黒桜ちゃんカムバック (みゅう)
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改訂版
#0 サクラの願いを叶えて下さい


「シロウ、何故……」

 

 彼女の喘ぐような嘆きは、奇しくも私のものと同じだった。

 闇色の刀身を伝って溢れだす命の滴が、漆黒の鎧を紅に染め上げていく。

 墜ちた聖剣を押し返してようやく見えたサクラまでの道程はここで閉ざされてしまった。絶望に塗れた世界に再び灯ったはずの小さな希望の光。それを奪ったのはシロウの迷いであり、そして道具(サーヴァント)である私の怠慢でしかない。

 私たちにこれ以上の奇跡が起こす力がないことは、眼下の血だまりを見れば間違いなかった。

 感情を初めて取り戻したように狼狽するセイバーとは対照的に、赤みを失っていくシロウの顔からは表情が、生気が、一滴ずつ失われていくことが見てとれる。

 

「ライダー、……めん、でも、俺には、ど……し、ても……」

 

 自らの血にむせかえりながら、謝罪をする彼をどうして責められようか。

 サクラを助けるためには、セイバーの排除は絶対に必要だ。それを分かっているからこそシロウは震える指先で取り落としたアゾット剣を拾おうとするが、数センチを掴み上げることすら叶わない。

 宝具の反動で体中の筋肉と血管が引き裂けるような痛みが走り、私の本能に動くなと警告を発している。その上、魔力のほとんどが抜けきって私の体は思うように動かない。

 だが、それがどうした。シロウが倒れてもリンが居る。止めを刺してリンを一刻も早く助ける。私にできることはそれだけだ。

 

「ライダー! 早く私をっ!!」

 

 当のセイバーから発せられた「早くしろ」という悲嘆。崩れ落ちたシロウに聖剣をねじ込みながらも彼女は消滅を望んでいる。大聖杯のバックアップを受けたセイバーの回復力は尋常でないのだ。     

 どうしたら助けられるかなどと、愚かなことに思考を割く猶予などどこにもない。もうすぐアレは、ただの肉塊になる。

 今、私にできることは―――この命の海を踏み越えて、サクラの待つ深淵へと進むことだけだ。

 

 

                ×        ×

 

 

 せめて、リン、貴女だけは――――そう信じて駆け付けた最深部。

 だが私は遅かった。もう、何もかもが手遅れらしい。

 煌めきを失った宝石剣が虚しく横たわっているのを確認して全てを悟ってしまった。彼女の亡骸が残っていないということは影に取り込まれてしまったのだろう。

 リンとシロウが全てを賭けた最高傑作ですら、聖杯に呑みこまれたサクラを引き戻すには至らなかったようだ。

 

「随分と遅かったのね。ライダー」

 

 サクラは白く変色してしまった前髪を掴み上げながら、虚ろな瞳を私に向ける。

 最愛の人と再会することも叶わず、更に自らの手で唯一の肉親を葬ってしまったのだ、無理もない。

 嫉妬、怒り、愛憎、憧憬――――聖杯によって顕在化してきた様々な感情の濁流に呑み込まれて、我を失っていた最近の彼女とは違う。

 今のサクラは私と初めて出会った時の人形の頃、いやシロウと出会う前であっただろう頃に戻っている。

 本当の意味で絶望を知ってしまったのだ。もう自分を愛してくれる人も、止めに来てくれる人はいないのだと。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 洞窟に響くのは冷たい声。彼女は口元だけを歪ませて哂っている。泣きたくて、叫びたくて、縋りたいはずなのに。だが士郎も、凛も既にいない。感情を向ける先がもうないのだ。

 

「ねぇライダー、もう諦めて。わたしと一緒になりましょう?」

 

 打つべき手が分からず沈黙することしかできなかった私に向かって、サクラが蒼白い手を伸ばしてきた。そう、私は今すぐにでもその手をとって彼女を包み込んであげたい。一人で背負いこませてしまった罪を癒してあげたい。独りで呟くように語りかけてきた声に、思わず鎖を手放して駆け寄りたく衝動に襲われる。

 しかし私は踏みとどまった。彼女の腕に纏わり付いて触手のように蠢く影が今にも私を喰らわんとする。サクラが私と共に破滅を選ぶのならばそれに殉じよう。

 だが彼女の罪を認め、共に破滅への道を歩むこと以外に、私ができることは残っていないのだろうか。足りない頭を振り絞ってみるも、辿りつくのは私では力が足りないという結論だ。

 彼女を救うことができるのは姉のリンか、想い人のシロウだけだったのだ。

 ――――いや待て。二人を失って絶望できる程に想いがあったのなら、まだサクラに揺さぶりをかけることができるかもしれない。

 

「シロウが死んだというのに、貴女は何も思わないのですか。サクラ」

 

 主従の再会というのに、私の第一声は主への糾弾というのは哀しいことだ。

 

「馬鹿な人。助けられないセイバーなんかのために無駄死にするなんて。どうせならわたしが食べてあげたかったのに」

 

 セイバーに止めを刺せなかったシロウに侮蔑の言葉が投げられる。それがサクラの本心なのか、強がりなのか。きっと多分その両方なのだろう。

 確かにシロウは愚かだった。だが誰よりもサクラを助けようとした彼の想いが報われなかったことが、そして自分がそんな二人の力になれなかったことが、何より哀しくてたまらない。

 

「間桐桜よ、そろそろ最後の仕上げだ。“この世全ての悪”の誕生を祝福しようではないか」

「えぇ神父様お願いします」

 

 私が言葉を返そうとした所で、ちょうど遮るように現れた言峰神父が生誕の儀式を促した。全く以って厄介な男である。一時は味方だと思っていたがそれは間違いのようだった。アレの生誕を祝おうだなど、この男もとっくに壊れている。

 

「姉さんも先輩も救われない世界なんて滅びてしまえばいいんです。わたしと同じぐらいの絶望をみんな味わえばいいんですよ」

 

 投げやりながらも、サクラは本気でそう言っていた。声を上げて笑いながら――――嘆いている。

 涙すら流せなくなった心があまりにも痛々しくて、それでも今のサクラを救う術を持たない私が忌々しい。

 宝石剣を手に入れても届かなかった。せめてアーチャーか、キャスターが残っていてくれれば魔術や宝具で現状を打破できたかもしれない。しかしサーヴァントで残ったのは私一騎だけなのだ。

 私単独ではこの状況をひっくり返す術は奇跡でも起こらない限り――――――――――――――いや、“サーヴァントである私”には一つだけ“奇跡”が用意されているではないか。

 

「サクラ」

「何、ライダー?」

 

 良かった。私にもまだやれることがある。私には救うことはできないが、祈る権利だけは残されている。

 

「――――救えなくて、申し訳ありませんでした」

「謝ることはないわ。こうなる運命だった、それだけよ」

 

 サクラの下へ一歩、一歩と歩み寄る度に足元から影に侵食され、言葉にならない忌避感に襲われる。しかし私は足を止める訳にはいかないのだ。

 腰元まで呑み込まれた時、ようやくサクラの下に辿りつき、泣き出しそうな顔で微笑む彼女の頬に手を添えることができた。

 

「サクラ、私たちはどこから間違ってしまったのでしょうね」

「わたしが、悪いってあなたも言うの!? お爺様がっ、お父様が、兄さんが、みんながっ、世界の方が悪いのに!」

 

 サクラを否定するような言葉が障ったのか、怒りという形になってサクラの言葉に再び熱がこもる。

 

「事情は知っています。誰が悪いのかも」

「そうよ。でも後戻りなんてできないわ。わたしはただ、先輩と、姉さんと一緒に居たかっただけなのに!」

「ならば、それを願いましょう。サクラ」

「――――え?」

 

 他に縋りつける物がないのだ。これが到底真っ当な願いを叶えるとは思えない穢れた聖杯だとしても、望みを託す他ない。下手をすればもっと大きな悲劇が待っている可能性もある。

 だがそれでも最期の一騎である私は、運命に抗える僅かな奇跡を信じよう。

 短剣の切っ先を胸元に当てる。イリヤが吸収した魂の分を補い、僅かな可能性を少しでも引き上げる手段は現状これしかないのだ。

 

「聖杯よ、此度の聖杯戦争の勝者であるメドゥーサが告げる――――」

「ライダー! まさかあなたっ!?」

 

 サクラが、シロウが救われない世界など、私は認める訳にはいかない。二人は幸せになるべきなのだ。

 

「サクラの願いを叶えて下さい。それが私の願いです」

 

 そして躊躇うことなく私はその刃を心臓に突き立てた。

 

「ぐっ……」

 

 私は元々この世界に存在しない者であり、サクラのための道具。この程度の痛みがサクラの幸せの代償ならば安過ぎるぐらいだ。

 私の言葉に応じるように大聖杯から更なる魔力が溢れ出してきた。首の辺りまで影に貪られ、全てが魔力の渦に飲み込まれて行くのを感じる。混沌とした泥に全ての記憶を犯されながらも、私は最期まで抗い願い続けよう。

 

 ――――サクラ、どうかシロウと幸せになって下さい。

 

 



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#1 手を取り合いましょう

 考えるな。考えてはダメだ。抵抗などしても意味はない。

 仄暗い蟲蔵の中、疲労感で掠れた視界に映るのは、わたしの血肉を喰らおうと足先から這い上がって来る無数のおぞましい蟲たち。

 あぁ、やだなぁ。でも、わたしが“わたし”として生き抜くためには、思考を放棄してこの波に身を委ねるしかない。

 

「はぁ……」

 

 何事も諦めが肝心。肩から抜けていくような溜息が一つ、腐りきった空気の中に溶け込んでいった。陰鬱で退屈な調教は終わらせて、早く先輩の家に行かないと。

 

「明日は何を作るんだろう。確か、冷蔵庫の中身は……」

 

 どうしてだろうか、冷蔵庫の中身が思い出せない。今日の晩も先輩と一緒に作ったはずなのに、何故思い出せない? 

 いや、そもそも――――――――『先輩』って誰だっけ? 得体のしれない違和感を覚えた。わたしは何かを忘れている? 

 

『また腕を上げたな。桜』

 

 そう言ってわたしの髪を掻き上げる柔らかな掌、頬に息の触れる距離、鼻孔をくすぐる暖かな匂い、燦々と陽の降り注ぐ縁側――――――――

 そうだ、先輩の待つ武家屋敷に帰るんだ。

 

 だからここじゃない。

 わたしが帰りたい場所は、居るべき場所は、こんな仄暗い蟲蔵なんかじゃない!

 

「ここじゃない」

 

 それは自分へ向けた決意。

 

「わたしの場所は、ここじゃない!」

 

 視点の定まらない瞳を抉じ開ける。

 だけど、そこに在ったのは言葉にするのもおぞましい、醜悪な光景(蟲の大群)。 

 いやだっ。来ないで……

 

「来ないでっ!!」

 

 影の発現と共に巻き起こる魔力の嵐。弾き飛ばされる蟲たちの残骸が地下室の壁面にへばりつく。肌に触れるモノや、足元に蠢いていたモノたちは影の中に引きずり込み、自らの糧とする。

 やはり最後に頼るべきは力だということを我ながら改めて目の当たりにした。そして再び脳裏に浮かび上がるのは先ほどとは別種の違和感だった。

 

「影が、小さい?」

 

 いや、それだけじゃない。今までは無尽蔵だった魔力の供給が途絶えている。薄汚い蟲から微々たる魔力を得たものの、本来の大きさの影が出せないし、ふた回りほど小さくなったものでも維持がおそらく困難だ。

 それに、だ。何故、桐柳寺に居たはずのわたしが蟲蔵に居る? 何故、わたしは今になってまで蟲に襲われているのだ? 確かにあのとき確かに――

 

「なんじゃ、その魔力は――――まさか、これは『吸収』か?!」

 

 声のする方に視線を向ける。段上から見下ろしているのは伽藍堂な一対の瞳だった。

 矮小な体躯な体躯、カビ臭そうな羽織、杖に体重を預けるシルエット、それは間違いなく殺したはずの間桐臓硯(おじいさま)の姿。

 

「どこまでも生き汚いですね、間桐臓硯(おじいさま)。確かに心臓に居た本体を潰してあげたのに、何でまだ生きて……」

 

 精一杯強がってあの蟲(おじいさま)を睨みつける。正直なところ状況が全く把握できずわたしの頭はパンクしそうだ。

 何故だ。何故あの老害が未だのうのうと生きており、逆転したはずの立場が元に戻って――――

 

「戻って、いる? まさかっ!?」

 

 はっきりしない記憶の糸を伝うと一つの可能性に行きついた。改めて確かめる手足の感覚、華奢になった躯。胸が無くなったとか、少し痩せたとかいうレベルの話ではない。今のわたしは間違いなく幼児のものだ。

 これが真実なら魔法みたいな夢物語だが、おそらくわたしの精神は過去に戻っている。そうとしか考えられなかった。

 

『サクラの願いを叶えて下さい。それが私の願いです』

 

 確かにライダーはわたしのためにあの時そう願った。聖杯の力が作用してわたしの望みを叶えた。そう考えるのが妥当だろう。無意識に蟲に襲われる直前のわたしの過去を変えたいと願ったのだろうか。

 思考に耽ろうとしたところで、ふと現実に意識を戻す。まずはこの状況をどうやって潜り抜けるべきか。  

 確証はないがきっとお爺様の本体はまだわたしの中ではない。蟲に襲われたのは素肌だけで、体の中に巣食っている気配はなさそうだ。

 ならばここの蟲全てを今の魔力だけで殺しきれるか? いますぐ殺すか否か。迷いが出る。

 しかしお爺様の方もどうやら戸惑っているらしい。いつもの余裕の笑みが消えている。虚ろな眼光が一段と鋭くなるものの、戦闘用の蟲を構える様子はない。様子見、ということだろうか。

 

「桜に憑いておるお主、何者じゃ。調教もしておらぬ桜が何故に間桐の力を使える?」

 

 憑いている? あぁ、なるほどそういうことか。その言葉が正しいのなら、今のわたしは小さい頃のわたしに記憶と幾許かの魔力だけが乗り移った感じになっているのだろう。

 

「わたしはあなたの孫の桜で間違いないですよ。お爺様」

「何を言っておる。召喚と降霊に関してわしを謀ることはできんぞ小娘。狙いは桜の肉体か?」

「だから、憑いているわたしも桜ですよお爺様。いや、わかりませんよね。今のあなたの知らない間桐桜なんですから」

「何を言っておるか理解できぬ。率直に答えよ。でなければ……」

 

 痺れを切らしたのかお爺様の足元の蟲たちが脱皮し始め、その幾多もの鋭い牙をわたしに向ける名前は確か翅刃虫だったか。

 戦うか、交渉かの二択。だが戦うにはまだ早い。幸いわたしの体は喰われていないし、上手くいけばお爺様も利用できるかもしれない。なのでとっておきの切り札をここで切る。

 

「第五次聖杯戦争」

 

 蟲の羽音に負けぬよう、お爺様の耳にハッキリ届く声で呟いた。

 

「今、何と言った? まさかお主」

「えぇ。第五次聖杯戦争の勝者がわたしです」

「何を願った?」

 

 何だ、もっと驚けばいいのに。表情一つ変えずに淡々とした口調で先を促される。面白くない。

 

「ふふふ、なんだと思います? そうですね。お爺様への復讐というのはどうでしょう?」

「並行世界、あるいは未来のわしを殺した上で、またお主はわしを殺しに来たというのか?」

 

 歯のない歪な口が更に歪む。この状況において段々と余裕を取り戻してきているようだ。羽蟲の塊を引きつれて杖を頼りに地下室の階段を下り、わたしの下へと歩み寄るお爺様。

 

「ははは、はははは! なんとも愚かな事だ。お主も、お主の殺したという間桐臓硯(わし)もな」

 

 遂に嗤いを声に出してわたしとの距離を縮めていく。

 お爺様が、近い。

 

「だが、もうあと一歩だったのか。十にも満たぬ幼子が急にわしと同類の臭いをさせよるとなれば、お主の言うことにも信憑性が出る。間桐臓硯(わし)は手綱こそ取り損ねたが、お主を余程の器に仕上げたようじゃの」

「えぇ、随分頑丈になるように教えて頂きましたので。耐え忍んで油断した所をプチリとやりました。標本作りと同じで、意外とあっけなかったですよ」

「本気で言っておるようじゃの。しかし、わしを相手にするには今のお主では魔力が心許ないのではないか? ほれ、肩で息をしておるではないか」

 

 不味い。流石に熟練の手練れだけあってこちらの具合は見切られているようだ。でも、また昔のように蟲の傀儡になるのは嫌だ。殺害、若しくは蟲を遠ざける取引をしなければ。

 何か、何か切れるカードはないのか? 未来から来たわたしだからこそ切れる何かが。こちらが差し出せて、相手が欲しがっているもの、願い、不老不死、聖杯。

そうだ聖杯だ。わたしには聖杯何か必要がない。ただ先輩との静かな日常さえあればそれでいい。

 

「確かにわたしはお爺様に対して怨みがあります。十年以上の辛い日々を味あわせたことは絶対に忘れません。ですがお爺様、一つ確認しても良いですか?」

「綺麗な躯のままかということか? それならばお主もギリギリ間に合ったようだのう。実に残念なことじゃが」

「でしたら、今の(・・)お爺様にはまだ(・・)わたしも恨みはありませんね。だから対等な相手として取引しませんか? 」

「白々しい。わしを殺したと吹聴する相手を信用しろと?」

「ふふふ、わたしだって手篭めにされるところだったんですよ。お互い様じゃありませんか?」

 

 伊達に歳を重ねていないか。こういった形での対決は初めてだが中々に手強い。

 

「目的さえ被らずに、利益だけ一致すれば、わたしたちきっと上手くやれると思うんですよ。わたし欲しい物があるんです。それさえ手に入れば他に何も要りません」

「それを手に入れるために協力しろと?」

「そうです。そして対価として聖杯をお爺様にあげます。どうせわたし達には必要ないものですから」

「到底信じられぬ。ならば聖杯を掴んだお主が何故それを願わなかった?」

 

 そう疑われるのも無理もない。確かに殺したい相手ではあるが、当面の利益は一致するのだ。何しろ今のわたしの目的は――

 

「恋人と人生をやり直したかったんです。だからわたしは過去に戻って来ました」

「ほう、恋人か……それ、続けるが良い」

「まだ第四次聖杯戦争は始まっていないんでしょう?」

「あぁ、今から約一年と少し後じゃ」

「その聖杯戦争でわたしの恋人は大きな災害に巻き込まれる。それから救って二人で幸せになりたい。わたしの理由はそれだけです」

 

 おそらく聖杯戦争が原因である大災害さえなければ、先輩はトラウマを負うこともなかったし、魔術師や正義の味方を目指すこともなかった。

 先輩を戦争の余波から守るために早く身柄を確保。そして積極的に聖杯戦争に参加して聖杯を手に入れる。聖杯に興味がない振りをして油断したお爺様を殺す。よし、当面の計画はこれで通そう。

 

「なるほど。お主の心情は理解できぬが、行動原理は理解した。確かにそれならば聖杯は要らぬの。そしてその災害とやらを防ぐためにも歴史の改ざんが必要と、そういうことで相違ないな?」

「ええ。聖杯戦争は今回で終わらせます。あんなものなんて、先輩も姉さんも関わるべきものではありませんから。だからわたしが積極的に聖杯を手に入れる理由もあるけれども、使う理由はありません」

「して桜、お主勝算はあるのか?」

「ええ。幸い準備期間もかなりありますし、お爺様や雁夜おじさん、神────当時のマスターから前回の戦争の事少しは聞いています」

 

 雁夜おじさんは強がるばかりであまり詳しい話は聞けなかったけど、お爺様と神父様からは第四次のマスターである衛宮切嗣のことなどをはじめ、最低限の知識は与えてくれていた。

 

「ふむ、情報のアドバンテージは大きいの」

「しかもその内の二騎は面識もあります。それにお爺様、わたしが聖杯戦争をどうやって勝ち抜いたと思いますか?」

「よほど強い英霊(サーヴァント)を選んだということか? そしてそれを今回召喚すると?」

「英霊にあてはありますけど違います」

 

 聖杯のバックアップがない今は魔力に乏しいために第五次と同じようにはいかないだろうが、いざというときは『わたし』が戦えば良いだけだ。

 ここが勝負どきだ。絶対の自信を前面に出してお爺様を丸めこむ!

 

「わたしがこの(かげ)英霊(サーヴァント)を全部食べちゃったんですよ」

 

 再び影の魔力を起動させる。お爺様の周辺以外の五月蠅く羽ばたく羽蟲や徘徊する地蟲を触手で闇に引きずり込んだ。

 

「ごめんなさい。くうくうお腹が空きましたので、つい」

 

 信用など要らない。互いに利用しあえばそれでいい。ここでお爺様を殺してもきっと遠坂の家には戻れない。

 魔術の家の保護も、先輩の確保も、生きていくための資金もわたし一人ではどうしようもない問題だ。だがお爺様ならその問題を解決できる。最期に出し抜いてやればいいだけの話だ。

 

「先輩さえいれば、わたし聖杯なんて要りませんから――ね。だから手を取り合いましょう? お爺様」

 

 汚い蟲に触れるのは気色悪いが、それでも形として握手のために手を差し出す。

 

「上がれ、桜。今回は見送るつもりじゃったが早急に支度をするぞ」

 

 どうやら最初のステップはクリアしたらしい。わたしの周りの蟲を引き下がらせると、背中を向けてお爺様は階段へと向かっていった。

 わたし、あなたを許した訳じゃないですから。あのときみたいに惨めな姿で苦しむ様、もっと見せて下さい。

 せいぜいその時まで有効に利用し合いましょう、ね。

 



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#2 君が私のマスターか

「臓硯!! 桜ちゃんを聖杯戦争に参加させるだって、本気で言っているのか!?」

「何を今さら抜かすと思えばそんなことか。儂は何も言うておらぬ。言い出したのは桜の方じゃ」

「しらばっくれるな臓硯、何で馬鹿けた魔術師なんかの争いに桜ちゃんが進んで巻き込まれなくちゃならないんだ! 全部お前の陰謀だろう!!」

 

 お爺様と協力体制ができて数日後、雁夜おじさんが戻って来たのは只の偶然だった。話を聞いていると、久々に再会したお母様からわたしがこの家に養子に来たことを知ったらしい。そういえばずっと外国を回っていたんだっけ。

 そんな雁夜おじさんは帰って来るなり感情に任せた剣幕をお爺様に叩きつけているが、当のお爺様は応接間のソファで悠然と腰掛け、ほとんど相手にしていない。

 

「わしは此度の聖杯戦争に勝ち目があるとは微塵も考えてはおらんかった。桜は大事な母胎だからの。ようやく入れた物を簡単に失うような危険を冒すと思うか? 儂はその子か、孫の代にと思っておったのだが。当の桜がやる気のようでの」

「そんな馬鹿な! 桜ちゃん、本当に臓硯に唆されていないのかい?」

「うん、これはわたしで決めたの。だから心配しないで雁夜おじさん」

 

 無理やり表面だけの笑顔を作り、抑揚を抑えて言葉を発する。

 わたしの言葉に叔父さんの表情筋が固まった。相対するお爺様は対照的に、ミイラのような顔に更に深い皺を刻む。愉悦に酔いしれているといったところだろう。

 ごめんなさい。戻ってきてしまった以上巻き込む気は満々です。あの呑んだくれは役に立たないし、お爺様以外の協力者、それも信用できる人間がわたしには必要なのだから。

 

「どうして君がそんなことを」

 

 僅かに震える声を耳にして、胸の奥が締め付けられた。お爺様の視線がおじさんからわたしへと移る。干からびた表情こそ変わらないが、罪悪感に苛まれるわたしの事を見て悦に入っているのだろう。

 

「雁夜おじさん、それは本当なんです」

「無理をしなくていいんだ。桜ちゃん、君は魔術の恐ろしさを何もわかっていない。聖杯戦争がどういうものかもわかっていないんだろう?」

「雁夜おじさん、わたし知ってるんです。間桐の魔術も、聖杯戦争の中身も、全部知ってるんです」

「え?」

 

 雁夜おじさんの顔が再び固まる。視線だけがわたしからお爺様へ移り、そしてまたわたしへと戻ってきた。癪な笑い声をあげてお爺様が煽る。気の毒だが必要な事だ。わたしは“打ち明けられる”全ての秘密をおじさんに明かすことにした。

 

「魔術を捨てた凡俗には理解が及ばぬ、といったところか。良い顔をしておるわ。先を続けるがよい桜。お主の言葉で教えてやれ」

「雁夜おじさん、わたし、未来から来たんですよ」

 

 

                ×        ×

 

 

 

「葵さんが死ぬ……だって?」

 

 わたしが未来から来た事よりも、お母様の死の方が雁夜おじさんには衝撃的だったようだ。口の隙間から洩れる様な音でも、この閑静な応接間においてはわたしの耳に届くのに充分だった。

 わたしはそんな雁夜おじさんに対し、哀しい事実を“必要な部分だけ選択して”端的に伝える。

 

「えぇ、病死らしいですけれど、聖杯戦争でお父様を失った精神的ショックによるものだと思います」

「そんなっ!」

「そして姉さん一人が残されて、お父様の悲願を継ごうと一層魔術にのめり込んでしまうんです。そして最期はサーヴァントなしで一人で戦って……」

 

 死んだ。とは言わずとも察してくれたようだ。掌で顔を抑え込んで俯くおじさんの眉間に力が入っていくのがわかる。

 

「くっ、 時臣、お前になら任せても良いと思ったのに、桜ちゃんをこんな家に送っただけじゃなく、死んでからも葵さんを苦しめるなんて。糞っ! そんなことなら俺がっ!!」

 

 自らの両肘をテーブルに叩きつけながら、雁夜おじさんは頭を抱え込む。わたしの出る幕はない。そんな隙をあの妖怪が見逃すはずはなかった。

 

「くくくっ、雁夜。今からでも遅くはないのではないか?」

「何が、言いたい?」

「遠坂時臣さえおらねば。そう思っておるのだろう? お主自信が手に掛けずともよい。桜の言う結末では犬死にした貴様だが、貴様が生き残れば夫を失った後の禅譲の娘に寄り添えるのはお主しかおらぬのではないか?」

「だが、葵さんを間桐の家に巻き込む訳には行かない! こんなおぞましい魔術に巻き込むことはっ!」

「そのころには間桐の魔術など必要ないんですよ。雁夜おじさん」

 

 お爺様の誘惑に耐えていた所へわたしが追い打ちをかけにかかった。多分、もう少しで堕ちるはず。さぁ、わたしと一緒にどこまでも堕ちましょう? 

 

「お爺様が聖杯を使い不老不死の願いを叶えれば、以降の聖杯戦争は不要。そのための次代の駒を作る必要も魔術の継承も必要はない。そうですよね、お爺様?」

「そうじゃ。故に聖杯を必要とせず、聖杯戦争を終わらせる必要のある桜とも協調を取れる。お主の秘めたる想いもそれと矛盾することはなかろう? さぁ雁夜、貴様は何を選ぶ?」

「――――なぁ、桜ちゃんは、葵さ……お母さんの事をどう思ってるんだい? 俺たちと一緒に暮らした方がいいと思うかい?」

 

 普通、ここでそれを幼児に問いかけるものだろうか。このヘタレ。こういうところがあったからこそお父様に取られてしまったというのに。ここはおじさんに決めてもらわなければ意味がないのだ。

 なのでここはあえて、あからさまに冷淡な受け答えをしてみることにした。

 

「理由はどうであれわたしを捨てた人たちですから、わたしはお父様にもお母様にもあまり興味はありません」

 

 これはわたしの正直な気持ち。お父様への殺意やお母様への恋慕も全くないわけではないが、わたしが欲しいのは最後までわたしの味方であり続けてくれた二人だけなのだ。

 もしくは第四次聖杯戦争でお爺様に抗ってくれた雁夜おじさんは、わたしの大切な人に加えていいと思うけど。

 わたしの願いは“わたしにとって”大切な人とのささやかな日常。それを得るためにはこの戦争に乗じる他はないのだ。だから都合のよい言葉を並べてでも雁夜おじさんをこちら側に引き込む。

 

「ですがこの聖杯戦争で決着を付けることで姉さんが聖杯戦争に参加しなくて済むのなら、そして何よりわたしの恋人を救えるのなら――――もう一度この戦争に身を投じるだけの価値はあります」

「桜の覚悟はこの通りじゃ。さて雁夜、お主はどうする? 純粋に桜に力を貸すか? 己の欲望に忠実になり禅譲の娘を掻っ攫うか? それとも――――」

 

 次でお爺様は止めのつもりなのだろう。全く良い趣味をしている。

 

「また、逃げ出すのか?」

 

 高まる鼓動、固唾を飲む音が隣のわたしにも聞こえた気がした。

 

「くそっ、俺は、俺はっ!!」 

 

 雁夜おじさんの前髪が乱暴に掴まれぐしゃぐしゃになる。その右手の下の表情はもっと酷いものだ。

 

「――――俺の意志で桜ちゃんに力を貸す。その上で葵さんがどうやったら幸せになれるか模索する。だから決してお前の邪な願いを叶える為じゃない。それを覚えておけ。臓硯!」

 

 今にも胸倉を掴みかかりそうな勢いで人差し指を向けるおじさん。少し男らしくなったようだ。

 

「放蕩息子の割には良い答えじゃ。それと、わかっておると思うがの。聖杯を取り逃した際には桜は新たな胎盤になるぞ。よく肝に銘じておくことじゃな」

 

 それがわたしとお爺様が協力する上での条件の一つ。そして雁夜おじさんにこそ告げなかったが、雁夜おじさんがお母様を確保してくれれば、間桐の養子としてのわたしの価値はなくなる。

 万一聖杯を得られなかった場合、または聖杯を手に入れた上でお爺様が間桐の魔術を捨てなかった場合、雁夜おじさんとお母様が結ばれればわたしが苗床になる必要はない。

 まだ子を成せないわたしよりも優秀な実績を持つお母様の方がお爺様にとっても好ましいだろう。そうすれば少なくともわたしは自由の身だ。

 ごめんなさい雁夜おじさん。あなたの恋心、十二分に利用させてもらいます。

 

 

 

            ×          ×

 

 

 

 時は満ちた。一年近い歳月をかけて、やれることは全てやった。

 

 外部から適当な師を呼び一般的な基礎魔術を最低限覚え、主にお爺様の力によってあらゆる手段で魔力を集め、新たなパスも用意し。予備の拠点も十分に備え、財力を生かしてこの時代の最新機器を揃えた。

 そして何より、わたしたちは情報面で最大のアドバンテージを有している。

――――黄金のサーヴァント、二度も召喚されたセイバー、言峰綺礼と衛宮切嗣の存命、アインツベルン城や武家屋敷、倒壊したホテル、燃え盛る街、十年後に再び起こる聖杯戦争。

 わたしの僅かな伝え聞きしかない第四次聖杯戦争、そしてあまりにも鮮明に覚えている第五次聖杯戦争の記録を整理し、あらゆる可能性を先に列挙しておく。

 

 あとは召喚だ。サーヴァントの召喚さえ上手くいけば、わたしたちの勝率はグッと高くなる。

 しかし、その召喚こそがもっとも不確定要素が高く、不安に満ちたものであった。

 最大の問題は触媒だった。わたしがかつてライダーを召喚したエトルリアの神殿から発掘された鏡の他にも、円卓の騎士に縁があるものなど多数の強力なものをお爺様は用意できたようだったが、わたしにはどうしても目当てのサーヴァントが居た。

 もっとも汎用性が高く、わたしの力となり、願いを叶えてくれるそんな存在をわたしは知っていた。しかし彼の召喚において、確実に触媒と呼べるものがなかったのだ。

 用意した触媒は場所そのもの。正直、縁は薄い。しかし召喚されるとしたら彼以外にはあり得ないと思う場所。あとはもう信じるしかない。

 小さな影を召喚して足場にし、雁夜おじさんと二人壁を越えてその目的地へと向かう。お爺様は留守番だ。お爺様とその英霊は敵対する可能性が高い。よってお爺様には間桐の家そのものから離れてもらい、聖杯戦争中はわたしたちとは別行動をとる手筈になっている。酒臭いあの人は万が一足を引っ張るといけないので、邪魔される前に兄さんと共に外へ追い出し済みだ。

 そう、これからはわたしと雁夜おじさんと、彼と三人での戦争になる。

 

 目的の場所へ着いた。入口の鍵は壊すまでもなく簡単に雁夜おじさんが開けてくれた。あくまで一般人としてだが、この一年で色々器用な人になっているようだ。

 靴を脱いで部屋に上がる。藁と安土の泥の匂いが妙に懐かしい。西洋魔術師のくせに、体が覚えているのか、神棚に礼を行う自分が居た。

 時はたてど、体は変われど、心の方はあのときの弓道部員のままのようだ。どうか無事にわたしの召喚が成功しますように。

 

「へぇ、初めて来たけど雰囲気あるなぁ」

 

 雁夜おじさんがシャッターを上げると、月の光が差し込み暗い部屋を淡く灯す。綺麗だ。

 

「またわたしも引きたいなぁ」

 

 射場に立ったのはいつ振りだろう。思わず体が勝手に動き、徒手で射法八節を行う。本当は素引きをしたかったが、こんな体に合う弓は生憎とない。残念だ。

 矢道から通り抜ける冬の澄んだ風がゆらりと髪を揺らした。戦争前で憔悴気味な心を落ち着かせてくれる気がする。

 

「桜ちゃん、悪いけどそろそろ時間だ」

「えぇ。雁夜おじさん、始めましょう」

 

 この場所、かつてわたしが通っていた弓道場を縁にできる英霊は只一人。もちろんアーチャ―だ。

 神父様たちの見立てが間違っていないのなら、先輩に片腕を託したアーチャ―は先輩の未来の可能性の一つ。使う魔術からしても、アーチャ―というクラスであることからしても、そう矛盾はないだろう。

 その推測が正しいという前提を信じた上でリスクを冒してでも、アーチャ―を召喚するメリットは大きい。

 まずは宝具が豊富で汎用性が高く、あらゆる英霊に対して切り札を持てること。 次にアーチャ―として遠距離に徹する場合、実力的に前線に立ちにくい雁夜おじさんやわたしを戦線から遠ざけられる。そしてこれはオマケだが、先にアーチャ―をわたしが呼び出せば、あの黄金のアーチャー、ギルガメッシュの召喚を失敗させることができる可能性もあることだ。

 他のサーヴァントを呼ぶことは許されない。だが未来の英霊であるアーチャ―と縁のあるものなどほとんどなく、武家屋敷かこの弓道場かの二択が最適だという結論に至った。

 武家屋敷をわたしたちが先に買収しておく手段もあったが、おそらく予備の拠点として使われるその屋敷の位置を知っていることで罠に嵌めれるかもしれないと、その案は却下された。

 故にこうして月夜の学校に侵入したわけである。

 

「準備はできたよ。桜ちゃん」

 

 そうこう考えている間に魔法陣の用意ができたようだ。わたしも準備を始めよう。

 腰に両拳をあて、右足を半歩引き体重を後ろに乗せる。そのまま真下にスッと腰を落とし、跪坐(きざ)の状態で射場に座った。

久々の爪先座りは少々難しいが、意識を天へ。心なしか足先だけでなく、胸の辺りにつっかえたものも取れた気がした。

 魔術とは全然関係がない動作だが、心を落ち着かせるにはこれが良い。瞳を閉じ、丹田に息を納め、呼吸を整える。

 

――――わたし頑張ります(先輩)

 

「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 エーテルの奔流が狭い射場の中で吹き荒れる。

 

――――|どうか失敗しないようにわたしを見守っていて下さい《先輩、先輩》。

 

「なんて圧力っ、桜ちゃん頑張れ!」

 

 目を瞑っていてもわかるほどの風圧が襲う。そんな中、雁夜おじさんがわたしの肩を抱くようにして応援してくれている。なんて暖かくて、なんて心強い。わたしはもう独りじゃない、だから折れずに一年間ここまで頑張れた。

 

――――わたしを応援して下さい(先輩、先輩、先輩)

 

 胸が熱い。目の奥が、指先が、体中が熱い。魔力が体中を巡り、火照りが収まらない。集中しなくちゃ。

 

――――わたしに力を貸して下さい(先輩、先輩、先輩、先輩)

 

 大丈夫かな、失敗しないよね?

 

――――わたしやっぱり自信がないです(先輩、先輩、先輩、先輩、先輩)

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 全身を声にならない衝撃が駆け巡る。耐えなくちゃ、これくらいの痛み我慢しなくっちゃ。

 

――――わたし怖くて仕方がないんです(先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩)

 

 そして歯を食いしばりながら詠唱の仕上げに入った。

 

――――どうか助けて下さい(先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩)

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

――――もう一度会いたいです(来てっ、衛宮先輩)

 

 爆発とも呼べるほどの突風が巻き起こり、眩い閃光が月灯りを弾き飛ばした。目を瞑っていてもわかるほどだ。

 しかしあの時も確かこんな感じだった。だから少なくとも召喚そのものは成功だ。後は誰が召喚されたのかが問題だ。

 おそるおそる、わたしは目を開けた。煙が徐々に晴れていく。目の前に立っているのはシルエットからしてライダーじゃない。あの時は気付けなかったけど、今のわたしにはわかる。

 例え姿形が変わっても、恋い焦がれたこの匂いをわたしが決して間違えるはずがない。あり得ない。貴方を想いながら、寂しさを紛らわしながら、幾夜を超えたことか。

 この溢れ出る想いを抑える術を、今のわたしが持つはずがなかった。

 

「やれやれ、まさかこんな幼い子供に召喚されるとはな。予想外も良いところだ」

 

 わたしの知っている先輩よりも少し低くて大人びた声。暖かい声、美味しそうな匂い、服越しに伝わる腹筋の感触がわたしの理性を奪っていく。

 

「念のためだが、確認しよう――――君が私のマスターか、お嬢さん?」

 



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#3 ここで必ず殺すわ

 遂にこの時が来た。大気に満ち溢れる魔力によって新たな体が構成されていき、指先から鼻孔の奥まで徐々に感覚を取り戻していく。

 そして何よりも喜ぶべきは、今この瞬間に自分というものを認識できていることだ。それは今回与えられた役割がいつもと異なることを示す。

 借り物の理想に溺れた挙句、都合のよい掃除屋になり果てた我が身。愚かな去りし日を呪うことが適うのは、いつも全てが片付いて(コロシオエテ)からだった。故に今回の現界は、ようやく永遠の呪縛から解き放たれるチャンスに他ならない。

 こんな知名度もないサーヴァントを喚び出した稀有なマスターは誰なのだろうか。やはり、かつての師でもあった彼女が一番可能性が高いだろう。返しきれない分の恩返しと、様々な趣向返しができることとなれば、胸が躍るという感覚を久々に思い出しそうだ。

 それともう一つ考えられるのは、最悪で最高のパターン。そのときは後悔する間も与えず一刀の下に斬り伏せれば全てに決着が着く。己の身が解放されるにしろ、捉われたままにしろ、それなりの八つ当たりにはなるだろう。

 思考に耽る暇は短い。いつでも投影が可能なように両手を構える。

 晴れゆく白煙に映るシルエットは中肉中背のパーカーを羽織った男のもの。だが、どうにも彼とパスが直接的に繋がっている感覚はない。本命のマスターが居るはずだ。そう思った時、何かが腹部に触れた。

 まさか、こんな少女がマスターなのか? その疑問を即座に打ち消したのは彼女から充分に供給される、滞りない魔力の流れ。

 なんでさ? ――――かつての口癖を喉の奥にしまいこみ、とりあえず暫定マスターの少女に声をかけてみる。

 

「やれやれ、まさかこんな幼い子供に召喚されるとはな。予想外も良いところだ」

 

 これは彼女に対する皮肉ではない。自分の背丈の半分ほどの、幼児と言っても良い年齢の少女が、サーヴァントを召喚し維持している。こんなマスターとの出会いを誰が予想できただろうか。

 

「念のためだが、確認しよう――――君が私のマスターか、お嬢さん?」

 

無言のまま腰にしがみ付いて離れない少女に対して、再度確認を取る。その言葉を受け、少女はゆっくりと面を上げた。艶やかな黒い前髪の先に、何故か雫が滴っていた。恐怖で震えている様子ではない。が、泣いている理由に全く見当がつかず、私は繕った鉄面皮の下でただただ混乱していた。

 

「ずっと、会いたかった……です。先輩」

 

 満面の笑みで迎えてくれた彼女の言葉が理解できず、返す言葉を一瞬見失ってしまった。どうするべきか、自らの事を「先輩」と呼ぶ少女の頭を軽く撫でて場を繋ぐ。

 言葉を表面通り受け取れば、彼女は「エミヤシロウ」という存在を知った上で召喚したということなのだろう。魔術師が儀を行うに相応しいとは到底言えない弓道場で召喚されたことからも、それは察することはできた。

 

「サーヴァント、セイヴァー。汝が声、聖杯のよるべに従い、今ここに馳せ参じた。その上でもう一度君たちに問う。何故、この無銘な存在をわざわざ召喚した? それに私は君のような幼い子に先輩と言われる覚えはないのだが――――君たちは何者なのだ?」

 

 その問いに対して先に応えたのは魔法陣の外で棒立ちしたままの青年の方だった。

 

「はじめましてだ、衛宮士郎。俺は間桐雁夜、君たちの協力者であり、彼女の叔父でもある。そして――――」

「先輩、わたし、間桐桜です」

 

 より強くしがみつく腕に力をこめながら彼女は名乗った。

 あの陽だまりの下、笑顔に溢れた食卓――――靄がかかっていながらも、うっすらと瞼に浮かびあがる景色。英霊となったことでより一層摩耗してしき、ほとんど忘れかけていたはずの穏やかな日常。その象徴たる彼女のことを、名前を聞いてようやく思い出すことができた。

 だがどういうことだ? 今の桜の姿はあまりにも幼い。どう考えても自らと出会う前の彼女のはずなのだ。ますます疑問は浮かび上がっていく。

 

「桜? その姿は一体……本当に君なのか?」

「そう、ですよね……今の姿はこんなですから。でもわたし本当に桜なんです。貴方の恋人の間桐桜です!!」

 

 なんでさ――――再び情けない口癖が漏れそうになった。しかし、そして更に続く衝撃的な言葉が、喉元まで出かかった言葉を堰き止める。

 

「ここから十年後の未来から、先輩を助けるために戻ってきたんです!」

 

 

                ×        ×

 

 

「なるほど事情は把握した。要約するとするに桜。君は幼き日の私を助け出した上で、聖杯戦争そのものに終止符を打つ。それで相違ないな?」

「えぇ。正義の味方なんて、魔術師なんて……先輩には目指して欲しくないんです。ただ普通の幸せを手に入れるためにわたしは戦います」

 

 十にも満たない少女が打ち据えた瞳を向け、ささやかな日常を得るために非日常に身を投じるのだと覚悟を語る。

 それを聞いてしまった今、過去への八つ当たりとしか言いようのない愚かな願いなど、もう既にどうでもよくなってしまっていた。

 

「了解したマスター。たかが弓道場という薄い縁で良く私を喚べたものだと考えていたが、これは運命だったのかもしれないな。奇遇な事に、私の願いも君と同じなのだよ」

「何だって?」

「どういうことです?」

 

 聞き返す二人に向けて、あるいは自らに向けた独白のように――――

 

「正義の味方、英霊などという者を……私は目指すべきではなかった」

 

 憔悴した過去を想いながら、静かに瞼を閉じて言葉を紡ぎ出す。

 

「救いたい者を、救える者をこの手で選択し、そのために他の命を犠牲にしてきた。最初のうちはそれが正しいのだと、それが仕方ないことだと信じていたのだがな。しまいには救った命と奪った命、どちらが多いかわからなくなってしまっていたよ」

 

 きっと今の私は男として、どうしようもなく情けない顔をしているのだろう。瞳を開けて、射場から覗く月を見上げる。一体何の皮肉か、義父へと誓ったあの月と同じ形に思えた。

 夜空へと向けていた視線を二人に戻す。桜は眉を潜めて眼を細くしながら、一方で雁夜は固唾を飲みながら、自嘲を交えた話に耳を傾けてくれている。

 

「いつまでも続く時の呪縛の中、私は何度もその愚かな選択を後悔し続けた。故に聖杯戦争で過去に戻り、自分殺しという矛盾を持ってこの身を解放する僅かな可能性に賭けていた訳なのだが……君の話を聞いて気が変わったよ」

 

 この世界の自ら(エミヤシロウ)の幸せを願ってくれる彼女ならば、この剣と弓、持ちうる技量の全てを捧げるに値しよう。

 

「これより我が剣製は貴女と共にあり、貴女の運命は私と共にあることを誓おう。――――ここに、契約は完了した。よろしく頼む。桜」

「はい、先輩!」

 

 このとき向けられた桜の涼やかな笑顔は、きっとこの世界の私を幸せにしてくれる。そんな確信めいた何かを私は胸に感じていた。

 

 

 

                ×        ×

 

 

 

「すごく……おいしいです」

 

 完敗だ。やっぱり先輩にはまだまだ敵わない。御飯とお味噌汁、ほうれん草のお浸しと卵焼きという何の変哲もない朝御飯。調味料は家にあるものだからそこで差が付くことはないし、わたしの味付けも出汁の取り方も先輩と全く同じだ。

 それでも自分で作った物よりおいしく感じるのは、あの頃の懐かしさと先輩の温かい真心が愛おしいからだろう。口の中で一段と香るお味噌汁が、昨夜の召喚と街中にある拠点の確認で疲れた体に深く染み入った。

 

「桜ちゃんの師匠ってだけあるなぁ。本当に美味しいよ士郎」

「そうか。気に入ってくれたようで何よりだ」

 

 わたしとおじさんの言葉に対し、先輩は少し照れ臭そうに笑った。私の知っている先輩はこんな話し方をする人じゃなかったけれど、彼の纏う空気はやっぱり先輩のものだ。

 

「召喚したばっかりなのに、朝御飯まで用意して頂いてすみません」

「桜、私に気遣うことはない。マスターの体調管理もサーヴァントの務めだよ」

「ゴメンなさい、わたし興奮しすぎて寝不足だったみたいで」

 

 昨夜は興奮して明け方近くまで全く眠れなかった。何故かなどとは言うまでもない。

 一年ぶりなのだ。実に一年ぶりに先輩と同衾できたのだ。無理やり関係を迫るにはこの体は幼すぎて先輩に退かれそうなので、「怖くて眠れない」という実に単純な理由で枕を共にすることができた。

 この体はこの体なりに使いようがあるということだ。唇の一つ二つを奪ったことなども寝像の悪さの一言で片付くだろう。

 

「でも次はわたしも一緒に作ります! 先輩、もっとわたしに色々教えて下さい!」」 

「了解だ、マスター。私の持ちうる限りの全ての技を君に伝授しよう。付いて来れるか、桜?」

「もちろんです! 絶対に付いて行きますから!」

 

こんなやり取りを昔もしてたっけ。えぇ、絶対離しませんよ。

 そして後片付けを済ませると、わたしの部屋で作戦会議を行うことになった。

 

「桜、雁夜、まずは我々の状況を確認しよう」

 

 わたしは無言で頷き、おじさんは「続けてくれ」と促す。

 

「最初に言っておくが我々の陣営は非常に高度な立ち回りが求められる。何故だか分かるか、桜?」

「まず先輩が第四次聖杯戦争に参加することは本来だったらあり得なかったことです。だからわたしたちの持つ未来の情報を的確に使う必要があります」

「そうだ。だが我々の持つ情報はあくまでも未来の可能性の一部に過ぎん」

 

 先輩が目配せをすると雁夜おじさんがその後に言葉を続けた。

 

「だからそれに頼り過ぎてはいけないし、全体の流れを掌握する必要がある――だね?」

「しかし情報というアドバンテージ以上に大きなデメリットもある。」

「わたしの今の体が幼すぎることですね。魔術は別にしても、身体能力的には戦いに全く向いていません」

 

 先輩は無言で頷くと先を続けた。

 

「桜、はじめに言っておくが君は非常に有能なマスターだ。これまでの貯蔵魔力も十分。現在の魔力供給に滞りはないし、私の狙撃に最適な拠点をあらかじめ用意した判断も間違いない。これならば君が前線で戦う必要はないだろう。充分に力を奮って戦える環境を整えてくれたことに心から感謝しよう。ありがとう、桜」

 

 先輩から私に向けられた感謝の言葉が、何度も頭に鳴り響く。地の利と情報力を生かして、一年間用意した甲斐があったというものだ。

 

「いえ、前の戦いのときに一番つらかったのが魔力不足でしたから。それに先輩を召喚することもずっと前から決めていましたので」

 

 お腹が空いてどうしようもなかった日々はもう嫌だった。だからわたしは召喚後もお腹が空かないように、秘密をばらしてまでもお爺様と取引をした。

 以前は影を表だって使い過ぎたせいで大事になってしまったが、お爺様に依頼して蟲で広く浅く愚かな不良などを襲わせ、魔力タンクとしての蟲を保存させてある。

 あとはその蟲を私の使い魔で喰らわせれば補給は完了だ。この方法なら私が動くより隠蔽しやすく、用いる影もごく小さい物で済む。

姉さんの宝石魔術と違って戦闘中には補給できないが、蟲蔵に帰れば思う存分補給できる。お爺様も駒としてはかなり有用なのだ。

 普段のわたしの言動から先輩さえいれば他に何もいらないと、多分お爺様も信じているのだろう。お爺様への殺意を知らず、聖杯は自分にくれるものだと信じ込んで、苗字もわからないこの世界の先輩を探してくれている。

 もし本当に騙されているとしたら馬鹿だ。あの小汚い蟲がわたしに向ける笑顔が逆に愉快でたまらない。お爺様は何にも分かっていない。

 

―――― わたしは“二人とも”欲しいのに。

 

 聖杯は先輩を受肉させるのに使おう。前例もあるのだから不可能なわけがない。そうだ、何の問題もない。

 後は雁夜おじさんの幸せや、お父様の処遇、他のサーヴァントへの対抗案をしっかり練らなくてはいけない。結論を出すには今のわたしには知恵が足りないと判断したからこそ、ここは二人の大人に頼ることにして会議をしている。

 

「――桜?」

「――桜ちゃん?」

「はいっ!? 大丈夫です。お腹いっぱいで、ぼうっとしちゃいました。すみません続けて下さい」

 

 いけない、思考にふけり過ぎて先輩の話を聞いていなかった。二人が心配そうに顔を覗き込んでいる。

 

「――――私のクラスがセイヴァーというイレギュラーであること。これはメリットでもあり、デメリットでもあることは分かっているな?」

「残り枠からクラスが露見しないことがメリットだろ? デメリットは本来のクラスのどこがなくなったのかが分からないこと」

「その通り。よって私に本来適正のあるアーチャ―やキャスターとして振る舞えば他の陣営の情報を撹乱できる。そして他陣営同士の戦闘を誘発させ、必要時には狙撃で漁夫の利を狙う。おそらくこれがベストな動きだ」

 

 いつの間に雁夜おじさんと先輩が話を進めていたようだ。雁夜おじさんは結局一般人のままだけど、聖杯戦争の仕組みについては熟知している。有能とは決して言えない人だが、わたし以外の視点で考えられる味方が居るだけで本当にありがたい。

 

「おそらく神父さんがアーチャ―、先輩のお父さんがセイバーと知っていますから、できるだけ早く残りの情報を埋めたいですね。その上で敵対させる陣営を考えていかないと」

「そうだな桜」

「それよりも士郎、二人で書いてもらったこの紙だけどさ、正直感想言っていいか?」

「――――確かにステータス面ではパッとはしないだろうな」

 

 わたしが見たステータスを写した紙を読んだ雁夜おじさんに対して、籠った声で先輩は答えるのも無理はない。魔力供給に不足がないとはいえ、確かに先輩のステータスはお世辞にも高いと言える物ではないからだ。姉さんにアーチャ―として使われていた頃も、確かこの位だった気がする。

 しかし、イレギュラークラスというのは予想外だった。アーチャ―であれば神父様のサーヴァントを召喚の時点から排除できたかもしれず、遠距離攻撃重視の作戦を取らざるを得ないわたしたちにはアーチャ―クラスは魅力的だったのだ。

 既にどうしようもないことだが、キャスターとしての陣地作成スキルがあれば都合が良かったのにとも思う。とりあえず今のわたしたちにとって穴熊はあまり効果的でなさそうだ。

 でもわたしはそういった思惑以上に先輩が救世主(セイヴァー)としてわたしの声に応えてくれたのが嬉しかった。諦めない先輩の姿にこそまさに相応しい。“わたしの味方”にピッタリではないか。

 しかし先輩と雁夜おじさんの話を聞いていると、やはり二人ともアーチャ―か、キャスターの方が良かったとぼやいているようだった。

 

「だが雁夜よ。聖杯戦争はステータスの高さでは決まらない。私の本領はだな――――」

 

 この後先輩は熱く投影魔術や固有結界について語ってくれた。魔術師としての知識が欠けているわたしやおじさんにとっても、先輩の異常さは驚きの連続だったが、先輩の秘密を知れて嬉しかった。

 見込んだ通り、あらゆるサーヴァントに対しての切り札となりえる彼を召喚した判断に間違いはなかったと、わたしだけでなく雁夜おじさんもそう思っているように伺えた。

 でも同時にふと思ったのだ。剣の世界にたった独りだなんて、先輩の世界のわたしたちは一体何をしていたのだろうか。

 

 許せない。

 

 先輩を正義の味方にした衛宮切嗣が許せない。

 先輩を置き去りにしたセイバーが許せない。

 先輩を魔術の道に引きこんだ姉さんが許せない。

 先輩に覚悟をさせてしまった兄さんが許せない。

 先輩を日常に留めてくれなかった藤村先生が許せない。

 

 許せない。みんなを許せない。

 そして何よりも、先輩の力になれなかったわたし自身が許せない。

 だから改めて誓おう。わたしは絶対に先輩を幸せにする。だからわたしは――――

 

「――――の方がいいよな?」

「あぁそうだな。同盟相手が今の我々には必須だ」

 

 いつの間にか、また二人の間だけで話が進んでいた。いけない、いけない。

 

「桜、以上を踏まえた上で君は誰と手を結ぼうと思う?」

 

 同盟か。これは非常に難しい問題だ。だが未来の情報を考慮し、前々から考えていた最も確実な案を私は推してみる。

 

「わたしの知る第四次聖杯戦争で最期まで勝ち残ったアーチャ―、そのマスターである神父様に協力するべきだと個人的には思います。でもお父様と師弟関係であるうちは手を組めません」

「言峰綺礼――――か。この写真を見ても十年後と顔が違うのだろうな。そういう奴がいたということ以外の記憶が戻って来ないが、このデータを見る限り凄まじい経歴の持ち主のようだな。衛宮切嗣という例外を除けば対魔術師戦に最も長けているとも言えよう。確かに優勝候補ではあるな。だが遠坂との繋がりもある。それにこの男と組むのは――――これはあくまで直観だが、私は止めた方が良いと思う」 

 

 顎に手をあてながら話す先輩は眉を潜め、凄く困惑した顔をしている。おそらく記憶を探っているのだろうが、大人な先輩はいつも冷静な顔だから珍しい。でも雁夜おじさんの反応は違った。

 

「士郎の言うこともわかる。でも実際に未来で最期まで残ったのはセイバーとアーチャーだ。アーチャーと残り二騎になるまで同盟して最期の一騎打ちは理想的じゃないのか? 士郎の能力はアーチャ―の天敵なんだろう?」

「確かにそうなのだがな――」

 

 そう、これが一番理想的な展開だ。

 

「おじさんの言う通りです。それにセイバーを倒せば先輩のお父さんは脱落します。この世界の先輩は“正義の味方”にならずにすみます」

「なるほど。君の言っていることは分かった。だが君の父上をどうにかしなければならないのでひとまず保留でよいか?」

「そうだな。まず時臣が邪魔だ」

「ですね。一度保留にしておきましょう」

 

 とりあえず今の所、決定的な敵対関係さえ作らなければいい。居場所が分かっている神父様なら後でも同盟を申し込むチャンスはあるだろう。タイミング的にはお父様が倒れてからがベストだろうか。

 

「桜、雁夜、これは私個人の意見なのだがな。一時的な協力者はこの二人のどちらか良いと思うのだが、君たちはどう思う?」

 

 そう言って先輩が渡した二束の資料を見比べる。御三家のわたしたちと違って情報も少なく、頼るあても碌にない外来の魔術師二人。わたしと雁夜おじさんは顔を見合わせて同時に指を差した。

 

「ロード・エルメロイか。私もそれは堅実な判断だと思うよ。後は接触方法だな」

 

 彼を選んだのには大きな理由がある。先輩の目的のためにも、おじさんの幸せのためにも、彼女を排除するためにも、魔術師として未熟なわたし達には時計塔の知識がどうしても必要だった。

 終盤に裏切るのも良いが、聖杯の起動の補助や聖杯戦争後の処理を考えると、恩を売っておいたときに役立ちそうだという目論見があったのだ。特にお父様から姉さんたちを奪い返し、お爺様から逃れようとする雁夜おじさんには後ろ盾が欲しくなるのも無理はない。

 わたし達は絶対に幸せになってやるのだ。そのためになら何でもしよう。 そう考えていた時「ごちそうさま」と手を合わせて、雁夜おじさんが勢いよく席を立つ。

 

「よし、それじゃ早速行くぞ士郎」

「あぁ。この皿を洗い終えたら出向くとしよう」

 

 先程長く考え事をしていた間にでも、二人は昼間から出掛けるという話になっていたのだろうか? わたしも慌てて席を立つ。

 

「ごちそうさまでした。先輩、わたしも洗い物手伝います!」

「その小さな体では大変だろう。私と雁夜に任せておけ」

「じゃあ、すみません。お言葉に甘えさせてもらいますね」

 

 確かにこの小さな背丈とおぼつかない手先では逆に邪魔かもしれないと好意に甘えることにした。

 

「それで雁夜おじさん、これからどこに行く予定なんですか?」

「あぁ、教会だよ。俺が士郎のマスターとして登録に行く」

「これならば桜が直接狙われる機会は減るだろう。君自身の魔術があるとはいえ、他の魔術師……特に衛宮切嗣に襲われるのは避けたいからな」

 

 つまり雁夜おじさんはわたしの身代わりだと。そんなことを二人は考えていたのか。

 

「そんな、それだと雁夜おじさんが……」

「何もできない一般人だけどね。これぐらいはカッコつけさせてくれ」

「いざというときは君の令呪があれば雁夜一人を抱えて離脱も容易だ。それに余程の事がない限り雁夜を巻き込む近接戦闘を行うつもりもない。大人を信じろ、桜」

 

 二人がわたしのことを案じてくれている姿に、思わずわたしの心は打ち震えた。ここにはわたしの味方が確かに居るのだ。それがどれほど心強いことか。

 ならば表で動くのは二人に任せよう。蟲の捕食で補給しているとはいえ、召喚と現界でそれなりに負担が大きいのだ。わたしが直接動くのはもしものときで良い。

 先輩を、雁夜おじさんを救うためならば、わたしは闇に潜んでこの忌まわしい魔術の牙を敵の背中に突き立ててやろう。そう心に誓い、二人を笑顔で送り出した。

 

 

 

                ×        ×

 

 

 先輩を召喚してからたった二日で事態は大きく動いた。

 

「お父様が召喚していたのがアーチャ―で、神父さんのアサシンが敗退して教会に保護を求めた――――先輩はこの一件のことをどう思いますか?」

 

 わたしたちは拠点の一つである見晴らしの良い高層ビルに向かう前に、屋敷の応接間で軽い会議を行う。

 昨晩の出来事は衝撃的だった。使い魔からの映像によると、アサシンがお父様の下に単独で忍び込み暗殺を謀ったが、アーチャ―に見つかって敗退。あまりにも予想外な聖杯戦争の初戦闘に対し、わたしたちは何もできないままだった。

 触媒としてお父様が入荷したらしき最古の蛇の抜け殻は、弟子の神父様のためのものだと思っていたため、わたしたち三人ともサーヴァントの組み合わせが予想と違うことにあっけに取られていたのだ。

 そのせいで迷いが出たわたし達は出だしが遅れてしまった。他の陣営は結局動かず、昨晩の戦闘は静かに終わり現在に至る。

 昨夜の戦闘に刺激され今晩は本格的な戦闘が起こるだろうと踏んでいるのだが、時間が許す限り昨晩の出来事について整理をしなければならないと、先輩と雁夜おじさんへ提起した。

 

「そうだな。我々の知識では言峰のサーヴァントはギルガメッシュであったはずだ。もしかしたらわたしたちの知っている過去の情報があてにならない並行世界に来ている可能性を考慮するべきだろう」

「えぇ、それは最悪ですよね」

「そうだね。情報戦における俺たちの強みがなくなってしまう」

 

 残念ながらそうだとしたら、結局わたしたちは過去の情報はあてにせずに戦っていくしかないのだ。だがあえて、わたしは二人に一つ提案をする。

 

「でもこれは好機です。神父様とお父様が敵対していたのなら何の遠慮もいりません。神父様を味方に引き入れましょう。サーヴァントを実際に倒した魔術師はわたしの知り得る限り先輩と神父様の二人だけです。時計塔の人よりずっと頼りになるはずだと思います」

 

 わたしの見事な意見に驚かされたのか、二人が口を開けたまましばし黙り込む。

 

「桜ちゃん。少しは人を疑うことを覚えた方がいいと思うよ?」

「そうだ。倒されたのは気配遮断と単独行動を持つアサシンだぞ。死んだのはおそらくブラフの可能性が高い。何しろアサシンがいなければ他のマスターは暗殺される心配がなくなり油断するからな。アサシンの活用方法としては最高の手の一つだろう。流石代行者、奴は侮れん」

 

 先輩の考察はすごかった。さすが英霊になっただけのことがある。一般人のわたしとは大違い。

 確かにわたしたちみたいに自分の身を守れないマスターからしたらアサシンの存在が最も恐ろしい。これが策かもしれない以上、まだ神父様に協力するのは早計ということか。

 

「それにだよ、俺がアイツの立場で時臣を殺るならそれは最後の最後だ。アサシン単独じゃ他のサーヴァントに勝てない以上、アサシンのマスターの活路はそれしかない。だから士郎の言う可能性以外を上げるなら、時臣の強要だ。アーチャ―の強さを見せびらかして、他の陣営が迂闊に攻めれないようにしたかったとかいうのはどうだろう? あとアーチャーは桁外れに強いんだろ? いくらサーヴァントが強くてもアーチャ―が戦っている間にアサシンに殺されるのが嫌だったから、師匠権限でわざとアサシンを召喚させて無駄死にさせたとか? 時臣の性格だったらあり得ると思うんだけど、どうかな士郎?」

 

 なんか雁夜おじさんも思考が冴えているようだ。お父様のことが絡むと前が見えなくなる人だが、逆にその殺意と力の無さが「どうやってお父様を殺すか?」という命題に対し真剣に向き合わせているのだろう。

 そんな二人を見ていると、わたしって本当に頭が足りないようだ。どうも自分に都合のいい方や、自分の立場からしか物事を捉えきれないようである。

 冷静な二人が味方で本当に良かった。今のわたしは恵まれていることに感謝しなければならないようだ。

 

「ふむ、雁夜の言うことも興味深いな。遠坂時臣の性格を私は知らないが、見栄っ張り、あるいは臆病な魔術師が弟子を利用するならばそういった考えも悪くはない」

 

 先輩はおじさんを褒めるとさらに考察を加え、新たな提案を色々くれた。今回の会議の結論としては、アサシンが生きている可能性を配慮して用心を欠かさないこと、神父様とお父様の協力関係が崩れていない可能性を考慮して、当初の予定通りロード・エルメロイと協力関係を得るチャンスを待つという方針になった。

 

 そして夜、そのチャンスがすぐにやって来る。それも私が望む、ほぼ最高の形でだ。

 

「ふ――――うふふふふ。あなたはここで必ず殺すわ。セイバー」

 



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#4 神は二度までも

「この戦いの行方をどう見る、坊主よ?」

「知る……かよ。落ち、ないように、するだけで、ひ、必死なんだよっ!」

 

 倉庫街で繰り広げられているセイバーとランサーの戦いを眺めるため、冬木大橋の頂の上に陣取ったライダーであったが、そのマスターであるウェイバーは「落ちたくない」「早く降ろして」の一心であり、二人の騎士たちの華麗なる戦いぶりに目をやる余裕など微塵もなかった。

 

「我がマスターながら情けない……」

 

 ライダーはワインを呷り、豪胆に膝を叩いて笑ったり、騎士たちの鮮やかな技に感嘆の息を漏らしたりと、落ち着く様子はない。

 

「どっちでもいいから……早く、決着を付けてくれ、よ。ぐすっ、降りれない、じゃ、ないか……」

「どっちでも良いなどと抜かすな。勝った方が余と戦うことになるのだぞ! だが、どちらも失うには惜しい戦士たちだのぅ。む、ここで決めるのか?」

 

 ライダーの言葉から察するに決着の時は近い。あと少し、耐えれば。ウェイバーの頭の中はそれでいっぱいだ。涙と鼻水が風に流されて顔や髪に付着しようとも耐え抜いた甲斐があったというものである。

 

「おい坊主、さっきのを見たか? いかんぞ。これはいかん」

「見えるはずないだろ。どうしたんだよ?」

 

 ウェイバーの視力ではライダーと同じ光景を見ることなどできるはずがないことを、ライダーは気に留めるはずもない。

 未熟なウェイバーには何が起こっているのかわからないが、これはきっと本当に良くないことだと直感的に悟った。この男も自分と同じく不安や焦りを感じているのだろう。

 

「ランサーの奴が、決め技に出よった。これではセイバ―の奴が――――何だと!!?」

 

 冷静に状況を告げる男の口から突如放たれた怒号とも呼べる猛りの声。思わず萎縮しもっと体の奥底から震えあがるのも仕方のないことだろう。

 ――――殺気。初めてライダーが見せたその険しい眼差しは、自らに向けられたものではないとわかっていながらも、ウェイバーは声一つあげることができなくなっていた。

 ライダーは酒瓶を投げ捨てて立ち上がり、ウェイバーにとって最も待ち望んでいた言葉を告げる。

 

「我らも降りるぞ坊主! このままではセイバーが危うい!」

 

 愛刀で夜空を引き裂くと、突風を伴って彼の戦車が現れた。襟首を掴み、半ば放り投げる形で乱暴にウェイバーを自らの隣の席に乗せる。余程余裕がない状況なのだろう。

 

 

神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)!」

 

 夜空に雷鳴を撒き散らしながら、ライダーは一刻も早くと、二頭の牡牛を駆けさせる。今までにない速度で移り変わる景色にウェイバーは身を竦めながらも、橋の上から解放されたことで若干の落ち着きを取り戻していた。それを察したのか、ライダーも状況を彼に伝える。

 

「アーチャーの奴が、セイバーが負傷している隙を付きおった」

「つまりランサーとアーチャーが組んでいたのか。ほら、やっぱりアレは罠だったじゃないか。そんな所に突っ込んでどうするんだよライダー」

「セイバーに助太刀するに決まっておろうが。馬鹿者!」

「何でそうなるんだよ! セイバーが死ねばこっちも好都合じゃ――――ひぎゃぁあ!」

 

 無慈悲なデコピンに唸るウェイバーを横目にライダーは言葉を続ける。

 

「あれだけの剣士を失うのは惜しい。アーチャーと組したランサーはさておき、セイバーの方は余の部下にならんかと一度声を掛けねばならん」

「はぁ!? そんな事のために――」

「セイバーのマスターを狙ってきたアーチャーをここで逃すわけにはいかんだろ。坊主、自分の身に置き換えて考えてみるが良い」

 

 遮るように放たれたライダーの言葉がウェイバーの胸に突き刺さる。

 最初にアサシンが脱落したことで自らが直接狙われる危険性が減ったことに安堵していたが、遠距離攻撃できるアーチャーがマスター殺しの方針を取ったとなれば話は別だ。その脅威度はどんな魔術師に狙われたときよりも遥かに高い。

 ライダーの言葉からすると、アーチャーを引きずり出す算段が何かあるのだろう。ライダーは馬鹿とはいえ、軍略で歴史に名を馳せた王だ。そもそも彼の思惑に乗るしか選択肢はないのだ。

 ウェイバーは掛ける言葉が見つからず、ただ向かうべき戦場を見つめる。そこが戦場ではなく、屠殺場であることも知らずに。

 

 

 

                ×        ×

 

 

 

「アイリスフィール! しっかりして下さい! アイリスフィール!!」

 

 油断した。ランサーとの戦いに現をぬかして油断していた。肩を揺らして呼びかけながら、セイバーは後悔の渦に捉われていた。

 短槍の罠を受けて左腕を負傷したこと、それだけならばまだ取り返しは付く。だが、それを治癒しようとしたところを一本の剣によって阻まれた。どこからともなく放たれた鉄剣は、アイリスフィールの左太腿を深々と貫いたのだった。

 遠距離攻撃に用いられたのが剣、ということから判断しておそらく例のアーチャ―が相手だということは疑いようがない。どうして敵が他に潜んでいる可能性を考慮していなかったのか。どう考えても自らの失態だと、セイバーは忌々しく下唇を噛みしめた。

 

「大丈夫よ。セイバー、気にしないで。剣は抜いたし止血もしたわ。治癒が得意って言ったでしょう?」

「ですが! しかし……」

 

 セイバーの視線の先にあるのは、赤い花が咲いたように鮮血に塗れた雪色のコ-ト。護れなかったという想いがセイバ―の胸中を駆け巡る。

 

「ランサー、これは貴様の差し金か?」

「違う。俺は知らなかった。だが、先程追い打ちを掛けろと――――」

 

 頭を横に振るランサーの言葉はおそらく真実だろう。第三勢力ならばマスターの下へ帰還させるのが筋だ。追い打ちを命じられたということはランサーの知らない所で同盟が成立していたと見るべきか。

 マスターを狙うのは聖杯戦争の常套手段。衛宮切嗣と同じように考える者が他に居てもおかしくはなかったのだ。

 このピンチをどう凌ぐか、セイバーは過去の経験に則り、高速で思考を巡らせる。

 まず眼前のランサーを倒さなければならないのは自明だろう。自らよりもスピードのある彼が居ては離脱など不可能だ。

 幸い遮蔽物の多い倉庫街、アーチャーに狙われにくい位置へアイリスフィールを避難させて早急にランサーと決着を付ける。その後で切嗣たちの援護を期待しつつアイリスフィールを逃がすのがベストだという判断をセイバーは下す。

 

「ランサー、弁明は要りません。貴方の意志ではないのでしょう。ですが、戯れはここで終わりです。時間がない。次の一撃で決着を付けます」

 

 マスターの援護を受けたのか、既に回復し短槍を回収したランサーは無言で頷くと紅と黄の二槍を清廉に構えた。

 

「アイリスフィール、貴女はそこの物影へ。負傷している所を申し訳ないが、私にも治癒をお願いします」

「かけたのよ。かけたのに、そんな……なんで?」

 

 足に傷を負い、完治していない状態にも拘らず、すぐにセイバーにも治癒魔術を施していたアイリスフィールは、その声も表情も困惑に捉われていた。

 アイリスフィール自信が負傷しているからといって、魔術行使に支障が出るとは思えなかった。おそらくはあの短槍の効果だとセイバ―は悟る。おそらくは呪い。 長槍で鎧を削いだのも、もしかすればこのための伏線だったのだろう。

 致命傷はかろうじて避けたものの、左手の腱が切られ、親指に全く力が入らない。見た目以上にこの傷はセイバーの負担になっている。

 そんな焦燥に駆られるセイバーにランサーは語りかけてきた。

 

「セイバー、我が破魔の――――」

「御託は良い。早く終わらせようランサー」

「あぁそうだな」

 

 セイバーの申し出に応じ、再び構え直すランサー。二人は何度も間合いを測り直し、一撃必殺の刻を見計らっていた。

 徐々に張り詰めていく一触即発の空気、それを切り裂いたのは猛々しい男の唸り声と轟音を伴った雷鳴の軌跡だった。

 

「ALaLaLaLaLaie!!」

 

 この場に姿を見せている者で三騎、このサーヴァントが先程の襲撃者でないのならば四騎が関わる大混戦だ。多数のサーヴァントに狙われる可能性があるこの状況では一つの判断ミスが命取りになる。

 警戒を高めるセイバー達とアーチャ―の間に入った巨漢は、戦車を降りると両手を掲げながら声を上げた。

 

「双方武器を収めよ。王の御前である!」

 

 コンテナが共鳴するほどの大音声が倉庫街に鳴り響く。少なくともすぐに敵対する意図がないことが分かり思わず安堵した。彼がアーチャーに対する抑止力になればという甘い願望がセイバーの心の奥底に湧く。眼を大きく開けたままのアイリスフィールも同じような想いだろう。

 介入者の動向に注意を向ける面々であったが、破天荒な彼はとんでもないことを口走った。

 

「余の名は征服王イスカンダル、此度の聖杯戦争の場においてはライダーのクラスを得て現界した!!」

「そんなこと言ってる場合ですか、この馬鹿はぁあああ!!」

 

 真名をいきなりばらしたライダーに唖然とする一同。セイバーもあまりの出来事に言葉を失う。マスターであるらしき涙目の少年が征服王を召喚してしまったこと心の底から後悔しているのは察するまでもないだろう。

 そしてもっと恐ろしいことをこの巨躯の男は口にしそうだと、この場の誰もが察しているに違いない。

 

「うぬらの巧みなる剣と槍捌き誠に見事であった。実は貴様らを勧誘に来たのだがな……」

 

 ここでライダーは逞しいその胸に大きく息を吸い込み、腹の底から耳をつんざかんばかりの声を張り上げた。

 

「おいこらアーチャー! この誇り高い決闘の中、卑劣にも闇に紛れて女子供を狙うのが貴様のやり方か!!」

 

 それは誰の耳にも届いたことだろう。このライダーがアーチャーの相手をしてくれるというのならばセイバーにとって願ったり叶ったりの展開だ。

 そしてその思惑通りに彼は現れた。街頭のポールの上に眩いほどに輝く黄金色の粒子が集まり、実態を成していく。

 黄金色に輝く髪と全身鎧、全てを射殺すような紅の瞳、その姿は紛れもなくあのアサシンを葬ったアーチャ―に他ならなかった。

 目の前に現れた黄金のサーヴァントからアイリスフィールを背中に庇うようにセイバーは位置取る。尋常でない威圧感を放つこの男は、明らかにライダーをはじめとした自分達に怒りと殺意を向けているようであった。

 

「我が卑劣だと――――この我が貴様ら雑種ごときに姑息な真似をとると思ったか? その自惚れは万死に値する。我の名を語った愚か者の前に、まずは貴様らをこの我が直に断罪してくれよう」

 

 告げられたのは死刑宣告。このサーヴァントは三騎同時に相手をするつもりのようだ。それは決してアーチャーの自惚れではなく、それだけの戦力を有していることは彼の待つ王気からセイバ―は読み取る。

 護るべき対象が居て、なおかつ逃走できる手段も持たないセイバーは三騎の中で最も不利な立ち位置だ。この場でアーチャーと思しきサーヴァントと敵対するのは得策ではないと、慎重に言葉を選んでセイバーは問いかけた。

 

「一つ尋ねますが、先程のこの剣は貴方のものではないというのですか?」

「痴れ者が。我が財がそのような紛い物と同じだと? その身を以って真贋の違いを知るが良い」

 

 セイバーの問いは逆に彼の怒りを増長させる結果になってしまった。そしてアーチャーの背後から波紋と共に三本の剣が現れる。その剣の存在から放たれる神秘はどれもまさしく宝具のもの。さきほど放たれた無銘の剣とは似ても似つかない。

 

「迅く失せよ、雑種」

 

 ただその一言を持ってして、剣群が空を穿ち襲いかかり、目を開けていられない程の爆炎が巻き起こった。

 

 

 

                ×        ×

 

 

「――――生きてる」

 

 ウェイバー少年は今にも止まりそうな胸を抑えて生の実感を噛みしめた。

セイバー、ランサー、ライダーの三騎の力を持ってして襲い来る凶刃を迎撃することができたのだ。だが今の撃ち合いでウェイバーは否が応でも理解した。

 三騎を相手取ってなお余裕のあるアーチャ―、アレは間違いなく最強のサーヴァントであると。

 

「ダメだ。あんなのに敵うわけがない。逃げようライダー」

「坊主、それはちと厳しいぞ」

 

 息を荒げながら眉を潜めて答えるライダー。背中を晒せば良い的である。しかも相手は目の前のアーチャーだけではない。アーチャーの言が確かならばもう一体のサーヴァントが自分達を狙っているはずなのだ。

 これは三対一などではない。三対ニの状況であり、しかも二人の足手まとい付きである。挟撃されれば完全に破滅だ。組んでいるものと仮定していたランサーがアーチャーと敵対していたことが唯一の救いか。

 戦場に向かうライダーを止めなかった決断力のなさ、無力さがこの事態を招いたとも言える。そもそも聖杯戦争に参加しようとした己が馬鹿だったと、ウェイバーは本気で後悔していた。

 そんな彼に更なる絶望が突きつけられる。アーチャーの背後から倍以上の数、十本をゆうに超える数の武具が出現したのだ。それらの発する魔力や神性、呪いに当てられそうになるウェイバー。

 戦車の上で蹲りながら自らの死を確信した彼は、どうにかしてこの場から逃げるしかないのだと考えを巡らせた。

 右掌に感じる胸の鼓動は未だに納まる気配はない。そしてその右拳に刻まれたソレを見た。

 

「そうだ、令呪だ」

 

 三度まで行使することを許されたサーヴァントに対する絶対の命令権。それが持つ効能は単にサーヴァントを拘束するためだけではないをことぐらいは未熟な彼も知っていた。

 

「令呪を使えばアイツが追いつかないところまで逃げ切れるはずだ」

「それはあの数の剣戟をどうにかできれば、だな」

 

 魔力をブーストさせて全速力で離脱。ライダーのクラスだからこそ可能な芸当だ。だが戦車で逃げるにしても出足の無防備さが問題だ。そして他のマスターも令呪を行使できる可能性に思い至る。

 まずマスターが身を潜めたままのランサーは令呪を使えばいつでも離脱できるため、ランサーがこちらと共闘を続ける可能性は最も低い。

 次にセイバーだ。セイバーとそのマスター共に負傷しており、例え令呪を用いてもマスターごとこの場からの離脱は難しいだろう。また、元々セイバ―を助ける形で現れたライダーであるため、すぐに敵対することはないとも考えられる。

 三騎の状況を理解した上でウェイバーにできる提案は只一つ。

 

「ボクたちはこの場を離脱する。だからセイバーのマスター。アンタもコレに乗るんだ」

「え?」

 

 突如投げかけられた救いの声にアイリスフィールは疑問符のついた声を上げる。

 

「代わりにセイバーを囮にして、時間を稼いでもらう。充分に逃げ切れたら後は令呪でセイバーを逃がせばいい。こっちも令呪で加速させるからおあいこだ」

「そ、それは……」

「少しは考えたようだな坊主」

 

 ライダーは感心したように空いている左手でウェイバーの頭を力強く撫でまわす。

 

「それは……私たちは助かるかもしれないけれど、セイバーが」

「原因を作った余としてはこの場で決着を付けれんのは癪だが、二人も足手まといが居ってはのぅ。余だけではない。背中を気にしてはランサーもセイバーも身軽に動きまわれんだろう」

 

 ライダーがアイリスフィールの言を遮って現実を突きつける。ウェイバーとアイリスフィールがいなければ、本来の機動力で剣群を避けながら接敵できるかもしれないのだ。

 

「アーチャ―は絶対に一対一じゃ破れない強敵だ。だからランサー、アンタはいつでも逃げられるだろうけどギリギリまで協力しろ。ダメだと判断すれば撤退すればいい」

 

 サーヴァントという圧倒的な存在たちを前に萎縮しながらも、ウェイバーは震える唇を懸命に動かして、しっかりと意図を伝えるべく言葉を紡いでいく。

 

「上手くやればそっちは令呪を温存したまま優勝候補のアーチャ―を倒せるかもしれないんだ。他の対価なしで共同戦線が組めるチャンス、逃す手はないと思わないか?」

 

 ウェイバーが思いつく限りでこれ以上の手はない。そして時間もない。弄ぶように数本ずつ射出される刃が段々と増えていく。もうアーチャーの背後にある凶弾は数え切れないほどにまで膨れ上がって来ているのだ。

 

「アイリスフィール、私は大丈夫です! だからその提案に乗って下さい!! 切嗣も理解するはずです!」

「撤退のタイミングを主に委ねるという条件付きで、こちらも許しが出た! ここは我らに任せて行けっ!!」

 

 勢いを増す弾幕を捌きながら二騎がライダーたちの離脱を促す。

 

「任せたぞ、益荒男たちよ! そして次にこそ相見えよう!」

 

 太腿を抑えながら無言で立ちつくすアイリスフィールを小脇に抱えて、ライダーは戦車に飛び乗る。それを見計らってウェイバーは令呪に思念を集めた。

 

「令呪を持って命ずる。全速力でこの場から撤退しろっ、ライダー!!」

 

 目がくらむほどに眩く輝く雷光を放ち、戦車は気を失いそうになるほどに急加速する。剣戟と爆音が風の音に混じって遠ざかっていき、次第に目に映る戦場は小さくなって行く。

 

「ライダー、下は今どうなっているんだ?」

「どちらも健在。上手くやっておる。多少傷は負えど、随分と動きが良くなった。お、良いぞセイバーの奴がアーチャーを街灯から叩き落としよった! 」

 

 ウェイバーとアイリスフィールを無事安全圏と呼べる上空まで運べたからか、ライダーの声色にも余裕が舞い戻って来ているようだった。

 

「うーむ、余も彼らと肩を並べて剣を振るいたいのだが、それは次の機会だのぅ。是非とも勧誘せねばなるまいて」

 

 嬉々として戦況を語るライダーの口ぶりにウェイバーは内心ホッとしていた。上手くいけば他のサーヴァントを落とすチャンスだが、あんな提案をして失敗した場合のことなど考えたくはない。  

 それにアーチャーが一番敵対心を抱いているのは間違いなくライダーである。アーチャーが倒れてくれるのならば憂いが減るというものだ。

 それはセイバーのマスターも同じだろうと彼女の顔を横目で見るウェイバー。しかし彼女の顔色は優れない。

 

「どうしたんだ? ヤバいと思えば令呪で逃がしても良いと思うけど……」

「いや、私じゃセイバーを……いいえ、何でもないわ。善戦しているならそれでいいの」

 

 不安げに眼下の爆心地を見降ろすアイリスフィールに疑問を抱きながらも、ウェイバーは力尽きたとばかりに戦車の縁に寄りかかる。

 そんな時だった。彼は見た。静かな夜闇を切り裂き螺旋を穿つ魔弾の軌跡を。

 この状況下でそんなことをするのは間違いなくアーチャーを騙った者以外にありえない。

 暗闇を抉りながら忍び寄る凶弾は不幸中の幸いか、少なくとも自らの方に向いてはない。だが遠目で見ても禍々しいその魔力はもう間近へと迫っていた。目標は間違いなく目下の三騎の内の誰か、もしくは複数。

 そして――――冬木の街全体が目覚めるかと思うような爆音が轟き渡る。ウェイバーはすぐに戦車から身を乗り出して見た。燃え盛る倉庫街の無残な残骸を。

 

「ライダー、今の見えたか? セイバーは? 他の奴らはどうなったんだ!!?」

「いや、爆発が凄すぎて余にも見えんかった。余としたことがまたしても見誤っておったとは」

 

 ライダーは歯噛みしながら、身を乗り出していたウェイバーとアイリスフィールを元の席に戻す。

 

「坊主たち、しっかりと掴まれ。ここも危うい。全速力で離脱するぞ!!」

 

 幸い彼ら三人に追撃の手は掛らなかったが、魔弾の射手の行方や三騎の生存をこのときの彼らに確認する術はなかった。

 

 

                ×        ×

 

 

「あぁ、乙女よ。我が聖処女よ。神の与えた無数の試練を乗り越えた貴女ならば下賤なあの匹夫など取るに足らないものでしょう」

 

 まるで道化を連想させるような黒と紅の服を纏った男は掴みあげた遠見の水晶を眼前に掲げ、目の前の奇跡に狂喜する。

 血が、命が腐り果てたような臭気――――死の匂いの充満する部屋の中で二人の男が水晶に映る戦闘風景を嬉々たる顔で眺めていた。

 

「見て下さいリュウノスケ。ほら、彼女の苦痛に歪む顔も美しい。聖杯よ。この再びの巡り合わせに感謝を!」

「あぁ、すっげぇや青髭の旦那。こんなに素敵なアトラクションなら俺達も気合い入れなくっちゃな!」

「えぇ、今直ぐにでもお迎えに参じなければ」

 

 身を左右に捩らせながら昂る衝動を表現する青髭と呼ばれた男、キャスターに、リュウノスケと呼ばれた若い青年が一つ提案を出す。

 

「なぁなぁ旦那。その愛しの彼女さんにプレゼント持ってくのはどうかな? この前作ったとびっきりのヤツを持って行けば喜ん――」

「あぁああああああああ!!!!!!」

「――でくれると思わない、かい? って……」

 

 手元で弄んでいたナイフを畳みこみ、絶叫しながら急にしゃがみこんだキャスターに声をかける。

 

「どうしたんだい旦那ぁ。急にテンション下がっちゃって、何かあったの?」

 

 青年はキャスターが涙ながらに見つめる水晶の映像を覗く。

 

「何これ、青髭の旦那。すげぇ燃えてんじゃん」

「ジャンヌが……聖処女が……」

「旦那? ねぇ旦那? もしかして――」

「我が運命の乙女が、聖処女が、遂に復活を遂げたというのにぃいいいいいい!!」

 

 水晶を壁にかかった作品に投げつけて、キャスターは怒りに身を任せる。今までにない程の形相に青年も声をかけるのを躊躇ったほどだ。

 身を焦がすほどの希望が絶望へと切り替わった彼の嘆きが、死臭漂う闇に鳴り響く。

 

「聖杯は私を選んでいたのではなかったというのか? 神は二度までも、二度までも、彼女を見捨てるというのかぁあああああああああ!!!」

 

 運命の悪戯により導かれた彼は、冬木の街を真なる恐怖で埋め尽くさんとしていた。

 こうして更なる悲劇の幕は開けた。平穏なる朝は、誰が考えているよりも遥かに遠い。



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#5 正義の味方だからね

 温度を失った目で虚空を見上げた彼は、ただその一言を告げた。

 

「逃がさんぞ、雑種」

 

 まずい。自分に殺意を向けられているわけではないのにも関わらず、背中に冷や汗が走った。緊張のためなのか、うまく力の入らない柄を無意識に握り締め直してしまう。

 アーチャーの背後に現れた無数の武具のうちの一つである白銀の魔槍が旋回し、月の光に照らされた矛先が私たちではなくアイリスフィールたちに向いてしまった。

 まずい、まずい。思考を走らせる暇などない。

 あれが上空へ撤退しているアイリスフィールたちに向けて射出されれば、空を駆ける術を持たない私には迎撃手段がない。

 射出されるよりも早く仕留めろと、過去の経験と直感が警鐘を鳴り響かせる。最悪でも注意を惹きつけてあの槍を私に使わざるを得ないようにするしかないのだ。

 

「うぉおおおおお!!」

 

 猛りと共にありったけの魔力を放出する。

 迷わず、怯まず、ただひたすらに、真っ直ぐと私は最短距離での突進だ。

 熱風に弾かれ、爆ぜるアスファルトやコンテナの破片に阻まれながらも、それでも愚直に前へ。

 

「どこまで凌ぎきれるかな? 雑種たちよ」

 

 口元だけを歪に吊り上げて嗤うアーチャー。未だに槍を投樀しないのは、私たちの意図に気付いているからこそなのだろう。その面は愉悦の朱に染まっていた。

 

「まだだ。やれるな、ランサー?」

「ふっ、愚問だ。セイバー」

 

 肩を並べて双槍を振るうランサーはその美しい魔貌に傷を負いながらも、歩みを微塵たりとも緩める気配はない。

 なんて頼もしい。大丈夫だ、二人ならやれると、どこにも根拠のない自信が胸の奥から湧いてくる。

 そう、かつて共に戦場を駆け抜けた円卓の騎士たちがまだ揃っていたあの頃のように。

 

 ――――ならば怖れるな。そのままだ。進め。

 

 その足で五月雨の如く降り注ぐ魔剣の群れを抜けろ。

 ランスロットのような巧みさも、ガウェインのような高潔さも、モードレッドのような妄執も、トリスタンのような正確さも、無造作に扱われるこの武器たちからは感じ取れない。

 如何に優れた武具なのか、価値も解せずに玩具の如く扱う者に、騎士として破れる訳にはいかないのだ。

 

「騎士をッ、舐めるなぁああああ!」

 

 そうだ。魂のない剣など、意志のない槍など怖れるまでもない。

 剣を十全に振ることが叶わないなら、もっと強く魔力を放って足りない力を補えばいい。

 あのような鈍など、弾き飛ばし、叩きつけ、そしてねじ伏せろ。

 

「我は疾く死ねと命じたはずだ!」

 

 舌打ちと共にほぼ真上から垂直に投下される狂斧。

 右足を軸に更に魔力放出し、上体を独楽の如く回転して避ける。

 そして、そのままの勢いで街灯のポールを水平に薙ぎ払った。

 足元が崩れれば一瞬でもその集中は乱れるはずだ。

 

「この痴れ者共がっ……!!」

「その首、俺が先に頂くぞ。セイバー!」

 

 後方に宙返りながら着地しようとするアーチャーに対し、ランサーは追撃を掛けるため肉薄する。

 今までの余裕の笑みから一転、怒気を顕わにしたアーチャーが最後に残した白銀の槍をこちらに向けた。

 

「貴様らは万死に値するっ!」

 

 爆撃のように荒々しい一撃を、ランサーは転がるようにしてその余波に吹き飛ばされながら寸での所で回避していた。

 致命傷までは負っていなくとも、その煤けた身体にはダメージが蓄積しているのだろう。両肩を激しく上下させて息を整えようとしている。

特にここに残る必要のないランサー陣営としては、このあたりが撤退するべきタイミングということは誰の目から見ても明らかだ。

 そして無事にアイリスフィールを離脱させた私もここに残る意味は薄い。少なくとも面構えの変わったアーチャーに対峙するリスクとは釣り合うものではない。

 いつまでもこない撤退命令に痺れをきたし、切嗣に撤退を進言しようとしたときだった。

 

『衛宮切嗣の名の下に令呪を以てセイバーに命ずる――』

 

 あの卑劣な男は飛んでもないことを口走った。

 

『――ランサーを切り伏せて速やかに撤退しろ』

 

 私の真名を知りながら、騎士の誇りを足蹴にするような事を躊躇いもなく言ってのけた。ランサーはアイリスフィールの恩人でもあるというのにも関わらず、この男は、この男は……!!

 悔しいが私の耐魔力を以てしても、令呪の強制力に身体は逆らうことを許されない。しかし――

 

「避けろっ、ランサー!!」

 

 この心まで縛られてたまるものかと、剣を振り降ろしながらも声を発する。

 その声に気付いたランサーは無事二本の槍を交差させて受け止めた。

 

「急にどうしたセイバー! 敵はアーチャーのはずでは……まさか!?」

「すまない、ランサー!」

 

 腕を押さえ付けようとするが、私の剣は再びランサーに斬りかかろうとしている。

 止めろ、止めてくれ! どんなに心が抵抗しても身体は操り人形と化してしまっているのがあまりにも情けない。

 彼のマスターに潮時だと判断されたのだろう。再び彼の槍と交差しようとしたところで、ランサーは風に溶けるように姿を消し、剣の軌跡は虚しく宙を切った。

 

「死に臆して、気が触れたか?」

 

 コンテナに足場を変えたアーチャ―が再びあざ笑うかのように語りかけてくる。この戦場に残っているのは私と彼の二騎だけだ。

 私も今直ぐに離脱しなければならない。肌を刺す圧迫感が一秒刻みで増していく。しかしこの体はいつまで経っても別の場所に転移されるような気配はなかった。

 それどころか私の身を襲うのは別の痛み。答えは考えるまでもない、令呪に逆らった反動だ。

 斬り伏せるべきランサーが居ないのなら撤退する要件を満たさない。霊体化のできない特別な事情のある私は、令呪以外に安全に離脱する術を持たないのだ。

 そしてそんな事情をアーチャーは解さない。声が出せない程の痛みが襲われている私に、微塵の容赦もなく凶刃を投げつけてくる。

 切嗣はこのミスに気付いているのだろうか。それともこの処刑場で、無様なダンスを一人舞っている私を笑っているのだろうか。

 

『セイバー、撤退だ! 撤退しろっ!!』

 

 ようやく耳に届いた新たな令呪の撤退令すらも、今の私は受け入れることができない状態だ。既にもう遅い、そういうことなのだろう。

 いつの間にか右膝から下は肉片と化し、もはや痛みという概念すら私には理解できない。右側の体重の支えを失った私は、重力に任せて堅いアスファルトのベッドに沈み込む。

 

「アイリスフィールは、無事、逃げられたでしょうか……?」

 

 霞みゆく視界にライダーたちの影はない。

 そして安堵の息と共に突如現れたのは、煌めく一条の彗星。

 

「もし次があるのなら、私は……」

 

 星に祈りを捧げることは叶わず――――――――――――――世界は白炎に包み込まれた。

 

 

                ×        ×

 

 

「セイバーが負けたのは僕のせいだ」

 

 深夜のバーガーショップでポテトを頬張りながら、切嗣は一人悲観に暮れていた。熱を失い萎びてしまったポテトはまるで誰かの情けない姿を連想させる。そして無駄に効いている塩味が口内に後味悪く残っていた。

 最優のクラスであり、あのアーサー王である彼女が負けてしまったのは間違いなく自分のミスだったことを認めざるを得なかった。

 なぜランサーにセイバーが傷つけられた時点やアイリがキャスターに狙われた時点で撤退させなかったのか。アイリと同じく狙撃を警戒されたランサーのマスターが霊装を纏うよりも早く、こちらから狙撃を実行しなかったのか。そして何より、撤退に使うべき令呪をあの崇高なる騎士が躊躇うことに使ってしまったのか。

 氷で薄まったコーラを含み、口内に纏わり付くポテトの残骸を洗い流しながら、その考えに至った過程を思い返す。

 アイリとライダーのマスターという足手纏いが居なくなり、セイバーとランサーの刃は後一歩でアーチャーに届くところまで来ていた。

 切嗣にとってアーチャーは確かに強敵ではあるが、典型的な魔術師である遠坂時臣は魔術師殺しにとって格好の標的でしかなく、アーチャーも莫大な魔力を必要とすることが想定されるため、単独行動スキルも大した効能がないと侮っていた。

 よって切嗣にとってのアーチャー陣営とは、この場で倒せればラッキー、とりあえず遠坂時臣の魔力を大幅に削れれば良いという程度の認識だったのだ。

 それよりも厄介だったのがランサー陣営だ。セイバーの負った不治の傷を癒すためにもランサーの早期排除は必要だった。即ちアーチャーよりも討伐の優先順位が高いと判断した故に、ランサーを襲撃するように令呪で命じた

 しかし令呪に抗うという計算外の結果が起こり、ランサーに撤退され、二度目の令呪も間に合わずセイバーを失ってしまう。これはアイリの忠告に従ってセイバーとの意志疎通を図っていれば防げたのかもしれない。

 全てが自分のせいであることは自明だった。七騎中の五騎が関わる混戦であったとはいえ、どこにも擁護されるべき点はない。

 

「所詮、砂の城だった、ということか……」

 

 聖杯の器であるアイリはライダーと共に連れ去られたが、逆に安心していた。むしろ腑抜けすぎて、バンズからはみ出したピクルスをもぞもぞと食んでいる余裕があるほどだ。

 ライダーのマスターは元々セイバーとランサーの戦いを止める目的で介入したと考えられる上に、令呪を用いてまであの状況から離脱させてくれたのだ。彼やあの破天荒なサーヴァントがアイリを手荒に扱うことはまずないだろうと踏んでいた。

 それにこの聖杯戦争ではサーヴァントを失ったマスターも、新たなサーヴァントと契約すればマスターとして復帰することも可能だ。

 それを懸念した魔術師がアイリを狙ってくる可能性もあるが、非力な自分よりサーヴァントの傍の方が安全だ。自然にそう考えられる位に切嗣は卑屈になっていた。

 負傷していてもアイリは治癒が得意であるし、発信機でアイリの現在位置はわかるので既に舞弥に監視させている。いざとなったら舞弥と共に奪還すればいい、と彼らしくもなく楽観的なことを考えていた。

 

「僕が世界を救うなんて、きっと高望みだったんだ。アイリとイリヤと3人でどこかへ逃げだしても良いかもしれないな」

 

 他に客の居ない喫煙席で今まで考えもしなかったことを口にする。いっそのこと自分達だけが幸せになるのも悪くないのかもしれないという考えに至る切嗣。

 当初の計画通りホテルごと爆破して、ついでにランサーのマスター権を奪えば聖杯を手に入れるチャンスはあるが、それだけの気力は彼には微塵も残っていなかった。

 

「明日だ。明日アイリを迎えに行こう」

 

 自らの命を捧げる覚悟で付いて来てくれた妻に、どういった顔で会えば良いのか彼には分からない。結局彼の下した結論は後回しという逃避行動だった。

 

「正義の味方はもう廃業かな」

 

 空になった容器をトレイごと脇に寄せ、カウンターでうつ伏せる。店の人から嫌がられるかもしれないが、少し寝れば嫌な夢も忘れられるかもしれない。そう思った矢先であった。

 

「なんだ? この魔力は……かなり近い!?」

 

 あれだけの激戦があったのだ。魔力消費を考慮すればこれ以上暴れるサーヴァントがいるとは思えなかったが、あの四騎とアサシンを除けば残る枠はもう一つ。

 

「まだやり足りない奴、バーサーカーかっ!」

 

 既にサーヴァントが敗退し、マスターとして復帰する意志もない彼にとって、席を立つ理由など特にないはずなのだ。しかし食べ散らした容器もそのままに、切嗣は胸の内から湧き出る衝動に身を任せて駆け出していた。

 

 

 

 

            ×          ×

 

 

 

 

 

 辿りついた戦場は寝静まる住宅街の一角。敵のマスターはやはり未熟なのか人避けや防音結界すら張らずに閑静な住宅街を血と叫びで染め上げていた。

 あの場に集まっていた崇高なランサーや傲慢なアーチャー、豪胆なライダー、隠蔽に徹するキャスターの内の誰かの仕業ではないと、この惨状を見て一目見て確信を持つ。

 

「何なんだ、これは……」

 

 おそらくバーサーカーによる魂食い。人がやったかと思えない程に醜悪に解体された猟奇的な死体の数々に切嗣は続く言葉を発する事が出来なかった。

 数多の戦場を駆け抜けてきた彼にとって、血で描かれた幾何学模様や、乱雑にまき散らされた内臓や脂、肉から垣間見える骨、一滴残らず血を抜かれた躯など見慣れた景色の一部でしかない。まだそれは良いのだ。

 しかし、歴戦の兵士である切嗣さえ脳を揺さぶられるほどに、目の前で起こっていることは明らかに異常だ。

 

「一体、何なんだ。これは……」

 

 同じ言葉しか出て来ない。首が挿げ替えられた夫婦の死体。大腸を口に詰め込られた少女。数多もの四肢を奪われた人間を積み上げたトーテムポール。

 まるで現代芸術家気どりのように常人には理解できない何らかの意図をもって作られたそれらは、あまりにも常軌を逸していた。

 しかも中には魔術によって苦悶の生を強要されている者もおり、そんな彼らへ切嗣が与えられるのは一発の弾丸による救いだけだった。

 血の臭いと腐敗した魔力の塊が街の至る所に蔓延しており、生きている者の気配は切嗣の近くにはない――――――いや、あった。

 

 キャリコを片手にその気配のする方へと足を進める。悪い方の、予感だ。

 この暗がりでは残念ながら手鏡は意味を成さない。

よって、切嗣は曲がり角から半身を晒すと同時に引き金を絞った。

 目にしたのは血の気も冷める様な青黒い何か。

 飛び出してきたが切嗣による銃弾の雨を受け、その身を散らしながら肉塊へと成り果てた。

 

「使い魔か?」

 

 コンクリート塀を盾にして安全を期しながら襲ってきた敵を観察する。烏賊のような、ヒトデのような薄気味悪い形をした未知の生物は、おそらくバーサーカーの宝具かマスターの使役する使い魔なのだろう。

 

「この気配からして同じのがそこらじゅうに居るのか。流石にこの数は厄介だな……」

 

 懸念と共にため息を一つ付く。

 とりあえず場を離れようと踵を返した所で背中に強い悪寒が走った。

 

「チッ」

 

 振り返っていては間に合わない。とっさに飛びのいて再びコンクリート塀の奥へと逃げた。

 

「まだ居たのか……三体もっ!?」

 

 もう一度フルオートで襲い来る触手を薙ぎ払う。無力な魔術師の撤退戦がここに始まった。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「なんで誰も来ない!」

 

 他のマスターは戦うことを嫌ったのか誰もやってこない。舞弥を呼んだがまだ場所が遠いため応援は期待できない。結界を張り、持ちうる火器の全てを駆使して異形の数々を葬っていた。

 だが敵は一向に減る気配はない。なぜならその異形の躯を媒介にして新たな異形が生まれているのだから。

 

「何でこんな残虐なことができるっ! 聖杯のために、たった一人の魔術師のためにこんなことが許されるのか! 僕はこんなことをしていたのか。ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!」

 

 半ば自らにあてた呪詛を喚きながら未だ生存者の見つからない町を奔走する。セイバーの敗退と共に折れてしまった正義の理想。わかっていながらも繰り返して来た自らの間違いを、今の彼はもう正当化しない。

 もう失うものがなくなった彼は、誰かを助けたいという目の前の感情に全てを委ねてひたすら引き金を引き続ける。例え現実逃避だとしても、それが無意味ではないはずだと信じてひたすらに。

 だが群体と思しき悪魔たちの数は限がなく、次第に銃弾や爆弾の数も心もとなくなる。

 誰も助かっていないなら、もう撤退するべきか。そう考え始めたとき一つの声が彼の耳に届いた。

 

 ――――――――助けて。

 

 その方を振り向けばイリヤと同じくらいの背格好の赤髪の少年が椿の垣根を背にして助けを求めていた。袋小路のその場所では逃げ場はない。無数の触手が少年の下に迫っていく。

 

「伏せろー!!」

 

 少年の頭より上の部分を狙ってサブマシンガンを連射すると異形は弾け飛んだ。

 一時的に元の血へと還った異形の残滓を浴びた少年は震えながらも、助けてくれた恩人の下へ歩み寄る。

 

「おじさん、おじさんはどうして助けてくれたの?」

 

 顔まで塗れた血を拭おうともせず、ただ真っ直ぐと少年は問いかけた。

 

「おじさんは正義の味方だからね」

 

 廃業すると考えていたはずの「正義の味方」という言葉が自然と出て来て、自分自身に驚く切嗣。あの島での悲劇を目にしてから願ったことは何だったのか、それをようやく思い出す。

 

「あぁ、そうだったな」

 

 少年には聞こえない声で呟いた。無力な人々を救いたい、身近な人達を救いたい、それが初心ではなかったのか。

 聖杯戦争が続く以上一般人への犠牲は出る。それを少しでも減らすことぐらいは出来るのではないか? 

 今この場に居ること自体が愚かだと知りながらも、この少年を見捨てるという選択肢は何故か考えることができなかった。

 

「さぁここから逃げよう。僕に付いてくるんだ」

 

 赤髪の少年は頷くと切嗣の手を取り、惨劇の街からの脱出を試みる――――しかし現実は非情だった。武装した人間一人が子供を連れながら海魔の群れから逃げ切るなど、まず不可能であったのだ。

 まずは武装面だ。起源弾以外の弾が尽きてしまった。魔術師相手でない以上起源弾を出し惜しみする理由はなかったが、周りを囲む海魔に対して数が圧倒的に足りなかった。

 よくて一発か二発のチャンス。それだけで潜り抜けられるだけの隙を作れるのだろうかと考えるがまず無理だ。自らを囮にしても少年を逃がすことは叶わないだろう。

 迫りくる絶望に震える少年とその頭を左手で抱き寄せる切嗣。触手が眼前に迫りもうダメかと思ったその時――――上空から幾つもの槍や剣が射出され海魔たちを貫いていく。

 

「酷い顔だな、魔術師よ。だが非力ながら幼子を守り通すとは大義である」

 

 切嗣は平屋の屋根に立つその声の主を見据えた。身に纏った黄金の鎧、その煌々たる風貌を見まがうはずもない。

 

「……アーチャー」

 

 次第に明けていく朝日を浴びながら、彼らはその日運命と出会った。



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#6 ボクも食べるってば

 夜明けの光と共に現れた英霊により惨劇は幕を下ろす。

 魔導通信機越しで開いた緊急会議に集まった遠坂時臣、言峰親子、そしてアサシンたち。それぞれ声色に疲弊の色が滲んでいることは表情を伺わなくても十分に察することができた。

 

「ようやく終わったか。長い一夜だったな」

 

 強敵のセイバーは乱戦によって脱落、ランサーは宝具の効果も判明し、アーチャーで圧倒できることがわかったのは良い。しかし今回の連戦は頭を抱えたくなるような要素が余りにも多すぎた。

 こちらで舵を取ることができず魔力消費を鑑みないアーチャーに、凶悪な狙撃能力を見せ全ての陣営を手玉にとったキャスター、街の被害を気にせず魂食いを行うバーサーカー、少なくともこの三騎の動向には細心の警戒を払う必要がある。

 皮肉にも自身のサーヴァントがその中に含まれていることが遠坂時臣の頭を痛めつけていた。精神的にも、経済的にも、だ。

 

「まずは各陣営の所在について報告を、綺礼」

 

 手酌でグラスにワインを注ぎ、グラスを回してそれを一嗅ぎ。時臣は決して酒におぼれたい訳ではない。

 常に優雅たれ――――こんな時こそ落ち着かなければならないと、あくまでも外面は平静を保ったまま一口含む。口の中に広がる重厚な味わいに浸り、少しずつ内面も繕った外面に近づいて行く。

 

『はい。ランサーとロード・エルメロイは令呪での撤退後にハイアットホテルに帰還。特に目立った動きはありまんが、厳重な工房に加えて人目が多い場所です。こちらからの襲撃は困難と想定されます』

「昨夜の行動を見ればランサーは典型的な騎士のものだ。正面からアーチャーをあてれば我々の勝利は揺るがない。次を」

『次にライダーですがあの戦車を追跡することができず所在不明のままです。おそらくセイバーのマスターと行動を共にしているかと思われます』

「だが所詮ほぼ素人同然のマスターだ。脅威度は低いだろうがロード・エルメロイと因縁があるようだし、放っておいても構わないだろう」

『引き続きアサシンに捜索させます。それから――――』

「バーサーカーはどうなっている?」

 

 綺礼が次の報告に映る前に、最も欲しい情報をよこすようにと時臣は口を挟んだ。重々しい口調の綺礼の声が通信機から流れ出る。

 

『おおよその位置は特定し一帯をアサシンで包囲して監視下に置いていたのですが、倉庫街の戦いが終わった直後から移動を開始、二人は隣市の一画で就寝中の家庭を襲撃し魂食いの犯行に及んでいます。幸運な事に……偶然にも通りかかったアーチャーに捕捉され、一応の事態の収拾は付きましたが、肝心のバーサーカーとそのマスターは直接対峙することなく逃走、工房へと逃げ込まれました』

『しかも全く隠蔽する気のない。既に私が隠匿工作を始めているが、この惨状は倉庫街の比ではない』

 

 監督役の璃正もため息交じりの声を吐いた。続けて息子の綺礼が報告を続ける。

 

『……身元が判別可能な死体が二十三、そして判別不能な死体を合わせて行方不明者が五七人。今後この凶行が収まる見通しはありません。そして現場に残された死体から考えれば、バーサーカーのマスターが巷を騒がせている連続殺人犯である可能性が非常に高いかと』

「クッ……よりにもよって、か」

 

 そう、よりにもよってだ。可能性としては決してあり得なくはない。が、時臣にとって一番考えたくない可能性の一つだった。

 ワインの残る舌先に鉄の味が混じる。年代物の余韻が台無しだ。

 マスターと会話が可能な事から狂化が行われていない、又は薄いという綺礼の報告から殺人犯であるマスターはただの数合わせでしかない実力の持ち主ということは理解できた。

 バーサーカーの真名があの青髭、ジル・ド・レェ伯であることが判明したこと、連続殺人犯の嗜好、未熟なマスター、魂食い、充分過ぎるほどに辻褄は合う。

 そして、聖杯戦争を円滑に進めたいマスターの一人として、そして土地管理者として、彼らを見逃す通りはない。

 

『時臣師、父上、これはもう早急に排除する他ありません。しかし私のアサシンは……』

 

 問題はそこなのだ。アサシンをあてることはできず、アーチャーを正面からあてるのも魔力消費の面で躊躇われる。

 それ以前にあの王を動かすには令呪の一つでも奉らなければならない可能性もあった。しかも何故か拾ってきたあの魔術師殺しと一般人の少年を連れだってどこかへ行ってしまっている。機嫌を損ねることだけはできるだけ避けたいところなのだ。

 

『時臣君、私に良い考えがある。何、監督役の権限があるのだ。私に任せて置きたまえ――――』

「――――なるほどそれは良い手です」

 

 自信満々に言葉に璃正の提案を受けた時臣は思わず笑顔を零さずにはいられなかった。

 

 

                ×        ×

 

 

「おはよう桜ちゃん」

 

 目を覚ますと雁夜おじさんの声。

 

「おはようございます。今、何時……随分寝坊したみたいですね」

 

 ハート型の矢印は既に十時を指している。目覚ましはちゃんとセットしておいたのに、無意識の内に止めてしまったのだろう。きっと新品のお布団が気持ちよすぎたせいだ。

 

「昨日は遅くまで戦いもあったし、魔力を使っているのは桜ちゃんだからね。陽が出ている内はゆっくり休まないと。身体は大丈夫?」

「ええ。令呪で補ったので大した消費はなかったですから大丈夫です」

「そうか。良かった。士郎が朝食を作っている。リビングまで行こうか」

 

 雁夜おじさんは私が起きるまでの間、ベッドの隣で作業をしていたのだろう。作業場所を変えるつもりなのか地図や新聞を折り畳んでいる。

 

「雁夜おじさんは何をしていたんですか?」

「ん? ちょっと気になることがあって調べ物をね。まだ確証はないけど、もう少し考えが纏まったら話すよ。さぁ顔を洗って来て」

「はーい」

 

 間延びしながら眠気を取り払ってベッドを抜け出す。顔を洗って元気な顔で先輩に挨拶をしよう。ちょっと高いドアノブを回して部屋を出て、洗面所へ――――

 

「洗面所って、どっちでしたっけ?」

「右側の突き当たりだよ」

「ありがとうございます」

 

 慣れないお家は勝手がわからない。そう、わたし達は今新たな拠点に居るのだ。

 おそらく昨日の狙撃で間桐の家はマークされている。そのため不動産を経営している強みを生かしてお爺様と雁夜おじさんに多くの拠点を用意している。

 わたし達が今いるのは最新の防犯設備を整えた新都の高層マンションの最上階だ。先輩の目を生かして監視及び狙撃場所としても使え、人目も多いマンションなので部屋へ直接の突入も空を飛べないサーヴァントには難しい。

 そして多数の監視カメラによる映像も守衛室と同じように見れるのでいつでも私たちはすぐに逃げ出せる。そうして転々と拠点を変えていくのがわたし達の方針だ。

 極力狙撃に徹するのは最初から決めていた方針だ。令呪一つと引き換えに二強の一角であるセイバーを予定通り撃破出来た今、直接対峙するのはアーチャー戦だけに絞る。

 あとは他の陣営が協力してわたし達を狙ってこないように手を打つ。立ち回りは難しいが、先輩とおじさんと三人で考えればきっと上手くやれるはずだ。そのための布石も昨夜に最上の形で打つことが出来たのだから。

 冷たい水で目を覚ましながら思考に耽る。ふかふかのタオルで拭った後に鏡を見る。

 

「う、髪がぐちゃぐちゃだ」

 

 寝起きとはいえ、これは乙女として頂けない。使い慣れたツゲの櫛を通して、先輩とおいしい朝食の待つリビングへと足を向けた。

 

「おはよう、良く寝れたようだな桜」

「はいおかげで魔力もばっちりです。今日も朝ごはんありがとうございました、先輩。うわぁ、今日もおいしそうですね」

 

 わたしのために配膳をしてくれてる先輩に甘えて席に着く。

 鼻に届く香ばしい香りは焼き立ての鯵のみりん干しだ。他にはホウレン草の白あえとシジミのお吸い物。朝から栄養満点なのは衛宮家ならではの光景だ。

 

「何、マスターの体調管理もサーヴァントの勤めだ。構わぬよ。一緒に作るのは君が余裕のある時にな」

「ならお昼……か晩御飯一緒に作りましょう。和食をもっと教えて欲しいです」

「いや、もしかしたら今日はダメになるかもしれん」

 

 言い淀む先輩の顔は神妙だ。放置すると決めたバーサーカーの暴走以外で、私が寝ている間に事態が進行していたのだろうか?

 

「先輩、何かありました?」

「少し、な。食べながらで良い。私の方から報告がある。雁夜も少し良いか?」

「あぁ良いけど。良い方、悪い方とどっちなんだ?」

 

 わたしの隣に腰かけたおじさんが先輩に問いかける。

 

「さて――――な。今は判断が付かんが報告しておこう。教会から先程狼煙が上がった。全マスターに対して招集が掛っている。余程重要な案件なのだろう」

「きっとバーサーカーに関してかな」

「だろうな。これだけの騒ぎになっているのだから。雁夜、桜に新聞を」

「……え?」

 

 渡された新聞に目を通して発すべき言葉を見失った。

 火消しが追いつかない程の被害。実際の被害者はもっといることを考えればコレはいくらなんでもやり過ぎだ。魔術に疎いわたしでも、いやわたしだからこそ実感が湧く。

 ここまでの事態となれば教会が動くのも道理だろう。先輩が、姉さんがかつてそうしたように。

 

「目的はきっとバーサーカーの討伐依頼、ですよね?」

「うん。むしろそれ以外考えられない」

 

 わたしと雁夜おじさんの言葉に、先輩は無言で肯定の頷きを返す。

 

「要はこの機会をどう取るかですよね」

 

 パッとわたしの頭に浮かんだのは二つ――――捕食か、殲滅かだ。

 前者はバーサーカーを隠れ蓑に影で捕食を行わせるという手段もかなり危険だが使えなくはない。だがその言葉は胸の奥にしまっておく。今はまだ蟲を食わせるだけで十分だ。

 後者は上手い事マスターたちが集まれば狙撃で教会を焼き払うという手だ。いかに中立地帯とは言え、監督役さえいなければルール違反を咎める者はいない。残るマスターがバーサーカーだけになれば最上だが、そう上手くは行かないだろう。しかし、上手く言った場合を考えると美味しい手段ではある。

 

「機会、か。教会での話がどうなるかわからないけど、他のマスターと接触できる機会は少ない。ここでできればランサー陣営と接触したいんだけど、どう思う?」

「悪くないな。だが雁夜。その場合、私が向かえない以上、君か桜が向かう必要がある。しかも昨晩の戦いで君は目を付けられているはずだ。特にセイバーを失った衛宮切嗣が君を狙ってくる可能性が高い。それをわかっていて言っているのか?」

 

 静かに、だがハッキリと強い口調で先輩は雁夜おじさんの意見に釘を差す。

 

「あぁ。わかってるさ。だからマスターじゃない俺が行く。万が一のことがあってもこっちは桜ちゃんさえ無事ならいいんだ」

「しかし……いや、言っても無駄なようだな。雁夜、覚悟はできているのだな?」

「あぁ。桜ちゃんを護るための囮。俺の価値はそれだけで十分だ。ここでそれを果たせなかったら俺が居る意味がない。頼む、士郎、俺にやらせてくれ!」

 

 席を立って必死の想いを先輩に伝える雁夜おじさんの剣幕に押されたのか、先輩は「茶を淹れてくる」そう言って先輩は台所へ向かった。

 疲れを感じる背中から「まるで昔の自分を見ているようだ」という声がなんとなく聞こえた気がした。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「結局、俺一人なのか?」

「あぁ。礼に適った挨拶を交わそうというマスターはどうやら君一人のようだ」

 

 暗い教会の中、信徒席の最前列で退屈そうに腰掛けているのは間桐のマスター。彼は手元のトランシーバーらしき機械を弄りながら暇を潰している。

 マスターが集まるまで彼と同じく暇を持て余していた言峰璃正は、目の前の対象の様子を観察していた。だが登録に来たあの時と同じく、彼からは魔力の流れが全く感じられない。

 やはりずぶの素人マスターか、もしくは間桐の老獪の隠れ蓑になっているのだろう。消去法的にあのキャスターのマスターであると考えられるが、遠坂時臣の勝利を揺るがすような器だとは二度も直接対峙してみても到底考えられなかった。

 

「今は真昼間、中立地帯だってのに何をそんなに怖れるんだか。アサシンは真っ先に倒れたのにな」

「全くだ。私や他のマスターの見ている前で迂闊なことができるわけがないというのに。それでも使い魔を寄こしたということは一応、話だけは聞く気があるようだがね」

 

 アサシン、という言葉が出てきたとき璃正は背中に冷たいものが流れるのを感じた。先程の言葉を表面通り受けているならば何の問題もないが、明らかにその時強い視線が向けられていたからだ。

 まだボロは出していない。だが確証はなくともアサシンが倒れていない可能性を考慮しているということを言外に言いたかったのだろう。

 素人マスターに対して璃正の警戒度が一段階上がる。それを使い魔越しで聞いていた時臣も同じだろう。そしてその可能性を考慮しながらも、単身乗り込んだその胆力にも警戒を払う必要がある。

 

「もう頃合いか。諸君、事態は緊急を要している。よって単刀直入に話題に入らせて頂くとしよう」

 

 淡々とした口調で使い魔たちと一人のマスターに向かって璃正は用件を述べる。バーサーカーのマスターの暴走が見逃せないレベルであること。

 そのため一時ルールを変更し、互いの戦闘行動を中止してバーサーカーを討伐にあたること。見事をそれを成し遂げた場合、達成した陣営に一つずつ令呪を与えることを伝えた。

 

「用件は以上だ。さぁ質問があれば答えよう。最もここには一人しか人間はいないようだが。どうかね? これは君の勇気に敬意を表意した結果だ。アドヴァンテージを得られるかもしれんぞ?」

 

 皮肉ながらもその言葉に偽りはない。他の者が聞いているとはいえ、的確にこの場で欲しい情報をこの場で手に入れるのは彼一人なのだ。

 

「バーサーカーについて情報は? マスターやサーヴァントの特徴、なんでも良い」

「すまない。我々聖堂教会の到着が早ければわかったのだが、それらについては不明だ」

 

 そう答えるしかない。当然出てくる疑問ながらも痛いところを突かれている。アサシンを介しての情報を伝えるわけにはいかないからだ。

 

「なら、マスコミに流されていない行方不明者や死傷者の詳しい情報。それは絶対あるだろ? ないとは言わせない。本気でバーサーカーを排除する気ならそれを渡せ」

 

 彼の言う通り「ない」とは言えない。彼の着眼点はほぼ当たりだ。子供を中心に被害が拡大していることから遠からず一連の事件に辿りつくだろう。そして被害状況の写真などを求められれば教会側は提出せざるを得ない。それを見ればきっとほぼ核心に近づく。

 バーサーカーについての情報はこちらが独占していると油断していたが、思いの外真実に近づかれている状況に璃正は内心焦りでいっぱいだ。

 そういえば彼は元々フリーのジャーナリストだ。こういった調査は手慣れて居るかもしれないという考えに璃正は至った。魔術師とは違う一般人らしい考え方も侮れない。

 結局被害状況全般について、手元に在るだろう情報はある程度渡さざるを得なかった。

 彼がキャスタークラスを従えていることからも、おそらく彼が最速でバーサーカーの下へ至るだろう。ならばそのときを待ち、アーチャーを向かわせればよい。

 キャスターに籠城される危険性を考えれば、今の状況はむしろこちらに都合の良いものではないかとさえ璃正には思えてきた。

 

「ん、何だまだ居たのか?」

 

 奥の部屋から出てきた璃正と雁夜の前には使い魔が未だ残っていた。おそらく雁夜が持っている情報が欲しいのだろう。

 

「この情報が欲しいのかね? 我々は公平だ。彼は自らこの教会に足を運んだから情報を手に入れた。諸君らも直接ここへ来るが良い。彼と同じ情報は渡そう」

 

 監督役として、これが妥当な振るまいであろうか。もちろん同じ情報をこの場で聞かせてやっても良いが、キャスター陣営以外が早く辿りつけば予定が狂う可能性も出てくるし、監視の手間も増える。

 決して不公平とは言わせないレベルで彼を優遇するのは間違いではないと璃正は判断した。そんなときだ。

 

「こっちは自爆覚悟で来てたんだ。これぐらいは報われていいよな」

「……自爆!?」

 

 急に脈絡と関係なくポツリと出た物騒な言葉に璃正は思わず反応してしまう。「暗殺」ならともかく「自爆」と彼は言ったのだ。

 

「他のマスターが全部集まってたら教会ごと狙撃させて一網打尽のつもりだったんだけどなぁ」

 

 威圧するでもなく、胸を撫でおろし苦笑しながら平然と目の前の青年は口にしていた。監督役さえいなければ中立地帯のルールなど関係ないと、彼は暗にそう言っている。これは他のマスターへの、いやむしろ教会への警告なのだ。

 そして自らの死を厭わない態度、つまりバックの存在を仄めかしている。やはり間桐の老人か、と声に出せない言葉を奥歯で璃正はかみ砕いた。

 

「君はわかっていて言っているのかね? 君が居なくなれば……」

「えぇ。そのときは俺のサーヴァントが意志を継いでくれると信じていますから」

 

 即答で返って来たのはサーヴァントとの信頼関係。これは難敵になるということを璃正は確信する。この討伐に乗じて必ずキャスターは討たねばならないと。

 上手い事他のサーヴァントたちの矛先をキャスターにも向けさせねばならないと思案していた所で、間桐の青年はさらに神父を追い詰める言葉を放った。

 

「ランサーのマスターの使い魔も居るよな? 俺のサーヴァントが話をしたいと言っている。話し合いの場を設けられるか?」

 

 おそらくはランサー陣営との同盟。苦虫を噛み潰したような思いとは、まさに今この時の璃正の心境なのだろう。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「ただいまだ。坊主、言われた通り持って来てやったぞ」

「おかえりなさい、ライダー」

「やけに遅かったじゃないか。ってその左手の包みは何だよ!?」

「“たこ焼き”というものらしいぞ? これが中々に珍味でな。貴様らにも買って来てやったぞ。感謝するが良い!」

 

 マッケンジー夫妻宅で作業に没頭するウェイバーとアイリであったが、征服王の帰還により手を止めて彼の方を見る。お気に入りのTシャツが更に歪むほど誇らしく胸を張ってみせるライダー。その前に掲げた袋から零れおちるのは香ばしいソースの匂い。

 日本に来てまだ数日のウェイバーだが、この異国の食文化の先進度は既に認めている。“たこ焼き”というものがどんなものであるか全く知らない彼であったが、部屋中に充満する匂いと満足そうな王の顔からすると、味に期待しても良さそうだと判断する。隣のアイリも少女のように目を輝かせていた。これはライダーの気づかいに感謝して受け取るべきだろう。

 

「ありがとう――――ってまたボクの財布を勝手に使ったのか!」

「良いではないか。ほれ、『腹が空いては戦は出来ぬ』というであろう?」

「それ……適当に今思いついただけだろ」

「なんだ、坊主はいらんのか。では余と嬢ちゃんの二人で」

「食べる! ボクも食べるってば!」

 

 包みを開けようとするアイリとライダー。そこの間に割って入るウェイバーに対してアイリはたこ焼きを差し出した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「この小さな串で食べるのね。落ちそうで持ちにくいわ。やっぱり変な国。ほらウェイバー、あ~ん」

「ようやく熱も退いたかと思えば……アンタもノリノリで何やってるんだよ! 大体既婚者だろ、他の男にそんなこと――」

 

 頬を紅潮させて手を振るウェイバー。時計塔では全てを魔術にあてていたため異性を意識する暇などほとんどなかった。凡才な自分に対し好意を向けてくれる女生徒など周りに居なかった彼は、アイリの突飛な行動を思わず拒絶してしまう。

 もしアイリが既婚者でなければ――――そんな考えが彼の頭を過るが予想外の一言がその幻想を打ち砕く。

 

「だってウェイバーってなんだか私の娘みたいだもの。はい!」

「む、娘? はっ、あ、あふぃ!」

「あらっ、言ってなかっかしら? イリヤって言うんだけどね、これがもう凄く可愛いのよ。それで―――」

「……坊主」

「言うなっ。って、はふっ、あっ、あふぃ!」

 

 実家に置いてきた愛娘と未だ迎えに来ない夫の自慢話を聞かされながら、一箱をほとんど平らげたウェイバー少年。痛いくらいの熱気と、うまく咀嚼できない嫌な食感がいつまでも彼の舌の上に残っていた。

 

「さっきから気になっておったのだが、それはもしかして錬金術の真似事か?」

 

 水の入ったラベル付きの試験管や様々な実験器具を鞄から取り出して準備を行うウェイバーとアイリに対し、三パックのたこ焼きを平らげた征服王は興味深々と言った様子で問いかける。

 

「真似事じゃなくて錬金術そのものよ」

「錬金術の大家に向かって何言ってんだよ。馬鹿」

 

 アイリから手渡された試薬を加えながらウェイバーは話を続ける。

 

「ライダー、さっきのバーサーカー討伐の件、ボクは積極的に参加するべきじゃないと思っている」

「ほう」

「確かにバーサーカーの行いは魔術師として見過ごせないけれど、実際問題バーサーカーはクラス特性を考えてみれば大した脅威じゃない」

 

 三本目の試験管に試薬を入れたが無反応。期待している結果は出なかったようだ。地図に試験官に付いているラベルと同じアルファベットにバツ印を付けていく。

 

「そうね。魔力消費が大きくなるからこんな無茶な魂食いをしてるでしょうし、このまま待っていれば魔術師の自滅は目に見えるわ」

「一理あるのう。まぁ理性のない獣があのランサーやアーチャーに勝てるとは思わんな」

 

 二人の言葉にウェイバーは頷く。

 

「確かに令呪一画は魅力的だけど、きっとまた昨日の混戦状態になる。そうなったら……」

「またキャスターの輩がしゃしゃり出てくるというわけだな」

「あぁ。あのキャスターのマスターは危ない。自分を巻き添えにしてまで他のマスターたちを教会ごと吹き飛ばそうだなんて、余りにもイカレてる」

「またいつ背中を狙われるかわからないのは怖いわね」

「あのアーチャ―に正面からぶつかるのは自殺行為だ。あれだけの遠距離攻撃能力を持つキャスターと手を組む。それしかボクらが生き残れる道はない。そしてそれは多分先生も同じことを考えているはずだ。そしてアーチャ―のマスターも警戒しているはず」

「ということは早い者勝ち、ということか?」

「あぁ。如何に早くキャスターと接触して同盟に漕ぎつけるか。少なくともこの前みたいにアーチャ―と戦っているときに背中を狙われるのはゴメンだ。休戦協定は結んでおかないとボクたちは詰んでしまう。しかもあっちはランサーに興味があるみたいだしな。善は急げだ」

「坊主、貴様中々頭が回るではないか!」

 

 しっかりとした現状分析とこれからの方針を示したウェイバーを褒め、ライダーは頭をぐりぐりと撫でまわす。

 

「こらっ、邪魔をするなライダー! 割れたらどうするんだよっ!」

「それでキャスターの工房を探すことにしたのね?」

「そうだよ。怪しいと思っていた間桐はもぬけの空だし、アンタだって思い当たる節はないんだろ?」

「そうね。キリツグが居てくれたら手掛かりが見つかるかもしれないけれど」

「衛宮切嗣だっけ。アンタ、キャスターよりも旦那を探した方が良いんじゃないのか?」

「大丈夫よ。あの人はきっとまだやることがあるのよ。それまで私は待つわ。だからその時までは助けてくれたお礼と思って協力させて。それにライダーの近くが一番安全だと思うし」

「まぁこうして本格的な術式を教えてもらうのは助かるけど……って反応したっ!」

「出たわね。この地点に丸を付ければいいのかしら?」

「あぁ」

 

 地図に丸を付けるアイリと頷くウェイバー。彼らが何をやっているのか理解できないライダーは痺れを切らして問いかけた。

 

「それで坊主よ、さっきから一体何を調べておるのだ? 余にはさっぱりわからぬのだが」

「魔力の残留物だよ。ライダー、この地図を見ろよ。冬木市を分断するようにしてこの未遠川は流れている。手掛かりがないのなら、とりあえず中心部から調べるのが常套手段だろ? それに――――」

「今度も反応したわね」

 

 先程の急激な変化と同じように今回の試験管も血を連想させる色へと変色した。だがその色合いは先ほどより少し薄いようだ。その反応を目にしたウェイバーは試験管を置くと話を続けた。

 

「まさか本当に反応があるかと思わなかったけど当りだ。この方法なら水の流れで魔力の発生源もある程度絞り込める。それにしてもバーサーカーも大概だけど、キャスターも意外と杜撰な隠蔽だな」

 

 地図を指で示して「何か水路の類がなかったか?」と問いかけるウェイバーに「応、あったぞ」と答えるライダー。

 

「そこを遡ればキャスターの工房だ。日が暮れたらすぐに出るぞ、ライダー!」

 

 ライダーとアイリが工房特定の手腕を評価するが、それを素直に認めないウェイバーとのやりとりが続く。そしてそれを和やかに眺めるアイリ。

 それが彼らに残された僅かなモラトリアムであった。



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#7 アンタの助けが必要だ

 身の危険を顧みず情報戦を制したあの青年が、倉庫街で暗躍したサ-ヴァントのマスターだと言うからには、彼からの誘いを断る理由などケイネスにはなかった。高い狙撃能力と諜報能力を兼ねた彼らの方がある意味ではアーチャー陣営よりも危険だと判断しても良いくらいなのだ。

 果たしてどう出てくるか。自らだけが指名されたことを鑑みると、対等又はより好意的な関係を望んでいることが伺える。霊体化したランサーとソラウを伴って向かった先は、教会から程近い所にある喫茶店。

 

「ふーん、なかなか良い所ね」

 

 店内を見渡したソラウは一言感想を漏らした。

 年期を感じさせるランプの淡い照明に、仄かに広がるバターの香り。この落ち着いた雰囲気は、どこか母国を感じさせるものがある。決して内装が凝っているという訳ではないし、貴族の使う物とは比べるまでもないが、ソラウの心象は悪くないようならそれで良い。

 奇襲を防ぐためソラウも同行させたのだが、あのホテルに籠っているよりも気分転換になるかもしれない。奴が信頼に足る相手ならば、という条件が付くが。

 

「初めまして、でいいのかな? ロード・エルメロイ。とりあえず自己紹介しておくけど間桐雁夜だ」

 

 奥で待っていた男が席を立ち、こちらに視線を向けた。

 やはり、こうして一瞥しただけでも何の才も感じられない。魔力の隠蔽が巧みであるという可能性も直感がありえないと告げている。立ち上がった彼の体格は中肉中背、ほぼ確実に彼は極々普通の一般人だ。

 

 そして彼の隣に居る白髪に赤い衣を纏った男は件のサーヴァントで間違いない。消去法的に行けばそのクラスはキャスターだろう。

 

「初めまして。私はソラウ、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリって言うのよ。貴女のお名前は何て言うのかしら?」

 

 サーヴァントの腰元にしがみ付くようにして隠れている少女に向かって、ソラウはゆっくりと問いかける。おそらくは自らと同じような立場であるからなのか、ランサー以外の対象に対して、ソラウは珍しく興味という感情を抱いているようであった。

 

「まとう、さくら……です」

 

 どうにか聞きとることができるぐらいの小さな声で少女は呟く。見た目5、6歳の彼女が怯えるのも仕方がないだろう。

 内包する魔力の大きさは中々の物だが、見知らぬ高位の魔術師が二人にランサーのおまけつきだ。返事をしっかりできるだけでも大したものである。

 

 ――――いや成程、そういうことか。彼らは令呪システムを司る「マキリ」の人間なのだ。魔力を感じないマスター、マスターと行動を共にする才ある少女、キャスター、そしてマキリ。可能性の糸を辿っていけば自ずとカラクリが見えてくる。自然、口元から笑みが零れそうになる自覚。

 

「ふむ、なるほどな。そこの――」

「その子が、もう一人のマスターというわけね」

 

 言いかけた所でソラウが同じことを口にする。流石は我が婚約者といったところか。出鼻をくじかれたが仕方ない。

 

「どうだ。我々の推理は。『マキリ』のマスターよ?」

 

 しかし彼女の眼つきはより鋭く細く、その眼光は警戒を顕わにした子猫のように変化した。違う、眼光などない。どこまでも吸い込まれそうな奈落の色。

 

「……どうして、わかったんですか?」

 

 それは、威圧感。就学前の子供が出していいような声ではない。『当たり』なのは間違いないが。これはあのアーチャ―よりも厄介な存在かもしれない。そう本能的に認識する。

 先程まで困惑の表情を浮かべていたソラウと顔が合った。首を縦に、か。同じことを考えているのだろう。

 辺境の未熟な魔術師を相手に下手に出るなど本来なら自らのプライドが許さない。だが先日のアーチャーの件で『藪蛇を突く』とどうなるかという事を身を以て味わったのだ。

 

 そして根拠のない確信があった。この『サクラ』という少女こそが、キャスターを巧みに繰り倉庫街で多くの陣営を手玉に取った黒幕であると。

 そう考えると得体のしれない怖気が背筋に走った。決して態度には表わさないが、ここが分岐点であることは間違いない。

 他の陣営からは既にキャスターたちと同盟を組んでいると思われていても何らおかしくないのだ。

 

 最強のアーチャー、処罰すべき生徒のサーヴァントであるライダー、討伐対象のバーサ―カー。考えるまでもなく他の3陣営と手を組むことは絶対にありえない。そしてその3陣営のいずれかがどこかと共闘することも到底考えられない。

 ならば、キャスター陣営との協力関係を拒むことなど選択肢として存在しないに等しい。サーヴァントを2騎、しかも近接戦闘と遠距離狙撃のこれ以上ない組み合わせを扱えるのだ。これは絶対的なアドバンテージになる。

 最後の2騎とまではいかずとも当面の目標であるバーサーカーの討伐と、アーチャーの攻略。ここまでの間協力出来れば上々だ。

 

 そして何より大きな問題として、こちらにはソラウがいる。アサシンが倒れた今、一番恐ろしいのはキャスターによる狙撃だ。如何に自分が優れた魔術師とて英霊に敵わぬのは理解しており、白兵戦専門のランサーが対応できる確証もない。

 様々な思惑を瞬時に駆け巡らせるが、行きつく結論は変わらない。思わず漏れそうになる溜息を言葉で上書きする。

 

「何、簡単な事だよ。私達も君たちと似たようなものだからな。私が令呪を統べるマスターであるとともに、我が婚約者のソラウが魔力供給を担うマスターとなっている」

 

 黙っていてもいずれ気付くだろう。だから敢えて手札を曝した。「発想は同じだが目的が違うこと」を高らかに誇示しなければならないのだ。

 彼らの持つ策、戦闘力は不明。いくら近接戦闘が苦手なキャスターでも、いや苦手だからこそ罠の一つ二つはあるはずだ。ランサーの間合いとはいえ、油断は大敵だ。アーチャーの圧倒的な暴力、キャスターの周到な狙撃を目の当たりにしたケイネスに慢心はない。

 

「しかしこの処置は私の魔力を戦闘に費やすための秘策であり、君のような凡俗を補うための苦肉の策ではないぞ、間桐雁夜」

 

 サーヴァント同士の格はともかく、魔術師としての力量の差を彼らには知らしめねばならない。それは自己の精神衛生を保つためでもあり、彼らに対するカードでもある。弱みを見せればソラウが巻き込まれる。

 返ってくる反応を待つケイネス。

 

「魔力と、令呪を。……偽臣の書もなしに、ですか」

「いやはや、恐れ入ったな」

 

 少女とサーヴァントが答えた。この様子はこの二人こそが本物の主従のようだ。

 

「シロウ、桜ちゃん。これは……期待していいのかな?」

 

 青年は目を丸くして傍らの二人に問いかける。頷きを返す二人。その表情は心なしか笑みが微かに混じった様にさえ感じられる。

 

「あぁ、そのようだな雁夜」

「ですね。わたしは賭けてみる価値があると思います」

 

 少女がサーヴァントの元を離れてこちらに歩み寄る。この3人の中では彼女が主導権を握っているのは間違いない。

 

「ロード・エルメロイ、取引をしましょう」

 

 再び視線が交差した。虚ろな眼から漂う得体のしれない気味の悪さ。饒舌な口ぶりや佇まいからして、まさか見た目の年齢であるわけがない。ここに居る全員を欺く程の高等な幻術、精神の遠隔操作、若しくは何か(・・)が憑いているか。

 正真正銘の魔女と対峙しているこの場面において、油断はありえない。

 

「バーサーカー討伐における共闘、いやアーチャー攻略までの同盟と行ったところか?」

「はい。それは前提条件としてお願いします」

「前提、ね。それ以上のこと、つまり聖杯の扱いについて、貴女は提案があるということかしら?」

 

 ソラウが淡とした声で代弁する。少女が続けるであろう言葉は「聖杯の願いを譲れ」という要求であると以外に考えられない。通常の魔術師であったならば、その要求は論外だ。

 しかし、そもそもケイネスにとって聖杯戦争に参戦した理由は地位の向上、名声を得るためであって、聖杯その物には興味はない。

 そしてソラウの異常なランサーへの執着を見ていると、サーヴァントの受肉を考えているのではないかとさえ思う節があるのだ。それは決して許されない事である。そう考えれば、ケイネスが勝利したと言う名目さえあるのならば、彼女達の願いによっては譲ることも考えてよいのかもしれない。

 だが、少女が発した言葉はケイネス達にとって、完全に想定外なものであった。

 

「あなたたちの願いがわたし達に害を為さないのなら、聖杯は譲ります」

「えっ、どういうこと!?」

「何だと!?」

 

 ソラウだけでなく、壁の花だったランサーも思わず口を開く。極限まで気を張り詰めているからこそ声にこそ出さなかったものの、内心その驚きはケイネスも同様だ。

 聖杯を求めないマスターがいるだろうか、無論ありえない。聖杯を求めるのでなければどうして聖杯戦争になど参戦する必要があるというのだ。この少女は何を企んでいる?

 

「アーチャーに対する切り札、そして条件によっては聖杯を譲る用意があります。だから――――」

 

 聖杯が不要だと目の前の少女は繰り返し告げた。そしてアーチャーに対する切り札という言葉も聞き逃せない。

 心からこの少女は聖杯を不要だと言っているのであろうか。疑念は尽きない。

 自分のサーヴァントであるランサーも聖杯を必要としていないと頑なに主張し続けているが、聖杯に導かれたサーヴァントである以上は何らかの願いがあるはずなのだ。そして何らかの願いがあるからこそ少女もマスターとして選ばれたはず。

 ランサー以上に、この少女は裏切りの臭いを漂わせているとケイネスは直感的に感じ取る。しかし、

 

「頼む。ロード・エルメロイ。俺達にはアンタの助けが必要だ」

 

 少女の続く言葉を遮るようにして、青年が前に出て深く頭を下げてきた。

 

「俺達を、いや桜ちゃんを助けてくれ。桜ちゃんを……この家の呪縛から解放できるのはアンタ以外に居ないんだ!」

 

 家の呪縛、おそらくはこの少女の異質さの原因の一端であろう。歳が見た目通りの物だとするのならば、物心ついたばかりの才ある少女を参戦させるなど気が狂っている。余程ここの当主は妄執に駆られているのか。

 青年の眼は充血している。吐息を荒げて必死な表情は作り物ではないのだろう。教会での発言には驚かされたが、こちらの青年の方は腹芸を得意とするような輩には見えない。

 少女たちの言に嘘はないと信じるのは早計だが、話を聞いてみる価値はあるのかもしれない。そう判断したケイネスであったが、先に動いたのはまたしてもソラウであった。

 

「ケイネス、とりあえず話を聞いてみましょう」

 

 ランサーの事以外で自発的に動き出したソラウを、ケイネスはこのとき初めて見ることになる。彼女に逆らう選択肢をこのときのケイネスは持ち合せていなかった。

 

 

                ×        ×

 

 

「聖杯戦争に乗じて、マキリを潰す……だと!?」

 

 絶句、という表現が適切だろうか。ケイネスさんが言葉を発した後、彼らは顔を見合わせて重苦しい沈黙を続ける。

 明らかに疑いの目を向けられているとはいえ、話し合いのテーブルにまで持って行くことができたのは良かった。散々迷ったが、わたしが直接出てきたのは正解だったようだ。

 

 わたし達の想像以上に、この魔術師は優秀だったのだ。まさか偽臣の書もなしに令呪と魔力供給の源を分かつ事ができるなど、どうして想像できようか。こちらはコストを考えて、おじさんに令呪を持たせず囮にしているだけなのに。少し恥ずかしい。

 もしかしたら令呪の扱いにおいてはお爺様以上の可能性だってあり得る。時計塔の神童の名は伊達ではないらしい。

 

 そしてわたしが直接出てきたとはいえ、真のマスターだと初見で見抜いた洞察力も悪くない。

 わたし達がお爺様を混乱に紛れて殺害するだけなら、先輩の力さえあれば容易い。だがその後を切り抜けるだけの力がないのだ。お父様になど頼れるはずもない。

 強力な外部の魔術師と接触を持てる機会はこの聖杯戦争以外に存在しない。小さな先輩を確保した後の事を考えると、衛宮切嗣と繋がっているアインツベルンは却下。それに御三家と関わると碌な未来が思い浮かばない。

 そして一般人の線が濃いバーサーカーのマスター、明らかに未熟な魔術師であるライダーのマスターは却下、となればそもそもの選択肢として彼以外の選択肢はなかったのだ。

 

 だからその唯一の希望が期待以上のものであったことに対して、わたし達は喜びの色を隠せない。それが相手にどう伝わっているかは気になる所だ。

 何となく、だが、ソラウさんはわたしに対して同情の念を抱いているように伺える。魔術師の家系の女子として思うことがあったのだろうか。

 わたしとしては彼女がこちらの味方になる流れを期待したい。どう見てもケイネスさんはソラウさんの尻に敷かれているからだ。

 

「そして更なる問題は桜の属性が『架空元素・虚数』であることだ。余程強力な家の庇護下にない限り、この子に将来はない」

 

 説得にあたっては先輩が積極的に動いてくれていた。自称魔術使いとはいえ、わたしたちより何倍も魔術師の世界に詳しいはずなので、わたしと雁夜おじさんは先輩に任せきっている。

 

「封印指定か、ホルマリン漬けの運命か。成程、それから逃れるには確かにアーチボルト家として、私個人としての後ろ盾が必要になるわけだ。筋は通っているな」

 

 ふむ、と腕組みをして唸るケイネスさん。確実な勝利への近道切符と裏切られる可能性、家を潰すにあたっての危険性を天秤にかけているのだろう。

 

「マキリの魔術は水に長けている。そして桜も『吸収』の魔術を仕込まれた。もし君が仮に桜を弟子として保護し、後見人としてマキリの知識を吸収すれば……その有用性は言うまでもないだろう?」

「あぁ、それは充分に理解している」

 

 そう、わたし達以上に魔術の価値を正しく理解しているからこそ悩ましいのだろう。

 できればわたしは魔術とは無縁な世界で穏やかに生きたいが、周りの状況がそれを許さない。だからこそお父様がわたしを間桐に追いやったことも、一応は理解はしている。

 いかにして安全を得るか。わたし達にとっては、それが聖杯戦争で勝つことよりも重要なのだ。

 

 できれば英霊の先輩に受肉してもらって一緒に居たいという気持ちもある。だけど最優先な目標は、この世界の先輩の運命を変えた上で一緒に居ること。仕方ない場合の妥協ラインは必要なのだ。だって、英霊である方の先輩の願いも過去の自分に同じ道を歩ませないことなのだから。

 

「ねぇケイネス。とりあえずバーサーカーを倒すまでは組んでみない? 彼女達が最後の局面まで信頼できるか、家を巻き込んでまで面倒を見る価値があるのか、判断はそこからでも遅くないと思うわ。それ、貸してくれるかしら?」

 

 ソラウさんが動いた。雁夜おじさんから教会で入手した書類を半ば無理やり受け取る。

 

「そうだな。複数で討伐にあたった場合、討伐した全てのマスターに令呪が与えられるのならば、少なくとも損はない」

 

 良い感じだ。ケイネスさんも同調し出した。

 

「だが、ソラウ。全面的に信頼するには問題がある」

 

 この流れは……行ける! と思った矢先に渋り出したケイネスさん。

 

「私の身の安全の事を言ってるの? それなら問題ないわ。これを見て、ケイネス」

 

 そう言ってソラウさんはテーブルに資料を置いて、一文を指で示した。『バーサーカーのマスターは子供や婦女子を積極的に狙っている連続殺人犯と同一である可能性』とある。

 

「私とサクラちゃんが囮でバーサーカー達をおびき出し、霊体化させたランサーで迎撃。キャスターと貴方とそこの彼が遠距離から待機で横槍を防ぎつつ、出来る事ならランサーの援護と他の陣営の排除というのはどうかしら?」

 

 スラスラとソラウさんの口からものすごく大胆な案が飛び出した。素直に怖いと思ってしまう。この人がもしかしたら一番油断ならないかもしれない。

 何を思い浮かべたのか、頬に両手をあてて恍惚としているソラウさん――――あ、ダメだこの人。

 

「成程、人質交換という訳か……考えたな。それならばいざというときは互いに令呪で召喚すれば対応力も高い」

「それは使えるかもしれないけど、囮の二人の安全が……」

「カリヤと言ったか、俺に任せておけ。我が槍にかけて、二人の安全を約束しよう!」

 

 そういうことじゃないと思います。男性陣三人の皆さん。どうやら気付いているのはケイネスさんとわたしだけのようだ。ケイネスさんが口を開けたままだもの。

 これって、どう考えてもランサーを一人占めしたいソラウさんに利用されているよね、と少しだけ不安が胸の内をよぎった。



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#8 本当に、最低だ

「ふぅ」

 

 自然と肩から息が零れた。頬に流れる夜風が心地よい。未だ獲物は釣れる様子はなく、待ち疲れ感が背中にのしかかっている。

 

「少し歩き疲れたわね」

「ですねぇ」

 

 日暮れ頃からずっと歩き通しのため、ソラウさんと二人で新都の外れにある公園のベンチで休憩中である。

 一年かけて魔力を温存していたため先輩の現界における負担は以前のライダーのときよりずっと軽い。だがこの体は幼児そのもの。体力面は貧弱そのもので我ながら情けない。そして嘆いてもどうしようもない事柄なのである。

 わたしはリュックサックをベンチに降ろすと魔法瓶を取り出し、湯気が立ち上る先輩特製のアツアツの紅茶を外蓋に注いだ。

 

「どうぞ」

「……ん、ありがとうね。サクラちゃん」

 

 戸惑いながらもソラウさんは紅茶を受け取った。貴族として育った彼女は、もしかしたら水筒を使うこと自体が初めてだったのかもしれない。

 ケイネスさんなら拒絶されるかもしれなかったが、数時間の散歩で少しだけ互いの境遇を話し、心を開いたのが良かった。彼女は私に対しての警戒はかなり薄くなっているようだ。

 私も内蓋に注ぎ、冷ましながら表面を啜る。キーマンの燻ぶった香りが口内から鼻孔へと染み渡った。ホッと一息。

 

「どう、ですか?」

「実家ほどじゃないけど、飲めないことはないわ。少なくともホテルの紅茶より美味しいと思うわよ」

 

 熱の籠らない声だが元々彼女はそうなのだろう。本物の貴族様から認められる先輩は流石だ。

 

「先輩はイギリスで執事をやってたこともあったらしいですからね。お店で先輩が淹れたのは良かったでしょ?」

「ええ。淹れ立ては申し分なかったわね。もしランサーを受肉させても余裕があるのなら、キャスターも受肉させましょうか。その話が本当なら是非執事として雇いたいわね」

 

 ランサーという言葉が出た途端、先程までとは打って変わって惚気の入った熱い声を出すソラウさん。聞いているわたしは背中に冷たい汗が流れていると言うのに、気づく素振りは微塵も見せない。

 ケイネスさんから聞いたところランサーには魅了の呪いがあり、ソラウさんはその虜になっているらしい。わたしも今日一日ずっと眼元が痒くて仕方ない。いきなり花粉症にでもなったような気持ちだ。

 

「うふふ、そのときは是非。でも先輩はあげませんよ?」

「ランサーさえいればいいもの。キャスターには興味ないわ」

「わたしも先輩以外興味はありませんから大丈夫ですよ」

「そう。なら私達は協力し合えるわね」

 

 ケイネスさんにも興味はないんですね、なんて酷いことは言えない。何とも哀れで少し胸が痛む。

 あの人はプライドの高さが鼻につくけど本当に婚約者一筋なのだ。わたしたちの将来を任せても良いと思えるぐらいには立派な人物であり、頼れる人柄だと言うことも短い時間の付き合いでさえ読みとれた。 主にわたし達の今後の安寧のために、何とかしてやりたいとは思うけれど……ケイネスさんの願いがまだ特に決まっていないことを良いことにランサーの受肉を本当に考えているようだ。

 先輩も一緒に受肉させてくれるかもしれないけれど……ギスギスするんだろうなぁ。

 もっとも平和的な解決としては最後に残ったギルガメッシュを2騎で打倒しつつもランサーには致命傷を負ってもらい、残った先輩のマスター権をケイネスさんに譲るのが理想な形だと今のところ考えている。

 降霊術の極地である英霊を伴って帰還できればケイネスさんには充分な箔が付くし、わたしも幸せ。うん、この路線がベストに違いない。

 

「あれは……まさか子供?」

 

 急にソラウさんが呟く。指差す方にはパジャマ姿の子供が2人、誘蛾灯に惹かれる様にフラフラと歩きながら公園の木々の中へと消えていった。

 倉庫街での爆破事件とバーサーカーによる惨殺事件のせいで冬木氏は警察による厳戒態勢が敷かれている。ソラウさんの魔術がなければわたしのような子供が出歩くことは許されないはずなのに。

 

「どう考えても普通じゃないですよね。それとソラウさん。わたしも何だか、ついさっきから鼻がおかしいんです。すごく甘くて臭い香りがしているような、変な感覚というか……バ―サーカーのマスターの魔術かもしれません」

 

 わたしも水筒の蓋を両方閉めるとリュックに仕舞いこみ、ベンチを降りる。

 

「私は何も感じないわ。でも急に魔力の流れがおかしくなったのは分かる。マスターは一般人かもしれないって話だったけれど、これは気を付けた方がいいわね。ランサー!」

「はっ!」

「私達を抱えて、ランサー。あの子供達の向かう先に敵のマスターがいるはず。そこに向かうわ」

「わかりましたソラウ様!」

 

 囮作戦自体は失敗だったけれど、これでどうにか捕捉できそうだ――――でもこの様子を見てまたケイネスさんは歯噛みしているのだろう。ベストな選択とはいえ、これは同情しちゃうなぁ。

 

 

                ×        ×

 

 

 子供達の向かう方向とソラウさんの探知で向かった先は、いかにも怪しい街の路地裏。待機中の先輩から入った連絡だと、闇色のローブを纏った長躯の男が10人以上の子供を連れ立って暗がりへと消えていくのを確認したようだ。

 きっとそれで間違いない――――いや、本当にそうなのか? 

 ここで違和感が生じる。理性のないはずのバーサーカーが何故本能に従い、その場で捕食していないのか。それとも派手にやり過ぎたのでマスターがわざわざどこかへ子供達を集めてから、その魂を捕食するつもりなのだろうか。

 しかし、その疑問はすぐに解決されることになる。件の男が目の前にもう居るのだ。

 路地裏の袋小路に辿りついたところで相対したが、相手もランサーの存在に気が付いていたようだった。男は振り返ると、零れおちそうな眼球をこちらに向ける。

 

「こそこそ嗅ぎまわるネズミが居るかと思えば、ランサーのマスターでしたか」

 

 道化風の魔術師は籠った声を発する。それでわたしは悟った。マスターじゃなくサーヴァントであることは相対した瞬間分かったが、理性がある時点でバーサーカーじゃない。この男はキャスターだ。

 

「……聖処女は聖杯によって再びの復活を得た。私は聖杯戦争を行うまでもなく、その願いの正当性と強さを持って聖杯を手にしたのだと確信しました」

 

 両手で頭を抱え、身を震わせながらキャスターは語り出した。聖処女とは誰のことだろうか? 男が何を言っているのかが全く分からない。

 わたし達を降ろしたランサーは槍を構え、その矛先を心臓と喉元に向ける。

 

「そのときの私の喜びが分かりますか? 理解できますか? 貴方たちにはできないでしょう」

 

 ビルに覆われた狭い夜空に手を掲げ、舞台役者のように金切り声をあげるキャスター。あまりにも異常なその挙動に誰も声を挟むことができない。ただ、警戒の体制を取り続ける。

 まずい。ここだと遮蔽物が邪魔で先輩の援護が期待できない。横槍は防いでくれるだろうけれど、ここは3人で乗り切るしかなさそうだ。

 

「しかしランサーよ。貴方は我が愛しの聖処女の腕を斬りつけ、あまつさえ一人残して裏切った! 聖処女はまたしても裏切られ、そして死んだのです!」

「……もしかしてセイバーの事かしら?」

「……多分」

 

 倉庫街のことを言っているのだろうか。それならばソラウさんの言う通り、聖処女というのはセイバーの事だろう。エクスカリバーを駆る彼女と関係のありそうな魔術師と言えば、ぱっと思い浮かぶのはあまりにも有名な魔術師の名前。

 

「ソラウさん。もしかしたらキャスターの真名はマーリンかもしれません」

「キャスターってどういうこと? クラスの重複はありえないはずよ」

「実は先輩はキャスターとアーチャーの適正持ちのイレギュラークラスなんです。勘違いを正さなくてゴメンなさい。またそれは後で説明します。それより、マーリンについての伝承はわかりますか? 弱点や得意なことなど、英国出身の方なら詳しいと思って」

「……後で話してもらうわよ。マ―リンと目星を付けた理由も気になるけれど、彼は高名なドルイドよ。植物に気を付けないといけないわ。それに伝承からすると予言に魅了……もしかしたら真名は正しいかもしれないわね。それから捉えられていた過去があるから捕縛や封印に弱いかもしれないけれど、ランサーには無理ね」

 

 流石、自国の伝承だけあってかなり詳しいソラウさん。マーリンは植物が得意らしいが周りはビルばかりで植物の気配はほとんどない。これは立地的にこちらが有利なようだ。それと捕縛か……影でも効果があるのだろうか?

 

「ソラウさんは封印とか使えます?」

「いいえ、治癒はともかく戦闘で役に立てそうな魔術はないわ。それにランサーの維持をしているのは私だから余裕もあまりないと言ったところね」

「そうですか。なら必要な時は私がランサーのサポートに回ります。通じるかの保証はないですけれど、どうやら私の得意分野みたいなので」

「そうなの? でも基本的にはランサーに任せるわよ。貴方に何かあってキャスター……じゃなかったわね。貴方のサーヴァントに何かあっても困るから大人しく援護を待ちなさい。大丈夫。対魔術持ちのランサーが負ける理由がないわ」

 

 ソラウさんがそう言うので、わたしは自衛に徹することにしよう。対魔術があるなら、確かにランサー一人でも大丈夫かもしれない。そんな相談をしている間にもキャスターは語り続けていたようだ。ランサー、もう待ってなくてもいいんじゃないかなぁ。

 

「――――どうして二度までも、二度までも裏切られ死ななければならなかったのでしょうか。これは神による悪辣な仕打ち以外の何物でもありません。故に私はここに聖戦を宣言しましょう!!」

 

 絶叫がビルの谷間に木霊する。あ、そろそろ口上も終わりそう。

 

「神に呪いあれ! 聖杯に呪いあれ! 非業なる最期を迎えた彼女に代わり、私が断罪して差し上げましょう! さぁ我が愛しの聖処女ジャンヌのため、貴方のマスターの無垢なる血と断末魔を捧げなさい!」

「え――――――――ジャンヌ?」

 

 今までの必死の考察は何だったのか。そんなことに気を取られていると。突然視界が紅色に染め上げられる。額にヌメっとした何かが付着した。久々に鼻孔を刺激する生臭いソレは、久々にわたしを戦場の感覚へと誘い出そうとする。

 男の足元に転がっているのは頭の弾け飛んだ子供の肉塊。飛び出している臓物やら脳漿やらのことは、口に出すと流石に気持ち悪いのであまり気にしないでおく。

 

「貴様ぁ! この外道が!!」

 

 ランサーが槍を振り上げ飛び出した。一言キャスターが呟くと子供達はヒトデみたいな魔物へと姿を変えてランサーに襲いかかる。

 しかし魔物は所詮魔物だ。一振りで真っ二つになるほど脆く、英雄と渡り遭うには格が違い過ぎた。あとはランサーの一方的な試合になる、なればいい……そう思っていたが、実際は逆だった。

 袋小路で追い詰められていたのはわたしたちの方だと、ようやく気づくのにかかったのは完全に周囲を包囲された数分後の事。魔物の死骸、血の海から際限なく魔物は増殖し続ける。そろそろ20を超えるだろうか……数えるのも馬鹿らしくなって来た。

 ランサーは強い。だがわたし達を護りながらのハンデを持つ上に、キャスターとの相性が圧倒的に悪いことも間違いない。状況を打破するには先輩の援護待ちになるのだが――

 

「きゃぁあああ!」

 

 ランサーが討ち漏らした触手がソラウさんへと襲いかかろうとする。

 

Es erzahlt(声は遠くに)―――」

 

 この身体で、どこまで戦えるのか。

 

Mein Schatten nimmt Sie(私の足は 緑を覆う)……!」

 

 影の触手が魔物を絡め取り、闇の中へと捕食する。最盛期とは比べ物にならないほどに頼りない力。でも――――

 

「サクラ、ちゃん?」

Es befiehlt(声は遥かに)―――Mein Atem schliest alles(私の檻は 世界を縮める)……!」

 

 今度は英霊相手じゃない。アーチャーや姉さんと比べたら、こんな魔物相手何かに負ける気などかけらほどもない。

 

「ソラウさん。先輩の受肉の件、交渉して下さいね。Es flustert(声は祈りに)―――Mein Nagel reist Hauser ab(私の指は大地を削る)

 

 さらに影を呼び出してわたし達を食べようとしていた魔物たちを逆に次々と捕食する。ちょっと大きな蟲が相手だと思えば良い。もともとが死体だったからか、一体一体がそれなりに大きな魔力を持っているのでちょっとした餌みたいなもの。

 死んでしまった子の仇を取る代わりに、その血肉から溢れ出る魔力をわたしがもらって活用してあげるのだ。

 

「TVゲームでいうボーナスステージってやつですね。わたしとの相性は最高ですよ。これぽっちも負ける気がしません。ソラウさんはわたしが護ります。ランサーさんはキャスター本体を仕留めて下さい!」

「了解したサクラ。ソラウ様を任せたぞ!」

 

 この布陣がベストだとわたしは判断した。令呪を確保するためにもランサーには確実に仕留めてもらわないと。偶には張り切って先輩に良いところを見せるのもいいかもしれない。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「すみませんソラウ様、キャスターの奴を取り逃がしました」

「えぇケイネスから連絡があったわ。向こうの3人が急に動き出したライダーを追っているわ。おそらくキャスターの絡みだと思うから任せましょう。それでランサー、言いたいことがありそうだけれど」

「はい、拠点の一つと思われる場所を発見したのですが……」

 

 何故か途中でもごもごと言い淀むランサー。資料の如く、きっと凄惨な光景が広がっているのだろう。

 

「ランサーさん、わたしも見る覚悟はありますから」

「えぇわたしもよ。魔術師として神秘を秘匿する義務もあるわ。案内してランサー」

「はい。それでは――」

 

 そうやって連れて行かれた場所は薄暗いアトリエのような場所だった。

 至る所に彫像が、家具が、楽器が、衣服が、絵画が、そこには飾られており――――そのどれもが人間だった”モノたちで作られていた。

 

「強がってみたものの、生で見ると流石に胃がきついわね。これで気分が悪くならないほど私は狂ってないわ」

 

 ハンカチで口元と鼻を抑えながらソラウさんは呟いた。わたしも同じようにした。

 眼前の惨状は言葉にもしたくない。死体や辛うじて生かされた肉塊で造られた一つ一つを見る度に、耐性があるとおもっていたわたしでも嘔吐感が込み上がってくる。

 そして薄眼で一つ一つをよく眺めていく。その飾られた者達のほとんどは子供たちであることに気付いてしまった。浮かび上がる一つの可能性、それもとびっきり最悪な可能性が脳裏に――――

 

「いやっ! 先輩がっ、先輩がいたらどうしよう!!」

 

 可能性はある、むしろ高いかもしれないのだ。お爺様の手や雁夜おじさんの必死の捜索にもかかわらず未だ見つからないこの世界の小さな先輩が、もしも、もしもこの中に居るのだとしたら――――

 

「いや、そんなの嫌だ。先輩がいないのならわたし、わたし、何のためにっ!!」

「どうしたの!? 落ち着いて、気分が悪いなら外に出ましょう」

「知り合いが、大事な人がこの中に居るかもしれないんです。すみませんランサーさん、全員、全員です。集めて来て、貰えませんか?」

「ランサー……私からもお願いよ。頼まれてあげてくれないかしら」

 

 まだ生きている人もいる。ソラウさんは治癒が使えるとも言っていた。万が一ここに先輩が居たとしても間に合う可能性は残されているのだ。だから諦めるな、絶望するなわたし。

 

「これで全部だと思います」

「ありがとう、ランサー」

 

 並べられた人達の顔を一つ一つ確認していく。いない、いない、いない……いない。先輩が居ないことに安堵しながらも、焦燥は収まるどころか余計に悪化していく。

 何とも言えない悪い予感、虫の知らせのような何かが私に囁いている気がするのだ。だから全てを確認し終えるまでわたしは安心できない。いや、顔が判別できないものや存在しないものも多いのだ。先輩が全然違うところで見つからない限り、きっとこれからわたしは安心できないのだろう。

 そうやって一つ一つ確認を続けていると、一つの見知った顔があった。だけど先輩じゃない……良かった。

 

「良か……った?」

 

 声が、漏れると共に膝からストンと音がするように崩れ落ちた。

 艶やかな黒髪、きめ細かい白い肌、翡翠に近い綺麗な瞳、彼女はまさしく――――

 

「嘘だ」

 

 でも、決して見間違えるはずのない。わたしが決して間違えるはずがない。

 

「嫌っ、嘘、嘘でしょ」

 

 でも現実だ。分かってる。でも生きているとは到底言えないような姿で、わたしの膝元でかろうじて息だけをしているのは……

 

「ねぇ……さん」

 

 姉さん以外の何者でもあるはずがなかった。

 

「姉さん、どうして、どうして……ここに居るんですか」

 

 何で、何で禅譲のお家にいるはずの姉さんがここに。わからない。わかりたくもない。

 

 

「ソラウ様、魔術でその少女を救うことは?」

「無理よ。むしろ現状がキャスターの魔術で無理やり生かされている状態でしかないわ。悔しいけれど、私にできることは何もないのよ」

「――すみませんでした」

 

 助ける方法は、ないらしい。

 

「どうしたら、いいんですか、姉さん」

 

 返事はない。ただ、声を発することのできない姉さんは、瞬きをすることなくずっと私を見つめてくる。口元を動かすことも、存在しない手を伸ばすことも今の姉さんには叶わないので、ただ見つめてくるだけだ。

 わたしがもっと姉さんのことを気にかけていれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに。後悔の波が寄せては返し、行き場のない思考がグルグルと循環する。

 わたしを止めに来てくれた姉さん。わたしを本気で殺しに来て、そして止めを刺せなかった、強くて、愚かで、優しくて、愛しい姉さん。

 そんな姉さんの事を、わたしは――――ならばせめて。

 

Satz(志は確かに)

 

 せめて、わたしと一つになって、一緒に生きて下さい。姉さんが寂しがらないように、ここに居るお友達もみんな送ってあげますから。

 

Mein Blut widersteht Invasionen(私の影は剣を振るう)

 

 せめて安らかに。

 こうして影で全てを包み込んで、部屋に残ったのはわたしたち3人だけになった。

 

「辛かったわね。泣いても良いのよ? ランサーと私しか見てないから」

 

 優しいバラの香水の薫りに抱きしめられる。柔らかくて、暖かい。まるで姉さんみたい。

 

「先輩じゃなくて良かったって、先輩じゃなくて姉さんで良かったなんて」

 

 ソラウさん、本当に吐き出しても良いんですか。わたし、重いですよ。

 

「わたしっ、ぐすっ、思ってしまったんです。わたしの、大事なっ、姉さんなのに……」

 

 先輩が多分無事で良かったって、本気で思ってるんです。こう言っている今も。

 

「やだ、わたし……本当に、最低だっ」

 

 今夜の事は先輩、そして特に雁夜おじさんにだけは絶対に言えない。吐き出す場所があるうちに、後悔と自己嫌悪で塗れた嗚咽を、ソラウさんの胸の中でわたしは思いっきり叫び続けた。

 



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#9 ボク自身の価値を

 教会での出来事から想像するにランサーとキャスター陣営は既に接触し、協力体制に入った可能性が高い。討伐に参加した両者に令呪が配られることからしても、一時的な同盟を組むことは充分にあり得るだろう。

 よってウェイバーの出した結論は、バーサーカー討伐には積極的には参入せず、炙りだしたキャスターの根城に突入することであった。

 工房が更に強固になり、手の出しようがなくなる前に何とかしなければならないのだ。討伐で手薄になると思われる今しかチャンスはない。

 自分自身がランサーのマスターであるロード・エルメロイに敵視され、更にライダーもアーチャーに目を付けられてしまっている敵だらけな現状だ。

 序盤にアサシンが脱落し、有効的であったセイバーも破れ去った以上、どう考えてもバーサーカーの次に狙われるのは自分たちである。ランサー達とアーチャーが潰し合ってくれれば恩の字だが、まずそれはない。

 あのアーチャ―が強力過ぎる以上、アーチャー打倒までの・長期的な同盟か不戦協定を結ぶ必要がある。最悪の場合はキャスターの排除に踏み切ると決めたが、その場合だと次に潰されるのは自分たちだ。

 そして肝心な同盟や協定を結ぶだけの材料を自らが持っていないことが最大の障害であった。何を持って自らの価値を証明するか。

 

「オマエのじゃない。ボク自身の価値を証明しなきゃだめなのに……ボクって本当、何も持っていないよなぁ」

「そうだな坊主。確かに貴様は魔術師としては未熟なのだろうな」

 

 いつもなら豪胆に笑い飛ばしてくれるはずのライダーの一言が、虚栄で満ちた胸に鋭く突き刺さる。アイリスフィールの笑顔も、心なしか陰りを感じる。彼女は無言のままだ。

 ウェイバーにとっては長い一瞬の間、沈黙という名の苦痛を取り払ったのは彼の王の言葉であった。

 

「だがな、坊主よ。貴様には気概がある。余の聖遺物をあの魔術師から見事に奪い取って見せたのだ。その気概こそが、この征服王と共に闘うマスターとしての証に他ならん。自身を持つが良い、我がマスターよ! それにお主は聡明だ。きっとこれから精進すれば大成するであろうよ」

 

 ライダーは丸めた冬木市の地図でウェイバーの右肩を叩くと、口角を釣り上げて白い歯を見せる。

 

「何、足りぬなら余所から奪い獲ってくれば良い。そうであろう?」

「あぁ、行こうライダー。キャスターの工房を征服するぞ!」

 

 

                ×        ×

 

 

 

「これは、酷いな……」

 

 意気揚々と出発したのにも関わらず、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)によって突入した先は地獄絵図だった。工房内の猟奇的な光景にライダーは言葉に詰まった。アイリとウェイバーはまだ視界に捉えていないらしい。

 次々に現れる異形を葬りながら辿りついた先の貯水槽。ライダーと同じ物を見たアイリはウェイバーへ声をかける。

 

「無理して見ない方がいいわ」

「坊主止めておけ。これは貴様にはまだ早い」

 

 二人の言葉が未熟という意味に映って癪に障ったのか、ウェイバーは声を荒げる。

 

「ボクだって魔術師なんだ。さっきの変な怪物を見たくらいで…………」

 

 だが彼は見てしまった。“人間だった”モノたちによって作られた彫像を、家具を、楽器を、衣服を、絵画を。常人の感性では理解できない、理解するべきではないモノたちを。

 人であった彼らの内のいくつかは、呼吸をするように胸を上下させているモノもあった。声にならない声を上げるモノ、筋肉を痙攣させ、内臓を脈動させているモノ。

 そして、ハッキリと目が合った――――合って、しまった。振り子時計と化した眼球がこちらを見つめ続けている。

 

「ひ」

 

 ウェイバーの前歯の隙間から擦れる様な声が漏れた。額に針を植え付けられても、顎を切り裂かれ、舌に眼球を縫合されながらも、ソレはまだ生きているのだ。

 

「酷いわ。人として信じられない。あのアインツベルンでさえまだマシよ。治癒魔術をこんな事に使うなんて……」

 

 気のせいか周囲の音が遠くなった感じがする。胃の奥底から酸っぱい何かが口元に込み上げてくる。だが込み上がって来たソレを彼は飲み干した。

 この人の前で醜態は晒せない。熱くなった目頭を袖で拭い、膝を思いっきり抓って震えを止めようとする。しかし、得体のしれない恐怖の前では、身体が思ったように言うことを聞かない。

 それでもなお、精一杯の言葉を連ねるウェイバー。

 

「ライダー。方針変更だ。キャスターは倒す。これはマスター命令だ。例えこの先の勝算がなくなったとしても、こんな奴を許すわけにはいかない」

「よく言った。このような外道、決して野放しにするわけにはいかん」

 

 ライダーは確固たる言葉で同意し、覚悟を決めた少年の頭を揉みくちゃにする。

 

「――――なぁ、キャスターよ?」

 

 振り返ることなく、ライダーは背後へと声を投げかける。

 

「あぁライダー。私もその意見に概ね同意だ。多少の犠牲には目を瞑るが、これは目に余る光景だ」

 

 ライダーが語りかけた先へと視線を向ける。両手に白と黒の双剣を手にした赤い外套のサーヴァント――おそらくはキャスターと、ランサーのマスターであるロード・エルメロイ。

 この二人が並んでいるところを見るに協力体制は既に確立されているのだろう。だがそれよりもウェイバーには気になることがあった。

 

「まるで自分がキャスターではないと言わんばかりじゃないか。消去法でわかってるんだよ!」

「時計塔の名を汚す屑めが。見識が浅いにも程がある」

 

 激情に駆られて捲し立てるウェイバーに対し、極めて冷やかな声を正面から叩きつけるロード・エルメロイ。

 その語気に圧されて、一歩後ずさりするウェイバーを受け止めたアイリスフィールは、眉間を締め付けながら彼らに問いかける。

 

「もしかして、討伐対象のバーサーカーが、実はキャスターだったってこと?」

「その通りだ。教会で正しい情報を入手していれば被害状況からすぐに察することができただろうにな」

 

 貴様達はソレを怠ったのだ、というような言葉がその後に続くのだろう。皮肉気な声色でそのサーヴァントは答えた。

 

「じゃあ貴方はバーサーカーなの? バーサーカーは理性がないはずじゃあ……」

「こちらが種明かしをする必要はない。それに――――桜とランサーに追われて来たここの主がお帰りのようだ」

 

 正解を得る前に、倒すべき敵が舞い戻って来た。

 出口側から現れたのは蛙のように眼が突出した長身の男、奴がキャスターか。そしてその後ろにはナイフを弄ぶ華奢な青年、おそらくはマスターだ。

 

「なんと! 我が工房へまた侵入者が。貴方達もジャンヌに捧げる贄となりに来たのですか?」

「ねぇねぇ、またやばいんじゃないの旦那。このおっさん達、超ヤル気じゃん。俺でも分かるって。あいつ等さっきのみたいな奴なんでしょ? さっきの女の子も訳わかんないぐらい強かったし、逃げた方が良くない?」

「何を弱気になっているのです龍之介!」

「だってさぁ……」

 

 キャスターと違ってマスターは逃げ腰のようだ。ロードエルメロイの言うようにランサーから敗走してきた所なのだろう。

 

「目の前に最高の素材が二人も居るではありませんか! それにこの匹夫どもを片付けねば、苦労して作り上げた芸術品たちを汚されてしまうのですよ?」

「うわっ。それはやだ。絶対やだ。それならさっさとやっちまおうぜ旦那。それであのオルガン完成させよう。きっとすっげぇ良い音で鳴ってくれるんだろうな」

「えぇ龍之介、より素敵なオルガンを作ってジャンヌに歌を捧げようではないですか!」

「おうさ。旦那、その粋だ! 俺も協力するからCOOLに決めようぜ!」

 

 笑顔で笑い合う二人とは裏腹に、対峙する面々の表情は固まっている。理解が追いついていないのは皆同じようだ。

 

『旦那が彼女さんの仇をぶっ殺せますように!』

 

 突如、青年の令呪が光った。それは無意識の発動だったのか「うわぁ、何か光ってる!」などと無邪気にはしゃいでいる。

 

「おぉ、流石は龍之介です。令呪の使い方を心得ているとは。これで心おきなく戦えます」

 

 エーテルの嵐がキャスターの周囲に集まっていく。対するライダーはロードエルメロイ達を差し置いて戦闘に立ち、その大きな背中を見せつける。

 

「こやつは“我らが”引き受けた。この外道は断じて“逃がさん”」

 

 ライダーが短剣を掲げると、令呪以上のエーテルの奔流が巻き起こる。

 

「――――さぁ集え、我が同朋よ!」」

 

 世界の色が、いや世界の理そのものが全く異なるものへと書き換えられ、染め上げられていく。吹き抜ける熱い風と、肌を差す陽光。彼らが目を明けた時に目の前に広がっていたのは別の世界だった。

 

「ま、まさかこれは固有結界か!?」

 

 あの冷徹そうな赤い外套のサーヴァントが初めて動揺した声を上げた。

 驚くべきは周囲の世界だけではない。熱砂の世界から王の下に集う無数の戦士たち。

 

「こいつら、まさか一騎一騎がサーヴァントなの?」

「然り、相手が数で来るならこちらもそれ以上の物量を持って制するまでの事。行くぞ坊主、我らに二度の敗走はない!!」

「そんな馬鹿な。あり得ない」

 

 ロード・エルメロイが頭を抱えながら目の前の光景を否定する様を、ウェイバーは眺めていた。

 征服王は魔術師でもないにも拘らず、規格外の大禁術を行使しているのだ。単純に物量の問題であの軍勢に万に一つの勝ち目もない。それを理解したロード・エルメロイは悪夢を見ているような気分なのだろう。

 ウェイバーはロード・エルメロイから明らかに殺意の籠った怨差の視線を向けられた。だが相手が動くことはない。何故ならば数人の英霊たちがアイリスフィールとウェイバーを護っているからだ。

 

「くっ、これでは弓を出すことも適わんな。これがもし私が先に展開していれば……いや、重ね塗りという手も実現できるのか? いや、だが、アーチャー戦に魔力は取って置くしかない」

 

 手を出そうとすれば逆に狩られる。それを悟っている赤い外套のサーヴァントは双剣の構えを解き、戦士達の戦い様を眺め続けている。

 危険はないと判断したウェイバーとアイリも達も彼に倣い戦況を見守ることにした。

 例え相手が無数の異形を司るサーヴァントだったとしても、令呪によって強化されていたとしても、伝説の英雄たちが負ける姿など想像できるはずもない。

 事実、逃げ場を失ったキャスターと異形達は軍勢によって蹂躙され、神への怨差を残して消え去っていった。

 結果として運営から依頼されたバーサーカー討伐戦はライダーの一人勝ちである。

 そして世界が再び陰鬱な仄暗い水路に移り変わり、節理が元に戻った瞬間――――――――その時に、それは起きた。

 

「危ない!!」

 

 ウェイバーの顔にかかる血飛沫――――アイリのものだ。彼を庇うように飛び出たその背中には3本の黒い短剣が突き刺さっている。明らかに致命傷だ。

 

「……えっ?」

「糞っ!」

 

 仮面を被った黒衣の暗殺者をすぐに斬り伏せるライダー。

 暗殺者は左肩から袈裟切りにされながらも逃げようとするが、二つの軌跡がそれを阻む。

 

「アサシン、とうとう出て来たか」

 

 歯噛みしながら赤い外套の彼は言う。既に暗殺者は塵と消えて形もない。

 

「ロード、今直ぐに雁夜と連絡を取ってくれ! 雁夜が危険だ!」

「言われずともわかっている! し、しかしこの電話は一体どうやって使えば」

「渡してくれ。これだから、魔術師という奴は……」

 

 ロードたち二人の方も慌ただしい。だが、こちらの問題の方が深刻だ。ライダーに抱えられたアイリは息絶え絶えに言葉を吐く。

 

「……大丈夫よ。これ、ぐらい、なら直せ……るわ」

「その傷で何を言う!」

「ほら、こうやっ……て? あれ、変ね。もし……して毒が」

 

 一気に状況は暗転した。最悪だ。ライダーに治癒の心得はないし、心得のあるアイリ自身が重傷なのだ。故に彼にはどうすることも出来なかった。

 助けられる方法があるとすれば、それは――――

 

「――――先生。頼みが、いえ、交渉があります」

「君に先生と言われる筋合いはもうないはずだがね。私からライダーを奪った君が何故その女を助けねばならないのだ?」

「筋合いがないから、交渉なんです」

 

 掌を目の前に掲げてウェイバーは言葉を紡ぐ。

 

「令呪一つが対価です。水に長けた貴方なら容易いことでしょう? ボクの戦力は減って、貴方の戦力は増える。そして隣のサーヴァントのマスターに令呪が配布されるのを防ぐことができる。損は、ないはずです」

 

 そうだ。ロード・エルメロイにとっては絶対に得な話なのだ。そもそも令呪一つという対価は大き過ぎるぐらいなのだ。断る理由があるわけがない。

 

「ロード・エルメロイ、雁夜は無事な様だ。無論桜とソラウもな。そして二人から指示があった」

 

 歪に歪んだ笑みのロードが口を開きかけたところで、サーヴァントが口を挟む。

 

「少年、助ける代わりの令呪は不要だ。私も補助程度の事はしよう。しかしその代わりにホムンクルスの身柄をこちらで預かることが条件だ。ロード・エルメロイ、この要求の意味はわかるだろう?」

「成程、そちらの方が好都合だな。ソラウの意見に同意しよう」

「では、ライダーのマスター。君は彼女の生存を望む。それで相違ないならば彼女を助ける代わりに身柄を預かろう。我々にはアインツベルンの縁者が居るのでね」

 

 上から目線の、有無を言わせない要求を突きつけてくる。戦略的に考えれば令呪を失わずに済むのは大きい。

 だが、それ以前に彼女を助けようと言う行為が戦略を度外視しているのだ。明らかに何かを企んでいる二人に預ける気にはなれない。

 しかしながら時間は冷酷に過ぎていく。早く手を打たねば取り返しがつかない。自分の中で渦巻いている感情が冷静な判断能力を全て奪っていく。

 そして決断できない主の代わりにライダ―が言葉を発した。

 

「その要求を――――」

「いや、その必要はありません。王よ」

 

 突然、その言葉を遮る声が狭い空間に響き渡る。どこからともなく現れた長躯の男が前に出た。ライダーを王と呼ぶ長髪の男は彼の軍勢の英霊であるのだろうと推測できた。

 しかし彼の見た目は明らかに近代の魔術師のものである。明らかに異質だ。

 彼の正体を探ろうと必死なウェイバーを見下すように一瞥すると、アイリスフィールの傷口に掌をかざす。

 

「ふむ。この毒なら治癒可能な種類であるようだ。よってその要求は却下だ」

「何と! でかしたぞ! 名は……ん、と、誰だ?」

「王よ。仔細は後ほど。それよりも貴様だ。先程のキャスターとの戦いから私の視線に気づいていたのだろう?」

「何だよ、そんなことよりも早くアイリスフィ……」

「ファック! そんなことではない! 重大なイレギュラーだぞ。このサーヴァントはな!」

 

 罵詈雑言を吐き捨てて、彼は指を赤い外套のサーヴァントに突き立てる。

 

「何故ここに居るのだ―――――――“エミヤシロウ”!!」

 



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#10 やり直せれば

 時は少し遡る。ランサーの戦闘に桜が加勢し始めた頃、セイヴァーはその瞳にライダー達の姿を捉えたようだった。

 

「ライダー達が動き出したようだな。しかし妙だ。あの方向は遠坂邸でも、桜達の方でも、城の方でもないな」

「でも桜ちゃんたちがバーサーカーとは交戦中だろ」

 

 本当ならセイヴァーの弓矢で援護して欲しい所であったが、現在の戦場は市街地の路地裏であるため破壊力の高い一射は避けるべきである。

 勿論セイヴァーの腕を持ってすれば、遮蔽物の多い場所であったとしても威力を抑えて援護することは不可能ではない。

 しかしライダーやアーチャー、そして未だ潜んでいる可能性のある衛宮切嗣とアサシンをの横槍を防ぐためには、そう簡単に自身の場所が特定される訳にはいかない。 よって彼ら三人は静観に徹していた所であったのだ。

 

「ならば動いた理由は別にあるな。戦いが始まったことに気づかんほど奴らも愚鈍ではあるまい。現時点で最も不利なのはライダーだ。このタイミングで動いたことからも、討伐より優先すべき理由があるとしか思えん」

 

 口元に手をあてながら思案するケイネスに対し、セイヴァーが同調しながらも胸の内によぎる懸念を口にした。

 

「あぁ。アインツベルンと行動を共にしているのも気になる。潰すなら他に気が向いている今かもしれん。が、しかしバーサーカーの本体の対処が桜達だけでいけるのかが気になるな」

「見ている感じ桜ちゃんも絶好調みたいだし、ランサーと旨く噛み合っている。いざとなったら令呪があるから大丈夫さ。あの糞爺が『場所』を抑えているんだ。後は『器』を確保さえすれば、俺達の勝利はグッと近づくんじゃないのか?」

 

 ライダー達が何かに対して気を取られている所への奇襲。そして他の陣営もバーサーカーへと目を向けているはず。ならば勝利条件の一つであるアイリスフィールの奪取に最適なのは今しかないと雁夜は考えを示す。

 

「確かに一理ある。そもそも令呪一画と聖杯の器、どちらを優先するかなら器の方だろう。万が一アーチャーが現れた場合は打ち合わせ通りにする、それでどうだ?」

 

 雁夜の言葉にケイネスも同意し確認をとった。セイヴァーも異存はないようで結論を告げる。

 

「問題ない。予定から外れるが我々の勝利条件を整えられるのは今しかない。器の奪取のために動く。雁夜、桜に連絡を獲り次第……」

「待ってくれ!」

 

 双眼鏡の先に何かを捉えた雁夜がその言葉を遮った。紅茶で暖まったはずの頬色が再び血の気を失い、青ざめていく雁夜。

 

「何で、葵さんが!? 禅譲に居るはずじゃ……」

「桜達の母親か? 凛や遠坂時臣の姿はあるのか?」

「いや、葵さんだけだ。でも殺人事件がこれだけの騒ぎになっていて、聖杯戦争のことだって知っているはずなのに、何かあったのか? 士郎、俺は……」

 

 酷く早口で誰の目から見てもに明らかに狼狽している。それを引き留めない理由はなかった。

 

「行くというのか? 現状を認識しろ雁夜。器を追わなくてはならない今、私は付いていけないぞ。君一人では無力だ」

「罠かもしれないってのは分かってる。時臣や言峰綺礼が俺をおびき出そうとしているのかもしれない。それに衛宮切嗣も」

「そこまで分かってるのなら少し息を整えて、冷静に考えろ。君がその場に向かうことに何のメリットがある?」

「メリットなんてわからない。けど、俺が死んだところで大したデメリットもないだろ? 感情的になってるのはわかってる。でも、それでも、俺は。葵さんが、葵さんの事が心配なんだ!」

 

 冬の白い吐息と共に唾を飛ばしながら、雁夜は長年胸に抱いていた感情を発露する。もはや論理だった言葉では説得が不可能と理解したケイネスと士郎は、先走る雁夜に対して何も言葉を与えることができない。

 

「ゴメン。聖杯の器は任せた。早く行ってくれ追えなくなるから」

「雁夜……」

「大丈夫、あいつ等のしっぽ掴んで来てやるからさ」

「キャスター時間が惜しい。ライダーを追うぞ。マトウカリヤ――――陽動は任せた」

「任された!」

 

 強張った笑みを浮かべて雁夜は二人の横を走り去る。彼らだけが知る煉獄の運命から一刻も早く彼女を逃すために。

 

 

                ×        ×

 

 

 

 思い出の公園。奇しくも二人は邂逅を果たした。あるいはそれが必然であったのかもしれない。

 

「雁夜くん!? どうしてここに!?」

「こっちの台詞だよ。葵さん。今の冬木は危ないんだ分かってるだろ?」

 

 闇に佇む街灯。静かな光に照らされる女の姿は、木枯らし一つで倒れてしまいそうなほどに弱々しい。きっと彼女を支えてやらねば、その先に待つのは魔都の深淵だろう。雁夜はある種の予感めいたものを胸に抱く。

 

「でも、凛が、凛が居なくなったの!」

「凛ちゃんが!?」

 

 葵の実家に避難していたはずの凛、彼女が居なくなったとの報に雁夜は驚きを隠せない。

 桜とセイヴァーの知る未来通りであれば間違いなく葵と凛は生き残る。そう信じようとした雁夜だがそんな考えは逃避でしかないと数瞬の後に考え直した。改竄してきた新たな歴史では、彼女たちが無事な保証はもうどこにもないのだ。特にバーサーカーが子供を狙っているこの状況下では楽観視などできようもない。

 

「冬木では子供狙いの通り魔が出てるってテレビにまでなっているのにあの子はどうして……」

「大丈夫、きっと凛ちゃんは大丈夫だ。今まさに俺の相棒がこの事件を終わらせようとしているから。それに桜ちゃんも頑張っているんだから」

「――――桜が?」

 

 根拠のない励ましを少しでも引き延ばそうとして、余計な言葉を口にしてしまった。己の迂闊さに気付いた時はもう遅い。彼女以外にもその言葉を耳にしてしまった者が居たのだ。

 

「やはり、そういうことだったのだな」

 

 闇の隙間から流れてくるのは耳につくほどに精悍な声。限りなく最悪に近いタイミングでその男は現れた。

 

「遠坂、時臣……」

「貴方、どうしてここに!?」

 

 自分の娘に命の危機が迫っているだろう今でも、その男は一部の隙もない気品と余裕を身に纏っている。

 

「葵、君は下がっているんだ。この男は私の敵だ」

「雁夜君が、敵? それはそんなっ、なんてこと!?」

 

 自分の夫と幼馴染が聖杯の所有権を賭けて命を奪いあう仲なのだと告げられた葵。次々ともたらされる悲報によって膝が崩れ落ちそうになるのが見てとれるが、今の雁夜には彼女の肩を支えることは許されない。

 そして雁夜に対して一分一厘の迷いもなく時臣は推測を口にする。

 

「それに桜も、いや桜こそがマスターなのだろう?」

 

 核心を突かれてしまった。それも雁夜自身の迂闊さによってだ。いつかは露見すると覚悟はできていたが、このミスは悔やむに悔やみきれない程に痛い。

 

「あの翁と桜のどちらなのか鎌をかけたつもりだったのだが、その沈黙は肯定と受け取っても良さそうだな」

 

 否定の言葉を発せない雁夜に対し、蔑んだ瞳を向ける時臣。

 

「君の事を一瞬でも認めようとした私が愚かだったようだな。魔導を諦めておきながらも未練がましく舞い戻ったものの、結局半端者にすらなれない凡俗のまま、ただの囮として扱われるか。無様だな間桐雁夜。だが間桐の翁が好みそうな手だ」

 

 時臣は手の甲を顎にあて、自身の言葉に納得する様に一人頷く。その視線の先には雁夜の姿はない。

 

「あぁそうだよ。囮役しかできない無能だよ俺は」

 

 しかしそんな時臣の注意を少しでも引こうと雁夜は引きつった笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「でもこうして、遮蔽物のない見通しの良い場所までおびき寄せることができた。役目が果たせるのなら本望だ」

 

 狙撃を意図した行動である旨を含ませる雁夜であったが、その言葉を受けてなお時臣は眉ひとつ動かす様子を見せない。

 

「葵がここに居るのに雁夜、君がそんな事出来る訳がないだろう」

 

 時臣は分かりきっているとばかりに冷淡な声を浴びせる。そう、図星だ。以上のハッタリがしないことは明白だった。

 

「だが雁夜、君には感謝しているよ。君が責任から逃げたおかげで桜は見事に才能を開花させることができた。まさか一番危険視していたサーヴァントを使役していたのが桜だったとはな」

 

 その声に宿るのは桜に対する悦びの熱気であると雁夜は悟った。魔術師の在り方というものをセイヴァーに何度も叩きこまれた雁夜は必死に思案する。桜に対するごく一般的な親としての愛よりも、魔術師の親としての方が勝っているのが目の前の男なのだ。それを利用するしか、この場を切り抜ける術はない。

 

「――――仮に桜ちゃんがこの聖杯戦争で最後まで勝ち残ったとしても、遠坂の家名には栄光がもたらされる。遠坂時臣、お前はそう考えているのか?」

「あぁ君の言うその通りだ。私にとってこれ以上幸運な事はあるまい。凛と桜、あまりにも非凡な才能をもってしまったがために後ろ盾がなければ只の人として生きることすら許されなかったのだよ。君は暗部を知らないだろうがね」

 

 目尻から溢れ出る感情を抑えきれず、時臣は指先で滴を拭い去る。対面する雁夜はその涙が意味するのが何たるかを理解しながらも、それに憤りをぶつけることができない。それが時臣の信ずる歪んだ愛の形だと、知識としてならば理解できるからだ。

 無知な昔の自分であれば「ふざけるな!」と一蹴していたに違いない。しかし数多のホルマリン漬けが眠る時計塔の話をセイヴァーから聞いた今では、決して納得はできないものの時臣の判断を責めることは難しい。何しろこの時代の桜は本来受けるべき苦難を逃れることができているのだから。

 

「だが実際どうだ、今の状況は? 潰さざるを得なかった才能が、諦めかけていた命が、ここまで早く華を咲かそうとは。やはり私の判断は正しかった。――――よし、方針を変えよう。桜のキャスターの排除は一番後回しだ。これで後の憂いなく私は戦うことができる」

 

 時臣の言を信じるのならば、アーチャーの矛先が桜に向かうのは最も最後になったということだ。雁夜が魔術師の性質という納得しがたいものに対して感謝したのはこの時が初めての事であろう。真実はバレてしまったが、全くの無意味ではなかったことが雁夜を安堵させる。

 

「俺も憂いはないよ時臣。今ここでお前を足止めすることが出来たのだから俺たちの勝ちだ」

「そうかな? 仮にキャスターがバーサーカー討伐をしたとしてもだ。マスターとして登録しているのは間桐雁夜、君だ。桜へ令呪を譲渡することは認められない」

 

 バーサーカー討伐にしか意識が行っていないと確信する。先に向かわせた二人が果たすべき目的に気付いていないのは救いだ。死を偽装して潜んでいるかもしれないアサシンと最終目標であるアーチャーの所在が気になるが、知った所で今の雁夜には何もできない。ただ、時間を稼ぐことを除いては。

 

「俺が死ねば、だろう?」

「家督の責任から逃げ出した君が、私の前から逃げられるとでも?」

「葵さんの目の前で俺を殺せるのか?」

「殺せるとも。葵は“魔術師である”私の妻だ。何ら問題はない」

 

 二人を交互に見やる葵を無視して言葉を連ねる時臣。無理やりにでも話題を変える他ないと、雁夜は次なる言葉を選ぶ。

 

「それで時臣、凛ちゃんのことは良いのか? わざわざ俺一人のために穴熊を辞めたという訳じゃないんだろう?」

「それは今直ぐ君を排除して捜索に向かえば済む話だ。言い残すことはそれだけか?」

「融通の利かないお前のサーヴァントと違って、俺たちのサーヴァントは索敵に長けている。凛ちゃんは俺達が必ず――――」

「カッ、無理な事は言うものではない」

「その声っ……何でお前が!?」

 

 街路樹の陰間から近づいてくる声。足元に這い寄るのは底冷えする空気。聖杯戦争の直前からずっと姿を消していた黒幕の一人が、その姿を薄暗い街灯の下にさらけ出す。

 

「久しいですね。間桐の翁」

「本来ならば出番は最後の仕上げの時のはずじゃったが。あまりの不甲斐なさに見ておれずにのう」

 

 排水溝や樹木、遊具の物影から蛆の様にうねり集う蟲の大軍。今にも襲いかかり血肉を喰らわんとする蟲たちを杖で一つ地面を小突くことで制した老人は、その伽藍の瞳を時臣に向ける。対する時臣も抑揚のない声を臓硯に突きつけた。

 

「桜をあそこまで仕上げた貴方の手腕、いくら感謝してもしきれません。貴方に預けてやはり正解でした。しかしその恩もこの聖杯戦争においては別です。私の前に立ちはだかるのならば容赦はできません」

 

 杖を向けて臨戦態勢を取る時臣。一触即発の空気だと素人の雁夜と葵でさえ理解できる。しかし、そのつもりはないと臓硯は言葉を続けた。

 

「立ちはだかろうという気はない。ただ夜の散歩に出て、独り言を呟きたくなった。それだけのことじゃよ」

「独り言ですか」

「あぁ、独り言じゃ。遠坂の小娘がバーサーカーに攫われたらしいと風の噂で――――」

「凛が!?」

「凛ちゃんが!!? どういうことだ臓硯!!」

 

 悲壮を形にする葵、表情を固まらせる時臣、掴みかかろうとするも蟲に阻まれる雁夜。それらを気にせず老獪は淡々と独り言を続ける。奈落の底に落とさんとばかりの悪意を含ませながら。

 

「残念ながら亡骸すらもう残ってはおらぬようじゃのう。桜と比肩する才能を持っていたろうに惜しいことじゃ」

「それは、本当なのか爺ぃ! 俺たちを騙そうと――――」

「桜に聞くが良い。何しろ死体を処理したのは他ならぬ桜本人だからのう」

 

 笑い声こそ発していないが、満面の愉悦を顕わにする臓硯。その態度に対する憤りよりも、その言葉がほぼ間違いなく真実であるという思いが雁夜たちの脳内を埋め尽くす。

 

「い、いやっ、いや……そんな凛、凛が?」

 

 重力に任せ膝から崩れ落ちる葵。そんな彼女を支えることもなく、茫然自失としている時臣。そしてまた雁夜も唇を震わせ狼狽していた。

 

「う、嘘だっ……さ、桜ちゃんが」

「疑うのならばおぬしの機械で桜と連絡が取れば良かろう」

 

 そう薦められるも携帯電話へと手を伸ばす勇気を雁夜は持ち合わせていない。

 

「さて。独り言も終わったところで家に帰るとするかのう、雁夜よ」

「翁、今の話は……」

「良く考えるが良い。いくら相性で勝っているとはいえ、この状況で儂と相対するつもりか? やもすれば優秀な胎盤を失うことになるのだぞ?」

 

 時臣にとって足手まといである葵への襲撃を臭わせる臓硯。凛を失い、葵までも失えばどうなるか。時臣にとって考えるまでもなかった。英国に置いて来ている女と葵では実績が違い過ぎる。配偶者の血統における潜在能力を最大限引き出せる特異体質を持つ葵を手放す理由など存在しえない。故に選択肢は一つだった。

 

「確かに仰る通りだ。妻の容体が優れないのでこの場は大人しく退かせて頂きましょう。この借りは必ずや――――」

 

 取り乱し、腰を抜かした葵を抱えながら時臣は光の届かぬ方へ去っていく。その後ろ姿を口を開けて見続けることしかできなかった雁夜も、二人の姿が視界から完全に消えるとようやく臓硯へと言葉を発することができた。

 

「どうして、今ここで出てきた爺ぃ」

「実の息子を助けるのに理由がいるのか?」

「思ってもいないことを、白々しい」

 

 時臣に対して吐き出せなかった分の衝動をぶつけるが、柳の様に言葉の圧力をかわす臓硯。

 

「おぬしに死なれては儂が困るのだ。桜のストッパーは多い方がいい。儂ですら一度失敗しておるのだからな」

 

 桜のあからさまな敵意は彼女の容体が豹変した時からずっと変わらない。桜から聞かされた取引時の未来の話がどこまで本当かなどは臓硯にとって大した問題ではない。

 

――――桜が聖杯を使用し、過去へと遡った――――

 

 この事実だけこそが臓硯にとっての全てだった。これが意味するのは二つ。臓硯が桜の制御に失敗し、聖杯を桜に使用されたということ。二つ目は過去への時間旅行又は魂と精神だけの世界間移動を可能にする力を間違いなく聖杯は有していること。その推測される二つの事柄に臓硯は身を震わせるほどに怖れ、そして心の底から歓喜した。

 桜からは自らと違い魂の腐敗臭を纏わせていない。記憶も明瞭でありながら、その身体は若さを取り戻している。そう、臓硯の求めた不老不死の形の1つが目の前に現れたのだ。

 

 最初、弱々しかった桜を取引通り臓硯が手出ししなかったのは、桜が貴重なサンプルであるという事実が最も大きかったのだ。そして桜はそのことに気づく様子は全くない。臓硯よりも強いという自負が、その可能性を桜の頭から消し去ってしまっていた。

 だからこそ臓硯はその慢心に付けこむ。敵意に晒されぬよう持ちうる全てを使い桜を支援しながら、影で自らの準備を重ねてきた。能力、忠誠、頭脳を揃えたセイヴァーは厄介極まりなく、出て来るタイミングが今までなかった臓硯。

 しかし、偶発的な出来事が都合良く重なった上、今まさに心身共に無防備な雁夜が一人で居るのだ。足のつく蟲を使うまでもない。

 

「雁夜、遠坂凛を救えなかったことを悔いているのだろう? 桜やあの女を苦しませたことをな」

「何が……言いたい」

 

 なぜならば麻薬にも等しい禁断の言葉を臓硯は手にしていたのだから。

 

「聖杯があれば生き返る。そう考えたことはなかったか?」

「だからお前に付けと? どうせ俺達が反旗を翻そうとしているのは知っているんだろ。冗談じゃない!」

「当然。しかし雁夜よ。儂が求めている不老不死、その形はもしやおぬしの望みと一致しておるかも知れんぞ?」

「願いを叶えた後、残った力を使えというのではなく、か?」

 

 ゆっくりと、真意を確かめるように雁夜は言葉を返す。先程の様に激情に任せた物言いではない。

 

「やり直せれば」

 

 聞いてはいけなかった。

 

「もし仮に人生を“やり直せれば”、凛も桜も、そして“禅譲葵”も手に入る。そう妄想したことは一度や二度ではなかろう?」

 

 だが、雁夜は聞いてしまった。

 

「やり直しだなんて、そんなことは許され…………あっ」

 

 ハッと目を見開き、そして細らせる雁夜。

 

「気づいたようじゃの。桜は既にやり直しているではないか。そして確実に歴史は変わっておる。おぬしは桜の在り方を否定するのか? それとも目の前で奇跡を見ておきながら聖杯の力を否定するのか?」

 

 できるはずが、ない。桜の在り方は仕方ないことであり、正しさもある。そしてそれを可能にした聖杯の力も本物だ。他の願いならいざ知らず、少なくとも時間に干渉する戻す力は認めざるを得ない。雁夜は確かめるために問いかけた。

 

「――――間桐臓硯。お前も“やり直し”を求めているのか?」

「無論。“やり直し”続ければ儂は悠久の時を生きられる。そして間違いを正すことも、できるかもしれん」

 

 星を覆い隠す薄雲を仰ぎ、老人は嗤う。誰も知らぬ過去を独り、想いながら。



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#11 一体何をやってたんだよ

「エミ……ヤ?」

 

 口の隙間から漏れる様な擦れ声が、狭い暗闇で僅かに反響する。瀕死のはずのアイリが反応したのも無理はない。唐突に出て来たキーワードは愛する夫のファミリーネーム。

 ライダーの部下であるらしき魔術師がその名前を何故口にしたのか、全身を襲っているであろう痛みよりもそちらの事情の方が彼女にとって重要らしかった。だが最も衝撃を受けていたのは、目の前のサーヴァントであろう。

 

「何故、その名を知っている!?」

 

 その瞳に宿るのは憤怒の色なのか。少なくとも大きく動揺しているのはウェイバーの素人目線でも伺えた。クラスを偽り続けたサーヴァントがシラを切ることを忘れるほどに、これは手痛い情報ということだ。

 隣のロード・エルメロイも同じく動揺していたが、その視線が向かうのは赤い外套の男の方。一時的に組んでいたであろう相手の真名を知って困惑している様に見られた。アイリ曰くその筋では有名らしい“衛宮”の名にロード・エルメロイも心当たりがあるのだろう。

 

「その顔立ちと装束……マケドニアの人間ではないな。君も同じ時代から来たというわけか」

 

 エミヤシロウから意味深げな言葉が発せられた。言われてみれば確かに妙だ。その言葉を頼りにウェイバーも長髪の魔術師の出自について思考する。確かに彼一人だけが肌の色も目鼻立ちもあの軍隊の人間とは異なるアングロサクソン系の特徴だ。そして同じ時代から、ということはライダーとは違う時代を生きた人間ということであろう。

 ライダーと共に生きた軍勢しか召喚できないはずの宝具に紛れこんだイレギュラー。なぜ時代を超えて彼はライダーに仕えているのか。考えれば考えるほどその素姓は計り知れない。

 

「ふん。推測は結構だが、その分だとかなり記憶を摩耗しているようだな」

「既知の仲、ということか。だが記憶はなくとも心当たりはあるぞ」

 

 一層厳しさを増す視線。射殺さんとするような眼光の切っ先は魔術師ではなく、その後ろであった。ウェイバーの首筋に声を失うほどの悪寒が這い寄る。明確な殺意を向けられていることは肌で感じれるが、その理由には全く心当たりはない。

 会話に付いていけない他の面々を置き去りに、白髪の男は言葉を畳みかけた。

 

「自分だけ気づかれないとでも思っていたのか? 何故、そのような危険を冒してまで表に出てきたのだね?」

「第4次に貴様が何故居るのだ。この時代では貴様の願いは叶わんぞ!」

「そんな事を問うためか。やれやれ。言うぞ、私は“アーチャー”のような愚を二度と重ねはしない。そして叶う勝算があるからこそ、私はここに立っている」

「――――掃除屋稼業で目も霞んだか」

 

 彼の口から籠った音と共に吐き出されるのは侮蔑の念。こんなはずではなかった、と魔術師は悲痛な声でその先を続ける。

 

「既に“セイバーがいない”ということが既に詰みかかっているのだぞ! 誰のせいかと思えば、手にかけたのがよりにもよって他ならぬ貴様と来た。英雄王は当てにならない。私が出て来なければどうなると思っているのだ!」

「セイバー、だと? 一体何を……」

 

 予想していた答えと違っていたのか剣幕に圧されたのか、男は言葉を詰まらせる。その様子が気に食わないのか魔術師はスラングを浴びせながらも、ウェイバーの鞄を引ったくり、アイリへの手当を始めた。相手にとっても既に治療名目の取引などどうでも良いのだろう。妨害される気配はないようだ。

 ウェイバーは鮮やかな手腕で薬品を調合し、魔法陣を構築していく様を眺める。特に高度な技法を使っているわけではない。あくまでも基本に忠実な物だと未熟な魔術師目線でも理解できた。だがその一つ一つが洗練されており、思いもしなかった組み合わせで治療の効果を上げていく。

 ふとウェイバーが目線を上げればロード・エルメロイもその様子に見入っているようだった。おそらくはロード・エルメロイの方が治癒そのものは巧みなはずだ。しかしそんな彼にも参考になるところが多々あったのだろう。顔色の変化を隠し切れていない。

 そして急に目を見開いた彼は、歯ぎしりの奥から言葉を紡ぎ出した。

 

「そうか。そういうことだったのだな。貴様ら二人、いや、おそらくは間桐桜も。それなら全てに説明が付けられる」

 

 彼は一体何に気がついたというのだろうのか。ほとんど確信を得ている様な物言いだ。しかも眉間に寄った皺を見れば、その真実はプライドの高い彼を激怒させるようなものだったのだろうと推測できる。上手くやれば仲違いをさせることができるかもしれないと、ウェイバーは淡い期待を胸に抱きながら次の言葉を待った。

 

「何故、その名がここで出て来る?」

 

 最低限の治療をあらかた済ませつつある魔術師が、素直に疑問を示した。そしてその言葉に返答したのは、ロード・エルメロイでも、エミヤシロウでもなかった。

 

「――――――――五月蠅いなぁ」

 

 耳元に届いたのは濃密な死の気配。間違いなく今日一番に痛烈なもので、まるで彼らの存在そのものを否定するかのような響きであった。そしてその声がする方、出入り口から現れた姿はどうだ。

 

「あく、ま……?」

 

 他の誰かに聞こえないであろう微かな声とはいえ、ウェイバーは思わずとんでもない言葉を口走ってしまった。しかしその光景を見れば他の人物も同じ想いを抱いたであろう。

 たった一言。そうたった一言で、齢十にも届かない幼い少女が場の空気を支配していたのだから。

 

「気分が悪いので、その口を噤んでくれませんか。あなたが誰だとか、令呪とか、外をうろついていた仮面の蛆虫とか、そんな些細な事はどうでもいいんです」

 

 彼女の足元から漆黒の殺意が鉾の形を為していく。決断するならばすぐにだと、ウェイバーの本能が警告を発していた。

 

「……ですがその人だけは別です。絶対に逃しません」

「ケイネス。貴方、何をもたついているの? 器を奪うならライダーの機動力を生かせない今がチャンスでしょう」

 

 突然現れた少女から告げられた宣戦布告。そして傍らのソラウも追い討ちを示唆する。実際彼女の言う通りだ。空というアドバンテージを失い、背後は袋小路。既に出口も塞がれている。絶体絶命のピンチとしか表現のしようがない圧倒的に不利な状況だ。先程までとは違い、交渉の余地すら見当たらない。

 

「確かにその通りだな。合わせるぞ」

 

 エミヤシロウの背中から取り出されたのは白と黒の双剣。胸の前で交差させるように構えを取る彼は、一部の隙もない武人の姿。ウェイバーの目にはそう見えた。近接戦闘が苦手なキャスターやアーチャーを騙っていたサーヴァントとはとても思えない。

 

「……ッ、言われるまでもない! Fervor(沸き立て)mei(我が) sanguis(血潮)

「はいケイネスさん。Es erzahlt(声は遠くに)―――」

 

 詠唱に入ると共に蠢き出す影と水銀。二つの色が絡み合い、眼前に築かれようとするのは槍撃の壁。

 

「ランサー、分かってるわね?」

「はい。ソラウ様は桜様の傍を離れぬよう」

 

 全てをその一足に賭け、一瞬で間合いを詰めるつもりなのだろう。ランサーは低く屈む様にして足裏へと力を溜める。

 

「済まぬライダー。俺とて本意ではないがこれだけは主たちに必要なのだ」

 

 彼らの一言ごとに積み重なっていく絶望感。その重みがウェイバーの肺と心臓を圧迫し、命の流れを乱していく。

 

「おい、ライダー、なぁ……これは」

「あぁ。分かっておる。本来ならばこ奴らに“覇”何たるかを示したいところであるが、“機”を弁えぬほど愚かではない」

 

 いくら豪胆なライダー言えども、二騎のサーヴァントに加え三人の魔術師相手に白兵戦を挑むつもりはないようだった。忌々しげに敵を見据えながら言葉を発する。

 何しろ背中には足手纏いが三人もいるのだ。今にも降り注がんとする槍と剣の暴風雨の全てを捌ききるのは、あのアーチャー戦よりも困難を極めることが容易に想定された。

 ライダーは戦車の手綱を固く握り直し、呼びかけようと口を開こうとするが――――

 

「行くぞ!!」

Mein Schatten(私の足は)nimmt Sie(緑を覆う)!!」

Scalp()!」

 

 ――――彼らの方が早かった。

 

「いかん! 掴ま……ッ!!」

「させんよ!」 

 

 神牛を飛び越えて襲いかかる双剣をライダーは短剣で受け止めた。しかしこれから繰り出されるであろう手数の差はライダーにとって埋め難い。左手で手綱を強引に手繰り、牛を暴れさせることで敵を振り落とす。

 

「フンッ!!」

 

 奔る紫電が魔術による弾幕を阻み、僅かな活路を生み出す。赤い双剣使いが戦車から離れた今がチャンスのはずだった。しかし倉庫街で置き去りにしたセイバーの最期を脳裏に浮かべたウェイバーは、足を竦ませてしまう。

 

「ファック! ボッとするな。早く乗れ!」

「だって、お前……」

 

 僕たちを庇って重症じゃないかと、そう続けようとした言葉を呑みこむウェイバー。その言葉を発する時間さえ惜しい程の状況。魔術師はウェイバーへと、消耗しきったアイリの身体と共に言葉を託す。

 

「私は再び召喚できるから構うな。その女は何があっても死守しろ! 理由は後だ。押さえている内に行け!!」

 

 勇猛なライダーに無様な敗走を二度も強いることになったのは、己が無力で無知だからだとウェイバーは涙ながらに悔いた。空のない閉鎖空間にライダーを送り込んでしまったこと。そんな不利を犯した状態でバーサーカーと思われていたサーヴァントと交戦するために、王の軍勢の使用による力の浪費をさせたこと。そしてそもそもアイリを助けようという利己的な考え。それら全てがこの状況を引き起こしている。しかしそれらをライダーは決して責めることはないだろうとウェイバーは理解していた。

 だからこそ彼は奮い立つ。ここで挫けていてはライダーのマスター足る資格はない。あの軍勢の様に誇り高く、共に並び立つため、彼が思いつく限り前向きな言葉でライダーに指示を出した。

 

「ライダー! ここは戦略的撤退だ。強行突破して教会へ向かうぞ! 教会では戦闘できないし、新たな令呪を手に入れられるのは僕たちだけだ。それだけで圧倒的なアドバンテージになる」

 

 教会には先程のアサシンの件についても問い正したいことがあるが、この場では口に出さない。今この場で求められているのは、ライダーを失望させないための、自分自身に失望しないための勇ましい言葉だ。

 

「承知! 少々荒くなる。“マスター”よ、振り落とされるでないぞ!」

 

 太い声と自信に満ち溢れた笑顔でライダーはその意気に応えた。だがその僅かな会話は貴重な活路を開いたはずの時間を浪費させてもいた。再び戦車に寄り付かれたライダーは再び中華剣の猛攻を捌きながら、ウェイバーが御者台へとアイリを預ける時間を稼ぐ。謎の魔術師も消滅寸前の身を呈して、ロード・エルメロイや悪魔じみた少女の魔術を受け止めていた。

 そしてウェイバーは失念していた。敵との戦力差、単純明快な頭数の差のことを。

 

「器だけは主とサクラのために必要なのだ。御免」

 

 御者台へと押し上げるアイリの身体を受け取ったのは戦闘中のライダーではなく、戦闘の影に潜んでいたランサーであった。もう既に戦車は加速し出している。あまりの事に言葉を失うウェイバーたちへと、ランサーは呟いた。

 

「……この場に限っては遺憾ながら尋常な勝負は望めない。しかし我が主は誇り高いお方だ。誉れある勝利を望まれる。故に正面から望まれるならば、きっとそれに応じるだろう。征服王、そしてそのマスターよ。次こそは万全の状態で来い」

 

 いとも容易く守ろうとしていた者がすり抜けていく。伸ばした手はもう届かない。心臓を穿つことも、その手に刻まれた令呪を奪うこともなく、神速のその脚でランサーは走り去って行った。

 

「何なんだよっ、畜生! ライダーっ! 今すぐにっ――――」

「シット! 言った傍から奪われるとは情けない。もう遅い。だが奴らはその時まで彼女を手荒には扱えん。一度体制を整え直せ!」

 

 胸に棘が突き刺さる言葉。しかしようやく敵を戦車から引き剥がしたライダーも手綱を握り直す。

 

「坊主、“戦略的撤退”を続けるぞ。キャスターもどきはともかく、ランサーの言に嘘はなかろう。安心せい、略奪は余の領分だ。必ず奴らを蹂躙し、奪い返すぞ。そして我々には情報を精査する時間も必要だ」

「……わかった。次はお前の戦いをさせてやる。だから今は“戦略的撤退”だ」

 

 女たちの哂い声が響くアーチを潜り抜け、騎兵たちはは黎明の空へと向かう。辛酸を舐め続けさせられた彼らの誓いは重い。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「街を震撼させていた“殺人鬼”の討伐、実に見事であった。ライダーのマスターよ」

「含む様な言い方をするな。アンタは」

 

 言峰璃正の拍手が仄暗い礼拝堂に鳴り響いた。そのまばらな音と、わざわざ言い変えた言葉に対し不快感を顕わにするウェイバー。しかし気にしないとばかりに、璃正は監督役としての見解を熱の籠らない声で述べ続けた。

 

「その申し出についてなのだが、ウェイバー・ベルベット殿。貴殿の“殺人鬼”討伐における功績は部下たちからも報告されている」

「御託は良い。さっさと坊主に令呪を渡さんか」

 

 一歩、二歩と、もったいぶる老神父の方へとライダーはその巨躯を寄せた。しかし璃正も怯まない。壮年である彼も中々に鍛え上げられた身体であると、ウェイバーにも見てとれた。聖杯戦争が始まってからの短い期間であるが、修羅場の中の修羅場、英雄の中の英雄たちを目の当たりにして来たのだ。未だ素人の域を出ないものの、その濃厚な経験は確かに彼の血肉となっていた。

 

「ならば結論から述べよう。貴殿らが討伐したのは確かに件の殺人鬼であったが、“バーサーカー”ではなくキャスターであった」

 

 せかす声に返されたのは、ウェイバー達にとってほとんど想定されていた通りの台詞。白々しいという言葉さえ勿体ないような茶番を老神父は躊躇いなく演じきる。

 だが、茶番を演じるのは璃正だけではなかった。ここは戦闘が禁じられた中立地帯。しかし今ここで行われているのは言の葉を武器として掲げた戦場だ。そしてここで戦うべきは、マスターである自らである。

 

――――次はもう絶対に負けない。ボクのせいで負けさせない。

 

 その決意を拳の中で固く握りしめ、ウェイバーは慎重に言葉を紡いでいった。

 

「キャスター? 何を言ってるんだ。ボクらが倒したのは確かにバーサーカーだ。まさかアンタ、令呪を渡したくないからって嘘を付いているんじゃないよな?」

「誠に遺憾なのだが、そのまさかなのだ。ライダーのマスターよ。我々はクラスを誤認していたのだ。事実、霊器盤によってそれを確認している」

「よくも貴様、しゃ――――」

「待てっ、ライダー!」

 

 なおも大根役者を演じ続ける璃正に詰め寄ろうとするライダーを、ウェイバーは一言、力強く制した。

 

「先を続けてくれ」

「貴殿らに対しては申し訳ないと思っている。これは監督役である私の失態だ。もし今、他のマスターたちに告げたクラスとは別の者を討伐した君に令呪を与えると批判が起きかねない。クラスを誤認していたこと、件のサーヴァントが討伐されたことを知るのは貴殿らと私たちしかいないのだから」

「つまりいくらボクがあのバーサーカーもどきをやっつけたと言っても、クラスが違っていたために証明する手立てがない。だからボクに令呪を与えるのは優遇になると言うんだな?」

「その歳でマスターに選ばれるだけあって流石に聡明ですな。そう、監督役はどのマスターに対しても公平であるべき。よって今回の討伐依頼による報償は出せない。それが結論です」

 

 璃正は言葉の中に溜息を一つ織り混ぜながら、伏した目で見解を語り終えた。ウェイバー達の反応を伺っているのだろう。おそらくは何を言ったとしても、監督による判断と公平性の一言で切り捨てるつもりなのだろう。

 しかしながら、この老神父は論破するに容易い大きなミスを犯していた。もしウェイバー達が一直線に教会へと向かわなかったら、もう少し時間の猶予があり身内に相談をする時間があったとすれば、まずあり得ないミスだった。だが、それはもしも話。この時の状況はウェイバー達に味方した。

 

「だったら、クラスが違う確かな証拠を――――霊器盤をボクに見せろよ」

 

 ドアから冷涼な礼拝堂へと暖かな朝日が差し込んだ。それと共に緩やかな一陣の風が舞い込み、ウェイバーの髪をふわりとなびかせる。

 霊器盤という言葉を耳にした璃正は、思わず目を見開かずには居られなかったようだ。

 

「できないんだろう。バーサーカーの正体とか、セイバーを倒したサーヴァントだけの問題じゃない。そっちも知っているんだろう? ボクたちがアサシンに襲われたことくらいね」

 

 そして核心部分を迷わず突いてくるウェイバーに言葉を返すことができず、璃正はただその場に立ち続ける。

 

「霊器盤、よくわからないけれどそれで召喚されているサーヴァントを把握できるんだろう? なら誰が見ても事実はすぐに分かるはずだ。ボクに令呪を素直に引き渡すのと、他のマスターに言いふらされるのどっちがいいんだろうな。監督役がアサシンに肩入れしているなんて知られたら、この聖杯戦争はどうなっちゃうんだろうね」

 

 彼の言い分に欠点があるとすれば、ランサー陣営にアサシンの存在は露見していることだ。しかしそれに気付かせる暇を与えないよう、ウェイバーは強気に言葉をねじ込み続けた。

 苦渋の判断だったのだろう。だが渋々ながらもウェイバーの差し出された右手に新たな令呪の光が宿ることとなった。

 

「ではライダーのマスターよ。魔術師として誇りある戦いを」

「あぁ」

 

 苦虫を潰した様な顔を一瞥することなく背中で言葉を受け止めるウェイバー。

 

「戻るぞ、ライダー」

「おい坊主よ。アサシンのマスターのことはもういいのか? 何も取り決めもしておらぬではないか」

「いいんだよ。それはボクらが関知することじゃない。他が勝手にやってくれるさ。ボクらには優先すべきことがある。これ以上厄介事を抱え込んでいる場合じゃない」

「そうであるな。では行くぞ」

 

 搦め手が得意な彼らがアサシンの存在を利用しないわけがないと、ウェイバーは確信を抱いていた。今の彼らが集中するべき事柄は満身創痍のライダーの状態を万全にして、アイリ奪還の手筈を整えることと、謎の魔術師ともう一度対話し状況を整理することだ。ウェイバーが言わんとしたことを理解したライダーは同意を示し、礼拝堂を一歩出た所で短剣を振りかざす。

 

「戦車はダメだからな。もう朝だから目立ち過ぎる。歩いて帰るぞ」

 

 今にも戦車を呼び出そうなライダーを引き止めるウェイバー。彼は礼儀正しく扉を閉めようと、何気なくもう一度礼拝堂の奥を視界に収めたところで異変に気付く。

 

「りせーさん、おはよう。あれっ、おきゃくさん?」

 

 幼い子供の声。その小さな赤毛の頭が信徒席の影から覗いていた。

 

「こらっ、しろう! 今はこっちに行ったらダメだって!」

 

 続けて奥の扉から姿を現したのは日本人の男。教会に居ることができるのは身を保護されたマスター。彼がアサシンのマスターであろうかとウェイバーは思考を走らせるがその可能性の全てを即座に否定する。

 そして仔細に観察した。こんな早朝からくたびれたスーツを纏い、無精ひげをだらしなく生やした痩身。感じる魔力の気配。その特徴全てが昨日聞かされ続けたものと符合する。

 

「どうして……」

 

 先程の達成感を消し去るほどの感情の波が襲いかかる。ウェイバーにとって最も会いたくない男、しかし会わなければいけない男がこんな所に居た。

 

「どうしてこんなところで、アンタは一体何をやってたんだよ!!」

 

 憤りと嫉妬、安堵と無力感――――もはや区別の付けられない程入り乱れた感情を衛宮切嗣に叩きつけた。



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#12 何の容赦が必要だ?

 瞬きを一つ、二つ。そしてゆっくりと三つめを刻んだ後、目を大きく見開く切嗣。

 理不尽な怒号を向けられているのは他ならぬ自身らしいと彼はようやく理解した。肩を震わせながら対峙する少年は、その視線を切嗣から“しろう”へと移し、眉間に刻んだ皺を更に深くする。

 

「――――シロウ、か。あぁ、もう畜生! そういうことかよ。だから」

「おい坊主、急にどうした?」

「どうしたも、こうしたもっ!」

 

 宥めるライダーへヒステリー気味へと噛みつく少年は、ライダーのマスター。名はウェイバー・ベルベットだったかと切嗣は記憶を巡らせる。

 

「しってるひと?」

 

 幼いとはいえ、向けられた理不尽な敵意は察しているのだろう。瞼をせわしなく擦る彼は切嗣へと身を寄せながら問いかける。

 

「……少しだけね」

 

 小さな肩を抱きとめながら切嗣は答えた。無論データ上でなら知っている。だが直接の面識はなかった。少なくとも向こうは衛宮切嗣が聖杯戦争に関わっていること自体知っているはずもない。下手をすれば「魔術師殺し」の名さえ知らない様な素人魔術師だったはずだ。ならば初見で「アンタ」呼ばわりされるような原因は、彼女しか思い当たらない。

 

「貴様が衛宮切嗣で相違ないな?」

「あぁそうだ。アイリが世話になったみたいだな。こちらも色々あって迎えに行けなかった。すま――」

「そこの子供のせいだよな」

 

 謝罪を遮り、少年は俯き加減で呟いた。

 

「どんな思いでアイリスフィールがアンタを待っていたと思っているんだ。なのに、当の本人は隠し子と遊んでいるなんて。どこまで裏切れば気が済むん――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 隠し子だなんて誤解だ!」

 

 思わぬ批難の口上に慌てた切嗣の方が今度は口を挟む。傍から見れば確かにそう見えない方がおかしい状況だ。舞弥との不倫という形でアイリスフィールを裏切っていたのは事実だからだ。しかしその不倫さえも、やがて訪れる決別の時のための予行演習であり、決して本心から望んだ行為ではない。ましてや隠し子を儲けるだけの心の余裕など、切嗣は持ち合わせていなかった。

 

「妾を囲うのは漢の甲斐性ではないか。そんなことで気を立てんでも」

「時代が違えば倫理観も違うんだよ。ややこしいからオマエは黙っててくれ!」

 

 少年はライダーの弁を金切り声で封殺する。理性よりも感情が先走っているのを必死で彼も押さえようとしているのが切嗣の眼にも見て取れた。切嗣も落ち着いて話そうと一つ深呼吸をした後に再び口を開いた。

 

「この子と僕は何の血の繋がりもない。偶々バーサーカーの魂食いに巻き込まれていたところに遭遇して保護しただけだ。事後処理のために駆け付けて来た教会に、預け次第すぐにそちらとコンタクトをとる予定だったが」

「こう言っておるが、坊主よ。勘違いだったということはないか?」

 

 切嗣の筋の通った弁を聞いたライダーは首を幾度か縦に振る。納得した彼はウェイバーを諌めようと切嗣を弁護しようと試みた。しかし当の本人は靴底で足元の雑草を捩じり切りながら、一つのキーワードを忌々しげに吐き出した。

 

「エミヤシロウ」

 

 この第四次聖杯戦争における最重要事項とも呼べるであろう言葉に対し、場に居る各々の反応は様々だった。しろうは首を傾げ、切嗣は眉をひそめ、ライダーは重力をなぞる方向に口元を弛緩させた。

 

「ライダー、覚えているだろう? アイツと同じ名を持つ子供が目の前に居る。それがどれだけの確率だと思う?」

「はははッ!もはやそれは偶然とは呼べん。必然であったか。だがそれなら、あの妙に見透かしたような態度も納得が行く」

 

 巨木の幹の様に厚く固い手が、少年の背中へと勢い良く叩き付けられる。

 

「おい、馬鹿! ったたたっ、止めろってば!」

 

 前へ転げそうになっている彼は制止を要請するが、すぐさまもう一つ、景気の良い音が追加された。

 

「よくぞ気が付いた。やはり我がマスターは優秀であったか。流石この時代で英霊に至れるだけあるな!」

「なな、なっ! オマエ……気付いてたのかよ。でも、オマエの臣下になってるとか色々と腑に落ちないところがありすぎて」

「余も今確信したところだがな。アレは貴様の可能性の1つに過ぎん。それ位に考えておけ。良くも悪くも、今の坊主は今の坊主だ」 

「……なんだかなぁ」

 

 突然糾弾されたかと思えば、切嗣には理解不能な会話を始め出した主従。必要足る情報を持っていない切嗣であったが、“しろう”と切嗣が先程の隠し子騒動と異なる形で問題となっており、その内容が盗聴対策の欠片もない状態で軽々しく話していい事でないことだけは確かだと考えた。更に言えば、この冴えない少年が英霊に至る可能性も眉唾ものだが、その考えに至った根拠が見えない。アイリスフィールの引き渡しについても話さなければならない以上ここに居るのは得策ではないはずだと切嗣は判断する。

 

「さっきから会話に付いていけないんだが、それは教会に聞かれてもいい内容なのか?」

 

 遂にに痺れを切らした切嗣が場所を一度変えないかと口を開き、ごくごく当然の提案に二人は無言で気まずそうに頷いた。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「ほう。この白いのは砂糖だったか。センベイの塩っ気が繊細な甘味を引きたてておるのか。悪くない」

 

 煎餅を豪快に齧る音が、早朝から重い空気を漂わせていたウェイバーの部屋に響く。そして、いそいそと次の包装を開けながらライダーは切嗣に質問を投げかけた。

 

「この時代、いや特にこの国の食文化は驚嘆することばかりだ。受肉した暁にはまずニホンの料理人を臣下に加えねばならんな。貴様、そういえばこの国の出身と言っておったな。腕利きの料理人を引き抜きたいのだが、どこか良い店は知らんか?」

 

 アイリスフィールの現状、大きく変わった勢力図、そして教会前で繰り広げられていた推論の詳細。押し寄せて来る情報の洪水に呑まれ、しばし無言であった切嗣もようやく口を開いた。 

 

「生憎とね。ボクはあまり食事には興味がないんだ」

「食に興味がないと……随分と損な生き方をして来たのだな」

「必要とされる栄養が取れればそれで十分だ。迅速ならなお良い」

 

 哀れむように目尻を下げるライダーに対し、溜息混じりで答える切嗣。両者のやりとりを聞いていたウェイバーも、彼に続けるように溜息を一つ。そんなウェイバーの頭を押さえ付ける様にしながらライダーは新たなプランを持ちかける。

 

「ではマスターよ。昼は景気づけを兼ねて街の有名店を一通り征服しに行くとするか」

「なんでそうなる!? どれだけ勝手にボクの財布を使うつもりなんだオマエは。昨日だって山ほどタコヤキを買ってきたばかりだろう!」

 

 ウェイバーは昨日の手痛い出費を思い出し、その細い左腕でライダーの手を跳ね除けながら憤慨してみせるがライダーは意に介さない。

 

「サーヴァントの腹を満たすのもマスターの甲斐性ではないか。タコヤキか、アイリも気に入っておったようだしな。うむ、あそこの店主をまずは臣下に――――」

 

 アイリの名に反応した二人が目に入り、途中で言葉を濁すライダー。気まずい沈黙を埋めようと、彼はそれぞれへとソレを投げて寄こした。

 

「ほれ、貴様らも食え。腹を空かせては頭が回らんだろう」

「あぁ、そうだな」

「ありがたく頂こう」

 

 切嗣は固く焼き上げられた煎餅を両手で割った。半月状になったソレを手に持つと、ゆっくりと奥へと押し込んでいく。いつも好んで食べているファーストフードとは違う。飲み込もうにも特有の固さがそれを許さないのだ。

 食べているときは無言でも間が持つ。助けられたと思った切嗣だったが、それは違った。彼の左手に残る半分の煎餅を与えるべき人物が今この場にいないのだ。無論その相手とは、下の階で老夫婦に世話になっている未来の養子らしき少年の事ではない。切嗣にとっての本来の家族の事だ。

 アイリは煎餅の味を知らない。クッキーとは違う食感に喜ぶであろう彼女の顔は容易に想像できるが、それを実現させることは容易ではない。

 ましてやイリヤに至っては煎餅やタコヤキはおろか、外の世界のことを何一つ体感することが許されていないのだ。アインツベルンとの約定を果たさねば、イリヤは一生籠の鳥のまま。それは父親として、彼女の母親であるアイリの夫として、決して許されないことだ。だが今の自分にはこの状況を打破できる力はない。

 

「……煎餅なんていつ振りだろうな」

 

 舌先の上に残るのは塩味の奥にある柔らかな甘み。それが消えきらないうちに、残りの半分も彼は口へと押し込む。

 救いようがないほどに致命的な失敗をしたし、さらなる失敗を知らぬ間に見逃しもした。独りよがりな思想よりも本当に大事なものを、セイバーが倒れた後には気付いていたはずなのに。なのに今のこの様はなんだと、切嗣は自らに対して憤る。

 まさかそんな事になっているなんて……切嗣は喉元まで出かかった言葉をグッと腹の底へと押しこめる。そんなこと無責任なを言っても状況は何一つ好転しないのだ。自己の怠惰により状況は刻々と悪化しているが、まだ取り返せる位置に居るという様に思いなおす。

 アイリを連れ去ったのはサーヴァント2騎を抱える上に、強力なマスターが“最低でも”二人いることが分かっている陣営だ。“切嗣と舞弥だけ”では状況を打開できる可能性は万に一つも残っていない。

 

「ボクはアイリスフイールへの義理を充分果たしたと思っている」

 

 ウェイバーは煎餅を先に食べ切っていたようで、唐突に彼は短い言葉を発した。

 

「残っている陣営で同盟を組んでいないのはボクたちだけだ。魔力の無駄遣いが許される状況なんかじゃない」

 

 力を貸してくれと懇願する前に釘を刺された形である。ライダー自身は強力だがマスターであるウェイバー自身は非力だ。だが非力ではあるが、それが分からない程に彼は愚かな人間ではない。この手の人間を動かすには「本心」に従わせるための建前が必要だ。だからこそ建前として、切嗣は「とある情報」を提示した。

 

「あぁ理解しているとも。だから教えよう――――聖杯の使用には、アイリスフィールが有する技術が必要だ」

 

 これは魔術師同士の等価交換ではない。ただの騙し合いだ。決してアイリスフィール自身が聖杯であることを誰にも知られてはいけない。故に切嗣は巧みに嘘を言の葉に織り込む。幸い相手は御三家とは無関係かつ未熟な魔術師であり、隣の英霊も魔術に疎い。それを切り口にするしかないと切嗣は判断する。

 

「アインツベルンは他の陣営が聖杯を使えないように細工をしていたというわけだ。これなら例え敗退しても他の陣営の勝利もありえない。あの老害たちが考えそうなことだよ」

「その細工がある事を奴等は知っておったということか。それならば倉庫街での狙撃や、夜のことも説明が付く」

「僕は家族が無事ならばそれで良い。アイリスフィールを奪還する代わりに、聖杯の使用を補助しよう」

「アンタがそれで良いならこちらも願ったり叶ったりなんだが、どうにも……あだぁっつ!! 何するんだよオマエ!」

 

 歯切れの悪い言葉でライダーの顔色を伺うウェイバーに対し、デコピンで一発喝を入れた様だ。デコピンと言えども巨人とも言える体躯から繰り出される一撃である。相当な威力であることがみみず腫れの額から容易に想像ができる。

 

「坊主、何を迷っておる! 答えはもう自らの中にあるのだろう」

「言われなくても分かってる。情が移ったのは認めるよ。損得なしでもきっと動いていた」

 

 やけくそ気味に唾液混じりの声を飛ばす少年と、ますます笑みを深くする巨漢。裏表のないこの二人を眺めながら、彼らを味方にすることができた幸運に切嗣は感謝する。アイリスフィールの奪還後、この主従の目を潜って海外へと脱出。戦力を整え直して、イリヤの救出を行う。それ以外に道はない。

 

「きっとその細工の存在がアイツらにばれたから攫われたんだろう? なら行動を急がないと不味い」

「あぁ。動くなら今夜しかない。幸い別で動いている僕の部下がアイリの居場所を掴んでいるはずだ。手持ちの戦力をお互い確認して策を練ろう」

「策、と言ってもできることは余りなさそうだけどな。アンタが何らかの陽動をしている間にライダーが奇襲して奪い返すと共に離脱」

「それが一番安牌と言ったところか。でも一捻り必要だな」

 

 両者腕組みしながら首を捻るが余り建設的な案は“言葉に”出て来ない。

 

「ここはいっそ、ランサーの言う通り正々堂々と身柄を賭けて決闘するか……それはないな。細工の話を流してアサシンとアーチャーをぶつけると、逆に難易度が上がりそうだ」

「アーチャーからライダーは敵視されているみたいだからね。混戦に持ち込んだ場合でも危険は高い」

 

 成功する可能性はどれもゼロではない。しかし固い策とは言い難い。もちろん三人とも分かってはいるのだ。彼らの陣営にとって最も重要な存在がこちらの手元にある事を。

 

「最悪の場合、こちらで強制契約書の用意も可能だ。だがあくまでも最終手段と考えてくれ。相手は複数だ。裏をかかれる可能性も少なくない。僕の養子なら、きっとその手の対策も仕込んでいるだろうしね」

「貴様の技能はおそらく全て奴に見通されている、そう考えるべきか」

「だよな。だから未来から来たアイツに手の内がばれていない方法を――――未来、か。そうだ。ライダー!」

 

 何かを思いついたのかウェイバーはライダーに対し次々と質問を浴びせかける。そうして得られた情報から新たな切り札を彼らは一枚得ることに成功した。彼らはその後半日を費やし夜への決戦へとその身を投じることになる。

 

 

                   ×        ×

 

 

「舞弥、そちらの準備は万全か?」

『はい、滞りなく。しかしやはり目標は帰還していないようです』

「それでも構わない」

『了解。では、いつでもどうぞ』

 

 闇夜に溶け込むコートを風になびかせ、切嗣は指定場所に待機させていた舞弥と最終確認を行う。自身はウェイバーと共に戦車の荷台で構えている。

 

「ライダー、ウェイバー、君たちが要だ。僕らの命、預けるぞ」

「あぁこのイスカンダルに任せておけ」

「アンタこそその花火ってやつ失敗するなよ」

「勿論だ。では始めるぞ」

 

 そう言った切嗣は手に持った携帯電話でとある番号を打ち込む。その着信先はC4プラスチック爆弾へと接続されたポケットベル。夜の静寂を引き裂くのは、着信音ではなく数多の断末魔。

 

「ほ、ホテルが、えっ!!? ホテルが崩れた!? おい、これはいくらなんでも……」

「敵の工房を潰すのに何の容赦が必要だ? 宿泊客の避難は確認済みだ。神秘も絡んでいないから教会も手を出せない」

「うむ、問題ないな。何とも景気の良い狼煙ではないか! まぁ少し勿体ないがのぅ」

 

 崩れ落ちる瓦礫の弾幕、巻き上がる粉じんの渦。冬木ハイアットホテルがあった場所に今あるのはそれだけだ。

 

「問題大ありだっ、この馬鹿ぁ!! アンタもやり過ぎだっ! でもあのマンションからもかなり近いし、この光景は見えるはず。行くなら今しかない。駆け抜けるぞライダー!」

「応、だが待て。魔術師よ、急に手を抑えてどうしたのだ」

 

 斜め上の事態に半ば常識を投げ捨てたウェイバーであったが、ライダーの指摘で隣の切嗣の様子がおかしい事に気が付く。現象は一目了然だった。しかし理屈がわからない。二人以上に切嗣はもっと戸惑っていた。

 

「何で……また令呪が僕の手に!?」

 

 痛みと共にその手に再び刻まれたのは覚悟の証。世界を救う一画の光であった。

 



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#13 助けに来たよ

 聖杯の器を無事に確保。ランサーと先輩の2騎も無事で魔力の損耗も少ない。わたし達の陣営は非常に理想的な状況のはずだったのだが、想定より遥かに早く“その時期”が訪れたようだった。

 

「間桐桜。聖杯の扱いよりも先に色々と話すことがあるようだな」

 

 そう言った後、残り少ない紅茶を飲み干したケイネスさん。ソーサーにカップを戻す動作は音一つしないぐらい丁寧であったが、それが逆に居心地が悪い。突き刺さるような目線のおまけもついているのだから尚更だ。

 その矛先であるわたし自身はというと、お行儀悪く紅茶に上唇をパクパクと浸しながら、次の言葉を発するまでの時間を稼いでいる。先輩の真似をせず、素直に砂糖を入れれば良かったと後悔した。淹れ方も最高、発酵も浅いものだったのに、ダージリンの渋みばかりが口内に染み込んでいく。

 

「そうね。私も同感だわ」

 

 少し前まで甘えさせてもらっていたソラウさんも、今回は言い逃れを許してくれそうにはない。言葉を発そうとしても言い淀むわたしと、合流後からずっと顔色が悪くお茶に口を付けさえしない雁夜おじさん。そんな状況を察して、代わりに先輩が口を開いた。

 

「桜、雁夜、ここは私から話そう。全てを――だ」

 

 先輩がそう判断したのならわたしに異論はない。わたしに続いて雁夜おじさんも首を縦に振る。

 

「話すべき事は多いが、全てを明かすつもりだ。今まで話せなかった理由も、君達を頼った理由も自ずとわかるだろう。だから落ち着いて聞いて欲しい」

 

 ぶれることなく刻まれる秒針、それより少し速いわたしの鼓動、そして誰かの固唾を呑む音。

 

「先ずは我が真名を明かそう。私の名は衛宮士郎。“魔術師殺し”衛宮切嗣の息子。そしてここから先の未来、守護者に至ることを定められた英霊だ」

 

 ソラウさんは首を横に傾け、ケイネスさんは小さな舌打ちを一つだけ。隣のランサーに至っては動じる様子を微塵も見せない。周りの反応が小さいことにこちらが驚いたぐらいだ。拍子抜けして開きそうだった口元をしっかりと結ぶ。

 

「……息子? ……未来? 第五次ってそんな訳がっ! イリヤは、キリツグはどうなったの!?」

 

 そして一番動揺しているのは本来部外者のはずの、両手両足を椅子に拘束された彼女だった。半ば茫然としているのか、唇を震わせながら言葉を発している。対する先輩は一瞥だけ。あくまでも感情を押し殺して答えていくつもりなのだろう。

 

「アイリスフィール、その問いに答える前に、私の知る第四次の結末を話そう」

「結末――――そうか大前提として“貴様ら”は知っているのだな」

 

 ケイネスさんの目線が再び先輩からわたしへ。

 

「ばれてるみたいだね」

「完全にばれてますね」

 

 ヒントは少なかったハズなのに、どうして其処に至ることができるのか。凡才のわたしには不思議でならない。雁夜おじさんもきっと同じ気持ちだろう。

 そんなケイネスさんが優勝できなかったのはやはりランサーの火力不足だったのだろうか。昼に短い模擬戦をしたが、あの先輩を素人目でも技量で圧倒していたと思う。しかも先輩と組む事が出来れば「本来の火力」も取り戻せるのだ。戦力的にも、戦後処理のことを考えても、この陣営との決裂だけは絶対に避けなければならない場面が今なのだ。頑張って下さい先輩。

 

「肯定だ。当時私は桜ぐらいの子供、しかも養子に行く前だったのでね。伝え聞いたことばかりで詳しいことは知らない。所々記憶の摩耗もあるようだが許してくれ。しかし、確実なのは衛宮切嗣は最後の方まで勝ち残ったということだ」

「流石キリツグ。当然ね」

「しかしだ」

 

 さも自らの事のように胸を張って誇る彼女に対し、先輩は更に一つ低いトーンで言葉の錆を打つ。肝心なのはここだろうと誰もが予感していたことだろう。言葉はなく、秒針の音さえも今は遠い。再び空気が揺らされたのは数瞬の後のことだった。

 

「何か、起こったの?」

 

 一息おいて先輩はその答えを告げる。

 

「街が炎に包まれた。煙に染められる風景と、命が焼ける匂い――それが私が思い出せる最初の記憶だ」

「最初と言うのは、つまり貴様は……」

「あぁ、私にはそれより以前の記憶がない。まぁ最も、守護者として永劫とも言える時を戦い続けた私には、生前の記憶はほとんどない様なものだがね。だがそれでも私にとっての“原風景”は決して忘れん」

 

 閉じられた瞼の裏側にはきっとそれ以上に凄惨な光景が焼きついているのだろう。先輩が背にしているその窓の向こう側。静かに寝息を立てているこの街の景色も、このままいけば全て灰に変わってしまう。

 蟲蔵に閉じ込められていた当時の私が知ることは少ないけれど、その戦禍の跡はお爺様に連れられてこの目で見た。

 あんな風にしてはダメだ。この街のどこかに居るはずのもう一人の先輩は絶対に巻き込まない。正義の味方になる道から救い出して、わたし達と幸せになるんだ。そう固く決意して、拳とも呼べないぐらい小さな指先をぎゅっと握りこむ。

 窓の向こうから先輩に視線を戻すと、自然と目が合う。軽く頷いた先輩はその先の言葉を続けた。

 

「第四次聖杯戦争当時の私は今の桜と変わらない歳の子供だった。聖杯戦争による大火災で全てが燃え尽きたが、私は衛宮切嗣に助け出され養子として生きることになった。これが私と第四次聖杯戦争の因縁だ」

「キリツグが、貴方を……そうだったのね。他の人には関係ない話だけど、一つだけ聞いて良い?」

「記憶にある限りのことは答えよう」

「キリツグとイリヤ、二人は幸せになれたのかしら?」

「あぁ、それならば自信を持って答えよう。二人とも最期は満足そうな笑顔だったよ」

「……そう、それならいいわ」

 

 深紅の瞳を潤ませながら彼女は呟いた。そしてしばらく沈黙を保っていたケイネスさんが前に出る。ここからが正念場だろう。

 

「もうその女はいいな。衛宮士郎、いくつか質問がある」

「続けてくれ」

「その大火災の原因は“貴様の知る第四次聖杯戦争”の勝者によるものなのだな?」

 

 誰が勝者かと聞かない辺り、ケイネスさんは既に目星がついているのだろうか。そんな疑問がふとよぎるが、マスターを消去法で可能性を絞っていくと、そう答えは多くないということに気付く。例えば典型的な魔術師であるお父様やケイネスさんが街を焼き払うなんて“神秘の漏えい”に関わらない限りは行わないだろう。行ったとしても小規模なはず。キャスターのマスターが生き残れるとは思えないし、ライダーのマスターにそんな根性はない。ならば行きつく答えは――

 

「おそらくは言峰綺礼。奴は他人の不幸を糧にして生きる様な男だ。私も生前散々辛苦を舐めさせられたからな」

「その男の事はよく知らんがやはりそうか」

 

 わかっているとの前提で交わされる会話。ソラウさん、ランサーさんは付いていけているのだろうか。これからもっと情報が溢れて来るのだけれども……

 

「次は間桐桜、君に答えてもらおう」

「えぇ、偽りなく答えましょう」

 

 そんな事を考えていると、とうとう出番が来た。心の準備はもう出来ている。

 

「何故この男を召喚できた?」

「わたしが第五次聖杯戦争を勝ち抜いたマスターで、恋人である先輩を英霊にしないために過去に遡ってきたからです」

「捕捉するならば私の英霊としての願いは、英霊エミヤシロウを誕生させないために平穏に聖杯戦争を終結させることだ。私と縁を持ち、同じ願いを抱いた桜に呼ばれたのはもはや必然だろう」 

 

 目を丸くして言葉を失う面々。他の陣営、いや世界中のどこにも絶対漏らせない情報がここにはあるのだ。

 

「時を遡り、過去に介入する――まさに魔法のような奇跡。聖杯の力でもないと不可能なことね」

「見た目からかけ離れた精神年齢と強大な魔力。第五次の勝者と言うのならば整合性はある。色々と情報を伏せていたこともな」

 

 ソラウさんに続けてケイネスさんもようやく納得したというような口ぶりだ。しかし最初に出会ったときのように警戒心を抱かれているのは確かだ。向けられる言葉の切っ先は未だに鋭い。

 

「聖杯戦争に我々が勝利することで大火災を防ぎ、英霊エミヤシロウの誕生を阻止する。そして間桐の家を潰し、聖杯戦争による名声を得た私の庇護下に入ること。本当の目的はこれに相違ないな?」

「ありません。それがわたしの全てです」

 

 はっきりと断言する。姉さんを、先輩をあの世界で失い、この世界でも姉さんを既に失った。お父様やお母様が今後どうなるかも分からない。それでも、それだからこそ、わたしは絶対に道を違えない。先輩を手に入れて、正義の味方への運命からも、お爺様の手からも絶対に逃げ切って見せる。

 

「そのためになら何でもします。だからどうか力を貸して下さい。お願いします!」

「俺からも頼む。桜ちゃんが言っていることは本当だ」

 

 喫茶店の時と同じように雁夜おじさんが三人に頭を下げた。それに合わせてわたしも深くお辞儀をする。

 

「俺は本来間桐の捨て駒にされて無様に野たれ死ぬ運命だった。でも桜ちゃんのおかげで俺は無事だし、最終盤まで残るはずだったセイバーも最初に始末できた。もう未来は変わっているんだ。桜ちゃんの知識は本物だ」

 

 雁夜おじさんは両手を広げて声を張った。そして右拳を向けてガッツポーズを取って一言。

 

「それになにより士郎は強い。あの狙撃も、ランサーとの模擬戦も見ただろう? 俺達のセイヴァーは最強なんだ!」

 

 唾が飛ぶほどの熱弁に心を打たれたのか、ランサーが助け船を出した。

 

「主よ。俺からも進言します。サクラの覚悟はこの目で見ました。それに万が一マスターたちに危害を為すことがあれば俺が排除します。双剣については誰よりも知り尽くしている自負がある。この男に万に一つも負ける要素はありません。我がゲッシュに誓っても良い」

 

 姉さんとの別れを見られたことが後押しになっているのか。この場で味方してくれるのは非常にありがたい。

 そう言えばゲッシュで女性からの命令には逆らえないんだっけ。その割にはソラウさんのお願いを袖にしている気がするけれど。

 

「ケイネス。私からもお願いするわ」

「ソラウ、それはランサーが――」

「違う。何でも叶えられる聖杯の願いを使ってまで恋人の運命を変えようとしているのよ。私は魔術師である前に一人の女として彼女に協力してあげたい。私も今日サクラちゃんの覚悟をしっかりと見た。それでも前を向いて語れる彼女にきっと裏はないわ。私はそう信じたいし、貴方にも信じて欲しい」

「しかしソラウ――、いや分かった。信じよう」

 

 そして遂に折れた。100%の信頼ではないがそれでもいい。これから少しずつ足りない分を積み上げればいいのだから。

 

「私からも感謝する。だから信頼の証を預けたいと思う」

 

 軽く礼をした先輩はケイネスさんの方ではなく、拘束されている彼女の前に立つ。そしてその鎖骨部分に手を伸ばす。

 

「な、何するのシロウ!?」

「え、先輩!?」

「落ち着け。桜もだ」

 

 珍しい呆れ声で先輩は言う。変な事はしない、と信じたい。でも先輩だし義理の母親とはいえど少しの不安はあるのが本音だ。

 

「トレース・オン」

 

 そんな私の心境を余所に、瞳を閉じて集中する先輩。

 

全て遠き理想郷(アヴァロン)

 

 先輩がその真名を唱えると、光の粒子が密度を増し段々と実体を成していく。そして現れたのは黄金に煌めく一つの鞘だった。これは今までの投影とは少し違う。

 

「ど、どうしてそれを!?」

「アイリスフィール、私はこの鞘の力によって切嗣から救われたのでね。先程身体の様子を確かめたときに其処にあると気付いたのだよ」

 

 真昼の太陽のように部屋中を照らすその鞘を手に取った先輩は、ケイネスさんに迷うことなく差し出した。

 

「全て遠き理想郷――5つの魔法さえも寄せ付けない評価規格外の宝具だ。本来の担い手である騎士王がいなければその効果は微々たるものでしかないが、ソラウに渡しておくといいだろう」

「この魔力、間違いなく本物だな。その申し出、ソラウ、君はどうする?」

「これを、私が? 魅力的だけれども丁重にお断りするわ。恐れ多いというか、何と言うか。気持ちだけで十分よ」

 

 現存する宝具、しかも評価規格外。そんな物をポンと渡されて「はい頂きます!」とは中々言えないだろう。完全に顔が引き吊っていた。

 

「だったら士郎、その鞘、俺に貸してくれないか?」

 

 そう言ったのは雁夜おじさん。

 

「これがあれば臓硯を、時臣を、もしかしたら出し抜けるかもしれない」

「急にどうしたんですか、おじさん?」

「ついさっきまで時臣と臓硯と接触していたんだ。そして時臣に俺が魔術師じゃないとばれた」

 

 よく無事で、としか言えないぐらいの衝撃の真実が飛び出て来る。さっきまでおじさんは一人だったはずなのに。

 

「時臣は俺の事を一般人だと見くびっている。妙に動かなさすぎる爺ぃもだ。警戒されている桜ちゃんと違って、俺になら付け入る隙はある。やっと俺にも覚悟はできたよ。士郎、あの二本のナイフを投影して、鞘と一緒に貸してくれ。あれなら俺にも使えるんだろう?」

「君の事だ。止めてもきっと止まらないのだろうな。わかった」

 

 わたしを一瞥した後、雁夜おじさんの胸に鞘を押し当てる。すると、鞘が体内に溶け込むようにしておじさんの身体の中に収まった。

 

 柄の先に紅い宝玉がついた短剣と、稲妻を象ったような歪な刃を持つ短剣をそれぞれ投影する先輩。

 

「使い方はもう知っているな? 刀身は布で巻いておくと良いだろう」

「ありがとう士郎。さっき俺は何もできなかった。やっぱり俺一人無力なままじゃダメなんだ」

 

 笑顔で受け取るおじさんだったが、そのやりとりを見ていたケイネスさんとソラウさんの様子がまたもやおかしい。具体的に言えば口が開いたままだ。

 

「そ、それって投影なの?」

「あぁそうだ。生前は魔術師だったからな。投影した宝具を使っての狙撃と剣戟。それが私の能力だ」

「そんな馬鹿な。宝具を投影だとっ!? 規格外にも程がある。だが、それより他に何が投影できるかだ。あの弓と双剣、それ以外には何がある? ライダーとアーチャーの対策が大きく変わるぞ」

 

 現実に戻ってきたケイネスさんは怒涛のスピードで言葉を浴びせる。

 

「任せておけ。君たちが最も求めているモノを私ならば用意できる」

「セイヴァー、もしやそれは!?」

「ランサー、君と私は敵同士ならば最悪だったが、お互い味方で良かった。我々は最高の相性だったらしい」

 

 不敵に先輩は笑う。その言葉の意味を理解したのかランサーの口元も緩んだ。

 

「セイヴァー、いやシロウと呼ばせてくれ」

 

 先程、先輩から渡された新たな力を天に掲げ、ランサーは告げる。

 

「もう我々に敵はない。必ずや勝利を主に捧げ、サクラを幸せにすると誓おう!」 

 

 

                ×        ×

 

 

 

 次の夜。今回狙うは遠坂邸。どうもこちらの事情に気付いている節のあるライダー陣営も危険であるが、やはり最大戦力であるアーチャーが優先だ。魔力の損耗がない内に叩いておきたいという思惑がある。

 それが起こったのは、入念に準備を済ませ、アジトの1つであるマンションからいざ出発というところだった。

 眠る街の静寂を粉々に砕いたのは突然の轟音。そして世界が揺れた。地震の如く、足元から全てが震えている。

 

「なんだこれっ、爆発!?」

 

 窓辺にかけ寄った雁夜おじさんが外を確認する。わたしもそれに付いて行く。すると信じられない光景が遠目にだが確認できた。

 

「ソ、ソラウさん! ハイアットホテルが崩れてます、これって!!」

「嘘っ! 私達の部屋がっ!!」

 

 まるでハリウッド映画のようなシーンが目の前にあるのだ。口を抑えながらも金切り声を上げるソラウさん。信じられないのも仕方がない。しかし、ケイネスさんの方が取り乱し方が異常だった。

 

「はははっ、そんなっ。フロアごと貸し切った工房が……結界二十四層、魔力炉三機、猟犬代わりの悪霊、魍魎数十体、無数のトラップ、廊下は一部異界化させて――」

 

 瞳からは光が消えうせ、死人のような目をしている。早口言葉の様な、呪文の様な何かを呟いているが発狂と言っても過言ではない状態だろう。

 

「気をしっかりと、主よ! おそらく敵の狙いは――来ます!!」

「桜、雁夜っ!!」

Fervor(滾れ),mei(我が) sanguis(血潮)!」

 

 光と共に目の前が弾け飛んだ。わたしの身体はおじさんと共に先輩に抱えられ三人まとめて衝撃波に吹き飛ばされる。

 窓から飛び込んできた戦車がわたし達の居たリビングを粉々に蹂躙していた。ライダーだ。この展開は全く予想していなかった。まさかライダー達にこの場所がばれるなんて、誰が考えようか。

 

「大丈夫か、桜?」

「はい、問題ありません。ケイネスさん達も無事な様ですね」

 

 水銀の壁でソラウさんを守ったケイネスさんは凄い。ランサーもしっかり聖杯の器である彼女を椅子ごと確保していた。

 

「やはりこの程度は避けるか」

「ライダー、御託は良いから。すぐに始めるんだ」

 

 ライダーが土足で戦車から降り立った。その巨漢に似合わない小さな短剣を構える。次に降りてきたマスターも土足だ。

 人の家を壊して、土足で上がり込むなんて許さない。絶対に許さない。哀れなぐらい戦い慣れていないマスターだったので、なるべく穏便に済ませようという考えがあったが、もうこの時点で問答無用のゴミ箱行きだ。

 そして戦車から降りて来るもう一つの人影、土足でその男も絨毯を汚した。許せない。そしてその男は面を上げた。

 

「遅くなったね。助けに来たよ、アイリ」

「キリツグ!」

 

 驚きよりも納得の方が先だった。このマンションがばれたのはあの冴えない男のせいらしい。禍根はここで断つ。先輩の話で出ていた砂漠の固有結界を使われては厄介だ。機動力を生かせないこの場所で敵を完全に潰す。

 

「先輩、ライダーを!」

 

 叫ぶ声に合わせて先輩は飛び出した。しかしその剣戟はいつの間にか現れた一人の騎士によって阻まれる。

 

「このミトリネス、王の一人として馳せ参じる!」

「不味い。ランサー、ライダーを止め――」

「させるかっ!!」

 

 ケイネスさんが指示を出し、ランサーが動き出そうとした刹那、再び部屋に鮮烈な光が刻み込まれる。衛宮切嗣の手から放たれたのは閃光弾か。やられた、多分ランサーの足も止まっている。視力が回復する前に、悪化していく状況を確信する言葉が耳に入った。

 

「――さぁ集え、我が同朋よ!」

 

 部屋の書類が、カーテンの切れ端が、フローリングの破片がエーテルの嵐に巻き込まれる。そして塗り変わっていく風景、噂に聞いていた熱砂の海の真ん中に、わたし達は立たされていた。

 

「最悪の事態になってしまったようだな、桜」

「まさか、向こうも同じ手を使って来るなんて思いませんでした」

 

 先輩の言う最悪の事態とは、奥に見える万の軍勢のことではない。味方だって怪我ひとつない状況だ。しかし――

 

「どこにも居ないな。爺さんに分断されたか」

 

 鷹の目を持つ先輩が言うのだから間違いない。衛宮切嗣とアイリスフィールがこの世界から消えていた。

 



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#14 衛宮士郎の名にかけて

 夢を、見た。それは一人の少年と少女の物語。

 穏やかな日常が崩れ去り、戦争に巻き込まれる二人。

 絶望的という言葉すら生温いとさえ断言できる程、それは熾烈な戦いであった。

 故に無力な少年は最愛の少女を救うために全てを賭して戦うしかなかった。文字通り「全てを」だ。

 その少年には夢があった。生きる意味、課せられた使命とも呼べる程に焦がれた理想があった。しかしそれは少女を救う道とは相反していた。もし自分が少年の立場なら、少女をその手に掛けてでも信念を貫いただろう。

 だが少年は違った。自らの命よりも重いその信念、自分の確たる物を捨て去ってまで、彼は彼女を救おうとした。

 結局少年は少女を救うことができずに道半ばで倒れ、少女は絶望に打ちひしがれる。後味の悪いバッドエンドで物語は締めくくられ、意識は現実へと舞い戻る。そして、答えを得た。

 

「……そうか。衛宮士郎(アイツ)(オレ)と違う道を選べたんだな」

 

 正義の味方になることは運命ではなかった。

 それを知ることができただけでも救いだった。

 そして己の内に問いかけた。あの時の選択を本当に後悔しているのかと――――否だ。

 あの時の覚悟は、選択は、嘘ではないと今ならば胸を張って言える。

 英霊、守護者としての自分にもう二度と絶望も後悔もしない。

 だからこそ、教えてくれた者たちに心から誓う。

 

「意志は受け継いだぞ。衛宮士郎(もうひとりのオレ)

 

 

 

              ×          ×

 

 

 

「一体、どうしたらいいのよ」

 

 熱風にかき消されそうな声はソラウさん。それは皆の気持ちを代弁していたはずだ。

 先輩から話こそ聞いていたけれども、魔術的な常識にまだまだ疎いわたしには有効な案などすぐに浮かぶわけがない。おじさんも然りだ。だからここで頼るべきは――

 

「固有結界は貴様の領分だったな。単刀直入に聞こう。ここから脱出するにはどうしたらいい?」

 

 ケイネスさんは努めて冷静であろうとしていた。工房が破壊されるというショックを受けた直後だったものの、固有結界を一度体験したが故に落ち着きを取り戻しつつあるようだ。そして蛇の道は蛇。固有結界を扱う先輩の知識にわたし達は縋るしかない。

 

「外界からの圧力に抵抗し、固有結界を維持するには莫大な魔力が必要だ。ライダーは連戦を経ている上に、マスターも未熟。通常なら持って数分、と考えたいところだが」

「あの一騎一騎がサーヴァントとなれば、おそらく維持に必要な魔力を担っているのはあの軍勢全て、というのが最悪な場合の想定だな」

「その場合、固有結界が保てなくなるまで削り切るしかあるまい」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で先輩が答える。灼熱の陽光を背に並び立つ軍勢、理不尽ともいえるほど鉄量だ。先輩やランサーがいくら優れた英霊と言えども、わたしやソラウさん、雁夜おじさんという足手纏いを抱えながら戦い抜けれるはずがない。

 

「あとは私の心象風景で世界を上書きするということも万に一つは可能かもしれんが、そのような博打よりは――対話に賭ける方を私は推したいと思うのだが」

 

 先輩の視線の先を追うと、隆々たるライダーの影から、黒髪の長髪の男が再び現れる。間違いなくわたしにとって、お爺様に次ぐ障害であろう長髪の魔術師は戦車からわたしたちを見下す様にして答えた。

 

「それが賢明な判断だな衛宮士郎。今回こそは実りある対話にしよう。いや、しなければならないのだ」

「そうだな。あの時のヒントでようやく記憶を掘り起こせた。そして、裏取りも取れている」

 

 今にも首を穫りに飛びかかって行きそうなランサーさんを手で制しながら先輩は答えた。訳ありげな様子に仕方なくランサーさんは下がったが、それでも油断なく双槍を構えながらマスター二人を守るべく牽制の意を見せる。

 

「そう殺気立つでない。器が知れるぞ、ランサー。そちらから手を出さん限り、余には今ここで貴様等を排除する気はない」

「僕たちの勝利条件の一つは二人を遠くに離脱させることだからな。対話で時間が稼げるなら上出来だ」

 

 ライダー主従の言うことに嘘はおそらくない。武力を以て交渉を有利に進めようと意図でもないのだろう。対話の場に無理やり立たせるために。そう考えたほうがおそらく自然だ。交渉ではなく、対話と言った先輩の言葉が胸に引っかかる。だがわたしを置いていくようにして目の前の男は先輩と話を進めようとしていた。

 

「時間はあまりない。答え合わせといこうか衛宮士郎」

「あぁ。だが、その前にやるべきことがある――――桜」

「はい、何でしょうか?」

「君には伝えなければいけないことがある」

 

 目線が同じ高さになるようにしゃがみ込んだ先輩。わたしの首と背中に手を回して抱き寄せると、右耳に優しい音を吹き込んだ。

 

「私は、君の知っている衛宮士郎とは違う」

 

 こんなにも穏やかで愛しい声が、嫌というほどに鼓膜に突き刺さる。

 

「そうですね。わかって、います。わたしが愛した人は、正義の味方を辞めたんですから」

 

 元が同じ人でも歩んだ道は真逆。目の前にいるこの人はあの人が理想を追い求めた先にある可能性のうちのたった一つの姿でしかない。

 

「だが、私は君の愛した衛宮士郎の名にかけて誓おう」

 

 先輩は一度頭を撫でてから両肩に手を移し、見つめあうようにして言の葉を紡ぐ。戦争開幕からの数日間の夢見心地だった日々はもう終わる。揺らぐことのない光を灯したその瞳を見ると、確信めいた終焉の予感が脳裏によぎってしまった。

 

「私も最後まで桜の味方だ。だから」

 

 決して聞き逃さないように、耳を澄ます。

 

「何があっても私を信じて待っていてくれ」

「はい」

 

 ――――すとん。そんな音が聞こえた気がした。

 首に走る衝撃が、網膜に暗幕を降ろしていく。

 もう声を発することもできない。

 ねぇ、どうして、先輩?

 

「後は私に任せてくれ。今夜中に終わらせる」 

 

              ×          ×

 

 

 

 肌を刺すような鋭いビル風が、破られたマンションの窓から容赦なく吹き込む。書類やカーテンの切れ端が宙を舞っては落ち、引きずられる様にして部屋の隅に集まっていく。 

 静かとはとても言い難い惨状。しかし喧騒の中心だった者たちは固有結界へと隔離されたため、この部屋にはもう居ない。残るは切嗣とアイリスフィールの二人だけだった。

 

「アイリ、君が無事で本当に良かった」

「私もよ。ずっと待っていたんだからね」

「それは……色々あったんだ。詳しい話は後だ。まずはこの場を脱出しよう」

 

 アイリの手足を拘束しているのは呪符を紙縒り合わせた縄。それにナイフの切っ先を滑らせ手際良く解放する切嗣。

 

「ゆっくりとでいい。立てるかい?」

 

 そっと掴んだ細い手首に浮かび上がっているのは紫色の痕に、切嗣は思わず顔をしかめる。膝を震わせながら椅子から立ち上がろうとする彼女だったが、バランスを保てず前のめりになり、切嗣の胸元に抱きかかえられるようにして受け止められた。

 

「ライダー達から話は聞いた。怪我の具合はどうだ?」

「おかげさまで、と言うのも変かもしれないけれどしっかりと直してもらえたわ。流石時計塔の名門だったわね」

「そうか」

 

 だが顔色が悪そうだ、と続けようとした言葉を切嗣はとっさに喉の奥へと仕舞いこむ。拷問の類をされた形跡こそなかったが、長時間に渡って物理的、魔術的な拘束をされていたのだ。疲労が蓄積していないはずがなかった。

 

「迷惑ばかりかけてごめんなさいね。急に動いちゃったから少し足が痺れたみたい」

「気にするな。下に降りて少し離れたところまで向かうぞ。靴は……あった。これを履いたら僕に掴まれ」

 

 コートを襷がわりにしてアイリスフィールを背負う。そして何事もなかったかのように堂々と部屋を出て、そのままエレベーターで降り、駐輪場側の入り口から裏道へと身を隠す。

 ホテル丸ごとの爆破解体に続き、高層マンションの一室が爆発する事故だ。非常灯の色で染まるほどに街が混乱を極めた今、身を隠す絶好のチャンスだ。路地裏の闇を縫うように切嗣はアイリスフィールをなるべく人目に触れないようにして移動を続ける。

 

「こうしているとまるで子供に戻ったみたいね。子供になれた、と言う方が正しいかしら」

「それは何よりだ。ライダーが馬を貸してくれると言っていたが断って置いて正解だったみたいだね」

「あら、そうだったの? 一度は馬にも乗ってみたかったのだけど残念だったわ。でもこっちの方が良いから許してあげる」

 

 吐息を耳元にあてるようにして彼女は言った。そして切嗣は夜の街の乾いた空気を肺へと大きく送り込んだ後、伝えるべき言葉をようやく口にした。

 

「なぁ、アイリ。今度乗馬に行こう。イリヤと君と僕の三人で」

「三人で?」

「あぁ世界中を回ろう。白い壁の向こう、外の世界を、君にもイリヤにも、もっともっと見せてあげたいんだ」

「……切嗣、もういいのね?」

「聖杯は要らない。ようやく気付けたよ。僕にはアイリ、君とイリヤが傍に居てくれればそれだけでいい」

 

 反響するサイレンにかき消されそうなほどに小さな声で、そして当たり前のことのように淡々した口調で切嗣は言葉を続ける。

 

「世界中で助けを求める誰かよりも、君たち二人が僕にとっての一番なんだ」

 

 それが世界の変革には至らないと自信の無力さを痛感した彼にとっての答えだった。

 

「これから僕は、君とイリヤを守るためだけに全てを賭けるよ。そのためにならアインツベルンも、時計塔も、全ての障害を振り払ってみせる」

 

 実の父、恋焦がれた人、母の様に慕った人、数多のそして救えなかった人々や救わなかった人々。命の選択を前にして後悔を重ね続け、屍を踏み越える度に心を削りながら戦ってきた日々。

 それら全てに報いるために自らに課して来た使命よりも、家族三人で過ごした穏やかな日々の方に彼の天秤は傾いた。数の理論ではなく、愛情の深さで切嗣は傾けてしまった。

 

「アイリ。こんな情けない僕を、かつての理想を曲げてしまう僕を、君は許してくれるかい?」

「もちろんよ。だって私はあなたの妻だもの」

「……ありがとう」

「ふふっ、どういたしまして」

 

 首に回した腕を固く喰いこませながら答えるアイリスフィール。それに応える様に下から身体を支える手に切嗣は力をグッと込めた。

 

「ねぇ、この後の動きはどうするの?」

 

 その問いに応えようと、口を開きかけたときのことだった。

 

「……たッ!?」

 

 切嗣の左手小指の付け根に痛覚が走る。その皮下に埋め込まれていたのは呪術的処置が施された舞弥の髪の毛だ。即ちこの痛みが意味するのは助手である舞弥に生命の危機が訪れたということ。しかも助けを求めることすら不可能だったことから推測すると、舞弥の生存は危ぶまれる。

 

「切嗣、どうかしたの?」

「追手が掛っている。しかもおそらくはランサー達と別口だ」

 

 あえて切嗣はそれ以上の言葉を発しなかった。舞弥を救出するか、見捨てるか。答えは口にするまでもなく決まっていた。サーヴァントを失っており、且つアイリを抱えている現状を鑑みると後者の一択しかない。

 合流地点への移動を放棄し即座に別のルートを模索している最中、それは無人の交差点で道を塞ぐようにして現れた。メルセデス・ベンツ300SLクーペ。最高速度時速260kmを誇る凶悪なエンジンを搭載した白銀の貴婦人。アインツベルン城から持ち込んだ移動手段の一つだ。

 

「ご無事でしたか切嗣、マダム」

 

 舞弥の姿形をした女が、本人と何一つ違わぬ声を発しながら運転席から降りて来る。だからこそ一切の躊躇なく切嗣は行動に移った。

 

「――何故、気付いた?」

 

 運転席のドアに刻まれたのは無数の銃痕。髑髏の白面を付けた黒い肌の女が車体の屋根に昇り、一部の隙なく胸部に銃口を向け続けている切嗣へと視線を向ける。

 

「敵の問いに答える義務があると思うのかい?」

 

 虚勢は見透かされて当然だ。次の言葉を発するより早く、長く前に突きだした車体のフロント部分へと銃口を向け直し、ありったけの弾丸を叩きこんだ。夜のしじまを引き裂く轟音と共に、黒煙を帯びた紅い風が場に吹き荒れる。

 

「流石に容赦がないな。衛宮切嗣」

 

 詰襟の僧衣の男が燃え盛る炎を背に、ゆったりとした歩調で相対する距離を縮めて来た。

 

「言峰綺礼」

 

 雌伏を続けていたこの男が今になって何故この場に現れたのか。その疑問に答える様に綺礼は言葉を紡ぐ。

 

「……アサシンの存在が全ての陣営に露見した今、もう隠れ潜む理由がないというものだ」

「アイリ、決して離れるなよ」

 

 闇夜に浮かび上がる白面の数が、瞬く間に増えていき、二人の周りを決して逃さぬとばかりに取り囲んでいく。その数は五十を下らない。復調したアイリも自らの脚で立ち、切嗣と背を合わせる様にして臨戦の構えを取った。

 そして黙したままの綺礼は依然として徒手空拳。だがマスターたる証が宿る右拳を顔の高さまで掲げ、その力を行使する素振りを見せた。

 

「全ての令呪を以て、我がサーヴァントに命ずる」

 

 しかし本人以外の誰が次に続く言葉を想定できたであろうか。

 

「一人残らず速やかに自害せよ。アサシン」

 

 全ての予想を裏切る形で、綺礼は破滅の呪詛を紡いだ。言葉にならない驚きの声を上げたのは切嗣とアイリのみ。圧倒的に有利なこの状況で自害を命じられるなど、アサシンたちは夢にも思わなかったであろう。だが事実、戸惑いの声を上げる間すら与えられないままに全てのアサシン達は闇夜に霧散して行った。もう口を開くことができないアサシンたちに代わって問いかけるのは切嗣。

 

「何を考えている?」

 

 それは当然の疑問である。動揺する彼らを尻目に、綺礼はあくまでも事務的な口調で語った。

 

「アサシンが存在している限り、父上や時臣師が窮地に追い込まれる可能性が高い。だがマスターたる令呪とアサシンを全て消滅させれば証拠は消える。至って単純な論理だ」

 

 その言葉は一見正しくもあるが、それにはこのタイミングで使い潰す理由が含まれていない。綺礼個人の思惑が何なのか切嗣は測りかねていた。対峙する綺礼は心の機敏というものを微塵も感じさせないからだ。

 だがそんな男の口元が一瞬吊り上がる。それは背中を合わせていたアイリスフィールの膝が崩れ落ちた瞬間と同じタイミングであった。

 

「やはり、そうか」

 

 不調を隠せないでいる妻に対して声をかけるよりも早く、対峙する綺礼が「それが答えだ」と言わんばかりに言葉を発した。

 

「父と師の脚をひっぱる前に、冬木を後にするつもりだったが出てきた甲斐があったようだな」

 

 もう戦いは避けられない。確信を抱いた切嗣は、焦げ付くアスファルトの煙を肺に取り入れる。そしてすぐに彼は場の魔力の変化を感じた。

 

「ご丁寧に防音結界までご用意か」

「監督者の息子なのでな」

 

 開き直った様子で答える綺礼に舌打ちで返す。

 

「もうこれ以上交わすべき言葉はない。そんな顔だな」

 

 相手の目的はハッキリしている。交渉の余地もない。そう判断した切嗣は会話という機能を切り捨てていた。

 そして手の中に収まる冷たい銃把の感覚を身体中に行き渡らせ、自らを完全なる兵器へと存在を昇華させる。ただ敵に銃口を向け、人差し指を引き絞るという動作のためだけに、筋繊維の収縮、血管の脈動、呼吸の深度、その一つ一つまでも精密にコントロールする。そう、彼は五感(いのち)の全てを、この刹那の邂逅のために解き放つのだ。 

 

「衛宮切嗣、お前なら答えを見い出せると思ったが、私の思い違いの様だ。我が師の悲願のため、力づくでも器は頂くぞ」

 

 これ以上二人が発する言葉はない。眼前の言峰も胸元のロザリオを掲げ、十字を切った。



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#15 あなたと二人で

 相対する場所は人気のない交差点。街路樹と電柱、残骸と化したメルセデス・ベンツ、障害物と呼べるものはそれ位であり、銃を使う切嗣の方が間合いの面では圧倒的に有利だ。

 しかし相手は歴戦の代行者。自らのサーヴァントを捨て背水の陣で挑んできたのだ。その覚悟は尋常ではないだろうと容易に想像がついた。

 いかに黒鍵が投擲に特化した礼装と言えど、切嗣の弾丸の方が間違いなく早く届く。盾となりうる物や潜むことのできない状況と、綺礼の心情から推察される戦法は致命傷以外は無視しての突進だ。故に懐に潜り込まれる前に起源弾で確実に葬るしかないと切嗣は脳内で最適解を反芻する。

 祈りを済ませた綺礼も初手を決めたのだろう。胸元で交錯するように掲げられた六本の黒鍵が肥大化した。魔術によって強化された刀身を盾にして間合いを詰めるのだろうと判断する。ならば行うべきはそこに起源弾を叩きこむことだけだ。より強力な魔術で対処されてこそ、頼みとする必殺の魔弾は大きく効果を増す。

 撃ち込むのは一歩目に合わせて。最速を以て動けるように切嗣は延髄へと指令を刻みこむ。網膜が綺礼の重心が沈み爪先に重心が掛るのを捉えた。狙うは次の一瞬――それが致命的な読み違えだったと気付いた時にはもう遅い。

 

「アイリッ!!」

 

 コンテンダーを支えるための右手は、飛来する凶刃から妻を守るために振るわれた。綺礼の初手は突進ではなく、ノーモーションでの投擲。それも背中にいるアイリスフィールを見越してのものだったのだ。無傷なことに安堵する暇などない。キャレコ短機関銃でフルオートの弾幕を張り、鬼神の如く詰め寄って来る綺礼を制圧する。

 サブマシンガンから放たれる銃弾を黒鍵でことごとく弾いてしまう言峰の技量を切嗣は冷静に評価した。想定を大きく超えた戦闘能力だ。しかし今、敵の脚は封じ込めることに成功している。再び空いた右手にはコンテンダー。放つなら今しかないと、その銃口を標的に向けようとしたその刹那だった。

 キャリコから放たれる銃弾への防御を止めると同時に極端に身を低く屈め、エンチャントを施した全脚力を以て代行者は切嗣へと迫り来る。

 切嗣が反動を無理してまで左手一つでサブマシンガンを使い続けるのは何故か。右手に抱えたものが本命であることは考えるまでもなかった。故に綺礼は反撃の機が来るそのときまで脚を止めてまで計っていたのだ。

 対する切嗣には刀身による防御を捨てたはずの綺礼が、キャレコの弾丸をものともせず肉体と僧衣一つで突き進んで来ることに困惑せざるを得なかった。機を逸らされたながらも切嗣はコンテンダーの引き金を引き絞る。だがあまりにも早く、そして低い標的を相手にして、切嗣の腕を以てしてもその弾丸を届かせることができなかった。

 仕留められなかった、ということは次に行うべきは何か。その答えは本能に刻みつけていた呪文(ことば)が知っていた。

 

固有時制御二倍速(タイムアルター・ダブルアクセル)!」

 

 活歩から首を刈り取るべく放たれた二連の脚技を拳一つ分もないギリギリの所で避ける切嗣。不自然に膝を折ってしまったがために、反り返るほどに上半身を地面へと近づき体勢が崩れる。そこへ鳩尾を踏みつけるような一撃。鮮血の塊が切嗣の口から溢れ出る。あと一撃で終わりだと両者がそう確信したときだった。

 

形骸よ 形を成せ(シェイプ・イスト・リーベン)!」

 

 窮地を救ったのは妻であるアイリスフィール。銀の糸によって編まれた針金細工の鷹を敵の元へと飛翔させ、切嗣への追撃の拳を阻む。アイリスフィールは鷹を操り、切嗣から引き離すようにとその鋭利な嘴と爪を以て攻撃させていた。

 

「切嗣、立って!」

 

 護られるだけの人形ではない。妻として夫が再起するための時間を少しでも稼ぐ。その決死の想いを胸にアイリスフィールはよろめく脚で修羅と相対した。

 今の彼女は誰よりも魔力は潤沢にある。なぜならば脱落したサーヴァントたちの魂がその身に宿っているのだから。聖杯を護り、正しい形で顕現させるという本来の目的を捨て去るのならば、もう魔術回路が焼き付くされることも厭わない。アイリスフィールは激流の様に身体の内を暴れ狂う魔力を圧縮し、限界を超えて細い糸へ送り込み続ける。

 

「あなたは私が止めて見せる。切嗣には絶対触れさせない!」

「邪魔をするな、女!」

 

 正面から頭を狙うように飛び込んでくる白銀の爪を首一つの動きで左に回避した綺礼。最高速度で突入して来た鷹は、回避されてすぐには切り返せないことはそれまでの攻撃パターンから既に学習済みであった。

 よって無防備な今の内にアイリスフィールを葬らんと、歩を進めようとする綺礼。しかし急に消えた羽音に違和感を抱き振り返ろうとする。

 

「何だとっ!?」

 

 綺礼の頭のすぐ後ろで使い魔は糸状へと戻り、自動車のタイヤ大の直径程の輪を幾重も生成していた。そしてその輪の中心がどこにあるのか――アイリスフィールの意図を察した時にはもう遅い。アイリスフィールは輪を一気に引き絞り、敵の首を締め付ける。

 

「……ぅ、……おっ」

「あなたはここで、落ちなさい!」

 

 締め付ける糸を引きちぎろうとするが、細すぎるために指にかからない。目に見えて衰弱する綺礼だったが、衰弱しているのはアイリスフィールも同じ。長年の鍛錬によって強化されたその肉体の耐久力は、首周りの筋肉においても尋常ではなかった。故にアイリスフィールが全力の魔力を流しているとしても、どちらが先に力尽きるか読めない我慢勝負の様相であった。

 だがしかし、仮に綺礼がこのまま糸を無視して自由な手足で接敵してきたら、万に一つも脆弱なホムンクルスに勝ち目はない。

 あと五秒。たったあと五秒さえ耐えればと願うアイリスフィール。だがその甘い見通しは儚くも崩れ去る。

 

「何を、しているの?」

 

 視線の先には首を指先で掻き毟る綺礼が彼女の眼前に居た。血が溢れ出るのも厭わず、声一つ漏らさずに動脈のすぐそばの肉を抉り取るその様は、もはや人と呼べる者の所業ではない。形容することさえおぞましい様を目にしたアイリスフィールは蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなってしまった。

 そして綺礼は遂に糸を掴みとり、人間離れしたその握力の全てを以て引き千切る。術を破られたフィードバックがアイリスフィールに襲い掛かり、膝から崩れ落ちてしまう。

 

「切嗣、逃げて……」

 

 アイリスフィールの最期の言葉。そうなる運命(はず)の言葉は切嗣の耳に届いていた。

 綺礼の拳によって切嗣は幾つもの肋骨が内臓を突き破られ、陸で溺れる様にして喘いでいた。コンテンダーもキャレコも手元から離れてしまっている。

 気合いで誤魔化しただけでは走って取りにいくことができないほどの重傷だ。妻が敵と対峙して機が逸れている隙に必殺の一撃を中てるには、冷たいアスファルトを這いつくばりながらコンテンダーを取りに行かなければならなかった。

 今直ぐ駆け寄りたい気持ちを押し殺しながら這い進み、ようやくコンテンダーに指がかかった。その時だ。絶対に護ると誓ったばかりの妻が、別れの言葉を自らに向けていた。

 躊躇う暇も、理由もない。その運命を変えるべく、切嗣は脳のリミッターを外していた。

 

固有時制御三倍速(タイムアルター・トリプルアクセル)!」

 

 口にしたのは限界を超えた魔術行使。痛みが蒸発しそうなほどの重圧を押し返して一歩目を踏み出す。

 更に一歩。体中の血管が弾け、筋繊維が切断され、神経が軋みを上げ、意識が時間の圧縮に押し潰されそうになった。だがそれでも前へと進む。目が、合った。

 そして、もう一歩。ただ引き金を引いただけでは間に合わない。故に、絶対に避けられることの無い距離まで詰めて確実に中てる。コンテンダーを右手に、サバイバルナイフを左手に。

 だが綺礼は構わないとばかりに敵の拳が解き放った。

 ――――間に合え。そう叫ぶ余裕などありはしない。半ば水平に飛び込むようにしてもう一歩。アイリスフィールと綺礼の間に割り込むようにして身体を捻じ込んだ。

 妻の頭蓋へと迫る拳が急に軌道を変え、切嗣の胸元へと向けられる。

 

固有時制御四倍速(タイムアルター・スクエアアクセル)!」

 

 紡がれたその言葉は切嗣の覚悟の証そのもの、限界を超えた更にその先の禁呪。全て遠き理想郷(アヴァロン)なき今、その反動で心臓や脳が致命的な損傷を負ったとしても回復できる見込みは低い。

 だが今この瞬間を切り抜けられなければ、切嗣たちに未来はない。いかなる代償を払ってでも妻を護る。それが彼の決めた道だった。

 そしてその一瞬の加速が運命を決めた。さしもの代行者である綺礼も更に上の段階で加速してくるとは考えなかったのだろう。三倍速ならば先に届いていたはずの拳に切嗣はナイフの切っ先を逆手で叩きこむ。

 綺礼の顔が苦悶に歪むが、それも一瞬のこと。次の刹那には眉間に突きつけた銃口が鈍色の音を夜の街に響かせた。

 

「終わった……のか?」

 

 そう言ったものの、綺礼の生死は確認するまでもなかった。凶弾は違いなく頭蓋の中心を貫通している。それでも「もしかしたら」という怖れを二人が抱か、なかった訳でもない。しかし次第に花弁を大きく広げていく紅混じりの脳漿を目にしてようやく敵の死を確信できた彼らは、顔を見合わせると同じタイミングで大きくため息を吐き出した。

 

「アイリ、ありがとう。君のおかげで助かった。身体は大丈夫か?」

「こちらこそありがとう、切嗣。わたしは大丈夫。それより、さっきの魔術は……切嗣っ!!」

 

 魔術行使を停止させた切嗣は四倍速の世界から元の世界に押し戻される。巡る血流は急に滞り、肺や心臓に大きな負荷を与え、半ば心停止ともいえる症状を発してしまう。故にマリオネットの糸が切れたようになってしまうのは当然の結末だった。

 

「ダメッ、切嗣、あなただけはっ!」

 

 彼女の悲痛な叫びも、荒ぶ寒風に虚しく打ち消される。おぼつかない足取りで駆け寄ったアイリスフィールは胸に手を当て、切嗣の容体を確かめた。脈も呼吸も微弱ながらある。しかし、あらゆる部位の筋繊維や血管が破れ、通常なら全治何カ月なのかは予測すらできないほどだ。

 

「絶対に、助けるわ。あなたと二人で――――」

 

 アイリスフィールが魔術をまともに行使できるのはもうおそらくこれが最後だ。先ほどの無茶な魔術行使と、吸収したアサシンの魂による圧迫で、魔術回路は焦げ付いてしまいそうだが、もはや一片の迷いもない。眩む視界を振り切って、治癒の魔術を愛する夫に対して行使する。

 

「イリヤを迎えに行くんだからっ!!」

 

 柔らかな光が手の平から放たれた。今宵の月灯りよりも輝くその光は、勝利を手にした二人を祝福するかのように闇夜を照らす。

 だが、そんな彼らを奈落の底に引きずり込まんとする声が、背中を這い渡る悪寒と共に木霊した。

 

「ホホ、なかなか面白い見世物だったのォ」

 

 側溝の奥から揺らめく黒い影、それが段々と人の形をとっていく。数瞬の内にして、子供のように小柄でやせ衰えた魔術師がアイリスフィールの前に姿を現した。

 

「あなたは、誰なの!?」

「始まりの三人が内の一人、聖杯の正しい使い方を知っておるものじゃよ。聖杯の器よ。それにしても見れば見るほど、よくもまぁ、あの女に似せたもんじゃて」

 

 漆黒を携えた伽藍の瞳がアイリスフィールを覗き込む。底知れない恐怖が忍び寄り、喉元に手を掛けてくる。

 

「桜の奴め、油断しおって。器が無ければ何もできんと言うのにの」

 

 最初の三人であり、桜と言う少女の身内。間桐の人間ということは理解できた。少女がときおり見せる黒い笑みを思い出せば、この老獪が顔面に刻む歪つな皺と似通っている、とも思う。

 

「全く、あちらこちらに攫われよって。じゃが、そろそろ頃合いだったというこか。アサシン亡き今、ようやく動くことができる。充分過ぎるほどに霊地も整った」

 

 一人納得するように頷く姿を見て、事態が最悪に向かっていることは理解できる。しかし、彼女には戦う力も、逃げる脚も、差しだせるカードも何もない。この状況を一言で表すとこうだろう。万事休す、と。

 逝くのならばせめて夫と共に――――そう、アイリスフィールが覚悟を決めた。その時だった。不遜な声が天啓のように頭上から舞い降りて来た。

 

「雑種にすら劣る蟲が。目障りだ。一片たりとも存在することを許さぬ。欠片すら残らず燃え果てろ」

 

 黒衣の空に、群青の亀裂が一筋走る。

 

「……ぅおおっ。アぁ、チ……ぁうぜ、おぬ、ぁ……」

 

 老魔術師の心臓を貫いた光は、柄に瞳大のエメラルドを煌めかせた両刃の宝剣であった。その刀身からは蒼白い炎が迸り、魔術師の身体を燃やし尽くす。その凄惨な光景はアイリスフィールからたった三歩ほど距離であったものの、微塵の熱さも感じなかった。

 そういった宝具なのか、自らが温冷感を失ったのかはわからない。言峰綺礼と同じ陣営であるはずのこの男が何故ここに居るのか。彼がいつから居たのかもわからない。しかし理由はわからずとも、この黄金色を背負った眼前の男に結果的に助けられたことだけは混乱するアイリスフィールにも理解できた。

 

「チッ、我が宝剣が穢されたか。もう我が蔵には仕舞えんな」

 

 燃え広がった蒼炎を収束させつつある宝具を一瞥してそう呟く。そして灰となり風に散った魔術師には目もくれず、横たわる二人の男を順に見やるアーチャー。

 

「綺礼の奴め、道を失ったまま沈んだか。多少の問答でも交わせば絶望する姿が見れたかもしれんというのに急きよって。結局最後は師に似て詰まらんやつだったな。だがしかし――――」

 

 猛禽の様に鋭く紅い眼光がアイリスフィールの瞳を射抜く。

 

「貴様らは中々に面白かったぞ、人形。そしてこの雑種もな」

 

 彼の視線の先には未だ目を覚まさないままの切嗣が居た。僅かな間とはいえアーチャーと切嗣との間で僅面識があり、切嗣の皮肉めいた人生を洗いざらい吐かされたとは、アイリスフィールには知る余地もない。彼女は疑問を頭に浮かべながらも、目を逸らすことなくただ次の言葉を待つ。

 

「人形よ、一つだけ問おう。お前たちをここまで動かしたものは何だ?」

 

 ここまで、とは。それは満身創痍の二人の姿を指して言っているのだろう。アイリスフィールの生まれながらの運命に、切嗣が全てを犠牲にして歩んできた道程に、何故最後になって抗ったのか。

 

「私達が互いを愛しているからよ。私は切嗣と約束したの。娘を連れ戻して三人で世界を回るんだって。そのためならどんな障害だって怖くはないわ」

 

 あなたでさえね、と続きそうな程に自信に満ち溢れた言葉をアイリスフィールは口にした。一片の曇りもない言葉で答えた彼女に出来ることは王の裁定を待つことのみ。強く睨んだアーチャーは一度目を閉じると、手の平で腹と頭を抱える様にする。そして抑えきれないとばかりに声を出した。

 

「くっ、ハハハッ。人形遊びもここまで来れば傑作だな。やはり雑種は何とも愚かで度し難い――――」

 

 どこまでも傲慢な嘲笑を向けるアーチャー。そして発作が納まった後に彼は「だが」と言葉を続けた。

 

「聖杯は元より我の所有物。この聖杯戦争という茶番など、簒奪者を誅する傍らの暇つぶしだったのだがな。良い、我を興じさせた褒美だ。お前たちに我が庭を自由に回る許しを与えよう」

 

 命乞いをしたわけでもない。だが彼の口から発せられたのは主の意向に反するであろう見逃すというの意の言葉。何が彼の琴線に触れたのか、彼と夫に何の繋がりがあったのかもわからない。だがその許しをアイリスフィールは素直に受け止め、ふらつく脚で淑女の礼を取る。

 

「格別のご厚情を賜わり厚く御礼申し上げます、王よ。御身の名も知らぬ無礼、どうかお許し下さいませ」

「あぁこのウルクの王が許そう。人形、世界は広いぞ。その命尽きるまで人形劇を演じるが良い。そこの雑種にそう伝えておけ」

 

 そう言い残して背を向けるアーチャー。月灯りの差す方へ歩みを進め霊体化していった。

 

「……できることなら我が友にも全てを見せたかったものだ」

 

 消えゆく間の小さな独白はアイリスフィールの耳に届くことはない。一瞬の安堵から、現実に立ち返り、しばらく身を隠せそうな場所をその場で見渡しながら探しはじめた。

 

「何かの、ホールかしら?」

 

 あそこならきっと朝まで誰も来ないはず、と潜伏に丁度よさそうな公共施設に目を向ける。しかし非力な自分では切嗣を抱えて歩くことはできない。最低限の移動ができることを目標に、中断していた治癒魔術を再開するアイリスフィールであった。 

 

 

 

 

              ×          ×

 

 

 

 

「くっ、忌々しい。これでは計画が狂ってしまうではないか」

 

 ベッドから飛び起きた少年は、その幼い背格好に似合わない程に怨嗟の籠った声を腹の底から吐き出す。

 

「逃げられる前に決着を付けねば全てが無に還ってしまう」

 

 それだけは許されない、と続けようとした言葉を喉の奥にしまいこむ。灯りも付けないままベッドから降り、足元に転がっていた革の鞄の鍵を開ける。様々な液体が詰め込まれた瓶や、石、粉末を固めた丸薬などが色とりどりとその中には詰まっていた。

 

「基本的なものばかり、か。しかし逆に良かったかもしれんわい。何分ワシと相性が悪いからのぅ」

 

 似つかわしくない老獪な語尾が口元から洩れる。聞いている人間がいたら誰もが疑問を抱くだろう。しかし、この家に居るのは階下で熟睡する耳の遠い老夫婦のみ。懸念などどこにもなかった。

 

「桜に雁夜、霊地、教会の令呪、間桐の秘法。まだ取りうる手は無限にある。じゃが……」

 

 独り言を呟く少年は選び取った瓶の中の液体を床に撒き散らす。そしてもう一つの瓶を床に撒くと、寝静まった暗い部屋が急に明るくなる。揺らめく光に照らされ、少年の髪色が一層と赤色に染まる。

 

「まずは遠坂の倅を利用させてもらうとするかのぅ」

 

 赤い風が、マッケンジー家を襲った。



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#16 おかえりなさい

「桜ちゃんに何するんだ士郎!?」

 

 今にも掴みかかって来そうな勢いの雁夜を制したのは、後ろに控えていたランサーだった。

 

「案ずるな。彼女は気を失っているだけだ。数時間もすれば何事もなかったかのように目覚めるだろう」

 

 崩れ落ちた桜を士郎から受け取った雁夜。受け取った彼女の小さな胸元は、静かながらも規則正しく上下している。「よかった」と、雁夜の強張った眉間が緩んだ。

 

「だが、俺からも問おう。何故自らの主を裏切る様な真似をした? 事と次第によっては、この矛先を向けねばならんぞ」

「――これからの話は桜には聞かせない方が良い。おそらく混乱するだろうからな。それに万が一令呪を使われては適わん。雁夜、しばらくの間、桜を頼む」

「実に賢明な判断だ“守護者”エミヤ。その娘、おそらく黒い聖杯の影響を受けているな?」

 

 ライダー側の長身の魔術師が語るその言葉を意味を正しく理解できたのは、名指しされた彼一人だけ。他の面々は、置いて行かれながらも二人の対話を聞き逃すまいと耳を傾ける。

 

「可能性はあるが断定はできん。パスを通して得た情報では私と桜が歩んだ第五次聖杯戦争は全くの別物だ。そして第四次を切り抜けた君とでは情報が喰い違う所が多いだろう。故に君の言う答え合わせが必要だ。ロード――」

「いや自分の口で語ろう。既に気づいている者も居るようだがな」

 

 士郎の言葉を遮った魔術師は焼けつく空気を胸一杯に吸い込むと、熱砂の海に響き渡らせるようにして名乗りを上げる。

 

「我が名はロード・エルメロイⅡ世。生前、ウェイバー・ベルベットの名で第四次聖杯戦争に参加し、そして冬木の大聖杯の解体の実績を以て、英霊の末端に至った存在だ」

 

 到底信じられないであろう宣言であったが、実際に衝撃を受けたものは少ない。以前の対峙において、ライダー主従、士郎はその正体を見抜いており、ケイネスもほぼ確信していたからだ。

 

「嘘でしょ? 何であんなのがエルメロイを名乗っているのよ」

「想像するだけで腹正しいことだが、おそらく“他の世界の私”は聖杯戦争で失敗したのだろうな。心配するなソラウ。未来からの介入者が来ている時点で、既に歴史は異なっているはずだ。“私は”必ず勝つ」

「桜ちゃんに、士郎に、ライダーのマスターで三人目だろう? なぁ士郎、もう何がどうなっているんだよ。俺にもわかるように説明してくれ」 

 

 呆ける様な雁夜の呟きに、何も理解していないであろうランサーも無言で縦に首を振った。

 

「まずは聖杯戦争のシステムについてから説明せねばなるまい。この冬木の聖杯とは召喚された英霊たちの魂を聖杯に捧げ、その純粋足る魔力を以てその力を発揮する仕組みだ――――」

 

 つまり“英霊は生贄である”という衝撃的な言葉から、未来英雄二人は聖杯戦争の真実を、過去の戦いの行く末を語り始めたのだった。

 

 

                ×        ×

 

 

 

「どれだけ厄ネタがあるのよ一体……」

 

 頭を抱えるソラウが項垂れる様に脱力しているのは、燦々と照りつける太陽のせいだけではない。その場に居た誰もが彼女の言葉に同意していた。“答え合わせ”をした二人も、陰鬱な地下道が似合いそうな顔色をしているほどだ。

 Ⅱ世と士郎からもたらされた情報からは、アンリマユの存在とその危険性が初めて知らされた。未だに桜がアンリマユに影響されている可能性を考え、桜の意識があるうちは言えなかったと士郎は謝罪する。

 そして大聖杯の解体方法もⅡ世からケイネスへと引き継がれたが、今すぐに対処できることは少ない。

 小聖杯の器がアイリスフィールであること、現時点で収められているのは、おそらくキャスター、セイバーのみなので小聖杯の顕現までは時間があるであろうこと。アーチャー・アサシン陣営も、残り三騎が結束すれば勝ち筋は見えること。未来からの情報だけで遠坂時臣や監督役を説得できるのかという問題。

 逆に雁夜たちにとって朗報だったのは、どれだけ捜索しても見つからなかった士郎少年がライダーの下宿先で保護されているということだ。

 希望もまだ潰えていないが、課題は山積みといった様相に、どこから手を付けるべきかそれぞれが頭を悩ませていた。

 

「思ったんだけどさ、このままアイリスフィールを逃がしてしまえば殆ど解決しないか? 大元の解体はすぐにじゃなくてもいいんだろう?」

「なるほどな坊主、それが一番手っ取り早そうだ」

 

 如何にしてアイリスフィールを救うかというウェイバーにとっての命題。ようやく思いついたとばかりに提案し、それにライダーも同調する。

 

「そうね、それが一番良さそうだわ。そう思わないケイネス?」

「リスク管理と言う面では一番だろうな。だがしかしだ。監督役との話し合いにおいて、アンリマユについての証言をアインツベルンからも欲しい。いくら我々が信用した所で、第三者からすれば未来英雄の証言だけでは信頼性に乏しい。そうは思わないかねウェイバー・ベルベット君?」

 

 一言目は同意を述べた。しかし「短絡的な思考だな。もっと全体を考えたまえ」とウェイバーを睨みつけながら付け加えるケイネス。

 晒し上げるように提案を否定されたウェイバーは反論を口にしようとするが、それよりも先に口を開いた者がいた。雁夜だ。

 

「聖杯を外に逃がすのは駄目だ。爺が居る。アイツを誘き寄せるには絶対聖杯が必要だ。爺をぶっ殺さないと桜ちゃんは救えない」

「そうだな。君たちと違って私と雁夜には桜は救うというのが第一目標だ。桜は機を見て寝首を掻くつもりだったようだが、私の前にすら一度も直接姿を現していない間桐の当主を表舞台に引きずり出すのは至難の技だろう。それこそ聖杯を手に入れる直前まで捕捉するのは難しいと私たちの見解だ」

 

 雁夜と士郎の言葉を受け、他の面々は更に困惑する。平和に場を収めたいというのは共通の意識だが、アイリスフィールを助けたいというライダー陣営と、間桐臓硯を確実に消し去るために本体を誘き出す手段が必要なセイヴァー陣営とでは思惑が異なっているのだ。

 

「間桐の当主は余程用心深い奴。それを引っ張り出しさえすればいいんだろ。その条件さえクリアできれば……」

 

 考えろ、考えろ、考えろと、小声でウェイバーは繰り返す。

 互いに手を取るまで後一歩のところまでは来ている。大きな目的は同じなのだ。セイヴァーもランサーも、そしてそのマスター達も願望機としての聖杯は然程必要としていない。ライダーも「此度の遠征は受肉を諦めて次の機会を待つ」と言っており、今回の聖杯を得ることには固執してない。本当に後一歩の筈なのにそれが果てしなく遠い。

 ウェイバーは、傍らに立つ相棒の顔を見た。平素は馬鹿みたいに遊んだりしてばかりの男だが今は違う。言葉少なに思考を張り巡らす彼は、王として何を考えているのか。ふと気になったウェイバーは声をかけた。

 

「なぁ、ライダー?」

「なんだ坊主? 何でも言ってみるが良い」

「オマエ王様だったんだから戦争の指揮とか慣れっこだよな。用心深い敵の大将が前に出て来るって時はどんな状況だと思う?」

「用心するまでもなく前に出れるほどに楽な戦か、他の誰にも渡せぬほどの功が目の前にちらついているか、後は逆に――――」

「逆に?」

 

 途中で止めたライダーの言葉を反芻するウェイバー。そしてライダーはウェイバーの背中を常人のふた回り以上も大きいその手で叩いた。

 

「いでっ!?」

 

 ニヤリと白い歯を見せたライダーは言葉を続けた。

 

「こんな風にな。自ら前に出て鼓舞せねばならんほど、味方の陣営が弱っておるかだ」

「っててて。痛いほど分かりやすい解説をどうもありがとう」

 

 ウェイバーは涙目で背中をさする。砂漠の中に顔を埋めなかっただけ彼も頑張った方なのだが、主従とは思えぬそのやり取りを唖然と他のメンバーは眺めていた。

 

「それでセイヴァー陣営に当て嵌めるなら、って万全過ぎるって言っていいよな。ランサーと同盟しているし、魔力も令呪も温存できてる。そしてアーチャーへの対策もある」

 

 ウェイバーの言う通り、セイヴァー陣営は順調極まりないだろうと誰もが思う。ここからピンチを演出して誘き寄せる方法を皆一つになって考えていた。それさえ見つければ一枚岩となってこの三陣営は戦えるのだから。

 

「爺にとってのピンチ……そうだ! 士郎、これ使えないか?」

 

 そう言って雁夜が掲げたのは布で包まれた一本の短剣。雁夜によって布をほどかれ、顕わになっていく紫色の歪な刀身。

 

「なるほど。桜の貯蔵魔力が使えなくなるのは痛いが、それならば必ず動きがあるだろうな」

 

 雁夜の言葉に頷いた士郎は、ケイネスの方を見る。そしてケイネスの前に片膝を付いて嘆願した。

 

「ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。貴殿の技量と人格を見込んで頼みたい」

「な、急になんのつもりだ!?」

「お、落ち付け。我が主に一体何を!?」

「桜を救うため、桜との契約を切り、貴殿のサーヴァントとして仕えたい」

 

 動揺するケイネスとランサーを置きざりにしながらも士郎は言葉を続けていく。

 

「ここまで情報を小出しにし続け、真実から遠ざけていたことは申し訳ないと思っている。私のこれまでの態度が完全に信頼されるに値しないことも理解している」

「あぁ。君の言う建前が二転三転するのには、ほとほと呆れたものだ。この愚直なランサーと違って、とても信に値するとは思えんな。同盟さえ考え直すべきかと何度思案したことか」

 

 冷やかな苛立ちを込めたその声を、士郎の真上から突きつけるケイネス。

 

「――――だがしかしだ。この愚かな戦いを止めた功績が手に入り、マキリの水系統と降霊術の秘伝を物にし、桜という優秀な弟子を取れる。信を置けないとはいえ、たかがサーヴァントを一騎懐に入れるだけでこの対価。ソラウ、君はどう判断する?」

「彼の分の魔力は貴方が請け負うことになるけれども、その程度の負担、貴方にとっては些事でしょう?」

「無論だ」

 

 吹きすさぶ砂塵の風を背に、ケイネスは頼もしく答えた。その言葉に士郎と雁夜の口元が綻ぶ。そして士郎は雁夜から短剣を受け取ると、自らの手の甲にその切っ先を突きつけた。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 灼熱の太陽よりも眩い光が辺りを包みこむ。そして士郎は使い終えたその短剣を雁夜に渡し、ケイネスへと向き直る。

 

「これで桜との契約は解除された。桜の令呪は見えるところにはないが、今は失われているはずだ」

「嘘、たったそれだけで良いの? 本人の同意なしだと、もっと難しい手順がかかるというのに」

「そうだ。これだけであらゆる契約を解除できる裏切りの魔女の宝具だ。この宝具を自らに使用しないように令呪で縛りをかけても良いのだが」

 

 驚くソラウへと士郎は端的に説明する。そしてケイネスへの提案を行うが、そんな無駄なことに使うなど馬鹿けていると一蹴された。

 

「固有結界内での時間は有限だ。マキリから完全に遮断されているこの貴重な時間を無駄にするわけにはいかないぞ」

「わかっている」

 

 Ⅱ世に急かされたケイネスは一言だけ返す。そして自身の礼装の形状を即席の魔法陣へと変形させ、士郎と対峙した。

 

「―――告げる」

 

 再び紡がれる詠唱は時空の彼方ではなく、目の前に跪く一人の男へと向けられる。

 

「汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのならば―――」

 

 吹き荒れるのは冷涼なる風。舞い上がる砂は、刻まれたこの世界を否定するかのようも、ただ冷たくある。

 

「―――我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!」

 

 創生される神秘の光。誰もが息を飲み、その誓いを見守った。

 

「サーヴァント、衛宮士郎。救世主(セイヴァー)の名に懸け誓いを受ける……!  貴殿を我が主として認めよう、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト―――!」

 

 左手には新たなる光。その奇跡の力を頼りに、一同は最終幕へと足を進めた。

 

 

                ×        ×

 

 

 

 黒い夜空を照らすのは揺らめく赤燈の光。煌々と燃え盛るその熱気にやられて、ようやくわたしも目が覚めた。

 

「危ないから下がって!」

「そこどいてっ! 担架通るよ!」 

 

 煤にまみれ、パジャマ姿のまま茫然と立ちすくむ人々。街を喰らい尽さんと迫る炎に立ち向かう消防隊員たち。この光景は、いわゆる火事というものらしい。全焼する勢いで燃えているのはどこかの民家の一画。

 何故わたしは今こんな所に居るのか。何故わたしはライダー主従、ソラウさんと一緒に居るのか。そして何より、何でわたしは先輩の腕ではなくライダーの腕に抱かれているのか。全てがわからないことばかりで、何から聞けばいいのか見当もつかなかった。

 寝心地がよいとはとても言えないが、事態を把握できないまま起きると面倒な気がするので、薄眼を開けるに留めて事態を把握することに専念する。

 

「お爺さん! お婆さん!」

「ウェイバーちゃん、無事だったのね。アレクセイさんも……良かったわ」

 

 担架に運ばれた人に駆け寄るライダーのマスター。彼らは身内なのだろうか。

 

「身体は大丈夫なの?」

「煙を少し吸い込んだだけよ。ねぇ、グレン?」

「あぁ、だが……」

 

 歯切れ悪く、言い淀むお爺さん。隣に並ぶお婆さんを一度見た後、ライダーのマスターへと言葉を告げた。

 

「この火事はウチの二階から出火したようでな。預かって来たあの子、“しろう”は、もしかしたら……」

「えっ、何だって!?」

 

 しろう?

 

「救急車に運ぶから、もうどいてくれ! お爺さん、お婆さん、お孫さんはきっと大丈夫ですから」

「君はご家族かな? できれば一緒に救急車へっ、っておい! 待ってくれ!!」

 

 ライダーのマスターが駆け足で戻って来る。

 

「“しろう”を探すぞ。ライダー! 人目に付くリスクを冒してまで、工房でもない無人の拠点を襲う理由なんてないんだ。アーチャーかアサシンのマスターが“しろう”の価値に気付いたとしか思えない」

 

 しろう。

 

「おう、この嬢ちゃんのためにも“しろう”を見つけねばならんな」

 

 しろう。きっとそれはこの世界の彼の名前。ライダー主従は既に接触していたというの? 

 

「向こうはアーチャーの拠点に向かっているのでしょう? ならそちら側はケイネス達に任せましょう。私達は近場に居ないか探すわよ。もし攫われたのだとしたらそんなに離れていないかもしれないわ」

 

 向こう、って何? そもそもどうして先輩たちと別行動しているのだ。それに先輩との……

 

「よし、ライダー。戦車を出すぞ。上空から探すんだ」

 

 パスがない。思わず声が漏れそうになるのをどうにか堪え切った。 

 

「ならば少し離れるぞ。ここは人目に付き過ぎる」

 

 先輩に裏切られたの? 

 

「えぇそうね。こっちで人払いの結界を敷きましょう。あの光は目立つもの」 

 

 わたしが信用ならないから? 

 

「それにしても、この子が眠ったままで助かったな。喜ばすどころか逆効果じゃないか」

 

 それに、もし。もしもの話だ。

 

「えぇ、全くね。絶対に探して見せるわよ。そうじゃないと報われないわ」

 

 この世界で救うべき彼がもう居ないなら、居ないのなら……

 

「この辺は人が少なそうだぞ」

 

 ――――――もう一度、わたしが聖杯を手に入れてやり直すしかない。

 

「こんなものね。簡易なものだけど、人払いの結界を敷き終わったわ」

 

 こんな時にどうするべきか。その方法はしっかりと教えられていた。忌々しい声を頭の中で復唱する。

 

 “良いか、桜。もしもお主のサーヴァントが裏切りそうなときは……”

 

「―――告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に」

 

 出来るだけ小さな声で。だが喧騒から離れた場所では流石に気付かれたようだ。

 

「む、嬢ちゃん。ようやく起きぃ、カァ……ッ!!?」

「ら、ライダー!?」

 

 影の触手でライダーの胸の中心を貫く。そして、そこに“とある鏡”の欠片を埋め込んだ。流石の英霊と言えど、ゼロ距離ならば外しようもない。影を使って素早くその腕から離れる。

 

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのならば再び我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう!」

 

 更に増やした触手で彼の身体を侵食していく。この滾る魔力、あの時と同じだ。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

「桜ちゃん、何をするつもり!?」

「おい、僕たちは味方だぞ落ち付けよ、馬鹿野郎!」

 

 失敗する可能性など万に一つも考えられない。ライダーは核を傷付けられて致命傷。ソラウさんやライダーのマスターに戦闘力はない。影で牽制するだけで十分だ。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 迸る光がわたしの影を吹き飛ばす。やがて収束した場所に残ったのは、一人の女性。腰まで届くほど長く伸ばした藤色の髪、うらやむほどの長身にスリムなその身体、眼帯で両目を隠したその美貌。見紛うはずもない。

 

「問いましょう。貴女が、私のマスターで間違いありませんね?」

「えぇ、そうよ。今はこんな身体だけれど」

 

 わたしにはもう、あなたしか居ないの。おかえりなさい、ライダー。



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#17 前はこんなのじゃなかった

 静謐なる深夜、遠坂邸の地下工房の壁に反響するのは二つの声。

 

『それで、時臣くんは応じるのかね?』

「ええ。応じざるを得ないでしょう」

 

 魔導通信機が通じる先は聖堂教会の言峰璃正。空の杯を机に戻しつつ、遠坂時臣は璃正の問いに応えた。

 左手に持っているのは羊皮紙の書状。差出人はロード・エルメロイ、間桐雁夜、そしてロード・エルメロイⅡ世なる謎の人物。

 この書状が偽物と言うことはまずあり得ない。が、まだ若いロード・エルメロイが既に後継者を持ち、そのⅡ世足る人物を冬木に招き入れ居ていたことに驚愕せざるを得なかった。彼らの陣営は際立って外部への警戒が高かったとはいえ、アサシンを以てしても得られなかった情報だ。

 

「“一時間後に教会の丘で”と、ありますが、教会として間借りの許可は頂けますでしょうか?」

『かのロード・エルメロイからの誘いだ。この中立地帯において、時計塔の名を汚すような愚行は犯さないだろう』

「信じるよりありませんね。ですが英霊が三騎束になれど、英雄王の前には無力も同然です」

 

 時臣は力強い言葉を空に並べる。だが、隠しきれない懸念は通信機越しの相手にも伝わっていたようだった。

 

『気を付け給え、あのアーチャーと言えども、ライダーの固有結界は強力だ。もし時臣くんと分断されてしまえば令呪以外に……』

 

 璃正が与える助言は的確そのもの。怖れてはいないが、その可能性を僅かでも考慮しない程に時臣は慢心していなかった。

 

「承知しております。しかしながら“聖堂教会を仲立ちとした、聖杯戦争の一時中止と大聖杯の合同調査依頼”と書状にありますので、ロード・エルメロイの気質、名誉欲からして、聖堂教会を欺くことはありえないでしょう」

 

『念のため、彼からの申し出を私からも上に報告しておこう。私の一存で決済できないかもしれんからな。他に何か気がかりはあるかね?』

 

 気がかりがあるかと問われても、それは今の時臣にとってあまりにも多すぎた。口元に手を当て、脳内に渦巻いた思考を纏める。「常に優雅たれ」という家訓を忠実に実践して来た時臣であったが、今の彼から余裕の色が消えているのも仕方ないと言えるだろう。

 才ある娘、凛の死。協力者足る言峰綺礼の不正発覚と、それによる他陣営から追及を逃れるため彼を冬木から離さざるを得なかった状況。ケイネス率いるランサー陣営とキャスターに偽装していた間桐のバーサーカー陣営の共同戦線にライダー陣営が加わったという事実。霊器盤からアサシンの反応が消えたという報告、そして――――

 

「そういえば一刻ほど前に、間桐の……いえ、何でもありません」

『間桐の当主が動いたのか? 大丈夫ということはないだろう』

 

 喉元まで出ていた言葉を引っ込める時臣。これは自らで決めなければならない案件だ。間桐臓硯から取引を持ちかけられたなどと口にできるものかと思う。だが、あの翁の言葉の一部でさえも、遠坂時臣という存在を揺るがさんとするものだった。

 蜜なる関係を築いてきた神父相手でもこれは口にするべきことではない。しかし、その決意の隙間から僅かな言葉が流れ出していた。

 

「……問答をしました。“何故聖杯を求めるのか”と」

 

 璃正からの言葉はない。書斎に漂う沈黙がゆっくりとその先を促した。

 

「無論私は答えました。聖杯を使って根源を目指し、遠坂の悲願を為すと。それは遠坂の当主としての責務。私はずっとそれを信じていました。しかしそれは一笑されたのです」

『翁は何と?』

「“魔術師としての欲と、遠坂の当主としての責務、どちらが大切なのか”」

 

 魔術師としてあるべき姿と、遠坂の当主としてあるべき姿。似ているようでそれは別物。それにようやく気付かされたときにはもう遅かったのだ。

 

「“第二魔法を諦めて聖杯に縋るとは遠坂の家も落ちぶれたものだ”と。その言葉の意味を理解できなかった訳ではありません。だが私は感情のままに問い返すことしかできなかった。“ならばあなたはそのような姿になっても聖杯を求めるのか”と」

 

 人としての生をほぼ捨ててまで、聖杯に縋ろうとする者に言われる筋合いはない。そう言い返す心づもりだったのだ、あの時は。

 

「“正義を為す”そう言われた時は正気を疑いました。あまりの突飛さに私は返す言葉もありませんでした」

『正義、か。私も正直信じられない。あの翁がそのような夢想家にはとても見えんな』

「えぇ。私もそう思いましたよ。ですが間髪を置かずに翁は続けました。“しかし、それは聖杯の力によってではない。あれの力では正しい結果は得られん。だが、自らの手でもう一度選ぶことはできるはず”と意味深げな言葉を残しましたよ。それ以上は聖杯と願いについての解答は得られませんでしたが……」

 

 そして、一つの取引を持ちかけられた。これ以上の相談はもう許されない。今どこかを徘徊してるとはいえ、万一にでも英雄王に漏れるわけにはいかないのだ。これからの会合における事務的な相談を短時間で纏め、時臣は通話を切る。

 

「……長々とすみませんでした。私も今からそちらに向かいます」

『くれぐれも気を付けて。神の御加護があらんことを』

 

 

                ×        ×

 

 

 

 教会の丘に至るまでの道中は襲撃もなく、無事に話し合いの場は設けられた。

 集ったメンバーはランサー主従、間桐雁夜、英霊エミヤを名乗るサーヴァント、そしてロード・エルメロイⅡ世ことウェイバー・ベルベットの未来の姿を名乗るライダーに召喚されたサーヴァント。対峙する側には遠坂時臣、言峰璃正、どこからからか帰還したアーチャー。

 語り始めたのはロード・エルメロイ。その言葉を継ぐようにロード・エルメロイⅡ世が聖杯戦争の危険性を訴え、並行世界のここより先の時間軸で第五次聖杯戦争を制した衛宮の後継者が当事者としての経験を捕捉していった。

 そして時臣にとって何よりも重要な情報の裏付けも取れた。間桐の翁の言う通りだ。桜も並行世界の未来から来ている。

 年齢に全く見合わない、他の陣営を手駒に取り続けた頭脳と、英霊を従えるだけの魔術師としての技量。未来からの情報や鍛え上げた精神があったのならば然程あり得ない話ではない。

 むしろ第二魔法を追う遠坂の家が並行世界の存在を無視するわけにはいかないのだ。目の前の未来英霊二人は並行世界の証人、そして今は眠りについているという桜は第二魔法の奇跡そのものとも言える。だからこそ時臣は彼らの訴えを無下にすることはできなかった。

 

「にわかには信じがたいが、そちらの言い分は理解した。言峰神父、あなたはこの申し出をどう捉えますか?」

「……彼らがもたらした聖杯の危険性、私にも思い当たる節が全くないわけではない。自称とはいえ、未来からの英霊しかも聖杯戦争の当事者たちからの情報となれば、聖堂教会としても全くの出鱈目だと棄却する訳にはいかないだろう。至急アイツベルンの方に問い合せなければならんな」

 

 それが無難な対応だろうと時臣は感じた。アンリマユの存在は初耳だが、過去の聖杯戦争の結末の全貌が不明瞭なため、あり得ないとは言い切れない。正常なら聖杯では選ばれないであろう青髭やそのマスターの存在、僅か10年後に起こったという第五次聖杯戦争、ロードエルメロイⅡ世が語る大聖杯の解体法の一部。どれもこれもが時臣にとって傾聴に値するものだった。

 話し合いの中、最も予想外だったと言えるのはアーチャーの大人しさだ。誰もがすぐに戦闘行為に入るとばかり考えてたが、王としての器量なのだろう。詰まらぬ話なら消すと言いながらも、ほぼ全てを彼らが話すだけの猶予を与えていた。

 途中、英霊の魂をくべて魔力とする聖杯のシステムと、令呪の最後の一画の意味をアーチャーに知られてしまうこととなってしまった。当然、それをアーチャーが看過するはずもない。時臣はそう考えていた。

 

(オレ)を欺いていたとはな。その不敬、万死に値する」

 

 紅い二つの眼光に射抜かれ、時臣の総身に刺激が走る。令呪の宿る手を固く握りしめた。

 

「が、(オレ)の眼を以てしても見抜かせんとはな。見所がない雑種だと思っていたが、存外にやるではないか時臣。今回だけは見逃してやろう」

 

 機嫌良さに救われたのだろう。時臣は心の奥より安堵する。そしてアーチャーが聖杯戦争停止へ向けて聞く耳を持ってくれたのならば、大聖杯の調査に向けた停戦協定は問題なく結ばれる。停戦へ向けてまずは小聖杯の処理を進める中、傍らで聞いていたアーチャーが唐突に言った。

 

「あの人形ならば、冬木を出て行くことを(オレ)が許した。明日の朝にはもう留まっては居まい。故に安心するが良い。小聖杯の完成は決してありえん」

 

 アーチャーは元より聖杯は自らの物だと主張して、それを願望機として利用することを望んでいなかったが、その言葉は時臣も璃正も予想外のものだった。

 

「それならばタイムリミットは少し伸びる。英雄王よ、あなたの寛容さに我々の世界は救われた」

「自らの主と違って、貴様は分を弁えているようだな、そこの雑種よ。シロウが住む街に穢れた聖杯なぞ相応しくない。貴様らで早々に処分してしまえ」

 

 王の果断に頭を下げるロード・エルメロイⅡ世。そして言峰神父が「では、いいかね」と前へ歩を進め、両手を広げながら宣誓を始めた。

 

「これで全ての陣営の同意の下、聖杯戦争の停戦協定が締結された。監督役の言峰璃正がそれを保証しよう。以降、マスター、サーヴァントともに戦闘行為の一切を禁ずる。そしてマスターとその協力者には大聖杯の調査への参加を義務付けよう」

 

 異論がないかとの問いかけに英雄王を除く全てが肯首で返す。

 

「おい、時臣。それから璃正」

 

 黄金の鎧を解除した英雄王がぞんざいに呼びかける。

 

「はっ、王よ何か!?」

「聖杯戦争というお題目がなくなって手持無沙汰になったのでな、(オレ)はしばしこの世界で興に耽ることとする。疾く仕度しろ」

「仕度……とは?」

「虚け。このような夜にやることは決まっておろう。酒だ」

 

 英雄王の気紛れに一同は言葉を無くす。唯一ロード・エルメロイⅡ世だけは嘗ての出来事を思い出し、険しいばかりだった表情に僅かな笑みを浮かべた。

 

「璃正、綺礼の地下室から奴のコレクションを持って来い」

「しかし、今は……」

「璃正、(オレ)は“疾く”と言ったぞ?」

 

 有無を言わせぬ威圧感に屈服した言峰神父は、黙したまま急ぎ足で教会の奥へと向かう。そして英雄王の視線が時臣に向けられた。

 

「では、私も屋敷に秘蔵の……」

「時臣、貴様の所の酒は綺礼の物に劣る。肴も――――これで事足りよう」

 

 黄金の蔵から取り出した光り輝く果物や乾物、この時代には存在しない王への献上品の数々が東洋風の敷物の上へと並べられた。離れていてもわかる芳香な香り、見る者を魅了する圧倒的な艶。

 今すぐ飛びつきたい衝動を誰もが抑える中、抑えきれない者が一人居た。エミヤだ。

 

「英雄王、この食材の幾許かを私に預けてくれないだろうか?」

「して、どうするというのだ?」

「未知の、しかも最上の食材を目の当たりにしてじっとしているのは料理人としての名折れだ」

「ほう、ただの贋作者と思っていたが貴様が調理するというか。良い、許そう」

「では確かに食材は預かった。本物の美食、この時代の料理の極みをお目にかけて見せよう」

 

 既に遠目から選定は済んでいたのか、颯爽と食材を抱え奥へと消える。

 

「本当に聖杯戦争が終わってしまったんだな……」

 

 雁夜の呟きに時臣も心の中で同意を述べ。特に英霊エミヤの浮かれぶりなど、先ほどまでの緊迫感が嘘のようだ。

 

「おい、時臣」

「何ですか。王よ」

「奴の料理が来るまでの間、貴様は(オレ)を興じさせろ」

 

 実直な時臣にとって、その王命は無理難題そのものであった。しかし、英雄王は何を持って肴とするか。既に考えていたらしい。

 

「そうだな――――そこの雑種。カリヤと言ったか。綺礼に聞いたぞ。貴様らの因縁をな」

「な、何でそれをっ!?」

「因縁――――桜のことですか」

「座れ。もう貴様らが敵対することはないのだ。存分に腹を割って話すが良い。カリヤ、貴様はその機会をずっと待ちわびていたのだろう?」

 

 拒否は認められていない。他の面々も時臣たちに続いて敷物の上に座った。それを確認するとアーチャーも座り、白銀の雫が滴る桃を手にし、齧り付く。泉のように湧き出る果汁が腕に伝う。アーチャーは舌を這わせて舐めとる。

 

「雑種の考えは度しがたいものばかりだ――――が、その醜さにも愛で様がないわけではない。時臣、(オレ)を欺いた罰だ。そこの気狂いから目を逸らさず、存分に話し合え」

 

 何から話せばいいものか。実際魔導を捨てた雁夜と言葉を交わす必要性を時臣は微塵たりとも感じていないのだ。故に一言目を紡ぐのが何よりも難しい。それは雁夜にとっても同じ様で、下唇を噛んだり、口を開いたりと、苦戦していた。そんな二人を見て口角を歪にするアーチャー。

 そんな緊迫した空気の中、場に似つかわしくない俗語が渦中の二人以外から発せられた。

 

「ファック! まさか、王がそんな……!?」

「どうした!?」

 

 突然、胸元を抑え出したロード・エルメロイⅡ世をランサーが介抱しようとする。

 

「気を付けろ。我が王が消えた。おそらく下手人はどちらかだ」

 

 ライダーが倒れたという知らせも異常事態だが、それよりも誰が、どのようにしてそれを行ったか。“どちらか”という言葉を理解しているのは雁夜たちの陣営のみ。すぐに雁夜は携帯電話を取り出して連絡を付けようとする。

 

「駄目だ。桜ちゃんはまだ寝ているのか出ないし、ソラウさんに至っては電源が入っていないか電波の届かないところに居るみたいだ」

 

 何度か試行したが結果は変わらない。雁夜の舌打ちがロード・エルメロイⅡ世の俗語と何度か重なった。

 

「すまない、私の微々たる貯蔵魔力ではもう現界できる猶予がない。すぐにエミヤを呼び戻して館に向かえ」

「あぁ。俺が呼んでくる!」

 

 指示を受け、雁夜が教会の奥へと走って行く。そして消えゆく者へと問いを投げかけるのはケイネス。

 

「どちらだと思う?」

「――――より厄介な方だと」

「ならば安心した」

 

 答えを聞いたケイネスは「それならばソラウは無事だからな」と付け足した。

 

「ロード・エルメロイ……いや、先生」

 

 魔術師として恵まれた才を得られなかった英霊は、遠い日々の向こうに置いてきた言葉を掘り起こす。

 

「僕は……私は、並行世界とはいえ生前の貴方の人生を狂わせ、貴方が得るべきだった物を奪い取ってしまった。本来なら贖罪すら許されない。この世界の私の事について許しを請おうとも思わない。ですが、この世界は私が経験したときよりも遥かに危うい。頼める人は貴方だけだ。どうか、これからの事を――」

「ウェイバー・ベルベット君、君は授業で習わなかったのかね。神秘の秘匿は魔術師の義務だ。誰かに頼まれて行うことではない」

 

 返って来たのは模範解答そのもの。その言葉を受け、もう語るべきことはないとばかりに嘗ての少年は瞳を閉じる。彼の霞ゆく身体は大気の中へと完全に溶けてしまった。全てを見届けたケイネスは振り向くとランサーを冷涼な声で一喝する。

 

「貴様はいつまで呆けて見ている。私たちだけでも先行するぞ。あの娘だったとしても、ソラウを人質にする位はやりかねん」

「申し訳ありません。では主よ、俺の背中に……」

 

 ランサーは屈んでケイネスを背に乗せようとしたが、何か異変を感じたのか、教会の天井をぐるりと見渡す。アーチャーも立ち上がりながら食べかけの桃を放り出すと、黄金の鎧を纏い何かに備えようとする。

 

「この波動は、来るぞっ!!!」

 

 光が、音が、全てを飲み込み――――闇が、爆ぜた。

 

「申し訳ございません……仕留め損ないました」

 

 最初に空から降り注いだのは淑やかな女の声。誰もが星月夜に塗り替わった教会の天井を見上げる。新たな天井に描かれていたのは天馬に跨った眼帯の女と、一人の少女――――渦中の間桐桜の姿だった。

 

「そう、だったら最初に言った通りに」

 

 幼い声に似つかわしくない無味乾燥な台詞。時臣は我が子の姿をまじまじと見つめた。そして改めて周りの景色を見渡す。きれいさっぱりと壁が無くなった礼拝堂部分。アーチャーの盾の護りの範囲を除いて、クレーターと呼んでもいいほどに地面も深く抉れていた。

 完全な奇襲になっていたらアーチャーと言えども、無事では済まなかっただろう。それだけの対軍宝具を使いながらも平然としている桜の技量に時臣は素直に感嘆した。例え中身が10年後の娘だったとしてもだ。 

 

「金色の方はわたしが処分するから、ライダーは他の足止めをお願い」

 

 そう言って天馬から降り立つ桜。ライダーと呼ばれた女も天馬から降り立った。あのアーチャー相手にそうまで言ってのける胆力、そして新たなライダーを従える手腕の両方に、時臣は賞賛を送りたい衝動に駆られる。だが、それは絶対に許されない。

 

「蛇に、幼子の皮を被った娼婦め。誰が、誰を処分するだと――――痴れ者がっ!!!!」

 

 王の怒りに触れないはずがなかった。時臣ごときが制止の声を上げても、決して届かないことは明白だ。

 そして時臣が周りを見渡せば、他にも激昂していた存在がいた。ケイネスだ。水銀の礼装を従え、完全な戦闘態勢に入っている。

 

「あの小娘めっ、混ぜっ返してくれるっ!! 間桐雁夜っ、約定通りだ。“短剣”を使うぞ!」

「あ、あぁ。でもアーチャーがあんなんじゃ、俺も士郎も手が出せない。まずは桜ちゃんを正気に戻さないと」

「馬鹿か貴様はっ! 衛宮士郎、ランサー、まずは――――」

「させませんよ」

 

 合流したエミヤとランサーの前に立ちはだかるのは新たなライダー。怪しく彼女が手に掛けたのは武器ではなく、顔の半分を覆う巨大な眼帯だった。

 

「いかんこれに身を隠せ!!――――凍結(フリーズ)解除(アウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)!!」

 

 エミヤが投影したのは身の丈ほど巨大な大剣の数々。それをケイネスたちの前に射出した。面々は理解よりも先に、言われた通りに剣を盾にして身を隠す。だがその咄嗟の行動に一番驚愕していたのは眼帯を外した女の方だった。

 

「もしや、私の真名を知っているのですか?」

「あぁ、よく知っているよ。メドゥーサ」

 

 だからこそ彼は石化の魔眼から逃れるための影を作った。しかし真名を知られてもなお、メドゥーサは余裕を持った声で言う。

 

「ですが、私も知っているのですよ」

 

 大剣の壁によって視界を塞がれたのはエミヤも同じ。故に気付いた時にはもう遅い。星影を伝うように側面へと回り込むライダー。

 

「白髪の貴方、耐魔力が弱いのでしょう?」

「なっ!!?」

 

 ――――――――二人の視線が交差した。

 

 

                ×        ×

 

 

 ライダーたちの戦闘を始めている一方で、アーチャーと桜も舌戦の応酬を繰り広げていた。

 

「今、聞き捨てならない事を言いましたね」

 

 アーチャーの怒号に一歩も退かない桜は、伝説を知る者なら絶対に口にできない最上級の地雷を口にする。

 

「あんな(イシュタル)なんかと一緒にしないで下さい」

「敢えて、その名を出すとは。余程死にたいらしい」

 

 輝くアーチャーの背中から、おびただしい数の刀剣が宝物庫から引き出されて来る。その数、十、二十、三十、それ以上に増えていく。もはや一目で数えることは不可能だ。圧倒的な暴力の矛先が桜へと向かう。

 

「……うそ。前はこんなのじゃなかった」

 

 瞳孔を見開いた桜は茫然と口を開く。先程までの自身に溢れる顔とは大違いだ。半歩、後ろに退く桜。だが殺意に釘づけにされた桜は、それ以上の後退を許されない。膝が、すとんと崩れ落ちた。

 

「ひと欠けらとも残さぬ。せめて散り様で(オレ)を慰めるが良い、雑種」

 

 あと数秒後の世界では、凶刃の暴風雨が桜へと迫り来るだろう。容易に想像できる未来予想図。しかし、その未来を変えたのは硬直が始まったエミヤシロウでも、桜の異変に駆け出したライダーでもなかった。

 

「止めろアーチャーっ!!!」

 

 木霊したのは一人の男の声。彼を突き動かしたのは父としての愛か、魔術師としての打算か。それは当の本人さえ理解していないであろう。だが確かに、失った一画の令呪が確かに未来を変えたのだ。

 

「雑種の分際で(オレ)に指図するか、時臣!!」

 



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#18 俺しか居ないんだ

 桜にとって絶体絶命の危機、それを止めたのは新たなライダーでも士郎でもなかった。

 

「おとうさま?」

「時臣、お前が止めたのか?!」

 

 困惑していたのは桜や雁夜だけではない。時臣自身も自らの行動を理解できずにいた。

 

「私は、何てことを。王よ、どうか」

「痴れ者が。この期に置いてまだ弁明の余地があるとなどと思い上がれるとはな」

「令呪を捧げることも厭わな――」

「代わりに怒りを納めろとでも言うのか? この我が、たかが児戯ごときに本気になるとでも?」

 

 全てを言い終える前に釘を刺すアーチャー。つい先程までは寛大な態度を取り、聖杯戦争の終結に協力的だったのだ。アーチャーに激情的なきらいがあったとはいえ、真っ先に約定を破棄する様は協定の場に居た誰から見ても確かに不可解な行動ではあった。

 

「偉大なる王よ。恐縮ながらあれは私の娘なのです。長女を喪った今、あの子を失う訳には――」

「あの眼を見てまだ分からぬか、この幼童が本当に貴様らと同じ雑種とでも?」 

 

 王の言葉が何を意味するのか。この聖杯戦争の裏側を知った面々の誰もが同じ答えに辿りつく。誰もが否定したくとも、辿りつかざるを得なかった。

 

「――――アンリマユ」

 

 誰かが漏れる様な声でその名を口にした。

 

「違う」

 

 桜は即座に否定する。全ての戦闘が膠着状態の今、その声は小さくとも誰もの耳へと確かに届いた。

 

「間桐桜、そう言いきれるだけの根拠が君にはあるのか? 時臣君には悪いが、その可能性が高いならば監督役として、いや、一人の聖職者として真実を確かめなければならない」

 

 アーチャーに代わり、桜を追い詰める役を担ったのは言峰神父。普段温厚であるはずの彼の顔には、鬼気迫る決意が浮かんでいた。桜の方に歩み寄って彼は問答を始める。

 

「わたしは、確かにアンリマユに呑まれかけていて……でも、でも! 最後にわたしの意識が消える前に、ライダーがわたしを助けてくれたから、わたしは!!」

「どうやって助けられたのかを具体的に述べてくれないかね?」

「聖杯戦争に最後まで残ったわたしのライダーが『サクラの願いを叶えて下さい』って言ったから!」

「その聖杯の力でこの時代まで来たことは、先程彼らから伺っている。だが今の私たちが真に知るべきなのはもっと根本的なことだ」

 

 真に知るべきこと。それは――――桜自身が知っておかなければなかったこと。

 

「“あの時の間桐桜(キミ)”は何を願い、そして“今の間桐桜(キミ)”は何を望んでいる?」

「それはもちろん先輩と一緒になって…………あれ? でも、あのままでもわたしは先輩や姉さんと一緒に溶ける(なれる)はずで――――――――違う。そんなことじゃない」

 

 言峰神父の問いに即答した桜であったが、次第に口調はしどろもどろになっていき、彼女の目線は瓦礫の山をあてもなく彷徨う。

 

「わたしは全てをやり直したくてこの時代に――――――――違う。そんなにわたしは強くなかった!」

 

 既に膝を着いていた桜であったが、うずくまるようにして頭を抱え叫び始めた。

 

「…………わたしは、間桐桜(わたし)はっ!! 間桐桜(わたし)は間桐の魔術が嫌だった。痛い事から、汚らわしい事から逃れたかった! 綺麗な身体(チガウカタチ)で先輩と出会いたかった。先輩の未来を変えたいというのも後付けの理由」

 

 次第に解き放たれていく桜の本心。誰も彼女の言葉を遮るものはいない。彼女自身が真実に辿りつく、その時を待った。

 

間桐桜(わたし)はただ、救われたかったんです。自分でやり直すだけの気力もなくて、ただ、ただ間桐桜(わたし)は。悲惨な未来を誰かに変えて欲しかった……」

 

 多くを手玉に取り、場を翻弄してきた桜。彼女には多くの偽りや裏切りもあった。しかし己の無力さを嘆き、震え、涙するその儚い姿は、誰が見ても年相応の頼りない少女にしか見えなかった。

 

『だから、願い(わたし)がここに居るんです』

 

 そして真実(こたえ)が姿を顕わにした。外見や声色に変化があったわけではない。たが明らかにその身に纏う空気が無機質で、研ぎ澄まされたものに変わった。

 

「桜、君はアンリマユなのか?」

『そんな大層ものじゃありませんよ、衛宮先輩。もっとシステマチックなものです。そうですね分かりやすい言葉にするなら“願いのカタチ”いえ、“最適解”や“道しるべ”とでも言えばいいのでしょうか。彼女(わたし)が願った幸せな未来はまだ叶っていませんから。それを形にするための誘導装置。そんなものだと解釈して下さい』

 

 願われた未来はまだ来ていなくとも、それが来ることは確定している。その必然に至るために用意されたのが今の間桐桜の中身。あらゆる因果を一つの事象に収束させるためのプログラム。彼女は自身をそんな物だと自称した。

 

「では今の君と普段の君は同一の存在なのか?」

『そうですよ。どちらも同じ願いの形からなる存在なのですけれど、普段のわたしはそれを知らない“間桐桜の記憶からなる疑似感情”を受け持っていて、表に今出て来ているわたしが“仕組み本体”を受け持っている。そう捉えてもらって結構です』

 

 桜の口を借りて次々と明かされる真実。更にその奥に潜んでいるであろうものを探して、士郎はその先の言葉を促すように言う。

 

「念のために問いておくが、桜、いや君自身が聖杯に再び代わる可能性はないのだな?」

『えぇ。ここの聖杯とわたしは別物ですし、第二の聖杯になることもありません。その中身が消費されて形を変えたのがわたしなのですから』

 

 そしてその未来に辿りつくためにこの世界、この時代の間桐桜へと干渉して今に至ると彼女は言葉を続けた。もう今の彼女は先程まで涙を流していた少女とは違う。

 

『やるべきことを終えたらちゃんとこの身体は返しますよ。わたしは願いと記憶から生み出されたお化けみたいな存在でしかないんです。だから衛宮先輩、安心して下さい。この子(わたし)が幸せになるには、わたしが消えることも織り込み済みです。表のわたしは嫌がるでしょうけれど』

 

 特に第五次聖杯戦争で用いられた聖杯は名だたる大英霊を吸収し、充分過ぎるほどに霊脈からも力を得ている。聖杯の解釈によってもたらされる手段や過程、結果そのものは多数に分岐すれど、願いの方向性が結果に辿りつくという因果関係は、それを上回る奇跡で上書きしない限りは絶対とも言えた。今までの状況と彼女の言を合わせて考えれば、そういう結論に至ると場に居た魔術師たちは同じように判断した。

 

「にわかに信じられんが、しかし……」

 

 戸惑いを隠せなかったのは誰もが同じだ。しかしケイネスほど難しい立ち位置にいる人物は居ないだろう。魔術師としての努め、ロード・エルメロイⅡ世から託されたもの、婚約者からの願い、目の前の少女の健気な願いと、今にも裏切りかねない二人の主従。彼が立場をはっきりさせられないのも無理はない。

 ケイネスとは対照的に大きく傾きだしたのは時臣だ。先程、もしかしたら発露していたのかも知れなかった親としての感情などではない。土地管理者としてでもなく、根源を目指す魔術師としての遠坂時臣として、彼の中の天秤は大きく揺れ動いていた。

 

「――――何と言うことだ。もし言っていることが真実ならば、もしや桜は並行世界の神秘に、いや第二魔法の一端に触れたということなのか!?」

 

 そう、遠坂家の先祖代々目指している“並行世界の運営”という命題。理屈は過程はどうであれ、別の世界の間桐桜の記憶の一部が並行世界を飛び越え、この世界の間桐桜の中に取り込まれているのは間違いない。方法の模索どころではない、求め続けた“結果そのもの”が目の前にある。しかもそれが自らの娘の身体に宿っているのだ。

 魔術師としての責務。その意味をケイネスとは違う意味で取るならば、自然と時臣の立ち位置は定まってくる。そして、彼女がアーチャーを排除する動きを見せていたというのならば、時臣が取るべき行動も定まって来る。時臣が固唾を静かに嚥下した、そんなときだ。

 

「気に食わんな」

 

 手出しを禁じられたまま沈黙を保っていたアーチャがようやく口を開いた。圧倒的な威圧感が込められたその言葉によって、場の雰囲気が一気に緊迫する。

 

「そも、前提条件としてだ。汚染された聖杯が寄越したのが貴様ならば、雑種どもにとっては碌な結果にはならんだろうな」

『そう来るのですね』

 

 そう、発動した聖杯自体が汚染されているのならば、その願いの行きつく先が破滅的なものであるという可能性が高いと考えられる。真っ当な思考回路を働かせることができる魔術師、つまりこの場においてはケイネスが取るべきスタンスも自ずと決まって来る。士郎とランサーをいつ、どう動かすか。ケイネスは思案を始めた。そんな中、アーチャーは言葉を続けた。

 

「本来ならば雑種どうなろうとで捨て置くところだが――その願いへの“最適解”とやらに、我への不埒な真似も含まれていたのならば話は別だ。手を出すなよ、ランサーに贋作者(セイヴァー)。約定を違えるつもりはない」

 

 仮にアーチャーが残り全てのサーヴァントを倒せば、アイリスフィールが無事に冬木を出ることは叶わない。それは王の矜持として、許されるものではなかった。

 

「だが、そこの女二人は一片とも残しはせん。先程の令呪も我の力なら些事に過ぎんしな」

 

 桜へ向けられていた無数の矛先が時臣へと向き直る。そして同数の新たな武具がライダーへと向けられた。ライダーにとっての最善手は桜を回収して即座に離脱すること。だが今のライダーは蛇に睨まれた蛙のように動けない。なぜならば――――

 

「全てが不死殺しか。この状況では桜は……」

「決して動くなよエミヤ、ランサー。もし動けば私は令呪を使う」

 

 武具を相殺し、桜を離脱させようにもケイネスの牽制によって阻まれる。拳に刻まれた令呪はちょうど二画。 

 

「くっ、再契約が仇となったか」

「しかし、主よ」

「私には時計塔の魔術師としての責務がある!!!」

 

  それが魔術師としての賢明な判断なのだと自身に言い聞かせるように、ケイネスは夜に吼えた。

 

「人としての情よりも、想い人の願いよりも、それは。私にとって重いのだ」

 

 アーチャーの裁きを邪魔立てしなければ、聖杯を完成させることなく丸く収まる。ケイネスの判断は正しいものだ。少なくともランサーにはそれを否定するだけの言葉を持ち合せていなかった。

 そして士郎もケイネスの決断に完全に動きを封じられた。令呪を使われる前にルールブレイカーで契約を切るという手段もあるが、今のエミヤは単独行動スキルを持ち合せていない救世主(セイヴァー)のクラス。魔力供給なしで戦うのは厳しい。

 そして今まで場を混乱させるのに活用されていたエクストラクラスというのが裏目に出た。本来アーチャークラスで得るべき対魔力が更に低くなっている。そのせいで先程のライダーの魔眼の影響をもろに受け、行動に支障が出ている。今は過剰に魔力を身体に流すことで抵抗しているが、その魔力消費量が増加した状態でマスター抜きの全力戦闘など厳しいどころか論外だ。

 

「畜生、俺はどうすればっ……」

 

 雁夜は絶望的な状況を前に歯噛みする。ケイネスが静観を決め、動けるのは監督役の他には雁夜だけだ。つまり実質のところこの状況を引っくり返せるのは――――

 

「俺しか、居ないんだ」

 

 雁夜は士郎から託された短剣を固く握りしめた。幸か不幸か、雁夜の居る場所は丁度時臣のすぐ後ろだ。宝具の余波に巻き込まれかねないことを除けば条件は悪くない。

 ケイネスが立ち位置を明確にしたことで、動向を伺っていたアーチャーも行動を開始するであろう。もう時間はない。雁夜は近くの時臣の下へ駆け寄った。

 

「時臣、早く令呪で自害を!」

「わかっているっ! 令呪を重ねて命ずる……」

 

 攻撃の停止命令だけでは足りない。それしか桜が生きる道はないと時臣も考えていたのだろう。紡ぐ言葉は流星の軌跡の如く、早く、滑らかに。しかしそれはあくまで人間の基準で、だ。

 既に宝具を展開していたアーチャーにとっては、亀の歩みよりも遅い。矛先が桜から時臣へと向きを変えた。時臣は続きの言葉を発する間もなく、右腕部、肩口から先が吹き飛んだ。

 

「がぁあああああああっ!!」

 

 苦悶の声と鮮血が闇に舞う。だがそれは時臣のものだけではなかった。

 

「おじ、さん?」

 

 雁夜の右胸と脇腹に突き刺さる凶刃。そして右足と左腕に関しては欠片ほども存在していなかった。

 

「ぐ、はぁっ……何で、私を庇った?」

 

 自らの傷口を魔術の焼きながら時臣は傍らの雁夜に問いかける。雁夜に同じ手当を施すことはない。手遅れであるのは誰の目にも明白だった。

 

「あおいさん、が、かなしむ……だろう」

 

 お前のためじゃない、と時臣にだけ聞こえる声で雁夜は呟いた。残せる言葉は少ない。ぶつけたい思いはたくさんあった。

 

「おまえしか、いないんだ」

 

 だがどんな糾弾よりも、恨み事よりも伝えなくてはいけないことが、雁夜にはあった。

 

「さくら、ちゃんを、しろうとふたりで……」

 

 残る全ての力を振り絞り、短剣を時臣の胸に突き刺した。

 

「いやぁあああああああああああっ!!」

 

 ―――――まもってくれ、との最後の言葉をかき消すように爆ぜる空。

 

 時臣の身に何が起きたのか。事態を理解するのにはそう時間がかからなかった。あの短剣に刺されたことによって、アーチャーとの契約が完全に切れている。

 そして襲い来る宝具を全て撃ち落とし、自身を庇うように立つのは――――

 

「貴様も道理がわからぬか、贋作者(フェイカー)!!」

「生憎と、正義の味方は今回廃業してね。この世界では桜の味方になると衛宮士郎(オレ)に誓ったからな」

 

 行動を封じられていたはずの衛宮士郎だった。雁夜と同じく契約を破棄した士郎はケイネスの命に反して時臣を守った。それは勝てる目算がゼロではなくなったからこその行動。

 そしてマスターを失ったサーヴァントと、サーヴァントを失ったマスターがここに一人ずつ居る。その二人の願いが等しいならば。

 

「立て、遠坂時臣。桜を救えるのは私たちだけだ。そして私と契約しろ」

 

 ランサーや新たなライダー、そして聖杯への対処、問うべきことは幾らでもあった。だがそれよりも―――

 

「勝算はあるのだな?」

 

 時臣は杖で身体を支え立ち上がる。

 

「無論。未熟な身の時でさえ一度目を成し遂げた。今の私ならば言葉にするまでもない」

「時臣くん、令呪の移植は私が」

 

 前に出てきたのは言峰璃正。めくられた腕には幾つもの令呪が刻まれていた。しかし時臣はその言葉を遮る。

 

「言峰さん、貴方もこちら側について問題が……いや、そんな話をしている場合ではないですね。今は時間が惜しい」

 

 悠長に数分かけて令呪を移譲していることなど不可能だ。時臣は雁夜の躯を一歩踏み越え、左拳を掲げた。

 

「聖杯よ、私にその力があるのなら―――」

 

 令呪も宿っていなければ、魔法陣もない。コンディションも最悪でありながら、定められた詠唱する間も与えられない。万全の態勢で動くのを常とする時臣からすれば、最もらしくない状況だ。

 急転する状況と一時の気の迷いに翻弄されてこの様だ。今の時臣は魔術師としての覚悟や信念、父としての想いすらも確固たるものとは言い難いのかもしれない。

 家訓である優雅さとはかけ離れた哀れな姿なのだろうと時臣は自嘲する。しかし凛を失った今、桜と自らが共倒れするのだけは絶対に避けなければならない。そのためになら、どんなに不格好でも運命を手繰り寄せる。

 

「我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう、セイヴァー!!」

 

 死して尚、己の存在意義を、理想を再び塗り替えた男。その強さは目の前の光景が全てを示していた。

 もう一度爆ぜる空。相殺しあう武具の嵐。

 

「あぁ期待に答えるとしよう、新たなマスターよ」

 

 虚空に新たな投影品を展開する士郎は背中越しに時臣へと語りかける。そんな所へ鎖付きの短剣を構えたライダーが士郎の横に並び立った。ライダーへ向けられていた不死殺しの宝具も撃ち落としたため動けるようになったためである。

 

「助太刀します。ここでアーチャーを倒さなければ、逃げたところでサクラはまた狙われるでしょう」

「助かる。君には――――――――――――――を頼みたい」

 

 士郎はライダーにだけ聞こえる声で、とある頼みごとを託す。ライダーは戸惑いの色を見せながらも承諾した。

 

「不可能ではありませんね。情報不足で色々聞きたいことはありますが、それがサクラのためになるのならば」

「感謝する」

「代わりにほとんど戦闘そのものには参加できませんよ」

「あとは流れ弾から皆を守ってくれれば十分だ。他は私が受け持つ」

 

 残る大きな戦力はランサーのみ。ケイネスが静観の構えを見せる中、泣きやんだ桜、いや泣き止ませた彼女がランサーへと声をかけた。

 

『ランサーさん、お願い。わたしのこと守って。それにわたしの事、きっとソラウさんにもお願いされたんでしょ?』

「貴様ぁあああ!!」

 

 ケイネスが激昂するのも無理はない。これがただのお願いならば何の問題もなかった。しかし桜からの願いは「女性からの頼みを断れない」というディルムッドのゲッシュに乗じたものだ。しかもソラウのものと合わせ、二重の縛りにしている。

 あのクー・フーリンでさえゲッシュを破ったときは半身の自由が奪われるような事態になったのだ。ディルムッドもおそらくほとんどの戦力を失う様な事態に陥るであろう。令呪で桜に反抗させてもどの程度効果があるのかも怪しい。そして何よりの問題が、ランサー自身の性格上、桜に肩入れする方が自然だと考えられることだった。

 

「主よ、どうか俺に命を……」

 

 サーヴァントを二騎、打ち捨てる様な真似をしてでもアーチャーとともに桜を討ち危険を排除するか、桜や士郎を信じ、ソラウからの願いに応えるか。本来迷うまでもない問題で再び大きく揺さぶられるケイネス。

 

「主よ。しかし主のためにもソラウ様の願いを無視する訳には!」

「その口を慎め! 一時の感情で軽率に行動すればどういう結果が待っているのか、一度死してなおも貴様は学習せんのか!」

 

 保護したはずの桜には円満な問題解決を阻害され、先程主従関係を結んだはずの士郎には契約を破棄され、忠誠を誓ったはずのランサーには命令よりも騎士道を優先されそうになる。そんなケイネスが激昂しない理由などあるわけがなかった。事実その額には、はち切れんばかりに膨れ上がった青筋が浮かび上がっている。

 

「しかしながら場の状況が静観を許さないのも確かだ」

 

 魔術師として常識的であり、人として真面目であり、そして男として恋愛に不慣れであることが、彼をギリギリまで惑わせ、そしてギリギリの結論を絞り出させた。

 

「あのアーチャーが矛を収めるとはとても考えられん。ランサーの状態からしてアレがソラウに手を出したということはなさそうだ。教会ごと我々を葬り去ろうとした事実は消えんが……エミヤシロウ、聖杯の後始末を忘れてはいないだろうな!?」

「無論だ。このライダーが召喚されていることは僥倖だ。いくつかの問題を彼女なら打破できる。今の桜が現状での最適解を出した上での召喚ということに納得もいった」

「そうか、こうなった以上仕方ない。ランサーよ。令呪によって命ずる。全力でアーチャーを打倒せよ!」

 

 やけくそ気味になりながらオーダーするケイネス。拳に刻まれた残る二画の令呪の内一画が消失した。

 

「ありがとうございます。主よ」

 

 ランサーは士郎の前に立った。士郎へと声をかけようと振り向く。足元に目をやれば足首まで石化が進行していた。魔術に疎いランサーから見ても士郎に残された時間はそう長くない。だが士郎が断言したからには何かしらの手段が残されているのは確かだろうと、ランサーは士郎を信じる他なかった。

 

「その状態では碌に足を使えまい。援護に徹してくれ。俺が前に出る。新たなライダーよ、主たちの身は任せた」

「えぇ」

「おそらく俺にとってここが最期の戦場だろう。前回は退かざるを得なかったが――――」

 

 名高き二槍を構え、その切っ先をアーチャーへと向けた。

 

「ランサーのサーヴァント改め、フィオナ騎士団の戦士、ディルムッド・オディナ。推して参るぞ英雄王!」



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#19 ついてきやがれ

 ランサーの眼前に迫りくるは暴刃の嵐。

 硬直していた状況は再び動き出す。

 士郎の投影による援護を受けたランサーは、主たちから遠い方へと戦場を変えるように動きながら、その攻撃を防戦ながらもどうにか凌ぐことができていた。

 セイバーたちと共闘しながらも、英雄王の理不尽な力の前には撤退するしかなかった倉庫街での戦いとは違う。ランサーは必要最小限避けるべき攻撃を二槍で巧みに捌いて行く。

 アーチャーの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)、その一つ一つは名立たる聖剣や魔槍などの強力な武具だ。流星群の様に降り注ぐその攻撃は、本来ならば受けることも捌くことも難しい。

 しかし、如何にそれらが強力な武具といえども、アーチャーはその全ての武具に熟練しているわけでもない。もし圧倒的すぎる数の問題を除外するならば、アーチャーの攻撃の一つ一つには何の技もない稚拙な攻撃に過ぎないとも言えるかもしれない。

 ランサーがアーチャーと相対するのは此度で二度目。万全でないとはいえ士郎の射撃で、ある程度の弾幕は排除された今、ランサーにとって条件は充分に過ぎる程に揃っていた。

 

「ふっ、まるで堅牢な城のように高い壁だな」

 

 アーチャーの背後に並び立つ、殺意の群れを目にしてランサーは呟きを漏らした。

 

「だが、壁ならばっ!」

 

 蹴り進む脚に力を込め、体勢を更に低くするランサー。

 地を這うようにして射線を回避する。

 彼は距離と言う概念そのものを縮めるかの如き速度で突き進んでいた。

 

「あのアーチャーの攻撃に耐えれるとは、これは本当に行けるのか?」

 

 士郎の新たな主となった時臣が驚きの声を上げる。彼はアーチャーの元マスターであっただけに、目の前の光景を半ば信じられずに居た。

 

「魔力の供給源が立たれた今、切り札の乖離剣は封じられたも同然。必ず魔力を惜しみ、弾幕が薄くなるその場面が来る。それまで耐え忍ぶことができれば」

「それでは間に合わん」

 

 勝てるかもしれない、そう続けようとした時臣の言葉を制止する辛辣な声があった。ケイネスだ。

 

「あの武具には少なからず不治の傷を負わせる物も含まれている。我々の補助があったとしても、それがどこまで通じるかは疑問だ。逆にアーチャーが治療薬の類を持っていないと考える方が難しい。セイヴァーの石化も進行している現状、時間はこちら側に牙を向く」

 

 一息置いてケイネスは「だがしかし」と言葉を続けた。

 

「輝く貌のディルムッドに“勝利”ではなく、全力を以ての“打倒”を命じた以上それは絶対だ」

「そういうこ――――いや、今の彼はランサーのクラスでは?」

 

 時臣にもケイネスの発言に対して思い当たる節があったが、その可能性を即座に否定した。

 

「だがしかしだ。クラスの縛りを解き放つ存在が、すぐそこに居るではないか」

「なるほど、そうか!」

 

 新たに宿った令呪を目にして、もう一つの可能性を思い出す時臣。

 

「融通は利かんし、ソラウを誑かした忌々しい奴だが、少なくともこの一戦だけにおいては」

 

 整えた前髪を崩す様に掻き毟っていた手を降ろし、ケイネスは口を開く。

 

「――――私が呼び出したサーヴァントは最強だ」

 

 ケイネスの視線の向かう先へと時臣も視線を向ける。

 そこには筆舌し難い光景が広がっており、驚嘆の声が思わず時臣の口元から零れた。

 

「宝具を、足場にしている……だと!?」

 

 アーチャーの波状攻撃を前にしたランサーが、降り注ぐ武具を足場にして空を駆けていた。

 

「城壁や崖を幾度となく超えてきた跳躍力と、包囲網からの突破力。そして何より槍の刃の上をも渡り歩くと伝えられるほどの軽業。これらに関して奴に並びうる英霊はそうおるまい」

 

 ディルムッド・オディナの卓越した技量には多くの逸話が残されている。その中でも特に彼が優れていたものに関して、ケイネスは解説を加えた。  

 

「穢れた雑種の分際が。よくも我の宝物を足蹴にしてくれたな!」

 

 更に激昂するアーチャーは、より一層厳しい攻撃を加えていく。

 いくらランサーの技量が高いと言っても全ての攻撃を避けれる訳ではない。士郎からの援護があってこその突破力だ。

 投影してから射撃する士郎と、蔵から出すと共に射撃ができるアーチャーではそのタイムラグに大きく差がある。よってアーチャーの鉄量に士郎が追い付くことは段々と厳しくなる。

 ランサーは空中で密集した宝具に囲まれ、避けるべき間隙がどこにもない状況に追い込まれるのは必然と言えた。

 

「ハッ、もう逃げられんぞ!」

 

 アーチャーの口角が歪む。

 しかし対峙するランサーから放たれた言葉は、諦観でも降伏でもない。

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 槍の投擲と共に炸裂する二つの音。

 その一つは相対する武具の群れの中心、そしてもう一つはランサーの足元。

 

「貴様、宝具を破棄した、だと!!?」

 

 巻き起こる爆風に乗ったランサーが、落下と共にアーチャーの眼前へと迫る。

 詰めるべき距離は極僅か。

 

「うぉおおおおおおおお!!」

 

 猛りを口にするランサーの手に握られているのは、士郎から渡された二つの剣。

 ディルムッド・オディナの剣士としての代名詞。

 左手の小剣を盾にするよう正面に構えつつ、右手に握られた大剣を上段に振りかぶった。

 間合いで一度振るえば全てを両断すると恐れられた、かの魔剣。

 ランサーは令呪の命により騎士ディルムッド・オディナとして、その力を解き放つべく真名を口にしようとする。

 魔剣モラルタ。その剣閃は絶対のものとなり例え黄金の鎧といえども容易く両断するはずだった。

 

「がぁぁっ――――――!!??」

 

 だがそれは振るうことができたならばの話。

 振るうべき剣が、いや剣だけではなく、それを握っていたはずのランサーの右腕がこの世界から消失していた。

 それでもランサーは諦めない。残る左腕を渾身の力を込めて振り降ろす。

 

「させぬわっ!」

 

 警戒心を抱いたアーチャーの追撃は甘くない。

 ランサーの左腕は肘から上が裂け、残るもう一本の剣も炎を纏った宝矛の直撃を受けて砕け散る。

 ランサーの身体が地面に墜ちた。

 両腕は既になく、脇腹と右太腿には剣が突き刺さっている。

 満身創痍、そう表現するのが最も的確であろう。

 あと残り僅かな時間しかランサーの身体は持たないであろうことは誰の眼から見ても明白であった。

 

「……まだだ」

 

 だがそれでも、真っ直ぐにアーチャーを見据えるランサーの瞳から光が消えないのは、何故か。

 士郎がランサーに武器を渡せるだけの余裕があったと仮定しても、それを執るべき腕はどこにもない。

 アーチャーは追撃の手を休め、ランサーに言葉をかけた。

 

「フッ、その死に体で何ができる」

「まだ俺は終わっていないぞ英雄王!」

 

 地面に顔を近づけたランサーは、取り落とした剣を口に咥えた。しかし剣と呼ぶにはあまりにもその形状は歪だ。その刃は半分以上失われ、柄の部分しか残っていないも同然だった。

 

「狗にまで墜ちたか。見るに堪えんな」

「最後の令呪を以て命ず。耐えろ、死力を尽くせ、ディルムッド!」

 

 主に感謝の言葉を述べる暇などない。

 ただ一撃。ただの一撃を報いるためだけに。

 ランサーの最期になるであろう疾駆が始まった。 

 

 涙は風に溶け、唸りは爆音にかき消される。

 雷槍が臓腑を貫いた。

 凶斧が左足を抉りとった。

 

「ぐはぁあっ……」

 

 剣の柄が零れ落ちる。

 終わったと、誰しもがそう思った。ディルムッド・オディナ本人を除いては、だ。

 苦痛に表情を歪めながらも、その双眸に映るのは敵の首級のみ。

 

 この刹那、違和感に気付ける者が一人でもいたであろうか。

 油断しているアーチャーは言わずもがな、あのアーサー王であっても無理だ。 

 直感スキルに極めて秀でた彼女をも、一度は制してみせたその絶技をランサーは再現する。

 

 ランサーは既に消えつつある爪先で、何かを蹴りあげた。

 刃を失った剣が眩い閃光を放ちながら、アーチャーの眉間へと飛翔する。

 あまりの突然の出来事であったためなのか、アーチャーは迎撃する素振りを一つも見せない。

 

「これが(つかいて)重み(ちから)だ!」

 

 かつて生前、ディルムッド・オディナの命が消えるそのときに、刃を失った剣の柄で魔猪を葬ったという逸話。

 あまりにも厳しい発動条件を満たした今、仮初めの身体でその伝説をランサーは再現せんとする。

 使い手の命の灯火と共に、確実に敵を葬り去る必中必殺の魔剣。

 

憤怒の漣(ベ ガ ル タ)!!」

 

 真名を咆哮するも、魔剣が刃を取り戻し輝きを放つ事はない。

 想定外の光景にランサーは言葉を失う。

 壊れた魔剣はアーチャーの眉間に届く前に大気の中に溶けて霧散してしまった。

 

「残念だったな雑種よ。所詮は贋作、幻想(ゆめ)とは儚いものだな」

 

 士郎の投影品は通常の投影品とはあまりにも違う。放って置いても消えない特性や、ずば抜けた再現度の高さが今回災いした。それ故にケイネスやランサー自身が気付けず、士郎さえも伝えるのを失念していた。

 投影品が破損するということは、その世界で在り方を保てなかったと同義であり、簡単に世界から修正を受け、その形を失うのだという事実に。

 そう、壊れた状態でこそ真価を発揮するという前提だったベガルタとは、余りにも相性が悪かった。

 

「最早我が手を下すまでもない。少しでも長く絶望にその身を浸しながら消えて行くが良い」

 

 見透かされていた。

 令呪を二つも費やし、全ての武器を失ってもなお、届き得なかった。

 その事実を前に、膝から崩れ去るランサー。

 

 主に詫びる言葉の代わりに出て来るのは嗚咽のみ。

 霞と化していくランサーが最後に見た光景。

 それは絶対的な暴力、そびえ立つ絶望の象徴――――――――それだけではない。

 闇に走駆する紅い外套がそこにはあった。

 

「ついてこい、ランサー! 君の死力はそんなものだったのか!?」

贋作者(フェイカー)、いつの間に!?」

 

 ランサーがあれだけ派手に注意を惹いていたからこそ可能だった接敵。

 士郎は脇目も振らず、強大な斧剣を盾に前進を続ける。

 その脚が石になり、砕けつつあるとしても、微塵もその速度を落とす素振りはない。

 

投影、装填(トリガー オフ)

 

 士郎にはランサーのようにアーチャーの猛攻を捌けるだけの技量はない。

 ランサーが居なくなった今、対処すべき攻撃は単純計算でも倍になっている。離れた場所で補助に徹しているライダーの助力はほとんど当てにならなかった。

 投影で迎撃しつつも、それだけでは士郎の限界が見えている。その差を埋めるには固有結界を発動するしかないが、そのような隙は一切ない。

 士郎自身が所有する技術や宝具では状況の突破は困難だ。それは彼自身が誰よりもよく理解していた。

 しかし、そんな絶望的な状況の中で士郎はある男の物語を頭に思い浮かべていた。

 

「ついてきやがれ―――――――衛宮士郎(アイツ)はそう言っていたな。ならばっ!」

 

 剣製の数が足りないならば、何を以て補うか。

 投影を超えろ。想いを束ねて力を乗せろと。

 一人の少女を守ろうとした男が士郎の心の中へと、そう語りかけてくる。 

 

(オレ)はもう一度、衛宮士郎(オマエ)の先へ行く!!」

 

 士郎は斧剣を保持した左腕を高く掲げた。

 時空を超えて受け継がれる願い。その全てを今ここに解き放つべく、斧剣を振り降ろした。

 

全工程投影完了(セット)――――是、射殺す百頭(ナインライブス ブレイドワークス)!!」

 

 解き放つ絶技は九つの斬撃。  

 

 一つ、剣を砕く。そして一歩前へ。

 二つ、槍を弾く。もう一歩前へ。

 三つ、槌を叩き伏せる。更にもう一歩前へ。

 

「おぉおおおおおおっ!!!」

 

 右腕に裂傷を負いながらも、その疾走は勢いを増す。

 大地を踏みしめるとともに、砕け散りゆく双脚。それでもまだ前へ。

 

 四つ、斧を。

 五つ、錘を。

 六つ、鎌を。

 

「…………おのれ」

 

 七つ、盾を打ち砕く。

 

「おのれ」

 

 八つ、剣を執る手首を落とす。

 

「おのれぇええええええ!」

 

 九つ、その剣戟はアーチャーの足元の地面を破壊するに留まった。

 アーチャーは跳躍して危機から回避していた。しかし姿勢を崩しており、絶好の追撃機会。

 だが足を失った士郎はその場に倒れ伏し、それもかなわない。

 逆にアーチャーの方が崩れた体勢ながらも、天の鎖で士郎の両腕を拘束する。

 士郎へ止めを刺そうとアーチャーは新たな剣を放とうとし、その手を止める。

 紅い瞳孔を蛇のように細めて、悪態を口にした。

 

「くっ、貴様()雑種ども(・・)めがっ」

 

 士郎がわざわざ不慣れな斧剣を用いたのも、足が砕けがらも前に出たのも、本来急所に対して同時に放つべき技を迎撃に使ったのも、全ては次のため布石。

 巨大な斧剣の影から再接近を果たしたランサーが、アーチャーの眼前へと飛び出した。

 その口には剣が再び咥えられている。走り去る際に、士郎から改めて渡されていたものだ。

 

憤怒の波濤(モ ラ ル タ)!!!」

 

 全てを断絶する魔剣モラルタ。燦々と煌めく白光の刃はアーチャーの首筋を真横に薙いだ。

 

「後は、任せたぞ。シロウ、ライダー……」

 

 令呪によって辛うじて現界を保っていたランサーの消える速度が急激に増していく。一撃で首を断たれたアーチャーは言わずもがなである。 

 圧倒的な英気を放ち、魂の容量が莫大であろうアーチャーが聖杯にくべられればどうなるか。その可能性を考慮しないなど、事情を知った魔術師たちにはありえない。

 聖杯は決して完成させない、それは絶対に守るべきライン。

 だが完成の余地を残しつつも、掴める可能性を最後の障害(しゅくてき)に見せつけるための数少ない手段が士郎たちには必要だった。

 聖杯の答えが導き、桜の激情がメドゥーサを緊急召喚させたその意味――――

 

「いけるかっ?」

「えぇ、この範囲内ならば」

「なら今がそのときだ、ライダー!」

 

 全てはこのときのために。

 

他者封印(ブラッドフォート)鮮血神殿(アンドロメダ)

 

 小さな世界は深紅に彩られ――――――

 

自己封印(ブレーカー)暗黒神殿(ゴルゴーン)

 

 そして反転した。

 




この改訂版もあと2話以内に終了となります。
最後の結末は未改訂版と大きく変わります。

伏線も回収しきるつもりです。
もうしばらくのお付き合いよろしくお願いします。


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#20 アンタの代わりに殺してやる

「私達…………助かったの?」

「多分そうみたいだ」

 

 時は少し遡る。桜によってイスカンダルの身体を触媒に使用され、新たなサーヴァントと共に飛び去った後、残されたのはソラウとウェイバー。

 非力な組み合わせの二人に、直接的な被害がなかったのは不幸中の幸いであった。桜に害意そのものがなかった可能性もあるが、それ以上に大きく動揺する姿が二人の目に焼き付いていた。

 

「ケガがないのは良いけれど、不味いことになったわね」

 

 桜が去り際に問いただしたのは士郎の新たな契約者と、彼ら一向の行方、そして“しろう少年”の行方。最後の一つは分からないが、残り二つを答えると桜は即座に去ってしまった。

 

「あの子のこと自体も不味いけれども、その子の目当てだった“しろう”が居ない状況という方が不味いんじゃないか」

「確かにそうよね。あの子の中にはそれしかないって感じだったし。私達の不和を狙ったか、それとも桜ちゃんへの人質目的。そう考えるのが妥当でしょうね」

「だけどだ。いくらでも他に手段があるにも関わらず、わざわざ目立つ火を使ったのは何故だ? 陽動目的にしたっておかしい。何から目を逸らしたかったっていうんだ?」

 

 ウェイバーは考え得る可能性を列挙していく。その考察が状況の打破に通じると信じて。

 

「火を使う遠坂時臣の仕業に見立てるには幼稚すぎるし、そもそも先生と会談の予定なんだろ?」

「えぇそうね」

「あの子にとって最大のウィークポイントを僕らが居ない時間丁度を狙っての襲撃だ。これは間違いなく事情を知っている奴の仕業だ。そう言った意味では衛宮切嗣が一番怪しいけれども、身体の不自由なアイリスフィールを連れて行方を眩ませているんだ。アイツがそんなリスクを犯すはずがない」

 

 大人一人を抱え、更に子供を連れての遠回りな逃避行の最中。切嗣がわざわざウェイバーの拠点に再び戻るなどとはどうしても考えにくかった。

 

「バーサーカー、いえ正式にはキャスターのサーヴァントが犯人とかだったら誘拐も容易いのだけど、もう終わった話なのよね」

 

 青髭による連続児童誘拐事件、それもライダーが仕留めたことにより事態は収束したはず。そもそも誘拐のために行った行動としては不可解な点が多い。

 

「そうだ。誘拐するならこの場に―――――これが誘拐じゃないなら、どうなる?」

 

 そして、新たなる幾つかの可能性に思い至る。

 

「誘拐じゃないって、それはどういうこと?」

「例えば“しろう”が偽物だったり、操られていて、誘拐ではなく、脱出していた場合とか」

「脱出って、そんなまさか。あの桜ちゃんでさえ中の精神はもっと上の年齢の子なのよ。そんな大げさな」

「中の精神か。なぁ、聖杯戦争の関係者で誰かの身体を乗っ取ったりできる人間に心当たりはないか?」

 

 ウェイバーが把握している限りそんな器用な芸当ができる人間に心当たりはない。だが、問いかけられたソラウは一瞬間を開けた後、一つトーンを落とした声で答えた。

 

「……噂話からの推測だけど一人だけ居るかもしれないわ。あの子の事情を知っていて、あなたの言うような芸当ができるかもしれない魔術師が」

 

 軽く血を滲ませる程に下唇を強く噛むソラウ。未だ天高く燃え続ける炎が、その険しい瞳に刻まれる。

 

「もしもこの火事が桜ちゃんを精神的に追い詰めることが目的で、私の悪い予想が当たっていれば最悪な状況になるかもしれない。早くケイネス達に連絡しないと不味いわね。でも携帯は取られたし……」

 

 焦って去って行った桜もソラウに渡していた携帯を持ちさるだけの余裕はあった。教会に直接向かったとしても、間違いなく桜たちが到着する方が早い。

 

「そういえばアンタたちも携帯持ってたんだな。でもほらっ。ボクも切嗣から借りているのがある。何番にかけたらいい?」

 

 黒いシンプルな携帯電話を懐から取り出すウェイバー。得意気に掲げて見せた後、ボタンを押すべく人差し指を構える。だがしかし、返ってきたのは予想外の返答だった。

 

「何番、ってどういうこと?」

「番号だよ。電話番号!」

「えっ、何なの。そ、そんなの初耳よ」

「もしかしなくても、使い方わかってなかったのか? だから現代技術を馬鹿にする魔術師は……」

 

 ウェイバーが皮肉を言ってしまうのも仕方ない。携帯に、ゲーム、通販のシステムなどなど、ウェイバーは日本に来てからというもの、嫌と言うほどに外の世界の凄さを痛感させられていた。

 

「わからないものは仕方ないじゃない。それより貴方、一体どうするの?」

「はぁ、こんなことならタクシーの番号でも調べておけばよかったな。仕方ない、ダメ元で持ち主にかけてみる。今さらアイツ出るのかな……」

 

 半信半疑といった面持ちで大きな溜息と共に暗記していた番号をプッシュするウェイバー。興味深そうにソラウはその様子を観察する。

 

「――――――繋がった!! おい、もしもし? 聞こえるか!?」

『誰かと思えば。その声、ウェイバーか』

 

 長いコール音の後、ようやく衛宮切嗣と電話が繋がる。電波越しのせいか、ウェイバーの耳には声が擦れているように聞こえた。

 

「あぁボクだ。無事に冬木は出れたのか?」

『……知っていたのか。騙したことを責めないんだな』

「アイリスフィールのためなんだろ。結果的にそれが最善だったみたいだし責めないさ」

『悪いね。だけど最善ってどういうことだい? 生憎だが、アサシンのマスターと遭遇してね。撃退できたんだが、二人とも瀕死の重傷だ』

「おい! 今、何だって!?」

 

 さらりと出てきた発言に大声で聞き返すウェイバー。

 

『アサシンがマスター共々落ちた。今度こそ間違いない。だけど僕は中身がぐちゃぐちゃなのを無理やり繋いでいて、アイリも無理な魔術行使が祟って回路がボロボロだ』

「そんな呑気に喋っていて大丈夫なのかよっ!? 今どこだ、すぐに迎えに行く!!」

『……良いのかい。僕たちは君たちを裏切って逃げたんだぞ?』

「聖杯の正体も未来のボクからようやく聞いた。それにライダーなら笑って許してくれたから心配しなくていい」

『そうか、もし君が少しでもアイリに同情してくれるなら冬木市民会館に来て欲しい。その入口横の物影に二人とも居る』

「わかった。急いで行く。だからそれまで二人とも絶対死ぬんじゃないぞ」

『すまない、感謝する……』

「じゃあ切るぞ。近くに来たらまた連絡する」

 

 ウェイバーはそう告げて電源ボタンをワンプッシュする。「参ったな」という言葉が長い溜息と共に思わず零れ落ちた。

 

「ねぇ、今のは一体?」

「アサシンとそのマスターが脱落した。そして応戦した元セイバーのマスターと聖杯の器が瀕死の重傷ということらしい」

 

 あまりの急展開にソラウは開いた口が塞がらない。問い直す前にウェイバーが言葉を続ける。

 

「ボクは二人を助けに行く方を優先する。同時に教会には向かうのは不可能だし、きっと間に合わない。アンタはどうする?」

 

 

                ×        ×

 

 

「二人とも生きているのが不思議なくらいね。タクシーで来なかったら間に合わなかったわよ」

 

 会館の外壁にもたれている切嗣とアイリの負傷状態を確かめたソラウは眉間に皺を刻みながら言った。

 二人の怪我の状態に加え、近くの交差点で見かけた激闘の残滓と、壁と床に広がる大量の血痕を見ている。ウェイバーもソラウの発言と同じ感想を抱いた。短距離とはいえ会館の物影まで移動できたのが不思議なぐらいだった。

 

「病院に連れていくのが一番だけど、その前に魔術で手当てを続けるわね」

「本当にすまない」

「ありがとう、ウェイバー。貴方に助けてもらうのはこれで二度目かしらね」

 

 ソラウの手当てに頭を下げる切嗣。傍らのアイリもそれに倣った。

 

「ウェイバー、そちらの状況はどうなっている? 征服王の姿も見えないようだが?」

「あぁ、それは……」

 

 ウェイバーは掻い摘んで状況を切嗣に数分で説明した。桜の変貌による新たな召喚のこと、アンリマユのこと、聖杯戦争停止のために動き出したメンバーのことなどだ。そんな中、治療に専念し無言を貫いていたソラウが急に胸を抑え出す。

 

「ランサーが戦闘を開始したわ」

「おいおい、戦闘ってもしかして相手は……」

「おそらくは四騎全部が教会に集まっていると考えれば、新しいライダーかアーチャー、もしくはその両方が相手でしょうね。このままだと私が治癒に回せる魔力が限られてくるわよ。ランサーが凄く消耗しているみたい。やっぱりこの二人は早めに病院に搬送するのが良いかもしれないわ」

 

 予想していたとはいえ、動き出してしまった事態に悩むソラウ。数瞬ほど思案した後、そして一つの提案を切嗣へと投げかけた。

 

「その令呪もう要らないのなら私に頂戴。少しだけ時間が稼げるかもしれないわ」

「あぁ完全に降りた僕には不要だ。移植できるのか?」

「父は時計塔の降霊科学部長なのよ。ケイネスほどではないけれど、私だって対象者の同意があれば問題なく行えるわ」

 

 そう言って差し出された切嗣の手を取ったソラウは詠唱を行った。一画の令呪がソラウに宿る。瞳を閉じて息を吐き出す。

 

「我が令呪をランサーへ捧げます」

 

 例えその声はランサーに届かずとも彼の力となるように、万感の想いを込めてソラウは祈りを謡う。

 

「――――生きて。少しでも長く」

 

 消失する令呪の光。ソラウは見えない印の痕を華奢な指でなぞる。そして伏せていた顔を上げ、再びアイリの治療を始めた。

 

「これで私にできることは治療だけね。何か案はあるかしら? 何もないならウェイバー、あなたはもう一度車を調達して来て」

「あぁ、わかった。すぐに冬木を出よう」

「ソラウさん、私の治療はもういいわ」

 

 ウェイバーが立ち上がり、大道路へ向かおうとすると、アイリが唐突に言葉を発した。思わずウェイバーも足を止める。

 

「私の治療はもういいわ。だから残りの魔力は切嗣に回してあげて」

「アイリスフィール。アンタ、突然何を言い出すんだよ?」

「最終決戦が始まった以上、もう私は助からないわ」

 

 アイリは助からないと言いつつも、その口元は笑っているかのように見えた。

 

「セイバーのときは何故か何ともなかったけれど、本来のキャスター、そしてさっきのアサシンの魂が私の身体に入って来てから、私の人間として生きるための機能は大部分失われて来ているわ。それに残るサーヴァント、特にあのアーチャーの魂なんて入って来たら私は人ではなく即座に聖杯に成り果てるでしょうね」

 

 だから私はもう助からないの、とアイリはごく近い将来に訪れるであろう結末を、第三者の様な達観した口ぶりで語った。 

 

「ウェイバー、さっきの話本当なのね?」

「さっきの話って……」

「アンリマユのことよ」

「それは事実だ。未来の第五次聖杯戦争に関わった英霊が二人も証言していて、その二人が口を揃えて今回の状況はかなり不味いらしい。抑止力が来てこの周辺の人類ごと滅ぼされる可能性も否定できないぐらいに」

「そうなのね。教えてくれてありがとう」

 

 笑顔で答えるアイリの顔をウェイバーは直視できなかった。痛々しい、そんな感情を抱くのは人として決しておかしなことではないだろう。

 

「ねぇ、切嗣。お願いがあるの」

「なんだい?」

 

 アイリは隣に居る切嗣の右手をなけなしの力を振り絞って掴む。切嗣も可能な限りの力で握り返した。

 

「――――聖杯を、貴方が壊してくれる?」

 

 ここに集う面々はアイリのその言葉を半ば予想していた。故にその言葉の意味は問い返すまでもない。

 しかし意味と意義を理解しつつも切嗣はその無慈悲な言葉を繰り返えさざるを得なかった。

 

「僕に、君を、殺せと言うのかい?」

「そうよ。そうでないと、汚染された聖杯の中身が溢れるのでしょう? ここで二人とも倒れるのだけは絶対に駄目よ。イリヤだってあの雪の城に閉じ込められたまま、次の器へと変えられてしまうわ」

「言っていることはわかる。でも、君と共に生きると僕は誓ったばかりなのに……くそっ!」

 

 その悪態は誰に向けたものなのか。顔を歪めた切嗣は、再び強くアイリの手を握り返した。

 

「どうするの? 冬木を脱出するにしても、聖杯を破壊するにしても早くしないと時間がないわよ。さっきから随分と魔力を持って行かれているわ。おそらく宝具だけじゃない、かなりの部分を治癒に充てているはずよ。これは私の予感なんだけど、きっとランサーの命はそう長くはないと思う」

 

 ソラウからも決断を促される。おそらく今起こっているのは四騎の混戦だと誰もが予想していた。この戦いで二騎または三騎の脱落の可能性は十分以上に起こり得る。それが数時間後なのか数分後なのかを把握する術を持たない現状において、究極の選択を切嗣は迫られていた。

 

「そして貴方は生きて、イリヤと一緒に。貴方にしか頼めないの」

 

 ギリギリまで堪えていたものが、アイリの頬を伝って零れ落ちる。それが更なる一押しへとなった。

 

「……あぁ。わかったよ、アイリ。絶対にイリヤは助け出してみせる」

 

 切嗣はゆっくりとした動作でアイリの涙を指で拭い取る。

 そして彼は懐から大柄な銃と、一発の弾丸を取り出した。トンプソン・コンテンダーと起源弾だ。その性能を知るものは切嗣を除いてはこの場には居ないが、大口径ならではの威力と魔術回路を焼き切ることをも可能とするその特性は、聖杯の器の破壊という点においてこれ以上ない選択とも言えた。

 聖杯が顕現してしまえば霊体であるサーヴァントにしか対処できない。しかしまだアイリに収められている聖杯を物理的に破壊するならば、今のうちしかない。それがわかっているからこそ、アイリはそれを提案し、ソラウやウェイバーも必要以上に語らない。

 切嗣は負傷した腕でも普段と変わることなく正確に起源弾を装填した。目を瞑ってでも何ら問題はない。心を平静にするために自らを機械と可さんとする。

 切嗣は今まで父親を、母親代わりを、多くの人々を葬って来たのだ。今さら迷いなどはないと、切嗣は自身の胸の内に言い聞かせた。それに元々、聖杯戦争に参加した時点でアイリは死すべき運命だったのだと、もう一つの言い訳を重ね、固く銃把を握りしめた。

 

「ボクがやる」

 

 ――――誰かの声がした。

 

「ボクが、アンタの代わりに殺してやる」

 

 ――――誰かがそう言った。

 

「……代わりになんておこがましいか。ボクが、ボク自身の安全のために聖杯を壊す。だからボクを怨んでくれていい」

 

 ――――誰かが銃把を握り締める手を、ぎゅっと力強く掴んだ。

 

「だからボクに銃を渡してくれ。切嗣、アンタが撃つよりも幾らか救いがあるはずだ」

 

 名前を呼ばれ、目を見開くと、泣き腫らした顔のウェイバーがそこには居た。

 切嗣の腕に籠っていた力が、すとんと抜け落ちる。

 

「ウェイバー、貴方はそれでいいの?」

「悔しくて、痛々しくて…………正直さ、見てられないんだよ、アンタたちは!」

 

 アイリに対してウェイバーが吼えた。その直後、ソラウは「あっ」とだけ呟いて、次に出て来るべき言葉を呑みこんだ。

 

「アイリスフィール、アンタにとっては旦那に殺されるのが救いかもしれないけれど、殺さなきゃいけなかった方はずっと生き残るんだ」

「それは……」

 

 アイリは言葉に詰まり、切嗣へと視線を向ける。切嗣は首を横に振ってウェイバーへと言葉を発する。

 

「ウェイバー、僕の事は良い。身内を殺すのにだって慣れてしまっているんだ。だから――」

「良いわけないだろう! だって……だって今、今のアンタはっ、泣いているんだぞっ!!」

 

 ハッと目を見開いた切嗣は手を頬にあてる。そして濡れた指先を見た切嗣は擦れそうな声で呟いた。

 

「そうか。僕は泣いていたんだな」

「そうだよ。だからボクがアンタの分を……」

「でもウェイバー、貴方も泣いているじゃない」

 

 アイリに指摘されるウェイバー。その顔は誰よりも酷く崩れており、頬を伝う涙は止まらない。

 

「そうだよ。ボクだって、本当は嫌なんだ。またみんなで集まって、タコヤキや煎餅を食べながら、テレビを見たりゲームをしたいんだ!!」

 

 悲痛な声が会館の周囲に響き渡る。その叫びに誰もが耳を傾けた。あの部屋で過ごした幸せな時間を、当たり前の日常を掴んで欲しかったとウェイバーは言う。

 

「でも、二人を冬木から連れ出す前に失敗して、災厄が起こるなんてことは許されない。魔術師の一人としてボクは絶対にソレを未然に防がなくちゃいけない。でも本当はアンタたちに幸せになって欲しい。これが魔術師として未熟なら、ボクは未熟なままでいい。本当に、本当にそう思っているんだ」

 

 切嗣のように機械になりきれないウェイバーは矛盾する二つの選択に苦しめられていた。

 

「きっと未来のボク(アイツ)なら、迷わず撃ってる。逆にあの馬鹿(ライダー)が近くに居たらそんなボクの横っ面を叩くんだろうさ。本当はもっと迷っていたい、もっと冷静に考える時間が欲しいけれど生憎とそんな余裕はない」

 

 理性と感情の間で揺れ動きながら、それでもウェイバーは切嗣が落としたコンテンダーを拾う。

 

「それにボクの中の何かがこう言っている気がするんだ。『銃を取れ』って」

 

 ウェイバーはコンテンダーを両手で構える。脇のしめも甘く、大口径の反動に耐えられそうにはない。しかしアイリの心臓への零距離射撃ならば、それでもなんら問題はなかった。

 

「ボクは怖い。強迫観念が、見えない何かが後押ししている気がするんだ」

「ウェイバー、僕と代われ。今の君は正常じゃない。これは僕が背負うべき罪だ」

「嫌だ。でも、だからこそボクは逃げない。ボクの意志で引き金を引く」

「よすんだウェイバー!」

 

 切嗣の制止を振り切って、ウェイバーは引き金を引こうと人差し指に力を込める。

 

「待って、話を聞いてウェイバー! 大事な事なの!」

 

 静観を保っていたソラウが大きな声を上げる。その鬼気迫る形相に後ずさりしたウェイバーは銃を降ろした。

 

「ランサーのパスが切れたわ。いえ、とっくに切れてるの。直前に大きく魔力を持って行かれたし、多分彼は死んだわ」

「えっ!?」

「いつからなの?」

 

 ソラウが動揺していたことや、ウェイバーたちの声にかき消されたことによって伝わるのが遅くなったようだった。あまりにも大きな報告内容だったので被せ気味でアイリが問いかけた。

 

「ウェイバーが声を張り上げたぐらいからよ。随分経つけれど、アイリスフィールに変化が起こった感じは見えないのだけど、実際どうなの?」

「特に変わらないわ。でもどういうことなのかしら。アサシンやキャスターのときはすぐに変化があったのに随分と違うわ。セイバーの時も変だったけれど、どこか別の所に魂を留めでもしない限り……」

「ケイネスたちが何かしたのかも知れないわね」

「わかった。なら当初の予定通り冬木を出よう。だけどアイリスフィールに異変が出た時点でボクが引き金を引く。それでいいか?」

 

 一同は無言で頷いた。だがしかし――――

 

「良くないのう。そうはさせんぞ、若造」

 

 悪辣で老獪な声が、彼らの耳に届いた。

 

「貴方は、マキリの!? そんな、アーチャーに倒されたはずじゃあ……」

「カカカ、本体が死なん限り儂は不滅じゃ。いくらでも予備の身体はある」

 

 仄暗い茂みの中から姿を現したのは先程死んだはずの老人だった。アイリは驚嘆するが、臓硯はそんなアイリを爛れた声で笑い飛ばした。

 

「どうしたらいいの。こっちは怪我人と素人しか居ないっていうのに。さっきの令呪があればランサーを呼べたけれど栓のない話ね」

 

 切嗣の装備が僅かにあるといえども、ウェイバーとソラウには扱えるような技術はない。ソラウは思わず舌打ちをした。

 

「今さら出て来て、オマエは一体何をする気だよ」

「――――ただ正義を為す」

 

 ウェイバーの問いに対して、臓硯は端的にそう言いきった。その言葉には先程までと違って一切の淀みはない。真に迫るものを対峙する一同は感じた。

 

「貴様は何を言っているんだ? 聖杯は汚染されているんだぞ。正気なのか?」

「衛宮切嗣、ぬしはまだまだ若いの。ものは考えようでな、汚染されていようが聖杯は聖杯。その機能そのものは間違いなく健在じゃ。解釈が歪められる可能性がある願いならばともかく“やり直し”ならば聖杯に曲解されることは少ないはず。何より既に桜という成功例があるからのう」

「やり直し……だと? では貴様のいう“正義”を実現する方法というのは……」

「聖杯が穢れる以前に遡り、今までの聖杯戦争における知識を駆使して、聖杯を正常に起動させる」

 

 切嗣は言葉を失った。確かにその理屈ならば願いの実現も不可能とは断言できない。

 

「知っておるぞ、衛宮切嗣。ぬしは“戦争のない世界を作る”という崇高な願いを抱いておるのだろう――――儂と同じくの」

「確かに以前はそうだった。でも今は違う。聖杯の正しい使い方なんて知ったことじゃない。貴様に手を貸せと言われても、答えは絶対にノーだ」

「そうか、それでは強引に奪うしかないのう」

 

 臓硯は手にした杖で足元に敷き詰められたタイルを叩く。影という影から湧いてくる蟲の大群。

 

「待って、その前に聞かせて! サーヴァントが居なくては聖杯は使えないはずよ。頼みの綱の桜ちゃんはあなたを最も警戒しているわ。取り込もうなんて無駄よ」

「露骨な時間稼ぎか、助けを待っても無駄じゃて。が、まぁ良い。何も儂が桜に語りかける必要はない。同じ願いを持つように仕向ければよいだけの話よ」

「まさか、あなたやっぱり桜ちゃんの――――――――!?」

「ほう、随分と勘の良い小娘のようじゃ」

 

 ソラウは臓硯の意図に気付く。続くソラウの言葉は臓硯の歪みきった笑みからして正解で間違いなさそうだった。しかしそれを桜に伝える術を持たない。

 

「ぬしは、桜が願わずにおれると思うかの――――?」

「そ、それは……」

「カカカ。さて、益のない雑談は終了じゃ。この時代は礎になってもらう。正義のために必要な犠牲じゃ」

 

 ウェイバーたちに忍び寄るのは芋虫や羽蟲、甲虫などが奏でる死の音色。

 

「ボクが、ボクが……何とかするしかない。駄目で元々だ」

 

 ウェイバーは誰にも聞こえない声で決意を呟く。

 そして手の中にある確かな重みを再び確かめた。 

 取り落とさないように強く銃把を握り締め、引き金に人差し指をかける。

 

「ウェイバー、私を殺して! 早く!!!」

 

 アイリスフィールの叫びが届いた直後のこと。

 

「うわぁああああああああああっ!!」

 

 絶叫と共に、乾いた銃声が一つ鳴り響いた。

 



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#21 さようなら、先輩

 世界が元の仄暗い色彩を取り戻す。

 アーチャーとランサーの姿はもうどこにもない。収束する光の中心に立っていたライダーの膝が崩れ落ち、焦げ付いた大地に片手を付けた。

 

「奴らと会話をするには少し遠いな。歩くぞ」

 

 ケイネスさんの冷えきった声が背中に突き刺さる。

 散々わたしや先輩の好き勝手な行動に翻弄されたのだ。疑念や怒り、敵愾心をこの程度で自制しているだけでも凄いと言える。

 わたしの見てきた限り、感情で動くタイプだけれども、それ以上に魔術師としての意識が今現在は勝っているようだった。

 魔術師としての在り方。ほとんど何も知らなかったそれをこの一年の準備期間で学びなおしたけれども、やはりわたしにはどうにも馴染まない。そう思っていた。

 だけれども、あと少し彼らの在り方を理解できれば、何か変化があるかもしれないという程度にはここ最近のわたし自身も影響を感じている。

 しかしそれは「もしこの先が続けば」の話だ。続かせるためにもケイネスさんの後について、ライダーと先輩のところへと向かう。戦闘が終わったとはいえども悠長にしている余裕などない。

 

「バイバイ、雁夜おじさん」

 

 おじさんの亡骸に別れの言葉を告げる。

 火事騒ぎから行方不明の小さな先輩を除けば、姉さんに続いてこれで二人目の犠牲だ。

 涙はもう出ない。意識は抑えてある。

 哀しかった。姉さんを喪ったあのときも、おじさんを喪ったつい先ほども、確かに哀しいと感じた。

 でもその嘆きはわたし(・・・)自身のものではないと、ようやくそれがわかった。酷いネタばらしだ。

 失敗したあの世界の間桐桜のコピー人格(わたし)、この世界で間桐桜を導く聖杯の願い(こたえ)、この世界の間桐桜の身体の持ち主(あのこ)。その三つが間桐桜を動かしていたという真実。

 

 気付かなかった、信じて気付かなければ良かった。

 わたし自身(ねがい)による暴露によって、混ざり合っていたわたしたち三人の意識や感情、身体の支配権が今になってそれぞれ理解、自覚できるようになっていた。

 二人の死亡時に出てきた慟哭や、アーチャーを前に恐怖で立ちすくんだのが主に持ち主(あのこ)に由来する物で、事前準備や暗躍の内の幾らかが願い(こたえ)によるもの。それ以外の全般がコピー(わたし)による物だったのだと今なら理解できる。理解できてしまったからこそ、今一度わたしは考えなければならなかった。

 

 おそらくこの身体において持ち主(あのこ)の感情は最も優先されている。余程のことがない限り表に出て来ないが、他の意志をねじ伏せる程に持ち主(あのこ)の感情は強い。次に姿を隠し続けながら動いていた願い(こたえ)、そして一番優先度が低いのが何も気付かず肝心な所では何もできていないコピー(わたし)という順番なのだろう。無様な話だ。

 

 わたしは一体今まで何のために戦ってきたのか。このドタン場でわたしは未来を見失っていた。

 幸せになりたい。と、この口は先程そう言葉を発していた。だが、何を以て幸せとするかが問題なのだ。

 

 このまま聖杯戦争を破錠させ、先で待ち受けているであろうお爺様を下す。持ち主(あのこ)に身体を返し、エルメロイ家の庇護を受け時計塔の魔術師として暮らす。できることならば小さな先輩を見つけ出して一緒に暮らす。それが「幸せになりたい」という願いを叶えるために本来あるべきルートなのだろう。そしてこのままの流れならばきっとそれが成就する。願い(こたえ)が無理にでもそうさせるはずだ。でも本当にそれでいいのだろうか。

 

 誰にとっての幸せか。その焦点を持ち主(あのこ)に当てるならば事情が変わる。確かにこのままでも幸せだろうが、姉さんや雁夜おじさんへの思いは強い。そして、お父様やお母様への思いも。遠坂家に戻ることも一手だろう。この面々をどうにか出し抜いて聖杯を起動し、もう一度やり直して姉さんや雁夜おじさんのいる世界を与えるという遠回りな手法も取れないことはない。

 

 わたし自身はどうだろう。先輩を受肉させるだなんて言っていた頃があったなんて我ながら呆れてしまう。確かに元が同じ存在と言えども、あの世界の間桐桜が愛した衛宮士郎とは全くの別人だ。無事でいるかまだわからないけれど、この世界では少年時代の彼だって、本来わたしが一番に愛すべき人ではない。世界や時間の違い、依存心に惑わされ、わたしは本質を見失っていたようだ。

 

 わたしが一番に愛しているのは、あの世界の衛宮先輩だ。この心が紛い物で出来ていたとだとしても、この愛だけは本物だ。

 わたしが何よりも、誰よりも愛しているのが彼であって、あの世界の衛宮先輩が救われなければ、紛い物(わたし)にとっての幸せなんてありえない。

 

「……そうか」

 

 願うべき未来がようやく見えたかもしれない。

 

 紛い物なわたしが本当に欲しかったのは、穢れを知らずに生きることのできるこの世界での日常(かこ)じゃない。先輩と姉さんが穢れたわたしを助けてくれるかもしれなかったあの世界での分岐(みらい)だ。だから――――

 

 

 

 あの世界に帰還し運命を改竄する。

 

 

 

 きっとこれは苦難の道だ。限りなく細い道だ。

 それでもやってみせる。

 

 そう――――――決めた。

 

「何か気付いたのか、桜?」

「いいえ、独り言です」

 

 先の独り言に反応したのだろうか。後を付いてきたお父様が声をかけて来た。が、そっけなく返しておく。すると、少し前を歩いていたケイネスさんが前を向いたまま「そういえばさっきのことだが、新しいライダーは宝具で何をやったのだ?」と質問を投げかけて来た。

 

「ライダーの宝具他者封印(ブラッドフォート)鮮血神殿(アンドロメダ)で魂を溶解、吸収すると同時に、もう一つの宝具自己封印(ブレーカー)暗黒神殿(ゴルゴーン)で封印を重ね、ライダーの内部へと閉じ込めたのでしょうね」

 

 こちらにはきちんと返しておく。この解説で間違いないはずだ。

 

「本来の使い方とはかなり違いますが、まさかそんな使い方をするとは……」

 

 まさか私も、先輩がそんな手段を取らせるとは思いもよらなかった。それはわたしが行わせるつもりだったのに。

 この手段によるメリットは幾つかある。まずは聖杯へ魔力が収められるのを妨げる役割と、逆に収めるタイミングを令呪によって任意で調整できることだ。聖杯を扱うも扱わないも自由。お爺様を始め、その他への大きな牽制・交渉材料になる。

 そしてライダーにかかる負荷が大きいとはいえ、莫大な魔力を保存しているのだ。戦闘力の増強に流用することも不可能ではない。万が一他に立ち塞がる者が居た場合の保険だ。

 先輩が考えているのは前者の方、聖杯の機能停止までの時間稼ぎのつもりなのだろう。だが他にも何かがありそうな気がする。

 

セイヴァー(・・・・・)、どうしてわたしを裏切ったんですか?」

 

 その先の答えを、その前に聞かなければならないことを、今にも消えそうな目の前の先輩にわたしは問いただした。

 

「一度もわたしは裏切ったつもりはないのだがな。桜、私は君を通して夢を見た。あの世界での君のことを」

「それでわたしを止めるためにあなたは契約を……」

「寂しいものだ。もう、昔の様には呼んでくれないのだな」

 

 いつかは必ず何らかの形で露見すると思っていたが、そこからやはり先輩は聖杯の汚染や自身の過去を誤魔化し続けていたわたしに疑念を抱いたのだろう。

 

「その様な一面が在るのは否定しない。だが場合によっては遠坂時臣の排除もあり得たのだ。あれだけの地獄を見てきた君にはこれ以上手を汚して欲しくなかった。雁夜やソラウに向けて語っていた様な明るい未来を君には歩んで欲しかった」

 

 何を今さら。何を今さら言っているのだ、先輩は。両足が砕け、地に伏したまま喋る姿をわたしは見下ろし続けた。石化の侵食は下腹部にまで迫って来ている。そう長くはないだろう。

 先輩もライダーの中に閉じ込めるかと思案し、彼女に視線を向ける。ライダーは両手で眼帯と前髪を握り締めている。随分と苦しそうだ、なんてことは決して口にはできない。その痛みを誰よりもわたし自身が良く知っているのだから。これ以上は無理だ。そう、わたしは判断する。

 

「情けない話だが、これ以上弁明する時間も余り残されていないようだ。君は、君自身が思っているよりも危うい。それだけは心に留めておいてくれ。そして詫び代わりにもならないが、これを受け取ってくれ――――」

 

 先輩の左手がわたしの方へと伸ばされる。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 眩い光を放つ一本の剣がそこにはあった。魔力によって形を為したその剣は、わたしの足元へとゆっくりと降り、そして地面へと突き刺さった。

 

勝利すべき黄金の剣(カリバーン)、これが今の私にできる最後の置き土産だ」

 

 カリバーン、確かそれはアーサー王がエクスカリバーを所有する以前に愛用していた選定の伝説の剣だ。宝具として間違いなく一級の品であることは間違いない。だがしかし――――

 

「あなたが消えればこの剣だって消えるんですよ。どうしてこんな無駄な事を?」

「これでセイバーを召喚するんだ。桜」

「縁としては充分、それは理解できます。でも同じ枠のサーヴァントは二騎も同時に存在できない。わたしのライダーを召喚するのにだって前のライダーを使ったんですよ」

「イレギュラークラスで召喚された私が奪ってしまったバーサーカークラスの枠でアーサー王を召喚させるんだ。この剣と私を触媒にして」

 

 成程、先輩自身が消滅する前に新たなサーヴァントへと入れ替えることで聖杯への魔力流入を妨げることが目的なのだろう。時間稼ぎと戦力確保を兼ねたその提案は凄い。しかしその案が浮かぶということは――――

 

「桜、君は間桐の翁からもう一つの召喚呪文を教わっているな」

「……おじさんから聞いたんですか?」

「あぁ、私が裏切りそうになったときにはそうするように翁から仕込まれたと聞いた」

 

 いつから――――なんて事は聞けなかった。聞きたくなんて、ない。

 先輩の眉間から力みが抜けた。

 わたしの拒絶の意識が先輩にも読み取られてしまったのだろうか。

 先輩がどことなく諦めた風な、困った顔をしている様に見えてしまった。

 一つ呼吸を置いた後に、先輩は目を伏して言葉を続ける。

 

「それを遠坂時臣に伝えて欲しい。きっとこの先、彼女の力が必要になる」

「何をさせたいんですか」

「わたしはもう間もなく消える。だからこの先の選択は、君やこの時代を生きる皆次第だ。だから私は選択肢を残そう。もしも聖杯の破壊が必要になる場面が来た時には彼女の聖剣を頼るといい。それから、鞘は未だ雁夜の身体の中に埋め込まれている」

 

 アーサー王を不老不死たらしめた聖剣の鞘、全て遠き理想郷(アヴァロン)。もしそれが本来の機能を取り戻すことができるとすれば……

 

「おじさんが生き返るの!!?」

 

 思わず叫んでしまった。わたし(・・・)ではない。叫んだのは持ち主(あのこ)のせいだ。今回ははっきりと自覚することができた。段々と彼女が表に出易くなっているのだろうか。緩んだ口元をキュッと結び直す。

 

「瀕死の重傷程度ならば間違いなく治療できるが、あれだけの出血量……もう既に息はないのだろう。間にあわない可能性の方が高いが、僅かとはいえ望みはある。試してみる価値はあると思うぞ」

 

 どうするべきか。二つ返事をしていいものか判断に迷う。ライダー以外の戦力を残してしまった場合、聖杯を使用するためのハードルが上がる。しかし、お爺様を出し抜くには手段の一つとして使えるかもしれない。お爺様が求める不老不死そのものを目の前に転がしてやれば、致命的な隙を見せるはずだ。

 

「桜」

 

 後ろから声がした。お父様だ。振り向くと、しゃがんだ姿勢のお父様に力強く肩を握りしめられた。

 

「私に、教えてくれるな?」

 

 ぎらぎらとした瞳が向けられる。その眼から溢れ出していそうな熱意は己の欲望かそれとも正義感か。まぁどちらでも良い。NOと言える雰囲気ではないことぐらいは承知だ。

 

「えぇ、始めましょう」

 

 愛していると思っていた。

 でも、勘違いだったと気付いた。

 

 嫌いじゃなかった。

 今でさえ嫌いになんかなれるわけがない。

 

 善意も痛いほど伝わっている。 

 だけど、それを素直に受け入れる余裕が今のわたしにはない。

 

 既に道は違えた。

 だからこの別れに涙は要らない。

 

 要らないんだ。

 

 

                ×        ×

 

 

 

 ケイネスさんが水銀の礼装を用いて即席の魔法陣を用意してくれた。

 お父様がわたしの後ろに立ち、召喚の儀式が執り行われる。

 

「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 繋がりはもう存在しない。この口が紡ぐ言葉は伽藍堂。

 マスターであるお父様がわたしに重ねて詠唱を行う。

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 痛い。湧き上がるエーテルの風が瞳に突き刺さる。

 眼をきつく閉じた。

 

「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者

――」

 

 付け加えたのは狂化のための文言、衛宮先輩を切り捨てることを想定して手に入れた力。

 全て予定通りとはいかなかったけれどこれでいい。想定範囲内だ。

 

 さようなら、先輩。

 心の中で、そっと呟いた。

 

「――――桜、幸せにな」

 

 眼を見開いた。

 カリバーンを胸に抱いたまま横たわる先輩。

 その身体中から無数の刃が飛び出していた。

 鱗のような刃たちに蝕まれ、剣そのものと化していくおぞましい光景。

 

 それでも、それでも先輩は――――

 口や胸から鮮血がどれだけ吹き出そうとも、満足気な笑顔を崩さなかった。 

 これが笑顔じゃないなら何と呼ぶのだ。

 

 眼を逸らせなかった。

 衛宮先輩、あなたは幸せだったんですか?

 結局先輩からしてみれば、この世界の自分を救えたかどうかもわからない。

 この後は英霊の座に戻って無限地獄に再び送られることが運命付けられているというのに。

 

 どうして、どうしてそう笑って居られるんですか?

 そう尋ねたくなって、それを噤み、結局わたしは言葉に詰まってしまう。

 だが召喚の儀式はお父様が行っているのだ。詠唱は無情にも続けられる。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 巻き込む風が更に勢いを増す。

 激しい光が迸る。

 でも、それでも。わたしは瞳をこじ開け続ける。

 

「……先輩っ!」

 

 景色が滲む。

 風が、光が、滴が邪魔だ。

 

 最後だ。

 伝えられるのはこれで最後なんだ。

 

「ありがとうございました、衛宮先輩!!」

 

 魔力光が全てを弾け飛ばす。思わず腕で顔を覆う。

 吹き飛ばされそうになる身体を後ろから支えられ、なんとかその場に踏み留まることができた。

 

 ――――――声は、届いただろうか。

 

 光が収束し、人の形を為す。

 召喚は成功した。いくらイレギュラーとはいえ、これで失敗なんてするはずがない。

 消えた先輩の代わって現れたのは黒い甲冑を纏った騎士。紅いラインの走らせた特徴的な装飾、鎧と同じ色をしたバイザー。見間違いようがなかった。

 

「貴女がアーサー王ですか」

 

 お父様の問いに答える声はない。禍々しい空気を纏う彼女を前に傅こうとするお父様を右手を伸ばして制した。

 

「間違いなくあのセイバーと同一人物です。それに、そんな無駄ことはする必要はないですよ。しっかりと狂化が効いているようです」

 

 わたしが聖杯の力で従えていた黒いセイバーと外見こそ同じだが様子が違う。あのセイバーには自身の感情や理性が少なからず存在していたが、目の前の彼女はバーサーカーとして正しく顕現しているようだった。

 

「あぁどうもそのようだな。言葉を発する様子もない。便利な傀儡ということか。それにしても随分と持って行ってくれる……」

 

 お父様が蒼白な顔で呟く。先の戦闘でアーチャーと先輩に魔力を大量に消費され、更に召喚が重なった。宝石で補給しながらとはいえ長期間の維持は難しいのだろう。

 

「間桐桜」

 

 呼びかけたのはケイネスさん。振り向くと自走する水銀の礼装の上に雁夜おじさんの身体が乗せられていた。

 

「既に生体反応は途絶えている。これは只の屍だ。しかし、それでも試すならば急ぐが良い。それから方法は理解しているのか?」

「衛宮先輩の昔話では持ち主からの魔力供給があれば効果を発揮すると聞いています。もしまだ効力を発揮できるのならば、おそらく手を触れるぐらいでもきっかけになると思います」

「バーサーカー、この亡骸に手を触れ鞘の力を発揮しろ」

 

 バーサーカーと化したアーサー王は反抗することなくお父様の命令に従った。魔力を流し込んでいることわたしにも感じことができる。しかし何も起こる気配がない。

 結局、都合の良い奇跡なんてものは起きてくれなかった。下手に希望を持たせるくらいなら……いやこの先は止めておこう。唇を噛みしめて零れ出そうな言葉を胸の内に留める。

 ケイネスさんが雁夜おじさんの体内に溶け込んでいた鞘を取り出し、お父様へと差し出す。

 

「そちらの怪我も浅くはあるまい。正当なマスターが所有しておくのが一番だ」

「では私が使わせて頂こう」

 

 ケイネスさんが雁夜おじさんと同時に礼装で教会跡から運んできたらしい切り落とされた右腕をお父様の傷口にあてる。筋繊維が自ら縫合するように動き出し、見る見るうちに傷が塞がっていく。しばらくすると指先がぎこちないながらも動く程度には回復することができた。今度はしっかりと鞘の効果を発揮したようだ。

 

 そして神父様に雁夜おじさんの亡骸の処理を任せ、これからの活動をどうするべきか提案しようとしたときだった。

 

「これからどうしましょうか……なんてこと相談している間もなく、このタイミングで来ましたね」

「流石の読みじゃ。褒めておくぞ桜」

 

 接触してくるのはこのタイミングしかないとは思っていた。心の準備も出来ていた。だがしかし――――

 

「何故、彼がそこに居るんですか。お爺様?」

 

 薄汚い肉塊の後ろに付き従っているのはわたしとおなじくらいの背丈の赤い髪をした少年だった。

 読めなかった。お爺様がまさか■■しろう(このせかいのセンパイ)を既に確保していたなんて。お爺様に情報を渡して捜索させていたのがそもそもの間違いだった。うっかり、なんて言葉で済ませられる事態ではない。

 

「ようやく場所を特定したと思えばライダー主従に攫われていたのでな、儂自らが確保してやったのだ」

「白々しい。ではあの火事騒ぎはなんだというのです?」

「この戦いから離脱すべきはずの教会の若造がこの子ごと儂を火攻めにしようとして来たからのう。命からがら二人で逃げてきたわい」

 

 それなら辻褄は合うかもしれないが、それを信じるのは無茶がある。

 だがしかし、あの生き汚いお爺様がわざわざ自ら嫌いな火に炙られるような真似をするのかと言われれば少し疑問が残る。それともこれはお父様に対して少しでも疑念を抱かせることが目的なのかもしれない。きっとこれ以上詳細を聞いてもはぐらされるか、巧みに嘘を付かれるかだ。追及は止めだ。その先の対応を考えなくてはならない。沈黙を保ち、お爺様の言葉を待つ。

 

「そう睨むでないぞ桜。もう少し嬉しそうな顔をしてみたらどうじゃ。ようやく探し人と会えたのであろう?」

 

 お爺様に手を繋がれている少年を見た。幼いながらも確かに衛宮先輩の面影はある。けれども別の世界で生きる彼はわたしの愛した人とはやはり異なる人間だ。

 生きていてくれて良かったという安堵感はあるけれども、一時期の熱狂はもう冷めているようだと自己分析を行う。ちょっと前のわたしならば錯乱していたに違いないが今なら冷静で居られそうだ。

 

「ライダー、まだ手を出してはダメ。どんな狡猾な手段を用意しているかわかりません。お父様、ケイネスさんも抑えていて下さい」

 

 おそらくお父様を別にすればお爺様と相対するのは皆初めてだ。あの悪魔のペースに呑まれるわけにはいかない。だからわたしがこちら面々を抑えるように場の流れを作る。

 

「それで要件はなんですかお爺様? その子を人質に何か要求するつもりですか?」

「まさか。桜、よくぞここまで残った。その健闘を称えての商品じゃ。受け取るが良い。ほれ」

 

 お爺様が促すと、彼は怖いものから逃れるように必死な顔でこちらに向かってきた。お爺様の意図はわからないが、走って来る彼を受け止めるべく両腕を広げる。

 

「せんぱ……」

「しんぷさまー!」

 

 華麗なるスル―。わたしの横を過ぎ去った彼は言峰神父の方へ抱きついていた。  

 一瞥すらされなかった。我ながら痛い光景だ。案の定お爺様は口元を歪めている。これが見たかったために……というわけではないだろう。気を取り直して咳払いを一つ。

 

「礼を言うのも癪ですが、ありがとうございました。お爺様。それではさっさと消えて頂けますか?」

「無意味な事を。本体が出て来るわけがあるまいと知っておろうに。それからそのサーヴァントに魔力を蓄えこんでいるな桜。聖杯の完成の可否を手に握るのは我が孫ながら恐れ入った。だが良いのか? 早く自決させねばその魔力はパスを通っておぬしに遡り害を為すぞ。その苦しみもう一度味わうつもりなのか?」 

「そ、それは……」

 

 その可能性は考えていなかった。できることならあの苦しみはもう二度と味わいたくない。脅しに使うつもりが、逆に脅されてしまっている。やはり頭の回転と狡猾さでは、わたしや先輩よりも奴の方が上手らしい。

 

「では桜、これからが本題じゃ。そちらが逃した聖杯の器も儂の方で確保した。冬木市民会館へ向かえ。そしてサーヴァントの自決を命じよ。それで我らの願いは成就する」

「我ら? 何とぼけたことを言っているんですかお爺様。不老不死なんてつまらない願い、わたしが本当に叶えると思っているんですか?」

「クク、不老不死はあくまで手段。だが新たな手段を見出した今、不老不死など無用」

「なら一体何を……」

 

 何を望むというのだ。あれほど意地汚く生きあがいたこの妖怪は。不気味な低い声で嗤うソレは手をわたしに向かって差し出した。

 

「桜よ。やりなおしたい。そう思ったことはなかったか?」

「えぇ、その思いがあったからこそ今があります。でもそれが一体何だと言うんですか?」

「では今一度聞こう。“この世界”での出来事をやり直したいと思ったことはなかったか?」

 

 言うな。その先は聞かせてはいけない。

 とっさに自分の耳を塞ごうとするが遅かった。

 

「姉や雁夜に生きていて欲しいと思ったことはなかったか?」

 

 一度は取り除いたはずの毒が再び脳内に染み渡る。持ち主(あのこ)が出て来るのは抑えきれたけれども、自意識をしっかり持たないと拙い状況だということは理解できた。

 

「姉さんや雁夜おじさんが生き延びる最良の結果が得られるまで、何度でも繰り返せと?」

「然様。一度目でもこれだけの結果を得ることができた。二度目なら、三度目ならもっと良くなると思わんか?」

「そんな馬鹿な事をして……」

「ククク、まさかおぬしが逆行を無意味だと説くというのか? 愉快過ぎて腹が痛いわ」

 

 杖先で地面を叩く音が癪に障る。だが冷静さを欠いたら負けだ。

 

「もしわたしがやり直しを聖杯に求めたとして、あなたになんのメリットが?」

「やり直しという儂の願いを、おぬしの願いに便乗させる。願いの指向性が同一ならば、願いを反映させる意識と時代をそれぞれ別に振り分けることも不可能ではない。そのためにこの一年全てを賭けて来た」

 

 意識の便乗もあれだけ自信満々で言うのなら何かしらの奥の手を用意しているのだろう。

 

「既にわたしと言う例があるのだから、やり直しはこの汚染された聖杯でも確かに可能なのでしょうね。ですが却下です。碌でもない世界をこれ以上増やすわけにもいきません。あなたによって狂わされた被害者として、わたしはあなたを止めます」

「この結果に満足できるのか桜? この世界はかつての自分が居た世界とは別物に過ぎん。それで幸せになったつもりか、救ったつもり、救われたつもりか間桐桜?」

 

 段々と声を荒げるお爺様。決してそれは余裕がないからではない。言葉のボディーブローで畳みかけているつもりのだ。

 

「確かにお爺様の言うことも一理あります。……わたしは諦めきれません。わたしが愛する人たちが居た世界に必ず帰ります」

「桜! 耳を貸しては駄目だっ!」

 

 お父様が必死の形相でわたしに訴えかける。対照的にお爺様は醜い笑みを更に広げた。

 わかっているでしょう。決めたでしょう。そう胸の内に訴えかけた。

 そして、わたしたち(・・・・・)は言葉を続ける。

 

「そして絶対に、先輩と姉さんを――――――そしてわたし自身を救います」

「でもわたしは……かりやおじさんやしろうおにいちゃんがわたしをまもってくれたことを、なかったことにはしたくない。ねえさんのぶんもわたしはしあわせになりたい!!」

「儂の手を取れ、桜。それで介入はすぐに終わる」

 

 再びお爺様が手を伸ばす。嗤っていられるのもこれまでだ。

 

「だから、わたしたち(・・・・・)は――――第二魔法を目指します」

 

 今までの不安定なわたしじゃない。

 わたしたち(・・・・・)は遠坂桜として生きていく、と意思統一は出来ていたのだ。

 

「―――――は?」

 

 良い顔をしている。実に無様な間抜け顔だ。やり直しのその先に何を望もうと知ったことではない。絶望して、追い詰められて、消えてしまえ。

 

「この世界で絶対に幸せになってみせます。姉さんや雁夜おじさんの分も。そして魔法使いになってあの世界の皆を助けるんです。聖杯じゃなくて今度は自力で奇跡を掴みます。これがわたしたち(・・・・・)の選択です」

 

 爪先から頭まで一片も残さぬよう入念に影の中に溶かし込む。本人の言う通り、本体じゃないのは確かだろう。少なくともわたしの手にかかるようなところには現れないはずだ。だが当面の脅威は過ぎ去ったと思う。

 なので次に行うべきはこの意志表示の結果確認だ。

 

「それでいいですか、お父様?」

「その選択、遠坂家当主として心から歓迎しよう。その才覚と気概を以てすれば、遠坂家の本来の目的をきっと果たせるはずだ。桜」

「言っておきますけれど、事情はどうあれ間桐なんて酷い所に養子に行かせた事を心の底から怨んでますからね。もう世界を滅ぼしてもいいかなと思える位に」

「酷い所と言う定義は一体……」

「あとで身体の隅々まで教えてあげますよお父様」

 

 喜びに溢れているお父様の顔が気に入らなかったので、わたしの恨み事を吐いておく。蟲蔵に落としてやりたい薄暗い気持ちも未だに健在だ。

 だけど――――なんでわたしはお父様に抱きついているのだろう。また身体を持ち主(あのこ)に取られてしまったようだ。

 仕切り直すために、これからの指示を口にすることにした。

 

「私は市民会館に向かいます。あとはお爺様から器を奪うなり、壊してしまえばわたしたちの完勝です。お父様はバーサーカーを連れて大空洞へ。万が一の時は宝具で大聖杯を破壊して下さい」

 

 お父様から離れてライダーの手を取り、目的地に向かおうとする。しかし――――

 

「サクラ、危ない!!」

 

 響く鈍い金属音。バーサーカーと化したアーサー王がライダーに斬りかかっていた。

 わたしはライダーに庇われたおかげで無事だ。

 すぐに両者は一歩引き下がり、構えを取りなおす。

 

「令呪を以て命ずる。正気に戻り理性を取り戻せバーサーカー!」

 

 お父様の一画しかない令呪が消え去ってしまう。「止めろ」という命令ではなく、このようにしたのは、理性的な騎士王なら令呪がなくとも従ってくれると見越しての判断だろう。的確な処置だとわたしも思う。

 バーサーカーと化したことで黒くなっていた甲冑が、セイバーだった頃の様な白銀と青の鮮やかさを取り戻した。黒いバイザーも消え去り、彼女の表情が顕わになった。歯を食いしばり、何かに耐えている、そんな顔だ。

 

「……私は正気です」

 

 自称正気の彼女は剣を水平に伸ばし道を塞ぐように立ちはだかっている。どうしてこうも先輩の作戦は裏目に出るのだろうか。

 

「もう一度言います。私は正気です。再びの召喚ということ位しか正直なところ理解できていませんが、それでも聖杯を破壊する様な真似を認めるわけには行きません」

「怖れながら騎士王よ、あの聖杯は汚染されているのです」

「汚染とはどういうことなのですか? 私には何の説明もなされていません。しかもこの子は“汚染されて居てもやり直しは可能”だと言いました。何も知らないまま、私はここで諦める訳には行きません」

 

 頑として説明を拒みそうな雰囲気を放つ彼女にかける言葉はあるのだろうか。お父様とパスは繋がったまま令呪がないというのが問題だ。ライダーと戦闘させるわけにもいかず、お爺様の言動からも余り長いことライダーを現界させるのは難しいだろう。

 だが彼女は清廉な騎士王だ。言葉さえ届けば納得してわたしたちの側に付いてくれるだろう。

 

「貴方たちが聖杯を使う気がないのなら、私に譲って下さい。私はブリテンの王の選定をやり直さなければならないのです!」

 

 彼女は声高々に主張する。そして意外な人物がその背中を後押しした。

 

「ぼくもやりなおしがしたい」

 

 少年時代の先輩がそう呟いた。

 

「かぞくやともだちのみんながいきていたころに、ぼくはもどりたい」

 

 それはごく普通の少年の願いだった。

 

「おねえちゃんもむかしにもどってやりなおしたいんでしょ? だから、ぼくといっしょにねがいをかなえよう?」

「え? …………えぇ」

 

 ごく自然な流れでその言葉は交わされた。この状況下で誰が気付けたというのだろう。

 

「ですが貴方は幼く、しかもただの一般人――――――――まさか、これは!?」

 

 言葉(けいやく)が交わされてしまったということに。

 

「しまったっ! Es erzahlt(声は遠くに)―――!!?」

「させません!!」

 

 セイバー、いや今はバーサーカーの剣戟によって詠唱が中断される。ライダーが抱えて庇ってくれたから怪我はしてない。

 だが状況は一転して最悪だ。お爺様が(センパイ)を乗っ取っている可能性を考えておくべきだった。令呪を失ったお父様から小さな先輩を乗っ取ったお爺様にマスター権が移ってしまっている。拳に刻まれた三画の令呪が戸惑うわたしたちに現実を突きつけていた。

 しかもお爺様の本体が全く違う場所にあった場合、かなり性質が悪い事になってしまった。疲労気味のライダーで無傷なバーサーカーとの相手をしなければならないのだ。正面から戦っても勝ち目は薄いだろう。しかし聖杯の器を確保しているらしいということは、この二人が市民会館へと辿りついたらアウトだ。

 

「ははは、ははははは! 万が一の保険で小僧の中に一匹を潜ませておったが、まさかこうも都合良く事が運ぶとな」

「な、何が起こったのですか! この少年は変貌ぶりは一体!?」

「令呪―画を以て我が傀儡に命ず。我を守護しつつこの場で敵サーヴァントを排除せよ」

 

 バーサーカーから迸る魔力の量が膨れ上がる。

 見えない剣の切っ先がライダーに向けられようとして、地面へと突き刺さった。

 

「アレが見た目通りの生き物でないことはわかります! ですが守護の命により私からは手を出せません。今の内に彼を抑えて下さい!!」

 

 今はセイバークラスではないとはいえその気位の高さ故か、令呪による強制になんとか耐えきるバーサーカー。

 

「ライダー、先輩の精神だけでもとりあえず自己封印の中へ!」

「さらに令呪―画を重ねて命ず。全力で任務を遂行せよ!」

 

 ライダーが距離を一気に詰めて先輩の眼前へと迫ろうとする。

 それに対し、重ねられた令呪に抗えなかったバーサーカーの剣戟が、無防備に背中を曝したライダーに襲い掛かる。

 しかしその不可視の剣は振り降ろされることなかった。

 ぎこちなく途中で剣を止められた直後、痛烈な蹴りがライダーに叩きこまれた。

 

 ライダーの身体は三回転ほどしながら地面を跳ねていく。

 すぐに立ち上がったが、劣勢ということは一番ライダーが良く理解しているのだろう。

 

「サーヴァント同士で無理なら、わたしたちが――」

「私が戦闘に立とう。火の魔術ならば相性が良いはずだ」

「ならば防御は私に任せておくが良い」

 

 お父様とケイネスさんの二人が隣に立つ。同じ事を考えていたようだ。

 

「思いあがるでないぞ若造共が。我がマキリの魔術の深奥、その眼に焼きつけるが良い」

 

 無数の蟲たちが地面から空から湧いて集まって来る。

 時間が勝負だ。ライダーが倒されるまでにせめてこのお爺様が乗り移った彼をどうにかしなければならない。どうにかしても、マスター権がお爺様の本体に残ったままだと詰んでしまうが、そのときはそのときだ。

 

「腹を括るしかないですね。やりましょう」

 

 目下の目標は残る一画の令呪の奪取。分の悪い賭けということには隣の二人にもわかっているのだろう。

 

「声は祈りに――――――私の指は……今度は何が!?」

 

 詠唱を中断したのはわたしだけではなかった。

 

「あ、がっ……、そんな馬鹿なっ。こんな事で我が悲願の成就が……」

 

 急に苦しみ出したお爺様。攻撃の姿勢を取ろうとしていた周りの蟲たちも、散り散りに暗闇へと逃げていく。

 

「たった一発の銃弾如きでっ……何の理想も持たぬ小僧などに。何故、何故我が理想の成就が阻まれなければならないというのだ」

 

 胸を抑え、悶え苦しんでいるようだがわたしたちにも状況がさっぱり理解できない。銃弾ということは衛宮切嗣が何かをしたのだろうか。

 

「――――――――ようやく。よ……やく、が……理想を取……戻し、というの……」

 

 

                ×        ×

 

 

 こうしてわけのわからないまま、お爺様は消滅した。

 拍子抜け、と言えなくもないがかなり際どいところまで実際追い詰められていたのだ。勝ちは勝ちとしてわたしたちは有り難く受け取っておくことにしておいた。小さな先輩は何の負傷もなく無事だったのでめでたし、めでたしと言えるだろう。 

 それから戦闘命令が下ったままのバーサーカーはわたしに残った最後の令呪をケイネスさんに委譲し、鎮静化させることに成功した。

 

 その後、市民会館に向かうと満身創痍の衛宮夫妻と前のライダーのマスター、そしてソラウさんと合流することができた。ソラウさんからとても怒られたけれど、そんなことはちっとも耳に入って来なかった。何故かというのも――――

 

「起源弾って何なんですか。もっと早くそれを見つけていれば楽だったのに……」

 

 ぼやきたくなるのも仕方ないと我ながら思う。衛宮切嗣曰く、前のライダーのマスターが放ったその弾の効力で、お爺様の魔力回路がまとめて破壊され、延命や他の身体の行使ができなくなったらしい。

 たまたまその弾が込められていたことといい、ちゃんと的中したことといい、その上さらにこれだけの効力を発揮したなんて。これは偶然というよりも……余程、彼が幸運に恵まれていたのだろう。

 不幸の星の下に生まれた者として妬ましい。ちゃっかり、ケイネスさんの下働きになるということで和解しているし。

 

「サクラちゃん! ちゃんと聞いているの?」

 

 そういえば、あれから願い(こたえ)は全然干渉してこなかったな。ぐちゃぐちゃに入り乱れた聖杯戦争だったけれども、こうなることが分かっていたのだろうか。

 まぁ、とりあえず――――――

 

「魔法使いになって先輩に会いに行くぞ!!」

 

 

                ×        ×

 

 

「シロウ、何故……」

 

 彼女の喘ぐような嘆きは、奇しくも私のものと同じだった。

 闇色の刀身を伝って溢れだす命の滴が、漆黒の鎧を紅に染め上げていく。

 墜ちた聖剣を押し返してようやく見えたサクラまでの道程はここで閉ざされてしまった。絶望に塗れた世界に再び灯ったはずの小さな希望の光。それを奪ったのはシロウの迷いであり、そして道具サーヴァントである私の怠慢でしかない。

 私たちにこれ以上の奇跡が起こす力がないことは、眼下の血だまりを見れば間違いなかった。

 感情を初めて取り戻したように狼狽するセイバーとは対照的に、赤みを失っていくシロウの顔からは表情が、生気が、一滴ずつ失われていくことが見てとれる。

 

「ライダー、……めん、でも、俺には、ど……し、ても……」

 

 自らの血にむせかえりながら、謝罪をする彼をどうして責められようか。

 サクラを助けるためには、セイバーの排除は絶対に必要だ。それを分かっているからこそシロウは震える指先で取り落としたアゾット剣を拾おうとするが、数センチを掴み上げることすら叶わない。

 宝具の反動で体中の筋肉と血管が引き裂けるような痛みが走り、私の本能に動くなと警告を発している。その上、魔力のほとんどが抜けきって私の体は思うように動かない。

 

Scalp()

 

 白銀の刃がセイバーの胸を貫いた。

 

「――――詰めが甘いですよ。ちゃんと、止めは刺さないと」

 

 白と黒のフードを纏った人物が突如としてシロウの横に現れていた。

 そしてシロウが取り落としたアゾット剣。それを拾い上げ、もう一撃を加える。

 

läßt(レスト)――――!」

 

 炸裂したアゾット剣の魔力による止めはセイバーの霊核を打ち砕いたようだ。

 セイバーがもう二度と立ち上がることはない。洞窟の闇に溶けこむように消滅していった。

 

「すぐに治します。じっとして居て下さい」

 

 彼女は赤いハート型の宝石が埋め込まれたネックレスをシロウの手にあてた。

 胸の空洞が新たな血肉で満たされていく。高度な回復魔術、蘇生魔術に近い域の業だ。

 

「本当に助かった。ありがとう、凄い魔術師なんだな。だがアンタは一体誰なんだ?」

 

 普段通りに喋れるほどに回復したシロウが感謝を述べ、彼女の正体を尋ねる。

 フードの下に覗くのは白い仮面。声と豊満な体系から女性らしいということと、凛以上に実力がある魔術師ということしか判断できなかった。

 

「時計塔から極秘に派遣されたものです。遠坂凛に“大師父の指示”という言葉を伝えれば通じるはずです」

「同門ということですか」

「そうですね。それよりも早く行きなさい。待っている人が居るのでしょう。その前に、あなたはこれを飲み込んで。回復するはずです」

 

 そう言って私の口に入れられたのは大きなエメラルド。まるで凛のような事をする。再び魔力が体中に満ち足り、損傷した身体が修復されていく。だがこの魔力はまるで――――

 

「助力感謝します。私達はこの奥へ向かいますが、貴女はこれからどうするのですか?」

「……できれば付いて行ってあげたいけれども、残念ながらもうすぐ時間切れ。私に干渉できるのはここまでみたい。二人とも急いで。今ならきっと間に合うはずだから」

「そうですか。貴女が何者かは問いたいところですが、先を急ぎますので。シロウ、リンの加勢に向かいましょう」

「あぁ、そうだな。ありがとう助かった。礼はまた後で必ず!」

「頑張って、必ず皆で生きて帰って!」

「あぁ絶対に!!」

 

 シロウが暗闇の向こうへと走り出す。二人が待つ最奥部へと。

 私も一礼をすると後に続いた。

 

「わたしはあちらに帰ります―――――――さようなら、先輩」

 

 私達の足音と空洞内の風の音に紛れる中、僅かに聞こえた声。

 振り向けばそこには虚空に消え行く彼女(サクラ)の姿。

 仮面を外した彼女(サクラ)は、とても綺麗な笑顔だった。

 

 私はサクラを再び笑顔にしてみせる。シロウとリンの三人で。

 固く拳を握りしめ、シロウと共に未来(はる)へと向かった。

 

 

【挿絵表示】

 

 




最後までお付き合い頂きありがとうございました。


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改訂版あとがき【ネタバレあり】

拙作をここまで読んで頂きありがとうございました。
それぞれのその後や裏話・没ネタなどを置いておきます。




【その後】

遠坂家に戻り魔法使いを目指す道へ。

時計塔に移った後はケイネスの指導の下、ウェイバーと共に頭角を表していく。

晩年、遂に魔法へ到達。

生涯独身を貫いたのは愛する人が居たからとか、研究のため婚期を逃したとか噂は絶えない。

【裏話】

黒幕その1。

改訂版当初の予定からエンディングが随分変わりました。

エミヤを切り捨て鞘を利用し、計画通りに蟲を消滅させる大勝利ルート→

ウェイバー&切嗣&雁夜のセイバーオルタに負けて大人しくなるラスボスルート→

第二魔法によるHF正史への介入ルートへと移行。

分岐点は何よりも凛の犠牲、そしてメドゥーサ召喚、雁夜復活失敗の3つ。

特に凛に関しては後味悪かったですが、体の持ち主の桜の感傷にコピーの黒桜が影響され、救えなかったHFの士郎と凛に繋げるために必要でした。

多分一番ハッピーエンドです。

あとカレイドステッキによる魔法少女編はお蔵入りしました。

 

■■しろう

【その後】

育った町を離れたくないからと冬木に留まり、言峰神父の養子に。後に移り住んだ衛宮家と親交を深める。カレンと共に神父ルート。

【裏話】

巻き込まれ枠。

爺さん憑依は改訂版初期からの構想。捜索しても見つからないはず。綺礼、アーチャーとの絡みを書きたかったが、展開ペースの犠牲に。閑話を書くなら最優先でこの三人の絡みを書きたい。

 

エミヤ

【裏話】

苦労人その1。

エクスカリバーで聖杯破壊失敗。剣と共にアルトリア召喚の触媒になり、桜と涙で別れるシーンから改訂版の構想がスタート。未改訂版とは違うが消滅は確定の人でした。

HFの士郎の影響を受けることを、改訂版では重きを置いたつもりです。ほぼラストの闘いだけになったのが心残り。

改訂版だと各陣営でのクラスの認識が滅茶苦茶になって書く側も凄く困りました。

 

ケイネス(&ソラウ)

【その後】

間桐の知識を吸収し、更なる家の発展に貢献。

そして聖杯解体のMVP。

そのため一時期冬木に留まった模様。

時臣と親交を深めるが桜とは諸々の理由であまり仲は良くなかった。

一方ソラウとは姉妹のように仲が良いため頭を悩ませたらしい。

ウェイバーや桜の後見人となり時計塔最大勢力の一つを作る。

アルトリアの食費によって破産の危機があったとか。

【裏話】

苦労人その2。

桜が間桐潰しのその後を考え行動したため結果的に優遇枠へ。

ちょっと物分かりが良すぎたが、円滑に進めるための軸として作者的に助かりました。

 

ウェイバー

【その後】

エルメロイⅡ世にはならないが、同等の活躍をするほどに成長。

衛宮家やマッケンジー家との付き合いは深く、度々冬木を訪れた。桜とは同じゼミ出身とのことで口論しながら切磋琢磨する仲。初恋の人に良く似た嫁を迎え入れたとか。

【裏話】

主人公その1。ヒロインではない(重要)。

切嗣とともに聖杯を破壊する側にするつもりで当初から立ち回らせていました。未熟なりに足掻く、無力なままの士郎ポジでありながら対桜陣営筆頭。抑止力の影響というつもりでしたが、彼の幸運ステータスだけで充分でした。フラグブレイカー。

#20でのラストの引き金を引くシーンはアイリではなく間桐臓硯に向けてのもの。魔術の足止め程度にと撃った弾が当たってしまいました。別視点として用意する予定もありましたが、色々と視点がややこしいのでお蔵入りに。

 

切嗣

【その後】

桜たちのバックアップを受け、イリヤ奪還に成功する。家族と共に冬木で穏やかな日々を過ごした。

【裏話】

主人公その2。

後に宿った令呪は本来オルタの宝具の後押しのためか、ウェイバー復帰のため受け渡す予定でしたが予定変更。アーチャーフラグはミスリードのつもり。

家族を選ぶ、これを軸にしたまま貫けて良かったと作者は思っています。残りは後述のアイリで。

 

アイリ

【その後】

ウェイバーが尽力したこともあり、本来よりも延命することができた。イリヤの門出を見届けた後に永眠。笑顔の絶えない人生だったという。

【裏話】

まごうことなきヒロイン。

作者の魔の手を逃れ圧倒的な死亡フラグの数々を折り続けたキャラ。

キャスター&龍之介、臓顕、桜から逃れ続け、切嗣orウェイバーによる介錯ルート(大本命)も回避。

ウェイバーと切嗣視点での執筆が多かったため、作者の情が移ったのが原因。

ほぼ最後まで死亡する予定でしたが、どうしてもこの夫婦は幸せになって欲しかったのです。

 

間桐臓硯

【裏話】

黒幕その2。

ちょっとだけ綺麗になった。でもどうあがいても死ぬ。

しろうごと心臓を抉られるパターン(しろうは鞘で復活)、メドゥーサの結界に溶かされるパターン、そして今回のパターンを考えていました。

しろう少年乗っ取りは既定路線。

遠坂夫妻との公園でのキーワードから雁夜が気付くパターンが本来でしたが、雁夜退場により今回のまぐれ当たりパターンに。ある意味一番哀れかなと思います。ざまぁと言ってあげて下さい。

潜伏中はひたすら霊脈を弄ったり、諜報してました。

雁夜と桜の諜報網にも手の者が紛れこんでいたり。

セーフティーハウスの提供など実はこの人のサポートなしではやってられなかった。

 

メドゥーサ

【その後】

桜の強い意向により、貯蔵した莫大な魔力を糧に現界を続ける。

教会から令呪を桜がカツアゲしてきたり、どこぞの剣道少女が貧血になったり、時臣が破産しかけたり、共に苦労するケイネスに地脈からの新たな供給方法の開発を押し付けたり、(保護者たちが)相当苦労したらしい。

桜が魔法に至って以降、彼女の姿を見かけた者はいない。

【裏話】

作者が気がつけば勝手に桜が召喚していた件。

某ゲームでもあった魂封印コンボはどのエンドにも使えるなということもあり採用。

自己封印による桜vs.桜も想定していました。

ルート確定してからは彼女視点で締めようと考えていました。

 

時臣

【その後】

桜の言動や才覚に悩まされながらも、子が魔法に至り、親としての本願を遂げある意味一番勝ち組。

桜には冷たい態度を取られることがほとんどだったが、時折すごく甘えてきたとか。

また新たに子供を設けたらしい。

【裏話】

凛死亡あたりから死亡フラグが消えて行き、遂には人生の勝者に。

桜の願いによる都合で生き延びた人。

 

雁夜

【裏話】

本当はもっと重要な召喚系のシーンを用意していたけれども、死んだことである意味桜を真の意味で動かし、願いを明確にさせたのが皮肉。最初期のプロットではきちんと復活予定でした。でも彼の死は桜を動かす大きな力の一つになったので無駄ではなかったと思います。

 

アルトリア

【その後】

きちんと話を理解した彼女はケイネスにしばらく付き従いイギリスへ渡る。ブリテンの未来を見たからか、現代の料理に感化されたからか、現代での生活を続けることに決めた。彼女の維持のため、複数人でのパスの作成法や、効率の良い魔力運用など多くの研究が進んだらしい。

【裏話】

ラスボスにしたら桜たち詰むなぁと思った上で、しろう寄生案と組み合わさり今回の話に。

色々と報われない扱いの人でしたが、きちんと最後まで残ったことで楽しい人生を謳歌し報いれる様にと思った次第です。

 

ギルガメッシュ(綺礼)

【裏話】

台詞や行動、描写の再現に一番困った人。でも動いてくれないと困るので無理やり感がありました。

彼としろうの日常シーンが削られたり、切嗣とのタッグ案が没になったのは大体このせい。ごめんなさい。綺礼もほぼ同。

 

 

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他にもキャラは居ますが、特に言及するべきはこんな所でしょうか。

それでは作品全体について。

 

未改訂版が約三カ月、そして改訂版が二年半以上ということであわせてほぼ三年。とても長かったです。

諦めかけたこともありましたが完結まで辿り付けて良かったと思います。

 

別作品もあちこちで書き散らしていた私でしたが、これが初めて私が完結することのできた作品だったので凄く思い入れがあります。ですが未改訂版に関して思うところが非常にあったため、改訂版を書きはじめるに至り、こちらも完結まで辿りつくに至りました。

 

改訂版に関しては戦闘の少なさと、教会陣営周辺の書き足りなさを除けばほぼ後悔はないです。

 

ルート選択は非常に迷いましたがこれで良かったと思ってます。

作者の個人的な嗜好ですがステイナイトではHFが一番好きです。

どのルートも素敵ですがHFの士郎さんの姿は私の憧れでもあります。

だからこそ、このルートはHFでBADENDになってしまった士郎さんを救いたいがためのルートでもあります。

 

それから最後のライダーの一文にも乗せたようにこの最終話のサブタイトルは「春に帰る」ための「Come back」ということでした。

 

では最後に、ここまで拙作を読んで頂きありがとうございました。

皆さまの応援のおかげでここまで辿りつきました。

当作品の外伝や新たな作品を書くことが今後あれば、またそのときは宜しくお願い致します。

 




追記:僕のヒーローアカデミア二次小説「英雄の境界」という新作を連載中です。
   敵の娘が英雄になるために偏見などと戦いながら飯田くんと歩むお話。
   もしよかったら是非御覧ください。


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