ネビル・ロングボトムと四葉のお茶会 (鈴貴)
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1.「ええもちろん、あなたのことは知っています」

 ホグワーツ特急がゆっくりと動きはじめ、九と四分の三番線のホームに立っているばあちゃんの帽子にくっついているハゲタカの剥製がずっと後ろに見えなくなると、僕はだれもいないコンパートメントの座席に座り直し、これからの生活を思いやって憂鬱な溜息をついた。

 ばあちゃんの家を離れ、新しい場所で暮らし始めることに、まったくなにも期待していないわけでは、もちろんない。ばあちゃんは、何をやっても失敗ばかりの僕にはいつも厳しかったし、先祖代々のロングボトム家の屋敷は、重いゴブラン織のカバーがあらゆる家具にきっちりかけられた薄暗い居間といい、玄関ホールにある振り子時計――決まった時間に魔法人形の小人が飛び出して踊る仕組みになっているんだけど、躍った後ぜいぜい言いながらぱったり倒れ伏すので、見るたびにハラハラする――といい、ばあちゃんの帽子に負けず劣らず、すべてが退屈で古めかしかった。楽しみはといえば、時々アンジー大おじさんがロンドンへの買い物に連れていってくれるぐらいだ。つきあいのある親戚には齢の近い子もいなかったので、はじめて友達ができるかもしれないこの機会は、僕を少なからずウキウキさせてくれた。

 

(だけど)

 

 僕は、額の稲妻型の傷跡を指でなぞりながらぼんやりと考える。

 

(こいつのおかげで、僕にはきっとふつうの男の子の生活はできないだろう)

 

 それはこれまでの10年間の人生でも、うんざりするくらい繰り返されてきたことだった。

僕を知っている、というよりも、一緒にいるばあちゃんを知っている誰もが、僕を見るときまって目を輝かせ、ひそひそ声でこう噂する。

 

 

――ほらごらん、あれが生き残った男の子だよ!

 

 

 正直なところ、ぜんぜんおぼえてもいない赤ん坊の頃のことを言われたって、僕は困惑するしかなかった。『例のあの人』に狙われて、どうして生き残れたのかなんて、まったく僕の方が知りたいぐらいだ。何しろ8歳まで魔力が発現しなかった僕が、1歳にもならないころに『例のあの人』をどうにかできた筈がない、というのが、ばあちゃんと僕の一致した意見だった。

 

 かといって、じゃあ『例のあの人』が何故いなくなったか、となるとばあちゃんにも説明できなかったので、僕が何かすごいことをしたに違いない、という人たちに、僕がただの出来の悪い孫だということを納得させることはできなかった。ばあちゃんの家にいるだけならそれでもよかったかもしれないが、ホグワーツに入ってしまえば、成績表という形で、僕の実力が誰の目にも明らかになってしまうわけだ。

 

 

――生き残った男の子なのに、何にも出来ないんだね。

 

 

 そう言われることは、ただの劣等生だと馬鹿にされるよりずっと、僕をみじめな気分にさせるに違いなかった。

 

今日だけで何度目になるかもわからない溜息がこぼれたとき、コンパートメントの戸が勢いよく開いた。

 

「ああ、ごめんなさい! 誰もいないんだと思ったの」

 

 ビックリして見つめる僕に、入口に立った赤毛の女の子が綺麗な緑の目を丸くして、すまなさそうに謝った。その後ろから、ふさふさした栗色の髪の女の子が、ひょいと顔をのぞかせる。

 

「どうしたの、アリー? あら、もう人がいたのね。ねえあなた、ここ空いてる? もしそうなら、一緒に座ってもいいかしら。早めに出かけたつもりだったけれど、九と四分の三番線への入り方が分からなくて手間取ってたから、他はどこもいっぱいなの」

 

 僕が頷くと、ふたりは僕の向かい側の席に並んですわった。僕はちょっとそわそわして、かごの中にちゃんとトレバーが逃げ出さずにいるのを確かめた(なにしろすでに一度、ホームで逃げ出している)。そして、トレバーがヒキガエルではなくて、白くてふわふわの子ネコかなんかだったらいいのに、とちらりと思い、いや、せっかくアンジー大おじさんが買ってくれたペットに不満があるわけではない、と慌てて自分に言い聞かせた。

しかし、なんといってもやはり、ヒキガエルは子ネコに比べて女の子向けというわけではない。

 

「教科書は全部暗記したし、ホグワーツの入学案内も何度も確かめたけど、ホームヘの入り方はどこにも書いてなかったから、きっと魔法族にとっては常識なのね。私は、家族に魔法族は誰もいないから、アリーがふくろうの籠を積んだトランクを引いているのを見つけて、これはと思って聞いてみてやっと入れたの。私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは?」

 

 栗色の髪の子の方は、ほとんど一息でそこまで喋り、首をかしげて僕の顔を眺めた。

 

「ぼ、僕、ネビル・ロングボトム」

 

「私、アリー・ポッターよ」

 

赤毛の子も素敵な笑顔で名前を教えてくれたが、僕の心臓がどきりとしたのは、決してその笑顔にみとれたからではなかった。

 

 

 

 もちろん、僕は、彼女の名前を知っている。

 

 

 

「驚いた。ほんとに、あなたがネビル・ロングボトム?」

 

ハーマイオニーにまじまじと見つめられて、僕は少し居心地が悪くなった。

「あなたのこと、本で読んだわ。『近代魔法史』『黒魔術の栄枯盛衰』『20世紀の魔法大事件』、ほかにもいろいろ。でも、ちょっとよくわからないことがあったから、よかったら――」

 

「ハーマイオニー」

 

 言いかけたハーマイオニーを、アリーがやんわりとさえぎった。

 

「10年前のことを聞きたいなら、相手が誰にしても、もう少し仲良くなってからにしたほうがいいわ。そんなことよりふたりとも、寮はどこになると思う?」

 

「僕は……そうだな、ハッフルパフがいいや。というより、グリフィンドールやレイブンクローには多分選ばれないだろうし、スリザリンだともし選ばれたとしても、ばあちゃんに何言われるかわかんないし」

 

 僕はいくらかほっとして、アリーに調子を合わせた。ハーマイオニーも特に気を悪くした様子もなく、話を続ける。

 

「そう?私は断然、グリフィンドールだわ。レイブンクローも悪くないけれど、誰に聞いてみても、みんなそこが一番だっていうもの。アリーは?」

 

「そうね、入りたい寮はあるけど、自分の希望がどこまで通るかわからないから」

 

 自分から言い出した割に、アリーは自信がなさそうに言った。

 

「ただ両親はグリフィンドールだったから、たぶん私もグリフィンドールになるだろうって言われたわ」

 

 

 

 それからしばらく、僕らはこれまでの暮らしやなんかについてお喋りをして過ごした。ハーマイオニーの両親はマグルの歯科医師で、娘に魔女の素質があるだなんて全く知らなかったものの、ホグワーツ入学許可証を受け取ったとき、とても喜んでくれたらしい。

 アリーは、両親は自分が赤ん坊の頃からずっと病院にいて、7歳まではマグルの親戚の家で暮らしていた、と説明した。

 

「でも、ちょっとした事件のせいで、あの人たちとは上手くいかなくなってしまったの――まあ、それまでだって、とっても仲が良いというわけではなかったんだけど」

 

 アリーは苦笑いしながら肩をすくめた。

 

「ちょっとした事件って?」

 

「親戚のおばさんが泊まりに来たんだけど、その人はもともと私と、私の両親についてあんまり良く思っていなかったみたいで、結構ひどいことを言われたのよね。しゃくにさわったけど、口答えしてもいいことがあったためしがないから黙ってたら、態度が反抗的だとかいってぶたれそうになって――気づいたら、おばさんが風船みたいに膨らんでて、開いてた窓から空へ飛んで行ったわ」

 

 僕の質問にアリーはこともなげに答えたが、それは果たしてちょっとした事件、で済ませられることだろうか。きっと魔法省は大騒動だったに違いない。

 

「それで……そのあと、どうなったの?」

 

ハーマイオニーがおそるおそる、といったふうに尋ねる。

 

「両親の主治癒者(しゅじい)が、ホグワーツに入るまでの魔力制御の訓練のために、私を引き取ってくれたわ。おじさんとおばさんは私が『おかしな連中の仲間になる』ことについて散々文句を言ってたけれど、結局お互いの為にそのほうがよかったのよね、きっと」

 

 そして僕については、ある意味、ハーマイオニーの方が僕自身よりも詳しかった。なのでふたりを退屈させないためにはどうしたらいいかと頭をひねり、今度は僕の、はじめて魔力が発現した時のことを話してみることにした。アリーは2階からうっかり落っことされた僕が、ゴムまりのように弾んで道路まで飛んで行ったくだりをおもしろがったが、ハーマイオニーはいくら魔力をひきだすための試みとはいえ、桟橋から突き落としたり、足首をつかんで窓から放り出すのはやりすぎだと考えたらしかった。

 

「いや、わざとじゃないんだよ。しいていうなら、エニド大おばさんがメレンゲ菓子を持ってきたタイミングが悪かっただけで」

 

 僕はアルジー大おじさんの名誉のために弁護を試みた。

 

「首の骨を折らなかったからそんなのんきなことを言えるけど、あなたはもうちょっと自分の扱われように怒ってもいいと思うわ」

 

 ハーマイオニーは自分のことのように悔しそうにそう言ってくれたが、実際のところは僕自身、あのときは嬉しさでいっぱいで、腹を立てることを綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだ。けれど、それをどう説明したものか悩んでいるうちに、車内販売がやってきた。

 僕らは通路に出ると、思い思いに品物を選んだ。ハーマイオニーはカートいっぱいに積まれた食べ物をしばらく珍しそうに眺めていたが、結局サンドイッチと百味ビーンズに決めた。僕がかぼちゃパイと蛙チョコレートを買うと、アリーと目があった。

 

「ああ、ネビルもそれにしたんだ。もしいらないやつだったら、あとで交換してね」

 

「交換って、なにを?」

 

 興味しんしんで覗き込んでくるハーマイオニーに、僕は説明した。

 

「マグル界にも似たようなものがあるんじゃないかな、おまけつきのお菓子だよ。蛙型のチョコレートに、有名な魔法使いのカードがついてるんだ。ほら、こんなふうに」

 

 僕は蛙チョコレートの封を開けて(うっかり逃がしかけたチョコレート本体はアリーがつかまえてくれた)、ハーマイオニーにカードを見せた。

カードの人物は、アルバス・ダンブルドア――僕らがこれから行く、ホグワーツの校長先生だ。

 

「僕、これはもう持ってるんだけど……アリー、いる?」

 

「ありがとう、でも私も3枚あるわ」

 

 カードを見せると、アリーは残念そうに首を振った。そこで僕はちょっと考えて、ハーマイオニーにあげることにした。ハーマイオニーは喜んで、しおりがわりに分厚い本に挟み込んでいた。

 

 

 

 怪しい色の百味ビーンズを除いて、僕らが買ったものをあらかた食べつくした頃、彼らはコンパートメントにやってきた。

 

「ネビル・ロングボトムがここにいるって聞いてきたんだけど……おや、ひさしぶりだね、アリー・ポッター」

 

「ごきげんよう、ドラコ・マルフォイ」

 

 アリーはにっこり笑い、でもどこかよそよそしい声で、金髪を後ろになでつけた、僕らと同じくらいの年齢の男の子に挨拶を返した。ドラコ・マルフォイと呼ばれた彼の背後には体格のいい男の子ふたりが立っていて、クラッブとゴイルだと紹介された。

僕らも自己紹介をすますと、マルフォイは僕をじろじろと眺めた。

 

「へえ、君がそうなのかい。なんだか、思っていたより……いや、失礼。しかし、噂というのはあてにならないものだね」

 

 無遠慮な言い方に、しかし僕はうつむくしかなかった。ぷっくりした丸顔と、気の弱そうな眉毛。鏡の中の僕はいつもたよりなげな表情を浮かべていて、例のあの人を倒した英雄なんてものとは、自分で見ても程遠かった。

 

「それに、マグルの新入生とはね」

 

 マルフォイはハーマイオニーを横目で見ながら、鼻先で笑った。

 

「アリー、君はどうもよく分かってないようだから忠告させてもらうが、付き合う相手というのは君の品位と将来を左右するものだ。君が望むなら僕が、そのあたりをしっかり教えてあげよう」

 

 むっとしたハーマイオニーが口を開くより早く、アリーが微笑んだまま、けれど有無を言わせない口調できっぱりと言った。

 

「どうも御親切さま、ドラコ。でも、女同士の付き合いって、けっこう複雑なの。男の子がよかれと思って口を出したら、余計こじれちゃったり――ね、ドラコにそんな面倒かけたくないもの、分かるでしょ?」

 

 首をかしげてみせるアリーに、マルフォイはちょっとだけうろたえたような顔をした。

それでもまだ何か言いたそうにしているマルフォイを、アリーは「そろそろ着替えたいから、ごめんね」と、余った百味ビーンズを袋ごと押し付けて、体よく追い出していた。

 

 

 

 当然、僕も巻き添えで追い出された。

 




「もし選ばれたのがネビルでも、ヴォルデモートに勝っていた」らしいのでネビルルートを妄想してみました。


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2.「ごめんなさい、僕のカエル見ませんでした?」

 僕は今、好奇の目に晒されながら、半泣きでまたトレバーを探している。

そう、また、だ!さっきまでは、ちゃんとおとなしく籠の中にいたのに!

 

 さっきマルフォイがコンパートメントを出て行こうとしたとき、クラッブがトレバーの籠に引っかかって床に落としてしまい(僕以外にそんなそそっかしい人間がいるとは思わなかった)、開いた蓋の隙間から飛び出したトレバーが、捕まえようとした僕の手をぴょんとすり抜けてどこかへ行ってしまったのだ。

 マルフォイは少しだけバツの悪そうな顔をしたが、結局何も言わずにローブの裾をひるがえしてすたすたと立ち去り、あーとかうーとか口の中で唸っていたクラッブも、慌ててその後を追って行った。

 

「なんて態度なのかしら!一緒に探すとか、せめて一言謝るくらいはすべきじゃない?」

 

 ハーマイオニーはその前のやりとりのせいもあってか、彼らが出ていくなりカンカンになって言った。アリーは鞄からローブを取り出しながら、溜息をついた。

 

「まあ、仕方ないわよ。落としたのもドラコじゃなかったし、あれで謝られたらむしろ驚いてたわ。それより早く着替えて、私たちが一緒に探しましょう」

 

 それまでにネビルが見つけられなければだけど、と付け加えてアリーがこちらをちらりと見たので、僕は慌てて通路に滑り出した。

 さて、どちらから探そうかと左右を見渡して、僕はまず進行方向へ行くことにした。これは、先頭の方の車両なら引率の先生もいるだろうから、いよいよ見つからないとなれば彼らにも頼めばいい、と考えたからであって、別にマルフォイたちの後ろ姿が後方車両に消えていくのをみつけたせいではない、と言っておく。

 

 それからというもの、かたっぱしからコンパートメントのドアを叩いて回っているが、さっぱり成果はあがっていない。みんな怪訝そうに、あるいは面倒そうに、もしくは僕の額の傷をじろじろ見ながら「多分見なかったと思う」という返事しかくれなかった。

 

――やっぱり額に絆創膏でも貼ってくるべきだった。ばあちゃんには「こそこそ隠すなんて!いったい何を恥じることがあるというのです?」なんて、凄い剣幕で剥がされてしまったけど、無遠慮に見られるのは僕であって、ばあちゃんじゃない。

 

「君、どうしたんだ? 気分でも悪いのか」

 

 うんざりした気分で壁にもたれかかっていると、通りすがりの赤毛の上級生に顔を覗き込まれ、僕は焦ってまっすぐ背筋を伸ばした。

 

「そ、そんなんじゃないです。ただ、ペットのカエルが逃げだしちゃって、探しに」

 

「ふむ」

 

 僕に話しかけてきた上級生はちょっと考えて、杖を取り出した。

 

「『アクシオ』――カエルの名前は?」

 

 杖を構えたまま、こちらを振り返る上級生に、僕はごくりと唾を飲み込んで答えた。

 

「トレバー、ですけど」

 

「『アクシオ、トレバー』」

 

 上級生が杖を振ると、連結部の扉が勢いよく開き、何か茶色いものが飛んできた。

ポテトチップスの袋から顔をだしたトレバーが、彼の両手にすっぽりとおさまる。

 

 ポテトチップス?

 

 僕と上級生は顔を見合わせた後、揃ってトレバーを二度見した。

そこへ、開いたままの連結部の扉から、ばたばたと誰か走り寄ってきた。

 

「ああ、いたいた!君、さっきカエル探してた人ですよね?」

 

 息せき切ってやってきた、くるくるした髪の男の子が、僕を見つけてぱっと顔を明るくした。

 

「よく見たら僕らのコンパートメントに迷い込んでたので渡そうと思ってきたんですけど、急に飛んでいくから驚きましたよ」

 

「ほんと、びっくりしたわ。いきなりびょーん、って飛んでいくんだもの!」

 

 あとから追いついてきた、金髪をおさげにした女の子が、手を大きく上下にぱたぱたさせて(驚きを強調しようとしたのか、トレバーが飛んで行った様子を表現しようとしたのかはわからない)訴えると、上級生が生真面目そうに頷いた。

 

「悪かったな、届けてくれている途中だとは思わなかったんだ」

 

「かまいませんよ。ところで、さっきのは何ですか? あれも魔法なんですよね?」

 

 男の子が目を輝かせながら上級生に尋ね、呼び寄せ呪文について説明を受けている。たぶん、マグル出身の新入生なんだろう、と僕は思った。

 

「ふたりとも、届けてくれてありがとう。ところで……この袋、なに?」

 

 上級生から受け取ったトレバーを、ポテトチップスの袋ごと持ち上げてみせると、二人はちょっと気まずい顔になった。

 

「すみません、他に適当な袋がとっさに見当たらなくて。ヒキガエルって、確か毒があるんですよね?」

 

「直に触ったらかぶれるかもと思って。ごめんね」

 

 かまわない、と僕は答えて、トレバーからポテトチップスの袋をとってやった。

トレバーは特に気を悪くしたふうもなく、のそのそと足を動かしている。

 

「とにかく、見つかってよかったな。じゃあ、僕はこれで」

 

 上級生は角縁めがねのふちをくいと指で押し上げ、慌ててお礼を言う僕に軽く頷いてからきびすを返した。僕は後から来たふたりにももう一度お礼を言い、さてコンパートメントに戻ろうと思ったのだが、彼らはまだ何かいいたそうにもじもじしている。

 

「ええと、貴方って、有名人なんですか?」

 

「あの、貴方、ネビル・ロングボトムよね?」

 

 ふたりは目くばせしあったあと、結局同時に喋りだし、あたふたして「ごめんなさい」「こちらこそ」と互いに謝りあっている。

 

「う、うん……有名かはわかんないけど、僕はネビル・ロングボトムだよ」

 

 なぜかちょっとやるせない気分になりながら答えると、おさげの子が「やっぱり!」と嬉しそうに声を上げた。

 

「私、ハンナ・アボットよ、よろしく!」

 

「僕は、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーといいます。あの、僕はマグル……っていうんでしたっけ? 魔法使いじゃない家の出なもので、You-Know-Who(れいのあのひと)って言われても、どの人だかいまひとつピンとはこないんですが……みなさんが言うには、貴方がその人を倒した、と」

 

「史上最悪の闇の魔法使いよ」

 

 ハンナは声をひそめ、ジャスティンの袖をひっぱって首を振ってみせた。

 

「いまだに、魔法界には彼の配下がおおぜい、そのことを隠して暮らしていると言われているわ。だから、あの人の名前を呼んではいけないし、大きな声であの人の話をしてもいけないの。あの人が」

 

 そこでちらりと僕を見て、付け加える。

 

「ネビル・ロングボトムに倒された今でもね」

 

「実際のところは、僕が倒したわけじゃないと思うんだけどね」

 

 気持ちが沈み込んでいくのを感じながら、僕は小さな声で訂正した。

 

「正直、赤ん坊のときのことだし、僕は何もおぼえてさえいないんだよ。きっと、僕の両親と相討ちになったか、さもなければ例のあの人がなにか魔法を失敗したんだろう、と思ってる」

 

 言いながらも、自分でもこれはあまり説得力のある意見ではないな、と思った。ハンナもそう考えたらしく、明らかに「そうかしら」という顔をしている。だいいち、これでは額の傷の説明がつかないのだ。この傷は、強い呪いの痕跡らしい――言い換えるなら、僕には最凶の闇の魔法使いの呪いを受けながらも、生き延びることのできたなにか(・・・)がある、らしい。

 

でも、なにが(・・・)

 

「なるほど」

 

 ジャスティンは僕の表情から何か察したらしく、これまで魔法族から向けられてきたのとは違うタイプの同情の目で僕を見た。

 

「ずけずけと訊いてしまって、すみませんでした。それでは、僕らはこれで戻ります」

 

 一緒の寮になれるといいですね、と付け加えて、ジャスティンはにっこりした。

とても気持ちのいい笑顔だった。

 

 

 

 僕が用心深く、トレバーをしっかり摑みながら自分のコンパートメントまで戻ってくると、アリーとハーマイオニーが2つ先のコンパートメントから出てくるのに出くわした。

 

「あら、おかえりなさい。カエルは見つかったみたいね?」

 

 めざとくトレバーを見つけてそう言ったハーマイオニーに僕は頷いて、ふたりにありがとうと言った。ふたりともとうに着替え終わって、トレバーを探すのを手伝ってくれていたらしい。

 

「どういたしまして。それよりネビル、早く着替えないと。もうすぐ着くんじゃないかしら」

 

「そうだった!」

 

 アリーに注意されて、僕は慌ててコンパートメントに駆け込み、トレバーをかごに押し込んでローブを頭からかぶった。これで大丈夫だろう、とドアから頭を出してふたりを呼ぶと、溜息をついたハーマイオニーに衿元を直され、アリーにローブの裾をズボンから引っ張り出される。

 

「ほら、靴のかかとは踏まないで、ちゃんと履いて!

……これでよし、と。男の子って、みんなこんな無頓着なのかしら?」

 

 まっすぐに立たせた僕をじろじろ見ながら、ハーマイオニーが少し呆れたように言うが、多分みんなはそうでもないと思う。

 

「そこはさすがに人によると思うわ。例えばさっきの鼠の子はあんまり身なりを構わないタイプみたいだったけど、ドラコはきっちりと着こなしてたでしょ?」

 

「マルフォイと知り合いなの、アリー?」

 

「うちの保護者が、ちょっとね」

 

アリーは「自分としては不本意だが」というのをにじませたような声で答えた。

 




さっきの鼠の子は、別に身なりを構わないタイプというわけではないのです。
丈が合わなくても、おさがりだから仕方ないだけなのです……。


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3.「組分け帽子は君の選択を尊重してくれる(キリッ)」

ネビル「えっ」
19年後ハリー「えっ」


 ホグワーツ到着早々、僕は窮地に立たされていた。

 

 最初は、良かったのだ。

 アリーやハーマイオニーとボートに乗って、宵闇に浮かび上がるホグワーツ城の美しい姿を仰いで胸をときめかせたり。

 合流したジャスティンたちと一緒に、何千本ものキャンドルを魔法で浮かび上がらせた大広間をきょろきょろ見渡し、満天の星がちりばめられたように見える天井を見上げて感嘆の声を上げたり――それは想像していた通りか、あるいはそれ以上にわくわくする体験だった。

 そこまでは、他の皆と変わらない、平和な時間が僕にも同じように流れていたと言えるだろう。

 

 しかし、それもここまでだ。

 膝の上で震える両手に、冷や汗がたらりとしたたり落ちる。

緊張して耳まで赤くなっているのが自分でも分かったが、1分経ち、2分経ち、大広間がざわついてくるにつれて血の気が引いていく。

 

 それもこれも、この――

 

「いったいグリフィンドールの、何が不満だというのかね?」

 

 僕の頭の上で、不機嫌そうに唸る、ぼろぼろの魔法の帽子のせいだった。

 

 

 組分け帽子が言うには、僕は他の寮への適性はまったくないらしい。

だけど、冗談じゃない。勇猛果敢な騎士道で、他とは違うグリフィンドール?そんなの、まったく僕の柄ではない。落ちこぼれて苛められるに決まってる、と僕は心の中で呟いた。

 ハッフルパフがいい。先にあの寮に組分けされたジャスティンやハンナとだって、仲良くなれそうだった。僕は、ハッフルパフに行きたいんだ。

 

「なるほど、ハッフルパフならば君は心穏やかに過ごせるだろう。しかし、あそこは君にとって良い環境とは言えないな。ハッフルパフでは、君は現状に甘んじてしまう。ゆえに、君に課せられた厳しい運命に立ち向かうに足りるだけの成長は難しくなるだろう」

 

 いいかね、と、組分け帽子の口調が厳しくなった。

 

「そもそも、君の中には、魔力の発現と成長を阻害している要素がある。それはなにか?」

「だって8歳まで、魔力の発現さえなかったし――」

「それは結果であって原因ではない」

 

 組分け帽子はきっぱりとした口調で言い切った。

 

「君自身ですら普段は意識していないだろうが、君の根底にあるのは、10年前にその傷とともに刻み込まれた、杖を使った魔法に対する怯えと恐れ。

そして時にそれを上回るほどの、闇の魔術に対する激しい怒りだ。

その恐怖と怒りが、魔法に対する忌避感となり、君に魔力を思いのまま発揮することをためらわせる」

 

 そう続ける組分け帽子の言葉に、僕の頭の中は真っ白になった。

 けれど同時に、「ああそうだったのか」と、すとんと胸の中に落ちるものを感じた。僕がこれまでぼんやりと感じていたことを、はじめて明確な言葉で説明されたのだ。

 

「ゆえに、レイブンクローはまず除外される。あの寮は魔法の探求こそを至上のものとしているからな。

血統と素質だけで言えばスリザリンの可能性もあったが、性格的にこれも除外される。

ハッフルパフが駄目なのは、先程も説明したとおりだ」

 

「だからって消去法でグリフィンドールだなんて、聞いたこともないよ!」

「いたしかたあるまい」

 

 僕の小声の抗議に、組分け帽子は重々しく言った。

 

「君に必要なのは、恐怖を乗り越え、怒りを力に変える勇気だ。ゆえに――グルフィンドール!」

 

 声を強めての宣告に、いつの間にか静まり返っていた大広間に、わっと歓声があふれた。

 押し切られてしまった腹立ちまぎれに、僕は足音荒くグリフィンドールのテーブルに行きかけて、周りから失笑交じりの制止を受けてすごすごと戻り、次のモラグ・マクドゥガルに組分け帽子を渡した。

 

「ずいぶん長いことかかったわね?」

 

 先にグリフィンドールのテーブルについていたハーマイオニーが、隣の席からさっそく話しかけてきた。

 

「私のときも組分け帽子はずいぶん迷っていたけれど――レイブンクローか、グリフィンドールか悩んでたみたい、最後にはもちろん私の意見を聞いてくれて、グリフィンドールになったけど。でも、貴方はもっと長かったわ。よほど寮の選択肢があったのかしら?」

 

 僕はのろのろと首を振った。僕には選択肢はなかったし、選択権もなかった。

 

「また顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

 

 向かいにすわっていた、ホグワーツ特急のなかでトレバーを呼び寄せてくれた上級生が、心配そうに顔を覗き込んできた。改めてよく見ると、襟元にはバッジが光っている。どうやら、グリフィンドールの監督生だったらしい。

 

「いえ、たいしたことじゃないです」

 

 本当のところ、僕はまだ、ひどく混乱していた。しかし、組分け帽子に言われたことを、誰かにそのまま言って気が楽になるとも思えなかったし、また、そんなことはすべきではないとも思った。

 監督生は少し疑わしそうな顔をしていたが、それ以上は追及せず、パーシー・ウィーズリーと名乗った。僕がパーシーと握手をしていると、ちょっと離れた席に並んですわっている、そっくりな顔をした赤毛の二人組がからかうような調子で声をかけてきた。

 

「おいおいパーシー、ロングボトムとずいぶん気安いみたいじゃないか」

「そういやさっき、ホグワーツ特急で会ったって言ってたっけ。僕らにも紹介してくれよ、ひとりじめはなしだぜ」

「あれが」

 

 鹿爪らしくパーシーは言ったが、気のせいか声がちょっとだけいらついているようにも聞こえた。

 

「フレッドとジョージ。僕の弟の双子で、3年生だ」

「そして組分けを待ってる中で最後から2番目の、死にそうな顔してるのが」

「僕らの愛すべき弟、ロン・ウィーズリーさ!」

 

 双子は早口で交互に喋ると、まだ組分けされていない新入生の群れを指差した。

その先では、鼻の頭が汚れた赤毛の男の子が、不安そうな顔で立ち尽くしている。

 

「4人兄弟なの?」

「どうしてどうして、さにあらず」

「男が6人、末に妹の総勢7人さ。おかげで僕ら、新しい教科書なんて持ったことがない」

「杖やローブ、大鍋からクィディッチ用品にいたるまで」

「「使えるものはなんでもおさがり!」」

 

 双子は最後、歌うように声をそろえて言う。話だけ聞くと大変そうだが、双子があまりにも明るい調子で話すので、僕は羨ましく感じてしまった。7人も兄弟がいるのなら、きっと家が寂しいなんてことはないだろうし、学校でも心強いだろう。

 そんなことを思っていると、ハーマイオニーが僕を肘でつついてささやいた。

 

「ほらネビル、そろそろアリーの番よ!」

 

 そう言われて僕が再び組分け帽子の方に目をやると、ちょうどマクゴナガル先生が羊皮紙で彼女の名前を読み上げるところだった。

 

「ポッター、アリス‐リリーベル!」

 

 僕は息を飲んで、前に進み出たアリーを見つめた。 

 アリーがそっと組分け帽子を持ち上げ、頭に乗せると、彼女の深く透き通った緑の目がすっぽりと隠れる。

 

 ややあって、組分け帽子は叫んだ。

 

「スリザリン!」

 

 僕は、そっと息を吐いた――そこに大きな落胆がまぎれこんでいたことは認めなければならないだろう。

 アリーは帽子を次の生徒に渡すと、大広間を見渡して来賓席に目を留め、にっこりと微笑んだ。そしてそのまま、こちらを見もせずに軽やかな足取りでスリザリンのテーブルに向かっていく。僕は、なぜかひどく寂しくなった。

 

「意外ね、あの子がスリザリンだなんて。本人も、たぶんグリフィンドールだろうっていってたのに」

 

 ハーマイオニーがそう呟いて首をひねったが、正確には違う。彼女は、「両親ともグリフィンドールだから、たぶんグリフィンドールになるだろうと言われた」、といったのだ。それに、行きたい寮はあるけどそこに行けるかわからない、とも。きっと、アリーは最初からスリザリンに行きたかったのだ。

 そう言うと、ハーマイオニーはますます腑に落ちない顔をした。

 

「そういえばそうだったわ。でも、両親ともグリフィンドールだったなら、同じ寮になることを周りの人も望むでしょう。それをあえてスリザリンになんて――だいたい、両親と寮が違うってこと、そんなしょっちゅうあるの?」

 

「それはひとによりけりだな。でも、血筋によって寮が決まる傾向は、確かにある。ウィーズリー家は僕が知る限りみんなグリフィンドールだし、マルフォイ家ならまず間違いなくスリザリンだ。ポッター家なら、グリフィンドールでもスリザリンでもおかしくはない」

 

 パーシーは、組分け帽子が頭に触れるか触れないかのうちに「スリザリン!」と叫ばれているドラコ・マルフォイを見つめながらそう言った。

 その後はそんなに時間がかかる生徒もおらず、組分けは順調に進んでいった。ロン・ウィーズリーもすぐにグリフィンドールに決まり、ふらふらしながらやってきてパーシーのとなりに倒れるように座り込み、兄たちから暖かい、あるいは騒々しい祝福を受けていた。

 

 組分けがすむと、校長先生の風変わりな短い挨拶のあと、新入生歓迎パーティーが始まった。大皿は一瞬のうちに目移りするようなごちそうで満たされ、僕はこれをはらぺこのまま待たされていた在校生たちに心の中で謝った――なにしろ、僕にも大いに責任の一端がある。

 色とりどりのデザートが出て、僕らの前の皿とゴブレットが空になったのをみはからい、校長先生がふたたび立ち上がった。

 

「さて、みんなよく食べ、よく飲んだことじゃろう。新学期を迎えるにあたって、いくつかお知らせがある。

 まずは、新任の先生を紹介しよう。魔法薬学担当の、セブルス・スネイプ先生じゃ。なお、スネイプ先生はスリザリンの寮監も兼任される」

 

 来賓席から、黒髪に鉤鼻の、厳しい顔つきの先生が立ち上がり、大広場を見渡して(というか、ねめつけて、というべきか)かすかに頷いてみせた。やせぎすで黒いローブを羽織っていて、僕はなんとなく、育ちすぎたコウモリを連想した。

 

「先生はつい先日まで、聖マンゴ病院の主任癒者として活躍しておられた。臨床で培った知識と経験を、諸君の教育にいかんなく発揮していただけるものと期待しておる」

 

 校長先生の紹介の間、スネイプ先生は視線をゆっくり滑らせ、スリザリンで一瞬止めた後――僕と目があった。

 

「……ッ」

 

 その瞬間、額の傷に鋭い痛みが走った。

 僕が額をおさえて顔をしかめていると、ロン・ウィーズリーが不思議そうな顔で僕を見た。

 

「なに、君、どうかした?」

「なんでもない」

 

 僕は額から手を放した。痛みは一瞬で消えたが、今までにこんなことは一度もなく、なんだか嫌な予感がした。僕はスネイプ先生の方をもう一度見たが、もう元通り席に座りなおし、隣の紫のターバンを巻いた先生(この人はずっとそわそわしていて、僕は先生なのになんて落ち着きがないんだろうと思った)と、ふたことみこと、何か話していた。

 その間も、校長先生の話は続いていた。校内にある森には入らないこと、授業の合間に廊下で魔法を使わないこと、クィディッチチームの選抜について、そして「とても痛い死に方をしたくない者は、4階の右側の廊下に入らないこと」、と。

 

「とても痛い死に方!」

 

 僕はぞっとして言った。双子の目が好奇心できらめいているのを見て、ロンは半ばあきらめたように首を振っていた。その隣でパーシーが、「へんだな」と呟いている。

 

「どこか立ち入り禁止の場所があるときは、そこに危険な魔法生物がいるからだとか、いつも理由を説明してくれるのに。せめて僕ら監督生には、わけを言ってくれておいても良かったんじゃないか?」

 

 個人的にはとても痛い死に方だけで充分な気もしなくはないが、いつか見に行ってやろうと顔に書いてある双子のような生徒がいるのを考えれば、特に理由がなければ先に説明して興味をなくさせた方がいいのかもしれない。

 

 

 

 最後に校歌斉唱して歓迎会が終わり、僕らはパーシーに率いられてグリフィンドールの寮に向かった。いくつもの階段や隠し扉を通り抜け、慣れるまでしばらく寮に帰るだけで迷子になりそうだ、と僕は思った。

 途中でポルターガイストのピーブスに頭の上に杖の束をバラバラ落とされたり(僕だけ)、太った婦人の肖像画の裏から現れた、寮の入口の高い穴に上りきれずに押し上げてもらったり(僕だけ)しながら、やっとのことで割り当てられた部屋にたどり着いた。

 僕のルームメイトはロンと、シェーマス・フィネガン、ディーン・トーマスの3人だった。僕らはくたびれはてて、お互い無駄口を叩く元気もなく、パジャマに着替えるとすぐさまベットにもぐりこんだ。

 

 ロンはシーツをかじっている自分のペットの鼠になにやら文句を言っていたが、じきに眠り込んだらしく静かになった。僕はといえば、体は疲れきっていたが、頭の芯が妙に冴えたようになって、なかなか寝付けなかった。

 それでも無理やりに目を閉じていると、ようやくうとうとしてきたが、訪れた眠りはあまり安らかではなかった。夢の中で、僕は組分け帽子を両手に持って見つめていた。

 

「君は、君の運命から逃れることはできない」

 

 組分け帽子は不吉な声で言った。次の瞬間、帽子からきらきらした棒のようなものが落ちてきて、いつのまにか僕はそれを握りしめて立っていた。ほどけた紫のターバンが蛇に変わり、僕を見つめて笑った。水色のエプロンドレスを着たアリーが、くるくる踊りながら不思議な歌を歌っている。

 

『ぼくの考えではきみこそが

(彼女がこのかんしゃくを起こす前は)

 彼とわれわれとそれとの間に

 割って入った障害だったのだ。

 

 彼女がかれらを一番気に入っていたと彼に悟られるな

 というのもこれは永遠の秘密、

 ほかのだれも知らない、

 きみとぼくだけの秘密だから』

 

非誕生日おめでとう(ハッピー・アンバースディ)

 

 シルクハットをかぶったスネイプ先生が、不機嫌そうに言った。

 

 あたりに緑色の光がいっぱいになって――それから先は、もう何も覚えていない。




文中引用『不思議の国のアリス』第12章より(ルイス・キャロル著/山形浩生 訳)

・実は8歳どころか生まれた直後から魔力の発現があったのに、毎回誰にも気づかれずスルーされてた(公式設定)

・そうそうにグリフィンドールに組分け決まってんのに、組分け困難寸前まで帽子相手にハッフルパフがいいと粘りまくる(公式設定)

ネビルェ……


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4.「ほら、アニメーション映画で見たことあるし」

 朝食を食べる手を止めた僕は、ばあちゃんが今しがたふくろう便で送ってきた思い出し玉を転がしながら、大きく唸った。手の中の思い出し玉の色は真っ赤に光り、僕がなにかを忘れていることを示している。

 しかし、どうやら僕は、何を忘れているかということすら忘れているらしい。

 

「あなたはそういうものよりもまず、魔法のかかっていない小さな手帳を買うべきね」

 

 ハーマイオニーは呆れたように頭を振った。

 

「忘れそうなことはなんでも、そこに書き留めておくの。きっと思い出し玉より、ずっと安くて役に立つわ。もちろん、手帳そのものを忘れなければの話だけど」

 

 僕には手帳を忘れないでいられる自信はまったくなかったが、それを認めるのもなんだかいやだったので、ふくろう便がくる前まで話を戻した。今日の午後にある、スリザリンと合同の飛行訓練の授業についてだ。

 

「理論はだいたいわかったけど、初めて乗るからやっぱり不安だなあ。ばあちゃんは一度も、僕を箒に乗らせてくれたことなかったんだ」

「僕には君のおばあさんの気持ちがわかる気がするな。君ったら、地に足がついていてさえ、しょっちゅう何かやらかしてるんだもの」

 

 ベーコンをフォークでぐさぐさとつつきながら、ロンがぼやいた。

 

「僕の大鍋なんて、このグレイビー・ボートみたいな形に縮んじゃってるしな」

 

 ソース入れを片手に、うらめしげにシェーマスが追撃する。先週の金曜、はじめての魔法薬学の授業で、僕は調合に失敗してシェーマスの大鍋を無残な姿に変えてしまったのだ。学校の備品の鍋を使わなければいけなくなったシェーマスには申し訳ないことをしたが、まともに失敗した薬をかぶった僕は体中赤いできものだらけになったり、スネイプ先生に恐ろしい顔で叱りつけられたり、それをマルフォイに鼻で笑われたり、とにかく散々な目にあった。特に減点されたりはしなかったが、当然あまり慰めにはならない。

 

 授業がはじまると、やはりというべきだろう。まわりの好奇と期待のまなざしは、だいぶ生ぬるく憐みのまじったものに変化してきていた。変身術では僕のマッチは色すら変わりはしなかったし、妖精の呪文の授業では光よ(ルーモス)の魔法が、なんだか死にかけた蛍みたいなことになっていた。組分け帽子に言われた通り、僕は杖を使う魔法にはちょっと苦手意識があるようだ。

 

 かといって杖を使わない魔法薬学ならばいいかというとごらんの有様なわけで、唯一僕が上手くやっていけそうな授業が薬草学だった。このあいだも授業で植えた苗の様子を放課後にこっそり温室に見に行き、出くわした薬草学担当のスプラウト先生とちょっと仲良くなって、今度の週末にハッフルパフ有志のきのこ狩りに混ぜてもらう約束を……

 

「あ、そうか」

 

 ハッフルパフ監督生のガブリエル・トゥルーマンに、僕からもきのこ狩り参加の連絡をしておくように言われたんだった。ようやく思い出して手の中を見ると、思い出し玉の赤い光が消え、中に白い煙のようなものが渦巻いているだけに戻っている。やはり、忘れていたのはこれだったらしい。

 

 ちょうどいい、ガブリエルが食事を終える前に言っておこう、と思って立ち上がった僕は、いきなり横から手の中の思い出し玉をひったくられた。

 怒るよりむしろあっけにとられて、僕は意地悪そうに笑うドラコ・マルフォイを見つめた。視界の端でロンがはじけるように立ち上がり、ハーマイオニーが眉根を寄せて怖い顔をしている。

その場にピリッとした空気が流れかけたとき、マクゴナガル先生がめざとくそれを見つけてやってきた。

 

「なにごとですか」

「別に。ちょっとロングボトムのおもちゃを見ていただけですよ……」

 

 僕が口を開くよりも早く、肩をすくめてマルフォイが言い訳する。ロンがそれに食ってかかろうとしたところへ、背後からひややかな声が響いた。

 

ドラコ(・・・)

 

 マルフォイがぎょっとしたように振り返ると、アリーが腕組みをして冷めきった目でマルフォイを見ていた。アリーはそれきり、何か弁解しようとするマルフォイがそこにいないかのように無視して通り過ぎ、ハーマイオニーにだけ「合同飛行訓練、楽しみにしてるわね」とにこやかに告げて去って行った。マルフォイは慌てて思い出し玉をテーブルに放り出し、彼女を追って行ってしまった。

 

「なんだい、ありゃあ」

 

 ロンは毒気を抜かれたような顔ですとんと座り、誰にともなく疑問を口にした。

 何ともいえない空気のまま朝食はお開きとなり、僕はガブリエルにきのこ狩りの話をするのをまた忘れていたことを、1時間目の授業の最中に思い出した。

 

 

 

 その日の昼下がりはよく晴れていて、校庭の芝生の上には気持ちのいいそよ風が吹いていた。飛行訓練を楽しみにしている生徒にとっては絶好の日和だろうな、と僕は他人事ながら思った。

 そう、他人事だ。こうやって箒の横に立った今、僕は改めて怖気づいていた。なんでみんな、平気そうどころか、待ちきれないみたいな顔をしているんだろうか。そもそも煙突飛行粉(フルーパウダー)で何処へでも行けるようになった時代に、どうしていまさら箒で空を飛ぶ必要があるんだろうか。クィディッチなんて、何故あんな恐ろしいスポーツをみんなプレイしたがるのか、さっぱりわからない。

 

「右手を箒の上に突き出して、『上がれ』と唱えて!」

 

 僕の内心の愚痴をよそに、マダム・フーチがきびきびと号令をかけた。全員、声をそろえて「上がれ!」と唱えたが、1回で箒を掴めたのは数人だけだった。もちろん、僕の箒は頑として1センチも動いていない。

 

「ほら、マルフォイが持ち方直されてるよ! クィディッチがうまいとか、あんなに自慢してたくせに」

 

 ロンがニヤニヤしながらシェーマスに囁いていたが、四苦八苦してようやく手の中に箒を収めた僕にしてみれば、多少持ち方が自己流だろうが、クィディッチで試合が成立するくらい飛べるならたいしたものだ、と思った。

 

「では、笛を吹いたら強く地面を蹴ってください。2メートルくらい浮上したら、前かがみになって降りてくること。いいですか、笛を吹いたらですよ――1、2の――ネビル(・・・)戻ってきなさい(・・・・・・・)!」

 

 やってしまった。

 出遅れまいと強く地面を蹴った僕の箒は、フライングして猛烈な勢いで空中に飛び出した。マダム・フーチの怒鳴り声が、あっという間に下へと遠ざかる。

 僕は前かがみになって降りようとしたが、急角度で飛び出したせいでのけぞってしまい、なかなか体勢が立て直せない。じゃあ、旋回して引き返して降りれば――いや待て、箒で旋回って、どうすればいいんだ!

 

 このまま降りられずにどんどん高くへあがってしまい、いずれ力尽きて落ちて死んでしまうんじゃないか。そんな恐ろしい想像が頭をかすめ、僕の目は恐怖の涙でいっぱいになった。

 そのとき、はるか下からどよめきが起こった。

 ヒュウッと風を切る音が、どんどん後ろから近づいてくる。僕ははっとして、いつのまにか緩みかけていた箒の柄を持つ手をしっかりと握りなおそうとし――緊張の汗で、手がずるりと滑った。

 

 とたんにあがる、遠くからの悲鳴。

 そして次の瞬間、右手首と、肩に衝撃が走った。

 

 目を開けると、禁じられた森の木々がかなり近くに見えた。下を見ると、僕の足が宙吊りになっている。

 視線を上にずらすと、僕の右手首は、しっかりとアリーの白い手に掴まれていた。アリーは必死な顔をして歯を食いしばり、残った片手で柄をぐいと横に倒して、箒をゆるやかに旋回させた。ゆっくりと地上が近づき、みんなの表情が見えるようになる。だれもかれも一様に、ぽかんと口を開けていた。

 

 僕らが地面に降り立つと、マダム・フーチが真っ青な顔をして駆け寄ってきた。

 

「無事ですか、ネビル、アリー!?まったく、あなたたちときたら――こんな無茶をして!」

 

 マダム・フーチは憤懣やるかたない、という口調だったが、アリーはともかく、僕は特に無茶しようとしたつもりもないことをわかってほしい。

 それに、僕らはそう無事なわけでもなかった。僕はどちらかといえば背は低い方だが、体重は……まあ、この年齢の平均よりは少し多いかもしれない。その重さを、それなりのスピードで突っ込んでいって、空中で掴まえようとするとどうなるか?

 

「あの、僕、肩がグキッてなってて……」

 

 それはもう、脱臼くらいは当然覚悟しないといけないだろう。

 僕は、糸繰り人形のようにプラプラしている右手を、マダム・フーチに見せて訴えた。

 

「私も、ちょっと……多分、折れたりまではしていないと思いますけど」

 

 アリーも、ちょっと顔をしかめて手首をさすっている。

マダム・フーチは頷くと、みんなの方に向き直り、厳しい口調で言った。

 

「私はこの子たちを医務室へつれて行きます。あなたがたはこのまま、ここで待っていなさい。もちろん、箒もそのままにしておくんですよ! 勝手に乗って遊んだりしたら、クィディッチのクの字を言う前に、ホグワーツから出て行ってもらいますからね!」

 

 そしてマダム・フーチは僕とアリーを促し、医務室へ向かった。

 

 

 

 医務室の先生、マダム・ポンフリーは、僕とアリーの前にごとりとゴブレットを置いた。

 

「ネビルは脱臼、アリーは捻挫ね。ふたりとも骨が折れたりはしていませんから、これを飲んだら、もう戻ってかまいませんよ」

 

 骨はもうはめ直してもらったのに、どうしてもこれを飲まないといけないんだろうか、と、僕はマーブル状に黒が混ざった紫の液体を見つめた。アリーもとても嫌そうな顔をしていたが、マダム・ポンフリーの無言の圧力に、僕らはおとなしくゴブレットを手に取った。

 飲んでみると、物凄い色のわりに、味はそう悪くない。せいぜい、少し変わったハーブティーくらいのものだった。

 

「さて、それでは寮監の先生方から、あなたがたにお話があるそうですよ。ミネルバ、セブルス。弁解の余地はあると思いますから、お手柔らかに」

 

 マダム・フーチは苦笑交じりにそう言うと、さっさと出て行ってしまった。授業を中断して来ているのだから仕方ないといえばそうなのだが、正直、残っていてほしかった。

 

「ロングボトム」「ポッター」

 

 来た……!

 僕らがびくりと肩をはねさせて振り返ると、マクゴナガル先生が眼鏡をぎらりと光らせて仁王立ちし、スネイプ先生は薄い唇に、いっそ楽しそうにすら見える酷薄な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

 

「いったいあなたは、落ち着きがなさすぎます!聞けば、これまで箒に乗った経験もないのに、合図よりさきに飛び出していったそうじゃありませんか。わかっているのですか、首の骨を折るかもしれなかったのですよ!授業中、ふと外を見てあなたがあんなに高くまで上がっているのを見て、私がどんな思いをしたと……」

 

 僕が凄まじい勢いでマクゴナガル先生に叱り飛ばされている横で、アリーはスネイプ先生にねちねちと説教されて涙目になっている。僕は、心からアリーに申し訳なく思った。

 

「……しかし、いかに危険を顧みない軽薄な英雄気取りの行動とはいえ、級友の救助に動いた点は、まあ一応は評価してもいい。スリザリンに5点」

 

 スネイプ先生がそうしめくくってようやく解放され、僕らはよろよろしながら医務室を後にした。アリーはしょげきっていたが、最後に加点されたことでちょっとだけ気分が持ち直したようだった。

 

「あの、ごめんね、僕のせいで。それと、助けてくれてありがとう」

 

 お礼を言うと、アリーはどことなく儚く微笑んだ。

 

「ううん、いいのよ。後先考えず飛び出して行って、無茶なことやったのは私自身だし、怒られたって仕方ないわ。でも、『そういうところが父親そっくりで最悪』だなんて……」

 

 これは駄目だ。意味はよく分からないけど、重症だ。

 僕は慌てて、またちょっと涙ぐんだアリーの気持ちを少しでも上向かせるために、彼女の飛行技術をほめちぎった。

 

「降りるときのあの滑らかなターン、片手だけの操作なのにすごかったね!それに、僕の箒も結構なスピードで暴走してたと思うのに、あっさり追いついて落ちるの止めるだなんて、きっと上級生でもできる人、ほとんどいないよ!君、本当に箒上手なんだね!」

 

 僕の必死のフォローに、アリーは少しはにかんだ。

 

「さっきは夢中だったからできただけだと思うわ。あと、ほら、ちょうど同じようなシーンを、魔女が主人公のアニメーション映画で見たことあるし、あれならやれそうって思ったのもあるんだけど……やっぱり駄目ね、フィクションはフィクションだったわ」

 

 まさか肩が抜けるとは思わなかったわ、などと言っているアリーをよそに、僕は首を傾げた。

 あにめーしょんえいがって、何だ?

 

 

 

 

 アリーと手を振って別れ、授業はもう終わっている時間だったので寮の談話室に戻ると、ロンが申し訳なさそうに、ハンカチにくるまれた思い出し玉の、粉々になった破片を差し出してきた。

 

 なんだこれ。僕らがいない間に、一体なにがあったの?



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5.「血みどろ男爵が、さっき2回も通ったんだよ!?」

血みどろ男爵「そのわりに危機感なく眠りこけていて、こいつは将来大物になると思った」


 ロンが口ごもりながら説明したところによると、僕らが医務室へ向かってすぐマルフォイが、僕が知らないうちに落としていた思い出し玉を拾い上げ、みんなに見せつけながら嘲笑ったそうだ。そのあとはグリフィンドールとスリザリンが全員で返せの返さないのと言い合いになり、しまいにマルフォイから強引に思い出し玉をもぎとったロンがクラッブにつきとばされ、倒れた拍子に手からすっぽ抜けてこうなった――らしいのだが。

 

「ごめん、弁償するよ……うう、いくらくらいになるんだろう……」

「いいよもう、ロンが悪いわけじゃないし、どうせ僕が持ってたって、遠からず割れそうだったもの」

 

 青ざめながらそう言うロンが気の毒になって、僕は首を横に振った。

 今度はハーマイオニーが言うように、手帳をためしてみようと思う。できれば、落し物防止の魔法付きのがいい。

 

「それより、よく誰も箒に乗って取り合いしたりしなかったね?」

「そりゃまあね。ポッターのあとじゃ、多少乗れる程度じゃあまったく自慢にならないだろ?」

 

 ロンが肩をすくめる。それはそうだろう、あんな離れ業を見せられておいて、自分の方がうまいと言える一年生がどれだけいるだろうか。

 

「ありゃあ絶対、スリザリンのクィディッチチームがスカウトに走るな。試合参加は来年からだろうけど、あれと当たると思うとぞっとしないね」

「なんだよ、そんな面白いショーがあったなら僕らを呼んどけよ」

「残念無念、その間僕らは地下牢でお勉強だったさ!」

 

 難しい顔をするロンを、談話室に降りてきた双子がはやしたて、いっぺんににぎやかになった。

 

「くそっ、なんでスリザリンなんだ。マクゴナガル先生がおっしゃっていたが、ポッターの父親はグリフィンドールが優勝した年のチェイサーだったらしいじゃないか」

 

 グリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドがソファにどっかりと腰かけ、悔しそうに言った。シェーマスは目を輝かせ、興奮気味にディーン相手にまくしてている。

 

「選手になるとしたらチェイサーかな? あの動きならシーカーでも勤まるぜ――見たか、あの加速?」

「いや、確かにすげえなとは思ったけど、そもそもクィディッチってそんなに面白いか?スニッチ取ったら150点加点なんて、ゲームバランス悪すぎだろ」

 

 サッカーとかいうマグルのスポーツに夢中のディーンが気がなさそうに言うと、談話室はたちまち、憤慨と抗議の声でいっぱいになった。そもそもスポーツ自体にそこまで興味がなさそうなハーマイオニーがその中から抜け出して、僕のところにやってくる。

 

「ネビル、もう怪我はいいの?」

「平気だよ。マダム・ポンフリーがすぐ直してくれた」

「そう、魔法薬ってすごいのね。ところで、気を付けた方がいいわ。何があったかはロンから聞いたでしょうけど、マルフォイがあれだけで引き下がるとは思えないもの」

 

 ハーマイオニーの忠告が取り越し苦労でなかったことは、夕食の時にすぐに分かった。マルフォイが、僕とロンをみつけるとつかつかと歩いてきたのだ。

 

「やあウィーズリー、ロングボトムに弁償する算段はできたかい?」

 

 意地悪く言うマルフォイのうしろで、クラッブとゴイルが嫌な笑い方をした。

 

「そのことなら、もうネビルと話はついた。許してくれるってさ」

 

 ロンはポタージュの皿から顔を上げて、マルフォイをじろりと睨んだ。マルフォイは片眉をあげて、わざと感心したような声を出した。

 

「へえ、さすが英雄殿は寛大なことだね。まあロングボトム家なら、あんなバカ玉に無駄金を使うくらいは何でもないだろう。純血のくせに新入生に丈のあった制服ひとつ買ってやれないような、貧乏一族とは違ってね」

「きみ、よくそうすらすらと悪口思いつくよね」

 

 僕ならこうはいかない。

 素直な感想を口にすると、マルフォイもロンもそろって微妙な顔をしたが、結局、僕抜きで話を進めることにしたようだった。

 

「お前、うしろのデカブツがいないとなんにもできないくせに、よくそんな大きな口が叩けるよ」

 

 ロンの挑発に、マルフォイは冷ややかな笑みで答えた。

 

「僕一人でだって、いつでも相手になろうじゃないか。お望みなら、今夜でもかまわない――魔法使いの決闘だ」

「場所と時間は? まあ、お前に本当に来るだけの勇気があるなら、だけどな」

「今夜の真夜中、トロフィー室で。こちらの介添人はビンセント・クラッブだ」

「いいぜ、こちらはネビル・ロングボトムを介添人に指名する」

 

 鼻息荒くそういうロンを、僕は唖然として見た。

 できるなら、そこも僕抜きで話を進めてほしかった。

 

「ふん……女の子に助けられて泣いてるような腰抜けが、いったい何の役に立つんだい? まあ、いいさ。来ても、恥の上塗りをするだけだと思うけれどね」

 

 マルフォイが高笑いして去っていくと、ちょっと離れたところからこちらを睨んでいるハーマイオニーを気にしつつ、僕は小声でロンに抗議した。

 

「あの、僕、介添人を受けるなんてひとことも言ってないと思うんだけど……」

「じゃあ君、あれだけのことを言われて引き下がる気かい? 分かってるの、君だってさんざんっぱら馬鹿にされてたんだぜ?」

 

 ロンは目を剥いてそう言った。

 けれど――マルフォイの言い草に腹が立たないではなかったが――もし真夜中に出歩いているのが見つかったら、またマクゴナガル先生に叱られてしまう。

 一日のうちに、二度もお説教されるのはたくさんだった。

 

「誰かが陰で僕のことをとやかく言うのをいちいち気になんてしてたら、僕、ホグワーツになんていられないよ。それじゃ、用事があるから」

 

 僕は肩をすくめて言い返し、まだ何か言いたそうなロンを残して、ハッフルパフのテーブルへ向かった。運良くガブリエルはまだ席を立っておらず、バッテンバーグケーキの最後のひとかけらを飲み込んだところだった。僕がスプラウト先生に誘われて、きのこ狩りに参加したいと伝えると、ガブリエルは快く歓迎してくれた。

 

「自分の分のきのこを入れるかごは持ってくるんだよ、さもないと全部まとめてハッフルパフに持って帰ってしまうからね。あとは、庭仕事用の手袋があればいいかな。移植ごてとか、そういうものは貸してあげられるから。しかし珍しいな、グリフィンドールからの参加というのは」

「ふつうはあんまりないんですか?」

「4寮のなかではそこそこ交流はあるほうだと思うけど、きのこ狩りに興味があるグリフィンドール生が、そもそもあまりいなさそうだしねえ」

 

 ガブリエルはのんびりした口調で言い、僕はそうだろうなと納得した。

 

 

 

 もし夕食の時に思い出し玉をもう一度見ることができていれば、僕は寮の合言葉を忘れているのに気付いて、誰かに聞けたかもしれない(けれどまあ、多分気づかなかったろう)。どのみち、もう壊れているものについて、何を言ったって仕方がないのだ。

 が、これは困った。

 ガブリエルと別れてグリフィンドール塔までもどってきたときにはもう、他のみんなは寮内に引き上げたあとだった。帰ってきた誰かに頼んで一緒に入れてもらうこともできないし、呼べども叫べども誰も出てこない。

 

「ちょっと、私の絵を叩くのはやめていただけるかしら?」

 

グリフィンドール寮入口の肖像画、 太った婦人(ファット・レディ)は扇で口元を隠しながら、不機嫌そうに言った。

 

「だったら入れてよ――『銀の蹄鉄』」

「違いますわ」

「『ニオイアラセイトウ』」

「それも違いますわ」

 

 太った婦人はつんと澄まして、向こうを向いた。僕はどうにか合言葉を思い出そうとしばらく頑張ってみたが、そのうち婦人との押し問答にも疲れ、諦めて廊下に座り込んだ。

 幸い、秋とはいえ冷え込みはまだそんなにきつくないし、ローブは充分暖かい。野宿するわけでもないから、ひと晩くらいなんとかなるだろう。そう思って膝を抱えて顔をうずめた僕は、頭の上から降ってきた声に飛び上がった。

 

「このような処で何をしている」

 

 おそるおそる顔を上げると、スリザリンの寮憑きゴースト、血みどろ男爵が、ぞっとするようなうつろな目で僕を見下ろしていた。

 

「あ――あの、僕、合言葉を忘れちゃって、それで、寮に入れなくて」

 

 僕はしどろもどろに説明しながら、男爵の上衣にべっとりとついた銀色の血を見て、慌てて目を伏せた。

 

「迂闊な奴だ」

 

 血みどろ男爵はさげすむように唇の端をあげ、それきり興味をなくしたかのように、体に巻きつけた鎖を引きずりながら悠然と去って行った。僕はほっと息をつき、目についた彫像の陰にこそこそと移動した。

 丸くなって耳を澄ますと、ふくろう小屋のある方角から、ふくろうたちがホウホウと鳴き声を交わしているのが聞こえる。さらに遠くから、禁じられた森の木々のざわめきが。

 誰かの練習するバイオリンの旋律に交じって、きれぎれに悲しげな声が聞こえる――「あれは1576年のことでした。私は前夜に不吉な夢を見て、ヤロー川の土手へ出かけていく恋人をひきとめましたが」――あ、これたぶん聞いちゃ駄目なやつだ。

 僕は急いで耳をふさぎ、きつく目を閉じて、誰かに悲しい身の上を語っているゴーストの声がきこえないようにした。実害はないのかもしれないが、怖いものは怖い。

 

 そうしているうちに、僕はいつの間にかうとうとしていたらしい。目をこすりながら太った婦人の絵を見てみると、額縁の中からいなくなっている。眠りこけてしまった僕につきあいきれないと思って、遊びに出かけたのだろうか。そう思って立ち上がり、ぐるりとあたりを見回すと、ちょうど角を曲がってきた血みどろ男爵と目があった。

 

「まだ居るのか」

 

 血みどろ男爵の声が少しだけ呆れを含んでいたのは、気のせいではないだろう。僕は危うく出かけた悲鳴を飲み込んで、こっくりと頷いた。男爵はグリフィンドールの入口を一瞥してから、僕を見た。

 

「サー・ニコラスを呼んでやってもよいが、どのみちこれでは入れぬな」

「お――おかまいなく。どうせ、最悪でもひと晩ここで過ごすだけですから」

 

 僕は顔がひきつるのをこらえながら、なんとか返事を絞り出した。どうして、スリザリン憑きなのにこんなにグリフィンドール寮の前を何度も通るのだろう、この人は。 

「ならば何も言うまい」と頷いた血みどろ男爵が、またがちゃがちゃ鳴る鎖の音と一緒に遠ざかると、僕はずるずると彫像の腕にもたれかかり――カチリという音とともに台座がスライドして、僕は勢いよくひっくりかえった。したたかに打った頭のこぶをさすりながら、何が起きたか確かめると、今まで彫像があった場所の下に、地下へと続く階段があった。

 

 僕は見なかったことにして、四苦八苦しながら台座を戻した。

 

 

 

 

 

 次に目が覚めたのは、誰かが僕にけつまずいたからだった。

 

「ネビル! いないと思ったら、なんでこんなところに?」

 

 僕を蹴とばした張本人のロンが、目を丸くして僕を見下ろしていた。

 ぼんやりした頭で僕は、そういえばロンとマルフォイが決闘するんだっけ、と思いだし、「じゃあ、君が介添人?」と、その後ろで怖い顔をしているハーマイオニーに尋ねた。

 

「そんなわけないでしょ! 私はロンを止めていたのよ、あなたに断わられたのに、ロンが『ひとりでだって行く』なんて言い張るものだから。それより、お聞かせ願いたいわ。どうしてこんな時間に、廊下なんかで寝てるの?」

「合言葉を忘れて、締め出されちゃったんだ」

 

 あくびをかみ殺して立ち上がりながらそう言うと、カンカンに怒っていたハーマイオニーは気が抜けたような顔をした。

 

「まあ、そうだったの――まったく、あなたときたら――でも、それなら仕方ないのかしらね。合言葉は『豚の鼻(ピッグスナウト)』だけれど、太った婦人がいなければどうしようもないわ。戻ってくるまで、ここで待ちましょう」

「ここで!? 血みどろ男爵が、さっきここを2回も通ったんだよ!?」

 

 ロンとハーマイオニーは顔を見合わせた。

 ロンは、介添人もできたのだからどうしてもトロフィー室に行くと言い張ったし、ハーマイオニーも、ここで待つというのはあまりぞっとしないアイデアだと考えたらしかった。

 僕らは4階のトロフィー室まで、物陰にかくれながらこっそりと移動した。管理人のフィルチと、その飼い猫のミセス・ノリスにみつからずにすんだのは幸いだった。かれらはいつもホグワーツ生を見張っていて、規則違反しているところがみつかろうものなら、僕らはいつもひどい目に遭わされるのだ。

 

「遅かったじゃないか。怖気づいたのかと思ったよ」

 

 僕らがトロフィー室にたどり着くと、背をもたせかけていた壁から身を起して、マルフォイは肩をそびやかせて言った。驚いたことに、彼といたのはクラッブでもゴイルでもなく、つまらなさそうにトロフィー棚の中の盾を眺めていたアリーだった。

 

「もちろん、呼ばれてもなかったし、来る気なんてなかったのよ。最初は」

 

 アリーはうんざりした気分を隠そうともせずに説明した。

 

「でも、寮であんまりおおいばりで決闘の話をするものだから、『ということはもちろん、ウィーズリーが真に受けてのこのこトロフィー室までやってきたら、管理人とミセス・ノリスがお出迎えというわけね。あなたらしいわ』って言ったら、どうしてか怒りだして」

「あたりまえだ! 君は――本当に――僕がそんな、誇りをかけた決闘を汚すような真似をすると?」

 

 マルフォイが食いしばった歯の間から押し出すように言うが、アリーはお構いなしに続けた。

 

「あんまり怒るものだから、『別にそれを駄目だって言っているんじゃないわ。ウィーズリーと戦うなんて危ない橋をわざわざ渡る必要なんてないでしょうし』って言ったら、ますますいきりたって、『小細工などなくても、僕がウィーズリーなんかに負けるわけがないことを見せてやる』って、無理やり引っ張って来られたの」

 

 危ない橋って、別にそういう意味じゃないのにね。と付け加えるアリーの言葉に、僕らはいっせいに、今や苦虫を口中いっぱいにかみつぶしているような顔をしているマルフォイを見た。

 

「最初は本当に来る気なかったのかもしれないけど、あれじゃマルフォイも引き下がれないだろ……同情はしないけど」

 

 ロンが小声で囁き、僕も深く同意した。

 意図していようがいまいが、これはひどい。




アリーさん@煽っていくスタイル。


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6.「誰を盾にしているロングボトム」

 月の光が高い窓から射し込んで、トロフィー室にひしめく賞杯や盾をきらきら光らせている。

 ロンとマルフォイは、お互いいつ飛びかかろうかと互いにタイミングを探りながら睨みあい、ハーマイオニーは一歩退いた。アリーは、ローブの内ポケットから本を取り出してぱらぱらとめくった。

 

「まずは、決闘の作法を確認しましょうか。ハーマイオニー、ルーモスかけてくれる?」

 

 ハーマイオニーは頷き、呪文を唱えてアリーに渡された杖を振った。あたりは文字を読めるほどに明るくなり、ハーマイオニーは杖をかざしたまま、アリーの横から本を覗き込む。

 

「これは決闘術の指南書ね。物凄い書き込みだわ……あら、このアレンジ呪文って、あなたの自作?」

「いいえ、私の保護者のよ。入学が決まったとき、『ホグワーツは戦場だ。自分の身は自分で守れ』と真顔でこの本を渡されたの」

「どれだけすさんだ学生生活を送ってたの、そのひと」

 

 ロンが呆れたように頭を振ったが、入学してすぐスリザリンと決闘騒ぎを起こしているのだから、人のことは言えないと思う。

 

「最初にすこし離れて、向かい合って立つ――まだよ、まだ杖を構えてはだめ。ネビル、ロンのななめ後ろの壁際まで離れて。ハーマイオニー、決闘開始の合図を頼んでいい?」

 

 僕は急いで、言われるままに壁まで後退した。ハーマイオニーとアリーは指南書を覗き込み、小声で打ち合わせたあと、背筋を伸ばして決闘人たちを見た。

 

「次に、互いに一礼。

お辞儀をするのよ、ウィーズリー……あなたもよ、ドラコ!お辞儀をしなさいって言ったでしょ!『なんでこんな奴に』じゃないわよ、親の仇でもすることになってるの、これは!」

「杖を、剣みたいに構えて。3つ数えたら、最初の術を掛け合うの。いい、1――2――

だめ!3つ数えたらって言ってるでしょう!」

 

「もうきみらが決闘しろよ」

 

 うんざりした顔で、ロンはいらいらと杖を揺らした。マルフォイも文句を言おうと口を開きかけたが、突然はっとしたような顔になって「静かに!」と鋭くささやいた。

 

「なにか、聞こえないか?」

 

 僕らは、揃って耳を澄ました。アリーの目くばせで、ハーマイオニーが素早く明かりを消し、杖を返す。遠くで、扉を開閉するような音と、こつん、こつんという足音。誰かに話しかけているような低い男の声が、足音とともに近づいてくる。

 

「まったく、こんな時間に騒ぎまわりおって――よしよし、しっかり嗅ぐんだぞ、ミセス・ノリス。たしか、こっちの方だと思ったんだが――」

 

 フィルチだ!

 

 凍りついたような表情で、僕らは顔を見合わせた。僕はおろおろとあたりを見回し、入ってきたのと反対側のドアが目に留まった。指差してみんなに知らせ、全員で足音を立てないようにドアへと急ぐ。間一髪、僕が最後にトロフィー室を抜け出したのと同時に、フィルチが部屋に入ってきた音がした。

 僕らは、全身鎧がずらりと並んだ回廊を、そろそろと進む。緊迫した空気の中で、僕は「なんでこんなところに鎧がいっぱいあるんだろう」と全然関係ないことを考えていた。たぶん、ホグワーツに危機が迫ったとき、この鎧たちが敵を討とうと動きだすのだ。それはもう英国無双といったありさまで、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ……

 

来るぞ(・・・)――走れ(・・)!」

 

 僕のとりとめない妄想を断ち切るように、ロンが叫んだ。

 ひたひたと迫りくるフィルチから逃れようと、僕らははじけるように走り出した。その途端、ローブのすそを踏んで足がもつれた僕は、マルフォイを巻き込んで転倒する。さらに、僕らが二人してぶつかった鎧がバランスをくずしてすさまじい音をたてて倒れ、ドミノ倒しのようになって背後の道をふさいだ。

 

 しかし、逆にこれはチャンスだ。

 

「なんだこれは!通れないじゃないか!」

 

 背後の怒号を気にする間もなく、僕らは逃げた。一目散に。

 

 

 

 廊下を駆け抜け、階段を駆けのぼり、どこをどう走ったかも分からなくなりながら、僕らは目についたタペストリーの破れ目に逃げ込んだ。

 

「なんとか、撒けたかしらね?」

 

 アリーがタペストリーの隙間から向こうを覗きながら、心配そうに言った。

 

「ロングボトム――この、大間抜け――よ、よくも僕を巻き添えに――」

 

 マルフォイが息も絶え絶えに僕をののしった。

 僕は返事をしなかった。いや、できなかった。謝ろうと口を開いても、喉からはゼイゼイと荒い息を吐き出すのがやっとだったのだ。

 

「ここ、妖精の呪文の教室の近くみたいだ」

 

 ロンがきょろきょろしながら、今いる場所を確かめる。ハーマイオニーは腰に手をあてて、つけつけと言った。

 

「さあ、もう気はすんだかしら?あなたがたがお互い気に入らなくてとっくみあいするのは勝手ですけど、今度からはどこか建物の外で、門限までに終わらせておいていただきたいわ。考えてもごらんなさい、あなたたちのお楽しみのために私たちみんな捕まって、何点減点されるところだったか!」

「きみらがあんなに大声ださなきゃ、見つかってなかったんじゃないの……」

 

 ロンは目をそらして、小さな声で反論したが、女の子ふたりのひややかな視線を向けられると、居心地悪そうに咳払いして言った。

 

「あー、うん。とにかく僕ら、早く寮に戻らなくちゃ」

 

 ところがそうはいかなかった。

 妖精の呪文の教室の鍵が内側からがちゃりと開き、小柄なポルターガイストが飛び出してきた。――ピーブズだ。

 

「また、やっかいなのが……」

 

 ロンがうめいた。

 ピーブズは僕らをみつけるとその暗い目を輝かせ、いやな感じのする甲高い笑い声をあげた。

 

「おや?おやおや?一年坊主がこんなところで真夜中のお散歩かい?悪い子、悪い子!捕まっちゃうぞ!」

「ピーブズ、お願いよ。あなたさえ黙っててくれたら、捕まらずに済むわ――」

「フィルチに言わなくちゃ!きみたちの教育のためにね!おっと、感謝にはおよばないよ!」

 

 アリーがなんとか説得しようとしたが、ピーブズは聞く耳持たず、楽しげにあたりを跳ね回る。眉をしかめたロンがこぶしを握りしめて一歩踏み出すより早く、マルフォイの堪忍袋の緒が切れた。

 

「黙れ、この下等霊ふぜいが!」

 

 マルフォイの杖を持った手が、ピーブズがいる空間を薙ぎ払うように振りぬかれた。

 ピーブズは一瞬黙り込み、息を大きく吸い込んだ直後に、悪意がたっぷりこもった大声で叫んだ。

 

「一年生がベッドを抜け出した!『妖精の呪文』教室の廊下にいるぞ!」

 

 僕らはまた、転がるように駆け出した。

 廊下の突き当たりに、大きな扉が見える。ロンが飛び出して行ってドアノブを掴み、焦ったようにガチャガチャと回そうとした。

 

「駄目だ、鍵がかかってる!どうしよう?」

「貸して!」

 

 ハーマイオニーはマルフォイが握ったままだった杖をひったくり、ぴたりと鍵穴に押し当ててから軽く杖先で叩き、「アロホモラ」と低く唱えた。かちりと鍵が回る音がして、勢いよく扉が開く。僕らはいっせいに扉の先へなだれこんで、反対側から全力で押さえつけた。

 息をひそめて、耳を澄ます。聞こえるのは扉の外の、フィルチが僕らの行先を問い詰める声と、ピーブズの、のらりくらりとひとを小馬鹿にしたような返事。それから横に並んだみんなの、かすかな呼吸音と、背後からふうっと吹きかけられる生暖かい息――

 

 

 生暖かい息(・・・・・)

 

 

 僕は、できるだけそうっと後ろを振り返った。

 まず目に入ったのは、血走った大きな3対の目。部屋を――いや、ここは部屋ではない!通路いっぱいをふさぐように立つ、巨大な体。黄色く汚れた乱杭歯の間からは、だらだらと濁った涎がこぼれている。入学式のときに言われた、「とても痛い死に方」という言葉が、頭をよぎった。

 

(そういえば、妖精の呪文の教室は4階だった!)

 

 外ではピーブズにしびれを切らせたフィルチが悪態をついて去って行ったようだが、もはやそんなことはどうだっていい。僕は声もでないまま、となりの誰かの袖をめちゃくちゃに引っ張った。

 

「なんだ、気安く触るな。ローブが伸びる」

 

 よりによってマルフォイだったが、贅沢は言っていられない。僕をにらみつけるマルフォイに、僕は必死であごをしゃくってみせた。ほかの3人も、ただならない様子に気が付いたのか、そろそろと頭をめぐらせて、それを見た。

 

「おい、冗談だろ――」

「3頭犬!?うそ、なんでこんなところに――」

「まずいわ、こんなの相手じゃ――」

「誰を盾にしている、ロングボトム――」

 

 轟然(・・)

 

 口々に騒ぎ出そうとしたみんなの声をかき消すように、怪物は3つの口を大きく開け、魂が消し飛ぶような声で吠えた。

 僕らは全員ぴたりと口をつぐみ、扉の外へ飛び出した。もう、フィルチにみつかろうがどうでもいい。一刻も早くあの怪物犬から遠ざかろうと、それだけを考えながらやみくもに走る。僕はもう、今夜だけで一生分走ったような気すらしていた。

 

 ようやく8階のグリフィンドール塔(誰だ、こんなところに寮を作ろうなんて言い出した考えなしは!)までたどりついた僕らを見て、太った婦人は目を丸くした。

 

「まあ、そんな汗だくになって。いったい、何をしていたの?」

「な、なんでもないよ――『豚の鼻(ピッグスナウト)

 

 ロンがやっとのことでそう言うと、肖像画が開いて入口が現れた。僕は最後の力をふりしぼって入口をよじのぼり、談話室の肘掛け椅子に力なく沈み込んだ。もう、一歩も動けそうにない。

 

 しばらく息を整えると、ハーマイオニーがぽつりと口を開いた。

 

「振り返る余裕もなかったけど、スリザリンまで無事に帰れたかしらね?」

「はあ?なんでマルフォイの心配なんかしてやらないといけないんだよ」

 

とげとげしいロンの言葉に、ハーマイオニーは形のいい眉を片方つりあげて、じろりとそちらを見た。

 

「マルフォイの心配なんてするわけないでしょ。まあ、うっかり彼の杖を持ってきてしまったから、明日こっそり返さないといけないんだけど」

「なにやってるのさ……まあ、ポッターだけなら大丈夫なんじゃないの。マルフォイさえ足を引っ張ってなければ、自力でなんとかしそうだし」

 

 あまりにぞんざいなマルフォイの扱いに、僕はほんのちょっぴり同情した。

 

「それより、あんな怪物を校内で飼っておくなんて、教師連中は何を考えてるんだろう?あんな狭いところにぎっちり詰まって、ストレスの塊みたいになってたじゃないか」

「あなた、いったいどこに目をつけているの?」

 

 ハーマイオニーがにべもなく言った。

 

「あの犬が、どこに立っているか見なかったの?仕掛け扉の上よ。きっと、あそこになにかが隠されていて、あの犬はそれを守ってるんだわ。どうりで、立入厳禁の理由が監督生にも知らされてないはずよね」

 

 そうまでして守りたいものとは、いったいなんだろう。僕はふと、ホグワーツにくる少し前に、ばあちゃんが朝食の席で新聞を読みながらグリンゴッツ銀行襲撃事件について話していたのを思い出した。あれは、僕の誕生日のすぐあとだった。ええと、ばあちゃんはなんて言ってたっけ……

 

『おやまあ、グリンゴッツより何かを守るのに最適な場所なんてないでしょうに。なにも盗めなかったのも当然ね、うかつな犯人だこと。しかし物騒だわ、ネビルや、お前も気を付けるのですよ。そうはいっても、ホグワーツの中であれば、グリンゴッツより安全でしょうけれどもね』

 

 僕は頭を振った。やめよう。考えてみたところで、あんなものは僕の手には負えない。

 ハーマイオニーが肘掛け椅子から立ち上がり、厳しい目で僕らを見下ろした。

 

「あなたたち、さぞかし満足でしょうね。みんな殺されてたか、もっと悪ければ退学になったかもしれないのに。

じゃあ、さしえなければそろそろ休ませていただくわ。良い夜を!」

 

 そう言い捨てて女子寮へ上がっていくハーマイオニーの後ろ姿をぽかんとして眺めた後、ロンは憤然として言った。

 

「さしつかえなんかあるわけないだろ、なあ?だいたい、僕があいつに来てくれって頼んだわけじゃないんだぜ?」

 

 だが、僕はなんだか不吉な胸騒ぎがして、しばらくロンに返事ができなかった。




ピエルトータム・ロコモーターかっこよす。


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7.「魔法界ではきのこまでアクティブなんですね」

 決闘騒ぎの翌朝から、ハーマイオニーとロンは口を利かなくなった。談話室で会っても目もあわさないし、食堂のテーブルでも近くに座らない。ハーマイオニーが一方的に無視しているようなのだが、ロンの方でもむしろ、これ幸いだと考えているようだった。

 

「あいつに比べたら、うちの屋根裏に棲みついてるグールお化けのほうがよっぽど面倒がないくらいさ。あんな知ったかぶりに指図されなくなって、せいせいするね」

 

 ロンはおやつのヌガーを頬張りながら、上機嫌で言った。今日は午後の授業がない日なので、僕がいよいよ明日に迫ったきのこ狩りに備えて、談話室で『薬草ときのこ千種』を眺めていると、彼がふらりと現れたのだ。

 ロンの言い方はあまりフェアじゃないな、と僕は思った。ハーマイオニーは――まあ確かに、ほんのちょっぴり口やかましいかもしれないが――基本的には正義感が強くて親切なだけだ。

だが、僕がそう言うとロンは信じられないといった顔で目をむいた。

 

ほんのちょっぴり(・・・・・・・・)? きみにかかっちゃ、ドラゴンですらかわいいトカゲちゃんってことになりそうだな。まあ、そんなことはどうだっていいや。それよりさ、あの仕掛け扉の下って、なにがあると思う?」

「仕掛け扉って……あの、三頭犬が上にのってたやつ?」

「シッ、声が大きい!」

 

 ロンはきょろきょろあたりを見回し、声を潜めた。

 

「あれだけ厳重に守ってるんだ。きっと、よっぽど大事なものか、さもなければ凄く危険なものだぜ。一体なんなのか、知りたくないか?」

「え、ちょっと待ってよ。またあそこに行って、その下に何があるか気になるからどいてくださいってあの犬に頼むの? 今度こそ、頭からぱっくり食べられちゃうよ」

「そりゃまあ、『どうぞお通りください』ってうやうやしく仕掛け扉を開けてくれるなんて期待はしてないけどさ……」

 

 ロンはつまらなさそうに口をとがらせたが、僕があまり乗り気でないのを見てとったのか、「じゃあ、フレッドとジョージが言ってた隠し通路でも探しに行くかな。リー・ジョーダンが、学校の外に出られる抜け道を見つけたんだってさ」などといいつつ、またぶらぶらと出て行った。

 僕がロンが談話室の入口をくぐるのを見送り、本の続きを読もうと視線を戻した時、女子寮から降りてきたハーマイオニーが、階段のところで立ち止まっているのと目があった。今のを聞かれたのかな、と僕は少しひやりとしたが、できるだけなんでもないような顔で「やあ」と言った。

 ハーマイオニーはちょっとためらったように僕の手元に目をやった。

 

「勉強中だったかしら?」

「ううん、大丈夫だよ。明日、ハッフルパフの人たちときのこを採りにいくから、前もって調べておこうかと思ったんだけどね……これ多分、実物を見たほうが頭に入りそうだね」

 

 僕が『薬草ときのこ千種』をぱたんと閉じて手招きすると、ハーマイオニーは僕の斜め前の肘掛け椅子にすわった。

 

「きのこって、温室で育てている分?」

「ううん、禁じられた森の中に群生地があるから、そこまで行くらしいよ」

「禁じられた森って……入学式のとき、生徒は入っちゃいけないって言われたじゃない」

 

 ハーマイオニーが眉をしかめたので、僕は慌てて説明した。

 

「もちろん、スプラウト先生が引率して、森番の人が案内につくんだって。監督生のガブリエル・トゥルーマンも何度か参加してるけど、特に危険なところへは行かなかったって言ってたよ」

「ああ、驚いた。もちろんそうよね――あの森、人狼やなんかがいて、とても危険だっていうもの、生徒だけでいくなんてもってのほかだわ。そんなふうに、課外授業の一環ってことならわかるけど」

 

 どちらかというと、ハッフルパフのみんなは完全にピクニック気分でうきうきしていたと思うのだが、それはあえて言わずにおいた。かわりに、ゆうべから気になっていたことを聞いてみる。

 

「ところで、マルフォイに杖、ちゃんと返せた?」

「ええ、朝食の前にアリーにこっそり呼んできてもらってね。何か文句を言われるかと思ったけど、持ってきてしまったのがあんな状況だったでしょう。周りに知られてもまずいと思ったんでしょうね、黙ってひったくっていったわ」

「フィルチにはみつからなかったのかな?」

「大丈夫だったみたい。寮に戻ったところを上級生には見られたそうだけど、特に何も言われなかったんですって。まあ、それもどうかと思うけれど」

 

 ハーマイオニーは不満そうに言った。規則違反が注意されないのが納得いかないのだろうが、スリザリン生同士だと注意されたとしても、「ばれるようなへまはするな」というあたりがせいぜいだろう、と僕は思った。

 

 

 

 週末は素晴らしい天気だった。朝食がすむと、きのこ狩りのメンバーはそれぞれ準備を整えて校庭に集合した。芝生はきらきら光って、僕の気分は飛行訓練のときとは正反対に浮き立っていた。

 そこへ、森番のハグリッドが大きな黒いボアーハウンド犬(グレート・デン)を連れてやってきた。僕ら一年生は、その犬が子牛ほどの大きさなのを見てとっていくらか尻込みしたが、犬がジャスティンに飛びついて耳をしきりに舐めはじめると、見た目ほど凶暴ではないことを知って安心した――重い犬の下敷きになって涙目になったジャスティンを除いて。

 

「どうどう、ファング!」

 

 ハグリッドは犬を引き離してジャスティンを立たせてやった。同じ一年のスーザン・ボーンズが、ジャスティンの服についた大きな足あとを払ってあげている。

 参加者が全員そろったのを確認して、スプラウト先生が声を張り上げた。

 

「おはようございます。しっかり準備はしてきましたか?ガブリエル、お弁当は全員分たっぷりありますね?」

 

 カブリエルは大きなバスケットを抱えて、心得顔に頷いた。

 

「よろしい。みなさん、今日は、ハッフルパフ恒例の秋のきのこ狩りの日です。新入生との親睦会もかねていますので、上級生はよく面倒をみてあげるように、また新入生は上級生の指示をよく聞くように。昼間とはいえ、禁じられた森での活動になりますから、道をそれたり危ない行動はしないよう、充分に気を付けてください。

それと、今日はグリフィンドールからの参加者もいます。みんな、仲良くしてあげてください」

 

 視線があつまり、僕は急に注目されてどぎまぎしながら一礼した。

 みんなの拍手の中、スプラウト先生はにっこりして頷き、ハグリッドにもひとこと言うように促した。ハグリッドは大きな咳払いをして、口を開いた。

 

「んん――なんべんも来とる者は知っちょると思うが、今日はそんな奥まではいかねえ。とはいえ、森の中にはいろんな生き物がおるし、うっかり触っちゃならん木や草もある。スプラウト先生もおっしゃったように、うかつな行動はせんことだ。だが、なあに、俺やファングと一緒なら、森にすむ奴らはお前さんらに悪さはせん。

それじゃ、はぐれんようにしっかりついてこい!」

 

 僕らはハグリットに続いて、ぞろぞろと禁じられた森に入っていた。細い獣道は地形に沿ってときどき大きくうねり、じきに後ろを振り返っても、ホグワーツ城がどこにあるかわからないくらいになった。

 

「ここの森には、いろんな薬草やきのこがあります」

 

 歩きながら、スプラウト先生は僕ら新入生に説明した。

 

「ふつうの食用きのこでは、春はアミガサタケ、今の時期ならアンズタケが多いですね。ほかにもいくつか食べられるきのこがありますが、毒の強いものとよく似ていてたりして見分けがつきにくいものも多いので、経験が浅いうちは必ず、詳しいひとに一緒にみてもらうように。魔法薬に使ううちで代表的なのは、もちろん飛び跳ね毒きのこです。今後、魔法薬学の授業でもよく使うことになるでしょうね」

 

 飛び跳ね毒きのこは、赤いかさに白い水玉模様の、とてもわかりやすい毒きのこだ。普通の毒きのことの違いは、その名の通り、敵に襲われそうになると飛び跳ねて逃げる習性があるということで、たいていの場合、地面に生えているよりも木の上などで見つかることが多い。

 小さいころ読んだ絵本に、ベニーという喋る飛び跳ね毒きのこの主人公がいたが、彼は蜘蛛や鳥に食べられそうになりながら逃げに逃げまくり、確か最後は船に乗ってアメリカ目指して出航していた。

 

「そうですか……魔法界では毒きのこまでアクティブなんですね……」

 

 何か勘違いしたらしいジャスティンが恐ろしげに呟いているが、もちろん普通の飛び跳ね毒きのこは喋らないし、新天地を目指したりもしない。

 

 

 

 

 道すがら、スプラウト先生に教えてもらった薬草をポケットにつめこみながらしばらく歩くと、少し開けた場所へ出た。いい香りの落ち葉がいっぱいふりつもった広場には何本も丸太が転がされ、あちこちにいろんな種類のきのこが生えている。

 

「ここでは、温室や薬草園にはないようなきのこの栽培もやっとる」

 

 ハグリッドが説明した。

 

「いくら魔法を使っても、温室で森のなかとそっくり同じように育てるというのは難しいんでな、最初から全部森の中でやっちまった方が楽というわけだ。あと、どうしても人の手では育てられん、勝手に生えてくるのを待つしかない種類のきのこもある。そういうのは、そのへんの枯葉の下を探してみるといい」

 

 僕らは、丸太からほどよく育ったきのこをつみとったり、木の根元の地中に隠れているきのこを傷つけないように注意深く掘り出したりした。みんながだいたい満足するまで採りおわると、今度は料理に使うきのこと、魔法薬にするきのことを選別して、それぞれのかごに分けていく。僕は自分の分と、ハーマイオニーに頼まれたおみやげの分をいくつかもらっておいた。

 

「これ、寮に持って帰ってどう処理するの?」

 

 きのこがどんどん積まれてかごいっぱいになっていくのを見ながら聞くと、ハッフルパフの一年組は顔を見合わせて笑った。

 

「食べきれるのかなって心配したでしょう。でも毎年、最低でもこれくらいは要るらしいわ」

「あとで厨房を借りて、料理が得意な寮生がシチューを作ることになっているの。夕食のとき、ハッフルパフのテーブルにだけ出してもらうのよ。ネビルにはもちろん分けてあげるから、お皿を持っていらっしゃいよ」

 

 スーザンとハンナが楽しそうに、かわるがわる説明してくれる。僕は、夕食の時間がとても楽しみになった。

 

「そのレシピはホグワーツ創始者のひとり、我らがヘルガ・ハッフルパフ直伝なんだってさ。みんなが何の気なしに毎日食べてる料理も、ほとんど彼女が考案したらしい。ホグワーツの厨房に屋敷しもべ妖精たちを連れてきたのも彼女だし、ホグワーツの胃袋は千年間、ヘルガが支えてきたと言っても過言ではないのさ!」

「え、そうなんですか!?」

 

 誇らしげに僕に向かって言うアーニー・マクミランに、何故かジャスティンが驚いている。

アーニーはもったいぶって頷いて見せた。

 

「そうとも。人間にこき使われてひどい目に遭っていたしもべ妖精たちを保護して、彼らが安心して働ける場所を作ってやったのがヘルガ・ハッフルパフなんだ。だから連中、いまだにうちの寮に対しては特に親切だろ?他の寮の生徒なんか、下手したらホグワーツにしもべ妖精がいるってことすら、知らなかったりするもんな」

 

 まさに僕は知らなかったので、心の中で恥ずかしく思った。少し考えてみればわかることだ。あれだけ広大なホグワーツ城を、管理人ひとりきりで切り盛りできるはずがない。

 

 

 

 全員できのこの名前あてゲームなどを楽しんでいるうちに――僕も見分けるのが難しい品種をうまく言い当てて、スプラウト先生にお手製のポプリをもらった――太陽の位置がだいぶ高くなってきた。

 

「よーし、みんな!そろそろ昼食にしよう!」

 

 ガブリエルの号令で、ハッフルパフ生たちはてきぱきと支度をはじめた。敷物をひろげてバスケットを開き、魔法びんからカップに熱い紅茶を注ぐ。みんなとても手際がよく、僕がなにを手伝いましょうかといい終わる前に、準備は終わってしまった。

 

「僕らはこういうのに慣れてるからね、気にしなくていいよ。さあ、君も座って、遠慮なく食べて」

 

 黒髪の上級生に優しく言われ、僕もおずおずと敷物の端に座った。色とりどりのサンドイッチやサラダ、新鮮ないちじくのタルトなどが並んで、どれもとてもおいしそうだ。

 

「ゆで卵ってさ、屋内で出されるとただの茹でた卵なのに、こうやって外で食うとなんでこんなにうまいんだろうな?」

 

 アーニーが卵に塩を振りながらあまりにしみじみと言ったので、僕らは思わず笑った。そこへハグリッドがやってきたので、みんなで少しずつ詰めて場所を開けた(ハンナ3人分くらいのスペースが必要だった)。さっきの黒髪の上級生が、新しいカップに紅茶をそそいでハグリッドに渡す。

 

「おう、すまんな、セドリック。ちぃとばかり、こいつと話をしてみたくてな」

 

 ハグリッドは紅茶を一口すすって、僕をじっと見た。突然のことに僕は戸惑い、かじりかけのサンドイッチを持ったまま固まった。

 

「おまえさんが、フランクとアリスの息子か。ふむ、おまえさんはお袋さんそっくりだな――アリスの小せえ頃に瓜二つだ」

「僕の両親を知ってるの!?」

 

 突然のことで、僕はびっくりして大声をあげ、周りの注目を集めて小さくなった。

 

「もちろん、知らんはずがなかろう。二人とも優秀な闇払いで、皆に尊敬されとった。なにより、気さくで気持ちのいい連中で、同年代や後輩連中にも慕われとったな。特に、ポッター夫妻やブラック家の……いや、この話はよそう」

 

 ハグリッドは暗い顔になって頭を振った。僕は家に置いてきた、両親のアルバムを思い出した。パパやママと一緒に写っている、大勢の人たち。知っている顔もあれば、知らない顔もある。

 知らない顔の人はだいたい、もうこの世にいない。そういう時代だった。

 

「今日はおまえさんも来るってんで、俺もちょいと楽しみにしとったんだ。おまえさん、植物に興味があるらしいな?」

「う、うん」

 

 僕がぎこちなく頷くと、ハグリッドは嬉しそうに笑って、僕らをぐるりと取り巻く森を誇らしげに指さした。

 

「なら、今日はよーく色んなもんを見て帰るとええ。生徒がここにおおっぴらに入れる日っちゅうのは、今日ぐらいしかないからな。スプラウト先生もおっしゃっとった、『ホグワーツのこの森には、この世で一番古い魔法が、今でも色濃く息づいているのです』ちゅうてな」

「一番古い魔法って?」

 

 不思議そうに尋ねるハンナに、「これもスプラウト先生の受け売りだがな」、とハグリッドは続けた。

 

「『命を生み出すこと。そして自分自身を礎にして、新しい命を未来につなぐこと』――だっけか。そういうのはな、本来おまえさんら魔女だけが使える魔法で、俺たち男にはなかなか理解できんもんらしい。だが、森はそういう命の仕組みっちゅうもんを、自然な形で教えてくれる……だから、スプラウト先生は毎年、生徒をここへ連れてくることにしとるんだと」

 

 

 

 ずっと後になって、大人になった僕は考える。僕はこの時すでに、すべての答えへつながる鍵をもらっていたのかもしれない、と。

 ただこの時の僕は、それを理解するにはまだ、あまりにも幼すぎたのだ。




『とびはねどくきのこ ベニー・ティングラーのぼうけん』
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8.「君がまともに魔法を使うところ、はじめて見たよ」

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 呪文を唱えて、杖を振る。

 僕の目の前に置かれた鳥の羽根は、そよりとも動かない。

 

 こんなに動かないということは、机の上に糊で貼り付けられてるんじゃないか、と思ってふっと羽根を吹いてみると、思いのほか勢いよく飛んで行った。どこへ行くかなと眺めていると、ペアを組んでいるディーンが浮かべるのに成功しかけた羽根の上に重なって、2枚とも机の上にぺしりと落ちる。

 

 半眼で見られた。

 

「ごめん」

 

 ディーンに謝って羽根を机の上に置き直し、僕はもう一度杖を振った。

 

 

 

 

 

 早いもので、ホグワーツに来てから2か月たつ。授業は――あいかわらず上手くいっているとは言いがたかったが――それなりにペースはつかめてきたように思う。厳しいと評判の変身術もまじめに取り組んでさえいれば、マクゴナガル先生は根気強く指導してくれる。

 

 魔法史の授業では、みんなたいてい寝ているか好きなことをやっているので、僕も図書館で借りてきた図鑑を眺めることにした。これなら少なくとも授業中眠らずに、それなりに有意義な時間を過ごすことができる。

 

 薬草学ではこのあいだ、温室の多肉植物を授業のあとで個人的に見せてもらった。はっとするような鮮やかな赤い花を咲かせていて、僕はこれが実際のジャングルで咲いているところをしばらくぼうっと夢想し、いつか行ってみようと思った。

 

 天文学は、季節ごとの星の動きをおぼえられるかはさておき、望遠鏡を覗いて、さまざまな色に燃える星を眺めること自体は面白い。

 

 魔法薬学、これはもうどうしようもない。授業のたびに毎回、「今度こそはなにもおきませんように」と祈りながら、終わりの時間を待ちわびるしかない。

 

 そして今日は、フリットウィック先生の妖精の呪文の授業だ。決闘事件からしばらく、妖精の授業の教室に来るときはなんとなくびくびくしてあの扉の方を見てしまう。なにしろあの時、鍵をあけっぱなしにしたまま逃げてきたのだ。もちろん、あの犬だって餌を食べるだろうし、餌のあとは鍵を閉めるだろうから大丈夫だとは思う。でも、ロンの言っていたように仕掛け扉を調べるどころか、鍵が閉まっているのを確かめに行こうという気すら、さっぱり起きなかった。

 

 それを除けば、妖精の呪文の授業そのものは結構楽しい。この間、フリットウィック先生が僕のトレバーを部屋中飛びまわらせるのをみんなに見せてくれた時は、早く試してみたいとわくわくした。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 問題はただひとつ。

 いっこうに呪文が成功しないのだ。

 

「なにがいけないんだろう……」

 

 僕は深い溜息をついて、情けない気持ちで杖を見つめた。トウヒの木にドラゴンの琴線を使ったこの杖は、元々パパの持ち物だった。初めて魔力が発現したとき、ばあちゃんが僕にくれたのだ。でも、僕はこの杖を使って魔法をかけるとき――なんだかうまくいえないのだが、イメージとして――伏せたコップに水を注いでいるような、あるいは荷物を積み過ぎたカートをうんうん言いながら押しているような――そんな気分になることがある。

 まあ、気のせいだろう。きっと単純に、僕の魔力が足りないだけだ。

 

 まわりを見渡すと、シェーマスは羽根が燃え出してあわてて叩き消しているし、ラベンダー・ブラウンの羽根はじりじりと机を這って横切っていて、まるで毛虫のようだ。ロンは杖を構えたまま、ハーマイオニーと睨みあっている。このふたりは、相も変わらず喧嘩中だった。

 

「発音がいけないのよ。『ウィンガーディアム』って、途中で長くのばさなくちゃ」

「なら、きみがやってみろよ!」

 

 ロンはふくれっつらで、杖を机の上に放り出して腕組みする。ハーマイオニーは自分の杖を取り出すと、はきはきと呪文を唱えた。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 ふわり、と羽根が浮き上がった。そのまま頭の上までゆるやかに舞い上がり、手が届かない高さでゆらゆら揺れながらとどまっている。

 フリットウィック先生はそれに目をとめると、嬉しそうに拍手して、クラスを見渡した。

 

「みなさん、ごらんなさい!ミス・グレンジャーがやりました!」

 

 ロンはひどいしかめっ面になって自分の杖を握り直し、やけ気味に呪文を唱えながら腕をぶんぶんと振り回した。これが上手くいかない理由は、僕が見てもわかる。フリットウィク先生は杖の振り方を「ビューン、ヒョイ」だと言っていたのに、ロンの杖ときたら、ヒュンヒュンと音を立てて空を切っているんだから。

 

 

 

 

 

 授業のあと、廊下のひとごみをかき分けながら、ロンはひどく憤慨して大声でハーマイオニーの悪口を言っていた。

 

「だからあいつには誰だって我慢ができないんだ。まったく悪夢みたいなやつさ!だからいまだに、誰も友達がいないんだぜ……」

「でも、アリー・ポッターとは結構話してるの見かけるけど?」

 

 シェーマスが言うと、ロンはフンと鼻を鳴らした。

 

「きみ、本気で言ってる?スリザリン生がまともにあいつを相手にするはずないだろ。百歩譲って今はそうでも、ポッターだってじきにスリザリンに染まって離れていくさ!」

 

 ロンが勢い込んで言い切ったとき、誰かが僕の肩にぶつかって、足早に追い越して行った。ちらりと見えたハーマイオニーの横顔は、泣いているように見えた。

 

「今の、聞こえたんじゃないか?」

「泣いてたよな、あいつ……」

 

 シェーマスとディーンが立ち止まって呟き、ロンをちょっと非難するように見た。ロンはややたじろいで、僕を振り返った。

 

「え、いや、だって本当のことだろ。きみらだって、あいつが威張り散らすのにうんざりしてたじゃないか、なあ?」

「僕はそれほどでもなかったし、あの言い方はひどいと思うよ」

 

 僕は目をそらしてようやくそれだけを言うと、逃げるようにその場を後にした。

 

 僕だって、時には腹を立てることくらいあるのだ。

 

 

 

 

 

 ハーマイオニーはその後の授業にも出てこなかったし、夕食の時間になっても大広間に姿をあらわさなかった。今日はハロウィーンで、魔法のコウモリ飾りがあたり一面ではばたき、かぼちゃのランタンのゆらめく明かりが、宴会用の金の皿に盛られたごちそうを暖かく照らしている。僕は自分の皿にのせられたパンプキンパイを見つめた。いかにもおいしそうな黄金色に輝いている――ハーマイオニーは最後までこないつもりだろうか?

 

 そこへアリーが、きょろきょろと誰かを探すようにやってきた。最初、近くにいたロンに声をかけようとしていたが、ロンがまぶたをひっくり返して変な顔をして見せたので諦めたように肩をすくめ、ラベンダーに話しかけた。

 

「ねえ、ハーマイオニー知らない? 図書室で一緒に調べものする約束だったのに、ずっと来なかったの」

「ハーマイオニーなら、トイレで泣いてるの見たわよ。何があったかは知らないけど、ひとりにしておいてくれって言われたわ」

 

 横から、パーバティー・パチルが口をはさむ。アリーは原因を求めるようにあたりを見回し、ロンが気まずげに顔をそらしたのに気付いて、すっと目を細めた。

 

 だが、アリーがロンに皮肉を浴びせかけるより早く、それどころではない事態が起きた。クィレル先生が、ゆがんだターバンにも構わず、恐怖にひきつった顔で駆け込んできて、ダンブルドア校長先生に訴えたのだ。

 

「トロールが地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 

 クィレル先生は言い終わるなりばったり倒れて気絶した。一瞬の沈黙のあと、大広間は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。みんなを静かにさせるために、校長先生は何発も紫色の爆竹を打ち上げなければならなかった。

 

「監督生は、ただちに自分の寮生を引率して寮へもどるように!」

 

 そう言い置いて、校長先生は何人かの教員を引き連れて出て行った。たぶん、地下室へむかったのだろう。アリーは急いで、スリザリンの監督生のところへ戻って行った。クィレル先生は気を失ったまま、慌てふためいて大広間から出て行こうとする生徒に何度も踏まれている。

 

 張り切るパーシーに連れられ、グリフィンドールに戻る階段をのぼろうとしたところで、僕ははっと気づいた。急いでロンを探しだし、腕をつかむ。

 

「なんだよネビル、こんな時に」

「ハーマイオニーだよ。彼女、トロールのこと知らないでしょ!」

 

 迷惑そうにしていたロンが、顔色を変えて唇をかんだ。

 

「そうだった……いいか、絶対にパーシーには気づかれるなよ。ひとまず、向こうのでっかいグリフィンの石像の後ろに隠れるんだ」

 

 逆方向に移動するハッフルパフ生にまぎれて、僕らはこっそりとグリフィン像へと向かった。僕は何人かのハッフルパフ生に「なんでこいつこんなところにいるんだ?」という顔で見られたが、口に人差し指をあてて目で訴えると、にやりと心得顔で頷かれた。

 彼らがどういう想像をしたのかはわからないが、とりあえず助かる。

 

 グリフィン像の後ろに隠れて、僕らは人通りがなくなるのを待った。誰かが急ぎ足でやってくる足音がするので石像の陰から盗み見ると、ちょうどスネイプ先生が素早く横切っていくところだった。

 

「あれって、4階へ行く通路だろ。なんで地下室へ行かないんだ?」

 

 ロンの疑問はもっともだったが、それより差し迫った問題があった。石造りの床を振動させるドシン、ドシンという足音と、ひどい悪臭、豚が鼻を鳴らすような鳴き声。

 

 それが、後ろから近づいてくる。

 

「隠れろ!」

 

 ロンが低く囁いて、僕らは物陰に身を潜めた。

 

 曲がり角から現れたのは、身長4メートルほどもありそうな巨体だった。鼠色のごつごつした肌にぼろきれをまとい、大きな木の棍棒をひきずっている。僕は、自分の激しく打つ心臓の音がきこえやしないかと危ぶみながら、姿をあらわしたトロールを見つめた。

 

 トロールは、少し先にある扉の前で立ち止まった。鍵穴に、鍵がささったままになっていたのが注意をひいたらしく、何か考え込んでいる。だが、結局満足する答えを思いつかなかったらしく(トロールの頭の出来では無理もない)、自分で確かめるべくドアノブを指の先でつまんでガチャリと回し、のっそりとドアをくぐって入って行った。

 

 ロンが、緊張気味のかすれた声でささやいてくる。

 

「チャンスだぜ。これで鍵をかけてやれば、あいつを閉じ込められると思わないか?」

「ちょっと待って」

 

 僕は、自分の声がのどにひりつくかと思いながら、その扉の案内板をじっと見つめて言った。

 

「あそこって、女子トイレじゃない……?」

 

 言い終わると同時に、扉の奥から悲鳴が聞こえる。僕らは顔を見合わせた後、扉を目指して物陰から飛び出した。

 

 たどり着いた僕らが見たのは、恐怖に震えながらトイレの奥の壁にへばりついたハーマイオニーと、彼女をつかまえようと迫るトロールの巨大な背中だった。トロールは、棍棒で洗面台を次々に薙ぎ払いながら、着実にハーマイオニーを追い詰めている。

 

「こっちを……向けっ!」

 

 ロンが目を燃やして、足元に転がってきた金属パイプをトロールに投げつけた。

 パイプはトロールの肩にぶつかり、ハーマイオニーまであと1メートルのところで、トロールが足を止める。

 

「おまえの相手はこっちだ、このウスノロ!」

 

 なにがおきたのかわからない、という顔でゆっくりと振り返ったトロールをロンが挑発し、素早く拾い上げた洗面台の破片をふりかぶって、トロールの鼻面に叩きつける。

 その隙に、僕は足をもつれさせながら、トロールの後ろをすりぬけてハーマイオニーに駆け寄った。

 

「ハーマイオニー、こっちだ……早く、走るんだよ!」

 

 僕はハーマイオニーの手を引っ張ったが、ハーマイオニーは動こうとしない。足ががくがくと震え、走るどころか、立っているのがやっとのありさまだった。

 

「なんだよ、自分の敵もわからないのか、この低能――うおっ」

 

 挑発を続けるロンにトロールが向き直り、足元に棍棒を叩きつけると、床のタイルが砕けて飛び散った。とびすさってあやうくそれをかわしたロンがひるんだところへ、矢のように飛び込んできた小さい影があった。

 

切り裂け‐眼球(ディフェンド・オキュラス)!」

 

 アリーが凛とした声で唱えて、鋭く杖を突きだす。トロールの両眼から勢いよく血がほとばしって、動きが止まった。

 

 しかし、それは一瞬のことだった。

 

 怒りと苦悶の唸り声をあげて、トロールが滅茶苦茶に棍棒を振り回し始めた。これまでの威嚇するような、ある程度規則性のある動きとは違う。個室に頭から突っ込んでいって壁をなぎ倒し、便器を棍棒で根こそぎ打ち壊す。見えない目から血をしたたらせながら敵を求め、吠えるトロールは向かう先のすべてをかたっぱしから粉々にしていった。

 

 アリーがロンを押し倒し、ロンの頭があったところを棍棒が通り過ぎる。だが、その音を聞きつけたのか、トロールは二人が倒れこんだあたりへ向けて、ゆっくりと棍棒を振りかぶった。僕は、思わず目を固く瞑る。

 

 

――思い出せ。

 

――習ったはずだ。あの棍棒に、ふたりを傷つけさせないような魔法を。

 

――闇の魔術に対する防衛術、ノー。変身術、ノー。妖精の呪文、イエス。

 

――水路を勢いよく流れていく水のイメージ。杖が自ら動くように、空中に模様を描く。

 

曲がれ。禍れ(・・)。木を構成する物質よ、在るべきではない姿となれ。

 

 

衰えよ(スポンジファイ)

 

 

 目を開けた僕が杖を振り下ろすのと、トロールが棍棒を振り下ろすのとは、ほとんど同時だった。

 

 だが、棍棒はアリーの体に沿ってぐにゃりと曲がり、トロールがたたらを踏む。その隙に、自分の杖を取り出したロンが、無我夢中に杖を振った。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レヴィオーサ)!」

 

 さっき壊された便器が浮き上がり、トロールの小さな頭の上に勢いよく落ちかかった。打ち所が悪かったのか、膝からくずおれたトロールは地響きをたてて倒れ伏し、動かなくなった。

 

 しばらく、壊れた蛇口から吹きだす水の音だけが、トイレの室内に響く。

 ロンが、息を切らせながら僕を見て、にやりとして言った。

 

「君がまともに魔法を使うところ、はじめて見たよ」

「僕もだ」

 

 僕は冗談めかして言おうとしたが、声がちょっと震えていた。今までに感じたことのないような高揚感がさめてくると、いまさらのように恐怖がどっと押し寄せてくる。

 

「死んだ……の?」

 

 ハーマイオニーがかすれた声で訊く。

 ロンがぐにゃぐにゃになった棍棒を押しのけてアリーを立たせてやり、おそるおそるトロールに近付いた。

 

「いや、ノックアウトされただけみたいだ。早くここを出ようぜ、こいつがまた起きだす前に……」

 

 言い終わる前に、複数の足音が慌ただしく近づいてきた。

 

 最初に飛び込んできたのはマクゴナガル先生だった。続いてスネイプ先生。そしてクィレル先生と――なぜか、マルフォイもいる。

 

「一体全体、あなたがたはどういうつもりなのですか」

 

マクゴナガル先生の声は冷静だったが、隠しきれない怒りに満ちていて、僕らは全員震えあがった。

 

これを切り抜けるのはもしかして、トロールをやっつけるよりも大変かもしれない。




 ネビルの最初の杖については父親のおさがりということ以外詳細が分からなかったので、公式サイトのオリバンダーさんの解説を眺めて、初期型ネビルだと扱いきれないような素材をチョイスしてみました。
 不器用な者がおそるおそる使うと事故につながりやすく、とても危険。でも覚悟を決めて振るえば上達が早く、華やかな効果を生み出す。そんな杖をイメージしています。



呪文について:
「ディフェンド・オキュラス」
1年生で習う切断呪文をアレンジした呪文。殺傷力よりも、対人戦における相手の無力化を重視している。誰ですかね、こんなえげつない呪文考えたの(すっとぼけ)

「スポンジファイ」
1年生の妖精の呪文で習う柔軟化呪文(ゲーム版で登場)。


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9. 「先生、盾の呪文はまだ習ってません」

 女子トイレの中はひどいありさまだった。

 洗面台は残らず砕け、タイルは割れ、個室は仕切り板がすべて半ばから叩き折られて、もう個室の役目を果たしていない。

 スネイプ先生はちらりとトロールを一瞥し、起きそうな気配がないのを確認してから、室内の様子にすばやく目を走らせた。一方、クィレル先生は「ヒィ」と悲鳴を上げてトイレの床にへなへなと崩れ落ちて、マルフォイにひややかな目で見られている。この人はいったい、何をしに来たのだろう?

 

「寮にいるべきあなた方が、どうしてここにいるのです?」

 

 マクゴナガル先生はいよいよ目を厳しくして、重ねて僕らに詰問した。

 アリーはそっと目を伏せ、おなかの前で指を組んだ。ロンはどこか逃げ場がないかというようにきょろきょろしているが、さっぱりと見通しがよくなったトイレの中に、そんなものはありはしない。僕はいっそこの場から消えてしまえたらと願った――もし将来僕が目くらまし術が使えるようになったとしても、マクゴナガル先生に通用するかは疑問だが。

 

「マクゴナガル先生、聞いてください。みんなは、私を探しに来たんです」

 

 僕の隣から、小さな声があがった。

 ハーマイオニーは、まだ少し震えながら、何かを決心したような顔で一歩前に進み出た。

 

「みんなが駆けつけてくれた時は、私、殺される寸前でした。アリーがトロールの目をつぶして、暴れるトロールの棍棒をネビルがぐにゃぐにゃにしてくれました。そしてロンが、トロールの頭にがれきを落としてノックアウトしてくれたんです」

 

 マクゴナガル先生はまばたきして僕を見つめ、スネイプ先生は疑わしげに棍棒と僕を見比べた。信じられない気持ちはよく分かるが、とどめを刺したのはロンだ。見つめるならロンを見つめてほしい。

 

「事情は分かりましたが……そもそも、ミス・グレンジャーはここで一体なにを?」

 

 ごくりと唾を飲み込み、ハーマイオニーは口を開いた。

 

「あの――あの、私、トロールをさが……」

「新しく調合した魔法薬を試して、吐き気が止まらなくなっちゃったんです」

 

 アリーが何食わぬ顔で口をはさんだ。

 

「だからハーマイオニー、やっぱりニガヨモギ入れすぎだったのよ。絶対失敗してるって言ったのに、よりによってハロウィンパーティーの日に試すなんて!」

 

 アリーはそう言いながらハーマイオニーにしきりに目くばせする。ハーマイオニーは自分が調合に失敗などするはずがないという顔をしていたが、先生ふたりにじっと見られて、仕方なく頷いた。

 

「まあ、そういうことでしたら……しかし、殺されないだけでも運が良かったのですよ。そもそもまだ経験の浅い一年生が、監督もなしに授業以外で作った魔法薬をかるがるしく口にするのは避けるべきです。

スネイプ先生からも、なにか一言ありますか?」

 

 マクゴナガル先生はひとまず矛先を収め、スネイプ先生を振り返った。

 スネイプ先生は重々しく頷き、アリーにひたと暗い目を向けて口を開いた。

 

「まずポジショニングが最悪だ。こんな狭い場所で、大型魔法生物に中途半端に手傷を負わせたら暴れだすことはわかりきっているだろう。まずは盾の呪文なりで攻撃をかわしながら、全員の退路を確保すべきだった。スリザリン5点減点」

 

 マクゴナガル先生のように危険な行為を怒るのかと思ったら、まさかの戦闘内容への駄目だしだった。

 ロンはぽかんと口を開け、ハーマイオニーが小声で異議を唱える。

 

「先生、盾の呪文はまだ習ってません」

 

「――だいたいなぜ、教員なり監督生なりに報告して対処を要請しなかったのかね」

 

 無視された。

 

 アリーはむっと頬を膨らませ、腰に手をあてて勢いよくまくしたてた。

 

「私が先生を探さないわけないじゃないですか!なのに先生はまっさきに出てっちゃうし、ジェマ・ファーレイは『グリフィンドールの監督生に任せておけばいいわ』としか言わないし、マーカス・フリントの糞野郎なんて、『マグル生まれのグリフィンドール生なんてどうなろうが知ったことじゃない』なんて抜かすんです!クィンタペッドみたいな間抜け面してるくせして――見てらっしゃい、あのうすのろがキャプテンに居座ってる間は私、クィディッチ選抜チームになんて絶対参加しないんだから!」

「スリザリンの女生徒ともあろうものが、なんという言葉遣いだ。口を慎みたまえ――スリザリン5点減点」

 

 がんがん減らされていくスリザリンの寮点に、むしろハーマイオニーの方が青ざめて、勢いよくスネイプ先生に言い返すアリーの袖をひっぱりながら、頭をふるふると振っている。しかし僕は、アリーがこんなに激昂しているということは、おそらくマーカス・フリントは「マグル生まれの」などというお行儀の良い言い方はしなかったんだろうな、と思った。

 

 ところで、クィンタペッドってなんだっけ?

 

「セブルス、皆無事だったわけですし、そのくらいでよいでしょう」

 

 マクゴナガル先生は厳格そうな表情を保ってそう言ったが、よく見ると唇の端が笑いをこらえるようにかすかに上がっていた。

 

「大人の野生トロールと対決できる一年生はそうざらにはいません。ミスター・ウィーズリー、ミスター・ロングボトム、ミス・ポッターの3人には、ひとり5点ずつあげましょう。ミス・グレンジャー、吐き気は……」

「もう平気です!」

 

 気遣うような顔を向けられ、ハーマイオニーは慌てて言った。少し、後ろめたそうな顔をしている。

 

「よろしい。では、怪我がないなら、全員寮におもどりなさい。生徒たちが寮でパーティーの続きをやっています」

 

 はい先生、と僕たちは答え、ぞろぞろと女子トイレを後にした。

 廊下に出ると、それまで難しい顔をして黙っていたマルフォイが、乱暴にアリーの腕を取った。そのまま引きずるように歩きだし、アリーが軽くよろめく。

 

「あの、痛いわ、ドラコ……」

「うるさい!君が悪いんだ――いつだって勝手なことばっかりして!」

 

 マルフォイは振り向きもせず、怒った声でアリーの抗議をさえぎった。

 

「さっきだって、上級生に散々文句言って飛び出して! 僕がとりなさなきゃ、どうなってたと思うんだ? あげく、やっと教授を連れてきてみれば部屋じゅう滅茶苦茶じゃないか! 僕に気を揉ませるのがそんなに楽しいのか?」

 

 アリーは少しきまりわるそうな顔をして、小声で「ごめんなさい」と呟き、おとなしくマルフォイに連れられて地下へ続く階段を下りて行った。

 

「僕らも戻ろうか」

 

 自分たちがなんとなく立ち止まって見送っていたのに気づき、僕はロンとハーマイオニーを促した。ふたりとも無言で頷き、お互い目をあわさないように、グリフィンドール塔までの長い階段を黙って上った。

 

「あの、ありがとう」

 

 2階分のぼったところで、気まずい沈黙を破り、ハーマイオニーがぽつりと言った。

 

「こちらこそ……それと、ごめん、ひどいこと言って」

 

 ロンはちょっとぶっきらぼうに、早口で謝った。

 ハーマイオニーはやっと、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「本当よね。でも、たしかに私にもいけないところはあったし、それに私自身、どこかでアリーのこと信じてなかったのかもしれない。だから、そのうちあの子も離れていくって言われて、そうかもって思ってしまったのよ」

「ポッターがそんな奴じゃないのはよく分かったよ。まあ、油断がならない奴なのは間違いなさそうだけど」

 

 ロンもいくらか素直な口調にもどって、ニヤリと笑った。

 

「聞いたかい、魔法薬の調合に失敗したんだってさ――君がだよ?」

「よくあんなもっともらしい言い訳を考え付くわよね。アリーには悪いことをしてしまったわ。あんなに活躍したのに結局、マイナス5点だなんて」

「それだよ。マクゴナガル先生も、ひとり10点くれればよかったのにさ。スリザリンにはちょうど埋め合わせになるし、ネビルには呪文が成功したご褒美込みってことで」

「やめてよ、ようやく初歩の呪文がひとつ成功しただけじゃないか」

 

少し頬が熱くなるのを感じながら、僕は頭を振った。

 

「それにマクゴナガル先生は公平だから、そんなえこひいきみたいな配点はしないと思うよ」

「そうなんだよな。それに引きかえ、スネイプときたら……聞いたかい、あの言いがかりみたいな減点理由。自分の寮生だっていうのに、いったい何が気に入らないんだか。あいつの足なんて、うんと痛めばいいんだ」

 

ロンは階段の柵を軽く蹴とばしながら、口をとがらせた。

 

「足?」

「なんだ、君たち見なかったの? さっき部屋に入ってきたとき、あいつ、ちょっと足を引きずってたじゃないか」

 

 僕とハーマイオニーは立ちどまって顔を見合わせた。先に行きかけていたロンは、気づいて数段もどってきて、弁解するように言った。

 

「どうしたんだ? あの陰険教師が少し痛い目見たくらい、いい気味だと思ったって別にかまわないだろう?」

「違うんだよ、ロン。さっき僕ら、トロールより先にスネイプ先生を見かけたじゃないか。そのとき、足なんてひきずってたっけ?」

「それにトロールはまっすぐ女子トイレにやってきて、そこであなたたちにやっつけられた。つまり、怪我をしたとしたら、トロールと戦ってのことじゃない。あなたたちが見かけてから、女子トイレにもどってくるまでの間に、何かがあったのよ」

 

 僕の疑問に、ハーマイオニーが補足した。僕らは長い階段の途中で、息をのんで視線を交わしあった。

 

「あいつ、4階へ向かってた」

 

 ロンがささやくように言った。それで充分だった。

 4階には何がある?

 あの、立ち入り禁止の廊下。3頭犬が守っていた、仕掛け扉がある場所だ。

 

「もしかしたら、トロールが3頭犬と戦ってないか、確かめにいったのかもしれないわ」

「逆かもしれないぜ。3頭犬の守ってる何かを奪おうとして、おとりにするために地下室にトロールを入れたんだ。さもなきゃ、ホグワーツに野良トロールが迷い込むなんてありえない」

 

 確かにそうだ。ばあちゃんは、ホグワーツの中はグリンゴッツより安全だと言ってた。誰かが――それがスネイプ先生かそうでないかはさておき――誘い込まない限り、地下室へトロールが入り込むなんて考えられなかった。ホグワーツの守りを出し抜くには、トロールでは少しばかり荷が重いだろう。

 

 ハーマイオニーは目を見開いた。

 

「そんなはずはないわ。たしかに意地悪だけど、ダンブルドアが守っているものを盗もうとするような、だいそれたまねをする人ではないわ!」

「さあ、わかったもんじゃないと思うけどな。4階が立入禁止になったのは今学期から。

スネイプが就職したのも今学期からだ。隠されている何かを盗もうとしてホグワーツの教授に応募したんじゃなきゃ、タイミングがよすぎる」

「むしろ、その何かを守るためにこのタイミングで呼ばれた可能性もあるわ」

 

 ハーマイオニーの反論に、ロンはとても疑わしそうな顔をした。

 

「あいつが? 口は誰よりも達者だけど、そんな強そうには見えないよ。なんかひょろっちいし」

「それもそうね……」

 

 駄目だ、結論が出ない。

 僕にはハーマイオニーとロン、どちらの主張もそれなりに筋が通っているように聞こえた。あの仕掛け扉の先になにがあるのか分からなければ、明日の朝まで話し合っても決着はつかないだろう。そして僕はあまり、そこまで詮索したい気分にはなれなかった。

 

 そこで僕は、少し遠慮がちに提案してみた。

 

「とりあえず、寮に戻らない?もしスネイプ先生が何か盗みたかったんだとしても、3頭犬に怪我させられたんだったら、治るまでは再挑戦しようとは思わないんじゃないかな。

それに、早くしないと食べるものがなくなっちゃうよ」

 

 そこでようやく、ふたりも自分たちがとても空腹なのを思い出したようだった。なにしろ、4メートルもあるトロールを倒すという、1年生ではふつうありえないような大冒険をやってのけたのだ。僕らは、せっかくのパンプキンパイがすべて食べられてしまう前に帰ろうと、大急ぎでグリフィンドール塔まで駆け戻った。

 

 

 

 

 

 それ以来、ロンとハーマイオニーは仲直りした。ハーマイオニーは規則についてあまり口やかましくなくなったし、ロンもつんけんした態度をとることはなくなった。僕らはあの冒険のおかげで、とても仲良しになったのだ、と言ってもいいかもしれない。

 

 ただ、例の仕掛け扉の先にふたりとも興味しんしんで、隙あらば僕を巻き込もうとしてくるのは、ちょっとどうかと思う。




クィンタペッド:別名、毛むくじゃら(ヘアリー)マクブーン。
ヨコハマタイヤに毛を生やして足を5本つけたような、すっごいキモい魔法生物。
あほそうな見た目の割に、魔法省の分類ではドラゴンやバジリスクなみに危険とされる。肉食。


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10.「あなたの運がひたすらいいのか、犯人のつめが甘いのか」

ネビルをどうやって始末するか、ヴォっさんの気持ちになって考えてみた。


 僕らが息せき切って競技場にたどり着いた時には、競技場の観客席はすでに全校生徒で埋め尽くされていた。空はからりと晴れているが、吐く息はかすかに白い。

 僕とロンとハーマイオニーは最上段の席に陣取り、試合用のローブにきがえたグリフィンドールとスリザリンの両チームの生徒が、箒を手にしてピッチに進みでるのを眺めた。今日は、今年のクィディッチ・シーズン最初の試合なのだ。

 

「フレッドとジョージが出てきた!」

 

 双子の兄をグリフィンドールチームの中にみつけたロンが、嬉しそうに叫んだ。

 オリバー・ウッドとマーカス・フリントの両キャプテンが、お互い油断のない目で睨みあいながら一礼し、選手たちが箒にまたがった。審判のマダム・フーチのホイッスルと同時に、彼らはいっせいに高く舞い上がり、真紅と深緑のローブが風にはためいた。

 

『クアッフルはアンジェリーナ・ジョンソンがとりました。なんて素晴らしいチェイサーでしょう。その上、かなり魅力的であります――』

『ジョーダン!』

 

 実況解説のリー・ジョーダンがマクゴナガル先生に怒られているのを聞きながら、僕ら観客は固唾をのんで試合を見守った。まずはグリフィンドールが先制点奪取。こちら側の観客席から、わっと歓声が上がる。

 

 続いてスリザリンの攻撃に移り、クアッフルの取り合いをしている遙か上空、きらりと光るスニッチが姿をあらわした。らせんを描くように急上昇したシーカー同士がデッドヒートを繰り広げる。途中、マーカス・フリントの接触妨害(ブラッチング)でグリフィンドールのシーカーが弾き飛ばされ、スリザリン以外の観客席からいっせいにブーイングの声があがった。

 

「退場させろ! レッドカードだ!」

 

 ディーンが怒って大声を上げているのを、ロンがなだめている。僕はグリフィンドールのシーカーが地表すれすれで体勢を立て直したことにほっと安堵の息をついた。やっぱりこの競技は、どうも心臓によくない。

 

 グリフィンドールに与えられたペナルティシュートのあと、僕はクアッフルをめぐる攻防から目を離し、再び姿を消したスニッチを探して高い空を見上げた。雲の影を、何かが素早く横切るのが見える――スニッチか、いや、あれは渡り鳥だろうか?

 

 目をこらしてその動く点をじっと見つめていたせいだろうか。急に周りが騒がしくなったことに、僕の反応は、一瞬遅れた。

 

『スリザリンがバンフィングだ! 観客席、注意を――危ない!』

 

 がつん、と頭蓋骨に酷い衝撃が走った。

 なにが起きたのか分からないながら、咄嗟に頭をかばった腕を、2度3度、重く固いものが容赦なく打ち付ける。僕は痛みと混乱で気が遠くなりそうになりながら、涙でかすむ視界の隅に、僕を叩きのめしているブラッジャーを凄い形相で押さえつけようとするロンと、こわばった顔で慌てて杖を取り出そうとするハーマイオニーをみとめ――

 

 そこでついに耐え切れなくなり、ふつりと意識を失った。

 

 

 

 

「で、結局負けちゃったんだ」

 

 医務室へお見舞いにきたロンが、むっつりとして言った。スリザリンのビーターが観客席にブラッジャーを打ち込み、それが僕にぶつかって気絶、ということだったらしい。

 スリザリンは反則を取られ、ルールにより試合は一時中断されたが、再開後まもなく、スリザリンのシーカーにスニッチを奪われてしまったそうだ。

 

「まったくスリザリンの連中ときたら! きっと正々堂々と戦ったら勝てないのが分かってるから、反則ばっかりするんだ」

 

 鼻息荒くいきまくロンの隣で、ハーマイオニーは難しい顔をしていた。

 

「あれはおかしいわよ。見た? あのブラッジャーの妙な動き。スリザリンのビーターがこっちの方角へ打ってきたのは確かだけど、最初はもっと上空へ飛んで行こうとしていたのに、急にすとんと落ちてきたんだもの」

 

 僕はブラッジャーの動きはもちろん、そこまで熱心に試合を見ていたわけではないのでなんとも答えられなかった。

 

「え、じゃあなにかい。きみ、あのブラッジャーに呪いでもかかってたって言うの?」

 

 ロンが首をひねって反論する。

 

「でもスリザリンの連中には、わざわざそんな仕込みをする理由がないよ。グリフィンドールの選手を襲って潰すならまだしも、観客をぶちのめしたって反則を取られるだけで、なにも得しないじゃないか」

「そうじゃないわ」

 

 ハーマイオニーは医務室のドアをちらりと見て、声をひそめた。

 

「狙われたのはだれでもいい不特定の観客ではなくて、狙われた理由もクィディッチそのものとは無関係だったとしたら? もちろんその場合、犯人もスリザリン生とは限らないわ」

「ああ、うん――つまり、君が言いたいのは――」

 

 ロンが言葉を切って、僕を見つめた。要するに、狙われたのは僕だ、と彼女は言っているのだ。

 

「でも、誰が……なんで、僕を?」

 

 僕は背筋が寒くなるのを感じながら聞いた。

 もし狙われる理由が僕の額の傷がらみなら、犯人を絞り込むのはきっと難しい。例のあの人がいなくなって以来、闇陣営の残党は誰にも知られないように身を潜めているから、僕を始末するにしたって、見つからないようにうまくやろうとするだろう。

 それとも傷の件は関係なくて、単に僕が誰かに殺したいほど憎まれているという可能性は――いやいや、いったい誰がネビル・ロングボトム個人を、わざわざ手間暇かけてブラッジャーに呪いを仕込んでまで排除したい相手だなんて思うだろう?

 

「それはわからないわ。でもネビル、あなたが狙われているならたぶん、これで終わりじゃないわ」

 

 ハーマイオニーはきっぱりと言った。

 

 

 

 

 彼女の予言は正しかった。それ以降僕は、校庭を歩いていたら塔の窓から落ちてくるマンドラゴラの鉢やら、通常の3倍のスピードで動いて僕を振り落とそうとする階段やらに悩まされることになった。それらの事故のような何か(・・・・・・・・)は、決まって僕がひとりでいるときに起こり、しかも首尾よくいけば、僕のいつものうっかりが原因だと片づけられてしまいそうな状況ばかりで、これではマクゴナガル先生に報告したところで、とうていまともに取り合ってもらえそうになかった。

 

「まあ、できるだけ誰かと一緒に行動するようにするしかないわね。でも、マンドラゴラが叫ぶのを聞いて、よく無事だったわね?」

「うん、落ちた衝撃でぽっきり折れちゃって、叫ぶどころじゃなかったんだ」

 

 僕が説明すると、ロンもハーマイオニーもそろって呆れたように溜息をついた。

 

「あなたの運がひたすらいいのか、それとも犯人のつめが甘いのか、どちらかしら?」

「両方だよ、きっと」

 

 

 

 

 とはいえ、いつ成功するか分かったものではないので、クリスマス休暇が近づいてくると、僕は心の底からほっとした。もしかしたら家まで追いかけてくるかもしれないが、その時にもこんなこそこそしたやり方でしか僕を始末できそうにないなら、犯人は少しばかり覚悟した方がいいかもしれない。僕を除いたロングボトム一族は、なんというか、その……揃いも揃って「穏便にすます」ということを知らない、力押しですべてを解決しようとする人たちばかりなのだ。

 

「僕はクリスマスはホグワーツに残るんだ。パパとママがチャーリーに会いにルーマニアに行くもんでね」

 

 魔法薬学の授業が終わり、氷の貯蔵庫のような地下の教室を足早に後にしながら、ロンが言った。

 

「確か、ドラゴンの研究をしてる2番目のお兄さんだっけ?」

「そうだよ。まあ、パーシーもフレッドもジョージもいるし、こっちはこっちで楽しくやるさ――やぁ、ハグリッド。手伝おうか?」

 

 角をにょっきり曲がってやってきた大きな樅の木にロンが声をかけると、枝の間からハグリッドが顔をのぞかせた。おそらく、クリスマスツリーに使うために運ぶ途中だったのだろう。

 

「いんや、大丈夫だ。ありがとうよ、ロン」

「お小遣い稼ぎも結構ですが、通れないからどいてもらえませんかね、ウィーズリー君」

 

 後ろからマルフォイのいやに気取った声が聞こえて、ロンが思い切り顔をしかめた。僕も、また何の嫌味を言われるのだろうかと警戒してマルフォイの方を見る。

 そこへ、不穏な気配をかぎつけたかのようにアリーがひょっこりとあらわれた。

 

「ああドラコ、ちょうどよかったわ。あなたのお家にふくろう便は出しておいたんだけど、あなたにも言っておかなくちゃと思ってたの。私たちロンドンで色々用事を済ませていくから、お宅に着くのはたぶん当日の夕方で……」

 

 アリーは誰かが口をはさむ隙もなく喋りながら、あっという間にマルフォイを連れ去ってしまった。去り際にちらりとこちらを見て、マルフォイに見えない角度でハンドサインを残して。

 ロンが固く握りしめていたこぶしをゆるめて、ぼそりと言った。

 

「ポッターも悪い奴じゃないんだけど、なんでマルフォイなんかと仲良くしてるんだろうな?」

「あの子もああ見えて苦労しとるからなあ。なにせ、あの子のお袋さんが……」

「アリーのお母さん?」

 

 ハーマイオニーが思わずといった様子で聞き返すと、ハグリッドは慌てたように首を振った。

 

「いや、なんでもねえ。そんなことより、ほれ、大広間がすごいから見においで」

 

 僕らはふうふう言いながら樅の木を担いでいるハグリットについて、大広間を覗きに行った。ハグリッドの言葉通り、それはとても素晴らしい光景だった。壁には各寮のシンボルカラーのリボンが編みこまれたヤドリギが飾られ、ハグリッドが持ってきた分も含めると12本ものクリスマスツリーが、ろうそくや飾り玉できらきらと輝いていた。マクゴナガル先生とフリットウィック先生が、飾り付けの出来栄えを確認しつつ、最後の仕上げにかかっている。

 フリットウィック先生が杖から金色のふわふわを出して最後のツリーに巻きつけているのを見ながら、ハグリットが尋ねた。

 

「ところで、休みはいつからだ?」

「明日よ」

 

 ハーマイオニーが答える。そう、明日だ。明日になればしばらくは、この命にかかわるかもしれない嫌がらせからしばらく逃れられる、と僕は思った。

 

 残念ながら当然なことに、そうはならなかった。

 

 

 

 

 

「……あれ」

 

 ホグワーツ特急待ちの生徒でごったがえしている玄関ホールで、僕がローブのポケットを探ると、ポケットの底をすかっと指が突き抜けた。

 

「また何か忘れたの?」

 

 ハーマイオニーが呆れたように目を細めたが、弁解させてもらえるなら、忘れたわけではない。ポケットが破れていて、手帳がどこかに落ちてしまっただけだ。これは不可抗力だ、と僕は言いたい。

 

「どうかしら。ポケットにはさみかナイフでも入れていたんじゃないの?だったら破れても当り前だけど」

「転んだ時に危ないから、そんなものは入れないよ……」

 

 そこは6歳の時にもう通った道だ。あのときはざっくり太腿を切って、ばあちゃんにこっぴどく叱られたっけ。

 

「忘備録だから、あれがないとちょっと困るんだ。探して来るから先に行ってて!」

「ちょっと、ネビル! この荷物はどうするの?」

「誰もとって行きやしないよ、そこに置いといてくれればいいから!」

 

 そう言い置いて、僕は急いで階段を引き返した。ホグワーツ特急が出るまでに、見つけて戻らないといけない。誰かが見ても特に面白いようなことは書いてはいないが、やっぱりあまり人に見せたいものでもないのだ。

 

 寮を出るときには確かにあった、と僕は考えた。ローブの上から手触りを確かめたから間違いない。階段を下りて……途中でトイレに寄ったな……あの時にはあったっけ?

 わからない。一応、見てきた方がいいだろう、と僕は3階のトイレへ向かおうとした。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)

 

 ほとんどささやくような声だったが、がらんとした廊下に、それは意外なほどよく響いた。

 背後から呪文で撃ち抜かれた僕は、前のめりに倒れこんだ。石造りの廊下はひどく冷たく、指一本動かせない僕の体からすばやく熱を奪っていった。

 頭の中身まで痺れるような感覚に耐え、僕は必死で耳を澄ませた。どうやら、僕を襲った犯人はふたり組らしい――ひどく遠くに聞こえ、何を言っているかもよく分からないが、しわがれた高圧的な声と、震えるような声が会話している。

 

「ご主人様…………やはり…………に?」

「そうだ、そこに運べ…………ダンブルドア…………知らない…………秘密の…………バジ…………片づけるだろう…………」

 

僕の体が、宙につられたように浮き上がった。僕は抵抗するすべもなく、ぐったりしたまま運ばれ、それでも気絶だけはするまいと念じ続けた。ここで気を失ってしまえば、僕は確実に死ぬ、そんな気がしたのだ。

 

 僕の傍らを歩く靴音が、ぴたりと止まった。僕は何か違和感をおぼえた。

 だが、その違和感の正体を突き止める前に、事態は動く。

 

開け(・・)

 

 シューシューと空気が漏れるような音は、しかし僕には言葉に聞こえた。次の瞬間、僕は狭いぬめぬめとした場所に放り込まれ、暗闇の中へと滑り落ちて行った。

 




「やっぱりブラッジャーでどついたくらいやと死なへんな……あいつどんくさい割に意外としぶといし、うっかり死の呪文かけたら跳ね返しよるし……
せや! ホグワーツにはワシしか知らん場所あるやん! あそこへ放り込んどいたらどうせ出てこれへんからそのうち死ぬやろ、タイミング的にも里帰り中の迷子から行方不明になりましたみたいな感じで」

なおやはり詰めは甘い模様。


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11. 「ところできみ、今どこから湧いてきた?」

 雨上がりの滑り台を滑り降りていくような長い長い感覚のあとで、僕の体は急に空中に放り出され、湿った石畳の上で2、3度弾んで転がった。

 僕はそのままの姿勢で、しばらく麻痺呪文の効果が切れるのを待った。ようやく指が少し動かせるようになると、まだびりびりと痺れが走る体を無理矢理起こし、懐をまさぐった。良かった、杖は折れてはいない。

 

 目を凝らすと、僕がいるのは石造りのトンネルの中のように見えた。かなり大きく、大人が立ち上がって歩いても余裕がありそうだ。トンネルの先は、べっとりと塗りつぶしたような闇に覆われていた。

 

 僕は身震いし、急いで杖を振って小さく唱えた。

 

光よ(ルーモス)

 

 ごくごく小さな橙色の光の玉が杖の先に現れたかと思うと、燃え尽きるろうそくのようにちらちらと瞬いて、ふっと消える。僕は呆然として杖を見つめ、次の瞬間、やり場のない怒りに襲われた。

 何で僕が、こんな目に遭わなくちゃならないのか。唯一の頼みの杖まで、こんな時になにをふざけているのか。これでは何も見えないじゃないか!

 

(言うことをきけ!)

 

光よ(ルーモス)!」

 

 僕はほとんど癇癪を起すように、杖を大きく振る。ぐい、と捻じ伏せるような手ごたえがあったかと思うと、トンネルのかなり先の方まで、さっと白い光がほとばしった。僕は杖を高くかざしてあたりを見回し、そして直後に後悔した。トンネルのあちらこちらに小さな骨が散らばっている――鼠かなにかだろうか?

 骨を踏まないようにそっと避けながら角を曲がった先で、巨大な緑色の蛇と正面から出くわして泣きそうになる。がらんどうの中身を見てすぐに、これが脱皮した抜け殻だとは気付いたものの、僕の心はまったく晴れなかった。抜け殻があるということは、中身(・・)もどこかにいるということだ。しかもこの抜け殻ときたら、ざっと僕5人分くらいの長さはありそうだった。

 

 寒さからばかりではない理由で奥歯をがちがち言わせながら、それでも僕はトンネルを進んでいった。さっき滑り落ちてきたのは太い排水パイプのような場所だったが、急な傾斜のうえに水苔でぬるぬる滑って、とうてい這い上がれそうになかったので、どうしても他に出口をみつける必要があった。

 

 何度目かの曲がり角の先は行き止まりだった。つきあたりの壁には絡み合った2匹の蛇が彫られていて、杖を近づけてよくよく見ると、壁の中央には縦に細く割れ目が走っている。きっとこれもホグワーツによくある合言葉で開く扉なんだろう、と思ったが、肝心の合言葉が分からない。

 途方に暮れながら、ふと、さっき放り込まれた時のことを思い出す。僕を放り込んだ人は、「開け」としか言っていなかった。だったらここも、もしかするとそれだけでいいのではないだろうか?

 

 僕はじっと彫刻の蛇をみつめた。はめ込まれた大粒のエメラルドの目が、魔法の明かりを反射して、まるでこちらに目くばせするように動いて見える。

 

開け(・・)

 

 石畳の上で重いものを引きずったような音とともに、壁がぱっくりと二つに裂けた。僕はおそるおそる、なくなった壁の先に杖と頭をさしいれて、あたりを見回した。

 そこには、思いのほか大きな空間がひろがっていた。細長い礼拝堂のような部屋で、左右一対になった柱には、これも絡みつく蛇の彫刻がほどこされており、一番奥には巨大な魔法使いの石像がそびえたっている。

 こわばったような感覚が残る足を引きずりながら、僕は石像のもとへ向かった。年老いた魔法使いの石の顔をじっと眺めると、どことなくまがまがしい表情を浮かべているように見えた。

 

 ふと、台座に何か文字が彫り付けられているのに気づいて、杖の明かりを近づけてみる。ずいぶんと昔のものらしく、黒ずんで文字が読み取りづらい上に、古い英語で書かれていて、ところどころ意味が分からない。

 

『スリザリン、ホグワーツ、4……の中で一番……な者? ……話す、を、願う』

 

 僕は文字盤をたどたどしく読みあげてから、もういちど石像を見上げ――

異変を目の当たりにして、恐怖に顔をひきつらせた。

 

「動いてる!?」

 

 そう、魔法使い――台座に彫られた文章からして、間違いなくスリザリン――の口がだんだん大きく開いていき、中で黒い舌のように何かがうごめいている。僕は声にならない悲鳴を上げ、反射的に後ずさろうとしたが、つまづいて杖を取り落した。途端に部屋の中に、元の通りに暗闇が満ちる。ずるずると何かが這い出てくるような音を背後に聞きながら、僕は必死に床を探った。ない、杖がどこにもない。こんな肝心な時に!

 

 ついに、ズシンと重いものが落ちてきたような振動が部屋中に響き、僕は間近に迫った破滅を見まいとしてぎゅっと目をつぶった。

 

『私を呼んだか?』

 

『しゃ、喋った……?』

 

 僕は思わず振り返ったが、闇にさえぎられて、なにも見えない。その先で、石像から這い出してきた何かが、哂うような気配がした。

 

『もちろん喋るとも。こちらにしてみれば、私の言葉を解する者が実に久しいというだけのことだ、新しき継承者よ。あるいは、継承者に送り込まれた贄かもしれないが』

 

 継承者? 贄?

 何のことか分からないながら、僕は不吉な予感にぐっと唇をかみしめた。声の主は、そんな僕の様子にお構いなしに喋り続ける。

 

『とはいえ、私と語れる者がただの贄とも考えづらい。さればこそ、問答にてこの部屋に入る資格を明らかにすることとしよう。まず、ひとつめ――お前は、ゴーント家の血を継ぐものか否か?』

 

『……家系図に、ゴーントの姓はあったよ』

 

 僕は用心深く、できるだけさりげなく聞こえるように答えた。15世紀頃にゴーント家とロングボトム家の結婚の記録はあるので、家系図に載っているというのは嘘ではない。

 

『よろしい。ふたつめ――純血か?』

『すくなくとも、ここ千年間は』

 

 即座に答えると、心なしか満足げな反応が返ってくる。

 

『素晴らしい。しかし、先刻私を呼び出す合言葉はあまりまともに読めていないようだったが、継承者に相応の学識はあるのか?』

『こ、この間、入学したばかりだから……』

 

 なんでこんな場所で正体不明の恐ろしげな相手に向かって、情けない言い訳をしなきゃならないのか、と思いつつ、僕は少々口ごもった。

 

『……まあ、よい』

 

 あいまいに答える僕に、相手は少し呆れたような気配を見せたが、僕がここにいる資格とやらについてはいちおう納得したようだった。

 

『今のこの事態については、前回の継承者にも、特に何の命令も受けていないからな。今のところは、お前の言葉に従おう。さあ、私になにを望む?』

 

 今すぐ元の場所に帰ってください。

 そう言いかけて、僕はこの部屋に足を踏み入れたそもそもの理由について思い出した。

 

『あの、僕、特に準備もなくここに来てしまったから帰りたいんだけど、道を教えてくれない? それさえ教えてもらえれば、元のところに戻ってもらっていいから――お願いします』

 

 闇の向こうで、相手はまた哂った。

 

『呼びつけておいて、すぐに戻れ、か。まあ良かろう、今はまだ、私を従えるには幼すぎるというものだ。

 帰り道、だったな。我らが最も偉大なる創始者の像の後ろに、地上に戻る道がある。回転する一方通行の扉で、向こうから入ることはできない。レリーフに回れ(・・)と唱えると、扉はあく』

 

『ありがとう――じゃあ、戻ってください、いますぐに!』

 

 僕がほとんど叫ぶように言うと、相手はシュウシュウと鼻で笑うような音を漏らし、ずるずると重い音を立てながら、元の場所に帰って行った。

 這いずるような音が遠くなって消えると、僕は小刻みに震える手でようやく杖をさぐりあて、再びルーモスを唱えた。今度はさほど苦労もせずに明るくなる。

 

 ふたたびスリザリンの石像を見ると、口は元のように閉じていた。さっきの相手はたしかに帰ってくれたらしい。石像の後ろに回ると、言われた通り、エメラルドの瞳をした蛇のレリーフがあった。

 

回れ(・・)

 

 呟いて、僕は回転をはじめた壁の隙間に滑り込んだ。その先にあったのは、崩れかけた長い階段だった。冷え切り、つかれきった体に鞭打つように気分を奮い立たせ、僕は一段一段、ゆっくりと登り始めた。

 

 

 ずいぶんと危なっかしい交渉だった、と階段を踏みしめながら、僕は考える。

 まず、第1の質問。確かに、ロングボトム家の家系図に、ゴーント家に嫁いだ一族の女性の名前は載っている。だがそれはけっして、僕にゴーント家の血が流れているということを意味しない。

 なにしろ彼女は結婚式の日の晩に、夫となったゴーント家の男性にむごたらしく殺されたのだ。それ以来うちの一族では、この事件の顛末とともに、「決してゴーント家と血縁を結んではならない」という厳しい言いつたえが残されている。

(というか、そんな事件でもなければ、僕が500年以上前に一度縁があったきりの一族のことなんか覚えているわけがない)

 

 第2の質問は、まあいい。うちが古い純血の家系なのは間違いない。それで何か得をしたのは、今回が初めてだが。

 だが、僕がさっき会った何者かは、肝心のことを訊き忘れていた。彼、あるいは彼女はただこう質問すれば良かったのだ――『お前はスリザリン生か』、と。僕としてはその質問が出なかったことと、ネクタイの色も見えない暗闇のおかげで助かった。

 

 

 完全に息が上がり、酷使された太ももの軋みがいよいよ無視できなくなったころ、階段の行き止まりの壁につきあたった。正面の壁には、さっきと同じ蛇のレリーフが刻まれている。

 

回れ(・・)

 

 同じように唱えて壁を回転させ、抜け出た先は、T字路の交差点だった。少し行きつ戻りつしてみたところ、道は迷路のように入り組んでいる。すでに気力も体力もつきかけていた僕にとっては、正しい道をみつけることはひどく望み薄に思われた。

 

 しばらく立ち尽くしていると、遠くでかすかに人の声が聞こえたような気がした。僕の願望がもたらした空耳だろうか?――いや、今度はパタパタという軽やかな足音まで聞こえる!

 

「おいおいジョージ、そっちは行き止まりだって言ってるだろ。地図見てるのに迷ってちゃあ、世話ないな!」

「いや、この辺は地図があっても相当わかりにくいぜ。ここを作った奴はきっと、死ぬほど性根が曲がってたんだろうな……お、われ目標発見せり、だ!」

 

 賑やかに騒ぎながら、曲がり角の向こうからウィーズリーの双子が姿を現した。双子の片割れが、羊皮紙の地図をこっちにひらひらと振って見せる。

 

「ところできみ、いまどこから湧いてきた?君がいなくなったって騒ぎになっていたから探してたら」

「隠し通路の中に君の名前が急にあらわれたもんで、僕らも驚いて見に来たってわけさ!」

 

『え、なにそれ。どういう意味?』

 

 僕としては、ごく当たり前に聞き返しただけのつもりだった。

 が、フレッドとジョージはぎょっとしたような顔になって、そろって一歩あとじさった。

 

「ネビル……君、いま、何を喋った?」

 

 羊皮紙を持った腕を静かにおろし、ジョージがこちらを探るようなまなざしで尋ねてくる。僕はそんな反応をされる理由がまったく分からず、困惑しながらもう一度言った。

 

「いや、だから……名前が急にあらわれたって、どういう意味なのかなって。もしかして、その地図が関係あるの?」

「あ、ああ……」

「まあ、そうだな……」

 

 双子は顔を見合わせた後、もう一度僕を見て、腑に落ちないような顔をしたが、僕の酷い恰好に気づいたのか、とりあえず疑問は棚上げしたようだった。

 

「まあ、今度説明するよ。それよりいったい、どこの泥沼に落ちてきたんだい? 家に帰るより先に風呂に入ってくるべきだね、どのみちホグワーツ急行はもう出ちまったし」

「いや、まずは職員室で釈明させられるだろうな。マクゴナガル先生はカンカンだったぜ、こんなことは前代未聞です!ってさ」

 

 一気に気が重くなった僕の肩を軽く叩き、双子は僕を連れて歩き出した。迷路を抜け、ゆるやかな坂をのぼった先の出口は、校庭の隅の人目につかない場所にある壊れた噴水だった。ようやく陽の光が当たる場所に出られて、僕は心底ほっとした。

 

「ふたりともありがとう、僕、もう出られないかと思ったよ」

 

 お礼を言うと、双子はニヤリと笑った。

 

「どういたしまして。お礼なら、ハーマイオニーにも言っておくべきだな」

「そうそう。彼女が騒ぎ立てなきゃ、きみ、クリスマス休暇中ずっと気づかれずにあのままあそこにいたかもしれないんだぜ。ま、もう先に帰らされたから、ふくろう便でも送っておけば?」

「そうするよ」

 

 僕はあらためて、ハーマイオニーに心の中で深く感謝した。もし休暇のあいだじゅう放置なんてされていようものなら、間違いなく凍死していた。

 

 たぶん次に会ったら、ものすごく怒られるだろうが……とりあえず今は、それは考えないことにした。




特に命令もされてないのに、純血パーセルマウスをバジたんが殺すわけなかった。

そしてハリーは「3人兄弟の物語」のペベレル家でヴォルデモートと繋がりがあったので、ネビルには「毛だらけ心臓の魔法戦士」で、こっそりゴーント家との因縁を捏造してみる。


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