神骸記 (地衣 卑人)
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一 劔と銃弾

 第一話。改稿致しました。


 血飛沫。

 切り裂かれた肉の奥から溢れ出した液体は舞い、虚空を踊って大地を濡らし。破られたばかりの表皮には更に、味方の撃ち込んだ数発の弾丸が風穴を開ける。

 ヴァジュラ。この世界に来て数週間程しか時は流れていないが、その名前くらいは私でも覚えられる。普通の生物とは明らかに異なった姿形は、私達のよく知る妖怪に似ていて。しかし、私達の力では殺す事さえままならない不可思議な存在。生物とも妖怪とも違う……そんな理不尽な存在を前にして、私は、右手に抱いた重みを確かめ、大地に立ち。

 

 手にした神機……この化け物を殺しうる、唯一の兵器たるそれを、銃形態へ。かつて、美しさを追い求めた私達の弾丸は今や、敵の殲滅を願う殺し合いの道具と成り果てて。自嘲気味に口元を歪めながらも、トリガーに掛けた指を緩める事などは、無く。

 

「……死ね」

 

 恨みを、呪詛を。神の言葉を紡ぐ者が言う台詞では、あるまい。神を殺す立場に回った私にとってそれは、今更というものであるが。

 

 異国の神を模した姿は、耳を劈く咆哮と共に。私の神機が吐き出した炎柱に呑まれて、その命を削られ。血反吐を吐いて伏した身体に更に、撃てる限りの弾丸を撃ち込む。

 

「死ね、死ね、死ね死ね、死ね!!」

 

 撃つ、撃つ、撃つ。虎に似た相貌は既に、その骨格さえも砕かれて。飛び散った欠片さえも銃弾に当たっては爆ぜ、その姿を消してゆき。

 まだ、殺し足りない。まだ、恨みは、怒りは、晴れてなど、いない。

 まだ、まだ、まだ――

 

「おい」

 

 不意に、右手を掴まれる。見れば、そこには。同情の意を瞳に湛えた魔女が、一人。

 

「やり過ぎだ。もう、いい」

「……そうね。ごめん」

 

 彼女もまた、私と同じく故郷を奪われた身。その彼女が止めに入ったのであれば、私の行動が過ぎたものであったのは、確かなのだろう。

 銃口を肉塊から離すと共に神機を剣形態にへと戻し、醜く、獣にも似た形のそれを発現させる。神機を用いた、この生物の捕食。その身を貪り、中枢たるコアを抉り出す、神機に備わる機能の一。それを発現させる私に再度、彼女は、言葉を投げる。

 

「おっと、ちょいと待ってくれ」

 

 捕食の用意を済ませた私を尻目に、魔女はその銃口を死体へと向け。

 

 静かに唯、一発の弾丸を、崩れた頭部へと撃ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――カラン、と。

 グラスに入った氷が立てた小気味良い音を、目を瞑ったまま聞き流す。

 アナグラの二階、ソファの端に陣取った私は、特に何を為すでもなく其処に座り。誰かに話し掛けられても面倒だから、寝たふりを決め込む。

 

「隣、いいか」

 

 決め込んでいると言うのに、声の主は私に話し掛けて。寝ていない事が分かっていたのか、目を開いた先にあったのは、悪戯っぽく笑みを浮かべた男の姿。

 

「……好きにしなさいよ」

「了解、と」

 

 私の真横に腰を降ろし、煙草を取り出す彼。吐き出した紫煙は天井へと逃げて、何処かに消え。霧散する様を何とは無しに見つめ、私はまた、静かに目を閉じて息を吐く。

 

「……吸うか?」

「冗談。そんなもの吸うなんて、気が知れないわ」

「ははっ。まあ、惰性で吸ってるようなもんだけどな」

 

 薄っすらと目を開けて、そう、からからと笑う彼を一瞥する。

 雨宮リンドウ、と言ったか。

 アナグラ内でも徐々に友好の輪を広げつつある魔理沙と違って孤立気味の私に、自ら歩み寄る物好きな男。彼にはサクヤ……橘とかいう恋人がいるので、そう言った目で見ていると言う事はないのだろうが。

 

「……どうだ。此処には慣れたか?」

「……支給品が不味いわ」

「はっはは。同感だ」

 

 からからと笑う彼。何と無く、魔理沙に似ている。

 

「……よく、笑えるわね」

「ん?」

「人類、絶滅しかけてるんでしょ?」

「ああ……まあ、な」

 

 サカキと名乗る化学者から聞いた、この世界の現状。なんでも、突如現れたアラガミによって世界の大半を食い荒らされ、人間という種の存在さえ脅かされているという。

 そんな世界において何故、彼は、彼等は笑えるのだろうか。空元気で自分を保つ魔理沙ともまた違う、心からの笑み。

 毎日神を殺し、仲間の死ぬ様を見せつけられてもなお、笑顔と共に生き……何が、彼等に活力を与えているのか。

 

「……そうだなあ。俺たちゃ確かに、アラガミに住む場所も、大事な人も殺されちまったけどな。でもよ」

 

 リンドウは立ち上がり、また、煙を吐き出し。

 

「それでも、生きなきゃならないんだよな。全力で、精一杯」

 

 そのために笑うんだ、と。そう、独りごちる。その姿はまるで、自分に言い聞かせるようで。しかし、僅かに曇った表情もまた、すぐにいつもの笑みに転じた。

 

「んじゃ、俺はまたちょっくらデートに行ってくる。またな」

 

 そう、言い残して彼は、背中を向ける。遠ざかる背中は、私の視界から消え切る前に、自動式のゲートに隠されて。

 

 結局の所、私も彼も、同じということか。

 一人、胸の内でそう呟いて私は、近付きつつある黒白を眺めながらまた、溜息を吐いた。

 

 

 

 

 幻想郷からこの世界に送り込まれて、数週間。右手に嵌めた腕輪が、此処が幻想郷ではないことを痛感させる。

 私達の故郷は……幻想郷は、既に、殆どの地域が壊滅し。境界から溢れ出したアラガミ達に、私達の攻撃は通用せず。力有る妖怪達でさえ、アラガミに喰われ、取り込まれていってしまった。

 生き残った者たちは、人里を中心とした結界を張って身を寄せ合い。今は、いつ終わるのかも分からない攻撃に怯えながら、結界の維持に全力を注いでいる筈だ。

 あの日の、平和な楽園は既に滅び。今は、いつか来るであろう終末を待つだけの墓場と化し。この異変を解決する為に境界を越えたと言うのに、今は、その糸口さえ見つからない。

 何処か。この世界の何処かに、綻びが生じているはずなのだ。空間の裂け目、異なる世界を繋いだ境目を塞ぐことでしか、この異変を解決することは出来ないだろう。

 その上。私と魔理沙が潜り抜けたスキマは既に閉じた後で。この異変を解決しなければ、私達は幻想郷に帰還することさえも叶わない。

 

「……聞いてるかい、霊夢君」

「ん、ごめんなさい。もう一度いいかしら」

「……聞いてなかったのはいけないことだけど、その学習意欲は買おう。では、もう一度……」

 

 この部屋にいるのは、私と魔理沙と、藤木コウタと名乗る少年の三人。私と魔理沙は、来て間も無いこの世界についての情報の説明の為に。コウタは、昔に居眠りした分をついでに履修する為に、らしい。

 その授業でもまた居眠りをしてしまっているあたり、彼の勉強嫌いは相当なもののようである。

 

「アラガミと言うのは、無数の単細胞生物『オラクル細胞』によって構成された生物の総称である。彼らは個であって群、群であって個を成す……分かるかね」

 

 分からない。隣に座る魔理沙はなんとなく理解しているようにも思えるが、要らぬところで見栄を張っても仕方が無い。素直に、首を横に振る。

 

「ふむ……そうだね、沢山の小さな、小さな生物が組み体操をしているとでも思ってくれればいい。彼らは牙であれば牙のように、爪であれば爪のように組み合わさって、一つの生物の振りをしている……これで、どうだい?」

 

 それなら、まだ分かる。ようは、砂粒で城を作るのと同じようなことなのだろう。

 

「よろしい。アラガミのその強く、強固で、さらにしなやかな結合によって作られた体は通常の攻撃では殺す事など出来はしない……怯みはするがね。彼らを倒せるのは、同じアラガミだけ……そう、君達の使っている神機、それもまた、オラクル細胞によって作られたアラガミ、である訳だ」

「……同士討ち、ってこと」

「まあ、そうなるね。神機には霊夢君が使っている、剣形態と銃形態を切り替えられる新型と、魔理沙君の使っている、銃なら銃、剣なら剣のみの機能をもつ旧型の二種類がある。これは、実際に神機を使う君達はもう、分かっているね」

 

 私の使うのは、剣と銃を切り替えながら戦える新型神機……と、いうらしい。対する魔理沙は、銃の形をした旧型。魔理沙の攻撃方法は幻想郷にいた頃と変わらず、高火力の爆撃系。弾幕ごっこをしていた頃と変わらないその姿は、懐かしくもあり、寂しくとあり。

 私の内心を知ってか知らずか、そんな思いを断ち切るように博士は続ける。

 

「そして、アラガミの最も恐ろしい点は、その……捕食したものの性質を取り込んで、異常な早さで進化することだ。人間の使う武器さえも真似て、その力にする……そして彼らは何の因果か、我々人類の信仰してきた『神』の姿を取ってきた。そして人類は彼らを、この極東に伝わる八百万の神に例えて、『アラガミ』、と、呼び始めたのさ」

 

 彼は、一拍の間を置いて。まるで言い聞かせるように、私たちに告げる。

 

「で、だ。霊夢君。この世界には接触禁忌種、また指定接触禁忌アラガミと言った強力なアラガミが存在している。そういったアラガミと出会したら君達はまず……」

 

 サカキの眼鏡が、鈍く輝く。

 

「逃げるんだ。絶対に、相手をしてはならない。彼等は普通のアラガミとは格が違う。君達のような新人ゴッドイーターでは……元の世界での戦闘経験がどうであれ、まず勝てない。何があろうと……例え、相手が親の仇だろうと逃げるんだ。いいね」

「……でも」

「でもじゃない。君達は、元の世界に溢れ出したアラガミの侵攻を止めなければならないんだ。自分の感情に任せて死ぬわけにはいかない。分かるだろう?」

 

 気まずい雰囲気に助けを求め、魔理沙を見やる。授業の間ノートと睨み合いをしていた魔理沙も、苦笑いをしながら目配せをしてきた。

 仕方がない、ということだろう。

 

「……分かったわ」

 

 少しだけ厳しい口調で諭していたサカキがまた、その顔に微笑を取り戻す。ふと目をそらせば、隣ではコウタが伸びをしていた。どうやら、目を覚ましたらしい。

 

「接触禁忌アラガミはターミナルで確認してくれるといい。では、コレで授業は終わりにしよう。コウタ君は少し残りなさい」

 

 オーバーな反応で何事か不満を述べるコウタを置いて、研究室を出る。隣を歩く魔理沙は未だ、授業のメモを読み返すばかりで。

 

 接触禁忌アラガミ。それ等のアラガミは、ターミナルで一度見た。

 その中でも、実際に姿を確認したことのあるアラガミが、一。紫色の体躯に、禍々しい形状の荒ぶる神。そのアラガミだけは、必ず倒さねばならない。

 

 

 例え、この命に代えてでも。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 博士の指示に従って研究室に残った俺は一人、長椅子の上で言葉を待つ。

 

「……なんで残ってもらったかは、分かるかい」

「……居眠りですよね」

「まあ、それもある。が。今回はあの二人のことで、だよ」

 

 二人と言うと、魔理沙と霊夢のことか。

 ある日突然、贖罪の街に現れた二人の少女。神機も無しにアラガミの攻撃から身を守り、ダメージを与えられないにせよ奴らを怯ませるだけの攻撃を放った、二人。

 二人は、科学では解明出来ない力を使えるらしい。元の世界では、二人とも空を飛ぶことさえ出来たとか。

 

「俄かには信じ難いけど、確かにあの二人は、我々の理解の及ばない力を使う事ができる……そう、魔法のようにね」

「……まあ、実際に見てますしね。その、魔法を使うとこ」

 

 彼女達の報告を受けて、向かったのは俺とアイツとソーマ、そしてリンドウさんの四人だ。全員が二人の魔法を実際に確認したし、彼女達の魔法に……言うなればタネが無いことは、サカキ博士自身が証明したのだ。

 アレ等は全て、人間に可能な真似ではない、と。

 

「実際に彼女達の力を見たのは、まだ私を含めて五、六人程度だ。まだ、彼女達のことを信じている者は少ない……彼女達の言う、幻想郷の存在もね」

「……本当に、あるのかなぁ……そんな、絵本みたいな世界」

 

 俺の言葉を聞いて、博士は笑う。

 

「さあ、どうだろうね。ただ、彼女達はどうも、嘘を言っているようには見えなくてね」

 

 それに、と。

 

「私自身、彼女達の言う楽園の存在を信じてみたくてね。そして、その楽園が潰えようとしているならば……」

「……助けたい、ですか」

「ああ。其処にも、私達と同じようにアラガミに家族を奪われようとしている人々が大勢いるのだろうしね。今はまだ、結界……と言ったか。魔法の壁に守られている状態のようだがね。まあ、同胞、というものだよ」

「……家族」

 

 魔理沙や霊夢にも、家族と呼べる人はいたのかな、なんて。例え家族がいなかったとしても、友達ならばいた筈だ。

 

「……俺も、霊夢や魔理沙に力を貸したいな」

「今は、そう思ってくれるだけでいい。彼女達が助けを欲したときに、そばにいてあげてくれれば、それでいい……さ、今日の補修はこれで終わりにしよう」

 

 次は、眠らないようにね、と。投げかけられた言葉を受け止めて俺は。

 赤と黒、二人の少女の消えて行った扉の向こうへと、俺は、足を踏み出した。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

「おい、霊夢」

「……何」

 

 授業の内容をメモしたノートを閉じ、隣で黙々と歩き続ける霊夢に話しかける。

 

「どうしたんだ? さっきからいつも通りの仏頂面で」

「いつも通りなら、さっきからも何もないでしょうが」

 

 まあ、最もではあるのだが。

 

「そんなことは別に、どうでもいいぜ。お前、さっきからずっと黙りこくって……何か、さっきの話で思うことでもあったのか?」

「……あんたには関係ない。私の個人的な問題よ」

「まあ、そう言うなって。お前の機嫌が悪いと、隣にいる私が気を使わなきゃならないだろ?」

「……あんたが私に気を使ったことがあるのか」

 

 それもまた、最も、である。が、私の言葉は、霊夢がその内心を吐露する切り口にはなったようで。

 

「……さっき、接触禁忌アラガミっていうのの説明、あったじゃない」

「ああ。お前でも授業なんて聞くんだな」

「聞くわよ、偶には……それで、その接触禁忌アラガミの中に、スサノオって奴がいるのよ」

 

 スサノオ……神機使いの成れの果てとも言われる、蠍のような下半身に、武神の上半身、そして、蠍の針の位置に巨大な剣を備えた姿のアラガミだったか。情報端末から覗いた情報であって、自分の目で見たわけではないのだが。

 

「そいつね、紫を捕食したアラガミなのよ」

「……え……?」

 

 思考が、止まる。紫を、捕食した……

 

「だから、紫を喰ったアラガミなの。そいつ……スサノオ、が」

 

 呟く霊夢の声を聞き、やっとのことで思考を引き戻して。彼女の顔を伺えば、そこにあるのはある種の達観にも似た諦めの情と、何かに対する決意を抱いた二つの瞳のみで。

 頼もしい、と形容すべきなのだろう。しかし、今は具合が違う。

 

「霊夢」

 

 咄嗟に伸ばした手は、彼女の左手を掴み。振り向く彼女の顔には、珍しく少しの困惑が浮かんでいて。

 

「行くなよ……絶対に、一人では行くなよ」

 

 絞り出した声はきっと、震えていたに違いない。貼り付けた表情にはきっと、不安が滲んでいただろう。

 しかし、それでも。

 彼女を……霊夢のこの手を、離してはならないのだと、私の心は狂い叫んでいたのだ。

 

「……ふふ」

 

 零れた笑みは、柔らかく。拾い上げる私の情は、その微笑に絆されて。

 

「行かないわよ……それにどうせ、行こうとしたらついて来るんでしょ?」

 

 笑う表情は、悪戯っぽく。悪友の心は、確かに、私の手の届く場所にあって。

 少しだけ気恥ずかしくなって、手を放し。帽子を目深に被っては、無機質な廊下に視線を落とす。

 

「……はっ。ついて行くどころか、追い越してやるぜ」

「ふん。異変の解決はいつでも、私が一番乗りよ……でも」

 

 ありがとう、と。

 珍しく素直な彼女は、私が目を向けた時にはもう、一歩二歩と先を歩んでいて。

 

「ほら、さっさと行くわよ。咲夜の所にも顔を出さないと」

「……ったく。待つなよ、追い越すから」

 

 眩いばかりの紅白を追って、私は。

 黒白の衣を、慌ただしく揺らし、霊夢の隣へと走り出す。

 

 

 

 彼女のその、内に隠した思いなんて、知らないまま。

 



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二 雀の歌

 改稿致しました。


 ――――今日も、彼女とは会話らしい会話など、出来なかった。

 

 自分の仕えた主を失ってから彼女、十六夜咲夜は塞ぎ込んだまま。放っておけば自ら命を断ちかねない彼女を無理矢理この世界へと連れては来たものの、その心は未だ、晴れることもなく。

 

 ――ごめんね。今は、そっとしておいて。

 

 いつも通りの言葉。私たちを遠ざけ、壁の向こうに閉じこもる為の、その言葉。微かに浮かんだ作り笑いは、手を伸ばすことさえ躊躇われる程に儚げで。

 

「……気にするな。その内あいつも吹っ切れるだろうさ」

「……だと、良いけどね」

 

 幻想郷が壊滅状態に陥ってからは、誰かを失うのが妙に怖くなっていけない。昔は、他人に頓着することなど無かったように思えるのに。

 

「ま、あいつのことを心配出来るなら、お前もまた人間ってこった。てっきり妖怪の進化系か何かと思ってたぜ」

 

 笑いながら、彼女は言う。実際、彼女にとって私が人間かどうかなど、大した問題ではないのだろう。冗談であることは理解しつつも、彼女の、幻想郷にいた頃と変わらぬ在りかたを見て、少しだけ安堵する。

 

「失礼ね。私程人間らしい人間もいないわ」

「欲だけはな」

 

 こういう時ばかりは、臆せず軽口を叩ける魔理沙が頼もしい。彼女だって、その心に受けた傷は大きいはずなのに。

 

「さって。飯でも食いに行こうぜ。その後は……何か、適当な依頼でも受けてみるか。新しいバレットを試してみたいんでな」

「はいはい。何にせよ、先にご飯ね」

 

 破顔する、モノクローム。白と黒、自棄に陰気で縁起の悪い色彩の中で揺れる、金と、明るい笑顔。本当、魔女という言葉が似合わない……否。そういう点も含めて、彼女らしい、のかもしれない。力強く笑うその姿を視界に収めながら、私は、他の神機使いの集まっているであろう食堂へと足を踏み出す。

 

「あ、おーい、魔理沙ー、霊夢ー、こっちこっちー!」

 

 途端。入室した私たちに声を掛けるのは、先程まで共に講義を受けていたコウタで。軽い疲労を浮かばせながらも晴れ渡った笑顔を見るに、どうやら博士の居残りは終わったらしい。

 

「どうした? えらく盛り上がってるな、一人で……何かあったのか?」

「そう! よくぞ聞いてくれた魔理沙! 何を隠そう、新種のアラガミが出たんだよ!」

 

 やたらテンションの高いコウタに、周りからは煩いだの喧しいだのの声が飛ぶ。見れば、そこでは目の下に隈を作った二人組が食事をとっていて。少しばかり自重したコウタが、声のボリュームを落として続ける。

 

「えっと、今煩いだのなんだの言った二人……カレルとシュンと、あとここにはいないタツミの兄いが入手した情報なんだけど……なんと、歌うアラガミが見つかったんだよ。な、本当に歌うんだよな?」

「ったく、うるせえなぁ……でも、マジで歌うんだよ。しかも、なんだ……歌を聴くと、視界を奪われてな……暗闇の中で目が見えなくなって、結局朝まで警戒続ける羽目になったんだよ」

「商売上がったりだぜ。クソ……今月の討伐数、あんま稼げてないってのによ」

 

 むしゃむしゃと炒飯を掻き込みながら愚痴る二人に視線を向けたところでやっと、私たちも食事を取りに来たのだと、当初の目的を思い出す。歌うアラガミ、視界を奪うというその特性に、ある妖怪の姿を思い浮かべるも、似た力を持ったアラガミが現れたというだけ。アラガミが神を模した存在ならば、彼女と同じ力を持ったアラガミがいようとも、不思議ではない気はする。早々に考えることを放棄し、手近な椅子を引き寄せてコウタと、その横で食事をとっていたフードの少年の前に陣取った。

 

「……あ、もしかして初対面?」

 

 コウタが、言う。その顔に浮かぶのは、どこか楽しそうな、笑み。その笑みが何を表すのかは、私には分からないものの。

 

「……魔理沙とは一度会ったことがある」

「あー……ソーマ、だったか?」

 

 ソーマ……褐色の肌に白髪の彼は、低い声で言う。

 

「んじゃ、霊夢には紹介しておくよ。こいつはソーマ・シックザール。ちょっと無愛想だけど、良いやつだからよろしく!」

「何が無愛想、だ。馬鹿野郎……」

「はは……で、こっちは博麗霊夢。まあ、知らない方がおかしいけど」

 

 知らないほうがおかしい。まあ、その通りである。

 私と魔理沙と咲夜は、突如他の世界からやって来たと言うことでちょっとした有名人となってしまっていて。この世界において、神隠しや魔法、幻想の力は信じるに値しないものとされてしまっているらしい。殆どの人は半信半疑で、コウタやサカキや、リンドウといった数人だけが、信じた素振りを見せている。

 見せているだけ、である可能性は、否めないが。

 

「……霊夢? 聞いてる?」

「ん……ごめんなさい、ちょっと、ぼうっとしてた」

「んじゃもっかい言うけど……その、歌うアラガミの討伐、一緒に受けてみない?」

 

 歌うアラガミ。先の二人の話を聴くに、厄介な相手であることは分かり切ったこと。

 そんな新種のアラガミに、私達のような初心者を連れて行って、よいのか、否か。

 

「いいんじゃないか? ソーマもついてくるんだろ?」

「……ああ。お前らが行くならな」

「私達も早く、この世界に慣れねばならんしな。行こうぜ、霊夢」

 

 言葉を並べる魔理沙の顔は、本当に楽しそうで。それは、空元気のそれとは異なった、心からの愉悦。弾幕ごっこに勤しんでいた頃の、彼女の笑み。

 数日掛かりで完成させたスペルを放つ時に見せる、その顔。一つの魔法を練り上げた達成感と、努力の果てに見出した喜楽がもたらす充実感。そして、遊びへの期待……それ等が入り混じった、笑み。ならば、彼女は一体、何を以て心を満たしているのか。

 そんな、分かり切った答えを探す振りをしながら。私は、口を開く。

 

「……分かった。私も、行くわ」

 

 魔理沙の……そして、私の胸にあるこの思いは。

 

 アラガミへの仇討ちが出来る。そのことに対する、暗い喜びに他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 アナグラ……俺たちゴッドイーターの拠点。先程コウタや、新入り二人組と共にミッションを受注した俺は、真白く染まった神機を片手に目的の地……贖罪の街と呼ばれるこの廃街へと足を踏み入れていた。

 

 広く開けた、捨てられた街の中央で、青い、青い空を見上げる。今はまだ明るいが、じきに空には紅が差し、その青い輝きを廃ビルの向こうへ沈み込ませていくことだろう。

 シュンやカレルの報告の通りなら、歌うアラガミ……本部から『ローレライ』と名付けられたアラガミの歌は、俺達の夜目を効かなくさせるものの筈。サカキは鳥目だの何だと言っていたが、暗所で極端に視力の落ちる状態に陥らせるものらしい。日の出ている今狩らねば、討伐できるかどうかも怪しい。完全に闇と化した視界の中での戦闘など、願い下げだ。

 

「どうだ? いるか?」

「いや……いないな」

「逃げられたんじゃないだろうな。霊夢達からも特に、信号は送られてこないし」

 

 先の尖った黒い帽子に、白黒のエプロンドレス……普通の魔法使いを名乗る、一人の少女。魔法使いなんて普通でない存在に、普通も何もあったものではないが。男勝りな口調と、明るい人柄で霊夢や咲夜……十六夜よりも早くこの、極東支部に馴染んでいった新人のゴッドイーター。

 

 それはさておき、魔法使い。童話の中にしか存在しない、魔法を操り空を飛ぶ、空想上の人々。彼女は、その魔法使いであると名乗った。

 これがその辺の、所謂普通の女の言うことであれば、俺も取り合ったりなどはしない。妄想癖か、気をやったか。しかし。

 彼女は、その身一つでアラガミの攻撃を防ぎ、あろうことか襲いくるバケモノ達をその『魔法』で撃ち抜き、退け、戦い抜いて見せたのだ。

 アラガミは、通常の攻撃では死なない。彼女等の撃ち出す魔法の類は、アラガミを殺すことは叶わず。故に、彼女らは力を欲した。バケモノ共……彼女らの故郷を喰い散らかした、アラガミを殺すだけの力を。

 

「……なあ」

「ん? どうした」

 

 視点は、移さず。いつ現れるかも知れぬアラガミを警戒したまま、彼女は言葉を返す。

 

「お前等は、魔法使いなんだよな」

「私は魔法使いだが、霊夢は巫女だぜ。なんだ、疑ってるのか」

 

 冗談めいた笑いを含んだ、声。しかし。

 その裏にあるのは、冷たい、何か。それは、俺も良く知っている疑心に対する悲哀の温度。

 

「……実際に、お前が魔法を使っている所は、俺も見た。疑いはしない」

 

 彼女の魔法……それは、俺達のバレットにもまた、似た。色取り取りの弾丸、光線。色を失ったように灰色の世界で……そういえば、彼女等を発見したのも、この贖罪の街だったか。立ち並ぶ廃虚の中で咲く華は、バケモノの力を借りてバケモノを狩る俺達には遠く、届かない輝きを持っていて。

 今は、彼女達も俺達と同じ、ゴッドイーター。それでも二人の持つ光は、衰えもせずにこの世界に存在し続けていた。

 

「……おい、何か聞こえないか?」

「ん……? ああ、聞こえる」

 

 二人の魔法に思いを馳せる俺の耳に、魔理沙の声が転がり込む。そして、微かに聞こえる何か、一繋ぎの音の流れも。

 その時だった。

 

「これは……歌?」

 

 魔理沙の声が、鼓膜を揺らし。途端、遠く離れた廃墟の向こう、敵の発見を告げる信号、一発の閃光弾が撃ち上げられたのは。

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 空を舞うこのアラガミは、人の上半身に蝶のような下半身……そして、頭部に巨大な魔眼を持ったアラガミ、サリエル種の変種か。通常種は青い光沢を放つ蝶のそれだけども、今、目の前を舞うアラガミは言わば、鳥。図鑑の中で見たスズメによく似た翼を広げた、人と鳥の混ざり合った怪物。

 ローレライ。神話なんて詳しくは知らないけれど、今俺達が対峙しているアラガミの姿は、そして、その歌は、人を惑わせ狂わせる、美しくも妖しく不気味な、不可思議なもので。きっと、本部が付けた名前の元となった存在も、そんな妖艶な姿だったに違いない、と。

 考えながらも、足は止めない。アラガミの放ったレーザーが足元を焦がし、飛び越えるようにしてアラガミにへと接近する。

 

「まずは、一発!」

 

 力いっぱいに声を上げながら、アラガミの背後に回り込み、その身体に弾丸を叩き込む。アラガミの背に衝突した弾は小さな爆発を生み、微かに怯んだアラガミが中空で揺れ。

 

「霊夢!」

「分かってる!」

 

 神機を担いだまま、大地を蹴り出し宙を舞う霊夢。本人曰く、神機が重過ぎて飛べはしないけど、跳ねるくらいは出来るとのことらしい。その跳躍は、俺たちゴッドイーターのそれよりも、ずっと高く、ずっと、綺麗で。

 空高く跳びあがった彼女は勢いもそのままに、ローレライの頭部にその剣尖を叩き込み。頭部に傷を付けると同時に標的の体を蹴り飛ばし、距離を取った所で、神機を銃形態に。

 一発、二発、三発と。空中で撃ち出した弾丸は、アラガミを撃ち抜き。爆炎と煙を上げて、敵を呑み込む。

 

 途切れた歌と、小さな悲鳴。しかし、この程度で沈むほどに、俺達の敵は弱くはない。

 

「霊夢、シールド!」

「ッ……!」

 

 煙幕の向こうから放たれた追尾レーザーは、霊夢の広げたシールドに阻まれて消え行き。晴れた煙の向こうから現れたローレライがまた、その寂しげな歌を口遊(くちずさ)みだす。

 

「面倒ね……ありがとう、コウタ!」

「いいよ! 援護するから、全力でいって!」

「了解!」

 

 霊夢を目指して蛇行しながら空を飛ぶローレライに向けて追尾レーザーを撃ち出し、その後を追って地を駆ける。ステップを踏んでアラガミの突進を躱した霊夢が剣を構え、その姿を確認して重い弾丸を敵へと放つ。

 振り向き様にぶつかった弾は、先のそれよりもずっと大きな爆発を以て、アラガミを焦がし。直撃したローレライが地面へと墜落し、地に伏した標的へ向けて、霊夢が、神機を掲げ。

 

「死……ねぇええ!」

 

 ぞくり、と。

 届いた声は、唸るように。鼓膜を揺らす呪詛は、味方である俺にさえも恐怖を抱かせる鬼気迫る叫び。目一杯高く振り上げられた刃は、光の線を引き。その、アラガミの体を目掛けて振り下ろされ……

 

 一発の弾丸が、刃を撃ち抜く。弾かれた剣先は、宙を泳いであらぬ方向へと舞い。何が起こったのかも分からないままの霊夢に向けて、聞き慣れた声が放たれた。

 

「霊夢!」

「……魔理沙」

 

 静かに含ませた怒りは、その声に乗って再び、俺の体を震わせる。魔理沙の撃ち出した弾が、霊夢の攻撃の邪魔をした……誤射、ではないのだろう。

 

「何考えてんのよ!」

「お前こそどこ見てるんだ! お前の前にいるそいつ、よく見てみろよ!」

 

 離れた位置から怒鳴る魔理沙の声に従って視線を、アラガミに。目に映る光景に、おかしな点など何も――

 

「……え?」

 

 霊夢が、声を上げる。

 その視線がぶつかるのは、アラガミの顔……そこには。

 サリエル種の持つ瞳を閉じた女の顔は、先の爆発に砕け。覗く、見知らぬ少女の、眠る顔貌。

 

「ミス……ティア?」

 

 向かい合うのは、驚愕に染まった霊夢の顔。今まで見たことのない、動揺しきった彼女の顔。

 

 

 アラガミが、起き上がる。頭部に開いた巨大な瞳は、霊夢の顔を覗き込むように、ぎょろりと動いて。

 

「ッ、霊夢!」

 

 全力で、霊夢の元へと飛び出す。彼女の体を突き飛ばし。たった今まで霊夢のいた位置、ローレライの魔眼から放たれた数本のレーザーが俺の頬を掠めて突き刺さる。

 

「いつつ……霊夢、大丈夫!?」

「……ええ、ごめん……」

 

 そう呟くも、霊夢の心は此処にあらずといったところで。いつもの、冷静な霊夢の姿はそこには無く、唯々心なしか震えている、少女の姿があるばかり。

 

「もう……何なんだよ!」

 

 惚ける霊夢を庇うように、彼女に背を向け、ローレライに向き直り。

 

「全員目を瞑って! 一旦撤退!」

 

 左手に握ったスタングレネード。地面に叩きつけたそれの放つ光に乗じて、霊夢の右手を掴み。俺たちは、ローレライに背を向けて走り出した。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

『……アラガミの中に妖怪が、か』

「どうすればいいですかね……てか、どういうことなんですかね」

『ふむ……幻想郷で妖怪を捕食したアラガミが、此方に紛れ込んだんだろう。でも、妖怪は精神的な存在故に消化出来ず、そのままの形で残されていた、という所だろうね。実に興味深い』

 

 コウタと、通信機の先のサカキとの会話を、ぼんやりとした思いで聞く。その話の内容は、よくは分からず。半ば聞き流すように、鼓膜を揺らし続け。

 薄暗い、廃墟の中。仄かに差し込む日の光は、徐々に紅く色付いてゆき。

 

 ローレライ……ミスティアの前からは撤退した私たちは、ぼろぼろになった教会跡の中に隠れたまま。困惑するのは、私もコウタも同じ。魔理沙とソーマに警戒を任せ、私は、コウタとサカキの会話に割り込む。

 

「助ける方法はないの?」

『前例が無いからね。ただ、妖怪というものがアラガミに捕食されない存在であるならば……それはつまり、神機にも捕食されることはないということになる』

「えっと……それは……」

『アラガミの身体だけを捕食することで妖怪の身体のみを摘出する。君たちの持つ神機で、彼女をアラガミから引き剥がすことが出来るかもしれない、ということだよ』

「本当っ!?」

 

 思わず通信機に飛びつき、大声を上げる。コウタが驚くも、それに頓着している場合ではない。

 

『可能性はある、という程度の成功率だろうけどね。ただ、そのためにはまず、アラガミを倒さなくてはならない。それも、彼女……ミスティア君を傷付けることのないように、ね。成功するかどうかは分からないけど、それでもやるかい?』

「上等!」

『そうかい。なら、頑張るといい……その子の部屋と、手当の準備はしておくよ』

 

 通信は、終わり。それと同時に勢い良く立ち上がり、手にした神機を構え直す。

 沈み切った心に溢れる、暖かな光。同じ、幻想郷を故郷とする者の発見と、救うことが出来るかもしれないという、希望。

 彼女を殺しかけた、という事実は。今だけは、胸の隅に押しやって。

 

「絶対に、助け出してみせる」

「……一緒に、ね」

 

 見れば、そこには通信機をしまい、私と同じく神機を構え直す少年の姿。

 

「俺たちも力を貸すよ。仲間だしね……会ってからの時間は、まだあんまり経ってないけど……いいよね」

 

 照れくさそうに。はにかんだ笑顔は、差し込む夕日の中で、赤く。裏の無い笑顔だと信じてみたくなるような、そんな、まっすぐな笑顔。どこかの鬼ではないけれど、彼の笑顔は嘘であってほしくない。

 だから。

 

「……ありがとう。コウタ」

「へへっ……んじゃ、改めて」

 

 信じてみる。この世界で出会った、彼のことを。

 言葉と共に差し出された手は、私の手よりも大きくて。少しだけ躊躇うも、その逡巡もすぐさま拭い捨てて、その手を力強く掴む。

 

「よろしく」

「こちらこそ……よろしく」

 

 に、と。歯を見せて笑う彼に釣られて、微かに頬の緊張が緩み。魔理沙にも似た頼もしさを感じ、入口で待機している魔理沙達を見やる。

 

「魔理沙!」

「なんだ? 桃色タイムは終わったのか?」

「ぶっ飛ばすわよ。それよりも、ミスティアの事だけど……」

「聞いてたぜ。私の神機は捕食が出来ないから……お前か、ソーマが引きずり出してくれ。私は余裕溢れる見物タイムだぜ」

 

 言葉は、軽く。しかし、手には神機を握り締め。その顔には満面の笑みを湛えているあたり、彼女の心境も私のそれと変わらぬものであるらしい。

 

「……来たぞ!」

 

 ソーマの声。見れば、そこには確かに此方へと向かうミスティアの姿。どうやら、此処にいる事を勘付かれたらしい。

 

「……行くわよ。必ず、ミスティアを取り返す」

 

 了解、と。重なる三つの声に、私の背を、行先を預けて。

 

 アラガミと化した、ミスティアの前にへと飛び出す。

 

「ミスティア! ちょっと我慢しなさい!」

 

 アラガミの前に躍り出ると同時に、ミスティアの体には当たらぬようにその、宙に浮かぶ足先を斬りつける。硬い身体は高い金属音を上げて私の攻撃を受け流すも、態勢を整えると同時に神機を銃形態に変形させる。

 打ち出した弾丸は、その脚部を砕き。痛みに呻いた標的は、くるりと回って上空へと逃げる。魔理沙とコウタの二人の打ち出す無数の小型バレットを食らい傷付きながらも、彼女はその口を開いて。

 口遊む歌は、狂おしく。それは、先程までの寂しげな歌ではなく、もっと、もっと激しい呪詛の歌。

 この歌は、聞いた憶えがある。

 

「魔理沙、この歌!」

「分かってるぜ! 全員警戒しろよ!」

 

 途端、空から降り出す、小型のアラガミの群。翼を持った女の身体と卵殻の混ざり合ったかのような姿をした、異形の魔物達。ザイゴート、と言ったか。

 ミスティアの妖怪を呼ぶ力は今、どうやらアラガミを呼び出す力と化してしまっているらしい。

 

「霊夢、魔理沙! ザイゴートは俺たちに任せて、ローレライを!」

「行け! 道は開く!」

 

 一閃。白い神機は、その一撃で浮かぶ卵殻を二つに断ち。血飛沫を上げて落ちる身体を踏み越えて、私と魔理沙はミスティアを追う。

 

「任せたぜ! 霊夢、避けろよ!」

 

 背後から響く魔理沙の声を受け、左手にステップ。一瞬前まで私のいた場所を飛ぶ数発の弾丸は、迷いなくミスティアの身体に吸い込まれていく。

 が。

 

 歌う彼女は、その身体を包むように光の柱を放ち。光は、魔理沙の打ち出した弾丸を飲み込み、ミスティアの身体にぶつかる前に、空中にて爆破し、その威力を半減させ。

 しかし、その様を見たからと言って、止まるわけにはいかない。

 

「ミスティアァア!」

 

 シールドを目一杯開き、全力で大地を蹴る。 加速を得た体は、光柱に突っ込み。構えた盾で光の束を掻き乱しながら、私は、ミスティアの体に肉薄する。

 盾では守り切れなかった肌が、微かに焼ける感覚。走る痛みは、歯を食いしばって堪え、接近する目標に目掛けて、私は飛ぶ。

 

「いい加減に……起きろッ!」

 

 そして、飛び出した勢いを乗せて。開いた盾で思いっきり殴りつけ。彼女の放つ光の柱を断ち。体重を乗せて、全力で地へと、叩き落とし。

 

「魔理沙!」

 

 ミスティアが、地面に激突して砂煙を上げ。その光景を真下に見下ろしながら、神機を捕食形態に切り替える。

 

「もう仕掛けてあるぜ」

 

 途端、ミスティアの……アラガミの体が小刻み震えだしその場に縫い付けられたかのように、動きを止める。

 ホールドトラップ。触れた対象を麻痺させ、動きを止める罠、だったか。

 

「私の神機は捕食出来ないんでな。任せるぜ、霊夢」

「了、解ッ!」

 

 発現させるのは、黒い狼。醜く禍々しい捕食形態も、今は、故郷の仲間を救う神器と成り得。今ばかりは、その存在に、力に、全てを賭けてみたい。

 

「いッ……けッええええ!」

 

 喰らいつく顎。飛び散った黒い血は、アラガミのもの。アラガミの肉を噛みちぎり、溶かし、飲み込み。ミスティアの体をその口に含んだまま、私は、神機を力一杯に引きずり出す。

 

 望むのは、成功。仲間を救い出し、その存在を取り戻した未来。引き抜いた神機と、力を失い崩れ落ちるアラガミ、そして、神機の中に感じる重さを感じながら、また、願い。その重みの正体を、真っ黒な血に濡れた、大地へと吐き出し。

 

「ミスティア!」

 

 アラガミの血で黒く濡れ、汚れた体液に塗れた少女を抱き上げ、その名を呼ぶ。

 

「ミスティア! ミスティア! 起きなさい、起きなさいよ!」

 

 呼ぶ声は、大きく。彼女の身体を強く揺さぶりながら、ミスティアの覚醒を望み叫び続ける。

 そして。

 

「れ……いむ……?」

「ミスティア!」

 

 反応。ゆっくりと開かれた瞳に映る私の姿は、微かに滲み。

 

「助けてくれたんだ……さすが、巫女だね……」

「よかった……人を食うあんたらが、食べられてんじゃ、ないわよ、もう……」

 

 緩んだ涙腺からは、ぽたりぽたりと雫が、彼女の肌へと落ちていく。

 どうも、幻想郷から出て来てからは、涙脆くていけない。でも、こんな涙ならば、私は――

 

「霊夢らしくないよ……でも」

 

 分かってる。分かっているけれど。

 涙は、止まらない。

 

「ありがとう、霊夢」

 

 横たわるミスティアの体を強く、強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は、沈み。

 例え夜の帳が降りようと、アナグラの中の明るさは、昼間のそれと変わりなどせず。無機質な鉄壁に囲まれた箱の中、定位置となった長椅子に腰掛けながら、コップの中の液体を飲み干す。

 流し込む液体は、酒ではない。未成年だのなんだのといって酒は売ってもくれず、今飲むのはサイダー……香霖堂で貰ったコーラのように炭酸の弾ける、飲料。酒のように喉は焼くも、酒のそれとは随分異なる味わいの飲み物。はじめはこの刺激が好きではなかったのだが、飲み始めてみれば案外、美味しいものであることに気付いて。

 

「よう。お手柄だったらしいな」

「……自分とこの迷子探しに、手柄も何もないわ」

「ははっ、違いない」

 

 彼の笑みは、今日も今日とて心の底から湧き出すような、裏のないもので。本当に、ミスティアのことを喜んでくれていることが、付き合いの浅い私にも分かる。

 

「いやぁ、たまげた。羽、本物なんだな……それに、歌も上手い。驚いた」

「ミスティアは、夜雀だから……魚焼かせても美味いものよ」

「ほう。随分とまあ宴会向けの……何はともあれ、おめでとさん」

 

 そう言って、缶ビールを開けるリンドウ。羨ましげな私の視線に気付いてか、否か。やらんぞと一蹴するあたり、上に立つものの頑固さが伺える。

 

 ペットボトルからコップに向けて、サイダーを落とす私に、彼は言う。

 

「……俺もな、一度アラガミ化したんだよ」

「知ってる。コウタから聞いたわ」

「そうか……俺の右腕、これはアラガミの体……オラクル細胞の塊だ」

 

 電灯の明かりに掲げるは、黒く、歪な形の腕。

 

「こいつを見るとな。あの時、あいつが助けに来なかったら、こうしてお前らと会うこともなかったんだと考えちまってな」

「……あいつ?」

「ああ、会ったことないのか。最近、一人で潜ってばっかいるからなぁ。その中会うだろ、第一部隊の隊長さ」

 

 いつの間に取り出したのか、タバコを加えてリンドウは続ける。

 

「だからかもしれんな。あの……ミスティア、つったっけな。あの子が帰ってきて、俺まで安堵しちまってな」

「……ありがとう、と言っておくわ」

「おう……そうだ、カレルとシュンと、タツミもお前に礼を言ってたぞ。ミスティアが来たおかげで、鳥目だっけか。治ったってよ……んじゃ」

「態々それを言いに来たの?」

「ま、そんなもんだ」

 

 その黒い右腕でビール掴み、腰を上げるリンドウ。遠ざかり行くその背中を見送る私に、彼が、また言葉を投げかける。

 

「他にも助けれる奴がいた時は、遠慮なく呼べよー」

「……憶えておくわ」

 

 彼は、振り向かず。しかし、軽く左手を上げる彼の顔は、確かに、笑っていた気がして。

 

 一人きりになったロビー。柔らかな長椅子に、この体の重みを預けて、溜息を一つ。

 

 もしかすると、彼の言うように他にも、幻想郷の仲間を取り戻すことが出来るかもしれない。そんな、淡い、しかし、光輝く希望を胸に、私は。

 

 コップに残ったサイダーを、一思いに。この、小さな口に流し込んだ。

 

 

 

 



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三 終の巨人

 改稿。


 静かな、静かな夜だった。

 全てのゴッドイーター達が自身の請け負った仕事を完了し、そろそろ眠りに着こうかという、夜更け。灯りが消え、人工物が生んだ暗闇の中、只々、空調機器がその駆動音を響かせるのみの、夜。

 

 けたたましい緊急警報が、アナグラ内に鳴り響く。

 

 

 

 外壁の破壊と、アラガミの侵入を告げるアナウンス。普段のそれとは比べ物にならない緊張の中、全ての戦闘員は自身の獲物を携え、領域を侵した荒れ狂う神の元へと向かい、走り出す。

 報告に上がったアラガミの名は、スルト。数日前から目撃され始めていた、クアドリガ……キャタピラの前足、金属の後ろ足。全身を覆う金属板に、果てはミサイルポッドまで装備した、人間の兵器を模したアラガミ……の、変種。

 通常のクアドリガと大きく異なるのは、通常種よりも遥かに大きな体躯、前面に突き出した二本の腕と、その手の握った燃え盛る剣、そして、その頭部。本来ならば人間の骸骨に似せた機関が突き出しているその部分は、まるで、鉄の棺のように閉じ切り。弱点である部位を隠し、燃え盛る剣を振りかざすその姿から本部は、かつて世界を焼き払ったという巨人の名から、スルトと命名したようで。態々世界を滅ぼした存在の名を敵に付けるあたり、本部は余程のマゾなのか、それとも撃破するだけの戦力があると確信しているのか。

 まあ、何にせよ。平穏な生活を脅かす敵は、狩らねばなるまい。あいつが留守にしている今、俺達が此処を守らねばならないのだから。

 

「霊夢、魔理沙。お前らは第一部隊と一緒に俺と来い。他はタツミの指示に従え。奴さんと、ちょいと遊んでくらぁ」

 

 別に、本当に遊んでくるつもりではない。無論、俺達が相手をしている間に居住区の住民の避難を行わせるための時間稼ぎ、である。俺の冗談を理解してくれる程度の余裕は、他の奴らも持っているだろう……と。

 何とはなしに、小生意気で真面目なアイツがどうしているか、と。ふと、その整った顔立ちが思い浮かぶ。アイツも今は、ロシア支部へと戻り。いつかまた、彼女がこの地を訪れるまで位の間は、この極東支部を守らねばなるまい、なんて。

 

「了解。一人も死なすなよ、お前らぁ!」

「了解!」

 

 力強い返答に、俺の意識は現実へと引き戻され。今は昔を懐かしんでいる場合じゃない。さっさとこのアラガミを打ち負かすなり追い返すなりして、居住区の……そういえば、コウタの家もこの辺りと聞いた。一つ二つと守り抜かねばならない理由が増えながらも、そんな理由などなくても守らねばならないものはならないのだと、当たり前のことを失念している自分に。随分と感傷的になってしまった己に対して、自嘲の笑みがこぼれる。

 そんな俺を他所に。上がる声は、士気に満ちて。真夜中の出動、背水の陣だと言うのに、頼もしい限りで。

 

「……炎の巨人、か」

 

 燃え滾る剣は、天を焦がし。真夜中でもその首を失くした巨人の姿は、紅い炎に浮かび上がって。闇の中でさえ自身の存在を誇示する様は、神々しさなど欠片もなく。醜く、禍々しい、不気味さばかりを振りまいている。

 この戦闘が終われば間違いなく、接触禁忌種指定されるであろう強力なアラガミ。何を食ったらあんな風になるのかなどは知らんが、もし他にもこんな個体がいるのであれば、面倒であること極まりない。

 

「全員、よく聞け。やばくなったら逃げろ。そんで隠れろ。運がよければ、不意をついてぶっ殺せ……分かってるな。絶対に、死ぬなよ」

「……あんたもな」

 

 そう、小さく。しかし、強く呟くソーマ。思えばこいつも、あいつが来てから随分と変わったものだと、胸の中で独りごちる。

 

「分かってる。こっちは家庭持ちなんだ。死んでたまるか」

「……ならいい」

 

 そう言って、笑みを浮かべ。裏に隠した優しさを零すも束の間、直様炎の巨人を見据え、その大剣を構え直す。一丁前に格好付けたその仕草は、しかし、中々様になっていて。緊迫した状況だというのに、こいつや、少しばかり離れたところで新人二人の前に立つコウタを見ていると、なんとなく、安心する。

 守り抜ける。何とかなる。こいつ等とならば、何を相手にしようが。

 

「第一部隊と新人二人……いくぞ!」

 

 その号令は、咆哮にも似て。率いる戦士達は、巨大な敵を前にしたところで恐れは疎か、怯みさえせずにその獲物を振りかざし、強大な力に、災厄に抗い。

 ならば。俺も、こいつらと共に抗おう。人類を呑み込む神々、荒れ狂う力の奔流に。

 

 走り出す隊員達。奴らの走り行く様を視界に捕らえながらも、俺の右腕は、鈍い光を放ち。集まりだすオラクル細胞は、拳の中で繋がり合い、混ざり合い、その、形を成してゆき。混ざり合った細胞群は、俺の意思に呼応し、同じオラクル細胞の集合たる、アラガミを食らう刃と化す。

 形だけは、神機に似せ。しかし、神機と比べればもっと、生物的な質感を持つ刃。右腕が呼んだオラクルは、俺に従い、運命に抵抗する力となって。

 

 鳴り響く爆発音。切断音。破砕音。俺も、その合唱へと早く、身を投じねばならない。

 

 大地を踏み抜き、標的へと飛び出し。生成したばかりの獲物を振り抜き。巨人の下を潜り抜け、右後ろ足に巨大な傷跡を残して。勢いもそのままに、その巨体にへと深々と剣を突き立て。金属質の体に刃を捻じ込んでは抜き、また、更に高い位置にへと突き刺してはよじ登り。弱点であるはずの頭部を目指して、巨人の体を蝕んでいく。

 が。

 

「うお、おおう!」

 

 そう簡単にアラガミも、自身の体をよじ登らせはしないようで。巨大な体は、俺を弾き飛ばさんと右へ、左へと揺れ。凄まじい勢いで振り回される俺は、随分と間抜けな様を晒しながらも差し込んだ獲物を握りしめ、振り落とされんと必死に食らいつく。

 

「世話の焼ける……ッ!」

 

 あの呟きは、ソーマの声か。制御されたアラガミ化によって強化された聴力が、呆れを多分に含んだ呟きを拾い。振り回されている俺には、その表情を確認することさえ出来ないが。

 

「霊夢、魔理沙!」

「分かってる!」

 

 刹那。響き渡る轟音。遅れて聞こえた巨人の呻き声と共に、世界が揺れ。その機に乗じて体をスルトに引き付け確認してみれば、砕けた右後ろ足と、四人の仲間たちが其処にいて。

 全員の、俺が傷を負わせた位置への一点集中攻撃。砕けた装甲と、スルトの動きが止まっている点から察するに、どうやら部位破壊は成功したらしい。

 

「恩に切る、お前ら!」

「サポートは当たり前だ……早く行け」

 

 ぶっきらぼうに答えるソーマの言葉を背中に受け、斜めに傾いた金属の体を駆け上がる。引き抜いた剣をデタラメに振り、其処ら彼処に切断跡を描きながら、俺は、固く閉じた頭部装甲へと、走る、走る。

 鉄板の表皮、オイルの血。切り裂いては体を濡らし、機械油に足を滑らせ。剣を突き立て堪えれば、また、その巨体は動きだし。傾き、今にも倒れそうだった体はいつの間にやら並行を取り戻し、今にも俺を振り落とさんと震え出す。

 だが、しかし。折角皆が作ってくれたチャンス、そう簡単に手放しはしない。

 

「届き……やがれぇえええ!」

 

 全力で巨人の体を蹴り、中空へと飛び出し。迫る巨人の頭部へ向けて、俺は、右腕に作り出した捕食器……神機と同じく、狼の顎にも似たそれを向け、その、閉ざされた鉄の扉を抱いた、横っ面にへと食らいつき、その全面へと周りこむ。

 

 ガツリ、と。

 

 鈍い衝撃音と共に、全力で、敵を捕食して。

 捕食器を通じて伝わるのは、牙を捻じり込み、血を啜り。オラクル結合の肉を食いちぎる喜びだけ。俺も、随分と人間から遠ざかってしまったものだと再び自嘲しながらも、その力を緩めることは、ない。

 

 力任せに。強引に。鉄の棺を噛み砕き、引きちぎり、そして、飲み込み。オラクルの活性化を肌で感じながらも、剥き出しの弱点に、更なる一撃を加えんと刃を振りかざし……

 

「……ん、あ?」

 

 思わず、間抜けな声が上がる。鋼鉄の扉を食い破った先、弱点……この馬鹿でかい図体を操作する指令器官なり、肉の塊なりが覗くであろうことを予想していた場所には……

 

 静かに眠る、一人の少女が埋め込まれていて。

 

「……っ……う……」

 

 剣を、振り上げたまま。予想外の事態に思考の止まった俺と、棺を抉じ開けられた衝撃からか、覚醒し、うっすらと瞳を開き始めた少女。

 覗くその色は、紅。そして、アラガミの肉に呑まれながらもぼんやりと輝く七色の翼……人間の持ち得ぬ、魔物の体。奇妙な姿の少女を前に、俺の頭はやっと、現状を把握し。

 

「お前……妖怪、か……?」

 

 絞り出すように発した声は、少女に向け。対する少女は、眩しそうに。俺の瞳を、真っ直ぐに見つめ返して。

 

「……貴方、は……」

「リンドウ。幻想郷から来た妖怪、だな?」

 

 答えは、無く。先までの揺れが、駆動音が嘘のように止まり、馬鹿みたいに静まり返った、世界の中。

 唯一変わることなく燃える、劔の炎に照らされた、薄い黄色の髪。紅眼。そして、年端も行かぬ少女の顔形は、その、小さな口を開き。

 

「……逃げて。少しだけなら、時間を上げれるから……」

「馬鹿を言うな。霊夢や魔理沙や、咲夜も待ってる。待ってろ、今引っ張り出して……」

「構うな、失せろッ!」

 

 叫ぶ声は、せり上がったアラガミの肉に飲まれて。少女の体は、異形の肉塊の奥深くへと沈み、それと同時に再び、スルトの体が脈動し出すのを感じ取る。

 巨人の再起。やはり、表層だけにダメージを与えた所で沈みはしないらしい。激しく揺れ動く巨体と、耳を劈く、鉄の擦れる音、機械音。俺の体はついに、抵抗も空しくアラガミの体から振り落とされて。数階建てのビル並みの巨体から落ちる俺は、唯々、彼女を助け出せなかった後悔ばかりが湧き立ち。

 この程度の高さならば、ゴッドイーターとなった……中でも、半分アラガミと化した俺の体ならば、大したダメージを受けもしない。そんなことより、だ。

 

「くそっ……まだ、名前も……」

 

 名前さえ知らない。呼ぶことさえできない、あの、少女。見た目だけで言うならば、十にも満たない幼い少女。そんな少女一人さえも助けることが出来ないことが、腹立たしい。他の誰でもない。この、自分自身が。

 

「リンドウさん!」

「おい、大丈夫か?」

 

 無様に地面へと激突した俺に駆け寄る四人と、後ろ足を引きずりながらも方向を変え、外壁に空いた大穴へと歩みを始めるスルト。此度の戦闘はどうやら、これで終わってしまったらしい。

 酷く、胸糞悪い終わり方で。

 

「くそ……助けるどころか、助けられるなんて……」

「……どうしたの?」

「霊夢、魔理沙。黄色の髪で、紅い眼をした……そんで、虹色の羽をした妖怪に知り合いはいるか?」

「それって……まさか」

 

 目を見開く二人。言葉を失う二人へ向けて、俺は、告げる。

 

「ああ。あいつはアラガミに食われた妖怪の、二人目ってことだ」

 

 遠ざかる巨人は、手に持った巨大な松明に照らされ。闇に溶けゆく紅い光を、俺たちは。

 為せることなど、一つとしてなく。唯々、離れゆく巨影を見据え続けた。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

「全てのアラガミには、ありとあらゆるものを捕食出来る能力がありながらも特定の対象しか捕食しないという特性があり、それを偏食と我々は呼んでいる。その特性……偏食を誘導する物質が、アラガミ装甲などにも組み込まれている偏食因子であり……」

 

 屏風や、日本刀。日本製の壺などが並び、申し訳程度に和を感じさせる研究室。私たちは今日も変わらず、博士の講義を聞く最中で。

 博士の言葉は、頭の中に留まる事なく流れ落ち。隣で熱心にノートを取る魔理沙や、今一理解し切れていないミスティアをぼんやりと眺めながらも、昨夜のリンドウの言葉が頭の中で反響する。

 

 ――黄色の髪で、紅い眼をした……虹色の羽……

 

 知らない筈が、ない。それは、暗い地下室でいつまでも私たちを待ち構える悪魔……フランドールの容姿に他ならなくて。

 地下室に閉じ籠ったお姫様までもが巻き込まれたこの異変。今更ながら、幻想郷は人里を残して完全に崩壊してしまったのだということを実感して、少しだけ、体が震える。

 

 フランドール。紅い館の主……咲夜の主、レミリアの妹。咲夜からは、レミリアは咲夜の身代わりになったと聞いたけれども、フランドールの行方だけは、幻想郷を出るまで分からず終いだった。彼女が生きていたことを伝えるだけでも、咲夜の心の枷は緩み、少しはその呪縛を解くことが出来るのであろうが……

 

「駄目、ね」

「駄目、とは、何のことだい?」

 

 びくり、と。大きく跳ねた身体は、弾かれると同時に声の方向を見上げ。そこには、少しだけ怒った風のサカキ博士の姿。その怒りの相もすぐに消え去り、仕方がないとばかりに溜息をついていつもの顔に戻りはしたが。

 

「……フランドール君、だったかな」

「……分かってるんじゃない」

「まあ、色々な人が悩む様を見てきたからね。君の心情も、大方理解出来る……咲夜君には伝えちゃ駄目だよ」

 

 やはり、と、言うべきか。自分の導き出した答えを後押しするように、彼は続ける。

 

「幻想郷に居た頃の、咲夜君の主人の妹さんだと、そう言ったね。ならば、咲夜君が知れば動かない筈がない……それこそ、時間を止めてでも、だ。今の彼女は神機を持っていないというのに、ね」

「……分かってる。咲夜には伝えないわよ」

「賢明だね。君のその賢明さを信じて、私も一つ賭けをしてみようと思う」

 

 サカキの眼鏡が鈍く、電灯の光を反射して。切れ長の細い目は、微かな決意の色を示す。彼の賭けとやらが何かは知れないが、その裏には何か、綱を渡るような危うさを隠していることだけが窺い知れ。

 

「これを見てみるといい。もしかしたら、君たちならば分かるかもしれない……フェニックスと名付けられた、極最近発見されたアラガミだよ」

 

 懐から取り出した、一枚の写真。其処に写るのは、一体の……

 

「……火の鳥?」

「どっかで見た憶えが……無いこともない気がするぜ」

 

 全身を炎に包まれ、一対の巨大な翼で空を舞う、一羽の鳥。神々しささえ感じるほどに紅く輝くその姿は、成る程、神のそれで。

 

「……あいつか?」

「分かるの、魔理沙」

「そりゃあなぁ……そうか、あいつも食われてたのか」

 

 一人で納得し、そうかそうかと唸る魔理沙。対する私は、この場に取り残されたまま。

 とりあえず、不機嫌そうにじとりと魔理沙を睨みつけ、怯んだ彼女の口を無理やり開かせる。

 

「分かった分かった。ほら、あいつだよ。焼き鳥屋の……健康マニアだ」

「……ああ、妹紅ね。初めからそう言いなさいよ」

 

 妹紅。藤原妹紅。

 確か、蓬莱の薬か何かを飲んで不死人となった物好きだったか。長過ぎる生を得、その代わりに人間としての生を失った……なんて。

 妖怪だらけの幻想郷において、人間らしさなどに何の価値も見出すことなど出来はしない。あるのは、身を寄せ合って守り合う、弱い体と強い、結束力のみで。その結束力を、弱いままで生き続けることを美学と言えるほど、私は人間というものが名誉にまみれた存在であるとは思っていない。

 人間は、人間程度に。妖怪も、また。

 

「実は数日前に発見されたアラガミでね。君たちに伝えるべきかどうか迷っていたんだよ」

「何でだ? 咲夜にフランのことを伝えないのはまだ分かるが、私らはそこまでせっかちじゃないぜ?」

「飛び出さないか、という心配じゃないんだ。実は、だね……」

 

 言い淀む、サカキ。抱くのは、恐れか、躊躇いか。先ほど感じた危うさが、彼のその口を縫い合わせてしまっているのか。

 しかし。

 

「……聞かせて。一体、何があるの?」

 

 決断を迫る。私達の心は、思いは、彼の躊躇いに構う暇などはない。

 

「……ハンニバルというアラガミがいる。ハンニバルは脅威的な再生能力を持ち、その再生能力は戦闘不能に陥ってもものの数十秒で……」

「話を逸らさな……」

「まあ、最後まで聞きなさい。ハンニバルは戦闘不能に陥っても、ものの数十秒で回復してしまう。そう、それこそコアを破壊、捕食されようが、ね……」

「……それって……」

 

 流石に、勘付く。彼の、言わんとすることに。

 

「そう。実は一度、第一部隊の隊長が、そのフェニックスと交戦してるんだよ。苦戦しながらも倒すことに成功しているんだが……ハンニバル種と同じように復活してね」

「……つまり、倒せないってこと?」

「それだけじゃない……非常に、言い難いけど……」

 

 またもや、言い淀むサカキ。だが、その躊躇いは今度は、そう長くも続かず。

 

「アラガミは、コアと呼ばれる機関を中心としたオラクル細胞の集まりだ。つまり、コアを破壊、捕食してしまえばアラガミの体は分解し、形を保てなくなる……そして、妖怪を取り込んだアラガミはどういう訳か、捕食した妖怪をコアとして取り込む訳だね。ちょうど、ミスティア君のように。しかし、妹紅君の場合……」

 

 一拍の、間を置いて。彼は、続ける。

 

「妹紅君の場合、その体がコアの位置になかった。あったのは唯の、アラガミとしてのコアだけ……これは推測だが、妹紅君は人間だったんじゃないかい?」

「……まあ、人間では、あった、けど」

「単刀直入に言おう。妹紅君は、アラガミになった訳ではない。捕食され、その体に取り込まれた……妖怪としてではなく、唯の人間として、ね」

 

 一応、これまでもサカキの講義を受けてきたのだ。アラガミが捕食したものは、私たち人間や、獣たちがものを食べたときと同じく。形を保つことなどなく、体に取り込まれるのみであることくらい、理解している。でも

 認めたくない。認めたくなんて、ない。

 

「……冗談か、何かよね……?」

「こんなにつまらない冗談を言うほど、私も陰険ではないよ……最早助けることは出来ないだろう。妖怪なら兎も角、人間がアラガミに捕食されたならば、それは、死を……」

 

 煩い。

 

 その言葉は果たして、私が実際に発したものだったか。それとも、胸の中での叫びだったか。兎角、私の体は宙に浮き、研究室の、開き切る前の自動ドアにぶつかって。

 

「霊夢っ!?」

 

 驚いたような、ミスティアの声が聞こえる。魔理沙やサカキは、特に何も言っていなかったと、そう思う。やっと開いた扉をくぐり抜け、壁に、何度もぶつかった所で、金属の床に足を付け。体が重い。上手く飛べず、地に足を着けたのは、半ば、無意識の内の行為で。

 

 やたらと肌寒い、無機質の廊下。微かに滲んだ世界の中を、私は一人、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして私は、アナグラの外。外部居住区を見下ろす、電波塔の上に腰掛けて。高い高い外壁に囲まれているとは言え、遠く離れた塀の上には、紅くなりゆく空が覗く。沈む夕日を眺めることは、僅かに叶わず。しかし、吹き付ける風は、見える光景は、決して悪いものではない。

 遥か下方に広がる家屋の群の中では無数の人々が、その細やかな動きを以って生活を営み。走り回る子供らしき姿がその駆け足を止めた所で、私は居住区から目を背けた。

 

 藤原妹紅。不死である彼女に、死など有り得るのか。事実、こうして彼女は死……否。アラガミの体の中で行き続けているとでも言うべきか。何れにせよ、彼女が化け物の体に囚われたまま、救い出す術が無いことに変わりはない。

 ミスティアの時は、分解されることの無かった彼女の身体を、アラガミから引き剥がせばそれで良かった。しかし、妹紅は……完全に、アラガミと同化してしまっているらしい。彼女の意思が、自我がそこに、まだ残っているのかすらも怪しいといったところだろうか。

 

「……くそっ……」

 

 呟く言葉は、汚れた暴言。しかし、誰にも聞かれてなどは、いるまい。今更そんなこと。気にする、必要さえも――

 

「聞こえてるぞ」

 

 またもや、体が跳ねる。振り向けば、そこには。

 

「……なんで、そこに居るの……リンドウ」

「……むしろ、何でお前がここにいるのかが聞きたいが……落ち込んだ時とか、偶に来るんでな。ガキの頃から……梯子だって付いてるしな。ま、多分お前と同じ理由だろうさ」

 

  雨宮、リンドウ。この世界に来てからは、コウタと同じく、早くに馴染んでくれた人物。

 魔理沙にも似た、人前ではいつも笑っている……そんな、誰に頼まれた訳でもなしに心配りの出来る男。そんな彼が、何故こんな所にいるのか。

 

「……すまん」

「……何が」

 

 予想していなかった言葉。疑問ばかりが頭に浮かび、思わず、言葉遣いが雑になる。

 

「あの……何つった、黄色い髪の……」

「フランドール?」

「ああ、それだ……助けること、出来なかった。本当にすまん」

 

 そう言えば、スルトに取り込まれているのがフランドールだと分かったのは、リンドウの証言からだったか。彼にも気落ちすることがあるのだと知って……そして、気落ちする理由を知って、ますます彼に、魔理沙を重ねる。重ねたところで、本人はちゃんとそこにいて。結果、私の周りが魔理沙だらけになっていく様を思い浮かべて、少しだけ、胸の中で笑みが零れる。

 

「助けたい奴がいるときは、遠慮なく呼べ、なんてな。聞いて呆れる」

「……そんなこと、ないわ」

 

 鉄塔の上に、立ち上がり。高くなった視界に、壁の向こうに沈み行く夕日の光が突き刺さって、ほんの少し、目が眩む。

 

「あんたは、もっと自分がどう見られてるか知るべきね」

「……酒ばっかのんでる女好き、あたりだろう。悪い大人の見本だ」

「それは、そうね。でも……皆、あんたのことを頼ってる……魔理沙や、私だって、そう」

 

 夕日に向かって、足を、一歩。眼下に広がる居住区を見据えながらも、体は、この世界を覆う重力から、解き放たれて。

 私はあくまで、幻想の世界に生きる巫女。それは、魔理沙や、咲夜だって同じ。この世界の誰かの協力なくして、失ったものを取り返すことなんて、出来はしない。だから。

 だから、彼の存在は、素直に嬉しく。私たちを拒絶せず。私たちの力を信じ。力を貸し、共に苦しんでさえくれる、彼の存在が。

 

「お、おい」

「頼りにしてるわ。ゴッドイーター」

 

 ふわりと。体は重さを失い、重力の枷から解き放たれ。宙に浮かんだ私を見て彼は、一瞬の驚愕を彼方に、安心した風な顔をする。

 紅く広がる、夕暮れの炎は、淡く、強くその色を空に溶かして。それはまるで、遥か向こうに聳える山並みが火を吹くように……

 ……そう言えば、妹紅のスペルにも、こんな様子のものがあったか。確か、蓬莱、凱風快晴……

 

「あ」

 

 そうだ。

 

「あ……ああ!」

「どうした、霊夢……?」

 

 何故、気付かなかったのか。それほどに私は狼狽えていたというのか。

 妹紅は、藤原妹紅は、蓬莱人なのだ。蓬莱人の特性は、求聞史記で読んだ憶えがある。まだ、憶えている。

 

 彼女をアラガミの身体から引き剥がせないのであれば。

 

 一度、決して再生出来ないほどに、殺してしまえば良い。

 

「リンドウ!」

「お、おう?」

「助けたいのがまず、一人いるわ! 力を貸して」

 

 鉄塔の上に立つリンドウにへと、迷うことなく、助けを仰ぐ。幻想郷の仲間をまた、二人も助けることが出来るかもしれないのだ。躊躇っている暇など、ない。

 返って来る答えは、分かっている。だから私は、宙に浮いたまま。沈む夕日に背を向けて、静かに、その口が開くのを待ち。

 

「……んなこと、聞かなくてもいいだろう」

 

 彼は、笑い。

 

「当たり前だ。貸せる力は、全て貸そう」

 

 夕日を背に、影を作って。交わされるのは、固い、固い握手。

 

 唯々、強く。私とリンドウは、その、日の光が外壁の向こうに沈み切るまで、固く、手と手を握り合った。

 

 



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四 声と雫

 改稿。


 

「よく集まってくれた。それではこれから、ミッションの説明を開始する」

 

 姉様……雨宮ツバキの声が、アナグラ内に響き渡る。その声には一片の曇りも、躊躇も含まれはせず。唯々、俺たちゴッドイーターの為すべきことをして来いという、彼女の意思が込められていて。

 嫌が応にも、身が引き締まる。これから俺たちが受けるミッションは、普段のちょっとした狩なんてものではないのだという事実が、この喉元に、鋭利な刃物のように突き付けられるようで。

 

「まず。今回の任務は夜間、日の出までに終わらせる必要がある。それについては、魔理沙、頼む」

 

 姉様に促されて、前に出る黒服。今回の任務は、言わばこいつらの為……そう、それは調度、俺がアラガミに取り込まれた時と、同じように。仲間を救うという、私情に塗れたミッションであった。

 無論、表向きには強大なアラガミが再び居住区を襲うことを防ぐために撃破する、というものである。しかし、そんな建前など、最早どうでもいい。

 

「じゃあ、説明させて貰うぜ……今回、皆に手を借りたいのは、ある妖怪の救出だ。妖怪については、ミスティアを見て貰ってる皆なら、信じてくれるとは思うが……吸血鬼、だ」

 

 吸血鬼ってなんだという小声は、コウタのものか。知らなくても、無理はない。吸血鬼なんてものの存在は、この時代……こと日本においては、今現在まで残っている伝承が少な過ぎる。古臭い映画か、絵本の中で語られる程度の存在でしかない、吸血鬼。俺自身、そんな空想上の生き物についてなんて、詳しいはずがなく。

 

「ドラキュラだよ、コウタくん。ほら、血を吸って、ニンニクや十字架に弱いアレだ」

「ま、十字架は効きもしないんだがな。確かめてみたし……」

 

 コホン、と、一つ。咳は、俺を含めて数人の精鋭達の集まるロビーに、溶けて。

 

「フランドール・スカーレット。見た目は幼いが、495年を生きた化け物じみた奴だ。これでも、幻想郷では若い方なんだが……少しばかり気が触れているけど、まあ、悪いやつじゃぁない。下手につつけば死ぬがな。吸血鬼は日光にあたると身体が気化する。こいつが日の下に出ているところを見たことが無いから、死ぬかどうかは分からないが……まあ、一応、夜のうちに連れ帰るのが望ましい」

「……その子が、今回の相手なのね?」

「ああ。それと、厄介な能力を持ってる……と言っても、今のあいつが使えるのかどうかも分からないが……こいつは、ありとあらゆるものを無条件で破壊する能力を持っている」

 

 刹那。アナグラが、静寂に包まれる。

 

「そ……それって、どういうこと……?」

「フランドールの能力よ。ありとあらゆるもの破壊する程度の能力、ってところかしら」

「待て……そいつは、つまり……」

 

  言い淀む俺と、顔色一つ変えない、霊夢。そんなに危険な相手だとは、今になるまで聞いていない。冷や汗を流しながら問う俺に対し、彼女は。鉄塔の上で約束を交わしたときとは別人のように、冷ややかな口調で、淡々と、告げる。

 

「もし、フランドールが能力を使えるのなら。対峙したその瞬間に、触れられることさえなく体が吹き飛ぶ、なんてことにもなりかねないということよ」

 

 臆することも、言葉に詰まることもなく。

 今でこそ鉄仮面の気があるこいつも、魔理沙曰く、幻想郷なる地にいた頃はもっと感情的だったとか。あの時俺に見せた笑顔を。常日頃から隠すこともなく振りまき。起こり、落ち込むような……裏も表もないような、そんな少女だったのだろう。

 乗り越えた苦痛は……そして、乗り越えられずにいる苦痛は、きっと、想像を絶するもので。

 

「これは、私と魔理沙……幻想郷側の問題であって、本当なら貴方達を巻き込む訳にはいかないこと。だから……」

 

 言葉を紡ぐ彼女は、心なしか、寂しげに。

 

「死にたくない人は……遠慮なんて要らないから、此処に残って。私たちは、こうして此処に置いて貰っているだけでも、本当に感謝しているから。私たちの為に、自ら危険に飛び込む必要は、ないわ」

 

 アナグラは未だ、静まり返ったまま。一度降りた静寂を、沈黙を、破る事は簡単な事では、ない。

 暗く、重い空気。誰一人として口を開く者のいない。それはまるで、深い深い、濃霧の中のような――

 

 

「お、俺は行くよ!」

 

 

 声。

 それは、この重苦しい霧を裂き。冷えゆく世界の温度を何処かから奪い返すかのように、この部屋に。アナグラの中に、転がって。

 

「コウタ……」

「の……能力ってのがなんなのかもよく分からないけど、でも、使えないかもしれないんだろ! 大丈夫だって! きっとなんとかなるって!」

 

 霊夢は、魔理沙を。対する魔女は、何処かいたずらっぽく、笑みを零して。浮かんだその笑みは、どこまでも、どこまでも嬉しそうな、少女の笑み。

 

「お前ならそう言ってくれると思ってたぜ……でも」

 

 ありがとう、と。

 告げるその顔は、何処までも晴れ渡っていて。

 

 何も、心配することなどなかった。こいつ等なら、どんな不条理にでも真っ直ぐに立ち向かっていける。俺がいない間に随分と成長した、元新入りの姿を誇らしく思いつつ、俺も、用意しておいた言葉を投げる。

 

「……俺も行く。て、言うか霊夢とはもう約束してあるしな」

「……家庭持ちなのに、いいのか?」

「まあ……死ぬつもりは、ないしな」

 

 ちらりと、サクヤを見やる。その顔は、やはりと言うべきか、うかないもので。申し訳ない気持ちにはなるものの、乗りかけた船。それに。

 俺自身、そうやって。こいつ等に助けられたのだから。返す相手は異なるものの、俺が動かぬわけにはいくまい。

 

「……許せ、サクヤ」

「……怒ってなんか、いないわ……私も、行ってもいいかしら」

 

 自身の同行を希望するサクヤ。半ばその声を遮るように、姉様の声が彼女にへと向く。

 

「アナグラを離れるミッションは、原則四名までだ。それに……分かっているのだろう? サクヤ」

「……ええ。でも、私だけが何も出来ないなんて……いえ、他にも二人に協力したい人はいるはずです。私たちにもなにか、出来ることはありませんか」

 

 その声に、顔形に、瞳に。

 湛えるのは、強い、決意。無理やりに押し隠した不安を内包し、しかし、揺らぐことなど無いと言わんばかりの、強い意志の色が滲んだ表情。それを見てか、姉様は。

 

「……無論、あるさ」

 

 少しだけ安心したように告げる。その言葉に続くように、彼女の口は再び開かれ。発するは、残った者たちへの号令。戦地へ向かう者たちへ捧ぐ、戦いへの序曲。

 

「残る者たちは、現在此方へ接近中のフェニックスとの応戦! 相手はハンニバルさえ超えた、紛う事なき不死のアラガミだ。そしてこいつも、霊夢達の仲間が取り込まれていると見て間違いない……絶対に、死なない相手だ、遠慮は要らない。行く手を阻み、確実にその侵攻を阻止せよ!」

 

 響き渡るゴッドイーター達の声。上がる声に、不満の色などは微塵も無く。そして、その中心に立つのは……強い思いを受け止めるのは、年端もいかぬ二人の少女で。

 

「……ありがとう」

 

 上がる歓声に紛れた呟きは、一体、誰に届いたか。その声を拾ったのは、俺だけではあるまい。

 微かに聞こえた言葉を、胸に押し込み、俺は。

 灯したタバコの火を揺らしながら、薄暗い廊下へ向けて、この足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランドール・スカーレット。俺が邂逅した、吸血鬼の少女。

 吸血鬼なんてものの存在自体が俄かには信じられないものの、現にあるのだと言うから世界とは、本当に分からないもので。夢幻の存在が現にあるなど。本当に、愉快なことこの上ない。

 

「……リンドウ」

「ん、ああ。すまんすまん。どうした?」

「一緒に居てどうしたもないでしょう……考え事?」

 

 次のミッションについてのミーティングの後、そのまま間借りしている彼女の部屋にへと訪れて、半時程。

 かかる声は、凛と。そのくせ、何処か優しいもので。あの日、突然部屋を貸してくれと押しかけた俺に怒るでもなく、呆れるでもなく……妻だから当たり前と言う彼女には、頭が上がらず。いつも変わらず、唯々隣にいてくれる、そんな存在……

 それは例え、戦場であろうと。

 

「……何でもない」

「何でもなくない。あの……フランドールちゃん、だったっけ」

「ああ……一度ヘマしちまってるからなぁ。次こそは、なんてな」

 

 サクヤ。橘、サクヤ。

 俺が普段から迷惑をかけ。俺のいない間も随分と迷惑をかけた……俺の、妻。

 今のところはまだ、子供を授かる予定こそないものの、俺が必ず帰らねばならない理由となり得る存在。俺が守り、そして、同時に守られてきた……

 

「……心此処に在らず、って感じね」

「ん……すまんすまん。今のはお前について考えてたんだから、許してくれ」

「もう……」

 

 この部屋にいて、もう大分時間が経った。そろそろ仮眠を取らなければ、深夜のミッションに間に合わなくなる。こうして過ごす、平穏な時間は惜しいものの、一瞬の平穏のために一つの幸せを逃すつもりは、毛頭無い。

 彼女の横、備え付きの長椅子から立ち上がり……

 

「能力のこと、聞いたわよね」

 

 右手に感じたのは、俺のそれよりもずっと柔らかな、人の手。

 

「……ああ」

「……それに今朝、スルトの接触禁忌指定が決定したわ」

「暗に、行くなと言ってるのか?」

 

 冗談混じりの、笑み。送る相手は、微かな不安を交えて。自分でも、ずるいものだと思う。死地へと向かう、永久に連れ添うことを誓った相手が、笑顔を浮かべてその地へ向かおうとするならば。止めることなど、出来はしない。

 

「……聞かないくせに」

「聞かねぇよ。お前らだって、同じことをしただろう」

「ええ。でも、せめて」

 

 言うだけ言わせて、と。

 俺の胸に飛び込む、小さな、体。洋服越しに伝わる温もりは、少しだけ、震えていて。

 

「……行かないで」

 

 その言葉は、俺の胸を締め付け。走る痛みは、比喩や、例えなんてものではない。俺の胸を抉り。絞め殺すように縛りあげるその言葉は、それこそ、まるで。御伽噺に出てくるような、魔力を持った、呪詛。それが、相手を思う気持ちからくるものであるというのが、更に、その魔法の威力を高めて。

 返す言葉は、俺も、サクヤも分かっている。分かり切っているだけに、言うのが、辛い。

 

「……すまん」

「いい……でも……」

 

 ちゃんと、帰ってきてね、と。覗かせた顔に、一筋の涙を流しながら。

 

「……当たり前だ。明日の朝には、ガキ一人連れて帰ってくる。だから」

 

 だから、泣かないで欲しい。彼女を抱きしめる力は、強く。瞳は、互いに計りあうこともなく閉じて。

 

 二つの唇を、一つに重ねた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 金属の壁。人工の風。先の歓声に溢れたロビーとは対象的に、灯りの消え、静まり返った空間。

 私と、霊夢の部屋。急にこの世界に現れた私たちの部屋は、二人合わせて一つしか調達出来ず。風呂に入っている霊夢を他所に、一人、真っ白な寝台に身を横たえる。

 

 ――――眠りの淵で、夢を想う。

 閉じた瞼の裏。そこに広がるのは、いつかの故郷、幻想郷。緑に溢れた田舎の風景や、笑いあった友の顔、そして。

 大切な。大切な、思い出の数々。幻想郷にいた頃は、気付きもしなかった。あの、代わり映えしない愉快な日々が。こんなにも、大切なものだったなんて。

 

「っ……」

 

 眠りの間際、急に湧き上がった感情の波に心を煽られ、唐突に、涙が溢れ出す。幻想郷にいた頃には、こんなことは無かった。心の病、という奴なのかもしれない。あの図書館に引き篭もる知識人や、森に住まう人形使い辺りに診てもらえばこの息苦しさは。胸のつまりは。苦い涙は、止まるのだろうか、なんて。

 流れ落ちた涙は、枕を濡らし。これじゃあまた、霊夢に勘付かれるな、なんて、どうでも良いことを考えて……否。

 どうでも良くなんて、ない。私にとって彼女は、幻想郷の壊滅した今……この世界においては……

 

「……くそっ……なんなんだよ……」

 

 らしくない、とは、思う。しかし、過去を振り返れば振り返る程に、涙が、嗚咽が止まらない。

 息が詰まる。胸が痛い。涙は止まることもなく、当てた指の隙間から、流れ、落ち、シーツを湿らせ。

 苦しい。

 苦しい。

 苦し……

 

「……また、泣いてたの」

 

 不意に、声が、聞こえた。

 

「……霊、夢……」

「はいはい。酷い声ね……全く」

 

 何処か呆れたような。しかし、その癖優しい声は、私の胸に染み入って。

 

「もう……ほら、よしよし」

 

 まるで子供を相手にしたような慰めは、妙に心地よく。抱き寄せ、背中を摩る彼女の腕の中で、また、涙が溢れ出す。

 彼女の腕が、体が、こんなにも暖かなのは、風呂から上がったばかりだからか。薫る香りは、少しだけ甘く。嗚咽混じりだった呼吸は、時間を掛けて。少しずつ、少しずつ落ち着いて。

 

「……すまん」

「いいのよ。私だって、泣きたくなるんだから」

「……それだけに、だぜ」

 

 彼女の胸に、額を埋める。瞼が重い。思考が鈍る。

 

「……フランを助け出したなら、また、少しだけだけど幻想郷を取り返せる。だから、泣いてる場合じゃないでしょ?」

「……分かってる、ぜ……」

 

 閉じる視界、呂律の回らない言葉。霊夢はそんな私に構わずに、とんとん、と、優しく、一定のリズムを以て背中を、叩いて。

 

「今は、ゆっくり寝ときなさい。また、夜にはいつも通りで」

「……ああ……霊、夢……」

 

 眠る前に。一つ、一つだけ、伝えたい。

 

「ありがとう、な……」

「……ん……」

 

 そうして、そのまま。私は。

 柔らかな彼女の腕の中。彷徨い続けた眠りの淵から、今。

 その暗闇に、思考を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

  暗い、くらい、世界の中で。一人、唯々涙を流す。泣き声などは、上げることも叶わず。異形の肉塊に包まれた私は、自身の領域たる闇の中に、囚われたまま。地下室のそれとは似て非なる、完全なる拘束に、精神の束縛に、侵されたまま。一人きりの暗闇の中、肉塊の中で、唯々、力を抜く。

 何度、涙を流したことか。狂い狂った精神でなお、涙を流すだけの心があったことに僅かな驚きを感じながら、怪物の視界で世界を見る。

 

 鏡を見たならばきっと、酷く醜い化け物と対峙することになるのだろう。最も、吸血鬼を喰らった者が鏡に映るのかなんて、知らないが。何も生まない思考に埋れて、曲がることのない運命に身を浸す。

 

 今思えば、紅魔館に居た頃は、何だかんだで自由があった。言葉だけの幽閉など、いつでも破ることだって出来た。それに。

 彼処には、共に歩いていける人が、確かに存在していたのだ。お姉様や、パチュリー、美鈴や小悪魔……人間である、咲夜でさえも。私に歩みより、手を伸ばそうとしてくれた。

 

 拒んだのは、誰だ。暗い闇に閉じこもり、光から、優しさから逃げ続けた気狂いは――

 

 今更。今更、彼女達が恋しくなる。壊れた筈の心に、一筋の光が差す。その光の先にあるのは、暗く冷たく、醜い、化け物の身体でしかないのだけれども。

 

 もし、この世界から解き放たれることがあるなら。もし、誰かが……私を倒せる程の誰かが、現れるなら。今度こそは、伸ばされたその手を……握り潰す事なく、掴んでみたい、なんて。

 

 そんな、ありえもしない希望は、須臾の内に。右手で握ることもなく、崩れ去って。

 

 

 くらい、くらい、闇で、一人。私は 唯々、泣き続けた。

 

 

 

 

 



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五 紅い夜

 

 

 

 月は、紅く。

 揺蕩う水面にその光を落とした月は、何処までも冷たく下界を見下ろし。この世界になど何の思いも抱きはしないとでも言うかのように、高い、高い天蓋に浮かぶ。

 灯りは、一つの影を生み。黒く歪な、巨大な姿形は、紅い光を受けて、鈍く、怪しく光沢を放つ。

 首を失くした巨人。その手に握るのは、世界を滅ぼす災いの枝。黒い肉と外の世界の魔法の組み重なった奇怪な容姿は、そこらの妖怪よりも余程、妖怪らしいもので。

 

 スルトと呼ばれた、アラガミ。幻想郷の欠片を抱いた魔物……いや、その欠片たるフランドール自身と言ったほうが、正しいのであろう。姉と似た白く透き通った肌も、薄い黄色の髪も、七色の羽もそこにはなく。あるのは唯、醜く哀しい一体の怪物。

 

「……アレだね」

 

 装甲車を走らせるコウタが、呟く。幻想郷では乗る機会も無かった、鉄の車。エンジン音を響かせて走るそれは、深山の里には似付かわしくない、外の魔法。乗るのは、私と霊夢と、コウタとリンドウ。慣れた様子で座席に坐る二人と、慣れているはずなど無いのに落ち着いた、霊夢。

 

 何とは無しに、変わり果てたフランから、視線を外す。窓から見えるのは、幻想郷ではまずお目にかかれない、海。

 愚者の空母、と言ったか。聳え立つスルトの体躯でその殆どの部分に影を落としてはいるものの、乗り上げ、折れ曲がった船は相当に大きなもので。船跡に続く橋と言い、その下に覗く海と言い、幻想郷には無かったものだらけの世界に、思わず視線を奪われる。

 

 こつん、と。自身の金髪を軽く小突く。これだから、魔法使いというものはいけない。どんな時でも、どんなものでも私の興味を惹きつける。

 

「……あれが、フランか」

「そうね。本当、しばらく見ない内に大きくなって」

 

 惚けた返事は、この状況においては逆に、頼もしく。しかし。

 その立ち位置は、私の場所だぜ。

 

「年相応の大きさなのかもしれん。私もあと五百年もすれば……」

「あんたがデカくなっても気持ち悪いわよ」

 

 軽く、笑い。近付くフランの影を見据えたまま、神機を握る。

 戦いが、始まる。否。

 

 もう、始まっている。

 

「避けろ! コウタ!」

「え、ええ?」

 

 スルトの両横に取り付けられた発射口が開き、闇の中から何かが打ち上がる。

 あれは――

 

「時期狙いなんて、遊びのつもりかしら。夢符『二重結界』」

 

 装甲車を狙って撃ち出されたのは、ミサイル。しかし、大して早くもない弾幕……いや、弾幕とも言えないような、単発の、弾丸。結界にぶつかり、車の数メートル先で爆発したそれを彼女は一瞥し、静かに立ちはだかる巨人へと視線を移す。

 

「フランドール。意識、あるんでしょう?」

 

 ギチギチと音を立て、巨人は、その体を屈め。まるで、此方を見下ろすように、首を向ける。

 止まった車と、近付く鉄棺。本当、悪趣味な姿になったものだと胸の内で毒吐きながら、その姿を、顔とも呼べないそれを、睨む。

 

『本当に霊夢なのね。こんな所まで、ごくろうさま』

「魔理沙もいるぜ。私も労え」

『はいはい。お疲れ様。じゃあ』

 

 帰って、と。告げる彼女の口調は、変わらず。しかし。

 

「……本気か?」

 

 聞くまでも無い。今の彼女の言葉は、お巫山戯のそれとは違う。それが分からぬ程に、私は鈍くはないつもりである。

 

『貴女たちは、死ぬには早過ぎるわ。まだ二桁でしょう?』

「大抵の人間は、二桁で死ぬがな」

『巫山戯てる場合じゃないわ。弱い弱い人間は、もっと自分の寿命を伸ばすことを考えた方がいい。ほら、さっさと帰りなさい』

 

 フランの声で、怪物は言う。しかし、だからと言って彼女に背を向けることなど、出来るわけも無く。

 私が口を開こうとした、その時だった。

 

「なんだよそれ!」

 

 怒声。今までに聞いたことないその声に、思考が、止まる。

 

「霊夢や魔理沙は……あんたや、幻想郷の仲間を助ける為にすごい苦労してるんだ! それなのに、助けられるあんたはなんで、そんな態度なんだよ!」

 

 叫ぶのは、コウタ。私は、そして、霊夢は。始めて見る彼の怒った姿に、かける言葉なんて持たずに。

 

「本当なら感謝するところだろ!? 俺たちは、てか、霊夢達は助けに来たんだよ! アラガミに食われたあんたをさ! それなのに、それなのに……」

『煩いな』

 

 刹那。コウタの右隣り、後方を確認する為の鏡が、爆発する。

 

「っ……!?」

『ほら。狙いが狂った。外してあげたわけじゃないよ。本当に、狙いが定まらないの』

 

 苛立たしげにそう告げる、フランドール。その、魔物の巨大な右手は、確かに、閉じられていて。

 

 狙いが狂った。ならば、もし、狂わなかったら? もし、狙い通りのものを、破壊していたなら?

 

 その時。コウタは、どうなった。

 

「フランドール!」

 

 二つの怒声が、重なる。

 

 神機を握り締め、車から転がり出るように飛び出した私と霊夢に、彼女は嗤う。

 

『あははっ……魔理沙に、博麗の巫女まで男の子の身の心配? 半分人間を辞めたような魔女と、何にも染まらない巫女が?』

「煩いッ! 今、あんたをそこから引き摺り降ろすッ!」

 

 霊夢は銃形態に変形させた神機を、彼女に向け。私と共に撃ち出した数発の弾丸は、フラン……アラガミの身体目掛けて、襲いかかる。

 

『そうそう。やるなら全力で……(こわ)してよ』

 

 振り抜くは、火炎の剣。塵芥のように吹き飛ぶのは、私たちの弾丸。

 

『壊してよ。私が貴方たちを壊す、その前に』

 

 消炎を振り切った銃と、変形させたばかりの剣は、その銃口を、切っ先を標的へと向け。

 

 私達の、フランドールとの戦いは、幕を開けたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 夜空に浮かぶ、紅い焔。

 太陽が如き輝きを以て、それは、舞う。

 此方の動きなど、構いなどしないとでも言うように……否、これだけ接近してもまだ、相手は気付いてすらいないのだろう。中空をくるくると回り、抜け落ちてもなお燃え続ける、灼熱の羽を撒き散らす。

 接触禁忌。その言葉は、このアラガミの為にあるのではないかというほどに……そのタグの意味を、取り違えていることは分かっていても、なお……触る事すら躊躇われるほど。その輝きは、明るく、そして、他の何よりも純粋な……

 

「綺麗……」

 

 呟いたのは、カノンか。見れば其処には、瞳を輝かせ、夜天に浮かぶ太陽を見上げる、少女の姿。彼女だけではない。一緒に来たサクヤ、ジーナまでもが、空を舞うそれに見惚れている。はためく翼、燃ゆる空。空気さえも焦がさんと散る、火の粉。

 フェニックス。つい最近発見されたばかりの、ハンニバルの変種。全身が炎に包まれ、その頭部は鳥のそれにへと変わり、背に生やした一対の翼で空を駆け……そして、ダメージを食らった端から再生し始める、反則級の敵。その様は正に、不死鳥と言ったところで。

 倒すのに必要なのは、圧倒的な火力と、手数。殺すには至らずとも、こんな敵を制した第一部隊隊長……あいつは、どれだけの力を秘めているのだろうか、など。

 考えた所で、仕方のないこと。今は、自分達の持つ力の、全てをぶつけるまで。

 

「カノン!」

「は、はいっ!」

「やっちまえ」

 

 いつも通りの、カノン。しかし、それももう、終わり。

 

「……了、解!」

 

 言うが早いか、彼女が抱いた砲身は、轟音を響かせ。静寂の世界は、まるで割れるように。空間は、神の舞い降りる聖域から、戦場のそれに変わり。

 

 ついに、フェニックスが俺たちに気付く。ふわりと浮上し、カノンの撃ち出した弾丸を、避け。

 

「避けんなッ!」

 

 二発目、三発目。苛立たしげに、しかし何処か楽しげに。普段は少女少女している彼女の変貌ぶりは、いつもならば不安要素に他ならない、が。

 今ばかりは、その力強い勢いに、同調して。

 

「全員、集中放火! フェニックスを叩き落とせ!」

 

 カノンの打ち出す巨大な弾丸と、二人の撃ち出すレーザー弾が空中に入り乱れる。対するアラガミは、錐揉みで降下し。回転を繰り返して獲物へと向かう炎鳥は、時に銃弾にぶつかり、レーザーに貫かれてもなお、高速を維持したまま。

 

「三人とも、退避ッ!」

 

 三人が下がったのを見届けるや否や、シールドを展開。突進するフェニックスの嘴目掛け、一直線に――

 

「うぉらああ!」

 

 思い切り、かち上げる。身体中に走る衝撃を、痛みを噛み殺し、足を地面に沈めながらもなお、倒れることは、俺自身が許さず。

 並の人間ならば、即死しても不思議ではない衝撃。しかし、偏食因子を身体に取り込み、制御されたアラガミ化の施された俺たちの体でならば、耐え切る事だって、可能で。

 斬撃と違って然程のダメージは期待出来ないものの、怯ませるならば、これで十分。

 

「もういっちょッ!」

 

 体勢を崩し、衝撃に怯むフェニックスに、手にした剣で斬りかかる。

 発熱ナイフ。俺の獲物は、斬りつけると共に高温を発する、炎の剣。燃え盛るアラガミを相手として、その相性は、良いとは言えない。しかし、それでも俺を選んで送り出した皆の期待は、裏切れない。

 俺は、防衛隊班長、タツミなのだ。死ぬまで防衛班と言ったのは、決して嘘偽りなどでは、ない。

 

「さあ、ここでお前さんの進軍は終わりだ。ちょっくら遊ぼうぜ、フェニックス」

 

 神機は、捕食形態に。発現させたる黒い獣に、思いを乗せて。

 不死と呼ばれたそのアラガミに、顎は、何処までも力強く、その牙を立てた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 闇の中に、紅。

 暗い暗い、廃教会の影。覗くのは、暗がりの溶けきれなかった真紅の体躯と、二つの瞳。

 

 ――形からすれば、ヴァジュラ神族の変種。今までに目撃例が上がっていないことから、新種と見て間違いないだろう。虎の形をしたヴァジュラでありながら、その顔貌は、何処か蝙蝠のそれに似て。背に生やした一対の翼も、また。

 紅いヴァジュラ。神を模したにしては、禍々しく。そして、凶悪で。

 

 轟、と。一発の弾丸が、歩を進めようとしたヴァジュラの足元の地面を穿つ。

 

 踏み出そうとした前足は、元の位置へ。ゆっくりとした、それでいて隙の無いその動作からは、高い知能と、余裕さが垣間見え。厄介な相手に出会したものだと、一つ、小さく溜息を吐く。

 

 

 静かに。唯々静かに。

 空の色は、廃墟の影と重なり。雲の切れ目から溢れ出した月明かりは、やけに紅く。

 

 対峙するのは、唯のアラガミではない。似た感覚は、そう。あの人がアラガミと化した姿と向かい合った、あの時のそれに似ていて。

 

『……人間、ね』

 

 ――口を、きけるのか。

 

『その辺の化け物たちと、一緒にしないで欲しいわね』

 

 人ならぬ魔物との会話。しかし、今更何が起ころうとも、驚くようなことなどない。返す言葉を用意するのは、訳無い。

 

 貴方も、妖怪か。

 

『ふふ。誰に会ったのかしら。不死人? それとも……可愛い妹かしら』

 

 おそらくは、不死と一度。そして、鳥の翼をもつ妖と。

 

『ああ……夜雀ね……まあ、貴方が誰に会ったかなんて、些細なことなのだけど』

 

 アラガミは……妖怪は、笑う。小さな命を前に、二つの眼は、全てを見透かすように。この身に秘めた運命を、弄ぶように。

 感じるのは、殺気。相手は……敵は、戦いを求めている。

 神機を、強く握りしめる。今まで幾多のアラガミを喰らった……共に喰らった、相棒を。

 

『へえ。恐れないのかい。この、私を前にして』

 

 何を、今更。覚悟など、遥か昔に出来ているというのに。

 

『死ぬ覚悟?』

 

 否。それは。

 

 

 それは、生き抜く覚悟。

 

「……貴方を探している人がいる。強引にでも、連れ戻させてもらう」

『残念だけど、まだ……やることがあるんでね。軽く遊んでやるよ』

 

 妖怪は……敵は、吠える。その咆哮は、狂気を孕んだ子供の笑い声にもまた、似て。

 

『抗え。足掻け。私は夜王――』

 

 ――レミリア・スカーレット。

 

 言葉は、闇に溶けて。握る神機が、やけに冷たく感じる、紅夜。

 二つの影は、その、形を重ねる。

 

 

 

 

 

 

 紅い、紅い夜に、三体の荒神は、数人の神喰らいは、大地を駆け。

 重なり合った運命は、静かに、その時を刻み始めた。

 

 



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六 生と拒絶

 くるり、くるりとステップ。ふわり、ふわりと、風に舞う。

 連なる爆撃。重機の駆動音。視界を埋める爆炎と、爆煙。砕かれた地面の破片さえも躱しながら、彼女達は、踊る。

 

 霊夢と、魔理沙。彼女達が神機を握ったのは、俺たちよりもずっと遅くて。しかし、彼女たちの動きには無駄が無く。盾を構えることもなく、迫り来るミサイルの雨を躱し、躱し、躱し。その動作は、まるで、遊びに興じるような……戦場には似付かわしくないほどに、端から見れば、楽しげで。

 

『ほら。動かないと、壊すよ』

「う、おおお!」

 

 霊夢達に目を奪われた俺の元へ、数発のミサイルが降り注ぐ。無論俺は、彼女達のように『美しく』避ける事など出来ず。砕けた地面に躓き、体勢を崩しながらも、その爆発をやり過ごす。

 

「こん、の!」

 

 そして。スルトの脚部……あの時破壊した右後ろ足に、数発の弾丸を撃ち込む。一発一発のダメージは低いものの、傷を負った部位ならば、期待出来るダメージは大きい筈。

 が。

 

『その程度じゃ、止まらないよ』

 

 スルトの巨腕が、体を薙ぐ。全身に受けた衝撃に、肺の中で空気が暴れ。揺れた脳と、止まる思考。冗談のように高速でスライドする視界に、場違いな驚きを感じながら、俺は、飛ぶ。

 

「コウタッ!」

『気にかけてたら、死ぬわ。魔理沙』

「ッ! フラン!」

『また、それ(・・)に意識を乱されてる……私としては、貴女と霊夢には、壊れて欲しくないのだけど』

「うる……さいッ!」

 

 ぶれる視界の中で、彼女達の怒号が聞こえる。

 

『博麗の巫女。私は知ってる。貴女は……幻想郷の為だけにあるのでしょう?』

「煩いッ! 私は、私! 私の思うように動くッ!」

『へえ。それで、何か得られるんだ?』

「ぐッ……」

 

 再びの衝撃と共に、視界が赤に埋まる。肌に感じるそれは……ぼやけた視界で覗くそれは、見知った少女、その人で。

 

「霊夢っ!」

『魔理沙も。人に気を取られる暇があったら、自分の身を守らなきゃ』

 

 炎を纏った剣が、世界を撫ぜる。それは、場違いな程に優しく。その癖、全てを打ち滅ぼさんという、悪意に満ちていて。

 

「……く……そ……」

 

 霊夢は、気絶しているのか。魔理沙は、無事なのか。陽炎の世界では、一体の悪魔と、一人の男性が、踊るのみ。

 

「何も……出来ないのかよ……」

 

 爆撃音。破砕音。駆動音に、小さく上がった、少女の悲鳴。男の怒声。

 戦いの音。今すぐにでも、その合唱に加わらねばならないというのに。

 

 重い体に、悪態を吐き。俺は。

 唯々、この右手を、握り締め。俺の意識は、闇に、落ちた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 爆炎。

 まるで、火山の噴火のように吹き上がった炎は、空を焦がし、この肌を焼き。たった今倒したばかりの体が灰となって、また、新たな命がその生を歌う。

 

 フェニックスの、再誕。それは、燃え上がる神の息吹、更なる絶望の始まり。この戦闘の中、数度に渡って繰り返された、神の再生。

 殺した、筈。しかし、敵は死なず。何があろうと。どれだけ、その身を削ろうと。

 

 巻き上がる砂埃。

 重い炎壁に弾かれた斬撃は、相応の威力を以ってこの手を震わせ。眩く空をかける光線を視界に映しながら、繋がる連撃をすんでのところで躱してゆく。燃え滾る業火は、肌を浅く焼き。まるで、煉獄の地下街……マグマに侵された地下鉄後、あの場所を思わせる熱気に悪態をつく。

 フェニックスの、乱舞。元のハンニバル種も灼熱の炎剣を以って手当たり次第に斬りつけるという行動を見せたが、フェニックスのそれはハンニバルのそれよりも酷い。燃え盛る羽を辺り一面にばら撒き、無差別な突進を繰り返し。他の接触禁忌種と比べてダメージは通りやすいものの、生半可な攻撃では怯みもせずに襲いかかって。死を恐れない敵と言うのは、守るものがあるものからすれば本当に、厄介で。

 

 空高く。急上昇した鳳凰を見据えたまま、後ろに下がる。

 

「任せる!」

「了解!」

 

 強力な冷気を纏った弾丸、神を殺す力を秘めた、光線。それ等全ては、上空の。鳳凰の元へと向かい、そして。

 連なる爆発、閃光。轟音は天を貫き、衝撃波は風を生み。霧散した冷気は、神殺しの粉塵は、宙に舞い。

 

 その煙幕を振り切って、彼の敵は、空を駆ける。

 

「ちぃッ……!」

 

 ジーナの撃ち出すレーザーに体を貫かれながらも、炎を纏いて突進を繰り返すフェニックス。半ば倒れ伏すようにその攻撃を躱すも、それも、いつまで持つことやら。

 

「動かないで、回復弾よ」

「ダメージ、通ってるの!?」

 

 至極、苛立ったように吐き捨てるカノン。サクヤの撃った回復弾に身を癒しながらも、その表情は、険しい。

 

「……どうだろうなぁ」

 

 対する、俺も。奴にダメージを与えられているのかなんて、知り得なくて。斬った所で、撃った所でその傷は、炎に隠れ。そして、直様塞がる……本当に、戦い難い相手。

 

「……そろそろ、疲れてきたわ」

 

 ジーナは、言う。それは、諦めの言葉ではなく、現状の報告。隊員に広がる疲労は、一目見れば、分かる。

 それはこの、俺においても、そう。

 

「……諦めないで」

 

 転がる、声。

 それは、彼女……一心に味方の回復に努める、サクヤのもの。

 

「相手の飛ぶ速度は、始めよりずっと遅くなってるわ。炎の量も減っていっている……私たちの目的は敵を倒す事ではなくて、このまま披露させる事でしょう? 防衛班長」

 

 見れば、そこには確かに、先よりも遅い速度で空を飛ぶ、フェニックスの姿。始めのような高速の切り返しもせず、ゆっくりとした速度で方向を変える、敵。

 倒せない敵。だから、なんだと言うのだ。すっかり、自分の目的を……自身がどうあるべきかを、忘却していた。

 俺の仕事は、守ること。いや、俺たちの仕事は、と、言うべきか。

 勝つ事などに重きは置かない。敵を倒す事を目的ともしない。俺たちは。

 人に、神を近付けない。それだけが、目的なのだ。

 

「……やるか。何、疲れたら休めばいいんだ。その間くらい、時間稼ぎはしてやれる」

 

「冗談。私は、トリガーを引くこの瞬間が好きなの。一発でも多く撃つわ」

 

 ジーナは、言う。他の二人も、静かに頷く。

 その顔には、少しばかりの、しかし、確かに感じ取れる、笑みを浮かべて。

 

「んじゃ、いっちょやったろうぜ。アホアホコンビがもうすぐ着く。それまでの辛抱だ」

 

 アナグラがあるであろう、遠い空を見上げ、また、迫り来るフェニックスへと視線を移す。皆を守るため、立ち塞がる者として。俺達はまた、自身の獲物を握り締めた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 ――実はまだ、『鍵』は完成していないんだ。だが、(アラガミ)は着々と此方へ近付いて来ている……

 

 一つ、約束をしよう。君たちが戦い、時間を稼いでくれている間に、何とか使用できる状態まで漕ぎ着けよう。

 

 だから……頼んだよ、ゴッドイーター。

 

 

 

 サカキ博士の言葉を、脳裏で渦巻かせながら。

 

 フェニックスの吐いた炎が、辺りを焦がす。私は、その炎には巻かれぬまま。タタン、タタンと一定の、リズムを刻んでステップをし。その業火に焼かれぬように、大地を駆ける。

 

 冷気を纏ったオラクルは、銃口から放たれると同時に、敵の体を貫き。衛生兵とは言えども、積み上げた実戦経験は嘘ではない。自身の判断した最善の手を尽くしながら、迫る嘴を、躱す。

 

 一発、一発。貫かれたフェニックスは、小さな悲鳴を上げ。傷付いた不死鳥は、次第にその高度を落とし。

 

「タツミ!」

「おいさっ!」

 

 彼は、走る。その手に、不死鳥と同じ灼熱の剣を抱いて。しかし。

 

 その光景に何か。違和感を、感じ。

 

「いい加減に……大人しくっ」

「止まって、タツミ!」

 

 フェニックスの翼が、天を指す。しかし、私の声は、彼には、届かず。

 

「止まれっつってるでしょうがッ!」

 

 刹那。怒号と、一発の射撃音と共に、彼の体が弾き飛ばされ。

 

 世界が、灼熱の弾丸に侵される。

 

「うおおおっ! 危ねえっ!」

「一つ貸し!」

 

 台場、カノン。誤射姫と謳われる彼女の弾が、タツミを弾幕の雨から救い。襲いくる光弾を避けながら次なる弾をリロードする彼女に、私と、ジーナも続く。

 

「タツミ、一旦下がって! 私達が……」

「……うんにゃ、どうやら、俺たちの出番はここまでらしい」

 

 火炎に四方を囲まれたまま、地に伏した彼は、言う。その手に握られるのは――

 

 スタングレネード。

 

「到、着! ってまぶっ」

「目、目があ!」

「巫山戯てないで、さっさと働けぇっ!」

 

 眩い閃光の中で響く、エンジン音。そして、三人の男の声。

 カレル、シュン。そして、タツミ……コウタが『三バカ』と称する、極東支部の、男たちの声。場違いに明るい、希望の声。

 

「ほら、コンテナと……弾! カノン、ジーナ、サクヤさん、受け取ってくれ!」

 

 シュンが、私達に向かって何かを、投げる。それは、サカキ博士と打ち合わせた、約束のもの。

 

「……ありがとう。二人とも……そして、博士」

 

 鍵は、確かに受け取った。

 

「装填ッ!」

 

 ガチャリ、と。数人分の装填音が、時の止まった戦場に、落ちる。

 

「フェニックス……いえ、藤原妹紅。少し、眠って貰うわ」

 

 そして。

 

 引かれたトリガーは、博士の作り出した、麻酔弾……アラガミを眠りに誘う、その弾を、撃ち出して。

 

 猛火を手繰る、不死の鳥は。その瞳を、静かに閉じた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 炎の中で、唯。一人の少女を抱き締めて、熱気の中から転がり出る。

 閉じた瞳、煤に汚れた金髪、浅く切った頬。本当、これだけのダメージを受けて生きてるのが不思議になるほどに、傷付いたその姿。

 いや。逆か。これは、相手が一撃一撃を加減して放っている証。なるべくダメージを与えないように。なるべく、致命傷になりにくい攻撃を。あの、フランドールという娘は、打ち出し続けているのか。

 

「……殺すだの壊すだの言ってる割には、優しいこって」

 

 気絶した、腕の中の魔理沙を、なるべく安全な場所に寝かせ。巨人に向けて、俺は、言う。

 

『……私が優しいなら、大体の生物は優しいことになるわ』

「謙遜のつもりか? 下手くそにも程がある」

 

 獲物を、握る。逆境の中にあっても尚、胸を張って。立ち続ける事の出来る者が俺一人なのだ、せめて、威風堂々とした振る舞いだけでもせねば、格好がつくまい。

 

『……ハリボテね』

「何とでも言え。ほら、始めようぜ」

 

 鉄棺の向こう、彼女は呆れたように、言う。

 

『……さっさと三人を連れて、逃げ帰ればいいのに。死人が出ない内に』

「ああ。帰るさ。お前も連れてな」

 

 景気付けとばかりに、刃を振るう。力いっぱいに振り抜いた刃は、爆発の名残たる煙を、埃を払い。俺とスルト(フランドール)の間にあるのは、青い月の見える夜だけ。

 

『馬鹿な人間』

「馬鹿もいいものだぞ? それで救えるものがある」

『そうね。でも、こういうときに適切な判断を下せないようじゃ、ねえ』

 

 最も、である。しかし。

 

「此処で引いたらもう、お前は何処かに引っ込むんだろう?」

『当たり前じゃない』

「なら……他の三人が、許さないだろうよ」

 

 それに、あいつも、と。心の中で呟いて、俺は、彼女に向かう。

 

「そのデカい棺桶、開けちまえ。俺が一発で引き摺り出してやる」

『……もう、時間がないのに』

「時間? デートの約束か?」

『体の、制』

 

 ぐしゃり、と。

 

 止まる、思考。

 

 今起こった出来事……この、状況が飲み込めない。

 スルト自身の一撃によって、フランドールの収まる棺桶が潰されたという、この、状況が。

 

『オ、オオオ、オオオオオオオ』

「フランドール!」

 

 彼女の物ではない呻き声は、しかし、確かにスルトの身体から発せられたもの。

 フランドールではない、アラガミとしてのスルトの覚醒。今までずっと彼女は、あの時の俺と同じようにアラガミとしての本能を、自分の意思で抑えていたということなのか。

 

「くそ……何処までも……ッ」

 

 先までとは比べものにならない、殺気。滾る、炎。この場にいるだけで、命を削られるような――

 

 

 

 

 ――だから、何だ。

 

「……助ける。死んでもな」

 

 柄でもない。逃げること、自分等の命を最優先に行動しろと教えた男が、これである。

 しかし、今は。

 

「ぶっ殺すぞ、スルト」

 

 フランドールは、アラガミとなっても尚、俺たちを生還させようと、その力を尽くしてくれたのだ。ならば、彼女もまた、守るべき仲間なのであろう。

 死ぬつもりは、ない。全員で、生きて、帰る。

 

 獲物を慣れない銃携帯へと変形させ、デタラメに連射しながら、振り下ろされた腕を掻い潜る。弾け飛んだコンクリートを背後に感じつつも、止まりはせず。弾切れと共に剣へと姿を変えた右腕を、振りかざす。

 爆撃を、突き抜け。煙幕を、振り切り。俺と同じ、傷だらけになったスルトの身体を、その金属の表皮に爪痕を残しながら、駆ける、駆ける。

 

『ッ……逃げろッ、逃げろ逃げろ逃げろッ!』

「まだ言うのか! 黙って助けられろ!」

『私に……私なんかに、近付くなッ……!』

 

 放たれるは、オラクルの生む光の奔流。質量を持った、光弾の波。その、避けようのない眩い力に身体を焼かれながらも、足だけは、止めず。全身に走る痛みを噛み殺して、走る、走る。

 しかし。快進撃なんてものは、長くは、続かず。俺を覆った影に、見上げて見れば、そこには。

 

 燃え盛る大剣。切っ先は、真っ直ぐに、俺に。

 

『避け……』

「させるかああッ!」

 

 声。

 

 銃撃音と共にずれた切っ先は、俺の真横に突き刺さり。身体を駆け巡った振動に、思わず身震いをする。

 

「リンドウさん! 早く!」

「……分かってる! 助かった!」

 

 コウタ。気が、付いていたのか。

 何にせよ、この機。無駄には、しない。

 

「俺が、俺が相手だあああああッ!」

『……馬鹿、ばっか……ッ』

 

 コウタの叫びと、撃ち出す銃弾の音を背中で聞きながら、熱を持ち、焼け付いた鉄板に靴裏を焦がし。スルトの身体を、跳ねるように駆け上がる。

 目指すは、頭部。ひしゃげた鉄の棺桶、その奥に囚われた、少女の元へ。

 

 そして。

 

 あの時と、同じ。鉄棺を、捕食器を以て引き剥がし。

 覗くのは、涙に濡れた、紅い瞳。

 

「……また会ったな」

「……馬鹿な、人間」

「待ってろ。今、引き摺り出してやる」

「……私に、構わな、ああああッ!」

 

 ぎしり、と。嫌な、音が鳴り響く。それは。

 それは、少女を包む肉塊が、彼女の肉を潰し、骨を砕き、呑み込む、その音で。

 

「フランドール!」

「ッ……痛……もう、いいから……私は、これでいいのだから……」

「逃げるな!」

 

 一瞬、びくりと。肉に呑まれんとする肩を、小さく震わせ。

 ボロボロの彼女は、俺を、見る。

 

「生きることから……逃げるな」

 

 あの時の俺が、そうであったように。あの時の俺が、あいつに救われた時のように。

 

「……今、助ける」

 

 黒い肉の壁に、引き摺り混まれ行く彼女に、再度、告げる。

 

「……無理、よ。もう」

「無理じゃない! まだ、まだ間に合う! ほら!」

 

 差し出すのは、左手。

 

「噛め! 早く!」

 

 右手には、神を喰らう狼を。急がねば、具現化させるその前に、彼女は届かぬ場所へと、堕ちてしまう。

 

「お前を、助けてぇんだよッ!」

「ッ!」

 

 手の甲に落ちた雫は、暖かく。刹那に走った激痛は、そこに、彼女の存在を歌い。吸血鬼の馬鹿げた力……ゴッドイーターの身体でさえも悲鳴を上げるその力に、歯を食いしばり。

 引き摺り込まれる彼女を、左手で食い止め。捕食器の準備は、もう、済んだ。

 

「ッ……! 目、閉じてろ! 今……」

 

 今、お前をそこから、救い出す。

 

 黒い肉に、黒い狼。目一杯に開いた顎は、アラガミの身体にその、牙をねじ込み。

 食い千切り、噛み砕き。肉を割いて、飲み込んで。少女の身体を、化け物のそれから引き擦り出し。

 

 大きく、抉られた肉壁。その、黒い血に塗れた鉄の棺の中で、俺は。

 

 腕の中に抱いた少女を……未だ、俺の手に噛み付いたままの少女を。小さな嗚咽を漏らす、小さな身体を。

 

 

 静かに。静かに、抱き締め続けた。

 

 

 



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七 崩と欠片

 

 ちらほらと人の姿のある廊下。私の姿を見て驚く彼らを視界の端に収めたまま、か細い足を懸命に動かす。

 霊夢達から届いた、知らせ。その知らせは、閉じ籠り切りであった私を、扉の外へと向かわせるには、十分過ぎるもので。

 

 こつりこつりと。

 金属の廊下に響くのは、酷く先を急いだ、足音。今にも駆け出そうとしながらも、未だにそれを為さないのは、一欠片の躊躇が足を引っ張るから。

 

 けれど、そんな躊躇いなど、今は要らなくて。この足の向かう先には、私の望んだ方が……二人の主人の内、一人が、待っているのだと言うのだから。

 ならば。何故、躊躇う。そこに、望む姿などがないかも知れないからか。それとも、完璧であり続けなければならないという、自縛の意思によるものか。

 そんなもの。今更、何の役にも立ちはしない。今必要なのは、廊下の先へ駆け出す、勇気。あの時掴めなかった手を掴み、離さぬための意思。

 恥など、彼方へと放り、私は。冷たく沈んだ、この廊下を一人、走り出し。

 一つの、扉の前に辿り着く。

 

「……失礼致します」

 

 精一杯の、取り繕い。意識だけは、少しでも落ち着かせようと。それでも、時を止めて、息を整えることさえも、忘れ。否。

 例え、憶えていようとも。そんなことの為に時を止めるだけの、余裕などはなかったことだろう。

 

 扉が、開く。其処には、着ている洋服こそ変われど、あの時、幻想郷で見た時のままの……

 彼女の、姿があって。

 

「……っ、フラン、様っ……!」

 

 思わず、その小さな体に抱きつく。少しだけ驚いた表情の、彼女。自分でも、らしくない、はしたない事をしているということは、分かっている。これが主に対しての行為でない事も、また。

 しかし。止めることなど、出来はしない。湧き上がる歓喜は、安堵は、涙となって溢れ出し、私の頬を流れ落ちる。

 

「フラン様……っ……フラン、様……申し訳、ありません、フラン様……」

「……何を謝ってるの、咲夜」

「私は、私は……お二人を助けることも出来ずに、逃げて、逃げて……」

 

 溢れ出す感情は、心を縛る言葉を吐き出し。従者たる私が、主を見捨てて逃げ出したこと。そのことを、一心に謝る。

 抑えきれない歓喜と、湧き上がる罪悪感。その狭間で、唯、嗚咽を漏らす。

 そんな、私の背中を。彼女の小さな腕が、撫ぜる。

 

「……いいのよ、そんなこと。私だから、助かったの。貴女が飲み込まれたならば、もう、会うことも出来なかった」

「しかし、しかし、私は、主たる貴女達を……」

 

 随分と、酷い顔をしていることだろう。しかし、そんなことに頓着出来るほどの冷静さなど、今の私は、持ち合わせていない。

 

「……もう。貴女は、お姉様の従者でしょう」

「そんな、こと……二人とも、大切な、大切な……」

「はい、はい。自分より小さい体に向かって、泣くんじゃないの……貴女が無事で、良かったよ」

 

 人間のそれよりも冷たい肌は、しかし、暖かく。整えられていない髪に指を通し、顔を埋め。その存在が、確かに、ここにあるということを確かめる。

 会いたかった。もう、会えなどしないと思っていた。

 引き合わせたのは、誰か。霊夢か、魔理沙か。

 

「霊夢、魔理沙……」

「……お礼なら、そっちに言いなさい」

「私らよりもずっと、活躍してたしな」

 

 彼女の視線を辿れば其処には、二人の男性。

 彼等が。フラン様を、救い出し、取り返してくれたのか。あの、黒く、歪んだ存在から。

 

「この度は、フラン様をお助け頂き……本当に、ありがとうございました……!」

「よしてくれ。そういう柄じゃないんでな」

「俺も……あんまり、役に立たなかったしね」

 

 それは、謙遜か。何れにせよ、彼女との再会を果たせたのは、彼等のお陰。感謝しても仕切れないというのは、このことか。再び、深く、頭を下げる。

 

「……それで。あんたは、これからどうするの」

 

 頭を下げたままの私に、声が投げ掛けられる。それは、幻想郷の巫女……霊夢の、声。

 どうする、か。それは、私に対する一つの、問。

 部屋に閉じこもり、自ら心を閉ざし。何の行動も起こさなかった私に対する、責め。しかし。

 顔を、上げる。背筋は、目一杯に伸ばし切って。

 

 もう、目は覚めた。

 

「……私も、戦う。お嬢様は……レミリア様は、まだ助けだしていないのでしょう?」

 

 瞳に宿すは、心に刻むは、紅の光。それは、我らが主の力の片鱗。その一部たることを示す、刻印。

 もう、自身の感情になど、囚われはしない。救い出せることを、知った。望みも見つけた。ならば。

 私も、戦場へと臨もう。そこで、彼女を……大切な人を、救い出すのだ。

 

「武器を頂戴。お嬢様は、私がお迎えに上がる」

 

 私の言葉は、彼女に。迎い入れるは、柔らかな、笑み。

 

「……今、用意してるところらしいわ。あんたなら、そう言うと思ってね」

 

 望んだ答え。

 主人を失った時に生まれた心の氷は、未だ、溶け切ってはいない。でも。

 これで、お嬢様の元へと向かう、その力が手に入る。あの方の元へ行けるのならば、私は。

 

 心は、熱く。この場にいる全ての存在へと、私は。

 もう一度。深々と、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 咲夜との再会を果たした、その後。私は、霊夢達に連れられて、広く、閉じ切った部屋の中。

 この場所に来てからすっかり見慣れた、金属室の壁に囲まれ。決して狭くもなく、かと言ってそこまで広くもない、何の家具も無い不思議な部屋。見上げれば、そこには窓。並ぶのは、数人の人間。

 

『フランドール・スカーレット……だな』

「……ええ。貴女は?」

『私は、雨宮ツバキ。この支部での教官職を務めている。私の隣にいるのが』

『サカキだよ。よろしくフランドール君。まずは、生還出来たことをお祝いしたいところだけど……』

「構わないわ。私にも何か、やることがあるのでしょう?」

『理解が早くて助かるよ。まずは、君の前にあるその、コンテナを見て欲しい』

 

 コンテナ……箱、というには少々大き過ぎるけれど。

 材質は、普通の物質でなく。無機質ではなく、有機質のそれは、私を呑み込み、捉えて離さなかったあの、生物と同質のもの。

 

「これを壊せとでも、言うのかしら」

『君が壊すのは、その箱の中身だよ……対アラガミ捕獲ケージ、開放』

 

 機械仕掛けのギミックが、その、巨大な箱の封を切る。

 歯車の回る音と共に、徐々に開きゆく、ケージ。その先にいるのは……

 

「……フェニックス?」

『ん……ああ、そうだね。君から見てもやはり、フェニックスに見えるのか』

 

 少しだけ驚き、感慨深気に呟く人間。何を考えているのかは、私には、分からないが。

 

『君の前にいるその……フェニックスは、君と同じく怪物に取り込まれた幻想郷の住人の一人だ。彼女を救うには、その身を一度、再生出来ない程に破壊するしか手がない……の、だったかな、霊夢君』

 

 声は、霊夢に向け。対する彼女は、少しだけ不安気に、口を開く。

 

「その……筈よ。妹紅は、蓬莱人。その本体は体ではなくて、魂。肉体が壊れれば、別の場所で体を作り直すから……多分」

「おいおい。多分で死んだら洒落にならんぜ……まあ」

 

 茶々を入れる、魔理沙。しかし。

 

「私も、同意見だがな。あいつらは、死なないんじゃなくて、死ねないんだ。この程度じゃ、死ねないだろうさ。軽く同情するぜ。軽くだがな」

 

 魔理沙の言葉もそこそこに。開き切った箱の中で眠る、燃え盛る不死鳥を、見据える。

 妹紅、と、言ったか。確かに、私の能力で壊せるのは、物理の層にあるもののみ。精神や魂は、その破壊の対象では、ない。

 並の妖怪は、肉体に依存しないとはいえ、肉片の一つも残らなければ再生は不可能。しかし、体はあくまで飾りで、魂だけで存在する者であれば……

 救い出せる可能性は、十分にあると言えるだろう。

 

「……壊して、いいのね?」

「……お願いしても、いいかしら。フランドール」

 

 最後の、確認。この問への答えはもう、分かり切っているというのに。

 

「……折角助けられたんだしね。求めるなら、動くよ」

「……ありがとう」

 

 ありがとう。

 全てを破壊する悪魔に対して、幻想郷の調和を保つ巫女が言う言葉では、ない。

 くすり、と。小さく一つ、笑みを零して。

 

「……いくよ。きゅっとして……」

 

 冗談めいた、魔法の言葉。意味などは、ない。必要さえも、ない言葉。

 けれども。愛すべき遊びたる、弾幕ごっこは……無駄なものにこそ価値を見出す遊び。こんな世界に放り出されても尚、少しばかりの遊び心は、必要なのではないか、なんて。

 

 下らない。

 

 続く言葉は、音に呑まれ。

 巻き起こる爆発。目を壊され、拠り所を失ったエネルギーの暴走。滾る炎は散り乱れ、その肉は、まるで砂の様に爆ぜ。一片の破片さえも残すことなく、完全な、無へ。

 

「……これで、良かったの?」

「……お願い……妹紅」

 

 見やれば、そこには。

 その顔形に不安を湛えた、巫女の姿。幻想郷にいた頃の、喜怒哀楽は激しくとも、誰にも深入りせず、完全な平等を保ってきた彼女とは思えない……本当に、博麗の巫女らしくもない、姿。

 僅かな苛立ちと共に、この短期間に、それ程のショックを受けたことへの驚きを感じ。随分と弱々しくなってしまったその姿から、目を、離す。

 

「……私は、部屋に戻るよ」

 

 開かれたコンテナ。その上に集まり出す、人にあらざる、しかし、人の形をした気配を感じながら。

 

 返事さえも、待つことはなく。私は。

 一人でに開いた扉。その先へとこの身を、滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 私は、一人。ロビーにへと出る。人気の無い部屋。受付に一人、人はいるものの、此方から話しかけなければ、反応することはないだろう。

 早く、この部屋を過ぎ。与えられた自室に戻ろう。私は、容易に人に関わるべきではない。助けられたという借りがあるならば、尚更。

 

「よう。機嫌はどうだ」

 

 扉へと向かう私に、不意にかかる、声。それは、魔物に取り込まれた私へと、嫌と言うほど叫び散らしたその声で。

 

「……また、会ったね」

 

 人間。私を救い出した、愚か者の声。何故、気付かなかったのか。長椅子に座る彼は、片手にグラスを握っていて。

 雨宮リンドウ……だったか。此処に来た時に、そう紹介された。

 

「何をしてるの、一人で」

「何もしちゃいないさ。一人だしな」

「そう。なら、じゃあね」

 

 彼に、背を向け。私は、自分の部屋を目指し……

 

「まあ、待て。少しくらい座っていけ」

 

 手を、掴まれる。その手は、黒く、歪な、魔物の腕で。

 そういえば、彼だけはあの、おかしな武器とは違う……やけに生物的な姿をした刃を振り回していたか。この世界の生物……アラガミの身体の構造はよく知らないが、それでもあの身体を傷付けることが出来たということは、彼のそれもまた、アラガミと同質のものなのだろう。

 

「……その手」

「ん……ああ、すまん。咄嗟に、だったんでな」

「……貴方の腕も、アレと同じなのね」

 

 アレ。私を取り込んだ、不可思議な生物。彼の手に宿るのは、あの怪物達と同じ肉、同じ存在。

 彼も、あの生物……アラガミと言ったか……に、取り込まれたことが、あるのだろうか。

 少しだけ、目の前の人間に興味が湧く。魂を本体とする蓬莱人でも、精神を拠り所とする妖怪でもない人間が、腕一本という代償のみで生還した、その過程に。

 

「……貴方のこと、教えてよ。取り込まれたのでしょう、アラガミに」

「ん……まあ、な。話すと長いぞ?」

 

 グラスに継ぎ足される、アルコール。コポコポと泡を立てながら嵩を増やすその様を眺めながら、ソファの端に腰を降ろす。

 

「ジュースはいるか? 酒はやらんぞ」

「紅茶はないのかしら。無理は言わないけど」

「ないな。サイダーでいいだろう?」

 

 注がれるは透明な、泡立つ液体。パチパチと弾けるそれは、幻想郷では馴染みの無い……炭酸水、か。

 そっと、グラスに口を付ける。舌に触るは、甘く、強い刺激。少しずつ口に含んでは、その刺激に新鮮さを覚えつつ、飲み下す。

 

「……ちょっと、刺激が強い」

「はは……すぐに慣れるさ。」

 

 笑う彼。その笑みを残したまま、再び彼は、口を開く。

 

「そうだなぁ……何処から話そうか。あの頃はまだ、アリサって奴も居……」

『救護班、直ちに医務室へ集まって下さい。繰り返します、救護班……』

 

 声は、唐突に響き渡った、別の声に遮られ。これは、外の世界の魔法か。機器から流れるその声は、落ち着きを装った……しかし、隠しきれなかった慌てが、垣間見え。

 

「……なんだ? 一体、誰が負傷した……?」

「リンドウさん!」

 

 また、新たな声が掛かる。それは、聞き覚えのある声。若く、幼い男の声。

 

「どうした、コウタ。今の放送は……」

「リーダーがっ! リーダーが、アラガミに……ッ!」

 

 言葉は、悲痛に。対する彼……リンドウの手からは、グラスが音も無く、落ち。

 

 硬い床に、その脆い体をぶつけて。

 液体を湛えた透明な、一つの形は。その存在を、欠片に変えた。

 

 

 



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八 蠢

 

 

 眠る青年。

 それは、この支部で……否。全支部の中でも屈指の実力を持つと言えるであろう、第一部隊の隊長……幾度の危機を乗り越え、陰謀を暴き、仲間を救った英雄。そんな彼が今、私の目の前に横たわっている。

 心臓は、動いている。呼吸もしている。今は意識を失っているが、じきに目を覚まし、彼の身に何が起こったのかを教えてくれることだろう。

 

 部屋の外が、ざわめく。声の調子から伺うに、驚きと、微かな恐怖……皆、彼の事を心配して集まったこの支部の仲間たちだ。彼の安静を図るために、面会を謝絶していると言うのに集まった……

 

「博士。俺だ」

「……君か……他にも誰か連れてるね?」

「……私よ。フランドール」

「……ふむ。少しだけ入るといい。これは、君たちにも関係することだからね」

 

 扉を、開く。少しだけ距離を置いて群がる人々と、二人の男女。

 雨宮リンドウ。フランドール・スカーレット。周りの反応は、先の救出劇の主役達が現れたという驚愕と……

 彼女の能力に対する、恐怖。ミスティアが此処にきた時には、比較的穏やかに迎え入れられたものの……フランドールの能力は、余りに危険過ぎる。こういった反応も、仕方がないことなのかも知れない。

 

「……すまんな。悪い奴らじゃないんだ」

「いいよ。分かってたし……私は、近付かない方がいい」

 

 バツの悪そうな顔をする、リンドウ。対する少女は、気に病む素振りさえ見せず。人とは違う、そして高位の存在というものの持つ意識に少しばかり興味が湧くも、悪趣味だと胸の内で自身を咎めた。

 

「彼は当分、戦いには出られないよ」

「……そんなに、酷いのか」

「胸には爪痕。恐らく、ヴァジュラ神族のものだね。全身にダメージを受けているけれど、幸い骨折や内臓へのダメージは無いみたいだ。一番問題なのは……」

「……神機、か」

 

 静かに、頷く。

 

「シールドの破損が激しい。凄まじい猛攻を受けたのだろうね。他にも、各種ジョイント部分に亀裂が入ってしまっている……よく、形を留めたものだと思うよ」

 

 本当に。よく、彼の体を守ってくれた。

 神機に意思があるのかは、現段階ではまだ、不明で。しかし、例え神機に意思があろうと、なかろうと。今は、この感謝の意を伝えたい。

 そして。リンドウには、私が彼に頼んでいた事を教える必要があるだろう。

 

「私が彼に、秘密裏に頼んでいたミッションがある」

「特務、か。それは、俺に頼むことじゃなかったのか?」

「君は、私のお抱えの遊撃手だからね。でも、幻想郷から来た彼女等に接するのは、君の方が適任だと思ったのさ……話を戻そう」

 

 私は、語る。

 彼に、行わせていた、調査の内容を。

 

「フランドール君。今から話すことは、霊夢君達には伝えないで欲しい」

 

 こくり、と。頷く少女。メンタル面で若干の問題有りと聞いていたが、見る限りは特に危険も無いようで、少しだけ安堵する。

 

「最近、我々の極東支部近辺で、スサノオ……強力なアラガミが目撃されていてね」

「スサノオ……? なんだって、こんな所に……」

「それも、変種さ。恐らく、幻想郷の妖怪が取り込まれていると見て、間違いない」

 

 報告に上がっているのは、歪んだ体を持ち、頭部にはアマテラスのように女神像を備え……

 まるでワープするかのように出現位置を変える、不可思議な存在であると聞く。

 

「……そのスサノオはどうも、アラガミとは異なる行動パターンを持つらしい。人のように意思を持っているかのように……何か、裏がありそうでね。それを、彼には調べてもらっていた」

 

 語ることは、終わり。辺りはまた、沈黙に包まれて。

 

「さ、話は終わりだ。そういうアラガミとエンカウントする可能性がある、ということだけ、頭に置いておいてくれるといい」

「……分かった。まあ、こいつが生きてると聞いてほっとした。部屋に戻る」

「待って」

 

 踵を返すリンドウを、引き止める声。

 フランドール。見た目幼い吸血鬼……彼女の、訝しむ表情。

 

「……魔力が残ってる」

「魔力?」

「魔法使う時に使うの……あいつのだね」

 

 彼……第一部隊長の、包帯を巻かれた胸を凝視する、彼女。その瞳に映るのは、先より赤い、紅の輝き。

 

「……あいつ?」

「ん……私の、お姉様の」

 

 姉。全てを破壊する吸血鬼の、姉。

 

「それは……」

「安心して。お姉様には、私みたいな全てを壊す力は無いから。唯」

 

 運命を、操るらしいけどね。と。

 言葉に乗せた一枚のジョーカー。その存在を、私たちにへと告げ。

 

 彼女、フランドール・スカーレットは。ざわめき立つ扉の向こうへと、歩み出した。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 吉報と、凶報。

 フランドールと妹紅が生還し、第一部隊の隊長が戦線を離脱した、この日。

 

 ボロボロになった今までの巫女服を脱ぎ捨て、フェンリルから支給された、新たな装束に身を包む。

 紅と、白。大きく空いた肩口に、離れた袖。今まで着ていた服をモチーフにしたそれは、しかし、材質や細かな装飾、所々を引き締めるベルトの追加など、気慣れた服との違いもまた、大きくて。

 しかし。

 

「……動きやすいわね」

「んー、ポケットが増えたな。今までのより頑丈そうだし」

 

 隣で着替え終わった魔理沙も、私と同じく細部の異なった白黒に身を包んで。

 その背中に張り付いたのは、狼の面。ゴッドイーター達の所属する組織、フェンリルのシンボルマーク。それは、私の服の背にも確かに、刻まれていて。

 

「……郷に従え、ってこと」

 

 呟きは、虚ろに。対する魔理沙は、頭を掻いて。

 

「そう、気に病むこた無いぜ。ここの奴らは、私たちに良くしてくれてる。仲間入りしたって、構わないだろ?」

「それは……まあ……」

「私たちは、この組織の一員として幻想郷を取り戻す。今は、それだけ考えようぜ」

 

 彼女は、笑い。時折一人で泣いていた彼女も、少しずつ取り返すことの出来始めた幻想郷に、終始笑顔で。

 

「……第一部隊の隊長。えらく強かったらしいが、やられちまったって聞いたしな。私達だって、もっと動かねばならん」

 

 そういえば、そんな話も聞いた。面識は無いものの、この支部では一番強い……妹紅を一人で撃退するほどの腕だったとか。

 主力を欠いた、現状。私ばかりが、こうして沈んでいる場合ではない。

 

「……そうね。一つ、動きましょうか」

「ああ、その意気だぜ。で、一つ、話があるんだがな」

 

 急に、声を小さくする魔理沙。その目は、真剣そのものといった所で。

 

「私の見込みでは……第一部隊の隊長を倒したのは、幻想郷の奴だと思うんだ」

「……どうして、そう思ったの」

「この支部で一番強いって話だったしな。妹紅さえ倒した奴が、普通のアラガミに負けるとは考え難くないか?」

 

 まあ……一理、ある。

 が。

 

「それだけじゃ、まだ分からないわよ。普通に進化したアラガミに出会ったのかも」

「まあまあ。もう一つあるんだよ。実はさっき、その隊長さんのいる……医務室だったか。行ってみたんだ」

「面会は謝絶してるって聞いたけど」

「中には入ってないぜ。入らなくても、分かったしな……妖気」

 

 その言葉に、思考が止まる。

 妖気。この世界に来てからは、全くといって良い程に聞かなくなった、その言葉。

 

「悪寒が走る妖気だったぜ。微量だったがな」

「……誰のものか、分かる?」

「まあ……一応な」

 

 一拍を、置き。彼女は私に背を向けて。その靴紐を結びながら、言う。

 

「レミリア。あいつのだ」

 

 レミリア。幻想郷の吸血鬼。パワーバランスの一角。フランドールの、姉。

 咲夜の探し求める、存在。

 

「多分、間違いないぜ。面倒な相手だが……何とかするしかないだろ」

 

 コツコツ、と。爪先で、床を蹴り。立ち上がる魔理沙は、何処か誇らしげに。

 

「行こうぜ、霊夢。取り返すんだ、私達の幻想郷を」

 

 いつの間に、彼女はこんなにも頼もしくなったのか。いつの間に、彼女はこんなにも晴れ晴れとした、笑みを取り戻したのか。

 釣られたように、笑みが零れる。

 

「……この間まで、泣いてたくせに」

「忘れたな。今しか見ない質なんでな」

「……ふん。異変を解決するのは、いつだって私よ。しっかりついて来なさい」

「言うぜ。良い所は全部私のもんだがな」

 

 彼女の声を、背中に受けて。扉の前に、立つ。

 行ける。何処までも。彼女とならば、幻想郷を取り戻せる。

 

 希望は、胸の奥深くに。理想は、確かに、向かう先に。

 

 彼女の歩みを、肌で感じながら、私は。

 異郷の道へと、歩を染めた。

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 月の隠れた夜。

 血濡れた体。紅い足跡。

 一歩、一歩。歩めば、軋み。止まれば、痛み。傷を負った身体を引き摺りながらも、その苦痛さえもまた、彼女(・・)には何処か心地良くさえ感じて。

 

 紅いヴァジュラ。歪な、獣。

 そのしなやかな体躯に囚われたのは、一体の吸血鬼……否。

 囚われてなど、いない。彼女は、自らの意思で、その身を異形にへと沈めたのだ。

 

『不恰好ねぇ。レミリア』

 

 暗闇から、掛かる声。何処か遠く、それでいて、近く。境界さえも曖昧にしたかのような、妖しさに満ちた、声を聞く。

 

『人の事を言えるのかい?』

 

 闇が、蠢く。徐々に光を放ち、淡く輝き出すそれは。

 一体の、妖怪。レミリアと同じく、怪物のそれに身を(やつ)した、少女。

 

『紫』

『お久しぶりですわ、紅魔のお嬢さん。お加減は如何?』

『……変わらないねぇ。その胡散臭い口調。少しは改めれば良いのに』

『変わりたくはないものでして。貴女もまた、そうでしょう?』

 

 紫と、紅。投げ掛けられた言葉を彼女は、鼻で笑い。

 

『その結果、それか? 妖怪の賢者が』

『ふふ……変わりたくは、なかったけれどね』

 

 禍々しく、美しく。彼女の宿りしは、荒神。スサノオの心。

 忘れられ。全てを奪われ。捨てられた、神の骸。

 

『……吸血鬼には分からないわ。これは、我々(神々)と人との問題』

『神々? 風を起こしたり、奇跡を起こしたりするのが神? それなら、私だって神だよ。吸血鬼と言う』

『そう。吸血鬼に対する恐怖も、信仰の一。その信仰を失って、貴女は今、どうなっている?』

 

 沈黙。二者を包んだそれは、重く、深く。

 

 その沈黙も、永くは続かず。生み出した張本人によって、その結界は破られた。

 

『私と共に来ないかしら? 夜の王。私と共に、信仰を忘れた人類に――』

『巫山戯たことを言うようになったね。紫』

 

 食らい付くは、蔑みを含んだ、言の葉。

 心からの、拒絶。

 

『下らない。幻想郷だけ守っていれば良いものを、いつの間にお隣の問題にまで首を突っ込むようになったの?』

『……もう、限界なのよ。幻想郷とて、永遠ではない。この……無数の神様達による氾濫の起きた、この世界。幻想と現実の境界は、当の昔に崩れさった……こんな世界じゃ、幻想郷は存在出来ない』

『それで。貴女は人間を滅ぼすのかい』

 

 月が、顔を出す。二体の妖は、互いに、動くこともなく。

 

 どれだけの時間が、過ぎたのか。数十秒か、数分か。止まった時間は、月がまた隠れると共に、溶け出して。

 

『……また、会いましょう。今度は、良い返事を期待してるわ』

『ふん……詰まらないことを言うためなら、出て来なくて結構だよ』

『そうね。今度はもっと、面白おかしく話しましょうか……なら、ね』

 

 荒ぶる神の巨体は、水面に映る虚像の如く、闇に溶け行き。

 残された神鬼は、一柱。朧げに輝く、月を見上げる。

 

『……どうした、ものかしらね』

 

 呟きは、誰に届くこともなく。

 

 彼女は。一体の、神にも獣にも成り切れぬ、彼女は。唯々、淡い光を見つめ続けた。

 

 

 



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九 修羅

 

 

 連続する、風切り音。その音に合わせて上がる、黒い血の飛沫。

 斬りつけて斬りつけて斬りつけて。裂いて裂いて裂いて。貫く。感情など、ありはしないとでも言うように。まるで、何者かに操られた人形であるとでも、言うかのように。

 十六夜咲夜、その人は。単身、鋼の翼を持った人型のアラガミ、シユウとの舞踏に興じている。

 

 私達が破壊した、硬質の翼腕。その傷口を抉り、切り開き。戦闘に出た回数はまだまだ少ない筈だというのに、彼女は破格の強さを誇っていて。

 

「……強いな」

 

 白い神機を、肩に乗せて。ソーマさんが呟く。普段ならば、味方が交戦していれば真っ先に駆け付けてくれる……昔よりもずっと優しくなった彼が、ここから彼女を傍観しているのは、それだけ彼女の力を認めているから。この短期間で彼に認められた彼女の戦闘能力の高さを、そして。

 

 時を止め、敵の背後に現れて。刃を振り上げるその姿を見て、私、台場カノンは。

 

「か……格好いい……!」

 

 唯々、その姿に見惚れるしかないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「咲……十六夜さん!」

 

 そして。ミッションも終わり、アナグラのロビー。私は、彼女に近付いて。

 冷静で、落ち着いた彼女。話しかけるのは、少しだけ、怖かったけれど。それでも、この心の高ぶりは、抑え切れそうになくて。

 

「ん……ああ、お疲れ様。カノンさん……だったかしら」

「カノンで大丈夫です! あ、あの、さっきの戦い、凄く格好良かったです!」

 

 勢いに任せて連ねた言葉。自分でも分かる程に、幼さが押し出された言葉に、思わず顔が熱くなる。

 本当、まだ殆ど話した事もないと言うのに、何を言い出すのか。自分の表現力の無さと、欠いた冷静さが嫌になる。

 しかし、彼女は。

 

「ふふ。ありがとう。貴女の……ブラストだったかしら。突破口を開いてくれたその大砲の威力、とても頼もしいわ」

「あ、ありがとうございます!」

「でも、戦いになると随分と……性格が変わるのね。少し、私と似てるのかもね」

「十六夜さんと似てるなんて、そんな……」

 

 優しげに微笑む、メイドさん。喫茶店にいるようなバイトの人とは違う、本物のメイドさん。

 言葉にするのならば、完璧、と呼ぶべきなのだろう。優しくて、しっかりしていて、そして、強くて。

 

 私と彼女は、似ていない。

 誤射ばかりして、仲間に迷惑を掛ける私と比較してしまい。そんな自分の思考が嫌になる。

 

「……ちょっと、ミッションに付き合って頂けないかしら」

「……えっ」

 

 突然の言葉に、戸惑う。

 

「まだ、この世界での戦い方に慣れなくて。練習がてら、ね」

 

 浮かぶ笑みに、裏は無く。しかし。

 私は、きっと彼女の足を引っ張る。それは、彼女の命まで危険に晒す羽目になるということを、意味していて。

 

「……ごめんなさい。私じゃ、足手まといに……」

「ならないわ。約束する……貴女を、足手まといになんかさせないから」

 

 だから、と。

 

「貴女の火力。頼りにしてるわ」

「……は、はいっ……」

 

 それは、半ば強引に。しかし、何処か強い説得力を以って。

 私の、彼女のミッションへの同行は決定したのであった。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 人の形。

 炎とは違う光源に、黒く浮かんだ、人間の手。永きを生きても尚、変わることのない両手。

 私の、手。

 

 私は、どうしてしまったのか。記憶を辿り思い浮かぶのは、割ける境界、暗い雲。体を蝕む黒い霧(・・・・・・・)……

 唯、とりあえず。今の私が分かることと言えば。

 

「……生きてる」

 

 どうやらまた、私は死に損なったらしい。そんな、ある種の失望と、諦めを孕んだ溜息を一つだけ、吐き出す。

 

 まあ、良い。ここで私が死んだならば、あいつらだけが残される事になるのだから。永遠の眠りにつくならば、奴等も共に葬ってやらねばならない。

 いけ好かないあいつの事だ、憎まれる者は、とも言う。どうせ、私と同じように生きながらえているのだろう。

 

 再び溜息を吐くと共に立ち上がり、自身が薄手のシャツと下着しか身につけていない事に気付く。誰かが着替えさせたのか、それとも元々衣服など身につけていない状況だったのか。最早、これだけ生きればこの程度の事で恥じらいを感ずる事も、ない。

 枕元に置かれた、見慣れぬ服に身を包み。幻想郷のそれとは随分と異なった景色に、身を浸し。独りでに開く扉に軽い驚きを覚えながら、外に出る。

 

 続く廊下は、部屋の中と同じ。幻想郷とは異なった、無機質な世界がそこにあって。

 右も左も分からないとは、このことか。とりあえず、適当な方角へと向けて、足を進め――

 

「……気が付いたようだね」

 

 不意に掛かる声。それなりに年季の入った、男の声。

 ポケットに突っ込んだ右手に、力を込める。

 動きは、緩慢に。ゆっくりとした動作を以って、声の主へと向き直り。それなりに開いた距離感を詰めることも無く、対峙する。

 

「……介抱してくれたのは、貴方?」

「私は、指示を出しただけだよ。実際に君を介抱したのは、救護の者たちさ」

 

 その言葉は、何処か誇らしげに。そんな彼の口調や仕草、そして、発する気からは、敵意は伺えない。

 

「藤原妹紅君、だったかな」

「……ええ」

「君が置かれた状況を話したいのだけど……そうだね、私のラボまでついて来てくれるとありがたい。それと」

 

 本当に開いているのかも怪しい瞳。薄く、薄く開いているのであろう、その瞳、優しげな色を示して。

 

「私に、戦うような力はないよ。そして、君に危害を加える意思も持っていない……君は既に、此処にいる時点で私たちとの運命共同体だからね。まあ、よろしく頼むよ」

 

 そう笑う彼の顔は、柔らかく。そのまま踵を返す彼に、私は、右手の緊張を解き。

 遠のき出す背中を追って。この、鉄のトンネルに、軽い足音を響かせた。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 ずんぐりむっくりとした身体に、太く、長い腕。短な、しかし強靭な足。

 猿神、コンゴウ。単体の討伐であれば、然程手を焼く相手ではない。今回のミッションは、練習。単体のコンゴウを討ち取るだけの、他の依頼と比べれば簡単な仕事……

 の、筈だった。

 

「右後方二体!」

「了解!」

 

 その声を聞くが早いか、その方向を確認する事もなく、この身を目の前の敵の背後へと滑り込ませる。背後で聞こえるのは、飛びかかった猿神が、別の猿神に衝突した衝撃音。

 私たちを待ち構えていたのは、四体のコンゴウ。

 雪の降る廃寺。アラガミに食い荒らされたこの地に赴いた私達を待っていたのは、突然の乱入者、三体の増援。対する此方は、二人。戦力の不足は、否めない。

 

「なんでこんなに、集まって来てるの!」

 

 つい、悪態を吐く。それは、誰に向けたものでもなく。唯々、予想外の出来事に対する、苛立ちを、何かにぶつけたくて。

 

「……ごめんなさい」

「あっ……えと、違う、十六夜さんが悪いんじゃなくて、あの……」

「……分かってる。でも……ごめんなさい」

 

 彼女は、呟き。その声は、消え入りそうなほどに、儚く。その姿を見て、私は。

 何故か、何処か。安堵して。

 

「……良かった」

「え?」

「十六夜さんも、そんな風に困ったり悩んだりするんだなっ、て……いや、フランドール(あの子)の事で塞ぎ込んでたのは、知ってますけど……」

 

 彼女も、私達と同じ。完璧な姿は、彼女の一面でしかなく。ずっと人間らしい、ずっと少女らしい姿を、見ることが出来て。

 私も、彼女のように。強く、強くなれるんじゃないかと、そんな、希望を見つける事が出来て。

 

「十六夜さん」

 

 彼女に、言葉を投げる。

 

「……何かしら」

「絶対、生きて帰りましょうね」

 

 彼女と、私。背中合わせに。

 構えた銃口は、迫り来る神の眉間に向けて。唯、彼女の返す、言の葉を待つ。

 

「……当たり前よ。私には、まだ」

 

 神が、跳ぶ。力強く、荒々しく。

 

「やる事があるの。貴女は?」

「私もです。やらないといけない事が、多くて」

 

 強く、強く。居住区の皆を、アナグラの皆を。

 守りたい。人を。大事な人達を。

 

「じゃあ」

 

 距離は、十分。この位置ならば、外す事など、無い。

 

「頑張りましょう。お互いに」

「はいっ!」

 

 力強くトリガーを引くと同時に、大地を蹴る。己の撃ち出した弾丸の、爆発の風圧に身を預けて、体勢を、低く。

 背後では、アラガミの呻き声が聞こえ。斬撃の音が鼓膜を揺らし、踊るようなステップが、その足音を響かせる。きっと、彼女はまた、シユウとの戦いで見せたような顔で……コンゴウ達を切り裂いているのだろう。

 私も、置いて行かれる訳にはいかない。決めたのだ、彼女のような存在を目指すと。完璧で瀟洒な、そんな人になるのだと。

 

 だから、今は。この戦闘を、切り抜ける。熱く湧き上がる衝動に、身を浸して。

 

 顔面の砕け、それでも尚拳を振るうアラガミへと向け。一発の誤射も生じぬようにと。

 その射線を、敵へと向けた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

「つまり、君は形のある怪物に捕食された訳ではなく、黒い霧のような何かに取り込まれた、と」

「まあ……そんなところ。随分と、迷惑をかけたみたいで……ごめん」

「気にする事はない。私達の仲間の中にも、君のような状態になってしまった者だっているしね……しかし」

 

 彼女の証言に依れば、彼女を飲み込んだアラガミは、かなり初期の段階のアラガミ……形を成す前の、細胞の群。それが、態々彼女を狙って捕食するとは考えにくく。寧ろ、周りの竹林を捕食する事に躍起になる筈。

 おかしい。何故、態々彼女を捕食したのか。ありとあらゆるものを喰らうアラガミが、彼女一人を……いや、力あるものを狙って捕食していったのか。

 

「……ミスティア君は、捕食された瞬間の事をよく覚えていなかったけど……もしかすると、君と同じように……?」

「ミスティア……夜雀もいるのか」

 

 ミスティア・ローレライ。そういえば、彼女を取り込んだアラガミは、ローレライのそれを表していて。そして、今回……フェニックスも。スルトも、彼女の破壊の力を具現化したような姿形で……

 ここまで、上手いこと神や、魔物の姿が形成されるものなのか。それも、アラガミが形を成す前の、細胞群の状態から……

 アラガミが、彼女達を真似たのか。それとも――

 

「……サカキ?」

「ん、ああ、すまない。少し、考え事をね……なんだい?」

 

 妹紅の声で、現へと引き戻される。考え事は、彼女の居ない時にすれば良い。今は、彼女に対するこの世界の事や、これからの事を話すべきだ。

 アラガミについては、伝えた。この世界についても、粗方話し終えた。ならば、何か私の説明で不明確な所があったのか、若しくは。伝えたい言葉が、その胸に収まっているのか。

 彼女の言の葉を聞き逃さぬよう。耳を、傾ける。

 

 短な沈黙。不死の少女は、その瞳に確かな、決意を抱いて。

 

 

 

「――私にも、武器をくれないか」

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 積み重なるのは、コンゴウの骸。三体の猿神は、二人の神喰らいによって、討たれ。その黒い地は、大地を染め。その体は黒い煙となって、新たな体を求めて舞い散らんとし。

 そんな光景を呆と眺めていられるような暇は、持ち合わせていない。怪物達の絶命を確認するや否や、また、暴れる最後の一体にへと視線を向ける。

 爆発、爆風、爆音。彼女の操る破壊の銃撃は、白黒のそれを彷彿とさせ。しかし、その砲撃は、魔女の物とは大きく異なり。対象を撃ち抜き、確実にダメージを与える為に無駄を省いた……それは、味方を巻き込むことさえも考慮に入れない、何処までも真っ直ぐな、破壊の力。それを扱う彼女もまた、それに見合うだけの精神を宿して、敵に向かい。

 狂気を秘めた瞳。暴走気味の挙動。その姿は、まるで。

 

「バーサーカー、ね」

 

 台場カノン。敵を殲滅するに当たって、これほどに頼もしい味方は、そういるまい。誤射を恐れて彼女を避ける者もいると聞いたが、それは、彼らに彼女と共に戦うだけの力量が無いからだと結論付け。

 

「ッ……! 十六夜さん!」

 

 コンゴウの避けた弾丸が、私へと飛ぶ。その弾速は、速く。しかし。

 

 彼女に、誤射などさせない。

 

「……『咲夜の世界』」

 

 戯れに発した、言葉。必要のない言葉。

 ここは幻想郷ではないというのに。それでも、こうして態々、能力(スペル)の使用を宣言している自分を、嗤い。

 

 余裕を持って、射線を避ける。意味もなく剣を振って、一歩、一歩、アラガミへと近付き。

 そして。

 

「そして時は、なんてね」

 

 色を取り戻した世界は、まるで、何かの嘘のように。周りだした歯車は、機会細工は、時を刻み。

 世界は、再び動き出し。私一人を残して世界は、巨大な輪に乗って、回り、廻り。

 

「カノン」

 

 アラガミの右足を、剣で貫き。彼女に、言葉を放る。

 

「私は、貴女に誤射なんてさせない。だから」

 

 言葉は、続けず。体勢を崩し、身動きの取れないコンゴウに、この切っ先を向けて。

 

「その力を、貸して。私には、取り戻したい方がいるの……勿論、危険を伴うけれど」

 

 それは、懇願。聞き届けられるかも分からない、一方通行の願い。聞き入れられることを望みながらも、彼女の言葉を聞くその前に、私は剣を振りかざして。

 霊夢や、魔理沙の力は借りれない。彼女達には、別にやることがあるのだから。私には、この世界に生きる人々の、その中でも背中を預けられる存在……そんな人物が、必要で。

 お嬢様を探し出すには。お嬢様に、挑むには。

 

「……私で、いいんですか?」

「貴女が、いいの」

 

 彼女の表情は、この位置からは見えず。しかし。

 その声色を伺うに、どうやら彼女の用意する答えは、私の望むものであるようで。

 答えを待たずに振りかざした剣が、コンゴウの右脇腹を深く、深く貫く。それと同時に、強烈な爆発が反対側で巻き起こって。

 崩れる体は、重く。浅く積もった雪に、その身を沈め。

 

 静まり返った、廃寺。地に伏したアラガミと、銃を構えた一人の、少女。

 彼女が、口を開く。その言葉を私は、この両の耳で、しかと、聞いて。

 

「私で、よければ。喜んで」

 

 緩やかに降る雪。微かに感じる冷たさを、頬に受けながら。

 何処か、嬉しそうに告げる少女へ向けて、私は。一人、薄く笑みを零した。

 

 

 



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十 鼓動

 

 

 紅い獣が、一陣の風となって駆け抜ける。疾風というには余りに余裕に満ちた動きで、しかし、それは何処までも暴力的な、嵐にも似た力の奔流。

 過ぎ去り際に、数度斬りつけ。斬りつけながらもこの身は、獣の爪に抉り取られて。他のヴァジュラ神族……その中でも特に強力な、ディアウス・ピターのそれさえも、比べものにならない程の速度、威力。

 姿形こそヴァジュラに似。しかし、その能力は根本的に別のアラガミ。一体の妖怪を取り込んでこれならば、元々の妖怪としての彼女の力は、どれほどのものなのか、なんて。

 助け出せば、分かる事。今は、そんな疑問は闇に捨て。構えた神機に意識を這わせ、次なる攻撃に備える。

 

『見えてるよ。貴方の運命も……食べたければ、食べるがいいわ』

 

 再度の、突進。構えた神機は、黒い狼のそれに変化させ。彼女の読み通り、突撃を紙一重でやり過ごすと共に、その翼の端に、牙を立てる。

 引き千切り、噛み千切り。咀嚼する間も無く呑み込んだ、彼女の力の一片。取り込んだ力は、自身のオラクルを活性化させ。得た能力は、バレットとしてこの神機に蓄えられ。

 

『小賢しいわね。人間らしくて、嫌いじゃないよ』

 

 それは、明らかに人間を下に見た言葉。アラガミとしてではなく、取り込まれた彼女の抱いた思い。人と魔物の間の、埋まらない力の差の、一片を感じつつも。

 止まりなどは、しない。出来る訳が、ない。もしかすると、彼女を救うチャンスはもう、訪れないかもしれないのだから。

 

『人間のそういうところも、嫌いじゃないわ。でも、勇気と愚かさはやっぱり、違うものじゃない?』

 

 紅い瞳は、更に紅く。放つ気質は、妖怪の持つ怪しげな……恐怖の、具現。

 本能が、危機を察知する。咄嗟に開いたシールドは、一瞬の後に突き立った衝撃に、軋み。

 

『神槍、スピア・ザ――』

 

 盾は、弾け。飛び散ったジョイントパーツが頬を打ち、その痛みに顔を顰める暇こそあれ。

 

 砕けた盾の向こう。掲げた爪は、やはり、紅く。

 肉を抉り取られ。吹き出した血の色さえも、光に、霞み。小さな人間の意識は、闇に……

 

 

 

 

 

 

 落ちた、結果。

 再び開いた眼が捉えたのは、見知った天井。自身の熱に温められたのであろう、暖かなシーツに覆われた身体。そして。

 包帯の巻かれた胸に感じる、微かな痛み。どれだけの間眠っていたのかなど知りもしないが、ゴッドイーターの……半ばアラガミと化した身体でさえ回復が追いついていないこの傷は、あのヴァジュラに付けられたものか。

 

「……また、無茶したんだね」

 

 扉の開く音。その駆動音に重なる声。

 白く脱色した髪に、頬に付いた機械油。その顔付きから感じるのは、幼さと、何処か落ち着いた冷静さ。ゴッドイーター達の神機の整備を引き受ける少女、楠リッカ。そういえば、前にも。こんなことがあったか、と。目覚めたばかりで回らない頭で、考え。

 思い出せば、そこには。やはり、今と同じように、悲しげな顔をした、彼女がいて。

 

 また、無茶をした。彼女は、こうやって自分が無理をして危険に晒される度……いや、きっと他の皆が無茶をした時も同じ、か。酷く、酷く悲しそうな表情を浮かべる。

 あの時、シオ……星を喰らうアラガミ、ノヴァが現れ世界を喰らい尽くすという、終末捕食……世界の終焉を引き起こそうとした事件の、最後のキー……人の姿を、心を持ったアラガミを匿ったその時にも、彼女は俺たちの側に回ってくれた。

 そんな、優しさと。信頼と。暖かな温もりを抱く彼女だからこそ。

 その表情が、胸の傷より遥かに、痛くて。その寂しげな顔を直視出来ずに、顔を背ける。

 

 無言。

 元より多くない口数を、更に減らして。沈黙に包まれた世界で二人。

 

 ベッドの端。華奢な身体の、その重みを預ける彼女の姿を、視界の端で捉えて。再び口を開くのを朧げに確認しながらも、焦点を合わすだけの勇気は……例え、アラガミとの戦いに命をかける勇気こそあれども……持ち合わせては、おらず。

 

「……でも、今回の無茶は、自分の身を守る為の無茶だもんね。仕方がない、よね」

 

 彼女も、分かっている。この仕事は……ゴッドイーターは、危険から離れることなど出来はしないことを。どんなに親しくなろうと。どんなに、大事な存在となってしまったとしても。脳裏に描いた、幾つもの笑顔は。

 いつか。本の少し、本当に、本の少しの間、目を離した隙に。風に吹かれた灯火の様に、揺れて、消えてしまうのだろう。

 

「……すまない」

「謝らなくて、いいよ。精一杯、生きるために戦ったんだから……でも」

 

 彼女の口調は、優しく。しかし、何処か強く。まるで、自分に言い聞かせるように。

 そんな。そんな、見て分かる、強がりが。とても、とても痛ましくて。

 

「頑張っても、頑張っても……君達、は……いつ、か……っ」

 

 彼女が、近付く。顔を上げれば、其処には。

 頬に雫。二筋の流れを抱いた、彼女の顔。その瞳は、既に、閉じられた後で。

 

「……っ」

 

 彼女の、淡く煌めく白髪が、包帯を巻いたこの胸に埋まる。胸に感じた、傷の痛みと、暖かな重み。この、包帯越しに感じる彼女の嗚咽を。胸の奥底から湧き上がる、感情の波を、持て余して。

 思わず回した手は、彼女を抱きしめ。しかし。

 その腕に力を込める事などは。出来は、しなかった。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 少女の去った研究室で一人、座り慣れた椅子に深く、深く腰掛け溜息を吐く。

 思い出すのは、先の記憶。不死の少女との会話。

 

「……駄目だね。君に神機は振るえない」

「なんで」

 

 長い白髪、紅い衣。彼女、藤原妹紅は、元居た世界のそれとは異なる、異郷の服に身を包み。内に抱いた不機嫌な心情を隠そうともせずに、眼鏡を掛けた切れ長の瞳を睨みながら……その目の持ち主、私サカキに、疑問と苛立ちを孕んだその言葉を遠慮一つせず突き立てた。

 

「偏食因子との適合率は高い筈なんだけど……君の体の中では、何故か偏食因子が死んでしまってね。君の身体が拒んでいるのだろう。興味深い」

「興味なんていらないから。どうにか出来ないのかしら?」

 

 食い下がる彼女の瞳の奥には、炎が揺れ。それは、比喩や例えではなく、本当に……紅い光が、その深く透き通った闇の向こうに煌めいていて。彼女は人間であると聞いていたが、やはり、不死。人とは異なる、人知を超えた力を内に秘めていることが、その容貌からも窺い知れる。

 何と無く、子どもの泣き出しそうな目だな、等と失礼なことを考えながら――それも、見透かされたように鼻で笑われながら。言葉を、返す。

 

「無理だね。偏食因子を取り込んでいない人間が神機を扱えば……神機は身体を蝕み、喰らい、アラガミと化す。丁度、君達幻想郷の住民のようにね。君はまた、アラガミに……ん?」

 

 違和感を感じる。偏食因子は彼女の体の中では生きられず、彼女は、ゴッドイーターになれない……?

 

「……いや、そんな筈は無い」

「何がよ」

「いや、なんでもないんだ。忘れてくれ」

 

 そう。そんなことが罷り通るならば、そもそも彼女は アラガミなどになってなどいない筈なのだ。彼女自身に、アラガミによる捕食を防ぐだけの力があるはずは、ない。

 しかし。もし、仮に。彼女の持つ不死性がそれほどに強いものであったならば……などと。不確定な、根拠のない思考を拭い捨てる。確信の無い行為で、再び彼女の身を危険に晒す事などは、出来ない。

 そして、そのまま。不機嫌に部屋を出た彼女の後ろ姿を脳裏に描きながら、再度、深く椅子に座り直し。ほうと、一つため息を吐き。

 

「……ままならないね……」

『お疲れ様ですわ』

 

 突然の、声。弾かれるように、その、振動の先を辿った、私は――――

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 一つ、また、一つ。

 一つ。一つ。

 そして、また、一つ。

 揃い始めたパーツは。失われた欠片は。しかし、全てがまだ、この手の上。巫女は、彼女は、取り戻したつもりなのだろう。彼女は、吸血鬼は、私の邪魔をしてやったと、その顔に笑みを――最も、今の姿で笑みなど、浮かべようもないが――湛えているに違いない。

 が。

 

『……無駄よ。何もかも……』

 

 六本の足。光り輝く鬣。両の手に備わった、神の顎。

 なんと歪な姿に身を堕としたものか。妖怪の賢者が、彼の素戔嗚が、この様。だが、しかし。

 

 この身に宿ったのは、紛れもない過去の力――――神の力。大地を揺るがし、大海を握り。荒び。荒ぶる力。荒れ狂う神の力。

 懐かしい。ただ只管に、懐かしい。

 

『……天津神、国津神、八百万の神等よ』

 

 呟きは、空へ。降りし神々へと、この、言の葉を投げる。連なる八雲は、聳え立つ八重垣は。全ての神々の願い。全ての神霊の悲願。

 

 時が迫る。私の計画は、神々の祈りは。全て、其処で。

 其処で、叶えてみせる――――

 

『支部内にアラガミが侵入! 現アラガミ位置は……サカキ博士の研究し――――』

 

 剣の一刺しと共に、一人の男を捉え。爆ぜるのは、喧しく喚き散らす外の魔法。どうせなら、音楽の一つでも流してみればよいものを、なんて。狩る側だからこその余裕を持って、腕の中の男を見やる。

 

『お初にお目に掛かりますわ、人間の賢者。私の名は、八雲紫。以後、お見知り置きを』

「……君も、幻想郷の妖怪、かい」

 

 人のものでは無い異形の腕に捕らわれながらも、落ち着き払って彼は言う。成る程、捕らわれの身と言えどもその様は、器は、賢しき者のそれ。この、絶望的な世界でも、人間たちがしぶとく生き永らえる訳である。

 

『ええ。卑しき地上の妖怪でございます。今日は、私の所の人妖達がお世話になっているようなので、そのお礼に参りましたわ』

「礼、と言うには少々手荒な気がするけれど……これは、ハグのつもりかい」

『いいえ。いつでも握り潰せるように』

 

 だろうね、と。半ば諦めたように、彼は体の力を抜き。随分とあっさりとした降伏と、何処かコミカルな仕草に思わず、笑みが零れる。

 

『お早い諦めですこと』

「私は老いぼれの研究者だ。若者のような活力は残っていないのでね」

『そう。だから、道具に頼るのね』

 

 私の腕の隙間。彼の服の裾から落ちた、一つの物体を、境界を開き呑み込んで。

 刹那。その、スキマの先から漏れ出る、眩い光。スタングレネード、というものだろう。小賢しいと嗤うのは簡単であるが、これも、人の知恵。鬼さえ討ち取る人の頭脳の成したものと思えば、懸命に足掻くその様に可愛らしささえも感じ。

 腕の中で足掻く、小さな命を弄びながら。彼女が現れるのを、静かに待ち続ける。

 

「……君は」

 

 男が、口を開く。言葉に宿るのは、私の行いに対する非難でも、生き永らえるための媚びでもなく。唯、純粋な疑問の念。

 

「何が、目的なんだい? 八雲紫の名は、霊夢君から聞いている。幻想郷を守る結界を張り、守り続ける妖怪であると。しかし、私には……幻想郷にアラガミを送り込んだのは、君のように思えるのだが」

『……霊夢が、そんなことを?』

 

 頷く、サカキ。私の前では、間違えても口に出さないであろうその言葉を聞き、彼女の密かに抱く私のイメージに、頬が緩み。そして、少しだけ後ろめたい。

 

『その通り、と、言っておきましょう。幻想郷とこの世界を繋げたのは、私。この、八雲紫でございますわ』

「それは、何故――」

 

 彼の言葉を遮るように。冷たい、無機質の扉が開く。開くと共に、視界に飛び込むのは……そして、私目掛けて飛び掛かるのは、一つの、赤。

 

「紫ッ!」

『久しぶりね。霊夢』

 

 彼の、サカキの体を、解放すると共に、振り下ろされる剣を、尾を以て弾き。久方ぶりに見る彼女の姿に、思わずまた、笑みが零れる。

 

「動かないで。今すぐに引きずり出してやるわ」

『……霊夢』

「煩いッ」

 

 巨大な剣。神を殺す刃。それを、軽々と振るう彼女もまた、アラガミの力をその身に宿しているのだろう。幻想郷を取り戻す為、自身が生き残る為。小さな人間は、その、短な手足を必死に振るい。

 

「あんたは……紫じゃないッ! あいつは、あいつは……ッ!」

 

 再び、剣尖が私に迫る。それは、幻想郷に居た頃よりも、ずっと速く。ずっと、重い一撃。しかし。

 受け止めるのは、易しく。軽く尾を振るっただけでも、彼女の手から、剣は弾かれ。伸ばしたその手を、私は、踏みつけ。

 

『……どうしたのかしら、霊夢。これなら、昔の方がまだ強かったわね』

「ッ……!」

 

 睨んだ所で、何も変わらず。彼女の腕は、私の前足の下に押さえ付けられ。折れない程度に力を抜いてはいるものの、足に伝わるのは、彼女の肉が傷付き、骨が軋む感覚。それなりに長く付き合ってきた彼女を傷付けるのは、それなりに胸が痛みもする。が。

 

『……もう、離しはしないわ……霊夢』

 

 足音が近付く。これ以上、此処に留まる時間は、無い。彼女の、体を腕の顎に咥え。私は。

 

 開いた境界へ。この、体を滑り込ませた。

 

 



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十一 神骸

 

 空は暗く。放られた体は、黒く澄んだ、空の下へと投げ出され。妖しく輝く、紫色の光に照らされて。

 私は。刃の一つすら、手に持たぬ、私は。大幣すらも持たぬ、私は。

 青い月の下。開けた空の下。しかし、不可視の。目には見えない結界に覆われ、四方を覆われた無機質の大地に、この身を打ち据え。走る痛みに、漏れ出す呻きを噛み殺し。

 

 彼女の前に、立つ。

 

『ロマンチックね、霊夢。向かい合った思い人が、星空の下で二人』

「……巫山戯ないで」

 

 言葉を、蹴る。戯れは、要らない。

 

「……こんなところに連れて来て、どうするつもり」

『別に、私はどうも。行動を起こすのは、貴女よ』

「何の話よ」

 

 彼女は、薄く笑う。白く、石造のように形を変えた……その、顔を以って。

 何処か。何処か、嘲りを孕んだような。しかし、酷く優しげな――

 

「笑うな」

 

 声を、突き立てる。しかし。

 

 笑みは、止まない。止まない笑みを、私は。

 

「その顔で……」

 

 浮かぶ身体。力任せに懐から掴み出した符を空に掲げ、そのまま。退治するその、『アラガミ』へ向けてスペルカードを宣言する。

 

『ここは、幻想郷では……』

「煩い黙れッ! その顔で笑うなッ! 夢符『夢想封印』!」

 

 符から、私から溢れ出す虹色の閃光。丸く丸く膨れ上がった霊力の塊は、私の周りを回り、舞い、その速度を乗せて。デタラメな照準、軌道を以ってアラガミへと踊り掛かり、ぶつかり、爆散し。

 それでも。それは。アラガミは変わらず、其処に居て。

 

『……霊夢』

「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ!」

 

 声を遮り。新たな符を引き抜いて。(あいつ)の声で笑う、化け物へと向けて。

 

「霊符……」

 

 新たなスペルを。宣言し、振りかざさんと、した、その時に。

 

 唐突に鳴り響く、何かが割れる甲高い音。硝子が叩き割られる音のそれによく似た……そして。

 

『紫ッ!』

 

 声。聞き慣れた、その、少女の声は。

 走る亀裂、崩壊する不可視の壁。舞い落ちる結界の破片。霊力の欠片と共に。

 

 紅い獣は。金属質の大地へと降り立って。

 

「レミ……リア?」

 

 先の声は。間違いなく、彼女のもの。紅い紅いそのアラガミは……ヴァジュラのそれに似た、その姿は。

 

『……随分と、大きく出たじゃない。紫。自ら動くなんてらしくないわね。冬眠でもしてる方があんたらしいよ』

『そうね。そろそろ眠りたいところですわ……皆で』

『ふん。私はさっき起きたところなんでね。一人で寝てればいいよ』

 

 獣は。レミリアは、宣い。二体の妖怪は……アラガミは。対峙し。

 

『私は、霊夢に用があるの。退いてくださらないかしら』

『此処で退くなら、態々来やしないよ』

 

 獣は、吐き捨て。翼を広げ、霧を放って。

 紅い魔力。青い青い月を、紅く紅く染め上げたその、禍々しくも懐かしい……

 あの日。紅い霧に包まれた、郷で。館で見た姿を。そこに、視て。

 

『霊夢は渡さない。何をする気か、なんて知らないけれど』

『そう。なら、奪ってみればいい。例え貴女が邪魔したところで、結果は変わらないのだから……霊夢』

 

 名を。私の名を、呼ばれる。

 いつかの。いつかの、彼女のように、優しく――

 

『私は一度退くわね。貴女の……新しい仲間達も来たようですし。だから、今の内に謝っておくわね……』

 

 ごめんなさい。と。寂しげに。呟いた、彼女は。

 

 尾に備えた剣を以って、空を切り。その隙間に、体を滑り込ませて。妖しく輝く、その姿が。視界から消えると、同時に。

 

 慌ただしく。焦燥に駆られた足音。人の声。ゲートの先から走り寄る、彼らの姿を、視界に映して。

 

『……霊夢』

「……何」

『私と一緒に来なさい』

 

 何故、と。返事をする事さえ、ままならず。

 続く。彼女の言葉を、聞く。

 

『紫は、貴女を狙ってる。目的は知らないけれど。アイツはまた、貴女を捕まえに来るわ。彼奴らに……』

 

 彼女は。近付く、ゴッドイーター達を一瞥して。

 

『彼奴らじゃ、貴女は守れない。私が守った方が、余程安全だわ』

「……嫌」

『……なら、言い方を変えるわ。ついてくる? それとも、紫の手に渡る前に、私に殺される?』

 

 言葉が、胸を穿つ。

 再び此方を、私を見る彼女の瞳は。灯る光は。

 妖怪の。友として語らう、瞳ではなく。殺意を秘めた、妖怪のそれで。

 

『……そうね。実際に見れば分かるわね。私と、彼らと。何方なら貴女を守り切る可能性が高いか』

 

 言葉の意味を。理解、すると共に。

 

「やめ……やめ、て……」

『神槍……』

 

 やめて、と。叫ぶ声は。

 

『スピア・ザ・グングニル』

 

 放たれた、紅い槍の。宣言された、スペルの。光に、声に、呑まれて。

 私の視界が。世界が。唯々、紅く。崩れる音だけが、鳴り響いた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 突然の遠距離攻撃。紅いヴァジュラの放った光の槍は、ゲートを破壊し。爆風と、爆煙。咄嗟に開いたシールドを以って、無数の破片から身を守る。

 ソーマ。コウタ。カノン。魔理沙。咲夜。緊急事態だからと無理を言い、連れて来れるだけ連れて来た、仲間達へと視線を向ける。

 

「全員、負傷は!」

「無い! それより!」

「分かってる! 先に行く!」

 

 立ち上る煙を切り裂き。槍を放ったその、標的へと向けて剣を構えて。

 駆ける、駆ける。その、紅い身体を裂いて。霊夢を取り戻す、その為に。

 

『あら。今ので死ぬと思ったのに』

 

 余裕に満ちた言葉とは、裏腹に。振り上げた爪は、鋭く、凶悪な……

 

 全力で振り抜いた刃は。容易く、爪に弾かれて。通常のヴァジュラとは桁違いの、重い一撃。彼奴が敗れた……フランドールの姉とは。こいつなのだと理解して。

 

『フランの匂いがするねぇ。元気にしてるかしら』

「……お前も、すぐに引き摺りだしてやるさ」

『ふふ。震えながら言ってもねぇ』

 

 気付けば。神機を模した、刃を握る両の手は。

 

「……武者震いだ」

『認めてもいいじゃない。怖いんだろう? 私が。無理もないわ』

「黙ってろ。今直ぐ、その身体から引き剥がしてやる」

『出来るならやってみなよ……咲夜!』

 

 途端に。俺と、獣。刃と牙の、その間に。

 

「此処に。お久しぶりですわ、お嬢様」

 

 メイドの姿。その瞳に宿るのは、紅い、紅い。獣と同じ色の、紅で。

 

『元気そうで嬉しいわ、咲夜。ちょっと、この子と遊んであげてよ』

「仰せのままに。お嬢様」

 

 言葉を、置き去りに。メイドの姿は、虚空に消えて。

 

 背後に感じた殺気。振り向き様に剣をかざした、その、刹那。

 響き渡る、金属音。続けて、襲い来る刃。

 

「咲……ッ」

「ごめんなさいね。私は……お嬢様のメイドだから」

 

 謝罪の言葉とは、裏腹に。繰り出される斬撃と、揺れる瞳。時を止める度に背後を取られ、神機の。本来ならば、アラガミを殺す為に振るわれる、刃の猛攻を耐え凌ぐ。

 

「目を覚ませ! お前は……」

「覚めてる。お嬢様のメイド。お嬢様の意思は、私の意思よ。お嬢様の意思がアラガミに囚われたならば、何としてでも助け出すつもりだったけれど……」

 

 後方へと飛び退く俺の、鼻先。空を切る刃と、空気の流れ。

 

「お嬢様は、御自身の意思を失ってはいないようですので。ならば、私はお嬢様の手として……それに」

 

 剣を振り上げる、彼女の。頬に伝う、雫。

 

「やっと。お嬢様に会えた。お嬢様から、命を受けた。私は……」

 

 幸せだ、と。言葉は、発することなく。しかし、確かに、そう呟いて。

 

「十六夜さん!?」

『あなた達は、私が遊んであげる。精々、足掻きなさいな』

 

 視界の端。カノンの声に目をやれば、アナグラの仲間達と、ヴァジュラの戦闘が映り込んで。俺も、いつまでも咲夜の剣を受け続けいる訳には行かない事を知り。

 

「……やるしか、ないのか」

「今更」

 

 剣と剣は、鍔迫り合い。紅い瞳が、刃の放つ火花の向こうで煌めいて。

 時間がない。打てる手も、一つしか、無い。

 

「殺さずに済ませる。怪我の一つは覚悟しろ」

「甘過ぎる。貴方こそ、殺す覚悟が要るんでなくて?」

 

 殺すのは。アラガミだけで十分だと吐き捨てて。俺は。

 

 彼女へと振るう。アラガミを殺す、この刃を。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 銃撃音。破砕音。

 刃物が空気を切り裂く音。光の煌めき。爆発音。悲鳴と怒号。視界に映り込むのは。

 彼女の体でも。また、彼女の瞳のそれでもない、赤。赤。赤。

 

 この手に、神機は無い。スペルカードによる、遊びは。此処では、何の意味さえ持ちはしないのだ、と。

 今更。本当に、今更。思い知らされて。

 知ったつもりでいた。故に。私は、武器を。神機を手に取って。得た力を以てすれば、きっと。全て、全てが解決すると。この、『異変』も。解決することが、出来るのだ、と。

 信じてきた。信じてきた、のに。

 

 博麗の巫女が。巫女が。この様か。

 

「霊夢!」

 

 膝を付き。いつ、溢れ出したかも知れぬ涙に濡れた。そんな、私の名を呼ばれる。

 滲んだ視界。見慣れた、黒白の彼女は。

 

 やはり。傷付き。赤と、黒の血に、塗れていて。

 

 咲夜とリンドウ。レミリアと魔理沙と。アナグラの仲間達。殺し合い。喰らい合い。

 

「嫌……嫌」

 

 息が苦しい。涙が止まらない。

 何故。何故、なんで、こんな。何が、何が悪かったのか。私達が。何を。何故。

 

 人間(わたしたち)が。何を、したと言うのか。

 

「――掛けまくも、畏き……」

 

 呼び掛ける。問い掛ける。あの日と変わらず。この(そら)を照らす、その神へと。尊き、貴き。その、神にへと。

 巫女として。それ、以前に。一人の、人間として。暗い、暗い。神の隠れた空を仰いで。眩く、世界を光で満たす。神の声を、求め。求め。

 続く、続く呟きは。誰にも。人にも、妖にも届きはせず。只管に、唯、只管に。その声を。姿を、求めて。

 

 世界が遠のく。喧騒が、狂乱が。夜の闇へ。舞い降りる光へと溶け、静まり、聞こえるのはこの、言葉の響き、だけで。

 

「――天照大御神」

 

 夜の闇を。この、悪夢を。その、全てを照らす、日の光で――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――光で。この、悪夢を。

 

 

 

 

 

 

 止めて。止めて、欲しかった。

 

 欲しかった、のに。

 

 

「あ……あ、あ……」

 

 

 落とされた、巨大な影。光り輝く影。白い影。

 呼び掛けに応じ。この地へと降り立った、白い白い体躯は。赤い身体は。夜の闇を払い、燃え盛る日の光を以て視界を染め。絶えず光を放ち続ける、その。神威は。

 私へと迫り来る。姿は。

 

 アラガミ。いつか見たデータベースに描かれた、アラガミ、アマテラスの姿の。それで。

 

「……そういう、こと」

 

 身体の力を、抜く。もう。何も出来る事などありはしない。今更気付いても、全て、全てが遅過ぎたのだ。縋るものなど既に無く疾うの昔に、自ら捨てた。

 

 求めた。神の答えは。そう。

 

 全て、全て。私たち、人間の……

 

「自業、自得――――」

 

 

 

 

 

 形が、重なる。

 

 

 

 

 神の、その、哀しみに塗れた、身体が。

 

 私の、この。小さなヒトの、肉を、食らって。

 

 

 



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十二 思いと交錯

 

 傷だらけの身体。痛む左脚。

 満身創痍、と、言った具合の体を、引き摺り、引き摺り。暗い、暗い、地下通路を。無機質な、灯り片手に進み行く。長い、長い。暗い、暗い。続く先、闇に飲まれ。見通すことさえ叶わない、地の底を這う。

 

 ――白い、白い光。いつか地底で見た光に似た。しかし、更に。更に白く、純粋な……光は。あいつを飲み込んで。

 霊夢は。光に消え。咲夜も、また。レミリアと共に闇へと消えた。

 

 霊夢が消え。咲夜が消え。静まり返ったエイジス、その後の、アナグラ。

 

 残された、私は。私の行先は。一人を除いて、誰にも知られてはいない筈。あいつならば、私を止めることも無ければ、他者へと伝えることも無いだろう、と。それなりに、長い付き合いだ。長い付き合いであっても、あいつは。私が無謀な一手を打たんとする様をその目で見ても、止めること等無く。くつくつと喉を鳴らして。私の転がり落ちる姿を眺めることだろう、と。足掻く様を見て笑い。求めれば手を貸し……無論、それも。伸ばされたその手を此方が掴めば、また、同じこと。壊れるまでは眺め続け、飽きれば放り……若しくは、その手で握りつぶす。そんなあいつの事だ。傷に塗れた身体。自由には動かない――人間の体を、これほど疎んだこともない――この、体では。アラガミの一体でさえ、退けることは出来ない、と。私の邪魔をすることもなく。そして、神機を振るうことなくアラガミを倒す術を持つ……あいつなら、きっと、私の力になってくれるだろうと。戯れに手を貸し、足掻かせ続けるだろうという。勝手な期待を胸に、この、暗い暗い地下通路を進み行く。

 

 目的地は、エイジス地下。残された実験施設。私の予想が正しければ、其処に。あいつを取り戻す……若しくは。

 この手で、止めを刺せるだけの。力がある筈だ、と。これも、希望。私が勝手に抱いた……不安要素は、多過ぎる程。しかし、それでも。

 

「もう、これしか……」

「希望が無いって?」

 

 闇の中。深い、深い。温かみの一つさえ無い、冷たい闇の中から響く、一つの声。それは、私を嗤うように。心の底から、嘲るように。私の、鼓膜を震わせて。伝えるだけ伝えておいて、いつ実行に移すかも知らせず。それでもこいつは、やはり。私のことを眺め続けていたようで。

 

「……そうだ。私は人間なんでな。ここまで体が駄目になれば、やれることなんてありゃしない」

「そうかしら。自分が動けないならば、頭を使えばいいじゃない。例えば」

「お前を頼る、とかか? どうせ代償を求めるんだろう。今は契約なんざしない。体はくれてやってもいいが、そう簡単に魂までは渡しはしない」

 

 提案を、持てる限りの力を以って。吠えれるだけの言葉を以って……虚勢を以って。今は、まだ。その、言葉を蹴り飛ばす。

 私は。まだ、自分の力で。あいつを。霊夢を……

 

「でも、その癖……こうして、私に頼ってるじゃない。私にこの事を伝えたのは、その為でしょう? それは、契約と何が違うの?」

「別に頼ってなんかいないさ。お前は私に勝手についてきた。今はそれだけで十分だ。お前に頼るのは本当にどうしようも無くなった時。お前は」

「保険って言うのね。死ぬくらいなら、ってこと?」

 

 言葉通りの、私の企み。返す言葉も無ければ、軽口を叩くだけの余裕も無く。表情に出たか、沈黙から読み取ったか。彼女は。

 

「嫌われてるね。そんなに私の手を握りたくない?」

 

 やはり、喉を鳴らし。突き出した自身の手を数度、開き、閉じを繰り返しながら嗤う、耳障りな声。私の胸の奥に爪を立て、抉る……本人に、その意思があるのかなど、知る筈もなく。只、その。小さな、笑い声に覗く。

 何かを諦めたような、微かな悲哀を見て。

 こいつも、また。共に、共に。自分達の世界を奪われた……仲間である、と。私が欲した。涙まで流して欲した。故郷の……

 

「魔理沙」

「……なんだ」

「私を信じないのは、いい。悪魔だし、私だし。信じれないのは、構わないけれど。でも、言うだけ言っておくよ」

 

 気付けば、伏せていた。顔を、上げれば。其処には。

 

 笑う、フランドールの姿。真っ直ぐな。狂気の欠片さえ見えない。紅い、紅い、澄んだ瞳。

 

「足掻くなら。私も、一緒に足掻きたい。あなた達と一緒に。その手を取って。もう。大事なものが壊れるところは見たくない。遠ざけるんじゃなくて、自分の力で守りたい……それは」

 

 それは。魔理沙(あなた)のことも、と。

 

 言葉は。私の胸の、奥底。深く、深くを、確かに、穿ち。

 

 言葉を。返すことさえ出来ず。帽子の淵を、目深に。緩んだ涙腺。崩れかけた。この顔を、隠して。

 

「……すまん」

「いいよ。求められれば、力にはなるから……自分の力で足掻きたいんでしょう? 変わらないね、魔理沙も」

 

 そう言って、笑い。力無く、笑い返して。

 

 私たちは。一つの扉。目的の扉に辿り着く……が。

 

「……誰か、来たのか?」

「何か、の間違いじゃない?」

 

 無理やり……爪だか、牙だか。恐らく、人間ではない何かに……神機を使えば、人間でも可能ではあるのだろうが……破壊された、金属室の扉。その先に続く、物音は疎か。生き物の気配一つしない。深い闇へと灯りを向けた所で、奥まで見渡す事は叶わず。

 恐らく此処が、目的の部屋。かつて、終末捕食を引き起こすアラガミ、ノヴァの研究が行われていた、研究室。前任の支部長、ソーマの父親、だったか。そいつの計画は、此処で行われていた筈で。それが、どういう訳か。こうして扉は無残に壊され。生き物の気配は感じないとは言え、気配を消す程度の、その辺の妖怪だってやってのける。何が潜んでいるかも分かりはしない。

 

「入らないのかしら」

「……入るさ。だが、用心に越したことはない」

「そう、なら」

 

 言うが早いか、止める間もなく。ふらりと一人。闇の中へと、フランドールは歩を進め。人間の目では、只々黒く。深く続く闇の中。吸血鬼にとってはこの暗闇も、大した障害にはならないのか、と。

 

「……大丈夫。入ってもいいよ」

 

 闇の中から響く声。他に、物音も聞こえず。彼女の言葉を信用し、一歩。闇へと踏み入れて。

 手の中の灯りは、頼りなく。ぼうと輝く、フランドールの翼の光の方がまだ、範囲が広い分頼りになって。暗闇に浮かび上がった冷たい棚や、机……何者かの侵入と、恐らく、それに伴い破壊された棚や、扉が転がっているのを除けば。随分と、片付いた。肝心の中身、資料や、偏食因子のサンプル。何でも良い。何か、少しでも。私を助ける、力となるようなものは……一つも、残されてはおらず。

 

「……普通、こんな場所に放置はしないよな」

「でも来たんだ」

「流石に、研究室からは借りれないからな。摘み出されるのが関の山だろう」

 

 半ば、分かっていたようなもの。此処に残されていないならば、この実験施設の資料は全て、榊が回収してしまったのだろう。此処に、私が望むものなど無く。此処以外にも、私の望むものはない。

 どうしようもなくなった、とは。こういう時に吐き出す言葉か。そして、続く。助けを乞う、その言葉。

 

「……フラン」

「何かしら、魔理沙」

「お前の力、を……」

 

 振り向きざま。暗く沈んだ部屋の隅、視界の端に映り込んだ、吹き飛ばされた扉、棚の残骸。それらが、覆い隠すように。

 覗く、一つの扉。引き寄せられるように開いた、その、先。

 

「……これだ」

 

 暗い部屋の中。微かに光を放つ、その、姿を見て。私は。霧雨魔理沙は。

 人の身を捨てる、覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 何が、起こったのか。

 強烈な光。白に埋まる視界、思わず、閉じた瞼。再び目を開けば、そこには。

 光に飲み込まれた霊夢(あいつ)の姿。それを見るや、否や。視界から消えた、咲夜と。歪に開いた、ヴァジュラの顎。

 そして。カノンの叫び声。あいつは、咲夜の名を。目の前でアラガミに呑まれた、彼女の名を――

 

 

 目を覚ます。目に映るのは、暗い部屋。白い天上。星空の見えない。そして。

 傍ら。椅子に座り。俺の眠る寝台に身を預け、眠る、彼女の姿。

 

「っ……」

 

 身を起こそうとすれば。体中に走る痛み。重い体と、巻かれた包帯。思わず零れかけた呻きを噛み殺し、寝台の上。体を起こし。息を、吐く。

 

 どれだけ眠ったのか。壁に掛かった時計。日付が変わっていないのであれば、数時間の眠り。どうやってここに運ばれたのかも憶えておらず。只、思い出せるのは。

 最後。霊夢が、咲夜が。アラガミたちが立ち去った、エイジスの静寂。崩れ落ちた仲間達の姿。鈍い、鈍い、膝を付く音。

 

 終わったのか。全て、全て。俺たちは。仲間を救う、ことさえ出来ず。それどころか。これから、何が起こるかも知りえぬ状況、結末を……

 

「……まだ、だ」

 

 足を。

 寝台から投げ出し、強く。強く、踏みしめる。

 

 まだ、動ける。まだ。俺は、生きている。まだ、足掻ける、と。いつか。あいつに下された命令。その時初めて聞いた、奴の怒号。あの時のあいつは。あいつは。やはり。

 逃げることなく。俺を。ならば。

 

「……行くのね」

 

 声が転がる。暗い病室、澄んだ声。俺の愛した、彼女の……

 

「……ああ。すぐ帰る」

「嘘ばっかり」

 

 呆れを多分に含んだ声。しかし。声は、凛と。迷いすらなく。決意の色さえ垣間見え。

 

「……すまんな。少しばかり、時間が掛かるかもしれない。先に寝てていい」

「もう。また、そんな……」

「そうだな。また、だな」

 

 思えば。何度も。いつも、いつも。こいつには、心配を掛けてばかりで。そして、それは。

 きっと。これからも、ずっと。ずっと、続く。

 

「また、だ。これからもこうやって、心配をかける。ずっと、な」

「……そうね。ずっと、ね」

 

 戸を、開く。顔は、見ない。見せられない。只々、彼女が。こうして、ずっと、待ち続けてくれる温もりが。唯、恋しくて堪らない。

 彼女の顔を見るのは。帰ってから。全て、全てを片付けてから。それからでも、遅くはあるまい。時間は、機会は。数えることさえ馬鹿らしい。

 それは。戸を開いた先。ずっと待ち続けていたらしい、三人の姿……俺より先に目覚めていたのか、元気なものだと笑いかければ。心なしか照れたように。誇るように笑い返す、ソーマやコウタ、カノンの姿。こいつ等の笑顔も、また。

 

「行ってくる。ビール、冷やしといてくれ」

「はいはい。行ってらっしゃい」

 

 いつも通り。いつも通り。背後に。彼女へ、声を掛け。彼女の声を受け。

 俺は。仲間達と共に。随分と遠く。姿を隠した仲間達の元へ。

 強く。足を、踏み出した。

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 隠れ、隠れ、隠れ。神の体に身を埋め。思いを兼ねて、岩戸を開き。

 神の居ない世界。神の骸の上に立つ。人々は。嘗ての思いを、心を忘れ。神々を忘れ、神々を消して。

 世界は。古き世界を塗りつぶした。ヒトは。カミの思いを。心を。

 

『霊夢』

 

 エイジス。ヒトとして、カミに抗い。人としての生を終えた。この地に佇む私の背に、聞き慣れた声が投げかけられる。

 紫。彼女もまた。私と同じ。自ら望んだわけではなく。自ら踏み入れたわけではなく。引き摺り込まれ、取り込まれ。神の体にその身を埋めた。今ならば、彼女の思いが良く分かる。

 

 人を。憎んだわけではなかった。人を。怨んだわけではなかった。只々、自身等の子が。自身等を否定し、消してゆく。そのことが唯、唯寂しくて。

 

『……不思議ね。こうして、立つ場所を変えただけで。こんなにも、あんたの気持ちが良く分かる』

 

 それは、痛いほど。胸を裂き。熱く煮え。体から這い出さんとするかのよう。

 

『今の貴女は、神の一。この、私達の居た時代よりも、遠い遠い未来。人間に忘れ去られた神々の思いが、直接流れ込んでいる。一つになるまでは、分からなくても無理はないわ』

『……そう。私は』

 

 本当に、ヒトではなくなったのね、と。呟きかけた言葉を飲み込み、この、体。白く輝き。紅く輝き。天球に貼りついた星空の下、明るく、明るく世界を照らす。力に溢れた巨体を見下ろす。

 これが、カミか。本当に、これが。この、歪な姿が。私達の信じた――

 

『霊夢』

『分かってる。もう、拒まない』

 

 拒みなどしない。私は。私は、彼女と共に。紫と共に。

 

 世界を。今、もう一度。

 

 

 

 神代から。また、やり直すのだ、と。

 青く、青く染まった。月を見上げて。そう、呟いた。

 

 



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十三 願い

 明るい。明るい地上と、暗い空。星の光、月の光。日の光。光に照らされ、揺れ、滲む。海を眼下に、無機質な。大地の上に強く立つ。

 

 エイジス。佇む、二体のアラガミ。二柱の神。そして、その、どちらもが。

 

 救うべき。大切な――

 

『やっぱり。来たのね』

 

 変わり果てた、あいつが呟く。巨大な体躯、強い輝き。接触することさえ禁じられたアラガミ、アマテラス。その体に取り込まれた、霊夢の姿……彼女の面影を残した、頭部に据えた女神像。その、冷たい瞳と視線を。言葉を交わす。

 

「随分とまあ。でかくなったもんだな、霊夢」

『そうね。見晴らしが良いわ。前よりもずっと、ずっと多くのことが見通せる』

 

 普段と変わらない口調。しかし、言葉に乗せられた……否。あいつにとっては、きっと。意識さえせず。俺たちが勝手に。彼女に対して感じる、畏れ。圧倒的な力の差。それは、まさに、雲と泥。そんな俺たちの。微かに震えた姿を見て、彼女は。目を、細め。

 

『怖いなら。ここで引き返しなさい。別に、態々。追うつもりはないから』

「馬鹿を言え。折角ここまで来たってのに。ここまで来て逃げ帰ったら姉上にどつかれる」

『そう。でも』

 

 声が、震えているわ、と。

 

 苦し紛れに吐き出す戯言。俺の虚勢を一蹴し。彼女は、笑い、笑い、笑って。

 その、笑みの裏。もう、どうしようも無いほどに深く、深く刻まれた溝。硬い、硬い、分厚い壁。俺たちと、彼女と。隔てた、隔ててしまった、悲哀を。

 確かに、見て。

 

「……やっぱり。お前は連れ戻す。俺たちが、この手で」

 

 震えを。抑えきれない体に喝を入れ。

 この、震えが何なのか。強大な力への恐れ。彼女の力への、死への恐れ。いや。

 違う。この震えは。俺が。本当に恐れているのは。

 

 このまま。霊夢が何処か、手の届かない場所へと消える。そのことへの、恐怖と気付いて。

 

『本当に出来ると思ってるの? まだ、震えも止まってないじゃない』

「武者震いさ。今度は、本当に」

 

 剣を振る。空気を断つ。ふつと立てた音は、静寂。辺りを包んだ重苦しい。この澱みさえも、掻き消して。

 

「お前も引けないんだろうが……俺たちも同じだ。退く気は無い。見捨てる気は、無い。今すぐ」

 

 ソーマの声。白い、白い神機の向くは、やはり。白い、白い光。

 

「……ぶっちゃけ、まだ震えも止まらないし。滅茶苦茶怖いけどさ。不思議と、悪いようにはならない気がするんだ。だから」

 

 コウタの声。銃口の先は、光に照らされ、輝き。本当、正直で。真っ直ぐな。そして。続く、震えながらも、強い。決意の籠もった。カノンの声。

 

「霊夢さんだけじゃない。隣の貴女も。そして、十六夜……咲夜さんも。連れて、連れて帰りたいんです。誰も欠けて欲しくないから」

 

 お前を、貴女を。連れ戻す、と。

 

 重なる声。皆、同じ思い。同じ決意。板切れ一枚と変わらぬ希望。けれど。最後まで足掻き、全員で。

 生きて。生きて帰ろうと。

 

「行くぞ、霊夢。ちっと手荒く行くが、勘弁しろ」

『……そう。なら、せめて……』

 

 霊夢の体が。巨体が、浮く。徐々に。高く。空に輝き。

 

『せめて。私の、手の中で……』

 

 熱い。熱い、巨大な輝き。空を焦がし。地を焼き。直視することさえままならない。

 

『眠りに……!』

『つかせると、思うか?』

 

 不意に。空から。何時、現れたのか。宙に浮かぶ霊夢の体よりも更に高く。月の光に紛れて、浮かんだ人影。聞き慣れた声が、声が、聞こえて。

 

『恋符……』

 

 マスタースパーク、と。場違いはまでに明るい響き。刹那。日の光を呑み込んだ。強い、強い。虹色の輝き、酷く暴力的な、光の奔流。

 

 彼女の魔法が、視界を埋めた。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 放った魔法はあいつを捉え。浮かび上がった体を、冷たい大地に叩き落して。

 自分で撃っておきながら、その。馬鹿げた威力に呆れて笑う。

 黒い体躯。霊夢のそれに比べれば、ずっと人間らしく……しかし。明らかに。人間とは異なる、アラガミの体。手にした力。元の体に戻れるかも知れず。知れずとも、構いはしないと。この身を食わせて、乗っ取った。あの時見つけた、人造のアラガミ……初めてこの目で見た現物、アルダノーヴァのプロトタイプ。研究所の奥。天井を、壁を、床を突き破って其処に沈んだ。ノヴァと呼ばれたアラガミの、触手に埋め込まれていたそれに。

 この身を、埋めて。見れば、途端。黒く染まり、歪んだ体。月の光を抱いた男神、光を受けて輝く女神。二つの体に意識を移し。霊夢(あいつ)に張り合う力を得て。

 

『……ツク……いや、魔理沙……?』

『おう、お前よりずっとスマートに変身した魔理沙様だぜ。馬鹿霊夢』

 

 微かに驚きを孕み。しかし、明確な敵意を私に向ける。本当、昔から変わらない。簡単に怒り、簡単に笑う。互い、互いに変わりはすれど、変わらぬ中身に笑みが零れる。

 

『邪魔をしないで。何処か行って』

『生憎、私は人の邪魔をするのが大好きなんだ。お前の一人舞台になんぞさせん』

 

 いつも。こうして。こいつが異変に身を乗り出せば。私が横から出番を浚い。こうして、何度も。何度も、何度も。私たちの居た、幻想郷(あの場所)で。

 立ち位置さえ変わり。姿すら変わり。それでも、尚。

 

『変わらないな、霊夢。何一つとして』

『あんたの目は節穴か。もう、変わってないものなんて一つも無いわ』

『鳥目の癖によく言う。何も変わってなんて無いさ。ほら、もっと周りをよく見るんだな』

 

 視線をずらせば。アラガミと成り果てた私の姿に、驚きながらも、また。武器を構えるアナグラの連中、その姿。

 

『皆、お前の周りから離れようとなんてしない。変わらずお前の側にいる。連れ戻そうとする。私も同じだ。さあ、さっさと戻ろうぜ』

『……何も、何も、知らないくせに』

『お前の都合なんぞ知らん。私は。私たちは、唯』

 

 両手を。霊夢へ向けて、構えて。

 

『唯。お前を取り戻したい。恋符……』

『させると、思ってるのかしら』

 

 背後。感じた、気配。聞こえた、声。私の言葉をそのまま返した。そして。

 禍々しい光。何処までも厄介な。紫の声と、その妖気。

 

『隙だらけよ、魔理沙。これ以上、邪魔は――』

『人のこと、言えないんじゃなくて?』

 

 また、唐突に。現れた妖気と、新たな声。吹き飛ぶ紫の体と、その体に喰らい付く、紅い影。

 

『レミリアッ!』

『一つ貸しね、魔理沙。紫は任せなさい』

 

 金属の曲がる音。地に叩きつけられた轟音。その、音に鼓膜を揺らし。

 

 二度目の。私の魔法を、霊夢へ放った。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 目紛るしく移り変わる戦場。立て続けの乱入。魔理沙までもがアラガミに……しかし、恐らくは、自ら。あの体に乗り込んで。その力に助けられたとあっては、彼女を咎めることさえ出来ず。

 全て、全てが終わったら。魔理沙も。あの体から引き剥がさねばならない、と。決意を新たに、剣を握る。

 

「なんとまあ。騒がしくなったもんだな」

「言ってる場合か。まずは」

 

 大地を蹴り。空を切り裂き、声を漏らせば。傍ら。共に駆け出した……白い神機を握る。奴が、答え。

 

「霊夢を引き摺り出す。ヴァジュラ……レミリアが、紫を押さえ込んでる間に」

 

 視界の端。見れば、絡み合う赤と紫。喰らい合い、ぶつかり合い。暴れ狂う二体のアラガミ。味方かどうかも知れないが、今は。レミリアの力に頼るしかない。

 

「厄介なことに巻き込まれたもんだ」

「本当にな。だが」

 

 さして、悪い気分じゃない。と。迫り来る巨大な腕。回避に身を乗り出そうとした、瞬間。その腕が爆ぜ、撃ち抜かれ、落ちる、その様を見て。

 

「援護する! 止まるな!」

 

 カノンの怒号。銃弾の雨と、巻き起こる爆音、爆炎、爆風が道を切り開き。その、爆発の間を縫うように。正確に撃ち出され、アラガミの動きを牽制する無数の弾丸。コウタの銃撃、その音を聞き。

 霊夢の。長大な足。巨大な足。その一つを。

 

 ソーマと共に。力の限り、斬り付けて。

 

『こん、のッ!』

 

 力任せに振り下ろされた腕、触手、揺れる巨体。体を伏せ、シールドを翳し。重すぎる一撃から身を守って。

 

「ソーマ」

「慣れてないな。動きが鈍い。ここは俺一人でいける。行け」

 

 再び。白い刃が、霊夢の足を穿ち。体勢を崩し、崩れ落ちたその体へ。

 足を踏み出し。肉を蹴り、駆け上がって。

 

「霊夢!」

『ああ、もう……動き難いッ』

 

 放たれる光。自身を傷付けることさえ厭わず撃ち出された、滅茶苦茶な軌道の光弾を、避け、躱し。踏みつけた輝く肉を裂き、断ち、抉り。黒色の血、細胞を別ち。黒い巨人の体を駆け上がった、あの時と重ね。白い体を駆け抜けて。

 彼女の元へ。霊夢の姿、形をした。女神像へと、辿り着き。彼女の体を守るように。突き出し、囲む、角へ、刃を。深く突き立て、向かい合い。

 

 

 

 彼女。霊夢の前に。一人、立つ。

 

 

 

「……終わりだ、霊夢」

 

 

 

 荒れた呼吸。息を吐き。言葉を、投げる。

 

 

 

『……邪魔を、しないで』

 

 

 

 対する彼女も、また。搾り出すように。か細い、声を。

 

 

『もう。遅いの。何もかも……』

 

「何が遅い。そうまでして、何が……何が。お前を突き動かす」

 

『これは、神々の意思。神様たちは、人間を捨てて。世界をまたやり直すつもりでいる。もう。人を、私たちを、見放して……』

 

「それでも」

 

 肩を、掴む。随分と硬い。随分と、人間離れしてしまった。その、体を。掴み。目を、瞳を、見据え。

 

「……それでも。まだ。俺たちは、生きてる。まだ終わっていない。見放されても、まだ。まだ」

 

 まだ。足掻く力は残っているだろう、と。まだ。生きる力は。残っているだろう、と。

 

「生きろ。それだけからは逃げるな。誰かの意思じゃない。お前の望むように。まだ、お前自身。納得し切れてないんじゃないのか?」

 

 言葉が溢れる。思いに任せ。感情に任せ。論理的、なんて物じゃない。それでもいい。唯。

 伝われば。自身の意思を。思いを貫き。最後の、最後まで。あの時見た。彼女の苦悩が。笑顔が。

 行き着く先にあるのは。こんな、こんな終わりではない、と。

 

「お前は。どうしたい。このまま、アラガミとして。俺たちや、故郷の仲間と離れて。それで……」

 

 冷たい肌。頬。零れ落ちる雫を見、そして。

 

『……離れたく、なんて……でも……っ』

 

 雫と共に。溢れ出す言葉。冷え切った相貌。女神の。石の色をした肌は、ぽろぽろと崩れ。

 彼女の。歪み。涙を流す。柔らかな顔が。彼女の顔が、其処に覗いて。頬を流れ落ちる輝きは。絶望に塗れ。道を見失い。それでも、まだ。

 未来を求めた、その証で。

 

「でも、でも……それでも、私は、私は……」

 

「大丈夫、大丈夫だ。一人で背負うな。俺たちも一緒に、どうにか……いや……」

 

 元はと言えば。霊夢(こいつ)は、何も関係ない。神に見放されたのは。神に喰われ、神を喰らい。抗い続けてきたのは。この世界に生きる。

 俺たちに、他ならなくて。

 

「ごめんな。俺たちが好き勝手して。その所為で、お前は。お前たちは……」

「違う。いつか、いつかはこうなった。貴方達の所為じゃない。今まで、今までの……」

「なら。今からでも」

 

 ここからでも。俺たち、ヒトは。

 

「変わる。変えていく。これから。ここから。だから」

 

 剣を引き抜く。形態は、捕食の姿。今まで散々、神を喰らい。飲み込んできた。その姿。

 

「……出来ると、思ってるの?」

「……正直、どうすれば良いか、なんて。まだ、検討も付かない。だが」

 

 変われる。変えていく。これを境に。少しずつ。

 

 

 涙は未だ、流れるまま。それでも。彼女のその顔は。

 呆れたように。しかし。何処か、晴れた笑みを浮かべていて。

 

「これから、考えていこう。難題だ。俺たちだけじゃ、答えは出ないかもしれない。だから」

 

 また。力を、貸してほしい、と。

 この。巨大な顎。獣のそれに似た顎で。

 

 彼女の体。アラガミの身に埋もれた、霊夢の体を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 男の腕。抱きとめられたその温もりに。頬を伝った雫のくすぐったさに。強く、強く。抱きしめられた安らぎに。核たる私を失って、地に倒れ伏す神の轟きに。

 まだ。何も、終わってはいない。何一つとして。只、一つ。一つの区切りがついただけ、と。理解はしつつも、この。吐き出す息の暖かさに。柔らかな体、私の体。包み込む体。彼の体。伝わる熱と、微かな震え。その、全てに。

 安堵を。抑えきれなくて。力の抜けた、この身を。後暫くの辛抱と。全てが終わったら、また。幾らでも、この温もりに身を浸せば良い、と。

 奮い立たせて。彼の。優しい腕から、身を起こす。

 

「……迷惑、かけたわね」

 

 気恥ずかしく。彼の顔を直視など、出来るわけも無く。たった今まで、自身であった。その巨体を見詰め、言う。

 

「気にするな。こっちこそ、迷惑をかけた。お前だけじゃない。色んな……本当に、色んなものに」

「……これから。変わるんでしょう?」

「ああ。解決策なんて、まだ検討も付かないがな」

「それも、これから」

 

 

 考えていくのだと。彼と。私は、約束して。

 

 レミリアと対峙し。静かに。黒い、黒い血に塗れ其処に立つ。彼女へと向け。

 

 

「……紫。ごめんね、これが」

『それが。あなた達の答えなのね』

「そう。だから……」

 

 

 もう。止めにしよう、と。

 

 

『……無理よ。既に。この身に降ろした、彼女は……母様の力は、目覚めつつある』

 

 

 神の選択。人を地上から一掃し。神がまた、世界を歩み。営み。新たな歴史を刻み始める未来。

 彼女の力。その、力の目覚めは、この計画の終末。ヒトを殺め。ヒトを呑み。全て、全てを引きずり込む、その神威。抗うことさえ許されず。全ての生物に、等しく訪れる……

 

 

「……そう。なら」

 

 

 この手に。神機は既に無く。歯向かう力さえ持たず。今。彼女が目覚めたとして。私には、どうすることも出来はしない。縋るものさえ、ありはしない。が。

 それでも。私も、また。彼と。

 

 彼と、約束したのだ。

 

「止めるわ。私が……私たちが。だから」

 

 剣が、風を切る音。銃器が、獲物を定める音。

 紅い獣の唸り。魔女の足音。人と。人に寄り添う魔は。こうして、彼女と。人に絶望し。最早、骸と成り果てた。その、忘れ去られた力の前で。

 最後まで足掻く。決意を抱き。

 

『……無駄よ。もう、どうにも出来はしない。あなた達では……』

「足りないっていうのかしら」

 

 不意に。声が、転がって。声と共に、傍ら。音を立て突き立つ。私の……

 

「……神機……」

「持ってきてやったよ。武器も無しに喧嘩は無理でしょう?」

「魔理沙。貴女の神機、借りたよ。ちょっと、手が痛いけど」

「無理矢理使ってるだけだしねぇ。でも、まあ。妖怪だから死にはしないけど」

 

 手に手に。赤く、血を滲ませながらも。神機を握り締めた、燃え盛る翼。七色の翼。雀の翼。

 そして。

 

「……遅い。何時まで寝てやがる……」

 

 ソーマの悪態。無論、本心では無い、その言葉。声の先に立つのは。

 

 一人の青年。

 リーダー、と。彼等は呼ぶ。この世界、アナグラの。人間達の希望。英雄の姿。

 

「……皆、気持ちは同じみたい。紫……」

 

 今一度。彼女へ。言葉を投げて。投げ掛けた、その顔に浮かぶ……

 優しい。いつか見た、笑み。

 

『……良い。仲間を持ったのね。霊夢……』

 

 零した、言葉は。その、微笑みと同じ。何処までも、何処までも……

 

「紫。あんたも……」

『でも』

 

 

 お別れね、と。

 

 

 私たちと、一緒に。そんな、願いを。言の葉を届けたかった、相手は。彼女は。

 彼女に群がり、纏わり付いた。黒く蠢く。

 

 

 影に、呑まれた。

 



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十四 祈りは永遠に

十三、十四とほぼ同時の投稿となりますので、ご注意を。


 集い、集い、集い。

 空を埋め、星を隠し、水面を這い。覆い隠された空、命の輝き、澄んだ空気。変わり。黒に染め。闇に落ちた。世界の姿は、まるで。

 

 まるで。地の底の、それで。

 

「紫!」

 

 もう。彼女の返事など無く。あるのは唯、黒く、黒く、蠢く。巨大な柱。降り注ぐ神威。全てを抑え。全てを超え。深く、深く。闇の底、人の手の届かぬ深淵から手を伸ばす。抗いようの無い、死の影。力。この世界の人々が、アラガミと呼んだ。神の姿を借りた。怪物の鼓動と重なり、溢れ、世界を呑み込む神の力。

 

「……霊夢。これは」

「イザナミ様。紫の降ろした、多くの神々の母」

 

 神々の意思。全てのやり直し。その思いが、最後に呼び、取り込んだ。全ての母。そして。

 人々の、死の起こり。始まりと終わり。根の国の神。

 

「……皆」

 

 集まる、集まる。夜の気配。日の光の届かぬ。無数の命を生み。無数の命を(くび)り殺し。こうして、また。黄泉へと沈み。世界のやり直しの為に呼び起こされた――

 

「本当に……」

「本当に」

 

 言葉が。零しかけた言葉が、遮られる。

 

「一緒に。全て、終わらせる。全部片付くまで。最後まで、共に」

 

 視線を交わし。頷き合い。人も、妖怪も。皆、皆、互いに。手を取り合って。この地に降り立つ、変わり果てた神へと向かい。

 

 小さな希望。海原に浮かぶ一枚の板のそれ。それでも。

 

「まだ。まだ、諦めない。人も、妖怪も。神も、皆」

 

 皆。ここで、共に。欠けることなく、在り続けたい。

 そんな。思いを。ちっぽけで。幼稚で。叶わないかもしれない。誰一人として救われない、そんな未来が待ち受けているかもしれない。しかし、それでも、守り通したい。思いを、願いを胸に。力を、手に。神機に、込めて。

 

 黒く、黒く。定まった形さえ持たず。無数のオラクル細胞の集合。集まり、蠢く、巨大な柱。伸びる腕は、太く蠢く大樹の枝、木の根にも似た。その奥に取り込まれたのは、神を降ろした紫の体。その、思いに呼応し、形作られた。アラガミの体、見せ掛けの神。伸ばされたのは、降り注ぐのは。人のそれを模した、無数の腕で。

 逃げ場など。有りはしない。逃げるつもりも、毛頭無い。今、此処で。全て、全てを。

 

「終わらせる。全部、全部ッ!」

 

 大地を蹴る。刃を振るう。無数の腕、伸ばされたそれは、弾幕にも似た。長く、長く。のたうち、暴れ荒ぶ黒腕を掻い潜り、切り裂き、打ち払い。何処かで鳴った、爆発音。射撃音。風切り音。肉を裂く音。鉄の拉げる音。硬い何かが砕ける音。

 誰かの悲鳴。

 そんな。黒い、腕の壁に遮られ。響く、音に。私を囲んだ、数多の腕に気を取られ。

 

 上空。迫り来る巨大な腕。その影に。気が、付かなくて。

 

「ッ……!」

 

 回避するだけの余裕も無く。咄嗟に開いたシールド。刹那、遅い来るだろう衝撃に、思わず伏せれば――

 

 腕は。来ず。見上げれば、其処には。

 第一部隊、その隊長。剣を振りぬき。巨大な腕を両断した。その、姿が其処にあって。

 交わした視線。言葉など無く。それでも。

 視線と共に伝わる思いは。彼の思いは。また。私と同じで。

 

 巨大な腕を両断して尚、切り裂くことを止めず。更に迫る。腕を。黒い肉の変化した、槍を。出鱈目な攻撃、不定形の殺意。それら全てを断ち切り、撃ち抜き。それでも。

 

 多すぎる手数。全方位から群がり。引き裂かんと迫り、迫り、塞ぐ腕が。

 爆ぜ。燃え。その衝撃から彼を浚う雀の影と、火の鳥、悪魔のその姿。

 

『何ぼさっとしてるんだ? あんまりノロいと置いてくぜ?』

 

 そして。纏わり付いた影を引き千切り。飛来する魔女。ばら撒く星屑。燃え落ちても尚蠢く肉塊を踏み付け、吠える獣。放たれた光は、振るわれた爪は。紫の元へと続く道を切り開き。

 アラガミの力を得た、彼女等に続き。弾丸、爆音、斬撃。何度も、何度も聞いた音。何度も、何度も見た光景。この世界に来て。共に戦い。力を。希望を。私達に与えてくれた――

 コウタや。カノン。ソーマもまた、此処に。すぐ、近く。背中合わせで。

 

「安心しろ。誰一人として欠けてなんか居ない。誰一人、欠けさせたりなんてしない」

 

 背後。黒い黒い、闇を裂き。

 現れ。私に語り掛ける。

 

「……そうね。誰一人、ね」

 

 リンドウ()の声。

 小さく。吐き出した息と。また、新たに吸い込む空気。足に力を込め。しっかりと、この、足で立ち。

 

「もう少し。力を借りるわ」

 

 撃ち漏らされた。死の手を断つ。その先、佇む、巨大な柱。柱へと。

 

「言われずとも。幾らでも貸してやる……まだ」

 

 鉄塔の上での約束は。忘れてなんて、居ない、と。その言葉に、思わず零した。笑みを、思いを。彼へと向けて。

 地を蹴る。浮かぶ爪先と、重力からの開放。誰からの束縛も受けず。あらゆる力からの支配を拒み、あらゆるものから干渉されない。博麗の力、私の力。でも。

 

 今の。今の私は。

 

 彼の手を。決して、離すことのないよう。しっかりと、握り締めて。

 

「覚悟はいい?」

「今更、だな。さあ」

 

 行こう、と。その声を、胸に。奥深くに仕舞い。

 

 闇の中に浮かんだ体。暗い夜空を駆け抜けて。

 私の腕を。体を、首を。掴まんと、捉えんと。絞め殺さんと。伸ばされた無数の腕。全ての拘束を、強引に引き剥がし。刃を振り裂き。闇を貫き。

 肉壁の先、遂に。天へと伸びる、その姿を見て。

 イザナミ様を。紫を包み隠した。柱を。神を象る柱を。空を駆けた勢いもそのまま、力の限り刃を突き立て。

 

「紫ッ!!」

 

 穿つ、も。刃は、届かない。刺し、貫き、切り、抉り。彼女等を包むその細胞。如何に、切り刻めど。即座に。柱は、再生して。どれだけ力を込めようと。どれだけ、剣を振るおうと。傷は、塞がり、闇は、晴れることを知らず。

 

 けれど。

 

「届かせる! 絶対、絶対、にッ!」

 

 まだ、諦めることなど。絶望しきることなど、出来るはずも、無くて。

 人も。妖怪も。神も。誰の犠牲も認めない。誰一人として、欠けさせなんて――

 

 

「欠けさせなんて――」

 

 

 不意に。そんな、私の。視界に、光が。光が差して。

 

 私の体を。彼の体を。優しく包み、優しく抱き。背後から抱かれた。巨大な腕。光り輝く。暖かな、何処までも暖かな。その温もり。

 

「アマテラス……?」

 

 リンドウの呟きは、光に溶け。先まで。私の体を呑み、埋め、地に伏した。光り輝く、その体……再生した女神像。交わした視線と、優しい笑み。アラガミの身体に宿れど。その力、その温もりは。私達の信じ続けた。そして。

 

 その笑みは、何処か。

 何処か。(あいつ)にも似た――

 

 

 強烈な光が降り注ぐ。黒く歪な、肉を焼き。焦がし。溶かして、払い。全てを抱き。恵みを与え。闇を払いて世界を照らす。その、神威。開ける。アラガミの体と。

 

 その先。瞳を閉じた。彼女の姿。

 

「リンドウ!」

「行くぞ、跳べ!」

 

 日の神の腕から跳び立ち。閉じ行く肉の壁。闇の先。神の力まで借り。指し示された道、その、先へ。

 

 神機が唸る。無機質を押し退け。溢れ出した細胞が形作る、巨大な顎。神を食らう牙。私の邪魔はさせまいと。押しつぶす闇を斬り裂く音。只管に強引に。何処までも不恰好に。黒色の血に塗れながらも、持てる限りの力を。全ての力を、祈りを込めて。

 

 

 

 

 紫の体。重なる神。大切な、大切な。

 

 

 

 

 

 

 その身を。この、(あぎと)を以て。強く、抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの空。暖かな日の光の差す。

 いつか、あいつと見た。高い、高い電波搭の上。外壁の向こうへと沈み行く夕日、居住区の人々。いつも通り、いつも通りの日常。それは。

 壁の向こうに犇く、アラガミの存在も、また。

 

「……何処にもいないと思ったら」

 

 掛かる声。振り向くことも無く。只、腰を下ろした、この搭の上。高い、高いこの場所から。俺たちの守る、いつも通りの街を見下ろし。見詰め続けて。

 あれだけの異変が起ころうと。居住区の人々に知らされる事などは無く。何も変わらず。何も知らず。続く、人間の営み。日常を見詰めて。

 

「……吸うか?」

 

 煙草を一本。箱から突き出し、彼女へと差し出す。答えは。

 

「冗談。隣、座るわよ」

 

 既に、分かり切っていて。俺の横、夕日に染まり。鉄塔の上、足を投げ出すその姿を、視界の端に収めて。

 こいつが此処に来たということは、この一軒の後始末……八雲紫を救い。崩壊したアラガミの体。その後。レミリア、咲夜を。魔理沙を。アラガミの体から引き剥がし。勝手に神機を持ち出した……偏食因子を打ち込みさえせず。その侵食に自力で抗い、振り回し続けた。三人娘に対するサカキの説教、その他、諸々。

 

「どうだ、引き剥がせたのか」

「なんとか。本当、随分と駄々を捏ねて。あんな姿の何が良いのかしら……」

 

 何が気に入ったのか。アラガミの姿、その力。もう暫くはこのままでも、なんて。魔理沙(あいつ)らしいと言えば、らしい。そんな戯言も、全てが無事。片付いたからこそ。

 傍らに置いた缶を煽る。約束通り、良く冷えた。幾らか口に含み、また、置いて。

 

 思えば。長かったんだか、短かったんだか。唐突に現れたこいつ等と出会い。妖怪と出会い。そして、最後に神を見て。振り回されに振り回され。しかし、それでも。

 こいつ等と。共に、最後まで。立ち続けた。

 

 巻き込まれたのか、巻き込んだのか。只々、大きな。一つの異変を、共に静めた。一つの危機を乗り切った……誰の犠牲も、払うことなく。その、安堵にこの身を沈めて。

 

「……お里の方は、大丈夫なのか」

「今、紫が片付けてる。幻想郷の妖怪達は……人間達も。皆、しぶといから。きっとすぐに収束するわ」

 

 そうか、と。言葉を返して、また、缶を煽り。

 

「……幻想郷に、戻るのか」

「まあ。全部、片付いたしね」

 

 本当に、終わったのだと。理解して。

 

 

 

 言葉も無く。沈み続ける日の光。その、赤に照らされ。昼と夜の境目。紫色の空。家路に着く人々の影。見送り。瞬き始めた星の輝きを、迎え、迎えて。

 

 

 

「私、ね」

 

 

 小さな声。彼女らしくない。小さな、本当に小さな、声。

 

 

「此処に来て。色んな人に会って。一緒に、一緒に戦って。傷付いて。立ち直って」

 

 一度。溢れ出した言葉は、留まることを忘れたように。次から、次へ。その、小さな。少女の口から、零れ落ちて。

 

「初めは、憎しみしかなかった。此処の皆にも、心なんて開こうとすら思わなくて。それで、それで……」

 

 息を吐く。本の少し、乱れた呼吸。整える姿。全て、全てが、紅く染まった。

 

「……今は。此処に来て。良かった、って。上手く言葉に出来ないけど、本当に……」

 

 ありがとう、と。その言葉を最後に、声は途切れ。顔を逸らして、立ち上がり。

 

「……それだけ。帰る前に、伝えておきたくて」

 

 向けられた、背に。立ち去ろうとする、少女の。

 

「霊夢」

 

 名を呼ぶ。分かり切ったこと。しかし、それでも。態々、言葉にして。伝えてくれた。ならば、と。

 いざ。伝えようと思えばその、照れくささに。やはり、彼女と同じように。彼女は変わらず、背を向けたままだというのに、なんとなく、顔を背け。

 背けた視界。その端、振り返った彼女は。ぼんやりとしか分からない、その顔は。しかし。

 確かに。笑みを湛えていて。

 

 俺は。共に戦い。共に、同じ時を生きた。その笑みに。たった今聞いたばかりの言葉。全て、全て、全てへの。感謝の言葉を。

 

 

 

 彼女に、伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く暗く、明るい夜空。街を見下ろす電波搭。幻想の郷を見下ろす社。

 青い月。白い月。灰色の街。緑の郷。高い壁。青い山々。

 

 冷たく、澄んだ。優しい風。

 

 

 静かな。静かな夜。飲みかけの酒。

 

 

 全て、全てを。彼等、彼女等と出会い。共に戦った。その日々を只。冷たく、澄んだ夜風に。何処へ行こうと、変わらずに頬を撫ぜる。その風に身を浸し。只々、静かに思い返して。

 

 

 遠く、遠く。距離を隔て。時を隔て。心を交わした友人は、もう。隣には、居らず。

 

 

 しかし。

 

 

 互い、互いに。あの時の約束。忘れなどせず。男は、変わると言った。変えると言った。信じたものを。幻想を忘れた、その世界を。少女は、信じると。人の行き着く未来を。神に見放され。神と戦い。それでも尚。最後は、手を取り合って生きる。そんな結末が訪れることを。

 

 

 祈り。最後、その日が訪れるまで。戦い、悩み、生き。そして、やはり。願い。祈りを捧げ続けることを。

 

 

 白い月。青い月。姿は変われど、永久に。見下ろし続けると、在り続けると、そう、信じた。月に、誓い。また、願い。

 

 

 

 静かな夜に滲むように。鳴り出した警報。少女の勘。何処かで、何かが。アラガミか、妖怪か。新たな異変の訪れ。変わることなく。取り戻した日常。男は。少女は。月へと捧げた、祈りと、共に。手に手に刃を、符を握り。

 掌の中、杯の底、缶の底。僅かに残した。揺蕩うそれを、静かに飲み干し。

 優しく照らす、月明かりの下。

 

 

 

 

 

 強く、強く。地を、踏み締めた。

 

 

 

 

 

 





 最終話。この話にて完結となります。
 更新も遅く、随分と時間を掛けてしまいましたが……最後まで読んで頂けた方々には感謝するばかり。楽しんで頂けたのであれば幸い。

 また、ご縁がありましたら。

 では、読了、ありがとうございました!


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