Scarlet stalker (雨が嫌い)
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ChapterⅠ 哀縁喜縁のスカーレット
Prologue『主人公欠席の報せ』


 帰ってきました『雨が嫌い』です。
 まず前作を見ていてくれた方に謝罪をします。
 一年半も放置してすみませんでした。
 AAのアニメを見て再び書く気力が湧き、真に勝手ながら新作と言う形で投稿させていただきました。

 そして、こちらから見ていただいた方には初めましてと挨拶させていただきます。

 一応前作『鉛色から空色へ』のリメイクと言うことになってるため似たようなところは少々ありますが、ほとんど新作と思ってくれて構わないです。

 それでは、本編へどうぞ。
 皆さんの暇つぶしになってもらえれば幸いです。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 あの頃は毎日がとても楽しかった。

 あの人と共に学び、遊び、同じものを目指して日々を駆け抜けていたあの頃。

 もう失ってしまったあの頃。

 

 あの頃は今こんなことになるなんて夢にも思わなかった。

 あの人を失うだなんて思わなかった。

 胸に風穴が開くような苦しい思いをすることになるなんて思わなかった。

 

 あの頃にもう一度戻りたい。

 あの人と笑い合ったり、真剣にぶつかり合ったり、認め合ったりしたい。

 ただ、一緒にいたい。

 

 

 それが出来ない自分が。

 踏み出すことのできない弱い自分が、殺してしまいたいほど嫌いだった。

 

 

 だけれど、ならばあの時私はどうすればよかったのだろうか。

 私は一体何になりたかったというのだろうか。

 愚かで卑しい私は今もずっとそのことだけを考え続けている。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ日が完全に上りきっていない早朝。

 竹中弥白は日課のランニングを行っていた。

 日の光も薄く、うっすらと白い靄のようなものが景色に溶け込んでいる街並みを、軽やかなステップで駆け抜けていく。

 弥白は最近の高校生の例に漏れず、にぎやかなことが好きで、運動が好きで、勉強が嫌い。そんな普通の男子高校生であるが、このまだ街が起きていない静けさとひんやりとした朝の空気もまた大好きだった。

 人がほとんどいない静かな街を一人で走っていると、自分がどこか特別な存在に思えてくるのだ。

 もちろん、それはただの錯覚だということはわかってはいるのだが。

 

 しばらく無心で走っていると、進行方向に一人の少女が歩いているのが見えた。

 空色のショートカットの髪と表情の無い顔。極め付きは背負っている狙撃銃。

 そんな特徴的なキャラクターは、弥白の知る中では一人。

 

「おはようだぞ!」

「はい、おはようございます」

 

 そんな不思議な雰囲気を持つ彼女は、朝の散歩が日課らしく、朝走っている弥白と顔を合わせることが何度もあり、今ではあいさつする程度の関係だ。まあただそれだけで、名前さえ知らないのだが。

 

「朝散歩なら今の季節、西海岸近くの通りとかおすすめだぞ! 朝焼けのレインボーブリッジもいい感じで、場所柄なのか風がとっても気持ちいいのだ!」

「……風が」

 

 通り過ぎざまそう言ってみると、彼女は僅かだが反応してくれていた。

 反応が薄いのはこういう人なのだろうと認識しているため、気にはならない。それでも反応してくれたということは、彼女の琴線に少なからず触れたのだろう。

 自分のおすすめが人に肯定されたような気がして、弥白の足取りはさらに軽快になっていった。

 

 そうして10分以上は走っていたことだろう。

 

 大体今日の折り返し地点と弥白が定めたところ──人工浮島(メガフロート)西海岸近くの通り──にぽつんとある自販機でスポーツ飲料を買って一先ず息を整える。

 この先の道をさらにずっと行くと東京湾に出ることができるのだが、コンクリートで固められたこの島に浜辺なんて気が利いたものはないし、東京湾自体汚くて人が入れたようなものじゃないため、この辺りで眺めているのが一番いい。

 

『────』

 

 一瞬ノイズのようなものが頭の中を走る感覚。

 弥白はそれを酸欠気味のこの状態故の立ちくらみのようなものだと思った。

 

「弥白殿ではござらんか」

 

 こんな感じに風魔陽菜が声を掛けてきたりして。

 

「む……久方ぶりだぞ」

 

 陽菜としっかりとした会話をいつからしていなかっただろうか。

 もしかしたら、高校生に上がって以来、初めてのことになっていたのかもしれない。

 弥白は、中学生の頃毎日のように顔を合わせていたのに、この春から少しだけ疎遠になってしまっていた。

 久方過ぎてどう話し始めればいいのかわからないのだ。

 

「息災で何よりでござる」

「うん! ヒナはここまで朝が早かったとは記憶していなかったぞ」

「いえ、ここの付近で新しく深……ごほんっ、早朝バイトを受けた次第で」

 

 陽菜は学校制服ではなく、紺色の作業服のようなものを着ていた。胸にデフォルトされた三毛猫の刺繍がしてある。遠目に見た時にわかったが、バイト先の制服なのだろう。

 

「そうであるか」

「そうでござる」

 

 なんて、取り留めのない、談笑をしたりする。

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

 まあ、現実はそううまくいかないのだが。

 

 体も随分と冷えている。どうやら休みすぎてしまったようだ。

 春先はまだ冷える。このままずっとこうしていたら風邪を引いてしまう。

 白く靄がかっていた景色は本来の色を取り戻してくる。少しずつ、外にも音が漏れ始め、街もまた起き始めたようだ。

 遠く見えた知り合いの少女をしり目に弥白は走って帰宅をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(やってしまったのだあああああ!!)

 

 始業式、HR、そして授業代わりのガイダンスが終わった放課後の教室で、頭を机に何度も打ち付けていた少年が一人。

 竹中弥白。15歳である。

 どうしてこんなことをしているのかはまるでわからない。何をやってしまったのだろう。一般教養の教科書全て忘れてきたのはきっと関係ないはずだ!

 ガツンガツンと、音が鳴る中、最後の一回は一際強く入ってしまったようで、

 

「〰〰〰〰〰っ!」

 

 口をパクパクしながら、悶絶する。

 そのおかげ(?)で、この意味の無い自傷行為は終わりを迎えることが出来たのだが。

 

「バカになるかと思ったぞ。危ない危ない」

「もう手遅れなんじゃねーの?」

 

 そんな自己嫌悪中の弥白に話しかけてきたのは同じクラスで同じ強襲科(アサルト)生でもある火野ライカだった。165cmと女子の中では長身で、男勝りな性格から『男女』と呼ばれていたりする、金髪ポニーテールの少女。

 因みに弥白より背が高い。弥白の身長は……

 

(あるっ、おれは160cmあるのだ! チビではないぞ……四捨五入すればギリギリ)

 

 男子としては少しばかり(・・・・・)小柄な方。(自己申告)

 

「バカだバカだと思ってたけど、あれだ。……おまえ、相当頭おかしいな」

「ぐっ……そ、その感想は、おれの心に思いのほか突き刺さっているのだ」

「えーっと、壊れた奴にはどうすりゃいんだっけ? 確か、斜め45度で──」

「更におれの頭部にダメージ叩き込む気なのかっ!?」

「あーもう! バカのせいで話が全然進まない」

「え、おれのせいではないのだ!? そもそもおれはバカではないぞ!」

 

 火野は何だか少し機嫌が悪いように見える。

 確かに火野は弥白と同じ強襲科(アサルト)生だけあって、気が短めなところがあるが、基本的に面倒見がいい姉御肌な人間。

 それに怒る時は一気に爆発するタイプでもあるので、こうちょっとイラついている状態は中々レアであったりする。

 少なくとも、ここ一ヶ月ほど接していている中で、弥白はこんな火野を見たこと無かった。

 

「あのさ、竹中。ソラのこと知ってるか?」

「それは、ソラが世界から消失し、皆の記憶から消えたのを信じられず質問した、という解釈なのだな? どうやらおれも特異点らしいぞ、ソラのことは覚え──アガッ!」

「斜め45度。斜め45度」

「治った! 治ったのだぁ!!」

 

 女子だというのにイラついたら、このようにすぐ手が出る。

 まあ、今のは弥白が悪かったし、強襲科(アサルト)としては健全で何よりの行動ではあるのだが。

 

『野蛮です。女性であるならば、慎みを何より持つべきです』

 

 黒重()ならばそう言っていたに違いない。

 そう頭を過った時点で、弥白は憂鬱な気持ちがぶり返してきた。

 

(幻聴とか……火野がぶつからだぞ!)

 

 とは言っても、火野にとってはそんなこと知った事ではない。

 

「アタシは、ソラが今日来てない理由を知ってるかって聞いたんだ」

 

 言われて気が付く。そういえば、教室にソラがいない──ということに。

 寝る時間もイマイチ定まっていないのか、いつもバラバラの時間に教室に来て、時に弥白の話を聞いてくれて、時に漫画を読み、時にボーっとしているあの友人が今日は来ていない。

 そんな事にも気が付かないなんて……

 

「はぁ……。いくらソラでも始業式からいきなりサボりかますとは、予想外だったぜ」

 

 火野は呆れた顔を片手で抑え、疲れたように項垂れた。

 

「サボりと決まったわけではあるまい」

「いや、絶対サボりだな。思えば一般の授業自体はまだないからさ、理由としては十分以上にあるし。まあ、ただのサボりなら良いんだ。……いや、良くはねーけど」

 

 当たり前だが、ガイダンスや始業式はテストにでない。しかし、だからと言って軽視していいものでもない。でなければ世の中の高校生は全員ボイコットしていることだろう。

 だがそれらは、一般的な考え方であって、あの(・・)石花ソラにも当てはまるとは言い切れない。

 それに、火野はサボりを咎めていると言うより、何かあったのではと心配しているようにも見えた。

 

「うん、魔物の巣窟とはまさにここのこと! ゆえに、この武偵高では何が起こるかわからないのだ。火野の心配も理解できるぞ」

「武偵、それに武偵高か。国が定めた資格って言えば聞こえがいいけどさ、その実日常的に殴り合ったり、取っ組み合ったり、挙句拳銃ぶっ放し合ったりするところだしな、ここ」

 

 「ま、通ってるアタシらが言うのもおかしな話だけど」と続ける火野の言う通り、東京武偵高(ここ)はただの高等学校では無い。

 

 武偵──武装探偵。

 その名の通り、武装した探偵のことで、職業でもあり、国家資格の一つでもある。

 凶悪化した犯罪に対抗するため、ナイフ、拳銃などの武装が許可され、それらを用いてあらゆる有事を有償で解決する。

 これを何でも屋と受け取るか、ヒーローと受け取るか、はたまた荒くれ者と受け取るかはその人の価値観に寄るだろうが。

 

 なお、武偵能力は通常Aを優秀とし、Eを劣等とする、五段階評価で格付けされており、竹中弥白は強襲科(アサルト)Cランク、火野ライカはBランク、ソラ──石花ソラは諜報科(レザド)のAランクである。

 

 そして、ここ東京武偵高はその武偵を育成する学校。

 強襲科(アサルト)狙撃科(スナイプ)諜報科(レザド)尋問科(ダキュラ)など様々な専門科があり、中には習っていいのかこんなことと、言われるような内容も含まれている。

 特に弥白や火野の所属する強襲科(アサルト)はその名の通り強襲、戦闘で犯人を強引に逮捕する武偵高の中でも最も過激な専門科だ。

 卒業までに約3%の生徒が死んでしまうと言えば、その苛烈さが感じられることだろう。

 

「これでも日本はまだマシな方だけど。アメリカとかに比べれば」

「物騒な世の中になったものなのだ。おれは日本人で良かったぞ!」

「ま、本当に日本が安全だったら武偵なんてないけどな」

 

 そんな風に弥白がライカと取り留めのない話をしていると、

 

「相変わらずライカちゃんはソラ君のこととなると心配症だね」

 

 平頂山蓮華が唐突に割って入って来た。

 蓮華は相変わらずの『この世を誰よりも楽しんでます』といった顔で、片手を腰に、もう片方の手でこちらを指さすようなポーズをとっている。かっこつけているつもりらしい。

 

「やぁやぁ、お二人さん。話は聞かせてもらったよ」

 

 しかも、堂々と盗み聞き宣言してくる始末。

 余りにも堂々としすぎていて、これが正しい人の在り方なのかと誤解してしまうほどに清々しい口調だった。

 その証拠に弥白と火野の顔には呆れしかない。

 

「ライカちゃんが心配してるのは、ソラ君自身のことよりも、あの人と一緒にいるか的なことじゃないのかな? 二人の距離が近づいたらどうしようとか? そのままその先に行ってしまったら、とか?」

「ち、違うッ! アアアタシは別にそんなこと……」

 

 突然狼狽えはじめた火野を弥白は胡散気な目で見ていたが、『二人』という言葉はどうも引っかかる。

 

(ソラと仲がいい奴などこのクラスの他で居たというのかぁ? ソラ基本一人ぼっちであるし。うん? うんうん? ……まさかヒナではあるまいな?)

 

 思いっきりソラに失礼だが、事実なので仕方がない。

 ソラは悪い人間ではないが、クセの強い性格だけに親しい人間が少ないのだ。

 

「もしも二人が過激なSMプレイをしてたらどうしよう、と」

「ねーよ」

 

 一瞬で空気が白ける。

 

(『えすえむぷれい』とはなんぞや?)

 

 弥白には意味のわからないことであったが、蓮華が悪いのだろうなぁ、ということだけはなんとなく伝わった。

 

「で、何の用だよ」

「そうだった本題があったのを忘れてたよ、ライカちゃんの反応が可愛くて。いや、ホント可愛くて、可愛くて可愛くて可愛くて!」

「な!? 蓮華ェッ!」

 

 火野は「バカにスンナ」といった顔で再び蓮華を睨むが、睨まれているはずの本人はどこまでも楽しげな笑顔で受け流す。

 因みに、火野は「ライカちゃん」呼び自体、嫌がっている。なんかムズかゆくなるらしい。それもわかっていて蓮華は直そうとしないのだが。

 

「まあまあ落ち着いて」

「誰のせいだ! ったく」

「あははのは。それで、話というのは今朝の事件のことなんだけどね」

「もしかしてそれってさ、第二グラウンド近くで起きた爆弾事件(ボム・ケース)のことか?」

 

 火野も心当たりがあるようだった。

 

(ああ、武偵高の周知メールでそんなようなことが書いてあったぞ)

 

「おやおやライカちゃん、知っていたのかな?」

「今朝、たまたま現場の近く通ってさー。でも、態々話すようなことか? こんな近くで爆弾事件が起きたってのはそこそこ(・・・・)のことだし、物騒だ。でもさ、蓮華がもったいぶって言うようなものとは思えないんだけど?」

 

 爆弾事件がそこそこで済まされてしまうあたり武偵高の特異さが見て取れるものだ。

 尤も、今ここで話している面子はすっかり侵されてしまっているので、火野の言葉に誰も反論したりはしないのだが。

 

「重要なのは事件そのものよりも、その関係者というべきなのかな。その関係者というのが、ななんとなんとっ! 遠山キンジ先輩と神崎・H・アリア先輩なんだよねぇ」

 

 今聞こえた名前は弥白にとって、決して聞き流せるようなものでは無かった。

 遠山キンジ。

 元とはいえ、SランクというAよりもさらに優秀なものに送られる特別ランクを所持していた凄腕武偵で、弥白にとって憧れの人だからだ。

 

「今、アリア先輩って言った!? 言ったよね!」

 

 蓮華に続きを促そうとした時、横から口を挟んで来た者がいた。

 

「む、チビすけ、勝手に話に入ってくるなだぞ!」

「チビすけじゃないもん! あたしには間宮あかりって名前があるんだからっ! それに背だってこれから成長するもーんだっ!」

 

 間宮あかり。

 神崎・H・アリアの熱烈なファンだ。それも、今のように蓮華が少しばかりアリアの名前出しただけで飛んでくるほどの。

 身長もこの年にして140cm無く、大きな白いリボンでこしらえたツインテールも相まって、見た目はどこからどう見ても小学生。

 同じような体型でSランクを取っているアリアを心底尊敬しているらしい。

 

「絶対成長止まっているのだ。もう高校生なのだぞ?」

「うぐぅ……それを言うなら竹中だってぇ…! その言葉は自分にも返ってくるんだからね」

「残念であったなぁ、男子は高校生からでも伸びるのだっ!」

「でも竹中は伸びないもん!」

「おれは伸びないとはどういう意味なのだああああああ!」

 

 多分そのままの意味である。

 

「とにかく異議ありっ! 竹中の今の言葉に異議があるよ!」

 

(今言っていたことに異議があるだと?)

 

 つまり、間宮あかりの正体は……

 弥白は確信をもってそう告げる。

 

「驚愕、しかし納得なのだ。やはりおまえ小学生であったか…!?」

 

 衝撃に見えて、ああやっぱりと言う事実を。

 

「なんで!? なんでそうなるの!?」

「だって、おれの言った『もう高校生』という言葉に異議がある、つまり高校生ではないということになるぞ!」

「そこじゃない! 一個前っ!」

「それより前……だと…? よ、幼稚園生……?」

「誰がよーじたいけーせいちょー見込みなしのじゅんどうだあああああ!!」

「柔道がどうかなんて誰も言ってないのだあああああ!!」

 

 誰も間宮に幼児体型など言ってはいないし、誰も弥白に柔道がどうかなど言っていない。

 こんな感じに二人は日常的に言い争う仲だ。犬猿の仲とも言う。

 160cm無い男子と、140cm無い女子がバカみたいに言い争っている。しかも身長に合わせたかのような童顔同士。傍から見れば、ガキのケンカにしか見えない。小学生くらいの。

 子供のケンカは大事になることは少ないが、とにかくやかましい。今日はこの二人を相手する係がいないので尚更。

 

「うんうん、あかりちゃんおっぱいも小さいからね。でもそれがいい」

「蓮華は事件の概要だけ話してあとは口を開くな」

「……い、イエス、マム」

 

 蓮華は、ライカにがっしりと頭を掴まれて冷や汗をかいている。

 恐らくかなりの力でギリギリと圧迫されているのだろう。いつも怪しい笑みを浮かべている顔も今は苦痛に歪んでいる。

 そして、やっと語り始める今朝の事件の詳細。

 

 始まりは今朝、始業前のことだった。

 東京武偵高2年生の遠山キンジは、世にも珍しいチャリジャックの被害者になってしまう。

 そんな彼を同じく東京武偵高2年生、神崎・H・アリアがパラグライダーを用いて上空からかっさらう形で救出(セーブ)した。

 

 と、まあ、まとめてしまえば一言二言で済んでしまうような出来事だが、ビックネームである二人の2年生が絡んでいるというだけで、事件に重みが増すように弥白には感じていた。

 

「むむ、間宮ぁ、なんなのだその顔はぁっ」

「べっつにー! ふふんっ」

 

 その話を聞いているうちにどんどんニヤけが増してきていた間宮だったが、ついにはドヤッとした顔を隠そうともしなくなった。

 

(大方、アリア先輩“が”キンジ先輩“を”助けた。その事実に勝ち誇っているに決まっているのだ。ムカつくぞ)

 

 弥白はフンっと鼻を鳴らす。

 

「ふふふ、そっか! アリア先輩使ってくれたんだ!」

 

 ただ、間宮が喜んでいたのは別のことだった。

 

「それねっ、そのパラグライダーってね、あたしが縫ったやつなの! アリア先輩のために!」

「む? なんで間宮がアリア先輩の道具を作っているのだ?」

 

 しかし、そのことに疑問を持ったのは弥白ただ一人で、他のメンバーは逆に納得の言った顔を見せていた。

 わけがわからないという顔をしていた弥白に火野が説明してくる。

 

「ああ、竹中はまだ知らなかったのか。あかりの奴、昨日付でアリア先輩の戦妹(アミカ)になったんだよ」

 

 ──間宮が、アリア先輩の、戦妹(アミカ)

 

(それはなんの冗談なのだ? だって、間宮はEランクで、アリア先輩はSランク。昔のキンジ先輩と同じランクであるはず。ありえない、ありえないぞ。…………はっ! まさか夢!?)

 

「ソラからバーッと、セーブ! アリア先輩かっこいい! 遠山先輩なんかとは比べものにならないっ!」

 

 俯いていた弥白が次に正面を向くと見えたのは、どこまでの憎たらしげな顔をしたチビッ子間宮だった。

 

「……何やら笑止千万な戯言が聞こえたなぁ。でぇ、誰と誰が、比べものにならないのだ?」

「あっれー? 聞こえなかったの竹中ー?」

「ああ、キンジ先輩が超カッケーという話であったか?」

「そんな人いたねー。アリア先輩に“助けられた”人だったっけ?」

「ぐぬぬ……ど、どうせ偶然そうなっただけに決まってるぞ!」

「何それ! 負け惜しみも大概にして!」

「負け惜しみとは心外なのだ! ソラもこいつにドカンと一発かますべきだぞ!」

「ソラ君、あたし間違ったこと言ってないよね!?」

 

 ………

 二人の問いに一切の返事は返ってこない。

 

「だから、ソラなら今日来てないって」

 

「「あ」」

 

 火野は今日だけで一体何度呆れることになるのやらと、騒がしい友人たちを見て溜息を吐く。

 

(そうであった。ソラは、来てないのだ)

 

 ソラは今日学校には来ていない。

 いつもなら、弥白と間宮の話を聞いてくれるソラは、今日いない。

 

「詳しいことはまだわかってないみたいだけどね、聞いた感じだとどうもやり方が最近捕まった『武偵殺し』に似てるっぽいらしいかな」

 

 武偵殺しと言えば、爆弾を使い、武偵ばかりを狙う犯罪者で、最近捕まったはずだ。

 模倣犯か何かかと考える弥白だったが、それはこれから鑑識課(レピア)が行う仕事でわかることだろうと結論付けた。

 

「そういや蓮華はどこから今の情報を仕入れたのだ?」

「2年の峰理子って人のこと知ってるかな?」

 

 そんな疑問を蓮華は見透かしたのか、一人の名前を挙げる。流れからしてその人が蓮華への情報提供者なのだろうが、弥白は知らない名前だった。

 

「背が小さくて、おっぱいが大きい。ビバ、ロリ巨乳っ」

 

 その情報はいらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中に行う一般教養が終われば、専門科の時間だ。

 弥白と火野がいるのは強襲科(アサルト)の訓練棟たる体育館。

 学生たちはこの建物のいたる場所で、格闘訓練、筋力トレーニング、武器楝度向上など各々が自分を高めるために日々努力を重ねている。

 

「結局来なかったな、ソラ」

 

 ふとそう漏らしたのは火野だった。どうやら今日一日ずっと気になっていたらしい。

 

「充足。きっと用事があったのだ」

「それにしても、アタシに連絡くらいしてくれてもいいだろ」

「む? なんで火野に必要なのか意味がわからないぞ?」

「教師に報告する奴が必要だろ」

 

(火野ではなければダメだという理由の説明ができてないぞ。でも火野がこういう時、口に出したら怒るから言わないのだ)

 

 前に弥白が、ソラのことをグチグチいう火野に意見した時のこと。弥白は単純に疑問をぶつけただけだったというのに、火野の方は真っ赤になって反論してきたものだ。

 

「あかりの奴も強襲科(こっち)来てねーし」

 

 あのあと間宮も「アリア先輩の手伝い」とか何とかと言い、そそくさと帰っていった。それはもう、嬉しそうに帰っていった。

 

「手伝いってなんだろう。この前暴れてた中華ギャングの事件関係か? アリア先輩も解決に関わってたらしいし」

「でも、アジト潰されてたって聞いたのだ。尋問科(ダキュラ)が吐かせた場所に行ったら、そこは血の乾いた惨状! メンバー全てぶっ倒れてたというではないかっ! 抗争か何かあったのだろうなぁ」

 

 今日の周知メールに来ていたもう一つの事件。

 捕まったあとも武偵高の生徒に暴行しようとしたり、その仲間を取り返そうと移送中のバスを襲撃した、往生際の悪い犯人グループ。

 そのアジトへ向かった所、もう全て終わったあとだったという話。

 幸い誰も死んでいなかったので仲良く刑務所にぶち込むことが出来たらしいが。

 

「ゆえに残ってることは、事後処理関係とかだぞ。だけど、間宮にその類の仕事任せるとは思えないのだ」

「それは……アタシも思う」

 

 間宮はEランク武偵。

 これはただ単純に弱いと言うだけではなく、武偵として必要な知識も欠けているということも差す。ランク考査は何も実技だけでは無いのだから。

 強襲科(アサルト)にとって頭でっかちは使い物にならないが、それでも知識がいらないわけでは決してない。少なくとも、知識だけでもしっかりしていればDランクくらいは取れるものだ。

 

「志乃の奴も、さっきなんか変だったし」

「あの場に佐々木もいたというのか? 気づかなかったぞ、これも修練不足と言うやつなのかぁ。己の未熟を嘆くばかりだぞ」

「いや、それはなんか違うと思う。……まあ、いたって言っても、途中からちょろっと来て後ろで静かに聞いてだけだし、わかんなくても無理はねーよ。俯いてなんかブツブツ言ってたのはちょっと怖かったぜ。まあ、今日はみんな変な日だったな。いつも通りだったのはアタシと蓮華くらいか?」

 

(おまえもちょっと変だったぞ)

 

 因みに、その蓮華はいつの間にかいなくなっていた。

 いつものことである。

 

「おれは別に変ではなかったのだ。自然体にして等身大だったぞ!」

「バーカ。頭を机に打ち付けている奴が変じゃないわけねーだろ」

 

 思い返してみれば奇行以外の何でもないことに気が付き、上手く言い返せない。

 

「あ、あれなのだっ。鍛えてたのだぞ、頭を!」

「頭鍛えるんなら、別の意味で鍛えろよ。中身とか」

「その物言い、まるでおれをバカと言ってるようではないか!」

「違うのか?」

「違うぞ!」

「じゃあ、なんであんなことしてたんだよ?」

「え、あの、その……そうだぞ! そんなことより今日も勝負だぞ火野!」

「話のすり替え下手な子かおまえ」

 

 強くなるには壁をどんどん乗り越えていかなければならない。決して言葉に詰まってしまったから苦し紛れに言っただけではない。

 火野のことを弥白は当面の壁に定めていた。

 

(この壁を乗り越えられないようなら、最強の英雄たる遠山先輩と肩を並べるようになるなど夢のまた夢だぞ!)

 

 弥白は、元気よくファイティングポーズを取る。気合十分だ!

 

「よしっ! 今日はおれが勝つのだ!」

「はぁ、それもいつも言ってるけど、実行された試しがねーよな」

「う、うるさいっ! 今日は勝つのっ!」

「ま、アタシもやるからには、手ェ抜いたりしないぜ」

 

 嘆息した様子から一転、火野から確かな闘気を感じる。

 

 ──隙がないぞ。

 

 ただ、構えているだけ。自分とそこまで格好は変わらないはずなのに、どうしてか威圧感が半端ない。弥白には、火野がとにかく大きく見えていた。

 

「来ないのか?」

「ッ! いくぞっ」

 

 その兆発を合図に火野に近づき、刻むように拳を放つ。しかし、そのいずれも火野は上体を揺らすだけで余裕を持って躱す。

 

(ぐっ……大きく見えているのなら当たってほしいぞ!)

 

 当たり前のことだが、人間は胴体を動かすより手を動かす方が早い。それなのに掠りもしないと言うことは、見切られているということだ。

 もっと踏み込まなければ当たらない──そう考えた勢いをなんとか留める。

 これ以上の大振りは腕を取られ、投げられる。最も弥白を負けさせたパターンだ。

 

(このまま単調な攻撃を続けても、ダメなのだ。すぐに負けなくても、勝利など遥か彼方だぞ)

 

 ここはあえて、突進する……ふりをして、反転。突進の勢いで投げようとした火野を逆に引っ張って投げる。

 見事に火野を投げ返すイメージを思い浮かべる。

 

(よし、ならまずは踏み込む虚で……)

 

「考えてるとこ悪いけどさ、足元がお留守だぜ!」

「わっ!?」

 

 出足を払われ、何とか踏ん張るが少し体勢を崩してしまう。その少しは、火野にとって十分すぎるほどの少しだった。

 次の瞬間、弥白の視界はグルンと一回転して──

 

「うがっ……!」

 

 マット床に背中をバシンッと強烈に叩きつけられた。

 しかも相手に受け身を取らせてもらったような投げ方。これ以上ないってくらいの一本。勝敗は明らかだった。

 今日の弥白と火野の模擬戦は呆気なく幕を閉じた。

 

(これで21連敗……ぐぬぅ、また勝てなかった! 悔しい、悔しいぞ!)

 

 火野は強い。ランクこそシゲルの一つ上のBだが、こうして手も足も出ないとこを見ると実力には一つでは済まないほどの格の違いを感じさせる。

 CQCに限れば火野はAランクでも十分通用するのではないかと思うほどだ。

 これで火野もソラに勝てた試しがないが無いというのだから、上はどこまでも果てしない。

 

 弥白は天井を睨み付ける。

 いくつか割れてしまっている影響でポツンポツンと点いて無い物があるが、照明はとても眩しかった。

 

(だけど、いつか絶対なってやるのだ! 一流の武偵に)

 

 そう遠山キンジのような──『英雄』に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、弥白はいつものように日課のランニングを終え、学校へ向かう。

 コースを変えた影響か、いつもより時間が少しだけ早くなってしまったようで、通り道に同じ制服を着ている人はまだ少ない。

 

 だからこそすぐに目についた。

 身長は170cm弱で細身の体躯。寝癖のように少し跳ねている黒い髪。琥珀色に透き通った瞳はうっすら浮かぶクマで装飾され、そこに仏頂面も合わさり、『この世の全てを恨んでます』とでも嘯いているようだ。

 

 弥白は、その昨日学校を休んでいた友人を視界に捉えると、元気いっぱいに駆け寄っていった。

 

「おはようだぞ、ソラ!」

 

 




 一応主人公は最後に容姿の説明だけ出てきた石花ソラという少年です。
 竹中弥白はとりあえず脇役キャラとなります。
 あ、竹中君はショタです。……どうでもいいですね。
 プロローグは一人を中心とした三人称もどきでしたが、次の話からは主人公の一人称となります。

 AAのアニメが始まってからテンションが上がって構成してきたので序盤の骨組みは出来ています。
 とりあえず次の話は明日投稿できると思います。
 というかそうしないと主人公のキャラがわからないですもんね! (主人公を最初に出さない作者が悪いことは棚に置いておきます)



 さて、最初なのでしっかりこう言わせていただきます。
 読んでくれた方、ありがとうございました!


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Ep1 『自己中男』

『登場人物紹介』


石花ソラ
 主人公。自信家かつ毒舌家。

レキ
 ソラの戦姉。狙撃の天才。

火野ライカ
 ソラの親友。男勝りな性格。

間宮あかり
 頑張り屋な女の子。ある秘密を抱えている。

佐々木志乃
 ソラの天敵。

竹中弥白
 クラスメイト。

平頂山蓮華
 クラスメイト。

神崎・H・アリア
 Sランクの凄腕武偵な先輩。

遠山キンジ
 昼行灯。

風魔陽菜
 ソラに近づこうとする忍者。

島麒麟
 ガキンチョ。

高千穂麗
 プライドの高いお嬢様。

間宮ののか
 あかりの妹。

小夜鳴徹
 東京武偵高の臨時講師

チャン・ウー
 東京武偵高の教員

峰理子
 怪しい人。

夾竹桃
 毒使い。

武偵殺し
 世間を騒がせた爆弾魔。既に捕まっている。




 突然だが、この世界は激しく間違っていることを告げておく。

 理由は単純明快。天才である僕の思い通りに事が運ばないから。

 なんて可哀想な僕!

 あーあ、こんな世界滅びたりしないかな──なんて考えながら床に就いたのが昨日……いや今日の夜? 朝? ……まあ、空に明るみが出てきたくらいのこと。

 しかし迎えた朝は、いつもと変わらないものだった。

 疲れが取れず鉛のように重たい体。思考を妨げる眠気は、電波のうまく届かないラジオのノイズの様。

 元々不確だった夢は目覚まし時計の音によって完全に崩れ去っており、代わりに現実が朝日と共に衝突する。一秒と狂わず正確に仕事するその優秀さは見上げたものだが、もう少し融通を覚えるべきだとも思う。

 とはいえ、ズレたり止まったりしたものなら、迷わず怒りを向けるが。

 その騒がしい電子音を止めようと手を伸ばすが、目覚まし時計は布団から出ないと届かない位置にあった。

 

 ──はぁ、一体誰だ。こんなことをしたのは。

 

 思わず悪態をつくが、ここは一人部屋で僕しか住んでいない。

 こうしている間にも、騒音はまるで頭の中心から響いているみたいに、脳をガンガン揺さぶってくる。離れているのなら音も離してくれればいいのに、気が利かない奴。

 黙っていると徐々に熱を込めてくる日の光。許可を取らずにカーテンの隙間から勝手に部屋に不法侵入。

 今日も世界は誰より自分勝手に回っていた。

 

「……怠い眠い学校行きたくない」

 

 疲れの取れた様子の無い体は、いくら若くても無理のし過ぎは良くないということを、教えてくれている。

 一日二十四時間というのは一体誰が決めたのやら。多忙な現代人の中でも一際多忙である僕の前では如何にも短すぎるサイクルに違いない。

 その中でも今日がとりわけ辛いのは、お隣さんも昨日から騒がしいことが要因の一つだろう。超近所迷惑。

 

「学校行きたくない」

 

 時間が止まればいいのに。そうすればずっとダラダラしていられるのに。なんでダラダラできないのだろうか。この僕が望んでいるのに。……と、少し世界に向かって抵抗してみたが、時間は止まらなかった。ちっ。

 

「……はぁ……学校行こ」

 

 朝食のドリンクゼリーを飲みながら、身支度を進める。

 ドリンクゼリーは、時間や手間を短縮できる優れもの。何しろ急ごうと思えば10秒程度で栄養が取れる。簡易食糧のカテゴリでも、どこかの固形ブロックとは摂取のしやすさも味も雲泥の差。あれ、パサパサしているし、喉も乾くし。あれは無い。超無い。

 携帯電話はもちろんのこと、ナイフ、ワイヤーなどを服の至る所に仕込む。僕程であればこんなものそう必要ある物でもないが、一応装備はしっかりと。まあ、念のため。

 

「もうムリ。疲れた。メンドクサイ」

 

 あとは家に帰って寝るだけだ、とか一度でいいから言いたい。

 部屋を出た僕に、日差しがじわじわといたぶりかかる。一歩進むごとに確実に体力をもっていかれる感覚。まるで毒の沼にでも使っているみたいに。

 

「おはようだぞ、ソラ!」

 

 そんな僕に声を掛けたのは、ダウナーな僕とは正反対に『おれ超ハツラツしてるぞ!』という雰囲気の少年。

 竹中だった。竹中弥白。

 金色に染められたショートカットの髪。身長は160cmを自称しているが、届いていないと思われる。そんな低身長に比例してか、容姿も随分と幼く見える。まず喋り方からして子供が背伸びしている感が半端ではない。その金髪だって迫力無いからかっこつけて染めただけみたいだし。

 その両手には、何故かダンベルを持っていて、歩くペースに合わせて交互に持ち上げている。いつものトレーニングみたいだ。朝からご苦労なこと。勝手に頑張れ。

 

「……はぁ、さよなら」

「まだ今日は始まったばかりなのだ!?」

 

 僕のしっかりとしたあいさつにいちゃもんをつけてくる始末。こいつは一体何様のつもりだ。

 朝から高いそのテンションは、そこのゴミ箱に捨ててきてくれると嬉しい。分別なんて知らない。ゴミなんか結局全部燃える。

 

「うるさい。頭にガンガン響く。そんなこともわからないのか」

「む? ああ、また寝不足なのだな。ダメだぞ、寝ないと。睡眠不足は武偵の大敵なのだ!」

「それが出来たら、苦労はしないし」

「ふははははー! 相変わらず目の下、真っ黒であるものなー」

「はぁ。そういうのは言わなくていいから」

 

 本当に余計のお世話。

 この騒音から逃げようとしていたのか、早足で歩いていたつもりがいつの間にか駆け足になっていた。

 追いすがるように後ろからのうるさい声が聞こえなくなった頃には、もう教室の前。

 今、8時を少し過ぎたあたりか。始業まであと20分弱ある。少しは休めそうだと思い、 迷わずに自分の席に着き、目を閉じる。

 数秒、数分のち僕は静かに眠りに……

 

「───!」

「───!」

 

 眠りに……

 

「だーかーら! 2年で一番強いのはキンジ先輩に決まってるのだ!」

「あんな暗そうな人より、アリア先輩の方が強いに決まってるよ!」

 

 ──つけなかった。

 何かを言い争う声が、僕の頭をガツンと殴りつけたみたいに眠りから遠ざけた。

 中途半端なうとうとを経験した直後なだけに、気分は最悪。覚醒した意識がその原因を理解し、さらに極悪。目と鼻の先に害悪。

 

「これだから間宮は!」

「これだから竹中は!」

 これだからおまえらは…!

 

 いつの間にか来ていた竹中は、バカコンビのもう片翼である間宮と口論になっていた。何がどうしてそうなったのか、僕の目と鼻の先で。

 教室の窓際一番後ろのこの席。二人の机がある位置の近くでもなければ中間地点でもないのに、どうして毎回この位置で口論し始めるのか。朝から理不尽な疑問が尽きることがない。

 まだ前でなく──机が無くスペースが出来ている──後ろならば、納得は出来なくとも、理解はできるのだが。

 高校生にもなってあんなにキーキーと騒げるものだろうか。今は別に体育祭やらの学校イベントがあるわけでもないのに。

 ここはただでさえ騒がしい学校だし、こう騒がしくする必要のないときくらい静かにしてほしい。でないと本当に身が休まることが無い。

 なんのために教室があると思っている。僕を休ませるためだろ。

 

「遠山先輩なんて探偵科Eランクじゃん。本当にそんな人が強いのぉ? アリア先輩の方が強いよ! 絶対!」

 

 神崎・H・アリア先輩を支持している少女の名前は間宮あかり。

 特徴としては、とにかく小さい。小学生と見間違うくらいに。

 見た目通りと言うべきか、中身もガキであるため、何処かで聞いた精神は肉体に引っ張られる云々の体現者ではないかと考えたことがある。とにかく子供。

 ランドセルをしていても違和感ない。電車も子供料金で悠々と乗れる。テレビに出れば子役はあと10年いけそうだ。

 

「全く間宮は愚か者なのだ、真の強者を見抜く目の一つもないとはなぁ。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、とはまさに間宮に言うためにある言葉ではないかっ!」

 

 そう反論し、遠山キンジ先輩を支持したのは竹中。

 確かに、神崎先輩も遠山先輩もこの学校では有名人の部類に入るが、それこそ本当のアイドルの追っかけのごとく、宗教の狂信者のごとく、こうも騒ぎ立てるのはこの学校をもってしてもこのバカコンビだけだ……と最低限思いたい。

 

「アリア先輩はね、一度も犯罪者を逃がしたことが無いんだよっ!!」

「キンジ先輩はなぁ、入試で教官を倒したことがあるのだぞ!!」

 

 くだらない──

 まさに、他人の自慢話ほど退屈な話は無い。そんなことしている暇があるのなら、その時間で自分の自慢できるところを作る方が有意義。それができなければ静かに寝ていろ、今の僕のように。

 それなら少なくとも、他人に迷惑を掛けることはないのだから。

 いや違う。他人にいくら迷惑かけようと関係ないが、僕に迷惑をかけるな。

 

「聞いて聞いて! この前のアリア先輩の射撃テスト、ガバメントでパーフェクトだったんだよー! 両手撃ちで! やっぱりアリア先輩はかっこいいよねー、ソラ君!」

「それよりソラ、キンジ先輩の中学時代の武勇伝に興味はないか? いーや、みなまで言うなわかってるぞ、興味津々であるのだな! 今話すのだ!」

 

 先ほどから銃やらなんやらと一般の人にとってはご遠慮したい言葉が多々聞こえてくるが、ここは東京武偵高。

 つまり、強さ=カッコイイの単純公式がまかり通る場所でもあり、それによれば、今名前を挙げられた二人の先輩は、不良どころか優等生も優等生。強襲科(アサルト)という最も過激な専門科で、最も優秀とされるランクSを付けられた超人。

 まあ、遠山先輩に限っては、現在事情が少し違うようだが。

 

 ただ、僕にはそんなことは関係なく、どの先輩が優等生であろうと、目の前の二人がどれだけバカであろうと、等しくどうでもいい。静かに寝かせてくれさえすれば。

 

「ソラはどう思うのだ!?」

「ソラ君はどう思うの!?」

 おまえらがうるさいと思う。

 

 色が抜け落ちた世界。鉛色に感じる教室。

 そんな中、打って変わって騒がしいこいつら何というか……そう、チカチカする。目覚まし時計のような無視できない騒がしさ。

 どうにも、落ち着かない。

 

「『どう思う』ではなく、どうして僕に聞く」

「そんな冷たい事を言わないでほしいぞ」

「そーそー、素直にアリア先輩が一番って言ってくれればいいからねっ」

「いや、なんでそうなるのだ! キンジ先輩だぞ!」

「アリア先輩!」

 

 どちらが強いかなんて意見は不毛。強さなんてものは状況によって変わるものだから、この世にわかりやすい戦闘力というものは存在しない。

 バトル漫画の主人公が日常系の主人公ぶち殺して喜べるか?

 探偵物の漫画の主人公が、ファンタジーの世界で生き延びられるか?

 剣の達人にミサイルブチ込んで殺したら、そのミサイルの発射スイッチを押した誰かは達人か? 強者か?

 そんな程度の話、揚げ足はいくらでも思いつく。従って、先輩方のどちらが強いかよりも、おまえら二人どちらがよりバカなのかを議論していた方が、まだ価値ある議題だと思う。そしてそのまま世界一バカ決定戦にでも出場していろ。僕はおまえらの力を信じている。きっと世界だって狙えるはずだ。

 

 はぁ……

 

 心の中を切り替える意味も込めて大きく溜息を吐く。

 とは思ったものの、世の中反発するだけでは解決しないことの方が多い。例えそれが自分の意に沿わないことだろうと、流れに身を任せるべき時もある。それが社会。

 無視して更に騒がれるのも嫌だし、適当にでも答えてやるか。あくまで僕の静寂のために。やれやれ仕方ない。

 

「まあ、そういうことなら──」

「うんうん! やはりソラもキンジ先輩の方が強いと思うのだな!」

「ねえ、だから──」

「アリア先輩の方が断然強いよねっ、ソラ君!」

 ……聞いてよ。

 

 何こいつら。頭に蛆でも湧いるの?

 寧ろ、その蛆にでも脳ミソ乗っ取られた方が、まだマシに物事を考えられるのではとすら思える。

 二人のバカは相も変わらず僕に先輩がいかに素晴らしいかを語ってくる。僕の反応何てお構いなしに……なら何故聞いた。

 別に気にしてはない。ちょっと切なかったとか思ってもない。無駄に何か言わなくて済み、清々したくらいだ。ホントにホントだし。

 

 ──ライカ。

 

 女性にしては長身で、スタイル抜群、さながら欧米人のモデルのような出で立ちの少女。純粋な東洋人ではなく欧米の血を感じさせるその容姿は、一目で美人と言えるほど整っている。ただ、どこか少年染みた表情も浮かべる彼女は、可愛いや綺麗というよりもかっこいいという表現が似合いそうだ。

 僕はその友人であるライカに、『このバカ止めろ』と、言外に込めて睨む。しかし、面倒見がいいはずのライカでさえこの状況は敬遠したいのか、困った様に目を逸らされてしまった。

 

 それと佐々木。おまえはおまえで神崎先輩に恨みでもあるのか? 間宮が褒め言葉を使う度に殺気が漏れ出ているから。

 長い黒髪が乱れ、貞子スタイルを取る佐々木に周りは引きっぱなし。お化け屋敷にでも置いてきたら、日本一怖いお化け屋敷の記録を更新してくれそうな勢い。

 彼女の左隣にいる僕としては、正直今すぐに席替えしたい気持ちでいっぱいだ。

 すみません。黒板の字が見づらいので前に席を移してもらっていいですか? 視力? 両目とも4.0ですが何か?

 

 このようにクラスの大半がこちらに関わりを持たないようにしている中──僕も別に有象無象と関わり合いたいとは思わないが──少しでも気を向けている奴を探す。身代わり 生贄くらいの価値あるやつはいないかと、切に思いながら。

 ただ、交友関係があまり広いとは言えないので、自然目を向ける相手は限られてくる。つまり、蓮華と目が合うのも必然だった。

 

「ブイ」

 

 にこやかな笑顔とブイサインを向けられてしまった。どうやらエールのつもりらしい。つまり助けるつもりは無いということ。

 危険に対して助けがあるのは漫画の中くらい。この世に救いなんてものは無く、それに気づいた僕の気持ちがどん底にまで落ちようとしたその時──

 

「ちょっと待ってください」

 

 言い争う二人を呼び止める声。そう、こんな僕にも来た。

 

「佐々木ぃ、なんなのだ」

「何、志乃ちゃん。今大事な話の途中なの」

「『その話ならいくらでも僕が付き合ってあげるから存分にこっちに向かって話せ』と、さっきから石花君が言っていますよ?」

 

 ──更なる絶望が。

 わかっていたはずだ。助けなんて来るはずがないことくらい。

 しかし、少しでも期待した僕のことを愚かだと言える奴がいたとしたら、それはもう 悪魔の類だ。鬼畜だ。佐々木だ。

 佐々木はある理由で僕を目の敵にしていて、何かとつけて嫌がらせをしてくる。しかも嫌がらせもどこかくだらないものだから、訴えることもできない。

 どん底にある地面を打ち抜かれた僕の気持ちは、限界を超えて落下をしていく。空気抵抗も地面も無いのに、重力だけがあるみたい。

 なんのつもり? そう怨念を込め睨み付けるが、佐々木はどこまでもすまし顔で。

 

「いえ別に、石花君がブルーになる様を見てストレス解消! とか、全然微塵も思っていないですよ?」

 

 悪魔はすぐ近くにいた。いつからここは冥界になったのだ。佐々木はもう呪詛を吐くのをやめ、僕のことなど知らないといったふうに前を向いている。

 それでも、僕にはわかっている。チラリと一瞬向ける目、頬が若干緩んでいることに。

 佐々木が最近イライラしていたのは知っている。大好きで大好きな間宮がアリア先輩にばかり目を向けているからね。だがそれは僕には関係なかったはず。どうして僕相手で発散している。 おかしいだろ。

 

 ──誰かから受けたストレスを別の誰かで晴らす。

 

 こういう負の連鎖は断ち切るべきだといつも思う。漫画とか見ていても。

 本来、僕の所へ来る前に断ち切られていなければならないはずだ。

 だが僕の所まで来てしまったのなら仕方がない。うん、潔く次に回そう。そのうち誰かが断ち切ってくれるだろ。

 僕? 僕が断ち切るのはストレス溜まるから嫌。

 他の誰かのために僕が犠牲になるとか間違っているしね。

 

「やっぱりソラ君もアリア先輩の話聞きたかったんだよねっ!」

「間宮はやはり的外れだぞ! キンジ先輩の話に決まってるのだ!」

「ねえおい、そんなこと一言も言ってないから」

「アリア先輩!」

「キンジ先輩!」

「もしかして僕の声って小さいのか? 聞こえてないのか? ねえ、ねえ」

 

 例のごとく、僕の発言はスルーされる。

 もしかして、言語が違うのか? 因みに僕は日本語を使っている。誰か通訳お願いできなだろうか。佐々木以外で。

 ……ああ、誰も関わってくれないのだった。

 

 

 

 

 

 そのあとすぐに教員が来て授業が始まってしまったおかげで、この朝僕は休むことが出来なかった。

 

「お配りしたプリントは行き届きましたか? 今日は授業の前に、学期始めとして皆さんの武偵としての目標を書いてもらいます」

 

 教員のその言葉に教室内は軽くざわつく。

 高校生にもなって将来の目標、もしくは高校1年生の段階で将来の目標を書くのに抵抗がある奴もいるのだろう。メンドクサイし。

 それでもこんな物騒な専門学校に態々入学した酔狂な輩なだけに、多分皆将来をある程度見据えてはいるのか、誰に言うわけでもない軽い文句や雑談を零しつつも、結局真面目に取り組む。

 ……やるなら最初から静かにやれよ有象無象共、と思う。

 

 反対に、最初から静かにしていた僕は、同じ夢でも将来の方ではなく、寝てみる方の夢の世界を見据えていた。

 今すぐにでも、こくんこくんと船漕ぐ頭で旅立ちたい。

 

「平頂山さん…? あなたは一体何を書いているのですか…!?」

「今年の目標に決まってるかな。具体的にはおっぱ──」

「言わなくていいです! 放課後、職員室に来るように」

「やだ、呼び出されてエッチなことをされちゃう? されちゃうの? 甘いマスクの裏の顔である鬼畜教師が耳元で囁く、『ふふふ、疑いも無く本当に来るなんてね。これからあなたは淫乱な豚に調教されるというのに』的な! やばっ興奮が隠しきれないかな!」

「……いえ、もう来なくていいです」

 

 蓮華の場合はあの世に旅立ってくれないかな。

 

「えーっと、アリア先輩みたいになれますように、と」

 

 右斜め二つ前の席。そこにちょこんと座っている間宮は、背中からもわかるほど、生き生きとした様子でこれに取り組んでいた。

 迷いなく書き進むその姿は、『そのまま夢にまっすぐ進んでいく』という意気込みにも似た何かを感じさせる。普段の授業とは正反対だ。

 

 ──それで、僕は何がしたいのだろう。

 

 別に、目標や生きる意味なんて無くても人は生きていける。持っている奴を羨ましいなんて思わない。生き甲斐なんてものより睡眠時間の方が余程欲しい。それでもどこか空虚を感じるのは多分仕方がないことか。

 眠いし……

 

「あらあら、石花君、どうしたのですかー、寝てはダメですよー」

「……石花君?」

 

 佐々木は密かに注意するふうを装ったうえで、わざと教員に聞こえる声で言った。

 

「もう書けたのですか?」

「いえ……」

「ごめんなさい。もしかしてお疲れでした?」

 

 そこですかさず良い人ぶる仮面優等生。それが佐々木志乃だ。

 

「佐々木さんは優しいのですね。これは石花君が悪い事ですから、別に気に病むことでは無いですよ」

「いえ、そんな」

 

 真面目で誠実に取作られた顔のその奥──瞳の中に確かに映ったこちらを嘲笑う心。

 何が優しい、だ。悪意満載な嫌がらせに決まっているくせに。教員に隠れて寝ている奴など、他にも何人もいるというのに、僕以外は気づいて無いとか言うつもりか。

 どう見ても、追い打ち不意打ち嫌がらせ以外の何物でもない。あの勝ち誇った顔を小夜鳴教員も見るべき。

 しかし、仮面優等生の面の皮は厚い。教員が振り向く頃には『わたしは真面目にしていましたよ。何かありました?』というすまし顔。

 

「しかし石花君、少し顔色が悪いですね。授業もあと少しで終わりますし、保健室まで連れて行きましょうか?」

「お構いなく」

 

 小夜鳴教員の提案を反射的に断る。この期に及んで他人となんている時間を増やしたくない。ただでさえ眠気とストレスを溜めていく日々だというのに。

 このストレスのせいでただでさえ短い睡眠時間でなかなか寝付けなくなってしまっている。そうしてまたストレスが溜まる。

 

 寝れない。ストレス。寝れない。ストレス。寝れない。ストレス──エンドレス。

 

 どんよりとした僕の気持ちとは裏腹に、今日の天気は快晴。

 世界を包み込むような綺麗な青空。

 極限までお腹の減った人は、雲がまるで大好きな食べ物に見えてくると言われているが、今の僕には雲がふかふかで温かそうなお布団に見えて仕方がなかった。

 ああ、この天気、お昼寝でもできたら、どれほど気持ちいいのだろう。

 

 今年の目標───週に一回は思いっきり寝る。

 

 ただ、高すぎる目標というものは、大体叶わないもの。

 その授業のあと、携帯電話に受信されたメールを見て、僕は一層深いため息を吐くのだった。

 

 まあ一つ言わせてもらえるのなら、「世の中バカヤロー」って感じでここは一回〆ておく。

 

 

 




 序盤コメディー、途中から変なバトルで進めていきます。



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Ep2 『電波先輩』

 この物語は可愛い(?)女の子と天才少年(ポンコツ)の掛け合いをするために緋弾のアリアの世界観を拝借させていただいている二次創作です。
 とにかくメンドクサイ性格の主人公ですので合わない方は申し訳ないです。




『一般科目が終わり次第、私の部屋に来ること』

 

 レキ先輩からそんなメッセージを受け取った。

 簡素で質素。遊び心など微塵も無い、用件だけを伝えるための言葉。

 あの人らしいと言えばそれまでだし、別に飾りが欲しいわけでもないが、それでもどこか虚しさを感じる僕がいた。

 それは放課後に行おうとしていたことの出端を挫かれたことと、関係しているのかもしれない。

 ただでさえ一昨日から連続徹夜で疲れているというのに。

 

「にゃー」

 

 寮の庭の端っこでまん丸太ったデブ猫がふてぶてしく鳴いていた。のんきなものだ。

 ……まあ、僕には関係ないことだが。ほら、猫とか興味の欠片もないし。

 

 ──そして、僕は制服に付いていたフワフワした毛を叩き落とし、寮の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 レキ先輩。

 東京武偵高2年C組。狙撃科(スナイプ) Sランク。

 名字は知らない。本人もわからないらしい。

 ライトブルーでショートカットの髪に、いつもヘッドフォンをつけている小柄な少女。

 あとカロリーメイトが大好物、というかもはや愛しているレベル。カロリーメイト。

 正確無比過ぎる射撃能力と基本的に物事に無反応で人間味を感じない性格から、学校内ではロボットレキというあだ名が広まっている。

 

 さてこのレキ先輩だが、一言で表すのなら、『隙の無い人』と言える。

 ロボットというあだ名が広まるほどに感情の起伏が乏しいことは、無理やりよくいえばいつも冷静であるということ。

 隙が無い。死角が無い。半径2km圏内どこでも狙撃できる人物にそんなものあるわけもない。

 強者遍くこの武偵高だが、個人で射程距離2kmの攻撃手段を持っているのは、恐らくレキ先輩ただ一人。

 つまり、レキ先輩はどんな強者であろうと一方的に攻撃できる手段を持っている。

 誰が一番強いかはさておき。敵に回せば、ある意味一番恐ろしい人間は、レキ先輩であることは間違いない。断言できる。

 

 そして無感情……というてい。

 漫画で「感情など不要だ」とかいう暗殺者キャラはテンプレと言ってもいいものだが、まさにレキ先輩はそんなキャラを地で行っている。わかりづらいだけで普通に感情もあるところもまたよくある設定。

 尤も、僕は漫画の主人公では無いから、情熱的に「おまえは暗殺の道具なんかじゃない! 立派な人間だ!」とか気持ちの悪いことを言いはしない。だから「何故でしょう。感情は捨てたはずなのに……涙が止まりません」みたいな状況になったりしないので、悪しからず。

 寧ろ道具扱いされているのは僕だという説もある。……何故だろう。涙が止まらない。

まさか僕の方こそ攻略される立場だったとは、レキ先輩の狡猾さに旋律を隠せない!

 

 まあ、感情云々は抜きにしてもレキ先輩はかなり世間からズレている。

 部屋の備え付けのクローゼットには制服や下着類何着かしか入って無く、他に部屋にあるものと言えば、銃関係の道具と数個のカロリーメイトの取り置きだけ。どう見ても現代人が住む部屋ではない。

こんな部屋で何するのかと思えば、任務の時以外は一日中ボーっとしていたなんて話もある。

 定年退職した無趣味な老人かあなたは。

 夜9時には就寝するし……恨めしい。

 

 そんなレキ先輩との出会いだが、実はつい最近で今年の三月のことである。

 誰もいないはずの屋上で、一人静かに過ごしていた僕の前に、空の色をそのまま写し取ったようなショートカットの髪をたなびかせ、突然前触れも無く現れた。

 吹き抜ける風のように。

 そして約一ヶ月、彼女の戦弟(アミコ)(先輩後輩のコンビ制度)として過ごしてきたが、このように事情も素性一切掴めさせてくれない。謎の先輩。

 

 今もそう。

 

「……………………………………………………」

 

 ひたすら無言!

 

 風といえば、空気を読むという言い回しがある。見えもしない物をどうやって読むんだ、なんて所謂揚げ足で戯言だが、僕は今まさにそう言いたい状況。

 部屋に呼び出されておいて、ずっと無言な対応をされた時の空気の読み方など、知る由も無く。

 別に僕は無言を苦痛に感じるタイプではない。寧ろ、通常なら静寂は歓迎している。

 しかし、毎回毎回呼び出しておいて、しばらく何も言わないというのはさすがに不満を感じるのも仕方のないこと。

 

 レキ先輩の頭にはお気に入りらしいヘッドフォンが掛けられている。

 実際今何か聞いているかどうかは関係ない。耳にしっかりつけられているそれは、人の話を聞かないサインと取れるから。

 部屋の片隅に座っている僕のことなどいない者のように扱い。マイペースに銃の整備を続けている。

 僕はあまり銃に関しては詳しくないが、銃弾まで自分で作る必要はあるのか? 弾くらい普通に売っているはず。自分で作ると攻撃力アップボーナスとかあるのだろうか? ゲームみたいに。

 どちらにせよ、話を切り出すことのない二人の間に流れる者は沈黙だけ。今の今まで 僕は空気読もうとしていたわけだが、よくよく考えてみると僕の今の状態こそが空気そのものに感じる。なるほど、読めないわけだ。

 ……まさか己を見直せと言う、レキ先輩からの隠れたメッセージなのか?

 

「ソラ」

 

 長い無言の時間が終わりを告げた。

 レキ先輩がついに喋ったのだ。

 

「息をしないでください」

 

 突然の死刑宣告に目の前が真っ白になった僕は、息を止めたのではなく、何故か息が(・・)出来なく(・・・・)なった(・・・)

 

 

 

 

 

 あとでわかったことだが、息を止めろと言ったのは、現在作っている銃弾に息から出る水分が付着して影響を及ぼすのを防ぐためだったらしい。

 ……レキ先輩、あなたは一体何と戦っているつもりなのですか?

 

 

 

 

 

「起きてください、ソラ」

 

 一回寝てしまうと、眠さというのは段違いに上がる。理不尽なことに寝ると眠くなる。それに意識も曖昧になってくる。寝惚けと言うやつだ。

 つまり簡単には起きれはしない……が。

 

 次の瞬間、火薬の弾ける音と同時に腹に突然の強い衝撃が加えられ、無理やり意識を覚醒させられた。

 

「──ッ!」

 

 鈍い痛みが腹を襲い、たまらず肺の空気を吐き出される。

 咳き込みながら悶える僕の前に一つの人影が立ちふさがった。大鎌ではなく、小型拳銃を持つその姿。姿形は想像と違うが、このオーラは間違いない。

 

「死神?」

「誰が死神ですか」

 

 パァン!

 

「ぐっ、ゴホッ……すみません。女神の間違いです」

「………」

 

 危ない本当に寝惚けていた。思っていたことがすぐ口に出てしまうなんて。

 目の前で、僕を見下ろして──いや、見下している、し……女神もといレキ先輩。見下ろすと見下す。『ろ』があるかないかで、何とも印象の代わる言葉なのだろう。

 こうしてまた日本語への理解を深めることになったのだった。

 

「レキ先輩。ハンドガンなんて物持っていましたっけ?」

 

 狙撃銃とカロリーメイトしか愛せない変態だと思っていたが、銃ならどれでもいい変態だったのかもしれない。

 

「はい、あなたを起こすために」

 

 なるほど、レキ先輩は大分お茶目な方のみたいだ。人を起こす道具を目覚まし時計では無く拳銃と勘違いしているのか。

 俗にいう『てへっ☆ 間違えちゃった』というやつかこれ。レキ先輩にドジっ子属性が追加されたらしい。

 そう考えると、これはこれで可愛らしい──わけあるか。

 

「……いつか永遠に眠らされる……」

「? 起こすつもりですが」

 

 レキ先輩は自分の正当性を言葉少なくも語る。今までも、何回か僕がレキ先輩の前で寝てしまっている時があったそうだ。

 声を掛けて起きればいいのだが、今のように起きないこともあり、どうしようか考えたところ、銃弾でぶっ叩いて起こせばいい、という結論に至った、と。

 さすがのレキ先輩も、意識の無い相手に、自身の愛銃であるドラグノフを使うのはどうかと考えることくらいはしてくれたみたいだ。

 態々小型の拳銃を入手してくるとは、なんて優しいのだろう。優しい。優しすぎる。あまりの優しさに涙が出てくる。止まらない。さすが女神。そう思うのだ。そう自己暗示でもしないと、とてもやっていけない。心が折れる。

 しかし、強請って起こす前に、揺すって起こすとかそういう考えには至らなかったことが悔やまれる。

 

「というか、どうして僕は寝ていたのですか」

「………」

 

 この反応を見る限り彼女のあずかり知らぬことらしい。レキ先輩は基本無口無表情であるため、微妙な仕草から判断しないと、とてもやっていけない。

 近ごろの若者にはコミュニケーション能力が欠如しているという噂は本当だった。というか、この人が日本の平均を大幅に下げているのが事の真相。これマメ知識。

 

「はぁ……」

 

 まあ今は、僕にも非があったことを少しは認めるが。いくら疲れているとはいえ、しっかり呼び出されておいて、用事が終わる前に眠るのは失礼。

 そんなに、疲れが溜まっていたのか。今も若干ふらふらと、どうも脳に酸素が行っていない感じがする。

 先輩に部屋に招かれた所までは思い出せるが、その先がどうにも思い出せない。思い出したくもない。

 

「体調管理を怠ると任務に支障をきたします」

 

 睡眠不足の原因の一端作っておいてシラッとこんなこと言う鬼みたいな人。

 やだやだ。自己中心的な人って本当に嫌になるね。

 

「ともかく、今から始めるのですか?」

「はい。ソラはキンジさんを」

「……了解」

 

 今から行うのは、遠山先輩の監視追跡。

 あの竹中が毎日のように語ってくる遠山先輩だ。

 だが、知っていたか? 許可なく人を付け回すことを世間では『ストーカー』と言うらしいよ?

 ストーカー行為に後輩を使うのはどうなのだといつも思う。

 ラブコメでストーカー行為をするヒロインは色者扱いの場合が多いと聞きます。大抵当て馬で報われないとのこと。つまり、レキ先輩は元々限りなくゼロに近い勝機を更に減らそうとしていることになる。

 やれやれ、ここは主人公たちの友人的な立ち位置の奴のアドバイス的なものが必要な場面というわけか。

 

「レキ先輩」

「なんですか」

「僕が思うにこんなストーカー紛いなことをせず、しっかり気持ちを伝えるべきだと思います」

 

 そう、しっかり伝えて玉砕されて来ればいい。

 

「?」

 

 先輩は僕の言う言葉が理解できないのか、コテッと小首をかしげている。

 見た目だけは美少女なだけにこういう仕草は可愛いと言えなくはなくはない……レキ先輩のくせに。

 まあ、ストーカー電波女という正体知っているだけに、今更ホレたりなど絶対にしないが。

 

「ですから、レキ先輩が遠山先輩のことを好きになりすぎたあまり、このような凶行に」

 

 無言で足元を撃たれた。

 表情は変わらず。ただ、心なしか不機嫌な感じがする。どうやら違うらしい。

 可能性をひたすら潰して言った時、残ったものはどれほど現実味が無くとも真実だと言う考え方がある。

 つまり、まさか、そういうことなのか…?

 

「まさか、狙いは神崎先輩の方…?」

 

 導き出された答えは、レキ先輩のもう一人の監視相手。

 なるほど、これだから僕以外の前じゃ猫どころか機械の皮被っている、見た目だけ(・・)は美少女なレキ先輩に浮いた話が無いわけだ。まさか、ソッチ系の人だったとは……さすがスナイパー、狙い撃ちスキルが高い。

 そんな事を考えている僕の顔の横をヒュンッと何かが通り過ぎ──例えるなら、そう、かまいたちのような鋭い風──思わずあとずさる。背中に軽くぶつかる部屋の壁とそこにさくりと突き刺さっている何か。

 ……嫌な予感しかしない。

 冷や汗を流しながら、恐る恐るよく見てみるとそこには黒い塊──銃剣を付けたドラグノフがあった。

 

「耳、二つありますね。一つくらい……」

 

 レキ先輩は、何故か人間の構造上当たり前のことを僕に言うのだろうか。

 「一つくらい」の先何を言おうとしたこの人…?

 ネズミが猫に見つかった時のような、蛙が蛇に睨まれた時のような、生存本能そのものに訴えるような震え。

 周りはレキ先輩のことを、感情が無いロボットのようだと言う。

 僕に言わせてみれば、ふざけるなだ。それでは僕の扱いが説明できない。

 

「……何か言い残すことはありますか?」

 

 僕は決して恐喝に屈したりなんかしない…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ターゲット──遠山先輩の行動は平凡だ。

 いや、地味とまで言うべきなのかもしれない。かつては強襲科(アサルト)Sランクという一つの頂にまで登りつめた人とは思えないほどに。

 

 朝はそこそこの時間に起き、準備をやや雑気味ながら早く切り上げ、少しゆっくりしてから学校へ向かう。

 偶にSSR所属の星伽先輩が朝ご飯の準備に来る。この時のご飯は豪華。──あれで実は味は壊滅的というオチがあればいいのに。

 一般科目は真面目に受けているようだが、頭の出来は良くないのか成績はイマイチ。──落第すればいいのに。

 午後も探偵科(インケスタ)で当たり障りのない講義を受ける。

 それが終われば帰宅。

 帰宅しても、特に趣味という趣味が無くPCを弄び、適当な時間になったら寮近くのコンビニで弁当を購入。──PC爆発すればいいのに。

 偶に星伽先輩以下略。

 そして日付が変わる前にはなるべく寝る。──そのまま永遠に目が冷めなければいいのに。

 

 まあ、とにかく退屈な日常を送っているようで、僕の徒労感は日に日に加速中だったが……しかし、どうやら今日は今年度初クエストを受けるみたいだ。

 微妙でもこうした変化があるとなんかうれしい。僕の監視中、初めて星伽先輩が来た時も勢いで二人の関係や過去をちょこっと調べたほどだし。

 あれ? 何か僕もう引き返せないレベルでヤバい気がするような。……気のせいか。

 

「こちら、ソラ。対象は已然、探偵科(インケスタ)の校舎の中です。オーバー」

『そのまま監視を続行してください』

 

 ……それにしてもレキ先輩。いくらなんでもあれは無い。すっごく痛かったし怖かった……ちょっと涙出たし。

 ま、まあ演技だが、泣いたのも土下座したのも全部演技だが。見事に騙されやがって。この間抜けめ! ……ぐすっ。

 

「こほんっ」

 

 自慢ではないが、僕はこういうコソコソしたことで見つかったことが無い。──レキ先輩を除く。(ロボではないが、あの人は人間やめているのではないかと思う時が多々ある)

 自分でも才能ある方だとは常々思っているものだ。

 そういえば、間宮竹中が2年生で最強を論議していた。まあ、それとは少し違うかもしれないが、1年生の中で総合的な能力がトップなのが僕だと言っても、それは自惚れにはならないね。えっへん。

 

「神崎先輩の方はいいのですか? オーバー」

『今日は大丈夫です』

 

 必要ないではなく、もうやっているでもなく、大丈夫? 気にはなる言い回しだが、方針を決めるのはレキ先輩だ。僕がとやかく言うことでは無いか。文句は常に言いたいが、労働者の権利を主張したいが。

 

『それと、このインカムは送受信可能なのでオーバーと言う必要はありませんよ』

「雰囲気を楽しむとか……」

『男性の監視を楽しんでいるのですか』

「もしかしてまださっきのこと怒っていますか?」

 

 レキ先輩絶対根暗だし。ぼっちだし。電波だし。

 

『なんのことですか』

 

 これは怒っているのだろうか?

 ただでさえ、普段から棒読み口調なのにインカムを通してだと全然相手の雰囲気が分からない。本当に不便な先輩だ。

 ここは話題を変えるべきだと判断する。

 そういえば気になっていたことが一つあったことを思い出す。いつ、聞くべきか迷っていたとても根本的な質問。

 

「今更ですが、どうして二人のこと監視しているのですか?」

『………』

 

 もしかして聞いではいけないことだったのか?

 それとも、武偵なんだから自分で考えろ、と? 何様だよあなたは。

 

『……風に──』

「はい?」

『“風”に命じられたからです』

「ああ……また電波か。バッカみたい」

 

 疾風がヒュンと高く短い音と共に僕の体の間際を通り抜ける。そして弾けるように左腕の裾にある制服のボタンが一つ弾け飛んだ。

 

「………」

 

 理由も無く制服のボタンが取れるなんて不思議なこともあるものだ。これ、まだ一ヶ月くらいしか着ていないというのに。不良品とか勘弁してほしい──

 

『ボタンはしっかりと縫い付けなさい』

「……はい」

 

 ……そろそろ安全のため核シェルターでも買うべきか。いくらするのだろう、貯金で足りるだろうか? ううん、初めてお金のことで悩んだ気がする。これが金のかかる女というやつか。恐ろしい。

 あ、恐ろしいと言っても怖がっているわけでは無いから。そういう意味では無いから。怖くないし。ビビったりしてないし。

 

 考えが纏まらないうちに遠山先輩が動いた。そういえば監視していたのだった。

 

「とりゃま………」

『?』

 

 ……痛い。舌を噛んだ。

 人間誰しもあることである。決して今僕が緊張していただとか、口が震えていただとか、そういうことでは一切ない。天才である僕が誰かにビビるなんてことはありえない。

 

「……遠山先輩はどうやら校外の依頼クエストを受けるつもりみたいです」

『了解しました。……アリアさん。キンジさんはクエストで校外に出るつもりのようです』

「え、そこに本人がいるのですか? バ……」

 

 なんで監視対象と一緒にいる。バカかこの電波女? 確かになんかいろいろ抜けていそうな人だとは、常々思っていたが。主に一般常識とか。

 

 ──そしてまた一つ。ボタンが飛んだ。

 

『バ、なんですか? どうぞ続きをお願いします』

「……な、なんでもありません」

『そうですか。ただ、あなたが口を滑らせると、私の指先も滑ってしまうかもしれません』

「………」

 

 いくらレキ先輩だからと言って、こんな往来で殺しはしないはず……多分。うん、きっと、そう。

 指の滑りだと言いつくろうのがせめてもの良心と考えよう。

 

「それは……あくまでミスでということ、ですか?」

『私はミスなんてしません』

「それもう完全に殺害予告!」

 

 どうしてこの人武偵なんてやっているのか意味不明すぎる!?

 

『この件とは別にアリアさんに鷹の目の依頼を受けていましたので、連絡しただけです』

「それは実際、僕の手柄だと思うのは気のせいでしょうか」

 

 頭痛のする頭を抑えながらそう言うと、

 

戦弟(オトウト)の手柄は戦姉(アネ)のものです』

 

 なんて素敵な言葉が返って来た。

 何このジャイアン? 普段しずかちゃんより、静かしている分際で何とも横暴な。

 

 向こうは向こうで、探偵科の校舎を出たところで待ち伏せしていた神崎先輩に捕まり、遠山先輩が目に見えて落ち込む。

 おそらくだが「なんで、おまえがいるんだよ」と、言っている。

 しかし、まあ、それにレキ先輩が加わっているのを知らないだけ幸せなのかもしれない……僕よりも。

 二人も揃ったことだし、これで僕はもう用済みだろう。さすがにもう寝たい。というより、昨日一昨日と連日徹夜したから、寝ないとそろそろ限界だ。

 

「帰っていいですか?」

『監視は続行してください』

「合流しているのだから、監視は一人で良いと思いますが」

『はい。だから続行してくださいと言っています』

 

 いや、それはおかしい。

 

「先輩の仕事のはずですよね」

 

 どちらかというと仕事よりも趣味の可能性の方が高いが。

 

戦姉(アネ)の仕事は戦弟(オトウト)のものです』

「この人、返したつもりで搾取しかしてないし! というかレキ先輩は?」

『休憩の時間です』

 

 何それ、僕も欲しい。具体的には週休二日。公務員に憧れる。最早ニートは尊敬できそう。

 サクサクと何かを食べている音がインカム越しに聞こえる。

 

『準備不足ですね。そんな時こそカロリーメイトです』

 

 この人って社員か何かなのだろうか? そう思わずにはいられない。あと僕はカロリーメイト買うくらいならウイダーを買う。

 あーあ、バカらしい。

 そもそも、レキ先輩なら場所をそう動かずに監視できるはず、少なくともレキ先輩から逃げきれるやつなどほとんどいない。それなのに、どうして僕がしなければいけないというのだ。

 やめやめ。帰って寝──

 

『サボるのなら殺します』

 

 ──ようと、思ったが、一度受けた仕事は最後までやるべきだ。プロとして。

 というか、逃げられないのは監視対象よりも僕!

 

 その日は結局、『迷子の猫探しの依頼』を受けた遠山先輩が、その猫を見つけ出すまで監視を続けさせられた。

 それまでの間、遠山先輩と神崎先輩はイチャイチャイチャイチャ。「……おまえ等もう帰れよぉ…!」と今日だけで何度思ったことか。

 

 帰り際、偶々近くに寄って来た一匹の猫を持ち上げる。中々人懐っこいやつのようで、おとなしく抱かれ嫌がるそぶりを見せない。

 はぁ……猫はいいなー。もふもふだし自由だし可愛いし余計な事言わないし銃で撃ってこないし。癒される。

 

「僕に優しくない世界とか滅べばいいのにニャー」

『ソラ?』

「………」

『今何か』

「こら猫、勝手に僕の言葉を遮るとは何事か!」

 

 インカム繋がっていたのだった…!

 危ない危ない。いや別に危ないことなんてしてないが。言うまでも無いことだが今のニャーはそこらの猫が僕とは関係なく鳴いたものだ。ホントだ。僕ウソつかない。

 

『ソラは猫が好きなのですか?』

「は、はぁ? 好きなわけがないです。こんな毛むくじゃらで勝手気ままな動物」

『………』

「今だって近くに偶々。全くどこにでもうじゃうじゃいやがって、全く。ホント全く……」

 

 何勝手に足にすり寄ってきているのだこの畜生めが。警戒心が無い奴は生き残れないと言うのに、全く。ホント、全く。……もふもふ。

 

『ニャー』

「!」

『どうでしょうか?』

「何が!?」

 

 心臓止まるかと思った。

 

 

 




「なんかいっぱい猫寄ってきた!? 多すぎるから! やばい潰れ……」
『ニャー』
「今度は一気に去った!? 何これ、怖い」





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Ep3 『アホの子』

 すみません、第三話書き直しました。
 褒められたことではないのは承知しています。しかし、自分で改めて読んでみて、何このキャラウザすぎ、これはなんか違う、続かない……と思ったからです。
 変なテンションで何か影響受けてしまっていたのでキャラがくど過ぎになっていました。
 今後はしっかり自分で見つめ直していきたいと思います。(キャラがブレないとは絶対には言えないけれど)


 お詫びも兼ねて二話連続投稿なんとかすることにしました。

 ここまできて愛想をつかなかった方のためにもより一層頑張ります。



 本日は今一度、監視対象の一人について振り返ろう。別に、誰に聞かせるわけでもないが。

 でも、(コミュ障な)レキ先輩が多くは話してくれないから。今わかっていることを纏める意味でも、振り返ろうと思う。

 

 遠山先輩。本名、遠山金次。

 あの遠山の金さんで有名な遠山金四郎景元の子孫であり、元Sランク武偵。

 こう来歴だけ見るととても大仰な人物に感じるが、この東京武偵高での現在主な評価は「根暗」「昼行灯」「女嫌い」「女たらし」と酷い有様。

 しかも、後半二つどこか矛盾しているようにも感じる。ミステリー? トンチ? 意味がわからないよ。

 ただ最近腑抜けているのは間違いないだろう。僕の監視に気づく素振りが全くないし。今Eランクだし。

 

 因みに僕の近しい者の評価は──

 

「どこか抜けてるように見えるけど、なんか勝てなさそうな気がするんだよな……」

「英雄! 正義の味方! 生き様はまさに弱きを助け強きを挫くそのもの! 誰より尊敬に値する人なのだ!」

 

 と、概ね好評だ。

 

 実はこの先輩、僕自身にも少しばかり縁があると言えばあったのだが……それはもう関係の無いことか。

 落ちてきた牡丹餅を「いらね」と避けたら、勝手に怒った人が出てきたというだけのこと。

 遠山先輩からしてみれば知った事ではないと答えるだろう。僕の方こそ知った事ではなく、だが。

 

 さて、今回の話はその遠山先輩が強襲科(アサルト)に戻って来たことにより始まる。

 これは武偵高でも軽いニュースになるような出来事である。本人が気付いている様子は全くと言っていいほどないが。とりあえず昼行灯というのは本当らしい。

 今日はそれに連なって何か変化が起きないかを調べるために監視を行う日であり、やはり奇妙なことが起きてしまったと後悔する日でもある。

 

「アリア先輩とあんなに近く……」

 

 ギリギリと音が出そうなほどネクタイを噛みしめる間宮。

 知らなかった、間宮は布が主食なのか。いくら貧乏だからって餓えを誤魔化すためにそんな物を噛みしめなくたっていいのに。

 そんな餓えた間宮は今日強襲科(アサルト)の体育館から出た例の二人を付け回していた。理由は不明。

 

「……それにしても怠い」

 

 監視対象である遠山先輩と神崎先輩がイチャイチャイチャイチャ、クレーンでとったストラップを付け合っている所など、見ているだけで余計に疲れた。

 本当に、どうしてあんなにも仲が良いのだろう。特に遠山先輩、あなたは女嫌いではなかったのか。

 因みに、この時の間宮はネクタイをそれはもう引きちぎる勢いだった。歯つえーな。

 

 やがてデートは終わったのか、二人が別れた時にもう一つ限りなく小さい気配が増えた。ニンジャだった。

 ニンジャ──本名、風魔陽菜。

 外見は長く黒い髪をポニーテールのように後頭部で束ねていて、口元を布で隠している。何より特徴的なのは、その時代錯誤な格好と口調だ。『某』、『ござる』といった 如何にも忍者しています、という喋り方をしていること。

 僕が諜報科(レザド)に行っていない時に起きた連絡事項を、頼んでも無いのに届けに来る変に律義な奴だ。

 

 つまり、今の状況は──まず、遠山先輩。そしてそれを尾行(?)している間宮。それを尾行しているニンジャ。その更に後方にいるのが僕。

 多重尾行というやつである。

 ニンジャは遠山先輩の戦妹(アミカ)であり、遠山先輩自身も間宮には気づいているふうがあるので、火の粉払いのような、何かの対策として呼ばれたのか。

 

 それにしても、何度も思うがよくこの間宮が神崎先輩の戦妹(アミカ)になれたものだ。あいつの今の実力は少なくとも強襲科(アサルト)Eランクで間違いないはずだから。運がいいのか悪いのか、よくあの状況に持ち込めたと感心する。

 

「間宮殿そこまでにされよ」

「!?」

 

 いきなりのニンジャの登場に間宮は驚く。やはり気づいていなかったみたいだ。

 

「間宮殿に一つお尋ねしたい」

「な、何?」

「弥白殿と何故(なにゆえ)変わらぬ関係を維持できるのでござるか。抜け駆けたという意で違いは非ず」

「? 一体何を言ってるの?」

「知らぬか。いや、故に、でござるか。それに間宮殿は厳密には立場が……結局は某が………」

「風魔さん? って、そうだ! 遠山キンジ……先輩は?」

「……問答は終わりでござる」

「ええ!? なんか勝手に始まって、勝手に終わっちゃったんだけど!?」

 

 煙玉で姿をくらました振りをし、ニンジャはわざと間宮に姿を晒し逃げる。そう、遠山先輩がいる場所とは逆方向に。ある程度の武偵ならまず引っかからない作戦とも言えないお粗末なものだ。

 つまり──当然のごとく、間宮は見事に嵌った。

 最初のよくわからない問答も含めて時間稼ぎは十分。まあ僕くらいになると普通に追跡できるが。

 間宮がそんな技術を持っているはずもない。……だというのに、間宮は遠山先輩の元へと辿り着いた。

 肩で息をしている所を見ると、手探り次第に走り込んでいたと思える。それでも結局辿り着いてしまうその幸運さに呆れるばかりだ。

 

「なんだ、風魔の奴。撒けてねえじゃねーかよ」

「!? 遠山キンジ……先輩」

 

 さっきからこの微妙な間といい、間宮は遠山先輩のことを頭の中では呼び捨てにしていることが窺える。

 多分、神崎先輩と仲が良いのは気にくわないのだろう。普段の竹中のことも含めて。

 形だけでも上下関係にはしっかりするべきだと僕は思うが。

 

 間宮と遠山先輩が争おうと、現状を見ているだけが仕事の僕には関係ない。が、Sランク認定され、実力も得体も知れない先輩に突っかかるな、危なっかしい。

 この心配はあくまで何か起こった時流れ弾が僕に来たりするかもしれない心配。間宮自身の心配なんてしていない。間宮どうなろうと僕には関係ない。

 

「おまえ、どこの中学出身だ?」

「一般のですけど……それが何か?」

「なんだ一般か。風魔もういい、こいつは大丈夫だ」

 

 結局、遠山先輩的に間宮は無害認定され、ズルズルとこの場は収まるかのように思えた。

 だが間宮にとっては舐められていると感じたのだろう。よせばいいのに、立ち去ろうとした遠山先輩らに食い下がった。

 

「ぱ、一般中学(パンチュー)──」

 

 丁度、パンチューと言った時だった。

 風が吹き間宮のスカートをまくりあげた。どこかの需要に応えたかのように、見た目通りのお子様パンツ。いや、ぱんちゅ。色気の欠片も無い。

 思わず吹きかけてしまった。ああ、はしたない。

 

「がどうだっていうんですか!? って、キャー! ぱ、ぱんちゅーが!!」

 

 それを真正面から目撃した遠山先輩は、湧き上がる興奮を抑えるかのように、両目を両手で覆い、息を荒らげながら逃げ帰って行った。

 間宮、元Sランクを撃退! 大金星である。

 

「……ああ、そうか。そうだったのか」

『どうしたのですか』

「僕の中で一つの大きな謎が解けました」

『謎、ですか』

「はい」

『………』

 

 遠山先輩が神崎先輩と仲良くするわけ──

 そう、つまり、遠山先輩は、

 

“ロリコン”

 

 だったのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の業というものはなんともいたし難いものである。

 

「それにしても良かったよなー。志乃が無事戦姉妹(アミカ)の契約出来てさ」

「はい、ライカさん。白雪お姉様は、とても素晴らしい人でした。戦姉妹(アミカ)のこと以外にも、盗さ……まざまなことを教えていただきました」

 

 佐々木(こいつ)を見ていると特にそう思う。

 

「んー? 今何か言いかけなかったか?」

「気のせいですよ? うふふ」

 

 佐々木志乃。

 日本人本来あるべき理想と言ってもいいほどに艶のある綺麗な黒髪と、良いところのお嬢さま然としたおしとやかな雰囲気は、一見日本の古き心である大和撫子を連想させる。

 クラス、いや学年、学校内でもトップクラスの美人だと思う。

 しかし、これは酷い外見詐欺だと最初に注意しておいてやる。だから、手を出そうなどという腐った考えは直ちに捨てるべきである。

 何故なら、その正体は同性である間宮に発情する変態だからだ。

 ありたい体に言うとレズビアンなヤンデレである。もう手に負えないな。

 そんな佐々木は、ここ数日東京武偵高を離れ戦姉(アミカ)候補がいる『恐山』へと行っていたらしい。

 そして無事契約も済ましこうして帰って来たが、山で修行するのだったら、その邪な心も清浄してくればよかったのにと思う。なんか前より、ドス黒い気がパワーアップしたのを感じるようになったのは、それこそ気のせいだと信じたい。

 

「何はともあれ、これであかりちゃんと婚や……アミカグループを組むことが出来ます」

「なあ、アタシだってスルーしきれないものもあるからな? 嫌だぜアタシは、ダチがムショ行く所を見るなんて」

「うふふふ、ライカさんったら大袈裟ですね、もう」

「……ああ、本当にそうであってほしいぜ」

 

 アミカグループとは、戦妹や戦弟が最大五名までのグループを作る制度である。婚約とは一切関係ないのであしからず。

 

「ただまあ、そうだな。アミカグループ自体はあかりも喜ぶと思うぜ」

「ありがとうございます」

 

 佐々木は、ライカに丁寧にお礼を言った後、少し離れた場所にいるこっちに目を合わせるなり。

 

 口パクで──『あなたは入れてあげませんよ』

 

 ……別にいいから。

 一言も入りたいなんて言った覚えは無いから、見るな睨むな牽制するな。

 いつも通り、佐々木は本当に僕が嫌いみたいだ。

 

「……はぁ」

 

 やはり、丸一日考えてみても、遠山先輩が神崎先輩と仲良くする理由が『ロリコン』以外に思いつかなかった。

 女嫌いと言われていたのもあれか、「高校生はもうババア」とかそういう考えの持ち主だったからではないだろうか。

 神崎先輩も間宮も実年齢はともかく、見た目は小学生並み。もうこれは、遠山先輩の琴線に触れている可能性しかない。

 

「ゆえに、キンジ先輩が強襲科(アサルト)に戻った以上、アリア先輩ばかりが面を大きくして闊歩するなどできないということだぞ! な、ソラ」

「アー、ウン。ソウダネ」

「はぁ!? 竹中何言ってるの!? 遠山キンジなんてただの変人じゃん! アリア先輩の相手になるわけないもん! ね、ソラ君」

「アー、ウン。ソウダネ」

「キンジ先輩のどこが変人だというのだ!! な、ソラ」

「アー、ウン。ソウダネ」

「だって、あたしのぱん……と、とにかく! 絶対アリア先輩の方が良いに決まってるよ! ね、ソラ君」

「アー、ウン。ソウダネ」

 バカフタリデカイワセイリツシテルダローガ。

 

 さて、今回の議題も、最近強襲科に帰って来た生徒である、元Sランク武偵──遠山先輩のことだった。(というかこいつらは二人の話は先輩のどちらか、もしくは両方のことでばかりだ)

 間宮は元から仲の悪い竹中が押していることもあって、遠山先輩にあまりいい印象を持っていなかったが、今は完全に『嫌い』になっている。

 

「遠山キンジなんて変人だもん。……うぅ、あたしのぱんつ」

 

 遠山先輩を悩殺できてよかったね。間宮のその体系だと、反応する男子はある意味貴重だし。

 あるいは救いがあるならば、見られた相手があの遠山先輩と風魔だけだと思っているところか。どっちにしろ佐々木が知ったら殺されるだろうが。

 

「やっぱり、おかしいよ。あんな変人が何でアリア先輩と……。ソラ君もそう思うよねっ!」

 

 だからどうして、一々僕に振るのだろう。

 何、おまえ僕のこと好きなのか? だが、残念。僕は遠山先輩と違って健全な男子高校生だから、見た目もパンツも小学生なおまえは恋愛対象にならないから。

 凛とした立派な淑女になってから出直しな。

 

「僕には関係ない。ただ、あの人の女子への奇行は日常的だから。何されたかは知らないが、気にしない方がいいと思う」

「に、日常的なんだ。あ、あれが……」

 

 顔を伏せ「やっぱり、変人だ。いや変態だ……」、そう呟く間宮は勝手に追い込まれている。

 ああ、変態だ。だからもう迂闊に近づくな。喰われるから。

 

「アリア先輩をあんな変態の傍になんて置いておけない。早くなんとかしないと…!」

 

 それはともかく、僕はおまえらを早くなんとかしたい。このまま耳に騒がしいのがこびりつきそうで嫌だし。

 

「さっきから黙々聞いていれば無礼千万! キンジ先輩のことコケ降ろすなど許されないのだ! ソラ騙されてはダメだぞ、間宮はホラを吹いてるのだ!」

「あたし嘘なんて言ってないもん!」

「嘘ではないなら、証拠を見せるべきだぞ!」

 

 おまえらは一回口開くたびに、感嘆符付けなければいけない縛りでもしているのか? それとも何か、僕こと石花ソラを見て、この眠そうな顔を見て、寝かせないようにしようぜみたいな、嫌がらせ作戦でも実行しているのか?

 何それ、いじめカッコ悪い。

 本人たちは遊びのつもりでも、被害者にとってはそうではない場合があります。注意しましょう。いじめダメ。絶対。

 

「しょ、証拠はないけど」

「笑止千万! 証拠も無しに言ってたとは間宮はバカなのだ!」

「うー! だって遠山キンジって昼行灯って言われてるし。そんな人にアリア先輩が自分から近づくはずないもん!」

「女嫌いって異名あるのだ。キンジ先輩こそ近づく理由がないぞ!」

 

 『女嫌い』ではなく、(遠山先輩から見て)大多数がお年を召しているだけ。

 神崎先輩に関しては、遠山先輩から見て『女』に値する体型を持っているというだけで、近づく理由が十分にある。

 

「それに、キンジ先輩が昼行灯と呼ばれているのも態とだぞ」

「態と? そんなことして何の意味があるの?」

「まだわからないとは間抜け間抜け! 実力を安易に計らせないために決まってるのだ!」

 

 それは、まあ、そうなのだろう。

 あの一見隙だらけなのに、何処か計り知れない何かを感じる(ような気がする)だけに、竹中の贔屓目抜きにしても一笑に付すことはできやしない。四六時中見ていて何度も疑問に思ったことだ。

 ……あそこまで隙だらけに見えるようになる理由もまたわからないし、ロリコンなのは演技では無いだろうが。

 

「間宮のバーカ!」

「うー! バカって言う方がバカなんですぅー!」

「あ、今言った! 今ので間宮の方がバカと一回も多く言ったぞ! だから間宮の方がバカだぞ!」

「え、そんなのありなの!? ──じゃなくて! で、でもそれなら竹中も言ったからね! その言葉! だから竹中の方が一回分あれだもん!」

「あれってなんなのだ、あれって!」

「バ……ふぅ、危ない危ない。とにかく、竹中の方が多く言ったもんねー!」

「こ、この前のとか含めれば絶対間宮の方が多く言ってるのだっ!」

「この前っていつー? 何時何分何秒地球が何回回った時?」

「そんなの覚えてないのだ! とにかく間宮はバカなのだ!」

「違うもん! 竹中の方がすっごくバカでバカだもん!」

「ふははははー! 滑稽にも結局言ってるぞ! アホだ、間宮アホだぞ!」

「竹中に言われたくない! アホ、竹中アホ!」

「間宮がアホ!」

「いや竹中がアホ!」

「アホ!」

「アホ!」

「アホって言う方がアホ!」

「アホって言う方がアホって言う方がアホ!」

「アホって言う方がアホって言う方がアホって言う方がアホ!」

「アホって言う方がアホって言う方がアホって言う方がアホって言う方が……」

 

 ウザッ……

 何このアホスパイラル…!?

 

「ソラ、間宮の方がバカでアホであるよなっ!」

「ソラ君、竹中の方がバカでアホだよねっ!」

 安心しろ。おまえらは等しくバカでアホだ。

 

 正直者がバカを見るとはきっとこのことだろう。今まさに見えているし、バカ二人。

 

「石花殿はおられるか?」

「んー? ソラならほら、あっちにいるぜ」

 

 教室の入口辺りでライカがこの教室への来訪者の相手をしていた。

 その来訪者の声には聞き覚えがあった。記憶違いでは無ければこの声は……

 

「石花殿」

 

 僕をそう呼ぶ奴はこの広い東京武偵高でもただ一人。やはり来訪者は僕と同じ諜報科(レザド)の一年生、ニンジャだった。

 ニンジャは窓際の一番後ろの席である僕の方まで近づいてきて──今更だが、この位置って静寂の代名詞みたいなもののはず。どうして、クラスで一番うるさいエリアになっているのだろうか?

 

諜報科(レザド)の試練に関する報せでござる」

 

 ニンジャが渡してきた物は、僕が諜報科(レザド)に行っていなかった日に言い渡された課題のことのようで、当然僕はその存在を知るわけもなく、こいつは態々課題のプリントを届けに来てくれたようだ。全く、ご苦労なことだ。頼んでも無いのに。

 

「はぁ、そんなことしなくていいのに。……ありがと、と一応言ってやる。帰っていいよ」

 

 そんな僕の頭がこつんと叩かれる。

 

「ソラ、お礼くらいはちゃんと言えっていつも教えてるよな? なんだよその誠意の欠片も無い言葉は」

「ライカうるさい。はぁ、ニンジャ……ありがと、と言ってやるって」

「アタシの話聞いてたのかなぁー? 聞いててそれならぜひとも違いを教えて欲しいなぁ?」

「理不尽な無理強いを強いられたからか、僕の不快指数が二回目は上がっている」

「まるでダメじゃねえかっ!!」

 

 何故かライカにバシンと叩かれる。そんな僕らを見てニンジャは苦笑している。二人とも無礼だ。

 毎回思うが、ニンジャがこうして僕に接点を持とうとする理由がわからない。この春会ったばかりで僕は諜報科(レザド)はサボり気味のため、わかりやすい繋がりがあるわけでもないはずなのに。

 ハッ! まさか僕の遺産目当て!?

 

「ふ、風魔さんこの前ぶり」

「間宮殿も、先日ぶりでござるな。弥白殿は……」

「竹中ならさっきトイレにだと言って出ていったから」

 

 不自然なほど慌てて教室を出ていったような気がする。

 ……漏れそうだったのだろうか?

 

「そうでござるか」

「あー、うん。何か用でもあったのか?」

「いえ、なんでもないでござる」

 

 まあ、いいか。それは僕に関係ない。

 

「それでは、しかと伝えたでござるよ、(ニン)

 

 そうしてニンジャが用事を済まし速急に帰っていったあと、間宮は僕の傍らに突っ立っていた。届けられた課題のプリント眺めている僕を、何が気になるのかじっと見てきて、突然──

 

「ああぁぁぁあああああ!!」

 

 ──うっるさい!!

 

 間宮はやはり僕を潰そうとでも思っているのだろうか、この至近距離で叫ばれたら下手したら、冗談ではなくそのうち鼓膜潰れてしまう。

 しかし、鼓膜が潰れたらもうこのうるささに対面することも無くなる気が……

 

「………」

「おい、ソラ? おまえ、目が危ないぞ。変なこと考えてないよな?」

「はっ…!」

 

 気を取り直した時に、両の手で力強くペンを握りこんでいたが、これは右手で三角形、左手で四角形を書く、かの有名な脳トレ法をするためだと信じたい。

 ペンを持つ持ち方じゃなかったような気もするが。幼稚園児のクレヨンの持ち方みたいに、思いっきり握りこんでいたような気もするが。何故か両耳の真横まで持ち上げていたような気もするが。

 脳トレのためだったに違いない!

 

「どどどどうしよう!」

 僕もおまえをどうしよう。

 

「あたし、次の時間の課題やってないよぉ。志乃ちゃん──」

「志乃ならさっき出ていったぞ。なんでも戦姉妹(アミカ)関係の書類とかって」

「ええーーー!? ら、ライカぁ!」

「そういうのは自分でやるから意味があるんだろ。つーか、アタシも自信ねーし見せたくない」

「ライカのケチー! ソラ君──」

「僕はそもそも関係ない。義理も無い。バカだから一問もできませんでしたとでも言っておけばいい。大丈夫、間宮なら教員も信じてくれると思うから」

「そ、そんなぁ…! ……うぅ、ソラ君」

 

 やってこなかった自分が悪い。

 ……だから、そんな期待した目で僕を見るな。

 

「はぁ……全く、今回だけだから」

「やたっ。ありがとー! ソラ君っ!」

 

 満面の笑顔で飛び込んできた間宮をノートでブロックする。

 間宮は「ぐにゅ」と潰れたカエルのような声を出しながら、顔に突き付けられたノートを受け取った。

 

「そこは丸写しするより、こういう風に間違って書いた方が間宮的に疑われない」

「うん、わかった!」

「……わかればいいが」

 

 おまえはこの程度の問題も間違われるようなバカだと思われている。そう伝えたつもりだったのだが、何故か元気いっぱいの返事をされてしまった。

 これにはさすがの僕も言葉を詰まらせてしまう。

 

「ソラぁ、おれもやってきてなかったりするのだ……」

 

 いつの間にか帰って来ていた竹中もそんなことを言う。

 

「答えは全部『ウ』とでも書いていろ」

「選択問題ではないぞ!? た、頼むのだ、このとーり!」

「もう勝手にすればいい」

 竹中、おまえもか。バカばっかか。

 

 ホント勘違いしないで欲しいのは、これは別に僕が優しいとかそういうわけではない。これを断ってまた騒がれるよりも、さっさと見せた方が静かになるというだけだ。人間は学習する生き物だから。

 それにこれはうるさいこいつらへの隠れた罰。人間、他人に頼り過ぎればダメになるのだから。

 ……こんなことを続けて、せいぜいダメな子になるがいいさ。

 

「何? ライカ、その目は?」

「そんなことしてるから……いや、なんでもない」

 

 なんでもないわけないだろ。明らかに呆れたような目をこっちに向けているくせに。呆れるのなら僕ではなく、このバカどもにするべき。

 向けるべきはそんなものでは無く称賛。そう、完璧な『バカども堕落計画』を考え付いた僕への賞賛のはず。

 

「待つのだ間宮! おれそのページまだ移してないぞっ」

「竹中遅い! 早くしてよ、一時間目始まっちゃう!」

 書いている時くらい、静かにしろ。

 

「二人だと結構見づらいのだ。……こうなったら」

「あー! 竹中ノートを独り占めすんなー! ずるいぞー!」

「このノートはおれのものなのだー!」

 僕の物だろ。

 

「ふははははー!」

「かーえーせー!」

 いっそ、僕に返せよ、もう。

 

「ふはは……あれ? ノートは?」

「へっへーんだ! こっちだよー!」

 おい間宮、そんなくだらないことで鳶穿使うな。

 

「な!? いつの間に取ったのだ!?」

「もう誰にも渡さないもん……」

「いや、授業始まるからそろそろ返してほしい」

「え?」

「え?」

「『え?』ではなく」

「どうしよー!? って、竹中のせいだよ!」

「何おう!? 間宮のせいだぞ!」

 宿題やってきてないのは、純粋におまえら二人のせいだバカ。

 

 それにしても課題か……

 僕は、そんな二人に呆れながら諜報科の課題のプリントに再び目をやる。そんな難しい課題でもなさそうだ。この期限なら余裕で間に合う。

 

「あ」

 

 ──っと、プリントを落としてしまった。

 スーッと滑って行ったプリントは教室の後ろの入口近くでやっと動きを止める。

 それを拾おうと立ち上がった時、タイミング悪く何者かが教室へと駈け込んで来た。

 

「ふぅ、間に合ったのかな? ……おろ?」

 

 勢いよく入り込んで来た蓮華に落としたプリントはもう思いっきり踏まれていた。

 ぐしゃぐしゃのビリビリに。

 

「………」

「………」

「……気にする必要は無いんじゃないかなソラ君。寧ろ美少女に踏まれるのはある種ご褒美だよ。ヤッタネ!」

「………」

 

 

 




 なるべく落ち着いたダウナーな感じで書いたつもりですが、うまくいっていますでしょうか?



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Ep4 『カロリーメイト』

 書き直した第三話から連続投稿です。
 もし最新話で読んでいる人がいたら一つ戻ることをお勧めします。




「……眠い」

 

 見積もりが甘かったみたいで、徹夜をして期限ぎりぎりで課題を教務科(マスターズ)に提出することになった。おかげで寝不足が絶賛加速中である。

 フラフラと、千鳥足とは言わなくとも、百鳥足くらいの(そんな言葉は無い)ふらつき具合で廊下を歩いている僕の前に一人の少女が現れた。

 

「レキ先輩? あー、こうして予定もなく会うのは珍しいですね」

 

 ──というか、レキ先輩だった。

 向こうも同じことを思ったのかどうなのか、コクン、と頷かれる。その動作もどこかプログラムが最適化ロボットのごとく人間的な無駄が排除されている。

 軽いあいさつのあと、特に用もないため、すぐに別れると思っていたのだが。

 

「レキ先輩?」

 

 何故か服の裾をきゅっと掴まれた。どうやら向こうは何か用があるらしい。

 

「………」

「あの、用があるのなら何か言ってくれませんか?」

「?」

「いや、『?』ではなく」

 

 意味が分からない、みたいな顔されてもこっちの方がもっと意味が分かりませんから。

 やっぱり不思議電波な人だ、常識がまるで意味をなさない。

 

「………(ジー)」

 

 見ている。何かすっごい見ている。しかも無言。ひたすら無言。

 どうして何も言わないのだろうかこの人は? あ、もしかして、ついに言語機能完全に壊れた?

 

「ちょっとレキー! ここにいたのね……ん? あんた誰よ」

 

 アニメに出てくるような甲高い声と共にやって来たのは、ピンク色の長い髪をツインテールにしている美少女。

 同じ年のレキ先輩よりも子供っぽく見えるのは、数cm背が低い事だけが理由では無さそうだ。言うならば正反対、仕草が一々良い意味で動物的らしい。

 レキ先輩が幼く見える高校生で通っても、この人はどう見ても小学生と言った感じだ。

 

「初めまして神崎先輩、レキ先輩の戦弟(アミコ)(やらされている可哀想な少年)の石花ソラです」

 

 そう、この人こそ、あの間宮が好き好きうるさい神崎先輩である。

 こんなにも間近で見るのは実は初めてのことで、第一感想は「やっぱり小さい」だ。身長は間宮とそうは変わらないし。

 だが、間宮との違いはその立ち振る舞いには隙が見当たらないことか。なるほど、強襲科(アサルト)のSランクだと言うことも頷ける。

 で、その神崎先輩は、僕が言った言葉が余程意外だったのか、そのカメリアの瞳を見開いて僕とレキ先輩を交互に比べ、「え? え? え?」と驚きを前面に押し出している。

 

「レキ、あんた戦弟(アミコ)がいたの!?」

「はい」

「意外ね。あんたはそういうのは作らないとばかり思ってたわ。──知ってるでしょうけど、あたしは神崎・H・アリアよ。アリアでいいわ。あたしもソラって呼ぶから」

 

 そんなあいさつの中、視線をずっと一方向で固定していたアリア先輩。やがてアリア先輩の目がどこか一点を見ていることに気が付く。

 ……あ、そうだ。まだレキ先輩に掴まれていたのだった。

 

「えっと、レキ。あんた何してるの?」

「捕まえていました」

「なんで?」

「………」

「え……そこで黙られると、あたしもその、困るんだけど……」

 

 どうやらアリア先輩もレキ先輩を御しきれるみたいではないみたいだ。電波なレキ先輩に困惑している。

 まあ、この人と意思疎通を難なくできるくらいなら、武偵でなく交渉人やるべきなのだが。間違いなく業界一目指せるだろうし。

 それでも数秒後、アリア先輩はハッとした顔で何かに気づくと、うんうんと何やら自分の中で納得しだした。

 心なしか、レキ先輩へ向ける目が慈愛に満ちている気が……。よくわからないが、気のせいだといいなと思った。

 

「ねえ、ソラ。あんたの専修はどこ? ランクは?」

諜報科(レザド)、ランクAです」

諜報科(レザド)? なんで狙撃科(スナイプ)のレキの戦弟(アミコ)やってるの?」

 

 それは僕が知りたい。

 

「私たちにも共通点はありますよ」

 

 そこで黙んまりしていたレキ先輩が唐突に口を挟んで来た。

 共通点? はて、そんなものがあったかどうか?

 

「へえ? 何かしら? あたしも少し気になるわ。教えなさいよ」

「それは」

「それは?」

「カロリーメイトが好きだということです」

「え、別に好きではないですが」

「……裏切り者?」

「その、最初は好きだったみたいな言い方やめてくれませんか?」

「バラバラじゃない!? ものすっごいバラバラじゃない!!」

 

 こてんと首を傾げるレキ先輩に、アリア先輩は唖然とする。

 

「ま、まあ、二人のことはあたしの口出すことじゃないし、今はいいわ。そんなことより、諜報科(レザド)でそのランクなら知ってるかしら? キンジ……えっと、2年の遠山キンジって奴のことなんだけど」

「遠山先輩ですか。有名人ですから、それなりには」

 

 それなりの基準を大幅に上回っている気もするが、「付け回っている相手なので最近の私生活ほとんどを」などとは口が裂けても言えない。

 あくまで、あたりさわりのない範囲で答える。

 

「うーん。聞いておいて悪いけど、もう全部知ってることばかりね」

「あとは、僕と同じ諜報科(レザド)のニンジャ──風魔陽菜を戦妹(アミカ)にしていることくらいですか」

「あれ? そうだったの? そう、陽菜が……また、焼きそばパンでいいのかしら?」

 

 どうやらアリア先輩は既にニンジャとは面識がある様子。ニンジャに何か調査以来でもしたのだろうか? しかし、遠山先輩との関係については知らなかったようだ。

 

「もし、何か新しいことがわかったら連絡をしなさい。あ、別に調べてってわけじゃないわ。偶々耳に入るような情報があったら教えて欲しいのよ」

「それくらいなら、まあ」

 

 グイと小さく服を引っ張られる感覚。なんだろうと軽く振り向いて見ると、レキ先輩がいつもの無表情すまし顔をしているだけだった。

 「どうかしましたか」と目で訴えても通じていない様子。

 諦めた僕はアリア先輩に視線を戻し、お互いに連絡先を交換する。

 携帯を出しあっての赤外線。ふと見えた携帯に付けられているデフォルメされた小さな猫のぬいぐるみのようなもの。この前は遠目でよくわからなかったが、結構可愛いな、そのストラップ。猫っぽいし。

 

「──それでね。このタダ券でその遊園地に四人まで入場できるんだって!」

「ん?」

 

 聞き覚えのある声がしたので窓の外を見てみると、そこにはライカ、間宮、佐々木の仲良し三人組が青空の下で談笑していた。

 

「ちょっと、あかり」

 

 アリア先輩もそれが誰なのかに気づいたのか、彼女らに声をかける。

 

「あっ!! アリア先輩! いつからそこに?」

 

 なんとも嬉しそうにするのはいいが。そろそろ後ろで殺気放っている奴に気が付くべきだと思う。

 

「街に出ても武偵としての自覚を持つのよ?」

「はい!」

 

 間宮はとってもいい返事をした。しっかり理解しているかどうかは別として。

 

「あれ? ソラもいるのか?」

 

 どうやら僕にも気づいたようだ。因みにレキ先輩には気づいていない。こちらもある意味諜報科(レザド)顔負けの相変わらずステルス性能だ。

 

「あ、ソラ君だー! なんでアリア先輩といるのー?」

「成り行き」

「え? あんた、あかりたちとも知り合いなの?」

「クラスメイトです」

 

 非常に残念ながら。(ライカを除く)

 

「ねー、ソラ君も来るー?」

 

 僕を誘うその間宮の隣では、『来るな来るな来るな』と視線が全てを物語っている奴が一人。本当におまえは相変わらず過ぎる。

 心配しなくともそんなメンドクサイ場所に行きはしない。僕は今忙しいのだから。

 その旨を間宮に伝えると。

 

「そっか……。そう、だよね。ソラ君にも予定があるもんね……」

 

 断られたのが何故かショックだったみたいで、間宮はしゅんと落ち込む。

 

「何あかりちゃんを落ち込ませているんですか!」

「僕にどうしろと!?」

 

 おまえ来るなって言っていただろ。いや、言ってはいないのだが。

 とにかく理不尽だ。

 

「はぁ。また今度暇な時に何か埋め合わせするから、今は三人で楽しんで来ればいい」

「うん、そうだよね。また今度遊ぼうねっ!」

 

 すぐに気を取り直し、ひまわりのような笑顔で笑う間宮。……全く、子供っぽいなぁ。

 横を見て、ふと思いついた。

 

「どうせならアリア先輩を誘えばいいのに」

 

 そう言った瞬間、佐々木が燃え上がるような憎悪の瞳で僕を貫いて来た。ので、何食わぬ顔でさらりと受け流す。

 超イライラしてやがる。いい気味だ。この前の嫌がらせへの鬱憤も少しばかりは晴れたというもの。

 

「あ、アリア先輩──」

「ゴメンね。あたしは今日もちょっと用事があるのよ」

 

 アリア先輩に断られた時の間宮のマヌケ面は見ものだった。こっちは半分断られることを覚悟していたのか、目に見えて落ち込みはしなかったが。

 こんなしょっぱい会話でも結局間宮はアリア先輩と関われるだけで幸せなのか。

 

「──じゃ、あかりちゃん行きましょう。すぐ行きましょう」

「志乃ちゃん、そんなに楽しみなんだ……遊園地」

 

 こっちを視界に収めないようにしながら、ぐいぐいと間宮の手を引っ張る佐々木。顔は引きつっている。どうしても、早くこの場を離れたいらしい。おまえはどれだけ僕とアリア先輩が嫌いなのだろうか。

 

「アリア先輩、ソラ君、また明日~!」

 

 間宮は最後までのんき。そんな風に気が抜けている時に、豆鉄砲でも食らうがいい。

 そのまま三人は帰って行った後、それを見送っていたアリア先輩は窓の淵に手を添えて、少し不安そうな顔をする。

 

「はぁ、大丈夫かなぁ……」

「へぇ、意外と心配性な方ですねアリア先輩は」

 

 まさに、手のかかる妹を持つ姉の心境なのだろう。案外、面倒見がいい人なのかもしれない。

 

「私もです」

「……え゛?」

「………」

「………」

 

 まさに、手のかかる妹を持つ姉の心境なのだろう、アリア先輩は(・・・・・・)

 案外、面倒見がいい人なのかもしれない、アリア先輩は(・・・・・・)

 

「どうしたのよ、ソラ? 急に、顔をそんなに固くして」

「なんでもないです。ええ、なんでもないですから」

「そ、そう。それならいいんだけど」

 

 アリア先輩はレキ先輩に「また、あとで連絡するわ」と言って去っていった。

 

「で、レキ先輩。結局何の用だったのですか?」

 

 手、やっと離してくれた。

 

「ソラ」

 

 レキ先輩は、とことこと僕に近づいてきて……近い。ただでさえさっきまで文字通り手の届く範囲にいたのに。

 躊躇いも無く、僕の顔のすぐ近くに自身の顔をもってきたことに、驚き冷や汗が流れる。突然の出来事に僕の体は硬直しており、煮るのも焼くのもまさにレキ先輩次第のこの状態。

 そして彼女は、その形のいい唇を僕の耳元に近づけ──

 

 「放課後、また」と、だけ呟き、横を通って行った。

 

 ……本当に、心臓に悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして放課後、レキ先輩の部屋に入ると同時に飛び込んできた景色に、目を覆いたくなった。というか逸らしていた。

 いや、別に嫌なものを見たわけでは無い。ただ、限りなく困るものではある。

 

「………」

 

 スカート穿いている身の上で、目の前に他人(しかも男)がいるのに体育座りなんてことするなよ。

 ──隙だらけだった。隙しかなかった。

 スカートを穿いた姿で、壁に寄りかかり、体育座り。足をきっちり揃えているのは立派だが、それを正面から見ると大変なものまで見えてしまう。何、これから運動会でも始まるのか?

 誰だ、この人を隙が無いとか言ったバカは。

 

「……?」

「……いえ、特に」

「?」

 

 座り直せと言うべきだろうか。でもそれだと僕がこの人を意識しているみたいで嫌だ。……どこか負けた気がするし。

 

「しばらく様子を見ていましたが、中々尻尾を見せてきませんね、『武偵殺し』もどきの方は」

 

 『武偵殺し』

 武偵ばかりを狙う爆弾魔。

 犯人は最近捕まったとも報道されていたが、単独犯ではなく複数犯だった、もしくは模倣犯らしき者がいる可能性もある。

 新たに名前を付けるのはメンドイから、とりあえず武偵殺しもどきでいいだろう。もどきと三文字付け加えるのもメンドウだからもう武偵殺しでいい気もするが。更に略してブッコロで……これは無いな。

 

 始業式の在ったあの日。

 逃げる遠山先輩、降りかかる弾丸、飛んできたアリア先輩、背景彩る爆発。どこの映画のワンシーンだと思ったくらい出来すぎだった。

 

「それで、どうしますか?」

 ①捕まえる。

 ②無視する。

「③射殺」

「そう、③射殺……あの、僕らは一応武偵なのですが…?」

「冗談です」

 

 ……ま、全く笑えない。

 淡々とした口調のせいで冗談な感じがしない上に、この人なら冗談抜きでヒットマンをやっていそうなイメージもあるし。

 それにしても、レキ先輩の冗談初めて聞いた。

 感想。今回限りでもうやめろ、二度とするな。

 

「何かアクション起こすにしても、それでこちらの存在がばれると厄介。かといって何もせずとも向こうが害を持ってくる可能性もあります」

「では、③ですね」

「しませんが」

「……そうですか」

 

 もしかして、若干落ち込んでいるのだろうか?

 意味不明すぎる。武偵は人殺しはダメだということくらい、その妙な電波しか受信しない頭にも詰めといてほしい。

 

「ソラは我儘ですね」

「いや、どう考えてもレキ先輩には負けますから」

戦姉(アネ)より優れた戦弟(オトウト)はいません」

 

 極めて小さくだが、えっへんと胸を張るレキ先輩。褒めていないはずなのに、どうして誇らしげなのだろうか。

 結局この件に関して、様子見のまま対応は変わりそうもなかった。まあ僕も監視対象が大変な目に遭おうが見ているだけだから、どうでもいいが。アリア先輩に関しては罪悪感が湧かないでもないが、あの人なら手を出さずとも自分の力でやっていけるだろうし。

 

「そういえば、レキ先輩って、アリア先輩と仲が良いようですね」

「アリアさんとですか」

 

 ぼっち同士気が合ったりするものなのか。

 観察したことのあるアリア先輩はともかく、レキ先輩がぼっちはあくまで想像だが。レキ先輩がクラスメイトとかと談笑している姿とか、あははと愛想振る舞って笑っているレキ先輩を誰が想像できようか。気持ち悪い。

 

「そうなのでしょうか」

「まあ、アリア先輩と仲が良さそうには見えましたが」

 

 レキ先輩は本当に何考えているかわからないが、アリア先輩の方は何か思っている気がする。

 

「アリアさんとは今年の二月に会ったばかりです」

「友情に年月は関係ないらしいですよ。まあ、よくは知りませんが」

「年月は、関係ない……ソラもそうなのですか?」

 

 友情とかそう言うたぐいの話なら、ライカとのことが一番だろう。

 

「えっと、ライカという友人がいるのですが」

「──この話はもう終わりです」

「いや、『終わりです』ではなく、あの、何故ですか?」

 

 唐突過ぎる。聞いたのはあなただろ。

 

「終わりです」

 

 終わりらしい。

 レキ先輩は、こうなったら放たれた銃弾のごとく真っ直ぐ融通が利かない。頑固だ。

 

「私は一発の銃弾──。友達は必要ありません。下僕(ソラ)さえいれば」

 

 今なんて書いてソラと読んだこの電波?

 

 『私は一発の銃弾』──レキ先輩が狙撃時に呟く言葉。どこか私的な雰囲気を持つ自己暗示に似た何か。

 銃弾。道具。

 自分のことを道具扱いしているような、寂しい言葉。

 それに対して僕は声を大にして言いたい。

 ふざけるな、と。

 レキ先輩は道具なんかじゃない。人間だ。

 だから、自分のことを銃だとか弾丸だとか、そんなこと言わないでほしい。

 だって、だって……

 

「……この人の部下である僕が道具以下ということになるし……」

 

 まあ、少なくとも道具扱いはされているのだろう。悲しいことに。

 それでも放っておかない僕は、きっとライカたちからお人好し病の一部でもうつされたのか。それほどまでにこの人が危なっかしいのか。

 我ながらメンドウになったとは思う。……この人への畏怖の感情が大きいのは認めるが。誘いを断ったら頭ぱーんとされそうだし。

 

「何か言いましたか?」

「いえ、何も」

 

 そういう電波発言は僕を全くの無関係な場所で一人寂しくやっていてほしい。それならいくら電波発言しようと僕は文句言わない。薬物中毒と疑われ、僕と関係ない遠いどこかに言ってくれれば幸いだ。

 

「ソラは神経質すぎます」

 

 それは、狙撃銃の弾を自分で作る人に言われたくないセリフ。

僕は神経質ではない。

 ただレキ先輩は、もう少し一般常識関係には神経質になった方が良い。特に貞操関係──体育座りだけならともかく、この人は僕が部屋にいても平気でシャワーに行くほどの重症患者。全く、頭が痛くなる。

 

「ソラは何をしているのですか?」

「見てはいません。ホントです」

「?」

 

 現在視界に入っているものはではなく、何を見据えているかという意味だったようだ。

 僕はそんな目で見ていないと言い訳しておくが、気にならないと言ったらウソになる。レキ先輩の体制にハラハラしている。ドキドキでは無いのがミソだ。

 レキ先輩は何もわかっていないのか、首を小さくコテッと傾げている。

 

「ソラ。今あなたがやるべきことは何ですか?」

「それは……」

 

 睡眠。寝たい。ではなく、遠山先輩たちの監視のこと。だから、その邪魔になるかもしれない武偵殺しもどきに頭を悩ませている。いや、悩ませるというほどではないが。メンドウだとは思っているのだ。

 レキ先輩は、僕のことを相変わらずの表情で見つめて言った。

 

「それはカロリーメイトを買ってくることです」

 

 思考が停止を呼びかけてくる。きっと何か聞き間違えたのだろう。頭の中で言われた音を反復する。別の言語ではないかと模索してみる。

 だが、現実はどこまでも非情だった。

 

「カロリーメイトを買ってくることです」

「……いや、それは違うと思います」

「カロリーメイトを買ってくることです」

「……あー、うん。そうですね」

 

 僕は思考を放棄しました。

 

「今日、新作の発売日だと聞きました」

「………」

「やられる前にやれ、という言葉があります。新作のカロリーメイトが売り切れてしまう前にこちらで買い占めろ、という意味です」

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

「──というわけで、カロリーメイト100個くれ、今すぐ」

「Loo……。ここはコンビニデス。そんな大量に仕入れているわけがありマセン」

 

 よく行くコンビニの店員とのそんなやり取りの末、僕は気が付いた。

 当り前だ、一つのコンビニにそんな数売っているわけがない。

 具体的には一つの店舗で10個も入荷していないのだ。

 お客さんのニューズに答えろ。いつもカロリーメイトたくさん買っている変な客がいるはず。この知的な少年とか、ヘッドフォン付けてボーっとした電波な女とか。これくらい予想しておけよ。

 

「クレームはオーナーにお願いしマス」

「はぁ……普段いないだろ、あのキノコ」

 

 その後もコンビニを巡っていたが、100個は地味に大変すぎる。今はなんとか90個ほど集めることが出来たが、レキ先輩が100個と言ったら、100個しっかり集めないといけない。

 猫探しの方が余程マシ。それに発売日当日に入荷してない店すらあるくらいだし。

 この先の薬局に無かったらどうしようか? 電波……レキ先輩に殺される。というかレキ先輩もレキ先輩だ。そんなに欲しいなら予約とかしとけって。できるが知らないが。

そのうえ本人はこれから予定があるなど言ってどこか行ってしまうし。

 

「それにこれ……」

 

 何、トマトソース味とか、おいしいのかどうか理解不能。いや、絶対おいしくない。そもそも名前、ケチャップ味ではダメなのか?

 そもそもと言うのならそもそも、あの人のカロリーメイトの優先順位おかしい。こうして僕がパシリに身を裂いている時は、監視の任務もできてないというのに。

 毎日毎日食べていて、いい加減飽きろよ。それかもうカロリーメイト星にでも移住すればいいのに。

 

「ソラ? やっぱりソラだぞー。おーい、何しているのだ?」

「げっ、竹中…」

 

 何故こんな時に限ってメンドクサイ相手と会う。最近呪いでも罹っているのではないかと疑い始めてきた。

 竹中は、そんな心労などに全く気が付きもせず、僕とは正反対にハツラツな楽しそうな顔して、ザザッザザッと何か重たいものを引きずるような音を立てながら近づいてくる。

 

「もしかせずともソラも買い出しか?」

「あー、うん。間違ってはいないかもしれないが」

「ソラも一人暮らしだものな。晩飯とか普段何作ってるのだ?」

「つく……ど、どうでもいいだろ。おまえには関係ない」

 

 何当たり前のように僕が料理なんてものをすると思っているんだろう。バカなのか。そんなメンドウなこと忙しい僕がするわけないだろ。

 ……そもそも僕の部屋のキッチンこの前何故か(・・・)黒焦げになってから使い物にならないし。

 

「そんなことより、どうしてタイヤなんか引いている?」

「ふっ……修行だぞ!」

「いや、『修行だぞ!』ではなく」

「買い出しの時もこうすれば、時間を無駄にしないぞ!」

 

 胸を張って応える竹中に、「なるほど」と一瞬思ってしまった僕が憎らしい。竹中のくせに。

 しかし、タイヤ引きか……山籠もりで修行する人もいるくらいだしこれくらい常識の範囲なのか? やっている人を他に見たことない気もするが。

 

「ソラもやりたいならば言ってほしいぞ」

「遠慮しておく」

 

 だからと言って自分がやりたいとは思わない。冷静に見るとこの上なく間抜けな感じがするし。

 ハツラツな竹中ならともかく、ダウナーな僕がこんなことやっていても、傍からは新手の拷問にしか見えないだろう。そもそも僕にとってタイヤ一個は大した負荷にならないし。

 

「それで気になっていたけど、そのたくさんのビニール袋はなんなのだ?」

「……カロリーメイト」

「うん、それ以外は?」

「……いや、カロリーメイトだけ」

「あのな、ソラな、言っておくのだ。カロリーメイト100個とか買っても、別に願いが叶ったりとかしないぞ?」

「………」

 

 改めて考えてみれば100個とかバカだろ。

 すごく恥ずかしいのだが。

 

「ソラ? うんうん唸っているけど気は確かであるか?」

「カロリーメイト、これだけあって何に使う? 家でも建てるのか?」

「食べるべきだぞ! 何にチャレンジしようとしてるのだ!?」

「竹中はバカか? 通常の人間がこれだけの量を食べられるわけないだろ。それもこんなジャンクフード」

 

 僕がそう言い終えてから刹那の間もなく、頭部を高速で何かが掠めた。

 

「!?」

「んん? どうしたのだソラ?」

 

 か、体が動かない。それどころか、立っているのも……無理。

 神経そのものがマヒしたような感覚と共に、がくんと崩れながらついに僕は前に倒れる。まるで体全体が重油に使っているようで、手足の動きは思考の数倍遅れている。

 携帯電話が鳴る。ズボンのポケットに入っておるそれを取り出すだけでも今の僕には難しい。亀のような動きでのろのろと携帯を掴んで、やっとの思いで画面を見ると。

 

「だから夜更かしはよくないと……何々、『③。あなたがジャンクになりますか?』──なんなのだこれ?」

 

 何勝手に覗き見てやがる、竹中このやろぉ。なんて、今はどうでもいい。

 そんなことより……明らかに僕の声が聞こえている内容なのですが。……何それ怖い。

 

「理由は不明だけど沢山欲しいのだな? ならば、コンビニを回るのは無駄な労力なのだ。なんでかと言うと、スーパーの方が沢山売ってて効率良いからっ!」

 

 竹中は地面に落ちたカロリーメイトを見てそう言った。

 言われてみればそれはそうだ。

 

「そうだぞ! このままスーパーに行くのならおれと一緒に行くのだ。今日は6時から卵の特売なのだ。今からだったらまだ間に合うぞ」

「僕は暇ではない。……というか体がうまく動かないし」

「いいではないか! ほら肩貸してやるぞ。お一人様1パックまでと言うのが今まで歯がゆくて仕方がなかったのだ」

「だからどうして……全く、荷物も持ってくれたら考えるかもしれない」

「まかせろだぞ! では行っくぞー!」

 

 何故かタイヤに座らされた。そしてそれを引っ張って走る竹中。

 

「おお、これは結構足にズシッとくるぞっ!」

 

 何、この扱い。僕をトレーニングの材料にしやがって。ふざけるな、もっと丁寧に運ぼうとは考えなかったのか。

 タイヤは無骨で固く、動けばガタガタ揺れるし、偶に石が跳ねて来るし。最悪だった。

 もう少しスマートなの想像していたのに。

 

「ぜぇ……ぜぇ……よ、よし行く、ぞ…!」

「息、整えろ。少し待っていてやるから」

 

 曲りなりにも休めたおかげか、僕の方は体の感覚は幾ばくか取り戻してきた。これならただ動く分には問題ない。

 

「ああ、ありがたいぞ……スー、ハー」

「勘違いするなよ。僕がそんな息荒い奴と一緒に入るのが嫌なだけだから」

 

 なんとか呼吸を落ち着かせた竹中(見苦しいから、汗拭きようにハンカチもあげた)と一緒にスーパーに突入すると、そこは戦場だった……ということは無く、普通に賑わっていた。

 さて、カロリーメイトはどこにあるのか。

 

「待つのだ。その前に卵が先だぞ」

 

 そういえば、安売りがどうとかと言っていたのだったか。まあ、ここまで連れ来たのは竹中だ。そのくらいはいいか。

 

「6時まで、あと5分ある。それで、安売りとは?」

「ふふふ、聞いて豆鉄砲に撃たれるなだぞ? なんと10個パックの卵がなんと80円なのだ!」

 

 なんと2回も言うなし。

 

「へー」

「反応薄……」

「それって安いのか? 卵の相場がわからない」

「えっと……安売りでない時はこの店だと大体180円なのだから……なんと100円もお得なのだぞ!」

「たった100円だけ?」

「はあ!? 半額以下だぞ!! それで幸せになる奴がどれほどいると思ってるのだ…!」

「はいはい。わかったから、詰め寄るな暑苦しい」

「例えば──あ、やっぱいたぞ! ほら、あの子なのだ!」

 

 竹中が指さしたのは一人の少女だった。

 

「あの小柄な女子がどうした? おまえを通報すればいいのか?」

「なんでぇ!? なんでそうなるのだ!?」

 

 何故かこちらに近づいて来たその少女は随分小さい子だった。身長で言うならば、間宮と同じくらい。

 騒がしい竹中を注意でもしに来たのだろうか? 竹中、公共の場では静かにしようよ。

 

「あ、やっぱり。いつものお兄さんですよね」

「いつも? お兄さん? ……竹中おまえ、何をやった…?」

「何もしてないぞ! だからその携帯しまうのだ!」

「あの、お友達の人もご一緒ですか?」

 

 友達ではない。態々言ったりする必要も無いから、言ったりはしないが。

 

「結局どういう関係?」

「ああ、よく特売してるスーパーで見かけるんだぞ。このくらいの子は珍しいからなぁ、顔なじみってやつだぞ」

「そうなんですよ。──あ、いけない」

「6時になったぞ! 急ぐのだ二人とも!」

「は? 何を急ぐって……おい、引っ張るなよ」

 

 いきなり駆ける二人に僕は二重の意味で置いてかれそうになる。その意味はすぐに分かった。

 

『只今より、タイムセールを実施します!』

 

「う……何これ…?」

 

 卵の安売りの放送。そして卵コーナーに群がる人。

 

 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人……人ゴミ

 

 ……おえぇぇ、何これ超最悪。他人が沢山固まっていて気持ち悪い。

 

「ぼさっとしないで、行くぞソラ」

「嫌だ」

 

 僕は人ゴミが何より嫌いだと知れ。

 ──たかだか100円のために誰が飛び込んでやるものか。

 

「あーもう! わかったのだ! おれが取ってくるからレジの時は一緒にいてほしいぞ!」

「それくらいなら許す」

 

 もみくちゃにされていく竹中を少し離れたところで見送っていると、小さな気配が隣に接近してきた。

 

「もしかしてですけど、石花ソラさんですか?」

 

 その少女の手が持つカゴの中には確かに卵人パックが入っていた。

 もう取ってきたのか。あんなぐしゃぐしゃした空間で服や髪も乱れてない。何か武道でもやっているだろうか。

 

「そう。ああ、やっぱりそっちは間宮の」

「間宮ののかです。お姉ちゃんがよくお世話になっています」

 

 間宮ののかと名乗った少女は、ぺこりと僕にお辞儀した。

 おい間宮、妹より落ち着きないって恥ずかしくないのかな。

 しかし、存在は知っていたが、まさかこんな所であうとは思わなかった。

 何か、苦手だ。武偵高にいるアホな奴らと違って、上品に見える分無碍にしにくい。

 

「やっぱり。ほんとにお姉ちゃんが言ってた特徴そのままなんだ……」

「間宮は一体何を言っていたのか、問い詰めたい所ではあるね」

「あはは」

 

 笑って誤魔化された。

 

「どうでもいいが、今日は眼鏡を忘れたりでもしたのか?」

「え…? 別にいつも眼鏡はしてないですけど。あの、あたしって眼鏡をしてそうな顔に見えるんでしょうか?」

「いや、何でもない。ただ少し気になっただけから」

 

 眼鏡をしてそうな顔ってどんな顔だ。

 

「お、なんか仲良さげだぞ」

 

 今更着た竹中が僕と間宮ののかを見比べてそう言う。

 遅い、遅いすぎる!

 こんな間宮から騒がしさを取って悪い部分が見当たらない、しかも初対面の子と一緒にいるのが僕にとってどれだけ精神力を使うか考えてみろ。

 嫌な奴なら、心の中で毒吐いて精神を保てるのだが。

 これだから善良な奴は苦手だ。きっと僕自身が善良すぎるので、同族嫌悪的なものを感じているのだろう。間違いない。

 

「それじゃあ、あたしはお先に失礼しますね」

 

 「お姉ちゃんも待ってるだろうし、夜ご飯の準備もしなきゃ」──そう小さく呟きながら、間宮ののかは去っていった。

 

「良い子なのだ。特売の情報とかも教えてくれるのだっ」

「……あ、そう」

 

 その他、竹中曰く安い食材を買い込み、スーパーを出ると、もうすでに暗くなり始めていることに気が付く。

 だが心配はない。カロリーメイトのノルマはラクラク達成だ。さすがはスーパーなマーケット。

 

「なあなあ、それだけあるなら一個食わせほしいぞ? そこまで買うようなものなのか少し気になっていたのだ」

 

 帰る途中、どうしても気になったのか、竹中はもの欲しそうに箱一つを手に取っていってくる。

 マージン含めて100個を越して買えため、一つ食べられようが問題は無い。だから特に抵抗も無く、竹中に一つあげることにした。

 竹中は大雑把に箱と袋を破くと、早速その赤褐色のクッキーを食べ始めた。

 

「へー、トマト味なのかぁ。どれどれ……うわっ、微妙にまずいっ!」

「あ」

 

 ぴちゅーん!

 

 ……トマトは赤い。これは赤い。だからこれはトマトこれはトマトこれはトマト……

 

 

 




「ねえレキ、台場ラグーン以外にも撃っていたみたいだけど、何してたの?」
「天罰です」
「そ、そう……。あ、そういえばヘッドフォンで何を聞いているの?」
「…………風の音です」
「返事にいつもよりも間があった気がするんだけど」
「気のせいです」
「そ、そう……」


*オチはギャグ処理──天下のレキさんならうまいこと大事にならないように当てられるだろう。(丸投げ)



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Ep5 『無礼後輩』

 先に言っておきますが、あかりとソラが恋愛的に結ばれることはありませんのであしからず。




「あなたはお姉様に相応しくありませんわ!」

 

 間宮よりも小柄な目の前の少女は、僕が口を開かないことを良い事に、人様の友人関係にまで口を出してくる。

 心が穏やか温暖かな僕は悪口を言われた程度ですぐ手を出すほど短気ではないが、自分よりも下の人間にバカにされれば超ムカつく!

 一番の手段としてはこの少女から離れることだが、この分だと次の授業が始まるまで着いてきそうな勢い。

 無論、振り切ることは容易い。しかし、教室の前で待ち伏せされてしまえば、結局また顔を合わせることになってしまいかねない。

 第一、見知らぬ他人のせいで行動を変えるというのは、なんか負けた気がして癪に障る。何よりメンドクサイ。

 

 ……はぁ。どうしてこのようなことになったのだろう。

 それを理解するためにも、今日の出来事を頭の中で思い返してみることにした。

 確か……初めは今日の朝からだったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──時間は少し遡る。

 

 まだHRが始まる前の時間。

 いつものごとく僕には安らぎは無かった。ただ、今回の騒ぎは珍しく間宮竹中と直接関係あるものではなかったが。

 

「あ~ん。お姉様~。クンクン、いい匂いですのー」

「だあーー! 変態か、おまえ!」

「はいですのー!」

 

 目の前にいるライカに何かが引っ付いている。因みに僕の目の下にはクマが引っ付いている。どちらも取れる気配が無い。

 ライカの方にいるのは、ヒラヒラの沢山ついた改造制服を着こみ、あの間宮よりも小柄な少女。まさかあれで同級生ではないはず、おそらく中等部だと推理する。

 ライカが中等部の女子にすり寄られているという物珍しい光景に、教室中から視線が集まってきていた。

 だが一つ言いたい。どうしておまえら何かあるとみんな僕の机の周りに集まるの!?

 おかげでこっちまでとばっちりで視線がくる始末なのですが。迷惑極まりないのですが。

 

「ライカと……麒麟ちゃんだったよね? えっと、どうしたの?」

 

 間宮がその二人へと声を掛ける。

 件の少女は間宮自身とも知り合いのようだが、この状況自体は間宮にとってもよくわからないことだったらしい。

 

「あー、あかりか。さっき会ってからさ、引っ付いて取れないんだよ、これ」

 

 ライカの声はどこか疲れの含んだものだった。

 

「呆れているお姉様も素敵ですの~」

 

 少女の声はどこか楽しげなものだった。

 

「誰のせいだと思ってんだ! というか、いつまで引っ付いてるつもりだ!」

「いつでも、いつまでもですの!」

 

 その通り全然離れようとする意志は見当たらなかった。

 恐らく剥がしてもすぐまたくっ付いてくることだろう。蚊とかと同じだ、払ってもまた寄ってくる、それは潰すまで終わらない。

 

「………。しょーがないか……ちょっと行ってくる」

「え、ちょ、お姉様? そんな強引に、まだ心の準備が……でもこれはこれで」

「何考えてるか大体わかるけどさ、違うからな」

 

 ライカは少女を連れて廊下に出ていった。

 直接中等部に送り戻すつもりなのか、それとも屋上とかで潰しに行くのか。まあ、ライカなら前者だろう、仕方ないことに。

 ライカたちが過ぎ去ったあとの教室、ザワザワしていた空気も少しだけ静けさが戻り始めた。

 

「ねえ、佐々木。あの距離感とか、あれを見てどう思った?」

「良いと思います!!」

 

 満面の笑顔。決まりに決まったグッドサインだった。

 

「……おまえも廊下に出ていけ」

 

 「何故ですかー!?」と喚く佐々木を廊下に押しやる。

 僕が気になるのは、あの如何にもアホそうな少女は一体何者で、どうしてライカにあそこまで引っ付いているのかということだ。

 間宮も僕の問いたいことがわかっていたらしく、近くに来るなり何とも言えない表情で僕に説明をし始めた。

 

「うんとね、ええっとね。この前遊園地に行った時のことなんだけど、そこで事件があって、その時ライカが助けた子がさっきの島麒麟ちゃんなの」

「つまり、それで懐いたのか?」

「うん、そうみたい」

「火野の奴も中々やるのだ!」

 

 何少年漫画の主人公みたいなことやっている。まあ、武偵は結果的に人を助ける仕事だから、仕方ないと言えば仕方ない。が、それだけで懐く輩がいるとは、単細胞なガキンチョはどこにでもいるということか。というかそんなことで懐いている時点でビッチみたいなものだろ、バッカみたい。

 あと、竹中は何無邪気に感心している。素直か。

 

「鬱陶しいことこの上ないな、あれ」

「あはは……。でも、あたしも麒麟ちゃんの気持ち少しわかるなぁ。だってここに来たのも……」

 

 ……わかるのか? 実は間宮も佐々木と同じ……

 あれ? どうして僕の方を、チラチラ見ているのだろう? やめろよ、よくわからないがまた佐々木に誤解されて睨まれるだろ。

 

 はぁ、どうせ僕には関係ない。一時の感情で少し経てば治まるようなものだといいが……

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

 次の休み時間。

 今日はバカコンビも言い争ってない日だし、久しぶりに静かに過ごせそう──

 

「お姉様ぁ!!」

「な!? 来やがった!?」

 ──無理だった。

 

 小柄な少女改め、ガキンチョはライカに向かってすっ飛んで行く。

 

「あ、麒麟ちゃん。来たんだー」

「ふふふ、頑張っていますね。ライカさんもそろそろ認めてあげてはどうですか?」

「おまえ、なんでまた来てんだよ!? あと志乃、変なこと言うな!」

「ごきげんようですわ。間宮様、佐々木様。それとライカお姉様、用件は先ほども言いましたわ。麒麟を戦妹(アミカ)にしてくださいまし!」

「だから、アタシは戦妹(アミカ)なんて取らないって言ってるだろ!」

 

 ライカも、断るのはいいが静かにやってほしい。僕が穏和な性格じゃなかったら騒音問題として訴えられてもおかしくないレベルだというのに。

 断られているのにガキンチョはまだ諦めす、めげるどころか、ライカへとなおすり寄って、朝と同じように匂いを嗅いだり、体をこすり合わせたりしている。さながらマーキングでもするかのように。

 なんとも佐々木好みの展開だろう。実際イキイキとした目で見ているし。それがまたイラつく。

 

「も〰〰〰ッ! いい加減にしろ!」

「ぅ……」

 

 ライカは我慢の限界が来たのか、密着していたガキンチョの腹部にひじ打ちを突き刺さす。そこまで重い一撃には見えなかったが、易々とガキンチョは倒れ伏した。

 それの様を見て、強襲科(アサルト)相手にしているのと同じノリでやってしまったことに、今更後悔しているお人好しなライカ。それに対して──

 そこで僕は一つのことに気づき、仕方なく口を出す。

 

「ライカ」

「い、いや、別に、アタシもここまでするつもりじゃ……」

「そうではなく」

 

 全く関係の無い僕に向かって言い訳をし始めるなよ。僕は寧ろ追撃を推奨しているくらいなのに。そいつの頭蓋踏みつけてもらっても構わないくらいなのに。

 しかし、僕が言いたいのはそう言うことではなく。いや、静寂を邪魔されたことについてならいろいろ問い詰めたい。しかし、やはりそれよりも今言うべきことは。

 

「そいつ起きているから」

「え?」

「しかも、その、下」

 

 男の僕が余り口に出すべき言葉でもないから、軽く目を逸らしながら、ライカのスカート辺りを指だけ指す。初めは意味が解っていないライカだったが、視線を下げ、よくよく見て、それでようやく察したのか、声に挙げない悲鳴を上げる。

 

「──ッ!?」

「バ、バレましたの」

「お、おまえぇ…!」

 

 倒れたことを利用して、スカートの中の覗きを行っていたガキンチョは、悪びれもせずチロっと舌を見せ、そのまま教室を逃げ出ていってしまった。

 ライカは羞恥と怒りで顔を徐々に真っ赤に、体はわなわなと震え、今にも何か爆発しそうに。

 

「……なるほど。そんな手がありましたか!!」

 おまえもういい加減にしろ。

 

「お、落ち着いて、ライカ。よく考えると、麒麟ちゃんもライカも女の子同士だし、そんな気にする必要ないよっ! ねっ?」

「あ、ああ。そ、そうだよな……」

 

 この間宮の言葉でいくらか冷静に──

 

「黒のレース。かっこよかったですのっ」

 

 教室から出ていったはずのガキンチョが、最後に顔だけこっちに出し、とんでもない捨てセリフを残していった。

 

「………」

 

 誰も言葉を発せない。いや、耳をすませば、『黒』やら『レース』やらの単語がこそこそと聞こえるが、これは無視するのが得策。

 ライカは顔を俯かせてプルプル震えて、そして──

 

「ガーーーーーッッ!!!」

 

 悔しさや羞恥をぶっ飛ばすかのように、頭をかきむしりながらに叫んだ。

 ……黒のレースなのか。

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

 こんなこともあった。今度は昼休み。

 購買で買ったパンを頬張りながら廊下をライカと歩いている時のことだった。

 

「他の奴を押しのけて行った挙句、金が無いとは。呆れるばかりだから」

「うへぇ……だから悪かったって。今日ドタバタしてたからさ、気づくの遅れたんだ」

「別に貸す分には構わないが」

「ほんとサンキュな。今度しっかり返すからさ」

 

 ライカは両手を合わせて軽い謝罪をしてくる。

 僕は購買を利用するつもりは無かったのだが、近くにいたライカが大声で僕の名前と助けを読んで来たから何事かと、凄く我慢して人ゴミ踏みつけ──もとい、かき分けて購 買最前列まで辿り着いてみれば……なんのことは無い、ただの金欠だったという話。

 ちなみの昨日のレキ先輩からの報酬は新作のカロリーメイトのおすそ分け。

 あの電波……何が「あげます」だ。そもそもそれ買って来たのは僕だから。

 

 渡り廊下差しかかかった時、向いの校舎の屋上にピンクの髪が特徴的な少女がちらりと見えた。

 アリア先輩、一人でご飯食べる派なのか。まあ、ぼっちだし。

 いいな。静かそうで。

 でも、レキ先輩と仲良いみたいだし引き取ってくれないかな。

 

「待っていましたわ!」

「げ」

 

 そう声に出したのは、僕だったか、ライカだったか。とにかく、『なんでこいつがここにいる』という思考がシンクロしたのは間違いない。

 相変わらずのフリフリが付いた変な改造制服を着ているガキンチョは、ライカを前に無駄に得意げな顔で迫ってくる。

 

「な、なんでおまえがここにいるんだよ!」

「そんなものお姉様を待っていたからに決まってますの」

 

 おいそこらの無能武偵共。誰でもいいから今すぐこのストーカー捕まえろ。ストーカーってホント最悪だから。僕が言うのだから間違いない。

 

「おまえは……なんでアタシなんだよ」

「それはライカお姉様が、麒麟の王子様だからですの」

 

 答えになっているようでなっていなガキンチョの言葉に、困惑するライカ。

 その後も、戦姉妹(アミカ)にならない、なれといった会話をひたすら繰り返す二人を前に、僕はいる必要あるのか? 帰っていいのか? というか帰るから。

 

「お、おい、ソラ。どこ行くんだよ」

 

 赤の他人と一緒に居たくないから離れようとしたが、ライカに掴み止められた。今アタシを一人にするな──そんな目をしている所を見ると、ガキンチョには若干の苦手意識を持っているのかもしれない。

 

「ソラ…?」

 

 今気づいたという風に、ガキンチョは僕へとピントを合わせ、その丸い目がどんどんと尖っていく。

 認識さえしてないとは。別にそのままでよかったのに。僕もおまえなんか見ないから、おまえもそのまま僕を見るな。

 あと、『ソラ』ではなく、石花先輩と呼ぶべき。先輩を呼び捨てにするな。上下関係、僕が上でおまえが下。

 

「ライカが誰を戦妹(アミカ)にしようが勝手なはず」

「だから、アタシはするつもりないって」

「身長3m、体重300kgオーバー、その固い皮膚は銃弾すら弾き、口からは火を噴く──そんな奴だったとしても」

「いねえよ!? そんな奴!」

 

 そんな会話の最中、ガキンチョは更にライカに詰め寄ってきていた。

 

「いけずぅーですのお姉様。麒麟にあんなことしておいて」

「誤解を招くような言い方をやめろ!」

 

 やはり表面では嫌がっているが、実際はあまり嫌がってない。付け回されるのはともかく、純粋に尊敬されるのは嬉しいのだろう。まあ、誰を戦妹(アミカ)にしようが別にライカの勝手。僕の口を挟むことでは無い。

 とにかく僕の言いたいことは、ライカ断れ。

 

「ええい! とにかくアタシは戦姉(アミカ)なんかにならないからなっ!」

「あ。お姉様、待ってー」

 

 行くなと言った本人が、僕を置いてどこかに行くのはおかしいと思う。

 

「とりゃ!」

「きゃっ」

 

 校舎と校舎を繋ぐこの渡り廊下でライカは、鬱陶しくなったのか迫ってくるガキンチョをついに投げ出した。物理的に。廊下の外へと。

 渡り廊下は2階同士をつないでいるため、つまりは2階から1階へのダイブである。

僕はそれを白けた目で見ていたが。ライカはまた勢いでやってしまって本意では無かったのだろう、すぐに後悔の表情が見える。

 ライカちょっとテンションで動きすぎだろ。

 

「はぁ」

 

 僕は仕方なく、放り投げられたガキンチョの服に向かってアンカーを投げつける。目標通り襟元に引っかかったそれを感覚で確認すると、括り付けているワイヤーを軽く引っ張り落下速度を殺す。この速度なら落ちても怪我はしないはず。引っ張った時丁度、「ぐぇっ」という不細工な呻き声が聞こえたが、多分僕には関係ないこと。

 

「ソラ、おまえ……」

「勘違いするなよ。ここで何か問題が起きた時、僕もライカの巻き添えになって聴取されたら嫌だから、それを事前に防いだだけだ」

 

 ライカがアレを投げた時に『しまった…!』と言う顔をしていたこととは一切関係ない。

 ただ、そういう顔するくらいなら、なればいいのに。僕はあんな奴死ぬほど嫌だが。

 

戦姉(アミカ)くらいもうなればいいのに」

 

 そう声を掛けると、ライカはムッとした顔をこちらに向けてきた。

 

「他人事だと思ってるだろ」

「他人事のわけがないだろ」

「え? それって……」

「いつまでもあのままではうるさくて敵わない。つまり、僕の静寂がかかっているから」

「あー、そうだな。うん、ソラはそんな奴だったぜ」

 

 とにかく僕は静かになってくれれば、ライカが誰を戦妹(アミカ)にしようとどうでもいい。世の中には友達の友達は他人という便利な言葉があるから、僕自体に繋がりが出来るわけでもない。

 

 ただ、そんなことよりも警戒すべきは認識されてしまったことだと、この後すぐに気づかされることになる。

 

 

 

 

 

 ………………

 ………

 

 そしてそれが今へと至るのだ。

 

「一体全体なんなんですの、あなたは!」

 

 それは、どう考えても僕のセリフであるはずなのだが、大丈夫か? 脳ミソ……入っていないものを心配する必要な皆無か。

 特定の人物の声だけを遮るような耳栓みたいなものは開発できないのだろうか。今度、装備科(アムド)の平賀先輩に問い合わせてみよう。場合によってはいくら高くても手に入れたい。

 いや、寧ろ僕の場合特定の声だけ聞こえるほうがいいかもしれない。人数的に。

 

「ライカお姉様に付き纏うのはやめてくださいまし」

 

 あー、うん、納得した。こいつは、自分への言い聞かせのような、暗示のような、自己行動確認のようなことをしている最中なのか。

 自分で自分に話しかけるなんて一見珍しいことに思えるが、一例として星伽先輩がこの前似たようなことしていたのを見たことある。あれはかなり引いた。佐々木の戦姉(アネ)になる人だけあるとも思った。二人は武偵ではなく、ホラー系女優でも目指しているのだろうか?

 まあ、どちらにせよ、今僕の目の前でやる意味は全く理解できないが。きっと頭の可哀想な子なのだろう。変な制服を着込んでいるし。

 こういう行動をしている人を発見した時は、そっとその場を離れてあげるのが優しさというもの。僕は何も見ていなかった。

 

「ちょって、聞いてますの?」

「大丈夫、僕は何も聞いてないから」

「ムキー! 全然大丈夫じゃないですのー!」

 

 キーキー騒ぐガキンチョの甲高い声は脳を揺さぶるみたいで、寝不足の僕の頭にはとても優しくない。エネルギーの無駄使い。エコはどうした現代人。地球よりもまず僕に優しくしろ。近くの他人(特に僕)に優しくできない奴が地球に優しくする資格は無い。

 

「こんな無愛想で、『この世全てを恨んでます』というような目つきをしている人に、なんでお姉様が」

 

 僕はそこまで酷い目つきはしていないはず。していないと思う……なんだか自身が無くなってきた、こいつのせいで。

 最悪。助けなければよかった。

 

「──だよなー。じゃ、ライカはうちのクラスの可愛さランキング最下位ってことで」

「顔だけは美人だけどな。ありゃ男だぜ」

「可愛げまったくねーもんな。背だって女のくせにデカいしよ」

 

 騒がしさは視界の端に何故かいるガキンチョだけで十分なのだが、品の無い輩の多いこの学校だけに、またまた騒がしさが追加されることになる。無駄に声大きい奴が多すぎると常々思う。

 

「付き合うとか頼まれても嫌だろ!」

「ぎゃははっ! ひっでー! ま、俺も遠慮したいけど」

「寧ろ、あいつが女と付き合うんじゃねーのか?」

「おいおい、いくら男女だからって何言ってんだよ。アタシモテないから女に走るってか?」

「ぶはっ! そうしたら真の男女だな。ま、それより今は他の女子についても決めてこーぜ!」

 

 廊下まで聞こえるようなバカ騒ぎ。

 どうしてこういう輩は、自分から愚かであるということを広範囲にアピールしているのだろうか。そのバカみたいな会話を不特定多数に聞かれることに羞恥することは無いのだろうか。ああ、それすらわからないほど愚かなのか。

 

「って、何かないんですの!?」

「………」

 

 こいつもこいつで僕の前で立ち塞がるようにしていてすごく邪魔。

 仕方がない。僕の方から用件を言うため、会話をしてあげるか。僕はなんて優しい先輩の鑑なのだろうか。

 

「ライカお姉様が侮辱されていますのに!」

「はぁ……」

「やっと、話す気になったんですの?」

「僕は気にしない」

「って、色々間違ってますわ! お姉様のことも考えて……というか気にしなさい!!」

「『気にしなさい』ではなく、おまえには関係ないから。それよりそこ邪魔」

 

 信じられないといった顔で僕の方を見て固まる目の前のガキンチョ。一々大袈裟にリアクションするのはCVRに所属していることと関係あるのか? それとも将来芸人でも目指しているのか? アツアツのおでんを一気に頬張ったりするのか?

 ウザい。蚊がつぶれるみたいに死ねばいいのに。

 

「はぁ、それとも何か。ライカに、『おまえこんなこと言われていた。自分が撃退しておいたから感謝しろ』と、でも言う気なのか?」

「──ッ! この──!」

 

 ──パシンッ!!

 

 渇いた音が廊下に小さく響き渡る。それは騒がしい声の中では、すぐに消え去ってしまうようなもの。しかし、それでも確かに響いた音。

 今自分が何をされたのか理解が追い付かないとでも言うかのように、叩かれたて赤くなった肌を無心でゆっくりさする。やがてひりひりとした痛みが現実へと引き戻してくれたのか、せき止められていた水が溢れ出るように声を一気に張り上げた。

 

「……って! 痛いですのー!!」

 ──ガキンチョが。

 

「お、おかしいでしょう!? どうしてあのタイミングで手を叩き落とすんですの!?」

「つい反射的に」

「『つい』で、空気をぶち壊すなですのー!!」

 

 叩かれた手が痛むのか、涙目で猛抗議してくるガキンチョだったが、身に振る火の粉を払っただけなので、どう考えても僕は悪くない。よってこの抗議を聞く必要はない。

 それにこいつとの間に共通する空気があったというのは紛れもない錯覚だ。

 というか、邪魔と言う以上に会話してしまった。全く、僕はおしゃべりな奴だ。

 

「まだ話は終わってないですの!」

 

 教室に入ろうとしたまさにその時、誰かが机をダンッと叩いた音が響き渡った。僕の足が思わず止まる。ついでに、教室内の会話もその音に反応して止まったみたいだ。

 

「あ? なんだ竹中か。驚かすなよな」

 

 教室内の誰かが反応する。やはり竹中(あのバカ)だった。

 

「さっきから聞いていれば、堪忍袋の緒が大切断だぞ!」

「は? 何言ってんだおまえ?」

 

 ごめん、ちょっと同意。竹中の表現方法はたまに意味がわからないし。

 

「別にいいじゃねえか。ただ俺たちはちょっと女子たちについて話してるだけだぜ?」

「陰口をたたいておいて、それを“だけ”と言うとは、やはり許せないぞ!」

「おい勘違いするなって陰口なんかしてねえよ。ちょっと青春を話してるだけ」

「そーそー。別に悪いことはしてねえって」

 

 そういう奴らに言っても無駄だって、いい加減学べよバカ正直め。

 本当学習しない奴はメンドウだ。

 

「ここまで来て反正色透明でまこと醜悪! 控えめに言ってダサダサだぞ!」

「あん? んだと、俺たちはほんとのこと言ってるだけじぇねえか!」

「おまえたちの言葉、火野は絶対嫌がるぞ。本当に人の嫌がることやるのはいけないに決まってるのだ! そんなこともわからないのかっ!」

 

 立派な言葉。あとは普段僕に対して何をやっているのか見つめ直してくれると、なお立派。

 

「あの殿方、あなたなんかより余程見どころがありますわ!」

 

 ガキンチョがまた何やら言っているが、ようはおまえが気に入るかいらないか。見どころも何も、僕はおまえに見られること自体嫌なのだが。視界に入れるのも入れられるのも嫌なのだが。

 

「……でもまあ、これ以上騒がれても迷惑だし。そろそろ止めとくか。あくまで心配しているのは僕の机とかで竹中とかはどうでもいいが」

「な、何を言ってるんですの、この人……」

 

 教室の中に一歩踏み出す。事を荒立ててもメンドウだから、なるべく冷静な言葉を考え紡ぎ出した。

 

「はぁ……。耳元で蚊が飛んでいる気持ちを想像できるか? 騒ぐなら僕とは関係ない所でやれ。南極大陸とか」

「死ぬぞ! 凍え死ぬのだ!」

 

 勿論そうなってくれると嬉しいという願いを込めてみた。

 今にも乱闘になりそうだったにも拘らず、竹中の奴律儀に返してきたな。それに対して今まで揉めていた男子たちは、こちらを面白くなさそうな顔で見ている。

 いきなり割り込まれた気分なのだろう。旗違いにも顔にそう書いてある。まあ、僕の方が絶対つまらなそうな顔しているだろうが。

 何故なら僕が割り込んだのではなく、僕の前にこいつらが居座っていただけだからだ。全く、こいつらは果てしなく傲慢だ。

 

「おい、石花。おまえには関係ないだろ!」

「引っ込んでろよ!」

「そうだ! そうだ!」

 

 そうだよ、僕は関係ない。だから他所でやってくれと伝えたのに、こいつらは言語の聞き取り能力が皆無なのだろうか? 昨今問題となっている青少年の学力低下問題は本格的に危ないみたいだ。

 ここだけ切り取って見てもこの国ももう終わりが近づいていることがわかる。愛国心など無くて良かった。燃えるゴミだろうが生ゴミだろうが人ゴミだろうが、いつでもどこでも分別せずに捨てられる。

 それでもなお、喚き続ける雑音に冷めた目を向けると途端に静かになり、「……あんまり調子に乗んなよ」という如何にも小者臭がするセリフと共に教室を去っていった。

 この冷めきった目を見て調子に乗っているとか、どれだけ人の機微がわからない連中なのだろうか。ここまでくると、割と本気で頭の出来が心配だ。

 

 で、再び竹中へ目を向けると、何故か僕を睨んでいた。

 

「あー、うん。竹中、どうかした?」

「どうかしたって……。ソラずっと、廊下にいたのではないか? どう見ても状況理解していたのだ」

「それがどうかしたのか?」

「なんですぐ出て……あーもう! このっバカものぉ!」

「どうして怒っているのか意味不明だ」

「怒ってないぞ! バーカバーカ、ソラのバーカ! 馬に殴られて死んじまえーだぞ!」

 

 どう見ても怒っているだろうに。バカとか言うおまえがバカだし。

 しばしの間、竹中はむくれ気味に僕を睨んでいた。意味がわからない。

 

「……ませんわ」

 

 むくれている奴がどうしてだかもう一人。まだいたのか。

 

「認めませんわ! あなたのことなんか!」

 

 強く僕のことを睨み付け、そして去っていったガキンチョ。

 言いたいことだけ言って、癇癪起こしたように見当違いの怒りを僕に向け、随分と迷惑な奴だった。

 色々言いたいこと、思ったことはあるが。それ一先ず置いておいて。

 ……本当に、何がしたかったの、あいつ。いや、真面目な話。

 

 

 

 




 ついに麒麟登場。
 ここまでが邂逅編って感じですかね。
 次からカルテット関係の話に入って行くつもりです。


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Ep6 『睡眠不足』

 カルテット関係の話に入るとは言ったが、カルテットが始まるとは言っていない、なんて。
 今回は三人称もどきが入ります。ソラがいることによる周りへの影響の一部が出てきます。



 とある射撃施設。早朝での出来事。

 

「それでねっ、それでねっ!」

「あー、うん。わかったから、少し落ち着け間宮」

 

 小さい子が親に今日遊んできたことを言いたがるように、とてもはしゃいだ様子で間宮は語りかけてくる。……ちょっと待て、誰が親だ。

 因みに話の内容は、この前の意味不明なガキンチョのことだった。

 非常に非常に残念なことに、結局ライカと戦姉妹(アミカ)契約を結びやがったらしい。

 

「麒麟ちゃん諦めないで何度も何度もライカに向かって行ったんだー」

 

 よしライカ、叩き潰せ!

 

「最後はライカも『しょうがねーな』って折れて。あ、でも別に嫌って感じじゃなかったよ」

 

 ……折れるなよ、寧ろ骨とか折れよ。

 

「だからね、ソラ君も麒麟ちゃんのことできるだけ認めてほしいの」

「どうしてそこで僕が出てくるのか理解不能だ」

 

 僕が認めようが認めまいが、もうライカは戦姉妹(アミカ)契約をしたのだから。

 そもそも僕が関係あるのはあくまでライカまでなのは今も変わらない。ライカが手を伸ばした先までは僕の管轄ではない。何も言うことは無い。契約解消しろ。

 

「うー、ソラ君のいじわるー」

「……『いじわる』ではなく。話すのが目的ならもう帰っていいか?」

「ま、待って、ダメー!」

 

 一人用の射撃部屋であるここは、強襲科(アサルト)の射撃レーンと違い事前予約が必要だが、個室のため人目に付く心配が無い。

 つまり、今から人目に付いたらマズイことをするということ。

 

「えへへ。なんだか、久しぶりな感じがするね」

「あー、うん」

「こうして改めてみると、ちょっと恥ずかしいね」

 

 頬を染めて上向き加減で僕を見るその姿。どこか犯罪的な気がするのは何故だろう。

 

「もうアリア先輩に教えてもらえばいいだろ、射撃くらい(・・・・・)

 

 あそこまで強襲科(アサルト)武偵として完成度の高い人材はそうはいないというのに。その戦妹(アミカ)になれたと言う価値が本当に分かっているのかこのおチビさんは。

 

「その……アリア先輩には、まだ知られたくない」

 

 間宮はただのちっちゃくてガキみたいな女子高生ではない。こんな天真爛漫に見える少女でも少しばかり複雑な事情を持っているのだから、世の中ってメンドクサイ。一番メンドウかつおかしいところは天才である僕が苦労している点に違いないが。

 

「でも、いつまでも隠しきれるものでもないと覚えておくべき」

「……うん」

 

 そう、間宮あかりには秘密がある。

 

「とりあえず、自然体(・・・)で撃ってみろ」

 

 いつもの両手でオドオドと構えている姿はそこには無い。マイクロUZIは片手でブレなく、真っ直ぐとターゲットに向けられている。

 ──バリバリバリ!

 連続する機械音。フルオートで放たれたその弾丸は、本来の制御の難しさなど物ともせず、全弾ターゲットに命中していた。

 

「やっぱり、嫌だよ、こんなの(・・・・)

 

 だというのに、間宮は顔を暗くし、いつものバカみたいに高いテンションは完全に身を潜めてしまっていた。

 何故なら──額、目、喉、そして心臓。

 それらは全て、人を確実に殺すことが出来る場所に違いなかったからだ。

 

武偵の技じゃない(・・・・・・・・)!」

 

 武偵法第9条──武偵は如何なる状況に於いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。つまり、武偵にとって殺しは禁忌であるということ。

 これが間宮あかりの秘密、9条破りの技。

 僕も詳しくは知らないが、間宮の家は文字通り『必殺』の技を代々伝えていたらしい。敵を殺さない必殺技というトンチが流行っている今のご時世で、なんともご苦労なことだと思ったものだ。

 

「次、腕や銃だけを狙え」

「う、うん」

 

 それで、結果は大体十分の一。十発撃ったもののうち、一発しか目的の場所に当たらない始末。急所へ持っていこうとするクセを無理やり抑えこんだ結果が、この頼りない射撃となるらしい。互いの技が足を引っ張り合って動きをどこまでもぎこちなくする悪循環とかそんな感じ。このクセのせいで間宮は通常の武偵最低ランクのEと位置づけられてしまっている。……いや、本人が普通にとろいことが理由の大部分だろうが。

 

「はぁ……。あたし、才能無いのかなぁ」

「何を今更」

「ひどい!」

 

 間宮はこの武偵とは相入れない技を身に着けているからこそ、尋常ではないほどに『武偵らしさ』というものに憧れている。

 だからこそ、アリア先輩をあそこまで尊敬しているのだろうし。

 だからこそ、そのアリア先輩にこのことを知られるのを恐れているのだろう。

 

「『十弩』……全然制御できないよぉ」

 

 しかしまあ、急所五か所に二発ずつって、コロラド撃ちよりえげつない。どの急所だろうが素早く狙うためという意味が込められていることは推測できるが、正直死体もグロくなりそうでなんか嫌だ。

 

「間宮は『才能が無い』ではなく、強くないだけ」

「それって違うの?」

「全然違うから」

 

 必殺と不殺は表裏一体。

 どこを狙えば殺せるかを完全に把握していれば、どこを狙えば殺さずに済むのかも逆説的に分かると言うこと。多分。

 要するに間宮は中途半端だということ。発展途上とも言う。どっちつかず。折り合いがつかられていない。歯車がかみ合っていない。しかし、才能が無いわけではない。多分。

 車に突っ込まれても「いたーい」で済ますくらいには頑丈だし。

 

「あ、ソラ君、何かコツとかない?」

「え? 狙って撃つ」

「狙って、撃つ……? それはコツなの……? ……ソ、ソラ君が言うんだもん、きっと今の言葉にも深い意味が込められてるんだ」

「いや、ないからそんなの」

 

 普通に狙って撃てば普通に当たると思う。

 

「そもそも僕にはどうしてこんな簡単なことができないのかが理解できないし」

「それ言っちゃダメなやつだよ!」

 

 だって弾丸はまっすぐ飛ぶものだろ? 真っ直ぐ狙いを付けるだろ? 狙ったところに当たるしかないだろ? ……それ以外に教えることとかあるのか、マジで。

 さすがに2km先とかに当てろとか言う変態的な要求しているわけでもないのだから。有効射程内での話しかしていないのだから。

 

「結局、頑張るしかないのかなぁ」

「無理に肩肘張る必要は無い。さっきから撃ち続けだし、休憩も必要だ。多分」

「ううん、もう少し時間あるし、頑張ってみる! せっかくソラ君が個室用意してくれたんだし」

「あ、そう。まあ、個室を用意したのは全てが間宮のためというわけでもないが」

 

 強襲科(アサルト)には行きたくないから。とてつもなくメンドクサイ奴がいるし。

 

「ハッ! そうだ!」

「どうした? 曲芸や手品だと感じるほどに下手な射撃を治す方法でも思いついたか?」

「そんなにひどくないよ!」

 

 いや、そんなに酷い。

 

「そうじゃなくて! この場合ソラ君のこと師匠って呼んだ方がいいのかなって。──ソラ師匠! とか、どうかな?」

「え、ごめんなさい。そういうのやめてくれます?」

「がーん! なんかすごい他人行儀で断られた!」

 

 元から他人だというツッコミは置いておいて。

 ただでさえあれなのに、そんな呼ばれ方してこれ以上メンドウを見るハメになってしまったら嫌だし。ただでさえ学校ではいつもくっ付きまわってくるのだから。

 はぁ……間宮がアリア先輩頼れば全部解決だというのに。

 あと、レキ先輩も引き取ってくれれば僕は安泰だというのに。寧ろこっちの方が重要。

 

「ふぁ……」

「朝早くとはいえ、気が抜けすぎ。ぁ……何?」

「あくびお揃いだねっ!」

「帰る」

「わー! ソラ君待ってよー! ごめん、ごめんったら」

 

 最近は特に徹夜続きだから少しくらいあくびしても仕方ないだろ。のほほんとしていて、間抜けさが漏れ出ている間宮とは違うから。

 

 このあとしばらくの間、間宮は的めがけてひたすら撃っていたが、目に見えて上達するようなことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が一般教科をそれなりに真面目に受ける中、間宮はウトウトしていた。

 素直にそうできるのが羨ましい。僕だって勉強が好きなわけではないから。

 ライカや竹中なんてもう、教科書を隠れ蓑にして完全に寝ているし……

 チラリと隣を見ると、佐々木は黙々と授業を聞いている。その表情はどこまでも真面目で、淡々と取るノート、偶に見せる何かを考え込む仕草。ここだけ切り取ると完璧な優等生にしか見えない。

 

「……なんですか? 石花君」

「別に」

 

 僕は教科書のページをめくった。

 

 今日も、いつものようにゆるりと授業は進んでいった。

 

 

 

 

 

 昼休みに入ると、2年生の人がカルテットの申請を急ぎするようにと通達に来た。

 

「カルテットって何?」

 

 現時点での申請率が低いのは先ほど聞いたが、まさかその言葉自体を知らない奴がいるとは思わなかった。

 

「間宮、そんなこともわからないのか。いつまでも一般中学出身が通るとは思わないと覚えておけ」

「石花君! なんですかあかりちゃんに対してその口に聞き方は!」

 

 僕が間宮に何か言えば、すぐ佐々木が何か言ってくる。

 おまえは一体間宮のなんなの?

 

「なんだ、間宮はお偉いさんか何かだったのか? だとしたら建前として悪かったと言っておいてやるよ」

「友達に対してでも、感じが悪いと言っているんです! 大体あなたはいつも嫌味な言い方ばかり、少しは気を使うことができないんですか? ……いえ、できるわけありませんでしたね。わたしとしたことが高望み過ぎました」

「おまえがまだ僕に望んでいるものがあるとは驚きだ。あとそれはおまえほど嫌味な奴はいないだろ、というツッコミ待ちなのか? うわー……どれだけ構ってさんなのおまえ。これだからボッチこじらせた奴は」

「その言葉そのまま返します。ボッチの王様みたいなあなたが何を……。あ、納得しました、今のが自虐ネタというものなのですね」

「は?」

「は?」

「ちょ、ちょっと、ソラ君も志乃ちゃんもケンカしちゃダメだよ! あたしが知らなかったのはほんとなんだから、ね?」

 

 間宮はわたわたと僕と佐々木の間に入ってきた。手を広げているのはどうやら「止めるよ!」というジェスチャーのようだ。そう気づくまで、「どうして間宮はこんなところでバンザイしているのだろう」と思ったよ。ちっこいな。

 

「あかりちゃんがそう言うのでしたら。あのですね、カルテットと言うのは──」

「4対4の実戦テスト。1年生は全員参加」

「え?」

「『え?』ではなく、カルテットのこと」

「答えるのかよ……」

 

 ライカは呆れ、佐々木は悔しがり、間宮は間抜けにもポカンとしている。佐々木は多分自分が言いたかったのだろうが。ざまーみろ。

 それにしても、折角説明してやったのに何その態度。みんな失礼だ

 

「へ、へー、そうなんだー。あ、インターンも混ぜていいんだー! じゃあ、あたしたちと麒麟ちゃんで申請しようよっ!」

「いいですね!」

 

 あかりと何かするというだけでテンションが高くなるこの仮面優等生に天罰とか落ちないものだろうか。

 

「そう、まあ頑張れば」

「ソラ君も一緒のチームになろー」

「は?」

「へ?」

 

 どうやら、「あたしたち」の中に僕が勝手に入れられていたみたいだ。

 「何言っているのこいつ?」そう思ったのは僕だけではなく、ライカと佐々木も困ったような顔で間宮を見ていた。

 

「もしかしてソラ君、あたしと一緒じゃ嫌、なの?」

 

 間宮は、ちょっと泣きそうな顔でそんなことを言う。

 

「はぁ……。『嫌』とかではなく、それ以前の問題。声に出して誰と一緒のチームになりたいか言ってみろ」

「えーと、志乃ちゃんでしょ。ライカ、麒麟ちゃん、ソラ君!」

 

 ご丁寧に指を一つずつ折り曲げながら名前を挙げる。おまえは子供か。

 そして間宮は、四本の指が綺麗におり曲がった所で、にぱーと笑った。はいはいよくできました。

 

「間宮自身を入れろバカ」

「あ!」

「本当に、今気づいたのか」

「え? あれ? ど、どうしよう…?」

 

 おまえの頭、ホントどうしよう……

 

「言っておくが、僕はもう組む人決まっているから気にする必要はない」

「え、そうだったの?」

「あー、うん。だから、気にすることはないし」

 

 いつまでも申し訳ない顔していた間宮が鬱陶しかったので、その顔を背けさせる意味でも頭をぐりぐりと撫でる。全く、必要のない罪悪感を持つ人間はメンドイ。そういうのは要らない知れ。

 

「ソラって実はあかりのこと好きだろ。それもかなり」

「おい、いくらライカでも言っていいこと悪いことがあるから」

「……やっぱりあかりちゃんに手を出す気だったんだ。……早く、早く■さないと……。……大丈夫、志乃は出来る子です。しっかり埋めれば見つかりません。ふふふ……ふふふふふふ」

「………」

「………」

「……割と本気でやめてほしい」

「……今のは全面的にアタシが悪かった」

 

 一体何をして、何を埋める気だったのかは考えない方がいいな。僕の精神安定上。

 

「結論として、今しがた僕が言った通り間宮は間宮で勝手に組めばいい」

「まあ、それなら麒麟入れて丁度だぜ」

「そうですね! 偶には空気が読めるじゃないですか石花君。偶には!」

 

 とりあえずあの状態から戻ってきた佐々木は、僕を仲間外れに出来たことに気づきご機嫌な様子。それはそれでかなりムカつく。

 しかしまあ、真面目に考えて、強襲科(アサルト)Eランクと限定した場面でしか使い道が無いCVRがいるチームとは、如何にもバランスが悪い。成績を考えるのなら、せめてCVRのガキンチョを外して別の奴を探せと言うべきなのだろうが、まあライカや佐々木もその辺はわかって組んでいるか。なら、僕の関与するところではない。

 本心はただ一つ、とにかくガキンチョをハブれ。

 

「ま、ソラのとことは当たりたくねえよなー」

「1年生全体で行うのだから、敵対する確率の方が少ない。そう怯えなくていいから」

「アタシから言っておいてなんだけど、ソラのその自信はどこから来てんだよ」

 

 当然実力からに決まっている。天才だし。

 というか驕りでもなんでもなく、僕の相手になる奴1年にいない。僕の対戦相手になる奴は無条件で成績に敗北が刻まれるから少し同情してしまうほどだ。

 

「ソラ君すっごい強いもんね!」

「……別に、そんな当たり前のことは言わなくていいから」

 

 昼休みはカルテットの話で(僕以外が)盛り上がり、休む暇などやはりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、教務科(マスターズ)の掲示板にはカルテットの対戦表が貼られていた。

 因みにその横に『1年生は今月末に一般教養実力テスト!』と書いてある紙が小さく、そして目立たず貼ってある。その在り方は「どうでもいいけど、一応貼っとくか」と言わんばかりであり、学校として大丈夫なのかココと、ごく一部の真面目な生徒を不安に追い込む。

 その掲示板の前には現在、人だかりができており──当然皆が見るのは対戦表の方のみで──対戦相手を見ては喜んだり、落ち込んだり、相手のことを調べようとしたり、何かしらのアクションを起こしている。

 そんな中、あかり、ライカ、志乃、麒麟の四人も例に漏れず、対戦相手の確認をしに掲示板を見に来ているのだった。(なお、ソラは興味が無いと言って来ていない)

 

「えっと、あたしたちの対戦相手は……あった!」

 

【第9戦 間宮班・高千穂班】

 

 あかりは自分たちの対戦表を見つけたはいいが、相手のことがわからず首をひねっていた。

 

「げ……。よりにもよって高千穂麗かよ」

「ええ、最悪ですね」

「知ってる人?」

 

 対戦相手を確認した途端顔を険しくするライカと志乃。

 そんな二人を不思議に思いながら、あかりは高千穂という対戦相手について尋ねる。

 

「あかりちゃん。高千穂麗はC組の級長です」

「同じ強襲科(アサルト)所属で、ランクはAだぜ」

「CVRも勧誘したことがあるM属性の男子に大人気の美人ですわ」

 

 二人に加え麒麟も少しばかり情報を付けたす。どうやら知らなかったのはあかりだけのようだ。

 

「へー、凄い人なんだねー。M属性?」

 

 今聞いた評価から高千穂麗という人物は中々の有名人なのだとあたりを付けたあかりだったが、それを聞いたライカと志乃は顔を益々苦くする。

 

「……もしかして、他に何かあるの?」

「戦いたくないというより、出会いたくない人種ではありますね」

「あいつのせいでソラも強襲科(アサルト)に近寄らなくなった説もあるし」

「えっと、それはどうゆう──」

 

 歯切れの悪い二人にあかりが更に詳しい話を聞こうとした矢先。

 

「あら、そこにいるのはわたくしの対戦相手かしら? ほほほ、見るからにダメそうな面子ね。お父様の武偵高への寄付が効いたのかしら」

 

 明らかにこちらを侮蔑しながら現れたのは三人の少女たちだった。

 中心に立つ少女は、吊り目気味で見る人にキツイ印象を与えるが相当の美人であることに間違いはない。

 その少女が、左右に立っている瓜二つの少女たち──恐らく双子──を従えているように見える。

 

「ちっ、出やがったな」

「え? じゃあ、もしかしてこの人が高千穂さん? (なんか想像と違う……)」

 

 級長やっていて、Aランクで、しかも美人という情報を聞かされただけに、「アリア先輩とまではいかなくても、とっても立派な人なんだなぁ」とあかりは思っていた。

 しかし現実は、高笑いをしながら近づいてくる嫌な感じの悪役っぽいお嬢様。勝手なのはわかっていても落胆は隠せない。がっかりだ。

 

「EランクのおチビさんにCVRのインターンですって? 佐々木志乃に火野ライカは勝負を投げたのかしら? それともおまえたちマゾヒストの気でもあるの?」

「こいつ…!」

 

 強襲科(アサルト)生標準装備である血の気の多さを十分に持つライカにとって、今の高千穂の煽りは「殴ってください」と言っているようにしか聞こえなかったことだろう。

 

「ライカさん、待ってください!」

 

(志乃ちゃんナイス!)

 

「止めるなよ、志乃。アタシはこいつを……」

「吠えてくることしかできない駄犬に一々構っていても仕方がありませんよ」

 

(……え?)

 

 止めてくれると思っていた友達は、次の瞬間相手を煽り返していた。

 あかりはあんぐりと口を開けた状態で固まったままの表情で志乃を見る。彼女の顔は、この剣呑な空気に場違いなほどにこやかだった。それが逆に怖かった。

 

「ふっ。何を言っているのかしら、犬はおまえたちの方が似合うわよ。これから文字通り負け犬になるのだもの」

「あらあら。できもしないことを口に出すのは格好が悪いですよ」

「格好? そんなどこからどう見ても貧相で貧乏そうな輩を引きつれているおまえに格好のことを言われるなんて。それは新しいギャグなの? つまらないわよ」

「自分の誤った尺度でしか測れないなんて、これだから友達のいない人は困ります。というより、よくカルテットに参加することができましたね。一つ教えてあげますね。カルテットは“四人”メンバーが揃わないとできないんですよ?」

「いるわよ! このわたくしがメンバーを揃えられないわけないでしょう! おまえのように仲良しこよしで作ったお荷物と違って、それなりに使える奴がね」

「あら? そうなのですか? ならあとでその方に『アルバイトご苦労様です』と言っておかないといけませんね」

「どうしてお金で雇っている前提なのよ!」

「…………え? 違うん、ですか……?」

「本気でおべるなっちゃ! きしゃがわるい!」

 ※本気で驚くな腹ただしい、と申しております。

 

(あれ…? なんかこんなようなのどこかで見たような…?)

 

 ヒートアップする煽り合いを前に我に返ったあかりは、いつもと違うはずの志乃の様子に何故か既視感を覚えていた。普段は美人で優しい志乃が感情的になって相手に突っかかる。そんなやり取りをどこかで見ていた気がするのだ。

 

「ったく。本当に面倒な奴と当たったぜ」

「あ、でも、ソラ君と当たるよりよかったよねー」

 

 志乃に熱が移っていったとはいえ、まだ若干のイラつきが残っているライカをなだめる意味でも軽く話を振ったあかりだったが、それに喰い付いたのは別の人物だった。

 

「ちょっと! わたくしが石花ソラを相手にするより楽だとでも言うつもり?」

 

 高千穂はあかりを睨み付ける。それはもう、親の仇を見るような鋭さで。

 

「え!? べ、別にそんなつもりじゃ……」

「ふんっ! 本当に不愉快だわ」

 

 先ほどとは比べ物にならないほど鋭く敵意を向けられ、あかりは委縮してしまう。

 それを見ていた志乃の目が更につり上がる。

 

「佐々木様、高千穂麗、それに……ハッ! 思い出しましたわ」

 

 そんな中、麒麟はマイペースに考え事をしていたようで、そのかいあってか、何か重要そうなことを思い出せたらしい。

 

「な、何か知ってるの? 麒麟ちゃん!」

「はいですの! 今年の東京武偵高の1年生にはSランクがいないため、Aランクが実質トップであるのはご存知だと思いますの」

 

(……そうだったんだ……!)

 

 知らなかったのかよ。

 

 実際麒麟が言った通りなのだが、それは別に今の1年生のレベルが低いと言うわけでは無い。入学時点でSランクが数人出た去年が異常だったのだ。

 Sランクの戦姉(アミカ)を持っていたことで若干感覚が麻痺していたあかりだが、そもそもAランク自体が一流のプロ武偵としてやっていけるという評価であり、中学校を卒業したての子供が簡単に取れるようなものではない。

 CQCでは男子相手だろうと負け無しのライカですら、ランクはBということを見れば、その門の狭さは押して計れるものだろう。

 必然、1年生のこの時点でAランクを持っている者は限りなく少ない。

 

「佐々木様、高千穂麗、それにあの人。その数少ないAランク武偵の中でも、様々な理由から一際目立つ存在が、しかも互いにいがみ合っている。この事実はすぐに広がりましたわ」

「ソ、ソラ君まで関係あるんだ」

 

 確かにそれならば朝のソラの言動や今のライカの態度に納得できる。どこか覚えた既視感もソラと志乃の会話を見ていたからだったんだと。

 いくら能天気なあかりでも、ソラと志乃の二人の仲が良くないことはわかっている。それと同じようなことが高千穂麗にも適用されているのなら──

 

(つまり、ソラ君が強襲科(アサルト)に近づきたくない理由って)

 

 アレ(・・)かぁ……と、あかりはようやく全貌が見えてきた。達観したような目で騒動を見つめながら。

 

「その三人の姿は一部ではこう呼ばれていますの。東京武偵高1年の “三不仲”と」

「そのまんまだ!?」

「自分以外を押しのけようといがみ合っているくらいだしな。……まあ、志乃とソラに関しては、昔はあんなんじゃなかったんだけど」

「え? そうだったんだ。どうしてケンカするようになっちゃったんだろう……」

 

 こうしている間にも、志乃と高千穂麗のやり取りは益々ヒートアップしていた。

 

「この鳥取出身!」

「鳥取は関係ないっちゃ! 言わせておけば…! ──いいのかしら佐々木志乃、わたくし知っているのよ。こないだの身体測定で体重が少し増えていたってことをね!」

「な!? なんてこと言うんですか! こんなところで! ……って、ち、違います、わたしは太っていません!」

「お腹のお肉、はみ出していてよ」

「事実無根です! この、島根との区別がよくわからないような県出身のくせに!」

「おまえは決して言ってはならないことを言ったわ!」

 

 もはや口だけでは済まないような程、二人の勢いは強くなってきている。このままでは、お互い()が出るのは時間の問題だ。

 

「ね、ねえ。止めないとマズくない?」

「でも、なあ、あれを止めるって……」

 

 ライカの言いたいことはこの場にいる者なら誰にでも理解できるだろう。

 今のあの二人は怖い。とてつもなく。

 怒った人間はそれだけで迫力を増す。それが美人だと迫力はさらに倍増する。当初、高千穂麗と一緒に志乃を煽っていた双子──愛沢湯湯、夜夜も今はどうしていいかわからずオロオロと互いの顔を見合わせている始末なのだから。

 佐々木志乃と高千穂麗。

 今のこの二人を止められるのは、あの二人相手に引けを取らない力を持つ者、またはあの二人の矛先をズラせる者くらいだ。

 

「二人とも待てぇぃ!」

 

 そしてこのタイミングで真っ直ぐに止めに入る者がいた。

 マジで殺り合う五秒前だった二人は、冷や水をかけてきたその人物を恐ろしい顔で睨み付ける。

 

「誰に断って口を挟んでいるの、庶民風情が!」

「竹中君、あまりうるさいと切り刻みますよ」

「こ、怖いぞ、おれがなんかしたというのか…?」

 

 凄まれて滅茶苦茶ビビっていた。頼りない男だった。情けなかった。というか竹中だった。

 

(竹中、全然頼りになってないよぉ……)

 

 カルテットの組み合わせに興味が無いソラはやっぱりこの場所に来ることはなかった。というか、来ていてもケンカの仲裁なんてこと絶対にしなかったに違いない。そもそもこの二人に最も近寄りたくないと思っているのはソラなのだし。

 だがしかし、それでも竹中の横やりは二人のヘイトのいくらかを自分一人へと向けること成功していたのだ。

 二人の争いが切れたその一瞬の隙を、間宮班の頭脳(ブレイン)──島麒麟は見逃さなかった!

 

「今ですの! 間宮様は『志乃ちゃん大好きー!』と言いながら佐々木様に抱き付いて!」

「う、うん!」

 

 咄嗟のことで余裕の無かったあかりは、麒麟の指示に疑問を持たず従った。

 

「し、志乃ちゃん大好きー!」

「ああああかりちゃん? いい今、今なんと!?」

「志乃ちゃん大好きー!」

 

 このあかりなんかもう、いろいろもう、とにかく必死である。

 

「はいぃぃぃ! わたしも大好きですぅー!!」

 

 なんということでしょう! 鬼のようだった形相は完全に消えさり、デレデレと締まり無い表情へと早変わりしたではありませんか!

 高千穂の方も双子が必死に宥めていた。具体的には鳥取県褒めたり。──鳥取はちくわやラッキョウがおいしいらしい。

 志乃の方の臨戦態勢が崩れたことでいくらかの毒気も抜かれたのか、こちらも冷静になったようだ。

 

「……まあ、わたくしも少し熱くなっていたようね」

「少しではないのだ。どう見ても」

「黙りなさい竹中弥白! そもそもおまえがもっと早くここに来ていれば、わたくしが佐々木志乃に不名誉なことを言われることも無かったのよ!」

「い、いくらなんでもチームメイトに酷いぞ!」

 

 高千穂の相変わらず横暴な言い回しに、竹中は悲痛な叫びをあげる。

 だがそれよりも今のあかりたちには竹中の言葉の方が気になっていた。

 

「ねえ、竹中」

 

 聞き間違いではないかと、あかりは恐る恐る竹中に声を掛ける。

 

「む? どうした間宮」

「もしかして、高千穂班の最後のメンバーって、竹中なの?」

「うん! こいつとは同じ班だぞ!」

 

 こやつ、さらりと言いよった。

 

「ちょっと、こいつ呼ばわりしないでくれる?」

「一々細かいぞ……って、間宮たち、その顔どしたのだ?」

 

 あかり、ライカ、志乃は一度顔を見合わせて無言で頷き合うと、満を持して口を開いた。

 せーのっ!

 

「「「はあぁぁぁああああ!?」」」

 

 

 

三人が発した驚愕の声は遠くまで響き渡り、一人の少年の眠りを妨げたとかなんとか。

 

 




 オリ主が原作キャラに修行を付けるテンプレ──ただし成長を促さない。
 イベントバトルで成り代わるテンプレ──ただしオリ主ではない。
 誰かさん影響でカルテット前から志乃と麗は仲が最悪に。
 勿論三不仲は全員友達少ないです。
 ……そして、登場しなくとも眠れない誰かさん。
 アンチでもないのに、ここまで微妙な悪影響ばかり振りまいているように見えなくもないオリ主さんでした。今後の挽回にこうご期待!

 次回カルテット(今度はしっかり入ります)



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Ep7 『カルテット ①』

 そういえば、前作ではカルテットは飛ばしてたんですよね。
 そう考えると、ある意味一番真新しい回なのかもしれない。




 時はカルテット当日。

 僕にとっては消化試合もいいところの退屈な時間。成績を盾にオカマとかが脅迫してくるから一応真面目に出てはいるのだが、退屈なのは変わり無い。

 まあ、それよりも今問題なのはこれ(・・)だ。

 

「結局おまえが僕と同じ班とは……うげぇ、最悪……」

「その言い方は酷いんじゃないかなっ!? 埋まらないメンバーを埋めてあげた張本人に対してそんな物言いをしているようじゃ、ち○この大きさも知れてしまうものだよっ!」

「……せめて器と言えアホ蓮華」

 

 光の粒子を放つおかっぱ気味に切りそろえられた銀髪、例え暗闇だろうと浮かび上がるような銀色の瞳。どんな時でも下ネタを忘れないアホみたいな心意気は、同性どころか男子にさえ引かれる始末。それが、平頂山蓮華という女だった。

 

「面目次第もござらん。どうしてもあと一人が捕まらず」

 

 僕をいの一番にメンバーに誘ったのがこのニンジャ。

 おかげで今回はメンバー集めというメンドウが無くなって助かったが、本当にこいつは何を考えて僕に近づこうとしているのだろう? 確かに僕以上の人材が1年生にいるはずがない。しかし、成績目当てで寄って来るような輩とも思えない。元々仲が良いわけでもない。……やはり遺産か? だって、普段から何かとつけて僕と会おうとしてくるし。

 

「別に、ニンジャのせいではないから」

「そうだよ。陽菜ちゃんのせいじゃない、陽菜ちゃんは更に一人見つけたんだから。ダメなのはこの友達が少ないソラ君じゃないかな」

 

 別に僕はメンバーを集めろなんて言われてないし。

 竹中がうるさく入れて入れてと言ってきた時に全部埋まっていたらウザイ反応寄越すだろうから、空けておいただけだから。

 因みにニンジャが見つけてきたもう一人のメンバーは真田百合という、同じ諜報科(レザド)の生徒だ。

 

「でも、蓮華は別の誰かと組むと思っていた」

「確かに自分ってソラ君と違くて友達多いし誰とでも組めるけれど、組めるからこそここに来たのかな。だってソラ君は、ね?」

「友達多いから何? それって偉いのか? 友達少ないと死ぬのか? 友達少ない奴は人権無いとでも言うつもりか? そう決めつける奴こそが、真に人としての価値が無いと思うな」

「いや、そこまで言ってないかな……」

 

 まったく不愉快だ。

 あんなもの多くても煩わしいだけだし。……多くいたことないが。

 

「さて、今回は戦闘色の濃い内容、さすれば情報科(インフォルマ)の平頂山殿は後方で待機されるべきでござろうか」

 

 あー、うん。メンドウを起さない意味でもそうしてほしい。ニンジャの場合単純な心配も交じっているのだろうが、それはいらないと思う。こいつは心配するだけ無駄。

 

「侮らないでほしいかな。何を隠そうこの平頂山蓮華の過去は、幾多の戦場を駆け抜けて無敗! 後ろには屍のみが積み重なる! 着いた異名は『白夜叉』──だったらいいのになぁ」

「それただの願望でござるよ!?」

「というわけで、こいつは盾もしくは動くセクハラだと思ってくれて構わないから」

「動くセクハラってなんでござるか!?」

「そこまで褒められると照れるかなっ」

「褒めてない。褒めてない」

 

 そんな事をしている間にも、時間が差し迫ってきていたので、全員で最低限の打ち合わせをし、開始の合図を待つ。

 しばらくして開始の合図が上がると、ニンジャと真田は「参る!」と言って、早々に偵察として自陣を発った。

 

「ライカたちも始まった頃か」

 

 開始も似たような時間だった気がするのをふと思い出す。

 

「やっぱりソラ君も気になるのかな」

「別に」

「隠すことないよ。自分だって気になっているからね。──麗ちゃんのおっぱいは何カップかな? 結構、大っきいよね。ごくりんこ…っ!」

「……いや、気になっている所が決定的に違うから」

「ほらやっぱり、何かしら気になってるじゃないか」

「………ちっ」

 

 言葉の綾だから、その「鬼の首取ったりぃ!」みたいな顔をやめろ。死ぬほどムカつく。

 間宮とかが無茶して、ケガとかして、その結果無用な連絡が入って来たりして、HRが長くなったりして、自分の時間がなくなるのが嫌なだけだから。

 

「相変わらず、なんとも捻くれた心配だねぇ。それで、あかりちゃんと弥白君は対立しているけど、どっちが勝つと思うかな?」

「……総合力では圧倒的に高千穂(アホ嬢)チーム。強襲科(アサルト)のA一人にC三人だから」

「あ、答えてくれるんだね」

 

 勘違いするなよ。いつまでも横で戯言を弄されても迷惑なだけだから。

 

「それにしても、嫌い嫌いと言いながら、麗ちゃんの事しっかり評価してるんだね」

「Aランクはある程度能力が無いと取れないと知れ。逆に言えば能力があればどんな性格アホでも取れる。本当に嘆かわしい。人格等も判断基準に入れるべきだと僕は思う。それならば誰よりも高潔な魂を持つ僕は間違いなくRランクだから」

 

 これだから所謂『勉強だけできるバカ』が社会に出回ってしまっている。人間できてない奴はそれだけで無能。本当に無能はいるだけで害。死ねばいいのに。

 

「でも、おかしいよね」

 

 蓮華はとても神妙な顔でそう言った。何か大きな矛盾点を見つけてしまったみたいな声のトーンは、嫌でもこちらを身構えさせてくる。

 

「おっぱいは破壊力がある方がEとかFなのに……はっ! そうか! このランクを作った人は貧乳好きだったんだね!」

「おかしいのはどう考えてもおまえの頭」

「勘違いしないでほしいんだけど、自分は小さいのも好きだから」

「聞いてない。聞いてない」

「か、勘違いしないでよねっ! 貧乳はステータスなんだからねっ!」

 

 こいつから話を振ってきたくせに、どこまで脱線させれば気がすむのだろうか。

 

「今話しているのは、間宮班vs高千穂班の勝負のことだろ、全く。……何そのニヤニヤとした顔は」

 

 蓮華はいつも『この世を誰よりも楽しんでます』といった顔をしているが、今はその喜の色がいつもの三割増しくらいになっている。理由は不明だがとにかくウザい。

 

「なんでもないよ? それよりもソラ君の見解が知りたいかな。ソラ君分析力あるし、わかりやすく教えてくれるんだろうね」

「まあ、そこまで言うなら教えてやってもいいが」

「……ちょろいなー」

「何がちょろいと?」

「いやー、自分たちの勝負のことだよ、うん」

「当り前のことは言わなくていいと知れ。この僕がいるのだから」

 

 本当に言うまでも無い些末で些細なことだが、僕はこうして蓮華と話している間に襲って来た敵を二人沈めている。「ああ、始まっていたのか」と、気づくのにも遅れてしまうほどのザコだった。せめて僕に目を向けられることくらいはしてもらわないと退屈で死にそうだ。本当にそこらの有象無象武偵は弱すぎる。そういう輩は一生戦場には立たず、猫探しでもして、今日の食い扶持だけを稼いでいればいいと思う。

 

「ごほんっ。それで間宮チームだが……もうごちゃごちゃ。佐々木は探偵科(インケスタ)だが接近戦に関しては強襲科(アサルト)生に引けを取らないだろうし、ライカに関しては何も問題は無い。が、残る二人、片方はEランクでもう片方は戦闘では完全に戦力外のCVR所属。外から見れば、ライカと佐々木が成績投げたようにしか見えない」

「うんうん。身内贔屓無しで見れば、EランクやCVR所属を戦闘で信用はできないからね。ああでも、なんてことなのだろう! ソラ君の言う通り、人の価値なんてランクでは測れないのに。あえて言おう、重要なのは大きさじゃなくて、感度であると!」

「ただ、総合力などこの小人数では大した役には立たないのも事実。僕がいるチームなら絶対勝つように」

「えー、スルーは酷くないかな?」

 

 特に、毒の一撃(プワゾン)のようなルールでは逆に間宮チームも十分以上に勝機があると考えられる。

 単純なぶつかり合いと違い、誰か一人は陣地で旗を守らないといけないため、どこかで戦力にバラツキを起こしやすくなる。

 普通に考えれば守りに据えるのは、戦略的にも精神安定的な意味でも一番強い奴。この場合はライカとアホ嬢となるだろう。

 そうなると間宮チームの攻撃手は間宮と佐々木(島麒麟(ガキンチョ)は完全戦力外のため数えない)。そして、アホ嬢チームの攻撃手は竹中と双子、ということになる。

 一見二対三で間宮チームの不利に見えるが、アホ嬢チームの攻撃手の中にライカを倒せそうな奴がいない。さすがに三人がかりならきつい部分もあるだろうが、佐々木がいて三人全て素通りさせるなんてことも考えられない。

 

「でもそれなら、あかりちゃんチームにも麗ちゃんを倒せる人いなくなるんじゃないかな?」

「そうでもない、接近戦に限れば佐々木にも勝機もある。用はそこそこの駒の数が一つか二つかの差ということ」

 

 どこかの武道大会のごとく『一対一で一人一回』とかそう言うルールではないので、強ければ何回でも何人とでも戦えるし。

 

「Aランクやそれに迫る人たちがそこそこかい? ……相変わらずプライド高いねぇ、ソラ君は」

「僕が高いのはプライドではなく、純然なる実力」

「ならSランクだったらどうなのかな?」

「中々」

「プライド高ッ!」

 

 それに、戦闘面でそこまで差が無いと考えた上で、重要なのは作戦。

 僕が間宮チーム少し有利かもと思ったのは、オール脳筋(アサルト)のアホ嬢チームに比べ、曲りなりとも頭脳型が二人いるから。どちらも変態だが。

 

「だから、結局勝負を分けるのはライカと佐々木とアホ嬢がどう当たるかに限る」

「弥白君やあかりちゃんは?」

「竹中はまあ、ちょっとはやるアホだから展開次第では何かするかもだが……間宮はアホという以外ないから。活躍するはずないだろう」

「ソラ君ってあかりちゃんに厳しくないかな?」

「厳しいも何も、Eランク武偵に対する正当な評価だし」

 

『アリア先輩には、知られたくない……』

 

 間宮はまだ子供だ。身長とかそういう問題ではなく。ただ世話がかかるだけの。何もできない。子供。本当は武偵高なんて向いていないはず。……まあ僕には関係ないし、どうでもいいが。

 

「ふーん、ふむふむ。子離れできない親の心境みたいな感じかな?」

「誰が親。誰が」

 

 せめて兄とかにしろ。いや、それも違うが。

 

「うん、確かに人類皆兄弟というね。つまり、近親相姦プレイって興奮するよね」

「頼むから、人類の言葉で話してほしい」

 

 とにかく、ライカ、佐々木、アホ嬢の三人と他の戦力は一段格が違う。

 だから他のメンバーが活躍するのは難しいのは当たり前。

 

「まあ、バランスが良いのはどう考えてもアホ嬢チームだから間宮たちが勝つとは言えないが」

「なんだい。つまり結局どっちが勝つかわからないってことじゃないか。ぶーぶー」

「……おまえがそう思ったのなら、そうなのだろ」

「プライド高ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間宮班vs高千穂班。

 

試験会場:第11区。

競技名:毒の一撃(プワゾン)

 

以下ルール──

・間宮班はハチ、高千穂班はクモの『毒虫フラッグ』を一人一つずつ所有する。

・更にチームに一つ、『目のフラッグ』を所有する。

・この『毒虫フラッグ』を相手チームの『目のフラッグ』に接触させれば勝利となる。

・フラッグの隠匿、チーム内での受け渡し、敵チームからの奪取、破棄等全て可能。

・ただし、『目のフラッグ』はそれぞれの開始地点から20m以上離してはならない。

・折られた『毒虫フラッグ』は破棄とみなし、『目のフラッグ』に接触しても無効。

・使用弾薬は非殺傷弾(ゴムスタン)のみ。

・エリア内の物は基本的になんでも自由に使って構わないが、それに付随する弁償等は自己責任。

・対戦相手あるいはチームメイト以外の人間に、直接危害を加えてはならない。これはどのルールよりも優先される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐々木志乃は常日頃から考えていることがある。

 即ち、「あかりちゃん可愛い」と。

 この殺伐とした世界に天使が送り込んだ──いや、天使そのものと言える程に穢れ無き純白。それが間宮あかりという少女だ。

 その愛らしさは留まる事を知らず、そのひたむきさは周りを元気にしてくれる。もうあかり無しで生きることは無理だと言える程だ。

 志乃は何か辛いことがあると、いつも思い出し、励みとする。

 そう、あかりとの出会いという思い出を──

 

 忘れもしない。あの出会いは中等部3年生の2学期のことだった。

 

 志乃は男が嫌いだった。

 何故なら、周りにいる男は自分よりも優秀な志乃を見て「女のくせに」と妬む輩か、この年の割に豊かに育った女性らしい体を下品な目で見てくる輩ばかりだからだ。

 少し昔までは、それが全てでは無いと思っていた。男の人の中にも良い人はいる──お父様のように尊敬に値する方もいるのだから──ただまだそう言う人に出会っていないだけなのだ……と、そう思っていた。

 でも違った。

 心を許してもいい。そんな風にまで思った人に──あの男に、裏切られたからだ。

 石花ソラという男に!

 

 ──男の人なんて、信用できません!

 

 だからといって、女なら志乃の味方になってくれるなんてことは無かった。寧ろ、積極的に志乃に害をもたらしていたのは女子の方。同級生の女子の妬みは男の比では無かったのだ。

 優秀で、お金持ちで、とび抜けて美人だった志乃は嫉妬の的以外の何物でも無く。やれ、お高く留まって自分たちを見下している。やれ、男に媚び売っている。やれ、今の成績も教師に淫行して手に入れた。やれ、男を食っては捨ててを繰り返している。やれ、中学生のくせしてとんでもないビッチ。

 実際問題、そう多くの女子が言っていたわけではないのだろう。本気で信じている人間なんてほとんどいなかっただろう。

 だが、志乃と同じクラスの女子の間ではその陰口が広まっていて、そんな彼女と仲良くなろうと思う人間がいるはずも無かった。

 何より、そんなことを言われて大丈夫な女の子がいるものか。

 

 ──なんてはしたない人ばかりなのでしょう……。

 

 志乃は外の世界の何もかもが嫌いになっていた。

 学校なんてものは地獄以外の何物でもなかった。

 それでも不登校にならず通い続けていた彼女は、なるほど強い心の持ち主だったのだろう。

 しかし、いや、だからこそ、彼女の精神は日々磨り減っていっていた。

 

 そんな闇の中にいた時に出会った希望があかりだった。

 

 ──何の打算も無しにわたしと友達になろうと言ってくれた。

 ──噂なんてものに惑わされず、わたしのことを見てくれた。

 ──わたしのために本気で怒ってくれた。

 ──そして…………

 

 ──ああ、あかりちゃん。好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き大好き!!

 

 そう! これは美しい友情、純愛なのです!

 

 

 

 

 

 そんな心境は置いておいて、志乃は現在人工浮島(メガフロート)第11区の北と南を繋ぐ通りを“大”親友のあかり(可愛い)と共に駆けていた。

 相手方の陣地へ向かうにはこの通りを抜けるのが一番であり、必然的に敵の待ち伏せ、遭遇戦への警戒は欠かせない。

 その時に、ちらほらと見える試験とは関係ない人々。

 武偵高の試験を行うことの報知はされているが、この区間を完全に進入禁止にしているわけではない。そのため、見た目の上では普段と変わり無い街……にも関わらず、志乃には、恐らくあかりにも、どこか不気味に見えてしかたなかった。これは緊張のせいなのか、それとも……

 

「いないね……」

 

 あかりはきょろきょろと周りを見回している。しかし、敵を発見することは出来ないでいる様だった。

 

「どういうことでしょう? 南北を横断する以上ここを通らなければならないのは向こうも同じはずです」

 

 志乃は腑に落ちない様子でそれに答える。

 

「隠れてたのを見逃しちゃったとか?」

「こちらが奇襲を受けなかった理由がわかりません。気づいていないのならなおさら。それにこの限られた場所で何人も見逃すとはさすがに……」

 

 志乃だって、ただここまで走ってきたわけではない。最大限に周りに注意を払っていたのだ。それでも敵のような者は見つけられずにいる。ラッキー、なんて思うほど楽天的にはなれない。

 

 ここさえ抜ければ工事現場が目視できる、そんなところまで来た時のことだった。志乃の視界の先で日の光を僅かに反射した何かが見える。

 

「──あかりちゃん、下がって!」

「わっ!?」

 

 次の瞬間、一つの銃弾があかりのすぐ横を通り抜けた。志乃が待ったをかけていなければ脇腹あたりに突き刺さっていただろう。防弾制服を着ている上、弾はゴムスタンなので死ぬことは無いだろうが、ダメージは免れないかった所だ。

 二人は素早く物陰に隠れ、志乃は刀を、あかりは銃を抜き、臨戦態勢へ入る。

 

「今の銃は、ベレッタ。どうやら相手は竹中君のようです」

 

 特定は簡単だった。相手のチームでベレッタ銃を愛用しているのは竹中だけのはずだからである。

 

「び、びっくりしたー! この、竹中めー!!」

 

 あかりはプンスカと怒っていた。相手の不意打ちにびっくりしちゃったからだ。

 そんな素直すぎるところも可愛いと、志乃は一瞬カルテットのことも忘れてあかりに見惚れていた。

 

「うるさいぞ! アホ間宮ぁー!」

「わわっ!!」

 

 向こう側をうかがおうとすると牽制の弾が飛んでくる。

 その時少しだけだが姿も確認できた。チラリと見えた金髪ショートカット。

 

「うん、やっぱり竹中だった。それも一人」

「竹中君がこの位置で張っていたということは、陣地にはもう一人防衛手(ブロッカー)がいると考えていいでしょう。さすがに防衛に三人は無いでしょうから、攻撃手(アタッカー)はバランスを考えても愛沢姉妹、最終防衛(キーパー)は高千穂麗で間違いなさそうです」

 

 ということは、志乃とあかりは愛沢姉妹を見逃したということになる。

 それとも大回り覚悟で違う道を通ったのか。

 強襲科(アサルト)で固められた相手がそうしてくると、志乃は思ってもみなかったが、現状を見る限りそう考えるのが自然か。

 

(こんな深い場所にいるなんて……竹中君ならもっと前から出て攻めるとばかり)

 

 志乃は相手チームのことを軽視していない。全員が戦闘職かつ、あの高千穂麗がいるのだ。油断などできない。

 だからこそ、腑に落ちない。それでも敵は正面から来ると思っていたし、そうするのが敵にとっても一番の布陣だと考えていた。自力で勝っている相手に奇策は必要ないのだから。

 何より、高千穂麗の性格的にも!

 

『おーほっほ! 優雅に突撃よ!』──高笑いしながら、そんなことを言う高千穂を想像していた志乃であった。

 

(敵のその正攻法を打ち崩せるかどうかが、今日の勝負の分かれ目だと思っていたのですが……)

 

 竹中の動きはどう見ても足止め。こうも守備的な作戦に出て来るなんて、竹中の普段の様子を知っている志乃からしてみれば意外で仕方なかった。尤も志乃は竹中のことなんて大して知らないし、知りたくもないのだが。

 

「とにかく、ここで時間をかけるのは得策ではありません」

 

 この距離を保つのも良くはない。志乃の見たてでは竹中の射撃の腕は1年生にしては中々良い方である。中距離以上の戦いでは勝負にならない。

 

「押し通りますので、あかりちゃんは援護をお願いします」

「うん!」

 

 今度はあかりから竹中へ向かって銃弾を放つ。向こうも物陰へ隠れているため、当たることは無かったが「ちっ!」と苛立ちを含む舌打ちから牽制の意味は果たしているようだ。

 そして、あかりと竹中がお互いに牽制し合うことにより生まれたわずかな隙を、志乃は突き進む。

 

(行きます!)

 

 志乃は所属こそ探偵科(インケスタ)──どこかの誰かが『この武偵高で比較的まともな科』と評した専門科──の生徒だが、志乃自身は戦闘を不得意としているわけではない。そしてまともでもない。……いや、いろんな意味で。

 武偵検事という日本で最も戦闘力を必要とされる職業に就いている父を持ち、尚且つかの有名な大剣豪の血筋である志乃は、当然のように幼い頃から武芸を仕込まれていた。

 『巌流』──特殊な居合斬りを奥義とする佐々木家に代々伝わる剣術。

 未だ窮めずとはいえ、こと接近戦に限れば志乃は並みの強襲科(アサルト)生を凌駕する。

 そして、志乃の見解では、竹中一人の戦闘能力は並みの強襲科(アサルト)生と言ってもいいものだった。

 

(やはり竹中君はまだ反応しきれていない!)

 

 ──とった!

 

 

 

 

 

 

 

 

『──攻撃手(アタッカー)はバランスを考えても愛沢姉妹、最終防衛(キーパー)は高千穂麗で間違いなさそうです』

 

 一方、ライカと麒麟は第11区の南端にある公園で待機していた。

 インカム越しに聞こえる志乃の声。奇襲に少し躓いたみたいだが、問題はなさそうだと判断する。

 

「どうやら予想パターンBのようですの。予定通りライカお姉様には、このまま持ち場を離れず、埋めたフラッグを死守してもらいますわ」

 

 因みにパターンAは竹中も攻撃に参加するもので、他にも愛沢姉妹が守備で攻撃に高千穂と竹中というパターンCがあった。いずれも愛沢姉妹はセット扱いである。

 実際、双子ならではの連携は中々なものだという評価は強襲科(アサルト)内でも小さくも話題になっていたため、離すよりも組ませた方が戦力としては上がるだろうとの考えの元の対策であった。

 

「ああ、わかってる。愛沢姉妹の二人が来ようが『目のフラッグ』にも麒麟にも指一本触れさせねえ!」

「さすが麒麟の王子様ですの!」

「だからそれやめろって! アタシは王子様じゃねー。戦姉(アネ)戦妹(イモウト)を守るのに理由はいらないってだけだ!」

 

 表面上嫌がった素振りを見せるライカだが、麒麟のことを本気で嫌っているわけではない。もしそうであるのなら態々戦妹(アミカ)にしたりはしないだろう。

 麒麟もそれをわかっているらしく、だからこそ、ぐいぐいと更に仲を縮めようとしてくる。そう、わかっているから──

 

 まるで本当の姉妹のように仲の良い二人。

 ただ、二人がこの関係に至るまでの道のりは、決して今の麒麟の服のように華やかなものでは無かった。

 

 

 

 

 

 ライカに憧れた少女──麒麟による、愛の追跡劇の果てにたどり着いた、ライカの人形好き(趣味バレ)。その口封じを条件にこぎつけた戦姉妹試験勝負(アミカ・チャンスマッチ)

 ストーカーだとか、字面にするとあくどいとか言ってはいけない。これらは純粋なる愛からの行動なのだ。

 今までのらりくらりと麒麟のアピールを躱していたライカを、勝負の土俵に上げることができたことまでは良かった。

 

 しかし、問題は──麒麟の本当の試練はまさにここからだった。

 

 試験の勝負方法は銃やナイフを禁止とするCQC。ギブアップ、もしくは背中を付けたら負けというわかりやすくも単純なルール。

 ライカは得意種目であるこれを、CVRの中学生(麒麟)相手に手を抜かなかった。容赦なく叩きのめした。

 いや、手加減はしていたのだろう。顔への攻撃は一切しなかったし、大けがするような技もしていない。勝利条件もライカが十本取る間に麒麟が一本でも取れればいいという、麒麟有利の条件を提案したほどだ。

 

 それでも考えてみてほしい。

 強襲科(アサルト)内でもそこそこに名が知られるほどのCQCの達人相手に、高々CVRのそれも中学生がどれだけの抵抗ができるだろうか。

 相手が十回勝つ間に一回だけ勝てばいい? そんなものハンデの範疇に入りやしない。まるで、虎と猫の対決。それくらい一方的な勝負だった。

 当のライカも最初から結果はわかっていた。勝負自体、麒麟を諦めさせるために受けたものなのだから。容赦も慈悲も無く、十回も叩きのめせば自分を追うのもやめるだろう、と。

 

 誤算があったのなら──

 

「なんで諦めないんだおまえは…!」

 

 何度、何度打ちのめしても、麒麟の瞳から闘志の色が失われることが無かったこと。

 

「言った、でしょう。麒麟は……麒麟は、諦めが悪い子、ですの……」

 

 ボロボロになりながらもそう言い切った麒麟。

 だがその時点のライカにとって、それは理解の範疇を超えた行動にしか見えなかった。

 

「アタシより強い奴はいる! アタシなんかより綺麗な人は腐るほどいる! どうしてアタシなんだ!? どうしてそこまでこだわるんだよ!?」

「最初は、ちょっとした憧れ、でしたわ。まるで絵本の王子様のように、麒麟を助けてくれた、そんな存在への。確かにそれなら、ここまで頑張る理由にはならないかも、しれませんの」

「だったら!」

「意地になっていると言われても否定できませんの。でも、だからこそ、本当に気づきましたわ。──恋は障害があればあるほど燃え上がるのだと!」

「は、はあ!?」

 

 「ここに来て何言ってんだこいつ」と、ライカ呆気にとられてしまう。

 その隙に麒麟は距離を詰める。ラストチャンスを掴むために!

 

「麒麟は今、最高に燃え上っていますのー!!」

「な!? だ、だけどまだ甘い──」

「ライカお姉様でないとダメですの! 麒麟のこの気持ち受け取ってください!!」

 

 ぽすん

 

 繰り出されたのは、まるでダメージにならない軽すぎる拳。

 十分に躱せた。こうして当たった今もすぐさま反撃して今度こそ麒麟を一撃で眠らせることがライカにはできる。

 ──だが、しなかった。

 

「あーもう! わかったよ! ──ギブアップ、アタシの負けだ」

 

 ライカはそう言って背中から倒れ込む。疲れた体を休ませるかのように。

 対する麒麟はまだ状況が呑み込めずにいた。

 

「麒麟の勝ち、ですの…?」

「そうだって言ってんだろ。何度も言わせるなよ、ったく」

「つまり、麒麟を受け入れてくれたですの?」

「ああ」

 

 麒麟はここでようやく呆けた表情が移り変わる。満面の喜色へと。

 

「相思相愛! 大勝利ですのー!!」

「違うわ! 認めたのは戦姉妹(アミカ)だけだー!」

 

 

 

 

 

 あの時のライカは一人の少女の勇気に胸を打たれた。ただそれだけの話。

 そしてそれを今──

 

「あ~ん。こわいですわぁ、ライカお姉様ぁー。もっと麒麟にすり寄って守ってくださいまし~」

 

(アタシ、なんでこいつを戦妹(アミカ)にしちゃったんだろ……)

 

 若干後悔していた。

 

「言っとくけど、最優先はあくまでフラッグだからな?」

 

 どこから敵が来るのかわからずに怖がっている……ふりをして甘えてくる麒麟にライカは釘をさす。

 「わかってますの~」と間延びした返事をしながら態度を変えない麒麟。本当にわかっているのか、わかってないのか。

 

「でも、聞く限り相手は最短ルートを通ってない様子ですの。ならまだ時間は──」

「あら? 随分と貧相な守りねえ?」

 

 その人物はあまりにも堂々と間宮チームの陣地である公園に入って来た。優雅に、散歩でもするかのように。

 

「な!?」

 

 早い。早すぎる。

 足止めにあったとはいえ、最短距離を通ったはずのこちらが辿り着いていないのに、何故? いくら限定的な狭いエリア内での戦いとはいえ、大回りしてくるなら少なくとも一分弱ロスがまだあるはずだ。

 

「なんでおまえがここにいる、高千穂麗!」

「ここから見えるかしら、あのビル」

 

 返事の代わりに、高千穂は閉じた扇子で一つのビルを指した。この公園から真北の位置に立てられているかなり大きなビルだ。

 

「……あのビルがどうかしたのかよ?」

 

 突然関係ないことを言い出した高千穂を、ライカは怪訝な目で見る。

 

「おまえたちその横を沿った道を進むのが最短距離だと思っているようだけれど」

「ま、まさか、ですの」

「そこの小娘は気づいたようね。丁度南北に入口があるのよねえ」

「だから、何が言いてェんだ!」

 

 はぐらかされてる。そう思うとイラつきはどんどん増していく。

 本来ライカは強襲科(アサルト)生の例に違わず気が短い方なのだ。

 

あのビルの(・・・・・)中を突っ切れば(・・・・・・・)もっと早い(・・・・・)と思わない(・・・・・)?」

「は?」

 

 一瞬高千穂が何を言っているのかライカにはわからなかった。それほどに突飛なことだった。

 確かにエリア内の物は何でも自由に使っていいとルールにあったが、不法侵入まで冒してくるとは思わないだろう。しかもこんなに堂々と。

 そもそもああいうビルの中には関係者以外が簡単に入れるようにできていないはず。潜入に特化した諜報科(レザド)の生徒ならまだしも、高千穂がそういう類の技術に優れているとも思えない。

 というか、そう言う手間をかけるくらいなら、素直に道沿いに行った方がいいに決まっている。

 

「何か勘違いしているようね。このわたくしがこそこそと侵入なんて真似するはずがないでしょう? 自分の物を使う時に後ろめたい気持ちなど無いもの」

「いやいやいや、何言ってんだおまえ」

「買い取ったのよ、あのビル」

「………」

 

 今度こそ、ライカは開いた口が塞がらなかった。

 

(アホだ。本物のアホがいる……)

 

 確かに対戦場所はあらかじめ指定されていたし、可能か不可能かどうかと言われれば可能だろう。

 しかし、たかが一試験のためにビルを買い取る。この行為は、成金どうこうと言うより、アホとしか言いようがない。更に言うのなら、それで得られるのは数十秒程度の有利性。どう考えてもリスクリターンの天秤が破城している。

 

「それより、仲間の心配はいいのかしら? おまえたち仲良しこよしなのでしょう?」

「何言ってん──」

 

『きゃ──ッ!』

『志乃ちゃん!!』

 

 志乃の悲鳴に、あかりの叫び声。

 今まさに聞こえた音は、間違いなく向こうで良くないことが起こっていることを感じさせるものだった。

 

「あかり、志乃、無事か!?」

「間宮様、佐々木様、今すぐ状況を教えて欲しいですの!」

 

 インカムで呼びかける二人。しかし、聞こえてくるのは先ほどからの変わらない戦闘音だけで、返事らしきものは無い。

 

「待ちに三人(・・)。佐々木志乃も多勢に無勢だったかしら? 実質三対一のようなものだものねえ? Eランクなんて戦力として数えられないもの」

 

 まさか──そんな考えがライカの頭を過る。

 

(いや……聞こえる)

 

 インカム越しに微かに聞こえる声。これはあかりのものだとライカの優れた聴力をもって確信する。

 それに冷静に考えてみれば、争っている音が聞こえるということはまだやられていないということでもある。

 恐らく、何かの拍子にインカムが外れてしまったのだろう。

 

「ムキー! 間宮様をバカにするなですのー!」

 

 仲間を侮辱され怒る麒麟をライカは手で制す、その背中に隠すかのように。

 

「麒麟、下がってろ」

「お姉様ぁ……」

 

 だが、ライカとて決してムカついてないわけでは無かった。

 高千穂麗からの数々の暴言を。

 あかりや麒麟をバカにしたことを。

 こいつのせいでソラが強襲科(こっち)に近寄らなくなったことを!

 ライカは静かに闘志を燃え上がらせる。──こいつには絶対負けない!

 

「守りは盤石ってか? だけどこの勝負は攻めなきゃ勝てねーぜ、お嬢さま?」

「ふっ。わかっているわよ、そんなこと」

 

 高千穂は余裕綽々に開いた扇子で口元を隠し、ライカのことを嘲るような目で見つめた。

 

「つまり、攻めるのはわたくし一人で十分ということよ」

「その言葉、後悔するなよ!」

 

 今、強襲科(アサルト)1年の中でも指折りの女傑たちの戦いが幕を開けた──!

 

 

 




 主人公誰それ物語。今作ではもう始まってしまった。
 毒の一撃(プワゾン)のルールに関しては完全に捏造です。





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Ep8 『カルテット ②』

 これはカルテットの始まる前の別視点でのお話である。

 

 

 

 竹中弥白は困惑していた。

 というのも、カルテットで組む人間がいなくなってしまったのだ。

 これは別に弥白がどこかの独奏曲さんや風の声さんのように友達がいないというわけではない。自分が組もうと思っていた人はいた。しかし、その人と組めなくなってしまい、そのことが分かった頃には、周りはみんな組み終えていたというわけだ。

 仕方なく教務科(マスターズ)にその旨を伝えに行くと、丁度あと一人を探しているという三人組がいると言うので、そのメンバーに会うことにしたのだが……

 

「不合格ね。見るからに貧相な男だわ」

 

 会って早々不合格にされていた。

 

「おいコラ。誰が不合格なのだ、コラ」

 

 弥白もいきなりそんなことを言われて黙っている性格ではない。自分を不合格と言いのけた少女を睨み付ける。

 腰まで届く長い金髪に整った顔、鋭い目がきつい印象を与えるが相当の美少女。背筋がピシッと伸びた体は、出るとこが出て、引っ込むべき所は引っ込んでいる。綺麗なその容姿も含め、男を惹きつけてやまないような外見をしていた。

 彼女の名前は高千穂麗。

 その余っているらしい三人組のリーダー格だ。

 

「それに貧相ってなんなのだ! おれはちっちゃくないぞ! 大器晩成、成長がちょぉぉぉっっとだけ遅いというだけなのだぞ!」

 

 しかし、弥白に相手の容姿なんてものは関係ない。そもそもそんな感情があるのかもわからない。男子高校生としてはかなりの希少種的存在だからである。要するにガキなのだ。

 

「麗様に意見するなんて生意気」

「体が小さいと器も小さい」

 

「「小さーい」」

 

 高千穂の後ろに控えていた双子──愛沢湯湯、夜夜も弥白をバカにする。

 

「おまえらも小さいくせに!」

「今『も』って言ったね、夜夜」

「自分でもチビだと思ってるんだよ、湯湯」

「揚げ足を取るなあああああ!」

「きゃー、貧相な男が怒ったー!」

「麗様、貧相な男が怒りましたー!」

 

 愛沢姉妹はきゃーきゃー騒ぎながら高千穂の陰に隠れるが、その顔はどう見ても怖がっている少女のそれではなく、弥白をからかって楽しんでいる悪戯な子供のそれだった。

 双子の態度に高千穂はやれやれといった様子で、

 

「おやめなさい。湯湯、夜夜。そんな男相手にするだけ無駄よ」

 

 そう言って、心底蔑んだ目で弥白を見る。

 その道の人なら大喜びしそうなものだが、もちろん弥白にそんな気は無い。

 

(ぐぬぬ。さっきからこの女えらそーに! えらそー、ほんとえらそーに! 一体何様のつもりなのだ!)

 

 弥白がまた小さく爆発しようとした時、新たに一人の女性がその場に現れる。

 

「おー、なぁーんか仲良くやってるみたいだなー」

 

 怠そうな態度を隠そうとしないこの女性こそ尋問科(ダキュラ)担当の教師、綴だ。

 女性にしては低い声が一層彼女の気怠さを引き立たせ、吹かすタバコの煙からは明らかに市販の物とは違う匂いを漂わせている。目がいつも据わっていることを含め、教師として、いや人として、どう見ても危ない感じがビンビンする。

 

「あら、綴先生。いらしたの?」

「一応、えーっと……あ、あれだ、様子。様子を見とこうと思ったところなんだよね」

 

 綴は今回のカルテットの副担当ということもあり、弥白や高千穂たちがこうして集まったのも彼女の采配によるものであった。

 こう見えて武偵高は1年生にはまだ甘い。ある程度の支援や補助はしてくれる。これが2年生以上のものなら、勝手にやれの一言で終わっていただろう。

 

「綴せんせー、代えてほしいぞ! おれこいつら嫌なのだ!」

「竹中ぁー、アンタは相変わらずストレートに物言うなぁ。そぉーいうの社会に出てからは通用しないぞォー」

「お手数掛けて申し訳ございませんが、あまり相性がよろしくないようです。ご勘弁願えないでしょうか」

「いや、言い方の問題じゃなくてなァー。というかそんな話し方できたのね、先生ちょっとビックリ」

 

 普段教師に対しても粗暴気味な弥白の丁寧な口調に綴りはその濁った目を見張る。竹中君そんな丁寧な敬語知ってたのねみたいな感じで。

 

「わたくしの方からもお願いします。この男がわたくしと組むに値するなんてどう見ても思いません」

「だから! さっきからそのえらそーな態度はなんなのだぁ!」

「あー、そのなんだ。言いづらいんだけどさァ」

 

 綴は「言いづらい」と口にしながらも全くこちらを気遣う様子は無く、マイペースなまま煙をフーと吐き出すと、心底面倒臭そうに言った。

 

「残ってるのもうアンタらだけなんだよねー」

 

 その軽すぎる口調とは裏腹にその言葉は、「もうおまえら組むの決定してるから」と告げているに等しかった。

 

「組むなら組むでさっさと決めないからだ。マヌケぇ」

「な!?」

「に!?」

「まあ、案外相性いいんじゃないかぁ? さっきから意見合ってるしぃー」

 

 その合っているという意見が、お互いを代えてほしいでなければだが。

 仮にも一介の教師である人間が、こんな適当でいいのだろうか。これだから武偵高の教務科(マスターズ)はおかしいと言われるのだ……と思っていても口に出せない弥白たち。

 弥白は呆然としたまま横を見ると、高千穂と目が合った。そして、「フンっ」とすぐに顔を逸らされてしまうのだった。

 

(やはりこいつムカつくぞ!)

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

 結局、弥白は高千穂のチームに収まることとなった。

 双方最後まで納得していなかったが、1年生はカルテットに全員参加の上、残っているのが自分たちだけだと言うのだから組む以外の選択肢は最初から無い。

 いくら弥白や高千穂でも教務科(マスターズ)にケンカを売るわけにもいかない。そんなことしたらガチで死ぬ目に遭うことになるだろう。元殺し屋やら、憲兵帰りやらがゴロゴロしている、それが教務科(マスターズ)なのだから。

 

 あれから数日たったの今日も強襲科(アサルト)の射撃レーンで訓練していたが、苛立ちや不安からかスコアは全然伸びていない。

 さすがにスコアが一桁になったりするようなことは無いが、ありえないが、それでもいつも以上に的を外していたのは確かだ。

 

「あー! このッ! ……うまくいかないのだ」

 

 射撃の内容だけではない。これからまたあの高千穂たちと会わないと思うと気分が沈んでしまう。つい先日も理不尽に怒鳴られたし。

 断っておくと、弥白は別にどこかの寝不足くんのようにコミュニケーション能力に難があるわけではない。いや、確かに少し人の話を聞かないところもあるが、友達は普通にいるし、好んで人と衝突したいとも思っていない。

 

『あの、お兄様? いつも間宮あかりという方と衝突ばかりしていませんか? 寧ろ衝突しかしてない気さえするのですが』

 

(うるさいうるさい! 間宮は別なのだ! キンジ先輩をバカにするし!)

 

 自分で幻聴を生み出し、それにツッコムなんて変わったことをする子だが、決して悪人では無い。多分。

 その弥白が何を言いたいかというと、「バカにしてくる奴はムカつく」ということだ。誰だってそうだと思うのだが、とりわけ弥白は自分を見下す奴が大嫌いだった。だからこそ、傲慢ちきな高千穂とは絶対に馬が合わないと考えているし、これからチームとしてやっていけるかが不安で仕方ないのである。

 

「おやおやぁ? こんな所に悩める少年はっけーん!」

 

 今日はもうやめにしようとしかけた時、明るく、いかにも女の子女の子しているような声がこの場に響き渡る。

 振り向くと見えたのは、ふわりと長い金髪の小柄な少女。フリルを付けられた改造制服は、火野の戦妹(アミカ)である島を連想させる。全体的に、どこかゆるくてふわふわしてそうなイメージを与えてくる少女がそこにはいた。

 

「ふむふむ、どうやらうまくいってないみたいだねぇ」

 

 その少女が弥白のすぐ横まで近づいて来ると、なんだかとても甘ったるい匂いが弥白の鼻腔をくすぐった。

 

「な、ちょ、誰なのだ!?」

「これベレッタM92Fだよね。キーくんとおそろいかぁー」

「キーくん? おそろい? ……キンジ先輩かっ!」

 

 憧れのあまり同じ銃を使っていた弥白だけに、おそろいと言われてすぐにキンジの名前が出てくるのはある意味当然だった。

 

「それで誰なのだ? 先輩なのか?」

「えー!? キミってば、理子のこと知らないのー!?」

 

 知らないのだ、弥白がそう口にすると少女は大袈裟にショックを受けたようなポーズを取った。しかし次の瞬間、俯いた顔を急にガバッと上げ、顔の横でピースをしながら、ウインク付きで、

 

「峰理子、2年。所属は探偵科(インケスタ)だよ。気軽に『りこりん』って呼んでねっ!」

 

 そう自己紹介して来た。

 

(峰理子? どこかで聞いたような気が……うーん、気のせい?)

 

 やはり先輩だったかと思うと同時に、何故自分に接触してきたのかという疑問が浮上する。どう見ても胡散臭い塊のようなこの先輩がいったいどんな目的を持ってきたのかと。

 

「その峰先輩がおれに何の用……」

「りこりんって呼んでねっ!」

「いや、峰先輩と呼ばせてもらうぞ、それで」

「りこりんって呼んでねっ!!」

「いやだから峰先──」

「りこ☆りん!」

「……り、りこりん……せんぱい」

 

 あまりの押しの強さに弥白は観念してぼそぼそと呟く。すると理子はいたずらに笑みを深めた。

 

「ワンモアー!」

「りこりん先輩!」

 

 もうやけくそだ! そんな心の声が聞こえるような叫びだった。

 こんなバカみたいな呼び方しなければいけないなんて……顔から火が出そうだ、と恥ずかしがっている弥白とは対称に、理子は何かをやり遂げたようなとてもすっきりとした表情だった。

 

「……それで、そのりこりん先輩がおれに何の用なのだぁ?」

 

 やさぐれたように再びそう聞くと。

 

「ズバリ! キミは今伸び悩んでる! 理子にはお見通しだぞぉー!」

「な、なんでわかるのだ!?」

「簡単な推理なのだよ。つまり……えーっと、うん。簡単な推理なのだよ」

 

(浮かばなかったのであろうなぁ……)

 

 さっきから言動も変だし、テキトーなこと吹かしてるんじゃないだろうか。弥白はそんな事を考えながら、胡散臭いものを見るような目を理子へ向ける。

 

「もうー、いくら理子が可愛いからってそんなに見つめないでよぉー。照れちゃうぞ!」

 

(チガウ)

 

 そんな弥白の眼差しをどう勘違いしたのか、いやんいやんと体をくねらせる理子。

 

「………」

 

 弥白は関わらない方がいいなと思い、片づけを再開しようとした……が。

 

「──自分では銃身も安定してるはずなのに、一定以上の結果が出ない。出来てるはずだと感じているからこそ、どう直していいかもわからない、でしょ?」

 

 思わず、動きが止まった。止められてしまった。

 

「な、なんでそこまで……?」

「くふふ。さっき言ったよね、理子は何でもお見通しなのです!」

「石破天驚! りこりん先輩はすごいのだな! お見通しかー、そっかー」

 

『……お兄様は素直すぎです。少し何か正しいことを示されただけで、全て信じてしまうのですもの』

 

 昔そう妹に言われていたのも、今は完全に忘れさっていた弥白であった。

 

 しかし実際のところ、理子の指摘は的を射ていた。

 まるで本当に弥白の問題点を全てわかっているかのように、的確のアドバイスの数々をいくつも授けてきて、その言われたことを意識するたびに、目に見えて伸び悩んでいた結果がよくなっていったのだから。

 

(すごいぞ! 蘭豹や火野より教えるのうまいのだ!)

 

 難しいと思っていた年内Bランク昇進、それどころかこの分ならもしかしてAランクに届くんじゃないかと思うほど、『何かを掴んだ』という感覚を意識できていた。

 

「うんうん。やっぱり、理子の思っていた通りだぁ」

「そういえば、なんでこんな親切してくれたのか摩訶不思議だぞ? 初対面であるはずなのに」

「親切? くふふふ」

 

 突然笑い出した理子に弥白は戸惑った。

 

「……力を見るためにも、対抗馬は必要だからね……」

 

 理子は聞こえるか聞こえないか、そんな声で何かぼそぼそと呟く。

 

「意味わがわからないぞ?」

「くふっ。強いて言うなら、期待かな? 理子が手ずから教えてあげたんだから、ヤシロンはカルテットがんばらないと、ぷんぷんがおーだぞ?」

 

 ああ、そういえばカルテットがあるのだったと。そう思い出してまた憂鬱な気持ちがこみ上げてきた。

 そんな気持ちの表れか、ターゲットから弾が逸れてしまう。

 

「って、あの、結局おれに指導してくれた理由が不明だぞ……あれ?」

 

 振り向くとそこにはもう誰もいない。

 あとに残ったのは硝煙の香りに混じる、甘ったるい匂いだけだった。

 

(帰ってしまったのだろうか。全く、一声くらいかけてくれてもいいと思うぞ)

 

「あら、こんな所にいたのね」

 

 次に弥白の前に現れたのも金髪の少女。ただ金髪は金髪でも、峰理子ではなく高千穂麗の方だった。

 

「なー高千穂、金髪でフワフワした感じの小さい先輩見なかったか?」

「知らないわよ。そんなことよりも、集合時間に遅れていることへの弁明は何もないのかしら?」

「え!? あ、そうだったぞ! 悪いのだ、ちょっとこっちに集中し過ぎてたぞ」

 

 先日組み合わせが決まったこともあり、今日はカルテット関係のことで早速待ち合わせをしていたのだが、時計を見ると確かに時間を完全に過ぎ去っていた。思ったよりも長い時間ここにいたらしい。

 

(態々探しに来てくれるとは、もしかしてこいつは結構いい奴なのかー?)

 

「ふん、まあいいわ。それで要件なのだけど、湯湯と夜夜が佐々木志乃たちの偵察を行っているのは知っているわよね」

「うん! とっても把握してるぞ!」

 

 そう、あの双子は昨日決まった対戦相手である間宮班の偵察を行っていた。

 それを聞いた時弥白は、なんだかんだでこいつもしっかりやろうとしてるんだなと感心していたのだが。

 

「それ、切り上げるから片づけを手伝ってきなさい」

「へ? まだ初日だぞ。早すぎるのだ」

「これ以上無駄だと判断しただけよ」

 

 反論したかった弥白だが、どっちにしろ偵察だけで時間を費やすわけにはいかないか。その分合わせの訓練に力入れればいいか。きっと高千穂も同じ考えなのだろうと自分を納得させた。

 

「で、それから何をするのだ? 動きの合わせとか、作戦を練るとかもいいぞ」

「そんなもの必要ないわ。このわたくしがあんな寄せ集めに負けるわけがないじゃない」

 

 「自分たちがあまりものだったくせに何を言ってるんだこいつは」という目で高千穂を見るが、この唯我独尊お嬢様には全く効いていない。

 それどころか──

 

「いくらわたくしが美しいからってそんなに見ないでちょうだい」

 

(チガウ)

 

 こんな勘違いまでしてきた上で、汚らわしいと蔑んでくる始末。

 金髪の女子はみんなこんな自意識過剰なのだろうかとムカつきを通り越して呆れてしまった。

 

「だけどっ! 相手を侮るのは良くないぞ! それに、おれはおまえたちと組むの初めてなのだ!」

「あんなチームに、足手まといを二人も抱えた佐々木志乃に、品の無い火野ライカに、このわたくし──高千穂麗が負けるとでも?」

 

 今の言葉ではっきりと分かった。高千穂は間宮たちを敵とさえみなしていないのだ。今のままでも、負ける要素など微塵も無いと考えているのだろう。

 高千穂の能力は高い。それは1年でAランクを取っていることからも間違いない。

 それに今回決まった毒の一撃(プワゾン)という種目は戦闘色の強いものの上、こちらは全員強襲科(アサルト)生。確かに一見、特に作戦を練らずに正面から戦っても勝てそうだ。

 しかし、だからといって、手を抜いていい理由にはならない。

 

「おまえは幸運にも勝ち馬に乗ったの。このわたくしに任せていればいいのよ」

 

 弥白の忠告を聞いていない高千穂。きっと今の弥白が何を言っても無駄なのだろう。

 となればここで話は終わってしまいそうなものだが、良くも悪くも奇運なことにまだ天は弥白を見離してはいなかった。

 

「あー、うん、竹中。偶然。ホントに偶然」

 

 綴に負けないほどに怠さを含みながらも、澄んだ綺麗な声。矛盾するようで綺麗に溶け合った、そんな声の持ち主は弥白の知る中では一人だけ──即ち、石花ソラである。

 

「偶然? だけど、ソラがこんな所に来るなんて珍し……」

「言っておくが、おまえを探していたわけではないから。完全なる偶然だから。偶然ではないとかありえないくらいだから」

「別にそんなこと誰も疑ってはいないぞ? そんな自意識過剰な奴はいないのだ」

 

 高千穂は初対面時自分に向けたものとは、比べ物にならないほどの鋭さを持った目で、今来たソラを睨み付けていた。

 

「ちょっと、人の頭越しに会話しないでくれる?」

「は?」

 

 対するソラはどこまでも面倒臭そうだった。いつも以上の仏頂面と、琥珀色の瞳の下にあるクマがそれをさらに強調している。

 

「『会話しないでくれる』ではなく、人の話を聞けないほど器の小さい女が騒いでいると小耳に挟み来てみれば、おまえだったのか。納得」

「だ、誰の器が小さいと言ったのかしら…!?」

「おまえ。ほら、現在進行形で人の話聞けていないし」

「なんですってぇ!?」

「ああ、わかった。頭がカラだから、言葉はどうしても右から左へ流れてしまうのだろ。ねえ、知っているか? 普通脳ミソは1kg以上あるらしいから、中身がカラだと体重が減って女性としては嬉しい限りなのではないか。ほら喜べよ」

「い、言わせておけば……! 強襲科(アサルト)から逃げた分際で!」

「逃げた? 意味不明」

 

 どこまでの剣呑な雰囲気の高千穂に対して、饒舌な割にソラは心底面倒臭がっている様子だった。共通しているのはそれでも二人の目が真剣みを帯びていたこと。弥白の立ち入る隙が一切なかったことだ。

 

「まあ、とりあえず今のうちに十分ふんぞり返っていれば? カルテット終わったらもう偉そうには出来ないのだし。まあそこまでおめでたい思考をしているおまえには、当てはまらないかもしれないが。どちらにせよ僕には理解できそうもないし、興味もないし」

「……ふんぞり返っているのはおまえでしょう…! 失せなさい。ここはおまえのような口だけの臆病者が来ていい場所じゃないわ」

「はぁ。さっきからケンカ売っているみたいだが……何、僕と戦うつもりでもあるのか?」

「──ッ!」

 

 ソラのどこまでも冷めた視線に、高千穂の今までの勢いは消し去られていた。

 嫌な沈黙が数秒この世界を支配する。

 

「まあいいか。どちらにせよもうこの場に用は無いし、引いてやる(・・・・・)から」

 

 やがて興味が無くなったようにこの場から出ていくソラを高千穂はギリッと壊れんばかりにその綺麗に並んだ歯を噛みしめていた。

 少しの間オロオロと見ていた弥白だが、とりあえずソラを追いかけることにした。すると、意外なことにソラは部屋のすぐ外で待っていたのだった。

 

「全く、メンドクサイ女だ。あそこまで敵意飛ばされると、いくら温厚な僕でも気分が悪くなる」

 

 ソラは部屋から出てきた弥白を見やると、そう言いながらため息を吐いた。

 

「竹中がどうしてもと言うのなら、僕の班に入れてやってもいいから」

 

 高千穂に負けないほどに傲慢な言い口だった。しかし、弥白は嬉しかった。その言葉で確信したからだ。やはりここには自分のことを気にして来てくれたのだと。

 

「ありがとだぞ! だけどもうソラの班には入れないぞ。おれはここで頑張るのだ」

「……あっそ。まあ、僕にはどうでもいいし。勝手に頑張れば」

「ソラも頑張れだぞ!」

「知るか。勝手にしろと言っただろ」

 

(……ソラにはああ言ったものの、この先どーしよ……高千穂は才余りありて識足らずでおれの話は右左一直線であるし)

 

「竹中弥白。まさか帰ってないでしょうね」

 

 ソラが去ったあと勢いよく部屋から出てきた高千穂は、弥白を見やると強く言い放つ。

 

「湯湯、夜夜を呼び戻して、速急に作戦会議よ!」

「……え?」

 

 さっきと言ってること違うじゃん。

 何がどうしてそう考え直すことになったのか、弥白には理解できなかった。

 高千穂はソラが去った方向に閉じた扇子を突きつけながら言った。

 

「完膚無きまで徹底的に叩きのめしてあげるわ!」

 

 ……対戦相手は別にソラじゃないんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてカルテット当日。

 

 弥白は、最初の不安はどこに行ったんだと言うほどに、万全で臨めたように感じていた。

 初対面のよくわからない先輩と会ったり、珍しくソラが強襲科(アサルト)に寄って来たりしたあの日から、高千穂はよくわからないことにやる気が向上したのだ。あのままでは、『優雅に突撃よ!』とでも言いだしそうだった高千穂も作戦をしっかり立てることに肯定の意を示してきたほどだ。全力で叩き潰すことに決めたらしい。本当に理由はよくわからない。

 ただまあ、高千穂の作戦立案能力が予想以上に低かったので、作戦や戦略自体はほとんど弥白と愛沢姉妹が立て、高千穂のやる気は完全に空回りだったのだが……

 とにかく、作戦をしっかり立てられたのは良かった。結果、不意打ちによる銃撃で、間宮と佐々木の足を止めることは成功しているからだ。

 

(欲を言うのなら、一発くらいは当てておきたかったのだ)

 

 あと少しで敵の陣地一歩手前という気が緩みそうな瞬間を狙った。間宮だけなら絶対に当たるはずだった。そうならなかったのは、佐々木の察知能力の高さゆえだろう。

 弥白は佐々木のことを火野や間宮ほど知らない。ただ、あのソラが一目置いているのだ。最初から弱いとは思っていなかったのだが……

 

(やはり、佐々木は侮りがたしだぞ!)

 

 このどこから敵が来るかわからなかった状況下で、間宮までカバーする余裕があるとは……何が『最近小太りしてきた頭でっかちなだけの女』だ。頭がいいだけの太った奴があんな素早く動けるか! というかそもそも太ってようにも見えない。

 本人の実力はともかく、人の見る目や伝える力は高千穂には無いなと弥白は思った。

 

「び、びっくりしたー! この、竹中めー!」

 

 向こうを見ると間宮がぷりぷり怒ってた。

 

「うるさいぞ! アホ間宮ぁー!」

「わわっ!!」

 

 一見隙だらけに見えたのだが、間宮は危なっかしい様子ながらもなんとか物陰に隠れやり過ごしたようだ。

 今のところお互いダメージゼロだが、こちらが守備に対して相手方は攻撃。毒の一撃(プワゾン)のルール上、膠着状態が有利に働くのはこちらである。その上、この人通りが無い場所では銃が存分に使える。弥白は最近射撃の調子が上向き方向。それに引き換え、間宮は射撃の成績は毎回最下位低空飛行。佐々木も撃ってこないところを見るとそう得意ではないのだろう。

 

(うん、今のところいい感じだぞ──って、わッ!)

 

 とりあえず作戦の一つが成功したことに胸を撫で下ろすも束の間、間宮の方からも銃弾が飛んで来たことに思わず舌打ちする。

 

「ふははははー! おまえの弾なんて当たる方が難しいぞ!」

 

 それでも銃という物の存在感は、嫌でも人の気を惹きつける。当たらないと思っていても無視は出来ない。

 

「は?」

 

 その気が逸れた一瞬の隙をついて佐々木志乃が突っ込んで来る。その勢いはまるで疾風のごとく。開いたはずの距離を一瞬にて詰める彼女の前に、弥白の対応はあまりにも鈍重だった。

 

(──かかったぞ!)

 

 驚愕したのも束の間、そのハツラツ顔は再び笑みを浮かべる。

 確かに佐々木は速い。牽制により体勢が引けている弥白に捉えることは到底不可能だろう。──そう、弥白には(・・・・)

 

「行くよ、夜夜!」

「合わせて、湯湯!」

 

 左右の物陰から飛び出した二つの影が、お互いを引き寄せ合うように佐々木を挟み撃ちにする。

 

「なっ!? きゃ──ッ!」

 

 完全に予想外の強襲に佐々木と云えども対応できるはずが無かった。

 佐々木は驚き硬直する一瞬の間に、愛沢姉妹二人がかりで地面へと押し倒され、ハチのフラッグを奪われ、そして折られていた。

 

「志乃ちゃん!!」

「悪いけど、間宮。人の心配してる場合ではないぞ!」

「かはっ!」

 

 佐々木がやられたことで動揺していた間宮に一発浴びせる。非殺傷弾(ゴムスタン)とはいえ、銃弾は銃弾。胸に突き刺さった衝撃は、決して浅くないダメージを間宮に与えたはずだ。

 

「こんな所に三人潜んでいるなんて、序盤の攻撃は捨てた? ……いえ、違う。まさか、本陣を開けているとでもいうんですか!?」

 

 愛沢姉妹に倒された体制でもがきながら、佐々木はそう言った。

 実際、佐々木の言う通り、弥白たちの作戦は、攻撃一人に、防御寄り遊撃三人という変則的な布陣で、本陣には誰もいない。

 一応フラッグは隠してはいるが、それで防衛が完全になるわけない。だから普通最低一人は本陣にいるものだ──という考えの裏を突いたわけだ。

 

「……え? じゃあ、あたしたちに突破されてたらどうするつもりだったの?」

「突破なんて最初からさせるつもりでやってられるかぁなのだ! もしそうなっても、その時はその時なのだ。して間宮、次はおまえだぁっ!」

 

 弥白は間宮に一気に近づく。そのままCQCに持ち込むつもりだ。

 弥白の基本戦闘は拳での打撃中心。そして捕縛術。

 空手や柔術を少し取り入れたような型で、普段の荒ぶった言動に似合わず安定した戦い方をする。

 自分より弱い者を確実に倒し、強い者にも簡単には負けない。

 普段火野にあっさりとやられているのは、自分の力を試すために勝ちを取りに行っているからであり、防御に徹すれば、少なくともいつものように簡単に負けることは無いだろう。

 地道に積み上げた確かな訓練の成果。それが弥白の強さだ。

 一方、間宮の方は動きに日本の古武術を取り入れているようだが、どこかぎこちない。

 その顔に余裕は一切なく、弥白からの攻撃に対しても防戦気味で、どんどん追い込まれていっている。

 弥白Cランクに対して、間宮はEランク。

 ランクが全てとは言わない。だが、ある程度信用できるものでなければそもそも成り立たない。そのランクに応じた実力を示したという証なのだから。

 そもそも弥白がCQCに持ち込んだ理由からして『余計なケガをさせないように』というものであり、実力を過信しない弥白がこうまで思う時点で間宮には勝ち目はなく、あとは決まるのが早いか遅いかの違いだった。

 

「まだまだぁ隙だらけだぞ!」

「しまっ……」

 

 突きから掴みへ変化した技に間宮は体勢を完全に崩す。

 取っ組み合いにも似た近接戦の末、ついに弥白は間宮を押し倒した。

 

「あかりちゃん!」

「夜夜、早くこいつにトドメ刺そう」

「うん。麗様のあとに続かないと」

 

 間宮のハチのフラッグを見つけ、しっかりと折る。

 これで、間宮班の攻撃手たちが『目のフラッグ』を打倒することは出来なくなった。このまま一気に押し込めば勝利は目前だ。

 この節目に来て弥白は振り返る。一番大変だったのは試験前だったと。

 高千穂は自分でいい作戦のアイデアを出さないくせして、弥白たちが出した作戦をどんどん却下してくるのだから。「優雅でない」とか「華麗でない」とか言って。

 今の作戦に落ちついたのも、高千穂が一人で攻め落とすという、いかにも自分が目立つ役割だったのが最大の理由だったりする。その苦労も今日で報われたかと思うと少し体が軽くなるというもの。

 

「やった! これで──」

 ──ゾクッ!

 

 何もかもうまくいったという空気に割り込んで来た恐ろしいほど鋭い悪寒に、弥白は取り押さえていた間宮からも手を離し、地面を転がるようにして回避行動を取る。

 見ると、今しがた自分がいたところを鋭い斬撃が通っていた。気のせいでなければ、首の在った高さ……いや、佐々木も武偵だ。いくらなんでも、それはありえないだろう。

 

「あかりちゃんに……あかりちゃんの体を男が……まさっ、まさぐって……!」

 

 ……あれ? ありえるかも。そうだきっと峰打ちだったに違いない。だって武偵だもの。うん。

 幽鬼のように垂れた前髪の隙間から見える目は、完全に正気を無くしているように見える。まさに怨霊。触れたら呪いとかにかかりそう。

 

「ふ、双子ぉっ! 何手を離してるのだあああああ! 怖かったっ、超怖かったぞおおおおお!!」

「ち、違う!」

「こいつ急に力が強くなって!」

 

(二人がかりを力づくで除けるとは! なんという剛力娘なのだ!?)

 

 実は愛沢姉妹から佐々木が抜け出したのは、純粋な力だけでは無いのだが、今の弥白たちにとっては知る由も無い。

 今問題なのは、佐々木が正気を失うくらいキレていて、それを向ける対象が弥白だということ。もう武偵法9条破ったりしないよねと、本気で心配になるレベルで。

 

「志乃ちゃんありがと! 助かったよー!」

 

 そんな中、空気を読めないチビッ子が一人。

 

「はいぃ! あかりちゃんの“親友”として、当然のことをしただけですよ!」

 

 陰がかかっていた顔が、間宮へ向ける時には嘘のように晴れやかに。本当に同一人物ですかと疑いたくなるような変化だった。

 それと、やたら親友という単語を強調していたのは何故なのか。

 

「た、助かったのか…?」

「おい、竹中。このあとどうする?」

 

 双子の片割れが弥白に聞く。

 

「双子はあの二人の足止め頼むぞ。おれは相手の本陣へ行くのだ!」

 

 あのまま、戦闘不能に出来ていればスムーズに行っていたのだが、今更そう言っても仕方ない。ハチのフラッグを折ることには成功したのだ。間宮と佐々木は半ば無力化したようなもの。今あの二人が出来るのはこちらの妨害のみ。

 ならばこちらも二人を置いて行くべきだろう。こちらはまだ全員がクモの『毒虫フラッグ』を持っている。相手も無視できず、同数なら足止めし合う形に持ち込めるはずだ。

 その間に弥白は高千穂の加勢をして一気に押し込む。これがベスト!

 ……それに加え、今の佐々木が怖いからこの場から逃げ出したいというのもある。

 

「わかった。それと双子はやめろ。あたしは夜夜だ」

「麗様の足を引っ張るなよ、竹中。あと夜夜はあたしだ」

 

「「いやいや、あたしが」」

 

「こんな時に、双子どっちネタとかするなあああああ!!」

 

 なんか所々緊張感が台無しになるなぁと思いながらも、弥白は間宮班の本陣へ駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹中がこの場を走り去っていく。

 それを志乃は鬼気迫る眼差しで見ていた。視線に質量があったのなら、竹中の体があまりの重さに動かなくなるような強さで。

 

(あかりちゃんの体をまさぐった代償を支払わせてない!)

 

 男があかりの体をまさぐった。そしてあかりから(フラッグを)奪った。

 その事実は簡単に許せるものではなかった。

 今の志乃に告げても無駄なことだが、竹中は変な所は一切触っていない。あくまでフラッグを探しただけだ。そもそも竹中に性欲があるのかわからないし、仮に普通の男子高校生でもあかり相手にそれを抱くというのは難しいことだろう。

 しかし、志乃に竹中の事情など関係なく、重要なのは男があかりの体を触った──女神の生肌に男ごときが触れたというこの一点に限る。

 

(わたしだって……わたしだって、まだあかりちゃんの全身をまさぐったことはないのにぃぃぃ!!)

 

 ……とにかく、あかりのお礼の言葉でいくらか正気を取り戻したとはいえ、志乃は怒っていた。

 

「あ、待てー!」

 

 あかりはすぐさま竹中を追いかけようとするが、

 

「行かせない」

「今度こそトドメ!」

 

 愛沢姉妹が行く手に立ち塞がる。

 今のあかりにそれを抜けることなどできそうにもなく、足踏みしてしまいそうになっていた時──

 

「──いえ、あかりちゃんは通してもらいます」

 

 志乃の投擲した鎖付きの分銅が愛沢姉妹の包囲網をせん断する。

 

「ここはわたしに任せて、行って!」

「でも、志乃ちゃんは……」

「わたしは大丈夫です。あかりちゃん、勝ちましょう!」

「うん!」

 

 そして、あかりは竹中のあとを追いかけていった。

 

「さて……」

 

 視線を戻すと、愛沢姉妹は鋭い目を持って志乃を睨み付けていた。

 

「大して意味も無い足止め」

「さっき自分がやられたのを覚えてないのか?」

 

 それを聞いて、ふぅと溜息を吐く──不意打ちを一つ成功させただけでどうしてここまで強気なのかを疑問に持ちながら、大した意味も無い足止めはどちらなのかをわかっていない双子を哀れに思いながら──志乃は静かに息を吐く。

 

(そう、竹中君を罰せないのなら──)

 

 竹中への断罪を止めるこいつらが悪なのだ。同罪だ。なら志乃がすべきことは──私刑。

 あかりを行かせて良かった。純粋天使なあかりにはこれから行うことは少しショッキングに映ってしまうかもしれないから。

 

「ふふふ、先ほどは不意を打たれましたが、二対一は特訓して来たんですよ」

 

 この時双子はわかっていなかった。今から始まるのはただの戦闘ではなく佐々木志乃の八つ当たりに過ぎないということを。

 




 双子終了のお知らせ。
 まあでも一応活躍(?)したからいいですよね?

 竹中は目上にも敬語は使わない主義。ただし敬意は人一倍持っている。
 ソラは年上には敬語を使うが、大抵は相手をバカにしている。
 さあ、どちらが失礼でしょうか?

 因みに竹中は1年のCランクの中ではまあ優秀の方という評価です。

 次回、カルテット終幕。



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Ep9 『カルテット ③』

 第11区南端の公園で行われている──強襲科(アサルト)1年の女子の中でもトップクラスの実力を持つ二人──火野ライカと高千穂麗の戦いは、意外にも一方的な展開となっていた。

 

「チィ…!」

 

 高千穂とその愛銃、スタームルガー・スーパーレッドホーク。

 .44マグナムという強大な威力、それに加え高千穂麗の精密な射撃技術。

 強い攻撃に正確性という単純な、しかしだからこそ強力な組み合わせを前に、ライカは防戦を余儀なくされていたのだ。

 

(くそっ、ACRがあれば…!)

 

 ライカのメインウェポンの一つであるアサルトライフルは、威力や仕様弾薬の問題から今回使用禁止とされており、中距離での戦闘力が著しく落ちていることを自覚していた。

 なんとか接近戦に持ち込もうとも考えたが、それをさせてくれる高千穂ではない。常に一定の距離を保ち、こちらが近づこうものなら容赦のない弾丸を放ってくる。スーパーレッドホークの射程がそもそも拳銃の中では長いこともあり、詰めなければいけない距離も必然的に長くなるのも、苦戦している原因の一つだ。

 不幸中の幸いは公園内に木を始めとした遮蔽物が多くあったこと。だから、こうやって身を隠したり、射線を切ったりすることが出来たのだが、それもいつまで持つか。

 

「……チィ」

 

 身を隠す木の幹を銃弾が掠めると、ライカの体は嫌でも強張る。先ほどもらった胸への一発を嫌でも思い出させてくるからだ。

 

「いつまで隠れているのかしら? 多少時間稼ぎをしても結果は見えているわよ」

 

(ああ、その通りだぜ、チクショー)

 

 ただ敵を倒せばいいだけの戦いなら、ここはおとなしく引いて体勢を立て直すべきかもしれない。

 ただ、今回の毒の一撃(プワゾン)でそんなことをすれば相手に『目のフラッグ』を探す時間を十分に与えてしまうことになる。

 何より、この状況で引くのは負けるのと変わらない。気持ち的にも。

 

「石花ソラが気にかけているから、どれだけやるのかと思ったのだけど、所詮こんなものなのね」

 

 落胆したような、バカにしたような声は続く。

 

「こんなことなら、石花ソラの底も知れるというものだわ」

「ソラソラソラソラほんとうるせーな。今戦ってるのはアタシだぜ! それとも何か、おまえソラにホレてたりすんのかよ?」

「な!? それはわたくしに対する最大限の侮辱よ!」

 

 ソラはあんな性格だから、結構敵が多い。高千穂はその極端な例なのだろう。事情を知っているだけに同情心が湧かないわけでもない。しかし、それと今回の戦いはまた別だ。

 

(なんとか隙を見つけねーと……)

 

 弾切れまで粘れればそれがベストだ。

 確かに高千穂の使うスーパーレッドホークは強力な銃だが、装弾数の少なさというリボルバー式特有の弱点を持っている。

 そもそも現代において主流なのはオートマチック式の拳銃。武偵界隈には防弾効果が備わっている服が出回っているため、銃は一撃必殺の刺突武器となり得ない場合が多い。その時モノを言うのが装弾数である。

 しかし、そんなことは高千穂だって当然わかっていることだろう。にも拘らず、その銃を使っているのは、自分の腕ならば確実に相手を倒せるという自信の表れか。

 ──いや、あの高千穂御ことだ。見栄えを重視している可能性も否めないが。

 ともかく、そんな高千穂がライカの前で弾切れなど簡単に起こしてくれるだろうか。

 いずれにせよ、銃という強力な飛び道具を持っている相手に対抗するには、こちらも飛び道具を持っていなければ話にならないのは世界の常識。装弾数0の奴が装弾数6を少ないと言うのはバカ以外の何物でも無いし、何より素手で銃に勝てるほどこの世の中甘くはない。

 

(いや、アタシにも飛び道具が一つだけある)

 

 自分の左胸に手を添える。

 制服に付けてあるコウモリを模した飾り、それを手に取ると折りたたまれていた刃を解放する。今にも飛び出しそうな羽を持ったコウモリのシルエット。これが父親から譲り受けた片時も手放さないライカの武器──バットラン。

 

 高千穂は先ほど弾を補充してから一発撃っていた。まだ弾は五発残っていることになる。

 とはいえ、もう無駄に威嚇して弾を消費してくることもないだろう。何もしなければ相手にますます余裕を与えてしまう。

 つまり、動くなら──

 

(今だ!)

 

 勢いよく木の陰から飛び出した。

 二人の距離は10m以上ある。驚いたのも束の間、高千穂は冷静にライカへとその銃口を向ける。

 間に合わない! ──このままではライカは痛烈な一撃を喰らってしまう……かのように思えた。

 

「──なんてな」

「横に切れた!?」

 

 突っ込んでいくように見えた行動はフェイクで、思いっきり横へ切れたライカ。突っ込んでくる動きに合わせていた銃弾は、誰にも当たらず後方の木へと突き刺さることになった。

 

(喰らえ!)

 

 バットランが高千穂の右手目掛けて回転しながら投擲される。その手に握られた銃をはね落とすことが狙いだ。

 再びライカに狙いを定め、撃つよりも、バットランの方が早い。絶妙なタイミング!

 まさか高千穂もこの状況かでライカが飛び道具を隠し持っているなどとは思っていなかったはず。

 

「甘い、わよ!」

 

 完全に意表を突いたはずの攻撃だったが、高千穂の運動神経はそれさえを上回っていた。

 高千穂は体を小さく捻るように最小限の動きで躱わすと、その動きの最中、瞬間的にライカへと照準を合わせてくる。

 

 ピシッ!

 

 太ももの辺りを弾丸が掠り、銃を落とした隙を狙おうと突っ込んでいたライカを怯ませる。

 なんと凄まじい腕だろうか。射撃に関して言えば、ライカよりも確実に格が一つ上であるのは疑いようもない。

 

(高千穂、おまえのこと素直にすごいと思うぜ。でも、勝つのはアタシだ!)

 

 バットランは、ある遊び道具とその構造が酷似していた。その遊び道具とは──ブーメラン! そう、つまり、投げたら(・・・・)戻ってくる(・・・・・)のだ!

 バットランは高千穂を再び襲う。避けたと思っている高千穂にとって完全に死角である。

 

「──それが甘いと言っているのよ!」

「なっ……!」

 

 なんということだろうかっ!

 高千穂は背後から迫っていたバットランを難なく撃ち落としてしまった。それどころか、一瞬にして反対方向にいる──あと一歩という所まで迫っていた──ライカへと照準を戻すという離れ業まで見せてきた!

 迫ってくるライカを見ても一切の慌てる様子も無く、高千穂は余裕綽々に銃を撃つ。

 あの高威力をまた受けたら無事では済まないだろう。今度こそ戦闘不能になってしまうかもしれない。

 

(ああ、これは避けられない。絶対に当たっちまう)

 

 そう、この距離では絶対に避けられない。

 絶対に避けられない、なら──

 

 キィイイインッッ!

 

 響いたのは、肉や骨を打つような鈍い音では無く、金属同士がぶつかり合うような甲高い音。

 

「……おまえなら、絶対胸の中心(ここ)を狙うと思ってたぜ」

「トンファーで、防いだ、ですって!?」

 

 ライカは胸の中心に構えた(・・・・・・・・)トンファーで、銃弾を弾いていた。

 

 そこは相対して最初に銃弾を撃ち込まれた場所。次に撃ち込めば、確実にライカを昏倒させることが出来たであろう場所でもあった。

 なるほど、あの時足を狙えば動きを止め、そのあとに確実にトドメをさせるだろう。が、プライドの高い高千穂なら、一撃でライカを倒せる場所を、体の中心線場を狙ってくると信じていた。そして、構えていた場所に弾は来た。結果的に精密すぎる射撃の腕がアダとなったのだ。

 

(っぶねー!)

 

 正直に言えば、ライカにとっても狙ったものではなく咄嗟のことが偶々うまくいっただけ。ライカの心臓は今にも破裂しそうなほど、バクバクと脈打っている。

 そんな気持ちを一切悟られないように軽快な笑みを浮かべながら、高千穂へ接近する。

 

「そしてここからは、アタシの距離だ!」

 

 ここまでくれば、構えや狙いを必要とする銃よりも、殴る蹴るの方が早い。高千穂が銃口を向けてくるよりも早く、ライカはトンファーを勢いよく振り下ろす。

 

「ぐっ……!」

 

 咄嗟に左手で庇った高千穂だが、その顔は苦痛に歪む。その顔からは余裕の表情は完全隠消え去り、それは両者の状勢が完全にひっくり返ったことを示しているようだった。

 女性にしては長身なライカは、それに比例してか手足もスラリと長い。その長いスパンはトンファーの遠心力を使った攻撃とも相性がよく、ライカの攻撃は一撃一撃が強烈な威力だ。

 

「らァァッ!」

「く、このっ!」

 

 その嵐のような攻めの前に高千穂は怯むことなく立ち向かう。

 プライドだけの問題では無い。ここで怯んだらこの勢いに全て押しつぶされてしまうと本能で悟ったのだろう。

 高千穂はライカよりも上のAランク。1年生で、しかも女子が強襲科(アサルト)でそのランクに上り詰めることがどれほど困難かライカは知っている。銃を撃つのがうまいだけの輩が成れるものでは無い。当然近接戦闘もかなりの強さを誇っているはずなのはわかっていた。

 

(思ったより、粘ってきやがるッ!)

 

 ……わかっていたが、優勢でありながらも倒しきれない高千穂に、ライカは徐々に焦りを生み始めてきていた。

 攻撃に雑さが混ざりはじめる。

 

「あまり、調子に乗らないことね!」

「しまっ……」

 

 我慢比べに敗北したのはライカの方だった。その結果生み出したのは、皮肉にもついさっきまでライカ自身が高千穂から探していた隙そのもの。

 大振りの攻撃は躱され、銃を突きつけられるライカ。その狙いは──頭部!

 

「今度は防げないでしょう? 大丈夫よ、非殺傷弾(ゴムスタン)だもの」

 

 ──死にはしないわ。運が悪くなければだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、高千穂班陣地である工事現場。

 中途半端な形で工事が止まっている新棟、その横の空き地──土嚢が少しばかり崩れ散らばった土と砂埃の中、志乃はいた。

 

「ふう……」

 

 脱力したように静かに鞘に刀を収めるその姿は、土で多少汚れてもなお美しいものだった。

 大和撫子と侍。日本の古き二つの心を合わせ持ったかのような鋭くもおしとやかな優雅さ。惜しむべきはその芸術的な美をまともに見ることができた者がいなかったことか。

 背景に倒れ伏すのは同じ顔をした二人の少女──愛沢湯湯と愛沢夜夜。這いつくばる双子の姿が、相対的により志乃の美しさを引き立たせている。

 先ほどの不意打ちと違い、しっかり対峙して行ったこの戦いこそが真の志乃の力であった。強襲科(アサルト)生二人相手に余裕を持った勝利を収めることのできる東京武偵高1年生有数の実力者。

 ──佐々木式巌流、佐々木志乃!

 

「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「……かたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわいかたなこわい」

 

 ……どこかやりすぎな感じが否めないが。

 

「…………でででも、試合はあたしたちに勝ち」

「…………あああたしたちを倒したからっていい気に──」

「いい気に、なんですか?」

 

「「ひ──ッ!!」」

 

「いいいいいまのは湯湯が!」

「ず、ずるい、夜夜だって今!」

「んー? わたしにはどちらがどう言っていたのか判断できませんね。あ、平等にお仕置きすればいい問題ないですね!」

「湯湯、ごめんね。最期になったからこそ言っておきたかった」

「ううん、あたしたち来世でも姉妹に生まれたらいいね……」

 

 そして志乃が、お互いに抱き合って震えている双子たちの体に触れた時、いよいよ様子がおかしいことに気が付く。

 

「……気絶してる。さ、さすがにここまでの反応は少し傷つきます。あの、わたし一応武偵なのですけれど」

 

 しかし、愛沢姉妹の最低限の目的である時間稼ぎは叶っていたのもまた事実ではあった。

 

「ライカさんはそう簡単にやられる方ではありません。それにあかりちゃんだっています」

 

 それでも志乃は探す、敵の隠した『目のフラッグ』を。

 

「勝つのはわたしたちです!」

 

 勝利を信じているのは志乃も同じなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃に撃たれる、その刹那、ライカの心の中には後悔の念が渦巻いていた。

 勝ち急いでしまったこと自体にではない。自分はどこか心の奥底で、高千穂のことを踏み台程度としか考えてなかったのではないかということに。

 そう、戦いが始まる前、自分はこんなことを考えてなかったか。

 

 ──こいつに勝てないようじゃ、ソラに挑む資格もない。

 

 なんて無様。

 高千穂にあんなことを言っておいて、結局ソラを意識していたのはライカ自身も同じだった。そんな心構えで戦うべき相手じゃなかったのだ。元々ライカよりも一つランクが上の相手だというのに。

 気づくのが遅すぎた。一瞬先にはもう自分はやられてしまうだろう。どんなに早く攻撃や防御をしようにも構える前にことは終わる。

 ゲームオーバーだ……

 

 

 ──いや(・・)まだ一瞬もある(・・・・・・・)

 

 

 

 『疾風』『迅雷』という技がある。

 天才──石花ソラの戦術であり、彼のずば抜けた身体性能を引き立たせるための戦闘方法を突き詰めた結果の産物でもある。

 佐々木式巌流『飛燕返し』を応用した縦横無尽の隙の無い高速歩法──『疾風』。

 下半身の関節を同じベクトルに全くの同時に動かすことで得た強力な爆発力で地面を蹴り、瞬間的に常識離れした速度で移動する──『迅雷』。

 どちらも一瞬で全てを決めてしまう、常人には対応不可の技なのである。

 

 

 

 しかしこのライカ、その一瞬という時間を戦うためにこれまで鍛えてきたのだ。

 

 出し惜しみはもうやめた。今火野ライカが戦っている相手は、石花ソラではない。高千穂麗だ!

 スローモーションのように感じる世界の中、高千穂の指がトリガーを……

 

(これが正真正銘、今のアタシの全力!!)

 

 トリガーがついに引かれた、その瞬間──

 

 

 ドンッッ!!

 

 

「がはッ!」

 

 衝撃音と共に、体を『く』の字にした高千穂が後方へ吹っ飛び、放たれた銃弾はライカの顔の横を僅かに掠り、地面へと突き刺さる。

 

「あ……あぐっ……ぅ!」

「はぁ、はぁ……。さすがに効いたろ。アタシのとっておき(・・・・・)だぜ」

 

 肺からヒューと空気を漏らし、苦しそうに腹を抑え蹲る高千穂のその目は見開かれ、動揺を顕わにしていた。今何が起こったのか完全に理解できていないのだ。ただわかるのは、腹部を強く殴られたかのような激痛が支配しているということだけであろう。

 

(ま、理解されても困るんだけどな)

 

 これがライカのとっておき。

 最速の技を持つ者を捉えるために生み出した、最速を超える技。

 

 ──無拍子突き(ゼロアクション)

 

 この技に構えは必要ない。この技に明らかな溜めは必要ない。

 そんなものがあれば人の限界の速度を超える者など倒せないからだ。

 人が体を動かすときは必ず筋肉で動かしている。だが逆に、筋肉が動いていても、絶対に体が動いているわけではない。背筋と腰をうまく使い、見かけ体を動かさずに力を溜める。さながら筋肉をポンプのようにして。そして放たれた拳は、振りかぶるという過程を完全に排除したものとなる。

 

(まだ、ダメだ。遅い。本当はトリガーを引くより早くしなきゃダメなのに)

 

 銃弾が掠った時に傷ついたのだろう──頬を流れる血を手で乱雑に拭いながら、ライカは今の技の出来をそう評する。

 そう、まだ自分が目指している高みには至っていないと。

 

「……ふぅ。とりあえず、フラッグは折らせてもらうぜ」

 

 ライカ自身も今の技を使ったことで限界が近い。特に技を放った右手は筋肉が悲鳴を上げているのか、満足に動かせない始末。まだまだ簡単に扱えるような技では無いということを知らせていた。

 だから、とりあえず、まだ動けるうちに、高千穂からクモのフラッグを奪って折ろうとするが。

 

「ところがぎっちょんだぞ!」

 

 両者の間の地面を跳ねた弾丸がそれを遮断する。

 

「竹中!?」

 

 それは最悪のタイミングで現れた新手、竹中だった。

 いつも強襲科(アサルト)での訓練で倒しているとはいえ、それは万全の状態だからであって、このダメージの溜まった体では勝てる可能性はかなり低い。

 それに加え、竹中がここにいるということ自体の不安もあった。あかりや志乃がやられてしまったのではないかという心配だ。その考えはライカにして、肉体的にはもちろん精神的にも来るものがある。

 

「満身創痍のようで心苦しいけど、情け容赦はおれに期待しないでほしいぞ!」

 

 こちらの疲れを知った事ではないかのように元気いっぱい宣言してくる竹中。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 ここに来て更に静止を呼びかける声。今度はライカの援軍だった。

 

(あかり、よかった。やられちまったわけじゃないみたいだな)

 

 少しだけ体が軽くなったように感じる。感じたのだが。

 

「むむむ、間宮めいい加減しつこいのだ!」

「あたしが来たからには──ぷぎゃ」

 

 なんか言い切る前にあかりは転んでいた。

 

「いったーい!」

 

 額を抑え、涙目でその場をピョンピョンしている頼りない援軍を見て、

 

(あ、こりゃもうだめかも)

 

 ライカはもういろいろあきらめておうちにかえりたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こらー! 竹中待てー!」

「追いかけてくるなだぞ!」

 

 間宮班の陣地へと向かう弥白を追いかける間宮。どうやら湯湯と夜夜は足止めに半分失敗したらしい。

 そしてそのまま間宮を連れてきてしまった形で間宮班の陣地──公園に入った弥白が最初に見たものは、火野に殴り飛ばされて吹っ飛ぶ高千穂の姿だった。

 

(まさか高千野の奴を倒すなんて、さすが火野だぞ。だけど)

 

 倒れている高千穂、肩で息をして重そうに体を動かす火野、何故か来て早々転んだ間宮。

 そんな状況の中、弥白が真っ先に選んだ行動は火野への功撃だった。

 

「させない!」

「ちっ!」

 

 疲労してようが、この場で一番の障害は火野に間違いない。だから万全でないうちに倒しておこうと考えた弥白だったが、その行動は(勝手に)転んでいた状態から復活した間宮によって止められる。

 

「寝ていろなのだ!」

 

 ただそれでも弥白と間宮の実力差は明らか。それに加え、間宮はいくらか先ほどのダメージが残っている、はず。とにかくそんなこんなで、間宮が沈めるのに時間はかからなかった。

 今度こそ火野へ迫ろうとした時、草むらから一人の少女が飛び出してきた。

 

「麒麟、なんで出てきたんだ!」

 

 そして少女──麒麟は、銃を向けられている火野の前へと勢いそのまま躍り出る。

 

「かはっ……お姉様は、麒麟が守る、ですの」

 

 火野に向かって放たれた銃弾を庇った島は一発でもうフラフラだった。それもそのはず、島は弥白たちとは違い戦闘職ではないのだから。仕方なかったとはいえ、こういうタイプを撃つことにあまりいい気はしない。

 そんな弥白はともかく、いい気はしないで済まない人物もここにはいた。そう、彼女は再び燃え上がる──

 

「麒麟に、手ェ出してんじゃねーッ!」

 

 島の後ろから飛び出るようにして放たれた回し蹴り。

 

(ぐぬぬ…! これがさっきまで苦しそうに肩で息してた奴の力であるというのかっ!)

 

 ガードした弥白の腕がビリビリと痺れ、その上、島のいる場所から離されてしまう。

 

「もー! よくもやったなー!」

 

 それに加え、今さっき倒した間宮もまた起き上がって来て、火野との間に挟まれる形になってしまった。

 しかも間宮は二度も打倒したというのに、まるで堪えているよう見えない。相変わらず頑丈さだけはある奴だと弥白は密かに舌打ちする。

 

(一転してピンチなのだ。しかもおれが悪者みたいになってるぞ)

 

「麒麟の仇、取らしてもらうぜ!」

「いや生きてるぞ、そいつ!」

「うぅ……。今の麒麟を起こすには王子様のキスが必要ですの……がくっ」

「おまえ実は結構余裕あるのだろう! 絶対狸寝入りなのだ!」 

 

 倒れながらもチラチラと火野を見ている島。

 見かけの寄らずこっちのチビッ子も頑丈なのか、それとも当たり所がよかったのか、そこまでダメージが入っていたわけでは無さそうだ。

 万事休すかと思ったその瞬間、火野の注意が一瞬弥白から離れた。

 

(なんなのだ?)

 

 しかし弥白はその隙を突こうなどとはすぐには考えなかった。

 間宮はまだ自分のことを見張っている上に、あの火野が戦闘中に意識を相手から逸らすなんてことを余程でない限りするわけがないと知っているからだ。

 

「くそ……油断した!」

 

 そう悪態をつく火野。

 火野の視線を追って見てみると、高千穂が一直線にある場所へ向かっていたのだ。やや遠いためはっきりとはわからないが、その先にある地面はどこか周囲と色が変わっているようにも見えた。

 

(そうか! 『目のフラッグ』を埋めてある場所を見つけたのだな!)

 

 どうやら三人が弥白に気を取られている間、強かにもフラッグの在りかを探していたらしい。

 やはり埋めてあったか。まあ島の土に汚れた手を見ればバレバレなのだが。絶妙なタイミングで見つけてくれた。勝利の女神はまだ弥白のことを見離してはいなかったのだ。

 

「あかりまずいぞ、高千穂が『目のフラッグ』の隠し場所に気づきやがった!」

「え? そんなっ!?」

 

 ダメージが抜けきっていないのか動きは少しぎこちないが、高千穂のクモのフラッグは折られていないだめ、火野たちはこのことを無視できない。

 高千穂のクモのフラッグが間宮たちの『目のフラッグ』に触れればこちらの勝ち──即ち間宮たちの敗北なのだから。

 

「やだ、間に合って!」

「諦めんな、まだ完全に掘られてねえし、自分のフラッグを手に取らせる隙を与えなければまだ間に合う!」

 

 火野と間宮は弥白のことなど無視するような勢いで高千穂の方へ向かおうとする。

 ならば弥白がすべきことそれは、足止めをしてこちらへまた意識を向けてもらうことだ。

 

「おれも高千穂を援護する……ぞ?」

 

 火野と間宮が焦って高千穂を止めようとする中、弥白はどこか違和感を覚えていた。

 

(……ちょっと待つのだ。なんであいつ火野を庇った時のごとく動かないのだ?)

 

 弥白が火野を狙った時には、戦えもしないのに必死に出てきた島。それほどの行動力を持っていながら、島は今、高千穂を止めようとしているようには見えなかった。寧ろ逃げようとさえしていた。

 火野が無事なら勝利なんてどうでもいい?

 そんなわけがない。そんな奴ならもっと前から、高千穂と火野が戦っていた時から何かしら動いていたはず。

 だというのに、今は一切フラッグのある場所へ動こうとしない。

 少しだけ、それでも疑念を持っていたから気づいた。気づくことが出来た。島の口元が小さく笑みの形を捉えたことに!

 

「違うぞ! そこの中等部(インターン)の方だぞ!」

「!?」

「は?」

 

 島が今度こそ本当に驚愕した顔で弥白を見る。

 それで確信した。埋めてあるのはブラフだと。

 

「高千穂! 『目のフラッグ』はそいつが持ってるぞ! 多分!」

「……ふん、そういうことね!」

 

 その短いやり取りで高千穂は、弥白の考えを理解してくれた。

 そして、今まさに逃走を測ろうとしている島を追う。高千穂は今万全ではないが、それでも島よりは速い。

 

「麒麟!」

「火野、おまえは行かせねーぞ」

「ぐっ!」

 

 一目散に島を守りに行こうとした火野。

 しかし、『敵を欺くにはまず味方から』を行っていた島のミスがここに出てしまったのか、火野が事態を飲み込むまでの一瞬の隙があった。その隙に弥白が間に立ち塞がる。

 いくら火野が強いからといって、この状態で弥白を短時間で退けるのは困難であろう。あの高千穂に無傷で勝てたはずがないからだ。

 

「行くのだ、高千穂!」

「竹中弥白、おまえ……」

「勝つのだぞ!」

「ッ! 当り前よ!」

 

 弥白は自分たちの勝利を高千穂へ託す。

 高千穂は高圧的ながらも、真正面から受け止めた。ここに来て初めてチームメイトとして心が通い合った──そんな気がした。

 

「と、通さない!」

 

 最後の砦である間宮も、高千穂にとっては歯牙にもかけられない存在。

 高千穂の方が多くのダメージを受けているように見えてもなお、圧倒的な戦闘能力の差があった。

 

「邪魔よ!」

 

 高千穂の勢いは止まらない。

 そしてついには──

 

「も、申し訳ないですのお姉様」

 

 高千穂は島を捕え、間宮班の『目のフラッグ』を奪い取った。

 

「ほほほ! これでわたくしたちの勝ちよ!」

「やったのだ!」

「う、麒麟のせいですの……」

「違う! アタシがもっとしっかりしてれば」

 

 今度こそダミーでは無い。本物の『目のフラッグ』。今回のカルテットの最重要アイテムにしてターゲット。

 相手チームのそれを手にすることが勝利を手にするための必須条件。だがそれさえできれば勝ったも同然!

 

「……!?」

 

 そう、勝ったはず(・・・・・)、だった。

 『目のフラッグ』を奪い、あとはクモのフラッグを接触させるだけで勝利したはずだった、のに──

 

「どうしたのだ高千穂、早く」

 

 フラッグ同士を接触させるのだ、と言おうとした弥白だったが、どうも様子がおかしい。

 

「無い!? クモのフラッグが無いのよ!?」

 

 肝心のクモのフラッグを高千穂は持っていなかった。

 ──否。

 

「高千穂さんはほんとに強い人だと思うよ。……でもね、あたしたちだって負けられないんだ!」

「それは──クモのフラッグですって!?」

 

 ──間宮にスリ取られていたのだ。

 

(いつの間に取ったというのだ…!?)

 

 いや、タイミングは一つしかない。高千穂と間宮が接触したのはあの最後の交差の時だけ。

 しかし、そんな、あれだけの接触で盗み取るだなんて!

 誰が予想できようか。

 Aランクの高千穂を倒すほどの力を持った火野でも、『目のフラッグ』を埋めた振りをして自分で隠し持ち、こちらの裏をかこうとしてきた島でもなく、最後の最後に立ちはだかったのは、この場では誰よりも弱者であったはずのEランク武偵──間宮あかりだった。

 

「これで、高千穂さんたちは勝てない」

「振出しに戻しただけで偉そうにしないでちょうだい!」

 

 そうだ、現状有利なのは弥白たちだ。

 高千穂がクモのフラッグを持っていないのなら、弥白の物を使えばいい。少しだけ勝ちが遅れただけ──

 

 

 ピーッ!!

 

 

「え、今のは……」

「試験終了のホイッスルだぞ…?」

 

 おかしい。弥白たちの勝ち確定な状況とはいえ、まだ厳密には『目のフラッグ』をクモのフラッグで潰してはいないのに。

 まさか、制限時間を過ぎてしまったのだろうかとも思ったがすぐにそれが違うとわかる。

 

「どうやら佐々木様がやり遂げてくださったみたいですわ」

 

 だが、島はどこか訳知り顔だった。

 

「どういうこと!?」

 

 高千穂の愕然としたその顔は、徐々に弥白を睨み付ける顔に変わっていく。

 

「佐々木志乃が持っていたハチのフラッグを折ったといったのは嘘なの!?」

「ちゃんと破棄したぞ! 佐々木はハチのフラッグを持ってないはずなのだ!」

 

 確かにこの目で愛沢姉妹が佐々木のハチのフラッグを折っていたのを見たはずだ。

 間宮のフラッグは弥白自身が折った。だから、間宮から譲渡されたわけではない。

 

(二本持たされてたのか? ……いや、違うぞ。そういう可能性も含めて双子だってしっかり調べたはずだぞ)

 

 それに、火野はハチのフラッグを持っていたし、恐らく埋めてあるのは島のハチのフラッグ。これで数は合っている。どうやっても負けるはずがない。

 なら、どうしてこんなことになったというのだ。意味がわからない。

 

「竹中様、勝利条件を覚えていますの?」

 

 混乱する弥白に声を掛けたのは、島だった。

 

「様…? 覚えてるに決まってるぞ。おまえらはハチで俺らはクモで、敵の『目のフラッグ』に接触することなのだ」

「違いますわ。“『毒虫フラッグ』を相手チームの『目のフラッグ』に接触させること”ですの」

「むむ? だからそれは同じ……って、まさかだぞ!?」

「気づきましたのね」

 

 弥白が思い返してみれば、確かルールには『毒虫フラッグ』を『目のフラッグ』に接触させることとなっていた気がしなくもない。単純にハチクモと繰り返すのを省略していただけと思っていた。実際大多数はそう考えても仕方がない……が、自分たちの持っていた『毒虫フラッグ』じゃなくてもいいというのか。そう、相手チームの(・・・・・・)毒虫フラッグ(・・・・・・)でも(・・)

 

「詭弁よ! そんなの認められるわけがないわ!」

「ルールにはこうもありますの。“敵チームからのフラッグの奪取、破棄等全て可能” そして“折られた『毒虫フラッグ』は破棄とみなす”と。では相手に奪われながらも折られていない『毒虫フラッグ』は?」

 

 敵チームから『毒虫フラッグ』を奪えば破棄するのが当然だと思うだろう。

 だがこのルール、態々奪取、破棄の項目と分けられている。考えようによっては敵のものをそのまま使えるとも言えなくないのではないか。

 

「はい、今そこにいる中等部生(インターン)の麒麟さんが言った通りですね。敵の物でも武器は武器ということです」

 

 終了を公式に告げに来た小夜鳴先生はあっさりとそう言った。

 

「確かに敵の持っていた物を現実問題信用して使えるかどうかはわかりませんが、このルールの製作者側曰く、臨機応変な行動力を見るためにルールに今のものを始めとした穴を作っているそうです。何より、この勝ち方前例がないわけでもないのですよ」

「そんな……」

「そ、そうだったのだな」

「成績に関わることを理由に結果はともかくその内容を公開していませんから、自分で気づくしかないんですけどね。だからみなさんも言いふらしてはダメですよ? ま、それでも知っちゃう人は知っちゃうんですけどねー」

 

 試験官である小夜鳴先生に、そう言われてしまえば完全に認めるしかない。

 中等部(インターン)、一つ年下であるはずのこの少女はここまでのことを考えていたのか。

 最後、両チームのフラッグの状況は似通っていた。あとはそれをどう押すかどうかだったんだ。決定打になったのは間違いなくそのこと。

 弥白は自分のことを頭がいい人間だとは思っていない。それでも、うまくいくと思ったのだ。勝てると思っていたのだ。

 

(おれは負けたのかぁ)

 

 疲れてその場に座り込み、弥白は大きく息を吐いた。

 

(……悔しい、悔しいぞ……)

 

 竹中弥白。

 また彼の人生に一つ、敗北が刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(このわたくしが、負けた…?)

 

 恵まれた才に優れた教育。

 順調にエリートの道を突き進んで来た麗にとって、ここまでの強い敗北感などを簡単には認められるはずも無かった。

 アリア先輩に戦姉妹(アミカ)の申請を断られた時もこんなものは感じなかった。あれはまだ納得させることが出来た。あの人は自分に合わなかったのだと。

 

 ──いや、一度だけ。前にも一度だけ感じたことがあった。

 

 思い出したくもない、あの男と初めて会った日。

 Sランク昇進の話を蹴り、諜報科(レザド)に逃げたという臆病者の顔を拝みに行ったあの日。

 絶対的な才能。天才とはまさにこういう存在のことを言うのだと思い知らされた。

 

(でも、それを認めたら……)

 

 どうして思い出したくなかったのか。どうして考えたくなかったのか。

 それを認めたら、今まで自分が積み重ねてきたものが、才能が、崩れ去ってしまうような気がして。

 だから認めることなんてできなかったのだ。

 

 ──ああ、そうか。わたくしは大したことがない人間なんだ……と。

 

 それはとても怖くて、恐ろしくて、そんな事を考えていること自体許せることじゃなくて。

 だけど、勝てなかった。一人、攻撃手をすることになったというのに勝ちを決められなかった。

 わかってた。詭弁を言っていたのは自分だ。自分が火野ライカを倒していれば、間宮あかりにクモのフラッグを易々奪われるなんてことがなければ、問題なく勝っていたのだから。

 ……完敗。戦犯は高千穂麗。

 

(わたくしにはもう何も無い……)

 

 そんな麗を、間宮あかりは見つめていた。ついさっきまで敵だったというのに、どうしてかとても心配そうに。

 

「何よその顔。笑えばいいじゃない。傲慢な態度取っていた割に弱くて、チームリーダーとしても失格な女だって」

「そんなこと思ってない!」

 

 間宮あかりは否定する。麗の言葉を。

 

「高千穂さん強かった! リーダー失格なんてことない!」

 

 間宮あかりは肯定する。麗自身のことを。

 

「そんな言葉聞いても余計惨めになるだけよ。大体、チームメイトなんて最初から足止め要因程度にしか考えてなかったわ」

 

 最初から一人だ。自分一人の力しか信じてなかった。それでも勝てなかった。

 あの男なら難なくこなしていただろうことは簡単に想像できてしまうことが、自分にはできなかった。人を引きいることもできなければ、一人で勝てる強さも無い。

 つまり、自分の力は所詮その程度しかなかったということ。

 

「一人でできちゃう人って確かにすごいよね。……抱え込んでいる気持ちすら無くてなんでもできちゃう人は、すごいよ」

「間宮あかり、おまえは何を言って」

「でも、あたしたちもそんな人みたいに──ううん、強くなりたいって思ったから、武偵高(ここ)で毎日頑張っているんじゃないのかな」

「それは……」

 

 その言葉で蘇る思い。

 あの時感じたのは、あの男と対峙するたび感じたのは、そんな後ろ向きな気持ちだけだったのか。

 いつか(・・・)蹴落としてやる。それは本当に汚いだけの感情だったろうか?

 

「それに、チームメイトのこと足止めにしか思ってなかったなんて嘘だよ」

 

 間宮あかりはなお、真っ直ぐと麗のことを見つめてくる。

 

「ねえ、高千穂さん。あの時、高千穂さんは『わたくしたち(・・)の勝ち』って言ってたよね。それってチームの皆と一丸になってたからだと思う」

 

 「言葉の綾よ」そう言いたかったのに、出来なかった。

 

「あたしは高千穂さんが強くて、仲間想いで、すっごく頑張り屋さんな女の子だって伝わったよ」

 

 曇りないその笑顔。間宮あかりは本心からそんなことを自分に言ってくれているのだ。こんな自分のことを本気ですごいと思ってくれているのだ。

 

(……な、何故かしら? 胸がドキドキして顔がとても熱いわ)

 

「高千穂さん?」

「ふ、ふん! 調子に乗らないことね、次はわたくしたちが絶対勝つんだから!」

「うん! あたしたちだって負けないよ!」

 

 にぱーと子供のように笑いながら、間宮あかりは手を差し出す。

 麗は自分でも驚くほど、その手をすんなりと握り返すことが出来ていた。試験の前の自分ならば想像もできなかったであろう変化だった。

 

「それと、おまえを認めてあげてもいいわ……その、わたくしと、とも、ともだっ……」

 

 この子なら、自分とも友人になれるのではないか。麗は初めて自分からそう歩み寄ろうとしたその時──

 

「あかりちゃーん!! わたしやり遂げましたよー!」

「志乃ちゃん!」

 

 佐々木志乃が間宮あかりに勢いよく抱き付いて来たことで、繋いでいた手が離れてしまう。

 目の前には佐々木志乃に抱き付かれながらも、それを悪く思っていない間宮あかり。

 何故か高千穂のプライドは再び燃え上がった。──イライライライライライライライライラと。

 

「ごめんね高千穂さん、それで、えっと」

「お、おまえなんて嫌いだっちゃ!」

「ええっ!?」

 

 幾多の感情が混ざり合い、生まれたこの気持ち。胸の中を埋めるは、この想い。

 ──気に入らない。間宮あかりが気に入らない!

 

 




 ルールから勝利の仕方、ライカの技等完全に独自というかとんでもないものですみません。
 状況が変わっても高千穂を落とすあかり。つまりあかりが最強。
 ソラ? ああ、設定だけ最強(笑)な奴ね。




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Ep10『予兆』

キャラ多いとやっぱり大変です。




「間宮班の勝利に──」

 

『カンパーイ!!』

 

 アリアの取った音頭に応えるようにみんなが元気よくコップを掲げる。

 

「騒がしいな。……なんか頭も痛いし」

「なんでおれはここにいるのだ……?」

「そこ! もっとテンション上げてこー!」

「いや、そうは言ってもだぞ、りこりん先輩」

「はぁ、そもそもあなたは誰ですか?」

 

 あるカラオケの席で行われた、間宮班のカルテット祝勝会。

 この場には、間宮班のメンバーの他にも、妹のののか、戦姉(アミカ)であるアリア、今回お世話になった麒麟の元戦姉(アミカ)の理子、友達であるソラ──ここまではいい。

 

「なんで竹中がいるの?」

 

 竹中はカルテットの対戦相手だ。自分を負かした相手の祝勝会に出てくる奴がいたら、誰だってそんな反応をするだろう。ちんぷんかんぷんだ。

 

「間宮が僕に電話を掛けてきた時、近くに偶々竹中がいて、どうしてもと言うから」

「た、竹中……」

 

 それを聞いて、あかりが「うわー……」とちょっと引いた目で竹中を見る。

 

「ちょっとまてぇぇぇええええいっっ! なんでおれが無理やり頼んだような言い方しているのだっ!

「記憶の捏造はよくないから。あと頭に響くから声抑えろ」

「一体全体、誰が敵チームの祝勝会に出たいと思うのだっ!!」

「竹中、おまえ変わった子だとよく言われないか?」

「言われないぞ!? なんで頑なにおれのせいにしようとしてるのだ!?」

「……いや、言われないのはウソだろう」

 

 なんとも酷いことに、ソラに怒鳴りたてる竹中。負けたばかりだろうか、その気性はいつも以上に荒いように思える。

 

「竹中! ソラ君を困らせちゃダメ!」

「困ってるのはおれなのだぁ! ぐぬぬ、なんでこんなことにっ。おかしいなー、さっきまで落ち込んでて、疲れてて、家に早く帰って早く寝るはずだったのになー……」

 

 それを見かねたあかりは竹中を注意するが、注意された本人は何故か頭を抱え込んでしまう。

 やがて何か考えることを放棄したのか、少しするといつものようにあかりと騒ぎはじめることとなったのだった。

 一方、竹中から解放されたソラには理子が近づいていた。

 

「そういえばきみとは初めてだったねー。2年探偵科(インケスタ)、峰理子。りこりん先輩ってよんでね。きゃはっ」

「石花ソラです」

「それだけ!?」

 

 ソラの淡泊すぎる反応に、理子のテンションがくるくるぱーと空回り。

 

「ソラの奴は人見知りなんですよ。悪い奴じゃないんであんま気にしないでください」

「ふーん? ライライがそう言うなら、気にしなーい」

「『人見知り』ではなく、顔見知りでなかっただけ」

「お、おう……」

 

 さすがの理子もソラの言葉に二の句が告げないようだ。

 一見ソラは冷たい人間に見えてしまう。毎日のように会話しているあかりは、当然ソラが冷めたい人間で無いことを知っているが、ほとんど繋がりが無い麒麟はその態度がとにかく無礼に映ったようで。

 

「理子お姉様に対してなんですの、その態度は!」

「おいライカ、何故か幼稚園児がこの場に混じっている。外も暗いし、今すぐ一人で帰らせて誘拐でもされればいいと僕は思ったが」

「麒麟は中三ですわ! というかあなた本当に武偵ですの!?」

「落ち着けって麒麟。ソラもあんまりアタシの戦妹(イモウト)をイジメないでくれよ」

 

 特にソラと付き合いが長いライカは、昔からこの手のフォローをよくしていたらしい。

 

(確かにソラ君は偶に(・・)ちょっと(・・・・)口調が厳し目だもんね)

 

「『イジメ』ではなく、このガキンチョがうるさいクソガキそのものなのは事実だろ。うるさくて頭がキンキンしてウザいし」

「ムキーッ!!」

 

 ただ、こうして結構な割合でそのフォローを本人が台無しにするので、同じ東京武偵高中等部上がりの同級生たちの半数はソラをよく思ってなかったりする。あかりはそれが残念だ。「ソラ君もほんとはいい人なのに」と。

 まあ、あまり親しくない同級生ならば付き合わなければいいだけだが、麒麟はライカの戦妹(アミカ)だ。これから何度も顔を合わせることがあるはず。となると、いつまでもこのままというわけにもいかないだろう。

 

「もういいですの! 麒麟にはお姉様がいてくれればそれで──」

「ライカもそんなお荷物要らないと思うな」

「き、麒麟をお荷物だというその言葉撤回してくださいまし! カルテットではしっかりとお姉様の役に立ちましたの!」

「敵のフラッグを使うだなんて裏技染みた狡い発想一つで役に立ったとか言うのか。これだからガキの頭はおめでたいね。人生が幸せそうで結構だ」

「……ぁぅ」

 

 涙目で悔しそうにプルプル震えながらソラを指さし、ライカを縋る麒麟。

 ライカはソラを一瞥したあと、諦めたかのような顔で麒麟を「よしよし」と慰めはじめた。どうやら今回麒麟は本気で堪えていたらしく、いつになくおとなしくライカの優しさを受け入れている。

 そんなライカのこれからの苦労を知ってか知らずか、あかりは単純に仲良くなってほしいなぁと思った。

 

「お、おいやめるのだりこりん先輩! それは絶対人の飲むものでは無いぞ!」

「大丈夫だよん! ちゃーんとドリンクバーにあるの全部混ぜてきたから!」

「今の説明のどこに大丈夫の要素があるのだあああああ!?」

「よいではないかー。よいではないかー」

「ちょまっ、やめ……ゴボゴボゴボ……」

 

 理子は2年の中でも取り分け有名人だ。可愛らしい容姿に明るい性格でちょっとしたアイドルのような扱いを受けているらしい。──アリアにことばかり追いかけていたあかりは最近までその事を知らなかったのだが。

 とにかく周りを盛り上げてくるタイプだ。こういう祝いの場で呼べば楽しい人であるのは間違いない。

 ただソラだけは、理子が明るく楽しくみんなを振り回しているそんな様を冷めた目で見つめていた。

 

(う~ん。ソラ君ってやっぱりこういうのあんまり好きじゃないのかなぁ?)

 

 思えばソラが祝勝会などに出てくるのは初めてな気がする。

 このような機会がある度に断られていただけに、今回も半ばダメもとで誘ったため、来てくれるとわかった時に、あかりは思わずその場で飛び跳ねてしまったほどだ。

 

(でも、せっかく来てくれたんだし、楽しんでほしいよねっ)

 

 そんなあかりの気持ちを汲んだのか、ライカが早速アイスやらパフェやらをたくさん注文していた。しかし、ソラの顔色は優れないままだった。

 

「ののかちゃん、飲み物取ってきてあげますね」

「ありがとうございます。志乃さんって美人だし、それにとっても優しいですね!」

「はぅっ! ……い、いけない、予期せずトマトジュースを作ってしまうところでした」

 

 志乃は、一人だけ東京武偵高の生徒でないののかのことを気遣ってくれている。本当に優しい友達だとあかりは心の中で志乃にお礼を言う。

 

「それにしても弥白さんも来ていたんですね」

「ごほっ、ごほっ。あ、ああ、場違いなのはわかってるぞ。自分負かした相手の祝勝会に何来ているのだという話だものなぁ。うえぇ……」

「あはは。はい、お水です」

「ありがとだぞ!」

「いえいえ」

 

(ん? あれ?)

 

「でもののかがいたのは助かったぞ。間宮たちとは今話しづらいのだ」

「お姉ちゃんはそんな事気にしないと思いますよ」

「そっかー?」

 

(なんかおかしくない?)

 

 見間違いでなければ、ののかと竹中がとても仲好さそうに話している。

 これは、おかしい。

 

「ちょっと待てぇー!!」

 

 あかりの大声にののかは驚いたのか、コップを倒しジュースを零してしまう。幸いテーブルの上からは漏れず、服などは無事だったみたいだが。

 

「……あれ?」

「おい、平気であるかぁ?」

「え……は、はい。大丈夫みたいです。もう、お姉ちゃんったら、いきなりそんな大声出したらびっくりするでしょ!」

「あ、ごめん──じゃなくて! どうしてののかと竹中そんなに親密そうなの!?」

「そうです! ……まさかあかりちゃんだけじゃなくて、ののかちゃんにまで手を!?」

 

 あかりと一緒に志乃まですごい勢いで竹中に詰め寄る。何故だろうか、あかりよりも志乃の重圧が数段上だ。

とはいえ、関係が気になっていたのはライカたちも同じらしく、詰め寄らないまでもこちらをうかがうような気配を感じる。

 

「特売のスーパーでよく会うらしいよ」

 

 あっけなく、どうでもよさそうな声で、ソラが二人の代わりに答えた。

 

「もしかして、前から話してたスーパーでよく会うお兄さんって」

「弥白さんのことだけど」

「そうだったんだ……」

 

 意外な所で人の縁は繋がってるんだなぁと思ったあかりだった。世間は狭い。

 

「それだけですか? 本当に手を出していたりしていませんよね? ねえ?」

 

 ところで、どうして志乃はそんなに必死に追及しているのだろう? あかりはもう納得していたのに。不思議だ。

 

「手を出すとはなんなのだ!? ののかは一般中学だぞ!?」

 

 竹中は竹中で何か噛み合っていないような気がする。

 

「……この様子なら本当に、でも、しかし、お互い名前呼びと言うのは……」

「な、なんか今日の佐々木怖いぞ。百鬼夜行もびっくりなのだ。ソラは何か知ってたりしないのか?」

「僕に聞くな」

 

 竹中が恐る恐る同意を求めているが、ソラは迷惑そうに口をへの字に曲げていた。

 

「ソラさんも、また会えてよかったです」

「あー、うん」

 

 朗らかに話しかけるののかに対してソラは一見素っ気ない。

 ただ、どこか双方ともどこかテレがあるように見える。というか、ソラの対応が付き合いの薄さの割にマイルドのような気がしなくもない。

 

「なるほど……やはり真の敵はあなたでしたか」

「は? 『真の敵』は僕ではなく、寧ろそこの肉類の方だろう。増加傾向のある体重的に」

「!? さ、最低です!」

「お腹ブクブクだから」

「ま、まだ言いますか! わたしは太ってなんかいません!」

「ブクブクブクブク」

「キーッ! あ、あなたを殺してわたしも死にます!!」

 

 志乃とソラは相変わらずだった。

 みんな関わりたくないのか、二人の周囲にちょっとしたスペースが出来ている。さすが三不仲。

 

(そ、ソラ君のせいで、お肉食べづらくなったんだけど……)

 

 大丈夫だよね。普段そんなにお肉食べてないし。

 そう自分に言い聞かせ、あかりは結局また箸を進めるのだった。

 竹中がののかと安売り談義をしていることもあり、理子の今の絡み相手はライカに移っていて、タバスコをたっぷりかけたピザを皿に盛られている。麒麟もそれに便乗して遊んでおり賑やかだ。志乃とソラはまだ言い争っている。飽きないものだ。

 

(みんな、楽しそう)

 

「……ふぅ、にぎやかね」

 

 一息つくようにして、アリアがあかりの隣に座ってきた。

 

「でも、こういうのも偶にはいいかもしれないわね」

「アリア先輩?」

 

 その時のアリアの顔は綺麗で可憐ながらも、どこか寂しそうに見えた。

 

「そういえばしっかりと言っていなかったわね。勝利おめでとう、あかり」

 

(やった! アリア先輩におめでとうって言われたっ!)

 

「ただ、今回はあくまで訓練だったからいいものを、一度の実戦で何回も倒されていたら武偵として終わりよ」

「はい……」

 

 浮かれたのも束の間。アリアは戒めるかのようにあかりの課題点を挙げる。

そう、今回あかりは、竹中にもボロボロの高千穂にも、簡単に倒されてしまっていたのだった。

 

「でも、敵リーダーからフラッグを奪ったのは見事よ。そうやって自分の長所を生かすのは偉いわ」

「できたのはそれだけで、ほんの数秒時間を稼いだだけなんです。考えてみるとあたしってすごく弱いんだなぁって思って」

 

 確かにあかりのおかげで負けずに済んだ面もあるかもしれない。だが、もし最初からあかりじゃなくもっと強い人が代わりに入っていれば、そもそもとして竹中や高千穂を止められたのだと考えると、あかりは自分の戦果に胸を張るなんてことは出来なかった。

 普段なら、アリアに褒められたら、どんなに落ち込んでいても、顔がぱぁぁぁと輝くあかり。しかし、今この時に限っては、アリアが先に言った「武偵として」という言葉を聞いて、考え込んでしまっていて、そんな余裕は無かった。だから、しょんぼりしてしまう。

 

「前も言ったでしょう? あんたがいきなりAランクとかSランクの力を持っていてもって」

 

 アリアはそんな俯くあかりに目を合わせ、安心させるような声で話しかけてくれた。

 

(あの時のアリア先輩とお風呂……じゃなくて、アリア先輩の言葉すごく嬉しかった)

 

「最初からなんでもできる奴なんかいないわ。これから徐々に強くなっていけばいいのよ」

「はい!」

 

(そうだよ! あたしはアリア先輩の戦妹(アミカ)なんだ! 少しずつ、アリア先輩の背中を追いかけていこう)

 

 胸の前で両手をグッと握りしめて決意を固める。

 

「これからすっごく頑張りますから、アリア先輩も見ててください!」

「はいはい」

 

 あかりに向けるアリアの顔は、微笑ましいものを見るような優しいものだった。

 

「あかりちゃん、デュエットしませんか?」

「うん!」

 

 タイミングを見計らったかのように志乃が声を掛けてきて、あかりもそれに応える。アリアとの間に割り込むようにしてきたように見えたのは、きっと気のせいなのだろう。

 さっきまで志乃と言い争っていた相手であるソラを見ると、不貞腐れたかのような顔であかりたちを見返しながら、やけのようにアイスを頬張っていた。

 

 ──そう。今は頑張って、楽しんで、毎日を一生懸命生きていけばいいんだ。

 ──二年前のことも、間宮の技も今は忘れて。

 

 祝勝会は最後まで楽しく続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この楽しい日常に影が差してしまったのは、この日のあとすぐのこと。

 

 アリアの時間が空いたというので、あかりは早速訓練を見てくれることになった。アリアはただでさえ多忙な身の上のため、こういう機会は少ない。それでも態々時間を作ってくれているあたり、無敵のSランク武偵も後輩に対してはかなり甘いようだ。

 そのことに最初は子供みたいに喜んでいたあかりだったが、次第にその顔が曇り始めてきてしまう。

 

(アリア先輩が見てくれてるのに、全然うまくいかないよぉ……)

 

 命中率十分の一以下。そこら辺のちょっと手慣れた一般人の方が余程上手。強襲科(アサルト)生としては落第の中の落第。

 何も知らない一般人ではないのだ。普通に教えられ、普通に訓練していれば、ここまで下手なのは在り得ない。

 

「あんた、元々打ち方に悪い癖がついてて、それを抑えてるんじゃない?」

 

 だからアリアにも疑念を持たれた。

 

「ちょっと見せなさい。元々手が覚えていた撃ち方を」

 

 ──イヤだ! イヤだイヤだイヤだ!

 

「見せなさい!」

 

 けれども、もう隠しきることなどできなかった。ここが限界だったのだ。

 そして、ついには、知られてしまった。あかりの秘密を。間宮の技を。

 

 撃ち抜かれたのは、ターゲットの額、左右の目、喉、心臓……

 

 見てほしくなかった。嫌われたくなかった。

 今すぐ、この場から逃げなければと思った。

 

「ちょっと! 待ちなさいあかり!」

 

 アリアの静止の声を振り切って。

 どこに行くわけでも無く、駆けだしていた。

 

(アリア先輩に知られちゃった)

 

 あかりの9条破りのクセ……間宮の技の一端(ヒトゴロシノワザ)を知られてしまった。

 

 武偵法9条

 武偵は如何なる状況に於いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。

 

 間宮の家の先祖は代々公儀隠密だった。

 それは、生死を懸けた戦いが続く危険な仕事。

 時代が移り変わり、その任を解かれることとなっても培っていた技は現代にも伝えられてきた。

 体術、銃、薬、そして殺人術……

 武偵となった今も、しみついた習慣はなかなか拭えない。不殺が信条の武偵にとって、全てが必殺の間宮の技は枷でしかなかったのだ。

 だから、隠してきた。少しずつ矯正してきた。ソラにも手伝ってもらって。

 なのに、アリア先輩には結局ばれてしまった。そのせいで大好きな先輩であるアリアに嫌われるのが怖くて、逃げてしまった。

 こんなことをしてもどうしようもないのに、足は止まらない。

 

 何からも逃げてきた先で──

 

「くっしゅん! おい間宮、ランニングなら前を見てやれ。他人にぶつかるのはいいが、僕にぶつかったらどうする」

「ソラ君……」

 

 ソラと出会った。

 

 いつだったか、あかりはソラに聞いたことがある──「どうしてソラ君は武偵を目指すことにしたの?」と。

 そうして、一度「どうしてそんなことおまえに言わなければならない」と前置きしたあと、返って来た答えがこうだった。

 

『なんとなく、多分向いているから』

 

 人を助けるという行為は本来とても大変なこと。

 だが、気負いも無く、意味も無く、ただなんとなくソラは人を助けることができる。

 それは正義の味方だとかそういうことではなく、ソラにとって多くの状況の難易度が低いため。

 多くの人が、落ちた財布を届け出る程度の善性を持っていても、殺人犯に立ち向かえる者はほとんどいない。極端に言えば、ソラにとっては前者も後者もほとんど変わらないレベルに映る。とても強いからだ。

 妬ましいわけではない。

 そんなことを思ったことは一度たりともない。

 それでも、どんな時でも威風堂々と自分の道を突き進むことのできるソラを今その目に映すことは、全身を刃物で切り裂かれるような苦行にさえ感じたのだった。

 

「ちょい待て」

「ぐえっ」

 

 しかし、今度は逃げられなかった。思いっきり制服の襟を引っ張られ止められたからだ。

 その拍子に女の子が出してはいけないようなうめき声まで漏れてしまう。

 

「何があったか聞いてやらないこともない」

「ごめんソラ君。今そんな」

「何があったか聞いてやらないこともない」

「え、でも、その」

「何があったか聞いてやらないこともない」

「………」

 

 逃げられないことを悟ったあかりは、決してソラと顔を合わせないように地面を見つめながら、諦めたかのように事の顛末を語った。

 アリアに9条破りのクセがバレてしまったこと、そしてそのまま逃げだしてしまったことを。

 

「なんと言うか、ごほっ。 ……メンドクサイ」

 

(え……。ソラ君から聞いてきたのに酷い……)

 

 いくらなんでもすぎる返しにあかりは唖然として思わず、ソラの顔を見返してしまう。

 その琥珀色の瞳は、いつも通り世界が映り込むのを拒絶するかのように澄んでいて、紡がれた声は本当に面倒臭そうないかにも投げやりなものだった。

 

「僕はいつかバレると言ったはず。その時に備えておかないのは間宮の圧倒的怠慢だ。つまりは自業自得、間宮が悪い」

「うぅ……」

 

 ソラの言うことはもっともだった。正しくて、客観的な、強いからこそ言える言葉に違いなかった。

 でも、あかりはソラとは違う。あかりは弱いのだ。そんな簡単に全てを割り切ることなどできやしない。

 

「大体、それだけ早くバレたということは、アリア先輩が──ごほっごほっ!」

「ソラ君の……」

「え、間宮?」

 

「ソラ君の……ソラ君のばかぁ!!」

 

 そう叫んだあと、あかりはまた駆け出した。

 背後のいるソラの顔を見ることもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、どうしたの? 全然箸進んでないよ?」

 

 夕食の席でボーっとしていたあかりを、ののかが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 あのあと、家に帰ったあとも、あかりはずっと上の空だった。

 

「えっと、ちょっと考え事してて」

「そうなんだ。ほどほどにね」

 

 「えへへ」と、笑って誤魔化すあかり。表情がぎこちなくなってないか不安だったが、ののかは深く聞くことなく引いてくれた。

 

「えっとお醤油」

「あはは、ののか。目の前にあるでしょ」

「……あ、うん。ほんとだ」

「もうー、ののかったら何してるのー」

 

 夕食が終わって少し下頃にあかりにメールが届く。アリアからだった。

 もし、今日のことでアリアに嫌われてしまっていたらどうしようと、恐る恐るメールを開くと、

 

『明日の朝、資料の整理を手伝いなさい』

 

 いつも通りの簡単な手伝いを頼むものだった。あかりは拍子抜けしたと同時に、嬉しくなる。

 

(アリア先輩、まだあたしと戦姉妹(アミカ)でいてくれるんだ…!)

 

 アリアがこうしてくれているのに、あかりがいつまでも気にしては仕方ない。「よし!」と明日の自分が頑張れるように鼓舞する。

 

(ソラ君にも明日謝ろう)

 

 あかりはソラにあんなことを言ったのは初めてだった。自分でもあんなことを言ってしまうだなんて思いもしなかった。

 だって、あかりにとってソラは恩人なのだから。

 

(……ソラ君、許してくれるかな……ううん、大丈夫。ソラ君は優しいもん)

 

「お姉ちゃん、考え事はご飯食べてからね」

「ご、ごめん」

 

 とにかく明日だ。

 明日になればきっとまた今まで通りの楽しい日々が待っている。あとは自分の気持ちを切り替えるだけでいい。

 あかりはまた「よし!」と言いながらガッツポーズした。……ののかに怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも笑顔を振りまいている間宮を見ていたりすると、楽しく生きるとはなんだろうとふと考えることがある。

 人の気持ちがわからないとか、そんな大仰なことを言うつもりはない。ただ、それでも考えないとわからないこともある。

 いつか将来の夢を聞かれたことがあった。ならば目標を定め、先を見据えればいいのか。それとも蓮華が言っていたように今が良ければいいのか。

 ……まあ、すぐにどうでもいいと思って考えるのをやめるのだが。

 どうせ僕はうまくいく。悪くはなっても最悪にはならない。これが僕の結論だからだ。そんな僕だから結局考えてもわからないのだろうか。

 あの時どうすればよかったのか。

 僕は一体何になりたかったのか。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる。優秀でただ優秀な僕は今そんなことを考えて、そしてまたすぐやめるのだろう。

 

「………」

「………」

 

 人工浮島(メガフロート)の西の端、海から漂う潮風はやはりあまり気持ちのいいものではなく、ここに僕が楽しいと思えるものはやはり無いことがわかる。

 だが、そんなことはどうでもいい。今はただ目の前の不愉快を消すことだけを考えればいい。楽しくなくてもいい僕だが、不愉快なのは許せない。

 ああ、頭が割れるように痛いのも、瞼が鉛のように重いのも、喉がいがらっぽいのも、汗が鬱陶しいのも、体がとにかく怠いのも、全てこの目の前の女が悪いに決まっている。本当に本当に不愉快だ。

 

「だから、ちょっとぶっとばすから、武偵殺し」

「くふっ、ソラランってば過激ぃー。でもでもぉ、あんまり1年生が上級生舐めない方がいいよ?」

「はぁ、舐めているのはどっちだか。で……えーっと、誰だっけおまえ?」

 




 『バカと天才は紙一重』、『バカは風邪を引いても気が付かない』──あとはわかるな?

 次回、ついにソラが頑張ります!




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Ep11『日常崩壊』

 あの女(・・・)のことを調べ始めたのは、カルテットの少し前くらいからだったろうか。

 その時の僕は、自室で鑑識課(レピア)に作らせたとある資料を読んでいた。遠山先輩が被害に遭ったチャリジャック時、現場を調べた武偵高の生徒のリストだ。

 別件で始業式に遅れた、もしくは来なかった生徒のリストも作らせたが、その線で調べることはやめた。人数が人数だったうえ、とりわけ怪しかったのが僕だったという、驚きの内容に辿り着いたからだ。僕は善良なる一市民に過ぎないというのに。

 

 だから次に『武偵殺し』は証拠を残さないという特徴に注目したのだった。

 証拠を残さない方法、いや完全に(・・・)証拠を残さない方法というのは結構限られてくる。

 例えば、現場に残ったかもしれない証拠を捜査班に混じって隠滅とか。

 犯人は現場に戻る。証拠ゼロと聞かされたたとき、同じ武偵高の生徒なら捜査時に隠蔽できるのではと疑った。もし最初から証拠を残していなくても、しっかりそれを確かめたい気持ちもあるはず。

 無駄かもしれない確率は正直高いが、隠蔽が完璧な以上、他に調べるような所が無かったというのも事実。少なくともこれで武偵高内には敵がいないことはわかるかもしれない、と。

 

 しかしこれは中々うまくいかなかった。

 

 その時点でわかっていたことと言えば、武偵殺しが実は誰も殺していないということ。

 主な被害は乗り物ジャックによる交通被害。それに付随する脅迫。あと精々器物損害と人的被害は負傷止まり。いや、十分犯罪者だが。

 武偵殺しが起こした事件は乗り物ジャック。バイク、自動車、自転車。

 ここまでくれば何が言いたいのか誰だってわかる──そう、なんか地味だった。

 殺しというのは、武偵を狙いながらも証拠を残さない、武偵の技を殺しているという意味なのだと推測される。──だからこれについて調べていたのだが、中々容疑者を絞りきれなった。

 もうこれ武偵殺しというより、車両殺しの方がピッタリだろ。こんな大層な名前付けるくらいなら、それこそ飛行機や大型船などを襲うくらいしてほしい、と普通に思ったものだ。

 

『んー?』

 

 思ったその時だった。僕は自分で連想した船と言う単語に偶然にも引っかかったのだ。

 

 

 ──『浦賀沖海難事故』、死亡者一名、遠山金一(・・・・)(19)

 

 

 遠山先輩のことを片手間で調べている時に見つけたある事件。その時はさして問題視していなかったが、この事件にはある噂があったのだった。

 ──可能性事件。

 これは事故では無く故意的に起こされたものでは無いかと。

 時期的にもこれは丁度カージャックのすぐあとであるのもまた、無理やり気味とはいえこじつけは可能だ。そうならば、武偵殺しという名称はあながち的外れでもないのだが………実際には世間では関連付けられてはいないし、噂は所詮噂であることの方が多いし、やはり名称には問題ありだと思った。どうでもいいか。

 まあ、終わってしまった事件だ。今となっては確かめる術はほとんど無い。しかし、もしこれがシージャックなら、遠山先輩が被害に遭ったチャリジャックの見方が変わってくる。

 今の世の中、この狭い日本だけでも何千、何万の武偵がいることだろうか。

 殺そうとしてきた者が、偶然兄を殺した者だったかもしれない、なんて。

 それもそこらの一生徒ではなく、元Sランクの武偵だった、なんて。

 できすぎた冗談、一つの物語みたいだ。逆に、こう言われれば納得できるほどの判断材料ではあった。『遠山先輩も無差別で偶々襲われた』ではなく、『選ばれて襲撃された』。

 

 アリア先輩と遠山先輩。その二人を同時に調べていた僕だからこそ辿り着けた一つの仮説。ここまで組み合うと、偶然と一笑することはできなかった。

 ならば武偵殺しは二人に近しい者、いや近寄っても怪しまれない立場にある者ではないかと。

 湧き出てくる頭痛を抑えるようにし、再び武偵高生徒のリストに目を戻すとどこか浮き彫りになってくる名前が一つ。

 

『2年A組、探偵科(インケスタ)、峰理子…?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──初めて会った時から思っていたことがある。

 

「どうして僕が隠れていることがわかった」

「だから上級生である理子を舐めちゃダメだよー? りこりんセンサーの前では身を隠すなんて不可能なのでーす!」

「はぁ? おまえごときがそんなことをできるわけがないだろ」

「……理子の一体何を知ってるっていうの?」

「だから誰だおまえ」

 

 ──僕はこの女が嫌いだ。

 

「うーん。これは武偵高の先輩として調子に乗った下級生に『おいた』しないといけないねぇ」

「僕が調子に乗って見えるのなら医者に行くことを進めるから。とはいえ、おまえがこれから行く場所はブタ箱しかないが」

 

 これは別に怪しい奴が怪しい動きをしていたからとりあえず捕まえるために潰すだけで、八つ当たりでもなんでもない。そもそも八つ当たりと言うなら何の八つ当たりだということになるし。

 

「というか武偵高の先輩だったのか。なら一応敬語で話してあげましょうか? 凡人なブタ先輩(・・・・)

「祝勝会の時も思っていたけど、また随分と丁寧に無礼な後輩くんだね。──あたしのことを、あんまり舐めてんじゃねえぞ」

 

 うん? 少し、雰囲気が変わったような。

 

「は? 僕から見れば周りの人間のほとんどが僕に対して無礼なわけですが」

「……うわぁ、この子真面目に言ってる。結構やばい子だ」

「おい」

 

 何引いてやがる。やっぱり無礼だ失礼だ。

 

「無駄話もそろそろいいかなー? それでソラランは抜かないの?」

 

 どうしてこんな暢気なのだろうと思っていたが、やっとわかった。向こうは僕のことを侮っているのか。

 そう理解した途端、相手のへらへらとした笑顔が嫌いから、大嫌いになった。

 

「僕は銃を使わない主義ですから」

「ふーん? じゃあやっぱり終わりだね」

「完全に役不足でありますが、生徒役として聞いてあげます。で、何がどうして終わりなのですか?」

「くふふっ! だってこれ完全にワルサーの射程範囲内(理子の距離)だもん!」

 

 ここで天才と凡人の違いをわかりやすく教えておく。

 凡人がコツコツと地道に一歩一歩日々進んでいるとすれば、一足飛びでそんな物を駆け抜けていくのが天才だ。

 つまりどう見ても十歩以上離れているこの距離に対して、天才である僕は一足でいけることになる。当然の理屈だ。

 

「運が無かったねぇ、き──」

 

 昔見た、とある技を自分用に改良した技、『迅雷』。

 生まれ持った僕の運動能力は、腰、股関節、膝、足首を高速かつ同時に動かすことを可能とし、足の先端速度は亜音速に匹敵する。そうして繰り出される一歩は人間の常識を超えた速度での移動を可能とする。

 地面を蹴る時、まるで小さな落雷のごとく音を出すゆえに『迅雷』。

 

「──」

 

 ニヤニヤと舐め腐った顔がすぐそこにはあった。だが向こうのピントは僕と外れている。どう見ても僕の動きが捉えられていない。

 懐に入り込まれているというのにまるで反応できていないそのマヌケに対して、僕は握りこんだ拳を……

 

「──うぷっ、おぇぇぇ」

 

 攻撃に使うことなく、地面に跪いていた。

 

「え? ──って、きゃあああああ!?」

 

 ……やばいやばいやばい超気持ち悪い。

 この寝不足がたたりにたたった体では迅雷による急激なGの変化に耐えきれなかったらしい。頭がぐらんぐらんする。

 因みに僕がどうしてこんなにも隙だらけな姿をさらしているのに相手からの攻撃が来ないかというと、向こうも驚いて距離を取ることだけに集中しているからだ。迅雷はやはり凡人にはとっては信じられない技だから、驚いても無理はない。

 

「き、消えたと思ったら、いきなり至近距離でゲロってた!? 一瞬でゲロをぶっかけに来るとか……なんて恐ろしい技!」

「チガウ」

「これが噂に聞く嘔吐神拳だというの!?」

「変な名前付けるな!」

「あ、つばとか飛んでくるからこっち向いて叫ばないで」

「……うん」

 

 ああ、このどろどろとしたもの絶対カロリーメイトだ。最近忙しくて、レキ先輩が押し付けてくるカロリーメイトばかり食べていたから、嘔吐物の色が見事に一定だ。

 と、とにかく早くティッシュで口を拭おう。

 

「お水持ってるけど、使う?」

「これで毒殺とかされたら恨むから」

「恵んでもらう態度じゃない!?」

 

 相手は不満そうな顔ながらも水の入ったペットボトルをぽーんと投げてきた。

 僕はそれを素直に受け取り口を漱ぐ。丁寧に漱ぐ。

 

「……で、何が終わりなのですか?  先輩(・・)

「この子今のことをなかったことにしようとしてる…!!」

 

 何を言っているのやら。戦闘はまだ始まってすらいない!

 しかしまあ、これでは迅雷が使えない。相手も最初以上に距離を取っているようだし。そこまで警戒をしているのか。

 

「今度こそゲロロンに理子が汚されちゃうかも……物理的に」

 

 おい、誰がゲロロンだ。それは本当にやめてくださいお願いします。

 

「まあ、今のは理子もちょっとびっくりしちゃったけど、もうそれ使えないみたいっぽいし、やっぱり理子の勝ちは決定事項だよ! さっきので決められれば良かったのに、残念無念、また来世!」

「………」

 

 う……まだ気持ち悪いのが残っている。

 ではなく、確かに迅雷は今の体調では使えない。迅雷が使えなければ、世界記録を更新する程度の僕の足では距離を詰める前に銃弾に捕まるだろう。それに、相手の警戒だって先ほど以上に跳ね上がっているはずだ。

 

「あらためまして。ばいばーい」

 

 そして、相手が放った銃弾は容赦なく僕へと向かって来た。

 銃は元々人殺しの武器だ。弾が当たれば防弾制服を着ていようと痛いし、最悪死に至る。どころか相手は犯罪者、制服の上をご丁寧に狙ってくれる保証もない。

 

 ──で、それが何か?

 

「え……」

 

 鈍器がぶつかったような鈍い音でも、噴き出した血の音でもなく、鳴ったのは金属音。金属同士が弾かれる音。

 何故なら、放たれた銃弾は僕が手に持ったナイフで叩き落としたから。

 

「別にそうおかしなことではないです」

 

 元々銃というものは多くの欠陥を孕んだ武器だ。

 真っ直ぐにしか飛ばない。威力が一定。弾数制限がある。引き金を引かなければ弾が出ない。銃は敵の目の前に出した時点で、いつどこに攻撃してくるか、どんな威力か、あと何回してくるかの全てを相手に知らせてしまう武器だということ。

 

「つまりは銃口と相手の手の動きさえ見ていれば簡単に弾くことが可能ということです」

 

 武偵高に身を置いている人間なら多かれ少なかれ目安にはしていることではある。

 まあ、完全に見切ってナイフで弾いたり切ったりしてみせる人間はそういないだろうが。

 

「ほら凡人だってバッティングセンターで自分が動くより速い球を打つでしょう? それと同じです。簡単です」

「なにそれこわい」

「都合が悪ければ、事実からさえ目を背ける。はぁ……これだから凡人は」

 

 銃弾ごときで天才に勝てるほどこの世の中甘くはないというのに。

 

「ねえ、さっきからちょくちょく凡人って言ってるけど、凡人に何か恨みでもあるの? まー、理子はちょー天才だからそんなのかんけーないけど」

「百人に九十九人の逸材レベルの凡人が何を言っているのやら。──別に、恨みなどありませんよ。ただ嫌いなだけです」

「凡人が?」

「うじゃうじゃといる有象無象な凡人というくくりで嫌っていたらそれはただの人嫌いですから。僕が嫌いなのは凡人自体ではなく、身の程知らず。おまえみたいな奴だよ」

「………」

「おまえを見ればわかる、どうせ血反吐の吐く努力とかしたのだろう。才能の欠片も見当たらないその体でえっと……まあまあの実力を手に入れるために。本当に、バカみたいだ」

「………」

 

 こいつからは才能を一切見いだせない。ただただ凡人のくせに足掻く見苦しさだけを感じる。僕が一番嫌いな人のタイプだ。おまえみたいな奴がいるから、無駄なのに努力を重ねて人生を無駄にしてしまうやつが出てくる。だから身の程知らずは大嫌いだ。

 あと、僕、ぶりっ子嫌い。

 

「……く」

「何か意見でも?」

「……くふ」

「?」

「くふっ、ふふふ! あははははははははははははははははははははッ!!」

「……き、気でも狂いました?」

 

 何この変な人……しょ、正直引くな。

 

「くふふ、ごめんごめん。つい、嬉しかったから(・・・・・・・)

「え? ドM? ……変態かよ」

「ちょっと! 違う、違うから! そのまま逃げようとしないで! ただ、こんな短い時間でそこまで理子のことを見てくれた人なんて初めてだったから。理子たちこんな出会い方じゃなかったら友達──ううん、もっと深い関係になれたかもしれないね」

「やめろ、マジで鳥肌立つ」

 

 見ろこの腕! もうブツブツばかりで恐ろしいことになっているから。こいつもしや拒絶のショック死で僕を亡き者にしようとしているのではないだろうな?

 見当違いにもほどがある。僕はおまえなんて見てはいない。ただ暴いただけだ。それをどう解釈したら喜ぶことなんてできるのだろうか。意味不明すぎる。

 

「普通、こういうこと言われたら嫌がるだろ」

「普通に人が嫌がると思えることを言えちゃうソラランに若干戦慄は隠せないけど、まあ確かに他に人に言われたら理子もその人のことムカッてきて“ころころ”しちゃうかもね」

「なるほど、天才である僕の言葉はどんなものでも凡人にとっては神々しいと」

「ちげーよ」

「違うのか」

「うん、違う」

「そうですか」

「もしかしてソラランって結構バカ?」

「もしかしなくとも天才です」

「……お、おー」

 

 だからどうして引く。もうこいつ、どさくさに紛れて間合いを操作しているのでは。

 

「やっぱり努力なんて大変なことを好んでやる奴は頭がおかしい。噛み合わなくて当然か」

「………」

 

 その瞬間、凡人女はまた黙ってしまった。

 今度こそ僕の正論にぐうの音も出なくなってしまったのだろうか。

 

「ねえソララン?」

「はぁ……。今度はなんですか?」

「いや、単純な疑問なんだけど。どうして(・・・・)努力の(・・・)大変さが(・・・・)わかってる(・・・・・)みたいな(・・・・)言い方(・・・)してるの(・・・・)?」

「……!」

まるで(・・・)自分が(・・・)経験して(・・・・)きたみたい(・・・・・)だよ?」

「……僕の強さの秘密が実は努力、優雅な白鳥の水面下だとでも言うつもりですか?」

「う~ん……そうは思わないんだよねぇ。すごい動きの割に洗練さが無かったりするから、武術を収めているわけでもないし。かと思ったら実戦はすっごく強い、怖いほどにね……ねえ、ソラランってほんと何者?」

「ただの天才な高校生」

「結局それ!? この子本気で言ってるからたち悪いよぉ……」

 

 どうしてそこで頭を抱える。あと小さく呟いていた「勧誘」とは一体なんのことだろう? しかも僕にちゃんと尋ねる前に自分で勝手に諦めムード出しているし。なんか失礼だ。

 

「しっかり話す気が無いなら、もう行きますから」

「寧ろ理子は積極的にコミュニケーション取ってたと思うんだけど」

「……知りません」

「ちょぉっとソララン!? さっき自分で言ってた台詞思い出してみようかー?」

 

 ああ言えばこう言う奴。さっきから口が休むことの無い奴だ。時間稼ぎを狙っているのかもしれない。なら、もう立ち止まらない。

 凡人女とは違い、決して都合が悪くなったから会話を打ち切ったわけでは無いことを一応説明しておく。

 

「お喋りはここまでです」

「ソララン絶対に自己中ってよく言われてるでしょ!」

「言われない!」

「嘘だッ!!」

 

 先ほどのように迫りくる弾丸をナイフで弾く。今度は更にそれを近付きながら行う。

 

「なら理子は二丁拳銃だぁー!」

 

 本当はそういうスタイルだったのだろう。一丁で構えるよりもまともに見えるその二丁流でドカドカと倍の数になった銃弾を放ってくる。攻撃の数は単純に二倍。それに加え、こちらが対応しずらくなるように右と左で微妙にリズムをずらして撃ってきている。

 このまま手数で押し切ろうとしているのだろう──アホが。

 

「こっちもナイフを二つ持てばいいだけのこと」

 

 相手が同時に二つ銃弾で襲ってくるのなら、こちらも弾く物を二つ使えばいい。小学生にもわかる簡単な理屈。一引く一はゼロ、二引く二もゼロだ。

 もう迅雷の時のような隙は見せない。一気に近づいて叩く!

 

「凡人女、これで終わり──」

 

 ──へ? こいつの両手は塞がっているはず。どうしてこんな目の前にナイフが……?

 

「くふっ! 確かに終わり、だよ!」

 

 その謎はすぐに解けた。

 相手のへらへらとした笑顔と一緒に、まるで意思を持っているみたいに動く髪の毛が見えたのだから。

 ナイフでさばいて──いや、もう、間に、合わな

 

「………」

「………」

 

 ──ヒュン

 

 最後に空気を裂く音だけが耳に届いた。

 

「あーあ、幕切れはあっけなーい。理子ゲンメツー」

「………」

 

 死角から振り下ろされたナイフは間違いなく僕の顔に命中していた。さすがに刃物を防げるほど固い皮膚は持っていない。

 

「ま、アリアとの前のウォーミングアップにはなったかな。疲れたし連絡だけして今日はもう家に──あれ?」

「はいあふ! はいあふひいふほひはひっは(最悪! 髪が口に少し入った)」

「うっそぉ……」

 

 確かに人の皮膚は金属の塊に比べればとても柔い。ナイフを受け止めるなど無理だ。両手が間に合わなかった以上防ぐものはない──ただ一つを除いて。

 

歯で噛んで(・・・・・)受け止めてる(・・・・・・)!?」

 

 命中はしていた。ただこの通りダメージは受けていないが。

 

「ぺっ」

 

 夜の暗闇故に気づくのが遅れたのか、反応が遅い相手を口からナイフを吐き出すと同時にがら空きな腹部に蹴りを入れる。

 

「かはっ……!」

 

 体を捻って衝撃を幾らか逸らされた手ごたえだった。だからまだ追撃を加える必要ありと、転がっていく相手へと向かおうとした時、気づいた。

 ──頬が浅いとはいえ切られている。

 ああ、そうか。二丁拳銃だったように、ナイフも二つ操っていたのか。それで蹴られた瞬間に悪あがきが奇跡的に入った、と。

 

「くっしゅん! あー、最悪」

「っ! いてて……。最悪なのは理子の方だよぉ。うげぇ、ゲロロンのゲロつけられたぁ…!」

「……あ」

 

 ちゃ、ちゃんとしっかり漱いだし!

 

「はぁぁぁぁぁ……」

「僕は攻撃を防いだだけだし、謝らないから」

「……じー」

「あ、謝らないからな」

 

 気まずくなったし、問答無用でもう終わりにしよう。最初から勝敗は決まっていたとはいえ、早いにこしたことは無い。

 僕は止めを刺そうと近づく、今度は油断をしないで──神経を研ぎ澄ましていたからこの怠いからだでもギリギリ気づけた。新たに襲い掛かってくる影の存在を。

 

「ここで新手!? ──ちぃ!」

 

 迫りくる大剣をナイフで受け──きれない。

 

「そのような鈍らで私に対抗できると思うな!」

 

 今にも砕けそうなナイフでの防御という案は速攻破棄し、すぐさま次の行動へと移る。

 先ほどは銃の弱点を語ったが、剣にだって弱点が無いわけではない。

 

「どれほど切れ味が良い刃物だろうと」

 

 体を後ろに逸らしながら左足で剣の腹を蹴り抜く。

 そう、剣の弱点それは、どんなに切れ味が良い業物だろうと、刃が付いている方向にしか斬ることができないということ。

 

「な!?」

「こっちの腹も、がら空き!」

 

 そして空中で地面とは水平方向に一回転し、そのまま回し蹴り体が横に流れている二人目の腹にぶちかまそうとした時、

 

「理子のこと忘れちゃやーだよ」

 

 凡人女からの銃撃というなの横やりが入ったことで、行動を中断。空いている方の手を地面に置き、上下さかさまになった状態のまま壊されなかったナイフで銃弾を切り裂く。

 

「──っ!」

 

 一撃を防弾制服で受け、更なる追撃が来る前にハンドスプリングの要領で飛び、この挟まれている位置から脱出する。

 地に着き、二人目の敵を改めて見ると、綺麗な銀色の髪と驚くほどに整った顔を持つ美女だった。凡人女とは違い、確かな才能を感じさせる。

 二対一になってしまった。──だがまあ、それでもレキ先輩と相対した時ほどの脅威は感じない。

 

「けほっ……まあ、二人だろうと許容範囲──」

「そう、それは結構ね」

 

 ──三人目!?

 

「この様子だと遊んでたってわけじゃなさそうね」

「ああ、私はまだ一当てし合っただけだがかなり厄介な相手だ。このままでも負けるとは思わないが、悠長にしていては今後に支障が出よう。理子もそれでいいな?」

 

 空の色が付き始めたおかげで弾かれたかのように夜の闇から出てきた黒い女は、やはり凡人女と銀髪の美女の仲間らしい。

 

「うん、ちょっと残念だけどしょうがないかぁ。この子ったらネズミかと思ったらとんでもない狂犬でさ」

「僕を、犬で例えるな」

「ねえ二人とも、この子ベロベロと理子のこと舐めてきたんだよぉー! その証拠に『おまえなんて舐められて当然』みたいなこと言って来たもん!」

「誤解を招くことを言うな!」

 

 ……全部が間違っていないところがムカつく。

 銀髪の美女はもちろんのこと、黒い女の方は特にやばい感じがビンビンする。あー、うん。これって、割と絶体絶命、なのでは。

 

「それで三対一になったけど、ソララン(天才)はどうするのかなぁ?」

「………」

 

 ──レキ先輩と相対した時ほどでは……

 

 ………

 ……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリアやソラから逃げ出してしまった日の次の日。

 あかりは昨日のメールの通り、戦姉(アミカ)であるアリアの手伝いに来ていた。

 

「助かったわ、あかり」

「い、いえ! アリア先輩のためだったら、あたしなんでもやります!」

 

 そんなこんなで無事アリアの手伝いを終え、学校に来たあかりだったが。

 

「あれ? ソラ君は?」

「ソラなら今日はまだ来てねーよ」

 

 あかりの問いに答えてくれたライカは、サボりがちなソラに少し腹を立てているようだった。ライカは少しソラの保護者っぽいところがあるだけに、しっかりさせなきゃと思っているのだろう。

 

「それより、見たか? 今月の強襲科月報。アリア先輩、うちの前年度第4四半期の最優秀学生武偵(MVDA)に選ばれてたぞ。すげーよなー」

 

 それも五度目の受賞。史上最多タイ記録である。

 強襲成功率も世界ランカー。負傷経験はほとんどなし。武偵法違反に至ってはゼロ。これは、アリアは世界でも最高クラスの武偵である証明に他ならない。

 アリアは誰よりも正しい──正義(・・)の象徴だということ。

 

「アリア先輩ってやっぱりステキ! まさに完全無欠の武偵っ!」

「あかりは相変わらず、アリア先輩大好きだよな」

 

 冊子を掲げるように見ていたあかりは隅の方にある記事にも気が付いた。

 

「あ、『東京武偵高学年別優秀生徒1学年、高千穂麗』だって。──すごーい! 高千穂さんってやっぱりすごかったんだー」

「……ああ、それか」

「どしたのライカ?」

「なんでもねーよ。ただ、ソラが強襲科(アサルト)来てれば、今頃……」

「ライカの方こそ、ソラ君のこと大好きだよね」

「な!? そ、そんなんじゃねーよ!!」

 

 そうしてしばらく二人で談笑していたのだが、授業開始時刻直前になってもソラは現れなかった。

 それどころか──

 

「ソラ君だけじゃなくて、志乃ちゃんも来ないね」

「ついでに竹中もな」

 

 ソラ一人だけならサボりで済んだかもしれないが、優等生である志乃やなんだかんだで遅刻欠席はしない竹中まで来ないとなると、何かあったのではと思ってしまう。

 そんな時に見えた緊急着陸運動中のヘリ。聞こえてくる救急車のサイレン。

 

(なんだか、イヤな予感がする……!)

 

 言いようがない感覚に襲われ、教室を飛び出したあかり。

 音を辿っていくにつれ、増えていく人だかりに一層不安は増していく。

 ざわざわと広がる騒々しさの中でもサイレンの音は頭一つ抜けており、あかりに進むべき方向を示してくる。

 ついに救急車の目の前まで来たあかりは、小さな体を利用して人混みをかき分け前に出る。その人混みの最前列には、見覚えるある少年が一人いた。

 

「間宮…!? おまえも、来てしまったのか!?」

 

 大袈裟なくらいこちらを見て驚く竹中をあかりは怪訝に思った。

 しかし、今はそれよりもこの騒ぎのことが気になる。

 

「竹中ここにいたの? ねえ、これっていったいなんの騒ぎ?」

「あー、もう! 今からでも早く教室に戻るのだ!」

 

 竹中はあかりの質問に答えず、金に染まった髪をイラただしげに掻き毟ると一方的にそう言った。あかりは当然いい気分にはならず、頬を膨らませる。

 

「何それ。なんで竹中にそんなこと言われなくちゃいけないの?」

「いいから、戻るのだ! 早く!」

「説明くらいしてくれたって──」

 

(え……? どうして、アリア先輩が?)

 

 ドウシテアタマカラチヲナガシテルノ……?

 

(だって、アリア先輩は誰にも負けない完全無欠の……)

 

 額から血を流し、ぐったりしたアリア。彼女は鬼気迫る形相の遠山キンジによって救急車に担ぎ込まれていた。

 そして過ぎ去っていく救急車。

 あかりはそれをただ見ていることしかできなかった。

 

 どれだけの時間固まっていたのだろう。

 

 あかりを呼び戻したのは、自分の携帯が鳴る音だった。

 鳴っているからでなきゃという義務感で、半ば呆然としたままその電話に出る。

 

『繋がった! あかりちゃん大丈夫ですか?』

「志乃、ちゃん? ……ゴメン今は──」

『落ち着いて聞いてください』

 

 志乃の声はどこか必死さを感じるものだった。落ちつけと言うことで、自らもそうなろうと努めているような。

 もしかして志乃もアリアが負傷したことを知ったのかもしれない。だから、あかりにそれを伝えようとこうして電話を掛けてきたのだろう、と。

 

 しかし、そのあかりの考えは覆される。更なる絶望を持って。

 

『ののかさんが倒れました』

「え……?」

 

 ──あかりは目の前が真っ白になった──

 

 



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Ep12『間宮あかり』

 あたしにとって、普通の学校に隠れるように通い毎日を過ごすことは、息苦しさを感じるものでした。

 

 

 

 間宮一族──公儀隠密であった祖先を持ち、時代が流れその任を解かれてもいつかまた来るかもしれない戦乱の世に備えるために現代まで力を蓄えていた一族。

 それが、あたしの生まれでした。

 

 素手で相手の内側にあるモノを抉り出す技、触れただけで相手を殺害する技。戦乱の世だったならば、こうほどまで頼りになる人たちもいなかったと思います。

 そして、だからこそ、現代では力を隠さなければいけなかったんです。

 現代社会において、殺害行為ほどわかりやすく人から忌避される行為はそうありません。

 一族は強大な力を持っているにも関わらず、それをひた隠しにして細々と暮らすことを余儀なくされていました。

 そんな生活に対して、間宮の強さを誇るあまり、不満を抱いている人も少しはいましたけど、それでも一族の総意を覆すほどのものじゃありませんでした。

 

 そんな一族の中で、本家──暁座の長女として生まれついたのがこのあたし、間宮あかりでした。

 

 あたしの幼少期はとても恵まれたものだったと思います。

 次期当主の期待を込められていたあたしは、二つ年下の妹のののかと一緒に一族全員から愛されて育ってきました

 あたしのことを目に入れても痛くないというくらい可愛がってくれるお祖母ちゃん。穏やかで優しい両親。世話を焼きながら両親たちと同じく暖かく成長を見守ってくれた親戚の人たち。

 あの頃は毎日がとても楽しくて、本当に幸せでした。

 

 

 

 でも、そんな優しい環境での生活は終わりを迎えることになったんです。

 あたしがまだ13歳の時。

 

 それは、“地獄”と言う他ありませんでした。

 周りを取り囲む業火、崩れ落ちる建物。

 優しい両親も親戚も周りには誰もいない。ののかとたった二人取り残されてしまったあたしにできることは、ただ逃げるだけ。

 喉は焼けるように熱く、まともに呼吸さえ出来ず、恐怖に体は竦み、震えは収まりませんでした。

 ただ、それでも足を止めてはいけない。逃げないと。早くこの場所から逃げないと死んでしまう。その恐怖だけが足を動かしていました。

 

 ──怖い。怖いよ。

 ──助けて。誰か助けて。

 

 勿論そんな願いが都合よく叶えられるわけがなかったんです。

 逃げたはずの先にはすでに死神たちがいたから。

 ゆっくりと向き直る死神たち。彼ら、彼女らは、統一性の全くない姿をしていました。この世の物とは思えない化け物がいるかと思えば、絶世の美女、果ては年も変わらないような女の子まで。共通していたのは、こちらを憐れむような目で見ていたこと。その目を見てあたしはついに、ああ終わりなんだ、そう感じてしまいました。もうここではあたしが何をしても無駄なんだと“諦め”てしまったんです。

 

 死神たちの一人──黒い少女はあたしとののかの首を掴みあげ、言いました。

“いずれまた来るわ、花を摘みに”と。

 

 そのあと、ののかは首を抑え苦しそうにその場に倒れ込みました。

 苦しそうで、とても苦しそうで。代わってあげたいのになんにもできなくて。怖くて。ただ怖くて。

 ののかがこんなに苦しんでいるのに、あたしはただ泣き叫んでいただけでした。

 

 そのあとのことは、よく覚えてはいません。

 きっと、全て終わったあとであったんだとあたしは思います。

 気が付いたら身を隠すかのようにその地を離れていて、バラバラとなった一族とはほとんど連絡も取れなくて、一転して貧しい暮らしを強いられることとなっていました。

 でも、それは決してどん底じゃなかった。

 あの幸せだった日々は地獄によって壊されたけど、その地獄も今は過ぎ去ったんだから。ののかは助かったんだから。姉妹二人で貧乏だけど、一緒に暮らすことができたんだから。

 

 それから、あたしは一族がそうしてきたかのように、力を隠して、普通の女の子として生活をしていました。

 間宮の存在がばれてしまったら、またあの地獄がやってくるかもしれないから。

 息を潜めて、体を縮こませて。

 あたしにとって、普通の学校に隠れるように通い毎日を過ごすことは、息苦しさを感じるものでした。

 

『石花ソラ。別によろしくはしなくていいから』

 

 ソラ君が転校してくるまでは。

 

 

 

 転校生石花ソラ──ソラ君はびっくりするくらいクラスに馴染みませんでした。

 勉強ができて、運動ができて、顔もかっこいいのに、ソラ君の周囲に人が集まることはありませんでした。

 ソラ君がそれを嫌がったから。自己紹介の時に言った通りに、クラスメイトとよろしくすることを嫌がったから。

 

 ソラ君はこんな普通の場所にいてはいけない存在のような感じで。

 住む世界が違う存在みたいに、周囲から良い感情悪い感情色々な目で見られていて、でもソラ君はそんな周囲を一切無視して、ちょっとむっとしたどこか自信溢れたでいつもそっぽを向いていました。

 

 そんなソラ君に、あたしは一方的にシンパシーを感じてしまったんです。

 

 勉強が苦手、運動はどこかぎこちない、飛び抜けた才能など欠片も無いはずで、自信を持てずに毎日を過ごしていた。まさにソラ君とは正反対のあたしは、身の程知らずにも、どこか世界が近い場所にあるような気がしてならなかったんです。

 

 そう、異物が普通の世界に無理やり混じった感覚を共有してくれる気がして。

 

 だから、もっとソラ君のことが知りたくて毎日声を掛けていました。

 ソラ君は自分のことをほとんど話してくれなくて、返事をするのも面倒臭そうだったけど、あたしの言葉をしっかり聞いてくれていました。

 常日頃から感じていた息苦しさも、ソラ君と話している間はいつの間にか感じることがなくなっていきました。

 あたしは話すのはそんなに得意じゃなかったし、多分ソラ君にとってはあんまり楽しくないばかりだったかも──ただ、あたしにとってはそれだけのことが、毎日の一番の楽しみになっていました。

 

 ……でも、あたしは忘れてました。そんな楽しい日常はいつも容易く崩れてしまうんだってことを。

 

 ある日ことです。あたしが話題にしたのは、最近噂になっている違法ドラッグのことでした。

 別にあたし自身がそれに興味を持っているわけでも、ましては使いたいなんて思っているわけじゃありません。ただ最近周囲の地区では騒ぎになっているから、そんな物があるの怖いねって話題にしただけ。それだけだったのに──

 

『あまりそういうことを口に出すな。声にすれば嫌でも気にかかってしまうことがあるから。怖いのだろう、嫌なのだろう。だから関わりたくなければ話題は選ぶべき。……というかそれ、そもそも話していて楽しいものでもないし』

 

 ソラ君の目を見て、あたしわかっちゃったんです。同じ世界にいると錯覚していた自分と彼の絶対的な差を。

 

 その日を境にソラ君と話す機会が極端に減ってしまいました。

 あたしが避けるようになったわけじゃない。そんなことするわけない。ソラが教室から姿を消すことが増えたんです。

 滑稽な思い込みなのはわかっています。でも、きっかけはあの日の会話な気がしていた。ソラ君は悪くない。あたしが、悪い子だったから。また、また……

 このままじゃ、ソラ君はきっとそう遠くないうちにあたしの前から本当に姿を消してしまうに違いない。

 その予感は当たるようにしか思えませんでした。

 

 ──またあの息苦しい毎日に戻るの……?

 

 なまじ、一度心地よさを感じちゃったからこそ、それを再び迎えてしまうかもしれないという恐怖は尋常じゃありませんでした。

 それでもあたしはなんにもできない。ただ嘆くだけ。

 だって、あたしは弱いから……

 

 

 

 運命の朝、あたしはベッドから跳ねるかのようにして目を覚ましました。

 その日見た夢は最近見なくなっていたはずの──炎に包み込まれた世界。崩れ落ちる妹。ただ泣き叫ぶだけの弱い自分──あの地獄の夢でした。

 

 ──どうして…どうしてまたあんな夢を見るの!?  あたしは……あたしは……!

 

 ──……大丈夫。もう終わったんだ。あの地獄はもう終わったことなんだ。

 ──あたしは、間宮あかりは妹の間宮ののかとこのアパートで二人シアワセに過ごしている。大丈夫、ここはもう大丈夫。

 

 自分にそう言い聞かせて荒くなっていた呼吸も徐々に落ち着かせました。

 

 ──あ。

 ──パジャマが汗で肌に張り付いて気持ちが悪い。

 ──着替えよう。

 

 時計は午前四時くらいを指していました。

 隣ですやすやと眠っているののかを見ると、なんとなく居心地が悪くなって、着替えたあと外へと飛び出しました。

 アパートから離れて、人の気配が無い街を特に理由もなく彷徨っていました。

 目的とかはありません。ただ、あの場にいたくない、いてはならない、という思いだけがあたしの体を動かしていたから。

 

 だからまったくの偶然だったんです。

 

 聞こえてきた、甲高い叫び声。

 即座にその時あたしが出せていた全速力で、その声が発せられたであろう方向へ駆けていきました。どうしてこんなことをしたのかは自分でもよくわかんないです。いかなきゃダメだと思っていたんです。

 声の下と思う場所、日が遮られた路地裏に辿り着き見たのは、複数の男の人たちが抵抗している女の人を連れ去ろうとしている光景でした。男の人たちは明らかに正気じゃなくて、目が虚ろな人までいて、どう見ても普通じゃなかった。やっぱりさっきの声はあの女の人の悲鳴だったんだって。

 

 その時、一瞬頭を過ったのは、炎に包み込まれた世界で崩れ落ちるののかをただ嘆くだけの弱い自分。その光景が震えていたあたしの足を動かしました。

 思考が一瞬で切り替えられる。日常から、非日常へと。

 

 こちらに気づいた男の人たちはあたしを憐れむような、バカにするような、そんな顔で見ていました。

 哀れな少女、これを目にすることが無ければ平和に暮らせたのに、と。

 

 ──やめて! あたしのことをその目で見ないで!

 ──ダメだ、怯んじゃダメだ! それじゃあの時と一緒だ。……う、動かなきゃ、助けなきゃ。だって、守らなきゃいけない人があそこに!

 

 ああ、間宮の技はきっとこんな時のためにあるんじゃないの?

 間宮の技。戦乱を生き抜いた技。そして──

 あたしは、間宮あかりは──

 

 一体(・・)何に(・・)なりた(・・・)かったの(・・・・)

 

 

 

 中途半端な決意なんかじゃ、何も成し遂げられなれやしないのに。

 わかっていたはずだったのに……ううん、全然わかっていなかった。

 怖かった。どんな結果になるとしても。そのまま、男たちに嬲られるのも……自分の手を赤く染めることも。

 あの時あたしは踏み出さなきゃよかったんです。素直に震えて隠れて、警察に連絡していれば、それできっと事件は収束してたんです。

 

 罪滅ぼしでもするつもりだったのかな。

 連れ去られる少女を助ければ、あの時の自分では守りきれなかったののかへの贖罪になるとでも思ってたのかもしれません。バカみたい。結局大事な時に動けなかったくせに。何もできないくせに。

 

 閉じ込められた暗闇の中で、狂ったように笑う男たちの声が外から聞こえて、あたしはなんにも考えられなくなってきました。

 

 怖い。怖いよ。

 助けて。誰か助けてよ。

 

 周りからはそんな泣き声がたくさん聞こえてきました。

 でもそれが無意味だってあたしは知っていました。

 珍しくあたしはそのことに関しては物知りでした。経験者だったからです。

 

 ──助けなんて来るわけない。

 

 諦めればきっとすぐに楽になるのに、と。

 そう諦めれば、諦めてしまえば。

 

 ──ああ、でも、もうののかとは会えないのかな。

 ──やだな。

 

 諦めてしまえば、もう会えない。

 

 ──やっぱり、嫌だよ……怖いよ…………

 

 

 ──お願い、誰か助けて!!

 

 

『はぁ……何ここ、辛気臭い』

 

 それは、とても眩い光でした。

 とても眩しい。でも、それ以上に目が釘付けになる光。

 美しく透き通った鮮やかな琥珀色に見たことのある表情。

 暗闇だったこの場所に光が──生気が戻ってくるように感じられました。

 

 その光景をあたしは一度たりとも忘れたことはありません。

 

 容易く悪を挫き、面倒臭そうにしながらも人を助けて、それでも自分の道を進んでいる気高きその在り方。なんでもできるかのような、こうなりたいと思えるその大きな力を。

 

 その日からソラ君は、あたしにとって強さの(・・・)象徴になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪我負い救急車で運ばれるアリア先輩、その直後に聞かされたののかのこと。殴り込むようにやって来た出来事にあたしは何がなんだかわからなくなって、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。

 そんなあたしを竹中は病院まで送ると手を引いてくれた。道中の竹中は静かに足元の覚束ないあたしを支えたり、濡れないように傘を持ったり、ただ静かに付き添ってくれていた。

 そして、道を半ば来た時、現れた。

 

「あら、奇遇ね」

 

 世間話でもするみたいな気軽さで。

 

「間宮、知り合いなのか?」

「………」

 

 初めは知り合いか何かだろうかとあたりを付けていたようだけど、あたしの様子がおかしいことに気が付いたんだと思う。竹中は震えているあたしを庇うように前に立ってくれた。

 

「悪いけど、今忙しいのだ。話なら今度にしてほしいぞ」

「ねえ、間宮あかり。どっちの(・・・・)お見舞いに(・・・・・)行くつもり(・・・・・)だったの(・・・・)?」

「!」

 

 竹中はその言葉を聞いて警戒心を最大限まで引き上げていた。

 睨みを効かし、いつでも抜けるようにと銃へと手をかけている。

 

「おい、おまえ一体何を知ってるのだ?」

「はぁ……今日は邪魔ばかりはいる日ね。それも男の」

「意味がわからないぞ! おれの質問に──」

「夾竹桃」

 

 そのやり取りの中で、あたしが初めて口を開く。

 そうだった。その黒い女は夾竹桃と名乗っていたんだ。あの二年前にすでに。あの地獄の業火の中で、あたしたちの一族を追い込んだ死神の一人として。

 

 野に咲く経口毒──夾竹桃。

 あたしは二年前のあの日以降にその花のことを調べた事があった。

 葉が竹に花が桃に似通っていることから着いた雅なその名前に反して、花、葉、枝、根、果実、及び周辺の土壌にまでどこを取っても毒性を持つ危険な花。

 綺麗なバラには棘があるが、夾竹桃には毒がある。美しくも、触れてはいけない妖艶、それが夾竹桃。

 その花を名前に持つ少女──前髪が切り揃えられている綺麗な長い黒髪に、スラリと細く白い肌──その少女もまたその名を関するに相応しく、とても怖い人だった。

 

「へぇ、覚えていてくれたのね。嬉しいわ。これでも私はあなたのことを気に入っているのよ?」

 

 どうして今更出てきたの? ──ううん、理由なんて決まってる。

 

「あなたが、アリア先輩とののかを……?」

「半分正解。あなたの妹を毒したのは私だけど、アリアをやったのは私の友人よ」

 

 仲間まで来てるの!?

 でも、なんでそんなことまであたしに話してくるんだろう。……ああ、そっか。夾竹桃は、あたしのことなんて、敵だとすら思っていないんだ。

 

「今のは、自白と捉えていいのであろうなぁ!」

「本当に水を差された気分。普段なら喋る前に毒殺しているところだけれど、仮にも竹中(・・)と殺り合うと上がうるさいのよね」

「な、何を言っているのだおまえは…!?」

 

 夾竹桃の言葉に竹中は目に見えて狼狽していた。

 普段の様子とは全然違うのに少し驚いたけど、原因である夾竹桃は少しも動じず、気にせず、涼しい顔を保っていた。

 

「用件だけ手短に言うわね。──妹を助けたいのなら、私も物になりなさい」

「今のは一体どういう意味なのだ!? 答えるのだ!」

「私、この世に自分が知らない毒があるのを許せないの。間宮の秘毒『鷹捲(たかまくり)』。あなたなら知っているんでしょう?」

「『鷹捲』は毒なんかじゃ……」

「ふふ、嘘ばっかり」

 

 そんなことのために、アリア先輩を、ののかを、間宮のことを…!

 

「呆然としちゃって。全く動揺が隠せてないわよ」

 

 その言葉にこそ、あたしは本当に心が揺らいだ。

 あたし、何してた? アリア先輩やののかが傷つけられたのに、その犯人が目の前にいるのにあたしは怒りもせず、冷静に捕まえようともせず、何をしてた?

 なんで、何もしてないの…?

 自覚してもなお、あたしには何もできなかった。だって、気づいたから。そこにあるのは武偵と犯罪者という狙い狙われの関係じゃなくて、搾取の方向が定まってしまっている圧倒的強者と弱者の関係だって。

 

「ここは、羽虫(・・)がうるさいから。邪魔の入らない場所で」

「なっ!?」

 

 いつの間にか、夾竹桃は目の前まで来ていた。

 最大限に警戒していながらも、すり抜けられたことに反応できなかった竹中は、目を見開いて固まってしまっていた。

 そんな竹中をいないものように扱う夾竹桃は、あたしに一枚のメモ用紙を半ば強引に手渡してくる。

 

「返事は早めにね。間に合わなくなってからでは遅いもの」

「それって……」

 

 不吉だけをバラまいて、夾竹桃は去っていく。

 

「良い連絡を、待ってるわ」

 

 あたしはそれを止めることは、できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ののかの異常の原因は、お医者さんにもわからなかった。

 体はまともに動かなくて、目も見えなくなっているのに、どこに異常があるのか一切わからなかった。

 きっと、夾竹桃しかののかを助ける方法を知っている者はいないんだ。

 

「情けないぞお姉ちゃん。目は見えなくても、まだ耳は聞こえるし、こうして話せるんだから……」

 

 ののかはただ泣いていたあたしにそう言ってくれた。けど、それが強がりだってことはすぐに分かった。ののかはきっとわかってる、このままじゃ自分の命が危ないんだってことも。夾竹桃はきっとその程度(目だけ)で終わる相手じゃない。

 なんとかしなくちゃいけないのはあたしなのに、守らなきゃいけないののかから慰められてもらってる。あたしは、妹一人を守れなかったあの頃から一歩だって進めてない……

 今だって心の底ではソラ君の助けに縋ってる。ソラ君は今クエストで武偵高を離れてるってことを人づてに聞いたばかりなのに、真っ先に助けてほしいなんて……結局間宮あかりは弱くて脆い、守られる側の少女だったということなんだ……

 

『良い連絡を、待ってるわ』

 

 夾竹桃の言葉がよみがえる。

 そんな愚かなあたしを一人差し出せば、大切な妹であるののかの命を救えるなんて、なんと素晴らしいんだろう……

 望んでいた通りに、今すぐあの女(・・・)のものになる。なってやる。

 

 ──だから、どうか、ののかのことは助けて。

 

「……助けて……」

 

 手には、あの時に渡された夾竹桃の連絡先が書かれているメモ用紙が握られていた。

 

「間宮……! まさか本当にあんな奴の言うことを聞く気ではあるまいな!?」

 

 竹中はどうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだろう?

 

「でもね、あたしが夾竹桃の物にならないとののかは助けられないんだよ?」

「そんなのってないのだ! ののかもきっと──」

「なら他にどうしろって言うの!?」

 

 従わないとののかを治すことができないのに……

 それ以外に選択肢なんて最初から──

 

 

「戦いなさい!」

 

 

 そこに響いた声は、ライカでも志乃ちゃんでも麒麟ちゃんでも、竹中でもない声でもなかった。

 

「戦いなさいあかり。逃げるのは、許さないわ」

 

 そこにいたのはあたしの戦姉(アミカ)で正義の象徴のアリア先輩だった。

 アリア先輩の先のバスジャックでケガ──額に巻かれている包帯が痛々しい──をしていて、万全じゃないのに、あたしの元へ駆けつけてくれた。多分、ののかのことがどこかから伝って、心配して。

 

「……!」

 

 でもあたしは、いつものように嬉しい気持ちにはなれなかった。

 見られたくなかった。いてほしくなかった。逃げ出したかった。そう、悪いことがばれてしまった子供のみたいに、ただ体を縮こませていた。

 

「この状況を見れば、何があったのかおおよそ見当がつくけど、まだ大事なことがわかってない」

「あ、アリア先輩……」

「ねえ、あかり。あんたは一体、何を隠しているの?」

 

 アリア先輩が言ってるのは、夾竹桃のことだけじゃないんだよね。うん、そっか、さすがアリア先輩。あたしなんかが隠し事してもすぐにわかっちゃって当然だよね……

 

「何もかも隠したまま、何もかも解決できるの?」

 

 ここが、限界だったんだ。みんなに隠し事をするのも、それを背負って生きていくことも。一緒にいることも……

 

「……ご、めん。……ごめんねみんな」

 

 きっと、今まで隠していた罰が当たったんだ。だって、あたしはそもそもこの学校に来てはいけない生徒だったんだから……

 あたしは一筋の涙が流れる顔で、胸に秘めていたことを話す決意をした。

 それは、どこまでも後ろ向きな覚悟で、弱くて、それでもみんなはあたしのことを見ていた。まだ、視線を話してはくれなかった。

 これが、みんなの顔を正面から見ることが出来る最後の機会になるんだろうなぁ、そう思った。

 

「あたしの家は昔、公儀隠密──今で言う政府の諜報員みたいな仕事をしてました──」

 

 間宮一族のこと。

 代々受け継がれてきた必殺の技のこと。

 そして、二年前の一族への襲撃のことを。

 

「あたしにとって、普通の学校に隠れるように通い毎日を過ごすことは、息苦しさを感じるものでした──」

 

 そしてソラ君と出会って、この学校に来たことを。

 全てを話す頃には、なんだか付き物が落ちたみたいで、晴れやかな気持ちになっていた錯覚がしていた。本当はわかってた。ただ諦めただけだってこと。

 

「──だから、あたしにはもう何も残ってないんです」

 

 全てを話した。

 間宮の技は封じて今はほとんど使えず、武偵高の技は全然身につかなくて、成績はいつも最下位。

 初めから、あたしはこんな場所にいるべきではなかった。ここで学ぶ資格なんて無かったんだ。憧れは自分の手に入りきらないからこそ憧れだったんだ。

 あたしの居場所はもう、どこにも無い。

 

「なあ、あかり。今の話を聞いてさ、やっぱりあかりは間違ってるって思った」

 

 まず口を開いたのはライカだった。瞳は、真っ直ぐあたしへ向けられてる。

 ……どうしてまだあたしのことをしっかり見てくれるの?

 

「ライカ、何を間違ってるって言うの? あたしたちが襲われたのも、ののかが今こんな目に遭っているのも、間宮の術なんかがあったからでしょ!」

「いーや、決定的に間違ってる。あかりは、怒る相手(・・・・)を間違いまくってるぜ!」

「怒る相手……?」

「あかりが今怒るべき相手は、代々受け継がれてきたっていう技でも、自分自身でもねぇ! ののかや家族たちにそんなことをした、夾竹桃やその仲間共だろッ!」

 

 ライカはこう言ってるんだ。そんな奴らを許せるのか。そんな奴らの物になって本当にいいのか、って。

 そんなのあたしだって、何度も……でも……

 

「っず……あ、あかりちゃんが、今まで悲しい過去を……ぐすっ、せ、背負っていたなんて……わだじ()まぜんでじだぁ!」

「し、志乃ちゃん…?」

 

 志乃ちゃんは号泣と言ってもいいほどの涙を流してた。

 ……どうしてあたしのことなんかでそんなに泣いてくれるの?

 

「あかりちゃん、大変だったね。──でも、でもこれからは違います! わたしがずっと、ずぅーっとあかりちゃんの傍にいますから!」

「志乃ちゃん……」

 

 どうしてだろ、諦めていたはずなのに、夾竹桃の物になろうとしてたはずなのに、ほっぺに温かいものが流れてくる。

 

「そうですの! 麒麟も微力ながらお力添えしますの!」

 

 麒麟ちゃんも。

 

「ということだぞ! さっきは頼りないところを見せたかもしれないけど、ここにいるのはおれだけではないのだぞ。みんな間宮に力を貸すって言ってるのだ。それでもまだ頼りないとは言うまいな?」

 

 そして、竹中も。

 

「ううん……ううん!」

 

 頼もしいに決まってる。何より嬉しかった。

 秘密を話してもまだこんなあたしのことを受け入れてくれたことが。

 

「……あたしも……あたしもまだ、みんなと一緒にいたい…っ!」

 

 窮屈だったあの頃とは違うんだ。あたしの場所は、ここにあった。

 だって、あたしにとって、武偵高で過ごす毎日は、とても暖かで楽しいものであったんだから!

 

「全く、言いたいことはみんな言われちゃったわね。そう、あんたは何も残ってないわけじゃないわ。こんなにも大事なものをまだ持ってる」

 

 ──そう、こんな大事な仲間たちを、あたしは持っているんだ!

 

「1年暗唱! 武偵憲章1条!」

 

『仲間を信じ、仲間を助けよ!』

 

 ライカ、志乃ちゃん、麒麟ちゃん、竹中。

 みんななんの迷いもしないで、声を揃えて、助けると言った。一緒に戦ってくれると言ってくれた。

 

「……みんなぁ……」

 

 いつの間にか涙が止まらなくなってた。

 あたし泣き虫だ。アリア先輩みたいな強い武偵を目指したいのに。……でも、今くらいは泣いてもいいよね。だってこれはさっきまでの涙とは違うもん。それが心の底から嬉しいんだ。

 

「あかり、あんたに初めて作戦命令を出すわ」

「!」

 

 いつか夢見ていた、憧れの人物と同じ舞台に立つことのできるキーワード。

 内容は決まっていた。

 アリア先輩は額の傷の借りを返しに行く。やられっぱなしなんて天下無敵のアリア先輩らしくはないんだから。

 そしてあたしは、間宮あかりは──

 

「あんたは、あんたの敵──夾竹桃を逮捕しなさい」

 

 一度目は力がなくて助けられなかった。二度目はソラ君に助けてもらった。だったら三度目は、今度こそは、あたしの手でケリを付けるべきなんだ!

 『夾竹桃の物になる』んじゃなくて、『夾竹桃を倒して』ののかを助ける!

 

「作戦コードネームは──『AA(ダブルエー)』。アリアとあかりのAよ。同時に二人の犯罪者を逮捕するの」

「……はい!」

 

 ソラ君に憧れてここまで来たのに、アリア先輩と戦姉妹(アミカ)を結んだ理由がわかった気がした。あたしはソラ君とは違う。ただ強いだけで人を救うことなんてできない。だから正しさが欲しかったんだ。

 そうだよ、あたしが成りたかったのは、こんな逆境を跳ねのけてみせる──

 

 

 ──ヒーローだったんだ!

 

 




 なお、夾竹桃戦&ハイジャックは鷹捲で木っ端微塵になった模様。

 次回ChapterⅠのEpilogue。
 なるべく早く投稿します。


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Epilogue『あなたは知らない』

 それは去年の夏休みの出来事。

 

 日差しを避けるように校門近くの木陰で、ライカを待っている最中、すぐ傍をうろうろしていた一人の少女と目が合ってしまう。

 その少女もこちらに気づくと迷いなく駆け寄って来た。

 知らなければ、小学生にも見えるその幼すぎる容姿。間違っても同学年に見えはしない。が、僕は知識としてそいつが同学年だと知っていた。そして、相手にも知られてしまっていた。

 少女は汗で髪が張り付いた顔をほっと緩めて、

 

「あ、ソラ君だー。ひさしぶりー!」

 

 まるで知人にでも出会ったかのような軽さで話しかけてきた。少しの間、同じ学校の同じクラスにいたというだけなのに随分と馴れ馴れしい。

 

「えへへ、もしかしたらと思ったけど、やっぱりここの生徒だったんだねっ!」

「……それで、間宮。どうしておまえがここにいる?」

「あ、名前覚えていてくれたんだ。嬉しいなー」

 

 ああもう、話が進まない! 何このアホ少女。

 

「どうでもいいだろ今そんなことは」

 

 僕が急かすと、聞きたいわけでもないのに、間宮はここに来た理由──この東京武偵高付属中学に編入しに来たこと──と、どこへ行けば分からず迷ってしまったのだと、ぺらぺらと語りだした。聞いてもないのに。

 

「えっと、編入の窓口がどこにあるのかわからなくて……。そうだ! ソラ君教えてー」

「武偵になりたいのなら、その程度のこと自分で考えるべき」

「あはは……そ、そうだよね。うん、もうちょっと頑張ってみる」

 

 間宮がこれから行うことはただ事務室探すだけなのに、胸の前で握り拳を作って「頑張るぞ!」のポーズをしている。その上何故か僕のすぐ隣で案内のパンフレットの地図とにらめっこ。

 そして十数秒後、焦ったようにパンフレットをグルグルと回し始めた。

 どうして回すという発想に至経ったのか。回せば解決すると思っているのか。

 果ては、ぷるぷると震わした体に泣きそうな顔で、視線を僕と地図を交互する始末。

 

「はぁ。そんなこともわからないのか。……あっちだから。そこを真っ直ぐ行って次の角を右に曲がった先、正面にある建物。中に入ればおまえが余程の視覚障害者でもない限り、案内がすぐ目につく。一応言っておくと二階」

「あ、ありがとう」

「別に。いつまでそこにいてもらっても邪魔なだけ」

 

 そうしてまた間宮は駈け出して行ったが……

 

「違う! 誰がそっちだと言った。僕が言ったのはあっち!」

「あれれ?」

 

 バカか。バカなのか。

 僕はもう一度(三度目が無いように)懇切丁寧に教える。

 全く目を離せないとはこのことだ。またとんちんかんな方向へ行きはしないかと見張る。また注意するのはメンドウだからな。

 今度こそ真っ直ぐ目的地へかけて……行く途中で一度立ち止まり、こちらに振り向いて、

 

「ソラ君!」

「はぁ……今度は何?」

「えっと……」

 

 確かあの時はこう言ったはずだった。似合いもしないぎこちない笑みで──「また同じクラスになれたらいいね」と。

 

 ──でも、この間宮は違った。

 本来の記憶のように『不安そうな顔』ではなく、『真っ直ぐ自信にあふれた顔』で、

 

 

「あの時言えなかったけど、もうあたしは大丈夫! 自分が進む道はしっかり見つけることが出来たからー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは久しく感じられたとてもさわやかな目覚めだった。

 例えるのなら、ずぶ濡れの服──そう、ずぶ濡れの寒くて、鬱陶しくて、重いそんな服を脱ぎ去ったかのような解放感。

 きっと良い夢を見たせいだ。内容は覚えていないが、きっと良い夢だったのだろう。

 ゆったりとした覚醒と共に自然と開かれていく瞳。

 そうしてその瞳が最初に映した、すぐ目の前で僕の顔を覗き込んでいたレキ先輩。

 

「………」

「………」

 

 ──脳ミソに直接メンソールを放り込まれた気分になった。

 

「……何、やっているのですか?」

「医療行為です」

 

 いや、あなた寧ろその逆をする方の人だろ。人を治すとかいうより人を壊す人だろ。

 

「やはり、中々いいものでした」

「え、何が?」

 

 ……なんか大切なものを失った気がするのは何故だろう?

 というかおかしい。どうしてこの人僕の寝室にいるのだろう? 電波が拗れて自分の部屋の場所さえ見失ったのか。

 

「今医師を呼びます」

 

 医師? そうか、ついに自分の電波を治そうと決意したか。だが悲しいかな。もうそれ、手遅れですよ。あなたの頭は現代医学では処置不能なほどイカレてれています。カロリーメイトジャンキーです。なんてこった。

 とまあ、冗談はここまでにして。もしかしなくとも、ここは病院だろうか?

 真っ白なベッドと布団。鼻を軽く刺激する薬品の匂い。琥珀色の陶器でできた花瓶に飾られた花。棚に積まれた多量のカロリーメイト。

 ……ああ、うん。

 僕のスポンサーに大○製薬がいたなんて初めて知った。ポカリとかの方がよかったな、と。

 

 少しして駆けつけてきた救護科(アンピュラス)の矢常呂教員の話では、一時期危険な状況に陥りはしたが、もう大丈夫とのこと。

 矢常呂教員が簡単な診察をし、病室を去ったあと。

 落ち着いてきた僕の頭は今どうしてこうなっているのかを鮮明に思い出し始めていた。

 

 ──そうだ。アリア先輩たちを調べるにあたって、その過程で武偵殺しの疑惑を峰理子──凡人女に感じた僕は追跡することにして……

 これは監視対象にちょっかい出されてメンドウな事態になったら僕も嫌だからそうしただけであって、他意は無い。

 そして、あの夜のこと。

 場所は確か、西海岸沿いだった。

 真おかしなことに完璧な僕の隠遁が見破られたため、その場を退こうとしたのだが、フリフリ着た凡人女がなんかムカついたのでそいつだけでもぶっ飛ばそうとした。

 不幸だったのは、その日寝不足がピークで、マジで笑えないレベルに絶不調だったこと。意味不明な毒を打たれ、呼吸が止まり死にそうになったこと。

 そんな絶体絶命の状況下であっても、僕はこの通り天才だから離脱することは出来た。が、それでも体を蝕む毒が無くなるわけではなく(というか、この毒を打ったから無理に追ってこなかった気もする──という考えは負けた気がするので嫌だし却下)、とにかく実力(・・)で三人から逃げ切った天才である僕も、虫の息。

 こんな状態では救急車も呼べない。そこまで弱っていた僕の前に現れたのが──ニンジャだった。

 

『石花殿! お気を確かに!』

 

 意識が途切れる直前に聞こえたあの声を今でも覚えている。

 ……ゴメンニンジャ。今まで、理由もわからず近づいてくる不気味な忍者とか思っていて。感謝のしるしとして、遺産相続人にはおまえの名前も書いておくよ。

 とにかく全部思い出した。

 

「負けたのですね」

 

 ……いるよね、こういう極論でしか考えられない人。

 僕はこうして生きているわけだし、そもそもあの凡人女の思惑半ば見破ったようなものだし、俯瞰的に客観的に総合的に見れば真の勝者が誰だろうとすぐわかると思う。

 まあ僕はこの通り謙虚で誠実な人柄であるから、態々声に出してそんなこと言ったりはしないが。

 

「これです」

 

 ……これ?

 そうしてレキ先輩が手渡してきた物は、一枚の紙だった。倒れていた僕が持っていたものらしいが、生憎覚えがない。

 とりあえず見てみよう。えっと何々──『理子の勝ち☆』ぐしゃ!

 

「すみません、これただのゴミです」

 

 僕はなんにも書いていない汚らしい紙きれをビリビリに破り捨てる。

 

「確かに、あなたの力はアリアさんやHSSのキンジさんにも匹敵します。まともに戦えば私では相手にもなりません。しかし、あなたはとにかく詰めが甘い」

 

 今世紀最大のしっかり者と謳われる僕を捕まえてなんとも酷い言いぐさ。

 しかし、レキ先輩のよくわからない説教のようなものは続く。言葉を若干とぎれとぎれに。

 こんな時にもコミ障電波の影響が。長文を喋ることになれていないのだ。無理しやがって。休憩挟んでいいですよ。そしてそのまま、バックホーム。

 

「今回は敵が、それ以上に甘かっただけです。私が相手なら、出会った瞬間に風穴を開けています」

 

 さすが出会いがしら唐突に無く打ってきた人の言うことは違う。

 恨んではいないが、忘れてもないから。

 

 ──文字通り、物理的に、胸を撃ち抜かれたことを。

 

 ただ、それを思い出してはいけなかった。

 何故なら、トラウマ発現で体の震えが止まらない……

 鬼畜電波の目の前には負けて帰って来た部下一人。考えてみれば、この鬼畜悪魔電波のことだ。「何おまえ失敗したの? なら死刑ね、風穴ね」と、言われてもおかしくないだろこの状況!

 

「まだ、色々言いたいことはありますが──」

 

 誤魔化すのはやめて素直に思う。

 恐い怖い怖い。この人すごく怖い……おうちかえりたい……

 

 

「生きていてよかった」

 

 

 その瞬間、あのレキ先輩が微笑んだような気がした。

 もしかしたらそれは光の加減のせいでそう見えた幻だったのかもしれない。驚いて瞬きして見てみると、いつも通りに無愛想で無表情なレキ先輩に戻っていたのだから。

 

「は? それだけ、ですか…?」

「それだけ、とは?」

「い、いえ、てっきり何か処罰が言い渡されるのか、と」

「ソラはお仕置してほしいのですか?」

「ほしくないです!」

 

 蓮華ではないのだから自ら進んで痛みや恐怖が欲しいなど思うものか。

 

「罰というものなら、ソラはもう受けているはずです」

 

 それは毒のことを言っているのだとわかった。生死を一度さまよっただけのことを罰としてくれるなんて、何か今日のレキ先輩は優しすぎるだろ。おかしいな。

 

「改めて、体に異常はありませんか?」

「ああ、それなら全く……」

 

 ──ハッ!

 危ない危ない。あまりにも自然に聞こえる質問のせいで、正直に答えてしまうところだった。この人のことだ、僕が元気だと知ったらまたこき使う気満々に違いない。早々パシリコンディションを確認してくるとは鬼畜の鑑。

 気遣っているだけではないかって? ……何それ、頭大丈夫?

 

「全く元気ではなく、先週がジャンプ合併号だった月曜日な気分です!」

「……そうですか。それは残念です」

 

 残念とか言っている、この人。やっぱりすぐ僕のことをこき使う気だったのだ。恐ろしい……

 

「ああ、そうだ。結局僕はどうなり助かったのですか?」

 

 元々武偵殺しを追っていたアリア先輩が独力で逮捕して……と言うのが一番ありえる形だ。他には、ニンジャがあのあと、僕がこうなった原因を辿ってというのもある。大穴でこの人自身が助けてくれたという可能性は……無いな。

 

「ソラを助けたのは……間宮あかりです」

「は?」

 

 どうやら僕の耳はおかしくなったみたいだ。それともあれだろうか、レキ先輩の面白くないジョークの一つだろうか。

 

「間宮あかりが、あなたに毒を打った夾竹桃を、逮捕しました」

 

 そして、レキ先輩は今回起きた事件の詳細を、淡々と言葉少なく、けれども要点を押さえて語った。

 武偵殺し──峰理子の方はアリア先輩と遠山先輩が撃退し、黒い女──夾竹桃は間宮たちで挑み、最終的に間宮が倒したということを。

 

「ウソ……だろ……」

 

 だって、間宮といったら、あのチビッ子でへっぽこで自分の力を扱い切れていない半端者だというのに。そんな間宮があの黒い女に勝っただって?

 しかし、レキ先輩はどう見てもウソを言っているようには見えなかった。今だ信じがたいことこの上ないが、ウソではないのだろう。

 

「どうしたのですか?」

「いえ、少し驚いただけです。まさかあのとろい間宮が……妙な才能は認めますが」

「そうですか」

「はい」

 

 そうか、あの間宮が……

 しかしこの時、僕には感傷に浸っている余裕は無かった。

 

「それでは、私はもう行きます。ソラ、あなたにはしばらくの休暇を出します。ゆっくり休みなさい」

「……ッ!」

 

 今度こそ開いた口が閉められない。今日だけで何度驚けばいいのだろう。鳥肌が立ちすぎて今すぐ内の皮膚を破る勢いだ。

 レキ先輩が、休めと僕に言った、だと……?

 確かに今回の寝不足の原因の半分は僕にあったのは言い訳のしようがないが、もう半分はレキ先輩が押し付けてきた仕事やパシリにあったことも疑いの余地がなくて。僕はしたいことしていただけだし、そう考えるとレキ先輩が悪くない? とか実は思い始めていた僕だったが。やっぱりそうだった。

 しかし、だからこそおかしい。こんな僕が悪いと思えるレキ先輩は極悪人なわけで、そんな極悪人が病人を労わるようなことを言うわけがない。

 

「……私も少しソラに──」

「そんな言葉で騙されると思ったら大間違いだから、この偽者!」

「………」

 

 数秒後、この病室に銃声が響き渡り、レキ先輩の退出した部屋の中にはよりボロボロになった僕の姿が。

 結果、入院予定期間が一週間伸びました。

 ああ、やっぱりレキ先輩は魔王だ。僕がただ休むのが気にくわないからって、物理的に休まずにはいられないよう仕向けるなんて…!

 

 

 

 

 

 窓の外から、風の音だけが聞こえる。

 とても静かだ。

 夢にまで見た静寂を手にしたというのに、何故かそれをあまり楽しくは思えなかった。

 

 

 

 

 

「それで、蓮華は何しに来たわけ?」

 

 ノックもせずに入って来た無礼で胡散臭い知人を睨みつける。

 しかし、相手はそんな僕からの圧力を全く意に介さずに、相変わらず楽しそうな顔で僕を見つめ返してきた。

 

「ご主人様の到着だ、ほら足を舐めろ」

 

 おいこら、誰が誰のご主人様だ。

 

「……寧ろおまえに舐めさせてやろうか」

「え!? いいの!? じゃあ早速──」

「いいわけあるかー!」

「ぐエェッ!!」

 

 こ、こいつ、本気で舐める気だった。き、気持ち悪い。

 

「酷いぃ。足を舐めようとしただけなのにぃ」

「ああ酷いな、おまえの脳ミソ」

「冷たいんじゃないかな。せっかくお見舞いに来てあげたのに。あと、下の世話とかしに来てあげたのに、ふひっ」

「帰れ」

 

 追い返そうとする僕の言葉に、蓮華ははっと気づいたかのような顔をして、懐をまさぐりそして、カロリーメイトを一箱取り出し、棚に置くと、とてもやり遂げたかのような顔をこちらに向けてきた。

 

「いや、別にお見舞い品を催促したわけでも、ましてはカロリーメイト好きでもなんでもないから」

「またまた~。そう言えば知っているかな? 最近新作が出たらしいよ。確かトマト味だったかな」

「知っている。出て早々買いに行かされたのだから」

「寝不足にパシリは堪えたんじゃないかな?」

「買い出しくらいで僕をパシリと呼ぶな」

「いや、監視とかも含めてだよ?」

 

 蓮華とは記憶にある限り最も長く付き合いのある人物だが、どうもその人物像がはっきりしない。

 ふざけているのかと思えば、唐突に核心に迫ってくると思えば、ふざけている。

 まるで、未来が見えたり、人の心が読めたりでもしなければ知らないはずの情報だっていつの間にかこいつは手に入れている。そして何より──

 

「……僕をはめた張本人のくせしてよく言う」

「あららん、人聞きの悪いかな。いやハメたいかハメたくないかって言われたらそりゃあハメたいけれど」

「あの夜、僕の位置を漏ら(リーク)したのはおまえだろ」

 

 いくら寝不足だったからと言って、あんなに簡単に隠れているこの僕の位置がバレるわけがないから。だって僕天才だし。

 

「しょ、証拠はっ!? 証拠はどこにあるって言うのかな!? はっ、証拠も無いと言うのに人を疑うなんて酷いものだねぇ! ──そうだよ。証拠が見つかるはずがない。だって自分の手であの時確かに」

「何その隠す気無いモノローグ」

 

 どうやらこいつ、隠す気はゼロらしい。反省もゼロらしい。

 

「だって仕方ないよー。この時点でソラ君に動かれ過ぎては困るし。確かに最初は生で物語が見れればいいと思っていたけど、ほら、自分がここにいる意味とかふと考えることがあるじゃない? そう思うとやっぱり“沿い”じゃなくて“ブレイク”かなーとかと考えたけど、それでも最初から外れすぎるのもどうかと思うんじゃないかと自分は考えたわけなんですよ。“レ○プ”っていうもの聞こえが悪いし。それにほら、裏方系とか黒幕系とか一度は憧れるものじゃないかな?」

「それ、なんの話?」

「今自分が書いてる小説の話に決まってるじゃないかー。言わせんなよ、テレ」

「あー、うん。説明する気もゼロだということはわかった」

 

 蓮華は精神病の疑いがある。真面目な話。

 話しの脈絡がなさすぎるから。あと、下ネタ言わないと死んじゃう病とかもありそう。おとなしくそのまま死ねばいいのに。

 

「というか、ソラ君が理子ちゃんに手を出すとは思わなかったよ。あ、手を出すってそっちの意味じゃないよ? もうーエッチなんだからっ! ……ウソウソ! そんなに怒らないでほしいかな。あーうん、続き、続きねぇ。えっと、あ、そうだ。だから焦って手荒な展開にしちゃったかな。それは後悔してるし謝る」

「またよくわからないが……で、土下座はいつするの?」

「真顔で土下座を要求された!? ……えっと、まずベットから降りて、片足を上げている理由を説明してほしいかな?」

「頭踏もうと、踏みつけようと」

「く……仕方ない。……はぁはぁ……。悔しいけど誠意を表すために土下座しかないね! 日本人として! ……はぁはぁ、じゅるり…!」

 

 ダメだコイツ。

 病室の床が一部濡れているし。気持ち悪い。世の中の武偵はどうしてこの変態をさっさと逮捕しないのだろうか。

 

「とにかく、いくらあかりちゃんたちが大事だからと言って、あんなフラフラした体で理子ちゃんを追跡するとは思わなかったかな」

「どうしてそこで間宮の名前が出てくる。僕が峰理子に探りを入れたのは監視対象にちょっかいを出されたら嫌なだけ。床は拭けよ、キモイから」

「監視対象に何かあったらどうなのかな? ソラ君は見ているだけなんだからそれこそ関係ないことだし、その理由こそ石花ソラとしてありえないね。それは建前だ。ゴシゴシ」

 

 蓮華はそう断言した。

 僕は特に否定をしないであげた。

 

「そもそも峰理子にたどり着いたプロセスからして、自分を誤魔化し過ぎじゃないかな。ソラ君は、武偵殺しを調べるにあたって峰理子にたどり着いたんじゃない。峰理子を(・・・・)調べるに(・・・・)あたって(・・・・)武偵殺し(・・・・)と言う真実に(・・・・・・)辿り着いたんだ(・・・・・・・)

 

 蓮華は戯言を続ける。

 

「つまりはリストにいた怪しい奴を調べたんじゃなくて、元々怪しいと思っていた奴がそのリストにもいたに過ぎないってことかな。監視対象のクラスメイトだっただけとか動機弱すぎだし。でもまさか言い訳(・・・)作りのためだけに、本腰入れてアリアちゃんとキンジ君まで調べ直して、寝不足を加速させるのはいくら自分でも予想外だったかな」

「意味がわからない。どうして僕がそんなことをしなければならない?」

「最初に言ったじゃないかな? あかりちゃんに唐突に近づいて来た怪しい輩が許せなかったんだ、キミは」

「は? 証拠は?」

「今度はソラ君がそう返すのかな? まあ、一つ言うのなら、ソラ君が集めた情報だけで理子ちゃんに辿り着くには無理があるよってところかな。あと武偵殺しが監視するにあたって邪魔であるなら、キンジ君が襲われた時点で調べてなければおかしいし」

 

 天才であるからこそ本来必要ない業務を偶々暇つぶしに気分で目を向けていただけのこと。それ対しておかしいとか言われても困るし。ホント偶々気分だったし。気まぐれとかいうやつで間違いないし。

 

「理屈が完璧じゃないなら、感情が挟まっていないと説明はできない。そしてソラ君は、アリアちゃんやキンジ君にそこまでの感情を向けているとは思えない。話は少し逸れるけど、少し前に中華系ギャングが潰された事件があったじゃないか。それもソラ君でしょ? メンバーの一人があかりちゃんのこと車で引いているもんねぇ。こっちは少し叩いてやれば何か出てくるんじゃないかな? ソラ君、ほら、詰めが甘々だし」

「………」

 

 犯人はおまえだッ! と言わんばかりに僕のことを真っ直ぐ指さしポーズを決める蓮華。

 このメンドウな空気に先に根を上げてやったのは僕だった。僕ってほら、大人だから。

 

「……間宮のこと、見くびっていた。見直した。それは認めてやるから」

「ほうほう、それで」

「それだけ。あと、アリア先輩のことは結構気に入っている方。そうとだけ言っておく」

「へー、意外かな。まだアリア先輩のことそう思っていたなんて。あかりちゃんと間宮の秘密関係であんなことになったのに?」

「間宮にも言ったが、少なくとも9条破りクセに関しては、完全に間宮自身が悪い。──それに、それだけ早くバレたということは、アリア先輩が」

「アリア先輩が?」

「ごほんっ……アリア先輩が、あかりのことをしっかり見てくれていたということだろ。僕には関係ないが」

「なるほどなるほど、ソラ君と同じようにかな」

「はあ? 僕には関係ないと言っただろ。その耳は飾りなのかそうなのか。なら邪魔なだけだから今すぐ切り離して生ゴミに出して来い」

「照れ隠しが猟奇的過ぎるよ!!」

「誰が照れ隠しか、誰が」

 

 完璧な僕はこの程度のことで照れたりなどしないから。

 

「でも、ふーん、そっかー。そう濁してきたかー」

 

 そして蓮華はウザい顔のまま、またもや懐をまさぐると、

 

「なら今度こそ、お見舞い品を渡さないといけないねぇ」

 

 僕のベッドの上に取り出した何かを置いて来た。

 警戒しながらも目を向けて見る。

 

『ロリロリ天国 ~お兄ちゃん、あかちゃんはどうやってできるの?~』

 

「死ね」

「じょ、冗談だよ! 冗談! 本命はこっち」

 

『月刊エロス 誇り高き姫騎士特集』

 

「………」

「需要に合わせて、基本和姦ものだよ! ……自分としては女騎士と言えば、捕虜、オーク、触手なんだけど。ソラ君は変わってるね!」

「し、死ねばいいのに……」

 

 表紙にはどこを守っているのか意味不明なほど、面積が少ない鎧を着こんでいる女性の姿が写っていた。

 

「真面目な話、入院中大変じゃないかな、と思った次第で」

「真面目な話をしたいのなら、下半身ではなく、僕の目を見ろ」

「死にかけにしてしまったのは本当に悪いと思っているんだよ。まさかあの状態になってまで『奥の手』を使わないなんて思わなかったからねぇ。いや、手はある意味これからシコシコ使うのかもしれないけど」

「『迅雷』は使わなかったわけではなく、使えなかった。だから目を見ろ変態」

「あの寝不足マックス状態ならそうだろうねぇ。というか『迅雷』はソラ君にとってもはや通常技じゃないかな。自分が言いたいのは『疾風』の方だよ。あれならあの時でもある程度は使えただろうし、使っていたのならボロボロになるなんてまずありえないんじゃないかな。そこまで使うのが嫌だったていうのも予想外だったかな」

「………」

「そ、そんな怖い顔はやめてほしいかな」

 

 ……別に怖い顔などしていないから。

 とにかく蓮華はもう帰ってほしい。僕はしばらくゆっくりしたい。

 

「あ、そういえば、話変わるけど」

 

 逆に、おまえの話が一貫としたことがないが……

 

「実力テストは三日後だよ」

「え……?」

 

 今、なんて言った……?

 

「一応目は覚めたみたいだし、追い込み無駄にならずに済んでよかったんじゃないかな! 寝不足の本当の原因はそれだもんねぇ。あ、ソラ君は試験前オ○ニー我慢派? 発散派?」

「今すぐ死ね」

 

 それだけ言い残し、蓮華は病室を去っていった。

 ……おい、ウソだろ。もう、なんかいろいろ抜けてそう。今回はいつにも増して頑張ってきたのに。憎たらしいあいつの顔を屈辱に染めるために!

 しかも……

 

「……あいつ、置いていきやがった」

 

『月刊エロス 誇り高き姫騎士特集』

 

 ……これ、どうしよう?

 どうせなら、参考書とか持って来いよ。

 

「はぁ…………」

 

 心臓はもう完全に落ち着きを取り戻している。

 しかし、まあ、蓮華との会合は、心労が増えるばかりではあったが、収穫もあった。僕は『疾風』のことを奥の手だなんて思っていない。だが蓮華はそう勘違いしているということ。使わない理由はそんなものではないからだ。

 

「なんでも知っている奴とばかり思っていたが──」

 

 窓から病院の外へ目を向けると、蓮華が丁度建物から出て帰路についていた。

 振り向いた蓮華と顔を合わせないようにカーテンを閉める。

 見られてはいけない。

 窓で微かに反射され移った僕の瞳は、薄っすらと緋色の光を帯びていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、退院するのに一週間はかけずボロボロの体に鞭打ちながらも二日で退院、今僕は諜報科(レザド)へ足を延ばしていた。

 表向きの入院理由は任務での負傷、のみ。そう通ったはいいが、入院後の手続きやらなんやら、メンドクサイ。

 しかも、何故かライカが付き添って来ているし。どうやら見張りのつもりらしい。

 

「別に逃げたりしないから」

「どーだか」

 

 結局、手続き自体は特に不足なく終ったのだが。

 

『石花チャン、退院オメデトウ』

「……どうも」

 

 どこからともなく聞こえる声。やはり声を掛けられたか、と僕は思う。ただ、声はしてもそこには誰もいなかった。

 人と目を合わさず話すのが失礼な世の中で、姿すら現さないこの男(?)に教員の資格はあるのだろうか?

 

「何か用ですか? チャン・ウー教員」

 

 それにしても……ただでさえ不気味な正体不明存在なうえにオカマ声って、正直気持ち悪さしかない。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ここまで人の不快指数を上げてくる奴も珍しくて逆にあっぱれというくらいに気持ち悪い。

 

『何カシツレイナコト考エテナイカシラ?』

「いえ別に」

 

 教員でなかったら無視してダッシュで場を離れるレベルとしか思ってない。

 東京武偵高の教師の変人度は本当に異常。問題起こして、全員首になればいいのに。

 

『石花チャン。コノママダト必修ノ単位落トスワヨ』

 

 どうして年の初めから単位のこと心配しなければいけない。天才なのに。理不尽だ。

 

「やっぱり、まともに行ってないのかよ」

「ライカには関係ないから。えっと、卒業までに必要な総単位数自体は確保しているはずですが。それでなんとかなりません?」

 

 レキ先輩のせいとしか言えないが、無駄に高難易度の任務を複数こなしているだけに、単位の数だけは揃っているのだが、1年にはメンドイことに必修授業とやらがある。

 まあ、本当に必修かと言われると抜け道はいくらでもあるが。というか僕程の逸材を留年させてみろ。人類全体の損失間違いなしだ。一兆人分の土下座でも釣り合わない。

 

『ソレハソレ、必修ハ必修ヨ』

「おいこらオカマ」

『石花チャァン…?』

「何か?」

「おまえの扱われ方は絶対サボってるとかだけじゃなくて、その態度が問題だとアタシは思う」

「だって基本的に年上は敵だ」

「範囲広っ! ん? でも麒麟とかにもソラは厳しいよな?」

「大体年下は敵だ。あと同年代も年が同じというだけで僕と同じ位置に立ったと勘違いしてそうで結構ムカつくな」

「おまえの人生敵ばっかだな」

『仲ガ良ノノネ』

 

 まあ確かにライカのように仲が良い奴はいる。それでいいではないだろうか、とか綺麗にまとめてみる。

 

『石花チャンハ諜報科(ウチ)ノ秘蔵ッ子ダシ、事情ハ考慮スルワ。ソノ代ワリヤッテモライタイ仕事ガアルケド』

 

 ほら来た。結局必修なんて僕を使うための口実。どうせどうあっても進級は出来る。問題はいつまでパシリが続くかだ。

 みんな僕の才能をいくら妬んでいるからってパシリに使いすぎ。

 

「ま、おまえが悪いんだけどな」

「はあ? 一切合切そんなことは無いから」

 

 言うまでも無いことだが、僕がこんなつまらない場所をまだうろうろしている理由はオカマと話すわけではなく、ニンジャに会うためだ。

 オカマに捕まって無駄な時間を過ごしてから少しして、ようやく目的の人物を見つけた僕は、ライカに少し離れたところで待っていてと告げてからその人物──ニンジャに近づいた。

 

「おや、石花殿でござるか。退院祝い申し上げる」

「態々言われるほどでもない。でも、その言葉は一応受け取っとく。あの……あ、ありがと。今回は迷惑かけた」

 

 最終的に助けてくれたのはあかりでも、最初に命繋いでくれたのはニンジャなわけだし。

 

「……いえ、某は何もしてないでござる」

「謙遜か? 倒れた僕を介抱してくれたのはニンジャだろ」

 

 この僕がお礼を素直に言ってやっているのに、ニンジャはどこか浮かない顔。それにチラチラとこちらをうかがうように見ている。その様子は何かを恥ずかしがっているようにも見えた。ニンジャが見ているのは……僕の口元?

 

「あ」

 

 そうだあの時僕は呼吸が止まっていたと聞いている。ということは、救急車が来るまでの間、そういうことをしていたわけで。

 

「それはノーカンとみなしていいはず、一般論的にもほら人命救助だし」

 

 忍者をしていてもニンジャは女子高生だ。

 確かに同じ年頃の男子に救助とはいえそういうことをしていたら、その場ではともかく、思い出した今は羞恥などの感情を抱くのは致し方ないのかもしれない。

 

「い、いえ! そうではないでござる」

「あー、もう。悪かったよ。遠山先輩ではなく」

 

 しかし、あまりにも後悔しているふうな体を取られるのはちょっと胸に突き刺さる。

 確かに好きでも無い奴とそういうことするのは嫌だろうが。

 

「な、何故(なにゆえ)師匠の名前が…?」

「はぁ、もう。僕が珍しくお礼言っているのだから素直に受け取れよ。あと、謝ってやってもいいし……」

「だからそうではないのでござる。石花殿を助けたのはレ……」

「ライカがそろそろ焦れてくるだろうし、僕はもう行くから。この埋め合わせは絶対してやるから、その……あれだ、覚悟しろっ」

「石花殿ー!?」

 

 ニンジャが呼び止めてくるが、これ以上ここに居ても何か恥ずかしくなるだけ。だからライカと合流してすぐにここを出た。そして帰路に着く。

 既に空は、赤みを増してきていた。

 

「なんの話してたんだ?」

「ライカには関係ないだろ」

 

 あまり言いふらすようなことでもない。ただニンジャがとても気にしているなら、今回は一応僕に非があるとも言えなくもなくもない。もしファーストキスだったとしたら、取り返しのつかないことさせてしまったかもだし。

 というか、僕のファーストキスの相手はニンジャか……うむ、顔は可愛いし許してやろう。なんて事言ったらさすがに最低なことはわかる。

 

「……関係ないが。女の子のキスっていくらだろうか?」

「は……? はぁ!? はあああああ!!?」

「そうだ。例えば、ライカだったらいくらで僕に売ってくれるのか。もしくは埋め合わせの方法でもいい」

「え? え? え!?」

 

 埋め合わせをすると言った以上、ニンジャとの問題は早く解決しておきたいし。

 

「あ、あ、アタシは、その……ソラだったら……その…………」

 

 声がどんどんしぼんでいって最後の方は僕の聴力をもってしても全然聞こえない。何事もはっきり言うライカにしては珍しい。適当にすっぱり答えてくれればいいのに。

 

「いや、あまりそう考え込まれても困るし。聞いてみただけというか、半ば冗談の類だから」

「な、なんだよもう!」

「え、何、もしかしてしたかったのか」

「ち、ちげーよ! バーーーカ!!」

 

 しばらく、ライカの態度が変だったが、やがて諦めたかのように溜息を(これ見よがしに)吐いたあと、いつもの態度に戻った。

 そして、僕がクラスいなかった数日のことやら──一時期、間宮と竹中の中が少し良くなったらしいが、そのあとまた先輩関係の会話でもめて元の仲に戻ったとか。その時の佐々木が何とも言えない顔をしていたとか。まあ、竹中があかりと仲が良くなるのを阻止できたまでは良かったが、そのきっかけとなる出来事がアリア先輩のベタ褒め行為であったのが気に喰わないと言ったところか。

 ライカの戦妹(アミカ)のガキンチョが「今がチャンスですの!」とかわけわからないことを言って前以上にスキンシップ過剰になってきたとか。撃ち殺せばいいのに。そう言うと、ライカが「やっぱり麒麟のこと嫌いなのか?」とか言ってきた。麒麟? 何それ、ビール?

 そんな他愛のない話を続けながら、歩いていると校門あたりに小さな影を一つ見つけた。その影は一人の少女だった。

 少女はこちらに気づくと迷いなく駆け寄って来る。知らなければ、小学生にも見えるその幼すぎる容姿。間違っても同学年に見えはしない。

 少女は僕の顔を見ると、いつかのように顔をほっと緩めて、

 

「ソラ君、退院おめでとう!」

 

 親しい友人の退院を祝うような言葉を掛けてきた。

 その顔に一切の曇りは無く、地図も読めず泣きそうになっていたあの頃とは、見違えて成長していた……気がした。

 

「おまえも何やら難しい任務を達成したと聞いた。そのまあ……よく頑張ったな、あかり(・・・)も」

 

 ポカーンとしているあかり。

 その頭を撫でると、ようやく僕の言葉が呑み込めたのか。

 

「うん。……うん!」

 

 顔までクシャクシャにして何度も頷いていた。

 成長したと思ったが、まだまだ子供だ。背格好だって変っていないし。これはまだ僕がついてやる必要があるな。メンドイが仕方ない。はぁ、全く、もう。

 仕方ない、あかりを僕の妹にしてやるか。

 

「こらー! あかりちゃんに何をしているんですかーッ!?」

 

 こんなこと、校門前でやっているのがいけなかったのか。うるさいのが続々と。

 

「おーソラ、退院したのだな。また賑やかになっているぞ」

「ライカお姉様とペアで帰宅だなんて。抜け駆けは許しませんの!」

 

 佐々木、竹中、ガキンチョまでもが駆け寄って来た。

 

「む? なんで間宮は泣いてるのだ?」

「は、はぁ!? 泣いてないし! 竹中何勝手なこと言ってるの!?」

「その言い方はなんなのだ! 泣いてたぞ。この泣き虫間宮!」

「泣いてないもん! 竹中のバカー!」

 

「あかりちゃんに何をしたんですか? 正直に言えば三枚におろすだけで許してあげます」

「僕があかりと何をしてようが、おまえとは関係ないだろ」

「!? 石花君、今なんと……?」

「関係ないだろ」

「それじゃありません! どうしてあかりちゃんの事を名前で呼んでいるんですか!」

「……あ! 見て佐々木、ガードレール」

「だからなんですか。話題逸らすの下手な人ですか。しっかりとこっちを見てください」

 

「あー、やっぱこうなっちまったか」

「ささ、お姉様。今のうちに麒麟と二人でこの場を離れ、放課後デートと致しましょう!」

「麒麟、ややこしくなるから今は黙ってろ。ソラ、とりあえずこの場所から離れようぜ。人集まってきてるし」

 

 やっぱり騒がしくなった。

 佐々木も余計なことツッコムとか空気読めていない奴。とても感動的な場面だったというのに。

 

「ソラ君聞いて! 竹中が酷いんだよ!」

「ソラ聞きてほしいぞ、間宮がさっきから意味不明なのだ!」

「石花君聞いているんですか!? こっちを見なさい!」

「ソラー、アタシもう行っていいか?」

「そしてそのまま麒麟とデートですわ! この人のことなんて、しっしっですの」

 

 うるさい!

 ……でも、まあ、こんな騒がしさも嫌いではないかもしれない。

 どこか帰って来たと感じる自分がいることを、少しだけ認めてやった今日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして帰宅後。

 

『この泥棒猫ー!!』

『何よ!? なんなのよこの女!?』

 

 ギャーギャー!

 ドカッボカッバキッ!!

 パァンパァンギィーンッ!!!

 

 壁の向こう側から絶えず聞こえてくる争う音。

 そのうち壁を破ってくるのではと思うほど激しいそれのせいで、勉強に全く集中できない。

 明日実力テストなのに!

 

『いなくなれ、この泥棒猫っ! キンちゃんの前から消えろっ!』

『キレた! も~~あたしキレたから! あんたに風穴開けてやるっ!』

『や、やめろ! やめるんだ二人とも!』

 

 訂正する。

 騒がしいのなんてうんざりだ。

 

 しかし、抗議の壁蹴りは、向こうの争いの音に完全にかき消されてしまっていた。

 

 

 

 

 

────『哀縁喜縁のスカーレット・完』────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇ ◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇

 

 

 

 

 

 ──私は醜い卑怯者だ。

 

 

 

 「ありがとう」だなんて言われても、胸が苦しくなるだけだった。

 自分には感謝される筋合いなど無い。

 何故なら自分は、あの時彼を殺そうとしたのだから。

 

 

 

 目の前で崩れ落ちた彼──今あの人にとって一番親しい人物。

 

「石花殿! お気を確かに!」

 

 自分でも白々しいと思った。本当はこれっぽっちも心配なんてしていないのに。

 元々彼に近づいたのは、今のあの人の情報を少しでも手に入れるため、あわよくばあの人との橋渡しのために都合がいい存在として、だけだったのだから。

 しかし、理由がどうあれ、自分にとって必要な存在には変わりないし、武偵として傷ついた人間を放っておくわけにもいかない。

 

 ──本当に?

 

 その時悪魔が囁いた。

 本当に助ける必要があるのかと。

 彼がいなくなれば、あの人の親しい人がいなくなる。あの人は悲しむし、寂しがるだろう。

 でもそうしたら、

 

 ──また私に声を掛けてくれるかもしれない。

 

 元々勝手に入って来たのは彼の方だ。某はただ邪魔者を消しただけ。いや、消してさえいない。居なくなるのを見送っただけだ。

 

 気を失った彼の呼吸は明らかに異常。外傷がそこまで酷くないことを考えると、恐らく強力な神経毒か何か打たれているのだろう。

 自分が手を下さずとも、手を汚さずとも、見殺しにするだけで死ぬかもしれない。

 ここを通らなかった。通っても見つけたときは手遅れだったと言えばいい。

 

 ──あなたが殺したんじゃないわ。勝手に死んだのよ。

 

 ああ、その通りかもしれ……

 

「何をしているのですか?」

 

 後ろからその声を掛けられた時、はっと我に返った。

 自分はなんてバカなことを考えていたのだろう…?

 声を掛けてきた彼女は、そんな某のことを無表情に見下ろしていた。

 そして恐ろしくなった。見殺しにしようとしていたことを責められるのではないかと思って。

 しかし、彼女は目の前に倒れている彼を見て、小さく息を飲むと、彼の元へ駆け寄り、呼吸が止まっていることを感じとり、すぐさま救命処置に入った。

 一切の無駄がない動きだった。

 自分には救急車などの手配を頼んできた。特に含むところなく。

 どうやら、ショックで呆然していたと勘違いしてくれていたらしい。

 機械のように変わらないその表情も、彼女にとってはいつものものだったことも思い出した。

 

 逮捕された犯人が解毒法を吐き出したことにより、彼は助かったが。

 あの時の救命処置が無ければ、もしかしたら……

 

 

 

 自分だって最初は、純粋に高みを目指していただけだった。

 その結果、あの人と一緒になって笑うことができなくなるなんて想像もしていなかった。バカなことに、失って初めて気が付いたのだ。

 今の立場を手放したくはない。だけど、あの人ともまた仲良く話したい。

 日々練磨する強い自分と、ただ寂しいと喚く弱い自分。いつしか混じり合って何が自分なのかわからなくなっていった。ただ傲慢な欲の塊になっていった。

 

 そのせいだろうか。あの時の自分はどうにかしていた。

 そんなこと言い訳だってわかっている。見殺しにしようとした事実は消えない。

 

 でも、だったら、あの時自分はどうするべきだったのだろう。何に、なりたかったのだろう。

 それがわかるまで、きっとこの黒い感情は胸の奥でくすぶり続ける。

 自分ではもう、どうにもならないところまで来てしまった。

 

 

 

 自分は醜い卑怯者だ。

 だから、感謝なんてして欲しくない。

 

 あの時、あなたを助けたのは自分ではないのだから。

 

 

 

 

 

◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇ ◇◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇◇

 

 

 




 とりあえず、一章は終わりです。
 番外編一つのあと、次の章に入るつもりです。
 登場人物との関係を示すためにも色々書いて、テンポ悪くなった感じがしますが、次の章からは多少テンポは良くなると思います。
 ソラの頭も若干壊れていきます。

 寝不足の原因……学校、監視、パシリ、捜査、お節介、テスト勉強(New!)
 タイムテーブルとか作った方がいいですかね(笑)
 因みにソラが助かったのは、間接的には竹中のおかげだったり。


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Ex1 『多分悪夢っぽい何か』+α

 とりあえず区切りとして、今年最後の日には間に合いました。
 閑話と言うかギャグ回と設定です。面白いかどうかは別として。




Case1『食事はバランスパワーを考えろ』

 

 

 

 僕の名前は石花ソラ。東京武偵高のしがない天才な一生徒だ。

 そんな僕には一つの決まり事がある。

 ──張り込み時の食料は全てカロリーメイト。

 それが僕というかのレキ先輩の監視任務時の作法であり、僕も強要されていることだ。

 任務が終わるまでそれ以外の食べ物は食べない。一種の願掛けのようなもの。

 僕が嫌いでもレキ先輩はカロリーメイトが好きなのだから仕方ない。

 出前、外食、コンビニ弁当。湧き上がる欲求を抑えて今日も僕はカロリーメイトを食べる。

 

「理想的な生活です」

 

 そんな戯言と共に登場したのは、レキ先輩だった。

 

「差し入れです」

 

 レキ先輩から僕に何か買ってきてくれるとは珍しい。

 僕は少しの驚きと喜びを感じながら差し出されたコンビニの袋を開ける。

 

「カロリーメイト、ですか」

 

 カロリーメイトにカロリーメイトにカロリーメイトだった。

 せめて飲み物の一つでも欲しいところである。口がパサついて仕方がない。

 

「何か不満でもありましたか?」

「……滅相も無いです」

「キンジさんの様子はどうですか?」

「特出するようなことは何も」

「そうですか」

 

 これで本日の会話が終わりである。

 大体11時頃に遠山先輩が就寝するのを確認するまで、ひたすら張り込みを続ける。その間終始無言。というかレキ先輩は9時に寝る。

 ここでまだその間である2時間だけ僕に監視を頼むとかならまだわかるが、何故か朝から夜まで監視は僕がやっている。何様のつもりなのだろう。

 色々な種類のストレス悶々と感じながらも今日も三食カロリーメイトを食べる。

 

 

 

 

 

 そうしてカロリーメイトだけの生活は1週間を迎えた。

 張り込みは毎日行われる。

 つまり毎日カロリーメイトなのは変わらない。

 遠山先輩の生活も変わらない。

 朝、6時半くらいに起きて、一時間ほどで家を出る。通学はバス又は自転車だ。

 3日に1回ほど、通い妻と一部で噂される星伽先輩が朝ごはんを渡しに来る。

 ……おいしそうだった。

 学校が終わると、たまに買い物するくらいで、普通はまっすぐ家に帰る。就寝は大体11時。

 友人と遊んだりはしないのだろうか? まあ、これは僕も言えたものではないのだが。

 それとカロリーメイト飽きた。

 

 

 

 カロリーメイト生活 8日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 今日コンビニに行ったら、店員が奥でコソコソと、

 「あ、カロリーメイトが来た」

 「カロリーメイターだ」

 とか言っているのが聞こえた。

 僕の名前は石花ソラだというのに。

 有象無象な他人の戯言なんて気にしてはいないが、今日のカロリーメイトチョコ味は何だかとても苦く感じた。

 

 

 

 カロリーメイト生活 9日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 昼食時カロリーメイトを食べていると、何故か間宮や竹中がお弁当のおかずを分けてこようとしてきた。まあ断ったが。

 ……りんごのうさぎさん。

 カロリーメイトフルーツ味より、本物のフルーツが食べたかった。

 

 

 

 カロリーメイト生活10日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 いい加減何か動きが欲しい。いい加減カロリーメイト以外が欲しい。

 毎日毎日同じことを繰り返して楽しいのか!

 星伽先輩も毎回品を変え、実は細かく栄養バランスを気遣っているのをやめろ!

 毎日毎日カロリーメイト食べている僕の身にもなってくれ。それが出来ないのならせめて僕に身を案じてくれ。

 もう10日だぞ、10日! ふざけるなよ! もう僕が爆弾でも使って騒ぎを起こしてやろうか。

 そう思ったが、最終的にレキ先輩に頭を“スパーキング!!”されそうだったので何とか踏みとどまった。

 

 

 

 カロリーメイト生活 11日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 ポテト味のカロリーメイトを砕いて水でも加えてこねればもしかしてポテトサラダになるのではないか? と、思った僕は早速実行することにした。

 材料はカロリーメイトだけだから作法を破ったことにはならないはずだ。

 ──グチャグチャして吐き気がするほど不味かった。

 ……オロロロ……

 ……明太ポテトサラダになった。色的に。

 

 

 

 カロリーメイト生活 12日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 もう他の物を食べようそうしよう。

 誘惑に耐えきれなくなった僕はコンビニでコッソリとお弁当を購入。

 店員の驚いた顔が印象的だった。僕は別にカロリーメイトなんか好きでもなんでもないから。あと誰がカロリーメイト星の王子だ。

 温めてもらったそれを持ってホクホク顔で家に帰ろうとした時だった。

 ホカホカのコンビニ弁当がどこからか飛んできた何かに“スパーキング!!”された。

 続いて鳴る携帯。

『次はありません』

 ……どうやら僕はカロリーメイト(210円)より価値の無い人間らしい。

 

 

 

 カロリーメイト生活 13日目。

 相変わらず対象に変化は無い。

 今日学校に行ったら、ライカと間宮にいきなり保健室を進められた。

 もうクマが濃いとかそんなレベルではないらしい。

 最近ちゃんと食べているか。昨日は何食べたか。

 そう聞かれたので、すっとカロリーメイトしか食べてないと言うと、本気で病院に運ばれそうになった。

 佐々木までもが心配した目で僕を見ていた。そんなに酷いのか。

 帰宅し、夕飯を食べようとすると、前の分の箱にまだ一袋入っていた。そうだ。全部食べ切れなかったのだった。

 とりあえず、残った袋を開ける。

 匂いだけでもう吐き気がしてきた。そしてやっぱり全部吐いた。

 

 

 

 カロリーメイト生活 14日目。

 相変わらず対象に変化は無い。もう二週間だ。

 あれ? そう言えば、この任務っていつ終わるのだろう?

 遅まきながら、達成条件を聞いていなかったことに気づく。

 焦りながらレキ先輩の携帯に電話を掛けると。

『風の命が続く限りは行います』

 と言われた。

 窓から吹き込んでくる風に逆らうように、僕はカロリーメイトを空に向かって投げつけた。

 

 

 

 カロリーメイト生活 15日目。

 相変わらず対象に変化はない。

 薬局で買い物をしたとき、頼んでも無いのに薬を進められたこと以外に僕の生活にも変化は無い。

 もういい加減にしてくれ。さすがに空気を読んでくれ。

 いつになったらこの生活は終わるというのだ!

 早く僕をこのエンドレスカロリーメイトから救い出してくれェェ!!

 そんな思いを込めて、今日も僕はカロリーメイトを第三男子寮へ向けて“スパーキング!!“

 

 

 

 カロリーメイト生活 16日目。

 コンビニの店員へ向けて“スパーキング!!”

 

 

 

 カロリーメイト生活 17日目。

 薬局の店員へ向けて“スパーキング!!“

 

 

 

 カロリーメイト生活 18日目。

 レキ先輩へ向けて“スパーキング!!!“

 

 

 

 

 

 ……………

 ………

 

 カロリーメイト生活 23日目。

 目が覚めると何故か全身血だらけで倒れていた。

 ここ数日の記憶が無い。いったい僕の身に何が起こったのだろう。

 そんな僕の変化とは裏腹に、相変わらず監視対象に変化は無い。

 

 いつもと同じく朝6時半にカロリーメイトして。

 その30分後にカロリーメイトが来て。

 そしてカロリーメイトを出てカロリーメイトへと向かう。

 で、カロリーメイト時にカロリーメイトから帰宅して、カロリーメイトはカロリーメイトしカロリーメイトするのだ。

 カロリーメイトにカロリーメイトはカロリーメイトでカロリーメイトかカロリーメイトをカロリーメイトだ。

 

 

 

 

 

 カロリーメイト生活 25日目。

カロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイトカロリーメイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カロリーメイト生活28日目。

 気がつくと、カロリーメイトまみれになって見知らぬ場所に立ち尽くしていた。

 どうやら数日の間、夢遊病のごとくふらふらとどこかも知れぬ地を徘徊していたようだ。

 熱帯魚、植物園、金銀財宝が目に入ったかと思えば、書庫、音楽ホール、中世の武器や甲冑、山積みされた紙幣と金庫、果ては墓地など、歩くたびにどこかわからぬこの場所。

 もはや僕は幻覚でも見ているのではないだろうかと、消え入りそうな意識の中でそう考える。

 

「少しフライングだが、キミの部屋も用意したよ」

 

 いつの間にか傍に来ていた、古風なパイプとステッキを持つ男は、虚ろな僕の手を引くように一つの部屋を示す。

 

「来てくれるね? 豪華な食事も用意したんだ」

 

 まるで悪魔の甘言。

 しかし、カロリーメイトの毒に侵されていた今の僕にこの言葉を跳ねのけるほどの精神力は残っていなかった。

 静かに差し出された手を取り──

 

『裏切り、ましたね…?』

「へ?」

 

 目の前の男とは違う……そう、どこまでも聞き覚えがある声が耳に届いた。

 

 “スパーキング!!“

 

 その瞬間、世界から光も音も消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消毒液の匂いがうっすらと香る病院内。

 病院食のトレイを下げていた若い看護師の前を、初老の男性医師が通りかかった。

 

「あれ、それ食器そこの個室の患者じゃなかったかね。確か武偵高の生徒の」

「はい、先生」

「彼、『病院食は不味くて食えたものではないから』とか言っていなかったっけ?」

「そうなんですよねー。今朝から急に食べるようになって、どうしたのでしょうか? 今朝は特に顔色が悪かったですし、いい加減栄養が欲しかったのかもしれませんが……」

 

 しかも無表情ながらも涙目でおいしそうに食べていたという。

 とはいえ、あんなにも頑なに──悪く言えば傲慢な態度で拒んでいたのに、この心変わりは一体なんなのだろうと、医師と看護師は頭を捻っていたが結局納得のいく答えは見つからなかった。

 

「それと気になってたんだけどね、その台車に山積みになってるのは何かね?」

「あー、これはその彼が病室から一刻も早く処分してほしいと言ってきたんですけど、数が数なので困っていたんですよねー」

 

 看護師は医師に「おいくつか要りますか?」と聞く。恐らくこれから会う人会う人に尋ねることになるだろう質問だ。

 それは、元々は患者である彼のお見舞いの品であった物。そして、今朝になって急かつ必死に処分を求めてきた物だった。

 

「──カロリーメイトです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Case2『火野ライカの憂鬱』

 

 

 

 周囲を美しい花々で囲まれたこの場所に、一組の少年少女がいた。

 少女の名を火野ライカ、少年の名を石花ソラ。

 

「ライカ。なんか、最近とても頑張っていると聞いた」

「おい、ソラ? ど、どうしたんだよ急に」

「僕がご褒美として、少しだけお姫様にしてやるから」

「は? へ? へ?」

 

 ソラの静かな、しかし鋭い視線はライカを捉えて離さない。

 それどころか、ライカの首と膝の後ろに手を回し持ち上げる──所謂お姫様抱っこをしてきたではないか。

 ライカは突然のことにただ呆然として言葉をうまく出なかった。

 

「〰〰〰〰ッ!?」

 

 やっと事態を把握した途端、顔は沸騰するくらい熱くなった。恐らく赤信号と同じくらい真っ赤になってるのではないか。そんな気さえしてくるほどに。

 『男女』──そう普段言われているほど気が強い彼女も、今はただの可憐な乙女になってしまっていた。

 

「ライカ。可愛いよ、ライカ」

 

 ただでさえ至近距離にあったソラの顔が更に近づいてくる。

 やがて、二人の唇が重なり……

 

 

 

 

 

 ──まあ、当然夢なわけですが。

 

(……なんて頭の悪い夢見てんだ、アタシ)

 

 今回はそんな思春期真っ盛りの一人の少女のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃、自分でもどうかしているとライカは思う。

 今朝も起きて初めにすることが自己嫌悪だったということを考えれば、精神が参っている人のようにさえ感じる。

 ただ、そう自覚していても、どうも最近心が落ち着かないのだ。

 

(夾竹桃の奴……今度会ったらただじゃおかねえ…!)

 

 先日戦った犯罪者に媚薬を打たれたことは、無関係ではないだろう。今思い返しても随分と悪趣味な女だった。

 戦闘中に敵に媚薬打つってなんだ。すっげー変態じゃん。

 

「ねえライカ、どうかしたか? さっきから変だ」

「あ? なんでもねーよ。(大体、ソラもソラだ! あんな変な質問しやがって!)」

 

 退院早々、ライカに向かって「いくらでキスしてくれる?」なんて質問をぶつけてきた時には心臓が止まるかと思った。

 しかもそれは冗談と来た。ついイラッときてしまっても仕方がない。

 

「ライカ? どうして怒って……」

「怒ってない!」

「……怒っているだろ」

「あぁ!?」

「な、なんでもないから」

 

 思えばソラは昔からそんな奴だったとライカは思い返す。

 人のことなんて考えず、自分の都合だけで動いて喋る。超絶我儘ナルシスト。それで実力が伴っているというのだから、なおたちが悪い。

 

(大体、あんなバカみたいに気障なセリフ吐く奴がいるか! 何が『お姫様にしてやる』だよ! お姫様なんて言葉を現実で使う恥ずかしすぎる奴なんているわけねーだろーが!!)

 

 ですよねー。

 いきなりお姫様にとか女の子にいう奴がいたら頭おかしいとしか思えませんよね。

 まあ、そんな人在りえるわけがないのだが。

 

「ぷぅーくすくすですの! この人ついにライカお姉様に見限られましたわ!」

「………」

「ねえ、今どんな気持ちですの? 話しかけたのに冷たくあしらわれた今どんな気持ちですの? 麒麟にも教えてくださいまし」

「………」

 

 麒麟はここぞとばかりにソラをからかっていた。

 いつもからかわれている(というか雑に扱われている)ことへの復讐が珍しくできるこの状況、まさに水を得た魚のように。

 ソラは無表情で無視した体を装っているが、体が小刻みに振るえている。内心、かなり悔しがっているようだ。

 

「あはは……麒麟ちゃん、すごいね。ソラ君相手に」

「そ、そう、です、ね」

「志乃ちゃん? どうしたの? なんか震えてて辛そうだけど」

「い、いえ、なんでも……くく、ありません……ふふふっ」

「?」

 

 さて当のライカだが、今はそんな周りを気にかけている余裕は無かった。

 

(でも何で急にあんな夢……って、夢は所詮夢だろ! 何深く考えてんだアタシは!)

 

「さ、お姉様。こんな殿方放っておいて、放課後に麒麟とデートでも──」

「うるさい! 今話しかけてくんなっ!」

「………」

 

 笑顔のまま固まった麒麟。クルリと反転してライカから離れると、その先にはソラがその琥珀色の瞳を輝かせて待っていた。

 

「で、どんな気持ちだった?」

「ぐぬぬ…! き、麒麟はちょっとだけタイミングが悪かっただけですの!」

「おまえが悪いのは頭だろ? というか戦妹(アミカ)やっていて、普段あれだけお姉様お姉様うるさいのに、こういう時にタイミング測ることすら出来ないのか? ださっ。まあ、ガキンチョは所詮ガキンチョだから仕方ないか」

「ムキー!!」

 

 ソラは相変わらず自分のことは棚上げとしか言えない発言ばかりである。自分にだけ跳ね返らないとでも思っているのだろうか。

 どれだけ自分に甘いのだこの男は。

 

(うるさいうるさいうるさい! あーもう! なんで今日はこんなに騒がしいんだ!)

 

 ライカには今日が特別騒がしく感じた。

 考え事をしているのに、横から入ってくる声のせいで、ごちゃごちゃして全然纏まらないのだ。

 やがて我慢ならなくなり、ヒートアップしている麒麟とそれに相対しているソラに注目が集まっている中、ライカはそっと席を立った。

 

(静かな所に行こう!)

 

 

 

 

 

 ライカがやって来たのは図書館だった。

 

「……静かな所=図書館って我ながら安直だぜ」

 

 ここには一般的な書物以外にも、武偵関係の書物が置いてあるため、普通の高等学校のように図書室という一部屋ではとても足りず、一つの建物として存在している。

 

(というか図書館とか、かなり久しぶりに来たな)

 

 ここまで来たのはいいものの、ライカは普段あまり本を読む方ではない。

 さてどうしようかと思った時、見覚えあるピンク色のツインテールが少し離れたところに見えた。

 どうせやることの無かったライカは真っ直ぐその場所に近づいていく。

 

「アリア先輩じゃないですか」

「あら、ライカ? 奇遇ね、こんな所で会うなんて」

「はい。それで先輩は……」

 

 そこでライカはアリアの手にしていた本のタイトルに目がいく──『正しい赤ちゃんの作り方』。生命の神秘。おしべとめしべ、とも言う。

 

(あ、アタシは一体どう反応すればいいんだろう…?)

 

 尊敬すべき先輩が保健体育の本を熱心に読んでいた。その時にすべき行動を百文字以内で答えろ。

 

(……え、いや、正解とかあるのかこれ?)

 

 それで気まずい空気ができちゃったらどうすればいいのだ。いや寧ろ“できちゃって”たらどうすればいいのだ。

 

「……えーっと、テスト勉強ですか?」

 

 出てきた言葉は、なるほど無難なものだった。選択教科の勉強なのかという問い。

 一度そう考えてみれば苦し紛れの咄嗟の言葉だったと言え、我ながら的を射たのではと思ったライカだったが、

 

「え、あ、ちちち違うのよ、これは! ちょっと、その、必要だったってだけで……」

 

(必要ぅ!? え、必要って、そういうこと!?)

 

「この前ちょっとそういうことがあってもう一度しっかり……ってこれも違う! なんでもないわ、どうせ使わないんだから! あんたも忘れなさい!」

「は、はいっ!!」

 

 さすがに高校生でママさんになることはない、という言葉を聞いて少し力が抜けたが、それでも衝撃的だったことには変わりない。

 何故なら、“そういうこと”はしたということなのだから。

 

(一つしか学年は違わないのに……先輩ってすげえ……)

 

 背丈があかりとそう変わらないはずの先輩が、今この時はとても大きく見えたライカであった。

 

 因みにこのあと、図書館で大声出すなと図書委員に怒られたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 図書館を追い出されたライカだが、このまますぐに教室に戻るのと言う気にもならなかった。

 目的も無く廊下をうろついていると、前方からこの学校の生徒会長である星伽白雪が歩いて来た。

 

「こんにちは」

 

 大して面識があるわけではないが、一応見知った顔なので挨拶はしっかりする。特に上下関係が厳しい武偵高では基本というより必須事項だ。

 

「えっと、あなたは確か志乃さんのお友達の」

「火野ライカです」

 

 白雪は、ライカの親友である志乃と戦姉妹(アミカ)契約を結んでいる。だから、戦妹(いもうと)である志乃の友人として覚えられているのだろう。

 言ってみれば友達の友達とか、そういう浅い関係だ。ライカも挨拶だけしてすぐ別れるかと思っていた。

 しかし──

 

「何か悩み事でもあるのかな? とても憂いのある顔をしているよ?」

「え?」

 

 心配そうに顔を覗き込まれる。

 真正面から見た白雪の顔はとても整っていて、柔らかな物言いといい、大和撫子という表現がこれほど似合う女性はいないだろう。

 

(アタシもこんな美人だったらぁ……じゃなくて、アタシって今そんなに心配されるような顔してるのか)

 

「私はあなたとちゃんとお話ししたことは無いけど、だからこそ話せることもあるかもしれない。よかったらだけど、話してみてくれないかな」

「……そう、ですね。じゃあ、少し相談に乗ってくれませんか?」

「うん、なんでも言って。志乃さんのお友達なら私にとっても大事な後輩だから」

 

 そしれライカは白雪に語った。

 最近妙に特定に人物が気になること。

 頭がすごくモヤモヤすること。

 個人名や自分でも恥ずかしい出来事などは省いて伝えた。

 白雪はそれらライカの話を、母性溢れるようなとても優しい顔で聞いてくれていた。

 

「それはずばり『恋』だね」

「え。ち、違いますよ! アタシは別にそんなんじゃ」

「なら、その人のことを考えてごらん?」

 

(そ、ソラのこと…? あいついつもむすっとしてて愛想ないし、生意気だし、でも時たますごくかっこいいんだよな。──あ! かっこいいって言ってもそういう意味じゃないからな! って、アタシは誰に言い訳してんだよ……)

 

 ぷしゅーと湯気が出ているような気がするほど顔が熱くなっているライカ。

 白雪はそんなライカを微笑ましく見ている。

 

「胸が落ち着かなくなった?」

「……で、でも恋って決まったわけじゃ」

 

 ライカはソラのことをそういう目で見ていないと最後まで否定する。

 キスの件だってあれだ。ライカの中では、人工呼吸とかになったら異性であってもソラならば迷ったりはしない、とかそんなヘタレな言い訳で片付いている。

 “友達として”仲が良いなら命が懸かってる時に嫌がったりしないよね、みたいな感じである。

 だから断じて恋ではない、と。

 

(大体、傲慢ちきなソラをそんな目で見てる奴なんて……いや、でもあいつって、あれで変なファンとかいるし。それにあの先輩も……)

 

「どうやら人気(・・)のある子みたいだね」

「ま、まあ、そうなのかな?」

 

 ライカは、自分はそんなミーハー勢とは違うが、“一応”白雪のアドバイスを聞いておこうと思った。なので“一応”全神経を耳に集中する。

 

「だったらすべきことは一つだよ」

「一つ、ですか?」

 

 白雪はにっこりと笑って言った。

 月のお姫様にも匹敵するものだったであろう、素敵な笑顔で。

 

「──恋敵(ドロボウ猫)排除(抹殺)

 

 ただ、見開いた目はどこまでも笑っていなかった。

 というか、笑えなかった。

 

「………」

 

 ライカは思った。

 

(……相談する人間違えたかも……)

 

 その通りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、放課後になってもどうすればいいのかなんてわからなかった。

 

(確かにアタシはソラを特別視している。認める)

 

 しかしそれは、初めて格闘戦で自分を倒した同年代だからではないのだろうかと付け足す。

 つまりは、その『ライバル視=特別視の正体』という考えだ。

 なるほどそれは事実なのだろう。が、そんな考えをしている時点で全ては言い訳に過ぎないことにライカは気付いていない。

 それでもとりあえず自分の中で納得する形ができたと、大きく溜息吐く。同時に無駄に入っていた体の力が抜ける。

 

「考え事は纏まったか?」

「うわっ! そ、ソラいつの間に!?」

「さっき。というか驚きすぎだから」

 

 一人で帰っていたつもりだったが、傍にはいつの間にかソラがいた。

 偶然かそれともつけていたのか。──話しかけてきたタイミング的に着けていたのだろうとライカは思った。

 

「よし、アイスでも食べに行くか」

「何が『よし』なんだよ」

「この世のすべて僕がいいと言ったものはいいから。何故なら、ほら僕天才だし」

「いや、その理屈はおかしい」

 

 この天才(バカ)は半ば本気で自分が正しいと思っている節がある。簡単に言うと、人生舐めてるのである。

 

「まあ、それはともかく。僕としてはどうしてそんな身構えているのか疑問だが」

「え?」

 

 そう言われてライカはまた体中が力んでしまっていることを自覚した。

 

(ア、アタシの眠れる闘争本能が覚醒し始めてるぜ…! アチョー!)

 

 うん、多分違うね。腰が引けてるし。

 あえて言うなら『闘争本能』ではなく、『逃走本能』と言うべきだろう。

 

「悩んでいるなら相談くらいは聞いてやるから」

 

 ソラまるで「頼っていいぞ!」と言いたげな目でライカを見ていた。

 最近クマが消えたからか、その瞳はいつも以上に自信満々な琥珀色だった。

 

(悩み、か。……フッ)

 

 笑わしてくれる。

 

(だから、原因おまえだよッ!!!)

 

 その顔に拳を一つ入れたくなってしまっても、ライカに罪はない。──いや、さすがに自重したが。

 しかもソラはそんなライカのやきもきに全く気が付いていないときた。それで頼れと宣うのだから、ほんと笑わせてくれる。

 

(バカらし……)

 

 このどこまでもマイペースな男を見ていると今まで悩んでいたのがバカらしくなってきていた。

 

「? どうかしたか?」

「なんでもねーよ。まあ、もうどうでもいいっていうか、今はとりあえずこんな感じでいいのかなって思っただけ」

 

 結局考えるだけバカらしいことだったのかもしれない。少なくとも今はこのままでいい、そんな気分だった。

 

「はぁ? 意味がわからないから」

「わからなくていーんだよ」

「あ、そう。で、アイスはどうする?」

「食べる食べる、ソラのおごりで」

「え、いや、どうしてそうなる」

「ソラのせいで無意味に頭使ったんだからさ、糖分を恵んでくれても罰が当たらないぜ」

「また意味がわからない。……まあいいかそれくらい別に」

 

 夕暮れに一組の少年少女が歩いている。

 二人の間には、つかず離れず、そんな距離が変わらず続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Case0『オリキャラ設定』

 

 

 

『石花 空──イシバナ ソラ』

 

 東京武偵高1年A組

 諜報科Aランク

 身長168cm 体重52kg(最近やせ気味)

 東京武偵高中等部→東京武偵高

 

 短くも長くもない黒髪、琥珀色の瞳が特徴の少年。声は透き通っていて、大声でなくとも聞き取りやすい。つまり他人への悪口も良く聞こえている。

 人間離れした身体能力を持ち、戦闘能力に関しては自他ともに認める天才。頭の回転も悪くないが、どこか子供っぽく思い込みが激しいため、それを活かせない場合がとてもよくある。

 プライドが高い上、人当たりがとにかく悪く、初対面の人間ではまともに会話を成立させることさえ困難なレベルであるため、1年生の約半数にあまりよく思われていない。ただ、顔と腕だけはいいので、一部ではファンがいたりもする。

 戦姉であるレキに結構ビビっている。(本人は認めていない)

 見苦しいまでの負けず嫌い。

 今までほとんど苦労せず生きてきただけあってストレスに弱め。

 最近幸せだったことは、目の下のクマがやっと取れたこと。

 好きな食べ物はアイスクリーム。嫌いな食べ物はカロリーメイト。

 キャッチフレーズは、他人に厳しく自分に甘く。

 

 基本的戦闘ではファイティングナイフ片手、もしくは両手に持ち、あとは我流の体術を用いることが多い。

 離れた場所の攻撃手段として、投擲用のダガーを手足などに仕込んではいるが、銃は使わない。

 

 

 

 

 

『竹中 弥白──タケナカ ヤシロ』

 

 東京武偵高1年A組

 強襲科Cランク

 身長156cm(本人は160cm代だと言い張る) 体重50kg

 神奈川武偵中→東京武偵高

 

 金に染められたショートカットの髪と高校生男子にしては小柄な身長が特徴的な少年。

 古風になりきれていない少し変わった話し方をする。声が高いので背伸び感が半端ない。でもなんか元気は伝わる。伝わるといいなっ!

 あまり特出した能力は無いが、バランスがよく、意外と頭の回転も悪くはない。

 双子の妹がいる。

 常日頃から努力を怠らないそのひたむきさは、多くの人に好意的に見られている。

 中学の頃からキンジを尊敬している。

 間宮あかりとは、いつも一番すごい先輩が誰かの論議でぶつかる仲。

 精通もまだなのではと噂されるほどに男女の機微に疎く、ある意味そこはキンジを超えていると言えなくもない。

 好きな食べ物は金平糖。嫌いな食べ物は特に無い。

 

 武装はベレッタM92Fとバタフライナイフ。

 得意戦法はアル=カタで、利き手に銃を持ち、それプラス空手と柔術を合わせたかのような技を使う。

 

 

 

 

 

『平頂山 蓮華──ヘイチョウザン レンゲ』

 

 東京武偵高1年A組

 情報科Eランク(ランク考査を受けていない)

 身長153cm 体重46kg

 東京武偵高中等部→東京武偵高

 

 粒子煌めくように輝く銀髪と暗闇でも浮かび上がるような銀色の瞳が特徴的な少女。

 基本いつも楽しそうな顔をしている。

 ソラ曰く、ほとんどなんでも多分知っているかもしれないっぽい的な奴。

 見た目は美少女なのだが、空気を読まない下ネタ発言などの影響か、色者扱いされている。

 それでもコミュニケーション能力は高いのでお友達は多い。

 ソラと最も付き合いが長い人物。

 好きな色は銀色。嫌いな色は緋色。微妙な色は金色。

 ただ、おっぱいは大きいのも小さいのも好き。つまり無敵。

 多分ラスボス。

 

 




 ではみなさん、良いお年を。



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