正義を目指す竜殺し《完結》 (山中 一)
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プロローグ

 ――――ああ、これでよかったのだ。

 

 自らの心臓を引き抜く激痛も、彼を救えた安堵の前には些細なものだった。

 小さき者、か弱き者を前にしながら、救いを求めていないからなどという勝手な理由で見殺しにしようとしていた自分が恥ずかしい。しかし、最低限の償いはできたのではないか。あるいは、茨の道を歩ませることになるかもしれない。か弱き身体には大きすぎる運命を押し付けたのではないか。そうした疑念は確かにあるが――――それでも、命を救えたことには感謝しよう。

 自らが真に目指したもの。

 第二の生を授かってまで追い求めた理想。

 危うく見失いかけたソレに、彼は最期の瞬間に思い出せたのだから。

 

 ――――そう、俺は正義の味方になりたかったのだ。

 

 たゆたう意識が浮上する。

 大聖杯に還元され、消滅したはずの意識が再構築されていく。あるいはこれは『座』に戻るということなのかもしれない。

 思考の片隅でそんなことを思う。

 光とも闇ともつかぬ虚無の大海を流れ、暖かいとも冷たいとも言えぬ宙を舞う。

 夢を見ているような感覚の中で、抗うという思考を働かせることもなく彼は流れに身を任せ、そして――――運命と出合った。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 柔らかな日差しが窓から差し込む午後、青年は松の木で作られた机に向かい本を開いていた。

 開け放った窓から吹き込む風は穏やかで、争いなどこの世には存在しないかのように平穏だった。

 背中の大きく開いたニットのセーターに黒い綿パンという簡素な格好で、憂いを帯びたような精悍な顔立ちは二十代の前半くらいに見える。

 しかしその身体から滲み出る「気」は歴戦の猛者そのもので、初めて対面した者は自然とその大きく偉大な気配に飲まれて言葉を失うことだろう。

 そんな彼がいる部屋はログハウスの三階。より正確には屋根裏部屋というべきか。元々物置だったところを家主の好意で提供してもらっているのである。

「ん……? そこで何をしている?」

 彼は、背後を振り返り声をかけた。

 誰もいないはずの空間が不意に捻れて厚みを増し、一人の少女に変わった。

 五、六歳の少女で、黒いローブと先端に星がついた小さな杖で着飾っている。あからさまに魔法使いといった服装であるが、その実彼女は魔法使い――――の卵である。

「姿を隠す魔法か。そんなものを使えたのか、キャシー」

 キャシー。

 それは少女の愛称で、本名をキャサリンと言う。この辺境の集落で宿屋をしている老夫婦の孫娘だ。

 気のいい老夫婦で、身元不明の彼を手厚く迎え入れ、一室を宛がってくれている。足を向けて眠ることのできない恩人である。

 彼に隠れ身の術を破られた少女は不機嫌そうにふくれっつらをしている。

「ちょっとくらいおどろいてくれてもいいのに」

 危害を加える意思があるはずもない。

 彼女はただ彼を驚かせたかっただけなのだ。

「ジー君、空気読めない」

「……すまない。だが、君の姿隠しが見事だったことについては驚いている。確か、魔法を学び始めて一月と経っていないのだろう?」

「うん! じいちゃんも筋がいいってほめてくれた!」

 にかっと笑う少女は先ほどまでの不機嫌さが嘘のように明るくなった。

 視覚的な隠匿はほぼ完璧と言ってもいいのではないか。足音や空気の揺らぎ、そして魔力の流れなどがあるので見破ること自体は難しくないが、目に見えないというのはそれだけ脅威である。

 こんな風に戦闘に置き換えて考えてしまう彼とは違い、少女のほうはただ悪戯がしたくて練習したのであろう。

 平穏な日々にあっても、自分はずいぶんと血塗れた思考から抜け出せないでいるようだと軽く自己嫌悪する。

「そだ、ジー君。じいちゃんが手伝ってって」

「分かった、が、何をすればいいんだ?」

「りりちゃんのさんぽ」

「……そうか、すぐに行く」

 ジー君と呼ばれた青年は本を閉じてキャシーと共に階下へ降りる。

 居候させてもらっている手前、この宿屋の雑用は一手に引き受けている。こう見えて、今日は週に一度の休みだったのだ。

 それでも、手が足りないとなれば断わるわけにもいかない。

 ログハウスを出ると、同じ敷地に建っている宿屋の玄関前に白髪の老人が立っていた。宿の経営者で彼の広い主であるアルフ翁だった。

「いやぁ、休みだってのにすまんねぇジーク君。腰をやっちまってなぁ」

 アルフ翁はハハハと陽気に笑っているが、杖と前傾姿勢を取っているところからしてぎっくり腰をかなりひどくやったらしい。動けるのが不幸中の幸いだろうか。

 ジーク君などと呼ばれているが、本当の名前は別にある。

 真の名をジークフリートというのだが、どうにも名前が長いということで自然と名前の前半部分で区切られてしまっているのだった。

 気にすることはない。

 むしろ、気さくに話ができる分、今までに比べればずっと気持ちが楽だ。

 生前はネーデルランドの王子であり、竜殺しの英雄だった。当然、彼にこの老人のような態度で話しかけてくるような者はいなかったし、サーヴァントとして召喚された際もその出自を求められてのことだった。

 対等な友人、あるいは客として扱ってくれる者と逢ったのはいつ以来になるのだろうか。

「ならば、後のことは俺に任せて休んでいるべきだ。奥方も心配なさる」

「うん、まあ、そうしようかとも思ったんだが、どうにも気が急いてな。外の様子を見に来てしまったんだよ」

「気が急いて?」

「ああ」

 アルフ翁は視線を西に向ける。

 小高いの丘の上に築かれた集落の外は平原と黒い森が広がっている。二〇〇人に満たない小さな村は、この地で農作物を育て、森で狩をして生活している。重要な産業は観光だが、それもここ数年とある事情によって停止しているのが実状だ。――――本来であれば、事業としてすでに成り立っていない観光業を営む宿屋の主人が行き倒れの人間を拾うということ自体がありえない話なのだ。

「前に一度話したかと思うが、あの森には化物が住んでおる」

「確か、二年ほど前に現れたのだったな。そのせいで観光業が続けられなくなったと」

 アルフ翁はうむ、と頷く。

 森に現れたという化物について、彼は深く語ろうとはしなかった。しかし、二ヶ月の間に情報を集めてみたところ、どうやらその化物が居座っているのが観光名所であり聖地としても扱われている泉なのだというのだ。

 これまでに何度か討伐隊が結成されたが、目ぼしい結果を上げることができず、触らぬ神に祟り無しと村人はこの件について口が重くなっているのであった。

「去年は村で羊飼いをしている家が襲われてな、大打撃だったのだよ。観光などできるはずもない」

「辺境軍というものがあると聞いたが、そちらに出動を要請したりはしないのか?」

 ふと湧いた疑問を投げかける。

 この集落はヘラス帝国南部の辺境にある。それほどの怪物ならば帝国の軍が出動して討伐してもおかしくはないし、民の敵を討たないのでは統治者の能力が疑われよう。

「戦争の真っ只中ではそれも難しかろう。こんな辺境にかかずらうわけにもいかぬ状況らしくてな」

「戦争か。新聞には出ていたが」

 現在、この「新世界」はヘラス帝国とメセンブリーナ連合が戦争状態にある。小さな領土争いが加速して、大規模な軍事衝突に繋がったらしい。

 メセンブリーナ連合はヘラス帝国の北側の国だ。

 帝国の中でも南部に当たるこの集落には戦争による直接的な被害は出ていないのだが、その反面優先順位を低くされておりこうした問題に対する支援の手が届かないのが実状だった。

 若い者も一部は戦場に駆り出されている。

 全体的に若者がいないのはそうした事情があるからであった。

「それが、気になるのか?」

「あの怪物が住んでいる泉の周囲には探知魔法が仕掛けてあるのだが、それがさっき反応したらしくてな」

「つまり、その怪物とやらが動いたということか」

「ああ。警戒のために門を閉めて誰も出入りせんようにしているようだが、まあ、いざというときはシェルターに逃げるしかあるまい」

 強力な魔法によって守られているわけではない。

 怪物とやらが襲い掛かってくれば、この集落をぐるりと取り囲んだ壁など容易く壊されるだろう。

 そうなれば、長閑な風景が瞬く間に地獄に早変わりする。

 そんなことは許されるものではない。

「軍が来ないというのであれば、こちらで対処するしかないだろう。怪物の特徴を教えてもらえれば、俺が首を落としてくるが?」

 ジークフリートの言葉をアルフ翁は冗談と受け取った。

 朗らかに笑いながら、その必要はないと首を振る。

 確かにジークフリートは見た目からして屈強な男だ。戦士の風格がある。だが、それでも怪物に単独で挑むなど常識はずれにも程がある。それを認めるのは家主として無責任な判断だ。

「わしにも責任がある。お主に無茶は頼めんよ。たとえ、伝説の竜殺しと同じ名を持つお主であってもな」

 少しばかり寂しげにアルフ翁は言った。

 ジークフリートにとって、聞き逃してはならない単語があるとは思ってもいなかっただろう。

 伝説の竜殺しと同じ名だと言ったのだ。

 それはつまり、『ニーベルンゲンの歌』がこの世界にも存在するということではないのか。

「貴方は知っているのか? その伝説の竜殺しを?」

「ん? 若い頃は文学に嵌ったもんでな。物の役にも立たんかったが……『ニーベルンゲンの歌』は有名所じゃないかね?」

「そう、だったのか。なるほど」

「やっぱり変わっているなぁ、お主。もしかすると旧世界のことも分かっておらんかったか?」

「旧世界。こちらを新世界と呼ぶのは知っているが、それに対しての呼称だろうとは思うのだが」

「うぅむ。お主、ずいぶんと田舎に住んでいたのかねぇ。いや、今更詮索は無用だろうし、ここも十分に田舎だが……」 

 と驚いたアルフ翁は新世界と旧世界について簡潔に語ってくれた。

 この新世界と呼ばれる世界と物理的に繋がっていない別の世界があるらしい。それを旧世界と呼び、ヘラス帝国は新世界に元々住んでいた者たちの国、そしてメセンブリーナ連合は旧世界から渡ってきた者たちの国というのが大雑把な区分らしい。

 ヘラス帝国は獣人が多く、メセンブリーナ連合には純血の人間が多いというのも種族的な差となっている。

 もちろん、人間と獣人が綺麗に分かれるものでもない。

 アルフ翁のような純粋な人間ながらヘラス帝国の住民であるという者もいる。

 そして、アルフ翁の話を聞く限り、ジークフリートが暮らした世界はどうやら旧世界に該当するらしいのだ。

「なるほど、感謝する。どうやら俺はまっさきに確認すべきことを後回しにしていたらしい」

「いやいや、わしもすっかり知っているモノとばかりな。まあ、旧世界の多くの人はこっちのことを知らんらしいし、お主みたいなのがいてもおかしくはないのだろうがね」

 二ヶ月前、ジークフリートが目覚めて驚いたのは、魔術や幻想種に該当するものが日常に跋扈しているということだった。

 彼が生きた時代にあっても幻想種の類は姿を消して久しく、強力な個体が時折人に害を為すという程度だった。魔術に関しても秘匿が第一で、生活に密接に関わっていたのは西暦に移行するよりも前の時代がほとんどである。

 しかし、この新世界では日常的に魔術=魔法が用いられており、それもジークフリートの知るものとは理論からして別物、幻想種すらも通常の生態系の中に組み込まれているという異質さは受け入れるまでに多少の時間を要した。

 立ち話をしていると、後ろから幼い声が聞こえてくる。

「ねえねえ、まだいかないのー?」

 とてとてと歩いてくるキャシーは手綱を手にしており、その後ろに牛を連れているではないか。

「危ないだろう」

「だいじょうぶ。りりちゃんはおとなしいいい子だから」

 角が立派に生えた乳牛だ。

 魔法を習いたてのキャシーは普通の子どもと変わらず、暴れればそれだけで命に危険があるというのに。

「りりの散歩を頼んでいたのだったな。すまんすまん、引き止めてしまった」

「いや、こちらこそ立ち話を強いてしまったようだ。気が利かず申し訳ない」

「何、気にせんでくれ。立ってたほうが無理に座るよりは楽だしの。後で、治癒術でもかけてもらわなにゃあな」

 などと言って、アルフ翁は玄関の中に入っていく。

 それを見送ってから、ジークフリートはキャシーから手綱を受け取った。

 自分でできると言って聞かないキャシーであったが、さすがに牛の手綱を子どもに任せるわけにはいかない。

 それがたとえ気性の大人しい乳牛であったとしてもだ。

「いつのーひかー、このそらに~、ひかりをともしー……」

 流行歌だろうか。

 道端のタンポポと思しき植物(ジークフリートの知るタンポポとは形状が異なる)を引き抜き、手慰みとしつつキャシーは歌いながら緩やかな坂道を下っていく。

 丘全体を集落としたここは、家々が点在する上部と家が密集する下部に大きく分かれる。さらに住宅地は北部に集まっており、結果的に集落そのものが縦に伸びている形になっている。

 本来であれば、牛の散歩は集落の西側の門から外に出て行うべきだが、例の怪物が動いたという騒ぎのために門は閉ざされていて開かない。

 住宅地に牛を連れ込むということもできないので、丘の上部にある開けた牧草地だけで我慢することになる。

「まあ、一頭の散歩をするには十分な広さだが」

 外に出ることになればりりには多少不愉快かもしれない。

 少し離れたところに別の牛が数頭草を食んでいるのが見える。その近くにいる老人は、確か息子が都会で宅配の仕事をしているのだと語っていた人物であろう。

 その息子も今は軍に関する物資の運搬を担当しているらしく、当人は気が気でないのだと言っていた。

「ジー君、みてこれ。アカハラテナガコガネ」

 なにやら呪文のような言葉を唱えつつ、キャシーが翳してきたのは一匹の甲虫だった。

 腹部が赤く前腕が体長の二倍ほどの長さだ。なるほど、それでアカハラテナガコガネか。

「詳しいな」

「虫のずかんをなんども読んだからね」

「そうか。ああ、勉強というのは大切だな」

 ジークフリートはキャシーと共に手近なベンチに腰掛けて、りりの様子を見守る。

 のそのそと地面の草を食むだけで、りりは特に動き回る様子はない。もともとあまり動くのが好きなタイプではないのだろう。門の外の広い土地を歩きたいという気持ちはあっても、ここで走り回ろうとはしない。

「ジー君はなにかいろいろとしってる?」

「何かとは?」

「んー、わかんない」

 小首を傾げるキャシーにジークフリートは小さく微笑む。

 このくらいの子どもは自分の言葉を省みることが少ない。こうした唐突な質問もよくあることだ。それに、存外鋭いこともある。

 ジークフリートにとってこの世界は未知に溢れている。言語こそ習得できたものの、社会情勢や民族構成、文化生活する上で必要な知識や常識すらも不足している感が否めない。

 聖杯戦争ならばある程度は聖杯が知識を授けてくれるのだが、ここではそうもいかない。自らで学び高めていかなければならないのだ。

「俺も分からないことが多い」

「そうなの? おとななのに?」

「そうだな。恥ずかしながら、まだまだ学ぶべきことが多すぎる。大人になってからも、勉強は続けないといけない。キャシーは大丈夫か?」

「ん、大丈夫。あたし、べんきょうはとくいなほうだからね!」

 ベンチを飛び降りてくるりと回る。

 それからジークフリートに胸を張って自慢する。

 これくらいの子どもはこのくらい自信に溢れているほうがいい。いずれ社会の荒波に立ち向かうにしても、挑むという気概がなければ夢は追えない。

「ああ、きちんと勉強を続けられるのなら、あの二人もきっと安心するだろう」

 ジークフリートが徐に立ち上がったのは、この直後であった。

 前に進み出て、キャシーを庇うように立つ。鋭い視線で遙か西方を睨み付ける。

 強い魔力の気配。それに、音がする。足音ではなく、空気を叩く力強い羽ばたきの音だ。

 極めて巨大な生物が、徐々にこちらに近付いてきている。

 その姿をジークフリートの人智を超えた視力はすでに目視で捕捉していた。

 ここが高台でなければ、集落を取り囲む壁に遮られて発見が遅れただろう。

「キャシー。帰る準備を」

 そう言いながら、ジークフリートはりりの下に駆けていき、手綱を取って引っ張った。

「えぇー、ちょっとはやいよ」

「ああ、だが時間がない。りりについては後で迎えに来るとしてまずはキャシーが安全なところにいかないとだめだな」

「なに……?」

 激しい風音が耳朶を叩いたのはこの瞬間だった。

 キャシーは驚いて尻餅を突く。そして、りりは突然の来襲に我を忘れたかのように喉を震わせて暴れ始めた。

 そんなりりを強引に引っ張り、近くの木に手綱をくくりつけたジークフリートは、キャシーを抱えて牧草地を出る。

「な、なに、なにきたの?」

 困惑するキャシーと彼女を抱えるジークフリートの頭上を巨大な影が通り過ぎていく。

「竜だな」

「うぇ!?」

 ジークフリートはキャシーを抱えたまま来た道を引き返す。シェルターがあるとのことだったが、その場所はまだ教えてもらっていない。ならば、自宅に戻るほうがいいだろう。

「舌を噛むから、口を閉じていろ」

 下肢に力を込めたジークフリートは次の瞬間には急加速していた。

「ぐにゅ!?」

 キャシーから妙な声が漏れた。

 急制動のために喉から空気が漏れたのだ。

 キャシーの負担にならない程度にセーブしつつ、ジークフリートは今出せる最速で坂道を駆け上がり、瞬く間にアルフ翁の下へ戻ってくる。

 門前には慌てて外に駆け出す老婆の姿があった。

「きゃッ」

 その老婆の正面にジークフリートは着地した。一息に一〇メートルを跳躍してきた結果である。

「あ、あ、キャシー。無事だったのね」

「おばあちゃん」

 キャシーの姿を認めた老婆は、アルフ翁の妻アマンダだ。アマンダはすぐにジークフリートに駆け寄り、キャシーを受け取って抱きしめた。

「竜が現れたのが見えたので、まずはキャシーの安全確保のために戻ってきた。りりについてはこれから迎えにいくつもりだ」

 大切な乳牛を置いてきたのは悔やまれる。ベストな判断ではあったが、あれもこの家の家族には違いないのだから置いてきていいという話にはならない。

「何言っているの。あなたもすぐに避難するのよ。近くにこんなときのためにシェルターがあるから」

「む……」

 ジークフリートは丘の下に目を向ける。

 あちらもかなりの騒ぎになっているようだ。

 無理もあるまい。体長四〇メートルあまりの巨大な竜が暮らしている街の上空を飛びまわっているのだから。

 鐘の音が鳴っている。

 竜の襲来を集落全体に知らせる音だ。

「このまま捨て置くわけにもいかんな」

「あんた、何する気だね?」

 アマンダに尋ねられたジークフリートはしばし考えた後で、逆に問いを返した。

「あの竜はアルフ殿が言っていた泉の怪物とは別物だろうか?」

「は? あ、ああ。あれがそうだよ。うちらの収穫を全部食い物にする化物さね。とにかく、そんなことは考えてても仕方ないだろう。逃げるが吉だよ」

「そうだな。だが、貴女は」

「あたしは動けない旦那を放ってはおけないからねぇ。だから、あんたにはキャシーを連れてってもらわないと」

「え、あ、おばあちゃん、こないの? おじいちゃんも?」

 アマンダの話を聞いてじたばたと暴れだすキャシーは、今にも泣きそうな顔をしている。祖母と祖父が一緒に避難してくれないというのだから、その不安はかなりのものになるのだろう。

「なるほど、理解した」

 そう言って、ジークフリートは踵を返した。

「ちょっと、ジーク君?」

「要するにあの竜こそがこの村を苦しめる諸悪の根源ということだな?」

「た、確かにそういう言い方もできる、けど、それが?」

「何、簡単な話だ。討伐してしまえばそれで済む」

 ジークフリートの言葉を飲み込むのに、アマンダはたっぷり三秒もの時間を必要とした。

「じ、冗談はよしなよ。討伐隊が逃げ帰ってきた相手だよ。軍の出動要請までしてるくらいだ。たった一人でどうこうなる相手じゃない」

「ああ、かもしれん」

 と言いながら、ジークフリートの顔に曇りはなく、竜に恐怖していないことが見て取れる。

「しかし、もう見過ごすわけにはいかない」

「あんた……」

「心配はいらない。キャシーを見てあげてくれ」

「あ、ジー君!? どこ行く――――」

 キャシーが言い終わる前に、ジークフリートはその場から姿を消していた。

 転移魔法か。

 否だ。

 残された空間に吹き込む烈風は、そこにいた青年が目にも止まらぬ速さで移動したことを示している。

 伝説の英雄の瞬発力だ。常人の目に映るものではない。

 

 

 常軌を逸した速度で丘を駆け下りるジークフリート。

 道に溢れる人々が必死になって逃げようとしているのが分かる。その頭上を、一足飛びに飛び越えて、家の屋根を蹴ってまた進む。

 見据えるのは黒き竜。

 翼を広げれば優に五〇メートルには達するだろうか。

 この世界の文献に目を通した際に竜が存在することは知っていたが、そこで得た知識を元にすればこの竜の大きさは平均値を大きく上回っているようだ。

 竜は空を悠然と舞いつつ、風を起こして荷車が舞っている。

 地上で悲鳴が交錯した。

 ジークフリートの目には竜が引き起こした災厄の在り様がありありと映っており、耳には恐怖する人の声が届く。

 胸にふつふつと湧き上がる炎は義憤かあるいは竜との戦いを求める戦意か。

 地上から光の筋が竜の表皮を叩く。自警団の誰かが竜を攻撃したのであろう。しかし、頑強な竜の身体にダメージを通すには魔法の矢ではあまりにも威力が低すぎた。逆に怒りを買い、その反撃を誘発するだけだ。

「チィ……!」

 竜の口内に滾る炎。それはジークフリートの身の内に宿るそれとは異なる本物の火炎。

 比喩でもなんでもない。

 竜の息吹(ドラゴンブレス)が地上に放たれようとしてる。

「させん!」

 ジークフリートは虚空より一振りの剣を呼び出した。

 彼の愛剣にして竜を殺した至高の聖剣。

 輝ける幻想の結晶は主の魔力に呼応して淡く光を放つ。

 真名の解放には及ぶまい。

 振るう一閃。

 それは凝縮した魔力を以て圧倒的な剣圧となって黒き竜の頭を打つ。

 

 ご、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんん……

 

 頭を強かに打たれた竜は、狙いを大きく逸らして息吹を吐いた。

 炎は彼方に飛んでいく。幸い、誰もいない無人の地に着弾して爆発した。

 間に合ったことに安堵しつつ、ジークフリートは竜の横暴によって更地と化した商店街跡に降り立った。

 腰を抜かした自警団の団員が三名、ジークフリートを唖然とした表情で見上げている。

「無事、なようだな」

 頬は煤けているが、大きな怪我はなさそうだ。

「あんたは、確かアルフ爺さんとこの居候……」

「ああ、そうだ」

 ジークフリートは頷いた。

「この竜は俺が仕留めよう。貴方がたは下がっていてくれ」

「は? ま、待ってくれ。こいつはそんじょそこらの竜じゃない。黒竜の突然変異体だ」

「詳しいことは知らんが、問題ないだろう」

 振り向き様にジークフリートは剣を振り抜く。

 その剣の圧で黒竜は押し戻される。

「すぐに終らせる」

 今の一撃で黒竜はジークフリートの脅威を肌で感じたのだろう。すでに尻込みしている。そこは生物としての勘が働いたところだろうか。

 防衛本能がそうさせるのか。

 黒竜の口には二撃目となる火炎が装填されている。

 ジークフリートは今度は剣を背後に振るう。発生した衝撃波が及び腰の三人の自警団員を弾き飛ばした。魔法使いは常時拳銃弾を弾けるだけの強度のある魔法障壁を張っているから、このくらいならば問題あるまい。問題があるとすれば、今まさに解き放たれそうになっている息吹のほうだが。

 炎が撃ち落される。

 爆炎がジークフリートのいた場所を吹き飛ばす。衝撃と熱が四方を駆け抜け、家々を半壊させた。

 無論――――竜殺しの大英雄たるジークフリートがこの程度の炎で焼け死ぬはずもない。

 炎が直撃する直前、竜の頭上にまで跳び上がったジークフリートは己が大剣を竜の脳天に向けて突き込んだ。

「貰い物の衣服を汚すわけにもいかんのでな。お前の全力を受け止めてやることはできん」

 断末魔の咆哮を上げる間もなく、黒竜は脱力して地に墜ちた。

 強大な生命力を有する黒竜も、脳を破壊されては命を繋ぐことは不可能だ。

 魔法障壁すらも軽く斬り裂いて、幻想大剣はその命を奪い去った。

 



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第一話

 黒竜の討伐が成功してから半月ばかり。

 黒竜が暴れたことで被害を受けた街並は着々と復興し始めていた。

 やはり、魔法というのは便利だ。

 重い石材を難なく運び、簡単に成型してしまえるのだから科学技術の粋を集めた旧世界の重機による建築をはるかに上回る速度で建物を建てることができる。

 魔法で強度を上げることができるため、魔法を抜きにした強度は怪しいところも多かったりするが、魔法もまた技術の一つだ。

 二年に亘って観光名所を占領していた黒竜が滅びたことで街には活気が戻りつつあった。

 戦時中ということもあって、人手は不足する一方。観光業が復活するのは当分先になるのは誰の目から見ても明らかだったが、それでも未来に希望の火を灯すことには成功した。

 いつの日か戦争が終わり、平和な日々が訪れたのなら、取り戻した聖なる泉に多くの観光客を呼び寄せて、在りし日の人でごったがえす観光地を蘇らせるのだ、と。

 人は希望があれば生きていける。

 希望を見せるのが英雄ならば、ジークフリートは十分に職責を果たしたと言えるのではないだろうか。

 黒竜の皮や角、牙は高く売れる。マジックアイテムの材料に高値で取引されているのだ。そのため、巨大な黒竜の死骸は腐敗しないように魔法がかけられていて、街の端に今も横たわっている。

 身体の三分の一が切り取られ、無残な姿を曝す黒竜。

 これも自然の定めとはいえ、殺めた者としては多少の気まずさを感じざるを得ない。

「くっそ、固てえ!」

「死んでんのに、こんなかよ!」

 筋肉質な男が二人、黒竜の表皮に鋸を当てて悪戦苦闘している。

 ガリガリと音がするが、刃が通る様子はなく、むしろ鋸のほうが刃毀れしているようにも見える。魔力で強化された鋸ではあるが、そんなもので傷つくのなら黒竜退治に苦労はしない。

「おーい、ジーク。見てねえで手伝ってくれ!」

「おう、あんたの剣ならコイツを輪切りにできんじゃねえか?」

 手と鋸を大きく振って、男たちはジークフリートに呼びかける。

 ジークフリートは特に断わる理由もないため、二つ返事でその申し出を受け入れる。

「この竜の尾を断てばいいのか?」

「ああ。根元からバサッとやってくれ」

「根元からだな」

 巨大な竜の尾は、大の大人が抱きついても後ろまで手が回らないほどの太さだ。直径にして五メートルはあるだろうか。死して魔力を失ったものの、単純な皮膚の硬度だけでも鉄剣を弾き返すほどに固い。

「それを借りてもいいか?」

 ジークフリートは鋸を持っている青年に手を差し出した。

「え、ああ、いいぜ。けど、コイツじゃ傷も付かないぞ」

「問題ない。使い方次第ではどうとでもなるものだ」

 受け取った鋸の柄を握りこんだジークフリートは、魔力を刃に注ぎ込んで一閃する。

 一般的な規格の鋸は、この瞬間高位のアーティファクトに匹敵する切れ味を見せた。存在が別物になったというわけではなく、ジークフリートが刃の真価を引き出しただけのことである。ジークフリートの莫大極まりない高純度の魔力による強化がそれに拍車をかけ、鋸は一瞬にして竜の表皮を容易く斬り裂く名剣と化したのだ。

「少しばかり切り口が雑だったか」

 鋸は使い慣れていない。使い方としても下の下ではあったが、一つの刃として使うことで両断に成功した。

 どすん、と音を立てて太い尾が落ちる。

 断面が目に見える形で現れて、改めてその大木のような太さに驚かされる。

「いやいやいや、今のどうやって斬ったんだよ。太さに見合わないだろ!?」

「そこは経験と勘だ」

「鋸が鋸じゃなくなってたじゃないかよ!?」

 ジークフリートは鋸を引くのではなく、剣のように振るうことで竜の尾を切断した。それ自体がそもそもありえない現象なのだ。無論、剣を振るう動作の中に引き切るという部分は存在するが、それにしてもこれはおかしい。そもそも、鋸の刃渡りが竜の尾の直径よりも短いのだ。常識的に考えれば一撃で斬り落とせるとは思えないだろう。

 とはいえ、常識を踏破してこそ英雄だ。

 人を超えた存在であるジークフリートを以てすれば、この程度の作業に苦慮することはないのだ。

「この巨大な尾、どうするのだ?」

「ああ、そりゃ売るに決まってる。こいつは武器に加工できるってんで、戦時下の今は需要が高まってんだよ。黒竜なんてそうそう手に入らない素材だしな」

「これを武器に加工か。想像もつかんな」

 ジークフリートが眺める竜の死骸は、以後も余すところなく人間に利用されるらしい。哀れと言えば哀れか。己が意思ではなく周囲の意思によってその命を使われるのは英雄も似たようなものか。栄光と挫折は表裏一体。しかし、竜が墜ちて、ジークフリートが生き残ったという事実以上のものはない。

 どうにも自分は竜を特別視しすぎているようだ。

 自分が竜殺しの代表格ということもあるし、元の世界では竜種こそが最強の幻想種だったこともある。この世界の通常の生態系の中にいる竜種とは根本的に別種であると考えなければならないのだ。

 尾が台車に乗せられて運ばれていく。

 解体すら人力と小さな魔導機で行うこの村では細かい加工ができない。単価が下がるが、原材料という形での出荷になるだろう。

 売れたとして、どれほどの収入になるだろうか。

 村人で分ければ、一人当たり一週間くらいは遊べる程度だろうか。壊された家屋の復旧などに当てれば、ちょっとしたボーナス程度しか残らないと思われる。

 それでも、財源を補填できるのはいいことだ。

 竜がいなくなったことで、主要産業の見通しもよくなった。

「しかし、あんたほどの猛者が、なんでこんなところにいるんだ? いや、助かったけどよ」

「そういえば、そうだな。旅のもんてわけでもねえみてえだし」

 興味津々といった様子で男たちがジークフリートに話しかける。

 しかし、そうは言われてもジークフリート自身が自分のことをよく分かっていない。記憶喪失というわけではないが、ここに来るまでのことはまったく覚えていないのだ。

 サーヴァントとして死んだ後、気がつけばこの近くの森の中にいた。召喚されたのか、あるいは放逐されたのか。新たな使命を与えられたのか、その辺りはまったく分かっていない。

 ジークフリートに理解できたのは、この身が霊体ではなくなっているということ――――受肉を果たし、肉体のポテンシャルが生前と同等のスペックにまで引き上げられたということだけであった。

「……すまない。その問いに答えることは、俺にはできない」

「ああ? どういうこった?」

「俺自身にも自分の身の上が分からないということだ。気がつけばここにいたからな」

 包み隠さず、ジークフリートは真実を語る。

 どの道、誤魔化す意味もなければ、その方法もない。

 ジークフリートにとってここは未知の世界であり、誤魔化せるのか否か分からないからだ。魔法の限界が見えない以上、ジークフリートが嘘をついていることが見抜けないという保証もない。

「気がつけば? 誘拐でもされたってか」

「俺を攫える者がいるのなら、是非手合わせを願いたいところだな」

「ああ、まあ、そうだな。じゃあ、転移魔法の事故にでも巻き込まれたか、そんなんか」

「かもしれん。俺は前後の記憶が曖昧でな。どこに帰ればいいのかも分からないのだ。家に置いてくれているアルフ翁の好意には頭が下がる思いだ」

 真摯な口調は崩さず、時折冗談を交える。

 固い印象のジークフリートは、話せば話すほどに真面目さが際立つが、それでも頭でっかちな固さではない。

 話せば気軽に言葉を交わし、友好関係を築く。それくらいはお手の物だ。

 あんたのおかげだ、と集落の人々は口々に誉めそやしてくれる。

 それは、民草に請われ、その願いを叶えるためだけに力を振るったかつてと同じ。虚無的で作業になってしまった戦闘や心躍るもののない灰色の日々を思う。

 虚栄心や下心で自分に近付くものが多かったあの日々に比べれば、ここに広がっているのは純粋無垢な笑顔だけだ。

 ジークフリートという存在を利用しようなどとは露ほども考えていない。

 ただ、ジークフリートに救われたという事実だけを正しく認識し、それについて感謝している。それだけの人々。彼が真に救いたかったモノの正体が、ここにあった。

 力があるのなら、力のないもののために使うべきだ。

 そう自分の存在を規定していながら、いつの間にか忘却してしまった原初の衝動を今再び思い出す。

 

 ――――何よりもライダーには感謝すべきだな。

 

 か弱くも芯の通った一人の英雄を思い返し、ジークフリートは小さく笑みを浮かべる。

 自分は“黒”の陣営には何一つ恩恵を残すこともできず、黄金の甲冑に身を包んだ槍兵との再戦の誓いを果たすことすらできなかったサーヴァントのおちこぼれだ。今更、聖杯大戦の結末を気にかける資格すらないかもしれないが、それでも思わずにはいられない。

 願わくばあのホムンクルスと小さな英雄に幸福な結末になっているようにと。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ジークフリートはバックパックを背負って田舎道をひた歩く。

 この世界にやってきて、二ヵ月半。

 竜退治など様々あったが、遂に集落を出て己が足で旅に出る日がやって来た。

 黒竜を討伐したときの収入の一部はジークフリートにも入ってきた。おそらくは取り分は集落の中で最も多かっただろう。功労者だからと、押し付けられた。復興や行楽には、残りの金で十分だからと、村人たちが挙って言うのだ。

 その好意を無碍にはできず、恐縮しながらジークフリートは受け取ったのである。

 そして、その金を元手にして旅に出た。

 あのまま小さな集落にいても、自分は何もできないだろう。

 肉体を得たからか、霊体だったころに比べて欲求が強くなっている。

 成長できる身体を手に入れたこと。

 これが、さらなる高みを目指す武芸者としてのジークフリートに火をつけた。

 目を瞑れば“赤”のランサーの冴え渡る武技が瞼の裏に浮かんでくる。

 総合的には負けていない。だが、技量ではランサーに軍配が上がっていただろう。それは素直に認めなければならないところだ。

 とはいえ、負けたままでいるのは悔しい。

 せっかく成長の機会を手に入れたのであれば、さらなる成長を目指して励むのみだ。

 そのために見聞の旅に出た。

 所謂バックパッカーというものだ。旧世界では旅という概念は廃れつつあるようだが、この世界では土地によって移動技術の差があることもあり、辺境の地が未だ前世紀的な環境にあるところもあるので徒歩での旅は普通にあるようだ。

「技術の差か……」

 それは貧富の差にも繋がってくるのだろう。

 この世界の戦争は、空を駆ける戦艦や人造の巨大兵器を用いた殲滅戦に近いものだとも聞く。ジークフリートが生きた時代のような軍団を統率しての白兵戦というのは、一部の一騎当千の魔法使いしか行わないものであった。

 サーヴァントだったときに聖杯から与えられた知識にも、そういう戦争のことはあった。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦。

 二つの大戦を経て、人類の戦争は様変わりした。

 少なくとも殺し方という点ではより効率よく、大量の命を奪えるようになったのだ。

 文明は発展し、人の生活圏は広がった。

 知識は深まり、技術は進歩し、より多くの人が繋がる世界となったにも関わらず、人類は相変わらず戦争を繰り広げているのだ。

 世界すら超えても、本質は変わらないのだろうか。人間が人間である限り、闘争から逃れることは不可能なのだろうか。

 胸の内で問いを投げかけても、答えはない。

 当然だ。

 己で問い、己で見つけるべき答えだ。

 夢を思い出した。

 しかし、そこに至る道は険しく、そもそもどこを通っていけばいいかも分からない。

 正しいあり方、正しい道。それが分かれば誰も苦労はしないのだ。

 普通の人間ならば、後悔を残して消え去る定め。やり直しの機会など与えられない。それを思えば、ジークフリートは幸運だ。何の因果か、こうして再び地に足をつけて生を謳歌できるのだから。

 失ったはずの心臓はリズミカルに鼓動を刻んでいる。

 呼吸のたびに、無尽蔵の魔力が体内を駆け巡っているのが分かる。

 竜の心臓と生来の肉体的資質が共に蘇っている。サーヴァントの時に比べても、身体が軽いのはそのためだろう。

「しかし、こんな気分で旅に出たのは久しぶりだ」

 迷いはある。

 先は見えず、右往左往してばかり。

 だというのに、どうしてか心地よい。

 道は見えずとも、目指す場所は確かに在るのだ。ならば、もがく他あるまい。それがすでにして生き甲斐ではないか。

 胸に宿る高揚感は、未来への希望に他ならないのだから。

 ひたすらに真っ直ぐ歩いていると、地平線の彼方に黒雲が現れた。

 奇妙な雲だ。

 青空の中にポカンと浮かんでいる。

 どうにも胸がざわつく。

 ジークフリートの視力を以てしてもぼやけるほどなので、その距離はかなり離れている。が、心を落ち着けて眼筋を魔力で強化することで視力を増強すると、不鮮明だった映像が明確になる。

 雲に見えていたのは異形の群れだった。

 翼の生えた人型の魔物や竜に近い形態の魔獣が大小合わせて数百。それが、鯨にも見える巨大飛行艇を取り囲んでいるのである。

 この二ヵ月半の生活の中でその飛行艇が、ヘラス帝国が正式採用しているモデルであることは知っている。テレビでの式典映像に幾度となく映っていた量産型だからだ。

 問題は、その飛行艇を魔獣や悪魔が取り囲んでいることだ。

 輸送機としても使用される巨大飛行艇が、まさか無人機などということはあるまい。

 わざわざ確認するまでもないことだ。

 例え数百をの異形の群れに飛び込むことになったとしても、躊躇はしない。そこに、救いを求める声があるのならば、ジークフリートがするべきことは明確だ。

 故に、彼が抱く焦燥は己の命が絶える可能性への恐怖ではなく、偏に目の前の無垢な命が消え去ってしまうのではないかという危機感から来るものであった。

「間に合え……!」

 一言。 

 ただそれだけを口にすると、彼は颯と化して大地を駆ける。

 背後に過ぎ去っていく風景には目もくれず、黒きもやに囲まれた飛行艇にのみ集中する。

 循環する魔力が筋力を底上げし、驚異的な速度を発揮させる。

 ジークフリートの目の前で、空飛ぶ鯨の胴体部分から炎が上がった。

 その衝撃で鯨はバランスを崩し、左方向に傾いていく。姿勢制御システムだろうか。左側面に魔法陣が展開されてはいるが出力不足なのか徐々に傾きは大きくなり、高度も下がっていく。

 飛行機械に疎いジークフリートでも、飛行艇が航行能力を失い墜落しようとしていることは分かる。

 ジークフリートは虚空より愛剣を召喚する。

 もはや自分と一体となった聖剣の柄を握り締めると、即座にその真名を解放する。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 竜を屠ったA+ランク対軍宝具が、その猛威を具現する。

 黄昏の津波が湧き上がり、斬撃の軌跡に沿って世界を染め上げる。

 半円状の広範囲攻撃が、大気を押し退けて異形の集団に迫り、その上半分を押し流した。遠く雷にも似た音が駆け巡る。

 まだ有効射程の外側だったためか、敵に与えた被害は微少。

 しかし、その威力と桁外れの魔力が魔物たちに危機感を植え付けた。これで、あの群れの一部でもジークフリートに向かってきてくれれば御の字だ。

 そうしている間にも、ジークフリートは距離を三分の一にまで縮めている。

 莫大な魔力を推進力とし、ジェット戦闘機もさながらの速度域で走っているのだ。目的地に辿り着くのもそう遠い話ではなく、僅かでも墜落を不時着に変えるだけの時間が稼げればそれでいいのだ。

 威力をセーブし、飛行艇に影響がないように注意を払って、宝具の第二撃を放つ。

 黄昏の波動が浮き足立った異形の者たちに牙を剥き、押し流す。

 そうこうしている間に、敵も動き始めた。

 ジークフリートに対する反撃とばかりに、魔法による遠距離攻撃を仕掛けてきたのである。

 数十体の悪魔や魔獣からなる多種多様な魔法攻撃が色鮮やかに花開き、ジークフリートの視界を埋め尽くす。

「この程度」

 脅威とも感じない。

 なるほど、確かに広範囲に広がる無数の魔法攻撃はただの人間を相手には十分すぎる威力があるだろう。地面はひび割れ、命は跡形もなく蒸発するはずだ。

 しかし、それは相手がただの人間であったのならばという話であって、ここにいるのは竜殺しの英雄ジークフリートである。

 ジークフリートは回避行動も取らずに魔法の輝きの中に身を投じる。

 爆炎が吹き上がり、地響きを立てる。

 その中を、ジークフリートは五体満足で駆け抜けた。

 当たらなかったわけではない。

 現に、その衣服は引き裂かれ、焼け焦げている。

 しかしながら、衣服の下に露出する鍛え抜かれた肉体には傷一つなく、完成された肉体美を惜しげもなく見せ付けるのみだ。

 『ニーベルンゲンの歌』に見えるジークフリートは確かに竜を殺した英雄として世界的に有名だったが、もう一つ、彼の代名詞たる能力がある。

 ――――悪竜の血を浴びたことによって変質した、甲羅のように固くなった肉体である。

 これによって、生前のジークフリートは弱点となる背中を除くあらゆる部位に刃が突き立つことがなく、文字通りの不死身さで戦争すらも流れ作業で行えるほどの強さを手に入れた。

 伝説は今に再現される。

 視界を覆う魔法も、矢も――――そして、悪魔や魔獣の牙や爪もジークフリートに傷をつけることは叶わない。

 勢い勇んで飛び掛ってくる敵の尖兵を殴り倒し、剣を振るって、上半身を斬り飛ばす。

 打ち倒された悪魔は塵のように消え去り、魔獣は血を流して失墜した。

 草原の真っ只中に不時着した飛行艇に向けて、ジークフリートは一気に跳躍した。

 弾丸の如き大ジャンプは、ジークフリートと飛行艇の間に横たわる一キロばかりの距離を瞬く間に零にする。

 進路を塞いでいた魔物どもは体当たりのみで蹴散らした。

 鋼鉄の肉体はそれだけで凶器であり、音速を置き去りにする疾走と豪腕から繰り出される聖剣の斬撃。これだけで、一軍を屠る威力となる。

 土煙を巻き上げてブレーキをかけると、拉げかけた機体の傍で身体を止める。

 素早く飛行艇の状態を確認すると、表面を覆う魔法障壁がまだ生きていることが分かった。これにより、この異形の群れの攻撃を受け止め続けていたのだ。

 火を吹いた場所は未だに煙を上げているものの、火災そのものは沈静化している。窓から何人か外の様子を脅えた瞳で窺っているのが見える。

「あ、あんたは!?」

 機体に開いた亀裂から声をかけられた。男の声だった。

「通りすがりだ。それより、中の様子はどうなっている? 怪我人はいるか?」

 ジークフリートは剣を構えたまま油断なく敵を視線で牽制しつつ、機体を背にして立つ。

「魔法障壁のおかげで何とか。だが、搭載されている武装が完全に止まってしまっている。姫様を護衛していた連中が裏切ったんだ!」

 ガン、と壁を殴る音がする。

「姫? すると、帝国の姫か」

「ああ、そうだ。姫様だけでも、無事首都に送り届けなければならないというのに、これでは……」

 ヘラス帝国の姫がこの飛行艇には乗っているらしい。

 おまけに単なる事故でもなく、内部からの裏切りがこの問題の背景にありそうだ。身内の中での権力争いか、あるいは敵対国の陰謀か。王族や皇族には常に付き纏う危険であり、ジークフリートにも身に覚えがあるものだった。赤の他人であり、そもそもこの国の人間でもないジークフリートが高度に政治的な問題に関わるのはあまり得策とはいえないが、かといって見捨てることもできない。

 初めから、彼の選択は決まっている。

「そうか。大体の現状は把握した。貴方たちは決して船外に出ず、身を守っていてくれればいい」

「だ、だが……」

「外に出れば守り難くなる」

 轟、と聖剣を振るったジークフリート。その剣圧は、遂に堰を切ったように襲い掛かってきた魔物の群れの最前列を圧し戻し、後続を団子状にした。

 四方八方の敵に対処するには、飛行艇を背負った状態では不可能。となれば、飛行艇の上に乗るほうがいいだろう。

 ジークフリートは飛行艇の上に飛び上がり、改めて四方の敵を睨み付ける。

「さあ、かかって来い。まさか、たった一人を相手に臆したなどということはないだろう?」

 鬼面の怪物。

 牛頭の怪物。

 狼顔の怪物。

 およそあらゆる神話体系から無秩序に召喚されたかのような歪な形態の魔物たち。人は彼らを悪魔や魔族、魔獣などと呼び恐れてきた。

 けれど、竜殺しに恐怖はない。

 かつて、世界の破滅にも似た悪竜(ファフニール)を討伐したあの時から、幻想種であろうとも相手取れる自信がついた。――――慣れたとも言い換えられる。ましてや、この世界の脆弱な魔物程度に後れを取るなどありえない。

 明瞭なまでの数の差、暴威をその身体を剣は苦もなく押し返す。

 音速を優に超える戦闘速度は敵対者の知覚を上回り、閃く黄昏が一群を纏めて薙ぎ払う。

 一撃が広範囲殲滅魔法に匹敵する威力のそれを、ほぼ一瞬で発動する。驚嘆すべきはその魔力量と発動速度だ。仮に一般的な魔法使いが大規模魔法を個人で発動させれば、魔力の大半を持っていかれるだろうし、二発目を打とうとすれば呪文詠唱の時間を取られる。しかし、ジークフリートにそのような隙はない。ただ剣を振るうだけで、圧倒的な猛威をばら撒ける。魔力が枯渇する様子もなく、爆撃でもしているかのような轟音と閃光が連続する。

 魔法使いたちにとってそれは信じ難い光景であり、敵対者にとっては死そのものであった。

「ぎぃ、ああああああああ!」

 最後に飛び掛ってきた悪魔の心臓を一突きして決着が付いた。

 空は晴れ渡り、黒き雲は取り払われた。

 地に伏した悪魔たちは塵に還り、魔獣は屍を曝している。動くモノは皆無で、死屍累々たる有様であった。戦いの規模に比べて屍が少ないのは、悪魔のように実体を残さないものもいたことや、宝具の真名解放によって跡形もなく消し飛ばされたものが多かったからだ。

 ジークフリートは周囲の状況をざっと確認して、敵がいないことを確かめると不時着した飛行艇に歩み寄った。

 声をかける前に、拉げたドアが吹き飛んだ。

 む、と警戒するジークフリートだったが、中から飛び出てきたのが小さな子どもだったために逆に困惑することとなった。

「強いな! 強いな、剣士殿!」

 飛び出てきた少女がジークフリートに真っ直ぐ向かってくる。

「姫様! 危険です! どうか中にお戻りを! 姫様ーーーー!」

 そして、その後ろからぞろぞろと人が転び出てくる。その発言を聞けば、この少女がヘラス帝国の姫であり、彼らがその従者であることは明白である。

「剣士殿、礼を言うぞ。そなたのおかげで命拾いした! これから――――」

 矢継ぎ早に言葉を紡ぐ少女を、家臣たちが抱きかかえて後ろに連れて行く。

「こ、ら。何をする! 今大事な話をしていたところだろう!」

「話の続きはわたくしどもで致します。どこの誰とも分からぬ御仁に、無防備に近付いてはなりません」

「何だと!? 恩人は恩人だろう!」

 ジタバタと暴れる姫を、侍女が三人がかりで押さえている。

「騒がしくて申し訳ありません」

 どうしたものかと思っていると、一人の老紳士がジークフリートの下にやってきた。

 執事を突き詰めたかのような風貌の男であった。

「あの年頃であれば、自然なことだろう。危機を脱した直後でハイになっているのかもしれないが」

「ご理解くださいまして、ありがとうございます。自己紹介が遅れましたが、私はヘラス帝国第三皇女付き執事アルバートにございます」

「ジークフリートだ。特に肩書きらしいものはない」

「ジークフリート様ですね。お名前に違わぬお力に我々一同驚嘆するばかりでございました」

「自分にできることをしたまでだ。ところで、第三皇女付きの執事と言ったが……」

「はい。お察しの通り、あちらにお座すお方こそヘラス帝国第三皇女テオドラ姫でございます」

「そうか。彼女がテオドラ姫か」

 新聞やテレビが主要な情報源であることは田舎も都会も変わりない。そして、その情報を頼りにすればテオドラ姫は年齢にそぐわない落ち着いた姫君であったはずだ。しかし、実物はずいぶんとじゃじゃ馬らしい。そこは、親や周囲の教育の賜物なのだろうか。

 期せずしてジークフリートはヘラス帝国の要人と顔を繋いでしまったのであった。



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第二話

 ジークフリート。

 ドイツの国民的叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公の名だ。

 ネーデルランドの王子であり、若くして悪竜ファフニールの討伐に成功。その際にファフニールから流れた血を浴びて如何なる刀剣をも無力化する不死身の肉体を得たという。その際に菩提樹の葉が張り付いて竜の血を浴びれなかった背中を裏切りの刃で貫かれるまで敗北はなく、多くの希望と恨みを一身に背負って戦い続けた紛うことなき大英雄。

 その伝説の英雄と同じ名を持つ青年は、ヘラス帝国の第三皇女一行を襲った異形の群れを相手にして一歩も引かず、それどころか圧倒してみせた。

 一匹も取り逃さず、その尽くを殲滅し、死すら覚悟した一行を救い出したのである。

 なるほど、それは英雄ジークフリートの名を持つに相応しい偉業ではあるまいか。これほどの圧倒的実力を持つ者に出会ったことはない。

 ヘラス帝国という魔法界の南半分を領有する広大な国の皇女に生まれたテオドラは幼いながらも聡明な頭脳の持ち主だ。

 異形の群れに襲われて涙を流すこともなく皇族としての誇りを最後まで誇示して戦おうと自ら杖を握るほどのじゃじゃ馬でもあった。

 そんな彼女は、当然ながら帝国の武勇に秀でた猛者たちと顔見知りだ。

 今は戦時中。

 そうした猛者たちは戦場に兵士として送り込まれ、ある者は武功を上げ、ある者は志半ばで倒れた。これが戦争だ。ならば、自分たち皇族もまた、ひょんなことから命を絶たれることはあろう。その可能性を考えないことはなかった。

 敵の手が入った自分の護衛兵に裏切られ、魔物の群れに襲われた際にはもはやこれまでと覚悟したものだが、それも輝ける聖剣の持ち主との出会いで杞憂に終わった。

 感謝してもしきれない夢のような出会いであった。

「なあ、ジーク。そなた、このままヘラスに来てはもらえんか?」

 要請を受けてやってきた救命艇の中で、テオドラはジークフリートに提案した。

「ヘラスとは首都のことだろう。旅の最終的な目的地に定めていたので、ありがたい申し出だが……そういうことではないのだろう?」

 単純に、ヘラスに連れて行ってくれるというわけではない。当然のことであろう。テオドラは大きく頷いた。

「もちろんじゃ。そなたにはとりあえずはヘラスまでの護衛を依頼しているところじゃが、その後の護衛も頼もうかと思っておるのじゃ」

 そのテオドラの発言を聞いて、侍女たちが再び制止しようと声を荒げた。

 その侍女たちにテオドラは反論する。

「ジークフリートの実力は見たじゃろう。現状、彼を上回る護衛役がいるのなら、妾に教えて欲しいものじゃな」

「そ、それは……しかし、どこの誰とも知れぬ方を王宮の中に連れ込むなど」

 テオドラを護衛するということは、その王宮にまで足を踏み入れることになるということだ。ならば、その身元はきちんと保証されている者でなければ勤まらない。実力だけで、王宮に踏み入っていいということにはさすがにならないのだ。

「確かにその侍女殿の言うとおり、野良犬を王宮に連れ込むわけにはいくまい。ありがたい申し出ではあるが、貴殿の身に関わることでもある。あまり滅多なことを言うべきではない」

 静かな口調でジークフリートは言った。

 テオドラはまさか拒否されるとは思っていなかったのか、意外そうな顔をした後で不満そうに頬を膨らませる。

「だ、だが、そなたの力は帝国に必要じゃ。まかり間違って国外に出られるのは国益を害しかねないし今は戦時じゃ……」

 テオドラの言いたいことも分かる。

 大規模な戦争という帝国の未曾有の危機なのだ。その中で単騎で一軍と張り合える逸材を取り逃がしたとあっては、テオドラ自身の身に危険が及びかねない。第三皇女という立場はそれだけ危ういのだ。戦争とは別の権力争いもあって、彼女はそうした失点が許されないのである。

 戦争のゴタゴタを利用して政敵を葬り去るというのはは古今東西に変わりなく存在する普遍的な政変である。

「護衛がだめならば、傭兵として雇われてはもらえぬか? 繰り返すが、強大な敵国に相対する今、そなたのような猛者は一人でも多く必要としている時期なのじゃ」

 帝国の正規兵だけでは戦線を維持できない場合には傭兵が雇われる場合もあるという。

 しかし、本来傭兵は金で武力を買うだけの存在で忠誠心は無に等しい。スパイの問題もあり、帝国はよほどの実力者でない限りは雇うことはなく、そしてよほどの実力者は正規軍の中で頭角を現すので結果的に傭兵の採用数は戦時ながらも増えてはいない。その内、国民の中から徴兵することになったのなら、傭兵の存在自体が正規兵に置き換えられることになろう。今後も増える見込みはないのだが、ジークフリートのようなこれはという人物には特例的に傭兵身分を与えることはままあるらしい。

「なるほど……傭兵か」

 正直なところ正規兵か傭兵かなど、ジークフリートにしてみれば大した違いではない。今になって名声には興味はなく金については言わずもがな。その体質から放っておいても生活していけるだけの資金は手に入る。戦場に出るということも、彼の実力ならばそうそう遅れを取ることはないだろうと言い切れる。問題は、この世界の戦争に自分が介入していいのかという点だ。

 受肉したとはいえ、元は人智を超越した英霊。単独で戦争を遂行するだけの戦闘能力を有している。そんなジークフリートが、迷い込んだだけのこの世界の戦争に参加していいのだろうか。

 これはあくまでも彼の気持ちの問題だ。

 誰が咎めるものでもない。

 だが、この世界が抱える諸問題や各国の政治的思惑も知らず、戦いの場に出ていいのだろうかという疑念は消えない。

 力ある者の責務は弱き者のためにその力を振るうことである。

 人界を離れたジークフリートが人の世の政治に関わるのは反則ではないだろうか。

「まあ、すぐにとは言わぬ。そなたの力を前に無理矢理などというのは被害が大きくなるだけだしの」

「そうか」

 とだけ、ジークフリートは答える。

 難しい問いである。

 テオドラが心からジークフリートの力を欲しているのは分かるのだ。

 だが、応えていいものか。

 サーヴァントとして魔術師に力を貸していたころと今とでは状況が違いすぎるのだ。

 請われたから助けたというだけでは、その結果の大きさが異なる。国家間の戦争と聖杯を巡る戦争とでは、その意味合いが根本的に異なるのだ。

 単なる願望機としてのあり方だけでは、無味乾燥としたかつての二の舞になろう。

 考えることに意味があると信じ、ジークフリートは首都ヘラスへの道中を思案に費やすこととなった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ヘラス帝国首都ヘラス。

 魔法世界南部の中で最大規模の都市であり、帝国内に於いては最も技術レベルが発達した都市でもある。

 救命艇から見下ろすビル群は、文明の発展具合を如実に表しており知識でしかこうした風景をしらないジークフリートにとっては衝撃的でもあった。

 サーヴァントとして召喚されたルーマニアも首都に行けばこのような景色が溢れていたのだろうが、生憎と主戦場となったトゥリファスはユグドミレニアの一族が魔術的に管理している特殊な都市で中世の様相を明確に残した街並だった。それすらも、五世紀ごろに活躍したジークフリートには珍しい光景であったが、光り輝くという表現が似つかわしい近代都市のビル群を前にしては人類の栄光を思わずにはいられなかった。

 人間は自然から独立し、世界の中心となった。

 誰かがそのようなことを言っていたような気がする。

 この景色を見れば、あながち間違いではないだろう。

 天に届かんとする高層ビルは、神話に伝わるバベルの塔のようで、ここが神代であったならば神に唾する行為としてその怒りに触れただろうに。

 喜ぶべきではあろう。

 この恩恵を人々が受けているのならば。

 一行が地上に降りた時にはすでに日が暮れていた。

 夜の闇は大都市ならではの人工の灯りに駆逐されており、昼間のように明るい街並は活気に溢れていた。

 戦時ではあるが、その影響は首都にまで及んではいないのだろう。

 大国の国力ならば、ありえる話だ。

 国力を総動員しなくても、正規軍だけで戦争が遂行できるのならば、一般人からすればテレビや新聞の中での出来事にしかならないのだから。

「姫様。よくぞご無事で」

 帝国の第三皇女が襲撃を受けるという衝撃的な事件に帝国の上層部はかなり慌しくなっていたようだ。

 スーツ姿の女性とその後ろに護衛の正規兵二〇人が、テオドラ一行を出迎えていた。

「事情は窺いました。申し訳ありません。まさか、護衛兵に裏切り者がいるなどと……あってはならぬ大失態」

「よい。こうして戻ってきたのだからな。裏切り者には然るべき処置をするべきじゃが、そなたは関わりないことであろう」

「わたしは確かに姫様の護衛ではありませんが、姫様付きの侍従長としてその身辺に気を配る義務がございます。だというのに……く、なんと口惜しい」

「大袈裟じゃのう……」

 初老を迎えた頃の女性は、名をメイリンという。

 彼女が言ったとおり、テオドラ専属の侍女や執事を束ねる侍従長の役職にあった。

「魔族の群れに内側からの裏切り。妾たちだけではどうすることもできなかったが、ジーク殿のおかげで事なきを得たぞ」

「ジーク……?」

「あの者じゃ」

 と、テオドラはジークフリートに視線を向けた。

 ローブを羽織った偉丈夫という印象の青年が、一行の最も後ろに立っている。

「ジーク殿がおらねば妾はやられていたじゃろうな。そこで、此度の働きの礼をしたいのじゃが」

「承知しました。あの方については、こちらで対応を協議します。近くの庁舎にいらしていただき、然る後王宮にご案内するよう取り計らいましょう」

「むぅ、まあ、それが妥当かのぅ……」

 叶うことならば、この足で王宮に来てもらい贅を尽くした料理などで歓迎したいところだったが、セキュリティを考えるとやはり難しいところなのだろう。

「じゃが、ジークには王宮の前までは護衛を続けてもらうぞ。妾はそういう契約をしたわけだからな」

「またそのような契約を……まあ、仕方ありません。契約を履行しないというわけにもいきませんからね。順序が逆になりましたが、姫様をお送りした後、ジーク様を庁舎にお連れしましょう」

 侍従長はそう言ってテオドラのわがままを認めた。

 ジークフリートにその旨を説明した後、馬車に乗り合わせて移動することとなった。

 綺麗に舗装された石の大通りを快調に走る馬車は、揺れも少なく乗り心地は非常にいい。荷車などとは比較にならない、などとジークフリートは場違いな感想を抱く。

 この馬車にも何らかの魔術的な守りが施されているらしい。それだけでなく、構造上の欠点を補うように振動や騒音の抑制などの効果がある魔法がかかっているようだ。実に便利に、魔法を生活の中で利用している。これが、彼の時代にあれば、豊かな国土を作り上げることも夢ではなかっただろうに。

 魔術は秘匿されるものという時代だったのだから仕方ないだろう。神代に於いても基本的な考え方は同じだった。この世界の魔法使いとは、根本的に思想が異なる。科学と魔法を同じ尺度で扱うこの世界は、科学技術以上に気軽に便利さを供給できる魔法がより発展したと見るべきだろう。その分、神秘性は大いに薄れてしまっているようだが。

 馬車の窓から見える景色は、やはり異国情緒に溢れたもので、しかしどこにでもある普通の光景だった。

 母親に手を引かれて歩く子どもがいて、酔っ払いの喧嘩を止めようとしている仲間がいて、恋人と腕を組んで歩いている者たちもいる。仕事帰りなのか疲れたような表情の男や、家族連れで外食にでもいくのだろうか、談笑しながら歩いている一家がいる。

 どこにでもある日常の風景だが、知識でしか知らないジークフリートにとってはこれすらも物珍しい。

 五世紀のネーデルランドにも、二十一世紀のトゥリファスでも見れなかった光景なのは間違いない。

「とても、戦時中とは思えんな」

「グレートブリッジを落とした今、我が国は王手を打ったに等しい状況ですから」

 と、馬車の向かいに座るメイリンは言った。

 何でもグレートブリッジはメセンブリーナ連合の盟主たるメガロメセンブリアの喉元に当たる巨大要塞だという。三国志に言う虎牢関のような破られると一気に戦線が瓦解するという重要な軍事拠点なのだ。そこを、帝国を奪ったのだという。現状を見れば、帝国の勝利は目前であり、連合の旗色はかなり悪い。ヘラス帝国の首都が、このように活気があるのも、戦局を優勢に運んでいるからであろう。

「俺は南の田舎の育ちで国政には疎い。この戦争というのも詳しい事情は知らないのだが、この際教えてもらえると助かる」

「……なんと、そなたそれも知らんのか?」

 テオドラがさすがに驚いたという風に目を見開いた。

 当然であろう。

 戦争というのは国家の一大事だ。テレビもあれば新聞もある今の時代、帝国は必死になって戦争の正当性をアピールしており、戦況を「我が国有利」と喧伝している。そのような時代にあって、まさか戦争について何も知らないとは驚く以上に呆れてしまう。

「ずいぶんと田舎なのですね。あなたの出身地は」

「面目ない。何分、山野を駆ける生活をしていたものだからな。近くに集落がありはしたが、そこに定住するということもなかった」

「どんな生活ですか、それは。帝国の臣民として、少し問題があるようですね。いえ、それ以上にそのような生活をしている者を把握していなかった行政の怠慢ですか」

 頭を抱えるような仕草をするメイリン。

 所在不明な民がいるとなれば、税収にも影響しよう。ジークフリートの存在は戸籍ですら確認できないのではないか。となれば、彼の氏素性は、彼の言葉でのみ確認できるということになってしまう。

「まあ、戦災孤児の問題もありますし、戸籍については課題が多そうですね」

 もちろん、侍従長が出張るような問題でもないのだが、国家の内部に多少なりとも関わる身としては行く末が心配である。たとえ勝利したとしても、やるべきことが山積することに変わりはない。

 ため息をついたメイリンは、それでも面倒くさがらずにジークフリートに概略を話してくれた。

 始めは些細な辺境での諍いだった。

 それが、徐々に悪化して武力衝突に繋がった。戦争が大規模化したのはヘラス帝国のアルギュレー・シルチス亜大陸侵攻からではあるが、それ以前のぶつかり合いについては帝国と連合のどちらが先に手を出したのか判然とせず、互いに相手が先に仕掛けてきたと言い分をぶつけ合っているのだそうだ。

 ヘラス帝国の目的はすべての文明の発祥地とされる聖地オスティアの奪還。亜人間(デミヒューマン)の夢である聖地を取り戻すための聖戦と位置づけられているのが、この戦争なのだという。

「ずいぶんと、話が飛躍していると思えるが……」

「飛躍? どこがです。帝国民の夢こそがオスティアの奪還ですのに」

「だが、当初は小さな諍いだったのだろう」

 そこでなんらかの手を打てば戦争などには至らなかっただろう。

 聖戦を初めから想定していたわけではなく、戦線を拡大する目的で設定した後付のようにも聞こえたのだ。もっとも、戦争するからには大きな目的や大義がいるのも事実。政治的に耳に心地よい目的を設定するのも為政者の役目とも言える。

「この戦争も終戦間際です。先ほど申し上げたとおり、グレートブリッジはすでに陥落しています。オスティアの奪還作戦こそ失敗に終わりましたが、勝利すれば手に入ります」

「勝ち戦、というわけだな」

「はい。わたしは戦争には疎いので厳密なことは申せませんが、公の情報では負けるとは思えません」

「なるほど」

 では、この戦争も近いうちに終わるのだろう。

 犠牲者が少ないことを願うばかりだ。

 実際の戦場を見たわけでもないので、判断は付かない。が、戦争が佳境に突入しているのならば、ジークフリートが介入することもなく終わるだろう。それが、最もよい終わり方だ。

 どこかしら納得できない部分を抱えながらも、そう自分を納得させようとしたときであった。やおら立ち上がる魔力の気配にジークフリートの戦士の勘が気付いた。

 殺意にも似た魔力が馬車の直下で湧き上がる。その瞬間、ジークフリートは迷うことなく横に腰掛けるテオドラと正面のメイリンを引き寄せて外に飛び出した。

 超越者に相応しい体技だからこその奇跡。

 ジークフリートが車外に出たのと時を同じくして、馬車が下方からの突き上げを食らったかのように宙を舞い、炎の中で燃え落ちた。

「なぁ……!?」 

 テオドラが目を白黒させ、メイリンは理解が追いつかないとばかりに呆然としている。馬車を引いていた馬は地面に転がり、荒く唸っている。命は助かったらしいが、これでは安楽死を選ぶほかあるまい。いや、この世界の魔法技術ならばまだ救いようはあるか。それよりも――――、

「怪我はないか、二人とも」

「え、あ、はい。何とか、ひ、姫様」

「無事じゃ。また、ジークには助けられたの」

 ふぅ、と気を抜いたのかテオドラは吐息を漏らす。

 周囲に喧騒が戻ってきた。

 突然の爆発により、道路は陥没し燃える馬車の残骸が転がっている惨状に、周囲にいた民間人は恐れ戦いた表情を浮かべている。

「姫様!」

「ご無事ですか!?」

「御者はどこにいった!? 探せ!!」

 前後を走っていた警備用の馬車につめていた正規兵たちがぞろぞろと出てきた。

「御者がいないな」

 ジークフリートは周囲に視線を走らせる。

 馬車の外に飛び出た時にはすでにいなかった。爆破魔法に巻き込まれないようにするために、馬車を離れたのは疑いようがなかった。

「何者か知らんが、テオドラ姫を狙う輩は執拗だな。魔族の襲撃を生きて帰ってきた場合を想定していたらしい」

「そんな……彼は、長年皇家に仕えてきた御者です、何かの間違いです」

「それは俺には分からん。捕らえてみないことにはな」

 すでに正規兵たちが、慌しく各所に連絡を入れている。

 帝都での第三皇女を狙った爆破テロだ。大々的に報じられるだろうし、警備も一層厳重になるだろう。

 戦争、という言葉を思い起こさない者はいない。

 勝ち戦のはずなのに、と社会不安が増大する懸念がある。

「テオドラ姫が無事なのが不幸中の幸いだったな」

 ジークフリートは呟いた。

 これで、テオドラに何かあっては、連合憎しの声が高まり激烈な報復戦に墜ちていった可能性がある。恨みや復讐は戦争の原動力ではあるが破滅の要因でもある。それは、ジークフリートだからこそ実感を持って断言できることだった。

 しかし、テオドラが無事だったということは、そういう意味で救いなのだ。

 死者は取り戻せないからこそ、死の原因に向けられる憎悪は巨大化する。生きてさえいれば、憎悪の成長は抑制されるのだから。 

 



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第三話

 テオドラとの出会いから七日が経過して、ジークフリートも多少はヘラスでの生活に慣れてきたところだ。

 幸いだったのは食習慣が大きく変わらなかったことか。

 彼は王族ではあったが、様々な冒険を乗り越えた冒険者でもあり大抵の食事は美味しく平らげる自信があったが、その覚悟を必要とするほどヘラスの人々の味覚はジークフリートのそれから乖離してはいなかった。

 それはそうとして、食事というのは活力の源である。

 如何なる食事も平らげるという覚悟と美味いものを食べたいという欲求は別物だ。

 目にも鮮やかな食事に心動かされぬということはないし、庶民の食事ですらも古代を生きた彼からすれば物珍しい。

 そもそも、現代の感覚からすれば古代のネーデルランドの食はかなり質素だった。

 それに比べれば、世界のバラエティ溢れる食事の数々には驚かされるばかりだ。

 今も、こうして下町に出て庶民の味を楽しむくらいには、ヘラスでの生活を堪能している。

 無秩序な荒くれ者共が集う夜の飲み屋。

 そのカウンターに腰掛けて、ジークフリートは酒を嗜んでいる。

 テオドラを救ってから、ジークフリートは事件の関係者ということで当局の監視下に置かれている。もちろん、第三皇女の恩人であるということを考慮に入れて、待遇は極めて良い。首都から出ないで欲しいという要請を受けているだけで、それ以上干渉されるということもない。

 当然か。

 ジークフリートの実力云々の話ではなく、二度に亘って第三皇女を救った人間に辛く当たるのは世論の反発を招く。彼の身元がはっきりしないからこそ、こうして最低限行政がするべき対応を取っているに過ぎない。そもそも、これも戸籍に乗っていない正体不明の人間が第三皇女の命を救ったという異例の事態に行政がついていけないのが問題なのだ。

 それを、ジークフリートは仕方のない事として鷹揚に受け入れている。

 今は戦時中だ。背景のはっきりしない人間を軽々しく信用はできないだろう。ましてやテロに狙われた皇族の身辺に侍るような護衛職を、ただの恩人にさせていいはずがない。

 ジークフリートに与えられたのは衣食住と当面遊んで暮らせるだけの金銭。そして、感謝状と勲章という栄誉であった。

 当面の生活はこれで保証された。

 だが、それだけではジークフリートという男を満足させるには至らない。

 確かに、生活が安定するというのはよいことだが、彼はどこででも生きていける自信がある。金銭についても何とかなる。金銭には困らぬ人生を幸運の代償に約束されているからだ。あるいは、今回の突発的な収入も自身にかけられた逃れ得ぬ運命の導きだったのかもしれない。

 金があれば生活には困らない。

 よって、ジークフリートはそういった点について思い悩む必要がなく、ただただ自分の在り様に問いを向ければいいのである。

 まだ理解しきれていないこの世界のこと。

 魔法が一般に普及し、生活の中心となった新世界と魔法が公にされておらず、科学技術によって発展する旧世界。

 ヘラスの国営図書館で旧世界について調べてみると、自分の知っている世界と瓜二つであることがはっきりした。

 西暦では一九八三年なので、ルーマニアに召喚される二十年ほど前ということになろうか。

 あるいは、この世界は自分が“黒”のサーヴァントとして召喚された世界と繋がっているのではないか。そう思いもしたが、魔法の性質が根本から異なることを考えると、やはり完全な異世界、あるいは並行世界にやってきたと考えるほうが自然であろう。

 いずれにしても、この三ヶ月ほどの間に怒涛の如き驚愕の日々を過ごしており、自分の置かれている状況をきちんと把握できないまま時が過ぎている感がある。

 酒――――竜の心臓を持ち、竜種の体質を有する彼はそう容易く酩酊できるものではない。アルコールの風味と飲み物としての味わいを楽しむことが精々であろう。

 とはいえ、こうしてカウンターに一人座っているのは、世界を見るためでもある。

 酔った頭では、考えを纏めることもできないのでむしろ都合がいい。

 「ゴロツキ」たちがところどころで大きな声を発している。

 酒を飲み、トランプで賭けをして、笑い、怒り、楽しんでいる。なるほど、これも一つの平和の証。優雅さに欠ける風景ではあるが、むしろこのようなごくごく当たり前の雑踏こそがジークフリートの性に合っている。そんな気がする。

 ウォッカを舐めるようにしつつ、密かに背後の気配を探る。

 自分を監視する複数の視線があるのが気にかかるが、十中八九帝国の人間だろう。誰が彼を監視する任についているのかということは当然ながら知らされていないが、監視しているという事実が伝えられただけ、まだ配慮はされているのだろう。

 数は三人。

 客として一人、店の外に二人だ。

 ――――一人、増えたか。

 店の外でもう一人合流したようだ。気配はそのまま店の中に入ってきて、ジークフリートの隣の席に座った。

 短い黒髪のスーツ姿の女だった。

 身長はさほど高くはなく、むしろ平均よりも低いくらいだが引き締まった細身の体形で姿勢もいいからか、比較対象がなければ高身長に見えるだろう。

 ややつり眼がちで、真面目、冷淡といった印象を受ける。

 だが、何よりもジークフリートの目を引いたのは彼女の足運び。

 重心にぶれがなく、極めて自然な足取りだ。身体のゆれも少ない。こうして隣に座っていながらも、いつでも全方位に対処できる。そのような意識をしていることが窺えるのだ。

「帝国の方か?」

 ジークフリートは小さく尋ねた。

「分かりますか?」

「隠したいのであれば、わざと足取りを乱すのも手だ」

「……なるほど、御見それしました。テオドラ様が、あなた様を一流の武芸者だと仰ったのは事実だったようですね」

「腕に自信はあるが、買いかぶりが過ぎる」

 からん、とグラスの中の氷が音を立てた。

「すみません、わたしもこの方と同じ物を」

 と、隣の女性はバーのマスターに頼んだ。

「公務中では?」

「ここに来て飲まないのは不自然かと」

「なるほど」

 そういうものか、とジークフリートは納得する。

「それで、俺に用があるのではないのか?」

「はい。……まずは自己紹介からさせて頂きます。わたしは、ヘラス帝国騎士団第三皇女付第二警護隊にて隊長を勤めておりますアレクシア・アビントンと申します」

「ジークフリートだ。肩書きらしいものはない」

 簡単な自己紹介だ。

 ジークフリートが言うように、名乗るべき肩書きはすでにない。

 かつてを振り返ればネーデルランドの王であったり、“黒”のセイバーであったりと名前以外の肩書きがあったのだが、それらはこの世界で何の役にも立たない。

 ただ剣を振るうことしか脳のない流浪の旅人。それが、今のジークフリートである。

 ちょうどこの時、アレクシアの元にウォッカが届いたので、ジークフリートは改めて尋ねた。

「俺は監視下に置かれているが、わざわざ話しかけてきたのは理由があるのか?」

 まさか、話してみたいなどという個人的な事情ではないだろう。

「そうですね。まずは、お礼を。テオドラ様の窮地を救ってくださいまして、ありがとうございました。本来であれば、我等が動くべきところを誠にお恥ずかしい限りです」

「偶然居合わせただけだ。めぐり合わせに過ぎない」

「それでも、あなたがいなければどうなっていたか分かりません。敵に内通していた者どもについてはすでに手配が回っておりますが……」

「警備隊と言ったか。テオドラは……」

「その話はここでは」

「ああ」

 世間には第三皇女付きの警備隊に裏切り者がありテオドラを狙ったテロに関与したとして指名手配がされている。しかし、詳しい事情は非公開だ。どこに耳があるか分からないところで、非公開情報を口にするわけにもいかないだろう。

「貴女が率いているのは第二警備隊。第一、第三もあるということか」

「そうですね。現在は第三まで。ですが、これも事件があって本来一つの警備隊を三つに分割しただけですので、今後も再編があるかもしれませんね」

 テオドラの身辺を警護する職である第三皇女付警備隊は総勢六〇名からなる精鋭部隊。裏切り者を出したということで徹底的な身辺検査が行われ、再編されて一隊二〇名からなる三つの部隊に分割されたのだという。

「第一皇女様、第二皇女様についても同様です。内憂に精神を裂くのは愚かしいことですが、重要ですからね」

「ここに貴女がいるのも、テオドラ姫の関係ということか」

「そうです。あなたに正式に騎士の職に就いていただきたいというお願いに参りました」

「どこの誰とも知れぬ輩だぞ」

「ご存知の通り、あなたに関しては我々も調査は行いました。三ヶ月の間の資料しかなく、空白期が余りにも多いのが問題と言えば問題ですが、黒竜退治の件やテオドラ様を救出された際の圧倒的な実力もあって、帝国政府としても協力を願いたいという結論になりました」

 どうやら集落での黒竜についても調べがついたようだ。

 これまでどこで何をしていたのか、という点についても話をしていたから現地で聞き込みなどの調査活動がされたのだろう。ジークフリートを騎士団に取り込むのなら、彼の人となりや前半生を知る必要がある。戸籍に乗っていない以上、人づてでの情報収集を図るほかない。

 そして、今になって接触してきたことを考えると、その調査活動も終わったということなのだろう。

「仮に俺が騎士の職についたとして、どのような職務に励むことになるのだ?」

「まずは第三皇女付警備隊に勤めていただきたいと思っております。給金についても十二分にお支払いいたしますし、その他手当ても取り揃えております。契約は書面で結びますが、契約の精霊を間に挟み、強制力を発生させます」

 魔法を使って契約するということは、真っ当な方法で契約を違えることはできないということだ。

 ジークフリートにその契約の魔法が通じるかどうかは甚だ疑問だが、この契約は使用者と被使用者に同時に結ばれるもの。つまり、給金を不当に支払わないなどの雇い主側の不正を禁ずる意味もあるので、使用者側からすればかなり重い契約と言えるだろう。

 契約内容についても簡単に聞いたが、非常に好待遇だ。

 この辺りの物価を考えても、かなりの高水準の生活を営むことができるだろう。

 だが、――――第三皇女付というのが気になるところだ。

「テオドラ姫の警備を担当することになるはずだが、流浪の人間をいきなり引き入れてよいところか?」

「それについては、方々に話を通す必要があるのは事実です。しかし、陛下の心象がいいこともあり、まず受け入れられないということはありませんし、信用の置ける者を個別に雇い入れる権利をテオドラ様はお持ちです」

「だと言うのなら、貴女の先の言葉は少々拙速だ。未だ帝国政府としては俺を雇い入れる件について了承しておらず、その可能性があるにしても審議中といったところだろう。貴女がここにいるのは、どちらかといえばテオドラ姫の意向なのではないか?」

「ッ……その通りです。誤解を招く言い方をしてしまいまして、申し訳ありません」

「謝らなくてもいい。契約の内容がそれで変わるわけではない。テオドラ姫が個人で契約を結ぶ権利があるというのならば、なおのことだ」

 例え、上がジークフリートの採用を見送ったとしても、テオドラが認めれば第三皇女付警備隊には入ることができるのだ。ただし、その際は帝国騎士団員としての契約ではなくなるが仕事内容に違いがあるわけではない。転属などが存在しないという点に違いがあるくらいだろう。

「ありがたい申し出だ」

 ジークフリートは言う。

 自分の力を認めてもらえるというのは、本当にありがたい。

「だが、その申し出を受けることはできんな」

「理由をお聞きしても?」

「俺は確かに水準以上の力を持っていると自負している。だが、その一方で貴女方からすれば過去が分からぬ不審者でもある。そのような者を受け入れるのは、仮に権限があったとしてもするべきではない。それは内部の不和に繋がるものだと俺は思っている」

 ジークフリートの圧倒的な実力を、テオドラとその関係者の一部しか知らない。言葉では聞いても実感が伴っていないのだ。もしも、実感を以てその実力を判断していたのなら、テオドラの使いだけがこの場に来るというのはありえない。なんとしてでも味方に引き入れようとあの手この手を使うだろう。

 テオドラの陣営に入ってからジークフリートの実力が評価されることになれば、皇女間のパワーバランスが一挙に崩れることになる上、第三皇女付警備隊の中でも一部の隊が突出することになってしまう。それでは軍としての機能にすら支障を来たす。

 これが、他の実力者ならそのような心配はいらないのだ。

 英霊ジークフリートだからこそ、このようなありえないほどのバランス崩壊が現実のものとなる可能性を含有してしまう。そして、それが表面化したとき、危険に晒されるのはテオドラのほうだ。

「宮廷内での力関係にも気を配るべきだ、彼女は」

 ウォッカをさらに一口、口に含む。

「なるほど。大した自信ですね」 

 とアレクシアは言った。

「つまり、あなた一人で帝国の騎士団に多大な影響を与えることができると」

「そこまでは言っていない。だが、そう受け取る人間がいる可能性があるということだ。別の言い方をすれば、付け入る隙を与えることになるとも言えるだろう」

 実力で排除できるのであれば排除しよう。

 力を示すことで悪しき風聞を打ち消せるのならば打ち消そう。

 だが、ある種正しい理屈がある場合それをただ力で押さえつけるのは危険だ。

 ジークフリートが、何の後ろ盾もない流浪の民であることに変わりなく、そんな人物を皇女の傍に置くのは痛くもない腹を探られることに繋がる。ましてや、ジークフリートが常軌を逸した力の持ち主だったのなら、それはテオドラを不幸にするかもしれない。

「あなたのご意見は分かりました。ですが、わたしも納得がいかない部分もあります」

「仕方ないだろう」

「はい。ですので、お願いがあります。不躾ながら、手合わせを願いたいのです」

「唐突だな」

 本当に、唐突だ。

「わたしも帝国騎士の端くれです。テオドラ様に力を認めていただき、こうして今の地位に上がることができました。同じくテオドラ様に力を認められたジークフリートさんの実力を肌で感じてみたい。これは、個人的な興味です」

 彼女は言葉を区切り、グラスに口を付ける。

「それに、仮にあなたをわたしが倒せれば、あなたは帝国内部の力関係を気にする必要もなく入隊できるかもしれません」

 一人で無双の強さを発揮できるのならば、確かに第三皇女という継承権で見ても下位に位置する姫が個人で有するには危険であろう。

 だが、そうでないのならば野良を一人拾ったところでいい拾い物をしたという程度で済むだろう。

 どちらに転ぶかはジークフリートの力次第と言ったところだろう。

「どこまでも職務に忠実な方だ」

 と、ジークフリートは苦笑する。

 何とか、ジークフリートと引き入れる理由を作ろうとしているのだ。テオドラの命を果たすためだろう。

「その話を受けるとする。正直に言えば、俺は魔法には疎くてな。魔法戦闘に興味があった」

「決まりですね。人目を憚りますので、この足で演習場に向かってもよろしいですか?」

「構わない。どの道、夜は手持ち無沙汰だからな」

 店の閉まる夜間は剣を振るか、寝るか、本を読むかのどれかしかないのが今のジークフリートの生活だ。 

 魔法戦闘を体験できる機会を逃すのは、惜しい。

 そう思った。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 支払いを済ませた後で、アレクシアと彼女と合流した部下を交えてヘラス帝国騎士団所有の演習場にやって来た。

 郊外にある広大な敷地の演習場は、「演習に使用する平野部」と言うべきもので、ローマ帝国が有した史上空前の大建築コロッセオのようなスタジアムではなかった。

 夜間、それも個人のためにそのような施設を使うわけにはいかないと分かっていながらも、少しばかり期待していたので残念だった。

 一キロほど離れたところに、ヘラスの町明かりが見える。不夜城と言うに相応しい都市の明かりが、夜空の星々を打ち消し、浮かぶ雲を照らし出していた。

 ああ、この光景ですらジークフリートにとっては珍しい。

「軍事演習に使用する平原です。軍が使わないときは一般にも開放して、様々な催し物をしているのです」

 と、生真面目な口調でアレクシアが説明した。

 個人の戦闘ではなく、軍団規模の演習を行うための場。

 魔法使いの戦いは往々にして派手になりがちだ。人目を憚るという意味もあるが、周囲への配慮もあるのだろう。

「確かに、ここならば多少派手な魔法を使っても問題にはならないだろう。手合わせをするには、いい環境だ」

 ジークフリートは周囲を観察して、そう言った。

 背後に街明かり、前方には遠く見える黒々とした連山。そして、見渡す限り続いていく草原。下草は芝ほどの長さしかなく、ところどころに背丈のある植物が寂しげに自己主張している程度。足場はしっかりとしていて、踏み込みに問題を生じさせることはないだろう。

 つまり、戦う分には何一つ障碍がなく、敗北の言い訳は成立しない。

「あなたたちは離れて、結界を張ってください。市民に迷惑をかけないように」

 アレクシアに命じられた部下は、素早くアレクシアとジークフリートから距離を取り、魔力を振り撒いた。淡く輝く魔力光が魔法陣を描き出し、防音と対魔法、対物理障壁を形成した。

 一〇〇メートル四方の不可視の壁に囲まれたジークフリートは、その異質な魔法に見惚れる。

 なるほど、この魔法は見たことがない。やはり、この世界は未知に溢れている。

「これで、流れ弾で市民に危害が及ぶこともありません。もっとも、一番違い住宅まで一キロは離れていますからその心配は少ないのですけどね」

 けれど、何事も注意しておくに越したことはない。

 それに、この場合最も苦情の要因となるのはやはり騒音なのだし。

「この結界の中で手合わせというわけだな」

「そうなります。ルールは……」

「先ほど聞いたことに変更がないのならば、問題はない」

 まさか、本気を出して戦うわけにはいかない。

 ルールに則り、安全に配慮しつつ戦わなければならない。

 勝敗は戦闘継続不可能の状態に追い込まれるか敗北を認めることで決する。

 死に直結する大規模攻撃魔法や障壁貫通効果付与の使用は厳禁。

 呪詛の類も同じく厳禁。

 そうでないのならば、ある程度の怪我は治癒魔法で治療可能ということで容認される。

 それが、今回の手合わせの内容だった。

「分かりました。それでは、始めましょうか」

 アレクシアは魔法を使ったのだろう。スーツから動きやすい軽装に一瞬で衣服を変えた。

「騎士団で使用している修練用の服です。身体強化などの魔法は仕込んでませんよ」

 不正を疑われることを嫌ったのか、わざわざ説明してくれる。魔法が込められた武器の使用も許容範囲内のはずだが、事前に申告していないと反則だという認識なのだろうか。

 武器は刃を潰したという訓練用の槍。それ自体が魔法の発動媒体にもなっているという。

 小柄な女性が振るうにはさすがに大味が過ぎる武器だが、これが彼女が持つと存外しっくりする。

 槍使いと戦うのは、久しぶりだ。

 無論、かの大英雄と比較すれば劣るのは当然だが、彼女の立ち居振る舞いには厳しい鍛錬に裏打ちされた武の気配を感じる。

 ヘラスの騎士は、魔法のみならず武術についても鍛錬を欠かしていないというのが、ジークフリートにとって嬉しい誤算だった。

 

 

 アレクシア・アビントン。

 戦闘能力の格付けはBB+とかなりの高評価を受ける魔法騎士だ。未だ十代ながら、要職を任されたのもその将来性を期待されてのこと。

 そして、自分の実力には過不足なく自信を持っている。

 ジークフリートというテオドラのお気に入りに対して、興味とわずかばかりの嫉妬を抱いているのは認めざるを得ない。

 彼の実力を見極める。

 それもまた、今宵の仕事の一つ。

 対峙する青年――――ジークフリートはこちらで用意した一メートルばかりの訓練用刀剣を手に悠然と立っている。

 彼我の距離は一〇メートル弱。

 身体強化の魔法を使えば、ものの一歩で零にできる程度である。

「いきます」

 わざわざ宣言したのは、不意打ちを言い訳にされたくないから。

 魔力を身体に流し、発動する身体強化。陽炎のように光が全身を覆い、そして会心の瞬動で八メートルを跳ぶ。

 リーチの長さと瞬動の速度を活かした刺突。

 胴体を狙った一刺しをジークフリートは難なく剣で逸らす。

 ――――やはり。

 剣を持ち、対面したときからその強さを感じていた。

 彼は生粋の剣士であり、近接戦に於いては比類ない力を持っていると。理屈よりも先に本能が理解してしまう。こうして槍を打ち込んでも、表情一つ変えずに剣で打ち払ってくる。これだけでも相手が加減しているのが否応なく伝わってくる。

 ――――焦るな。

 自分に言い聞かせる。

 戦場に於いて、格上と戦うことは珍しくない。

 怪物的な実力者ならばともなく、アレクシアは最強格の戦士ではないのだから。それを自覚しているが故に、油断なく手を変え技を変えて敵を倒す。槍術は得意としているだけで、他に脳がないというわけではないのだ。

「……雷撃武(コンフィルマーティオー)器強化(フルミナーンス)!」

 雷撃を槍に纏わせたことによる、突破力の向上。閃電による目晦ましも兼ねる。近接高速戦闘に於ける目晦ましは、極めて効果が高い。卑怯などとは言うまい。魔法戦闘とは、殴りあうだけではないのだから。

 鋭い刺突は、しかしそれまでのフェイントを織り交ぜた技巧的なものではなくただ愚直な突き込みだった。

 あからさまに高威力の攻撃に対してジークフリートがどうでるか。

 魔法で防ぐか。

 それとも躱すか。躱すとしたら左右どちらか。あるいは後ろに下がるか跳ぶか。

 どう対処する。

 何通りもの行動を予測していたアレクシアであったが、ジークフリートが実際に取った行動はさすがに想定外だった。

 剣で受けることもなく、また避けることもなかった。

 彼は左手を突き出して、アレクシアの槍を手の平で受け止めてしまったのだ。

 ――――馬鹿な。

 という叫びを飲み込んだのはさすがと言っていいだろう。

 雷撃で強化された武器だ。如何に刃を潰してあるとは言っても、その威力は肉を抉るには十分だった。治癒術の存在を前提にして強化だったのだから。それを、素手で止めるなど常軌を逸している。驚くべきは魔法障壁すら張っている気配がないことだ。彼は自分の肉体の強度のみで、アレクシアの雷撃槍を完全に封殺している。

 驚愕は隙となり、ジークフリートの反撃を許すきっかけとなった。

 右手に軽く握られた剣が一閃。 

 魔力風を纏った剣がアレクシアの小さな身体を押し返す。

「く……ッ」

 バランスを崩さないようにバックステップをするアレクシアは憎憎しげに歯噛みする。

「わざと、外しましたね」

「気のせいだろう」

 と、いけしゃあしゃあと言う。

 彼の実力ならば、至近で動きを止めたアレクシアの胴を薙ぐくらいは簡単だっただろうに。

「しかし、見事な槍だ。それに、先ほどの踏み込み。噂で聞いた瞬動というものか」

「ええ、近接戦の基本です。あなたは、ご存じなかったのですか?」

「知ってのとおり、教えを請う相手もいなかったのでな」

「ああ、なるほど」

 ジークフリートほどの戦士ならば使えて当然だとばかり思っていた。

 しかし、彼の経歴を見る限りその力は独学によって成り立ったもの。当然、技法という面では未熟な点もあるのだろう。それで、この強さなら、まだまだ発展性があるということでもある。末恐ろしいことだ。

 だが、それならばアレクシアにも十分に勝機がある。

 彼は魔法についての理解が浅く、瞬動も初見だという。

 それらはアレクシアが当然のように修めている技法である。技という点でアレクシアはジークフリートの上位にあり、それらを駆使することで彼を翻弄できるかもしれないという希望がある。

 その希望を、ジークフリートはあっさりと覆す。

 瞬きの間に、ジークフリートがアレクシアの隣に移動していたからだ。

「な……!」

 気付けたのは、単に彼が攻撃してこなかったから。

「なるほど、瞬動か。魔力を用いただけの体術ならば、まあ、この程度か」

 などとジークフリートは嘯く。

 その言葉は、アレクシアではなく自分に対して言い聞かせたものだろう。

 アレクシアは咄嗟に瞬動で距離を取った。

 冷や汗が止まらない。

「すばらしい瞬動ですね。入りも抜きも、実に……見事でした」

 そう評価せざるを得ない。

 気配すらも置き去りにする速過ぎる瞬動術。

 認めるしかない。この男は、こと体術という点に於いて帝国最強クラスの怪物だと。

 

 

 

 ジークフリートもまた驚愕している。

 目の前の少女――――アレクシア。若くしてすばらしい戦闘技能の持ち主だ。無論、それはジークフリートに届くものではないが、それでも並の兵では太刀打ちできないだろう。この世界ではどうか分からないが、彼が生前に率いた兵の中でも上位に入ることができるのではないか。

 魔法を多用する戦闘というのは、それだけ脅威度が跳ね上がるのだ。

 今も、雷の斧がジークフリートに叩きつけられる。

 魔術的な防御がなければ、一撃で勝敗が決するような強力な魔法だ。

 しかし、叩きつけられる雷撃も『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファフニール)』の凶悪なまでの防御性能が、この世界でも十二分に通用するということを証明するのみだ。

 晴れた粉塵の中から無傷のジークフリートが現れるのを、見越していたのだろう。さらにアレクシアが怒涛の攻撃を仕掛けてくる。

「闇夜切り裂く一条の光、我が手に宿りて敵を喰らえ――――白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!」

 アレクシアの右手から迸る雷光がジークフリートの身体を打つ。

 だが、それも効かない。 

 すでに十を越える雷撃魔法を直撃させていながら、彼の身体には傷一つつかない。

 要塞の如き堅牢さで数多の敵の攻撃を封殺する伝説の肉体。ジークフリートの代名詞たる、不死身は固すぎる肉体という形で顕現している。

 肉体に付与された力であるために、自分の一存で制限するということも儘ならない。彼女には申し訳ないが、大魔法ですら傷を与えることができるか怪しいジークフリートの肉体に試合のルールの中でダメージを与えるのは土台無理な話なのだ。

 そして、ジークフリートの特性はその肉体の頑強さだけに留まらない。

 積み重ねた武威は、齢十九の少女では決して辿り着けない高みにある。

 天性の才能は瞬動を初見で高い水準で再現することを可能とした。もとより人間を越えた身体能力を持つが故に、ただの瞬動も速度からして桁外れとなる。もちろん、ただ速く動くだけならば瞬動を使う必要すらない。ただ、思いのままに一歩を踏み出せばいいのだから。

 ジークフリートの踏み込みに、反応できたのは彼女の才覚故だろう。

風花・風障壁(フランス・パリエース・アエリアーリス)!!」

 ジークフリートの斬撃を、アレクシアの不可視の障壁が受け止める。無詠唱ながらも高い精度で編み上げられた風の障壁は、十トントラックの追突にすら耐えるという。

 傷付けぬように加減したジークフリートの斬撃であれば、これで止めることはできる。

「ああっ!!」

 アレクシアは槍を振るった。この剣の間合いでは威力に期待をすることはできない。しかし、ジークフリートの速さを考えれば、逃れること自体が難しい。何かしら、彼の気を逸らす程度の隙を作らなければならない。その槍をジークフリートは剣で受けることもなく、ただ絡め取り、打ち落とした。

「ッ……!」

 そこから先をアレクシアが理解することはできなかった。

 ただ、気が付けば尻餅をついてジークフリートに剣を突きつけられているという状態だった。それが、ただ単に転ばされたというだけのことなのに、意識の間隙を突いた巧みな技の前に呆然とすることしかできない。

「これで、負けを認めてくれると助かるのだが」

 と、彼は困ったように言った。

 ジークフリートは初めから本気を出すつもりは毛頭なく、ただ魔法戦闘とはどのようなものかと計るつもりで戦っていたのだ。そのため、アレクシアがここまで喰らい付くことができたが、その気になれば瞬時に終わらせることも難しくなかっただろう。

 手を抜かれたことについては悔しいが、それも実力の差があったからだ。

 事ここに至って敗北を認めないほど、アレクシアは子どもではない。

「ええ、はい。分かりました。わたしではあなたには勝てないようです」

 頷いて立ち上がる。

 実力の差は明白で、言い訳の余地はまったくなかった。

 不自然なまでの肉体強度とアレクシアとは比較にならないほど高いレベル剣術を併せ持つ移動要塞。そういう印象を受けた。

「確かにあなたほどの実力者を姫様の一存だけで引き入れるとなると風当たりも厳しくなりそうです。上がきちんと結果を出すまでは、早まったことはしないようにするのが賢明ですか」

 ジークフリートもテオドラの立場を慮ってくれている。

 人となりについても問題はないので、是非ともテオドラ派に引き入れたいところだ。とはいえ、今は戦時中。宮廷内の権力闘争を意識して、外患をおろそかにしては元も子もない。

 ジークフリートという強大な力が敵に渡るのは阻止しなければならないが、敵対しないのであればそれでもいい。勝ち戦ということもあり、不要な波風は立てないに越したことはないのである。



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第四話

 アレクシアとの対戦の後、ジークフリートの生活に何か大きな変化があったかというと、そうではなかった。実力を認められ軍に採用されるかというと、そのような話もなく、平穏無事に時間が過ぎている。

 貸し与えられたマンションの一室に寝泊りしているジークフリートは、コーヒーとトーストで軽い昼食とする。テレビは戦争の話題で持ちきりで、グレートブリッジ奪取に成功した今、連合の降服は時間の問題であるとの見方が強かった。

 現在、帝国は連合に対して降服するように勧告を出しているらしい。

 敵の中心地であるメガロメセンブリアがグレートブリッジの陥落によって丸裸にも等しい状態に追いやられたことで敵方の中で厭戦気分が高まっている。

 これ以上の不毛な戦いは無意味であるとして、帝国側は兵を北上させず、対話による解決を目指しているとのことであった。

 これについては、様々な意見がある。

 まず、一気呵成に攻め立てて、敵の盟主たるメガロメセンブリアを潰すべきだという強硬姿勢。

 ヘラスの大通りでも、そういった主張を叫ぶデモが何度か行われているのをジークフリートはマンションのテラスから眺めたことがある。

 ――――そのときは、言論の自由というのが保障されていることに少なからぬ驚きがあったものだが。

 強硬論は、北と南の長年の確執に端を発する怨嗟の声だ。

 亜人類を差別する純血主義のメガロメセンブリアとそれに協調する北の人間たち。南の「古き民」は北の人間を「新しき民」として歴史も伝統もない野蛮人と蔑んだ。結局のところはどっちもどっち。戦いの火種がもともとあって、些細ないざこざから一気に噴出したのだ。両者共に民族的な対立感情が内側にあった。戦争が大きくなったのは、今、テレビの前で大声を発する強硬派のような民族至上主義の影響もあってのことだろう。

「戦争は終わったも同然か」

 コメンテーターの会話は基本的に戦後処理の話題になっている。

 この戦争の善悪を論じることもなければ、当然敗北の可能性に触れることもない。

 このまま敵地を攻略しなくていいのか、今までの恨みを晴らさなくていいのか。そういった意見に対して、命を無駄にする必要はない。滅ぼしては賠償すら取れないだろう、という意見が対立する。

 戦争は外交手段であるべきで、恨みを晴らすための戦争は侵略ですらないただの殺戮手段に堕する。となれば、後者の意見こそジークフリートは支持したい。

 ともあれ、このまま事態が推移するのならばヘラスの勝利は確実だろう。

 テレビ画面に表示される地図を見る。

 グレートブリッジの位置とメガロメセンブリアの位置を見れば、そこがどれほど重要な場所だったのかが一目瞭然である。今頃、メガロメセンブリアは戦々恐々としているに違いない。喉元にナイフを突きつけられたような状態だ。これでは、生殺しに等しい扱いだ。

 チャンネルを変えようとしたとき、呼び鈴が鳴った。

 帝国の人間だろうか。

 ジークフリートの家を訪れるのは、現状では帝国の者以外に考えられない。

 玄関の扉を開けると見知った顔があった。

「アレクシア殿か」

「お久しぶりです、ジークフリートさん」

 きりりとした顔立ちのスーツ姿の女魔法騎士。

 テオドラの身辺を警護する三つの警備隊の一つを率いる立場の少女である。

 その後ろにはローブに身を包む二人の魔法使いがいた。個人的訪問ではなく公務としてやってきたということだ。

「何かあったな」

 確信だった。

 彼女は冷厳とした表情ながら、それは決して(ながら、決して/であるが、それは決して)不感症だということではない。ただ、感情表現が苦手なだけだ。その上で判断するのならば、今のアレクシアはずいぶんと思い悩んでいる様子だ。

「今日はテオドラ様からの命ではなく、陛下からの命を受けて参りました」

「陛下……皇帝か」

 テオドラの命を救った恩人として勲章を与えられた際に、授与式で見たことがある。立派な二本の角を生やした、精悍な顔立ちの男性だった。

「ジークフリートさんの実力を見込んでということです。……中で話をさせていただいても?」

 中に入れない理由もなく、ジークフリートは三人を迎え入れる。

 不意の客人に出せるようなものはなく、コーヒーくらいしか用意できないのを謝罪しながら、要件を尋ねた。

「わざわざ俺のところに来たのは、相応の理由があるわけだろう」

「はい」

 と、アレクシアは言った。

「ジークフリートさんに折り入ってご相談があります」

「相談……」

「……傭兵として、グレートブリッジへの救援に向かっていただきたいのです」

 非常に言い難そうにしながらも、アレクシアはしっかりとした声で言った。

「グレートブリッジに救援だと?」

 ジークフリートは驚いて、口に出してしまう。

 それもそのはずだ。

 グレートブリッジは帝国が陥落させた軍事上の要衝であり、ここを落としたからこそ帝国の勝利は間近だと喧伝されていたのだ。そこに救援という形で向かうということは、戦況に大きな変化があったということである。

「何があった? 俺が知る限りでは、グレートブリッジは……」

「連合による大規模な反抗作戦が開始されたのです。想定を上回る物量に加えて、グレートブリッジそのものが、連合側に都合よく機能しているとの情報があり、上層部は撤退を決めたのです」

「グレートブリッジそのものが、要塞としての機能を失ったということか」

「そうなります」

 なるほど、確かにグレートブリッジは連合側の要塞だった。帝国側からの攻撃を防ぐのに都合よく機能しても、連合側からの攻撃を防ぐにはその防御力は激減するのだろう。連合側も馬鹿ではなかったということだろう。撤退の際に、反抗作戦で優位に立てるようにいろいろと仕込みをしていたのだ。

「相手も中々の食わせ物だな」

 グレートブリッジを拠点として、戦力を整えようとしていた矢先のことだっただけに帝国側は完全に虚を突かれた形になる。

「連合側はグレートブリッジを取り戻す自信があったのだろうな」

「おそらく。……ずいぶんと反攻が早かったことを考えると、戦術的撤退だったのでしょう」

 ヘラス帝国は大規模転移魔法の軍事利用により連合側の不意をついてグレートブリッジを落とした。連合側の被害も大きかったはずで、だからこそ帝国は勝利を確信したのだ。

 だが、彼らは素早く戦力を立て直し、グレートブリッジに大兵力を投入している。

「現状、グレートブリッジを保持することはかなり厳しい状態です。そこに投入していた兵力を叩かれれば、我等は守りの要を失います。撤退のための時間を、稼がねばなりません」

「船と兵、この両方を可能な限り生かして退かねばならないか」

「連合はグレートブリッジを陥落させた余勢を駆って帝国領内に攻め入るでしょう。その際に対抗していくには、ここで戦力を減らすわけにはいかないと」

「俺の仕事は殿というわけだ。傭兵への依頼とは思えんな」

「ですので、断わっていただいてかまいません。強制力のない、あくまでも依頼として申し上げております」

「そもそも、俺一人ではないだろう。向こうに行くのは」

「はい。基本的には正規兵の救援部隊を四〇〇〇人規模で編成中です。これらでグレートブリッジを側面から救援し、敵軍の足を止めることになっています」

「ならば、それで十分ではないか? 個人の武勇など、大した影響は与えないだろう」

 グレートブリッジに押し寄せる敵の大軍に背中を襲われれば、多大な被害を出すことになる。それを防ぐために敵軍を側面から攻撃し、押し返すことはできないまでも何とか足を止める。その隙に、撤退を終える。となれば、必要なのは敵軍を牽制できるだけの大軍であり、個人は不要だろう。

「相手がただの軍であれば、それでも大丈夫なのです。ですが、一騎当千の大魔法使いがいる場合、大型の戦艦が寧ろ的にされる場合もあります」

 そう言ってアレクシアはカバンからA4用紙に写真がクリップ止めされた資料を取り出した。

「これは?」

「敵の真の主力と目される者たち――――『紅き翼』を名乗る傭兵チームです」

「傭兵チームか」

 ジークフリートは資料を眺めた。

 目にも鮮やかな赤毛の少年ナギ・スプリングフィールド。

 鍛え抜かれた肉体とふてぶてしい表情の巨漢ジャック・ラカン。

 優美な顔立ちの優男で如何にも魔法使いといった服装のアルビレオ・イマ。

 旧世界出身のサムライマスター青山詠春。

 外見は子どもだが、卓越した魔法技能を有するゼクト。

 詳細な調査結果があることからも、かなり以前から帝国が脅威として認識していたことが分かる。

「二度に亘るオスティア攻略作戦の失敗も彼らが主要な働きをしたからとされています」

「ほう」

 興味深い相手だ。

 戦争が一個人の武勇ではなく、数と兵器の質に左右されるようになった時代にあって、燦然と輝く個の力を示すというのは難しいことなのだ。多少の達人は圧倒的な火力の前に塵も同然。唯一無二の達人よりも平均的に戦果を上げることのできる兵器を取り揃えることが勝利の近道だからだ。

 しかし、大魔法使いと呼ぶに相応しい頂点の実力者は個人で軍隊を相手に戦えるという。となれば、連合の戦力は『紅き翼』の存在だけで数倍――――いや、精神的支柱であると考えれば、士気もあってさらに戦力は上昇するだろう。

 ジャック・ラカンなどは元々帝国が彼らに送った刺客だったのに、いつの間にか帝国の依頼を忘れたかのように振る舞い『紅き翼』の一員になってしまっている。とてつもない損失だろう。性格から考えて、正規兵にはならなかっただろうが、帝国からすれば一軍を上回る実力者が敵になってしまったようなものだ。ジークフリートを傭兵として雇って大丈夫なのかどうか、という話が遅々として進まなかったのも、この裏切りの前例があるからではないだろうか。

「俺の仕事は、彼らの足止め。可能ならば撃破といったところか」

「危険な任務になります。まして、南北の猛者を集めても最上位に入るであろう五人が集ったチームです。正直に言えば、無謀に過ぎるものです」

「俺のほかには?」

「帝国は国力に優れていますが、個の武勇となると……残念ながら彼らに匹敵する者を集めるだけの時間もなければ、兵の厚みもありません」

 帝国の主要な兵器は鬼神兵と空中戦艦。

 個ではなく、軍としての近代化を目指した結果「魔法使い」という原点を積み上げたような者に対して相性が悪くなった。

 だが、それは帝国が悪いと言うわけではない。

 そもそも、『紅き翼』がおかしいだけなのだ。

 単独で戦艦を撃沈できるなど非常識にもほどがあるというものだ。

 そして、それにジークフリートをぶつけようというのだ。帝国側もかなり切羽詰っている。このような非常識な依頼をしてくるのも、事情があるのだろう。

 正規兵を失いたくない。

 しかし、『紅き翼』を押さえるには大人数と相応の兵器の消耗を覚悟しなければならない。

 それでは、まったく意味を成さない。ここを乗り切っても、後々敵の反抗を抑えられず国が傾くこともありえる。何とかして一兵でも多くを逃がし、武装を温存するために、『紅き翼』の足止めができる個人をぶつける必要があった。

 それが、傭兵を使い潰すような非情な作戦であったとしても、取り入れなければならないほどの危機的状況ということだろう。

 あるいは、これを好機としてテオドラに近いジークフリートを排除しようという宮廷内パワーゲームの結果だろうか。

「分かった」

 ジークフリートは眺めていた資料を机の上に置いて、言った。

「この依頼、引き受けよう」

「あの……正気ですか?」

「何にしても俺の力が必要なのだろう。それに、俺も彼らには興味がある」

「興味?」

「武を志した男として、強い相手に興味を抱くことは不自然か?」

「いえ。ですが、意外でした。そのようなことを仰るような、熱い方とは思いませんでしたので」

「熱くはないな」

 ジークフリートは机の上に広がる資料を見下ろしてコーヒーを口に含んだ。

 すっかり温くなってしまったコーヒーに眉を顰めた。

 まだ見ぬ敵手――――『紅き翼』。

 果たして彼らは、黄金の槍兵のように死力を尽くして戦うべき相手なのかどうか。

 それが気になっているところなのだ。

 

 

 

 時間があろうはずもない。

 グレートブリッジはすでに敵勢の波状攻撃に曝されており、撤退しようにも攻撃の手が止まなければ迂闊に兵を下げることもできない。

 現状ではグレートブリッジの防御力に頼った篭城戦によって辛うじて敵の勢いを押し止めているだけなのだ。

 ジークフリートが仕事を引き受けると、その一時間後には船に乗せられていた。

 船と言っても悠然と水の上を行く船ではない。

 魔法世界の戦争は空中にまで広がっている。ここでの船とは即ち空中戦艦。駆逐艦、巡洋艦などである。

 送り込まれる兵たちはこの信じ難い負け戦を受け入れることができずにいる者がほとんどである。敵を撃ち滅ぼし、帝国に勝利を届けるための出兵ではなく、敗退した味方の退路を確保するための出兵になるなど思いもしなかっただろう。

 ジークフリートですら、昨今の報道を見る限りでは連合に勝ち目などないと思っていた。

 それほど、帝国は優勢に戦争を進めていたのだ。

「不自然なまでの立て直しの速さだったな」

 グレートブリッジの陥落を予見していたかのような手際のよさだ。

 資料を読む限り、グレートブリッジという巨大な餌に帝国が引っかかったとも取れるほど、事態は連合に有利なように進んでいる。

「考えても栓ないことか」

 ジークフリートがいるのは、巡洋艦の中である。

 すでに首都を発して一時間。グレートブリッジまでの船旅の中で、ジークフリートは船内に漂う絶望的な雰囲気を感じ取っている。

 戦争が終わると誰もが手放しに思い込んでいた。

 末端に行くほど、戦場の厳しさを知っているだろうし、だからこそ先の見えなくなった泥試合に恐怖と不安を隠せない。

 ジークフリートは傭兵だ。

 船内を自由に動き回るような権限は与えられていないが、武器を格納する格納庫には立ち入りが認められている。

 というのも、ここにはテオドラがジークフリートへのお礼として用意してくれた武器が置いてあるからだ。

 プロトタイプなので銘はない。製作者等の間での愛称はアスカロン。

 刃渡り一メートル五十センチ、刃幅五十センチにもなる両刃の大剣である。

 西洋剣によく見られる輝かしい飾りの類はなく、柄は黒く染まっており、刀身も鈍い鉄色で全体的に暗い印象を受けるが、込められている魔力は類希なる逸品であることを窺わせる。

 魔力によって精製されたものではなく、金属を以て形を作り、様々な魔法的加工を施したものだそうだ。本来は帝国軍の正規兵に与えられる予定だったが、使用に莫大な魔力を必要とするためにお蔵入りになった欠陥品。その力は武器ではなく兵器に例えられるほどだという。

 宝具では、少々過剰火力だと思っていたところだったので、加減ができそうなこの世界の武器というのはありがたかったりする。

 宝具は真名開放をするまでもなく、存在そのものがこの世界では異質だ。

 使用するにしても、ここぞというときに取り出すくらいがちょうどいいのだ。

 この戦いは敵を殲滅するためのものではなく、守るための戦いだ。

 ジークフリートの戦い次第では、死傷者に差が出るかもしれない。そう思えばこそ、気持ちも入るというものだ。

 




本当はモードレッドで構想していたのだ。
ナギと同じように馬鹿やりそうだったから。けれど、女として扱われても男として扱われても不機嫌になるという史上空前の扱いにくさは如何ともしがたいのである。


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第五話

 メセンブリーナ連合は、魔法都市メガロメセンブリアを盟主とする都市国家連合である。最大勢力を誇るメガロメセンブリアは、旧世界から渡ってきた「新しき民」を中心に構成された人間の国であり、集積された知識と技術は「古き民」の国であり、魔法世界の半分を支配するヘラス帝国にも匹敵するという。

 メセンブリーナ連合の大艦隊が、敵の手に渡ったグレートブリッジを強襲したのは五日前のことだった。

 全長三〇〇キロを誇る大要塞たるグレートブリッジは、堅牢で連合の大艦隊をして容易く崩壊せしめることはできない。だが、搭載された魔法障壁の類は帝国の手に渡る前に破棄しており、短期間のうちにこの広大な要塞全域をカバーできるほどの強固かつ広範囲の魔法障壁を準備することなど不可能だ。

 今ですら重要な場所を中心に、強化魔法がかけられているものの、障壁となるとその範囲が限定されている。

 反攻作戦を急いだのは、帝国がグレートブリッジを自分たちに都合のいいように改良、修繕されないようにするための苦肉の策でもあった。それと同時に、いずれ反撃に出るときのために仕込んでいた仕掛けがいくつか帝国側に発見されずに発動、それによりグレートブリッジの物理的防御力も激減した。

 ところどころから煙を上げているグレートブリッジを遠目に眺める赤毛の少年が、つまらなそうに林檎を齧る。行儀の悪さを指摘する剣士はこの場にはいない。

「帝国側の抵抗も激しいですね。帝国も援軍をこちらに向かわせているようですし、今夜辺り、勝敗を別つ決戦になるでしょう」

 物腰の柔らかい黒髪の青年が、赤毛の少年に話しかけた。

「俺たちも出るってことか?」

「そうなるでしょうね。敵の守りも薄くなっています。次の一戦でグレートブリッジを落とせるとは思いますが、相応の反撃を覚悟しなければなりません。長期戦になれば、国力に勝る相手が有利でこちらは不利ですからね」

「つってもつまんねーぜ。相手にジャックくらいのヤツがいてくれればもう少しやりようもあったんだけどな」

「それを望むのは無理があるでしょう。あれは生きる反則ですよ。もちろん、あなたもですが。――――ナギ」

 ナギ、と呼ばれた少年はにやりと不敵な笑みを浮かべる。

「ふん、そりゃ俺は最強の魔法使いだからな。グレートブリッジくらい落としてやるさ」

「ふふふ、その気概があれば何も問題ないでしょう」

「おめえもサボるなよ、アル」

「さて、どうでしょう」

「おい」

「冗談です。この一戦を勝利で終えれば、形勢を逆転できます。現状を打破するには、これしかありませんしね」

 淡く笑むアルビレオにナギは念押しをする。

 どこかサボり癖のあるアルビレオは、これでもかなり長い時を生きた大魔法使い。単純に大砲として桁外れの力を持つナギとは異なり、正しく数多の知識を修めた強大な魔法使いなのだ。その知識量と冷静さから『紅き翼』では軍師のような役回りになることもある。

「なあ、アル」

「何でしょう」

「ここを落とさなくちゃならねえのは分かってるけどよ。それだけで形勢逆転なんて言えんのか? 前線基地が一つ陥落するだけだぜ?」

 グレートブリッジは帝国領の外側の外側。大規模転移魔法で一気呵成に攻め落とした元連合の要塞だ。ここが連合に落とされたとしても、それは取り返されただけであって帝国側の領土が脅かされるわけではない。振り出しに戻るだけだ。

 だが、それは見かけ上の話でしかないとアルビレオは言う。

「勝利を目前にしてグレートブリッジを取り返されるというのは、帝国側の士気を大いに挫くことに繋がります。『ああ、あんなに頑張って取ったのに……』という無力感が漂うだけでなく、市民レベルでは上層部に対する批判の声も出るでしょう。この一戦で勝ったほうに戦争の流れがやってきます」

 連合は不意を突き、大艦隊で攻勢をかけている。現在は小康状態とはいえ、散発的に小競り合いが繰り返されているところだ。

 最も過激だったのが五日前の最初の大攻勢。

 これによって敵側の鬼神兵や巨大兵器の半数を撃滅することに成功している。その後は相手が亀のように篭って出てこなくなり、こちらも戦力を結集するために時間を割いたために、両者が砲撃を繰り返す魔法合戦に終始しているのが現状だった。

『紅き翼』(われわれ)の強みは人型でありながら艦載砲クラスの攻撃を放てることです。至近まで接近すれば、如何に強固なグレートブリッジの城壁であっても障壁や強化魔法ごと破壊できるでしょう」

「まあ、それで戦争が終わるんならそれでいいけどな」

 ガリガリと林檎食い荒らしたナギは、芯だけとなった林檎を放り捨てた。

 それから、後ろ視線を移す。

 刀を背負った、長身の男がやって来るところだった。

「どうだった詠春」

「予定通りだ。作戦の決行は今夜。上層部は、これで片付けるつもりだ」

 それを聞いてナギは上等とばかりに笑う。

 敵の士気はすでに低下しきっている。

 相手は撤退を視野に入れているという情報もある中で、連合の士気は鰻上りだ。総合的な兵力は互角で、要塞に篭っているだけ向こうが優位かもしれないが、それは数値上のものでしかなく、戦争を実行する人間が弱気になっていれば最大限の力を出すことなど土台不可能である。

 相手が弱っている今こそ、グレートブリッジを叩く絶好機に違いない。逆に言えば、今を逃せばグレートブリッジを攻略することは不可能ということでもあった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 艦内に警報が鳴り響いた。

 耳を劈く不愉快な音は、継続して鳴り続ける。

 日が沈みグレートブリッジの南方二キロという近距離までやってきた帝国艦隊は、その前衛が砲撃戦に入ったことでいよいよ騒がしくなった。

 ほんの十数分前まで水を打ったかのような静けさだったのが信じられないくらいだ。

 すでにここは戦場。 

 かつて一度たりとも足を踏み入れることのなかった空という舞台にあって、ジークフリートの精神はむしろ昂ぶった。

 遠くの空がチカチカと輝いている。

 艦載砲の応酬。こちらの魔法障壁を食い破り、一隻、二隻と撃沈されていく。対して、帝国側も連合の船を次々と沈めている。

 魔法障壁を全面に押し出し、他の船と干渉させて防御力を増幅し、敵艦の砲撃を弾き返す新技術を惜しげもなくつぎ込み、帝国艦隊はグレートブリッジに迫った。

 敵を倒すのではなく、撤退のための殿。

 それが、この艦隊の使命であり、同時にグレートブリッジに篭る兵卒を収容し運び出す役目を帯びた艦を護衛する任に就いている。

 ひたすらに弾幕を張っているのは、敵艦を近づけないようにするためだ。撃沈できれば御の字だが、そこに拘ってはいない。

 赤紫色の光が淡く輝き、グレートブリッジの全面に浮かび上がる。

 立ち上がる三体の巨人は、全長一〇〇メートルはあろうかという帝国鬼神兵。

 鬼神兵は連れて帰れない。ここで、敵軍にぶつけて少しでも時間稼ぎに使おうというのだ。

「凄まじい力だな」

 窓の外で暴れる鬼神兵の働きぶりにジークフリートは感心する。

 艦載砲の直撃を受けて倒れず、その腕の一振りで近付いてくる歩兵(魔法使い)を跳ね返す。物理的にも魔術的にも鉄壁と言っても過言ではない帝国の兵器の一つ。

 意思なき人形ではあるが、それが人の形をしているからであろうか、どこか感情移入を誘う。全身に無数の砲撃を受けて前に進み、身体を張って敵を押し返す様は絶望に立ち向かう戦士の姿に他ならない。

 その鬼神兵の一体が不意に活動を停止した。

 艦載砲でも止まらない巨人が、ビルを思わせる巨大な剣に貫かれているのだ。

 ――――出たか。

 直感した。

 その巨大剣の威容。まさしくジャック・ラカンのアーティファクト『千の顔を持つ英雄』に他ならない。

 資料で見るのと実物を見るのとは大違いだ。

 やはり、彼を失ったのは帝国にとって大きな痛手だったと言う他ない。

「『紅き翼』が出た!?」

「ジャック・ラカンだ!」

「落ち着け! 当艦の職務は敵艦の牽制と味方撤退支援である! まずは己が職責を果たすことに力を注げ!」

 雷光。続いて爆音が響いた。

 鬼神兵がさらに一体、激しい雷光に包まれて爆発したのである。

 艦載砲にすら耐える屈強な鬼神兵も、超至近距離からの雷系最大呪文には耐えられなかった。

「『千の雷』か。ナギ・スプリングフィールドが得意とする雷の魔法。攻撃範囲、威力共に対軍宝具に匹敵するな」

 面白い、と思った。

 これ以上、彼らに暴れられると帝国の戦線が瓦解するという危惧も正しかろう。

 あれは、英雄と呼ぶに相応しい力だ。

 であれば、自分が出るべきだ。

 それこそ、ジークフリートの職責なのだから。

 

 

 転送魔法というのは便利なものだ。

 狙った座標に、いつでも移動することができるのだから軍事利用しようと思うのは至極当然であろう。ジークフリートが統治者だったとしても、この戦争に際して魔法を積極的に用いたであろう。

 グレートブリッジを陥落させた際の大軍を纏めて目的地に転送する大規模転移魔法を帝国は用いた。

 理論は同じだが、今回はジークフリート一人を地上に落とすだけの簡単な魔法だ。

 派手に暴れてくれているから、『紅き翼』の居場所は手に取るように分かる。

 グレートブリッジ上に転移したジークフリートは戦場を遙かな高みから俯瞰する。下は海。飛行術を持たないジークフリートが全力で『紅き翼』を相手にするのならば、敵を対岸に追いやらなければならないと思っていたが、その必要はないらしい。

 海に浮かぶ無数の瓦礫。

 鬼神兵の残骸。

 それらが、足場として十全の機能を果たしてくれると直感する。

「まずは性能を試すところからだな」

 ジークフリートは大剣を振り上げた。

 自身と同じ竜殺しの称号を持つゲオルギウスの宝具と同じ名で呼ばれるアーティファクト。その能力は魔力の集束と放出だ。極めて単純かつ高燃費。およそジークフリートのような規格外の魔力がなければ使いこなせない欠陥兵器ではあるが、条件さえ満たせば極めて強力な破壊を撒き散らせる。

 斬撃を、落とす。

 『紅き翼』の頭上に向けて。

 

 

 

 ■

 

 

 

 水面が沸騰したかのような衝撃が『紅き翼』の五人に襲い掛かった。

 ちょうど、三体目の鬼神兵が倒れたときのことであった。

「何だ!?」

「上じゃ!」

 白髪の少年ゼクトが叫ぶ。グレートブリッジの上から、明確に『紅き翼』を狙って大規模攻撃は放たれる。真っ白な魔力砲撃とも言うべき閃光だ。

「兵器じゃねえ。人間だぞ、アイツ!」

 ナギが叫ぶ。

「あなたは元帝国の人間でしょう。ご存じないのですか」

「いんや、まったく」

 アルビレオに尋ねられたラカンが屈託のない笑みを浮かべた。

「俺たち五人に一人で喧嘩吹っかけてきたのはアイツが初めてだな! よっし、相手になってやるぜ!」

「この鳥頭! 勝手に突っ込むんじゃない!」

 ナギが高みの人影に飛び掛る。距離にして数百メートルは離れているが、彼にとっては大した距離ではない。もっとも、それは近づければの話。グレートブリッジからの妨害、人影からの大斬撃が簡単に近付かせてくれない。

「めんどいぞ。手っ取り早く吹き飛ばす!」

 流れるような呪文詠唱。

 目を見張る莫大な魔力。

 吹き荒れる雷と風がナギの右手に集い、そして一気に解き放たれる。

雷の暴風(ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 数多の帝国兵を恐れさせるナギの真骨頂。

 規格外の大魔力とそれを惜しげもなく注ぎ込む大魔法で、敵対する人影をその周囲ごと打ち抜く。破壊の閃光は一直線に突き進み、グレートブリッジ上部を抉りぬいて空を駆け上っていく。

「なんだ、思ったより大したことねえな!」

 消し飛んだかに見えて、ナギはさらに前進しようとする。そのナギを引き止めたのは詠春だった。

「馬鹿! 上から来るぞ!」

「何!? お、どぅおお!?」

 爆発的な衝撃と共に何かが空から落ちてきた。ナギは詠春に引っ張られて後ろに投げ出されたことで事なきを得た。

「詠春!」

 その代わり、詠春が着弾点から逃れられなかった。水煙が上がって彼の状態が見えない。詠春の無事を確かめようとしたとき、水煙が内側から膨れて弾け飛んだ。

 魔力の豪風が吹き乱れて、詠春と何者かが鍔迫り合っている。

 長い白髪を風に漂わせる屈強そうな剣士だった。

「青山詠春殿か」

 男が尋ねる。

「如何にも。『紅き翼』所属神鳴流剣士青山詠春だ」

 名乗ることに違和感はない。

 名乗って困るようなものはないからだ。

「やはり、こうでなくてはな」

 と、男が呟く。何かしらの感慨の篭った言葉だった。

 そして、魔力が爆発する。足場となっている鬼神兵の背中が軋むほどの魔力が男の剣から溢れる。

 詠春の日本刀は気で極限まで強化されているとはいえ、その構造から鍔迫り合いには向いていない。速く、強く、引いて斬る。力ではなく技によって真価を発揮する剣だ。故に、この魔力を受けた詠春は、これ幸いと後方に跳ぶ。

 相手は追って来なかった。

 仁王立ちになり、切先を五人に突きつける。

「流浪の傭兵剣士ジークフリートだ。貴公らを足止めする任を受けて参上した」

 ジークフリートと名乗った男は、その名に違わぬ威圧感で以てナギたちの前に立ちはだかったのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 『紅き翼』と相対したジークフリートは、表情には出さないもののこの対戦に感謝していた。

 戦争は悪である、と理解した上で。

 それでも、強者との戦いに打ち震える自分がいる。

 強い、と確信する。

 特に赤い髪の少年。まだ十四かそこらだというのに、あらゆる運命を打倒せんとする強い意思を感じるのだ。

 他の面々もタイプこそ違えど強力な戦士である。

 このレベルまで至ると対面しただけで分かるものもあるのだ。

「流浪の傭兵剣士ジークフリートだ。貴公らを足止めする任を受けて参上した」

 実に久しぶりに名乗りを上げた。

 やはり、これこそが己の名だ。

 聖杯大戦では、その性質上真名を名乗ることを禁じられていた。“赤”のランサーと互いに真名のやり取りをした上で戦いたかったと言うのが本音だったので、ここで何の制約もなく、誰に憚ることもなく己が名を口にできたことにある種の感動を覚えていた。

「ハッ、なんかよく分かんねえけど……いつも通りの刺客ってことだろ。押し通るぜ!」

 ナギが瞬動で一気にジークフリートの懐に飛び込む。

 雷を纏う必殺の右拳。

 鉄を打ち砕き、戦艦の外殻にすら穴を開ける一発をジークフリートの腹部に打ち込む。

 雷光が炸裂し、空気が焼ける。

「な……!」

 驚愕したのはナギだった。

 一発KOを期した右の拳は、しかしジークフリートを打ち倒すには至らず、屈強な腹筋で完全に受け止められていた。

「いい拳だ。その歳で、よくぞそこまでの力を練り上げたものだ」

「クッ……!」 

 賞賛しながらも、ジークフリートはアスカロンを振るった。轟然と振るわれる大剣を、ナギは咄嗟に伏せて躱す。赤毛が数本、宙に舞った。ギロチンを思わせる上段切りが、ナギに襲い掛かる。

「やっべ……!」

 焦るナギを救ったのは、ゼクトの水流操作の魔法だ。水面を爆ぜさせて、ナギを弾いたのだ。

「敵を侮るからそうなるのじゃ!」

「すまねえ師匠!」

 謝罪しながらも抜け目のないナギは、吹っ飛びながら魔法の矢を放ってくる。

 雷の一〇一矢が空を埋め尽くす綺羅星となり、ジークフリートに降り注ぐ。

「ぬ……」

 驚くべき威力だ。

 魔法の矢は攻撃魔法の中では初級。基礎魔法に位置づけられるもので、魔法学校でも最初に教わる魔法の一つだと聞いている。しかし、ナギほどの才ある魔法使いが使えば、戦略級の威力を誇るものなのか。

 ジークフリートの肉体を突破するにはまだ足りない。

 粉塵が晴れる前に、追撃とばかりに詠春が飛び込んでくる。

「雷光剣!」

 光り輝く雷撃の剣。溢れ出る気が名剣夕凪の刀身より灼熱の雷撃を解き放った。

 その強大な剣術を、ジークフリートは右腕一本で受け止める。

 雷撃と斬撃の双方が、ジークフリートの表皮を貫けない。

 アスカロンの横薙ぎの斬撃を詠春は瞬動で躱す。

「さすがに冷静だ、詠春殿」

 と、ジークフリートは詠春をそう評する。

 ナギの攻撃でジークフリートの防御力を理解していたからこそ、雷光剣を素手で受け止めるという信じ難い光景に即座に対処できたのだ。

 体勢を立て直した詠春に、ジークフリートは斬りかかる。

 爆発的な踏み込みであった。

 アスカロンの魔力集束と魔力放出を組み合わせて、ジェット噴射のように扱っているのだ。そのまま剛剣が振り回される。

 まともに受ければ、夕凪ごと両断されるのではないか。

 そう危惧せざるを得ないほどの力を感じる。

 何よりも厄介なのは、この桁外れの防御力だ。こちらの攻撃は例え急所に当てたところで通らないのに、向こうは圧倒的な力でねじ伏せにかかるのだから。

 移動要塞。

 そう形容するしかない。

 おまけに、剣の腕もかなりのものだ。不安定な足場を物ともせず、詠春を防戦に追い込んでいる。

 けれどもそれは賞賛に値することなのだ。

 ジークフリートに彼と同じ剣士(セイバー)としてここまで打ち合えていることそのものが、青山詠春という剣士の力量の高さを物語っている。

「詠春! 跳べ!」 

 声と共に詠春が大きく跳躍する。逃すまいと鬼神兵の残骸を踏みつけた瞬間、火山の噴火かとも思える莫大なエネルギーの奔流がジークフリートを打ち抜いた。

「羅漢適当に右パンチ!」

 反応が遅れたのは、慣れ親しんだ魔力ではなくこの世界の法則である気を使われたからだろう。詠春のそれも気ではあるが、ラカンが打ち放った気弾はジークフリートのアスカロンによる大斬撃と同じエネルギー放出だ。術に加工する手間がないために発動が速い。

 大砲の如き一撃でジークフリートは遂に後方に圧し戻される。

「羅漢素早く左パンチ!」

 追い討ちをかけるようにラカンの左ストレートが突き出される。

 拳が射抜くのは虚空。

 しかし、その腕を砲身として災害の化身とも思える気弾が海を割る。

「アスカロン」

 ジークフリートの魔力を吸い上げたアスカロンが咆哮を上げる。

 集束と放出は瞬時に行われ、巨大な魔力斬撃がラカンの気砲を相殺する。

「先ほどよりも軽いぞ、ラカン殿」

「ハッ。なんつー固てえ野郎だ。渋い顔して、殴り合いも上等ってか」

「機会があれば、受けて立つことに異存はない」

 などと、言葉を交わしながら(具に、備に、悉に)敵を見る。

 ――――一人いない。

 ズン、とジークフリートの周囲が黒く染まった。

 魔法陣が周囲に展開されたのだ。

 ナギでも詠春でもラカンでもない。彼らはこういった細かい魔法を駆使した戦いをしないからだ。となれば、ゼクトかアルビレオとなる。

 いないのはアルビレオ・イマだ。

 彼は四人から少し離れた後方で宙に浮きながら魔導書を広げている。

 恐らくはこの魔法陣を制御しているのが彼なのだ。

「ナギ、今です!」

「おうッ!!」

 水面を蹴って跳びあがったナギが、空に掲げる右手に激しい稲妻を呼び寄せる。

「契約により我に従え、高殿の王。来れ、巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆。百重千重と重なりて、走れよ稲妻――――」

 莫大なエネルギーだ。

 それまでと比較にならないほどの、高密度の雷撃魔法。

「ぬん!」

 ジークフリートはアルビレオの重力拘束をアスカロンの一薙ぎで消し飛ばす。

 もとより一定ランク以下の干渉は一切通じない肉体だ。物理攻撃のみならず、それは魔術(魔法)をも対象とする。

「アスカロン」

「――――千の雷(キーリプル・アストラペー)!!」

 音が砕けて光が舞い上げる。

 ナギの大呪文はジークフリートの大斬撃を押し退けて彼自身に届いた。周囲一帯がその一撃で炎に包まれ、海水が沸騰する。雷の暴風の十倍の魔力を消費するとまで言われる千の雷。個人で発動させることのできる魔法としては最大規模となる。本来、それは軍団規模あるいは巨大な生物に対して用いるべきもので、一個人に使用するのは過剰火力だ。

 しかし、それは常識に生きるものの尺度での話。

 ある水準を突破した一部の猛者は、最大呪文を打ち合うような規格外の戦闘すらも視野に入れる戦いを演じる。無論、人類種の頂点に辿り着いたジークフリートもまた、最大呪文の一つや二つで音を上げるような柔な身体をしていない。

 

 

 

「今のを耐えたぜ、アイツ」

 ナギは口笛を吹いて、呆れたように言った。

「異様な防御力です。魔法障壁ではなく彼自身の肉体が固いのですね」

「ジャックみてえなもんだろ」

「いえ、あれは気や魔力による強化というよりは彼個人の超能力のようなものですね。後天的なのか先天的なのかは分かりませんが、いずれにしても正体が掴めない以上は魔法による弱体化は難しいでしょう」

 アルビレオは涼やかに言うが、それはつまり魔法理論の範疇にない存在ということになる。

 極めて希少価値の高い個人技能として超能力が認められているところである。

 魔法理論の外側にあり、多くは先天的に獲得する異能だ。理論化していないが故に往々にして魔法の天敵にもなりうる存在である。

 防御に特化した超能力というのも、ありえなくはない。

 そしてその場合は障壁突破も障壁解除も意味を成さない。

「どうすんだ?」

「そうですね。まあ、力技で何とかするしかないんでしょうね。現状」

 アルビレオは他人事のような口調だ。しかし、そうは言っても内心は驚愕に包まれている。ナギの天賦の才と反則的な強さは共に旅をしてきたアルビレオはよく知っている。この歳で、完成された強さを持っているのだ。そして、ここに集う五人は何れも一軍を相手にできる猛者ばかり。それをたったの一人で互角に戦っている相手は一体何者なのだと。

 ジークフリートと名乗った青年。

 伝説の竜殺しと同じ名で、しかも不死身の肉体というおまけつきだ。

「武器がアスカロンというのがまた面白いところですけどね」

 もしも機会があれば、彼の人生も収集したいものだとアルビレオは自分の悪い癖が鎌首を擡げているのを自覚した。

「さて、どうする」

 と、詠春が太刀を構えながらもアルビレオに尋ねた。

「彼は一人です。どれほど強くとも同時に相手にできる人数には限りがあります。そして、私たちの役目はグレートブリッジの自動防衛機構の破壊。それには最悪一人いればいい」

「なるほど、つまり……」

「リスクを取るのならば、ここで二手に分かれるのが賢明でしょうね。ひたすら固い相手を打ち倒すのに、どれだけ時間がかかるか分かりません」

 グレートブリッジの帝国兵は刻一刻と撤退しているはずだ。

 それでも、ここがいまだに激戦地となっているのはグレートブリッジに自動防衛機構があるからだ。これを止めなければ、連合はグレートブリッジを落とせないとは言わないまでも苦労を重ねることになるだろう。

 外から壊せないものを内部から壊すのは歩兵の強みだ。

「ま、この状況ならば筋肉馬鹿二人がお似合いじゃな」

 とゼクトがナギとラカンに言う。

「ハッ……端からそのつもりだぜ、師匠」

「まあ、機械を相手にやるよりかは百倍楽しいしな」

 ナギもラカンもジークフリートと戦うことに否やはない。

「俺も残ろう。馬鹿が二人では、ひょんなところで首にされかねんしな」

「んだと、詠春。おめえ、剣士のプライド的なので残りたいだけだろ」

 ナギが青筋立てて茶化すように言った。

「そうだな。まあ、それ以上にあの剣にもっと触れていたいという気持ちもあるんだがな」

 詠春はこちらを冷厳に見つめるジークフリートを見て、夕凪を強く握り締める。

 剣士として感じ入るものがあったのだろう。それは、剣の道に生きている詠春のみが持ちえる感情だ。

「気をつけてください。アレは、今までの帝国兵とは次元が違います」

「分かってるって。アルこそ、向こうに行く途中で打ち落とされんなよ」

 ナギがこの場に残る三人を代表して言った。

 あくまでも時間稼ぎ。

 受けに徹するジークフリートは、こちらの様子を眺めたまま動かない。

 それを幸いと『紅き翼』は要塞攻略組とジークフリート打倒組みに分かれて行動を開始したのであった。

 




聖杯戦争関係ないところにいてクラス名を名乗る意味もないのでうちのジークフリートふつうに名乗るのです。
原作でも名乗れないのが歯がゆいとか思ってるサーヴァントもいるし、自分の名前には誇りがあるだろうから……
それに“黒”のセイバーとしては大して活躍できなかったという負い目もある、のかもしれない。


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第六話

 ジークフリートと『紅き翼』の戦いは、熾烈を極めた。

 基本的に攻撃するのは『紅き翼』。多種多様な魔法や気による絨毯爆撃によって、手数と威力でジークフリートを圧倒する。

 目にも眩い魔法の乱舞は、世界の終わりすら思い浮かべる破壊の怒涛。

 上位魔法使いですら、そのナギの大魔法やラカンの気砲の嵐の中では原型を留めることすらできないだろう。

 それほどの攻撃に曝されていながら、帝国が雇った傭兵剣士は倒れることなくしっかりと両の足で彼らの前に立ちはだかっている。

 人と同じ姿容をしていながら、あまりにも大きな壁を見上げているような錯覚にすら陥る。

 実に驚嘆すべき防御力。

 もはや、魔法理論など破綻している。

 物理常識も通用しない。

 ジークフリートという一人の男が、独自のルールの下で活動している。

 そうとしか思えないほどの理不尽だった。

 しかしながらジークフリートからすれば、『紅き翼』をこそ賞賛したい。

 彼の前に立って、これほど持ち堪えた者はそうはいない。

 黄金の槍兵と比べればさすがに劣るものの、彼らの能力も英雄豪傑と呼ぶに相応しいものであろう。ジークフリートの防御を貫けないことは、決して弱いということを意味しない。

 ただ、相性が悪いだけだ。

 これが、ジークフリートではなく防御宝具を持たない別の誰かなら、あるいは彼らは打倒できたかもしれない。

 とはいえ、それは考えても詮無いことだ。

 この場にいるのはジークフリート。

 他の誰かだったならという過程はまったく以て意味を成さない。

 嵐の後には静けさがやって来る。

 戦いは静と動を繰り返し、徐々にそのスパイラルを加速させていく。

「しゃあ、行くぜ!」

 飛び出したのはナギ・スプリングフィールド。

 赤毛の少年は、今だ十四歳とかなり幼いながらもその力は桁外れだ。この世界の魔法使いの中でもこれほどの力を持つ者はほかにはいないだろう。文字通りの天才児ということだ。

「光の精霊1001柱。集い来たりて敵を射て。魔法の射手・連弾・光の1001矢(サギタ・マギカ・セリエス・ルーキス)!!」

 ナギほどの魔法使いならば、基礎魔法を大魔法規模で、しかも瞬時に放つことができる。

 ばら撒かれるのは破壊に特化した「光」属性の魔法の矢。一発一発は大したことのない攻撃ではあるが、それを視界を覆うほどばら撒くのは驚異的だ。

 もっとも、それは通常の兵士たちが抱くような感想である。

 ジークフリートからすれば、初級魔法など如何に数を寄せ集めたところで目晦まし程度にしかならない。

 そう、目晦ましだ。

 光の雨が降り注ぎ、ジークフリートの身体をこれでもかと打ち据える。

 閃光と爆発の中で、ジークフリートは鬼神兵の背を蹴って空中に跳んだ。

 標的はナギではない。

 光の雨に紛れてグレートブリッジに向かおうとしていたアルビレオだ。

 ジークフリートの超人的な聴覚は、『紅き翼』の密談を一言一句違わず聞いていたのである。ナギがジークフリートを足止めすることも、アルビレオがその隙にジークフリートを迂回してグレートブリッジへの侵入を試みるのも分かっていた。

 不用意に動いた。その隙を突く。

 アルビレオの飛行速度を、優に上回るジークフリートの突進速度。ナギの魔法の矢など、そよ風に等しくアルビレオとの距離を一瞬で詰めてしまう。

 柔らかな表情が一転驚愕に弾け、次いで苦悶を浮かべる。

 ジークフリートが勢いのままに彼に衝突し、その大剣を腹部に深々と突き刺していたからだ。

 アスカロンの刃幅を考えれば、アルビレオの胴体はほぼ両断されたに等しい重傷。普通ならば死は避けられない。

 空中で剣を引き抜く。

 アルビレオの身体は藁屑のように風に煽られ錐揉みしていく。墜落の途中、煙と共に遺体が消えた。

「何――――ッ」

 ジークフリートの目が初めて驚愕に見開かれる。

「はは、引っかかったな兄さんよ!」

「覚悟しやがれッ!」

 ジークフリートを前後に挟むようにして展開された魔法陣から、ラカンとナギが現れた。

 転移魔法だ。

 難度の高い技法で、大型の魔導機械で扱うのが通例の大魔法。それを、混迷を極める戦場で、ピンポイントで扱う技量の高さ。この世界での魔法がどのような代物か、正しく理解していないジークフリートではあるが、転移が難しいということくらいはさすがに分かる。この状況で使ってくるとは思いもしなかった。

 後方のラカンと前方のナギ。

 致命的なのはラカンのほうか。背中がジークフリートの防御が唯一存在しない弱点だ。無論、それは守られていないというだけであって、攻撃されたら即死というようなものではないが、ラカンの攻撃力で背中を打たれるのは致命的だろう。

 空中という踏ん張りの利かない状況下で、ジークフリートはアスカロンから魔力を放出して回転斬りを放つ。独楽のように回ることで背中への攻撃を躱すと共にラカンの首を取る。

 しかしジークフリートの大剣を、ラカンはこともあろうに左手だけで受け止めたのだ。もともと非常識なまでの頑丈さは有名だった。まして、今は足場のない空中。魔力のジェット噴射による斬撃も、踏み込めなければ威力は激減するだろう。その一方で、ナギやラカンは空中を足場とする技術を持っている。

「俺は素手のが強い」

 実に楽しそうに笑いながら、ラカンは莫大な気を右の拳に集束させる。

 見ずとも分かる、対軍クラスのエネルギーだ。 

 さらにナギも魔力を右手に集めている。雷撃のエネルギーをただ解き放つのではなく、一点に集中しかつ圧縮しているのだ。

「羅漢萬烈拳!!」

魔法の射手・(サギタ・マギカ)集束・光の1001矢(・コンウェルゲンティア・ルークム)!!」

 ラカンとナギの最大出力の拳がジークフリートに突き立った。

 もはや、それは大魔法を一点に集中したに等しい強大な威力の攻撃であった。胸元に弾道ミサイルを受けるようなものだ。真っ当な魔法使いはこの余波だけで死ぬだろう。

「ぐ、な、これは……!」

 これまで、すべての攻撃をそよ風の如く受け流してきたジークフリートが始めて危機感を覚えた。

「あんま、舐めてんじゃ――――ねえぞ!」

 ナギが吼え、秘されていた魔法を解放する。

解放(エーミッタム)千の雷(キーリプル・アストラペー)!!」

 ジークフリートが光に飲まれて吹き飛んでいく。

 海水は爆発的なエネルギーの上昇に耐え切れずに絶叫し、大量の水蒸気と化す。余波で背後のグレートブリッジの外壁が崩れ、内部にまで雷撃が侵入した。

 吹き飛ばされたジークフリートは、自分に圧し掛かる瓦礫を押し退けて地上に出た。

 身体の調子に問題はない。

 グレートブリッジの瓦礫が足場となっているおかげで、海に沈むこともなかった。

「なるほど、魔法か。便利なものだ」

 この胸の痛み。

 まさしく、彼らの攻撃が自分の竜の鎧を貫いた証。

 命に届くものではないが、これはこの身を打倒する可能性の発露に他ならない。肌がヒリヒリとするのは、最後の千の雷によるものだろう。ところどころ火傷がある。聖杯戦争のルールに則ればAランクを超える攻撃だったということだ。

 この身体に届く攻撃をしたことだけでなく、その作戦に見事に引っ掛けられたというのが面白い。

 してやられたと思った。

 二手に分かれるという作戦をわざわざ口に出したことで、アルビレオが戦線を離れるものと誤認させたのだろう。ジークフリートに聞かれることを想定して偽の作戦を口に出し、本来の策は念話でやり取りしていたに違いない。

 雨のように降らせた魔法の矢は、アルビレオが(デコイ)と入れ替わる瞬間を隠すためのものだったということだろうか。

「いずれにしても、貴公らの力は見事と言う他ないな」

「はん、余裕ぶってやがれ。もう慣れた。次は青あざじゃあ済まさねえからな」

 ナギが雷撃のエネルギーを右手に集めている。魔力を練り上げることで、一時的にでもAランクを超える出力を発揮するということか。それには、莫大な魔力を精密に管理するだけの技術が必要だ。失敗すれば、自分が消し飛ぶことになるのだから。しかし、ナギはそれを戦いの中で発想し、ぶっつけ本番でやって見せた。彼の言うとおり、次はさらに完成度を上げてくるだろう。

 ――――俺との戦いの中で着実に成長しているということか。

 今日は驚かされてばかりだ。

 敵は自分が魔法戦闘に不慣れだということも看破しているだろう。

 水上を歩くことも、空中を踏むこともできない以上、足場という不利を抱えている。この世界では空を飛ぶことも不可能ではなく、事実『紅き翼』は水上も空中も難なく移動しているし、今の一撃にしても空中で踏ん張りが利かないジークフリートと空中を踏みしめることのできるナギとラカンという状況であった。

 天地人のすべてが敵に組している。

 このまま続けても敗北はないだろうが、着実に敵はこちらを攻略する手を打ってくるに違いない。あるいはその果てに、完全に『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファフニール)』を貫く何かを見つける可能性もあるだろう。

 それに、こちらも大部分が撤退した。敵の艦隊が、グレートブリッジに本格的に接近している。

「ジークフリートと言いましたね」

 とアルビレオが話しかけてきた。

「このグレートブリッジはすでに陥落したも同然です。あなたは時間稼ぎのために私たちの前に現れましたが、これ以上の戦闘は無意味でしょう」

「な、おい、アル!」

 ナギの抗議をアルビレオは無視した。

「あなたは傭兵。帝国の正規兵ではありませんし……」

「つまり、俺にそちらに就けということか」

 なるほど、確かに傭兵は金で雇われた臨時の兵。仕事は終われば縛りはなくなるし、場合によっては敵側に寝返る者もいるだろうし、帝国側も傭兵を見殺しにする判断を取ることもある。それは可笑しな話ではない。

「すまないが、断らせてもらおう。確かに俺は傭兵だ。言い方は悪いが、帝国への忠義もない」

「では、なぜ?」

「忠義はなくとも義理はある。あの国には、俺によくしてくれた人たちがいるからな」 

 ジークフリートはアスカロンを見下ろす。

 刃毀れだけでなく、一部が白煙を吐いている。

 度重なる無理強いにオーバーヒートしたのだろう。プロトタイプでしかもまともに使える者がいなかったというから調整もできなかったのだろう。強力な武器であることに変わりはないが、改善点も多そうだ。

「武器も限界に達しているようですよ」

「ああ、その通りだな。人に武器を託される経験などなくてな、ついつい使い込んでしまった」

 彼の代名詞たる宝具の数々は、基本的に打ち倒した敵から奪ったものだ。

 人から剣を贈られるという経験自体稀有なものだったので、叶うのならばこの剣で武功を上げたいと欲を出した。

 ジークフリートはアスカロンを瓦礫の山に突き立てた。

 使えぬ武器を持っていても仕方がない。徒手空拳ができないわけではないが、相手が相手だけに得意とするスタイルを堅持すべき。となれば――――使える武器を出す以外にないだろう。

「俺は貴公らの情報を与えられた状態でこの戦場に立った。切り札と思しき魔法についても、資料に当たる時間を貰った」

 魔力が黄昏の光を放ち、ジークフリートに集まっていく。煌びやかでおぞましい、通常の魔法とは法則からして異なる「異質」な気配に『紅き翼』の面々は総身を粟立たせた。

「だが、貴公らは俺について何も知らない。故に一つだけ、情報を開示しよう」

 その手に現れる聖剣の柄を握り締め、大敵を見据えるジークフリートは瞬間的に魔力を増大させた。アスカロンでも似たような使い方はできたが、この剣はその数倍、いや数十倍にまで魔力を増大させているのではないか。

「すでに理解していることと思うが、この一撃は辺り一帯を焼き払う。死力を尽くさねば死ぬだけだぞ」

 この距離で避けるなどという選択肢を与えるはずもない。

 掲げる聖剣は黄昏の光に満ち溢れ、解放の時を待っている。

 竜を堕とし、彼の生涯を通じて切り札としてあり続けた至高の輝きを今解き放つ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 黄昏の輝きは瞬く間に広がり『紅き翼』の視界を覆い尽くす。

 加速する竜の因子は咆哮を上げ、世界の終わりにも似た黄昏の津波が触れるものを跡形もなく消し飛ばし、押し潰していく。

 驚愕に浸る時間すらない。

 ジークフリートが言ったとおり、生半可な対処では諸共に焼き払われるだけだ。

 最初に反応したのはラカンだった。

 彼は三秒で全開に達する超高性能エンジンのような存在だ。自らの身の内に宿る気を押し固め、加速して放つ。そのプロセスに僅かの遅滞もなく、ほぼ反射的に最大規模の気砲を放つ。

 さらに、ラカンに僅かに遅れて詠春が真・雷光剣で援護する。呪文詠唱を必要としないが故に発動が速くラカンに合わせることができたのだ。

最強防護(クラティステー・アイギス)!!」

 次いでゼクトが持ちうる限り最強の守りを展開する。無数に重なり合う多重魔法障壁が広範囲に渡って張り巡らされた。

 三人が時間を稼いだこの間に、ナギとアルビレオがそれぞれ今放ちうる中での最大魔法を発動する。

 重力魔法によるアシストと雷の暴風による一点突破。黄昏の津波の全体を抑えるのは難しいので、全員がただ一点を狙って攻撃を集中する。死を目前にしながら、勝利するための悪あがきを辞めないその姿勢が功を奏したのか、幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)と拮抗する。

 

 

 果たして、濛々と立ち上る水蒸気と激しく荒れる水面の中で『紅き翼』は誰一人欠けることなく生きていた。

 傷つき、半ば倒れそうになりながらも『紅き翼』は激烈なる宝具の輝きを受けて生き永らえたのである。

 A+ランクの伝説に名高い対軍宝具と真っ向から相対して、全員が乗り切ったことは奇跡と呼ぶべきだが、それと同時に彼らが自らの可能性を示したということでもあろう。

 己が切り札を乗り切られたことは衝撃的ではあったが、その反面、喜ばしくも思えた。

 彼らは生きた人間で、今ですら発展途上。次に相見えるときに、どれほど強くなっているのか未知数だ。帝国の脅威を取り払うというのが目的であれば、ここで斬り捨てるべきであろう。

「む……」

 剣を握り締めたとき、空から一条の光が落ちてきた。

 ジークフリートはそれを咄嗟に避ける。足場としていた瓦礫の山が一撃で溶けてなくなった。艦砲射撃だ。こともあろうに、ジークフリートという個人に向けて連合側の艦隊が攻撃を仕掛けてきたのである。それほどまでに『紅き翼』が惜しいということだろう。

『ジークフリート、もう大丈夫だ。退いてくれ!』

 と、脳裏に声がする。

 ここまで彼を連れてきた艦の人間だ。

『撤退は終えたのか?』

『八割方な。それよりも、あんたほどの人間を死なせたら、俺たちは帰れなくなる。グレートブリッジの防衛機構でも敵艦隊を止められなくなったから、もう十分だ。早くしないと転移妨害をかけられる!』

『了解した』

 個人が力を振るう段階を終えたらしい。

 もとよりこれは撤退戦。

 帝国兵が逃げる時間を稼ぐのがジークフリートの最大の仕事であり、それが果たされた以上この戦いにこだわる必要もない。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 ついでとばかりに剣を振るった。

 黄昏に輝く波動は空に伸び上がり、頭上に迫る超弩級戦艦の魔法障壁を食い破って精霊エンジンを破壊した。ぐらりと揺れる超弩級戦艦はその弾みで周りの船を巻き込みつつ高度を下げていく。

「あ、テメ……!」

「殺してはいない。だが、あの船に乗っている人数を考えれば救助には時間がかかるだろう。貴公らも向かうといい」

 などと嘯いて、ジークフリートは跳んだ。垂直のグレートブリッジを駆け上がり、そのまま乗り越えると所定の転移場所まで疾風のように駆け抜けていく。

 置いてけぼりを食ったナギは悔しげに顔を歪めつつ、喜悦を露にする。

 ナギをも上回る途方もない力の持ち主が敵にいた。

 それは連合としては震え上がるばかりであるが、強敵との戦いに燃えるナギやラカンからすれば挑む価値のある難題ということになる。

「おい、アル」

「なんでしょう」

 珍しく消耗したアルビレオが気だるげに答えた。

「修行だ、修行。次はアイツをぶっ飛ばす」

「はいはい」

 と、戦意が衰えることを知らないナギにアルビレオは苦笑する。

 事実、今回の戦いは『紅き翼』の完全なる敗北と言っていい。

 命を拾っただけ儲け物だろう。

 しかし、その反面得たものも大きい。

 人間は壁にぶつかると挫折するか大きく成長するかの二つに分かれる。ナギは後者だ。ジークフリートという強者との出会いが彼をさらに成長させるのは間違いない。

 そう考えれば、この敗戦はむしろ収穫があったと言うべきだろう。




ジークフリートってなんと言うのかな、そこはかとなくアスナ姫を逃がした辺りで背中をやられそう。


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第七話

 メセンブリーナ連合がグレートブリッジを落として一ヶ月が経ち、戦況は刻一刻と変化し続けている。勝利を間際にした大敗戦がヘラス帝国に与えた衝撃は大きく、立て直す間もなく連合による大攻勢を受けて目下のところ常時劣勢といった状態だ。

 国民世論も厳しく、景気は悪くなる一方だ。

 首都が攻め落とされるのではないか。

 そのような噂まで囁かれるようになり、戦場になりうる前線付近では戦争難民や疎開者の南部への移動が日に日に活発になっており、受け入れ先との間のトラブルも報告されるほどになっている。

 国家として戦争で追い詰められているわけではない。

 実際のところ、戦力は拮抗している。

 だが、それでも士気で負けている。国内に漂う厭戦気分がそれに拍車をかけている。

 この日は前線付近の村が一つ焼け落ちた。

 連合の部隊の一つが、帝国の前線基地を要していた村を強襲したのである。帝国軍としてもこの村を見捨ててはならないことは分かっている。だが、彼我の戦力差を考慮すると、とてもではないが守りきれない。敵軍は重巡洋艦五隻と魔法使いからなる強襲部隊だ。通常の編隊から外れた構成は攻略を急いだからか功名心ゆえの暴走か。

 あるいは連合であるが故に盟主の意向を無視した戦いを始めた勢力がいるのかもしれないが、帝国軍と共に後方に逃げることができたのはごく一部の者だけだった。

 多くは村に取り残され、敵の襲来に逃げ惑うことしかできない

 どさくさに紛れての人身売買なども常習化しており、戦場の治安は完全に崩壊していた。

 逃げる少女を追うのは、連合の兵士だ。

 正規兵ではなく傭兵。

 最前線に送られる彼らは危険な任を受ける代わりに多少の不義を見逃される。

 こうして、捕らえた少女の角に刃物を向けるくらいはなかったことにされるのだ。

「ひ、あ、は、離して……」

 震える少女に向けられる視線は人に向けるものではなく、商品に向けられるものだった。

 命としてすら見られていない。

「ちょこまかしやがって」

「やっと捕まえたか。こいつらの角は高く売れるからさっさと取って引き返そうぜ」

「こいつどうする?」

「さすがに船に持ち帰れねえだろ。戦利品だけでいいんじゃね?」

 などと、口々に言う。 

 なまじ言葉が分かるだけに狂気の度合いも伝わってくる。少女は自分の運命を推測するまでもなく理解させられてしまうのだ。

「じゃあ、まずは右から取るぜ」

「綺麗に切れよ」

「分かってるって。俺様のテクを見せて――――ぷろぼあっ!?」

 今まさに少女の角を切り取らんとしたとき、連合兵は顔面に殴り飛ばされて宙を舞った。

「あ、な、なんだ、てめえは!?」

 剣を抜き、杖を構える連合兵。

 少女を庇うように立った男はフードを脱ぎ、身の丈ほどの大剣を肩に担いだ。どこからともなく現れた男の顔を見て、有頂天だった連合兵も青褪める。

「て、帝国の竜殺しか」

「『紅き翼』とたった一人で互角に渡り合ったって言う……」

「な、なんでそんなのがこんなとこに……帝国軍は撤退したんじゃないのかよ!?」

 その姿を見るだけで、すっかり相手は萎縮してしまう。

 この一月の間に稼いだ戦績のおかげだろう。もっとも、ジークフリートは決して帝国兵というわけではなく、あくまでも流浪の剣士でしかない。

「退け」

 ジークフリートは低い声で呟いた。

 遠く丘の下の平地には赤々と燃える家々があり、路上に連れ出された人々もいる。不用意な虐殺には及んでいないようだが、それでも力のない人々に対してこの所業は許し難い。

 だが、自分に言い聞かせる。

 恨みつらみでは剣を執らぬと。

 だからこそ、まずは敵に撤退を勧告するのだ。

「は、……ハッ、何が退けだ。一人でのこのこ現れやがって!」

「コイツの首にはばかみてえな額の賞金がかけられてる! 俺たちは、幸運だぜ!」

 この連合兵は賞金稼ぎ崩れだ。

 金に目の色を変えて進んで戦場に足を運ぶ傭兵。

 連合に度々敵対し、その進軍を阻んできたジークフリートに対して、連合側は多額の賞金をかけた。帝国が『紅き翼』に賞金をかけているのと同じようにだ。

「なるほど」

 それだけ聞けば十分だ。

 たった一人と彼らは言うが、たったの五人でジークフリートをどうこうできると思うほうが間違いだ。

 勝負は一瞬、連合に組する賞金稼ぎは為す術なく叩きのめされる。

 目で追えるものでもなく、誰一人としてその結末を認識することもなかっただろう。

「あ、あの、あの……」

 救われた少女は弱弱しく話しかけてくる。

「今は無理に話す必要はない」

 ジークフリートは言う。 

 少女は脅えたのかびくんと肩を震わせた。

「まったく、そのような言い方をするから怖がられるのです」

 そこに響くのは透き通った女性の声だ。

 木陰から現れたのは、アレクシアだった。

「アレクシア。その子を頼む」

「もちろんです。あなたは」

「あの村に行く。移送の準備をしておいてくれ」

 とだけ伝えて、ジークフリートは風のようにその場を去った。吹き荒れる烈風を纏い、たった一人で見捨てられた村に飛び込んでいくのだ。

 その背中を見送って、アレクシアはため息をつく。

「まったく、一人で先行するのは悪い癖です」

 頭痛がするとでも言うように額を押さえてから、仲間に念話をする。

『ジークフリートが村に救援に向かいました。船のエンジンを暖めておいてください』

 森の奥に小型の輸送船を三隻隠している。ここに残された住民を救出し、連れ出すには十分だろう。

『ジークの援護は?』

『出してください。援護ではなく住民の安全確保のためにです』

 ジークフリートの呆れた強さならば、この程度の敵、軽く捻るだろう。よって、必要なのは彼への援護ではなく住民を無事に連れ出すための護衛だ。

 莫大な魔力が地上を舐め、空中の敵艦の精霊エンジンを斬り裂いていく。人間砲台の渾名は伊達ではない。ジークフリートがいれば、輸送船ですら艦載砲を積んでいるに等しいとまで評される馬鹿火力が、瞬く間に敵艦を沈黙させていく。

 空が落ちれば、地上の敵兵は帰る術を失う。

 それが分かっているのだろう。一隻だけは、あえて傷付けずにいる。

 この村は終わった。

 ジークフリートが奮戦したところで、それは変わらない。連合を撤退に追い込んでも、帝国にここを守る力はなくその必要もないのだから。

 

 

 

 ■

 

 

 

「まったく、何度も言うように一人で突っ込んでいくのは止めてください。今回は予定を早めただけで済みましたが、移送の準備だってすぐにできるとは限らないのです」

 金魚を象った輸送艦の中でジークフリートはアレクシアに小言を言われている。

 無理もないことだとは思う。

 少女の危機を救うためとはいえ、彼女たちを置いて疾走したのは自分だ。

「まあまあ、AAもそんなに目くじら立ててると老け顔になるぜ」

「だ、誰が老け顔ですって!? あとその呼び方をするな阿呆!」

 キッとアレクシアは、操縦桿を握る青年に鋭い視線を向ける。

 帝国技官のコリン・ガードナーである。

「何にしても、おかげで四十四人の命を救えたんだし万々歳ってことでいいんじゃないっすかねぇ?」

「それとこれとは話が違います。この船に関連する費用も人件費もすべてテオドラ様がご負担されているのです。それを思えば無駄は許されません」

 ぴしゃり、と操縦士に言い切る第三皇女付警備隊隊長。現在は一時的に警備隊を離れ、ジークフリートを監視する臨時監査官として四六時中彼の行動に目を光らせている。

 『紅き翼』に対して優勢に戦闘を進めたジークフリートの存在は一躍表舞台に知れ渡った。

 正規兵として雇おうと、幾度も交渉が持たれたが、彼は頑として首を縦に振らなかった。帝国の正規兵になるつもりはない。ただし、帝国の不利益になるような真似もしないと。

 もちろん、グレートブリッジを落とされた今ジークフリートの力は喉から手が出るほど欲しいところだ。その上、彼がジャック・ラカンのように敵に就けばいよいよ帝国は危うくなる。ジークフリートへの刺客の派遣すらも一時は視野に入れられたのだ。

 幸いにしてジークフリートは本当に帝国側に敵対の意思はなく、激戦地を巡っては虐げられる人々に手を差し伸べることをこそ望んでいた。そこに目を付けたテオドラが、ジークフリートのパトロンとなり、帝国兵を一時的に監視者兼サポーターとして就けるという形を取ることで上からの追及を逸らしたのである。

 帝国は見捨てなければならない地域に率先して足を運び、踏み入ってくる敵を跳ね返しながら住民を救出してくれるジークフリートを都合よく利用しており、連合側は『紅き翼』と同等以上の実力者がどこから現れるか分からないということから前線に出る兵の間では恐怖の代名詞としてその名が知られている。

 竜殺し。

 いつの間にか、そのように呼ばれるようになった。

「ま、実際ジークは連合の船いくつも潰しているわけで、それだけでも大戦果っすよ。これが、実質この船の維持費だけでできてんだから儲けモノでは?」

「ぐ、む……」

 生真面目なアレクシアも、そう言われるとそれ以上ジークフリートに苦言を呈することはできない。

 彼は帝国の命令を受けて行動しているわけではないが、実際に帝国に多大な利益をもたらしている。住民の救出を第一としながらも、時と場合によっては敵の船を落としたり、拠点を叩いたりと右に左に大忙しだ。たったの一月で、国内外に広く名前が知られるようになったのも、彼が無償でもっとも危険な戦場に身を置いているからである。

 となると、あまり口うるさく言うのは気が引けるには引ける。しかしながら、ジークフリートを監視監督する立場としては、聊か勝手な振る舞いをされるのも困る。

「アレクシアの言に間違いはない。事実、俺が先走ったことで少なからぬ迷惑をかけている」

「……んん、まったくです。以後気をつけてください」

「肩肘はってんね、AA。俺が揉み解してやろうか?」

「セクハラは軍法会議にかけるべきですね」

 冷厳とした目つきで剣を構えるアレクシアに、へいへいとコリンは肩を竦めた。

 ジークフリートの活動を支援し、同時に彼の行動を監視上層部に報告するための特殊部隊というべきか。基本的に十名にも満たない少数部隊――――元々は第三皇女付第二警備隊として組織されようとしていた部隊をそのまま編成し直したものだ。ジークフリートを除けば帝国の人間で構成されているということもあり、外面的には帝国部隊としての側面を有している。

 本来であれば、テオドラの傍にいるべき人員だ。

 全員が全員、納得したわけではない。

 そして、納得しない者は第一警備隊や第三警備隊への再配置が認められている。ジークフリートを監視するのに必要な人間だけがいればよく、あまり大人数にする意味もないというのがテオドラの考えだからだ。

 よって、ここに集ったのは物好きだけとなった。アレクシアは物好きというよりも責任感から仕事を断らなかっただけだろう。

「ところで、収容した人々の具合が気になるのだが」

 ジークフリートがアレクシアに尋ねる。

「精神面は別として身体のほうには治癒術をかけたので、命に別状のある人はいません。敵方も、殺戮を目的としていたわけではないようですしね」

「あの賞金稼ぎは、角を切り取ろうとしていたが」

「あの地域に住む亜人間(デミヒューマン)の角は、裏ルートで高値で取引されています。もちろん、亜人間が人口の大半を占める帝国ではとても取引できませんが、連合のほうはそうではありませんからね」

 嫌悪感を露に、アレクシアは言った。 

 アレクシア自身は人間だ。祖先は旧世界から渡ってきた魔法使いだというが、祖父の代に帝国に移住した。それでも、彼女は帝国の人間である。亜人間を差別し、時には家畜も同然に扱う者がいることに不快感を隠しきれない。

「まあ、連合の肩を持つわけじゃあねえけど、向こうだって禁止してるんだよな。ただ、差別意識とかでそういう土壌が払拭し切れてないってとこだろ」

「人身売買など鬼畜の所業。帝国も連合も関係なく処断するべき大罪です」

 と、アレクシアが厳しい口調で言った。

 ま、そうだよな、とコリンも同調する。彼自身も亜人間ということもあって、角狩りを初めとする亜人間差別には強い嫌悪感があるのだ。

 こういった亜人間に関することはジークフリートの苦手とするところだが、この新世界では古くからの諍いの種として現代まで残っているのだという。

 種族の差、というよりも違いか。

 言葉を交わすことができ、しかも同等の知能を有していながらほんの僅かな外見の違いから相手を差別し、争いを激化させている。帝国からすれば、連合は父祖の地を奪い、自らの生存を脅かした怨敵ということになる。

 帝国が連合に戦争を仕掛け、それが世論の反発を招かなかったことなどからしても、根強い反感があることは分かる。

 しかし、優勢ならばまだいいが、今は劣勢。

 互いに恨みつらみがあるだけに、自分たちが敗北したらどのような目に合わされるかといった恐怖が帝国の民間人の間には燻っている。

 敵のほうもしてやられた分は返さなければならないと、息巻いている。

 泥沼の戦争は、こうして拡大を続けている。

 ジークフリートが戦場で剣を振るったとしても、変えることができるのはその時の潮目だけ。数千キロの長さにまで広がった戦線をたった一人で押し返すことなどできるはずもない。目に付いた不運に手を差し伸べ、帝国領内に不利益をもたらしそうな敵の前線基地を叩くというのが関の山だった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 元来、ジークフリートは魔法使いではなく、元の世界における魔術師でもない。魔力を扱うことはできるが、それは宝具の解放や身体能力の増強に使用するものであり術を稼動させるために練り上げることは終ぞなかった。

 その身体に宿る魔力は莫大と言っても過言ではなく、竜の心臓の効果で呼吸するだけで魔力を精製できる。しかし、魔術を使用するのに必要な魔術回路に恵まれているということもなかった上に彼の知り合いに名のある魔術師もいなかったため、その魔力は剣と肉体にのみ費やされてきた。

 この世界の魔法はジークフリートの世界の魔術に比べれば幾分か優しく、言霊の力を使えば大なり小なり一般人でも練習するだけで使えるようになる。初級魔法に至っては、専門的な知識は必要ではなく呪文を知り、コツを掴めばいいというお手軽なものだった。

 もちろん、魔法理論が存在するために、初級以上のものとなると専門的に学ぶ必要性があるがそれにしても呪文と修練で習得できるようになるという点で見れば、学問というよりも体術に近い面もあるのではないだろうか。

 いずれにしても、魔法使いとしての力量は個人差がある。魔力としては莫大に過ぎる貯蔵量と非常識なまでの精製量を誇るジークフリートだが、魔法を扱う才能があるかというと試してみないことには何ともいえない。

「とにかく、ジークフリートは正面からの戦いには滅法強いのですが、魔法関連の絡め手に弱いという問題があります。魔法戦闘を想定するのならば、そちらを補う必要があります」

 というのが、アレクシアの自論であった。

「アルビレオ・イマのようなあの手この手を使ってくるタイプの魔法使いは、必ずしも正面から挑んでくるとは限りません。事実、グレートブリッジでも裏をかかれたことですし、その辺りをきちんと学んで損はないはずです」

「ああ、言いたいことは分かる。しかし、今から魔法を学ぶというのも難しいのではないか?」

「理論ではなく、どのような魔法があるのかだけでも知っておくのは悪いことではありません」

「……まあ、確かにそうだが」

 正直に言えば、座学は苦手な部類。身体を動かしているほうがいい。

 船が故障してドック入りしてしまい、七日ほど活動できなくなった日のことだ。地方都市としてはそれなりの大きさを誇るこの街に足止めを食っている間に、どれだけの人々が涙を流しているだろうか。

 ホテルの一室で椅子に座っている今も、ジークフリートは思わず戦場に意識を割いてしまう。

「そもそも、あなたが正規兵になると言ってくれれば、このような地方都市で安穏とする必要はなかったのです」

 このような恨み言にも慣れたものだ。

 ベッドに腰掛けるアレクシアが不機嫌そうに唇を尖らせている。

 一緒にいる時間がそれなりにあるために、この真面目な性格の少女のことも何となくだが分かるようになっていた。口うるさく言葉を紡いでも、それは畢竟帝国――――特にテオドラのためだ。

 かつてのジークフリートならば、帝国の誘いを蹴ることもなかっただろうが、今は能動的に生きると決めている。それが、自己満足に過ぎなかったとしても、帝国の正規兵になることで見過ごさねばならない命があるのではないかと思えばこそ、気侭な傭兵家業に身を窶している。とはいえ、それすらもこうして帝国の手を借りねばならない始末だ。どこまで自らの理想と現実をすり合わせていくべきか、悩みどころではある。

「ま、せっかく七日も休みなんだし、働いてばかりもよくねえぜ。帝国の英雄さんにも休暇は必要じゃねえの?」

 窓から外を眺めていたコリンが気楽なことを言った。

 ジークフリートを初めとする面々は、この一月戦場を渡り歩いてばかりだ。彼らからしても休みくらいは欲しいだろう。

 厳密には監視者兼サポーターだ。

 完全な仲間というほどのものではないが、それなりに一緒の時間を過ごすと自ずと仲間意識は醸成されていくものだ。

「確かに休みは重要ですが……ジークフリートの致命的弱点を克服する機会と考えて、せめて虚空瞬動くらいは習得して欲しいところです」

「虚空瞬動、とは何だ?」

「……やはり、魔法戦闘理論くらいは押さえたほうがいいですね」

 うむ、とアレクシアは大きく頷いた。

「虚空瞬動は、空中で移動方向を変える歩法です。瞬動の一種なので、初見で瞬動をほぼ完成させたあなたなら、簡単にできると思います」

「ほう……空中で」

 空中戦はジークフリートの苦手とするところである。先のグレートブリッジでの戦いでも、相手は飛べるのに、自分は飛べないというのがハンデとして圧し掛かっていた。

 この世界では魔法で空を飛ぶのが珍しくないらしく、むしろ上位陣での戦いについていくのならば空中戦ができなければならないというほどなのだ。

「今後も考えて、空中戦の鍛錬は必要かと思います」

 そういうことならば、ジークフリートにも否やはない。

 『紅き翼』の策にまんまと嵌ったことや、足場の悪さもあって追い込まれたりもした。それらを反省し、次に活かしていかなければ、彼らはあっという間に追いつき、追い抜いていくだろう。忘れて久しい、「努力」をジークフリートも積み上げていかなければならないのだ。

 

 

 虚空瞬動は、瞬動の派生技法で、何もない宙を蹴って瞬動に入るというものだ。これによって空中戦が可能となるだけでなく、瞬動の弱点であった入ると進行方向を変更できないというデメリットを打ち消すことができる。発動には魔力や気を身体強化に用いる必要があり、こうしたエネルギーを扱う能力のない人間は、まずそれらの力を練り上げるところから始めなければならない。

 その点、ジークフリートは恵まれた魔力の持ち主であり、肉体を極限まで鍛えていることから理論上は気も使えるだろう。修練をすれば、そう遠くないうちに虚空瞬動に到達するものと思われた。

 強くなる可能性があるのならば、試したい。

 空中での戦いが今後必要となってくるのならば、真摯な態度で学ぶべきだ。時間は少ない。僅かの時間の中で、実戦で利用できるレベルにまで仕上げるとなれば、寝る間を惜しむことも覚悟するべきだろう。

「むう……」

 難しい顔をして、ジークフリートは空を見上げた。

 虚空瞬動の練習のために郊外の平地にやってきたのだ。

 幸か不幸かジークフリートの存在は帝国内でもかなり知られるようになっていた。危険を承知で住民を救出し、しかも連合の侵攻を食い止めるべく利害を無視して戦場に赴く傭兵剣士は街を歩けば黄色い悲鳴が上がるほどの人気を博している。

 虚空瞬動の練習をしようにも、人目がありすぎて練習どころではないのだ。

 人目を避け、かつ誰の迷惑にもならないところとなると、街を出て郊外に向かうしかない。

「また埋まっているのです?」

 アレクシアが呆れたとばかりに声をかけてきた。

 虚空瞬動の練習を始めて二日目。できるにはできるが、力加減がうまくできずに地面に突っ込むことが多かった。

 今も、虚空瞬動の方向を誤り、地面を抉ってしまっていた。

「もう少し、力を抜いて地上で瞬動をするのと同じ感覚ですればいいのです」

「なかなか難しいものだな」

 まず地上と同じ感覚で宙を蹴るというのが分からない。足場がない以上、そこに足場を用意する必要があるが、それを感覚でやれというのが難しいのだ。魔力による足場の生成まではいったが、その強度が足りず蹴りぬいて失敗することもある。

「ジークフリートは魔力の精密な操作が苦手なようですね」

「ああ」

 と、ジークフリートは頷いた。

「どうやら、その通りらしい」

 魔術師であれば、難なくこなしたかもしれない。

 だが、ジークフリートにはもとより魔術の才はなく学ぶこともなかった。魔力は自然と湧いてくるので、感覚的に扱うことができたが、有り余る魔力を、宝具に注ぎ込むことで敵を薙ぎ払うという大雑把な使い方しかしてこなかっただけに、術として扱うような緻密な操作には縁がなかったのだ。そのため、必要以上に魔力を注ぎ込んだり、足りなかったりしてしまう。魔力が有り余る人間が陥る、初歩的なミスである。

「ですが、虚空瞬動そのものはできているようですし、ならば魔力の扱いをきちんとするのがいいですか」

「魔力を扱う鍛錬が先か」

「ええ。少し待っててください。メニューを考えますので」

 アレクシアはそう言ってベンチまで歩いていき、カバンから本を取り出した。

 魔法学校に通っていたころの教科書だ。

 彼女は数分、教科書に目を通した後で、ジークフリートの下に戻ってきた。その手には五本の羽ペンが握られている。

「では初歩の初歩として、小物を動かす魔法をやってみましょう」

 アレクシアは羽ペンを地面に並べた。

「見ていてください」

 アレクシアは呪文を唱える。すると、右端の羽ペンがふわりと浮き上がり、地面から三十センチばかりのところを浮遊し始めたではないか。

「こんな感じですね」

「分かった。試してみよう」

 呪文詠唱の後、弾丸の如き速度で吹っ飛んでいく羽ペンをアレクシアは唖然とした表情で見送ることになるのだった。



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第八話

 帝国の劣勢は尚も続いている。

 メセンブリーナ連合は遂にシルチス亜大陸を制圧、帝都ヘラスまで最短で四〇〇〇キロメートルのところにまで迫っていた。

 事ここに至って帝国側も戦力を帝都付近に結集。

 戦力を集中することで、敵の部隊に壊滅的打撃を与え、それを以て逆転の一手とするべく行動を開始した。

 ヘラス帝国の国力からすれば、まだメセンブリーナ連合に伍する力はある。勢いが敵にあるために押し込まれているが、それでもきっかけさえあれば瞬く間に戦局をひっくり返すことは可能だと思われる。

 敵軍が攻めてくれば、その進路にある村々や街は戦火に飲まれることだろう。 

 予想される敵の進路上には早期の避難勧告が為され、余裕のあるものたちはさっさと南部に疎開した。後は、すぐには移動できない者たちだ。病気や怪我、金銭の問題、さらには故郷を離れたくないという思いから疎開ができない人々である。

 こうした人々に手を差し伸べるのはジークフリートの当面の仕事であった。

「さすがに人数が多すぎる」

 アレクシアは焦ったように言う。

 戦火がすぐ傍まで迫っているというのに、訪れた村には二百人近い人が取り残されている。ジークフリートのチームが独断で動かせるのは中型輸送船三隻だけだ。この村のマンタを掻き集めても、果たして全員を収容できるかどうか。避難させるのならば、百キロ近くは移動しなければならず、往復は不可能といっても過言ではない。

 連合側の進軍速度が想像以上だったことに加えて、陸路が整備されていない辺境の村ということが疎開を難しくさせていた。

「近くの基地から応援は呼べんのか?」

「呼んでます。けど、やっぱり時間がかかるのです。敵が迫っている状況で、救助に船を割いてくれるかどうかも分からないのが現状です」

 もう数日前から掛け合っているのに、色よい返事がもらえない。彼らがもっと手早く行動してくれていれば、すでにこの村は蛻の殻になっていたかもしれないのに。そう思うと自分の国のことながら動きの鈍さに腹が立つ。もっとも、今の帝国は防衛線を大きく引き下げている。辺境の駐留する帝国軍も主要な兵器は中央の総力戦のために供出しており、防衛能力はほとんどない。いわば、敵が侵攻してきたかどうかを報告するための監視能力しかないのである。

「女子ども、動けぬ者を最優先にするしかないだろう。それだけならば、三隻、いや二隻で事足りるはずだ」

 全員を救えないのならば、優先順位をつけるしかない。

 苦渋の決断ではある。

 しかし、それはあくまでも初期対応だ。

 全員を救えないから諦めていいはずがない。それで、かつての自分は後悔を残すことになったのだから。

 自己満足でもこの道を進むと決めた以上、彼ら全員を救うために手立てを講じる必要があろう。ここにいる全員を何とか戦火から逃れさせるよう努めるのが己が正義だ。

「アレクシア、コリン。可能な限り軍の協力を取り付けるよう努めてくれ」

「へ、それはもちろんですが、ジークフリートは?」

 立ち上がり、デッキの向かうジークフリートにアレクシアが問うた。

「少しばかり、連合の足を止めてくる。エアバイクを借りるぞ」

「え、あ……連合の足を止める? そんな、さすがに無茶がすぎます!」

「連合はここから三十キロ地点に集結しているのだろう。エアバイクを飛ばせば、敵が動く前に辿り着けるだろう」

「敵の動きに間に合うかどうかを言っているのではなくてですね、敵地に単独で乗り込むなど無謀にも程があるというのです! いいですか! 人を助けるのは正しいことですが、それで自分が犠牲になっては、助けられた人に重荷を残すだけなのです!」

「だが、他に手があるわけでもあるまい。連合が動き出せば軍はますます腰が重くなるだろう。だが、俺が敵の足止めに動いているという事実はそれなりに重いはずだ」

 自分の名前がどれくらい帝国内に影響があるのか、正しくは知らないがそれなりの重さを持って受け入れられているとは自負している。これまでに重ねてきた功と、それを殊更に報道して士気の維持に利用してきた帝国政府の存在がそれを裏付けている。

 それに、ジークフリートは無謀や蛮勇を好む性質なのだ。

 雲霞の如き敵兵に我が身一つで挑む。その無茶無謀を乗り越えてこそ英雄であり、その力が自分にあるものと自覚している。

 そして、アレクシアもまたジークフリートの言葉に一縷の望みを見出している。

 彼が住民のために戦いに赴いているというのに、それを見殺しにしてはジークフリートを英雄視する帝国としては外聞が悪い。

 餌として、ジークフリートの名は十二分に効果があるように思えた。

「で、ですが……」

「せっかく見つけた夢なのだ。ここで放り捨てるのは惜しい」

「夢って……ちょ、ジークフリート!」

 呼びかけるアレクシアには構わず、ジークフリートは格納庫に向かう。

 彼女は追ってこなかった。

 ジークフリートが言葉を翻さないと理解しているから、説得に時間を割くのであればジークフリートではなく軍のほうだと割り切ったのであろう。

 格納庫の扉を開けてエアバイクで飛び出す。

 魔力を動力とし、宙を駆ける軍用品だ。最高速度は二〇〇キロ。サーヴァントではないジークフリートには『騎乗』スキルは備わっていないが、この程度の道具ならば多少の練習を積めば使うことくらい容易だ。今はとにかく、敵地に素早く到着すればいい。

 フルスロットルで空を駆ける。

 ものの十分で、敵地を目視できるほどに近付いた。

 かなりの大部隊だ。

 超弩級戦艦一隻とその周囲に重巡洋艦や駆逐艦が十隻以上浮かんでいる。地上には前線基地が設けられているのか、簡易テントやプレハブが立ち並んでいる。人員も数千人、いや万はいるかもしれない。そのすべてが戦闘要員ではないのだろうが、かなりの数だ。これは今まで相手にしてきた先遣部隊とは勝手が違う。

 何よりも目立つのは鬼神兵だ。

 一〇〇メートルはあろうかという巨人が十体もいる。

 ヘラス帝国の首都を陥落させることも不可能ではないと思わせるような大部隊だが、おそらくはこれですら最前線の部隊でしかなく、その後ろに温存されている本隊がいるはずだ。

 ジークフリートの接近はすでに敵にばれている。

 監視結界を思いっきりぶち抜いたのだから当然だろう。それでも、空中に浮かぶ小さな人間一人を艦載砲で狙うのはまず不可能だ。これが、大魔法を使える魔法使いが、いまだ戦場で重宝される由縁でもある。

 宝剣を抜くジークフリートは、初めから全開だ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 相手がただの機械ならば、この剣を振るうことになんら思うところはない。

 鬼神兵の一体の頭を黄昏の一撃が消し炭にする。如何な屈強な鬼神兵とはいえ、現代の技術の産物だ。魔法が魔力によって成り立つものとはいえ、技術に成り下がった以上はその神秘は劣化せざるを得ない。何よりも、人間の技術で作ることのできる装甲くらい撃ち抜けなくては、対軍宝具の名が廃る。

 しかし、この鬼神兵。ジークフリートからすれば非常によい出来だと思うが、果たして“黒”のキャスターが見たらどのような反応をするだろうか。

 ほとんど言葉を交わすこともなかったが、彼のゴーレム作りに対する情熱は本物だった。

 そんな彼が、鬼神兵を見たらどう思うか。新たなインスピレーションを得たとばかりに喜ぶか、人形術を冒涜していると怒り心頭になるか、あるいはそもそも興味がないか。

「む……」

 頭を失った鬼神兵はそれでも堪えてジークフリートを叩き落とそうと腕を振り上げた。四方から速射砲にも似た魔弾が襲い掛かってくる。

 『騎乗』スキルがあれば、掻い潜れただろう。あるいは、彼と共に戦場を駆け抜けた名馬であれば――――だが、聖杯との繋がりが切れ、サーヴァントとしてもクラススキルを失った今、エアバイクを自由自在に操るほどのテクニックを発揮することはできない。数え切れないほどの魔弾にさらされて、無傷で走り抜けることはまず不可能だ。

 となれば、未練はない。

 廃棄した上で戦うのみだ。

 撃ち抜かれて爆発四散するエアバイクではあるが、乗り手は無傷のまま鬼神兵の腕に飛び移る。頭を潰したところで意味がないとすれば、動けぬように胴体を両断する他ない。手早く片付けるべく、ジークフリートは巨人の腕を駆け上り、そのまま敵の胸に向かって飛び掛った。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 空中で放つ宝剣の煌きが鬼神兵一体を血祭りに上げる。

 上下で切り分けられた鬼神兵が倒れ、地上に落ちる。これによって、連合の兵に幾分かの損害が発生した。

 ジークフリートを狙って、別の鬼神兵が踏み込んでくる。

 その巨体ゆえに、動きが緩慢に見えるが速度も膂力も脅威の一言に尽きる。

 ――――魔力を足に集め、自分の身体を押し出すように……。

 感覚的なことを頭で考えるのはやはり苦手だ。成功例を思い出し、落ち着いて、感じた通りに宙を蹴る。

 虚空瞬動。

 一応は成功した。

 真横に跳んだジークフリートを巨人は仕留めることができずに空振りする。弾丸のような速度で地上に墜ちたジークフリートは体勢を即座に立て直して、鬼神兵の左アキレス腱を斬り裂いた。

 鬼神兵の周りには敵兵もいない。

 巨人の戦闘に巻き込まれる可能性があるからだが、それが幸いしてジークフリートは鬼神兵を切り刻むことができる。

 とはいえ、兵器たる鬼神兵に痛みはない。

 斬り付けられたのならば、斬り返すのみと剣を叩きつけてくる。

 大威力の斬撃を、ジークフリートは受け流した。

 凄まじい膂力に地を踏みしめる両足が軋む。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 反撃とばかりに鬼神兵の下半身を消し飛ばした。

 彼らの魔法障壁など塵芥に等しい。ただ大きいだけの的である。

 落下してくる鬼神兵の腕に飛び移ったジークフリートはそのまま脚力を活かして駆け上がり、次の標的に向けて跳ぶ。第三の鬼神兵の肩に着地すると、さらにその余勢を駆って頭に飛び乗り、思い切り跳躍する。狙うは頭上に浮かぶ超弩級戦艦スヴァンフヴィート。鯨に似た姿をした巨大戦艦だ。雨霰と降り注ぐ魔力砲だが、狙いが甘い。至近距離を打ち抜くには精度が足りない。戦艦ゆえの弱点だ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 虚空瞬動を一応形にしたジークフリートは空中すら踏み込み可能な足場だ。宝具の狙いを誤ることはなく、精霊エンジンを確実に打ち抜いて停止させる。片方だけでは落とせないと見るや、さらにもう一撃を放ち、反対側も打ち抜く。余波で駆逐艦が数隻巻き込まれて沈黙した。

「ぬ……!」

 鬼神兵の杖が横薙ぎに振りぬかれた。

 虚空瞬動も間に合わず、ジークフリートに直撃する。

 腕が折れ、身体がひしゃげそうになる。それほどの攻撃を受け止めて、ジークフリートは跳ね飛ばされた。

「さすがに一筋縄ではいかないか」

 可能ならば、鬼神兵だけでも全滅させて置きたいところだった。

 着地したジークフリートを魔法陣が包み込む。

 数十人の魔法使いからなる大規模魔法だ。通常は軍隊を纏めて焼き払うのに使用する大魔法を、ジークフリート個人にぶつけようというのだ。

 彼の頑丈さはグレートブリッジでの戦いで立証済みだ。その後の活躍からも、その危険性がはっきりしている。ここで始末をつけようというのだろう。 

 空から紫電が墜ちてくる。

 数百メートル四方に千の雷を上回る雷撃を降り注がせる殲滅魔法に対して、ジークフリートは己が宝具を振りぬく。

 紫電と黄昏が空中で激突し、激しい魔力の奔流を生み出した。四方八方に飛び散る余波が、森を舐め、火災を発生させる。

 この余波で、魔法陣が崩れた。

 敵魔法使いの居場所は知れた。

 音速を超える跳躍で、一息に彼らの下に跳ぶ。途中いくらか魔法の矢や見たことのない魔法を受けたが、そのすべてを尽く弾き、ミサイルの如き勢いで敵のど真ん中に体当たりをする。

「な、わっ、ジークフリート!?」

「なんだ、こいつ。あれを無傷で乗り切るとか、おかしいだろ!?」

「て、帝国の傭兵剣士は化物か!?」

 口々に驚愕と恐怖を紡ぎながら、連合の魔法使いたちは及び腰になる。軍隊を殲滅するべき大魔法を乗り切った相手に、個々人の魔法が通じるはずがない。鬼神兵による格闘戦や、艦砲射撃くらいでなければならない。

 ジークフリートは宝具を使うまでもないと幻想大剣を送還し、代わりに腕輪から一振りの大剣を取り出す。

 身の丈ほどもある巨大な剣である。

 オーバーヒートを起こして使えなくなったアスカロンに代わりテオドラから贈られたアーティファクト、アスカロンⅡである。

 対する敵魔法使いは三十人弱。

「こ、この人数を相手にやる気か?」

 一人が発言する。

 虚勢だろう。

 鬼神兵や超弩級戦艦を落とした男に、三十人はむしろ少ない。

「次は、その百倍は用意するといい。それでそこそこいい線にいくだろう」

 アスカロンⅡの刀身が色づいた。金色に輝いたアスカロンⅡはジークフリートの魔力を雷撃に変換して解き放つ。

 これぞ、アスカロンⅡの固有能力、魔力の属性変化である。

 この剣の前身であるアスカロンの能力は魔力の集束と放出であったが、アスカロンⅡはそれに加えて無色の魔力に雷、氷、炎、地、光、闇の六種の属性に変化させることが可能となった。これにより、ジークフリートは簡易的に属性魔法に近い攻撃を発動させることができるのである。

 雷撃が魔法使いたちを打ちのめす。

 魔法障壁のおかげで命に別状はないが、それでもジークフリートの大魔力を変換した雷撃だ。それだけで中位魔法くらいの威力にはなるだろう。

 三十人を昏倒させるのに、時間はいらない。

 始末をつけたジークフリートは、再び鬼神兵との戦いに突入する。

 兵器が相手ならば早期殲滅を期して宝具を抜く。敵を殺さないのは慈悲もあるが、負傷者を回収する手間を取らせるためだ。敵の殲滅ではなく時間を稼ぐことが、この戦いの目的なのだから。しばらく軍隊が進軍できなくなるような損害を与える。

 そのためには、人ではなく兵器の破壊こそが望ましい。

 巨人に挑むは一人の男。

 傍から見れば無謀に近く、神に挑むが如き蛮勇である。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 黄昏の津波に、巨人が押し流されていく。

 信じ難い光景に、連合の誰もが閉口する。

 最早、この男に挑むだけ無駄であるとさえ思わされる。

「ッ」

 跳躍したジークフリートを掠めて艦載砲が炸裂した。地面が蒸発し、激しい閃光が撒き散らされる。大小合わせて二十三の砲撃が、ジークフリートがいる辺りを纏めて攻撃し始めたのだ。

「これは、さすがに連続して受けるわけにはいかんか」

 主力兵器なだけのことはあり、艦載砲の直撃はジークフリートをして脅威である。とりあえず、直撃を避けるに越したことはない。

 隙を見ては宝具を解放し、重巡洋艦のエンジンを撃ち落す。

 空中戦艦のようなものにとっては、こういった小さいながらも大威力攻撃が放てる魔法使いや魔法剣士こそが天敵なのだ。なにせ、兵器を相手にすることを目的に作られた戦艦らは、個を識別して狙撃する能力を持っていない。その必要がないからだが、それが一部の最上位に君臨するものにとっては付け入る隙となる。

 竜の心臓が呼吸のたびに莫大な魔力を生み出し、全身に行き渡らせていく。多少の傷は竜の魔力が即時に癒す。宝剣の柄に埋め込まれた宝石はほんの少量の魔力を加速度的に増大させ、刀身から黄昏の剣気を解き放つ。消費した魔力は一呼吸のうちに補充でき、宝剣の性質からチャージする時間を取る必要もなく即時に真名解放をすることができる。

 サーヴァントのころには失われていた能力ではあるが、肉体を持つ今、生前と同様に対軍宝具の速射連発が可能となっているのだ。

 黄昏の剣気を引き連れた人間台風が、鬼神兵を薙ぎ払い、船を沈める。巨大であるが故に、格好の餌食となるのである。

 超弩級戦艦一隻、重巡洋艦五隻、駆逐艦十二隻、鬼神兵七体を落としたジークフリートは、さらに次を狙うべきか思案する。

 狙おうと思えば、さらなる損害を与えることはできよう。

 森に潜み、ゲリラ戦をすればこの敵軍を壊滅に追いやることも不可能ではないとすら思う。

 が、それは敵がこのまま受けの姿勢でいてくれたときの話だ。艦載砲を上回る超兵器を搭載している可能性も否定できない。そして、それらを受けてジークフリートが無事でいるかどうかも不透明だ。

『ジークフリート、生きてますか?』

 アレクシアから念話が入った。

『ああ、問題ない』

『軍を動かせました。村の人たちの収容の目処も立ったので、早く退いてください。迎えに行きます』

『ああ、分かった。合流地点を教えてくれれば、そこに向かう』

 これが潮時だろう。

 荒らすだけ荒らした。これだけの損害を一人に出されたのだから、連合はしばらくこの場から動けまい。

 退くと決めたのならば即座に撤退する。思案に暮れている間にどのような反撃があるか分からないからだ。

 そうして、嵐が去るようにあっさりと破壊を撒き散らしたジークフリートは姿を消した。

 




大暴れしたジークだけども、この程度ならばラカンやナギでもできるという……。

ところで五世紀のヨーロッパはジークフリートだけじゃなくてアルテラ姉さんやら円卓やらシグルトやら英霊のバーゲンセールだったらしいが、ここも中々に魔窟ですな。

ファフニールも洞窟に篭ってないで、幻想種の楽園ブリテンに行けばよかったんだ。


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第九話

 「またも竜殺しジークフリートが一人で敵軍を圧倒」

 「連合側に多大な被害をもたらす」

 「『黒の翼』の劇的な住民救出に皇帝陛下も絶賛」

 

 新聞各社がジークフリートとその仲間の活躍を大々的に報じている。

 ジークフリートの活躍は当然報じられるだろう。たった一人で敵軍を相手に大暴れしたのだ。戦果は分かっているだけでも超弩級戦艦二隻、航空母艦一隻、重巡洋艦二十二隻、駆逐艦三十二隻を航行不能に追いやり、鬼神兵を複数体を同時に相手取って圧倒し、魔法戦車や小型輸送艦なども破壊している。一人で、大隊規模の戦果を上げているといってもいい。

 新聞やテレビは、突如現れた救国の英雄を褒め称え、帝国はこの騒ぎに便乗して彼を賞賛し歩み寄りの姿勢を示す。

 戦争関連の成果は目覚しいものがあり、多くの人々がその戦いぶりに目を引かれているが、ジークフリートが自分の仕事としているのはあくまでも戦争に巻き込まれそうになった逃げ遅れた人々の安全確保である。

 恐ろしいのは、これだけの戦果を上げておきながら、それがついででしかないということだった。

 住民を逃がすために時間を稼ぐ必要があるから、前線に出て自ら敵の足を止める。

 その過程で敵の兵器を無力化していたらこうなっていたというのが実態だ。

「何ですか『黒の翼』って」

 頭痛がする。

 アレクシアは頭を押さえて薬を煽った。

 どうやらジークフリートと共に活動するアレクシアやコリンらが一纏めにされているらしい。厳密には、アレクシアとコリンと他数名が専属で後は必要に応じてテオドラから派遣してもらっている状況である。金魚型輸送船のメンバーのみが、初期からの仲間であり、残り二席の輸送船は、その時々で入れ替わっているのであった。そのため、厳密な意味ですべての人間が『黒の翼』扱いされているわけではない。が、少なくとも常に行動を共にしているアレクシアとコリンはその面子に入っているようだ。

 テオドラがパトロンであることは周知の事実。

 『黒の翼』も世間的にはテオドラが作った特務部隊という認識なのだった。

 アレクシアはいつの間にやらジークフリートと共に活動する『黒の翼』の初期メンバーとして世間に名前と顔が売れてしまった挙句、一部ではジークフリートとの関係を邪推されている。おまけにジークフリートのファンから陰口を叩かれる始末で、さらには国許の母親や姉から意味深な連絡が度々来る。実際のところジークフリートとは深い仲になっているわけでもなく、魔法を教え、剣術を教わるウィンウィンの関係でしかない。むしろ、彼の無謀や増える事務仕事に頭を悩ませることが多く、最近めっきりとため息と頭痛が増えている。

 ――――そもそも、たった一人で敵軍を足止めして五体満足って意味が分からないんですよ……。

 あの男は、戦術も戦略も魔法理論も全部その身一つで粉砕する。

 ここまでくると心配するだけ無駄だと割り切れるくらいだ。

 最近はその辺り、ずいぶんと楽になってきている。まあ、ジークフリートだしいいか、と。これが、他の人間だったら、全力で止めるのだが、彼にはその必要がないと分かった。どこかで死ぬかもしれないが、自業自得だ。それくらいの気持ちでいなければ、あの規格外と同じ任務に就くことはできない。

『ハハハ、大活躍じゃなアレクシア!』

 軽快な笑い声を響かせるのは映像の奥のテオドラだった。

 魔法電話がかかってきたので何事かと思ってみたら、ただの雑談だった。少し肩透かしを食らいつつ、ほっとしたアレクシアは小さく笑みを漏らした。

「このような形で名前が表に出るのは不本意です」

『そう言うな。アレクシアのおかげで救われた命もあるのだからな。ジークフリート一人の手柄ではないぞ。もちろん、あれの手柄が規格外なのは言うまでもないことじゃがな!』

「ええ、それは否定のしようがありません」

 傍から見ていて、彼の活躍は目覚しい。映画を見ているかのような非常識さで、戦場を蹂躙する様は思わず目を奪われるくらいだった。

 胸が空くのは間違いない。

 しかし、その反面ある疑念が蟠っているのも事実だった。

『どうかしたか?』

「いいえ。特には」

 アレクシアは首を振る。

『ふむ、そうか。まあ、ジークも元気にやっておるようだしな。後でよろしく伝えておいてくれ』

「姫様が直接仰ればよろしいのではありませんか?」

『妾はこれから大切な公務があるのじゃ』

「姫様?」

『うまく会談を成功させれば、あるいはこの不毛な戦争を止めることができるやもしれぬ。ふふふ、まあ、待っておれ。朗報を届けてやるぞ』

「戦争をって、あの姫様。それはどういう……」

 気になることを言っていた。

 聞き返そうとしたところ、間に合わずテオドラとの通信は途絶えてしまった。

「戦争を止められるかもしれない?」

 奇妙だ。

 少なくとも連合に戦争を終える理由はなく、押し込まれている帝国も現状では降服か不平等な形での停戦が関の山であろう。

 おまけに、仮にそのような大きな動きが中央であったにしても、第三皇女という微妙な立場のテオドラが出る必要がない。

 不可解といえば不可解だった。

 が、しかし。

 主を疑うなど笑止千万。

 戦場に出るわけでもなく、警備隊も就いている。彼女の安全は確かだ。

 上からガタガタと音がする。それに加えて割れ物が粉微塵になる音もだ。

「また、やりましたか」

 もはや慣れたものだ。ジークフリートが、魔力の扱いを誤ってものを壊すのは。

 階段を上がって、リビング向かう。 

 彼女たちの拠点の一つ、小高い丘の上の三階建てログハウスは木々に囲まれる森の中にある。二階のリビングからは、開けた庭が見え、その周囲はぐるりと植生も様々な木に取り囲まれている。彼女たちの活動の都合上、大都市圏に縁がないために、このような別荘地に拠点を構えることになったのだ。

 そう、ここはテオドラが個人で所有する別荘なのであった。

「テオドラ様からお借りしている家を傷付けないでください」

「騒がしくてすまない。だが、傷付けてはいない。そこは安心して欲しい」

 ジークフリートはソファに腰掛けた状態で机の上に新聞紙を広げていた。さらにその上には砕けた鉛筆が転がっていて、新聞の四方を取り囲むように結界が張られていた。鉛筆が破裂しても周囲に破片が飛び散らないようにコリンが張ってくれたものだ。

「で、そのコリンはどこにいきましたか?」

「彼ならば船の調子を見に行った。相変わらず、機械の類が気になるらしい」

「そうですか」

 操縦士コリンは、二十代半ばの好青年。多少ふざけたところはあるが、性根が真っ直ぐで、特に機械に対する情熱は激しい。技官としても通じる腕前で、ちょっとしたマシントラブルならば彼が解決してくれる。

「ベティとブレンダもいませんか」

「ああ。散歩に行くそうだ」

「まったく、あの娘たちは……」

 自由に時間を使っていいとはいえ、頻繁に外に出るのは如何なものか。

 この別荘にいる『黒の翼』のメンバーは四人だけだ。これが、固定メンバーである。ただし、彼らはあくまでも帝国兵であり、ジークフリートのために集まったメンバーではない。

 世論では『紅き翼』と対比されることも多くなったが、本質的にまったくの別物だ。

「強化魔法、うまくいきませんか」

「自分にかける分には大雑把ながらできるようにはなった。だが、物に魔力を通すと途端に失敗してしまう」

 困ったように表情を翳らせるジークフリートに、アレクシアは僅かながら親近感を抱く。彼でも失敗して悩むこともあるのだと。

「不用意に魔力を流せば当然そうなります。あなたの肉体が雑な強化魔法に耐えられるのは、単にあなたが頑丈だからです。自分の身体と同じ感覚で鉛筆に魔力を流せば、それは当然破裂します」

「ふむ、なるほど」

 本来ならば、このようなことに悩んだりはしない。

 強化魔法は基礎魔法の一つでもある。その上失敗して傷つけるようなことも極希に起こる現象でしかなく、ここまでの破壊を連続で起こすのはよほど才能がないか、才能が有り余っているかのどちらかだ。魔力の容量だけで言えば、ジークフリートは天才の域と言っても過言ではないのだが、技術が伴っていない。今のジークフリートの魔法は、拳銃に銃弾の代わりにダイナマイトを装填しようとしているようなものだ。

 爆発はするかもしれないが、目的の効果は発揮できない。厄介なのは、本人は持ち前の頑丈さでその爆風をそよ風のように受け流せることだろう。

「魔法障壁もその内習得すると便利ですよ。まあ、強化魔法のほうがあなたにとっては都合がいいのでしょうけれど」

 肉体そのものが最上位の魔法障壁に匹敵するジークフリートが、あえて魔法障壁を学ぶ意味は余りないかもしれない。それよりも、持ち前の身体能力をさらに強化する身体強化の魔法を習得することで、戦闘能力に磨きをかけるというほうが実用的だろう。

「まあ、俺には障壁は意味がないからな」

 と、ジークフリートも言う。

 それで背中の弱点を補えるわけでもない。彼の背中は呪いのようなものだ。ジークフリートである限りは、この部分を守ることはできない。魔法障壁で全体に防御を張り巡らせても、背中の部分だけは障壁が機能しないだろう。

 しかし、その一方で身体そのものを鍛えるという手は残っている。

 強化魔法で骨格や筋肉を固く、強く、しなやかにすることで間接的に背中を守ることに繋がる。ジャック・ラカンがそうであるように、莫大な魔力を身体に練りこむことで、刃を通さぬ肉体を形成する。この世界の基本的な技能である。

「その域を目指すには、まだ時間が足りんか」

「出力さえ安定させれば、あっという間だと思いますけどね。あなたはどうにも不器用で、しかも大雑把です」

 まったくその通りだとジークフリートは指摘を粛々と受け入れる。戦いに感けて修練に手が回らないことも多い。こうした僅かな時間でどれだけ集中できるのかが、大切だ。

 そうして、ジークフリートが新たな鉛筆を手に取ったとき、アレクシアが口開く。

「今のうちに確認しておきたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「何だ?」

「あなたのことです」

 アレクシアはジークフリートの反対側のソファに座った。

 柔らかな音を立てて、小さな身体が沈む。

「今更、俺の何を尋ねようというのだ?」

「それはもう色々と聞きたいことはあります。その実力はどこで身につけたのかとか、宝剣の出所とかあるいはあなたがそもそも何者なのかとか、追跡調査でも謎だらけですからね。ですが、それは些細なことです。わたしが気にかけているのは、あなたの目的です」

「俺の目的?」

「はい」

 アレクシアは、神妙な顔つきで頷く。

「あなたはこれまで多くの戦場で戦果を上げてきました。連合の敵艦や鬼神兵や装甲車その他諸々……それは確かに連合に対して損害を与えていると言っていいでしょう。ですが、それはあくまでも兵器に限った話です。派手だから目だっていますが、あなたはこれまでの戦場でほとんど敵兵を殺害していません。何故ですか?」

 ジークフリートが戦場でどれだけ暴れても死者は驚くほど少ない。

 戦艦を沈めたとしているが、その実精霊エンジンを破壊して墜落に追い込んだというだけなので、中の人は多くが生を拾っているだろう。重傷を負った者もいるだろうが、治癒魔法があれば大概は何とかなるものだ。

「敵兵を見逃す理由か。俺の目的はそもそも戦火に曝されようとしている力なき者たちを救い出し、その安全を確保することだ。敵と戦っているのは、その時間を稼ぐためだ。命をむやみに奪わぬのも、連合が味方の救出のために足を止めることを期待してのことだ」

「ええ、それは分かります。理屈に合いますし、それにあの状況では連合側も被害状況の把握に努めねばならなくなるのは当然です。ですが、それにしても加減が過ぎると思うのです。あなたが見逃した兵もそのうち復帰するでしょう。そうなれば、また同じことの繰り返しです」

 兵という駒がある限り戦争は終わらない。ジークフリートがここで見逃した相手が、別の場所で誰かを殺すだろう。

「あなたはただ人を殺したくないだけなのでしょう。ですが、その善意は別の誰かを殺す、ただの偽善です」

「その通りだ」

 ジークフリートは迷わずに答えた。

「俺の行為は偽善だろう。貴女の言葉に間違いはない。俺は彼らを殺すことを忌諱している」

「何故です。これは戦争で、あなたは帝国の――――……」

 と、そこまで言ってアレクシアは言葉を切った。

 帝国の何だと言うのか。

 そもそも、戸籍にすら乗っていない、辺境の地から現れたという正体不明の男だ。テオドラに逢うまで、連合との戦争も具体的には知らなかったくらいの世間知らずでもある。そして、今の彼は流浪の傭兵であり誰に雇われたわけでもなく自発的に戦地を渡り歩いているだけだ。自分たちがここにいるのは、彼の力が敵に渡ることを恐れた上層部が、監視のためにつけているだけ。

 ――――ジークフリートには、帝国の人間としての自覚がそもそもない。

 そのことに気付いてしまった。

「……あなたにとってこの戦争は他人事なのですね……帝国の人間として連合を倒そうとは思っていない。あなたの気持ちは、第三者的立場にある」

 ジークフリートは敵や味方といったものを別にして、目の前で命を絶たれそうになっている人々に手を差し伸べたい。ただそれだけで行動している。だからこそ、不用意に人を殺すことはない。それが、たとえ攻め寄せる連合の兵であろうとも、命である以上は軽々しく奪えないと、自らの行いを規定している。

「貴女の感じたとおりだろう。俺には帝国に対する帰属意識がない。この国のために剣を執ろうとは思っていない」

「では、なぜ、あなたは……」

「かといって連合に就く理由もない。俺は帝国に思うところはないが、それでもこの国の人々には恩があり義理がある」

 ジークフリートはもとより異邦人だ。帝国の人間ではなく、正規兵にもなっていない。この国のために戦争に加担する理由がなく、それではいけないとすら思う。第三者であるはずの自分が英霊に至った力でどちらか一方に加担するのは、非常に危険なことだろうと。

 しかし、同時に戦争の早期終結を望むのならば、帝国に就くという選択肢もあった。故に悩み葛藤しながら今に至るまで答えの出ない問いを重ねている。

 ただ弱き者のための剣であろうと、かつての友に気付かされた夢を求めるのならどうすればいいのか。

 未だに正しい答えは出ない。

 正義の味方というゴールにいたる道のりは、険しいどころか見えてもいない。

 偽善とアレクシアに指摘されるのも当たり前だ。

 帝国兵である彼女からすれば、連合は憎き敵に他ならない。住民を逃がすための合理的な理由があるとはいえ、連合兵を見逃すジークフリートのやり方には違和感を覚えるし、その帝国に帰属意識がないというその考え方にも不快感を覚える。仕方がないのだ。帝国からの視点とそもそも第三者であるジークフリートの視点は決定的なまでに異なっている。

「俺は基本的に帝国の兵として盤上に上がるつもりはない。そこから零れ落ちたものに手を差し伸べる者でありたいからだ」

 どちらか一方に就けば、必然的に動きは拘束されるだろう。彼の強大な力は、敵を蹂躙するために使われる。そうなれば、この戦争の影で苦しむ者たちを見殺しにすることになってしまう。

 できることならば、今の状態で停戦して欲しい。

 連合の侵攻を足止めする間にも、その思いは強くなる一方だった。

 請われるままに、善も悪も関係なく望みを叶えてきたかつての自分とは決別するべきなのだ。例え偽善でもいい。矛盾していてもいい。叶うことならば敵を討ち果たす剣ではなく、誰かを守る楯でありたい。それが、ジークフリートの我が侭だった。

「あなたの思いは、正しいのでしょう。ええ、わたしもそれが正しいとは分かります。しかし、それでも、正しいだけで救える人の数には限りがある」

「分かっている。だが、今のところは救えている。貴女方の協力のおかげだな。このまま疎開が進めば、その内、前線付近は無人となるだろう」 

 誰も戦火に巻き込まれない戦場で、両軍が矛を交える。現時点で、ジークフリートが努力をして戦争における民間人の被害者を減らすのであれば、これくらいしかない。

 彼は強大な力を持っていて、戦場では敵を蹂躙できるだろうが、戦争全体を左右するには小さな個人でしかない。

 この世界の戦争はジークフリートや『紅き翼』のようなイレギュラーを除けば個人の武勇よりも兵器の量と質がものを言う。ジークフリートが優先的に連合の兵器を潰していたように、兵器が減れば戦火も縮小できる。人を殺さずとも、国として戦えなくする手はあるのだ。事実、ジークフリートの襲撃を受けた連合は、死傷者が少ないにも拘らず、進軍速度を大きく低下させなければならなかった。

 個人よりも兵器。それが、兵器が戦争の主役となった世界での原則であった。

 アレクシアはため息をつく。

 ジークフリートなりに様々な思いや葛藤を乗り越えてこの結論を出したのだろう。納得できたわけではないが理解はできた。

「今の、オフレコでお願いします」

「オフレコ?」

「外で言わないでくださいってことです。少なくとも、帝国の市民はあなたを帝国の英雄として認識しているのですから、余計なトラブルは御免です」

「……そうか。ああ、分かった。トラブルは御免だというのは同感だ」

 まったくとんだトラブルメイカーだ。

「それと、このまま帝国が劣勢になっていけば徴兵令が出るかもしれません。そのとき、あなたが違反すれば追われる身になります」

「そのときはそのときだ。何にしても俺は帝国には剣を向けることはないだろうし、これまでと同じことを繰り返しているだろう」

 ジークフリートに考えを改める気はさらさらない。

 まず第一に人命である。

 戦争を止めるに足る力がない以上、ジークフリートにできることは粛々と住民たちを安全圏に逃がすことであり、敵の足を止め、可能な限り進軍を遅らせることで停戦や終戦のきっかけになってほしいと願うことだけだ。

 少なくとも、今のジークフリートにはそれ以外の道が見えないのであった。

 




悲報、fate/go 更新できず。ダウンロード進まない。


アーラシュって毒効かないから出会い次第では静謐のハサンの高感度マックスになったんだろうか。
だとしたら――――爆発しろアーラシュ!


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第十話

 連合側の大反攻により、戦線を国内に押しやられた帝国側ではあったが、為すがままになっているわけではない。

 国内が戦場となる以上は、国民に多大な影響が出るのは間違いなく、とりわけ戦火に曝されるであろう国境付近の人々は南方に疎開を余儀なくされていた。

 そんな人々の疎開を支援し、時には敵の足を止めるために剣を抜いて戦っているのが、ジークフリートを中心とした『黒の翼』の面々である。

 喜ばしいことに、活動開始から二ヶ月のうちに彼らの華々しい活躍に影響された多くの人々が救出活動に好意的になってくれており、また国境付近の人々を救うために自ら率先して行動する者も現れるようになった。帝国民が率先して救援活動を行ってくれたおかげで、避難は思いのほかスムーズに遂行され、帝国軍はその軍備を対連合戦に備えて集約することができるようになっていた。

 マスメディアが大々的にジークフリートの活躍を報じれば、その支援のために手を挙げる者が現れ、さらに是非我が村へ、と疎開を積極的に引き受けてくれる地方も現れた。その調整は行政の仕事だが、うまく歯車がかみ合って、概ね良好な結果に繋がっている。

 戦場が自国である以上地の利は帝国側にある。

 敵を撃退するために、無人地帯となった北部地域を中心に帝国軍が再配備され、連合側の侵攻を阻む防衛線の再構築に成功したのであった。

 戦争である以上、兵士に犠牲は出る。

 しかし、ジークフリートが望んだとおり、一般市民の犠牲は減少させることができた。戦線が食い破られれば自ずと帝国の領民には犠牲が出ることになっていくだろう。真に犠牲者が出ない世界を目指すのならば、この戦争の早期終結が急務ではあるが、戦争を終わらせることができるのは政治のみである。極端に強大な力を持つとはいえ、ジークフリートは一人の人間に過ぎない。戦争を終わらせる具体案があるわけでもなく、さらに帝国の人間でもなければ連合の人間でもない第三者である。両者の歴史も感情的対立も正しく理解していない彼には、この戦争の着地点すらも見えない状況であった。

 歯がゆい、とは思う。

 剣を振るい、敵を討伐すればいいだけ悪竜退治のほうがまだ楽な仕事だと思えるくらいには。

 そんな折のことだ。

 テオドラから連絡が来た。

「護衛?」

『うむ。これから、ウェスペルタティア王国のアリカ王女と会談する予定になっておるのじゃが、ジークに妾の護衛を頼みたいのじゃ』

 魔法電話では相変わらずの元気な声が聞こえてくる。第三皇女テオドラは、見た目も性格もまだ幼い子どもだ。教育が行き届いているからか、人前では静かにしているようだが、その本質は面白いことが大好きで好奇心が旺盛というじゃじゃ馬である。

「護衛ならば、貴女の周りにたくさんいると思うが」

『警備隊の者たちはよくしてくれておるぞ。だが、此度の会談は少々入り組んでいてなぁ。あまり人数を連れていけんのじゃ』

「必要な数が用意できないわけか」

『必要な数がどれくらいかと判断するのも難しいが……人数が普段から減ってしまうからな、ジークがいてくれたほうが安心できる』

 護衛の数が減る変わりに個の質を高めようとしているのか。それは正しい判断だ。ジークフリートが護衛の能力があるかどうかは置いておいて、彼の戦闘能力は非常に高い。それこそ、単独でテオドラの警備隊を蹴散らせるほどにだ。そして、それは仮にジークフリートに匹敵する猛者が襲撃者にいた場合、警備隊は為す術がないということでもあった。

「重要な会談なのか?」

『ああ、とても重要じゃ。……この戦争を終結させることができるやもしれぬ』

「それは、本当か?」

 そうだとすれば、その会談は是が否でも成功させなければならないものだ。

 その正否で戦争の終結か継続かが決まるとなれば、歴史が変わる会談になると言っても過言ではない。となれば、ジークフリートも期待せずにはいられない。

「帝国の皇女として、戦争を止めるという立場を表明するのは大丈夫なのだろうか」

『さて、どうかな。とはいえ、この戦争には何か裏があるようじゃぞ、ジーク』

「裏?」

『ああ。どうにもきな臭い……帝国でもない、連合でもない。この戦争を継続して利益を貪ろうとしている連中がいるらしい』

「何だと?」

 思わず声に怒気が篭る。

 彼女の話が真実ならば、これほど不毛な争いはない。

 二大大国を裏から操るということができるとは思えないが、もしも可能だとすれば相手は極めて強大な、世界を股にかけるほどの組織であるということになる。それが、今まで影も形も窺わせることなく大戦争を操っていたとなるととてつもなく脅威だ。

『ウェスペルタティア王国は帝国と連合に挟まれる位置にある歴史と伝統が売りの小国でな、妾は以前に一度、アリカ殿下には会ったことがあるのじゃ。そのときの伝手じゃな』

 ウェスペルタティア王国の首都は帝国が占領を試みたオスティアだ。そのため、戦争の中でウェスペルタティア王国はどちらかと言えば連合側に立って戦っていた。それでも、アリカ王女は戦争を止めるべく自ら調停役となって各国首脳を説得しようと東奔西走していたのだという。

 戦争終結を第一に考え行動する、実に芯の強い女性なのだ。

『あのアリカ殿下が危険を承知で来るというのじゃ。妾も応えてやらねばならんじゃろ』

「戦争終結の道筋が見えるかもしれんというわけか。ならば、俺が手を貸さない理由はない。その頼み、引き受ける」

『そうかそうか。ジークがいるなら百人力、いや、千人力じゃな!』

 魔法電話の奥でテオドラが楽しそうに声を上げて笑う。

 ジークフリートも思わず頬を緩めた。

 何にしても戦争が終わるかもしれないということが、彼に希望を抱かせたのだ。

『そうそう、もちろんアレクシアたちもじゃ。話は後でアレクシアにもしておくからな』

 そう伝えてから、テオドラは通話を切った。

 ジークフリート以外のメンバーは基本的にテオドラの警備隊から転属してきたものたちだ。ジークフリートはテオドラの部下ではないし帝国の兵でもないため協力を仰ぐという形になったが、アレクシアたちについてはいちいち連絡を取る必要もない。辞令を出せばそれで次の行動が決まる。事実、一時間もしないうちにアレクシアらは別荘のリビングに集まり、今後の動きについて話し合いを始めた。

「テオドラ様とアリカ姫の会談は極秘裏に行われるものですので、外部で口にすることのないようにお願いします」

 と、アレクシアから厳しく念を押されたジークフリートは会議の場でも口を閉ざしたまま黙している。ジークフリートは帝国の地理に疎く、行動指針の策定に協力できない。会談の場として上げられた街の名も初めて聞くものだった。

「会談は四日後に行われますので、明日にはここを出立しなければなりません」

「ずいぶんと性急じゃねえかよAA」

「計画したのはわたしではありません。できることならば、一ヶ月は先延ばししていただきたいところなのです。本来国家レベルの会談をするのならば、相応の準備期間が必要ですし、緊急であれば電話会談で済ませます。戦時下でありながらたった四日しか猶予がないというのが異例なのです」

 頭を抱える仕草が板についてきたアレクシアは、大きくため息をついた。

 ジークフリートからしてもこれは急ぎすぎていると思われるが、戦争は着実にその手を広げている。終戦に導けるかもしれない会談だけに、あまり先延ばしにするわけにもいかない。何よりもこれは極秘の会談だという。ならば、準備期間を確保して、警備などを大々的にするわけにもいかないのが実状だろう。

「警備だってそれほど多くは割けないはずです。アリカ姫は連合の『紅き翼』と共に行動していることが分かっていますし、これが罠である可能性も否定できないのですからね」

「『紅き翼』だと」

 ジークフリートがそこに食いついた。コリンが笑みを浮かべてジークフリートに言った。

「やっぱり気になるか、ジーク?」

「そうだな。気にならないと言えば嘘になる。だが、そうなるとこれは敵国との秘密裏の交渉となってしまうのではないか?」

「そうです。それが、問題を大きくしているのです」

 アレクシアは宙に浮かぶマジックディスプレイを眺めて呟く。そこには地形図が示されており、会談の場所の警備をどのようにするべきか三次元的に考えることができるようになっていた。

「第三皇女たるテオドラ様の身に何かあれば大問題ですが、それ以上に敵国と秘密交渉をしているなどという話になってしまえばテオドラ様の身にも多大な危険が伴います」

 場合によっては、テオドラにスパイ容疑がかけられる可能性すらもあるということだ。

 第三皇女という微妙な立場であることが、その危険性を高めている。

「成功の見込みがどれほどなのか、わたしには検討もつきません。戦争が終わるのならばそれに越したことはないのですが、会談だけでは難しいでしょうし……現状ではリスクとリターンが見合っていないとしか思えないのですが……」

 戦争を終わらせるにはどちらか一方が降伏するか、両者共に痛み分けという形で手を引くという形しかない。前者は勝敗がはっきりしているだけに分かりやすいが後者は和睦交渉の条件次第では紛糾することもあるので難しい。テオドラがしようとしているのは後者であろう。帝国は劣勢にあり、連合と和睦するのならば不利な条件を飲まされる可能性も否定できない。まだ敗戦濃厚というわけではなく、軍備を整えれば十二分に押し返すことが可能と見込まれている現状で、不利なままでの和睦を帝国首脳が受け入れる見込みもなく、当然勝ち戦の連合が手を引く可能性もない。となれば、戦争を終わらせるには戦争以外の理由が必要になる。両者の恨みつらみを横に投げ捨てるだけの必要に迫られる何かがなければ、両者が和睦する未来は来ない。

「テオドラ姫が言うにはこの戦争には裏があるそうだが、思い当たる節はあるか?」

 ジークフリートは尋ねた。

「裏、ですか?」

「ああ。なにやら、戦争を継続させようとしている勢力があるらしい。帝国でも連合でもない何かが潜んでいるとテオドラ姫は言っていた」

「……わたしにはそのようなことは一言も」

「言い忘れていただけだろう」

 にべもなく、ジークフリートは言った。

「しかし、そのような話は……」

「アリカ殿下に偽の情報を掴まされてんじゃねえの?」

「だとしたら由々しき事態です。今一度、ご再考を進言しなければ……」

「ちょっと待ったアレクシア隊長。下手に連絡すんのはまずいって。末端の兵が口できる問題じゃねえし、嘘と決まったわけでもねえから!」

 コリンが慌ててアレクシアを止めようと声をかける。

「テオドラ様の身に万が一があったらどうするのです!」

「もしも姫様が言っていることが事実だったとしたら、相手は帝国内にもいるってことだろ? 下手に声を上げれば姫様の安全が脅かされるっての」

「偽の情報と言ったのはそちらでしょう!」

「俺は噂も何も聞いたことがないってだけ。何一つ根拠がないなら偽情報と考えるしかねえじゃん。でもよ、もしも本当なら、姫様の周りにもシンパがいるかもしれねえ」

「ぐ……」

 アレクシアはコリンの説得を受けて押し黙った。

 魔法界を分断する大戦争を裏から操る組織など非常識にもほどがあるというものだ。

 それはつまり、帝国と連合の内部深くに根を張っているということであり祖国の危機ということである。戦争など比較にならないほどの危険な状態であろう。

 しかし、それはテオドラがジークフリートに少し漏らしたという程度のものでしかない。

 情報ソースはまったくなく、こちらで判断の付く問題ではない。

 高度に政治的な問題に迂闊に首を突っ込むのは寿命を縮める。噂話に左右されて、冷静な判断ができないようでは護衛などできはしない。

「とはいえ、楽観視もできんだろう」

 と、ジークフリートは言った。

「アリカ姫が嘘をついてテオドラ姫をおびき出そうとしているのであれば、今までどおり帝国の敵は連合となるが、そうでないとすれば話は変わる。テオドラ姫もアリカ姫も、敵にとっては戦争終結に動く邪魔者だ」

「……つまり、テオドラ様は会談に参加すれば結果の有無を問わず危険に晒されると?」

「どちらかが敵であれば、そうだろう。もちろん、アリカ姫がテオドラ姫を嵌めるつもりもなく、戦争の黒幕もいない場合はその限りではないし、その可能性のほうが高いと思う」

 アリカがテオドラに敵意を持たず、ただ戦争を止めたいと必死の思いでやってくるだけならば危険はない。また、テオドラが言うような黒幕もいないのであれば戦争終結を嫌うのは連合憎しで戦争に加担している者や戦争で利益を得る武器商人などだ。世界を股にかける秘密組織に比べれば俄然、程度が低い。

 ジークフリートにはこの世界の戦争の機微は分からない。

 彼の時代とはあまりに戦争の様相が変わりすぎていることもあるが、何よりもこの世界の勢力について無知だった。どの程度の戦力があり、国力はどのくらいか。そういった事前情報が彼にはほとんどないのだ。たった数ヶ月程度で身に付く知識ではなく、必然的に不自然な戦力の増強や政治的駆け引きについても、そういうものだと受け入れる以外に選択肢がないのだった。

「じゃあ、予定通りに行くしかありませんね。色々と覚悟をしなければならないかもしれないということで」

 沈鬱な表情のアレクシアとは対照的に口を大きく開けて欠伸をする気侭な少女が言った。

「ふあ……悪の秘密組織も面白そうだけどねー。ねえ、ブレンダ」

「ん? 別に、興味ない」

 十代中頃の金髪の双子――――ブレンダとベティは、対照的な性格だ。猫のように好奇心が強いブレンダとあらゆる物事に対して客観的かつ中立的なベティ。二人を足して半分にしたらちょうどいいのではないかと常々言われるほどに両者は異なる嗜好の持ち主だ。

「ベティ。何も面白くありません。むしろ深刻です……が、ことの重大さを考えれば興味がないのも問題です」

「怒ってばっかだとぉ~眉間に皺増えるぅ~」

「増えませんしありません!」

 アレクシアが手刀でブレンダを打ち据えようとするが、ブレンダが張った魔法障壁がこれを弾き返した。

「く……」

「効かんのだよ、アレクシア隊長」

 得意げに笑うブレンダ。

 防御力ならば、ジークフリートに次いで二番手に位置するのがブレンダだ。帝国基準の格付けでも防御魔法はA+と同年代では図抜けている。その分攻撃面は大きく劣るものの、そこは逆の性質を有する妹に頼る。戦闘面でも二人一組で戦うのが基本となっているのだ。

「それで、双子ちゃんの意見はどうなんだい?」

 コリンがアレクシアとブレンダの間に割って入るように尋ねた。

「仕事ならやるだけ」

「姫様の護衛でしょ。断わる理由がないよー」

「だってさ」

 コリンがどうする、という視線をアレクシアに投げかける。

 チームの意見は纏ったも同然。

 ブレンダが言うように彼女たちには断わる理由がないしその権利もない。あくまでもテオドラの部下である以上は主の命は正しく遂行しなければならない。

 主戦力たるジークフリートが首を縦に振れば、それだけで目的地まで船を走らせるのだ。

「テオドラ様の護衛の任につく栄誉は誇らしいものですが、準備はきちんとしなければ。やるからには、素早く現地に入り事前に視察をしておきたいのです」

「とりあえず、今から向かっちゃう? どうせテオドラ様が現地入りしてからがこっちの仕事なんでしょ隊長?」

「む、ジークフリートはどうですか? すぐに出ても構いませんか?」

「ああ、問題はない」

 ジークフリートの首肯を以て会議は一端決した。

 帝国領内を横断し、国境線付近の都市に向かう。船を飛ばせば一日とかからずに到着する距離だ。問題があるとすれば船の置き場とテオドラとの合流くらいだろう。

 幸い、船そのものが生活空間に近い状態になっている上にジークフリートには個人的な持ち物がほとんどない。着の身着のままでも何不自由なく生活できるので、色々と入用な女性陣に比べればかなり行動に支障はないのだった。

 



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第十一話

 テオドラとアリカの秘密会談は、帝国領内の小さな地方都市で持たれる運びとなった。

 この秘密会談は、国民のみならず帝国の関係者にすら秘匿されるほど気を遣う内容だ。

 何せ情報が正しければ、連合のみならず帝国の中にも秘密結社の人間が潜んでいることになる。テオドラの周りにも、何食わぬ顔で公務に勤しみながら裏で戦争の拡大を狙っている馬鹿者がいたかもしれないのだ。迂闊に会談のことを漏らせば、身の危険があった。

「思えばおかしなことだらけだったのじゃ」

 グレートブリッジを落とした後の帝国の判断。

 あのままメガロメセンブリアを落とせば、この戦争はほぼ終わったも同然だった。

 それが、帝国はそこに踏みとどまり連合の反撃を許す失態を曝した。もちろん、戦術的な意図があったことは間違いない。帝国側には連合を滅ぼす意図はなく、ただ戦争に勝利したという事実が必要だっただけだ。無用な戦火を避け、降伏を引き出せればよかった。あの時点では、勝利は確実だったのだから。

 だが、その直後、想像以上の速さで連合は体勢を立て直してきた。

 敵があの戦力をどこに隠していたのか、なぜ劣勢極まりないところにまで追い込まれてから投入してきたのか。その辺りがまったく分からない。

 帝国が攻め込み、そして今度は帝国は攻め込まれている。

 戦線は膠着状態となり、散発的な戦いがそこかしこで起きている。

 終わるかに思えた大戦は、今となってはどちらに趨勢が傾くとも知れぬ長期戦の様相を呈し始めている。

「これでは互いに国力をすり減らすだけ。真の敵がいるのならば、このようなことをしている意味がないからの」

 テオドラは、ローブを羽織り、会談の会場に向かう。

 戦争が始まって以来地方都市は衰退する一方だ。連合側との交易が小さくなり、この街のように交易で成り立っていた地方都市は、職がなくなり社会不安が増大しつつある。帝国の敗戦の色合いが大きくなればそれだけ庶民の生活は脅かされることとなろう。

 敗戦国となった経験はテオドラにはないが、連合の亜人間への差別感情から考えれば皇族であるテオドラとて厳しい処遇は免れまい。

 テオドラは幼いが、聡明でもある。

 戦争を他の皇族の誰よりも客観的に捉えることができるのも、まだ政争に毒されきっていないからであろう。

「アレクシア、ジーク」

 信頼する二人の護衛を呼ぶ。

 会場となる小さなホテルは大通りから路地に入ったところにあって、通常であればとても皇族が利用するようなところではない。

 しかし、今は人目を憚る。

 辺境の地に第三皇女がいるということ自体が、表沙汰になれば諸々の問題を発生させるかもしれないのだから。

「アリカ姫はもう来てるか?」

「つい先ほど見えられました。ブレンダとベティが会場までご案内しております」

 アレクシアは声を潜めて言った。

 これが正式な公務であれば、騎士の礼を取り警備隊の模範を示すところだが、今はそのような状況ではない。目立つことを避けるため、姿勢を低くすることすらも避けている。それほどまでに、警戒する必要があるのだ。秘密結社は帝国と連合の双方を同時に手玉に取り、その存在にすら気付かせない怪物だ。この会談すらも、敵に知られている可能性は大いにあった。

「本来であれば、もっと警備を強められる場所を会場に指定するべきですのに」

「仕方あるまい。状況が状況じゃ。まさかアリカ姫と会うためなどと言って出るわけにもいかんからの」

 アリカは敵側の人間で、一国の姫でもある。

 そのような人物との会談を持つとなると、非常に繊細な配慮を必要とする。秘密会談は、かなりリスクの高い選択なのだ。

 それを承知した上でテオドラは引き受けている。

「いざとなれば、アレクシアもジークもいる。頼らせてもらうからな」

「もちろんです、姫様」

 アレクシアは頼られていることが嬉しいのか頬を緩めている。

 ジークフリートは黙して頷く。

 言葉に出すまでもなく、己がすることは明白だった。

 

 

 警備に投入できる人間はほとんどいないのが実状だった。

 秘密会談である以上それは当然ではあったが、帝国側にすら秘密であるということが警備しにくさを一層際立たせた。

 テオドラが自分で兵を連れ出すわけにもいかない。公務という形で外に出たはいいが、そのための警備以上のものは連れ出せない。

「姫様の警備ですから警備隊も全員出動していますけど……」

 数だけならば精鋭が六十人この街にはいる。

 だが、アリカ側が用意できた護衛は皆無。恐ろしいことにあの姫は、着の身着のままで敵地に乗り込んできたのである。その胆力に感心すると共に、六十人でテオドラとアリカの二名を守らなければならないという難題に直面することとなった。

 できれば数百人からなる警備でホテル周囲を囲み、常に危険に対応できる体制を整えるため魔法障壁が整備された会場を用意したかった。この街にそれがあればよかったのだが、この街にはそこまでの設備はなく、アリカが入り込めるのはここが限界だった。

「しかし、ジークフリートがいるからといって浮き足立ってる場合でもないでしょうに」

 廊下を歩いていると、警備隊の誰もがジークフリートを見ては立ち止まり、まじまじとその姿を見ているのが分かるのだ。

 男たちからは尊崇の念を、そして女たちからは多少色の入った視線を投げかけられて、ジークフリートは我関せずとばかりに無視を決め込んでいる。

 もとより口数の少ない男だ。

 好奇の視線に曝されたところで、何を言うはずもないか。

 ――――何事もなく終わってくれれば、それでいいのですが。

 口に出さず、心の裡で思う。

 テオドラの安全が第一だ。

 戦争が終わり、テオドラの活躍が表に出せるのならばそれに越したことがないが、無為に危険に晒すのも反対だ。

 使い魔、結界、人員。

 自分たちにできる精一杯をしている。彼女の知る万全ではないにしても、それでも今できる最善を尽くしていると自負している。

 ジークフリート共に扉の前に立ち、ノック。音を立てないように注意して、部屋の中に入った。

 まず、大きなシャンデリアが目に入ってくる。赤と金を基調とした内装で、ゆったりとした大きなソファが部屋の中央でガラステーブルを挟んで向かい合っている。

 対面するのは幼き帝国の第三皇女テオドラと、歴史と伝統のウェスペルタティア王国の姫君アリカ。

 アリカは表情の変化の少ない冷厳な印象の美女であった。長い金髪と整った細面が、深窓の令嬢を思わせる。そして、見た目に反してかなりの実力者であるとも見受けた。不思議な魔力を身に纏っているのが分かる。

 アリカの視線がテオドラを離れてアレクシアとジークフリートに向かった。

「紹介しようアリカ。我が護衛の任に就いているアレクシアとジークフリートじゃ」

 テオドラはアリカを呼び捨てにした。非公式の会談だからか、言葉遣いもずいぶんと崩れているらしい。気が合うのだろうか。

「ほう、主が帝国の竜殺しか。活躍のほどは聞いているぞ」

「人命救出を最優先にして活動している傭兵モドキじゃ。まあ、妾がパトロンじゃがな」

「帝国、連合双方の利権に疎いというのは此度の警備を任せるには適任じゃな」

 アリカはテオドラに視線を戻した。

 二人の会話を聞いてアレクシアは得心がいった。ジークフリート個人の武勇は比肩するもののないものだ。警備に雇うのならば彼ほど頼りになるものはないだろう。しかし、それ以上に帝国の命令すら場合によっては無視するほどの意気込みで人助けに奔走する彼だからこそ、真の敵についての会談では信用できるわけだ。彼にはそういった裏がない。世間ズレしているのも、政治に無縁なのも、軍人ですらなく、事実上第三勢力として活動しているのも連合と帝国のどちらにも敵がいる状況ではそれが信用に繋がるのだ。

「……しかし、メガロメセンブリアのナンバーツーまで敵の手先となると、この問題の闇は相当深いな」

 テオドラは困ったように顔を曇らせた。

 アリカが持ってきた情報は、ソースも確かなものだ。だが、だからこそ信じ難いものでもあった。メガロメセンブリアの執政官(コンスル)がテロに関与していたなどというのはスキャンダルでは済まされない。

「しかし、何故そのようなことを? これほどの高位に上ったのならば、悪事を働かずとも十分な財産を蓄えることもできるじゃろうに」

「彼自身の目的は分からぬ、がおそらくは彼すらもただの手先に過ぎぬ。幹部クラスではないというのが、わたしの考えでな」

「メガロメセンブリアの執政官すら幹部ではないと?」

「執政官ほどの地位の者がわざわざ戦争を長引かせる必要もあるまい。早々に終わらせたほうが、国が傾く心配もないのじゃからな」

「国がダメになってしまえば自分の地位も危ういからのう。となれば、狙いは別にあるのか、それとも……」

完全なる世界(コズモエンテレケイア)に利用されているのか、じゃな」

 むむ、とテオドラは眉根を寄せる。

 話の内容はかなり重い。

 ――――この会話、わたしが聞いて大丈夫なのだろうか。

 とすら思ってしまうほど機密性の高い話題だ。

 しかし、護衛をするとなれば部屋の外で待っているわけにもいかない。室内にいるのはアレクシアとジークフリート、ブレンダとベティの双子、それから第一警備隊の隊長と副隊長だ。窓際に立つあの二人も顔色が悪い。視線を交わすと諦観したような表情を見せた。 

 少なくともこの室内にいる人間は共犯者だ。この話を知ってしまった以上もう引き返すことはできない。歴史の転換点にいるのか、それとも地獄の門の前に立っているのか。

 ため息をつきたくなるような気分になる。

 二人の姫君は、そんな従者たちの気持ちを察することなく意見を交換し合っていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 テオドラとアリカが会談をしているホテルから一キロほど離れた建物の上に、彼はいた。

 白髪長身の青年だ。どことなく人形的な雰囲気を醸し出す彼は薄ら笑いを浮かべて秘密会談が行われているホテルを見ていた。

「我らのことを嗅ぎつけて、帝国まで出向いてくるとはな」

 青年の背後にガタイの大きな男が現れる。二メートル五十はありそうな巨体で、全身を筋肉の鎧で覆っている。

「彼女の影響力は危険だよ。頭も回るし、お姫様でもある。そろそろいい加減にしてほしいところだね」

 青年が言った。

(プリームム)、帝国の姫さんはどうするんだ?」

 白髪の青年の名をプリームムというのか。

 どこからともなく現れた三人目の男が尋ねる。

 金色の髪を逆立てた細身の青年だった。目つきの悪さが、そこらのチンピラのような印象を与えてくる。

(ノーヌム)、そっちはどうなんだい?」

「この辺りに張ってた奴等は粗方寝てもらったぜ。つーか、質問に質問で返すな」

「帝国のお姫様にも同行してもらうよ。ここまで知られた以上は捨て置けないからね。説得してこちらの仲間になってもらえれば一番だけど」

 真っ直ぐな性格のようだ。世界の真実を教えればあるいはこちらに就いてくれるかもしれないが、今更第三皇女を取り込んだところで意味はないのだ。

 計画は最終段階に向けて着々と進行中だ。余計な茶々が入る可能性は潰しておくべきであろう。

 密かに完全なる世界を探っていた『紅き翼』も今は反逆の咎を受けて追われる身となっている。数日前に、プリームムが仕掛けた罠に嵌ってくれたおかげだ。これで、アリカとテオドラを確保すれば、完全ある世界を探る者はいなくなる。

「帝国の竜殺しがいるようだが?」

 強面の大男――――壱がプリームムに言った。

「そうだね。あの千の呪文の男とまともに戦って圧倒できるほどの戦士がいるのは厄介だが、別に彼を倒す必要もない」

「必要はないが、やってもいいんだろ」

「構わないよ。計画に支障がなければね」

「いいぜ、どの道アレが邪魔するのは確定だしな」

 壱は壮絶な笑みを浮かべた。

 前々から必要以上に戦闘に興味を抱く男なのだ。計画を優先するのは当然として、時折強者がいると知れば戦いを挑む悪癖がある。

 とはいえ、戦闘能力は折紙つきだ。

 殺傷性の高い火系統の魔法を、高次元で操る彼はプリームムに並ぶ最強格である。その一方で、火であるが故に生け捕りが苦手という欠点もあるが、こういうとき、邪魔になる強敵の排除を積極的にしてくれるのがありがたい。

「じゃあ、行こうか」

 プリームムが右手の指をホテルに向ける。

 直後、空に出現した巨大な石槍がホテルに襲い掛かった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 たった二人が話をするだけの静かで重い会談も終わりが見えてきた。

 もともと長く話をする必要もなかった。

 アリカが持つ情報をテオドラに渡し、その情報が嘘ではないと説明できればよかったのだから。ただ、その内容があまりにも重要で重いものだったから、ここまで緊迫した空気になっている。

 何事もなく会談が終われば取り越し苦労で済む。

 ああ、だがそれも叶わぬらしい。

 それも当然か。 

 秘密結社は正体不明であるからこその秘密結社。

 自らを探る者に容赦するはずがないのだから。

 アリカはメガロメセンブリアにいたときにはすでに襲撃を経験しているという。ならば、彼女が完全なる世界を探っていることは敵に知られているということだ。お忍びでここまでやってくることには成功したが、追っ手はすぐそこまで迫ってきていた。

「ブレンダ、窓側の障壁を最大出力で展開しろ!」

 突如、寡黙なジークフリートが大きな声を張り上げた。沈黙を打ち破るジークフリートの一声は、それだけで危機感を跳ね上げる。何が起こるのかは分からないが、何かが起こる。そう直感した警備隊の面々は各々が障壁を張り巡らせる。ジークフリートに命じられたブレンダは、とりわけ硬度の高い魔法障壁を張る。ホテルを包む障壁を張っているのも彼女で、ジークフリートはそれを強化しろと言ったのだ。

「――――多重城壁最大展開!」

 ブレンダが叫んだ瞬間、凄まじい轟音が響き渡りホテルを激しく揺らした。窓ガラスが砕け散り、突風が吹き込んでくる。

「な、何事だ!?」

「敵じゃな」

 テオドラは目を白黒させ、アリカはいたって冷静に状況を推察した。

「お二人ともお下がりください!」

 アレクシアが叫び、テオドラとアリカを庇うように窓側まで走る。

 窓ガラスは衝撃で砕けたが、ホテルそのものは無事だ。倒壊の恐れもない。

 ブレンダの障壁が敵の奇襲を見事に防いだのだ。

「石の槍!? こんな大きなものを一瞬で!?」

 窓の外に目をやったアレクシアが驚嘆する。

 障壁に勢いを殺された数十メートルもの長さの石槍が、穂先を地面に向けた状態で、反対側の建物に圧し掛かっていた。

「油断するな」

 ジークフリートが疾風かとも見紛う速度で剣を振り抜く。

 ブレンダの障壁を貫いた石杭が、アレクシアの顔面に迫っていたのだ。

「あ、な……わたしの障壁を!?」

 愕然とするブレンダの身体を、雷光が駆け抜けた。

「うあ……!?」

 紫電の直撃を受けた彼女が弾き飛ばされる。

 ブレンダが倒れたことで障壁が脆弱になってしまう。破られた障壁から、三人の男が室内に侵入してきた。

「僕の石槍を受け止めてしまうとは、大した魔法障壁だよ」

 砕けた窓から入ってきた青年が手を叩いてブレンダを賞賛する。

 三人組は軽装だった。鎧らしいものは身につけておらず、白髪の青年に至っては学生服のようなものだけだ。だが、魔法が身近なこの世界で、見た目の装備で判断してはならない。一級の実力者は、道具に頼らずとも兵器クラスの攻撃を受け止める魔法障壁を展開できるのだ。

「そ、外回りは一体何をしていたのですか……!」

「ああ、外にいた警備なら、少し眠ってもらったよ」

「な……!」

 アレクシアは愕然とした。

 警備隊の実力は騎士団の中でも上位にある。

 皇女を護衛するために組織されてエリート部隊なのだ。それを、音もなく気配もなくこの少人数で無力化するなど非常識にもほどがある。

「姫様、お逃げください!」

 叫んだのは、第一警備隊の隊長だった。彼は、召喚した大剣を構えて白髪の青年に斬りかかった。それに次いで副隊長が呪文を詠唱する。

 それも大した時間稼ぎにはならない。

 白髪の青年はいとも容易く隊長を蹴り飛ばして無力化すると、石化の針で副隊長を石に変えてしまった。

石化(ペトリフィケーション)を無詠唱で!?」

 最高難度の石化の呪いを詠唱すらなく発動させる。もはや人間技とは思えぬ絶技に、アレクシアは絶句する他なかった。

 アレクシアでどうにかできる相手ではない。さらに他の二名の男も青年と同等の実力者なのは確実だ。

 となれば、抵抗は無意味だ。

 逃げの一手に限る。

「ベティ、ブレンダを!」

 叫んだアレクシアがポケットからビー玉を取り出した。それを投じようとしたアレクシアの前に白髪の青年が立ちはだかる。

 恐ろしく完成度の高い瞬動術だった。

「おっと、つまらない煙幕はなしだよ」

「あ……」

 青年が翳した手が淡く光った。無駄のない動きにアレクシアはまったく反応できない。体術も魔法も達人の域にあり、アレクシアが敵う要素は何一つとしなかった。

 もはや避け様のない自らの最期を白刃が両断する。

「姫を連れて下がれ」

 疾風の如き踏み込みで斬撃を放ったジークフリートが、アレクシアを庇うように立つ。

 腕を斬りおとすつもりで剣を振るったが、想像以上に敵の魔法障壁が固い。

 アスカロンⅡでは、攻撃力が不足している。加減ができる相手ではない。ジークフリートは剣を幻想大剣に持ち替えた。

「なるほど、帝国の中でも君は図抜けて厄介だね」

「何のために、このようなことをする?」

「崇高な目的のため、とだけ言っておこうか」

 アレクシアら仲間を背後に庇っている以上、ジークフリートは迂闊に動けない。会話で敵の目的を聞き出そうにも、もともと口下手なジークフリートは交渉による時間稼ぎも苦手なのだ。

「テロ行為に崇高も何もないだろうに」

「かもね――――ともあれ、君は危険だ。ここでリタイアしてもらおう」

 青年――――プリームムがジークフリートに指先を向ける。指先に魔力が集い、光を放つ。危険な呪文を使おうとしているのは明らかで、それをむざむざと撃たせるわけにもいかない。ジークフリートは、プリームムが魔法を完成させる前に、一瞬で距離を零にする。

 その腕は断頭台であり、その剣はギロチンであった。

 振り下ろされた幻想大剣は通常のアーティファクトをも凌駕する絶大なる神秘の塊であり、如何にプリームムの積層魔法障壁が頑強であろうとも容易く切り裂くことができる。

「――――ッ」

 とはいえ、それはそこにプリームムがいた場合のことであって、斬り裂いた手応えのなさは青年が分身を使っていたことの証明でもあった。

 魔法戦闘に疎い、その弱所をまんまと曝した形になった。水と消える分身。では、本体は。魔力の気配は側面に移動している。

「遅いよ、石化の邪眼(カコン・オンマ・ペトローセオース)

 完成した呪文がジークフリートに直撃する。

 指先より放たれる光線は触れたものを石に変える。殺害するわけではないが、石化させられれば死ぬこともできずに眠り続けることになってしまう。敵を無力化するという点で、これほど恐ろしい魔法はないだろう。だが、冷笑を驚愕に変えたのはプリームムであった。

 直撃したはずの石化の魔法が、いとも容易く弾かれた。自分の魔法がまったく効果を発揮しなかった驚愕から立ち直る前に、ジークフリートが正面に迫る。

 プリームムを炎に包まれた壱が突き飛ばす。ジークフリートは構わず振りぬいた。獲物が白髪の青年から紅蓮の大男に代わっただけだ。

「ぬうッ」

 壱の右手の肘から先を断ち切ったジークフリートは、返す刀で胴を薙ぐ。これは、後方に跳ばれたことで軽症を負わせるだけだった。

「ハハハ、これはまた信じ難い耐久力と攻撃力だな!」

 腕を落とされていながら壱は大きく笑った。

 痛みを感じていないらしい。それだけでなく斬り落とされた腕からも出血がないのだ。

「貴様、人ではないな」

 ジークフリートが言う。

「だとしたらどうだというのだ。それは、今の状況に関係があるか!?」

 壱が左手を振るった。

 燃える魔力がジークフリートを押し戻す。

「後方注意だ、竜殺し。万象貫く黒杭の円環(キルクルス・ピーロールム・ニグロールム)

 距離を取ったプリームムが、魔法陣から無数の石杭を召喚し、撃ち出した。

「く……!」

 敵の狙いはテオドラやアリカだ。降り注ぐ石杭の雨からテオドラたちを守るため、ジークフリートは我が身を楯にする。魔法による肉体強化でさらに加速し、数え切れない杭を撃ち落し弾き返す。思考に先んじる剣術で以て、背後に守る仲間たちに傷一つ付けさせない。

「ジ、ジーク!」

 テオドラの悲鳴が聞こえる。

 心配するなと声をかけてやりたい。だが、それをするだけの余裕がない。

 杭の嵐を潜り抜けた先に待っていたのは、炎と雷撃の竜巻だった。身体一つでこれを防ぎきることなど不可能だ。ジークフリートは無事でも、テオドラたちはただでは済まない。 

 ジークフリートは咄嗟にアスカロンⅡを手元に呼び寄せ、柄を握りこむと同時に振るう。ジークフリートの強大な魔力を吸い上げた刀身が淡く輝き、闇色の魔法を解き放つ。

 すべてを吸い上げ押し潰す漆黒の帳が、炎と雷を飲み込んでいく。

 激烈なる魔力の衝突を押し退けて燃える大男がジークフリートに近接戦を挑んでくる。その炎を纏った拳をアスカロンⅡを楯にして受け止め、幻想大剣を突き込む。彼らの魔法障壁をアスカロンⅡで突破するのは容易ではない。不可能ではないにしても宝具に頼ったほうが決着を早められるのは確かだ。

 チカリ、とジークフリートの視界の端を光る何かが駆け抜ける。

 それが何か、炎の魔法が叩きつけられたことでジークフリートは明確に理解することができなかった。

 対軍宝具さえ使えればよかった。

 だが、ここは街中だ。

 宝具を解放すれば、大惨事は免れない。

 どうするべきか、僅かな逡巡が大きな隙となる。

 通常であれば、ジークフリートを相手にしてその隙を突けるものなど皆無と言っても過言ではない。彼の反応速度は人間の常識をはるかに超えており、その肉体はあらゆる攻撃に適切に反応することだろう。

 とはいえ、千差万別の魔法が飛び交うこの世界はジークフリートにとって未知の常識に満ちている。油断はならぬと分かっていても、対処が遅れることもあろう。

 だが、それにしてもこれは反則だ。

 激戦の最中、突如として背後に現れる金髪の青年に気付いたのはジークフリートの戦士の勘によるところが大きいが、それでも驚愕せずにはいられなかった。

 転移魔法であれば、その気配を察することができる。

 だが、青年からはそのような魔法を行使した気配がなかった。ただそこに現れた。

 ――――まさか、自らを雷に変化させたのか!?

 青年の身体が纏う雷と、炎の魔法を受ける直前に見た雷が脳内で繋がった。

 雷光の速度で移動されては、さすがのジークフリートでも対処は困難を極める。初見で反応するのは難しい。

「く――――」

雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!」

 超至近距離――――それも悪竜の血鎧に守られていない背中に放たれた大魔法がジークフリートを飲み込み、押し流す。

 雷撃と暴風がホテルをかき回し、貫いてはるか彼方まで一直線に駆け抜けていく。




ノラガミを大人買いしてホクホク顔でうちに帰り、袋から取り出したところ二巻が二冊あって一巻がなかった。


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第十二話

 背中を打たれた。

 その衝撃と痛みは懐かしいとすら思え、身体の芯から崩れていきそうな苦痛を伴うものだった。

 あらゆる攻撃を無効化する鉄壁の肉体が有する唯一の弱所。

 伝説と同じくこの身体はただ一箇所だけ、背中のみ『悪竜の血鎧』が働かないのだ。

 落ちたジークフリートは身体中を駆ける電流に麻痺し、思考すらもままならない状況に置かれてしまった。咄嗟にこの世界の魔法――――肉体強化によって身体そのものを強化したために致命を免れたが、それでもラカンのように肉体強化のみで大魔法を受け止められるほどの錬度があるわけではない。莫大な魔力を無理矢理強化に回したことも災いして、内側から締め上げられるような痛みが襲ってくる。

 すぐに戦線に復帰するには、治癒魔法が必要だ。

 このダメージを全快とまではいかずとも、身体が動く程度には治癒を施さなければならない。だが、周囲には治癒魔法を使える者はおらず、ジークフリート自身にもその力はない。

 ならば、諦める他ないのだろうか。

 このまま大人しく瓦礫の山に埋もれ、救出を待つというのか。

 そんなことは許されない。

 意識があるのかないのかも分からず、指一本動かないこの状況ではあるが、ジークフリートの肉体はまだ存在している。力の源たる竜の心臓は確かな鼓動を刻み、全身に竜血を送り出している。

 ジークフリートのいた世界の竜は呼吸するだけで魔力を生み、食事の必要性すらない完成された生物だった。

 その力を受け継いだジークフリートは自分の身体の性質が竜に近付いていることを知っている。ならば、この程度の逆境に屈することなどありえない。

 鼓動を早め、血液の循環を加速度的に上昇させる。まだ、足りない。肉体の再生だけでは届かない。限界を超えなければ意味がない。魔力を掻き集め、循環を促進し、肉体に反映させる。やるべきことは簡単だ。この心臓の力を全力で引き出してやればいいだけなのだから。

 

 

 

 迸る雷光に目がつぶれそうになる。

 ホワイトアウトする視界を網膜に魔力を通すことで無理矢理維持し、視力を失わないようにする。

 戦いの場で視力を失うのは、それが極短時間であったとしても不利となる。まして、格上の敵が目の前にいる今、撤退するにせよ抗戦するにせよ目が見えなければ話にならない。

 何があったのか、アレクシアには皆目見当が付かなかった。

 ただ、唐突にジークフリートが雷の暴風に飲み込まれたということが後から分かっただけだった。

「そんな……!」

 アレクシアは絶望にも似た色を宿した声を漏らす。

 雷の暴風によって床は大きく抉り取られ、崩落していた。落下した瓦礫がさらに下の階の床を突き崩し、玉突き事故のようにホテルの内側は崩れ落ちた。ざっと三階分は下まで瓦礫は落ちただろう。

 だが、それだけでアレクシアは絶望などしない。

 『紅き翼』との戦いすらもジークフリートは軽症で乗り越えた。艦載砲ですら、彼の防御力を前にすれば水鉄砲にも等しいだろう。それほどの防御力を遺憾なく発揮してきたジークフリートが、今更上位魔法の一発で倒れるなどありえない――――彼が規格外の戦闘能力を有するが故に、ジークフリートの勝利を無条件で信じていた。だからこそ、瓦礫の中に倒れるジークフリートの姿が視界に入ってきたとき、アレクシアは咄嗟に取るべき行動を見失った。

 身体は半ばまで瓦礫に埋もれていて、動く様子はない。

 ――――まさか、背中から攻撃を受けたから?

 脳裏を過ぎった冗談のような事実をアレクシアはすぐに放棄した。

 『ニーベルンゲンの歌』にて大いに称えられる大英雄の物語は、アレクシアも小耳に挟んだことはあるが、まさか伝説に謳われる英雄と弱点まで同じというのは有り得まい。名のある英雄や天使に肖って名を付けるのは極めて一般的なことで、『ジークフリート』という名前自体、別に珍しい名前ではないのだ。だから、ジークフリートの防御力も宝剣の名もただ同名の大英雄に肖ってのものだと思っていたし、それ以外に考えられはしないし、いくらなんでも、弱点まで揃えることはないだろう。

 重要なのはジークフリートがなぜ倒されたかではなく、ジークフリートが倒されたということだ。

 動けるのはアレクシアのみで、目の前にいる三人の魔法使いに勝ち目はない。

「じ、ジーク!!」

 放心していたテオドラがジークフリートに向かって叫ぶ。

 そのテオドラの腕を雷を従える青年が掴んだ。

 アレクシアは再び愕然とする。

 青年の動きがまったく見えなかったからだ。転移魔法ではない。空間跳躍の類ではなく、移動魔法の類のはずだがあまりに速すぎて対処どころか捉えることすらもできなかった。

「ぶ、無礼であろう。その手をはな――――きゃん!?」

 テオドラは全身を駆け抜ける電流に目を回した。

 ヘラスの皇族とはいえ、戦闘能力は低い。未だ子どもの域を出ていない彼女が、至近からの電撃を防げるはずもなく、テオドラは気絶してしまった。

「貴様、姫様を離せ!」

 アレクシアは槍の穂先を青年に向けて、弾かれたように跳んだ。

 瞬動を駆使すれば、テオドラのいる場所まで一息で駆けつけられる。

 先端が青年に触れようかというまさにそのとき、右側面から襲い掛かってきた石球の直撃を受けてアレクシアは無残にも弾き飛ばされた。

「あ、が……!」

 もとより三対二の不利な状況だ。アレクシアとベティだけで、テオドラのみならずアリカまで守らねばならないのは大きな負担であった。

 だが、数の差など意味はないだろう。

 例え警備隊が全員揃っていたとしても、あの白髪の青年一人すらも止めることはできなかっただろうから。

 あまりにも無慈悲で圧倒的に過ぎる実力差は情け容赦なくアレクシアを叩き伏せた。

 残されたベティは、アリカの傍に佇みながら動くことができない。

 ベティにとって守るべきはテオドラだ。 

 そのテオドラが敵の手に落ちたのだから、即座に彼女を救うために動くべきなのだが、アリカを見捨てるわけにもいかない。また、テオドラを救うにしても、どのようにすれば救い出せるのか皆目検討がつかないのだった。

 これがチェスならば、チェックメイトが確定してしまったようなものだろう。

 手も足も出ない。

「さて、ここまでだよ帝国の諸君――――確か『黒の翼』だったかな。どの程度かと思っていたけれど、彼を除けば大した脅威ではないね」

 白髪の青年――――プリームムが軽薄な笑みを浮かべてベティとアリカに歩み寄ってくる。

「ッ」

 ベティが両腕に魔力を回す。

 雷と炎の渦が大気を撹拌し引き裂いていく。

 なるほど、確かにまだ子どもという年頃に見えるが、見た目通りの年齢だとして、この歳でここまで魔力を練り上げることができる者は少ないだろう。最前線で活躍できる程度には、戦闘能力があると言ってもいい。

 しかし、それもプリームムにしてみればまだまだ足りない。到底脅威と呼ぶべき威力には至らないだろう。

「ただでは負けないということかな? 無駄なことを……君では僕に傷一つつけることはできないよ」

「やってみなければ、分からない」

「そう」

 プリームムはため息をつき、ベティに手の平を向ける。

 あえて撃たせるような遊び心は持たない。邪魔ならば、即座に排除するまでだ。

 一触即発の空気の中で、動いたのはベティでもなくプリームムでもなく、これまで静かに成り行きを見守っていたアリカだった。

 アリカはベティの肩に手を置くと、プリームムを見て言った。

「そこまでにせよ。子どもを相手に大人気なかろう」

 凛とした涼やかな声でプリームムを牽制しつつ、ベティの魔法を中断させる。アリカが前に出ようとしたことで、魔力の練り上げに支障を来したのだ。アリカを巻き込まないようにベティは魔法の渦を消し去る。敵対行動が消えたので、プリームムも手を下した。

「そなたは完全なる世界の手の者じゃな?」

 問いにプリームムは答えない。肩を竦めるだけだったが、その露骨な態度はアリカの問いに答えたようなものだった。

「テオドラ姫とわたしの拉致が目的ならば、他の者に手を出す必要もないじゃろう」

「君は大人しくついてくる気かい? 僕としては、抵抗してもらっても構わないのだけど。ここは帝国領内だ。誰が死のうとウェスペルタティアのお姫様には関わりないんじゃないのかな?」

「国で人の命の軽重が変わるわけではなかろう。そなたらがどう考えているのかは知らぬがな」

「なるほど、清廉潔白なことだね。」

 プリームムは、表情を特に変えることなく壱に命じてアリカを確保させる。

 筋肉の塊のような男に細身のアリカが敵うはずもない。抵抗するだけ無駄と、アリカは大人しく従った。

「君も動かないほうがいい。お姫様方に危害を加えるつもりはないが、手が滑るということもあるからね」

 ベティは薄い反応の中に悔しさを滲ませる。

 アリカとテオドラが敵の手中にある以上、確かに迂闊な行動はできない。

 この場にいる戦闘要員の中で完全なる世界の魔法使いに対抗できるのはジークフリートだけだ。

 そのジークフリートが沈黙した今、事態を打開する手段は皆無だった。

「まちな、さい……」

 アレクシアは足を引き摺るようにして立ち上がった。槍は拉げて使い物にならず、右腕は折れているようでただ熱いという感覚しかなかった。

 そこそこ血を流したのだろう。目の前がくらくらとして揺れている。

「動かないほうがいいと思うけど。脆弱な人間の身体では、その傷は耐え難いだろう」

 せめて魔族か亜人間ならば、それぞれの固有能力や生来の頑強さで耐えられたかもしれない。が、アレクシアは純正の人間である。生まれついての特殊能力を持つわけでも種族特有の何かがあるわけでもない。肉体面の脆弱さは、人間が抱える永遠の課題でもあった。

 それを補うのが魔法である。

 アレクシアが動けるのも、肉体強化と治癒の魔法を重ね合わせているおかげだ。

「姫様を、返せ」

「やれやれ、もう勝敗は決しただろう。死に急ぐ必要はないんじゃないか?」

「だまれ」

 護衛として警備隊の隊長として、この蛮行は許せない。

 テオドラとアリカに危害を加えないという言葉も、信用ならない。テロリストの言葉を軽々に鵜呑みにするわけにはいかない。テオドラを守ろうとするのなら、身命を賭してでも救出しなければならないのだ。無理を承知で、目の前の敵に挑みかかる以外に選択の余地などない。

 その意気を感じ取ったのか、プリームムは言葉を控えた。

 別にアレクシアの覚悟に思うところがあったとかいうわけではなく、ただ言葉で止めることができないのならば実力行使で排除するだけだと認識を改めただけだ。

 人間を殺害することは禁じられているプリームムであったが、それは殺さなければいいという程度の縛りでしかなく、例えば石化のような人として終わってしまうような魔法をかけることも抵触しない。

「面倒だ。ここで、退場してもらおうか」

 プリームムがアレクシアを指差す。指先に光が灯り、情け容赦なく石化の魔法が放たれる。弱りきったアレクシアでは、避けることもレジストすることもできない。いや、五体満足でも対処できたかどうか。いずれにしてもアレクシアはここで終わりだ。瞬きをする間もなく、精巧な石人形に成り果てるだろう。だが、それでもせめてもの抵抗をと、目を見開いた。気持ちだけは負けるまいと、最後まで敵を睨みつけるのだ。

 そのおかげだろう。

 アレクシアは自分の身に何が起こったのかすぐに理解することができた。

 石化の光線の前に臆することなく身体を投げ出し、アレクシアを庇うジークフリートの大きな背中が視界一杯に広がったのだ。

「じ、ジークフリート……」

 よろよろとバランスを崩したアレクシアは、尻餅をついた。

「俺がついていながら……すまない」

 ジークフリート本人は気付いているのだろうか。

 アレクシアが目を疑ったのはジークフリートが戦線に復帰したことだけではない。彼の頭の右側に、禍々しい山羊を思わせる角が生えているではないか。

 彼もまた亜人間だったのだろうか。

 これまで、そのような素振りはまったく見えなかったのだが。

 剣を握るジークフリートは、アレクシアを視界の片隅に置きつつ三人の敵を見据える。状況は最悪だった。特に怪我をしていないのはベティだけだ。アレクシアの怪我の具合も悪い。すぐに病院に担ぎ込まねばならないが、そのためにも目の前の敵を退ける必要がある。何よりも、テオドラとアリカを救出しなければならない。

「厄介なのが戻ってきたね」

 プリームムが表情を曇らせる。ジークフリートの力は先刻の戦いで実感したところである。単独で戦うのは危険な相手だ。が、ジークフリートも本調子ではないのもまた事実だ。

「ノーヌム、お姫様たちを連れていってくれ。僕らはここを抑えよう」

「はいよ、了解」

 この中でも最も速度に秀でているのがノーヌムだ。目的はテオドラとアリカの確保なのだから、後は撤退して構わないのだ。とはいえ、雷速での移動は、人を抱えてできるものではない。僅かでいいから時間を稼ぐ必要がある。

 ノーヌムが壱からアリカを受け取ろうとしたとき、すでにそこにジークフリートが踏み込んでいた。

「な……!」

 間一髪のところでノーヌムは回避した。まさしく旋風のような踏み込みだった。テオドラに手を伸ばすジークフリートに、プリームムが石の柱を召喚して叩き付ける。大質量の石柱は、ジークフリートごと床を崩して落下させる。彼に攻撃が通らずとも、足場を崩せば瞬時の移動はできないだろう。

 地面まで一気に貫いた石柱が砕け散る。

 ジークフリートは、身体の限界を超えて酷使して敵に迫った。

「しつこい!」

「さっさと連れて行け、ノーヌム!」

 プリームムと壱が苛立ちながらジークフリートの前に立ちはだかる。

 炎と石の魔法が咲き乱れ、ジークフリートの身体を打ち据えていく。進路を妨害する邪魔者をとにかく無視して、直進するだけだ。生半可な攻撃では、ジークフリートの肉体に傷は付けられない。一陣の風と化したジークフリートの遮二無二な突撃は、それ自体が城壁の突進と言っても差し支えないものであろう。

 ノーヌムはすでに戦線を離脱するべく、逃走を開始した。

 飛行魔法の使えないジークフリートでは走って追いかけるしかないが、それは如何に音速に匹敵する速度を出すことのできるジークフリートであっても追いつけるかどうか分からない。逃がすわけには行かない。が、焦燥するジークフリートの前に立ち上がったのは何層にも重なる黒曜石の壁だった。

「邪魔を……!」

 斬撃にて壁を粉砕する。

 幻想大剣とこの膂力があれば、この程度の石壁など藁屑も同然である。

 それでも、勢いは殺される。

 動きの鈍ったジークフリートに、あえてプリームムは語りかける。

「お姫様を追いかけるのは自由だけど、街の人を無視していけるのかな?」

「何?」

 プリームムは後方に跳躍し、天に右手を挙げる。

おお 地の底に眠る(オー・タルタローイ・ケイメノン)死者の宮殿(・バシレイオン・ネクローン)――――冥府の石柱(ホ・モノリートス・キオーン・トゥハイドゥ)

 プリームムの魔法は空に十を越える巨大な石柱を出現させた。

 一本が高層ビルに匹敵する巨大な石柱で、それがジークフリートのみならず街中を標的にして落下してくるのだ。

 これほど的確な足止めはないだろう。

 ジークフリートがノーヌムを追いかけるには、街の人間を無視しなければならない。かといって、街の人間を救おうとすれば、ノーヌムを逃すことになるだろう。

 迷っている場合ではなかった。

 この二律背反の状況の中でもジークフリートは目前の不幸を見過ごせない。心の中で深くテオドラに謝罪しつつ、幻想大剣を振りぬく他ないのだ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 青き宝石が輝き、黄昏の剣気を解き放つ。

 対軍宝具の大魔力が、今まさに街に降りかかろうとしていた災厄を跡形もなく消し飛ばす。前方を一撃で処理し、後方をさらに一撃で対処する。

 すべての冥府の石柱を消し飛ばすのに三回の真名解放を必要とし、所要時間は五秒もなかっただろう。

 それは冥府の石柱という大魔法を打ち消したという点では驚異的な速度ではあったが、敵が逃亡するには十分な時間であった。

 敵の姿はすでにない。

 逃げることに全力を尽くされると、魔法の使えないジークフリートでは追いつけない。転移魔法や高速移動など、逃亡手段は多岐に渡り、それらに対抗する方法が地上を走ることだというのだから当然だろう。

 残されたのは傷ついた仲間と吹き抜けとなった建物だけだ。

 守れたものは一つとしてなく、無為に民草を巻き込み恐怖を与えただけだった。

 悔しさに唇を噛み、苛立ちが募る。

「ぐ……ッ」

 ぞくり、と全身に鳥肌が立ち、胸が激しく痛んだ。

 思わず膝をつき、苦悶に呻く。背中の痛みとはまた異なる異質なもの。

 心臓が異様は速さで鼓動を打ち鳴らし、全身の骨や筋肉がキリキリと締め上げられているかのようであった。

 魔力は充溢しているのに、身体がついてきていない――――そんな感覚がする。

「ぐ、お、ぉおおおおおお」

 身体を支えきれずにジークフリートは倒れた。

 身体が内側から変わっていくような、そんな不快感を覚えながらジークフリートの意識は闇の中に消えた。




すまない……ベースガチャSPでナナリーが出てしまって本当にすまない。今度消えるらしいし二体目だけど大事にします(自慢)
fateでもこれくらいの引きが欲しいんですけどねぇ。無課金だから仕方ない。地道にやっていくさ。
それはそうとして、五次キャスターが有能で怖い。あっという間に宝具が使えるし、ランサーの兄貴みたいな面倒な相手に有用すぎる。
ディルも実装されたら、防御スキル無効とか回復不能とか女性サバのみスタンとか有用そうな宝具とかスキル持ってきそうだ。


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第十三話

 テオドラの警備隊はほぼ壊滅状態にあり、まともに動ける者はほとんどいなかった。不幸中の幸いだったのは、命を奪われた者が一人もいなかったということで、被害の多くは意識を刈り取られただけだった。

 しかし、それでもテオドラを拉致されたという衝撃は大きく、目覚めた後で茫然自失する者は後を絶たなかった。

 テオドラは幼いながらもカリスマ性のある皇女だった。

 守れなかったということは、護衛を専門に担当してきた警備隊の面々にとって大きな精神的打撃を与えたのだ。

 それだけではない。

 テオドラとアリカの交渉は外部にも内部にも秘密の極秘会談だった。そのため、突然テオドラが消えたことで、ヘラス帝国の上層部は混乱してしまったのだ。

 外遊先で敵に拉致された――――それはいい。では、拉致したのは誰か。連合しかいないだろう。すでに、連合によるだまし討ちでテオドラが拉致されたという体でニュースは流れており、一般市民の間で人気のあったテオドラの悲劇は瞬く間に怒りと悲しみを呼び起こし、それは連合への怒りに転じた。浸透しつつあった厭戦気分は、その反動もあって一気に戦争の継続に流れ始めた。

「嫌な流れだねぇ、これは」

 コリンは輸送船の操縦席に座って新聞に目を通していた。いくつか買ってみたのだが、どの新聞社も連合憎しで記事を書き、戦争の継続を煽っている。

 操縦士ということもあって、実際の戦闘に参加していなかったコリンは怪我をすることもなく難を逃れた。そのおかげで、こうして夜の流れを探ることができている。未だ病床を出ることのできないジークフリートや治癒魔法がやっと効いて歩けるようになったアレクシアでは、外の情報は集められない。当事者として今動けるのはベティとブレンダくらいだが、あの二人も精神的にショックを受けていて当面は安静にしていたほうがいい。まだ経験不足でコテンパンにされる機会が少なかったということだがこれを機に成長していけばいい。問題は、この世の中の流れである。戦争が継続する以上は、帝国側も軍備を整えて連合と対決せざるを得ない。それは分かりきっていることだが、それにしても負け戦で士気を維持するのは困難なのだ。特に民草は戦場を知らない代わりにその重圧を実生活の中で受けている。物価の上昇や迫る戦火への不安は社会不安となり、厭戦気分を上昇させていた。それが、このテオドラの一件で一気に連合と決戦すべしという論調が台頭するようになってきた。

 この戦争の裏に世界を股にかける秘密結社がいると知っている身としては、この流れがどうにも気になって仕方がない。

「ちっと隊長に相談だな」

 テオドラがいない以上は、彼の上官はアレクシアのみとなる。帝国兵の中でも上司と部下の関係が近いのがテオドラを守る警備隊の特徴であった。数が少ないことから来る構造上のものであり、時に問題視される構成ではあるが、こういう場面ですばやく顔見知りに指示を仰ぐことができるのは利点でもあった。

 いずれにしても、テオドラという最上位に位置する意思決定者がいなくとも隊は機能する。悲しいことではあるが、部隊とはそういうものであり、彼に関して言えば『黒の翼』と自然と呼び習わされるようになった派遣先でアレクシアの部下としてやってきたのだ。テオドラよりもアレクシアを上官と呼ぶのが自然に思える。

 腰を上げて、コリンは操縦席を出ようとする。その時に、不意にモニターが視界に入った。それは、確かに偶然の産物でしかなく、気付けたのは運がよかったというべきものであった。

 モニターは外の様子を映し出している監視カメラである。三百六十度、全方位を映し出すことができるもので、戦場を飛ぶ輸送船には必須装備であった。ゴテゴテした装備で、旧世界から手に入れたカメラを利用した非魔法的手段による映像技術の産物である。正規軍の装備を積み込めるほどの余裕がなかったからこそ、このような前時代的な装備を詰め込んだのだが、結果的には正しかったと言えるだろう。少なくとも、こうして襲撃を事前に察知することができたのだから。

「魔法戦闘しか知らないってのも、難有りだね」

 ヘラス帝国はその成り立ちから魔法を用いない科学技術には疎い。存在を知らぬ者も多いだろう。旧世界の存在自体が百年ほど前まで御伽噺と同等の扱いだったのだから当然であろう。また、科学技術に比べれば魔法ははるかに効率がいい。あえて導入する理由もないのだ。わざわざ旧世界の科学技術を持ち込むような者は、コリンのような技術畑の中のごく一部のマニアくらいのものであろう。

  魔法による監視がないと思い油断したのか、襲撃者と思しい黒ローブの三人組は輸送船の鍵の開錠に取り掛かった。

 この輸送船の鍵はちょっとやそっとでは開錠できない特別製――――魔法障壁の鬼才ブレンダが独自に考案した防御魔法を実験的に仕掛けたものだ。教科書的な方法での開錠は弾かれる。

「……つーかコイツら、ヘラス帝国(うち)の秘密警察じゃないか! んで、そんなんがここに来てんだよ!?」

 冷や汗が出る。

 ヘラス帝国が有する警察組織に裏切り者の捕縛や抹殺を担当する秘密警察がいるのは周知の事実だ。直接戦闘よりも、搦め手による奇襲を得意とする暗殺集団のようなもので恐れられている。

 それが、正規の軍装でここに来たとなれば、穏当な要件ではないだろう。

「待ってくれ、勘弁してくれよマジで」

 今、この場にはコリンしかいないのだ。戦えない輸送船パイロット兼技術者では、到底戦闘のプロの相手はできない。例えここが自陣の真っ只中であったとしてもだ。何せこれは輸送船を改造しただけのもの。避難者を搭乗させるために余計な装備はほとんどしていないほどの紙装甲であり、対人用の武装は皆無だったりする。

 できることと言えば、魔法障壁で身を守ることくらいしかない。

 何故、秘密警察が動いたのか。

 ――――思い当たる節がないわけでないのが辛い。

 秘密結社完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)は連合と帝国の上層部に食い込んでいるという。そして、その組織の構成員がテオドラとアリカを連れ去ったのだ。ならば、この場に『黒の翼』がいることも筒抜けで、ジークフリートが負傷していることも知られているだろう。

 外にいる秘密警察が構成員かどうかは関係ない。

 彼らに指示を出した何者か、あるいはその周辺に完全ある世界のシンパが潜んでいるのは確実だろう。

「やられたかなこれは……」

 無機質な天を仰ぐ。

 秘密結社は存在が秘匿されているからこそ意味がある。ならば、その存在を知る『黒の翼』を見逃すはずもないのだ。都合よく敵は帝国の組織を利用できる立場にあり、『黒の翼』のパトロンであり後ろ盾でもあったテオドラがいないとなれば、動くのは簡単だったろう。

 戦えぬ以上は篭城するしかない。抵抗するだけ無駄なのだ。ならば、抵抗できる仲間にどうにかしてもらいたい。そう考えて、コリンはアレクシアに念話を入れた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 黒が一瞬にして赤に塗り潰される。

 視界が明滅し、肌は絶望的な殺意に総毛だっている。赤熱した岩がどろりと融解し、大気は焼け爛れていて息をするだけで肺腑が侵されてしまいそうだ。

 炎が消えた後にも静けさは戻らない。

 劫火の後には魔物の息遣いが響く。

 貪るモノ。

 我欲の化身。

 財宝を守る怪物にして、近くの村々を苦しめる悪逆の竜。

 恐るべき姿だ。それは、あらゆる生物の頂点に君臨する竜種の中でもとりわけ強い神秘性を帯びた個体であって、まともに勝負を挑めば即死を賜ることになるというのがありありと分かってしまう。人間とは比較にならぬ、生物というカタチを突き詰めた存在であった。

 ファフニールと呼ばれる悪竜は、他の追随を許さぬ暴威で以て剣士を圧倒した。斬り付けても傷つかず、その攻撃は須らく致命となるべき威力を具備していて、勝機すら掴ませてくれない。

 挑んでからどれくらいの時間が経っただろう。

 どれほどに剣を振るってきたのだろう。

 戦いにすらならぬ一方的な蹂躙劇を、ギリギリのところで躱しながら絶望に陥りそうな心を必死に叱咤して、ただひたすらにその時を待つ――――。

 

 

 目を開けると、真っ白な天井が広がっていた。

 室内に満ちるのは消毒液の匂いだ。

「目が覚めましたか、ジークフリート」

 透き通った声がする。

 近くにアレクシアが座っていた。

「かなりの怪我をしていたように見えたのだが、大丈夫なのか?」

「開口一番にそれですか。らしいといえばらしいのですが……わたしの怪我はご覧の通りです。治癒魔法のおかげで、跡も残さず消えましたよ」

 骨折や筋肉の断裂、全身の打撲と内蔵の一部にまで達する刺傷――――そういった重傷も、専門の機関で治療すればすぐに治ってしまう。治癒魔術の存在はジークフリートの世界にも存在していたが、その便利さには舌を巻く。

「ここは病院か」

「そうです。あの戦いの後、あなたもわたしもここに担ぎこまれたの」

「テオドラ姫は」

「……まだ捜索中です」

 苦々しい表情を浮かべるアレクシアは、ぎゅっと膝の上で握り拳を作った。

 捜索と言っても、どこまで信じていいのか分からない。敵の存在が帝国内部に食い込んでいる以上、信じられるものは少なく、警察や軍も疑わねばならない状況だ。疑心暗鬼に囚われている。何が正しくて、何が誤っているのか、精査して判断しなければならないのに自分の判断にすら自信を持てない。

「ジーク、目が覚めた?」

「あら、ほんと。寝坊しすぎー」

 ベティとブレンダがノックもなく病室を開けて入ってきた。

「寝坊?」

 ジークフリートはその言葉に違和感を覚え、尋ねた。

「待て、あれから何日経った?」

「三日。わたしはもともと動けたし、ブレンダも軽症だったから色々と連絡が大変だった」

「そうよ。誉めることを許してあげる」

 ベティの静かな口調に反してブレンダは胸を張って大いに自慢した。

「三日だと……」

 ジークフリートは言葉を失くす。鋼鉄の肉体を手に入れてからこれまで、寝込むような怪我をしたことはない。文字通り彼は不死身であり、竜の血は肉体のあらゆる異常を回復させてきたからだ。

「てか、ジーク。あなたって人間じゃなかったの?」

「どういう意味だ?」

 ジークフリートは聞き返した。

 元は英霊であるという意味では人間ではない。すでに死した身で、身体そのものは神秘の結晶である。肉を持つといっても、その神秘性まで薄らぐことはないが、英霊の概念がこの世界にあるかどうかは未知数である。よって、英霊というジャンルを除くのであればジークフリートは人間であるということになろう。人の腹より生まれ、魔にも神にも属さず生き抜いたのだ。ジークフリートは英霊であり、神格化もされたが、それでも神の座にすえられた(ためし)はない。

 しかしブレンダはジークフリートの頭の辺りを指差して言う。

「だって、角が生えてるじゃないの」

 何、とジークフリートは驚いて頭に触れた。確かに、固い得体の知れないものがくっ付いている。右側だけだが、これは角と形容するに相応しいものだろう。

「気付いてなかったのですか?」

 アレクシアが尋ねる。

 ジークフリートは首を傾げつつ頷いた。

「ああ、まったく。俺は人間で、このような角が生えた経験もなかったのだがな……」

 ベッドから出て鏡の前に立つと、見覚えのある角だった。どこか懐かしく、それでいて思い出したくもない角の縮小版だ。

「なるほど、見事なものだな」

「いや、そんなことを言っている場合ですか。獣人の方々ならば、確かに獣化することでその血筋の獣の特性を肉体に反映できますけど、あなたはそうではないのでしょう?」

「少なくとも、俺の血筋に人ならざる者がいたと聞いたことはないな」

 獣人の類はこの世界では珍しくもない。

 とりわけヘラス帝国は亜人間を中心に構成された国家なので、街を歩けば様々な外見の人がいる。角や翼が生えている人もいれば、まさしく獣が二足歩行をしているような外観の者もいた。

 ジークフリートの世界にも獣人は存在しているが、ここまでおおっぴらに出てくることはなかった。彼らは人目を避け、世界の影にひっそりと息づいている者たちだった。

 または、魔物や神、精霊との間に生まれるハーフもいるにはいるが、ジークフリートはそういった血筋の生まれではない。

 純粋に人間の家系に生まれた存在だ。生まれついて肉体的、霊的に恵まれた素質は人並み外れたものであったが、それでも種族は人間の枠の中にあった。

「まあ、心当たりはある」

「ああ、あるのですか」

「血筋というわけではないが、俺も竜には縁が深いからな」

 多くは語らない。語ったところで信じられるはずもなく、過去の出来事誇りではあるものの自慢するようなことはないからだ。

 ただ、事実としてこの身体には竜の血が流れている。

 その影響が身体に出たのだろう。

 生前にはなかったことだが、それを言えば病院に担ぎ込まれるほどの手傷を負うのもこれが初めてだ。ならば、このような初体験があっても不思議ではないだろう。

 問題があるとすれば、この角がなぜ現れたのかということだろう。

 疲労や怪我が原因ならば分かりやすいが、そうでないのならば身体に悪影響を与える懸念が無きにしも非ずだ。力の源泉は竜の血だ。根本からして人の身には馴染まない。

 始めにジークフリートが気づき、それからアレクシアが勘付いた。

 視線を交わし意思疎通を図る。

 隣の病室のベランダに二人と扉の外に二人いる。気配を消す訓練を受けているのだろう。ここまで接近されるまで気付かなかった。

 扉がノックされ、返事も待たずに開かれた。

 黒いローブの男が二人、室内に入ってくる。

 胸に帝国の紋章が入った漆黒のローブに、アレクシアは目を見開く。

「秘密警察が、何のようですか?」

 警戒心を抱きながら、アレクシアは尋ねた。

 彼らは警察と軍の間に位置する特殊機関の者たちだ。おそらくはベランダにいる二人も同じ秘密警察の職員であろう。国家に対する重罪や軍部の汚職などを捜査し、摘発するのが彼らの主な仕事である。それが、この場に現れる理由が分からない。

 秘密警察の一人が指を虚空に走らせると、一枚の巻物が現れた。男はそれを広げて読み上げる。

「アレクシア・アビントン、ジークフリート、ベティ・アンダーソン、ブレンダ・アンダーソン。お前たちを国家反逆罪で逮捕する」

 彼の言葉に誰もが絶句した。何を言っているのか、まったく分からない。同じ言葉を話しているはずなのに、その意味が頭に入ってこないのだ。

「国家反逆罪……わたしたちが?」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃であった。

 帝国に仕える騎士としての責務を全うせんと幼い頃より修練を積み上げてきたアレクシアはもとより、ベティやブレンダのような魔法学校を卒業したばかりの少女にすらそのような大罪を適用しようとは。ましてや、これまで帝国の民のために身を粉にして働いてきた者たちである。ジークフリートに至っては英雄とまで持て囃されている。それを、ここであらぬ罪を着せて潰す気か。

「み、身に覚えがありません! 何故、わたしたちが国家反逆罪で掴まらなければならないのですか!?」

「お前たちには、テオドラ第三皇女を謀り敵国に引き渡した容疑がかかっている。テオドラ様のお気に入りの騎士と警備隊長ならば、さぞ簡単に事を成せたであろう」

「君たちはすでに囲まれている。大人しく縄につけば、悪いようにはしない」

 冗談ではない。

 国家反逆罪は帝国の中でも最大級の重罪だ。未遂でも長期に渡る投獄、場合によっては極刑すらもあり得る。

「無実です。わたしたちはそのようなことはしていません! 確かに、テオドラ様をお守り申し上げることはできませんでしたが、決して二心を抱いたりはしません!」

「そ、そうだ! どうしてわたしたちがそんな罪を着せられなければならないんだ!」

「おかしい」

 口々に抗議するアレクシアたちに、ローブの男は黙して語らない。

 もはや、語るだけ無駄なのだ。

 彼らは彼らの仕事があり、そのためにここに来ている。

 アレクシアらを捕らえよと、命令してきたのは上のほうだろう。ならば、彼らの上層部が決定を覆さない限り、この汚名は雪げない。そして、それはこの場でどれだけ反論を積み上げたところで実現できるものではなかった。

 二人のローブの男が、呪文を詠唱し始める。

 極めて強力な捕縛魔法だ。囚われれば、アレクシアとて脱出は困難を極めるだろう。

「く……」

 判断に迷う。

 自らの無実を証明するのであれば、大人しく捕まり、公の場で証言すべきである。ここで抵抗するのは、自分の否を認めるようなものであろう。だが、その一方でこの件には間違いなく完全なる世界が関わっている。テオドラが攫われたと判断するに足る証拠はあっても、その原因を『黒の翼』に帰す要素はないはずだった。それどころか、テロリストと激闘を繰り広げたのはアレクシアたち――――主としてジークフリートであった。その事実は、崩れたホテルに残された映像記録でも漁れば出てくるだろう。それにも関わらずこれほど早期に動いたということは、間違いなく敵の手が回っているということではないか。

 となれば、囚われればそれで終わりだ。抗弁する機会を与えられるかどうかも怪しい。そして何よりもテオドラを探し出して救出することができなくなる。

 結論は一つだけだ。

 アレクシアが抵抗の火を瞳に灯らせたまさにその瞬間、彼女の真横を過ぎ去る黒き旋風がローブの男をなぎ倒す。

「あ……」

 アレクシアは緊張の糸が切れて吐息を漏らした。

 風と見紛うほどに速く、迅速に秘密警察を蹴散らしたのはジークフリートであった。

「やるぅ、ジーク!」

 ブレンダは飛び上がって喜びながら、窓に手を向ける。半透明な障壁が、窓ガラスを砕いて襲い掛かる火炎を弾き返した。

 さらに突入しようとした二人組をベティが撃ち落す。

「隊長、どうするの?」

「ああ、もう! 逃げます! 輸送船まで、全力疾走! ここまで来て捕まるもんですか!」

 着の身着のままで四人は窓から飛び出す。発動した罠が即座に全面に襲い掛かってくるものの、ジークフリートの斬撃に耐えることなど不可能だ。高度に練り上げられた魔法檻は、なかったかの如く粉砕される。

 ベティはジークフリートの小脇に抱えられ、ブレンダは肩に乗っかっている。自分で走るより、ジークフリートに運んでもらうほうがずっと速く安全だ。

「うわぁぁ! なんでわたしが罪人扱いなんですかもー!」

 アレクシアは髪を振り乱して叫ぶ。叫びながら走る。こうなったら、テオドラをなんとしてでも救出し、無実を証明するよりほかにない。そうでなければ命を奪われるのみならず、末代まで大罪人として扱われるだろう。

 もともとテオドラを救出するのは最優先課題だった。やるべきことに変わりはない。ただ、それが命のみならず名誉まで賭けたものになったというだけのことだ。

「後ろから来る」

 ジークフリートに抱えられたベティが言う。

 肩に乗っかるブレンダは、後ろに頭を向けている。だから、後方から来る敵を迎撃するには都合がよかった。迸る可能な限りの障壁をトラップとして仕掛けた。逃走経路は立ち並ぶ住宅の屋根の上。一般人を巻き込む心配はなかった。罠に引っかかった追っ手が怒声を放つ。

「アレクシア」

 ジークフリートが言う。

「何ですか?」

「俺たちの船の場所は、彼らも知っているはずだ。そちらにも手が回っているのと考えたほうがいい」

「確かに……」

 姿を隠すつもりのなかったジークフリートたちは普通に街中に輸送船を停めている。探し出すのは容易だろう。

 激しい騒音が鳴り響く。空を行く輸送船(マンタ)の列を乱し、飛び上がった見覚えのあるシルエットに視線を釘付けになる。

「あれは……」

「わたしたちの船!」

 急上昇する金魚型輸送船から数人の男たちが落下する。秘密警察のローブを着込んだ男たちだ。輸送船の急発進についていけず、振り落とされたのであろう。修練を積んだ魔法使いならば、数百メートルの高さから落下したとしても怪我はしないだろう。

 すぐに、コリンとの念話が繋がった。

「コリン、あなた、無事なの?」

『おう、やっと繋がった、AA隊長。操縦士コリン何とか無事っす――――そっちは?』

「事情はあなたと同じよ。今、屋根の上」

 アレクシアが空に炎熱魔法を打ち上げる。小さな爆発は、その直下にいる四人の居場所をコリンに伝えた。

『見っけました。すぐに拾います……うわッ』

 コリンが声を上げる。

 輸送船の外壁が爆発したのだ。

 地上から放たれた魔法が輸送船に直撃している。連続で放たれるそれは、魔法障壁によって食い止められてはいるものの、決して無視できないダメージを与えている。

「跳ぶぞ」

 言ったのはジークフリートであった。

 輸送船が高度を下げている今、中に入れずともその背中に乗ることはできよう。向かってくる鉄の塊に飛び移る危険性は極めて高い。ジークフリートと彼に運ばれている二人はまだしも、アレクシアは生身で何とかしなければならないのだ。魔法で身体を強化して、あそこまで跳べるか否か。

「行きます!」

 悩んでいる場合ではないし、跳ぶしかないだろう。まず跳んだのはジークフリートだ。二人を抱えていながら実に軽々と金魚の背中に飛び移った。飛び交う魔法も彼の肉体とブレンダの障壁魔法を駆使して弾き返す。次いで、ブレンダが障壁を広範囲に展開し、対空砲の如く撃ち放たれる魔法を防ぐ。輸送船は体勢を立て直し、アレクシアが落ち着いて飛び移る余裕を生み出した。

 輸送船の中に入るや、精霊エンジンの出力を最大にまで上げて全力で街を脱出する。(デコイ)をばら撒いて、一目散に逃げ出したのだ。

 アレクシアは輸送船の中に入ると、真っ直ぐに操縦席を目指した。

「隊長、まずどこに行きます?」

 アレクシアが何か言う前にコリンが尋ねてきた。目で見て確認できる程度のことに問答の時間を割く余裕はない。今決めるべきは、どこに退避するのかということであった。

「北に行きましょう。連合の進軍で放棄された軍の施設がいくらかあるはずです」

「なるほど。まあ、そこなら燃料の補給もできるかもしれないっすね」

 コリンは頷き、操縦桿を操作する。

 目的地はある程度定まったとはいえ、ここを乗り切らねば意味がない。

 追手は軍の正規装備で、その追いかけてくる警備艇の速度もかなりのものだ。魔改造したこの金魚でも、到底振り切れない。

 攻撃魔法が次々と背後から襲い掛かってくる。

 魔法障壁が削られて、機内が激しく動揺する。

 警報が鳴り響き、金魚の形がゆがんでいく。強力な魔法障壁の内側にすら浸透するほどの猛攻であった。

「あいつら、完全に殺す気じゃないの!?」

 ブレンダが叫んだ。彼女自身も、障壁魔法を必死に張って輸送船を補強している。

「ま、戦時中の裏切り者扱いだからなぁ」

「何をのんきなことを言ってるんですか!?」

 コリンが言うように今のアレクシアたちは超危険人物だ。捕縛が難しければ、殺すことも辞さないという態度にも納得がいくし、秘密警察とはそういうことを司る組織である。それに、ジャック・ラカンが裏切ってからは、裏切り者に対する対応も苛烈さを増しているという。いずれにしても、逃げ切れなければ戦うよりほかになく、そうなれば国家反逆罪を肯定するようなものであった。自国の兵に手を挙げるなどあってはならない暴挙である。真の敵にますます弱みを握らせることになってしまう。

「幻想大剣なら落とせるだろうが……」

 そうなれば死傷者が出る。

 『黒の翼』が無実なのは当然として、追ってくる秘密警察もまた敵に踊らされている善良なる人間が過半数であろう。そこに必殺の宝具を打ち込むのは気が咎める。そのようなことを言っている場合ではないのだろうが、秘密警察の警備艇を粉砕し、街中に瓦礫をばら撒いたとなっては、無垢な市民を徒に傷付けることになる。

「先に行け。俺が残り、足を止める」

 対軍宝具を使えないのであれば、近接戦闘でどうにかするしかない。

「しかし……!」

「他に手がない。この速度では遠からず追い付かれるだろう」

「く……!」

 アレクシアは唇を噛む。

 確かにジークフリートの言うとおりだ。秘密警察の警備艇程度であれば、ジークフリートの戦闘能力でどうとでもなる。しかし、彼は本調子ではない。謎の肉体の変化もある。決して、楽観視はできない状況なのだ。

 今までにない強烈な揺れが輸送船を襲った。

「障壁の出力が五十パー切っちまったぞ!」

 コリンが叫んだ。

 大きな砲撃が来れば耐え切れずに瓦解する。

「……頼みます、ジークフリート」

「承知した」

 言うやジークフリートは身を翻す。

 蹴り破るほどの勢いで外に躍り出たジークフリートは、己が宝剣を抜いて空に黄昏の波動を打ち放つ。何ものをも巻き込まない代わりに、その注意を完全にそちらに惹き付けた。

 向かってくる警備艇の数は、十機だった。すべてが機動力を重視した小型機である。

戦いの歌(カントゥス・ベラークス)

 ジークフリートの全身を淡い魔力の光が包み込む。肉体強化の基本魔法。この世界の魔法は言葉に宿る力だけでも低位の魔法なら発動させることができるという利便性があり、訓練を積めば誰でもそこそこの魔法使いになることができる。竜の心臓の影響で莫大な魔力を持つジークフリートであっても、この程度の魔法ならば慣れれば使用できるのである。

 普段は使う必要がないほど、彼の地力は高い。

 しかし、今は緊急の時。 

 アレクシアが不安視したように、ジークフリートは未だ本調子ではない。

 チカリ、と警備艇が煌いた。

 ジークフリートは無心になって剣を振るう。強烈な警備艇の砲を、ジークフリートの圧倒的な神秘が斬り裂いた。

「行けるか」

 行かねばなるまい。

 警備艇との距離はおよそ五十メートルと少しにまで近付いている。

 これならば――――一歩で届く。

 魔力で鎧を生成し、飛び出したジークフリートに、警備艇の操縦士はまったく対応できなかった。もちろん、砲撃手もだ。この速度域で向かってくる人間に反応すること自体が不可能なのだ。

 空中で剣を振り上げたジークフリートがやすやすとその右翼を斬り落とすに至って初めて攻撃を受けたことに気がついたくらいであった。

 翼と精霊エンジンを片方失った警備艇など落ちるしかない鉄くずだ。慣性のままに墜落していく。緊急展開された魔法障壁が船体の崩壊を未然に食い止め、落下速度を緩めているのがせめてもの救いであり、これがあるからジークフリートも船を落とすことができる。

「――――次を」

 瞬く間に敵を落としていく。

 心臓が強く脈打っている。

 恐ろしく強力な魔力が全身を駆け巡り、脳を熱くしていく。

「く……!」

 やはり、妙だ。

 鼓動が痛い。手足には異様なまでに力が篭っている。魔力が充溢している代わりに制御が利いていない。そんな気がしてならない。その異常は身体の痛みにまで繋がっていて、戦い始めて僅かの間に額に汗が滲むほどであった。

 最後の一機を落とした後で、大きく跳躍して身を隠す。幸いにして、ここは街の外に広がる広大な森の中であった。身を隠す場所は有り余っている。

「ぐ、ぐ……」

 ぞわり、と全身に怖気が走る。

 大木に身を預けて座り込み、呼吸をする。魔力を生成し、全身に回せば如何なる傷をもたちどころに修復するだろう。それが、完成された生命力を有する竜の心臓を持つ者の特権だ。生前はそもそも傷つくことがなかったので、この強大なる生命力に頼るという状況自体が発生し得なかったのだから、これは貴重な経験とも言えるだろう。

 魔力で生成した籠手を消す。防具というのは鉄壁の肉体を持つジークフリートにとっては、飾りでしかないが、それでも見た目というのは戦の上で重要なのだ。それも、敵対する者がいなければ外して構うまい。何よりも手に違和感を覚えている。

 自らの手を見て、しばし唖然とする。

「なるほど、これは良くないな」

 ジークフリートの手の甲が浅黒く変色している。竜の血を浴びて以降、肌が褐色に染まりはしたが、それにしても手の甲に現れた浅黒さはジークフリートの元々の肌の色とかけ離れていた。

 よく見ればそれは竜鱗であった。

 見覚えのある竜鱗だ。

 そう、彼の手に現れたのは邪竜ファヴニールの鱗と酷似したものであった。角の件といい、これはまさしく、疑いようもなく、ジークフリートの肉体が竜に近付いているということの証左であった。となれば、この苦しみは呼吸による魔力生成で強まることはあっても治まることはまずあるまい。肉体の変容の根本原因が竜の心臓である以上、竜の心臓を用いた治癒は肉体の変容を加速するだけだ。

 さて、どうするか。

 ジークフリートには、この異常を解決するだけの智慧がない。

 魔術師ならぬジークフリートは、ただ剣を振るうことしかできない。まして、この世界は元の世界とは根本を異にしている異世界であり、ジークフリートの身に流れる竜の血に対応できるはずがない。

 このまま何事もなく生きていけるのか、それとも竜の血に飲まれて死ぬのか。あるいは、第二のファヴニールと化してしまうのか。千里眼でも持っていれば、先のことを知ることができたかもしれないのに。だが、それは遙か神代に於いて理を究めた魔術師のみが至ることのできる至高の技法であって、魔術師ならぬジークフリートは今をどうにかすることで未来の理想を引き当てる努力をする他ない。

「なんだい、なんだい、本物がいるっていうから来てみたらずいぶんと情けないことになってるじゃないか」

 誰もいないはずの森の中に唐突に響く声がジークフリートの意識を外に向けさせた。

 暫し後、ジークフリートがわずかな気配を察して右側に視線を向けると、ねじれた空間から豊満な身体の女が現れた。転移魔法の類か。

「貴女は?」

「ダーナ・アナンガ・ジャガンナーダ。狭間の魔女と人は呼ぶ。最も気高く、最も美しい不死の怪物さ」

 怖気の走る笑みを浮かべてダーナはジークフリートを見る。

「帝国の者というわけではないようだな」

「人間の争いごとに興味はないよ。特に次元を支配するこのわたしにとっては、一つの時代の戦争なんぞにいちいち干渉しちゃいられないさ。ただ、そこに本物の英霊が出てくるとなると、そうは言ってられないからね」

「……何を知っている」

「座と英霊の概念程度。平行世界にまでは関われないから、知識としてあるだけだけど、それでもこうして言葉を交わせる機会があるってのは感慨深いね」

 ダーナから発せられる気配は、これまでに出会ってきたあらゆる猛者とは次元の異なるものであった。ジークフリートをして警戒せねばならぬ人外の気配を感じる。

 真っ当な体調ならばまだしも、今は到底全力で戦えない状態だ。

 戦闘は避けるに越したことはないが、果たして彼女の目的な何なのか。

 この世界には英霊の概念はないものと思っていたが、それはただ知られていないだけで実際には座に至る者もいるということだったというのは驚きで、それを知っている彼女は明らかにこの世界において最高峰の魔法使いでもあるのだろう。

「何が目的だ?」

「御伽噺の英雄が出てきてるってんだから一目会ってみたいと思うのはおかしいかね? まあ、ちっと残念だけどね。曲りなりにも不死を謳われた英雄が、弱点以外の理由で弱ってんのはさ」

 ジークフリートの本能が警鐘を鳴らした。

 彼女の全身から異様な魔力を感じる。何かしらの強大な魔法を使うつもりでいるに違いない。

 ジークフリートは立ち上がって幻想大剣を構える。

「く……」

 幻想大剣に魔力を注ごうとしたとき、やはり身体に痛みが走った。

「ふん、自分の力に喰われそうになってるんじゃないの。無理が祟ったね。せっかくだから、研究も兼ねて我が屋敷に招待してあげるよ」

 ジークフリートの隙を見逃さず、狭間の魔女は即座に魔法を発動した。呪文など、この規模の魔法使いにしてみればあってないようなものだ。ジークフリートを夜の帳に飲み込んで、共に世界から姿を消した。

 



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第十四話

ダーナをオリキャラだと思って一言コメしてくれた人がいるのですが、オリキャラじゃないということを断わっておきます。


 ダーナと名乗った謎の怪人に連れて来られたのは、空に浮かぶ天空の城であった。否、それはもはや城と形容することもおこがましいだろう。空に浮かぶ小さな街と呼んだほうが適切ではないか。それほどまでに巨大な建造物が、どこまでも続く雲海の上に浮かんでいるのである。

 城塞を宝具として所持する英霊も、極少数ながら存在はしているが、英霊でもないというのにこの規模の建造物を、常の塒として維持しているというのは、驚愕に値する。恐らくは、己の魔力だけで維持しているというわけではなく、浮かぶように設計されているのだろうが、それでも驚異的であることに変わりはない。

「ダーナと名乗ったな。今更、人ではないものとの出会いに驚きはしないが、貴女は一体何者だ?」

「言っただろう。わたしは不死身の怪物。美と愛を求める至高の存在……人間からは、『貴族』とか呼ばれているよ」

 吹き抜ける風にすら、彼女の漆黒のドレスは揺らがない。何かしらの力を以て、完全にこの場を支配している。

「『ハイデイライト・ウォーカー』『吸血鬼の真祖』なんて呼ぶのもいるけどね」

「吸血鬼、だと」

 それを聞いて、ジークフリートは警戒心を強める。

 吸血鬼は邪悪なる者――――とりわけ、彼の知識にあるものであれば死徒と呼ばれる強力な吸血鬼があり、それをさらに上回る者として真祖の存在があった。真祖ともなれば、サーヴァントですら単独での戦いは敗北必至ともされるほどの怪物である。目の前のダーナが、ジークフリートのいた世界での真祖と同列に語れるかは別として、極めて危険で強大な相手だということは理解できる。

「ふふ、いい顔をするじゃないか。それで、どうするんだい?」

「貴女が人にとって害を為すというのならば、身命を賭してでも討つ」

 幻想大剣の柄を握るジークフリートは、眼光を鋭くしてダーナを見つめる。身体には適度な緊張感があり、如何なる攻撃にも即座に対応して斬り伏せる準備が整っている。

「ふふふ、そんな目で見られるとぞくぞくするね。でも安心なさい。わたしは、徒に人間に手を出すような馬鹿どもとは違う。化物である以上は人間から恐れられる存在でなければならないけどね」

「それを信じる根拠があるか?」

「ないね。昨日今日あったばかりの相手に信用しろというほうがどうかしてるだろ。とにかく、わたしは人間そのものには興味がないのさ。愛と美を除いてね」

 ひらひらとダーナは鬱陶しそうに手を振った。

「吸血鬼だと言っただろう。人の血を吸うのではないのか?」

 ジークフリートの知識では、吸血鬼は人の血を吸う化物であり、血を吸われた者は生ける屍となって吸血鬼に隷属する。死徒であろうと真祖であろうと、吸血能力に違いはない。

「血を吸えるのと実際に吸うのは違うだろ。わたしたちに血を吸う必然性はないのさ。ああ、それとわたしを他の『吸血鬼の真祖』と一緒にはしないでくれよ。連中は長く生き過ぎて物事に興味をなくしちまったまさしく生きる屍そのものさ。美しくも何ともない」

 吐き気がするとばかりにダーナは吐き捨てた。

 吸血鬼にも色々と事情があるらしい。

「そういえば、あんたエヴァンジェリンって知ってるかい?」

「エヴァンジェリン? いや、聞いたことのない名だが」

「なんだそうかい。魔法世界では一番有名な吸血鬼なんだがね。賞金首にもなってたはずだよ」

「俺はその辺りの事情には疎い。貴女が英霊の存在を知っているのならば、俺がこの世界と関わりがないことも理解できるかと思うが」

「ああ、そうだね。いや、エヴァンジェリンを知っているのであれば、比較対象としてちょうどよかったんだけどね」

 それから、ダーナはエヴァンジェリンという吸血鬼について大雑把な語った。

 非常に強力な魔法使いであり、吸血鬼の真祖でもあった少女の悲劇と戦いの日々を。そして、その果てに賞金首となり、吸血鬼を代表する存在として魔法使いの間で恐れられるに至った苦難の歴史を。

 多くを殺し、多くを失った少女の人生は血に塗れてはいたが、確かに同情の余地はあって、この世界の吸血鬼の事情を垣間見るものであった。

「それで、このエヴァンジェリンなる吸血鬼と貴女がどう関係する」

「ああ、単にわたしがあの娘の師匠ってだけさ。今のは、吸血鬼ってヤツをあんたに教えてやろうと思って聞かせてやったのさ」

「エヴァンジェリンの師?」

「あの娘がまだ弱かった頃のことさ。今から何百年前になるかね。最後に会ってから百年ばかり経ったかねぇ」

 ジークフリートは押し黙った。

 不死という彼女の言は疑うべくもない。エヴァンジェリンという吸血鬼が誕生したの中世の頃だというから、その師であるダーナはより長くこの世にあるのだろう。不老不死の怪物というのは真の事実だ。吸血鬼というのはどこの世界でもなんらかの形で不死性を有するものなのだろうが、この世界の吸血鬼はジークフリートの世界の吸血鬼に比べても不死の度合いが強そうだ。デメリットらしきものがないのだから、それだけでも脅威だ。

 それだけ長く生きれば、その身に宿る神秘も強くなる。

 神秘の塊である英霊と比較してもそん色ないほどの神秘性を帯びるのも無理からぬことだ。

「あのエヴァンジェリンの師匠なのかって、びっくりさせてやろうかと思ったんだけどね。ま、さすがに英霊相手にそれはないかね」

「何故、貴女は英霊のことを知っている? いや、長く生きればそういった知識に触れる機会もあったのだろうとは思うが、俺に干渉する理由はないだろう」

「そんなもん、この機会を逃せば英霊と関わることなんてないだろうってだけさ。知ってるかい。この世界では霊長側の抑止力は大きくは動かないんだよ。あんたのところはどうか知らないけどね」

 抑止力とは、世界の破滅をもたらすものに対する世界の防衛機構のようなものである。大きく分けて地球側に立つガイアの抑止力と人類側に立つアラヤの抑止力があり、英霊は人霊が昇華したものなので基本的にはアラヤ側と考えられる。とはいえ、抑止力として世界に降臨し、その力を振るうのは霊格の低い英霊(守護者)が主で、ジークフリートのような高位の英霊にそのお鉢が回ってくることは少ない。

「何故?」

「世界が二つあるからさ。魔法世界と旧世界のどちらかが滅んでも、どちらかに人類が生きていれば、人の世の破滅にはならないだろう。そのおかげで魔法世界ができてからというもの英霊らしきものの活動の痕跡はほとんどないんだよ」

 つまらなそうにダーナは言った。

 まるで、英霊の活動を眺める神の視点を持っているかのように。

 だが、そもそも英霊の活動は人間の無意識下で行われるので、観測はできない。その活動は災害の類として処理されるのが常であり、コンタクトに成功することもまずありえない。英霊は意思なき力として召喚されるが故に。智慧ある者が、痕跡から推測することは可能だろうが。

 つまり、自由意志を持つジークフリートと直接相対することができるのは、この時が最後かもしれないのであり、ダーナにとっては興味を惹かれる事象だったということだ。

「だっていうのに、せっかく覗いて見れば自分の力に侵食される体たらく。まったく、不死を謳われたジークフリートが情けない」

「む……」

 少しばかりカチンと来たが、黙る。

 確かに、自分はテオドラを守れず仲間を逃がすために敵と対峙したものの竜化と思しき現象によって全力を出せない状況だ。情けないと非難されるのも無理からぬことだ。

「貴女は俺の身体の不調について知っているのか?」

「それはあんただって感じてるんじゃないのかい? それは身体が竜に近付いてる証拠だろう。わたしが知っている物語とあんたが辿った歴史が同じなら、それはファヴニールの力じゃないかと当たりは付けられるさ」

「それは、確かにそうだろう。今まで、このようなことはなかったから俺も困惑しているのだが……」

「別におかしなことではないだろう。異質な力を振るうのなら、相応のリスクは背負うべきじゃないか」

「竜になるのが、俺の力のリスクだと?」

「竜になるかどうかは別だろうけどね。わたしの見立てじゃ、あんた、今まで使わなかった部分にまで手を出しただろう。人間だって自分の筋肉は三割くらいしか使えてない。それ以上の出力を出すと自壊しちまうからさ。あんたは、それと似たような状況ってわけだ。元々あった力を、限界以上に引き出した結果、身体のほうがおかしくなったんだろうね」

「そういう、ことか」

 それを検証することはできないが、理屈としては正しいのだろう。あの時、背中を撃たれたジークフリートは自らの限界を超えることを承知した上で竜の心臓に働きかけたのだ。結果的に即座に戦線復帰を果たしたが、無理が祟って身体が扱える竜の力を上回るだけの力を引き出してしまった。

 もしも、ジークフリートがサーヴァントであったのなら、このようなことはなかっただろう。或いは、純粋に英霊であれば――――霊体である以上、変化することはなかったはずだ。完成された存在なのだから、その力の上限は生前の最盛期に設定されてそれ以上にはならない。だが、今は肉体という不完全性を獲得してしまった。もしも、ジークフリートが殺されることなく、鍛錬を続けていればどこまで強くなったのだろうかというIFにまで手が届く。しかし、それは同時にダーナが言うようなリスクを背負うことにもなる。良くも悪くも未知への挑戦なのだから、自分の力が伸びるか否かは分からないのだ。

 高性能エンジンを積み込んでも、車体のほうが貧弱では自壊する。ジークフリートの心臓は紛れもなく一級品の魔術礼装とも言うべき代物であり、永久機関にも等しい魔力精製能力があるものの、彼の肉体がその能力にどこまでついていけるのかは未知数である。生前は火事場の馬鹿力を必要とする場面がなかったというだけで、この世界ではそうではなかった。違いとすれば、その程度だろう。

「俺の身体の件について教えてもらえたことについては感謝する。だが、俺も今はするべきことがある。元の場所に戻してはもらえないだろうか」

 言った瞬間、ジークフリートを横殴りの暴力が襲った。

 凄まじい衝撃にジークフリートは弾き飛ばされる。

「へえ、やるじゃないか」

 ダーナは感心したように呟いた。

 攻撃を受けたジークフリートは、それでも無傷で立っている。ダーナが時空を捻じ曲げて放った張り手を、直撃の寸前に剣で防御していたのだ。

「その身体でわたしの攻撃を受けるとはね。普通なら、上半身が粉々になっているところだけど」

 ただの張り手で人間の上半身を粉砕する力を持つというが、驚愕には値しない。その程度であれば、魔力による強化を施せば人間でもできることだからだ。

 重要なのはただの張り手でジークフリートを弾き飛ばしたということだろう。防御の姿勢を取りながら、受けた衝撃は凄まじかった。

 なるほど吸血鬼の真祖を名乗るだけのことはある。

 神秘の薄れたこの世界にあっても、彼女ほど歴史を積み上げていればこれくらいの力は容易に出せるのだろう。

「貴女の目的がいまいち分からないのだが」

「さっきから言ってるだろう。わたしが求めるのは美と愛。伝説の大英雄様が、せっかく出てきたってのに自滅なんて美しくないだろう」

 ジークフリートの背後に扉が現れる。

 両開きの扉が開け放たれると、その先は真っ暗な闇が広がっており、そこから這い出た無数の腕がジークフリートに伸びた。

 その腕をジークフリートは素早く斬り落とす。

「ええい、格好がつかないね。ちゃっちゃと中に入りな」

 抵抗するジークフリートをダーナが思い切り突き飛ばした。空間を超越する強烈な張り手は、ジークフリートを闇の中に突き落とす。

「く……!」

 どういうつもりだと、問う前に視界が急激に明るくなった。

「これは」

 空は快晴、地上には見渡す限りの大森林が広がってる。

 雲がないところから、先ほどまでいた空中の街とは異なる場所だということが分かる。この世界にはつくづく驚かされてばかりだ。ここまで平然と時空を操作するとは。

 上手く丘の上に着地したジークフリートは四方を見回した。

 どこまでも木々が続くだけの世界だった。五百メートルほど先には大河が見えるが、人が暮らしているような集落は、彼の視力を以てしても探せない。

「一体……」

「わたしが用意した異界だよ。今のあんたに必要なのは荒療治だ。生きるか死ぬかの瀬戸際を乗り越えるくらいでなくちゃね」

「出鱈目だな」

 ジークフリートは呟く。

 ダーナの言葉にではなく、自分が今見ている光景に対して。

 見上げんばかりの巨大な竜がそこにいる。

 身体の大きさだけならば、ファヴニールすらも上回るであろう。

「帝都守護獣竜樹(ヴリクショ・ナーガシャ)を元にわたしが作った魔獣だよ。今のあんたにはちょうどいいだろう」

 竜の咆哮が木々を揺るがす。

 超巨大な魔獣がジークフリートを視界に収めた。

「ここは時空の狭間にある世界。時間経過を気にする必要はないよ。用が済めば元の世界に戻してやるさ」

 精々死なないように頑張りな、と声を残してダーナの気配は消えた。

 好き勝手にやってくれる。

 ジークフリートは心の中で毒づいた。

 ダーナの言葉がどこまで真実なのか分からない以上、ここで時間を食うわけにはいかないのだ。もしも、ダーナが嘘をついていた場合、ここで足踏みしている間に仲間はアレクシアたちが危機的状況に陥るかも知れず、完全なる世界の蠢動も続いていくだろう。

 とはいえ、やるしかない。

 まずは目前の巨大竜を討伐し、自分の肉体の限界強度を引き上げる。心臓の手綱を握り、完全に制御することさえできれば、再び全力で戦うことが可能となるだろう。

 




夏凛先輩可愛いよ夏凛先輩。
夏凛先輩の不死は、アキレウスの弱点無しverって感じだろうか。


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第十五話

 ジークフリートが落ちた世界は、ダーナが構築した密閉された魔法世界。時間の流れを異にする異界にして、ダーナの箱庭と言うべきモノであった。

 高位の魔法具にはその内部に小さな世界を展開するものもあり、内と外との時間経過を任意に調整することができるものもある。ダーナのそれは、そういった魔法具の拡大版のようなものだった。時空を自在に操り、時間にすら干渉するダーナにとって、そういった世界を構築することなど造作もないのだ。

 そうして、彼女はジークフリートと自らが手塩にかけて作り出した大魔獣との戦いを俯瞰する。

 並の魔法使いでは歯が立たぬ巨竜であり、彼女の知る不死の怪物たちであっても最上位の戦闘能力を有する者でなければ苦戦は必至という代物だ。

 英霊についての知識はあっても、それは概念上のものというだけ。

 実物を目にしたのは、これが初めてであって、なるほど確かに伝説の大英雄と言うに足るだけの戦闘能力を有していると感心する。

 ジークフリートは真の力を発揮できず、竜樹の攻撃は大幅に削減されている。

 戦いは長期戦の様相を呈してきた。

 もしも、ジークフリートが体調に気を使うことなくあの聖剣を振りぬければ、或いはただそれだけで決着していたはずの戦いではあるのだが、現状では彼の肉体の変化は魔力を運用すればするほどに早まっている。莫大な魔力を引き出す聖剣は、そう易々とは使えない。

「それでも、これだけ戦えるんだから上等だね」

 それは『闇の魔法』に侵食されながらもその力を我が物としようとしている人間の姿に重なる。

 ジークフリートのそれは与えられたものではなく、あくまでも彼の力そのものだ。ならば、『闇の魔法』のような異物ではないために親和性は高く、歯車さえ合致すれば一息に解決する問題だろうとは思っているが、はてさて上手くいくものか。

 ダーナにとっても初めての症例だ。 

 それまでの経験から解決策に近しいと推測される試練を用意しただけ。

 正しいかどうかは結果を見るまでは分からない。

 

 

 

 

 戦い始めてどれだけの時間が経っただろうか。

 当初こそ、命に満ち溢れた世界だった密林は、今や火炎に包まれ見る影もない。

 黄昏の光に打ち払われて丸裸になった大地と、竜の炎に焼かれて炎上する森の二色が世界を彩っている。

「く……この巨体で、この機動力とはな」

 凄まじく巨大な竜樹モドキが、遙か高みを飛んでいる。

 ジークフリートのすぐ傍には、深く耕された地面があった。竜の爪によって掘り起こされたのである。あの竜の力にかかれば、土は疎か岩もバターのように切り裂かれ、打ち砕かれる。ジークフリートがこの場に来たときに足場としていた小さな丘すらも、今は半分が抉り取られて崩れ落ちていた。

 空が赤く光る。

 ジークフリートは背後に跳躍するも、地面を吹き飛ばす激しい炎熱と熱風に押されて危うくバランスを崩しそうになる。

 右半身の服はすでに焼けてなくなった。

 身体は無傷のままだが、直撃すればさすがに危うい。(※ここ重要)万全ならばまだしも、今のジークフリートは本調子ではないのだ。例え、竜の攻撃を防げても、その結果竜化が加速することも考えられる。

 『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』そのものが、ジークフリートの肉体を汚染している竜の力の結晶とも言うべきものだから、その力に頼るほどに彼の身体は加速度的に竜に近付いていく。

 ファヴニールを上回る巨体が空を飛んでいる。

 その重量を利用した突撃も竜の息吹も驚異的な威力と攻撃範囲を発揮している。

 さながら特大の嵐のようで。 

 竜が羽ばたくだけで途方もない突風が舞い上がり、木々がなぎ倒されて炎が飛び散った。

 その咆哮は衝撃となって地面を砕き、爪は刃となってジークフリートを苦しめる。

 目前に迫る竜の爪に合わせて、ジークフリートは幻想大剣を振るう。

「ぐ……!」

 歯を食い縛るジークフリートは、剣を振りぬきつつ身を伏せる。

 さすがに、全長百メートルを軽く越える怪物の爪を、その身一つで受け止めるのは無理がある。幻想大剣ならば、かの竜の鎧のような鱗をも容易く切り裂くことができるものの、刃渡りを考えれば小さな傷を与えるのが精一杯だ。

 今も、爪を一本両断しただけで、致命には程遠い。

 倒すには、脳や心臓、首といった主要な器官を両断するかあるいは宝具の真名解放による激烈なる一撃を以てその全身を砕く以外にないだろう。

 ジークフリートの右腕が、竜の鱗に侵食されている。

 幻想大剣(バルムンク)の真名解放に今の肉体がついていけるのかとすら思えるほどに、ジークフリートは追い詰められていた。

 ダーナが情けないと言うのも頷ける。

 ほんの四半時も経たないうちに、ジークフリートは自滅の時を迎えようとしているのだから。

 エンジンが焼き付いたわけではない。

 加速を続けるエンジンに、車体のほうが耐えられないというだけ。

 ならば出力を下げればいいではないかと思うが、どうにもそれがうまくいかない。どうやら、心臓から無理矢理力を引き出したときに、身体の一部がおかしくなったらしい。目に見えない安全弁が壊れたようなものだ。

 エンジンそのものに手を加えることなどできはしない。ジークフリートにとって、それは力の源であり、命そのものであるからだ。ならば、早い話が車体性能を向上させるしかない。これは、そのための試練――――かなり無理のある話ではあるが、強敵との戦いの中で自らを高めていくという理屈は理解できなくもない。魔力を運用し、肉体を補強していけば、あるいは竜の力に耐えられるようになるかも分からない。もしかしたら、その過程で竜の心臓の手綱を握ることができるかもしれない。

 淡い期待ではある。

 だが、ここでジークフリートが倒れては、誰がテオドラを助け出すのか。

 自らが竜に堕ちていく炎に身を焼かれながら、頭の隅で考える。

 迎撃は、無心で十分。

 その巨体と運動性能に圧倒されたものの、よくよく刃を交わしてみればその力はファヴニールには及ばない。あのときの絶望感に比べれば、ああ、この程度どうということはない。

 ただ、剣を振るう。

 炎を斬り、黄昏の波動で敵の巨体を押し戻す。

 だが、命には届かない。

 幻想大剣の出力が落ちている。

 ジークフリートが力を引き出せないからだ。そのために射程すら短くなっていて、空を舞う竜樹もどきを取り逃がす。

 もう、何度もこれに似た応酬を繰り返している。

 内憂外患を抱え、一歩足を踏み外せば命を失う綱渡りの中で、ジークフリートは焦燥を思考の彼方に押しやっていく。

 呼吸が痛い。

 手足が重い。

 心臓がもっと頼れと訴えかけてくる。

 悪竜の声が、音ならざる形でジークフリートに語りかけてくるのだ。

 敵を討ち果たす力を与える代わりに、その身体を寄越せと。

 貪欲なる悪竜が鎌首を擡げて訴えかける。その声を無視して、ジークフリートは剣を振り回し、足を動かし続ける。

 並みの魔法使いならばすでに何処かで倒れていたであろう絶望を走破し、その身体を着実に削りながらも強大なる竜に挑む姿はまさしく英雄と呼ぶに値するべきものであって、その輝きは苦難に苛まれながらも一片たりとも曇ることはない。

 不撓不屈の具現。

 炎と煙を貫いて現れた姿は、さらに竜に近付いた。

 尾骶骨の辺りからは一本の尾が生えている。片側にしかなかった角は一対となり、また背中には蝙蝠のような翼が生えた。竜人と呼ばれても仕方がないとさえ言える容姿となったジークフリートは、それでも進むことを辞めない。

 竜の炎、竜の爪、竜の牙。

 数多の猛威が思考の外に置かれる。

 外から襲い掛かってくる者を打ち倒すのに、いちいち思考を割く必要などなく。本能のままに、積み上げた武技のままに反撃を加えていく。 

 耳障りなのは竜の咆哮ではなく己が心音であり、その身を焦がすのは竜の炎ではなく竜の血であった。

 もう何十と繰り出されてきた竜の爪を受け止めて、跳ね飛ばされる。後方に跳んで衝撃を殺しはしたが、凄まじい威力であることに変わりはなく、両手が折れてしまいそうだった。

「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 竜の咆哮には負けまいと雄叫びを上げるジークフリートは、開かれた巨大な顎を虚空瞬動でやり過ごし、荒れ狂う風圧にもみくちゃにされながら分厚い竜の外皮に聖剣を突き立てる。

 竜殺しの聖剣故か、ただ剣を突き刺すよりも大きな外傷を竜樹に与えている。

 苦悶の声を上げる竜樹が身を捻り、ジークフリートを振り落とそうとするが、必死に堪えてしがみ付いた。剣を足場として飛び上がり、その背に乗ったジークフリートは霊体から実体に戻した聖剣を思い切り振るって竜の背中を斬り付ける。

 固いはずの外皮がやすやすと裂けて、血肉が吹き出る。

 竜樹が回転し、遠心力でジークフリートを振り回す。それで墜ちないとなれば、背面飛行のまま地面に背中を擦り付けようとした。その自重と速度を以てジークフリートを磨り下ろそうとしている。ジークフリートは即座に真横に跳んで、竜樹の背中から降りる。直後、大地を揺るがす轟音が響き渡り竜樹の巨体が地面を抉った。突風に煽られる身体を何とか立て直して着地すると、防御の姿勢を取る。木々を薙ぎ払って押し寄せる劫火がジークフリートを包み込んだ。

「ッ……!」

 足元が赤熱し、融解しかかるほどの大熱量でありながら、やはり模造品だからであろうか。その神秘性は彼の守りを突破するほどのものではない。この竜の質量からなる圧倒的な重量は警戒すべきものではあるものの、竜の主武装たる息吹については受け流すことができるものと理解していた。

 邪魔な炎を剣を振るい、魔力を放射して吹き散らす。ぎちり、と心臓が跳ねる。僅かでも魔力を使おうとすれば、すぐにこれだ。己が肉体を食いつぶそうとする心臓は、喜んで魔力を生成してくれる。その代償を、何食わぬ顔で請求しつつだ。

 荒く呼吸して、ジークフリートは前を向く。

 自分の身体の変化については、最早何も言うまい。

 爪を躱して跳んだところを、極太の尾が狙ってきた。直撃は避け得ず、ゴム鞠のように跳ね飛ばされたジークフリートは回転する視界の中で竜樹を睨み付ける。

 いつ以来かと思うほど我武者羅だった。

 生と死の狭間の綱渡り。

 悪竜を斃してからというもの作業と堕した戦いの中では実感することのなかった死神の鎌が、今まさに自分の首筋に添えられているような気分だ。

 呼吸が荒くなっていく。

 息をするだけで苦しい。

 襲い掛かってくる竜の尾を斬り付ける。斬り付けて弾き飛ばされた。それを、幾度も繰り返す。

 打ち据えられるたびに救えなかった者、見捨ててきた者の顔が蘇る。 

 自らの願いに固執して、容認した犠牲者たち。その無念が如何ほどのものか、想像するに耐えない。サーヴァントとして第二の生を得て、やっと見つけた願いを脳裏に浮かべる。

 心臓を捧げたホムンクルス、誇りを思い出させてくれた“黒”のライダー。

 せっかく第三の生を得て、夢を追いかける機会を得たというのに、彼らに笑われるような姿を曝すわけにはいかない。

 目をしっかりと見開く。 

 振り下ろされる爪が眼前に迫っている。

「――――邪魔をするな」

 己の内側から、何かが爆発した。

 竜の魔力はまさしく咆哮と化して聖剣に集約し、ただ一振りを以て竜樹の片腕を斬り飛ばした。

 何が変わるわけでもない。

 もとより変わる必要などなかった。

 ジークフリートはジークフリート以外の何者でもないのだ。

 この竜の心臓も、彼の一部にほかならず――――ならば、その変化を拒絶することこそ無為であった。あるべき形になるだけだ。竜の心臓と肉体。この二つが合わさって、初めてジークフリートは完成するのだから。

 心臓の力を引き出して、されど肉体は食わせない。

 ――――お前は俺の力であり、俺の一部だ。共に在って、共に戦えばいい。

 高らかに聖剣を振り上げる。

 いつの間にか、身体の痛みは消えていた。鼓動は強く、激しく高鳴って、送り出される血流が莫大なる魔力を全身に行き渡らせていく。

「――――幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 

 

 

 ■

 

 

 

 黄昏の光に満ち溢れた世界は瞬く間に崩壊し、ジークフリートは天空の街に引き戻された。 

 景色が唐突に切り替わり面食らうジークフリートの傍らに、漆黒のドレスが舞い下りる。

「やれやれ、とんでもないことをしてくれたね。まさか、わたしの世界が耐え切れないとは」

 驚きを通り越して呆れる、とダーナは言った。

 彼女の腕には幾重にも渡る裂傷が生じており、赤黒い血が流れている。

「このわたしに手傷を負わせるヤツがいるなんてね」

「……俺が討ち果たしたのは貴女が用意した竜だったはずだが」

「ああ、そうだよ。まさか、あれを跡形もなく消し去っちまうとは思っても見なかったさ。さらに言えば、わたしが構築した閉じた世界が崩壊することも想定してなかったよ。これは、まあ、その代償かね」

 ひらひらと手を振るダーナの傷は見る見るうちに閉じていく。

「再生にこんなに時間を食うか。わたしは木っ端微塵になっても一秒とかからず復活できるんだけどね。あんたの剣はどうにも重い」

 ダーナの肉体に施される不死の魔法は、如何なる手段を以てしても彼女の命には届かないとすら思わされる代物だ。バラバラではなく、さらに細かく分子レベルで分解されたとしても即座に何事もなかったかのように復活するほどの規格外の再生性能を誇るが故に、この数百年間を通してダーナに血を流させた者は皆無であった。

 恐るべきはジークフリートが掲げる聖剣の力。

 竜殺しの聖剣が宿した神秘は、ダーナが扱うそれに比しても莫大だ。物理的破壊力はもとより、その神秘性に於いてこの世界の魔法とは隔絶した力を有している。その真名が露になった時、ダーナの魔法によって構成された時空は内側で膨れ上がる神秘に耐え切れずに瓦解し、術者であったダーナにまでその影響を届けた。

「で、あんた身体は?」

 ジークフリートは燃え墜ちた上着を引き千切り、鍛え抜かれた肉体を外気に曝す。

 その身体に変わった点は見られない。竜の尾も翼も角も消えている。だが、はっきりと分かる。その姿だけでも、存在の重みが一段も二段も高みに移行したことを伝えてくる。

「問題はない。いや、初めからなかったのだろうな」

「思ってたよりもあっさりでつまらんね。もっと苦戦するかと思っていたんだけどね」

「最初から、あれは俺の一部だったわけだからな。よそ者を受け容れるよりは楽だろう」

 問題の原因は竜の心臓にあり、それに耐えられない肉体にあった。竜と化す現象は、心臓の負担に肉体が圧迫されていたのではなく、心臓の負担に耐えられるように肉体を変化させる途上だったのである。ならば、それを受け入れてしまえば、自ずと身体は心臓に適した形に変化する。その先が竜であった可能性もなくはないが、それでもジークフリートは心臓と共に歩む道を選んだ。

「貴女には感謝している。この機会を設けてくれたことに……」

「ふん、わたしはわたしの都合であんたを連れてきただけだからね、感謝される謂われはないよ。後は、あんたが向こうでどう振る舞うか。わたしを失望させないでおくれよ」

 ダーナが手を叩くと、ジークフリートの背後に扉が現れた。

「だらだら話してる時間はないだろう」

 ダーナが呼び出したのは扉だけではなかった。

 サッカーボールほどの大きさの水晶玉が彼女の手に収まっていて、その中にはアレクシアたちが秘密警察に囲まれている様子が映し出されている。

「その扉はこの場所に繋がっている。約束は約束だからね。きちんと帰してあげるよ」

 この怪しげな魔女の言葉を鵜呑みにするのは危険だが、だからといって疑っていても仕方がない。

 ジークフリートは頷いて扉を開ける。

 相変わらず、真っ暗な闇が広がっていて、先を見通すことはできない。

 だが、それを恐れることはない。

 時空が捻れたその先に待つという仲間の下に、臆することなく足を踏み出した。

 

 



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第十六話

ジークの着る服は後ろがでっかく裂けているのだ。


 ヘラス帝国は魔法世界の南部に位置する大帝国であり、その広大な領土と温暖な気候故に幅広い植生が有する広大な森林に恵まれている。

 『黒の翼』が輸送船を飛ばした北方の国境付近は戦火を避けるために空っぽとなった多くの集落や放棄された軍の施設が点在している。

 背の高い木々が生い茂る熱帯雨林の中を、アレクシアたちは走っている。

 幸いなことに熱帯雨林の特徴で足元の下草は少なく動きやすい。落ちた地域がジャングルでなかったことに感謝しよう。だが、それは翻せば身を隠す場所が少なく、敵も足で追いかけやすいということである。森に生きる魔法生物の危険もあり、人の手が入っていない原始の森を行くのは専門の装備と経験を必要とする難行である。騎士として修練を積んだアレクシアはまだしも他三名はサバイバルの経験はほとんどない。

 愛用の船は数十分前に落ちた。

 撃ち落されたのではなく、燃料切れを起こしたのである。

 精霊エンジンを全開にして、秘密警察の追っ手からここまで逃れてきた。ジークフリートの安否は分からず、ただ新たな追っ手が近づいているという事実だけは確認している。船に残り、彼との合流を待つという手は使えない。

「ひぃ、アイツラ、しつこい……!」

「無駄口を叩いていると体力を消耗するだけよ。周囲に気を配りながら黙々と走りなさい」

 囁くアレクシアはここまで走り続けでありながらもほとんど息を上げていない。

 向かう先には集落がある。数ヶ月前まで普通に人が住んでいた辺境の村であり、軍の駐屯地としてそこそこの賑わいがあった場所でもある。そこで、何かしらの乗り物を得ることができれば、追跡者を振り切ることも不可能ではない。

 帝国が放った追っ手――――秘密警察は着々とアレクシアたちとの距離を詰めているだろう。彼らは生粋の猟犬であり、獲物を追い詰めるために存在している。

 樹木の合間を縫って走るアレクシアは右手の奥で光を見た。

「頭を低く!」

 叫ぶ。

 従った仲間たちの頭上を魔法の矢が過ぎ去っていく。風の矢。捕縛に特化した魔法の矢だ。

「追いつかれた」

「ブレンダ、罠を!」

「どこまで通じるか分かんないよ!」 

 言いながら、ブレンダは四方八方に障壁魔法をばら撒いた。攻撃的な障壁だ。触れた者を拘束し、その場に縫い止める足止め用の障壁。

 それもブレンダが言うように通じるかどうか。気休めにしかなるまい。もとより罠は敵を追い詰めるためのものだ。綿密な作戦を立てた上で設置し、敵をそこに誘い込んで初めて効果を発揮する。追っ手側が仕掛けるべきものであって、逃亡者が罠を仕掛けても然したる意味はないだろう。ましてや、今まさに追われている状況では。

 それでも、僅かに敵の足を止めたり、迂回させたりといった手間をかけさせることはできる。進んで罠に突っ込む輩はいるまい。

 アレクシアもまた魔法の矢で応戦する。走りながら敵を狙うのは、至難の業でとても狙いなど定められるものではない。牽制になれば御の字だろう。

 滑りやすく倒木も多いこの環境で、足元を気にしながら魔法戦闘を行う。狩猟に特化した秘密警察の独擅場といっても過言でもなく、どこまで追われる立場のアレクシアたちは不利を強要される。

「う、わ……」

 コリンのローブが木の枝に引っかかる。

 慌てて脱ぎ捨て、転がるように走った。

「走って! 止まらないで!」

 叫ぶアレクシア。それは、自分に言い聞かせているかのようで、悲痛の音色を多分に含んでいる。

流水の縛り手(ウインクトウス・アクアーリウス)

魔法の射手・戒めの風矢(サギタ・マギカ・アエール・カプトゥーラエ)

 左右からの挟撃。

 地を這うように立ち上がる水の蛇と散弾の如く広がる三十一の風の矢が襲い掛かってくる。

氷爆(ニウィス・カースス)!」

 ベティが流水の縛り手に向けて凍気の爆風を放つ。氷結の爆風が襲い来る水を散らし、凍結させる。

 飛来する魔法の矢は、ブレンダの障壁魔法が楯となって遮る。誘導性能があるために、木の陰に隠れても回り込まれる可能性がある。結局は、魔法障壁で防ぐか迎撃するのが一番だ。

 攻撃性能の高い炎や雷の魔法を迂闊に使えば、周囲に引火して大惨事となる可能性もある。追っ手のほうもアレクシアたちを捕縛したいだろうから、極力殺傷性の高い攻撃はしないはずだ。主として風や水、氷による捕縛を狙ってくるはず。敵の攻撃が制限されているというのは、アレクシアたち逃亡者にとっては、不幸中の幸いだ。もしも、敵の中に彼女たちの生死を問わず、この森のことも気にしない者がいたとしたら、千の雷や燃える天空のような広範囲殲滅魔法で焼け野原にされていたことだろう。

「敵の目的はあくまでも捕縛……なら、逃げ切れる可能性はあるはず!」

 それが一縷の望みであった。

 考える。 

 如何にしてこの危機を乗り越えるか。

 正確な敵の数は不明で、実力も謎。ただ、自分と同等か、それ以上の者がいるということだけは確かであり、その戦術は多対少に特化したものだ。ならば、何とか一対一に持ち込めれば、或いは希望があるかもしれない。

「が――――」

 アレクシアは右肩に鈍痛を感じてつんのめる。

 そのまま転がって巨木に身体を強かに打ちつけた。

「か、は――――!」

 遅れてやって来る激痛が、脳を痺れさせる。

 右肩に背後から突き刺さった氷の塊が、衣服に赤い染みを広げている。

 なるほど、とアレクシアは薄く笑った。

 確かに捕縛するとはいっても、五体満足である必要はないか。

「隊長!」

 追い抜いていったコリンが、慌てて振り返る。ブレンダとベティも足を止め、駆け寄ろうとする。

「来ないで!」

 アレクシアが叫び、三人を制した。

「コリン。二人を連れて先に行きなさい!」

 大剣を召喚したアレクシアは、立ち上がり、背後に向かって構える。降り注ぐ氷の矢を、雷で強化した大剣で打ち払う。爆音と雷撃が迸り、氷の雨を退ける。

「止まるな!」

「ッ……」

 コリンは唇を噛み、ベティとブレンダを抱きかかえて走り出した。

「あ、ちょっと! 止まりなさいよ、隊長は!?」

「操縦士! おい、何してる!」

「うるせえ! 分かってんだよ、だけどな、これは隊長命令だ!」

 怒鳴る。 

 己に言い聞かせるように。

 コリンだってあの場に残ってどうにかできるのならば残りたい。だが、それは不可能だった。手傷を追ったアレクシアを助けに戻ったところで、勢いを失った一行は一網打尽になるだけだ。彼女は残るつもりだった。手傷を追ったことで覚悟を決めたのだ。ジークフリートと同じように足止めに徹し、全滅を避けることでテオドラの救出に望みを繋げようとしている。

「テオドラ様を助けるために、一つでも多くの希望を残さなけりゃいけねえんだ。俺はともかく、お前たちはこんなとこで脱落させるわけにはいかないっての」

 コリンは一番の年長者でしかも男だ。筋を通すのならば、敵を相手に一騎当千の活躍をして、窮地をひっくり返すくらいはしてみたい。するのが正しいのだろう。だが、その力はない。無念で情けなくて仕方がないが、こういう場面では逃げるしかないのが、コリンの現実だ。であれば、せめて二人の少女くらいは安全な場所まで連れていかなければなるまい。

 ――――ぼさぼさしてないでさっさと戻って来いよ、ジーク!

 心の中で戦友に呼びかけ、コリンは森をひた走った。

 

 

 コリンがブレンダとベティを連れて離脱した。

 上手く逃げてくれと願う。

 アレクシア自身が怪我をしなくとも、どこかでこうなっていたことだろう。コリンに戦闘能力はなく、他の二人は年下だ。敵を足止めできるのはアレクシアだけなのだから、アレクシアが残る以外に道はない。それに、操縦士であるコリンがいなければ、せっかく村まで逃れて乗り物を見つけても扱えない。彼は「足」を動かす上で欠かすことのできない人材なのだ。

 氷の矢で貫かれた右手は感覚がなく、だらりと垂れ下がっている。

 魔法障壁と強化魔法を物ともせずに貫いたことから、防御無視の魔法が付与された高度な一撃だったことが分かる。殺す気ではないだろうが、死んでも構わないくらいには思っているのかもしれない。

 左手一本で扱うには重い剣だが、魔法のおかげで重量は関係なく振るうことができる。ただ、片手しかないという状況での戦闘を想定したことがなく、バランスが悪いという欠点はあるが、幅広の剣は楯にもなる。

 樹木に背中を預けて呼吸を整える。

 全身に裂傷と凍傷が多数ある。魔力も限界に近い。貧乏くじを引いてばかりだと自嘲する。

「何でわたしがこんな目に」

 地に伏せると、隠れていた大木が丸く削り取られて倒れた。

 風の弾丸が駆け抜けて、粉塵を撒き散らす。

 飛び出したアレクシアに殺到する魔法の数々。氷と水に紛れた風の矢が最大の脅威だ。身動きを封じられたところに攻勢魔法を放たれれば、さすがに死を意識せざるを得ない。

「う、あああああああああああああ!」

 アレクシアは障壁を全開にして、最も攻撃の薄い場所に自ら身を投げた。

風花・風障壁(フランス・パリエース・アエリアーリス)!」

 十トントラックの衝突すらも防ぎきる見えざる障壁を全面に展開する。風の障壁に突き立つ魔法の数々にアレクシアは総身を振るわせた。

「ぷはッ」

 思わず息を止めていた。

 魔法の雨霰を乗り切った先に、安住の地があるわけでもない。視線を走らせるアレクシアは前方に黒いローブの魔法使いを三人確認した。

「三人だけ――――いや……」

 黒ローブは囮だ。

 あれも見事な魔法の使い手なのは確かだが、それだけではない。わざと目立つ服を着ることで意識を引き付けている。探査魔法を発動、さらに視力を強化して全方位の策敵を開始――――頭上から落下物アリ。

「ッ」

 横っ飛びで避けたアレクシアのいた場所に、三人の緑色のローブを着た男が落ちてきた。

 魔法による迷彩ではなく、森の緑を利用した光学迷彩だ。

「セイッ」

 起き上がり様に大剣を振るう。

 戦闘のローブの裾を掠めるように振るわれた剣の切先から、障壁破りの魔法を放つ。斬撃を警戒した敵はまんまと引っかかり、魔法障壁を失った。

「白き雷――――!」

 至近距離から放たれた雷光に貫かれたローブは閃電に弾かれるようにして木に叩きつけられて動かなくなる。これで、残り二人。

「オオウッ」

 前に進み出た者のローブが肌蹴る。全身に白銀の体毛を生やした狼人間であった。肉体は二倍近くまで膨らみ、アレクシアを見下ろす真っ赤な眼光が薄暗い森の中で怪しく光る。

「ッ……!」

 アレクシアが真横に跳ぶと同時に、不可視の砲撃が地面を抉り取る。これは、狼の咆哮だ。魔力を練り込んだ空気を喉を通して砲弾として撃ち放ったのである。

 アレクシアは無詠唱で風の矢を五本跳ばした。狙いは白銀の狼人間。取り囲むようにして逃げ場を消し、あたかも鳥かごであるかの如くその身を拘束する。

 狼人間の姿が消える。

 風の五矢が絡め取ったのは、狼人間が羽織っていたローブだけだ。

「う、あ……!」

 咄嗟に剣を楯にするアレクシアを、丸太で殴りつけたような衝撃が襲う。小柄な身体が宙を舞い、巨木に背中を叩き付けられた。肺腑の底から空気が抜けて、そのまま枯葉の海にうつ伏せになる。

 トドメとばかりに、狼人間がアレクシアに走りよる。

 どれだけ逃げても無駄なわけだ。

 臭いで追跡してくるようなメンバー構成では、空を行く以外に逃げる術がなかったのだ。が、ここで彼を抑えれば、コリンたちを逃がす時間は稼げる。

 狼人間が三メートルのところにまで近づいたとき、アレクシアは枯葉の下に隠れた魔法陣を起動させる。

 ブレンダが仕掛けた拘束魔法が淡く輝き、狼人間を束縛する。

「く……ぬぅ!」

 地面から現れた十三の鎖は屈強な狼人間の身体に絡みついて完全にその動きを縫い止めた。

「油断したな」

「面目ない」

「構わん。いずれにしても捕らえれば務めも終わりだ」

 残り一人。

 アレクシアは跳ね起きて、剣を振るった。閃電が地面を駆けて、最後の一人に迫る。

「フン」

 地面を踏みつけた男の足元から放射状に気が広がる。それは三百六十度に行き渡り、地を走る電撃を吹き消してしまう。

 防がれることは承知の上だ。

 アレクシアは一息で敵の懐に飛び込んだ。相手は今、アレクシアの魔法に対処したばかりで防御の姿勢は取れていない。

 突進の勢いをそのままに、アレクシアは敵に向けて剣を振り下ろした。

 こともあろうに、ローブの男はアレクシアの剣を右前腕で受け止めた。強化魔法を施した大剣の攻撃力は岩をも砕くというのに。それを平然と受け止めて、尚且つ蹴りで反撃までしてくる。アレクシアはバックステップで交わしつつ、剣の切先を向けて牽制した。

「強い」

 小さく呟く。

 先行してきた三名の魔法使いの中で、この男が最も厄介だと直感した。

 動かぬ片手というハンデを抱えて、戦える相手ではないと。

 男の右袖が裂けて腕が露になる。鍛え抜かれた太い腕だ。前腕の太さは、アレクシアのそれの二倍を越える。当然のことながら、身体強化魔法の技術が同等であった場合、術者の強化後の身体能力は素の身体能力に左右される。相手が屈強な男であり、かつ身体強化の魔法に長けていた場合、アレクシアは筋力ではまず勝ち目がない。

「女性を相手に、ずいぶんと物騒ですね」

 などと、声をかけてみる。

 相手は特に反応を返さなかった。生粋の仕事人。これから捕まえる犯罪者といちいち会話を交わすつもりはないということか。

 これでは、交渉の余地はなく、会話による時間稼ぎもできないだろう。

 敵の姿勢が低く沈む。

 次の瞬間、バネ仕掛けの玩具のように爆発的加速で以てアレクシアとの距離を縮めた敵の瞬動に、思わず身を固くする。

 ――――しまった!

 思うよりも前に身体を動かす。

 剣を手放して転がるように後ろに下がる。大剣の間合いに入られた以上、持っていても荷物になるだけだからだ。身軽になって、腕を自由にしなければならない。眼前に迫る黒い棒状の武器をアレクシアは強化した左手で払う。直接受け止めれば、骨を砕かれそうだから、まともに防御はできない。

 払い、首を捻り、身を低くして掻い潜る。

 男が振るう棒が空気を切る音が断続的に続き、掠めた木々が表皮を砕かれる。

 それが、トンファーと呼ばれる武器であるなどと、魔法世界人たるアレクシアには知る由もないが、剣の間合いよりも深く敵の懐に入り込んだ状態での打撃戦に於いて無類の強さを発揮する武器の一つである。

 アレクシアが腰から抜いたナイフとトンファーが火花を散らす。

 形勢は傍から見てもアレクシアが不利だった。敵の猛攻を必死になって受け流すだけの作業が続く。

 後ろに下がりながら武器を打ち合わせる中で、アレクシアは遂に露出した岩に足を取られてバランスを崩した。そこを狙って打ち込まれたトンファーがナイフを弾き、二撃目でアレクシアの顎を掠めた。絶妙な角度で入った一撃によって、脳が揺さぶられて膝から力が抜けた。

「か、あ……」

 膝をつき、前のめりになって倒れ込む。

「ぐ……!」

 辛うじて意識を保ちながらも、視界が揺れてまったく手足が動かない。

 脳震盪を起こしているのだと理解するのに、十秒近くを要した。それだけの時間を無防備にしていれば、当然のように囲まれる。

 緑のローブのみならず、魔法攻撃を仕掛けてきていた黒ローブまで出てきて、アレクシアの周りに合計で八名もの魔法使いが現れた。

「確保しろ」

 緑のローブが言う。

 動けないアレクシアにさらに魔法の拘束がかけられていく。声も出せず身体も動かせず、魔力すらも封じられていく。思考が朧になり、やがて闇が押し寄せる。

 眠りに落ちる寸前のアレクシアの頬を、柔らかい風が撫でた。

 ふわり、と宙に浮く感覚。

 魔法拘束が崩れ、身体の自由が戻ってくる。

 ショートしかけた意識が急速に浮上していく。

 ああ、――――来るだろうとは思っていた。タイミングを見計らっていたかのような絶妙な頃合。物語としては映えるだろう。しかし、アレクシアからすれば恨み言の一つくらいは言いたいものだ。

「ありがとうございます。ですが、少し遅いと思います」

 アレクシアは安堵の笑みを浮かべて言った。

 

 

 コリンたちと合流するべく森を走り抜けたジークフリートの眼前に広がっていたのは、砂の大地であった。一キロほど先には青々とした緑が広がっているのが見える。

 南北五キロ、東西一キロに渡って不毛の大地がむき出しになっていたのである。ところどころに炭化した木が転がっている。ここはかつて戦場だったのだ。大魔法か艦載砲か、あるいは単に炎が延焼しただけなのか。熱帯雨林を構成していた木々は燃え墜ち、以降草木一つ生えない状態が続いている。

 熱帯雨林の特徴の一つである。

 豊かな植生に反して土壌そのものは決して豊かとは言えず、何らかの理由で木々が一度に失われると急速に砂漠化してしまう。

 魔法世界のみならず、旧世界でも同様の理由から砂漠が広がっている土地もある。

 だが、一見して不毛の大地となったこの地にも、根を張る命は存在する。

 先に逃れた三人の仲間の姿は六百メートルほど先にあり、その北側の砂地が盛り上がって一匹の巨大なミミズのような生き物が姿を現す。

「砂蟲……!」

 アレクシアは息を呑んだ。

 全長は三十メートルには達するだろうか。皺だらけの表皮は分厚く、先端からイソギンチャクのように無数の触手を生やした姿は生理的嫌悪の対象となる。恐るべき巨体は、砂漠に生きる様々な命を食い荒らし、我が物顔で砂の海を泳ぐ。

 成体ともなれば魔法使いすら捕食する。

 まさに、砂漠の王。

 砂漠を渡る上で、出会ってはいけない魔獣の一種であった。

「ジークフリート!」

「ああ」

 ジークフリートは砂の大地に足を取られることもなく、一息で走りより、今まさにコリンに襲い掛かろうとしていた魔獣のどてっぱらを剣で両断する。

 ただの一振りで、巨体は二つの肉片となり血飛沫を上げて崩れ落ちる。

「ジ、ジークぅぅ! どこ行ってたんだよ、寂しかったじゃねえか!」

 コリンはジークフリートに縋りつくようにして言う。

「何を情けないことを」

 ため息をつくアレクシアは、ジークフリートに抱えられたままで身じろぎする。肩に重傷を負っているのだ。話すことすらもの億劫であるはずだ。血も大分流している。治癒術も簡易的なものしかかけていないので、早急に身を休ませ、本格的な治療が必要であった。

「追手は倒したはずだが、次が来るかもしれない。まずは目的の施設まで行こう」

「あ、ああ。……そうだ、ブレンダ。お前治癒得意だろ」

 コリンがブレンダに言う。

 アレクシアの治療を道中で進めていくのだ。感染症などの危険もある。可能な限り早く処置しておきたい。防御に秀でるブレンダは、その影響か治癒についても才がある。

「分かってる。歩きながらってのは、さすがに初めてだけど、大丈夫」

 頷く少女はアレクシアの怪我の具合を見て取って、持ちうる中で最適な術式を脳裏に浮かべて呪文を詠唱する。

 すぐに塞がる傷ではない。止血をきちんとして殺菌消毒。少しずつ内側から修復していく。

 小さな砂漠地帯から再び森に入る。

 目的地までは徒歩で一日ほどの距離ではあるが、熱帯雨林を抜けるということもあって三日は見たほうがいいだろう。

「なあ、ジーク」

 枝葉を払いながら、コリンが語りかける。

「どうした」

「施設に行くのはいいとして、それからどうするかってこと。テオドラ様を助けるにしたって情報がまったくないじゃないか」

 テオドラを助けるという目的は明確だが、そのための道筋が見えない。

 まず、どこに幽閉されているのか。無事なのか。そういったことがまったく分からないのだから動きようがない。

 情報を収集するにしても、お尋ね者となった自分たちにできることはほとんどないのではないか。

「一つだけ、情報はある」

「何だって?」

「俺を助けてくれたダーナという魔法使いが――――情報通だった。完全なる世界のこともテオドラのことも知っていた」

「何の冗談だ、それ。森の賢者か何かかよ」

「賢者というよりも、あれは文字通りの魔女だな。極力関わり合いにならないほうがいいのだろうな」

 見るからに怪しい雰囲気を醸し出す、巨体の女魔法使い。伝説や童話に出てくる魔女も同然の風貌と、規格外の智慧と実力は、世界の裏側に住まう別次元の生き物であるということの証左でもあった。

 彼女は抑止力を知っていた。

 ジークフリートが抑止の環からやって来たとなれば、身の破滅を避けるべく彼に多少の協力をしてもおかしくはない。如何なダーナと雖も世界を相手にして切り抜けることは不可能なのだから。

 もっとも、ダーナ曰くジークフリートですらおまけに過ぎないのだとも。

 ジークフリートという英雄の存在を、この世界に即した英雄を育てるための指針の一つとしているのではないかと、彼女は解釈していたようだ。

「詳しくは後で話そう。その後で、テオドラ姫の救出に向けた方針を決めるべきだ」

 

 

 

  



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第十七話

 次元の狭間で寝食し、あらゆる時間を超越した魔女であれば、テオドラが囚われている地を知っていてもおかしくはない。

 餞別に受け取った情報が正しいという保証は皆無だ。ジークフリートとて、彼女の気まぐれに救われただけでその本質はまったく見えていない。あれは嵐のようなものだ。気侭に俗世に関わり、好きに荒らして責任の一切を放棄して去っていく。そういう人の形をした災害のようなものがダーナという怪物なのだろう。よって、彼女の情報を信じるのはリスクが大きい。

「……しかし、何の情報もない今は縋るしかないところですか」

 アレクシアはメモ帳を閉じる。

 追われる立場となった今、可能な限り魔力の行使は避けたい。魔力で探知される可能性があるからだ。そのため普段魔法で行っている軽作業も、手で行うようにするなど工夫しながらの逃亡生活を送っている。

 放棄された軍事基地に放置されていた浮遊式軍用車を駆って国境線までやってきたジークフリートたちは、選択を迫られている。

 この先の道を行けばメセンブリーナ連合の領地に入る。

 テオドラがいるとされる夜の迷宮までは直線距離にして六千キロだ。

 敵地に単身乗り込むようなもの。

 支援はなく、テオドラの所在についても不明確だ。もしも、これが誤った情報であれば、無駄足にもほどがある。それだけならばまだしも罠であれば。

 考えれば考えるだけドツボに嵌る。

「ジーク。どうする?」

 コリンが尋ねる。

「俺が決めていいのか?」

 異邦人たるジークフリートが仲間たちの今後を左右する決定を行う。それで大丈夫なのかと。リーダーは本来アレクシアだ。

「ダーナという人物を直接見ているのはあなただけです。それに、わたしたちはもう帝国の騎士ではありません」

 アレクシアが言った。

 疲れたような口調だ。実際にかなり疲弊している。怪我の具合は大分よくなったが、まだ安静にしていなければならない。その上ここまでノンストップで車を走らせてきたのだ。皆、大なり小なり心身に不調を抱えているだろう。

 テオドラが連れ去られる前と後とでは、一行の立場は大きく異なっている。

 救国の英雄から反逆者へと立ち位置を替えた彼らに安住の地はない。周囲は敵だらけで、どこに行っても追われることとなるだろう。連合に身を寄せるなど問題外。かといって帝国からも追われるとなっては、どうしようもない。

「進むしかない。夜の迷宮に」

 ジークフリートは言葉少なに言った。

 誰も、反論はしなかった。

 「進むしかない」

 その一言がすべてを表していた。

 引き返しても事態は改善せず、手を拱いていても悪化する一方となれば、ダーナのもたらした情報に縋る以外に道はない。

 ただ、その道の険しさに誰もが口をつぐんだ。

 目的地までの六千キロ。それも直線距離だ。真っ直ぐいけるわけもなく、道中に様々なトラブルがあると考えると、急いだところで辿り着くのはいつになることか。

 夜の迷宮は砂と石が支配する砂漠地帯にある。厳しい環境と、その環境下で進化した魔獣が蠢く死地である。安全な道などなく、敵地であることもあって命懸けの旅となるだろう。

「ああ、行こうぜ。やるっきゃねえしな」

 コリンが最初に口を開いた。続いて、ブレンダとベティが賛同する。テオドラを救い出す。ただその一念のみがあった。

「決まりですね。わたしも異存はありません」

 そして皆の意見を集約するようにアレクシアが答えた。

 目的地は決まった。今後の指針も定まった。後は歩を進めるだけ。

 ハンドルを握るコリンが昂揚したような表情でアクセルを踏み込んだ。エンジン音が高まり、静止状態から覚醒した車が淡い光を纏って走り出す。

 

 

 

 ■

 

 

 

 煙る空気に咽てナギは咳き込んだ。

 崩れ落ちる石の城。高さ五十メートルを誇った娯楽施設が今となっては瓦礫の山だ。

 十年前までは辺境一と称されたアミューズメントパークだったここは、閉園の後にマフィアの手に落ち、その悪意を周囲の村々に伸ばしていた。

 乾燥に悩まされるこの地域の命綱とも言うべき水源を一括管理し、それを以て一帯を事実上の支配下に置いていた。行政とも癒着しており、戦時下の非常事態の中でその悪辣な手はますます大きく広く伸びていた。

 その組織を単身乗り込んで潰したのが数分前のことだ。

 武装した敵は百を超えたが、ナギにとっては羽虫に等しい雑兵だった。

 オスティアに攻め込んできた帝国軍を追い払ったときですら、相手を戦闘不能にしただけで命までは奪わなかった。――――手を抜いたとも取れるが、それができるほどの実力差をナギは敵に示していた。ジークフリートにあしらわれるまでは最強の魔法使いと自負して疑わなかった。敗れた後も弛まず努力を積み重ね、さらに一段も二段も力を底上げした。マフィアを一つ潰す程度、片手までできる。

「まあ、ここはもう使い物にならねえな」

 もったいないとラカンは言う。

 崩れた建物の中には年代物のワインや高価な食材も多々あっただろう。財貨に興味はなくとも飲み食いは大いに楽しむ男だ。強者との戦いも好むところ。俗物な願いはなく、真っ当な望みもないが悪ではない。それが、ラカンという男だ。気の向くままに戦うさすらい人の性が、もともとは敵であったナギと合ったのだろう。こうして共に逃亡生活を送るほどに運命を共有してしまっていた。

「まったく、どう後始末をするつもりだナギ」

 と詠春がナギをしかりつけた。

「気持ちは分かるが、もっと静かにできただろう。派手に騒いだらいつ追っ手がかかるとも知れんのだぞ!」

 倒れた石柱に腰掛けるナギに詠春は厳しい口調で言った。

 反逆者として指名手配中の『紅き翼』は連合から追われており、煮え湯を飲まされてきた帝国からも当然賞金をかけられている。

 大規模な魔法の行使は追っ手に探知されやすく、ナギが大きな力を持っていようとも人間である以上はいずれ限界が訪れるだろう。

「いや、でもよ。ここの連中はさっさと潰しておいたほうがいいぜ。どうせ、アイツラと繋がってんだしよ」

「それは当然だ。だが、やり方ってものがあるだろう。これなら俺やアルビレオが乗りこんだほうが穏便だった」

 建物一つを崩落させる大魔法で方をつけるというのも一つの手だが、目立たないようにするのならば剣士である詠春や多芸に秀でるアルビレオが攻め込んだほうがよかった。ナギやラカンの力は軍隊規模の物量を持つ敵か人外の巨体に対して振るうべきものだ。

「まあ、そう怒ることもないでしょう。追っ手がかかるにしても数日の猶予はあります」

 いつの間にそこにいたのだろうか。

 ゆったりとしたローブを風に任せ、涼やかな表情でアルビレオが言った。

「この組織が完全なる世界と繋がっていたのは事実です。もっとも、末端の末端でしかありませんが」

 アルビレオは崩壊した建物を眺める。

 激烈なるナギの大魔法を受けて一部は融解している。

「これで敵に打撃を与えられるかと言えば、まずありえないでしょう。こちらは居場所を敵に曝しただけ……ですが、捨て置くわけにはいかない。そういう手合いです」

 末端を潰しても大勢に影響は与えない。むしろ、自分たちの首を絞めることにもなりかねない。しかし、かといって放置すれば敵はここを拠点に騒動を巻き起こすだろうし周辺住民の安全は脅かされ続ける。手を出さずにはいられない。こうした不毛な戦いをナギたちは強いられていた。

「先ほど、興味深い噂がありました」

 と、ナギに水筒を渡したアルビレオが言う。

「噂?」

 ナギは水筒の口を開けて一口水を含んだ。

「ええ。帝国の竜殺しとその仲間が反逆罪で逃亡中との噂です」

「はあ?」

 ナギは思わず水筒を落としそうになった。

「んなわけねーだろ。仲間はどうか知らないけどよ、あの強さは異常だぜ。帝国がアイツを切り捨てるか? それに帝国を裏切る理由も思い当たらないぞ?」

「そうですね。まあ、一度しか会っていませんから実際のところは分かりませんが、彼の人柄から裏切りは考えづらい。……ああ、罪状はテオドラ姫を連合に売り渡した罪だそうです」

「テオドラ……第三皇女か! つーことは……」

「はい。我々と同じ。彼らも、完全なる世界にしてやられたということでしょう。情報が出回っていないのではっきりとはしませんが、ガトウが言うには限りなく真実に近いそうですよ」

 『黒の翼』が指名手配中であるということは、帝国の外にはほとんど出ていない情報であった。それは、手配からまだそう日数が経っていないということに加えて、この機に乗じて連合の進撃が加速することを恐れたからであろう。

 ジークフリート一人に対して、連合側は恐怖にも近い感情を抱いている。ちょうど、帝国の兵士がナギを赤毛の悪魔と呼ぶように。

 同様の理由から、『紅き翼』に関する情報も帝国側に漏れないように細心の注意が払われている。

 もちろん、それも大した時間稼ぎにはならないだろう。メディアが発達した今、有名人が賞金首になったというスクープは遠からず衆目に曝されることとなるだろう。

「彼らがどこで何をしているのかは分かりません。ですが、状況から言ってアリカ姫と共に攫われたテオドラ姫の奪還を目指すでしょう」

 それは『紅き翼』の目的とまったく同一のものとなる。

「なら、何とか連絡を取って共闘できないだろうか? 彼が味方になってくれれば、心強いぞ」

 詠春の提案にアルビレオは静かに首を振った。

「可能なら、そうするべきでしょうね。もはや帝国も連合も関わりがない。あちらが完全なる世界を敵にしているのならば、我々は共闘すべきです。が、肝心の連絡先が分かりません」

「むぅ……」

 詠春は渋い顔をする。

 目的は同一。敵も同一。ならば手を取り合える可能性は非常に高い。しかし『黒の翼』の面々との面識は『紅き翼』にはなく唯一ジークフリートと戦っただけだ。その後に関わりを持つことはなく、その活躍だけが耳に届いている。過去の遺恨はほとんどない。――――ジークフリートやその仲間が『紅き翼』をどう思っているのかはまた別問題だが、こちらとしては共闘することを前向きに捉えられる。だというのに、接触を持つことがまずできない。

 『紅き翼』も『黒の翼』も、共に逃亡中の身だ。表立って動けない以上、連絡先を調べることなど不可能と言っていい。

「目的地は定まっているのですから、その内会えるかもしれませんよ。いずれにしても、敵の存在を表に出すことができれば、状況は改善するはずです」

 完全なる世界の蠢動を連合と帝国の両国に知らしめることさえできれば、魔法界を別つ大戦争に終止符を打つことができるだろう。残存戦力を結集し、完全なる世界を相手に決戦を挑むことも不可能ではない。そのためには、真実を知る者を増やしていく必要がある。できる限り各国の上層部に。ヘラス帝国の第三皇女はうってつけの人材と言えるだろう。

 敵はテオドラの身柄を押さえたい。こちらもテオドラを引き入れたい。重鎮にして民草からの受けがいい彼女ならば帝国国内での世論に与える影響も大きいだろう。

「しばらくは大人しくしたほうがいいでしょう。姫様方を救出するにしても敵が居場所を替えてしまえば元も子もありません」

 ナギが暴れることで、完全なる世界の警戒心が高まり、アリカとテオドラの幽閉場所を替える可能性がある。そうなれば、初めからやり直しだ。

 今はまだ、敵はナギたちを軽視している。

 積極的に対処しようとはしないだろうが、それでもナギが騒ぎを起こせば起こすほど、敵からの注目度も高まっていくのは当然だ。

 まずは救出作戦を成功させる。そこから味方を増やしていって、反攻作戦に移行するのがスマートな戦術であろう。

 もっとも、ナギは目の前の不幸を見過ごせない青い一面を残している。

 清濁を併せ呑むだけの懐の広さを持っていないから、戦略的に悪を見過ごすということができない。追われていながら、目立つような振る舞いをしてしまうのもそのためだ。

 ならば、ナギのそのような一面を利用して、状況を有利に運ぶべきだ。

 もしも、『黒の翼』がテオドラの救出に動いているのならば、こちらが派手に暴れることで敵の目を惹き付けることができるかもしれない。それがのろしとなって彼らと連絡を取ることができるかもしれない。息を潜めて夜の迷宮に侵入する手もあるが、救出そのものを別勢力に任せて、その後方支援を行うという手も悪くない。

 いずれにしても、目的地まで真っ直ぐ行けるはずもない。

 もうしばらく様子を見つつ情報を集め、最も確実に救出作戦を成功させることのできる時期を見計らうべきであろう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 思いのほかメセンブリーナ連合の領土内は居心地がいい。

 というのも、多くの人々は『黒の翼』の顔ぶれについて知識がないからだ。

 『紅き翼』を英雄視している彼らにとっては、その好敵手たるジークフリートの名前を聞いたことはあるだろう。だが、顔を知っている者は少ない。当然ながら、戦場とは縁のないその他四人については情報がまったくないのだ。

 結果、母国では指名手配をされている『黒の翼』も、連合の辺境都市では市井の民に紛れて生活することができていた。

「早いとこ片付けちまわないとな」

 街外れの砂地にブルーシートを敷いたコリンが言った。

 空は満天の星空で、小さなランプの明かりで作業を進めている。

 辺り一帯は草原であり、城塞都市がでかでかと鎮座している。外敵や魔獣から街の住民の命と資産を守るため、都市そのものを壁で囲う構造は、魔法世界に限らず旧世界にも普遍的に見られる。

 その外は外界、野生の世界。装備もなしに出歩くのは危険を伴う。交通機関が発達した現代は別として、前世紀では街から街へ移動するのも命懸けだったのだ。そのため、今でもよほどのことがない限りは外に人が出てくることはない。

 一行が乗ってきた軍用車は、帝国のものだ。これを連合の領土で乗り回せば、当然自分たちは帝国の軍人であると宣言しているようなものである。一般人ならばまだしも、軍人に見られれば正体を看破されるだろう。よって、訪れた最初の街ですることは、帝国産軍用車を見た目だけでも一般に普及している普通車に改造することだった。

 取り急ぎペンキで黒から青へ色を変える。

 細かな改造は専門の設備がなければ難しい。コリンの技術があっても、外装を取り替えるには相応の材料が必要なのだ。今の彼らにそんな金はない。街外れのバーに張り出される魔獣退治の依頼を受けて日銭を稼ぐくらいが関の山である。

 必要なのは燃料だけだ。

 食事は魔獣を狩って肉を取ればいい。寝床も車がある。水は魔法で生み出せる。ならば、移動手段さえ確保していれば旅はできる。

「どれくらい、時間がかかるものなんだ?」

 ジークフリートが尋ねる。

 知識では知っていても、目の当たりにしたことはない。

「丁寧にするつもりはねえけど、ま、あまり不出来になっても人目を引くからな。それに障壁も弄っておきたいから、半日は欲しいところだな」

 塗装よりも魔法関連の偽装に神経を使う。

 違法改造など、辺境を渡るにはある程度必要な技能とはいえ、道具が心もとない状況ではどこまでできるか。魔法をかけて補えるのならばそれに越したことはないが、それも連合や帝国に引っかかるようなものでは使えない。

「ジークはその辺でゆっくりしといてくれ。ああ、寝るのは勘弁してくれな。俺が襲われたら一溜まりもねえからな」

 などと言って、笑う。

 女性陣は車の中で休んでいる。気楽なものだと愚痴ることはできない。

 戦いになれば、彼女たちにも出てもらわなければならないのだ。

 ジークフリートはどうだろうか。彼に体力の限界があるようには思えないが。

「明日の昼間には、ここを発たないとだめだろうな」

「できるだけ早くテオドラを助け出すのならば、出発は早いに越したことはない。だが、大丈夫か?」

「何が?」

「コリンの身体のことだ。昼間から運転を続けていただろう。その上徹夜だ」

「まあ、運転手なんてのは、こういうところで無理するものだしなぁ」

 と、半ば諦めたように言う。

 実際はかなり眠いし疲れも溜まっている。

 しかし、この中で最も運転技術に精通しているコリンが運転する以外にない。少なくとも追っ手がある可能性もあるのだから、戦闘要員は手を開けておいたほうがいい。

 『騎乗』スキルがあれば、ジークフリートも何かしらの手助けができただろうが、サーヴァントならぬ生身では、聖杯戦争のクラススキルは所持していない。現代知識はあっても、技術は伴わないのだ。

「これが終わったら寝させてもらうわ。アレクシアたちと交代でな」

 昼頃に出発する予定だと言ったのは、自分が休息する時間も加味しての発言だったのだ。

 体内時計が狂ってしまうが、それは仕方のないことだ。夜間も気を抜くことができないのだから、ある程度拠点を定めるまでは誰かと交代制で見張りをしなければならない。

「夜の迷宮まで、順当に行っても一ヶ月はかかる。今のうちにこの生活に慣れとかないとな」

 コリンはため息混じりに呟いた。

 道中敵の妨害があれば、さらに時間がかかるかもしれない。運よく飛行機などに乗り合わせることができればいいのだが、真っ当な交通機関は監視されているだろう。

 監視の目が届きにくい車による移動が安全で確実であるように思える。その分時間もかかるが、空を行ったからといって予定通りにことが運ぶはずもない。

 空は目立つしその分妨害も多くなるだろうから。

 敵がやってくれば、その時はジークフリートが剣を振るって追い散らせばいい。

 やるべきことはシンプルだ。実現は難しく、多大な艱難辛苦に塗れているが、乗り越えなければテオドラは救い出せず魔法世界全土の危機を見過ごすことになる。関わった以上逃れることはできず、そのつもりもない。

 正義の味方を目指すジークフリートだけではない。

 不真面目なところもあるコリンであっても、それは同じだった。




城持ち兄貴とファラオとセミ様とウルクの城壁持ってきたギル様の激闘が見たいです。

キャスター適正ある神代のランサーと中世出身のキャスターだと、型月世界の特性的にキャスターのほうが魔術戦で不利になるのだろうかね。そもそも対魔力がネックだけども、個人的にはキャスターの手練手管を駆使した魔術戦らしい魔術戦が見たいところ。


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第十八話

霊基再臨できぬ


 五人の人間を広大な領土から探し出すのは困難を極める作業である。

 魔法による映像記録や探知は、それと同じ結果をもたらす旧世界の科学技術が生まれるよりも前からあって、一般にも普及しているものではあったが、それが街中に張り巡らされていたとしても外国から侵入してきた異邦人を探すなど、砂漠の中から一粒にダイヤを探し当てるに等しい労力を必要とする。まして、ジークフリートたちが連合の内部に潜伏しているとは、誰も気付いていないのだ。自ら見つかるようなことをしなければ、目的地まで大きな邪魔が入ることはないだろうと思われた。

 夜の迷宮まで、残すところ千キロとなった辺りで、急速に周囲は砂漠に姿を変えていた。見渡す限りの砂と岩の連続。なだらかな砂丘の先には、さらに数え切れないほどに連なった砂の山。赤い大地に、緑はない。

 国境沿いを西に只管走り続け、三週間ほど後に北上。真っ直ぐに内陸部にある夜の迷宮に向かう。ここまで、妨害がないとむしろ不安になってくる。謀られていたのではないかと。無論、ジークフリートたちの行動にそこまで注意を払っていなかったり、そもそも把握していなかったりする可能性はある。現状では、自分たちに都合のよい展開になっていると信じることしかできない。ならば、どこまでも突き進むのみだ。

 浮遊する軍用車は時速百キロの速度で砂漠を走っている。

 地表から五十センチほどの場所を浮遊しているために、砂の影響は皆無である。

 これが、旧世界の自動車であれば満足に走ることができず難儀していたであろう。

「広い砂漠だな」

 四方に目を光らせても、見えるのは砂に覆われた大地と地平線の彼方にまで伸びる青い空だけだ。ジークフリートも見たことのない景色の連続に感嘆するほかない。

「魔法界でも随一の広さがある砂漠です。帝国は湿潤な南国なので、ここまでの砂漠はほとんどないのですが、連合の領内にはいくつか砂漠地帯があるのです」

 旧世界と魔法界。環境は異なるが、砂漠に対する問題は似通ったものだ。

 魔法界の砂漠も、年々面積が大きくなっている。世界最大級の砂漠である、ここもまた成長途上であり、すでにこの百年の間にいくつかの村を飲み込んでいるのだ。

 水は魔法で生み出せるから生活することはできる。しかし、朝晩の寒暖の差はいかんともし難い。生活しにくくなり、少子化が進行し、廃村となっていく。

「……この先にある村も、廃村か?」

 ジークフリートの目が、進行方向に小さな村を見つけた。

 見たところ、人気はない。小屋のように見える家がいくつか集まったそれは、今や風化の一途を辿っている。

「そのようですね。地図に載らない村もあるということでしょう」

 本来、近代国家にそのような村が存在してはいけない。しかし、魔法世界の文明は格差が大きすぎる。メガロメセンブリアは旧世界に近く、極めて発展的な都市を形作っている一方で辺境では前世紀あるいは中世に近い政治形態、生活を余儀なくされている地方もある。砂漠のような見放された土地には、こうした住民が少なくない。表面的になっていないだけで、潜在的には数千から万単位の人が行政の目の外にいるとされる。

「今夜の拠点にしてみるのも、悪くないんじゃないか」

 村を外から眺めて、コリンが呟いた。

 白い石壁の家が十数軒立ち並ぶ、小さな村だった。

 様子を見るために、ジークフリートとアレクシアが車の外へ出て、村の散策に向かった。

 砂に足を取られながらも、二人は村の中に入る。

「人が離れて、ずいぶんと経つようだな」

 家は半ばまで砂に埋もれている。中に入ることなど不可能だ。手を伸ばせば屋根にすら届くほどで、この村が放棄されて数年は経っていることを物語っている。

「どちらにしても、障害物があるのはありがたいです。風避けくらいにはなりますし、身を隠すこともできます」

 ジークフリートは頷いた。

 砂漠には障害物がなく、風が強い。砂嵐が頻発し、休息を取るのも一苦労だ。

 昼の高温も、夜の極寒も人が生きるには辛い環境だ。外に出るなど考えられず、車内で生活の大半を送る。とはいえ、環境面での問題は魔法によってその多くが改善できる。車内にいれば、砂嵐も寒暖差も受け流すことができる。最大の問題は、強力な魔法生物に襲撃される可能性が常にあるということだ。

 砂漠も熱帯雨林と同様に種類こそ違えど多くの生物が生息している。厳しい環境ではあっても、そこに適応進化した生き物たちにとっては楽園でもあり、人間の手が届かないからこそ自然の姿を残しているのだ。

 魔法を操る生き物は、生態系の中でも頂点に位置する。

 種類によっては、一般的な魔法使いを一蹴するほどの力を持つものもいて、砂漠を渡る旅行者の死因は環境によるもの以上に魔法生物との偶発的な出会いによるもののほうが圧倒的に多いのが現状だ。

 例え、下位の魔法生物であったとしても、戦闘訓練を受けていない魔法使いならば、為す術がないのだ。

 今は昼間だ。

 太陽は中天にあり、気温は最も高い時間帯である。多くの生き物が砂の下に隠れるなどして直射日光から逃れている。

 村の中心までやってきて、アレクシアが足を止める。

 注意深く周りを見回した。そこは交差点になっている。村は円形に作られているので、円の中心に立っている形となる。在りし日は、ここを中心にして四方に伸びる道があったのだろう。

 道幅は十メートル近くある。家は原型を残さず壊れてしまったものも多いようだ。屋根が崩れ落ちたのは風化かそれとも別の理由か。

「何かあったか?」

「何か、いるようです」

 と、アレクシアが答えた。

 アレクシアは探知魔法を使って、村をサーチしている。その魔法に、引っかかるものがあったのだ。

「かなり大きいです。そこの家の直下に、十メートル以上の生き物が潜んでいます」

 アレクシアが指差したのは、現在地から二十メートルばかり離れた家だった。村の中心に近いおかげか、外縁部に比べれば砂の侵食は少なく済んでいるようだが、それでも一メートルほどは砂に埋もれている。

「確かに、この砂漠で屋根があるのはありがたいのだろう。ここは生き物たちの憩いの場ということか」

「そんな、明るい場所ではないようですよ」

 アレクシアが足を退ける。

 砂が崩れて、白い物体が現れた。

 生き物の骨のようだ。人間のものではないようだが、そこそこの大きさの生き物がここで死んだのだろう。太い骨は半ばからへし折れていて、自然死ではないことをうかがわせた。

「なるほど……」

「はい。どうやら、ここは狩り場のようです」

 言うや、ジークフリートはアレクシアを小脇に抱えて跳んだ。直後、砂を撒き散らして赤いロープのようなものが飛び出した。

 砂が崩れていく。

 家屋が倒壊し、地下から這い出てきたのは一匹の巨大な虫だ。

 三対の足と上下二対の巨大な鋏。尾部に当たる部分から伸びるのは十メートルを優に越える尾であり、その先端には鋭い棘があった。

「蠍か」

 知識にあるものとは若干の違いこそあれ、その身体的特徴は蠍と形容するに相応しいものであった。――――尾の先まで含めれば、全長三十メートルに達する怪物を蠍と呼んでいいのかどうかは別として。

「エリモス・スコルピオス――――砂漠に生きる生き物の中でも最大級の身体を持つ肉食生物です」

 全体像が露になると、その大きさに驚く。ドラゴンほどではないにしても、魔法生物全体でも上位に入る大きさではないだろうか。魔法障壁も張っているようだから、かなり高度な知能を具備していると考えていい。

 このような生き物が時として人間の旅を妨害する。砂漠に潜む危険は、一見して分かりにくく、出会った時点で死が確定するような理不尽が罷り通っている。

「高温が苦手なので、大抵は夕暮れから夜間にかけて動く夜行性ですが、テリトリーに入った相手を積極的に攻撃する気性の荒さも有名です。砂漠を取り上げた番組でよく紹介される種ですね」

「それもテレビの受け売りか?」

「はい」

 アレクシアは頷いて、剣を呼び出す。

 エリモス・スコルピオスは強力な生物だ。帝国騎士であろうとも、そう容易く相手取れるはずもない。しかし、ジークフリートがここにいる以上、心配は杞憂である。その信頼がアレクシアの余裕に繋がっている。

「エリモス・スコルピオスは単独行動を好みますし、動く生き物は捕食します」

「つまり、この蠍を倒せばこの辺り一帯に生き物はいなくなるわけか」

 それは僥倖だ。

 夜間に襲撃されるリスクが大きく減る。

 一旦は毒針を警戒して尾の射程外に出たジークフリートであったが、幻想大剣を抜き、再度エリモス・スコルピオスと向き合った。

 キチキチと怪物が音を鳴らした。

 四つの鋏が大きく開かれ、毒針の先端からは毒液の雫が零れ落ちている。

 異常なまでに発達した長い尾と太い鋏がこの蠍の武器だ。毒針は鉄板を貫くほどで、鋏は斬り裂くのではなく、押さえつけ圧殺するためのものである。その力は大型車両を容易く持ち上げるほどだ。小型種ではあるが、竜種を捕食したという記録もある。

 そして、何よりもエレモス・スコルピオスは魔法生物である。

 当然、その身に纏う魔法障壁だけが魔力由来ではない。

 振り上げた鋏の先端を砂に差し入れたエレモス・スコルピオスが魔力を躍動させる。なんらかの魔法の気配にジークフリートは警戒するも、予想外の攻撃に瞠目する。

 足元の砂が崩れたのである。

 すり鉢のように。

 蟻地獄を思わせる砂の檻。

 足場を失ったジークフリートに向けて、長い尾が振り下ろされる。

「なるほど、これは危険だ」

 緊張感はない。

 ただ、この怪物と一般人が出会えばただではすまないだろうということを端的に表しただけだ。

 その毒針も鋏も、ジークフリートからすればそよ風にも等しいものだからだ。

 突き出される毒針は小型の竜種をも麻痺させる猛毒ではあるが、刺さらなければ問題ない。ジークフリートの肉体を突破するほどの神秘を宿す攻撃ではなく、かといって素直に受け止める必要もない。

 虚空瞬動の感覚で宙を蹴って高速回転。

 毒針をいなしつつ、大剣で尾を切断する。

 どす黒い鮮血が噴出する。

 ジークフリートは噴き出した体液が己の身体に降りかかる前に虚空瞬動にてエレモス・スコルピオスの眼前にまで移動する。

 相手からすれば、突然目の前にジークフリートが現れたように見えただろう。人間ではまともに捉えられず、人よりも感覚器の鋭い野生生物ですら、その動きを見落としたに違いない。

 剣の柄を握りこむ。

 砂漠の砂に足を取られることもない。

 蠍が反射的に鋏を振るうも遅い。ジークフリートの斬撃が上から下へ流れるように放たれて、エレモス・スコルピオスの頭部から胴体の半ばまでが吹き飛んだ。

 魔法障壁など、物の役にも立たない。

 虫に近い体構造をしているためか、頭部を失い、胴体の半ばまで断たれながら数分は身体を痙攣させていたエレモス・スコルピオスもさすがに逃げ果せるような状態ではない。すぐに力尽き、動かなくなった。

「さすが、ですね」

 アレクシアが屍骸の確認をして呟いた。

 砂を被った甲羅に触れると粘つく液体が分泌されていた。砂をつけてカモフラージュするためだろう。

「怪物退治は得意分野だ。もっとも、巨大蠍は初めての相手だったがな」

「あなたにとっては、大した相手ではなかったでしょう。本来なら、上級魔法使いがチームを組んで討伐する相手なのですが」

「貴女でも、勝てない相手ではなかった」

「わたしを過大評価しすぎです」

 アレクシアはそう言ってから剣を消した。

 ジークフリートはそうは思わない。

 アレクシアはここに至るまでに実力を飛躍的に伸ばしている。さすがに、完全なる世界の人形には及ばなくとも、上位とされる魔法使いの階に足をかけているのは間違いないのだ。

「ここに野営をしましょう。しばらくは、魔法生物が来ることもないでしょうし」

 アレクシアが髪に纏わりつく砂を落として言う。

 エレモス・スコルピオスが生息する地域には、生物が極端に少なくなる。その巨体を維持するために、とにかく生き物を捕食するために、生息数が激減するのだ。そうして食べつくしてから地中深くにもぐって数年間眠りに就く。そういうプロセスをエレモス・スコルピオスは送っている。

 生態系を破壊しているとは言えない。

 屍となった巨大蠍も、生態系の一部を為しているからだ。

 この屍骸は朽ちる前に鳥や小動物の餌となるだろう。そして、戻ってきた大型生物がその小動物を餌とする。砂漠の生態系もよくできたものだ。

 強靭な魔法生物と昼夜の寒暖差が五十度にもなる極限の大地。飲食物もほとんどないこの環境に取り囲まれた夜の迷宮はなるほど天然の要害であると言えよう。

 この砂漠を車一台で踏破するのは難しい。整備された道を通るならばまだしも、道なき道を行っているのだ。何かあっても助けは見込めず、高い確率で砂漠の砂に還ることとなろう。

 だが、だからこそ敵も砂漠をショートカットして攻め入るとは思わないだろう。

 ジークフリートたちはそこに一縷の望みを託している。極力見つからず、不意打ちに等しい一撃でテオドラとアリカを奪還し、完全なる世界に反撃の狼煙を上げる。

 そのためにこそ、このような危険な橋を渡っているのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 夜の迷宮は大きな岩山の上に築かれた複数の建造物と城壁からなる城塞であった。

 その周囲は砂漠に取り囲まれており、攻めるに難く守るに易い。飛行戦艦が発明される以前の戦争では、まず以てここを攻略するのは不可能であろう。

 張り巡らせた物理的障害のほかに魔法障壁が全体をすっぽりと覆っている。そのため、迷宮の内部には容易くは侵入できず、侵入できたとしても待ち受けるのは無数のトラップと迎撃用に品種改良された魔獣の群れだ。

 そのような環境だから、まともに暮らそうと思うものはおらず、運よく侵入経路を見つけた荒くれ者が内部に隠れ潜むのに利用する程度だった。

 完全なる世界にとっては、世間から忘れ去られた古き城塞は隠れ家にはもってこいだったのだ。

 岩山の天辺に立てられた教会。

 かつては修道士たちが修行する場だったというこの由緒ある建物も、今では犯罪者が利用する施設の一つにまで落ちぶれた。

 設計した者もまさかヘラス帝国とウェスペルタティア王国の姫を幽閉するのに利用されるとは思っていなかっただろう。

「ひーまーじゃー!」

 固い石のベッドの上で寝転がったテオドラがじたばたと暴れる。

 連れてこられて何日が経過しただろうか。トイレとシャワーをのぞいて日がな一日同じ部屋にいるので曜日の感覚も狂ってくる。窓から見える景色はいつもと変わらず、高台から見えるのはどこまでも続く砂の世界だ。

「アリカ、何とかならんか。王家の魔法とやらで」

「できぬな。脱出するくらいは可能かもしれんが、街までは辿り着けぬぞ」

「ぐぬぬ」

 テオドラは魔法使いとしてはまだ未熟。アリカは戦えないわけではないが、かといって砂漠を単独で乗り越えられるほどの超人的身体能力を持っているわけでもない。

 この広大な砂漠は攻める者を苦しめるが、同時に捕虜の脱出を阻む障害でもあった。

「ぬぅ、こうしている間にも世界が危機に瀕しておると言うのに……もう、ジークは何をやっとるんじゃ」

 苛立ち紛れに爪を噛む。

 朝昼晩と三食きっちり出てくる。トイレとシャワーもある。捕虜としては至れり尽くせりだが、世界の危機が目の前にあるとなっては、優雅なディナーも砂を噛むような不快感に変わる。

「まあ、気長に待つしかあるまい。あやつらも、わたしたちをさほど重視していないようじゃしな」

「?」

 テオドラは首を傾げる。

「完全なる世界は、この世界を終わらせるのが目的じゃ。ならば、王族や皇族に意味はない……ただ、邪魔をされたくなくてわたしたちを幽閉しただけじゃろうな。ちょうど、戦争を続けさせる口実にもなろう」

 わざわざ害する必要はなく、生かしておけば今後に利用価値が生まれるかもしれない。テオドラとアリカが真っ当に生活していけるのは、皮算用も含めて適当に相手をされているからなのだろう。彼らの目はこちらには向いていない。もしも二人の身柄を重視しているのならば、もっと監視の目を厳しくしていたはずだ。

 少なくとも、アリカが脱出できそうだと感じるほどに手薄な警備はしないだろう。

「まあ、わたしたちを閉じ込めることで、完全なる世界を知る戦力をこちらに集中させる結果にはなったな。目を逸らさせている間に、儀式の準備をさらに進めるじゃろう」

「何を冷静に分析しておるんじゃ!?」

 落ち着いたアリカの声音にテオドラは思わず言った。

「焦ったところでどうなるはずもないからな。『紅き翼』かあるいはそちらの『黒の翼』がやってくるまで、わたしたちは少ない材料から考えを廻らせるしかない」

 アリカは何かを悟ったような冷静さで窓の外に目を向ける。

 テオドラが見ていたのと同じ景色に彼女は何を見たのだろうか。

 もはや個の力で戦局を変える、などという次元の話ではない。世界が手を取り合わなければ滅亡は必至だ。誰かが橋渡しをしなければならない。できるとすれば、国際的にも力のある人間――――アリカとテオドラだけだろう。アリカ一人ではいかんともし難いこともテオドラが加われば動くかもしれない。後は連合に心ある者がいてくれればと思うが、それは高望みだろうか。




ジークフリートにはアサシン適性はないのだろうか。
透明マントがあるではないか。
敵の至近距離にまで近付いて、幻想大剣掲げて\デェェェン/すればいいよ。

アサシンで召喚されると聖杯君が気を聞かせてセイバーとしての宝具だからバルムンク禁止とか言い出すかもしれんけど。


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第十九話

 目を瞑り、思い返すのはかつての過ち。

 弱き者を、諦観と共に見殺しにしようとしたあの時のことは今でも明確に思い起こすことができる。

 “黒”のライダーに叱咤されなければ、第二の生でも生前と同じことを繰り返すだけだっただろう。後悔とは違うだろうが、その生き方に無念を覚えたからこそ召喚に応じたというのに――――。

 この世界で、再び機会を得た。自分の夢を貫く機会だ。ジークフリートは幸運にも、未来を夢見て歩を進めることができている。あのホムンクルスは果たしてどうなったのだろうか。彼の心臓を得たことで延命はできただろうが、サーヴァントの心臓を取り込んでただのホムンクルスのままで生涯を終えることは難しいだろう。もしかしたら、茨の道を行くことになったかもしれない。

 考えても意味のないこと。

 あの世界を離れた今、どうあっても彼の行く末を知ることはできないのだから、彼に恥じない生き方をしなければならないとは思うのだ。

 目を開ける。

 砂漠に吹き渡る風が熱と共に砂粒を運んでいる。流れる風紋の先に、うっすらと小高い岩山が見えた。

「なるほど、あれが夜の迷宮か」

 遠目に見ても、頑強な要塞だということが分かる。魔法がかけられているのだろうか。あの岩山だけは風に削られることなく、二千年もの月日を耐え抜いているのだという。砂漠の真ん中にあるというのに、岩山の上には緑も見えた。内部と外部で環境が異なっている証であろう。

「二千年前に要塞化されたっていう古代の魔法都市の成れの果てさ」

 とコリンが言った。

「世界史の教科書にちらっと名前だけ出てきますね。危険度の高さから観光地にもならないのですが、歴史的には重要な戦いの舞台になってたりもしました」

 アレクシアが説明してくれる。知名度はそこそこ高いらしい。

「その防衛機構は今も生きています。岩山全体を覆う結界と固い城壁。そして、内部は入り組んだ迷路のようになっていて、強力な魔獣が巣食っています」

「完全なる世界のヤツも、あそこにいるのかな」

 ブレンダが呟く。

「いる、かも」

 ベティが答える。

 いるかいないか、行ってみなければ分からない。

 いなければ良し、いるのならば戦うだけだ。

「外周を守る結界はジークフリートの剣で斬れるはずです。後は、姫様がどこにいらっしゃるか」

「こっちで派手に暴れて、アクションを待つとかは?」

「それでは姫様に危害が及ぶかもしれないでしょ」

 と、コリンの意見をアレクシアが跳ね除ける。

「とりあえず、中に入ろう。ここで議論しててもどうしようもないし」

 ブレンダの言葉はあまりにも短絡的ではあったが、本質を突いてはいた。

 何せこちらには装備らしい装備もない。

 話し合ったところで、結局できることには限りがあるのだ。

「そうですね。中に入るほかないわけですから――――」

 と、アレクシアが言ったまさにその時、遙か上空――――薄雲を貫いて巨大な物体が落下してきた。

 爆風が四方に駆け抜ける。

 砂が吹き上がり、車が宙を舞う。

「うわわわわああああああああ!?」

 運転手のコリンが必死にハンドルを切る。

 そもそも宙を走る車のため、車体制御さえ怠らなければ、バランスさえ取れていればまだ走れる。

「ぶわ、熱、目に……」

 吹き上がった砂が顔に勢いよく当たった。

 一瞬にしてフロントガラスは大破、ルーフは吹き飛び、車内は砂漠の熱と砂を思いっきり被った。

「何、敵!?」

「ジークは!?」

「後ろ!」

 畳み掛けるように声が飛ぶ。

 車が砂の上を弾み、外に投げ出されそうになりながら状況を確認しようとすると一人いないことに気がつく。

 ジークフリートだ。

 上から落ちてきた敵に対して、ジークフリートが屋根を内側から突き破って迎撃したのだ。車が跳ね飛んだのは、ジークフリートが車から飛び出す際の衝撃によるものだった。

 濛々と立ち上る砂煙が、一瞬にして消える。遅れて爆音が響き渡った。

「なんだ、ありゃ」

 コリンが車を停めて、背後を振り返って言った。

 翼ある石像と言うべきだろうか。

 体長二十メートルになる、巨大なゴーレムだった。

 

 

 

 巨大な石の人形と斬り結ぶのは初めてだが、非常によくできていると感服する。

 その左腕はジークフリートとの最初の打ち合いで砕け散ってはいたが、人工生命だからか、あるいは意思そのものを有さないからか怯む様子は皆無だった。

 牛の頭と蝙蝠の翼。そして、上半身が人間で下半身が馬という合成獣(キメラ)を模したゴーレムだ。悪魔崇拝と関係があるのだろうかとも思いながら、ゴーレムが右手で振り上げた剣を幻想大剣で払う。

 攻撃をいなされたゴーレムは追撃を行わんと、ジークフリートに挑みかかり、為す術なく胴体を横薙ぎに両断された。

 地響きを上げて崩れ落ちるゴーレムに視線を向けることなく、ジークフリートは車に向かう。

「走れそうか?」

「ああ、ダメになったのは生活空間だけだな」

 コリンが白い歯を剥いて笑う。

 ドアを開けて砂を掃き出す。風の魔法を使えば、大まかな掃除は楽にできる。何せ、外に砂を出せばいいだけだ。

「今ので気付かれたな」

「ああ。ちっと、まずそうだ」

 おそらく、今のゴーレムは夜の迷宮の防衛システムの一つなのだろう。

 ザワザワと音が聞こえてくる。

 夜の迷宮から、黒いゴーレムの群れが飛び立つのが見える。

「ど、どうしますか、あれ」

「隠れてやり過ごすのは無理そうだ」

「突っ込むしかねえってか……笑えねえっす!」

 言いながら、ジークフリートを乗せた車は一路直進する。

 アクセルを全開にして、黒き群れを目掛けて走る。

「衝撃に注意しろ」

 静かにジークフリートが注意した。

 即座に、ブレンダが障壁魔法を展開する。攻撃を防ぐものではなく、衝撃を緩和して車体と乗員を守るためのものだ。

 数えるのも億劫になるほどのゴーレム。

 姿容から大きさまで様々で、唯一共通しているのは黒い身体をしているということだけだ。恐ろしい形相で、爪と牙を剥き、五人に向かって殺到する。

「退け」

 ジークフリートの聖剣が、数に潰された道に穴を開ける。

 輝ける黄昏の光に飲まれたゴーレムが跡形もなく消える。砂粒一つ残さない。対軍宝具の真名解放が、ゴーレムの群れを一掃した。

「ぐぅぅぅうう!」

 車体が大きく振動する。

 強大な幻想大剣の解放による衝撃を受け止めるブレンダの障壁は、直撃を受けたわけでもないのに軋み上がり、砕けそうになる。

 精霊エンジンが悲鳴を上げ、爆発しそうになる。

 猛烈な輝きの中を、それでも一行を乗せた車は駆け抜けた。

「は、――――はは、こりゃ後で誉めてやんねえと、な!」

 砂丘を越え、一息に夜の迷宮の下にまで辿り着く。幻想大剣の影響で、岩山を包む結界が解れていたので、ブレンダが素早く魔法をかけて穴を開けることに成功したのだ。突入は、容易かったと言えよう。

 車を停めて、車外に出る。

 岩山を見上げて、ため息が出た。

「これは、山そのものが人工物なのか」

 明らかに周囲にある砂と質が異なっている。古代から残る要塞は、どこかから持ってきたものなのだろうか。それとも、この場で魔法を駆使して建造されたのだろうか。

「階段があります。そこから、上に行きましょう」

「俺が先頭を行こう。皆は周囲に気を配りながらついてきてくれ」

 ジークフリートは率先して前に出た。

 移動要塞も同然の防御力を持つジークフリートならば、罠や魔獣の不意打ちにも難なく対応できるだろう。

 外付け階段を駆け上がり、トンネルのような入口から夜の迷宮の内部に入る。

「大理石、ですね」

 アレクシアの声が反響する。

 そこは聖堂のように見える。岩山の中腹に建てられた、地下神殿であろうか。全面が大理石に覆われ、天井までの高さは三十メートルはあるだろう。アーチ型の空間の奥に、小さな聖母像がある。

 人がやって来ると、自動的に松明に火が灯るようになっているらしい。おかげで、魔法を使わなくても視界は確保できた。

「どちらに進む?」

 ジークフリートが尋ねる。

 聖母像のあるほうか、それとも反対側か。ここは、廊下の真ん中に当たるようだから左右のどちらに進むかで道も変わるだろう。

「聖母像の反対側に出入り口があると考えたほうがいいのではないですか?」

「まあ、それが妥当だろうな」

 アレクシアとコリンが立て続けに言った。

 教会の作りであれば、奥まったところに重要な象を配置するだろう。ならば、出入り口はその逆になるはずだ。

 警戒しながら、先に進む。

 ほんの少しの足音も、この石で囲まれた神殿の中ではよく響く。耳のよい魔獣がいれば、彼らの侵入に気付いていることだろう。――――そう了解していたから、突然の襲撃にも驚くことはなかった。

 犬の魔獣。

 涎を垂らし、唸り声を上げている。

 T字路の突き当たりにまでやってきた一行の右側で、待ち構えるようにして立っていた。

「二頭を持つのは、オルトロスと言ったか」

 ジークフリートは珍しげにそれを眺めた。

 二つの頭を持ち、蛇の鬣を持つ巨大な怪物。

 ネメアの獅子やスフィンクスの父にしてカリュドンの猪の祖父でもある神話の魔物である。

 竜種が一般的な生態系に取り入れられている魔法世界に於いても極めて珍しい魔獣とされ、発見例は少ない。

 オルトロスの意味は「速い」。

 その名を冠すに相応しい速度で、ジークフリートに襲い掛かる。

 まさにジェット機を思わせる突進が、ジークフリートを攫った。風と音が遅れて吹き抜ける。

 ジークフリートの鋼鉄の肉体は、オルトロスの突進を完全に封殺していた。僅かのダメージもなく、それどころかこの魔獣の動きを完全に見切ってすらいた。

 向かってくる魔獣に対して、逃げることなく、むしろその背中に飛び移るという曲芸染みたことまでしたのだ。

 獲物を見失ったオルトロスが速度を緩めた時にはすでに、ジークフリートは剣を抜き放ち、双頭の付け根に切先を向けていた。力強く、深々とその首に突き入れる。

 延髄を的確に破壊したジークフリートは体勢を崩したオルトロスの背中を滑り降りて、床に着地する。一連の動作に無駄な点はなく、流れるように決着を付けた。

「神話の魔物が普通に跋扈する迷宮か……」

 倒れ伏して動かないオルトロスを見て、ジークフリートはなんともいえぬ感慨を覚えた。

「おーい、ジーク。怪我はねえかー?」

 コリンが呼びかけてくるので、問題ないと答えてすぐに合流する。今後も、このような出会いが多々あるだろう。叶う限り手早く始末して、先に進みたいところである。

「しかし、あのデカ物をあっさり仕留めるとはね。今更だけど、目の前でされると驚くわ」

「怪物退治は得意分野だ。あのくらいならば、大したことではない」

 竜に比べれば、赤子のようなものである。倒すのに労力らしい労力も必要なかった。ヘラクレスと戦ったという神代のオルトロスはこの程度ではないのだろう。

 松明の明かりに誘われるように進んでいく。大理石は次第に姿を消し、黒曜石に置き換わる。黒い廊下はさながら墓の内部のようだ。

「薄気味悪い」

 ベティが呟く。

 物音一つなく、ひんやりとした空気が流れている。

 ただ一人でこのような場所に放置されたら、あっという間に正気を失ってしまいそうなくらいの静寂の海を直進む。

 暗く、静かで、どこから敵や罠が襲ってくるか分からないという状況は精神に多大な負荷をかける。さすがは、夜の迷宮といったところか。魔法の糸でもない限り抜け出せない大迷宮でもあるまいに。

 徐々に言葉数は減っていく。歩くだけの単調作業に、時折罠や魔獣の襲撃があって、それを乗り越えていく毎に、出口が本当にこちらであっているのかという不安が強くなっていく。かといって引き返すわけにもいかない。この先に本当の出口がある可能性も否定できないのだから。

「ここは……」

 今までになく、声が響いた。

 ジークフリートは小さく呟いただけだったのに、反響が幾重にも重なっている。

 広大な空間に出た。

 五十メートル四方の大部屋で、ジークフリートたちがやって来た道以外にも二方向に道がある。天井はかなり高い。帝都の高層ビルの、二十階には達するのではないかという高さだ。そして、正面には半壊した扉があって、そこから陽光が差し込んでいる。

「外だ!」

 ブレンダが叫んだ。

 ほっと一息ついた。

 迷宮に迷い込んで、半日が経過したところであった。

 駆け出そうとしたブレンダとベティをジークフリートが掴んで引き戻す。

「ぐ……?」

「ぐへ……?」

 頭に?を浮かべて、ブレンダとベティは尻餅をついた。

 その眼前を、弓矢が通り抜けていく。

「ひ……」

 ベティが小さく息を呑んだ。

 ぞろぞろと、湧いて出るように奇怪な生き物が現れたからだ。

 一つとして同じ姿のものはいなかった。

 馬の胴体に人の上半身――――ケンタウロスにも似た外観の魔獣や獅子の頭を持つ山羊、蝙蝠の翼を持つ虎、その他多種多様な生物の部品を出鱈目につなぎ合わせた魔獣たちが群れを成してやってきたのである。

「いかんな」

 数が多い。

 ざっと五十体はいるのではないだろうか。

 迷宮に潜む、キマイラたち。

「古代の生物兵器なのかもしれませんね」

 アレクシアが剣を召喚し、臨戦態勢を整えた。

「く、来るなら来なさい」

「ん」

 ブレンダとベティが杖を出して、四方に構えた。

「俺は、こういうのホント苦手なんだよ、勘弁してくれっての……」

 この旅でずいぶんと肝が据わってきたコリンもまた杖を構えた。相手の魔法障壁を突破するほどの魔法すらも使えない彼だが、それでもやらないよりはましだろう。

 そして、ジークフリートは思案する。

 この空間で宝具の真名解放は使えない。

 神殿そのものを崩壊させてしまえば、こちらが生き埋めになる可能性があり、また、この建物の上部にテオドラがいないとも限らないからだ。

 ならば、斬撃で対処する他ない。

「一息に走り抜けましょう。邪魔するヤツだけ攻撃していけばいいです」

「それだな。数が多すぎて真面目に相手してられないもんな」

 冷や汗を流しながらアレクシアとコリンが言った。

 問題は、五十メートル先の外界にたどり着くことができるのかということだ。すでに包囲網は完成されつつある。

「大魔法で、道を作ります。仕損じたのはジークフリートにお任せしていいですか?」

「承知した」

「詠唱までの時間はこっちで稼ぐよ」

 ブレンダとベティが言う。

「お願いします」

 方針が決まる。

 敵のほうも戦う準備ができたと見えて、ばらばらではあるが襲い掛かってきた。一匹が動けば他も雪崩を打って襲い掛かってくる。

 それに対して、まずはブレンダが障壁魔法を重ねがけして全方位に展開する。敵の第一波をこれで堰き止める。

「く……」

 少女が単独で張る障壁にしては非常に固い。頑強で、複数からなるそれは古の城壁にも匹敵するだろう。ただし、維持には相応の魔力が必要だ。

 キマイラの爪や牙、剣や弓矢、そして炎や雷が障壁を削る。

「来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の風――――」

 風がアレクシアを中心に渦を巻く。

 魔力が迸り、閃電が眩く光る。

 敵を近づけまいと、ジークフリートが剣を振るい、殴り飛ばして距離を開く。側面からの攻撃は、障壁と剣で完全に無力化する。

 そうして稼いだ僅かの時間に、アレクシアの呪文は完成する。

雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 直線を薙ぎ払う雷の暴風が、扉に向けて解放される。

 全面にいた魔獣の群れが薙ぎ払われて、扉が貫かれた。

「走って!」

 アレクシアが叫ぶと同時に、全身で出口(ゴール)を目指す。

 身体強化魔法を駆使して所要時間は四秒弱。最も足の遅いコリンに合わせるとこうなってしまうが、その間にも反応した個体が攻撃を仕掛けてくる。

 その相手はジークフリートだ。

 最も手近なキマイラから首や手足を切断し、殴り飛ばす。命を奪うのに固執する時間はない。仲間を守る必要がないのならば、この場の総てを殲滅することも容易ではあったが、一撃で戦闘能力をそぎ落とすことに集中する。

 嵐のようなジークフリートの剣戟に時折ベティの炎やコリンの目晦ましが混じり、一行は太陽の下に帰還を果たした。

「でた、でたよぉおぉぉおおおお!」

 コリンが絶叫する。

 太陽に目を焼かれ涙を流しながら、情けない声を出す。

「馬鹿、止まるな! 後ろから来るでしょ!」

「ぐ、おおおおおお」

 アレクシアがそんなコリンを叱りつけ、襟を掴んで引き摺った。

 太陽の下に出たからといって、キマイラの群れが襲ってこないとは限らないのだ。外の様子も分かっていない。下手な動きはできない。

「いや、追ってこないようだ」

 ジークフリートは慎重に扉の中を確認し、キマイラたちが追跡を諦めたのを確認した。

 仲間の死体を貪り食っていたり、広間から去っていったりしている。

「太陽の光が苦手なのか、それともここから出られないのか」

「生物兵器として作られたからでしょう。もしかしたら、迷宮の中から出ないように設定されているのかもしれません。……もちろん、夜行性というだけかもしれませんが」

 前者であれば、楽でいい。この迷宮に入らなければ、二度と相手にする必要はないのだから。後者であれば、今夜にでも外に出てくることだろう。

「ああ、だが、夜までには目的を達成できそうだ」

 ジークフリートは珍しく、表情を柔らかくして上を見ていた。

 石階段の先にある小高い丘。その頂上に、教会のような建物が建っている。

 その塔の窓に、捜し求めていた少女の姿を見て取った。

「テオドラ様……」

 アレクシアが目を見開いて唇を震わせた。

 辿り着いた。

 彼女の姿を見た途端に、脱力感にも似た安堵の気持ちが湧き上がった。

 

 

「遅いわ!」

 教会を守っていた敵を蹴散らして内部に潜入、そして難なくテオドラとアリカの監禁されている部屋に辿り着いたジークフリートにテオドラが飛び掛った。

「すまない。大分、待たせてしまった」

 見たところ、テオドラにもアリカにも怪我はない。乱暴された様子もないので安心した。栄養状態も悪くはない。どうやら、移動の自由を制限されていた程度で、衣食住はきちんとしたものであったらしい。

「申し訳ありません、テオドラ様。我々がついていながら、このようなことに」

 しゅんとした様子でアレクシアが言った。

 もともとテオドラの護衛を任される立場にあったアレクシアは、彼女を危険な目に合わせてしまった事実に深く恥じ入っている。それこそ、どれほどの罵倒を浴びせられようが反論せず、粛々と受け入れるくらいの覚悟はしてきた。

 そんなアレクシアをテオドラは常と変わらず天真爛漫な笑顔で出迎えた。

「ところで、アレクシアたちは指名手配されてしまったと聞いたぞ。よく、ここまで辿り着けたな」

「大方の危険はジークフリートが排除してくれましたし、足もコリンが用意してくれましたので何とかなりました」

「そうか。後で褒美を出さないとだな」

 腰に手を当てて胸をそらしたテオドラが、自慢げに言った。

 それを聞いて、コリンが思わず顔を綻ばせ、期待感を浮かべた。

「アリカ。賭けはこっちの勝ちじゃな」

「そのようじゃ。鳥頭はとりあえず、平手じゃな」

 などといいつつ、アリカは窓の外に目を向けた。

 そのとき、教会全体が大きく揺れた。

「な、なんじゃ?」

 目を白黒させたテオドラをアレクシアが抱きかかえる。

「魔獣どもに囲まれているようじゃ。何体かはすでに侵入してきているな」

 アリカの言葉にテオドラが震える。この中で最も戦闘能力が低いテオドラは、高位の魔獣がひしめく夜の迷宮では生きていけない。もちろん、今教会を取り囲み、侵入せんとする魔獣たちにかかっては、ただの食料となるだけだろう。

「この脆い教会では凌げぬじゃろう。打って出るよりほかにないと思うが?」

「アリカ様の仰るとおりですが、こうなっては身を潜める場所もありません。一息に車まで走り抜けることになりますが……」

「わたしは構わぬ。こう見えて運動は得意じゃぞ?」

 言いながら、アリカは魔力を込めた拳で壁を殴りつける。石壁が砕けて、青空が視界一杯に広がった。

 魔力で守られているわけでもない教会の壁ならば、強化魔法を施した身体であれば、誰であっても突破は可能だったのだ。夜の迷宮からの脱出手段がなかっただけで、教会から抜け出すことは容易だった。アリカは、深窓の令嬢というだけではない。

「わ、分かりました。では、先導しますので後についてきてください」

 意表を突かれたアレクシアがどもりながら言った。

「まず、下に溜まっている魔獣たちを駆逐しよう」

 ジークフリートは幻想大剣の柄を握り、外に飛び出す。地上まで十二メートルあるが、苦にならない。落下のエネルギーを乗せた斬撃で、虎型の魔獣を両断する。

 地面が爆ぜて、周囲の魔獣たちを巻き込んだ。斬撃の直撃を受けた魔獣は原型を止めずに吹き飛ばされる。

 柄頭の青き宝石が煌く。

 僅かな魔力を瞬時に極大にまで増幅する増幅器。神代のエーテルは黄昏色に染まり、周囲一帯を覆い尽くす。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 横薙ぎに振るわれた聖剣から莫大なる魔力が解き放たれる。

 居住者を失い、魔獣の蠢く魔都と化した夜の迷宮を対軍宝具の輝きが嘗め尽くす。無論、巻き込まれた魔獣は一匹残らず焼き払われるだけだ。そして、それは魔獣に留まらない。黄昏の光が通り抜けた場所は文字通り不毛の地と変わる。建物すらも、跡形もなく消え去っている。

「相変わらず、凄まじい威力だの、ジーク」

 呆れたと言わんばかりにテオドラが言った。地上の魔獣を一撃で駆逐したために、どこか余裕を漂わせている。

「安全が確認されてから出てください、姫様」

 と、慌てたアレクシアが嗜める。

 ブレンダが咄嗟に周囲に障壁を張り巡らせた。魔獣の不意打ちにいつでも対応できるようにだ。

「そうだな。それに、地下の獣たちまで倒したわけではない。湧いてくるぞ」

 ジークフリートの言葉にテオドラが再び固まった。

 彼の指摘の通り、地上の敵は焼き払ったが、迷宮の内部に住まうものまで倒したわけではないのだ。穴という穴、建物の内部から地下に向かう道は軒並み死地である。冥界から溢れ出るように、大小様々な魔獣が次々と溢れ出てくる。際限というものがない。

 幻想大剣があれば、数に圧されることはまずない。が、テオドラやアリカの安全に気を払うとなれば、全包囲に対軍宝具を打ち続けるのも難しい。攻撃範囲や威力を調整しながら、着実に進むしかない。同時に相手取るとなると、多少手間だ。四方を囲む敵を視線で制しながら、どこに宝具を放つべきか考えていたとき、あらぬ方向から絶大なる魔力が立ち上り、ジークフリートの周囲に降り注いだ。

 それは、無数の雷だった。

 熱と衝撃で、魔物たちが蒸発していく。

「一足遅かったようじゃな、鳥頭」

「誰が鳥頭だ、誰が。助けに来てやったってのによ」

 アリカの非難するような言葉に、答える者がいた。

 聞き覚えのある声がした。

 三階建ての建物の屋根に、燃えるような赤毛の魔法使いが腕を組んで立っていた。

「ナギ・スプリングフィールドか」

「ナギでいいぜ、ジークフリート。フルネームは長ったらしいだろ」

 以前会ってから数ヶ月。

 成長期だからか、身長が伸びているようだ。

「お久しぶりです、ジークフリート。このような形で再会するとは思っていませんでした」

 転移魔法でジークフリートの隣に現れたアルビレオが、涼やかな笑みを浮かべて話しかけてきた。瓦礫から飛び出る小悪魔を重力魔法で押し潰すのを忘れない。無詠唱ながら地面にクレーターを作り出すほどの威力であった。

「おい、アル。ぼさっと喋ってないで出るぞ。ジークフリートのほうもさっさと姫さんたちを連れてけ。遅れた分、ここで働いてやるからよ!」

 跳んだナギは、建物を砕いて現れた巨大なオーク鬼の頭を雷撃の斧で吹き飛ばした。

「『紅き翼』であれば、魔獣どもに遅れは取らんじゃろう。味方になれば心強いものじゃな」

 などとテオドラは目を輝かせる。

 ナギは雷を降り注がせ、アルビレオが重力魔法で魔獣を押し潰す。どこかからは破壊音が聞こえてくるので、そちらではラカンや詠春が暴れているのだろう。夜の迷宮に巣食う魔獣たちを駆逐し尽くすつもりであろうか。

 ジークフリートはアレクシアと視線を交える。隊のリーダーは彼女だ。

「お任せします」

 アレクシアはこの場を『紅き翼』に任せて前進することを決めた。

 『紅き翼』が四方に散って魔獣を蹴散らしているおかげで、ジークフリートたちにはほとんど魔獣が寄ってこない。来たとしても斬り伏せるだけ。思わぬ出会いがあったが、そのおかげで難なく夜の迷宮を脱出することができた。

 

 




未来はあやふやだから無敵
     ↓
確定すると死期ができる
     ↓
未来確定攻撃は外れる

なんだ、設定どおりじゃないですか


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第二十話

 テオドラとアリカの救出に成功した『黒の翼』と『紅き翼』の面々は、今後の方針を決定しなければならなかった。

 幽閉された姫の救出だけならば、取り立てて苦労することでもなかった。迫る敵を打ち倒し、六千キロの道のりを踏破するのは、多大な労力が必要ではあったものの終わってみれば、それほど大きな艱難があったわけでもない。問題なのはこれからだ。魔法世界全土を巻き込む大戦争を裏から操り、その影で世界崩壊の時を着々と呼び寄せている完全なる世界に抗するには、この場に集った面々ではあまりにも兵が足りない。畢竟、敵の存在を暴きたて、両国の和解と対完全なる世界の共同戦線を実現しなければならない。

「問題があるとすれば、各国の首脳陣やメディアの中にシンパが紛れていることでしょう。こちらが徒に正論を並べてももみ消されるのが目に見えていますからね」

 アルビレオが涼やかな表情で重いことを口にする。

 オリンポス山にある『紅き翼』の拠点でのことだ。

「政治的に影響力のある味方を作る必要があるわけですね。その点なら、テオドラ様が適任ではありますが」

 アレクシアはテオドラに視線を向けるとテオドラも胸を張って頷いた。

「任せておれ。妾はこう見えても第三皇女。そこらの政治家どもよりも発言力はあるぞ」

「といいましても、それを信じてくれる者がどれだけいるか」

 アルビレオの言葉に、帝国側の面々がムッとする。

「帝国の内部の事情に詳しいわけではありませんが、それでも確固たる証拠がなければならないでしょう。それを、上手く相手に伝えることができるかどうか」

「んー、確かにそれはそうなんじゃが、証拠集めと言ってものぅ……」

 最大の問題はそこだ。

 テオドラが言葉を尽くしたとしても、戦時にあって敵と和解するのは困難を伴う。それに、裏から糸を引いている何者かの正体を暴きたて、白日の下に曝すというのは輪を掛けて難しい。

「幸いにして、我々は今の執政官が敵に加担してテロに出資している証拠がありますので、これを心ある人物に渡せば……とは思っていますけどね」

「むぅ、帝国でどうかというと確かに……」

 完全なる世界については、ほとんど情報がない。誰が内通しているのかも定かではないので、どうにも説得力を持たせることができないのである。

「じゃあ、連合を説得するとして、まず誰から当たるの?」

 尋ねたのはブレンダだ。

 椅子に座って、足をぶらつかせている。脱力した猫のような姿である。

「さて、それが問題です。こちらが迂闊に近付けば完全なる世界に気取られる可能性があります。そうなれば、接触対象の身に危険が及ぶかもしれません。それなりの立場にいて、個人の実力も高く、それでいて信頼の置ける人物となると一握りです――――まあ、幸いなことに心当たりがないわけでもありません。その辺りは何とかなるでしょう」

 未だに敵の足元に潜伏して活動するタカミチやガトウといった仲間も『紅き翼』にはいる。彼らを介して上層部の信頼できると判断した者と接触することができるのである。すでに、連合の内部にも完全なる世界のことを知り、『赤き翼』と歩調を合わせようとしてくれている者もいるのだから、帝国よりも状況はいい。

「まあ、帝国は姫さんの親父が皇帝なんだからどうとでもなるんじゃねーの?」

「ジャックの言うとおりだ。帝国は議会制とはいえ皇帝の発言力も強い。テオドラ殿下の存在はこちらにとってもジョーカーとなるのは間違いない」

 詠春が指摘するように、皇族というのは心強い。ただそれだけで発言力を得ることができるのだから。それでいて、テオドラは民間でも愛らしい外見と聡明さから人気がある。

「このまま帝国に戻れば、テオドラ様の身に危険が及ぶ可能性も否定できません。今回は身柄を押さえるだけでしたが、次は命を奪おうとするかもしれませんし……」

「かといって何もしなければ敵の思うままじゃろう。証拠を押さえるまでは動けんというが、動くべきときにはしっかりと動くのが皇族の務めじゃ。何かあれば、アレクシアたちが何とかしてくれるじゃろ」

「それはもちろんです。以前のようにはいきません」

 同じ轍は踏まない。

 テオドラを攫われてからこれまでの逃避行はアレクシアを初めとする『黒の翼』の面々に大きな変化をもたらしていた。実力もそうだが、精神的にも強くなったと思えた。

「この広大な魔法世界に根付いた犯罪組織です。一朝一夕には解決しないでしょう。帝国と連合だけでは、どうにも手詰まり感があります。であれば、第三国にも出てきてもらうしかありません」

「ウェスペルタティアか?」

 テオドラが真っ先に思い浮かべたのは、アリカのウェスペルタティアであった。連合と帝国の間に挟まれ、二度に亘って帝国からの侵攻を受けたために連合よりとなっている小国である。帝国も、オスティア攻略作戦で『紅き翼』に煮え湯を飲まされた経験があり、両陣営にとって記憶に残る戦いの舞台となった国であった。もっとも、帝国側の被害者数は敗戦にも関わらず多くはない。『紅き翼』が戦闘不能程度に手加減したことが大きく、この一戦によってナギは赤毛の悪魔として帝国側に恐怖の対象として語られるようになったのである。

 小国ながら魔法世界にとっては重要な歴史を持つ国家。帝国は侵略した経緯があるので、協力を仰ぐのは難しいのではないか。

 アルビレオはテオドラの疑問に首を振って答える。

「ウェスペルタティアは、恐らく完全なる世界の中核を為していますので協力は求められないでしょうね。そこで、私としてはアリアドネーを味方につけたいと思っています」

「アリアドネーか。なるほど、確かに……て、待て待てアルビレオ・イマ! お主、今かなり重要なことを口走らなかったか!?」

 テオドラが飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がった。ガタンと机が揺れて、コップが倒れそうになる。

「ウェスペルタティアが敵の中核とはどういうことじゃ!?」

「ガトウ捜査官の調査の結果、オスティアの上層部が最も黒いそうです。これは、厳然たる事実なので、受け止めるしかありませんね」

「な……」

 テオドラは愕然としてアリカを見た。

 その話が事実であれば、アリカの故郷はすでに敵の巣窟であり彼女自身もまた国に裏切られていたということになる。

「アリカ……」

「構わぬ。いずれにしても外堀を埋めていけば自ずと分かることではあるからの」

 泰然とした様子のアリカに動揺は見られない。けれど、その心中は穏やかではいられないだろう。涼しい顔をしてはいるが、彼女はもともと感情を表に出すタイプではないのだ。

「今はまずアリアドネを味方につけるところからじゃが、そちらはわたしがやろう。テオドラたちは帝国での活動に力を入れてもらわねばならん」

「む、それは、まあ、そうじゃが……」

 帝国での活動といってもどうしたらいいものか。完全なる世界と関わりなく、味方になってくれそうな人物となるとかなり難しいではないか。

 高位高官に昇りつめた者でも、メガロメセンブリアのように執政官が敵に繋がっているような事例があるのだから迂闊に信用できない。かといって誰も信じずにいれば敵の思う壺である。だからこそ、『紅き翼』のように確たる証拠を押さえる必要があるのだ。

「手っ取り早く黒そうな連中から潰していって、芋づる式につり出すか」

 テオドラが唸るように言った。黒い噂のある政治家は帝国にもいるのだ。また、マフィアや武器商人といった末端も、多少は情報を持っていることだろう。完全なる世界は世界的に勢力を伸ばした秘密結社ではあるが、末端まで支配が浸透しているかというとそうではない。手を広げすぎた結果、粗悪な部下もかなり増えてしまっているらしいのだ。そこから、なんとか帝国の内部に入り込んでいる者を特定して、完全なる世界の存在を大々的に公表していく。それくらいしか今の時点では打つ手がない。アリアドネの説得が上手くいけば、事態も多少は好転するはずなのだが。

 とはいえ、学術都市であるアリアドネは、中立を貫き通してきた巨大都市国家である。この大戦に於いてもその主義主張は変わることがなく、独立を維持するに足るだけの軍事力を有している。手を出せば痛い目を見るぞ、と彼らは永世中立国という肩書の維持のために少なからぬ軍事費を費やしており、帝国も連合も手出しをしていないのである。そのアリアドネが果たして味方についてくれるだろうか。それについては、テオドラたちではどうにもならない問題であって、アルビレオやアリカに妙案があるのであれば、それに任せる他ない。まずは自国のことをどうにかしなければ、世界そのものがなくなってしまうのだから。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 かくして水面下で完全なる世界に対する反攻作戦が始まった。

 味方を作るのもそう容易いことではない。明らかな悪を打ち倒すことから市民の理解を得ることにした。戦争が長期化する中で、マフィアや武装勢力の問題が行政を苦しめ始めていた。中には役人がこれらと結託して資金を稼いでいるなどの汚職が蔓延し、地方ほどその影響が大きく出ていた。そこを『黒の翼』が強襲した。勧善懲悪と言葉にすれば簡単であるが、それを為すのは並大抵の努力では不可能だ。悪事の根拠となる証拠を衆目に曝さなければ、徒に騒乱を巻き起こしただけで終わるのだから。

 それについては、テオドラの伝手が大いに活躍してくれた。

 テオドラが最も頼れる人物として挙げたのは、ブラムという白髪の老人だった。幼い頃にテオドラの身辺の護衛を勤めてくれたかの人物は、定年を境に身を引いて、静かな暮らしを送っていた。そこにテオドラが声をかけたのだ。

「敵に攫われたと聞いたときには、背筋が凍ったものだったが」

 ブラムは、すでに百五十年を生きる老兵でもある。

 卓越した戦闘技巧と鍛え抜かれた肉体は、引退した今でも衰えてはいない。コーヒーを注いだカップを片手に、確かな歩みでジークフリートの前までやってきて、ソファに座った。

「結局のところ、疑わしきは帝国の上層部というわけだ」

 ブラムが暮らす辺境の街は隠居当初は治安のよい地方都市として名が通っていたものの戦争の半ばから行政の圧迫が強まり、マフィアが巣食うようになってしまったのである。犯罪組織と地方行政が繋がっていることは、明白であったが、戦争に集中するために、どうしても放置せざるを得なかった。

「上の悪さの証拠は押さえたが、あんた方が言うような完全なる世界だったかに関わるものは出なかったぞ」

「そうか」

「がっくりしたか」

「いや」

 ジークフリートは静かに言った。

「まだ、始まったばかりだ。貴公の協力があれば、他の都市でも味方を増やせるという。悪い話よりも良い話のほうが収穫としては大きい」

「ふん、そうかい」

 ふてぶてしく背凭れに身体を預けたブランがじろりとジークフリートを見る。テオドラを見るときは、最愛の孫を見守る祖父の如き慈愛の色を帯びる視線も今は歴戦の猛者を思わせる猛禽の視線だ。

「何か?」

 無論、そのような視線を向けられて動じるジークフリートではないが、かといって黙っている理由もない。至近距離でかような視線を向けるとなれば、相応の理由があるだろう。

「いや、わしも昔はいっぱしの騎士をやってたからな。あんたの非常識な戦闘能力の噂を聞いてどんなものだと思っていたんだ。まあ、これは、この国の大半の連中が思っていることだろうがな」

 どこかに誇張があるのではないか。さすがに、発表されているほどの活躍ができるだろうか。ジークフリートに懸賞金がかけられた今、かつてほどその活躍は受け入れられてはいない。悪質なデマも出ているくらいだ。

「だが、こうして見るとやはりあんたは強い。到底わしじゃあ勝てん、話にならん。それは気に喰わんというのは男として当然の反応だろう。わしが後五十年若ければ、なにくそと思って鍛錬を積んだかもしれんがね」

 苦笑する。

 先ほどまでの険しい表情とは異なる柔和な笑み。

「にしてもジークフリートとは、あんたの親もらしい名前をつけたもんだ」

「らしい、か」

ジークフリート(勝利と平和)――――縁起のいいことじゃあないか。もしくは、伝説の英雄かね。まあ、ジークフリートなんて名前は土地によっちゃあ、珍しいものじゃないらしいが、今後は帝国内でも普及しそうだな」

 などと、笑って言う。

 冗談めかして。

 しかし、英雄と崇められたものの名前に因むのは昔からのお約束だ。天使か或いは英雄か聖人の名前。それが、名付けの参考にされる。ジークフリートが英雄として知られるようになれば、必然的にその名に因んだ名付けが流行するだろう。

 旧世界のとの繋がりの薄い帝国ではあるが、北部のメガロメセンブリアなどは旧世界出身者も多く、ジークフリートという名前を持つものも、いるにはいる。旧世界ドイツならば、その数はさらに増えるだろう。

 ジークフリートを神話の英雄の再来と持て囃すのは、それなりに教養のある知識人が主流だったが、今後、『ニーベルンゲンの歌』が広まれば、そのフレーズは帝国各地に広まるかもしれない。といっても、それは汚名を雪いだ後の話ではあるし、自分の名誉以上にテオドラの名誉のほうが重要だ。今は一介の騎士として、彼女の身の安全を守り、皇女としての役目を全うさせねばならない。

「貴公の助力は今後も必要になる。今更、俺が言うようなことではないかもしれんが」

「ああ、あんたに言われなくとも、テオドラ様のためならば火の中水の中だ。老いぼれても騎士は騎士。祖国に仇為す輩は捨て置けんからな。そういう気概を持ったヤツは、存外多いぞ。嬉しいことにな」

 今は戦争に気を取られている者が大半だが、市井の中に紛れる有志の徒にもブランは広く顔を売っている。帝国騎士時代に築いた人脈は、広範な地域に根を張っているのだ。テオドラもそれを知っていたからこそ、ブランに頼る道を選んだ。

「一刻も早くテオドラ様をお戻ししなければならない。が、今の時点では暗殺の危険が付きまとうからな。だが、テオドラ様の身近な人間の中に裏切り者がいるのは間違いないことだ。以前の襲撃もそうだし、今回の極秘会談の情報が漏れていたこともそうだ」

 コーヒーをすすって、情報を纏めるかのようにブランは言葉を紡ぐ。ジークフリートに語りかけるようで、自分に語っているようにも思える。

「貴公は王宮にも伝手が多いと聞く。探りを入れることはできないか?」

「できるだろうが、どこまで調べられるかは分からんな。ただ、テオドラ様が攫われたあの日に、警備に当たってた連中の大半は監視されて生活しているようだな。お前さんたちが接触する可能性を考慮してのことだろう」

「身辺に危険があるというわけではないか」

「今のところはな。だが、テオドラ様が解放されたことを、完全なる世界とやらは知っているだろうから、おびき出すために彼らを使う可能性は捨てられない」

 そうなれば、きっとテオドラは彼ら彼女らを救いに行くだろう。ジークフリートもまたその行動を止めはしないはずだ。そうなる前に、何かしらの悪事の証拠を押さえるか、或いは戦争そのもののちゃぶ台をひっくり返してしまうしかない。現段階でできるのは、着々と犯罪組織を潰すことであり、そこと繋がりのある政治家をあぶりだすことである。その中に完全なる世界と繋がりのある者が含まれていると信じてやる他ない。 

 それに情報源は帝国国内だけではない。

 すでに、完全なる世界に対して内偵を進め、核心に近いところまで踏み込んでいる『紅き翼』の仲間もいる。彼らと情報共有をしていけば、怪しい人物のリストを作成することも不可能ではないはずだ。

 




生きていると座に登録されないとは言うけれど、英霊って人の想念もありではなかったかな。本物のマーリンはダメでも、物語の中のマーリンはアリとかってならないのかな?
平行世界では死んだので登録されてますとかって場合はありえない?
それとも、召喚される世界に準拠するのだろうか。その辺りどうなんだろうか。


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第二十一話

 アリアドネーは魔法世界の西方に位置する学術都市だ。

 多くの学者を輩出してきたこの都市は、魔法界にとって名高い学術都市であると共に、非常に特殊な事情を有する都市である。

 それは、固有の兵力を有する完全独立都市であるということであった。領土はヘラス帝国と連合側諸国との狭間にあり、決して広大とはいえないものの、学問を守るために結成された騎士団を要する都市国家は強大な軍事力に裏打ちされた独立国家として長く魔法界の権威としてあり続けている。

 今、世界を巻き込む大戦争に於いてもそのスタンスは変わることなく続けられている。

 我関せず、とは行かないまでも決してどちらかに偏ることなく中立の立場で魔法世界の行く末を見守っていた。

 アリアドネー総長コルドゥラは、この日も憂いを顔に浮かべながら執務に励んでいた。

 老年に差し掛かった白髪の女であり、今でこそ学術都市を治める立場にあるとはいえ、元は一介の学問の徒である。政治にも興味はなく、ただ学問を続けていられればそれでいいという青春時代を送っていながら、結局はその行き着いた先がこの椅子だったというのだから、自分でも笑いものだと、日々学術書を読みふけりたい欲求を抑えて仕事を進めている。

 だが、そんな彼女の思いを無視するかのように世情は急迫を続けている。

 ヘラス帝国とメセンブリーナ連合の戦争は、拡大の一途を辿り、それに呼応するかのようにアリアドネーの軍事費も増大している。中立の立場を維持するためには、この時代の流れに逆らいうるだけの抵抗力を身につけなければならないからだ。

 その所為もあって、コルドゥラの時間の大半は学問ではなく各国との調整を初めとする政治に費やされているのが現状であった。

 忌々しい戦争め。

 と、コルドゥラが眉根を寄せたところで変わるものなどなにもない。

 アリアドネーは世界で唯一の独立学術都市。それを守ることこそ、彼女の役目である。

 そんな折、彼女の執務室のドアを叩く者が現れた。

「なんだい?」

 気難しさが声に現れている。

 険のある言葉は、仕事の邪魔をされたことへの苛立ちの顕れである。

 ドアが開き、秘書が入ってくる。

「総長、お客様が見えておられます」

「客? 聞いてないよ。予約はあったかい?」

 尋ねられた秘書は、いいえ、と短く答える。

「なんだ、失礼なヤツだねぇ。……こんな忙しいときに、アポなしとは。で、どこのどいつだい、その非常識なのは」

「はい、それが……」

 問われた秘書が珍しく困惑した風に表情を曇らせる。どうしたことかと、不思議に思っているところに、唐突に真っ白なローブが視界に入り込んできた。

「私ですよ、コルドゥラ総長」

 涼やかな笑みを浮かべた男だった。細身で背の高い、色白の男だ。遠目から見れば、女にも見えるほどに整ったその顔を、見紛うことはない。

「お久しぶりです。お変わりないようで、安心しました」

「驚いたね。お尋ね者が何の用だい、アルビレオ・イマ」

 これほど驚いたのはいつ以来であろうか。

 前回顔を合わせてから何年経ったか思い出せないくらいの古き知人の登場に、コルドゥラはらしくなく目を見開いた。

 彼女が驚いた理由は二つ。

 一つは、アルビレオが自分の目の前に現れたこと。

 もう一つは、彼が連合と帝国から追われている『紅き翼』の一員でもあるということであった。

 犯罪者に成り果てていながら、学術都市まで逃げ果せるとは。彼が強大な大魔法使いであることは重々承知してはいるが、連合や帝国の追跡網を振り切ってくるのは骨が折れただろうに、その苦労をまったく感じさせないところに、総身が震えるほどの凄みを感じる。

 アルビレオは、コルドゥラの皮肉を綯い交ぜにした問いに、気分を害した様子もなく端的に答える。

「極めて重要な、世界の命運を握るご相談でもと思いまして」

 ぴくり、とコルドゥラの眉が上がる。

 古き馴染みであるこの男の性格が、決してよいものではないことをコルドゥラは知っている。

 見た目こそ瑞々しい年齢を維持しているものの、彼の実年齢は見た目通りではない。古馴染みのコルドゥラですら、彼の幼い容貌を知らないのだ。アルビレオは、こう見えて長き時を生きる賢者の一人なのである。魔法の知識も、あるいは学術都市を治めるコルドゥラよりも深淵に至っているのではないかと思えるほどに。

「ずいぶんと大きく出たね。世界の命運を握るときたか」

「アリアドネーを統べるあなたが、この世界情勢に注意を払っていないとは思えませんが」

「二大勢力の激突は、確かに世界の危機だろう。だが、それで滅びるのは世界じゃない」

「ええ、そうでしょう。ヘラス帝国が滅びようと、連合が滅びようと、そこに人がいる限り世界は続きます。ですが、今はそうも言っていられない。今回ばかりは、正真正銘の世界の危機です。文字通りのね」

 静かに、言葉の一つひとつに魔力すら込めるかのようなアルビレオの口振りにコルドゥラは内心で首を傾げる。

 言っていることは分かっている。

 だが、世界の危機などと言われても実感できるものではない。彼女の本質は学者である。実感を得るのであれば、言葉ではなく明確な理論を並べるべきである。

「どういうことか説明できるのかい?」

「ええ。ですが、それはまず彼女の話を聞いていただいてからのほうがいいと思いますよ」

 アルビレオは半身を引く。

 彼の背後に、いつの間にか佇んでいたのはアリカだった。

「アリカ王女、だと?」

 さすがに、これには驚嘆した。

 アルビレオが顔を出した時以上に。

「行方不明になったと聞いたが……」

「『紅き翼』と『黒の翼』によって救出されたのじゃ」

 有無を言わせぬ力ある言葉だった。

 ただコルドゥラの疑問に答えただけの短い応答でありながら、王女としての確かな品格がある。偽物ではないかという思いは、この時点で消えた。アリアドネーの総長として、外交に携わる中でアリカとは何度か会話をしたことがある。聡明で芯の通ったアリカほどの人物は、この学術都市を隈なく探しても見つかるまい。

「そう、でしたか。よくぞ、ご無事で」

 上手く言葉が見つからない。ウェスペルタティア王国の王女であるアリカと現在逃避行中の『紅き翼』に属するアルビレオの二人が――――おそらくは同じ要件で――――やって来たとするならば、これは明確な外交であり、個人的な話に収まる話題ではないのは明らかだ。

 コルドゥラは背筋を伸ばして二人を応接間に向かわせると、秘書に人払いを命じて自らアルビレオたちの後を追った。

 

 

 

 一言で言うならば信じられなかった。

 完全なる世界という秘密結社が世界各国に根を張っており、この魔法界全体を揺るがす大戦争を裏から主導してるなどと。そして、その目的が魔法世界そのものの滅亡だ、などという話は荒唐無稽に過ぎる。相手が一国の姫でなければ、話すらまともに聞かなかっただろうと言い切れるほどだ。

 だが、その一方でアリカとアルビレオの話には信憑性があることも確かだった。作り話と切り捨てず、こうして今でも向かい合っているというのは、彼女が日頃から抱いていた戦争への疑問に結び付くものだったからである。

 終わりそうで終わらないこの戦争は、第三者の視点から見れば異様ではあったのだ。

 もともと火種こそあったものの、戦争を引き起こす必要性のなかったヘラス帝国とメセンブリーナ連合の開戦は、意外感すらあったのだ。それが、魔法界全体を巻き込みかねない規模に膨れ上がったことや、数度に渡って互いにチェックメイトを掛け合う展開も、五分五分の戦いを繰り広げているというよりも操作されているような胡散臭さを感じていた。それは、戦争を俯瞰的に見ることのできるアリアドネーという特別な立ち位置にあったからこそ許される感覚であって、恐らく両勢力に属する者は感じる余裕すらないだろう。

「何と言ったらいいか……だね、まったく」

 頭を抱えたくなる。

 世界を滅ぼすなどということが可能なのかとも思ったが、可能だ。難しいことではない。大戦争を裏から操れるとなれば、それくらいは容易にできるだろう。

「彼らの本拠地は、オスティアです。狙いは、アスナ姫。この二点だけでも、完全なる世界が執り行おうとしている儀式の正体は分かるでしょう」

「…………王家の魔力を用いた大秘法。創世の秘儀か」

「まず間違いないなく」

「何という……それが事実ならば、文字通り世界は消えるな。跡形もなく。いや、成功すれば自由自在に世界を作り変えることもできるだろう」

 ウェスペルタティア王家に受け継がれる魔法の詳細は、世間には出ていない極秘情報ではあるが、さすがにコルドゥラほどの立場になればかなり真に迫った情報を把握していた。模倣すらできない血によって為される秘儀。魔力無効化能力という形で顕現するというその力を魔法世界全土に向けたとき、文字通り世界は消滅する。

「なるほどな。そこまで言われると、こっちとしても考えなくちゃいけないね」

「戦争に介入したと言われるかもしれませんが」

「馬鹿言っちゃいけない。戦争に介入なぞ、するものかよ。だけどね、世界がなくなりゃ、学問もなくなる。学問の盾を自負するうちとしちゃ、黙しているわけにもいかんわけだな」

 もっとも、正式に完全なる世界と対峙するとなると、動かぬ証拠が複数必要となる。状況証拠だけでなく、『紅き翼』がこれまでに集めてきた映像、音声、書類の類を総合的にチェックする必要もある。他国の政治に関わらないというスタンスを取り続けてきたアリアドネーが戦争に口出しするとなると、内外からの批判も避けられないだろう。ならばこそ、完全なる世界の実在を示す確たる証拠が必要だった。軍を動かすにしろ、声明を発表するにしろ、必要な手続きを経ることは重要であった。

「とりあえずは信じていただけるようですね。安心しました」

「まあ、連合のナンバーツーがテロをしている明確な映像資料を出されるとね。ほかにもいろいろとあるんだろう」

「ええ。一つ二つではないですよ。何せ、有能な捜査官が友人にいますからね」

 と淡く微笑むアルビレオではあったが、内心では五分五分の賭けに出たという感は強い。

 永世中立を掲げるアリアドネーに両国の間に入ってもらいつつ、完全なる世界を告発する。一先ずは戦争そのものを小康状態にした上で、世の中の視線を敵対国から完全なる世界へ向ける。そうすれば、本格的に完全なる世界と戦える状態を作り出せることだろう。壊滅に追い込むには多大な時間を必要とするだろうが、現段階でそこまで視野に入れる必要はない。重要なのは敵の最終目標である儀式を止めることだ。

 アリアドネーの助力は何が何でも欲しいところであった。

「検討に値する話ではあったな。ああ、クソッタレな戦争の闇ってのは知りたくもなかったがね」

 口悪く言いながら、本気で頭を抱えるコルドゥラは、アルビレオの事ここに至っても平静でいる姿に内心で苛立ちつつ、魔法世界の今後を憂うのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 夜。

 まだ明かりが消えきらない午後十一時過ぎ。

 コルドゥラは自室でウィスキーを引っ掛けていた。酒に強いほうではないが、気に入らないことがあるとこうして酔いに身を任せるのが習慣となっていた。もとより長命種。人の何倍も時間があるから、健康などさして気にすることでもない、というのが自論であった。

 頭にほどよい高揚感が湧いてきたところで、知った声に呼びかけられた。

「また、そんな強いお酒をお飲みになって」

 それは秘書だった。

 常に傍にいる彼女は、アリアドネーで学び育った優秀な人材であり、前総長の頃から秘書として活躍している。プライベート空間への出入りも特別に許可していた。

「別にいいだろう。今はプライベートだよ」

「ええ。ですが、お酒は身体によくありません。正常な判断を鈍らせ、肉体の反応を遅らせます。あまり、深酒が過ぎると大変ですよ」

 まったく、と秘書は余ったグラスを盆に載せて戸棚の中に仕舞う。ダメだといいながらもボトルまでは奪おうとしない。何度注意しても止めないから、すでに諦めているのだ。

 彼女は個人付けの秘書ではなく、総長という立場に付けられている秘書だ。だから、コルドゥラに何かあったとしても職を失うというわけではない。もちろん、そこまで対人関係がドライというわけではないが、危機感自体は低いのかもしれない。

「で、あんた何の用だい?」

「……先ほどの件」

「先ほど、ね。アルビレオの件かい」

 秘書は頷く。

「どうされるのですか?」

「どう、とは?」

 質問に質問で返す。

 険しい表情で、秘書を見つめる。

 彼女は、何も言わない。ただ、黙ってコルドゥラを見返すばかりだ。

「あんたには関わりがない、とは言わないがね。まだ、言うわけにもいかないことだよ」

「わたしはあなたの秘書なのに、ですか?」

「何のために人払いをしたと思ってんだい。人に聞かれたくないからだろう」

「彼は犯罪者です。その犯罪者の言葉を受け止められるのですか?」

「ここは犯罪者であろうと学ぶ意思さえあれば受け入れるとまで言ってる街だよ。まあ、アイツに学ぶ意思云々はどうかとも思うがね。重要なのはそこじゃあない。で、あんた、あたしが何を受け入れるって? あの男があたしに何を言っていたか、分かってるってことかね」

 そもそも、彼女がアルビレオに異様なまでに警戒心を抱く必要性がない。だというのに、何故彼女はここまでアルビレオを敵視するのか。何よりも、彼女の口振り。人払いをして話をしていたその内容にまで理解が及んでいるというのだろうか。

 ざわ、と室内に不吉な気配が充満する。

 秘書の目がすっと細められた。

「……へえ、まさかこんな身近にいるとはね」

「……アリアドネーは独立都市。他国の戦争に肩入れをするべきではありません。騎士団の編成は考え直されるべきでしょう……受け入れられないというのなら」

 秘書が杖を抜いた。

 即座に光が舞って、コルドゥラを弾き飛ばす。

 即製の魔法障壁が、その攻撃の大半を打ち消してくれたが、腰を強かに打ちつけることになってしまった。

「……この堅物め。ミクロな視点しか持てないヤツはマクロな流れに乗り遅れるよ。世界が崩壊してからでは遅いだろうに」

 毒づきながら、護身用の杖を取り出したが、そのときにはすでに第二射が放たれていた。

 咄嗟に飛び退くも、反応が遅れて足をやられた。

 氷の矢だ。

 爆発や光を放つ属性と違い隠密性が高く、殺傷性もある。急所に当たれば、弱い魔法でも致命的。魔法の矢だからと油断はできない。

「お酒の飲みすぎは身体に悪いと申し上げていたはず。普段のあなたならばともかく、アルコールの回ったあなたならば、わたしでもやれます」

「く……ッ」

 氷の剣を装備した秘書が、コルドゥラに襲い掛かった。魔法の矢よりも威力が高く、即製の魔法障壁では斬り裂かれるだろう。

 相手の狙いは心臓で、この一刺しで雌雄を決しようとしているのは明らかだ。それが分かっていながら、対処する術がない。数センチ先にまで至った死は、しかしコルドゥラに届くことはなかった。

 漆黒の球体が秘書の頭上に突如として現れ、そしてその身体を押し潰したからだ。

「が――――ッ」

 何が起こったのか、彼女には理解できなかっただろう。 

 奇襲に対処することもできず、秘書は意識を喪失した。

「やれやれ、半日も経たずに動きが出るとはさすがに想定外ですよ」

 冷や汗をかきました、と魔法陣から現れたアルビレオが言う。

「女の部屋に無断侵入かい。誉められたもんじゃないね」

 腰を摩りながら、コルドゥラが立ち上がる。痛みに顔を顰めてはいるが歩けないほどのダメージではないらしい。

「まあ、助かったよ。しかし、あたしも焼きが回ったかね」

 傍にいた人物が謎の結社と繋がっていたとは思いもよらなかった。それは、コルドゥラの不徳であったか。

「まだまだ、頑張ってもらわないと困ります」

「ふん……」

 嫌そうにしつつ、コルドゥラは衛兵を呼ぶ。

 駆けつけたのは戦乙女たち。重い鎧に身を包んだ、アリアドネーが誇る自衛組織である。乙女からなる騎士団の団員は、秘書が倒れ伏しているのを見て驚き、アルビレオを視界に入れて息を呑んだ。

「アルビレオ・イマ?」

「『紅き翼』の?」

「何故、ここに……」

 困惑の声が広がっていく。

 それも当然であろう。アルビレオは反逆の汚名を着せられているのだ。それが、総長と親しげにしていれば戸惑いも当たり前である。

「あんたたち、そこに裏切り者がいるじゃないか。倒れてるほうだよ」

「え、あの。ですが、秘書官殿では……」

「そうだよ。あたしを殺しにきたのさ。どうにもきな臭い……とにかくこいつを取り調べるんだよ。アリアドネーが内側から攻撃を受けている可能性がある。非常事態宣言を出すから、さっさと吐き出させな!」

「りょ、了解しました!」

 秘書を引き連れた騎士団が部屋から去っていく。

 それを見送って、アルビレオが悠然と微笑んだ。

「中々に錬度の高い騎士ですね」

「お世辞かい? あんたから見れば、全員ひよっこだろうに」

「長く生きた私を基準にするのは、不公平でしょう。あの年頃で、あの錬度は中々ですよ」

 素直に、アルビレオは言う。 

 一目見た限りではある。が、しかし、ヘラス帝国やメセンブリーナ連合の正規軍に勝るとも劣らない実力を有した魔法使いたちであることは一目瞭然であった。

「うちの者たちを戦力に数えるのは早すぎるよ」

「状況は切迫しています。多少、楽観的に考えさせてくれてもいいでしょう」

 などと、話をしながらアルビレオは交渉の手応えを感じていた。

 飛んで火にいる夏の虫とはこのことで、今回の襲撃はアリアドネー側に完全なる世界の存在を明確に認識させることとなった。迂闊な行動ではあったが、それは完全なる世界の構成員同士の意思疎通が機能していないことも意味している。巨大になりすぎた組織の弊害であり、アリアドネーの構成員の質は高いものではないのだろう。戦争への参加をしない、日和見主義が脅威の度合いを引き下げていたからだ。

 そこに隙が生まれた。

 今回の事件をきっかけにして、相手の牙城を切り崩す。そのための一手がここに成った。




フレのジャックちゃん強すぎ。星がボロボロ落ちるとか気持ちよすぎるわい。


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第二十二話

 アルビレオとアリカがアリアドネーを口説いているのと時を同じくして、ヘラス帝国で活動している『黒の翼』にも進展が見られた。

 ジークフリートとテオドラが出会った最初の事件。

 飛行艇の撃墜と大量の召喚魔による襲撃事件を主導したと思しき組織の特定と襲撃に成功したのである。

 大量の悪魔を召喚するには、それだけ大きな儀式の行使が必要不可欠である。その痕跡は、非常に巧妙に隠されていたものの、消しきれるものではなく、ブランの人脈と騎士としての実戦経験から見事に当たりを引き当てることに成功した。

 相手は、長年ヘラス帝国内で活動していたマフィアの一つ。討伐を幾度も行っていたものの、壊滅に至らなかったやっかいな組織である。そのアジトの一つが、テオドラの襲撃を企て、実行に移していた。

 その明確な証拠を押さえたジークフリートたちの行動は早かった。

 敵地への強襲から占拠まで一時間とかからない。構成員全二十八名は、一人残らず捕縛され、魔法によって拘束されている。

 必要な資料を掻き集めた後は、地元警察組織に引き渡す。これまでに幾度か繰り返してきたことを、ここでもするだけだが、今回は本当の意味での当たりであった。

「ああ、やったぜ。隊長! すっげえのありましたぜ!」

 資料を漁っていたコリンが、偶然にも発見した巻物を振って、アレクシアにアピールした。

 ダンボールに使えそうな資料を詰め込んだアレクシアは、

「なんですか、それは」

 と、後にして欲しそうに適等な反応を示したが、コリンが広げた巻物から再生された3D映像記録を見て、言葉を失った。

「ちょ、な、この人……侍従長!?」

 映し出されている初老を迎えたばかりの人間の女性を、アレクシアは知っていた。仲間の誰もが知っているだろう。ジークフリートですら、彼女と言葉を交わしたことくらいはある。

 テオドラに仕える侍従長――――メイリンであった。

 それが、マフィアの頭目と笑みを浮かべて話をしているのである。さらに、共に机を囲んでいる相手には大臣や一部門を預かる長官の一人までいるではないか。

「まさか、ここまで。いや、覚悟はしていましたが……」

「こいつらがいつまで経っても潰れなかったのも、当然だな。何せお上と繋がってれば、トカゲの尻尾きりにしかならねえだろうから」

 吐き捨てるように、コリンが言った。

 魔法で縛り上げられたマフィアの構成員たち。この組織が長く帝国に存在していたのも、総ては政府との間に表沙汰にできない取引をしていたからであった。

 メイリンもその仲間であり、そして完全なる世界のシンパでもあるのだろう。

「どでかい証拠だな。スキャンダルとしては、特大の……」

「一先ずは、外に出ましょう。それ、絶対に落とさないでくださいね」

 アレクシアは、コリンにそう命じ、撤収を指示する。

 『黒の翼』の活動は、噂レベルでしか広まっていない。迂闊に表に出てしまうと、敵ではない人々まで相手にしなければならなくなるからである。だが、それもここまでだ。証拠は押さえた。機を見て一気呵成に叩き込むことができれば、それで情勢は変わる。

「ジークフリート。撤退です!」

「この者たちはいつも通りにか?」

「はい。じきに警察も来るでしょう」

 もちろん、警察もまた信用はできない。完全なる世界の手が入っているのは、マフィアの末端から政治の上層部までだ。司法や警察組織は真っ先に敵の手に落ちただろう。その証拠に、ジークフリートたち『黒の翼』は、テオドラ誘拐事件の後ですぐに指名手配されてしまった。状況証拠であれば、彼らが犯人である可能性など無きに等しいにも関わらずだ。

 だが、それもこれで終わる。

 明確な物証を持ち帰ることに成功したジークフリートたちは、拠点に戻ると証拠品の整理を始める。その大半が、はずれではあったが、金銭の流れや契約書の類はマフィアと官僚の癒着を示す材料として有効に利用できるものであった。

「正直に言えば、これほど酷いとは思いませんでした」

「金銭で安全を買うのは、いつの時代も変わらない。それを否定はしないが、それで無辜の民を犠牲にしてよいはずがない」

 静かにジークフリートが呟く。言葉の中に憤りの念を滲ませて、拳を握る。はっきりとした形の掴めなかった悪が、すぐそこにいるのである。

「ああ、しかしこれは驚いたな。まさか、メイリンのお嬢ちゃんがこんなことしてるとはな」

 ブランが沈鬱そうな顔で、巻物から再生される映像を眺めている。彼は、テオドラの護衛を勤めていた下騎士団員である。侍従長として長く王宮に仕えていたメイリンとも顔見知りだったのであろう。

「これだけの証拠があっても、法を相手が抑えているのであれば正攻法は使えません。最後はごり押しするしかないというのが、辛いところですが」

「だけど、ここまでくれば後はどこで仕掛ければいいかって話じゃないの?」

 アレクシアの言葉に反応したのはブレンダだ。その隣に座るベティも同感とばかりに頷いている。ごり押しもなにも、今まで敵を力任せに叩いてきたのだから、気にしても仕方がない。

「いや、まあ、そうですが」

「テオドラ姫が王宮に戻るのに合わせればいいのではないか。張本人を前にして弾劾するというのも、一つの手だろう」

 ジークフリートの言は、少なからぬ危険を伴うものではある。だが、効果的なのも事実であった。行方不明のはずのテオドラが無事戻り、犯罪の証拠を押さえて証言すればこれまでの不利が一気に覆る。問題は、テオドラを偽物扱いしようとするなど、相手側が反攻してきたときであるが、それについては身分証すら役に立たない水掛け論にしかならない。魔法をかけられていないことで以て証拠とするほかない。

 とはいえ、それはテオドラが親しい間柄にあった人物を直接弾劾するということである。精神的な負担は計り知れない。

「ん、妾ならば大丈夫だぞ」

 しかし、テオドラはしっかりとした声でそう言った。

「テオドラ様」

 アレクシアが心配そうな声で、テオドラの様子を窺う。

「部下が巨悪に加担するのであれば、しっかりと正してやるのも主人の仕事じゃ。心配する必要はないぞ」

 小さな身体に似合わぬ覚悟を以て、テオドラは毅然とした態度で言い切った。

 直接王宮に乗り込んで、証拠を突きつけて弾劾する。叶う限り大勢の前で。テオドラという隠しようのない証人を引き連れて。賭けではある。失敗すれば、総てが水の泡だ。それでも、やってみる価値はあるのではないだろうか。

 と、その時、声を上げたのはコリンだった。

「おい、皆これを見てくれ!」

 話し合いの最中に上げた声は、事の外よく響いた。

 コリンが触っていたのはテレビのリモコンで、音量を下げるために操作していたところだったのだ。

 ヘラス帝国の民間放送局が流す情報番組の中で、緊急速報が流れていた。映像が切り替わり、記者会見が行われている映像が映し出された。

 そこに映し出されたのは、ウェスペルタティアの姫であるアリカとアリアドネーの総長コルドゥラであった。

 

 

 

 流れが変わったと、如実に理解できた。

 完全なる世界が如何に強大かつ広範に勢力を広げていようとも、公共の情報番組のライブ映像にまで手を加えることは不可能だ。たとえ、テレビ局内にシンパがいたとしても、多くの国民の目の前で情報統制を強硬するなどありえなかった。

 中立を謳うアリアドネーの総長が自ら矢面に立って世界の現状を説明し、メセンブリーナ連合とヘラス帝国の名のある高官たちの悪行を詳らかに説明する。証拠の品として、映像資料まで提示し、自分に迫った暗殺未遂事件を絡めて声高に非難声明を発した。戦争を道具とし、人命を損なう茶番劇を即時に止めるべしと。

「これ、行けるんじゃないっすか? ねえ、隊長」

 コリンが息を荒げて言う。

「ええ、むしろ今を除いてチャンスはない」

 アレクシアは大きく頷いた。

 アリアドネー総長の暗殺未遂は、学問の自由と主権を侵害する行為であり、その仲間を絶対に許しはしないとの強い意思をテレビ中継で示した。そして、その仲間が連合と帝国の双方の政治家であるということは、少なからず世間の動揺を誘うだろう。

 完全なる世界についても、コルドゥラは触れている。

 秘密結社の存在が、明るみに出た瞬間である。

 ならば、これをもみ消されないうちに帝国側でもアクションを起こす必要がある。

 テオドラを旗頭として、王宮に凱旋し、完全なる世界のシンパである証拠を集めることに成功した人物たちの弾劾を行う。その機会は今以外にありはしない。

「ブランさんは、どう思われますか?」

 アレクシアはさらに経験豊富なブランに意見を求めた。

「賛成だな。テオドラ様が王宮に戻られるのも、可能な限り人目に付く形にするべきだろう。テオドラ様の無事を報せるには、いい機会だ」

 ブランは勢いよく立ち上がった。

「乗りかかった船だ。帝都まで案内してやる!」

 喜悦を表情に浮かべて、ブランは胸を叩いた。

 仲間たちの視線が交差する。

 潜伏の時はここに終わり、攻勢に出る時が来たのだと言葉にしなくともその事実を共有していた。誰一人として反対はしなかった。証拠の品を掻き集め、帝都に向かう。

 

 

 

 同時刻、メガロメセンブリアでも、動きがあった。

 アリアドネーから発信された暴露情報は、メガロメセンブリアでも中継されている。

 次々と、別のチャンネルでも同じ放送を始めていた。

 主として完全なる世界の陰謀の暴露とそれに加担する政治家たちを国籍を問わず名指しで批判するという内容だ。そのための証拠も、惜しげもなく提示している。今、映し出されているのは、メガロメセンブリアの執政官(コンスル)が爆破テロを指示している映像データだった。

「お、俺が見つけてきたヤツじゃねえか」

 高層ビルの大型モニターに映し出されるニュースを、道行く人々が食い入るように見つめている。

 フードで身を隠したナギもまた、その一人だ。違うのは、当事者か否か。

「帝国のほうはどうなるかな」

「いずれにしても、戦争の当事者が図って戦局を動かしていたとなれば、戦争どころではない。まずは、世の人たちにも分かるように、大本を叩かなくてはならんぞ」

 ナギの呟きを拾った詠春が言う。

 その二人の下に、白いスーツを来た男がやって来る。

「詠春の言う通り。これだけでは世論は変わらない。証拠を示し、暴露したところで、上が認めなければ流れてしまうものだからな」

 タバコを吸う初老の男。

 ナギたちの仲間で、非常に優秀な捜査官でもあったガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグである。

 彼がいなければ、ここまで証拠を取り揃えることはできなかったであろう。

「で、どうすんだよ、この次は?」

「もちろん、乗り込むさ。準備はできている」

 ガトウが視線を向ける先にはメガロ湾がある。その上を鯨に似た形の船が飛んでいる。サーチライトでメガロ湾を照らし、幾人もの人影が海に飛び込んでいく。

「なんだ、あれ? なんで、超弩級戦艦がこんなとこに来てんだよ」

「リカード艦長様々だ。話をしたら、進んで一枚噛んでくれた。今はメガロ湾に沈められたマクギル元老院議員のご遺体を捜索している」

 マクギル元老院議員は、『紅き翼』の行動に理解を示し、戦争終結のために行動していた反戦派の議員である。以前、執政官がテロに関与しているという情報をナギたちから受け取った際に、完全なる世界によって殺害されメガロ湾に沈められていた。

 その後マクギル元老院議員には、完全なる世界の誰かが変装していたようだが、一月ほど前から失踪という扱いに変わった。遺体が見つかれば、『紅き翼』の追放以前に殺害されていたことが明らかになるだろう。そうなれば、彼らへの疑いは晴れたも同然となる。

「リカード艦長には海と空を封鎖してもらっている。時間はないが、今なら彼を後ろ盾に乗りこめる」

「へ、そういうことかよ」

 ガトウの思惑が成功したことが分かり、ナギとラカンは不敵に笑った。一人が一個大体に値する怪物である。執政官の私兵程度では話にならない。

「早々に片付けてしまおう。逃げられると、厄介だぞ」

「当然だぜ、詠春。いつかの借り、ノシつけて返してやるぜ」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 結局、世論とは世の中の流れで形成される。

 世界的な流れの中にあって、それに抵抗できる人間は多くない。畳み掛けるように表に出てくる「真実」に、メディアはこぞって飛びついた。

 アリアドネー総長の世界各国に向けた犯罪の暴露と、それに呼応したメガロメセンブリア執政官の逮捕は、暴露の正当性を補強する格好のネタとなった。

 芋づる式でメセンブリーナ連合側の高官らが逮捕されていく中で、注目を集めるのは、やはりヘラス帝国はどうなのか、という点であろう。

 もちろん、ヘラス側にも告発されている者はいる。

 連合側で実際に執政官が逮捕されたことを受けて、ヘラス帝国でも厳しい世論が巻き起こるのは、時間の問題であろう。

 現在、アリアドネー側が発表した名簿に載っているのは三名。

 その中には法務官や大臣の名前が入っている。

 両者共に戦争を継続するべきとの立場を示していただけに、この流れのままであれば反戦運動の後押しにもなるだろう。

 そんな夜の流れではあるが、帝都の中は常と変わらず穏やかな時間が流れていた。

 ピリピリとした空気は感じる。気を張っていて、明日をも知れぬという状態なのはここでも同じか。戦火が近づいている上に、報道では上層部が敵と繋がっている可能性もあるという。そのような状態で、誰を信じていいのか分からないのである。しかし、感情的になって暴動を起こそうという者はいないようだ。まだ、情報が出てきてから時間が経っていない。民衆に実感として浸透していないのだ。

「昔馴染みが教えてくれたぞ。どうやら、王宮の中でもこの問題はかなり大きな話題になっているらしい。名指しされた法務官と大臣は、とりあえず謹慎状態にあるとか」

 かつて、王宮で働いていたブランが、以前の伝手を頼りに王宮内のことを伝えてくれた。

 指名手配をされている『黒の翼』のメンバーではないから、こうした点でも情報を集めやすい。老いて引退したとはいえ、その人柄を信頼する者は多く、いまだに王宮の中に詰めるものとのやり取りは続いている。

 状況は十分ジークフリートたちに味方をしている。

「だが、ここでどうにかできるのはあくまでも不正に関わってた政治家たちだけだ。本当の敵はその奥にいるんだろう?」

「うむ。だが、それでも意味はある。地に足つけて、完全なる世界に立ち向かうためにな」

 テオドラが、ブランの言葉に頷いて答える。

 ローブで身を隠した一行は、大通りを歩いていく。

 王宮に続く大通り。以前は馬車で通った道を、テオドラは徒歩で行くのだ。皇族の中で、この道を実際に歩いた者はいないのではないか。なんだかんだで、乗り物を利用する。こうして、市井の中に身を投じる経験を、他の姉妹兄弟は経験していないだろうと思う。

「さて、ここからじゃぞ、ジーク」

「ああ。テオドラ姫も気を抜かないようにしてくれ」

「無論じゃ。ああ、しかし実家に戻るというのにどうしてこう、気を回さねばならんのかのう」

 嘆かわしいとばかりに盛大にテオドラはため息をつく。

 王宮の門の前には、当然のことながら多数の衛兵がいる。それが、ローブを身に纏った一団を見れば、警戒するのも当然であろう。

 魔法使いの基本的な衣服とはいえ、顔まですっぽりと覆っているのは警戒してくれと言うようなものである。

「止まれ」

 槍を持った衛兵が言った。

 一般人に威圧感を与えないようにとの配慮から、軽装を旨とする門前の衛兵たちが、強張った表情でジークフリートたちの前に立ちはだかる。

「王宮に何用か。顔を見せ、名と身分を明かせ」

 静かに問う衛兵に、思わず笑い声を漏らしたのはテオドラだった。

 子どもと同じくらいの背丈とはいえ、油断はできない。長命種であれば、外見が実年齢にそぐわないものも多いからだ。

 だが、そんな警戒心は彼女の一声で雲散霧消した。

「くくく、相変わらず真面目なヤツじゃな、ユーリ殿」

 名を呼ばれたことよりも、その声に動転した。目を見開いて、信じられないとばかりに唖然とする。

「な、その、声はまさか」

「あまりにそっけないから、妾のことを忘れてしもうたかと思ったぞ」

 そして、テオドラはフードを取った。

 認識阻害の効果が消えて、テオドラの顔が露になった。

「ッ、て、テオドラ様!?」

「如何にも、テオドラじゃ。ユーリ殿。今日は確か、そなたの娘の誕生日であったろう。早めに帰って、家族サービスをするとよい――――ジークたちももうフードを取っていいじゃろ」

 それを合図にジークフリートたちは一斉に姿を曝した。

 その姿を知らぬ者など一人もいない。

 テオドラを誘拐したとして指名手配をされていたから、ではない。

 衛兵たちも帝国の兵士として戦場を駆けた者たちだ。当然ながら、ジークフリートの活躍は知っているし、中には同じ戦場に出ていた者もいる。

 連合を相手にたったの一人で孤軍奮闘する姿を知るが故に、確保しようなどという動きは一切なく、ただその場に立ち尽くすだけだった。

「門を開けてくれんか? 実家の前で立ち往生する皇女など、前代未聞だぞ?」

「あ、いや、しかし……ジークフリート、らは現在指名手配中でして……」

「頭が固い、判断が遅い。よいか、報道された内容が総てじゃ。今、世界は未曾有の危機を迎えておる。ジークたちはそれに立ち向かわんとしているのじゃぞ。それとも、お主、敵に通じている法務長官が出した触れに正当性があると申すか?」

「ぬ、そ、れは……」

 ジークフリートたちを捕らえるというのは、法で定められたことではある。が、その法の運用自体が敵に通じたものであれば、法を守ることが敵を利することとなる。帝国の騎士としては、帝国に害を為すわけにはいかないが、かといって帝国の法を破るわけにもいかない。その葛藤を、理解できないテオドラではない。

「法務長官が敵と通じている証拠も持参した。その他報道されていない者たちについても、取り調べるべきじゃぞ。『黒の翼』の指名手配決定プロセスそのものの再検証も必要じゃ……まあ、それはともかく、門を開けてくれ。でなければ、押し通るぞ」

「む、う」

 ユーリは判断に迷いながらも、十秒ほどの思考の末に開門を命じた。

 ジークフリートたちだけならばいざ知らず、テオドラまで一緒となればいよいよ報道の真実性が強くなる。つまり、ジークフリートたちは無実であり、法務長官ら上層部にこそ悪が潜んでいるという事実。

「よい判断じゃ。よし、乗り込むぞ、ジーク!」

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 テオドラの「帰宅」は大きな喜びと動揺を以て迎えられた。あまりにも突然のことに、声を上げて喜ぶ者や、唖然としてテオドラたちを見つめるものもいたが、皆一様にどのように彼女に接すればよいのか分からず右往左往するばかり。そんな周囲に気を遣うこともなく、テオドラは真っ直ぐに広間に向けて足を進める。

 両脇をジークフリートとブランという歴戦の猛者に守られたテオドラは、誰に邪魔されることもなく父たる皇帝が座す大広間に到着した。

「父上! 今帰ったぞ!」

 ドアを押し開けて、テオドラは中に入る。

 大広間には百人近くの衛兵が詰めていて、重装備に身を包んでいる。荘厳な雰囲気のある、シャンデリアが照らす中、テオドラの声は残響を残して部屋の中に溶け込んだ。

「て、テオドラ!?」

 玉座に腰を下ろしてた皇帝は、ペンを取り落として立ち上がった。

 筋骨隆々の巨漢であった。ヘラジカを思わせる巨大な角が、小さく見えるほどだ。

 テオドラの登場は、大広間に集まった豪奢なローブに身を包む老若男女にも影響を与える。ざわめきが広がり、その声が大きくなる間にテオドラは人々を掻き分けて父の元に走った。

「父上!」

「テオドラ!」

 テオドラは父の胸に飛び込み、皇帝は父として娘を抱きしめた。何が起こったのかということは後回しにして、父として娘の無事を喜ぶ。

 威厳溢れる為政者であり、慈愛溢れる父であるヘラス帝国の皇帝は、テオドラの頭を撫でながらジークフリートたちに向き合った。

「ジーク、フリートとその仲間か。それに、ブランまでいるとはな」

「お久しぶりでございます、陛下」

 真っ先に腰を低くしたのはブランだった。皇帝とも直接的な面識のある彼は、畏まりすぎず、決して礼を失しない作法を心得ている。

「父上。アリアドネーの報道は見たか?」

「ああ。だが、半信半疑であった。さすがに、法務長官や大臣までもが関わっているなどというのはな」

 皇帝は消沈したように言った。

 アリアドネーでのことに端を発したこの騒動は、ヘラス帝国の内部にも大きな影響を与えている。今、この場に多くの人員が集っているのも、この問題に対処するためであった。

 そこに、テオドラが飛び込んだのである。

「中立を謳うアリアドネーの言葉ゆえに無視もできぬ。彼らは、今自宅謹慎の最中であるが……」

「あの者たちだけでない。メイリンも通じておる。それに、ほかにも何人も」

「何? どういうことだ、テオドラ」

 皇帝がテオドラに問いかける。その問いに対して、テオドラはアレクシアに視線を投げかけることで答えとする。

「失礼致します、陛下。わたくしには発言をお許しください」

「そなた、確か『黒の翼』の……」

「は……アレクシア・アビントンと申します」

「よかろう。発言を許す」

 アレクシアは一礼してから、ローブの袖から巻物を取り出した。

 皇帝が眉根を寄せ、周囲の衛兵が警戒心を露にする。巻物はただの書物ではない。魔法がかけられたそれはテロにすら使用できる。爆弾の変わりに使うことも容易な危険物ともなりうるのである。それは皇帝の目の前に取り出すというのは、少々問題のある行為ではある。

 だが、皇帝も魔法使いとしては一流だ。その巻物が、攻撃的なものではなく映像記録用の巻物であると一目で見抜いていた。

「我々はテオドラ様を救出した後、機を窺って各地に潜伏いたしました。そして、その際に追っ手やマフィアと交戦することもありました。こちらは、戦いの中で手に入れた、不正の証拠でございます」

 アレクシアは、巻物を再生する。

 浮かび上がる3D映像は、ヘラス帝国の高官ら――――法務長官や大臣、そしてテオドラの傍に仕えている侍従長などが、マフィアとテロの計画を話し合っている場面を明確に映し出した。

「元は取引相手のマフィアがこの方たちに裏切られないようにと隠し撮りしていた映像です。度重なるテオドラ様に対するテロも、最も傍にいる者が主導したからこそ引き起こされたものと思われます」

「ぬぅ……」

 映像を見るや皇帝は顔色を変えて歯噛みした。

 国家の大事であり、恥である。

 戦争を道具にして、私腹を肥やしていた者たちである。多額の税金と国民の命を消費して、金を集める亡者たち。

「おのれ、国賊めが……! 今すぐに、こやつ等を捕らえて引っ立てよ! 決して逃がしてはならんぞ!」

 皇帝は強い口調で命令した。

 慌しく騎士たちが動き始める。

「テオドラ。よく報せてくれた。『黒の翼』諸君も――――」

 皇帝がそう言おうとしたそのとき、大広間の中央で莫大な魔力が溢れ出た。

 青い光を放つ魔力風が、竜巻の如く唸りを上げて四方八方に容赦なく力を叩き付ける。

「何だ!?」

 間違いなく攻撃である。

 発生源は中央にいた一人の魔法使い。銀髪の男である。これが、魔法を用い、大広間を荒らしている。周囲にいた者たちは軒並み跳ね飛ばされ、大広間の中央は男の独擅場と化した。気絶した要人たちをあざ笑うように風の暴力を振るい続ける男の掌が皇帝に向けられた。

「陛下!」

 誰かが叫んだ。

 近衛騎士か、それとも政治家たちの誰かが。いずれにしても言葉で命は救えない。すでに、圧縮された青い風は解き放たれている。

 攻撃範囲こそ極小に絞られているものの、だからこそ点の標的に対して絶大な破壊力を発揮し得る。

「伏せろ」

 前に出たジークフリートが剣を引き抜いた。

 迸る幻想の輝きが、青い風を消し飛ばす。

「何ッ……」

 男が、後ずさりする。

 大魔法の一歩手前程度の威力はあっただろう。それを、ただの剣術で弾かれたのだから動揺もするだろう。相手がたとえジークフリートで、その実力のほどを知っていたとしても初見では驚くものだからだ。

「貴様、アーダルベルト。何のつもりだ!」

「く……」

 激高する皇帝に対して、アーダルベルトと呼ばれた男は無数の風の刃で返礼とする。

 幻想大剣を振るうには、場所が狭すぎる。もっとも、宝具を使うに足る相手ではない。そこそこの実力はあるようだが、所詮はジークフリートの敵にはならない。

 風という風をジークフリートは斬り払う。人間技とは思えぬ神速の剣捌きで容赦なく風の刃を叩き伏せると、瞬時にアーダルベルトとの距離を零にする。

「ご……!」

 ジークフリートは握り拳をアーダルベルトの腹部にめり込ませた。

 魔法障壁を加味しても殺しきれぬ衝撃に、彼は身体をくの字にして倒れこんだ。

 




一酸化炭素「へっへっへ大人しくしな。可愛がってやるよぉ」
ヘモグロビン「いやあ、私には酸素さんがいるのに。ああ、ダメ、結合しちゃうぅぅ」
酸素「ヘモグロビン! 畜生、一酸化炭素、許さんぞーーーーーー!」

という夢を見た。


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第二十三話

 獅子奮迅とは呼べないだろう。

 少なくとも、あまりにも一方的な蹂躙を。

 剣の一振りで魔法障壁は両断され、鋼鉄の壁すらも紙屑のように斬り割かれる。およそ、この魔法世界に存在する守りで、彼の剣を凌ぐことはできないのではないかとすら思わされる。

 いや、事実不可能と言い切れるだろう。超弩級戦艦の魔法障壁すら、ジークフリートは容易く蹴散らしたのだから。テロリストの末端が用意できる魔法障壁など、無に等しい価値しかない。

 三十分弱続いた魔法戦闘の結果、帝都内に巣食っていた最後のテロリストの巣窟は、完全に沈黙した。後には意識を失い、倒れ伏した完全なる世界下部組織構成員が転がっているだけである。人的被害は零。物的被害も皆無の大勝利であった。

 テオドラの告発と、その後の捜査で帝国内部に入り込んでいた完全なる世界の構成員たちは次々に逮捕されていた。世論の高まりと共に、皇帝は連合側との停戦を決定。連合側も事態が事態だけに応じる姿勢を見せ、連合側は軍を引き上げた。一先ずの安定を見た帝国は、即座に逮捕した関係者から情報を聞きだして捜査を継続、強硬な姿勢で以て、百人以上の容疑者を上げるに至った。

 真面目に仕事をしていた役人たちからすれば、悪の秘密結社なる怪しげな組織とそこまで多くの者が繋がっていたのかと驚きを隠せないといったところだろう。

 不幸なのは戦争に賛成していた派閥だ。彼らは、その発言から完全なる世界との繋がりを疑われてしまっている。テレビのコメンテーターすらも、その流れの渦中にある。

「ジークフリートさん。ご協力ありがとうございます」

 今作戦を指揮した騎士団の隊長が、兜を取ってジークフリートの下にやって来た。

 牡鹿を思わせる立派な角を生やした男性騎士である。重厚な鎧を見事に着こなしていると思わせるほどに、その身体は強壮であったが、見た目とは裏腹に非常に丁寧な言葉を使う。

「今の時点で判明しているのは、ここが最後だったと聞いているが」

「はい。私もそのように窺っております。しかし、お噂は以前から耳にしておりましたが、とてもお強い。いったい、どこでその剣術を身に付けられたのですか?」

「どこで、と言われてもな」

 ジークフリートは答えに窮した。

 そもそも、彼の『生涯』は大まかにはこの世界に伝わっている『ニーベルンゲンの歌』に語られるとおりである。無論、細部は異なっているし、描かれていない部分も多々ある。が、英雄ジークフリートの生涯とここにいるジークフリートの前半生は異なっていなければならない。彼はあくまでも、英雄ジークフリートに肖って名付けられ、英雄ジークフリートに酷似した能力を獲得するに至った剣士として認知されているからだ。そういう『設定』になっているのだ。であれば、その在り方を乱すような発言は慎まねばならず、かつてのことを語るというのはなかなか難しいものである。

「誰に教えを受けたわけでもない。俺は山野と共に生きてきたからな。その中で自然に覚えた」

「真ですか?」

「ああ」

 ジークフリートは頷く。

 総てが嘘ということはない。

 事実、ジークフリートは少年期から激動の世界を生きてきた。ニーベルング族との戦いやファフニールとの激戦を思えば、その中で剣術に磨きがかかっていったのは事実である。

「実戦の中で鍛えぬいた剣ということですか」

「言うほどのことではない。まあ、功名心もあって強さを求めたのは事実ではあるがな」

「竜種や高位の魔獣が生息している山の中で育てば、そうまで強くなれるものしょうか」

「人によるだろう。誰を真似し、誰に師事しても、最終的には自分に合った鍛錬を見つけていくしかないと俺は考える。俺の場合はそれが実戦だったというだけのことだ」

 静かに、ジークフリートは言った。

 隊長も、この話はこれ以上は続けなかった。ただ、好奇心から尋ねてきただけで深く聞き出そうとは思っていなかったらしい。

 少しばかり安堵する。

 口下手な自分は、こういった話題が続けばボロが出てしまうかもしれないからだ。もっとも、だからとって真実に近づける者がいるとは思えない。それこそ、あのダーナという魔神にすら届かんとする怪物であれば別であろうが、この魔法世界にそこまでに至れる者がどれだけいるだろうか。

 ジークフリートとその関係者にかけられていた賞金は取り下げられ、完全なる世界を打倒するために世界は一歩前に進んだ。とりあえずは。少なくとも。これまで、足を止めていたところから動き出したのだから、これは前進と評するべきだろう。表面的には手を取り合い、これまでの戦争で出た多様な損害と苦しみの行く先を裏で戦争を主導していたとされている巨悪に擦り付け。

 その時点で元凶を取り去ることが、その後の安寧を約束するわけではないということは、自身の経験からよく分かっている。

 完全なる世界の野望を食い止めた先には、おそらくこれまでと変わらない人間の生が続いていくことになるだろう。未来がどうなるのかは、これから生きていく人間が決めていかなければならない。そして、完全なる世界を打倒することは、そのための未来を守ることでもある。

「あなたの過去、私も興味がありますね」

 マフィアたちを搬送していく騎士団が入り乱れている中で、気配もなく現れた男が声をかけてきたのだ。

「アルビレオ・イマか。帝国国内で貴公を見ることになろうとは」

 純粋に驚きだった。

 『紅き翼』は帝国軍にとっては不倶戴天の敵として認識されていたからだ。完全なる世界の問題で、政治的には解決してはいるが、感情論は別であろう。彼らに痛い目に会わされた軍属は多い。

「ええ、ですから背中には気をつけていますよ」

 彼ほどの魔法使いならば不意打ちをしたところで倒せはしないだろう。少なくとも、この国のトップクラスの魔法使いであっても、その領域には至れていない。世界でも指折りの実力者であるアルビレオ・イマは外見からは想像もできないことではあるが、歴戦の猛者なのだから。

「そちらはそちらで慌しいのではないか? 連合も、多くの役人が罪を負っていると聞いているが?」

「そうですね。ですが、我々は政治家ではありませんから、専門家に一任ですよ。問題視すべきは、今回事が思いのほか上手く行き過ぎたということです」

「やはり、か」

「おや、ご存知で?」

「いいや」

 と、ジークフリートは首を振った。

「ただ、あれほどの権力を誇った完全なる世界にしては暴露された後の妨害が皆無だったのは気になった。それを言うのならばテオドラの救出のときからだが」

 もちろん、完全なる世界にとってジークフリートは脅威ではなかったのかもしれない。テオドラやアリカのような政治的発言力があるわけでもない一介の剣士に過ぎない。直接的な戦闘ではなく、戦略の段階で彼個人を注意するのは得策ではないだろうし、テオドラやアリカにしても、それで完全なる世界に王手をかけられるわけでもない。ジョーカーとなりうるのは問題を表に引っ張り出してくる段階までであって、その後には影響を与えられるわけではない。

「完全なる世界としては、お姫様方を手元に置いておきたいという思いもあったでしょう。しかし、そこまで手を回せるほど、彼らの支配は絶対ではありません」

 もしも、下部組織まで徹底的に締め上げられるような組織であれば、証拠を容易く押さえられたりはしないだろう。その一方で全貌解明に必要な部分はまったくと言っていいほど出てきていない。これほど、捜査が進み、犯罪に関与した者たちが逮捕されているというのに、組織を誰が率いているのか、幹部は誰かといったところが見えてこないのだ。

「完全なる世界と真に呼ぶべきは、我々を嵌めた白髪の青年たち上層部だけなのでしょう。各国でこの戦争を手引きした重鎮の方々でさえ、操られていただけ……そのため、彼らの悪事は露見しても、肝心の本丸には辿り着けないのです」

 不幸中の幸いは、完全なる世界の存在を証明する僅かな証拠を押さえることができたという点であって、しかし、それすらも奇跡を掴み取ったという程度でしかない。相手が、もっと下部組織に目を光らせていれば、そのような情報もなく、それどころか今でも完全なる世界の存在に気付けなかった可能性すらある。

「ここ最近の完全なる世界の動きは、妙だとは思う。その原因は俺では分からないが」

「これについては二つの考え方があります。一つは、劣勢に立たされているが故。こちらの行動への対処が後手に回っているという考え方ですね。ですが、これについては彼らが優勢であった頃、つまり私たちが指名手配犯だった頃から散見される問題ですので、疑義があります」

「となると、もう一つの見解か」

「最悪のシナリオにはなります。――――彼らにとって、最早この戦争そのものが不要になったということです。もともとは隠れ蓑として始めた戦争ですからそれが不要となったということは……」

「話に聞く儀式魔法の準備が整ったということか」

「少なくとも、下地は完成したのでしょう。後は、鍵を手に入れ適切な時期に発動するだけです」

「鍵……?」

 アルビレオは淡く微笑んだ。

「ウェスペルタティア王国の王家の血筋に生まれる、特異能力を持つ者が儀式発動の鍵となります」

「鍵とは、人なのか?」

「はい。現時点では、アスナ王女ただお一人だけが、この鍵としての力を有しています」

 その鍵たる力とは魔法無効化能力だという。

 儀式はこの魔法無効化能力を世界全土に拡大し、この世界の総てを消失させる大規模魔法を実現するものであるというのだ。

 理論上では、儀式の発動の後に世界が存続する可能性は万に一つもないというのだから恐ろしい。

 話によれば、ウェスペルタティア王国は完全なる世界の本拠地であるという。

 そして、その王都オスティアに暮らすアスナ王女が儀式の鍵だというのならば、すでに敵は鍵を手に入れているに等しい状態である。事は一刻の猶予もない。世界がまだ無事なのは敵のほうでもすぐさま儀式を起こせるだけの準備が整っていないからだと思われるが、材料が揃っているからには、今すぐに儀式が始まってもおかしくはない。

「オスティアに乗りこむ他ない、ということだな」

「そうなります。そして、私がここにいるのもその関係です」

「む?」

「オスティアに乗りこむ上で、戦力が必要です。幸いなことにアリアドネーはすでに参戦を表明してくださいましたが、連合と帝国が一致団結できるかというと難しいでしょう」

 つい先日まで敵だった相手だ。理屈では手を組むことが正しいと分かっていながらも、簡単には同盟軍を組織できないだろう。かといって、アリアドネーの軍だけでは決戦は難しい。アリアドネーの軍事力は強大ではあるが、所詮は都市国家でしかない。地力で大国には及ばないのだ。相手が相手だけに、アリアドネーに加え、二つの大勢力を仲間にして挑むべきではある。そう考えるのが道理だ。

「帝国と連合を結び付けるには、それだけ大きな目的が必要です。世界滅亡などというのは聊か現実味が欠けてしまいますが、理屈で説明することで、何とか落とし所に収まるのではないかというわけですね」

「なるほど。ぐうの音も出ない状態に持っていこうというわけか。それで、首尾は?」

「結論から言えば、本格的に軍を動かすにはまだ時間がかかります。ですが、直前まで辺境を守っていた部隊であれば、回せるということですね。妥協案です。連合の動きはまだ何ともいえませんが、世界の敵に立ち向かうに当たって自分たちがのけ者になるというのも外聞が悪いでしょうから」

 敵の敵は味方だと割り切れはしないが、だからといって協力しないのでは世論に悪影響が出る。今は世界の敵は完全なる世界であると世の中に広まっているために、これにどのように対処するのかで政治家たちの命運は決まる。最終決戦に参加しないというのは、それはそれで自分の首を絞めることになってしまうのだ。

 だが、最近まで連合を相手に軍備を整えていたために、即座に動ける部隊となると限りがある。

 兵糧から武器、兵士の準備に至るまで大きな軍を動かすにはそれだけの時間がかかるものである。防衛戦用の配備を急に対都市、対魔戦に切り替えるとなれば、燃料の補給から専用の武器の補充まで必要なものがごっそりと変わってくる。

 今すぐに動けるのは、アルビレオが言ったとおり、辺境を守っていて連合と戦っていた部隊だけだ。ここならば、航空戦力を使用したばかりで燃料や装備がそのままになっている。これを逃す手はなかった。

「連合も同様の理由で参戦してくれると私は睨んでいます。まあ、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグがうまくやってくれるでしょう」

 投げやりな言葉の中に、確かな信頼が感じ取れた。

 出会ってから、それほど時間が経っているわけではないものの、同じ苦難を共に乗り越えた仲間であるという意識がそうさせるのだろう。ガトウの捜査能力によって、完全なる世界の存在を明るみにすることができたという点では、この戦いの趨勢を握った存在でもあった。

「数日後には決戦が行われるでしょう。時間的にも我々には余裕がありません」

「そうだろうな。アスナ姫と言ったか。その姫君が敵方の手の内にある限り、俺たちが優位に立つことはないだろう」

 いつでも儀式を始められるという無言の圧力がある。

 実際には、諸々の準備があるだろうから即座に世界が消えることはない。だが、タイムリミットをご丁寧に教えてくれるわけもない。明日には世界が消えるかもしれないという思いを抱いてしまうのである。敵が尻尾を出したのも、追い詰められているからではなく、こちらを気にする必要がなくなったから。着々と敵も準備を整えているのである。

「私たちは今なお劣勢に他なりません。戦いとなれば、当然あなたの力も頼りにすることになるでしょう」

 もちろんだ、とジークフリートは答えた。

 事ここに至っては、連合も帝国もない。

 完全なる世界という巨悪に立ち向かう一介の剣士として、敢然と戦場に赴くだけだ。

 自然と身体に力が篭る。

 目前に迫る一大決戦に向けて世界が動き出している。その激動の流れの中で、不躾にも血潮が昂ぶってしまうのだった。

 




年内には完結させようと思っていたけれど、思いのほか間延びしてしまった感。

ランサーの星四以上がいないので槍トリア欲しさに溜め込んだ結晶を吐き出したが、オリオンだったでござる。
ちなみにモーさんは呼符で来てくれて、我が王は最終降臨達成かつ宝具レベル2突入。この一週間で一年分の運を使い果たした感じがする。


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第二十四話

聖杯を手に入れる機会を与えるとは言ったが、手に入れた聖杯でブリテンを救っていいとは言ってない by抑止力

アーサーの願いをかなえようとする愛歌に抑止が介入するってこういうことかな。


 魔法世界全土を巻き込む大戦争は、限定的とはいえ終わった。終戦というよりは停戦というほうが正しいが、両陣営にとっても、これ以上の戦線拡大は不利益を生むだけであり、さらに完全なる世界という共通の敵が現れた以上はそちらに力を注ぐ必要があるということで、いくつかの不満や反対は依然として残るものの、正式に停戦合意が為されたのである。

 歴史的快挙ではある。

 これだけでも、この成果を導いた『黒の翼』と『紅の翼』は表彰台に上がる権利を有するだろう。

 だが、戦争が停まれば総てが解決するということではない。

 特に、今は。

 巨大に過ぎる悪の秘密結社が、ついにその姿を露にして活動しているからには、それを何とかしなけばならない。

 帝都の軍施設を訪れたテオドラは、渡り廊下から外を見る。

 窓の外には整然と並ぶ帝国軍騎士団がいて、指揮官が三千余名からなる精鋭たちに檄を飛ばしている

 これから帝国・連合・アリアドネー混成部隊に派遣されることとなる辺境守備隊の面々である。辺境を守るために組織された騎士団ではあるが、そのために先の大戦では最前線で戦ってきた叩き上げの集団である。空での戦いや巨大兵器との決戦を意識した大威力艦載砲を搭載した超弩級戦艦を旗艦とし、重巡洋艦や駆逐艦で固めた艦隊である。

 その砲門が一度開けば射線上のあらゆる存在を焼き尽くし、消滅させるであろう。

 本来ならば、メセンブリーナ連合艦隊に向けられるはずだったものである。

「なんとも奇妙なことだとは思うのじゃが」

 と、テオドラは呟いた。

 隣を歩くのは、ジークフリートである。

「これから、ウェスペルタティアにこの艦隊を向かわせるというのが、どうにもな……」

 苦笑するテオドラの言葉を、ジークフリートは無言で促した。

 彼女の言葉には、隠しきれぬ緊張がある。第三皇女にして、この戦争の裏側を垣間見た者である。幼いながらも、その責任を痛感しているのだ。

「此度の戦争では、ウェスペルタティアに我が軍は二度侵攻しておる。……二度とも、ナギたちに食い止められてしまったがの」

「その話は以前に聞いたな。それで、ラカンを『紅き翼』の討伐に向かわせたとか」

「そのようじゃな。あの筋肉達磨は、もともとは帝国の剣闘士だったのじゃ。だというのに、いつの間にか向こう側に就いておった。まあ、普通であれば討伐されてもおかしくはないの」

 実際に、ラカンに対しても刺客は送られている。

 その尽くが返り討ちとなっているだけであって、帝国側はきちんと正規の手続きを踏んでラカンを指名手配していた。連合側では冤罪で指名手配となったラカンではあったが、帝国からすればただの裏切り者である。今回のテオドラ救出とその後の完全なる世界との戦いに貢献していなければ、未だに帝国側から追われる立場のままであっただろう。

「まあ、ヤツのことはもうどうでもよい。斬っても突いても死ぬタマではあるまいしの。ん、どこまで話したか……ああ、ウェスペルタティアに攻め込んだ話か」

 一人で、テオドラは納得し、言葉を紡ぐ。

 何かを誤魔化すような口振りで、早口になっている。不安があるのだろうとすぐに分かった。この小さな身体に、大きな試練を背負い込んでしまったのだ。後はもう、結果を待つだけだといっても、だからこそ大きな心労がテオドラを襲っているに違いない。

「オスティアは妾たち帝国の亜人間にとっては聖域でもあってな。何とか奪還せんとしたわけじゃが、これがうまくいかんかった。そのオスティアに、再び艦隊を送り込むことになるというのがな。今回は、連合も一緒じゃし、これを奇妙と言わずして、何と言うのか」

 感慨深いことではあるのだろう。

 つい先日まで戦っていた相手と共に、奪い合った土地に向けて軍を進めるというのは。それも、共通の敵を打倒するための戦いである。

「テオドラ姫」

「ん?」

 ジークフリートは徐に口を開いた。

「後数日と経たずに、世界は大きく変わるだろう」

「そうじゃな。間違いなく」

 今は歴史の転換点だ。

 大きな戦争があった。その戦争が裏から操られたものであって、敵同士だったものが手を取り合って黒幕を倒しにいく。御伽噺のような本当の話が、今現実のものとなったのだ。ならば、後は勝利するだけ。物語の締めくくりとしては、これ以上ない結末だ。

「この戦いに勝てば、皆の世界は正しく続いていくだろう。もちろん、負けることなどありはしない。俺たちは確実に敵を倒し、儀式の発動を止める」

 負ければ世界は消えてなくなる。勝利する以外に道がないのならば、ジークフリートは己が持つ総ての力を出し惜しみすることなく使い、勝利に向けて邁進するだろう。『紅き翼』の面々も、彼と同様に全力で敵に当たっていくはずだ。

「だから、そう心配することはない。彼らと共に俺は剣を振るう。貴女の未来を必ず守り抜こう」

「うん、ああ、信じておるぞ、ジークフリート。負けたら絶対に許さんからな」

 テオドラは肩の力を抜いて笑った。

 ジークフリートがらしくもないことを言ったのは、まさしく最終決戦が近づいているからなのだろう。テオドラが内心で不安がっているのを感じて、言葉を選んでくれたに違いない。

 彼の言葉を信じるというのは本当だ。

 何せ、桁外れの強さを持つ男だ。これまでに、幾度も信じ難い戦果を出してきた。この戦いでも、その力は存分に振るわれることだろうから、勝利に疑問の余地はない。

 ならば、戦いそのものについて言えば、ジークフリートに丸投げしてもいいだろう。そう思えるくらいには、テオドラは彼の力に絶対の自信と信頼を持っている。

 だが、

「うん、だがジークだけに戦わせんぞ」

「何?」

「妾は第三皇女。この国の未来を担う者の一人であるからには、この戦いを座してみているわけにも行かぬ」

 小さな身体を叶う限り大きく見せようとしているのか、背伸びをするように背筋を伸ばしてジークフリートに言う。

「この戦いは帝国だけのものではないしの。妾もできる限りのことをする。前線には立てぬが、各々が死力を尽くすのが筋じゃ。後ろは任せよ。調整中の北方艦隊を必ずや間に合わせるからの!」

 キラキラとした瞳は真っ直ぐにジークフリートを射抜く。

 ジークフリートを信頼してはいるが、皇女として自らも戦場に立つのが道理であると、それが自明のものだと了解しているのである。この齢で何という覚悟をしているのだろうかと、ジークフリートは感動すら覚えた。臣民を守り、その未来の安寧を約束するために、自ら兵を率いて戦場に向かう。この小さな少女を突き動かすのは、まさしく高貴なる者の義務(ノーブル・オブリゲイション)を履行せんとする偉大なる意志に他ならない。

 彼女の言う北方艦隊は、この作戦における最後の切り札となりうる部隊の一つである。もしも、最悪の事態――――ジークフリートや『紅き翼』が間に合わず、儀式が始まってしまった場合に、その儀式そのものを妨害、反転させる封印術式を搭載する予定である。術式そのものは、ウェスペルタティア王国の王女であるアリカがもたらしてくれたものの、それを艦隊全体に行き渡らせるには時間がかかってしまうのである。結果として、最終決戦の開戦には、どうしても間に合わなかった。

「それでも、すでに七割方は完了していると聞いている。場合によっては準備ができた艦から出航させるかもしれんが、とにかく最悪の事態には間に合うように尻を叩くから安心するのじゃ!」

 それを聞いて、ジークフリートは苦笑してしまった。

 テオドラを安心させるために、話しかけたというのに結局テオドラから安心するように言われることになろうとは。

 力強く胸を張るテオドラに、最早かけるべき言葉はないのかもしれない。

 彼女はジークフリートが何も言わずとも、自分が為すべきことを正しく為すだろう。

 ならば、後はジークフリートが結果を出すよりほかにない。彼女の信頼を守り、自分の言葉を嘘にしないために、死力を尽くすのだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ウェスペルタティア王国は、魔法世界最古の都を有する伝統と歴史の王国である。国家としての力は脆弱で、北をメセンブリーナ連合、南をヘラス帝国に挟まれた地理的状況、そして都であるオスティアがヘラス帝国からすれば聖地であるということから、幾度となく紛争を繰り返してきた歴史があった。

 そして、この戦いの最終局面に於いても歴史は繰り返すのか、メセンブリーナ連合、ヘラス帝国、そして第三勢力であったアリアドネーの混成軍は、ウェスペルタティア王国の国境を突破して王都オスティアの南方二十キロにまで迫っていた。

動く石像(ガーゴイル)タイプの魔物の散発的な襲撃を除けば、ほとんど妨害がありませんでしたね」

「本命はこれからだってことだろ。使い魔ばっかで誰も打って出てこねえ」

 アルビレオとナギは、艦隊を背後にしつつも眼下に広がる雲海の果てに浮かぶ最終到達地点を見遣る。

 ウェスペルタティア王国の中心部は、世界でも特異な環境にある。

 大小様々な無数の岩石が浮遊しているのである。特殊な魔力が、環境に影響を与えているためである。そして、王都オスティアは、こうした浮遊岩石の上に建造された空中都市なのである。

 故に、ナギたちが陣取っているのも地上数千メートルにもなる高所である。

 そして、これから乗り込む敵地もまた空に浮かぶ宮殿――――墓守り人の宮殿と名付けられた、オスティアの最奥部である。

「ん?」

 ナギは視線を墓守り人の宮殿から逸らした。

 鎧が発する独特の金属音を聞いて、振り返る。

「よお、ジークフリート。久しぶりだな」

「三ヶ月ほどか。貴公らの働きのおかげで、ここまで戦局が動かせた。感謝する」

「よせよ。俺たちだって、何かしたわけじゃねえんだからよ」

 空の帝国戦艦から降り立ったジークフリートは真っ先に『紅き翼』と合流したのである。

「あそこが、墓守り人の宮殿か。実物を見ると、圧倒されるな」

 雲海が宮殿の周囲に渦を巻いている。

 空に浮かぶ宮殿など、ジークフリートは見たことがない。生前も、サーヴァントとしてルーマニアに召喚された後も、このような非日常的光景には終ぞ出会うことがなかった。

 ダーナが暮らしている時空の狭間を、カウントするのであればそこを入れるべきなのだろうが、あれは自然にある光景というわけではないだろう。

 いずれにしても、自然現象でこのような光景が形成されるのだから面白い。

「ジークフリート。お前の仲間はいないのか?」

 ナギはジークフリートの周りを見回して、人影を探した。

「帝国側で、宮殿に突入するのは俺だけだ。彼らは、もともとテオドラ姫の護衛だからな。今は、その職務に就いている」

 アレクシア、コリン、ブレンダ、ベティ。共に戦ってきた仲間は、今別の戦場でそれぞれの任務に就いている。もともと、戦闘はジークフリートに任せていた。極限の戦いについていけないということは、プリームムとの戦いで痛感していた。

 墓守り人の宮殿に突入するとなれば、プリームムに匹敵する敵との戦いとなるだろう。とても、ジークフリート以外の者が耐えられるとは思えない。むしろ、そのレベルが五人も揃っているナギたち『紅き翼』のほうが異常と言えるだろう。

「ここまで艦隊が近付いていながら、敵影がまったくないというのは不気味ではありますね」

 アルビレオがアーティファクトたる魔本を片手に敵地を見る。

 確かに、これまでに妨害は少なく、さらに二十キロという近距離に近付いていながら相手はまったく攻めてこない。

「向こうは儀式を進めるだけで外と関わりをもつ必要がないからな。篭城すればいいとなるのは当然だろう。あそこは高密度の障壁に包まれた要塞だ」

 詠春がアルビレオの言葉に重ねて続ける。

 薄らと光る墓守り人の迷宮は、艦載砲でも貫けないほど頑強な魔法障壁に覆われている。台風のように周囲を取り巻く障壁をすり抜けて侵入するには、上部か下部の台風の目になっている箇所を狙うしかない。

 それほどにまで強力な守りを持つが故に、貴重な戦力を簡単には投入してこないのだろう。

「小出しにしないで、纏めて兵力をぶつけてくる算段なのだろう。俺たちがこのまま進めば、自ずと大量の敵に進路を阻まれるはずだ」

 詠春の見立てに、ラカンがやる気なさげに尋ねる。

「戦力がある程度そろうまで待つってのは、その所為か?」

「こちらも小出しにはできんからな。突入するのは俺たちだが、召喚魔たちを抑えるには大兵力が必要だ」

「たく、時間もねえんだろうに……」

「まあ、時間がないのは事実だからな。戦力が予定通りに集まらなくても、攻めねばならんだろうな」

 目下の問題は、致命的なまでに時間が足りないということである。

 相手は儀式の鍵であるアスナ姫を確保している。儀式そのものも、すでに始まっていると考えていいだろう。周囲の魔力の流れを見る限り、世界中から大量の魔力が集められていることが分かる。

 大量の魔力が大気と反応して、目視できるほどの光を放っているのだ。光の中心に浮かんでいるのが、墓守り人の迷宮ということだ。

「連合と帝国の正規軍は間に合いそうもありませんね」

 アルビレオは嘆息した。

 ガトウが連合をテオドラが帝国をそれぞれ担当し、可能な限りの戦力を掻き集めてくれてはいる。だが、何分急すぎて、正規軍を戦闘に間に合わせるまでには至らなかった。

「今の戦力では十分とは言えないが、それでも戦えないというほどではないだろう。本丸に俺たちが辿り着き、速やかに敵を排除すれば何とでもなる」

 ジークフリートは、自軍と敵軍の戦力を脳内で比較する。

 瞬間火力は、恐らくはこちらが上だろう。数百隻からなる大船団の砲撃は、この数ヶ月の間に数を減らした完全なる世界を上回る。個の質という点では五分五分だ。世界の命運は、敵地に乗り込む少数精鋭――――『紅き翼』とジークフリートが敵を倒せるか否かにかかっている。そして、完全なる世界の幹部たちは、皆強大な魔法使いだ。一筋縄ではいかないだろう。

 だが、負けるとは思わないし、負けてよい戦いでもない。

「ジークフリート殿、ナギ殿。お待たせいたしました!」

 息せき切って走ってきたのは、小さな少女である。左右対称の角を生やした亜人種の少女はアリアドネーの戦乙女セラス。若輩ながらも、一部隊を任された有能な戦士である。

「混成部隊の配置が完了しました。いつでもいけるとのことです」

「あんたらが外の自動人形や召喚魔を抑えてくれれば、俺たちが本丸に乗りこめる。頼むぜ」

「は、はい」

 ナギの言葉にセラスは緊張した面持ちで頷き、敬礼する。

 ジークフリートはいよいよ戦いの火蓋が切られそうになっていると感じて心臓の鼓動を早めた。武者震いがする。高濃度の魔力に呼応するように、血流が早まっている感覚。

「出陣か」

「準備はいいか、ジークフリート」

「何を今更。この程度、今までに幾度も経験してきた戦いの一つでしかない」

 ナギに肩を叩かれ、ジークフリートは淡く笑って返した。

 絶望的な戦いなど、これまでに何度も戦ってきた。背負った命の重みこそ違えど、なすべきことに変わりはない。

「ハッ、だろうな。あんたともいつか決着をつけなきゃいけねえからな。変なとこでくたばんな」

「無論だ」

 最早、ジークフリートの目に映っているのは敵の本拠地のみである。

 今になって臆することなどありえない。何よりも、頼りになる仲間がいる。

 己が守るべき世界を守るために剣を振るう。それこそは、二十一歳の夏至の日、騎士として父から栄誉を賜ったときから変わらぬジークフリートの行動原理なのだから。

「ところで、ジークフリート。ここは空の上だが、あんたは大丈夫か?」

 そこに声をかけてきたのはラカンだった。

「前にやりあったときは、あんたは空中戦ができないように見えたが?」

 グレートブリッジでの抗争の折り、確かにジークフリートは空中戦を不慣れとしており、そこを彼らに狙われた。

 空を飛ぶのは魔術師の技術。あるいは、精霊や神々の加護を受けた英雄ならば可能か。いずれにしても、本来のジークフリートには存在しないスキルである。

 だが、この世界にやってきて、彼はさらなる成長を遂げた。一つは、この世界独自の技術である魔法。そして、もう一つは自身の肉体に備わる力の秘奥。サーヴァントではなく、肉体を持つが故にこの勇士はさらなる段階へと足を踏み出している。

「問題はない。欲を言えば地上であって欲しかったが、空の上でも変わらず戦えると断言しよう」

 その言葉に迷いはなく、一切の疑問の余地も残さない。

 如何にして空の上で戦うのか。

 その答えまではここでは語らなかったが、追々分かってくることだ。

 エンジン音が響き渡る。

 数千からなる連合大艦隊が、オスティアの空を埋め尽くす。魔法世界史上、これほどの数の艦隊が一同に集ったことがあっただろうか。

 小国ならば一日程度で滅ぼすことも、この戦力ならば不可能ではないだろう。

 もちろん、敵は小国は愚か、二大勢力すらも裏から操った秘密結社だ。対人戦闘でも、幹部級の相手となれば、戦艦を容易く屠れるだけの戦闘能力を有している。――――ジークフリートやラカンが証明してしまったように、ある一定ラインを超えた超越的戦闘能力を有する者が相手では戦艦は寧ろ大きな的である。魔法によって肉体を兵器に匹敵する頑強さにすることのできるこの魔法世界では、歩兵ですら機動力のある強大な兵器の一つとして認識したほうがよく、武器の性能差は個体能力によって塗り替えられることも屡である。

 だからこそ、完全なる世界に挑み世界を救う大役は、たった六人の精鋭に託されることとなった。

 メセンブリーナ連合とヘラス帝国の混成艦隊とそれらを取り囲むアリアドネーの戦乙女旅団が進撃を開始する。

 『紅き翼』とジークフリートは、いつでも出撃できるよう超弩級戦艦の背中(・・)に立った。

 そこは鯨の背中のように不安定な足場であり、かつ高度七千五百メートルという遙かな高みである。吹き抜ける風は、この日の気象条件もあったのだろう、暴風といってもいいくらいであった。

 それすらも、彼らにはそよ風でしかないのだろう。後ろに靡く髪、はためく衣服を見なければ、強風が吹き荒れていることにすら周囲は気付けないだろうと、そう思えるほど六人は至って普通の様子で鯨の背に立っている。

 

 

 

 ■

 

 

 

 墓守り人の宮殿内部。

 白髪の青年(プリームム)は、迫り来る連合艦隊を前に余裕の表情を崩さなかった。

 計画が世界に知られてから半年。その間、幾度となく『紅き翼』との戦いを演じてきた彼は、その力のほどをよく知っている。それでいて、敗北するなどということは露ほども思っていなかった。

 実のところ、このプリームムは人間ではない。人工的に生み出された生命体であり、神代の技術を駆使して生成された最高傑作のひとつである。

 彼の造物主(マスター)によって、世界最高峰の魔法使いとして設計されたプリームムには、その自負がある。

「ふむ、こうして見ると壮観だな。いずれ墜ちる光ではあるが、世界の最後を飾るには相応しい輝きだ」

 漆黒のローブを纏った男が、やってきてそのようなことを言った。

「デュナミス。準備は終わったのかい?」

「一通りは済んだ。儀式の遂行に関して私の出る幕はない――――後は、あの有象無象を打ち払うだけよ」

「そうだね。まあ、ナギ・スプリングフィールドたちはここに来るだろう。マスターの敵ではないとはいえ、儀式の邪魔をされては困る」

 それだけの力はあるだろう。

 人間にしては、彼らは強い。自分たちの創造主は、そのさらに上を行くものの儀式を止めるという目的を果たすのに、完全なる世界を壊滅させる必要もない。儀式場や術式の破壊、核となる黄昏の姫巫女の奪取などいくつも方法はあるのだ。

「ジークフリートなる者も要注意なのだろう? 私は彼奴を知らんが、手ひどくやられたと聞いているぞ」

「確かに、彼は強敵だ。ナギ・スプリングフィールドよりも遙かに厄介な相手だろう。が、弱点もあるらしい。一度、ノーヌムがそれで彼に勝利した」

「同じ手は食わぬだろうが」

「どうかね。何にしても、こちらも戦力の出し惜しみはしない。ジークフリートにはノーヌム以外(・・・・・)も当たらせるさ」

 と、言いながらプリームムは視線を右側にずらす。

 彼と同じ顔の白髪の青年が、ドアを乱暴に押し開けて入ってきたところだった。

 顔立ちはまったくといっていいほど同じなのに、雰囲気がまったく違う。逆立つ髪に、人を食ったような表情がそうさせるのだろう。理知的で落ち着きのあるプリームムとは性格が根本から異なるのだ。

「セクンドゥム。起動は間に合ったようだね」

「ああ」

 と、セクンドゥムと呼ばれた青年は頷いて、遠くに見える連合艦隊の光を見る。

「どうやら祭はまだ始まっていないようで安心したよ。せっかく、マスターに調整していただいたというのに、力を示す場がないのでは面白みに欠けるからな」

 頤に手を当てて、セクンドゥムは言った。

「風のアーウェルンクスはノーヌムと同じく速度に秀でる。ジークフリートを翻弄し、打ち倒すには最適だろうね」

 それが、プリームムが出した結論であった。

 以前の一戦で、ジークフリートを相手にした時の相性の悪さは痛感したのだ。技量、破壊力の双方で、プリームムは彼に及ばず、それ以上にあの厄介な防御を突破することができない。

 何よりも、プリームムの関心はナギに向いている。直接的な因縁であれば、赤毛の魔法使いのほうが強く、自分が相手をするならばナギのほうであると決めている。チームの司令塔として、最適な相手をジークフリートに当てるのならば、やはり風の系統の使徒に任せるべきだろう。

「それだがね、プリームム。にわかには信じられないのだが、そのジークフリートとかいう剣士は実際に強いのか? 我等はマスターによって世界最高峰の魔法使いとして設定されているのだぞ? 得手不得手はあるにしても、人間如きに後れを取るなどありえんだろう」

 ありえるとすれば、それは欠陥品だけだ。

 彼らの創造主は世界すらも創造した神とも言うべき存在だ。主の技術に疑いの余地はない。

「ジークフリートの弱点は『ニーベルンゲンの歌』の通り背中だそうだ。大方、伝説をなぞることで効果を発揮する特殊魔法でも用いているのだろう」

 プリームムに代わり、デュナミスがジークフリートの弱点を伝えた。

「負けるとは思っていないさ。だが、厄介な相手ではある。君が倒してくれるのならば、それに越したことはない」

 プリームムがセクンドゥムに言った。

「ふむ、まあいいだろう。プリームムがそこまで言う相手ということは、最強たる私の獲物に相応しいということだからな! ハッハッハ!」

 何が面白いのか、セクンドゥムは大きな声を上げて笑った。

 セクンドゥムには、さしたる興味がないのかプリームムは表情を変えることなく連合艦隊に視線を戻す。

 態度こそ大きいものの、全体的にバランスの取れたプリームムとは異なり、セクンドゥムのパラメータは尽く上限ギリギリまで引き上げられている。性格の変化はその影響ではあるが、それを差し引いてもこれから先の戦闘に於いて十二分に役立つはずである。

「じゃあ、デュナミス。始めようか」

 プリームムが声をかける。

 召喚士である同僚に向けて。

 それが、決戦の合図となった。黒衣の男から立ち上る魔力は、巨大に過ぎる魔法陣を幾重にも描いた。それはあたかも地獄の門のように鈍く光、その奥から異形の魔物が次々と這い出てきたのである。

 

 

 

 ■

 

 

 雲海の上を泳ぐ鯨の群れは、やがて漆黒の壁に行き当たる。

 こちらが鯨の群れだとすれば、あちらは魚の群れ――――大きさで言うならばそうなるだろう。このように表現すれば、捕食者と被捕食者の関係の出来上がりだ。こちらは向かってくる無数の敵影を一方的に蹴散らせばよい。だが、事はそう単純ではない。上位の魔法使いが、単独で戦艦を沈められるのと同じように、力のある使い魔もまた戦艦にとっては脅威である。

 大きさは戦闘能力を測る指針の一つとはいえ絶対ではないのである。

『前方、敵影多数。計測不能です!』

『数え切れません! ……概算で五十万以上!』

 戦艦の内部でも動揺が広がっているのが伝わってくる。

 それも仕方ないだろう。五十万もの召喚魔が押し迫ってくる光景は、世界の終わりを想起させるに相応しいものだ。

「敵さんも本気になってきたってとこか。そうでなくっちゃあなあ~」

「ラカン、気を引き締めろ。後五分もかからんぞ」

「分かってるって詠春。そう気張んなよ。なるようになるさ」

 ため息をつく詠春と至って楽天的なラカンの対照的な会話が、緊張感をそぎ落とす。けれど、それがちょうどいい。これほどの未曾有の危機にあっても、『紅き翼』は『赤き翼』のままなのだ。

『攻撃準備! いちいち狙いを定める必要もない! 突入部隊に道を開け! 目標、前方の召喚魔! 全主砲一斉射撃!』

 旗艦からの指示が飛び、光り輝く魔力砲が同時に火を吹いた。

 無数の光帯は絡み合って召喚魔の大群に吸い込まれ、その射線上にいた敵影を食い荒らしていく。

「おっほ、こりゃすげえ。このままぶちかましてりゃ、終わっちまいそうだな」

 ラカンが楽しそうに叫ぶ。

「いえ、よく見てくださいジャック。まだまだ来ますよ」

 半径数キロに達するかとも思える爆炎を押し退けて、召喚魔たちが向かってくるではないか。数を恃みにした突撃戦法だが、そもそも命を持たない影の魔物だからこそ惜しげもなくその身を盾にできる。

 そして、絶大なる威力を持つ連合艦隊の主砲であっても連発できるものではない。

『各艦、チャージが完了次第砲撃せよ! 斉射の合図を待つ必要はない! とにかく、数を減らせ!』

 連合艦隊各艦が、あえて隊列を崩して弾幕を張り始める。

 隊列は同程度の敵艦隊を相手にする際には有効ではあるが、今回は大小様々な召喚魔が相手となる。懐に入られた場合の迎撃を考えると整然とした隊列は寧ろ同士討ちを引き起こしかねないのである。

 そして、艦隊がこの変則隊列に移行したということは、敵軍が近接戦闘の間合いに入りつつあるということの証でもあった。

「アル、どのタイミングで行く?」

 戦況を見ながら、ナギが言った。

「ナギのお好きなときに」

「そうかい。じゃあ、今のうちに行っちまうか」

 ナギがいよいよ戦艦から飛び立とうとする。それを、ジークフリートが止める。

「待て、ナギ」

「ちょ、何だよ。いいとこで」

「突入するにしても、まだ敵の数が多い。ここは俺が先行し、敵の数を減らし道を作ろう」

「はあ? いや、数減らすって言ったってよ。主砲の一斉射撃でも消しきれてねえんだけど」

「まあ、確かにな。総てを消すとなると聊か骨が折れる。が、道を切り開くくらいはできるだろう。俺の幻想大剣(バルムンク)は、連発できるからな」

 と、珍しくふてぶてしく言うや、ジークフリートは勢いよく踏み切った。

「あ、ちょ、待ておい!」

 ナギの制止の声を置き去りにして、ジークフリートは一息に浮遊岩に飛び移り、そこを足場にして来る敵軍の眼前に剣を振るう。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 その一撃は、戦艦の主砲をも上回りかねない大威力攻撃。黄昏色に染まった強大無比な神代エーテルは、対軍宝具の名を辱めることなく、空を駆け抜ける強風をねじ伏せて召喚魔を消し飛ばす。

 さらに一歩、踏み出して――――、

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 振り下ろした剣を振り上げて、その軌跡をなぞるように扇形に広がる黄昏が、より広範囲に広がっていく。

 それは人一人が扱うには過剰と言うべき大火力。

 遠く聞こえる爆発音が、戦場に木霊する。尚も続く宝具の連射によって、迫り来る召喚魔の軍勢の一画に穴が開いた。

「なんつー馬鹿火力だよ」

 ナギは呆れたように呟いた。

 視界に広がる黄昏の閃光に食い散らされていく召喚魔が寧ろ憐れにすら思える。

「もうアイツ一人でいいんじゃないかって感じだな」

「馬鹿言え、ジャック。これじゃいいとこ全部持っていかれちまうだろうが! おら、行くぞお前ら! ジークフリートに後れを取るな!」

 

 

 

 

 飛び出していく『紅き翼』を、旗艦艦長クリストフは眩しいものを見るかのような目で追った。

 こうして超弩級戦艦という考え得る限り最も安全な場所にいながら恐怖する自分がいるというのに、彼らは生身でこの戦場に飛び出していった。その勇気に、心からの賛辞を贈りたい。だが、今は目の前の難題を解決することに心血を注がなければならない。

 クリストフは無線機を手に取った。

『作戦は最終段階に入った。総員、突入部隊を可能な限り援護せよ! 彼らの手を召喚魔如きに煩わさせるな!』

 言って、通信を一度切る。

 光り輝く魔力砲がところ構わず撃ち出される。

 『紅き翼』とジークフリートがいる辺りをあえて避けて、その周辺に無数の砲撃が叩き込まれている。

 召喚魔との近接戦闘を直近に控え、クリストフは徐に通信機を手に取る。

『メセンブリーナ連合及びヘラス帝国、そしてアリアドネーの勇敢なる戦士諸君。最早言わずとも当然のことではあるが、今だからこそ敢て言おう。我々は愚かにも敵に踊らされ、共に憎み合って殺し合ってきた過去がある。真実はどうあれ、戦争をしてきた以上は互いに遺恨があるだろう。個人的な恨みもあるに違いない。それを水に流せとは言わん。……だが、今この時ばかりは、この戦場でだけは敵だった昨日を忘れて世界のために戦って欲しい。我々の祖国と愛する者たちのために――――通信は以上。諸君らの幸運を祈る』

 一言一言に万感の思いを込めた言葉であった。

 短いながらも、為すべきことを明確にしたその言葉がどれだけこの戦場にある戦士たちを鼓舞したか。それは、後世になってみなければ分からないことではある。

 けれど、少なくない者たちが国を越えて同一の敵に当たるという大前提を念頭に置いたのはこの瞬間からであった。

 強大な敵を前にして仲間割れなどしてはならない。心を一つにして当たらなければ、連携の取り様がない。これから先、主砲を使うことも儘ならない状況になるだろう。そうなったときに信頼できるのは、友軍との連携だ。

 アリアドネーの戦乙女たちが戦闘用の杖に騎乗し各艦の周りを取り囲み、直接掩護を開始する。大威力の砲が軽々しく使えない近接戦闘の間合いで、彼女たち戦乙女は大いに活躍してくれるだろう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 先行するジークフリートは浮遊岩やそれらを遙かに上回る大きさの浮島を飛び移りながら宝具を解放していた。

 断続的に解き放たれる黄昏の波動を乗り越えられる召喚魔は皆無で、直撃したものはもとより余波を受けて墜落するものも後を断たない。

 破壊旋風と化して進むジークフリートを止められる召喚魔はなく、漆黒の召喚魔の群れの中を抉りこむようにしてジークフリートは突き進む。

「大分近付いてきたな」

 岩塊の影から飛び出てきた竜型の召喚魔の首を斬り落とし、目的地を見定める。

 残り、二百メートル余。猛烈な魔力の乱流が渦巻いていて、容易く近づけそうになかった。話に聞いていた魔力の乱流によるバリアーである。防衛機構も備わっており、要塞としての機能は語るまでもなく強力だ。

「やっと追いついたぜ、ジークフリート!」

 ジークフリートの背後に『紅き翼』が降り立った。艦隊からこの浮遊岩まで、ほとんど戦闘らしい戦闘をせずに駆け抜けてきたのは、ジークフリートが出鱈目な火力で道を作ってきたからである。その甲斐あって、彼らはほとんど消耗していない。

 彼らの力をジークフリートは高く評価している。この程度のことで、怪我をするはずもない。故に、安否確認などしない。

「ここからが正念場だ、ナギ。見ての通り、道は閉ざされている」

「やはり、ここですね。艦載砲の一点突破くらいでしょうか。あるいは……」

 アルビレオがジークフリートを見る。より厳密には、その宝剣を。

「ああ。俺の剣ならば、あの障壁を貫けるだろう。だが、魔力の乱流による障壁だ。穴を開けても、すぐに塞がってしまうだろう」

 できることならば、この城塞の侵入経路がはっきりしていればよかったのだが、この国の人間でもそれは知らないとのことだ。何せ、この乱流自体が発生したのがつい最近だというのだからそれも当然だろう。これは自然のものではなく、完全なる世界が組み上げた術式の一つと見たほうがいい。

「では、こうしましょう。まず、ジークフリートが穴を開け、私が中に飛び込みます。然る後、転移魔法で内部に皆を転移させる。これならば、あの障壁にも邪魔をされずに内部に侵入できます」

「なるほど。アルならば、障壁に穴が開いたタイミングにいつでも合わせられるということだな」

 詠春が頷き、アルビレオが魔力を心身に行き渡らせていく。

 ジークフリートは聖剣を掲げて、迸る魔力をその柄に込めて全霊の一撃を解き放つ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 柄に埋め込まれた宝玉から神代エーテルが増幅、加速して刀身から莫大な魔力が撃ち出される。

 砲撃にも似た音がした。

 淡く輝く魔力の壁が、あらゆる外敵を退けるはずの鉄壁が異世界の法則を叩きつけられて悶絶し、絶叫する。魔力を振り絞るジークフリートは、出力をさらに上昇させて剣を抉りこんでいく。拮抗はものの十秒ばかり。攻略不能であるはずの墓守り人の宮殿の魔力障壁は、一振りの聖剣の前に敗れ去る。

「アル!」

 ナギが叫んだときには、すでにアルビレオの姿は消えていた。

 準備していた転移魔法を即時起動。無防備に曝け出された穴の奥、安全地帯と判断した場所に跳んだのだ。後は内側に仲間を引き込めばいいだけ。外から入るよりも、中から引き込むほうが幾分か楽なのだ。

「いよっし、乗り込むぞ、お前ら!」

 ナギが手を打って喜び、アルビレオの転移魔法を待つ。まさにその時、頭上から幾重にもなる雷光が降り注いだ。

 五人の精鋭は、その程度で墜ちるほど柔ではない。飛び退いて回避し、上を見る。

「アイツ!」

 二人の魔法使いがこちらを見下ろしていた。

 ジークフリートはその二人を見て、呟く。

「一人は見覚えがあるな。テオドラを攫った者の仲間に違いない。だが、もう一人は初めて見るな。プリームムなる者と似ているが」

「何にしても奴等の仲間だろ。相手になってやらぁ!」

 ナギが好戦的な笑みを浮かべて挑発する。

 詠春が刀の柄に手をかけて、ラカンが拳を握り込む。いよいよ敵との本格的な戦いが始まったのだと実感して、

「当初の予定通り、貴公らは先に行くがいい」

 いざ、戦いを始めようというときにジークフリートは言った。

「今は時間が惜しい。アルビレオの術式に則り、敵地に乗り込むべきだ」

 幻想大剣を肩に担ぎ、ジークフリートは二人の敵を見上げた。

 相手も、ジークフリートを見ている。間違いなく、あの二人はジークフリートに差し向けられた刺客であろう。

「いいのかよ。相手は二人だぜ?」

「問題ない」

 ジークフリートは確信を込めて口にする。

「たったの二人だ。すぐに追いつける」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 『紅き翼』が魔法陣の中に消えるのを見送ったジークフリートは改めて敵を見上げる。

 やはり、二人の魔法使いは『紅き翼』を追いかけるそぶりは見せなかった。転移魔法とはいえ、彼らの速度ならば追いつくことも不可能ではないだろうに。

 となれば、ジークフリート狙いだろうという予想は当たっていたということだ。

「ふむ、何と言っていたかな」

 プリームムとよく似た青年が、こめかみに指を当てて演技がかった口調でジークフリートに声を届けてきた。

「何とも奇妙な言葉が聞こえたぞ。この私を、この造物主(ライフメイカー)の使徒の中でも最強に設定されたこのセクンドゥムを相手にして問題ないと言ったかな? ハッハッハ、本当に大きく出たなジークフリート! まあ、私の力を知らないからこそ、その大口が利けるのだろうが、愚かとしか言いようがないな!」

 ジークフリートは相手の挑発染みた口撃にはまったく動じず、一挙手一投足を見つめている。以前の戦いでノーヌムに背中への一撃を受けた。雷速という秘術は、ジークフリートをして脅威だったのだから。そして、逆立った白髪の青年は、ノーヌムと同じ能力を見える。身体中を駆け巡る雷光を見れば、雷に関わる能力者であろうと予想できる。

「私の力にひれ伏せ、ジークフリート!」

 雷光の煌きをまとって、セクンドゥムは落ちた。落雷。空気抵抗を斬り裂いた雷は一直線にジークフリートに殴りかかった。速度はそれ自体が脅威である。雷光と化したセクンドゥムは、ジークフリートに正面から殴りかかった。

「――――がッ」

 足場となっていた浮遊岩に亀裂が生じる。

 ジークフリートの踏み込みが、浮遊岩を揺らし、突き出した左の拳がセクンドゥムの右頬を打ち抜いていたのだ。

 雷速で突っ込んできたために、その反動は凄まじい。セクンドゥムは、自らの移動速度のままに、鋼鉄の拳に突っ込んだのである。

「ぷわらばッ!?」

 バットで打ち返されたボールのように、セクンドゥムは跳ね返された。

「ヤツの弱点は背中だと聞いていただろう。何故、正面から挑んだ?」

「フ、フン。今のは油断しただけだ。だが、私の速度に反応したことは誉めてやる」

 尚も自身の優位性に自信を持ったまま、セクンドゥムは飛ぶ。その後ろ、ノーヌムが追いかけた。二筋の雷光が、ジークフリートの前で左右に分かれる。

 雷速瞬動による挟み撃ちである。これは厄介だと、ジークフリートは片手で剣を操り迎撃する。驚くベきことに、ジークフリートの反応速度は雷速瞬動に適応していた。最早、光の筋としか見えないそれを適切に見切り、足捌きと体捌き、として剣技で以て跳ね返していく。

 敵の狙いは背中。

 この速度域での戦闘ならば、僅かな油断が背中を晒すことになる。

 対応はしているが、だからといって即座に斬り伏せられるほど甘くはないのである。今は防戦の最中。剣と拳で襲い来る雷を打ち払う。

「む……!」

 ジークフリートが瞳に警戒の色を浮かべる。

 ひと際高く舞い上がったノーヌムが、魔力を雷に変換しているのだ。

「百重千重と重なりて走れよ稲妻――――」

 雷系最大呪文か――――。

千の雷(キーリプル・アストラペー)!!」

 千々に分かれる大魔法。

 個人で扱う魔法の中では最高峰の魔法の一つにして、本来は多数の敵を相手に用いるべき広範囲殲滅魔法である。轟き亘る雷鳴が、オスティアの空を震わせる。ジークフリートの足場が融解し、浮遊岩が崩壊した。

「ッ――――」

 直撃を受けてもジークフリートに怪我はない。が、足場を失っては失墜するより他にないだろう。ふわりとした浮遊感の後に、重力の手が彼の身体を捉えた。

「ハッ、墜落死とは情けない! せめて、この私が散り様を飾ってやる!」

 セクンドゥムは落下したジークフリートに向かって落雷と化して迫った。

 箒もなしに空を飛ぶ術は難易度が高く、それを扱うことは一流の証でもある。ジークフリートは残念ながらその域には達していない。が、『紅き翼』に語ったとおり空中戦ができないというわけではない。

 胸に手を当てて、呼吸を整える。

 方法は身体が覚えている。意識するまでもない。幻想大剣と同様に、この心臓もまた彼の身体の一部であり戦前からずっと付き合ってきた友でもあるのだから。

 魔力を行き渡らせてしまえば、後は意思だけだ。

「霊基再臨」

 宙空を蹴ったジークフリートは反転しながらセクンドゥムの突進を躱す。のみならず、その回転のままに彼の横っ面に幻想大剣の柄頭を叩き込む。

「ぷおぉッ!?」

 駒のように回転して落ちていくセクンドゥム。五十メートルばかり落下して、体勢を立て直した。

「ぐ、お……なんだ、貴様、その姿は?」

 セクンドゥムが目にしたのは、竜の翼と角を生やしたジークフリートの姿であった。

 その血に宿る本来の力を完全に解放した姿――――もしも、背中を槍で貫かれず、その人生を鍛錬に捧げていたら辿り着いたであろう竜の力を発現した状態である。

 邪悪なる竜の莫大な魔力を身体の底から溢れさせるジークフリートは、その翼の性質か或いは別の何かなのか宙に足をつけている。

「時間もない。早々に決着といこう」

 ジークフリートは静かに宣言し、大剣を構えた。




わが軍には高ランクのアサシンがいないので★三アサシンジキルさんはありがたいのだ。

マタハリちゃんが最終降臨しました。


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第二十五話

 アルビレオの転移魔法によって墓守り人の宮殿に突入したナギたちは、そのまま迷うことなく奥へと進んでいく。

 群れを成して襲ってくる影の魔物をいとも容易く蹴散らす様は一種の天災にも見えるだろう。

 少なくとも敵にとっては。

 城塞内部でありながら、大気を震わす雷鳴はそのまま完全なる世界の最後を彩る絶叫となるか。

 無論、抵抗はする。

 追い込まれているように見えても、大局的には一進一退である。ナギたちがどれほど活躍したところで、儀式の発動を防がなければ負けである。また、外の艦隊と召喚魔との戦いも、どちらに軍配が上がるか分からない。召喚魔は実質無限とも言うべき総量であり、艦隊は着実に数を減らしている。時間をかければかけるほどに、ナギたちは不利になっていく。

 だが、だからといって引き篭もって時間稼ぎに徹するかというと完全なる世界はそのような選択は取らなかった。

 『紅き翼』の戦闘能力を考えれば、小手先の罠や策謀は意味がない。手を打つのであれば、奥に近づけないように、最高戦力によって迎撃するしかないのである。

 そうでなければ、完全なる世界は敵をただ儀式場に近づけるだけとなってしまう。それではダメだ。万が一にも、戦闘の余波に儀式を巻き込んではならない。

 両者共に、相手との激突は侵入の直後であると分かっていた。 

 完全なる世界はそうすることを選択し、『紅き翼』はそうなることを予想していた。

 図らずも両者の思考は同一の結論を導き出しており、だからこそ対面した際にも当たり前のようにその状況を受け入れるしかなかった。

 『紅き翼』の五人と完全なる世界の最高幹部五人が大広間と思しき空間で向かい合う。今更召喚魔が乱入してくることもない。ここまで来れば雑兵の召喚魔など空気に等しい。残念ながら、彼らでは状況をプラスにもマイナスにもすることはないだろう。

 戦闘スタイルが酷似していれば、戦いやすい場所は自ずと似てくる。

 大広間というにはあまりにも広大なその場所は、完全なる世界の幹部たちにとっても、『紅き翼』にとっても周囲を気にせず力を振るうことのできるベストスポットといえた。

 大広間に突入してきたナギに向けて、プリームムが酷薄な表情を向ける。

「やあ、千の呪文の男。また逢ったね。これで、何度目だい?」

 幾度となく拳と魔法を交えた相手。

 好敵手と言うほどの好意はないが、宿敵と呼ぶだけの因縁はあった。

「僕たちもこの半年で君にずいぶんと数を減らされてしまったよ。この辺りでけりにしよう」

 五色の魔力に彩られた敵幹部たちが、『紅き翼』に相対する。

「お出迎えどうも! さっさと押し通らせてもらうぜ!」

 ナギは遅延呪文を解放。言葉の通り、即座に勝敗を決しようと封じていた大魔法を叩き付ける。

 千の雷が大広間に轟音を響き渡らせる。岩が焼け、融解し、異臭が立ち込める。

「驚嘆するよ。その歳で、これほどの威力の魔法が使えるんだからね」

 粉塵の先には、無傷のプリームムたちがいる。

 互いの実力は伯仲している。大魔法とはいえ、直撃は難しく簡単には食らってくれないのだ。

「ハッ、いいじゃあねえ。どっちにしてもこれが最後だ。盛大にやり合おうぜ!」

 巨大な剣を片手に、ラカンが前に出る。

 そのラカンの前には、彼と同じくらいの体格の男が踏み出した。炎を背負った壱は、五人の中でもとりわけ高い破壊性能を有している。

「やっぱ、俺の相手はあんたか。そんな気はしてたがね」

 ラカンはにやりと笑って剣を振るい、拳を握る。

 壱は無手だが、その代わりに超高温の炎熱を身に纏っている。ラカンは気で、壱は炎で身を守りながら、両者の守りを突破するべく力を尽くす。

 ラカンと壱は、互いの魔力と気を撒き散らしながら超高速の近接戦を始めた。

 二人の猛烈な殴り合いは、時空を捻じ曲げんとするかの如きエネルギーを発生させる。莫大な力と力がぶつかり合い、周囲はその余波だけで破壊される。しかし、この空間に於いてそれは特別目立つものではなかった。

 五人と五人がそれぞれの相手と戦いを始める。戦闘スタイルこそ各々違えど、魔法世界の最上位にいる者たちによる最終決戦である。

 解き放たれる魔力は凄まじいの一言であり、宙に浮かぶ墓守り人の宮殿が振動を止めないことはなかった。

 もしかしたら、この宮殿そのものが崩落するのではないかとすら思える攻防は、そこかしこで行われる。

 詠春の剣は雷の魔法を駆使する拳士とぶつかり合い、アルビレオは重力魔法で召喚士デュナミスと相対する。ゼクトは水を操る使徒と魔法戦の最中だ。

「おおおおお!」

 ナギが吼える。

 視界を覆うほどの石の杭を魔法障壁と機敏なステップで躱し、艦載砲に匹敵する雷の暴風で薙ぎ払う。

 山をも吹き飛ばすナギの魔法は、直撃すればプリームムとて無事ではすまない。

 それを、幾度かの戦いを通じて理解しているプリームムは正面から受け止めるような真似はしない。彼は地のアーウェルンクス。大地の加護を受けるプリームムは、足元の石をめくり上げるようにして幾重もの壁を作り、ナギの大魔法を凌いだ。

「邪魔くせえな、二発目食らえ! 雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!」

 一度はナギの雷の暴風を凌ぎきった岩の城壁も二発目には耐え切れない。

 壁の中心を雷光の一閃が駆け抜け、遙か奥に見える石壁に大穴が穿たれる。生じた爆風や閃光を確認する前に、ナギはその場を飛び退いて魔法障壁を最大展開する。

石の槍(ドリュ・ペトラス)

 ナギの咄嗟の判断が、彼を救った。足元から逆棘状に突き立つ石の槍を、間一髪で回避したのである。魔法障壁で逸らしたものの、ローブの裾が削れてしまった。

 舌打ちしたところを、踏み込んできたプリームムが殴りかかる。

 首を振って回避して、同時に放った膝蹴りは相手の手に阻まれる。

「まったく、呆れた反射神経だよ」

 プリームムが言葉の通り心底あきれ返った風に言う。

 すでに二十回は殺害しているだけの攻撃を放っているというのに、その尽くがナギに回避されるか迎撃されて致命傷には届かない。

 対するナギも強敵を相手に攻めきれず苛立ちを募らせる。精神的にはナギのほうが追い詰められている。何せ時間がない。敵を倒さなければならないナギと違い、相手は引き分けでも問題がない。その差は確かに両者の攻め方に違いを生んでいるだろう。

「相変わらずチマチマとめんどくせえヤツだな」

 プリームムがナギをいなすような立ち振る舞いをするのなら、ナギはとことん正面から当たるだけだ。防ぎきれず、凌ぎきれない猛攻をかけて、相手を叩き潰す。基本的に拳と魔法で敵を薙ぎ払うタイプのナギは、絡め手よりも理不尽なまでの強さでねじ伏せる。

 プリームムが相手であっても、それは変わることはない。むしろ、強敵が相手だからこそ自分のスタイルを堅持しなければならないのだと、本能が告げていた。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 超高度の領域で、竜殺しの剣士と二人の使徒は死闘を演じている。

 速度ではやはりノーヌムとセクンドゥムが勝っている。縦横無尽に空を飛び回り、その超速で以てジークフリートを撃ち落そうとする。それでも、正面からならば大魔法すらも無効化するジークフリートの肉体は傷付けず、拳や蹴りを打ち込んでも逆に斬り返される。

 ギロチンのような刃を潜り抜けて背中を打とうとしても、ジークフリートはその動きをしっかりと見切って対応している。

 竜の翼を羽ばたかせて加速するジークフリートは浮き島から浮き島へと飛び移りながらセクンドゥムに追いすがる。

 雷速というのはそれだけで脅威ではある。

 何せこちらからは手出しができない。容易に距離を取ることができる雷速は、勝敗を別つ要因の一つである「間合い」を完全に制することに成功していた。

「ハハハ、遅い。遅いなジークフリート!」

 などと、叫ぶ余裕がセクンドゥムにはできていた。

 剣士の周囲を飛び回り、魔法の矢を牽制に放ちつつ、魔力を充填した拳で殴りかかる。ジークフリートが雷速に対応できるようになろうとも、セクンドゥム自身が一流の拳士である。近接戦闘で後れを取るとは夢にも思わないし、事実確かにジークフリートの間合いにあってもセクンドゥムは渡り合えていた。

 轟然と振り下ろされる剣を潜り抜け、ジークフリートの胸に一撃を加える。その衝撃で大地を割るほどの力を一点に集中した拳である。通常の魔法障壁ならば耐え切れずに肉体そのものが消し炭になっていたであろう。

 だがそれはジークフリートの前には蚊が刺した程度のダメージにしかならない。迸る電流も見た目ほどの効果は期待できず、そのことに驚いていては隙を突かれて首を落とされるだろう。セクンドゥムは攻撃が受け止められたと見るや、即座にバックステップでジークフリートから距離を置く。一瞬で二百メートルは離れたか。音速程度ならば超えることもできるジークフリートもさすがに雷速となると追いすがれない。かといって、遠距離攻撃となると宝具の真名解放が必要不可欠だが、構えと振りかぶりはあまりにも隙が大きい。

「そらそらどうした!? 竜殺しなどと呼ばれている貴様の実力はその程度か!?」

 セクンドゥムの哄笑は留まるところを知らず、圧倒的な速度を生かしたヒットアンドアウェイを繰り返す。声が残響となって残り、不快感を助長する。

 その一方で、ノーヌムは至って冷静だった。

 セクンドゥムと同じように高速機動でジークフリートを圧倒してはいるが、それは彼に付け入る隙を与えないため。近接戦はセクンドゥムに任せて、自分は移動砲台として遠距離攻撃に徹している。

 ジークフリートは足場を大魔法で砕かれた傍から近場の浮き島に飛び移り、その隙を狙うセクンドゥムは弾き返す作業を五十は続けている。

「そろそろ、終わりにしたいところだがな」

 打つ手なし――――ということではないのだ。

 ただ、これは間合いの戦いである。自分の領域での戦闘ならば十中八九ジークフリートが勝利するだろう。それを敵も分かっているからこそ、このような戦い方を演じている。

 しかし、同時にセクンドゥムやノーヌムの遠距離攻撃ではジークフリートは倒せないどころか、止めることもできないだろう。

 ジークフリートは進路を変えた。

 浮き島から浮き島への連続跳躍は変わらぬものの、その目的はノーヌムとセクンドゥムを倒すことではなく、そのさらに上だった。

「何?」

 ノーヌムが突然の行動をいぶかしみ、そしてその進路を見て取って驚愕する。

「まさか、こちらを無視して攻め入ろうというのか!?」

 簡単な話ではある。

 遠距離攻撃でジークフリートを止められないのならば、この場に踏み留まる意味もないというのは。

 ジークフリートとしては彼らの相手をする意味もない。ナギたちが墓守り人の宮殿内部に侵入を果たした以上は、この場にいる必要はなく自分もその後を追えばいいだけだ。

 敵はナギを追いかけることはできない。ジークフリートの戦闘能力を考えれば、決して無視することはできない。

「ああ、間違いないな。上は守りが薄い」

 台風の目のようなものだろう。

 墓守り人の宮殿は上に行くほど魔力障壁が薄くなっているようだ。微々たる違いも積み重なれば大きくなる。渦巻く魔力の乱流は、それだけで脅威ではあるものの、竜と化した肉体にとってはそよ風のようなものだ。

 通り抜ければ幻想大剣で障壁に穴を開けることなく内部に入ることができる上に、ナギたちが突入したところよりもさらに上部から侵入することができる。

 ジークフリートはこの周辺で激闘を繰り広げたことで、墓守り人の宮殿への侵入経路を感じ取ることができたのだ。

「させん!」

「この私を無視するな!」

 もちろん、相手はジークフリートを追い立てるのは見越している。ノーヌムはまだしも、プライドの高いセクンドゥムは食いつくだろう。背中までわざわざ曝したのだ。挑発に乗って、彼らはジークフリートを撃ち落しにかかる。

 雷撃が背後から襲ってくる。それを、剣と尾と羽で撃ち落す。魔力を伴う以上、目を瞑っていたところで迎撃できる。ジークフリートに限ったことではなく、この世界でも上位の者は視覚以外の感覚でも外部を認識することは可能だ。ジークフリートほどになれば、見ずとも撃ち落せるほどになる。

「おのれッ!」

 ノーヌムがジークフリートに向かって駆け上がる。

 一陣の稲妻は、その背中を打ち抜かんとする。下から上へ。自然界ではありえない動きをする雷は蛇のようにジークフリートに迫った。

 魔法で撃ち落せないならば、自らの拳で打つより他にない。至近距離から背中を狙って攻撃を加えるのが、最も確実な方法である。

 しかし、ノーヌムはここで致命的な選択をしたのである。

 ――――雷の魔法を撃ち落せるということは、雷に変化したノーヌムを斬り捨てることもできるということを失念していた。

 いや、考慮してもその可能性を深くは考えなかっただろう。良くも悪くも自らの性能に自信を持っているのはノーヌムも同じであり、これまでの戦闘でジークフリートの身体に一撃を加えることもできている。彼は雷ではあるが意志を持つ雷だ。ジークフリートの反撃にも、その速度を以て対処できる。

 雷速の相手にいちいち思考していては対応は間に合わない。 

 今、この場には魔法世界全土から集められた魔力があり、ジークフリートの心臓は呼吸するだけで無限の魔力を生み出す魔力炉である。一呼吸で、必要な魔力を発生させたジークフリートは身体中に瞬時にそれらを行き渡らせる。

「霊基再臨第四段階解放」

 その言葉をノーヌムは聞き取れたかどうか。

 雷の速度で迫ったノーヌムは、雷の速度のまま二つに分かれて飛び去っていく。

 雷光の煌きは、そのまま弓なりに失墜して雲の中に落ちていった。

「ッ……馬鹿な……!?」

 上下に分断されたノーヌムの末路を見て、セクンドゥムは再び距離を取った。

 竜の翼と角、そして尾。

 見た目の変化はないが、さすがに理解できる。存在そのものの階梯が、さらに一段階上に上がったということが。

 雷速をカウンターで斬り伏せるほどの運動能力と感覚を備えた怪物。まるで、巨大な邪竜の前に立ち、為す術なくその顎に頭から貪りつくされる直前であるかのような恐怖にも似た諦観が襲ってくるのだ。

 ジークフリートとしては懐かしい感覚である。

 世界が広がったかのような錯覚を覚える。体内を駆け巡る竜の血が、以前と異なり正しく循環し力を漲らせてくれる。

 ダーナの世話になる前のジークフリートは、肉体的には再臨を果たしてしない状態でありながら、能力値だけがこの状態に跳ね上がっていた。

 それは、四十レベル程度の出力しか出せない身体で無理矢理限界値の二倍の力を引き出していたようなものであり、身体がついていかず自壊しそうになってしたというのが真実だったのだが、今は違う。

 肉体の限界値を取り払い、その存在が出せる最大出力にも耐えうる身体となったことで竜の血すらも完全に支配した。

 今のジークフリートの能力は、単純計算でこの世界に渡ってきたときのおよそ二倍である。

「この、私が……造物主(ライフメイカー)の使徒の中で最強を誇るこのセクンドゥムが臆するなど――――ありえん!」

 対するセクンドゥムはさすがである。常人ならば、彼の前に立つことすらも儘なるまい。それでも立ち向かえたのは、彼がそういうふうに設定されているからであろう。

「ならば、来るがいい。俺に傷をつけることができるというのなら、存分に力を振るうといい」

「ほざけ!」

 雷と化したセクンドゥムがジークフリートの周囲を旋回する。その軌跡は連なり、一つの雷光の円を描く。

「雷の暴風!」

「千の雷!」

「雷の槍!」

 雷光の円の中心に向けてほぼ同時に雷撃魔法が放たれた。

 その円は死の檻であり処刑場の縁取りだ。その内部は超高温の雷撃によって焼き尽くされ、破壊されて何一つ残ることはない。

 その絶対死の雷撃を、押し退ける光があった。

「な……に……!?」

 膨れ上がる魔力は忽ちにして爆発し、雷撃の檻を弛ませて黄昏色に世界を染める。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 振り下ろした宝具の一撃を以て、セクンドゥムの雷撃の尽くが蒸発する。魔力と魔力のぶつかり合いは接戦にすらならず、まるで内側から風船が破裂するようにして雷光は消え去った。

「そんな、馬鹿な……そんな出鱈目な魔力が……!」

 信じられないのも無理はない。もとより宝具は常識の外にある神秘の結晶である。常識の内側にあるものほど、神秘の結晶の前には為す術なく食い殺されるものである。さらに、その宝具をジークフリートという希代の傑物が振るえば、周囲には草木も残らぬ不毛の地を生み出すことすらも容易となろう。

 ここが空でよかった。

 ここならば、周囲に配慮して宝具を控える必要もないからであり、それはセクンドゥムたちにとって最悪の地理的条件であるとも言えた。

「私は、造物主の使徒! この偽りの世界に終止符をうち、世界を正しく導く者だ! 貴様のような出自も知れぬ一介の剣士に後れを取るなど、認めん!」

 セクンドゥムの意地だった。

 狂気すらも生ぬるい衝撃の中で彼はただ只管にジークフリートを打倒することのみを考えた。遠近中のどれを取ってもジークフリートには劣る。唯一速度のみで彼に勝るが対応されては勝機はない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 セクンドゥムが加速する。

 ジークフリートは我武者羅に突っ込んでくるセクンドゥムを一太刀の下に斬り捨てる。

「――――ぬん!」

 さらに斬り上げた刃が、その後ろから迫ってきたセクンドゥムの首を落とした。

 雷の分身だった。

 一体目も二体目も、雷を編んで生み出した(デコイ)だったのだ。 

 気がつけばジークフリートの周囲は無数のセクンドゥムの囮が取り囲んでいて、それが入れ代わり立ち代わりジークフリートを攻め立ててくる。

 剣と拳と尾を駆使してそれらを捌く。思考に先んじる肉体の反射を信じ、背中以外を狙う攻撃は無視する。ほんの数秒に満たない世界の中で、果たして何回剣を振るっただろうか。両者の攻防は、最早常人の認識の埒外にある。

「ヴィシュタル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。イグドラシルの恩寵を以て来たれ、貫くもの――――」

 加速する身体と思考。

 口にする呪文がセクンドゥムの魔力を雷に変換し、さらにそれを束ねて一振りの長槍を生み出した。

轟き渡る雷の神槍(グングナール)!」

 雷が凝縮した大槍は、穂先だけで三メートルを越え、その石突までで十メートル以上に達した。

 その槍を掲げた手の平の上で浮遊させ、穂先をしっかとジークフリートに定める。

「雷系呪文の中でも最大の突貫力を有する魔装兵具だ!」

 最後の囮を斬り払ったジークフリートは、その槍を見てらしくもなく感慨にふける。

 雷の豪槍が、不意にかつて刃を交わした黄金の槍兵を思い起こさせたのだ。

 おまけにその槍は名をグングナールと言うらしい。

 それは北欧に伝わる最高神の宝具の名。おそらくは、その神話から名付けたのであろうが、ジークフリートが有する幻想大剣(バルムンク)と縁のある魔剣グラムを叩き折ったことでも有名だ。

「なるほど、確かに不吉な名だ」

 だが、この局面で相対するには相応しい名でもある。

 ジークフリートは剣を掲げた。

 如何にも大仰に。

 絶大なる魔力を込めて。

 柄に取り付けられた青い宝玉が煌いて神代エーテルを増幅、黄昏の帳が降りる。

 ジークフリートの戦い方は至ってシンプルだ。屈強な肉体で敵の攻撃を無効化し、その膂力と切れ味抜群の剣で敵を斬る。そして、必殺の対軍宝具で一帯ごと焼却する。それ以外には必要ない。その二点で以て、彼は遠近中のあらゆる距離で絶対的な戦闘能力を発揮できるのだ。

幻想大剣(バル)――――」

 幻想大剣を大きく振りかぶったジークフリートに対して、セクンドゥムは雷槍を投擲――――しなかった。

 剣を振り上げて宝具を解放しようとしたその隙を突いて、セクンドゥムは天下る。再出現した場所は、ジークフリートの背後だった。

「もらったぞ、ジークフリート!」

 長大な槍が至近距離からジークフリートの背中に突き立てられる。そのほんの一瞬前に、黄昏を纏ったギロチンがセクンドゥムの身体を袈裟切りにした。

「あ、な……!?」

 ぐらり、と視界が揺れたと思った。

 轟き渡る雷の神槍(グングナール)があらぬ方向に射出されて、飛んでいくのが見えた。

 何が起こったのか、まったく理解できないままに、セクンドゥムは最後の音を聞く。

「――――天魔失墜(ムンク)!」

 セクンドゥムの足元から吹き上がる黄昏色の光に飲まれて、瞬く間に意識が消失する。思考する間などなく、ただの斬撃で積層多重魔法障壁を斬り裂く宝剣の真の力を受けては一溜まりもない。セクンドゥムは、肉片の一片すらも残さず消滅する。後に残ったのは遠く響く、黄昏の残響のみだ。

 セクンドゥムはジークフリートの隙を生み出し、それを突いたように思っていただろう。無数の囮による幻惑と挑発にジークフリートが乗ったものと錯覚した。しかし、実際には宝具の真名解放こそがジークフリートの用意した罠であった。

 背中以外に攻撃が通らないのであれば、最終的に相手が狙ってくるのは当然背中となる。

 セクンドゥムが生成した武具が突き刺す形状をしているのなら、どれだけ速く動き回ろうとも最後の最後には必ず背後に現れるだろうと予測はできる。剣の間合いに入ろうが入るまいが関係がない。幻想大剣の真名解放は、発動した方角を広範囲に渡って焼き払う対軍宝具だ。雷速で動き回っていれば別だが、まさにジークフリートを攻撃しようとしている最中に発動されては避けられまい。

 まして、セクンドゥムは確実を期すために剣の間合いに踏み込んだ。端から背後を攻撃するつもりでいたジークフリートにとっては、飛んで火にいる夏の虫だったのだ。

 背中は敵がジークフリートの唯一の弱所であると同時に、高速で動き回る敵の出現場所を限定する目印でもあった。

 後はどちらが先に叩き込むかの勝負。雷速に対応可能な肉体を持ち、端から迎撃の準備を進めていたジークフリートが先んじるのは当然であろう。

 セクンドゥムはジークフリートとの駆け引きに負けたのだ。

「貴公は強かったが、如何せん経験不足は否めなかったな」

 強大な力を与えられた人形であるということはジークフリートも理解しているところではある。だが、それに胡坐をかいていては自分より弱い相手を倒すことしかできないだろう。

 しかし、――――。

造物主(ライフメイカー)か」

 セクンドゥムが度々口にしていた何者か。

 プリームムと同じ外見をしているところからして、プリームムもまたその造物主という者によって生み出された人形ということになるだろう。

 完全なる世界の真の黒幕が、その造物主に違いない。

「急がねばならんな」

 造物主の存在をおそらくナギたちは知らない。

 プリームムという司令塔はあくまでも現場の指揮官でしかなかったのだ。

 ジークフリートは勝利の余韻に浸る間もなく、墓守り人の宮殿へと足を踏み入れていったのだった。

 

 




グラムがグングニルに折られたって聞くけど、実際には折られた後にグラムと名付けられたのだから、エクスカリバーと同格のグラムは恐らくは打ち直された後のシグルドが持ってるグラムだろうなと思う。
カリバーン=折れる前
エクスカリバー=打ち直された後
というような理解。

後よくよく考えたらニーベルンゲンの歌にファフニールなる竜は出てこないじゃないか。


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第二十六話

絆レベル上昇目的の遠足気分で黄金探索に行ったら、唐突に出てきたハーゲンになぶり殺しにされたので令呪使いました。
心臓ぶち抜かれたすまないさんも盾を振り回して殴り倒すレベルに怒り心頭ですわ。


 二人の使徒を打ち倒したジークフリートは、墓守り人の宮殿に侵入を果たしたところで一度足を止める。

 上には儀式場があり、今まさに世界を崩壊させんとする魔法儀式が執り行われているところである。全世界の命運を賭けたこの戦いの、最終的な目的地である。一方で、下層ではナギたち『紅き翼』がプリームムら造物主の使徒と死闘を演じている。

 空に浮かぶ宮殿には似つかわしくない地響きが断続的に発生して、大魔法の行使と思しき魔力の奔流が吹き上がってくる。

 援護するべきか、あるいは先行して儀式を止めるか。

 十秒ほど考えてから、ジークフリートは上を目指すことに決めた。

「『紅き翼』の力ならば、負けることはないだろう」

 この世界に生まれた究極の戦闘集団と言ってもいい。現代のおける円卓の騎士やシャルルマーニュ十二勇士。その時代、その地域にあって最大の戦闘能力を持つ者たちが奇跡的に志を同じくして集ったもの。近い将来、伝説に名高い騎士団と同じように人口に膾炙することだろう。

 それもまたよし。

 もしかしたら、遙か未来。どこかの世界の聖杯戦争で凌ぎを削る間柄になるかもしれない。

「それもまたいいか」

 むしろ、それはまた面白いことになりそうだ。

 「座」のジークフリートと、今まさにこの世界で生を謳歌するジークフリートが同一に扱われるかは不透明だ。もしかしたら、ここでの記憶は残らないかもしれない。あるいは、別のジークフリートとして登録されるかもしれない。だが、いずれにしてもあの好青年たちと戦えるのであれば、誇りを持って剣を手に取ることができるだろうと確信できた。

 走るうちに、さらに魔力が色濃くなっていく。

 もはや神代を再現したかのような魔力量だ。ジークフリートの生きた五世紀にあっても、ここまで魔力が濃かったことはない。

 ここから先はジークフリートにも未知の世界と言うべきか。

 回廊を駆け抜けると、ひと際大きな空間に出た。

「ここは……」

 四方に通じる廊下があり、中央には祭壇と思しき物体がある。また、四つの廊下の中で一つだけが上層部に通じる階段となっている。

 階段の上から、青紫色の明るい光が注ぎこんでいる。その魔力、空気の流れから考えて、この上の階こそが目的の儀式場なのだろう。

「ここは、儀式を安定させる場か?」

 魔法には疎いジークフリートには、この空間が何のために存在しているのかは分からない。

 だが、もしも儀式の発動に必要な空間ならば破壊しても損にはならないだろう。祭壇のような物体があることも手伝って、如何にも魔法の儀式に使いそうであった。

 では、まずは祭壇を破壊することから始めようかと、ジークフリートが幻想大剣の柄に力を込めたとき、恐るべき魔力の気配を感じて飛び退いた。

「――――なんだ」

 と、言うのが精一杯だった。

 階段を下りてくる何か。真っ黒なローブに身を包み、フードで頭部を隠した人型の何かがやって来た。

 恐るべきはその魔力。

 セクストゥムやノーヌムが可愛く思える魔力量であり、まさしく格が違う。この世界に来て、初めて怖気を感じてしまった。

「それは違うぞ、ジークフリート」

 言葉を話す。

 若い女のような、高めの声である。

「それは儀式とは関わりがない。ここは初代女王の墓所でな、そこに置いてあるのは主なき棺に過ぎない」

 遂にジークフリートと同じ高さにやってきた何者か。

 問う必要もないだろう。

 この次元違いの力を持った何かは、まさしく完全なる世界の大元締め。世界を今まさに破壊せんとする黒幕に他ならない。

 その名は――――、

造物主(ライフメイカー)か?」

 セクンドゥムが主と思しき人物を示唆する言葉をいくつか残している。その中にある呼称。造物主。命を作る者。プリームムやセクンドゥム、さらにその他の使徒たちを生み出した魔法使いだ。

「セクンドゥムが漏らしたか。調子に乗って全パラメータをマックスにしてみたが、あんな風になるとは私としても予想できなかった。今後の参考にする他ないな」

 向き合うだけでビリビリと響くものがある。

 どこかファフニールと対峙したときにも似た、強大な敵。敵意すらなく、ただそこにいて、気まぐれに力を振るうだけで敵対者を殲滅する絶対的な力の持ち主だ。それゆえに、ジークフリートと相対していながら今になっても敵意自体を感じないのだ。

「ジークフリート。……抑止の環より来たりし竜殺しか」

「貴公……」

 僅かばかりの動揺をジークフリートは押さえ込む。

 このレベルの相手には僅かな隙が命を脅かす。ダーナと出会っていたことで、この世界でも抑止力の存在を認識している者がいることは分かっていた。

「抑止力がまた邪魔をする。幾度もの挑戦の果てに辿り着いたこの儀式すら、彼奴らの目を欺けぬ」

「このようなことを、これまでに幾度も繰り返してきたというのか」

「ふふ、二千六百年の試行錯誤の末に辿り着いたこの計画。今度ばかりは決して邪魔はさせぬ」

 造物主のローブの裾が舞い上がる。

 左右に長く伸びるローブから湧き出すように、漆黒の魔法陣が展開された。空間を埋め尽くさんばかりの大魔法陣が幾重にも重なり、莫大な魔力が充填される。

「ッ……!」

 ジークフリートはその危険性を肌で感じ、多く距離を取った。

 同時に宝剣に魔力を込める。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 真名の解放と極大魔法の射出はほぼ同時であった。

 どす黒い光と黄昏の光が食らいあって激しく輝いた。

「おおッ!」

 捻じ込むように突き入れる宝剣に導かれ、黄昏の光は黒の光を相殺する。

 絶大なエネルギーの激突は、部屋の中心にあった初代女王の棺ごとその周囲を焼き払い、黒色に輝く床石を真っ赤に融解させていた。

「凄まじい威力だな。それが、伝説に謳われるバルムンク。ニーベルングより簒奪した聖剣の光か。まさか、この目で見ることになるとは思わなかったが……」

 驚いたように言う造物主ではあるが、それはジークフリートも同じである。

 よもやA+ランクになる大威力対軍宝具と相殺するほどの威力の魔法を扱おうとは。

 並の魔法使いとは比較にならない。ナギですら、造物主の前には霞む。

「一体何者だ……」

 この圧倒的な力。

 宝具の真名解放に匹敵する魔法行使とは。

「さて、私のことは好きに呼ぶがいい。始まりの魔法使いだの、不死の魔法使いだのと呼ぶ者もいれば、セクンドゥムのように造物主(ライフメイカー)などと呼ぶ者もいる」

 再び、魔法陣が展開された。

 黒色の魔力球は属性を帯びない純粋な魔力の結晶でありながらも、一発一発が宝具の真名解放に近い威力と神秘を帯びている。

「貴様は何故、私の邪魔をするジークフリート?」

 あたかも武器を相手の首筋に当てているかのような余裕すら見せて、造物主は語りかけてきた。

「我等と共に世界を救済するために剣を執るということはできぬか?」

「何だと? 世界の救済?」

「そうだ。貴様はこの世界の真実を知らないだろう。知っていて、それでその聖剣を振るうことができるのか? この滅びの定まった世界の未来を、貴様が左右することができるか」

 バチバチと黒の魔力球が閃電を発した。

 それすらも、ジークフリートは気にならなかった。

 それ以上に問い質すべき言葉があったからだ。

「貴公の目的が世界の救済だというのか? ならば、何故このような真似をする?」

 世界を抹消しようという大儀式。それに間違いはなく、このままでは数時間以内にこの世界は消滅する。

「破滅を救済だとでも言うのか?」

「人それぞれではある。が、私は破滅を良しとしない」

「……何を言っている? 貴公らが世界を滅ぼそうとしているのではないか。その発言は矛盾を孕んでいる」

「確かに、それは否定しない。私はこの世界に終わりをもたらそうとしている」

「ならば――――」

「だが、私が手を下さずとも、遠からずこの魔法世界は滅びる」

 その言葉にジークフリートは声を失った。

「知らぬだろう。この世界はまやかしだということを」

「まやかし?」

「そうだ。この世界は魔法によって形成された幻想世界だ。精霊や妖精が持つ異界創生魔法を極大化したものだと思ってくれ」

 ジークフリートには縁がなかったが、それは精霊種や悪魔が有するという空想具現化に近い現象だろう。この世界にもそういった魔法や能力があるのは理解している。

「ジークフリート。貴様が接してきた多くの人間たちは、この魔法世界の魔力によって存在している。無論、それだけでなく、現実の、地球から渡ってきた魔法使いたちもいるがな」

「地球から渡ってきた、魔法使いだと?」

「ああ、そうだ。もう気付いただろう。地球から渡ってきた実存する魔法使いたちを祖とするのがメガロメセンブリアであり、魔法世界の住人、つまりは幻の命を授かった者たちがヘラス帝国を中心とした亜人たちなのだ」

 話を聞く限りでは、ヘラス帝国とメガロメセンブリアとの確執の疑問も解消する。

 この世界に元々いた人々の国がヘラス帝国で、旧世界から渡ってきた移民たちの国が北部に生まれたメガロメセンブリアを初めとするメセンブリーナ連合であると。

 だが、それだけならば世界を消し去ることで救済などとはいえまい。

「今、この世界を維持する魔力が枯渇してきているのだ。このままでは魔法世界は崩壊する――――そうなれば、どうなるか。当然、この世界で生を謳歌する魔法世界人はこの世界の崩壊と共に消滅するしかない。命を繋ぎ止めるものがなくなるのだからな」

「な――――ッ」

 それは、さすがに聞き捨てならなかった。 

 その話が本当だとすれば、完全なる世界を倒して万事解決とはいかない。

「ああ、魔法世界人だけではないぞ。人間も魔法世界の消滅と同時に大半が死滅するだろう。この世界は、火星に形作られた世界だ。ならば、仮初の宿が消え去り、不毛の地に投げ出された人間の中で無事地球に降り立つことができるものはほとんどいないだろう」

 火星は人類の移住候補となりうる惑星の一つではあるが、西暦1983年現在の科学力では移住は愚か有人探査機を送り込むことも難しいという程度でしかない。魔法使いたちはその技術的課題を魔法という奇跡によって達成したが、その奇跡が解れつつあるというのである。

 当然ながら、如何に魔法使いといえども火星の環境に即座に適応するなど不可能だ。

「私がしようとしているのは、この魔法世界を滅ぼすだけではない。この世界の総ての魂を残らず夢の世界――――完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)に送ることだ。今はそのための儀式をしている。邪魔立てすることは、魔法世界人を見殺しにすることだぞ、ジークフリート」

 敵の首領の言葉を鵜呑みするほどジークフリートは愚かではない。彼が真実を語っている保証はなく、もしも嘘であれば、即座に斬り伏せて儀式を止めねばならない。

 だが、それでも一抹の疑念が躊躇の感情を呼び起こす。

 もしも、それが真実であれば、彼らがしていることは人類を延命させるための必要悪なのではないかということだ。

 世界を滅ぼすだけならば悪と断ずることもできるが、その滅亡によって世界に生きるすべての人が別の世界で安住できるというのならば、或いはそれが魔法世界の人々の新たな光となるかもしれない。

「その是非は、俺にとっては少々重いな」

 ジークフリートは苦笑する。

 世界の存亡を賭けた戦いであるはずなのに、ここに来てもしかしたら自分たちこそが世界を滅亡させてしまうのではないかという可能性を突きつけられた形になる。

「二千六百年もの間、このようなことを続けてきたのか?」

「破滅は必然だ。魔法は時が来れば解けるもの。ならば、確定した未来を覆すために新たな魔法をかける必要があるだろう」

「なるほど、それが完全なる世界か」

 謎の組織完全なる世界。

 世界を滅ぼす悪であると自認しながら、同時に世界を救済するために死力を尽くす怪物の巣窟。いや、実質的にはこの造物主(ライフメイカー)一人で運営してきたと言えるだろう。もはやそれは、願いではなく妄執、執着といっても過言ではない。

 あれは、正しく永遠を追い求める概念と化している。

 その在り方はジークフリートの知る魔術師のようだ。

「貴公の目的はよく分かった。だが、残念なことにその真偽を判じうる力も情報も俺にはない」

 ジークフリートに『ルーラー』のような『啓示』のスキルがあれば別だっただろう。あるいは“赤”のランサーのようにあらゆる嘘を見抜く眼力があれば、造物主の言葉の真偽は即座に判明した。だが、残念ながらジークフリートにそのようなスキルはない。

 ならば、自分の頭で考え、答えを出さなければならないだろう。

 この場で敵の考えに乗ることは容易い。

「貴公の言が正しいものと仮定して、俺は貴公の話には乗らない」

「ほう……」

 造物主の声が一段と低く冷ややかになった。

「俺はもう安易な道は選ばないし、お前ほど人に絶望もしていない。何よりも、お前が世界を二つに割り、多くの人々に不幸を押し付けた事実は変わらないだろう」

 静かにジークフリートは告げた。

 造物主の提案は、確かに魅力的な話ではあったのだ。滅亡が回避できないというのならば、破滅の運命にある人々を別の世界――――ここでは夢の世界だったが――――に移し変えてしまい、擬似的な永遠を約束する。それはまさしく『魔法』と呼ぶに相応しい奇跡であって、この世の誰にも不幸が訪れることのない楽園なのだろう。

「この組織の力があれば、戦争などしなくとも世界を救えたはずだ。正しく人々を救うことができただろう。俺はこの世界の人々に広く機会を与えるべきだったと思うがな。少なくとも、彼らにはその権利がある。お前が与えるべきは結論ではなく、選択肢だったのではないか?」

 世界中に根を張っていた全盛期の完全なる世界ならば、人々に世界の真実を浸透させることくらいは簡単にできただろう。魔法世界の存続のために研究を推し進めるのみならず、この完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)の術式の是非を問うことも不可能ではないのだ。人が人の力で自らの道を定める。その機会を造物主は与えなかった。それは、きっと人間に絶望しているからなのだろう。

「不可能だ。総ての人間が、同じ結論に至ることはなく、(ソラ)に辿り付くこともない。仮初の不死、仮初の永遠こそが、人間の手に届く範囲での最善だ」

 二千六百年の間に何があったのか、ジークフリートには推し量ることはできず、考え方も根本からずれている。ならば、後はもうぶつかる他ないだろう。

「手を取り合えんか。世界の滅びを肯定するとは、地球のみが世界ではないだろうに、……いいだろう、抑止力に踊らされた古の英雄が相手だろうと、私は私の目的を遂行する」

 黒い魔法陣が輝きを増し、増幅された魔力球が膨れ上がる。

 今まさに咆哮を上げようとした魔法陣に向けて、ジークフリートの背後から無数の雷撃を浴びせかけられた。

「なるほど、勢ぞろいということか」

 造物主が微笑を浮かべたように思えた。

 ジークフリートの背後から勢いよく飛び出してきた赤毛の魔法使いとその仲間たち。一様に怪我をしてはいるが、かといって重傷というわけでもない。治癒魔術で戦闘に支障のある部分は治してきたのか。それとも、使徒を相手に軽症で済ませたのか。いずれにしても、『紅き翼』は五人一人も欠けることなくこの場に辿り着いた。

「なんか、ごちゃごちゃ話してたが、何の話だ?」

 ナギがジークフリートに尋ねた。

「この世界の行く末について、だな」

「……ああ、その話か」

 ナギは面倒そうに頭を掻いた。

 この反応を見て、ジークフリートは驚く。

「なんだ、知っていたのか?」

「世界が滅びるとかそんなんだろ。くだらねえことを並べ立てやがって、マジで人間舐めすぎだっての」

 本当に、心底迷いなく断言しているのだろう。

 ナギは単純な男だ。真っ直ぐで純真な、言ってみれば、まだ幼いところもある。この我を貫く考え方は、未来に希望を見出しているからこそできることである。

「で、お前はどうなんだよ、ジークフリート」

「俺か。さてな」

 剣を担ぐ。

 敵は強大な魔法使い。幻想大剣と同等の魔法行使が可能となれば、竜の鎧とて突破する可能性を具備している。有体に言えば、自分を殺し得る怪物である。

「とりあえずは、テオドラ姫との約束を果たすところから始める」

「ハッ、上等。いっちょ、ぶっ飛ばしてやろうぜ」

 ナギの言葉で全体が戦闘態勢に入った。

 ジークフリートだけではない。ナギも詠春もラカンもアルビレオもゼクトも目の前の存在が次元違いであることを正しく認識している。

 二千六百年という言葉が誇張でもなく真実ならば、その歴史はジークフリートよりも遙かに古い。

 魔術の世界に於いて古いとはそれだけで力を持つ。元々強大な魔法使いである造物主ならば、その存在は神獣以上にまで階梯を上げているだろうし、英霊すらも上回る力を行使できても不思議ではない。

 黒い魔法陣は依然健在。ナギの一撃で僅かに揺らいだものの、すでに魔力の装填は済んでいる。

 黒き砲門が一斉に六人に向けられる。

「下がれ」

 ジークフリートが前に出て、幻想大剣を振るった。漆黒の光と黄昏の光が相殺し、空間の中央で圧縮されるようにして消える。

 その派手な一撃が開幕の狼煙であった。

 対消滅する光の中に『紅き翼』の五人が踏み出していく。

 造物主の力の程は今の一撃で嫌と言うほど分かったはず。それでも、誰一人として臆したりはしなかった。

「ラカンインパクトッ!!」

「極大雷光剣ッ!!」

 凝縮した気の砲撃と雷光の斬撃が同時に黒のローブに襲い掛かる。僅かに遅れてアルビレオの重力球とゼクトの水竜が左右から挟みこむようにして食らいつく。

「ぬおおおおおおお――――雷の暴風ッ!!」

 そして、山をも吹き飛ばすナギの砲撃がトドメとばかりに解き放たれた。

 どの攻撃も須らく敵を打倒するべき必殺の威力を込めたものだ。この局面に来て出し惜しみなどありえない。艦隊すらも吹き飛ばさんばかりの魔法を受けて、しかし造物主は身じろぎ一つしなかった。

 湧き立つ黒き魔力が伸びたローブの裾に引き摺られて渦を巻き、造物主の身体を包み込む。『紅き翼』の魔法は、尽く黒き魔力に阻まれてしまった。

「んだとッ!?」

 信じられないとばかりにラカンが目を剥いた。が、そこまでだ。次の言葉は続かず、気付けば宙を舞っていた。

「ぐはッ!?」

 ラカンだけではない。

 『紅き翼』の五人が、ただの一撃で跳ね返されて壁や床に叩きつけられたのだ。

「あ痛ってぇー……!」

 ゴロゴロと転がったナギが頭を押さえながら立ち上がる。

「やれやれ、途方もない力ですね。今のでかすり傷一つないとは」

 アルビレオもいつもの余裕を感じさせない表情で冷や汗をかいている。

「チマチマやってもダメだな、ありゃ」

「あれは古代から生きる大魔法使いじゃ。小手先の技は通じんだろうの」

 ラカンとゼクトも大きな怪我もなく受身を取れたらしい。

「だが、どうする。はっきり言って、桁外れの怪物だぞ」

 詠春の言うとおり、大魔法クラスの攻撃を容易く防ぎ、その上で反撃までしてくる相手だ。下手に攻めてはこちらが墜ちる。

「とはいえ、攻め立てる以外にないだろう」

 小技によって隙を作る手は使えず、力攻めも難しい。だが、敗色濃厚というわけではないのだ。ジークフリートからすれば、ファフニールに匹敵する怪物であると感じられはするが、だからといってあのときほどの絶望感はない。それだけでも十二分に戦える。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 振り下ろす剣が黄昏の剣気を解き放ち、津波と化した魔力の奔流が造物主を飲み込まんとする。

 造物主もまた下手に防御をしようなどとはしない。幻想大剣の真名解放は、その威力、神秘共に現代の大魔法を遙かに上回っている。故に、この一撃を受けるには造物主をして最大級の攻撃手段を以て迎撃するしかない。

 黒の波動が急速に高まり、無数の光線と化して幻想大剣に喰らい付く。

 ギシリ、と空間が捻じ曲がるかのような魔力の激突の中でナギが呪文を唱える。

「千の雷ァ!!」

 ジークフリートの攻撃と拮抗している今ならば、造物主の守りは手薄となっている。そこにナギの大魔法だ。黒き障壁が幾重にも重なり、千の雷を散らしていく。

「くっそ、まだダメか!」

 ナギが舌打ちをして、さらに魔力を練り上げる。

「いえ、効いていないということはないようです! 障壁も完全に防いでいるわけではない――――逸らしているだけです!」

 造物主の障壁を読み解いたアルビレオが叫ぶ。

「確かに強力な守りではありますが、如何に造物主であろうとも処理能力の限度があるはずです!」

 アルビレオは言いながら重力球を造物主の頭上に展開。そのまま落下させ押し潰しにかかる。

「ようするに防ぎきれないだけの攻撃を叩き込めってこったろッ!? 分かりやすくていいぜ!」

 こんな状況にあっても笑みすら浮かべてラカンは得意の気砲を放つ。

 詠春が、ゼクトが、それぞれの得意分野における最大規模の魔法でこれを援護する。ジークフリートの真名解放が合わさって、造物主の黒き障壁が確かに軋んだのが見て取れた。

「面白い」

 造物主がそう言ったのが耳に入った。

 それは錯覚だったのかもしれない。色とりどりの大魔法が飛び交う中で、小さな呟きなど聞こえるはずもないからだ。

 が、それはジークフリートの戦士の勘を盛大に刺激した。背筋を走る怖気と共に、彼はさらに前に出る。

「全員、下がれ!」

 ジークフリートは五人の前に躍り出て、幻想大剣の出力を押し上げた。

 黒き波動がその範囲を拡大したのはまさにその瞬間であった。

「ッ」

 途方もない威力の魔力が吹き荒れた。

 事もあろうに対軍宝具の真名解放すらも、部分的に押し退けて造物主の魔法は『紅き翼』とジークフリートに牙を剥いたのだ。

「防御を最大展開せよ! 最強防御(クラティステー・アイギス)!」

 風系統最強防御魔法をゼクトは咄嗟に張った。

 グレートブリッジにて、ジークフリートの宝具を防いだときと同じように、五人全員で同時に造物主の魔力を押し戻しにかかる。

 音が消え、光が満ちた。

 視界を覆う輝きの中で、ジークフリートは吼えた。

「ぬぅ、おおおおおおおおおおおおおおお!」

 果たして、造物主の魔法はジークフリートたちを討ち果たすには至らず、初代女王の墓所を徹底的に破壊するだけで終わった。

 柱が消し飛び、壁は跡形もなく崩壊した。

 四方八方に飛び散った魔力は宮殿そのものを貫いて、雲海に巨大な穴を穿つ。その下の大地、小規模な爆発が相次いだ。

「く……!」

 膝を突きそうになる身体を鞭打って、ジークフリートは立ち続ける。

 幻想大剣と竜の鎧によって、傷らしい傷はほとんどない。瞬間的な魔力の消費が、一瞬だけ立ちくらみにも似た虚脱感を生んだだけだ。それも呼吸するだけで補える。が、それはジークフリートだからできることだ。 

 屈強な肉体、最強の防御、強大な魔法を駆使しても、命を永らえるのが精一杯だ。

 攻撃範囲があまりにも広すぎて、ジークフリート一人では庇いきれなかった。

 分散していたこともある。黄昏の光の恩恵が薄かった場所にいた詠春とラカンは全身に大怪我を負っているようだ。

「おい、アル!」

 そして、ナギが叫ぶ。

 ジークフリートが視線を向けると、ナギの前に立っているアルビレオがゆっくりと崩れ落ちるところだった。

「アル! しっかりしろ、馬鹿!」

「あまり大声を出さないでください。怪我に響きます」

 口から血を吐きながら、アルビレオが言った。顔面は蒼白で、今にも最期のときを迎えそうなほどである。

 駆け寄るジークフリートにも打つ手がない。

「ははは、さすがは名にし負う竜殺し――――モノマネだけで一秒と持ちませんか」

 アルビレオは力なく笑い、一冊の本を取り出した。

 古びた本は、その端から青白い炎を上げて燃え始めていた。

「あなたの人生は余にも重い。まさか、一瞬使用するだけでアーティファクトが耐えられないとは」

「無理をする。俺の人生そのものを憑依させるに等しい行為だ」

 話だけは聞いていた。

 アルビレオのアーティファクトは、他者の人生を記録し、時にその外見や能力を自分の身体で再現することができると。

 ジークフリートの能力は、確かにいざというときに役に立つ。

 一応、忠告はした。

 英霊の能力を一時的とはいえ再現するのは極めて危険で肉体に負荷のかかる行為であると。

 だが、アルビレオはそれを承知でアーティファクトを使用したのだ。完全再現には至らず、いくらかこの世界の基準に落としこみはしたものの、最低限の目的は果たすことのできるジークフリートとして僅か一秒の時間を稼いだのだ。

 ナギを庇う、というただそれだけのために。

「ちくしょう、あの野郎ッ」

 ナギが歯を食い縛り、飛び出ていこうとする。

 そのフードをジークフリートは掴んだ。

「何しやがる!」

「感情任せに飛び出るな。死ぬぞ」

 ナギを引き戻したジークフリートは剣を構えたまま、自分が前に出た。

「防御では俺が上だ。俺が道を作る」

「お前……分かった。任せるぞ、ジークフリート」

 竜殺しの英雄は、任せろと口元に笑みすら浮かべて言った。

 アルビレオは、重傷ではあるが命に別状はない。彼自身が魔法で応急処置をしたためだ。それでも、この状態で長く放置することはできないだろう。

「行くぞ、造物主(ライフメイカー)

 正真正銘、これが最後になるだろう。

 残された時間は少なく、自分自身も仲間も消耗し、傷ついている。短期決戦こそが、唯一の打開策。頭の悪い極めて単純な戦い方だが、その我武者羅さが未来に繋がることもある。かつて、ファヴニールを相手に剣を執ったときのように、今一度ジークフリートは圧倒的な魔に挑む。忘却の果てにある感覚。絶対死の絶望を乗り越えるために、必死になって剣を取った少年時代に戻ったような気持ちで、ジークフリートは巨大な積層魔法陣を掲げる造物主に決戦を挑むべく足を踏み出した。




ヒポグリフ「お辞儀をするのだアストルフォ!」


モーさん最終降臨達成。ただ、九十までがまた遠い。

造物主さんは二千六百年も存在しているので型月的に言っても馬鹿強い。ナギは、ルゥに挑んだ青子状態。
二千六百年前で既出の宝具はバビロン空中庭園とかかな。fateでは虚栄だけれども。


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第二十七話

無課金の誇りをかなぐり捨てて確定ガチャをまわしたら、ヴラドだったので真顔になってしまってすままい。
俺は沖田が欲しかったんだよ。
フレの沖田強すぎ反則。

あとマッシュルームちゃん可愛すぎ反則。
やっぱり先輩はいやらしい(マスター)ですねって言われて監視されたい。



 ニャンドマ上空

 ヘラス帝国北方艦隊は、巡航速度を遙かに超過した速度で北上していた。目指す先には、魔法世界の命運を握る戦いがあり、その戦端はすでに開かれている。開戦の報を受けたのが一時間ほど前のことである。旗艦に自ら乗船し、全体指揮に当たる第三皇女テオドラは、開戦に間に合わなかったことを酷く口惜しく思う。ジークフリートに大見得を切ったのだから、決戦には間に合わなければならなかったのに。

 とはいえ、それも無理からぬことではある。

 あまりにも時間がなかった。まともに敵軍とぶつかれるだけの戦力をヘラス帝国、メセンブリーナ連合、アリアドネーの三勢力で以て揃えられたことが一つの奇跡である。

 また、さらに北方艦隊には魔法世界を無に帰す儀式を封じるための封印術式を搭載しており、その術式を搭載するために、多大な時間を要したのである。失敗が許されない術式であるために、整備に細心の注意を必要としたのである。

 むしろ、事ここに至って戦場に向けて航行できていること自体が驚くべきことであると言えるだろう。

「墓守り人の宮殿まで、あとどれくらいじゃ?」

「この速度を維持すれば、三十分ほどで到着するかと思われます」

 三十分という時間はいつもであれば瞬く間に過ぎ去っていく僅かな時間でしかない。しかし、最終決戦を迎えた今となっては、その三十分で形勢が変わるということもありえる。時間が惜しい。速度は上げられないものだろうと思いながらも、無理を重ねるわけにはいかない。ただでさえ、帝都からここまで速力を可能な限り上げてきたのである。これ以上の負担は艦の戦力をそぎ落とすことになる。

 逸る気持ちと、遅参したという気持ちがますますテオドラの胸中に不安を押し広げていく。

 それをさらに飛び込んでくる凶報が加速させていく。

 戦場に集った連合軍の戦力は、まさしくこの魔法世界を焼き尽くすに等しい火力を搭載していると言っても過言ではないほどであり、並の軍隊が相手ならば瞬く間に蹂躙できるであろうものだ。だが、しかし。相手は数え切れないほどの数を揃えた召喚魔の軍勢だ。如何に艦隊の火力が高かろうとも、空中での三次元的な動きと数を恃みとして襲い掛かってくる召喚魔を艦載砲だけで抑えきれるものではなく、すでに少なからぬ被害が発生しているという。

「大丈夫ですよ、テオドラ様」

 テオドラの傍らに、アレクシアが歩み寄る。

「この艦隊はそもそも最後の最後、ダメ押しに用いる艦隊です。序盤から戦場に立つ必要はありません。それに、墓守り人の宮殿にはジークフリートが突入しているのですから、万に一つも心配することはありません」

 などと、珍しくジークフリートの実力への素直な評価を口にする。

 戦時中に最前線を共に巡り、テオドラ奪還作戦を成功させたアレクシアはジークフリートの規格外な戦闘能力を近くから目の当たりにしてきた。もはや次元違いすぎて憧れるような気持ちすら抱かない。あれはそういう存在なのだと割り切る他ない。

 ここでジークフリートには負けないと、努力を積み上げることができれば英傑にも届くだろうが、生憎とアレクシアは現実的に考えるタイプであり、その領域まで自らを鍛えぬく必要性は感じなかった。

 だが、感覚そのものは麻痺している。

 数十万の敵軍と聞いても、それをただの脅威とは捉えず、冷静な思考を維持することができるのは、これまでの経験が為せる技だろう。

「まあ、確かにジークが頑張ればそれで終わるかもしれないけどね」

「出番を取られることを心配するほうがいいです」

 アレクシアの後を追うように、ベティとブレンダが口々に言う。

 北方艦隊各艦には、近接戦闘を想定した魔法使いも搭乗している。アレクシア、ベティ、ブレンダといった『黒の翼』の面々は、テオドラの知己であり、高い実力と戦い慣れていることから旗艦の護衛に就いている。来る決戦に於いては、迫り来る召喚魔らを旗艦に近付けないように立ち振る舞うことが期待されている。

 もっとも、それも戦場に到着した段階で決着がついていなければの話ではある。

 三人の言うとおり、最前線で敵の中枢を叩きにいったジークフリートと『紅き翼』の計六人は、魔法世界の最高戦力であり、その力は人の形をした災害と同義であるともいえる。この面々で攻略できなければ墓守り人の宮殿を攻め落とすことは不可能であろう。

 なるほど、そう考えればジークフリートの活躍にこそ世界の命運が懸かっているようなものである。そして、疑うまでもなくジークフリートは最強だ。負けるはずがない。となれば、不安がっても仕方ないだろう。この一戦の勝利は間違いない。

 そこで、テオドラは相好を崩した。

 馬鹿な考えだというのは理解しているが、だからといって強ち間違いということでもあるまい。要するに、敵と味方のどちらを信じるかということであり、それならばテオドラは味方を信じる。

「ああ、だが、戦場には急がねばならんな。ジークフリートに活躍の場を奪われるのはそれはそれで困るからの」

 と、それまでよりも若干肩の力を抜いた様子でテオドラは呟く。

 ただ未来を託すだけでは我慢ならない。ジークフリートに共に戦うと誓った身だ。三十分後にどうなっているか分からないが、魔法世界の荒廃がこの一戦にあるというのならば気持ちも篭るというものだ。

 覚悟を決めたテオドラは不安ではなく希望で以て、世界の命運を決する戦いに赴くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 それはさながら太陽であった。

 空に燦然と輝く白熱の太陽ではなく、地の底で燃える昏き太陽だ。

 漆黒の炎は近付く総てを等しく焼き払う。

 馬鹿馬鹿しいまでに膨れ上がった魔力と、それを精密に制御するこれまた大きいと言うには大きすぎる積層魔法陣から放たれる魔力砲撃は一発で大地に大穴を穿ち、連合艦隊を沈めるだけの威力があろう。 

 宝具に換算すれば、低く見積もっても対軍宝具並の攻撃範囲を有するのは間違いなく出力も考慮すれば対城宝具にも届かんばかりの大盤振る舞いである。

 一撃の被弾が致死的な状況にあって、ジークフリートは大地を踏みしめて前に進む。

 竜血を浴びてから今まで、これほどの脅威を肌に覚えたことはない。

 神代の城壁もかくやとばかりの防御力を発揮する悪竜の血鎧が明確に削れていくのを感じる。数えるのも馬鹿らしい黒き魔力の閃光を、ジークフリートは避けない。その身に詰んだ防御力と剣術を恃みとし、愚直に前に出ているのだ。

 それは、背後にナギを庇うが故に。

 そして、それこそが敵を倒すために最適解であるとも思える。

 造物主を相手にするのならば、いっそ正面突破のほうがいいだろうと。

 回避していては敵には届かない。いつまで経っても、この剣の間合いに敵を入れられないのであるから当然だ。

「おおおおお!」

 ジークフリートは剣で魔力の弾丸を叩き、逸らし、打ち消して、止め切れない攻撃はその身に甘んじて受け止める。魔力を全開にして、強化魔法を肉体全体に行き渡らせ、可能な限りの防御を固めた結果、造物主の攻撃にすら耐えることができていた。

 そして、もう一つ。

 ジークフリートが世界の終わりとも思える猛攻に曝されながら、五体満足で前に進める理由――――。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 対軍宝具の真名解放である。

 黒き魔力の波動の中に湧き上がる黄昏色の輝きは、瞬く間に漆黒の闇を駆逐する。

 ジークフリートの対軍宝具が造物主の大魔法を押し込め、時に圧し戻す。造物主の二千六百年という積み重ねられた神秘はジークフリートをも上回っているが、それでも彼は人々の願いを背負って立つ英霊であり、その手にある武具はニーベルング族の秘法である。並のアーティファクトなど話にもならない。かつて、邪竜を討ち果たしたときと同じように、この聖剣は正しくジークフリートに勝利をもたらしてくれるだろう。

 半円状に広がる宝具のエネルギーが造物主の大魔法を打ち消して、前方に道を開く。即座に造物主は積層魔法陣に魔力を通し、莫大なる魔力を砲撃に変換するが、その間にジークフリートはさらに前に出る。加えて、造物主に対して、ナギとラカンが極大の魔法と気砲を放つ。

「千の雷!」

「ラカンダブルインパクト!」

 事ここに至って両者の一撃はその威力をさらに高めていた。疲労困憊といった状況であろうに、衰えることを知らない。無尽蔵の力を有しているかのように、ナギはジークフリートが開いた道を押し広げる。

 激突する大威力攻撃の余波で、墓所が崩れていくのを感じる。足場が不安定になり、柱がいくつも倒壊した。

 崩れ落ちる天井が、逆に浮き上がっていく。

 この辺り一帯を覆う浮遊魔法が瓦礫を浮かせているのだ。ついには崩れ行く戦場そのものが、大小様々な瓦礫に変わり宙に舞いだした。

 空間そのものが螺旋くれているかのような幻想的光景の中に溶け込んでいくかのような錯覚すら覚える。

 造物主が片手を挙げた。

 はためくローブの裾が伸び上がり、そこから無数の光線が放たれる。黒き光線は直角に曲がりながら、ジークフリートたちを目掛けて襲い掛かる。正面からではなく、上下左右からの挟み撃ちである。

「む……!」

 手を変えた造物主の攻撃にジークフリートは僅かに意表を突かれる。回避、防御、あるいは迎撃か。選択肢はいくらかあるが、果たしてどうするか。

 造物主の攻撃は背後のナギとラカンにすら及ぼうとしている。

最強防御(クラティステーアイギス)!」

「神鳴流奥義――――真・雷光剣!」

 飛び込んできたゼクトと詠春がそれぞれの術技で造物主の無数の破壊光線に対抗した。

 折り重なる魔法障壁は黒い閃光の尽くを弾き返し、雷光の煌きを以て振るわれた剣は、その一撃で造物主の黒を塗り潰す。

「ぬん!」

 乾坤一擲の気合を込めて、ジークフリートが跳んだ。

 弾丸のような踏み込みは、造物主との距離を大きく詰めることに成功する。如何な造物主とて、ジークフリートの超速の踏み込みに対抗するにはそれなりの威力の弾幕を張るしかない。ナギをも脅威と認識し、手を変えた今、この瞬間は大きな隙となった。

 彼我の距離は十メートル足らずであり、次の一歩で斬りかかれるほどの近距離だ。

「さすがよ、竜殺し!」

 声と共に、ローブの内側から押し広げられるように空間に滲み出る黒の波動。これを前にして、ジークフリートは最後の一歩を踏み出すのを諦め、聖剣の煌きによって対処する。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 最強の幻想種を撃ち滅ぼした黄昏の一閃。その特徴は何と言っても圧倒的なまでの発射速度である。およそ総ての対軍宝具が何かしらの魔力のチャージを必要とする中で、ジークフリートの幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)は僅かな魔力を増幅して撃ち出すという特性から、ほとんど魔力を込めることなく真名解放を可能とする。

 発射速度というアドバンテージは、近接での撃ち合いにあって戦況を優位に進めるだろう。

 解き放たれた対軍宝具は、造物主の魔法の完成に先んじた。

 魔法の発動に遅れた造物主は、辛うじて黒き破壊魔法を光の津波に叩き付ける。

「ぐ、ぬう……!」

 造物主が、苦悶の声を僅かに漏らしたのをジークフリートは聞いた。

 これならば押し切れる。

 ジークフリートは魔力を回し、聖剣の光で一気に造物主を押し流そうと出力を上げる。

 キン、と拍子抜けするほどあっさりとした音と共に両者の光は対消滅した。極大の魔力を受けて足元の床石が崩壊し、空間全体が魔力の乱気流で渦を巻く。

 ジークフリートは衝撃で三歩前に下がり、造物主は聖剣の余波を受けて宙に投げ出された。背後に背負う魔法陣の紋様が崩れている。魔法陣の一部を咄嗟に防御に回したのだろうか。

「ハハハ、惜しかったな英霊! ここまでに迫るとは、人間の足掻きもほとほと呆れる!」

 造物主は哄笑しながら魔法陣を再装填する。 

 巨大な魔法陣は、現代の魔法使いでは一生かけても編み上げることのできない精密さと大きさを誇る。それを、ほんの一呼吸で成立させる規格外の技量には、ジークフリートも舌を巻く。

 追いすがるジークフリートと魔法陣を再展開した造物主の砲撃が放たれるのはほぼ同時だった。

「絶望を知れ! 度し難き人間ども。その夢の結晶たる貴様は、なるほど私の大敵に相応しかろう!」

 人々を閉じた夢の世界に落とすという造物主にとって、人間の望みと希望を一身に背負った英霊は敵である。彼が実現する世界では、まやかしながらすべての人間が英雄であり庶民である。望むままに夢を見ることのできる完全なる世界にあって英霊は存在せず、故にジークフリートという英霊の存在は造物主にとっては目障りなものとなったのであろう。

 その存在のみならず、戦闘能力に於いても造物主に相対できるというだけで、計画に致命的なダメージを与えかねないとあって造物主の視線はジークフリートにのみ向けられる。

 それをジークフリートは失態と断じた。

「侮ったな造物主」

 その過ちを彼は後悔することとなるだろう。

 ジークフリートの後方で、ラカンがナギのローブを鷲掴みにしていた。先の戦闘で、膝に損傷を受けたラカンは素早く動くことができない。故にこうする。ジークフリートと造物主の規格外の一撃が共倒れしたその瞬間――――造物主の視線がジークフリートに注がれる一瞬を見計らって、ラカンはナギを投じた。

「思いっきりヤレ、ジャック!」

「おうよ、ぶっ飛ばして来い、鳥頭!」

 ラカンの投撃は大剣を正確に数十キロ先まで飛ばすことができるという。

 荒れ狂う魔力の乱流と宙に浮かぶ瓦礫の山の中を弾丸となったナギは一直線に突き抜ける。

「ぬ……!」

 造物主は気づくのが遅れた。

 ジークフリートの相手をしていた彼にはナギに対応する時間がなかった。

 一方のナギはこの一撃のために力を込めている。その右手には雷の魔法が充填されており、身体は限界まで強化されていた。咄嗟に張られた魔法障壁を――――艦載砲すら凌ぐであろう硬度のそれを打ち抜いて、ナギの拳は造物主の顔を強かに捉えた。

魔法の射手・(サギタ・マギカ・)集束・雷の1001矢(コンウェルゲンティア・フルグラーリス)!」

 ついに届いた一撃に、莫大な雷光のエネルギーが解き放たれて宮殿全体を大きく揺さぶった。練り上げられた千一の魔法を収束したナギの拳によって造物主は大きく跳ね上げられて宙を舞う。

「ハ――――ハハハハハッ! なるほど、私を倒すか人間! それとも抑止力か? 貴様等の足掻きが、この結末を呼び込んだとも言うか! 一時の栄光を得て、羊たちの慰めとなるのもよかろう!」

 魔法陣から撃ち放たれる多数の砲撃をジークフリートの聖剣の煌きが吹き散らす。

「足を止めるな、ナギ! ここが決め所だ!」

 珍しく声を荒げたジークフリートがナギを叱咤する。

「当然、だ!」

 無論、ナギとて一撃を入れただけで収める気は毛頭ない。

 不死の魔法使いだろうが関わりない。倒すべき敵と認識したからには、徹底して倒すのみ。

 魔法と魔法が交差する。

 ナギでは抗いようがないはずの古代の魔法が、撃ち落され押し込められていく。

 造物主の身体にナギの雷撃が届く。呻き、魔法陣の出力が低下していくのが目に見えて分かる。不思議な光景ではあった。どこからそれほどの魔力を引き出しているのか、ナギは造物主の攻撃にすら耐え、敵に喰らい付く。造物主が心底嫌う人間の悪あがきだ。

「すべてを満たす解はない。貴様もいずれ、私の示した策こそが世界を救う唯一の次善解であると知るだろう」

 黒の雨をナギとジークフリートは潜り抜け、造物主に迫った。

 幻想大剣の神秘が炸裂し、造物主の魔法陣を打ち消す。彼にとっては一呼吸で再展開できる程度のでしかないが、この状況ではその一呼吸が致命的だった。

「グダグダ、うるせえ!」 

 ナギの雷撃が造物主の胸を打つ。

「たとえ、明日世界が滅びようが、最後まで諦めねえのが人間だろうが!」

 ナギの叫びに呼応して、彼の愛杖が発光する。雷による武装強化魔法ではあるが、ナギのそれは戦略級の大魔法に匹敵する力を一点に集中する必殺技である。込められた魔力は雷となり、杖の先端に鋭い刃を形成する。

 果たして、一投必殺の雷槍と化した杖をナギは砲弾の如き速度で射出する。

 ジークフリートにより魔法陣を破壊されていた造物主は、ナギの常軌を逸した魔力を凌ぎきれない。長大な雷槍は誤ることなく造物主の胸に突き刺さり、雷光の電熱を放出する。

 力を使い果たしうつ伏せに倒れるナギは、最後の力を振り絞って叫んだ。

「決めろ! ジークフリートッ!」

 

 

「請け合おう、ナギ・スプリングフィールド」 

 漆黒の竜翼を羽ばたかせ、造物主の真上に舞い上がったジークフリートはナギの声を正しく聞き取った。

 すばらしい戦いぶりだったと、素直に感嘆する。ナギの力は英雄豪傑と呼ぶに相応しく、この戦いの中で自らの階梯を上に上げただろう。彼は座に迎えられるに相応しい存在である。であれば、先達として一つ力を示さなければならない。

 あれほどの気概を見せ付けられて、どうして平然としていられるだろう。

 その思い、覚悟、姿勢に報いなくて何が英雄か。

 ナギに貫かれながらも未だに抗う気配を見せる造物主。得体の知れない不死身の怪物を相手に、ジークフリートは聖剣を振り上げる。

「邪悪なる竜は失墜する。すべてが果つる光と影に、世界は今落陽に至る」

 柄に装着された青き宝玉が、ジークフリートの一言一句に反応して強く、激しく光を放つ。竜の心臓が生み出す莫大な魔力を神代エーテルに変換、即座に数百倍にまで増幅、加速して刀身を輝かせる。

 その魔力を感じて造物主が反転、大魔法を行使する。

 胸の傷を無視してでも、ジークフリートの暴虐を阻止せんがために。

 ナギに散々に打ちのめされながらも、造物主の技量は健在だった。即座に展開した五十の魔法陣は一瞬で黒色の光を放ち、砲撃魔法を起動したのである。

 だが、構わない。もともと、防御力に秀でたジークフリートである。強力であろうとも、即製の大魔法如きの直撃でどうこうなることはない。これまでの造物主との戦いで、ジークフリートは彼が攻撃に込める魔力量などから自分の悪竜の血鎧を貫く威力の有無を判断できるようになっていた。臆する必要もない。極めて簡単な、これまでに幾度も繰り返してきたことを行うだけ。

 振り上げた剣を、その真名と共に振り下ろす。

「撃ち落す――――幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 直下、黄昏の輝きが世界を満たした。

 この世界にやって来てからこれほどまでに強大な真名解放をしたことはなかっただろう。文字通りの全身全霊をこめた一撃は、造物主の砲撃を意に介さず突き破り、黒きローブを飲み込む。

 全身を分子一粒残さず焼かれた造物主は声一つ残さず黄昏の中に消えていく。

 幻想大剣が生み出した、強大無比なる魔力の奔流は墓守り人の宮殿を斬り抉り、その遙か下方の雲海を蹴散らして地上に癒えぬ大穴を穿った。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 墓守り人の宮殿の内部に、雲海を見ることができるほどの大穴を生み出したジークフリートはゆっくりと舞い降りる。荘厳な墓所だったそこは見る影もなく破壊され尽くし、宮殿の内部であったはずが上を見れば太陽が眩く光り輝いている。

 造物主との戦いは終わった。かの魔人は倒れ、周囲を覆っていた魔力の乱流はかき消され、今は凪いだ状態となっている。

「終わったか」

 ジークフリートのところにふらふらとやって来たナギは、足腰が立たなくなっているだろうに気丈にも自分の足で立っている。

「ひどい有様だな」

 ジークフリートが言うと、ナギは笑みを浮かべて、

「あんたの頑丈さが羨ましいぜ。ま、これくらいの傷なら何日かすれば治るけどよ」

「貴公には再生能力でもあるのか?」

 ボロ雑巾のようになったナギだ。身体中から血を流していて、ローブのいたるところに赤が染み込んでいる。ジークフリートの記憶ではナギは普通の人間だったはずで、特異的な回復力は有していないはずだ。

「ばーか、治癒魔法だよ治癒魔法。俺は応急処置しかできねえけどな」

 と言いながらアルビレオを見るナギは、彼が自力で起き上がれるまでに回復しているのを見て安心したように吐息を吐いた。

「そうか。治癒魔法か」

 すぐに思い至らなかったのが恥ずかしい。

 この世界の治癒魔法は致死に至るほどの重傷であっても治癒することができる。腕を失うくらいならば、何の問題にもならず回復させてしまうほどである。命さえあれば、多くは障碍を残すことなく日常に復帰できる。ナギも大きな怪我をしているが、言葉のとおり数日以内に傷を塞ぐことだろう。

「おう、何とか全員生きてるみてえだな」

 やってきたラカンが言った。

「足は大丈夫か?」

 ジークフリートはラカンの膝に目をやる。確か、造物主の攻撃を受けて膝に怪我をしてしまったはずだ。

「ゼクトの爺さんが何とかしてくれたぜ。つっても、繋いだだけだけどな」

「下手に動かせば風穴が開くぞ。ワシとて、準備もなしに万全の治癒はできん」

 少年としか思えない外見のゼクトはこれでもナギの師であり、見た目通りの年齢ではない。アルビレオに匹敵する術師であり、戦闘魔法のほかにも多種多様な補助魔法を高いレベルで習得しているのだ。

「って、姫子ちゃんは!?」

 ナギが慌てて上を仰ぎ見る。

 上層階。

 そこにある儀式場に、ウェスペルタティア王国の姫が幽閉されている。極めて希少な魔法無効化能力を持ち、その能力を魔法世界全域に及ぼすことで、この世界を支える根幹たる力を打ち消す大魔法の触媒にされているという。

 ナギたちは傷ついた身体に鞭打って、儀式場に這い上がる。

 すでに大穴が穿たれた墓守り人の宮殿にあって、未だに儀式場は健在だった。

「あの戦いに多少は巻き込まれただろうに、まだ無傷なのか」

 詠春が驚いてそれを見る。

 床も壁も天井も崩れて穴だらけだ。すでに、建物としての意義は喪失している。しかし、それでも部屋の中央に設置された大魔法陣は傷一つなく緑翠の光を放っているではないか。

 宙に浮かぶ光る球体。

 精密精緻な術式が球の外面を覆い尽くしており、その内部、中心に黄昏の姫巫女が浮かんでいた。

「姫子ちゃん! おーい、俺だ! ナギだ!」

 ナギは足を引き摺るようにして球に近付き、握り締めた両手で球を叩き、声をかける。 

 幾度も声をかけるが、内部の少女にはまったく届いていないらしい。眠ったままピクリともしない。

「くそ、完全に遮断されてやがる!」

 ナギは悔しそうに舌打ちをする。

「ぶっ壊すか」

「力づくしかないということだな」

 ラカンと詠春が共にそれぞれの武器――――拳と剣を構える。

「行くぜ、オラァ!」

「神鳴流斬魔剣!」

 気を凝縮した拳は巨竜をも倒す一撃であり、詠春の斬撃は人を斬らずに魔のみを断つ秘剣である。およそ、あらゆる魔法はこの二人を前にして無力。しかし、――――。

「ぐ……!」

「く……!」

 二人の攻撃は球体に触れた途端に弾き返されてしまったのだ。

 その表面には傷一つなく、信じ難い強度で内部を保護している。

「まさか、斬魔剣を弾くとは」

 詠春が驚きを禁じえないとばかりに呟く。

 神鳴流の上位者は、斬るものを選ぶことができる。魔法障壁をすり抜けて魔法使いのみを斬り付けることもできれば、悪霊に取り憑かれた人を斬らずに悪霊のみを斬り裂くこともできる万能剣術である。とりわけ詠春は神鳴流の宗家筋の者であり、実力は最高峰の一人である。

 だからこそ、というべきか。

 詠春が斬れないということが、この物体の異常性を如実に示していた。

 直後、球体がひときわ輝きを増し、周囲に魔力の風が吹き荒れ始めたのである。

「これは……!」

 ゼクトが息を呑む。

 術式が起動を始めたのだ。儀式が始まり、世界の崩壊が秒読みとなる。

「世界の始まりと終わりの魔法! いけません! 早く黄昏の姫巫女を助け出さなければ、世界が消えてしまいます!」

 アルビレオの言葉に、いよいよ危機感が募る。

 正体不明の頑強な結界に守られた術式は黄昏の姫巫女を捕らえて放さない。

 敵の黒幕を倒しておきながら、その本来の目的を阻むことができないなどというのは笑い話にしては最悪だ。

「極めて強力な概念の守りです。内側を外側から保護するためだけに存在する大結界とも言うべきモノですね」

 アルビレオが冷や汗を浮かべてそう言った。

 造物主が仕込んだ究極の守りである。黄昏の姫巫女と儀式を守るために、二千六百年を生きた大魔法使いが編み上げた究極防御結界。それは強度の問題ではなく、概念の問題。強さという尺度の外にあるが故に、攻撃では絶対に壊れない。

「おう、どうすんだよ アル!」

「大魔法をどれほど使おうとも、この結界を突破することは叶いません。正直、何も思いつきません!」

 アルビレオは焦りながらも手出しを控えている。ナギ、ラカン、詠春が必死になって結界を破壊しようと試みるが、その尽くが弾き返されて無為に消える。

「斬ればいいのか?」

 そんな中でジークフリートがアルビレオに尋ねた。

「それは確かにそうですが――――斬れば、と言いますが、いくらあなたでもそう簡単には」

「いや」

 ジークフリートはそう言って、幻想大剣を振り抜く。

 両刃の刃が球体表面と接触し、激しい閃光を放つ。それを無視して、ジークフリートは刃を左下から右上に一閃した。

 ギチリ、と音がして球体は真っ二つに両断された。

「斬れたぞ」

 何と言うことのない顔でジークフリートは言った。

「いや、あの……」

 さすがのアルビレオも唖然としてその光景に目を疑い、口を噤む。

 非常識だ。魔法理論では決して破壊できない究極の結界を前にして剣の一振りでそれを断つとは。

 だが、これは驚くに値しないのだ。

 造物主という術者を失った術式であることもあるが、何よりも概念という土俵はジークフリートの土俵でもある。そして、概念同士の激突ならば、概念の結晶にして人類のユメの形である宝具と英霊は滅法強い。今、まさに紡がれたばかりのルールなど、平然と無視して余りある重さが彼には宿っている。

「いよっしゃー! ジークフリートでかした!」

 ナギが球体の内部に臆せず、侵入し黄昏の姫巫女を抱えて飛び出した。

「よし、これで……て、うおわ!」

 ナギは慌てた様子で飛び上がる。

 安心しかけたところを、球体の中から伸びる触手が襲い掛かってきたのである。

「なんだ、これ! 気持ち悪りいな!」

 ナギは大きく飛び退きながら雷を放って触手を迎撃する。

 閃光が緑色をした無数の触手を焼き払い、浄化する。しかし、数があまりにも多かった。

「黄昏の姫巫女を取り戻そうとする防御術式じゃな。念入りなことじゃ」

 呆れた様子のゼクトが、指を鳴らす。

 周囲に湧き上がったのは、大量の水だった。

 ゼクトが水流を操作して球体を水で包み込み、終いには凍らせてしまう。凍結封印魔法だ。

「これで、多少は時間が稼げるじゃろう。今の内に」

「さっさと撤退だ!」

 異口同音にナギの言葉に賛成し、黄昏の姫巫女を連れた六人は一斉に宮殿の外に飛び出した。

 破壊され尽くした宮殿から飛び出すのは難しくない。何せ、儀式場そのものが最上階にあり、壁が崩れ落ちてほぼ外と言ってもいい状態だったからだ。飛行できるジークフリートたちにとって、雲の上の城から飛び出すことに何の不安もなかった。

 近くの浮き島まで移動して、黄昏の姫巫女を横たえたナギは改めて戦場を見回した。

「ああ、一先ずは落ち着いたか」

 戦況はこちらが優勢となっていた。 

 圧倒的多数を占め、空を埋め尽くしていた召喚魔たちは今やほとんどいなかった。術者が倒されたことで魔力が供給されなくなり、弱い個体から消えていったからだ。今は残存勢力に対する追撃をしているところのようだが、それもじきに終わるだろう。

「まさか、あの恐るべき造物主を討伐し果せてしまうとは。まったく、信じ難いことです」

「なんだ、アル。アイツのこと知ってんのか?」

「ええ、まあ小耳に挟むくらいですけどね」

 太古から存在する伝説上の大魔法使い。その詳細はまったくの不明で、伝承もそう多くのこされているわけではない。数多の魔法に精通するアルビレオでさえ、その存在を知識として有しているというだけであってそれ以上の何かを知っているわけではないのだ。

「じゃ、後はもう帰るだけ」

 そう言いかけた瞬間、背後から爆発的な閃光が立ち上った。

「な……!?」

 驚愕したのはその場にいた全員だ。

 光の柱は儀式場から発生している。それが、周囲の魔力を飲み込んで、光の球となるのに時間はかからなかった。

「んだよ、これ!?」

 ナギが叫ぶ。

「まさか、アスナ姫は確かに……」

「おいおい、どうなってんだ!? 終わったんじゃねえのかよ!?」 

 詠春とラカンが動揺を隠せずに警戒心を強める。

「アルビレオ。これは、いったいどういうことだ?」

 ジークフリートはこの中で最もこの状況を説明できるはずのアルビレオに尋ねた。

 儀式の中核である黄昏の姫巫女を取り戻し、術者を倒した。常道であれば、これで儀式の発動は防げたはずである。

「分かりません。ですが、これはまさしく終わりと始まりの魔法! おそらく、儀式は中断しましたが、中途半端な形でも発動させようとしているということではないでしょうか……?」

「中途半端な形? それで、どうなる?」

「詳しくは何も。ただ、本来は世界すべてを消し去る魔法です。それが局所的に発生するとなると、この辺り一帯が消えるというだけでは済まないでしょうね。文字通り、世界に穴が開きます」

 その言葉の大半がジークフリートには理解できないことだった。

 物理的に巨大なクレーターが生まれるというわけでもないらしい。世界の穴。虚無の空間が発生するということだろうか。

 たとえば、そこからこの世界の触媒となっている火星の大地と繋がってしまったら、連鎖的に魔法世界全土が崩壊していく可能性もあるのではないか。

「どうやって、止める?」

「ダメじゃろうな。少なくとも、ワシ等にどうこうできる状況ではない。もはや、ここまで来れば個の力など無意味じゃ」

 達観しているゼクトは半ば諦めているようにも見える。年の功か、あるいは自分の手を離れた問題であり、後のことは流れに任せるしかないと思っているのだろうか。

「んなこと言ってる場合じゃねえだろ!? ここまで来て儀式発動させましたじゃ、情けなくて仕方ねえぞ!」

 とは言うものの、ナギも手出しができない。光の正体が分からず、迂闊に手出しをすれば状況を悪化させることにもなりかねない。

 この時点で、武の英雄の出番は終わったと言っていい。

 ナギはおろかジークフリートですら手出しできない状況となった。座して静観するほかない。しかし、それは諦めというよりも希望に近い。

 少なくとも、ジークフリートはこの光に対して大きな危機感を抱いてはいなかった。

『ジーク! 無事だな!?』

 魔法通信で聞こえてきたのは、聞きなれた第三皇女の声であった。

「ああ。敵の親玉はどうにかした。だが、儀式は不完全ながらも発動しつつある」

 端的に、ジークフリートは状況を説明する。

『どうやらそのようじゃの。仕方ない! 後は妾に任せよ! この時のために、ヘラスから出張ってきたのじゃからな!』

 通信が切れた直後、雲を割って飛び出てきたのは無数のシュモクザメと鯨であった。青を基調とした艦隊――――ヘラス帝国北方艦隊である。

『ヘラス帝国ばかりにいいところは持ってかせねえぜ!』

 轟き渡る豪快な男の声。初めて聞く声ではあるが、それはジークフリートだけであったらしい。

「リカード艦長ですか」

『ハハハ、ボロボロじゃねえかアルビレオ・イマ! それに『紅き翼』諸君、無事で何よりだ! おっと、帝国の竜殺し殿とは初めてだな! こちらメガロメセンブリア国際戦略艦隊旗艦スヴァンフビート艦長リカードだ。助太刀するぜ!』

 言うや、雲を突き抜けて現れた白磁の艦隊は帝国北方艦隊に比する大艦隊。メガロメセンブリアの正規軍であった。

 さらに、続いて響いたのはアリカの声だった。

『『紅き翼』にジークフリート。そこで休んでおれ! 後は、こちらで処置する!』

 戦場に現れた多数の艦影が、光の球を取り囲む。

 数百からなる大小様々な艦が、まったく同じ文様の魔法陣で光を囲み、押さえ込んでいく。

『魔導兵団、大規模反転封印術式展開! 魔法世界の荒廃はこの一戦にあり! 各員全力を尽くせ、後はないぞ!』

 アリカの号令と共に魔力無効化術式に対する対抗呪文が生成され、瞬く間に光が押し潰されていく。

 大規模な封印術式が、造物主の生み出した光を消し去るのに五分とかからなかった。

 いともあっさりとした終わりだった。激しい戦いに兵は疲れ、地上には艦の残骸がいくつも落ちている。それを見れば激戦だったということは理解できるが、それでも戦いが終わった瞬間に、それまでの激戦がうそだったかのように世界が静まり返ったのだ。

 本当にこれで終わったのだろうかとすら思えた。まだ、敵の隠し玉があって、戦いは継続するのではないかと誰もが脳裏に描いただろう。

 けれど、そのような気配はまったくなく、勝利したという実感が小波のように戦場に広がっていき、やがてそれは大きな歓声となってオスティアの空を満たしたのだった。

 

 




29巻を見ると、リカードが実は怪しい。

まったく関係ないけれどグレースとミコトとナナリーとシビラを二人ずつ覚醒させてみた。

まったく関係ないけれどプリヤがイリヤと関わりないところで非常に面白くなってるというか英霊に変身して聖杯戦争とか新しい切り口。だけど、人間に刺さるわけだからゲイボルクが猛威を振るうよなと思った。


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第二十八話

 多くの人々が詰め掛けていた。

 王都オスティアの王宮前広場には数千からなる大群衆が集い、歓喜の声を上げている。

 振り撒かれる色とりどりの花吹雪。

 祝福の声に包まれて、ナギ、ラカン、詠春そしてジークフリートは歩を進めた。

 戦争終結と完全なる世界の黒幕を倒した英雄として、ヘラス帝国とメセンブリーナ連合の代表名代が左右に並ぶ中、ウェスペルタティア王国のアリカから直接メダルが授与される運びとなったのである。

 墓守り人の宮殿での最後の戦いから二日。

 突貫での授与式となったが、オスティアに暮らす人々と、戦争で共に戦った兵たちが総出でこの式典に参加し、栄光の一部始終を目撃していた。

 そこは英雄たちを称える場であると同時に、世界に対して戦争の終結を宣言する場でもあった。

 おそるべき巨悪の権化たる造物主の存在は、表に出すには危険すぎる情報であるとされて秘匿される方向で話は進められているが、白髪の青年らについては完全なる世界の幹部であると明かされ、墓守り人の宮殿での戦いは基本的に彼ら幹部格との戦いであったという形で報道される流れになっている。また、その戦いにおける映像資料では、宮殿外で激しく戦っていたジークフリートと二人の使徒との激闘の映像が使用されることになったため、さらにジークフリートの知名度を押し上げることとなったが、これに対してはナギは不平不満を漏らしていた。

「受勲式の直後に停戦調印式ね。いいことっちゃいいことだけど早すぎんじゃねえの?」

 受勲式が終わった後、ナギたちはメディアの追撃を躱すべく王宮に宛がわれた一室に逃げ込んでいた。外を歩けば誰もが振り返る英雄となった彼らは、この大群衆の中に割って入って無事では済まないだろう。もみくちゃにされて疲労困憊になるのが目に見えている。

「まずは世界に和平なる、と宣伝する必要がありますからね。今回はそれのいい機会だったのでしょう」

 と、優雅に紅茶を口に運ぶアルビレオが言った。

「両国の正式な講和は諸々の条件を刷り合わせる必要があるからな。基本的には領土や賠償金で方をつけるのが普通だろうが、今回は完全なる世界という裏方がいたからな。無難に戦前の状態に戻す形で講和することになるだろう」

 ジークフリートが言う。

 戦争は終わったが、どちらが勝ってどちらが負けたという戦争ではなかった。帝国も連合も悪くない。悪いのは完全なる世界であるという形にすることで、賠償責任や領土問題は棚上げすることができる。不毛な戦いに疲れているのは民も同じであり、早急な終戦を望むのならば、両者責任なしとするのが手っ取り早い。

 もちろん、物的損害や人的損害は自国で解決する必要があるため今後両陣営共に政治家たちは忙しく走り回る羽目になるだろう。

 それはそれでいいことではあるだろう。

 国のために奔走するのは政治家の勤めではあるのだから。もっとも、成人した直後に冒険の旅に出た自分が政治を語ることなどできはしないのだが。

「平和になるといっても、ただ元に戻っただけというのも……」

 と、話に加わったのは小柄な少年だった。白髪を短く刈り、逆立てているが幼さは隠し切れない。ナギよりもさらに三から四歳は下であろう。この世界の人間は、ゼクトや黄昏の姫巫女――――アスナのように見た目通りの年齢ではないものも多いが、彼は純粋な人間であろう。

「君は、確かガトウの弟子の……」

「高畑・T・タカミチと言います。初めまして、ジークフリートさん」

 そう、聞き覚えはあった。これまで、ほとんど接点がなかったので、存在しか知らなかったが、ガトウと共に水面下で動いていて『紅き翼』の協力者の一人である。戦災孤児として彼らに拾われ、その恩に報い、自らもまた世界のために働くためにガトウの弟子として日々奮闘しているのだという。

「元に戻ったといっても、戦争以前にすべてが戻るわけではありませんよ、タカミチ少年」

 と、タカミチの言葉に答えたのはアルビレオだった。

「この大戦争を経験したことで、多くの人は戦争の悲惨さを学びました。それに、今回は上が悪の組織にいいように操られていたということもありますし、迂闊な戦争拡大論はしばらくは鳴りを潜めるでしょう。世界はほんの少しだけ、前に進んだのです。おそらく、ではありますが」

「おそらく、ですか」

「古来、戦争が消え果てたことはありません。大分裂戦争は終結しましたが、各地での火種は依然として燻っているのが現状です」

「戦争の影に隠れていた問題が噴出するのに、そう時間はかからんだろうな。もともと、この戦争自体も民族間の対立などを煽り立てた結果だ。完全なる世界の者たちは、以前からあった問題に油を注いだだけなのだよ」

 アルビレオの言葉をさらに詠春が補足する。

 戦争は終わり、その元凶も倒れた。しかし、戦争の主体となった帝国と連合との間に横たわる溝は完全に消えたわけではなく、さらに細かな民族問題は何の解決もしていない。戦争という大枠が外れただけで、紛争地域は争いを繰り広げるだろう。世界は平和を知ったが、実現までには至っていない。

「これからどうなるんでしょうか?」

 タカミチは不安そうな顔をする。

「まあ、なるようになるんじゃねえの?」

 とナギは適当な言葉を投げかけた。

「そんななるようにって」

「いや、ナギの言う通りじゃ。世の中なるようにしかならん。どうにかしたいと思うのならば、きちんと努力しなければならん。逆転の目があれば、どうにかなるじゃろ」

 ゼクトがショートケーキを頬張りながら言う。

 どうなるか、というのは結果論に過ぎない。だからこそ、努力によって過程の補強を行っていく。結果をよりよくするために。個人ではどうにもならないというのならば、他者を頼ればよい。そうやって、個々が今を積み上げていくことで、平和に一歩ずつ近付いていく。

 今はそれでいいだろう。

 そこで、ドアが開いた。入ってきたのは、ラカンとガトウだった。

「お、なんだ揃っているようだな。手間が省けてよかった」

「おや、もう時間ですか」

「ああ。ま、一大スペクタクルだからな。特別に、観覧席が設けられるぞ」

 何事か、と思うものは誰もいない。

 これから起こることについては、一般人にも広く知らされているのだから。

 ジークフリートたちは、オスティアの中でも最も高い建物に案内された。巨大なホテルはオスティアの景観と不釣合いな建物ではあるが、同時に近代化の象徴として愛されている高層ビルである。

 その展望室は地上二百八十メートルにあり、王都を三百六十度一望することができる。

 ジークフリートたちがやって来ると、そこにはアリカとテオドラ、そしてリカードがいて、部屋の隅には黒服や鎧に身を包んだ護衛たちがいた。全部で四十人ほどか。世界を代表する立場にいる三人が集うには、護衛の数が少ないようにも思うが、この展望台の広さであればこれだけの人数がいれば十分なのだろう。

「ジーク!」

 ぶんぶんと手を振るのはテオドラだった。

「さっきぶりだ、テオドラ姫」

「ああ、傷ももうすっかり癒えておるようじゃな。よかった」

 にこりと微笑むテオドラは、ジークフリートの手を引いて窓際にまで案内する。地上では多くの人々が高所に集まり、一点を見つめているのが見て取れた。

 その先にあるのは、最終決戦の場でもあった墓守り人の宮殿である。遠く、ここから二十キロほどは離れた場所にある巨大建造物であり、雲の上に浮かんでいるので余計なものに遮られることもなく目視で確認できた。

「あそこで戦っておったのじゃな」

「ああ」

「ジークには、本当にいろいろと助けられた」

「気にするな。自分にできることを自分の意思でやっただけだ」

「そうか」

 ジークフリートもテオドラも、窓の外を見つめ続けている。

 そして、それが始まった。

「墓守り人の宮殿より広域魔力減衰現象を確認! 落下の第一段階が始まります!」

 ウェスペルタティア王国はその領土の大半を空中に浮かぶ島で形成されている。その浮力を支えているのが膨大な魔力である。今回の戦いでは、最後の最後で魔法無効化能力を用いた世界創世の魔法が発動してしまったために、墓守り人の宮殿とその周囲が魔力を失い、地上に落下を始めたのである。

「影響が最小限に抑えられたのは、不幸中の幸いでしたね」

 アルビレオがアリカに語りかける。

「ああ。まさか、ここまで上手くいってくれるとは思わなかった。これについては、お主たちに感謝しても仕切れないな」 

 心なしか安堵したようにアリカが言う。

 本来ならば、オスティアまでもが落下することになったはずだった。そうなれば、多くの人々が土地と財産を失い流浪の民となっていただろう。

 しかし、今回の戦闘で魔力無効化能力の影響を受けたのは幸いにも墓守り人の宮殿とその周囲半径七キロほどのごく一部の空域だけであった。

 儀式完成前にアスナを儀式場から連れ出したことで儀式そのものが不完全に終わり、影響力が極小にまで押さえ込まれたからである。

 結果、オスティアの外れに浮かぶ墓守り人の宮殿の周囲がこれから地上へと落下していくこととなる。

 その一大スペクタクルを、全市民と共に見守るためにこのホテルにやって来たのである。

「始まったな」

 ジークフリートは感慨深い面持ちで、その一部始終を見届ける。

 微細な振動が宮殿全体に広がり、やがて落下していく。あまりにも巨大な物体であるため、傍目から見るとゆっくりと落ちているように思えるが、実際はかなりの速度なのだろう。周囲の島々を巻き込み、雲を散らして地上へと真っ直ぐに落ちる。そして、広域魔力減衰現象に曝された大小様々な島々もまた、下降を始める。自重の関係だろうか。真っ先に落ちた墓守り人の宮殿とは異なり、浮力の減衰に付き従うように沈み込んでいく。それはさながら雲の海に潜っていく鯨たちのようであった。

 オスティアが空中都市であることも手伝って、墓守り人の宮殿の落下での被害は皆無である。猛烈な音が下から聞こえてきたが、この辺りの地上には人は暮らしておらず、念のために事前に避難勧告も出していた。おかげで、犠牲者は皆無に等しい――――少なくとも、行政が把握できる範囲では。

 落下現象は十分ほど続いた。最後の一つが落ちたことで、ぽっかりと空に浮き島のない円形の空間ができあがった。

「終わったか」

「そのようじゃの。いやあ、すごいモノを見た。ふふふ、父上も悔しがるじゃような。もう二度は見れぬぞ」

 テオドラは頬を上気させて興奮気味に言った。

「アリカ。あの辺りはこれからどうするのじゃ?」

「そうじゃな。まだ検討中ではあるが、観光地として応用できぬかどうか……まあ、魔力減衰現象の影響を確認してからでなければ何も始まらんがな」

「そうか。確かに魔法が使えなければ、ただの危険地帯じゃな」

 魔力減衰現象に曝された土地は、魔法すら使えない不毛の地となるとされる。その一方で、歴史的決戦の舞台となった墓守り人の宮殿は世界各国から注目されている。上手く利用すれば観光地として使えるはずである。

 使い方次第では大きな負債にも、大きな収益源にもなりうる。

 歴史と伝統、そして観光業が売りのウェスペルタティア王国にとっては、これをどう使うのかも今後の課題となる。

「おうおう、もう金と政治の話だよ。たく、強かな姫さんだぜ」

「姫ではない。わたしは女王じゃ、筋肉達磨」

「へ?」

 ラカンが茶化すように言うと、アリカは鋭い口調でそう指摘した。

「んん? どういうこった?」

 ラカンは首を捻る。

 ウェスペルタティア王国の元首は、アリカの父親である。故にこそアリカは姫だったのだが――――。

「国王陛下と完全なる世界との繋がりが発覚したのですよ。アリカ様は、半ばクーデターのような形で女王に就任されたというわけです」

「はあ? 何だそりゃ、いつの話だよ」

「三日前のことです」

 アルビレオの説明にラカンやナギが驚いて問い詰める。情報自体が規制されていて、公になっていないのだ。

「明日にも公表はする。戴冠式は暫し先になるだろうがな」

「いやいや、姫さん。つってもよ、そんな王さまがアイツラと繋がってたって、そりゃ大丈夫なのか?」

 政治に詳しくはないナギであっても、さすがに理解はできる。

 完全なる世界の本拠地があった国の王が敵の傀儡だったとなれば、国民はどのような反応を示すだろうか。世界を崩壊させる一助を王家がしていたわけだ。バッシングは免れまい。

「アリカ。それは妾も思うぞ。女王となれば、責任の追及があろう。まあ、お主はこの戦争を妾たちの勝利に導いた立役者でもあるから、何とでも説明はできるじゃろうが」

 テオドラがトコトコと歩み寄り、アリカに心配そうに話しかけた。二人は共に敵に囚われた過去を持ち、共に姫という立場にあった。育った国は違うが、共感するところは多かろう。

「そうじゃな。だが、その辺りは考えてある」

 言って、アリカは遠くを見つめる。

 一呼吸の後に、彼女は口を開いた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ホテル一階ロビーに降りてきたジークフリートを待っていたのは、見慣れた仲間たちであった。

 アレクシア、コリン、ベティ、ブレンダ。成り行き上とはいえ、共に冒険の旅をした仲間である。

「おう、ジーク」

 コリンが親しげに手を挙げる。ジークフリートは小さな笑みで返事とした。

「お偉いさん方との話はもういいんか?」

「別に重要な会話があったわけではないからな」

「高いところから墓守り人の宮殿が落ちるところを見れたんだろ。すげー羨ましいんだけど」

「見れなかったのか?」

 ジークフリートは尋ねた。

 確かにすべての人があの光景を見れるわけではない。テレビを見る余裕すらない仕事中の者は当然、見れないだろう。警備を務めている兵士たちからも、見れなかったことを悔やむ声は聞こえてくる。

「見れたでしょう。それなりにいいところから」

 と、ため息混じりにアレクシアが言った。

「最上階から見たかったってことっすよAA」

「AAじゃありません。……ジークフリートはこれから王宮で晩餐会ではありませんでしたか?」

「そうらしい。テオドラ姫からは出席は義務だと言われていてな」

「当然です。あなたは平和の立役者の一人なのですから。それに、連合出身の『紅き翼』の面々が参加していながら、帝国出身のあなたが出なければ余計な憶測を招きかねません」

「そう、だろうな」

 一瞬、面倒だと思ってしまった。

 もっとも、ジークフリートはもともとネーデルランドの王子である。礼儀作法は時代と国によって変わるので、これから指南を仰ぐところではあるが、こうした場にあって緊張するということはありえない。

 彼も一人の男として相応の名誉欲はあったのだ。今となっては若気の至りではあるが、竜に挑んだ少年時代を振り返れば、かなりの無茶を繰り返していた。今回の栄誉は、あのときの気持ちとはまた別の、もっと落ち着いた心持で受け取ることができたというのが違いではあるか。

 千五百年経って、やっと少しばかり成長できたのではないだろうか。

「貴公らはこれからどうするのだ?」

 ジークフリートはふと気になって尋ねた。

 彼らがジークフリートと共に戦場に立っていたのは、ジークフリートが連合側に寝返ることがないか、また彼の素性が不明であったためにつけられたサポート役兼監視役であった。

 その役目はこの戦争の終結と共に終わる。

「わたしはこれまで通り、テオドラ様をお守りします。まあ、いろいろとありましたし、立場は同じというわけではありませんが」

「何?」

「コイツちゃっかり出世したんだよ。テオドラ様の警備隊の総隊長だとよ」

「本当か? それは目出度いことだ」

 コリンがアレクシアを指差して、茶化しつつ言うとジークフリートは素直に感心した。

 彼女の実力ならば、警備隊の中でも最上位に位置づけられるだろう。それに、テオドラ救出作戦を実質指揮していたこともあり、その忠義と統率力は高く評価されて当然だ。

「ちなみに俺は退役だよ。一応は、今回の働きが評価されて報酬もガッツリ貰えたしな。来月からは大手企業勤めのエンジニアよ」

 コリンが楽しそうに言う。もともと軍には辟易していた彼だ。荒事は苦手だったのだから、もっと平穏無事に過ごせる世界を目指したのだろう。

「もともと声はかけられてたんだが、タイミングがなくてよ。俺もちっと名前が売れちまったから引く手数多ってヤツさ」

「調子に乗ってると、即座に落ちぶれますよ。うちは資本主義なんですから」

「怖いこと言うなよ」

 軍人は命を懸ける仕事ではあるが、一応は公務員である。安定性で言えば、一般企業よりは上であろう。もちろん、企業と公務員の仕事や制度を同列で語るのはナンセンスではある。

「わたしたちは帝国大学に飛び級入学よ」

「皇帝陛下直々に、入学を要請された」

「ふふふ、才能が評価されたってとこかしら」

 ブレンダとベティがそれぞれ濃淡のある口調で近況を報告する。

 彼女たちは特定の分野に於いて突出した才覚を有している。まだ幼いと表現できる年齢でありながら最前線で活躍したことを皇帝が高く評価したのである。もちろん、そこには彼女たちを軍から一時的に引き離すという人道的な配慮もあっただろう。この世界は十四歳ごろにはもう戦争に駆りだされることもあるのだが、彼女たちは才能があるとはいえ、まだ年齢的に足りていない。

「なあ、ジーク。お前はどうなんだ?」

「俺か。俺は、しばらくはこの国に残りそうだ」

「何だって? 帝国に戻らないのか?」

「そうなる」

 ジークフリートは当たり前のように頷いたが、それに反論するのはアレクシアだった。

「確かにあなたは帝国に忠誠を誓っていたわけではありませんが、一応は帝国の所属という形での扱いではあったのですよ。今、あなたに離れられるのは、帝国にとっても損害が大きすぎますが」

「言わんとすることは分かる。が、テオドラ姫の頼みでもある」

「テオドラ様の?」

「ああ。詳しくは彼女自身から聞いてくれ。俺からは説明できないからな」

 テオドラからの頼みであると言われては、アレクシアも黙るしかない。

 ジークフリートの口から説明できないということは、何かしらの機密に触れることなのだろう。となれば、それ以上の詮索はしないに越したことはない。

「じゃあ、これでお別れか。寂しくなるな」

「まったくだ。と言っても、今生の別れではない。またどこかで会えるだろう」

「マジだぜ、それ。俺は一般市民になっちまうから、こっちから会いに行くのは厳しそうだ……まあ、帝都に来たら一報入れてくれ」

「そうしよう」

 快諾する。断わる理由がない。しばらくはオスティアに留まることになりそうなので、次にいつ会えるかは不透明だが、そのときは必ず連絡を入れよう。

「そうですね。ブレンダとベティがお酒を飲める歳になったら、このメンバーで集まってみるのもいいかもしれませんね」

「お、珍しくAAが酒の話をしてる。おお、おお、いいじゃねえの。後、何年だ?」

「三年ってとこかな」

 ブレンダが答えるとコリンが渋い顔をした。

「長くねえか。おい、一年に短縮できねえか?」

「無理に決まってんでしょ」

 と、ブレンダがコリンの脇腹を突く。

 いい歳をした青年が十代前半の少女に小突かれている。互いの雰囲気がいいから、仲のよい兄妹くらいにしか見えないだろう。

「そろそろ、時間でしょう。ジークフリート」

「ああ、確かにそのようだ」

 時計を見て頷いた。

 『黒の翼』などと呼ばれた面々が次にこうして揃うのがいつになることか。

 少なからぬ友誼を交わした仲間である。しばらく会えないのは少々残念ではあるが、再開を楽しみにして今はやるべきことをしよう。

 最後にジークフリートは一人一人と別れを惜しみつつ、迎えの一団と共にホテルを後にするのだった。




剣とか槍とかはクラスによる縛りがあるというのに魔術はキャスターでなくても扱えるという辺りキャスタークラスは不遇。しかも神代の魔術のほうが単純に強いという点でも不遇。場合によってはランサークラスにキャスタークラスが魔術戦で負けるということもあるからなぁ。


次回、最終話予定


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ラストエピソード

長ったらしい拙作に付き合ってくださってありがとうございました。


 墓守り人の宮殿での戦いによって完全なる世界は活動を停止した。指示を出していた幹部たちがすべて倒されたことで、その下についていた者たちも自然と離合集散を繰り返して勢力を弱めていった。完全なる世界の真の目的を知っているのは最上位の者たちだけだった。下の者たちは利用されていただけであり、純粋に悪事を働く者たちが大半である。統制を失った彼らは、瞬く間に司法の餌食となり魔法世界中からその数を減らしていき、歴史の教科書に大分裂戦争の顛末が記載されるくらいになると、すでに過去の話となっていた。

 十年、という月日が世界にもたらしたものは多種多様にある。散発的な紛争はいまだに様々な地で続いていて、問題を残しているところではあるが、大分裂戦争当時からすれば世界的に見ても流血は少なくなっているのは間違いない。

 少しずつ、世界は動揺を抑えていった。

 誰が活動するまでもなく、争いを忌諱する考え方が染み付いてきたからだろう。標語があるわけでもなければ、積極的に平和活動が行われるわけでもなく――――もちろん、皆無ではないが――――一般市民の間に帝国と連合の違いを超えた平和的思想が生まれてきたのは評価すべき点であろう。戦争の当事国同士が、ここまで接近できるようになったのは、皮肉にも完全なる世界という共通の敵があったからであった。

 しかし、それでも完全なる世界の暗躍が世界に落とした影は消えていない。

 もともと、彼らはその活動に於いてほとんど表に出ていなかった。それなのに、戦争が世界を二分するほどに大きくなったのは、もともと戦火の火種が燻っていたからである。民族問題、歴史認識、領土問題、資源、経済諸々の問題を煽ったに過ぎない。故に、戦争が終わっても、こうした諸問題を解決していかない限り不幸の種は残り続けることになる。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

「どぅりゃああああああああ!」

 白磁に輝く闘技場で、模造剣がぶつかり合う。

 そこは、ヘラス帝国の王宮に設置された鍛錬場である。

 今、その中心で金色の少女が黒髪の女性に斬りかかっているところだ。

 刃引きした模造剣は、魔法障壁の前には意味を成さないが訓練にはちょうどいい。甲高い金属音が五回続き、六回目で刃は少女の手から離れた。

「あいたー……」

「まだまだ脇が甘いです。肉体強化をしているというのに、こんなに簡単に手首を捻る人がありますか」

「う、すいません教官……」

「魔力の練りからやり直しです、キャサリン」

 涙目になって手首を摩るキャサリンは、声ならぬ悲鳴を上げる。それを、離れてみていた同世代の友人たちが笑う。

「今笑った人。笑ったからには、かなりのレベルで強化ができるはずですね。見本を見せてもらいましょう」

 静かに告げる教官――――アレクシアの言葉に少年少女は言葉を失い、冷や汗をかいた。

 アレクシアは言動こそ落ち着いているものの、鍛錬の内容はかなりのスパルタだ。ついていけないと感じる者も少なくない。 

 アレクシアの指摘を受けた騎士見習いの候補生たちは、やらかしたことを反省しつつ処刑場に連行される囚人のような面持ちで前に出るのだった。

 

 

 それから一時間後、アレクシアは書庫に向かうために廊下を歩いていた。

 政治の中枢だけあって、行き交う人々は皆生真面目な顔をしている。名のある大学を出た者や、騎士団から実力で成り上がった者など様々な経歴があり、アレクシアはどちらかと言えば後者に当たる。本人の実力も、激動の時代から十年が経った今、Aランクの評価を受けるまでになり、帝国騎士として国家鎮護に当たりつつ、後進の指導にまで駆りだされる始末だ。

「む……」

 ふと、足を止める。

 廊下の向こうに見知った顔があったからだ。

 歩み寄って声をかけた。

「ブレンダ教授にベティ教授。珍しいですね、大学から出てくるなんて」

「嫌味っぽいぞ、止めてよ。アレクシア魔法騎士独立大隊長殿」

「止めてください、それ」

 大人になったブレンダは、かつての無邪気さを内に隠しつつも本質的には変わらないでいるらしい。姉妹で飛び級を重ねて、大学の一部門を任されるまでになった天才なだけあって、今は研究と授業、そして講演活動で忙しい毎日を送っているのではなかったか。

「久しぶりにここに来たから、もしかしたら隊長がいるかもと思って」

 実は昨年に一児の母となったベティは、それゆえか大分落ち着いたように見える。

 十年の間に、ベティらの上官となったことはないアレクシアではあるが、それでも二人は隊長と呼び続けている。よほど愛着があるのだろうか。『黒の翼』としての活動は十年間一度もしていない。世界各国を巡り、立派な魔法使いとして活動を続けている『紅き翼』とは異なり、墓守り人の宮殿での最終決戦の後、『黒の翼』は解散して、表舞台から姿を消した。

「ところで、お母さんがここにいて大丈夫なの?」

「夫が見てるから」

「アイツもさっそく尻に敷かれてるわけか」

 アレクシアは苦笑する。よりにもよって、あの整備士とこの娘がくっ付くことになるとは夢にも思わなかった。十年前の時点では明らかに犯罪である。歳の差七歳。まあ、互いに大人になった今ならば、おかしくもないだろう。

「ところで、隊長が相手してた威勢のいい女の子は、騎士団の新人さん?」

 ブレンダが尋ねてきた。

 どうやら、訓練の様子を見ていたらしい。

 改まって知り合いに見られるのは、気恥ずかしいところではある。

「まだまだ。あの娘たちは候補生。もうすぐ学校を卒業したら、騎士団入りするってくらい」

「なんだ、そう。結構いい感じだったじゃない。力もありそう」

「ジークフリートに憧れて、小さい頃から剣と魔法を振り回してたみたい」

「あー、結構いるよね」

 ジークフリートが世に出て十年が経ち、いまや伝説となった最強の剣士は帝国で根強い人気を獲得していた。この十年の間に、ジークフリートに肖って名付けられる子どもが増えたのがその証拠である。

 アレクシアが手ほどきをしていたキャサリンは、幼少期の一時期をジークフリートと過ごしていたこともあるという点で、影響を強く受けたという。田舎からはるばる帝都の学校に進学し、帝国騎士を目指している真っ最中である。

「ジーク、どこで何してんのかな」

 ベティが呟く。

 最後に会ったのは、披露宴のときだ。それ以来、彼の姿は見ていない。

「殺したって死ぬタマじゃないでしょ、アレは」

「都市伝説みたいになってるからね」

 ジークフリートもまた表舞台から姿を消した。

 放浪の旅を続けながら、今でも人のために剣を振るっているのである。旅の中で手に入れたアーティファクトの能力もあって、彼の目撃情報は極端に少なく、結果、奇跡的な生還劇があるとジークフリートに仮託されて様々な伝説が誕生するまでになった。その中の何割に彼が関わっているか。荒唐無稽な話が多すぎて、判断できないが、ジークフリートの戦闘能力を知っている彼女たちからすれば、そのすべてが真実であっても驚きはしない。

「ちょっと、あれ」

 アレクシアが窓の外に視線を投げかける。

 階下の駐車場に停まる一台の乗用車から、顔を覗かせる無精髭がこちらに会釈をしてくる。

「旦那のお迎えじゃない?」

「みたい。じゃあ、わたしはこれで」

「じゃね、隊長」

「二人とも元気で。あと、あの髭は剃ったほうがいいわ、ぜったい」

 などと軽口を言って、短い戦友との会話を切り上げた。

 あっという間の十年だった。

 この間に世界が変化したかというと、そうも言い切れない。争いは目に見えて減ったが、それは単に見えるだけの大きな戦火がないというだけだ。ヘラス帝国もメセンブリーナ連合だった地域も大戦の影響を拭い去るには十年は短すぎるし、大戦の煽りを受けた周辺地域では未だに紛争が続いている。

 ヘラス帝国としても責任を感じるところであり、紛争地域の治安維持のために軍を動かすことも少なくない。

 ジークフリートも、そんな世界を放浪しているのだろう。根無し草のように世界を巡り、目に付いた争いの中に身を投じて、過酷な戦場で零れ落ちるはずの命を救いあげるために奮闘している。

 音沙汰すらなくとも、それは間違いないと断言できる。縁もゆかりもない他者のために、最前線を駆け抜ける男だ。そして、それに付き合わされて何度死にそうな目にあったことか。

 ジークフリートなら、どこぞでのたれ死ぬようなこともないだろう。ならば、きっとどこかで戦っているに違いない。そう思えるのは、十年の間に培われたある種の信頼によるものだろう。

「ま、テオドラ様にすら連絡を入れないのは、大問題なわけですけど」

 小さく呟いて、どこにいるかも分からない竜殺しを思った。

 せめて一報入れてくれれば、また話の種ができるのに、と少しばかり恨めしく思いながらアレクシアは日常に忙殺されていくのだった。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 墓守り人の宮殿が墜落した場所は大きな湖であった。

 古より空に浮かんでいた巨大建造物は、斜めにかしがりながらも湖面上に島のように立っており、それが十年前の戦いの壮絶さを明瞭に物語っている。

 今、この一帯に暮らす人間は皆無である。

 広域魔力減衰現象の爪痕は十年が経過した今でも、墓守り人の宮殿跡地の周囲半径十キロばかりに刻み込まれている。その内部では、対抗呪紋を施さなければ、魔力が大幅に減衰されるため、一般人の立ち入りは厳しく制限されているのである。

 魔法世界の住人は、基本的に剣と魔法によって身を守る。重火器が発達しなかったのは、魔法という手軽で強力な武器があったために必要とされなかったからであるが、そのために魔法を弱体化させられるこの大地は魔法世界人に対して厳しすぎる。

 だというのに、五人の男たちは草原となった大地を走り抜けている。

 かつては森だった場所も生命力を弱められて一面を草原に変えた。ただ走るだけならば、むしろ草原のほうがいいかもしれないが、この土地では命取りだ。

 彼らの背後から迫る巨大生物。竜種のひとつであり、魔力減衰現象によって鄙びたこの土地に短期間で適応した四足歩行の魔法生物である。

 環境に適応したために、魔法攻撃も魔法防御もほとんど持っていない新種の竜種は、それゆえに強靭な肉体と牙と爪で獲物を捕食する。こうして、魔法が使える外から迷い込んできた獲物は格好の餌食となるだろう。

 封鎖線を乗り越えて、内部に侵入した五人組が生きているのは偏にアーティファクトの効果のおかげだ。減衰空間にあっても多少は機能を果たしてくれるアーティファクトの他に、一部で出回る対抗呪紋処置済みのアーティファクトを組み合わせて抵抗しているからこそ生きていられる。それも、僅かに命を長引かせる程度の効果しかないというのは、本人たちが最もよく理解していることではあるだろう。

「あ……!」

 男の一人――――まだ、少年という程度の年齢である――――が躓いて倒れた。

 そこを逃す野生動物はいない。弱肉強食の世界にあって群れからはぐれるのは致命的である。さらには、弱いものを助けに来る仲間もまた獲物の一つ。

 助けようと足を止めたことで、五人の命運は決したかに見えた。

「あーあ、またやってんのかよ」

 呆れを孕んだ声と共に竜種が衝撃波に打ち据えられて弾き飛ばされた。

「あ、な?」

 助かったこと自体が飲み込めず唖然とする。

 倒れた少年の下に飛び降りてきたのは赤毛の魔法使いだった。

「なんだ、まだガキじゃねえか。冒険者するにも、ここは危なすぎるぜ」

 長い杖を肩に担ぎ、不敵な笑みを絶やさない青年を見て、冒険者の男たちは一様に声を揃えた。

「あんた、千の呪文の男(サウザンドマスター)か!?」

「おうよ。まったく、久しぶりに帰って来たってのに、面倒事を増やしやがって! 全員しょっ引くから覚悟しとけ!」

 ナギは叫ぶや立ち上がった魔法生物に向かって走り出す。魔力減衰空間にあっても、その運動能力は桁外れだ。強化もなしで十メートルを一瞬で走りぬけ、爪牙は躱して頭上を取る。

「影の地統ぶる者、スカサハの、我が手に授けん三十の棘もつ霊しき槍を――――雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)

 全身に刻み込んだ対抗呪紋が淡く輝き、魔力減衰空間に抵抗する。結果、彼の強大無比な魔力は一切の減衰を許されず、咆哮にも似た雷光を解き放つ。

 古代ギリシャ語にて詠唱された魔法が完成するのに二秒とかからない。

 本来であれば、この程度の魔法など詠唱する必要もないんだが、ここは魔力減衰空間である。確実を期しての詠唱は、完全な形で無数の雷槍を形成した。

 ここに力関係は逆転する。

 魔法が使えない土地で、魔法を捨てて肉体のみでの戦闘を選んだ竜種は魔法使いにとって致命的な天敵である。が、しかし同時に魔法を捨てたことで、魔法を使える魔法使いに対しては極めて脆弱になってしまった。

 果たして勝敗は確定する。

 ナギの雷槍に全身を貫かれた竜種は声を上げることもなく沈黙したのであった。

 

 

 

 王都オスティア。

 荘厳華麗なる白き建造物が密集する、美しき歴史の都である。

 美しい街並を窓辺に楽しみながらベッドの上のアリカは羊皮紙を手に取った。ざっと読み、羽根ペンで署名する。

「おいおい、こんなときでも仕事かよ。ちっとは周りに任せていいんじゃねえの?」

 ドアをノックもなしに開けて入ってきたのはナギだった。

「お主が政務を代わってくれるのであれば、それがよいのじゃがな」

「う……いや、俺は実働部隊だしな」

 ナギは誤魔化すように口笛を吹く。

 今年で結婚十年目を迎える二人だが、驚くほどに十年前と立場が変わっていない。

 アリカは女王として国を治め、ナギは王の立場を手に入れながらも立派な魔法使い(マギステル・マギ)として人助けを続けている。苦言を呈する者もいるが、戦争の爪痕を少しでも早く癒そうと最前線で奮闘する王に勇気付けられる者は多い。

 周辺地域の治安の回復は、戦争で少なからぬ被害を受けたウェスペルタティア王国にとっても必要不可欠なものである。

「大臣とか色々といるだろうに……」

 ナギはぶつくさと言いながらも自分が政務を代行できないことを苦々しくは思っている。

 魔法学校を中退してからというもの、戦争の最前線で戦ってきた男である。政治などできるはずもない。基本的に根性論でもあり相性は最悪だ。その点、正反対のアリカとのコンビは両者の短所を補い合うものとなっている。

「俺は、あんたが倒れたって聞いたからとんぼ返りしてきたんだぜ。なのに、蓋を開けてみればベッドの上でまでお仕事中だ。そりゃ、一言言いたくなるってもんだろ」

「む、まあ、それはそうかもしれぬ――――ああ、そういえば禁足地に侵入した冒険者たちを捕らえたと聞いたぞ。ご苦労じゃった」

「おう」

「新種の竜種があの辺りにまで生息地を広げているというのは重要な情報じゃ。また、生態系の調査を拡大する必要がありそうじゃな」

「おう、て、違うだろ! アリカ、お前身体はどうなんだよって話だ!」

「別に騒ぐことではあるまい。ただ、この子が大きくなったというだけなのじゃから」

 そう言いながら、アリカは自分の腹部に手を当てる。

 アリカの腹部は大きく膨らんでいる。衣服もそれに合わせたものを着込んでいるのだ。それはつまり――――、

「何!? じゃあ、産まれんのか!?」

 叫ぶナギに呆れを孕む視線で見るアリカ。

「お主馬鹿か。まだ予定日まであるじゃろう。まあ、多少は早まったかも知れぬがな」

「そうか。まあ、無事ならそれでいいんだ。まったく、言葉足らずにもほどがあるぜ」

 ナギを呼び戻した連絡はアリカが倒れたということだけであった。身重のアリカだ。何があるか分からないとナギはすぐに王都まで舞い戻ってきたのである。

「今のうちにサムライマスターから父親の何たるかを学んでおいたほうがよいぞナギ。そなたも父になるのだからな」

「うーん、そうか。そうだよな。けど、詠春になあ」

 ナギは乗り気ではないという風に虚空に視線を彷徨わせる。

 『紅き翼』もこの十年の間にそれぞれの道を進んでいる。ラカンは地方に隠棲、ゼクトとアルビレオはオスティアの魔法研究所に篭り自堕落な日々を送っている。そして青山詠春は、故郷である日本に戻り、日本における西洋魔法使いの頂点である近衛家に婿入りしていた。すでに四つになる娘もいて、その溺愛ぶりをからかったのは一年前になるか。

 それでも、子どもが生まれるとなれば父親として学ぶこともあるだろう。何せあちらは父親暦が四年になるのだから立派な先輩だ。

「確かコノカと言ったか」

「ああ、そうだったと思う。日本の名前は聞き馴染みがないけど、いい響きだよな」

「わたしたちもよい名を考えないといけないぞ」

「確かにな。ああ、いいぜ。立派な名前を考えてやるよ」

 ナギは笑って答えた。

 まだ名前はいくつか候補を挙げている段階である。決定はしておらず、親の楽しみでもあるので喧嘩したり、笑いあったりしながら決めていくことになるのだろう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 シルチス亜大陸北部の町を襲ったのは、黒尽くめの集団であった。

 辺境の小さな町を根城にした犯罪組織は、完全なる世界の下請けをして資金を集めた武装集団の成れの果てだ。虱潰しに完全なる世界の構成員たちが潰されていく中で、生き残りを図り辺境に身を潜め、そして政府の目を盗んで様々な犯罪を犯す一団の一つ。その中では、表立って動くだけに分かりやすく、直接的な被害も非常に大きい危険な組織である。

 学校を襲撃した五人の犯行グループは、そのまま子どもを人質に立て篭もり、逃亡用のマンタと資金を要求しているという。

 立て篭もりから三日が経ったが、魔法使いとして戦いなれている元傭兵の集団であることもあって地元の軍警察すらも手出しできないでいる。 

「ガタガタ泣くんじゃねえ、チビども!」

 威勢よく大きな杖で机を叩く男が怒鳴った。

 教室の中に集められた子どもは全部で十三人。教師は三人が殺害され、四人は別室に監禁されているというが、人質となった子どもにはそのようなことは理解できず、恐ろしい人が我が身と友人を害そうとしているという程度の認識しか持てないでいた。

 ろくに食べる物もない中での極限状態が三日も続いているのだ。

 すでに子どもたちの中からも命の危険に晒されつつある者が出てきている。

「チッ、何をチンタラやってんだ馬鹿が」

 舌打ちをした男が窓の外に目を向ける。

 学校を取り囲む軍警察とメディアがこちらを見ている。詰め掛けた野次馬も合わせれば、百人は外にいるだろう。どうあっても陸路での逃亡は不可能だ。要求したとおりマンタに乗って国外へ出るしかない。

「どうすんだよ。このままじゃこっちも干上がっちまうぞ!」

 机に腰掛けていた仲間の一人が怒鳴った。

 水はあるが食物がないのだ。子どもはもとより、五人組みの犯行グループも篭城が長引けば不利になると理解できるだけの脳はある。 

 そして男は子どもたちに杖を向けた。

「どいつかぶっ殺せば、連中だって俺たちが本気だって分かるだろ!」

「おいおい、やっちまうのかよ」

「やるっきゃねえだろ! ここまで来たらとことんまで行ってやる!」

 魔力が杖先に集中する。

 子どもの誰かを殺せば、確かに示威行為にはなるだろう。事態の深刻さから相手が交渉に乗ってくる可能性はある。空腹と危機感から思考能力を低下させた暴虐の化身の前に立ちはだかったのは、英雄、ではなく人質となっていた子どもの一人だった。

 言葉はない。

 ふら付く足で立ち上がり、男を強い視線で睨みつけている。声はすでに嗄れ、目には涙の痕がある。それでも、彼は立ち上がって今まさに命を奪おうとしている輩に精一杯の抵抗を示しているのだ。

「んだ、ガキ。てめえ、この俺に逆らおうってか! ちょうしこいてんじゃねえぞ!」

 男の狙いはこの生意気にも反抗した少年に確定した。ほんの一フレーズの呪文で、少年の頭は炎を上げて炸裂することとなるだろう。恐らくは痛みすら感じることはないだろう。死神の鎌は避けようがなく、為す術もなく殺害されてしまう。

 そんな未来を打ち砕いたのは、まったく予期せぬところから聞こえる声だった。

「実に見事な勇気だ、少年」

 驚くべきことに声は男の真横から聞こえた。

 誰もいなかったはずのすぐ隣に、いつの間にか現れた人影。それを正しく認識する前に、杖は叩き折られ、男は顔面を殴り飛ばされて沈黙した。

「あ、え?」

 仲間の男たちもまったく理解ができなかっただろう。突然現れた青年によって、自分たちのリーダー格が殴り飛ばされたのだから。

「な、なんだ、お前! いったいどこから……」

「いや、待て、こいつ見覚えが……」

「て、帝国の竜殺しじゃないか!? なんで、こんなとこにいるんだよ!」

「な、竜……ジークフリート!? 行方不明のはずじゃ!?」

 男たちはその正体を知るが故に動転して武器を取り落としかける。

 竜殺しのジークフリートの武勇伝はもはや伝説という域にまでなっている。黒竜を剣の一振りで殺し、大戦期には『紅き翼』の五人を一人で圧倒、そして完全なる世界との最終決戦では敵地に乗り込み世界を救った英雄の一人でもあった。その名と顔を知らぬ者は魔法世界にはまずいない。当然ながら実力も。彼に挑みかかるとなれば、それはよほどの田舎者か向こう見ずか、それとも背水の陣ゆえに後先がない者かである。

 

 

 

 救出された少年たちは、ジークフリートが助けてくれたと証言した。逮捕された犯罪者たちも口をそろえてジークフリートに倒されたと語る。しかし、誰も彼の姿を見てはいない。突入する瞬間も、救出されたその後も。分かることは誰かが少年たちに危害を加える犯罪者を打ちのめしたという事実だけ。事実は物語りとなり、都市伝説となって世界に広まっていく。

 とうの本人はそんなことには一切構わず、旅を続けていた。

 腕に巻いた布――――強力な認識阻害効果を持つ姿隠しのタルンカッペによって注目を集めることなくジークフリートは新世界と旧世界を行き来して、様々な人々の営みを目に焼き付けてきた。その最中に争いがあれば、介入して悪を挫き、弱きを救うということはしてきたが、果たして望みに叶う戦果を上げてきたのかというと微妙なところではある。

 抑止力の影響で呼ばれたと思しきジークフリートは規定路線を大きく変更させるだけの力はない。がミクロな視点でよりよい方向に導くことはできる。

 あの戦いの後、政情不安を落ち着かせるために一時的にオスティアに滞在したものの、その後は姿を隠して世界の様子を見て回りながら正義の味方活動を継続している。

 姿を隠すのは英雄としての活動ではないからであるが、姿隠しのアーティファクトの効果は戦闘行動には適用されないため、結果的にジークフリートに助けられたという証言は出てしまう。これが、昨今のジークフリート伝説の下地となっているのであった。

 注目を集めるのは嫌いではない。栄誉は好みだ。しかし、英雄として自らを律しすぎた過去があるために、まずは一人の男として世界に関わってみたかった。

 それは行き着く果てのない、巡礼の旅にも似ていた。

 一介の剣士として己が信じた正義のために剣を振るう。自らの願いの通りに十年を過ごし、しかしまだまだ道半ばだ。

 砂漠を渡り、森を抜け、世界の在り様を見て周る。正義とは何かを自問しながら、今、この世界に必要なものは何かを問いながら。

「――――まだまだ先は長いか」

 歩みを止めて、ふと呟く顔には薄らと笑みすら見える。

 正義の味方にはそう簡単にはなれない。

 今はそれで十分だ。

 簡単に至れる道ならば、初めから目指そうとは思わない。

 一呼吸の後に、ジークフリートは衣服についたほこりを払って呟いた。

「さて、行くか」

 準備は不要。この身一つで旅はできる。幸運にも、今のジークフリートを縛るものは何もない。ならば、後は遙かな頂を目指して足を動かすだけだ。

 艱難辛苦の果てに見つかる何かを追い求め、竜殺しの英雄は剣と共に世界を渡る――――。

 




Q造物主はどうなった? 
A死んではいないけど、復活には少々時間がかかる状態。

Qネギま世界はどうなるの?
A根本的な問題は解決していないもののタイムリミットは多少先延ばしになった。広域魔力減衰現象の影響が小さかったことが要因。

Qネギとアスナは?
A麻帆良学園に行くこともあり。オスティアと繋がっているし、現実世界のため魔法世界の勢力が手を出しにくいから。

結論、いろいろと遅れたため、ネギが活躍するのは十代中頃となるだろう。
その際にはジークフリートに弟子入りして最強の魔法剣士となるかもしれない。


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