究施設をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 




当初「蜂蜜ワイン」のところが「赤ワイン」だったというサブタイ秘話。
露骨すぎる…………受験で頭がどうかしていたのかな(すっとぼけ)


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第二十八話 その白い小さな布

添い寝から始まる少年視点。


良い香りがした。

 

甘いような、引き込まれるような、でもどこか跳ね返ってくる感じのする。

 

まどろみの中で鼻をくすぐるその香りは、でも僕の記憶にはない物だった。

 

「ん……あさ……?」

 

もうずいぶんと聞き慣れた自分の幼い声で、目を覚ます。

 

体は俯せだった。起き上がらずにそのままぼーっとする。

 

「んん……」

 

小さな手でまぶたを軽くこすって、ぼやけた視界を少しずつ鮮明にしていく。

 

すぐ近くに何かあった。まだ見えない。

もうちょっと強くこすると、目の前に何があるのか見えてきた。

 

栗色の髪の毛が、小さくユラユラと揺れていた。

 

「おはよ。よく眠れたかしら?」

 

こしょこしょ声でそう囁かれ、頭を撫でられる。

あぁ、時雨お姉さんじゃない。嫌じゃないけど、時雨お姉さんじゃない。

 

「…………おはようございます。朝雲さん」

「ええ、今朝は君にプレゼントがあるわよ」

 

起きたばかりでまだハッキリとしない頭を持ち上げて、柔らかなベッドの上に体を起こす。

 

正座のような座り方をしようとしたら、足の間にお尻がすっと落ちてしまった。

よく見る女の子座りかな。

まぁ、足が痛いわけじゃないし、これでいっか。

 

だんだんとハッキリしてきた意識を使って、辺りを見回す。

 

見慣れた部屋じゃない。

時雨お姉さんの部屋とは違っていた。

 

似たような木づくりだけど、置いてある物が少し違う。

 

「ええっと……ここどこ?」

「私の部屋よ。あ、もしかして時雨の方が良かった……?」

 

目の前で少しだけしょんぼりした朝雲さんに、慌てて僕は首を振った。

 

「ううん。全然嫌じゃないよ。でもなんで」

「なんとなく、ね。人肌恋しかった……じゃないけど、ほんとに、ただなんとなく一緒に寝たかったのよ」

 

そんな気分になるときもあるのかな。

ハッキリとは、僕にはわからなかった。

 

朝雲さんと一緒に寝たこと自体は嫌じゃないし、というか、もの凄くよく眠ってしまって昨日どこで寝始めたのかあまり覚えてないから、そんなに気にとめるようなことじゃなかった。

 

それよりさっき朝雲さんが言ったことのほうが気になった。

 

「プレゼントって、何のことですか?」

「じゃーん」

 

そう言いながら朝雲さんが体の前に出したのは、墨で文字が書かれた紙だった。

 

漢字が書いてある。えっと……〝恵〟?

 

「これは、なんですか」

「君の名前。思い出せないみたいだし、やっぱり無いと不便でしょ? 艦隊のみんなで集まって決めたのよ。あ、最上はちょっとした事情で参加してないんだけどね」

「なんて読むんですか?」

「〝けい〟よ。今日から君は恵くん……あ、恵のほうが親しみあるかな」

「恵……僕の、名前……」

 

聞いた途端、何かがすとんと心の中で落ち着いたような気がした。

 

いままで浮ついて漂っていた何かが、ちゃんと足を付けて地面に立っているような感覚。

 

「うれしい……うれしいです! ありがとうございます!!」

「喜んでもらえて何よりね。さ、着替えましょ」

 

明るくそう言いながら、朝雲さんはベットの影から紙袋を取り出した。

 

着替え、という単語を聞いて思い出した。

僕は昨日お風呂から上がって、何を着た? 

 

すぐに自分の体に目を落とす。

 

「あ…………」

 

僕は青いパジャマを着ていた。

 

サイズの合っていないジャージじゃなくて、ちゃんとぴったりと体にあった、青いチェックのパジャマ。

 

昨日お風呂から上がってもの凄く眠たくて、時雨お姉さんに服を着せて貰ったのは何となく覚えている。

 

そのあとは、うーん…………何したか思い出せない。

でもこの服は、着せてもらったのを覚えてる。

 

すると何かが頭の中を走った。

 

一瞬よぎったそれは、時間にして一秒もしないうちに大きくふくれていって、僕はどうしようも無く確認したくなって、穿いているズボンの腰回りに手を掛けた。

 

そのままぱかっとのぞき見る。

視線は自分のおへその下。

 

……。

…………あ。

 

はいてる。僕パンツはいてる。

 

え?

 

「僕のパンツ!?」

 

思わず声に出してしまった。

すっとんきょんな声だった。

 

「昨日、ネルソン提督が服屋さんで買ったのよ。横須賀の周りには子供服も売ってるから。私達がちょうど合流した頃だったわね、一緒に選んだのよ」

 

朝雲さんは目を細めて嬉しそうにそう言い、紙袋からいくつかの服を取り出した。

 

どれも子供用で、オシャレな物から動きやすそうな物までそろっている。

 

色とりどり、形も様々な子供服を視界の端に捕らえながら、僕は、久しぶりに下半身の安泰を取り戻せたことに感動した。

 

こんなにもパンツをはけることが嬉しいことだったなんて。

ありがとうございますネルソン提督。本当にありがとうございます。

 

もうこれでおまたがスースーして不安になることもありません。

 

…………満潮さんにも、これでもう怒られないよね。

ちょっと恥ずかしいけど、あとで見せにいってみようか。もうちゃんとはいてるよって。

 

よし、そうしよう。

 

「どれでも好きなのを選んでみて。選びながら、今朝決まったことをかいつまんで説明するから」

 

そういいながら朝雲さんはベッドから降りて、机の上に置いてあったクリップボードを手に取った。

 

僕はその様子を目で追っていたけれど、クリップボードを持ってベッドまで戻ってきてくれたので、並べられている服に視線を戻した。

 

本当にいろいろある。

 

黒っぽい制服みたいなのもあるし、デニムの短パンに何かキャラクターが描かれたTシャツもある。

 

……え、あれ。あれあれ。

 

スカートもある。スカートだ。

 

どう見てもひらひらした、女の子が穿くためのスカートがある。

 

ショッキングピンクと黒のチェック柄のひらひらしたスカートが。

 

僕はそれを指さしながら朝雲さんの方をみた。

 

一応間違っているかも知れないので確認を取る。

 

「あの、これ、スカートですよね?」

「ええそうよ」

 

間違いはなかった。

 

じゃあ、今度は誤解されているかも知れないので確認を取る。

 

「僕、男ですよね?」

「昨日一緒にお風呂入ったし、そうよね。私初めて見ちゃったんだけど、やっぱり恵は男よね?」

 

最初ヘリから見たときは艦娘かと思ったけど、と朝雲さんは付け足した。

 

そうだよね。僕は男だよね。みんな知ってるよね。

 

「…………なんで、スカートがあるんですか」

「選んだのはネルソン司令だから、司令に直接聞いてみればいいじゃない」

 

そんな事をこともなげに言った朝雲さんは、とても愉快そうに笑っていた。

 

 

 

 

「恵に関係のあることは、これくらいね」

 

バンザイをした状態から黄色いシャツを着させてもらい、下はデニムの短パンを穿かせてもらう。

 

スカートなんて絶対には穿くもんか。

ネルソン提督にはあとでちゃんと話してもらうよ!

 

「はい、足」

「うん」

 

僕は朝雲さんに、昨日と今日の朝決まったことを聞かされた。

 

大きく僕に関わるのは、僕がフレンダさんの所へ送られること。

安全のために避難するのと、僕自身のことをデータに取るために、研究施設へ送るらしい。

 

羅針盤かなぁ。そうだよね。

 

昨日は寝ちゃって、羅針盤のことは夕方の電話でしか話せてないんだけど、ネルソン提督には、もしかすると扶桑さんがちゃんと話してくれたのかも。

 

というか僕自身も妖精さんから聞いたことしかわからないし、きっと僕が直接何か説明しなきゃいけないってわけじゃないよね。

 

でもそっか。僕、フレンダさんの所へ行くんだ。

 

そう思うと寂しいなぁ。

二週間ぐらい、時雨お姉さんに会えないんだよね。

 

それに、フレンダさんって優しいのかなぁ。

ネルソン提督のあの話だと、もともとは深海棲艦なんだよね。

 

いまはその事を隠してるって言ってたけど、もしかしたらもの凄く怖い人かも。

 

「ねぇ、朝雲さん」

「なに?」

「フレンダさんって、どんな人?」

「変わった人だけど、何というかよくわからないわね。会う度にテンションが違う人かしら。あ、でもネルソン司令が大好きよ。これはいつ会っても変わらないわ」

「…………怖くはない?」

「怒ったところは見たこと無いし、別に怖い人じゃないわ」

 

そっか。じゃあ、安心かな。

 

時雨お姉さんと離ればなれになるのは嫌だし、そのうえ怖い人と二週間も一緒だったら、僕はもう逃げ出すしかない。

 

大丈夫かなぁ。たぶん。

 

「他に聞きたいこととか、ある?」

「今日の朝ご飯は何ですか?」

「何だったかしら。司令と山雲が作ってるから、美味しいごはんが出るのは間違いないわ」

「楽しみです!」

 

おなかへった。

 

そっとおへその辺りをさすりながら、僕はベッドから降りて、朝雲さんが残りの服を紙袋へしまうのを手伝った。

 

しまい終わると、朝雲さんは机のほうへ。

僕はベッドのふちに座る。

 

鎮守府のみんなはもう起きているらしい。

 

時計を見ると午前7時をちょっとだけ過ぎていた。

 

フレンダさんが迎えに来るのが11時だから、それまでに、時雨お姉さんにお別れの挨拶をしなきゃ。

 

あぁ――――いやだな。

 

時雨お姉さんとあえなくなるの、なんかいやだなぁ。

 

「……あの、朝雲さん」

「ん?」

 

朝雲さんは机で、立ったままクリップボードの紙に何かを書いていた。

 

ペンを止めてこちらを見てくれた。

 

「僕、どうしても、フレンダさんの所に行かなきゃダメですか?」

「あー…………」

 

朝雲さんはペンを頬にあてて、視線をあげてほんのちょっとの間何かを考えていた。

 

不意に僕の方へ目線を戻して、申し訳なさそうに眉尻を下げながら、

 

「恵がここに残ると、万が一があったときに命が危ないわ。守りきれる保証がない。もし恵の身に何かあったら、一番悲しむのは誰かしら?」

「…………時雨お姉さん、かな」

「あたり。時雨は君をフレンダさんの所へ送るのに、反対してはいなかったわ」

 

そっか。よく考えれば、そうだよね。

 

僕のわがままで時雨お姉さんに心配をかけるのはダメだ。

 

「わかりました。ごめんなさい」

「謝る必要なんて無いわよ。ほら、そろそろ出ても良いでしょうし、食堂に行くわよ」

「……?」

 

なにか変な言い方だった。

 

出ても良い? 

 

「部屋から出ちゃいけなかったんですか?」

「そうなのよ。司令からの通達」

「何かあったんですか」

 

ほんのちょっと心拍数が上がった。

 

別に朝雲さんの態度が切迫していたわけじゃないから、そんな大事件……時雨お姉さんに何かあったりとかはしないと思うけど、でも部屋から出ちゃダメって、なにがあったんだろう。

 

「べつにたいしたことじゃないわよ。恵が心配する事じゃないし、したってどうしょうもないわ」

 

肩をすくめながら朝雲さんはそう言い、手に持っていたペンをクリップボードと一緒にテーブルにおいて、ベッドに腰掛けている僕の方へ来た。

 

「じ、自分で歩けます」

「そう? まぁいいけど」

 

あぶない。だっこされるところだった。

もう足にケガなんて無いんだし、さっきは勢いで着替えを手伝って貰ったけど、もうちゃんと自分で出来るから。

 

子ども扱いしないで欲しいな。

 

僕は朝雲さんに手を引かれながら食堂へ向かった。

 

 

 

 

朝食はトーストにジャムを塗った物と、コンソメスープ、ベーコンサラダだった。

デザートに杏仁豆腐がある。これ美味しいよね。

 

「「「いただきます」」」

 

ネルソン提督以外の全員が席について、挨拶をした。

 

さっき廊下で朝雲さんから聞いたけど、提督は今、執務室に籠もっているらしい。

ごはんだけ作って自分は食べないのかなぁ。

 

朝ご飯を食べないのは体に悪いってどこかで聞いたから、あとで持っていってあげようかな。

 

などと考えていると扶桑さんがもう、全員が食卓に着く前に持っていったらしい。

じゃあいっか。

 

自分の分のトーストをかじっていると、食べたことのない味が口の中に広がって、少し驚いた。

 

あ、これジャムの味だ。

もしかしてこの赤いのトマト? トマトのジャムなの?

 

「私が作りましたぁ~」

 

不思議そうな顔で食べていたからかな、左隣に座っていた山雲さんが、おっとりした声でそう言った。

 

「おいしいです。初めて食べました」

「そう言ってもらえると嬉しいわぁ~」

 

お腹が空いていたからか、トーストを一枚ぺろりと平らげてしまい、スープもサラダも残さず食べられた。

 

デザートの杏仁豆腐を食べようと手を伸ばしたとき、

 

「あれ」

 

ふと周りを見るとみんなはもう食べ終えて、片付けをするために席を立ち始めていた。

 

い、急がなきゃ。のんびりしちゃってたかもしれない。

 

焦るとモタついてうまく蓋が開けられなかったのを、右隣に座っていた時雨お姉さんがひょいと取って開けてくれた。

 

時雨お姉さんはもう全部食べ終わってる。トレイの上には空の食器しかない。

 

「ゆっくりでいいよ。まだ出撃じゃないし」

 

ニッコリと微笑みながら、僕が全部食べ終わるまで、隣に座って待っててくれた。

 

 

 

 

「ちょっと僕は装備の点検をするから、そうだね……僕の部屋で待っててくれる?」

「わかりました」

「机の引き出しの一番上に、ちょっとしたおもちゃもあるから、それで遊んでて良いよ」

 

手を振りながら装備保管室へ消えていった時雨お姉さんに、僕は見えなくなるまで手を振り返して、そのあと階段を上がっていった。

 

「あ」

「あ……」

 

登り切った先に満潮さんが居た。

右手に砲身が二つある装備を持っていて、左手はそこに添えられてる。

 

そしてばっちり目があった。

 

とたん、僕の体がなぜか震えだして、息が上手く吸えなくなる。

 

満潮さんの目を見たまま離すことが出来ない。

満潮さんも早く行ってくれればいいのに、どういうわけか僕の方をじっと見て立ち止まってる。

 

じゃない、立ってるだけじゃない、見てるだけじゃない。

 

睨んでるんだ。満潮さんは怒った目でまっすぐに僕の目を睨んでる。

 

「あ、あの……」

「なに?」

 

どうにか震える声でそういった直後、満潮さんは眉根を寄せながら射るような口調でそう言った。

 

そして持っている艤装の砲身がこっちに向いた。

 

イライラしたように左手でこめかみを掻いたと同時に、右手が少し動いて、真っ黒な穴が二つ、僕のお腹に向けられた。

 

あぁ、怒ってるんだ。

 

僕が昨日、パンツをはかないまま満潮さんの制服を着ていたから。

それにまだちゃんと謝れていないから、許しも貰っていない。

 

だからどこにも行かずに、睨んで、こうして、無言で砲身を向けて〝謝れ〟ってしてるんだ。

 

で、でも、ちゃんと、僕は今、ネルソン提督が買ってきてくれた白いパンツをはいてるから。

 

だからたぶん、これを……穿いてる所を見せれば…………怒られないよね? 

 

撃たれない、よね?

 

「……ヒック……エグ………グスン」

 

鼻水と涙が止まらない。

小さな嗚咽が廊下に響いている。

 

恐怖でがくがくと震える足を肩幅に開く。

 

大粒の涙が、羞恥で染まった頬を伝って床を濡らす。

 

僕は、震えながらズボンをおろした。

 

それから満潮さんによく見えるように、両手でシャツをたくし上げた。

 

「エッグ……ヒッ、ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい……ちゃんと、はいてますから、もう許して下さい……」

「…………」

 

満潮さんは何も言わないまま、じっと僕の目を睨んだまま、大砲の砲身を向けたまま、ぴくりとも動かず立っていた。

 

 

――――――――○――――――――

 

 

執務室。

 

鉄砲飴を口の中で転がしながら、増援の艦娘をどう活用するか考えていると、控えめなノックが聞こえてきた。

 

「入って良いぞー」

「失礼します」

 

声の主は山城だった。

 

ドアを開けて入ってきたのは、山城に続いて満潮と、目元を赤く腫らした恵だった。

 

満潮が信じられないほど申し訳なさそうな顔をしている。

 

…………なんか、何があったのかちょっと想像できてしまうぞ。

 

その後数分掛けて、第一発見者である山城から、鎮守府の廊下で強制わいせつ紛いの事件が起きたことを報告された。

 

いや、まぁ――――はたからするとそう見えてしまいかねない事件が起きただけなので、とりあえず満潮が言いたかったことと、少年が盛大な勘違いを働いていたことを、お互いに謝罪して不問とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




泣いて謝りながらパンツを見せつけてくる幼児を前にして、どうすればいいのか本気でわからず固まってしまう満潮の回。


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第二十九話 死にもの狂いの鬼ごっこⅠ

昨晩、ふと見ると日間ランキング42位に。
つたない物語ですが、それでも応援して下さる読者の方々に心より感謝します。

「死にもの狂いの鬼ごっこ」編、始まります。


恵と満潮を執務室から送り出し、一人残った山城の方を見る。

 

少し疲れたような顔をしている。

 

「すまんな、山城」

「満潮も満潮で、どうして素直に言えないんですかね」

「性格だろう。上手くフォローしてやってくれ」

「それ私がすることなんですか………」

「仲良いだろ? 風呂もよく一緒だし、飯もいつも隣じゃないか」

「たまたまです」

 

真顔でそう返した山城は、執務室から出ようと扉に手を掛けた。

 

その背中に慌てて声をかける。

 

「あぁ、山城、すまんが扶桑を呼んできてくれ」

「わかりました」

 

頷き、パタンと扉が閉められるのを見て、私も執務机に腰掛ける。

 

午後一時に到着する横須賀からの増援。

その輸送ヘリに同乗して、土佐中将とその指揮下にある艦娘も一緒に乗ってくるらしい。

 

「んで、その指揮下の艦娘というのが、夕立一人だけとはいったいどういう嫌がらせだ」

 

思わず独りごちてしまう。

 

それほどにばかばかしい。

 

追加で送られてきた情報によると、もう舞鶴のことを心配する必要がないのでだいぶ時間に余裕が生まれた、と本部は考えているそうだ。

 

それに伴って偵察や攻撃も、急ぐ必要は無いと決定してしまったらしい。

 

こいつらの脳みそはいったい何色なのか、一度開いて見てみたい。

のんびり動いて東京が火の海になったら誰が責任を取るのか。

 

蜻蛉大将だな。ああかわいそう。

 

「バカもここまで行くと笑いが出るな……」

 

出てくるのは苦笑だが。

 

これは推測だが、土佐中将の泊地が日本海側に面していることもあって、そこから輸送しようとすると今日中には無理なのだろう。

 

多大な金を払ってまで早急に運ぶ必要は無いと判断したのか、それとも私の指揮下の艦娘もいるし、増援も送ったのだからそれらを駆使して偵察も攻撃もしろというのか。

 

果たしてどちらなのかはわからんが、指揮官と秘書艦だけ送って〝偵察隊〟とさせる辺りに思わず閉口してしまう。

 

正直こうなると土佐中将がここに来る意味がわからん。

 

「…………さて」

 

机の上のペンを取り、頭を切り換えて今後のことに集中する。

 

と、意気込んだところにコンコンと二回ノックが響いた。

 

「入って良いぞ」

「失礼します。お呼びでしょうか」

 

扶桑だった。

 

「忙しいかもしれんが頼み事をしてもらえるか」

「構いませんわ。艤装の手入れはもう済みましたし、ちょうど手持ちぶさたでした」

「それはよかった。土佐中将のために、部屋を用意してもらえるか? あと、今晩のために男湯の方も頼む。妖精に言えばやってくれる」

「了解です」

 

一礼して執務室から出て行く扶桑を横目に、私は机の上の書類に目を落とす。

 

硫黄島からの攻撃はまだ無い。

 

いつ来ても大丈夫なように、手は打ってある。

 

最上の偵察機を飛ばして、周囲に異常があれば部屋から無線機でこちらに連絡するよう伝えた。

 

知らせがあれば、ものの三十秒で私の艦隊は臨戦態勢に移れる。

そういう訓練をいままで行ってきた。場所が場所なだけにな。

 

最上には酷なことをしたが、彼女がこの作戦で働くのはこの一回きりのつもりだ。

あとは余裕が出るまで休んで欲しい。

 

「…………敵も、偵察とは言えあれだけの痛手を負ったのだ。そうすぐには動けんだろう」

 

奴らの攻撃は早くても今日の晩か。

そういった見立てがあってこそ、少年の輸送や増援艦隊をヘリで動かすことに決めたのだ。

 

ふと時計を見ると、もうあと三十分ほどでフレンダが来る事に気が付いた。

 

少年を送り出すための用意は出来ている。

 

着替えと…………いや着替えだけか。

むしろフレンダの所では買い物が出来るから、足りない物は現地で調達すればいい。

 

お小遣いを握らせとくか。

 

 

 

 

鎮守府の玄関口から、恵を引き連れて外に出る。

 

すぐ目の前では、着陸しようとホバリングする迷彩柄の巨体が、轟音を出して浮いていた。

 

ローターが生み出す風に、私の髪が暴れてしまう。

左手一本では抑えにくいな。くくっておけば良かった。

 

まぁいまさらか。

 

土を踏み固めて出来たヘリポートに、一機の大型輸送機が着陸した。

 

パタパタパタパタ――――とせわしなくまわっていたローターが、次第に速度を落とし、ヒュインヒュインという音になってくると、風ももう気にならない。

 

「す、すごい……」

 

感嘆の声をもらしながら、恵が目を輝かせていた。

体の前で両手がぷるぷると震えている。

 

「あれに乗ってしばしの旅となる。楽しみか?」

「えっと……わくわくするけど、やっぱり寂しいです」

「ははは、正直だな。まぁこっちはなるべく早く片付ける。時雨とはちょっとの間離れるが、向こうでも退屈はしないと思うぞ。海に出て練習したかったら、ゴーヤに教えてもらえばいい」

「ゴーヤさんって、でも潜水艦ですよね?」

「やつは大体のことが出来る」

 

艤装の使い方ぐらいなら、フレンダでもゴーヤでも教えてくれるだろう。

 

ヘリのローターが慣性でゆるゆると回り、エンジンが切られた頃、ドアが勢いよく開いた。

 

「おねえええええええええちゃああああああ――――」

 

叫びながら両手を広げて私の所まで走ってきて、しかし視線が私の隣にいる恵を捕らえると、

 

「ぁぁぁぁぁ………ゲホッ、こほん――――久しぶり、お姉ちゃん」

 

落ち着いた声でフレンダは挨拶をした。

 

「こっちが、例の少年かな? 初めまして」

「は、初めまして、恵といいます! よろしくお願いします!!」

「おぉ…………うん、よろしく。フレンダだよ」

 

フレンダの豹変ぶりに恵の目が白黒しているが、あえて何も言わないでおこう。

彼女も相変わらずでなによりだ。

 

二人はお互いに握手をし、手を離した恵がどこかそわそわしていることに気が付いた。

 

なんだろう、トイレか? ……ではないな。フレンダの後ろを見ている。

 

あ。

 

「フレンダ、恵に見学させてやっても良いか?」

「もちろんいいよ」

 

了解を取る。

 

なるほどヘリに興味があるとはな。

 

男の子だからか? いつかの本で読んだ気がするが、どこかくすぐられるのだろう。

可愛い盛りだ。

 

「よく見ておいで」

 

フレンダの言葉に、ぱあぁっと満面の笑みを浮かべた恵は、嬉しそうにお礼を言って、ヘリの所まで走っていった。

 

その様子を見送ったフレンダは、振り返って私の目をまっすぐに見る。

 

「…………久しぶりだね、お姉ちゃん。もう5年になるよ」

「あぁ。元気そうで何よりだ」

 

フレンダの目が、次第にユラユラと揺れだして、堪えきれなかった涙が頬を伝った。

 

「お姉ちゃん、抱き付いて良い?」

「いいぞ」

 

震える手をおずおずと伸ばし、私の肩に指先が触れると、フレンダは勢いよく私に抱き付いた。

すすり泣く声を耳元に聞きながら、私も左手でフレンダの背を撫でる。

 

彼女の体温は暖かく、痛いくらいに締め付けてきた両腕は、確かに、懐かしいフレンダのものだった。

 

私は両手では彼女を抱けない。

代わりに、足りない右手の分、左手に思いを込めて彼女の背をとんと叩いた。

 

そうするとフレンダは涙声で、私にだけ聞こえる声で、

 

「お姉ちゃん」

「なんだ」

「キスして良い?」

「それはやめておけ」

 

フレンダからは見えないが、ちらちらと恵がこちらを覗いている。

教育上よろしくない。

 

 

 

 

ヘリの操縦士は初老の男性だった。斉藤さんと言うらしい。

 

私は応接室に彼とフレンダを招き、扶桑にお茶を入れて貰ってから、お互いに話を進めていった。

 

ただし、フレンダが深海棲艦であったことは内緒だ。

 

最初はフレンダの持ってきたお土産についての話から始まった。

 

最上のためにいろいろ買ってきてくれたことに感謝を言いつつ、なぜ最上の状態を知っているのか問い詰めると、青い顔をしながら彼女はあっさりと白状した。

 

全く気が付かなかったが、目の前に撮影機が現れると納得した。

 

小さい、手のひらサイズなのだ。おまけに消える。

すごいなこれ。没収。

 

他にもフレンダは、硫黄島奪還作戦に向けて多くの装備を持ってきてくれた。

駆逐艦用が多かったが、電探関係が豊富であったのと、対空装備を中心にしてくれたのは助かる。

 

だいぶ戦力が底上げされるぞ。ありがとなフレンダ。

だが盗撮はゆるさん。

 

そして話の内容は、本題である輸送について。

 

正式な仕事なので依頼書も作ったし、もちろん偽装書なので、その辺りの口封じを斉藤さんにしておく。

 

フレンダと繋がりが深いので信用できないわけではないのだが、一応な。念のため。

 

「以上です。輸送に関しての詳細を秘匿することに、ご了承いただけますか」

「もちろんです」

 

書類にサインをして貰い、本人の押印を確認して、手続きは終了である。

 

「…………よろしくお願いします、斉藤さん」

「任せて下さい。いやね、実は私にも息子がいるんです。ちょうど同じくらいの」

「ほお」

「安全第一で運んで見せます」

 

白い歯をきらりと見せた初老の男性は、引き締まった肉体も相まって、なかなかに頼もしかった。

 

任せたぞ、斉藤君。

 

「ところでお姉ちゃん」

「どうした?」

「いつ出発しようか」

「あぁ、それはもう――――」

 

なるべく早いほうが良いだろう。

 

そう答えようとした瞬間だった。

 

『提督、大変ッ! ボクの偵察機が撃墜された!!』

 

ポケットに入れていた無線機から、慌てた最上の声が、応接室に響き渡った。

 

 

 

 

鎮守府から沖合三百キロのところで通信が途絶えた最上の偵察機は、まず間違いなく敵に撃ち落とされていた。

 

途絶える間際、白い機体に襲われたという報告があったらしいので、恐らくは敵の航空隊だ。

艦隊の対空砲にやられたわけじゃない。

 

撃ち落とされただけでも相当にマズイが、状況はいっそう最悪だった。

 

偵察機は私の鎮守府から西へ行ったところで落とされた。

 

つまり、この場所からフレンダの研究所まで飛び立つことは出来ない。

 

もし飛ぼうものなら敵機ひしめく死の空をかいくぐっての飛行になる。冗談じゃない。

そんなハイリスクを負わせてまで恵を送るわけにはいかない。

 

執務机に座りながら、あくまで冷静に、最上の報告にあったとおりの情報を周辺の海図に書き入れていく。

 

斉藤さんは現在、客室で待機して貰っている。

言っちゃ悪いがこんな状況で鎮守府内をうろうろされては邪魔だ。

 

扶桑以下、最上を除く六名の艦娘には、艤装を付けて待機命令を出している。

ゴーヤにも臨時で私の指揮下に入ってもらい、これで七名。

 

いつでも出撃できる状態である。

 

もし私の鎮守府に敵機が近づこうものなら、対空電探でその方角と距離がわかる。

撃ち落としてやる。一発もここへは触れさせん。

 

自分の思考を机の上の海図へ向ける。

 

「距離と方角、敵の侵攻方向は北であることを考えると、目標は横須賀か……?」

「…………たぶんちがうよ」

 

執務机に座っている私の横では、フレンダが立ったまま海図をのぞき込んでいる。

その表情は真剣そのものであり、彼女が時折見せる、本気の顔だった。

 

情報が少ないゆえに、頭脳を借りる。

 

「規模がわからないから断定はできないけど、でも昨日の今日で同じルートから攻撃を仕掛けるとは考えにくいよ。横須賀じゃない」

 

私がやつら(深海棲艦)だったらどう動くか。

 

ほんの数十時間前に戦力を計るために送った強襲偵察隊が、残存戦力10パーセント未満で帰ってきた。

 

そんなところに、同じ方法で、同じ方角から再び攻撃を仕掛けるだろうか。

 

答えは否だ。あまりにも無謀すぎる。対策を取られていると真っ先に考える。

 

ではどう見る? 私ならどう動く?

 

きっと間に何かないか探すだろう。

中継地点になるような。方角を変えて攻めるための布石となるような場所を探す。

 

つまりここだ。

 

「西から迂回して横須賀を攻撃していると見せかけ、本当の目標はこの鎮守府か」

「あり得るけど、でもどうして三百キロも離れるの? 航続距離は無限じゃない。遠回りして機動力が無くなるくらいなら、空母が接近して叩くはずだよ。私ならそうする」

 

ごもっともだ。迂回するにしても、三百キロもの距離を取る理由にはならない。

 

なんだ。一体何がしたいんだあいつらは。

 

いや、まて、落ち着け。

冷静さを欠いたら負けだ。こういう時にこそ落ち着き、考えろ。

 

「…………迂回、目標………北上でないとしたら、西回りで何が出来る……?」

 

横須賀からこの鎮守府まで約七百キロある。

 

この鎮守府から硫黄島まで約六百キロある。

 

もしも取りたい敵の島に、増援をよこせる輸送路があったら?

 

もしも相手にしなければならない敵が、増えてしまうとしたら?

 

もしそれが、空を使う道だとしたら?

 

――――瞬間、頭の中で何かがはじけた。

 

「分、断……」

 

凍りのような悪寒。

 

即座に立ち上がり、無線機のスイッチを全て入れ、全周囲回線にしてヘッドフォンを耳に当てる。

 

同時に叫んだ。

 

「フレンダ!! 今何時だッ!!!」

「え、えっと、12時をちょっと過ぎたところ」

 

頭がクラクラする。

目の前に火花が散る。

 

頼む、頼む、冗談じゃないぞ。

 

無事でいてくれ、頼むから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――土佐中将を乗せた輸送ヘリからは、救難信号が出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十話 死にもの狂いの鬼ごっこⅡ

太平洋。

 

はるか遠い昔に、穏やかな波の様子からとってそう名付けられたこの海は、今も相変わらず静かである。

 

絶賛するほど綺麗なわけではない。

見るだけで惚れるような透き通った海ではない。

 

しかしそれで十分なのだ。

 

深海棲艦に占められた海域は、ドス黒く、ねばっこく、闇をも思わせる死の海域へと変貌する。

 

横須賀から飛び立って四百キロの海域。

ここは、黒くも無ければ敵もいない。

 

それを思えばこの何の変哲もない穏やかな海は天国である。

 

代わり映えのない平和な海に、一機のヘリが飛んでいた。

 

土佐中将とその秘書艦。

増援の艦娘6名。

パイロット2名。

 

総勢10人を乗せた大型の輸送ヘリは、青々とした空にローターの音を溶け込ませながら、静かな空を飛んでいた。

 

「提督さん、あとどれくらいで着くっぽい?」

 

鈍色の艤装と高角砲を装備した長い金髪の艦娘――――夕立が、隣に座る男へ首を傾げた。

 

その視線の先には中年の男がいる。

土佐中将だ。

 

白い軍服に身を包んだ彼は、腕時計に目を落としながら答えた。

 

「あと一時間くらいだな」

「えー……このイス固くて、お尻が痛いっぽいー……」

「ガマンだ。それと、あまり気を抜くんじゃないぞ」

「わかってるっぽい」

 

敵のいない海域とは言え、海に出ているのは確かだ。

 

いつどこから対空砲弾が飛んでくるかわからない。

 

一応のレーダーは張ってあるし、敵の電探にひっかからないよう機体そのものにも工夫はしてある。

 

だがそこまで対策を取っていても、襲われれば危険なことに変わりはない。

気を抜いてはいけないのだ。

 

「たったの一時間だ。ネルソン提督の鎮守府に着いたら、作戦会議と硫黄島偵察の手順を決める。決まるまでは小休止となるだろうから、それまでの辛抱だ」

「はーい」

 

土佐中将は夕立から視線をあげて辺りを見回す。

 

増援の艦娘は六人。

大和、赤城、加賀、五十鈴、阿武隈、雪風。

 

全員が艤装を付けている。

すぐにでも戦える状態である。

 

しかしその彼女達の表情に険しさはなく、隣に座る戦友と談笑に興じていた。

 

土佐中将は心中、こんなもので良いのかと疑った。

 

大きな戦いになる。

下手をしたら死ぬ娘が出るかもしれない。

 

だと言うのに彼女達は、暗い顔をするどころか、いつもと変わらない笑顔をずっと浮かべているのだ。

 

そんな事で良いのかと思う。

そんな具合で戦えるのかと。

 

もちろん信じていないわけではない。

 

彼女達の所属は横須賀だ。

きっとそれなりに練度も高い。あの横須賀なのだから。

 

そうは思ってもやはり、この目の前で笑顔を浮かべる横須賀の艦娘達に、不満を抱かずには居られなかった。

 

原因はある。

隣に座る、夕立の表情が優れないのだ。

 

いや、はたから見れば夕立は笑顔である。

いつもと変わらず、そして横須賀の連中と同じように笑みを浮かべている。

 

だがしかし、夕立が――――この子が生まれたときからその様子を見てきたからこそ、わかることがある。

 

夕立は確かに笑っている。

 

でも偽りだ。

 

緊張と恐怖で引きつりそうな顔を、貼り付けた笑みで誤魔化している。

 

明るい声で質問してくるのも、そう言った感情を悟られないため。

知られたくないがため。

 

この子はよく、自分の感情を隠そうとする。

 

「夕立」

「なに? 提督さん」

「肩の力ぐらいは、もう少し抜いて良いぞ」

「…………うん」

 

今の私から彼女に出来ることはこれくらいだ。

 

横須賀の艦娘達は、どうして笑っていられるのだろうか。

 

彼女達も偽りの笑みを張っているのだろうか?

付き合いの短い私にはわからない。

 

そうだとしたら別に良い。

夕立と同じなら、別に良い。

 

だがもし彼女達の余裕が、たとえ無意識であっても、見せつける形で夕立を苦しめているのだとしたら。

 

私は――――

 

「…………いや、よそう。そんな事を私が考えてはいけない」

 

 

 

 

土佐中将を乗せた輸送ヘリが周囲の異常に気が付いたのは、大和の言葉からだった。

 

大和は耳に手を当てていた。

 

ついさっきまで隣に座る加賀と話をしていたのだが、急に口をつぐみ、険しい表情をつくり出した。

 

眉根を寄せて中空を見ながら、電探からの反応を探る大和に、加賀がそっと話しかける。

 

「…………どうされましたか」

「対空電探に感ありです。ヘリの中だからかもしれませんが、その数を把握しかねています」

「ッ!」

 

大和の言葉を聞いた土佐中将は、すぐに立ち上がり、ヘリのパイロットへ機内電話をつなげた。

 

「聞こえるか!」

『中将、どうされましたか!?』

「敵だ! …………大和、方角と数は?」

「方角は北西、数はまだわかりませんが、少なくはありません!」

『聞こえました、了解です! 高度を下げた後にこのままネルソン大佐の基地まで飛びます!!』

「引き返した方が良いのではないか?」

『いえ、返す距離の方が長いです! このままの進路で飛び続けます!!』

 

コックピットからの有線が切れるなり、一瞬の浮遊感から、機体が高度を下げたのがわかった。

 

土佐中将は窓から外を覗き見る。

 

目に見える範囲に異常はない。

 

「大和、距離は?」

「およそ百キロです。敵の方が速いため、追いつかれる可能性は大きいです」

「もっと早くに気がつけなかったのか!?」

「す、すみません。ヘリの中からでは、レーダーが思うように飛ばせなかったので…………」

 

大和が申し訳なさそうに深く頭を下げた。

 

加賀と話し込んでいたから、とは死んでも言わないだろう。

いや、そもそも本当にレーダーが飛びにくかったのかもしれない。

 

いずれにしても結果は変わらない。

 

百キロなんぞあっという間だ。

戦闘機と輸送ヘリではウサギとカメの競争になる。

 

「どうすれば…………」

 

歯がみする。

何か打つ手はないかと考えるが、この輸送ヘリには敵機を迎撃できるほどの充分な装備がない。

 

いや――――まて、ちがうぞ。

 

「大和、ヘリからの対空戦闘は可能か」

「あ、えっと、出来ると思います」

「お前は撃てるのか?」

「いえ、私ではちょっと…………ですが、対空戦闘をする前に、赤城と加賀に迎撃させてはどうでしょうか」

 

土佐中将は狐に摘まれたような顔をした。

 

すぐに表情を引き締め、確かにその通りだと何度か頷き、赤城と加賀に向き直る。

 

「できるか?」

「善処します」

「やります」

 

頷くなり二人は矢をつがえた。

 

土佐中将がヘリの扉まで行き、手を掛け、一気に開け放つ。

 

猛烈な風が全身を叩き込む。

 

艦娘全員の髪が暴れ、土佐中将が片手で軍帽を押さえながら叫んだ。

 

「頼むぞ! 赤城、加賀!!」

「頑張るのはこの子達ですからね!」

「鎧袖一触……とは行かないでしょうが、なるべく頼みます」

 

ピュウッ。

 

と風を切る音が聞こえたかと思うと、放たれた矢は戦闘機へと姿を変え、高度を上げていった。

 

続けてもう2本と計3本。

 

二人合わせて6本の矢、機体総数にして24機が飛び立っていった。

 

「……………」

 

その後ろで、大和は静かに瞳を閉じていた。

意識は自分の対空電探。

 

ヘリの扉が一時的に開けられたため、敵の正確な方角とその規模を割り出せると思ったからだ。

 

そして実際に割り出せた。

 

大和の対空電探には、はっきりと敵の数が映し出されていた。

 

「え…………」

 

嘘かと思う。

自分の中に出された結果を、まず嘘かと思う。

 

何度も読み返す。

何度も見直す。

何度も感じ直す。

 

それでも、そこに出された結果は変わらなかった。

 

両手が、震えていた。

 

「と、土佐……中将……」

 

ヘリの扉が閉められ、一切の物音がしない静かな機体の中、大和のかすれた声が響く。

 

全員の視線が大和に集まる。

 

真っ青な顔で彼女は、粘つく喉から震える声を絞り出した。

 

「…………敵機の数が、八百を超えています」

 

 

 

 

「うそ、でしょ?」

 

五十鈴が眉根を寄せながら、大和に問いかけた。

 

この場にいる誰もがその言葉を聞いた。

そして誰もがその言葉を自分のものとした。

 

嘘だ。

 

そんなの嘘だ。

 

絶対に嘘だ。嘘であって欲しい。

 

願望の籠もった視線は、しかし首を横に振る大和の言葉であっけないほどに散らされる。

 

「私の対空電探で、この反応です。障害物はありません。ヘリの扉が開かれた時に読み取ったのですよ…………私だって……こんなの…………」

 

彼女は膝から崩れ落ち、力なく肩を落とした。

 

絶望的。

そんな安直な言葉がまかり通るほど、この世で恐ろしいことはない。

 

土佐中将は、どうすれば良いのかと考えた。

 

八百機。

 

八百機だ。

 

昨日闘った8倍の敵だ。

 

冗談かと思う。

全く笑えない冗談である。

 

冗談であって欲しかった。

 

だがもうどうしようもない。

これから出来ることは何だろうか。

 

輸送ヘリがどれだけ早く飛んだとしても、ネルソン提督の元へたどり着く前に、川のように飛んでくる敵機に飲み込まれてしまう。

 

よしんば逃げ切ったところで、八百機など、さすがのネルソン提督でもやりようがないだろう。

 

赤城と加賀がさっき飛ばした24機の戦闘機。

 

あれがいつまで持つ?

あれがどこまで持つ?

 

戦力差33倍だぞ。

 

一体どうやって、我々が生き残れるというのだ。

 

ない。

 

ことごとく無い。

 

まず間違いなく私は死ぬ。

パイロットも死ぬ。

 

夕立は? 夕立はどうなる?

 

自力で航行してネルソン提督の鎮守府までたどり着ければ、あるいは…………。

 

いや、むりだ。

この子はそんなに強くない。

 

対空戦闘もそれほど得意じゃない。

生きて敵機の中を何百キロもは進めない。

 

「提督さん」

 

ふと、土佐中将の袖を、夕立が握りしめた。

 

その手は震えていた。

 

土佐中将は夕立を見下ろすも、しかし彼女を慰める言葉は何一つとして思いつかない。

 

そのまま力なく呟いた。

 

「…………私には、もうどうすれば良いのかわからんよ」

「そんなこと言わないで欲しいっぽい……嘘でも良いから、大丈夫って言って欲しいっぽい」

「だが…………」

 

嘘をついて何になる。

 

敵の数が多すぎる。

 

こうしている間にも刻一刻と奴らは近づいてきているのだ。

その事実は、いくら慰めるための嘘をついたところで、変わらない。

 

笑顔で笑いかけても、明るく取り繕っても、もう助かる見込みはゼロに等しい。

 

「夕立、我々は…………」

 

口ごもった土佐中将は、しかしそこではたと気が付いた。

 

我々。

 

そうか。

我々なのだ。

 

ここには七人もの艦娘がいる。

全員が幸いにも対空戦闘を経験している。

 

この輸送機が攻撃をされても、この輸送機が墜落しても。

 

彼女達なら行けるかもしれない。

 

七人いれば、連携を取れば。

 

夕立一人ではないのだ。

彼女達で一つなのだ。

 

一つの艦隊として、そしてそれを指揮する提督が居れば――――。

 

「ッ!! そうか! 指揮権を移すぞ!!!」

「え?」

 

目を丸くする夕立を横目に、土佐中将はパイロットへの機内電話をとった。

 

つなぎ一番、パイロットの慌てふためく声が漏れる。

 

『ち、中将! 西の方角に、無数の敵機がぁ!!』

「落ち着け。いいか、メーデーを出せ。ここからならネルソン大佐の鎮守府まで届くはずだ」

『わ、わかりました。あの、中将! 我々は、大丈夫なのですか!?』

「運次第だ」

 

言って、一方的に通信を打ち切る。

 

――――運次第、か。

 

その通りだ。

途方もない運試し。

 

「全員、聞いてくれ」

 

視線を集める。

 

赤城と加賀は二人で何かを話していたが、一旦中断してこちらを向いた。

 

「君たちの指揮権を無線越しにネルソン提督へ移す。繋がり次第、ネルソン提督の指揮下のもと行動するように」

 

え? と言う声がいくつか上がった。

 

この場で指揮権を委譲すると言うことは、もう土佐中将からの指令は聞かなくても良いと言うことである。

 

ことにこれから戦闘行為をしようというのであれば、指揮権を他人に移すという行動は、そのまま〝指揮官を守れ〟という命令が出せなくなることを示す。

 

その場にいる全員が、土佐中将の目的を計りかねていた。

 

怪訝の視線に当てられて肩をすくめながら、土佐中将は続ける。

 

「私からは最期の指令を言い渡す。徹底的に抵抗しろ。絶対に諦めるな。死にもの狂いでネルソン提督の所まで逃げるのだ」

「て、提督さん? それじゃあ、提督さんが、まるで死んじゃうように、聞こえるっぽ……い……そんなの……」

「安心しろ夕立。初めから死ぬと決めたわけじゃない」

 

土佐中将は夕立の頭を優しく撫で、安心させるようにそう言って、しばらくするとヘリの扉を見た。

 

「敵が対空機銃の射程に入り次第、そこの扉から撃つ。雪風、出来るか?」

「もちろんですッ!! でも、全部はちょっと…………」

「雪風だけではない。全員だ。全員で撃って弾幕を張る」

 

それが出来るだけの大きさは、この出入り口にはある。

 

弾幕を張る。

 

それだけで十分などとは思わない。

 

だがもし、敵が少しでもこちらに近づくのを躊躇ってくれれば。

 

彼女達(艦娘)は生き残れる。

脱出する隙を作れるだろう。

 

本当は今すぐにでも逃がしたい。

 

しかし、ここにいるこの子達は、きっと反対するだろう。

彼女達は断固として断る。

 

なら納得させて、その上で逃がすより他はない。

 

「提督、意見具申の許可を」

 

加賀が手を挙げていた。

先程赤城と相談していた内容だろうか。

 

土佐中将は一つ頷き、続きを促した。

 

「私達はもう少し航空隊を出せます。弾幕を張る前に、低空からの抗戦をさせて下さい」

 

提案は、私達も闘わせろ、と言うものだった。

 

しかし土佐中将は首を縦に振らなかった。

 

「だめだ」

「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「君らの力を必要とする時が、もっと後に来る。そこで出せなくなると困るからだ」

「ですが……」

「これは命令ではない。お願いだ。だから無視してくれても構わんが…………今出すのは控えて欲しい、加賀、赤城。わかってもらえるか」

 

今出して、後の戦闘で出せなくなれば、空はあっという間に黒く染まる。

 

抵抗になるかはわからない。

後で出したからと言って生き残るとは限らない。

 

だがそれでも、今じゃない。

赤城と加賀の戦力をこのタイミングで使うことだけは愚策だと、この私でもわかる。

 

ゆえに許可できない。

 

土佐中将の強い眼差しは、加賀と赤城を納得させるのに足るものだった。

 

赤城は加賀の袖を少しだけ引いて下がらせ、意向に従うことを示した。

 

土佐中将が全員を見る。

 

踵をそろえる。

背筋を伸ばす。

 

ゆっくりと敬礼をして、そのまま静かな声で彼は言った。

 

「みんな、頼んだぞ」

 

各々が頷いた。

 

夕立に、いつもの笑顔は影も残っていなかった。

 

 

 

 

「初撃は雪風が勤めます! 合図で皆さんは、雪風の打ったところの周囲に弾をばらまいて下さいッ!!」

「「「了解」」」

 

ヘリの扉が開け放たれ、勢いのある風が顔を、腹を、足を叩いていく。

 

雪風は自分の身長の九割を占めているライフル型の対空機銃を抱えたまま、伏射の姿勢を取った。

 

土佐中将の目に、そのバカでかい装備が映り込む。

 

艦娘の艤装は形にとらわれることがない。

 

最も構えやすく、最も撃ちやすい形を追求した結果、最近開発される装備は、世の中に出回る銃器の形を取ったものが多くなってきている。

 

雪風の抱える対空機銃も、名前だけは〝対空機銃〟だが、どうみても対物ライフルであった。

 

原理はわからない。

この形のどこに大量の弾を連射できる機構があるのかわからない。

 

それでも雪風は、自分の抱える装備が、一体どんな扱い方をすれば一番望む形で活躍してくれるのかを知っていた。

 

俯せのまま頬をストックに押し当てる。

 

左手でそれを抱え込む。

右手の人差し指を軽く曲げる。

 

トリガーにほんの僅かだけ触れておく。

 

「ターゲット、エイム」

 

すぐ後ろにいる大和にも聞こえないような、小さな声で雪風は呟いた。

 

自分でも驚くほど冷たい声音だった。

 

スコープの高倍率越しに見る世界には、黒い十字線と、それにぴったりと重なる白い敵機が見えている。

 

距離は五千メートル。

 

この対空機銃なら、届く。

 

連射が効く。射程もある。

 

でもそれでも、五千メートルは遠い。

 

ほんの数秒で敵は近づいてくるだろうけど、でも遠い。

当たるかどうかはわからない。

 

だからこそ彼女、雪風は祈った。

 

太平洋戦争で〝幸運艦〟とうたわれた奇跡を。

 

そして〝白い死神〟として自分の中にいるあの妖精のことを。

 

彼はスコープが嫌いだったそうだけど、相手は人間じゃないんだから、別にいい。

 

「…………幸運の女神にキスを。ファイア」

 

息を止めて引き金を引く。

 

耳を叩いた轟音が、立て続けに鳴り響く。

 

反動で銃口が跳ね上がるのを利用し、一番最初に狙いを付けた敵機より上のやつに弾を叩き込む。

 

一発も外さない、それでいて途絶えない。

 

連続して吐き出された大口径の弾は、一つも逸れることなく、初弾が命中した敵の周囲10機を火だるまにした。

 

「今です! 撃って下さいッ!!」

 

雪風が叫んだのと、五十鈴、阿武隈、大和、夕立の砲火がうなりを挙げたのは同時だった。

 

弾幕と呼ぶにふさわしい物量であった。

 

大和の絶え間ない掃射。

五十鈴、阿武隈の刈り取るような射撃。

正確無比に敵を沈め込む雪風の弾。

広範囲に射撃し敵を攪乱させる夕立の砲撃。

 

土佐中将の目には優勢に見えた。

 

青い空を塗りつぶす敵の先頭が、真っ赤に火を噴いているのだから。

 

「これは…………いける、のか?」

 

思わずそう呟いた。

 

だが空戦は、そんな一部分だけを見て優劣が決められるほど簡単ではなかった。

 

銃声が鳴り響く機内に、聞き慣れない、否聞こえてはいけない音が反響した。

 

金属を高速で打ち付けるような音。

直後、尋常でない悲鳴が聞こえてきた。

 

「しまったッ!!」

 

土佐中将はコックピットの方を見る。

 

扉一枚隔てたその先には、二人の操縦士が居るはずだ。

 

悲鳴はそこから聞こえてくる。

 

「行って下さい提督! ここでヘリが落ちては犬死にです!!」

「わかっているッ!!」

 

大和の言葉に叫び、駆け出す。

 

大した距離じゃない。

10メートルあるかないかだ。

 

いやそれでも10メートル。

 

扉にたどり着き、ノブに手を掛け、鍵がかかっていることに気が付いたときには、ヘリが傾き初めていた。

 

悲鳴が聞こえない。

 

まずい。このままではまずい。

 

「くっそ!」

 

上着の内側から、支給された拳銃を取り出す。

ドアノブの上から数発叩き込む。

 

勘だ。どこを撃てば鍵が壊せるかなど知らなかった。

 

だがその勘は当たったようで、勢いよく蹴破ったドアは、破損した鍵をバラバラに散らしながら開いてくれた。

 

コックピットは地獄だった。

 

上から掃射され、一人は即死、もう一人は右手と左足が飛んでいた。

すでに息もない。

 

だが即死を免れた方の操縦士は、最後の力を振り絞ったのか、ベルトで左手を操縦桿に固定していた。

 

土佐中将は大急ぎでその死体を席から引きずり下ろす。

 

「よくがんばった。ゆっくり休んでくれ」

 

呟き、ベルトを外し、残った左手を胸に持って行ってやる。

 

それも一瞬、すぐさま操縦桿を握り直す。

 

「動、けぇ!」

 

渾身の力で重い操縦桿を操り、機体を元の位置に戻す。

 

横目に、地図が映っていた。

 

現在位置との照合がすぐに出来るものだった。

 

「こ、れは……ッく!!」

 

地図から顔を上げる。

すぐ目の前に、漆黒の機体が突っ込んできた。

 

操縦桿を倒す。

弾はいくつかが逸れ、ほとんどが機体の左側に命中した。

 

打ち付ける鉄の音と、危険を知らせるアラームがコックピットに鳴り響く。

 

だがそんな事は露にもかけず、力の限り機体を振る。

 

速度を落とさず旋回する。

 

上昇していった敵機の急降下射撃を食らえば、自分もまた横に転がる死体と同じ運命をたどる。

 

そんなわけにはいかない。まだ、後ろに居る艦娘達を逃がせていない。

 

「ちっくしょおおおおお!!!!」

 

叫び、操縦桿を倒す。

すぐ目の前に広がる、血しぶきとひび割れでよく見えないガラス越しに、敵機の曳光弾が全て外れたのを確認できた。

 

その時同時に、赤濡れたガラス越しに青々とした島が見えたのは、彼の人生で最大の幸運だったかもしれない。

 

一瞬で地図と照らし合わせる。

ネルソン提督の島ではない。

 

だが無人島だ。一般人の巻き添えは心配ない。

 

――――イチかバチかあれに掛けるッ!!!

 

ヘリを急降下。

 

海面から僅か三十メートル付近まで機体を降ろす。

 

血だらけのガラス越しに、上空を蝿のように飛び回る敵機が見えていた。

 

無数の機銃が火を放つ。

 

吸い込まれるようにしてヘリに向かっていた。

 

土佐中将の目には、曳航弾道でハッキリと見えるその銃撃が、恐ろしく遅いものに感じられた。

 

――――あぁ、これが、死に際か。

――――いや、まだ、死ねんッ!

 

「ッッッアアアアアアアアアアアアァァァ!!!」

 

折れんばかりの力で操縦桿を倒す。

 

機体が横を向く。

 

テールローターが敵の銃撃で吹き飛ぶのが見えた。

 

そんなところがコックピットから見えたと言うことは、このヘリは、今真っ二つになったのだと、彼は頭の中で冷静に判断出来た。

 

スローモーションで世界が動く。

 

機体の右側から、いや、今は下になっている場所から、人が落ちていくのが見えた。

 

大和だ。

 

五十鈴だ。

 

雪風だ。

 

阿武隈だ。

 

赤城だ。

 

加賀だ。

 

――――夕立、だ。

 

よかった。

 

彼女達が艦娘で、よかった。

 

落ちた先が海で、よかった。

 

あれなら助かる。

あれなら動ける。

 

動いて、逃げて、逃げて、逃げ続け、どうか、ネルソン提督の所までたどり着いてくれ。

 

このヘリが囮になる。

島に落ちれば、火の手が上がる。

 

ほんの少しでも時間は稼げる。

 

ネルソン提督への目印にもなる。

指揮権は今、彼女にある。

 

航空映像から火の手を見つけて、大和達にたどり着いてくれれば。

 

うまくいけば、ネルソン提督から、助けを寄越してくれるかもしれない。

 

「……うまく、いけばいいなぁ」

 

地面が近い。

 

腕に、力が入らない。

 

足も、力が入らない。

 

天と地が逆さまだった。

ヘリはひっくり返っていた。

 

緑豊かな無人島が、視界の上から迫ってくる。

 

その時だった。

 

 

白く、ゆっくりとした、それでいて鮮明な光景が目の前に広がった。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

――――あぁ、これ、病院だ。

 

あの子が生まれたときの光景だ。

 

妻は笑って、私は泣いて、あの子はそれ以上に、元気よく泣いていた。

 

でも、元気そうに見えても、あの子は病気だったんだよなぁ。

 

妻の病が、遺伝子から感染していた。

 

 

――――こんどは、風呂か。

 

あの子を初めて風呂に入れた。

 

膝の上に乗るような、小さな、小さな体だった。

 

 

――――初めて、あの子が立った日。

 

リビングだった。

 

テレビを一緒に見ていたら、不意にソファにつかまって。

 

つかまって、立ったと思ったら、私の方に飛び込んできたのだ。

 

よく覚えている。

 

思わず私が泣いてしまったのも、よく覚えている。

 

 

――――今度は、始めて行った遊園地か。

 

観覧車を怖がっていたな。

 

でもジェットコースターは好きだった。

 

 

――――テストで百点を取った日。

 

晩飯は確か、あぁ、そうだ。

 

焼きそばだ。あの子の大好物だった。

 

お祝いに焼きそばだ。喜んでいたな。

 

 

――――あの子が、体調を崩したとき。

 

気が気ではなかった。

 

仕事も全て休み、付きっ切りで看病した。

 

病院の診断は残酷だった。

 

遺伝した病に、蝕まれていた。

 

長い間、入院生活を送ることになった。

 

 

――――妻を、病気で無くした日。

 

こんな所まで見てしまうのか。

 

いや、でも、仕方がない。

 

忘れることなど出来ないからな。

 

あの子は一晩中泣いていた。

 

何週間も、元気がなかった。

 

 

――――あの子が、艦娘になった日。

 

病は、艦娘を殺せない。

 

永くても15だと言われていたあの子は。

 

あの子は、妻を殺した病に、殺されなくなった。

 

嬉しかった。

 

これほど嬉しいことはない。

 

あの子は艦娘に、〝駆逐艦夕立〟に救われた。

 

 

――――泊地に、私と夕立が就任した日。

 

二人だけだった。

 

配属初日に、たった二人でパーティーを開いた。

 

一ヶ月もすれば他の艦娘も配属された。

 

夕立は、友達が出来て嬉しそうだった。

 

 

――――泊地の島で、縁日に出た日。

 

調子に乗ってかき氷と焼きそばを食べ過ぎていたな。

 

本当によく食べていた。

 

翌朝。

 

制服のホックが閉まらないと、泣きついてきた。

 

よく覚えているよ。

 

わざわざゴムに変えてあげたんだっけな。

 

あれでよく出撃できたもんだ。

 

 

 

あぁ、これは、あのときの――――。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

ずいぶんと、長かったと思う。

白い光景はゆっくりと流れ、止まり、徐々に光を失っていった。

 

 

そうか、もう終わるのか。

最期の最期に、いいものが見られたな。

 

ありがとう。

本当に、幸せだった。

 

 

――――夕立。どうか、長生きするんだぞ。

 

 



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第三十一話 死にもの狂いの鬼ごっこⅢ

真っ青な空に、空気を叩き潰す轟音が鳴り響いた。

腹の底を震わせるその音を聞き、立ち尽くす夕立は、

 

「あ……う、うそ……だよ、ね?」

 

震える声でつぶやいた。

 

視線の先ではもうもうと黒煙が昇っている。

青いペンキを撒いたようなきれいな空に、火の粉と(すす)のない交ぜになった黒煙は、遠慮を知らずに空へと昇っていた。

 

手のひらから力が抜ける。

 

ばちゃ、と足元で音がして、大切な二連装高角砲が海面へと滑り落ちた。

鉄でできているはずのそれは、しかし沈むこともなく、夕立の足元でいつまでも漂っている。

 

だが彼女は、大切な装備を落としたことにも気が付かなかった。

 

足の力が抜ける。

 

周囲の音が遠くなる。

 

急速に世界から色が失われていき、青かった空は灰色に、白かった雲は鈍色に、空を飛んでいる何か黒い小さなものは、もう、何の色になったのかわからなかった。

 

「あ…………そっか………」

 

わかった、わかったよ。

 

これ、夢かもしれない。

 

そうだよ、夢、だよ。きっと。

 

ほら、だって、もう目が覚めそうだよ。

 

ほら、ほら。

 

いつものようにベットから起きて、目覚まし時計を止めて。

 

洗面所に行って、顔を洗って。

 

髪をといて、制服に着替えて。

 

それから、それから。

 

あ………それから、おはようって、あいさつをするんだ。

朝ごはんを食べる前に、おはようって。

いただきますって。

 

いつもの食パンと、いつものマーガリン。

瓶に入った冷たい牛乳。

 

〝おはよう〟っていわなきゃ。

 

広くはないけど、私の一番大好きな場所で。

みんなが、三人が集まる(・・・・・・)この場所で。

 

大好きなパパと、大好きなママに。

 

あれ? なんだろう。

 

なにか、思い出せない。

大事なことを忘れてる。

 

パパと、ママに、おはようって。

パパと、ママに……。

 

パパ………? ママ………?

 

あれ……? え……?

 

うそ。

 

うそ、でしょ?

 

ねぇ、ねぇ……。

 

なに、これ。

え、え、え――――。

 

 

 

 

「赤城さん! 夕立をお願いします!!」

「任せてッ」

 

加賀の挙げた一声で、赤城は即座に動きだした。

弓を背中へ回し、両手を空ける。

 

糸の切れたように気を失い、海面へ倒れこんでいる夕立のもとへ、すぐさま駆け寄り停止することなくその腰に手をまわして担ぎ上げる。

 

直後、ほんの数瞬遅れて、夕立のいた場所が爆発した。

深海棲艦の航空機による爆撃だった。

 

額に冷や汗をかきながら、降りかかる海水を頭から浴びる。

 

目に見える危険をすんでのところで回避した赤城は、しかし欠片も安堵することがない。

 

(これは……相当に……ッ!)

 

マズいかもしれない。

 

六十年という長い期間、戦場に身を置いてきた赤城は、直感からして夕立の精神状態が最悪であることを悟っていた。

 

経験が長ければいろいろな事態に直面する。

 

望ましくない事が多かった。

 

今回もそうだろうか。

 

いいや、違う。きっとちがう。

夕立のこの経験は、そんなぬるいものではない。

 

望ましくない、なんてあいまいな表現では効かないほどに、これは最悪を極める局面。

 

助かりようのない敵襲と、取り戻しようのない大切な人。

 

…………夕立はもう、かえってこられないかもしれない。

 

赤城はぐったりとした彼女を肩に抱いたまま、頭の中を巡らせていた。

 

青かった空には無数の敵機がひしめき合い、気に障る羽音をまき散らし、7人の艦娘たちを分断する勢いで、やつらは対艦爆弾を落としている。

 

耳が衝撃でやられそうになる。

水しぶきが遠慮容赦なく降りかかり、海面はもはや面とは呼べないほどに隆起していた。

 

「……でも」

 

ここで、あきらめるという選択肢はない。

 

すぐに思考を切り替える。

嘆いていても今を変えることはまずできない。

 

赤城は叫んだ。

 

「被害の報告を!!」

 

脱出から間髪入れずにここまでの攻撃を受けている。

 

ヘリから落ちた時に、誰かケガをしたかもしれない。

波に取られて動けず、攻撃の餌食になったかもしれない。

 

いま自分の両足が海面についていること自体、奇跡なのだ。

 

全員の無事を祈る、しかし――――

 

柱のように左右で海面が吹き上がる、そのすぐ間を勢いよく潜り抜けながら、赤城は隊内無線に集中した。

 

 

『――――ザッ――ジッ――――すず――……なし! 繰り返す、五十鈴、阿武隈は無事よ。損害なし!!』

 

 

赤城の耳に入ったのは、まず五十鈴の声だった。

続いて阿武隈が、

 

『問題ありません、反撃します!』

 

大きな声でそう無線機越しに伝え、五十鈴の名を呼びながら回線を切った。

 

(よかった、彼女たちは無事。あとは、大和と雪風の確認をッ!)

 

そう思った矢先、身体を前から押さえつけられるような感覚がした。

遅れて、耳と腹と胸に衝撃が走る。

 

「……え?」

 

何が起きた?

なんで、なにが、おきているの?

 

あ、いや、そんな、ばかな。

 

脳が、爆弾の直撃を受けたことを認知した。

 

身体が浮く。

 

海面から両足が離れ、つま先から雫が糸を引くように離れていき、熱風がそれを一瞬にして焼き尽くす。

 

赤城は両腕に力を込めた。

ゆっくりとした世界の中で、身体がばらばらになりそうな衝撃を受けてもなお、夕立だけは絶対に離さまいとして。

 

歯を食いしばって衝撃に耐える。

胸が熱風であぶられる。

夕立を守ろうと赤城は中空で身をひねり、爆風と炎熱が完全に届ききる前に、彼女を胸の中へと抱き留めようとした。

 

その努力は実る。

 

「ぐ――――かはッ!」

 

すさまじい勢いの爆風に背中から叩き付けられ、肺の中の空気が無理やり外に押し出された。

それでも赤城は、両手にしっかりと夕立を抱きとめていた。

 

海面に落ちる。

 

横倒しのまま何度か転がり、止まり、そして、

 

「…………あ、ははは。すごい、わね」

 

自分が生きていることに、感嘆した。

 

海面に引き込まれない。

それは轟沈を(まぬが)れた証だった。

 

だが。

 

「もう、むり、ですね」

 

身体が動かない。

 

怖い。

 

何十年と戦っておきながら、生まれて初めて死に最も近い状況へと追いやられていた。

 

怖い。

怖い。

 

力が入らない。

 

起き上がって、夕立を担いで、主機を動かして舵を取り、一刻も早くここから逃げないといけないのに。

 

何をしなければいけないかはよくわかっているのに、赤城はもう立てなかった。

 

足の力が入らない。

 

夕立を抱きとめた腕からも、徐々に力が抜けていく。

 

右手が海面に滑り落ちる。

左手が夕立の身体に引っかかる。

 

もう抱きとめているとは言えなかった。

添い寝をするかのように、赤城と夕立は降りしきる爆撃のさなかで海面に横たわる。

 

「……ごめん……なさい、土佐……中将……」

 

夕立を守り通すことは叶わない。

 

赤城が悪いわけではなかったが、それでも謝らずにはいられなかった。

 

ほかの子たちは無事だろうか。

 

加賀は? さっきは無事だった。

でも今の私たちのように、攻撃を受けたかもしれない。

立ち上がれないかもしれない。

 

ほかの子も。

 

大和も、雪風も、結局確認ができなかった。

 

もうこの海面上にいないかもしれない。

 

「……あぁ、そう……これが、戦うって、ことなのね」

 

六十年も戦って、戦って、戦い抜いてすこし気が抜けていた。

 

心のどこかで、絶対に死なないと思っていた。

 

昨日無事だったから今日も無事という保証はどこにもないのに。

 

私たちのしていることは――――そういえば、戦争だった。

 

 

赤城と夕立の横たえた場所に、一発の対艦爆弾が落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!」

 

無数の弾丸が飛来した。

 

雪風の切り裂くような砲声と叫び声。

 

赤城と夕立めがけてまっすぐ降っていた対艦爆弾は、弾幕を浴びて横に大きく軌道をそらし、信管を狙い打たれ、二人に爆風が届くこともなく空の途中で爆散した。

 

身の丈に迫るほどの巨大な対空機銃を、雪風は膝立ちに構えている。

続けざま、二人に爆弾を落とした敵機を狙う。

 

「雪風の! 大事な仲間に! なんてことをしてくれるんですかッ!!!」

 

感情をむき出しに引き金を引く。

 

弾丸は吸い込まれるようにして敵機を射抜き、鮮やかなオレンジの炎を吹かせ、海へと叩き落した。

 

攻撃の手を止めない。

 

狙いを次から次へと変えつつも、確実にサイトした敵を打ち抜いていく。

 

立ち上がる。手は止めない。

 

赤城と夕立の上空を飛び回る敵機に、絶対に攻撃させたくない一心で雪風は引き金を引き続けた。

 

前進。

二人のもとへ向かう。

 

敵機は執拗な対空攻撃を嫌ったのか、ほんの少しだけ赤城達から遠ざかる。

 

それを確認した雪風は対空機銃の弾倉を交換すると、額に玉の汗を浮かべながら泣きそうな声で、

 

「しっかりしてください! 二人とも!!」

 

すぐさま駆け寄った。

一度空をにらみつけ、攻撃してきそうな敵がひとまずいないことを確認してから、しゃがみこんで赤城の様子を探る。

 

「雪、風……逃げ……て」

 

赤城の艤装は海面に浮いているのが奇跡といえるほどに、片っ端から吹き飛んでいた。

 

口の端から吐血しているのがわかる。

 

(防護膜があっても、身体にダメージが……)

 

赤城の生身の身体がどれほどの状況かはわからない。

しかし艤装はもう確実に、曳航もままならないほどに落ちている。

 

夕立のほうを見る。

 

赤城よりはダメージが少ない。

外見上、艤装はまだ動かせる。

 

でも。

 

意識がない。

 

どうして意識がないのか一瞬考え、考え、考え抜いて出た答えに、雪風は首を横に振った。

 

夕立と土佐中将が親子であったことを思い出す。

ヘリの中でずっと、夕立は土佐中将から離れなかったことを思い出す。

 

「…………」

 

島を見た。

 

いまだに黒煙はもうもうと上がり、その出所では赤々とした炎が上がっている。

 

「……無理も、ないですね。だけど夕立のお父さんのおかげで、雪風たちは助かりました」

 

敵機は土佐中将の思惑通り、無人島の上を大多数が旋回している。

もしあれがなかったら、あそこにいるすべての機体から攻撃をされていた。

 

絶対に助からなかった。

 

「ありがとう、ございます。土佐司令官」

 

まぶたの奥が熱くなる。

 

涙で視界がゆがみ始める中、これではいけないと急いでぬぐい、もう一度島を仰ぎ見た。

 

重苦しく耳障りな音を響かせながら、敵がひしめきあっている大きな無人島の上空を。

 

やつらは、ただただ飛び回っていた。

 

「……? あれ……?」

 

ただ、飛んでいた。

 

 

 

 

執務室。

 

カーテンは閉め切られ、書類が積み重なり、照明を最小限にした薄暗い部屋で、三枚のモニターはこうこうと戦場を映し出していた。

 

私は執務机に着いたまま何も言えず、モニターを眺め続ける。

 

「…………」

 

手のひらが熱くなる。

胸の奥がじくじくと痛み、自責の念が押しつぶしてくる。

 

遅かった。それは間違いない。

 

七人の艦娘は生きているが、ヘリの操縦士と土佐中将はだめだった。

 

もっと早くに偵察ができていたら。

もっと早くにこの事態に気付いていたら。

 

何かできたかもしれない。

今更遅いのは百も承知だが、後悔の念が波のように襲ってくる。

 

どうしてだ。

何がいけなかった。

なぜこうなった。

 

私にできることは何だ。

私がしなければいけなかったことは。

私がしなければいけないことは。

 

これからどうする。

何をすればいい。

 

私は、なんだ、なにが、どうすれば――――。

 

「ねぇお姉ちゃん」

 

しんと静まり返った執務室に、唐突と、フレンダの声が小さく響いた。

 

「どうした」

「もしヘリが墜落したこととか、何人かが犠牲になったことを責めてるなら、それは違うからね」

「…………わかっている」

 

一瞬のためらい。

とっさに嘘をついた私の顔を、フレンダはゆっくりと微笑みながらのぞき込んできた。

 

「今の間がすべてだよ。口ではそう言ってもわかるんだから。お姉ちゃん、ちょっといいかな?」

 

立ったまま腰を曲げ、椅子に座る私の頬を両手で包み、額と額をそっと合わせてささやく。

 

「……お姉ちゃんは優しいよ。そこがとってもいいところ。でもね、だったら、自分にも少しくらい優しくして。じゃなきゃお姉ちゃん壊れちゃうよ?」

「軍人が自分に甘くなったら、それこそ壊れだ」

「負うべきものが責任で、負わなくてもいいものまで負うのが責任感なんだよ」

「…………」

 

言わんとしていることはわかる。

 

だがなフレンダ、責任感のない人間にこの職は務まらない。

 

――――そう、そうだな。

 

そのとおりだ。責任あってこそ務まるもの。

 

後悔することが起きたなら、次の行動に活かすべきだ。

 

自分の行いを悔い、今度こそはと改める。

 

すっと、胸の内で何かが晴れたのを感じた。

 

「……すべて負って、初めて指揮官だろう。責任も後悔も、負ってすべてが私になる」

「むぅ」

 

ぷく、と不満げに頬を膨らませたフレンダは、しかしゆっくりと私から離ると、肩をすくめながら微笑んだ。

 

「ぜんっぜん私の話聞いてくれないじゃん…………まぁでも、もう大丈夫そうだね」

「おかげさまでな」

 

本当に、この子は頭がいい。

私が踏み外しそうになると、いつも行くべき道のヒントを出してくれる。

 

助かる。

良い妹を持ったものだ。

 

――――さて。

 

「では、どうしようか」

 

気持ちを切り替える。

 

懐から鉄砲アメを一つ取り出し、口の中に放り込む。

隣のフレンダにも一つあげてから、ころころと舌の上でその味を堪能する。

 

同時に、頭をフル回転させる。

 

増援艦隊の七人を救うためには何ができるのか。

 

ここから艦隊を出すことはできない。

当然、本土からの手助けも望めない。

 

もたもたしていては彼女たちまで失うことになりかねないが、しかしこの状況。

切り抜けるには困難を極める。

 

考えろ、考えるんだ。

現場では何が起きている?

 

ヘリが墜落した。

 

艦娘は海の上。

 

そこを攻撃する敵機の数は?

 

襲来した奴らのすべてではない。

 

だいたい百とちょっとだ。実際に攻撃しているのはそのくらいしかいない。

 

いづれもが爆弾を落とし、魚雷を落とし、海面が変わるほどに爆ぜさせる。

 

「……?」

 

ん? いや、まてよ。

 

何かおかしいぞ。

 

モニターをもう一度よく見直す。

 

三枚に映る鮮明な画像。

そのなかの無人島に目を向ける。

 

墜落したヘリがもうもうと黒煙を上げている。

島と海の境目は、東側が切り立った崖と横穴。

西に砂浜を持ち、中央に広い森がある、そんな無人の島。

 

その上空。

 

おびただしいほどの敵が、島の周囲をぐるぐると飛んでいる。

 

違和感の正体はこれだった。

 

ヘリが墜落した地点を確認しているにしても、数が多すぎる。

あれはどう考えても墜落した機体を狙うために飛んでいるのだろう。

 

だが、おかしなことに一つの攻撃もしていない。

追い打ちをかけることもなく、通り過ぎることもなく、ただただ周囲を旋回している。

 

攻撃していないのか、それとも、

 

「……できないのか?」

 

転瞬、頭の中でめぐる考えに一つの筋が見えた。

 

使えるアイデアかどうかはわからない。確認が必要だ。

 

「フレンダ」

「なに?」

「対艦爆弾を陸地に使う場合、高度はどのくらい必要なんだ?」

 

陸地攻撃用の爆弾と対艦攻撃用の爆弾とでは、その性質が大きく異なる。

 

対艦攻撃を想定している場合、装甲をぶち抜いたうえで炸薬を活かすために、弾殻を厚くして爆弾そのものの強度を増している。

 

つまり低空から陸地に落としても爆発しない。

 

「接地面の性質によりけりだけど、相当上がらないと爆発しないよ。まして土なんてね、中途半端なところから落としたら地面に突き刺さるだけだよ」

「わかった」

 

逆に高度が上がると爆発するわけだが、その代わり狙いはつけられない。

狙いをつけるために低空を飛べば、爆弾は効力を発揮せず、無用の長物となる。

 

この状況から考えられる、我々に取れる手段とは。

 

――――森の中からの対空攻撃。

 

敵はこちらの位置をつかめない。

掴もうと低く飛べば爆弾が使い物にならない上、逆に我々は敵を狙いやすくなる。

 

作戦としては及第点だろう。

決定的な問題が残るが。

 

「あの数、どう出るのか……」

 

敵が物量を活かしてそこかしこに落とす可能性があること。

爆弾の雨を降らし、狙いなどつけず、ただただ面で攻めてくる。

そんな事態になると困る。

 

島の上空を飛んでいる大量の連中と、いまなお艦娘に攻撃を仕掛けている百近い敵機。

これらが一斉に降らせて来たら、隠れるうんぬんの意味がない。

 

どうする? やり過ごすか?

 

……そうだな、それしかない。

 

何もこちらからすべてを削る必要はない。

 

敵の燃料も無尽蔵というわけではないのだ。

ならば、いつまでもああして飛び回っているということも考えにくい。

 

いつか動く。動いてくる。

 

それさえやり過ごせば勝機はある。

 

「よし」

 

無線機のスイッチを入れ、モニターの向こうの彼女たちに繋いだ。

 

「――――増援艦隊諸君、こちらネルソンだ。島の東側に岸壁がある。横穴を見つけて退避せよ。繰り返す――――」

 

二度、三度と同じ指令を出す。

 

四度目で雪風との相互通信がかかった。

 

『ネルソン司令! 赤城さんと夕立が!!』

「雪風大丈夫だ、聞こえている。モニターでは詳しい状況が見えないから報告してくれ」

 

モニター越しに赤城が爆撃を受けたのは見えていた。

だが詳しいダメージまでは確認できていない。

 

すぐそばにいる雪風は、涙を必死に抑えた声で訴えた。

 

『赤城さんが、対艦攻撃に当たって、艤装がなくなって、あと、あと……ヒック……エグッ……』

「雪風、落ち着け、大丈夫だ」

『赤城さんが……ヒッ……し、死んじゃう……エッ……グ……助けて、司令……!』

 

雪風の嗚咽が止まらなくなった。

 

「どうなっているのか報告してくれ」

『血が、血が止まらないんです!』

 

…………血?

 

急いでモニターを操作し、周囲の状況を一度確認してから、目いっぱいにクローズアップをかける。

 

雪風が赤城を抱き上げているのがわかった。

なるべくはっきりと見えるところまで拡大し、その惨状を見て、

 

「なんだ、これは……」

 

息を飲む光景が横たわっていた。

 

赤城の胸元は真っ赤に染まり、海水によってそれが斑紋上に広がっている。

口元から首にかけては肌色の見える部分がない。

 

「吐血してるね」

 

フレンダものぞき込み、手元のメモ用紙に何やら書き込みをし始めた。

 

「お姉ちゃん、あれマズいよ。肺のどっちかが傷ついて、大量に出血してる。いくら艦娘でも内臓が逝ったら沈む沈まないの次元じゃなくなるよ」

「だが防護膜を無視してあんなことになるのか……? だとしたら」

「赤城は事実、あの様子だよ。爆弾一発であんなことになるのは私も信じられないけど、でも現実がそうなってる」

 

何が起きているのか。

 

――――ふと、今朝がたのことを思い出した。

 

最上の身に何があった?

 

あれは、ここ六十年、艦娘という概念にはなかったことじゃないか。

 

そしてただの人間には起きること。

 

人間に起きることが、艦娘にも起きた。

 

では、今まで艦娘にあったものは?

 

おい。

 

おいまさか。

 

「……フレンダ」

「その先、あんまり言いたくないんだけど…………艦娘、たぶん人間になっちゃったね。防護膜なんて期待できないよ」

 

完全に消えたわけではない。

もし消えていたら赤城は影も形も残らないだろう。

 

だが艦娘の生身の体を守っていた防護膜は、これまでの耐久力を失ったということだ。

 

爆撃をもろに受ければ内臓の一つや二つが逝く。

 

笑えん。ふざけるなよどうなっているんだ。

 

こんな状況で。

こんな境遇で。

 

本当に戦えるのか。

 

『て、提督……』

「赤城、しゃべるな!!」

 

無線越しに今にも消えそうな赤城の声が聞こえた。

まだ死んでいない。

 

だが長くはもたないぞ。

 

雪風の嗚咽交じりの声と、赤城の弱々しい呼吸音が聞こえる中、別の通信が入った。

 

『ネルソン提督、聞こえますか?』

 

大和からの通信だった。

 

「大和、無事か!?」

『こちらは大丈夫ですが、加賀が敵の攻撃を受けて艤装を失いました』

 

モニターを見る。最悪の事態が一瞬頭をよぎる。

しかし、そこに映っている人影はいくつかが重なっているものの、しっかりと七人分あった。

 

「沈んではいないのだな!?」

『今は私の背中で眠っています』

「大和、お前のダメージは?」

『少しもらっていますが、身体のほうはぴんぴんしていますよ!』

 

明るい声だった。

状況を理解していないわけじゃない。わかったうえでわざと明るくふるまっている。

 

無線はすべての者に開放してある。

つまり今意識のあるものは、赤城が死にかけていることと加賀がもう海上に立てないことを知った。

 

「……五十鈴は? 阿武隈は大丈夫なのか?」

『私たちは大丈夫よ! それよりどうするつもりなの!?』

 

叫び声が返ってくる。

 

よかった、二人とも無事らしい。

伊達に改装を重ねているわけではないということか。

 

しかし……。

 

モニターを見る。

敵は相変わらずの攻撃性を保ち、主に五十鈴と阿武隈にヘイトを寄せていた。

 

二人がうまく引き付けている。

 

そのおかげで赤城の周囲には敵が来ていないし、大和のところにもそれほど多くは来ていない。

 

彼女は両手がふさがっていても、かまわず機銃で対抗できることが救いである。

 

「どうすればいい。赤城は、どうすれば……」

 

気が焦りだす。

マズいぞ。今度こそはマズいぞ。

 

赤城を失えば、加賀は下手すると使い物にならなくなる。

ともすれば航空戦力はなくなり、硫黄島からの攻撃に対処する方法が大幅に減る。

 

いや、それだけじゃない。

 

そもそも艦娘の定義が変わった。

 

何が変わったのか未知数だが、少なくともダメージを受ければ死に直結する。

沈む沈まないではなく純粋に明確な死を迎えることになる。

 

それは今現在行われているこの戦いでも同じだ。

 

赤城と加賀は、このままでは何もできない。

横穴へ退避させることも、海の上で戦わせることも。

 

百歩譲って加賀を大和が運びきれるとして、赤城はどうしようもない。

雪風が運ぶことは不可能であり、夕立を雪風に任せるしかない。

 

――――赤城を見捨てれば、残りの者は助かる。

 

――――それは戦略としては正しいのだろう。だがそれでいいとは微塵も思わない。

 

頭が痛い。

 

悪い方向に流される。

思考が黒く染まっていく。

 

もう、赤城を見捨てる考えしか思いつかない。

 

このまま硬直すれば赤城だけでなく雪風と夕立まで失うことになる。

それは絶対にあってはならない。

 

決めねば、ならない。

 

「…………全艦に通達。戦っている者も、手を休めることなく聞いてくれ」

 

重い思考を無理やり動かす。

 

言いたくない。

 

だが指揮官としてできることは、その最大の責務は決断することにある。

 

私が下すしかない。

 

「現時刻をもって、赤城を艦隊から外し――――」

 

そこまで言った時だった。

 

『おいおいネルソン』

 

目の前の机に、柔らかな光とともに小さな彼女は腕組みをしながら現れた。

 

『確かに優秀な指揮官は即時の決断を求められる。でもだからって忘れられちゃあ困るなぁ』

「………女神?」

 

青いはっぴ姿の彼女は、よく通る声で、

 

『応急修理女神、ここに参上! ってね』

 

口元を不敵にゆがませながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




奇跡は、割とすぐ近くに落ちている。 by奥の手

随分とお待たせしました。新しい相棒が無事届きましたので、のそのそと更新を再開していこうと思います。


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第三十二話 死にもの狂いの鬼ごっこⅣ

ネルソンとフレンダの信頼関係は並みのものではない。


「応急修理女神?」

 

小首をかしげながら復唱したフレンダに、青いはっぴ姿の妖精は身体ごと向けて答えた。

 

『そ。私の名前は応急修理女神と呼ばれている。ネルソンはいつも女神と呼んでいるがね』

「それは知ってるし、君と会ったことは何度かあるけど、それがどうしたの?」

 

フレンダは眉をひそめながら、少しだけ言葉に怒気をはらませながらそう言った。

状況がひっ迫している中、回りくどい説明をする女神にいい気はしないだろう。

 

それは私も同じだ。

 

「女神、状況を見ろ。ふざけていい時ではない事ぐらいわかるだろう」

『わたしは大まじめだし、ふざけてもいない』

「なら――――」

『いいから黙って聞くんだ』

 

女神の顔から不敵な笑みが消える。

 

代わりに、強い意志を感じるまなざしで、まっすぐに私を見た。

 

『わたしの力を使って、赤城を取り戻すんだ』

「…………それはできない」

 

首を横に振る。

リスクが高すぎる。

 

いや、わかっている。

二人を助ける方法は確かにこの、女神の力を使うことしかない。

 

そうすれば赤城は体力も艤装も元通りだ。

 

だが。

 

この力を使えば、私は意識を失う。

土佐中将から託された指揮権は一時的に消失し、あの艦隊を導ける者はいなくなる。

 

しかも、それだけじゃない。

 

「…………もう、艦娘を艦娘として回復させることはかなわないかもしれないのだ。これまでの彼女たちとは明らかに違うのだぞ」

『やってみなければわからないだろう』

「それでだめだったらどうするんだ!」

 

声を荒げて拳をきつく握りしめる。

ためしにやった、それでしくじった、では取り返しがつかない。

 

自分の冷静でいられないことに気が付き、一度頭を振って、静かな声でもう一度言う。

 

「……賭けるにはあまりにも大きすぎるんだ、女神」

『だからと言って赤城を見捨てて、それでこの先どうするつもりだ』

「航空戦力に頼らず、水上部隊だけで攻める」

『本当にそれでいいと思っているのか?』

 

女神のまっすぐな瞳が私を射抜く。

 

「…………」

 

いい、わけがないだろう……。

 

赤城は、私が初めてこの世界に来た時からの知り合いだ。

初めて指揮を取った時に動いてくれた、大事な部下だ。

 

何度も何度も動いてくれた。

六十年越しの今回だって増援艦隊に入ってくれていた。

 

大切な存在だ。

 

それを、そんな彼女を、失っていいなどと思うはずがなかろう。

 

胸が痛い。

頭が重い。

 

 

 

「…………それでも、艦隊のすべてを賭けるリスクに私の情を挟んではいけない」

 

しぼりだした私の声はちゃんと女神に届いているのだろうか。

 

女神は私から視線を外し、腕組みをしたままモニターを見上げた。

 

『決断に時間をかけないことは、君が優秀だといわれる理由の一つだろう。でもそれよりももっと、君が〝ネルソン提督〟である理由があったはずだ』

「………?」

 

私が私である理由。

何のことを言っているのか。

 

『ネルソン。わたしはね、君のやさしさは最大の強さだと思っている。君の偽りや建前からは到底引っ張り出せないやさしさが、艦隊の指揮を執るうえで君の強さを引き出せるカギだと思っている』

「そんなことは」

『いいかいネルソン。ここは君のいた戦場じゃない。場所も、時代も、世界すらも違う。君のいた世界で君の周りの人間が〝当たり前〟としていたことこそ、ここでは通用しない』

 

直後、女神の身体が赤みを帯びた光に包まれた。

 

ゆっくりと振り返り、腕組みを解いて私のほうに両手を差し出す。

 

『戦う者の命のために、戦果を顧みない人。この世界はそんな指揮官も必要なんだよ、ネルソン』

 

にこ、っと女神が笑ったのと、執務室の扉がノックされたのは同時だった。

 

 

 

 

時雨お姉さんの部屋はちょうど暖かな光が入ってくる場所にある。

 

僕はベットの端に座って、やわらかな日が差し込む窓の外をボーっと眺めていた。

 

でも心の中は静かにざわついている。

 

「……大丈夫、かな」

 

不安がそのまま口から出た。

 

「大丈夫だよ。最上の偵察機はここから遠い場所にあったし、今のところ対空レーダーにも敵の反応はないからね」

 

時雨お姉さんは机に座って背を向けたまま、そう答えてくれた。

 

手元には二連装砲がおかれていて、布とスプレーで何やら整備をしているらしい。

 

ついさっき鎮守府内に非常警戒の知らせが出された。

 

最上さんの出していた偵察機が落とされて、つまり敵の飛行機が飛んでいるって。

 

あれからいくらか時間が経った。

 

ネルソン提督からは特に何の知らせもなく、時雨お姉さんも含めて艦娘のみんなは自室に待機している。

 

本当なら僕はフレンダさんの研究所に連れていかれるはずだった。

でも時雨お姉さんが言うに、進路上に敵がいるからヘリコプターが飛べないらしい。

 

「時雨お姉さん」

「なに?」

「出撃、するんですか」

 

時雨お姉さんは手を止めて、椅子をくるりと動かして僕のほうに体を向けた。

 

「その時が来たらね。でも今じゃないよ」

 

ほんの少しだけ笑みを浮かべてそう言った時雨お姉さんは、机の上の二連装砲を手に取って、僕の隣に座った。

 

ベットが控えめに沈み込む。

 

二人並んで明るく照らされている外の景色を静かに見る。

 

時雨お姉さんは何か言うのかと思ったけど、何も言わず、無言のままどちらもしゃべらない時間が流れ始めた。

 

なにか聞かなきゃいけないことはなかっただろうか。

 

自分に問い直しても、いま何が起きているのかがわかってないから何が不安なのかもわからなかった。

 

胸の中でぐずぐずしている感情は、どうしょうもなく消せそうにない。

 

自分の知らないところで、でも放っておいてはいけないところで、何か――――いや、誰かが今にも消えてしまいそうな感覚がある。

 

「……時雨お姉さん」

「ん?」

 

名前を呼ぶと小首をかしげながら、こちらに視線を向けてくれた。

 

「どうしたの」

「誰か……ネルソン提督の艦隊の誰かが、海に出ていたりしますか?」

 

僕のその問いに時雨お姉さんは僕から視線を外し、頬に指をあてて天井を見ながら考え込んだ。

 

そのまま何秒か経ち、そしてゆっくりと首を横に振りながら、

 

「ごめん、ボクは誰かが出撃したって話は聞いてないよ。たぶん誰も出てないと思うけど……どうしたの?」

 

訝しげにそう言った。

 

「…………」

 

どうしたんだろうか。

自分でもわからない。

 

でも、何かむずむずする。

本当に誰も出ていないのだろうか。

 

よくわからないけど、時雨お姉さんに全部伝えようと口を開きかけた時だった。

 

(けい)、今すぐ下に降りてネルソン提督のところへ行くのね!』

「羅針盤の妖精さん!?」

 

僕の膝に淡い光が走ったかと思うと彼女は一瞬にして現れた。

 

急なことでびっくりしてしまったがそれよりも、

 

「ネルソン提督のところに? なんで?」

『理由なんて話してる暇ないのね! とっとと行って艦隊を導くのね!!』

「え、あの、え?」

 

となりで時雨お姉さんが目を白黒させていたが、さすがという言うかなんというか、すぐに落ち着きを取り戻して二連装砲を持ったまま立ち上がった。

 

「君が恵を召喚した妖精なんだね?」

『はじめまして、なのね。でも自己紹介はあとで! 恵はやく! 間に合わない!!』

 

羅針盤の妖精はするすると僕の頭まで登ってくると、髪をつかんで落ちないようにうずくまった。

 

なんなのかよくわかんない、けどさっきから感じてた胸の中のぐずぐず感の正体がわかった気がする。

 

誰かを導かなきゃいけない。

扶桑さんと一緒に輸送艦隊のみんなを指揮したあの時と同じ感じがする。

 

「恵、行っておいで」

「時雨お姉さんは……?」

「僕は待機命令が出てるから勝手なことはできないよ。ひとりで行けるよね?」

 

一瞬、時雨お姉さんから離れることに抵抗を感じた。

まだこの部屋にいたい。ほんの少しだけそう思った。

 

…………いや、思っただけ。わがままなんて言わない。

名残惜しい気持ちなんて、一秒足らずでふっ飛ばした。

 

「いけます! 行ってきます!」

 

うなずき、立ち上がり、走り出す。

 

ドアノブをまわして廊下に出て、バタバタと言わせながら階段を下りている途中、ふと気になることを思い出した。

 

「海に出ていないのに羅針盤を使うって、妖精さん大丈夫なの?」

『かまうことないのね。命と疲労を同じ天秤に乗せちゃダメなのね!』

「あ、そっか……うん、そうだね! がんばらなきゃ!」

『応援してほしいのね』

 

明るい妖精さんの声を聴きながら、僕はネルソン提督の扉の前に立った。

 

 

 

 

息が少し上がっているけれど、かまわず扉をノックする。

 

二回、時雨お姉さんがやっていたように。

 

『わずらわしいのね、とっとと開けるのね!』

「でもちゃんとノックはしないとダメなんじゃ……」

 

そんなことを言っていたら、ドアが勝手にあいた。

 

扉の向こうは薄暗く、モニターの光がぼうっとあるだけで、ほかに明かりらしいものは何もない。

 

扉を開けてくれたのはフレンダさんだった。

 

「あの、フレンダさん、ネルソン提督!」

 

今になって心臓が早鳴りして、何を言えばいいのかわからなくなってしまう。

 

でも、

 

『ネルソン、さっき女神から呼ばれたのね! 恵を部屋に入れて指揮の補佐をさせてほしいのね!』

 

羅針盤の妖精さんが代わりに言ってくれた。

女神さんから呼ばれたなんて僕は知らないけれど、とにかくこれで入れてもらえるかもしれない。

 

「あ……え?」

 

ネルソン提督は驚いた様子で目を見開き、でもすぐに引き締めて、フレンダさんのほうを見た。

 

僕もフレンダさんを見上げる。

くす、っと彼女は笑い、何も言わず僕の両脇に手を差し入れて軽々と抱き上げた。

 

そのままネルソン提督の横まで歩き、落ち着きはらった声で言う。

 

「お姉ちゃん、あとは任せてよ」

「……そういうことか。すまない、二人とも」

 

何があったのかよくわからず、状況が呑み込めないままに腕の中でふたりの顔を交互に見るしかなかった。

 

なにか変。

まるでネルソン提督は指揮をとらないみたいな言い方――――。

 

『じゃあ、やるぞ』

 

唐突に聞こえた声。

モニターの前にいつの間にか女神さんが居た。全然気が付かなかった。

 

そして彼女がものすごい光を発した、その瞬間。

 

「……え?」

 

ネルソン提督は机に突っ伏していた。

 

 

 

 

何もかもが急の出来事で頭が追い付かない中、女神さんは丁寧にかつ素早く現状を説明してくれた。

 

『――――以上だ恵。これ以降はフレンダが指揮を執り、必要に応じて恵が補佐をする。何か質問は?』

 

僕は女神さんからこれまで何があったのかを聞かされた。

羅針盤の妖精さんに女神さんが助けを頼んだらしい。

 

僕がこれから何をするのかも、だいたい飲み込めた。

 

全部が全部起きたことを理解したわけじゃないけど、でもとにかく今、危険な目にあっている艦娘がいることはわかったし彼女たちを救うために何をすればいいのかもなんとなくわかった。

 

「質問はないです。すぐに艦隊のみんなを――――」

「大丈夫、もうやってるよ」

 

言いながらフレンダさんは、さっきまでネルソン提督の座っていた椅子に腰を下ろした。

ネルソン提督はと言うと床に敷いた毛布の上に寝かされている。

 

「さて」

 

フレンダさんは一声ついてモニターを見る。

 

僕もその横に立ってモニターを見ようとしたけれど、どうしても気になってフレンダさんのほうに視線が泳いでしまった。

 

「…………?」

 

目が合った。

僕を見据え、透き通った黄色い瞳を柔らかく細めて、微笑みを浮かべながらフレンダさんは見返してきた。

 

あ……えっと、なにか言ったほうがいいかもしれない。

 

「……さっきのすごかったですね」

「私も初めて見たよ。まさかお姉ちゃんにあんなことができるなんてね」

 

フレンダさんは肩をすくめながらそう返してくれた。

 

目に焼き付いた光景を思い起こす。

 

あの光がモニターの中の赤城さんの体を包んだかと思うと、一瞬にして艤装が復活した。

次いで身体が動くようになって、無線からは元気な赤城さんの声が聞こえてきて。

 

血が出てたって聞いたけど、僕が見た時には全くそんな風ではなかった。

 

何百キロも離れたところから艦隊の傷ついた人を一瞬で治せる――――これが、ネルソン提督の能力。

 

僕に艦隊の進路を導く力があるように、ネルソン提督は艦隊の命をつなぎとめる力がある。

 

代償にネルソン提督本人の意識を奪い取られるけど、でもこうやってフレンダさんのような後を任せられる人が近くにいれば、安心して使うことができる力だと思う。

 

やっぱりすごい。

 

『……賭けには勝ったぞ、ネルソン。あとはフレンダと恵が頑張ってくれる』

 

静かな声が聞こえてきた。

後ろで女神さんが、横たわったネルソン提督の頭をなでながらそう言っていた。

 

三回ほど撫でてから、振り返って僕の足元までやってくる。

 

僕はしゃがんで女神さんを手のひらに乗せ、モニターの前で降ろしてあげた。

 

増援艦隊はいま、赤城さんと加賀さんが完全に復活した状態で無人島の東側にある切り立った崖のところまで移動している。

 

そして首尾よく横穴を見つけてそこに避難できた。

 

ここまではネルソン提督の指示通りだ。

ここからは、フレンダさんの指揮で動くことになる。

 

僕はそのお手伝い。

 

………出会って数時間しかたっていないけれど、フレンダさんと一緒になら、うまくやれるような気がした。

 

 

 

 

崖の横穴に入った艦隊は入り口付近で雪風と大和が空をにらみ、五十鈴、阿武隈が真ん中で休憩、一番奥では赤城と加賀が夕立の様子をうかがっていた。

 

さっき自分の身に何が起きたのか、赤城は理解できなかった。

今もできていないのだがネルソン提督が何かしたということはわかった。

 

そしてそのネルソン提督は現在指揮が取れる状況ではなく、若い女性が代行をすることも。

 

まぁ、いい。

ネルソン提督のことは大昔から信用している。

その提督が全権を任せる女性だ。きっと信じてもいい。

 

赤城はそう思い、ちゃんと指示に従い、そしてこれからも従うつもりである。

 

「赤城さん、夕立は……?」

 

意識を現実に引き戻す。

 

両手の中ではいまだ目覚めない夕立が、不規則な呼吸と汗を流しながらぐったりと意識を失っている。

 

「……精神性のショックだと思います。でもこんなことになった艦娘はいままで見たことがありません」

「私もないわ。でもまさか、このまま目覚めないことはないでしょう」

「わかりません。とにかくネルソン提督のところまでは確実に私が連れていきます」

 

土佐中将に直接頼まれたわけではない。

 

でもこの子がまだ〝夕立〟じゃなかった頃を知っている赤城は、このまま誰かに押し付けるなんてことはしたくなかった。

 

――――海軍関係者の子供が艦娘になるケースなんて、そうそうあるものじゃない。

 

だからこそこの子が艦娘になるという話を聞いたときはとても驚いた。

 

横須賀の蜻蛉(かげろう)提督と土佐中将は仲が良い。

 

プライベートで土佐中将がうち(横須賀)へ来た時には、いつもこの子がついて来ていた。

 

この子は私のことを覚えていないかもしれないが、私はよく覚えている。

一緒に遊んであげていた。一日中一緒にいたこともある。

 

私の休暇日に限って遊びに来るものだから、それはもう、当時はよく相手をしてあげていた。

 

私の艦載機を追いかける彼女は子犬のようにはしゃいでいた。

 

あの頃に比べると容姿はずいぶん変わっている。

 

でも数年ぶりに会ったのがあのヘリの中で、土佐中将からずっと離れずにいた様子を見たときに、中身は変わっていないのだと気が付いた。

 

「…………永く艦娘をしていると、こんなこともあるのですね」

「?」

 

ひとりごちた赤城の言葉に加賀は首をかしげるも、あえてそこには踏み込まない。

 

かわりにこの先について確認をとった。

 

「赤城さんだけでずっと夕立を連れることは、困難ではありませんか?」

「大丈夫ですよ。駆逐艦の子ひとりを背負って移動もできないようでは大型艦の名が廃れます」

「…………無理はしないでくださいね」

「どうしてもの時には、よろしくお願いします」

 

微笑みながら頭を下げる赤城に、六十年来の戦友は当然のようにうなずき返した。

 

 

 

 

 

 



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第三十三話 死にもの狂いの鬼ごっこⅤ

やってくれるよフレンダさん。


「身内同士の競争ほど醜いものはないよね。こと兵器開発においてはさ」

 

フレンダさんは僕を膝の上に座らせ、頭をなでながらそうつぶやいた。

 

「フレンダさん?」

「あぁごめん、こっちの話」

 

苦笑しながらそう答え、机の上に出したノートパソコンに何かを打ち込み、再び僕の頭をやさしくなでながら小さく漏らす。

 

「……自分の兵器を使ってほしい科学者が多すぎるんだよ。だから他人の優れた兵器を貶めて使い物にならなくする。いやなところなんだよ、私の業界は」

 

ため息交じりの声。

 

モニターの中では一機のヘリが、敵機ひしめく無人島へと向かっていた。

僕はフレンダさんの膝の上で、何を言っているんだこの人はと胸のうちで思ったけど言わなかった。

 

 

 

 

数十分前。

 

フレンダさんは洞窟の中に避難している増援艦隊へ連絡を取った。

 

しばらくの間ネルソン提督に代わって、指揮を執るのはフレンダさんであること。

 

それから今まで起きたことと、これから起こす作戦内容を他の海軍関係者に口外してはいけない事。

 

ついでにフレンダさんと僕のことについても詳しく教える気はないこと。

 

最後に、絶対にそこから助け出すのでまぁ頑張ってほしいとのこと。

 

一方的に無線をつないで、伝える事を伝えるとまた一方的に切ったフレンダさんは、隣に立っていた僕のほうを向くと、

 

「ちょっといいかな? 膝の上に座ってよ」

 

と何の気なしに言ってきた。

 

展開が早すぎる。脈絡がつかめない。

 

わけもわからないままとりあえず最初は断った。

 

恥ずかしかったし、どうしてそんなところに座らなきゃいけないのかわからなかったからだけど、何度か頼まれてしまったので結局僕はフレンダさんと一緒に執務椅子に座っている。

 

すっぽりと腕にはまるように落ち着くと、ますます今の状況に納得がいかなくなる。

 

でも降ろしてくれそうにない。

左手でがっちりホールドされている。なんで。

 

まぁ、ずっと立っているのもしんどいからそれよりはいいんだけどさ。

 

もうしょうがないから別のことを考えるようにした。

 

フレンダさんはどうやら、僕とフレンダさんのことを増援艦隊のみんなには知られたくないそうだ。

そうじゃなきゃ〝私たちの事を聞くな〟なんて命令はしないと思う。

 

それにどういうわけか、これからする作戦を他の人に言うなと念を押した。

なんでそんなことをするのかはわからない。

 

ネルソン提督の力が海軍の偉い人に知られるとマズイ、というのはなんとなくわかる。

あんな力ははっきり言って反則だ。

 

きっとみんながみんな、うらやましいと思うにきまっている。

ネルソン提督は長い間戦ってきたのに、海軍の人たちどころかフレンダさんでも知らないような力なんだ。隠したいのは僕でもわかる。

 

でもこれからする事まで秘密にするなんて、いったい何をしようとしているんだろうこの人は。

 

そこまで考えたとき、フレンダさんはポケットから端末を取り出して、どこかに電話を掛けた。

 

「あ、ゴーヤ? 出撃だよ。私のノートパソコンをヘリから持ってきてもらえる? うん、ありがと。あぁそれと、アレ使ってみるよ。斉藤さんと一緒に戦場へレッツゴー」

 

 

 

 

で、今に至る。

 

運転手だった斉藤さんと、潜水艦娘のゴーヤさんはついさっきヘリで出撃した。

 

「フレンダさん、質問してもいいですか?」

「なんでも聞いてよ」

 

ご機嫌な表情で僕の頭をなで続けるフレンダさんは、カタカタとパソコンを操作しつつそう言う。

 

「斉藤さんって、普通の人間ですよね? あんなに敵がいっぱいいるところに送り出して大丈夫なんですか?」

「彼はああ見えて結構強いからね。この国の正規軍パイロットなんて比べ物にならないところで訓練されてきた人だから」

 

何だすごい人なのか。

いや納得していいのかわからないけれど。

 

それにゴーヤさんだ。

なぜ潜水艦の人を? どうやって空を攻撃するの?

 

質問したいことはまだまだあったけど、モニターの中に動きがあった。

 

フレンダさんは無線機を手に取って、左手でパソコンをカタカタと操作しながら増援艦隊のみんなへ指示を出した。

 

「これより島へ上陸します」

『え?』

 

返答は赤城さんだった。

 

「敵機の攻撃が比較的弱くなりました。このまま引くのを待ってもよいですが、次は敵艦隊とセットで相手をする可能性もあるのです。そうなると厄介なので、ここで叩きます」

『で、ですがいくらなんでも八百機は……』

「大丈夫です。お姉ちゃんに誓って」

『お姉ちゃん……?』

 

上ずった声を出しながらも、赤城さんたちは次々に洞窟から猛スピードで飛び出してくる。

 

最後から二番目に赤城さんがいる。背中には気を失った夕立さんが。

 

最後尾を五十鈴さんが、最前首を阿武隈さんが勤めていた。

 

「そのままの速度で回避運動を取りつつ、適当に対空攻撃を加えて敵を散らしてください」

『了解です』

 

五十鈴さんと阿武隈さんの持つ装備から砲火が瞬き、加賀さんが弓を放った。

 

へぇ……あれが飛行機になるんだ……感動してる場合じゃないけどすごくかっこいい……。

 

「三十秒で上陸地点に到達します。上陸後、二十秒以内に近くの木陰へ退避してください」

『木陰ですね、わかりました』

 

大和さんからの返答。

艦隊はのらりくらりとした動きで敵機の爆弾をうまくかわしつつ、無事浜辺に到着。

 

海から駆け上がってすぐに走り出し、近くの木陰へと転がり込んだ。

 

浜辺にいくらかの爆弾が落ちて、いくつかは爆発したけれど、大半が砂煙を巻き上げながら地中に埋もれていくのが見えた。

 

「あれがネルソン提督の狙っていたことですか?」

「そうだよ。で私がしたいことはこれなんだ」

 

パソコンをすごい速度でタイピングしたフレンダさんは、無線機とは別の通信端末を手に取って、スイッチを入れた。

 

「こちらフレンダ。聞こえる?」

『聞こえてるでち』

「目標地点到達まで十秒だよ。準備できてる?」

『あたりまえ』

「よっし。んじゃあ、ダイブどうぞ」

 

さら、と音が出そうなほど簡単に言ったフレンダさん。

 

ゴーヤさんを乗せたヘリは海面からめちゃくちゃ高いところを飛んでいる。

 

にもかかわらず、何のためらいもなくゴーヤさんはヘリのドアを開け放ち、銀色の巨大な筒を担いでぴょんと飛び降りた。

 

「えええええ!? ちょ、フレンダさん!? ゴーヤさんが飛んだよ!!」

「そうだよ? ヘリからはアレ使えないし」

「いや、え、だって、いくら下が海でも高すぎたら危険ってテレビで見た……」

「あぁ大丈夫だいじょうぶ。あの程度じゃゴーヤは大丈夫」

 

へらへらと笑うフレンダさん。その笑顔を浮かべたまま、増援艦隊のみんなにつながっている無線機を取って、早口で、

 

「みんな耳をふさいでください。そんで口開けて」

 

言われたとおりにする艦隊のみんな。

赤城さんは大急ぎで自分の服を破り、夕立さんの耳に突っ込んだ。

 

「さて――――磁器電磁砲(ひこうきほいほい)、ファイア」

 

空の途中でゴーヤさんの撃ち放った何かは、信じられない閃光と爆音をまき散らしながら、無人島上空を突き抜けた。

 

 

 

 

「もう一度言っておくけど、これ絶対にほかの海軍関係者には漏らさないでね」

『『『り、了解です……』』』

 

艦隊のみんなが声をそろえてそう返答する。びみょうに震えている。

 

何が起きたのか説明すると、おっきな光がびゅーんって通って、島の上の飛行機をごそーって引き連れて海の中に入っていった。ように見えた。

 

「フレンダさん?」

「詳しい解説は研究所へ行ったときにしてあげるよ。簡単に言うと、マイナスの電気ってわかる?」

「電子のことですか?」

「そうそう。それを対象にたくさん投げつけて、あとは陽子……あー……まぁ、引っ付くようにうまくやってあんな感じで海に引き込むんだよ」

 

なるほどわかりません。

 

でも島の上にいたはずの八百の敵機は、もう数えられるほどしか残っていなかった。

 

「よし、増援艦隊諸君に告ぐ。あと10分でそちらに回収用のヘリが到着するから、それまでに残党を叩き落してください」

『わ、わかりました』

『了解です……』

 

みんなまだ現実が呑み込めていない。

僕もそうだけど、いったい何が起きててどうなっているのか実感がわいてこない。

 

とりあえず、みんな助かったってこと……だよね?

 

僕の出る幕なかったよ。

 

『あんな兵器があるのなら、最初から使えばよかっただろうに』

 

モニターを見ていた女神さんが、振り返りつつフレンダさんのほうを見た。

フレンダさんは肩をすくめながら、

 

「一つしか持ってきてなかったし、まだ試験段階だからね。あと、あれは金属原子に反応して電子を飛ばすから、艦娘が木の陰にいなかったら一緒に引っ付いて海の底までドライブなんだよ」

『なるほどな。兵器としては使いどころが難しいのか』

「何かの役に立つかもと思って持ってきといて正解だった」

 

言いながらパソコンの電源を落とし、僕を抱っこして床に降ろしてからゆっくりと立ち上がる。

 

そのまましゃがみこんで目線が合わさると、なんとも例え難いにっこりとしたほほ笑みを浮かべながらフレンダさんは言った。

 

「もう敵の脅威はないと思う。飛行隊を飛ばした機動部隊があったとしても、手の届く距離じゃない。ここからは君がモニターを見ていておくれ」

「え、僕一人でですか!?」

「そうだよ。あぁいや、女神もいる。だから大丈夫」

「フレンダさんはどこに……?」

「お姉ちゃんを寝室へ。しばらくは起きそうにないし、このままここで寝かせておくわけにもいかないしね」

 

言い終わると僕をひょいと持ち上げて執務椅子に座らせ、ネルソン提督をそっと抱き上げると、とてもルンルンした調子でフレンダさんは立ち去って行った。

 

薄暗く静かな執務室には、僕と女神さんだけが残っている。

 

「……なんだか、疲れました」

『昔はもうちょっとお淑やかだったんだがな。と言っても六十年ほど前の話だが』

「ネルソン提督は大丈夫なんですか?」

『ん? あぁそれは心配ないぞ。わたしたちの職場――――あの白い空間で、存在の力が回復するのを待っているよ。しばらくしたら起きる』

「いえ、そうではなく」

 

フレンダさんはネルソン提督を連れて寝室に向かった。

そう、寝室に。

僕の心配するようなことではないのかもしれないけれど、それでも平然としていられるような状況じゃないような気が……。

 

まぁでも、フレンダさんの功績が大きいしご褒美ってことでもいいのかな?

一緒に寝るだけだよね。そうだよねきっと。たぶん。おそらく。

 

 

数分後。

 

砂浜に着陸した斉藤さんのヘリに、いまだ驚きと喜びがない交ぜになった増援艦隊の艦娘さんたちが無事に乗り込んだのを、僕はしっかりと確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃海では。

 

「は? これ泳いで帰るでち?」

 

 




「死にもの狂いの鬼ごっこ編」終

次回は夕立のお話。


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第三十四話 あの子も、私も(前編)

なんと、夕立登場は次回の模様。(すみません)


時刻は夕方。

 

太陽がオレンジ色の光を放ちながら西の空に沈んでいく。

 

僕はお山座りの体制で浜辺に腰を下ろしたまま、ざぶざぶいっている波の様子をボーッと眺めていた。

 

「ゴーヤさんそろそろかなぁ……」

 

泳いで帰ってくるのを出迎えるためにこうして座っているのだけれども、一向に姿は現れない。

 

増援艦隊のみんなが斉藤さんのヘリコプターに乗せられてこの鎮守府に到着したのはついさっき。

ちょうど僕が浜辺に出るために玄関をくぐった時だ。

 

その時はフレンダさんも一緒にいて、ふたりで増援艦隊のみんなを出迎えた。

 

僕の事やフレンダさんのことについて特に疑問を持ったり質問してくるような人はいなかったけど、ただ赤城さんと加賀さんだけはフレンダさんの顔を見てものすごく驚いていた。

 

その時フレンダさんが二人だけに聞こえる声で「ひさしぶり」とあいさつをした。

最初どうして〝久しぶり〟なのかわからなかったけれど、そういえばと思い出す。

 

フレンダさんを捕まえた時に赤城さんも加賀さんもその作戦にかかわっていたはずだ。

 

ネルソン提督の話から考えればあの二人はフレンダさんの正体を知っているし、それどころか六十年来の知り合いということになる。

 

別に隠し事に対して僕がどうこうするわけじゃないけど、秘密を共有する仲間が増えただけでなんとなくうれしい気持ちになった。

 

「……ん?」

 

ふと気が付くと沖のほうに人影が見える。

 

影はどんどん大きくなって、数分もするとよく見えるところまで近づいてきた。

 

ゴーヤさんだった。

 

僕は立ち上がってズボンのお尻に着いた砂を手で払うと、ゴーヤさんに手を振りつつ大きな声で「おかえりなさぁーい」と言ってみた。

 

足の着くところまで来たのか、立ち上がって僕の存在に気が付いたゴーヤさんは手を振り返してくれて、そのまま僕の目の前まで波をかき分けながら進み、

 

「お出迎えでち?」

「はい!」

「ただいまー」

 

そう返してくれた。

 

てっきり疲れ切っているかと思ったけど、表情を見るにまったくそんな感じはない。

近所のコンビニへ行って帰ってきた程度のようすだ。

 

「ゴーヤさん、疲れてないんですか?」

「ん? ぜんぜん何ともないでち」

 

すっごい……。

 

行くよぉ、と言って先を歩き出したゴーヤさんを追って、潮の香りがほんのりとする帰り道を僕は速足でついていく。

 

太陽はわずかな残滓を空にひきながら、西の海に沈んでいった。

 

 

 

 

「フレンダさん、ネルソン提督はまだ起きませんか?」

「起きないねぇ」

 

鎮守府に帰るとゴーヤさんはシャワーを浴びにドックへ向かったので、僕はフレンダさんを探して廊下をさまよっていた。

 

首尾よく見つけられたので気になっていることを聞いたんだけど、そっかまだ起きてないらしい。

 

「大丈夫ですかね?」

「なにが?」

「えっと、ネルソン提督の意識がない時に敵が攻めてきたりとか……」

「あぁそれは問題ないよ。赤城と加賀が夜偵――――夜でも敵を探せる飛行機を飛ばしたし、一応お姉ちゃんの艦隊はいつでも動けるからね」

 

どうやら心配はないらしい。

 

夜の間に不意打ちとかあるかもしれないと思ったけど、気にすることはなさそうだ。

 

「じゃあ、今日はこのあとどうするんですか?」

「私? それともここ(鎮守府)全体?」

「どっちもですかね……あと、僕は何をしたらいいでしょうか」

「んーとね、まず私はお姉ちゃんから代理で指揮権を任されてるからその仕事をするかな。睡眠はさっき取ったし余裕余裕」

 

言いながらフレンダさんはポケットからメモを取り出してちらっと見た。

 

「それから艦隊のことだけど、増援のほうは精神的にちょっと消耗してそうだから今晩はゆっくり休んでもらうよ。お姉ちゃんが目を覚まさないと次の行動は決めかねるし、とりあえずはね」

「わかりました」

「あ、それと……」

 

言い淀んだフレンダさんは眉根を寄せて、んーっと唸ったかと思うと落ち着いた動作で膝を曲げた。

 

わざわざ僕の目線に合わせるということは、大切なことかもしれない。

 

「こんなこと任せるのはお門違いって、わかってはいるんだけどね」

 

そう前置きをしながらフレンダさんは困ったような笑顔で、

 

「夕立のフォローをしてあげてほしいんだ。今は医務室のベットで横になってる」

「夕立さんの、ですか」

「私が行くより君が寄り添ってあげたほうがいい気がするんだよ」

 

夕立さんがどういう状況に置かれているのかは女神さんから聞いている。

 

でも僕にどうにかできるようなことだろうか。家族が亡くなるなんてあまりにも遠い話に思えて、現に今も現実味がないから、なんというか…………フォローと言われても何をすればいいのかわからない。

 

素直にそのことを伝えると、

 

「でもたぶんあのままじゃマズいんだよ。人間の精神科学は専門外だけど、それでもあのままじゃ夕立にとって良くないのは明確だね。別に放っておいてもいいんだけどさ、お姉ちゃんなら絶対にそんな事しないでしょ?」

「そうですね。そのままにするとは思えません」

「お姉ちゃんは私に艦隊を託してあの力を使ったんだ。じゃあ、私がお姉ちゃんの代わりに動かないといけないって思って…………うまく言えないけど、何とかならないかな」

 

と言われましても……。

 

僕一人にできることではないかな。

そう、僕一人には。

 

「時雨お姉さんに相談してみます」

「時雨に? なぜ?」

「何かいい方法を教えてくれそうな気がするからです」

 

フレンダさんは一瞬きょとんとしたけど、すぐに笑顔で何度かうなずきながら、

 

「そうだね、困ったときには相談だ」

 

と言って僕の頭をなでてくれた。

 

「ただ私は一緒には行けないんだ。赤城と加賀の偵察指揮を執らなきゃいけないから、しばらく執務室にこもるよ。………任せっきりで本当に申し訳ないんだけど、頼むよ」

「大丈夫です、任せてください!」

 

申し訳なさそうな表情をしながらも、フレンダさんは執務室へと向かっていった。

 

さて、じゃあ僕は時雨お姉さんからアドバイスをもらって、それから夕立さんとお話ししてみよう。

いまいちフォローと言ってもできそうな気がしないけど、何もしないよりはずっといいのかな、とも思うし。

 

そうと決まればまず移動だ。二階へ上がって時雨お姉さんの部屋へ――――。

 

「待ちなさい」

 

突然呼び止められた。

 

 

 

 

ぞわ、と背中が総毛立つような感触に襲われる。

 

聞いただけでなぜか足ががくがくしてしまうその声に、僕は震えながら振り返った。

 

「は、はいぃ」

「なんでそんなに怖がるのよ…………」

 

小さくぼやいた満潮さんを、恐る恐る見上げる。

 

額に手を当てながらため息をついていた。

 

「あ、あの、なんでしょうか」

 

か細くなってしまった声をのどから絞り出しながら、頭の中では今朝の出来事を思い出す。

 

満潮さんは僕のことをとっても怒っている、と僕は勝手に思い込んでいた。

 

いろいろあってネルソン提督の前で満潮さん本人から教えてもらった。べつに僕に対して怒っているわけではないって。

 

それどころか満潮さんは僕の体調のことを案じて、言い方はきつかったけど「もうあんな格好で海へは出るな」と言ってくれていたそうだ。山城さんから後で聞いただけだけど。

 

つまり怒られているわけでも、まして嫌われているわけでもない。

 

そのはずなんだけど……なぜか足がすくんでしまう。この人に相対すると恐怖で身体が震えてしまう。

 

「さっきの話、もう少し詳しく聞かせなさ――――コホン、聞かせてもらえるかしら?」

 

満潮さんの声で僕の意識は現実に引き戻された。

 

「は、はい」

「場所を移動するわよ。立ち話も疲れるわ」

 

満潮さんは手に持っていた主砲をなぜか僕から見えない位置まで移動させつつ、ついてこいと手招きをしながら廊下を進んでいった。

 

力が抜けそうになる足を頑張って動かし、僕も後についていく。

 

 

 

 

満潮さんの部屋に案内された。

二階へ上ったので時雨お姉さんの部屋の前を通ったのだけど、ついてこいと言われたのを無視して時雨お姉さんの部屋に入るわけにはいかない。

そんな度胸はもっていない。

 

「来なさい」

 

ぶっきらぼうにそういう満潮さんに連れられて、僕も部屋に入る。

 

木造の調度品と電化製品、いくつかの装飾品が並ぶも特にこれと言って目立つことはない、普通の部屋だった。

 

てっきりドクロとか飾ってあるのかと想像していたので、ちょっとホッとしてしまう。

 

「ベッドに座ってなさい。お茶を用意するわ」

「え、あの……」

「いいから」

「はい……」

 

言われるがままにする。

 

満潮さんは部屋の隅にある小さな冷蔵庫からお茶の入ったボトルを取り出すと、コップが並べられている棚から二つ取り出して、お茶をいれてから両手に持って僕のほうへ来た。

 

「はい」

「あ、ありがとうございます」

「気にすることないわ」

 

隣に座る。

 

なんだこの状況。なんかよくわからないけど、僕は今あの満潮さんの部屋でお茶をもらっているのか?

 

な、なん、なんで?

 

いや呼ばれたし付いてこいと言われたからついてきたまでだけど、なんというか状況に頭がついてこない。

 

いつの間にか足の震えも止まっている。

 

「まだ私の事怖がるつもり――――じゃなくって、怖いかしら?」

「えっと、もし、怖いって言ったら何かされますか…………?」

 

おそるおそる満潮さんの顔を覗き見ると、いつかの時雨お姉さんが見せたような、いたずらっぽい笑顔を浮かべていた。

 

にー、と。

 

「そうね、怖くなくなるまで抱きしめてあげるわ」

「??????!?!?!?」

 

んんんんんんん!!??

 

何を言ってるんだこの人は!?

こんなこと言う人だったのか!?

 

自分でもわかるほど狼狽してしまったが、ふと見た満潮さんも平常ではなさそうだった。

 

満潮さんは見る見るうちに頬を赤くしていき、コップを持っていない方の手で顔を隠しながら、

 

「……山城のばかぁ……言っちゃったじゃない…………」

 

蚊の泣くような声で呟いた。

 

「あ、あの、満潮さん?」

「…………別に、あんたに好かれたいわけじゃないわよ。でも見るたびに怖がられてちゃ私だってたまらないのよ。その辺わかってよね」

 

頬を赤くしながらそう小さく漏らした満潮さんに、僕はもう恐怖心なんて微塵も感じていなかった。

 

そして心の中でつぶやいた。

山城さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

「ふぅ…………まぁ、その件はいいのよ。過ぎた話。それでさっきのフレンダさんとの話を聞かせてくれるかしら」

「あ、はい」

 

居住まいを正して部屋の空気が少し変わったことを感じ取る。

 

仕切りなおした満潮さんに、僕はなるべく丁寧に説明した。

 

まず夕立さんのお父さんが戦死したことと、そのせいで夕立さんが意識を失うほどにショックを受けたこと。

フレンダさんはそのことを危惧していて、このまま夕立さんを放っては置けないと思っていること。

 

付け加えて、フレンダさんから直接は言われてないけれど僕は赤城さんのことも言っておいた。

モニター越しに見えていた、赤城さんがずっと夕立さんをかばうように立ちまわっていたことを。

 

そしてそれら一連の流れから、僕が夕立さんにフォローを入れるよう任されたこと。

 

最後に、僕は何をしたらいいのかわからないから時雨お姉さんに相談しようとしていること。

 

そこまで話し終えてから顔を上げると、満潮さんは難しい表情になっていた。

 

眉根にしわを寄せたまま、首を振る。

 

「時雨に相談してはダメよ」

「え?」

 

予想もしない一言。

 

「なぜですか」

「落ち着いて、よく聞きなさい」

 

先ほどの様子とは打って変わった調子で、満潮さんはそう前置きした。

 

なんだろうか。

 

「ネルソン司令の艦隊――――つまり私たちの艦隊の中で、唯一親を失っているのが私と時雨よ」

 

え?

 

「私の話は…………まぁ、両親が小さいころに交通事故でね。だから、私は別に、私の問題だから別にいいわ。大事なのはそこじゃない」

 

一瞬だけ声が震えたような気がしたけど、まだ満潮さんの話は終わっていない。

何も言わず続きを聞く。

 

「でも時雨は違うのよ。あの子は深海棲艦に親兄弟を殺されているの」

 

――――――――は?

 

「そしてあの子は今でも、それを完全に乗り越えてはいない。記憶の奥底にしまっていても、何かのはずみで呼び出してしまうことがあるわ。今まで何度かあったのよ」

「そんな、だって、全然そんなそぶりは…………」

「五年一緒にいてやっと気が付くくらいよ。詳しい話は司令から聞いたの。あの子は、時雨は、艦娘として配属される予定だった当日に長崎県沖の離島で襲撃を受けた。家族もろともね」

 

そんな、それはおかしい。

 

だってネルソン提督は言っていたじゃないか。最終防衛線を超えて侵攻されたことは――――。

 

あ。

 

あぁ…………あぁそうか。そうだったのか。

 

〝大きな〟侵攻がないだけで、島や離島は襲われているのか。

 

時雨お姉さんは、艦娘になる当日にその襲撃で両親を、兄弟を。

 

「…………あんまりじゃないですか」

「艤装の記憶のせいもあるけど、あの子はもっと根本から〝大事な人を失うこと〟に傷を抱えているわ。そのことまでフレンダさんは知らないのよ」

 

時雨お姉さんが僕のことを人一倍気にかけてくれる理由がわかった。

 

わかってしまった。

 

家族の影を僕に重ねてしまっている。

 

そんな時雨お姉さんに今回の夕立さんの話なんてしてはいけない。

間違っても僕からなんて、絶対に。

 

そして同時に僕の中で強く決心したことがある。

 

時雨お姉さんを守りたい。守られるだけ、思われるだけの存在ではなく、時雨お姉さんを悲しませないで済む強さを手にしたい。

 

絶対に、絶対にだ。

 

ふと顔を上げると、満潮さんは静かに僕の前へ立っていた。

 

「夕立の話は私が受け持つわ」

 

今の話の流れなら当然そう言うだろうと思ったけど、僕もはいそうですかと簡単には見過ごせない。

 

なぜか。

 

さっきの話をしていて満潮さんの声が一瞬震えたからだ。

この人だって両親が亡くなったことを完全に乗り越えてはいない。

 

僕はそう思い、

 

「でも満潮さんもお父さんとお母さんが――――」

 

言いかけて、満潮さんの表情を見て僕の言葉は消え去った。

 

「大切な人は、今度こそ自分で守るのよ。あの子も私も、そのための艦娘よ」

 

 

 

 

 



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第三十五話 あの子も、私も(後編)

長らくお待たせしました。vita版艦これ買っちゃいました。(言い訳)


「満潮さんと夕立さんって、面識はあるんですか?」

「数か月だけあの子の泊地に所属していたわ。ネルソン司令の下に着くまでの、ほんの数か月間だけね」

 

満潮さんの部屋を後にし、誰もいない静かな廊下に足音を響かせながら、僕たちは肩を並べて医務室へ向かっている。

誰ともすれ違わないけど、ネルソン艦隊のみんなは待機命令が出ているし、増援艦隊は赤城さんと加賀さんを除くとやっぱり待機命令が出ているから部屋で休んでいると思う。

 

赤城さんと加賀さんは偵察のために展望台へ行っているらしい。

どことなく鎮守府内が閑散としているのは仕方のないことだろう。

 

「……土佐中将とも、知り合いなんですね」

「とはいえ五年以上前の話よ。あそこは、言っちゃ悪いけど私にとっては仮住まいだったし、事実二か月で転属になったような場所よ。感情の入り込む余地なんてあんまりないわよ」

「そうですか」

「でも……」

 

まぶたをほんの少しだけ落とした満潮さんは、小さな声で続けた。

 

「夕立にとってどれだけ大切な場所だったかは、痛いほどわかるわ」

 

 

 

 

「入るわよ」

 

医務室の扉をノックしてゆっくりと開くと、真っ白で清潔なベットに夕立さんはあおむけに眠っていた。

薄手の白いシーツが肩のあたりまで掛けられている。

 

「寝てるわね。呼吸は……」

 

ベッドのそばまで行った満潮さんは手をかざし、規則正しいことを確認すると、その表情にわずかな安堵を浮かべた気がした。

 

「どうしますか?」

「寝ているのを起こす必要はないわよ。でもここにいてあげたほうがいいかもしれないわね」

 

そう言いながら近くのパイプ椅子を二つ引き寄せると、両方とも開いて座るように促す。

 

小さくきしむ音を立てながら満潮さんの隣に座り、さて、この後どうするかを考える。

 

フレンダさんに命じられたことは夕立さんのフォローだ。でも今の段階でそれはできそうにない。

というよりも落ち着いた眠りに入っているので、とりあえずは夕立さんについて直接何かする必要はない気がする。

 

それも含めて満潮さんに相談するかな。

 

「満潮さん」

「なに」

「夕立さんは寝ていますし、満潮さんがここに居るなら、僕はどうすればいいでしょうか?」

「そうね……二人並んで寝顔を観察しててもしょうがないわね。晩御飯がまだでしょう」

 

そういわれると途端に空腹感が襲ってきた。たしかにもう夜だし、そろそろ晩御飯時なんだけど……いや、でもちょっと待ってよ。

 

「ネルソン提督はまだ目覚めていませんし、艦隊の皆さんは待機命令が出ているんですよね?」

「そうね」

「食堂にみんなが集まって、とはいかないんじゃ……」

「当り前よ。のんきにそろってご飯食べてて、敵襲にあったら笑い話よ」

 

苦笑しながら満潮さんは、なにか考えるような表情をしてから、僕のほうに視線を向けて言葉をつづけた。

 

「厨房の奥の棚に携帯食料が詰まっているわ。それを鎮守府のみんなに配ってもらってもいいかしら?」

「奥の棚、ですね」

「数はたくさんあるから、増援艦隊の艦娘たちにも配って。だけど、(けい)、あんたのことについて聞かれたら〝ネルソン提督に言うなと言われました〟ってはっきり伝えるのよ」

「え? 言っちゃダメなんですか?」

「間違っても――――」

 

言葉の途中ではっとしたように満潮さんはあたりを見回し、夕立さんも寝ていることを再度確かめて、僕の耳元で僕だけに聞こえる声で、

 

「羅針盤のことは言っちゃだめよ。あんただけじゃなく、ネルソン司令やこの鎮守府そのものにとってもマズいことなの。忘れないで」

「気を付けます」

 

僕も小声でうなずき返し、だからフレンダさんが増援艦隊の人たちに〝聞くな〟と釘を刺したのかと改めて納得がいった。

言わない言わない。気を付けます。

 

とりあえず、携帯食料とやらを取りに厨房へ行こう。

 

 

 

 

「これかなぁ……?」

 

厨房の奥のほうには、確かに棚があった。

 

食堂からつながる細い通路を通って中に入ったのだけど、食堂も厨房も電気が消えていて、それどころかスイッチを押しても明かりがつかないという、とってもわけのわからない事態になっていた。

 

どうにもこうにも困ったので満潮さんのもとへ戻ると、

 

「そういえば灯火制限中だったわね。私の部屋の机から懐中電灯を持っていきなさい」

 

と言われ、こうして暗闇の中を細い明かり一本でさまよい、厨房の奥まで入り込んできたのである。

 

だが。

 

「棚、いっぱいあってどれがどれやら……」

 

厨房の奥には五つの棚が並んでいた。金属製で銀色のそれは、まぁ要するに棚というよりは冷蔵庫みたいな感じだ。

 

大きな厨房には必ずある、業務用冷蔵庫って感じだろうか。

 

「困ったなぁ……満潮さんは棚って言ってたけど、棚なんてどこにもないしなぁ……」

 

懐中電灯で照らした感じでは、どこにも棚らしきものはなく、ということはこの冷蔵庫が満潮さんの言う棚なんだろうか。

 

そしてもう一つ、困ったことが。

 

「携帯食料って何……?」

 

探してきますと言っておいてそれがなんなのかわからないことに今更気が付いた。

見たことないもん携帯食料なんて。なんか、缶とかに入ってそうなイメージだけどなぁ……。

 

「うう……どうしよ……とりあえず端っこの奴から中を見てみようかな」

 

探さない事には始まらない。パッケージとかあれば案外書いてあるかもしれないし。

 

それに、なんというか、早くここから出たい。

 

真っ暗な中で懐中電灯の明かり一つ、それも、ホラー映画とかだったら確実に登場人物の誰かが死にそうな厨房だよ。

 

ゾンビの出る映画だったら僕もうこの辺で死んでるかもしれない。

 

「うぅ……余計なこと考えたら怖くなってきた……」

 

はやく探そう。

 

そう思って一番左、鈍い鉄の色を跳ね返す大きな冷蔵庫の前に立ち、懐中電灯を床においてから、これまた大きい取っ手をつかんで力いっぱいに引っ張った。

 

がばぁ、と音を立てて開いた扉の隙間から白い煙と冷たい空気が肌をなめていく。

 

床の懐中電灯を拾い上げて、もうもうと白い煙が出ている冷蔵庫の中を端から順に照らしていくも、中に入っているのは赤色の真空パック……つまり冷凍されたお肉だった。

 

「多分これじゃないよね」

 

凍ったお肉は携帯食料じゃないだろう。携帯したら腐りそう。

 

「次いこうか……」

 

扉を閉めて、懐中電灯を床に置く。

 

隣の冷蔵庫も同じような形と大きさで、やっぱり取っ手が大きいから片手じゃ開けられない。

 

つま先立ちになって取っ手を両手でつかんだとき、急に尿意が襲ってきた。

 

「んんー……さっきの冷気のせいかなぁ……おしっこ行きたくなっちゃった……」

 

でもせっかくここまで来てトイレに行くのもなぁ……。

 

我慢できそうだし、このまま携帯食料を探して、見つけてから行こうか。

 

下腹部を軽くさすってもう一度背伸びし、両手を上に挙げながらひとりごちる。

 

「さて、ここは何が入っているんだろう?」

「野菜と調味料だよ」

 

時雨お姉さんの声がいきなり背中から投げつけられ、僕の膀胱は決壊した。

 

 

 

 

「いや……ごめん……そこまで驚かすつもりじゃなかったんだけど、ちょっとびっくりさせてみようかなとは思ったんだ……本当にごめん」

「ヒッグ……エッグ……」

 

なにか抗議の言葉を言おうと思ったけど、涙と嗚咽のせいで何も言葉にできそうにない。

 

暗闇からいきなり呼びかけてきた時雨お姉さんによって、僕は無事尿意から解放された。

代償に、時雨お姉さんの前で今生一番、悶絶死ものの恥をかいたし、もう、なんというか、そのおもらしの後処理までされて僕もう死にたいです。

 

盛大にぶちまけた僕を見て、時雨お姉さんは大急ぎでタオルを持ってきてくれて、そのまま僕のズボンと下着をその場でずりおろして一通り拭くと、抱きかかえて浴場に放り込まれて今に至る。

 

灯火制限は厨房だけ一時的に解除。

左から二番目の冷蔵庫の前の液体は〝水をこぼした〟ということで片づけられた。

 

誰が片付けたかというと扶桑さんだ。

 

なんでも、時雨お姉さんと扶桑さんは携帯食料を取りに来たらしく、晩御飯として鎮守府内に配るためにフレンダさんから言い伝えられたらしい。

 

浴場の入り口付近で丸裸にされながらその話を聞いた。つまり僕は完全に無駄足だったし、それどころかこんなことになるなんて、まさに踏んだり蹴ったりだ。

 

「もう全部脱いでお風呂入っちゃおうか」

 

と時雨お姉さんに言われて、こうしてめでたく一糸まとわぬ姿で女風呂に放り込まれているわけです。

 

せめてもの救いは、灯火制限の解除理由が〝こぼした水を片づけるため〟なところだろうか。

僕のおもらしだ、などと鎮守府中に渡ったら僕はもう首をくくります。

 

 

 

 

時雨お姉さんはソックスを脱いで裸足になり、丸裸の僕を抱えてシャワーの前に座らせた。

時雨お姉さん自身がお風呂に入るわけにはいかないのだろう。手短に、だ。

 

「ほんとに、ごめんね」

「ヒッグ……はい……いい、ですよ……」

 

自分ではどうしょうもないくらいに悲しい気持ちで胸がいっぱいで、というか、悲しいだけじゃなく、こんなことで泣いちゃう自分に悔しい気持ちもあるし、時雨お姉さんがしきりに謝ることに申し訳なさも感じるし――――どうにもこうにも自分で整理がつけられないくらい混乱して、結局今でも涙と嗚咽が止まらい。

 

そんな僕の内心を見抜いたのか、時雨お姉さんはしばらくすると謝るのをやめて、そのかわりにとっても優しい手つきで頭を洗ってくれた。

 

シャワーの温度を調節して流してもらい、身体を泡立てたスポンジで洗ってもらい、これもシャワーで流して一件落着となった。

 

脱衣所で柔らかいタオルで優しく拭いてもらっていると、時雨お姉さんとふと目が合って、申し訳なさそうな笑顔でまた「ごめん」といわれた。

 

「もう大丈夫ですよ。泣き止みました」

「うん。本当に、ごめんね。今度からは気を付けるよ」

「気を付けるのは僕のほうです。ちゃんとトイレに行かなきゃ……」

 

僕にできる限りの笑顔で言った。もう大丈夫だってことを伝えたかったし、僕なりの冗談の意味も籠っていた。

 

遺恨を残すようなことじゃない。こんなことで時雨お姉さんのことを嫌いになったりはしないし、時雨お姉さんから過剰に申し訳なく思われるのも嫌だ。

 

と、思っていたら時雨お姉さんはにまー、っと意地の悪げな笑みを浮かべて、

 

「行きたくなったら僕に言ってね。連れて行ってあげるから」

 

なるほど、そうか…………なるほど。

 

「じゃあ一緒に男子トイレに行きましょう!」

 

言ったとたん、時雨お姉さんの顔が真っ赤になって、「そう来るとは思わなかったよ……」とつぶやいた。

 

この勝負、勝った。たぶん。

 

 

 

 

医務室。

 

白いベッドに横たわる一人の少女は、規則正しい寝息とともに時折まぶたを震わせていた。

 

その傍ら。質素なパイプ椅子に腰をかけ、ベッドに横たわる少女の寝顔を明けない表情で見つめる艦娘――――満潮は、この部屋にきてもう何度目かのため息をついた。

 

「目覚めないわね……そう簡単には起きないかしら」

 

意識を失った時点からだいぶ時間が経っている。それを考えるにそろそろ目を覚ましてもいい頃だろう、と踏んでこの役を引き受けたのだが、考えが甘かったかと満潮は後悔し始めた。

 

べつに嫌なわけではない。このような艦娘のフォローにまわる経験が今後必ず生きてくるだろうと思っている。

 

間近で言うなら時雨だろうか。彼女のために、今ここで経験を積んでおく。それは満潮としてはやっておいて間違いではない確かな事だと判断している。

 

ただ一つ気がかりなのは、自分に本当にこの子を救い出すことができるのかどうか。

 

カウンセリングの経験などないし、夕立は単に五年前の同僚、しかもたった二か月間の仕事仲間だ。

 

寝食を共にしていたとはいえ短い期間であったのは言うまでもない。

硬い信頼関係が結べたわけでも、まして離れている間に密な連絡を取っていたわけでもない。

 

「大丈夫かしら……」

 

一抹の不安を抱える中、それでもこの部屋から出ていかないのは、自分以上に務まるものがいないという自負があるからだった。

 

親を亡くし、親族を転々とし、忌み嫌われ、虐げられ、身も心も(すさ)んでいた自分にしかわからないことがある。

 

親を亡くした者にしかわからない悲しみがある。だからこそ艦娘として何をしなければいけないのかが自分にはわかる。

 

それを伝えるためにここに座っている。

 

満潮は知らず知らずのうちに拳を強く握っていたことに気が付き、自嘲気味にふっと笑うと、肩の力を落として一度立ち上がった。

 

ぐっと伸びをして深呼吸をする。肺の中に新鮮な空気を取り入れると、それだけで頭の熱が冷めていくのが実感できた。

 

「熱くなっちゃだめよ。まずは、優しく話さないと」

 

自分の口調がキツイことは百も承知で、気を付けていればいくらかマシになることも知っている。

夕立は私を忘れているかもしれない。

 

だからこそ初対面のつもりで、それでいて突き放すようなことはなく、上手に会話しないと。

 

そんなことを何度か頭の中で反芻していると、ふと、夕立のまつげが今までよりも大きく震えた。

 

ちょうど立っていた満潮はその足でベットのふちに両手をつき、夕立の顔をのぞき込む。

 

ふるふると大きく震えたまぶたはゆっくりと持ち上がり、整った顔つきの金髪の少女は、その目に光を宿しつつ、目の前の顔に挨拶をした。

 

「…………おはよう、ございます?」

「どっちかっていうとこんばんは、ね。もう夜よ」

「そっか……」

 

疑問形で目覚めのあいさつをした少女は、満潮に背中を支えられながら、ベッドの上に起き上がった。

 

「ここは、どこ?」

「ネルソン提督の鎮守府よ。あぁ、この部屋は医務室」

「ふーん」

 

あまり興味なさそうにそうつぶやきながら、少女はあたりを少し見まわして、満潮の顔をじっと見る。

 

「あなたは?」

 

やっぱり忘れられてたか、と満潮は内心思ったが、想定済みだったのでとくに慌てず名前を告げる。

 

「満潮よ。だいぶ前だけど一緒の泊地にいたわ。覚えてない?」

「…………?」

 

柔らかく透き通った金髪を揺らしながら少女はコテ、と首を(かし)げた。

どうやら本気で忘れられているようだった。

 

若干のショックを覚えながらも、とりあえずそこについてはどうでもいいのであまり追求せず、満潮は会話を続けようとした。その時だった。

 

「…………〝はくち〟って、なんですか?」

「は?」

 

鈴の根のような声で想定外の質問をしてきた相手に、満潮は驚きながらも的確に返答する。

 

「広い意味では船が留まれるところよ。ただ最近ではその意味より、小規模の海軍基地を指すために使われているわね」

「…………??」

 

頭の上にはてなを浮かべる目の前の少女に、満潮はほんの少し違和感を感じた。

 

何かおかしい。だが何がおかしいのか雲のようにはっきりとしない。

 

じゃあ違和感の正体は何なのかと思案しようとしたとき、金髪の少女は再び首をかしげながら質問してきた。

 

「ねぇ、パパはどこ?」

「ッ!」

 

思考が一気に外へやられる。

 

違和感など気にしていられないほどに、満潮の頭は投げつけられた質問の返答をどうするのかで熱していた。

 

この返し次第ではパニックを引き起こすかもしれない。かといって嘘を伝えるのはこの子のためにならない。

 

言葉を必死で思索し、紡ぎだし、得てして口から出そうとしたとき。

 

少女のほうが早く切り出した。

 

「もしかして、ママとお買い物?」

「へ?」

 

おもわず変な声が出てしまう。

それは少女にもはっきりと聞こえたようで、目に見えて慌てた様子で手を振りながら、

 

「え、あれ、私何か変なこと言ったかな……?」

「変なことっていうか……ちょっと待って、私から質問してもいいかしら」

「うん? なになに?」

 

満潮は、自分の鼓動が早くなるのを自覚した。

背中に変な汗が流れている。

 

同時についさっき放り投げた自分の思考を手繰り寄せ、〝違和感〟が何であったかを再び思案する。

 

だが数秒もかからずに仮定として頭の中でまとまってしまった。

それは、もしこの考えのとおりだったら、ここまでの違和感にすべて説明がついてしまうほどしっくりくるもので。

 

かといって望む事態ではない。けっして喜べるような仮定ではない。

 

だからこそ正しいかどうか確かめる必要があって、そのための質問も思いついた。

 

ゆっくり、はっきり、願わくばただのバカげた憶測であってほしいと念じながら言葉にする。

 

「あなた、名前はなんていうの?」

土佐帆海(とさほのみ)だよ」

 

 

 

金髪の少女は屈託のない笑みで、捨てたはずの名前を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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