オーバーロードと至高の這いよる声優さん (オルセン)
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プロローグ

 

 その部屋は、アニメーション作品に声優たちが声を当てる収録用のスタジオであった。

 扉は雑音が入り込むのを防ぐためしっかりと閉めきられており、赤地に白文字の『録音中』という表示板が点灯していた。部屋の中には、ずらりと並べられたマイクスタンドの前に立っている男たち。全員が部屋の一方向に視線を向け、目まぐるしく動き続ける映像を真剣な面持ちで見上げていた。その中のひとりが、映像の中のキャラクターが喋り出すタイミングに合わせてセリフを口にする。

 

「ンッン~~♪ 実に清々しい気分だ。歌でも一つ歌いたいようなイイ~気分だァ」

 

 彼の名前は高柳守也、声優だ。

 デビューしてから5~6年あまりはチャンスに恵まれず、モブ役とアルバイトなどをしながら細々と食いつないでいた彼にとって、初の大抜擢となる作品がこれである。その理由は、ある声優に声質が酷似することに起因していた。

 

「6秒経過ッ!! 100年前に不老不死を手に入れたが……これほどまでに絶好調の晴々した気分は無かったなァ! ジョースターの血は本当に良く馴染むゥ!」

 

 諸君は、今彼が演じているキャラクターをご存知だろうか。

 もしも「知らない」と答える者がいたとしても、どうか責めないでやってほしい、それは無理からぬことだからだ。何故なら西暦2138年現在から遡ること、100年以上も昔に書籍化されていた漫画のキャラクターだからだ。その作品は同時期にアニメ化もされたのだが、DIOという名のキャラクターを演じた声優の声は、大変特徴的なものであったという。

 その声優によって生命を吹き込まれたアニメやゲームの登場人物たちは、彼の名に因んでこう呼ばれていた。

 

 テラコヤスと。

 

「最ッ高にハイってヤツだァ――ッ!!」

 

 この男、高柳守也の声はテラコヤスであった。

 

「じ、ジジイ……あんたの言う通り、」

 

「あー、ちょっと止めてもらっていいかな?」

 

 次の台詞を続けようとした主人公役の声を遮って、マイク音声がスタジオ内に響いてくる。別室で収録の様子を確認していた監督の声だ。

 

「高柳、6秒じゃなくて8秒経過ね。巻き戻っちゃってるよ。それと、『最高にハイ』のところが弱いな。もっと声が裏返るくらいアゲて言ってみてくれる?」

 

「あ……あ! はい! すいません、皆さんすいませんでした!」

 

 指摘を受けた男は、スタッフや共演者たちにしきりに頭を下げた。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

「……はぁ」

 

 休憩室で缶コーヒーをひとくち啜り、高柳はため息を漏らす。監督からの駄目出しの後も何度かNGが出てしまったが、どうにか最後まで演じきることができた。壁時計に目を向けると、午後11時を過ぎていた。

 

「こりゃあ、0時までに間に合わないなぁ」

 

 彼は携帯端末を懐から取り出し、10日前に届いていたメールをもう一度開いた。

 

『突然のメール失礼いたします。覚えておいででしょうか。アインズ・ウール・ゴウンのモモンガです。皆さんも既にご存知かもしれませんが、ユグドラシルのサービス終了まであと10日を切りました。何か派手なことを企画しようというわけではありませんが、最終日までにもう一度ギルドの皆で集まれたらな、と思っています。もし気が向きましたら是非ともいらして下さい。お待ちしております』

 

「はは、相変わらず生真面目な人だよなぁ」

 

 メールの文面を見て高柳は表情を綻ばせた。

 高柳はユグドラシルという、かつて一世を風靡したDMMORPGのネットゲームプレイヤーであった。そのゲームにおいて上位にランクインしていたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長が、このメールの送り主、モモンガその人である。

 高柳は声優になってからも仕事にはあまり恵まれなかったため、ひと月に何度かはストレス解消を兼ねてログインし、モモンガの狩りに付き合ったりしていた。しかし、今回の役がオーディションで抜擢されてからは、役作りの為にと完全にゲーム断ちをしていたのだ。しかもタイミングの悪いことに、ユグドラシルは本日の0時でサービス終了となる。

 

「ごめん、モモンガさん。ちょっと行けそうにないや……」

 

 せめて最後に話したかったなと思い、高柳は肩を落とした。

 

『♪~~』

 

「ん?」

 

 手の中の携帯端末から軽快なメロディーが聞こえてきた。電話の着信だ。

 

「一体誰から……って、あっ」

 

 送信相手の名前を確認し、高柳は慌てて通話ボタンを押した。

 

『もしもし久しぶり~今電話大丈夫だった?』

 

「大丈夫です! お疲れ様です茶釜さん」

 

『キャラネームで呼ぶなっつたろチ○カス野郎☆』

 

「あああ、すんません先輩」

 

 独特の子供っぽい声でドスを効かせるという器用な喋りをするこの電話の相手は、高柳が所属しているギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の古参メンバーである。ユグドラシル内でのキャラネームはぶくぶく茶釜という。

 可愛らしい声に反して、ゲームで使用しているアバターはピンク色の蠢く肉棒としか形容できない、見る者のSAN値を削りに来ているかのような粘液状生物である。彼女は高柳よりも先にデビューして実績を重ねていた実力派声優であり、互いのリアル素性を知ってからは、よく技術面での相談に乗ってもらっていた。

 

『まったく、ネットとリアルは切り離す。ネットマナーの常識だよキミぃ?』

 

「ははは……。まあ、その名前で呼ぶことになるのも今日が最後でしょうけどね」

 

 高柳が残念そうに言うと、楽しそうに笑っていた彼女も「ぁ、」と小さく声を漏らした。

 

『……ユグドラシル、終わるんだって? 私、モモンガさんからのメールで初めて知ったよ』

 

「仕方ないですよ、先輩も忙しいですから」

 

 茶釜はここ数年で主役や準主役として多方面に出演する機会が多くなり、仕事量が倍以上に増えてしまっていた。故にアカウントこそ残していたものの、ログイン自体殆どできなくなるだろうと随分前にギルドメンバー達に告げていた。実質上の引退を余儀なくされていたのだ。

 

『高柳くんは今日ログインするの?』

 

「いやそれが……収録の方が長引いてしまいまして、さっき終わったんですけど、正直今からじゃ間に合いそうにないです」

 

 高柳はもう一度時計に目をやった。移動にかかる時間を逆算して、やはり無理そうだと思って済まなそうに伝える。

 

『あ~、大昔にやってたアニメのリメイクだっけ? 自重なジョンに暴言だかなんだかっていう……』

 

「『ジョジョの奇妙な冒険』ですよ! ジョンさん自重してるのになんでひどいこと言われるんですか」

 

『惜しい!』

 

「惜しくないですからね!?」

 

 茶釜はこういう時に空気を読まないような人では決してない。きっと彼女なりに冗談を言って気を紛らわせてくれたのだろうと高柳は思い、呆れたような口調で笑いながらも、電話口の茶釜に対して頭を下げた。

 

「ところで先輩とペロ……あー、と、弟さんは? ログインできそうですか?」

 

『私はこの後ラジオ放送の出演があるから……帰宅は午前2時過ぎかなぁ。無理っぽい。弟は……どうかな。確か三徹目突入だって言ってたから、今頃仮眠とってるかも。電話でもかけて叩き起こそうか?』

 

「やめたげてください」

 

 茶釜には弟がいる。やはり高柳と茶釜の二人の例に漏れず、ペロロンチーノというキャラネームでユグドラシルをプレイしていた。

 エロゲー・イズ・マイライフを信条としていた彼はある日「エロゲー王に俺はなる!」と叫びだしてゲームからログアウトし、次の日には勤めていた会社に辞表を叩きつけ、エロゲー製作会社を起業したのだ。後から高柳が聞いた話によると、自分の姉が絶対に主演していない理想のエロゲーをプレイしたいが為に「だったら自分で作ればいんじゃね?」という思考に至り、むしゃくしゃしてやったのだそうだ。それを耳にしたギルドメンバーたちは、「こいつバカだ」「頭おかしい」「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」と彼の見事なまでの行動力を口々に賞賛したものである。

 動機はともかく、死ぬほど頑張っているペロロンチーノに対して「今すぐネトゲにログインしろ」とはとても言えない。言えるわけがない。言えるとしたらこの、姉と書いて「オニ」と読むぶくぶく茶釜だけであろう。

 

『ラジオの放送中にさぁ、引退宣言とかしたら怒られるかなぁ。私、普通のネトゲ廃人に戻ります! なんて言ったりして』

 

「……絶対怒られるから駄目ですよ?」

 

『だよねぇ。まあ半分は冗談だけど』

 

「半分は本気だったんですね」

 

 茶釜は「あはは」と笑って高柳の問いかけをごまかした。

 

『じゃあ、そろそろスタジオ入りしなきゃだから切るね。高柳くんも頑張ってなー』

 

「はい、ありがとうございます。それじゃあ」

 

 簡単に挨拶を済ませて、端末の通話状態をオフにする。

 

「……うん?」

 

 端末の画面に、小さな黒い点ができていた。ゴミでも付いたかと思って指で擦ってみると、今度は指に黒い点が写り込んだ。

 

「え……っ? まさか」

 

 顔を上げ、正面の壁をじっと凝視した。……黒点がある。そのまま少しだけ視線を動かすと、黒点はそれに合わせて同じ方向に動いた。それは目の中にあったのだ。

 

「おいおい……まさか目の病気か何かっていうんじゃ……」

 

 病院に行くべきか?

 でももう深夜だ。

 救急に駆け込む程なのか?

 放置してたらマズいやつか?

 思考が定まらない。若干焦り気味になりながら、まずは落ち着こうと深呼吸をする。気のせいか、さっきよりも黒点が大きくなってきたように……。

 

「うッ!?」

 

 気のせいではなかった。今の一瞬で黒点が直径10cmくらいに広がった。もう視界の半分が黒一色に染まっている。呼吸が荒れ、苦しくなってきた。もはや高柳はどうすればいいのか考える余裕すら無くなってしまっていた。

 ふらついて何かにつまずいた……ような気がする。倒れて頭を強打した……ような気がする。自分の心臓が早鐘のように鳴り続けていることだけ、正常に認識できていた。目の中では、黒い渦とでも形容すべき恐ろしい何かが、少しずつ形を変えながら蠢いていた。

 

(自分はここで死ぬのだろうか。こんなよく分からない状況で。完成したアニメ、見たかったな)

 

 混濁した意識の中でうっすらと考えていると、高柳守也の視界は完全な闇に染まった。

 

 ――そして、時計の針が0時を指し示す。

 

 

 




はい、というわけで異世界へ転移するまでのお話でした。
皆さんご存知の通り、主人公の声はあの方の中の人に瓜二つです。あり、ありえない(迫真)

オリ主の職業が声優ということで、ぶくぶく茶釜さんとリアルで連絡を取り合っていたという設定に。
ペロロンチーノさんのリアル職業についてはどうにも分からなかったので、この人ならいつか絶対やらかすだろうなと妄想して書きました。

次回から異世界のお話になります。それではまた( ´・ω・`)ノシ



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「ッはぁ! はぁッはぁッはぁッ!」

 

 高柳を突如襲った謎の症状は、視界が完全にブラックアウトした直後に消え去った。まるで肉体をまるごと新しく交換したかのように、それは一瞬のことだった。黒一色に染まっていた視界が徐々に回復してくる。最初に眼前に飛び込んできた色は、緑だった。

 

「なんだ……これ」

 

 紙のような薄く細長いものが下から大量に伸びていた。中には横に平たいものや、薄い毛のようなものが無数に生えた棒状のものもいくつか見える。

 

「もしかして、草か?」

 

 西暦2138年の世界では大気や水が酷く汚染されており、都市部においては人工呼吸器無しでは外に出ることもできなくなっていた。当然のことながら、そのような環境下ではまともに生育できる植物など殆ど存在せず、記録映像やバーチャル空間でしかそういったものを目にすることができなくなっていた。

 高柳は自分が仰向けに倒れていたことに気づいて立ち上がると、周囲を見渡した。あたり一面が、鮮やかな緑に覆われていた。冷たい風が草原を吹き抜けていく。匂いがした。彼にとっては初めて嗅ぐ匂いだったが、それは植物の青臭い匂い、そして有害物質で汚されていない綺麗な土の匂いであった。つい数分前まで、自分がいたのはビルの中だったはずである。そもそもこのような場所など見たことすら無い。上を見上げると、そこには夜空があった。本来なら汚染物質によるスモッグのせいで空など見えるわけがない筈だ。

 ギルドメンバーのブループラネットがギルド拠点の第六階層に作り上げた自然環境と同じ……いや、それ以上の美しい世界がそこかしこに広がっていた。

 

「どうなってるんだ……ここは一体?」

 

 あり得ない状況に放り出され、高柳はただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 白亜の巨大な建造物から、執事服で身を包んだひとりの老紳士が姿を現した。彼の一挙手一投足に洗練された完璧さが窺い知れる。名はセバス・チャン。己の主から命を受け、建物外の周辺地理を確認するため表に出てきたのだ。

 

「沼地が無くなっている……」

 

 彼が踏みしめている大地には本来、見渡すかぎりの大湿地帯が広がっていたはずである。それが今は全て普通の草原に変化してしまったいた。

 セバスにはどのような脅威にも冷静に対処できる自信があったが、この事態はまったくの想定外であった。だが、このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。彼の主、モモンガは知的生命体の有無を調べろと命令を下した。ならばやることは決まっている。セバスは意を決したように歩を進めた。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 30~40分ほど周囲の探索を続けたところで、セバスに対してモモンガから〈伝言〉(メッセージ)の魔法が飛んできた。

 

「これはモモンガ様」

 

『セバス、周囲の状況はどうだ?」

 

「はい、辺りは草原に覆われており、知性を持つ生物は確認できておりません」

 

『草原……沼地ではなく?』

 

 セバスの回答に対し、モモンガから当惑したような声が聞こえた。聡明なる主にとっても現在の状況が全くの未知であることを知り、初めてセバスは戦慄を覚えた。しかし、ここで動揺を見せれば主の全幅の信頼を裏切る行為にも等しい。至高の御方のシモベであるという矜持が、辛うじてセバスの冷静さを維持し続けた。

 続けて周囲を探索して最低限知り得たこと……人工的な建築物が他に見当たらないこと、そして空には夜空が広がっていることをモモンガに告げる。

 

『そうか……そうか……』

 

 セバスの報告を聞きながら、モモンガは考えこむように相槌を繰り返す。

 モモンガは自分たちが住処としている拠点、ナザリック地下大墳墓ごと何処か別の場所へ転移したのではないかと推察していた。それを聞いたセバスは成る程と納得する。それならばこの状況も腑に落ちるからだ。しかし、何処に転移したのだろうか。それが不明な現状では決して安心はできまい。

 次はどうするか思案しながら周囲を見渡していると、遠くから微かに草をかき分ける音が聞こえてきた。

 

「お待ち下さいモモンガ様……何者かが近づいてきております」

 

『何!?』

 

 セバスは意識を前方に向け、ガイキ・マスターの索敵力上昇スキルである〈八卦陣〉を発動させた。

 

「敵意は発していないようです。接触いたしますか?」

 

『うむ、だが油断はするなよ。念の為に時間を設けておこう。今から10分後に再度〈伝言〉(メッセージ)を送る』

 

「畏まりました」

 

 深々と頭を下げて〈伝言〉(メッセージ)の解除を待ち、すぐにセバスは体勢を整えた。月光に照らされて、相手の姿が徐々にはっきりと見えてくる。

 

「ッ!?」

 

 対象の全身を視界に捉えた瞬間、セバスは全身を雷に打たれたかのような衝撃に襲われた。

 

「あ……あの雄姿は……まさか……!」

 

「ん……、そこに誰かいるんですか?」

 

 声をかけられて、疑惑は確信に変わった。自分がこの御方を間違える筈がないと。セバスは即座にその場で片膝をつき、忠誠の意を示した。

 

「よくぞ御還り下さいました、我らが至高の御方、テラー・コヤ=ス様……!」

 

「え、ちょ……! は!?」

 

 感動に打ち震えるセバスをよそに、至上の御方と呼ばれた当の本人は困惑を露わにしていた。その男は先ほど草原のど真ん中に突然放り出され、わけも分からず歩きまわっていた高柳守也その人であった。

 

「その名前って確か僕のキャラネーム……あの、どこかで会いましたっけ……?」

 

 もしや、テラー様は記憶を失ってしまわれたのか、そう不安に駆られ顔を上げると、彼はまじまじと自分を観察し、ふと思い至ったかのように口を開きかけ、「まさか……いや、でも」と逡巡を繰り返した。やがて遠慮がちにセバスに顔を向け直すと、もう一度語りかけた。

 

「せ……セバス?」

 

 おおっ!、と口内の奥から声が漏れる。覚えていただけていた……ただそれだけで安堵の涙がこぼれる。「至高の御方を前になんと無様な」と己を叱咤しても、止めどなく溢れ出す涙を止めることができなかった。当の高柳ことテラー本人は、訳が分からないといった様子で終始まごまごしていたが。

 

「えーとまず状況を整理しよう……。セバスがいるってことは、ここってユグドラシルの中なのか? いや、それはあり得ないか。DMMO-RPG用のコンソールを装着せずにゲームを始められるわけがない。そもそも……」

 

 ちらり、と未だに傅いたまま涙を流し続けているセバスの方を見る。

 

(NPCであるセバスがこんなに表情豊かに動くなんてありえない。予め定められたプログラムに沿って簡単な動作をさせることなら出来たけど、プレイヤーと意思疎通ができるなんて、これじゃあまるで……生きた人間みたいじゃないか)

 

 そう、このセバス・チャンという老執事はユグドラシル内において、プレイヤーではなくプログラムによって動くだけのノンプレイヤーキャラクター(N   P   C)だったのだ。これこそ、現在巻き込まれている状況がゲームの中ではないことの証明となっていた。

 

「テラー様、僭越ながら申し上げたきことが。宜しいでしょうか」

 

「はいや!? 宜しいですよ宜しいですよ、なんでしょう」

 

 思案しているところを唐突に呼びかけられ、素っ頓狂な返事をしてしまう。テラーは咄嗟のアドリブに弱い自分をしこたま殴りなくなり、台本をくださいお願いしますなんでもしますからなどと頭の隅で連呼していた。

 

「私は、モモンガ様の命を受けてこの周辺の地理を調べていたのです」

 

 セバスの口から出た名前を聞いて、テラーは動きを止めた。

 

「……モモンガさん? ちょっと待った。モモンガさんもここにいるって?」

 

「左様でございます」

 

 セバスがいるのだから、冷静に考えてみれば十分にあり得る話であった。モモンガに会うことができれば、文字通り暗中模索のこの状況にも少しは光明を見いだせるかもしれない。そう考えてテラーはセバスの目を見た。命令が下されるのを待っているのが分かる。テラーは真剣な面持ちで一度だけ頷き、口を開いた。

 

「すぐに案内してください」

 

「御心のままに」

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

「そろそろ10分か……」

 

 『アインズ・ウール・ゴウン』、そのギルドの拠点であったナザリック地下大墳墓は、様々なコンセプトでデザインされた全十階層からなる広大な要塞である。モモンガは現在、その第六階層にいた。

 モモンガの眼前に傅くのは大小様々な6体の異形たち。彼らは階層守護者である。ユグドラシル時代にそれぞれの階層を守護する番人としてデザインされた、中ボス的な役割のNPCであり、彼ら全員が、例外なくモモンガに絶対なる忠誠を誓っていた。

 

「お前たち、そのまま少し待て。セバスに〈伝言〉(メッセージ)を送る」

 

「「「「「「はっ!」」」」」」

 

 体格も性格も、種族もまるで違う6人が、まるで予め何度も練習していたかのように一斉に頭を下げる。モモンガは内心で「なんだかなぁ」と若干呆れつつ、円形闘技場の壁際に寄って〈伝言〉(メッセージ)を飛ばした。脳内で糸が引かれるような気配を感じる。今度も問題なく繋がったようだ。

 

「セバス」

 

『おおっ、モモンガ様でございますか!』

 

 先ほどとうってかわって興奮気味のセバスの声が〈伝言〉(メッセージ)を通して鳴り響く。モモンガが呆気にとられていると、すぐに自分の失態に気付いて謝罪した。

 

『も、申し訳ありません。大声などを上げてしまうとは』

 

「良い、気にするな。それよりも、何かあったのか?」

 

『そうでした。お喜びくださいモモンガ様。たった今、テラー・コヤ=ス様がご帰還なされたのです』

 

「な」

 

 セバスの報告を聞いたモモンガは、一瞬頭の中が真っ白になった。

 

「何だとぉッ!?」

 

 主の口から唐突に発せられた叫び声に、待機していた守護者達はビクリと身を震わせた。セバスが何か不敬を働いたのだろうか。もし仮にそうだとすればとてお許されることではないが、視線を向けた守護者たちが見る限り、モモンガから怒気のような気配は感じられなかった。

 疑問を抱く皆を代表して、ひとりの女性が立ち上がる。

 

「モモンガ様……どうなされましたか?」

 

 彼女は守護者統括のアルベド。金糸に純白のドレスで着飾った黒髪の美女である。頭部の両脇から曲線を描くように、捻れて突き出た角。そして腰と背中の間辺りから生えた、髪と同じ漆黒の大きな翼が特徴的であった。

 だが、アルベドの問いには答えない。モモンガは〈伝言〉(メッセージ)相手のセバスと話すの夢中になっているようだった。

 

「それで、彼は今何処に……ナザリックの入り口近く? では私がそこに……あ、いや待て。まずは二人だけで話したいことがある。うむ、そうだ。九階層の円卓の間に案内してやってくれ。ではセバス、頼むぞ」

 

 〈伝言〉(メッセージ)を解除すると、階層守護者たちに向き直って一度咳払いをした。

 

「ゴホン! ああ、大丈夫だアルベド。皆も驚かせてしまったようだな。心配には及ばん。……私は少し急用が出来た。ここを離れるので、もうしばらく楽な姿勢で待機していろ」

 

「は、はい、畏まりました」

 

 モモンガはアルベドの返事を待たず、少しばかり慌てた様子でその場から転移していった。

 暫しの静寂のあと、誰からともかく話を始める者たちが出始める。

 

「も、モモンガ様どうしたんだろう?」

 

「わかりんせん。なんだか慌ててらしたみたいでありんすが……」

 

「モシヤ、敵ガ攻メテキタノカ」

 

「まさか、モモンガ様がお一人で敵を迎撃に!? だったらあたしたちも追いかけた方がいいんじゃ!」

 

「まあ、待ち給え、君たち」

 

 最後に発言した丸眼鏡にスーツ姿の長身の男に、全員の視線が集まった。

 彼は悪魔デミウルゴス。第七階層の守護者であり、知恵者としてナザリックでも一目置かれている存在だ。

 

「悪い予測ばかりしていては思考の幅を狭めてしまうよ。戦略面でも戦術面でも、良いことではない。それに……」

 

「それに?」

 

 言葉を付け足す前に一拍置いたデミウルゴスに、会話に加わらず横で聞いていたアルベドは焦れたように先を促した。

 

「モモンガ様の御声はお怒りのものではなく、歓天喜地とでも言うべきポジティブな感情によるものだった。これはひょっとしたら、嬉しいサプライズなんじゃあないかな?」

 

「嬉しいサプライズって?」

 

「さあ、私にもまだそこまでは。しかし、モモンガ様が我々を吃驚させようとお考えになっているのは確実だろうね。でなければ、何も仰らずにこうして我々に思考する時間をお与えになるわけがないだろう? つまりモモンガ様はこう仰っているのさ。お前たちで私のサプライズが何なのか、予想してみろ、とね」

 

 それを聞いた全員が、期待に胸を膨らませて九階層へと続く通路に視線を向けたのは、当然言うまでもなかった。

 

 




*おおっと*

正規の方法で異世界に転移しなかったので出現位置にズレが生じました。

高柳ことテラーさんのキャラビルドについては次回に持ち越しです。




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上位者の すごい 雑談

 

(っはぁ~、凄いなこりゃあ……)

 

 テラーはセバスに促されるままに、ナザリック地下大墳墓の九階層を進んでいた。

 

(ここを通るのも久しぶりだけど、内装は昔に見たままか……。ってことは、ここって本当にナザリックなんだな)

 

 彼の記憶によれば、中世のゴシック建築様式を参考にデザインされたものらしい。一つ一つの小物のモデリングもさることながら、資料用の写真を揃えるだけでもどれほどの苦労か考えて気が遠くなったものである。そうして創り上げられたこの九階層はゲーム内のCGから現実のものに昇華され、もはや「美しい」という形容詞すら陳腐に聞こえるほど途方も無い威容を漂わせていた。

 

(この階層のデザイン担当って誰だったんだろう……このレベルのを作れるメンバーっていったら、るし★ふぁーさん? いや、でもあの人結構飽きっぽいしなぁ……確か大浴場のデザインしたって言ってた筈だから、ベルリバーさんあたりかも……)

 

 広々とした通路を眺めながら取り留めのないことを考えていると、セバスが両開きの大きな扉の前で立ち止まり、ノックをした。

 

「モモンガ様、テラー様をお連れいたしました」

 

 一拍の間を置いて、奥からくぐもった声が聞こえてくる。

 

「通せ」

 

 まるで大魔王か何かのように、聞いたものに畏怖を感じさせる迫力がそれにはあった。

 ことここに至って、テラーは不安感を覚えた。この扉の先にいるのは本当に自分の知るモモンガなのだろうか。もし仮に別の何か、おぞましい化け物に変質してしまっていたとしたら。自分はまんまと虎の巣におびき寄せられた餌なのではないかと。

 ナザリック内でのみ使用可能な転移用の指輪『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』は外したままだ。敵対行動をとられた場合即座に撤退できるよう装備しておきたいが、ここでそれをするのはあまりにも不自然だろう。かえって相手に不快感を与えて、藪蛇になってしまう恐れさえある。

 それに、すでに試してみたのだが、ユグドラシルの時のように指をスライドさせてもコンソールが出現しないのだ。コンソールを出せないのなら、どうやってアイテムの出し入れをすればいいのだろうか。こんなことになるならひとりの時にもっと色々と試行錯誤しておくべきだったと、後悔し始めていた。

 

「テラー様?」

 

「んっ!?」

 

 テラーが慌てて顔を上げると、扉は既に大きく開かれていた。

 

「お、……おう」

 

 セバスは執事としての義務感でもって至高の御方の手を煩わせまいと取った行動だったのだが、覚悟が決まりきっていなかったテラーにとってこれはありがた迷惑であった。

 扉の奥には直径にして10メートルはあろうかという巨大な円卓があり、それを囲むように41人分の豪華な椅子がズラリと等間隔に並べられていた。ギルドメンバー全員が一堂に会して話し合う場として設けられた、円卓の間である。

 その中の一席に、テラーから見て背中を見せたまま静かに着席している人物がいた。

 その者が羽織っているのは魔術師のローブである。黒に金の縁取りのみというシンプルさでありながら、見る者の目を釘付けにしてしまう奇妙な吸引力があった。そして、朱い目を持つ甲殻類という形容がしっくり来るような異常に大きい肩当て。これらには、テラー自身よく見覚えがあった。それはモモンガが好んで身につけていた防具であるからだ。

 顔を見たい。そんな思いに駆られて、テラーはおそるおそる後ろ姿に近づいていった。

 

「も、……モモンガ……さん?」

 

 意を決して呼びかけた。それに反応するかのように、後ろを向いたままゆっくりと立ち上がり、その人物は振り返った。

 一言で言い表すなら、骸骨のお化け。落ち窪んだ眼窩の奥と、肋骨の下辺りが赤黒く輝きを放っていた。

 

「お久しぶりですね、テラーさん」

 

 その骸骨は外見にそぐわない穏やかな声で、テラーにそう語りかけてきた。

 ユグドラシルの頃から何も変わっていなかったことを理解し、同時にテラーは先程までこの素晴らしい友人を疑ってかかっていたことを思い出し自己嫌悪に陥った。

 

「なんかすいません、モモンガさん……」

 

「えっ、なんで謝るんですか」

 

「いや、ほんともう、ごめんなさい」

 

 「僕って最低だ……」などと何処ぞの人型決戦兵器のパイロットのような台詞を言って落ち込んでいるテラーを、モモンガは椅子に座るよう促した。素直に腰掛けたのを見届けると、扉の横で待機していたセバスに下がるよう命令する。

 一礼して部屋から出て行ったセバスの足音が小さくなっていくのを確認し、モモンガもテラーの隣の椅子に腰を下ろした。

 

「さて、もう落ち着きましたか?」

 

「あ、ああ、すいません取り乱してしまって」

 

「もう謝るのはやめましょうよ」

 

 そう言ってアハハと笑った。釣られたように、テラーも笑い出す。モモンガは骸骨なので表情を読むことができないが、声色からなんとなくだが感情を読み取ることができるようだった。

 

「それにしても驚きましたよ。モモンガさん、ユグドラシルのアバターのままだったんですね。どうやって喋ってるんですかそれ? 声帯とか無さそうなのに」

 

 テラーが素朴な疑問を投げかけると、モモンガは不思議そうに首を捻った。

 

「いや……テラーさんの方こそ」

 

「え?」

 

「――あ、もしかして気付いてなかったんですか」

 

 モモンガがどこからともなく手鏡を取り出すと、テラーにそれを手渡した。

 テラーが無警戒に覗き込んだ鏡の中には、捻じくれ、ひしゃげたような昏い穴がぽっかりと空いた、()()()()()が映り込んでいた。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

「どうもお騒がせしました……」

 

「いやぁ、落ち着いたようでよかったです。まさかあそこまで取り乱すとは……」

 

 自分の姿を初めて見た直後のテラーの狼狽ぶりは、それはもう酷いものであった。「え……? だっ……、へ?」などと口走りながら手鏡とモモンガを交互に見比べ、唐突に「僕の顔どこぉ!?」と叫んで目鼻口を探しに行こうとし始めたのだ。反射的にモモンガが後ろから羽交い締めにして取り押さえられたのは実に幸運であった。

 

「よく考えたらモモンガさんがそうなってるんだから、僕だって当然アバターの姿になりますよね……。はぁ……ショックだ」

 

「気持ちはわかりますよ。俺も気付いたらアンデッドの体で現実化してましたからね」

 

 存在しない顔を覆って落ち込んでいたテラーが、ふと気付いたようにモモンガに疑問をぶつける。

 

「そういえば、モモンガさんけっこう冷静ですね」

 

 テラーは、非常事態に一番錯乱しそうなのはモモンガのような人だろうなと思っていたのだ。本人には言えないことだが。

 失礼な心の内を知ってか知らずか、モモンガは顎に指を当てて「ああ、それは……」と言って言葉を続けた。

 

「たぶん、アンデッド種の種族特性の影響が出てるんじゃないかと思うんですよ」

 

「種族特性か……」

 

 テラーは腕組みをして頭の中から記憶を掘り起こすべく考えこむ。

 ユグドラシルにおいて異形種系の種族には、人間種には無い『種族特性』というものが存在していた。『飲食不要』や『暗視』などの有利なものだけでなく、特定の属性ダメージに弱くなるような不利な特性も常時発動状態になるので、一概に便利というわけではないのだが。

 

「アンデッドには『精神作用無効』っていう種族特性がついてるんですよ」

 

「あれか……。でもそれって、精神異常を無効化する特性じゃなかったですか?」

 

「ユグドラシルではそうでした。でもこの世界では、」

 

 話をしながら、何も無い空間を指先で突くような動作をして見せた。

 

「それらの法則が通用しないものがいくつもあるんです。もう試してみました? これ」

 

「コンソールですか……。ゲームの時みたいにやっても、何も出なかったですね」

 

「ちなみにアイテムですが、こうやって出し入れできます」

 

 モモンガが右手を動かすと、手首から先がスッと消える。何かを探すような動作のあと、戻ってきた手の中には治癒薬(ヒーリングポーション)があった。

 

「おお! すごい」

 

「目の前に浮いているアイテムボックスをイメージして、それを開けて手を突っ込む感じを想像してみてください」

 

 言われたとおりにやってみると、テラーの手も空中で消える。そしてズラリと並べられたアイテム類のイメージが脳内にダイレクトに伝わってきた。その中の一つ、『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を選んで手を引き戻すと、小さな指輪が握られていた。

 

「はは、ゲームの時より便利ですね。これ」

 

「魔法も同じようにゲームの時とは勝手が違うんで、あとで実際に使って検証しておくといいですよ。で、さっきの種族特性の話に戻るんですが……ちょっと実際にやって見せた方が早いですかね」

 

 モモンガは椅子から立ち上がって数歩下がり、テラーに話しかけた。

 

「テラーさん、怒らせるのでも笑わせるのでもいいんで、ちょっと俺の精神を昂ぶらせてくれませんか?」

 

「……ええ~?」

 

 とんでもない無茶振りである。うーんと唸りながらキョロキョロ周囲を見渡し、やがてピンと来たかのように指を立てた。

 

「そうだ。モモンガさん、ジョジョ好きでしたよね?」

 

「ジョジョですか! 大好きですよー。そういえば今度放送する第3部でもテラーさんが声を当ててるんですよね。見たかったなぁ」

 

 感慨深げにそう言ったモモンガに対して、テラーは爆弾を投下した。

 

「実はここだけの話なんですが……4部の制作ももう決まってたんです」

 

「えっ」

 

「モモンガさん、4部が一番のお気に入りでしたよね……。もう、見れないですね」

 

「うそ……嘘ですよね? テラーさん、はは、は」

 

 千鳥足でフラフラと縋り付いてくるモモンガに対し、テラーは辛そうに顔を背ける。モモンガはその場で崩れ落ち、慟哭した。

 

「くっそおおおおぉぉぉぉッ!! …………あっ」

 

 その瞬間、光の柱のようなものがモモンガの体に立ち上り、急速に精神が沈静化されていった。

 

「ふぅ……」

 

「モモンガさん、いまのは?」

 

「これがこの世界での『精神作用無効』なんです。正直、有利な能力なのかどうかでいうと微妙な感じになっちゃいましたね」

 

 姿勢を正して膝に付いた汚れを払う仕草をしつつ、モモンガが解説する。他のスキルについては随時検証していくつもりだとも付け加えた。

 

「……っていうか、今の話ってマジなんですかテラーさん?」

 

「マジです」

 

「うーわー……今日ここにきて一番ダメージでかいですよそれ……」

 

 がっくりと肩を落とすモモンガの背中を見ながら、テラーは自分の種族特性について思い出していた。

 

「じゃあそうなると、僕のも結構厄介になってるかもしれないなぁ」

 

「テラーさんは、ええと『二重の影』(ドッペルゲンガー)から上位種族にシフトしたんですよね。確か名前は……」

 

「『這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)』ですね」

 

 ニャルラトホテプ。

 クトゥルフ神話に登場する神性の一柱であり、ユグドラシルにおいてはエリアボスの一種。

 彼には、ただの偶然であった。ただ、()()()()()()が重なっただけだ。

 色々なキャラクターを演じたいというだけで『二重の影』(ドッペルゲンガー)のクラスを育てた。職業クラスで『カオス』を取ったのは、スキル構成上の都合からだった。そして、エリアボス『ニャルラトホテプ』を倒すと超低確率でドロップするアイテム『輝くトラペゾヘドロン』。これを入手できたのも、ギルドメンバー達の素材集めに付き合って行っただけのこと。

 

 ・種族クラス『二重の影』(ドッペルゲンガー)『上位二重の影』(グレータードッペルゲンガー)のレベルを上限まで上げていること。

 ・職業クラス『カオス』のレベルを上限まで上げていること。

 ・ドロップアイテム『輝くトラペゾヘドロン』を入手済みであること。

 以上の条件が揃った者にのみ、『這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)』という上位種族が出現する。

 

 そしてこの度の異世界への転移。

 この日、テラー・コヤ=スは這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)の化身のうちの一つへと変貌した。ただし、彼自身がとんでもない怪物になってしまったことに気づくのは、もう少し先のことである。

 

「その種族特性だと、どれが厄介そうですか?」

 

 ユグドラシルで使用される大体の魔法やスキルを把握しているモモンガでも、レアな種族クラスとなるとそうもいかない。特に常時発動している種族特性などは、本人から聞き出す以外に構成を知る手段が無いからだ。

 

「そうですね……。『飲食不要』とか『毒・病気無効』、『睡眠不要』とかそこら辺はアンデッド種とあんまり変わらないんですけど一個だけ、名前的に面倒くさそうなのが」

 

「なんです?」

 

「『精神異常感染』」

 

「ああ……」

 

「ね?」

 

 ヤバそうだ。大部屋の片隅で、死の支配者(オーバーロード)這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)が同時に唸った。

 

 




何にもせずにおっさん二人がだべっただけで終わってる!?



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恋心はバッドステータス?

 第九階層の通路を進むセバスが、ふと立ち止まり耳に手を当てた。<伝言>(メッセージ)の魔法がかけられたためだ。

 

「モモンガ様でございますか」

 

『うむ。度々すまないな、セバス』

 

「何をおっしゃいますか。至高の御方からの御下命以上に優先すべきことなどございません」

 

 誰もいない通路の中で一礼し、そう述べた。もちろん今のセバスを見ている者などいないのだから、わざわざ<伝言>(メッセージ)の相手に頭を下げる必要など無いだろう。だが、どのような時でさえ主に対する礼を失するべきではないと彼は考えていた。そしてこのナザリックにおいて、そう考えない者はただのひとりとして存在しないだろう。

 

『円卓の間にメイドをひとり寄越してほしい』

 

「一名でよろしいのですか?」

 

『うむ、すぐに来れる者で、アンデッドでない者が望ましいな。いるか?』

 

 セバスは顎に手を当て、思案する。今ならば彼の部下が全員待機しているはずだ。その中から主の望んでいるであろう対象を選び出すことにした。

 

「では、ソリュシャン・イプシロンで如何でしょう」

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

「プレアデスのソリュシャンが来てくれるそうです」

 

 <伝言>(メッセージ)を終えたモモンガが、振り返ってテラーに語りかけた。

 

「プレアデスっていうと、九階層を守る戦闘メイド……でしたっけ。大丈夫なんですか? 想定外の効果が現れた場合に対処しきれなかったら……」

 

「その点に関しては心配無いと思います。プレアデスのレベルは60前後くらいで抑えてありましたから。万が一襲いかかってきたとしても問題にはならないはずです」

 

「だといいんですけど……」

 

 モモンガと相談し、いきなりレベル100の階層守護者にどのような効果が出るか未知数である『精神異常感染』が効いてしまったら一大事だろうと考え、まずは弱い配下で試そうという話になったのだ。結果次第では何かしら対策を立てなければならないだろう。

 緊張のため落ち着きなくソワソワしていると、唐突にノックの音が鳴り響く。

 

「ソリュシャン・イプシロンです。セバス様からの指示でこちらへ伺うようにと……」

 

「うわっ、もう来た!?」

 

 直前まで一切の気配が感じられなかったため、完全に不意打ちのかたちとなった。これはソリュシャンの保有スキルが暗殺に特化したもので構成されているためだ。

 テラーと一緒になって椅子から10cmほど飛び上がったモモンガの方はというと、既に精神を強制的に沈静化されて、すっかり落ち着いた様子である。

 

「入れ」

 

「失礼致します」

 

 扉が開かれ、深々と頭を下げた金髪の女性が姿を見せる。

 彼女がプレアデス戦闘メイド隊のひとり、ソリュシャン・イプシロンである。縦巻きロールの髪と、メイド風にアレンジしたボンテージで身を包み、すらりと伸びた脚には金属製のレッグアーマー。メイドというよりは、女王様といった方がしっくり来る佇まいであった。もちろん、別の意味での女王様である。

 

「ご用命をうかが……っ!?」

 

 姿勢を正そうと顔を上げたままの姿勢で、ソリュシャンが固まった。我が目を疑うかのようにテラーの方に視線を向け、穴が空くほど見つめている。穴は既に空いているが。

 

「て、テラー……様……?」

 

 その様子を不思議そうに見ていたモモンガが、ふと気付いて口を開いた。

 

「そうか、セバスから聞いていなかったのか。先程テラーさんがこの世界で彷徨っていたのをセバスが発見してな。こうして連れて来させたところなのだ」

 

「では……、では本当に……?」

 

 全身を震わせ、両手で口を覆いながら感極まったように大粒の涙を流すソリュシャン。

 

「あっ、も、申し訳ございません! モモンガ様のお言葉を訝しむわけでは無いのです! ただ、こうして目の前にテラー様がいらっしゃることが、よもや夢か幻なのではないかと……!」

 

「あ、ああ勿論だ。お前の忠誠に陰りがあろうなどと思ってはいないぞ、ソリュシャン」

 

 涙を流し続けたまま両膝をつき謝罪するソリュシャンに、戸惑い気味のモモンガが声をかける。その様子を他人事のように見ていたテラーに、モモンガが眼窩の奥をギラリと輝かせて睨みつける。「テラーさんからも何か言ってやってくださいよ!」。彼の目はそう言っていた。

 

(か、勘弁して下さいって! どうすればいいかなんて僕に分かるわけないでしょ!?)

 

(それはお互い様でしょう! なんでもいいから安心させるようなことを言ってやってください! 俺ひとりに押し付けないでくださいよ!)

 

 泣いている女の子の扱いなど経験したことがないリアル魔法使いふたりが視線で数度殴り合い、やがて観念したようにテラーが歩み寄った。

 

「その、なんだ。ソリュシャン、拭きなさい」

 

 中空から『幸福の黄色いハンカチ』――装備中、低級アイテムのドロップ率が上昇する初期レベル用アイテム――を取り出し、ソリュシャンの涙を拭った。

 

「て、テラー様……わたくしなどの為にそのような……!」

 

「すみませんでした、ソリュシャン。もう黙って消えてしまったりはしませんから。どうか安心してくだい」

 

 ソリュシャンは、心の中で彼の言葉を染み渡っていくのを感じた。

 己のようなメイド風情のために、主は神聖なハンカチが汚れることも厭わず、尚且つ慈悲深く慰めのお声がけまでくださった――。至高の御方の存在を一度でも疑った自分に、このような幸せを与えられる権利などあるのだろうか。そう自戒する程の至福に包まれていた。

 

 一方テラーの方はというと、平静を装いつつも屈みこんで彼女の涙を拭った時に漂ってきた良い匂いにドキドキしていてた。DT乙である。

 

(や、やばい。こんな綺麗な人を間近で見るなんて初めてだ。心臓の音がやばい。これ絶対聞かれてるよ恥ずかしい!)

 

 そもそも今の彼に人間のときのような臓器が存在するのかは不明であるが、それはひとまず置いておこう。テラーの動悸がピークに達し、脳がオーバーヒートしそうになった瞬間、自分の中から何かが放射状に広がっていくのを感じた。何事かと思って周囲を見回すと、ソリュシャンと目が合った。

 ソリュシャンは真っ赤に上気した顔で「あ」とか「う」などと口から漏らし、明らかに平静を失った様子で視線を泳がせていた。

 

「……ソリュシャン?」

 

「あ、あ、あの! も申し訳ございません!!」

 

 慌てた様子で立ち上がったソリュシャンは、電光石火の勢いで飛び退り頭を下げた。

 その様子を離れて見ていたモモンガが、ポツリと呟く。

 

「おまわりさんこいつです」

 

「いや何もやってないですよ!?」

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 ソリュシャン・イプシロンはサディストである。

 彼女の正体は不定形の粘液(ショゴス)であり、体内に生きたまま獲物を捕り込み、その哀れな犠牲者が死にゆくまでの悲鳴を聴くのを何よりも好む。そんな彼女の心が、今まで感じたことのない初めての感情に包まれていた。

 自分の中を何かが通り過ぎていったように感じた瞬間、目の前のテラーの匂いに心奪われ、淫らな感情を抱いてしまったのだ。

 たかがメイド風情の自分が至高の御方をそのようなふしだらな目で見るなど、不敬にも程がある。己自身を叱責し続ける一方で、この想いに身も心も染まりきってしまいたい。そうも思ってしまう。そしてその葛藤でさえも、己の身を溶かす甘美な毒のようにソリュシャンを溺れさせた。

 

「……大丈夫ですか? ソリュシャン」

 

「ッ何がでございましょう!? このソリュシャンは極めて冷静でございますわ!」

 

心配そうに一歩近づくテラーに対し、同じく一歩下がって切り返すソリュシャン。視線はあらぬ方向を彷徨っている。傍目で見ていればソリュシャンの感情などひと目で分かるのだろうが、DTをこじらせたテラーは単純に避けられたと思っており、軽く落ち込んでいた。

 

(うう、やっぱりキモいって思われたんだろうな……。っていうか顔が無い男とかもうキモいってレベルを超越してる)

 

 どう考えても恐ろしげな自分の容姿を思い出し、せめてスキルでイケメンにでも変身しておくんだったと後悔した。

 

「テラーさん」

 

 しばらく黙って観察していたモモンガが、テラーに耳打ちする。

 

「なんですか……モモンガさんもキモい僕を笑うんですか」

 

「いやあの」

 

 なんと返してやったらいいのか分からず言い淀むが、咳払いを一度して話を戻した。

 

「そうじゃなくてですね。これ、もしかして例のアレが発動したんじゃないですか?」

 

「え?」

 

 そう言われてソリュシャンを見ると、慌てて視線を逸らされてまた軽く凹んだ。だが、彼女の様子が明らかに変わったのは事実のようだと思う。

 

「そういえば、さっき何か体の中からブワーッと出て行ったような……。モモンガさんはなんともないんですか?」

 

「いえ、特には。おそらく『精神作用無効』を持つアンデッドには効果が無いか、受けてもすぐ抵抗が働くんじゃないですかね」

 

「成る程……」

 

 ならば、今この中で『精神異常感染』の影響下にあるのはソリュシャンだけだということになる。若干予定とは食い違ったが、問題なく実験の方は行えそうだ。モモンガが前に出て、彼女に問いかけることにした。

 

「ソリュシャン、お前を呼んだのは、テラーさんの種族特性に関する実験に少しばかり協力してもらいたいからだ。構わないな?」

 

「勿論でございます! このソリュシャン、誠心誠意をもって至高の御方々のお役に立つべく、」

 

「ま、まあ、そう畏まらないで」

 

 レッグアーマー同士がぶつかり合うガチャンッという音を響かせ、おそろしく綺麗に背筋を伸ばしたソリュシャンが熱意のこもった返答をする。やる気があるのはいい事だが、ソリュシャンってこんなキャラ設定だったか? とテラーとモモンガは揃って首を傾げた。

 

(確かソリュシャンはプレアデスの中でも大人びた感じの性格で設定されてたと思うんだけど……。書き込んだテキスト通りの人格になるとは限らないのかな?)

 

 浮かんできた疑問をまあいいかと隅に置いやる。

 テラーが、今からいくつか質問をするので答えるようソリュシャンに伝えた。彼女が肯定の意思を示したのを見て、最初の質問をぶつける。

 

「ではソリュシャン、今のキミの精神状態について教えてください」

 

「は、はい! えぇと、その……。胸のあたりがきゅうっとなって、とても、なんというか……落ち着かない、というか……」

 

 考えながら途切れ途切れに答えるソリュシャンの顔が、みるみる朱に染まっていく。その変化の様子に気付いたテラーが覗き込むと一瞬で耳まで真っ赤になり、小さくなって俯向いてしまった。

 

「も、申し訳、ございません……うまく、言葉にできません」

 

 テラーとモモンガの二人は、困ったように顔を見合わせた。

 

(どう思います?)

 

(何らかのバッドステータスが発生しているようですけど……ちょっと分からないですね)

 

(『恐慌』とか『忘却』とか、もうちょっと分かりやすい精神作用から試したかったな……。っていうか、この種族特性の効果っていつごろ切れるんですか?)

 

(さ、さあ)

 

 重ねて言うが、この上位者たちは極めつけのDTである。そうでさえなかったなら、おそらくここまで拗れなかったのではないだろうか。ここにいる者は誰も悪くはない。悪いのはDTなのだ。

 

 その後、モモンガがテラーに精神作用系の魔法をかけ、ソリュシャンに感染するか試してみたが変化は無し。魔法による精神作用では効果が無いのか、それとも『精神異常感染』の効果が持続している間は新たに上書きできないのかまでは不明なままであった。

 

「参ったな……。一旦ソリュシャンの精神異常を解除してからもう一度やってみましょうか?」

 

 テラーがそう提案した瞬間、ソリュシャンが弾かれたように顔を上げた。

 

「このままで! このままで宜しいかと存じますわ!!」

 

 テラーとモモンガが、ソリュシャンの気迫に気圧される。その後、いち早く平静を取り戻したモモンガが尋ねた。

 

「何故だ? その精神状態のままでは仕事に支障をきたすのではないか?」

 

「お、畏れながら申し上げます。先程テラー様の種族特性についてお調べになっておられると伺いました。それならば、持続時間もお調べにもなった方が、よ、宜しいかと」

 

 ソリュシャンは、胸の奥から湧き上がるこの感情を消してしまいたくなかった。絶対の忠誠を誓うべき主に意見するという、不敬にさえ気づかない程。無意識に体が震え、奥歯がガチガチと鳴る。頭では気づかずとも、己自身の身体が警告を発していた。

 

「ど、ど、どうか、わたくしをこ、このままお使いくだ」

 

「ソリュシャン」

 

 最後まで言い終わる前に、肩に手を置かれ優しく語りかけられた。テラーである。

 

「……もう十分です。ずいぶん無理をさせてしまったようですね」

 

 ちがうんです。そうではないのです。わたくしはシモベの分もわきまえずあなたを想う気持ちに縋り付く、浅ましい女なのです。

 否定しようとするが声を出せなかった。言えばきっと軽蔑され、もう二度とこんな風に御声をかけてくださらないだろう。そう思ってしまったから。消したくない。消さないで。その思いがソリュシャンの心の中を渦巻いていく。

 その直後、彼女自身にも思いもしない行動を取らせてしまった。

 

「……ッ!」

 

「えっ!?」

 

 逃走。ソリュシャンはテラーの手を振りほどき、逃げだしたのだ。

 

 

 

「…………ど、どうしましょう…………?」

 

「どうって……」

 

 円卓の間には、察しの悪いふたりが呆然と立ち尽くしたままだった。

 

 




「よいか! 百発のカワイイで倒せぬ読者だからといって、一発の力に頼ってはならぬ。一千発のカワイイを投げるのだ! これぞ、インストラクション・ワンの極意!」

「ハイセンセイー!!」

というわけでソリュシャンは実際カワイイのお話でした。
恋する乙女は皆カワイイなのです。たとえショゴスでも。たとえサディストでも。



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束縛契約

「……ねえモモンガさん」

 

「なんでしょう」

 

 テラーとモモンガは、ソリュシャンが出て行った扉を見ていた。我を忘れて逃げ出したわりに、開けた扉をしっかり閉めていったあたりは流石と言わざるを得ない。

 

「僕は……彼女を探しに行きます」

 

「!……テラーさん」

 

 一瞬、驚きで言葉が詰まる。モモンガは左右に首を振って続けた。

 

「本気なんですか。恋人でもない女性を追い回すその行為の意味……貴方にも分かる筈でしょう?」

 

「ストーキング……いや、上司と部下という関係性を考慮すれば、パワハラも付いてダブル役満は免れないでしょうね」

 

 モモンガはハッとなってテラーを見る。顔があるべき部分には虚無を思わせるような昏い空洞しか無かったが、彼は覚悟を完了させた漢の顔をしていた……ように見えた。

 ならばこれ以上引き止めるのは無粋……そう判断したモモンガは、勇気ある友を送り出すべく餞別の言葉を贈った。

 

「もし訴えられたら、弁護を引き受けますよ」

 

「ありがとう。……行ってきます」

 

 軽く握った拳を当て合い、お互いに小さく笑った。

 

 

 扉を開けて通路側に出たテラーは、まず<伝言>(メッセージ)を試みることにした。モモンガが使用しているところを横目で見ていただけなのでちゃんと使えるのかは分からないが、まずはやってみなければ始まらない。

 ゲームだった頃のことは忘れて、魔法という概念自体を『息を吸って吐くことのように、出来て当然のもの』と脳内で反復し、強くイメージした。

 

<伝言>(メッセージ)

 

「……よし」

 

 透明な糸が伸びていくような感覚。どうやら無事発動したようである。

 ソリュシャンが<伝言>(メッセージ)に応えてくれるのを祈りながら、テラーは歩を進めだした。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 使用人……メイドや執事達には、個人として使用できる部屋は用意されていない。プレアデスの6人も同様であり、例外として個室を割り振られているのはそれらを統括しているセバス・チャンとペストーニャ・S・ワンコのふたりのみである。

 ソリュシャンはその中の一室、プレアデス用の待機室に閉じこもり、うずくまっていた。彼女の顔は絶望に染まりきっていた。自分のしでかしてしまった罪の重さのために。

 至高の存在である主人の命令を無視し、己の欲望を優先して逃げ出したのだ。しかも、優しく置かれた手を乱暴に振り払って。どのような任務でもそつなくこなす事ができ、同時に完璧主義者でもあったソリュシャンの精神は、今やズタズタに引き裂かれていた。

 そんな彼女のもとへ、<伝言>(メッセージ)の魔法がかけられる。

 

『――ソリュシャン』

 

 テラーだ。その声にソリュシャンの心は乱れ、欲望が再びジワリと広がっていく。彼女はその気持ちを抑えこもうと、必死に胸を掻き抱いた。

 

『返事はしなくても構いません。そのままで聞いてください』

 

 ソリュシャンは応えない。返事をしなくていいと言われたからではない。口を開けば、余計なことまで吐露してしまいそうだったからだ。

 

『……こんなことを言ったって言い訳にもならないでしょうが、どうにも女性の扱いというものに慣れていないもので。だからきっと、今回のことは僕が悪かったんだと思います』

 

 ――違う。

 

『……すみませ……いや、こんな風に<伝言>(メッセージ)で謝るのは狡いな。今から行きますから、そこで待っていてください』

 

 ――優しくしないで。

 

「……わ……わたくしなどに、」

 

『ソリュシャン?』

 

 ――もうやめて。

 

 彼に名前を呼ばれる度に、燃えるように顔が熱くなる。「至高の御身に気遣われている」ということへの多幸感と、その優しさを自分だけに向けてほしいと思う身勝手な感情がソリュシャンの中で綯い交ぜになっていった。

 

「わ、わたくしの……ッ、わたくしごときのためにそのようなことをされてはいけません」

 

 絞りだすように、言葉を吐き出す。

 テラーは何も応えない。ひょっとしたら拒絶ととられてしまった可能性もある。ソリュシャンは、これでいいのかもしれないと思った。自分のような立場の者が、あの方の寵愛を受けられるはずが無いのだからと。だが、それでも。叶わない願いだとしても、愛されたいと思ってしまう。

 

「……わたくし、バカですわね……」

 

 とっくに出し尽くしていたと思っていた涙を溢れさせ、掠れた声で独りごちた。

 

 

「――ああ、実に愚かだ」

 

 突然、扉のある方から声が聞こえた。その声はテラーのもののようだったが、何かが違う。ソリュシャンはそう感じた。

 

「<第十位階傀儡人形召喚(サモンゴーレム・10th)>、ザ・ワールド」

 

 呪文詠唱の直後にミシリ、と鍵がかけられていた扉を無理やり引き剥がして、部屋の中に等身大のゴーレムが入ってきた。逞しい筋肉質な、平たい逆三角形の兜のようなものを被ったデザインである。

 そのゴーレムの後ろには、同じく筋肉質な金髪の男が腰に手を当てて立っていた。黒一色のインナーに黄色を主体としたジャケットと下衣。衣装のあちこちにハート型のアクセサリーが散りばめられていた。

 彼は部屋の片隅にうずくまっていたソリュシャンを見つけると、ゴーレムを送還してズカズカと歩み寄り、声をかけた。

 

「私が誰か分かるか?」

 

「テラー・コヤ=ス様……」

 

 即答。外見も、声の抑揚もまったく違うのに、ソリュシャンは何故かひと目で彼の変化した姿だと理解できた。目の前の男、テラーはその答えに対して満足そうに頷くと、質問を続けた。

 

「ソリュシャン・イプシロン、貴様は誰のものだ?」

 

「わ、わたくしは……41人の至高の御方々の、ッ」

 

 テラーは跪いて答えようとしたソリュシャンのか細い首を乱暴に掴み、顔を上げさせた。

 

「違うな」

 

 今のテラーには、人間と同じように目鼻口がついていた。その顔でまじまじと観察する。首を掴まれたソリュシャンは羞恥に顔を真っ赤に染めながら、しかし逃れることを許してもらえない。

 

「ソリュシャン・イプシロン。貴様の望みを言ってみろ」

 

「わ、わたくしは、」

 

 言いかけ、まるで射殺すようなテラーの視線を受けた。ソリュシャンの呼吸が一瞬止まる。

 

「偽ることは許さん」

 

「……あ……」

 

 嘘を禁じられたソリュシャンには、もはや心のなかを吐露する以外の道を残されていなかった。喘ぐように掠れた声を漏らし、やっとの思いで言い切る。

 

「……お慕いしております……! どうか、わたくしの全てを捧げさせてください……!」

 

 黙ってそれを聞いていたテラーはニヤリと笑い、ソリュシャンの腰に手を回して立ち上がらせる。密着した部分に、テラーの体温が伝わってくるのを感じた。

 

「許す。今から貴様は我がものとなれ」

 

 テラーの言葉を半ば夢見心地のような状態で聞いたソリュシャンは、すぐに理解できず呆然となった。

 

「お前の生も死も、魂さえもだ。たとえ死んだあとだろうと、自由になれるなどと思うなよ」

 

 シモベとして生まれた者にとって、これ以上に嬉しい言葉があるだろうか。彼が言った言葉を心の中で何度も繰り返し、それが現実であることを確かめる。

 ソリュシャンは歓喜と安堵の涙で顔がぐしゃぐしゃになる。テラーの腕に身体を預けたまま、まるで幼子のように泣きじゃくった。

 

「……う゛う゛……ふぇえ゛え゛ん……ぐずっ、ありがどうございま゛す……!! こ、こんなに幸せな気持ちになったのは、生まれて初めてですぅ……!!」

 

「ふん、いずれ後悔することになるかもしれんぞ?」

 

 そう脅しをかけるテラーに、ソリュシャンは必死にかぶりを振って否定する。

 

「――まあ、良い。私はモモンガさんのところへ戻る。貴様はそのまま休んでいろ」

 

 テラーが身体を離すとソリュシャンは名残惜しそうに手を伸ばすが、やがて寂しそうに頷いて、部屋を出て行く主の後ろ姿を見送った。

 

 

 ソリュシャンと別れて暫らく歩いているうちに、少しずつ先程までテラーを形作っていた姿が崩れていった。服は一度ドロドロに溶けて、全身を青白い無数の仮面で覆った外套に再構成される。手足は闇色の触手のような形状に変わり、顔にあたる部分には捻じくれた空洞がポッカリと空く。這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)であるテラー・コヤ=ス本来の姿である。

 

「何をやってんだ僕は……!?」

 

 先ほどの一連の言動を思い出し、テラーは壁際に突っ伏した。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 円卓の間まで戻ったテラーは、待っていたモモンガに一連の経緯を説明した。それを聞いたモモンガは呆れた様子で尋ねた。

 

「どうしてそうなったんですか……?」

 

「えーと……最初はですね、この外見を怖がっているのかと思って変身スキルを使おうと思ったんですよ」

 

 自分の姿を見せるように手を広げながら、言葉を続けた。

 

「で、上位者っぽいのっていったらDIOかなって思ってそれに変身したらですね……」

 

「いつの間にか言動がその姿の方に引っ張られてしまった、と」

 

「そうなんです」

 

 成る程、とモモンガは円卓の上を指で叩きながら呟いた。ファッションや化粧の仕方を変えるだけで性格に影響を与える、というのは実際にもある事例らしい。本人にとってイメージの固まっているキャラクターへの変身であり、しかも細胞レベルでの変化ともなれば、その影響の大きさはどれほどのものか。キャラクターに成り切ってしまうというのも、十分にあり得る話である。

 

「まあ、悪い結果にはならなかったようですし、良かったじゃないですか」

 

「そ、そうですかねえ……?」

 

 楽天的なモモンガに対し、テラーは頭が痛くなっていた。いくらDIO的ロールプレイだからといって、ソリュシャンに「自分のものになれ」などと口走ってしまった。なんという上から目線か。彼女の方は少なくとも嫌がってはいないように思えたが、それも上司である自分を不快にさせないようにという配慮からだったのかもしれない。

 あとでそれとなく本音のところを聞き出して、フォローをしておかなくては。テラーはそこまで考えて、「そういえば」と思い出したことを口にした。

 

「さっき変身した時に分かったんですけど、こっちの方は朗報ですよ」

 

「なんです?」

 

「変身してる間はその種族の特性が優先されるみたいで、『精神異常感染』が発動しなかったんですよ」

 

 それを聞いたモモンガは「ほう」と興味を持ったように身を乗り出す。

 

「ちなみに、今回変身したDIOの種族クラスはやっぱり……」

 

「アンデッドの『吸血鬼』(ヴァンパイア)と、その上位クラスにあたる『真祖』(トゥルー・バンパイア)です」

 

 この答えは予想できた。『ジョジョの奇妙な冒険』の作中でDIOというキャラクターは、吸血鬼となって主人公の前に立ちふさがった恐ろしい敵だからだ。そのDIOをモデルに制作したのなら、この種族クラスの選択はある意味当然のことである。

 

「じゃあ、アンデッドの『種族特性』も働いてました?」

 

「それどころじゃなかったんでよくは覚えてないですけど、おそらく」

 

「よっしゃ!」

 

 モモンガが両手を上げて小さくガッツポーズする。魔王然とした今の姿でそんなことをしている友人の姿を見て、全然似合わないなぁとテラーは心の中で考えていた。

 そんなテラーの心中を知ってか知らずか、モモンガは我が意を得たりとばかりに立ち上がる。

 

「テラーさん、もう一度DIOに変身してください!」

 

 仰々しく左腕を広げ、力強く声を張り上げる。モモンガの中二病は、まだ完治していなかった。

 




ようやく変身能力の一部のお披露目。

作中でもちらっと書いてますが、原作のDIOが使っていたスタンドは召喚ゴーレムの外装をいじって再現しています。




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這い寄る混沌の<化身>

本文中にミスがあったので修正いたします(´;ω;`)

✕ カードの枚数は計14枚。
◯ カードの枚数は計22枚。

すまぬ・・・すまぬ・・・。



「DIOはしばらく無理ですよ」

 

「あれっ?」

 

 変身ができないと言われ、ポーズを取ったままのモモンガが間の抜けた声を出した。

 

「なんで……あっ、そうか。再詠唱時間(リキャストタイム)

 

 MMORPGほぼ全般に言えることだが、魔法やスキルなどプレイヤーが能動的に使用するタイプの技能には基本的に再詠唱時間(リキャストタイム)というものが設定されている。これは同一の魔法やスキルを連続で何度も使用できないようにするためのシステム的な制限であり、基本的には低レベルの技能ほど短く、高レベルになるほど長く待たなければ再詠唱できないようになっている。

 ちなみに、この世界においても再詠唱時間(リキャストタイム)は存在しており、制限を無視して技能を連続使用することはまず不可能である。

 

「なんてこった、失念してたな……」

 

「実は、僕もさっき魔法を使った時に気付いたんですけどね」

 

「NPCが自我を持ったり、アイテムの出し入れが四次元ポケット的なものになったりと色々トンデモな変化をしてるのに、何故か再詠唱時間(リキャストタイム)は理不尽にゲームのままなんですよねぇ……。それで、次に変身できるのは何分後ですか?」

 

 モモンガの質問に対し、テラーは腕組みをして考えこむ。先程変身してから数分ほど経過しているが、ほとんど誤差の範囲である。なぜなら……。

 

「次ですか……約900分後です」

 

「きゅ……ひゃく!? 90分じゃなく!?」

 

 つまり、次にDIOになれるのは今から15時間後である。モモンガは無いはずの頭痛に襲われ、座り込んだ。

 

「え~……? 予想以上に長いな……」

 

這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)の変身スキルはちょっと特殊なんですよ。ところで、DIOに変身してどうするつもりだったんです?」

 

「実はですね……」

 

 テラーに問われたモモンガは、現在第六階層の円形闘技場――ナザリックでは『円形劇場』(アンフィテアトルム)と名付けられている場所にアルベドを含めた6人の階層守護者を待たせていることを伝えた。あれから既に1時間は経過している。そろそろ痺れを切らし始める者が出てきてもおかしくはない。

 

「成る程……。変身して『精神異常感染』が発動しないようにしてから僕を紹介してしまおうってことですか」

 

「ですけど、流石にあと15時間も放置しておくわけにはいかないですね……。仕方ない。今日はとりあえず解散させて、明日もう一度集まってもらいましょう」

 

 ため息をつきつつ<伝言>(メッセージ)を使おうとするモモンガに、テラーが待ったをかけた。

 

「その必要は無いです、モモンガさん」

 

「え?」

 

「忘れちゃいました? ユグドラシルで一緒に狩りしてた頃、僕けっこう頻繁に変身してたじゃないですか」

 

 そういえば……とモモンガはゲーム時代の戦闘風景を思い出して呟く。確かに本人の言うとおり、テラーは15時間どころか1戦闘毎に一回の割合でコロコロと変身を繰り返していた筈だ。

 

「あれって、どうやってたんですか?」

 

這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)の変身スキルの名前は<化身>(アヴァター)っていうんですけど、実はこのスキルって、変身先の<化身>(アヴァター)ごとに()()()()()として登録するタイプのものだったんですよ」

 

 テラーが「つまり、」と言いかけたところで、モモンガは彼が言いたいことを理解したのか、説明に割り込んで発言した。

 

「つまり、再詠唱時間(リキャストタイム)による制限がかかっているのはDIOだけで、それ以外の<化身>(アヴァター)になら今すぐにでも変身できる……?」

 

「 Exactly 」(そのとおりでございます)

 

 とても良い発音で肯定の意を示しながら、テラーはアイテムボックスに手を入れた。取り出したのはカードの束である。

 

「テラーさん、それは?」

 

「タロットカードです。これ自体は特別な効果は無い普通の占いアイテムなんですけど、外装用のイラストをホワイトプリムさんに無理言って描き下ろしてもらったんですよ」

 

 ホワイトプリムというのは元ギルドメンバーのことである。ギルドにいた時から既にプロデビューしていた漫画家であり、とかくメイド服に対する拘りは病気の粋でもあった。ナザリックに存在している一般メイドたち一人ひとりの原画を41人分全てデザインし、しかもエプロンに施された刺繍も全員分違っているという念の入りよう。当時はあまりの作業量に外装モデリング担当者が発狂しそうになった程だ。

 

「へ~、こんないい物をいつの間に……あれ?」

 

 タロットカードのイラストを見ていたモモンガが、はたと気づく。

 

「これって……DIO?」

 

「僕、記憶力はあまり良くないんで、<化身>(アヴァター)毎に登録してある所持技能を参照できるようにしてもらったんです。つまりカンペですね、これは」

 

 よくよく観察してみると、絵柄の背景に同化するように魔法やスキルが極小の文字で書かれていた。まるでだまし絵のようである。

 カードの枚数は計22枚。DIOは『世界』のアルカナであった。

 

「成る程ー。よく考えてますね」

 

「とりあえずDIOを省いて残りは21種類……。この中からどれにするか決めようと思います」

 

 卓上にタロットカードをズラリと並べ、ふたりで相談を始めた。

 

「レベルが低すぎると何かあった時に危険なんで、なるべく強いのがいいですね」

 

「それなら、90レベル以上のがこれと、これと…………」

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 ナザリック地下大墳墓第六階層。その円形劇場(アンフィテアトルム)内において、楽しげに談笑する幾人かの姿があった。無論言うまでもなく、彼らはモモンガから待機命令を受けていた階層守護者たちである。

 

「だからあたしはねー、きっと超すっごいお褒めの言葉をいただけるんじゃないかと思うわけよ」

 

 胸を張って自信満々にそう語る、白いベスト同じ色のズボンを着込んだ少女の名はアウラ・ベラ・フィオーラ。ショートボブに切り揃えられたブロンドの髪から、尖った長い耳が見える。日に焼けたようにも見える茶褐色の肌色から、彼女が闇妖精(ダークエルフ)という種族であることが窺い知れる。

 

「ぼ、ぼくはもう一回頭撫でてほしいな」

 

 遠慮がちにそう発言するのはマーレ・ベロ・フィオーレ。アウラの弟で、同じく闇妖精(ダークエルフ)である。姉のマウラと同じように白のベストを着込んでいるが、こちらは太ももまでの白いストッキングと、一定間隔に折りヒダの付けられたミニスカート――いわゆるプリーツスカートを何故か履いていた。もちろん、彼が男子であることは間違いない。

 

「これだからおこちゃま達は。付き合っていられんでありんす」

 

 そう言ってつまらなそうな顔をする少女はシャルティア・ブラッドフォールン。黒で統一されたボールガウンドレスに身を包み、同じ色調の日傘を自分の頭上にかざしている。よく手入れされた長い髪は透明感を感じさせる銀髪。肌は白磁のような透き通る白で、一見すれば病的でありながら、西洋人形のような美しさが同居していた。彼女は吸血鬼(ヴァンパイア)の真祖である。

 

「そういうあんたはどうなのよー?」

 

 子供扱いが気に障ったのか、アウラがシャルティアに食って掛かる。それに対して彼女は、恥ずかしそうにもじもじしながら言い返した。

 

「そんなこと言わずとも決まっているでありんしょう……。ああ、モモンガしゃま……これ以上じらされたらシャルティアはもう……もう……!!」

 

 アウラはひとりで身悶えするシャルティアを「まただよ」といった呆れ気味の視線で見守っていた。

 

「この淫乱どビッチが」

 

「あ゛あ゛ァ!?」

 

 背後からの吐き捨てるような声にシャルティアが反応し、視線がぶつかり合う。

 最初の声の主はアルベドだった。いつもの女神のような美しい顔は見る影もなく、般若の面をさらに歪めたような酷い表情に様変わりしている。対するシャルティアも額を中心に皺と青筋がビキビキと音を立てて広がりつつあり、陶器の器に深いヒビが入ったかのようである。どちらも常人ならば見ただけでしめやかに失禁ものの人相と成り果てていた。

 アウラとマーレは周囲の空気がグニャリに歪みだすのを察知し、止めようとするが聞く耳を持たず、お互いに「年増」「洗濯板」「腐りかけ」「壁」などと醜い罵り合いを始める。

 

 そんな4人の様子を少し離れたところで眺めていたふたりは、「ああ、また始まったか」と溜息を漏らした。

 

「アノ二人ハマッタク……。毎度毎度ヨク飽キヌモノダ」

 

 硬質の、ロボットが発するような声で、巨体の人外が大きく肩を上下させる。同時に口から冷気が吐き出され、空気が白く染まった。

 この怪物の名はコキュートス。二足歩行の青白い甲虫型の守護者である。種族は蟲王(ヴァーミンロード)であるが、外見はむしろ虫型のロボットというべき佇まいである。2メートルを優に超える巨大な体躯と、鎧のような外骨格。長く丈夫でありながら自在に動く尻尾、そして4本の逞しい腕が非常に特徴的であろうか。

 

「まあ、あのふたりに関しては同族嫌悪というやつでしょうね。本気の喧嘩にさえならないなら別に構いませんよ」

 

 微笑みを崩さず、デミウルゴスが答える。シモベ同士が傷つけ合うような事態は主の望むところではない。そうなれば迷わず止めなければならないが、あの程度のかわいい口喧嘩ならばわざわざ仲裁することもあるまいというのが彼の考えである。

 

「シカシ、先程カラ考エテイルガドウシテモ分カラヌ。ももんが様ガゴ用意シテクダサル嬉シイさぷらいずとは一体何ナノダ、でみうるごす」

 

「ん? ああ……。コキュートス、あれは方便です」

 

「ナニ!?」

 

 デミウルゴスの意外な返答に、コキュートスは一際大きく冷気を吐き出した。

 

「我々ならばともかく、アウラやマーレのような幼子には例え至高の御方の勅命とはいえ、ただ待つという行為は辛いものだからね。ストレスを感じさせずに退屈しのぎができればと思ってああ言ったんですよ」

 

 デミウルゴスは「けっこう暇をつぶせたでしょう?」と言って離れた場所でアルベドとシャルティアを止めようと必死になだめている姉弟を見やる。コキュートスは感嘆の声を漏らし、同じく視線を向けた。

 

「ソコマデ考エテノ事ダッタカ……。流石ハでみうるごす……」

 

「まあ、私とてサプライズには期待しますけどね」

 

 肩をすくめ、冗談めかして言うデミウルゴス。コキュートスはそんな同僚をまじまじと見、問うた。

 

「オ前ガカ?」

 

「いけませんか」

 

 やがてどちらからともなく、クックッと笑い出す。そんな様子を視界の隅で捉えたアウラが非難の声を上げた。

 

「もー! デミウルゴスもコキュートスも笑ってないで手伝ってよー! あたしたちだけじゃこのふたり引き剥がすの無理……」

 

「お姉ちゃん?」

 

 急に真顔になって後ろを見たアウラに、マーレが怪訝そうに尋ねる。直後にアウラは真剣な表情になって全員を見渡した。

 

「みんな! モモンガ様が帰ってくるよ!!」

 

 その声を聞いた瞬間、マーレの表情が引き締まった。直前まで喧嘩をしていたアルベドとシャルティア、笑い合っていたデミウルゴスとコキュートスも揃って姿勢を正す。全員が1時間前と寸分違わず同じ位置に戻り、跪いたところで彼らの支配者――モモンガが姿を現した。

 その高い忠誠心に若干引き気味になる。もうちょっとダラけた感じで待っててくれてもいいのに……と内心で思いながら、咳払いをひとつして彼は気持ちを切り替えた。

 

「皆、ずいぶん待たせてしまったな。すまなかった」

 

「いいえモモンガ様。私達シモベ一同は至高の御方に忠誠を尽くすために生まれた身。待てと仰るのでしたら何時間だろうと、何日、何年だろうと待ってご覧に入れましょう」

 

 代表して発言するアルベドに対して「その忠誠心が重いんです」とはとても言えないモモンガは、「う、うむ。今後も忠義に励め」と適当に言っておいた。その言葉だけでシモベたちの胸がいっぱいになっているとは、夢にも思っていない。

 

「さて……、こうして待っていてもらったのには理由があるのだ。今からお前たちをある人物に会わせよう」

 

 モモンガは耳のあたりに手を当てて、<伝言>(メッセージ)の魔法をかけた。

 

「もう来ていいですよ、テラーさん」

 

 その名を聞いた守護者達は、一斉に息を飲む。これがサプライズだというなら、サプライズという単語の方が身の程を弁え、控えるべきだろう。それ程の衝撃が全員を襲った。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの効果によって転移してきた人影に、守護者たちの視線が集まる。その先にいたのは……。

 

 魔人であった。

 




謎の魔人……いったい何子安なんだ……。



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罪と親切と罰

 一言で言い表すなら、優男。そんな雰囲気の男だった。

 青い上下のスーツを身につけ、首に白一色のスカーフ。両手には黒手袋をつけている。センター分けにした髪はブロンドだが、大きく開かれた嘴のような前髪だけが、黒く染め上げられていた。一見すると只の人間のようだが、滲み出る瘴気が、それを『魔』に近しい者であると見る者に感じさせる。

 ここにいる守護者達の誰ひとりとして、そのような姿を見た者はいなかった。だが、理解できた。理屈や言葉ではなく、心で。紛れも無くいま目の前にいる人物こそ、無貌にして大いなる混沌、テラー・コヤ=ス本人であるのだと。

 皆、感動に打ち震えていた。しんと静まり返った円形劇場(アンフィテアトルム)で、声を上げる者は誰もいない。

 しかしその中のひとり、アルベドは青ざめた顔で震えていた。恐怖ではない。不忠者である自己に対する、吐き気を催す程の嫌悪のためだ。

 何故、信じられなかったのか。何故、もう戻ってこないと思ってしまったのか。この御方は、こうして自分たちの元へ帰ってきてくださったというのに。仕えるべき主はもはやただお一人のみ……そう勝手に結論づけてしまったこの愚か者(アルベド)を罰してしまわないと、心が擦り切れてしまいそうだった。

 今すぐ死罪を嘆願しよう。そう決心して立ち上がろうとした時、まるで見計らっていたかのようにテラーが爽やかな笑みを作り、第一声を発した。

 

「まずはただいまと言うべきでしょうか。皆さん、長らく留守にしてすみませんでした」

 

 守護者達の妙な空気を訝しんでいたモモンガが我に返り、言葉を続ける。

 

「……お前たちにも説明をしなければならないな」

 

 モモンガはどうやらこのナザリック地下大墳墓は謎の転移現象に巻き込まれたらしいこと。状況把握のためセバスを外周の探索に送り出した際、彷徨っていたテラーを偶然発見したことを全員に説明した。テラーも、この世界で置かれていた自身の状況を簡単に説明し、それに付け加える。

 

「どうやら僕も謎の転移とやらで飛ばされてきたようで。右も左も分からない状態だったので、こうして見つけてもらえたのはまさに僥倖と言わざるを得ません」

 

 そのような事態になっていたとは露ほども知らず、自分たちは呑気に雑談などに興じていたのかと、自責のあまり沈痛な面持ちになる守護者達。そんな様子を観察していたテラーの顔に、亀裂のような笑みが浮かんだ。

 

「おやぁ? なんだか皆さん疲れているみたいですよ。長時間待たせちゃったせいですかねぇモモンガさん」

 

「ん、うむ? そういえば……そうだな」

 

 わざとらしく困り顔を作って話を振ってくるテラー。だいぶ待たせてしまったのは事実だし、きっと疲れが出ている者もいることだろうと思って、少し驚きながらもモモンガは同調する。それに対して慌てた様子でアルベドが否定の声を上げた。

 

「い、いえ! そのようなことは決して!」

 

 思わず声を荒げてしまったが、他の守護者達はそれを咎めなかった。アルベドが言わずとも、自分が言おうと思っていたからだ。そんなアルベドの話を聞いているのかいないのか、テラーは「あ、そうだぁ!」と良い事でも思いついたかのように手をぽんと叩いた。

 

「実は僕、椅子を持ってきてたんですよ。1、2、3、4……おや、これは偶然! 丁度6つもありました」

 

「て、テラー様。あたしたち本当に疲れてないですから……」

 

 手を上げてそう主張するアウラ。そんな声も聞こえているだろうに、テラーはまるで無視した様子で鼻歌なぞを交えながら軽快に椅子を取り出し並べていく。6人分を並べ終えた時点ではたと気付いたように顔を上げた。

 

「おっと、僕とモモンガさんの分が無いですね。では、」

 

 アイテムボックスから御座を二枚出し、にこやかに言う。

 

「僕たちは地面に座りましょう」

 

 至高の御方々が地べたに腰を下ろすのに、自分たちだけがのうのうと椅子に腰掛けるなど、耐えられるはずがない。しかし、主から勧められた椅子を断るのも無礼。守護者たちがどうすればいいのか分からず固まっていると、躊躇なく御座の上で胡座をかいたモモンガがさらに追い打ちをかけた。

 

「テラーさんは気が利きますね。こんなものいつの間に用意していたのやら。……ん? どうしたお前たち。早く座ったらどうだ」

 

 泣きたくなった。

 進退窮まり、守護者同士でどうすべきか視線を交わし合う一方で、デミウルゴスは必死に思考を巡らせる。至高の御方々への礼を失しずにこの場を切り抜ける方法を。

 

(例えば、酷い痔を患っているため座ることができない等。……却下。治癒魔法で治せば済む話だ。では、空気椅子でギリギリ椅子に付かないように座るというのは……。事実はどうあれ主よりも高い位置に腰掛けていることに変わりない。やはり却下。マーレの魔法で地面を陥没させ、相対的に至高のお二人よりも低い位置に座るというのは……。至高の41人の御方々が創造された地形をシモベごときが許可もなく自由にして良い筈がない。これも却下)

 

 思いつく案は全て下策。下手に誤魔化そうとすればするほど滑稽になる始末だ。やはりテラー様の好意を無下にすることになっても、着席しないことが最善か……。そこまで考えたところで、デミウルゴスはあることに気がついた。

 

(いや……、そもそも椅子を6つしか用意していないことからおかしくはないか? モモンガ様からは当然何かしらのお話が前もってあった筈だ。ならば人数分、8席用意するのが普通。そうされなかったのは何故だ?)

 

 デミウルゴスは首を動かさず、目だけでテラーの表情を伺う。そして悟った。主が望んでいることを。

 

(やはり、か……)

 

 デミウルゴスの顔色が苦渋に染まる。理解したからといって、それが実行出来るとは限らないのだ。気付いた者が動くべきだと分かっているのに動けない。決断をためらって周囲に視線を向けると、アルベドと目が合った。時間にして1秒にも満たない一瞬の交錯。その中で、思考の末たどり着いた答えが互いに同じであることを理解したデミウルゴスとアルベドは、微かに頷きあった。あとはどちらが先に実行するか。

 

 跪いていた守護者から立ち上がるものが現れる。先に動いたのは、アルベドだった。

 

「確かに、少し疲れてしまったような気がいたします。折角のテラー様のご厚意、お受けしなければ勿体無うございますね」

 

 そう言って、椅子の前に移動した。

 後ろで未だ動けずにいる守護者たちから、悲鳴のような声が上がる。まさか、本気かと。

 アルベドは二度、三度と深呼吸をして、肘掛けに右手をかけた。電気が走ったかのようにビクリと震える。溢れ出そうになる涙を堪らえるようにぎゅっと目を瞑り、左手も肘掛けに置いて、ゆっくりと腰を下ろした。黒い羽根を痙攣のように震わせながら、「ふっ……ひぃ……っ」と悲痛な声を上げた。

 デミウルゴスは彼女に先んじられたことに僅かな嫉妬を感じながら、誰よりも先に行動してみせたその勇気に感動していた。守護者統括の名は伊達ではないということかと心中で賛辞を送り、アルベドに続くため自らも立ち上がる。

 

「私も少々疲れが出てきたような気がします。着席してよろしいでしょうか。モモンガ様、テラー様」

 

「あ、ああ勿論だともデミウルゴス」

 

「そのために用意したのですから、どんどん使ってください」

 

 デミウルゴスは主たちに頭を下げてから、残りの守護者達に目を向ける。その視線の意味に気付いた者がひとり現れ、2人、3人、最終的には全員が立ち上がり、並べられた椅子の前に移動した。

 

(……やっと分かりました。これはテラー様が我々に科した、各々が自らを罰する為の場。敢えて至高の御方々よりも高い位置に座らせることで、お帰りを疑った我々への報いとさせるということだったのですね……! くッ……だが、これは……!)

 

 椅子に腰を下ろしたデミウルゴスは、襲いかかる苦痛に全身から嫌な汗が吹き出し、顔を大きく歪めた。主を前にして、主よりも高い位置に坐することの精神的重圧がこれ程とは。こんなにも辛い責め苦がよもや存在していたとは思いもしなかった。他の者は大丈夫だろうかと視線を横に移すと、やもすると叫びだしてしまいそうになるのを必死に抑えこもうとする者や、舌を噛んで平静を保とうとする者、耐え切れずに嗚咽する者など、様々な感情がその場にあふれ出ていた。

 

 この世の地獄かと見紛うばかりの守護者達の痛ましい有様に、流石のモモンガもこれはおかしいと気づく。

 

「て、テラーさん? 椅子に座った途端全員苦しみだしたんですけど……?」

 

「ふーむ、あの椅子はどうも彼らに合わなかったようですねぇ」

 

 合わなかったで済むのかこれはという疑問を差し挟む間も無く、テラーは守護者たちに声をかけた。

 

「はいそこまで。椅子から降りて構いませんよ」

 

 その声を待っていたように、全員椅子から転げ落ちるように離れ、地面に伏していく。大きく疲労したように肩で息をし、咳込み、中には吐きそうになって口を抑える者も見える。

 

「しょ、贖罪の……、機会をお与えくださり……ッ、心より感謝致します……テラー様……!」

 

 アルベドが前のめりに倒れたままでそう述べながら、己の浅はかさを噛み締めていた。安易に死を望んだ自分が恥ずかしい。

 

(シモベたちの罪の意識を見透かし、死ぬことよりも重い罰をお与えになるとは……。慈悲深くも、なんと恐ろしいお方……!)

 

 辛うじて読み取ることができた思考ですら、それも主の心が僅かに波立ったから見えただけの、ほんの表層の一部分に過ぎないのだとアルベドは理解した。おそらくその心の奥は更に昏く深く、複雑怪奇に満ちていることだろう。

 アルベドはフラつきながらもなんとか体勢を立て直し、その場に傅く。他の守護者たちもダメージは残るものの、彼女に倣い同じように頭を下げた。

 再び頭を上げた守護者達は息も絶え絶えだが、表情は皆、憑き物が落ちたようにどこか晴れやかになっていた。

 

 テラーは「いいものを見せてもらった」とでも言いたげに悠然と頷き、その隣でモモンガはここまでの一連のやり取りが完全に理解の範疇を超えていたため、途中から考えるのをやめていた。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 上位者達が去っていった円形劇場(アンフィテアトルム)で、安堵の溜息が漏らす者がいた。マーレだ。

 

「こ、こ、怖かったぁ~」

 

 マーレの発言を「不敬だ」と咎める者はいない。それこそがテラー・コヤ=スの本質を突いた言葉だと、誰もが思ったからだ。

 

「モモンガ様も恐ろしいオーラをお持ちの方でありんすが……」

 

「ウム、てらー様ニハマタ別種ノ怖サガアルヨウニ感ジタ。アノ時ノ震エハ、ナントモ形容ガシ難イ」

 

 未だ疲労の抜けきらぬ守護者達は地面にへたり込み、思い思いに語り合う。やはり内容は帰還を果たしたばかりのテラーについてだ。デミウルゴスは自分の側頭部を軽く掌で叩き、目眩を追い払うと会話に加わった。

 

「それは、テラー様のお名前を考えれば分かることだよ」

 

「お名前を?」

 

「テラー様のお名前は、『恐怖』という意味にもなるのよ」

 

 どういうことかと、首を傾げるアウラに、アルベドが助け舟を出した。

 

「そう、モモンガ様が死の体現者であるならば、テラー様はさしずめ恐怖の体現者。”死”という根源的恐怖を自在に操るモモンガ様に畏れを抱くのは当然のことだが、こと『恐怖を振りまく』という一点においてテラー様の右に出る者は、おそらく存在しないだろうね」

 

 守護者達が、ゴクリと唾を飲んだ。あれが本当の力をお見せになった姿なのかと。

 

「あれほどのお方が今のナザリックにお戻りになってくださったのは、本当に心強いわ」

 

「ああ、まったくだねアルベド。だからこそ我々も一層精進しなくては」

 

 その言葉を聞き、全員の瞳に力が宿っていった。

 

「まずは警備状況の見直しからね。プランは? デミウルゴス」

 

「勿論考えてあるとも」

 

 アルベドの問いかけに、デミウルゴスはニヤリと笑って答える。

 今の彼らに後ろめたさはもう無い。いずれ帰るだろう至高の41人全員を、胸を張って迎えよう。そのためにこのナザリックを全力で守護しようと、強く誓い合った。

 

 

   ▽   ▽   ▽

 

 

 円卓の間。転移して戻ってきた上位者のふたりは、だらけきっていた。

 

「つ、疲れたぁ~~」

 

「お疲れ様でした……」

 

 テラーは既に変身を解き、這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)の姿に戻っていた。彼は肩のこりを解すように首をグルグルと回す。

 

「あれだけの錚々たる顔ぶれに上位者として振る舞うとは……よくやりますねモモンガさんも」

 

「いやぁ……それは流れというかなんというか……。可能な限り上に立つものに相応しい威厳ある振る舞いを見せて失望されないようにしようかと思いまして」

 

 今のモモンガに威厳と呼べるものは何もない。半分ずっこけたような体勢で椅子に腰掛け、肘掛けの外に両手をぶらんと垂れさせていた。テラー以外に誰も見ていないという気の緩みと、先程まで張り詰めていたことの反動だろう。

 

「でも、さっきのは何だったんでしょう? 普通の椅子ですよね? あれ」

 

「そうですよ。かなり待たせちゃったようだから立ちっぱなしは辛いかなって思って用意したんですけど、なんでか評判悪かったですね……」

 

 気の利く上司を演じたつもりが、見事に滑ったかと肩を落とす。

 

「まあ、次がありますよ。元気出して」

 

「そうですね……」

 

 同じ頃、本人が望んだものとは別ベクトルで評価がうなぎ昇りになっていたのだが、この二人には知る由もなかった。

 




特に理由のない親切(ぼうりょく)がシモベたちを襲う!

オーバーロード名物深読みスパイラルは難しいですね……。上手く表現できているでしょうか?
 


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