水晶と虚無 (is.)
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第01話 新たなる世界、始まる物語

第01話から第24話まではArcadia様掲載分です。
特に改訂や変更などはしておりません。


「無」が最初にあった・・・

 

 「無」に4つの心満ちたりし時

   クリスタルは生まれ

    世界は作られた

 

     すなわち

 

  希望は大地にめぐみを与え

 

   勇気は炎をともらせ

 

  いたわりは水を命の源とし

 

  探求は風に英知を乗せる

 

いつかまた「無」が世界をつつむ時

  人々の心に4つの心あれば

     光は生まれん

 

    「無」に浮かびし

      4つの心

       再び

    輝きを生まん・・・

 

 

 

 

 

 

「これで…最後だッ!!」

気合と共に、バッツ渾身の一撃がネオエクスデスめがけて撃ち下される。

その手に握られた剣が深々とネオエクスデスの体に突き刺さり、今度こそ致命傷を与えた。

断末魔とも軋みともつかぬ音を上げて崩れゆくネオエクスデス。

 

「やった…のか…?」

「やったの…?」

「私たち…勝った…の…?」

 

満身創痍ながらも、辛うじて立ち上がるレナ・ファリス・クルルの三人。

ふらつく足で懸命にバッツに駆け寄っていく。

 

「私たち…勝ったんだよね」

 

と、レナが言う。その顔は晴れやかだ。

 

「おじいちゃん…私たち、やったよ…。エクスデスを倒したんだよ…」

 

クルルが胸に手を当て、静かにささやく。不意に、頬を涙が伝ってこぼれた。

打倒エクスデスという目的を成し遂げ、皆の顔に安堵の色が広がってゆく。

今しがたまで続いていた死闘の疲れも吹き飛んでしまいそうだ。

 

しかし…

 

「でも…無が消えない。エクスデスを倒したのに…!」

 

ファリスの一言で皆の顔色が一変した。

辺りに広がるのは、果ての見えぬ漆黒の「無」。

行使者であるエクスデスが打倒された今なお、無の力が世界を覆い尽くしたままだ。

 

絶対なる静寂。一筋の光もなく、時間すら感じ取ることができない、存在というものを全て拒絶するかのような絶望の空間。

エクスデスを倒せば全てが終わるのではなかったのか。

エクスデスさえ倒せば、元の平和な世界が戻ってくるのではなかったのか。

エクスデスを倒しても、一度解き放たれた無の力を止める術は存在しないのか。

ならば、これまでの自分たちの戦いは何だったのか。意味のないものだったのか。

じわり、じわりと這い寄るように、氷よりも冷たい不安と絶望が光の戦士達の心に広がってゆく。

 

もう、打つ手は無いのか。自分たちは無力なのか。

エクスデスを倒すために身に付けたこの力も、この身に宿したクリスタルの輝きすらも、結局は無駄なものだったのか。

 

不安、絶望、無力感、暗い感情に心が支配されそうになった時、声が響いた。

 

「あきらめちゃ駄目だ。まだ、何か出来ることはあるはず。いや、絶対にある。希望を捨てては駄目だ!」

 

バッツの強いまなざしが皆の心を引き戻す。

そうだ、あきらめてはいけない。自分たちがあきらめてしまっては、それこそ全てを無駄にしてしまう。

 

「終わったんじゃない。ここから、始まるんだ。だから、あきらめちゃいけない」

 

バッツが噛みしめるように、ゆっくりと言葉を続ける。その言葉に呼応するかのように、4人の前に4つの光が現れた。

クリスタルだ。

エクスデスの策謀によって砕け散ったはずのクリスタルが、今再びその姿を現した。

 

世界に光が満ちる――――――。

 

クリスタルとともに5人の人影が光の戦士たちの前に現れる。

ガラフ・ケルガー・ゼザ・ドルガンたち暁の四戦士とタイクーン王だ。

5人は告げる。お前たちはまだ世界に必要だ、こちらに来るのはまだ早い、と。

そして5人は光となり、バッツらを導くために飛竜へと姿を変える。

 

光の戦士を乗せた飛竜は、再生された光あふれる世界へ向けて飛び立つ。

心地よい達成感と安堵感と極度の疲労によって、4人は眠りに落ちようとしていた。次に目を覚ました時には、懐かしい緑豊かな地上に戻っているはずである。

 

 

まどろむ意識の向こうで、バッツは何かに呼ばれたような気がした。誰かが自分を呼んでいる。自分を求めている。

誰だろう?その声の主を捕まえようとするように、何も無いはずの空間へバッツは手を伸ばした。そのはずみでバランスを崩し、飛竜の背から滑り落ちる。

体に力が入らず、踏ん張ることもできぬまま闇に飲み込まれていくバッツ。

 

「バッツ―――――――――!!!」

 

そう叫ぶレナの声が、聞こえた気がした。そして、それを最後にバッツの意識は漆黒の彼方へと沈んでいった。

 

 

 

…………………

……………

………

 

夢を見ていた。

なぜかバッツにはそれが夢だと分かった。

目の前で女の子が泣いている。まだ幼い女の子だ。なにか悲しいことがあったのだろうか、大粒の涙を流している。

そんな女の子が不憫で声をかけようとするが、言葉が出ない。

声が出ないのではない、なんと声をかければ良いのかわからないのだ。

我ながら情けないと思いつつも言葉の代わりにと、そっと手を差し伸べるバッツ。

とたん、伸ばした左手が女の子につかまれる。女の子の手は見る間に鎖となりバッツの腕にからみつく。

左腕だけではない。気付けば右腕、両足、更には首にまで鎖が巻きついている。

あわてて鎖を外そうともがくバッツを女の子がゆっくりと見上げる。鳶色の瞳がバッツを見据えてニヤリと笑った。

 

「これであなたは私のもの。もう逃げられないわ」

 

女の子の声が響く。さっきまでの泣き声はどこへ行ったのだろうか、この上なく上機嫌な声で続ける。

 

「今日からあなたは私の下僕。ふふふ、いいこと?あなたはこれから、私の為だけに生きて私の為だけに死ぬのよ」

 

冗談じゃない、俺は帰らなくちゃいけない。せっかく取り戻した平和な世界が、ともに旅した仲間が自分を待っているんだ。

なんとか鎖のから逃れようともがけばもがく程、鎖はバッツの体に食い込んでその自由を奪っていく。

 

 

 

指一本も動かせなくなり「最早これまでか」と観念したところで目が覚めた。

 

 

「気が付かれましたか?」

 

目を覚ましたバッツが最初に目にしたものは、寝ている彼を覗き込んでいる女性の顔だった。

黒髪をカチューシャで纏め、化粧気の少ない素朴な感じの少女だった。

 

「良かった、このまま目を覚まさないんじゃないかと思いました」

 

柔らかな午後の日差しが差し込む室内には、どうやら自分と彼女しか居ないようだ。豪華というほどではないが格調高い物なのだろう、品の良い調度品が目に入る。

ここはどこなのだろう?バッツの中に一つの疑問が浮かび上がる。

無の空間で飛竜から落ちた後の記憶がないが、自分は助かったようだ。

しかしここはタイクーンでもバルでもないように思える。もちろん、バッツ自身タイクーン城とバル城の隅から隅までを知っているわけではないが。

でも今居る部屋の雰囲気が、そのどちらの城のものとは違うように感じられる。

ここは一体どこなのだろうか?その疑問を目の前の少女にぶつけてみることにした。

 

「ここはトリステイン魔法学院の救護室ですよ。え?トリステイン魔法学院がわからない?トリステイン魔法学院というのはですね…」

 

少女の説明を聞きながらもバッツの頭の中は混乱していた。

トリステイン?聞いたことのない名だ。世界中のあらかたの地域を旅して巡った経験を持つバッツをして、聞いたことのない地名だった。

どうやら王国らしいその名に聞き覚えがないというのも腑に落ちない。だが目の前の少女が嘘を吐いているようにも見えない。

更なる疑問を少女に問いただそうと上半身を起こすと全身に痛みが走った。思わずうめき声が漏れてしまう。

 

「無理をしてはいけません!大怪我をしているんですから安静になさって下さい」

 

少女に言われて初めて、バッツは全身に包帯が巻かれているのに気が付いた。意識を失っている間に手当をしてもらったようだ

 

「もう、全身傷だらけの血まみれで、生きてるのが不思議なくらいの重体だったんですから。おまけに3日も昏睡状態だったんですよ」

 

ネオエクスデスとの熾烈を極めた戦いを思い出し、バッツは少女に礼を言った。

自分は何にもしてないですよと恐縮する少女に重ねて礼を言うと、バッツはおもむろにベッドから降りて立ち上がった。

全身が痛むが、この程度なら問題はない。慌てる少女を制して、バッツは呼吸を整える。

「ハッ」と気合を入れるとバッツの体は淡く光を放ち、見る間に傷が癒えていった。

 

「驚かせてすまない。これはチャクラと言って、『気』の力である程度傷を治すことが出来……ん?」

 

顔を真っ赤に染めて手で覆いながら横を向いている少女に気付く。何事かといぶかしんでいると、少女の手がおずおずとバッツの下半身を指差した。

指に導かれるまま、視線を移すバッツの目に入ってきたのは…

 

「…!! ご…ごめん!!」

 

慌ててベッドに戻るバッツ。

迂闊だった。包帯だらけの上半身を見て、なぜ考えが及ばなかったのだろうか。

あの戦いでは全身に傷を負った。立てない程ではなかったが、足にも幾つか傷を負っていたのを覚えている。

もちろん、それらの傷に対しても手当てが施されているのは当たり前だ。そして、意識のない人の包帯を取り換えやすいように、服はあまり着せておかないだろう。

 

結果として、包帯しか身につけていないほぼ全裸ともいえる姿を女性に見せてしまったのだ。しかも「大事なところ」はまったく隠されていない。

気まずい雰囲気が辺りを包み、無言のまま時間が過ぎていく。

 

ぐぅぅぅ~~~~

 

バッツのお腹から盛大に音が鳴った。

3日も寝ていたらしいから腹が減るのも当たり前か。

その音に気まずさも吹き飛んだのか、少女はクスリと笑った後立ち上がり「なにか食べるものを持ってきますね」と部屋を立ち去ろうとした。

 

「そういえば自己紹介がまだだったね。俺はバッツ。バッツ・クラウザーだ、よろしく」

 

「私はシエスタって言います。あ、バッツさんの身に着けていたものはあちらに置いてありますから」

 

そう言って部屋の隅を指差して、シエスタは部屋を出て行った。

 

ドアが閉まったのを確認して、バッツは静かにベッドから降りた。先ほどの失態を思い返して顔が赤くなる。

女性に裸を見せてしまったというだけで恥ずかしいというのに、相手は若くて美しい少女だ。恥ずかしさも倍増である。

一人照れ笑いを浮かべながら、部屋の隅に固めて置いてある持ち物の方へと近づいた。

そこにはネオエクスデス戦でバッツが身に着けていたものが残らず置いてあった。鎧に武器に道具袋、無くなっている物は特には見当たらない。

その脇に服が丁寧に折り畳んで置いてあった。

着替えようと服を手に取りバッツは少し驚いた。激戦の後なのであちこちに焼け焦げや破れなどがあるものの、汚れがきれいに落とされていたのだ。

おまけに軽い綻びなどは丁寧に繕ってある。シエスタが繕ってくれたのだろうか。嬉しいような申し訳ないような気持ちで胸が熱くなったが、いかんせん破れが多すぎる。

穴だらけの服を着ているのもみっともないので、申し訳ないと思いつつも道具袋から替えの服を取り出して着替えた。

 

ついでに出しっぱなしの鎧も袋にしまうと、かわりに地図を取り出した。船の墓場で手に入れた地図だ。

取り合えず現在位置の確認でもと軽い気持ちで地図を開いたものの、バッツはその内容に言葉を失ってしまった。

見慣れない地形がそこには描き出されていたのである。

バッツが広げたこの地図、実はただの地図ではない。かつてガラフの世界に行った時も二つの世界が融合したときも、即座に適応して正確な地形を描き出すという、一種の魔法の地図であった。

それだけに最初は地図の変調を疑ったが、何度見返しても地図は変わらない。この地図は正常に機能しているのだろうか。

そういえば、さっきシエスタの口から出てきたのは聞いたことのない地名ばかりだった、とバッツは思い返す。見知らぬ地形と聞き覚えのない地名。

もし地図が正常に機能しているのならば、この二つから導き出される答えはそう多くはない。そしてそのどれもがあまり好ましいものではない。

まさか、と呆然としているところにドアをノックする音が響いた。シエスタだ。その手にお盆を抱えて戻ってきた。

バッツは広げていた荷物を手早く道具袋に仕舞うと、シエスタを部屋に招き入れた。

 

「あら、着替えたんですね。よくお似合いですよ」

 

シエスタがバッツが着替えたことに気が付き、そう言った。たぶん社交辞令だろう。

そう思ってしまうのは、自分があまり衣服に頓着する質ではないという事を十分承知しているからだ。

でも、例え嘘でもそう言ってもらえると嬉しいものだ。

そういえばレナには衣装のことであまり褒められた覚えがないな、なんて考えている間にシエスタは慣れた手つきで食事の用意を整えた。

持ってきてくれた料理は、シチューらしい。賄い食の余りという事でシエスタは申し訳なさそうにしていたが、時間を考えると食べられるものがあっただけでも運がいい方だ。

 

ありがたくその料理を頂きながら、バッツはシエスタにこの世界についていくつか質問をしてみることにした。

 

「先ずはそうだな……俺が何でここに居るのか教えてもらえないか?」

 

ここ…と言っても、もちろん救護室に居る理由ではない。このトリステインという国、ひいてはこの世界に居る理由を知りたいのだ。

シエスタも言葉の意味を汲み取ったらしく、「わたしはメイジじゃありませんので詳しくは知らないのですけど」と前置きをしてから話し始めた。

 

「ここがトリステイン王国というのはお話ししましたよね」

「ああ。そしてここがトリステイン魔法学院という事も聞いたかな」

「ええ、それでなぜバッツさんがここに居るかと言うと、簡単に言えば呼び出されたんですよ」

「よ、呼び出された?誰に?」

「ミス・ヴァリエールに、です」

 

またバッツの知らない単語が飛び出してきた。今度は人名らしい。

 

「ミス・ヴァリエール?それは誰だい」

「ええっと、ミス・ヴァリエールというのはこの魔法学院に通っている貴族のお嬢様で、バッツさんを使い魔として呼び出したメイジなんですよ」

「……使い魔?」

 

何やら穏やかではない言葉に、バッツは怪訝な声で聞き返した。

 

「ええ、使い魔です。この学院に通うメイジの皆さんはお一人づつ使い魔を連れているんですよ。とはいえ、バッツさんみたいに人間が呼び出されるなんて事は今までなかったらしいですけど」

 

使い魔……召喚獣みたいなものだろうか。幼い頃に母親に読んでもらったおとぎ話に出てきた魔法使いは烏やアーリマン等を従えている事が多かったが、そういうのに近いのだろうか。

バッツの世界では、魔法使いが使い魔を連れている風習は無かったので今一つ理解に苦しむ。

召喚士のように必要な時に、一時的に呼び出すものとは違うらしいことだけはなんとか理解できた。

ただ、相変わらずバッツの中では「召喚されっぱなしの召喚獣」程度の理解ではあるが。

 

「ところでバッツさんは、どちらの出身なんですか?」

 

シエスタの突然の質問にバッツの思考が止まる。

 

「ど、どちらの出身って……?」

「だってバッツさん、こちらの言葉はわかるみたいですけど、地名とか全然わからないじゃないですか。ゲルマニアですか?アルビオンですか?それともロマリア?まさかクルデンホルフって事はありませんよね?」

 

シエスタの口から次から次へと地名らしき単語が飛び出てくる。そしてそのどれもが(当たり前ではあるが)バッツにとっては初めて聞くものばかりであった。

どうしたものか。バッツは困惑していた。自分が(おそらく)他の世界から来た者だという事を明かした方がいいのか、それとも隠した方がいいのかバッツは決めかねていた。

何年も旅をしてきた経験から、自分の身元を明かすことが良い事ばかりではないとを知っていたが、かといって軽はずみな嘘では簡単に見破られてしまうだろう。

今のバッツには誤魔化すのだけの材料がない。

 

「でも、召喚の儀式で呼び出されたんですから、この辺りの出身じゃないのかもしれませんねぇ……」

 

シエスタが何気なくつぶやいた言葉に、バッツの脳みそはフル回転を始める。

そうだ、この国の住人がわからないような遠い国の人間という事にしたらどうだろうか。なるべく遠くに、しかし怪しまれない程度に。

地名などはあまり考えなくてもいい、自分の知っているものを使えばいいのだ。全部嘘で固めようとすればボロも出やすくなる。

肝心な部分のみ嘘で誤魔化して、残りは正直に話しても構わない。もちろん、エクスデス関係の事を話すのは駄目だが。

そうと決まれば、後は簡単だ。

 

「そうだな……、まずは世界地図があると説明しやすいんだけど」

 

と、シエスタに地図がないかと尋ねてみる。先ほど見ていた地図では駄目であり、『この国で使われている一般的な地図』が必要なのである。

「ちょっと待って下さいね」と言うと、シエスタは室内の棚から一枚の地図を持ってきた。

大陸の一部と思わしき地形の描かれた地図だ。中心にあるのがこの国なのだろうか、隣接する幾つかの国も見て取れる。

確認のために、バッツは地図の中央の国を指差し尋ねる。

 

「ここが……トリステイン?」

「そうですよ。そしてここがゲルマニアで、こっちがガリア。この島みたいなのがアルビオンで、ロマリアはここですね」

 

親切にもシエスタは、地図に指をさしながら一つ一つ国名を読み上げていった。

 

「この地図の右端の先はどうなってるんだ?もっと陸地があるようだけど」

「そっちはエルフの住んでいる土地で、それより東の事はわからないんですよ」

「じゃあこっちの海の向こうは?こっちにも大陸は無いのか?」

「さぁ……?私もよくわかりませんね。描いてないってことは無いって事なんじゃないですか?」

「そうか……。これ以外に地図って無いのかな。もっと広範囲が載っているようなやつがあると良いんだけど」

「どうでしょう?これはトリステインで一般的な地図ですし、他の国へ行けばもっと違う地図もあるでしょうけど、ここではこれより広い範囲が載っている物を手に入れるのは難しいんじゃないでしょうか」

「ありがとう。よくわかったよ」

 

シエスタとのやり取りで、大体の道筋は立った。もちろんシエスタは一般人だし、彼女以上に世界の地理に詳しい人もいるだろう。

この地図に載っていないからと言って、それ以外の地域の事が全く知られていないということにはならない。

しかし、少なくとも『東の方の陸地』と『西側の海の向こう』についてはあまり知られていないようである。

チャンスだ。多少曖昧でも、なるべく相手に疑問を持たれないように慎重に話す。

 

「やっぱり、ここは俺の知っている土地じゃないみたいだ」

「え?じゃあバッツさんはもしかして、『東の世界(ロバ・アル・カリイエ)』の人……なんですか!?」

「ロバ……?いや、どうだろう?ここは俺の居た場所と違いすぎて、西に来たのか東に来たのか、あるいは北なのか南なのか見当もつかないよ」

「ええ?そんなに遠くから来られたんですか……。通りで見慣れない格好をしてた訳ですね」

 

そう言うとシエスタは、バッツの荷物が置いてあった場所へと視線を向ける。しかし当然ながらそこにはもう何もない。さっきバッツが仕舞ってしまったのだから。

 

「あれ?バッツさん、あそこにあった荷物はどうしたんですか?」

「?ああ、もう仕舞ったよ。流石にいつまでも出しっぱなしってわけにもいかないからね」

「仕舞ったって……何処にですか!?」

「この袋の中だよ」

 

そう言ってバッツは腰にくくりつけていた道具袋を見せる。それはどう見ても、鎧やらを入れるには小さすぎた。財布かちょっとした小物を入れるのが精一杯に見える。

からかわれているのかと感じたシエスタは眉をしかめてバッツの顔を見た。

普通に考えればそうだろう。こんな何の変哲もない袋の中に鎧兜一式が収まるのなら、収納革命どころの話ではない。

論より証拠、百聞は一見に如かずという事でバッツは実演して見せることにした。

左手に持った袋の中から一振りの剣を取り出す。掌よりは少し大きい程度の袋の中から、袋の何倍もの長さがある剣が当たり前のように出てくる様にシエスタはビックリして言葉が出ない。

 

「これは冒険者の必需品というか、便利アイテムってやつでね。この袋一つで大体倉庫一つ分位の収納力があるんだ」

「は、はぁ~……バッツさんの国って進んでるんですね~」

「まぁこれはそんなに一般的なアイテムじゃないけどね」

 

とバッツは付け加える。実際バッツの世界でも、この魔法の袋ともいうべきアイテムはそれほど珍しいものではないが、一家に一つというまで普及するには少々値が張る類の物だ。

一般家庭での購入を検討するなら、いっそのこと増築した方が安くあがるくらいに高価なアイテムだったりする。

バッツと共に旅をした面々は同じくこの袋を所持していたが、レナとガラフは王族、ファリスは海賊の頭であったので金銭的にも持っていてもおかしくない。

一般人であるバッツがこの袋を持っているのも、元々は彼の父ドルガンの物だからだ。所謂、形見の品というやつだ。

ドルガンがどういう経緯でこの袋を持っていたのかは知らない。ガラフらと共に旅をしていたときに手に入れたものか、はたまたバッツの生まれた世界に来てから買ったものか。

 

そんなことを考えていると、部屋の外、おそらく廊下からけたたましい足音が響いてきた。バタバタ、というよりはドスドスとかドカドカとかいった方が正解に近い音だ。

かなり大柄な人物か、もしくは怒りなどで感情が昂ぶっている時にこんな足音を立てるだろうか。

初めは微かに聞こえる程度だったが、だんだんと大きくなり、そしてこの部屋の前でピタリと止んだ。どうやら足音の主はこの部屋の扉の前に立ち止ったようだ。

足音に気付いてから、なんとなくそちらに集中していたバッツとシエスタは何事だろうかと顔を見合わせる。

誰かがこの部屋に訪問しに来たようだが、バッツには当然ながら心当たりは無い。

一方シエスタには幾人か思い当たるが人物があるようだが、それでもこの足音とはなかなか結びつかないらしく、人差し指を顎に当てて少し考え込んでいるようだ。

二人して部屋の入口の扉を注視する。しばらくの沈黙ののち、勢いよく扉が開かれた。

 

「使い魔の分際で、こんなところでのんびりお茶なんて良い度胸じゃない!?」

 

開口一番、バッツに罵声が浴びせられた。扉の向こうに立っていたのは、桃色がかったブロンドの髪をなびかせた小柄な少女だった。

年の頃は幾つくらいだろうか。クルルと同じくらいに見える。

腕を組んで仁王立ちでこちらを睨んでいるさまに、少し気押されてしまいそうだ。

 

「あの子は……?」

 

小声でシエスタに尋ねる。

 

「あの方が先ほどお話したミス・ヴァリエールですよ。そういえば先程、バッツさんが目覚めたのをお伝えしたんでした」

 

同じく小声で答えが返ってきた。成程、今部屋に入ってきた女の子が自分をこの世界に連れてきた張本人というわけか。

そんなやり取りをしている間にも、少女はツカツカとこちらに近づいてくる。

目の前にやってきた少女は、不機嫌そうな表情でバッツの事を睨んでくる。まるで値踏みされているようで良い気はしない。

やがて、盛大な溜息とともに大きく肩を落とした少女は泣き出しそうにも見える表情でつぶやいた。

 

「折角成功したのに、なんで、よりにもよって、こんなぱっとしない平民なのよ……」



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第02話 使い魔召喚の儀

雲ひとつない晴天の下、トリステイン魔法学院では今年度の『春の使い魔召喚の儀式』が賑やかに執り行われていた。

 

学院敷地内の開けた場所に今年2年次に進級した生徒たちが集まっていた。

引率と思われる中年の男性教師を中心に、揃いのマントを羽織った少年少女が、各々の杖を手に呪文を唱えている。

 

メイジにとっては一生に一度の大事な儀式であり、今後の自分の人生を左右する……とまでは言わないがかなり重要なイベントである。

召喚された使い魔は自分の内なる姿を映す、とも言われ自分の性格や属性・得手不得手などから最も相性の良いモノが選出される。

ある者はその燃え盛る情熱を反映させた火蜥蜴を召喚し、またある者は重力という鎖から解き放たれて自由に空を飛ぶ風竜を使い魔とした。

 

 

望み通りのモノを召喚した者、想像以上のモノを召喚できた者、予想とは違う意外なモノを召喚してしまった者、生徒たちの結果はまさに人それぞれ。

だか皆総じて自分の使い魔には満足しているようである。

ただ一人を除いて。

 

学院指定の白のブラウスに濃いグレーのプリーツスカート、そしてスカートと似た色のサイハイソックスに身を包んだ小柄な少女が一人、他の生徒の輪から外れたところに立っていた。

彼女の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ここトリステイン王国有数の名家の子女である。

クラスメイトが次々と使い魔の召喚に成功している中、彼女ただ一人だけが未だに召喚出来ていなかった。

時間だけが刻々と過ぎていく。それに伴い少女の中の焦りが増していく。

 

「あらぁ、ヴァリエールの。まだ召喚出来てないの?昨日はあんなに自信満々だったじゃない」

 

そう言って一人がルイズに近づいてくる。燃えるような赤い髪に褐色の肌、そして豊満な肢体を見せつけるかのように扇情的に制服を着こなすその少女は、傍らに大きな赤い蜥蜴を従えていた。

 

「それより見てよ、この子。立派な火蜥蜴でしょ。特にこの尻尾なんて素敵じゃない。私の系統『火』にぴったりだと思わない?」

 

使い魔と思しき火蜥蜴を自慢するのが自分への当てつけにしか思えない。実際そうなのであろうが、それがルイズの神経を逆撫でる。

 

「うるさいわね。あんたが話しかけてくるから気が散るじゃない」

「気が散るって、さっきから何回呪文繰り返してんのよ。このままじゃ、あなたが使い魔を召喚するのと日が暮れるの、どっちが早いかわかったもんじゃないわ」

「黙って」

「案外もう召喚されてるのかもね、姿が見えないだけで。ホラ、あなたって『ゼロのルイズ』じゃない?使い魔もゼロって事もありえるんじゃないの」

 

自分が満足いく召喚が出来て嬉しいのか、やたらと絡んでくるクラスメイトをルイズが睨みつけると、「お~怖い怖い」と大げさに肩をすくめて立ち去った。

クラスメイトは追い返したが、状況は一つも好転してはいない。相変わらず召喚の呪文は失敗し続けているし、使い魔が現れる気配は微塵も感じられない。

自分が『ゼロのルイズ』と揶揄されるほどに魔法の成功率が低いのは、自分でも痛いほどよくわかっている。

どんな呪文を唱えようとも、いつも爆発を起こすという結果に終わり、想定された効果が現れた事などただの一度もない。

しかし呪文を失敗して爆発が起ころううと、何かしら魔法力の関わる現象が起きていることから、ルイズには魔法力自体は備わっている事は見て取れた。

だからこそ、いくら実技の結果が芳しくなくともトリステイン魔法学園に一年間在籍し続けられたのであり、今日の使い魔召喚の儀式にも参加できたのだ。

 

しかし、今回は状況が違った。

 

いつもなら、呪文を唱えれば爆発が起こる。

しかし使い魔を召喚するための『サモン・サーヴァント』の呪文を唱えても、爆発どころが閃光の一つも起こらない。

何の反応もないのだ。

呪文を唱えても何も起こらない、それはルイズにとって最悪の事態を想起させる。つまりは自分に備わった魔法力が消え失せてしまったかもしれない、という事を。

いくら名門貴族の家に生まれようとも、魔法が使えなければそれは平民以下の存在なのである。いや、下手に出自が高貴なだけに一層悲惨なものになるだろう。

魔法が使えないというだけで勘当されることはないだろうが、それでももう二度と日の当たる表舞台に立つ事は出来ないだろう。

これからの一生を半端者と後ろ指をさされながら、日陰者として生きてゆかねばなるまい。それがメイジ至上主義とも言えるこのトリステイン王国の現実だ。

 

ルイズの心に焦りが広がる。いや、正確に言えば恐怖が広がってゆく。

今までずっと落ちこぼれの謗りを甘んじて受けてきたが、それでもいつかは自分の才能が開花して見返す日が来ると信じればこそ耐えて来られた。

だが、今まさに「落ちこぼれ」から「無能者」へと更なる転落をしようとしている。

ただの落ちこぼれならば、何かのキッカケで逆転することもあるだろう。しかし、魔法力自体がなくなってしまえばそもそも逆転のチャンスすら無くなってしまう。

最初の3回位までは失敗しても何も感じなかった。「いつもの事だ」と軽く受け流すことが出来た。しかし、失敗も二桁を超えたあたりから焦りが生じてきた。

焦れば焦るほどに精神の集中は乱れ、呪文を噛んでしまう。額からは汗が滲み、口の中は既に乾ききっててしまっている。

 

「ミス・ヴァリエール、まだ召喚出来ていないのですか?他の皆はとっくに召喚し終えているのですよ」

 

先生からそう声をかけられ、ルイズの焦りは一層激しくなる。

このまま使い魔の召喚に失敗してしまうのか?そうなれば良くて留年、さもなくば退学を余儀なくされるだろう。家族に合わせる顔がない、いや、このままでは家には戻ることすら出来ない。

折れんばかりに杖を握り締め、ルイズは呪文を唱える。渇いた喉が痛むが、そんな事に気を遣っている余裕はない。

贅沢なんて言わない。幻獣の類ではなくてもいい。犬でも猫でも、それこそ鼠でもいい。使い魔が現れてくれさえすればいいのだ。

ありったけの想いを込めて、呪文の詠唱終了とともに握り締めた杖を振りかざす。

 

目の前に光の球が現れた思った次の瞬間、眩いの閃光と耳をつんざく爆音が辺りを包んだ。

 

「ルイズの奴、サモン・サーヴァントすら失敗しやがった」

「流石『ゼロのルイズ』、爆風を召喚したんじゃね?」

「まったくいい迷惑だよ。毎度の事とはいえ、巻き込まれる側にもなってもらいたいもんだぜ」

 

爆発によって辺りに立ち込めた煙の中から聞こえてくる生徒達からの嘲りは、今のルイズには届いていなかった。

やっと、爆発が起こった。

傍から見ればいつもの失敗であるが、当のルイズにとってはそうではない。これがいつもと同じ失敗なら、今までのは何だったというのか。

サモン・サーヴァントの失敗が「爆発」ではなく、ついさっきまでの「何も起こらない」だとすれば、この「爆発」は成功であるはずだ。

爆発を伴って現れる使い魔……それはどんなものか想像すら付かない。巨大なモノか、はたまた高貴な魔物か。ルイズの心臓が期待に高鳴る。

 

誰かが風の魔法を使ったのだろうか、辺りに立ち込めていた煙が急速に晴れていく。ルイズの期待も最高潮になる。

自分の使い魔はどんな姿をしているだろうか。これだけ派手な登場だ、きっと誰もが度肝を抜かれるような姿をしているに違いない。

煙が完全に晴れ、そこに居たのは……そこに居たのは……

 

 

ルイズの目には使い魔らしきモノは映らなかった。目の前には、赤い変な形をした鎧を着込んだ、満身創痍で血まみれの男が倒れているだけであった。

他には何も見当たらない。犬猫はおろか、雀の一羽も見当たらない。ルイズの頭の中を最悪の状況が駆け巡る。

目の前には見知らぬ男が倒れている。どう見てもこの学院の関係者ではあるまい。先ほどの爆発が本当に召喚成功だとすると、そこから導かれる答えは一つ。

 

自分の使い魔は、この男だ。

 

使い魔は人間で、男で、(恐らくは)平民で、更には死にかけである。確かに度肝は抜かれた。最悪の方向で。

認めたくはない現実が、そこにはあった。

周りに居る他の生徒たちも、あまりの異様さに言葉が出ない。こんな血まみれの人間が召喚されようとは、いったい誰が予想出来るだろうか。

先ほどまでルイズに対し茶々を入れていた者も、流石にこの状況では何もいえないらしい。

 

その場にいる全員が固まっている中、いち早く行動を起こしたのは男性教師だった。

 

「何をボーっとしているのです。水の系統魔法が使える者はこの人に治癒の呪文をお願いします。それと、誰か救護室に向かい使用出来るようにしておいて下さい」

「ミスタ・コルベール!」

「何人かは『レビテーション』でこの人を運ぶ手伝いをして下さい。怪我の程度が重いので、くれぐれも慎重にお願いします」

「ミスタ・コルベール、お願いがあるのですが!」

「何ですか、ミス・ヴァリエール。今は非常事態なのですよ、用事ならば後にして下さい。人の命がかかっているのです」

 

コルベールと呼ばれた男性教師はルイズの言葉に耳を傾けようとはしない。

 

「ミスタ・コルベール、これは何かの間違いです。もう一度召喚させて下さい」

 

ルイズは予想外の出来事に頭の中が混乱している。この男が召喚された自分の使い魔だと認めたくない一心で、そんな事を言い出した。

 

「何を言っているのですか、ミス・ヴァリエール。今はそんな些細な事を言っている場合ではないのです。そんな事より、この人の命の方が優先事項なのですよ」

「でも、ミスタ……」

「デモもストもありません。いま最も優先されるべきはこの人の命、残りは彼の事が済んでからです」

 

コルベール先生のいつもとは違う険しい雰囲気に呑まれ、ルイズは言い返すことはできない。気弱な事なかれ主義かと思っていた先生の意外な一面に驚きを隠せないでいた。

先生の手早く的確な指示により、生徒達が次々と行動に移る。取り残された形になったルイズは、ただその様子を眺めているだけだ。

魔法の使えぬ彼女には、今出来る事は何もなかった。ただただ事の成り行きを見守る事しかできない。

程なくしてこの瀕死の男は、先生と幾人かの生徒の手によって宙に浮かべられた状態で学び舎の方へと運ばれていった。

 

それを見つめているだけのルイズ。残りの生徒達も三々五々教室のほうへを戻っていったが、彼女だけはその場で呆然と立ち尽くしていた。

やがて終業を告げる鐘の音に我を取り戻し、教室へと戻るまでにはしばらくの時間がかかった。

 

 

 

 

その夜、男の容態が安定したということでルイズは救護室へと呼び出された。部屋の中にはコルベール先生が居て、ルイズの到着を待ちわびていた。

男は手当てされたのであろうか、全身を包帯で巻かれた痛々しい姿でベッドに横たわっていた。

 

「ミスタ・コルベール、あの、やっぱり私の使い魔はこの平民ということになってしまうのでしょうか」

 

ベッドの横に設えられた椅子に腰掛け、ルイズは口を開いた。

 

「学院長も交えて教師一同で協議しましたが、やはり慣例は曲げられないとの事です。召喚の儀式で呼び出された以上、この人物は紛れもなく貴女の使い魔という事になります」

「そうですか……」

「人間が使い魔になるという前例は、残念ながらこのトリステイン魔法学院にはありません。が、貴女にとって悪い結果をもたらしはしないでしょう」

 

いまでも十分に「悪い結果」だというのに、これ以上事態が悪化してなるものか。そう心の中で呟く。

 

「それでは、召喚の儀式は残すところ『コントラクト・サーヴァント』で完了です。この人の容態も峠は越えて安定したとの事なので、ここで済ませてしまって下さい」

 

教師に促されるまま、ルイズは『コントラクト・サーヴァント』の実行のために立ち上がり、ベッドで寝ている男に近づく。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

何度も練習した呪文。召喚のときとは違い、どもる事も噛む事も無く唱え終わると、男の額に杖を軽く当てる。

後は相手に口付けをして契約完了となるが、相手が相手である。いくら意識が無いとはいえ、自分より少し年上くらいにか見えない異性に対して口付けをしなければならないのだ。

他の生徒たちのように獣相手に気軽に行うのとはわけが違う。大切な自分のファーストキスがこんな冴えない男相手なのかと、つい顔をしかめてしまう。

ためらっていると、隣のコルベール先生から催促が入った。もう諦めるしかない。使い魔を召喚出来ただけでも上々と考えなくてはならないのだ。

むしろ、汚物のようなものが召喚されなかっただけマシなのかもしれない、と自分に言い聞かせて男の唇に自分の唇を重ねる。

 

「終わりました。これで契約完了です」

 

なるべく感情を押し殺して先生の方へと向きを変える。

 

ううっ、と横たわる男からうめき声が漏れる。使い魔のルーンが刻まれているらしい。意識はないがその痛みに反応たのだろう。その様子から、とりあえずは死んでいない事を再確認する。

先生はルーンを確認するためにベッドに近寄り、男の体を調べ始めた。幸いルーンは包帯の巻かれていない左手の甲に現れたらしく、すぐに見つける事が出来た。

ルーンの形状を持ってきたノートに写し終えると、一息ついてルイズの方へと向かい直した。

 

「御苦労さま、無事に儀式も終了しましたね。一時はどうなる事かと気を揉みましたが、無事に終わってくれて何よりです」

「……」

 

ルイズは答えない。今は何か喋る気にはなれないのだ。口を開けば泣き言が溢れてきそうだ。

 

「この成功は、貴女にきっと良い未来をもたらしてくれるでしょう。貴女の事を『ゼロ』などと呼ぶ生徒もいるようですが、これでもう貴女の魔法成功回数はゼロではありません。もっと自分に自信を持って下さい」

「……」

 

ただの気休めだ、しかもそれでは褒めているのかけなしているのかわからない言い回しだ、とルイズは感じる。

 

「使い魔はメイジの内面を映し出す鏡。だからきっとこの人もただの平民などではない、私はそう考えていますよ」

「……そうである事を願っています」

 

流石に、先生が自分を気遣ってくれているのを感じ取り、ルイズは短く言葉を繋ぐ。けれどもうこれ以上この部屋に居たら先生の前で感情を爆発させてしまいそうでだったので、ルイズは立ち去ろうとした。

その背に先生から更に声がかけられる。

 

「貴女はこの部屋に入ってからすぐに、自分の心配をしました。人間が使い魔になるのかと。召喚の時も同じです。大怪我を負った人を前に召喚のやり直しを申し出ましたね」

 

それがどうしたというのか。いつもの穏やかな声とは違う、どこか険のある声に足を止めたものの、向き直す事もなくそのまま先生の言葉を聞いた。

 

「この世には優先されるべきものが幾つかあります。そのうちの一つが人の命。それは貴族平民の別無く大切なものです。貴女には、もちろん他の生徒達にもそれをわかって欲しいのです」

「……」

「いや貴族なればこそ、時には自分事よりも他人の命を守るための行動を優先して欲しいのです」

「わかりました。以後気をつけます」

 

先生の方へ向き直ることなく、そう無感情に返事をしてルイズは救護室を立ち去った。

残ったコルベールはやれやれと薄くなった頭を掻いてルイズの後ろ姿を見送った後、ベットに横たわる人物に視線を戻した。

その瞳は険しい光を宿している。今まで色々な使い魔を見てきたが、今回の異例中の異例といえる状況に不安を隠せないでいた。

召喚されたのは人間、しかも直前まで戦闘を行っていた事が容易に予想できる姿で現れたのだ。見たこともない異国の鎧と、自らのものか相手のものかわからない大量の血。

そして恐らくは戦闘で負ったであろう全身の傷に、苦い記憶が蘇る。

この人物はどの地方から来たのかは分からない。が、恐らくはどこかの軍隊に属する兵士だろう。

そしてそれがトリステインに新たな戦火の火種をもたらすような事にならない事を願うばかりだ。

それは彼が目覚めるのを待つしかない。

 

そしてもう一つ、コルベールには気掛かりな事があった

この男に刻まれたルーンの事だ。今まで何百という使い魔のルーンを見てきたコルベールをして、全く見た事のないルーンというのも気に掛かる。

ルーンは大まかに系統立てて見分ける事が出来、彼ほどにもなれば一目見ればおおよその内容を把握できてしまう。

しかし今回現れた使い魔のルーンは彼の知識の中にあるものとは違っていた。教師生活20年、ルーンを調べに学院の図書館に行かなくてはならくなるとは新任の時以来だと心で笑う。

まだまだ自分にも知らない事があるなど、だから教師は辞められない。

 

 

部屋に戻ったルイズは、乱暴に服を脱ぎ捨て、ベッドに突っ伏す。こんな最悪な一日は生れて初めてだった、と今日の一日を思い返した。

召喚に失敗して、失敗だけならまだしも平民なんかを使い魔にしてしまったのだ。明日から笑いの種が増えてしまう事を考えると、それだけで泣きそうになる。

なんで平民なのか。犬猫や最悪虫でも我慢できた。でも自分の使い魔は平民なのだ。しかも召喚された時の様から察するに、特に武芸に秀でている人間という訳ではないだろう。

ギリッと奥歯を噛み締める。

明日からの生活に大きな不安を抱えたまま、眠りへと落ちて行った。

 

 

 

次の日、ルイズにとって想像以上の地獄の一日が待ち受けていた。

 

 

朝からすれ違う生徒すれ違う生徒に後ろ指をさされているような気がした。居心地悪いなんてものではない。道行く誰もがこちらを見てクスクスと笑っているとさえ感じられる。

そのうち何人かからは心無い言葉を掛けられる。

 

「死人を召喚するなんて、流石『ゼロのルイズ』俺たちの予想の斜め上を行くな!」

「どうだい『ゼロのルイズ』、使い魔は元気かい?それとももうくたばっちまったか?」

「召喚してすぐ使い魔を亡くすなんて、気の毒だな『ゼロのルイズ』」

「今日は一人なのかい?『ゼロのルイズ』。ああ、使い魔はもう死んじまったんだっけか」

 

自分を嘲り笑う声の中、ルイズは唇を噛み締め誰とも視線を合わせないように顔を俯かせたまま歩いていく。

授業前に救護室へと寄り、あの男が目を覚まさないかと期待をかけるが、男は穏やか寝顔を浮かべたままであった。

余りにも幸せそうに眠っているのを見て腹が立ったルイズは男の頬をつねったり叩いたり、体を揺さぶったりするが一向に目を覚ます気配がない。

そんな事をしているうちに、看病を任されている使用人の少女がやってきてルイズを制止した。

授業の時間が近づいている事に気が付き、そのままルイズは部屋を後にした。

 

授業中も、ルイズにとっては針のむしろの上に座っているような苦痛の時間であった。

使い魔召喚の儀式の翌日の授業は、お披露目を兼ねて使い魔同席の生徒が多い。無論教室に入りきらないような大きなモノを召喚した者はその限りではないが、ほぼ全員が使い魔と共に席につく。

 

「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

教壇に立つ中年の女性教師がそう告げる。

 

「約一名だけ成功していません。ズルをして平民を連れてきました」

 

誰かがそう言った。誰が言ったのか、ルイズは知ろうとも思わなかった。相変わらず顔を俯かせたまま、じっと唇を噛み締めている。

常ならば真っ先に反論し、逆に相手をなじってしまうような性格のルイズが今日に限っては押し黙ったままだ。

そんなルイズの様子に気が付いた女性教師は、発言した生徒をたしなめるようにこう言う。

 

「使い魔はメイジにとって大切な存在です。それがどんな姿形をしていようとも、それをダシに他人を謗る事は許されない事なのですよ。例えば、あなたの太めの体を皆で笑い者にするようなものです」

 

「成功していない」発言をした少年は成程、他の生徒に比べ大分ふくよかな……もっといえばコロコロと丸い体をしていた。

自分の体形の事で言い返されるとは思っていなかったその生徒は、顔を真っ赤にして黙ってしまった。その様子に一笑いが起こった後、シュヴルーズ先生は続ける。

 

「皆さんも知っている通り、このトリステイン魔法学院はただ魔法を習うだけの場所ではありません。貴族として相応しい立ち居振る舞いと精神を身に付ける為の学び舎です。他人を嘲り笑う事が貴族として相応しいかどうか、よく考えてみて下さい」

 

昨日の緊急職員会議の場で、ルイズとその使い魔については全教員に知れ渡っていた。

そしてコルベールから、落ち込んでいるであろうルイズの事、そしてルイズを傷つけるような心無い発言をする生徒について十分に注意して欲しいとの願い入れがあった。

たかが使い魔の事程度に、そんなに神経質になる事もないのではないかという意見もあったが、この状況を見ているとコルベールが過分に気に掛けているのも納得できた。

今は彼女の使い魔が目覚めるまでは余計な波風の立たぬよう、教師からの働きかけも必要なのだ。

 

シュヴルーズのこの発言ののち、表立ってルイズをあざ笑う生徒は居なかった。けれどもあいかわらずルイズに対しては奇異や憐憫の目が向けられているし、居心地の悪さに変わりはなかった。

教室や廊下の隅から、こちらを見てせせら笑う声が聞こえてくる気がする。それが現実なのか単なる被害妄想なのかは分からない。でも、確実にルイズの心に疲れを蓄積させていった。

 

授業が終わると、ルイズはまっすぐに救護室へと向かう。だか別に使い魔の様子が気になるという訳ではない。

ただ、使い魔が目覚めれば今の状態が少しは緩和されるのではないかと期待しての事だ。

が、使い魔の様子は朝と何ら変わることなく、静かに寝息を立てているだけである。相変わらず何をしても反応を示さず、まるで死んでいるかのように眠り続けている。

看病担当の使用人が言うには、時折なにかうわ言を呟きながら苦悶の表情を浮かべているらしいのだが。

昼間に様子を見に来てくれた水系統の教師によれば、あとは意識を取り戻すだけでもう心配はいらないとの事だが、目を覚まさなければ話にならない。

あと何日こうして過ごさなければならないのだろうか。あと何日こんな苦痛に耐えなくてはならないのだろうか。考えただけで目眩がする。

気分を持ち直すどころか、更に気を落としてしまったルイズは。肩をうなだれたままトボトボと部屋を後にした。

自室に戻るなり、使い魔の為に用意しておいた藁の寝床を足で蹴り崩した。グリフォンとかマンティコアとかそういったモノを想定して用意しておいたこの寝床も、もう無用のものだ。

数日かけて用意した時の気持ちを思い出すと、やるせなくなる。

そしてまた乱暴に服を脱ぎ散らかすと、そのままベッドに横になって眠ってしまった。

 

 

 

 

翌日・翌々日も同じように時が流れて行った。

傍から見ればいつもと変わらない日常であるが、ルイズにとっては永くて苦痛な一日であった。

使い魔は目覚めない。

 

 

 

状況が動いたのは召喚の儀式の4日後、看病をしていた使用人から使い魔が目を覚ましたとの連絡が入ったのだ。

ようやくこの日が訪れた。たったの3日ではあるが、ルイズにとっては何カ月も過ぎたかのように感じられた、長く辛い時間だった。

あの男が使い魔なんかになったおかげで自分はこんなにも心労を抱えているのだ。どんな文句を言ってやろうか、と考えると気もそぞろになり授業に集中できない。

そんな中ふとある事に気が付く。

なぜあの男の方から私に会いに来ないのだろうか。使い魔なのだから、なにも主人の方から出向かずとも、相手がこちらに来ればいいのである。

そう思うと、とたんに怒りが込み上げてきた。『召喚』のみならず『契約』も済ませているのだ、きっと誰が主人であるかはわかっいて当然だろう。

目が覚めたのなら、真っ先に主人のもとに馳せ参じ、この数日の心労をねぎらうのが使い魔の務めではないのか。

 

少し考えればそんな事あり得ないと気付くような自己中心的な考えに陥っているが、冷静さを欠いている今のルイズにはそこまで考えが至らない。

 

一日の授業が終わるとすぐに、ルイズは救護室へと向かった。前日とは違う、どこか軽やかな足取りである。

しかし歩いているうちにも、ルイズの頭の中では使い魔にぶつけてやる文句が次々と浮かんで来る。あの男が召喚されりしたもんだから、こんなに辛い目にあっているのだ。

感情の昂ぶりに合わせ初めは軽やかだった足取りも足音が響くまでに力強いものへと変わり、肩を怒らせて不機嫌極まりないといった表情で廊下を急ぐルイズの姿に、誰もが道を譲ってしまうほどであった。

 

ついに救護室の扉の前に立ったルイズは、2・3度深呼吸をして心を落ち着かせる。使い魔との接触は初対面が大切だ。主従をきちんとわからせる為、より威厳を感じるようにしなければならない。

扉に手を掛けたルイズは、勢いよく開け放つ。部屋の中では使用人と使い魔の男が呆然とした顔でこちらを見ている。

言いたい事は山ほど用意してきたはずなのに、余りにも昂ぶり過ぎていて頭の中が真っ白になってしまっていたルイズは、

 

「使い魔の分際で、こんなところでのんびりお茶なんて良い度胸じゃない!?」

 

と、少々的外れな言葉をひねり出すので精一杯だった。

鳩が豆鉄砲を喰らったような間抜け顔を見せる使い魔に、今度は怒りよりも情けなさが込み上げてくる。

目覚めてから着替えたのだろうか、青色の衣服に身を包む使い魔はどこからどう見ても、誰がどう贔屓目に見てもただの平民だった。

高貴な雰囲気もなく、何か特殊な能力を感じさせるようなオーラを放つでもなく、使用人とテーブルを囲む様はここが使用人控室であったかと錯覚してしまうほど庶民的な雰囲気を醸し出していた。

完全に平民。見紛う事無き平民。しかも余り利発そうには見えないマヌケ面を見せる使い魔に悲しくなり、これ以上ないほどの溜息をつく。

 

「折角成功したのに、なんで、よりにもよって、こんなぱっとしない平民なのよ……」

 

ルイズは呪った、こんな魔法音痴に生れついてしまった事に。こんなことならば生まれつき体が弱いか魔法不能者の方がまだマシだったとさえ思える。

人間の使い魔にさっぱり魔法を使えないメイジ。こんな組み合わせでどうしろと言うのだ。

自分の将来に不安要素しかない事に改めて溜息をつくと、頭を抱えてその場にへたり込んでしまった。



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第03話 初顔合わせ

「それじゃ改めて、俺はバッツ・クラウザー。旅人……かな。まあ今は君に呼び出された使い魔?って事になるらしいけど」

「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。あんたのご主人様のメイジよ」

 

テーブルを挟んで向かい合って座る二人は、ごく簡単に自己紹介をした。

握手をしようと差し出した手を無視されてしまったバッツは、しばらく所在無げに手を動かしたのち、軽く肩をすくめた。

ここは寮塔にあるルイズの部屋。

救護室での衝撃的な対面のあと、二人は場所をこのルイズの部屋へと移したのだった。

こういうと何事もなく事が運んでいるようだが、実際はそうではなかった。

 

救護室へ来るなりバッツをなじったかと思えば、当のルイズはその場に座り込んで泣き出してしまった。

初対面の女の子にいきなり怒られたかと思うと、次の瞬間には泣き出されてしまってバッツには何が何だかさっぱり分からなかった。

大声をあげて泣きわめくのではなく、静かに涙を流して嗚咽を漏らす少女の姿にバツの悪さを感じてなんとかなだめようかとするが、上手くいかない。

シエスタと二人で必死になだめ、なんとか泣き止ませることに成功するのに1時間以上かかってしまった。

ひとしきり泣いて気持ちが落ち着いたルイズを抱きかかえ、シエスタの案内でこの部屋まで来たのがつい先程の事。

それじゃあ改めまして、という事で自己紹介という運びになったのだ。

 

目の前に座るルイズは、まだ少し目が赤い。あれだけ泣き腫らしたのだから、それも仕方のない事だった。

それを見られまいとしているのか、ルイズはなかなかバッツと視線を合わせようとしない。

不覚だった、とルイズは思う。いくら感情が昂ぶっていたとはいえ、いきなり使い魔の前で泣き出してしまったのだ。これでは主としての威厳もへったくれもない。

何故あの場面で泣き出してしまったのかは、当のルイズにもわからない。気が付いたら涙がこぼれていて止められなかったのだ。

その上、一時間もの間使い魔と使用人になだめられるなんて一生の不覚といえる失態だった。

あまりにも恥ずかしい姿を見せてしまい、その気恥しさもあってバッツの顔をまともに見られないでいた。

 

しばしの沈黙の後、話を切り出したのはバッツの方だった。

 

「君が俺を召喚したって聞いたけど、出来たら元の場所に戻してくれないかな?いきなりこんなところに連れてこられても困るし……」

「無理よ」

 

バッツの願いに即座に否定の言葉が返ってきた。

 

「無理って……、こっちに呼び出したんだから帰す事くらい出来るんじゃないのか?」

「無理なのよ。『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけの魔法なの、使い魔を元に戻す呪文なんて存在しないの。だって使い魔は一生かけて主に仕えるんだもの。帰す必要なんてないわ」

「別に呪文で戻せって訳じゃないんだ。もっと別の方法でいいから、俺を元の場所へ戻すことは出来ないのか?」

「あんたはそんなに私の使い魔になるのが嫌なの?」

「嫌っていうか、いきなりそんな事を言われても困る。第一目が覚めたら勝手に見知らぬ土地に連れられてきて、勝手に使い魔にされて一生仕えなさいなんて言われてもハイわかりました、とはいかないよ」

 

今まで逸らしていたいた視線を急に合わせ、ルイズがバッツの目の前に迫る。

 

「なんでそんなに帰りたがるのよ!家族?それとも恋人?」

「家族は……居ない、恋人も……まぁ」

「だったら良いじゃない、私の所に居なさいよ」

 

フンッ、と鼻を鳴らし、腕組みして椅子に座り直す。

 

「大体、もう一度『召喚』を成功させる自信なんて無いわよ。あんたに逃げられたら私はどうして良いか分かんないわ……」

 

視線を横に逸らし、拗ねた子供のような表情で俯きがちにそう呟く。消え入りそうなその声を聞き取れず、バッツが聞き直そうとするとルイズは顔を真っ赤にしながら話を逸らした。

 

「な、何でもないわよ!そうだ、あんた旅人って言ったわよね、じゃあ良いじゃない。これからは私が食事の面倒を見てあげるわ、もちろん寝泊まりするところもね。使い魔として居てくれるんなら、あんたに不自由な思いはさせないわよ」

「そういう事じゃないんだ。なんていうか、その……」

「はっきりしないわね」

 

バッツは口ごもる。別にルイズの元に居る事が苦痛ですぐにでも逃げ出したい言う訳ではない。

きちんと筋を通せばそれほどまでに悪い話でもない。傭兵みたいなものだろう。受けるかどうかはバッツ次第ではあるが。

それよりも急に居なくなったことでレナたちに心配させているのではないかと気になってしょうがないのだ。

 

それに、どこまで説明して良いものかも考えあぐねているのだ。昼間のシエスタとのやり取りで自分が別の世界に来てしまった事はなんとなく理解していた。

そしてこちらの世界は価値観やら制度やら、何もかもがバッツの世界とは勝手が違うらしいという事も見当をつけていた。

だから、軽率に自分の事を話す事はためらわれた。自分が当たり前だと思っている事でも、何がこちらの世界での禁忌に触れるのかわからない。

考えなしに話してしまって、いきなり捕まって牢獄へ放り込まれるなんて事になったら目も当てられない。

特に魔法に関しては、元の世界とこちらの世界では扱いにかなりの差があるようであった。

「貴族は魔法を使える者が多い」「魔法を習うための貴族専用の学校がある(このトリステイン魔法学院の事)」「普通の人は魔法が使えない(らしい)」

シエスタとの会話で分かった事だけでもこれだけある。

だから自分が魔法を使える、しかもかなり強力な魔法を行使できると知られると何かまずい事態になりそうで怖かった。

 

それともう一つ、誰に話そうが自分が別の世界から来たとは信じてもらえるとは考えられなかった、というのも理由の一つに挙げられる。

バッツ自身、ガラフの世界に行くという経験が無かったら、自分の住む世界以外の別の世界が存在するなんて事を理解できなかったであろう。

どういう原理でこうなったのかは分からない。ガラフの隕石のような力が働いたのか、それともデジョンのような呪文なのか。

でも、なんとなくではあるがルイズに対してその事だけは嘘をついてはいけないような気がしていた。

信じてもらえなくてもいい。だが自分はこの世界の人間ではない事だけはキチンと伝えなければいけないような気がした。

 

本当にもう元の世界に戻れないにせよ、戻る方法がそのうち見つかるにせよ、これから世話になりそうな相手に対して全てを嘘で塗り固めるという事に罪悪感を感じでいるのだ。

 

「口で説明しづらいんだけど……、まぁとにかく俺の話を聞いてくれ」

 

そう言ってバッツはテーブルに地図を広げた。広げた地図には、シエスタが見せてくれた物よりも広範囲の、それこそ世界中の地形が余す所無く詳細に記載されていた。

 

「なによこれ……。なんでこんな上等な地図を持ってんのよ。あんた旅人だっけ?だから持ってるの?」

 

ルイズの反応を見る限り、やはりこの国ではこれほどの広範囲の地図はそうは無いらしい。

 

「重要な点はそこじゃないんだ。重要なのは……俺にはこの地図に載っていること全てに心当たりがない事なんだ」

「はぁ……?」

 

ルイズにはバッツの言わんとする所が理解できない。自分の地図なのにその内容がわからないなんて、いよいよもって馬鹿なのか。

 

「何て言えば良いのかな……?う~ん……これは特殊な地図で、今居る世界の地形を自動的に描き出すんだ」

「それで?」

「だから目覚める前後、つまりここに来る前後でこの地図の内容が全くの別物になってしまっているんだよ」

「私が召喚する前はもっと違う地図だったって事?」

「そう、この地図は世界中のことが載ってるから、どんなに遠くの国に来たって、その程度じゃ変化する事は無いんだ。ここまで変わってしまったって事はつまり……」

「別の世界に来たから、地図の中身も変わってしまった、って言いたいの?」

「そう、そうなんだよ!」

 

バッツは自分の意図するところが伝わって喜ぶ。しかしルイズは変化前の地図の姿を見ているわけではないので、今一つ信じることが出来ない。

 

「仮にあんたが違う世界から来たとして、じゃあなんで今、こうして私とあんたが会話出来ているわけ?まさか世界は別でも言葉は一緒でした、なんて言わないでしょうね」

 

それはバッツにもわからない。本当に言語体系が似通っているのか、それとも何かしらの力が作用して言葉の理解を助けているのか。

でも、シエスタが見せてくれた地図に書いてあった文字は読めなかった。文字が違うのに言葉が一緒という可能性は低いだろう。

 

「それはわからない、でも本当なんだ。俺は別の世界から来て、でも何故かこの国の言葉もわかる」

「そんな都合のいい話あるわけ無いじゃない。大体、魔法でも使わない限りそんなことは……」

 

そこまで言ってルイズはハッとする。

 

「サモン・サーヴァント!!」

 

そうだ、魔法ならば可能なのではないのか。使い魔を呼び出す魔法に、意思疎通を助ける効果があっても不思議ではない。

いや、人外のモノを使い魔として使役して何の不都合も無いのだ、そういう効果が組み込まれていると考えるのが当然だろう。

使い魔は主の言葉を理解し、主も使い魔の気持ちを理解できるのだ。それに使い魔となることで人語を使えるようになる場合もある。そういった効果がバッツにも働いたのではないか。

それが『召喚』の際の効果なのか『契約』での効果なのかはわからない。でも、ありえる話だ。

 

言葉が通じる点については仮説が立ったものの、バッツの話は話半分、といったところだろうか。鵜呑みにするには突飛過ぎるのだ。

 

「あんたが別の世界の人間だってのは、まぁ信じてあげてもいいわ。嘘でも私には関係無いもの。でも、帰りたいってのは聞けない話ね」

 

と、ルイズはバッツの左手を指差しながら言う。導かれるまま手の甲を見たバッツの目に、見慣れない文様が飛び込んでくる。

 

「それがあんたの使い魔のルーン、私の使い魔ですって証みたいなものよ。それがある限りあんたは私の使い魔なの。私から離れることは出来ないわ」

 

いつの間に現れたのだろうか、見知らぬ落書きみたいなものを落とそうと左手の甲をゴシゴシとこするが、全く消えない。刺青のようなものなのだろうか。

 

「何だよコレ、一体どうやったら消えるんだ」

「基本的には消えることは無いわ。消えるとすれば、それはあんたか私が死んだ時よ」

「死……って」

 

あまりの事実に言葉が詰まる。使い魔とやらを辞めるには自分が死ぬか目の前の少女を死なせるかしないといけないのか。

自分が死ぬのはまっぴら御免だし、かといってルイズを殺してしまうわけにもいかない。

となると、大人しくルイズの使い魔としてこちらの世界に留まり、なんとか平和的にこの問題を解決する方策を見つけ出さなければならないのか。

 

目の前の問題の大きさに頭を抱えるが、渋々ながらも差し当たってはルイズの元で厄介になる決心をしたバッツは

 

「……わかった。それじゃ暫くは君の使い魔で居よう。死にたくはないし、君に死なれても寝覚めが悪い」

 

と、使い魔で居る事を承諾した。

 

「わかればいいのよ、わかれば」

 

ルイズは上機嫌でそう答えると、バッツに対して「使い魔としての何たるか」を講釈し始めた。

 

「まず最初に、使い魔は主人の目となり耳となる能力が与えられるのよ」

「……つまり?」

「主人と使い魔は感覚を共有できるわけ。どんなに離れていてもあんたが見た事は私にも見えるし、あんたが聞いた事も私には聞こえるの。でも常にってわけじゃないわ。主人が望む時だけ」

 

こんな風にね、とルイズが短く呪文を唱えると、奇妙なことが起こった。なんとバッツは自分とルイズを同時に見ていたのだ。

 

「な……何だコレ!」

 

そう叫ぶ声が自分の耳に届く。まるで他人の声のように自分の声が聞こえる様子に、驚きは増すばかりだ。

 

「な……、一体何をしたんだ!!」

「うるさいわねぇ、少し黙りなさいよ。これが感覚共有よ。何であんたにまで効果があるのかわからないけど、これでよく理解できたでしょ」

 

しばらく目を交互に開閉したり、耳を片方ずつ塞いだりして漸く状況を把握できた。どうやらこの『感覚共有』をしている間、バッツの左目と左耳がルイズのモノと入れ替わっているらしかった。

ルイズも同じような状態なのだろうか?全く奇妙な魔法だ。

 

「話を続けていいかしら?次に使い魔の役割として、アイテム集めがあるわ」

「アイテム集め?」

「主人の望むものを集めてくるのよ。勿論、盗みや強盗をしろってんじゃないわ。山に行ったりして探してくるのよ」

「何のために?」

「主に薬の材料だったり、魔法の補助のための触媒だったりするわ。特定の種類のコケやキノコや硫黄とか……。あんたに集められる?」

「山歩きは得意だよ、アイテム探しも。どんなものが欲しいか、図鑑とかで説明してくれれば問題ないと思う。鉱物を掘るのは勘弁して欲しいけど」

「そう、頼もしいこと。期待はしないでおくから安心なさい」

 

なんでかは知らないが、ルイズは一々バッツをけなすような一言を付け加える。眉をしかめるバッツの事などお構いなしにルイズは続ける。

 

「これが一番重要な事なんだけど……、使い魔には主人の身を守る義務があるのよ。だからあんたは私を守って敵と戦わなくちゃならないのよ」

「戦う……、か」

「そうよ。でも……あんたじゃ無理ね」

「?」

「忘れたとは言わせないわよ。あんたが現れた時、あんなに大怪我してたじゃない。何と戦ってたんだか知らないけど、瀕死の重傷を負う程度なんだからあんたも大した事ないんでしょ」

「あれは……相手が相手だったし」

「ハッ……言い訳?じゃあ何と戦ってたって言うのよ。韻竜?グリフォン?」

 

ネオエクスデスの事を話すことはためらわれた。それこそ信じてもらえないだろうし、簡単に信じられても困る。

だから相手を納得させられないと知りつつも、言葉を濁す。

 

「まぁ、そんなとこかな?もう少し強いけど。それに負けたんじゃ無く勝ったんだけどな」

「ああ、そう。それじゃ期待しないでおくわ。でも危険な目に会った時、真っ先に逃げるような真似したら承知しないわよ」

 

予想通り、またしてもこちらの話を信じてもらえなかった。だが、それでも構わない。

あんな凶悪な存在を知る必要は無いし、必要な時に十分な働きを見せれば良いだけの話だ。別に問題はない。

 

ふとルイズが時計に目をやる。結構な時間だったらしくちょっと驚いた顔を見せた後、もう寝なきゃと寝支度を始めた。

 

バッツが見ている目の前でいきなり服を脱ぎ出したのだ。バッツはたまらず声を上げる。

 

「お……おい!何をやってるんだ!俺がまだ居るってのに、恥ずかしくないのか!」

「何って、着替えに決まってるじゃない。制服のまま寝るなんてはしたない真似するわけないでしょう」

「男が部屋の中に居るってのに、いきなり脱ぎ出す方がはしたないだろう」

「別に構わないわよ。どうせ男っていっても、居るのは使い魔のあんただけなんだし。なんとも思わないわよ」

「使い魔だけど俺は男だ!少しは恥ずかしくないのか!?」

「使い魔なんて召使と同じよ。貴族は召使相手に一々気になんて掛けないものよ」

 

なんて神経の図太い少女なんだろう。これくらいの年頃にでもなれば、こんな事したら恥ずかしくて死にそうになるくらいではないのか。

こちらの世界の貴族ってこんな人間ばかりなのだろうか。なるべくルイズの姿を見ないよう、背を向けて考える。

 

しばらくすると着替え終わったのだろうか、脱いだ服を適当に畳んだあと、ルイズはそれを持ってバッツの元にやってきた。

 

「使い魔としての最初の仕事を与えるわ。明日これを洗濯しておいて頂戴。あと、部屋の掃除もしておいてね」

 

先程まで身に着けていた服を押しつけられ、バッツは困惑の表情を隠せない。ご丁寧に下着が一番上にのっている。

レナはこんな事しなかったな、と思い出す。同じ貴族でも大違いなものだ。

レナ達と旅をしていた頃は、レナは洗濯は自分ですると言って聞かなかった。ガラフやファリスの分と一緒に洗うといっても、顔を真っ赤にして頑として聞きいれなかった。

ファリスが女と知れ渡った後は、ファリスを説得してこちらの分と一緒に洗わないようにさせるくらいであった。それほど、女性にとっては恥ずかしい事なのだろう。

それなのにこのルイズは当たり前だと言わんばかりに、自分の洗濯物を寄こした。所変われば品変わる、と言うがここまで違うものなのか。

 

「あと、明日は7時に起こして頂戴。寝坊なんてしたら承知しないわよ」

「時計はどこにある?」

「そこの壁際にあるでしょ」

「……文字が読めない」

 

ハァ……、と溜息をつき、面倒くさそうにルイズは説明する。7時の位置はどこで、1時間が何分か、1分が何秒か。

時間の概念が自分の世界と大体一緒だという事を理解できたバッツは、それならば、と承諾する。

一人ベッドに潜り込もうとするルイズにもうひとつ質問する。

 

「俺はどこで寝たらいいんだ」

 

部屋の中にはベッドは一つしか見当たらない。いくらなんでもそこで一緒に寝ろなんて言い出すまい。ならば床の上で直に寝ろというのか。流石にそんな扱いは御免だ。

ルイズは無言で、部屋の一角を顎で指し示す。そこにはクッションの山が出来ており、整えれば人一人くらいは十分に寝られるようになっていた。

室内の他の調度品とは明らかに雰囲気の違うその様子に、このクッションの山は自分の為に用意されたのであろうことが見て取れた。

少し前までその場所は藁の寝床があったのだが、流石に藁では可哀相とのことで急遽クッションをかき集めて設えたのだ。

バッツがこの部屋に来てから用意をしていた様子はない。となれば前日か、少なくとも今日救護室に来るまでには用意を終えていたのだろう。

床か、それとも外での野宿を覚悟していただけに、ルイズの意外な対応に心温まる思いがした。

正直なところ、これまでのやり取りでバッツの中でのルイズの印象は良いものではなかった。

我儘で、自己中心的で傲慢でとにかく鼻持ちならない性格だとばかり思っていたが、意外や意外、気遣いの出来る優しさを持ち合わせていたとは。

 

ルイズの方を見ると、既に寝息をたてていた。寝付きの良いお子様のようだ。

そんなルイズの寝顔をじっと見つめる。

クルル位の年頃らしき外見にレナによく似た桃色がかった金髪、そして意志の強そうな眼つきはどことなくファリスを連想させる。

そんな、まるで仲間の特徴を凝縮したような容姿を持つルイズに、不思議な親近感を抱かずには居られなかった。

いや、望郷の念が彼女の中に無理矢理にでも仲間の面影を見出そうとしているのかもしれない。

だが今はどちらでも良かった。見知らぬ世界に一人でいる不安が、ルイズの傍に居ると少し和らぐ気さえする。

 

明日からの事を考えると不安で堪らなくなる。無事にレナ達の元に帰る事が出来るのか。それまでの間、こちらでの生活は上手くやっていけるのか。

考えれば悩みは尽きない。

だが、とにかく今は前に進まなければいかない。

 

室内のランプの明かりを息を吹きかけて消すと、バッツも自分の寝床へと潜り込んだ。

見た目よりも良い寝心地に、あっという間に睡魔が襲ってくる。3日も眠り続けていたらしいがこれはこれで別腹らしい、と可笑しくなる。

目を瞑ると、程なくして深い眠りにおちていった。

 

夢も見ない深い眠り。

これからどうなるのだろうか。

誰も答えられる者の居ないその問いに、二つの月が優しく包むように世界を照らしていた。



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第04話 魔法学院での一日

朝もやの中、蠢く影が一つ。辺りを見回しながら不審な動きを繰り返す。

何を探しているのだろうか、右へ左へと行ったり来たりを繰り返している。

まだ太陽が昇り切っていないのもあって、それが誰だか判別できない。

 

いきなり現れた不審者に、シエスタはたまたま持っていた箒を握りしめ身構える。

不審者はまだこちらに気付いていないらしく、相変わらず辺りをキョロキョロと見回しながら近づいて来る。

シエスタは手近な物陰に身を隠すと、不審者のが行き過ぎるのを息を潜めて待つ。

隠れているので姿は確認できないが、だんだんと不審者がこちらに近づいている気配が感じ取れた。それにつれシエスタの心臓の鼓動が激しくなる。

シエスタの力では不審者を撃退するのは難しいだろう。ただただ何事もなく通り過ぎてくれるのを願うのみ。

 

一歩一歩、相手が近づいて来る。もう足音が聞こえるまでに近くに来たようだ。自分の心臓の音が、周りに響き渡ってしまっているのではないかと思うほどに激しくなる。

 

「おい」

 

見つかった!シエスタの緊張が限界を超える。パニックを起こし、まともに頭が働かない。

こうなったら、何かされる前にこちらから仕掛けなくては。窮鼠猫を噛む、死中に活を求めるように、箒を振りかぶった。

もしかしたら……、そんな淡い希望を打ち砕くように、あっさりと箒が掴まれる。ならば次の手だ。

 

「キャ――誰か、誰か助けて下さい―」

 

あらん限りに声を張り上げ、助けを叫ぶ。だがその口も、相手によって塞がれてしまった。

もう駄目だ、と諦めたシエスタの耳に相手の声が届く。

 

「俺だ、バッツだ。頼むから静かにしてくれ」

「……?ファッフふぁん?」

 

不審者の口から飛び出たのは、意外な名前だった。

今や目前に迫ったその人物を冷静に見てみれば、確かにそれはバッツだった。昨日と同じ青い服を身につけている。

 

「こ……こんな時間に何やっているんですか!」

 

不審者の正体に安堵の息を吐いたシエスタの目に留まったのは、バッツが小脇に抱えた洗濯ものであった。それは見慣れた学院指定の女子制服だった。

 

「バッツさん……何持ってるんですか!まさか……盗んだんじゃ……」

「違う!断じて違う!!」

「じゃあ何をしてたって言うんですか!」

 

先程までの緊張の反動か、シエスタが強気にまくし立てる。

 

「これはルイズに押しつけられたんだ!洗い場なんてわからないから少しウロウロしてただけなんだ!」

 

あらぬ疑いに必死に弁明する。シエスタに事の成り行きを話すと、なんとか納得してくれたようだ。

 

「それにしても、男性に自分の下着まで預けて平気なのは、流石は貴族の方と言うべきでしょうか」

 

シエスタの率直な反応にバッツも頷く。試しにシエスタだったらどう?と聞いてみると、顔を真っ赤にして「とんでもない!」と返答が来た。

家族ならともかく他人の、それも異性に自分の下着を見せて平気な女性というのは確かに貴族ならではといったところか。

無論、同じ貴族同士ならまた反応は違うのだろうが、この世界での貴族にとって平民というのはどういうものなのかを改めて思い知らされた。

 

洗濯なら私がします、というシエスタの好意に甘えさせてもらう事にして、ルイズの服を渡す。

だがシエスタの言う事には、生徒の服の洗濯も部屋の掃除も元々使用人の仕事らしい。わざわざバッツがする必要はどこにもないというのだ。

じゃあ何故ルイズはこんな事を命じたのか?それはわからない。単に虫の居所が悪かったのか、何か意図しての事なのか。

 

「バッツさんは朝食まだですよね」

 

という一言に、バッツのお腹が思い出したように空腹を訴えてきた。早く起きたものだから、腹が空くのも早い。

朝食はまだどころか、どうしようかも考えていなかった。ルイズが何か用意してくれるか、そこらで野生動物を捕まえるか、それが駄目なら道具袋から保存食を出すか。選択肢があったとしてもその程度だ。

使用人用の賄い食でよければ、との事だがシエスタの申し出に甘えさせてもらう事にする。

 

一応今の時刻を尋ねると、ルイズが指定した時間まではまだ1時間以上あった。

 

シエスタに案内されて厨房へと通される。そこでは朝食の仕込みに追われる料理人の傍ら、それ以外の使用人と思われる人々が食事をとっていた。

ガヤガヤと込み合う室内は、夜の酒場を思い起こさせる。心地よい喧噪の中席に着くと、何処からかシエスタは二人分の料理を持ってきてくれた。

バッツの分の量が多めなのが嬉しい。

 

「ここで働いてる訳じゃない俺が食べてもいいのか?」

 

と、バッツが申し訳なさそうに言うと、

 

「大丈夫ですよ、一人増えたくらい問題ありません」

 

とシエスタがキッパリと答える。

曰く、使い魔の餌も学院が用意してるので、使い魔扱いのバッツも学院が用意するものを食べるのは当然、との事。流石に貴族と席を並べることは出来ないけれど。

使い魔の餌代も生徒の払う学費に含まれているらしい。

それならいいか、と遠慮することを止めて食べ始めたバッツに、不意に声がかけられた。

 

「見かけねぇ奴がいると思ったら、お前が例の使い魔になったっていう人間か!」

 

野太い声の持ち主は、太鼓腹が貫録を放つ四十を過ぎた男だった。他の料理人と比べ明らかに上等な仕立てのコック服を身に纏っているところからして、シェフなのだろうか。

捲り上げた袖から覗く腕は逞しく、料理人というよりは樵か漁師のほうが似合いそうな風貌をしている。

後から聞いた話では、ここでの料理長というのはかなりの重職らしく下級貴族なんかよりも多い収入があるらしい。尤も、仕事が忙し過ぎて折角の金を使う暇がない、とは本人の談。

 

「お前も散々な目にあったなぁ。ま、俺らにできるのは美味い飯を食わせてやる事くらいだけどよ、遠慮するこたぁねぇンだぜ。どうせ痛むのはお前さんを召喚した貴族の財布だ」

 

大声で笑いながら陽気にバッツの背中を叩く。その太い腕から繰り出される一撃は想像以上のもので、もう少しで口に含んでいた分を吹き出してしまうところだった。

 

「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はこの学院の厨房を任されてるマルトーってんだ。お前さんの事はシエスタから聞いたぜ、バッツ。これから仲良くしようや」

 

今度お前の国の料理を教えてくれ。遠い国の料理ってのは興味が尽きんからな、と言うと奥に引っ込んでいった。これからが朝食の仕込みの最盛期なのだろう、大声で指示を飛ばしながらではあったが。

戻り際に交わした握手の感触が未だ手に残る。予想通り手加減抜きの馬鹿力で握られ、バッツの右手はまだ痺れが残っていた。

 

 

食事を終えルイズの部屋に戻ると、ルイズはまだベッドの中で寝息を立てていた。

カーテン開け室内に光を取り込む。一緒に窓もあけると、朝のさわやかな空気が流れ込んできた。

窓から差し込む光がルイズに降り注ぎ、そのまぶしさに目を覚ます。眠たそうに眼をこすりながら起き上ったルイズは、まだ寝ぼけ眼のままこちらを見てくる。

 

「あんた……だれ?」

「バッツだ」

「バッツ……?あぁ?……あぁ!」

 

起き抜けで頭がよく回っていないのか、まだ焦点の定まらない目を泳がせながらしばし考え込むとようやく合点がいったようだ。

軽く寝ぐせの付いている頭を掻きながら大あくびをしている。

 

「あぁ、使い魔の。昨日やっと目が覚めたんだっけ。不審者かと思ったじゃないの」

 

不審者……か。今朝のひと悶着を思い出して苦笑いする。まぁ目覚めて見知らぬ男が居たら、大抵の女性はビックリするだろう。

ベッドから降りたルイズは思いっきり伸びをしたのち、バッツに命じる。

 

「服」

「は?」

「服、取って」

 

昨夜はバッツが居るのを意に介さずに着替え出したが、今日も同じようにするのだろうか。

バッツが返事をしないので、催促が入る。

 

「服。早くしなさいよ」

「昨日も言ったが、男が目の前に居るのに着替えだすのはどうかと思うぞ」

「昨日も言ったけど、別にあんたが居たってどうってことないわよ。そんな事より早く服を寄越しなさい」

「君がよくても俺が困るんだよ。そっちがどう思ってようが、こっちだって人間なんだ」

「だーかーらー」

 

議論が堂々巡りになる予感に、バッツは早々に話を切り上げ部屋を出るという強硬策に出ることにした。

 

「俺にも君みたいな身分の知り合いがいる。でも彼女たちは君みたいな事はしなかったし、もっと分別があった」

 

と、去り際に苦言を呈する事も忘れなかった。

 

女性の支度は時間が掛かる。レナ達との旅でその事を十分に知っているバッツは扉の前で時間を潰す。

と言ってもこれといってする事も無いので、行き交う生徒をボーっと眺めているだけであったが。

目の前を通り過ぎてゆく生徒達は、皆一様にこちらを奇異の目で見て来る。自分の何がそんなにおかしいというのだろうか?服のセンスか?

行き交う生徒は皆同じ白のブラウスに黒のスカート、そしてその上からマントを羽織るという出で立ちの中、バッツの身なりは確かに目立つ。

生徒達の制服は一見無地で飾り気のない服だが、よく見ると上等なモノである事がわかる。

比べてバッツの服は、耐久性には優れるものの高級素材が使われているという訳でもなく、しかも旅の影響でかなりくたびれてしまっている。

周りの者達からすれば、みすぼらしい格好に映るのだろうか?

 

おかしい、と言えば目の前の生徒達は皆、思い思いのモンスターを連れていた。

大人しく付き従う姿を見るに、危険なモノではないようでなあるが、正直心臓に悪い。初めて見たときは思わず身構えてしまい、相手に笑われてしまった。

しばらくして理解する。これが「使い魔」というモノだ、と。家畜やペットよりも従順に付き従う姿は、昨夜のルイズの説明と一致する。流石に掃除や洗濯はしないだろうが。

 

30分ほど経ったろうか、扉が開かれルイズが現れる。

何故不機嫌な顔をしているかは分からないが、きちんと身なりは整えていた。

 

「皆モンスターを連れているんだな。あれが使い魔ってやつか?」

「そうよ。あんたもあれと同じ。今日からはあんな風に私に付き従うのよ」

「俺は人間なんだけどな」

「人間っていっても平民でしょ」

 

またこの展開か、とウンザリしていると近くの部屋の扉が開いて生徒が一人出てきた。燃えるような赤い髪に褐色の肌、すらりと伸びた四肢は爪の先まで色気を放つようである。

女性としては高めの身長にプロポーションの良い体形、そして見せ付けるように強調された豊満なバストと何から何までルイズとは対照的である。

窮屈で締まらないのか、はたまたわざとか、ブラウスのボタンを外し大きく胸元を開けているために褐色の谷間が目のやり場に困る。

彼女はこちらに気が付くと、にやりと笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「おはよう、ルイズ」

 

不機嫌さを隠そうともせずにルイズは挨拶を返す。

 

「おはよう、キュルケ」

「コレがあなたの使い魔?本当に人間なのね。なんか『ゼロのルイズ』の使い魔、って言われると納得するわー。あなたに普通の使い魔なんて似合わないもの」

「余計なお世話よ!」

 

顔を赤らめ、ルイズが睨み付ける。

バッツの顔を値踏みするように眺めた後、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 

「格好はアレだけど、顔はなかなかじゃない。でもあたしのフレイムには敵わないわねぇ」

 

キュルケの部屋からのそりと現れる影があった。人の腰位の高さがある大型の火蜥蜴だ。尻尾は赤く燃え盛り、時折口から漏れる炎の熱が周囲に伝わる。

ある程度慣れたつもりではいたが、やはり目の前にモンスターが現れるとつい身構えてしまう。頭では危険は無いとわかっていても、体のほうが早く反応してしまうのだ。

 

「おっほっほっ!あたしが命令しない限り、人を襲ったりはしないからそんなに緊張しなくてもいいわ」

 

モンスターを従える姿は、魔道士や召喚士というよりも魔獣使いだ。

 

「そういやあんたの使い魔ってサラマンダーだっけ」

 

相変わらずのしかめっ面でルイズが尋ねる。不機嫌というよりは悔しさが滲み出ている様であるが。

 

「そうよ!サラマンダー、火蜥蜴。見てよこの色、艶、ここまで鮮やかな炎の尻尾を持ってるなんて、これは間違いなく火竜山脈に住んでるモノよ。愛好家垂涎のブランド物なのよ?」

 

自慢するのが嬉しいのか、一気にまくし立てるキュルケに、ルイズは「それは良かったわね」と苦々しく答えた。

 

「素敵でしょ。あたしの属性にピッタリ」

「あんたは『火』属性だっけ」

「ええ!あたしは『微熱』のキュルケですもの。ささやかに燃える情熱の炎は微熱程度。でも男の子にはそれ位で十分だわ。どんな人だってイチコロよ、あなたと違ってね」

 

得意げに胸を張るキュルケ。元々豊かな胸がさらに強調される。成るほど、こんな胸で迫られたら男も簡単に落ちてしまうかも知れない。

そんなキュルケの胸と自分の胸を見比べ、さらに機嫌の悪くなったルイズはグッと睨み付ける。

 

「あんたみたいに手当たり次第色気振りまいて喜んでる程、暇じゃないわ」

 

ルイズの負け惜しみを余裕の態度で受け流したキュルケは、今度はバッツに話を振る。

 

「そういえばお名前をまだ聞いてなかったね?」

「バッツだ」

「バッツ……ね。今度ゆっくりお話しましょ?勿論ルイズ抜きで、ね」

 

お先に失礼、とキュルケは颯爽と立ち去っていった。その後を火蜥蜴がチョコチョコと付いていく。外見とは似つかわしくないその愛らしい動きが微笑ましい。

 

キュルケの姿が見えなくなると、ルイズが怒りを爆発させる。

 

「何なの、何なのよあの女!自分が火竜山脈のサラマンダーの召喚に成功したからって!悔し……悔し……悔しくなんてないんだから!!」

「いいじゃないか、そんな事くらい」

「良くないわよ!いい?『メイジの実力を測るには先ず使い魔を見ろ』って言われるくらいなのよ!あんな女がサラマンダーで、なんでこの私があんたなのよ!」

「サラマンダーよりは役に立つさ」

「ふん、どうだか」

 

やれやれ、と肩をすくめる。

 

 

 

トリステイン魔法学院の食堂は敷地の中心にそびえる、他の塔に比べ一際大きさの目立つ本塔の中にある。

広い食堂の中は何人掛けかもわからないほどの長さのテーブルが三つ並んでいる。テーブル毎に生徒たちのマントの色が違う。

ルイズの言うには学年毎に付くテーブルもマントの色も決まっている。今年は紫のマントが三年生で茶色が一年生、自分たち黒のマントは二年生との事。入学年度によってマントの色が違うらしい。

テーブルは決まっているが席順は決まっていないらしく、ルイズは適当な席に腰掛ける。既に料理は並べてあるが、席に着いた者から食べ始めていいという訳でもないらしい。

 

「あんた、朝食は?」と聞いてくるルイズに「もう食べた」と答えると「あっそ」と素っ気なく返ってくるだけだった。

暫くして「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝いたします」と食事前の唱和が始まった。

一斉に食べ始めた生徒達の食事風景を物珍しそうに眺める。

テーブルに並べられた料理もさることながら、それ以外の飾り付けの豪華さに目を奪われる。何本ものローソクが整然と並べられ、その間を綺麗な花が飾り付けられている。

料理以外にもフルーツの盛り合わせもあり、今日は何か特別な日で宴会でも催されているのではないかと考えてしまうくらいの豪華さだ。

そんなバッツの様子に気が付いたのか、ルイズがさも当たり前という風に説明する。

 

「このトリステイン魔法学院で教わるのは、なにも魔法だけじゃないわ」

「というと?」

「メイジっていうのはその大部分が貴族なの。逆に言えば、メイジじゃない貴族なんていないわ。だから『貴族は魔法をもってしてその精神と成す』のモットーの下、貴族たるべき教育をここで受けるの。食事も貴族教育の一環、だから食堂もそれ相応のものでなくてはならないのよ」

「ふーん」

「わかった?本来ならあんたみたいな平民がこの『アルヴィーズの食堂』に入ることは許されないのよ。私の使い魔だから、特別に許可されてるだけで」

 

食事も教育の一環、か。成る程、ルイズも含めこの場にいる生徒は皆、とても行儀良く食べている。巧みにナイフとフォークを使い、食器の鳴る音などは全くしない。

聞こえてくるのは会話の声くらいだ。いや、何処かで楽士が演奏しているのだろう、美しい旋律も響いてくる。

騒がしいパブでの食事に慣れているバッツにとって、静か過ぎるとも言えるこの食堂はあまり居心地がよくなかった。

席に着くわけでもなく、かと言って他に何をするでもなく、ルイズ脇に立っているだけのバッツは、その視界の隅に見覚えのある影を捉えた。

それは銀のトレイを手にテーブルの間を忙しそうに動き回るシエスタだった。他にも何人かのメイドが同じように料理を配って回っている。

あまりに忙しそうに見えたバッツはルイズに彼女達の手伝いの許可を取ることにした。

 

「別にいいわよ。そこでボーっと突っ立ってられても邪魔だし」

 

ルイズの返事はそれだけだった。早速バッツは厨房のほうへと向かうと、マルトーに給仕の手伝いを申し出た。

「毎朝戦場みたいなもんだ、男手があるのは有難い」とマルトーは快く承諾してくれた。

男物の給仕服は用意されていなかったし、例えあっても着替えている暇なんて無かったから、青い服の上から給仕用のエプロンを付けただけの格好で手伝いを開始した。

何百人分あるのだろうか、次々と用意される料理を片っ端から手にとってテーブルへを運んでゆく。

デザートまで全て運び終わる頃には、軽く汗をかいていた。

仕事も一段落し、厨房でシエスタと一緒にお茶を頂く。助かりました~というシエスタに、朝食も食べさせてもらったし、これ位はお安い御用だとバッツは返す。

 

「それにしてもバッツさんの給仕姿、板に付いてましたね。以前こういう仕事をなされてたんですか?」

「色んな所を旅して回ったからな、路銀を稼ぐためにいろんな仕事をしたさ。勿論、犯罪とか後ろ暗い仕事はしてないけど」

 

実際、バッツは色んな仕事を経験している。その殆どが日雇いみたいな短期のものであったが。

今日みたいな給仕の仕事や洗濯や掃除などのお屋敷での下働き、或いは行商隊の護衛やモンスター討伐に建築の手伝いや野草等の収集……と幅広い。

 

一息ついた後、ルイズの元へと戻る。食事が終わって人もまばらになった食堂の中、ルイズは席に着いたままバッツが戻るのを待ってくれていたようだ。

メイドとのお喋りは楽しかったか、とイヤミで出迎えたルイズはそのままバッツを引き連れ教室へと向かう。

曰く、可能な限り使い魔同伴で授業に出なくてはいけないとの事。あんたみたいなのでも連れ回さなくちゃいけなくていい迷惑だ、とはずいぶんな言い草だ。

 

魔法学院の教室は、石造りですり鉢状になっている。一番低くなっているところに教壇があり、その背後に大きな黒板が設置されている。

生徒の座る席は階段状に連なっており、後ろの方に座るにはかなりの視力が求められる。

ルイズが中ほどの席に腰掛けると、バッツもそれに倣って隣の席に付く。ルイズはこちらを睨み、何か言いたそうであったがプイッと黒板の方へをと向き直す。

 

教室の中は生徒だけではなく、多種多様なモンスターで溢れていた。生徒の肩にとまっているモノ、宙に浮いているモノ、足もとで大人しくうずくまっているモノ、或いは他のモンスターを涎を垂らしながら狙っているモノ……。

全部使い魔で、決して危害を加えるようなことは無いと頭では分かっていても、居心地が悪い。

居心地が悪いといえば、もう一つ。教室に入ってから席に着くまで、いや、席についてからも絶えずこちらを見てせせら笑う声が絶えない。

そんなに人間の使い魔というのが珍しいのか。なんだか馬鹿にされている雰囲気がひしひしと伝わり、なんとも言い難い不快感に覆われる。

 

だがそんな雰囲気も教師が現れるまでで、教師が教壇に着くと教室内は水を打ったように静まり返った。

 

「では、本日の授業を始めます。今日はこの『赤土』のシュヴルーズが受け持ちますわ」

 

紫のローブに身を包んだふくよかな中年女性が講師らしい。『土』系統を得意としているらしく、今日の授業はそれに沿った内容を学習するみたいだ。

授業内容は、バッツにとってとても興味深いものだった。正確にはバッツ自身というよりは彼に宿るクリスタルの欠片に眠る魔道士の心達が興味を示した。

特に興味を示したのは黒魔道士と白魔道士だった。

『火』『水』『風』『土』という四つの魔法の系統というのはクリスタルを髣髴させる。もしかしたら、この世界にもクリスタルはあるのかも知れない、なんて考えてしまう。

そして『虚無』。今は失われた系統であり、『始祖ブリミル』なる人物が得意としていた五番目の系統らしいが……。

その響きに嫌な物を思い出す。『無の力』――遥か昔、不死の力を以って世界を手に入れんとした暗黒魔道士エヌオーによって創り出された悪魔の力。

エヌオー自体は、無の力と引き換えに不死を失ったことにより、伝説の12武器を手にした古の戦士達によって打ち倒された。

そして1000年の時を経て、封印された無の力を我が物とした魔道士エクスデスは、激しい死闘の末バッツ達4人のクリスタルの戦士によって打ち倒されたのだ。

 

話を聞く限りでは、この『始祖ブリミル』はこの世界の魔法を現在の形に系統付けした人物で、歴史上最も偉大なメイジだったらしい。

少なくともエヌオーやエクスデスのような危険思想の持ち主では無いことに胸を撫で下ろす。

 

様々な魔法の説明を聞いた中でも『錬金』によってただの石が真鍮になるのには腰を抜かした。バッツの世界には無かった魔法だ。

そんな魔法が当たり前のように存在するなんて、ここはバッツの世界よりも進んだ魔法文明を持っているらしかった。

 

 

昼食を挟み、午後からはコルベールによる『火』の系統魔法の実技授業が中庭で行われた。

設置された石造りの的に向かって各人が炎の弾を放っていた。

今朝、火の系統が得意と言っていたキュルケは成る程、周りの生徒達よりも上手に火球を操っている。他の者達も得手不得手はあるものの、一定以上の技術で炎を操っている。

 

たった一人を除いて。

 

ルイズは標的の破壊には成功している。成功してはいるものの、他の生徒とは違い火球を飛ばしての破壊ではなく、的の石自体が弾け飛ぶように爆発していたのだ。

最初は炎の弾より上級の魔法を使っているのだろうと考えていたバッツも、ルイズの焦った顔を見てその考えは間違いであると気づく。

ふと、今朝から幾度か耳にするルイズへの嘲りの中に『ゼロのルイズ』というものが多かったのを思い出す。そういえばキュルケもそんな事を言っていた気がする。

『ゼロのルイズ』――それはルイズのニックネームであろうとは予想していたが、どんな意味を持つのかまではわからなかった。今までは。

目の前で『ゼロのルイズ』という単語を使ってルイズを囃し立てる様子見るに、ようやくその意味を理解できた。

恐ろしく低い魔法成功率――実際、『召喚』と『契約』以外の魔法を成功させていないので、実質0%の成功率を指してそう揶揄しているのだ。

ルイズは顔を俯かせ、その表情を読み取ることは出来ない。しかし、小刻みに震える手が、その胸の内を克明に表していた。

見ていられなくなったバッツは、ルイズを庇う様に生徒達との間に割って入る。

 

「なんだお前は?平民の分際で俺達に楯突くつもりか!?」

 

そういって脅しにかかるが、無言で睨み付けるバッツの威圧感に負けておずおずと引き下がる。幾多の死線を乗り越えた歴戦の勇士であるバッツが放つオーラは、温室育ちの貴族の子弟には耐え切れるものではなかった。

一睨みで生徒を静めたバッツの姿に、コルベールの目が鋭く光る。

最初に現れた時の鎧姿からして只者ではないと思っていたが、正直これほどとは思っていなかった。これまでくぐり抜けたであろう死闘の激しさがうかがい知れる。

これはやはり注意を怠ることは出来ない、と気持ちを引き締める。バッツの手に浮かんだルーンさえもまだ解明できていないのだ。

その存在が新たな混乱の火種とならぬように注意深く見守っていかなくてはならない。

 

 

その後はほぼ何事もなく一日が過ぎ、夕食等を終えてルイズの部屋に戻った。

ルイズは寝間着に着換え、無言のまま机に向かって授業の復習をしているようだ。実は午後の授業でバッツに助けられてから、ルイズはバッツと会話らしい会話を交わしていない。

部屋に妙な気まずさが充満する。バッツは自分に充てられたクッションの上で寛ぎながらも、事ある毎にルイズの様子を窺っていた。

 

「失望したでしょ」

 

いきなりルイズが切り出した。

 

「私の渾名、『ゼロのルイズ』の意味が良くわかったでしょ。メイジだ何だと言っても、ろくに魔法も使えない落ちこぼれが主人だなんて、ほとほと嫌になったでしょ」

 

こちらに顔を向けず、机に向ったまま捲くし立てる。

 

「私は落ちこぼれだから、『召喚の儀式』も失敗したの。使い魔も満足に呼べなくて、あんたみたいな平民を呼んじゃったの。わかってるのよ、あんたが帰りたがってるのくらい。あんただって人間だもん、帰る場所くらいあるわよね」

 

両手を強く握りしめ、机を強く叩く。

 

「でも、あんたは帰っちゃダメなの。あんたに居なくなられたら、私はどうしたらいいかわかんないんだもん。我儘なのはわかってるんだもん」

 

ただならぬ様子に、バッツは体を起こしルイズに近寄る。

 

「お笑い草よね、使い魔に庇われるメイジなんて」

「使い魔は主人を守るものなんだろ?」

「守られるのと庇われるのじゃ大違いよ」

 

ルイズは自嘲気味に笑う。

 

「少しでも魔法が使えるようになれるように、精一杯勉強したわ。他の人の何倍も、何十倍でも。でも一向に魔法は成功しない。もし、このままずっと魔法が使えなかったら……」

 

言葉に詰まる。バッツにすがる様にしがみ付くと、今まで抑え込んでいたものが一気に溢れ出て来るように言葉を続ける。

 

「私……私、貴族でいられなくなっちゃう。貴族じゃなくなったら、私はどうしたらいいの?ねぇ、教えてよ?貴族じゃなくなったら、私、どうやって生きたらいいの?ねぇ……?」

 

流れ出す涙を気にする事も無く、まるで子供のように泣き出す。

バッツにとっては突然の事であったが、ルイズにとっては何年も溜めこんでいた悩みなのだ。

物心付いた時からの劣等感。生まれて初めて「自分が魔法に関して落ちこぼれである」と自覚してからずっと心の中に巣くってきた暗い感情。

長年、誰にも相談する事も、打ち明ける事すら出来なかったこの思いの丈の全てを、昨日出会ったばかりの使い魔に打ち明ける気になったのは何故だろう。

なんのしがらみも無いから、気安かったのかも知れない。初対面でいきなり泣き顔を見せてしまったから、もう気負うところが無くなってしまったのかもしれない。

自分に一番近しい存在である使い魔に悩みを聞いて欲しかっただけなのかも知れない。或いは、あまり厚遇しているとはいえない自分でも、庇ってくれたのが嬉しかったからかも知れない。

理由は自分でもわからない。でも、話してしまった。一度口から流れ出たら、もう止められなかった。

 

 

バッツは、自分にしがみ付き、泣きじゃくる少女に掛ける言葉か見付からなかった。この少女の涙を見るのは昨日に続いての2度目だった。

この娘が抱える悩みは自分には理解できない。自分はこの世界の人間じゃないし、貴族なんてものでもない。

生まれてから今までの大部分時を旅を枕にして過ごしてきたバッツの心を縛るものは存在しない。

だから、貴族という立場に縛られて生きるルイズの心情を真に汲みとることは出来ないし、かと言って安い慰めの言葉を掛けられる雰囲気でもない。

何も出来ないバッツは、自分の唯一出来る事、即ちルイズの気の済むまで胸を貸すことにした。

 

低い嗚咽の声だけが部屋に響き渡る。いくらかの時が流れた後、ようやくルイズの涙は止まった。

ルイズの涙と鼻水で汚れたバッツの胸をみて、二人で笑う。

ひとしきり泣いて心が落ち着いたのか、ルイズからほんの少しだけ険がとれた気がした。

 

「あ~あ、なんでこんな奴にみっともないとこ見せちゃったんだろ。我ながら、一生の不覚ね」

「悩みくらいなら幾らでも聞いてやるよ。俺に出来ることがあれば、何だって協力するし」

「ありがと。ま、期待してないけどね」

 

そう言うルイズの顔は何処か晴れやかである。

 

悩みをぶちまけたものの、それで「魔法が成功しない」という現実が何か変わったわけではない。

しかし少なくとも、これからは一人で悩むことはなくなったのだ。素性もわからないこの使い魔であるが、少しは心の支えになってくれそうだ。

他の生徒を黙らせるくらいには役に立ちそうだし、魔法の練習にも付き合ってくれるかもしれない。

ふと、コルベール先生の言葉がよみがえる。バッツが来てくれたお蔭で、今これだけ心が軽くなれたのだ。それが先生の言う「良い未来」の一端なのかもしれない。

もっとも、普通の使い魔が来てたらこんな思いをする事も無かったのかもしれないけれど。



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第05話 服を買いに

ルイズとの交渉により、洗濯と掃除の役目は免除された。そもそも、学院勤めの使用人がやってくれる仕事なのだ。わざわざバッツがする必要がない。

ルイズとしても、主従をはっきりさせる為に扱き使う名目でしかなかったので、意外とあっさり取り下げてくれた。

強がっているようだが、根はそれほどねじ曲がっているわけではないらしかった。

 

朝日が昇る頃に起きて厨房で賄い食を頂く。その後ルイズを起こして、ルイズに伴われて食堂へ。食事中バッツは給仕を手伝い、終わったら一緒に授業に参加する。

昼食及び夕食は給仕の手伝いの後、食後の休憩時間を利用して手早く賄い食を厨房にて頂く。その間、ルイズは食堂で待っていてくれる。

夕食後はルイズは女生徒用地下浴場で、バッツは屋外の使用人用サウナにて汗を流す。大抵早く上がるバッツがルイズを待ち、合流したらルイズの部屋へ。

以上がバッツのトリステイン魔法学院での日常となった。

 

大したイザコザの無い学院での生活は、エクスデスとの激戦後の骨休めとしては申し分なかった。

レナ達の事は気になるが、この目新しい生活にも興味が尽きない。

なんだかこのままずるずると行きそうではあるが、取りあえずは暫くこのままで過ごす事にした。

エクスデスはもういないのだ。世界を危機に落とし入れるような事態がそうそう起こるなんて思えないし、思いたくない。

 

そんな事を考えながらも、平和な生活を満喫していた。

今までは旅から旅の毎日だったが、こうやって一所に腰を落ち着けるのも悪くない。まだ数日ではあるが。

こちらでの生活が始まってすぐ、バッツはこの国の言葉を習った。

駄目もとでルイズに教えを請うと、思いのほか快諾された。「自分の使い魔が字も読めないなんて恥ずかしい」というのが理由らしい。

文字自体は見た事のないものであったが、意外とすんなり覚える事が出来た。書き取りは未だ苦労するが、読み取りにはもう問題無い。

自分でも驚く習得速度であったが、ルイズによればそれも召喚魔法の効果なのだという。言葉が通じるのと同じ原理なんじゃないか?との事らしい。

なんにせよ、こちらで生活する上で不便が無くなるのは良い事だ。

それ以外にも暦、距離、通貨の単位も教えてもらった。

 

 

 

「明日、街に出かけるわよ」

 

こちらの世界に来てからの日数が両手では数え切れなくなろうかというある日、ルイズが突然言い出した。

 

「何しに行くんだ?」

 

この学院内での生活は、それほど不自由は無い。確かに娯楽性には欠けるが、それ以外には特に目立った不満も無い。

と、言う事は娯楽を求めて街へ繰り出すのか?サーカスや演劇でも興行してるのだろうか。

そういえば、今日の昼間にルイズ宛に届いた手紙を見てなにやらニヤ付いていたのを見たが、それが何か関係してるのだろうか。

 

「はぁ?あんたの為に行くに決まってんでしょ」

 

ルイズの口から意外過ぎる言葉が飛び出る。俺の為?それこそ何の為だかわからない。

キョトンとしていると溜息交じりにルイズが続ける。

 

「あんたの、そのみっともない格好をなんとかしなきゃなんないでしょ。その為に家にお金の無心したんだから」

 

どうやら今日読んでた手紙は実家からのものだったらしい。満足のいく金額を貰えたため、少し上機嫌だったようだ。

 

「でも親に何て言って金を送ってもらったんだ?」

「少し手のかかる使い魔を召喚しちゃったって書いたのよ。飼うために色々物入りだって具合にね。幸い、親元までは使い魔の詳細が伝わって無いから二つ返事でくれたわ」

 

飼うため、か。まるでペットだ。流石に親を説得する為の方便なのはわかるが、やはり釈然としない。

 

「街まではちょっと時間がかかるから、明日は早く起こして頂戴」

「何時頃だ?」

「そうね……日の出位が理想的ね。いつも起こしてもらう頃には出発したいから」

 

日の出頃か、丁度バッツが起きる頃だ。ルイズにそんな早く起きれるのかと心配すると、今日は早く寝るから大丈夫よ、と返ってきた。

 

 

 

翌日、いつも通り日の出の少し前に目を覚ましたバッツは、ベッドで眠るルイズに声をかけた。予想通りぐずるルイズを、少々強引に叩き起こす。

大あくびをしながら身支度を整えるルイズを残し、バッツは食堂裏の厨房へと向かう。

マルトーに今日は手伝えない旨を伝えると、休日くらいゆっくりすればいいと快く了解してくれた。

賄い食を二人分もらうと、トレーに載せてルイズの部屋へ向かう。

 

部屋ではルイズが準備を整えて待っていた。いつもの制服ではなく、乗馬服に身を包んでいる。その上にマントを羽織る姿は何だかちぐはぐで不格好だ。

 

「外出時もマントを着用するのは規則なんだから仕方ないでしょ」

 

とむくれるルイズも、その格好はあまり気に入っていないと見える。

二人で軽い朝食を摂ると、厩舎から馬を一頭借りて街を目指した。

 

 

トリステイン城下町は魔法学院から馬で約三時間。

トリステインの王国の中心都市である。王城を中心として広がる町並みは、なかなかに壮観である。

 

 

最近チョコボにばかり乗っていたから、久々の馬に尻が痛くなるバッツに対し、ルイズは慣れたもので平気な顔だ。

通りに面した仕立屋に入ると、主人が恭しく出迎える。

 

「これはこれはルイズお嬢様。本日はどのようなご用件でしょう?」

 

ルイズはこの店の常連だったらしく、店主の対応も慣れたものだ。

 

「今年の流行ものでしたら、このようなモノがお似合いかと……」

 

と幾つかの服を取り出そうとするのを制する。

 

「この男の服を幾つか仕立てたいの」

「こちらはルイズお嬢様の新しい召使で?」

「そんなものよ。見ての通り、こいつは服のセンスが壊滅的に悪いから、私に釣り合うくらいには洗練されたものにして頂戴」

「かしこまりました」

 

仕立屋に言われるまま、先ずは採寸をし、その後デザインの検討に入った。

店主の提示した最近の流行りの何点かの中から選ぶのだが、ルイズの選ぶのは悉く派手な物ばかりでバッツを困らせた。

 

「これなんてどう?」

 

そう言ってルイズが持ってきたのは、真っ赤な生地に同じ色の大きなフリルが縫いつけられたものだった。まるで踊り子の衣装みたいなそのセンスに唖然として言葉が出ない。

 

「じゃあこれならどうよ」

 

次に持ってきたのはパッと見、白無地のシャツだ。しかし、目を凝らすと全身が刺繍で飾り付けられているのがわかる。薔薇などの花が全身に散りばめられているのは着るには恥ずかしすぎる。

その後もルイズが選ぶの選ぶの、男物なのか女物なのか判別に困るような物ばかりであった。バッツに着せるというより、自分で着たいものを持ってきてるんじゃないかと勘繰るほどに少女趣味な物ばかりを選んで来る。

男だというのにフリルやレースの刺繍が散りばめられているような物は流石に勘弁して欲しい。色も赤や金の派手目なものしか選んでこないのも悩みの種だ。

 

一方のバッツが選ぶのはどれもこれも地味な物ばかりで、ルイズに一瞥されただけで却下される。

次から次へとデザインの注文が飛び出て来る状況に、流石の店主も引きつった笑いを浮かべてしまう。

 

小一時間に及ぶ激しい議論の末、ようやくデザインが決定した。フリルなどは全力で排除し、オーソドックスながらも品の良さが滲み出る物を選んだ。

ルイズの求める高貴(?)な雰囲気とバッツの求める飾り気の無いデザイン。その両方を満たす妥協点にたどり着けたのは店主の功績だった。

色は今着ているモノと同じ系統に落ち着いた。この点はバッツが一歩も譲らず、流石のルイズも折れざるを得なかった。

決定したデザインを元に少し手を加えてバリエーションを出したものを数点頼むと店を後にする。仕立て上がるのに一週間ほどかかるという店主の言葉に「一週間もこの冴えない格好のままか」と不満を漏らすルイズであった。

 

店を出ると、太陽は真上にまで昇りきっていた。まさか自分の服選びにこれほどまで時間が掛かるとは思いもしなかったが、ルイズの方はというと「早く終わって良かった」という顔をしている。

女性の買い物、特に服選びはえらく時間がかかるのは知っていたが、女性と一緒に服を選んでも同様に時間がかかろうとは……。

その後は、ルイズに連れられて更に靴などを買い揃えさせられた為、昼食をとったのはかなり遅れた時間になってしまった。

 

食事の後はバッツの希望により武器屋を見て回る事になった。見て回る、と言ってもこの街に武器を取り扱う店は一軒しかないのだが。

メイジ用の杖などの魔法具を取り扱う店は何件かあるものの、基本平民しか使わない武器は需要が無いとの事。

戦うのは貴族の仕事であり、大きな戦で平民が駆り出されるような事がない限り、そういった物に陽が当たらないのだ。

 

バッツの中のイメージでは武器防具屋というのは比較的町の中心にあり、重要な産業の一つであった。通りに面した立地の良い場所にあるのが常だと思っていたが、ここトリステインでは少し勝手が違っているようだ。

事前に調べておいたメモを片手に、ルイズは裏通りの方へと足を踏み入れる。華やかな表通りとは違い、どこか陰鬱な雰囲気の漂う狭い通りを更に裏の路地へと入って行った先に、目的の店はあった。

そこかしこにゴミが散乱している薄暗い路地に建つその姿は、武器屋というより違法な品物を取り揃える裏モノ屋といった方が近い。

 

店の中は昼間だというのに薄暗い。ランプが灯されているものの、かえってそれが不気味な雰囲気を醸し出している。

店内奥のカウンターに座る店主らしき男は、帳簿の類なのか、なにやら紙の束をしきりに読み返している。

暫くしてようやくこちらに気が付いたのか、厄介者でも見るような目つきでこちらを睨んでくる。

マント姿のルイズを見とめると、

 

「ここは貴族の方が来られるような所じゃありませんぜ。杖を御所望なら表通りで探してくだせぇ」

 

と、ドスの効いた声で牽制してくる。「客なんだけど」とルイズが腰に手を当てて言うと、主人は目を丸くして驚いた。

 

「こいつぁ驚いた!貴族様が武器を買いにくるなんて珍しい事もあるもんだ!こりゃ明日は雨だな」

「何がそんなに珍しいのよ」

「いやさ、お嬢さん。貴族は杖を振る事はあっても剣をお振りにはならんでしょうよ。もしそうなんだったら、ウチももっと繁盛してまさぁ」

「何か勘違いしてるみたいだけど、別に私が使うわけじゃないわ。使うのはコイツ。」

 

隣に立つバッツを指差して言う。すると主人も合点がいったのか、渋々ながらも腰を上げる。

 

「どういった物をお探しで?自慢じゃないが名剣秘剣もいくつか取り揃えてますぜ」

「武器のことは良くわからないわ。適当に似合いそうなの見繕って頂戴」

 

とルイズが言うのを聞き、主人の口の端が怪しく歪む。「それならとっておきのがありますんで」と店の奥に消えるのを見届け、ルイズがバッツに基本的な質問をする。

 

「あんたはどんな武器使うの?やっぱ剣?」

「大抵のものは扱えるかな。剣でも槍でも弓でも、斧だっていけるぞ。一番得意なのは剣だけどな」

 

主人が奥からなかなか戻らないが、その間に店内の武器を見て回る。色々な武器が取り揃えてあるが、そのどれもが今一つおざなりな扱いをされているように見える。

 

「何かめぼしいものあった?」

 

とルイズが聞いてくるが、流石に無造作に樽に突っ込んである物や壁に立て掛けられているだけの物の中には、コレといって目を引くものは無い。

暫くして、ようやく奥から戻ってきた店主の手には一振りのやけに豪華な剣が握られていた。

 

「最近は貴族様の中で、付き人に武器を持たせるのが流行りだそうで。そういった場合こういうのをお求めになる事が多いんでさぁ」

 

と主人が見せたのは細身の剣だった。ナックルガード付きのレイピアで、取り回しには便利そうだ。あちこちに金の装飾が施されている。

どう?という表情でルイズがこちらを見るので、試しに少し握ってみる。2,3度空を斬ったところで主人が感想を聞いてきた。

 

「どうでさぁ、なかなかの業物でしょ。携行にも便利だし、ウチじゃ一番の売れ筋なんだがね」

「細いのが少し不安、か。もっと太くて頑丈な剣があると良いんだけど」

「剣と人には相性ってもんがありやすぜ。お前さんくらい細い体じゃ、この程度の物がお似合いだと思うんだがね」

 

と講釈を垂れる主人に「いいから別の剣を持って来なさい」とルイズが言うと、憎々しげにこちらを睨み奥へ戻っていった。

再び現れた店主は、今度は抱える程の両手剣を持って来た。刀身の中央には色とりどりの宝石が埋め込まれ、ヒルトや柄頭にも豪華な装飾が施されている。

握りにも上質な布が用いられ、鏡のように磨き上げられた刀身と合わせて、見るからに高価な雰囲気を放っていた。

 

「ウチで一番の業物がコイツでさあ。かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿の手による逸品で、これほどの物はなかなか出回りませんぜ。少々値は張りやすが、それに見合うだけの価値は十分に有りまさぁ」

 

そう自信満々に解説されると、試し斬りがしたくなってしまう。しかし余程大切と見えて、試し斬りどころか触ることも許してくれない。

それじゃあ価値がわからないを説得すると、渋々ながらも持つ事だけは許されたが、試し斬りは絶対に駄目だと念まで押されてしまった。

垂直に立てると、柄頭がバッツの肩まで来る大剣をいとも簡単に構える。ふらつくでもなく、手慣れた様子でしっかりと腰を落として構える姿に、ルイズばかりではなく店主からも驚きの声が漏れる。

バッツはそんなに恵まれた体格をしているわけではない。どちらかというと痩せ気味に見える位なのだが、それは見た目だけで服の下には鍛え抜かれ均整のとれた体があるのだ。

所謂「脱ぐと凄い」という状態だ。

五分程度振り回して剣を主人に返す。

 

「どうよ、スクエアクラスのメイジ様の手による一振りですぜ。魔法が掛かけられてるから切味はお墨付きだ。これ以上の物にゃ、そうそうお目に掛かる事はねえってもんですよ」

 

自信満々に勧める主人の表情と対照的に、バッツの顔は芳しくない。

 

「この程度の物なら、要らないな」

 

バッツの口から飛び出した言葉に、主人の顔が凍りつく。

 

「『この程度』だと?仮にもスクエアクラスの造った業物なんだ、それをこの程度呼ばわりするなんて自分の力の無さを棚に上げて……」

「かーっかっかっ!とんだモヤシ野郎だと思ったら、なかなかどうして。剣を見る目だけは一端じゃねぇか」

 

主人の言葉を遮るように、店内に声が響き渡る。男の声だが主人の物でも、バッツの物でも無い。店内には三人しかいないが、それ以外の声が発せられたのだ。

 

「この店で売ってんのなんて、みんな見かけ倒しの飾りばっかよ。それを見抜けるなんて、ちったぁ腕に覚えがあんだろうな」

 

困惑しているのバッツとルイズの事などお構いなしに、謎の声は続ける。

 

「やいデル公!これ以上商売の邪魔するんだったらこっちにも考えがあるぞ!二度とその減らず口を叩けなくしてやろうか!」

「おもしれえ!こちとらこの世にも飽き飽きしてたところだ!望むところだ、やれるもんならやってみろってんだ!」

 

主人が店内の一角に向かって怒鳴りつける。するとその辺りからあの謎の声が返ってくる。何が何やらさっぱりわからない。しかし、誰かが隠れているような気配は無い。

最も誰か隠れているとしても、未だ姿を現さない意味がわからない。

 

「すいやせん、お客さん。直ぐに黙らせやすんで」

「一体何と喋ってるんだ!?」

「それは……、こいつなんでさ」

 

店主はそういうと、店内に置いてある樽の中から一振りの剣を取り出した。見た目は刀に似ている。それをスケールアップしたような大剣だ。

鞘に入っているものの、鍔の辺りが少し露出している。どうやら声はその隙間の辺りから聞こえてくるみたいだ。

 

「これって……インテリジェンスソード?」

 

ルイズが少し面喰って尋ねる。

 

「そうでさ。ホントならもっと高値を付けられるようなもんなんですが、いかんせん口が悪いのと見た目で中々買い手が付かなくって困ってやしてね。捨てようにも、呪われそうで捨てるに捨てられないのも悩みの種なんでさ」

 

そう言って主人が剣を鞘から抜く。成程、刀身は見事なまでに錆まみれで手入れに骨が折れそうだ。いや、研ぎ出しじゃ足らず、打ち直しが必要かもしれない。

 

「インテリジェンスソードって何だ?」

「意志を持つ魔剣の事よ。あ、魔剣って言っても禍々しいものじゃなくて、魔法によって色んな効果を付加された物の事よ。誰がやったかは知らないけど、こいつの場合は意志を与えられたみたいね」

「ほぉー、こっちの娘っ子は貴族のメイジか。少しは勉強してるようで結構結構」

 

ハバキの辺りの金具を口の用にカチカチと鳴らして剣が喋る。

デル公と呼ばれた剣を手に取って見つめるバッツの瞳に少年のような輝きがあるのに気が付き、ルイズに嫌な予感が走る。

 

「あんた、このボロ剣を欲しいだなんて言い出さないでしょうね」

「駄目か?」

「駄目に決まってるでしょ。大体、そんな使えもしない剣買ってもしょうが無いでしょ」

「手入れくらいはきちんとするさ。錆を落とせばまだ使えるかも知れないだろ?」

 

バッツが興味を示したのに気付いた主人は、これはチャンスとばかりに一気に畳みこむ。

 

「お客さん、こいつを引き取ってくれるんだったらお安くしときますぜ。但し、返品だけは勘弁してくだせえ」

 

返品不可というところに店主の必死さが伝わってくる。余程厄介払いがしたいのだろう。それならばタダにしてでも押し付ければいいようなものだが、そこは商売人根性が許さないのだろうか。

「どうせこの店にはこれ以外に買う物が無いんだ、これ一本くらい良いだろ?安くしてくれるって言ってるんだし」とルイズに耳打ちする。渋々と言った表情でルイズが店主に値段を聞くと、

 

「他の剣なら新金貨でも二百と言いたいとこですがよ、こいつなら五十で結構でさ」

 

思っていたより安い値段にルイズは気前よく支払う。正直、午前中に買ったバッツの服の総額と大差ない。

財布から金貨を取り出して主人に渡す。間違いなく受け取った主人は、厄介払いが出来て嬉しいのか上機嫌でこんなアドバイスもくれた。

 

「もしこいつが煩く感じたら、こうすれば一発で解決しまさぁ」

 

剣をガチンッと音のするまで鞘に押し込むと、剣は急に大人しくなった。さっきまでの喧噪が嘘のようで、これなら普通の剣と変わらない。

 

 

 

「何しやがんだ、あの野郎!ま、これであの辛気臭い面拝まなくて良くなるかと思うとせーせーするな」

 

店を出てから剣を少しだけ引き抜くと、とたんに喋り出す。

 

「しっかしおめーもよ、何が楽しくて俺みたいなボロっちい剣なんざ買う気になったのかねぇ。自分で言うのもなんだけど」

「喋る剣ってのが珍しくてさ。それに持った感じ、あの豪華な剣よりよっぽど造りが良かったしな」

「うれしー事言ってくれるじゃねぇか、気に入ったぜ。このデルフリンガー様がおめ―の相棒になってやるよ」

「デルフリンガーってのが名前か。俺はバッツだ。これからよろしく頼む」

「任しときなって。俺が相棒になったからには苦労させねぇよ、相棒」

 

デルフリンガーの早速の相棒呼ばわりに苦笑する。そんなやり取りを冷めた目で見ていたルイズは

 

「あんた、役に立たなかったら直ぐに溶かしてつっかえ棒にしてやるんだからね」

 

と言い放つ。まるでバッツと初めて会った時のような態度だ。あの時は面喰ったが、今では理解できる。口ではこんな事を言っいるが、本心から言っているわけでは無い。

勿論そんな事は知らないデルフリンガーは、その挑発ともとれる言葉に

 

「へっ、剣もまともに振れない貴族の娘っ子に俺の価値がわかってたまるかよ」

 

と喧嘩腰で返す。そんな様子に呆れつつ、バッツ達は帰路に付いた。

 

トリステイン魔法学院までは馬で三時間。門限に間に合うにはまだ日が高い時間に帰り始めなくてはならない。

往復で六時間も掛かる為、一日を買い物で潰しても実際に店で選んでいられる時間はあまりない。

チョコボならもっと早く帰れるのにな、なんてつい考えてしまうバッツであった。



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第06話 ギーシュの決闘

「ハァ~~生き返るねぇ」

 

砥石で研がれて、デルフリンガーがそんな声を上げる。風呂にでも入っているかのような台詞につい笑ってしまう。

まぁ、錆を落とす行為は人間が垢を落とすのと似ているのかもしれない。ならば剣にとっては気持ちいモノでも不思議では無い。

 

「それにしてもしつこい錆だな。中々落ちないぞ、コレ。一体どのくらい放ったさかれてたんだよ」

「あ~?良く覚えてねえなぁ。あの店に居たのはほんの二十年くらいだけどよ、その前はずっと他の店とか転々としてたからなぁ。ここ何百年かは碌に手入れしてもらった覚えはねぇな、よく覚えてないけど」

「何百年って……あんたそんなに古い剣なの?その割にはしっかりしてるじゃない。普通ならそんなに放っとかれたら先ず使い物にならないわよ。」

 

バッツが剣を研ぐ横で本を読んでいたルイズが会話に加わる。

「固定化の魔法でも掛けられてるのかしら?でもそうだったら錆びるのはおかしいわよね……」と何か考え込むようにブツブツと呟く。

バッツも同じことを考えていた。錆の厚さの割に、刀身はしっかりしている。普通、これ程までに錆びていたらもっと脆くなっていてもおかしくない。

しかしこのデルフリンガーは違う。錆の量こそ多いものの、それを感じさせないだけの丈夫さがまだ残っている。

正直、錆さえ無ければ十分に使用に耐えられそうな様子なのだ。勿論、錆さえ落ちれば、の話だが。

実はデルフリンガーを購入してから2日ほど経つのだが、未だに錆が落ち切らない。確実に錆は薄くなっているものの、まだ半分くらいだ。

 

バッツ達は今、昼食後の休憩時間を利用して学院内の中庭で研ぎ出しを行っている。

かなり多めに取られている休憩時間のお蔭でこうして作業することが出来るのだ。最初はルイズの部屋でするつもりだったが、猛烈に反対された。

この中庭には他にも何人かの生徒が居り、皆思い思いの場所で休憩をとっている。

屋外に設えられたテーブル席でお茶を飲む者、芝生の上で寝転がる者、使い魔と戯れる者とその過ごし方は様々だ。

バッツ達は他の生徒から離れた、水場に近い木陰で道具を広げて作業をしている。

気分の良い日はもう少し離れた場所、他の生徒たちから見えない場所でルイズの魔法の練習に付き合ったりしている。付き合うというよりはただ見ているだけなのだが。

今日は立場が逆で、バッツの剣を研ぐという物珍しい行為をルイズが隣で見ているのだ。

実はルイズが読んでいる本は、図書館で借りてきた刀剣に関する書物だったりする。デルフリンガーの来歴なんか調べる気はさらさら無いが、武器というものに少し興味が沸いたのだ。

デルフリンガーとやり取りしながら刀身を研ぐバッツの姿に、もし自分が錬金をまともに使えたらこんな事させなくて済むのかなとは思うものの、楽しげなその様子にそんな悩みは些細な物と気付く。

 

なんだか心穏やかに過ぎてゆく午後のひと時。

心なしか吹きすぎてゆく風さえも心地よい。

 

そんな穏やかな時間もあっけなく打ち破られた。

 

庭の中央辺りのテーブルから、大声が聞こえてきた。ドスの効いた低い声が当たりに響き渡る。

見れば、黒マントの女子生徒が紫マントの男子生徒に絡まれていた。テーブル席に座る女子生徒の顔には見覚えがあった。

 

「あら、モンモランシーじゃない。どうしたのかしら?上級生に絡まれるような娘じゃなかったと思ってたんだけど」

 

ルイズがそう言うのを聞き、バッツも漸く思い出す。名前までは知らなかったが、確かにルイズのクラスメイトの一人だ。

紫マントの方が何か喚き散らしている。何を喚いているのかと、野次馬根性でデルフリンガーを持ったまま近くへと向かってしまう。

「やめときなさい、碌なことにならないわ」と言うルイズも気になるのか、バッツと同じく足がテーブルへと向かう。

 

「ちょっ、ちょっと待てよ相棒!まだ研ぎが終わってねぇんだけどよ!」

 

そういうデルフの声は耳に届かない。

 

不思議な事に、騒ぎの中心たるテーブルの周りには人だかりが出来ていなかった。止めに入る生徒がいてもおかしくは無い状況のだが、皆一様に遠巻きに眺めるだけである。

遠巻きに、ヒソヒソと何事かを言っているだけだ。良くは聞き取れないが、恐らくは男子生徒への非難の言葉なのだろう。

あまり目立たないように、他の生徒達に混ざって騒ぎを眺める。すこし離れているが、この距離でも十分に話の内容は聞き取れる。

 

「お高くとまってんじゃねえよ、このガキが!折角この俺様が茶に招待してやろうってんだ、大人しく従ってりゃいいだよ!」

 

なにやら滅茶苦茶な主張を展開している。対するモンモランシーはすっかり怯えてしまっているようだ。

 

「あいつ、『鋼鉄』のリヒャルトじゃないか?また強引に女の子を口説こうとしているのか!?」

「はっ、ゲルマニアの成り上がり者が威張りくさりやがって。本国で親がどれだけのお偉いさんか知らないが、このトリステインでも同じように振舞いやがって……」

「野蛮な野郎だ!」

「いやだねぇゲルマニアの田舎者は。女性の口説き方も知らないと見える。あの女の子も可哀そうに、とんだ迷惑者に目を付けられたものだ」

 

周りで見物する生徒達から口々に文句が漏れる。しかし、誰一人として直接あの男子生徒に言おうとする者は居ない。

 

「この俺様に誘われるなんて光栄なこと断ってんじゃねぇよ」

「あ、生憎ですけど待ち人が居ますの。せ、折角の申し出ですけど、お断りさせていただきますわ」

 

モンモランシーは相手に威圧されてすっかり縮こまってしまっている。声も上ずっているようだ。

 

「この俺様より優先させるなんて、よっぽどの野郎なんだろうな?ええ?これでしょうもない三下だったらわかってるんだろうな?」

「さ…、三下かどうかは知りませんが、わ、私にとっては大切な人ですわ」

 

男の方が更に睨みを効かせてモンモランシーに顔を近づける。その様子は最早貴族というよりは荒くれ者だ。

そんな中、周りの観衆を掻き分けて二人に近づく影がある。巻き癖のついた短めの金髪に他の生徒とは違うフリルの目立つシャツを着た男子生徒だ。その男の顔にも見覚えがある。

 

「モンモランシー!何がどうなっているんだい!?」

「ギーシュ!ああ、良かった。来てくれなかったらどうしようかと思っていたわ!」

「僕にもわかるように説明しておくれ」

 

ギーシュと呼ばれた男子生徒、それもルイズのクラスメイトだった。モンモランシーと同じく、授業中に見かける顔である。

 

「貴様がこいつの待ち人ってやつか?えらく貧相ななりしてるじゃねぇか。こんな奴さっさと別れて俺と付き合えよ」

「何なんだあんたは。彼女が嫌がっているじゃないか。引くときに引く事が出来ない男は嫌われるぞ」

 

ギーシュがモンモランシーを背に庇うように男子生徒との間に割って入る。

 

「何だ貴様ぁ、上級生に歯向かおうってのかぁ?この俺様を『鋼鉄』のリヒャルトと知っているのか?」

「知らないな。例え知っていたとしても、レディに対しての口のきき方も心得ないような輩に上級生も何もないさ」

 

ギーシュが威勢よくリヒャルトと名乗る上級生に言い放つ。小気味の良い担架に周りから軽く拍手まで起こる始末だ。

 

「とにかく、彼女も嫌がってるんだ。大人しく身を引くのが貴族のたしなみってもんじゃないのか?」

 

周りからの拍手に後押しされてか、ギーシュが勝ち誇ったように場を纏めようとする。が、リヒャルトの方は腹の虫がおさまらない。

 

「貴様ぁ、ここまで虚仮にされたのは初めてだ!この落とし前はキッチリとつけてもらうからな」

 

リヒャルトが激昂して杖を抜き、ギーシュに向ける。

 

「決闘しようって言うのかい!?禁止されているの位は知っているだろう?」

「決闘なんて堅苦しいもんじゃねぇよ。『ゲーム』だよ『ゲーム』。負けた方が勝った方に服従を誓うだけの簡単なゲームだ」

「それじゃ決闘と変わらないじゃないか」

 

リヒャルトの口がいやらしく歪む。

 

「二対二でやるんだ、決闘じゃねぇよ。それとも『ゲーム』も出来ないような腰抜けなのか?」

「僕は腰抜けなんかじゃない!!」

「それじゃ決まりだな」

 

リヒャルトが満足げに杖を引く。その傍らには、いつの間にか小柄な男子生徒が立っていた。リヒャルトと同じく紫のマントを羽織り、白い大蛇を連れている。

 

「こっちは俺様とこのクリストフの二人だ。そっちは貴様たち二人でいいぞ。他の助っ人でも構わんがな。時間は午後の授業終了後、場所は『ヴェストリの広場』だ。逃げたきゃ別にそれでもいいが、逃げ出すような臆病者がこの学院にいるとは思わねぇがな」

 

そう言って挑発する。その顔は自分が負けることは無いといった自信に充ち溢れている。

 

「そういやぁまだ貴様の名を聞いてなかったな」

 

と、リヒャルトがギーシュに向かって言う。

 

「ギーシュ……ギーシュ・ド・グラモンだ」

「ハッ、威勢だけはいいな。ま、こいつは挨拶がわりだ」

 

そういうとリヒャルトは杖を抜き、ルーンを唱える。すると、足下の土が盛り上がり身の丈の倍はあろうかという黒光りするゴーレムが現れた。

手に巨大なハンマーを持ち、全身鎧のようないゴツイ姿は相手を威圧するには十分な威容である。

ゴーレムはいきなりハンマーを頭上高く構えたかと思うと、ギーシュとモンモランシー目がけて振り下ろされた。

正確には二人の前にあるテーブル目がけてなのだが、当然そんな事は判別が出来ないし、突然の事に硬直してしまっていて体が動かない。

「あっ」と言う間にハンマーは振り下ろされ。辺りに鈍い金属音を響かせた。

 

 

金属音……?

 

 

テーブルは木製だ。砕け散る事はあっても、金属音をたてることは絶対に無い。それならギーシュが何か金属の防護壁でも生成したのだろうか?しかしその可能性は低い。なぜなら、ギーシュは杖を抜く事すら出来ていないのだから。

それならこの金属音の発生源は一体何のだろうか?皆の視線がハンマーの先に注がれる。

ハンマーの先、ギーシュ達の前には一人の男が立ってた。青い質素な服に身を包む姿は、どう見ても学院の生徒ではないし、教師でも無い。……バッツだ。

あまり太いとは言い難いその両腕でゴーレムの巨大なハンマーを支えている姿は、なにか悪い夢を見ているようである。よく見るとハンマーと両手の間に一振りの剣が握られている。それが音を放っていたようだ。

いつの間にそこまで移動したのか、二組の間に割って入る様子に、ほんの今まで自分の傍に居たはずのルイスは目を白黒させる。

確かに自分と一緒になってこの騒ぎを傍観していたはずなのである。それが、いつの間にか騒ぎの中心に踊り出ている。目立つのが嫌とかそういう感情ではなく、単純にその素早過ぎる行動に驚くばかりであった。

 

「何だぁ貴様は。平民の分際で貴様も俺様に楯突こうってのかぁ?」

 

リヒャルトがバッツにまで噛みつく。が、バッツは動じない。

 

「どう見たってあんたが悪い。ここは大人しく引き下がれ」

 

ハンマーの力を逸らし、地面に叩き落とすとバッツはそう言ってリヒャルトと対峙する。ハンマーの落ちる衝撃が辺りに低く響き渡る。

 

「けッ。あ~あ、気分が削がれたぜ。ギーシュとかいうの、忘れんじゃねぇぞ」

 

そう言い残すとリヒャルトはクリストフを引き連れ去って行った。それに伴い周りの見物客も三々五々散って行った。

残ったのはギーシュとモンモランシー、そして彼らを知り心配する幾人かだけであった。

 

 

 

「それにしても小気味いい啖呵だったわねぇ、ギーシュ。で、あいつらに勝つ自信があるの?」

 

そう言うのはキュルケだ。所詮は他人事なので気楽なものである。他にも何人かクラスメイトがギーシュを取り囲んでいる。

 

「それにしても厄介な奴らに目を付けられたもんだなぁ」

 

そう言うのは小太りの男子生徒で名前はマリコルヌ。良く言えば温厚そうで育ちの良い、悪く言えば愚鈍な温室育ちといった風貌をしている。

 

「厄介って、何がだい?」

「ギーシュ、君は本当に知らないのかい?『鋼鉄』のリヒャルトって言えば、この学院でも1・2を争う荒くれ者なんだぞ?」

「生憎、僕は男に興味は無いんでね。僕の心にあるのは常に女の子達……もといモンモランシーの事だけさ」

 

そう言ってキザに薔薇を掲げる姿は、本当に女の子以外に興味が無いようだ。

 

「興味無いって……相手はラインとトライアングルのメイジなんだよ!?確かギーシュはドットだったよね。そんなんでホントに勝てるの?」

 

マリコルヌによれば、『鋼鉄』のリヒャルトの方が土系統のラインメイジであり、もう一人のクリストフという生徒、彼は『毒蛇』の二つ名を持つのだが、こちらは水系統のトライアングルメイジだというのだ。

よく二人でつるんでは『ゲーム』と称した決闘騒ぎを引き起こしているらしい。勿論、戦績は全勝無敗である。

そんな二人に対しギーシュは土のドットメイジであり、モンモランシーはそもそも決闘に向くような魔法が得意ではない。

相手に対し完全に格下のギーシュ達がこの『ゲーム』に勝てる確率は限りなく低い。むしろ何か奇跡でも起こらない限り勝つことは無いだろう。

駄目押しをするようにキュルケがマリコルヌの後に続く。

 

「あのリヒャルトっての、あたしと同じゲルマニア出身なんだけど、まぁとにかく本国でも評判が良くないのよ。あいつの家自体が金に物を言わせてのやりたい放題だし、良く思っている人間なんていないのよ。下手に地位があるもんだから、この学院の教師も手が出しづらいって訳。つまり、あいつは野放しなのよ」

 

お前もそうだろう、という周りからの言葉を気にもせずキュルケは涼しい顔だ。そもそも、自分の事は多少なりとも自覚しているキュルケをしてこうまで言わせるのだ。リヒャルトという男の素行の悪さがうかがい知れる。

素行が悪いだけならまだしも、本人がそれなりに強い力を持ってしまっているのが始末が悪い。その上、クリストフというトライアングルクラスが腰巾着として付き従っているのだ。

まさに我が物顔で学院内で闊歩するこの二人を快く思う者は、教師を含めこの学院内には居ない。

 

やいのやい騒ぐの生徒達の輪から少し離れたところでルイズとバッツは座っていた。午後の授業まではもう暫く時間がある。

 

「それにしても酷ーぜ、相棒。研ぎは途中で止めちまうし、挙句の果てにはあんなゴツイハンマーを受け止めさせるなんてよ。折れたらどうすんだよ、ホント」

 

不満を漏らすデルフリンガーに、バッツは謝ることしかできない。謝罪がわりにデルフリンガーの研ぎを再開しているが、

 

「折角相棒が出来たってのにいきなり折れたんじゃ、笑い話にもなんねぇよ」

 

と、デルフリンガーは完全に拗ねてしまっていて、中々機嫌を直してくれない。

そんな二人の横からルイズがバッツに質問を飛ばす。

 

「ねぇあんた、さっきは何時の間にあんな所まで行ったわけ?」

 

あんな所、とはギーシュ達の近くの事だ。確かに、誰もが微動だに出来なかったあの瞬間にバッツのみが的確に動き、二人を守る事に成功したのだ。

事前に近寄っていた、なんてことは無いだろう。そうであれば何かしら視界に入って気が付いているはずだ。しかしどう思い返しても、あの時はバッツが突然あの場に現れたのだ。

 

「ん?あぁ、『危ない』って思ったら自然に体が動いていたんだ。なんて事は無いさ。ただ、ああいう場面は君達より慣れているってだけで」

 

デルフリンガーを研ぐ手を休めず、そうバッツが答える。当たり前だと言わんばかりにさらりと答えるその姿に、ルイズは今更ながらこの男がタダ者ではない事に気付き始める。

メイジに対して一歩も引かない態度は、メイジの恐ろしさを知らないのか。はたまたメイジの事など意に介さないくらいの力を持っているのか。

 

「おーい、ルイズ」

 

突然、ルイズの名前が呼ばれた。声の主はギーシュだった。ルイズは何故自分の名前が呼ばれるかは分からないままに、しかし、取り敢えずは声の方へと歩み寄る。

 

「なによ、ギーシュ」

「突然で悪いんだけどさ、君の使い魔君を貸してもらえないか?」

「はぁ?」

 

話の内容はこうだ。『ゲーム』という名の決闘に向かうに、頭数が足りないのだ。モンモランシーに決闘なんてさせるわけにはいかない。

彼女が決闘向きで無い事も理由の一つではあるが、女性にあんな粗暴な男の相手をさせたくない、というのがギーシュの素直な気持ちだった。

『ゲーム』は二対二で行われる。でも他に一緒に出向いてくれるような者は誰も居ない。勝って得られる物は自分プライドが守られるくらいだが、負けて失う物が大きすぎる。皆及び腰なのだ。

そこで、ゴーレムのハンマーを受け止めたバッツに白羽の矢が立ったのだ。ドットメイジと平民の組み合わせだが、片やゴーレムをどうにか出来そうな可能性を秘めている。

そうなれば勝てずとも、相手の虚を突いて一矢報いる事が出来るかもしれない。

 

「まぁ、いいわよ。」

 

少しだけ考える素振りを見せた後、ルイズはあっさりと承諾した。ギーシュとしては渋られるのを覚悟していただけに、肩透かしをくらった気分だ。

呆け気味のギーシュをよそに、ルイズが今度はバッツに向かい直す。

 

「聞いたわね。このギーシュに協力して頂戴」

「何で俺が」

「クラスメイトが困ってるのよ。こういう時に助けてあげるのが貴族ってもんでしょうが」

 

なら自分でやれよ、という言葉を飲み込むバッツ。ただでさえ魔法が使えないどころか、他に格闘技も使えそうもないルイズがあんな奴らを相手にするのは流石に無理があるだろう。

それでも何とかしてあげようと思うのは感心する。それがルイズの友達思いの一面の表れなのか、それともただ単に貴族の建前からくるのかは判別しかねるが。

 

「やれやれ、困ったご主人様を持ったもんだ」

 

肩をすくめるのはこちらに来て何度目になるだろうか。この世界に来てからずっと、ルイズに振り回されている気さえする。

授業が始まる時間が近づいた事を知らせる鐘が響き渡る中荷物をまとめて、デルフリンガーと話しながら教室の方へと歩いていくバッツの後ろ姿を見つめるルイズ。

もしかしたらこの男の実力が分かるかもしれない。そんな期待がぼんやりと心に渦巻くのであった。

考えてみれば、自分の使い魔の素性すら知らないなんておかしな話だ。

でもこれでバッツの事が少しは分かるかもしれない。少なくとも、使い魔として選ばれた理由くらいはわかるだろう。

不謹慎にも放課後の決闘が密かに楽しみになってくるルイズであった。

 

 

 

同じ頃、学園の中央にそびえる本塔内の図書館奥深くに一人の影があった。年の割に薄くなった頭が最近気掛かりな、コルベールその人だ。

ここ数日は授業の受け持ち無い時間を全て、この図書館で書物を漁るのに費やしている。バッツの左の手に浮かんだ謎のルーンを解明するためだ。

取り敢えず手近な所から探し始めたが、一般生徒が閲覧できるような書架には満足いくような資料は無かった。これはある程度予想していた事ではあったが。

その次に向かったのは教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』だった。ここは教師専用という事で、一般書架とは収められている書物の内容も量も年代も段違いな物ばかりだ。

片っぱしから本を漁るものの、中々満足のいく内容の本は見つからない。もうこうして本を漁る作業は何日目になっただろうか。

一人黙々と書物を読み進めていく。

既に目ぼしい物はあらかた読み終わったが、まだ謎のルーンのヒントすら手に入っていない。

流石に何時間も同じ作業を続けていると飽きて来る。全く結果が伴わないのが余計疲れに拍車をかける。

集中力が途切れてしまったので何か気分転換をしようかと思い立つが、なにぶんここは図書館の最深部、本以外には何も無い。

一旦外に出る事も考えられたが、再びここまで入ってくるのには少々手間が掛かる。

 

何をしたものかと、ふと顔を上げると一冊の本が目に留まった。

 

周りの本に比べ明らかに古ぼけた外装のその本は、異様な存在感を放っていた。その本の題名は『始祖ブリミルと使い魔たち』。文字通り始祖ブリミルとその使い魔の事が記されている。

同じような内容の本ならそこら辺にゴロゴロしており、特に目を引くような内容ではない。

しかし、何か気になるところがある。先ず第一に、この図書館に於いてこれほど古びた本が存在するという事自体が不自然である。

この図書館の蔵書はほぼ全て『固定化』が掛けられており、その呪文の効果により劣化することは殆どない。まあ、『固定化』自体が永遠不滅の効果を持っているわけではないので、一度『固定化』を施しても百年単位で劣化することは大いにあり得る。

しかしながら、ここ魔法学院では書物の保存のために数十年に一度は全ての蔵書に対し『固定化』を掛け直しているのでそうそう劣化なんかしない。

とすると考えられるのは、この本がこの図書館に来た頃には既に古ぼけていたか、『固定化』の魔法では劣化が抑えられない程に昔の書物なのか。

二つ目に気になるのは、記載されている文章の字体が余りにも古いものだという点だ。コルベール自身に古代文字の知識があったからなんとか読めるものの、そうでなければ内容の理解の前に文字すら読めない。

内容としては、始祖ブリミルについての記載があり、続いて使い魔それぞれについて書かれているだけの単純なものであった。

書いてある事もありきたりの事ばかりで、この本が古いという点以外になにも目ぼしい記述は見当たらない。

 

また外れを引いたかと思ってページを捲ると、次は一番目の使い魔についての項目だった。

正直、始祖やその使い魔については、お伽噺や昔話など民間伝承の類を通じてこのトリステインに住む者ならば知らない者など居ない。何もこんな本で教わらなくても、十分に知られているのだ。

最初にこの本を手に取った時程の期待感も無く、ただなんとなくページを進めていったコルベールの目に思いがけない物が飛び込んでくる。

 

それこそまさに探し求めていた物、つまりは謎のルーンについての記述だった。

全く意外な事に、あの平民の男に宿ったルーンは、始祖に付き従った伝説の使い魔の物と一致したのだ。あわてて書き写したスケッチと見比べる。

間違いない。あの謎のルーンの正体は伝説の使い魔のものだ。なぜ「満足に魔法も使えないメイジが召喚した平民」なんて規格外れもいい所のモノにこのルーンが現れたのか。

原理も理由も分からない。ただ一つだけ明らかなのは、あの男は伝説の使い魔と同じ力を持っている可能性があると言う事だけだ。そしてそんな使い魔を召喚した生徒もまた、始祖ブリミルに関わる何かを持っているのかもしれない。

大変なことになった。

これはもう自分一人でなんとかできる問題では無い。慌てて学院長に相談に行こうとするコルベールの目に、気になる一文が飛び込んできた。

 

『神の左手ガンダールヴ。始祖を守りし最強の剣にして楯。その力幾万の軍団にも劣る事は無い。最も忠義に堅き始祖の剣。最も勇敢なる孤高の戦士。そして最も優しき慈愛の勇者。しかし奴を信用してはいけない。奴こそは最悪の裏切り者にして最大の敵なのだから』



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第07話 ゲーム

学院の中央にそびえ建つ、ひときわ高い塔の最上階にこの学院最高責任者の部屋がある。

部屋の真ん中に据えられたテーブルに腰掛ける老人こそが、トリステイン魔法学院の長であるオスマン氏だ。

長い白髪と口髭、そして顔に刻まれた深い皺が彼の波乱万丈の人生を物語っている。一説には百歳とも二百歳とも言われる彼の実年齢を知る者はいない。

もしかしたら本人でさえ既に忘れてしまっているのかもしれない。

本名も知る物はおらず、皆「オスマン氏」または敬意を込めて「オールド・オスマン」と呼ぶ。

トリステインでも指折りのメイジである彼の部屋には、もう一人の人物がいた。

コルベールである。

図書館での発見の報告にやって来たのだ。

 

「それでコルベール君、君はあのヴァリエールの末娘が召喚した平民が、伝説にある始祖の使い魔だというのじゃね?」

「正確には、始祖の使い魔の内の一人、『ガンダールヴ』と同じ力を持っている可能性があります」

 

オスマン氏の問いに、コルベールが神妙な面持ちで答える。

 

「『ガンダールヴ』とはのぅ……。流石にワシも伝承で語られる以上の事は知らん。始祖を守る為に、たった一人でも幾千の軍勢に怯まず戦い続ける事が出来るとか、あらゆる武器を使いこなせるとか、何れも俄かには信じがたい内容ばかりじゃからのぅ」

「仰る通りです。伝承とは長い年月の中で誇張が繰り返されている物ですから、流石に一人で軍隊に匹敵する働きは出来ますまい。」

「しかし別の伝承では、ガンダールヴは長すぎる『虚無』の呪文詠唱の間の無防備な始祖を守るための使い魔、ともある。『虚無』の呪文がどれ程までに長大なのかは知る術は無いが、護衛が必要なくらいには長かったのじゃろう。その間、始祖は自分の身を預けるに足る存在としてガンダールヴを生み出したのじゃろうな」

 

呪文詠唱中のメイジとは無防備な存在である。呪文の完成に全身全霊を込めなければならず、その他の事に気を配る余裕など一切無い。それはどんな熟練者でも変わる事は無い。どんなに研鑽を磨いたとして、同じ呪文ならば多少早く唱え終わるくらいが関の山。

それゆえ、現在の魔法の多くはルーンの文法整理や圧縮言語の多用等により、出来うる限り呪文を短くしている。それも始祖が現在の魔法の基礎を築いてから六千年かけて洗練され培われたものだ。

始祖ブリミルの生きていた時代の魔法がどのような呪文を必要としていたかを詳しくは知ることはできないが、少なくとも今現在の物よりは長い物だったのだろうと予想するのは難しくない。

その中でも一際長かったと伝えられる『虚無』の呪文。それは完成までにどれ程の時間を要したのだろうか。数分か、数十分か、はたまた数時間か。とにかく、その間始祖の体を完全に守り抜けるだけの力を与えられた存在、それが『ガンダールヴ』なのだ。

ある意味、最も使い魔らしい使い魔とも言える。

 

「もうひとつ気になる部分があります。ガンダールヴはその力を振るう時、左手に刻まれたルーンが光り輝くらしいのです。これは他の文献には無い記述です」

 

コルベールが本を開き、該当箇所を指し示す。本の内容は古い文字で書かれているものの、そこは学院最高のメイジであるオスマン氏である、さほど苦労もせず読み上げる。

 

「光る左手のルーン、か……」

「左様。そして『光る左手』という文言に何か聞き覚えがあるとは思いませんか?」

 

オスマン氏の呟きに、コルベールが意外な質問を投げかける。ガンダールヴの事は、言うまでも無くトリステイン生まれの者ならば貴族平民の別無く知らぬ者はいない。

しかし、それだけにそこから更に連想される物というのは中々思い浮かばない。オスマン氏はコルベールの問いの意図が汲み取れず、しばしの間考え込む。

始祖と関わりがあり、使い魔で、更には左手が光る……?いや、光る左手で剣を振るう者と考えた方がいいのか?

光る左手……剣を手に戦う、勇ましい者……勇者……勇者??

 

「勇者!『イーヴァルディの勇者』!!」

 

突然、オスマン氏が声を上げた。辿り着いた答えは余りにも意外で、余りにもあり得ない物であったからだ。

 

「その通りです。『イーヴァルディの勇者』、それがこの文献にある伝説の使い魔『ガンダールヴ』と奇妙な符号の一致を見せるのです」

 

『イーヴァルディの勇者』、それはこのトリステインで最も人気のある御伽噺の一つだ。右手に長槍、左手に剣を携えた戦士が竜や悪魔などの怪物と戦う冒険活劇だ。

単純明快で爽快感のある勧善懲悪の物語は子供に大人気なのである。

実は『イーヴァルディの勇者』と一口にいっても単一の作品ではない。様々な作者による同一の題材を扱った一連の作品群の事を指す。同一の題材とは、先述の武器を両手に携え『始祖の加護』を受けた非メイジの戦士の事だ。

主人公となるのは男の時もあるし女の時もあり、年少者である事も年配者である事もある。作者や成立年代によって主人公像は様々だが、『始祖の加護』の元、悪と戦うという設定は一貫している。

その中で最も重要な描写であり、今回問題とされているのが“戦闘に際して、イーヴァルディの左手が光り輝く”という部分だ。

何故左手なのか?何故闘いの時のみ光り輝くのか?そして何故その描写が今回発見された文献にある始祖の使い魔『ガンダールヴ』と合致するのか。

 

「ううむ……」

 

オスマン氏が唸る。

 

「もしも、じゃ。もしも仮に『イーヴァルディの勇者』が伝説の『ガンダールヴ』を元に創られているとして、何故その人物像が話によってあれ程まで見事にバラバラなのじゃ?」

「恐らくは、その大半が『イーヴァルディの勇者』自体を元にした創作だからだと考えられます。つまり本当に『ガンダールヴ』の事を描いているのはほんの一握りで、多くはそれを下敷きにした完全な作り話ではないかと推測されます。或いは、最悪の場合……」

 

コルベールが言葉を濁す。

 

「最悪の場合、その数だけ『ガンダールヴ』が存在していた、という事……か」

 

考えたくない、といった表情でオスマン氏がコルベールの言葉に続ける。

始祖がこの世に降臨してから六千年経っているのだ。その間に今回のようにガンダールヴのルーンを宿した使い魔が存在していても、可能性としては無いとはいえない。

そのどれもが人間であったと考えるのは難しいが、もしかしたらガンダールヴは人間にしか宿らない特性を持ったルーンという可能性も考えられる。

そもそも、今回発見された文献が事実を伝える物かどうかも分からないのだ。

ただ「古い」という事はわかるものの、その内容が正確かどうかは知る術が無い。しかし、長い時の中で故意かどうかは分からないが削ぎ落されてしまった記述がある。

 

「『固定化』の影響下にあってもこれ程迄に傷みが激しいという事は、かなりの年月が経過している事が考えられます。最初に『固定化』を施された時点で既に傷んでいたという可能性も考慮に入れなければなりませんが、使用されている文字や書体などから推測するに少なくとも三~四千年は昔の物と考えられます」

 

二人の間に流れる空気が重い。もしこれが本当に『ガンダールヴ』のルーンであるのならば、それは何を意味するのか。

始祖が没してから六千年の時を経て、現代に降臨した伝説の使い魔。それはただの偶然なのか、それともこれから起こる未曾有の異変の前触れなのか。

 

「彼の者が本当に伝説の使い魔かどうか、それはこれを見れば何か糸口が掴めるかもしれんの。全く、留学生という立場を逆手に取った無法ぶりにも、今回ばかりは感謝せんといかんかの」

 

そんなオスマン氏とコルベールの傍らには大きな姿見のような鏡が置かれている。しかしその表面には室内の様子は映っておらず、その代わりに学院内の一角が映し出されていた。

ギーシュとリヒャルトの決闘の場である。既に生徒の人だかりが出来ており、その輪の中心で二組の生徒が睨みあっている。

 

「『学院内での決闘は、如何なる場合に於いてもこれを固く禁じる』という規則も有名無実となっておるのも事実じゃが、それでも堂々と違反されるのはあまり気分がよくないのう」

 

とオスマン氏が不満を漏らす。魔法学院はトリステイン国内ではそこそこ大きな権力を持つものの、それは国内での話。一歩国外に出てしまえばその威光は何の意味もなさない。

だから、留学生に対してはある程度の強制力は持つものの、下手を打てば外交問題にもなりかねないのであまり強硬な姿勢には出られないのだ。

そこに付け込んで好き放題するレイモンドのような例も稀に現れる。もっとも、大半の留学生は大人しいものなのだが。

 

「『ガンダールヴ』の実力がどれ程の物かは分からん。だが、相手はトライアングルにラインじゃ。万に一つでも勝つような事があれば、その時は認めざるを得んのう」

 

自慢の長い白髭を触りながらのオスマン氏の言葉には、大きな不安とわずかな期待とが渦巻いていた。

 

 

 

 

日差しも傾き始めた長閑な午後、学院内の一角である『ヴェストリの広場』は異様な緊張に包まれていた。

百人は下らない人だかりが、二組の人物を囲んで輪のようになって集まっている。中心に立つのはバッツとギーシュ、リヒャルトとクリストフの二組四名だ。

 

「逃げずに来た事だけは褒めてやろう。てっきり怖気づいてるもんだとばかり思ってたんだがな」

 

最初に切り出したのは『鋼鉄』のリヒャルトだ。不遜な笑みを浮かべ完全に相手を見下した態度が、絶対に負けることは無いだろうという自信を窺わせる。

対するギーシュからは余裕が感じられない。当然だろう、自分はドットであるのに対し、相手はラインとトライアングルという完全に格上なのだ。

その隣ではバッツが飄々と佇んでいる。ギーシュからしてみれば、今の状況がよく呑み込めていないお気楽な態度にしか映らない。

ちらりと周囲の観客に目をやると、モンモランシーをはじめクラスメイトも何人か見受けられる。キュルケやデルフリンガーを抱えたルイズもいる。

 

 

時は少し遡る。『ゲーム』開始の少し前、作戦会議中の事だ。

ギーシュとバッツがお互いの役割について話し合っていた。

なんとしてもリヒャルトを自分の手で叩きのめしたいギーシュは、リヒャルトの相手をメインに据えることを熱望した。そこには、トライアングルメイジを相手にするより、ラインメイジの方がまだ幾分勝機があるという心積もりも含まれている。

しかしバッツは相手の力量どころか、ギーシュの実力さえも知らない。授業中の態度からだけでは流石に推し量ることは不可能だ。だから、

 

「君は何が出来るんだ」

 

というバッツの質問も当然の事だ。ギーシュはやや顔をしかめたものの、バッツが使い魔として召喚されてからまだ余り日が経ってない事を思い出し、渋々と答える。

 

「僕は二つ名の通り、青銅のゴーレムを生成して戦わせる事が出来る。もっとも、僕の場合はゴーレムなんて無粋な名前じゃなくてワルキューレと呼んで欲しいけどね」

 

さらには日に七体まで生成できるという。一体一体の戦闘能力がどれ程のものかはわからないが、巧く使えば勝機も見出せるかもしれない。

 

「反対にこちらからも質問させてもらうが、君はどうやって戦うつもりなのかい?まさかあの錆だらけの剣で戦うつもりじゃあないだろうね?」

 

ギーシュがデルフリンガーを指差して尋ねてくる。

 

「いや、今回はまだ使えない。研ぎもまだ終わってないし、何より試し斬りも未だなんだからな」

 

隣からデルフリンガーの非難の声が聞こえてくるが、気にしない。さっきは手元にデルフリンガーしかなく、咄嗟に使ってしまったが本来は未だ使える状態ではない。

折角買ったばかりの喋る剣なんて面白いものを壊してしまいたくはないのだ。

じゃあどうやって戦うのか、と傍にいたルイズから質問が飛ぶ。少し悩んだ後、バッツは逆にルイズに選択をさせた。

 

「凄く良く切れるけど見た目が凄まじく地味な剣と、そこそこの威力で見た目が派手な剣、どっちがいい?」

 

手持ちの剣の中からピックアップしたのはこの二種類だった。正直な話、さっき攻撃を受け止めた際にゴーレムの硬さには大体見当がつけてある。

せいぜい学生同士の小競り合いと、そこまで深刻な戦いにならないと予想したバッツは、武器の選択をルイズに任せるという遊び心を加えてみたのだ。

 

「地味なのと派手なのじゃ、派手なのが良いに決まってるじゃない。それであの二人をギャフンと言わせてやりなさい」

 

ルイズは即答した。その答えを受けて、バッツは道具袋から二振りの剣を取り出す。小さな袋から剣が二本も出てくる様に少し驚く一同だが、各々の中でそれなりの理由を考えたのか、シエスタのように仰天するようなころはなかった。

取り出した剣の刀身はそれぞれが燃えるような紅い色をした物と、凍るような冷たい青色をした物だった。

 

「これは?」

 

とルイズが興味深々に訊いてくる。そういいながら刀身に触れようとしたので、慌ててそれを制した。

 

「これは『フレイムタン』と『アイスブランド』だ。見た目の通りの剣だから、危ないから刀身には触るなよ。火傷とかしたくないだろ?」

 

何故剣に触れただけで火傷しなければならないのか、バッツは細かく説明はしない。不思議には思うものの、妖しく輝く刀身を見ているとそれがまんざら嘘ではない様な気がしてくる。

“見た目通りの剣”という言い回しも少し気になる。そういえば、剣に手を近づけると若干気温が変化しているようにも感じられる。

 

「こんな剣を持ってるんだったら、わざわざあのオンボロ剣を買うことはなかったじゃないの」

「誰も『剣を持ってないから買ってくれ』なんて言ってないだろ?俺は武器屋を見て回りたいと言っただけだ」

 

ルイズの軽い非難も何食わぬ顔でサラッと受け流す。オンボロ呼ばわりされたデルフリンガーは気分を悪くしたようだが、それがルイズの性格と分かり始めているのか特に何も言わない。

二振りの剣を腰に下げると、それでもう準備は完了だ。特に防具を付ける事も無い。第一、学生同士の喧嘩に全身装備を固めて挑む事もあるまい。これで十分だ。

もしもの時の為に、道具袋の中の回復アイテムの数だけ確認しておく。エクスデス戦でかなり消耗したものの、予め大量に揃えていたおかげでまだ在庫は十分にあった。

 

「それと」

 

コホンっと軽く咳払いをしてルイズがおもむろに切り出した。

 

「今月分の残りのお小遣い、あんた達が勝つ方に賭けたから、負けることは許されないわよ。サラマンダーよりは役に立つっていうあんたの実力、たっぷりと見せてもらうわ」

「賭けって……おい、聞いてないぞ」

 

なんでも、リヒャルトがこの『ゲーム』をする時には同時に賭けが行われるのが通例らしい。もちろん賭け事も校則で禁じられてはいるが、そもそもそんなものを守るような輩ではない。

最近はリヒャルトの勝ちが見え見えで、賭けが成立するギリギリの状態らしいが。

 

「あたしもクラスメイトのよしみであなた達に賭けてあげたんだから」

 

キュルケもこちらに賭けたらしい。本当はどちらが勝っても損が無いように賭けるという抜け目のない事をしているのだが、もちろんそんな事はバッツ達には分からない。

 

「これじゃ更に負けられなくなったじゃないか!全く、こんなに皆から激励されて嬉しくて涙が出て来るな」

 

ギーシュが皮肉交じりに弱音を吐く。

 

「でも大丈夫だよ、僕のモンモランシー。君を困らせる奴はこの僕が必ず後悔させてやるんだから」

 

弱音を吐きつつも、モンモランシーにアピールする事は忘れない。その根っからの色男ぶりには半ば呆れながらも感心してしまう。

 

 

 

そういった経緯もあり二人は『ゲーム』の場へと赴いた。

ルールは簡単だ。相手の杖を叩き落すか、降参の意を示させれば決着が付く。

ギーシュにしてみれば、勝算はあまり無い、しかし負けられない闘いだ。モンモランシーにちょっかいを出したのは許せないし、自分の意地もある。臆病者呼ばわりされて引き下がっていては貴族としての、男としての沽券に関わる。

 

 

しばしの睨み合いが続いた後ギーシュとリヒャルトが一斉に杖を抜いた。開始の合図だ。

それと同時にバッツがクリストフに向かって駆け出す。右手にフレイムタンを、左手にアイスブランドを握っている。

突然、バッツは何かに吹き飛ばされた。見えない壁にぶち当たったかのような感触である。それが風系統の呪文『エア・ハンマー』である事に気付くのにしばらくかかった。

見えない攻撃、しかしバッツは怯まない。巧く受身を取ったバッツは再びクリストフ目掛けて走り出す。

冷静に観察すれば、攻撃自体は見えないものの相手の杖の動きで仕掛けて来る大体のタイミングは掴める。

所詮は学生、威力自体は高いが攻撃方法になんの捻りも無い。攻撃の間隔も単調で一度コツを掴んでしまえば、避けるのはわけない。

エア・ハンマーが効かないとわかると、すぐさまレイモンドは攻撃方法を氷の槍『ジャベリン』に変更した。

しかしそれも余り効果を成さない。連続して飛来する氷の槍を、バッツは両手の剣で巧みに叩き落とす。右手の剣は炎の尾を引きながら氷の槍を溶かし、左手の剣は更なる凍気で砕く。

 

一方、ギーシュとリヒャルトの二人が同時にゴーレムの生成にかかる。リヒャルトは先ほどと同じ巨大な鋼鉄のゴーレムを、ギーシュは人間大の大きさで甲冑を纏った女戦士の姿をしたワルキューレを出現させた。

ゴーレムはギーシュの方が一足先に組み上がるものの、距離を詰める間に相手にも完成されてしまった。

リヒャルトのゴーレムのハンマーと、ギーシュのワルキューレの剣が交差する。力はリヒャルトのものの方が強いのか、ギーシュのワルキューレは押し負けてしまう。が、持ち前の機動性で力の無さをカバーする。

装甲もギーシュの方が幾分劣っている。ワルキューレの攻撃は相手に中々ダメージを与えることはできないが、相手の攻撃は一つでもまともに食らえばワルキューレは粉々に砕けてしまうだろう。

相手を速度で翻弄しながら、攻撃を加えていく。一見するとギーシュの優勢にも見えるが、一撃でも喰らえば即アウトなギリギリの攻防が続く。

 

いくら斬撃を加えても一向に相手に効いている気配がない。所詮ドットの造り出した青銅の武具ではラインの造る装甲は貫き通す事は出来ないのか。

ギーシュに焦りが出始める。その焦りがワルキューレの操作ミスに繋がり、致命的な隙を作り出してしまう。

その隙を見逃すはずの無いリヒャルトが、重い一撃を繰り出す。

予想通りギーシュのワルキューレは一撃で粉微塵に砕け散る。

眼前に迫る鋼鉄のゴーレム。今からワルキューレを作りだしても間に合わないし、間に合ったとしてもまた一撃で粉砕されてしまうだろう。

しかし諦めることは出来ない。一縷の望みを掛けてワルキューレを作り出すギーシュに、鋼鉄のハンマーが迫る。

 

突然、目の前の巨大な影がぐらついた。何がなんだか直ぐには理解できなかったが、良く見ればゴーレムの頭から真っ赤な剣が生えていた。

バッツがギーシュを救うために投げたのだ。

よろめいた隙にギーシュがワルキューレを完成させ、一気にゴーレムに飛び掛る。狙いは頭に刺さったフレイムタンだ。

フレイムタンを握ると、一気に振りぬく。ギーシュの狙いは図に乗り、まるで粘土細工のように鋼鉄のゴーレムが両断される。その様は白昼夢でも見ているかのようだ。

 

ギーシュの作り出す剣では相手のゴーレムに傷を負わせることは出来なかった。しかしバッツの投げたこのフレイムタンはいとも簡単に突き刺さり、おまけにヨロケさせたのだ。

運よく状況を正確に把握できたギーシュはこのわずかな可能性に賭け、そして賭けに勝った。

相変わらず防御力では及ばないものの、取り敢えずは相手に通用する武器を手に入れることに成功した。互角ともいえる状況を手に出来たギーシュは、さらに二体のゴーレムを造りだすと、一気に攻勢に出た。

二体を撹乱に用い、残った一体がフレイムタンで攻撃を加える。一見すると単調な攻撃のようだが、青銅の武器も致命傷にはなりにくいというだけでダメージ自体はある。

おまけにギーシュは追加したワルキューレの武器を刃物からハンマーなどの打撃武器に変更していたため、少しは有効性が上がっている。

それに如何に撹乱用と見え透いていても放っておけばリヒャルト目掛けて突進してくる。嫌でも相手しなければならない。

ドットメイジがラインメイジを押している。この信じられない状況に場の雰囲気は一気に盛り上がる。

 

このまま一気に畳み込むかと思われたが、異変が起こった。

 

まず最初に異変が現れたのはバッツだった。フレイムタンを投げ、アイスブランド一本になっても変わらずに氷の槍を叩き落していたが、その動きが急に鈍くなった。

手足に軽い痺れが走り、剣を振るうのが億劫になってきたのだ。まだそんなに疲れるほど戦ってはいない。しかし、体の動きは不自然なまでに遅くなってきている。

それでも何とか身をよじって攻撃を避けつつ、状況の打開のための知恵を絞る。

相手が何か新たな魔法を使った気配はない。クリストフは相変わらず氷の槍を放ってくるだけだ。

後方で金属の砕ける音がしたのでそちらへ振り向くと、さっきまでは優位に立っていたはずのギーシュのワルキューレが次々と砕かれている。

見れば、ギーシュも膝をつき苦しそうに喘いでいた。杖を落とすまいと懸命に両手で支えているものの、満足にワルキューレを操作できていない。

ギーシュに気をとられ過ぎて、バッツは左肩に氷の槍を喰らってしまう。氷の塊は深々と突き刺さり、出血が激しい。更にはエア・ハンマーでの追撃を受け、ギーシュの傍まで吹き飛ばされてしまう。

青色吐息ながらも、ギーシュはバッツの心配をしてくれる。

 

「その左肩は、大丈夫……なのかい?」

「ああ、少し油断しただけだ。でも、こうしておけば大丈夫」

 

そういって道具袋から液体入りの瓶を取り出すと、中身の半分を傷口にかけ、残りの半分を口に含んだ。何度か左腕を動かすと、まだ痛みが残るが何とか戦闘に耐えるだけには動くようになった。

だが未だ手足の痺れは取れない。

 

「それにしてもいきなりどうした。さっきまではフレイムタンを使って優勢だったじゃないか」

「僕にも良くわからない。突然吐き気を催したと思ったら、あっという間に体が上手く動かなくなったのさ。今じゃ杖を落とさないようにしてるので精一杯だよ」

 

敵はこちらに攻撃を仕掛けてこない。まるでこちらが苦しんでいる状況を楽しんでいるようだ。

相手のその趣味の悪い嗜好が今は有難い。少しでも時間を稼いで何とか体勢を立て直さなくては。それにはこの謎の体の不調をどうにかしなければいけないが、いかんせん原因が不明だ。手の打ちようがない。

実は、これはクリストフが予め作っておいた毒薬を風に乗せてバッツ達に吸わせていたのだ。相手に気付かれないよう、それとなく風を操るのはクリストフにとっては造作も無い事。今までの『ゲーム』に於いても幾度となくこの手を使用し勝利を収めてきたのだ。

手の打ちようはないが、何もしないわけにもいかない。とりあえず道具袋から小瓶を二つ取り出すと、一つをギーシュに渡す。

 

「何だい?これは」

「毒消しだ。気休め程度には効くだろう」

 

一気に薬を飲み干すギーシュ。その苦さに顔をしかめるものの、心なしか体が楽になった気がする。

相手も動き出してきたのを感じ取り、バッツが駆け出す。先ほど吹き飛ばされたときにアイスブランドを落としてしまったものの、果敢にも徒手空拳で挑む。

ギーシュが回復しきっていないのでゴーレムの相手もバッツがしなければならない。

迫るゴーレムに対し、痺れの残る手で無理に拳を作ろうとはせずに掌底と蹴りを主体に応戦する。先ほどまでの体のキレは無いものの、遅れをとるまでには至らない。

多少ジリ貧ではあるが、まだ何とか持ちこたえられる。その間にギーシュが回復してくれるのを願うばかりだ。

バッツにもらった薬により少し体調を持ち直したギーシュだったが、今の状態から鑑みて長期戦は難しいと自己分析した。ならば、全力を賭けた短期決戦しかない。

残る魔力を全て費やし、一体の巨大な青銅のゴーレムを少し離れた場所に生成する。リヒャルトのゴーレムに匹敵するその大きさは、実にワルキューレ三体分の魔力で出来ている。

 

リヒャルトの黒いゴーレムに向かってギーシュのゴーレムが突き進む。ギーシュの体調不良と、不慣れな大きさでの操作が相まって運動性はよくない。

相手のゴーレムに比べて明らかに動きが鈍いのだ。直ぐに何度もハンマーによる攻撃を受けてしまう。

しかし流石は三体分の魔力で作ったゴーレムである、ワルキューレに比べて厚くなった装甲はそう簡単には砕け散ることはない。でも何度も攻撃を喰らううちに亀裂が生じてしまっている。

装甲の破損には目もくれず、ギーシュは一心不乱にリヒャルトのゴーレムに挑みかかる。対するリヒャルトのゴーレムも流石に無傷とはいかず、ギーシュの物程ではないがあちこちにひび割れが出来ている。

ドットメイジの意外な奮戦に周囲の観客が高揚するものの、その終焉はすぐにやってきた。

 

青銅と鋼鉄、その硬度の差を埋めるには力量が足らず、おまけにドットとラインという厳然たる格の違いがある。鋼鉄の巨人のハンマーが青銅の巨人の胴体に炸裂し、ついには砕け落ちてしまった。

勝利を確信するリヒャルト。

崩れ落ちるゴーレム。もうギーシュには魔力は残されていない。だが、その瞳はまだ闘志を失ってはいなかった。

 

崩れゆくゴーレムの中から、一つの影が飛び出す。それはワルキューレだった。ギーシュはこのゴーレムを、一体を芯にして残りの二体分で装甲を作っていたのだ。

最初っから敵わないのはわかっている。ならば、相手が勝ったと思ったその瞬間を狙おうという作戦だったのだ。一瞬でもいい、相手の油断を突き杖を叩き落せればいいのだ。

地を駆けるワルキューレ。

しかし、その前に黒い巨人が立ちはだかる。

 

「大方そんな事だろうと思ってたぜ。でもその程度の策じゃ俺様を出し抜くことは出来んなぁ!!」

 

リヒャルトが勝ち誇って叫ぶ。鋼鉄のゴーレムはハンマーをワルキューレを目掛けて振り下ろす。

しかしワルキューレは止まらない。止まるどころか、攻撃を避けると逆にゴーレムに向かって飛び掛った。

剣を両手で握り、頭上高く振りかぶる。跳躍の勢いも乗せた渾身の一撃が放たれた。

ゴーレムは避けようとしない。リヒャルトにはわかっているのだ。多少勢いをつけたところで所詮は青銅、自分の鋼鉄のゴーレムを切り裂くだけの威力を生み出すことは出来ないのだ。

どんなに力一杯振り抜こうと、砕けるのはワルキューレの方だ。

刃がゴーレムに到達する。辺りにはワルキューレの砕ける音が響き渡るはずだ。リヒャルトはその勝利の鐘の音とも言うべき音に酔いしれようとしていた。

 

しかし、予想に反して何も音が聞こえてこない。

有り得ない事ではあるが、青銅の剣が鋼鉄のゴーレムを切り裂いたとしても、何かしら音は生じるはずである。

ゆっくりと、まるで時の流れが遅くなったかのような感覚の中、リヒャルトは目の前で自分のゴーレムが粘土のように簡単に切り裂かれる様を見ていた。

縦一文字に走る炎の筋。熱風がこちらまで伝わってくる。燃えるように紅い刀身が漆黒の巨人を切り裂いた。

ワルキューレが持っていたのは、青銅の剣ではなくフレイムタンであった。ギーシュは最後の策として、落としたフレイムタンを包み込むようにゴーレムを作ったのだ。

何が起きたのか理解できず、リヒャルトは一瞬固まってしまう。慌てて再度ゴーレムを作ろうとするがもう遅い。反応の遅れた一拍のうちにワルキューレは距離を詰め、リヒャルトの目前まで迫っていた。

リヒャルトの喉元にフレイムタンを突き立てるワルキューレ。剣先からの熱気だけで火傷してしまいそうだ。

助けを求めるようにクリストフのほうに視線を向けるものの、そっちも自分と似たような状況になっていた。違いは突き付けられた剣の色くらいだ

前半のエア・ハンマーとジャベリンの乱発に魔力を無駄に消費してしまい、後半は大技を放つだけの余裕を残しておけなかったのだ。

お蔭で魔法を使わぬ相手に遅れをとり、剣を突き付けられるという無様な姿をさらす事になってしまった。相手を舐めてかかった代償はあまりにも大きかった。

 

 

 

「僕達の勝ちだ!!」

 

いまだ毒が抜けきらず、息も絶え絶えのギーシュが勝ち名乗りを上げる。

今度こそ決着が付いたのだ。

ラインとトライアングルのメイジペアが、格下のドットメイジと魔法を使わない平民のペアに負けるという大番狂わせが起こったのだ。

周囲から歓声が沸き起こる。今までリヒャルト達の傍若無人ぶりに迷惑を被って来た者も少なくない。そんな人たちが、ギーシュ達の勝利を祝福してくれた。

 

「ギーシュ!!」

 

モンモランシーが駆け寄ってくる。その目は少し赤く腫れている。

 

「ああ、モンモランシー。何を泣いているんだい?僕たちは勝ったんだよ。だから涙なんて似合わないさ。君の輝く笑顔を僕に見せておくれ」

 

ギーシュのいつもと変わらぬ口調に安心したのか、モンモランシーにも明るい表情が戻る。小さく「馬鹿ね」と呟くと、ギーシュの胸に顔を埋めた。

 

 

そんな二人の甘い情景を、少し離れたところからもう一人の立役者は眺めていた。

 

「おっでれーたな、おめーがここまで腕が立つなんて思いもしなかったぜ、相棒」

 

バッツの元にルイズがやって来た。ルイズに抱えられていたデルフリンガーが驚きを素直に述べた。

ルイズの顔も晴れやかだ。

 

「これで暫くはお金に困らないわ。この前のあんたの買い物で使った分以上に儲けちゃったし、あんたもそこそこ強い事が分かったしで言う事なしね」

 

ルイズにとってはこれが精一杯の労いの言葉なのだ。キュルケは「全部あんたたちに賭けりゃ良かったわ」などと言いつつも、それなりに儲けが出たようで満足げにしている。

日ももう暮れようとしている。オレンジ色の夕焼けが奇跡の勝者たちを照らしていた。

 

 

 

 

 

「勝ちましたね」

「ああ、勝ったのう」

 

学院長室でこの闘いを見守っていた二人が言葉を発する。

 

「しかし今回の勝利は、どちらかというとあの赤い剣とグラモンの小倅の活躍の方が目立ったのう。勿論、トライアングルメイジに後れを取らないというのは称賛に値するが、実際に使われた呪文はそんなに強力な物ではないからのう」

「そうですね。あれくらいの呪文なら、鍛えた者ならば……例えば『メイジ殺し』と呼ばれるような輩ならば魔法を使えずとも勝つ事もあり得ますね」

「それに、光らんかったのう、左手が」

 

事実、この戦闘中にバッツの左手の甲のルーンが光を放つ事は無かった。仮にバッツのルーンがガンダールヴであったとしても、ルーンの恩恵を受けないままメイジと戦い、勝利したという事になる。

この上、更にルーンの力が上乗せされるとしたら、どんな物になるかは想像もできない。

 

「コルベール君、君は彼と戦って勝つ自信はあるかね?」

 

オスマン氏がコルベールに問う。しばし悩んだ後、コルベールは冷静に分析した結果を述べる。

 

「彼の全力がどれ程の物かはまだ分かりませんが、戦いように拠っては、としか言えませんね。ただ、平民だと思って舐めてかかればまず勝つことはないでしょう」

 

未だバッツに宿ったルーンが伝説のガンダールヴのものであるという確証はない。この戦闘においても、持ち前の技術のみで勝利を収めたのだ。

素の状態でメイジを圧倒できる存在というのも、これはこれで放っては置けない。様々な意味でバッツは危険な人物と見なさなければならないのだ。

 

「この件については、わしが預かる。もう少し様子を見て、彼と彼のルーンの正体がわかるまでは監視を怠らないでくれたまえ。それとこの事は他言無用じゃ。他の教員にも知らせてはならぬ。要らぬ動揺を招きたくはない」

「王室への報告はいかがいたしましょう」

「それも後じゃ。いや、彼がガンダールヴであるかどうかに関わらず、報告はせん方が良いかもしれんの」

「それでは王室に対する重大な裏切り行為と見なされませんか?」

 

オスマン氏は椅子の背もたれに体を預けると、一つ深く息を吐いた後、こう続けた。

 

「解明できてない謎が多すぎる。そんなものを報告したとして、暇を持て余した王宮の奴等の暇つぶしの餌食にされても困るじゃろう。彼とて平民とはいえ人間なんじゃ。王宮のやつらに連れて行かれたら何をされるかわかったものじゃない」

「はっ。学院長の深慮には恐れいります」

 

コルベールが退室したのを見届け、オスマン氏は一人不安を口にする。

 

「伝説の使い魔『ガンダールヴ』、か。この学院に一体何が起ころうというのかのう。……いや問題はこの学院内で収まるのじゃろうか?このトリステイン、ひいてはハルケギニアに何か大きな混乱が起こる前触れでなければ良いんじゃがのう……」

 

目の前に広がる薄ぼんやりとした不安の海。掴み所の無いその不安を振り払うかのように頭を振ると、水煙草のパイプを取り出しゆっくりと煙を吸い込んだ。



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第08話 系統魔法と黒魔法

「ねぇ、あんたの国の魔法ってどんなものなの?」

 

昼間の決闘騒ぎも終わり、いつも通り部屋で寛いでいるとルイズが突然そんな事を言い出した。

ルイズに借りた教科書を読んでいたバッツは、初めは何を尋ねられているか理解できなかった。

 

「魔法よ魔法。あんたの国にもあるでしょ?でもあんたは始祖ブリミルの事も知らないみたいだし、もしかしたら始祖の系統を組まない魔法も存在するんじゃないかな、って」

 

成程、ルイズはまだバッツが別の世界の人間だとは理解していなかったらしいが、それでもとても遠く離れた国の人間だとはいう風には理解しているらしかった。

それに加えて昼間の『ゲーム』に於いてバッツが使った剣が、もしかしたらバッツに出身地にも魔法が存在するのではないかという考えを確信に変えたのだ。

 

「あんな剣を持ってるくらいだもの、魔法なんて知りませんなんて言わせないわよ」

 

まずい事に気が付かれたな、とバッツは苦い顔をする。こちらの世界に来てから、正確には救護室で目覚めてからずっと、意識的に魔法の使用は避けてきた。

最初はこの土地が魔法に馴染みが無い可能性を考慮して、そして今は魔法を使えるのは貴族だけというこの国の状況から、余計な波風を立てないように気を使っていたからだ。

それに授業で聞く限りでは、この学院で教えている魔法はバッツの知っているものとは少し違うものであった。

見知らぬ土地に於いては、目立たぬ事が最良の選択肢だと知っているバッツはその経験則に則って魔法の使用を控えてきたのだ。

まぁ、あんな剣を使ってしまった時点でこうなる事はある程度覚悟はしていたのだが。

 

「俺の知ってる魔法を教えるのはまあいいけど、それでどうするつもりだ?」

 

暗に自分が魔法を使えるのを認めてしまったようなものだが、構わずにバッツは答える。

 

「どうするって……そうね、単に知識として始祖の流れを組まない魔法っていうのにも興味があるし、それに……」

 

少し恥ずかしそうに口ごもる。

 

「それに?」

「け……系統魔法じゃなかったら、もしかしたら私でも使えるんじゃないかな~って思ったのよ」

 

そんなに恥ずかしい事なのか、顔を真っ赤にしながらルイズが答える。

照れている仕草は年相応以上に愛嬌がある。バッツにこんな姿を見せるくらいには、ルイズの態度は柔らかくなっていた。

 

「相棒の魔法か、俺も興味あるぜ」

 

デルフリンガーも話に加わる。お前も魔法が使えるのかと訊けば「剣が魔法を使えるわけねーだろ」と身も蓋も無い答えが返ってきてしまったが。

ごそごそと道具袋を漁ると、バッツは四枚の羊皮紙を取り出した。

 

「これが俺の世界の魔法だ。ま、これが読めるかどうかは知らないけどな」

 

紙を手渡されたルイズは、ざっと目を通す。そこにはトリステインの公用語とも、いつも習っているルーン文字とも違う文字がずらっと並んでいた。

 

「なによこれ。読めないじゃない」

「そりゃそうだ。俺だって最初はこっちの文字が読めなかったんだ、その逆だって当然のことだろ?」

 

言われてみればそうだ。バッツはトリステイン語も読めないくらい遠くから来たのだ。そんなかけ離れた場所の文字がそう簡単に読める訳は無い。

それにここに書かれている文字はバッツの世界でも日常的に使われているものではない。ルイズが習っているルーン文字と同じく、魔法に関する事柄にしか使われない。

 

「それじゃ、あんたが翻訳して教えてよ。あんたにはトリステイン語を教えてあげたんだから、それ位してくれたっていいでしょ?」

「うーん、教えるのは得意じゃないんだよなぁ」

 

バッツとて、自力でこの内容を理解して習得したわけではない。

クリスタルの欠片の恩恵で身につけたものだ。欠片に眠る魔道士の知識が無ければ魔法を使えるようになったかどうかは怪しいものだ。

だから、バッツの説明もどこかたどたどしく要領を得ない。

 

「何言ってるのかサッパリ分からないわ。あんたって教えるの下手ねぇ」

「悪かったな。大体俺にはこういう事向いてないんだよ」

 

そんな会話をしながらも少しずつ翻訳していく。一枚目を一通り説明し終えるのにたっぷり一時間は掛かってしまった。

説明する方も受ける方も疲れ切ってしまう、そんな状態だ。

 

「ここまで教え下手だと逆に感心するわね」

 

肩の凝りをほぐすような動きをしながらルイズがこぼす。今日はこのくらいにして、続きは翌日にしようという事で今日はお開きになった。

ルイズはベッドに、バッツはクッションの山にそれぞれ潜り込む。バッツによる魔法講義は両者に予想外の疲れをもたらした。

 

「なぁ相棒よ、相棒の持ってる魔導書ってどんなもんなんだよ。俺にもちょこっと見せてくんねえか?」

 

枕元に置いたデルフリンガーがそんな事を言い出した。

魔法が使えないと断言している剣に見せてどうなる物ではない。だが、デルフリンガーも好奇心をくすぐられたのだろう。

デルフリンガーにも見せようかと思ったが、どこが目なのか分からない。どうしたものかと困っていると、こっちに向けてくれればそれでいいとの言葉が来た。

(恐らくは)興味深く眺めているのだろう。時折フムフムと頷く声が聞こえてくるが、理解できているかどうかは怪しいものだ。

 

「うーん、どっかで見たことあんだけどなー。何処だったっけなー?千年前?二千年前??ちょっと思い出せねぇなあー」

 

突然デルフがそんな事を言い出した。どこかで見た事がある?それはあり得ない事だ。しかしこの古い剣は見た事があるなんて言っている。

その声に気が付いたのか、眠ろうとしていたルイズもこちらの会話に加わる。

 

「オンボロ剣、適当な事言ってんじゃないわよ。自慢じゃないけど私だって古代文字くらいは読めるわ。その私が読めないって言ってんのに、あんたなんかに読めるわけ無いじゃない」

「いや、読めはしねぇんだけどよ、確かにどっかで見た覚えがあんだよなー。エルフの文字でもねえし、何時の事だったっけなー?」

 

エルフの文字を知っているなんて驚愕の事実をさらりと言ってしまうデルフであったが、今はそれどころではない。

バッツの世界の文字を見た事があるという方が問題だ。

全く関わりの無いと思っていた二つの世界が、繋がりを持とうとしているのだ。

 

「思い出してくれ、デルフリンガー!この世界と俺の世界にどんな繋がりがあるっていうんだ!!」

 

バッツの手に力が入る。しかしデルフリンガーから返ってきた答えは無常なものであった。

 

「すまねぇな相棒、やっぱ思えだせねぇわ。でもどっかで見た覚えがあるってのは本当だぜ。これは間違いねぇ」

 

そうか、とバッツが呟く。もしかしたら元の世界への手がかりが掴めるかと思ったもが、そう都合良く事が運ぶはずも無い。

何か面白い話でも聞けるかと思っていたルイズも興が冷めてしまってまたベッドに戻ってしまった。

 

「まぁ仕方ないさ。また何か思い出したときに聞かせてくれればいい」

 

そう自分を納得させる様にデルフリンガーに言葉をかけると、バッツも眠りに落ちた。

 

 

 

 

次の日、休憩時間を利用して早速バッツに教えてもらった魔法を練習することにした。

場所に選んだのは、昨日『ゲーム』が行われたヴェストリの広場だ。昨日はああいうイベントがあったから人だかりが出来ていたが、平素ならば人通りも疎らな場所なのだ。

木々が鬱蒼と生い茂り、日があまり差し込まないから生徒からは人気が無い。だからこっそり練習するには最適なのだ。

人影の少ない広場の中でも、更に人目につかない場所を選んで陣取る。標的代わりの杭をいくつか打ち込んで準備は完了だ。

昨夜何とか理解することの出来た魔法の呪文を試してみる。

 

「岩砕き、骸崩す、地に潜む者たち 集いて赤き炎となれ!……ファイア!!」

 

何も起こらない。いつもの様な爆発も無い。しばしの沈黙の時間が流れる。

 

「やっぱ駄目ね。系統魔法じゃなかったらもしかして、とか思っちゃったけど、駄目なものは駄目なのね」

 

自嘲気味にルイズは笑うが、バッツの顔はそれほど険しくない。

 

「最初からうまく出来たら苦労はしないさ。こういうのは呪文唱えればいいってもんでもないし。きちんと自分の中にイメージが出来上がってないと発動しないんだよ」

 

自分はクリスタルの力を借りて出来るようになったからあまり偉そうな事は言えないが、とりあえずは励ます。

 

「そういうモノなのかしらね?」

「何事も地道な練習の繰り返しさ。努力なくして成功なし、どんな天才だって努力しなければ凡人と変わらないさ」

 

ルイズのやる気を維持させるための言葉ではあるが、真理も含まれている。今はとにかく練習するしかないのだ。

 

「ねぇ、この魔法ってどんな効果なの?それがわかんないとイメージしろって言われても難しいわよ」

 

本来呪文詠唱中にイメージするのはそういう事ではない。

天の理・地の理を心の中に思い描き、自分の内なる魔力の流れを把握し、頭の中に展開した魔方陣と呪文とをすべて連動させる事が必要なのだ。

しかし、自分が今から習おうとしている魔法がどんなものか全くわからないというのもやり難いだろう。

デルフリンガーを研ぐ手を休め、お手本を見せることにする。

先ほどルイズが唱えたものと同じ呪文を唱えて、目の前の杭に向かって手をかざす。すると、突然杭に火がつき燃え上がった。

あれよあれよという間に杭は燃え落ち、そこには燃えカスが残るだけだった。

 

黒魔法の内、初級魔法『ファイア』。その名の通り対象を燃やす呪文だ。

バッツが魔法を使う姿に驚くデルフリンガーとルイズ。いや、ルイズは驚いている点が少し違っていた。

 

「何……この魔法、杖が無くても発動するの!?」

 

バッツにとっては杖は魔法を使うに当たって絶対必要な道具ではない。持っていれば魔法の威力が上がる場合もあるが、常に必要というわけではない。

一方ルイズにとっては杖と魔法は切っても切れない関係である。どんな強力な魔法を行使できるメイジであっても、杖を取り上げられてしまえば平民と変わらない。

だから今目の前で起こったことはルイズの、いやこのハルケギニアの常識の根本を破壊してしまいかねない程の危険性を孕んでいる。

杖を使わない呪文といえば、エルフの使う『先住魔法』くらいだ。

『先住魔法』については書物で読んだ程度の知識しか持ってないが、それでも今目の前でバッツが使った呪文とは違うような感じがする。

先住魔法と系統魔法の合いの子のようで、それでいてどちらかというと系統魔法に近いような、そんな不思議なものだった。

自分は今からこんな代物を習おうとしているのか。

冷静に考えればそれが如何に恐ろしいものなのかはすぐに思い当たる。

このトリステインにおいて、始祖の流れを組まない魔法を使うというのは、それ即ち異端審問にかけられる危険性を孕むということだ。

身の破滅が待っているのは間違いない。

しかし、今のルイズにはそんな事を考える冷静さは完全に抜け落ちていた。

他の誰もが使うことの出来ない力を手に入れるチャンスが目の前に転がっているのだ。

生まれてこの方ずっと劣等生のレッテルを貼られ続けていたルイズが、周りを見返せるかもしれないのだ。

胸に妙な高揚感が満ちる。

高鳴る胸を押さえながら、ルイズが質問する。

 

「こ……、これって、もっと強力な魔法とかってある……の?」

「ん?ああ、これは一番簡単なやつだな。毛色の違う魔法が多いから一概には言えないけど、まぁもっと強いのはある、かな?」

 

やった!とルイズは心の中でガッツポーズをとる。

今見た魔法が初歩ならば、少なくとも通常のトライアングルやスクエアクラスの系統魔法程度には強力な魔法が使えるようになる可能性がある。

ルイズの瞳がらんらんと輝く。早く魔法を教えてくれと言わんばかりに催促する視線に耐えきれず、バッツは更に詳しく自分の世界の魔法を教えることにした。

デルフの研ぎは今日もまたお預けだ。

昨日の失敗を踏まえ、今日の説明は一工夫加えることにした。説明を始める前に胸に手を当て、深呼吸をする。クリスタルに宿る黒魔道士の心を呼び覚ますのだ。

胸のあたりに淡い光が灯ったかと思うと、バッツの雰囲気が少し変化した。

何処が変わったかと言われれば説明しづらいが、なんとなく知的な感じがするというか、いつもの快活さが少し落ち着いたというか、そんな雰囲気を醸し出している。

ルイズにはその些細な変化というか、小さな違和感がよく呑み込めなかったが、バッツは特に気にする風でも無かったので別段問いただす事も無くバッツによる魔法講義が始まった。

 

昨夜とは打って変わって的確かつ噛み砕いた表現の多い説明は、本当に同一人物によるものかは疑わしいものであった。

しかし、目の前に居るのは紛れもなく自分の使い魔であるし、こんな人間が二人も三人もいるとは思い難い。

腑に落ちない点が多すぎるが、そんなことはお構いなしにバッツの話は進んでいく。

先程できた炭の欠片を使って、地面に図を描きながら説明が続いていく。

なぜ紙ではなくこんな地面に書くのかと訊けば、こういう物はあまり絵でのイメージを持たない方がいいからとの返答が来る。

あまり先入観を持ちすぎると、柔軟な発想が失われて魔法効果を減退させる要因になりかねないというのだ。

天地の理を理解するのも大切だが、今目の前にある事象だけに囚われるのもいけない。なんか授業中に聞いた事のあるような台詞がバッツの口からも発せられる。

姿形は違えど、同じ『魔法』という分野なのだから、根っこに流れる観念は似通っているのかもしれない。

一通りの説明が終わったところで、今度は実践に入る。

ここまでわずか二十分足らず。昨日一時間かけた内容の何倍もあるような説明をわずか二十分程度で終わらせてしまうなど、ますます今目の前に居るのがバッツ本人なのか怪しくなる。

でも目の前の人物を怪しむ気持ちよりも、自分が魔法を使えるようになるかもしれないという期待感の方が上回ってしまい、結局は何も口を挟まずにバッツの言うとおりにしてしまう。

 

そこからは魔法のトライ&エラーの繰り返しであった。いつものような爆発は起こらないけれど、代わりになにかもどかしい感覚が残る。

手ではない何かで、見えない何かを掴もうとする感覚。言葉ではうまく伝えられないが、そんな感覚がさっきからしているのだ。

それをバッツに伝えると、その感覚を大切にしろと言うだけで、特に解決策を与えてくれない。

それでもなお、魔法の練習は続く。ただひたすらに呪文を唱え続ける。バッツの描いた図を思い出しながら、魔力の巡る様子を頭の中に思い描く。

いつしか喉は枯れ、口の中は乾ききってしまうまでに呪文は繰り返されていた。でも、火は起こらない。

やっぱり自分には無理だ。いくら努力しても、魔法に関しては一向に結果が付いてこない。今までだってずっとそうだった。

 

「どうやったら風が起こると思う?」

 

唐突にバッツから問い掛けられた。

 

「はあ?言ってる意味が分からないわ」

「風は、何もしなくても吹くだろう。でも、自分の思う通りに吹かせるなら、何が必要だ?」

「……扇子?」

「そうだ。風を起こすには、何か道具で扇げばいい。……でも何も無かったら?」

 

バッツの問いかけは今一つ理解できない。が、これも魔法が使えるようになるヒントなのだろうか?

 

「手で扇ぐとか、息を吹きかけるとか?」

 

ルイズは答える。自分の答えがどんな意味を持つのかは分からないままに。

 

「そうだな。でも口も使えず手も動かず、その代わり『魔力』が使えたら……?」

「魔力で風を起こす……の?」

「どうやって?」

「魔力で扇ぐ?扇子みたいに?……ううん、違う。魔力で空気を動かして……魔力で空気の流れを速くして……ああっと、そうじゃなくって……」

 

魔力で風を吹かせるとはどういう事か。魔法なんて、メイジならば杖をもって呪文を唱えれば起こる物である。自分には出来ないが。

魔法を使える他の誰もが、そんな細かい事を考える事無く使っているはずである。ただ習った通りに呪文を唱えて、習った通りに杖を振って、習った通りの事象を引き起こして……。

“結果”をイメージする事はあっても“過程”をイメージはしない。そういう風には授業で習ってはいない。

でもとにかく今は考えなくては。ヒントはさっきバッツが地面に描いた図柄と説明、そして今の問答。

魔力で風が吹く理由、魔力で物が凍る理由、魔力で火が灯る理由……先程のバッツの口振りから察するに、そのどれもが根は一緒のようだ。

魔力でどうにかするのか、魔力をどうにかするのか。

………………魔力“を”どうにかする??

頭の中にぼんやりと浮かんだ魔法のイメージ。それをなんとか形にしようと、もう一度呪文を唱える。

今度はいけそうな気がする。

慎重に、慎重に頭の中にイメージを作り上げていく。魔法陣を描き、魔力の流れを想像する。

自分の内に流れる魔力、自分から発せられる魔力、そして周囲の魔力を巻き込んで標的上で一点に集まり、火に変化する。

魔力が火を起こすのではなく、それ自体が火へと変化するイメージ。

 

「岩砕き、骸崩す、地に潜む者たち 集いて赤き炎となれ!……ファイア!!」

 

喉の痛みも気にせずもう一度、叫ぶように呪文を唱える。“何か”が自分の中で弾けたような気がした。それと同時に目の前の杭が炎に包まれる。

何が起きたのか、ルイズは状況を把握できない。何故この杭は燃えているのか…………まさか、自分でやったのではないのだろうか。

もしかして、魔法が成功したのではないだろうか。

慌ててバッツの方を見る。

優しく笑みを浮かべ頷く姿に、ようやく実感が沸く。

 

「やった……やったわ……遂に、遂に魔法が使えたわ!!」

 

初めての魔法。ルイズは魔法を使うという感覚に酔いしれる。そしてその感覚をしっかりと自分のものにするために、立て続けに呪文を唱える。

ファイア、ファイア、ファイア……、幾度となく燃え上がる炎。それは全て自分が起こしたものだ。

これでもう落ちこぼれではなくなるのだ、これでもう皆から見下されなくて済むのだ。

今まで感じた事の無い幸福感に酔いしれ、時間も忘れて魔法を放ち続けるのであった。

 

 

シュッ、シュッ、シュッ。

部屋の中に何か堅い物が擦れ合う音が響く。規則正しく聞こえて来るその音に混じって、何か話声のような者が聞こえて来る。

 

「いやあ、錆もすっかり落ちきっちまったし、こんな清々しい気分になるのなんて何百年ぶりくらいかねぇ、ホント」

 

デルフリンガーの声だ。ということはバッツがデルフリンガーを研いでいるのだろう、部屋の中で。あれ程部屋の中でやるなと言ったはずなのに……ん?

ガバッとベッドから起き上がると、ルイズは部屋を見渡す。ここは間違いなく自分の部屋で、その一角で道具を広げてバッツが作業をしている。

……いつ部屋に戻って来たのだろうか、その辺りの記憶が全くない事に気が付く。

 

「お、気が付いたようだな」

 

バッツがこちらに気付き、声を掛ける。

 

「何が起きたか判らないか?君は倒れたんだよ、魔法の使い過ぎで。魔法が使えるようになって嬉しい気持ちは解らないでもないけど、急に使い過ぎちゃいけないな」

 

バッツの話では、いきなり魔力を使いすぎたものだから精神力が付いていけず、気を失ってしまったらしいのだ。

窓の外を見れば、陽はとうに沈みすっかり暗くなっていた。時計を見ればもう九時を指している。

明日からは自分の限界を知る練習もしないとな、とバッツが言う。夢ではない、魔法が使えるようになったのだ。もっとも、それは系統魔法ではないが。

おもむろにバッツが立ち上がる。何をするのだろうと思えば、着替えをしろというのだ。そう言われて確認してみれば、まだ自分は制服のままだった。

バッツは部屋まで運んでくれたけど、流石に勝手に服を変えさせることはしなかったのだ。着替えが終わると、今度は空腹感が襲ってきた。

もう夕食の時間には遅いし寝間着に着替えてしまったしで、さてどうしたものかと考えているとバッツが手にお盆を持って入って来た。

 

「それは?」

「夕食がわりだ。今から行ってももう遅いだろ?だからマルトーに頼んで残しておいて貰ったのさ」

 

聞けば厨房で貰って来たという。何処までも気の利く男だと感心する。

まだ温かいスープをすすりながら、今日の出来事を思い出す。系統魔法ではないとはいえ、魔法を使えるようになったのだ。それもバッツのお蔭で。

明日が待ち遠しい、そんな感覚はいつ以来だろう。少なくともここ数年は感じる事の無かった幸福感に包まれながら再び眠りに就く。

昼間の魔法による疲労は相当のものだったのだろう、また直ぐに深い眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

深夜の学院内を歩く影が一つ。

別段顔を隠す事も無く、碧く長い髪を靡かせながら足早に建物の中を駆け抜けていく。

彼女の名はミス・ロングビル。この学院でオスマン氏の秘書をしている女性だ。しかし、彼女にはもう一つ裏の顔があった。

裏の名は『土くれのフーケ』。ここ数年トリステインを含め周辺各国で猛威をふるう盗賊の名である。

 

学院中央の本塔の六階にある物陰にたどり着くと、周りに人影が無いのを慎重に確認してから屈み込んで何やら作業を始めた。

床に魔法陣を描いてその周りに札を並べ、その中心で呪文を唱えている。この札は一風変わった特性を持ち、一枚に数日分の魔力を蓄積させる事が出来るのだ。

彼女自身はトライアングルメイジであるが、流石は魔法学院の宝物庫、スクエアクラスが何人も集まって壁床天井全てに『固定化』がかけられているので打ち破る事は出来ない。

そこでこの魔法の札と魔法陣を使用して魔力を増幅し、自身の『錬金』の威力を増す事によってこの『固定化』に立ち向かう事にしたのだ。

『錬金』の呪文を唱え終わると足もとにぽっかりと穴が空き、その中に吸い込まれるように消えていった。

穴の先は学院の宝物庫で合った。先程立っていたのは宝物の真上であり、そこからの侵入を図ったのだ。

幾多の貴族の邸宅や宝物庫に忍び込み、或いは押し入り財宝を奪っていく有名な盗賊である彼女が次なる標的に選んだのが、ここトリステイン魔法学院であった。

数か月かけオスマン氏の信頼を勝ち得、秘書にまで取り立ててもらったのも全てこの瞬間の為だったのだ。

宝物庫の中には様々なマジックアイテムが陳列されていたが、狙いはただ一つ。オスマン氏がその威力を怖れ封印したと噂のあるマジックアイテム『破壊の杖』だ。

目当ての物は程なく発見することが出来た。が、その意外なまでにありふれた外見に戸惑う。手に取ってみてもこれと言って特別な力を感じる事も無い。

封印されたと言われるくらいだから、何かしらの呪文がかけられているのかとも考えたが、そんな気配も無い。

見る限りはただの杖。それもメイジが使う魔法用の杖ではなく、老人が歩行補助の為に使う物やお洒落に使う装飾用の物にしか見えない。

特徴と言えば握り手のあたりに嵌められた赤い石くらいだろうか。

 

「この程度の物の為に何カ月も費やしたっていうの?冗談じゃないわ、こいつにはまだ何か隠された秘密があるはず。でもどうやって訊き出したものか……」

 

顎に手を当て考え込む。正直、この何の変哲もない木切れの為にオスマン氏にへつらい、特殊な技法を用いて何日分もの魔力を蓄積させて忍びこんだのかと思うと労力に見合わない。

握り手に嵌められた石はルビーにも見えなくもないが、たぶん価値の無い石ころである事は容易に見て取れた。

色々な角度から舐めるように見るが、特に仕掛けも見当たらない。本当にただの棒きれだ。

うーん、と考え込む。すると何か妙案が浮かんだのかニヤリと口の端をゆがめると、外部と接する壁を選び、侵入の際に使用した札の残りを数枚取り出す。

壁に向かって『錬金』を掛け一部分だけ壊しやすいように脆く変化させると、入って来た穴から出て行った。

侵入の痕跡を完全に消すと、自室へと戻っていく。手には『破壊の杖』が握られていた。



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第09話 フーケ来襲

ルイズの人生初の魔法成功から一夜明け、さわやかな朝を迎えた。

本当はやや薄曇りでそれほどさわやかとは言い難い空模様だが、ルイズの心は今までになく晴れ晴れとしていた。

見る物全てが輝く様に感じる。魔法が使えると言うだけで、ここまで世界が違って見えるとは。勿論、皆の前で見せられるような代物ではないが、魔法は魔法。

系統魔法とは多少見た目が違うが、研究する事によって新たな系統の祖となれるかもしれない。そうしたら始祖ブリミルのように末代まで語り継がれる英雄になれるのだろうか?

そんな光溢れる未来予想図が頭の中に渦巻き、ルイズの顔からは自然と笑みがこぼれる。

放課後が待ち遠しく、一日千秋の思いで授業中も落ち着かない。そわそわしているのを注意されても満面の笑みで謝る姿に、クラスメイトの誰もが得体のしれない不気味さを感じるのだった。

 

待ちに待った放課後、今日は新たに『ブリザド』と『サンダー』という氷と雷の初級呪文を習った。

昨日の『ファイア』の成功経験を元に、今日はそれほどてこずる事も無く習得することが出来た。炎と氷と雷という三大属性の攻撃魔法を習得でき、ルイズの心はこれ以上なく高揚していた。

明日からは覚えた魔法を完全に自分の物と出来るように練習するとバッツが言うが、暗記は得意中の得意だ。早く次の呪文が覚えたくてしょうがない。

 

「これで系統魔法も使えたら言う事無いんだけど、あんまり贅沢は言っちゃいけないかしら」

 

ルイズは杖を手で弄びながら唯一の不満を漏らす。バッツから教えてもらった魔法――バッツが言うには『黒魔法』と呼ぶらしいが――には杖は必要ないが、長年の癖により杖を持ってないと落ち着かない。

杖を持ちながら魔法を使っているので、傍目には系統魔法を使っているのと見分けがつかない。が、唱える呪文が全然違うのでそこで見分けが付くのだが。

系統魔法はルーン、黒魔法は口語で呪文を唱えているのだ。

いくら見た目が似ていても、これでは皆の前で堂々と魔法を使う事が出来ない。自慢するつもりはそんなに無いが、他人から認めてもらう事が出来ないというのがやはり悔しい。

 

「系統魔法との違いがよくわかんないけど、これだけ使えるようになったんだからそっちも大丈夫なんじゃないか?」

 

バッツは気楽に言う。

 

「でもねぇ、やっぱ使えるっていう保証が無いのがなんとも言えないわ。またこれで失敗の爆発なんてしたら……なんて考えると怖くて、ね」

 

対するルイズは苦笑いをしながら答える。

 

「何事も挑戦が大事だ。やってみないうちからあきらめてちゃ何も変わらないさ」

「そうね、臆病になってちゃダメよね、元々出来なくて当たり前。でもやっぱり怖い物は怖いわ」

 

ふぅ、っと息を吐いて目を閉じ、精神を集中するルイズ。期待の度合いは低いけれど、それでもゼロでは無い。

昨日初めて、しかも流儀の事なる物とはいえ、曲がりなりにも『魔法』が使えるようになったのだ。

多少の自信と共に呪文を唱える。バッツに習った黒魔法とは違い、ルーンでの呪文詠唱だ。呪文は『ファイアー・ボール』、授業でも幾度となく挑戦した魔法。

詠唱の終了と共に杖を的に向ける。上手くいけば、杖の先から炎の塊が目標に向かって飛んでいくはずだ。

淡い期待の中、その瞬間は訪れた。

ボウッ、と杖の先に炎が灯ったと思った瞬間、その炎は丸い球となり的がわりの木の杭目がけて真っ直ぐに飛んで行った。

メラメラと燃え上がり崩れ落ちる杭。それは昨日も見た光景ではあるが、同じようで少し違う。

昨日は、杭が突然燃え上がって炭になった。今日は杖の先から発せられた火球によって燃えた。『ファイア』と『ファイアー・ボール』の違い、ひいては系統魔法と黒魔法の違い。

しかし、それを見てのルイズの感想は意外なものであった。

 

「…………………………は?」

 

ルイズはバッツのほうに顔を向けると、当たり前とも取れる質問を投げかける。

 

「今のって、私がやったの?あんたがやったってことはないわよ、ね?」

「そうなんじゃないか?俺は何もしてないぞ」

「そうよね、そりゃそうよね。あんたが系統魔法使えるわけ無いんだもん。他に誰も居ないんだし、やっぱり私がやったのよね?」

「そんなに信じられないんだったら、もう一度試してみればいいだろ」

 

バッツに促されるまま、もう一度ルーンの詠唱に入る。そして今度もきちんと火球が発生し、標的に向かって飛んでいった。

間違いではない。昨日までは何度試しても成功することの無かった魔法が、今日になっていきなり成功したのだ。

理由はわからない。バッツの教えてくれた魔法が使えるようになったのと同じ位、理由付けが出来ない。

考えられる理由としては、黒魔法が使えるようになったことが自分に何かしらの影響を与えて、それがキッカケで使えるようになった、位だ。

でも、よくはわからないけど魔法が使えるようになった。しかも夢にまで見た系統魔法を、である。

この二日で事態が急変しすぎてルイズはまだ現状をよく飲み込めていない。

本来なら真っ先に湧き上がってきておかしくない喜びの感情がまだ実感できていない。夢か、幻か。まるで狐につままれたような気分だ。

ガサッ。

近くの茂みが音を立てる。誰かがやって来た。

まずい。今のを見られたのだろうか?系統魔法以外の魔法を使っているところを見られたら言い訳が立たない。

一気に血の気が引く。人の気配がしたほうを注視するルイズ。

現れたのは、ギーシュとモンモランシーとキュルケ、そしてよくキュルケと一緒に居るタバサという名のクラスメイトだった。

 

「あら、あんたたちこんな所にいたの」

 

そういうキュルケの口ぶりからするに、どうやらルイズを探していたようだ。

 

「何の用なのよ」

 

ルイズがぶっきらぼうに答える。焦っている心の内を悟られないように努めすぎて、かえって怪しい程までに身構えた態度をとってしまう。

 

「何の用って事は無いだろう?一昨日の立役者の一人である君の使い魔君も交えて、ささやかながら祝勝会を開こうと思ってね。昨日も今日も授業後すぐに消えてしまったから、こうして探していたんだろう?」

 

ギーシュの話では、上級生に勝ったのを記念して、ちょっとした宴を催すというのだ。その席にルイズとその使い魔でありギーシュと共に戦ったバッツも参加して欲しいとの事。

いや、むしろバッツ抜きでは盛り上がらないとの事だった。

ま、それくらいならなんと言うことも無いと快く了承する。時間と場所を告げるとギーシュとモンモランシーはさっさと帰っていった。

残ったのはキュルケとタバサの二人だった。

 

「で、あなたはここで何をしてたのよ」

 

そう切り出したのはキュルケだ。

 

「何って……、あんたには関係ないことよ」

「あたしはてっきり、使い魔と逢引でもしてるのかと思ってたわ」

「逢引……って、バッツとそんなことするわけ無いでしょ?こいつは使い魔よ?あんたってほんとに骨の髄までおめでたいのね」

 

そんなやり取を軽く受け流しながら周りを見渡したキュルケは、あることに気づく。

 

「ははぁ~ん……、成程あなた、ここで魔法の練習してたのね。さっき感じた魔法力はあなたのものだったんだ」

 

ギクリ。ルイズの体が硬直する。掌に汗が滲む。まさかバッツに教えてもらった魔法を使ってるところを見られたりしてないだろうか。

もしそんな事になったら一大事どころではない。

 

「ふ~ん。で、これがその成果ってわけ?あなた何の魔法を練習してたの?」

 

ルイズはホッと胸を撫で下ろす。どうやらそこまでは気づいてないようだ

 

「『ファイア・ボール』よ」

「火の初等魔法ね。で、上手くいってるの?」

「当たり前でしょ。見てなさい、もう誰にも『ゼロのルイズ』なんて呼ばせないんだから!」

 

そういうとルイズは再び呪文の詠唱に入る。杖の先から打ち出される火球が次々と杭に命中していく。一発、二発……五発連続で発射して一息入れる。

 

「どう?恐れ入った?」

「あら。どうやったかは知らないけど、ちゃんと魔法が使えるようになってるじゃない。何時の間に出来るようになったのよ」

「つい昨日の事だな」

 

そんな事どうでもいいでしょ、とルイズが答える前にバッツが答えてしまった。ルイズはバッツを睨むが、対するバッツはどこ吹く風といった表情をしている。

 

「へぇ~……昨日、ね」

 

キュルケは何やら含みを持った笑みを浮かべる。

 

「道理で今日は気味が悪いくらい機嫌が良かったわけね。なんか納得したわ」

 

そんなやり取りを尻目に、バッツに視線を向ける少女がいる。キュルケと一緒の事が多いが何から何まで対照的なタバサだ。

何から何まで、というのは性格も容姿も思考回路も全て、という意味でである。唯一似ている点があるとすれば、両者とも成績優秀であるという点くらいだろうか。

赤い髪のキュルケに対して青い髪のタバサ、見た目の通りに炎と氷のような二人ではあるが、これがなかなかどうして気が合うらしく二人で連れだっている事が多い。

 

「剣を見せて欲しい」

 

タバサがごく簡潔に、必要な事項のみを言葉にする。

 

「剣……って、こいつか?」

 

デルフリンガーを掲げるバッツ。今身に着けている剣と言えばこれくらいだ。

 

「違う。一昨日の、青い剣」

 

どうやらタバサの所望する剣はアイスブランドのようだった。先日の『ゲーム』に際してバッツが用いた二振りの剣の内の一つであるが、もう一方のフレイムタンに比べればあまり大した活躍も見せていない。

相手が氷を飛ばしてきた事もあり、それほど猛威を振るったという訳でもないのだ。

バッツはタバサの意図が汲み取れなかったが、あまり深く考える事はよして道具袋から取り出し、地面に突き立てた。

掌にのるくらいの大きさの袋から剣が出てくる様に少し驚きを見せたが、タバサはほとんど表情を変えることなくアイスブランドを食い入るように見詰めている。

 

「メイジが剣なんか見てなにが面白いのかねぇ」

「さぁ?」

 

タバサは熱心に剣を見ている。その様をバッツとデルフリンガーが半ば呆れながら見ている。少しして、タバサが再び口を開いた。

 

「持ってみていい?」

「あぁいいぜ。持てたら、の話だけどな」

 

バッツが片手で軽々と振り回している姿を見ていた為、軽い物だと思っていたのだろうが、両手で持とうとも引き抜くことすらできない。

剣もそれほど深く刺さっているわけでもない。倒れない程度に地面に埋まっているだけだ。なのに、押しても引いても動く気配が一切しない。

逆に下手にバランスを崩せば、倒れてきた剣に押し倒されそうになる。そもそもタバサの細腕で剣を持とうなんて考えが既に間違っているのだが、本人はそれに気が付かない。

その原因の一つにバッツの体格がある。

バッツはかなり細身の肉付きである。ガリガリという程ではないが、学院の他の生徒と比べて目立って筋肉質という印象も受けない。

そんな彼が片手で扱える物だからきっと自分にも持てるはず、というタバサの考えは甘かった。

ウンともスンとも動かない剣と格闘する事数分、ようやく諦めたタバサはバッツに剣を振ってみせて欲しいと頼んだ。

フレイムタン程派手な視覚効果は無いが、よく目を凝らして見ればうっすらと周囲の空気を凍らせた小さな氷の粒が発生しているのを見て取れる。

演舞のように流麗に剣を振り回すバッツの姿に氷の粒の煌めきが加わり、ほんの少しだけ幻想的な雰囲気を作り出す。

何時しかキュルケとルイズの二人もバッツの動きを目で追っていた。

 

「もういいか?」

 

流石に三人に見られていると気恥しく、タバサにそう伺い立てる。

 

「もういい。でも、本当に不思議な剣。どんな魔法で作られているのだろうか想像もつかない」

 

と、改めてアイスブランドをマジマジと見詰めるタバサ。それにつられてルイズとキュルケも剣に見入る。

 

「ねぇ、あんたは一体どこでこんな剣を手に入れたの?」

「ま、俺にも色々あってね。こういう剣が必要な時もあったんだよ」

「ふ~ん……」

 

ルイズは剣とバッツの顔を交互に見比べながら、タバサは相変わらず剣から視線を外さず、キュルケはあまり興味が無いといった三者三様の反応を見せた。

 

 

 

日も暮れた中庭で、ギーシュ主催でささやかな祝勝会が執り行われた。祝勝会、と言っても参加人数は両手で数えられるだけしかいない、ごく親しい友人たちだけでの夕食会である。

中庭に大きめのテーブルを設え、そこに料理と酒を並べただけの簡単な立食パーティーであるが、月明かりの下なかなかにムード溢れる雰囲気を造り出していた。

自分の名誉が守られただけではなく格上の相手を倒し、更には相手が嫌われ者だあった事もあり学院内でちょっとしたヒーローになれたギーシュは、この上なく上機嫌で酒を進めている。

ギーシュはもっぱらモンモランシーを相手に口説いているが、時折バッツのところへやって来ては「君は最高の友人だ!」と背中をバンバン叩いている。

ルイズは魔法が使えるようになって余程嬉しいのだろう、終始ニコニコと和やかだ。最初はそんなルイズの様子を気味悪がっていた皆もだんだんと慣れたのか、普通に接している。

なにか良い事があったのだろうと考える者が大半であり、いつものツンケンした態度よりも今の方が大分マシなので誰も深く追求しない。

給仕はシエスタが務めてくれ、厨房から持ってきた料理をカートに乗せて忙しそうに動き回っている。バッツも手伝おうとしたが、本日の主役であるから気にしないでくれと断られる始末。

そして逆にシエスタに勧められるままに酒を飲まされてしまう。旨い酒だ。なんでもシエスタの実家で作っている酒らしい。

なんでもちょっと高価な酒らしいのだが、今日は特別に出してきてくれたのだ。

しかしどこかで味わった事のある酒だ。何処だっただろうか?酔いの回り始めた頭では中々思い出せない。

あれは確か……。

 

「何か、変」

 

脳裏にぼんやりと面影が浮かんだところで、バッツの思考はタバサの一言によって遮られてしまった。

タバサはテーブルに並べられた料理の皿を見つめている。皿が小刻みに揺れ、カタカタと小さく音を立てていた。

徐々にその音は大きくなり、遂には立っている皆が感じられるだけの揺れとなった。

 

「地震!?」

 

その場に居る全員が色めき始める。だが、その揺れは断続的な物ではなく、一定の間隔をあけた揺れだった。ドシン、ドシンと一定のリズムを刻んでいるかのような揺れ。

まるで何か巨大なモノが歩いているかのような地響き。ズン、ズンとそれが足音とはっきりと分かるようになった頃、学院の外壁の外に巨大な影が現れた。

月明かりに照らし出されたそれは、とても巨大な人型をした何かだった。それがゴーレムと認識されるまでにはしばしの時間を要した。

巨大なんてものではない。リヒャルトのゴーレムも大きかったが、それの比ではない。巨人というよりも山が動いてきたのかと錯覚してしまうほどの大きさ。

巨大過ぎるソレは、軽々と壁を跨ぐと真っ直ぐに本塔へと進路を取った。

 

「な……何なんだあれは!!」

 

ギーシュがそう叫ぶが、それは何も彼だけが驚いているからではない。その場の誰もがあまりの驚きに固まってしまい、声が出ないだけなのだ。

皆、口をあんぐりと開け微動だに出来ない。

 

「侵入者……!!」

 

そう呟くタバサの声をきっかけに皆がようやく動きを取り戻す。

 

「あの方向は本塔?……ってことは狙いは宝物庫!!」

「じゃあ何?あれは盗賊!?」

「まずいぞ、あんな巨大なゴーレムを作り出せるってことは少なく見積もってもトライアングル、いやスクエアクラスのメイジだ!」

「とにかく、先生達に知らせないと!!」

 

酔いも一気に冷め、一同が機敏に動きだす。バッツやギーシュ等男達はゴーレムの足止めに向かい、女達は先生に知らせるべく(文字通り)飛んで行った。

岩と土で出来たゴーレムの肩の上に黒いローブに身を包む人影がある。それは昨夜宝物庫に侵入した『土くれのフーケ』であった。昨夜と違い、正体が分からぬよう仮面で顔を隠している。

本塔横までたどり着くと、予め脆くしておいた宝物庫の壁面をゴーレムの拳で破壊する。その穴から侵入し、何かを盗んだフリをして出てきた。

ゴーレムの足元ではギーシュ達が何事かをしているが、身の丈30メイルはあるゴーレムにとっては蚊に刺されたほども感じない。

纏わりつく虫を払うかのように生徒達を蹴散らすと、またあっさりと外壁を跨いで学院の敷地外に出て行ってしまった。

後に残されたギーシュ達は呆然としていた。ゴーレム相手に全く相手にされなかったのだから仕方あるまい。ラインメイジに勝って浮かれていたギーシュにとって、改めてクラスの差を思い知らされる結果となったのだから。

教師達を連れて女子が戻ってきた時には既に全てが終わった後であった。

 

 

 

直ぐに緊急の職員会議が開かれた。全教員が集まる中にルイズ達の姿もあった。目撃者でもあり、果敢にも足止めに向かった生徒達も呼ばれたのだ。

 

「これは一大事ですぞ!このトリステイン魔法学院の宝物庫から盗まれるなど、しかもこんな強盗じみた手段で奪われるなど、前代未聞の不祥事ですぞ!!」

 

教師の一人が口から泡を飛ばしながら大声でそう捲し立てる。

 

「一体衛兵は何をやっているのだ!こういうときに役に立たなくて何のための衛兵だというのだ!」

「衛兵とて平民、メイジ相手には何の役には立つまいよ」

「しかしですな……」

 

そんな議論に白熱しようとしている場の空気を変えるべく、オスマン氏が口を開く。

 

「今はそんな事を話し合うべき場では無かろう。今すべきことは先ず賊を捕まえ、盗まれた物を取り戻す事。警備体制については後日ゆっくりと話し合えばよいじゃろう」

 

流石は学院で最高の権力を持つ人物だ、彼の鶴の一声で室内は一気に静まり返る。

 

「先ずは何が奪われたのか、何者が侵入したのかを明らかにせねばいかんの」

「それについては私がお答えします」

 

オスマン氏の問いかけに答えたのはコルベールであった。

 

「ミスタ・ギトーと共にに宝物庫を調べましたところ、失せていたのは『破壊の杖』のみでした。そしてそこには犯行声明がありました。賊の名は『土くれのフーケ』です」

 

『土くれのフーケ』の名を聞き、集まった面々からどよめきが起きる。皆知っているのだ、その名がどんな意味を持っているのか。近年、国内に置いて猛威を振るう盗賊。

そして未だに尻尾すらつかめていない謎の存在。単独犯なのか複数犯なのかすら分かっていない。分かっているのは唯一つ、土系統を得意とする高位のメイジがいるという事だけだ。

 

「『土くれのフーケ』とは……彼奴めとうとうこの魔法学院にまで手を出しおったか」

「しかしながら、これだけメイジが雁首そろえていてみすみす逃すなど、あまり考えたくないものですな」

「当直の者は何をしていたのだ。本来なら真っ先に対応しなくてはならないだろうに」

「今日の当直はミス・ロングビルであったと記憶しているが……。そういえばそのミス・ロングビルの姿が見当たりませんな」

 

教師たちが口々に責任の擦り付けを始める。そのあまりにも生産的ではない議論にオスマン氏が溜息も漏らした所に、思わぬ人物からの発言があった。

 

「恐れながらオールド・オスマン」

 

口を開いたのはルイズだった。

 

「今、バッ……私の使い魔が賊の追跡をしています」

 

そう言われて初めて、ルイズの周りに立つ生徒達がその場にバッツの姿が無い事に気が付く。もっといえば賊が逃げて行った直後から彼の姿を見た者はいない。

 

「ミス・ヴァリエール、それは本当かね?」

「はい。それともう一つ、使い魔からの映像では賊は誰か人を一人攫っているようです。暗くてよくわかりませんが、恐らく今この場に居ないミス・ロングビルだと思われます」

「なんと!彼女は賊に捕らえられてしまったのか!」

 

髭を撫でながら考え込むオスマン氏。ルイズの使い魔と言えば、『ガンダールヴ』の疑惑がある件の謎の青年だ。平民ながらトライアングルメイジを上回る実力を持つ彼が賊を追っている。

これはもしかするともしかするかも……?

 

「よかろう。早速討伐隊を結成し、賊を追う事にしよう。ミス・ヴァリエール、すまないが君には案内役として隊に加わってもらわねばならん」

「元よりそのつもりです」

「うむ、良い返事じゃ。流石はヴァリエールの娘であるの。その他には……」

「あたしも行きます!」

 

そう発言したのはルイズの隣に立っていたキュルケだった。

 

「ヴァリエールが行くってのに、あたしがジッとなんてして居られないですわ」

「そうは言うがの、ミス・ツェルプストー。相手は悪名高き手練れの盗賊じゃ、そんな奴の所に大事な生徒を送り込むのはなるべくなら避けたいのじゃよ」

「お言葉ですがオールド・オスマン、あたしだってトライアングルのメイジです。そう簡単に相手に遅れを取りはしません」

「しかしの……」

 

なおも渋るオスマン氏ではあったが、そこに更に追い討ちをかけるように進み出る者が居た。

 

「私も行きます」

「僕も行かせてください!」

 

そう言い出したのはギーシュとタバサであった。

 

「ミスタ・グラモンにミス・タバサまで……」

 

もうオスマン氏は呆れる事しか出来ない。勇敢なのは良いが相手が相手であるし、それに皆大切な生徒だ。万が一なんて事にするわけにはいかない。

しかし、そんな悩みとは別にオスマン氏の頭の中では別の考えも浮かんできていた。キュルケとタバサの二人はトライアングルであるし、その上タバサは本国で『シュヴァリエ』の称号を与えられるだけの実力者だ。

そこにもう一人高クラスのメイジを加えれば如何に『土くれ』とて敵うまい、と。

それに、ルイズの使い魔の青年が本当に伝説のガンダールヴならば、戦力としては申し分ない。そうでなくてもトライアングルメイジに迫る実力を持っているのだ。

コレだけの戦力をあてがえば、まず心配事は無いだろう。教師の顔を見回し、その中から一番実践慣れしている人物を選出する。

 

「それではコルベール君、君を討伐隊の隊長に任命する。生徒達をきっちりと守ってくれたまえ」

「はっ。わかりました」

「それでは早速出立してくれたまえ。すまんがミス・ヴァリエール、道案内を頼んだぞ」

「はい」

「残った者は宝物庫の修復と強化、そして万一フーケが戻ってきた場合に備えて警備に回ってくれたまえ」

 

オスマン氏の言葉を合図に討伐隊に選出された者達が一斉に部屋から出ようとしている中、タバサ一人が窓に向かって歩き出した。

何をしているのかと訝しんでいると、タバサは窓を開け自分の使い魔の風竜を呼び出した。

 

「この子に乗っていくほうが、早い」

 

タバサの使い魔の風竜――シルフィードという名前らしい――に乗った5人は、フーケを追って夜の闇の中へと飛び立っていった。



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第10話 破壊の杖

森の中の不自然に開けた土地の中央に木組みの小屋が一軒建っていた。

見るからに不自然な雰囲気に包まれた小屋を、少し離れた茂みの中からルイズ達フーケ討伐隊一行は覗き見ていた。

ゴーレムの後をずっとつけていたバッツによれば、だんだんとその体を小さくしたゴーレムは最終的にこの小屋付近で消えて無くなったのだという。

周囲も調べてみたが、この小屋以外に人の気配はしないというのだ。

もっとも、あの小屋の中に秘密の通路があってそこから逃走を図っているのであればとっくに取り逃がしているのだろうが。

少なくとも小屋の中からは人の気配がするので人質となったミス・ロングビルは中に居るのだろう。

小屋への偵察は本人の希望によりバッツとタバサの二人に任せられる運びとなった。バッツがいち早く立候補し、それを受けてタバサが続いた格好になる。

何故タバサが付いてくるのかは理解できないでいたが、とにかくバッツは小屋へ向かう。途中の地面に罠の類が仕掛けられていないか警戒する事は怠らない。

小屋の中に入るとそこには人影は無く、中央にテーブルが一つ置かれているだけであった。テーブル以外に家具らしい家具は何一つ無い。明りを灯す器具すら無い。

念のため床も調べたが、抜け道も見当たらなかった。何も無い殺風景な部屋の中にテーブルが一つきり。生活感どころか、使用された形跡すら感じられない。

罠が仕掛けられている可能性も考慮しつつ、テーブルに向かう。そこには質素な杖が一本置かれているだけであった。

 

「これが……破壊の杖?」

 

タバサがテーブルの上の杖を拾い上げる。まさしく杖といった見た目のそれは、外見からは『破壊』なんて名前が付いているようには見えないほど、ごく普通の杖であった。

バッツと感覚共有しているルイズの口から杖の特徴を聞いたコルベールは、それが間違いなく『破壊の杖』であると断言した。

ミス・ロングビルの保護には至らなったが、目的の一つである杖の奪還に成功したので、ひとまず小屋を出ようとする。

その時、異変が起こった。

地響きが起こり、辺り一面の地面が大きく揺れた。立つこともままならない程の揺れの強さに、バッツはタバサを押し倒し、庇うように覆い被さってなんとか耐えることに成功した。

 

「大丈夫か?」

「……うん」

 

タバサが少し頬を赤くして答えるが、暗闇の中なのでバッツにはそれが分からなかったようだ。

ホッとしたのも束の間、今度は小屋を包み込むように周囲の土が盛り上がり始めた。入口の扉や窓は真っ先に塞がれ、バッツとタバサは閉じ込められてしまった。

タバサが幾つかの呪文で土の壁に穴を開けようと試みるが、どれも大した効果が無い。

 

「……閉じ込められた」

「八方塞り、か?」

 

何か罠でも作動させてしまったのだろか。それともどこかでフーケが様子を窺っていたのだろうか。

しかし閉じ込められてはしまったが、今のところそれ以上の事が起きる気配も無い。外にはコルベール先生もいる事だし、程なく救援が来るだろうと予想しているバッツはそれほど切羽詰まった様子を見せない。

その証拠に壁の向こう側から何かをぶつけるような衝撃音が響いてくる。この土壁がどれ程の厚さがあるかは分からないが、そう時間がかからずに救出されるだろう。

ひとまず安心したところで、タバサは改めて破壊の杖を見る。

それはまさしく杖だ、何の変哲もない。手に取ってみても、何も感じない。何も感じないどころか、この杖を使って魔法を使おうにも肝心の魔法が発動しない。

破壊どころかメイジ用の杖ですら無かった。

何を以って『破壊』なんていかつい名前が与えられたのか理解に苦しむタバサに、バッツが思いがけない一言を掛ける。

 

「まさかこんな物がここにあるなんて思いもしなかったな。破壊の杖、か。まぁ、知らなきゃ破壊なんて呼ばれててもしょうがないかもな」

 

バッツは知っている、この杖の正体を。その事実に目を丸くするタバサ。今日一日で一番表情を変えた。いつもの無表情は流石に維持できなかったようだ。

 

「あなたはこれを知って……」

 

バッツに言葉の真偽を問いただそうとしたタバサの言葉は最後まで発せられる事は無かった。

突然、周囲の土壁が動き出したのだ。小屋ごと押しつぶすかのように締め上げて来る。小屋全体がが軋みを上げる。

それほど頑丈そうには見えないこの小屋は、程なく押しつぶされ、中のバッツ達ともども押しつぶされてしまうだろう。

二人の焦りが頂点に達する。タバサは先程よりも強力な呪文で壁に穴を開けようとするが、やはり全く歯が立たない。無駄だとわかっていても、何もしないわけにはいかない。

そうしているうちにも壁は迫り、二人を飲み込もうとしている。

万事休す。もう駄目だとタバサが目をギュッとつぶる。と、バッツがタバサの手を握ってこう言った。

 

「大丈夫だ。ちょっとだけ目を閉じていてくれ。心配するな、俺を信じろ」

 

信じろ、なんて言われても今日初めて口をきいたような相手を簡単に信じられるはずは無い。しかし目の前の男からは有無を言わせないようなオーラが立ち上っているような気がする。

不思議な剣を持ち、トライアングルメイジ相手に全く引けを取らないだけの力を持つバッツの、その不思議な雰囲気に呑みこまれてしまいそうだ。

どうせこのままでも何も打つ手は無いのだ、藁にすがってみるのもいいかもしれない。力強くバッツの手を握り返すと、今度は静かに目を瞑った。

 

 

小屋の外では突然の状況の変化にうろたえていた。先ほどから火系統の魔法で土の壁を崩そうと頑張って入るが、いかんせん中に人がいる状況では上手くいかない。

威力を上げ過ぎれば間違って小屋ごと吹き飛ばすような事にならないとも限らない。

出力調整に細心の注意を払わなくてはいかず、結果として十分とはいえない威力でしか魔法を放てないでいた。

 

「ミスタ・コルベール!まだなんですか!?中にはバッツが……!」

「分かっています、ミス・ヴァリエール。しかし、この状況では……」

 

茂みから出て土壁の所まで来ているルイズ達は、それぞれが得意の魔法でなんとか壁に穴を開けようと四苦八苦していた。

ルイズとキュルケは火系統の呪文で壁を壊そうと、ギーシュとコルベールは錬金でなんとか崩そうと試みている。が、ギーシュはドット、コルベールは土系統も使えるが主として使用しているわけではないので大した効果を上げられないでいた。

壁が動き出してからは焦りの度合いが増したなんてものではない。

 

「あぁもう、埒が明かないわ。こうなったら、全員で一気に魔法をぶち当てて壁を壊すしか!」

 

キュルケが叫ぶ。

 

「駄目です、ミス・ツェルプストー。それでは中に居る君の友人にも危害が及びます」

「しかしもう、そうする以外に手はありません!!」

「まだ諦めてはいけません。何かまだ手段が……」

 

そんな言い合いをしているうちにも土の壁はだんだんとその幅を狭め、確実に中の物を押し潰そうとしている。建物が押しつぶされているであろう音が中から響いている。

メキメキと軋みを上げ潰されているであろう小屋の断末魔の中に、まだ二人の声が混ざっていないのだけが唯一の救いだ。

 

「そうだ!破壊の杖を使えばこんな壁くらい壊せるんじゃないですか?使い方を教えて下されば私がバッツに伝えますから!!」

 

ルイズが頭をフル回転させて一つの希望を見出す。魔法学院の宝物庫に収められるだけの威力を秘めたマジックアイテムなら、この状況を打破できるかもしれない。

 

「残念ながら、あれの使い方を知っているのはオールド・オスマンただ一人だけなのです」

 

ルイズの妙案もあっさりと否定されてしまう。

 

「ミスタ・コルベール!もう限界です!!……くっ、ヴェルダンテさえ連れて来ていればこんな事には……!!」

 

ギーシュが悲痛な叫びをあげる。

 

「……仕方ありません。ミス・ツェルプストー、ミス・ヴァリエール、今から私と、三人で一気に壁を破りにかかります。でも気を付けて下さい、撃ちぬく様に放つのではなく、なるべく外縁部を狙って抉るようにやるのですよ!」

 

コルベールは決心する。三人が全力で魔法を放ち、なるべく中の人に危険が及ばないように壁を抉るようにして穴を開けようというのだ。

 

「それではカウントダウンでタイミングを合わせます。いきますよ、5…4…3…2…1…今です!!」

 

三人の杖から一斉に火球が放たれる。一番大きいコルベールの火球に他の二人の物が吸収されるようにして出来た大きな火の玉が、狙い通りに土壁の一部を削り取り、そこから中のバッツとタバサの姿が覗いた。

 

「やった!成功した!!」

 

そう喜んだのもほんの一瞬の事で、折角穿った穴も直ぐに新たな土壁で塞がれてしまった。

土壁が再生する……、考えてみればその可能性は大いにあり得たのであるが、この緊急事態に於いて誰もがあえて考えないようにしていたのだ。

最悪の状況。例えもっと大きな穴を開けたり、壁を全て取り払う事に成功したとしても直ぐに戻ってしまうだろう。

壁を壊して、その壁が再生するまでのほんの僅かな時間に二人を救出して出てこなければならない。もしくは、中とタイミングを合わせて穴を開けた瞬間に飛び出してもらうか。

しかし、もう時間が無い。先ほど穴を開けた直後から、壁が狭まる速度が上昇してしまっているのだ。

ルイズ経由で中と連絡を取り合うだけの時間の余裕も無い。あとはこちらの意図に気が付いて、穴をあけると同時に飛び出してくるのを期待するだけか。

もう迷っている暇は無い。土壁の幅からして、もう中の空間はそう残されていないだろう。最後のチャンスだ。

 

「二人とも、もう一度だけ試します。これが最後のチャンスです。ありったけの魔力を込めて、必ず二人を救い出しますよ!」

 

コルベールの言葉にルイズとキュルケの二人が続く。

もう土壁ではなく、土塊と呼んだ方がふさわしくなったモノに向かって三人が魔法を放つ。先ほどよりも幾分大きな火球が目標に向かって真っ直ぐに飛んでいく。

中の人を傷つけないように、細心の注意を払って軌道を制御するコルベールの額に汗がにじむ。これが失敗したらもう後がない。

大切な生徒と、生徒の使い魔。この二人をみすみす見殺しになんて出来はしない。

火球が土壁に当たる瞬間、壁の一部が盛り上がり、まるで飛んでくる弾を掴む手のような形状になって伸びてきた。土の手と火球が真っ向からぶつかって軽い爆発が起こり、辺りに土煙りが立ち込める。

煙が晴れた後にあったのは、もはや土壁でも土塊でもなく、完全に土の『ゴーレム』であった。

右手には誰が人間を握っていた。目を凝らして見れば、それはミス・ロングビルである。気絶しているのだろうか、ピクリとも動かない。

握られているのはミス・ロングビルで、バッツでも、タバサでも無い。ということは……。

 

「そ……そんな……」

 

ルイズが力無く膝をつく。救えなかったのだ。

バッツとタバサは恐らくあのゴーレムの中に生き埋めになっているのだ。いや、もしかしたら既に押し潰されていて…………。

 

「い……、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

ルイズの叫びが木霊する。一番考えたくなかった結末。最も避けたかった未来。目からは涙が溢れ、その瞳には何も映らない。ただ呆然と虚空を彷徨うだけである。

その場の誰もが絶望に心を支配される。

そしてゆっくりと、ゴーレムの肩に乗る人影から勝ち誇ったような声が発せられる。

 

「なんだなんだ、この『破壊の杖』の使い方を知ってるのは、あのオスマンのジジイだけなのかい。なんかの封印が施されているとは思っちゃいたが、そこまで徹底されてるとはねぇ」

 

男とも女とも判別の付かないフーケのものと思しきその声は、皆の神経を逆なでするに十分であった。

 

「折角のお宝も使い方が分かんないんじゃあ、その価値も半減以下だ。おまけに見た目がしょぼいんじゃ、何の価値もありゃしない。ここはひとつ、この女とあんた等の命と引き換えに、あの腐れジジイから聞き出すとしようかねぇ」

 

下卑た笑いを響かせるフーケに、コルベール達は怒りを爆発させる。

 

「貴様……盗みを働くだけでは飽き足らず、人の命を何だと思っているんだ!!」

「さぁねぇ?でもあんた等みたいな貴族様だって、そんなに命を大切にしてるようには見えないけどねぇ。戦争だの何だので好きなだけ命を奪っておきながら、都合のいい時だけ善人ぶるんじゃないよ」

「き……貴様ぁ……、貴様は許さん!」

「はっ!今度は私を殺そうってのかい?あんたたちこそ人の命をどう思っているのかねぇ?」

「黙れこの賊めが!!」

 

生徒を守り切れなかった事に怒っているのか、それともフーケの言葉に激怒しているのかは判別が付かないが、コリベールが学院では今まで見せた事の無い激しい怒りを露わにしている。

杖の先に高熱の炎の塊を造り出すと、それをゴーレムの上に立つ人影に向かってまっ直ぐに撃ち出す。しかし火弾はフーケに届く事無く、ゴーレムによって防御されしまう。

無論、ゴーレムとて無事には済まない。炎を受けたところは焼け落ちるが、直ぐに再生させられてしまう。先ほどの壁と同じような結果だ。

体長10メイルほどの巨大なゴーレム。学院を襲ったときに比べればかなり小さいが、それでも大きいということには変わりは無い。加えて恐ろしいまでの再生能力。

コルベールと同じように怒りに任せて魔法を放つキュルケの攻撃すら、大したダメージを与える事が出来ない。

コルベールは相手の力量を見誤ったのを後悔していた。

トライアングルメイジが3人もいれば、例え相手がスクエアクラスであろうともなんとかなると高をくくっていたのだ。

何より、自分の力を過信していた。その結果がこれだ。大切な生徒を失い、人質すら奪い返せていない。

しかし、後悔からは何も生まれない。今は最善の策を考え、それを実行しなければならないのだ。

 

「ミス・ヴァリエールにミスタ・グラモン。ここはなんとか私とミス・ツェルプストーの二人で足止めをします。ですから、あなた達二人は学院に戻り、他の教師の加勢を要請してください」

 

生徒一人を失って、ここで賊を逃すわけにはいかない。今は恥も外聞も無い。一人でも多い助力を求め、確実にフーケを捕らえなければ。

 

「わかりました。バッツの弔い合戦です。必ずあいつを捕まえましょう」

 

ルイズは涙を拭ってそう頷くと、ギーシュと共に『フライ』の呪文で学院へと飛び立とうとする。

 

「誰の弔いだって?勝手に殺してもらっちゃ困る」

 

そこへ、居るはずの無い人物の声が届いた。

 

「…………バッツ…………!!」

 

ルイズの瞳に、バッツの姿が映る。少し土で汚れてはいるが、大した怪我も無くピンピンとしていた。傍らにはタバサの姿もある。

 

「バッツ……生きて……」

 

目の前の光景が信じられないルイズは、強すぎる感情の波の前に口がうまく回らない。そして一気に緊張が解けて安心してしまったのか、膝の力が抜けて後ろ向きに倒れこんでしまった。

慌てて走りよってルイズを倒れないよう抱え込むと、

 

「すまない。少し遠くに出ちゃってね、心配かけたみたいだな」

 

とルイズに謝った。

 

「心配したなんてもんじゃないわよ。死んじゃったかと思ったじゃない」

 

涙声で答えるルイズの表情は、怒りではなく安堵の気持ちに満ちていた。

 

「バッツ君、どうやってあの中から!?」

 

コルベールが駆け寄って来た。

 

「そんなことより、今はあのゴーレムを何とかしなきゃいけないんじゃないか?」

「ううむ、そうですが……」

 

コルベールの問いには答えず、バッツはゴーレムを優先させるように話を逸らし、デルフリンガーを構えてゴーレムに向かって走り出した。

 

「破壊の杖は取り戻しました」

 

と、タバサはコルベールに杖を手渡すと、そのままゴーレムへと向かっていく。

バッツとタバサの無事の生還および加勢によって形勢は傾き始めた。わずかながらフーケ討伐隊のほうが押し始めたのだ。

ゴーレムの上半身は魔法の使えるルイズ・キュルケ・タバサ・コルベールの4人で攻め、足元はバッツとギーシュのゴーレムの連携で攻撃を加える。

 

「おいおい相棒、こりゃいくらやってもキリがねーぜ」

 

デルフリンガーが弱音を上げる。実際、斬っても斬ってもすぐ切り口が塞がってしまうゴーレムの相手をするのは精神的にキツイ。

足も腕も太いので、一太刀で両断することは難しい上、一撃加えても次の斬撃の間までに元に戻ってしまう。斬っても斬っても一向に倒れる気配が見えてこない。

 

「相棒よ、なんか一発逆転できるよーな必殺技みてーなのはねーのかよ!?」

「あることはある、でもこの状況じゃちょっと無理だ」

「バッツ君、何か秘策でもあるのかね?」

 

デルフリンガーとバッツの会話に割り込んできたのはコルベールだった。決め手にかける今の状況を打破できるだけの手立てを思いつけないでいた彼は、バッツの案に興味を示した。

 

「あの破壊の杖を使う」

「なんだって?破壊の杖を……“使う”!?」

 

バッツはニヤリと笑う。

 

「ああ、あいつに破壊の杖の威力を見せ付けてやれば良いのさ」

「君はあの杖を使えるというのかね?」

「使うのは何も俺じゃなくても良いさ、先生でも構わない」

「……どうやって使うのですか?」

「それには先ず……」

 

バッツはゴーレムの右手に握られている人質に目をやる。

 

「あの人を救い出さないといけないな。それは俺がやるから、その間の時間稼ぎは頼んだ」

 

コルベールと軽く作戦の打ち合わせをすると、それぞれが駆け出す。コルベールはルイズとキュルケの元にくると、バッツの作戦を伝える。

二人は軽く驚いたもののすぐに作戦を理解し、頷いた。

バッツはゴーレムの目の前まで駆けて行くと、一度しゃがみこんだと思ったら信じられない跳躍力で見えなくなるまで上昇していった。

バッツを目で追うゴーレムの足元で、今度はギーシュの攻撃が始まる。

数体分の魔力を使い、通常の数倍の大きさのワルキューレを生成し、ゴーレムと相対する。それでもまだフーケのゴーレムのほうが倍以上の大きさがある。

 

「ミスタ・コルベール、僕のワルキューレの剣を『錬金』でもっと硬くて熱に強い金属に変えてください。僕の実力じゃ青銅が精一杯なんですよ!」

 

ギーシュの突然の頼みごとに意味を理解できないコルベールであるが、熱心なその眼差しに言われるまま『錬金』をかける。

次にギーシュはルイズとキュルケ二人に、錬金で強くなった剣に向かって火球を撃つように指示する。

 

「なんでそんなことしなきゃなんないのよ」

「いいから早く!!」

 

ギーシュに急かされるまま、火球を放つ二人。その炎の塊を剣で受けると、ワルキューレはそのままゴーレムに斬りかかった。

防御の為に体を土から金属に変えたゴーレムであるが、そのままワルキューレの剣に切り裂かれる。火球を受け赤熱した剣は先日の『ゲーム』での光景を思い起こさせた。

 

「どうだこの化物め!」

 

即席フレイムタンともいえる攻撃で、倍以上の体格を持つゴーレム相手に奮戦するワルキューレ。そこにコルベールらの支援攻撃が加わり、ゴーレムの動きを完全に封じた。

そこに、遥か上空からバッツが急降下し、ゴーレムの右手首に斬りかかった。全体重に落下速度を加えた衝撃でなんとかゴーレムの手を切り落とすのに成功する。

その弾みで宙に投げ出されたミス・ロングビルの体はタバサの『レビテーション』によって保護される。彼女が地面に降り立つのを見届けると、バッツが叫ぶ。

 

「今だ!!」

 

ルイズが破壊の杖を掲げる。ゴーレムに止めを差すのを申し出たのはルイズだった。バッツの説明どおりに杖に嵌められた赤い石一度を外し、上下逆に嵌め直すとそれをゴーレムに向ける。

シュッ。

とても細い光の筋が走ったかと思うと、ゴーレムの体を凄まじい熱量を持った光の球が包み込んだ。辺りには熱風が吹き荒れ、とてもじゃないが近寄ることは出来ない。

炎ではなく、純粋な熱の塊がゴーレムを消し飛ばし、跡には焼け焦げた地面が残るだけであった。

 

「これが……破壊の杖の真の力……」

 

皆、そのあまりに強すぎる杖の力に言葉が出ない。今目の前で起こったものは、火系統のスクエアメイジ何人分の威力に匹敵するのだろうか。そんなものがこの一見何の変哲も無い杖に込められているのだ。

オスマン氏が封印するのもうなづける。

そのあまりの威力に、手にしたそれがひどく禍々しい物に思えたルイズであったが、その杖が彼女の見ている目の前でボロボロと崩れだし、ついには幾つかの小さな木片となってしまった。

 

「ミスタ・コルベール!!杖が……杖が!!」

 

崩れてしまった杖の残骸を拾い上げながら、コルベールは静かに言った。

 

「破壊の杖の奪還自体には成功したのですし、なにより悪用は避けられたので良しとしましょう。もしかしたら、バッツ君はこうなる事を知っていたのかもしれませんが」

 

その言葉に、皆の視線が一斉にバッツに向けられる。しかしバッツは、

 

「さあな。古いものだったみたいだし、腐ってたんじゃないか?」

 

と、とぼけるだけだった。

 

「ミス・ロングビルも無事に戻ってきましたし、フーケも……」

 

そういって辺りを見回す。塵すら残っていないゴーレム跡から察するに、ゴーレム上にいたフーケとて無事には済まないであろう事は容易に予想がついた。

もしかしたら、ゴーレムと共に消し飛んでしまったのかもしれない。

 

「……恐らくフーケも、もう襲っては来ないでしょう」

 

コルベールが苦い気持ちを抑えながら淡々と述べる。この状況では恐らくフーケは生きてはいないだろう。あの凄まじい熱の嵐の中では例えスクエアメイジでも生き残るのは難しい。

一瞬の内に蒸発してしまったのかと考えると後味が悪い。

 

「とにかく、これで任務は完全に遂行できたのです。胸を張って学院に戻ろうではありませんか」

 

努めて明るく振舞うコルベールに促され、一同は帰路につき始める。タバサが指笛を吹き、シルフィードを呼び寄せる。

飛んできたシルフィードを見てバッツが一言、

 

「ここにも飛竜がいるのか」

 

と言ったのを聞き逃さなかったタバサは

 

「火竜じゃなくて風竜。この子は火なんか吐かない」

 

と反論した。言葉の意味が微妙に伝わっていないことに気がついたバッツは軽く笑う。反対にタバサはバッツの笑う意味が理解できなくて首をかしげるだけだった。



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第11話 フリッグの舞踏会

学院へと戻った討伐隊一行は、そのまま真っ直ぐ学院長室へと向かった。

オスマン氏の前に整列する一同。学院長用のテーブルには、破壊の杖の残骸が並べられている。

 

「…………ふむ、事の顛末は良くわかった。杖がこのような状態になってしまったのは残念なことじゃが、皆が無事で何よりじゃ。コルベール君、良くぞ皆を守り抜いてくれた」

 

オスマン氏に名前を呼ばれたコルベールは、畏まって答える。

 

「いえ、私は褒められる程の働きをしていません。破壊の杖と、生徒達の勇気のお蔭です」

「うむ。フーケの件に関しては……残念な結果となってしまったとしか言うことが出来ぬが、これも己の身から出た錆じゃろう。皆もこれを教訓に己を律して生きて欲しい」

 

オスマン氏の言葉に誰もが頷く。今のところ、フーケは生死不明扱いだ。

あの業火の中で生き残っているとは考えられないが、ゴーレムともども跡形も無く消し飛んでしまっただけに死んだという証拠も無い。

王室への報告も、破壊の杖により生死不明、恐らく死亡という風にしか説明できない。が、これで一応はフーケの脅威は過ぎ去ったと言えよう。

 

「皆の者ご苦労であった。今夜は……といっても、もう日付も変わってしまったかの。今日はゆっくりと休むと良い。特別に諸君らだけは今日一日休講扱いにしよう」

 

ちらりと時計を見たオスマン氏は、時刻を考慮して生徒達に特別な計らいを見せた。

 

「じゃがあまり休みすぎるでないぞ。明日、いや今夜は『フリッグの舞踏会』がある。もちろん主役は諸君達じゃ。存分に着飾ってくるのじゃぞ」

 

討伐隊に加わった面々への褒章は後日、ということで今日はお開きとなった。これでこの一件は幕引きだ。皆ぞろぞろと学院長室を後にする。そんな中、バッツ一人が呼び止められた。

皆が引き上げた部屋に残ったのは、バッツとオスマン氏の二人のみとなった。

オスマン氏が杖を振ると、傍にあった椅子が浮かび上がり、氏のテーブル前に移動した。そこに座れという事なのだろう。

先ほどまでの和やかな雰囲気がうって変わって、険しいものとなる。

 

「先ず君に確認しておきたいことがある」

 

しばしの沈黙の後、重い口を開いたのはオスマン氏であった。

 

「君は、あの『破壊の杖』の素性を知っているようじゃの」

 

コルベールの報告を受け、バッツが破壊の杖の使い方を知ってるという事実は既にオスマン氏の知るところとなっている。

 

「ああ、俺もあのロッドを何度か使ったことがある。」

 

バッツはさも当たり前という風に答える。

 

「ロッド……?」

「ああ。あんた達は『破壊の杖』なんて大層な名前を付けていたみたいだけど、アレの名前は『炎のロッド』だ」

「何故君がこの杖の事を詳しく知っているのか、説明してもらわないといけないかの」

 

少しの間考えた後、バッツはオスマン氏の質問に答えることにした。

 

「あれは俺の……俺の世界ではそう珍しいものじゃない。ああいった使い方をすれば強力だけど、そうすると使い捨てになってしまうし、そもそもそういう使い方をする者も多くはないが」

「君の……『世界』?」

 

オスマン氏の目が光る。

 

「ああ、俺の居た世界。どうしてかは解らないけど、こっちに呼び出されたみたいだな。恐らくルイズによって」

「ふむ。『サモン・サーヴァント』は基本的にこの世界にいる生き物を召喚する呪文なのじゃが、どうやら君はその例外みたいじゃのう」

「そうみたいだな」

「違う世界の人間……か……」

 

オスマン氏が自慢の白髭を撫でながら椅子に深く体を預ける。

 

「俺からも聞きたい事がある。あのロッドはどういう経緯でこの学院にやって来たんだ」

「うむ、君になら話してもよかろう。あれはもう何年前の事じゃったろうか……。五十年?百年?とにかくあの頃のワシは若さに溢れ、色々と無茶な事ばかりしておった」

 

オスマン氏は遠くを見詰めるような表情で語り始めた。

 

「あの頃のワシは不世出の天才、なんて呼ばれて有頂天になっておってな。自分の力と溢れんばかりの魔術の才能を過信し、各地を渡り歩いては自分の力を試して回ったものじゃ」

 

机の影から水煙草を取り出すと、ゆっくりとふかしながらオスマン氏の話は続く。

 

「今思えば無謀の極みでしかないんじゃがな、単身でサハラに乗り込んで聖地をこの目で確かめようなんてした事もあったのじゃよ。君にはサハラも聖地も何の事かわからないかもしれんがの。サハラにはエルフが住んでおってな、始祖ブリミル生誕の地と語りづがれている場所、我々はそこを聖地と呼んでおるが、そこを占拠しておるのじゃ。我ら始祖の流れを汲むメイジにとっては重要な拠り所でな、いつかはエルフ達から取り戻そうと夢見ておるんじゃよ。」

 

ハルケギニアの歴史はバッツにはよく理解できないと見え、キョトンとしているのに気が付いたオスマン氏は、コホンと軽く咳払いをすると話を脱線させるのを止め、なるべく核心だけに絞ることにした。

 

「……話が少しずれたかの。エルフというのは人間より遥かに強力な魔法を操る種族でな、そんな奴らが住む土地に単身で乗り込むなんて無茶をしていた時の事じゃった。幾人かのエルフに追われ、絶体絶命だったワシを救ってくれた人が持っていたのがこの杖なんじゃよ」

 

破壊の杖、もとい炎のロッドの残骸を愛おしそうに眺めながら、オスマン氏は話を続けた。

 

「ワシを助けてくれた御仁は見慣れぬ服に身を包んでおった。我々とも、エルフとも違う衣服に身を包んでいたが、今思えば異世界の服だったのじゃろうな。見た事も無い、エルフですら恐怖する威力の魔法で奴等を追い払ってくれた。彼はワシを助けてくれたあと、護身用にと自分で使っていた杖をくれたのじゃ。その後彼がどうなったのかは知らん。エルフの勢力圏を抜けた後は別れ別れになって、それぞれの道を取ったからのう。まさか異世界の人間だったとは夢にも思わんかったわい」

 

カッカッカッと明るく笑い飛ばすと、また真面目な顔に戻る。

 

「どうしてこのロッドに『破壊の杖』なんて名前を付けたんだ?」

「ああそれはの、単純な話じゃ。その御仁が使っているところを見たんじゃよ。それにな、威力が強過ぎて根こそぎ焼き尽くしてしまうのと、杖自体が壊れてしまうのとでダブルネーミングじゃったんじゃよ」

「なるほど、確かにな」

 

二人が顔を見合わせてニヤリと笑う。

また真面目な顔に戻ったオスマン氏は、話を続けた。

 

「それにもう一つ確認しておきたい事がある。君のその剣術の技量は、君自身が修得していたものなのか、それともルーンによって与えられている物なのか」

「……?言っている意味がよく分からない」

「君のその左手のルーンは、他の使い魔のルーンとは一線を画すという事じゃ。それはありとあらゆる武器を使いこなしたと伝説にある始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』のものと同じ、らしいのじゃよ。もし君の強さの秘密がそのルーンにあるとすれば、君は伝説の再来という事になる」

 

改めて自分の左手の甲をマジマジと見詰めるバッツ。あまり気にしないようにしてはいたが、まさかそんな秘密が隠されていたとは。

 

「期待外れで悪いが、あれは全部俺自身の力だ。そのなんとかっていうルーンの力じゃない」

「そうか、そうであったか」

 

やや残念そうにそう答えるオスマン氏。実のところ、バッツの力を危険視する一方で伝説を目の当たりにできるのではないかという期待を微かにだが抱いてたのだ。

残念そうにしていたのもつかの間、「そういえば」と前置きして、思い出したように新たな質問を投げかけてきた。

 

「君は魔法が使えるかね?」

「それはこっちの『系統魔法』を、って事か?」

「いや、そう限定はせん。ワシを救ってくれた御仁のような、君の世界の魔法でも構わんよ」

「もし“使える”と答えたらどうだって言うんだ?」

 

バッツが警戒するようにそう答えたので、オスマン氏は慌ててバッツの懸念を否定する。

 

「別にそれがどうという事は無いんじゃ。勿論、君がどんな魔法が使えようが、それを理由に君が不利益を被るような事をするつもりは無いし、それを他言するつもりも無い」

 

その言葉を聞いて少し安心したのか、バッツは警戒を少し解いた。

 

「ああ、少しは使える。でもこちらの魔法は使えない、と思う。まだ試した事無いから分からないけど。『錬金』とかいうのは使えたら便利だと思うけどな」

「そうか……」

 

また沈黙の時が流れた、そんな中、バッツの欠伸をかみ殺す仕草を見たオスマン氏は、改めて今の時間を思い出し、話を切り上げる事にした。

 

「君が何故この世界に召喚されてしまったのか、それは君のその左手のルーンと関わりがあるのか、関わりがあるとしたら何を意味しているのか。それについてはこれからワシの方でも調べていくつもりじゃ、何か分かったら直ぐに教えよう。それと合わせて、君が元の世界に戻れる方法も探してみようと思う。何か出来る事があれば遠慮なく言ってくれ、力になるぞ」

「ああ、ありがとう」

「それと、出来るだけ君は魔法が使えないという事にしておいた方がいいじゃろう。君の世界ではどうだったかは知らないが、ここでは平民が魔法を使えるというのは色々と問題を起こしかねん。出来る限り、他の者の前では魔法を使わん事じゃ」

「肝に銘じておくよ」

 

そんなオスマン氏の有り難い申し出と忠告を素直に受け入れ、今日は本当にお開きとなった。

 

 

 

 

 

盗賊騒ぎが収まって、また夜が訪れた。

今夜はアルヴィーズの食堂の上の階に位置する大ホールにて、舞踏会は盛大に催されている。巷で悪名高い盗賊フーケ撃退という戦勝ムードと相まって何時にない盛り上がりを見せている。

そんな雰囲気から一人離れ、会場外のバルコニーでバッツはデルフリンガー相手にワイングラスを傾けていた。

 

「なぁ相棒よ、一つ思い出した事があるんだよ」

 

手摺りに立てかけられたデルフリンガーが話し始めた。

 

「何をだい?」

「昨日の夜、あの何とかって爺さんと話していたときに出てきた『ガンダールヴ』って奴についてさ」

「それがどうした」

 

グラスに残ったワインを一気にあおると、バッツは取り皿に持ってきた料理をつつきながら話を聞いた。

 

「俺はな、たぶん知ってるぜ。『ガンダールヴ』の事」

「へぇ、それで?」

「何でぇ、あんまり驚かねぇな。まあいい。今回の事で色々と思い出したんだよ。俺がもう何年も剣やってるってのは話したと思うんだけどよ、今まで俺を使った奴の中に相棒みてぇに『ガンダールヴ』だった奴が何人かいたような覚えがあるんだよ」

 

デルフリンガーは剣なので表情とかいったモノは一切ない。だから今どんな気持ちで話しているのかは声の調子でしか判断できないが、人間だったらきっと遠い昔を懐かしむような表情をしているに違いない。

そんな何処か懐かしむような調子のまま、話は続く。

 

「まだ詳しくは思い出せねぇけどよ、なんせこちとら何百年も剣やってるんだ、記憶も大分あやふやになっちまっているからよ」

「で、俺以外の『ガンダールヴ』ってどんな奴らだったんだ?」

「色々といたけどよ、総じて気の良い奴らばっかだったぜ。それに俺を大事にしてくれた。だからおめーも俺の事を大事にしてくれよ」

 

何か深刻な話になるかと思っていたバッツはいささか肩すかしをくらってしまったが、わかったわかったと笑いながら和やかに時は過ぎてゆく。

そんなバッツ達の元に、タバサがやって来た。室内と違い、薄暗いバルコニーでは、黒いドレスに身を包んだタバサの姿は、まるで闇を身に纏っているようであった。

暗いのであまり表情は分からない。室内から漏れる光で時折眼鏡が光る。

 

「ありがとう」

 

いきなりタバサが呟くように感謝の言葉を述べた。が、何の事だかわからない。色々と考えを巡らせて、ようやくフーケの罠から抜けだしたときの事ではないかと思い当たる。

 

「ああ、あの時の事か。別に気にする事ないさ」

 

そう答えるバッツは、その時初めてタバサと目があった。酒が入っているのか、少し潤んだ様な瞳がバッツの事を見上げていた。

薄明かりの中で見るタバサの姿は、どこか消え入りそうな危うさを孕んでいる。

 

「あの時、どうやって助かったのか分からない。土の壁に囲まれて、あなたに言われるまま目をつぶって、気が付いたら外に居た。あなたは一体、何をしたの?」

 

どうやら礼を言うのは名目で、本当はその事を知りたかったらしい。何時も表情を崩さないその顔からは、デルフリンガーとは違った意味で心の内を知るのは難しい。

バルコニーの柵にもたれ掛りながら、バッツは静かに答える。

 

「助かったんだ、そんな事はどうだっていいじゃないか」

 

空になったグラスにワインを注ぎながら、そうタバサの質問をはぐらかす。タバサにもワインを進めてみたが軽く首を横に振るだけだ。

ルイズには黒魔法の初歩を教えたが、それ以外の人間にまでバッツの世界の魔法を教えるつもりはない。

もっとも、ルイズにもそれほど深くまでは教えるつもりも無い。せいぜい『ラ』系までの魔法を使えるようになればいいと考えていたのだ。『ガ』系では強すぎる。

だから、タバサにも話さない。

二つの満月に照らされたバルコニーで向かい合う二人の男女。傍から見たらロマンチックな逢引にも見えるが、その場に漂う雰囲気は少しばかり険しいものであった。

 

「あなたには少し謎が多すぎる。メイジに対抗できるだけの腕を持つ人間は居ない事は無い。でも、トライアングルやそれ以上のメイジに勝てる人なんて居ない。それなのに、あなたは……。あなたは、一体何者?」

 

それは質問ではなく、詰問であった。タバサの瞳がバッツを射抜くように見つめる。対するバッツは酔っているのか、酔った振りなのか、少し遠くを眺めながらグラスを揺らしている。

心地よい風が二人の間を吹き抜け、髪を揺らす。

 

「俺は俺さ。根なし草の旅人、バッツ・クラウザー。今は色々あってルイズの使い魔をしてるってだけの、ただの人間さ。それ以上でも、それ以下でもない」

「…………そう」

 

あくまでもしらを切ろうというバッツの態度に、タバサはそれ以上問い詰めることは無かった。

質問以外に話の種がないのか、タバサはそのまま踵を返してパーティー会場へと戻っていってしまった。

タバサと入れ替わるようにして今度はルイズがやって来た。タバサとは対照的に白いドレスに身を包んだその姿は、月明かりだけのバルコニーでも十分な輝きを放っていた。

 

「こんな所にいたのね」

 

騒がしい会場内から抜け出して来たルイズが、こちらに気が付いた。楽しそうにしているが、何処となく疲れた様子が見て取れる。

軽く千鳥足で歩く姿から察するに、大分酒を飲んでいるらしい。

 

「昨日の疲れが残っているのか?」

 

ルイズの様子に気を使うバッツだったが、ルイズは小さく首を横に振ると溜息をひとつついた。

 

「疲れてるってのは外れてないけど、別に昨夜のアレのせいだけじゃないわ。ここ数日で色々と変わりすぎたから、それが一気に実感が沸いてきて戸惑ってるだけよ」

 

バッツの横まで来ると、バルコニーの手すりに寄りかかって、「一杯くれる?」と空のグラスを突き出してきた。

注がれたワインを一息に飲み干すと、また大きく深呼吸をして空を見上げた。

 

「本当に、色々と変わったわ。一昨日までは魔法も碌に使えない落ちこぼれだったのに、今じゃもう魔法も使えるようになって、その上盗賊撃退の英雄御一行様の一員よ。ホント、信じれられない」

 

ルイズの瞳は夜空の星を映している。遥か遠くを見つめるその姿は、夢見る少女そのものだ。夢が叶って喜ぶ反面、急激に変わりゆく自分に対する不安も垣間見えた。

 

「今回の一件で、私はシュヴァリエに推挙される事になったらしいわ。これで私も騎士の仲間入りってわけよ。後ろ指差されていた半端者が、今や皆も羨むエリートになるなんてね」

 

自嘲も含まれた笑いの後、ワインをもう一杯要求する。注がれたワインをまた直ぐに飲み干すと、顔の赤みが更に濃くなった。

 

「で、さっき居たのはタバサ?なんか良い雰囲気だったけど、何かあったのかしら?あの子に限って、とは思うけど」

 

さっきのやり取りを見ていたのか、ルイズがニヤリと笑うと、茶々をいれる。

 

「なに、ただ昨日の礼を言いに来ただけさ」

「昨日のって……。ああ、あの時のあれね」

 

ユラユラと頭を左右に揺らしながら、ルイズが答える。大分酔いが回ってきているらしい。

 

「あの子も真面目ねー。別に使い魔に助けられる位、なんでもないのに。いちいち礼を言ってたらキリが無いわ」

「使い魔は主人に尽くすもの、だからか?」

「そうよ。使い魔がメイジを助けるのは当たり前。でも、あんまり他の子ばっかりってのも見てていい気はしないけどね」

 

だからたまには私も助けなさい、なんてよくわからない事を言いながら、バッツに向かって仁王立ちでビシッと人差し指を突き立てる。目は焦点を失い完全に酔っ払っていた。

時折室内から漏れ聞こえて来る音楽に合わせて、フラフラと左右に体を揺らしながら気持ち良さそうに顔を緩ませている。

 

「酔っぱらってるな?」

「全~然。あんただって結構呑んでんじゃない。私の目はごまかせないわよ」

 

確かにバッツの足元にはワインの空瓶が数本転がっているが、明らかにルイズの方が酔っている。

会場の方から名前を呼ばれて、そのままフラフラと会場へと戻っていくルイズの後ろ姿を見送ってバッツは新たにワインの栓を開けた。

嬉しそうにはしゃぐルイズの姿を見ているのも、そう悪くは無い。

 

「やけに上機嫌じゃねぇか、あの娘っ子。あんな愛嬌のある性格だったっけか?」

 

今まで発言を控えていたデルフリンガーがその口を開いた。

ルイズは色々と不安などを漏らしてはいたが終始満面の笑みを浮かべていたな、と思い起こす。作り物の愛想笑いではない、心の底から嬉しがっているその表情は、バッツが彼女と出会ってから初めて見るものであった。

いや、今までの彼女の人生の中でもあれだけ心から笑えている事は、今まで一体どれ程あったのだろうか。

まだルイズと過ごした時間が少ないバッツの目にも、今までのルイズの態度と今の彼女の姿はまるで違って見える。

 

「最初に会った時はとにかく酷かったからな。第一印象は悪かったよ。でも、今にして思うと、この姿の方が本来のあの子の性格なのかもしれないな」

「だとしたら、俺に対する態度も少しは良くなるかねぇ?」

「さあ?そこまでは分からないよ。なにせ、俺の待遇も良くなるかどうかさえ分からないんだからな」

「お互い、肩身の狭い境遇だねぇ」

 

デルフリンガーとバッツの笑い声が夜空に溶けていく。空に浮かぶ二つの満月に照らされて学園の夜は静かに、けれど賑やかに更けていった。



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第12話 バッツ、追い出される

「悪いけど、あんたにはこの部屋から出て行ってもらうわ」

 

ルイズの突然の宣告にバッツの動きが止まる。

授業も終わり、夕食までの空き時間をいつものようにルイズの部屋で過ごしていた時に、それは起こった。

 

 

 

時は少し遡る。

昼食後の休憩時間、バッツが給仕を終えて食事を摂っている間の事である。

その間手持無沙汰となるルイズは、モンモランシー・キュルケ・タバサの三人と共にテーブルを囲んで食後のお茶を楽しんでいた。

ここ数日、ルイズは同じクラスの女生徒、特に前述の三人と一緒に居る事が多い。

系統魔法が使えるようになってからというもの、大きな心境の変化がルイズの中であったらしい。それ以外のクラスメイトと談笑する姿も多く見受けられるようになった。

急激なルイズの変化に戸惑う者もいるが、その多くは好意的に受け止めている。

系統魔法が使えるようになった事により「他の皆と同じになれた」という現状がルイズの心を解きほぐしたのだろう。

心に余裕が生まれ、今まで“宿敵”と公言して憚らなかったキュルケとも同席することが多くなってきている。

そんな、新しい日常の中でそれは起こった。

事の発端はモンモランシーの一言だった。

 

「あなたの使い魔、名前はバッツっていったかしら?彼についてちょっと問題が起きてるのよ」

 

少し声のトーンを抑えて喋り出す。何やら深刻な問題でも起きているのだろうか?ルイズの目の届く限りでは、バッツは特に悪さを働いていない。

よく気が利くし、平民にしては紳士的な態度をとっている。ルイズにとってバッツは優秀な召使と言えた。

そんな彼にどんな問題が起こっているというのだろうか。

 

「あなたの使い魔ってホラ、男性でしょ?殿方が女子寮に出入りしてるのが不安だっていう意見が結構耳に入ってくるのよ」

「あら、そういう話だったら、あたしも聞いた事があるわ」

 

モンモランシーの話にキュルケが相槌を打つ。

 

「別に良いじゃない。使い魔が主人の部屋で寝起きするのは当たり前の事だわ。あんた達だって部屋に使い魔を住みつかせてるでしょ?それと同じよ」

 

ルイズは反論するが、モンモランシーは首を横に振る。

 

「わかってないわね、ルイズ。いくら使い魔だって言われても、相手は人間の、しかも男よ。寮に居る女生徒全部が全部キュルケみたいな性格じゃないの。寝所近くを男がうろついてるって考えるだけで怖くて夜も眠れないような女の子もいるのよ」

「でも平民じゃない。私達貴族にとって召使なんて居て当然。空気や水、いいえ道端の石コロと同じようなもんでしょ?」

「“普通の平民”ならそうかもしれないわ。相手が平民なら、例えドットでも杖の一振りでどうとでも撃退できるもの。だからもし万が一、自分の身に何か危険が及んでも心配は無いわ。でも彼は違う。彼は、少なくともトライアングル相当以上の人間なのよ」

 

そこまで言われて、ようやくルイズにもモンモランシーの言わんとする事が理解できた。

ルイズの表情の変化から、彼女も何が問題になっているか理解できたと見たモンモランシーは話を続ける。

 

「つまりはそういう事。ルイズにだってわかるでしょ?あのリヒャルトみたいな奴に部屋の周りをうろつかれたら嫌でしょ」

「でも、あいつはそんな奴じゃないわ」

「そんなの分からないわよ、彼と親しい間柄でもない限りはね。上級生や下級生には『彼はトライアングルメイジを倒しフーケを相手に出来る程の力を持つ人間だ』くらいにしか思われてないわよ。人となりなんて伝わりようがないわ」

 

むぐぅ、とルイズが押し黙る。流石に反論のしようがない。いくら自分の使い魔とはいえ、その行動の全てを管理出来るわけでもない。

自分の目が届かない所で他の女生徒に悪さを絶対にしない、とは言い切れないのだ。自分の身に置き換えてみれば成程、他の女生徒達が不安がるのも理解できる。

キュルケの「あたしなら何時夜這に来てもいいんだけどね。むしろ大歓迎よ」という言葉は無視して、この問題を真剣に考えねばなるまい。

 

「それとね、問題はそれだけじゃないのよ」

 

まだ何かあるというのか。しかし問題を提起するモンモランシーの顔が少し恥ずかしそうにしているのが気になる。

 

「彼から、なんか不思議な匂いがしない?」

「臭い?まさか。ちゃんと毎日体を洗わせてるし、服も毎日取り替えてさせてるわ。特に服なんてまだ卸したてだから、そんな変な臭いなんかしない筈よ」

「別に嫌な臭いって訳じゃないわ。何か香水とは違う、甘いようななんと言うか……とにかく、近くに居ると少し胸がドキドキしちゃうような匂いがするのよ」

 

果たしてそうだっただろうか、とルイズが考え込む。あいつからは何か特殊な匂いでもしていただろうか。いつもバッツが近くに居るせいで自分の嗅覚がその匂いに慣れてしまっているだけという可能性も否定できないが、ルイズには思い当たる節がない。

 

「あー、それは分かるわ。何か彼からはいい香りがするわよね。フェロモンっていうのかしら?匂い立つ男の色気ってもんがあるわよねぇ」

「彼から特殊な香りがするという点には、少し同意する」

「そうなのよね。『香水』の二つ名を持つ身としては、是非ともあの香りを研究してモノにしたいなんて考えちゃうわ。もしかしたら媚薬なんかが出来るかも、ってね」

 

キュルケはおろか今まで話に参加せず、話を聞いていたかどうかすら疑わしかったタバサまでもが賛同した。

どうやら本当にバッツの匂いについて気が付いてないのは自分だけだったらしい。あの、他人には全くと言っていいほど無関心なタバサすら気が付いているのだから。

 

「そういう訳でね、一部じゃあなたが使い魔と毎晩……って噂が出るまでの状況になっているのよ」

 

それまではどことなく「まあいいか」位に捕らえていたルイズも、その一言には流石に目の色を変える。

 

「な……ななななな、何を言い出すのよ!私が、この私が平民と、そそそそんな事するわけ無いじゃない!!」

 

顔を真っ赤にしてルイズが反論する。

 

「落ち着いてルイズ。あくまでも噂よ、噂。でもそんな噂が立つなんて、ヴァリエールの名が泣くんじゃないの?」

 

うぐぐ、とルイズは何とか気持ちを落ち着かせようとする。自分に関する噂が立っている事自体も驚きだが、その内容が内容なだけに穏やかではいられない。

よりにも寄って平民なんかと逢瀬を重ねているなんて、貴族としての面目が立たない。本当に好き合っているのならばまだしも、自分とバッツの間柄は全く以てそんな物ではないのだ。

あくまでもタダの使い魔とメイジの関係、清く正しい付き合い。決して男女のそれでは無いのに、周りからはそう見えてしまうのだろうか。これはルイズにとって全く意外なことである。

 

 

 

 

「と、言う訳なのよ」

 

ルイズから事の経緯を聞き、バッツも胸を撫で下ろした。お役目御免で放り出されるわけではないらしい。

まぁ、普通に考えれば今の状況は好ましくないのは誰の目にも明らかなのだが、バッツはあえてその事を考えないようにしていた。

ルイズの元に居る事に何かこだわりがあるわけではないが、使い魔としてここに居る以上はおいそれとルイズから離れるのも気が咎めるのだ。

 

「ま、そりゃそうだろうな。ホント言うと、居心地の悪さはずっと感じてたんだよな」

「そうなの?」

「そりゃあな。この塔に入ってすれ違うのはモンスターか女の子ばっかだし、すれ違うたびになんか嫌そうな視線を感じるんだよ」

 

初めて聞くバッツの軽い不満にこれまた驚くルイズ。いつもなんともないような顔をしていたから何の不満も抱いていないと考えていたのだ。

それと同時に、自分の使い魔との意思疎通が足りていないという現状を見せつけられたようで苦い感覚も込み上げて来る。

 

「そう、そうだったの。それじゃ、どうしようかしらね。他の部屋に空きがあったかしら?」

 

現実的な打開策としては、バッツを使用人用の宿舎で寝起きさせることだろう。男子寮内に空き部屋を見つけてそこに住まわせる事が出来るのが最良だろうが、それはたぶん無理だ。

いくらバッツでも、使い魔で平民という身分では貴族の子息と同じような部屋に住めるはずは無い。そうなったらそうなったで新たな問題の火種となるのも目に見えている。

 

「取り敢えずは、あのオスマンっていう学院長に相談してみようか」

「オールド・オスマンに?どうして?」

「なんか色々力になってくれるらしい。この前そう言ってくれたし」

「この前?」

「あの盗賊騒ぎの時だよ」

 

ああ、とルイズが納得する。そういえばあの時、何故かバッツだけ呼びとめられてオスマン氏と何か話していたらしいのを思い出す。でもそんな話をしていたなんて思いもしなかった。

使い魔の人間というのが余程オスマン氏の興味を引いたか、それともあの一件での手柄を認められたのか。

だがそうと決まれば善は急げ、だ。早速オスマン氏との面会許可を取り、学院長室へと向かう。

いきなりの訪問であったが、学院長室に着いた頃には既に秘書であるミス・ロングビルの手元には全寮の入居者名簿と部屋割表が用意されていた。

 

「ふむ、話は分かった。バッツ君に個別に部屋を与えたい、という訳じゃな」

「はい、その通りです。オールド・オスマン」

 

髭を撫でながらルイズの話を聞くオスマン氏の横で、ミス・ロングビルが部屋割表に目を通している。

 

「ミス・ヴァリエール、残念ながら今空き部屋は無いわ。使用人宿舎、男子寮、教師寮のどれも満杯よ」

 

ミス・ロングビルの口から告げられた事実に肩を落とすルイズ。オスマン氏もどうしたものかと顎髭を撫でながら悩んでいる。

 

「部屋は無いと言ってものう。このまま他の女生徒達に迷惑をかけ続ける事になるのは避けなければならん。まさか使い魔用の畜舎に住まわせるわけにもいかんしの。困ったものじゃ」

「俺はそれでも構わないけどな」

「それは駄目、絶対に駄目よ。あんたが構わなくてもこっちが構うわ。使い魔が獣臭くなるなんて絶対に許さないわよ」

 

オスマン氏の言葉に同意しようとするバッツを、ルイズが必死に止める。獣臭い人間を連れているなんて、使い魔と逢瀬を重ねているなんて噂が立つより耐えがたい屈辱モノだ。

二つ名が『ゼロのルイズ』から『獣臭いルイズ』にでも変わろうもんなら自殺モノだ。

 

「他に人が寝起きできるようなスペースなんてありませんし、困ったものですね。後は野宿くらいかしら?敷地には余裕がありますし、テントくらいなら用意できますけど」

「なんならそれでも構わないよ」

 

ミス・ロングビルの何気ない一言に、またしてもバッツが食いついた。いくらなんでも無頓着すぎるだろうというルイズの呆れ顔を余所に、バッツ本人はいたって真面目だ。

はぁ、と軽く溜息をつくと、額に手を当てながらルイズがバッツに向かって言った。

 

「野宿って言ったって、一晩や二晩じゃないのよ?何週間、長ければ何カ月も外でテント生活する事になるのよ?そんな真似させられないわよ」

「そこら辺は大丈夫だ。伊達に何年も旅暮らしをしてきた訳じゃないさ。用意はそれなりにしてある」

 

バッツはやけに自信満々で答える。ルイズは呆れて開いた口も塞がらないが、他に最善策らしい物も思い浮かばない。

もっと他に良い案が無いかと色々と話し合ったが見つからず、結局渋々ながらもルイズは折れて、敷地内の適当な場所でのテント生活をさせる事に決定した。

そうと決まれば行動は早い方が良い。頭を切り替えて早速バッツとルイズは設営場所の下見に赴く。

オスマン氏からは「中庭の余り邪魔にならない所であればどこでも構わない」と許可をもらっているが、いざとなると中々適した場所が見つからない。

ルイズとしては、あまり遠くに離れたところに置きたくは無いし、かと言って女子寮塔に近すぎるのも困る。

水場や厠など、その他生活に必要な設備も近くにあった方がいいし、希望を挙げればキリがない。それでいてあまり目立たず、他の生徒達の憩いに邪魔にならない場所。

結局は使用人宿舎傍の芝生のある場所に、という事に決まった。ここなら近くに人も居るし、何かあった時も安心だ。

もともと使用人達が寝起きしている場所という事もあり、水回りなどに特に不自由しないという点も高く評価された。

 

「じゃあここにテントを設置しましょ。ゆくゆくはきちんとした小屋でも建てたいものね。あ、でもここに何年も住むわけじゃないからあんまり立派なの建てるのは無駄かしら?」

 

などとルイズが独り言を言っている間にバッツは辺りを均し、着々と用意を進めていく。流石は野宿は慣れていると豪語するだけあって、ものの数分で準備を完了させてしまった。

軽い驚きと感心を覚えながら、ルイズはテントを借り受けに行こうと『フライ』の呪文で飛び上がろうとした。

本塔へ向かおうと背を翻した数秒の間に、背中の方から「これで暫くは雨風がしのげるだろ」とバッツの声が聞こえた。

まだ少し均しただけの地面でどうやって雨風を防ぐのか、と振り向くと……

 

そこには小屋が一軒建っていた。

 

ルイズは自分の目の前の光景が信じられない。何が起こったのか、全く理解できない。だから、

 

「暫くの間の仮住まいなんだったら、テントよりもこういうキチンとした屋根や壁がある方がいいだろ?」

 

というバッツの言葉がそもそも頭に入ってこない。今、自分の目の前にある小屋は一体何処から現れたのだろうか?

豪華とは言えないが、掘っ建て小屋と呼ぶには十分に立派過ぎる造りだ。木造の平屋建てのその小屋は適度な広さを持ち、人一人が住むには十分だろう。

近寄ってよく見ると、見た目以上にしっかりと造られており、近くの使用人宿舎と比べても見劣りしないどころかいささか上等に見える。

あまりに驚きすぎて口もきけないで固まっていると、バッツは気にする事も無くすいすいと中に入っていく。

 

「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!」

 

後を追うように慌てて小屋の中に入っていくルイズ。中はこざっぱりとしていて、最小限の装飾と幾つかのベッドがあるだけだ。

それほど広くも狭くも無く、人が4~5人程ならば十分に寝起きできるだけのスペースがある。

しかし、それだけだ。他に調理場や浴槽などの設備は一切なく、箪笥などの収納スペースすら無い本当に寝起きの為だけの小屋だった。

日当たりも考慮に入れてあるのか、室内は適度な明るさを保っている。

 

「あんたのやる事なす事、いちいちビックリする事ばっかなんだけど」

 

と、驚きを通り越して呆れ顔でルイズが言う。

 

「って言うか、これには土のメイジもビックリよ。まさか木の家をあっという間に組みあげるなんて芸当、スクエアでも無理よ。レンガや土や石造りじゃあるまいし」

「別に俺が組みあげたわけじゃないし」

「じゃあ何だってのよ。まさか最初からこの状態でした、なんて言わないでしょうね?」

「その通りだよ」

「その通りって……、あんたこんなデカイの持ち歩いてるの?っていうか、こんなの持ち上がらないでしょうが!」

 

やれやれ、とバッツは簡単に説明をする。

 

「これは携行用のコテージで、通常は手のひらサイズの大きさなんだ。で、使うときにはこの大きさになる。持ってると旅が楽になるんだけど、一度大きくすると再度小さくするのに特殊な道具が必要だから、それの管理が面倒なんだけどな」

 

こともなげに説明するバッツの姿に、ルイズは目を白黒させたままだ。

 

「黒魔法を教えてもらった時から薄々感じてたんだけど、あんたの国って実はものすごく魔法の発達してるとこなんじゃない?」

 

そう言われて、バッツは少し悩む。確かに高レベルの魔法や封印された魔法レベルになれば、こちらの魔法よりも威力の大きい物もあるかもしれない。

炎のロッドに代表されるように、魔法を応用した武具やアイテムなども充実しているし、そういった点では魔法技術が進んでいると言えるのだろうか?

まぁ、ハルケギニアの魔法レベルを知っている訳ではないので、バッツにはそこら辺を判断することはできない。

 

「寝起きはここでするとして、後はどうする?」

「後って、なにが?」

「朝とか、授業後とか、そこら辺だよ。四六時中一緒に居なくてもいいってのは有り難……じゃなくてそれはそれで良いんだろうけど、俺みたいな半分部外者みたいなのが勝手にうろついてもいいのかな、って思ってね」

 

今度はルイズが悩む番だった。確かに使い魔を連れて歩いていない者も多いと言えば多い。

が、それは連れ歩くには不便な場合、特に大き過ぎて周りに迷惑がかかる場合や日光の下での活動を得意としていない場合だ。

部屋に使い魔を住まわせていない場合も、主に大きさの問題がある時のみだ。

 

「ま、そこら辺は良いんじゃない?今だって使用人以上生徒未満みたいな扱いなんだし。変な場所に行かなきゃ咎められることも無いでしょ」

 

問題が起これば、その都度今回の様に対応していけばよい。大体人間が使い魔になるなんてのは前例のない事なのだ。どんな予想外の問題が起こるかなんて知れたものでは無いのだ。

だからあまり難しくあれこれ考えてもしょうがないと言えばしょうがない。使い魔の問題なんて、それがどんなものであれ大なり小なり存在する。

そう考えると、自分ばっかりアレコレと心配しているのがだんだん馬鹿らしくなってきた。

 

「但し、いっつも自由にしていいって事じゃないわよ。こっちにも世間体ってものがあるから、特別な理由がない限りは今まで通りついてくるのよ、女子寮以外は」

 

いいわね、とルイズが釘を刺す。使い魔と情を通じてるなんて噂は御免だが、使い魔に見限られたなんて噂が立つのもまっぴら御免だ。

だから、バッツには極力今まで通り一緒に居てもらわなければならない。

少し人と違う使い魔を召喚してしまっただけでこれほど気苦労があるなんて思いもしなかった、とルイズは一人ゴチる。

でも、これがバッツでなかったらどうだったかなんて考えると少し怖くなる。

同じ人間でも、バッツはかなり手の掛からない部類だ。何でも自分でやれてしまうし、今回のように寝床すら自分で用意してしまった。

これが普通の人間だったら、もっと手間が掛かっていたかもしれない。

そう考えると、バッツを使い魔に出来たのは不幸中の幸いだったのかもしれない。いや、本当は人間なんかが使い魔にならないのが一番なのだが。

 

しかしここで新たな問題が発生した。

果たして、ルイズは明日からきちんと一人で起きられるだろうか?ということだ。

勿論、以前は一人で目覚めていたが、バッツが来てからというもの“誰かに起こされる”という習慣が身についてしまい、目覚まし時計できちんと起きれるかが心配であった。

誰かに起こされるのであれば、すぐに目覚めなくても起きるまで起こし続けてくれるだろう。でも、目覚まし時計は一度止めてしまえはそれきりだ。

ルイズは特別寝起きが悪いというわけではない。でも、毎日すっきり時間通りに起きられるという体質でもない。

すっかり気の緩んでしまった今の状態で、明日の朝はきちんと目覚ましだけで時間通りに起きられるのか、ハッキリいって自信が無いのだ。

 

一つ問題が片付けば、また新たな問題が現れるこの現状に、軽く頭痛を覚えるルイズであった。



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第13話 王女の依頼

今も思い出すあの素晴らしい日々。

世界は喜びの色に溢れ、目に映る全ての物が光り輝いて見えたあの夜。

ラグドリアン湖のほとりを愛しい人と二人で歩いた大切な記憶。

許されぬ恋と知りながら、激しく燃え上がった一時の恋。

叶わぬ恋と知りながら、恋に落ちてしまった若い二人。

頭の片隅では分かっていたのだ。自分はトリステインの一人娘、相手はアルビオンの長男。

お互いに国の未来を背負わなくてはならない立場で、いくらお互いを求めようとも決して結ばれる事など無い、と。

それでも、今でも瞼を閉じれば浮かんでくる世界で最も愛しい人。

 

しかし、今はその思いの全てを胸の奥深くに沈めて封印してしまわなければならない。

その記憶が、想いが、国の行く末に黒い雲を呼び込もうとしている現状がこの身を苛む。

あの日の誓いが、国を滅ぼそうとしている。

始祖の名の下に誓った嘘偽りの無い気持ちは今でも変わる事は無い。しかし、その想いに背を向けなければならないというあまりにも残酷な現実。

自分の気持ち一つも自由にできないこの身を呪う。

自分の気持ちを言えない今という時を呪う。

今が平和な時代ならば、トリステインとアルビオンの平和的統合とか、もっと明るい知らせとなり得ただろうに。

今という時勢がそれを許してくれない。

何故、自分は一人娘であったのだろうか。何故、彼は第一皇子だったのだろうか。

今となっては全てが呪わしい。

自分も、世界も、何もかもが。

 

それでも自分は生きてゆかなければならない。このか弱い両肩にトリステインという重すぎる荷物を背負いながら。

お飾りだろうが傀儡だろうが、生き続けなくてはならないのだ。

例え望まぬ契りを強制されても、子を成して国を未来へと永らえさせていくのが私に課せられた義務であり宿命。

 

ああ、愛しいウェールズ。わたくしはどうしたらいいの?あなたへの想いの全てを捨て、国に飼い殺されて生きていかなければならないの?

もし自分が一介の貴族の娘だったら、二人を邪魔するものなんて何もなかったのに。

でも、全ては叶わぬ夢。

ああ、ウェールズ……。わたくしは一体どうしたら……。

 

目の前の愛おしい面影に手を伸ばす。凛々しい横顔に、美しい金髪が風になびく。その顔に湛えられた頬笑みは、何を語ろうとしているのだろうか。

夢の中の彼は何も答えない。ただ、そこに立って笑みを投げかけてくれているだけだ。

 

…………

………

……

 

夢から醒めて瞼を開ける。頬を伝った涙の跡が、鏡を見ずともハッキリとわかった。

 

 

 

 

 

朝。

いつもと変わらぬ、いや、いつもより30分程遅れてルイズは目覚めた。時計を見て、目を丸くする。

なぜバッツは起こしてくれなかったのか。これでは朝食の時間にギリギリ間に合うかどうかだ。文句を言おうと部屋を見回した所で、主を失ったクッションの山が目に入る。

そうだ。

モンモランシーに言われてあいつを女子寮から追い出したんだっけ。久々の一人で起きる朝に少し戸惑いを隠せないでいる。

久々、と言っても何カ月もそうしていたわけではないのがだが、何か新鮮な感じがするのはどうしてだろうか。

……なんて感傷に浸っている場合ではない。急がなければ朝食のお預けをくらってしまう。時間がないので着替のみを済ませ、洗顔の代わりは濡れたタオルで顔を拭くだけに留めた。

元来化粧をする質ではないルイズは髪がボサボサなのも気に留める暇も無く、そのまま部屋を出ると一目散に食堂へと駆け出した。

 

「あらルイズ、今日は遅かったわね。……って、どうしたのその頭。酷いなんてもんじゃないわよ」

 

席に着くなり、隣に座っていたモンモランシーに容姿について一言喰らった。

 

「あなたの使い魔はとっくに給仕をしてるってのに、ご主人様のあなたはお寝坊さんだったのかしら?」

「あんたに言われて、あいつを女子寮の外に住まわせたのよ」

「あら、そうだったの。それで寝坊したってわけね」

「少し油断してただけよ」

「油断……ねぇ。弛みきってただけじゃないの?」

「むぐっ……。…………否定はしないわ。肯定もしたくないけど」

 

少し不機嫌そうに、そして少し照れ臭そうにそう答えるルイズの顔を見てモンモランシーは満足そうに笑う。少し前までのルイズでは考えられない反応が今はとても楽しい。

そして今日もいつもと変わらない一日が始まる。

今日の授業はカルマール先生による薬草学から始まった。他の授業と比べとりわけ地味な印象のある薬草学は、秘薬調合を得意とする生徒以外にはあまり人気がない。

一部の生徒を除き、大半が欠伸をこらえながら「早く終わらないものか」と心待ちにする授業のうちの一つだ。

本日も御多分にもれず、モンモランシーなど若干名を除き多くの生徒が注意散漫気味に授業に参加していた。

カルマールは教室を見回す。自分の授業が生徒からの人気が薄く、真面目に聞いているのはいつも両手で数えられるほどしかいないという状況には慣れているつもりである。

今だって熱心に聞いてくれているのは、『香水』の二つ名を持ちポーションの調合に精を出しているモンモランシーと、座学では学年トップクラスのルイズを始めとする数人しかいない。

同じように真剣な顔をして本を読んでいるタバサは、本を読んではいるもののそれがこの授業に関する書物であるという保証は無い、というのはこの1年で嫌というほど分かっている。

それでも、この授業は続けられなければならない。皆が必要と思わないような知識でも、いつの日かきっと役に立つ日が来るのだから。

そうでも思っていなければやっていけない。

そんな授業風景も、ここ数日は少し様子で違ってきた。ルイズが召喚した人間の使い魔が、他のどの生徒よりも熱心に授業を受けているのだ。

時には主人のルイズを通して質問をぶつけて来る事すらある。

薬草学の知識自体は、メイジであろうが非メイジであろうが活用できる範囲が多い。植物の種類と加工手順さえキッチリ守っていれば誰にでも役に立つのだ。

魔法を介さなくても出来あがる薬の種類も多いという点がが彼の興味を引いたのだろうか?

とにかく、そんな姿に触発されたか、或いは平民に負ける事が貴族のプライドが許さないのか、授業を真面目に聞く生徒が僅かずつではあるが増えてきたのだ。

 

「さて、本日の講義は以上で終了します。次回の講義はこの続きから、予復習を怠らないように」

 

普段よりもいくらか大きい手応えを感じながら、講義を終えようとしたその時、慌ただしく講義室に入ってくる人物があった。それはこの学院の教師の一人、ギトーであった。

余程急ぎの用事らしく、大きく肩を上下させているところから、大分走って来たのだろう。

 

「いやはや、どうなされましたかな?ミスタ・ギトー。次の講義には少し時間が早過ぎませんかな?」

「どうもこうもありませんぞ。全く厄介な事に……失礼、全く以て恐れ多い事に、ゲルマニア御訪問の御帰還の途中、アンリエッタ王女がこの魔法学院にお立ち寄りになられることが決定したのだ」

 

室内にどよめきが広がる。

 

「ミスタ・ギトー、それは本当なのですか?一体、いつ王女はこの学院にお成りになるのですか!?」

「本日ですぞ!!」

 

少し疲れた声でギトーが答える。生徒達は勿論、教師にとっても寝耳に水の出来事である。王族の旅行日程なんて、本来は事前に全てキッチリと決まっているはずである。

もし、この学院に立ち寄る予定があるのであれば事前に通達があって然るべきであるし、それ故今回のようなケースは非常に稀な、本来ならば起こらない筈の事態なのである。

 

「よって、本日の残りの授業は全て中止、王女歓迎式典の準備に充てることになる。生徒諸君らは全員正装の上、正門にて王女御一行を迎え入れる事。くれぐれも粗相のないように気を付けるのだぞ!」

 

生徒側に向き直ってギトー先生がそういうと室内は一気に緊張に包まれた。

その様子を一瞥すると、「全く、私は伝書鳩代わりではないというのに……」とブツブツ文句を言いながらギトー先生は、煙が散るかのように消えてしまった。

ギトー先生の姿が消えるのを合図にしたかのように、室内は一斉に動き出す。

慌ただしく動き回る生徒達の中、ただ一人状況をよく呑み込めていないバッツは隣のルイズに見当はずれな質問を投げかける。

 

「さっきの先生が消えたのって、やっぱり魔法?」

 

そんな呑気なことを考えている自分の使い魔に呆れながらも、ルイズは律儀にもその質問に答えた。

 

「そうよ。あれは『遍在』。風系統の高レベルの呪文よ」

「消えたりする魔法なのか?」

「そうじゃなくて、分身を作り出すのよ。今来たミスタ・ギトーも『遍在』で造り出された分身の一つだったのよ。どれくらいの数の分身を造れるか、どの程度離れてても維持出来るかは使用者の力量に左右されるみたいだけど。きっと今頃、全部の教室に向けてミスタ・ギトーの分身が何人も伝令の為に走りまわっている筈よ」

「便利な魔法もあるもんだなぁ」

 

とバッツは素直な感想を漏らす。その反応から、バッツの知る魔法の中には『遍在』に相当する呪文は無いらしい事が見て取れた。

ルイズはそれが何故か少し嬉しかった。バッツの知らない事、出来ない事を知っているという事が不思議な優越感をルイズに与えた。別にルイズが『遍在』を使えるわけではないのだが。

バッツに出会ってからというもの、何かにつけて「驚く側」であったルイズが初めて「驚かせる側」に回ったというだけなのだが。

 

 

数時間後、トリステイン魔法学院正門前では全生徒と全教師が揃ってアンリエッタ王女御一行の到着を今か今かと待ち構えていた。

卸したての服を着せられて、その上身だしなみも入念にチェックされたバッツもその列の中に居た。

辺りを見回すと、生徒達は普段と同じ制服姿であるが、教師は皆この間の舞踏会以上に着飾っている。

いや、着飾っているとかいう以前に全員独特のカツラを頭に載せており、王宮勤めの高官の様である。

成程、教師たちにとっての正装とはああいう格好の事を指すのだろうか。

普段頭頂部がさみしいコルベールなどが、カツラをかぶってフサフサな頭をしているのは見ていて妙な可笑しさがある。

妙な可笑しさと言えばもうひとつ。ギーシュが珍しく普通の制服を着ていた。

普通、というのは勿論他の生徒と同じ格好という事だ。というのも、常の彼はヒラヒラした装飾が目立つシャツを胸元まで開襟しているのだ。

彼の杖が薔薇を模ったものであるというのと合わせてひどく気障な印象を与えていたが、こうして皆と同じ服に身を包んでいると不思議と普段の鼻につくような所も立ちどころに消え失せてしまっている。

まるで借りてきた猫のようである。いつもの歯の浮くような台詞一つも発することなく、緊張に顔を強張らせていた。

 

そうこうしている内に、王女一行と思われる一団が到着した。

 

中心に見える一際豪華な四頭立ての馬車に王女が載っているのだろう。馬車をひく四頭の白馬も、よくよく見れば額に一本の角を生やしている。

ルイズによれば、伝説の幻獣・ユニコーンなのだという。

王女の馬車の周りを、グリフォンやマンティコアといった幻獣に乗った騎士たちが守りを固めている。

魔獣使いの騎士に囲まれで進む一団の姿は、バッツにとってある意味新鮮で、ある意味ここが自分の世界とは全く違う所だという事実を改めて突き付けられるようであった。

王女一行の到着と同時に、学院お抱えの楽師団による歓迎の演奏が開始された。恐らく魔法によるものであろう花火が無数に打ち上げられ、盛大な拍手と共に一行は迎え入れられた。

その間、ルイズの様子が変な事に気が付く。

王女の馬車の辺りを見ていたかと思うと、見る間に顔を赤く染め、急に顔をそむけ俯いてしまったのだ。その後は、また馬車の方を見たり下を向いたりの繰り返しであった。

不思議に思ってルイズの視線の先を追ってみると、そこにはグリフォンに跨った、恐らくは若い騎士の姿が目に入った。

立派な髭を蓄え精悍な顔つきのその騎士は、周りに居る他の騎士と比べても随分若く見えた。

髭を生やしているのと遠目で見ていたのもあって正確な年齢は分からないが、バッツより年下という事はあるまい。同じくらいの年代か、年をとっていても4~5歳くらい上といった程度だろう。

よく見ると彼もこちらの事、つまりルイズの存在に気が付いたらしく、何度かこちらに向かって軽く手を振っている。

そのたびにルイズは嬉しそうに手を振り返しかけ、そんな自分の行動に気が付いて更に顔を赤くしてモジモジ下を向くのであった。

ルイズの一目惚れか、そうでなければ二人は以前からの知り合いでルイズは相手に対して憎からず思っている、といったことが容易に想像できるような状況であった。

 

それから盛大な歓迎式典が催され、この間の舞踏会以上に煌びやかな宴が催された。突然の式典に大わらわとなっている使用人達に頼まれて、バッツもその中に混ざって動き回っていた。

給仕として会場内を駆け回り、配膳の合い間にアンリエッタ王女の方を盗み見る。純白のドレスに身を包んだ王女の周りには、入れ替わり立ち替わり謁見者が訪れる。

学院最高責任者のオスマン氏を筆頭に、ここトリステインて有名な貴族の子女であろう生徒達が長々と列をなしていた。その列の中、かなり先頭の方にルイズの姿もあった。

その対応に追われ、王女は僅かの間すらも宴を満喫しているようではない。常に柔らかな頬笑みを絶やさずに面会者の応対をしている姿を見ていると、どちらが来賓なのか分からない。

王族も大変だ、それがバッツの抱いた感想であった。

 

宴も終わり、ルイズ一人で静かに部屋で過ごしていた頃。不意に窓をノックする音が聞こえてきた。

最初は聞き間違えかと思った。当然だ、ここは地上一階という訳ではない。だから最初はこれはノックなどではなく、甲虫の類が窓にぶつかった音だと思っていた。

が、その音はしばらく続き、そのうちそれが規則正しく一定のリズムで刻まれている事に気が付いた。明らかに人為的な音だ。そしてその音が刻むリズムには覚えがある。

遠い昔の幼い日の記憶。幼い時分に遊び相手と取り決めた秘密の合図。

ルイズは慌てて窓に駆け寄ると、その窓を開け放つ。そこには闇に溶け込むような黒のローブに身を包んだ人影が浮いていた。目深にフードを被っているので顔まではわからない。

だが、ルイズには目の前の人物の正体に心当たりがある。ローブの人物は部屋に招き入れられると、ローブの間から水晶の嵌め込まれた杖を振った。

 

「『ディティクト・マジック』ですか?この部屋には私以外居ません。怪しい者など潜んでいるはずがありませんのに」

「念のためです。気を悪くしたのなら謝りますわ」

「滅相もありません」

 

ルイズに招き入れられた人物はフードを外し、素顔を露にする。ルイズは招きいれた客人に対し、跪いて礼を尽くす。

 

「お久しぶりです、アンリエッタ様。といっても、先程の宴でお目通りかなったばかりですが」

「でもこうして二人だけで会うのは随分久しぶりでなっくって?ルイズ・フランソワーズ」

 

フードの下から現れたのは、アンリエッタ王女であった。

 

「姫殿下、このような下賎な場所に来られた理由は何でしょうか?」

 

跪いた姿勢のまま、ルイズがアンリエッタに質問を投げかける。その強張った声は突然の来客を歓迎しているというより、拒絶しているものに近かった。

 

「ああルイズ。昔馴染であるというのに、たった一人のおともだちにすらその様に振舞われたら、私はどうしたらいいかわからないわ」

「もったいないお言葉でございます、姫殿下」

 

親愛の情を滲ませるアンリエッタに対し、ルイズはあくまでも臣下としての姿勢を崩さなかった。

 

「やめてルイズ!この国にはもう私の味方と言えるのは、昔馴染である貴女だけなのよ。お願いだから、幼いあの頃のようにして頂戴。でないと私……寂し過ぎて死んでしまうわ!」

「しかしながら姫殿下……」

 

尚も態度を崩さぬルイズに業を煮やしたアンリエッタは、ピンと背筋を伸ばして言い放った。

 

「ルイズ・フランソワーズ、トリステイン王女アンリエッタの名の下に命じます。この場に於いて、いいえ、何時如何なる時も公女ではなくただの昔馴染として私に接しなさい」

「しかし……」

「『しかし』も『かかし』もなくってよ、ルイズ。こんな事を命令するのもおかしな話だけれど、私は王女としてではなく、ただの昔馴染として貴女に会いに来たのだから」

 

そこまで言って初めて、アンリエッタは表情を緩めた。

 

「だからルイズ、昔のように呼んで下さいな」

「姫さま……」

 

そのルイズの一言を聞き、ニッコリと微笑んだアンリエッタはルイズを抱きしめる。

 

「やっぱり貴女は私の一番のともだちだわ」

 

それから二人はベッドに並んで座り、色々な話題で話に花を咲かせた。最近流行の服やお芝居、人気の小説などの話で盛り上がる。

アンリエッタは一緒に遊んだ幼き日々の事、特にお菓子やごっこ遊びでの役の取り合いなど言い争ったり喧嘩した事の思い出に顔をほころばせた。

今の生活がそれほどまでに嫌なのか、時折昔を懐かしんではその思い出の中に逃避してしまいそうなアンリエッタの様子にルイズは不安が膨らむばかりだ。

そのうち話題の中心は最近のルイズの事、魔法学院での生活についての話題に移っていった。

ルイズにとっては退屈な学院生活も、ずっと王宮暮らしのアンリエッタにとってはまぶしく感じられるのか、根掘り葉掘り聞いてくるのであった。

そして、話題がアンリエッタの事になろうとした時、アンリエッタは急に黙り込んでしまった。

 

「どうしたのですか?姫さま」

 

ルイズが心配そうにアンリエッタの顔を覗き込む。

 

「姫さま……?」

 

何度目かの問いかけにようやく顔を上げる。その顔は今にも泣き出してしまいそうな程に思いつめていた。

 

「わたくし、結婚するのよ」

「それは知りませんでした。……おめでとうございます」

 

学院暮らしは外部の事情に疎くなりがちだ。最近の国内情勢についても何日かのタイムラグがある事もしょっちゅうである。

しかし、王女の婚姻という国の一大事を知らないというのは少しおかしい。

 

「いつお決まりになったのですか?」

 

ルイズの問いにアンリエッタは視線を窓の外に移しながら答えた。

 

「今回のゲルマニア訪問は、その為のものだったのよ。ゲルマニアと同盟を結ぶ為、国王として皇族を一人迎え入れる事になったの」

「それは……」

「あなたも知っているでしょう?『レコン・キスタ』を。ハルケギニアの全ての王権を排除し統一を目論んでいる反乱軍によって、あのアルビオンが滅亡の危機に陥っている事を」

 

ルイズは黙る。もちろんルイズも『レコン・キスタ』なる反乱軍がアルビオンで狼藉を働いている事は知っていた。

しかしそれは所詮他国の事であり、結局は国王軍に駆逐されるだろうと考えていたのだ。

それが、トリステインとゲルマニアの同盟を以って備えなければならない状況になっているとは夢にも思っていなかった。

しかもアルビオン王国が反乱軍によって打倒されようとしているなどとは。

個人的にゲルマニアに良い印象の無いルイズにとって、この一件は何か悪い未来の幕開けの様に感じられる。

 

「よりにもよって同盟相手がゲルマニアだなんて……」

「いいのよ、ルイズ。王女として生まれたからには、国益の為に私情を殺さなければならない事はずっと前から分かっていた事。覚悟はとっくに出来ているわ。でも……」

「“でも”、なんです?」

 

言葉を濁すアンリエッタの様子にただならぬものを感じ取ったルイズは、不安をよぎらせながら言葉を返す。

 

「かの反乱軍どもは当然、今回の二国間の同盟を快く思っていません。隙あらば妨害してくるでしょう。だから、婚姻を妨げるような材料を血眼になって探している筈です。特に、わたくしの不義の証拠を」

「まさか……まさか姫さま……」

 

ルイズは目を見開く。アンリエッタの様子と口振りから、次に来るであろう言葉が分かってしまう。その考えを肯定するかのように、アンリエッタは目を閉じ、俯きがちに首を横に振った。

 

「その“まさか”なのよ、ルイズ」

 

助けを求めるようにルイズの手を握るアンリエッタに、ルイズは目の前が真黒になりそうだった。

 

「そ、それは一体……?」

 

やっとのことで言葉を口から押し出す。心臓が高鳴り、胸から嫌なモノが込み上げてくるようだ。

 

「以前わたくしがしたためた一通の手紙。それが今、このトリステインに危機を招こうとしているのです」

「同盟を破棄させる程ものとは、その手紙はどんな内容なのですか?」

「それは言えません。ですがあれがあのならず者達の手に渡れば、必ずやこの縁談は破談になるでしょう。それほどの内容の物をしたためてしまったのです。世が泰平であったなら、誰にも知られずに二人だけの秘密になったでしょう。でも今はそれすら適わないのです」

 

アンリエッタの手が小刻みに震える。その震えは心の内に渦巻く不安の大きさを表していた。

 

「しかし、たかが手紙一通であの無粋者のゲルマニアとの同盟が壊れるなどと考えられないのですが」

「内容が内容なだけに、たとえ相手がどのようのものであれこのハルケギニアに生きる者であれば許す事が出来ないでしょう。それに、我が国とゲルマニアとの友好関係はそれだけ脆い物なのです」

「……その手紙は今どこにあるのですか?この御様子だと、姫さまのお手元には無いようですが」

 

アンリエッタは目を伏せながら消え入りそうな声で呟く。

 

「………………オンです」

「なんですって?もう一度仰って下さい」

「ア……アルビオンです……」

「なっ…………」

 

アルビオン、よりにもよってアルビオンとは。今まさに戦乱のさ中にある場所に、新たなる火種があるなんてもうどう言ったらいいのか分からない。

 

「件の手紙はまだ、アルビオンのウェールズ皇太子が所持していると思います」

「では皇太子宛の手紙だったのですね?」

「それについては発言を控えさせてもらうわ。でも今やアルビオン王国も風前の灯、いつ逆賊どもの手が皇子まで伸び、あの方の命と手紙を奪い取るかわかったものではありません」

 

部屋が沈黙に支配される。あまりの内容にルイズも言葉が出ない。とても気楽な言葉で慰められるような状況ではなかったのだ。

目を伏せ俯くアンリエッタとどう言葉をかければよいかわからないルイズ。

重苦しい沈黙の後、アンリエッタが口を開いた。

 

「実は貴女に謝らなければなりません。本当の事を言うと今日貴女に会いにきたのは――いいえ、この魔法学院に来たこと自体、あの手紙に関わっていたのです」

「ど……どういうことなのですか?」

「実は、件の手紙を取り戻す……いえ“取り戻す”という表現は適切ではないですが、その計画を密かに練っていたのです。その為の協力者も既にいます」

「誰なのです?」

「それはまだ言えませんが、わたくしの悩みを知り協力を申し出てくれた忠義の士です」

「…………」

 

何やら話が穏やかはない方向へと流れ出した。今でも十分穏やかではないが、それ以上にルイズ自身に何かが圧し掛かってきそうな予感がする。

緊張した面持ちでアンリエッタの次の言葉を見守る。この嫌な予感が外れてくれればいいが……。

 

「ですが、その忠誠心には感謝しますが、わたくしはその人物を信用しきれず、その他に心から信頼できる人物の協力が欲しいと思ってしまったのです」

「……………………」

「頭ではわかっているのです。幼少の頃からのたった一人のおともだちを戦火の真っ只中へ送り込もうなんて、悪魔のような考えであると。一番大切にしなければならない人を死にに行かせるような馬鹿な真似は止さなければならないと。でも、あの盗賊フーケ討伐隊の中に貴女の名前を見つけてしまった時から、そのような妄執に取りつかれてしまったのです」

「………………………………」

「国の為に自分を犠牲にするだけに飽き足らず、大切なおともだちまで犠牲にしようとしているのです。全く、今という時代を呪わしく思った事もありません。そしてそれ以上に、国を危機に陥れる軽薄な真似をしでかしてしまった自分が呪わしい」

 

アンリエッタは直接は言葉にしないものの、暗にルイズにアルビオンへの手紙回収任務を任せたいと言っているのだ。

直接言ってしまわないのは、彼女の中の良心が口に出す事を阻んでいるのだろう。

王女の頬を伝う大粒の涙は、公人としての彼女と私人としての彼女の心の葛藤を物語っていた。彼女とて苦しいのだ。

そんなアンリエッタの心の内を読み取ったルイズは優しく彼女の手を握る。

 

「御安心ください、姫さま。私とてヴァリエールに名を連ねる者。国の一大事に腰を上げなければ貴族の名折れ。いえ、それ以上に“大切なおともだち”の危機を黙って見過ごせるわけがありません」

「ルイズ……」

「だから何なりとお申し付けください。この不肖ルイズ、姫さまの為なら例え火の中水の中、地獄の業火の中でさえも喜んで飛び込んでみせましょう」

「ああ、ルイズ。どれ程に感謝の言葉を重ねたらいいかわからないわ。この愚かなわたくしを許してくれるなんて!」

 

感極まった王女とルイズは互いに手を取り合い、互いの友情の深さを確かめ合った。

 

「ですがその前に」

 

と、ルイズは言葉を置く。突然の言葉にいぶかしむ王女を安心させるように、努めて明るい笑顔で言葉を続ける。

 

「協力を仰がなければいけない者がいます」

「それは誰なのです?」

 

「それは……」とルイズは視線を外す。正直、どう説明したらいいかわからない。

 

「私の使い魔です」

「……?使い魔に“協力を仰ぐ”のですか?」

「色々と事情が込み入っておりまして。フーケ討伐成功もアレの働きによる所も多いのですし。とにかく実際にお会いになられればわかるかと思います」

 

訳が分からずキョトンとしているアンリエッタを促し、二人で窓から外に出る。寮塔内を行けば人目につく可能性を考慮し夜の闇に紛れて一路、バッツのコテージを目指す。

使用人宿舎脇にあるバッツのコテージからは明かりが洩れていた。どうやらまだ起きているようだ。

 

「ここに貴女の使い魔がいるのですか?」

「はい」

「どう見ても獣の住む建物には見えませんが……」

「中にお入りになればわかると思います」

 

未だルイズの言っている事が理解できていないアンリエッタも、促されるままに小屋の中へ足を踏み入れた。

 

そこには、アンリエッタばかりかルイズですら驚愕する光景が広がっていた。

昨日出来たばかりで伽藍堂だった筈の室内は、たったの一日で足の踏み場もない程に物が散乱していた。いや、散乱しているというよりは、並べられているといった方が正しいだろうか。

そんな状況の部屋の中で、バッツは紙とペンを手に忙しそうに動き回っている。その作業が忙しいのか、ルイズ達の方を見る事も無く手を動かし続けている。

 

「あんた何やってるのよ」

「いま丁度荷物の整理と確認をしてたんだ。もう少しで終わるから少し待っててくれ」

 

確かに、部屋に散乱しているのは鎧やら武器の類ばかりだ。しかし、それにしても量が多い。

床はようやく人一人が歩けるだけのスペースを残して鎧兜やら何やら、良くわからないものが置いてある。

壁には長短様々な武器が立て掛けられており、テーブルや椅子の上には色とりどりの液体の入った薬瓶などの小物が積み重ねてある。

何故か指輪や腕輪に髪飾りと、凡そ似つかわしくない物が転がっていたり、ここに有る筈の無い杖が視界の端に映ったりしているが、あまり深く考えるのは止めた。

 

「まぁ色々あったからな。ここらで手持ちのアイテムの整理をしておこうと思ってね」

「何?この量。これ全部あんたの持ち物なわけ?商売でも始めるつもり?」

 

それも悪くないな、なんて冗談を言いながらバッツはベッドの上のものを脇に追いやると、ようやく出来たスペースに客人二人を座らせた。

ルイズはぶつぶつと文句を漏らすが、それ以外に座れるような場所が無いので嫌々ながらも我慢する。

 

「で、こんな時間にどうした。それにそっちの女性はルイズの知り合いか?」

「あんたねぇ、この方は……ってあんたはずっと遠くの国出身なんだっけ、知らなくても当然かしら?まぁいいわ。こちらにおわすのは、恐れ多くもこのトリステインの王女・アンリエッタ様よ」

 

仰々しく紹介されて多少面喰うものの、王族と会う事は初めてではないし、何より今までの旅が特殊過ぎて少し感覚が麻痺してしまっているバッツは、いつものように自己紹介を始める。

 

「ああ、今日あの豪華な馬車に乗って来た人か。俺はバッツ・クラウザーだ。初めまして」

 

ごく自然に握手しようと手を差し出す姿に呆れて物もいえない。一体この男は、王族を何だと思っているのだろうか。その無礼な態度にルイズの怒りが一線を越える。

 

「“初めまして”じゃないでしょ?わかってるの?こちらの方は王女様、平民のあんたじゃお目に掛かる事自体が奇跡みたいなもんなのに……」

「ねぇルイズ?」

 

息巻くルイズの服の裾を引っ張りながら控えめにアンリエッタが尋ねる。その顔には困惑の色が濃く現れている。

 

「何でしょうか姫さま」

「この小屋にはあの方以外居ないようですが、もしやあの殿方が……?」

 

アンリエッタの少し狼狽した様子から、何を言わんとしているのかが分かってしまう。まぁ、そういう反応が普通だろう。自分だってそうだったのだから。

 

「仰るとおりです。あの者が私の使い魔です」

「使い魔……って、人間ではないですか!」

「その通りなのですが……その通りなのですが、何故人間が使い魔なのかは私に聞かれても困ります」

「そうなのですか……」

 

いまいち状況がよく呑みこめていないが、使い魔選出には己の意志の介入する余地がない事くらいは知っているのでそれ以上の追及はしない。

ルイズの使い魔が人間であるという事はそれ自体が何か意味を持っているに違いないが、それがどんな意味を持つのかは知る由がない。

 

「わたくしはアンリエッタ・ド・トリステイン。よろしくお願いしますわ、使い魔さん」

 

と、バッツの手を握り返すアンリエッタ。その行動にルイズは慌てて姫を止めようとするも、逆に「よいのですよ」とおっとりとたしなめられた。

そう言われてしまうと返す言葉の無いルイズは姫のしたいようにさせるしかない。

仕方がないのでルイズは事情の説明に入った。今夜自分たちがバッツを訪ねる事になったその理由を。これから自分たちが飛び込む事になる厄介事の事を。

最初は呆気にとられてたバッツだったが、時折『レコン・キスタ』等の用語の解説を交えながら話を進めることで大体の状況を呑みこんでくれたようだ。

 

「それで、あんたにも同行して欲しいわけ。っていうか、私の使い魔なんだから勿論ついてくるわよね?」

 

そう言って迫るルイズに対し、バッツは口元に手を当てて真剣そうな顔で考えている。そして、アンリエッタに直接質問をぶつける。

 

「話は大体わかったけど、要するにその手紙をなんとかっていう王子から返してもらえばいいんだろ?」

「大まかに言ってしまえばそういう事です」

「別に戦闘に参加してこいってわけじゃないんだな?」

「はい」

「どれくらいで行って帰ってこられるんだ?」

「フネの運航状況にもよりますが、長くても一週間もあれば十分に帰ってこられるでしょう」

 

ふむ、と腕組みをしてまた何事かを考える。その真剣な表情にアンリエッタはおろか、ルイズさえも口を挟む事が出来ない。ただただバッツの答えを待つばかりだ。

 

「じゃあ最後にもう一つ。ルイズ」

 

急に名前を呼ばれて、ルイズはビクッと体を固まらせて答える。

 

「君は手紙を取りに行くのに異存は無いんだな」

「もちろんよ。姫さまが、いえ、大切な友達が困っているのに放っておくことはできないわ。助けを求められているのならなおさらよ」

 

淀む事無く真っ直ぐな眼でそう言うルイズの答えに満足したのか、バッツは軽く頷き、

 

「わかった、俺も一緒に行こう。自惚れるわけじゃないけど、ルイズ一人くらいなら守り通す事はわけ無いと思う。そこら辺は安心してもらってもいい」

 

とアルビオン行きを承諾した。

 

「有難うございます。聞けばあなたは我がトリステインにもアルビオンにも縁もゆかりも無いと言うではありませんか。それなのに、この身勝手な姫の為に身を尽くしてくれるなんて、なんてお礼を言えばわかりませんわ」

「そういうのはよしてくれよ、堅苦しいのは苦手なんだ。それに、袖すりあうも他生の縁だ」

 

そう言って軽く笑う。その後、ルイズの持ってきた地図を見ながら全行程の計画が簡単に説明された。目的地までは早馬で2日+フネの運行状況で最長でも片道3~4日程度。

 

「それでは早速、明日の朝発ちます」

「オスマン氏にはわたくしから話を通しておきましょう。王党派の軍はニューカッスル付近に陣を敷き抵抗していると聞き及んでいます。恐らく皇太子もそこにいらっしゃるでしょう。首尾よく皇太子に会う事が出来ましたら、この手紙を手渡して下さい。それと身元の証明はこれを使うとよいですわ」

 

そう言ってアンリエッタは自分が嵌めていた指輪をルイズに手渡す。

 

「これは……王家の指輪!国の秘宝を私などに……!!」

「アルビオンは今、反乱軍が跋扈しております。裏切り者達に警戒する王党派の方々にとっては生半可な物では身元の証明とはならないでしょう。例えトリステイン王家の紋を添えたわたくし自筆の証明書だとしても何の効力も持たないと思われます。だから、これくらいの替えの利かないものでないと」

「しかし……」

「わかった。これは俺が責任もって預かろう」

 

恐れ多いのかなかなか手を出そうとしないルイズに代わり、バッツが指輪を受け取る。

王族相手に畏まらないばかりか王家の秘宝すらひょいと事も無げに受け取るその姿に目眩を感じるルイズであった。

姫の手前、あまりみっともない所を見せるわけにはいかないルイズは気力で何とか気を立て直すと改めて指輪を拝領した。

更にアルビオンへの渡航の為に密かに用意した往復分の船賃を含めた旅費を手渡され、今夜の作戦会議はお開きになった。

コテージから出て、アンリエッタはルイズに向かいこう感想を漏らした。

 

「不思議な方ですね」

「あの男が、ですか?」

「ええ。王族であるわたくしを目の前にしても全く気負う所が無いとか、ただの平民とは思えませんわ」

「無礼なだけですよ。旅暮らしが長かったとか言ってますし、そこらへんの常識が抜け落ちてるのでしょう」

「旅暮らし、ですか……」

 

アンリエッタが夜空を見上げて羨ましそうに呟く。考えてみれば自分とあの使い魔の彼は全く逆の境遇なのだ。

方や、モノに関しては何不自由ない暮らしではあるが、自身の自由など一切ない身の上。

方や、ともすればその日の食事にも困る事もあるだろうが、基本的に何処に行こうが何をしようが自分で自由に決められる気ままな暮らし。

自分か彼に抱いた不思議な感覚は、どちらかと言えば憧れに近い物があるのだろうか。自分がどれ程望んでも、決して手に入らないモノを持っている者への憧れ。

バッツの体から滲み出る雰囲気は自分には、いや、自分の周りに居るどの貴族たちも持ち合わせていないものだ。

悪く言えば根なし草と言えなくもないが、草原を吹きわたる風のようなその気質に心惹かれてしまうのも、窮屈な王宮暮らしに辟易しているアンリエッタには無理もない事だろう。

そんな姫の考えを感じ取ったのだろうか、心配そうな顔を向けるルイズに気が付いたアンリエッタは、

 

「そんな顔しないで、ルイズ。わたくしは大丈夫よ。わたくしはこの国の王女なのですもの。それを忘れた時は無いわ」

 

と、笑みを浮かべてルイズの心配を吹き飛ばすように語りかけた。

その笑みが無理をしている造り笑いだと分かっていても、ルイズには掛ける言葉がない。

安い同情の言葉で慰める事も出来ず、かと言ってアンリエッタを今の境遇から助け出せるだけの力も無い。

今出来る事は、彼女の依頼を無事に完璧にやり抜く事だけ、この可哀そうなともだちの悩みの種を一つでも多く無くす事くらいしか出来ないのだ。

大切なともだちと言ってくれたアンリエッタの思いに応え、支える為に頑張らなくてはいけない。

 

明日からは大変な日々が待っているのだろう。もしかしたらこんな想像なんて軽く超えるようなことが起きるかもしれない。

最悪の場合には命に関わる事態に陥ることもあるだろう。決意を新たにルイズは一人空を見上げる。

これから巻き起こる事件を知ってか知らずか、空には二つの三日月が静かに輝いていた。



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第14話 いざ、アルビオンへ

太陽もまだ昇りきらない薄闇の中に蠢く影が三つ。巨大な影とその周りに居る二つの人影。

背の低い方の人影が巨大な影を見上げながら驚愕の声を上げた。

 

「なにこの……鳥?やたらデカイけど、これに乗って行くの?馬じゃなくて??」

「ああ、そうだよ。こいつの方が馬よりよっぽど早く走れるし、乗り心地も良い。臭いにさえ慣れればこいつ以上の乗り物はそうそう無いさ」

 

背の高い方の人影は、身の丈の倍近くある巨大な鳥に手綱やら鞍やらを手際よく取り付けながら答える。

 

「あんたのあの武器の山もそうだけどさ、こういうのって何処から調達してるわけ?まさかこれもあの便利な袋に入ってるとか言わないでしょうね」

 

その巨体からは想像も出来ない人懐っこさでじゃれてくる黄色い鳥に戸惑いながらも、ルイズはまんざらではなさそうだ。

 

「流石にそれは無いよ。生き物をあの中に入れるなんて常識的じゃないしな。まぁ色々とあるんだよ、色々とね」

 

バッツは答えをはぐらかしながら考える。流石に召喚魔法で呼び出しました、なんて答えられない。

これはこちらの世界の『使い魔』というものを真似して召喚獣を長時間召喚したままにしておけないだろうか?という発想からの試みの産物あった。

ぶっつけ本番だったから多少の不安はあったけれども、こうして成功したのだ。だが成功はしたものの、これは魔力の消費が結構馬鹿にならない。長くても1日が限度だろうか。

戦闘時に比べ瞬間的な魔力消費は緩やかだが、召喚している間常に魔力が消費されていく。やはり召喚獣を実体化させ続けるには魔力が必要不可欠という事だろうか。

まだチョコボだからこの程度で済んでいるが、同じ事をリバイアサンやバハムートでやろうと思ったらあっという間にに魔力が枯れ果ててしまうだろう。

旅の荷物は殆どが腰に下げた袋に入っている。バッツにとってはいつものスタイルなのだが、やはりルイズにはまだ信じられないようで時折袋の中の路銀や手紙を確認してくる。

そんなルイズも、今日はいつもと違う格好をしていた。マントは外し、服も手持ちの中からなるべく地味なモノを選んで着ていた。ぱっと見普通の街娘に見えるようにしているらしい。

長時間の乗馬を想定してそれなりに動きやすい格好をしているが、その後皇太子に謁見するという事も考慮も入れてこの間のような乗馬服ではなく、スカート姿を選んでいた。

 

「そういや協力者がいるとか言ってたけど、遅いな」

「出立の時刻は姫さまを通して伝えてあるはずだから、もうそろそろ来てもいい頃なのに……」

「で、その協力者ってどんな奴なんだろうな」

「さぁ?結局姫さまは教えてくれなかったわ」

 

目をシパシパさせながらルイズが答える。

 

「寝不足か?」

「当たり前でしょ。昨夜も結構遅かったんだし、朝は早いし、何よりこんな重要な使命を受けてグースカ眠れるはずがないでしょ?」

 

どうやら緊張のあまり昨晩は全く眠られなかったらしい。

こんな状態で馬に乗るつもりだったのだろうか。馬車でもあるまいし、こんな寝ぼけ眼で早馬を飛ばした日には途中で落馬するのが目に見えている。

少し無理をしてでもチョコボにしてよかった、とバッツは内心ホッとする。

 

「それにしても遅いわね……。折角早立ちしようと用意したってのに、これじゃ何時まで経っても出発できないわ」

 

王女から今回の計画には協力者がいる事は聞いている。しかし聞いているのは「協力者がいる」という事実だけで、顔はおろか名前すら知らない。

今は旅立ちの準備を済ませて協力者の到着待ちなのだが、その肝心の協力者が一向に現れる気配がないのだ。

まさか協力者を置いて二人だけで出発するわけにはいかない。でも急ぎの事案であるので何時までも待ちぼうけを喰らっているわけにもいかない。

刻一刻とその姿を現していく太陽を眺めながら焦りをにじませていると、急にチョコボが暴れ出した。

バッツが必死にチョコボをなだめていると、上空から羽音とともに人間の声が降って来た。

 

「ルイズ!ああ、ルイズじゃあないか!同行者がいるとは聞いていたが、まさか君だったとは!!」

 

バサバサと羽をはばたかせながら一頭の獣が空から降りてきた。それは鷲の頭に前足、獅子の下半身と翼をもつグリフォンだ。その獰猛な瞳が昇りたての朝日を浴びてきらりと光る。

成程、チョコボが暴れ出した理由はこれか。いきなりグリフォンが現れれば、怯えるのも無理も無い。

その背に騎士が一人跨っており、先ほどの声は彼のものらしかった。羽帽子の下に覗くその顔に微かに見覚えがある。昨日王女の馬車脇に控えていた騎士の一人であった。

何とかチョコボを落ち着かせようと四苦八苦させていると、グリフォンから降りた騎士がバッツに声を掛けた。

 

「その大きな鳥は君のものかい?怯えさせてしまってすまないな。でも安心してくれ。こいつは私の命令が無い限りウサギ一羽さえ襲う事は無いさ」

 

と警戒を解く様に言うものの、そんなの言葉がチョコボに通じるはずもない。暫く暴れた後、グリフォンを一時的に遠ざける事によってその場を落ち着かせた。

 

「ワルド様!どうして此処に!?」

 

チョコボがようやく大人しくなった後、とルイズが改めて驚きを言葉にする。

 

「どうしてもこうしても無いさ。姫殿下の密命を受けてアルビオンへと向かうところだよ。しかし、正直驚いた。姫からもう一人連れて行って欲しいと頼まれていたが、まさか君だったとは思いもしなかったよ!」

 

騎士は両腕を広げ、ルイズを抱きしめる。抱きしめられたルイズは迷惑そうどころか嬉しそうに頬を染める。

やはり二人は知り合い同士らしかった。それもただならぬ関係だろう。外見や言動から兄妹とは思えない。ならば残る可能性はそう多くない。

 

「驚きましたわ。姫さまの仰っていた“忠義の士”というのがワルド様だったなんて!」

「それは僕の台詞だよ、ルイズ。僕の可愛いルイズが同行者だったなんて、これは一層気合いを入れて頑張らなくてはな。僕の大事な婚約者に万が一があったら、死んでも死にきれん!」

「まぁワルド様ったら」

 

恋人同士らしい二人の甘い雰囲気に置いてけぼりにされたバッツは、ただただ呆気にとられるしか出来ない。

 

「本当にお久しぶりですわ。こうして直に会えるのも何年ぶりでしょうか。手紙ももう随分頂いてませんわ。だからもう私の事は忘れてしまったのかと思っていました」

「いやぁすまない。ここ一年ほどは仕事が忙しくてね。目の回るような忙しさに、ついつい君への手紙を怠ってしまったよ。寂しい思いをさせて本当にすまなかったね」

「いいえ、ワルド様がお変わりないようで安心しましたわ。それよりも、何時の間に魔法衛士隊に入られたのですか?ちっとも存じ上げませんでした。知っていれば、お祝いの手紙も出しましたのに」

「君に釣り合う男になろうと必死に努力したのさ。それに、君をびっくりさせる為にあえて黙っていたんだよ」

「本当、ワルド様ったらお人が悪いんですから」

 

再開の抱擁が一通り済んだ後、騎士がようやくバッツの方に向き直る。

 

「ルイズ、彼は誰だい?よかったら僕に紹介願えないかね?」

「アレはバッツ。私の使い……いえ、従者、みたいなものですわ」

 

ルイズは歯切れ悪くバッツを紹介する。

 

「そうか。やぁやぁ、僕はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。このトリステインで子爵位を拝領している。今は魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊隊長もしているがね。気軽に『ワルド』と呼んでもらって構わんよ」

 

ワルドは人懐っこい笑顔を浮かべ、バッツに握手を求めてきた。その仕草の一つ一つがギーシュを凌ぐほどの気障なモノであったが、本人の雰囲気と合わさってちっとも嫌味を感じさせない。

帽子の下に覗く鋭い眼光と余裕の態度は、彼の実力の程を物語っていた。

 

「俺はバッツ・クラウザー。今はルイズの従者?って事らしい。今回の旅の同行者の一人だ、宜しく頼む」

 

男二人はがっちりと握手を交わす。

 

「成程、君は良い手をしてるな。戦士の手だ。今度時間があったら一度手合わせを願いたいものだ」

 

ヒラリとマントを翻してルイズの元に戻ると、大仰に両腕を広げ出発の音頭をとる。

 

「それでは出発……と行きたいところだが、なにぶん今回は急ぎの用なのでね。本来なら早馬でも2日掛かる行程ではあるが、出来たら1日で走破したい。僕のグリフォンにとってはわけない事なのだが、君のその……鳥?は大丈夫なのかね」

 

見た事の無い巨鳥を目の前に、その性能を計れずにいるワルドは最大の懸念材料をバッツに問いただす。今回の旅は早さが肝心だ。もし足手まといになるようであれば置いて行く他にない。

 

「ああ、こいつは馬より早い。空を飛ぶ事こそ出来ないけど、問題無いと思う」

「うむ、それならば安心だな。僕がルイズと共にグリフォンで先行しよう。遅れずに付いてきてくれたまえ!」

 

先程と同じくチョコボを暴れさせる事の無いよう、ワルドは少し離れた所にグリフォンを呼ぶとルイズ共に乗って飛び立った。

バッツはその姿を見失わないようにチョコボを走らせ、その後を追った。

 

 

 

学園を出発する二匹の獣の影を、アンリエッタは学院長室の窓から見下ろしていた。

 

「どうか、彼女たちに始祖ブリミルの加護があらんことを……」

 

アンリエッタの祈りは、静かに室内に響き渡る。それを聞くのは、この部屋の主であるオスマン氏ただ一人であるが。

 

 

 

空を行くワルドは、ルイズを抱きかかえるように自分の前に座らせて手綱を振るっていた。眼下に広がる雄大な景色は空の上ならではのものである。

同じように空を飛ぶ呪文『フライ』でもこの高さまで上昇する事も可能ではあろうが、ここまで気持ちの良い飛行は不可能であろう。

 

「どうだい、ルイズ。この景色はなかなかのものだろう?」

 

自慢気に話しかけるワルドであったが、返答がない。ルイズは黙っているので、彼一人が一方的に喋っている状態だ。

 

「おや、君の従者君も頑張っているじゃないか。このグリフォンについてくるなんて大したものだよ。あの鳥を軍用に徴収出来たら素晴らしいと思わないかい?」

「…………」

「ルイズ……?」

 

それでもルイズからの反応がない。流石に怪しく思ったワルドが何事かと顔を覗き込むと、ルイズは静かに寝息をたてていた。昨夜はよく眠れなかったのだろうか。

無理もあるまい。自分のような兵士ならまだしも、まだ学生の身空。このような重責に押しつぶされてしまってもおかしくないのだから。

天使のような寝顔をそっと撫でると、ルイズが落ちないように優しく抱き直して速度を少し早めた。この調子なら今日中には到着できるだろう。

最初は足手まといと不安もあった従者も中々骨のある男らしく、距離を開ける事無くぴったりと付いてくる。

初対面の印象ではパッとしない何処にでもいるような男であったが、これが中々どうして結構な使い手かもしれない。油断する事はできないな、と眼下の黄色い巨鳥を駆る男に目をやる。

障害は一つでも少ないほうが良い。万に一つでもルイズの心が彼に傾くような事があっては一大事だ。

 

昼食とグリフォンの休憩の為に三十分ほど足を止めた以外は休むことなく、ひたすらラ・ロシェール目指してそれぞれの獣を駆る。

休憩を一度だけにしたのが功を奏したのか、日没後程なくして目的地に到着する事に成功した。

 

この旅の最初の目的地であるラ・ロシェールは港町である。港町とは言っても海沿いには無く、何故か狭い渓谷に設けられた街道沿いの町だ。

数少ないアルビオンへの玄関口である為、人口三百人程度のこの町はいつも人口の数倍の人でにぎわっている。

町に到着してすぐ、この町で一番上等であろう『女神の杵』亭を宿とする事にした。貴族相手の宿舎らしく、店内は豪華な造りとなっている。まるでどこぞの宮殿内のようだ。

夕食は三人でテーブルを囲んで食べる。ルイズが希望した事もあり、バッツも同席したのだ。ここは学院でも無いし、それくらいは許容範囲だろうという判断だった。

貴族と平民が同じテーブルで食事するなんて、と嫌な顔をされたが、まぁきちんと三人分の宿代も払っている事だし宿側にとやかく言われる筋合いも無い。

そんなこんなで和やかに流れる夕食の一時であったが、会話のほとんどはルイズとワルドによる思い出話で合った。

グリフォンの上では殆ど眠っていたルイズにはなおさら、積もる話もあるのだろう。

 

「本当に久しぶりですわね。最後に直接会ったのは何年前の事でしょうか」

「父が戦死する前だったから…………そうだな、もう十年になるかな。大切な婚約者をずっと一人きりにして悪かったと思っているよ」

 

ワルドの口から「婚約者」という言葉が飛び出してきて驚きで口のふさがらないバッツであったが、二人はそんな様子に一切気が付く事も無く話を進めていく。

 

「でもそれからもずっと、まめにお手紙を寄越して下さいましたもの。寂しいなんて思った事はありませんでしたわ。でも、ここしばらくはそのお手紙もぷっつりと途絶えて、もう私の事なんかお忘れになったものだとばかり思っていましたわ」

「いやぁそれは本当にすまないと思っているんだ、許しておくれ僕のルイズ。なにしろ魔法衛士隊の隊長職というのがこれほどまでに激務だとは思ってもみなくってね。日々の軍務に振り回されるうちにあっという間に一年が過ぎ去ってしまったのだよ」

「たまには領地にはお帰りになっているのですか?」

「いや、相続してからはずっと執事に任せっきりさ。おかげで地元じゃ領主の顔も知らないだろう。まぁそのお蔭で出世が出来たんだがね。父の覚えが良かったらしく、先王ご存命の頃はよくお引き立て頂いたものだよ」

「それで婚約者もずっとほったらかしでしたのね。もうトリスタニアにいい人が出来たのかと思ってましたわ」

「ハハハ。そんなわけが無いだろう。僕にとって君以上に魅力的な女性なんて存在しないさ」

「でも十年ぶりに会って、貴方はすっかり格好良くなられましたわ。それに比べて私は痩せっぽちのまんま。ちっとも成長してないし、全然貴方に釣り合うような女になってないわ」

 

完全に蚊帳の外のバッツは、一人黙々と食事を進める以外にすることが無い。

この二人の間に割ってはいるほど無神経ではないし、自分がされたら嫌なことをわざわざするほど意地悪くも無い。

だからじっと黙り込んで二人の会話に耳を傾けるだけだ。正直、それだけでもなかなか興味深い。まだ付き合いは浅いけれどルイズの過去を知るというのも興味が尽きない。

しかし婚約者云々という以前に、今日ワルドに出会ってからのルイズの様子がまるで借りてきた猫というか、こういっては変だがまるで貴族らしい言葉遣いに違和感がぬぐえない。

普段のもっとフランクで歯に衣着せぬちょっと乱暴な口調が完全になりを潜めている。

相変わらずバッツ一人が置いてけぼりにされたまま、食事は終了した。

食事後は一階の談話室で軽く打ち合わせをしておこうという運びとなった。

本来ならこのような場所でする事ではないが、時節柄アルビオンへ渡る貴族などはほぼ皆無で宿泊者も自分たち以外に居ない。

だから誰かに盗み聞きされるという心配は無いと言ってよい状況だった。

 

「アルビオン行きの船は、明後日出発のものが一番早いということだ」

 

宿に入る前に一人船着場に寄り、渡航のための交渉を済ませていたワルドが残念そうにこう漏らす。

 

「折角ここまで一日で来れたのに足止めを食らってしまうなんて、今日の寝不足が無駄になってしまいましたわ」

 

同じく不満を漏らすルイズは口を尖らせる。

 

「船が出ないのは仕方ない。潮の満ち引きとか月の満ち欠けに関係してるからそればっかりは俺達にはどうすることも出来ないよ。焦れば焦るだけ余計な事を考えてしまって失敗するだけさ」

 

バッツはゆったりと構えてそう言う。確かに焦ったところでどうにもならない。

 

「で、その船は目的地に直行するってわけでもないんだろ?」

「あそこは今、厳重警戒地帯だろうからそれは無理だろうな。だがロンディニウム近郊、ニューカッスル寄りの場所で降ろしてもらえるように交渉したから何とかなるだろう。船から下りて馬で半日って程度だろうか?早朝出発だから明後日中には到着できるだろう」

 

作戦会議は主にワルドとバッツの間で進められた。実際の戦闘要員である二人が主体になるのは当然と言えば当然である。

地名などはさっぱりわからないが地図と見比べながらきっちりと理解している辺り、バッツの旅に関する経験の深さが見て取れた。

 

「それで明日は丸一日空いてしまうというわけだが……、バッツ君、良かったら一度手合わせ願えないかな?」

「俺と?まあいいけど、何でだ?」

 

ワルドはニヤリと笑うと、いたずらっぽくこう言った。

 

「これから戦場に赴くのだ、味方の実力の程を知っておくのも互いにとって悪い事は無いだろう?それに――これは個人的な事で悪いんだが、僕は強い男と手合わせするのが好きでね」

「あんまり過大評価してもらっても困るな」

「謙遜しなくて良い。今朝握手した時にわかったさ、君が並みの使い手ではないことくらい。それに僕が駆るグリフォンについてきて尚、体力的な余裕を見せているんだ。そんな男は残念ながら我が隊にもそうざらには居らんよ」

 

大げさに両手を広げて話すワルドからは楽しみだ、というオーラがにじみ出ている。とてもじゃないが断りきれるような雰囲気ではなかった。

どうしたものかと思案しようとしたところに、宿のメイドがやって来た。

 

「お客様、お連れ様が到着しました」

 

メイドが言うには遅れていた連れが来たという。だがこの旅の同行者はここに居るメンバーで全員のはずである。そもそもが密命をうけた任務なのだ、大人数で行動するはずが無い。

 

「連れ……?おかしいな、僕達にそんなものは居ない筈なのだがな」

 

ワルドが警戒心からつい睨むようにメイドを見てしまう。その視線にメイドはすっかり怯えて縮み込まってしまった。

 

「どんな奴らだ?」

 

空気がそれまでの和やかなものから張り詰めたものに一変したのを感じ取ったメイドは、おろおろしながらも何とか言葉を搾り出す。

 

「ま……魔法学院の方だとおっしゃっていました」

「魔法学院?教師の誰かか?」

「いえ、かなりお若いので恐らくは生徒の方かと……」

 

三人はお互いに顔を見合わせる。当たり前のことだが、三人ともその自称同行者には心当たりが無い。

 

「わかった、そいつらをここに通してくれ」

 

ワルドがさらに二、三言付け加えると、メイドはそそくさと部屋を後にした。

メイドが部屋から出て行ったのを確認するとバッツとワルドは顔を見合わせ、お互いに頷きあう。

視線だけでお互いの役割を確認しあうと、バッツはデルフリンガーに手を掛けて入口の扉脇、蝶番とは逆の取っ手側に潜む。

ワルドは腰に下げた杖に手を掛け、ルイズを背に庇うようにしながら入口正面に立つ。

ワルドが杖を抜かないのは、己の抜きの早さに絶対の自信を持っている表れであるし、万が一味方だった時に備える意味もある。

だんだんと足音が近づいてくる。室内で耳を澄まし、その人数を計ろうというのだ。メイド以外に二人……いや、三人か。相手は呑気にお喋りをしながら歩いているらしい。

ハッキリとしないが、話声は男のものと女のものが混ざって聞こえて来る。かなり若めの声だ。殺気の類は感じられないが、それだけ相手も手練という事だろうか。

徐々に声が大きくなり、遂に部屋前に到着した。室内には緊張が走る。

足音は扉前で一度立ち止まった。メイドが案内を終えたのだろう、足音が一人分だけ遠ざかっていく。メイドに害が及ばないよう、先に退散するように予め言い含めておいたのだ。

 

ガチャリ

 

扉が開かれる。

扉が開くのがやけにゆっくりと感じられる。徐々に開いて行くその隙間に注意を注いでいる中、真っ先に現れたのは杖の切っ先だった。その杖が軽く振られる。

その瞬間、ほんの僅かな時間の中で色々な事が起こった。

まず、「しまった」とでも言わんばかりにワルドが一瞬驚きの表情を浮かべると、一気に来訪者達との距離を詰めようと駆け出す。

そのはずみで傍にあったテーブルをマントに引っ掛けて倒してしまうが、何も音がしない事に気が付く。

床に敷かれた絨毯は安物ではないがそれほど厚い物ではない。上に乗った家具が擦れても音を立てないような代物ではないのに、音が立たない。

そればかりか、踏み込んだワルドの足音すら聞こえない。

それでようやくバッツはワルドの焦りの原因を理解する。音を消されているのだ。バッツの知る時空魔法・ミュートに似た魔法を部屋全体に仕掛けられたらしい。

侵入者に対し魔法で対処しようと考えていたワルドが焦った原因はそれだった。

魔法を封じられても剣の腕に自信のあるワルドは咄嗟に魔法から直接打撃に手段を切り替え、相手に迫る。腰に下げた剣を抜き放ち、来訪者目がけて突き出す。

扉正面に立っていたワルドと違い扉脇、しかも開く側に控えていたバッツにはワルドよりも早く来訪者の姿を確認する事が出来た。

相手は青い髪と、赤い髪と、金の髪。先頭に立つ青い髪は背が低く、その後ろに残りの二人が続く。そして揃いの黒マント。

ルイズにも来訪者の正体が分かったのか声を上げるが、掛けられた魔法のせいでその声は誰にも届かない。口だけが空しく開閉を繰り返すだけだ。

ワルドが相手を自分の間合いに捕らえる。疾風の如く繰り出された剣戟が、先頭に立つ青い髪の人物に迫る。だが来訪者達はそれに反応できない。

 

扉が完全に開かれ来訪者達が最初に目にした光景は、直ぐ目の前に立つ二人の男の姿であった。

一人はこちらに向かい、剣を突き出している。一人はこちらに背を向け、鞘に入ったままの剣でもう一人の男の剣を打ち落としていた。

突き出した剣をはじき落とされた男は何事かを叫んでいるが、魔法の効果で何を言っているのかは分からない。

同じく、こちらに背を向けている男も何事かを言っているのだろうが、声は一切聞こえない。

男二人が恐らく激しく何事かを言い合っているようなのだが、肝心の声が互いに聞こえなければ会話が成立する筈も無い。

剣を突き出している男の背に少女がすがりついて男を止めようとしているようだが、こちらも声が通らないので空しく口をパクパクと動かしているだけだ。

だが必死に二人の仲裁をしようとしているらしい事だけは伝わって来た。

青い髪の来訪者がもう一度杖を振ると室内に音が戻った。

 

「何をするんだね、バッツ君!相手を間違ってもらっては困る!」

「待ってくれワルド!彼女達は敵じゃない!」

「じゃあ何だと言うんだね!」

「彼女達は私の友達です!だから剣を収めてください、ワルド様!!」

 

音が戻ってすぐ飛び込んできたのはワルドたち三人の怒鳴りあいにも近い言い合いの声だった。

ルイズの言葉にようやく剣を収めるワルドではあったが、まだ状況に納得がいかないらしく少し戸惑ったような様子で部屋の中央の方へ戻る。

何が起こっているのか状況が理解できない来客達を、ルイズは迎え入れた。

 

「何?この状況は。サプライズにしても少し手荒な歓迎過ぎるんじゃない?」

「あんた達が悪いのよ。何?勝手に同行者だなんて嘘ついて。こっちは色々忙しいんだからあんた達に構ってる暇なんて無いんだけど」

 

部屋に迎え入れたけれども、ルイズの対応は歓迎してはいない。当然である。

自分達は王女の密命を受けた作戦の途中なのであり、単なる物見遊山であろう級友たちの相手をしている場合ではない。

先程までとは違い、作戦会議をしていたテーブルについているのはルイズに自称同行者のキュルケ・タバサ・ギーシュの合計四人。

ワルドは少し離れた部屋の隅のテーブルに一人陣どり、不機嫌そうに腕を組んで座っている。

 

「なんであんた達が付いて来たのよ」

「今朝偶然に、あなた達が出発するのを見たのよ。で、タバサに頼んで後を追っかけて来たって訳。方角から大体の予想を付けて来たんだけど、まさか本当にこっちに来てるなんて思わなかったわ」

 

早起きはしてみるものね、なんて冗談交じりに語るキュルケは、聞けばきちんと先生に欠席の申請を出してから来たらしい。

成程、タバサの風竜ならグリフォンよりも距離を飛べるし、何より速度も出る。自分達より随分遅れて出発したようだが、追いつかれるのも納得がいく。

 

「私たちは遊びじゃないのよ。あんた達とは違うの」

「そりゃそうでしょうね。今の状況でアルビオンに渡ろうなんて正気の沙汰じゃないわ。だからこそついて来たんじゃないの。正直に言いなさいよ、なにか面白い事が起きてるんでしょ?」

「面白いって、あのねぇ……。それにギーシュ、なんであんたまでついて来てるのよ。物好きなキュルケならまだしも、あんたまで野次馬しに来たって訳?」

 

ルイズの非難対象がキュルケからギーシュへと移る。野次馬根性丸出しのキュルケはさておき、タバサは勿論そんな彼女に振り回されてついて来させられたのもすぐに見当がつく。

しかし、ギーシュまで来たのは理解できない。気障で女好きなこの男がキュルケらと一緒に来る理由が見当たらない。

モンモランシーが居ればまだ分からないでもないが、そのいう訳でもない。

 

「僕は君じゃなく、バッツに用があってついて来たのさ。彼には何かと借りがあるからね、何か困りごとならば少しでも力になれないかと思って来たのさ」

 

困り果てたルイズはワルドに助けを求めるように視線を送る。それを受けたワルドはやれやれといった仕草で立ち上がると、この場をまとめに入った。

 

「とにかく、僕達はどの道ここで明日一日足止めされなきゃならんのだ、今日は早く寝てその話は明日ゆっくりする事にしようじゃないか」

 

ここに居る者たちの中で最年長のワルドのその一言でこの場は解散となり、皆はそれぞれの宿泊部屋へと向かう事となった。

ちなみに部屋割としては、ワルドとルイズが相部屋でバッツが一人部屋、後から来た三人はキュルケとタバサが同室でギーシュがバッツと同じく一人部屋となっていた。

ワルドがルイズと相部屋としたのは互いに婚約者の間柄であり、なにより未だ全然話足りないという事もあった上での決断だった。

それぞれの思いを胸に、夜は更けていく。

 

 

 

夜も更けたラ・ロシェールの一角、町外れ近くに一軒の安酒場がある。名前だけは『金の酒樽』亭なんて大層なモノを付けられているが、完全に名前負けしているような店であった。

中では珍しく満員御礼で賑わっていた。酔っ払いたちの喧騒が周囲にまで響き渡る。

酒をあおっているのはアルビオン帰りの傭兵の一団であった。アルビオン帰りと言っても、勤め上げてきたわけではない。

彼らは王党派に雇われた傭兵団であり、その雇い主である王党派の敗色が濃厚になってすぐに逃げてきたのだ。

彼らは金さえ積まれればどんな事でもするが、義理堅いというわけではない。自分たちの命が危険だと分かれば約定もクソもなく一目散に逃げ出す。

貴族達と違いプライドよりも自らの命と実益を最優先に考え行動するのが常であった。

今日は壊滅まで秒読み段階に入ったアルビオン王党派のことを話題に酒を飲んでいた。

 

「『白の国』なんて呼ばれいい気になってた奴らが白旗を振るのも、もう時間の問題だな!」

「奴らは馬鹿だからそンなことはしねェよ。玉砕しか考えてねェさ。全く貴族なんて奴らは、プライドなんて糞の役にもたたねぇモンのために死ぬってンだから頭悪ぃよなあ!」

 

つい先日まで金を払ってくれていた者達にも容赦なく罵声を浴びせられるのが彼らだ。金の切れ目が縁の切れ目を地で行く性根の者達の集まりなのである。

そんな話題で下卑た笑いが行き交う中、一人の男が店内に入ってきた。

上物で漆黒のマントに身を包み、一目で高価と分かる真っ黒な帽子を被った男だ。長身で顔に不気味な鉄製の仮面を被っている。肩には大きな袋を担いでいる。

それが人でも入っているのではないかと思ってしまうほどに男の放つ雰囲気は不気味なものであった。

その男の死神かと見紛う異様さに店内は静まり返る。男はそんな様子を気に留める風も無く、ツカツカと店内の奥のほうへと足を進めていった。

そして奥の上座に当たる席に陣取っていた一団の首領らしき人物の前で立ち止まる。

 

「あんだ手前ェ、何か用か」

 

楽しく飲んでいたところを邪魔されて、不機嫌さを隠そうともせずに傭兵の頭らしき男が乱暴に言う。

この男の丸太のような腕にはあちこちに斬り傷や縫い跡が見えた。いかにも歴戦の戦士然とした厳つい体格に、乱雑に切り揃えた短い黒髪と同じく乱雑に蓄えた髭が周りを威圧する。

深い皺と傷のせいで実年齢より老いて見える顔にはギョロリと光る二つの眼。一睨みで気の弱い人間なら気絶してしまうであろう程に鋭く、かつ抜け目無い眼光を放っていた。

 

「用も無いのにわざわざこんな場所に来る訳が無かろう。貴様がこいつらの頭か?」

 

不気味な鉄仮面からはその下にどんな顔が隠れているのか見当もつかない。声も、何か魔法を使用しているのか不自然な響きを持っている。

目の前に居るはずなのにその存在が不気味な位希薄なこの男は、一体何者なのだろうか。素性を隠している相手ほど不気味なものはない。

 

「だったらどうだってンだ」

 

相手を睨みつけて凄む傭兵の頭に対し、仮面の男は全く臆することなく不気味に佇んでいる。暫く傭兵達を値踏みするかのように見渡した後、

 

「貴様らを雇いに来た。それ以外に用があるとでも思っているのか」

 

と感情の読み取れない声で用件を口にした。

 

「そうか、俺達を雇いに来たか。それじゃあ金は持ってきたのか?それが無きゃ話にならんぞ」

「早速金の話か。聞いていた通りに金に意地汚い奴らだな。まあいい、ホラ、お望みのものだ」

 

仮面の男はそういうと、肩に担いでいた袋を床に置いた。一抱えもある袋がドサッと床に落ちる。その音から結構な重量があるのが分かった。

傭兵の頭が中を検めると、袋にはギッシリと金貨が詰まっている。

 

「ほう……、エキュー金貨か。だがこれだけじゃ足りねぇな」

「勿論、これは手付金だ。残りは成功したら言い値で払ってやろう」

「言い値、か。コイツは随分と気前が良いねぇ。ま、それがどんなヤバイ仕事だろうが俺達にゃ関係ねぇ。金さえキッチリ貰えりゃ、文句は言わんさ。で、何をすれば良い?」

 

交渉成立とみて、仮面の男は依頼内容を語りだす。それは意外にも簡単なものだった。

男が言ったのはただ一つ、『女神の杵』亭を襲い宿泊客を皆殺しにすることであった。

皆殺し、という点に少し引っかかったが元々無法者の集まりである彼らにとっては造作のない依頼であった。

 

「実行は明日の正午近く、私の合図で行ってもらう」

「あンたも来るのか?」

「当然だ。貴様らだけでは心許ない」

「そいつぁ聞き捨てならねぇな。俺たちゃプロだぜ」

 

そう自慢げに話す頭を尻目に、仮面の男は店内にいる傭兵達をざっと見回す。

 

「そうか?見た所お前達はメイジが二割程度といった構成だろう。いくら相手が女子供といえども一応は貴族なのだ、念には念を入れないといけない。それに手錬の騎士もいる。万が一にも失敗は許されんのだからな」

 

やれやれ、と頭は肩をすくめる。貴族に信用されないのはいつものことではあるが、こんな小規模の依頼でも同様の態度をとられるとは正直心外であった。

 

「皆殺しってのは構わねぇんだけどよ、その後この国に居辛くなるのは困りモンだな」

 

と頭が不満を漏らす。国を跨いで仕事をする彼らにとって、国に雇われることはあっても追われる立場になるのは好ましくない。

だが、そんな不安を吹き飛ばすように仮面の男は抑揚の無い声で言い放った。

 

「ならば目撃者を全て消せば良い。目撃した人間がいなければ、貴様らの仕業と知れ渡ることはあるまい」

「おいおい、穏やかじゃねえな。それじゃあまるでこの町ごと焼き払えって言ってるように聞こえるがな」

「そう受け取ったのなら、それでも一向に構わん。仕事さえきちんとこなしてくれれば、後は他の人間がどうなろうと一切関知しない。好きにすれば良い」

 

男は怖いことをさらりと言ってのけた。これには流石の傭兵達もどよめいた。町一つを潰すほどの依頼とはどのようなものなのであろうか。

しかし、この無法者達にとってこの一言は、かえってやる気を起こさせるキッカケとなった。

純粋に殺しや略奪を好む者も少なくない彼らにとって、この手の依頼は願ってもいないものだ。

依頼内容が満足いくものであったのか、最初とはうって変わって上機嫌になった頭は手に持つ器になみなみと酒をついで飲み干した。

 

「にしてもあンた、一体何処のお人なんでぇ?こんな物騒な依頼をしてくるなんて、何処の貴族様の差し金なんだかねぇ」

 

と語る頭の目には、この依頼の裏に何か大きな陰謀が渦巻いている気配を嗅ぎ取り、あわよくば自分たちも一枚噛んで旨い汁を吸おうという魂胆が見え隠れしていた。

その言葉を聴き、仮面の男は目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜くと頭の首元に突きつけた。切っ先がわずかに首の肉に食い込み、赤い筋が流れ落ちる。

 

「長生きの一番の秘訣は『余計な好奇心を抱かぬ事』だ。そうは思わんかね?」

 

仮面の下から覗く瞳は、それが冗談やただの脅しの類ではない事を物語っていた。



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第15話 港町の受難

清々しい朝の空気の中、二人の男が対峙している。

ここは宿『女神の杵』亭の裏にある少し開けた場所である。かつては練兵場だったというこの場所は、今や全くその面影を留めていない。

ここいるのはバッツとワルド、そしてルイズにキュルケにタバサにギーシュ、と……要するに全員いた。

前日の申し出通り、二人が手合わせをしようというのを、ルイズら皆で見物しているのだ。

バッツはデルフリンガーを両手で構え、深く腰を落とした姿勢をとっている。対するワルドは右手に反りの無い細身のサーベルを持ち、半身に構えた。

剣の心得など全くと言っていいほど無いルイズらギャラリーには、バッツの持つ軽く反りのある片刃の両手剣であるデルフリンガーに対し、ワルドの構えるサーベルは酷く貧弱なモノに見える。

互いの手の内を探り合っているのか、中々動きださない二人に飽きてきたらしいキュルケは黙って見ているのに耐えきれなくなってきたようだ。

 

「ねぇ、ルイズ。あっちの素敵でダンディな方があなたの婚約者ってのは、本当?」

「ええ、本当よ。でも許婚なんて言ってもそれが決まったのはずっと昔の事。今でも律儀に許婚でいてくれるのが信じられないくらい昔の話よ」

 

睨みあう二人の男から視線を逸らすこと無く、ルイズは素っ気なく答える。それはタバサのような無関心ではなく、なんだかあまり触れたくないという意志を滲ませたものだった。

あんな自慢できる男が自分の未来の旦那さまで、何を隠すような事があるのだろうか。

どうもキュルケには納得はいかないが、目の前のルイズとあちらに立つワルドの姿を見比べてみれば成程、少しは合点がいく気がした。

 

「しっかし驚いたわぁ、扉を開けたらいきなり修羅場やってるんだもの。しかも男同士で。痴話喧嘩かと思ったら、あたし達を狙ってたなんて更にビックリよ」

 

キュルケが昨夜の事を話題に出した。あの時はともすれば三人とも、少なくとも先頭に立っていたタバサは死、いやそこまでいかなくても大怪我を負っていたかも知れない、そんな状況だったのだ。

物見遊山や野次馬程度で追いかけて来たのに、命を奪われたら笑い話にもならない。

 

「昨日も言ったけど、あれはあんた達が全面的に悪いのよ。無断で“連れだ”なんて言って宿に泊るわ、いきなり『サイレント』を使うわでこっちが良い迷惑だったわよ」

 

そもそも、最初から名前を告げてくれれば良かったのだ。それなのに名前を伏せ、居る筈の無い同行者を語ったものだから話がややこしくなってしまったのだ。

ただでさえ気の抜けない旅なのだ、些細なことにも過剰に反応してしまうのも無理はない。

 

「ちょっと驚かせようと思っただけじゃない。ほんのお茶目のつもりだったのよ。それに魔法を使ったのはあたしじゃないわ。あれはタバサの判断よ」

「…………部屋の中から殺気がした。魔法を封じるには、あれが一番いいと思った」

 

タバサがこちらに視線だけを向けて言う。いつも周囲の事に無関心で本を読み耽っているタバサが、珍しく二人の男の挙動を注視していた。

こんな試合、興味も無くまた本を広げているだろうと思っていただけに、意外な事であった。

 

「殺気ってねぇ……。普通そうなるでしょ?身に覚えの無い連中が追ってきたら。こっちは刺客かと思ってヒヤヒヤしたんだから」

「“刺客”……って、あなた達そんなにヤバい事に首突っ込んでるの?」

 

そこまで言って、ルイズはしまったと気が付いた。今回の目的は機密中の機密みたいなものだ、万が一にでも外部に漏れる事は許されない。

ましてや喋っている相手はクラスメイトとはいえゲルマニアの貴族の娘、迂闊に口を滑らせるわけにはいかないのだ。世の中、何処をどう伝わって情報が漏れ伝わるのかも分からない。

そう話している間中、キュルケはルイズの顔色が優れないのに気が付く。体調が悪いというよりは、何か悩み事があると言った風だ。

目下何か悩みがあるとすれば、それは目の前の決闘モドキに他なるまい。

自分の婚約者と使い魔が優劣を競っている。それは、ルイズにとってどちらが勝っても素直に喜ぶ事が出来ない状況であるのは予想に難くない。

いくらルイズの性格が多少アレといえど、自分の使い魔に情が移らない筈がない。

その使い魔が目の前で負ける姿なんて見たくは無いし、逆に自分の婚約者が、例え相手が自分の使い魔だとしても負ける姿なんて見たくは無い。

しかし、そのどちらかの結果は必ず訪れるのだ。二つの感情に板挟みされて、今ルイズの心は今までにないほど波立っていた。

そんなルイズの心情など知る由も無く、互いの隙を窺っていた二人の男は呑気に会話をしていた。

 

「ふむ……、中々に隙の無い良い構えだ。さぞ多くの戦闘を経験してきたようだな。いや、基本がしっかりしているからか?ちなみに君は誰から剣を習ったんだい?」

「父親からだ」

「ほう、君の父上からか。さぞ名のある剣士なのだろうな」

「どこに士官するでも無い旅暮らしだったからな。有名って訳じゃなかったけど、強かったよ」

 

ほう、と感心するワルド。しかしその間も構えを崩すことはない。

 

「さてバッツ君。何時までも睨みあっているだけじゃ埒が明かないのでね、こちらから攻めさせてもらうよ!」

 

そう言うが早いかワルドは風のように踏み込み、一気にバッツとの距離を詰める。軽やかなステップにマントがはためき、流れるような動きで自慢の突きが繰り出された。

バッツは体をひねって突きをかわすと、そのまま背面へ跳びワルドとの間合いを開けようとした。懐に踏み込まれては、長さと重さのあるデルフリンガーでは少々不利だ。

それを分かっているのか、ワルドは離れじと距離を詰める。バッツは上中下と巧みに繰り出されるワルドの突きをデルフリンガーと体捌きでかわす。

 

「やはり魔法衛士隊の隊長ともなると格が違うな。あのバッツが防戦一方じゃないか」

 

ギーシュが目を輝かせながら感想を言葉にする。魔法衛士隊と言えば男子生徒の憬れの的であり、その隊長であるワルドは彼らにとってヒーローみたいなものだった。

強く、賢く、その上格好いい。ワルドは正にギーシュ達男の子の憬れを体現したような存在であった。

その流麗な動きに魅了され、いつしかギーシュはワルドを応援してしまっている。

薄情なものね、なんて視線をギーシュに向けるキュルケであるが、だんだんと白熱してくる試合に彼女も目が離せなくなってきた。

 

「ヤベェぞ相棒!こいつぁかなりの手錬だ!」

 

ワルドの剣戟をその身に受け、たまらずデルフリンガーが悲鳴を上げる。別に刀身が欠けたとか折れそうとかいう訳ではないが、一方的に攻められて焦りが出て来たのだ。

 

「ほう、喋る剣か。面白い物を持っているのだな。だが、喋ると言うだけではこの僕の剣を防ぎきる事は出来んよ!」

 

突きだけでなく上下左右の振り払いも加わったワルドの剣筋は変幻自在であった。だがバッツもやられ通しで終わるわけも無い。

相手の踏み込みに合わせ敢えて自分から踏み込み、ワルドの間合いの内側からショルダータックルをかます。

たまらず相手がよろけた所を軸足を中心に体を回転させ、遠心力を使って豪快に左から右へ横薙ぎに払う。

ワルドは大きく後ろに跳躍する事によってそれを避けると、一旦仕切り直しとなった。

 

「やるじゃねぇか、相棒」

 

とデルフリンガーがバッツの攻撃に素直に感心する。どうやらワルドも同じらしく、期待に胸ふくらませる子供のように瞳を輝かせている。

強い者と手合わせするのが好きだ、というのは嘘でないらしい。

 

「そうこなくてはな。僕の見立てじゃあ君はまだまだ出来る筈だ、遠慮なく攻撃してきてくれたまえ。そしてもっと僕を楽しませておくれ!」

「それじゃ、遠慮なくいくぞ!」

 

今度は二人同時に駆け出す。やはりリーチではバッツに分があるが、小回りや手数ではワルドには及ばない。一度間合いの内側に入られてしまうとバッツには攻撃の手段を潰されてしまう。

しかしバッツは器用にデルフリンガーで攻撃を防ぐ。デルフリンガーを大きく振りまわすことなく、左右に細かく振ることでワルドの攻撃を凌いでいた。

攻撃を防ぎながら、タックルや蹴りを主体にワルドを攻め立てていた。

 

「俺は剣であって盾じゃねえんだけどな」

「喋っていると舌を噛むぞ」

「噛む舌なんか無ぇよ」

 

剣というよりも盾のような扱いをされてデルフリンガーは不満を口にするがバッツに軽くあしらわれる。

そんなやり取りも余裕の表れと取ったワルドは一度距離をとると、再び仕切り直しの様相を呈した。

 

「中々筋の良い動きをする。やはり君クラスの使い手が我が隊にも欲しいものだな」

 

両手を大きく広げ、バッツの善戦を称賛するワルド。身ぶり手ぶりが一々芝居じみてはいるが、ワルドはそれを嫌味に感じさせない不思議な雰囲気を持っている。

これはワルドならではの事なのか、それとも貴族というのはこういうものなのか判断に困るバッツであったが、チラリとギーシュに目を向け「やっぱりワルドだからかな?」なんて考えてしまう。

 

「あんまり褒めないでくれ。照れるよ」

「謙遜しなくていい。だが、それだけに惜しいな」

 

ワルドの言う“惜しい”という意味が分からない。何を以って惜しいというのか。

 

「君の剣の腕前は確かに素晴らしい。『閃光』の異名を持つ我が剣を防ぐとはな。我が隊にも君に勝てる腕前の者は数える程しかいないだろう。だが、剣の腕だけではメイジは……いや我々魔法衛士隊士を倒す事は叶わんよ!」

そういうと、構えた剣をフッと軽く振る。その動きには何処かで見覚えがあった。あれは確か……

 

ゴッ。

 

頭で思い出すよりも先に体が反応する。咄嗟に横に跳んだバッツの耳元を何かが高速で掠めたような音が駆け抜けていく。

慌てて飛んできたモノの正体を確かめようと目を遣るが、そこには何も見当たらなかった。

 

「『エア・ハンマー』……?でも、杖なんか……」

 

タバサが驚愕の声を上げる。周りはそんなタバサの様子に驚きの声を上げた。タバサがそこまで熱中しているとは正直意外であったのだ。

驚きの声が届いたのか、ワルドは自慢げに種明かしを始める。

 

「ふふふ、驚くのも無理はない。我ら魔法衛士隊は剣技と魔法の両方の技術を高レベルで要求される。従って、その戦闘スタイルは自ずとこのような形に行き着くのだよ」

 

誇らしげに剣を掲げるワルド。先程放った魔法の秘密は、どうやら剣に隠されているらしい。

 

「これはただの剣ではない。剣であり、そして同時に杖でもあるのだ。格闘と魔法の高度な融合によってもたらされる通常の間合いを超越した変幻自在な妙技を、とくと見るがいい!」

 

言い終えると同時に攻撃を始める。素早い斬撃に加え、いつ不可視の攻撃が放たれるかと考えるとバッツの焦りは尋常なものではない。

通常の斬撃とほぼ同じ動作から放たれる『エア・ハンマー』は、口元の呪文を唱える動きで判別できる程度だ。至近距離から放たれる魔法は、直撃を喰らおうものならひとたまりもあるまい。

数少ない救いの一つはこれが試し合いであり、ワルドにも幾分の手加減が見える事くらいだ。

ここで重傷を負う訳にもいかないので互いに寸止めや、わざと芯を外した攻撃を多用しているおかげで避けられているようなものだ。

 

「やべぇ、やべぇぞ相棒!なにか手はあるのかよ!」

 

またデルフリンガーが悲鳴を上げる。やはり王国でも指折りの精鋭相手では一筋縄ではいかない。

 

「…………無い事は無い」

「頼りねぇ事言ってくれるなよ……」

「手は尽くすさ!」

 

今の所ワルドが使ってくる魔法は『エア・ハンマー』一種類であるが、それだけしか使えないという訳はあるまい。

いつ何時新たな攻撃を繰り出してくるかわからない恐怖が付きまとう。これがこちらの世界の魔法使い……いや、魔法剣士?魔導剣士?の戦い方なのだろう。

一対一でも乱戦でも応用が効きそうな戦法だ。そしてワルドの剣術と魔法の調和の完成度の高さにバッツは舌を巻く。

バッツとて自分の腕には自信がある。一対一ばかりでは無かったとはいえ、幾度も強敵と闘い、これを撃破してきたのだ。

しかし、よくよく考えてみれば強敵といえども相手をしてきたのはモンスターばかりで、これほど強い人間を相手にした事は案外少ない事に気づく。

強いモンスターというのは大抵体が大きかったり、腕力が異常に強かったり、皮膚や鱗などの防御力が異常に高かったり魔法が強力だったりしたものだ。

純粋に技術と手数で苦戦するという事は少ない。というか、そもそも人型をして人間大の大きさの強力なモンスターというのは少なかった。

だんだんとバッツは追い詰められていく。初めは余裕をもって避けていられた攻撃も徐々に厳しくなり、遂には紙一重どころか避け切れずに地面を転がる事が多くなってきた。

 

「相棒ー!」

 

遂にワルドの剣がデルフリンガーを弾き落とす。宙に弾かれたデルフリンガーの叫びが響き渡る中、ワルドのトドメの一撃が繰り出される。それは、バッツの眉間を狙った一撃。

剣を弾かれ、動揺しているどころを一気に決めようという一撃であった。ワルドは勝利を確信する。必殺の間合いで放つ一撃を避けられるものではあるまい。

が、バッツは隙を作るどころか、むしろ自分からデルフリンガーを手放して空となった手を握り、自ら踏み込む事によりワルドの剣をかい潜って鳩尾に寸止めの一撃を放った。

しかし、バッツの勝利という訳でもない。ワルドの剣も素早く軌道を変更してバッツの首筋を捕らえていた。

この手合わせは、相討ちという結末で幕を閉じた。

 

「…………最後の最後に油断したのは僕の方だったようだ。君は剣術だけでなく体術にも秀でているのだな。てっきり補助程度に身に付けているものだとばかり思っていた。見事だ」

 

剣を収め、互いに健闘を称える握手を交わすワルドとバッツ。そして、握手をしたままでワルドは言葉を続ける。

 

「やはり君は僕の思っていた以上に出来るようだ。だがこんな事を言うと負け惜しみにしか聞こえないが、僕もまだまだ手を残している。次があるかどうかは分からないが、今度は負けはしないよ」

「ああ。今回は模擬戦で手加減してもらってたから、なんとかこういう結末まで持ってくる事が出来た。お互い本気だったら結果は違っていただろうな」

 

ワルドはまだ余裕を見せたまま、バッツは謙虚な姿勢で互いに言葉を交わす。そのままワルドはルイズの元へ行ってしまったので、バッツは手持無沙汰になってしまった。

ルイズはワルドと楽しげに会話をしている。考えてみれば、この世界に来てからは生活や行動の中心に常にルイズがいた。

それは自分がルイズの使い魔として此処に居る、という意識が多少なりともあるせいではあるが、ここでの人間関係の殆どがルイズを起点にしたものばかりである。

というか、魔法学院がらみの知人しかいない。自分としては珍しく学院内という非常に狭い閉じた世界での交友関係しか持っていない事に気が付いた。

しかし……、と少し頭をひねる。あの世界でも自分の親交はそんなに広いものであっただろうか。世界中を旅してきて、様々な土地で人々と触れ合ってきた。

けれども親しい、といえるような人は故郷のリックスの村の皆か共に旅をした仲間の顔くらいしか思い浮かばない。

ずっと根無し草で暮らしてきたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、何か間違った生き方でもしてきたのだろうかと思えてきてしまう。

 

「やぁバッツ、中々健闘したようだけど、惜しかったな」

 

少し考え込んでいてボーっと突っ立っていた所にギーシュから声が掛かる。いつの間にかバッツの元にはギーシュとキュルケ、おまけにタバサが来ていた。

 

「何してんのよ、ぼんやりして。ご主人様を彼に取られてショックなのかしら?」

 

キュルケが口元に指を当て、意味あり気に微笑む。何を考えているのか分かるような気がしたので、あえて深く聞き返す事はせずに受け流す。

もっと突っかかって来る反応を期待していたのか、キュルケは「あら」といった表情をしていた。

ギーシュはバッツの肩を叩きながら、「例え負けたとはしても、平民が魔法衛士隊相手にあれだけ粘れたのだからむしろ誇るべきだ」なんて慰めなのかよく分からない言葉を掛けてくる。

だが、その気持ちは有り難い。まぁ、負けたわけではないのだが。

そんな感じでギーシュと談笑していると、目の前にタバサがやって来た。いつもと変わらぬ考えの読めない表情のまま、バッツの目を正面から真っ直ぐに見据えている。

 

「どうして手を抜いたの……?」

 

タバサの口から驚きの言葉が飛び出した。先程の手合わせは誰の目に見ても白熱した勝負であり、両者ともに力を尽くしていた。

まぁ命の奪い合いではないのでし、明日以降の事も考えて消耗しすぎてもいけないといった意味では互いに手加減をしていた。そんな事は全員が分かっている事だ、わざわざ口にする事ではない。

しかしながらタバサの言葉から伝わるのは、バッツを責めたり非難する色である。

 

「何で……って、別に手なんか抜いていないけどな」

「嘘」

 

困惑気味に答えるバッツの言葉をピシャリと否定する。静かに、だが厳しく攻め立てるタバサの様子に、バッツやギーシュはおろかキュルケまでもが驚く。

 

「あなたはまだ実力を隠している。そしてそれはきっと、私達が想像もつかないような力。だからきっと……」

「おいおい、何を言い出すんだい?君は。仮にも魔法衛士隊隊長相手に、手加減してもらってるとはいえあそこまで善戦出来たのに、まだ彼にそれ以上の期待を抱いているのかい?」

 

言い掛かりとも取れるタバサの口振りにたまらずギーシュが割り込む。とてもバッツ擁護には聞こえない台詞ではあるが、それでも彼なりに庇っているつもりなのだ。

 

「そうじゃない、でも……それでも彼はまだ何か……」

「でも?確かにバッツは強いさ。メイジじゃない人間の中でも指折りの強さなんだろう。でも所詮は平民だし、正式な訓練を修めた、それもスクエアメイジの魔法衛士が相手なんだ。学院の成績優秀者相手とは訳が違う」

「でも……」

「ハイハイ、ここはタバサが分が悪いわ。あなたがこんなに他人に関心を持つのは珍しいけど、相手に過度な期待を持つのは禁物よ。過剰な理想を抱きすぎると、現実を知った時に受ける衝撃は馬鹿にならないわ」

 

なおも反論しようと口を尖らせるタバサであったが、間に入ったキュルケによってなだめられた。

まだ納得のいかない表情をしているタバサを強引に言いくるめられるのは、ただ単に中が良いというだけでなく年長者であるという所による部分も多い。

納得いかないながらも、渋々キュルケの言葉に従う様は、なんだか姉妹のやり取りを見ているようで微笑ましくなる。

 

三者三様の、それぞれ微妙に論点のずれた言い争いを繰り広げていた様子を遠目に眺めていたルイズにワルドが声をかける。

 

「なんだか楽しそうに盛り上がっているな」

「そうですわね」

 

なんだかよそ見をしていたのを咎められている気がして、ルイズは少し申し訳なさそうに控えめに答える。ワルドはルイズから手渡された手拭いで軽く顔の汗を拭っていた。

 

「しかしバッツ君は素晴らしい剣士だな。君には悪いが、従者止まりにしておくのが勿体無いくらいだ。もしも彼がメイジであったなら、身分など関係無く衛士隊に取り立てられたものを」

 

ワルドはバッツがメイジではない事をしきりに残念がる。実際、このトリステインに於いてメイジで無い者が騎士になり立身出世するという事はほぼ絶望的だという現状がある。

それだけワルドはバッツの腕を認めたという事だろうか。

しかし、ルイズは知っている、バッツはタダの平民ではない事を。何より、ルイズ自身に魔法を教えてくれ、系統魔法に目覚めるきっかけを作ってくれたのは、他ならぬバッツなのだから。

でもバッツはルイズと二人きりの時以外は魔法を使わない。何か考えがあるのだろうが、今までのちょっとしたイザコザでは魔法を使う気配を見せないのだ。

先程の手合わせも、ワルドと同様にバッツも魔法を使って居たら勝敗は更に変わっていただろうに。

それでも魔法を使わないのは何か彼の中で意地があるのか、それともワルド相手では魔法を使うまでも無いのか。

ルイズとて、バッツの全てを知っているわけではない。むしろ、バッツの事を殆ど知らない。バッツが自ら話してくれる事もないし、今まで詳しく聴こうなんて思った事も無かった。

使い魔と言っても相手は人間、それも自分より年上であろうバッツにも勿論それまでの人生というものがあるのだろう。

どのようにして育って来たとか、どうしてあれほどの剣の腕を習得するに至ったか、とか。

 

「ルイズ?」

 

突然、ワルドから声がかかる。いや、実際には全然突然ではなかったのだが、少し物思いに耽っていたルイズを驚かせるには十分であった。

 

「どうしたんだいルイズ、いきなり黙り込んでしまって。もしかして何処か具合が悪いのか?」

 

急に考え込んでしまった彼女を心配したワルドが気遣う言葉を掛ける。ワルドの優しさと、急に黙り込んでしまった自分に恥ずかしくなり、少し顔を赤らめさせながらルイズが答える。

 

「い、いえ、なんでもありませんわ。すみませんワルド様」

「いやなに、君が大丈夫ならばそれで良いのだ。昨日の行程は少々堪えるものだったし、昨夜は長話をして夜更かしさせてしまったからな。どこか体調を崩させてしまったかと思ったよ」

「お気遣い有難うございます。でも私は大丈夫ですわ。この程度で音を上げるものだったら、最初からこの話を引き受けはしません」

「頼もしい言葉だ」

 

そう言ってワルドが頷く。ルイズの言葉に今回の旅への覚悟の程が少し見てとれて嬉しいのだ。

 

「時に、昨夜の話を覚えていてくれているかい?」

 

ワルドが話題を振る。昨夜、とは二人で同室で過ごした夜の事だ。共に夜を過ごした、と言っても特別何があったわけでは無い。ただ二人で話に花を咲かせていただけである。

特にこの十年の事、そしてワルドも卒業生である魔法学院についての話で盛り上がったのだ。

その話の最後に、ワルドから改めて結婚の申し出があった。親同士で決められた十年も昔の縁談話を、律儀にも全うしようというのだった。

それだけではなく、幼い頃から魔法を使えない事に劣等感を抱いていたルイズの為に、仕事の合間に方々手を尽くして調べてくれても居たのだ。

そんなワルドの誠実な想いがルイズにとっては嬉しくもあり、なんだか身の丈に合わない程に大きな想いを寄せられている気もして居心地が悪かった。

そんな彼女の心情を察しているのか、ワルドは答えを急かしはしない。

 

「ええ、勿論覚えていますわ。でも正直な所、今でも婚姻の約束を覚えて下さっていてその上、まだこうして求婚して下さるのは嬉しいような、何と言うか……」

「答えを焦る必要は無い。今まで離れ離れだった十年という時間はそう直ぐに埋まる物ではないのだ。だがこうしてまた会えたこと切っ掛けにして、これからゆっくりと埋めていけば良いだけの話だ」

 

その言葉に、ルイズは穏やかに微笑む。ワルドの誠実な心が嬉しい。

 

 

 

突然、静寂を引き裂く爆音が地響きを伴って轟いた。地震か?という考えが一瞬頭をよぎるが、直ぐに立ち込めた焦げ臭いにおいに一斉に辺りを見回す。

『女神の杵』亭正面方向、今ルイズ達が居る場所とは建物を挟んだ反対側から煙が立ち上っていた。

 

「なんだ?火事か?」

 

少し離れた場所にいたバッツ達も駆け寄る。突然の事に皆困惑した表情を浮かべている。

 

「いや、違うな。あの辺りに火の手が上がるような物は何も無かった筈だ。となれば……」

 

皆が顔を見合わせる。自然発生でも無ければ何か事故の類でも無さそうだ。ならば残る可能性は……

 

「じゃあ誰かが爆発を起こしたっていうのか!?」

「わからん。とにかく見に行かなくてはな」

 

そう言って駆け出すワルドに皆が続く。現場に近づくにつれ、嫌な予感は確信に変わっていく。

宿建物内を通ってきた一行が目にしたものは、さながら戦場の様相を呈しているエントランスホールであった。ならず者たちが暴力で占拠し、抵抗する者には容赦なく攻撃が加えられていた。

 

「何が起こっている!」

 

手近に居た人に、ワルドが尋ねる。相手は負傷していたが、命まで危険という訳ではない。タバサが手早く水の『ヒーリング』で応急手当てを施す。

 

「わ……分からない。急に奴らが襲って来たんだ……。」

 

そう話している間にもルイズ達にもならず者の魔の手が迫る。

『閃光』の二つ名に違わず、目にも止まらぬ速さで抜刀したワルドは、襲い掛かる者をあっという間に叩き伏せる。ルイズの手前、命までは取らず、無力化するだけに止めてはいるが。

 

「先ずはこの狼藉者たちをどうにかするのが先決のようだな」

 

ワルドの掛け声を合図に、皆が行動に移る。ワルドとバッツが先陣を切り、侵入者達を蹴散らす。それをキュルケとギーシュの二人が援護し、タバサとルイズは負傷者の手当てに回る。

魔法だけでは補いきれない恐れもあったので、バッツはあらかじめ救護役の二人にポーション等の回復アイテムを手渡しておくのを忘れない。

ワルドとバッツの二人の目覚しい活躍により、程なくしてエントランスホール内の敵を全て無力化することに成功した。

改めてホールを見渡すと、あちらこちらに破壊の爪跡が残され、惨憺たる状況である。

 

「これで全部かしら?」

 

キュルケが少し乱れた髪を整えながら一息つく。しかし、そんな希望的観測もワルドにあっさりと否定される。

 

「それはないだろうな。こいつらを見てみろ。これだけ武装しているのだ、恐らく傭兵か何かの一団だろう。そしてこいつらは露払いと言った所か」

 

ワルドは足元に転がる襲撃者達に目を向けながら説明する。彼らは命こそ助かっているが、動けない程度には痛めつけられ、更に縄で縛られ体のの自由を奪われていた。

室内で暴れていたのは計七名。ただの強盗ならばこれくらいの数でも全員だろうが、そもそも貴族宿を襲おうという者はそうは居ない。

なぜなら貴族=メイジであるので、宿泊者がいるということはメイジを相手にする確立がかなり高いということだ。平民ならその危険性がどんなものか判らないはずが無い。ハイリスク過ぎる。

よって貴族宿を襲うということは、単に金品目的というよりはもっと高度な政治的目的がある場合だろう。

それも精鋭数名で手際よく済ませるか、かなりの大人数で攻め込むといった手段をとるはずだ。

屋内に乱入した者達の腕前を見るに、敵はどうやら後者のようだ。となると、宿前にはまだ多くの武装した人間が待ち受けているだろう。

窓から外の様子を窺うと、予想通り屋内に侵入してきた数の何倍もの人数が暴れまわっていた。いや、暴れまわっているというのとは少し違う。

明らかにこの宿を狙うように陣らしきものが敷かれ、その周囲の建物等がとばっちりで被害を受けていると言った感じだ。

 

「まずいな……」

 

外の様子を窺っていたワルドが呻くように言葉を漏らす。余りに芳しくないその表情に一同が不安を募らせる。

 

「どうなのですか?外の様子は」

 

皆を代表してルイズが問いかける。それに対し、ワルドは顔を伏せ軽く左右に首を振る。その様子から、状況がどれ程悪いのかが察せてしまう。

 

「少なく見積もっても、賊は四十人は下らんだろう。かなり組織的に動いているところをみると、ただの強盗団ではなく傭兵崩れどものようだ。厄介だな」

 

相手は野盗の類ではない事は、倒した者達の装備を見て大体察しを付けていたが改めて言われると不安が増すばかりだ。

 

「奴らの狙いは何だ?なぜこの町を襲うんだ?」

「わからん。タダの物取りならばそれに越したことは無いのだが……」

「金品目当てじゃなかったら、一体何が狙いだって言うんだ」

 

こうした少し辺鄙な場所で栄えている町というのは、なにかとこの手の輩の標的になる事が多い。

勿論常駐の兵士団や自衛団は居るだろうが、主要都市から離れているせいで万が一の場合に増援が望めないからだ。

だがそれだけに、こういった町の警備体制は並大抵ではないのだ。成功時に得る物は多かろうが、ちょっとやそっとの規模では失敗の危険も多い。

それでも尚行動に移したというからには、かなりの戦力を有しているのだろう。

 

「奴らの狙いは分からん。単に略奪が目的だけの単細胞ならば良いのだがな……」

 

そういってワルドは視線をキュルケとタバサに向ける。いきなり視線を投げかけられた二人は勿論理由が分からなかったが、少ししてキュルケがハッとする。

 

「え……?あたしたち……?」

 

驚くキュルケだったが、ワルドは軽く首を振る。

 

「流石にそれは僕の考えすぎだとは思うが、もし奴らが君達の宿泊を何かしらの手段で知ったのだとしたら――。それで無くとも、この宿に泊るのは貴族なのだ。ここを狙う以上、政治的な目論見が無いとは言い切れん」

 

今朝互いに自己紹介を済ませているので、ワルドもキュルケとタバサが近隣諸国からの留学生である事は知っていた。

もし隣国の貴族の子女がならず者に捕まったとなれば、国際問題に発展するのは火を見るよりも明らかだ。

ただでさえ、これから自分達が向かうアルビオンには『レコン・キスタ』という戦乱の火種が渦巻いているのだ。

この旅の目的も含めて、あまりトリステインにとって歓迎できない要素は少ないに越したことは無い。

皆に緊張が走る。

そうしているうちに、ワルドと同じく外の様子を窺っていたバッツから声が掛かる。

 

「皆、何か動きがあるようだぞ!?」

 

その一言に全員が窓辺に集まる。外から狙い撃ちされる危険性も考慮に入れて、壁に張り付いて覗き見る。外では何やら次の行動の為の命令が飛び交っているようだ。

人数が多いため、自然と命令の声も大きくなり、内容が室内からでも伺い知ることが出来た。

 

「何を話しているのかしら……?」

「シッ。少し黙っていてくれないか。よく聞き取れない」

 

注意深く外の様子を窺う。外では首領と思しき風格の男と、その傍らに立つ他の者たちとは一線を画す異様な雰囲気のマント姿の男が会話しているのが目に入った。

いかにもボスといった風体の一際着飾った人物と話すマント男は、顔を不気味な鉄仮面で覆い隠している。

その身なりからして平民や傭兵の類ではなく、どこぞの国の貴族のお忍び姿といった感じだ。

 

「どうやらあの仮面男が首謀者らしいな。やはりタダの物取りではないようだ」

 

ワルドが冷静に状況を判断する。貴族が関わってくるとなると、いよいよもって政治的な目的の匂いが強くなってくる。更に耳を澄ませ、敵の目的を聞き洩らさないように神経を集中させた。

 

「首尾はどうだ」

 

仮面の男が首領に向かって声をかける。

 

「見ての通りだ。少しばかり防備が強ええっていっても、アルビオン帰りの俺たちにとっちゃ屁でもねぇよ」

 

首領は自慢げに応える。

 

「そうではない、目標はどうなった?まだ宿が静かなのだがな、尖兵どもが返り討ちになったのではないか?」

「心配いらねぇよ。相手は高々片手で数えるだけしか居ねぇ、しかも大半は女子供だって言うじゃねぇか。仕損じる訳ねぇよ」

「貴様らが何人犬死にしようが知った事ではないが、手紙だけは手に入れるのだ。全員殺してでも必ず奪い取れ」

「手紙?わかったわかった。その代わり、報酬はキッチリとはずんで貰うからな」

「ああ、わかっている」

 

一連の会話を聞いたワルド・ルイズ・バッツの表情が凍りつく。

 

「今の聞いたか……?」

「うむ……」

「なんであいつらが手紙の事を知っているの……?」

 

これで奴らの目的が明らかになった。狙いは手紙、アンリエッタ王女の密書だ。今回の旅に際してアンリエッタから指輪の他に手渡された、ウェールズ皇太子宛の一通の手紙。

奴らは、それを狙っている。そしてその手紙の存在を知っているということは、もしかしたら皇太子の手元にあるというもう一通のアンリエッタの手紙の存在も知っているのかもしれない。

手紙を奪うことが狙いで、且つそれによって利益を得られる存在といえば……。

 

「あいつら、もしかして……」

「恐らくは『レコン・キスタ』だ」

 

ルイズの不安に、ワルドが確信を持って答える。最悪の状況だ。敵にこちらの情報が漏れている。

 

「最早一刻の猶予も無いな。君、タバサ君と言ったね。君の乗って来た風竜は全速力で飛んで、ここから王都までどのくらいかかる?」

 

ワルドがタバサに質問する。その意図が分からないが、タバサは問われるまま答える。

 

「魔法学院よりは少し近い。だから今からなら、日暮れ前には何とか辿り着くと思う」

 

タバサの返答を聞き、ワルドはさらさらと書状をしたためると、それをタバサに手渡した。

 

「よし。それならば君達三人にはこれから王城に向かってもらい、事情を説明して兵を要請して来てもらいたい。これは僕の命令書だ。これがあれば少なくとも僕のグリフォン隊は動くだろう」

「この街にも自衛の為の兵士団がいるんじゃなくって?」

「相手の規模が大きい。恐らくはこの町の兵力だけでは防ぎ切れまい」

 

キュルケの言葉にも、ワルドは冷静にけれど残酷な事実を答える。

 

「……あなた達はどうするの?」

 

タバサがルイズとワルドの顔を見て訊ねる。自分達が王都へ応援を要請しに行くのは構わないが、残る三人がここに残って戦うというのならばそれは了承出来る物ではない。

そんなタバサの考えを読み取ったのか、ワルドは安心させるように軽く笑みを作って答える。

 

「心配するな。ここに残って抵抗しようなんて馬鹿なことは考えてはいない。だが、僕達は先を急がなければならない。だから君達にもこの町にも悪いが、僕たちはさっさと逃げさせてもらう」

 

この旅の目的はアルビオンに向かい、ウェールズ皇太子からアンリエッタ王女の手紙を返してもらう事。

だがその情報が敵である『レコン・キスタ』に漏れてしまっているのならば急がなければならない。

奴らよりも早くウェールズ皇太子の元に辿り着き、アルビオンを脱出しなければならないのだから。

 

「幸い、まだ僕らの来た裏手にまで敵の手が及んではいないようだ。そこから一気に脱出する。問題は船着場が無事かどうかだが、それは行ってみないことには判らんな」

「それなら、私達が暫く時間を稼ぐ」

 

タバサが敵の足止めを買って出る。私達、とは勿論キュルケとギーシュも含まれているのだが、二人ともその考えに異論はないようだ。

 

「あなた達が無事に脱出したのを見届けてから、私達も行く」

「大丈夫なのかね?」

「こういうことには、慣れている」

 

ワルドは少し思案を巡らせるが、タバサの目を見て軽く頷く。

 

「わかった、ここは君の言葉に甘えるとしよう。だかくれぐれも無茶はしないでくれ。少しでも危険だと感じたらかまわずここから逃げて欲しい」

 

タバサはコクリと小さく頷くと、残るキュルケとギーシュも任せろとばかりに頷いた。残していくことに一抹の不安が残るものの、この場は任せて本来の任務を優先させることに決める。

バッツとルイズと視線を交わし、お互いに状況を飲み込んでいる事を確認すると、三人は言葉を発することも無く行動に移った。

先程まで手合わせをしていた宿裏の広場に出ると、ワルドは指笛でグリフォンを呼び寄せる。

それに三人で乗り込むと少し窮屈であったが、グリフォンはその重さをものともせずに船着場へと一直線に飛び立った。

 

 

 

『女神の杵』亭に残ったタバサたちは三人が裏口から消えるのを見届けると、作戦会議に入る。

 

「で、大見得切ったのは良いけど、具体的にはどうするんだ?僕達だけで何十人も相手にするのは正直無理だろ?」

 

ギーシュが不安を口にする。男の子として、こういうシチュエーションには憧れはするけれど、いざ実際にやるとなると話は別だ。自分の力量をわきまえているだけに尚更だ。

 

「別にあいつら全員を相手にするってわけじゃないわ。ちょっとの間だけ目くらましして時間を稼いだら、あたし達もすぐに逃げるのよ。で、タバサ。シルフィードは直ぐに呼べて?」

「直ぐに飛んでくる。問題はない」

「OK。なら、無理しない程度に派手に目を引き付けるわよ。絶対に離れ離れにならないように気をつけて、一分でも二分でも、とにかく相手を混乱させるわよ」

 

キュルケがそう作戦を説明した。いやはや、これは作戦なんて呼べるような代物ではない。完全に出たとこ勝負ではあるが、命がけというわけではないので、多少は心が軽い。

宿内でその様な相談が行われていた同じころ、外でも少し動きがあった。

宿に突入しようかという直前になって、鉄化面の男が急に作戦を変更すると言い出したのだ。

 

「あんだよ、この俺の指揮に何か文句があるってのかよ」

 

傭兵の頭は不満を隠すことなく、苛立ちを露にする。対する鉄仮面は、その仮面のせいで今どのような表情をしているかもわからない。

 

「別に貴様に不満があるというわけではない。貴様は優秀な指揮官とは言えんが、愚暗でも無い。ただもう目的を果たした、それだけだ」

「はぁ?」

 

頭には鉄仮面が何を言っているのか理解できない。確か、依頼されたのは宿の客の皆殺しだった筈だ。まだ皆殺しどころか、襲撃もこれから始めようかという所でしかない。

それなのに目的が達成されたというのはどういう意味なのだろうか。

 

「そんな顔をするな、貴様らは良く働いてくれたよ。お蔭でこちらの思い通りに事が運びそうだ」

「おいおい、ちょっと待て。俺らが受けたのはあの宿の客の皆殺しだぜ?まだこれからじゃねぇか。それに騒ぎを起こしときながら中途半端で終わるわけにゃいかねぇよ」

 

やはり納得できない。一体この不気味な男の真の狙いはどこにあったのだろうか。

 

「つまるところだな、重要なのは“手紙を狙う刺客が現れた”ということなのだよ。貴様達の狙いが手紙である、それだけで奴らにとって『レコン・キスタ』の刺客の出来上がりだ」

 

鉄仮面は言葉を続ける。

 

「『レコン・キスタ』の刺客が現れて先を急げばよいのだ。奴らにとってはこれだけが真実なのだからな。奴らの生き死にが問題なのではない。むしろ死んでもらっては困るのだよ。特にあの男にはな」

 

重大な事をさらりと話す鉄仮面。相変わらず表情を読み取ることは出来ないが、声の調子から悪びれた様子が一切伝わってこない。それが頭の神経を逆撫でる。

 

「じゃあ俺達への依頼は嘘だったって事か!?」

「そう取ってもらって構わんよ。まぁ実際にそうなのだからな」

「テメェ……俺達をダシに使ってハメようって魂胆だな!」

「まぁ貴様らは丁度良い駒であったのは認めるよ。……そしてもう、用済みだ」

 

そう言うが早いか鉄仮面は腰の剣を抜き放ち、一刀のもと頭の首を切り落とした。

突然すぎて、数々の戦場を生き延びてきた傭兵の頭も流石に反応することが出来ず、訳も解らぬままにその命を奪われてしまった。

 

「用の済んだ駒は捨てる。生かしておいても目障りなだけだからな」

 

仮面奥の瞳が冷酷に光る。

 

十数分後、ラ・ロシェールに突然竜巻が巻き起こった。被害はそう大きいものではなかったが、偶然にも同時刻に暴れまわっていた傭兵団の多くが巻き込まれ、騒動が一気に鎮圧された。

それが自然発生したものか、それとも魔法によって引き起こされたものかは判らない。ただ、竜巻の中心と思われる場所では首を斬り落とされた死体が一つ発見された。



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第16話 白の国の皇太子

ラ・ロシェールの船着き場は、小高い丘の上にあった。そこにポツンと一本だけそびえ立つ巨大な樹が桟橋である。

ムーアの大森林でも見る事の無かったような巨大な樹が桟橋として利用されている。葉は茂っておらず、むき出しの枝にまるで木の実のように船が空中に浮いて停泊していた。

船と言えば普通は海を行くモノ、という固定概念はこの世界では通用しないらしい。そういえば出発前に確認した地図でも、この町は海沿いには無かった。

それで港町とはどういう事かと頭をひねったものだが、こういう事だったとは。

 

「飛空挺か。そういえば、アルビオンは空に浮かぶ大陸なんだっけ」

 

グリフォンで一息に桟橋ふもとまでやって来た一行であったが、その予想外の佇まいに驚いているのはバッツ一人だけであった。

 

「ヒクウテイ?君の国では船の事をそう呼ぶのかい?」

 

ワルドがバッツに質問する。バッツが異国出身――本当は異世界出身なのだが――である事は既にルイズから聞いているらしかった。

なぜバッツの出身が微妙に間違って伝わってしまっているかと言うと、単にルイズが“バッツが異世界から来た”という事実に対して未だに半信半疑だからである。

ルイズにとって世界の中心はトリステインを有するハルケギニアであり、それ以外の出身と言われてもピンと来ない。

しかし、サハラやその向こうのロバ・アル・カリイエという地域も存在としては知られている。

だからバッツもそんな“存在しているけどハルケギニアでは知られていない土地”出身程度に考えているのだ。

それを受け、ワルドもバッツが遠い異国の出(もしかしたらサハラ周辺の名も知らぬ小国)程度と認識していた。

会話の流れからなんとなくその雰囲気を察しているバッツであったが、一から説明して納得させるのも骨であるし、第一信じて貰えるかどうかも分からないので黙っている事にした。

 

「まぁ、空を飛ぶ船より海を走る船の方が一般的だったからな。それと区別するためにそう呼んでいるのさ」

「成程、君の国では海の船の方が多いのか。この辺りとは逆なのだな」

「そういう事になるな」

 

バッツが空を飛ぶ船が初めて出ない事を知ると、ワルドは幾分気が楽になったようだった。

 

「そういえばワルド様、出発は明日の予定ではなかったのですか?今船に乗ったとして、出発できるものなのでしょうか」

 

ルイズが疑問を口にした。刺客の襲来ですっかり忘れていたが、本来の出発予定日は明日だったのだ。

ある程度の準備は済んでいるだろうが、今から行っても直ぐに出航できるとは思えない。

それはワルドも考えていたようで、「何とか交渉してみるよ」と言い残して先に船に向かった。恐らく船長と交渉するのだろう、『フライ』の呪文でふわりと上に向かって飛び上がった。

残ったバッツとルイズは徒歩で上を目指す。乗りこむ船が停泊している桟橋の場所を入口の案内図で確認してから大木の中に入る。

中はきれいにくり抜かれており、内側から見ると巨大な塔のようであった。

内側は石の煉瓦で覆われており樹皮の外壁を補強しているらしく、内からと外からでは受ける印象が全くと言っていい時ほど異なっている。

壁に沿って木製の螺旋階段が上まで続いており、明かり取り目的の窓や松明があるものの、内部は全体的に薄暗く最上階まで見通す事は出来ない。

 

「何階まで上がればいいのよ……」

 

その余りの高さにルイズがたまらず愚痴を零す。

 

「う~ん、大体二十階程度かな?案内図によると」

「二十階!?冗談じゃないわ!そんなに歩けないわよ!!」

 

乗船予定の船はかなり高い所に停泊しているようである。しかし、これでも桟橋全体の三分の一の高さにも満たないというのだから、その大きさは計り知れない。

むしろ、この位の高さはまだ序の口と言えた。

 

「さぁ、文句を言っていても始まらない。それともワルドみたいに飛んでいくか?」

「あんたはどうすんのよ」

 

以前とは違い系統魔法も使えるようになったルイズにとって、『フライ』を使って飛ぶ事は造作も無い。でも、バッツはそうもいかないという事はなんとなく感じ取っていた。

勿論ルイズはバッツも魔法が使える事を知っている。でも、それは自分の知っている系統魔法とは異なる物であるし、そこに『フライ』に相当する呪文が存在しないとは限らない。

でもバッツが飛んで上がる気配を見せないので、きっとそういった類の魔法は知らないのだろうという事が推し量ることが出来る。

バッツを一人残してさっさと飛び上がっても、バッツは決して不平を口にしないだろうし、気にもしないだろう。しかし、使い魔を置いて自分だけ先に行くというのも気が引ける。

最近のルイズは多少なりともバッツの事を気にかけてくれるようにはなってきていた。

 

「俺は普通に階段を上っていくさ。別に空を飛べるわけでもないし」

 

上を見上げながらバッツがそう言う。例え何階であろうが別に上るのは苦では無い、といった風だ。

 

「あんたはえらく高くまでジャンプできるじゃない。それで上がってくれば?」

 

と、ルイズが提案する。フーケのゴーレムと対峙した時の事を言っているのだろう。確かに、『ジャンプ』を応用すれば多少なりとも楽に上がる事が出来るかもしれないが……。

 

「ああ、あれか。でもそれは無理だな。あれはそういう事に使う技じゃないし、第一こんなに薄暗くて着地地点がよく見えなかったら危険だよ。階段を踏みぬくかもしれないし」

 

ルイズの着想が意外であったバッツは少し驚いた表情をしたけれども、やんわりと否定する。そもそもが戦闘用に身に付けた技術であるので、それ以外の用途で応用した事は無いのだが。

少し練習を重ねれば出来るようになるかもしれないが、それもまだ仮定の話。いきなりやって大怪我をしたのではたまらない。しかもこの重要な時に。

 

「意外と不便なのね」

「まぁ、なんでも出来るって訳じゃないしな。むしろ、出来ない事の方が多いよ」

「ふ~ん、まあいいわ。じゃあ私も階段で行こうかしら。あんた一人を置いてけぼりにも出来ないし」

 

そう言ってルイズは階段を上り始める。船に乗る人間は皆この階段を上らなくてはならないのだ。やってやれない事は無い、……はず。

十数分後、そこにはバッツに負ぶさられたルイズの姿があった。

 

「ああ、すまないルイズ。僕が抱えて飛べば良かったものを、すっかり失念していたよ」

 

ずっと先に到着して、今しがた船長との打ち合わせを終えたワルドがすまなそうに駆け寄ってくる。

当のルイズは、半分くらいまでは何とか粘ったものの、とうとう疲れ果ててバッツの背のお世話になってしまっていた。

余りに疲れ過ぎたのか、ワルドが近づいてもぐったりとしたままで反応が薄い。

やれやれと困ったように顔を見合わせるバッツとワルド。ワルドはバッツからルイズを受け取ると、所謂“お姫様だっこ”の状態で抱きかかえた。

 

「で、出航できそうなのか?」

 

バッツがワルドに状況を確認する。

 

「ああ、何とか出発できそうだ。まだ風石の積み込みが完了していないらしいが、元々往復を想定した量だったらしく、片道なら十分に行けるそうだ」

 

風石。バッツの知らない単語が出て来た。だが話の流れから察するに船の航行に必要なモノなのだろう。石を(恐らくは)動力源として搭載するという事に嫌な記憶が蘇る。

火力船。

かつてカルナックで建造された、火のクリスタルの力を利用した帆を持たぬ船。しかし過度のエネルギー搾取によって、バッツ達の健闘空しくクリスタルは目の前で砕け散ってしまった。

今でも思い出す苦い思い出の一つ。

だがここはハルケギニア、自分の世界とは違う。それに幾つもの船が空に浮かぶために使われるような物質が、クリスタルのような存在である筈もない。

あの悪夢を再び繰り返すという事は無いだろう。

 

「まぁ、帰りの分の風石はアルビオンで現地調達という事になるだろうが、渡航自体は問題無い」

 

ワルドが先頭に立ち客室へ移動した。ここでは三人で一つの部屋であった。客室、といってもそれほど豪華な内装ではない。どちらかと言えば取ってつけたような客室だ。

てっきり、宿のように一等客室を取っているものだと思っていたバッツは少し肩すかしをくらった気分だった。

 

「もしかして、客船じゃないのか?」

 

船に入ってから感じていた事をワルドに質問する。

 

「ああ。生憎と都合の良い客船が無かったのでね、商船に同乗させてもらったのだよ。その分、いくらかは船賃が浮いたがね」

 

ワルドの説明によると、近頃はアルビオン行きの客船など滅多に出ていないそうなのだ。まぁ、当のアルビオンが内乱状態にある事を鑑みれば当然の事ではある。

全体的にアルビオン行きの船の本数が減ってきている中、商船とはいえこうして丁度良い便に巡り合えただけ幸いというものだ。

いかにアルビオンが戦火にあるとはいえ、国土全部にわたって戦を繰り広げているわけではない。だから今現在も以前よりも落ちたとはいえ交易は続いている。

こう言っては悪いが、既に決着のついた地域――つまりは『レコン・キスタ』の勢力下にある地域の方が大きくなっている現在、貿易船の本数はかなり回復してきていた。

それだけに、今回の旅は急がなくてはならない。恐らくは今向かっているニューカッスルの抵抗勢力が王党派最後の砦なのだろう。

そこの敗北はイコール、アルビオン王家滅亡を意味していた。

 

乗り込んで数分して、船が動き出した。

動き出してしまえば乗り心地は海のそれと大差ない。時折気流の乱れで大きく揺れる事もあるが、常時波に揺れている海よりは幾分乗り心地が良いとさえいえる。

しかし、動き出す時の海へ出航する時とは違う、ふわりと体の浮き上がるような一種独特の感触が、バッツは好きではなかった。

飛竜に乗る機会も多くなり、加えて自らも飛空挺を駆って世界を飛び回っていたのでかなり克服してきてはいるが、やはり高い場所への恐怖感というのは多少なりとも残っている。

情けないとは思うけれど、幼い頃に刻まれたトラウマというものは中々消えてくれるものではない。

少しの間落ち着きなくソワソワしていたバッツであったが、出発して数分、船が安定してくると元の落ち着きを取り戻した。

 

「高い所は嫌いか?」

 

疲弊しているルイズをベッドに寝かせたワルドがバッツの様子に気付いた。

 

「昔は、な。でも今はそんなに嫌いじゃない」

 

そう答えたバッツは、今度は違う意味でソワソワしだしている。いや、ソワソワというよりもうずうずといった方が合っているかもしれない。

 

「なぁ、アルビオンまではどのくらいかかるんだ?」

「そうだな。これからなら多分……到着は日没前後になるだろう」

 

窓の外を見ると、日はまだ昇り切っていない位だった。という事は到着まで半日はかかるという事になる。船旅としてはごく短い方だが、それでも手持無沙汰になるのは違い無い。

バッツはワルドに了承を取ると、船の中を見て回る事にした。飛空挺以外の技術で空を飛ぶという事に興味が尽きないし、出来るものなら風石というモノも見てみたい。

それに、アルビオンへ運ぶ積み荷もどんなものか気にならないと言えば嘘になる。好奇心に突き動かされていそいそと部屋を後にする。

バッツが部屋を出てから数分後、少し体力が回復したのかルイズが体を起こした。

 

「もう大丈夫なのかい?」

 

ワルドがルイズの体を気遣う。もう大丈夫だと答えるルイズの顔は赤かった。本当に大丈夫かと更に問われるとルイズは尚更顔を赤くした。

 

「なんだか自分の情けなさが嫌になります」

 

とルイズは語る。なんだかワルドやバッツと一緒に居ると自分の貧弱さが際立つようで情けなくなる、と。

ルイズが幼い頃から魔法に限らず、色々な面で姉達や周りの人間に対して劣等感抱き続けてきた事を知っているワルドは、何と元気づけようと言葉をかける。

 

「まだまだ若輩の僕が言うのもなんだが、君はまだ若い。足りないと思う部分があるのならば、これから伸ばしていけばいいだけの話だ。今を恥じる必要なんて何処にも無いよ」

 

ワルドの言葉が優しく心に染みわたる。でも、その優しさを素直に受け取れないでいる自分がいた。久方ぶりに会ったワルドは強く気高い立派な武人になっていた。

それに比べて自分はどうだろうか。相変わらず痩せっぽちのまんまの、ワルドには不釣り合いな貧相な体。

魔法だってつい最近使えるようになっただけで、ほんのこの前までは劣等生の類であった。

比べてみれば見るほど、自分の小ささ、情けなさが際立つようであった。そしてそんな気後れがワルドの優しさを、やもすると同情の言葉と捕らえてしまいそうになるのが悲しかった。

 

「もしかして、まだ魔法が上手く使えない事を気に病んでいるのかい?」

 

ワルドの言葉がルイズの悩みのド真ん中を貫く。いや正確にいえば、今は魔法に関する劣等感はほぼ払拭されている。

が、多くの悩みの根本に長年の魔法劣等生というものが存在しているのは否定できない。魔法さえ人並みに扱えて居たら悩まなかったであろうアレやコレが心の中に巣くっているのだ。

ルイズの沈黙を肯定と取ったワルドは、答えを待たずに言葉を続けた。

 

「何年か前に見つけた本の中に興味深い事が書かれていてね。実はこのトリステインには魔法の使えない貴族というのは稀に存在していたらしい。しかも、王家やその血筋を汲む家系の者に限って」

 

驚愕の事実が彼の口から飛び出した。そんな話は今まで聞いたことが無い。いや、聞いたことが無くても当然かもしれない。魔法が使えないというのは貴族ならば余り公にしたくは無い事だ。

それが王家ならば尚更であろう。

 

「まぁ平民のように一切使えなかったという訳では無かったらしいが、それでも魔法の成功率は無いに等しかったらしい。しかし調べていくうちに、そんな彼らに奇妙な共通点を見つけたのだよ」

「共通点?」

「ああ、そんな彼らでも『サモン・サーヴァント』には成功していたらしい。そして確認出来るだけでも、そのほぼ全員が“人間を使い魔にしていた”らしいんだ」

 

人間を使い魔に……。そう言われてルイズがドキッとする。なんだかワルドの瞳が全てを見透かしているように思えて来る。自分がバッツに関してワルドに隠し事をしている事を。

隠し事というのは少し大げさかもしれないが、ルイズはバッツの事を『従者』と偽っていた。

本来ならば使い魔であると素直に言えばよかったものを、心の中の小さな見栄からか本当の事を言えずにいたのだ。

隠し事をしているという負い目からか、彼の瞳を正面から受け止められない。だがワルドはそんなルイズの様子には気付く風も無く話を続ける。

 

「しかもその人間の使い魔には、ある“特殊な使い魔のルーン”が顕れていたらしい。それは……君も伝説で名前を知っているだろうが、あの『始祖の使い魔』と同じものだったらしいのだ」

 

話が意外な方向へと進み出したので、ルイズは驚いて目を丸くする。『始祖の使い魔』……?そんな伝説の存在が、このトリステインに今まで幾度か現れていたというか。

そして『始祖の使い魔』が居るという事は、それを従える人間もただのメイジではあるまい。

 

「君も気が付いたと思うが、『始祖の使い魔』を連れていた者、つまり魔法の使えないと思われていた者達は使い魔召喚成功と前後して“とある系統の魔法”に目覚めているのだよ」

 

“とある系統”。言葉は濁しているものの、それが何を指し示しているのかは強烈に伝わってくる。なんだか、次に来るであろう言葉が酷く恐ろしいモノに感じた。

 

「…………そう、『虚無』だ。そして彼らは『虚無の担い手』と呼ばれたらしい」

 

ワルドが余韻たっぷりに語る。もしそれが本当の事であるのならば、歴史がひっくり返るような大発見である。

『虚無』の系統を扱えるのは始祖ブリミルただ一人だけである、という常識が根本から覆されるのだ。

 

「それは本当なのですか!?」

 

たまらずその真偽を問い正す。もしそんな歴史文献が存在しているのならば、それを隠匿する理由が見当たらない。

他の系統が扱えなくとも、『虚無』を使えるという事が王家にとってマイナスになるはずがないからだ。

『虚無』が扱える――それは始祖の再臨を意味するものであり、、王家の権威にとってこれ以上ない好材料であるはずである。

真剣に迫るルイズに少し驚きながら、ワルドは少し申し訳なさそうに笑って答えた。

 

「残念ながら、今言った事を明確に記載した歴史書は王立図書館の何処にも存在はしなかった。今言った説は様々な文献を照合して得られた結果を僕なりに解釈したものだ」

 

ワルドの答えに落胆の色を隠せないルイズであったが、心のどこかではホッとしていた。

 

「だがこれはあながち荒唐無稽な法螺話、という訳でもないと僕は考えているんだ。僕と同じような結論に達した歴史論文も、数は多くは無いものの何点かは存在している。王家というのは始祖ブリミルの末裔なのだし、その血を受け継ぐものが『虚無』に目覚めても何らおかしくは無いのだから」

 

ワルドの目が「君もそうなのだろう?」と問いかけて来るように感じられる。勿論、今挙がった特徴の多くがルイズの現状に合致してしまっている。たった一つの点を除いて。

全てが合致していれば、ルイズも直ぐにこの話に食いついたのかもしれない。自分が今生の『虚無の担い手』であると舞い上がったのかもしれない。

でも、とルイズの心は立ち止まる。ワルドに言っていない事がもう一つある。それは自分が系統魔法を使えるようになった事。その一点が、今の話と決定的に異なっているのだ。

もし、彼が自分に『虚無』である事を期待しているのであれば、これ以上ない裏切りにも取られるだろう。自分が目覚めたのは、『虚無』ではなく通常の系統魔法だったのだから。

もしその事を知ったらワルドはどう思うだろうか。ルイズは、彼の心を失うのが怖かった。

 

「ではワルド様は私が『虚無の担い手』だと……?」

 

どこか怯えるように問うルイズに、ワルドは安心させるように穏やかに笑みを浮かべる。

 

「いいやそうではない、これは一つの例え話だ。誰にだって何か取り得がある。何の才も持たないと思われていた人間も、実は大きな宿命を背負っているのかもしれない。だから君にも自分を卑下するのは止めて欲しいということさ。君は君のままで良いんだ。それだけで十分に魅力的なのだよ」

 

途中からは興味本位で調べを進めていった感が強いと笑ってはいるけれども、恐らくは自分の為だけにこれだけの事を調べ上げてくれたワルドの心が温かく伝わってくる。

何かのついでという風に語るワルドであったが、これだけの事を調べるのに要した時間と労力は並大抵ではあるまい。

しかも魔法衛士隊の激務の合間を縫って王立図書館通いをしていたのかと思うと、頭が下がる思いだ。

彼の誠実な眼差しを見ていると、なんだか余計な勘繰りを見せている自分の心がほとほと矮小に感じられる。

きっと目の前の誠実な騎士は、自分がどんな存在であったとしても変わらぬ愛を注いでくれるだろう。でも、その想いに甘えてばかりいてはいけない。

ルイズは思う。一日でも早くこの人と並んでも恥ずかしくない立派な淑女にならなければ、と。

自分はまだまだ子供過ぎる。ワルドの想いに応える為はもっと多くを学び、もっと自分を磨いて一人前の大人にならなければならない。

お互いの気持ちを確かめ合った心穏やかな時間。

それはそんな語らいよりも強く、お互いの心を結びつける。

十年という歳月は、ワルドの心からルイズという存在を奪い去るどころか、より一層強いものへと育てていったのだ。

 

そんな静かで満ち足りた時間も無情にも引き裂かれてしまう。

幸福な時間に終止符を打つもの、それは一発の砲撃音であった。船体に鈍い振動が広がる。

ドンッ!という低い音と振動に、最初は乱気流にでも巻き込まれてしまったのかと思ったが、俄かに慌ただしくなる船員たちの声がそれを否定した。

ドカドカと幾つもの足音が響いて、そして船員たちの慌てふためく声が室内にも漏れ聞こえて来る。

 

「ワルド様……何が起こっているのでしょうか」

「判らん。だが、あまり良い状況ではないようだ。ともかく一度外に出た方が良いだろう。ルイズ、もう体は大丈夫かい?」

 

ルイズはコクンと小さく頷き、ワルドが彼女をかばいながら甲板へと赴いた。デッキ上では船員達が手に剣を持っていたり、大砲を用意したりと慌しく動き回っていた。

いくら通商船とはいえ、自衛のための装備は最低限備えているし、そのための人員もそれなりに配備している。しかも、今向かっているのはそういう地域なのだから尚更だ。

怒号にも誓い命令が飛び交う中、一人の男がルイズたちに気付き駆け寄ってきた。

 

「何が起こってるの!?」

「砲撃された。幸い砲弾は船体を掠める程度だったけど、次もそうだとは限らない」

 

駆け寄ってきた男――それはバッツであった――が、状況を手短に説明する。そしてバッツの指差す先に目をやると、その先に一隻の黒い船が浮かんでいるのが見えた。

こちらに砲門を向けてぐんぐん近づいてくる。その姿はどう見ても友好的であるとは思えない。

集団ではなく単体で襲ってくるところから察するに、相手は海賊だろう。いや、ここは空の上であるので空賊と呼ぶほうが正しいのかもしれない。

 

「クソッ、なんでこんな時に……」

 

相手の船を見たワルドが呟く。徐々に近づいてくる敵船は、今乗っている船よりも一回りも二回りも大きい。しかも、ぱっと見ただけで判る装備の数もこちらとは比べ物にならない。

漆黒に彩られた船体には、片側だけで何門もの砲台が据え付けられている。恐らく乗船している船員の殆どが戦闘要員なのだろう。

先程はまだ逃げる余地があった。だか今回は違う。ここは空の上、逃げ道はない。

よしんばグリフォンに乗って地上まで降下したとして、そうしたら最後、ウェールズ皇太子の下に間に合うとは到底考えられない。

これが単に王女の個人的な依頼であったなら命を危険にさらしてまで遂行しようなんて考えないだろう。しかしそうも行かない、なぜならば国の命運がかかっているのだから。

 

「どうすれば……」

 

ルイズがうろたえながらワルドに問いかける。しかし当のワルドも、いかんせんこの状況では出来ることは何もない。

出来る事といえば、この船が無事に逃げ切ることが出来るよう祈ること位だ。しかしその願いすら空しく響く。

こちらも航行速度を上げて何とか振り切ろうと努力しているにも関わらず、その距離は全く開く気配を見せない。それどころかどんどんその差を詰められ、遂には横付けされてしまう。

船体横にこちらに向けてずらりと並んだ砲門は圧巻の一言である。対してこちらにある砲門は片手で数える程、その差は比べるまでも無い。

向こうの船から一定のリズムで明滅する光が発せられた。モールス信号だろうか?恐らくは船の停止および無抵抗の降伏を呼びかけているのだろう。

相手の威容にすくみ、すでにこちらの戦意は喪失しているも同然である。

あれよあれよという間に二つの船の間に縄梯子やら板やらが架けられ、手に武器を持った賊がなだれ込んできた。

ワルドたちは抵抗しない。多少の奮闘は出来るだろうが、相手を全滅させられるとは限らないし、戦闘の結果船を無事に守りきる自身が無かったからだ。

この場合の“船を守る”とは、航行に必要な最低限の人員の安全も確保する事を意味する。単に船が沈まなければ良いというものではない。

バッツたちは為す術無く空賊のしたいがままにさせるしかなかった。

 

 

今、バッツたち三人は狭い部屋に閉じ込められていた。

ここは空賊の船の中の一室。その容姿からトリステイン貴族であると気付かれたワルドと、その連れであるバッツとルイズは連中に捕らえられていた。

その他の乗組員は全員、救命用の小型ボートに乗せられて船から降ろされていた。小型とはいえ、地上にたどり着くだけの風石は備えられているらしい。

ひとまず船の乗組員達の命は助かった。

一方、捕らえられたバッツたちは、目ぼしい武器を奪われた状態で部屋に監禁されていた。ワルドは剣も兼ねた杖を、バッツはデルフリンガーを取り上げられていた。

マントを羽織らず地味目な格好をしていたルイズは平民と思われたのだろうか、杖を持っていることすら気付かれなかったみたいであったが。

そして、当然ながらバッツの道具袋も彼らの注意を引くことはなかった。

それ以外には特別縄で手足を縛られるといったことはなく、部屋の中では基本的に自由に動き回ることが出来た。逃亡の可能性は考えなかったのだろうか?

捕まっているにも関わらず何故この様な扱いで済んでいるのかというと、その理由の一つに魔法の存在がある。

入り口の扉や窓などには『ロック』の魔法が掛けられていてビクともしない。杖の無いメイジや平民では、普通ならこの部屋から抜け出すことは出来ないと言う訳である。

だからこそ、見張り役も今は一人しか居ない。(これは外の様子に聞き耳を立てて得られた情報である。)

 

「さて、どうしようかな?諸君」

 

ワルドが少しもったいぶって作戦会議風に話を切り出す。部屋に設えてあったテーブルを囲むように三人が椅子に座っていた。

 

「どうしようも何も、やけにあっさりと捕まったのも何か考えがあっての事ではないんですか?」

 

賊の命じるままに大人しく従っていたのは、ワルドに何か策あっての事だとばかり思っていたルイズは軽い驚きの声を上げる。

 

「まぁ作戦はある事はあるが、正直無いに等しい」

「どんな作戦ですの?」

 

ワルドは少し照れくさそうにコホンと軽く咳払いをした後、彼の言う“作戦”を語りだした。

 

「何、言うだけなら簡単な話だ。わざと敵に捕まって相手が油断したところを内側から襲い掛かり、一気にボスを捕らえ一味を従えさせる。要するにこの船を奪って目的地まで行こうというのだ」

 

なるほど、考えるだけならこれ程簡単な作戦はない。それが実行できるかどうかは別として。

 

「幸いにも連中は君を平民と勘違いしてくれたようだようで、君が杖を持っていると思わなかったようだ」

 

ルイズは服の下に隠していた杖を取り出した。これを使えば扉に掛けられた呪文を解除することが出来る。

 

「さて……これで脱出の目処は付いたが、他に何か提案があるかね?」

 

とワルドが二人の顔を見回す。無ければこのまま役割分担と簡単な作戦を取り決め、すぐにでも部屋を飛び出したかった。

が、そこでバッツが手を挙げた。

 

「なんだい?バッツ君」

「別にこの作戦自体に不満はないけどさ。その前に一つ良いかな?」

 

少し遠慮がちにバッツが提案する。ワルドもバッツの剣の腕を買っているだけに、彼の口からどんな素晴らしいアイディアが飛び出すのか少し期待してしまう。

ルイズと合わせて二人が固唾を飲んで見守る中、バッツが発言する。けれども彼が発した言葉の内容は正に意外なものであった。

 

「少し何か食べないか?もう昼近いし、腹も減った。良く言うじゃないか『腹が減っては戦は出来ぬ』ってさ。干し肉とビスケットくらいだったら持ってるから、ここでひとまず昼食にしよう」

 

余りに素っ頓狂な提案に開いた口の塞がらない二人を余所に、バッツはテキパキと食物を道具袋から取り出していく。

そう言われれば、なんだかお腹がすいている事に気が付く二人。ゴタゴタ続きですっかり忘れていたが朝食べたきりなのだ、当然と言えば当然である。

そして一度意識してしまうと、もう空腹感を抑える事は出来なかった。

干し肉と瓶詰めの漬物と革製の水筒とビスケット数枚と……と、質素ではあるが三人前の食事が整った。ナイフやフォークどころか皿も無い食卓ではあるが、この際贅沢は言っていられない。

あまり美味いと言えるような食事ではないが、取り敢えずお腹を満たす事は出来た。

そしてバッツは更に袋から剣を二振り取りだすと、その内の一つをワルドに渡す。魔法を使う事は出来ないが、なるべくワルドの剣と似た形のものを選んでいた。

ワルドは右手に剣、そして左手にルイズの杖を構えている。

ルイズが杖を持っているより、この中で最も魔法に長けているワルドが杖を使った方が良いだろうというルイズの考えであった。

注意深く部屋の外の様子を探る。外の見張りは室内の様子に全く気が付いていないようだ。相変わらず扉の外には一人いるだけ。しかもその見張りも呑気に居眠りをしているようであった。

チャンスだ。

ワルドが扉の魔法を解除する。そして扉を静かに開け、それと同時に見張りに一撃を加えて気絶させる。見張りは突然の襲撃を受け、あえなく沈黙した。

 

「さて、これからが本番だな」

 

ワルドが気合いを入れる。敵に見つからないように行動しなければいけない。出来るならば首領の部屋まで誰にも出くわす事なく行きたいものだ。

 

「行き先は分かっているのか?」

 

そう言うバッツの心配は尤もなものである。ただ闇雲に徘徊していても時間の無駄だし、何より敵に発見される確率が増すばかりなのだから。

 

「大丈夫だ。船の構造なんてどれもこれも似たようなモノだからな。現在地と船長室には見当が付いている。僕に任せてほしい」

 

そうバッツの不安を拭い去るように、自信たっぷりにワルドは言う。事実、途中敵に遭遇する事も無く、そして迷うことなく目的地と思しき部屋の前まで到着する事に成功した。

ワルドは杖を持ったままの左手でドアをノックする。すると、中から「入れ」と声が掛かった。どうやら相手は部下が来たと勘違いしたみたいだ。

鍵の掛かっていない扉を開けると、すぐさま杖を相手に向け素早く室内に入ると後ろ手に扉を施錠した。

 

「動くな。命が惜しいのなら、大人しく我々の命令に従え」

 

ワルドが敵に脅しをかける。こちらを見て最初は驚いた空賊の船長であったが、直ぐに落ち着きを取り戻した。大人しく両手を挙げているが、その態度は余裕たっぷりといった様だ。

 

「おやおや、まだ杖を隠しもっていたとはな。後でアイツ等を厳しくとっちめてやらんといかんな」

 

今自分が置かれている状況など気にもしていないかのように、船長はそう余裕をかます。その態度が気に入らないワルドは一層鋭い眼つきで相手を睨んだ。

 

「今から進路をニューカッスルに向けてもらおう。船賃はお前の命だ」

「おお、怖いねぇ。空賊の船を乗っ取ろうだなんて大した貴族様も居たもんだ」

 

船長はどことなくおちゃらけた受け答えしかしない。それに神経を逆撫でされつつも、ワルドは努めて平静を装った。

 

「元々はお前達が我々の旅路を妨害をしたのが原因なのだ。命が助かるだけでも儲けものと思うのだな」

 

命を奪わない代わりに自分達を目的地まで連れて行けというのだ。もっとも、目的地が目的地であるので、その後この空賊団が無事に逃げだす事が出来るかどうかまでは保証はしないが。

この状況では相手に拒否することはできないだろう。ワルドはそう踏んでいた。

 

「それは構わねぇんだがよ、それについてちょっくら聞きてぇ事があったんだよ。あんた達の方から来てくれたのは都合が良いや」

 

聞きたい事とは何だろうか。船長が「まぁ座れ」と言って勧めた先には四人分の椅子が設えてあった。

「下手な真似をしたら命は無いと思え」と釘を刺すワルドに対し、「わかったわかった」と相変わらず軽い受け答えをした。

 

「で、聞きたい事とは何なのだ」

 

話の主導権を握っているワルドが杖を向けたまま船長にそう問いかける。ワルドの前に腰掛けた船長は、縮れた黒髪を肩より下まで乱雑に伸ばし、顔も半分以上が黒ひげで覆われている。

日に焼けているのか油で汚れているのか、髭と髪の間には褐色の肌が覗いていた。顔の大半を毛髪に覆われている為、パッと見ではどのくらいの年齢であるかは判別し難い。

元は上物であったであろう衣服も、汚れが染みついて全体的に薄汚れてしまっている。背格好はバッツと変わらないくらいであろうか。

船長は素直に両手を上げ、ワルドの問いかけに答えた。

 

「聞きたい事ってぇのはたった一つさ。なんであんた達がアルビオンに渡ろうとしているか、だ」

 

船長の瞳が鋭く光る。

 

「お前には関係ない事だ」

 

あっさりと話を切り上げようとするワルドに、船長は何とか理由を聞き出そうと直ぐには引き下がらない。

 

「少しくれぇ教えてくれたっていいじゃねぇかよ。トリステインの貴族様が、何の用があってアルビオンへ渡らにゃならねぇンだ?」

「くどい。命が惜しければ余計な詮索はするな」

 

なおも聞き出そうとする船長に、ワルドは杖を押し付けるように突き出してその口を黙らせようとした。それでも船長は喋る事を止めない。

 

「そうは言ってもよ、わざわざ死にに行くような酔狂な奴らが目の前に居るんだぜ?気にするなって方が無理な話よ」

 

まぁ、船長の気持ちも分からんでもない。自分達だって、目の前にわざわざ危険を冒しに行くような人が居たら止めようとするだろう。

それが無理でも、理由を聞いて協力したりするかもしれない。

尤も、目の前の空賊がそんな親切心を持っているとは到底考えられないが。

 

「流石に今の時期に観光目的な筈がねぇ。それに別にあんた達は王党派に加勢しに行くという訳でもねぇんだろ?それにしちゃぁ数が少な過ぎて焼け石に水だし、第一今更トリステインがアルビオン王家に加勢するとは思えねぇ。するならもっと早い段階で協力していたはずだからな。それに臆病者のあの宰相がそんな危険を冒すとは到底考えられねぇしよ」

 

“臆病者の宰相”という言い回しに少し引っかかる。確かに今のトリステインで政治の実権を握っているのが宰相であるマザリーニ枢機卿だ、というのは国内外にまで多少は知れ渡っている。

それにしても、まるで彼を知っているかのように語る船長の言い草が腑に落ちない。伝え聞こえる評判だけで、他国の宰相をここまで悪く言えるものだろうか。

 

「仮にあんた達が『レコン・キスタ』の一派だったとしても、今アルビオンに渡る意味はねぇ。自国内で工作を続けて、来るべきトリステイン侵攻に備えているはずだ」

 

船長は得意気に自説を展開する。そしてそのどれにも当てはまらないルイズ達の目的をなんとか探り出そうとしているのだ。

 

「だからあんた達の目的がわからねぇ。観光でも無し、略奪でも無し。あんた達が今アルビオンを、しかもニューカッスルを目指す目的は何だ?あそこは今、王党派最後の軍勢と『レコン・キスタ』のドンパチの真っ最中だ。空賊の船を奪ってまでそこに行かなきゃならねぇ理由が知りたい。俺ぁあんた達みたいな酔狂な人間は嫌いじゃねぇし、面白れぇ事も嫌いじゃねぇ。訳を包み隠さず話してくれるんなら、協力してやってもいいんだぜ?」

「あなたを納得させられれば、協力してくれるというのですか」

 

とルイズが口を開く。いきなりそう言いだしたのに驚いたワルドが彼女をたしなめるが、ルイズはワルドに反論する。

 

「もしあいつの言う事が本当なら、ここは正直に話して協力を得るべきです。力で無理やり従わせるよりも、その方がよっぽど良い筈ですから」

「しかしだね、ルイズ。こんな空賊風情が信用できるものかね。信用したら最後、裏切られるのは火を見るよりも明らかだ」

 

そんな二人のやり取りを隣で聞いていて、「海賊にも気の良い奴はいるかもしれない」と口を挟みそうになったバッツは、慌ててその言葉を呑み込んだ。

自信の経験が運が良かっただけで、こいつらもそうであるとは限らないのだから、下手なことは言わないに越したことはない。

 

「本当に、本当に訳を話したら協力してくれるのですか?あなた達を信用して良いのですか?」

「話の内容にも寄るがな、嘘じゃねえ。俺の杖と、始祖ブリミルの名に誓ってやっても良いんだぜ?」

 

お前達のそんな言葉を信用してなるものか、とワルドは冷たく突き離すが、ルイズは船長を信用したらしく、自分たちの目的を明かした。

ワルドは相手を簡単に信じてしまうルイズに半ば呆れながらも、彼女に一任することに決めた。例えどのように話が転がっていこうが、船長の命を自分たちが握っていることには変わりない。

いざという時には力ずくで相手をねじ伏せてしまえば良いだけの事である。

 

「私達は、ウェールズ皇太子に会いにいくのです」

「皇太子に?なんでだ?まさか死ぬ前に一目会いたいから、とか言わねぇだろうな」

「概ね、そう取ってもらって構わないわ」

 

呆れ顔で船長が眉をしかめる。理由がさっぱり飲み込めなくてお手上げ、といった表情だ。

 

「ますます分かんねぇ……。あんた達はアレか?皇太子の知り合いか?」

「直接はそうではありませんが、似たようなものです」

 

ふむふむ……、と船長はルイズの顔を嘗め回すように見つめる。その顔は物珍しさというより、遠い何かを思い出そうと努力しているようであった。

 

「フム……。君はどこかで見覚えがあるな……。その綺麗なピンクブロンドは昔どこかで……?確かあれは…………」

 

いきなり船長の口調も声の調子も変わったのに驚く面々であったが、当の本人はそんな事に気付く様子も無く、必死に記憶をたどっていた。

 

「……そう、そうだ。確かアンリエッタが友人と言っていた娘か。ヴァリエール家の末娘とか言っていたな。平民みたいな格好をしているから判らなかったぞ」

 

船長の口から王女の名前とルイズの家名が飛び出たのに更に驚く三人。この男はアルビオンの人間の癖に王女どころかルイズの家をも知っている。

しかも、王女を呼び捨てにするとは不遜も良いところだ。

 

「貴様、何奴!!」

 

ワルドが咄嗟に剣を船長の喉下に当てる。返答次第では首を斬り落とすといった勢いだ。

 

「まぁ待て、待て。今度はこちらが訳をきちんと話そう。だからその物騒なものを仕舞いたまえ」

 

船長がまたもや落ち着き払って言う。先程までとは違う言葉遣いや雰囲気にワルドは気圧されそうになる。

目の前の男はただの卑しい賊のはずなのに、魔法衛士隊隊長である自分が気圧されてしまうというのが気に入らない。一体、この男は何者なのだろうか。

そして船長は静かに語りだす。その口調は既に粗暴なものではなく、きちんとした教育を受けている事を伺わせる優雅さを持ったものに変わっていた。

 

「君達を欺くような真似をして悪かったね。私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令官……いや、そんな肩書きよりもこちらの方が分かりやすいかな?」

 

船長は頭に手をやると、黒髪を掴んで一気に引き降ろした。その下からは綺麗に切り揃えられた金髪が現れる。そして髭も剥ぎ取り顔を濡らした布でふき取ると、全くの別人となった。

健康な白い肌と短い金髪の凛々しい美男子がそこに居た。

 

「私がウェールズ・テューダー。君達の会いたがっているアルビオンの皇太子だ」



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第17話 アルビオンの夜は更けて

「ここは戦に使う物以外何も無いが、まぁゆっくりと寛いでくれ給え」

 

先程とは一転して、部屋はルイズ達を歓迎する和やかな雰囲気に包まれた。三人はまだ事情が消化しきれずに戸惑っているが、取り敢えずは命の心配はしなくて良いみたいだ。

それぞれが自己紹介をして、握手を交わす。相手は皇太子ではあるが、ここは公の場では無いので本人の希望によりくだけた形式での挨拶となった。

例によって相手が王族だろうがお構いなしで普段通りのバッツの態度にルイズは眉をひそめるが、幸いにして皇太子の気を損なう事は無かった。

 

「それにしても、よく私などの顔を覚え下さっていましたね。流石は一国の皇太子であらせられます」

 

と、ルイズがウェールズの記憶力を褒め称えた。だがウェールズは何処かバツの悪そうな顔をしている。

 

「なに、種明かしをしてしまえば、君のその美しいピンクブロンドはとても印象が強かったのだよ。逆に言えばその髪色以外は忘れていたのだ、恥ずかしい話」

 

彼は来てくれたのがルイズで良かった、とさえ笑っている。もしルイズの髪の色が平凡であれば、今頃三人は空に放り出されていただろう。杖もなしに。

ここは地上よりも雲の方が近いくらいの高度だ。何の装備もなしでは決して助かりはするまい。そう考えると背筋が寒くなる。

 

「そう言えば君たちは私に用向きがあるとの事だが、何かね?生憎と君達とは個人的な付き合いがあった覚えは無いのだがな」

 

こちらに向き直したウェールズの居住まいは、最早空賊の頭を演じた下卑たものではなく皇太子然とした威厳の溢れるものであった。

その雰囲気に思わずこちらも自然と背筋が伸びてしまう。

 

「勿論、私達の個人的理由からではありません。実は、アンリエッタ王女の依頼で参りました」

「ふむ。アンリエッタが私に何用なのだろうか」

「詳しくは、姫殿下より預かりましたこの手紙に書いてあります」

 

そういって手紙を手渡す。ウェールズは受け取った封筒の表裏を見回した後、封を開けた。そして幾度か便箋の文章を読み介した後、丁寧に封筒に戻した。

王女の手紙を読み終えた皇太子は、少しの間嬉しさと愛おしさを滲ませたが、直ぐにその表情を曇らせる。

その深い悲しみを湛えた瞳に、その場に居る誰もが声をかける事が出来なかった。

 

「あの……姫殿下の手紙には何と?」

 

恐る恐るルイズが皇太子に問いかける。

 

「いや、何。アンリエッタが婿を取ると書いてあったのでね。我が国が安泰ならばこうも急く事も無かっただろうにと考えると、どうにもやる瀬なくてね」

 

きっと書かれていた内容はそれだけでは無かった筈だ。しかし努めて明るい表情で居ようとする皇太子の姿に、誰もそれ以上の詮索はできなかった。

この密命を受けてから、ルイズはずっと考えていた。なぜアンリエッタがウェールズに宛てた手紙を取り戻さなければならないのか。

アンリエッタとウェールズは、従兄妹同士である。そしてトリステイン王家とアルビオン王家は友好的な関係なので、二人の間で手紙のやり取りがあったとしても何ら不思議は無いのだ。

しかしなぜ、それが『レコン・キスタ』の手に渡るとこの度の縁談が壊れてしまうのか。

それが恋文の類である事は想像に難くなかった。それでも、どうしてその内容が問題視されなければならないのかが腑に落ちない。

アンリエッタはまだ若いし、手紙を送った時は更に若かったであろう。だから何か国の機密を漏らしたとか、ゲルマニアに対して極度の嫌悪を表したという内容である筈がない。

ならば残る可能性は恋文しかない。しかし、それが何故縁談の障害となってしまうのだろうか。幼い頃から既に決定していた婚姻ならいざ知らず、ついこの間決まった話であるのに。

今更、過去の恋愛話を持ちだして不貞だ何だと騒ぎたてたところで何にもならない。その程度の内容で破談になるような時勢ではないのだから。

今回はトリステインがゲルマニアに助けを求める形での婚姻だが、ゲルマニアとてこのまま『レコン・キスタ』が台頭し続けるのを良しと考えるはずもない。

ゲルマニアだっていつ何時攻め入られる立場になるかも分からないのだから。だから、多少の事には目を瞑るだろう。それでも尚、無視できないような内容とは一体どのような物なのだろうか。

それが、単に王女の杞憂に過ぎなければいいのであるが……。

そんな考えが顔に現れてしまっていたのか、いつの間にか険しい表情となってしまっていたルイズに気付いた皇太子は優しく微笑むと、ルイズの不安を和らげようと声をかける。

 

「アンリエッタの求める手紙は、残念ながら今手元には無い。ああ、安心してくれたまえ。別に奴らに奪われたという訳ではない。ニューカッスルに落ち延びる際にハヴィランド宮殿より持ちだしてある。心配はしなくて良い」

 

最初手元に無い言われて落胆の表情を見せた三人であったが、次に皇太子の口から発せられた言葉に安堵の溜め息を吐く。

命と同じくらい大切なものだ、と語る皇太子の瞳に宿る優しい光が手紙の内容を物語っていた。

トリステイン王女とアルビオン皇太子はただの従兄妹という関係を超えた感情を互いに抱いていたのだろう。

 

「手紙を渡すにも、一度ニューカッスルまで戻らなくてはならん。手間を取らせて悪いが、暫く同行してもらう事になるな。ああ、帰りの足の心配はしなくて良い。それ位は我々で面倒をみるよ」

 

やれやれといった表情をした皇太子は、場を和ませようと少しおどけて見せた。取り敢えずこの旅の目的は果たせそうで安堵の息を漏らす三人。

まだ全ての問題が解決されたわけではないが、取り敢えずの到達点が見えて来たので安心感が込み上げて来たのだ。

 

「なんだか殿下が私の事をお覚えになられていたお蔭で、姫殿下より授かった指輪も無駄になってしまいましたわ。それはそれで良い事なのですけど」

 

と、ルイズが左手にはめていた指輪を見せた。元々装飾の殆ど無い地味な指輪で合った為、言われなければそれが王家所有のものだとは分からない。

いや、言われて見てもそうとは思えない程に古臭くて地味な指輪である。

 

「おや、それはトリステインの『水の指輪』ではないか。成程。アンリエッタはそれで身元を証明にさせようとしたのか。他に替えがきかないという点ではそれ以上の物は無いだろうな」

 

平民のような格好のルイズが何気なく身につけていたものだから、ずっと安物の指輪だろうと気にも留めていなかった皇太子は目を丸くする。

それもそうだろう。国の秘宝がこんな平民のなりをした年端もいかぬ少女が持っているなんて夢にも思ってはいなかったのだから。

暫しルイズの手の指輪を見つめた後、皇太子は指輪にまつわる話を一つ語って聞かせてくれた。

 

「『王家の指輪』と呼ばれる指輪が四つ存在しているのだよ。そのうちの一つ『風の指輪』が我がアルビオンに、『水』はトリステイン、『土』はガリアと三王家に三つの指輪が、残る『炎』はロマリアで継承されている。何でも始祖ブリミルゆかりの宝具らしく、それぞれの王権の象徴の一つとなっているのだよ」

 

これがそうなのだ、と皇太子は自分の左手の指輪を見せた。確かに、そこには『水の指輪』とよく似た造りの指輪が嵌められていた。違いは嵌めこまれた石の色の違いくらいだ。

『水の指輪』には青い海のような深い色の透明な石が、『風の指輪』には風の吹き抜ける緑の草原のような色の透明な石が嵌めこまれている。

その事から察するに、残る二つの王家の指輪には赤と茶、もしくは黄色の石が嵌め込まれているのだろう。

 

「一見するとごくありふれた、何の変哲も無い指輪のようですが」

「確かに飾り気の少ない質素な指輪ではあるな、しかし真贋を判別するのに容易な方法がある。」

 

ちょっと貸してみなさい、と言われるままにルイズは皇太子に指輪を手渡す。皇太子は受け取った指輪を自分のはめているモノに近づけた。

二つの指輪は共鳴するかのようにその輝きを強め、二つの石の間に虹が架かった。

 

「水と風は虹を作り出す。両王家の関係を示しているみたいではないか。まぁ他の指輪と近づけた時にどのような事象がおこるかは知らないのだがね」

 

他の組み合わせ、もしくは4つの指輪が一堂に会する時にはどのような現象が起こるのあろうか想像もつかないが、この様な仕掛けがあるとは流石は始祖由来の品である。

感心して指輪を見つめるルイズ達を余所に、皇太子は窓の方へと視線を移す。

 

「もうすぐ今の我らが拠点に到着するようだ。折角のアルビオン上陸がこの様な形になってしまうのは残念ではあるが、精一杯もてなそうではないか!」

 

窓の外には雲を従えて浮かぶアルビオン大陸が迫って来た。アルビオンは浮遊島ではなく、浮遊大陸である。

その面積は大国ガリアには遠く及ばないものの、トリステインと同等以上の面積がある。大陸と呼ぶには少々小さいが島と表現するには大きく、今は大陸扱いで落ち着いてるのだ。

さぁもうすぐ上陸だ、という段階になって急に船はアルビオン大陸の下へ潜るように進路をとった。普通上陸するのであれば上から降りるはずなのに、この船は陸地の下へ下へと潜っていく。

なぜこのような進路を取るのかと尋ねても皇太子はニヤニヤと笑うだけで、「まぁ見ていれば分かる」としか答えてくれない。

まるで、ルイズらが困惑している様を楽しんでいるようだ。

暫くして、船体が完全に大陸の下に潜った。そこは雲の中に加え、全く光の当たらない完全なる闇の世界であった。

船内は灯されたランプの光で辛うじて明るさを留めているけれども、窓の外は直ぐそこも判別出来ぬ程の濃い闇に覆われていた。

何の意図があってこの様な航路を取るのかが分からないルイズ達三人は、急激な状況の変化にただただオロオロとするばかりである。

ワルドに寄り添い不安げな表情を浮かべるルイズと、そんな彼女を安心させようと優しく肩を抱き寄せるワルド。

訳が分からずに怯えるルイズが気の毒に思えて来たのか、皇太子は少しバツの悪そうな顔でネタばらしをした。

 

「すまない、すまない、少し意地悪が過ぎてしまったようだな。アンリエッタの大事な友人を酷く怯えさせてしなったようだ。何、案ずる事は無い。この船は予定通りニューカッスルに向かっておるよ。ただ、ちょっとばかり尋常ではないルートを通らなければならない事情があってね」

 

そう言って皇太子は窓に近づき外に顔を向けた。相変わらず窓の外には闇があるだけで、窓ガラスは室内の光を反射してまるで鏡のようになっていた。

そのお蔭でこちらに背御向けて立つ皇太子の表情を見て取る事が出来る。その顔は平静さの中に深い憂いを滲ませたものであった。

その皇太子の表情に、自然と部屋の雰囲気も沈んだものに変わっていった。

その空気に気付いた皇太子は、また努めて明るく笑い飛ばすように話を続けるが、自嘲の混じるその言葉は彼の心の憂いを更に強く伝えるものであった。

 

「何と情けない事に、今は空もほぼ『レコン・キスタ』どもに掌握されてしまっている。よって通常の方法では陸地に降下する事もままならぬのだよ。奴等は空でも常に目を光らせている。一度発見されようものなら、この船もあっという間に撃墜されてしまうだろう。しかし案ずる事は無い。ニューカッスル城には秘密のトンネルがあるのだ。光の存在せぬ大陸の真下に通じる秘密の抜け穴がね。そしてそれこそが、我々がハヴィランドを棄て此処に拠点を移した理由でもある」

 

視界ゼロの暗黒の空間を船が進んでいく。皇太子によれば、大陸の下部分は山をひっくり返したような険しい地形が連なっているのだという。

普通に進めば直ぐに岩肌に衝突してしまう難所を、この船はそろそろと速度を落としながらも確実に前進していく。

船の現在位置に大陸の向きや移動速度など、様々な条件を正確に分析して夜よりも暗い闇の中を進んでいく船。

この道の存在を知り、通る事が出来るだけの技術を持つ者のはアルビオン軍の中でもごく少数であるらしく、その者たちが離反しなくて良かったと皇太子は寂しげに笑って見せた。

もしそうでなければ、もっと早くに王家の者たちは逆賊どもの手に掛かってしまっていただろう。

今日まで皇太子達が生き長らえることが出来た最大の理由が、このニューカッスルの抜け穴であった。

今まで水平方向へ移動していた船が、急に垂直上方向へと動きの向きを変えた。どうやらその抜け穴の地点に到達したようだ。

上へ昇り始めて数分すると、窓の外に松明らしき明かりがポツリポツリと見えるようになってきた。

 

「この縦穴は古いものでね、最近の大型艦では行き来する事は叶わぬのだよ。我が空軍所属の主要な大型艦は全て『レコン・キスタ』のものとなってしまったが、まぁこれも不幸中の幸いというかなんというか、といったところか」

 

手元に残ったこの船を使い、空賊まがいの事をして食料等を調達して尚且つゲリラ戦法を取ってなんとか抵抗を続けているというのだ。

この抜け穴が相手に知られていない事も加わり現状を維持できている。だが、所詮は現状維持……いや、現実にはジリ貧の状況だ。

王党派残党と『レコン・キスタ』では戦力的にも物資量的にも差がありすぎて、奇跡でも起きない限りどうあがいても事態を打破できる手段が無い事が皇太子の口から告げられた。

所詮無駄だと分かっていても、この先に待つのが敗北だけであると分かっていても、抵抗は止められないと皇太子は言う。これは王族としての誇りの問題なのだ、と。

 

「確かに『レコン・キスタ』どもの掲げる主義主張は、王家に名を連ねる者としては容認することはできん。しかし、だからと言って敵として憎みきる事も出来ぬ。なぜなら奴等の多くは元々は我が王家に使える臣下であったのだからな。それ以上に、そんな彼らに叛旗を翻さざるを得ない状況を作り出してしまった自分達の不甲斐無さが悔やまれる」

 

皇太子の顔が苦悩に歪む。つい先日までは忠臣であった者たちが杖を向けてくると言う現実。

それは裏切られたという恨みよりも、王家として、上に立つ者として器と政治手腕が足りていない事を突き付けられたという苦々しい反省の情を引き起こす。

平和であることに胡坐をかき続けて、怠けてしまっていた自分達に降りかかって来た手痛いしっぺ返しなのかもしれない。だから皇太子は、これは自分達が甘んじて受け入れるべき罰なのだと。

けれども、はいそうですかと国を明け渡すわけにはいかない。例え最後の一人となろうとも抗う事を止めるつもりは無い。

これは始祖の時代以来六千余年に渡り国を守り続けて来た一族の末裔としての最後の誇りをかけた戦いなのだ。負けると判り切っている戦い。

だから重要なのは如何にして生き延びるかではなく、如何にして死ぬかだ。出来るだけ華々しく、王家の威厳を損なわない散り方をしなければならないのだと。

そう語る皇太子の顔は、寂しさの中にも熱さを感じさせている。

 

「死ぬのは怖くは無いのですか?」

 

熱弁を振るう皇太子の様子が納得のいかないルイズは疑問を投げかける。普通なら、この様な状況では取り乱したり悲壮感を露わにしてもおかしくは無いのだから。

だから、皇太子が何故平然とした態度でいられるのかが理解できなかった。

 

「死ぬのは怖いさ、勿論。だがね、今は死ぬ事も王家の務めだと思っているのだよ。我らが死んでもただ支配者が入れ替わるだけで、この国が消えて無くなる訳ではない。国が安泰でいられるのなら我々に残された仕事はただ一つ。誇りを守って如何に華々しく最後を飾れるかどうかだ。アルビオンの王家として誇りを守るに足る死に様を相手に見せつけられれば良いのだよ」

 

それは嘘だ、とルイズは思った。皇太子はまだ若い。ワルドやバッツとたいして変わらない年恰好の皇太子が、如何に王族とはいえこれだけあっさりと人生を諦められるはずがない。

生きてやりたい事がまだ山のように残っているはずだ。それを全てスッパリと諦めて喜んで死ねる程、皇太子は人生を歩んではいない。

それでも目の前の青年は、そんな事をおくびにも出さない。気丈にも最後の一瞬まで国の皇太子として振舞うつもりなのだろう。

その気持ちが分かってしまっただけに、ルイズにはそれ以上何も言えなかった。

しばしの後、船の動きが停止した。どうやら目的地に着いたらしい。船員たちが慌ただしく動き回っているのが部屋の中にも伝わってくる。

 

「皇太子殿下、城に到着しました」

 

ニューカッスルに到着した事を伝えるため、船員が一人やってきた。その船員も、やはりなりは空賊の物であるが、その所作振る舞いはきちんとした教育を受けた兵士のそれである。

この船の乗組員が全員アルビオン王国軍の残党である事を改めて思い起こさせられる。と同時に、空賊に身をやつさねばならぬ彼らの状況に同情を禁じ得ないのであった。

船を降りると、一人の老貴族が駆け寄って来た。王家の腹心の一人であろう。

 

「おお、パリ―か。出迎え御苦労。して、戦況に何か動きはあったかね?」

 

皇太子にパリ―と呼ばれた老貴族は、申し訳なさそうに顔を曇らせて答えた。

 

「残念ながら、何も……。予定通り、次の夜明けとともに彼奴等の総攻撃は開始されますでしょう」

「そう、か……。わかった、御苦労であったな。では明日に備えて今日の収穫の配分を頼む」

「して、今日の戦果はいか程なのでしょうか」

「うむ。新鮮な食料と……硫黄を始めとする秘薬があったぞ」

 

奪った商船の積み荷の内訳を簡単に教えると、老貴族の顔が幾分明るくなった。

 

「これはしたり。これで彼奴等の目にものを見せてやれるというもの。貴族たる者、やはり最後は華々しく散りたいものですからな」

 

満足気にそう言うと、老貴族は次の仕事に取りかかるためにいそいそと去って行った。

 

「夜明けと共にとは、どういう事なのですか?」

 

皇太子の後ろで話を聞いていたワルドが質問する。

 

「そのままの意味だよ、子爵。まぁ、詳しい話は部屋に戻ってからにしようじゃないか」

 

と、ルイズ達三人は皇太子に案内されるままに彼のこの城での居室へと通された。

ウェールズの個室は城の天守の一角にあったが、とても一国の皇太子の部屋とは思えない程に殺風景な物であった。部屋の中には質素な家具が最低限設えてあるだけである。

ただ寝る為だけの部屋であった。他には衣服が数点あるだけである。それもきちんと片づけられてはおらず、壁などに適当に掛けてあった。

皇太子は壁際にある机に近寄ると、その引き出しの中から宝石ほ散りばめられた箱を取りだした。カチリ、と小さな音を立てて箱を開けると、その中から一通の手紙を取り出す。

そして皇太子の動きが止まった。皇太子がルイズ達に背を向けた格好になっているので、こちらからでは何をしているのかは分からない、だが、恐らくは手紙を読み返しているのだろう。

彼の背中越しでも、優しい気持ちが溢れて来るようであった。少しして、ようやく皇太子がこちらに向き直った。

 

「待たせて悪いね。これがアンリエッタからの手紙だ」

 

そう言って皇太子はルイズに封筒を差し出す。何度も繰り返し読まれたであろうその手紙は、封筒の角がボロボロになっていたが、余計な皺や折り目は一切付いていなかった。

いかに大事に扱われていたかが伝わって来て、ルイズはそれがとても悲しかった。

 

「明朝には『レコン・キスタ』どもの総攻撃があると聞きましたが、それは本当なのですか!?」

 

場が落ち着いたのを見計らって、ワルドが先程の答えを皇太子に迫った。

 

「その通りだよ、子爵。明日の日の出と共に奴等は最後の攻撃を仕掛けて来る」

「最後……ですか」

「ああ。最後、だ」

 

最後、という言葉に皆の顔が暗くなる。最後というからには、これで全て決着が付いてしまうのだ。恐らくは王家の敗北という形で。

 

「勝つ見込みは無いのですか?」

 

最後の望みとばかりに、ワルドが聞き返す。だが皇太子は、当然のようにごくあっさりと残酷な現実を示した。

 

「無いな。我が方の残存勢力はどう多く見積もっても三百。対して奴等は残りのアルビオン軍全て、五万はいるだろう。加えて保有する船の規模が違い過ぎる。一騎当千の勇者が百人居たとしても勝ち目は無いな。しかもそれで勝ったとして、その後の政は立ち行かくなるだろう。どちらを向いても、もう負けるしかないのだよ」

 

もうお手上げだ、とばかりに肩をすくめて話す皇太子。

 

「殿下も、討ち死にを覚悟なされているのですね」

「当然だ。王族として、将として、戦闘の最前線に立ち勇猛果敢に闘い、そして散る所存だ。名誉のために死ねるのならば、王族として本望だ。君もそう思うだろう?子爵」

 

そう言われては、ワルドには返す言葉が無い。きっと自分だって似たような立場に追い込まれれば、皇太子と同じ事を言うだろう。

例え負けると判り切った戦いであっても、己の名誉を守るためならば喜んで死地へと飛びこんでゆくだろう。貴族とは、武人とはそういうモノなのだ。

皇太子の努めて明るく振舞おうとすれするほど、その悲壮な覚悟の程が見て取れる。

 

「あの……」

「なんだい?ルイズ君」

 

重くなりかけた空気の中、ルイズが恐る恐る発言した。

 

「無礼を承知で申し上げます。どうしても殿下にお伺いしたい事が一つあるのです」

「うむ。何なりと言ってみたまえ」

 

ルイズは意を決したように、皇太子の瞳を真っ直ぐに見据えて話しだした。

 

「今程お預かりしたこの姫殿下のお手紙……。これは、もしや恋文なのではありませんか?」

「……どうしてそう思うのかね?」

 

皇太子の顔が一瞬、険しくなる。しかしそれもほんの少しの間で、また元のように笑顔を張り付かせた表情に戻った。

 

「私めに今回の依頼をなさった時の姫殿下のご様子や、今しがたの殿下のご様子、そして何よりこの手紙がトリステインとゲルマニアの同盟を妨げるという事を鑑みるに、その可能性が一番高いのでは、と。しかも恐らくはただの恋文ではなく……」

「ふむ。なかなかに察しが良いな。君の想像通り、あれはアンリエッタからの恋文だ。一時期、私とアンリエッタは心を通わせていた。まぁ言ってもお互い国の将来を背負う身、恋仲と呼べるほどのものであったかどうかは疑わしいものだがね」

 

軽く笑いながら話す皇太子の言葉の中の“一時期”というのは嘘だ、とルイズは直感的に感じ取った。それがただの過去の話であるならば、手紙を見る皇太子の態度は説明が付かない。

きっと、アンリエッタもウェールズも未だにお互いの事が忘れられないのだろう。それほどまでに深く心を通じ合わせていた……、いや、今も心通わせているに違いない。

 

「君が疑問に思っている事は分かるよ。何故ただの恋文がそれほどの危険を孕んでいるかだろう?」

 

ルイズは無言で頷く。そこがイマイチ合点がいかないのだ。若気の至りともとれるモノが、なぜ……。

 

「この手紙には、非常にまずい文言が書かれているのだよ。即ち、始祖の御名の元に私への永遠に変わらぬ愛を誓うと書かれているのだ。君らも知っての通り、そんな始祖の名に誓う愛なんて婚姻の際に使う言葉だ。だから、この手紙は私とアンリエッタの婚姻の成立を意味する物とも取れる。そして重婚は何よりも忌避すべき罪だ。まぁこれが直接ゲルマニア皇室の手に渡るのならば彼らはそれを握りつぶし、何も無かったものとして婚姻は執り行われるだろう。だがこれが貴族派の手に渡り、世に広く知れ渡らせたらどうなるだろうか?流石に同盟はお流れとなり、トリステイン・ゲルマニア双方が単独で貴族派に立ち向かう事となるだろう。奴等にとって、その方が何倍も組み易いのであるからな」

 

私情を交えず、ただ淡々と事実のみを語る皇太子。

 

「でも、この手紙はずっと大事に取っておいて下されたのですよね。殿下の気持ちはずっと、姫殿下と同じものであったのですよね!?」

 

真っ直ぐに見つめるルイズの視線に負け、皇太子は心の内を少しだけ白状した。

 

「ああ、彼女は私がまだこの手紙を捨てずに取って置いているものと分かっていて、君達を寄越したのだろう。実際、女々しくもこうして残していたのだからな。それにこの様な手紙など燃やして捨てる事も容易かろうに、この期に及んでもそれが出来ぬと来たものだ。」

 

と自嘲気味に笑う。捨てたくても捨てられぬ、燃やしたくても燃やせぬ程に大切なものなのだ。

 

「ならば亡命なされませ。生き延びて、お心に正直になられませ。我がトリステインならば、アンリエッタ姫殿下ならばきっと喜んで受け入れなさる筈です!」

「だがそれは出来ない。私は王族だ。その身も、心も、全てが国の為に存在している。自分の思うが儘になる物など一つも無いのだよ。どの様に生きるもどの様に死ぬも、何一つとして思い通りにはならぬ。それはアンリエッタも同じ事。彼女も良く知っている事だ」

 

ルイズの必死の懇願にも、皇太子は首を縦に振る事は無かった。そればかりか亡命を勧めれば勧めるほど、皇太子の態度は硬化していくようであった。

 

「それに亡命したとして、私を受け入れたばっかりにトリステインに迷惑がかからんとも限らない。何しろ貴族派の目的は全ての王家の根絶なのだからな。私が落ち延びれば、必ずやそれを追って奴らの手が迫るだろう。それは避けなければならない。……この話はもうここまでにしよう。君らに何と言われようとも、私は考えを変えるつもりは無い」

 

でも……、となおも食い下がろうとするルイズに皇太子はピシャリと言い切り、話はこれまでとなった。

夕陽の差し込む部屋に重苦しい空気が流れる中、何とか話題を変えようと皇太子は新たに話を始めた。

 

「今夜はささやかながら宴を催す事になっている。最後の晩餐ではあるが、良ければ君達も参加して言ってはくれないか?アルビオン最後の客人として歓迎しよう。だがそれにはまず……」

 

皇太子は顎に手を遣り少し悩むような仕草を見せた。何が問題なのか分からず顔を見合わせる三人に、皇太子は少しお茶目にウインクしながら言葉を続ける。

 

「君らの格好をどうにかしなければならないな」

 

とバッツとルイズに目を遣る。バッツはいつもの服であるし、ルイズは街娘のような格好をしており凡そパーティーには似つかわしくない。

 

「服ならば何着か持ち合わせがあるから、その中から選んで着替えてくれたまえ。ルイズ君は申し訳ないが別の部屋で着替えてもらおう。バッツ君はこっちに来てくれ」

 

皇太子が机の上にあった鈴を鳴らすと、侍女が一人やって来てルイズを別の部屋へと連れて行った。バッツは皇太子に呼ばれるまま部屋に残った。

ワルドはルイズの様子が気になるらしく付いて行ったが、多分部屋の前で締め出される事になるのだろう。

部屋では皇太子が空賊衣装を脱ぎ、純白の礼装に身を包んだ。王族の象徴である明るい紫のマントを羽織り、頭には七色の羽のついた帽子をかぶる。

この日の為に用意しておいたのだろう、皺ひとつないまっさらな衣装に身を包む皇太子は、輝かくばかりの威厳を放っていた。

その後何着か服を見繕うと、その中の一着をバッツにあてがう。

 

「うむ。丁度よい事に君と私は体系が似ているな。これならば私の服でも十分に着る事が出来るだろう。何だったら他のも全て持って行ってくれても構わぬよ」

 

急にそんな事を言われても、困ってしまう。他の物ならいざ知らず、衣服までもはい有難うと受け取る訳にはいかない。それも全部だなんて。

 

「そんな……。王子様の着る分が無くなるじゃないか」

「私にはこの一着があればいい。どうせ明日には死ぬ身だ。誰かに奪われたり瓦礫の下敷きになるくらいなら、自分の意思で譲りたいものだよ。遠慮せずに全部持って行ってくれたまえ」

 

悲しげに笑う皇太子に押されて、バッツは反論も出来ずに手渡された服に袖を通した。背格好が似ていたお蔭で、別段問題も無く着こなす事が出来た。

今まで着ていた服と残りの皇太子の衣装は、腰の道具袋に仕舞う。軽く髪を整えると、バッツもそれらしく見えて来てしまうのが不思議なものだ。

 

「中々に似合うじゃないか。これなら何処ぞの貴族と紹介されても通用するな」

「馬子にも衣装だよ。俺は貴族なんて柄じゃないさ」

 

バッツは少し照れてそう返す。

 

「そうか。しかし、君はルイズ嬢やワルド子爵とはどのような関係なのかね?ただの平民が何の義理があってこんなアルビオンまで付いてくるというのだ?」

 

そう言われるとバッツは説明に悩む。まさか「ルイズの使い魔です」と正直に話すわけにもいかない。例え話したとしても到底信じてはもらえないだろうが……。

しかし明日にも死のうかという人間に対して嘘を吐くという気にもなれないバッツは少し悩んだ末、結局正直に話す事にした。

 

「何と!君は彼女の使い魔なのかい!?成程……。いや何、ワルド子爵とルイズ嬢は恋仲か何かだろうと察しは付いたのだが、君の存在が少々解せなくてね。子爵配下の者という風体でも無し、ただの従者がこの様な危険な場所まで付いてくるものかと思っていたが。

しかし成程、使い魔なら合点がいく。人間の使い魔というのも珍しいが、全くあり得ない事ではないのだろうしな。現に君がこうしているわけだし」

 

使い魔の証である左手甲のルーンを皇太子に見せると大層驚かれはしたが、驚くだけで意外とあっさりと事実として受け止められた。

マジマジとルーンを見る皇太子の顔を見ていて、ふと浮かんだ疑問をバッツは投げかけてみる事にした。

 

「そう言えば王子様の使い魔はいないのか?」

「うん?……ああ、私の使い魔か。勿論居はしたが、ハヴィランドから逃げる際に私を庇って、ね。この帽子の飾りと同じく七色の羽をもった美しくも気高い鳥だったのだがな……。ま、もうじきまた会える。私も直ぐに後を追う事になるだろうからな」

 

また寂しくなる様な話題を振ってしまい、しまったと後悔するバッツであったが、皇太子はそんな遠慮は無用とばかりに明るく振舞う。

そんな皇太子に、バッツは最後に一つだけと質問を投げかける。

 

「なぁ……、本当はあんたもまだ王女様の事を好きなんだろ?」

「さぁ、それはどうかな。でも君の様に平民で……、いやさ一介の貴族であったのならこれほどまでに悩み苦しむ事は無かったのかもしれないな」

 

バッツの問いにはぐらかしながらも皇太子は答える。そして、でも……とさらに続けた。

 

「しかし、今は皇太子に生まれた事を怨んではいない。アルビオンの皇太子であったからこそ、アンリエッタと出会う事が出来たのだ。だから、私はそれを誇りに死のうと思う。今までの人生全てが無駄ではなかったと、幸せな物であったと胸を張り真っ直ぐ前を向いて死ぬ事が、彼女の為にできる精一杯の事なのだから」

 

沈みゆく夕陽を見つめながら、皇太子はこう締めくくった。陽の光に眩しそうに目を細めるその横顔は、その先に愛しい女性の面影を見ているようであった。

 

 

 

日も沈み、夜の帳の下りたニューカッスルの城では、ささやかな立食会が催されていた。城内で一番の大広間には玉座が据えられ、皆思い思いに着飾って参加していた。

この場に居る何人が明後日の夜明けを迎えられるというのだろうか。そんな絶望的な空気など微塵も感じさせないほどに華やかに宴は始まった。

玉座に座る老いた国王が挨拶を述べると、会場が割れんばかりの歓声が巻き起こった。

熱狂の渦から取り残され、冷静な瞳で皆の様子を見るルイズたち三人には、その場の雰囲気は異様なものとしか形容しがたいものであった。

壁際に佇み、広間の参加者の熱気に溶け込めずにいる三人は、ただただ困惑の表情を浮かべるだけだ。

 

「みんな、明日には死んでしまうというのに、どうしてここまで明るく居られるのでしょうか」

 

グラスを回しながらルイズが誰にとも無く呟く。借り物のドレスは少し大きかったけれどもその場で手を加えてくれてもらったのでそれほど不快では無い。

それでも浮かない顔をしているのは、この雰囲気が理解できないからであった。

 

「無理にでも自らを奮い立たせねばならぬからさ。己の命と、己の誇り。この二つを天秤にかけた時、どちらが重いかは貴族ならば考えるまでも無いはずだ」

 

ワルドがルイズの問いかけに答える。それはルイズに答えるというよりも、自分自身に言い聞かせているような節も感じられた。

 

「それは分かっています。でも、それでも納得がいかないのです。皇太子には待つ人が居るというのに、生き延びる機会があるというのに、なぜ自らその道を捨てて死に突き進まなければならないのですか?」

「それは、王族であるからだ。貴族には、何を捨てても優先させなければならないこともある」

「ではワルド様も、私よりご自分の誇りを優先させるというのですか?」

「僕は……」

 

ワルドは言葉に詰まる。どう答えればルイズの望む答えを与えることが出来るのだろうか。少し考えた後、やさしく微笑みながら答えた。

 

「僕は、君を残して死んだりはしない。君を守る、それが僕の守るべき誇りだ」

 

ルイズの瞳を見据え、ゆっくりとかみ締めるように言葉を紡ぐ。

ルイズに、自分に言い聞かせるように話す姿に安心したのか、ルイズは少し頬を染め満足そうに頷くとグラスのワインを飲みほした。

そのまま二人は料理を取りに人の輪の中へと入っていった。

バッツは一人壁際に残り、人々を見つめていた。国王と皇太子が会場を周り、臣下一人一人に声をかけているのが目に入る。

普通ならそのような事はしないのだろうが、これが最後と思えばの行動だろう。中には感極まって泣き出す者も幾人かいた。

 

「どうしたい相棒、いつに無く暗い顔してるじゃねぇか」

 

壁に立てかけておいたデルフリンガーから声が掛かる。バッツは会場の方から視線を外すことなく、その声に答える。

 

「こういう場は、好きじゃないんだ」

「宴会がか?」

「いや、……何て言えばいいかわからないけど、こういう雰囲気は好きじゃない」

 

自分でも何て説明すれば分からないが、とにかく“こういう雰囲気”としか形容できない。戦の前の高揚した雰囲気というのは経験した事のあるバッツではあるが、今回のこれとはまた違う。

例えその中の幾人かが死ぬこととなっても、その先に勝利の可能性が見えているのといないのとでは天と地程の違いがある。

彼らの進む先には、死と敗北しか待っていない。それでも彼らは喜び勇んで死地へと赴くのだろう。ただ己の誇りを守るためだけに。

 

「俺もよ、貴族の考えてる事なんてわかんねぇ。大切なモノを守るために命がけで戦うってんなら納得のしようも少しはあるけどよ、それが“誇りの為”ってんじゃ話にはならねぇわな」

 

デルフリンガーが鼻で笑うようにそう言い放つ。

 

「誰だって進んで死にたかねぇ。そりゃ平民だって貴族だってエルフだって同じさ。モチロン俺だってそーだ。そこで自分を納得させられるだけの理由をこじつけんのは、まぁ分かる。相棒、相棒なら何のために死ねる?」

「俺……?」

「国か?友か?家族か?それとも女か?」

 

真っ直ぐ前を見つめたまま、バッツは考える。何の為だったら自分は死ねるのだろうか。

誰かを守るために死ぬのか?それも悪くは無いのかもしれない。でも、自己満足の為に死ぬのなんてまっぴら御免だ。今の自分の命は、大切な仲間の犠牲あってこそのものである。

それを軽々しく捨てるなんてことは許されない。もし命を差し出すとしたら、自分の為に散って行った仲間と同じ理由だろう。

 

「俺は……俺は死ぬなんて考えない、少なくとも誇りなんてものの為には。もし俺が何かの為に命を懸けるとしたら、それは未来の為だ。未来への希望を守るためだったら、捨て石にもなれる……と思う」

「未来、か…………良い言葉じゃねぇか」

 

そしてそのまま二人は黙り込んだ。黙ったまま、何分かの時間が流れる。しかし、その沈黙も苦では無かった。

もうしばらくしてルイズとワルドの二人が戻って来た。大分質問攻めにでもあったのであろうか、二人ともやや疲れたように見える。

 

「なんだい、バッツ君はずっと此処に居たのかい?」

「ああ。どうもこういう雰囲気に馴染めなくてね」

「そうかい。でもルイズの従者をしているのならば、このような宴に顔を出す機会も多くなるだろう。慣れておくにこしたことは無いよ」

「努力はするよ」

 

ワルドとそんな会話をしている時に、思わぬ人物から声が掛かった。

 

「やあワルド子爵にルイズ嬢、それにバッツ君。どうだい、楽しんでもらえているかい?」

 

酒が入っているのか、少し顔の赤い皇太子が近づいてきた。

 

「挨拶回りもやっと終わってね、ようやく君達の所に来る事が出来たよ」

 

酔いのせいもあってか至極上機嫌の皇太子を見ていると、もう数時間もしないうちに死地へと赴く人間なのかと疑いたくなる。

まるで平穏な明日が待っているかのようだ。

 

「君達に伝えておかなければいけない事があったのを思い出してね。少し時間良いかい?」

「ええ、勿論ですわ。して、その要件とは何なのでしょう?」

 

今までほろ酔いだった顔が一気に引き締まり、真面目な表情で皇太子は話し出した。

 

「君達の帰りの足の件で少しな。君達の知っての通り、夜明けと共に最後の総攻撃が始まる。だからその前、闇の最も濃い時間に地下の抜け穴から使用人達平民を乗せた船を逃がす。そこに乗船してもらいたい。舵取りには腕利きのを付けるから安心したまえ」

「逃がすのは平民だけ、なのですか?」

「メイジの、貴族の者は皆ここに残り最後まで抵抗を続ける」

「それは女子供も、というわけですか」

「ああ。それに老人もな」

 

領地を奪われた貴族に生きる道はそう多くは無い。簡単にプライドを捨て平民に溶け込めるのであればそれに越したことは無いが、それが出来る貴族などそう居るものでもない。

それならば一族郎党ここで玉砕するほうがマシだという考えに基づく結論である。

生きてさえいればどうにでもなる、というのは誰にでも当てはまるものではない。生き抜く術を身に付け、それだけの気力を兼ね備えた者でなければ無理なのだ。

特に誇りを重んじる貴族にとっては平民と同じように暮らし、或いは土や泥にまみれた重労働をして口に糊する生活など耐えられはしないだろう。

生かすのも情けならば、死なすのも情けなのだ。

また重くなりかけた空気を鋭敏に感じ取り、皇太子は慌てて違う話題を振った。

 

「そんな事より、君達にもう一つ頼みごとがあるのだが」

 

頼み事とは何だろうか。皇太子の意外な発言にキョトンとする三人。まさか宴会の余興に何か芸でも披露してくれというのだろうか。

この中でそんな事が出来そうなのはバッツくらいではなかろうか。

 

「頼みというというのはね、子爵とルイズ嬢に関する事なのだよ」

 

私達、ですか?とルイズとワルドが声を揃えて驚く。一層、皇太子の考えが分からなくなるばかりだ。

 

「不躾で悪いとは思うが、君達二人は恋仲なのだろう?」

 

いきなりそんな事を言われて二人とも驚いたなんてものではない。別に隠していたわけでもないのだが、面と向かって言われると恥ずかしいものである。

元々許婚であるのだし、お互いの事は憎からず思っている事も今回の旅で再認識することが出来た。

でも、こうして改めて恋人だと断定されると、それはそれで気持ちが浮ついてしまうものである。

なんだか照れてしまっている二人を微笑ましく見ながら、皇太子は更に一つの提案をした。

 

「もし差し支えなければ、この城の礼拝堂で君達の結婚式をさせてもらえないかね?」

「け……結婚式、ですか!?」

 

余りに突然の申し出に目を白黒させるルイズ。ワルドとていつかは挙式を……とは考えていたが、それも少なくともルイズの魔法学院卒業を待ってと考えていた所である。

今日会ったばかりの、しかも一国の皇太子からの申し出である。断りづらいものではあるが、そう簡単に承諾しかねる事でもある。

互いに顔を見合わせ思案に暮れるワルドとルイズの様子が可笑しかったのか、皇太子は少し吹き出してしまった。

 

「何も正式な式を挙げると言うのではない、あくまでも『真似事』だ。居るのは君達と僕だけの、ほんのママゴトみたいなものだよ」

 

と王子は軽く笑いながら話す。あくまでも『ママゴト』である事を強調しているが、是非にという強い想いが言葉の裏に滲んでいた。

 

「それは構わないのですが……。何故今なのですか?」

 

もう明日にはこの場に居る殆どの人間が死んでしまうと言うのに、そんな中での挙式など場違いも甚だしい。それにそんな時間の余裕があるのだろうか。

いくら負けが決まったような状況とはいえ、皇太子も少しは体を休めておかなければならないというのに、そんな事をしていて良いものなのだろうか。

 

「これは私の我儘でしかないが、滅びゆく王国の人間が最後に残せる物として、せめて未来ある若者の前途を祝福したいのだよ。これは死出の旅路に赴く者へのせめてもの手向けだと思って、どうか引き受けてはくれないか」

 

未来ある若者……。本来ならば、皇太子もその“未来ある若者”の一人である筈なのに、彼にはもうその“未来”が無い。

しかし何とか生きた証を、生きていたという記憶を誰か一人でも多くの人間の心に残したいのだろう。その為に、出会ったばかりのルイズ達にさえもこれほど気を遣ってくれるのである。

その心遣いが嬉しくもあり、と同時に非常に悲しかった。顔では笑っているけれども、その心の中はどのようであるのか。皇太子の心中を察すれば、この申し出を断る訳にはいかなかった。

 

「……わかりました。殿下の御心遣い、有り難くお受けいたします」

 

そのルイズの返事に、ウェールズは心の底から満足そうにほほ笑んだ。



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第18話 ワルドとワルド

闇の支配する石造りの礼拝堂内は、夜の冷気も相まってひんやりとした厳かな雰囲気を醸し出していた。

人間を象ったであろう石像が正面中央に安置されている。室内に揺らめく蝋燭やランプの灯りに照らし出されるそれは。この上なく神秘的な存在に感じる。

仄かな灯りに浮かび上がるその像は、『始祖の像』と呼ばれてはいるが、極限まで抽象化されていて何処に始祖の面影を見ればいいのか分からない。

その像を背に立つウェールズと、それに相対するように並んで立つルイズとワルド。バッツは少し離れた後方に佇んでいる。

参列者はバッツたった一人の結婚式……いや、結婚式“ごっこ”。

本来ならロマリア連合皇国に籍を置く神父が立つべき役割をウェールズが代行し、ルイズは新婦が身に纏うという純白のマントを羽織っている。

この場に居る面々は先程までの宴に参加していたままの恰好であったが、バッツだけは皇太子から貰った服ではなく、着なれたいつもの服に着替えている。

それは単に高価な服に着慣れていなくて精神的に着心地が悪かったのと、この後直ぐに脱出船に乗り込む手筈になっているのだし何時までもあの服のままでいる訳にもいかなかったからだ。

ウェールズは手にした花の冠をルイズの頭に載せると、高らかに宣誓した。

 

「それでは、これより式を執り行う」

 

静寂の礼拝堂に皇太子の声が響く。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、妻とする事を誓いますか」

「誓います」

 

ワルドは刃を下にして杖を逆手に握り、胸の前に掲げると真摯な声で答えた。その返答に満足そうに頷くと、次はルイズに視線を移す。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女ルイズ・フランソワ―ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、夫とする事を誓いますか」

 

ルイズの長ったらしい名前を、一度も躓く事も無くすらすらと読み上げるウェールズ。即答したワルドとは違い、ルイズは一呼吸開けてから噛み締めるように答えた。

 

「――はい」

 

バッツの立つ位置からはルイズの表情を見て取ることは出来ない。しかし声が上ずっていたり、そのくせ妙に嬉しそうな響きを含んでいるので今どんな顔をしているのか容易に想像できる。

きっと耳まで真っ赤にしながら嬉しそうな顔をしているに違いない。ルイズの答えにも満足したウェールズはにこやかに微笑むと更に言葉を続ける。

 

「汝らは自分自身を互いに捧げますか」

「はい」

 

今度は二人が声を揃えて答える。

 

「それでは誓いのキスを」

 

皇太子に促されるまま二人は互いに向き直すと、ワルドはルイズの目線に合わせて少し屈む。ルイズも、ワルドへと少し背伸びをして顔を近づける。

少しの間お互い恥ずかしそうに見つめあった後、意を決したようにルイズが瞳を閉じると、ワルドがゆっくりとその唇に自分の唇を重ねた。

揺らめく炎に映し出された二人の姿はとても幻想的で、あたかも一枚の絵画を見ているようであった。

二人が唇を合わせていたのはほんの数秒の事であっただろうか。しかし、バッツには何分もそうしていたように感じるほどであった。時が止まったかのよう、と表現する相応しい一瞬であった。

唇を離すと何処か気恥しそうに互いを見つめ合うルイズとワルドであったが、そこに嫌な気持ちは一切なかった。

二人の心にあったのは、少しの驚きと少しの戸惑い、そして大きな喜びであった。

 

「有難う」

 

不意に、ウェールズの口から感謝の言葉が飛び出す。本来なら、礼を言うのはルイズ達の方であるようなものだが、それでも皇太子は感謝の言葉を紡いだ。

 

「私の我儘に最後まで付き合ってくれて、本当に感謝している。無論、これは正式な結婚式ではない。だから君達が今日の誓いに縛られる必要など、これっぽちも存在しない。けれども、消えゆく国の皇太子が最後にこの世に残せたものとして、これからも二人が変わることなく愛を育み、互いに寄り添って生きてくれる事を切に願うばかりだ」

 

ウェールズが寂しげに笑う。この世に残せる最後のモノが、これほど不確かで移ろい易い約束くらいしかないのだ。

 

「さぁ、もうそろそろ船の出る時間だ。船まで案内しよう」

 

ウェールズがそう声をかけて出発を促してその場はお開きとなった。嵐の前の静けさ、ともいえる穏やかな時間ももう終わりを迎えようとしている。

この城を後にすれば、もう二度と皇太子に会う事はあるまい。そんな一抹の寂しさが三人の心に広がる。

 

そんな、礼拝堂に静寂が訪れた一瞬に事は起こった。

 

ウェールズの足元からゆっくりと、背後に黒い影が盛り上がったかと思うと次の瞬間には彼の左胸から銀色の筋が生えていた。

そのままウェールズは影に持ちあげられるように宙釣りになると、ドサッと床に落ちた。床に横たわるウェールズの胸元からは、おびただしい量の血が溢れだしている。

バッツ達三人には、何が起こったのか理解できない。あまりに突然の事過ぎて状況を受け入れられていないのだ。

ただ分かるのは、先程までにこやかに笑みをたたえていたウェールズが、今は蒼白な顔で足元に横たわっている事だけ。

皇太子の胸を貫いた黒い影が、ゆっくりとその姿を現す。今まで暗がりに居たその姿が明かりの元に現れる。黒いマントに黒い羽根付き帽子、そして不気味な鉄の仮面。

全身黒づくめで鉄仮面の人影が高笑いを上げる。くぐもった様な、どこか音のねじ曲がった様な異質な声。静寂の包む礼拝堂には、この笑い声だけが響き渡っていた。

数瞬の後、ようやく三人が行動を始める。突然過ぎる事態の急変に思考停止していた頭がようやく機能を取り戻したのだ。

ルイズの悲鳴が木霊する。ワルドが鉄仮面に飛びかかる。

謎の鉄仮面はワルドの繰り出す剣戟をヒラリと跳んでかわすと少し離れた地点に着地した。ワルドはそれを追って更に踏み込む。

次々と繰り出される神速の突きを、まるで風に揺らぐ柳の枝葉のようにユラユラとかわす鉄仮面。突こうが斬ろうが全く相手にかすりもしない。

まるで幻影でも相手にしているかのような錯覚に焦りが募ってゆく。

こちらの剣筋が完全に見切られているなど、トリステインでも屈指の使い手を自負するワルドにとっては認める訳にはいかなかった。

鉄仮面はただ高笑いを挙げながら、ワルドの焦りを楽しむかのようにユラユラと斬撃を避け続けている。

 

一方、ひとまずは謎の襲撃者の相手をワルドに任せても良いと判断したバッツは、倒れているウェールズの元に駆け寄り、傷の程度を診る。

ウェールズは左胸を一突きにされていて、その傷から溢れ出た血溜まりに浮かんでいた。純白であった装束が、今は血で真っ赤に染め上げられている。

既に呼吸も殆どしていない。痙攣するように体が小刻みに揺れているが、それもだんだんと弱くなってきている。完全に死んでいるわけではないが、生きているとも言えない。

何か手を施さなければ、最早一刻の猶予も無い。

バッツは右腰に括りつけた道具袋の中から“あのアイテム”を探す。今の状況で効果があるかどうかは分からないけれど、それでも一縷の望みをかけて使ってみる価値はある。

 

「バッツ!なんとか殿下を!殿下を助けて!!」

 

バッツと同じくウェールズの元に駆け寄っていたルイズが叫ぶように懇願する。

元より死を覚悟していた皇太子ではあったが、これは彼の望む死に方ではない。この様な最期など、あって良いはずがない。

それはバッツとて同じ気持である。だからこそ――――

 

「余計な事をしてもらっては困る」

 

突然、バッツの直ぐ後ろで声が発せられた。そして同時にバッツの左肩に焼き鏝を押し当てたような激しい痛みが走る。

皇太子を挟んでバッツと向かい合うようにしゃがんでいたルイズの目に映ったもの、それはあの鉄仮面の襲撃者の姿であった。

先程と同じように……いや、皇太子の時とは違いバッツの場合は胸ではなく左肩から銀色の筋が伸びていた。

バッツの左肩を貫通した剣先から赤い血が滴り落ち、バッツがその激痛に耐えきれず呻きにも似た叫びを上げる。

ルイズは咄嗟に鉄仮面の相手をしていたはずのワルドへと目を向けた。まさか、ワルド様が負けてしまったなんて……そんな最悪の状況が頭をよぎる。

しかし視線の先では、相変わらず無数の剣戟を繰り出すワルドと、それをかわし続ける鉄仮面の姿が確認できた。襲撃者は一人ではなく、二人いた……?

混乱するルイズの目の前で、鉄仮面は剣を上へと振り上げる。バッツの肩は深く斬り裂かれ、血が噴水のように噴き出し、その血飛沫の一部はルイズの顔にもかかった。

またもや、鉄仮面の男は高らかに笑う。再び耳障りな声で礼拝堂が満たされる。

左肩を斬り裂かれたバッツは皇太子の上に折り重なるようにして倒れた。血に染まる皇太子とバッツ。ワルドの攻撃がかすりもしない鉄仮面の男。そして不気味で耳障りな笑い声。

その全てが現実離れしすぎていて、ルイズは何か悪い夢を見ているのではないかと思いたくなるほどだ。しかしこれは現実であり、今目の前で確かに起こっている事なのだ。

ルイズは考える。今、自分に出来る事は殆ど無い。でも何かしなければ、何か行動を起こさなければ、全てが最悪の結末を迎えてしまう。それだけは避けなければならない。

空転しかける脳味噌を、必死の思いで回転させる。今、自分に何が出来るか。今、自分が何をすべきなのか。

傷の深さから考えたら皇太子を何とかするのを優先させるべきであろう。しかし彼の傷は深すぎて、とてもではないが自分の手に負えるような状態ではない。

ならばバッツではどうだろうか?バッツも傷は深い。だが比べれば、まだバッツの方が呼吸がしっかりしている。きちんとした手当てを施せば、まだ十分に助かるはずだ。

しかし、タバサ位に水系統に特化したメイジであれば止血するくらいの事は出来たのかもしれない。もしくは高価な秘薬があれば、自分にも取り敢えずの治療は可能かもしれない。

だが、そのどちらも今自分の手元には無い。今ほど自分の無力さを恨めしく思った事もない。

魔法に目覚めたのがついこの間の事ではあったが、それまでも魔法の勉強は続けてきたのだ。例え僅かな間でも色々と出来る事があった筈。それを怠って来た事が悔やまれる。

自分の無力さに杖を握る手が震える。自分が何も出来ないと見てワルドの方へ向かっていく二人目の鉄仮面の男の足止めすらする事が出来ない。

如何にワルドと言えとも、不気味な鉄仮面二人を相手に無傷でいられるとは考えられない。愛しい人の危機にも、ただ手をこまねいて見ているだけの自分が腹立たしかった。

 

「ぐっ…………」

 

もぞり、とバッツが身を捩じらせる。左肩を切り裂かれながらも、残る右手で懸命に道具袋の中から何か取りだそうとしていた。

 

「バッツ!じっとしていないと傷が……!!」

「俺の事はいい……。それよりも王子様を…………」

 

自分の体を顧みることなく皇太子を優先させるバッツの姿に、不意に涙が滲む。

 

「アンタまで死んだら、私……、私…………」

「俺は、大丈夫だ……。これしきで、死には、しない。それよりも、王子様に、コレを……」

 

荒い息ながらもバッツはルイズに一枚の羽を手渡す。燃え盛る炎のような輝きを持つ不思議なその尾羽は、手にするとほんのり熱を帯びているようであった。

 

「これは……?」

「これは、『フェニックスの尾』、だ。効くかどうかわからないが、呼吸が戻ったら、次はこの薬を飲ませてやってくれ。半分は傷口に、残り半分を口に含ませれば、傷の癒えるのも早くなるはずだ」

 

尾羽に続き、次は液体入りの薬瓶を手渡す。中にはわずかに粘性があり、ほんのりと光を放つ見た事も無い液体が入っている。

ルイズに手渡した薬瓶と同じものをもう一つ取りだすと、バッツは自分の左肩に瓶の中身の液体をふりかけた。傷に染みるのか一瞬顔をしかめたものの、直ぐに元の表情に戻った。

見れば、切り裂かれた服から覗くバッツの肩には既に傷は無い。あれ程までに深く切り裂かれていた肩が、血で汚れてはいるものの、何事も無かったかのように綺麗に繋がっている。

余りの事に唖然としているルイズに構わず、バッツはルイズと皇太子に背を向ける。

 

「王子様の事を、頼む」

 

そう言い残すとバッツは、二対一で苦戦を強いられているワルドの元へ加勢に駆けだした。

ほんの一瞬呆然とバッツの背を見送っていたルイズはハッと我に返ると、バッツの指示に従うべく行動を開始した。

正直なところ、バッツに手渡された鳥の尾羽と薬瓶が本当に効果があるかは疑わしい。でも、何もしないよりはましだ。

あれだけ自信満々に託したのだから、それなりの効果は望めるのだろう。

肝心の尾羽の使い方を聞いていなかった事に気が付いたけれども、取り敢えずは皇太子の傷口に羽をにかざしてみる事にした。

今しがた目にした効果を見れば薬だけでも良い気もするが、この羽にも何か意味があるのだろう。無くても薬だけで傷を塞ぐ事は出来る筈だ。

羽を皇太子の傷口に置くと、尾羽はボッと燃え上がって光の粒に変わり皇太子の体に降り注いだ。

するとどうだろう、蒼白だった皇太子の顔に見る間に赤みが戻り、殆ど止まっていた呼吸も再び穏やかに開始された。皇太子が、息を吹き返したのだ。

慌てててルイズは皇太子の胸に耳を当てる。力強く刻む心臓の鼓動音が、確かに聞こる。

ホッと安堵の息を吐くが、直ぐにバッツの指示を思い出す。次は薬を飲ませなくては。皇太子が意識を取り戻すまでは油断が出来ない。

 

「加勢する!」

 

鉄仮面の男達の相手を一人でしていたワルドの元に、バッツが到着した。左手には盾を、右手にはデルフリンガーを構えている。

ワルドとバッツは背中合わせに立ち、鉄仮面の男たちと相対した。

 

「バッツ君!ルイズは、皇太子殿下は大丈夫なのか!?」

「多分、大丈夫だ。それより今は、こいつらを何とかしなくちゃな」

 

バッツの言葉に少し安堵の表情を浮かべたワルドも、直ぐに緊張の顔に戻る。

二対二と数の上では五分になった今も、鉄仮面たちは態度を変えることなく不気味に佇んでいる。まるでバッツの加勢など意に介していないようだ。

 

「こいつらはかなりの手錬だ。気を付けろ」

 

ワルドの言葉には一切の余裕が感じられなかった。相手は逃げに徹しており、まだその実力を毛程も見せてはいないのだ。

しかも、少なくともワルドの剣をかわし続けられるだけの実力を持っているのだ。余裕を持てる筈もない。

 

「これでも僕はトリステインでも五本の指に入る使い手だと自負していたのだがね、こうも通用しないとは驚きを通り越して悪夢の様だ」

 

ワルドが弱音を漏らす。少しではあるが手合わせをして彼の実力の程を知っているバッツにとっても、その言葉が意味するところは大きい。

 

「まだわからんのかね?弱虫ジャン・ジャック。お前が一体誰を相手にしているのかを」

 

鉄仮面はワルドを挑発するように不愉快な声で不愉快な事を言い放つ。

 

「僕を知っているのか!?」

「お前は俺の事を知らないだろうがな、俺はお前の事をよく知っているのだよ!そう、何から何まで全て、な」

 

ワルドは敵が自分の事を知っているというの事態に驚きを隠せない。トリステイン国内であれば、衛士隊隊長という肩書でそれなりに名が知れ渡っていてもおかしくは無い。

だがここはアルビオンだ。隣国まで名が知れ渡る程、自分は有名人ではない。流石にそこまでは自惚れてはいない。しかし……、と思い出す。

この鉄仮面の男はラ・ロシェールでも見掛けた。自分達が泊まった宿を襲った一団の中に、確かにこの男は居た。ならばこの鉄仮面はトリステインの貴族なのだろうか?

よもやトリステイン国内で密かに貴族派に通じてる者たちが居るのだろうか。正直、その可能性はあまり考えたく無かったし、信じたくも無かった。

 

「相手は二人、こちらも二人。一気に片を付けるぞ、バッツ君!」

 

そう言って鉄仮面に向かって駆け出すワルド。バッツも同じくもう一方の鉄仮面の相手をすべく駆けだした。

二人の初撃が相手に到達する寸前、鉄仮面は攻撃を避けようともせず不敵にこう言った。

 

「我らが本当に二人“だけ”だとでも思ったのか!?」

 

その言葉に、ワルドとバッツの動きが止まる。まさか……。一瞬にして最悪の状況が脳裏によぎる。そして間を置かず、その予想を裏付けるようにルイズの悲鳴が響いた。

なんと、“三人目の鉄仮面”がルイズの前に現れ、今まさにルイズに襲いかかろうとしていた。杖を構え必死に抵抗を試みるルイズ。

だが三人目の鉄仮面はそれを嘲笑うかのように剣を振りかぶった。

 

「なりだけは一人前でも、魔法も使えぬ半端者が杖を構えたとて何の威嚇にもなりはぜぬわ!!」

 

慌ててルイズの元へと動き出すバッツとワルドではあったが、いかんせん距離が離れ過ぎている。どれ程速く駆けたとしても、決して間に合いはしまい。

それでも走る。例え1%の可能性でも、それに掛けるしかない。震える手で杖を握るルイズは、懸命に呪文を唱える。杖の先端に炎が集まり、鉄仮面へ向かって放たれた。

 

「チッ!」

 

ルイズの思いがけない反撃に一瞬驚くものの、鉄仮面は放たれた火球を難なく避けるとルイズの杖を叩き落とした。

 

「魔法が使えぬものと思っていたが、まさか習得していたとはな。だがこれで本当に貴様を生かしておく価値は無くなったというものよ!」

 

鉄仮面の言葉は、ルイズには理解できない。だが、判るのはもう絶体絶命だという事だけだ。バッツもワルドも間に合いはしないだろう。杖も叩き落とされた。

自分の身体能力では相手の剣を避ける事は出来まい。もう手詰まりだ。もう、自分には出来る事は無い。もう、何も……。

ここでルイズの頭に閃くものがあった。

本当に自分はもう何も出来ないのだろうか?いや、まだあったはずだ。杖が無くても、自分に出来る事。そう、この世界ではバッツと、自分にしか出来ないであろう事。

 

「まばゆき光彩を刃となして、地を引き裂かん!……サンダー!!」

 

そう叫んで鉄仮面に向かって手をかざす。命乞いでもするかと思った鉄仮面は、ルイズの行動に気でも触れたかと嘲笑う。

メイジが杖も無しに何が出来るものか、と。しかも口語で唱えるような低級呪文でこの状況をどうにかできるものか、と。

が、その余裕の態度も直ぐに消えた。突然、鉄仮面の体に電流が走り一瞬ではあるが意識が飛んだ。

電撃の威力自体はそう強いものではない。だが全く予想外の出来事であり、完全に虚を突かれた攻撃に威力以上のダメージを喰らってしまったのだ。

ルイズの予想外の反撃に毒づきながらも鉄仮面は体制を立て直し、再び剣を構える。今度は隙がない。今と同じ手は通用しないであろう事はルイズにも見て取れた。

しかしルイズは皇太子を庇いつつ、負けじと鉄仮面を睨み返す。鉄仮面にはそのルイズの余裕ともとれる態度が気に食わない。

今度こそルイズに止めを刺そうとした鉄仮面の体は、背後から横一文字に薙ぎ払われた。鉄仮面がルイズの攻撃に怯んでいる間に、バッツが到着したのだ。

ルイズの魔法は、最初から時間稼ぎの為に放たれたものであった。少しでも時間を稼げば、バッツかワルドのどちらかが必ず間に合う。そしてその希望は見事に叶った。

横薙ぎに払われ、胴体が真っ二つに引き裂かれた鉄仮面の体は、そのまま空中で霧散するように消えていった。血の一滴も流す事も無く消えてゆく鉄仮面。

はじめはやり過ぎたと思っていたバッツだったが、その妙な手応えに戸惑いを隠せないでいる。

続いて到着したワルドは。ルイズを背に庇うように、残る鉄仮面たちに向かい構えた。

 

「……今のは一体何だ?俺は確かに人間を斬ったはずなのに、あの妙な手応えは!?まるで悪い夢でも見させられているみたいだ」

 

ワルドと並んで構えるバッツは、先程の信じられない出来事の説明を彼に求める。そこには肉を斬る感触は微塵も無く、まさしく“空を切った”という表現が当てはまるような感覚であった。

 

「恐らく、あれは『遍在』による分身体だ。クッ……、これで判ったぞ、何故こうも容易に敵の侵入を許してしまったかを。アレらは全部分身だ。だから僕らに一切感づかれずに現れたのだ」

 

ワルドが苦々しく言い捨てる。相手の能力の一端が判りはしたがそれで事態が好転したわけではない。

 

「『遍在』……?」

「風の系統魔法の上級呪文の一つだよ。使用者と同じ能力を持ち個々に行動できる分身を作り出すスクエアスペルだ。敵は僕と同じスクエアレベルのメイジだという事だよ」

 

敵は少なくとも自分と同レベルのメイジが一人。単独犯であればよいのだが……

 

「とにかく、奴を完全に倒すには術者本体を探し出して叩かねばならんという事だ!もしくは相手の魔力切れまで延々と分身の相手をするかのどちらか、だ」

 

バッツはあたりを見回す。この礼拝堂内はバッツら四人の他には目の前の鉄仮面しか見当たらない。どこかに人が隠れられるような物蔭も無い。

となると敵は室外から遠隔操作しているのだろうか?ワルドによれば『遍在』の効果範囲は術者の能力に大きく依存するらしいが、そもそも相手の力量がまだ分からない。

直ぐ近くに居るのか、それとももっと遠隔地から術を発動させているのか……?もし後者であれば今のバッツ達には手の打ちようがない。

 

「クックックッ。貴様たちの心に不安と絶望が広がり始めているのが分かるぞ。とても心地よい気分だ」

「黙れ!お前などに屈する我らではないわ!」

「強がりも結構だがな、まだ足りないのだよ。怒りと憎しみ……そして嘆きが足らんな。やはりそこの目障りな小娘を殺す位してやらんといかんようだな」

 

鉄仮面の言葉にワルドはたまらず飛び出す。ルイズに手を出させてなるものか。その一心で鉄仮面に斬りかかった。

今度は避けずに剣で受け止める鉄仮面。剣同士が交差し、

 

「そんなにあの娘が大切かね?」

「当たり前だ!ルイズは僕の全てだ!」

 

ワルドの言葉に、思わず嬉し涙が滲んでくるルイズ。

 

「本当にそうかな?心の奥底ではアレを憎んでいるのではないか?そしてあの程度の小娘に縛られ自なくてはならない分の人生を、心の何処かでは呪わしく思っているのではないのか?」

「黙れ!貴様……、それ以上愚弄するならもう容赦はせぬぞ!」

 

ワルドに突き飛ばされてヒラリと宙を舞う鉄仮面。再び距離をとった鉄仮面は、剣を構えながら尚もワルドに言葉を浴びせかける。

 

「本心を突かれて驚いたか?だがあながち嘘でもなかろう。フフッ。俺に隠し事は出来ぬよ。なぜなら俺は……」

 

そう言って自分の仮面に手をかける。ゆっくり、ゆっくりと鉄仮面の下の素顔が露わになる。そこに現れたのは、この場に於いて最もあり得ないモノであった。

 

「お前なのだからな、“弱虫ジャン・ジャック”」

 

ワルドと瓜二つの顔が、そこにはあった。

驚愕の事実に言葉も出ないバッツとルイズ。けれどもワルドはこの状況にも全く動じる事も無く、再び自分と同じ顔を持つ敵に斬りかかった。

 

「僕と同じ顔で油断を誘えるとでも思ったか?残念だがその程度の魔法で心乱されるほど、魔法衛士隊士は甘くは無い!」

「どうかな?剣が震えているぞ、弱虫ジャン。いい加減認めたらどうだ、お前は俺なのだという事を」

 

尚も挑発を続ける敵の言葉には耳をかさず、ワルドは至って冷静にバッツに言葉を飛ばす。

 

「バッツ君、例え相手が僕と同じ顔をしていようが、一切容赦するな。大方魔法で顔を変えているだけなのだろう。こんな使い古された手に頼るような情けない相手に負ける訳にはいかん」

「ワルド……」

 

戸惑いながらも、バッツはワルドの言葉の通りに再び臨戦態勢に入る。

 

「悲しいねぇ。良い子ブリっ子の弱虫ジャンは、意地でも俺の存在を認めたくないみたいだな。だが少し考えれば判る事だろうに。何故トリステインでも指折りの実力者である貴様の攻撃が、俺に一切通じないのか。それは俺とお前が一心同体であり、お前の考えの全てが俺には解るからだ。踏み込みの速度、剣の軌道、攻撃の組み立てから始動のタイミングまで……正しく一挙手一投足の全てがな!!」

「黙れ……」

 

これならどうかと、今までの何倍もの速さの斬撃で残る『遍在』の内の一体を斬る捨てるワルド。

しかし霧散する『遍在』を見ても、最後に残った『遍在』は相変わらず余裕の態度を崩さない。まるでわざと斬られてやったと言わんばかりの表情だ。

 

「お前も『遍在』はお手の物だろう?なんならお前のお得意の『遍在』を出してみろよ、出せるものならな。」

 

敵の挑発は止まらない。ワルドも口で言うほど冷静ではいられないらしく、半ば強引な攻撃が続いている。

白を基調にした衛士隊服に身を包むワルドと、対照的に全身黒で染め上げたような『遍在』が剣を交える姿は、まるで光と闇のワルドが闘っているようであった。

 

「俺はお前なのだよ、弱虫ジャン。貴様が切り捨てて来た己のどす黒い感情が、目を逸らして見て見ぬ振りをしてきた心の闇が俺を生んだのだ。もっと自分に素直になれ、ジャン・ジャック。素直になって、己の欲望のままに生きるのだ」

「黙れぇぇぇぇ!」

 

ワルドの剣が、敵の心臓部分に深くめり込む。だが血は出ない。やはりこれも『遍在』による分身体なのだ。だがまだその分身は消えない。

胸を深々と貫かれ、常人であれば絶命しているような状況でも変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 

「そうだ、それでいいのだ。その激しい怒りが……負の感情の昂ぶりが本当のお前を曝け出す。そして今こそ、俺がお前にとって代わる時だ!!」

 

胸を貫かれた体制のまま、敵がワルドに手を伸ばす。いや、むしろ自分からより深く刺さるように前へと歩みながらワルドへと近づく。

遂には両手でしっかりとワルドの顔を挟むように掴むと、口元に歪な笑みを浮かべてこう言った。

 

「お休み、良い子ちゃんの弱虫ジャン。これからは、俺がこの体を使ってやろう」

 

そのまま、ワルドと重なるように『遍在』は消えていった。まるでワルドに溶け込んでいくかのような光景に嫌な予感が募る。

ルイズは祈るように胸の前で手を組む。あのワルド様に限って、そんな事ある筈がない。そんな事は……、でも、もしそうだったら……。

『遍在』が消え、正真正銘一人だけとなった「本物のワルド」が、ゆっくりとこちらに振り返る。

ワルド様ならきっと大丈夫、いつもと同じ優しい微笑を投げかけてくれる……。

そんなルイズの願いも、あっさりと打ち砕かれた。振り返ったワルドの顔は、あの『遍在』どもと同じ邪悪な笑みで満ちていたのだ。

 

「クックックッ……。ようやく『遍在』ではない本物の体が、この俺のものになったのだ。ククク、これほど気分の良い事が他にあるだろうか!?」

 

ワルドは両手を広げ、勝利宣言にも似た雄叫びを上げる。

 

「ようやく、ようやくこの体が俺のものになったのだ。長かった……。奴が『遍在』を習得し、その分身を仮初の依代と定めてから早数年、ようやくこの時が訪れたのだ!」

 

溢れ出る喜びを体現するかの如く両手を握りしめ、喜びに打ち震えるワルド。ひとしきり喜びを噛み締め終えると、ゆっくりとルイズに視線を向けた。

それは、それまでの慈愛の満ちたものとは全く異なる、強い憎しみと嫌悪感に満たモノであった。敵意を剥き出しにしたその視線に、ルイズはたじろぎ射竦められてしまう。

恐怖に怯えるルイズを庇うようにワルドとルイズの間に割って立つバッツが、彼女の気持ちを代弁するように叫ぶ。

 

「どうしたんだワルド!敵はいなくなって、これで終わりじゃあないのか!?」

「そう、これで終わりなのだよ。俺の影としての人生は今終わったのだ。今この時より、この俺こそがワルド子爵その人なのだよ!」

 

相変わらず、目の前に立つワルドの発する言葉の意味を理解することが出来ない。いや、本当は頭のどこかで理解できているのかもしれない。でも、きっと心が拒否しているのだ。

ワルドに溶け込むように消えた襲撃者の分身達。そして豹変した彼の態度。いや、態度ばかりか纏う雰囲気やら何から何まで変わってしまい“別人になった”と表現する方が正しいだろうか。

悪意を持った誰かに操られている?何か悪意に満ちたモノに乗っ取られた?彼の言葉を信じるならば、今目の前に居るワルドの姿こそが彼の本性であるのか?

こんな邪悪な意志に満ち溢れているのが、あのワルドの本当の姿であるはずがない。

 

「まあ、お前達が今の状況が理解できていない――いや、理解したくないのは分かる。が、これが事実なのだよ。俺は紛れもなくお前達の知るワルドなのだ。誰かに操られているわけでも、何かに取り憑かれているわけでもない。今までお前達が見て来たのは、真面目で優等生の仮面に覆われ取り繕われた見かけだけだったのだよ!」

 

悪い夢なら、覚めて欲しい。そんな言葉がルイズの頭の中で繰り返し浮かんでは消えていく。しかし現実は非情であった。

目の前に居る愛しい人は、自分に殺意を向けて来る。そんな悪夢にも勝る状況が現実に起こっているのだ。

 

「だが、俺が本当に俺になるには、まだ邪魔な物がある。……お前たちだよ。お前達の存在ほど、目障りな物は無い!」

 

そう言ってバッツに……いや、ルイズに向けて剣を構えるワルド。その剣先から発せられる殺気は、それが冗談ではない事を物語っていた。

 

「どうして、どうしてルイズに殺気を向けられるんだ!あんたはルイズを愛しているんじゃなかったのか!?」

「俺が?その小娘を?冗談だろう!良い子ぶりっこの弱虫ジャンはそう思い込むように努力していたみたいだがな、俺は違う。俺はこいつに愛情を持った事など、ただの一度も無いわ!」

 

言い終えるのと同時に動き出したワルドの初撃をデルフリンガーで受け止める。昨日手合わせで斬り結んだ時とは比べ物にならない程の重い斬撃に押し負けそうになるのを何とかこらえた。

重い。本当に重い一撃に加え、ワルドの殺気のこもった瞳にたまらずバッツは相手を弾き飛ばして距離をとった。

 

「本気なのか……?本当に心の底からルイズの事を憎んでいるというのか!?」

「当たり前だろう。むしろ、この小娘を好きになる理由が見当たらないではないか。まだ年端もいかぬ時分に勝手に将来を決められたのだ。これも貴族の定めと諦めようとも思ったが、相手は一回りも下の……しかも落ちこぼれを押し付けられたのだぞ!」

 

再び迫ってくるワルド。

 

「出来そこないだろうが末娘をくれてやるから、ヴァリエール家の血縁にしてやるのだから大人しく尻尾を振れと言われたのだぞ!そんな俺の気持ちなど、所詮平民のお前にはわかるまい!」

 

怒りのこもった連撃にバッツが押され始める。全ての斬撃が確実に急所を狙ってくる凶悪な攻撃に、たまらずバッツは劣勢を強いられてしまう。

 

「だがあんたは、ルイズの事をあんなに大事に思っていたじゃないか!」

「フンッ!そんなの、善人面した弱虫ジャンの勝手だ、俺は知らん。まぁ奴は必死に思いこむ事によってなんとかあの娘を愛そうと努力してはいたみたいだがな」

 

ワルドの攻撃は尚も熾烈さを増して続けられる。防戦一方のバッツに対し、ワルドは言葉を紡ぎ続ける余裕があった。

 

「お前は忘れたのか?一国の王女ですら、その身一つ自由に出来ぬ事を。国の為であれば、自分の心にそぐわぬ婚姻であっても受け入れなければならないという事を。貴族だって同じさ。男であろうが女であろうが、結婚というのは全て家の為に行われるのだ。特に爵位の低い家柄にとっては、な。そこの小娘みたいに幸せな脳味噌をしていられるのは、ヴァリエールという名前と三女という立場のお蔭なのだよ」

 

ワルドの剣先から魔法の風が放たれる。思わず横に跳んでかわしてしまうバッツであったが、その狙いが自分ではなくルイズであった事に気が付いた時には既に突風が彼女に到達せんとしていた。

あっ、と声を上げる間もなく紙切れのように宙に舞い上がるルイズと皇太子。だがルイズの体は何処にも叩きつけられることなく、フワリと床に着地した。

皇太子がようやく意識を取り戻したのだ。寸前で意識を取り戻した皇太子のお蔭で、抱きかかえられるように着地する。服は血で真っ赤になっているが、裂け目から覗く肌には既に傷は無い。

あの傷にも関わらず皇太子が生きてた、という事実に少しばかり驚くワルドであったが、その動揺は小さなものであったようだ。

 

「ワルド君の気持ちも分からないでもない。だが……それだけの理由で君は国を裏切ろうというのか!?」

「勿論、それだけではないさ。俺はな、魔法衛士隊隊長程度で終わる器ではないのだよ。自分で言うのも何だがな、ゆくゆくは国の舵取りをして当然の能力を持っているのだ。だが、どんなに手柄を挙げようと、結局は生まれた家が良いと言うだけの能無しどもが国の中枢に居座り続けるのだ。どれ程有能な人材であろうとも、家柄が悪ければ出世は望めない。そのような世界など、無くなって当然ではないか!」

 

皇太子はルイズを背に隠すように立ち、ワルド達に向かい杖を構える。

 

「だから俺は『レコン・キスタ』に同調したのだ。正直、彼らが掲げるハルケギニア統一などには興味がない。だが、新たな体制の元に生まれる新国家に望みをかけたのだよ。そして、そこの皇太子の首と浅慮な王女の手紙を手土産に彼らに合流するのだ。新天地で、俺はこの身一つで成り上がってやるのだよ!!」

 

ワルドの剣から伝わってくる激しい怒り。それは、ルイズ個人に向けられたものというよりも、国に、今という時代に向けられた遣る瀬無き怒りであった。

貴族の背負う悲しみなど、所詮バッツには分からない。でも、それでもワルドの抱く怒りを正当化させるわけにはいかないことは、なんとなく

 

「だけど、それでもあんたのしようとしている事は許される事じゃあない!」

「だったらどうする?俺を倒して止めてみるか?だが果たしてお前に出来るかな。幾ら剣の腕が立とうが所詮は平民、風のスクエアに勝てる道理など存在せぬがな!」

 

ワルドが剣を振ると、彼の足元から四人の分身が現れた。『遍在』だ。その『遍在』達が一斉にバッツに襲い掛かって来た。代わる代わる攻撃を繰り出すワルド達。

その連携は完璧で、まさに同一人物ならではの息の合い方である。一体が攻撃を繰り出した隙を埋めるように別の一体がすかさず攻撃を放つ。

その間も他の個体がバッツの逃げ場を殺すように陣取って行動を制限する。まさに蟻の子一匹漏らさぬ完全な連携に、デルフは「やべぇ、やべえぜ相棒!」と繰り返すばかりだ。

防戦一方に見えたバッツであったが、バッツとて数多くの死線を潜りぬけて来た猛者である。この状況でもわりと冷静に対応していた。

 

「ほう……まだ余裕があるのか?だが、これでもその余裕面を維持出来るものかな!?」

 

ワルドの分身達の握る剣先から、突風が放たれる。『ウインド・ブレイク』――対象を吹き飛ばす無慈悲な風が襲い掛かるが、バッツに左手の盾に身を隠すように構えたまま突っ込んでいく。

 

「盾如きで防げる呪文ではないわ!」

 

と得意げに吠えるワルドの予想に反して、バッツは魔法の風に吹き飛ばされることなく前進を続け一体目の分身に深々とデルフリンガーを突き立てた。

余りに予想外過ぎて反応の遅れた分身体は、あっけなく切り裂かれ霧散した。と同時に残る分身体とワルド本体に動揺が走る。

まさか平民が魔法を防ぐ術を持っているなど考えた事も無かった。

対するバッツも、自分の狙いが図に乗って小さく安堵のため息をついた。「イージスの盾」――それはバッツの持つ盾の中でも特異な、“攻撃魔法を防ぐ力”を宿した魔法の盾。

その効果が発動する確率は三割程度と、完璧に魔法を防ぐ訳ではないが魔法主体の相手にはもってこいの盾だ。

 

「流石は伝説の『ガンダールヴ』。魔法対策も完璧という訳、か」

「ガンダー……ルヴ?」

 

ワルドの言葉に、今まで半ば呆然としていたルイズが反応した。

彼女も当然、始祖の使い魔である伝説の『ガンダールヴ』の名は知っている。だが、それがバッツと何の関係があるのだろうか。

ルイズの呆けた顔に気付いたワルドが、侮蔑の言葉を彼女に浴びせる。

 

「おや、まさかお前は自分の使い魔の価値も知らないのか?何処までおめでたい頭をしているのだ」

 

そう話している間にも、分身達の攻撃は止まる事は無い。

 

「善人面した弱虫ジャンは、必死になってお前に価値を見出そうとしていた。僅かな暇を見つけては王立図書館に通い詰めるくらいにな。その中で、お前が伝説にある始祖の系統を受け継ぎし者――つまりは『虚無の担い手』ではないかと見当付けたのだ」

「確かにワルド様はそのような話をなさっていたわ。でもそれはあくまでも推論、本当の事かは分からないとも、そんな事は関係ないとも仰っていた。それに私は、虚無の魔法なんか使えないわ!」

 

ルイズが『虚無の担い手』であるというワルドの言葉に、ルイズばかりか皇太子にも衝撃が走る。

 

「お前が系統魔法を使った時には別の意味で驚いたが、その後放った雷撃こそ伝説の『虚無』に違いあるまい。俺達の使う『系統魔法』とも、エルフ共の使う『先住魔法』とも異なる魔法と言えば、残るは『虚無』しかなかろう」

 

バッツに教わった黒魔法が『虚無』の系統と同じものだなんて、考えた事も無かった。

てっきり解釈が違うだけで系統魔法と同じものか、もしくはその簡易版であるくらいの認識しかなかったのだ。

黒魔法が今まで教わって来た偉大な系統としての『虚無』とはイメージがかけ離れ過ぎていて、その二つを結びつけるなど、ルイズの中には無かった考えだ。

しかも教えてくれたのがバッツであったという事もあり、黒魔法に対しては殊更“特殊である”という印象を抱き辛かった。平民でも扱えるお手軽魔法、それがルイズの抱く黒魔法の印象だ。

しかし、今ワルドの語った仮説が正しいとすると、ルイズはおろか彼女に黒魔法を教えたバッツもまた『虚無の担い手』であるという事に……?

それじゃあバッツは『虚無の担い手』であると同時に『虚無の使い魔』だとでも言うのだろうか……?

 

「そんなお前に付き従う者がただの従者ではあるまい。尤も、学院生活に於いて従者を連れ歩く事など殆どないのだから、それでも付き従っているバッツがお前の使い魔であると推測するのはさほど難しい事ではないがな。そして『虚無の担い手』が従えるのは『始祖の使い魔』と相場が決まっている。その中で武器術に長けると言えば『ガンダールヴ』に他なるまい!」

 

ルイズの中にぼんやりと浮かんだ疑問も、ワルドの声にかき消されてしまった。今はそんな些細な疑問よりも、目の前の非情な現実のほうが重要である。

ルイズの感じた小さな違和感など、今は重要ではない。今最優先されるべきなのは、目の前にいる豹変してしまったワルドを何とか元に戻すことだ。

 

「あくまでも君は、ルイズ君の命を奪おうというのかね」

「フンッ、そいつに“伝説の再来”としての利用価値はあろう無かろうが、俺には関係ない。俺にとって、この小娘を生かしておく価値など無い事には変わりないのだからな。まぁ『レコン・キスタ』の首魁も『虚無』を操り様々な奇跡を起こすと言われているから、もしかしたらこいつの骸にも何らかの利用法を見出すやもしれんがな」

 

皇太子の問いかけにもそう冷酷に笑うワルドの姿に、背筋が凍る。本当にあのワルドがこんな事を言えるのだろうか。あの優しかったワルドは、もう存在しないのだろうか。

目の前のワルドが言うように、今目に映る姿こそが彼の本当の姿だというのだろうか。

 

「ワルド!あんたは本気でそんな事を言っているのか!?ルイズを大切に思っていたのも、全て嘘だったというのか!!」

「さあ、それはどうかな。だがソレはこの俺の意志ではない、世間体を気にする良い子ちゃんの意志だ。だがもう、その弱虫ジャンの意識も消えて無くなったがな!」

 

ワルドが杖を振るうと、また新たに一体の分身体が現れた。新たに出現したワルドの分身体が、ルイズに襲い掛かる。既に手一杯のバッツではそれに気が付いても対応する事は出来ない。

ルイズの事は、皇太子に任せるしかない。皇太子の実力の程が分からないが一国の皇太子なのだ、ある程度の剣術や魔法の訓練は受けているだろう。

彼が少なくとも分身体を退けられるだけの技能を有しているのに期待するしかない。それほどまでにバッツには余裕がなかった。

次々に、休みなく襲い掛かる剣戟に次第に体に傷が増えていく。それほど深手は負わないものの、腕や太腿に細かい切り傷が増え、そこからの出血も馬鹿にならなくなってきた。

おまけに出血のみならず、増えてゆく傷の痛みでだんだんと体の感覚が麻痺していっている。体が重い。流石に四対一では思うように攻撃を当てる事が出来ない。

実は、バッツが攻勢に転じる事が出来ない最大の理由は、他にある。

先程倒した分身体の代わりに、今はワルド本体が攻撃に参加していたのだ。全く同じ容姿、攻撃の質まで全く同じ四体による波状攻撃。

同じ姿の人間に入れ替わり立ち替わり襲い掛かってこられては、今はもうどれが本体でどれが分身体であるか見分けがつかなくなってしまったのだ。

相手は間違いなくにもワルドなのであり、ルイズ想い人なのだ。下手に攻撃して殺してしまうのも躊躇われる。

その躊躇いが攻撃にも如実に表れてしまい、逆転できるような決定打を放てないでいた。

対するワルドの方は、そんなバッツの心情を知ってか知らずか非情な攻撃を繰り出してくる。

無意識であろうが相手を傷つけまいとする者と、相手を殺そうとしている者の戦い。幾ら実力が同程度だとしても、二人の姿勢の違いはその攻撃に明らかな差を生みだしていた。

どんどんと追い詰められていくバッツ。はじめの内はいなす事の出来た攻撃も、だんだんとそれが適わなくなってきた。

体幹部は辛うじて傷が少ないものの、末端部の傷も無視できぬほどに数が増えてきており、誰の目にもバッツの動きが鈍くなっているのは明らかであった。

四対一。この数字がバッツに重くのしかかる。ここはひとつ、相手を負傷させるのを覚悟で反撃に転じようかとは思うけれども、中々踏ん切りがつかない。

やはり最後の所で“ルイズの恋人”という点が邪魔をしてしまう。だがそう何時までも悠長なことを言っていられる状況では無かった。

時折、視界の端に飛び込んでくる皇太子の状況も、ハッキリ言って芳しいものでは無かった。バッツとは違いあちらは一対一であるし、皇太子もそれほど傷を負っているようでは無い。

が、それも何時まで持つものであろうか。あちらもルイズを庇いながらというハンデを背負っているうえ、全体的に皇太子よりもワルドの方が技量が上の様である。

早々に何か手を打たなければ、ジリ貧のまま追い詰められていくのは火を見るよりも明らかであった。

何か手を打たなければ。何か逆転する良い方法を見出さなければ。そんな焦りばかりが募るが、それが状況を好転させる事は無かった。

むしろ、本体相手には積極的に攻撃できないというバッツの心理を読んだワルドは、今度はワルド本体を中心に攻撃を仕掛けるスタイルに作戦を変更してきた。

そのまま膠着というよりもジリ貧という言葉の方がしっくりくる状態が数分過ぎた後、遂に決定的……いや致命的な場面が訪れた。

遂にバッツの体力が尽き、その体勢を大きく崩したのだ。

ワルドの目の前で崩れるように前のめりに倒れ込むバッツ。本人も何とか堪えようと踏ん張るが、もう遅い。無防備な背中を相手に晒してしまっているのだ。

ワルドの剣が振りかぶられる。皇太子もそれに気が付いたけれども、自身も分身体の相手が精一杯でとてもじゃないが助け舟を出せる状況ではない。

それに今から何か行動を起こしたとしても、ワルドの剣が振り下ろされるよりも早くバッツを救い出すことなど到底不可能であろう。どんな呪文の詠唱よりも、剣の一閃のほうが速い。

バッツの敗北は、同時にこの場に居る誰もがワルドには敵うことが無いという事を示していた。

振り下ろされる剣。バッツはそれを避ける事が出来ない。

 

剣が、体を貫いた。



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第19話 傷だらけの帰還

「ぐっ……?」

 

体勢を立て直すことが出来ずに、そのまま床に倒れこむバッツ。しかし、彼の体には剣が突き刺さってはいない。剣は、バッツに襲い掛からなかったのだ。

予想外のことに顔を上げると、そこには自らの腹に剣を突き刺したワルドの姿があった。

 

「ば……馬鹿な……。今更、こんな事をして何になるというのだ……」

「これ以上、貴様の思い通りにはさせぬ……」

 

同じ口から、二種類の言葉が発せられた。一つは、憎しみに満ちたどす黒い声で、もう一つは正義に満ちた凛々しい声で。

ワルドは突き刺した剣を横に薙ぎながら引き抜き、そのままうずくまるように倒れた。そしてそれと同時に彼の分身体たちは霧のように掻き消えていった。

 

「ワルド様!」

 

ルイズが駆け寄る。既にワルドの体から流れ出た血溜りが出来ていたが、ルイズはそんな事を気にせずに彼の体を抱えた。

 

「バッツ!ワルド様を……、ワルド様を助けて!!」

 

大粒の涙を流し、バッツに助けを求める。皇太子の傷を癒した薬ならば、きっとワルドも救えるはずだ。

だが、ワルドはそんなルイズの手を握り、優しく首を左右に振った。

 

「いいんだ、ルイズ。僕が生き延びれば、必ずやあいつがまた現れるだろう。そして今度こそ、君に、そして我が祖国に厄災をもたらす。だからこれでいいんだ」

「でも……!」

 

それでも必死に延命を望むルイズに、ワルドは優しく語りかける。その顔には既に先程までの邪悪な気配は欠片も感じられない。

元の、優しくも凛々しいワルドに戻ったのだ。

 

「奴と僕は同じコインの裏表だ。僕が生きている限り、奴もまた存在し続ける。だから……」

 

そこでワルドの言葉は口からの大量の吐血にさえぎられた。オロオロとするばかりのルイズ。バッツは薬と取り出そうと腰に手を当てた所を、皇太子に止められてしまった。

驚いて皇太子の顔を見ると、言葉にせずとも「このまま死なせてあげろ」という彼の気持ちが伝わってきた。その無言の重圧にバッツの手が止まる。

そんな二人のやり取りを見ていたワルドは満足そうに微笑むと、ルイズに最後の別れを言うべく再び口を開いた。

 

「もう船は出てしまっただろう。だが近くに僕のグリフォンを待機させてある。アレの力を借りれば、陸地まで下降することくらいは出来るはずだ」

「ワルド様!喋ってはいけません!傷が……傷が!」

「バッツ君、僕はもうルイズの事を守れそうにはない。……僕の代わりに、彼女の事を頼む」

「ワルド様、お気を確かに!皇太子殿下だって助かったのです。この程度の傷、治らないはずがありません!」

 

必死に延命を請うルイズの言葉を聞きながらも、ワルドの意思は変わることはなかった。血に染まった手で彼女の顔を優しく撫でると、最後の力を振り絞って最上級の笑みを浮かべる。

その瞳は深い愛情に満ち溢れた優しいものであった。

 

「ルイズ……。奴が言っていたことは、情けないが半分は事実だ。だが……。だが、これだけは信じてくれ。僕は、君を、本当に、愛している」

 

自分の顔が血に汚れる事など一切気にすることなく、頬に触れるワルドの手を握り締めるルイズ。

 

「わかっておりました。わかっておりました、のに……!」

「僕の、君への想い……。これだけは、決して、嘘偽りの無い、僕の……」

 

ワルドの目が虚空を彷徨う。そして、ルイズに触れる手から力が抜け、だらりと垂れ下がった。

 

「ワルド様!ワルド様……!!」

 

ルイズは必死になってワルドの体を揺するが、最早ワルドから反応が返ってくる事は無かった。

 

「バッツ!早く……、早くワルド様を、ワルド様を助けて!!」

 

その言葉にバッツの心が大きく揺れる。ワルドは生き延びる事を望んではいない。だが、ルイズの気持ちを考えると何もしないわけにもいかない。

ルイズの為にも、ワルドを助ける方が良いのだろうか?しかし……。

そんなルイズの肩に、そっと皇太子が手をかける。

 

「ルイズ君。子爵は名誉ある死を選んだのだ。君も貴族に名を連ねるものならば分かるだろう?彼の思いを無駄にしてはいけない」

「でも……!」

 

ルイズは大粒の涙を流しながら皇太子の言葉を否定する。彼女の最愛の人が死のうとしている。けれども彼女の使い魔は、その人の命を繋ぎとめられるかもしれないのだ

生きていさえすれば、いつかは己の弱さなど克服できるかもしれない。暗い感情も全て呑み込んで一つの人格に統合できたかもしれないのに。

いや、今の自分に不満があると言うのであれば、これから幾らでも努力して彼の望む女性になればいい。彼の望むの女性に成れるという保証は無いが、成れないという確証も無いのだから。

けれども死んでしまっては、その可能性の全てが消え去ってしまう。手に出来たかもしれない未来像も、すべて泡となりルイズの指から零れ落ちていく。

ルイズは必死にバッツへと視線を向ける。バッツの出したあの鳥の羽ならば、或いはあの薬ならば今すぐにでもワルドの傷を癒し、彼の命を救えるだろう。

例えそれが彼の望まぬ事だとしても、今のルイズにとっては彼が生き延びる以上に優先させるべき選択肢など無い。

最後の望みとばかりバッツに助けを求めるが、そのバッツの顔が暗く曇っている。

俯きがちに首を左右に振るバッツに、ルイズは足元の床が崩れ落ちてその中に呑まれていくかのような絶望を感じた。

まさか、バッツまで彼を見殺しにしようと思っているのだろうか!?まさか、自分の使い魔がそんな冷酷な男だったというのだろうか?

今まで、バッツが自分の望む事をここまではっきりと断った事は無かった。恋人の命を救えないという現実と、使い魔に裏切られたという衝撃。

二つの絶望感がルイズに襲い掛かった。

 

「私はここに残ります。最後まで一緒に居るのがワルド様の妻としての、私の最初で最後の務めです」

 

ルイズは皇太子やバッツに背を向け、そう言った。声が固く震えている。もう誰も信じない、……そんなルイズの心境が背中越しにもありありと伝わってくる。

 

「それでは彼の気持ちを踏みにじり、死を汚しているのと同じだと、何故分からん」

「それでも!……それでも私はワルド様と共にいます」

 

聞く耳を持たないルイズの姿勢に、「致し方なし」と皇太子が杖を振ると、ルイズの頭が青白い雲に覆われた。雲が消えるのと同時にルイズは倒れ込む。

何が起こったのかと彼女の様子を診ると、静かに寝息を立てていた。どうやらさっきの雲は『スリプル』に似た魔法で、それでルイズの事を眠らせたようだ。

 

「……私を酷い人間だと思うかい?」

 

そう問いかける皇太子に、バッツは首を横に振ってこたえる。

 

「いいや、俺も同じ事をしただろう。あんたを責めたりはしないさ」

 

皇太子は小さく「ありがとう」と言うと、今度はワルドの遺骸へと視線を移した。

 

「バッツ君、悪いが彼の体をあそこの始祖の像の足元まで運ぶのを手伝ってくれないか?」

「それは構わないけど、何でだ?」

「どの城にも、秘密の抜け道や絶対安全な場所が存在する。ここでは、あの始祖の像周辺がそうなのだよ。例え火に包まれようが城が崩れようが、あの場所ならば一切被害を受ける事は無い。そう設計されているのだ」

 

成程、せめて彼の体だけでも安全な場所に運ぼうと言うのか。始祖の像の足元で、まるで像に守られるように安置されるワルドの体。顔の血を綺麗に拭い、瞼をそっと閉じさせる。

魔法衛士隊の紋章が織り込まれたマントに包まれたワルドは、まるで眠っているかのように安らかに横たわっていた。

皇太子はワルドの髪を一房掴むと、それをワルドの剣で切り落とす。手早く髪を結んで纏めると、ワルドの剣と羽根付き帽子と共にバッツに手渡した。

 

「せめて、子爵の遺髪と彼の魂でもある杖を、彼の祖国へと帰してくれやってくれないだろうか」

 

皇太子に手渡されたそれらの品を、丁重に道具袋に入れる。

 

「私が思うに、子爵は心の何処かでこうなるのを、誰かが自分を止めるのを望んでいたのではないだろうか」

「どうしてそう思うんだ?」

「私たちがこうして生きているのがその証拠さ。君にはピンと来ないかもしれないがね、本来、スクエアクラスのメイジの戦闘能力はこんなものではないのだよ。私自信もトライアングルではあるが、それでもスクエアと戦って勝てる見込みはそうは無い。スクエアスペルにはもっと想像を絶するような威力の呪文が存在するのだからね。しかしながら、子爵は『遍在』以外のスクエアスペルを使おうとはしなかった。心の奥底ではルイズ嬢を傷つけたくない、失いたくないという思いがあり、それが彼の攻撃にブレーキをかけていたのではなかろうか、と私は考えている」

 

皇太子は悲しげな瞳でワルドの遺体を見つめる。彼の善の面と悪の面、どちらが彼の本当の姿なのかは分からない。

でも、それでも邪悪のワルドが言っていたようにルイズを心底憎んでいた、というのは彼の真意では無かったのかもしれない。いや、そう願いたい。

邪悪を語ったあのワルドも、本当は心の一番深い処ではルイズの事を愛していたのではないか。そんな思いが、皇太子の胸中に湧き上がっているのだ。

 

「俺には分からないけど、そうだったと信じたいな」

 

バッツは肯定でも否定でもない言葉を返す。今となっては真実は闇の中、ワルドの真意を推し量る術はもう存在しないのだ。

 

「さて、いよいよ君らの脱出の段になる訳だが……、船はもう出ているだろう。子爵の言っていた通りに彼のグリフォンを使うにしても、先ずはどうやって呼んだものか……」

 

そう言って皇太子は顎に手を当てて困惑の表情を浮かべる。仮にグリフォンでこの城から脱出する事が出来るとしても、肝心のグリフォンを呼び出す事が出来なければお話にならない。

さらに言えば、そのグリフォンを操る事が出来なくては、脱出など出来はしない。

 

「それなら俺に任せてくれないか」

 

バッツは胸に手を当てて深呼吸をする。すると彼の胸元が淡く光り、バッツを包む雰囲気が少し変化した。呼び出した勇者の魂は『魔獣使い』、そして『ものまね』。

そしてバッツはワルドがグリフォンを呼んだ時の事を克明に思い出し、その動きを寸分違わず忠実に『ものまね』する。一、二度見ただけのワルドの仕草を完璧に再現して見せた。

バッツの鳴らす指笛の音に、グリフォンが窓を割って飛び込んできた。が、自分を読んだのが主人であるワルドで無い事に戸惑うグリフォン。

暫くバッツを警戒するように低く唸っていたが、バッツが腰の袋から鞭を取り出しピシャリと床を打ち付けると、直ぐに大人しくなった。

まるでバッツが主人であるかのように従順に従う姿に、皇太子は驚きを隠せない。

 

「バッツ君はグリフォンに乗っていた事でもあるのかい?」

 

驚きのあまり目を丸くしている皇太子の問いかけを、バッツはグリフォンの頭を撫でながら答える。

 

「いいや。でも、暫くの間ならモンスターでも手懐けられる」

「いやはや、君は凄いな。スクエアメイジと渡り合ったかと思えば、幻獣も手懐けられるのか。……人は見た目に依らないと言うが、それにしても感想に困るな」

 

バッツは手早くルイズをグリフォンの背に乗せ、途中で振り落とされないように縄を使って軽く固定すると皇太子と共に乗りこんだ。

王子の先導で城最深部の抜け穴まで駆け抜ける。元々非常用に作られた縦穴なのだ。

だからそこに通じる廊下も多くの物資を運び易いよう通常よりも広く作られており、グリフォンに騎乗したままでも難なく通り抜ける事が出来た。

廊下を走る事数分、バッツ達が縦穴に到着したときには既に船は全て出発した後であった。

 

「やはり船は出た後であったか。仕方ない。少々骨が折れるが、バッツ君にはこの縦穴をグリフォンで降りて貰わなくてはならないな」

 

穴を覗きこめば、暗黒の闇がずっと続いている。底が見えない――と言うよりは底など存在しないのだが――し、光が届き辛いらしく穴の壁面すら定かではない。

この穴を降りて行くのは、かなり骨の折れる作業だ。

 

「確かにこの穴は深いし暗いが、その出入りが難しいのは船に限った話だ。グリフォンで降りる程度ならそれほど苦労はしまい」

 

そう皇太子が元気づけるように言うけれども、それでもこの漆黒の縦穴を降りて行くには並大抵の技量ではまず無理だろう。

でも何時までもここでぐずぐずしているわけにもいかない。こうしている間にも刻一刻と日の出の時間は迫っているのだ。

最後に、地図を広げて脱出後の行程を確認する。皇太子の助言を受け、コンパスと見比べながら慎重に方角を頭の中に叩き込む。

皇太子の言う事にはグリフォンの飛行能力はそれほど高くは無いらしい。体力の消耗を最低限に維持しながら陸地を目指さなければならない。

今は丁度、このアルビオン大陸が港町『ラ・ロシェール』の比較的近くまで来ているとの事。だから目印となる船着き場の大樹を目指していけばいい。

距離的にも、そこまでならグリフォンの体力も持つであろうと言うのが皇太子の目算であった。

 

「それじゃ、これでお別れと言う訳だな。ほんの少しの間ではあったが、色々と世話になった」

 

と、皇太子が握手を求めてきた。その手をバッツはしっかりと握り返す。

 

「こちらこそ。……やっぱり、王子様はここに残るのか?」

「ああ、それが王族としての最後の務めだからな。こればっかりは、例えアンリエッタの望みであろうとも曲げる訳にはいかん」

 

皇太子が少し寂しげに表情を曇らせる。そして、ちらっとグリフォンへと目を向けた。

 

「それにそのグリフォンでは三人乗せて下まで飛び続ける事は出来まい。私としては、君らを無事に本国へと帰す事も重要なのだよ」

 

最後にもう一度強く手を握り返すと、バッツは手を離す。これでもう二度と会う事もあるまい。

ほんの昨日会ったばかりの相手ではあるが、それでもその人がこれから死に向かっていくというのは、やはり何処か遣り切れないものがある。

皇太子に背を向け、グリフォンに乗ろうとした時、背後から声が掛かった。

 

「バッツ君。申し訳ないが、最後に少しだけいいかい?」

「何だ?」

「紙とペンを持っていたら、少し貸してもらえないだろうか」

 

唐突に紙とペンを要求されて困惑したが、バッツは言われたとおりに羊皮紙と羽ペンを袋から取り出し皇太子に手渡す。

それを受け取った皇太子はさらさらと何事かをしたためると、羊皮紙を細く丸めて、それを自分の薬指から抜き外した指輪に通して封代わりにした。

 

「待たせて悪かったね。これをアンリエッタに渡してもらえないだろうか。彼女の想いに対して今、私が出来るのはこれくらいだからな」

 

皇太子の手紙を受け取ると、それもまた袋の中に入れる。中身が出てこないようしっかり口を縛り、腰に括りつける。

 

「それじゃ……。こんな事言うのも変だけどさ、武運を祈っているよ」

「ありがとう」

 

そう言って、バッツはヒラリとグリフォンに飛び乗り手綱を振るった。グリフォンは漆黒の穴の中へと飛びこんでゆく。

程なく見送る皇太子の姿も見えなくなり、一面暗黒に覆われた空間をただひたすらに、螺旋状に弧を描きながら下っていく。

あまりグリフォンの負担にならないように気を配りながらの操縦に神経を使う。

何も見えない空間が続いているので、ふとした瞬間に自分は本当に出口に向かっているのかどうか怪しくなってきてしまう。でも辛うじて、下から吹き上げる風が穴の出口の存在を知らせる。

どれくらい降りただろうか。不意に周囲を包む空気の流れが変わったのを感じた。

周りは相変わらずの暗闇だが、どうやら穴は抜けたらしい。しかし縦穴は抜けられてもそこはまだ大陸の真下、しかも陽が昇るか昇らないかの時間だ。

相変わらず陽の光などは無いし、おまけに雲の中に出たらしく風も乱れ視界も悪い。

バッツはグリフォンに羽を畳ませ、一気に雲を抜けるように急降下を始めた。ルイズが落ちないよう気遣いながらひたすら下へと落ちてく。

程なくして雲を抜けると、既に陽が昇り始めているらしく眼下広がる景色がよく見えた。

バッツは周囲を見回し、太陽の位置を探す。そして出発直前の皇太子の言葉を思い出し、太陽から方角を割り出して目的地へ向けて手綱を振るった。

グリフォンに再び羽を広げさせ、空を滑空してく。風を捕まえ、流れに逆らわないように羽を動かしながら目印となる大樹を見落とさぬように目を凝らす。

皇太子によれば、昨日よりもアルビオン大陸自体がトリステインに接近している為、ラ・ロシェールまでは行きの時程は時間はかからないらしかった。

となると、往路で掛かった時間は半日ほどを上限として、そこから気持ち早いくらいの時間で到着できるという事だろうか。

いくら滑空させているだけとはいえ、そこまでこのグリフォンの体力が持つかどうかは不安が残る。

まぁ魔法衛士隊に鍛えられたグリフォンであるし、わざわざワルドが脱出の手段として提案したくらいなのだ。皇太子も特に懸念していた様子も無かったし、彼も大丈夫と踏んでいたはずだ。。

それに、魔法学院からラ・ロシェールまでの距離を、数回の休憩を挟みはしたものの駆け抜けるだけの力はあるのだ。きっと大丈夫なのだろう。

今はこのグリフォンを信じるしかない。

緊張の糸を張り詰めたまま、慣れぬグリフォンに騎乗して何時間経った事だろうか。バッツの神経も限界を迎えつつある中、ようやく視界の中にあの大樹の姿を見止める事が出来た。

速度を上げて一気に樹の向こうにある港町まで飛んでゆく。見覚えのある風景が近づいた事で心に安堵感が広がる。やっと、戻ってこられたのだ。

バッツはグリフォンを操り、取り敢えずの着地点に『女神の杵』亭の裏庭を選んだ。

 

一日ぶりに降り立った港町は、静けさに包まれていた。昨日暴れていたならず者たちはどうなったのであろうか。

ギーシュ達が首尾よく町を抜けだし、ワルドの部下のグリフォン隊に救援を要請する事に成功したのだろうか?それにしても町が静かすぎる。

兵隊が到着した様子も無いし、そもそもグリフォン隊によって鎮圧されたにしては早すぎないだろうか。

タバサはシルフィードで王城まで夕暮れには到着すると言っていたから、兵隊が出発するのはその後だろう。

そしてここまでグリフォンを懸命に飛ばしてきたとして、果たして夜中の内に到着できるものだろうか。自分たちでさえ早朝に出立しても到着したのは日の沈んだ後だった。

それよりは多少近いとしても、それでも到着は今頃か、もう少し遅いくらいなのではなかろうか。だとしたら今頃はまだ、あのならず者たちが暴れまわっていてもおかしくは無い。

けれども空から見た町は、多少の被害を受けた跡は見受けられたもののひっそりと静かなものであった。まさか夜はならず者たちも大人しく眠っていた、なんてことはあるまい。

グリフォンを裏庭に待機させたまま、様子を窺いに『女神の杵』亭の中に入ろうと扉に手をかけた。

すると、バッツが扉の取っ手を握るのと同時に扉が開かれ、中から人が現れた。

咄嗟に後ずさって身構えるバッツであったが、そこに現れたのはよく見知った顔であった。

 

「なんだ、キュルケ達か。ビックリしたじゃないか」

 

中から出て来たのは、キュルケ達三人であった。城へ向かった筈の三人がここに居るのは不思議であったが、取り敢えず危険は無い事に胸を撫で下ろす。

 

「ビックリしたって、それはこっちの台詞よ。あなた達、船に乗ってアルビオンに行ったんじゃないの?何でここに居る訳?それにその格好……、一体何があったって言うのよ!」

 

キュルケに指摘されて、バッツは自分の服に目を向ける。左肩を中心に血で真っ赤に染まり、腿や腕は幾筋も切り裂き傷があり、全身血まみれと言った状況だった。

傷はハイポーション等で治してしまっていたし、状況が状況であったので服にまで気が回らなかったのだ。

 

「あなた、そんなに傷だらけで平気なの?」

「うん?まぁ傷は全部治してあるからな。特に痛みとかは残ってないな」

 

キュルケが心配の言葉をかけてくれる。そんな彼女を安心させようとバッツは元気な風に振舞う。

 

「あなた達に何があったの?あなたはそんなに傷を負っているし、それに……」

「……ルイズも、ワルド子爵も見当たらない。彼のグリフォンしか、居ない。」

 

タバサが辺りを見回して言う。確かに昨日見送ったはずのワルドがいない。昨日の様子からして、彼がルイズを置いて何処かへ行くと言うのも考えられなかった。

それにグリフォンだけは居ると言うのもおかしな話だ。幻獣乗りがその大事な幻獣をおいそれと他人に任せるなんて話は聞いたことがない。

 

「……。ルイズはグリフォンに乗せてある。訳あって今は眠っているけどね」

「子爵は?」

 

子爵の様子を問うキュルケの言葉に、バッツは答えない。キュルケから顔を背けタバサの方に向き直ると、これからの行動予定について話を進めた。

 

「俺たちはこれから、この国のお姫様の所に行かなくちゃならない。もしよかったら君たちも一緒に来てくれないか?出来れば、ルイズはグリフォンじゃなくて君の竜に乗せて運びたい」

「それは良いけど、急ぐの?」

「ああ。直ぐにでも出発して、少しでも早くお姫様に会いたいんだ」

 

バッツの口からアンリエッタの事が出て来た事に驚いたギーシュがたまらず会話に割り込んでくる。

 

「おいおいバッツ、何で君がアンリエッタ様に会わなきゃいけないんだ」

「詳しくは言えない。でも、今お姫様に会わなけりゃ、この旅の意味がなくなるんだ。色んな物が、無駄になる」

 

バッツの真剣な眼差しに、その場に居る誰もが異を唱える事は出来ない。何故、アンリエッタ王女に会わなければならないのか。しかも何故、急がなければならないのか。

そのことを問いただせるだけの雰囲気が、今のバッツには無かった。キュルケ達は互いに顔を見合わせるが、結局はバッツの望むとおりにするしかないのだと言う結論に達した。

三人を代表して、キュルケがバッツに言う。

 

「わかったわ。あなたの言うとおりに協力してあげる。理由も今は聞かないわ。でも、その前に一つだけやっておく事があるわ」

「やるべき事?」

 

キュルケはビシッとバッツの服を指差し、

 

「その服を着替えなさいな。いくらあたしたちが魔法学院の制服を着ていたって、あなたがそんな恰好じゃ捕まえられても文句は言えないわ」

 

とバッツの血塗れの服を着替えるように促した。それと同時に、グリフォンに括りつけてあるルイズをシルフィードに移すために皆でグリフォンの元まで歩み寄った。

そこでキュルケ達は更に目を丸くした。眠っているルイズが落ちないようにと縄で括りつけられているのにも驚いたが、彼女の服も血で汚れているのに仰天した。

まさかルイズも怪我をしているのかと問い詰めるキュルケに、あれは全部他の人の血だ、とうっかりバッツは説明してしまった。

 

「じゃあ何?あれはあなたの血なの?そうじゃなかったら一体誰のものなのよ!?」

 

まさかアルビオンの皇太子や婚約者であるワルド子爵の血だ、なんて答える訳にはいかない。

 

「別に誰の血だっていいじゃないか。俺もルイズも無事なんだ。それで良いじゃないか」

 

そう少々乱暴に言って、この話を終わらせる。到底納得のいかない顔をしているキュルケ達を放っておいて自分は着替える為に『女神の杵』亭の中へと入って行った。

数分で着替えを終えて出て来ると、既にシルフィードがグリフォンと並んで待機しており、ルイズも既に移されていた。

彼女の分の着替えを置いて行かなかったので、取り敢えずはギーシュのマントを被せて血に塗れた服が他の人に見えないようにされていた。

 

「バッツはあのグリフォンに乗って行くのかい?」

 

とギーシュが言う。普段、学院内では生徒は皆常時マント着用しているから、マントを外したギーシュと言うのも何処か新鮮に映る。

 

「ああ。あれを乗りこなせるのは俺くらいだろう?置いて行くわけにもいかないしな」

「……でも、急ぐんだったらシルフィードに四人乗せるのは無理。誰か一人、そっちに乗ってもらわないと困る」

 

とタバサが提案する。どうやら全力で飛ぶには四人では重すぎるらしい。そこで協議の結果、ギーシュがバッツと共にグリフォンに乗る事に決まった。

日も大分高くなっている。急がなければ、夜までに城に到着する事が出来ないだろう。

それからは、行き以上の早駆けでトリステインの王都であるトリスタニアを目指した。

速度としてはグリフォンよりも風竜の方が上らしく、グリフォンを限界まで酷使してもシルフィードについて行くのがやっとであった。

しかも常にトップスピードで飛ばしている為、疲労の蓄積も早く、頻繁に休憩を余儀なくされた。

が、その休憩時間もグリフォンに回復薬を与える事によって強制的に体力を回復させ、たった数分だけの休憩で終わらせてしまう程にバッツは先を急いだ。

 

トリスタニアを目指して幾度目かの休憩中にルイズが目を覚ました。

目覚めてから直ぐは取り乱したようにワルドの名を呼んで半狂乱になっていたが、自分がニューカッスル城から運び出された事に気付くとそれも収まった。

悪い夢にうなされていたのかと考えたキュルケ達と違い、バッツは一人バツの悪い顔をしてルイズと目を合わせようとはしなかった。

ルイズの方も決してバッツの方を見ることなく、押し黙ったままシルフィードにしがみ付く様に跨ると、先を早く出発するようにとバッツ以外の面々を急かす。

起きたらルイズから事情を聞き出そうと思っていたキュルケであったが、ルイズの放つその異様な重圧に結局何も聞けないでいた。

タバサはそんなルイズとバッツの間の妙な緊張感など興味なさそうにシルフィードを操る。

バッツと一緒にグリフォンに乗るギーシュも、バッツに問いただしたい事が山ほどあったが、その背中から伝わってくる無言の重圧に大人しく黙っているしかなかった。

 

陽もすっかり沈み、辺りが一面の闇に支配されても一行の強行軍は止まる事は無かった。そのお蔭もあってか、なんとか深夜になる前にはトリスタニアの街の灯が見えて来た。

そろそろ宿の手配でも、と考え出したキュルケであったが、ルイズの指示でそのまま王城へと直行する事にった。

幾らなんでもこんな時間に城に入れるはずがないと止めるキュルケに、王女の命を受けているのだから問題無いとルイズは聞く耳を持たない。

キュルケの懸念した通り、王城の上空に差し掛かったところで警備中であったマンティコアに乗った騎兵数人に囲まれ、停止を勧告された。

それでもルイズは勧告を無視して城の中庭に着陸するようタバサに告げる。

再三の警告を無視して中庭に降り立った一行は、直ぐに警備の兵士たちに取り囲まれた。兵士たちは手に杖を持ち、妙な動きを見せれば一斉に魔法を放てるよう身構えている。

辺りには松明が幾つか掲げられているがそれでも暗く、幸いにもルイズの血に染まった服を見咎められることは無かった。

 

「お前たちは何者だ!この様な時間に王城に堂々と忍び込もうとは随分な度胸だな」

 

取り囲む兵士たちの中でも隊長格と思われる人物が声を上げる。ルイズは一歩前に踏み出し、その隊長格の男に向かって跪くと自分の名を告げた。

 

「私はラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワ―ズです。決して王宮に危害を加えようとする者ではありません。あなた方は魔法衛士隊が一つ、マンティコア隊とお見受けします。

この様な夜分に無礼を承知で申し上げますが、何卒、姫殿下に御取次をお願いいたします」

 

はて、と警備隊の隊長は口髭をなぞりながら首をひねる。

ラ・ヴァリエール公爵家といえば、王宮に勤める者ならば知らぬものは居ない程に高名な貴族だ。その三女が自分に対し跪き、頭を垂れてまで礼儀を尽くしている。

本来ならば立場が逆でもおかしくないこの状況に、なにか非常事態が起こっているような臭いを感じるが、それが一体何なのか迄は流石に見当が及ばない。

 

「ふむ、ラ・ヴァリエール公爵様の三女とな」

「そうです」

 

ルイズは微動だにせずに答える。

 

「言われてみれば、闇夜にも映えるその美しいピーチブロンドの髪は母君そっくりでありますな。して、その公爵家の御令嬢がこの様な時分に姫殿下に何用でありましょうか」

「姫殿下の御所望の物を手に入れて参上したとお伝えください」

「その品は何なのですかな?」

「それは、申す事が出来ませぬ」

 

ふむ、と考え込む素振りを見せる隊長格の男。その顔には困惑の色が見て取れた。

 

「品物が何か分からぬのであれば、取り次ぐ事は出来ませぬな。如何に公爵家の御令嬢であろうとも、時間を鑑みればその程度の要件でお通しする訳にはいきませぬ。また日を改めて参られよ」

「それでも!それでも一刻でも早く姫殿下に合わなければならないのです。ならば昔馴染みが遊びに来たとお伝えください。姫殿下ならばきっと快諾なさる筈です」

 

隊長がやんわりと帰るようにと促すけれども、ルイズは頑として譲らない。

いつまでもこのままの膠着状態が続くのも不味いと感じた隊長格の男がどうしたものかと悩んでいる所に、頭上から声が降り注いできた。

 

「ルイズ!ああ、何事かと思えばルイズではありませんか!」

 

騒ぎを聞きつけたのだろうか、遥か上方にある自室の窓から顔を覗かせていたのは他ならぬアンリエッタ王女その人であった。

そしてそのまま窓から身を乗り出すと、中庭のルイズの傍までフワリと舞い降りた。

 

「ああ、ルイズ!無事に戻って来てくれたのですね!」

 

兵士が取り囲む中、アンリエッタはそんな事を気にするでもなくルイズの手を取りその来訪を喜んでいた。

呆気に取られている兵士たちに気がついたのか、アンリエッタはコホンと軽く咳払いをすると背筋を伸ばし、周囲に向かって毅然とした態度で命令を下す。

 

「彼女たちは私が呼び寄せたのです。このような時間になったのは予想外ではありましたが、決して怪しい者たちではありません。この者たちの事はもう良いですから、皆さんは通常の警備に戻ってください」

 

その一言で、ルイズ達を取り囲んでいた兵士たちは三々五々自分達の持ち場へと戻って言った。

アンリエッタは手を取り合ってルイズとの再会を喜んでいたが、その話が要件に至ろうとした時、その場にキュルケ達魔法学院の生徒がいる事、そしてワルドがいない事に気がついた。

何事かと問う前にルイズの視線からただならぬ雰囲気を読み取ったアンリエッタは、中庭のままでは話辛かろうと一行を自室へと招いた。

 

「して、ルイズ。こんな時間にもかかわらず王城に来たという事は……?」

「それにつきましては、姫さま。なにぶん内容が内容ですので……。キュルケ、タバサ、ギーシュ。悪いけど部屋から出て行ってもらえる?これは姫さまと、私だけで話したいの」

 

そういってキュルケ達に向き直る。

もちろんキュルケは「はぁ?」といった反応を見せるが、元々興味のないタバサやアンリエッタの部屋に入ったというだけで立ったまま気絶しているギーシュと共に廊下へと追い出された。

興味本位でついて来ただけのキュルケではあるが、話が面白くなってきそうな所で蚊帳の外に追い出されてはなんか面白くない。

このままではちょっと腹の虫がおさまらないので、魔法で部屋の中を盗聴する事にした。小声で呪文を唱えると、扉の一部に穴が空いたようになり、部屋の中の様子や話声が伝わってきた。

気絶から回復したギーシュが止めようとするが、「あんたも気になる癖に」なんて言われるとついつい協力してしまう。ギーシュだって気になるのだ。

二人して扉に張り付く様にして中の様子を窺う。いつの間にかその中にタバサも加わっているが、盗み見る事に夢中になっている二人は気がつかなかった。

扉の向こうでそんな事が行われているとは露知らず、ルイズはアンリエッタに今回の旅の報告を始めていた。

 

「先ずは、姫さまの仰っていた手紙でございます。無事、ウェールズ皇太子より譲り受けてまいりました」

 

ルイズは件の手紙をアンリエッタに手渡す。手紙を受け取ったアンリエッタは、この場に皇太子の姿がない事に顔を曇らせる。

 

「ウェールズは、わたくしの手紙をきちんと読んでくれたのでしょうか」

「はい、姫さま。それはもう、とても愛おしそうに何度も読み返しておりました」

 

そうですか、とアンリエッタは俯く。

 

「あの方は、御自分の名誉を守る事を優先なさったのですね。わたくしなど、あの方の中ではその程度の存在だった、という事ですのね」

 

悲しげにそう呟くアンリエッタの姿は今にも消えてしまいそうなくらいに儚く、危うげであった。この悲報のショックで死んでしまうのではと余計な危惧を抱いてしまうほどに。

ふと視線を下げたアンリエッタの目に、ルイズの服が映る。初めはそう言う柄の服を着ているのかと思っていたが、よくよく見れば、それは何かの血を浴びたようでもある。

血……?見たところ、ルイズ自身やその後ろに控えるバッツには傷らしい傷は見受けられない。とするとこれは誰か第三者の流した血が付いたものだ。

しかも尋常な量では無い。これだけの血が流れているのであれば、恐らくその人物は生きてはいないだろう。

まさか、その血は……。

 

「ルイズ。その血は一体どうしたのですか!?まさか、まさかそれは、ウェールズの……」

「いいえ、御安心ください姫さま。これは皇太子のものではありません。これは、これは……ワルド様の……、ワルド様の……!!」

 

ルイズの瞳から大粒の涙が零れ落ちていくのを見て、アンリエッタはこの場にワルドの姿がない理由を理解する。

 

「まさか、子爵は……!?いえ、そんな事……子爵はこのトリステインでも屈指の実力を持つメイジ。そう容易く敵に後れを取るなど信じられません」

「ワルド様は……、ワルド様は最後まで正義のために戦いました。そしてその命と引き換えに、私と、トリステインの未来を守ってくださったのです」

 

ルイズはスカートを握り、必死に悲しみを押さえつけて言葉を続ける。

 

「私にもっと力があれば、ワルド様は死ぬことは無かった……!私が、もっと早くから系統魔法に目覚めてさえいれば、ワルド様は……、ワルド様は!!」

 

だが込み上げる悲しみに耐えられず、ルイズは膝から崩れ落ちうずくまる。静かな室内に響くのは、ルイズの嗚咽だけ。

そんなルイズを、アンリエッタは優しく抱きしめて慰める。ルイズ達がアルビオンへと出発した後であったが、彼女もワルドがルイズの婚約者である事を思い出したのだ。

アンリエッタとてウェールズを失った悲しみは計り知れない。けれども、恐らくは目の前で愛しい人を失ったルイズの悲しみはそれ以上の筈だ。

同じ悲しみを背負う者として、アンリエッタには今のルイズの気持ちが痛いほど分かる。

 

「御免なさいルイズ。わたくしのせいで、あなたにこんなにも辛い思いをさせてしまいました。わたくしの事を怨んでも構いません。わたくしは、それだけの事をあなたにしたのですから」

 

同じく涙を流しながら、アンリエッタはルイズ詫びる。ウェールズを失った悲しみというよりも、自分の軽率な行動が大切な友人の心を深く傷つけてしまった事への後悔の念からの涙だ。

ワルドを失った自分の為に泣いてくれる人がいる。そんなアンリエッタの気持ちに

 

「いいえ、姫さま、これは決して姫さまのせいではありません。悪いのは私。何もかもが未熟な私がいけなかったのです」

 

そう言って、お互いに強く抱きしめあいながら二人の少女は泣き声を上げた。それぞれの愛しい人を失った悲しみに、そして自分と同じ悲しみを抱く友人の為に。

二人は涙の枯れるまで、喉の枯れるまで泣き続けた。

ひとしきり涙も流しきった二人は、お互いに顔を見つめあう。二人とも涙で顔がグシャグシャになっていたが、それを可笑しいなんてちっとも思いはしなかった。

むしろ二人の間に不思議な一体感のようなものが芽生え、絆が更に深まったかのような心地よささえ感じた。

目の前で泣き始めた二人の少女の邪魔をする事無く、静かにその場に佇んでいるだけだったバッツが、ここにきてようやくその口を開いた。

 

「お姫様にルイズ。二人に渡しておかなきゃならない物がある」

 

そう言って道具袋から取り出したのは、ワルドの遺髪と杖と羽根付き帽子、そしてアンリエッタに宛てた皇太子の手紙だった。

それぞれが最愛の人の遺品を受け取ると、それを愛おしそうに胸に抱きしめる。そして、流しきったはずの涙が、また自然と零れ落ちるのであった。

手紙に目を通したアンリエッタの目にまた新たな涙が溢れ出て来る。バッツもその内容は分からないが、どうやら彼女に宛てた愛情が綴られていたのだろう。

 

「ルイズにバッツさん。この度は本当にありがとうございました。お礼はまた日を改めてさせて頂きます。今日はもう遅いですし、部屋を用意させますので今宵は連れの方たちと共にこの城に泊っていって下さいな」

 

未だ涙の流れ続ける顔で、アンリエッタはそう申し出た。深い悲しみにくれながらも、必死に笑顔を取り繕っているその姿は、直視していられない程に痛々しかった。

そしてアンリエッタは抱き合ったままのルイズに優しく言葉をかける。

 

「今日はわたくしと一緒に寝てくれますか?幼きあの日々みたいに……」

「勿論ですわ、姫さま」

 

ルイズも涙を拭い、アンリエッタに笑いかける。

 

 

 

「参ったわね……」

 

そう漏らしたのは、扉の外から魔法で中を覗いていたキュルケだった。

 

「ただの観光じゃないとは思っていたけど、まさかこんな重大な用件があったなんて……。しかも、こんな悲しい結末だなんて……」

「僕らは知るべきじゃなかったのかもしれないな。いくら友達だからって、踏み込んじゃいけない領域ってものがある。明日からルイズにどんな顔して会えばいいって言うんだい?」

 

自分も覗き見するのにノリノリだったじゃないの、と非難しようと思ったキュルケだったが、そもそも自分が変な野次馬根性を見せなければこんな事にはならなかったのだ。

ギーシュを責めるのは筋違いと言うものだろう。

でもギーシュの言った通り、こんな事を知ってしまっては、明日からルイズに普段通りに接することが出来る自信がない。

 

「とにかく、今見た事は忘れましょ。そして、決して今日の事は話題に触れない事。ルイズが自分から話せるようになるのを待って、もし話してくれなくても決して詮索したりしては駄目よ」

 

キュルケの言葉にギーシュとタバサが小さく頷く。この事は、三人だけの秘密。ルイズの気持ちの整理が付くまで、いや気持ちが落ち着いても決して触れてはならないタブー。

その事を確認し合い、三人は目線を交わし合う。こんな悲しい話、他言などは出来る筈も無い。

 

程なくしてアンリエッタお付きの者から案内され、バッツ達は客室に通された。急な事ではあったが、それぞれにきちんと一部屋ずつ割り当てられた。

豪華な内装に豪奢な調度品の数々、そしてふかふかなベッド。バッツはベッドに横になると、直ぐに睡魔が襲ってきた。

無理も無い。今日の未明から日の出直前まで戦闘を続け、更には丸一日馴れないグリフォンに乗ってここまで飛ばしてきたのだ。二日近く寝てない体でハードな日程をこなしたのだ。

いくら旅には慣れていると言っても、流石に体力の限界だった。

眠りへと落ちていく中、バッツは思う。今ルイズは何を想っているのだろうか。皇太子は、あの後どうなったのだろうか。

全てが、幸せな方へと向かっていけばいいのに。一度は世界を救った自分の力も、ここでは何も役には立たなかった。自分は、なんて無力なのだろう。

たった一人では、仲間がいなくては、女の子一人悲しみから救う事が出来なかった。

しかしそんな想いも直ぐに眠りの霧の中に閉ざされてゆく。

夢すら見ない深い眠り。

泥のように、死んだように眠る。

そのバッツの頬に、一筋の涙の跡が走っていた。



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第20話 幕間

『レコン・キスタ』は始めは小さな集団であった。

アルビオンの片田舎に住む司教を中心に集まった、聖地回復を目指す小規模の運動団体がその起こりである。

それが瞬く間に勢力を広げ、その支持者がアルビオン王国の重役を担う貴族達にも広がっていくのに半年もかからなかった。

何がそこまで強烈に貴族達の心を惹き付けたのであろうか。

彼らの掲げる「聖地回復」が貴族の心を打ったのであろうか。それとも、聖地回復へと至る過程の一つである「ハルケギニア統一」が彼らの欲望を駆り立てたのだろうか。

理由は人それぞれであろうが、とにもかくにもアルビオン国内でその勢力は急速に拡大を続け、遂には王族を排し彼ら『レコン・キスタ』が国の実権を握るまでに成長した。

『レコン・キスタ』はしばしば“貴族派”と呼ばれた。それは、構図としては旧来の王権政治を排そうとする上級貴族たちと王族の対立に見えたからだ。

だが、彼ら自身は決して自分達の事を“貴族派”などとは呼称しなかった。

それは自分たちの目的が『エルフ共の手から聖地を奪い返す』という高潔な物であるという自負からだろうか。

はたまた『ハルケギニアを統一する』という偉業の前では、貴族であるとかそんな事は小さな事柄は眼中にないという自信の表れか。

だがその真の理由は、常に彼らのトップに君臨する男の存在にあった。その男は貴族などでは無い。だから彼らは自分たちを“貴族派”と呼ぶのを嫌ったのだ。

元来魔法など使えない――いや、魔法を使えないと思われた人物が、魔法以上の奇跡の力で彼らを従えている。

『レコン・キスタ』に属する者たちはその男の使う力を、尊敬と畏怖の念を込めてこう呼んだ。

――――――『虚無』、と。

 

 

 

 

ここはアルビオンのニューカッスル城。

いや、ほんの数日前までははニューカッスル城と呼ばれた建物が存在していた場所。

今ではその城も崩れ落ち、かつては城であった瓦礫が散乱するばかりで、以前の面影など何処にも見当たらなかった。

散乱しているのは瓦礫だけでは無い。先の総攻撃の際の死傷者の骸の大半がまだそのままに放置されており、辺りは腐臭が立ち込め始めていた。

 

『レコン・キスタ』によるニューカッスル総攻撃から二日が経ち、ここにはその激しい戦闘の爪痕が至るところに残されていた。

この戦闘により城に籠城していた王党派の残党は一掃され、今やアルビオンの主は『レコン・キスタ』がとってかわっている。

長らく続いた始祖の血統の内の一つが途絶えた瞬間であった。

最後の抵抗戦は僅か一日と持たずに終結した。無理もない。王党派の戦力は僅か三百足らず。対する『レコン・キスタ』の戦力は約五万。その戦力には百倍以上の開きがあったのだ。

始めは抵抗を見せた王党派であったが、奈何せん戦力差がありすぎる。

しかも元々のアルビオン軍の大半が『レコン・キスタ』に寝返り、その保有する装備のほぼ全てが敵の手中にあったのだ。

一度守りが破られたが最後、そこから脆くも崩れ去り、あれよあれよという間にニューカッスルは壊滅した。

しかし、それでも『レコン・キスタ』側の楽勝であったわけではない。初めから玉砕覚悟であった王党派はその全員が死ぬ直前に自爆魔法で敵を巻き込みながら自ら命を絶ったのだった。

死を恐れぬどころか、自らの死さえも武器にして抵抗を続けるその姿は相対する全ての兵士に恐怖を与えた。

三百の戦力に対して、『レコン・キスタ』側の戦死者は二千。負傷者も合わせると四千の損害と言う劇的な戦果を残し、王党派は全滅した。

狂気の沙汰とも言えるその戦法は恐怖の記憶と共にアルビオンの歴史に刻まれる事だろう。

こうして、アルビオンの革命戦争の幕は閉じた。

 

そのニューカッスルの地に、一人の男が降り立った。

年の頃は三十台半ば、球帽に緑のローブとマントを身に付けたその姿は、この戦場跡には凡そ似つかわしくないものであった。

恰好だけを見ていれば聖職者であろうか。この地で散っていった多くの犠牲者の鎮魂の為に訪れたのであろうか、その男は他に一人の男を連れていた。

 

「兵どもが夢の跡とは言いますが、全く酷い有様ですねぇ。気高き理想のためとはいえ、多くの命が犠牲になる様を目の当たりにするの心が痛むというものですよ」

 

聖職者風の姿の男が、辺りの景色を見てそう感想を述べる。口では死者を悼むような事を言っているが、その顔にはうすら笑いを浮かべており、瞳は冷酷な光を宿していた。

 

「大人しく時代の流れに従っていればよいものを、変に意固地になってしがみついているから悪いのですよ。お前もそうは思わないですかね?」

 

聖職者風の男は後ろに立つ男にそう問いかける。しかし声をかけられた男は無言のまま、人形のようにただ立っているだけだ。

しかしこの男、全く以て奇妙極まりない格好をしている。身につけている物を挙げるだけならば、帽子にマントに普通に服を着ていて……と普通なのである。

まぁ強いて言うならば、ひどい傷でも負っているのであろうか顔を包帯で覆っており、その上から顔の上半分を隠すように仮面を付けている点が異様であろうか。

ただ、この男が異様なのはその色である。帽子から何から包帯まで、全てが純白で統一されていたのだ。無言で佇むその姿は、全身の色も相まって陽炎のような印象を受ける。

仮面の下に覗くその瞳も、全く意志を感じさせない。本当に人形か何かのように動くだけのその存在は、この戦場跡に現れた亡霊とさえ思える。

 

「兎にも角にも、今回の戦闘で我々もかなりの損害を被りました。二千の兵力減は正直手痛いですねぇ」

 

聖職者風の男が無言のまま自分の背後に立っている白い男に話しかけるが、白い男は黙ったまま全く言葉を返さないので聖職者風の男が一方的に話し続けている形になっている。

そんな事を一切気に留める様子も無く、聖職者風の男は話し続ける。

 

「だからここで少しでも使える兵士を探そうとは思うんですけどねぇ。正直、ライン程度の人間を幾ら集めたってたかが知れてますから、出来ればトライアングルか……、欲を言えばスクエアが欲しいんですがね。お前にも何か心当たりありませんか?」

 

その言葉を受けてかどうかは分からないが、白い男はスッと何処かへと向かって歩き出した。

 

「おや、お前には何か心当たりがあるのですか?抵抗軍には骨のある人間は沢山居ましたが、使えそうな人間となると話は別、そんな者は居なかったように見受けたのですがね」

 

そんな聖職者風の男の言葉には耳を傾けず、白い男は黙々と進んでいく。聖職者風の男はやれやれと肩を竦めると「まぁ見るくらいはしてあげましょうか」と白い男の後について歩き出した。

しばらく行くと、瓦礫の山の前に辿り着いた。瓦礫漁り達の手が及んでいないところをみると、それ程重要な建物が建っていたわけではないらしい。

先の戦闘でニューカッスル城の全ての建造物は悉く破壊されてしまっているので、ここが元は何が立っていたのかはもう分からない。

ここが目的の場所であったのであろうか、白い男は歩みを止めると、瓦礫の山に向かっておもむろに杖を掲げた。杖の先から発せられた風により、目の前の瓦礫はきれいに吹き飛ばされた。

瓦礫の下に埋もれていたのは、半壊した始祖の像とその足元で像に守られるように横たわる一つの死体。マントに包まれたその死体は、先の戦闘で死んだのではないようだ。

自爆魔法で粉微塵に吹き飛んだ他の死骸どもに比べれば幾分マシに見えるその死体も、やはり死後時間が経っているせいか腐敗が進んできている。

体を包むマントを剥がしてみればどうやら死因は腹部への一撃、何か刃物のようなものかそれに相当する魔法で殺されたようだ。それ以外には目立った傷も無い、“きれいな”死体である。

聖職者風の男はおもむろに死体に両手をかざすと、何か力でも込めるように両目をつぶって精神を集中させる。

男の両掌が光を帯びたかと思うと、男の目の前に横たわる死体に変化が起こった。

既に血の気が失せ、土気色をして腐り始めていた肌が見る間にハリを取り戻し、赤みが差してきたのだ。

一目でわかる程に“死体”であった物が、今や眠っているのかと見紛う程になっている。

いや、よく見れば胸が静かに波打っているではないか。この死体は、生きている。いや、心臓が動き息をしているのであれば、もうそれは死体とは呼ぶ事は出来ないであろう。

瓦礫の下に埋もれていたこの男は、蘇ったのだ。

 

「おはよう。早速で悪いが、お前の名と系統、そしてランクを教えてくれたまえ」

 

再び生を与えられた元・死体はこの状況に戸惑うことなく、聖職者風の男の問いに答える。まるでそれが当たり前であるかのように。

 

「名はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。風のスクエアだ」

 

聖職者風の男は「僥倖、僥倖」と軽く手を叩いて喜ぶ。望み通り、スクエアメイジを一人拾い上げる事に成功したのだ。

蘇った男……ワルドは目の前に立つ見知らぬ男に問いかける。

 

「それで、俺を蘇らせたあなた様の名は何と仰るのでしょうか」

「余はオリヴァー・クロムウェル。今は『レコン・キスタ』の総司令官の職を預かっている。だが近い将来、このハルケギニアの王となる者だよ」

 

 

 

 

 

バッツが目覚めたのはいつもよりも少し遅い時刻であった。室内にあった時計を見れば、もう九時を指している。

極度に疲れていたというのもあるし、ベッドが余りにも寝心地が良くて普段よりもぐっすりと眠ってしまったからであろうか。ともかく、バッツは久しぶりに寝過した朝を迎えたのだった。

最初は一週間前後での往復予定であったアルビオンへの旅が、たったの三日での往復となったのだ。嵐のような三日間だった。

たった三日間の間に、実に色々な事があったものだ。ラ・ロシェールでは傭兵団の様な奴らに襲われ、追われるように向かった先のアルビオンでは開戦前夜。

しかも玉砕覚悟の徹底抗戦で、目的の皇太子に会えたは良いが、今度はルイズの婚約者と戦う事になって……。

……頭がこんがらがりそうだ。

ふう、と溜息をつくとバッツは起き上がる。何時までも寝ているわけにもいかない。ここは自分の家じゃないのだからダラダラしていたら迷惑だろうし、それにルイズの様子も気になる。

結局、アルビオンを脱出してからルイズと交わした会話らしい会話と言えば、アンリエッタの部屋でワルドの遺品を手渡した時だけだ。

あの時も、別段会話をしたという印象も無い。泣き崩れるルイズとアンリエッタにそれぞれの遺品を手渡したに過ぎないのだから。

アルビオンを離れ、目を覚ましたルイズはバッツと目を合わせようとはしなかった。きっとワルドを見殺しにしたのを怨んでいるのだろう。

あの時の自分の判断は正しかったのだろうか、と自問自答する。ワルドの意思を尊重するという名目で彼を見殺しにしたのだ。ルイズの気持ちを思い遣れば、助けるのが当然ではなかったか。

まだフェニックスの尾も十分にあったし、エリクサーにも多少の余裕があったというのに。それでも自分は何もしなかった。

バッツはぐっと手を握って拳を作る。そしてその拳をじっと見つめた。

自分には、人間としては破格の力が備わっている。普通に鍛えたのでは到底真似できない程に様々な技術を習得しているのだ。それでも救えなかった。ワルドの命も、ルイズの想いも。

ルイズの使い魔としてここにいるのに、肝心のルイズを守れないでいる自分。

エクスデスを倒して、無に飲み込まれた世界を救ったなんていう驕りが心の中にあったのだろうか。自分が少し本気を出せば何とかなる。多少の相手ならエクスデスには及ぶまい、と。

そう、たかをくくっていたのだ。

バッツが自戒の念にかられていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。どうやらアンリエッタから改めてお礼があると言うのだ。

慌てて簡単にではあるが身支度を整えると、呼びに来た従者に連れられてアンリエッタの元へ急いだ。

 

通されたのは昨夜の居室ではなく、謁見の間であった。まぁそうだろう。仮にも一国の王女が自室で面会するわけがない。昨晩は特例中の特例であったのだ。

謁見の間に入ると、そこには既にアンリエッタとルイズが待っていた。きっと寝坊した自分に合わせて遅らせたのだろう。低血圧で朝の弱いルイズも服を着替え身支度も完璧に済んでいる。

アンリエッタは純白のドレスに身を包み、如何にも高貴な人間といったオーラにも似た存在感を放っていた。

 

「バッツさん、おはようございます。それでは昨夜も申しました通り、本日改めてあなた方の働きに対する礼をしたいと思います」

 

アンリエッタが玉を転がしたような、それでいて凛とした声で話す。

 

「今回の事はわたくしの個人的な用向きですので、公費としてあなた方に報酬を取らせることはできません。つきましては、わたくし個人が自由に出来る範囲ではありますが、謝礼として渡したいと思います」

「そんな……。私は姫さまの友人として当然の事をしたまで。謝礼目的だったわけじゃありません」

「いいえ、ルイズ。今回の事は、すべてわたくしの我儘から起こった事。感謝の気持ちをきちんと形にしなければいけませんわ。親しき仲にも礼儀あり、大切なお友達であるからこそですわ」

 

謝礼を辞退しようとしたルイズをアンリエッタが諭す。アンリエッタとしてもルイズの最愛の人を失わせてしまったという負い目があり、どうしても彼女に何か渡しておきたかったのだ。

 

「それとバッツさん、あなたに渡すものがあります」

 

そう言ってアンリエッタはバッツの方へと歩み寄った。そしてバッツの手を取ると、その掌に指輪を一つ載せた。

 

「これは……」

 

バッツの手に載せられたもの、それはウェールズから手紙と共に渡された風の指輪であった。

 

「これって大切な物なんじゃ……?」

「これはウェールズの遺志なのです。あなたから渡された手紙の最後に書かれていました。この指輪をあなたに託す、と。この指輪と共に始祖の加護があなたにあるようにと綴られていました」

 

アンリエッタの瞳にきらりと光るものがあった。それでもアンリエッタは笑みを絶やすことなく続ける。

 

「だからこれはあなたが持っていて下さい」

 

そう、やさしくバッツに指輪を握らせた。それを見ていたルイズがハッと思い出し、ポケットから水の指輪を取り出す。

 

「姫さま、これをお返しするのを忘れておりました」

 

水の指輪はトリステインの秘宝だ。いかに国内では王家に次ぐ程に格調高きヴァリエール家であっても、おいそれと所持するのは憚られる。

しかし差し出された指輪をアンリエッタは受け取ろうとはせず、逆にそのままルイズの手に握らせた。

 

「いいえ、それはあなたが持っていて下さい」

「と……、とんでも無い事です。これは国の宝。始祖に連なる血統であらせられる姫さまがお持ちになられてこそ、意味があるというものです」

 

ルイズの言葉を優しく首を振ってアンリエッタは否定する。

 

「ルイズ、あなたは忘れたのですか。あなたのヴァリエール家もまた、我がトリステイン王家から分かれ同じく始祖に連なる家系だという事を。だからあなたにもこの指輪を持つ資格があるのですよ」

「資格があるからと言って、それが所持する理由とはなりません」

 

あなたが持っていなさい、いいえ受け取れませんと二人の少女の間での押し問答が暫し繰り返された後、すこし疲れたような表情でアンリエッタが提案した。

 

「それではこうしましょう。その指輪はあなたに貸与します。期間は無期限。わたくしに必要になる時まで、あなたが持っていて下さい」

 

でも……、とルイズが反論しようとするのを、少し悲しげな瞳をしてアンリエッタが制する。

 

「その指輪にもウェールズとの様々な思い出が詰まっているのです。今はその指輪を身につけているのがとても辛いわ。だから、わたくしが平気になるまで、わたくしがあの方の事を忘れる事が出来るまでの間、あなたに預かっていて欲しいの。これは王女の命令と言うよりも、お友達としてのお願いよ」

 

ルイズとしても、そう言われたら断る事が出来ない。完全に納得がいったわけではないが、ここは預かる以外の選択肢は無い。

その後、少しばかり話をして学院への帰路についた。

学院へと戻る一行は、終始無言であった。

タバサの使い魔である風竜に五人で乗り込んだのだが、ルイズとバッツの間に流れる不穏当な空気に、誰もが押し黙るしかなかった。

 

学院に戻った一行を待ち受けていたのは、教師からの呼び出しであった。

王女の依頼を受けて出発したルイズとは違い、勝手に付いて行ったキュルケら三人は無断で授業を休んでいたので、その件でいくらかのペナルティを課せられたのであった。

同じだけ休んだルイズは何のお咎めも無しで、自分たちばかり罰せられる事に口を尖らせるキュルケとギーシュであったが、下手に事情を知ってしまっているので言葉には出さない。

彼らなりに気を遣ったのだ。

罰せられる事にすら無関心に見えるタバサも含め、三人は素直に罰を受けるのであった。

 

 

 

学院に戻ったルイズは、その後一週間授業を休んだ。



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第21話 始祖の祈祷書

アルビオンから学院に戻った翌日、ルイズは授業に出てこなかった。

授業を休むどころか、部屋から一歩も出て来やしない。

朝食の時間が終わっても食堂に姿を現さないルイズを心配して部屋まで呼びに行ったバッツであったが「体調が悪い」の一点張りで顔すら見せない。

本当に体調がすぐれないのかも知れないし、まぁ出て来ない人間を無理に引き出す事も無かろうとその場は大人しく引き下がった。

正直バッツにもキツかった旅だったのだ。お嬢様育ちのルイズの体力で平気な筈も無い。それに、今回の旅は肉体的以上に精神的に深い傷を負ったのだ。

体調が悪いというのも嘘ではないのかもしれない。それに今はそっとしておいてあげるのが一番の薬なのだろう。特に自分と顔を合わせるのは控えた方が良いだろう。

ルイズの事を聞いたシエスタが「何も食べないのは体に悪いでしょう、何か体に優しい料理を作って運んでおきますね」と言うので、その好意に甘える事にした。

 

 

ルイズが授業に出ないのであれば、バッツにはする事が無い。

主人が欠席しているというのに使い魔だけが授業を受けると言うのも可笑しな話だ。バッツにとってもこの学院で行われる授業の内容は実に興味深いモノであるが、ここは我慢我慢。

ルイズについて回る以外には本当にする事の無いバッツはコテージに戻ると、荷物を広げ始めた。

 

「相棒、何を始めようってんだい?」

 

デルフリンガーが部屋中にアイテムを並べ始めたバッツの様子を眺めながら声をかける。

 

「荷物の整理だよ。この前はお姫様が来たり何だりで中途半端で終わったからな。ここらで手持ちのアイテムをキッチリ把握しておく事も必要と思ってさ」

「ほぉ~、荷物の整理ねぇ。……にしてもなんだい、この量は。店でも開くか、それとも戦争でもおっ始めようってか?」

 

デルフが部屋に溢れる武器防具の山を見回して率直な感想を漏らす。デルフには目も首も無いけれど人間で言う所の見回すという動作をしたのだろう。

 

「戦争、か……。俺のしてきた事は、傍から見たら戦争みたいなもんだったんだろうな……」

 

バッツが遠くを見つめるような眼でそんな事を呟く。作業自体は、この間は中断されたとはいえその続きからであったのでさほど時間はかからなかった。

昼前には手持ちのアイテム全てのリストアップが終わり、要修理の装備品だけ残して他はまた道具袋の中に仕舞われた。

残された要修理アイテムの中には、こちらの世界に来た時に着用していた赤い鎧──源氏の鎧もあった。

 

「そういや相棒が今までどんな生き方をしてきたか、ってのをまだ知らなかったな。よかったらよ、何で相棒はそんなに強くなったのか話して聞かせちゃくれねぇか?」

 

アイテム整理も一段落し、その後に食堂で昼食の給仕手伝いを終え戻って来たバッツにデルフが問いかける。

う~んどうしようかと考えるバッツであったが、相手がデルフであり他の人とは違い包み隠さず話してもそれほど問題は無いだろうという考えに落ち着いた。

デルフは剣であるし本当の事を話しても影響は少ないだろう。

それにデルフには悪いが、もしデルフがこの話を他人にしたとしても「剣の言う事だから」と話半分に受け取られるだろうと言う目算もあった。

それになにより自分の事を“相棒”と呼んでくれるデルフに対し隠し事をしているのも後ろめたい気がした。

バッツはデルフにこの学院に来る前の事を話す。自分の知る範囲で、出来るだけ簡潔に。

自分の生まれた村の事、両親の事、そして世界の事。全ての発端となった無の力と、クリスタルの事。共に旅した仲間と死んでいった仲間の事、そしてエクスデスの事……。

一通り話し終えたところで、デルフが驚愕と感心の混ざった溜息をつく。

 

「ほぉ~、なんと相棒は世界を救った英雄だったのか。通りでえらく強いわけだ」

「そうは言っても、今ある力の大部分はクリスタルのお蔭さ。それが無かったら俺はただの旅人なんだからな」

 

凄い、偉い、あんたが大将等々とデルフが素直にバッツを褒め称える。知り合いに褒められるというのは悪い気はしないがどこか論点がずれているような妙なくすぐったさがある。

別におざなりに褒め言葉だけを並べているとかじゃなくて、デルフは心から自分の事を凄いと思ってくれているはずなんだけれど……。

バッツの中の変な居心地の悪さは次にデルフの口から飛び出た言葉によって解消された。

 

「でも俺の知らない間にハルケギニアにそんな事が起こってたとはねぇ。無の力だっけ?“虚無”に似てるみてぇだけどそんな厄介な系統が存在してたなんて、今まで知らなかったぜ」

 

この言葉にバッツはガクッとうなだれる。そうなのだ。デルフは肝心な点を勘違いしている。この剣はルイズと同じく、バッツをこの世界のどこか見知らぬ国の出身だと思っているのだ。

まぁ普通そうだろう。自分達の住んでいる世界以外に別の世界が存在しているなんて考えはしまい。実際に行って確かめる事が出来なけれは、それは存在しないのと同じなのだ。

例えそれが自分が全く聞いた事も無いような国での話であろうが、せいぜい「海の向こうにはそんな国もあるのですね」程度の理解止まりだろう。

元々一つの世界だったとはいえ、二つの世界(本来の姿の世界も含めれば三つの世界)を経験したバッツの方が異常なのだ。

それから改めてデルフに自分のやってきた“世界”について説明するのに小一時間ほど要する羽目になった。

 

「じゃあ何かい?今聞いた話は俺達の世界には全然関係無いって事か?」

「その通りだ」

「でも相棒が世界を救ったってのはホントなんだよな?」

「ああ」

「相棒が救ったっていう世界はハルケギニアじゃなくて、でも相棒はここに居て、それは嘘じゃねえんだよな?……う~ん、やっぱりわかんねぇ。ここ以外の世界の人間なんてピンとこねぇよ」

「まぁ俺だって完全に理解しているわけじゃないさ。分かっているのただ一つ、ここが“生まれ育った世界じゃない”って事だけだ」

「よくわかんねぇけど、とんだ災難だったなぁ。ま、でもそのお蔭でこうして相棒と会えたんだから悪い事ばっかじゃねえよな」

 

そう、見知らぬ世界と言うのも悪い事ばかりではない。新しい土地でより多くの人たちと触れ合う事はバッツにとって、とても楽しい事である。

三つの頃から父親に連れられて世界中を旅してまわったバッツは、旅に枕する事が当たり前になっているのだ。

 

「でも何とかして一度は戻らないとな」

「なんでぇ、相棒はこっちは嫌いか?」

「いや、そう言う訳じゃないさ。でもさっきも話した仲間達に挨拶も無しに来ちゃったからな、きっと向こうじゃ俺の事を心配している。やっぱ黙ったまま居なくなるってのは悪いよ」

 

元の世界に帰りたいという言葉にデルフが顔を曇らせる。まぁデルフに顔は無いのだが、人間だったらきっとそんな表情をしているのだろう、そんな声の調子だ。

まぁバッツとしては、デルフを連れて戻るという選択肢もあるのだが。デルフと共に行く旅と言うのも楽しそうだとバッツは考える。

以前ならばボコとの二人旅であったのだが今やボコも所帯持ち、奥さんや子供から引き離して連れまわすわけにもいくまい。だから新たな旅の連れとしてデルフを、というのも悪くはない。

でもそれも元の世界に戻るにせよここに留まるにせよ、ルイズの元を離れてからの話だ。いつかは彼女が自分達を必要としなくなる日が来るのだろう。たぶん。

しかし本当に使い魔としての役割を果たし、お互いに別々の道を歩む日がそのうち訪れるのだろうか?

ルイズと初めて会った時の説明では『死ぬまで使い魔として仕え続ける』といった事を話していたような気もするが……、とバッツは思い出す。

ルイズの顔を思い出すと同時に、あの人の顔が頭をよぎる。

──ワルド子爵。

救えたかもしれないのに、救えなかった命。いや、救わなかった命。

今日ルイズが自分と顔を合わせようとしなかったのも、きっと彼を見殺しにしたからに違いない。

理由はどうであれ、使い魔として主人の意向に背いたのは変わらない。あの時のルイズの顔が目に焼き付いている。驚愕と、激しい怒りと、深い絶望の織り混ざった複雑な顔。

何故あの時、自分は彼を助けなかったのだろう。それが彼の望みだったから?またルイズに危険が及ぶ可能性があったから?……わからない。

そんな想いが、バッツの口を突いて出た。

 

「でもさ、世界を救うだけの力を持っていても、たった一人の人間を救う事も出来ないもんなんだな」

「あのワルドとかいう男の事か? あれは仕方ねぇよ。アレはあいつの心の問題、誰にもどうにも出来やしねぇよ。それにあいつは自分で死を選んだんだ、相棒のせいじゃねぇ。相棒が責任を感じる必要なんざこれっぽっちも無えさ」

 

デルフの気遣う言葉にありがとう、と答えるバッツ。

しんみりとした空気が流れる室内にコン、コンと扉を叩く音が響いた。

 

「ミスタ・クラウザー、いらっしゃいますか?」

 

はいはいと出てみると、そこに立っていたのは学院長秘書の女性であった。確か名前は……。

 

「ええっと、ミス・ロングビル……、だったっけ? 何か用ですか?」

 

なんとか相手の名前を思い出し、一応はこちらの風習に倣い女性には名前の前にミスを付けて相手の名を呼ぶと、ここに来た要件を尋ねる。

 

「学院長がミスタ・クラウザーとお話ししたい事があるそうです。ご足労ですが学院長室までお越しいただけませんか?」

 

丁度今は暇なので、バッツは二つ返事で了解した。ミス・ロングビルに連れられて学院長室へと赴く道すがら、会話に花を咲かせた。

 

「ミスタ・クラウザー、使い魔生活というのはどうですか?」

「どう……って、まあ普通だよ。使い魔ってよくわからないけど、なんか執事とか従者とかそんな感じが強いかな? まだあんまり無茶な命令されないし」

「でもやっぱり気苦労は色々とおありでしょう?」

「それは俺よりもルイズの方が多いんじゃないかな? やっぱ他とは違う訳だしさ。俺は比較的自由にさせてもらってるけど、ルイズにとっては他のみんなと同じような使い魔の方が気楽だったかもってのはあるけどね」

「それでも人間であるという点を差し引いても、ミスタ・クラウザーはとてもこの上ない“当たり”だと思いますわ」

 

ミス・ロングビルは中々の美人である。長く美しい髪が陽の光を受け蒼く煌めきながら歩調に合わせて波打つ様は、思わず見蕩れてしまいそうだ。

そんな彼女から褒められたものだから、バッツとて悪い気はしない。でもあまり褒められ慣れていないバッツは嬉しいというよりも気恥しいという気持ちの方が先立ってしまうのであった。

 

「そうかな?そう言われると嬉しいけど、人間だから出来る事と出来ない事がハッキリしすぎていて役に立たない事も多いよ。流石にタバサの竜みたいに空は飛べないしさ」

 

ははは、と笑って照れ隠しをする。そんなバッツの様子を見てミス・ロングビルもフフフと淑やかに笑った。

 

「ミスタ・クラウザーは不思議な方ですね。一緒に居るとなんだかとても落ち着きます」

「そうか?」

「ええ。なんだかとても穏やかな雰囲気を纏っていますわ。きっとあなたの仁徳の高さ故なのでしょうね」

「よしてくれよ。俺はそんな聖人君子じゃないさ。どっちかっていうと空気みたいなもんさ。しがない根無し草、物珍しいってだけだよ」

 

褒められるのは悪い気がしない。でも、あまり度が過ぎるとかえって居心地が悪くなるものだ。謙遜でも何でもなく、バッツは純粋にそう思う。

 

「でもあなたが素晴らしい方というのには変わりはありませんわ。何しろ、あの悪名高い盗賊の手からわたくしを救ってくださったのはミスタ・クラウザーなのですから」

 

学院を襲った盗賊の一件の事であろうか。まぁ確かにバッツ一人でもあのゴーレムをどうにか出来ていたかもしれないが、現実にはルイズコルベールの助力のもと救出したのだ。

別にバッツ一人の手柄というわけでは無い。それをあたかも全てバッツのお蔭みたいに言われるとなんか違うと感じるのだ。

ミス・ロングビルを直接助ける一手を打ったのはバッツに違いないが、それも他の皆の足止めや陽動あってこそ。それに決定的な一撃をお見舞いしたのはルイズの使う炎のロッドなのだし。

 

「あれは俺一人の力じゃ無かったし……。あぁそれと、その“ミスタ・クラウザー”ってのは止めてくれないか?名字で呼ばれるのには慣れてないし、なんか背中がムズムズしちゃうよ。バッツでいい。みんなもそう呼ぶし、俺もその方がしっくりくる」

「それではわたくしの事もマチルダとお呼び下さい、バッツさん」

「マチルダ?それがあんたの名前なのかい?」

「ええ。マチルダ・ロングビル、それがわたくしの名前ですわ」

 

マチルダがそう柔らかく微笑む。その笑顔に思わずドギマギしてしまうバッツであった。

そんな事を話しながら歩くうちに、学院の中央に位置する学院長室に到着した。入室すると、正面の机にオスマン氏が水煙草のパイプを手で弄びながら待っていた。

オスマン氏はマチルダに退室を命じると、室内はバッツとオスマン氏の二人だけとなった。なにやら秘密の話でもしようというらしい。

周囲への音漏れに配慮してかオスマン氏が杖を振り、何かしらの魔法を学院長室全体に施す。魔法効果が十分に巡った事を確認すると、コホンと一つ咳払いをしてオスマン氏は話を始めた。

 

「急に呼び出して済まんかったの」

「いいさ。今日は暇だったしな」

「わしの方でも色々と調べてみたのじゃよ。お前さんのその左手のルーンについてとか、色々とな。それにしても少し骨が折れたわい。何しろこの学院の図書館の本では用が足らなくてのう。この歳になってトリスタニアまで出向いて王立図書館に通うはめになるとは思いもよらなんだわ」

 

肩の凝りをほぐすような仕草をしながら、カッカッカッと冗談交じりにオスマン氏が笑う。その口振りからでは、その労力がどれ程の物であったかを推し量る事が出来ない。

とても苦労したのか、はたまた大袈裟に話しているだけなのか。少し気押され気味に困惑するバッツの事などお構いなしにオスマン氏は話を続ける。

 

「ま、わざわざ出向いた甲斐あって幾らか判明した事がある。先ず一つに人間が使い魔になると言う先例がこのトリステインにも存在していたという事。そのどれもが始祖に連なる家系、つまりは王族かそれに親しい家柄の出身者によるものであったのじゃよ。そして二つ目、人間の使い魔達は皆特殊な存在であったという事じゃ。ルーンの事まで詳しく記した文献は存在しなかったが、その特徴からして恐らくは『始祖の使い魔』と同一の能力を有していたと推測される。要するに、『王族もしくはその周辺の家系の人間』が『人間を使い魔として従え』ており、その使い魔達が『始祖の使い魔と同一の能力』……つまりは伝説にある『始祖の使い魔』であったという事じゃ」

 

何処から取り出したのか、オスマン氏は今度はパイプから紫煙をくゆらせながら一息つく。

 

「それと、人間を使い魔として従えていたメイジは他のメイジとは一風変わった系統の魔法を駆使していたという記述も発見した。これらの事を総合して考えると、人間を使い魔として従えていた者は、伝説にある始祖の系統『虚無』を習得していたと考えられるじゃろう。事実、その者たちは『虚無の担い手』と呼称されておった。しかしながらどういう経緯で『虚無』を習得するに至ったか、はたまた『虚無』を扱えるようになる条件とは何なのか、それはまだ不明じゃ。しかも不思議な事に、その者たちは通常の系統魔法は殆ど使う事が出来なかったらしい。まぁ『虚無』以外の系統魔法を使ったような記述が見当たらなかっただけで、本当に系統魔法が使えなかったどうかは定かでは無いがの。史上初めて『虚無』を使ったとされ、『虚無』の代名詞でもある始祖ブリミルは全ての魔法の祖と呼ばれているくらいだから、『虚無の担い手』達が系統魔法を使えなかったとは考えにくいしのう」

 

オスマン氏は顎髭を撫でながら、考え込むように眉間に皺を寄せる。その額に刻まれた深い皺は今回の調査における苦労を表したものか、それとも得られた結果が芳しくない事に対する軽い絶望か。

バッツには分からない。

 

「わしの方で分かったのは僅かばかりじゃ。どれもこれも始祖とその使い魔については書かれていても、肝心の『それらが何処から来たか』についてはサッパリ書かれておらなんだ。どういう理屈で人間が使い魔として選ばれるのか、失われた系統『虚無』とは一体どのような存在なのか、それらについては一切不明のままじゃ」

 

一切不明……、それは現状ではこれ以上の調査は不可能ということである。

どの書物にもその全貌はおろか欠片も内容が記されていない未知の系統『虚無』。知られているのはその系統の名称と、確かに存在しているという事だけである。

始祖の用いたとされる、今は失われてしまった系統・『虚無』。

今となってはどのような代物であったのか、本当に存在するのか証明できる人間など存在しないにも関わらず、その実在だけは確固として信じられている謎の系統。

 

「その『虚無』って一体どんな魔法だったんだろうな」

「さあ、それについては皆目分からぬのだよ。始祖にまつわる書物にせよ、『虚無の担い手』と呼ばれる者たちに関する書物にせよ、その具体的な内容は描かれておらなんだからのう。ただ“『虚無』とは奇跡の力である”といった記述があるのみ、じゃ。平民が奇跡と思うような事象の多くは系統魔法で再現する事が可能と言えば可能なのだが……。しこうしてそのメイジをして、系統魔法を以上の“奇跡”と形容されるモノがいったいどんな存在なのか……わしにも見当つかん。伝承によれば『虚無』は系統魔法より更に深いところの魔法とも言われておる。全ての魔法の根源とされる魔法……、人よりもだいぶ長生きしているワシでさえ、その片鱗すらお目に掛かった事が無い」

「奇跡……、か。俺にとっちゃ、こっちの魔法も十分奇跡なんだけどな。それ以上の代物なんてそうそう思い浮かばないなぁ」

 

何の変哲もない土くれを鉱物に変えてたり、空高く舞い上がったり、自分の分身を何体も作り出したり……魔法というモノにある程度親しみのあるバッツですら驚くような魔法がここにはある。

それ以上の事象を操るなんて、思い当たらない。

 

「結局のところ、現時点で調べられた事はこの位じゃ。これ以上の事を調べようと思ったら、他国の文献に手を出してゆくしかないかのう。しかも肝心な情報がサッパリ得られなんだわ」

「肝心な情報?」

「君を元の世界に帰す方法じゃよ。『サモン・サーヴァント』は使い魔を呼び寄せる事が出来る。が、その逆の呪文や方法については何にも分からなんだ。が、もしかしたら系統魔法では無理でも『虚無』ならば可能性があるのかもしれん」

「それは本当か?」

 

この言葉にバッツはとても強烈に食らいついた。学院長机に乗り出しオスマン氏に喰らいつかんばかりに身を乗り出す様に、流石のオスマン氏も肝をつぶした。

興奮しすぎているバッツをなんとかなだめると、少し申し訳なさそうに言葉を続ける。

 

「いや、あくまでも可能性の話じゃ。今も言った通り、『虚無』の実態は全く分かっておらん。だから君を元の世界に帰す魔法があるかもしれんし、やっぱり無いのかもしれん。そもそも、『虚無』にそのような呪文が存在したとしても、それを扱えるメイジが存在していなかったら意味の無い事ではあるがの」

 

一時的に我を忘れてしまったバッツも平静を取り戻し、ちょっとバツの悪そうにしている。なんかはしゃぎ過ぎたのを反省しているみたいにも見える。

頭をポリポリとかき、控えめながらも話を続ける。

 

「たしか『虚無の担い手』とか言うヤツか?そんなのは本当に居るのか?」

「居ない、と断言する事はできんじゃろ。少なくとも、君と言う実例があるのじゃから」

 

パイプを咥えながらバッツに視線を向ける。急に自分の事に話が振られて、バッツは自分を指差しながら目を丸くする。

 

「俺?」

「そうじゃよ。君のその左手甲のルーン、それはかなり高い確率で『ガンダールヴ』と断定できるじゃろう。今はまだただの文様に感じられても、きっとそのうち何かしらの効果が顕れるはずじゃ。そして、『始祖の使い魔』が実在すると言う事は、それ即ち『虚無の担い手』も実在することの証明とはならんじゃろうかのう?」

 

オスマン氏はわざとなのかはっきり言い切るのを避けた。もしバッツが伝説の『始祖の使い魔』であるならば、『虚無の担い手』が誰なのかは直ぐに思い至りそうなものに。

 

「そう言えば君のミス・ヴァリエールは大丈夫かの?今日は授業を休んだと聞いたが」

 

オスマン氏が急にルイズの心配を口にする。てっきり『虚無の担い手』関連の話でも膨らませるのかと思っていたが、なんだか肩透かしを食らった気分だ。

 

「ルイズ?ああ、確かに今日は休んだけど、そんなに気になる事か?」

「まあの。ミス・ヴァリエールは我がトリステインでも屈指の名家。常にいくらかの注意は払っておる。あまり粗相が過ぎるというのも良いことではないしの。それにミス・ヴァリエールは今まで授業を欠席した事が無かった真面目な生徒であったからのう。もう帰ってきているのに授業に出んとは、余程体に堪えた旅だったようじゃの。なにせ一週間以上の予定の所を僅か三日でやり遂げて来たのじゃから」

「今回の事を知っていたのか?」

 

てっきり学院側にも内緒の旅だと思っていたバッツはオスマン氏の言葉に驚く。しかもその日程まで知っているとは。

 

「まぁ、我が学院の生徒が関わる事なわけじゃし、ワシの方に姫殿下から直々に打診があったのじゃよ。詳しい内容までは聞けなんだが、一週間から十日の間ミス・ヴァリエールの外出を許可してほしいと言われたのじゃ。姫殿下直々の命である上、あの時の姫殿下にはなにか逼迫した事情があったようでの、とても断れる雰囲気でも、詳しい内容を聞く事も出来なんだ」

「そっか……。なら、俺から旅の内容を詳しく聞こうってことか?」

 

バッツがいくらか警戒するように問うと、オスマン氏は静かに首を左右に振った。

 

「いや、そうではない。ワシが聞いてもいいような内容であるのならば、姫殿下がご自分で直接お話しになる筈じゃ。そうでないという事は、ワシが聞くには不相応というわけじゃろう。深入りはせんよ。むやみやたらに何でもかんでも知ろうとはしない、それは学者としてわきまえるべき事でもあるし、長生きの秘訣でもある」

 

と、オスマン氏が人差し指を立ててイタズラっぽくウインクして見せる。

 

「そうそう、ミス・ヴァリエールの体調が回復したらワシの所に来るように君からも言伝を頼めるかの」

「ルイズにも何か用があるのか?」

「まぁの。またかと思うじゃろうが、姫殿下直々の御指名の依頼がまた一つあるのじゃよ」

「まだ何かさせるっていうのか?」

 

バッツが呆れとも悲鳴ともとれる声を挙げる。正直、今回の旅がアンリエッタの思惑以上にハードな内容になったのは全てが彼女の落ち度では無い。

が、全てが彼女の責任では無いとはいえ、ルイズは心身ともにとても深いダメージを負ったのだ。そんなルイズに更に何かさせようと言うのは余りにも酷ではなかろうか。

そんなバッツの考えが態度に現れているのを察したオスマン氏は、彼が悪いわけでもないのに申し訳なさそうに言葉を発する。

 

「この話は君らがアルビオンへ出発した日に打診されての。姫殿下も大層お心を痛めていたようではあったが……」

「別にあんたが悪いって訳じゃないんだ、あんたが謝る必要は無いさ。」

 

肝心のルイズもアンリエッタも居ないこの場で、第三者同士が謝ったり謝られたりしているのもおかしな話だ。

バッツはオスマン氏の言葉を制すると、ルイズには俺からも言っておくと了承した。

話も粗方終わった気配を察し、退室しようとしたバッツをオスマン氏が呼び止める。

まだ何か話す事が残っていたのかと振りかえると、オスマン氏が申し訳なさそうに言葉を付け加えた。

 

「一つ君に訊いておくことがあったのを忘れておったわい」

「なんだ?」

 

現時点でバッツが何か協力できる事はあるのだろうか?自慢ではないが書物を読み漁るようなことは苦手である。オスマン氏の調べているような事に協力出来るなんて思えない。

そんな心の内が顔に表れてしまっていたのか、どうやら大層間抜け面をしてしまったようでオスマン氏が軽く噴き出した後、言葉を続けた。

 

「なに、そんな難しい事では無いよ。少しばかり教えてほしい事があるだけじゃ」

「何をだ?」

「君の知っている国名や地名、その他何か手掛かりになりそうな単語を教えてほしい」

「それは構わないけど、それが何の役に立つと言うんだ?」

 

オスマン氏の目的が分からない。バッツの知っている地名なんか聞いて何が分かると言うのだろうか。バッツ自身、このハルケギニアのどの地名にも心当たりがない。

きっとオスマン氏にとってもそうだろう。バッツの知る単語を聞いたところでそこから何かヒントを見出す事が出来るのだろうか?

 

「君に以前話した通り、わしもかなり昔に、恐らく君と同じ世界から来たと思しき御仁と遭遇している。だからもしかしたら同じような人間が他に居てもおかしくはないと考えておるのじゃ。そしてその全員が元の世界に戻れたのかそうではないのかまでは分からんが、彼らの残した痕跡に君の世界の名残を見いだせるかもしれん。それは各地に残る伝承やお伽噺に姿を変えておるかもしれんし、もっと他の何かになっておるかもしれん。いずれにせよ、トリステイン国内でもそういった手掛かりが探せば幾つかは見つかるはずじゃ。今度はそういった方面から攻めていこうかと思う。」

「そんなに上手くいくか?」

 

オスマン氏は軽く肩をすくめる。

 

「流石にそれは分からんよ。でも現時点ではもう今わかった以上の情報は期待できん。でも、分からんからと言って何も手を打たなければそこで終わりじゃ。もう新しい情報は望めん。ならば可能性は低くても考えうる限りの手を打っておくに限る」

 

考えられる全ての可能性を試してみる、それは何ら手の打ちようの無い現状でもくさらずに足掻こうと言うオスマン氏の前向きな姿勢を表していた。

いや、ただ単に学者として目的を持って調べ物をする事が楽しいだけなのかもしれないが。

バッツとしても別に知られて困る事も無いのでここはオスマン氏の提案に乗る事にした。

取り敢えず思いつく所から始めた。タイクーンやイストリーやサーゲイトといった様々な地名、……そしてクリスタル。

 

「クリスタル?水晶に何か特別な意味でもあるのかね?」

 

オスマン氏が怪訝そうに聞き返す。水晶なんて鉱物としてはそれほど高価でもなく、どちらかと言えばありふれたものだ。

まぁたしかに混入物の無く透明度の高いものであれば少しは値が張るかもしれないが、それほど希少と言うものでもない。

 

「まぁ、色々あるんだよ」

 

言葉を濁すバッツの態度を咎めるでもなく、オスマン氏は今バッツから聞いた単語を紙に書き留めていった。

一通りキーワードとなりそうなものを挙げ終え、書き留めた文字群に目を通しながらオスマン氏が軽く息をつく。

 

「流石に聞いたことも無いものばかりじゃの。これはなかなか調べがいがありそうじゃ」

「なんだか色々と苦労を掛けるみたいでなんだか悪いな」

 

バッツがオスマン氏の労をねぎらう言葉をかける。その言葉を受けたオスマン氏は、照れ隠しのように一層声を大きくして笑った。

 

「なに、わしら学問の道に生きる者にとって調べ物は苦労とは言わんよ。例えこのハルケギニア中の書物をひっくり返そうが、知識の探求の為ならばそれすら楽しくなるのじゃ。研究者とはそういうもんなんじゃよ」

 

今書き留めた紙を眺めながらオスマン氏は楽しげに髭を撫でる。そんなどこか楽しげなオスマン氏の様子を見たバッツはふと心に思いついた事をそのまま言葉に表した。

 

「あんたの得意な系統って、もしかして風か?」

 

バッツの意外な言葉にオスマン氏が興味深そうに応える。

 

「どうしてそう思う?」

「“探求は風に英知を乗せる”……俺の世界に残る古い詩の一節だ。何かを追い求める気持ちはあちらこちらを吹き渡る風に似ている、って意味だろうと俺は解釈している」

「成程、確かにそう言われればそうかもしれんの」

 

その後もう少しだけ軽く話をしてバッツは学院長室を後にした。

初めて対面したときからなんとなく感じてはいたことだが、どうやらこの魔法学院の長であるオスマン氏は、その気難しそうな風貌より実際はかなりフランクな性格であるようだ。

 

 

 

学院長室を後にしたバッツはコテージへは戻らず、その足は自然とルイズの部屋へと向かっていた。

ワルドの一件があるからルイズと顔を合わせるのは躊躇われるが、それでも放っておくこともできない。食事の世話などはシエスタに任せたので心配はないのだが、それでも様子は気になる。

知らずに早足になりながらルイズの部屋へ急ぐ途中、キュルケと彼女に連れられたタバサと合流した。

二人も授業を休んだルイズのことが気になり様子を見に行くところだという。そういえば時間的に今日の授業は終わっているようだった。

お互いにルイズのことを気にかけているとわかると、一緒に様子を見に行こうという流れになった。

コンコン、と控えめに部屋の扉を叩く。

中からは何の反応も無い。聞こえなかったのかともう一度、今度は少し強めに叩く。

そうすると中から「誰?」というルイズの声が返ってきた。思ったよりもしっかりしていたが、何処と無く冷たい響きを持っている。

 

「あたしよ、キュルケ。あなた今日授業サボったでしょ?大事な資料が配布されたから、わざわざ持ってきたのよ」

 

勿論、キュルケは手ぶらだ。特に何を持っているわけでもない。資料なんてただの口からの出任せであり、ルイズが扉を開けやすくするための方便だ。

そんな嘘をさらりと言ってのけるキュルケが少し怖く感じながらも、それでルイズが出て来るのであれば……とバッツは黙認した。

 

「ちょっと、聞こえてるの?明日提出の課題だってあるんだから、さっさとこのドアを開けなさいよ」

 

少し語勢を強めてキュルケが続ける。課題の話だって勿論嘘だろう。よくもまぁこれだけ平然と嘘をポンポン吐けるかとある種の感心を抱いていると、中から声が掛かった。

開いているから勝手に入ってくればいいというルイズの言葉に従い、ドアノブをひねる。成程、言葉の通り鍵は掛かっておらず簡単に扉が開いた。

部屋に入ると、ルイズは机に向かって座っていた。てっきり寝間着のままかと思っていたが、ルイズはきちんと着替えていた。しかし、それは制服では無い。

恐らくは今手元にある中から喪服の代わりになりそうなものを選んで組み合わせたのだろう、ちぐはぐながらも全身黒づくめの出で立ちで合った。

机の上には剣が置かれている。ルイズが自分の剣を所持している筈もなく、それは言うまでも無くワルドの形見の剣であった。

それだけではない、同じくバッツがウェールズより託されたワルドの帽子も置いてある。

黒い衣装に形見の品──ルイズは喪に服しているのだろう。

その事を察し、バッツだけでなくキュルケも言葉を失う。ベッドで丸くなって塞ぎこんでいてくれれば無理やり元気づける方策でも思いつくのであろうが、状況は全然違った。

意識も、心もしっかりとしている。その上で彼の死を弔っているルイズにかけるべき言葉が、中々出てこない。

ルイズの方も自分から何か話し出すという事も無く、バッツらを部屋に迎え入れると直ぐに机に戻り、黙祷を捧げているような姿勢のまま動かない。

気まずい雰囲気の充満する部屋の中には、この場の空気を知ってか知らずか、タバサが興味無さ気に手に持った本のページをめくる音だけが響いていた。

何分くらい経ったであろうか、意を決してバッツが話を切り出す。

 

「学院長がお前が授業を休んだのを心配していたぞ」

 

バッツの口からオスマン氏の話題が出て来る事にキュルケが軽く驚くが、ルイズは短く「そう」とだけ反応した。

そして再び訪れる沈黙の時間。話を続けるのに失敗したバッツはそのまま切っ掛けを失って次の言葉を発しづらくなってしまった。

その気まずさに耐えきれず、キュルケが声を挙げる。

 

「ああもう、とにかく怪我とか病気の類じゃあないみたいだから一安心したわ。アルビオンで何があったかは知らないけれど、落ち込むのも程々にしなさいな」

 

あの夜、ルイズ達の報告を盗み聞きしていたとは口が裂けても言えないキュルケは、殊更に「アルビオンへ向かったルイズ達の身に降りかかった事」を知らない事を強調する。

勿論、あまり不自然になって相手に感づかれる事のないように気を付けながら。

 

「あんたに心配される筋合いは無いわ」

「あなたには元気で居てもらわないと、からかう相手がいなくて退屈なのよ」

「なにそれ」

「そのまんまの意味よ。それに、あんまり授業を休みすぎると成績落とすわよ。座学しか能の無いあなたが筆記試験で点を落としたら、それこそ退学の危機よ」

「あんたには関係ない事でしょ」

「だから言ったでしょ?あなたが居ないとあたしの楽しみが一つ減るのよ。あたしの楽しい学院ライフの為にも、からかいがいのある相手は必要不可欠なのよ」

「はぁ?なにそれ。訳わかんないわよ」

「あなたには訳が分からなくてもいいのよ。あたしが分かればいいんだもの。いいこと?とにかく、何をジメジメしているのかは知らないけれど、終わった事はどうにもならないわ。大切なのはこれからどうするか、よ。何もしなければ何も変わらない、いいえ、状況は悪化する一方よ。少しくらい辛くても悲しくても苦しくても、顔を上げて前を向かなくちゃいけない時もあるものよ」

 

キュルケが分かるようで良く分からない持論を展開してルイズをやり込める。

 

「何も知らない癖に」

「ええ、何も知らないわ。でも、何があったか説明できないんだったら、少なくとも周りに心配をかけさせない事ね。あなたが勝手に授業を休むことで、余計な手間がかかる人間だっているのよ」

 

キュルケの言葉に、ルイズは今日一日の事を思い出す。そう言えばメイドのシエスタが何かと世話を焼いてくれた。朝も昼も食事を部屋に運んでくれたし、ついでに少し掃除もしていってくれた。

部屋の掃除はメイド本来の仕事とはいえ、食事を部屋まで持ってきてくれたのは彼女の好意だ。いくら学院仕えの小間使いであっても、食事を各人の部屋まで運ぶというのは本来の業務では無い。

 

「……わかったわよ。でも今日はダメ。色々あったのよ、だからそっとしておいて頂戴。明日からまたいつも通りに授業に出るわ」

「わかれば良いのよ、わかれば。それじゃ、明日……は休みだから、明後日教室で顔を合わせるのを楽しみにしているわよ。もし出て来なかったら、どうなるか覚悟しておきなさいよ」

 

キュルケは杖の先に小さい炎を灯らせると、ニヤリと目を細める。脅し……では無いのであろうが、力づくでも連れていくわよと言外に滲ませた。

言う事言ってすっきりしたのか、キュルケは満足そうにタバサを連れてルイズの部屋を出て行った。

この部屋に取り残される事に耐えかねたバッツは、慌ててキュルケの後を追いかけた。今ルイズと二人きりになっても気まずいだけで、居たたまれないばかりだ。

扉を閉めようとしたバッツの耳に、ルイズの声が届いた。

囁くような、呟くような、独り言のようでやはりバッツに向けて発せられたその言葉。部屋を出ようとする人に届くか、届かないか、そんな小さな声だった。

ごめん。あんたのせいじゃないって分かっているの。大丈夫よ、大丈夫。心配掛けてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから……。

そう、ルイズの呟く声が聞こえた。

そしてバッツはカチャリ、と静かに扉を閉めた。

 

 

 

 

 

翌日早く、ルイズはバッツを連れてオスマン氏のいる学院長室へ赴いた。

朝食を手早く済ませ、午前の授業が始まる前にオスマン氏に会う事にしたのだ。

ルイズの様子は普段と変わらずに見えた。

凛とさわやかな空気が立ち込める塔内を歩き、学院長室に到着した。

ドアをノックすると中から声が掛かり、二人は部屋へ招き入れられた。室内に居たのはオスマン氏とその秘書のマチルダ。いつもの光景だ。

軽く挨拶を済ませると、オスマン氏は早速本題に入った。

 

「君はこれが何か分かるかね?」

 

そう言って一冊の本を取り出す。古びた皮の装丁がなされた少し厚みのあるその本は、かなりの年代物なのか今にも崩れてしまいそうなほどにボロボロになっている。

『錬金の』呪文が施されているのであろうか、オスマン氏は殊更丁重に扱っている様子も無いので多分見た目程脆くは無いのであろう。

机の上に置かれたその本をマジマジと見つめるルイズであるが、全く見当が付かないらしくただただ困惑の表情を浮かべるだけだ。

 

「いいえ、わかりません」

 

ルイズは一、二分ほど本を見ていたが、結局思い当たる節も無く降参した。

 

「これはな、我がトリステイン王国に代々伝わる秘宝の一つ、『始祖の祈祷書』じゃ」

「『始祖の祈祷書』!?」

 

ルイズが驚いて声を上げる。

 

「これが、『始祖の祈祷書』なのですか……。その存在は知っていましたが、現物を見るのは初めてです」

 

ルイズはさっきよりも熱心に本を見つめる。時折軽い歓声のようなものを漏らしながらマジマジと見入っていた。

秘宝、とオスマン氏が言っているのでそれなりに価値があるものだと言うのは何となく理解できてはいるが、今一つ実感の湧かないバッツの様子を組みとってか、オスマン氏は少し説明を加えた。

 

「そう、コレが『始祖の祈祷書』──つまり、始祖ブリミルが所持していたとされる本じゃ」

「でもこれが、本当の本当に『本物の始祖の祈祷書』なのでしょうか?」

 

ルイズがふと心をよぎった疑問を口にする。国の秘宝に対してなんと畏れ多いという思いはあるものの、口に出さずには居られなかった。

何故ならば『始祖の祈祷書』とされる書物はトリステイン国内のみならず、このハルケギニア各地に点在しているからだ。

勿論、その全てをルイズが直接見た事がある訳ではない。それでも、その内の何点かは目にしたり耳にしたりした事がある。

なにしろ、ヴァリエールの領地内にも『始祖の祈祷書』を所蔵しているとする教会があるくらいだ。それくらい、始祖にまつわる秘宝でありながらも、ある意味最も身近な存在であるのだ。

多分、どの貴族の領地にも一つは存在しているのではないかと思われるくらいに、『始祖の祈祷書』は世に溢れていた。

もっともその全ては偽物であり、始祖以外の誰かの手によって後世に造られたものである。

本物があるのかどうかすら定かではないのになぜ偽物と言い切れるのか。理由は簡単である。そのどれもが煌びやかな外装をしており、見るからに自己顕示欲の強そうな造りなのだ。

始祖の名を騙り、始祖の威厳を世に知らしめるために金と技巧凝らした造り、そして内容も虚無の詳細には一切触れず、しかしながら系統魔法と虚無の賛美に終始する……。

それが世に溢れる『始祖の祈祷書』の、所謂“お決まり”であった。

だが今目の前にある物は、それらとは一線を画するものだ。見た目はただのみすぼらしい本。

いや、みすぼらしいと言っても元はそれなりにしっかりとした装丁であったのだろうが、経年劣化によるものかすっかりボロボロになっており、往時の姿をうかがい知ることは出来ない。

更には『錬金』の効果だけでは劣化を防ぎきれていないらしく、あちらこちらに修繕の跡が見られるのも何か不思議な説得力を醸し出している。

これほどまでに手をかけて保存されてきた品物、しかも始祖の直系である王家伝来の宝ともなればその信憑性は否が応にも高まるというものだ。

 

「左様。これは世に溢れる模造品ではなく、正真正銘の『始祖の祈祷書』である……らしい。流石のワシも六千年前の現物を見た事は無いが、まぁ間違いは無かろうて」

 

オスマン氏が自慢の顎髭を撫でながらルイズの問いに答える。

 

「が、今はこれが本物であるかどうかは実はさほど重要ではない。重要なのは、“王家から『始祖の祈祷書』が貸与された”という事なのじゃよ」

「と、言いますと?」

「トリステイン王家の伝統の一つに、王族の結婚式の際には貴族の中から選ばれた少女が巫女として式に参加せねばならん。その時、この『始祖の祈祷書』を手に式の祝詞を読み上げる習わしとなっておるのじゃ」

 

コホン、と軽く咳払いをするとオスマン氏は言葉を続ける。

 

「そしてこれがここにあると言う事、そして君がここに呼ばれたという事──それがどういう意味を持っているかもう分かってくれているとは思うがの」

「まさか、私がその巫女に……?」

「そうじゃ。姫直々の御指名じゃ。」

「そう……ですか……」

 

ルイズが俯きがちにそう答え、少し顔を曇らせたのを見逃さないオスマン氏であったが、あえて触れず気が付かない振りをした。

辞退の言葉を口にしないという事は承諾したものとみてオスマン氏はルイズに巫女としての心得やらしなくてはいけない事やらを簡潔に説明した。

黙ってオスマン氏の話を聞いていたルイズの顔が急に曇る。何事かと言葉を止めたオスマン氏に、ルイズは控えめに手を上げて質問した。

 

「巫女の役を受けるのは良いのですが、式で詠み上げる祝詞は自分で考えなければならないのですか?」

 

ルイズは祝詞の製作まで自分がしなければならない事に不満を示した。

 

「そうじゃ。式の祝詞は巫女が考える。もちろん、ある程度の草案は用意されているであろうし我ら学院の教師一同、完成までの助言や推敲といった協力を惜しむつもりは無い。だが、婚姻を喜ぶ気持ちを最大限に込めるには巫女自らが言葉を紡ぎ詩を編みあげる方が良いとされているのじゃ。そなたには苦労を掛けるがの、まぁ一つ宜しく頼む」

「それで、式は何時なのですか?」

「来月、ニューイの月に入って直ぐじゃ。式まで半月程しかない急な事ではあるが、宜しく頼むぞ。先に言った通り、我らも協力を惜しまん。何かあれば遠慮なく頼ってもらって構わんぞ」

 

わかりました、謹んで拝命いたしますとルイズが答えると、オスマン氏は目元を緩ませた。

そしてオスマン氏から『始祖の祈祷書』を受け取り、その他にも過去の祝詞を書き留めた書物とマチルダが図書館から選別してきたという詩集や詩歌の書き方入門といった書物も一緒に渡された。

両手に抱えきれない程の書物の山を抱えて、ルイズはバッツを連れて学園長室を後にしたのであった。



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第22話 ルイズと祝詞と子守唄と

トリステイン魔法学院内にある付属図書館は、トリステイン国内でも屈指の蔵書量を誇る。

特に魔法関係の本が充実しており、学院創立以前の書籍も多数保管されている。

生徒達が利用するには少々量が多すぎると言うか、難解な本が多数所蔵されているが、それには理由がある。

実は利用回数で数えたら、生徒全体の利用回数よりも教師の利用回数の方が多かったりするのだ。

トリステイン随一の研究どころである王立魔法研究所(通称:アカデミー)とはベクトルが違うが、研究も主要な仕事の一つである学院の教師たちにとって、この図書館はまさに宝の山である。

生徒の立ち入ることの出来ない区域が設定されているのも、そうした事が関係している。

図書館の一角には持ち出し禁止の書籍を閲覧するためのスペースが設けてあり、そこは自習室として生徒に利用される事も多い。

本の保存の為に年中快適な環境に保たれている図書館内の閲覧室は生徒達に人気があり、特に夏は入室の為に整理券が配られるほどだ。

 

そんな図書館内も虚無の曜日ともなれば流石に人影は少なくなる。

やって来るのは根っからの読書愛好家か、休日にも関わらずにやる事も無く図書館で寝て過ごそうと考える不埒な輩くらいなものだ。

だが今日は違った。自習用に並べられた机の一角に本を山と積み上げ、一組の男女が黙々とページをめくっていた。

一人は長くて美しいピンクブロンドを邪魔にならないように束ねて本を睨むルイズ、もう一人は自分たちを取り囲む本の山に少々呆れながらも興味津々に読みふけるバッツだ。

互いに会話を交わす事も無く、ただ黙々と本を読みふける二人。時折、何かを書き留める為に手を止める以外はひたすらに本を読む事に集中していた。

沈黙の世界がどれほど経ったであろうか、ぐぅと鳴る腹の音で昼時になった事に気が付くまで、二人はずっと本を読み続けていた。

 

腹が減っては戦は出来ぬ、とばかりに食堂へ向かう。食堂も図書館と同様に虚無の曜日は人がまばらであった。

これは休日を利用し街へ繰り出す者が少なくないのに加え、授業が無いので昼食時は皆が思い思いの時間にやって来るからである。

一応、虚無の曜日でも昼の食事可能な時間は決められており、何時でも食事ができると言う訳ではない。

それでも平日に比べ長めに取られているのでバラバラにやって来るのだ。

厨房のマルトー曰く「平日の忙しさは戦場にも負けねぇ。でも忙しいのはほんの少しの間だけだ。だが休日は延々と仕事が終わらねぇんだよ。どっちかって言ったら平日の方が楽だね、俺は」との事。

それ故、虚無の曜日の昼食時にはバッツが手伝う程の仕事量は無い。

だからバッツはルイズと席を並べて昼食をとっていた。勿論、ルイズは生徒用の正規の料理でバッツは賄い食ではあるが。

食事中も会話も少なく黙々と食べる。二人の間に妙な気まずさが感じられるが、それでもルイズが怒っているとかバッツが何かに腹を立てているとかそういった様子も無い。

どちらかと言うと二人とも疲れきっていて喋るのも億劫と言った感じだった。

 

「食事が済んだらどうするんだ?」

 

とバッツが尋ねる。

 

「勿論、午後も午前と同じ、図書館で借り受けた本を少しでも読み進めるわよ」

 

と言うルイズの言葉にバッツは「うへぇ」と顔を顰める。

 

「仕方ないでしょ。姫さまの結婚式まであと二週間しか時間が無いんだもの。いいえ、当日に出来てりゃ良いってもんでもないから、実際にはもっと短いわ。とにかく時間が無いのよ」

 

それを聞いたバッツが今度は大きく溜息を吐いた。バッツの性格からして、部屋に閉じこもって調べ物をするのはどうも苦手である。

同じ調べ物でも、どちらかと言えば外を歩きまわって調べる方が好きなのだ。

でも今回のような文章の作成に於いてはやる事が無い。いや、やる事は無くは無いが、詩文に疎いので役に立つ事はあまりない。

出来そうなことと言えば、午前中にやっていたように他の文章を読み、使えそうな単語を見つけては書き留めていくくらいだ。

どちらかと言えば無風流なバッツにとって、詩なんてものは縁の無い世界なのだ。

 

食事を済ませると、二人は直ぐに図書館に戻った。

どうせ午後も居るのだからと本などはそのまま積み上げてある。本の山を掻き分けて午前中と同じ位置に座ると、また二人して本を読み漁る作業に取りかかった。

 

「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」

 

午後の調べ物を開始して少し経ち、バッツが口を開いた。

 

「何よ」

 

ルイズは視線を書物に向けたまま面倒臭そうに返事をする。

 

「いやさ、王族の結婚式ってどんな感じなのかなって思ってさ。ルイズも貴族の娘なんだから、そういう場に参列した事があるんだろ?」

 

というバッツの質問に、ルイズは呆れたように溜息交じりに応える。

 

「あのね。今、このトリステインに“王族”に該当する人物は二人しかいないの。一人は姫さま、もう一人は姫さまの母君のマリアンヌ様。お二人とも一人娘で他に兄弟がいらっしゃらないから、一番最近の王族の結婚式って言ったらマリアンヌ王妃のご成婚の時まで遡るのよ。で、私と姫さまがほぼ同い年。私が王妃様の結婚式に参列できるわけがないでしょうが」

「でも、王族とはいかなくても、貴族の結婚式に参加した事くらいはあるんだろ?」

 

バッツ自身も何度かは結婚式を見た事がある。まぁそれは参列とかそういうのではなく、旅先での日銭稼ぎとしてたまたま他人の結婚式の手伝いをした程度である。

しかしそれも平民の結婚式、貴族や王族のそれとは規模が違いすぎて今回は何の参考にもならない。

ルイズくらいの年で、更には貴族ともなれば一度くらいは結婚式に顔を出した事くらいあるだろう、と考えるバッツは少し質問を変えた。

 

「仮にあったとしても、規模が違うわよ、規模が。貴族の結婚式なんて、祝うのは自分の所有する領民と親類縁者位よ。それに比べて王族ともなれば、それこそ国を挙げての行事だわ。貴族平民の別無く、トリステインに住む全ての人間が祝うのよ。当然、式典の規模も段違いだわ。そこらへんの貴族の結婚式と違って、参列するだけでも名誉なことなのよ」

「ふ~ん。なんだかよくわからないけど大変なんだな」

「そう、大変な事なのよ」

 

質問はしたものの、その返答には余り興味が無さそうにバッツは素っ気ない反応をした。

興味が無い、と言うよりは実感がわかなくて理解していないと言った方が正しいのであるが。

それを知ってか知らずか、ルイズもバッツの返事を余り気にしていないようだった。

もっとも、こちらは本を読み進めるのに神経を集中させている為にバッツの事を一々気に留めていられなかったからであるが。

 

「で、今『仮にあったとしても』って言ったけど、ルイズは結婚式に参加した事は無いのか?」

 

そのバッツの言葉にルイズは少し気まずそうな顔をした。その表情の意味が分からずバッツがキョトンとしていると、ルイズは渋々と言った感じで話し始めた。

 

「一応ね、私にも姉がいるのよ。それも二人。一つ上の姉様は体が弱くて結婚を諦めてて、一番上の姉様は……なんというか、その……」

 

極力言葉を選ぶ、そんな感じでルイズが続ける。まるで、この場に居ない誰かに気を使うかのように。

 

「なんでかは分からないけど、殿方とのお付き合いが長続きした事無いのよ。……なんでかは分からないけど。でも今年に入ってバーガンディ伯爵との婚約が決まったらしいから、そういう意味では身内の結婚式に参加するのはそう遠くない話だと思うわ。ま、姫さまの結婚式よりは後になると思うけど」

 

もう少し詳しく話を聞くと、どうやらこのルイズの一番上の姉というのはルイズと十一歳年が離れているという。ルイズが今、十六歳であると言う事だから件の姉と言うのは二十七歳か。

オバサンと言うには少し早すぎるが、貴族の令嬢で未婚でいるは少し年齢が行き過ぎている感は否めない。

ルイズの話によれば、一番上の姉はこの国で一番の魔法研究機関に所属している有能な研究員らしいので、仕事第一で結婚とかには興味の無い人物なのかもしれない。

やたらと「姉の交際が長続きしない理由は分からない」と強調するルイズの態度に不審な点を感じないわけではないが、さしあたって今は関係のない事なので深くは聞かない事にした。

そのまま再び借り受けた本を読み進める作業に戻る二人。また沈黙の時間が流れ始めた。

何分くらい経ったであろうか、不意にバッツが「あっ」と声を上げた。

突然の事に目をパチクリとさせているルイズを尻目に、バッツは自分の胸に手を当てる様な仕草をして瞳を閉じ精神を集中させる。

すると、ほんの僅かな時間であったが、手を当てた個所を中心にバッツの体が仄かに青白く光った。

そしてその光が消えるのと同時に、バッツの雰囲気が僅かではあるが変化したのをルイズは感じ取った。

変化したと言ってもほんの僅かなので、どう言葉で説明していいのかは分からない。基本的には何時ものバッツと大差は無い。

しかしながら、いつもの飄々とした雰囲気は少し抑えられ、代わりにどこか浮世離れした、ふわふわとした儚げな雰囲気が感じ取られる。でもバッツはバッツなのである。

今目の前で起こった事に戸惑いながらも、ルイズは前にも同じような事があった事を思い出した。

そう、あれは確かバッツに魔法を教わった時だ。

あの時も、胸に手を当ててから急にバッツの説明が流暢になったのを記憶している。心なしかバッツが頭脳明晰であるかのように感じたものだ。

自分が教えられる立場だったから、あの時はそう錯覚していたのだと考えていたが、どうやら違ったようだ。

別に人が変わったとかそういう事ではない。ちょっと雰囲気が違うような気もしないでは無い、といった程度だがバッツはバッツだ。他の誰かでは無い。

でも、バッツらしからぬ言動や行動は、気のせいと言うだけでは説明が付かないのだ。

だが今、その答えの一端が見えたような気がした。キーとなるのは胸に手を当てる仕草だ。

それにどんな意味があるのかはわからない。でも、なにか大きな秘密が隠されているはずだ。ルイズは思い切って訊いてみる事にした。

 

「ねぇ、あんたのその、胸に手を当てる仕草ってなんか意味あるの?」

「うん?」

 

何を聞かれているのか分からない、と言った風にバッツが答える。

 

「それよそれ。今、少し光ったでしょ?」

 

ルイズがバッツの胸元を指差して言う。

図書館内は外に比べて証明を落としてある。これは本が光で焼けるのを防ぐためであるが、そのお蔭で今の光が見えたのだ。

 

「気になるか?」

 

ルイズの意図するところを読み取ったバッツが少しイタズラっぽく言う。

 

「気にならないと言ったら嘘になるわ」

 

そうか、と答えてバッツは少し黙り込む。そんなに言いたくないことなのかと問えば、少し困ったような表情で否定した。

 

「話したくないって訳じゃないけど、ちょっと説明が難しくてね。どう言ったら納得してくれたもんだかな……」

 

そう言いながらバッツは襟元に手を突っ込むと上着の下から小さな革袋を一つ取り出した。同じく革で出来た紐が付いており、それで首から下げていたようだ。

いつも腰に下げいる道具袋に比べて一回りも二回りも小さなその革袋は、振るとシャラシャラと音がした。なにか固い物が入っているようだ。

 

「これ、中見てもいいの?」

 

バッツからその小袋を渡されたルイズは中を開けてみた。中には細かい透明なモノが幾つか入っていた。

ガラス? いや、これは石英の結晶か? 何かは判らないが、幾つもの小さな破片が袋の中でキラキラと輝いていた。

 

「これ、何?」

「クリスタルの欠片さ」

「水晶??」

 

袋の中の欠片を一つつまんでみる。それは非常に透明度の高い石英の結晶であった。一見するとダイアモンドにも劣らない輝きを放っている。

天然モノとは思えな透明度ではあるが、人工的に造られたものとも考えにくい。

これほど純度の高い水晶を『錬金』で精製するのもかなりの熟練が要するであろう。それ位の力量があったら水晶なんて造らず、ダイアモンドを造った方が色々と楽だ。

 

「で、これが何なのよ」

 

袋の中身は分かった。だがそれが何の役割を持っているのかはさっぱり見当が付かない。その謎を解明するために、ルイズの更なる質問が飛ぶ。

 

「これは俺の力の源さ。これがあったからこそ俺は強くなれたし、色々な技術や知識を得られた。今の俺があるのは全部これのお蔭だ」

「これが? ただの水晶の割れクズにしか見えないんだけど」

 

ルイズの率直過ぎる感想に苦笑いしながらも、バッツは説明を続ける。

 

「ちょっと前……、そう、こっちに来る前まではもっと大きい欠片もあったんだ。それこそ握りこぶし大の物や、人の頭くらいの大きさの物もあったんだよ」

「それで?」

「これは元々もっと大きな──そう、身の丈の倍以上あるような巨大なクリスタルだったんだけど、ある事情で砕けたってわけ。で、その欠片がコレなんだ」

 

バッツは身ぶり手ぶりを交えて説明してくれているが、ルイズが知りたいのはそんな事ではないのだ。

ルイズはつい少し苛立ち気味に荒げてしまう。

 

「この欠片が元は大きい塊だったとか、何で砕けたとかは重要じゃあないわ。大切なのは、何でこれを持ってると強くなれるかって事よ。要点は簡潔に、判り易く説明なさい」

 

そう指摘されて、バッツはクリスタルの由来とかそういうのをすっ飛ばして重要そうな所だけを説明する。

 

「このクリスタルには大昔の、ある戦いに参加した勇者たちの知識と経験が宿っているんだ。その力を借りて、更には自分自身に覚え込ませていくことで普通よりずっと早く色んな技術を身につけられたんだ」

「あんたが魔法を使えるのもこの水晶のお蔭?」

「ああ。それ以外にも色んな武器の扱い方とか、薬の知識とかなんかも少し教えてもらったかな」

「へぇー、何の変哲も無さそうな石ころなのに、すごい力があるものねぇ」

 

バッツの説明を受けて、ルイズは手の上で転がしていたクリスタルの欠片を改めてマジマジと見詰める。

 

「ねぇバッツ。その力、私にも使えないかしら?」

 

ルイズが真剣な眼差しで言う。

もし自分もバッツと同じようにこの水晶から力を引き出して自分の物にする事が出来たら……。そんな考えがルイズの中で頭をもたげる。

 

「まぁ、『声』が聞こえるんだったら使えるんじゃないか?」

「……『声』?」

 

あまりに突拍子もない事を言い出すので、バッツはどこかオカシイんじゃないかといぶかしむルイズであるが、当のバッツは至って真剣である。

まぁ、喋る武具だってあるのだ。喋る鉱石があってもおかしくは無いのかもしれない。

そんなもの見た事も聞いた事も無いが。

 

「そう、『声』。この欠片から聞こえて来るんだよ。クリスタルに宿る勇者たちの声なのか、それとももっと別の存在の声なのかは分からないけど、とにかく声が聞こえて来るんだよ。

もっとも、聞こえると言っても耳で聞くんじゃない。頭の中に響くような、こっちの意識に直接語りかけて来るような感覚があるんだ。それが感じられるんだったら、きっとクリスタルに選ばれたって事だろう」

 

“クリスタルに選ばれる”……。バッツの口から飛び出たこの言葉にいささか引っかかる点があるが、今はクリスタルの『声』を聞く事の方が重要だ。

掌の上のクリスタルの欠片に意識を集中させる。

だが何も起こらない。

やり方が悪いのだろうか? ならばと今度はバッツの真似をして胸の前で欠片を握ってみる。目を閉じて意識を手の中の欠片に集中させてみるがやっぱり何も起こらない。

何度かやり方を変えてはチャレンジしてはみたが、何かが起こるような気配も無く、クリスタルは相変わらず静かな輝きを湛えているだけだった。

 

「……何も起こらないわ」

「そうか、そうだろうな。こっちは平和なもんだし、この力は必要じゃないって事だろ」

 

やや落胆するところも無きにしも非ずではあるが、もともと出来ればラッキー程度だったので

 

「“平和”、ねぇ。今の状況が“平和”なんだったら、あんたが力を手に入れた状況ってどんなのだったのかしらね。怖くて想像したく無いわ」

 

クリスタルの欠片をバッツに返しながらルイズが呟く。

トリステインを取り巻く状況は、ハッキリ言って平和とは言い難い。今のところは表面的には平和であるが、その平和も危ういバランスでなんとか保っているにすぎない。

特に最近は『レコン・キスタ』を筆頭にトリステインの王政府の悩みの種は尽きない。そもそも、この度の婚礼も今の仮初の平和をなんとか延命させる為の方策にすぎないのだ。

これほどまでにトリステインに降りかかる厄災の数は尽きないが、それでも「平和」と言えるのならば、バッツの国の状況とはどれ程に悲惨な状況だったのだろうか。

ハルケギニアで例えるなら? エルフ達との全面戦争? それとも全く別の何か想像も絶するような災害でも起こるのかしら?

ルイズ自身がそういう方面には疎いという事もあり、全く想像が及ばない。

ただぼんやりと、ハルケギニアに住む全ての人間の存亡にかかわるような出来事なのかしら? という考えが浮かんでは直ぐに消えていった。

 

「で、あんたは今何の力を呼び出したわけ?」

 

ルイズは自分がクリスタルの力をどうこうするのを諦め、話を元に戻す。

そもそもな話、バッツは今の状況で役に立つような知識を持った力を呼び出したのだ。それが何なのか知りたかった。

 

「吟遊詩人さ」

「詩人?? 詩人……って、あの、アレ?」

「そう、多分ルイズの考えているので大体合ってるよ」

 

吟遊詩人ならルイズも知っている。領地で暮らしていた頃、何度か屋敷にやって来たのを覚えている。

子供心に、彼らの歌って聞かせてくれる物語に心躍らせたものだ。その多くは始祖やイーヴァルディの勇者の話や、トリステインの旧い勇将たちにまつわる英雄譚であった。

ルイズは幼いころに吟遊詩人の来訪を楽しみにしていたのを思い出す。

 

「で、それが何の役に立つっての?」

「餅は餅屋、ってね。俺には詩文の才覚は無いけど、吟遊詩人の力を借りればちょっとは楽なんじゃないかな?」

 

成程、とルイズは唸る。確かに何の下敷きも無いまま、ただ単に文章の上っ面だけを拾って行くよりはきちんと理解して進んでゆく方が効率が良いのだろう。

一通りの説明が済んでまた本読みに戻ったバッツの姿を横目に見ながらも、ルイズもまた自分の作業に戻った。

本当はまだまだ聞きたい事が山ほど残っているが、今は優先するべきものがある。

なに、忙しいのもどんなに長くても後二週間程度。暇が出来た時ゆっくりと聞けばいいのだ。バッツだって居なくなるという訳でもない。

じっくり話をする機会だって沢山あるのだ。何も今、全て知る必要は無い。

その日はそのまま、夕食の時間になるまで図書館に閉じこもって資料に目を通し続けた。

 

夕食後、食堂でキュルケと顔を合わせた時に明日から暫く授業を休む事を伝えるのを一応は忘れないでおいた。

別に自分が授業を休もうがどうしようがキュルケには関係ないとは思うが、何故か心配してくれたキュルケの事を考えると黙っているのも悪い気がしたのだ。

そもそもルイズのヴァリエール家とキュルケのツェルプストー家は古くから敵対関係にあり、まさに犬猿の仲と言ったところだ。

実際、魔法学院に入学してからもルイズとキュルケは親しくしていた事は少ない。親同士だって仲は良くないだろう。

今年になって同じクラスになったから顔を突き合わせる事も必然的に多くなって来たが、それまでは殆ど関わりを持たないに等しかった。

それが最近、親しげにしている事が多くなってきた。特にアルビオンから帰って来た後、わざわざルイズの様子を見に来るなんて考えられもしなかったものだ。

また、以前のルイズならば必要以上にキュルケを目の敵にしていたものだが、魔法が使えるようになって以来心に余裕ができたのか、今まで散々宿敵扱いしてきたキュルケにも態度が軟化していた。

明日も授業を休むことをキュルケに告げるとはじめは怒鳴りかけたものの、きちんと訳を説明すると意外なほどあっさりと理解を示した。

ルイズの創る祝詞なんて悪い意味で凄い出来になりそうだとからかうのを忘れなかったが。

 

そんなこんなで大して波風も立つことなく夕食を終えたルイズは、そのまま真っ直ぐにバッツのコテージへと足を向けた。

もう図書館はしまっているので、作業の続きをバッツの所で進めようと言うのだ。

本は全てバッツが道具袋に入れて運んでくれたおかげで大した労力も掛からなかった。というか最初からそう運べば良かったのだ。

ルイズは詩文の手解き本を大体読み終え、バッツも過去の祝詞に全て目を通し終えたので早速祝詞作成に取り掛かる。

まぁ読み終えたと言ってもルイズはまだ何冊もある解説本のほんの一、二冊を読んだに過ぎないのだが。

とにかく時間が無いのだ、残りは必要に応じて必要な個所のみを参照するようにして行かなけらばならない。

先ずはバッツがピックアップした「良く使われる表現・主だった形式」を白紙に書き連ねる。それに資料と共に渡されていた草稿を組み合わせれば祝詞の一つや二つは簡単に出来あがりそうである。

でもルイズはそれで良しとはしなかった。

当然であろう。

本人が望んではいないとはいえ、大切な友人でもあるアンリエッタの婚礼に贈る言葉が、あり合わせを繋ぎ合わせただけの陳腐なモノだなんてルイズのプライドが許さない。

詩歌の才能など持ち合わせていないルイズではあるが、何かひとつでも独自色を出さなければ気が済まない。

工夫がしやすそうで、しかも効果てきめんなのはどの個所であろうか。必死に目を凝らして草稿を読み返す。

 

「特色出そうって考えたら、やっぱ冒頭の火から始まる四大系統に対する感謝の辞なのよねぇ……」

 

ポリポリと頭を掻きながらルイズが呟く。

 

「今まで誰も見た事無いような、それでいてインパクトの強い文言……」

 

そう言いながらルイズの視線がバッツの方へと向けられる。

 

「? どうした?」

「ねぇバッツ、あんた何か気の利いた文章の一つでも思いつかない? なんだったらあんたの国の有名な詩の一節でも良いわ。どうせこっちの人間には判らないだろうし」

「あり合わせじゃ嫌だって言ったのは何処の誰だよ。」

「あんたの国ってとっても遠いんでしょ?なら少なくともトリステインでは知られていない物の筈よ。それに私は詩人でもないし、そっちの方面の才能だってありゃしない。結局は誰かの手を借りる事になるんだから、それなら他の誰も知らないようなとこから引用してきた方が良いってもんでしょ」

 

とルイズは無駄に自信たっぷりに胸を張って言う。

ルイズの言わんとする事は理解できないでもないし、実際そうなのかもしれない。が、こうも開き直られると逆に清々しい。

バッツとてクリスタルの力を借りている手前、あまりルイズに対して偉そうなことは言えない。

本来なら用意された草稿に沿って作成し、添削を受けてほぼ王宮の用意した通りの祝詞が完成するのであろう。

それを考えれば少しでも独自色を出そうとするルイズの姿勢は褒めるべきなのかもしれない。いささか他人頼りなのが気になるが。

 

バッツは竪琴を取り出し、コホンと軽く咳払いすると詩を一つ歌った。

それはクリスタルの歌。無の中から世界を形造った四つの心の詩。そこから『無』と『クリスタル』の要素を巧く切り放してルイズから隠した。

無の力の事をルイズに教えたくなかったのは、『虚無』と混同されては困るからだ。

無の力はこちらの『虚無』のようにキレイな力では無い。全てを呑み込み、無に還す恐るべき力だ。そんなものをルイズが知る必要は無い。

そしてクリスタルの事を隠したのは、この世界にもクリスタルがあった場合を考えての事だ。

自分に力を与えてくれた存在としてのクリスタルの説明はしたが、それがバッツの世界の根源を司る存在だとは教えなかった。

もしこの世界にもクリスタルが存在したとしたら?

今はまだ発見されていないようだが、もし自分の言動が発端となってクリスタルが探し出され、更にはそれが利用されるような事態に発展してしまったら?

もちろん、このハルケギニアにクリスタルが存在するかどうかは分からない。

バッツの世界と同じようにクリスタルによって生み出された世界なのか、それとも、そんなことは全く関係なく存在している世界なのか。

バッツには判別しようがないが、万が一という事も考えられたのでこの二点は伏せておく事にした。

一部欠けた状態で歌い上げたものだから繋がりが不自然な点も出て来たが、そこは吟遊詩人の技術に助けられ、アドリブで巧く繋いでみせた。

 

「ふーん、なかなか面白い歌じゃないの。四つの系統をそれぞれ心に絡めて表現するってのも良いかもしれないわね。より、自然と魔法と人間の一体感が感じられるわ」

 

ルイズが感想を述べる。単に四大系統と始祖への賛辞に留まらず、それに人間とのつながりを強調するのも良いかもしれない。

始祖のもたらした魔法が今の人間に深く根ざしていると考えるのも悪くはないだろう。

 

「そのフレーズ頂きね。ああ、もちろんそのまんまは使わないわよ。ちょちょっと手を加えて、それっぽく仕上げるわ」

 

そういってルイズは卓上に広げた白紙に向き直すと、軽やかにペンを走らせた。

今回バッツに割り振られたのは、歴代の祝詞から重要語句や頻繁に使用されている表現・文法をリストアップする事だけである。

あくまで最終的には自分の手で作り上げたいというルイズの意向を尊重し、バッツはそれ以上手出し口出しは控えようと決めた。

だがそうすると、とたんに手持無沙汰になる。

ルイズは卓に向かい祝詞の作成に取り掛かっているし、ボーっとしているのも何なので、ルイズの邪魔にならない程度に、それでいて作業がはかどるようにと竪琴を鳴らす。

竪琴の音色が夜の静けさの中に心地よく響く。ルイズもそれが気に入ったのか、別に止めろとも言わずに執筆を続けている。

暫く演奏を続けていると、コテージの扉を叩く音が聞こえて来た。

はて、こんな時間に誰だろうと迎えに出ると、そこにはシエスタが立っていた。

聞けば、今日の仕事も終わり宿舎に戻る途中に竪琴の音が聞こえて来たので寄ってみたのだと言う。

 

「バッツさんって凄いんですね。こんなに上手に竪琴を弾けちゃうなんて」

 

シエスタが目を輝かせて言う。強いだけじゃなくて音楽にも詳しいんですね、とバッツを褒める。

クリスタルの力を借りている手前、バッツはシエスタの言葉をどこかこそばゆく感じる。自分の力じゃないんだけどな……。

でもピアノだったら自分の力で弾けるんだし、機会があったら今度はピアノの腕前を披露しようかな? なんて考えてみる。

 

「でも何で竪琴を弾こうだなんて思ったんですか?」

「今度、この国の王女様が結婚するだろ? その式典で読み上げる祝詞をルイズが作る事になってさ。その助けになればって思ってね」

 

そうなんですか、大変ですね、とシエスタはルイズの方を見る。

 

「そうだシエスタ。あんたって何処の生まれ?」

 

卓に向っていたルイズがこちらに体を向ける。

 

「タルブですけど、それが何か?」

「タルブねぇ……。あんたの田舎に伝わる、なんかめでたそうな民謡みたいなのって何かない? 参考にしたいのよ」

「おめでたい、歌ですか……? おめでたいかどうかは分かりませんが、古くから伝わる子守唄だったらありますよ」

 

コホン、と咳払いしてシエスタが歌い出す。

 

   可愛や坊や 可愛や坊や 坊は良い子や おねむりよ

   坊は良い子や 安心しな

   坊には四つの ご加護が付いている

   一つは炎 炎は心に勇気をくれる

   一つは水 水は心に癒しをくれる

   一つは風 風は心に英知をくれる

   一つは土 土は心に希望をくれる

   始祖様が生んだ四つの光

   坊に ご加護がある限り 坊は安心 おねむりよ

   良い夢を見て おねむりよ

 

シエスタの声が心地よく響き、その曲調と相まって不思議と優しい気持ちになる。

優しく響くシエスタの歌を聞きながら、バッツは母の声を思い出していた。三つの頃に死んだ母の面影が、ふとシエスタに重なった。

決して、シエスタの顔がバッツの母親に似ていると言う訳ではない。

だが、彼女の醸し出す温かな雰囲気に遠い日の記憶が思い起こされたのだ。

我知らずバッツの頬を伝う涙にシエスタが気づく。

 

「どうしたんですか? バッツさん」

 

言われて初めて自分が涙を流している事に気が付いたバッツは、慌てて誤魔化す。

 

「いや、シエスタの歌があんまり心地いいもんだから、眠くなっちゃって。悪いとは思ってるんだけど、つい欠伸が出ちゃってね」

 

ハハハ、と笑って誤魔化すバッツ。シエスタも涙の訳に気が付かなかったのか、それ以上追及する事も無かった。

 

「なんかバッツの歌と似た感じね」

 

とルイズがタルブの子守唄に対して感想を付ける。確かに考えてみれば似ている様な気がする。偶然の一致にしては出来過ぎのような気もするが、まぁ似ているのも偶然なのだろう。

こちらの世界とバッツの世界の間に何か接点があるとも思えない。似ているというだけで何が繋がりがあると考えるのは少し早計すぎるだろう。

 

「折角いいフレーズだと思ったのに、タルブの子守唄に似た文言があるんじゃ使えないわね」

 

ルイズが残念そうに溜息交じりに言う。

 

「すみません、ミス・ヴァリエール。私が出しゃばった真似をしたみたいで……」

「いいのよ、あなたのせいじゃないわ。むしろ早めに判って良かったのかもしれない」

 

気落ちするルイズにバッツがフォローを入れる。

 

「別に良いじゃないか。古い歌を参考にしました、って言えばそれはそれで格好いいじゃないか? この歌だって歴史あるものみたいだしな」

「そうね。別に他国の歌じゃないんだし、タルブが田舎だって言ってもトリステイン国内には変わりないわ。よし、このまま進めてみるわ」

 

と祝詞作成を再開しようとしたルイズであったが、シエスタの「もう遅いので私は自分の部屋に戻りますね」という一言で初めて時計に目をやった。

時間は既に九時を回っていた。

別に明日から祝詞の完成までの間授業を休むので早起きの必要はそれほどないが、朝食の時間との兼ね合いもあるので余り夜更かしもできない。

それに遅くまでバッツの元に居てなにか善からぬ噂をキュルケ辺りから立てられるのも良い気はしない。

残りは自分の部屋で、とバッツが書き記した単語や表現の束をつかむとシエスタの後を追うように自分の部屋へと戻っていった。

一人コテージに残されたバッツは本の山を手早く整理すると、寝る前にもう一度竪琴を爪弾いた。

シエスタの子守唄を聞いて、どうしてもこの曲を弾きたくなってしまったのだ。

 

「良い曲じゃねぇか」

 

壁に立て掛けておいたデルフリンガーがバッツの曲を褒める。

そうだ、まだこの小屋内にはデルフがいたのだ。

 

「思い出の曲さ。俺がまだ小さかったころ、家でよく聴いていたオルゴールの曲だ」

 

バッツは母・ステラの事を思い出しながら弦を弾く。

幼い頃に死んでしまった母の面影を懐かしみながら、何時になく心穏やかで居られるのは、やはりあの子守唄のお蔭なのだろうか?

目を閉じ、まぶたの裏に母や父のことを思い出しながら緩やかに音をつむぐ。

郷愁を誘う穏やかな旋律が、二つの月が照らす夜に溶けていった。



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第23話 皇帝クロムウェル

支配者が交代して数日、神聖アルビオン共和国は表面上は特に混乱する事も無く平静を保っていた。

それは、国家元首は変わったけれども、政治の中枢を担う貴族の顔ぶれに大きな変化が無かったからである。

最後まで国王側につき命を落とした者たちを除けば、多くの貴族が役職そのままに新体制に移行したのだ。

メイジではない者、貴族でない者が国のトップに立つ──。

それは一部の平民達に大きな希望を抱かせるものではあったが、大半の国民にとっては明日の生活に困らなければ誰が国の舵を取ろうが関係は無い。

良き施政者であれば、それがメイジであろうが非メイジであろう大差ないのだ。

 

 

アルビオンの首都ロンディニウムにそびえる白亜の王宮・ハヴィランド宮殿。

“白の国”と呼ばれるアルビオンを象徴するその豪奢な王宮の一室で会談が行われていた。

極限まで磨きあげられ鏡のように輝く壁に囲まれたその部屋の中には、これまた磨き上げられた豪華な装飾の施された机が設えてある。

その机の一端に座るのは、今やこの国の“皇帝”となったクロムウェル、もう一端に座るのはゲルマニアから来た使節であった。

クロムウェルはニコニコと穏やかな顔を浮かべているのに対し、ゲルマニアの使節は眉間にしわを寄せている。

 

「本来ならば此方から出向いて行かなければならないところを、呼びだてた形になってしまって申し訳ない。

何分、国内での雑事に追われて寝る時間すら碌にとれぬ状況でありましてな。いやはや、いきなりこのような無礼を働くことをご容赦願いたい」

 

そう言ってクロムウェルは深々と頭を下げる。

如何に平民生まれとはいえ、今や神聖アルビオン共和国の元首である人間に頭を下げられたのでは居心地が悪い。

ゲルマニア使節は慌ててクロムウェルに頭を上げで貰うと、冷や汗を拭いながら話を進めた。

 

「それで、この度の要件というのはどういったものでありますかの」

 

ゲルマニア使節は注意深くクロムウェルの様子を窺いながら椅子に腰かけ直す。

 

「余は、貴国ゲルマニアとの友好な関係を築きあげたいと思っている。勿論それは貴国だけではなく、このハルケギニア全ての国に対してでもあるが」

 

コホン、とわざとらしく咳払いをする。

 

「今回は悲しい行き違いによってこの様な結末を迎えたが、余とて争いは望むところでは無い。」

 

“この様な結末”──つまり武力による制圧の事である。自分達から仕掛けておいて、望むも望まぬもないだろう、と使節は心の中で悪態を吐く。

 

「ついては貴国との間に相互不可侵条約を締結したいと思っている」

「不可侵……ですと?」

 

予想外のクロムウェルの発言に使節が眉間により一層深い皺を寄せる。

無理もない。アルビオン自体は由緒正しき国であったが、今目の前にいる男は元をたどれば何処の馬の骨ともしれぬ人間なのだ。

それがいきなり不可侵条約を結びたいなどと言い出している。

もちろんゲルマニアとしても不要な争いの火種になりそうなことは避けたいし、自国内でも『レコン・キスタ』に同調する貴族が現れ始めている現状では悪くない話ではある。

だが、アルビオン滅亡という前例がある以上、『レコン・キスタ』をそう易々と許容するわけにはいかない。

 

「信用できぬかな?」

「申し訳ないが我々は貴殿の人となりをまだよく知りませぬ。新興国だからと馬鹿にする訳ではないが、我らとの間に信頼関係も無いうちにいきなり不可侵条約などと言われても、信用しかねますな」

「そうか……」

 

困った様な素振りで顎を撫でつけるクロムウェルの、左手に嵌められた指輪の青い宝石がキラリと光る。

 

「信用が無いと言われればそれまでではあるが……。我らを信用できぬというのは、交差する二本杖も信用できぬ、と言っているようなものなのだがな……」

 

ぼそり、とクロムウェルが呟く。

はて、交差する杖とな……? と使節が首をかしげたのも束の間、大きく両目を開き飛び上がらんばかりに驚く。

 

「“交差する杖”……。まさか、貴殿の後ろにはガ……」

「まぁ、それはよいではないか」

 

驚愕の表情のまま言葉を発する使節の言葉を遮るクロムウェル。言葉を制するように突き出した左掌を見るうち、使節の目がトロンと虚ろになっていく。

目が虚ろになると同時に使節の動きも止まる。机に両手をつき、立ち上がろうとする姿勢のまま動きが固まってしまった。

そのままの体勢で数秒が経過しただろうか、まるで何も無かったかのように使節は椅子に座り直す。

そんな使節の様子を満足げに眺めながら、クロムウェルは話を続けた。

 

「信用というのはこれから積み上げてゆけばよい。違うかね?」

「仰る通りで」

「その第一歩として我らが不可侵条約を結ぶのは当然ではなかろうか?」

「げに」

「よろしい」

 

満足げにほほ笑むクロムウェルがパンパン、と手を叩くと、控えていた文官の一人が条約文の書かれた紙を持ってきた。

 

「内容に不備はないと思うが、念のため確認をしてほしい。まだこれは草案ではあるが問題が無いようであれば、持ち帰って評議にかけてくれたまえ」

 

促された使節は文面に目を通す。

 

「結構です。この二国間協定が無事成立するよう、私も尽力いたします」

「うむ。次に会うときは互いにより条約締結の場であると確信しておるよ」

 

クロムウェルがそう言って使節と固い握手を交わすと、会談はそれでお開きとなった。

使節は連れて来た護衛を引き連れて退室し、残りのアルビオンの文官や警護の者たちも続いて部屋から出て行った。

クロムウェル一人が残った部屋に、女が訪れた。

黒い髪を長く伸ばし、その髪よりも黒いローブを身に纏ったその女は、年の頃で言えば二十代半ばくらいであろうか。

真っ白に磨き上げた部屋の中では、その漆黒の風貌はまるで影か幻のように見え、異様な雰囲気を放っていた。

ローブは着ているが、マントは着用しておらず杖も持っていない。その事から察するにメイジでは無いようではあった。

 

「おや、これはこれはミス・シェフィールド。何用かな?」

 

シェフィールドと呼ばれた女は、クロムウェルを見下すように視線を返す。

 

「何用かとは、これはまた随分な挨拶ですわね。皇帝という座は、ここまで人間をを勘違いさせるものなのね、司教殿」

「これはこれは手痛い。だが『皇帝』という役を完璧に演じるには致し方あるまい。下手にボロを出すよりは余程ましではないかね? それに、それこそがお前たちが余に求めた役割だろう?」

「ものは言いよう、というわけですね」

 

クロムウェルの演技がかった態度が気に食わないのか、シェフィールドと呼ばれた女は不機嫌そうな顔をしている。

対してクロムウェルはそんな反応を楽しむかのように微笑を浮かべている。

 

「……で、今の一団は?」

 

廊下ですれ違うか見掛けるかでもしたのであろうか、女はゲルマニアの使節の事を聞きたいようだ。

 

「あれはゲルマニア皇帝の使いの者だ。今しがた二国間に相互不可侵条約締結を打診したところでな。まぁすぐに締結となるだろうが」

 

クロムウェルの説明を聞き、シェフィールドは眉間にしわを寄せる。

 

「あなた、我々の計画を台無しにするつもりなの? 我らの標的はトリステインなのであって、ゲルマニアなどお呼びでは……」

 

そこまで言って、シェフィールドはこの部屋に自分たち以外の人間の気配があることに気が付く。

 

「誰!」

 

部屋の一角に向かって叫ぶ。もしどこぞの密偵でも潜り込まれているのであれば、一大事だ。

 

「流石はミス・シェフィールド、勘が鋭い。だが心配は要らぬ」

 

クロムウェルが二度三度と手を叩くと部屋の隅、シェフィールドの睨む方向とは別の箇所から一人の男が現れた。

 

「彼はワルド子爵。まぁ、正確には元子爵だがな。今は余の護衛として余の影となり働いてくれている。心から頼りになる男だ」

「ワルド……“元”子爵?」

「この前拾ったのだよ。ふふふ、全く良い掘り出し物を拾えたものだ」

 

無言のまま佇むワルドの事が気に入らないのか、シェフィールドは警戒を解かない。

 

「ふむ。子爵の事がお気に召さないようだ。それでは悪いが子爵、しばらく席を外してもらえないだろうか?」

 

クロムウェルの言葉に、ワルドは一礼すると扉から出て行った。

 

「彼はとても信用のおける人間なのだがな。まぁ気なるのであれば致し方あるまい」

 

クロムウェルは指にはめたリングをさすりながら意味ありげな微笑を浮かべる。

 

「それはそうと不可侵条約ですって? あなたは何を勝手な事をしているのですか。あなたは我らの筋書き通りに動いていれば良いのだ」

 

声を荒げてクロムウェルの行動を咎める。しかし当のクロムウェルは何処吹く風、と涼しげな顔だ。

 

「ああ、大筋ではあなた方の言うとおりにしよう。だが政とは水物、臨機応変に対応できなくては意味が無い」

「ゲルマニアの機嫌を取ることが臨機応変だとでもいうのか?」

「まぁそう言うな。それに、ゲルマニアは最初から眼中には無いはず。我らの目的はあくまでもトリステイン、これを手に入れるために余なりに気をきかせたまでだ。それに障害は一つでも少ないほうが好い。

例え形だけであろうとも不可侵条約を結んでさえおけばゲルマニアが余計なことをするのを牽制できるというものだ」

「しかし……」

「言いたいことはわからんでもない。が、血を流すだけが能ではない。杖を振り回すだけが外交ではないのだ、時にはパンをくれてやることも必要だ。それに、計画通りハルケギニアを統一してしまえばゲルマニアの事など、どうとでもなろう」

 

やけに自身たっぷりなクロムウェルの態度が、なおさら彼女の神経を逆撫でする。

 

「あなたは我々にとって単なる駒の一つでしかないのですよ。替えなどいくらでも用意できる。あなたが今そうしていられるのも、我らのお蔭だということを努々忘れることのないように願いたいものですわ」

「勿論。総ては我らが主の御心のままに」

 

クロムウェルが恭しく頭を下げる。

だが今の彼女にとってはクロムウェルの動作の一つ一つが気に食わない。

芝居がかり過ぎていてかえって苛立たせるのだ。ふん、と不快感をあらわにして踵を返すと、そのまま部屋を出て行った。

一人部屋に残ったクロムウェルの顔には不敵な笑みが消えない。

しばらく間をおいて、窓際のカーテンの陰から人影が一つ現れた。

それは先程退室したはずのワルドであった。

 

「今の女は?」

「シェフィールドと呼ばれている。が、それが本名であるかどうかは疑わしいものだがね」

 

ワルドの出現にさして驚く様子もなくクロムウェルが答える。

 

「見たところメイジでは無いようですが、あの者はいったい何者なのですか?」

「我々の後ろ盾だよ。正確には後ろ盾の飼い犬だがな。もっとも、アレ自体は君の『遍在』すら見抜けぬ小物、虎の威を借る女狐に過ぎぬ」

「それではガリアの……?」

「おっと、不用意な発言は止し給え。誰が聞き耳を立てているかわからぬからな」

 

クロムウェルが少しおどけてワルドの発言を遮る。

もちろん、ワルドが警戒を巡らせているこの部屋の会話が外に漏れる事などありはしない。

それがわかっていての冗談である。

 

「申し訳ありません」

「よいよい。余は君に全幅の信頼を寄せている。だが用心に越したことはないのでな」

「しかしガ……いや“彼ら”は一体、何をしようというのでしょうか? 我々(レコン・キスタ)という隠れ蓑を使わずとも、自分たちの軍事力をもってすれば容易いものを」

「さぁな。大方、世界を裏から牛耳る影のフィクサー気取りなのだろう。……まぁ我々には関係ないことだ、頭のイカレた坊ちゃん育ちの人間の考える事などわかりはせんよ」

 

少々大げさに呆れたようなしぐさを見せる。

 

「だが、そのお蔭で我々はここにこうして居る事ができる。馬鹿の気まぐれとて感謝せねばなるまい」

 

話が終わるタイミングを計ったかのように扉をノックする音が響く。続いて文官の声が扉越しに聞こえてきた。

 

「陛下、お時間です」

「ん、ああ、もうそんな時間か。わかった、すぐに行く」

 

クロムウェルが返答すると、文官は去って行った。

 

「ふっ、人の上に立つというのも辛いものだ。公務公務で休む間もない」

 

やれやれと肩をすくめるとクロムウェルは次なる仕事に赴くべく、部屋を後にする。

ひとり部屋に残ったワルドはしばらくの間、何かを考えこむような様子で佇んでいたが、窓を開けると一陣の風と共に部屋から消えた。



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第24話 秘宝伝説

「ねぇバッツ、大金持ちになりたいって思わない?」

 

突然の言葉にデルフリンガーを磨く手が止まる。

ここはバッツのコテージ。中にいるのはバッツ、デルフ、そして今発言したキュルケと、その後ろにタバサとギーシュが立っていた。

 

「大金持ち?」

「そう、大金持ち」

「まぁ、そりゃあ金は無いよりはある方がいいけどさ。でも第一、どうやって大金持ちになるんだ? なにか儲け話でもあるのか?」

「あったりまえじゃない!」

 

ふふん、とキュルケが得意気に羊皮紙の束を取り出す。

 

「なんだそれ?」

 

その束をよく見れば、何やら絵のようなものが描いてあるようだ。地図……か? こちらの地理には詳しくないが、どうやら地形を書き留めたような図案が見て取れる。

 

「宝の地図よ。これで一攫千金を狙うのよ」

「宝……ねぇ」

 

キュルケから宝の地図(らしい物)を受け取ってまじまじと見直す。古そうなものから比較的新しいものまで色々ある。ちょっとは上等そうな羊皮紙に描かれた出来のいい物もあれば、粗末なモノに書き殴ったようだったり走り書きだったりする物もある。

何枚もの地図があるものの、総じて言えることは一つ。

 

「なんか胡散臭いな」

「そりゃまぁ、魔法屋に情報屋、雑貨店に露天商と、いろいろ回って掻き集めてきたんだもの」

「あんまり期待しすぎるもんじゃないと思うけどな。そりゃ少しは儲けが出るかもしれないけど、ひと財産築こうってのは無理なんじゃないか?」

「そんな気構えだから成功しないのよ! これだけあるんだもの、一つくらい大当りがあるかもしれないじゃないの。一つだけでも当たれば、儲けは大きいわよ」

 

キュルケが拳を握って力説する。

 

「この内の大半がスカだって、たった一つでも本物があれば大勝利じゃないの! イチかバチか伸るか反るか、思い切って勝負するのが男ってもんでしょうが!!」

 

などと力説するが、女のキュルケに言われても反応に困る。

ここでふと、キュルケの後ろに控える二人の様子を見る。タバサは……相変わらず無関心そうに立ったまま本を読んでいる。

タバサはキュルケと行動を共にしていることが多いが、我の強くて行動力のあるキュルケがタバサを振り回しているような恰好だ。

いつも無理やり付き合わされている割に嫌そうな顔をしないのは仲が良い証拠なのだろうか。それとも嫌な顔をするのも億劫なほど無表情な性格なのだろうか。

対してギーシュがバツ悪そうにしているのは、さてはキュルケにまんまと言いくるめられたのだろう。

一攫千金という言葉にでも惹かれたか。

 

「ね、いいでしょ。どうせ暇なんでしょ? だったらこんなところで籠ってるより、外に冒険に出る方が健康的ってもんじゃないの」

 

確かに暇ではある。

ここ数日ルイズに協力して祝詞を作っていたのも今は昔のこと。

祝詞もあらかた出来上がり、当のルイズは今朝トリステインの王城に向かってしまった。

結婚式まではまだ数日あるが、いろいろと用意があるとの事。それに、ただでさえ王族の結婚式は当日じゃなくて前後何日かはお祝いの祭りみたいなのが続くらしい。

今回の祝詞作成に際して調べている中で見つけた文献の一つには、一か月近くお祭りムードが続いたらしいことが載っていたりしていた。

当然のことであるが、バッツは列席できるはずがない。

ルイズはこの国の中でもかなり上流の貴族の出らしいが、いかにその使い魔とはいえバッツが参加することは許されなかった。

これが通常の獣の使い魔であれば連れて行くことくらいは可能だったであろうが、なまじ人の姿をしているのでそれもできない。

バッツ自身もアンリエッタ王女と面識はあるものの、特に親しい訳でもないし、面識があるといっても一度会ったきりだ。結婚式に顔を出す義理もない。

ということでルイズが結婚式に出席している間、バッツは学院で留守番という運びになったのだ。

ルイズがいつ帰ってくるかはっきりとした期日を聞いたわけではないが、言葉の端々から1~2週間は帰ってこなさそうな気配を察していたバッツにとって、このキュルケの話はとても魅力的に思えた。

何しろ暇なのである。

独りでブラブラと何処かへ出かけるわけにもいかないし、かといって学院の中ではやることが無い。

学院に雇われているわけではないバッツにとって、シエスタたちの手伝いを多少は出来ても、彼女たちと同じだけの仕事は出来ないのだ。技能的に、というより立場的に。

何度か中断された手持ちのアイテムの整頓だけではとても数週間も潰すことは出来ない。

そんな時に降って湧いたこのお宝発掘ツアーは良い暇つぶしになるだろう。

少し悩む素振りを見せた後、

 

「ああ、いいよ」

 

と承諾する。

 

「よかったわぁ。正直、このメンツじゃ不安だったのよねぇ。特にギーシュが」

「失礼な」

 

キュルケの言葉にギーシュが素早く反応する。

 

「仕方無いじゃな~い? あたしとタバサはトライアングル。比べてあなたは……?」

「う……。ハイハイ、どうせぼくはしがないドットさ。ろくに階級の上がらないうだつの上がらない男だよ」

「よろしい」

 

ギーシュがしぶしぶ自分の現在の実力を認め、キュルケは満足げに笑みを浮かべる。

 

「それじゃ決定ね。それじゃ、これから出発するわよ。各々支度してきなさいな」

「ええっ? 今から出立するのかい!?」

「当たり前じゃない。善は急げ、お宝は待っててくれないわよ。ささ、わかったのならとっとと準備してきなさい。30分後に正門前に集合よ!」

 

キュルケの号令で皆がそれぞれの部屋へと帰ってゆく。

 

「なんだかてーへんな事になっちまったな、相棒」

「暇よりはいいさ」

 

なんてデルフと話しながら軽く支度を済ませ正門へと向かう。集合の時間まではまだ少しあるが、遅れるよりはいいだろう。

 

 

* * * * *

 

 

魔法学院の正門前でキュルケらを待っていると、意外な人物と鉢合わせた。

シエスタである。

彼女と学院内で会うのは珍しいことではないかもしれないが、今日は少し違った。いつもの給仕服ではなく、私服とおぼしき物を着用していた。

 

「あらバッツさん、こんなところで。お出かけですか?」

「シエスタこそ、遠出するのか?」

 

シエスタの服をさして言う。

 

「ええ。王女様のご婚礼を祝って学院もしばらく休校になるんです。だからわたしもお休みを頂いて、ちょっと早めの里帰りをしようと思いまして」

「へぇー」

「それでバッツさんは? 服も……確かこの学院に来られたばかりの頃のものですよね?」

 

女性というものは服装に目ざといものなのだろうか。まぁルイズに買ってもらったモノに比べれば幾分ボロくなってるから目立ったのかもしれないが。

 

「キュルケに誘われて、ちょっと宝探しにね」

「宝探し、ですか。面白そうですね」

「まぁ胡散臭い地図ばっかだったからなぁ。正直なところ、収穫は殆ど無いと思うけどな」

「でも楽しそうですね」

「そうかぁ? 骨折り損のくたびれ儲けだと思うけど」

「ふふ、バッツさん。口ではそう言っていても、顔はそういってませんよ。すごく楽しみだって顔してます」

 

そう指摘されて、バッツは慌てて顔に手をやる。自分でも気が付かないうちにニヤけてたのだろうか。

そうこうしているうちにチラホラとメンバーが集まりだした。

事前に用意をしていたであろうキュルケを先頭に、ほぼ手ぶらのタバサ、慌てて詰め込んだであろう膨れたトランクを抱えたギーシュの順だ。

 

「あら、あなたは確か使用人の……名前なんて言ったかしら?」

「シ、シエスタです」

 

バッツと一緒にいるシエスタに気が付いたキュルケが名を問う。貴族であるキュルケに名前を聞かれ、シエスタは少し畏まって答える。

 

「給仕服じゃない……ってことは、あなた暇?」

「ええ、まぁ。お休みを頂きましたから」

「それじゃあなた、料理は出来るかしら?」

「はぁ、難しいものでなければ」

 

キュルケの質問の意図がわからないまま答える。

ふ~ん、と少し考えるような仕草をした後、キュルケはポンッとシエスタの肩をたたいた。

 

「決めたわ。あなたもついていらっしゃい」

「え? ええ? で、でも、わたし、実家に帰ろうと……」

「あなたの休暇は何日なの?」

「えぇっと……、10日ほどですけど……」

「それじゃ問題無いじゃない」

「でも、家には帰るって伝えちゃいましたし……」

「心配いらないわ、ほんの2~3日程度の予定だし。なんなら、最後にあなたの実家まで送るサービスも付けるわよ」

「でも……」

「ああもう、じれったいわね。連れて行くと決めたんだからジタバタしないの」

 

尚も渋るシエスタの態度に業を煮やしたキュルケはシエスタの首根っこを掴むとタバサに命令した。

 

「さぁ、出発するわよ。あなたの風竜を呼んでちょうだい」

 

タバサはこくんと頷くと、口笛で使い魔の風竜を呼ぶ。

何処から聞きつけるものか、数秒と待たずして羽ばたく音が聞こえてくる。

ぶわっと風を巻き起こしながら竜が降り立つ。竜はその巨体と厳つい顔つきに似合わず、きゅいきゅいと可愛らしい鳴き声をあげた。

子犬が主人にじゃれ付くようにタバサに甘えるその風竜は、見た目よりは幼い個体なのかもしれない。

しばらく皆と離れ自分の使い魔と何やら会話したらしいタバサは、トコトコと戻ってくると開口一番、

 

「人数が多い、これじゃ飛べない」

 

と言った。

 

「でもあなたの風竜ならこれ位の人数なら問題ないでしょう?」

 

キュルケがタバサに問う。それに対してタバサは表情を全く変えることなく答えた。

 

「人間だけなら問題ないけど、荷物と他の使い魔までは無理。しかも長距離となると難しい。荷物も載せるのなら、3人が限度」

 

タバサの淡々とした説明を聞いたキュルケは、少しの間う~んと考えると口を開く。

 

「じゃあ仕方ないわね。ギーシュ、シエスタ。残念だけどあなたたちは置いていくわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれたまえ!」

 

キュルケのいきなりの発言に、たまらずギーシュが反対する。

 

「なんだいなんだい、誘ってきたのはそっちじゃないか。それをいきなり『定員オーバーだから連れていけない』だなんて言われても、納得できるか!」

「だって載せられないんじゃ、一緒に行けないでしょうが」

「だったら馬なり馬車なり、他の移動手段を考えればいいだけだろう」

「嫌よ。馬なんか使ったら一日に一つ回るのが関の山よ。そんなにのんびりなんてしていられないわ。時間は有限なの。有効に有意義に使わなきゃ損じゃない」

「じゃあなんでバッツは連れて行くのに、ぼくは置いてけぼりなんだい!? 声をかけた順で言うなら、ぼくじゃなくてバッツを残すのが筋ってものだろう?」

「だってぇ……」

 

キュルケが一同の顔を見回して一言。

 

「この中じゃ、あなたが一番弱いからよ」

 

この一言にギーシュも反論できなかった。

キュルケもタバサもお互いに得意な系統は異なるがトライアングルであるし、バッツだって系統魔法こそ使えないものの、その実力はギーシュを上回るだろう。

確かにこのメンバーの中で一番見劣りするのは自分であることは間違いないし、多少なりともその自覚は、ある。

でも、それでもこの昂った気持ちを「はい、そうですか」と諦めることは難しい。

有効な反論も思い浮かばずぐうの音も出ないギーシュに助け船を出すものがいた。

 

「要するに、定員オーバーなんだろ?だったら他の手段も併用すりゃあいい」

「なにを言っているんだい、バッツ。今聞いた通り、馬じゃあの風竜についていくことは無理だ。かといってぼくらには他に風竜を用意する手段はない」

「だから、馬より早けりゃいいんだろ?」

「まぁそれはそうなんだがな」

「じゃ、少し待っててくれ」

 

そう言い残すとバッツは小走りで皆から離れて視界の外へ行く。

周りに誰の目もないことを確認してから地面に魔方陣を描くと、短く呪文を詠唱する。

少しばかり光ったかと思うと、次の瞬間には魔方陣の上には黄色い巨大な鳥、チョコボが現れていた。

この前呼び出したチョコボと同一の個体かはわからないが、相変わらず人懐っこそうな顔をしている。

バッツは現れたチョコボに手早く専用の鞍等を取り付け、手綱を引いて皆の元へ戻った。

 

「な……なんなんだ、その鳥は!?」

 

まぁ予想通りというかなんというか、チョコボを見た皆が口々に驚きの声を上げる。

どうやらこちらの世界ではチョコボは一般的ではない、又は生息していないであろうことは前回の事で大体察しはついていたが、なるほど、その予想はあっているようだ。

キュルケたちはおっかなびっくりチョコボに近づいては、その一挙手一投足に反応をしている。

 

「そんなに警戒しなくても大丈夫だ。こいつらは草食で人を食ったりはしないよ」

「で、この大きな鳥(?)に乗っていくってわけ? でもシルフィードについてこられるかしら?」

 

キュルケの心配ももっともである。が、チョコボはバッツの世界では最もポピュラーな高速移動手段であり、空路を往くなら飛竜、陸路を往くならチョコボと言われるくらいだ。

それにチョコボの脚は速く、飛竜に劣らず陸を駆けることができる。馬なんかよりも断然速い。

しかも巨体であるがゆえに搭乗可能人数は多く、荷物があろうと3人くらいは余裕で乗せて運ぶことができる。

チョコボについて軽く説明すると、キュルケも納得がいったようで早速どちらに誰が乗るか組み分けを始めた。

 

「じゃあ先ず、それぞれの騎手としてチョコボとかいう鳥にはバッツ、そしてシルフィードにはタバサ……って、タバサ? あれ、どこ行ったのかしら?」

 

先程までシルフィードの傍にいたはずのタバサの姿がないことに気が付く。

いつも無口で大人しいから、こういったふとした瞬間にコッソリ居なくなられると気が付くのが遅れて困るものだ。

辺りをキョロキョロと見回すと、タバサは意外なところに居た。

なんと、体を屈めたチョコボにピッタリと張り付き、その羽毛に顔をうずめていたのだ。

そのままの姿勢でじーっと微動だにしない。

 

「タバサ? おーい。ねぇタバサ、タバサ~~? 聞こえてるの??」

 

キュルケの何度目かの呼びかけに漸く反応を見せる。

 

「あなた、一体何してるのよ」

「…………バッツの匂いがする」

「ハァ? あなた何言ってるのよ」

「この鳥から……バッツと同じ匂いがする」

 

そんな馬鹿なと思いながらも、キュルケもタバサのようにチョコボに顔を近づけてにおいを嗅ぐ。

 

「……鳥臭いだけだわ」

「でも、バッツの匂いがする」

「これのどこがバッツのニオイなのよ。いくらなんでもバッツに失礼じゃなくって? ねぇ、バッツ」

「ああ、やっぱりまだ臭いが体に染みついてるか」

 

鳥臭いと言われて腹を立てるどころか、まるで当然とばかりにバッツは答える。

 

「チョコボ乗りの宿命ってヤツでさ、どうしてもニオイが移ってチョコボ臭くなっちゃうんだよな」

「え」

「最近は乗ってなかったから大分臭いも薄れてきたと思ってたけど、やっぱりそうそう取れやしないか」

「あの……バッツ?」

「何だ?」

「あなた、“鳥臭い”って言われて嫌じゃないの?」

「別に。汗臭いとか汚物の臭いがするってのと違ってチョコボ臭いのはチョコボ乗りの宿命だからな。他の騎乗用動物と同じで、どれだけ一緒に居られたかが腕を左右するから『チョコボ臭くなって一人前』って言われるくらいだし。ま、臭いの好き嫌いは結構あるけどな」

 

鳥臭いと言われているのに気にする様子もなくあっけらかんとしているバッツ。

 

「あなた……変わってるわね」

「そうか? ま、体臭で嫌われるのは嫌だけど幸運にもそうじゃないみたいだからな。別に気にはならないさ」

 

鳥臭いと言われても全く気にすることなく、いつもと変わらず飄々と旅支度を進めるバッツの姿を見て、キュルケが呆れ顔でつぶやく。

 

「変な人。ま、いいわ」

 

バッツが風変りなのは今に始まったことでもなし、キュルケは別段気に留めるでもなく次は班割りに着手する。

チョコボの足の速さは未知数だけど、シルフィードに乗ったことのあるバッツが太鼓判を押すくらいだ、きっと馬よりは速いのだろう。

思わぬ足の登場で同行人数の問題が解決したから、次は誰がどちらに乗るか、だ。

 

「じゃあ次は組み分けいくわよー。バッツと一緒にチョコボに乗るのはギーシュとシエスタ。あたしとタバサはシルフィードに乗って先行するから、バッツたちは遅れないようについてきて頂戴」

「ちょっと待った!」

 

ここでまたギーシュが異議を申し立てる。

 

「なによ。あなたも一緒に行けるようになったんだからいいじゃないの」

「どこも良くはないよ! 勝手にどっちに乗るのか決められては困る」

「別にどっちでもいいじゃないの。空を行こうが陸を行こうが、変わらないわ」

「変わるよ! あの鳥……バッツには悪いけど、万が一にもこのぼくに臭いが移るようなことがあったら困る」

「何が困るのよ」

「服が鳥臭くなっちゃ、女の子を誘うこともままならないじゃないか!」

「いいじゃないの、元々自分で思うほどはモテててないんだし」

 

またもやキュルケの鋭い一言が再びギーシュに襲いかかる。

またもや認めがたくはあるが真実ではあるのでギーシュは反論できない。

反論できないが、認めたくはない。

そこに、

 

「まぁまぁ。一日二日で臭い移りするわけでなし、チョコボだっていいもんだぞ? そんなに毛嫌いされちゃ、コイツも可哀想だ」

 

と、バッツがフォローを入れる。

なんかさっきからギーシュがやり込められてばかりなのは一寸可哀相だし、何よりチョコボが悪く言われるのは何か気分が悪い。

バッツの言葉に同調するかのようにチョコボが「クエッ」と鳴き、人懐っこそうな顔をギーシュに摺りよせる。

目を合わせると、意外にも子猫がおねだりする様な愛嬌たっぷりなその瞳に心がちくりと痛む

その巨体に似合わず可愛らしい仕草を見せるチョコボの姿に思わずギーシュの顔も緩む。

 

「わかった、わかったよ。悪く言って済まなかった」

 

チョコボの思いもよらぬ可愛さにあてられて、ギーシュが折れた。結局、シルフィードにタバサとキュルケが乗りチョコボには残りの三人が乗る事が決定した。

 

 

漸くの出発である。太陽はだいぶ高くなっているが、まだギリギリ午前中といった時間帯だ。

真上近くから降り注ぐ太陽の光を受け、二匹の獣が魔法学院を発つ。

シルフィードは、幼体とはいえ空の王者である風竜の名に恥じぬ素晴らしいスピードで空を駆ける。

 

「やっぱシルフィードはいいわねぇ、外見はあたしのフレイム程じゃないけれど。あの子じゃ、あたしたちを乗せて高速で移動することはできないわ。この点だけは負けを認めざるを得ないわ」

 

と、傍らで伏せる自分の使い魔をなでながら言う。

顔をなでる風が心地よい。上空、と言ってもそれほど高高度を飛んでいるわけではないので気温自体は低くはないが、常に風にさらされているのでやはり少し肌寒いのが難点か。

でも眼下に広がる景色や飛ぶ鳥たちを追い越していく様を眺めるのは非常に気持ちいい。

地図はタバサに押し付けてあるので自分はゆっくりと空の旅を満喫するだけでよい。

ふと眼下の景色に目をやれば、木々の間に黄色い点が見える。バッツたちの乗ったチョコボの姿だ。

このシルフィードの速度に遅れずピッタリ付いてくるとは、いやはやバッツが太鼓判を押しただけはある。

どこから連れてきたかは知らないけれど、これからも移動の足として期待できそうだ。バッツの協力が前提ではあるが。

今回のように大人数で移動するときには重宝するだろう。自分は鳥臭くなるのは勘弁だけれど、他の人を乗せればいい。自分はタバサとシルフィードに乗ればいいのだから。

 

「わ、わ、わ。すっごく速いですね!」

 

一方のチョコボ組は軽快に飛ばしていた。馬の何倍もの速度で森を駆けて抜けてゆく。

 

「でも、馬に比べてすっごく乗り易いですね。お尻が全然痛くありません」

 

シエスタが感想を述べる。ちなみにチョコボの上では手綱を引くバッツを中心に、その前にバッツに抱かれるようにシエスタが座り、ギーシュはバッツの後ろにしがみついていた。

しがみついていた、と言ってもチョコボは振り落とされるような乱暴な走りをしているわけではない。単に速すぎて少しばかり怖気づいているだけだ。

更にちなみに、チョコボはその羽毛のおかげて乗り心地は馬に比べてとても良い。背中側に結構羽毛が密集しており、人を乗せるために進化したようにも思えてしまう。

 

「それにしても、こんな便利な鳥がこのトリステインに生息していたなんて驚きだな。よく今まで誰にも知られていなかったものだ。それとも、平民の間ではポピュラーだったりするのかい?」

「わたしもこんな鳥初めて見ました。バッツさんはどこから連れてきたんですか?」

「まぁ、ね。色々とあるんだよ」

 

とバッツは言葉を濁す。召喚魔法の事を教えてもいいが、それはそれで面倒になりそうだ。

以前オスマン氏から魔法の事を伏せて欲しいみたいなことを言われた覚えもあるし。

ま、細かいところは説明する必要はないだろう。今はまだ。

 

 

* * * * * *

 

 

日中は目前に迫った式典の準備に皆が慌ただしく動き回っていたトリステイン王宮も、二つの月が昇る頃になると漸く落ち着きを見せる。

静けさを取り戻した王宮内の自室で、アンリエッタはルイズの髪を梳っていた。

 

「もうすぐ、式でございますね」

「そうね、ルイズ」

「おめでたい事です」

「……ちっとも、目出度くはないわ」

 

アンリエッタがため息をつく。ルイズとてアンリエッタの心の内がわからない訳ではないが、トリステインに住まう貴族としてはそう言うしかないのだ。

この度の婚姻はアンリエッタの望むところではないのはわかりきっている。

そしてそれが、にわかに現れた『レコン・キスタ』なる勢力の脅威から国を守るためだけに交わされたものであるのも理解している。

 

「姫さま……」

「ごめんなさい、ルイズ。わかっているのよ、わかってはいるの。でも、やはり気持ちの整理はそう簡単につくものではないわ。でも……」

 

哀しげに目を伏せるアンリエッタの姿にルイズの心が痛む。

 

「でもその時が来てしまえば、きっと諦められるはず」

 

とアンリエッタは寂しげに笑う。

 

「それよりもルイズ、こうしていると幼い頃を思い出すようだわ。でも寂しいものね。あなたとこうして過ごせるのもあと僅かなのね」

「そうですね」

 

ルイズが式典の為に登城してきてから、アンリエッタは彼女に部屋をあてがわず、自分の部屋で寝泊りをさせていた。

何故そうしたか。答えは簡単だ。寂しかったのである。独りでは、この孤独と悲しみに耐えられなかったのである。

昼間はまだいい。やることが沢山あり過ぎて、寂しさなを感じる暇はない。すべての悩みは多忙さの果てに追いやられてしまうのだ。

だが日も沈み、王宮内に静けさが戻ってくると追いやったはずの感情が再び頭をもたげ、心を覆い尽くしてしまうのだ。

 

「ルイズ……」

「何でしょう、姫さま」

 

役割を交代して、今度はルイズがアンリエッタの髪を梳かす。ルイズほどには長くはないが、絹のように柔らかく滑らかな髪は殆ど抵抗もなく櫛が通り過ぎてゆく。

 

「トリステインは……いえ、このハルケギニアは一体どうなってしまうのでしょうか」

 

アンリエッタの突拍子もない問いかけにルイズは返答に困る。

 

「『レコン・キスタ』の事でしょうか?」

「ええ、そうよルイズ」

 

髪を梳かし終わりアンリエッタとルイズは向き合う。

 

「彼らの指導者は『始祖の生まれ変わり』と呼ばれているのを知っていますか」

「噂だけならば。なんでも奴らの首領クロムウェルと言う男は伝説の系統『虚無』を操るとか」

「そう。歴史上、始祖ブリミルしか扱えなかった幻の系統である『虚無』を操る男が聖地回復運動を先導する……。これほど危険なことはありませんわ」

「危険、ですか?」

「ええ、とても危険な事よ。彼が現れ、始祖の血を受け継ぎ六千年続いた王家の血統が一つ途絶えてしまった。始祖以来六千年もの間変わらなかったハルケギニアの地図が、たった一人の男の登場で塗り替えられてしまった」

「姫さま……」

「国内でも、彼らの掲げる聖地回復に同調するものが現れ始めていることでしょう。始祖ブリミルの力を受け継ぐ人間が先導するならば、今度こそ成功するかもしれないもの。わたくしだって、もしかしたら賛同していたかもしれない。でも……」

「でも、なんですか?」

 

アンリエッタは目を伏せ、少し躊躇いがちに言葉を続ける。

 

「わたくしにはどうしても、それが本当の事だとは思えないのです」

「クロムウェルなる人物が虚無を受け継いでいることが、ですか」

 

ルイズの言葉にアンリエッタはこくん、と小さく頷く。

 

「彼が、クロムウェルと言う人物が『始祖の生まれ変わり』であるのならば何故、何故ウェールズは死んだのでしょうか。あの人もまた始祖の血を引く人間。その彼がどうして殺される必要があるのでしょうか」

 

ウェールズ皇太子が死んだという知らせはレコン・キスタ……、いや、現在の神聖アルビオン共和国から正式には発表されていない。一応は生死は伏せられている。

しかし誇り高く、最後まで徹底抗戦の決意を見せた皇太子が彼らの軍門に下ったとは考えにくく、更にはニューカッスルでの戦いは壮絶を極めた事などから考えるに皇太子は既にこの世にはおるまいというのが大方の見解であった。

それでも正式に皇太子の死を公表しないのは、国民感情や対外的体裁に配慮した結果だと思われる。

いかにレコン・キスタの首魁が始祖と同じ『虚無』を操ろうとも、始祖の血を受け継ぐ王家の人間を殺すとなると話は別だ。六千年の重みは伊達ではない。

 

「それだけではありません。もし本当にレコン・キスタの指導者が始祖の生まれ変わりであるのならば、何故アルビオン王家を滅ぼし、ハルケギニアに戦乱の火種をばら撒くの必要があるのでしょうか。始祖ブリミルは今のハルケギニアにとって神と並ぶ神聖な存在、我々総ての人間の父とも言える存在なのですから、そんなことをしなくてもロマリアに赴き『虚無』を使えることを証明してみせることで簡単に総ての国を一つに纏める事が出来るでしょう」

 

なるほどアンリエッタの言うことももっともである。

ただハルケギニアの各国をまとめ上げるだけならばロマリアの名前を使った方がはるかに楽だし確実だ。ひとたびロマリアが始祖の御名の元に『聖戦』の旗を振れば付き従う国家も多かろう。

『始祖と同じ虚無を操る人物』と言う切り札があればなおさらだ。

 

「本当に始祖の再来であるのならば、我々始祖の血を受け継ぐ王家は皆喜んで協力するでしょうに。でも、それをしないというところに疑念が募る一方なのです」

「と言うことはもしや……」

「彼らの指導者が本当に虚無を操るかどうか、真偽のほどは定かではありませんが、一つ言えることはその背後に何か黒くて悪いモノが渦巻いているということです」

「黒い……、陰謀の類でしょうか?」

 

ルイズはただならぬ予感に背筋が寒くなるような気がした。『レコン・キスタ』はただの狂信者や過激派どもの集団ではなかったのか。

それがアルビオンの貴族の幾つかを取り込み増長した結果、アルビオン王家を打ち倒すまでに膨れ上がっただけではないのか。

 

「わたくしは、レコン・キスタの後ろに渦巻く黒い雲がこのハルケギニアを覆い尽くそうとしているような気がしてならないのです」

「大きな戦乱が起こるというのですか?」

「ええ、それもハルケギニアの全土を巻き込むとても大きな戦乱、そんな悪い予感がするのです」

 

大きな戦乱、というアンリエッタの言葉にルイズは背中に寒い物を感じた。



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第25話 タルブ

「あ~あ。今日も一日中歩き回って、足を棒にした結果がこの程度とはね!」

 

ギーシュが掌に載せた銀貨数枚、チャラチャラと音を立てさせる。その銀貨はどことなく古ぼけており、幾つかは泥や煤で薄汚れていた。

辺りはすっかり日も暮れ、焚火の炎がチロチロと燃えている。

 

「仕方ないじゃないの、誰もこの地図全部が本物だとは言ってないわ。あたしだって本物だと思って買ってはないもの」

「じゃぁ何かい? 君は徒労だとわかっていながら、ぼくたちを誘ったというわけなのかい?」

「これだけあるのだもの、一つくらいは本物があるかもしれないじゃない」

「なぁキュルケ、君はこれまでぼくたち巡った場所の数を覚えているのかい? 十か所だよ、十か所! そして結果はたったのこれっぽち! しかも地図に書かれたお宝なんて全然無かったじゃないか!」

「まぁ、そうよね」

「しかもだよ、君。地図に指し示された廃墟や洞窟は化け物や猛獣の住処になってるし、そもそも脆くなってる箇所も沢山あって分け入るのすら一苦労だったじゃないか!」

「あなたを置いてこなくて正解だったわ。とっても役に立ったもの。ありがとう」

「……どういたしまして。そういや散々こき使われたな。洞窟内や廃墟の脆くなってるところ、崩れそうなところ全部ぼくの『錬金』で補強させたよな」

「いい訓練になったじゃないの。授業じゃこんな経験はできないわよ。少しは魔法が上達したんじゃない?」

 

ギーシュがどれだけ文句を並べてもキュルケは柳に風、暖簾に腕押しといった感じで涼しげな顔だ。

ギーシュがコインを手慰みにしているのと同じように、今日の探検で手に入れた安物の首飾りをつまらなそうに弄り回していた。いや、首飾り弄りにも飽きて今は爪を磨いている。

タバサはと言うと、ギーシュとキュルケの言い争いには全く興味を示さずいつもと変わらず読書に耽っている。

 

「これならヴェルダンデと一緒に宝石の鉱脈を探したほうが儲けの可能性が高いじゃないか」

「まだ始めたばっかりよ? そう簡単に見つからないから秘宝なんじゃない。地図はまだこれだけ残ってるし、休暇もまだ残ってる。その内どれか一つ当たるでしょ」

 

ギーシュに地図の束を投げて渡す。今日訪れた分の地図はその場で燃やして捨てたので残っているのはまだ回ってない分だ。だがまだかなりの分厚さがある。

 

「まだこんなに残っているじゃないか! 全部回ってたら年が明けるよ!!」

「良いじゃない。いっそのことライフワークにしたら? そのうち大発見があるかもよ?」

「ぼかぁ嫌だよ! 色気もへったくれもない一生になっちゃうだろ!」

「夕飯が出来たぞ。口喧嘩も程ほどにしとけよ」

 

キュルケとギーシュの言い争いで少しギスギスした空間に、出来上がった夕飯を持ってバッツとシエスタがやってくる。

空きっ腹に染み渡るような食欲をそそる香りに思わずぐぅと腹の虫が鳴る。

焚火を囲んでのささやかな晩餐の始まりだ。

 

「ほほう、なかなか旨いじゃないか。いい味を出してる。一体どんな食材を使ったんだい?」

「そんなに凝ったもんじゃないさ。捕まえた兎の肉に、魚は近くの川のヤツだし。大した味付けもしてないしな」

 

バッツの言うとおり、料理は至って簡素なものだ。ナイフとフォークで食べるような上等なものではなく、それどころかろくに皿もない。

メインとなるのは鉄製の串に一口大に切った肉を刺したもの、それと腸を取った魚を丸ごと刺し通して焼いただけのモノだ。

それに固いパンとチーズ、それに豆と山菜を煮て少量の香草で香りづけをしたスープが今晩のメニューであった。

 

「見れば見るほど貧相な料理なのに、不思議と旨いものだな。なるほどこれは食が進む」

「言ってくれるなぁ。でも学院の料理には遠く及ばないけど、こういう食事も悪くないだろ? 空腹は最高の調味料ってな。腹が減ればどんな料理でも御馳走さ」

「全くだな!」

 

とギーシュは鉄串の肉にかぶりつく。

 

「ちょっとギーシュ、下品じゃなくって?」

「良いじゃないか。テーブルマナーなんてテーブルが無けりゃ意味がない。テーブルどころかナイフもフォークもない。それに誰も見てやしないんだ、肩肘張ったって始まらないだろ」

「あたし達はあなたと違って育ちがいいのよ。こんなマナーもへったくれもない食べ方なんで出来る訳ないでしょうに。ねぇ、タバ……」

 

と、隣に座るタバサに同意を求めようと顔を向けるとそこには黙々と串肉にかぶりつく親友の姿があった。

たまに指についた脂を舐めとりながら無心に肉を貪っている。

 

「ねぇバッツ。ナイフか……せめてフォークは無いかしら?」

「無いな。あるのはスプーンくらいだけだ」

 

僅かな可能性にすがりつくようなキュルケに対して、あっさりと非情な現実が付きつけられる。ギーシュはどことなく勝ち誇ったようにキュルケに言葉をかけた。

 

「もう諦めろよ、キュルケ。君の親友みたいに素直にがっつくのが一番さ」

「…………」

 

しばらく串の肉を睨んだ後、諦めが付いたのか渋々と齧り付く。

 

「……悔しいけど美味しいわ」

「だろ?」

「たまにはこういうのも悪くはないわね」

「そうだろそうだろ」

「でも、こういう時でも優雅に食べるのがレディってものよ。あなたも一端のジェントルマンになりたいのなら、あまり下品な所作は止める事ね」

 

割と汚らしく食い散らかすギーシュと違いどこか慎みを忘れず、それでいてどこか官能的な食べ方をするキュルケ。

まるでこれが一人前の大人だと言わんばかりの態度にギーシュは機嫌を悪くする。

 

「食べ方一つ満足にこなせないようじゃ、まだまだあなたも子供ね」

「悪かったな。男ってのはいくつになっても子供なんだよ。少年の頃の夢と浪漫を忘れないのが男ってものさ!」

 

食べ終わった串を杖に見立てて、物語の英雄のようにビシッと突き立てるポーズをとるギーシュの熱弁も、男2:女3の集団では賛同を得にくいものであった。

おおむね和気あいあいと食事は終わり、一同は翌日に巡る場所を決める作戦会議を始めた。

 

「とにかく、次こそは何かしら収穫が欲しいものだね」

 

とギーシュが念を押す。

 

「収穫だったらあるじゃない。銀貨とか」

「そうじゃない、そうじゃないんだ。もっとこう、なんと言ったらいいか……そう! 冒険だよ冒険。血沸き肉躍る冒険が欲しいとは思わないかね?」

「オークだの洞窟にすむモンスターだのとは結構戦ったじゃないの」

「そうじゃないだろ。キュルケ、君は浪漫が無いなぁ。冒険活劇の締めくくりはドラゴン退治って相場が決まってるだろ?」

「韻竜とでも戦いたいって言うの? そんなの、幾つ命があっても足りないわよ」

「韻竜だなんで誰も言ってないだろ、もっと手頃で倒しがいのある種族だっていっぱいいるだろ?」

「好き勝手言うわねぇ……って、これなんてどう?」

 

ギーシュの無理難題を聞きながら渋々といった様子で地図をめくるキュルケの手が止まる。

その羊皮紙にはごく簡略化された地形と地名らしき書き込み、そしてお宝の情報がかすれ気味に書いてあった。

 

「何々……竜の秘宝……竜の秘宝だって!?」

「良かったじゃない、あなたが求めてたモノそのものズバリよ」

 

まさか本当に竜に関係するものがあるとは思っていなかったギーシュが少々面喰いながらも飛びつく。

半ば奪い取るようにキュルケから地図を貰うと、顔を目いっぱい近づけてマジマジと見つめる。

 

「大分文字が掠れてるな……それにかなりの乱筆で読みにくいぞ……。ええとこれは……地名? タレ……タル……タルブって書いてあるのか?」

「タルブがどうしたんですか?」

 

ギーシュの言葉に反応したのは意外なことにシエスタであった。

 

「おや、君はタルブと言う地名に心当たりがあるのかね」

「ええ……ラ・ロシェーヌの向こうにある土地です」

「ラ・ロシェーヌって言ったらあの、空飛ぶ船の港町の事か?」

「あら、バッツさんはラ・ロシェーヌを知っているのですか?」

「あぁ、まあな。一度行ったことがある」

 

ラ・ロシェーヌと言う単語を聞き、バッツの脳裏にアルビオンでの苦い記憶がよぎる。そんなバッツの心の内を知らないシエスタはそのまま話を続けた。

 

「タルブは私の生まれ故郷なんですけど……ハッキリ言って秘宝とか財宝とかとは無縁のごくありふれた片田舎ですよ?」

「でもこの地図には確かに竜の財宝って書かれてるじゃないか」

「……確かにこの地形はタルブ近辺みたいですね」

 

ギーシュから地図を渡されたシエスタが内容を検める。どうやらそこに描かれている地形図は間違いではないらしい。

 

「でも本当に、タルブにはそんな物はないんですよ」

「じゃあここに書かれている竜の財宝ってのは嘘っぱちって事なのかい?」

 

ギーシュが肩を落とす。折角本物のお宝を拝めるかと思ったのに、やっぱりこれも紛い物であったのか。

 

「財宝は無いんですけど、竜が居るってのはたぶん本当ですよ」

「何だって!?」

 

意気消沈したギーシュがまた元気になる。勢い余ってシエスタの両肩をがっしりと掴むものだからシエスタは驚いて縮こまってしまった。

困惑するシエスタの様子に、自分の行動が余り貴族らしからぬモノであると気が付いたギーシュはパッと彼女から離れると、咳払いを一つはさんで平静を装った。

 

「で、その話は本当なのかね? タルブに竜が居るっていうのは」

「正確には“居る”じゃなくて“居た”ですけど。何百年か前には確かに竜が住んでいた時期があったと伝わっています」

「成程、それじゃその竜が貯め込んだ財宝があるかもしれないって事か……」

 

竜と言えばその巣に金銀財宝を貯め込んでいるものである。そうでなくても例えば竜の死骸でもあろうものならば、骨や牙や鱗がかなりの高値で売ることが出来る。

しかしここで一つ気がかりなことがあった。

 

「でもおかしいな。あの辺りには竜の生息地や繁殖地なんて無かったはずだけどな」

 

そう、竜の生息地は結構条件が厳しくて近くに人間が住めるような場所でないことが多いのだ。

ただでさえ人間よりも強大な力を持つ危険な生物である竜の近くに住もうという者はいない。集落を形成しようなんてもってのほかだ。

 

「何でもモノ好きなのか風変りなのか、一匹だけ近隣の山中に住んでいたらしいです」

「よし! 明日はそこに決定だな!」

「ちょっと、竜なんて危険なんじゃなくって?」

「大丈夫だろ。如何に竜とはいえ、流石に何百年も生きられるわけじゃあるまい。もし生きていてもヨボヨボの老いぼれだろうから早々危険はないだろうさ!」

 

 

日が明けて翌日、一行はタルブを目指した。まぁ目指したといってもシルフィードとチョコボの移動速度にかかれば半日もかからずに到着したのだが。

 

「よく言えば風光明媚、悪く言えば何もない田舎ねぇ……」

 

目の前に広がる美しいタルブの草原を眺めながらキュルケが言う。確かに綺麗な景色ではあるが、逆に言えば草原以外何もない。

美しい寺院や城郭があるわけでもなく、ましてやきらびやかな繁華街など影すらない。眼下に広がる草原の片隅で肩を寄り添うように何軒かの家が建ち集落を形成しているだけだ。

シエスタは一足先に生家へと戻っていた。だからこれから竜の秘宝を目指すのはバッツとギーシュとキュルケとタバサと言うメンバーだ。

今回の旅の同行者の中で唯一戦闘向きではないシエスタを先に返したのは、万が一本当に竜が居た時に危険が及ばないようにと言う心配りも幾分かは含まれている。

 

「さてさて、目的のお宝は……この洞窟の中みたいだな」

 

タルブの山中を歩くこと小一時間、どうやら目的の場所らしき洞窟の前に到着した。

地図のおかげで大体の見当をつけておけたからこそこれほどの短時間で発見できはしたが、距離的にはタルブの村からかなり離れている。

何か目的をもって来ない限りは早々見つからないであろう場所であった。

 

「さて、鬼が出るか仏が出るか。ワクワクするな!」

「出るのは竜でしょうよ」

「まったく君と言うやつは男の浪漫と言うのが理解できないのかね」

「はいはい、御託はいいからさっさと中に入りなさいな」

 

などとギーシュとキュルケが言い合いながら洞窟の中へと足を踏み入れる。人が通るには不自由しない程度の結構な広さを持った通路が奥へと続いている。

中は薄暗く、松明の炎が無いとまともに足元が見えないくらいではあったが空気の通りは良いらしく淀みのない新鮮な空気が奥まで流れていた。

 

「竜の住処といえども、これほど何もないと却って不気味なものだな……」

 

少し緊張した声でギーシュが言う。実際、既に洞窟に入って数十分は経とうかと言うのに蝙蝠や蜥蜴や蛇のような生き物位にしか遭遇していない。

大型モンスターが生息するには少し狭いが、人間程のサイズの亜人種であれば十分住処にしそうな洞窟であるのに、そういった気配が全くしないのは逆に気味が悪い。

それどころか山犬や熊すら居る気配がない。

どれほど歩いたであろうか、さらに小一時間ほど歩いた所で不意に開けた場所に出た。

開けた、と言っても外に出たわけではない。恐らく山の内部であろうがぽっかりと空いたドーム状の空間に出たのだ。

キュルケが光球を飛ばして広さを確認すると、ちょっとした教会の礼拝堂くらいの広さの空洞であった。

 

「ここが竜の巣……なのか?」

 

改めて周りに注意を巡らせるが、自分たち以外に生物が居るような気配はない。物音も、息遣いも何も聞こえてこない。

 

「あら、やっぱりガセネタだったのかしら?」

「もしくはとっくに死んでるかの、どちらかだろうな」

 

勇んでやっては来たものの、やはり竜と言う生物は恐ろしいものだ。対峙しなくて済んだ事に安堵する。

 

「残念だったな……竜退治の英雄に成れたかもしれなかったのになぁ」

「強がりはお止しなさいな。脚が震えてるわよ」

「こ……これは武者震いだよ! そういうキュルケだって冷や汗が凄いじゃないか」

「そ、それはここは空気がよどんでて蒸すからに決まってるじゃないの」

 

緊張から解放されて安堵の軽口をたたき始める。どうやら竜も居ないようだが宝も無いみたいだ。そこは残念ではあるけれど本当に竜とまみえる事にならずに済んだ安堵感の方が勝っていた。

今回もやっぱりハズレだったかと、いささか安心した心持で帰路につこうとした一行に不意に声がかかった。

 

「おやおや、久しぶりの来訪者だと思ったら随分と年若いようじゃあないか」

 

その声に皆が一斉に身構える。

ここには、この空間には自分たち以外の生物の気配がしなかった。そう誰も、何も居なかったはずなのである。

しかしその何もないはずの場所から声がしたのだ。人間か亜人か、少なくとも人語を解するモノが誰にも気配を覚られることなく存在していたのだ。

もし敵だとしたら厄介な存在だ。ただでさえ明りの無い洞窟内で気配すら察知できないとなると危険極まりない。

皆とっさに杖を抜き、互いの背を合わせて構える。バッツはデルフリンガーの柄に手をかけ、いつでも抜き放てるよう腰を落とした。

声の主の姿はまだ確認できない。キュルケは杖を軽く振ると強烈な光を放つ球を頭上に打ち上げた。光球は洞窟の天井に当たると輝きを増加させ、空間の隅々までを隈なく照らす。

光に満たされた空間に人影が一つ浮かび上がる。バッツたちから少し離れた場所に佇むその姿は、特に武器を持つようでもなく攻撃の意思を見せるようなものでもなかった。

 

「驚かせてしまったようだな。だが安心してほしい。少なくとも私は君らに害をなす者ではない」

 

と、両手を軽く上げて近寄ってくる。

謎の人物は杖や武器の類を持っているどころか全くの軽装で丸腰であった。相手の警戒心を解くようなにこやかな笑顔で近づいてくる様子にキュルケとギーシュは杖を下す。

ゆっくりと近づいてくるにつれ段々と謎の人物の姿がはっきりと見て取れるようになってきた。

どうやら男性のようである。しかし四肢は細くも均整がとれており、顔だちも端正だ。透き通るような白い肌に目の覚めるような長い金髪も美しい。

女性ならばすぐさまその美貌の虜になるような、男性ならばその恵まれ過ぎた容姿に嫉妬で怒り狂ってしまうような、正に彫刻芸術の如き完璧な容姿を備えたその出で立ちは洞窟内と言う不釣り合いな状況と相まってとても神秘的なものに感じられた。

その眼はタルブの草原のように鮮やかな碧色をしており、顔の左右、ちょうど耳のあたりから髪を突き抜けて何か突起のようなものが飛び出ている。

何かの装飾品だろうか? いや、これは……耳?

 

「エ……エルフ!!」

 

髪に隠れず、むしろ逆に突き抜けるほどの長さの耳を見止めたギーシュ・キュルケ・タバサの三人は同時に悲鳴にも似た声を上げる。

そして一度は下げた杖を再び構えた。

ただ一人、バッツだけは状況を飲み込めずに戸惑っていた。相手は丸腰である。敵意はないようだしさほど脅威とも感じられないのだ。

だがしかし、他の三人は相手の姿を見止めると一度は軟化させた態度を再度硬化させたのだ。

訳がわからず、誰にともなく問いかける。

 

「エルフって……妖精がどうしたって言うんだ」

 

三人はバッツの言葉を聞き、同時に呆れ果てた表情を浮かべる。(正確には、呆れ顔になったのはギーシュとキュルケの二人でタバサはいつも通りの無表情であったが)

 

「バッツ……君はエルフを知らないのかね?」

「そんなまさか。いくら平民だからってエルフの恐ろしさを知らないなんてあるはずないわ!」

「いや……全く何のことか分からないんだけど」

「仕方ねぇよ。何せ相棒はこっちの事についちゃからっきしなんだから、俺らの常識で話しちゃ酷ってもんよ」

 

とデルフリンガーがフォローを入れる。

 

「デルフ! その声はデルフリンガーなのかい!?」

 

デルフの声に反応した謎のエルフがバッツに近寄る。

三人は慌てて後ずさりして距離をとるが、わけのわからないままのバッツだけはその場に佇んだままだ。

近づいてきたエルフはバッツの事は目に入らないようで一目散にデルフリンガーに顔を近づける。

 

「いやぁデルフ。また君に会えるとは夢にも思ってなかったよ。こうしてまた会えるなんて、これも運命の導きと言うモノなのだろうか」

「おいおい、お前ぇさんは俺の事を知ってるようだけどよ、俺はお前ぇの事なんて知らねーよ」

 

感極まった様子のエルフとは対照的にデルフリンガーは冷たい反応だ。

そんなデルフの言葉を聞き、エルフは顔を悲しげに曇らせた。

 

「そう……、か。まぁ仕方ないよな。私も声を聴くまで君だとは分からなかったのだから。それほどまでに永く残酷な時が経ってしまったんだろうから……」

 

しばらく沈黙の時間が流れた後、エルフは再び口を開いた。

 

「まあ、とにかくこちらには君たちに危害を加えようという意思はない。いや、例えあったとしても今の私には何もできない。安心してその杖を下してくれたまえ」

 

少々引っかかりのある言葉ではあるが、謎のエルフは再び自分に敵意がないことを示した。

しばらく三人で顔を合わせて協議した会を、学生メイジ三人は杖を下した。どうやらこのエルフの言葉を信じる事にしたらしい。

 

「で、なんでエルフがこんなトリステインの山中の洞窟に居るんだい? お前たちの国はずっと遠い場所だろう?」

「私は所謂はぐれ者、はみ出し者ってやつでね。故郷を遠く離れ君ら人間側の世界で生きることを選んだのさ」

「ふ~ん。信じがたい話だけど、要するに変人ってわけね」

「厳しい言い方だが、概ねその通りだ」

「で、今のあなたはここで何をしているのよ」

「平たく言えば警告者だ」

「警告者……?」

「そう。この洞窟に分け入った者に、この先に潜む危険を知らせ引き返させるのが主な使命だ」

「危険ってもしかして……!」

 

慌ててここの事が示された地図を取り出す。

 

「この奥に本当に竜が住んでいるっていうのかい!?」

 

エルフは地図に目を通すと、少し苦笑いを浮かべた。

 

「竜の秘宝、か。まぁ間違ってはいないが」

「やっぱりここにはお宝があるんだ!!」

 

ギーシュのテンションが一気に上がる。宝探しを始めてから、初めて本物に巡り合えたのだから。

しかも竜の貯め込んだ宝ともなるとかなりの物であろう事が想像に難くない。一攫千金が夢ではなくなってきたのだ。

これは否応なしに期待が高まる。

 

「確かに宝……と言えなくもないモノは存在する。が、その前には恐ろしく強大な障害が居るのだ」

「それが竜ってわけか」

 

こくんとエルフが頷く。

 

「その竜は強い。だからこそ私がここに迷い込んだ者に警告を与えるのだ。『この先に進んではならない』と。まぁ大抵は私の姿を見ただけで逃げ帰ってゆくがね。それでも奥へと進んだ者たちの中で戻ってきた人間はいない。だが……」

 

エルフは言葉を区切ると、デルフリンガーに視線を送る。

 

「だが今回ばかりは出来るならば君らに、そしてデルフリンガーにはこの先に進んでもらいたい。そして奥にいる竜を殺してもらいたい」

 

『竜を殺してくれ』というエルフの言葉に場がざわめく。

 

「なんでぇ、エルフのあんちゃんよ。お前ぇさんはこの奥にいる竜に何ぞ恨みでもあるってぇのかい?」

「それは君の目で確かめてほしい、デルフ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話を勝手に進めるのはいいけど、その竜ってのは俺達でも倒せるレベルの物なのか?」

 

デルフリンガーとエルフの会話にバッツが割り込む。

 

「それは大丈夫だろう。君が“デルフリンガーの相棒”であるのなら、可能なはずだ。恐らくは」

 

とエルフはよくわからない太鼓判を押す。

 

「あんたはその、この奥にいるっていう竜の強さを知っているのか?」

「うん? ああ、大体はな。随分と時は経ってしまっているが私の知る以上の強さにはなっておるまい」

「それで俺達なら勝てる、と判断した理由は?」

「先程も言ったが君が“デルフの相棒”であるからだ。それに他の少年少女達も、杖を持っているのを見るに系統魔法を使えるのだろう? ならばなんとかなる筈と見込んだのだがね」

 

エルフのどこか歯切れの悪い説明に何か掴み所の無い胡散臭さを感じる。

 

「大丈夫よバッツ。エルフに力を買われる事なんて滅多にないことよ。それにここにはトライアングルメイジが二人もいるんじゃない。相手が如何に竜とはいえ、何とかなるわよ」

「ぼくだって居るぞ」

「ドットは足を引っ張らないように精々頑張りなさいな」

「酷い言い様だな」

「事実じゃないの。 まぁこっちにはタバサもいるんだし、こんな田舎で噂も立たずにひっそりと隠れ住んでる竜なんてたかが知れてるわ。そんな心配しなくてもチョチョイのチョイよ」

 

妙に自信に満ちたキュルケの言葉が明るく響き渡る。

そうだそうだとギーシュも続き、竜討伐の気運が最高潮に高まる。

 

「それにバッツ、君はトライアングルメイジに引けを取らないだけの剣の腕前を持っているじゃないか。何を恐れることがあると言うのだね。それにもし相手が悪けりゃ、尻をまくって逃げるだけだ。何、竜相手なら逃げ出しても何ら名誉を傷つけはしまい。むしろ立ち向かったこと自体が勇気の証明みたいなものだ」

 

皆がここまで乗り気になった以上、むやみやたらと水を差すのも気が引ける。

だがバッツの心には漠然とした、よくわからない不安のようなものが広がっていた。それは戦士としての勘から来るモノなのかどうかはわからない。

ただ、この先には何か良くないものが待ち構えていそうな予感がするのだ。

キュルケやタバサの魔法の実力を疑うというわけではないが、どこか心許ない気がしてならない。

しかし一人で怯えて及び腰になっているいるわけにもいかない。不安なら不安で、それ相応の準備をしておけばいいのだ。

転ばぬ先の杖、バッツは今手持ちの選択肢から最適なものを選び、この先で何があっても切り抜けられるよう備える。

そんなバッツの心配を知ってか知らずか、一行は竜が待ち構えるという奥へと歩みを進めるのであった。

エルフと出会った開けた場所を抜け再び少し狭まった通路状の洞窟を進むこと数分、今度は先程よりも広そうなドーム状の空間へと出た。心なしか空気がひんやりとしている気がする。

ここが竜が宝を守るという場所なのだろうか?

柔らかく差し込む日光にそしてその光景に一同は息を詰まらせた。

 

そこに広がっていたのは、地面に散らばる無数の骨と、その奥に鎮座する巨大な竜の骸であった。

 

「なに……これ。これ全部骨? 人間……いいえ違うわ、でも色んな動物の物が混ざってる……」

「あれが…………竜? なんだ、死んでるじゃないか。これがエルフが言ってた強大な障害って奴か??」

「……死骸は多いけど死臭は殆どない。腐った肉も無い。どこかに空気の通り道があって、しかもこれは随分と時間が経っている」

 

三人のメイジがあっけにとられながらも状況の分析を進める。どうやら先のエルフが恐れていた脅威はとうの昔に死んでいたようだ。

既に竜が死んでいるのも知らずに、あんな場所で親切にも警鐘を鳴らしていたというのも思えば滑稽な話ではある。本人には悪いが。

一面に散らばった骨を踏み砕きながら竜の残骸の元へと近づいていくギーシュ。歩くたびにパキポキと音を立てるのは気味悪いが何処か快感でもある。

冬の寒い日に霜柱や水たまりに薄く張った氷を踏み砕くのに似た感触だ。

 

「うわぁ……思っていたよりも随分と大きいものだなぁ……」

 

竜の死骸の直ぐ近くにまで寄ったギーシュが感嘆の声を上げる。自分の身長の何倍もの大きさのその竜だったものは、タバサの使い魔の風竜とは比べ物にならないくらいの巨体であった。

体は骨格だけ残っていると言うわけでもなく、一部鱗が剥げ落ちて肉やその奥の骨が見えている箇所もあるものの、全体としては生前の姿をかなり残していた。

地面に散らばっている、ほぼ全て肉も溶け落ち骨しか残っていない他の骸と比べるとその異様さが更に強調されている。

何故この竜の死骸だけがこれほど原型を留めているのだろうか。不思議に思い更に近づくと、ギーシュは肌に冷気を感じた。

この洞窟の中はそのに比べると幾分涼しいが、それよりも更に冷たい空気がこの竜の骸の周りには立ち込めているのである。

恐る恐る骸に手を触れると、ひんやりと冷たい。まるで氷のようだ。

いや、この竜の体表が宝石のように透き通った鱗に覆われていたため遠目には気が付かなかったが、なんとこの骸は全身が氷漬けなのであった。

成程、凍っているのならば肉は腐りにくいだろう。冷凍保存されているのならば、これほどまでに形を残しているのにも頷ける。

こんな洞窟の最奥でこれほどに大きな竜の氷漬けを拝めるとは、思ってもいなかった。

だがどうやら、ここにはこれ以上の収穫はないようだ。

 

「竜が死んでるってのは少々拍子抜けだったけど、まぁこれはこれで良い土産話になるんじゃないかな」

 

などと言いながらギーシュが振り返る。同じく拍子抜けと言わんばかりのキュルケとタバサの顔が見えた。

両者とも、どこかホッと安心したような表情だった。やはり竜と戦うというのは荷が重かったのだろう。

しかしバッツの顔は芳しくない。芳しいどころか、両目をこれほどかと見開き、顔は恐怖に青ざめている。そして入口のあたりで立ちすくんでいた。

まさかバッツは竜を見たのは初めてで、腰を抜かすくらいに驚いているのだろうか?

バッツくらいに強ければ一度や二度くらいは竜を見ていてもおかしくはないと思っていたが、意外や意外。

 

「おいおい、どうしたんだいバッツ。そんなに驚くことはないだろう? どうせ死んでるんだ、恐れる事なんてないさ」

 

と、一人だけ顔面蒼白のバッツを茶化そうと思った次の瞬間、真後ろから声が響いた。

 

『ココ……かラ……先ニは……進マセ……ナい……』

 

バッツが「避けろ!」と叫ぶのとギーシュが振り返るのと、そしてギーシュの体が真横に吹き飛ばされるのがほぼ同時に起きた。

何を避ければいいのか認識する暇もなく、ギーシュの体は猛烈な勢いで壁に叩きつけられ、全身の骨が砕ける嫌な音が耳に響く。

何が起こったかわからない。自分の体がどうなっているのかも、わからない。ただわかるのは、指の一本も動かせないということだけ。

そして数瞬遅れて体を襲う激しい痛みに意識がかき消されてしまうその寸前に、ギーシュは自分に襲い掛かったモノの正体を見た。

動いたのだ、骸が。そしてその丸太よりも太い前足が、まるで目の前のゴミでも払うかのようにギーシュを吹き飛ばしたのであった。

壁に体を半分以上めり込ませてギーシュは動かなくなった。

そして次に骸の標的になったのは、この空洞の中ほどまで進んでいたキュルケとタバサであった。

それに気が付きタバサが杖を構え応戦しようとするも、呪文が完成するよりも早く竜骸の口から吐かれた凍てつく息吹の方が先に二人に襲い掛かる。

ブリザードの如きその竜の吐息は、あろうことか二人の体を蝕み氷で固めていく。

 

「な……なによこれ!」

 

吹き飛ばされないように必死に踏ん張るが、最早それは自分で踏ん張っているのか、はたまた地面と足が氷でくっついて固まってしまっているのか判断できなくなっている。

風に飛ばされないようこらえられているのか、それともただ動けなくなっているだけなのか。

 

「……くっ、強い……」

 

タバサも得意の氷系の魔法を放とうと試みるが、作り出した氷塊群も竜のブレスの前には役に立たず、敵に向かうどころかなすすべなく後方へ吹き飛ばされていく。

キュルケと同じくタバサの体もまた氷に覆われてゆく。いやそれは体表だけの事ではない。体の芯から、そして骨の髄から凍り付いてゆく。

あっという間に体の殆どが凍ってしまう。杖を突きだしたままの体勢のまま氷像と化してしまった。キュルケはすでに完全に氷塊となってしまっている。

薄れゆく意識の中、タバサは誰かの叫ぶような声を聴いた気がした。それがバッツだということはすぐに分かった。

なぜならギーシュもキュルケも既に声を発することのできるような状態ではなかったからだ。

そしてバッツの声はこう叫んだ。

 

「リターンッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日差しが差し込み薄明かりに照らされた空間、ひんやりとした空気。そして目の前にそびえ立つのは氷漬けの巨大な竜の骸。

ギーシュは骸のすぐ傍に立ち、キュルケとタバサはこの空間の中ほどに立っている。そして入口付近にはバッツが居た。

ギーシュ・キュルケ・タバサの三人は慌てて自分の体を触る。

無事だ。

体には傷一つないし、もちろん凍ってなどいない。

またもや何が起こっているかわからない。いや、何も起こらなかったのか? ならばさっきのは一体……?

考えがまとまらないうちにバッツの声が三人の意識を現実へと引き戻す。

 

「皆、早くこっちへ! 早く!!」

 

バッツが全速力でこちらへと駆けてくる。そうだ、このままではいけないのだ。アレが動き出す。アレが……。

我に返った三人はまるでバネ仕掛けのように一斉に動き出す。そして逃げ出す背後で竜の骸が動き出した。

 

『ころス……一匹タリとも……生カシテは……逃ガさヌ……』

 

悲鳴をあげながら駆けるギーシュ。いち早く逃げ始められたお蔭で何とか前足での一撃を食らわずに済んだが、竜はすぐさま口から氷の息を吐こうと首をもたげる。

しかしなんとか三人は猛吹雪のような攻撃が襲い掛かってくる前にバッツの元へ集まることが出来た。

が、バッツの言葉の通りに集まってみたは良いが何かこの事態を切り抜ける妙案があるようにも感じられない。というかそんなもの思い浮かばない。

 

「どどど、どうするんだよバッツ! あんな奴勝てないよ勝てるわけないだろ!」

 

ギーシュが半狂乱になって喚く。

 

「逃げるにしてもちょっと難し過ぎないかしら? ちょっとここからじゃ出口は遠いわねぇ」

「……あの攻撃を防ぐのは、難しい」

 

平静を装うキュルケタバサの二人も、その表情からは余裕は微塵も感じられなかった。

三人の顔を見回し、バッツは言う。

 

「皆、絶対に俺の手を離すなよ。そして、目を回さないよう気を付けろ」

「はぁ? 何言ってるんだ」

「ちょっと、逃げるにしてもどうやってここから逃げるのよ」

「……!!」

 

言葉の意味を図りきれない二人をよそに、バッツは呪文を唱える。そして……

 

「テレポ!!」

 

バッツの言葉とともに全員に異変が起こった。

視界が歪む。景色がまるで油絵具をかき混ぜたように濁り、混ざり、そして黒く染まってゆく。

変化が起こったのは視覚だけではない。体はふわりと宙に浮くようでいて、しかし底の無いどこかへ落ち込むような感覚に支配される。

景色は消え、上下左右の区別すらつかない状態に飲み込まれ、何時までこの状態が続くかと思った瞬間、急に地面が現れた。

余りにも急に感覚が戻ったものだから、上手く着地できずに倒れ込む。

ドサッ、ドサッとギーシュの上にキュルケがのしかかるように倒れた。タバサは難なく着地している。

 

「痛たたた、今度は何よ。……って、あら?」

「おいおい、早くどいてくれないか」

「あら、ごめんあそばせ」

 

下敷きにしていたギーシュを解放すると、キュルケは改めて周囲を見回す。どことなく見覚えのある景色だ。

足元には骨のひとかけらも落ちてはいないし、あの竜の死骸も無い。でも自分で打ち上げた光球は、少し勢いが衰えたようではあるがまだ光を放っている。

それじゃあここは……

 

「おやおや、随分と風変りな現れ方をしたものだ。最近はそういうのが流行っているのかね?」

 

この声はあのエルフだ。と言うことはひとつ前の場所に戻ってきたということか。

でもどうやって?

 

「どうやらその様子だと、竜を殺すことはできなかったようだな」

「そう! その竜よ! 話と全然違うじゃないの」

「そうだそうだ! 奥へ進んでみれば竜は死んでるし、でも動き出したし、そしてこっちは一回殺されたんだぞ!!」

「あたしなんて氷漬けにされたわ。もう少しで氷像として一生を終えるとこだったのよ」

「そうか。だが見たところ、死んではいないし凍ってもいない。それどころか外傷も無いようだが?」

「それはそうなんだが……、なんだかよくわからないけど助かって逃げてこられたんだよ! なぁ、キュルケ説明してやれよ」

「嫌よ、あたしだってまだ何が起こったのかよく飲み込めてないんだもの」

「ふむ。面妖な事もあるものだ」

 

誰も一体何が起こって今此処にこうして居るのか説明できず、混乱は新たな混乱を呼ぶだけだった。

言葉にしてもそれが本当に起こったモノだったのか確信できず、むしろ説明しようとすればするほどに先程の事が夢か幻のように感じられる。

 

「しっかし驚いたわ。まさかこんな田舎の山奥に韻竜が居たなんて。しかもあれじゃゾンビじゃないの」

「韻竜じゃ仕方ないよな。韻竜って言ったらこのハルケギニアでも1、2を争うくらいの危険生物だし。韻竜を殺せる人間なんて、ハルケギニア広しと言えどもそうは居ないだろう。それこそ御伽話に出てくるイーヴァルディの勇者でもないと無理だ」

「生きていられただけでもめっけものよね。何せ相手は韻竜なんですもの」

「違う」

 

突然、バッツが会話に割り込む。しかし声はすれども姿は見えじ、何処にいるのかと周囲を見渡せば少し離れたところでうずくまっていた。

見れば体が小刻みに震えている。顔面は血の気が引き青ざめ、完全に恐怖に怯えていた。

 

「あれは……、あれは“神竜”、だ……!!」



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