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懊悩を斬る
帝国西方、カンチュウ。峻険な山々と絶壁。人が屈した代わりに危険種が群れているような天然の要塞である。
ここはその平らな土地を切り刻み、凹ませたような地形であるが故に外部からの情報を受け難かった。
そして、外部からの情報を受け取り難いということは即ち内部情報がバレにくいということでもある。
故にこのカンチュウは、隣接する西の異民族からの亡命者を受け容れることで貧しいながら多彩な発展を遂げていた。
だがしかし、亡命者である異民族やそのハーフは迫害を受けやすい。
身体的に特徴であるところの赤系列の髪によってその特定も容易い為に、彼等彼女等は陰湿な虐めにあうことが多かった。
特に、無邪気な残酷さを持つ幼少期には。
ここカンチュウは、西の異民族からの防衛線でもある。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったもので、ハーフや亡命者夫婦の子は積極的とすら形容できる虐めにあっていた。
その地にある城郭都市のとある総合学校の一棟、兵士養成科。最前線に位置するこの邑を守り、或いは西の異民族討伐の為に動員され、また或いはその功績によっては帝都に栄転することになる。
この学校では三年制の補給科や四年制の秘書科、五年制の機巧学科などが複合された狭い邑内の事情を配慮した学校。それがこの総合学校だった。
西の異民族の主力は、騎兵。騎兵は断崖を登れない為、対西の異民族の最前線となっている都市は基本的に城郭都市に―――所謂邑になっており、塔の如き断崖の上に城郭都市が建っている形になっている関係で、自然と邑の面積が狭いのである。
「おいハク、この後どうすんだ?」
「……そうだな」
この総合学校の八年制の兵士科、その最終学年であるところのこの優男は、同学年の兵士科の学徒と話していた。
彼等兵士科は八年目に戦場に立つことになる。
彼も学友もその洗礼を受けていた。その上で『この後どうすんだ』とくれば問わんとすることは一つしかない。
これからの進路をどうするのか、ということだった。
「兵士になる。配属願いも出したからな。今更悩むこともない」
「……そっか」
その返事にはある意味での尊敬の念や、一歩退いたような感情が篭っている。
今まで剣や鉄砲や槍などの鍛練を積んでいたとは言え、彼等は人を殺すのは先の実戦が初めて。
故に修羅の鉄火場である地獄のような戦場の空気、潮の如く押し寄せる騎馬とそれに乗った鋼鉄の鎧を纏った騎士の暴威に射竦められてしまった者が多かったのだ。
「俺達は警備隊に行く。もう人は殺さない」
「そうか」
すこし詫びる様に頭を下げながら去っていく友人を視線だけで見送り、ハクと呼ばれた優男は近くのベンチに腰を下ろす。
残虐非道なる太守が何者かに殺され、地下にあった帝具が盗まれた。そう聞いたのが一年前。
そして。
「せーんぱいっ」
「来たな、指名手配犯」
この橙の髪を持つ、切っても切れない腐れ縁で結ばれた少女に絡まれたのが、三ヶ月前。最前線からの帰還直後だった。
異民族とのハーフである彼女が虐められているところを助け、色々世話を焼いていたり焼かれたりした挙句、この総合学校で先輩後輩の間柄になって五年。
彼が後二年の教育課程を残している時点で彼女はその成績の優秀さで太守仕えのメイドとなり、何だかんだで一年と保たず、太守殺しの犯罪者。
このすぐさま切るべきであろう腐れ縁としか形容し難いこの縁を、ハクは何だかんだ言いつつ大事にしている。
天涯孤独の身であり、他に縁といえる縁がないのもその一因かもしれなかった。
「それはヒドイ言い草じゃないかな?」
「そうか」
特徴的な髪の色だけをそのままに、外見を適当な物へと変えた彼女は、チェルシー。公式な綴りはChelsea。
帝具窃盗罪と太守殺害による、正真正銘の指名手配犯である。
「配属先、見たよ。ナジェンダ将軍のとこなんでしょ?」
「どこで見たか、と言うのは愚問か」
彼女の盗んだ帝具は、『変身自在』ガイアファンデーション。人にも動物にも化けられるという、正に隠密行動に特化した帝具だった。
無論、手に入れたばかりの彼女がそう完璧に使いこなせるわけではない。本来物質や動物など様々なものに返信することのできる帝具を使っても、精々人に変身するのが限界である。
しかしそんな低練度でも、その真に凶悪な性能に変わりはない。機密を知る人間を観察し、その類まれなる演技力でなりすませば彼女は知ろうとすれば大抵のことは暴くことが出来た。
ハクが聞くだけ無駄と判断した理由は、ここにある。どうせ教官の一人に変身して資料を覗いたか、それと類似する理由であることは間違いがなかった。
「私も着いて行っていい?」
チェルシーは意図的に傍から見ればカップルの片割れがその片割れについていくような会話でしかないように誘導しているが、実際のところは逃亡と護衛の依頼である。
無論彼女に一切の私情がないとは言えないし、合理性でしか動いていないわけではない。
だが、表面から見た今の関係を表せば先輩と後輩、真実から見れば指名手配犯とその逃亡扶助者である。
「守ってやるという言葉に二言はない。お前がどうなろうが、可能な限りは守り抜こう」
「つまり?」
「来たいなら来い」
所詮チェルシーは地方の指名手配犯しかないから、帝都にまで手配書が回っていない。
この初陣で西の異民族の二十の氏族のうちの一人を討ち取る程度には腕の立つ彼を連れて行けば、そこらのチンピラやら何やらに絡まれて死ぬということもないと言ってよかった。
実際見たわけではないから強さの程に関しては疑問符が残るが、実績で判断するならば敵に回した時の危険度『上・中・下』の内の上には確実に入るだろう。
チェルシーは虐められていたからか、或いは重度のビビリだからか、天然ものの力量センサーを持っていた。
そしてそれは、案外正確である。
「今更だけどさ。指名手配犯を庇ってていいの?」
「お前が太守を殺して以来、治安が改善されていることも確かだからな。秩序においては罪でしかないが、厳密に言うなれば罪なのか、どうか」
その答えが出るまでは、彼に動く気はなかった。
例えば自らが警備隊ならば、チェルシーを突き出すべきだろう。犯罪者を捕まえることが職務なのだから、そこに私情は挟めない。
だが彼は軍人であり、上官の命令を粛々と実行することこそが義務であった。屁理屈に近いが、彼は犯罪者を捕まえることを命じられていないのである。
軍人がいる意義は、力無き民を守る為。太守が積極的にその『力無き民』を狩りと称して殺し続けていたのだから、これはどうなのか。
つまり、千の民の害を一を殺すことで取り除いたのは、罪か。
倫理的に言えば、人を殺すのは罪である。が、その者を生かすことで千万の民が苦しむのならば、どうか。
それは殺していいとは言えないまでも、殺すことで何かが救われるのではないか。
良いこと、褒められるべきこと、正義ではないにせよ、それは責られるべきなのか。
己の死滅していく心を一片の義侠心で打破しようとしたチェルシーのとった行動は、彼に強烈な疑問を投げかけていた。
「どう思う」
「チェルシーさんは自分が正しいとも思わないし、悪いとも思わないよ。まあ、報いは受けることになるかもしんないけどさ」
僅かに達観したような、冷めた空気が彼女に纏う。
「やっぱり、誰かがやらなきゃいけなかったんだよ」
正規の手段を踏んでも、駄目だった。正規の手段で民の苦難を排除すべき中枢までが腐り切っているこの国では、多額の賄賂を中枢に納めていた太守をたかが民の苦難を除く為に排除すべき対象だとは定めない。
寧ろ、その手段に訴えでた勇気ある弾劾者が罰せられる。この国はそこまで腐っていた。
「お前はブレないな」
「いやまあ、ブレてる余裕なんかないしねぇ……」
彼女から言わせれば、ブレることのできる人間は物理的な強者である。弱者であればブレた瞬間に屠られ、そのブレを自覚する前に命の火が消された。
ブレを自覚するまでには時間がいるし、考える為の余裕がいる。
流れていく時に従わず、無理矢理自分の内で停滞させているようなことは、彼女には出来なかった。
「ハクさんは、悩んでいいと思うよ。そう言うキャラしてるし」
「そうかな」
ふざけているときの先輩呼ばわりではなく、キチンと名前プラス敬称で呼んでいるところに、チェルシーの真心が伺える。
つまるところ、彼女はお人好しだった。
誰もが誰かがやらなきゃならないことを恐れてできないならば、自分が黙ってやってやろう、という。
「私には二つの道がある」
「うん」
つまり、悪となって民を救うか。正義として民を救うか。
前者を取れば、いずれ裁かれる。後者を取れば、裁かれることはまずないだろう。救える民の数とそこに至るまでの時間を考えれば圧倒的に前者が勝っていた。
「どちらになるかを考えるのは止めない。が、取り敢えず今を精一杯生きようと思う」
「それでいいんじゃない?」
まずは腐敗の根源である帝都を見てからだろう。
ハクはそう考え、チェルシーの肯定に対して頷いた。
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義務を斬る
紺鬼様、いつもいつも評価・感想いただき嬉しいです!
帝国のかなり南に、山賊の住み着いたファームと言う山がある。
この山賊は役所を襲撃し、役人や太守を殺して去っていくというかなり腕の立つ部類に入る賊であった。
ここに居る山賊を討伐する為にナジェンダ率いる帝国軍は一万の兵を以ってやってきた、はずだったのだが。
「皆、よく聞き、よく考えて答えて欲しい」
彼等一万の将であるナジェンダは、一度も高揚に将としての面貌を崩したことのない彼女としては珍しく、たかが山賊を相手にする前であろう今、その顔に高揚を浮かべていた。
そして、両隣に立っている副官にも覚悟と高揚が見て取れる。
(解せんな)
その槍働きで一万の内に百しか居ない親衛隊の一員になるまでに出世したハクは少し片眉を顰めて訝しんだ。
その卓犖とした武技で以って何度か敵の将の首を挙げたハクは、ナジェンダに何回か拝謁している。
これは何時如何なる時も冷静な仮面を被っていた彼女らしからぬと、彼は一人思っていた。
従卒に化けているチェルシーのニヤニヤっぷりを横目に、ハクは不景気な顔に似合わぬ整然とした姿勢で直立不動に立つ。
ともあれ主将が眼前に現れた以上、規律に則って行動せねばならないことは軍隊の基本であった。
「諸君。真に討つべき敵は、ここにあると思うか」
怜悧に見える口調ながらも口吻に激情を漲らせ、ナジェンダ将軍は語り掛ける。
(思います?)
主将の演説中に隣で口を開いた従卒の足を軽く踏みながら、ハクはチェルシーに問われた事柄に頭を回した。
正直、唐突に真の敵はどこにあるかと聞かれても答えに困る。これが民の安寧を目指す為に行われる討伐であったならば、真に討つべき敵は帝都に在り、役人に安寧をもたらす為の討伐ならば革命軍という組織そのものを踏み潰すべきであろう。
ナジェンダ将軍は、帝国でもかなりの良識派。その彼女が腐敗役人を庇護する為に兵を率いているとは考え難いから、この場合は前者に答えを誘導させたいのだろう。
(因みにですね。襲われた役人は腐敗役人って奴だってこと。これを広めたのはチェルシーさんで―――ぉう!?)
軍隊という組織を舐めきっているとしか思えない私語に対し、ハクはまたもや足を踏むことでこれに答えた。
つまり、黙れということである。
「真に討つべき敵は!悪政で皆を苦しめる佞臣達だ!」
ナジェンダ将軍の紡いだ、続きの一言。これに対する共感を深める為に暗躍していたのがチェルシーならば、彼女はナジェンダ将軍の意向をとうに看破していたことになった。
つまるところ、彼女は感じたのだろう。どことなく香る同族の匂いを。
「私はこれより革命軍に身を投じ、新しい国を作る。
民が安らかに暮らせる国を!」
チェルシーは本来、なんの影響も受けなかったならばこちらよりの思想である。
内からチンタラ治すより、破壊し切って新調する、といったような。
尤も、オネストという保身の怪物がいる現在の帝国では内から変えることはほとんど不可能に近い。変革を望む大多数が、後者の方法を取ることは容易く想像できた。
「激しい戦いになる。残してきた家族が気になる者も多いだろう!
強制はしない!
去る者も追わない!」
激しい戦いになることを告げ、兵士の身を慮っていることを告げ、強制せず、去就すらも自由であることを、ナジェンダ将軍は明朗に告げた。
それは流石に演説なれした将軍らしい弁論だと言えたし、巧みな意志高揚と燻っていた母国への不満を再燃させるような巧緻な魔力を持っている。
誰しも、不満はあるのだ。というか、帝国が圧政を敷いている以上は無い筈がない。
誰もが圧し殺し、奥深くに仕舞って見てみぬふりをしていただけ。何も自分がやることはない、自分にはどうすることもできない、と。言い訳に言い訳を塗り重ねて避けてきただけ。
その無念を掘り出され、逃げてきた自分を無理はないのだと肯定され。
「だがそれでも私についてきてくれる者がいたら―――力を、貸してほしい!」
そして、改めて協力を求められたならば。
それに返ってくるのは莫大な喝采と歓呼の叫びしか有り得なかった。
不満の燻りと人の持つ正義感を擽り、呼び覚ますような演説が功を奏し、実に全兵員の九割七分が元将軍となったナジェンダに賛同。帝国ではなく彼女本人に忠誠を誓うことになる。
この後、ナジェンダは実は山賊どころか革命軍の別働隊であったファーム山の一軍と合流。ナジェンダ軍は正式にファームへ入山し、暫しの休息の後に手狭になったファーム山から駒を進め、更に革命軍本隊へと合流しようとした。
が、この暫しの休息が命取りになろうとは、この時は誰も知らなかった。
「ハクさーん」
「何だ」
チェルシーは用意し終えた寝具に包まりながら、特徴的な伸ばすような発音で一応主人であるハクを呼ぶ。
彼は生真面目且つ几帳面なところがあり、それは親衛隊であろうとも兵である彼に支給された支給品である銃と剣に対しても発揮されていた。
彼は、どんなに疲れていようが武具の手入れを怠らないのである。
「チェルシーさん、偶にはそっちと代わろうか?」
チェルシーは、寝袋のような携帯用の寝具をピラリとはだけさせ、表情に僅かな罪悪感を見せた。
従軍して以来、彼は支給品である寝袋をチェルシーに使わせ、自らは大地に臥して寝ている。
その何気ない気遣いは嬉しいことには嬉しいが、やはり人の善意を利用してまで贅沢を出来るほど面の皮が厚くはないチェルシーにとっては平気な顔をしていられることではなかった。
「いや」
鏡のようになるまで武具の類を磨き上げ、ハクは刀身を鞘に収めて枕代わりの布の側に置き、銃を剣の隣に置く。
お休みとも何も言わず、ハクは身の丈程もある長剣を収めた鞘を一撫でして眠りについた。
彼が持っている帝国兵の一般武装には、帝具という始皇帝の御世に造られた四十八の超兵器に利用された技術が使用されている。
四十八の超兵器には滅んだ国の技術や失われた秘術などが惜しげもなく使われており、更には素材もこの世の生態系の頂点に君臨する超級危険種の生態部品を使っていた。
現在では到底再現が不可能なロストテクノロジー、オーパーツのたぐいであると言っても良いだろう。
その技術で実現可能な物を低コストで普及させたのが、今上帝から百年前。数百年前の大規模な内乱によって失われた帝具を補填する為、『戦いは数』という思想を体現したような政策だった。
故に帝国兵は強い。精鋭を揃えることこそ強国の道だとか何だかんだと言っても性能の良い武器を揃え、そこそこの練度を持った兵が使うことが一番手っ取り早いのである。
現に、帝都直属であり地方軍よりも性能が優越した兵器を持つナジェンダ軍は勝っていた。
二個の帝具に、研ぎ澄まされた練度と高い士気。これこそが手狭になったファーム山から革命軍本隊に合流せんとするナジェンダらを止めることのできない要因であろう。
だからこそ、ハクは訝しんだ。
「ハクさん、ちょっとの間だけ逃げません?」
従卒に扮した、この障子紙以下の耐久力しか持たない女の発言を。
「何故だ」
これはお前も望んでいたことだろう、と。
ナジェンダに気づかれない程度にはその叛旗を翻すための下準備を更に盤石なものへと備えてやっていたチェルシーらしからぬ翻意の理由を問い質す。
どうにも彼女はナジェンダ軍に敵軍が近づく一時間前になるときまってビクリと肩を震わせ、チラッと一時間後に敵が姿を見せる方角に目をやる傾向にあった。
本人は気づいていないのかもしれないが、今までは基本的にビビリ、その後にチラッと見た後は余裕ぶっこいていたのである。
つまり常識に沿って考えれば、彼女はこれまでにない脅威を感じ取った、ということになる。
「ヤバイのが来る、気がする」
「ほう」
「ハクさんが中の上くらいの実力だとしたら、上の下が二人と上の中が一人。後、上の上もきてる」
帝具を持っているナジェンダが上の中。同じく帝具持ちである彼女の仮面の副官が中の上だから、その迫りくる敵は十中八九帝具持ちであることに間違いはなかった。
「再起を謀ろうよ、ハクさん。確かにハクさんは強いかも知んないけど、帝具なしじゃあどうにもなんないよ」
「まあ、お前の見立ては外れんからな」
このまま動かなければ、彼等を含む一万数千人の状態は重傷を負って尚傷を治そうともしないそれに等しい。
流石にこれには、人類屈指の強心臓の持ち主であるハクも僅かに焦るほどに考え込まされた。
「皆で逃げるというのは、どうだ」
「追いつかれるに決まってんじゃん。相手は騎兵集団なんだよ?」
こちらは親衛隊であるハクすら徒歩であることからわかる通り、馬という生物の普及率が極めて悪い。精々馬術を心得ているのは親衛隊の隊長を含む幹部連中だけなのではあるまいか。
「抗戦しても勝ち目はないのか?」
「ない。絶対無い。だからほら、逃げましょうって言ってるんですよ。チェルシーさんは」
彼女は明らかに声色が乱れ、目には生死の懸かっていることを強調するかのような必死の思いがある。
彼女にとって他人などはどうでもいい。唯一繋がりを持つ目の前の一般兵の命こそが彼女の中では何よりも重かった。
常識的な判断である。皆、命に価値の差などはないと言う。しかし、個人から見ればそれはあるのだ。
自分の命プラス大事な命と、その他大勢。天秤にかけるまでもなく結論の出ることである。
だが、ハクは常識的なそれとは異なる結論を出した。
「結論から言うならば、それはできない。逃げるならば止めはせんが、私は義務を果たさねばならない」
「義務?」
「兵士の義務だ」
それきり彼は、彼女に対してひたすら黙る。
余計な理由を話せば、変なところで義理堅い彼女がどう動くか。それが彼にはわからなかった。
だが、ハクがなんの行動も取らなかったわけではない。
副官の中でも一番の下っ端であり、親しみやすい性格をしていると噂の一将校に包み隠さずこれから来るであろう危険を述べ、対策を求めたりなど様々なことをした。
当然ながら一兵の戯言に近い忠告―――というより予言―――は身を結ばなかったが、何もやらないよりは遥かにマシだろう。
彼はごくごく当たり前の反応であるところの冷ややかな眼で見つめられながら、一人ごちた。
その間、チェルシーは文句と愚痴を散々溢しながらもついてきている。
死ぬとわかり、それまでの時間が迫りくるという恐怖に怯えながらも何だかんだでふらふらついてきてしまうところに、彼女の独りでは居られないような弱さがあった。
「チェルシー、分かれ道だぞ」
「…………私を守るって言ったくせに」
「だから勧めているのだろうが」
口には出さないが、いざとなれば彼は自身の命を的にしてでも彼女を逃がす覚悟は決めている。
命を投げ出す程の覚悟をさっさとしてしまったが為に、この男は見ててムカつくほどの精神的不動さを持っていた。
「あと二分だからもう無理だよ……」
「そうか」
なら自分の命は、速くて三分。遅くて三十分といったところだろう。
ハクは極めて怜悧に己の命数を数え終えた。
そして、二分後。
氷の魔神がやってくる。
感想・評価いただけると幸いです。
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雌雄を斬る
そしていつも感想書いていただきありがとうごさいます!
seiya1214様、評価いただき光栄であります!
結論から言えば、チェルシーの予測は外れなかった。キッカリ二分後に、それは来た。
今まで僅かに笑語を交わしながら進んでいた兵たちはあまりの威圧感に頭を上げて崖上に目をやり、そこそこの実力の持ち主である将校達は格の違う暴威に恐れ慄く。
強烈な威圧感が氷の魔神と称されるに相応しいと思わせる帝国最強の将軍と、その将軍が抱える三人の帝具持ちを主戦力にした僅か百程の騎兵がナジェンダ軍の進軍方向前方の崖上に現れた。
「エスデスが来るとは……どういう進軍速度をしているんだ!?」
ナジェンダはこれを予期していなかったわけではなかったのである。だが、距離という物理的な障壁に安堵し、有り得ないという幻想を抱いていたことは否定することは出来なかった。
つまり、無意識の内に彼女と相対すると同義である死を否定していたと言っても良い。
「なるほど、御馳走だな」
帝具使いが二人、盗まれた帝具一つに、万を越す兵。自分を満たすに足りる者がいることを僅かに期待し、防寒用らしき白いコートを羽織ったエスデスは獰猛な肉食獣を思わせる笑みを浮かべる。
「どういたしますか、エスデス様」
「お前たちは突っ込め。私は―――」
恭しく一礼しながら決断を求める副官・リヴァの問いに、エスデスはその鋭い切れ長の眼をチラリと左右に動かした。
鍛えに鍛えた精鋭が苦戦する相手に出会えるならばそちらにかかるも良し。だが、ナジェンダが連れている直属の兵に才気有る者を無役の一兵卒で残しておくとも思えない。
見定める暇もないである補充で入った新兵百人の中に強者がいる可能性も否定できないが、戦闘経験の不足している者を嬲ってもつまらないだろう。
恐怖と驚愕に引き攣ったナジェンダに獲物を定めたような鋭い視線を向け、エスデスは手早く決断した。
「そうだな。私は帝具戦といこう」
「ハッ」
謹直に返事を返したリヴァの指揮の元、騎兵百騎が武装を仕舞って手綱を握る。
崖を一気に駆け下るなど、北方の兵にとっては児技に等しい。
雪崩打つように突撃していく兵を片目に捉え、エスデスは悠々と指を鳴らした。
「小手調べだ」
彼女の周りに氷の刃が浮上し、銃弾程度の素早さで射出される。
狙いは、ナジェンダ軍の帝具持ちの内の一人。三人居る副官の内の一人だった。
「誤算ではありますが、敵は百に満たぬ少数。私とナジェンダさんの帝具があれば―――」
狙われた副官が己の帝具である仮面に手を掛けた瞬間、その戯けた台詞を断ち切るように氷刃が喉笛から上と下を切り離す。
横に居た副官だった物の断面から見える赤い肉の断面と、白い骨。戦場特有の赤茶け、錆びた鉄の匂い。
その全てが、彼女の動揺を覚まさせた。
「パンプキン!」
手に持つ帝具『浪漫砲台』パンプキンに副官を喪った激情を籠め、ナジェンダはそれを銃弾として撃ち出す。
十、二十、三十。明らかに戦いを愉しんでいる氷の将の口元に三日月の如き笑みが浮かび、彼女が奮戦する度に段々と弾幕が濃密さを増していた。
ナジェンダの帝具は銃型。適当に照準をつけて適当なところに氷を精製。それを飛ばせば致命傷を与えることのできるエスデスの大雑把且つ効果的な攻勢とは違い、彼女にはいちいち照準を付ける必要がある。
この場合、狙撃の腕などは関係ない。ただ速く、集中力のあるものが勝利を掴むことになる。
ナジェンダが一発迎撃する度に、エスデスは二発を撃ち出した。
しかもこれまた巧妙なことに、一発の裏に隠れるように次弾を仕込んでいる影弾のようなものまで作って、エスデスは圧倒的な速さと物量で攻めていたのである。
パンプキンのエネルギー弾で氷を撃てば、煙が上がる。上がった煙から次弾が来るものと来ないものがあり、帝具を使うための力の容量でエスデスに劣るナジェンダには皆一様に二発連射して防ぐ程の余裕がない。
余裕のなさが更なり余裕のなさを呼び、遂にエスデスの氷弾がナジェンダに突き刺さった。
「がっ……」
反射的に、と言うべきだろう。
ナジェンダは反射的にパンプキン持っていない方の手で貫かれ、失われた片目を抑えた。
そして彼女は、崖上から目を離す。
「帝国を裏切るとは……残念だよ、ナジェンダ」
馬など使わず、崖上から飛び降りて着地したエスデスが、彼女の後ろに立っていた。
「楽には死なさん。じわじわと、砕いてやる」
脱ぎ捨てたコートはどこへやら。ドス黒いオーラを漂わせながら、エスデスはナジェンダへと歩み寄る。
一歩一歩踏みしめるようなその遅々とした足取りには、確たる自信と強者のゆとり。鋭い眼差しには失望と無情さが伺えた。
「将軍!」
残り二人の副官の内の一人が駆け出し、もう一人が背後にある保管鞄の中をまさぐる。
そこには彼女の帝具と性能を伍するであろう、とある帝具が入っていた。
「くだらん」
鎧袖一触より、尚軽い。服の裾に触れさえせずに凍らされた同僚の姿を見て、残された最後の副官は手に持つ環状をした帝具を握り締める。
使えば死ぬ。過去に、これを付けて死ななかった使い手はいない。だが、自分ならば出来ると信じなければ付けようなどと思えるはずがない。
「うぉぉ!」
自らを奮い起たせるような雄叫びと共に、副官はその帝具を自らの腕に打ち付けた。
打ち付けられた部位が凹み、半円形となって腕に触れた帝具が片方しかない手錠如く片腕を縛る。
「ほぉ……」
取り敢えず凍らせた副官を氷ごと蹴り砕いていたエスデスは、ナジェンダの方向へと進める歩みを止めて振り返った。
明らかな、力。強者との戦いを望む彼女が、これを無視するは道理はない。
それにあの副官が使ったのは、帝具。使用不可に近く、使おうとする者がいないとは言え、一応帝具は帝具である。
所有者は速やかに殺し、奪還せねばならないという建て前をつくり、エスデスは未知の帝具へと興味を移した。
常識的に考えて狙撃を得手とする銃型帝具から全力で眼を逸らして余裕ぶっこいていていいのかどうかは別として、彼女にはぶっこけるだけの力がある。
彼女から言わせれば、気づいたならば対処することが可能だった。そして彼女は一秒経たずに気づく。
「お前、死にたいのか」
「死ぬと決まったわけではない……」
腕の環から出た光に包まれ、生成された黄金の鎧。
それはまるで命の最期の光を燃やし尽くすかのように、副官の纏う鎧はきらびやかに光っていた。
「なるほど、それもそうだな」
僅かに霜のおりた地面をハイヒールでザクザクと鳴らしつつ踏みしめ、エスデスは無意識の威圧感を纏いながら前進した。
敵の格を確かめるには、ただ歩くだけでいい。この威圧に負けるならばそれまでの敵だったということだろう。
「ッォォォオ!」
副官の使用した帝具は、『玄天霊衣』クンダーラ。地方言語で『環』の意味を持つ光を織る帝具である。
この帝具の特徴は何か、と問われれば適合せずとも使うことができることだった。即ち、誰でも使えるのだ。
しかし、適合しないと使った後に太陽の如き光に灼かれて灰になることから『呪具』、或いは『呪いの帝具』と呼ばれている。
つまり、歴史的にこの帝具を使った後には逃れ得ぬ死が確定していた。
「ふん……」
その逃れ得ぬ死を前にしながら、威圧感程度に屈した敵の格の低さに失望しながら、エスデスは繰り出された一撃を悠々捌く。
殴るというより、押していると言ったほうが正確に表しているようなめちゃくちゃな戦い方などを、彼女は見に来たわけではない。
「そら」
気のない気合がエスデスの口から漏れ、真っ直ぐ自分に向けて突き出された拳を掴んだ。
徒手格闘が無理ならば、帝具の帝具たる所以、その超性能で愉しませろ。
そう言わんばかりの侮蔑の視線をやり、彼女は副官に掴まれたことすら感じさせずに一瞬で後方の大地へ放り投げた。
放り投げた方向には、ナジェンダが居る。
――――突破されたら、ナジェンダが死ぬぞ。
非常に丁寧なことに、エスデスは副官がその全力以上の力を出せるように場を整えてやっていた。
彼女自身には全く理解できないが、この世の中には守る者を背にすることで強くなる人種もいるらしいということは知識として知っている。
この男もその型ではないかと、エスデスはそう思っていた。
「ほら、跳ね返してみろ」
やる気を感じさせない様で腕が振られ、空気中に冷気が満ちる。
ナジェンダの片目を貫いた氷刃の束が、振られた腕の側にあった。
「がぁぁぁあ!」
剣も、槍も出さない。出し方を知らないのか、出す暇もないのか。或いは出す気がないのか。
腕と手甲、或いは身体で氷刃を受けるその姿は、到底彼女が求める強者のものではない。
エスデスはその手で振り払う無様な姿を見るにつれて、高揚した興味が冷めていくのを感じていた。
氷刃に貫かれない鎧は、ただ硬いだけだろう。
彼女はそう、判断した。
そして。
「つまらん。死ね」
氷刃の射出を、止める。
一瞬で肉迫した彼女が薙ぐように払った脚が、流星の如く副官の硬質な鎧に包まれた腹に突き刺さった。
戦う力を失えば、適合しない限りは灰になる。
この副官も、その例には漏れなかった。
道に植えられた木を圧し折りながら大地に倒れ伏した彼の手に嵌まった腕輪から電線がショートするような光が迸り、その身体を身に着けていた服ごと灰色の砂粒に変える。
ナジェンダの側で消え去ったとはいえ、屍すら残らないあまりにも哀れな最期だった。
「ッ……!」
最早興味すら示すことなく、かなり離れたナジェンダの元へと一路彼女は歩を進める。
灰に埋もれた金に彩られた銀の環は現在、緑髪の少年の手にあった。
(俺が戦わなきゃ、ナジェンダさんが死ぬ)
ラバックというこの少年は、ナジェンダに恋心を抱いていたのである。
好きな人を守り、死ぬ。それならば自らの一生に悔いはないと、彼はそう覚悟してこの無残な灰の墓標に来た。
だが、彼はまだ幼かった。命をかけて戦ってきたとは言え、圧倒的な強者と相対してきたわけではない。
彼の帝具を掴む手は、震えている。
薄っすらかかった灰が生々しく、次の瞬間には自分もこうなるだろうという予想が、彼を恐怖に陥らせていた。
「代わろう」
何も見えなくなるような恐怖に陥っていたラバックに、ぶっきらぼうな言い方ながら温かみのある声が届く。
それに気づいて顔を上げた時には、彼の手の内に帝具はなかった。
「少年。氷のは私が止める。その隙に将軍を連れて南へ行け」
「……何で、南なんだ」
「革命軍本隊が来ているらしいからな。頼んだぞ」
恐怖など微塵も感じさせずにナジェンダの方へと向かう背中を呆然と見つめ、ラバックは己の震える膝を殴る。
自分より遥かに強い副官三人が秒殺と言っていいほどの時間で殺されたことによる恐怖。
比べるのもおこがましいナジェンダが負けた恐怖。
その恐怖に負けた自分が、彼は死ぬほど憎かった。
「ナジェンダ、終わりだ」
片目を失った挙句に落馬し、銃を辛くも構えながら立ち尽くすナジェンダに、エスデスはあくまでも悠々と終わりを告げる。
彼女の伸ばした手が身体に触れれば、それで終わり。そんなことはナジェンダにはわかっていた。
手始めとでも言うような余裕っぷりで帝具をやすやすと蹴り飛ばされ、死を伝える掌が伸びる。
失血で朦朧とする意識でも、自分が死へと向かうカウントダウンは認識できた。
三秒。後三秒で、ゆっくりと伸ばされる手がナジェンダに触れ、その身体を凍りつかせるだろう。
「……何?」
手に環を持ったその男は、唐突にエスデスの視界に入ってきた。
彼女の鋭敏な知覚を騙しはぐらかし、目の前の幽鬼のような男は目の前にいる。
そうわかったエスデスの脳髄に、喜悦が走った。
――――こいつは、強い。今まで戦った誰よりも。
「逃げ、ろ。お前たちを煽動した私は、庇われるだけの理由がない」
エスデスの獣じみた感覚に寄る喜悦を他所に、ナジェンダは目の前の無謀な男にそう促す。
彼女は自分の副官の死を、見た。一人の兵の覚悟と恐怖を、見た。
もう庇われるのは嫌だった。
「理由ならばあります」
「……な、に?」
掴んだ死をもたらす掌を持つ手首を横に振り払い、その一兵卒は自らの手首に帝具をつける。
その声色に怯えはなく、その佇まいに恐怖はなく。
その男は、黄金の光に包まれながら言い切った。
「兵には、将を守る義務がある。それに、私一人で残り一万が救われるのならば、安い物です」
黄金の戦士と、白銀の女王。
宿命の二人が、相対した。
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強者を斬る
1000様、すき焼き様には十評価まで……ほんっと、感謝です!
蒼銀の女と、黄金の男。
宿命に縛られたこの二人は、崖の続く切り立った街道で暫しの間無言のままに向かい合っていた。
その二人を中心とした僅かな半径もまた、戦場の喧騒が嘘のような静謐さを保っている。
(強い)
(中々に、やる)
ハクは身体から滲み出る雰囲気とこれまでの圧倒的な技量から、エスデスは自らの知覚を突破してきたという実績と余命がそれほど無いにも関わらず泰然とした佇まいにそれぞれの強者たる所以を掴んでいた。
(どう守るか)
ハクは、この帝具の機能が薄っすらと解る。伝わってきた、と言ってもよい。このまま時間を稼げば多少なりとも『練度』という差を埋められるだろう。
自然、彼は退嬰的に。
(どの手でいくか)
エスデスは、その身の内を期待が満たしていた。
弱者を蹂躙するのは、あくまでも強者との戦いのツマミに過ぎない。一刻も早く刃を交えたいが、かと言って不用意な手を打つことは危険である。
(危険、だと?)
どんな相手にも余裕とゆとりを持って勝ち続けてきた強者である己が、勘で危険を悟った。
それは即ち、この敵がこの上ない極上の敵だからではないのか。
危険種と命のやり取りをしながら生きてきたエスデスの勘は、未来予知の如く鋭敏である。
彼女はこれを信じ、また利用した。
不用意ともとれる不用心さで、彼女は目の前の男に向けて払われた拳を突き出す。
ただ殴るようにして突き出しただけ。故に速く、単純にそれは避けるのが困難な一撃だった。
片目でその一撃を辛くも捉えたナジェンダは、確実に喰らうであろう目の前の男を援護すべく銃を構える。
「ナジェンダさん!」
「ラバック……何故来た?」
「そりゃ助ける為に決まってるじゃないですか!」
細い体格の割りには腕力のあるラバックが帝具ごとナジェンダの身体を持ち上げ、彼女の愛馬に乗せて鞭を振るった。
片目を失うというのは、かなりの重傷である。ちんたらこの場に留まっていては傷が化膿してどうなるかすらわからない。
何よりもラバックは、今絶望的な強敵と戦っている戦士から頼まれたのだ。
南へ行け、と。
「緑、こっち!」
従卒とは思えぬ言葉遣いと華麗な馬術で、橙と緋の間の子のような髪色をした女顔の美少年が馬を駆り、歩幅を一定に保ちながら誘導してくる。
他のナジェンダ軍の兵も各部隊長に率いられて撤退を開始し、残ったエスデス軍の百騎は主の決闘を見守るように周囲を囲んでいた。
勝とうが負けようが、自分の代わりに犠牲となった男の生存は難しい。
奥歯を噛み砕くような無力感と無念に苛まれ、ラバックはナジェンダの乗せた馬をとばす。
「急ぐと負担が大きいから、もう少し馬脚を緩めなさいな」
「わ、わかった」
怒りのあまり気絶しているナジェンダへの配慮を怠ったことを悔やみ、ラバックは徐々に速度を落とした。
向かう先は、合流地点。
そこには、革命軍本隊が居る。
後ろをちらりと振り返り、再び緋色の美少年は前を向く。
(約束守らなかったら殺すから)
必死に強がるような叫びを心中であげ、変身したチェルシーは馬を御する傍ら、袖で零れ落ちる涙を拭いた。
死のうが死ぬまいが、ハクの前途には不安しか見えていない。
そして死んでも殺される運命を背負った男はと言うと、彼は中々に善戦していた。
「ハァッ!」
シャッ、と。空を薙ぐように振るわれた左拳を屈んで避け、体勢を立て直した時を見計らって同じように繰り出された右拳を再び屈んで避け、曲げた膝を潰すよう為に放たれた蹴りを後ろに跳んでまた避ける。
馬の駆ける音が止むまでは、彼は攻撃に打って出るわけにはいかなかった。
それに、帝具のスペックを理解するためにも時間が必要だったのである。
「ちょこまかと……」
避け方一つでそれとわかる力量をやすやすと見せぬ苛立ちか、エスデスの振るった拳に甘さが出た。
いつもならばガードしか出来ない状態まで小技と体捌きで追い込んでから出すこの大振りを、彼女は見せられた隙に反応して反射的に殴ってしまったのである。
振るわれた拳の甲に掌が添えられ、勢いを利用して後ろに回られた。
そうわかった彼女は一撃喰らうことを覚悟して振り向き、激昂する。
「貴様……」
舐めているのか。
言い掛けた言葉を飲み込み、彼女は何の武器も手に持たず、何の攻撃動作も取らないハクを睨みつけた。
勝負に勝つには、攻撃が必要である。相手を殴り、蹴り、斬り、踏み潰すことで勝ち負けが決まる。
それなのにこの男は、全く隙を突こうとしなかった。
「やはりな」
怒りを含んだ一斬を悠々と見つめ、ハクは僅かな安堵を漏らす。
「やはりお前は、気が早い」
後方に回り、距離を取られた敵を斬るには当然距離を詰めることが必要だった。
そして距離を詰めるには、歩くか走るか跳ぶか。この何れかの手段を状況に応じて使い分けなければならない。
普段エスデスが余裕ぶっこいているようにチンタラ歩いているのには、急な反撃に対応できるようにとの目算もある。
だが、怒った―――とまではいかずとも頭に血が昇った彼女は走って距離を詰めた。
ハクはこれを、攻撃の起点とする。
距離を詰め、刃を振るったその瞬間、彼は一歩を踏み出した。
たかが一歩を踏み出すことで彼は空を切り、数秒もかからずにいずれは自分の頸動脈ごと首を斬るであろう刃が己に届くよりも速く、自分の攻撃範囲に敵を入れることに成功したのである。
シャン、と。鈴を鳴らしたような軽い音と共に、突き出した彼の手に剣が現れていた。
「何!?」
咄嗟の反応性で、エスデスは自分の串刺しにされようとしている下腹部に氷を纏わせる。
ただ手に剣を出しただけのこの行動は、彼女の優れた脚力がそのまま彼女に対する刃とするものだった。
金属と金属がぶつかるような凄まじい音が鳴り、エスデスは後方へとよろめいて下がる。
腹に掛かった衝撃は、彼女言えどもそう平然としていられるようなものではない。
そしてその隙を待っていた男が、目の前に居る。
「疾ッ!」
ごく普通な持ち方である順手で、彼は柄となり得る部分の幅が広い、変則的なレイピアの様な剣を構えていた。
エスデスは後方へ下がる前に、その剣の形を視認している。
故に避けるのは簡単であるように見えた。
(順手からの、逆手か……ッ!)
順手から繰り出された斬撃で打ち上げられ、持ち替えた逆手で地へと沈ませる。
単純に速さに特化した斬撃を氷の鎧を纏うことで致命傷を防ぎ、エスデスは帝具を攻撃に使用した。
ハクの立ち位置の四方から現れる、槍の如き氷柱。
『魔神顕現』デモンズエキス。無から氷を生成する帝具である。
これも彼の暫定帝具である『玄天霊衣』クンダーラと同じ重篤なデメリットを持つ帝具だった。
端的に言えば、使えば闘争本能を狂化という方が正しいレベルで強化される。つまり、使うと発狂するのだ。
このように、使った後に副作用があったり、不適合者が使えば死に至る帝具は別にこれだけではない。
要は『魔神顕現』デモンズエキスや『玄天霊衣』クンダーラを扱うには、相性とその帝具を使う人間の頑丈さが物を言うということであろう。
ただし、所有者が狂うとは言え割りと簡単に適合者が見つかるデモンズエキスとは違い、このクンダーラは今まで一人足りとも見つかっていないことから『呪具』やら何やら言われていた。
それがただの風聞なのか、或いは本当に呪われているかはわからない。
が、呪われている代わりに強大な力を持つ両者の激突であるという点に変わりはない。
「む」
目の前と後方、それと左右。突如発生した氷に僅か足りとも脚を止めることなく、ハクは後方左右の三方向は鎧の硬さに賭けて放置することを決断する。
対処すべきは、前方。
「シッ!」
軽い気合と共に刃が振るわれ、氷の槍を打ち砕いた。
砕かれた氷の粒が宙を舞い、陽光に照らされて燦めく。
戦場という鉄火場の中でなければ、思わず目を留めてしまうほどの幻想的な光景だった。
「そら!」
砕かれた氷の粒を掻い潜り、細剣の切っ先がハクの首目掛けて振るわれる。
剣刃を以ってその一斬を止めたハクの身体を、鍔迫り合いなど微塵も考えていないような速さで伸ばされた白いヒールが蹴り飛ばした。
細いヒールがまるで槍の様に、そして生身で受ければ確実に突き刺さったであろう程の蹴り。
だが彼は彼女とは違い鎧を纏っている。
衝撃は喰らえど、これからの戦闘に支障をきたすほどではなかった。
「ハッ!」
斬りつけられた刃をいなし、受け、捌く。
一回一回の行動の裏に凄まじいまでの思考のせめぎ合いと駆け引きがあり、咄嗟の反応においては本能と本能の反応性が問われる。
その剣撃が激しさとお互いに与える傷を増させるごとに、エスデスとハクを囲うように並んでいる兵は言葉に出さずな驚きを深めていた。
彼等は自分たちの将が苦戦するさまなど見たことがなかったのである。
彼女と相対して十分保った者は居なかったし、これからも存在し得ないと確信していた。それほどに、エスデスは個人戦闘力に於いて抜きん出て圧倒的な存在だったと言える。
ところが今回の戦闘時間は、ゆうに十分など越していた。それどころか一時間にも及び、互いの息が切れるまでに戦いを続けていたのである。
氷の刃が降り注げば黄金の光が迎撃し、氷の槍が突き立てば黄金の鎧がこれを阻んだ。
体力も精神力も集中力も、果ては帝具を使う為の力までもが摩耗しきり、されど二人は並の帝具使いなどただの一太刀で葬りかねない一撃を互いに浴びせあっている。
「ハァ!」
「ガァ!」
相変わらずの鋭い気合いと、吼えるような気合いが空気を揺るがし、熱と冷気とが激突した。
もう何度目かになる鍔迫り合い。互いに膝が笑い、腕も鍔迫り合いに耐えられる程の余力を残してなどいない。
だからこそ、ここで両者は鍔迫り合うことを選択する。
お互い、この戦いを通じて成長していた。放つ斬撃は疲労が濃いにも関わらず、刃を交え始めてすぐのそれより苛烈であり、精密さを増している。
満足できる一撃を繰り出せる間に終わらせる。
それが二人の判断だった。
力と力、それを操作する技術。前者はエスデスが勝り、後者ではハクが勝る。
しかしこの時点において、彼女も彼も疲労しきっていた。
膂力には変わらず比率にして十と八くらいの差がある。これは確かだが、殆ど体力を使い果たした今では全快の時ほどの実数差はなかった。
百と八十では二十の差だが、十と八では差はにでしかない。
分母そのものが縮小してしまった場合、鍔迫り合いでは巧妙さ―――即ち技術が物を言う。
「シャァ!」
力の均衡をわざと崩し、エスデスの剣を逆手に持った剣で弾き飛ばす。
エスデスが負けた。
誰もがそう思った、その刹那。
「凍れッ!」
剣を弾かれたエスデスが、宙に掌を向けてそう叫ぶ。
ハクの頬に冷たさが伝わったと思ったその瞬間に、ありえないことが起きていた。
「何―――」
「私の勝ちだ!」
彼女の手には、弾き飛ばしたはずの剣。
ハクが振るった剣の軌道をじっくりと眺めたように軽々と避け、エスデスは自らの細剣を振り上げるように一閃する。
ハクの手から剣が離れ、ものの見事にその痩身が宙を舞った。
エスデスも最早限界なのか、残心をとったまま剣を杖にして微動だにしない。
体力どころか精神力までも使い果たしたような桁違いの疲労の濃さが、今の彼女の身にはある。
そして、そこを見逃すハクではなかった。
「慢心は、よくないな」
手に光が集い、一挺の銃が現れる。
彼の帝具は光を織り、何かを作ることこそがその真骨頂。この程度の武器を現出させることなど造作もなかった。
宙に舞ったままとは思えないほどの正確な射撃が立て続けに五発放たれ、エスデスは倒れ込むようにそれを躱す。
最早氷の盾を出す余裕もないというのが、彼女の実情だった。
「く……」
光弾が掠めた右肩を左手で抑え無ながらも立ち上がろうとしたエスデスを、脚を引き摺りながらも歩いている痩身の影が被さる。
ハクにもまた、歩く余力など有りはしない。疲弊の極にある彼を支えるのは、ただの根性と意志であった。
「終わりだ」
「ああ、そうらしい」
配下たちに、この男に手を出すなと厳命せねば。
武人の意地とでも言う部分が疼き、口を開こうとしたエスデスの視界に、凍らせた後に破壊された鎧の残骸とでも言うべきものを纏ったボロボロの男が入る。
死ぬ気で戦った。悔いはない。
軽く笑いながら最期の命を下そうとした彼女の鼓膜を、副官の声が激しく叩いた。
「エスデス様、御許しを!」
最期の言葉を残したいという意志を汲んだのか、僅かに喉元から刃を離した状態で静止しているハクに、龍を形をした水の塊が叩き込まれる。
「リヴァ、貴様は私を侮辱する気か!」
弱肉強食。自らが信じるこの世の理を何よりも絶対の物とするエスデスにとって、その理の帰結は自分よりも実力で勝る強者に命を奪われることでしか有り得なかった。
その強者と戦って負けたならば、その刃にかかって死ぬのが敗者である自分の最期の務めなのである。
「エスデス様、生きてさえいれば負けではありません」
「何?」
「生きてさえいれば、貴方様は敗者ではないのです」
反論を許さぬというような鬼気を以って、リヴァはニャウと兵たちに命を下した。
「ニャウ。兵を率い、エスデス様を安全な都市まで護衛せよ」
「了解」
半ば無理矢理馬に乗せられ、最早ろくに身動きすらとれないエスデスはその場を去る。
そして、その場には帝具使い三人だけが残された。
「私とダイダラを、恨むなとは言わん」
「抵抗するなら俺達も一緒に死んでやるからよ」
リヴァと呼ばれた老年の男性と、ダイダラと呼ばれた壮年の男性は、当然ながら無傷である。
一方、鎧の回復機能を司る中央の核を凍らされているハクは今にも死にそうなざまだった。
「断らせてもらう。私は生きて帰らないと殺されるのでな」
「そう釣れないことを、言うなよッ!」
普段ならば難なく避けられたであろう大斧が、ハクの身体を袈裟がけに斬る。
凄まじい剛力を込められた一撃に、彼は襤褸のように吹き飛んだ。
「中々、辛いな」
「そうだろう」
立つことのできないほどの外傷と疲労を抱えた身体を件の意志力で無理矢理起こし、ハクは辛くも立つ。
目の前に居るのは、殆ど無傷である二人の帝具使い。
完全に、彼は詰んでいた。
「すぐ楽にしてやろう」
「まだ死ねん。楽になるのは約束を果たした後にとっておかせてもらおうか」
「そう言うな」
戦場に散らばった血が集い、再び龍の如き形となる。
これで終わりだ、ということだろうか。
「本調子なら俺達じゃ到底敵わねぇんだろうが、エスデス様の為に死んでもらうぜ!」
腰斬するような斧の一撃で腹を裂かれ、三度弾き飛んだところを龍が脚をずたぼろに噛み砕く。
吹き飛んだ先には、崖。
「さらばだ、強者よ」
崖下にある川に目掛けて、ハクは頭から落下した。
感想・評価いただけると幸いです。
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落下を斬る
そぶそぶ様、アルバタル様、ジャグ様、Reisis様、貴重な十評価感謝です!
ハクは、川に落ちた。
こう言うとギャグかコントのように聞こえるが、高高度から水面に落下した場合の水の硬度は馬鹿にならない。
実数を出しても身に沁みてわからないので詳しい数値は省くが、だいたい鋼鉄に叩きつけられたのと同じ様な衝撃を、彼は全身に万遍なく受けたのである。
その結果受けた痛みと被った身体的な損傷は、コントやギャグでは済まないほどに重かった。
腹をぶち抜かれ、斧に斜め十字を描くように掻っ捌かれ、脚を砕かれても気絶せず、加えて殆ど不死身の復活力まで持つこの男が気絶しかける程度にはそのダメージは甚大なものだったのである。
(まだ、手は動く)
真冬の川に落ち、既に全身の骨が折れるか罅が入っているかという状況でなお、この男は驚異的なしぶとさを見せた。
急な川の流れをものともせず冷え切り、悴んだ指の力だけで比較的大きな河原の石を掴み、百足の如く川から這い出たのである。
だが、さしものハクもそこで力尽きた。体力が完全に尽き果て、頼みの綱の意志力でも最早立ち上がることはできなかったのであろう。
彼は腹這いになった身体を寝返らせ、仰向けにして目を瞑った。
起きていても動けないならば、寝て体力を回復するであろうというやぶらかぶれの発想である。
灰色の河原で身体を仰向けに横たえ、彼は始めて夜以外での惰眠を貪った。
規則正しい生活と軍人ならば軍人らしい規範に沿った生活を守るべきだと考える彼にとっては自身の情けなさに嫌気がさすが、それでも土壇場では臨機応変に立ち回らねばならないことくらいは知っている。
ハクは、寝た。
そして、起きた。
三日後くらいに。
「……動けないことも、ないな」
完全に破壊され、川に叩きつけられた時点で解除されていた鎧も核である赤石が復活している。
脚部装甲にも黄金のラインの如き装飾が復活し、いくらか見栄えもマシになっていた。
その恩恵かどうかまではわからないが、身体がやけに軽く、バキバキに折れていた脚が繋がっているような錯覚すら覚える。
「約束を果たさねばならんな」
下半身が何とかなっているとはいえ、上半身は寝ても一向に回復していない。
このまま徒歩で帰るのは流石にキツイと判断したその意志を汲み取ったかのように、手首に嵌められた環と胸の赤石がチカリと光った。
環型の帝具・『玄天霊衣』クンダーラには、何種類化の形態がある。
まず第一に、鎧。これを身体に纏うことを基軸とし、剣、槍、盾、弓、銃の五種類の武器を基軸となっている鎧の装甲を僅かに薄くすることで手元に直接現出させることができた。謂わば、鎧そのものが武器となったものだと言ってよい。
ここで一旦、別な帝具の話題に移す。
その話題の的になるのは、『悪鬼纒身』インクルシオ。鎧型の帝具である彼の生体装甲には、副武装というものが付属していた。
ノインテーター。鎧とは似ても似つかない完璧な槍型であるその武器は、インクルシオを一定以上使いこなせば持ち主の意志に沿って現れ、敵を打ち砕くという。
つまり副武装というのは、帝具の欠点を補う為に作られた補助パーツ、或いは補助機構であった。
インクルシオには、拳の他に武器がない。故に槍が付属品とされる。
では、光を織ったにもかかわらず作れる武器はいずれも重く、瞬発的な動きに鈍さが生じるという弱点を持つこの環型帝具につけられた副武装とは、何か。
「……む?」
ハクは、後方から迫る駆動音に振り向いた。
彼は生来視力・聴力・嗅覚に優れる。故に彼は、遠くから鳴る微かな音程度のものですら、集中力を高めた彼の耳には遠雷の如くはっきりと聴くことができた。
「……馬、か?」
何とも似つかぬその姿を、ハクは慎重に見定めながらそう評す。
後方から機巧の駆動音を鳴らしながら現れたのは、後にサイドカーと呼ばれる四輪を横にくっつけた二輪であった。
二輪はどこか馬を思わせる意匠が施されており、四輪は馬車の車体を思わせる。
接合部分は横と後ろとで大きく違うが、類似品を探すならば馬車というのが適切だと言えた。
「鉄製……いや、レアメタルか」
二輪を馬に例えていくならば、馬体に当たる部分には景色を写すほどに磨かれた黒い金属と金色の金属が、目に当たる部分に自分の鎧についているそれと同様の赤い石が嵌められている。
膨大な力と煌めきを放つそれは、ただの宝石とは思えなかった。
そして、この馬車のような何かは自分の鎧の意匠、それに似ているようなところがある。
太陽のような印があしらわれているところや、配色、赤石の存在などがそれに当たるが、まだまだ彼の帝具の一部、或いは副武装であると判断するには弱い、と。
ハクは慎重に見定め続けた。
「ふむ……」
これが自分の物であれば、歩行が困難な今において、これほど助かる物はない。
が、もしこの馬車もどきの二輪が他の人の物であったならば、ハクが使えば彼はただの泥棒ということになる。
少し考え、彼は自分の横に『乗ってください』とばかりに待機している馬車もどきを横目にチラリと見、その場から南へと歩きだした。
グレイな物には触れない方が良いというのが、彼の基本的な方針だったのである。
一歩歩けば、一回転。
一歩歩けば、一回転。
ハクが一歩踏み出すごとにその車輪を前に一回転させ、その馬車もどきはカラコロと着いてきた。
(これは、チェルシー二号か何か?)
卓越した馬術と赤系統の髪を見ればわかる通り、チェルシーは異民族とのハーフである。
ハクのイジメは良くないという素朴な正義感がイジメられていた彼女に対して触発され、何だかんだで助けてやってからと言うもの、チェルシーは基本的にどこでも着いてきた。
それは勿論自分の身の安全を守る為の用心棒のような存在である彼に着いていけば安心、ということもあっただろう。
しかし彼は最近、どうにもそうではないような気もしてきていた。
彼が感じている感覚は、捨て猫を匿ってやったら懐かれたような感じ、と言えばわかりやすいだろう。
こっちから近づけば逃げるように去っていくが、ボーッとしていればフラフラ近づいてくるし、こちらが離れようとすれば慌てて近づいてくるのだ。
チェルシーはつくづく猫だな、と。彼は土壇場になると慌ててこちらにくっついてこようとする様を見て、そう思っていたのである。
「……ふむ」
意匠が似通っており、必要とされる時に駆けつけてきた。更には距離を離せばその分詰めてきた。
ハクは、割りと簡単に思考を翻す。
これは、自分のものではないのだろうか。
正確に言えば、自分が暫定的な所有者であるこの帝具の副武装と言うやつではなかろうか。
「南方にある、エイへ行きたい。わかるか」
環を近づけてやれば眼のような赤石が光るし、跨ってみても抵抗はない。それに身体に負担をかけないことを第一としているのか、揺らさないようにゆっくりと進発し始めた。
この間、ハクはこの馬車もどきを何もいじっていない。
自分で考え、自分で動く。そういう類の帝具もあるとは聞いていたが、まさか副武装にまでこのような自律回路が施されているとは、彼は思っていなかった。
ハクが副武装の優秀さに驚いているのを傍らに、馬車もどきは自律回路で南へと向かう。
造られてから千年経っているのだ。言葉そのものは変わっていないとはいえ、アクセントや細かい使い方は変わっている。
それでも、そこそこ優秀な自律・学習回路を積んだこの馬車もどきには、単語単語を聴き取ることができていた。
後は繋ぎ合わせ、意味を汲み取ったのであろう。
尤も馬車もどきの聴き取れた単語は『南』『エイ』くらいなものであるが、エイという都市はそう多くはない。
現在地から南に行くとある『エイ』は、候補としては一つだった。
「優秀だな、お前は」
彼の頭の中には、大体の地図が入っている。
この馬車もどきが向かおうとしているのがエイであることは河原を突っ切り、街道に合流した時点でわかっていた。
エイは言わずもがな、革命軍の根拠地である。チェルシーもそこに居るであろうし、着けさえすれば原隊復帰も可能な筈だった。
「あれか」
流石に馬車もどきに乗ったまま突っ込むわけにもいかず、ハクはこれまで色々と世話になった馬車もどきに別れを告げる。
少し寂しげに宝石の眼をチカチカと明滅させる馬車もどきの頭を一つ撫で、ハクは門に立つ上官に向けて一歩踏み出した。
「隊長殿、生還しました」
「……ああ、新入りか。どこで何やってた」
いつの間にか七割方治っている身体に僅かな疑問を抱きつつ、ハクは簡潔に説明する。
やけに強い女性兵士との戦闘に辛くも勝ったこと。
その後その女性兵士の直属の部下らしき二人に叩きのめされたこと。
そして、川に落ちたこと。
それを聴いた隊長は、僅かに苦笑する。
そもそも大の男が女性兵士に苦戦することが論外だし、そんな腕の立つ護衛を抱えている時点で富裕層であることはほぼ確定。
女だからといって必ずしも弱いというわけでもないが、女戦士が強いとあらば、それは大概この世の戦闘力ヒエラルキーから抜きん出ている傾向にある。
そんな存在に、この冴えなそうな顔色の悪い男が勝てるわけがない。
「その女性兵士は貴族かなんかの道楽で従軍してたんだろうな。
それにしてもエスデス軍は実力主義というが、やはり大臣一派だな。貴族の娘が居るあたり―――」
「エスデス軍?」
「そうだ。帝国最強の軍隊が相手では、我々も歯が立たなかったということだな」
ハクはあの蒼銀の髪が美しい女性を思い出し、頭を捻った。
『エスデス様』、と。彼女は呼ばれてはいなかったか。
つまり、自分の戦った彼女は帝国最強の名を恣にする将軍なのではないか、と。
彼はここに来て漸く、自分の戦った相手の凄まじさを風聞を以って実感したのである。
「隊長、私がそのエスデスと相対し、勝てると思いますか?」
「新兵では勝負にもならんだろうさ。ま、颯爽と現れて勇猛且つ果敢にエスデスへ挑み、ナジェンダ将軍を逃がした勇者はいたらしいが―――」
不景気な面。
蒼白な顔。
貧相な身体。
後、矮躯。
「お前ではないな。絶対に」
到底その勇者に付属された形容表現に似つかわしくない風貌と、戦闘経験の浅さから、隊長はそう断言した。
彼の中でのその勇者とは、誰よりも戦場にいた者であり、誰よりも厳つい面をした存在であり、断じて一般人を軍人として引っ張ってきたような体格であるこの男ではなかったのであろう。
ハクは、別に厳つくならず、威圧感を与える風貌にならずとも、自然のままで強くなることができた。
不必要に筋肉をつけることなく、不必要に威圧する必要もなく、不必要に鍛練をする必要もない。
彼は無理をせず、毎日欠かさずに武を積むことで強くなる。故に、押し出しの不味さは最早一生ものであるとすら言えた。
「でしょうね。私は勇猛でもなければ果敢でもなく、颯爽などとは形容されない」
「よくわかってるじゃないか」
蒼銀イコールエスデス論を完全に否定した隊長に見送られ、ハクは治りかけの身体で歩き出す。
彼にはまだ、チェルシーを探すという一大任務が残っていた。
感想・評価いただけると幸いです。
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日常を斬る
M@TSU様、十評価ありがとうございましたぁ!励みになります!
ハクは、チェルシーを探さねばならない。これは決定事項である。
約束は何が何でも果たさねばならないという心情を持つ彼にとって、彼女と交わした日数制限を設けぬ物は即ち、『可及的速やかに実行しなければならないもの』だった。
これはもしも、の話だが。
彼女と交わした約束の期限が三日と決まっていれば、三日の後に確実に会える為・最高のコンディションで会う為の準備を整えただろう。
だが、彼は無意識的にチェルシーの精神力がそこまで強くないということを察していた。
一人でフラフラ気ままな猫の癖して案外一人にしておくと精神的に参っていく様を、彼は彼女が太守を暗殺した時に学んでいる。
あの時は、ハクが居なかった。故に彼女は相談する相手も居らず、甘える相手も居なかった。
心の主柱がないまま、彼女は自分の無力感に打ちのめされていたのである。
その結果が、無謀と自己犠牲を爆発させたような単身による太守暗殺だった。
究極に切羽詰まってしまえば、彼女は決して強くない。心理的・肉体的な面で唯一の武器である知恵と用心深さまでもが無効化されては、彼女の勝ち筋はゼロに近いといえるだろう。
「……どうするか」
まさか街中で一目で女とわかるような名前を連呼するわけにもいかないし、鎧の不完全さによって血の赤黒さがポツリポツリと見て取れるような恰好では、警備隊の詰め所に同行することになりかねなかった。
恐らく、ストーカー行為の取り締まりとかで。
それに、彼女は街を歩くときに適当な人物に変装しながら歩く傾向にある。視認で見つけることは不可能に近い。
そこで彼が取り出したのは、棒付きキャンディだった。
正確に言えば、『棒付きキャンディの残骸』が正しい。しかし、ここでは別にどうでもいいので突っ込まない。
残骸になっている理由はと言えば、何故残骸になっているのか、と聞かれれば『当たり前だろう』としか返せないものであろう。
この飴は、エスデスとの戦いで大破した物だった。
「……ふむ」
包み紙を解き、割れている飴の匂いを嗅いで歩き出す。
この時点で相当なレベルの不審者であることを、彼は幸か不幸かまだ知らない。
「こちらだな」
ダウジングでもしたように、或いは何を見つけた犬のように。ハクは迷い無い足取りで西を向いた。
チェルシーがいつも舐めている飴は、カンチュウでしか生産されていないというレア物である。
そして、極めて閉鎖的なカンチュウから人は出ていかないし、品物もまた出ていく傾向にはない。
つまり、その匂いを辿ればチェルシーがいるということになるのだ。
彼の一見しようが百見しようが不審者でしかない行動を解説すると、こうなる。
どうしようもなく不審者でしかないことを除けば、己の身体能力を活かした極めて合理的な探索法であった。
「…………」
チェルシーは、ハクの帰りを待っていた。捨てられた仔猫のように項垂れ、心無しか蝶のようなリボンも萎れ、いつも明るさの絶えない顔も曇っている。
常識的に考えれば南門から帰ってくるであろう彼を、彼女は南門の側でずっと待ち続けていた。
しかし彼は、西門から帰還した。
理由は単純に、流されていたからであろう。
というか彼は、自分が西門から入ったことすら知らなかった。
馬車もどきの操縦に任せていた為、適当に目のついた門から帰還したのである。そこかチェルシーからすれば予測不可能の点となった。
「チェルシー」
「!」
稲妻のような速さで細い首が後方に振り向こうとし、そのあまりの勢いと可動域の限界から、彼女自身が座り込んでいた石から落ちる。
「大丈夫か」
ハクは、苦笑した。
振り向き損ねて尻から地面に落ちた彼女の腕をとって立たせてやり、ぽん、と。変わらぬ橙の髪を靡かせて南門側の石に腰掛けて佇む彼女の右肩に右手を乗せる。
「約束は守ったぞ」
「うん」
黄金の鎧が光の粒となって消え、血塗れの軍装が露わになった。
空気を読んだのか、たんに傷の治療が終わったのかは不明だが、ともかく鎧は右手の環に収まる。
そして、鎧の代わりにチェルシーが血塗れの軍装にまったく怯むことなく身体を付けた。
「おかえりなさい」
「ああ」
めそめそと泣き続けるチェルシーの頭に手をやり、撫でつける。
泣き止まない子供を慰めるように、ハクはゆっくりと背を叩いた。
「私は借家をすることになると思うが、お前は何処に住んでいる?」
「一軒家」
「ほう」
「買ったの」
めそめそ泣き続けながらポツリポツリと言葉を吐き、チェルシーはハクの服の裾を掴みながら歩く。
地味に地価の高い南都というべきエイで平然と一軒家を買える辺り、彼女の財力が伺えた。
「金はどうした」
「カンチュウで鉄屑と廃材とかで色々作ったり、売ったりしてた時のお金があるから、それで」
「いちいち持ち運んでいたのか」
「南方で好まれる宝石とかにしてるに決まってんじゃん」
めそめそ泣き、はぐれないように血塗れの裾をギュッと掴みながら吐いている台詞ではないと思うほどに勝ち気な言葉を吐いたチェルシーを、ハクは再び軽く撫でる。
どこでどう育とうが、彼は女性の髪が好きだったろうと思われるほどに、彼は髪が好きだった。
無論慰めるといった意味も含まれているが、数多ある方法の中から撫でるという選択を無意識の内にしているのだから、それは否定できないことだろう。
「着いた」
「門に近いし、巨大だな。防衛上あまりよろしくないのではないか?」
「だって、一瞬でも長く門に居たかったんだもん」
夜になればお世辞にも治安がいいとは言えない帝国内の都市であるエイでは、ただの女である彼女が独り歩きするにはあまりにも危険だった。
払暁あたりに弁当を持参して行って、日が沈み切る前までに帰って、深夜まで内職するというのがここ三日間のチェルシーが過ごしてきた日常である。
「心配をかけたが、今の私は健康だ」
「そんな希少すぎる服装しててよく言うね。そこまで説得力がないのも珍しいって位の格好だよ、それ」
ザ・血塗れとでも言うべき古典的落ち武者ファッションなハクが言っても、その健康宣言が持つ説得力は無に等しかった。
痩せ我慢ということも、充分にあり得る。
「服はお風呂場で脱いで、これに入れて。捨てるから」
「ああ」
血まみれのまま放置された服など、洗ってもどうにかなるものではない。
チェルシーは袋に突っこまれた服一式を燃えるゴミに突っ込み、一応従卒としての役割で預かっていた代え服を台の上に出す。
彼女がやるべきことは、色々あった。
「む」
「長風呂だったね」
身に纏っていた血と鉄の匂いではなく、石鹸といつもの陽だまりのような匂いをさせながら、風呂から出たハクは背もたれ付きの椅子に腰掛ける。
「随分といい匂いだな」
「ゴハン作ってるからね。お腹空いてるでしょ?」
チェルシーは料理がかなりできる少女だった。
まだ十八かそこいらの小娘いえども、彼女の腕は熟年の主婦のそれを上回っているだろうと確信させるほどに、彼女のレパートリー及び味はハクの好みに合致していたのである。
待つこと、暫し。リボンとカチューシャと耳当てがセットになったような自身特注の謎道具を外したチェルシーは、ころもをつけて揚げた鶏肉を盛りつけた皿を運び、炊きたての白米を椀に盛りつけ、南瓜のスープをよそった器をカタリと置いた。
白米を炊く時にも謎の機械を使うのが、チェルシークオリティーというところであろう。
「いただこう」
「召し上がれ」
席についたチェルシーに向かってちょっと拝む様に手を合わせ、ハクは返事を待ってから食事に箸をつけた。
カラリとしたころもが香ばしい鶏肉と、胡散臭い謎の機械を使ったとは思えない程に程好い硬さ、柔らかさをもつ白米。
それらを食べた後のデザートのような感覚で食べられる、食材の甘みを活かした温かみのある橙色をした冷たいスープ。
調理時間の短さが味に比例するものではないと証明するような美味の数々をハクは珍しくガッついて食べ、チェルシーはテーブルに向かうように座り、肘をついてそれを眺める。
こういうぬるま湯のような日常を、彼女は心から望んでいた。
「食わないのか」
「もう何か色々いっぱいだからいいの」
風呂に入る前までの泣き顔はどこへやら、いつもの明るさを取り戻して軽い調子で返事を返すチェルシーを不思議そうな顔をして見つめ、ハクはスープを飲み干す。
「おかわり、いる?」
「スープをもらえるか?」
先程まで南瓜のスープで満たされていた器をチェルシーに突き出し、ハクは一番の好物を要求した。
甘すぎない甘さが、彼の好みである。甘さが全開なデザート物は苦手だが、控えめな野菜そのものの甘さならば寧ろ好き、というのが彼の面倒くさい味覚の最たるものだった。
「はいはい」
とっくに胃袋を掴み終えているチェルシーは、嬉しさと満足感ではずむように厨房に戻る。
この後は彼の帝具の解析でもするかと思いつつ、チェルシーはスープをサラリとよそった。
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激情を斬る
なっとうごはん様、高槻様、Jason様、NFS様、十評価感謝です!
チェルシーは、暇だった。
ハクがまた変なことをやりだしたのである。
「何ソレ」
「瞑想だ」
物理アタッカーが特殊防御を高めてどうするのか。チェルシーは思わずそう言いかけ、やめた。
やり始めたらよっぽどなことがない限りやめないのが彼である。何かしら理由があろうがなかろうが、彼女にできることは見ていることだけだった。
「チェルシー」
「な、何かな!?」
ここ二時間ほど閉じられていた瞼が、いきなり開く。
顔色の悪いことを除けば整っていると言えなくもない相貌を肩肘ついて見ていたチェルシーは、同じく開かれた口から放たれた鋭利さを持つ呼び声にビクリと肩を竦ませた。
ビビリだビビリだと言われている彼女だけに、一種彫刻でも見るような思いで見ていた彼が動き出したことへの驚きは深かったのである。
「私用と、任務がある。夕方には戻る」
「そう」
任務はわからなくもないが、それとは違い、急ごうと思えばいくらでも急げる筈の私用なのに何故悠長に瞑想をしていたのか。
訊きたいことは割りとあったが、チェルシーはとりあえず『なんかの理由があったのだろう』と割り切った。
当のハクはそんなものは知らぬとばかりに任務に行ってしまったのだが。
こういう思い切りの良いようなところがあるからこそ、彼女は一見すると謎の行動が多いハクについていけているのだろう。
遠慮なくわからないところには質問をするが、一から十までを他者に求めないのがチェルシーという女だった。
「……改造しよーっと」
色々と手持ち無沙汰になった彼女が技術を施す改造対象は、仮想敵を至高の帝具に定めた件の機巧馬車もどき。
至高の帝具は何か、というところまではさすがの彼女にもわからない。が、どうやら格納庫と思しき空間の巨大さから言ってデカい何かであろうということまでは目星をつけることができる。
ならば、そのデカさに対抗できるような兵器を作るのが自分のできる精一杯の支援だった。
ハクの帝具が生み出した銃を参考にし、動力源を光にすることで他者の使用が難しいようには既にしてある。
動力源である光も副武装を基調にすることで既にクリアした。
今終わるであろう可変機能を実装した後は、兵装をつけてやることだろう。
チェルシーがそう考えながら機械をパチパチと操作して組み立ての仕上げに入っていた、その時。
「騒がしいなぁ、もう」
火花が散り、金属音が鳴っている中で、耳の保護も兼ねてヘッドホンをしていても聴こえる、この喧騒。確実に喧嘩などではない。
傍から冷静に見てみれば深く考えるまででもわかることだが、もっとも集中力を必要とされる詰めの作業に入っている彼女からすれば、そんなことはわからなかったし、考えようともしなかった。
ただ単純に、五月蝿いと受け取ったのである。
「ちょっと、うっさ―――」
ガラリと開けて、彼女はすぐさまピシャリと閉めた。
冗談かなんかだと思いたい光景が、そこにはある。
「……えー、これって襲撃ってことなのかな?」
窓から見た光景から察するに、そうなっていた。
帝国兵の正式軍装である剣・銃・部分装甲の三点セットを纏った兵士たちが剣とゲリラ戦用であろう服と鉢巻しかない革命軍に襲いかかり、首を斬り、腹に剣を突き立て、脚を撃ち抜き。
金の無さと地盤の脆弱さが生んだ兵器格差がこれ以上ない程に示されているかのような惨状が、市街地にはある。
「……見なかったことにしよう」
革命軍の兵士が殺られようと、無辜な市民が殺されようと、女が犯されそうになっていようと、自分の命には代えられない。
そもそも自分一人が行ったところで、あっさり殺されるだけだった。
たとえ、人が。
獣でも狩るような感覚で、狂喜で。
追い回されて、いようとも。
「待とうか、帝国兵諸君」
「あ?」
殺されるだけだろう。そんなことはわかっている。
だが、彼女にも譲れない物があった。自分の安寧とした生活を捨てても、それまで目指してきた夢を実現困難な物にしても、どうしても譲れない物がある。
「街の真ん中で猿みたいに盛ってないで、もっと上物を狙うくらいなこと、しないの?」
彼女は、笑いそうな膝を懸命に支えていた。
頭の先からつま先までを、演技演技で押し通す。一世一代の大芝居でも打つように、自分が世界という名の演劇の舞台に立っているように、彼女は堂々と言い放った。
「私の方が、良い女だと思うけどね」
スラリと、自分の恵まれたスタイルを見せつけるように立ちながら、チェルシーは彼等を挑発する。
人数は七人。捕まったら、人間として死ぬか女として死ぬか、或いはどちらもか。それ以上酷いか。その四つの運命の岐路が待っていた。
「ほぉ……」
獣のような欲に塗れた視線を全身に受け、チェルシーの身体に怖気がはしる。
彼女は、一般的に見てかなり優れた容姿をしていた。
子鹿のようにスラリと細く、長い脚。海岸の砂のようにサラリとした髪に、大人びてはないが整った可愛らしい顔。
スタイルも良く、何よりも笑顔が愛らしい。
故に彼女はこのような視線を受けることは多々あった。が、そのときにはさり気なく、不景気な顔をした男がその視線を遮るように立ち位置を変えてくれていた。
怖い。助けて欲しいと叫びたい。自分のヒーローに縋りたい。
でも彼は、今はいない。
そして、目の前には自分より弱い人間がいる。
狩られるように奪われゆく、力無き者の命がある。
「おいでなさいな」
ニヤリと笑い、全員が釣られたのを見てから走り出す。
七人が、何だ。自分のヒーローは演劇の主役のように颯爽と強き者に立ち向かい、約束を必ず守るという言葉を破らず生還した。
強きを挫き、弱きを守る。守られてばかりの自分でも、強きを挫けないことはないはずだ。
他人を守れるのは、他人より秀でた力を持つ者のみ。
皮肉にも、そのことを誰よりも雄弁に背中で教えてくれる彼に守られ続けてきた彼女が、その術理に反しようとしていた。
「私、馬鹿だなぁ……」
必死に走りながら、追ってくる兵を振り返ってそう思う。
あのまま引き篭もっていればこんな目に遭わずにすんだ。ただ待っていれば、彼がいずれは帰ってきただろう。その時に頼めばよかったのだ。
彼女らを助けて欲しい、と。
「ばっかみたい」
人のことを、言えない。笑いながら、嗜めることなどできないだろう。他人の為に容易く命を懸けることができる彼を、ずっと羨ましいと思っていた自分では。
走り、奔り、そして駆ける。
馬鹿に憧れた、自分も馬鹿。
馬鹿に惚れた、自分も馬鹿。
自分でも驚くほどに駆け通し、遂に袋小路に追い詰められた彼女は、空を見ながらそう聡った。
袋小路に追い詰めたことを知った複数人の足音が慌てたものからゆっくりとしたものに変わる。
一歩一歩、こちらの怯えた反応を楽しむかのような狩りの歩法。
(怖い)
一歩。
(怖い)
二歩。
(嫌だ)
三歩。
(嫌だよ)
チェルシーは、人に化けられても鳥にはなれない。ここから逃れるすべはない。
ただ、迫る破滅の岐路を待つだけしかできなかった。
その足音が響く度、弱い心が崩れていく。
(助けて、ハクさん)
四歩、五歩と。帝国兵たちがその脚をゆっくりと踏み出した。
あと五歩。踏み出されたら自分は終わる。
明確な終わりを前に彼女の眼から零れた涙を愉しむかのように口角を上げた、その時。
三つの黄金の光弾が先頭になって歩を進める帝国兵の足元に降り注ぎ、その動きを牽制した。
「何だ!?」
慌てたような帝国兵の野蛮な声が、左から右へと消えていく。
放たれた光弾を見たチェルシーの思考は、ある一点に固定されていた。
本当に計ったようなタイミングで、手遅れになるその前に、彼は必ず現れる。
一際高い建物から跳び、自分の頭を越え、足首と膝を屈めて音も無く着地し。
「見参」
黄金の彩色と装甲を持つ黒い布のような鎧を纏い、心臓と両肩に血の如く紅い石を嵌め込みんだ騎士が、烈迫の一言と共に現れた。
ハクははじめから、その未来予知じみた直感が嫌な予感を告げるのを聴いていたのである。故に瞑想で心気を研ぎ澄ませ、何か変事があれば即ち気づくようにして任務へと従った。
彼は兵士である。予感程度でサボれるものではないし、引き返せるものでもない。だから彼はその嫌な予感を証明できる事態が起こったことを覚る為の感覚を研ぎ澄ませた。
だからこそ、彼は自宅で粘っていたのである。自分がいる内に変事が起きるならば起きてほしい、と。
無論起きなければそれに越したことはない。だが、彼はチェルシーが危機に晒される時には自分に独特の勘が働くことを知っている。
だから、変事が起こった瞬間に街に戻ることを提言し、その意見がいれられるや否や街を駆け抜けた。
南門から入り、家を確認した時に話しかけてきた母娘の言葉を頼りに屋根という屋根を駆け回って空から捜し、やっとのことで見つけたのである。
これは偶然でもなければ必然でもなく、ハクの尽くした人事が天に通じた結果だと言えた。
「チェルシー」
三人の顔を潰すように殴り抜き、振り向いて一言、名を呟く。
この時点でチェルシーは、何かがおかしいと感じた。
どことなく、ではなく。強いて言うならば言い方がおかしい。戦い方にも容赦がなさ過ぎる。他にもおかしい点があるが、何よりおかしいのはその二つだった。
「…………泣いたのか」
「うん。でも大丈夫だよ」
どこか戸惑うように眼が揺らぎ、意志の強さを思わせる真っ直ぐな瞳に影が差す。
「テメェ……!」
放たれた拳を見ずに掴み、一顧だにせずにハクは砕いた。
軋む音につれて響く悲鳴も、鎧と骨の奏でる破砕音も、彼の意識の内にない。
相手を尊重し、一定の敬意を払って戦いに臨む彼が到底行わないような行動が、立て続けに起こっていた。
「泣いたのか」
「う、うん。でも、ほら」
腕を上げ下げしたりして元気な様子を示し、彼女は自分に何ら外傷のないことを言葉に続いて行動で示す。
いつも安定して凪いでいたハクの心が荒れに荒れていることを、彼女は本能的に察知していた。
「…………すまなかった」
凪いでいた瞳が荒れに荒れ、それを隠すように瞼が閉じられる。
少し安心した彼女の前でもう一度開かれた瞳にあったのは、温かさを熱の暴威に変えた激情だった。
「お前達」
常に温かみのあった言葉に、灼き尽くすような激情が入る。
太陽が恵みを齎すが、同時に大いなる禍をも齎すように、ハクは表と裏をひっくり返したように変貌した。
「ひぁぁぉぁあ!」
悲鳴と共に振るわれた剣を左手で受け止めると同時に、丸く単純な形をした鎧がその姿を変える。
力を治癒から殲滅へ。齎す恵みを災禍へ。
黄金と黒を基調とした優しさと無害さを表すような丸みを帯びた意匠から、背中に陽炎のように生えた翼と、燃える焔の如き禍々しい意匠へ。
「覚悟はいいな」
怒らないからといって、決して感情が無いわけではない。
まだまだ未熟な騎士の、生涯一度の激情が表に向かって迸った。
※普段おとなしい人は怒らない訳ではありません
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涙を斬る
luy様には最高評価いただきました!
カツ、カツ、と。
腰から腿を囲うように開いた板のような装甲に付随してきた黒いレアメタル製のブーツが蹄鉄のような音を鳴らす。
後方の少女をプリズムのような覆いで守り、胸の赤石を茫洋と光らせながら迫る黒地の金鎧を纏った騎士に対し、帝国兵は僅かに下がった。
既に二人が額を砕き抜かれ、脳漿を撒き散らしながら死亡。もう一人は利き手を鎧ごと砕かれている。
全く強そうに見えなかった、纏う鎧が本体に見えるような優男が徐々に強そうに見えてきたことも、彼等の恐怖を助長していた。
重い金属で軽い金属音を鳴らしながら一歩踏み出すごとに増していくその恐怖を感じぬとばかりに、一人の帝国兵が立ちはだかる。
「っがァァあ!」
利き手を砕かれた帝国兵の決死の反撃は、手に持った剣によって行われた。
利き手を潰されようが、年を喰った帝国兵ならば片手で銃を、片手で剣を持って戦える。
その足運びにも怒りで増幅された力があり、常よりも速いことは確かだった。
「お前も怒っているのか」
後一寸で刃が届く、その刹那に満たぬ一瞬。
ハクが突き出した黒と金の手甲に覆われた指で描いた円から剣が現れ、片手の手首から先を潰された兵士の心臓にその黄金の刃が突き刺さる。
心臓を捉えた瞬間に凄まじい熱と光が剣刃から放出され、貫かれた兵士の肉体が灰と黒ずんだ炭へと変わった。
足元まで落ちてきた灰と炭を踏みつけ、騎士は更に前進する。
珍しく順手で持たれた柄から伸びた黄金の刃は暴力的なまでの光を納め、その力の解放を待つかのように鈍く光っていた。
「奇遇なことに、私もだ」
人が貫かれた瞬間に灰に変わるという異常事態に対して逃げることすら覚束ない帝国兵に、ハクは静かに剣を突き出す。
なんの抵抗も肉を裂く独特の音すらも無く入っていく刃に、貫かれた本人すらも呆然と黄金の刃を見つめた。
周りの兵も驚愕に支配されて後退りすらできず、制御が可能となったかのように無駄に苛烈ではなくなった光と共に灰に変わっていく二人目の兵を見つめ、気づく。
「ヒィィィィイ!?」
目の前の黄金より黒の目立つ物へと変貌した鎧を纏った騎士が、人外の力を持つものだと。
後方から響くゆったりと歩をすすめる馬の蹄鉄を思わせる足音に恐怖をかき立てられながら、逃げ出した彼等の最後尾を走っていた兵の心臓を一条の光が穿いた。
「あ……が……」
光線を受けたことに気づいた兵はまず穿かれたことに気づき、驚き、痛みに苦しむ間もなく灰と炭の混合物に変わる。
残り四人。束になって逃げていく彼等を、新たに生まれた灰と炭の混合物を踏み締めながら静かに見つめた。
幼き頃にはチェルシーを背中に乗っけて駆け回っていた脚が曲がり、力がバネのような膝に篭もる。
「まあ、待て」
彼には珍しい溜めのある行動から放たれたのは、瞬間移動めいた超速移動。
最後尾の一人の肩を掴み、心臓に黄金の刃を突き立ててその身体を灰に返させながら、死神のような騎士はやっと開かせた距離をゼロにして立っていた。
「う、馬……ッ!」
軍馬にさえ乗れば、軍馬にさえ乗れば、何とかなる。逃げ切れる。
この死神が一息に詰めたのは精々5メートルから7メートル。馬でそれ以上の距離を開くことに成功すれば問題ない筈だった。
あの瞬間移動のような変態機動を繰り返すことができるなど、彼等は想像すらしたくなかったのである。
「なるほど」
残った一人が飛竜と馬に乗って逃走を計ったことを察知し、ハクは剣を利き手である左手に持ちながら、ギアを一段一段上げていくようにして駆け始めた。
危険種と従来の馬を掛け合わせた帝国軍の軍馬は、速い。軽装備の帝国兵が乗っていることもあり、一般に普及している馬の五倍の速さを持っている。
たとえ俊足のランナーが全力で駆けたとしても人である以上は馬には敵わない、はずだった。
「ハァッ、ハァッ……」
死を告げる蹄鉄めいた金属音が奏でる音曲が一気に加速し、恐怖に負けて振り向いた瞬間に黄金が真横に並ぶ。
「逃げるなよ」
下から鋭利な鷹の目で見据えられ、馬上にある帝国兵の身体が竦んだ。
ガチガチと歯が鳴るのを感じる。
灰と炭になって消えていった仲間たちの死ぬ瞬間を思い出し、彼の身体は反射で動いた。
馬に思いっきり鞭打ったのである。
「軍馬より速い人間なんて、いない、いない、いないんだ!」
「否定するな。現実を見ろ」
鞭打たれて一時的に加速した馬に軽々追いつき、あまつさえ追い越し、楽々と彼は馬の進行方向である前方に立った。
二秒も経たず、射抜くように突き出された黄金の魔剣に男が胸から突き刺さる。
加速を心臓に対する無理矢理なつっかえ棒によって止められたその骸は、勢いのまま前に進んだ。
そして、血を潤滑油として止められた反動で後ろに向かい、意思無き肉塊は灰と炭へと変わる。
残りは、一人である。
「空か」
とりあえず駆け、剣を光に変えて仕舞って銃を出す。
武器をとっさに切り替えられることがこの帝具の最大の長所だと、ハクは正気で思っていた。
実際のところ、この帝具の長所は光で織られた様々な武装と赤石による無敵の再生能力、強固な外甲と優秀な副武装などの多岐に渡る。
彼が思っている武器の切り替えの速さは確かに長所ではあるが、無敵の再生能力と強固な外甲の方が常人からすれば『長所』なのだ。
残った一人が乗っているのは、飛竜。危険種の代表的存在である竜種であり、竜騎兵の主な足となる知名度の高い生物である。
この飛竜には『航続距離が短い』という欠点があるものの、これに乗って行動する竜騎兵の移動速度は全兵種の中でもピカイチであり、始皇帝の覇業に大きく貢献したという確固たる実績と実力を持っていた。
それに対し、脚が速いとは言っても所詮は陸上生物であるハクはどう対処すればよいのかということになる。
「……む」
短距離だけならば軍馬より速い飛竜になんでもない事のように追いつき、ハクは手元に出現させた銃で飛竜の頭を狙って光弾を放った。
彼のオーソドックスな装備は、帝国兵のスタンダードである長剣と銃あと盾。環境が違ったならばまた違う武器を使用していたかもしれないが、西の異民族の暴威を受け続けていた身としては彼等の軍の主な構成員である騎士の使う長剣と盾、馬対策の銃というのがベストな選択であろう。
盾と剣を持って突っ走り、平均レベルでしかない背丈の持つ僅かな膂力で苦心しながら敵を高速で叩き斬るのが彼の主な戦法だった。
時々遠距離から狙撃する為に銃も扱うこともあるが、弾速よりも遥かに速く動ける以上、自分が弾丸になって突っ込む方が効率的だったのである。
かといって、狙撃が下手なわけではない。
「くぅ……」
飛竜単体ならばともかく、人を乗せて飛んでいる以上は高度を上げるより、下げる方が素早く避けることができた。
飛竜が翼をはためかせながら僅かに高度を下げた瞬間、飛竜の後方、尾方に凄まじい衝撃がかかる。
脚が速いということは、脚力に優れているということである。
まあ、脚が速いということと跳躍力が高いことはイコールでは結べないが、やはり人並みに脚力が無ければ高くは跳べない。
そして彼は先ほどの屋根跳びで見せたように、割りかし跳躍力がある方だった。
チェルシーの『言われた時にすぐ来てよ』という無茶ぶりによって強化された脚力が、完璧に活かされていると言える。
「お前で最後だ」
銃が光の粒となって消え、代わりに手には件の黄金と銀の彩色を持つ剣が顕れた。
背中から刃の鋒が見え、一瞬の閃光の後に骸すらも残らぬ、灰と炭との混合物へと身体が変わる。
その黄金にはまだ輝くような煌めきはなく、単純に日光を受けて光っているだけに過ぎなくとも、飛竜の操縦者の網膜には、これまで念入りに心臓を貫かれて死んでいった同僚たちの姿が写っていた。
下がろうとした身体の頸の根を黒と金の手甲に包まれた右手が掴み、骨が軋むような音が上がる。
気道を抑えられ、視界が何かに遮られるように明滅した。
「終わりだ」
左手に構えられた剣が胸に突き刺さり、心臓が極光で痛みの一つすら感じることなく灼き尽くされたことを不思議と実感する。
一瞬で灼き払われた意識と共に、人であった肉塊は灰と炭へと焼け落ちた。
「…………」
その灰と炭の混合物を味気無い目で見たハクは、飛竜を町中の広場に着地させるべく駆る。
飛竜を収納できるところは、その巨大さ故に限られていた。
このエイという巨大な街でも、灰と炭へと姿を変えたこの男が飛び立ったこの場所でしか飛竜の着地や飛翔は不可能だろう。
無言で飛竜の額を撫で、彼はすぐさまチェルシーの元へと駆け寄った。
彼の身体に、鎧はない。意志の固さと凶暴さが同居した攻撃的な鎧は、最後の一人を貫いた瞬間に解かれていたのである。
「ハクさんが怒ってるのって、似合ってないね」
「こちらの台詞だ」
庇護すべき対象を光の迷彩で隠すプリズムのような防壁が揺れながら消え去り、彼の目には鮮やかな夕陽の色が映し出された。
目に少し泣いた様な痕があったことが、ハクの罪悪感を更に煽る。
彼は、チェルシーが泣くのが嫌いだった。弾けるような、陽のように明るい笑顔でいて欲しかった。
「お前に涙は似合わない」
「知ってる」
あくまでも陰鬱な感情を表に出すことなく、明るく軽く―――いつものように振る舞う彼女の頬に手をやり、親指の腹で涙を拭う。
「お前の笑顔は、私が守ろう」
まだ僅かに震える華奢な身体の両肩に手を乗せ、跪いたハクは安心させるように視線を合わせた。
心底から遅れた自分を嫌悪しているハクは、剥き出しになった感情を誓いに変えながら言い切る。
基本的に他人を助けることを厭わず、優先順位などはつけない質であるハクの極めて珍しい『人らしさ』がそこにあった。
「もう泣かないから、大丈夫。他の人のところ行ったげてよ」
「…………チェルシー」
「私は、ほら。今中途半端に甘えるより、後でまとめて甘えたいから、さ。行ってよ」
震えていながらも気丈な態度を崩さないチェルシーの両肩から、ハクはゆっくりと手を離す。
強く眩しい意志の輝きが、彼女の瞳に宿っていた。
「私は、さ。人が泣いてるのを見るのがイヤなんだ。だからこうして、いっつもいっつも貧乏くじ引いてるわけよ」
悪政を敷いていた太守を殺したのも、元々はそれが原因である。
悪政に対してどうすることもできない人が泣いているのに、どうにかすることができる自分が見てみぬふりをしていて、いいのか。
あのままいけば、彼女の人生は円満だった。だが、自分の円満な幸福を維持するために虐げられている他者を見殺しにできるほど、彼女は強く在れなかったのである。
全ては無理でも、一人でも減らせればそれでいい。それが彼女が修羅の道を選んだ理由だった。
「ハクさんの力も、貸してよ」
彼の戦う理由など、それ以外には有り得ない。チェルシーの現実味のある理想に釣られる形でここに来たのだから、少なくとも彼女の賛同していることだけは確かであろう。
「勿論だ」
力強く頷き、もう一度プリズムのような盾を貼り直す。
「無事に、戻ってきてね」
その言葉に一度だけ振り向き、頷いて。
彼は風の如く駆け出した。
感想・評価いただけると幸いです。
ハク
近接:80
遠距離:25
帝具練度:15
技
・武器出しカウンター
防御→攻撃の起点になることが多い技。手元に武器を出現させる。必中。レンジ・近。
・刺突
チェルシー発案。心臓から光を全身に巡らせて身体を灼き尽くす。相手は死ぬ。レンジ・近。
・斬る
出現させた剣の刀身から光の刃を生成して敵を切り裂く。レンジ・近〜遠。
・盾出しカウンター
敵の骨や武器が折れる。攻撃の起点になることが多い。
エスデス
近接:70
遠距離:80
帝具練度:80
・斬る
腰に佩いたレイピアで斬りつける。切り口から凍らせることも可能。レンジ・近。
・突く
貫いて内部から凍らせる。八割方、相手は死ぬ。レンジ・近。
・近接氷結
肉体的接触を介して対象を凍結させる。八割方、相手は死ぬ。
・遠隔氷結
適当なところから氷を生成する。レンジ・中〜遠。
・奥の手
???
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アカメを斬る 一
リョウタロス様には十評価いただきました!正直、これが一番嬉しいです!
その足音は、長らく南西方面に駐屯している帝国兵たちのトラウマとなった。
余りにも特徴的に過ぎ、到底隠密行動には向きそうもないその馬蹄のような足音が響くけば、幾人かの首が飛ぶ。
「……彼我の戦力差は見せた」
通りがかりにすれ違った帝国兵十数人と向かってきた二小隊を、手に持つ黄金の剣から繰り出される剣技のみで全滅させ、ハクは馬上にあった将の頸に剣を突きつけた。
彼は、無用な殺生は好まない。この程度の実力しか持たぬ帝国兵、それもたった二千程度ならばものの五分で彼等を二千の首と肉塊に変えられるだろう。
だがそれは、通らねばならない過程であって目的ではない。
ハクの目的は、一人でも多くの民の笑顔を守ることだった。敵を殺すのは二の次でいい。
「疾く退け。退けば私は手を出さん」
――――しかし、退いたふりをして戻ることがあるようならば。
「四方百里、どこに居ようと私の刃が貴様等を討つ」
先に軍馬と飛竜に追いつく光景を見せられていた将と二千の兵士に、それは実質的な死刑宣告に聞こえた。
「ひ、退く」
「ならば、こちらも退こう」
頸に突きつけられていた剣が霧散し、単身で二千を圧倒した騎士は凡そ5メートルはあろうかという壁を助走無しで跳び越える。
一瞬で見えなくなった騎士と、遠ざかる馬蹄の如き足音。
それから更に逃げるように、南門方面を任された二千の帝国軍は退却を開始した。
無論ハクが向かってくる全ての敵を感知できるわけではない。そんなことは冷静に考えれば誰でもわかることだろう。
しかし、彼等は尋常な状態でなければ冷静になれる頭でもなかった。
彼等の頭には、得体の知れない怪人を見た後に残る恐怖しか存在していなかったのである。
こうして南門の帝国軍も退き、東門、北門と撤退は続いた。
そして三軍が撤退したことを知らぬ西門の帝国軍に、蹄鉄の騎士が向かうことになる。
「ん?」
略奪品を手に不思議そうな顔で振り向いた帝国兵の首を飛ばしながら脇を通り抜け、ハクは地面を僅かに砕きながら駆けていた。
血の雨が彼の歩んできた道を舗装し、肉塊と首がそれを彩る。
ハクは、まだ己の身体の中に怒りの感情が残留していることを感じていた。
(壁か)
一区画間を駆け回り、ひたすら帝国兵の首を落として回っていた彼は、再び壁を前にする。
このエイという都市は大きく東西南北の四区画に分かれており、その四区画がそれぞれ商業区画・住居区画の二つに分かれていた。
つまりこの都市は、全部で八つある区画で構成されているのである。
彼が駆け回って帝国兵を駆逐したのはこの内の七区画。残るは西門の商業区画だけであった。
「フッ!」
蹄鉄を思わせる独特の歩行音の発生源である黒鉄と金のレアメタルで構成された足裏が寸前まで踏んでいたタイルが粉々に割れる。
凄まじい負荷と脚力が掛かったことの証明の様に割れたタイルの破片が宙を舞い、黒と金の鎧に包まれた身体が飛翔したかの様に軽やかに越えた。
跳んだ時とは違ってタイルが砕けない程の巧妙な力配分で着地し、ハクは辺りを見回す。
正面から右、ついで再び正面。更に左。
睨め回すようにじっくりと見回したハクの視界に、見覚えのある緑が移った。
「あの時の少年か」
複数人を相手にしてどうやら苦戦しているらしいことが、誰の目にもわかる。
三対一での戦いなどは、単純に数的な不利であった。
囲んで棒で叩くというと馬鹿らしく聞こえるが、実際囲まれた上でその囲んでいる者達が全員棒を持っていならば、確実にその囲まれた者は死ぬだろう。
囲まれた時点で死が確定すると言うのが、乱戦における鉄則であった。
右に回り込まれた兵が剣を突き出せばそちらに気を割かれ、割かれた気の隙間を突くようにして左に回った兵が斬りかかり、それを避けても正面の兵が一歩後方に追い詰めるように圧し込んでいく。
このままではその剣の扱いの拙さもあって壁に圧し込まれて死んでいたであろうところを、ハクは偶然発見した。
「―――シッ!」
気づかれぬ程素早く駆け、すれ違いざまに一人の首を斬り落とし、袈裟がけに両断。
残る一人の頸に蹴りを食らわせて首の骨を折り、彼は緑髪の少年を軽く蹴った。
「どぉ!?」
味方だと思っていた存在に唐突な攻撃を繰り出され、緑髪の少年ことラバックは完璧に予想外だと言わんばかりの悲鳴をあげて地面に転がる。
そして彼が寸前まで居た地点に銃弾が突き刺さった瞬間、『生きていたのか』と言う驚愕を上塗りした『こいつは裏切ったのか』という疑念が解けた。
「スナイパーが居る、のか?」
「私の側から動くな」
質問に口で答えるよりも先に行動で示し、ハクはただ一点を凝視する。
ちらりと見えたその姿は、女。
それも自分よりも相当に背の小さい、少女と言うべき存在だった。
(……八人か)
狙撃手と同じチームだと思われる戦士が、後七人。いずれも手練であることを、ハクの鋭敏な感覚が彼に的確な情報を齎す。
多対一ならば慣れ切っているが、これほどの手練を一気に相手にするという経験には慣れていなかった。
「ラバック、退け」
「そう言っても、どこから―――」
ラバックの問いごと、ハクが乗り越えてきた壁がただの一蹴りによって砕かれる。
人一人がやっと通れるくらいの楕円の穴を顎で示し、ハクは周囲へと気を散らした。
変わらず、八人。チェルシー風に分類するならば、上の中が一人、上の下が三人、中の上が四人。決して侮ることのできない戦力であるし、今まで見せている一糸乱れぬ追い込みから推測される高度な連携を加味すれば、下手すればこれからの戦闘は上の上を二人相手にすることよりも過酷なものとなるだろう。
過ぎ去っていく足音を背後に、ハクは再び思考を巡らした。
ラバックを追おうとする者は、一人としていない。つまり狙いはラバックではなく、自分であろう。
(否、私と言うよりはこの帝具か)
呪われているらしいこの帝具も、元はといえば帝国の四十八の超兵器の一つ。取り返しに来たというのは、如何にも筋が通っていた。
彼からすれば、別段この帝具に愛着があるわけでもない。返せと言われればすぐさま返却するつもりであったが、一時的にせよこれはナジェンダ将軍の管轄下にある軍によって管理・使用されている。
大本の筋を通すならば帝国に慎ましやかに返却すべきであり、今仕えている主への筋と返すことによる不利益を鑑みるならば、彼は渡さないべきだった。
「おい、そこの」
だらしなく伸ばした長髪と、佩いている如何にも呪われてそうな刀が特徴的なその男を見、ハクは早々と実力を悟る。
上の中。あの長く蒼い髪の美しい帝国兵にかなり負けるが、それでも相当な実力者だった。
「その帝具、渡してくれるか?」
「……筋はそちらにあることは認めるが、渡す訳にはいかん」
一考の後、彼は筋を通すことよりも主の不利益とならないことを選択した。
あっさりと決めたような間ではあるが、そこには彼なり苦悩がある。
「即断だな」
この男は外面だけ見てそう評したが、この場合は正しくなかった。
尤も、外見的には冷酷かつ一顧だにせずに断ったに過ぎないのであるから仕方ないと言える。
「なら、力づくでいかせてもらうぜぇ!」
心眼による気配察知を介さずに傍から見たら唐突に、足元の土中から口元だけでた黒いスーツを着た屈強そうな男がズボリと生えた。
言うまでもないが、軽いどころではなくホラーである。
「―――そうか」
生えてきた瞬間に脚を掴んで地面に引き摺りこもうとした男が身構える暇もなく、ハクの脚が二歩下がった。
未だ、ただの一度も公の場で認められたことのない武技を暗幕のように包み隠す押し出しの弱さは解除されていない。
しかし。
「ガイ、避けろ!」
「ッ手ぇ出すな、潜れ!」
暗幕が見せた僅かなブレに、赤眼黒髪の少女と目の前のザンバラ男が反応する。
嘗て死闘を繰り広げた髪の美しい一般兵ことエスデスは、ブレる前から察知した。
そしてこの二人は、僅かなブレから察知した。
素質における上の上とそれ以外との差がこれ程までに出た例も無いだろう。
「む」
二歩下がり、一歩腿を振り下げて顎を蹴り飛ばす。
単純に言うならば、二歩下がってからボールでも蹴るように顎を弾いただけ。
鍛えに鍛えられていた筈の暗殺者チームのナンバー2は、スポーツのような一撃をまともに喰らった。
振りも大きい、見ればどうくるかわかるほどの単純かつ一般的な攻撃とすら言えないモーション。
ただ速いだけのその一撃を顎に喰らい、ガイと呼ばれた男は引っこ抜かれ、そのまま放り投げられた人参のように地に沈めていた胸から下を外気に触れさせながら仲間の元へと蹴り飛ばされる。
地中からの不意打ちでアドバンテージを取り、一気に叩く。それは彼等暗殺者チームの定石であった。
現にその定石は強い。『普通、地から人など生えてこない』わけであるし、『地表に何の鳴動を与えずに地中を移動できるわけがない』のだから。
しかし、ハクは何もないはずの空中から氷が生成される瞬間を見た。
自分の鎧の内部からノータイムで氷が生成されるのを見た。
挙句の果てには弾いたはずの剣が何故か手に収まっていた、という『階段を登っていたと思っていたら下りていた』並みの異常現象に出くわしている。
今更、地から人が生えたからなんだというのか。
「さぁ、こい」
一種超兵器への諦めにも似た感情を抱きつつ、ハクは帝具を纏うでもなく無に構えた。
感想・評価いただければ幸いです。
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アカメを斬る 二
おかげでサッサと書き終えることが出来ました!
初代皇帝である始皇帝が造り上げた帝具という四十八の『超兵器』が、シンという大帝国を支えていた。
その大帝国の中興の祖に、シエイと言う名の皇帝がいる。
彼は自らの内政手腕で中弛みによる腐敗が進んでいた帝国を改革により活性化させ、この大帝国の寿命を二百年伸ばしたという評価を受けている英明な皇帝だった。
このシエイが老境に差し掛かった際、とあることを思いついたのである。
『帝具を超える兵器を造ろう』
数百年前。始皇帝がその財力と各地から掻き集めた技術者を酷使して造り上げた四十八の超兵器を超えてこそ、先祖へ誇れるというものではないのか。
彼が造り上げた兵器は、いずれも素晴らしい性能を持っていた。
しかし何れもが帝具に及ばず、或いは帝具と同等の性能を持っていても何かしらのデメリットを持っていたのである。
これらの兵器は皮肉と自虐を込められて『臣具』と呼ばれ、帝国の倉庫に押しこまれることとなった。
先程の地面から生えてきた男が纏っていたのが、この『臣具』である。
性能に劣るか、性能は伍していてもデメリットを持っている、或いはそのどちらもなこの兵器。その劣等な性能の代わりと言っては何だが、使えば死んだり使用拒否を示す物が殆ど無い。
計らずとも性能を下げたら使用制限も下がった、という感じだった。
そしてこの帝国の暗殺者チームは、教師であり羅刹四鬼の一角であるザンバラ男を除き、何れも臣具を装備している。
ザンバラ男は、帝具・一斬必殺村雨。
蹴り飛ばされた男ことガイは、土を操る能力を付与する装着型臣具のレイアースーツ。
黒髪赤目・アカメは、負わせた傷の治癒を不能にする呪いの刀こと剣型臣具の桐一文字。
周りの同年代の少年少女よりも僅かに歳上な長い金髪が麗しい少女・コルネリアは使用者に怪力を与える籠手型臣具の粉砕王。
西風の装飾を持つ白い軍服のような服装をした少年・ナハシュには一時的に使用者の実力を三倍にする剣型臣具の水龍の剣。
短い金髪をした童顔の少女・ツクシには放った銃弾が変幻自在の軌道を描く銃型臣具のプロメテウス。
眼鏡をかけている所為か知的な印象を与える黒髪の少年・グリーンには敵を自在に打ち据えることのできる鞭型臣具のサイドワインダー。
ポニーテールが特徴的な小柄な少女・ポニィには、脚力を上げるヨクトボトムズ。
つまりハクは、帝具一つで上級に分類される優秀な帝具と七つの臣具を相手にしなければならない、ということになっていた。
「ハッ!」
常に多対一における手数の不利さを視野に入れつつ戦っていたハクは、振り抜かれた水龍の剣を半身なって避け、後ろの土から出てきたガイにガッシリと拘束されてしまっていた。
無論、顎をくだかれるほどの力で蹴りぬかれたガイの力は本調子から程遠い。
しかし、彼はこの暗殺者チームの中でも白眉の怪力の持ち主である。矮躯な男一人を羽交い締めにするくらいならば弱っていても楽々可能だった。
そして追撃に振りかざされたのは、治癒不可能の傷を負わせる桐一文字。
現在鎧を纏っていないハクに治癒不可能の重傷を負わせ、ジワジワと追い詰めるというのが、この暗殺者チームの作戦であろう。
羽交い締めにされ、両腕が使えない。
死力を振り絞っているかのような怪力に、抵抗も出来ない。
身体の一部で受けても、治癒不可能の傷が残る。
「葬る!」
殆ど致命傷が約束されたこの瞬間、ハクは恐ろしいまでの冷静さで脚を上げて股を開いた。
普通、男の急所がある箇所を凶器の軌道上に、しかも治癒不可能の傷を負わせる刀の軌道上に晒すなど出来るはずもない。
だが彼は、それをやる。
「何で振り上げられた刀の前で股開けんだよ……!」
右脚のレアメタル製のブーツが桐一文字の刃を防ぎ、ステップを踏むようにして次いで繰り出された威力が左の回し蹴りで脇腹をやられてアカメは横に吹き飛ばされていく。
そうさせた原因に当たる行動に驚きを隠せないガイの肩に軌道を合わせ、ハクは例の武器出しカウンターを行った。
「ガッ?!」
何もないところから出現した刃に左の肩を横から串刺しにされ、羽交い締めにする力を弱めてしまったガイの踝に、ハクの踵が突き刺さる。
バキリと言う鈍い音が、その威力の高さを示していた。
「殺らせない!」
どこか焦るような声と共に薙ぐようにして振るわれた鞭には膝をついたガイの巨体を持ち上げ、これを盾にして防ぎ、鞭使いである小柄な少年の身体を押し潰すように投げつけて動きを止める。
「アカメ、合わせろ」
「わかった、チーフ」
後方で銃を構えていたツクシの銃撃を剣で弾いた瞬間、ハクの攻撃動作が止まった。
そして、これを以って再び攻守が逆転することになる。
桐一文字に、水龍の剣。前者は喰らうとマズイが、後者の攻撃力はさほどでもない。
そう判断したハクは、剣を大きく構えて受けの姿勢に入った。
右手を左胸付近まで移動させ、利き手である左手に持った剣を松明でも持つかのように掲げるというその構えは、彼独特の物であろう。
一見すれば隙だらけだが、相手より速く動ける自信があるならば最強を誇る攻めの構え。
待ち受けて殺すという、防御的ながら極めて攻撃的なその構えは、様々なカウンターを起点とする戦い方を得意とする彼らしいものであった。
「む……」
ハクは僅かに唸り、チーフと呼ばれた少年・ナハシュの振るった刃がその身に届く前に桐一文字を殺しにかかる。
正確に言えば、武器か使い手のどちらかを確実に殺せるような構えをとったのだから、ナハシュに続かんと攻撃モーションに入ったアカメに即死級のカウンターを叩き込もうとしたのだ。
「ッ!?」
だがアカメには、類稀なる危機察知の才能がある。その才能はここに集まった敵味方九人の中でも白眉だった。
半ば本能的に、彼女は脚を壊すような勢いで自らの身体を押し留め、回避に移る。
間合いから、逃れられない。
彼女の脳裏を掠めたのはその死刑宣告に等しい一事であり、最愛の妹のことであった。
自分が死ねば、もう一生妹とは会えなくなる。死ぬわけには、いかない。
しかし、そんな思いだけでは攻撃は避けられない。だれしもが死にたいなどと思っていないが、死んでいる。
そんな思いの強さで状況が左右するのは同格との戦いだけであり、この時点でのアカメの実力はハクよりも数段劣っていた。
普通に死ぬと思われた、その時。彼女の目の前に土壁が展開される。
「俺様も、やられっぱなしじゃない訳よ」
ガイの臣具レイアースーツは土を操ることのできる能力を持ち主に付与するという、下手な帝具よりも強力な能力を持っていた。
それを生かし、土壁を盾としたのである。
この時点で目の前にいる敵の『ヤバさ』を一番、文字通り骨身に染みて理解しているのは、現在グリーンを下敷きにしているガイであった。
彼は不明な質ではない。だからこそその鋭い勘が齎した初見の印象に囚われていたのである。
だが彼は敵の印象とは真逆とも言える強さを受け、無理矢理思考をシフトチェンジした。
「姑息な手を……」
鉱物を混ぜて硬度を高めた土の壁が一秒すら保たずに紙かなんかのように両断され、ナハシュの剣が右手の二本指で止められたのを見たアカメは、肩で息をしながら悟る。
この敵は魔人の類だ、と。
天然の才能で人を越し、本人曰く自然な努力によって他者を捩じ伏せる、生まれ持っての逸般人。
常識を形骸化させ、天才を挫き、凡才を秒殺する魔人の姿が、そこにはあった。
「やはりお前が一番厄介だな」
ナハシュが懸命に力を籠め、剣を二本の指による拘束から解き放とうとしていることを嘲笑うように手首を振って彼を振り払い、水龍の剣を放り投げる。
自分の下位互換である者など相手にならないとでも言いたいのか。
本人にそんな気はなくとも、『厄介な敵から潰す』と言うハクの方針が彼等彼女等に誤解の種を巻いていた。
「やらせません!」
自在な軌道を描くならば、描く前に弾丸を叩き落とす。
そう言わんばかりに射撃を瞬時に西風の柄付きの大剣で叩き落としながら、ハクは目を狙った弾丸を斬り落とした。
「やぁぁぉあ!」
視線が遮られたその隙を見逃さず、コルネリアとポニィが攻撃に出る。
秀でた腕力と、脚力。
万物尽くを打ち砕くと謳われた手甲型臣具の粉砕王を片手で止め、ヨクトボトムスによって強化された脚力を左手の剣を盾代わりにして防ぐ。
もう彼等彼女等にはどうしようもないほどに、この魔人は強かった。
「それは、帝具か」
「臣具、よ……!」
歯を食いしばって粉砕王に力を籠めるコルネリアに悠々話しかけ、ハクは静かに頷く。
「蒼髪の方が力は強かったな」
唐突に粉砕王を抑えていた手を離し、勢い余ってつんのめったコルネリアの腹に拳をお見舞いしたハクは、更に左肩に回し蹴りを叩き込んだ。
利き手ではないにせよ肩を砕かれては、さしもの粉砕王を装備していようが効果的な打撃を与えることは困難である。
「よくもコル姉を!」
怒りのままに繰り出された蹴りに対し、ハクは長い脚を利用した同一の蹴りを繰り出す。
蹴りの勝負では、脚の長さが勝敗を決める。そしてこの男は、長身ではないが黄金比とも言える長い脚とスタイルの良さを持っていた。
「怒るな」
冷静さを欠いた敵に遅れを取る程疲労していないハクのカウンターが顎に突き刺さり、ポニィは意識を飛ばして沈黙する。
ハクはまだ、使ったと言えるほど帝具を使用していなかった。
「フ……」
軽く息を吐き、首を回す。身体に籠もってしまった余分な力を抜くこの動作ですら、強敵の匂いが噎せ返るほどに漂わせる。
ハクはこの時、魔人の如き容赦の無さを産む鉄の精神とドSとの命のやり合いによって完成により近づいてしまった戦闘センスを持つ正しき強敵であった。
「一般兵の方が強いとは、どういうことなんだ……?」
チェルシーの情報と照らし合わせれば彼等の特徴が帝国の精鋭である暗殺者チームと似ている。
故に彼はあの氷タイプと思しき美しい髪を持つ一般兵に対する以上の敬意と戦意、それに伴う容赦の無さを以ってこの戦いに挑んでいた。
帝国の一般兵より訓練された暗殺者チームの方が名前として強く見えるのは、仕方ないことであろう。
しかし、その暗殺者チームはこの体たらくだった。
「……わからんな」
「何がだ、アベコベ野郎?」
遂に仕掛けてきたザンバラ男の刃を受け流し、妖しい刀から距離を取る。
チェルシーから受け取った情報以外に感じた何かしらの不味さというものを、彼はその刃から感じ取っていた。
「何故精鋭のはずの暗殺者チームが、一般兵より弱いのか」
さらりと流し、ハクは剣を松明の如く掲げる最速かつ最大威力を誇るカウンターの構えを取る。
一撃必殺の戦いが、始まろうとしていた。
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非理を斬る
十評価をいただいたコトコト様、ノーバディ様には更なる感謝を。ご期待に背かないようにがんばります。
『一斬必殺』村雨を蹴り飛ばし、急加速でその持ち主であるゴズキを踏み敷きながら、ハクは陽を見て呟いた。
「帰るか……」
更に村雨を遠くに蹴り飛ばし、ゴズキから右脚を退ける。
顔見知りの誼で雇った傭兵の聴こえぬ音による伝達により、彼はチェルシーの現在を察していた。
一にも二にも、彼はチェルシーを護らなければならないが為に強くなってきている。
異様な脚の速さは彼女の危機に間に合わないということを無くすためであり、剣と盾の使い方の巧さも幼い頃にチェルシーが引っ張ってきた絵本によるところが大きい。
彼女は、忘れているであろうが。
「待て……!」
既に沈んだ教え子であり義理の息子娘である暗殺者チームの教官であるゴズキは、手に持った西洋風の魔剣を消して去っていくハクの方へと手を伸ばした。
自分を含む暗殺者チームの面々には確実に、それも何回も、殺せるような隙がある。
それを見て見るふりをするように峰打ちや気絶で済ませ、挙句の果てには突然帰り始めたその姿に、ゴズキが怒りと憤りを感じるのも当然であった。
濡れ羽のような黒い髪を覆う銀色のフルフェイスの兜が消え、赤石を両肩と胸に嵌め込んだ騎士甲冑のような鎧も消える。
戦いは終わったのだと言わんばかりのその姿は、トドメを刺す気がないことを如実に示していた。
「何故殺さない」
振り向いた痩身へ振り絞るように声を掛け、ゴズキは吐血した時に付着した血を袖で拭う。
帝国の暗殺者チームを率いている身として、常に死は覚悟の上だった。だからこそ、このような屈辱は耐え切れないほどの苦しみがある。
「何故だ……!」
「殺す理由も必要も、私は持ち合わせていない」
いくら主の不利になることは配下としてやってはならないとはいえ、今回の戦いの発生原因は確実にこちら側にあった。
そもそもなぜ彼等がここまで来たかと言えば、帝国の所有物であった帝具の一つを盗まれたからである。
この時点で、ハクは命令なしの正当防衛で敵を殺してもいいと言い切れない程度の非を抱えていた。
つまり彼には理由がない。
そしてあくまで襲い掛かられただけであり、上官からは『先行して帝国兵と戦闘せよ』と言われただけで『暗殺者チームを始末しろ』などとは一言も言われていない。チェルシーにも民を守れと言われただけである。
即ち彼には必要がない。
そう聴こえないのがいつもいつも言葉が足らないの彼らしい『らしさ』であるが、敵からすればそんならしさなど関係なかった。
というより、個人の個性を尊重するチェルシーが珍しく情熱を燃やし、なおかつしつこく矯正しようとした言葉が足りないと言う欠点が、ここに来てメッキが剥げてきてしまったのである。
「さらば」
その身に剣も鎧もなく、ハクは元の貧相な一般帝国兵の装備に戻った。
ストーカーになったら最高に質の悪い能力を持つ傭兵から明度の情報を受け取り、ハクは何の迷いもなく隊長の元へと報告に向かう。
報告書を書くことと何故帝国兵の襲来に気づけたのかについての理由の説明を求められた後、ハクはチェルシーの元へと帰った。
示された情報によれば、彼女はどうやらもう家に帰っているらしい。
「チェルシー」
何故か荒らされていない彼女の家に足を踏み入れて声を掛けた瞬間、軽い足音が階段を鳴らす。
トトトトト、と。急いでいながらも女としての慎みのような物を失わなっていないチェルシーの足音を聴き、ハクは取り敢えず靴を脱いだ。
返り血を一切被っておらず、その身に傷は一つもない。
基本的に心配とは程遠い楽観主義者のチェルシーだが、自分の身に付着している血に尋常ならぬ心配を抱く。
ハクはそこらへんにも気を遣いながら、帝国兵や暗殺者チームをいなしていた。
「ハク、さん……け、怪我は?」
「ない」
体力の乏しさを露呈させるように、或いは如何に急いでいたかを示すように、彼女の息は上がっていた。
呼吸で僅かに揺れる肩に右手を遣り、ハクは上質な木材で組まれた床に広がった水を静かに眺める。
いつも明るく朗らかに、時々腹黒そうな笑みや言動を見せるとはいえ、彼女はよく泣く質だった。
正確に言えば、ハクがイジメの現場に駆けつけた時には基本的に髪やら何やらを引っ張られて泣いていたし、住所不定な彼と遊ぼうと路地から路地へと探しに来て結局見つからなかった時も泣いている。
非常にどうでもいいが、とある事情で会えなかった数年のブランクを経る前の彼女は、ことあるごとに泣いていた。
「よかったぁ……」
「う、む。いや、問題はない」
同じ人であるとは思えない程に細い骨に肉が巻付き、それに薄っすらと脂肪が積もったような華奢に過ぎる身体。
触れれば折れ、叩けば砕けてしまいそうな身体が腕の中にすっぽりと収まってしまったことに言いようのない不安を覚えながら、ハクは珍しく立ち尽くす。
鎧は既に外し、身に着けているのは軽く汗をかいている服一枚。鳩尾辺りにはっきりと伝わってくる柔らかさに驚くよりも、彼はチェルシーの行動と華奢さに驚いていた。
チェルシーはの私服と化している布の起伏が固定されたパリッとした制服は、どう動こうが身体の起伏が採寸からズレない。
かなり着痩せする制服であるということは、流石のハクも知っている。
故に彼は、チェルシーの身体は細いは細いがそれ程でもないと思っていた。
「何というか、細いな」
「太ってると思ってたの?」
チェルシーは、少し目元に残った涙をハクの袖で拭う。どうやら今日は涙腺が緩くなっているだけだったらしい。
ハクはその泣き始めてしまってからの涙腺の緩さに苦笑しつつ、片頬を膨らませて不満を示すチェルシーを誤魔化すように撫でる。
さらさらと流れる清流のように指をすり抜けていく髪を梳かれ、チェルシーは少しこそばゆそうに顔をしかめた。
誤魔化すように、しかし万が一にも痛みを与えないようにして優しく髪を撫で付けてくる手が擽ったかったのか、チェルシーの顔に猫のような笑みが浮かぶ。
顰めたような笑いには、恥ずかしさと嬉しさが半々で配合されたような感情が読み取れた。
「もっと、もーっと撫でて」
「ああ」
「手も廻して」
「……」
同じ左手で大剣を振り回し、同じ右手で大盾を悠々と操っていたのかとは思えないほどに繊細に、ハクはチェルシーの身体に触れる。
指に触れられる度に弓の弦のように背を張らせ、微妙に身体をよじらせる彼女の身体を壊してしまわないように、彼は恐る恐る背に手を廻した。
「痛くはないか」
「うん」
チェルシーは最早、手折られた花のように身体中から力が抜け、凭れるようにして辛うじて立っているような体勢になっている。
女としての性に蕩けるような瞳も瞼に閉ざされ、胸板に頬を擦り付けるその様は縄張り意識の強い猫を思い起こさせた。
「チェルシー、場所を移すぞ」
彼女が誰とも知らぬ男に抱き着いているような姿を、それも玄関という内と外を繋ぐ境から衆目に晒せば、迷惑がかかる。
さり気なく自己評価の低いハクは、きっちり鍵を閉めたことを確認してからチェルシーの膝裏に手を廻した。
彼の身体能力とそれに付随する格闘戦の技術は、この帝国どころか世界でも一二を争うほどの上位に食いこむ。
その彼であれば、信頼を寄せ切り、なおかつ警戒心のけの字もない女の体勢を崩すことなど容易も容易だった。
「あ……」
自分が今どのような立場に置かれているのか、そしてこの男は自分をどこへ運ぼうとしているのか。
非常にノリが軽いのとは裏腹に、中身はかなり乙女らしい性格をしているチェルシーは、思わず身体を硬直させる。
早鐘を打つような鼓動は留まるところを知らず、頬に一瞬で朱が昇る。
空いた手を心臓付近に押し付けると、そこには激しさを増す鼓動が響いていた。
「玄関ではお前も嫌だろう」
「……チェルシーさんは、ね?」
言うまでに相当の赤面と葛藤を経て、チェルシーはハクの服をくしゃりと握りながら口を開いた。
彼女は軽いノリとそこら辺を歩いてそうな流行りの服装のお陰でそういう印象を持たれにくいが、相当初心な質だったのである。
「……どこでも、いいよ?」
「こちらも気は遣う」
懐き切った仔猫のように何の抵抗も反抗も無く自分の操縦桿を他人に委ねたチェルシーは、返ってきた答えに対してはにかむように笑う。
「……ここで?」
「ああ」
ゆっくりとソファの上にチェルシーの身体を降ろし、ハクは無音でその隣に腰を下ろした。
ここまで来てチェルシーは、自分が完全に誤解していたことを悟る。
「……ハクさんの、馬鹿」
「何故だ」
「馬鹿」
何故、と言うのはチェルシーから言わせればこちらの台詞だった。
何故自分がこんなにも身体をくっつけてアピールしているのに平常心なままなのか。そして更に言えば何故気持ちに気づかないのか。
ジトっと湿った視線をハクに横目でぶつけつつ、チェルシーは頬を膨らませた。
「馬鹿」
「……すまない」
完全に拗ねてしまったチェルシーから少し距離を置くように座り直し、ハクはただただ頭を捻る。
何がそんなにも彼女の機嫌を損ねる原因となったのかということが、彼には皆目見当がつかなかった。
ハクは鋭いが、一方で鈍い。
チェルシーは彼が座っている時に背中に胸を押し付けるようにしてダイブしてきたり、抱きしめろと命令してみたりとスキンシップが過剰なくせに、自分からは手も繋げない。
変なところで初心であり、変なところで平気なのがチェルシーという女なのである。
彼女から言わせれば一番目は友達にやってもおかしくない動作であり、二番目は『やられているから』セーフであり、最後は恋人同士でやるべきことだから出来ない、ということなのだろうが、ハクにはいまいちそこのところの機微がわからなかった。
なのに何故運んだ程度で怒っているのかが、わからない。
荷物扱いがダメなのならば、背に乗せて道を爆走したりしたのは何故いいのか。
僅かにとった距離をあっさり詰められながら、ハクは延々と考えていた。
「ハクさんは、さ」
「うん?」
思考が弾かれ、泡沫のように消え去る。
目の前の現実が姿を表し、視界には遠くに見えるドアとチェルシーの緊張したような顔が映り込んでいた。
傍から見てもわかる程に、緊張している。
そんなチェルシーの顔を不思議げに見つめ返し、ハクは橙の瞳を覗き込む。
「私のこと、どう思ってるの?」
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授受を斬る
彼女のことをどう思っているのか。彼にとってその質問は、一瞬の逡巡も見せずに答えられるであろう問いだった。
護るべき人。たった一人、この世の全てから庇護してやりたいと心底から思わされた唯一無二の、掛け替えのない存在。
まだ幼く、漠然とした善意でしか動けなかった自分の力に対して、明確に掲げられた指針。
そんなことは、彼女もわかっているだろう。彼はそれを口に出すことこそしなかったが、行動で示してきたという自負があった。
では、何故今更わかりきったことを聞いてくるのか。それは最早、ただの一つの要因に寄るとしか考えられなかった。
「失望させたか」
「……ちょっと寄りの、かなり」
なまじ文脈的にヘンテコでなかったぶん、動転していた彼女の耳と第六感にはいつもならばわかる『相互認識のズレ』のようなものが届かない。
故にそのズレは、気づかれぬままに加速する。
「悪かったと思っている」
「そこまで気に病まないでいいけど、やっぱり、その……チェルシーさんにも怖さとか色んなものが巡ってたわけよ。そこら辺を察してくれると、嬉しいかな」
「ああ」
前者は泣かせてしまったことを、後者は女としての覚悟を裏切られたことを。
全く違うことを話しているにも関わらず、二人の話は表面上は噛み合っていた。
余談ではあるが、この会話にはチェルシーの死因となりかねない『動転すると判断力・洞察力が八割方崩れ去る』という欠点がものの見事に現れていたと言える。
取り敢えずこの会話は、ハクが直接的な答えを以って問いに答えなかったという僅かな異変を残して決着した。
そして、帝国兵の襲来と言う嵐から束の間、再び嵐が舞い込む。
「失礼する!」
本来の歴史ならば片腕を喪ったことによるリハビリの為にろくに動けなかった眼帯を付けた銀髪の将。
ナジェンダが今回の嵐の目だった。
この将はエスデスと言う人という生物を卒業したナニカとの戦いとも言えない一方的な弾幕ごっこにより、片眼を喪っている。
彼女はこの『片眼を喪う』という常人ならば死にかけ、或いはリハビリに相当な期間を要するであろう怪我をこの戦に際して無理矢理切り上げた。
そして、自ら残兵を率いて城外に居た―――つまり、ハクの辻斬りとも交通事故とも言える突破によって多少の犠牲を出した帝国軍主力部隊を撃滅したのである。
その後、掃討戦は新たに選出した副官、ハクに至極真っ当ながら間違った反論を返した部隊長に任せ、彼女と親衛隊は城郭内部に侵入した敵を潰しまわっていた。
つまりその親衛隊であるラバックも単騎でフラフラ来たわけではなく、この作戦の一環として斥候の任を受けたら偶々囲まれ、逃げに逃げてハクの付近まで来た、ということになる。
「ラバックから聞いた時はまさかと思ったが―――」
火事場のクソ力とも言うべき超反応と歴代最高クラスの適性に任せた帝具との相性で黄色い石という無機物に化けたチェルシーには当然ながら目もくれず、彼女はハクの手をとった。
「―――感謝する」
その瞳には犠牲にしてしまった命が生きていてくれたことへの感謝があり、その感謝の底には自分の身を賭して己と兵を生かしてくれたことへの感謝がある。
これ程までに純粋な感謝の念を受けたことのないハクは、僅かに面食らった。
彼にとっての己とは他者を守る為の糧に過ぎず、極言するなれば『己の生まれ持った傲慢さ』を満たす為の器に過ぎない。
その傲慢さに嫌悪を向けられども、感謝される謂れはなかったのである。
「貴女と旗下の兵を救った私の行動は、私の欲と課せられた義務による物です。感謝される謂れはありません」
私欲に塗れた己の行動は、決して賛辞には値しない。無私の善行こそが彼女の瞳と言葉に宿る感謝を浴びせられるに相応しい。
例えばそれは、後方でこちらを軽く睨らもうとしながらも睨みきれていない緑髪の少年のような。
「義務と、欲?」
「兵足る者、将の盾とならねばならず、それを指した言葉が義務です。欲とは鼻持ちにならず、また満たされない私の傲慢さのことです」
思わず失笑する程に烏滸がましい、鼻持ちにならないほどの傲慢さ。
「私はとある人を泣かせない為に、何よりも私のエゴの為にも、目の前の命をむざむざ見捨てたくはありません」
見た目の押しは弱いが相当な実のところは自信家である彼には、あの状況でも生き残れるという確信と、それをなす為の覚悟があった。
彼が戦闘前に躊躇いを見せるとするならば、それはその自信に翳りが差した時であろう。
「それは、エゴか?」
「はい」
清々しいほどに明朗に答えるハクの内面の複雑さに一種の慎重さを抱きつつ用件を切り出そうとして離したナジェンダの手に、金と銀の輝きが鮮やかな一輪の腕輪が収められた。
自分が帝国を脱する時、戦力の慚減も兼ねて持ってきた曰く付きの帝具。
使用者を尽く灰と化してきた呪いの帝具が、彼女の手の内に握られている。
「そして、お返しします」
「やはり、他の物がいいということか?」
「いえ、そもそもそれは私のものではありませんので」
使える物ならば使わせ、本人が呪いの帝具など嫌だと言うならば革命軍の倉庫に押し込んである他の帝具をあてがおうとしていたナジェンダからすれば、それは意外な対応だった。
戦士からすれば、普通帝具というものには執着を持つものである。
使っている帝具が弱きに過ぎたものであればわからなくもないが、彼の帝具は紛いなりにも『亜強』と呼ばれる強力な物。
ならば、『他の帝具を見せていただけませんか』とか『正式に戴いてもよろしいでしょうか』とか。そういうふうに切り出してくるのが普通ではないか、と。
つまり、帝具という力の塊に執着を持たないのは少しおかしいと、ナジェンダは手に持つ呪いの帝具を見てそう思った。
「いや、貴方には正式にいずれかの帝具が授けられることになっている」
「そうでしたか」
またもや非常に淡白な返事にあって面食らいながらも、ナジェンダは一般兵を相手にしているとは思えない程に丁重に革命軍の倉庫まで案内し、一々目録を読む。
放てば必中を誇る弓の帝具。
プロトタイプを経て安全性が増した鎧の帝具。
炎を操る槍の帝具。
分裂し、盾にも鎧にもなる剣の帝具。
近接戦闘と言うよりは武芸特化型ならばということで用意されたそれらの帝具は、革命軍が対エスデス用の戦力として如何に彼に対して期待の念を抱いているかの裏返しでもあった。
現時点で革命軍内で最強といえる槍の使い手も、エスデスの互角に戦えるとは言えない。自身に問うてみたところ、謙遜もあろうが『精々手傷を負わせられるくらいで、倒すどころか生還も難しい』という答えが返ってきている。
これに対し、ハクは勝った。
勝ってなどいないと彼は認識しているが、血ほ赤色が滲む包帯で傷口を止血しながら去っていく馬上の姿を見た革命軍の密偵からすれば、それは明確な勝ちに見える。
そもそも瀕死になるまで撃ち合った挙句限界を超えた奥の手を放ち、負けた数日後に馬に乗れているのがおかしいのだが、それはハクも同じことなのでどうでもいい。
問題は、今まで不敗だったエスデスに黒星をつけた者が居るということだけだった。
だから革命軍は、彼を『英雄』として讃えた。戻ってきたら多額の報奨と相応の待遇を約束することですぐさま名乗り出てくれることを期待したのである。
その目論見は失敗したが、だからと言って待遇が変わるわけではない。
ハクはただの一般兵ながら、ナジェンダと同格かそれ以上の待遇、つまり特別扱いを受けていた。
「どれがいい?」
この将軍直々に案内するというのもデモンストレーションの一種と考えれば、納得がいく。
どうやら自分は他者と比べて別枠の扱いに遇することになるらしい、と。
決して馬鹿ではない彼はこの時点で己を取り巻く環境の変化を看破していた。
「……」
それらの帝具の他にも少数とは言え様々な帝具があり、その中には暫定的にとは言え嘗ては己の物であった帝具も含まれている。
明らかに『止めておけ』というふうに隅っこにおいてあるとは言え、候補としてそこに在った。
近接戦闘用の帝具をすべて見せろと言われた都合上、ナジェンダはこの呪いの帝具をどっかにうっちゃるわけにはいかなかったのである。
「では、やはりこれを」
「……正気か?」
ハクが手にとったのは、件の呪いの帝具。
一応注釈しておくと、彼は別に正気でなくなったわけでもなければ力に魅せられたわけでもなかった。
どうせ誰かが使うことになるのであれば、今のところは大丈夫な自分が使っておいた方が良いと判断したのである。
無論使い慣れているということもあったであろうが、これ以上この帝具による被害者を出したくないというのが彼の嘘偽りない本音であった。
「さて、帝具も決まりました」
「ああ」
見透かすような眼差しを向けられ、ナジェンダは改めて肝を据え直す。
何も帝具の授受だけが、彼女に与えられた任務では無かった。
「遥か北西にある峡谷地帯・プトラに、軍資金の調達に向かってもらいたい」
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