オーバーロード ~破滅の少女~ (タッパ・タッパ)
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第一章 序~カルネ村編
プロローグ


2016/2/27 『履いて捨てるほどいる』→『掃いて捨てるほどいる』に訂正しました
2016/5/21 「へろへろ」 → 「ヘロヘロ」に2カ所訂正しました
2016/6/1 「ブロンド」 → 「プラチナブロンド」訂正しました
2016/10/5 「異業種」→「異形種」訂正しました
 1か所、一字下げしてない所がありましたので、一字下げました。
2016/11/13 「9階層」→「第9階層」、「務めだし」→「務めだし」、「視線」→「視点」、「来ている」→「着ている」、「沸いている」→「湧いている」訂正しました


「では、またどこかでお会いしましょう」

 

 そう言って、最後のギルメンがログアウトしていった。

 

 そうして誰もいなくなった円卓の間、座る人のいない椅子をその骸骨は眺めていた。

 剥き出しの頭部は皮も肉もなく、眼窩には赤黒い光がともっている。

 それは死の支配者(オーバーロード)という種族。ユグドラシルの中では魔法を極めたアンデッドの最上位種にあたる。

 彼の名はモモンガ。

 ユグドラシルの中でも悪のPKギルドとして名をはせたアインズ・ウール・ゴウン。

 そのギルドマスターだ。

 

 今日はDMMO-RPG「ユグドラシル」のサービス終了日。

 彼はここで、かつての仲間たちが最後の別れを告げに来るのを待っていたのだ。

   

 

 だが、もう誰もいない。

 

 全員にメールを送り、何人かは会いに来てくれたが、その最後の一人も行ってしまった。

 

 身じろぎもせず空虚な視線で、最後のメンバー「ヘロヘロ」がいなくなった椅子を見つめ続ける。

 やがて、ため息とともに立ち上がり、壁にかけられている一本の杖に目を向けた。

 七匹の蛇が絡まりあい、それぞれの口には様々な色の宝石が咥えられている。

 

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

 アインズ・ウール・ゴウンのギルド武器であり、ギルドの栄光の象徴でもある。

 今まで、壁に飾られたきり一度も手にしたことがないその杖にモモンガは手を伸ばした。

 

 

 

 その時、ログインを告げるシステム音が響いた。

 

 

「やあ、モモンガさん。お久しぶりです」

 

 その声にモモンガは振り向き、

 

「どうも。よく来てくださいました。ベルモットさん」

 

 ようやく生気のこもった声を返した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 うわー、まずい!

 いつまでかかるんだよ、このアップデート。

 確かに、ここ数か月やってなかったけど。

 

 時計の時間を何度も眺め、作業の進行具合を示すバーを睨み続ける。

 今日はDMMO-RPGユグドラシルの最終日。

 わざわざ鈴木さんにメールをもらったんだから、さすがに顔を出さない訳にはいかない。

 

 ――いかないんだけど……。

 

 それなのに、仕事が終わって、さっそく入ろうとしたら、ログインするにはアップデートが必要ですとかメッセージが出て――

 

 ――今、ずっとそのアップデート作業中だ。

 

 

 ユグドラシルか……。

 最近はご無沙汰だったが、昔はとにかく寝る間も惜しんでプレイしてた。ゲームの中で仲間もできて、一緒に冒険して、みんなで拠点を作って、オフでも会って……と。

 

 

 くさい言い方だが、かけがえのない時を過ごした。

 

 

 

 だが、そのうちに皆は少しずつゲームから離れていった。

 

 それは当然だ。

 一部の例外を除いて、ゲームをしてても食べていけない。リアルで金を稼がなくてはならない。リアルの生活を優先しなくちゃならない。

 そうして、引退していった仲間たちを寂しく思いながらも、いつしか俺もプレイすることが少なくなっていった。

 

 俺の場合、リアルで忙しくなっていったというのもあるが、ある時、ふと、やりつくしたと感じてしまったからだ。

 昔から、そうなんだが、ついちょっと前まで必死でやっていたことなのに、ある日突然、心が冷めきってしまうのだ。なぜそんなことをやる必要があるのかと。本当にスイッチが切れたように興味がなくなってしまう。そして、全ての意欲がなくなった後は、心血注いでまでやったものを壊して捨ててしまうのが常だった。

 

 

 ユグドラシルもそうだった。

 自分のキャラは育て切った。

 仲間の育成もほぼ完成した。

 自分の所属するギルドも上位につけるまでになった。

 

 ――そう考えた瞬間、ゲームをする意味が分からなくなったのだ。

 

 俺も現実ではそこらに掃いて捨てるほどいる、ただの一般人だ。

 現実に不満を感じながらも、こういう事は間違っている、こうなればいい、何とかしたいとは思いつつも、だからと言って自分が何かできるわけでもなく、といった程度の人間だ。

 そんな自分にとって仮想世界は楽しかった。

 はっきりと『悪』を明言しロールプレイするギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属し、世界中を旅して廻った。様々な敵を倒し、幾多の財宝を手に入れた。

 ユグドラシルという仮想世界を荒らしまわった。

 ユグドラシルは生活の一部だった。

 

 

 だが、その糸はふっつりと切れてしまったのだ。

 

 

 

 最初は少し疲れただけだろうと、その後もゲームを続けていたが、全てがただ無意味な作業にしか思えなくなった。

 そうして、ログインする機会が1日置きになり、3日置きになり、1週間置きになり、1か月置きになり……。

 

 キャラ自体はまたいつかやるかもと思い、消しはしなかったものの、こうしてログインするのは数か月ぶりという有様だった。

 

 

 

 ――っと、ようやく終わった!

 

 時計を見ると、うわ、ちょっと拙い。

 とにかく急ごう。

 即座にログインする。

初期の出現地点は当然、アインズ・ウール・ゴウンの本拠地。ナザリック地下大墳墓。その円卓の間だ。

一瞬、視界がぶれたと思った次の瞬間。

激しい水音とともに体が水面にたたきつけられた。

何が起こった!

慌てて岸まで泳ぎ着き、周囲を見回す。

ん?

ここって第4階層の地底湖か? 

第9階層と間違ったか?

久しぶりだったからなぁ。

 

とにかく岸へ上がる。電脳法によって定められた仮想世界の特性上、特に濡れた感触はないが、濡れている状態だと〈炎上〉に対して耐性がある。まあ、あっても仕方ないし、さっさと乾かそう。待っていても数分で通常状態にはなるため、こんなことにアイテムを使うなどと昔の俺だったら絶対にしないが、今は時間がもったいない。

コンソールを開くと見慣れたパラメーターやアイテム、そしてログアウトなど表記のほか、なんだか見覚えのないものとかもある。まあ、今はいいや。それよりアイテムだ。

どうせ最後だからと、完全状態回復のエリクサーを使うと一瞬で状態異常がない通常状態に戻った。

うん、何度も言うが、こんなことでアイテムを使うのはもったいないが。

と、そんなことより、急ごう。

リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って、第9階層の円卓の間へ転移する。

懐かしい光景が目に入った。

黒曜石の輝きを放つ巨大な円卓に、それを取り囲むように設置された41の椅子。

毎回、ログインした時はここを出現地点にしていたものだ。

誰もいないのか?

そう思って、辺りに目を向けると――

――いた。

とても懐かしい、あの人だ。

「やあ、モモンガさん。お久しぶりです」

 

 壁にかけられたギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』に手を伸ばしていたその人は声に振り向き、

 

「どうも。よく来てくださいました」

 

 と、嬉しそうに声を返してくれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「ああ、すみません。なんだかインしようとしたら、アップデートが必要ですとか表示されて、それがいつまでも終わらなくてですね。こんな時間になってしまいました」

「……ああ、そういえば。しばらく前にアプデが来てましたね。その時、結構面倒でしたよ」

「そうだったんですか。いや、本当に間に合わないかと思いましたよ」

「いやいや。とにかく、よく来てくれました」

 

 そう言って笑顔アイコンとともに、かつての仲間を見上げた。

 

 一言でいえば巨大という他ない体躯だった。

 ユグドラシルでは、戦闘の時には体が大きければ大きいほどリーチが伸びるなどの利点が発生する。また、それに伴う体重の増加も攻防ともに有益だ。ただ、大きくすればいいというだけではバランスが崩壊するため、先のメリットに伴い、当たり判定の肥大化や速度の低下というデメリットも負うことになる。

 そのため、たいていのキャラでは身長2メートル弱程度まで。巨漢キャラでも2メートル20程度に収めるのが普通だ。

 だが、今現れた人物はその標準をはるかに上回る、異形種でしか選べない3メートル弱という、PCとして設定できる限界値ぎりぎりの巨躯をしている。

 その体は全身が青白くひび割れ、暗緑色に濁った瞳を覆う瞼はなく、口元は頬の皮膚が溶け落ち耳元まで尖った歯が覗いている。異様に上半身が大きい躰にまとうやや時代がかったスーツやYシャツは肩口から裂け、それら薄汚れた服とは対照的な一点の汚れもない深紅のネクタイと腰にぶら下げた金時計。頭には黒の紳士帽をかぶっている。そして、特筆すべきはその小山のような背中には幾本もの剣や槍などの武器が突き刺さっているということだ。

 ユグドラシルではフレッシュゴーレムの上位種である《フランケンシュタインの怪物》というアンデッドである。

 

その巨体をモモンガは見上げる。

 ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ。

 

 その巨大な体を活かしたパワーでのごり押しキャラと思いきや、その背に刺さった各種武器には自在に空中を飛ばすことができるフローティング・ウエポンが組み込まれてあり、それを使った遠隔攻撃、またそれらの武器を直接手にしての様々な属性攻撃の使い分け、さらにあまり向いているとは言えないものの暗殺者系のスキルを利用した死角に潜り込んでの攻撃と、意外と多種多彩な攻撃方法を誇る。その分、どれかに特化した純戦士や純暗殺者には劣るのだが。

 そんな攻撃的な前衛キャラでありながら、当の本人は実に慎重派だった。口では眉を顰めるようなブラックジョークやダークなネタを好みつつも、あくまで行動は常に理性的。他のギルメンが様々な作戦を立てて動く中、それが失敗した時のことを考え、保険策を用意し、退路を考えておき、こんなこともあろうか思ってと様々なアイテムを用意していてくれた。

 

ふむとベルモットはいかつい頭で周囲を見渡す。

「おや、ところで俺だけですか?」

「ああ、ほんのちょっと前までヘロヘロさんがいたんですよ。本当にタッチの差でしたね」

「え? そうなんですか? しまったな」

 

 そして、先ほどモモンガが手にしようとしていた物に目を向ける。

「ふむ。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンですか。せっかくですし、持っているところを見たいですね」

 と水を向けた。

 

 モモンガはいたずらを見つかったような子供の気分で、杖へと手を伸ばした。

 手にとると、半透明のエフェクトが次々と苦悶の表情を浮かべては溶けるように消えていく。

 骸骨姿のモモンガが持つと、まさに世界を支配しようとする暗黒の魔王のようだ。

 

「はっはっは。かっこいいですよ、モモンガさん」

 DMMO-RPGという特性上、キャラクターの表情こそ変わらないが、明らかに照れているということはベルモットにもよくわかった。

「いかにも悪の組織の首領としか思えないですね」

「くっ、小童が、調子に乗りおって。俺の真の力を見せてくれる!」

「ははは! いいそうですね」

「くっ、だが忘れるな。人の心に悪ある限り、私のような存在は何度でも現れる!」

「定番ですね」

「くっ、殺せっ!」

「ペロロンチーノさんがいたら、ゲイ・ボウで突っ込まれますね」

 かつての仲間を思い出し、たがいに笑いあった。

 

そしてモモンガとベルモット、二人は昔語りしながら玉座の間へと移動した。どうせなら、最後にもう一度行ってみようというモモンガの提案だった。

道すがら、近況を語り合ったり、昔の冒険を懐かしんだりした。

 第10階層に控える執事と6人のメイドたちを見て、こんなキャラも作ったなと話しながら、自分たちについてくるよう命じた。

やがて玉座の間へとたどり着く。

 細部まで行き届いた飾りや装飾に、自分たちのことながら、よく作ったなぁと感心するような部屋の出来栄えである。

 部屋の中央、階段状になった最上部に水晶から切り出したような玉座が鎮座している。その脇には純白のドレスを身に纏った女性。だが、その腰からは黒い翼が生え、頭部にもヤギを思わせるねじ曲がった角が伸びている。 

 モモンガの視線がその女性、ナザリック大地下墳墓階層守護者統括アルベドに止まる。

 彼女本人というよりも、彼女が手にしている物に。

 

真なる無(ギンヌンガガプ)か……」

 

 取り上げようかとも思ったが、ベルモットからの「いいんじゃないですか。もう最後なんですから」という一言にその気も無くなった。

 そう、最後なのだ。

 もう何があろうとそれは覆らない。

 すべてが終わる。

 

 

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 あ、まずったかな?

 

 アルベドの持っていたワールドアイテム。

 それをどうすべきかと迷っている空気があったため、「いいんじゃないですか。もう最後なんですから」と軽く言ってしまったのだ。

 

 最後。

 

 そう、最後だ。

 それはどうしようもないことであり、とても残酷なことだった。

 

 

 特にモモンガさんにとっては。

 

 モモンガさんの現実での話はそれなりには知っている。

 かろうじて小学校までは卒業できたものの、そのまま企業へと勤めだし、そしてずっと過酷な環境で働いてきた。親兄弟、肉親家族も今はなく、天涯孤独の身。当然、待遇は決して良くなく、リストラされてのたれ死ぬよりはましだというような程度。

 

 そういう話自体は珍しくもない。掃いて捨てるほどいる。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルメンにも似たような状況の人間は何人かいた。ユグドラシルや他のDMMO-RPGの全プレイヤーで数えたら、それこそとんでもない数だろう。

 そんな多くの人間たちが、心のよりどころとしてDMMO-RPGに熱中していた。

 もちろんアインズ・ウール・ゴウンのギルメンたちもだ。

 その中でもモモンガさんが、このユグドラシルに入れ込んでいたのはよく知っている。

 いつぞやなんぞは、もらった賞与を全部レアアイテムのガチャにつぎ込んだほどだ。最初は「さすがはモモンガさん。俺たちに出来ない廃プレイを容易にやってのける。そこに痺れる。憧れるぅ!」と大はしゃぎで煽っていたウルベルトさんも、段々と声をかけることもできなくなり、最後には黙り込んでしまっていた。そして、ついに当たりを引き当てたときはギルメン全員が歓声をあげたものだ。その直後、試しにとやってみたやまいこさんが一発で引き当ててものすごい微妙な空気になったが。

 

 

 

「そう言えば!」

 

 重くなりかけた空気をごまかそうと、ことさら大きな声をあげる。

 

「さっきログインしたら、なんだか見たことない表示があったんですよ」

 

 久しぶりで操作をミスって池に落ちたことは誤魔化しつつ、あらためてコンソールを開いてみると、やはり記憶にないような項目が何個かある。特にこのあちこちについている『new』とかいうのはなんだろう?

 モモンガさんに聞いてみると、UI強化で追加された機能らしい。追加されてから一度も見たことがない機能や新規に手に入れたアイテムにつくんだそうな。

 

 

「……そうだ。新規アイテムに『ホレス・ピンカートンの部屋』っていうのは無いですか?」

 

 

 言われて見てみると、確かにある。何だろう?

 

「言うより使ってみたほうがいいですよ。ただ全部見て選択すると長いんで、選択表示が出たら左、右、左、左と選択してしまえばいいです」

 

 ふうん。まあ、確かに時間もないしね。

 『ホレス・ピンカートンの部屋』を選択して、言われた通り、左、右、左、左と指でさっと選択する。

 

 そこに表示されたのは次のような選択肢だった。

 

 

 

 『ホレス・ピンカートンの部屋』はあなたのPCの外見を変更するアイテムです。使用しますか?

  

       ▷はい    いいえ

 

 外見は自分で調整しますか?

 

        選択   ▷ランダム

 

 この外見でいいですか?

 

       ▷はい    いいえ

 

 これで決定します。一度決定したら、同アイテムを使用しない限り変更はできません。よろしいですか?

 

       ▷はい    いいえ

 

 

 

 

「――ん?」

 内容を理解する前に、すでに指は選択を終えている。

 次の瞬間、光が全身を包んだ。

 

 そして、光が収まると、

 

「なんだ、こりゃー!」

 俺は自分の姿を見て叫んだ。

 

 

 

 視点が違う。

 さっきまでは、はるか上からモモンガさんを見下ろしていたのに、今は玉座に座るモモンガさんを下から見上げている。

 と、モモンガさんの腰かけている水晶の玉座に映った自分の姿を見て、

 

「なんだ、こりゃー!」

 

 俺は再度叫んだ。

 

 

 そこにいたのは少女だった。年齢は10歳程度。髪はほとんど白に近いプラチナブロンド。後ろやサイドは腰まで長く、前は眉毛辺りで揃えられたいわゆる姫カットとか呼ばれる髪型。さいわい服装は着ているキャラによってサイズがアジャストされる設定なので、脱げ落ちることもなく今の身体にぴったりだが、小柄な少女がぼろぼろの紳士服を着ている姿はおかしな仮装のようだ。

 

 

 

「あはは! 引っ掛かった!」

 

 我らがギルマスは、そう声をあげて笑っていた。

「それ、ちょっと前に運営がプレイヤー全員に配ったお試し用の外見変更アイテムですよ。びっくりしました?」

「そりゃびっくりしますよ! 何やってるんですか」

「はっはっは。まあ、いいじゃないですか。最後なんですし」

 

 ああ、なるほど。

 そう、最後だ。

 確かにもう最後だ。

 

 

 こんなばか騒ぎも悪くないじゃないか。

 

 

「うあー、騙されたー! モモンガさんの事、信じていたのに!」

「ふはははは。人は信じて騙されるのではない。騙されるために信じるのだ、信じるという行為は騙される為の前戯でしかないのだよ」

「こんなイタズラ、るし★ふぁーさんでもない限りしないと思ってたのに!」

「いや、それってひどくないですか?」

「素に戻らないで下さいよ。まあ、最後だし、いいですけどね。モモンガさんは使ってみたんですか?」

「ええ、試しに使ってみましたよ」

「ほほう。どんなキャラに? バインバイーンな女キャラですか?」

「い、いや違いますよ。普通のキャラですよ」

 

 もしこれがリアルだったら、確実にモモンガさんにはぶわっと冷や汗が湧いているだろう。

 

「では、どんな? うそを言うとミジャグジ様に舌を抜かれますよ」

「いや、オーバーロードだから舌ないし」

「ではおとなしく白状するがいいでしょう。おそらくモモンガさんが作ったのは、おっとりした年上お姉さんタイプのキャラですね」

「そ、それにしてもベルモットさん、ランダム作成で美少女になってよかったですね。それってある程度統一性はあるにしても、基本各パーツランダムですから」

「美少女ですかぁ。ふむ、見た感じ確かに美少女っぽいですね。これって戻れるんですか」

「ああ、課金して同じアイテム買わないとダメですね」

「え? 戻れない?」

「ええ。無料で配っといて、うっかり使ったら戻るのに課金が必要とかいう腐れ外道仕様です」

「そりゃあかんでしょう。ヘイト買うだけです」

「まあ、ヘイト買っても、その頃には終わるの確定してましたし」

「そういや、モモンガさんは使ってみたって言ってましたけど、わざわざ課金アイテム買って、戻したんですか?」

「はい。2、3日やって飽きて戻しましたよ」

「ふむ。乳揺れも2、3日で飽きたと」

「いや、いいじゃないですか、その話は」

 

 そう言って笑っていると、玉座のすぐ脇にいるアルベドが目に入った。

 

「アルベド……たしかタブラさんものすごい長い設定とかつけていませんでした?」

「あ、なんかそんな記憶が」

 モモンガさんが手を伸ばし、コンソールからアルベドの設定を開いてみると、次の瞬間、凄まじい量の長文設定が流れてきた。

 

「「長げぇ!」」

 

 うわぁと呟いてだらだらとスクロールしていく。とてもじゃないが全部読む気はしない。時間もないし。

 そうして一番下までたどり着いた時、最後の一文が目に入った。

 

『ちなみにビッチである』

 

 

 ……何これ?

 ギャップ萌えとかいっても、これはどうなんだろう?

 

 と、ふと思いついた。

 

「モモンガさん。これってギルド武器持ってる今のモモンガさんなら、変更できるんじゃないですか?」

「あ……」

 

 呟いたモモンガさんがギルド長特権を使ってアクセスすると、設定の本画面が開けた。

 

「消しましょうか?」

「うーん。ただ消すっていうのも……」

「あ、じゃあ、こんなのはどうです?」

 

 そう言ってモモンガさんは文字を打ち込む。

 

 

『ギルメンを愛している』

 

 

「いやいや、ここでヘタレてどうするんですか。こうしてしまいましょう」

 

 モモンガさんの横から文字を打ち込み、さらに書き換えた。

 

 

『モモンガを愛している』

 

 

「い、いや、これは……」

「まあ、いいじゃないですか。ほらギルマス特権で決定ボタンを押して」

「え? ええぇ」

 

 ためらいつつも、モモンガさんは『決定』を選択した。

 

「おお、本当にやった。まさか、本当にやるとは。とんでもないギルマスの行為にベルモットはドン引きである」

「いや、ひどいですよ。自分で言っておいてー」

「ははは、いいじゃないですか。最後ですし」

「ははは、まあ、いいですね。最後ですし」

 

 そういって二人で笑いあった。

 

 

 

 

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 そうして、終わりの時は来る。

 

 今日という日が終わる時がくる。

 

 12年の長きにわたって、続いたユグドラシルが終わる日が。

 ユグドラシルの中で伝説として語られたアインズ・ウール・ゴウンの終わる日が。

 

 

 

 

 そのはずだった。

 

 




元の姿のベルモットは、顔を除いては、INJUSTICEというゲーム中のソロモングランディ、及び同キャラ別コスチュームのボスグランディをイメージしてます


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第1話 さて、どうしようか?

2015/12/26 サブタイトルの話数を漢数字からアラビア数字に変更しました
2016/2/5 「異業種」→「異形種」に訂正しました
2016/5/21 「・・・・・」 → 「……」 訂正しました
 「降りきれた」 → 「振りきれた」 訂正しました
 第〇階層の「第」がついていない所があったので、「第」をつけました
2016/10/5 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
2016/11/13 「力づく」→「力ずく」訂正しました


「さて。まず、我々が行わなければいけないことは、現状の確認です。なぜ、こんなことになったのか?」

 

 ナザリック地下大墳墓の宝物殿。

 見上げるほどの高さのある棚が、数えるのも嫌になるくらい並べられ、さらにそこには様々な金銀財宝に芸術品が所狭しと並べられている。いや、ほとんどのものが並べることすらできずに、棚と棚の合間の床に無造作に積み上げられ、広大な山脈を形成している。

 まさに目のくらむような光景だ。

 そんな財宝の山脈から突き出している棚の上端。そこに俺とモモンガさんは向かい合って腰かけていた。

 

「とりあえず可能性は5つほど考えられます」

 

 いまだ違和感を感じる、透き通るように白い小さな手の指をピッと立てて、声をつづける。

 

「一つ目の可能性としては、ユグドラシルの終了が延期された事。その際、大型アップデートが行われたというものですね。二つ目はユグドラシルから直接ユグドラシルⅡに切り替わったという可能性ですか」

 

「なるほど。しかし、それだとログアウトが出来ないどころか、コンソール画面すら開けないというのは?」

 

「なんらかの別の方法でコンソールを開くよう設定が変わったのかもしれません。もしくは、初期不良とか」

 

「ふむふむ」

 

「まあ、3つ目と4つ目はあれですね。ファンタジーな話です。我々が異世界に転移したとか、ゲームの世界に入ってしまったとか」

 

「まあ、突拍子もない話ですが、あながち無いとも言えませんねぇ」

 

 モモンガさんは話すたびにカタカタと動く自分のアゴに手をやった。

 そう、顎が動くのである。もともとのユグドラシルはDMMO-RPGであるので顔の表情等は動かず、代わりに顔アイコンを使う必要があった。しかも、本来ならば味覚、嗅覚はまったく感じることが出来ず、触覚もかなり制限されていたはずなのに、今の身体はすべてがリアルに体感できる。これは法律で決められている事なので仮にゲームだとするならば法改正でもなければならないはずだが、そんなニュースは聞いたことがない。もしくはうっかり規制を外した状態で開発して、長い時間ととんでもない金をかけて完成させたのち、更にチェック漏れから規制をかけるの忘れたまま提供してしまったとかいう、馬鹿げた事でも起こらない限りあり得ない。

 

「ちなみに最後の5つ目はなんです?」

「交通事故で植物人間状態になった俺たちが見ている夢です」

「そんなブラックなネタは止めてくださいー!」

 

 そう叫んで、頭を抱えながらモモンガさんが棚の上をゴロゴロと転がる。

 黄金色の財宝に埋め尽くされた場所で、子供のように左右に転がりまわりながら、奇声を上げる骸骨。

 シュールな光景だ。

 と、ピタリと急に静かになり、体を起こした。

 

「どうしました?」

「いや、なんだか突然、気持ちが落ち着いて」

「……賢者モード?」

「お、おかしな事はしてないですよ」

「分かってますよ。俺たちってゲーム中のキャラはアンデッドですよね」

「ええ。ベルモットさんは今、少女ですけど」

「誰のせいですか?」

「すみません」

「ええ、まあ、とにかくですね。異形種のアンデッド系って精神作用無効ってありましたよね。あれが効いてるんじゃないですか?」

「ふむ……ある程度以上、感情が強くなるとそれが抑制されると」

「はい。そう考えると、先程のことも納得いくんですよ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ユグドラシル終了の時を待っていた玉座の間。

 だが、なぜか12時の時間が過ぎても、ゲームからログアウトされず、コンソールも開かず、そして身体に起こったおかしな現象に混乱するばかりだった二人に声をかけてきたのだ。

 NPCのアルベドが。

 戦闘中の声自体は設定してあったものの、自分から話しかけるなど、そんなAIは搭載していなかったはずなのに。

 試しに他のNPC、たまたま玉座の間に連れてきていたセバス及びプレアデスの面々に、ゲームで定められていた正式な命令(コマンド)以外の指示を出したのだが、実に滑らかにそれに受け答えが出来た。

 困惑しつつも、モモンガさんはそんな心の内をおくびにも出さずに、セバスに対して周辺状況の確認を命令した。

 おお、さすがは営業職。

 とっさのアドリブは苦手だと言っていたけど、いざとなったら何とかやってのける。

 そう、感心していたらアルベドに向かって、「アルベド……む、胸を触ってもいいか」とか言い出した。

 

 

 何考えてんだ、この人!

 

 俺はてっきりゴミ虫を見るような表情がアルベドの端正な顔に浮かぶかと思ったが、あにはからんや、アルベドは微笑みながらその大きな双丘を前に出した。

 

 どんなラブコメ漫画だよ!

 

 そうして、モモンガさんは震える手でアルベドの胸を触った。

 それを見て俺は首をひねった。今のは本来ならば、明確にアウト行為なはずだ。即BANされてもおかしくない。だが、これは……。

 

 アルベドの胸をもむモモンガさんと、微かな喘ぎ声をあげるアルベド。その姿を眺めながら、今、起こっている不可解な現象について考えていると、突然、モモンガさんの手が止まった。

 どうやらすぐ横で見ていた俺、友人にして現在ちびっ子の存在を思い返したらしい。

 慌てて取り繕うように咳払いをして、手を放す。

 残念そうな声を漏らすアルベドに「今はそんなことをしている場合ではない」と、自分からやったくせにモモンガさんはそう言った。

 

 

 次の瞬間。

 

 アルベドはゆっくりと俺の方を振り向いた。

 はっきり言って、俺は今までゲームの中ならともかく、リアルでの荒事経験なんてない。力ずくでのケンカとかも子供の時以来だ。

 あれほど憎悪に満ちた表情と殺気を浴びたのは生まれて初めてだった。

 

 だが、

 不思議なことに、俺はそれを見てもたいして動じもしなかった。

 最初の一瞬だけ、寒気のような感覚が背筋を走ったが、瞬く間にそんな感覚は消え去った。言うならば人ごとのような、まるでそういう表情を浮かべる女性の写真を眺めているだけのような、そんな程度にしか感じなくなっていたのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、モモンガさんは守護者全員を第6階層の闘技場に集めるように指示し、俺たち二人は一度レメゲトンに戻り、ゴーレムが起動するのを確かめた後、こうして宝物殿にやってきたのだ。

 

「おそらくは、常に平坦なのではなくて、ある一定以上に精神が振りきれた時だけなんでしょうが」

「なるほど、ゲームキャラとしての影響を受ける……ですか」

「アルベドの胸を揉んでいて、途中でハッと我に返ったのもそのせいでしょうね」

「本当にすみませんでした」

 

 まあ、目の前で堂々と美女の胸を揉むとかいう行動をした事をからかうのはこれくらいにして、これからのことを考えなくてはならない。

 

「それで、これから守護者たちに会う訳ですが……」

「とりあえず、今まで会ったNPC達に反抗の意図のようなものはなかったようですが、気を付けなければなりませんね」

「ええ、とにかく会ってみて様子を探ってみましょう。幸い、こうして――」

 

《こんな感じで〈伝言(メッセージ)〉は送れるみたいですから。目の前の相手にばれずに秘密の相談も出来ますし》

《フォローはお願いしますよ》

《はい》

 

「でも、ですね。もし万が一、不穏なことになった時はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで宝物殿に転移しましょう」

「この宝物殿にですか? 第1階層の出入り口に転移してナザリックから外に脱出というのもありなのでは?」

「いえ、まだ外の状況が分かっていない状況ではそれは危険です。我々は今、異常な事態に直面していますが、ナザリックだけじゃなくナザリック外の世界でもおかしなことが起きている可能性があります」

「なるほど」

「それにこの宝物殿は、ナザリックで最も安全です。ここに入ってくる方法はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの転移を使用したときのみ。つまり、それを保有している俺たち二人以外は絶対に他から侵入できません。そして、この中にいるのはアヴァターラのゴーレムたちとパンドラズ・アクターだけ。ゴーレムたちは指輪を持っている相手にだけ反応するはずですから、最悪の場合でも、実質、パンドラ一人を倒せば、ここは絶対安全の場所になります」

「おお、たしかに。それにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使えば、どこからでもここ(宝物殿)に来れますしね」

「ええ。ですから、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの管理は厳重に行わなくてはなりませんね。とりあえず、外すのは禁止。盗難防止のアイテムも常備しておく。あと、予備のものがあったはずですが、それも他の者には渡さない方がいいでしょう」

「はい。あ、でも、奥に行くときはどうします? 指輪をつけているとアヴァターラのゴーレムが襲ってきますから、ワールドアイテムを取りに行けないですよ」

「あ、そうか……。そうですね。では、ワールドアイテムを取りに行くときは我々二人で宝物殿を訪れる。そして、どちらか片方は入り口に残って留守番をし、奥に行く方は残った方に指輪を預けるということで」

「ええ、それでいきましょう」

「パンドラに持ってきてもらうとか、パンドラに指輪を預けるとかいう案もありますが、それは一〇〇%パンドラが信頼できない限りはしない方向で」

「……その方がいいですね」

 

 いまだにパンドラの話題になると、歯にものが挟まったようになるな。いい加減、やってしまったものはしょうがないと割り切ってしまってもいいと思うんだけど。

 

「それにしても、ナイスな案ばかりですね。さすがはぷにっと萌えさん、ベルリバーさんと並ぶナザリック三大軍師」

「なんです? その呼び方」

「ウルベルトさんがそう名付けていましたよ」

「あの人は……」

「ちなみにぷにっと萌えさんが『ナザリックの孔明』、ベルリバーさんが『ナザリックの司馬懿』、ベルモットさんが『ナザリックの朶思(だし)』だそうです」

朶思(だし)って南蛮一の知恵者とか言いながら、特に知恵も使ってなかった奴じゃないですかー! それになんで蜀、魏ときたのに、呉を飛ばして南蛮に行ってるんですかー!」

「さて、そろそろ時間だから行きますか」

「おお、自分でネタを振っておいて強引に話題を打ち切る。さすが悪のギルドのギルドマスター。悪魔より悪魔味」

「はいはい」

「ああ、それとですね。守護者たちに会うにあたって、俺の事なんですが……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 第6階層の円形闘技場。

 出迎えたアウラとマーレと会話し、魔法が実際に発動するかの実験を行い、やがてやって来たシャルティア、コキュートス、デミウルゴス、そしてアルベドらから忠誠の儀とやらを受け、戻ってきたセバスから周辺状況を聞き、ナザリックの警戒レベルを上げることを指示し、守護者達は自分に対してどう思っているのかを聞いた。

 

 

 全部、モモンガさんが。

 

 

 俺は後ろで、ぼーっとしてるだけでよかったし。

 モモンガさんは少しテンパりつつも、上位者然とした口調でわりと的確にやり取りしていたから、特に何もする必要もなかった。ときどき〈伝言(メッセージ)〉で助言したり、ツッコミを入れたりする程度だった。

 

「……なるほど。各員の考えは十分に理解した。今後とも忠義に励め」

「恐れながら。発言をよろしいでしょうか?」

 

 無難にモモンガさんがまとめたと思ったら、大きく頭を下げた拝謁の姿勢のまま、アルベドが声を発した。

 

「……なんだ?」

 

 やや低い声でモモンガさんが応える。取引先相手を前にしたプレゼンが終わり、ホッと一息ついたと思った瞬間、ちょっと聞いていいかねと向こうの上役から質問された会社員のような心境とみた。

 

 アルベドは、すっと顔をあげ

「モモンガ様に質問する愚をお許しください」

「構わん。続けよ」

「はい。先ほどからモモンガ様の後ろに立つ、その人間は何者でしょうか?」

 

 その言葉に、他の守護者たちも顔をあげる。

 

「このナザリック地下大墳墓は我らが祝福の地。そこに人間が侵入するなど異例の事態でございます。しかも、その者は、先ほど第10階層にあります玉座の間にもおりました」

 

 その声に、守護者たちから驚愕の空気が起きる。

 

「それだけではなく、その者が指にしている指輪。至高なる41人の御方々しか持つことを許されないリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。それを手にしているその者は何者なのですか? 下賤な人間の分際で、ナザリック大地下墳墓の支配者にして、至高なるアインズ・ウール・ゴウンの最高責任者であるモモンガ様を前にして膝もつかぬ、その者は何者なのでしょうか?」

 

 一息に発したアルベドの声に合わせて、守護者たちから強烈な気が当てられる。

 当惑。敵意。そして殺気。

 

 普通の人間はもちろん、かなり高位の怪物でさえ怯み、震え、逃げ出すような濃密な空気を苦にもせずに、俺は前へと進んだ。

 

 被っていた帽子をとり、挨拶する。

 

「皆さん、初めまして。私はベル・ハーフ・アンド・ハーフ。アインズ・ウール・ゴウンの一員であるベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘です」

 

 




モモンガ「でも、いきなりリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで宝物殿に転移しても大丈夫だったんですか? 異常事態という事ですし転移した時、ちゃんと指定したところに飛ばずにおかしなところに飛ばされる可能性もあったのでは?」

ベルモット「ん? んん……し、心配いりません。そうなった時の事も考えてありますとも……」

モモンガ「さすが、ベルモットさん」



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第2話 守護者たちの雑談

2015/12/26 シャルティアが現時点で『アインズ』と呼んでいたので『モモンガ』に訂正しました
2016/5/21 「さらなる忠誠と」 → 「さらなる忠誠を」 訂正しました
2016/11/13 「例え」→「たとえ」 訂正しました
2017/5/4 「事割」→「(ことわり)」 訂正しました


 自分たちの創造者であり崇拝すべき主人が去ってなお、姿勢を崩すものはいなかった。

 やがて、アルベドが立ち上がり、それに続くように他の者たちも体を起こす。

 そして誰ともなく口を開いた。

「すごかったね、お姉ちゃん」

「うん。あれが本当のモモンガ様なんだね」

「さすがはモモンガ様。我らが仕えるお方」

「ウム。強イコトハ分カッテイタガ、マサカコレホドマデトハ……」

 

 みな口々に、ナザリック地下大墳墓の支配者モモンガの力を褒め称える。

 それは皆の心のうちとして、しごく率直なものであったが、別の意味合いもあった。

 あえて、ある事を話題に出さぬように、と。

 

「しかし」

 

 遂にデミウルゴスが頭を振りながら、声を出す。

 

「まさか、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ様のご息女とは……」

 

 その言葉に皆が口をつぐむ。

 

 思い返すのは先ほどの光景。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 人間が何故、この場にいるのかという事は皆疑問に思っていた。

 だが、主であるモモンガも特に気にも留めずにいたし、当人も何も発言せずにいたため、聞く機会を失っていたのだ。

 

 だが、アルベドが遂にそれを質問した。

 そして、アルベドが語った内容は驚愕に値するものだった。

 第10階層、それも最奥部の玉座の間はナザリックの心臓部。守護者統括アルベドの他は、ナザリックに属するものでさえ通常の立ち入りを許可されない場所だ。

 そんな場所に人間が。ひ弱で愚かな人間の、それも少女が入っていたというのだ。

 しかも、我らの創造主、至高なるアインズ・ウール・ゴウンに名を連ねる41人の御方々しか保有を許されていない秘宝リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをその指にはめている。

 その事実に、皆胸の内にどろどろと蠢くものを感じていた。直接的な攻撃などの行動はとっていないものの、その感情の発露はまるで視界が歪むような濃密な悪意として発せられていた。

 

 だが、そんな中、少女は表情を変えることなく前へ出て微笑みながら言ったのだ。

 

 

「皆さん、初めまして。私はベル・ハーフ・アンド・ハーフ。アインズ・ウール・ゴウンの一員であるベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘です」

 

 と、

 

 

 

 その言葉に守護者一同、呆然とした。

 

「皆さんの事は父からよく伺っています。残念ながら、父はある理由からしばらくこの地を離れなければならなくなりました。そこで私が父の代理として、ここ、ナザリックへと遣わされました。至らぬところもあると思いますが、よろしくお願いします」

 

「うむ。そういうことだ。彼女、ベルにはベルモットさんの代理として働いてもらう。ベルモットさんの保有するアイテムや私室の使用を我が名において許可する。また、ナザリック内での地位だが、ベルモットさんの代理ということであるがまだ経験が不足しているため、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たち同等とはせず、それより一段下とする。異論はあるか?」

 

 全員、突然の事にまともな思考をすることすらできない。それに至高なる主の決定に異論をはさむ者などいるはずもない。

 

「では、皆よ。各々の働きに期待しているぞ」

 

 そう言って、モモンガとベルは転移していった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「シ、至高ナル御方ノゴ息女……、ワ、私ハナントイウコトヲ……」

 ガッと音を立ててコキュートスが膝をつく。

 本来なら、たとえどんな敵が来ようとも決して怯むこともないであろうその巨大な体躯が、今は風にすら吹き飛ばされそうなほど、とても弱々しく小さく見える。

 だが、それはこの場にいる守護者、並びにセバスも一緒だ。

 自分たちが警戒し敵意を見せた相手が、自分たちの創造主であり無限の敬意を払い崇拝する至高の41人の御方の娘だったのだ。しかも、至高の41人の中でも最も英知に優れ、最後までこの地に残ってくださった偉大なる支配者モモンガ様も、彼女の事はアインズ・ウール・ゴウンの方々よりは下としながらも、丁重に扱うように命じられたのだ。

 そのような人物に知らずとはいえ、あのような無礼なふるまいをした責。

 一体、どのようにして償えばよいのか?

 

 全員に暗澹たる思いがのしかかる中、アルベドが声を発した。

「落ち着きなさい。確かに先だっての件は私たちの失態。これは誤魔化しようのないものよ。でも、ならばこそ、さらなる忠義と功をもって、無礼を覆すべきだわ」

 アルベドの言葉に皆、上を向く。

 先程の件、誰が最も罪が重いかというと、間違いなくアルベドだ。たとえ、守護者全員の総意として疑問を呈したとしても、至高なる方の前で異論を口にし、至高なる方の娘を疑ったのはアルベドである。本来なら、とんでもない大失態であり、この場で自害してもおかしくないほどの衝撃を受けているのであろう。

 だが、そのアルベドが言っているのだ。

 罪を功ですすげと。

 最も重き罪を背負い、最も慙愧の念に心奪われるはずの者が言っているのだ。

 前へ進めと。

 

 その言葉に、皆、心を新たにする。

 至高なる御方にさらなる忠誠を、至高なる御方にさらなる栄光をと。

 

 

 

「確かに。これからますますの働きをもってナザリックに貢献し、ベル様に報いるべきだろうね」

 デミウルゴスは続ける。

「ナザリック最大の問題であった御世継ぎに関して、一先ずの解決はなされたようだしね」

 皆が、デミウルゴスの顔を見た。

「至高なる御方々はモモンガ様を除いて皆、姿を御隠しになられた。だが、もしかするとモモンガ様も他の方々と同様に『りある』に旅立たれ、戻ってこられないかもしれない。そうなった時、我々は一体、どなたに忠義をささげるべきだろうか」

「それは不敬な考えではありんせんか。そうならないように忠義をつくし、ここに残っていただけるよう努力すべきでは?」

「ああ、それはもちろんさ。シャルティア。だが、万が一のことも考えておくべきだろう」

 

 モモンガ様が、このナザリックを去られる。

 この場にいる皆、考えただけで身が凍り付くような思いだ。

 だが、仮にそうなったときに、アインズ・ウール・ゴウンの後継者、新たな支配者がいたら……。

 

「なるほど。至高なる御方の血を引く御方、……これ以上にふさわしい存在はないかもしれないでありんすね」

 

「フム。……シカシ」

「どうしたんだい、コキュートス?」

「イヤ、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ様ハ、アンデッドダッタハズ。ドウヤッテ子孫を残サレタノカ、ト思ッテナ」

 

「確かに。不思議な気がするでありんすね」

「あー、うん、そうだねー。ベルモット様の娘なのに、ベル様って人間なんだよね」

「恐れながら」

 セバスが口をはさんだ。

「確かにベル様は人間のようでしたが、完全な人間とも言い難いような、アンデッドに似た気の波動を感じました」

「え、ええと、それってもしかしてアンデッドと人間のハーフとかですか?」

「聞いたことはないが……、あるかもしれないね。たしかモモンガ様は通常の魔法の(ことわり)を超え、世界の法則すら捻じ曲げるという超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使えるという話だ。その魔法を使えば可能かもしれない」

 おお、と皆が自分たちの支配者モモンガの偉大な魔導の一端を聞き感嘆の声をあげた時、

 

 

「デミウルゴス!」

 

 

 叫び声をあげた人物がいた。

 

 

 叫んだのは誰であろうかアルベドである。

 殺気立ち、血走った眼を大きく見開いたその姿は、悪魔であるデミウルゴスでさえ一歩退きたくなるような光景である。

 

「デミウルゴス」

「……なにかな? アルベド」

「デミウルゴス、さっきの話は本当なの?」

「さっきとは?」

「モモンガ様の! その超位魔法を使えば! アンデッドとも子を作れるという話よー!」

「……ああ、……おそらく、出来るのではないかと思うがね」

「くくく」

 

「ふはははは」

 

「はーっはっはっは!」

 

 含み笑いから笑い声、そして哄笑と三段階でボルテージを上げて声をあげる。

「今! この瞬間をもって、私とモモンガ様の間をたがえるものは存在しなくなった! その魔法さえあれば、その魔法をモモンガ様ご本人が使ってくだされば、モモンガ様とこの私の子供がー!」

 

 異様なテンションに皆一歩下がって距離をとる。

 だが、一人だけ、距離をとるどころか距離を詰めた者がいる。

 

「あら、アルベド。その脳どころか脊髄まで筋肉で詰められているから、あなたは気づかんせんけど、どうせ、次世代の子を産むのならば同じアンデッド同士の方がよろしいと思わせんこと」

 その声にギッと振り向く。

「至高なる御方には最高の女こそ、横に立つのがふさわしいと思わないのかしら?」

「最高? それはペロロンチーノ様から、最高の要素を詰め込んだと言われたこの私の事でありんせんか?」

「あら? 詰め込み過ぎでどの要素も薄まってしまっていると思うけど? その薄まった分を埋めるために胸だけマトリョーシカ構造なのかしら?」

「あん? 何言ってんだ、大口ゴリラ」

「蒲焼にしたうえで食べずに捨ててあげましょうか、ヤツメウナギ」

 

 

 睨みあう二人と関わり合いになりたくないと無視を決め込んで、デミウルゴスはマーレに声をかけた。

「ところで、マーレ。君はなぜ女性の服を着ているのかね?」

「あ、ええと、ぶくぶく茶釜様が選んでくださった服です。おとこのこ(・・・・・)って言ってました」

 ふむ、とデミウルゴスは考える。至高の御方が選んだ服というのなら、それが正しいのだろう。そう言えばアウラも一見、男子にしか見えないような服装だし、先のベル様もお父上であらせられるベルモット様を真似てか、ボロボロになった男物のスーツを着ていた。

 だが、シャルティアは普通に女物の服だ。

 至高の御方には、子供に男女の性別が逆の服を着せる習慣があったのだろうか? シャルティアはアンデッドだから別ということで。

 

 

「じゃあ、モモンガ様がその辺の女に手を出していたとでも言うのかしら?」

「モモンガ様がその手に抱くのはこの世で最も素晴らしい女。つまり私でありんすね」

 デミウルゴスが思考に浸っている間にも、アルベドとシャルティア、二人の言い争いはまだ続いていた。

「はあ? あなたもまだ抱かれてないんでしょ。じゃあ、どういうつもり、あなたまさか、モモンガ様が童貞だとかおかしなことを言う気なのかしら?」

 二人のやり取りに正直うんざりしてきた時、思いもがけない人物が声を発した。

 

「えー? マジ、『どーてー』? きんもー☆! 『どーてー』が許されるのは、『しょーがくせー』までだよねー」

 

 アウラの言葉にアルベドは吹き出し、シャルティアはこぼれそうなほど目を吹き出し、デミウルゴスは凍りつき、セバスは顔を引きつらせ、コキュートスですらあんぐりと口を開けた。

 その場の者たちの中では、言った当人のアウラと意味が分からなかったマーレだけが普通にしている。

「お、お姉ちゃん。『どーてー』とか『しょーがくせー』とかって何?」

「ん? 知らないけど、『どーてー』っていうのには、そう言うんだってペロロンチーノ様が言ってた」

 

 ペロロンチーノ様が!

 姿を御見せにならなくなったとはいえ、至高の41人の方がおっしゃったというのなら、そこには深い意味があるのだろう。

 

 何とも言えない空気の中、デミウルゴスが口を開く。

 

「あー、ではアルベド。雑談もこれくらいにして、我々に指示をくれないかね」

「そ、そうね。では、モモンガ様の意にかなうための立案するわ。先ず……」

 




「「――ペロロンチーノ!!」」



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第3話 アイテムを使ってみよう

2016/5/21 「移すことができる」 → 「映すことができる」 訂正しました
 「疎外系の」 → 「阻害系の」 訂正しました
 「収集」 → 「収拾」 訂正しました
 「第五階層」 → 「第5階層」 訂正しました
2016/10/5 遠隔視の鏡のルビが「ミラー・オブ・リモートビユーイング」となっていたので「ミラー・オブ・リモートビューイング」に訂正しました
2016/11/13 「作業の集中する」→「作業に集中する」訂正しました


 3日が経った。

 

 ナザリック第9階層の執務室。

 

 本来、ナザリックに執務室というものはなかった。だが、俺とモモンガさん二人で相談したり、作業するのにいちいち自分たちどちらかの部屋で行うというのもやりづらい。かと言って、玉座の間や円卓の間だと、二人で使うには無駄に広すぎるということで、アインズ・ウール・ゴウンのギルメンが増えたときのために作っておいた予備の部屋を、共用の執務室として使用することにしたのだ。

 

 豪華ホテルの高級スイートルームのような作りの部屋で、俺は椅子に腰かけて、正面に置いた鏡に向き合い、グネグネと手を動かしていた。

 すぐ傍にはセバスが控えている。あと、天井には透明化したエイト・エッジ・アサシンが3体。

 見られていることは意識の外に置き、作業に集中する。

 

 あー、どうするんだ、これ?

 

 鏡の中には、正面にいるはずの少女姿の俺ではなく、風になびく草原が映っている。

 この鏡は〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉というマジックアイテムだ。

 その名の通り、遠くの場所を映すことができる。だが、阻害系の魔法やスキル、アイテム等で妨害出来るため、ユグドラシル時代はそれほど使えるというものでもなかった。

 だが、ナザリック外部を比較的リスクが無く見ることができるというのは、今の状況ではそれなりに役に立つ。

 そう思って引っ張り出したんだが――使い方がいまいち分からん。普通の人間くらいの視線の高さで見ることは出来るんだが、もっと高所から俯瞰したり出来ないんだろうか? 横に動かしたりは出来るんだが。

 それを調べるために、俺はさっきから小一時間程鏡の前でうなりながら手をあれこれ動かしている。

 

 ちなみにモモンガさんとは別行動中だ。

 モモンガさんは、今は自室で武装の実験をしているはず。

 この世界は現実ではあるが、ゲームのルールの影響も受けるという訳の分からない法則が適用されているようだ。どの辺が行動の壁になるか。これも早めに調べておかなくてはならない。

 

 俺はあくまでアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの娘という設定だが、モモンガさんは当のメンバーであり、その中でもギルドマスターという最高の地位にいる。そんな人物がまさかマジックアイテムの使い方ひとつ分からないという姿を他人に見せるのは拙かろう。そう判断したため、一段地位が下で、しかも子供ということになっている俺が、これの使い方を調べるのに四苦八苦することになっている。

 

 このギルドメンバーの娘というのは即興ながら、なかなか良い設定だったようだ。ナザリック内部について、すでに忘れてしまっていることをあらためて聞いても不審に思われないし、ギルドメンバーとしての信頼も失われない。忘れてしまったではなく、そこは父から聞いていなかったと言えばいいのだから。

 特にNPCの名前だ。階層守護者クラスならともかく、一般NPC全員の名前なんて憶えていない。ましてや、大量にいるメイドの名前全てなんて。そこで俺とモモンガさんが二人一緒に行動し、出会ったNPCに俺が挨拶するというやり方で全員に名前を聞いて回った。

 ……一応はひととおり聞いたが、全員分憶えていられる自信はない。 

 

 考え事をしながらも、色々やってみるが変化はない。

  

 ふぅ。

 一応アンデッドの特性があるから肉体的な疲労はしないが、精神的な疲労はする。

 ため息をついて鏡の縁に手をやる。本来なら質素な飾りしかついていないそこには、ごてごてとアイテムやら護符やらが無理矢理取り付けられている。

 

 これはすでにやらかしたためだ。

 

 

 闘技場で守護者たちと会った後、空いている部屋を執務室と決め、二人でこれからの計画を練っていたのだが、そうしてナザリックの警戒網を作るという話になった時、そう言えば〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉が使えるんじゃないかとハタと思い浮かんだ。

 さっそく、アイテムボックスから取り出して、何の気なしに自分たちを見てみようとしたのだが――

 

 

 

 ――いきなり大爆発した。

 

 

 

 特に何の防御手段も対策も取っていない〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で自分たちを見たために、自分たち自身に設定してあった対監視魔法の攻性防壁が発動したのである。

 さらにはナザリック内部に監視が行われたとして、ナザリック地下大墳墓の防御システムまで発動し、大量のトラップモンスターがばらまかれたのである。

 

 

 ナザリックの警戒レベルを上げるように命じた直後。

 そして、いまだかつてどんな者にも侵入を許したことがない第9階層で。

 更には最後まで残ったアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターモモンガとアインズ・ウール・ゴウンの一員の娘としてやってきたばかりであるベルが狙われたのだ。

 

 ハチの巣を、つついたどころか、爆竹を投げつけたような状態になった。

 

 騒ぎを聞きつけ慌てて駆け付けた護衛の者たちが最初に現れたライトフィンガード・デーモンを殲滅すると、次のモンスターが。そのモンスターを殲滅すると、さらに次のモンスターがと、際限なく事態は収拾することなく拡散し続け、最終的に玉座の間で防御システムを一時的に切るまで大騒ぎになった。

 

 その後、再発防止策として、まずナザリック内は〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉では見ないことを決めた。

 そして様々なマジックアイテムを無理矢理な感じで付与し設定し直し、ナザリックに属する者を見ても味方ということで阻害やカウンターは発動しない、ナザリックに属さない者でなんらかの対抗措置の発動もしくは監視が露見しそうなときは、その前に自動で強制遮断する、ついでに録画、再生、一時停止、コマ送り、4倍速、拡大、縮小などの機能も付けた。

 そう拡大、縮小も出来る。だから後は高度の変更さえできれば、上からの俯瞰なども出来るはずなのだ。

 ゲームの時は出来たから、たぶん使い方次第で出来るはずなのに……。

 

 鏡に手をついたまま考えていると、「ベル様、お疲れのようですから、いったん食事にされては?」と横からセバスが声をかけてきた。

 その言葉に、あの味を思い出して口の中に唾液が溜まる。

 

 ナザリックの食事は、まさに素晴らしいの一言だった。

 今、俺の身体は外見は人間の少女だが、中身はアンデッドのままらしい。アンデッドの特性上、食事をすることでステータスアップの恩恵は受けられないが、口や舌があることで食事自体は出来るし、味も感じることができるようだ。

 その実験としてプレアデスらが持ってきた食事を試しに口にしたのだが、味、香り、触感、全てが全く体験したことのないものだった。

 今まで俺は人生を損していた、とこれだけでも十分に断言できる代物だった。なんせ、現実で食べていた物は料理と言うより、栄養の補給品という言葉の方が似合う代物だった。わざと不味い味付けをしているんじゃないかと思うような物ばかりだった。実際、そうだったのだろう。美味いものが欲しければ金を払え、払わないんなら食わせてやらないという思惑が透けて見えるようだった。

 ナザリックの食事を口にした瞬間、あまりの美味さに「うーまーいーぞー!」と叫んでしまい、セバスにたしなめられてしまった。

 でも、口元に笑みを浮かべながらだったから、やはり自分たちナザリックの食事が褒められたのが嬉しかったんだろう。

 ちなみに、俺のその様子を見てモモンガさんも一口食べてみたのだが、当然のことながら口に入れても顎の下からただぼっとりと落ちるだけで、その後、しばらくしょんぼりしていた。

 

 だが、つばを飲み込み我慢する。

 今は一刻も早く、この〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の操作方法を見つける必要がある。

 面倒なことは配下の者に任せて、自分はただ飯を食っているという訳にもいかない。

 

 

 ……面倒なことは配下の者に任せて、自分はただ飯を食っていても、べつにいい気もする。

 

 

 いや、ここは我慢すべきだ。

 一応でも、上に立つものが組織のために働いていると示すべきだろう。

 

「ありがとう。だけど、今はいいよ」

 そう言い、もはや投げやりに手を動かす。

 

 と、その時、鏡の中が動いた。

 

 ん?

 もう一度、同じように動かしてみる。すると、鏡の中の景色がどんどん遠くなる。いや、視点が高くなっていく。

 

 「見つけたー」

 大きく息をつき、背もたれにドンと身を預ける。

 

 横から、拍手の音が聞こえた。

 

「ベル様。おめでとうございます」

「ああ、ありがとう。長いことすまなかったね」

「とんでもない。ベル様は我ら臣下の者のために身を砕いて働いてくださっている。その一端でもお手伝いできれば、これ以上の幸いはございません」

 

 たぶん、他の人間が言ったら絶対に『胡散臭え』と心の中でつぶやくような美辞麗句だが、セバスが言うと嫌味に聞こえない。本当の執事ってすごいもんだ。

 

 それにしても、NPCと話すときの俺の口調もどうするかな? モモンガさんは最初に守護者たちと会った時みたいに尊大な口調で行くって決めたみたいだけど。さすがに子供の外見で一人称『俺』とかもどうかと思うし、タメ口っていうのもまずいだろう。うーん……、ですます口調にしようか? 一人称『私』で。社会人経験も長いから出来なくもないが、とっさの時にそれですらすらと指示できるのか? むしろ、モモンガさんのように演技の方向を強くするか。例えば、もっと子供っぽい口調でいくとか……。

 

 まあ、いいや。そういう事は、とりあえず後で。

 とにかく動かし方が分かったんだから、こいつをちょっと動かしてみるか。

 鏡の視点を一気に上へ。そこで360度回転させてみる。

 おお、と思わず感嘆の声が出る。

 月の光に照らされた宵闇の光景。草原の草は風に揺れ、遠くには木々が密集し森を作り、はるか果てまで続いている。

 はるか昔の記録映像アーカイブか、それこそゲームの中でしか見ることのできない光景だ。鏡から覗くだけでなく、実際にあそこに行ってみたら、どんなに素晴らしいんだろうか。

 

 安全が確認されたら、モモンガさんを誘って行ってみようかな?

 

 視界を下に向けると、そこでは現実なら目を疑うような事が起こっていた。かなり広範囲の大地が突然うねり出し、互いにぶつかり合いながら波のように一か所へ向けて押し寄せ、ナザリックの外壁へとぶつかる。

 そのまま上空から探してみると、はるか下の地面にミニスカートをはいたダークエルフの子供がいるのを見つけた。杖を掲げて集中しているところを見ると、これはマーレが魔法でやっているんだろう。

 〈大地の大波(アース・サージ)〉だっけ?

 ユグドラシルでは一時的な地形変化と巻き込んだ敵にダメージを与える魔法だったが、実際に現実として使うとかなり応用がききそうだ。

 

 そうだな。

 これに限らず、他の魔法やスキル、アイテムなども色々新しい使い道がありそうだ。

 ちょっとモモンガさんに話してみて、どこかで実験なりしてみようかな?

 

 そんなことを考えながら、視点を地面付近まで戻し、何の気なしに視界をあちこちにぐりぐり動かしていると――。

 

 

 ――ん?

 

 

 黒い鎧が映った。

 

 身長は2メートル弱程度だろうか。見た目かなり立派なフルプレートアーマーだ。全身を鎧で包んでいるため、どんな人物がそれを身に着けているのかは全く分からない。

 

「セバス、ちょっと」

 傍にいた執事を手招きする。

「こいつに見覚えは?」

 横から鏡を覗き込み、一瞬考えたのち、「いえ、ナザリック内で見たことはございません」と答えた。

 

 もう一度、視線を鏡に戻す。

 鏡の中に映る、その漆黒の鎧を着た人物はゆっくりと歩みを進める。

 

 気の向くままに〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の映写地点を動かしていたため、この場所がどこなのかはっきりとはしないが、先程までの操作と移動速度から考えて、マーレが魔法を使っていた場所からそれほど離れていないはず。

 つまり、ナザリックのすぐ近くだ。

 

 

 ……ナザリックの目と鼻の先に、誰だかわからない武装した人間がいる?

 

 

 マーレは先程から広範囲に魔法を使用し、周辺に地形を変えている。

 そうなれば、当然、この人物もそれに気付いているはずだ。

 

「……セバス。ナザリック周辺の警戒は?」

「はい。デミウルゴス様が担当しており、すでに周辺地域にしもべを使った警戒網を作成したとのことです」

 もう警戒網は敷いてある。

 つまり、こいつはデミウルゴスが構築した警戒網すらすり抜けてきたのか!

 

「セバス! ナザリック全域に警戒警報を。シャルティアに最上層付近の防衛体制をとらせるように連絡。その際、敵の殲滅ではなく、遅滞作戦を優先。コキュートスは第5階層で迎撃態勢を準備。地上に出ているデミウルゴス、マーレ及びそれ以外のナザリック旗下の者たちは、一度デミウルゴスのもとに集結後、ナザリック内に帰還するように」

「はい。かしこまり――」

 

 セバスが声を返す前に、黒い鎧のそいつは何らかのネックレスを首にかけ、突然、空へと飛んだ。

 慌てて鏡を操作し、その後を追う。

 一瞬、画面の端にそいつの追随者らしき人物が映ったが、鎧の移動速度が速くて画面を拡大す余裕がない。

 見る見るうちに上空へと、垂直に上がっていく。

 

 ――どこまで行くつもりだ、こいつは?

 横方向へ移動するつもりがないということは、一度、上昇して地上の警戒網を外れてから、どこかへ移動するつもりか?

 それとも、高高度からどこかへ待機している仲間へナザリックの場所を連絡するつもりか?

 

 やがて、唐突にそいつは上昇をやめた。

 高度にして数百メートルは上がっただろうか。

 

 何をするつもりだ?

 

 固唾をのんで、そいつの行動を見張っていると、そいつは頭部全体を覆っている自らの兜に手をかけた。

 ハッと息をのみ、その姿を凝視する。

 

 そして、そいつはかぶっていた兜を脱ぎ捨て、その顔をさらした。

 

 

「え?」

「おや?」

 

 

 俺とセバスの声が被る。

 鏡に映っている黒色の全身鎧に身を包んだ人物の兜の下にあったのは、最近見慣れた、顎先がとがった骸骨――自室にいるはずのモモンガさんだった。

 

 

 



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第4話 見てるだけのつもりだったのに

途中、少しグロシーンがありますのでお気を付けください。

2016/5/21 「血を吹き出す」 → 「血を噴き出す」 訂正しました
 「画像」 → 「映像」 訂正しました
 「異形種狩りに会う」 → 「異形種狩りに遭う」 訂正しました
2016/7/24 2カ所、魔法詠唱者のルビが「マジツク・キャスター」となっていたところを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/5 遠隔視の鏡のルビが「ミラー・オブ・リモートビユーイング」となっていたので「ミラー・オブ・リモートビューイング」に訂正しました
 魔法詠唱者のルビが「マジック・キヤスター」となっていたところを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/11/13 「例え」→「たとえ」、「力づく」→「力ずく」、「異業種」→「異形種」「魔方陣」→「魔法陣」訂正しました


 ナザリック第9階層の執務室。

 

 

 豪華ホテルの高級スイートルームのような作りの部屋。

 中央には大きな執務机が置かれ、その横にL字になるように一回り小さな机が設置されている。

 そして、中央の椅子に腰掛けた人物が正面に置いた鏡に向き合い、グネグネとその手を動かしていた。

 すぐ傍にはセバスが控えている。

 あと、天井には透明化したエイト・エッジ・アサシンが6体。

 

 半日前と違うことは、俺は横のソファーに身体を預けていて、椅子に座って〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉をいじっているのはモモンガさんということだ。

 

 あの後、ナザリックに戻ってきたモモンガさんをセバスが出迎えたらしい。

 そして小一時間ほどセバスから、供も連れずに行動したことを(たしな)められたらしい。

 

 その結果、今、モモンガさんは横にいるセバスの視線に微妙に怯えながら、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉での監視業に精を出している。

 まあ、たとえNPCに説教されようとも、こちらの方がはるかに立場が上なんだから黙れと言ってしまえばそれでいいのだろうが、まさかそんな事出来るはずもない。

 

 そして、俺も全く止めなかった。

 こっちが外の景色は素晴らしいから、後でモモンガさんも誘って実際に行ってみよう――とか考えていたら、当のモモンガさんは仕事ほっぽってさっさと一人で外を楽しんでいたのである。モモンガさんからヘルプの視線は何度か向けられたが、口笛を吹いてそっぽを向いていた。

 

 俺はソファーにもたれかかりながら、ペストーニャからもらった飴、細長い棒の先に縞模様の細長い棒状の飴をくるくると螺旋状に巻いた物、いわゆるぺろぺろキャンディーを舐めている。

 

 

 正直、

 結論から言うと、すごい美味しい。

 

 すごい美味しいんだけど

 

 すごい美味しいんだけど、中身はいい年した成人男性がこれを舐めているのはどうかと思う。

 

 まあ、見た目は女の子だけどさ。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルメンであるベルモットが、マジックアイテムのせいでこんな姿になったなんて言わずに、娘であると言っておいてよかった。イメージダウンなんてレベルじゃないだろう。

 

 

「ベル様、いかがですか、お味の方は?」

「うん。すごい美味しいよ」

「それはよかった。後でペストーニャにも伝えておきます」

「ああ、いいよ。後でボクがペストーニャのところに行って、美味しかったって伝えるよ」

「いえ、そのような些事でベル様が足を運ぶ必要などございません。後ほど、ペストーニャにベル様の私室に来るように伝えておきます」

「いいや、これはあくまでボクから感謝の言葉を伝えたいんだよ。だから、ボクの方から足を運ぶよ」

 

 その言葉を聞き、セバスは深く頭を下げる。

 

 とりあえず、モモンガさん以外と話すときは、一人称を『ボク』にして『~だよ』と子供っぽい口調で話すことにした。その方が無難だろう。実際、外見は子供だし。それに子供っぽく振る舞うことで、向こうからは子供だから、とそれなりの評価と対応で相手をしてもらえる。特に、モモンガさんはナザリック全てのトップなのだから、こちらは格下の立場で組織の中を動けた方が色々と都合がいい。

 ただ、子供口調は精神的にこたえるが。

 

 ちなみに着ている服は、いかにもセレブと言われる人間がパーティの時にでも着ていそうな、紫色のスーツにピカピカの革靴という出で立ちだ。

 元のベルモットの服は私室のドレスルームにあったのだが、基本的に元のイメージに合わせ、外見上ボロボロの服や壊れかけた鎧に見えるような代物がほとんどだった。

 それ以外のものというと、元の姿とのギャップを狙った高級そうな衣装くらいしかなかった。

 

 しかし、10歳くらいの女の子が、男物のパーティスーツを着ている姿は、それこそ子供の仮装にしか見えない。

 それに加えて、ぺろぺろキャンディーである。

 さらに、そこに子供っぽい演技も加わる。

 ……なんだか最近、本当に精神年齢も下がってきたような気さえしてくる。

 

 ……不安だ。

 

 

 そうして、色々、大人としての葛藤を心の中で繰り広げ悶々としていると――

 

「おっ! 見つけた」

 と、モモンガさんが声をあげた。

 

 顔を向けると、モモンガさんが向かい合っている鏡の中の景色に人里らしきものが映っている。

 傍に行って覗き込もうとすると、

 

「ん? ……祭りか?」

 モモンガさんがつぶやいた。

 確かに、鏡の中では大勢の人間が走り回っている。

 

「いえ、これは違います」

 横から覗き込んだセバスが硬い声で答えた。

 

 よく見てみると、

 ん?

 赤いものが映ってる。

 

 血か?

 

 ええと。

 つまり、戦闘中か? 

 その割にはフルプレートを身に纏った騎士が、布の服を着た村人らしき人間を一方的に殺しているように見える。

 

 あー。

 つまり、一方的に虐殺されているところか。

 

 モモンガさんは「ちっ」と言って、さっさと別のところに鏡の視点を動かそうとするが、俺はそれを制した。

 この世界の実際の戦闘シーン。

 いまだ、こちらの世界の危険度が分からない状態では、これはかなりの情報になる。

 じっくりと戦いの様子、というか殺戮の様子に目を凝らす。

 

 騎士が老婆めがけて広刃の剣を薙ぎ払う。

 おっ、一撃で首が吹き飛んだ。

 当然ながら、頭がなくなった胴体からは噴水のように血が噴き出している。ゲームではここまで血を噴き出すなんてありえない。そんなことをしたら有害データ扱いだ。

 どう、と倒れる身体に縋りつく子供を蹴り倒し、剣の柄で頬を殴りつける。歯が幾本か折れ、空を飛んだ。口元から血を流し怯える子供を再度蹴りつけ、村の中央へと追いやっていく。

 

 鏡越しに、その光景を眺めていた。

「うーん……」 

 見た感じ、あまり強くなさそうな感じだなぁ。 

 

 最初にモモンガさんと話して決めたことだ。

 敵および敵になると思しきの相手の力量は正確に見極めなくてはならない。

 ユグドラシルのゲーム中は100レベルが最高だったが、こちらでは、そんなレベル上限なんてないかもしれない。一般人のレベルは10くらいかもしれないが、逆に100000という可能性もある。

 すべてが、不明なのだ。

 そんな何もわからない状況で動くのは愚かとしか言いようがない。

 

 しかし、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に映される映像を見る限りは、やはりそれほど強くもなさそうだ。

 おそらく武器の素材は鋼鉄。魔法の有無は映像では分からないが、それなりの切れ味はあるようだ。

 だが、あくまでそれなり程度だ。

 村人の肉体能力が不明なため、まだ断定は出来ないが、せいぜいよく切れる程度。防御を無視するとか、あたればクリティカルダメージになるとか、攻撃に成功すると状態異常や継続ダメージを負わせる、などの機能はなさそうだ。

 それに武器を振るうスピードも遅い。力を込めているからだろうが、それこそ、リアルの少し体力がある人間が重量のある棒状のものを振るっているのと、大して変わらないくらいだ。ゲーム中の高レベルキャラの動きとは比べものにもならない。

 

「どう致しますか?」

「見捨てる。助けに行く理由も価値、利益もないからな」

「――畏まりました」

 

 セバスとモモンガさんの会話が耳に入る。

 

 

 まあ、そうだよね。

 一見すると弱そうだけど、実はこっちとは全く異なる法則や作用が働いて、逆にやられる可能性があるし。

 そもそも、モモンガさんが言った通り、わざわざ助けてあげる理由もない。それもこっちを危険にさらしてまで。

 しかも、現在、こちらは全く安全に監視することができる状態だ。

 このまま、観察を続けるのが正解だろう。

 あ! でも、虐殺が終わったら死体を何体か取ってくるのはいいかもしれない。アンデッドとかの実験はしたいから。

 そうだな。もし生き残りがいたら、戦闘能力のなさそうな子供あたりを一人二人攫ってみようかな。子供なら危険もなさそうだし、こんな状況なら虐殺に巻き込まれたと思って、わざわざ探そうとは思わないだろうし。

 うん、そうしよう。

 

 自分の考えにほくそ笑んでいると、画面に動きがあった。

 若い、いかにも中世ファンタジーの村娘といった感じの女が、騎士の一人に捕まった。娘は嫌がって抵抗するが、騎士は力ずくで自分の方へ引き寄せ、胸をつかみ、服の下へと手を滑り込ませようとする。

 

 おお、凌辱ものだ。

 レーティングなんてものがないのは素晴らしい。

 

 ワクワクしながら見ていたら、横から中年男性の村人がその騎士に掴みかかった。そのまま二人はもつれあって地面に倒れる。その拍子で村娘が騎士から離れた。揉みあう二人に視線を向け、すぐに周囲を見回し、傍にいたもっと小さい女の子の手を引いてその場を逃げ出した。この鏡は残念ながら音を聞くことは出来ないが、中年男性は何か叫んでいるように口を動かしている。『逃げろ』とでも言ったのかな?

 その騎士と中年男性は地面を転がりながら、お互い、自分の手にしている武器を相手に突き立てようと、そして相手の武器を自分に向かわせまいと力を籠める。

 だが、それはすぐに決着がついた。

 周囲から別の騎士二人が駆け寄り、村人を騎士から引きはがした。左右から両腕をつかまれた村人に対して、最初の騎士は自分の剣を突き刺した。確実に一撃で致命傷だったが、一度だけではなく二度、三度と何度も荒々しく剣を突き立てる。

 掴まれていた腕を放されると村人は膝から地面へと倒れた。

 最初の騎士はどこかを指さして、後からやってきた二人の騎士に何か怒鳴りつけている。やがて二人の騎士は剣を抜いて走って行った。

 

 たぶん、さっき逃げていった女の子たちだなぁ。

 追えって命令したんだろう。

 逃げ切れるかなぁ? 

 無理かなぁ?

 無理だろうなぁ。

 追いつかれて殺されるんだろうなぁ。

 

 その光景を見ようと、鏡を操作すると一瞬、倒れた村人が中央に映った。

 こちらを見ることは出来るはずもないから偶然だろうが、視線をこちらに向けて哀願するように口を動かす。

 当然ながら、何を言っているかは分からない。

 

 まあ、いいや。

 それよりあの娘たちを追おう。決定的瞬間を見逃すかもしれない。

 

 

 と、その瞬間

 

「なっ……たっちさん……」

 

 モモンガさんの驚愕の声が耳に届いた。

 

 

 

 え?

 たっちさん!?

 

 びっくりして振り向くと、そこにはアインズ・ウール・ゴウン最強の聖騎士たっち・みーさんなどおらず、ただモモンガさんがセバスを驚いた表情で見つめていた。

 

 ?

 たっちさんなんていないし、どうしたんだ?

 

 頭の中がクエスチョンマークだらけになっている俺の事を見向きもせず、モモンガさんは大きく息をつき、微かな笑いと決意の表情で立ち上がった。

「恩は返します。……どちらにせよ、この世界での自分の戦闘能力をいつか調べなくてはいけないですしね」

 そうつぶやくと、傍らのスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取る。

 

 ちょ、ちょっと待った!

 何言ってんだ、この人?

 

「モ、モモンガさん! 何する気なんですか?!」

 

「あの村娘二人を助けます」

 

 何の迷いもない声ではっきりと答えた。

 唖然とする俺に、顔を向ける。

 

「誰かが困っていたら助けるのは当たり前、……ですよ。かつて、俺が異形種狩りに遭い、PKされそうだった時、たっちさんはそう言って見ず知らずの俺を助けてくれました」

 

 過去を懐かしむようにそう言った。

 

 だが、モモンガさんには思い入れのある言葉なんだろうが、俺にはいまいちピンと来ない。

 確かに、昔、ユグドラシル内では異形種キャラを一方的に襲う『異形種狩り』というのが流行っていたらしい。アインズ・ウール・ゴウンのギルメンたちもその頃のことをよく話していた。そんな中、たっちさんがモモンガさんを助け、そして二人で同じように異形種狩りの被害に遭っていた人たちを助けていったという事は聞いている。そうして、それに賛同する仲間を増やしていったのがアインズ・ウール・ゴウンの前身にあたるナインズ・オウン・ゴールの始まりだったという。

 ただ、その頃を体験した人間にとっては特別なのかもしれないが、話としてしか知らない俺にとっては、そうなんだとしか言いようがない。

 俺は初期からユグドラシルをやっていたわけではなく、後発プレイヤーにあたる。

 一応、最初のナザリック占拠の時にはぎりぎり加わっていたものの、俺が始めたころには異形種狩りというのはすでに下火になっていた。むしろユグドラシルを始める際には、ナインズ・オウン・ゴールというPK集団がいるから気をつけろと注意されていたくらいだ。

 

 俺にとってその言葉は、この状況で危険を冒して行動するほどの動機にはなりえなかった。

 

 だが、さすがにそれを口にすることは出来ず困惑を心の中だけにとどめる俺をしり目に、モモンガさんは〈転移門(ゲート)〉を開く。

 

 えぇ?!

 直接行くつもりか!

 

「では、ベルさん。後を頼みます」

 そう言って、〈転移門(ゲート)〉へと身を躍らせた。

 

 

 俺は迷った。

 向こうに行くのは危険だ。

 あちらの戦闘能力がまだはっきりしていない。戦力分析もしていない相手といきなり戦いに臨む。

 はっきり言って無謀だ。

 戦いの様子を見た限りでは大丈夫そうだが、かと言って断言できるほどではない。

 これがゲームならOKも出すのだが、今はただのゲームの中ではない。全く未知の状況で自分の命をベットすべきではない。

 

 だが、このまま、ここに留まるというのも良くない選択だ。

 

 ここ、ナザリック地下大墳墓はアインズ・ウール・ゴウンの拠点である。そして今の俺はアインズ・ウール・ゴウンのギルメン本人ではなく、ギルメンの娘という設定である。当然、ナザリックのNPC達の忠誠心も幾分落ちる。

 現在の状況で最も気を付けないといけないことは、ナザリックのNPC達と敵対する事だ。一人でも守護者数名くらいなら相手は出来るが、全員を敵にしたら歯が立たない。ましてや、それ以外の者達も敵に回ったら……。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターであるモモンガさんという庇護がなくなった場合、事態がどう転ぶかは分からない。

 最悪、宝物殿に逃げ込んだ後、そこで身動きが取れなくなる可能性もある。

  

 それに向こうに行ったモモンガさんを放っておくわけにもいかない。

 モモンガさんは死霊系統をメインとした魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 当然ながら、完全な後衛である。前線で戦う能力はない。そして、おそらく相手はプレートメイルで身を包んだ騎士だ。つまり近接攻撃を仕掛けてくる前衛キャラである。はっきり言って相性はかなり悪い。

 しかも、さっきのモモンガさんは一人称が『俺』になっていたくらいテンションが上がっていた。放っておくのは拙い。

 仮に出かけて行ったモモンガさんにもしもの事があり、その時、俺は助けに行かなかったと知れたら、NPC達の不興を買うなんてレベルじゃないだろう。

 

 盾職ではないのだが、それでも前衛職の俺も行くべきだろう。

  

 アイテムボックスを開く。

 転移の巻物(スクロール)に、煙幕や閃光を放つ目くらまし用のアイテム、モンスターを召喚する宝石、複数名を透明化させる短杖(ワンド)。その他諸々、かつて作戦が失敗した時に愛用していた様々な逃走用アイテムがあることを確認する。

 そして、その中から一つの宝石を手にとった。

 部屋の中で揺らめく〈転移門(ゲート)〉の前へと放り投げると、一瞬で床に魔法陣が描かれる。魔法によるトラップを仕掛けるアイテムだ。効果は範囲内に入った生命体の行動を阻害し、身動きをとれなくさせる。

 万が一、〈転移門(ゲート)〉で逃げてきた場合、向こうから追手が来てもこれに引っ掛かるはずだ。これの効果があるのは生命があるものだけ。俺もモモンガさんもアンデッドだから、対象にはならない。

 

「セバス。デミウルゴスに連絡して、ナザリックの警戒レベル引き上げを」

 

 アイテムボックスの中に、かつて自分の背に突き刺していた各種武器があることを確認する。とりあえず携行性の高い脇差とダガーだけ腰につける。

 さて、あとは……

 

「アルベドに完全装備――ワールドアイテムは無しで後を追うように言ってくれ……言ってね。あと、透明化が出来て隠密スキルに長けた者達を後詰として送って」

 

 手にとったアイテムをセバスに投げる。

 

「そのアイテムは、この魔法陣の効果を一度だけ無効化できる。それを使えば魔法陣に引っ掛かることはないから、それをアルベドに。後詰部隊はシャルティアに〈転移門(ゲート)〉を繋げてもらって」

 

 そう言って、〈転移門(ゲート)〉へと飛び込んだ。

 あまり気のりはしないけど。

 

 

 



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第5話 現地デビュー

今回もグロシーンがあるのでご注意ください

2016/5/21 「第9位魔法」 → 「第9位階魔法」 訂正しました
 句点がないところがありましたので、句点を付けました
 「効いたことのないような」 → 「聞いたことのないような」 訂正しました

2016/7/24 2カ所、魔法詠唱者のルビが「マジツク・キャスター」となっていたところを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/5 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 「ぺろぺろキャンディ―」→「ぺろぺろキャンディー」訂正しました
 〈矢守りの(ウォール・オブ・)障壁(プロテクションフロムアローズ)〉がちゃんとルビになっていなかったのを訂正しました
2016/11/13 メートルの表記をMからmに訂正しました



 移動して、まず気がついたのは匂い。

 初めて体験する匂いのオンパレード。

 湿った土の匂い。切断された草の断面から香る青臭い匂い。

 そして、鉄の香りがする血の匂い。

 家屋の焦げた煙からは重金属や排ガスの匂いがせず、木片が焦げた香ばしい匂いがしている。

 

 燻製という調理法を聞いたことがある。

 確か、肉や魚などの食物を木材などの煙で燻すやり方だと聞いた。その話を聞いた時は、なんでわざわざ、そのままでも食べられるものを煙で汚すんだと思ったものだが、ふむ、こんな香りを食物にうつすというのもありかもしれない。

 

 周囲を見渡すと、目の前には先ほど〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見ていた栗毛色で三つ編みの村娘と、顔が似ているがもっと幼い女の子。三つ編みの方は背中に切り傷を負っている。二人はその身を抱きしめあって震えていた。

 

 その向こうには、これも画面で見ていた騎士二人。剣を正面に構えて困惑と怯えの混じった表情を見せている。

 

 そして両者の間に立ちふさがるのは、我らがギルドマスターモモンガさん。豪奢な装飾のなされた漆黒のローブを身に纏い、様々な苦悶の表情を浮かべては消える半透明のエフェクトを表示させるねじくれたスタッフを持つ、不気味なオーラを放つ骸骨。

 

 うん。どう見ても悪者だ。

 

「女子供は追い回せても、毛色の変わった相手は無理か?」

 

 そう言って、第9位階魔法〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉を発動する。

 

 効けば必殺。効かなくても朦朧効果があるという魔法だが、幸い抵抗に失敗したようで、声も出さずに対象となった騎士は崩れ落ちる。

 

 残ったもう一人へと、その顔を向ける。

 

 男は突然現れたアンデッド、そして仲間が一瞬で殺されたことに恐慌に陥ったようだ。雄たけび、というか悲鳴をあげながら、手にした剣で切りかかってきた。

 

 お、拙いか。

 俺はモモンガさんの横をすり抜けて飛び出し、剣を持つ手を力いっぱい蹴り飛ばした。

 

 聞いたことのないような音を立てて、腕が引き裂け吹き飛んだ。

 悲鳴を上げてあおむけに倒れこむ。

 

 ええぇ?

 

 はっきり言って予想よりはるかに弱い。

 それこそ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のモモンガさんだけでもなんとかなったんじゃないかと思うくらい。そもそも俺やモモンガさんが持っている〈上位物理無効化Ⅲ〉と〈上位魔法無効化Ⅲ〉のスキルすら突破できないんじゃないか?

 

 試してみるか。

 ちぎれた腕を押さえて、のたうち回っている騎士に近づく。怯えた目が俺をとらえ、腰に差した予備のショートソードを抜き、ただやみくもに振り回す。何の剣技もない、ただ子供が自分に近寄らないように棒っきれを振り回しているのと同じだ。

 

 だが、その刃の鋭さを見て、ちょっと躊躇する。

 

 ――痛いの苦手なんだよな。注射とかも刺される瞬間は思わず目をそらしちゃうし。うーん、でも、いつかは試してみないといけないしなぁ。うん。現実じゃないんだから怪我してもすぐ治るし。

 心の中で大丈夫、大丈夫と唱えながら、更に近づく。

 そいつが俺に向かって剣を突き立ててきた。

 うん。十分、目で追える速度だ。ダメージはたいしてないだろう。

 たぶん。

 思い切って切っ先を手のひらで受ける。トンという衝撃が手に伝わる。

 おぉ、刺さらない。スキルがあるとやはりダメージは受けないのか。手のひらを見つめてみるが痕すら残っていない。そうしている間もぶんぶんと振り回される剣をもう片方の手で払う。試しに指先で受けてみたが、やはり切れない。衝撃もたいしてない。

 ふむ。こちらからの攻撃はどうなのかな? 剣の刃先を指でつまんで固定し、腰の脇差を抜いて肘のところを切ってみる。

 お、凄い!

 何の抵抗もなく、すっぱり切れた。面白い!

 指につまんでいた剣とそれを握っていたその先の肘先をぽいと捨て、肩口を踏みつけて残った腕を千切りにしてみると、面白いように切れる。骨も筋も全く抵抗がない。

 この脇差が凄いのか? それとも武器スキルがあるからかな? 試しにこいつらの持っていた剣で腕を切ってみると、やはり少し抵抗があり、切り口も少し潰れてしまった。

 いい加減、倒れて大声をあげている騎士の声がうるさいので、その胴体を踏みつけてみた。カエルが踏みつぶされたみたいとでもいうような、肺から空気が一気に声帯を通り抜けた声というか音が漏れて、そいつは死んだ。まあ、『カエルが踏みつぶされたみたい』とかいう修辞表現は古い書籍でしか見たことないし、そもそも、カエルって図鑑でしか見たことないけど。

 足をもって引っ張ってみると、ブチブチと繊維がちぎれるような音を立てて簡単にちぎれた。あれだ。裂けるチーズを縦じゃなく横に無理に引っ張った時の感じ。

 ……しかし、人体ってこんなに脆いもんなのかな?

 頭を持って左右から力を加えてみると、ぺきりと音がして潰れた。

 そうだ、内臓とかはどうなっているのかな? ちょっと腹部を切り裂いてみよ……あれ? なんだか意識が……。おあ! 力加減を間違えたのか、刃を少しあてたつもりがざっくりいってしまった。うわ、血が飛び散っちゃった。服が汚れちゃったな。あー、帰ったら洗濯してもらわないと。

 あ、匂いがひどい。そうか、内臓を切ってしまったから、中のものが漏れてしまったのか。そりゃ、そうなるよな。これからは気を付けないと。

 ふと気になって騎士の着ていた鎧を手にとってみると――おや、魔法がかかっているのかな? 見た目より硬い。少し力を加えたくらいだと、一度曲がりはするが、手を離せばまた元に戻る。力を込めて曲げたらべきりと折れたけど。

 

 

 俺がそうして実験している間に、モモンガさんは村娘ズに話しかけていた。

「怪我をしているようだな」

 振り向くと、モモンガさんが震えている二人に、その骸骨の顔を近づけていた。

 瞬間、年かさの方が体を震わせると、スカートの股間が濡れていく。続いて年下の方も。

 じーっと白い目で見ていると、しばし動揺し目を泳がせたが結局は見ないことにしたらしいモモンガさんは、アイテムボックスから下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を取り出した。

 その赤い液体が入った小瓶を目と鼻の先に突き出した。

「飲め」

 その声に姉らしき方が声を出す。

「の、飲みます!だから、妹には――」

「お姉ちゃん!」

 そうして、お互いの命を助けるために、恐怖の大王の命令にどちらが従うかというやり取りを繰り広げる。当人たちは大真面目なんだろうが、モモンガさんとしては困惑状態だし、俺としては心の中で大笑いだ。

 

 でも、きりがないから間に入ろう。

 

「ええと、二人とも。これは治癒の薬だよ。危ないものじゃないから大丈夫さ」

 

 子供っぽい声と口調で話しかける。たぶん、骸骨が命令口調で話すよりは安心するだろう。このデメリットは子供口調をしたことに俺が後でへこむくらいだ。

 ようやく姉の方が震える手で瓶をつかむ。

 そして一息に飲み込むと、瞬く間に背中の傷が消え去った。

 驚きの表情で背中を触っている。

 

「お前たちは魔法というものを知っているか?」

 モモンガさんが尋ねる。

「は、はい。村にときどき来られる薬師の……私の友人が魔法を使えます」

 

「そうか。私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

 モモンガさんは魔法を唱える。

 〈生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)〉、〈矢守りの(ウォール・オブ・)障壁(プロテクションフロムアローズ)

 とりあえず、魔法以外からは、よっぽどでもない限りは安全だろう。

 

「しばらく、じっとしていろ。そこにいれば大抵は安心だ」

 

 そう言って二人に背を向けた。

 その背に、

「あ、あの――助けてくださって、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 声がかけられる。

 

 モモンガさんは、肩越しに振り向き、

「気にするな」

 と言った。

 

 涙ぐむ二人。やがて押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。

 

 うーん。

 とりあえず、何か甘いものでもあげて落ち着かせようか。

 何かあったかな?

 さすがに俺が今まで舐めていたぺろぺろキャンディーをそのままあげるのは駄目だろう。アイテムボックスを探ると、昔、季節限定のドロップ品だった千歳飴があった。それを二人にあげる。

 その棒状のものが何なのか分からず不思議そうにしていたが、食べ物だということを教えると、恐る恐る口にした。

「甘い!」

 目を丸くして驚き、そして二人とも涙をふきつつ、一心不乱に飴を舐める。

 

 俺はモモンガさんに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

《ちょっと、いいですか。モモンガさん》

《ベルさん、どうしました?》

 緊張した様子の声。

《いえ、思ったんですがね――》

 

 

《――千歳飴を舐める女の子ってエロい気がす――》

「――すがあっ!!」

 

 後頭部にスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの一撃を受けて、顔から地面にたたきつけられた。

 

「なに、すんですか!?」

「黙れ、ムッツリ!」

「いきなりスタッフの先で後頭部突くなんて悪魔かアンタ?」

「俺はアンデッドだ! お前は千歳飴職人さんに謝れ!」

「あんなことしてハゲたらどうする!? ハゲのアンタと違って髪があるんだぞ!」

「ハゲ言うな! TPOわきまえずにエロに持っていきやがって!」

「あんたが言うな! いきなりアルベドの胸を揉みしだいたくせに!」

「そりゃ、目の前にあんなものがあったら誰だって揉むわ! 宇宙の真理より正しいだろうが!」

「開き直んな!」

 

 突然、始まった口論に呆然とするエンリとネム。

 そして、その前で繰り広げられる馬鹿な罵りあいは、その後〈転移門(ゲート)〉を通ってやってきたアルベドに気づき、恥ずかしさから精神が強制沈静するまで続いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「えーっと、とりあえず。村の方に行ってみましょうか? そっちにもまだ騎士たちがいるでしょうし」

「そ、そうですねぇ」

 なんとなくアルベド及びエンリ、ネムと視線を合わせたくなくて、あらぬ方向を向きながら相談する。

 

「おっと、その前に。この顔のままではさすがに拙いですね」

 先ほどエンリに怖がられたのを教訓に、モモンガさんはアイテムボックスから一つのマスクを取り出した。

 

「それは? ……あー、ありましたね」

「ええ、まぁ。ベルさんには無関係の代物でしたけどね」

 と、じとっとした目を向けてくる。

 

 〈嫉妬する者たちのマスク〉

 通称〈嫉妬マスク〉

 

 クリスマスイブに2時間以上ユグドラシルをやり続けていると強制的に手に入るアイテムである。

 ギルメンの半数程はこのアイテムを手に入れていた。

 だが、俺は保有していない。

 

「たしか、ベルさんはクリスマスイブは予定があったんですよね」

 

 ああ、そうだ。その日は予定があったのだ。

 

 だが、言えない。

 予定は予定でも、ただ単にその日も仕事だったのに見栄張っただけだということを。

 

「二人きりでお酒を飲んできたんですよね」

 

 だが、言えない。

 仕事が終わって帰ろうとしたら、上司に無理矢理飲みにつき合わされて、延々と続く上司の一人語りを愛想笑いで聞いていただけだったということを。

 

 ようやく解放されて、家に帰ってユグドラシルにインしたら、その場にいたギルメン全員が嫉妬マスクをかぶって一斉に振り向いた。

 

 

 ……今、思うと、あの時がアインズ・ウール・ゴウン最大の危機だったかもしれない。

 たっちさんや死獣天朱雀さん、ベルリバーさんら嫉妬マスクを持っていないリア充組と、モモンガさん、ウルベルトさん、ぷにっと萌えさんら嫉妬マスクを保有する非リア充組とにギルド内で派閥ができてしまったのだ。

 俺も彼女がいないのに、嫉妬マスクを持っていないという理由でリア充組に入れられ、とても肩身が狭い思いをした。

 最終的に嫉妬マスクを持っていないが、リアルで仕事があったことがはっきりしていたグループ、声優のクリスマスイベントがあったぶくぶく茶釜さんや年末進行で忙しかったホワイトブリムさんらが間に立ってとりなし、何とか分裂は避けられたのだ。

 だが、今でも思う。

 ペロロンチーノ。お前、嫉妬マスク持ってないリア充組にいたけど、お前はエロゲのクリスマスイベント制覇のために、その日、ユグドラシルやってなかっただけだろ。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 モモンガさんは嫉妬マスクをかぶり、籠手を着け、骸骨部分をすっかり覆い隠す。

 

 うん。

 見るからに凶悪なアンデッドから、見るからに怪しげな魔法使いにクラスチェンジしたよ。

 

 この場にいるメンバーを見回す。

 後衛魔法職のモモンガさん。前衛戦士職(攻撃)(アタッカー)の俺。前衛戦士職(盾)(タンク)のアルベド。

 回復役(ヒーラー)がいないけど、まあ、なんとかなるか。

 すでに戦った二人の騎士から察するに、おそらく敵はかなり弱いことが予想される。だが、一応、まだ警戒は続けるべきだ。

 

 捨て駒として威力偵察、および万が一の際の足止めが出来る奴が欲しいな。

 

 先程、モモンガさんが〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉で殺した死体が目に留まる。

 モモンガさんに目をやると、口で言うまでもなくうなづき、スキルを発動した。

 

 〈中位アンデッド作成 死の騎士(デス・ナイト)

 

 空中に黒い霧が湧き起こり、それが死体を覆い尽くす。やがて、鎧の隙間から黒い液体がゴボリと溢れ出し全身を包んだかと思うと、見る見るうちにその死体が変容を遂げ、やがて身長2.3m、巨大なフランベルジュとタワーシールドを持ったアンデッドが姿を現す。

 ユグドラシルの時とは違う出現方法に驚きつつも、指示を出す。

 

死の騎士(デス・ナイト)よ。この村を襲っている、その騎士――」

 

 ……あ。

 モモンガさんが指でさすが、すでに俺が実験としてあんまり原形をとどめないくらいにバラバラにしちゃってる。

 

「――その騎士の鎧に似た物を着ている者達を殺せ」

 

 ナイスフォロー。

 

 創造主の命令を受けた死の騎士(デス・ナイト)は、生きるものを戦慄させる咆哮をあげると、村の方へと走って行った。

 

 ……。

 …………。

 ……………………。

 

「……行っちゃいましたけど……」

「……ええ……」

「……追いかけますか」

「そうですね」

 

 モモンガさんが〈飛行(フライ)〉の魔法を使うと、三人の身体が宙に浮く。

 そうして、死の騎士(デス・ナイト)が走って行った方向へと飛んで行った。 




なりきりたっちさんでハードボイルド気取っていたら、下ネタボケをやられたんで思わず物理ツッコミした上に素が出てしまいました。



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第6話 村は助けたけど

死の騎士(デス・ナイト)の表記ですがこれからはデスナイトにしようと思います。
入力長いので

2016/10/5 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 「・・・・・・」→「……」訂正しました
2016/11/13 「どんな目に合うか」→「どんな目に遭うか」 訂正しました
 会話文の最後に「。」がついているところがありましたので、削除しました
2017/2/8 「ロープ」→「ローブ」訂正しました


 〈飛行(フライ)〉の魔法で飛んでいくと、しばらくして広場が見えた。

 

 広場の中央に村人たちが集められ、その手前に十人程度の騎士たちが。

 そして、そのさらに手前でデスナイトが雄たけびをあげていた。

 

 デスナイトが剣ではなく、その盾を振るう。シールドアタックを受けた騎士はゴミのように吹き飛ばされ、他の騎士もろとも倒れこんだ。デスナイトはその盾の縁を起き上がろうともがく騎士の膝へと叩きつけた。悲鳴を上げて転がりまわる騎士。デスナイトは悠々とその傍へと歩み寄り、同じようにもう片方の足、右手、左手と順に粉砕していく。

 両手両足をへし折られ、芋虫のようにもがくしかない仲間を見て、他の騎士たちが怯えた悲鳴をあげながら後ずさりする。

 

 そのうちの1名が我を忘れて逃げ出した。

 

 だが、デスナイトはその巨体に似合わぬ俊敏な動きで一瞬のうちに回り込み、頭頂部から股下まで一気に切り裂いた。

 二つになった死体がどうと倒れる。

 

 上空から3人でその様子を見ていたが、やはり警戒するほどのことはなさそうだな。むしろ、デスナイトだけでも十分すぎるくらいか。

 そんなことを考えていると、騎士の一人が声を張り上げた。

 

「き、きさまら! あの化け物を押さえろ!!」

「ベ、ベリュース隊長……」

「お、俺はこんなところで死んでいい人間じゃない! お前ら、俺の盾になれ! 時間を稼ぐんだ!」

 

 すがすがしいほど小物で悪人チックなことを言ってくれる。

 

 そいつの大声に、デスナイトが昏い眼下にともった赤い光の視線を向けた。

 デスナイトが足を進める。

 

「ま、待て! か、金をやる!」

 

 一歩。

 

「200――」

 

 もう一歩。

 

「い、いや500金貨だ!」

 

 デスナイトの動きが止まった。

 

 代わりに別のものが動いた。

 体を切断された地面に倒れた騎士、その死体がベリュースの足を掴んだのだ。

 

「――おぎゃああぁぁぁ!」

 

 デスナイトに殺され従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となった騎士が這いずるように、内臓を振り乱しながら、ベリュースに迫る。

 ベリュースは足をつかんでいる手を跳ね除け、飛びのこうとするものの、バランスを崩し仰向けに倒れこんだ。

 衝撃に一瞬閉じた目を開けると、そこにはこの世のすべての生命を憎む赤い炎があった。

 

 デスナイトがフランベルジュをベリュースの胸に突き立てる。

 

「たじゅ、たじゅけで! お、おかね! おかね、あげまじゅ! おああぁぁ……」

 

 叫んでいたベリュースの声が小さくなり、痙攣する身体が動きを止めていくと、辺りにすすり泣く声が残る。先ほどまで絶対的な優位に身を置いていた騎士たちが、一転、処刑を待つ無力な死刑囚へと転じたのだ。

 

 

 

 そこへ声が響いた。

 

 

「そこまでだ。デスナイトよ」

 

 先ほどまで暴虐の嵐となって吹き荒れていた死の化身、巨大なアンデッドがピタリと動きを止める。

 

 騎士たちは声がした上空を見上げた。

 

 そこには三体の影。

 一人は漆黒の鎧を着て、巨大なバルディッシュを手にした人物。その体形から女性だろうか。

 一人は紫色の不思議な服を着た少女。あの服は南方で着ているというスーツという服だろうか?

 そして、最後の一人は見た瞬間、怖気が走る人物。豪奢な飾りがついたローブを身に纏い、泣いているような怒っているような印象を受ける奇怪なマスクをかぶった魔術詠唱者(マジック・キャスター)

 

「さて、諸君。自己紹介しようか。私はアインズ・ウール・ゴウンのものだ」

 

 その言葉に騎士たちは困惑の表情を浮かべて、顔を見合わせる。

 アインズ・ウール・ゴウンなどという言葉に聞き覚えはない。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンだよ。知らないか……この名はかつて知らぬものがいないほど轟いていたのだがね」

 

 寂寞(じゃくばく)たる思いを込めた言葉をつぶやく。

 だが、首を振って寂寥(せきりょう)の念を振り払い、再び眼下の者たちに顔を向けた。

 

「そうだ。我が名を知るがいい。この世界に、再びこの名を轟かせよう! 私の名は――アインズ・ウール・ゴウン!」

 

 その瞬間、上空の魔術詠唱者(マジック・キャスター)から強大な重圧の気配が叩きつけられた。

 

「――さて、お前たち。お前たちはこの村の人間たちを、抵抗するすべのない人間たちを殺戮した。まさかとは思うが、自分たちは他人を殺してよいが、自分たちは他人に殺されるのは嫌だとは言うまいな」

 

 その言葉に騎士たちに震えが走った。

 助かったのではない。今度こそ本当に死が訪れると。

 慌てて言葉を繕おうとするが、それを仮面の魔術師は手で制した。

 

「何も言うな。悪を為すものに慈悲はない」

 

 そう言うと両手を高々と掲げた。

 

魔法三重化・焼夷(トリプレッドマジック・ナパーム)

 

 瞬間

 

 

 轟音とともに、騎士たちのいる周辺すべてが天空へと昇る火柱に包まれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《あ……》

《どうしました、ベルさん?》

《いや、あいつらの死体、調べてみたかったんですけど。こっちの連中ってどんなもの持っているのかとか。あと、死体があれば、色々実験に使えますし》

《……あー》

《まあ、やっちゃったものは仕方ないですね》

《すみませんね》

《いえいえ、あらかじめ言っておかなかった俺が悪いですし、次に殺すときには気を付けましょう》

《ええ、そうですね。次にたくさん殺すときは、出来るだけ死体が汚れないような、きれいな殺し方をしましょう》

《ええ、その時はお願いしますよ》

《いえいえ、こちらこそ何かありましたらお願いします》

《ははは、ユウジョウ》

《ユウジョウ》

 

 

 〈伝言(メッセージ)〉を交わしながら、地面へと降り立つ。

 

 怯えながらも、村人の集団の中から一人の年配男性(たぶん村長だろうか?)が前へと進み出た。

「あ、あなた方は……?」

 

「ふむ。……先ほど申したように私はアインズ・ウール・ゴウンという者です。こちらはベルさんに、アルベドです。この村が襲われているのを見て助けに来た魔術詠唱者(マジック・キャスター)ですよ」

 助けにきたという言葉を聞いて、村人から安堵の声が漏れる。

 だだ、村長は少し表情を緩ませたものの警戒の様子がうかがわれる。

「は、はい。それはありがとうございます。ええと、……では一体どれほど報酬をお支払いすれば……」

「なに、報酬などいりませんよ。困っている人を助けるのは当然の事ですから」

 モモンガさんの言葉に、村長はさらに困惑の色を深めた。

 

 確かにそうだ。

 タダより高い物はない。

 モモンガさんはたっちさんRP中だから、特に考えもせずにそう言ったのだろう。だが、何の見返りも求めずに助けてくれた人間、それも二桁の騎士を一瞬で倒せるとんでもない力を持った強者など、どう扱っていいのやら。下手に機嫌を損ねたら、その力が自分に降りかかってくかもしれないと考えたら、対応に困るのは当然だな。

 ここは打算的に金銭でも求めるのが正解だったか。

 とりあえず、いったん空気を換えよう。

 

「ええと、すみません。とにかく、今は先ず怪我人の治療や亡くなられた方の埋葬などをやられてはいかがですか?」

 

 俺の提案に、村長はようやく息をついた。

 

「あ、ええ、そうですね。申し訳ありません。先ずはそちらを先にさせていただければ。お礼などはその後で……」

 モモンガさんが頷いたのを見て、後ろの村人たちに指示を出す。

 村人たちも、糸が切れたように腰を下ろす者、お互い抱きしめあう者、怪我をした者の手当てをする者、家族の安否を心配して駆け出す者、ようやく危険が去ったことを実感したようだ。

 

 

 

 その喧騒から離れて、俺たちはモモンガさんの〈魔法三重化・焼夷(トリプレッドマジック・ナパーム)〉で焼けつくされた地帯、地面に転がる騎士の死体に近づく。身体は完全に黒く炭化している。おそらく所持していたであろうアイテムも、だ。だが、鎧や武器は魔法がかかっているらしく、原形をとどめていた。煤で汚れた鎧を持ち上げると、内側にへばりついていた身体が乾いた音を立てて砕けていった。

 モモンガさんに鑑定の魔法をかけてもらう。本当に低レベル層の魔法が一応かけてあるだけのようだな。

 念のため、周囲を探してみる。

 このメンバーで少しでも探索系のスキルがあるのは俺だけだ。モモンガさんやアルベドはそんなものは保有していない。ましてや、デスナイトは言うに及ばず。

 

 そうして、その辺を調べながら、モモンガさん――アインズ・ウール・ゴウンさんか――に話しかけた。

「それで、アインズ・ウール・ゴウンって名乗ってましたけど……」

「ええ、考えたんですがね。モモンガではなく、アインズ・ウール・ゴウンと名乗った方がいいかと思いまして。この世界のどこかには、もしかしたら他のギルメンがいるかもしれません。その時、この名を聞けば我々がいることに気が付いて、接触してくるでしょう」

「確かにそれはそうですが……」

 そうなんだけど、デメリットもあるよなぁ。

 俺たち以外のプレイヤーがアインズ・ウール・ゴウンの名を聞いたら、絶対とは言わないが、かなりの確率で敵対してくるだろう。アインズ・ウール・ゴウンはかつて悪のPKギルドとして名をはせた存在だ。よく分からない異世界でユグドラシルプレイヤー同士、ゲーム時代の事は置いておいて手を結ぶ、という考えでも無い限りはいきなり攻撃してくることもあり得る。

 

「これは俺のわがままです。皆で作ったアインズ・ウール・ゴウンの名を個人で使うなんて……。ですから、ベルさんも含めた他のギルメンが反対したら、この名を名乗るのは止めるつもりです」

 

 そう言って、まっすぐ俺を見つめてきた。

 本当に真摯な視線だ。

 OK。

 そこまで言うなら、わざわざ反対することもないだろう。どうせ、この世界のことは何もわからないんだ。もし他のプレイヤーがいる気配があったら、その時に臨機応変に対応しよう。かえって、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターであるモモンガよりも、個人名でアインズ・ウール・ゴウンと名乗っていたほうがいい可能性も考えられる。聞きおぼえのあるギルド名を名前にしている事を疑問に思って、いきなり攻撃しかけてくる前に接触を図ってみようとしてくるかもしれないし。

 それに、モモンガさんがアインズ・ウール・ゴウンを個人で名乗ることについても、モモンガさんは他のメンバーたちがユグドラシルにログインしなくなっていく中、たった一人でずっとアインズ・ウール・ゴウンの名を守ってきたのだ。この人以外に、その名を名乗れる人がいようはずもない。

「分かりました。賛成しますよ」

「ベルさん……」

「では、これから呼び名はゴウンにしましょうか? それともアインズ? さすがに毎回フルネームは長いので」

「そうですね。アインズでよいのでは?」

「ええ、じゃあそうしましょう」

 

 傍らに立っていたアルベドに声をかける。

 

「アルベド。君はどう思う?」

「非常によくお似合いの名前かと思います。私の愛する――ゴホン。至高の御方々をまとめられていた方にふさわしいかと」

 

 その答えに頷く。

「うん、じゃあ、アインズさん。コンゴトモヨロシク」

「なんで片言なんですか?」

 名前こそ変わったが、変わらぬ口調で笑いあった。

 

 

 

 結局、焼け焦げた地面で服が黒く汚れながらも探索した結果、本当にそれ以上何も無いようだ。アンデッドで疲労無効が無かったら、がっくり膝をついていたところだったろう。

 とりあえず、鎧と剣をまとめ、デスナイトに背負わせる。

 

 ……それにしても、消えないなこいつ。

 もうユグドラシルでのデスナイトの召喚時間は過ぎてるんじゃないか? こっちの世界では時間で消えないとか?

 

 そうしていると、誰かがこちらに走り寄ってきた。

 

 誰だ? 

 

 振り向くと、さっき助けた三つ編みの子とその妹(たぶん)の二人だった。

 モモンガ――アインズさんたちが受け答えをしている。

 

 二人は幾分緊張した面持ちで頭を下げた。

「あ、あの! ……先ほどは助けてくださってありがとうございました」

「ああ、その後、危険はなかったかね?」

「はい。あの後は何事もなく。……え、ええと、私はエンリ。エンリ・エモットと言います。こっちはネム」

「はい。ネムです。さっきはありがとうございました」

「ふむ。エンリにネムか」

「はい。あ、あの……お名前は……?」

「ああ、私はアインズ・ウール・ゴウンという。こちらの黒い鎧を着ている者がアルベド。そして、そちらの少女がベルさんだ。……そっちの骸骨騎士は私が召喚したアンデッドだ」

「そうなんですか……ええと、皆さんは家族なんですか?」

「む?」

「あ、いえ、……てっきりゴウン様とアルベド様が夫婦で、その娘さんがベル様かと……」

「ぬ! ……い、いや、違うぞ」

 

 とりあえず、くふーとか言いながらアルベドが悶えているのは無視する。

 

「ベルさんは私の仲間だ。アルベドは……大切な――し……ん、いや、そ、存在だな」

 

 後ろでアルベドが雄たけびをあげ、こぶしを突き上げているのは無視する。

 

「あっと、そうそう」

 そろそろ、口をはさんだ方がよさそうだ。

「ええっと、エンリ」

「はい」

「君さ、アインズさんの事って話した?」

「?」

「いや、つまり、今は仮面をつけているけどアインズさん素顔の事とか、村の人たちにさ」

 

 そこまで言ったところ、エンリはこちらの聞きたいことに気づいたようだ。

 

「いえ、誰にも言っていません」

「村長さんにも?」

「はい、誰にもです」

 

 ふむ。

 ということは、とりあえず、アインズさんがアンデッドだということはエンリとネム以外には知られていないようだ。

 ……どうするか?

 まさか、殺すということはない。いや、本当にそれ以外ナザリックを守るために手がないとかならともかく、現状ほとんどメリットがない。

 《記憶操作》の魔法?

 まあ、ありかもしれないが、そこまでするほどか? それにその魔法がどれだけの効果があるのか分からない。

 考えた末――

 

「ええと、エンリ。それにネムも。ちょっと聞いてほしいんだ。アインズさんが――あの仮面の下がアレだってことは誰にも言わないでいてほしいんだ。わかるよね? 本当に通りすがった、危機に陥っていたこの村を助けたくらいアインズさんは善良な人なんだけど、正体がアンデッドというだけでどんな目に遭うか……」

 

「はい。分かりました。先程も申した通り、この事は誰にも」

 

 良かった。

 とにかく何とかなったか。これで「落ち着いて考えたら、やっぱりアンデッドは信用できない」とか言い出したら殺さなきゃいけない所だった。殺すこと自体は簡単でも、近くに人がいるという状況の中でばれないように、不審がられずに、というのはいささか面倒だ。悪くすれば、あの騎士たちが持っていたアイテムが暴発したという設定で、せっかく助けた他の村人何人か巻き込んで爆発とかもやらなきゃいけない所だった。

 

「あらためて言いますが、皆さんのおかげで助かりました。本当に、本当にありがとうございました」

 そう言って、再度深く頭を下げる。

 下を向けた顔の表情は見えないが、地面にぽとぽとと水滴が落ちる。

 

 ああ、そう言えば。この村娘――エンリは騎士に襲われるところだったんだよな。そこを中年男性に助けられた。そして、その中年男性は死んだ。たぶんエンリの父親といったところだろう。

 そして、彼女たちの周りには母親らしき人物もいない。母親も死んだか。

 つまりエンリとネムは庇護者のいない二人きりの身というわけだ。田舎の村だから、それなりに助け合いもするのだろうが、まともな労働力もない女子供二人で生活できるのか? 最悪、エンリ、もしくは二人ともどこかに売られたりするのかもしれない。

 

 

 ――ふむ。

 もしくはある程度、手助けしてやってもいいかもしれない。

 我々の現在最大の目的は情報だ。

 情報は欲しい。

 だが、こっちが情報を求めていることは可能な限り、他には知られたくない。

 この世界にどんな者たちがいるのか分からない。ここを襲った騎士たちのように弱い存在ではなく、かなりの強者がいるかもしれない。また、個の力はなくても組織力というものがある。

 こちらには情報がないというウィークポイントをさらした場合、どんな策略を仕掛けてくるか分からない。

 そう考えた場合、この村を助けて永続的に援助することは、それなりのメリットがある。

 この村は近隣に人が住んでいない田舎の村だ。我々がここに関わっても、噂話等として情報が流れていくことは少ないだろう。それに、ここの村人にとって俺たちは命の危機から救ってくれた救世主だ。最初から好意を集めている状態なのだから、こちらに便宜は図ってくれても、いきなりこちらが不利になる事をする可能性も少ない。

  

 それに――

 

 

 ――この村は大した戦力もないから、何か不測の事態が起きても、簡単に村ごと殲滅できる。

 

 

 そうした算段を考えていると、先ほどの村長がこちらに走り寄ってきた。

 

「どうしました。村長殿」

「はい、ゴウン様。実は馬に乗った戦士の集団がこの村に近づいてきているらしくて……」

 



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第7話 王国戦士長との出会い

2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/5/21 「・・・・・」→「……」 訂正しました
2016/7/13 「高見はある」→「高みはある」 訂正しました
2016/10/5 「ほんろう」→「翻弄」 訂正しました
2016/11/13 「沸き起こる」→「湧き起こる」、「体制」→「体勢」 訂正しました


 最初にそいつらを見た感想は統一感のない集団ということだった。

 馬に騎乗してやってきたのは、バラバラの装備をした戦士の集団。武器は剣の他、弓や槍、メイスなど多岐にわたり、防具も金属鎧や一部分のみ金属部分を外して鎖帷子や革鎧を露出させるなどしている。

 歴戦の戦士、もしくは傭兵。あまり薄汚れた感じはしないから、野盗というのはなさそうだけど。

 

 その騎兵団は馬に乗ったまま村の広場へと進んできた。

 

 広場で俺たち――村長、アインズさん、アルベド、俺の四人と対峙する。デスナイトは村長の家の前だ。村人たちは全員、一時的に村長の家に避難させている。

 

 騎兵たちの中から一人の者が進み出た。髪を短く刈り込んだ屈強そうな男。他の者たちの態度から、おそらくこいつがリーダーなんだろう。

 

 馬上から、俺たち一人一人の顔をじっくりとねめつける。

 

「私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士たちを討伐するために王のご命令を受け、村々を回っている者である」

 

 王国戦士長?

 それとやたら長い国名が聞こえたな。

 村長はそれを聞いて目を見開いた。

 

「知っているのですか?」

「いえ、私も話に聞いたくらいで……」

 

 うーん……しかし、本人なのかねぇ?

 よく見てみると何かの紋章みたいなものを、この戦士長含め騎兵たちはどこかしらにつけているみたいだけど。当然ながら判断つかん。

 

「この村の村長だな。横にいる者達は何者なのか聞かせてもらおう」

「は、はい。この方々は私たちを救ってくださった方々です」

「救った?」

 

 再度、戦士長の男が俺たち一人一人に目を向ける。特に、村長の家の前で待機しているデスナイトに。

 

「あれは?」

「私が支配しているアンデッドですよ。戦士長殿」

 アインズさんが答える。

「初めまして、王国戦士長殿。私の名はアインズ・ウール・ゴウン。この村が騎士たちに襲われているのを見て助けに来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですよ。横にいるのは私の仲間たちです」

「そうですか。村を救っていただき感謝の言葉もない」

 そう言って、ガゼフは頭を下げた。

 

 ふぅん? 意外と簡単に頭を下げるもんだね。王国とやらのそれなりに高い地位についている人間が、得体のしれない相手に?

 誠実なのか? それとも、頭を下げるのはタダだと考えているタイプか? それとも……?

 

「なに、困っている人を助けるのは当然の事ですよ」

 

 アインズさんの答えに、ガゼフはやや目を細めた。

 

 あ、まずった。

 何の見返りもなく赤の他人を助けるってのは逆に警戒されるって、さっき言おうとしてそのままだったな。どうするか……。

 

「その仮面をとってもらっても?」

「お断りします。あのアンデッドの――」

 デスナイトを指さす。

「制御が外れて、暴走しても困りますから」

 その答えに村長がぎょっとした表情を浮かべ慌てる。

「なるほど。取らないでいてくれた方が良さそうだな」

「申し訳ありません」

 

 ますます空気が重くなる。

 うーん。ちょっと拙いな。本当かどうかは分からないが、相手は国の人間らしい。つまりその権威を使って強引に、こっちに命令することもできる。当然、こちらは従う気はないから、下手すりゃ戦闘になるか。それは避けたい。相手の実力を見極めてから行動すべし。何の指標もなく、王国の重鎮らしき人物と敵対するのは悪手だ。

 

 なんとか誤魔化すか……。

 

「あ、でもさ。騎士さんたちが着ていた鎧とかはもらっていっていいんだよね。いくらくらいで売れるのかなぁ~」

 ことさら明るく、子供っぽく、能天気風に声を出した。

 いかにも子供が空気を読まずに大人の会話に口を挟んだという感じに。

 

 たいていの場合、子供の無邪気な様子は場をなごます作用がある。

 案の定、アインズさんの真意を見抜こうと警戒していたガゼフの表情がゆるんだ。

 

 何とかなった。

 押し切った。

 子供口調をしたことで、俺は後でさらにへこむだろうが。

 

「ふむ。騎士の鎧が残っているのか。どのような者達が村を襲ったのか、詳しい話を聞きたいのだが」

「ええ、構いませんよ」

 

 とにかく話はいったんまとまったか。

 村長は家に行き、村人たちに今来たのは王国からの戦士団だと告げた。安堵の声とともに村人たちが屋外へと出てくる。ガゼフは部下たちに村の後片づけなどを手伝うよう指示をした。

 

 

 そして、広場でデスナイトの背に括り付けていた鎧などを下ろした。

 

「ほう。これは確かにバハルス帝国の紋章だが……」

「中身は違うと思われますか、戦士長殿?」

「ふむ、その可能性はあるな」

 

 偽装か……。

 しかし、どういう方向性での偽装の事だ?

 ガゼフは知っているようだが……。

 アインズさんから質問するより、俺が聞いた方がいいか。

「中身が違うって、なんなの? そのばーるす(・・・・)帝国の人じゃぁないの?」

 

 ……のたうち回りたい。

 

 だが、ガゼフは俺の問いに微笑みながら返してくれた。

「ああ、そうだよ、お嬢さん。この辺りは我がリ・エスティーゼ王国の領地だが、東のバハルス帝国、それと南のスレイン法国からも近い地域だ。つまりバハルス帝国の鎧を着た兵士がリ・エスティーゼ王国を荒らすことで二国の仲を悪くして、お互い争わせるスレイン法国の計画かもしれないということさ」

 

 ふむ。なるほど。

 この地域は3か国の国境が接する地点付近ということか。

 ――じゃあ、そんな危険地域にナザリックが現在あるのか? 下手に他国が戦争したら巻き込まれたりするのか?

 

「じゃあ、この辺りで戦争とかしてるの?」

「いや、戦争は定期的に王国と帝国が行っているが、実際に戦場になるのはもっと離れた場所だよ。ここから南の方に行った所にあるエ・ランテルという王国領の大きな街の近くさ。この辺りが戦場になる事はないから安心するといい」

 

 また新しい地名が出てきた。

 ここの南にあるエ・ランテルという大きな街。そこは王国の領地。

 ……ああ、地図が欲しい。ゲームなら、俯瞰図とかいろいろあるのに。地形も含めて書き込んでいかなきゃ分かりようもない。

 

「ゴウン殿。申し訳ないが、この武器や鎧一式、一人分でいいから買わせてもらってはいけないだろうか?」

「ふむ。構いませんが。ただ、これらの装備は魔法で強化してある物のようですが」

「そうだな。いかほどであれば売っていただけるかな?」

「……適正な金額であれば」

「……今は手持ちが少ないのだが、あなたの信頼にこたえられるだけの額というと……ふむ」

 

 拙い。

 ここで値段交渉されても困る。

 この世界の魔法のかかった鎧の相場が分からない。

 そもそも、この世界の通貨体系自体が分からない。

 具体的に金額を提示されたら拙い。こちらにこの世界の一般常識が欠落していることがばれてしまう。

 

 どうする?

 戦士長の肩書を信用して、後払いでこの村にでも持ってきてもらうか? その間にこちらは金銭の価値や体系、相場を調べるか?

 

 

 そんなことを考えていると、アインズさんが驚くような提案をした。

 

 

「ならば、どうですかな? こちらのベルさんと戦士長殿が戦っていただいて、戦士長殿が勝ったらその装備は差し上げる。ベルさんが勝ったら、あとで言い値で買っていただくということで」

 

 

 ファッ!?

 なに言ってんだ、この人!?

 

 

 ガゼフも目を丸くしている。

 そりゃ当然だ。どれだけ凄いかは知らないが、王国戦士長とか肩書がついている屈強そうな男と10歳くらいの少女が戦えとか言い出したのだ。正気を疑うレベルだ。

 

《ちょ、ちょっとモモンガさん! ――ああ、アインズさんでしたっけ。何、言い出してるんですか!?》

《いや、この世界の戦力を測るにはちょうどいいでしょう。おそらく、こちらではかなりの使い手クラスのようですし》

《それにしても今の俺の姿、憶えてます? 少女! ちびっ子! ロリキャラですよ!》

《憶える以前に、目の前にいるから分かってますよ》

《じゃ、拙いでしょ。勝っても負けても》

《しかし、他はもっと拙いですよ。人間を下等生物と呼ぶアルベドとか、アンデッドのデスナイトだとそもそも手加減できないかもしれませんし。その点、ベルさんは前衛職ですから、その辺上手くやれるでしょう》

 

 ううむ、確かに。

 アインズさんの言う通り、アルベドやデスナイトと戦闘させて、いきなり戦士長が一撃で殺されるとかなったらそれこそ大問題だ。素性を隠すどころの話じゃない。当然、この付近に調査の手が及び、今は偽装しているナザリックが発見される可能性もある。

 

《それに勝つ必要はないんですよ。適度なところで負ければいいです。敢えて戦いで決めるという形式をとったものの、そういう建前で魔法のかかった装備一式を無料で王国に譲り渡したという事になりますし。仮にベルさんが勝ってしまっても、向こうは子供相手だからわざと負けてやったんだと体面が保てますしね》

《ああ、なるほど。子供が相手なら勝っても負けても、向こうの面子はつぶれないってことですか》

《そうです》

《それにどちらにしても、金額の即答を避けることができる》

《そういうことです》

《了解しました。しかし、アインズさんも策士ですなぁ》

《いえいえ、ベルさんほどではございません》

《ははは、遠慮なさらずに。『ナザリックの朶思(だし)』の異名はアインズさんにお譲りしましょう》

《それはお断りします》

《間髪入れずに断りましたね。やっぱりおかしな呼び名だって知ってるんじゃないですか!》

 

 アインズさんと〈伝言(メッセージ)〉で掛け合いしている間に、ガゼフは苦笑を浮かべて立ち上がり了承した。

 

 

 

 お互い木剣を手にとり、広場で向かい合う。

 村の片づけをしていた兵士たちや村人たちも、手を止めてこちらをうかがっている。両方とも、微妙な表情を浮かべているが。

 どうひっくり返っても勝敗は決まっているのに、なんでこんな勝負をやる必要があるのか、という顔だ。

 

 

 だが、その表情は瞬く間に凍り付いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぬうっ!」

 右脇を狙ってきた斬撃を、手にした木剣で受け止める。だが、完全に受けきることは出来ずに、力を横に受け流しながら、身をよじり、背後へ飛びのいた。

 部下たちの息を吐く音が耳に届く。

 追撃はない。

 あらためて木剣を構え直し、息を整える。

 

 ガゼフは目の前にいる少女の評価をさらに一段あげた。

 

 少女は特に息を切らせることもなく、構え方を確かめるようにぶらぶらと木剣を動かしている。

 

 

 最初は、この村を襲った騎士の装備の購入にあたって譲歩してきたのだと思った。敢えて勝ち目がない勝負を仕掛け、それで負けた代償として、無料で装備をこちらに譲ることで貸しを作る目的だと。

 ゴウンの仲間には黒い全身鎧に身を包んだ女性や、暴力を具現化したような巨大なアンデッドの戦士もいるのに、わざわざそれらを外して10歳程度にしか見えない女の子を対戦相手に指名したのだ。

 しかも、この娘は戦士としての鎧も身に着けず、まるで貴族の夜会にでも出席するような高級そうな衣服を身に纏っている。話に聞くところ、南方ではあのような服を身に着けることがあると聞く。その髪は丹念に手入れされたように輝き、またその白い手もなんらタコ一つない綺麗な手をしている。

 とてもではないが、戦いの心得があるとは見えない。

 

 実際、自分の対戦相手にとゴウンが言い出した時、この娘はとても驚いた様子で、ゴウンを見上げ絶句していた。

 ガゼフは歴戦の戦士として相手の力量を見抜くことが出来る。そのガゼフの眼から見て、ベルには全く強さを感じなかった。普通の子供と比べても、それ以下だと言えるだろう。むしろ、あまりに何も感じないことを逆に不自然に思うほどだ。

 そして、お互い村長から借りた練習用の木剣を手にして対峙したが、これから戦うというような気組みも感じ取れなかった。

 

 本人に戦う気がないのなら、さっさとこの茶番を終わらせてやろう。

 

 そう思って開始の合図と同時に、ある程度速く、だが力はこめず重さのない一撃を繰り出したところ、いとも容易くはじかれてしまった。

 続く2撃目も、同様。

 そこで軽く殺気を当ててみたところ、少女は何の痛痒も感じない様子だった。

 もっと気を大きくして、もう一度。

 だが、それも同様。

 一部の人間には、先天的にそうなのだが、全く殺気などの気配を感じ取れないという者達もいる。だが見た感じそういう性質ではなく、ちゃんとその気配は察知しているようだ。察知はしているようなのだが、それを受けても全く動じることすらしない。ただ不思議そうに首をひねるだけだった。

 

 そして、今度は向こうから攻撃を仕掛けてきた。

 なかなか速い。だが、追えないほどではない。踏み込みと同時に振るってきた横なぎの一撃を木剣で受ける。

「ぐぅっ」

 思わず、声が漏れた。

 重い。

 少女の幼い外見に似合わぬ力だ。

 だが、あくまで今のは油断していたからにすぎない。本気で受けたら、この程度大したことはない……。

 

 しかし、その考えは甘かったことをガゼフはすぐに思い知った。

 次の一撃は一撃目よりさらに速く、そして重かった。そして、その次はさらに……。

 段々と少女の攻撃は鋭さを増していく。そして力も。

 

 もはや、怪我をさせないように加減をするなどというレベルをはるかに超え、王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフが本気になってようやくついていける程の戦いとなっていた。

 すでに周囲の村人はもちろん、ベテランの戦士である直属の部下たちも唖然として二人の戦いを見守っている。

 

 

(む? 一体、これは……)

 だが、ガゼフは戦いながらも違和感を感じていた。

 それはベルの戦い方だ。

 戦闘の仕方がどうにも妙なのだ。

 通常、小兵の戦士が戦うときは機動力を重視する。体の小ささを速度で補う戦い方で、素早く動くことにより間合いを巧みにコントロールする。相手にとって攻撃に適した距離、位置をずらし、かつ自分にとっては最適なポジションをとり一撃を与える。剣の技もフェイントを多用する。実際に武器を振り切らずに、攻撃の予備動作だけで相手の反応を誘い、防御をかいくぐって攻撃を当てる。

 基本的に、素早い踏み込みと相手の攻撃範囲からの離脱を組み合わせた一撃離脱の戦い方か、もしくは相手を幻惑する様なつかみどころのない戦い方が、体格の小さな者がより体格の大きな者に行う一般的な戦い方だ。

 

 だが、ベルの戦い方は違う。

 足を素早く動かすよりは、しっかりと大地を踏みしめ、重心のこもった斬撃を放ってくる。牽制の攻撃も行うものの、当てることなく攻撃の軌道を変え相手を翻弄するようなものではない。軽いながらも当てていくことで、相手に攻撃を防御させ反撃の機会を与えないやり方だ。

 この戦い方は体格の小さい軽戦士の戦い方ではなく、逆に体格に優れ剛力を誇る重戦士の戦い方だ。

 

 たしかに、この少女は見かけによらず、なかなかの筋力の持ち主だ。いや、なかなかどころではない。正規の戦士や騎士たちよりも、下手をしたら自分よりも膂力が強いかもしれない。そう考えると、この戦い方は彼女に合っているのかもしれない。

 ――合っているかもしれないが、それでも違和感が残る。

 

 ベルは少女である。体格も年相応だ。

 体格が小さいという事は当然、攻撃の届く距離が他者よりも短い。相手の攻撃の届く距離より、さらに近づいて攻撃をする必要がある。つまり、隙をついて相手の攻撃範囲内の中へ踏み込まなければならない。

 牽制の攻撃はガゼフでも腕が痺れるほど強力なのだが、その一瞬の隙に合わせて懐に潜り込んでくるということをしない。

 

 もしや、剣技を習った師匠が巨漢の戦士で、彼女自身に合わせた戦闘技術を身に着けていないのかもしれない。

 実際、ベルは目測を誤り攻撃を空振りをする事が時折、見受けられる。

 これほどの剣技を習得している人間が、自分のリーチを把握していないというのもちぐはぐな話だ。

 あり得るかもしれない。

 

 思い立ったガゼフは戦い方を変えた。

 ベルの攻撃を受けると見せかけてバックステップで避け、足が地につくと同時に踏み込む。その勢いのまま上段から振り下ろす。ベルは木剣をあげて防御しようとする。だが、それはフェイントだった。ガゼフは木剣を身体から離すことなく肩口にかけ、腰の高さまでグンと身を低くし、横へすり抜けざまに横なぎの一閃を放った。ベルは一瞬驚いた様子だったが、防御のため掲げていた剣を一瞬のうちに戻し、その攻撃を受け止める。

 

 見ていた兵士たちは驚愕の声をあげた。

 戦士として屈強な体を持つガゼフ・ストロノーフが、明らかに体格の劣った少女ベル相手に、本来自分より筋力、体格の勝る相手に行う奇襲戦術を使ったためだ。

 ガゼフは歯噛みをした。

 今の攻撃は、本来であれば防げないはずだった。先程まで剣を交わしたことにより、ベルの攻撃速度はすでに十分に把握できていた。普通の兵士であれば、これほどの短時間で把握することなど出来はしないが、戦士として卓越した才能と経験のあるガゼフならば可能だった。その自分の計算では、上段防御の姿勢から低い位置の横なぎの防御へは間に合わないはずだった。

 あの瞬間、ベルは自分の意図に気づいていなかった。決して先読みしていたなどという事はなく、こちらの動きを目で追っていた。

 そして目で見てから反応したのだ。

 あの時の剣の動き。あれは先ほどまでの戦いで見せていたのとは全く違う速さだった。

 

 まさか、加減されていた!?

 

 一瞬、ガゼフの心の内に憤怒の感情が湧き起こる。

 長年にわたり、戦士として、王国戦士長として常に武に身を置いていた。剣を頼りに世界を旅し、幾度もの戦いを乗り超えてきた。王国に仕え、この国を守るためにたゆまぬ努力と研鑽を日々積み重ねてきた。

 その自分が、こんな少女に手加減されるなど!

 

 だが、その感情を胸の中で抑え込む。

 世の中には一般の人間には手の届かない『強さ』を持つものがいることは理解している。ドラゴンしかり。

 遥か高みはある。ならば、その高みに届くよう努力して鍛えればいい。

 それに今の自分は王国の剣。一介の戦士ではなく、この国のために剣をささげた身。一時の感情に流されるべきではない。

 

 それにこれは模擬戦だ。命をかけた、どちらかが死ぬかもしれない戦いではない。終わったら彼女を王国に誘うというのもいいかもしれない。

 ふむ。たしかにいい手な気がする。

 彼女、ベルは魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの仲間だと聞いた。どのような間柄かまでは分からないが、ゴウンが提案したこの模擬戦をしぶしぶながら引き受けるくらいには仲が良いようだ。ゴウンは困っている人がいたからと報酬もなしに人を助けるような、正義の心を持った御人。懇切丁寧に頼めば、王国のために力を振るってくれるかもしれない。

 

 そう考えたとき、ガゼフの頭に一人の人物が思い当たった。

 自分のいるリ・エスティーゼ王国の王都を拠点として活動するアダマンタイト級冒険者。そのうちの一つ『蒼の薔薇』に所属する魔法詠唱者イビルアイ。

 職務上、蒼の薔薇の面々、特に貴族であるラキュースとは接する機会があるし、他の面々とも幾度か話したことがある。イビルアイ本人とも。常にその素顔は仮面に隠されており、実際の年齢は分からないが、あの人物もまるで少女のような身体つきだった。たしか第5位階の魔法が使える魔法詠唱者でありながら、その膂力も人並み外れたものらしい。

 このベルという少女も、イビルアイのような桁が外れた存在なのだろうか?

 王都に戻ったら伝手を使って、一度、話を聞いてみようか。

 

 

 そう思案しながらも戦いを続けていると、ふと、ベルが何かに気をとられたように視線を外した。

 

 罠だろうか?

 だが、罠だろうとここは仕掛けるべき。

 

 袈裟懸けの一撃を放つと、やはり簡単に防御される。

 だが、一瞬だが、防御が遅かった。

 

 疑問に思いながらも攻撃を続けると――

 ――やはり先程までと比べて、少し反応が遅い。

 何かに気をとられているような……そんな感じだ。こちらの攻撃を防御するだけで、向こうから攻めてこなくなっている。

 勝機とみて、上段から力を込めて再度、袈裟切りに打ち下ろす。狙いは頭部。

 だが、その間合いを見切り、ベルは身体を後ろへとそらしてかわす。 

 その瞬間、ガゼフの剣先の軌道が変わった。打ち下ろしの途中から突きへと変化させ、後ろへ退いたベルの頭を狙う。

 しかし、その常人では見ることさえ叶わぬほどの素早さを持った連携も、ベルは首をひねることで避ける。

 

 拙い!

 今、こちらは突きで体勢が崩れている。そして、自分よりリーチが短いベルにとっては労せずして懐に潜り込んだような状態だ。今攻撃されたら、避けようがない。

 

 

 ガゼフが己の敗北を覚悟した瞬間。

 

 

 ガゼフが袈裟懸けに振り下ろした(・・・・・・・・・・・)木剣がベルの頭部に当たった。

 「ひゃあ」と声をあげてベルがひっくり返る。

 

 爆発せんばかりの歓声が上がった。自分たちの隊長が勝利したこと、そして素晴らしい戦闘を讃えるものであった。相手のベルが少女であり、本来ならば勝って当然の勝負であったため、いささかの気まずさを隠すものでもあったが。

 

「さすがは王国戦士長。見事な戦いでした」

 

 呼吸を乱し、顔を紅潮させたガゼフが声をかけてきたアインズに獰猛な笑みを向ける。

 

「……勝たせてもらったという事かな?」

 

 最後の一撃。

 あれは確実にベルにかわされていた。

 

 あの時、ガゼフは袈裟懸けから、突きへと攻撃を変えた。

 

 だが、ベルは袈裟懸け(・・・・)の一撃を頭部に受けて倒れたのだ。

 

 周りの部下たちはあまりの速さに気づかなかったようだが、ベルは一度、変化した突きに反応して避けた。避けた後に、斜め下から自分の頭をガゼフの持つ木剣へとぶつけたのだ。

 打ち下ろしたところにぶつかったならともかく、まっすぐ直進する木剣に横から当たりに行っても、当然ながらダメージなどほとんどない。その証拠に当たった時、ベルは気の抜けたような悲鳴を上げただけだし、立ち上がって土ぼこりを払う姿に痛みをこらえる様子も見受けられない。

 

 わざと負けたのだ。

 

 内心、忸怩たる思いを懐から取り出した布で汗をぬぐう行為で誤魔化す。

「いえ、滅相もありません」アインズはそんなガゼフに近づいて囁いた。

 

「どうやら別のお客さんが来たようですので、急いで切り上げた方が良さそうだと判断しまして」

「何?」

 

 

 その時、ガゼフ配下の兵士が声をあげた。

 

「戦士長! 周囲に複数の人影。村を包囲しています!」

 

 

 




なんだか引きが前回と同じになってしまいました。

ガゼフ部下が完全に包囲されるまで気が付かなかったのは、ベルとガゼフの試合に熱中していたからです。


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第8話 陽光聖典との戦闘

2016/1/1 『地獄の彷徨が轟くまでは』→『地獄の咆哮が轟くまでは』に訂正しました
2016/5/21 「補足」 → 「捕捉」 訂正しました
2016/7/24 魔法詠唱者に「マジック・キヤスター」というルビをつけました
2016/8/11 「一人残らず燃え尽きた」→「一体残らず燃え尽きた」 訂正しました
2016/10/5 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 威光の主天使に「ドミニオン・オーソリティ」のルビがちゃんとついていなかったところを訂正しました
2016/11/13 「吊り上げる」→「釣り上げる」、「別かれ」→「分かれ」、「ガゼフ・スロトノーフ」→「ガゼフ・ストロノーフ」、「抑さえる」→「押さえる」、「吹き出ている」→「噴き出ている」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「行った」→「言った」、「例え」→「たとえ」 訂正しました



「なるほど……確かにいるな」

 

 村長の家の窓、鎧戸をわずかに押し上げて外の様子をうかがっていたガゼフがつぶやく。

 

「一体、あの者たちは何者でしょうか? 先ほど村を襲ってきた騎士たちの後詰とか?」

「正確な意味での後詰ではないだろうが、おそらく関係はしているだろうな」

「ほう? と、言いますと?」

「ゴウン殿、あれを見ていただきたい」

 窓の合間から見える範囲には軽装の人影が三人。そして、炎に包まれた剣を持つ天使たちを引き連れている。

 

《ベルさん。あれってユグドラシルの炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)じゃないですか?》

《おそらく、そうですね。やっぱり、エイトエッジ・アサシンの報告は正しかったみたいですね》

 

 先ほどガゼフと戦っていたとき、ナザリックからこちらに来た時の後詰として派遣されていたエイトエッジ・アサシンより、人間らしき魔法詠唱者(マジック・キャスター)炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の一群が村に接近しているとアインズさん経由で〈伝言(メッセージ)〉があったのだ。

《なぜ、ユグドラシルの怪物(モンスター)が? この世界はやはりユグドラシルと何か関係があるんでしょうか?》

《はっきりとは分かりませんね。ですが、ユグドラシルの魔法が使えたり、アンデッド召喚とかのスキルが使えるみたいですから、向こうも何らかのユグドラシルの魔法が使えるのかもしれません》

 

 〈伝言〉でモモ――アインズさんとやり取りしている間にも、ガゼフの説明は続く。

 

「あれは天使だ。特に法国の者たちから言わせると、神から遣わされた存在とかいう奴だな」

「ふむ。――その言い方ですとストロノーフ殿は、あれは神から遣わされたものではない、とお考えで?」

「ええ。法国ではそう言われているが、王国の神官から言わせれば、ただの召喚モンスターだそうだ。まあ、私に取って気になるのは強さはどれくらいか、対処はどうするかだけで、実際はどうかなどどうでもいいことだが」

「ははは。なるほど、確かに。それで話は戻りますが……」

「単刀直入に言うと、おそらくあの者たちはスレイン法国の人間。それも特殊工作任務を専門に行う六色聖典と呼ばれる者達だろう。そして、先ほどのバハルス帝国の紋章がある鎧を着た兵士達は王国戦士長である私を釣り上げる餌、といったところかな」

「……ストロノーフ殿が少数の手勢を連れて、村々を襲っている帝国に所属しているであろう騎士の討伐におもむいたところを、あの者たちが襲撃するという事ですか。しかし、王国側は罠の可能性を考えなかったので?」

「お恥ずかしい話だが、王国内も一枚岩という訳ではないのだ。大きく王に近い派閥とそれに反発する大貴族らの派閥に分かれ、政権抗争をしているのだよ。私は王派閥の、それも自分で言うのもなんだが、かなり重要な人物なのでね」

 

《面倒な事ですねぇ》

《いやはや、まったく》

 

 

 そうこうしていると、外から声が聞こえてきた。

 

『聞こえるか! ガゼフ・ストロノーフ!』

 

 全員が耳をすます。

 

『ガゼフ・ストロノーフよ。おとなしく武器を捨てて出てくるのだ。お前が抵抗せずに捕まるのなら、他の村人たち、並びにお前の部下たちに危害を加えないことを約束しよう』

 

 その言葉に、その場にいた者達、俺にアインズさん、アルベド、ガゼフの部下たちに村人たちの視線がガゼフに集まる。謎の武装集団が村を包囲しているという事で村人たちは再度、村長宅へと避難していた。

 

「えーと。一応言っておくけど、あれって確実に嘘だと思うよ。だってさ、ストロノーフさんをおびき寄せるためだけに村を何個も襲うような連中が、約束を守ったからっていって見逃してくれるわけないし。むしろ、口封じにって皆殺しにされると思うよ」

 

 とりあえず、誰かが発言する前に、前もって言っておく。

 村人の中には最初の発言でやや困惑の表情を浮かべていた者もいたが、俺の予測を聞き、ほぼ全員が体を震わせ恐怖に耐えるような様子に変わった。

 まあ、さすがにみんな言わなくても大なり小なり分かってる事だったんだろうが、万が一、一縷の望みをかけて~なんて感じでおかしな事を言い出したりしないように釘をさしておいて正解だったか。

 

「で、では、どうすれば?」

 

 震える声で村長が問いかける。

 

 ガゼフは決意、信念、そして自信に満ち溢れた声で答えた。

 

「むろん。あいつらは我々が倒します」

 

 そうして、俺たちの方を向く。

 

「ゴウン殿、並びにお仲間の方々、私に雇われてはいただけないだろうか?」

「はい。分かりました」

 アインズさんが間髪入れずに答える。

 

「ありがたい。報酬ですが、今は手持ちが少ないのだが……」

「それは後でいいでしょう。戦士長殿を信用しますよ」

「かたじけない」

「いえ。困っている人を助けるのは当然の事、ですから」

 

 あー、そうだ。その報酬気にせずで人を助けるってのは胡散臭がられたりするから止めた方がいいって、さっきも言おうと思って結局言ってなかったな。

 まぁ、今回はガゼフに信頼の表情を向けられているから、いいけど。

 

「重ね重ね感謝する。私の事はガゼフで構わない」

「ふむ。では、私の事はアインズで構いませんよ。ガゼフ殿」

 

 ガゼフは微笑む。信義を共にする者への信頼と友誼の笑みだ。

 

 

 ――なんというか。

 男の友情展開なんだけど、なぜだか、ちっとも心に響かない。

 俺ってこんなに冷淡だったかな? とりあえず、実体験はともかく話として聞く分には、こういうのはそれなりに感動してた気がするけど……。

 まあ、いいか。そういう正義の味方RPはアインズさんに任せるか。

 さて、じゃあ俺は作戦を考えるとしよう。

 

「それじゃあ、あいつらと戦うってことでいいね? じゃあ、まず、こうしよう……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ニグンはほくそ笑んだ。

 ようやくガゼフ・ストロノーフを捕捉することができたのだ。これまでに、すでに村を四つも壊滅させてしまっている。大いなる信仰と大義に身をささげた自分にとって、目的のために犠牲を出すことに罪悪感こそないが、無為に人間を殺すことはそもそも本意ではない。

 

 ガゼフらは今、広場に面した最も大きな家に身を寄せている。他の兵士、村人も一緒だ。その家は村の中でも最も大きいが、石造りなどという事はなく普通の木造だ。火をかければ容易に燃やし破壊することができる。

 そして、ニグン配下の陽光聖典の者達はすでに取り囲むように配置が完了している。

 さらには、ガゼフの性格からして村人を残して自分だけ逃げるという事もあり得ない。

 袋の中のネズミという言葉そのものだ。袋から逃げ出したところを殺してもいいし、袋ごと潰してもいい。

 

 その家は村の中央部にあるため、近づくには遮蔽物となる他の家の脇を通らなければならないのが面倒だが、それらの家には隠れている人間などはいないようだ。本当ならそれらはすべて焼き払ってしまった方がいいのだが、家を燃やすことで村人たちが自棄になりガゼフに協力することは避けたい。村人が敵となって襲い掛かってくるならただ始末するだけでいいが、ガゼフを逃がすために何らかの偽装をされると面倒な事になる。

 ようやく訪れた絶好の機会。ここで確実にガゼフを仕留めたい。村人はガゼフを縛る枷。せっかくの枷を自分から切り捨てることはすべきではない。

 獲物を始末するまでは。

 

 

 立てこもっている者達に降伏勧告をする。

 まあ、これで出てくるとは思えないが、村人らと少しでも仲たがいを引き起こすことが目的だ。守るべき村人に責められれば、判断が鈍るだろう。

 

 だが、予想に反して扉は開き、中からガゼフが一人出てくる。

 

 予想外の事に一瞬呆気にとられたが、すぐに気を取り直す。

「ガゼフ・ストロノーフよ。おとなしく縛につけ。そうすれば、他の者たちは助けてやろう」

 馬鹿馬鹿しいが、再度、建前の口上を述べる。

 それに対するガゼフの答えは、冷笑であった。

「そのような世迷言を信じるものがいるとでも?」

 

 愚かな虚勢だ。

 どうあろうと、この状況を覆すことなど出来はしない。せいぜい強がりを言うといい。

 

 ニグンは手で合図を送る。

 包囲を狭めよ。

 自分たちの一番の目的は王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを抹殺すること。目撃者を出さないことも重要だが、それはあくまで二の次。ガゼフがどのような策をとろうが、ガゼフ本人さえ殺してしまえば、後はどうとでもなる。

 

 配下の者達が二重の包囲を行い、更に上空には炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が陣を組む。

 いかに優れた戦士と言えど、たった一人、もしくはその部下たちがいたとしてもこの陣形を崩すことなど出来はしない。

 絶対の自信を持って、ニグンは攻撃の号令を下した。

 

 取り囲んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちが一斉にガゼフめがけて魔法を飛ばす。

 

 

 その瞬間。

 轟音とともに壁がはじけ飛んだ。

 

 ガゼフが出てきた家から飛び出てきた影が、自ら盾となり全ての魔法を受け止めたのだ。

「オオオオァァァアアア!!!」

 そしてその暴力を具現化したかのような巨体は、生きるもの全てを憎み、聞いた者に戦慄を呼び起こす雄たけびをあげた。

 

 

 その姿を見てニグンは目を見開いた。

「ば、馬鹿な! そんな、まさか……デ、デスナイトだとぉっ!?」

 

 デスナイト。

 スレイン法国の中でもエリートのみが入ることができる陽光聖典。その中でも上位の人間であるニグンでさえ、記録でしか見たことのない伝説級アンデッドである。

 剣技では英雄に足を踏み入れた者でしか太刀打ちできず、そしてそいつに殺されたものはアンデッドとなり、さらにそのアンデッドに殺されたものはまたアンデッドとなり……と際限なく不死者の軍団を増やしていく最悪のアンデッド。

 

 それが今、自分の目の前にいるのだ。

 

 配下の者たちにとって、それがなんであるかは分からないが、魂を凍り付かせる咆哮、眼窩に灯る生者を憎む紅い炎、あきらかに自分たち人間の敵であり圧倒的殺戮者であることは見て取れた。

 

 怯えた者たちが、召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)に攻撃指示を出す。そして自らも魔法を浴びせかける。

 

 だが、突撃した天使たち数体は瞬く間に、常人なら両手でしか持てないような巨大なフランベルジュで切り伏せられた。続く魔法の攻撃も、容易くタワーシールドで防がれた。

 自分たちの攻撃が何の痛痒も与えられなかったことに、恐怖を覚える法国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち。

 だが、ニグンはその中で閃くものがあった。

 

「ガゼフだ! ガゼフに魔法を使え!」

 

 その声にはじかれる様に、皆、魔法を唱える。周囲を取り囲んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちから一斉にガゼフめがけて魔法が飛ぶ。

 だが、それら全てが、素早くガゼフのところに戻ったデスナイトによって防がれる。

 

 その有様に陽光聖典の者たちは絶望の表情を浮かべるが、ニグンは逆に勝機を感じ取った。

 

 あのデスナイトはガゼフを守っている。ならば、ガゼフに攻撃を仕掛ければ、奴はガゼフの近くから動くことは出来ない。

 法国の記録で見たが、デスナイトには致命的な弱点がある。それは遠距離攻撃能力を持たないことだ。

 ならば、近づくことなく魔法攻撃を続ければ、奴はガゼフをかばい続けこちらに攻撃することが出来ないはず。いくらデスナイトが頑強だとはいえ、魔法攻撃を受け続ければいつかは倒れるだろう。それに、こちらは魔法に長けた者達が大勢いるのだ。決して勝てないわけではない。

 

 ニグンは村の包囲を最小限にし、その者達を除いて集結命令を出した。今はとにかく魔法詠唱者(マジック・キャスター)を集め、あのデスナイトを何とかすべきだ。

 

 

 ニグンの予想は当たっていた。

 続けざまに浴びせかけられる各種魔法の波状攻撃に、ガゼフをかばい続けるデスナイトは身動きが取れなくなっている。

 時折、一瞬の隙をつき突撃してこようとはするものの、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)数体を犠牲にして盾を作ることで何とかそれを防いでいた。魔法詠唱者(マジック・キャスター)のMPが尽きるまでにデスナイトを倒しきれるか心配はあるが、おおむね思う通りに事は動いていた。

 ニグンは胸をなでおろし、配下の者達も勝利の希望が胸に湧き起こっていた。

 

 

 

 自分たちの周囲から、地獄の咆哮が轟くまでは。

 

 

 

 

「「「「「「オオオオァァァアアア!!!」」」」」」

 

 魂まで震わせる雄たけびが響いた。

 それも全方位から。

 

 突然の事態に任務も使命も一瞬忘れ、狼狽して周囲を見回すと、家々の影を縫うように村の外周から自分たちのいる広場へとデスナイトが向かってくる。

 それも六体。

 

 ガンと頭が殴られたような感覚に呆然となる。だが、陽光聖典として鍛えられたその精神は、そのまま、呆然自失のうちに生命が刈り取られるより早く思考を取り戻した。取り戻さないままの方が楽に死ねたかもしれないが。

 

「え、円陣を組め! 全周防御だ!」

 怯えの混じったニグンの声に、陽光聖典の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは弾かれたように反応した。

 たった一体のデスナイトですら、ぎりぎり抑え込んでいる状況で、さらに6体ものデスナイトに周囲を囲まれる。絶望の中、縋りつくような思いで自分たちの隊長の指示に従う。しかし、従ったからといって、この状況から脱することができる訳がないことは分かってはいた。

 

 

 形勢は一気に逆転した。

 先ほどまでガゼフとデスナイトを包囲していたのに、今は逆にガゼフ並びに総勢七体ものデスナイトに包囲されてしまった。

 そして、村長の家からはガゼフの部下たちがぞろぞろと姿を現し、取り囲むデスナイトの狭間を埋めるように布陣する。ガゼフの部下たちも、ややデスナイトに怯えの表情を見せ、少しでも距離をとろうとしていたが。

 袋のネズミを仕留めるだけの任務だったはずが、今や自分たちが袋のネズミとなってしまっている。胸の内にあるのはただ恐怖。使命に命をかける気はあっても、死ぬ気などない。だが、どうやってもこの場を切り抜けられる気がしない。

 

 震えそうになる身体を必死に抑えていると、この場にそぐわぬ呑気な声が響いた。

 

「やあ、皆さん。落ち着いて、気を楽にしてください」

 

 声に振り向くと、そこには奇妙な仮面で顔を隠したローブの男、黒い全身鎧に身を包んだ女性、そして男物の派手なスーツに身を包んだ少女が民家の屋根に立っていた。

 

「さて、皆さんにご質問したいのですが、皆さんはスレイン法国の人間という事で間違いはありませんか?」

 

 その問いに言いよどむ。まさか、そのようなことを公言できるはずもない。だが、言わなければ自分たちの命がないかもしれない。

 逡巡する陽光聖典の者たちを目に、ローブの男は言葉をつづける。

 

「やはり言いはしませんか。それでは、仕方がありません」

 

 何が『仕方がない』のだろうか?

 

「黙秘を決めた人間に尋問しても時間の無駄ですね。では、死んでください」

 

 朝食のパンに塗るジャムの種類を問うかのごとき、軽い口調で死を宣告した。

 陽光聖典の者たちが言葉を発するより早く、魔法が発動する。

 

 〈集団標的・獄炎(マス・ターゲティング・ヘルフレイム)

 

 アインズの指先に灯された小さな黒いの炎が飛んでいく。そして上空に浮かぶ炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)らに届いたかと思うと、一瞬で業火が燃え上がり、数十体いた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)は瞬く間に一体残らず燃え尽きた。

 

 召喚した天使を燃やし尽くした炎の熱に顔を炙られつつも、その場にいた者たちは動けなかった。

 自分たちよりはるかに肉体能力に勝るあの炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)達を、一瞬でまとめて倒すあの男は何者なのか? 先程、自分たちは、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の提案を受け入れないという致命的な判断ミスを犯したのではないか?

 

「ま、待て! お前はいったい誰だ?」

「おっと、まだ名乗っていませんでしたね。私はアインズ・ウール・ゴウンといいます」

 そう言って、ぺこりと頭を下げた。

「アインズ・ウール・ゴウンだと? そ、そんな名前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)など聞いたことがない!」

「この名はかつて知らぬものがいないほど轟いていたのだがね。まあ、いいじゃないか、そんなことは。君たちの運命に変わりはない」

 

 恐怖のあまり口腔が乾き、舌がのどに張り付くような感覚を覚えながら、かすれた声で必死に交渉する。

 

「わ、我々を倒しても本国に報告が行くぞ。今も、この周辺に別動隊がいるのだ。そうなれば、我が国を敵に回すことになるのだぞ」

「ああ、心配いらんよ」

 だが、仮面に魔術師は事もなげに答えた。

「そいつらはすでに倒してしまったからな」

「は?」

 

 後ろにいた黒い鎧が手にしていたものを放り投げる。ぼとりと地面に転がり落ちたのは、この村を包囲させていた部下の首だ。

 

 

 これがベルの考えた策だった。

 ガゼフを一人出すことで目を引き付けておく。さらにデスナイトが派手に壁をぶち破ることで注意を集めた隙に、〈不可視化〉を使いアインズとベル、アルベドが裏から脱出。そして、ニグンらがガゼフとデスナイトに躍起になっている間に、村の外で包囲している法国の人間を倒す。村の外で警戒していた者達は、最初からエイトエッジ・アサシンに位置を捕捉されている。居場所さえ分かっていれば、連絡する間もなく倒すのはたやすい。なんらかの監視がついている場合を考え、エイトエッジ・アサシン達を直接動かさず、そちらはベルとアルベドで片づけた。その後、中位アンデッド作成でデスナイトを六体作り上げ、それらを村を取り囲むように配置し、雄たけびをあげさせながら中心部へと進軍させた。

 要は逃亡者を作らないために、ガゼフという餌を鼻先に出し、それに群がった所を逆に包囲したのだ。

 それに気づいたニグンは歯噛みする。ガゼフを捕捉するために囮の騎士たちを使って自分たちがやっていたことをやり返されたのだ。

 

 ――ちなみにガゼフらには言っていないが、もし敵が思ったより強かったりデスナイトが簡単に倒されたりするような場合、ベルたち三人はそのままバックレて遠距離から超位魔法で村ごと吹き飛ばすつもりだった。そのことを提案したときアインズはかなり渋ったが、ナザリックの安全が最優先と説得したら、不承不承うなづいた。

 

 

「た、隊長、わ、私たちはどうすれば……」

 震える声で部下が問いかける。

「ふ、防げ! 生き残りたいものは時間を稼げ!」

 ニグンは震える手で懐からクリスタルを取り出す。

「最高位天使を召喚する。時間を稼げ!」

 その声に生気を取り戻した部下たちが、ニグンを守るように陣形を整える。

 

 だが――。

 

 

 上空から飛来した物体が、部下たちの身体を引き裂いた。

 剣、斧、槍、鎚鉾等々。よくは分からないが、すべて魔法がかけられた一品のようだ。

 人間の身体をぼろ雑巾のようにずたずたにしたそれらの武器は、誰も手も触れていないのにふわりと舞い上がり、すぐそばにいた者たちに再び空を切って襲い掛かった。身を寄せ合い円陣を組んでいた中を縦横無尽に飛び回るため、もはや嵐の中の紙切れのように人間の身体がたやすくちぎれ飛ぶ。

 その光景を見て、ニグンは思わず自分の頬を押さえる。かつて自分の頬に傷をつけた憎き冒険者にして神官。『蒼の薔薇』のラキュース。あの女が使用していたのが『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』という空中に浮遊する六本の黄金の剣だった。今、目の前で乱舞している武器は剣だけに限らず、またその数も六よりはるかに多いが、似たようなものであることは確かだ。

 ――まさか、この場に『蒼の薔薇』が来ているのか?

 鮮血をまき散らしながら空を飛ぶ武器たちはピタリと動きを止めた。

 そして上へと舞い上がると、まとまって一点へと飛んでいく。

 そこにいるのは一人の少女。殺し合いの場にそぐわない、高級そうな衣服に身を包んだ銀髪の少女だ。先ほどまで部下たちに暴虐の限りを尽くしていた魔法の武器は少女の頭上でゆっくりと回転している。

 

 その光景を見て、ようやくガゼフは腑に落ちたものを感じた。

 なぜ、あれほどの技量を持つものが自分の間合いを正確に把握していなかったのか。それは、ベルの本当の戦闘スタイルは、直接武器を手にして白兵戦を挑むのではなく、あの空飛ぶ武器を自在に操るというものだったのだろう。それにしても空恐ろしく感じる。つまり、ベルは不得手の戦い方でさえ、ガゼフとまともに戦えるほどの存在。もし、あの本来の戦い方ならば、いったいどれほどの強さを発揮するのだろうか……。

 

 内心、冷や汗をかくガゼフには目もやらず、当の少女ベルはニグンに話しかけた。

 

「それって、魔封じの水晶だよね。それに最高位の天使っていうのが封じられているの?」

「や、止めろ! 近づくな!」

 

 はっきりと怯えの混じった声をあげて、ニグンが後ずさる。

 だが、足をとられて転んでしまった。

 なんだと思って、手をつくとその手にはべっとりとした赤いものが絡みついた。「ひゃあ!」と自分でも情けない声をあげて飛びのこうとするが、再びバランスを崩して倒れこんでしまう。今度は顔からべっちゃりと突っ伏してしまった。まだ湯気をあげている臓物の山に。

 恐怖の悲鳴を上げて見回すと、そこにはすでに配下の者たちはだれ一人立ってはいない。全員、体の中のものをすべてまき散らして倒れ伏していた。

 

「それって、この辺りでかなりのレアアイテムなんでしょ。それ、欲しいなぁ」

 

 子供らしい微笑み、それでいてその笑みを向けられているニグンには恐怖と戦慄を感じさせる笑みで、ベルはおねだりする。

 

「こ、これを召喚すれば、お、お前たちは皆殺しだ! い、いいんだな!」

 

 叫んだニグンが水晶を掲げると――

 

 ――そこには手がなかった。

 切断面からは赤い血がぴゅーっと噴き出ている。

 

「ひ、ひゃああぁぁー!」

 

 ニグンの腕を切断した鎌と、水晶をつかんだ手を串刺しにしているレイピアが、ベルのもとへと空中を飛んで戻ってくる。

「最高位の天使……なんだろうな? 熾天使(セラフ)クラスかなぁ? ねぇ、中身なんなの?」

 半ば、錯乱しかけているニグンは素直に答えてしまう。

「ド、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)です」

 それを聞いて、ベルとアインズは明らかに落胆の吐息をついた。

「ドミニオンだってさ」

「最高位というから期待したのに、その程度なのか?」

「というか、ドミニオン程度を魔封じの水晶に入れるって、すごくもったいない使い方だよね」

「正直、使い道もないが、捨てるのももったいない程度のものだな」

 

 まったく緊張感のない二人の話し声にニグンがへたり込む。自分たちの、法国の中でもエリート部隊である陽光聖典の切り札でさえ、こいつらには大したことがない存在なのか。

 その時、一瞬だが、大きく空間にひびが入った。だが、瞬く間に何事もなかったように元に戻ったが。

「ほう。なんらかの情報系魔法でお前を監視していた者がいたようだぞ。もっとも私の対情報系魔法の攻性防壁が働いたようだが。まあ、せいぜい広範囲に影響を与えるように強化した〈爆裂(エクスプロージョン)〉程度だがな」

 

「……んー? なんだか、この人、急にやる気をなくしたみたいだけど?」

「む。そうだな……どうした? まだ手を切られて、マジックアイテムを一つ奪われただけだろう。諦めたら、そこで終わりだぞ」

「そうそう、最後の最後まで知恵と力を絞らなきゃ駄目だよ」

 

 アインズとベルが何の気なしに言ったその言葉が、ニグンの心を徹底的に打ちのめす。

 あくまでユグドラシルというゲームの中ならば、たとえ死んでも多少のデメリット、レベルダウンや保有アイテムのドロップがあるだけなので、一発逆転にかけて戦うなり、犠牲を払いながら逃走するなり最後まで粘り続けるのがセオリーだ。だが、ゲームではなく現実、一度死んだらよっぽどのことがない限り蘇生は不可能という状況下では、命の重みというものが格段に違う。呼吸すらまともにできなくなるほどの絶望の中、最後の希望を託したものすら駄目だったという失意の度合いは、あくまでゲームの延長線上で考えているアインズやベルには未だ理解できないものであった。

 

 ニグンは口の端から泡を吹き出しながら言葉にならない声を発し、地面をのたうち回る。

 反応に困ったアインズとベルは顔を見合わせ、ガゼフの方へと目をやった。

 

「……よろしければ、そいつは我々で引き取ってよろしいだろうか? 法国の人間が王国の民を虐殺し、更には我が王国と帝国を仲たがいさせようとしたのだ。出来ればそいつは証拠として、王都へ引っ立てたい」

 

 その申し出はちょっと困ったが、了承することにした。出来ればナザリックに連れ帰って情報を引き出したいが、こうしてガゼフたちがいる目の前でその提案を断ってどこかに連れていくとなると、どこへ何の目的で連れていく、と疑問に思われるだろう。それよりは引き渡すことで、王国の重鎮であるらしいガゼフに恩を売るというのもやぶさかではない。

 それに無理にナザリックに連れて行っても、大した役には立ちそうにないし。あれくらいの奴なら、その辺ででも、また捕まえられるだろう。

 

 

 

 こうして、ナザリックと現地の人間のファーストコンタクトは終わった。

 

 ガゼフは事がとんでもなく重大であると考え、村で一晩休むことなく、ニグンと襲撃者の装備、最初の騎士とニグンの部下である魔法詠唱者(マジック・キャスター)のものを持ち、部下たちを引き連れて急ぎ去って行った。

 残った騎士や魔法詠唱者(マジック・キャスター)の死体は装備だけはぎ取り、デスナイトたちに死体を一か所に集めさせ、アインズさんが魔法で燃やした。作業中に、死体を触媒にした最初の一体を残してデスナイト達が消えてしまったので、一度死体をゾンビにして火葬の地へ歩かせるという事をしたため、無駄に時間がかかったが。

 

「帰りますか」

「ええ、そうしましょう」

 

 そうしてカルネ村の長い一日は終わった。

 




陽光聖典が現地でそんなに凄い連中だと思ってなかったので、あっさり殺したり、ガゼフに引き渡したりしてしまいました。


次回で書籍一巻分は終了となります。

それでは皆様、良いお年を。


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第9話 ナザリックへの招待

2016/1/18 ユリの髪型が『シニヨン』となっていたのを『夜会巻き』に訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/5/21 「頼みごと」と表記されていたところを「頼み事」に変更しました
2016/10/5 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/11/13 「共の者」→「供の者」、「立たないのに」→「経たないのに」、「沸き立つ」→「湧き立つ」、「言う」→「いう」訂正しました


「え、ええと……こんな感じでいいよね……」

「お姉ちゃん、早くー」

 

 ネムが急かすように声をかける。さすがにいつまでも身だしなみを整えているのに焦れてきたようだ。

 実際、先ほどまでと今とでエンリの容姿はほとんど変わっていない。そもそも、普通の村人生活なので特にきれいな服など持っていないし、化粧なんてなおさらだ。せいぜい髪に櫛をあてたり、服の汚れを取ったりする程度だ。

 出来ることなど限られている。

 

 しかし、だからといって、そういう事をおろそかにできない状況なのだ。

 これから、自分たちを救ってくれたゴウン様達の住居へと招かれているのだから。

 

 

 あれから二日が経った。

 村はまだ被害の痕がまざまざと残っている。ようやく埋葬や遺品等の整理が終わったばかりだ。亡くなった村人の畑をどうするか、襲撃で殺戮された者たちの遺族がどのようにして生計を立てていくか、まだまだこれから話し合って決めなければいけない。

 カルネ村は辺境の村だ。村全体が一つの大きな家族ともいえる。モンスターの襲撃、過酷な環境などに耐えて生き抜くためにも、全員で助け合わねばならない。

 むしろ、これからが大変だともいえる。現況で、貧しくはないがそれなりに生きていくことが出来る程度の状態だったのが、先の襲撃で労働力が大幅に減ったのだ。

 このままでは村そのものが成り立たなくなる可能性もある。そのうち、エ・ランテルなどで開拓民を募集しなくてはなるまい。

 うまく人が集まればいいが、集まらないときは――

 ――村を捨てなくてはならないかもしれない。

 

 

 そんな暗い状況の中、唯一と言っていい明るい話題もあった。

 

 村を助けてくれた魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズ・ウール・ゴウン様。

 この方がこの後、しばらくこの村に関わってくださるそうなのだ。

 関わってくださるという微妙な表現なのは、アインズ・ウール・ゴウン様本人が村に滞在するのではなく、先だってゴウン様と一緒に来てくださった女の子、ベル様をはじめとしたゴウン様のご友人の方々が村に留まられるそうなのだ。

 

 先の襲撃の際、王国戦士長様並びに村長宅の壁の隙間から覗いていた者達の話では、ベル様はあの外見に似合わずものすごく強いらしい。そんな方が村に留まってくださるならば、これほどの幸運はない。再び、騎士たちが襲ってきても退治してもらえるだろうし、もう時折トブの大森林から降りてくるモンスターに怯える必要もないだろう。

 

 

 だが、あくまでこれからも留まってくれるならばだ。

 

 はっきり言って、この村にはゴウン様がたに見返りを与えられるようなものはない。

 ゴウン様はお優しいお方のようだ。しかし、だからと言って、いつまでも無償で助けてくださるとは考えられないだろう。ただ、こちらから寄りかかるだけの存在。いつかは愛想をつかすかもしれない。そうなったとき、この村はどうなるか……。

 そして、その『いつか』というのは来週か、来月か、来年か――それとも、今日この時なのかもしれない。

 

 そう考えた時、これからゴウン様の住居におもむくというのは、とんでもない大役なのだ。ここで不興をかえば、ゴウン様はこの村からいなくなってしまうかもしれない。何としても、好意をもっていただかないと。

 せっかく助けてくれた相手に、こんな打算的な事を考えている自分にうんざりする。だが、これは村長からもきつく念を押された事なのだ。

 

 

 そう考え、忸怩たる思いに悶々としていると――

 

「お姉ちゃーん。ベル様が来たよー」

 

 ネムの声で、ハッと気を取り直した。

 

 慌てて外へ出る。

 

 そこには前に会った時のとおり、不思議な高級そうな衣装に身を包んだベル様。そして、髪を夜会巻きにまとめ、レンズの入っていない不思議なメガネをかけた女性と、輝くような金髪を縦ロールにした肉感的な魅力を持つ女性の二人のメイドが待っていた。二人とも、エンリが生まれて初めて見るような美しさの女性だ。

 同性ながら、その美しさに言葉も出ない。

 王侯貴族は各地から目麗しい女性を集めているというが、もしやゴウン様はそれに匹敵するほどの人物なんだろうか。

 

 硬直するエンリとは裏腹に、ネムは大はしゃぎで話しかけている。「お姉ちゃんたち、きれー!」「ありがとうございます」「あらあら」幸いにも不快には思われてはいないようだが。

 

「ちょ、ちょっと! こら、ネム! 失礼でしょ」

「ははは。まあ、いいんじゃない?」

 慌てるエンリに、ベルは気楽に声をかけた。

 

「さってと、それじゃ行こうか」

 そう言って、一軒の家へと足を向ける。

 先の襲撃で一家全員が死亡したため空き家となった家だ。ゴウン様から、供の者たちが留まる家屋が欲しいという話だったので、比較的大きめなこの家が提供された。大きめとはいえ、あくまでカルネ村基準の話であり、豪華な衣装を着るゴウン様らには決してふさわしい家屋とは言えないが、当の本人らがそれでいいと言ったため、そのままになっている。

 しかし、今日はゴウン様の住居に行くという話だったのに、なぜこの家に行くのだろう? ゴウン様の方が、一時的にこちらに来られているのだろうか?

 

 不思議に思いながらも後をついていくと、家の中には大きな姿見の鏡があった。縁は金色の金属で出来ており、エンリにはよくわからないがなにか不思議な模様が描かれている。そしてその表面には目の前にいる自分たちの姿ではなく、どこか別の世界が映し出されていた。

 エンリの頭の中が疑問符だらけになっていると、ベルは「こっちこっち」と手招きして、鏡の方へと向かっていく。

 そして、鏡の中へと足を踏み入れた。

 ぶつかるかと思われた足は、鏡面をそのまますり抜け、まるでそこに何もないかの如く進んでいった。続くメイドたちも当然のように鏡の向こうへと消えていく。

 その様子を見て、エンリは一瞬躊躇したものの、ネムの手を握り同じように足を踏み入れた。

 

 

 その先は別世界であった。

 広く荘厳たる通路。磨き抜かれた大理石の上には絢爛たる絨毯が敷かれている。頭上にはキラキラと輝くシャンデリアが並んでおり、左右には今にも動き出しそうな像が並んでいる。

 両脇には、同性から見ても見目麗しいメイドたちが並んで深々と頭を下げており、自分たちがこの前を歩いていいのかと冷や汗をかく。

 そして、そのメイドの列の向こうには黒いローブを着た人が。いや、人と呼ぶのはふさわしくないかもしれない。なぜなら、あの人は白い骸骨のアンデッドなのだから。

 

 アインズ・ウール・ゴウン様。

 偉大な魔術の秘儀を使いこなし、強大な力を誇る人物を仲間とし、困った人たちを見返りもなく助ける心優しきアンデッド。

 

 自分とネムだけなら、足がすくんで動かせなかっただろうが、何の物怖じもせず前を行くベルと二人のメイド、それらにつられて前へと歩いていった。

 

 そしてアインズの前へとたどり着くと、ベルはその脇にならんでこちらを振り返り、二人のメイドは左右に分かれて立ち頭を下げた。

 結果、アインズとベル二人に対してエンリとネムが向かい合う形になる。

「ようこそ。エンリ、ネム。我らのナザリックへ。君たち二人を歓迎しよう」

「ひゃ、ひゃい! ゴウン様! お招きいただきマシてアリがとうございますっ!」

「ははは。そう緊張しなくてもいいとも。君たちは愚かな侵入者などではなく、招待されたお客様の身なのだから」

 そう言って陽気に笑う。

「まあ、そうだね。ここではなんだから、応接室で飲み物でも飲みながら話をしようじゃないか。私としてもいくつか頼みたい事があるからね」

 

 頼みたい事?

 一体なんだろう?

 あれほどの力を持つゴウン様でも、普通の村娘に頼む様な事柄……。

 身体だろうか、と思ったが一瞬でその考えを打ち消す。そもそもそういうのが欲しければ、ここに仕えているメイドたちからいくらでも選べるだろう。自分は顔も十人並みだし、身体つきにいたっては比べることすら……。

 横目で覗き見るメイドの女性たちとの圧倒的な差に一人うなだれる。

 

「じゃあ、こちらへ」

 アインズが先導して歩き出す。慌ててついていくと、自分たちの後ろにメイドたちがぞろぞろとついて来た。後ろを見ると緊張で左右の手と足が同時に出そうになるため、努めてそちらは見ないようにして、視線を前へと固定する。それに対して、ネムはキラキラと目を輝かせながら、周囲をきょろきょろと見回していた。

「面白いかな?」

「うん。凄ーい!」

「そんなに凄いかね?」

「凄い! 凄すぎるよ!」

 ネムが興奮して叫ぶ。

 妹の語彙が少ないのは顔が赤くなるが、エンリも正直、凄いとしか表現のしようがない立派な建物だ。

「ここはゴウン様が御造りになられたのですか?」

「私の友人たちとだよ」

「そうなんですか。ご友人の方々も凄い人だったんですね」

「凄ーい! ゴウン様のお友達も凄ーい!」

「はっ――ははははは!」

 朗らかな笑い声が響き渡る。

 骸骨なために表情は分からないが、明らかに上機嫌な笑いだった。

 

 そうしているうちに豪華な扉へとたどり着く。細かな金細工が施された白い扉が開け放たれると、中はまた言葉もないほど華美で豪奢な内装だった。正直、ここに来てから数分も経たないのに、驚く事に疲れるくらいだ。

 部屋の中央に鎮座する高価な黒檀のテーブルをはさんでアインズ、ベルとエンリ、ネムが向かい合う。

 腰かけようとしたらメイドが椅子を引いてくれ、更には美しい装飾の入ったガラスのコップに何か果物のジュースを注いでくれる。まるでどこかの貴族のような扱いに、エンリはもう震えが出そうなほど恐縮してしまっている。

「緊張しているようだね。さあ、まずは飲んでくれたまえ」

 促されて、コップの液体に口をつけると、さわやかな甘さが口の中に広がった。酸味と甘みのバランスがちょうどよく、また、妙な後味が口に残らない。そして、何か身体の奥から湧き立つものと、逆に心が澄み渡るように落ちつくのを感じた。生まれて初めて飲む美味に思わずがぶ飲みしたくなるが、なぜか同時に、そういう礼儀に外れたことはしてはならないと心に静止をかけるものがある。隣で口にしたネムも驚いたように顔を見合わせた。

 

「さて、落ち着いたようだし、本題に入ろうじゃないか」

 そう口にしたアインズに、エンリはつばを飲み込み姿勢を正した。

 その様子を見て、アインズは安心させるように柔らかな声を出す。

「なに、そう身構えることはないよ。先ほども言った頼み事だ。私の頼み事を聞いてくれたら、代わりに君にも利益を与えよう。つまり取引をしたいという話さ」

 

 取引?

 もちろん命の恩人。それも自分一人ではなく、妹のネム、さらにはカルネ村全てを救ってくれた方の頼みだ。どんなものでも差し出す覚悟はある。だが、一体何を差し出せばいいのか……。

 

「まあ、私が君たちに頼みたい事は3つばかりある。まずはこれだ」

 そう言って自分の頭を撫でまわした。

「ごらんのとおり、私はアンデッドだ。このことは君たち以外には知られていない。ほかのカルネ村の住人、王国戦士長にもだ。当然、私がアンデッドだと知れたら、それだけで誰も私のいう事は聞かずに退治しようと考えるだろう。だから、私がアンデッドだという事は秘密にしてもらいたいのさ。これが頼み事の一つだ。まあ、これについては以前も口外しないように頼んでいたことではあるがね。あくまで私は一介の魔法詠唱者(マジック・キャスター)という事で頼むよ」

 

 確かに数日前も同様の事を頼まれた。通常、アンデッドとは生者を憎み、殺そうとする存在らしい。実際に見たりしたことはないが、話に聞く分にはそうらしい。だが、こうして目の前で話しているゴウン様は生きている存在を憎むなんてそぶりは見せない。自分たちを始め、ベル様やメイドたちなど普通に生きている存在に囲まれて生活している。それに、そもそも危機にさらされていたカルネ村をわざわざ助けに来てくれたではないか。アンデッドだからといって、全てが悪い人だという訳でもないのだろう。

 しかし、そんな心優しいゴウン様でも、よく知らない人間からしたらやはりアンデッドなのだ。ゴウン様のお優しさを理解してくれる前に、剣を振るってしまうだろう。無用なトラブルを引き起こすよりは隠してしまった方がいいんだろう。

 

「そして、二つ目なんだが、君たちの知識が欲しいのだ」

「え?」

 知識?

 こんなにも立派なお屋敷に住み、魔術にも精通した方が、ただの村娘の知識が欲しいとは?

「ああ、実はだね。私はずっとこのナザリックに閉じこもって魔術の研究をしていたのだよ。つい最近になってようやく外に出てみたら、なんだか外の様子が私の知っているものとは全く異なっていてね。それで、今現在のこの世界の知識が欲しいんだ」

 

 なるほど。そういう意味だったのか。

 しかし――

 

「あ、あの……お言葉ですが、私は旅もしたことがない村娘ですので、あまり世の中の事は……たまにカルネ村にやってくる徴税官や商人の方、エ・ランテルに行った人などとかから話を聞くくらいで……」

 すっとゴウン様は一枚の金貨をつまみ上げた。

「エンリ。これは金貨でいいかな?」

「は、はい。金貨……ですよね?」

「では、これは?」

「? 銀貨です……」

「ふむ。では聞くが、おそらく銀貨より金貨の方が価値が高いと思うが、どのくらいの交換レートなのかな?」

「え? ええと、銀貨十枚で金貨一枚ですね」

「そういうことだよ」

 言われて、目をぱちくりさせる。

「君が当然のように知っている硬貨の交換レート。そういうものも私は知らないのだ。そういった事などを知識として教えてほしいのだよ。そうした常識を知らずにほかの人間と話をした場合、私がどれだけ不利益をこうむるかは言うまでもないだろう? ああ、これも秘密で頼むよ」

 なるほど。それもすとんと胸に落ちた。

 ゴウン様は偉大な魔法詠唱者だ。これから広く名が知られるだろう。そうすれば、様々な人物と交流することになる。そうした時、本当に基本的なことすら知らないという事が分かれば、相手に侮られるだろうという事は想像に難くない。

 そう考えると、そういった一般的な知識がないことは、あくまでただの村人である自分たち二人のみにしか知られない方がいい。

 

「そして、三つ目だが、まあ君たちには我々がこちらに関わっていくうえで、カルネ村での窓口になってほしいという事だ。ベルさんを始めとした何名かの人間がカルネ村には逗留するつもりだが、人が入れ替わりになったり、もしくはちょっと出かけて誰もいなかったりもするだろうから、連絡の仲介をしてほしいのだよ」

 それについても異論はない。頼まれなくとも、その程度の事はするつもりだ。

 

「私からの頼み事というのはこの三つだな。さて、これを頼むにあたって私から君たちへのメリットだが、まず村の復興に手を貸そうと思う。それと君たち個人への援助だな。さしあたっては、これを君にあげようと思う」

 そう言って、二つの見すぼらしい角笛を差し出した。

「これは子鬼(ゴブリン)将軍の角笛というマジックアイテムで、吹けばゴブリンの軍勢が現れて召喚者に付き従うというものだ。約束のしるしとして、とりあえずこれを君にあげよう」

 

 ゴブリン――人間より体躯は小さいが集団で人を襲う凶暴な魔物だ。カルネ村でも薬草を取りにトブの大森林に行った者が襲われたりもしている。エンリも遠目から見たことがあるが、その姿は戦うことが出来ない身にはとても恐ろしく、遠くへ去っていくまで震えながら息を殺していた。

 そんなモンスターが召喚されるというアイテムを手のひらの上に置かれ身を固くする。もう頭の中はパンク状態だ。とりあえず、ゴウン様が下さったものだから大丈夫だろうと頭の中で納得させ、ポケットにしまっておくことにした。

 

「さて、とりあえずはこんなところだな――おっと、食事の準備が整ったようだ。色々とこの地の話を聞くというのはそのあとにしよう」

 そう言って立ち上がった。

「私たちがいると気が抜けないだろうから、ちょっと席を外すよ。二人で食事を楽しんでくれたまえ」

 

 そうしてゴウン様とベル様は部屋から出ていった。居並ぶメイドたちも、数名を除いて、それに続く。

 

 

 一気に人の減った部屋で、エンリは息を吐いた。

 ようやく興奮が少し落ち着いてきた。

 村を救ってくれた英雄からの招待。魔法の道具で見たこともない凄い宮殿にやってきたこと。出されたとんでもなく美味しい飲み物。ゴウン様から提示された取引。渡されたマジックアイテム。

 今日だけ、というかわずか一時間ほどで一生分の体験をした気がする。

 そうしていると、横からネムに袖を引かれた。

「お姉ちゃん。帰ったら村の人に、こんなに凄い人に救われたんだって教えてあげようね」

「うん」

 

 伝説って本当なんだ……。物語じゃないんだ……。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

《こんな感じでいいですかね?》

《はい。いいと思いますよ》

 

 ナザリックの廊下を執務室へと歩きながら、アインズとベルは〈伝言(メッセージ)〉で話していた。

 

《まあ、ただで手を貸すと言うより、何かの交換条件として提示した方がかえって相手も安心するし、約束を守ろうとするもんですよ》

《ああ、村での件はすいませんでしたね》

《いえ。その結果、あの村や王国戦士長からの好意は受けられましたから、結果的には良かったですよ。ただ、恩義だけというのは相手と場合によって良し悪しなので》

《そんなものですか。……そういえば、ガゼフは後で報酬を持ってくるといっていましたけど、持ってきますかね?》

《どうでしょうね? 彼本人はそれなりに信頼できそうですが、話に聞く分に仕えている王国とやらに色々ありそうですからね。なんのかんのといちゃもんをつけて、報酬を渡すのを阻止するとかもあるかもしれませんよ。なんせ、彼本人を実質暗殺の場へと送り出すような有様ですし》

《……報酬が払われないだけならいいですが、我々がそのごたごたに巻き込まれたくはないですね》

《ええ。ですので、村には復興の手助けという恩を与えつつ、アインズさん本人ではなく俺が表に出ることによって、いざという時は何があっても俺の独断という形に逃げれるようにしておきましょう》

《なんだか、泥をかぶせる形で悪いですね》

《いえいえ、幸い今子供の姿ですから何か面倒ごとになっても、子供のやる事だから~で誤魔化せますし》

《子供の姿になってよかったですね》

《はっはっは》

《はっはっは》

《はっはっは》

《すみません》

 

《……ええと、エンリとネムに私がアンデッドだって事を言わないように口止めしましたけど、約束を守れますかね》

《うーん。それは大丈夫だと思いますけど……まあ、ぽろっと言ってしまう可能性は無きにしも非ずですが、仮に言ってしまってもそうたいしたことにはならないはずですよ。村の人たちはアインズさんに感謝してますから、今更アンデッドだったからなんて反意を示すなんてことはないでしょうし。外から来た人にうっかり話した場合は、アインズさんが出ていって幻覚で作った顔を見せてやればいいですし》

《魔法で記憶を消してしまうというのもありますが》

《いや、実験無しでいきなりあの二人にやるのはまずいでしょう。下手したら、余計な記憶まで消えて廃人になりますよ》

《やっぱり、この世界で出来ることの実験が必要ですね》

《そうですね。後でどこかのならず者なりを攫ってきて、色々実験してみましょう。あの法国の連中がちょうどよかったんですけど、戦士長の手前、みんな捕まえずに殺しちゃいましたからね。あの隊長は引き渡しちゃいましたし。……この世界で生きていくのにはやる事がいっぱいで大変ですね》

《ええ、でも、未知を埋めていくっていうのはユグドラシルみたいで楽しいじゃないですか》

《……ああ、そう考えればそうですね》

《ええ、この世界をせっかくですから楽しみましょう》

《なんだかすごいポジティブですね。……そういえば、アインズさん?》

《何ですか?》

《アルベドから聞いたんですけど――我々の目的が世界征服ってなんです?》

 

「えっ!?」

 

 突然響いた主の驚愕の声にその場にいた者達は目を見開いた。

 

 




WEB版のエンリたちがナザリックに行くシーンも好きなので混ぜてみました。


これで書籍1巻分は終了です。
おまけと繋ぎをはさんで2巻分に行こうと思っていますが、書き溜め分がほぼ尽きかけているので、更新は不定期になると思います。

お読みいただきありがとうございました。


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第10話 おまけ カルネ村経営SLG

今回、ギャグパートです

基本的に延々ベルの一人語りで進みますが、おまけという事でご了承ください。


2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/5/21 「薬草を積む」 → 「薬草を摘む」 訂正しました
2016/10/5 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/11/18 「表れた」→「現れた」 訂正しました


 ベルはカルネ村へとやってきた。

 

 お供にはソリュシャンとこの前作ったデスナイト。

 

 その身はやる気に満ち満ちている。

  

 そう、これからカルネ村を発展させるのだ。

 ナザリックがこの世界に根を張るのに、まずは足がかりがいる。宝物殿にはユグドラシル金貨はひしめいているが、この世界での金が欲しい。いくら大量にあるとはいえ、ユグドラシル金貨は使っていればいつかは枯渇する。そうなる前に、こちらの金の補給体制が欲しい。

 そこで支配下に置いたといっても過言ではない、このカルネ村を運営し、最初の拠点としたい。

 

 このカルネ村の産業は、はっきり言って農業だけだ。村の畑で自分たちの食べるものをまかない、外貨を得る際は近隣にあるトブの大森林でとれた薬草をエ・ランテルに卸す。その資金を使って、エ・ランテルで生活必需品を購入する。鉱物資源はゼロ。一応狩猟は可能。ただトブの大森林は怪物(モンスター)が出没するため危険があり、まれに犠牲が出ることもある。

 

 うーん。やっぱり農業だろうか?

 とにかく食料が足りていることは、全てにおいて必須条件だ。飢えている状態では、その他の事に手を回す余裕もない。

 そうだな。

 まずは食糧問題を何とかすべきだろう。

 

 さしあたっては畑だな。

 

 

 ……。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………何すればいいんだ?

 

 

 畑……?

 

 植物って地面に種を埋めておけば勝手に生えるんじゃないのか?

 汚染されている土地に種を蒔いても育たないというのは知っている。だが、この世界の土地は全く汚染もされていないから、ただその辺に蒔けばいいんじゃないのか?

 ああ、そうか。肥料をまくというのがあったな。でも、肥料ってどうやって作るんだ? 化学プラントなんてないだろう。

 うーんと……そうだ!

 『(たがや)す』とかいうことをするんだったか。

 ……なんでそんなことするんだ?

 

 ……さっぱり分からない。

 そもそもリアルでは植物自体ほとんど見たことがない。ましてや食用の作物なんて、超高級層向けにアーコロジー内の農場で作られていると聞いたくらいだ。植物っぽい風味をつけたらしいペーストを野菜風の形に固めたものが庶民にとっては一般的だ。現物がどんなものかはよく分からない。

 

 いや、待て。まずは落ち着こう。

 そうゲームの知識を思い出そう。俺は今まで、こういう経営、育成、戦略SLGはよくやっていた。その中には役に立つ知識もあるはず。

 ええと、まず――

 

  1.畑を作る場所を決める。

  2.そこに村人を配置する。

  3.一定時間で畑が出来る。

  4.さらに一定時間で作物が育って収穫が出来る。 

 

 ――役に立たねぇ!

 

 仕方がないから、エンリに聞いてみた。

 詳しく丁寧に説明してくれたが、いまいちピンと来ない。おそらく電気のある生活をしたことがないエンリに電化製品の説明をしてもさっぱり分からないように、農業の基礎知識がないからエンリが普通の事として言っていることが分からないんだろう。たぶん。

 ……図書館にでも行って、昔の本でも探してみようか。小説とかでもその辺の事を描写している物はあるだろうし。そうだ、後で司書長にでも聞いてみよう。

 

 ……とりあえず、畑の事は置いておこう。今は分からないし。

 じゃあ、次は……。

 考えていると、つんつんと足をつつくものがいる。見ると、餌を探している鶏が靴をつついていた。

 ああ、これは知っている。

 この鶏の足が鳥の腿になるんだ。子供のころ、社会科見学で食料工場に行った時の事を思い出す。高級チキン区画に入ると大きなプール上の培養層があった。そこで大量にクローン増殖された鳥の腿がぷかぷかと浮かんでいたのを思い出すな。一時期、その培養層で鳥人間が出来たと騒ぎになったっけ。

 ふむ。家畜か。

 育てるのに餌が必要になるが、その分栄養はたくさんあるはずだ。適切に育成が出来れば、畑より効率はいいかもしれない。

 なるほど、これはいいかもしれない。

 あー、でも、この辺りって放牧とか出来るのか? たしか放牧って、その辺の野原の草を家畜に食べさせるんだっけ? 特別な草……じゃなくていいんだよな。

 そういや、この辺って怪物(モンスター)に襲われたりしないのか? 放牧は危険かな? でも、それが出来ないとなると、食べさせる餌として畑でとれた飼料が必要になるな。いちいち飼料を買うとかないだろうし。

 ん?

 つまり、結局は畑が必要になるのか?

 

 ……え?

 農業の発展って無理じゃね?

 

 

 一応、最後の希望は薬草か。これはトブの大森林で採るから護衛さえいればいい。前もって必要とするものが要らない。

 

 そこでエンリに、この前あげた〈子鬼(ゴブリン)将軍の角笛〉を一つ使わせてみた。

 すると、どこからともなくわらわらとゴブリンの集団が現れた。遠巻きに見ていた村人たちが悲鳴を上げて建物の陰に隠れる。

 ユグドラシル時代は、ただ画一的なグラフィックの雑魚どもだったが、こうして現実としてみると、一体一体個性があるな。

 そいつらが全員整列して「エンリの(あね)さん、よろしくお願いしますっ!」と声をそろえたのには吹き出してしまった。

 真似してエンリに「エンリの姐さーん」と言ったら、顔を赤くして恥ずかしがっていた。

 そうしてからかっていたら、ゴブリンの中でも体格のいいリーダー格が「おうおう、誰だか知らんが、姐さんに失礼な口きいてんじゃねぇぞ」と凄んできた。

 まあ、俺はステータスを隠蔽する常時発動型特殊技術(パッシブスキル)があるから強さが分からないのは仕方がないけどな。

 俺が何かする前に、ソリュシャンに即行でしめられていたけどな。

 ただ、お付きの者が強いだけだと思われていると後々なめられたり面倒そうなので、ちょっと力を見せることにした。そいつの襟首をちょいとつかみ、そのまま真上に10メートルくらい放り投げてやった。ちゃんと藁の山の上に落ちるようにしてやったから怪我はないようだったが、それを見てゴブリンたちは俺を怯えと敬意の眼で見るようになった。

 ただ、それを見ていたエンリやネム、村人たちもそんな目で見るようになった。怯え分の方がかなり強くだが。

 なんだか、今までより微妙に一歩分距離をとられるようになった気がする。

 

 

 とにかく薬草を取りに行こう。

 エンリ+ゴブリン集団と一緒に森の中へ。

 

 しばらく森の中を進むと、「この辺りです」と言われた。

 うーん。たしかに何か色々な種類の草がたくさん生えている……ようだ。判別できん。

 周辺の気配を探ってみるが、特に危険そうな存在は感じない。エンリに聞いてみると、この辺りはめったに危険な動物や怪物(モンスター)が現れない安全なポイントなんだそうな。その代わり、よく来て採ってしまうためにあまり一度に量は取れないらしい。もっと森の奥に行くと、あまりそこまで行って採る人間がいないために、大きく育った薬草がたくさん採れるとの事。だが、その辺りまで行くと怪物(モンスター)に遭遇する危険が増すし、下手をすると『森の賢王』と呼ばれる強大なモンスターの縄張りに入ってしまう危険性があるのだそうな。

 まあ、安全なポイントらしいし、俺とソリュシャンで警戒していれば敵の接近も察知できるだろう。

 戦闘もなさそうで暇だし、薬草取りでも手伝うか。

 エンリが「この草を集めてください」と一本の草を手にとって見せてくれる。

 

 草だな。

 何の変哲もない草だ。

 どうやって、見分ければいいんだ?

 「ええと、この葉っぱの先の形が――」と説明してくれるが、なぜだかよく理解できない。

 ゴブリンたちの方を見ると、彼らも分からないようだ。

「これですわ。ベル様」

 そう言ってソリュシャンが何かの草を手渡してくれた。じいっと見るが、何か違和感が。

 足元に生えていた草を一本引っこ抜く。

「ええと、これとこれは同じヤツ?」

 ソリュシャンはちょっと困った顔で「違いますわ」と答えた。エンリの方を向くと、彼女もうなづいている。

 だが、ゴブリンたちに見せると全員一様に首をひねる。見分けがつかないようだ。

 手にした二つの草を並べてよく見ると、なぜだかはっきり見えない。草があるのは分かるのだが、見分けようとエンリに言われた葉先などの細部に目を向けると、不思議なことにそこがぼやけて見える。

 

 一体なんだ、これは?

 原因はさっぱり分からないが、とにかく俺とゴブリン連中は戦力外らしい。エンリとソリュシャンが薬草を摘むのをボーッと見ている。

 

 しばらくそうしていると微かな気配がした。そっとソリュシャンに〈伝言(メッセージ)〉で合図をし、ソリュシャンの身体の中にしまっていたフローティングウェポンを飛ばす。狙いたがわず、木陰にいた野兎に命中した。

 このフローティングウェポンの管理にも頭をひねった。ずっと浮かべておくのも面倒で邪魔だし、アイテムボックスにしまっておくのもちょっと問題がある。毎回、使用するたびにアイテムボックスから取り出していると、アイテムボックスを開く、武器を取り出す、武器を飛ばすといった工程を行わなくてはならないため、即応性に欠けてしまう。そこで、そのうちの何個かをソリュシャンの体内にしまっておく方法を思いついた。粘体(スライム)のソリュシャンは身体の中にアイテム等をしまっておけるため、瞬時に、そして意表をついて攻撃できる。護衛として常に誰か一人つけていなきゃ駄目だと言われていたから、それもちょうどいい。

 草をかき分け、仕留めた野兎を掴み上げて振り向いたら、全員が唖然とした表情を浮かべていた。まあ、見た目的にはソリュシャンの整った美しい顔面から、突然に剣が飛び出したように見えるしな。

 

 とりあえず、薬草採取は出来たし、狩りも成功したから帰るか。

 帰りがてらエンリと話す。今の季節にここで採れる分はこれで終わりだそうだ。ただ、護衛があればもっと奥まで採りに行けるかもしれない、との事だ。

 うーん。奥まで採りに行けるのはいいけど、自然のものだと採ったらそのうち無くなるんだよな。ある程度の期間をあけて、今回はここ、次はあそことローテーションを組めば枯渇はしたりはしないのか? いっそ、栽培とか出来るといいんだけど。野草だと環境さえ合えば手入れもいらないんだよな? たぶん。

 なにかマジックアイテムで森の環境をそのまま建物の中に再現するとか……。さすがにカルネ村にそんなマジックアイテムを使うのはもったいないけど、第6階層に薬草植えとくとかはいいかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、村へと帰りついた。

 村の入り口に護衛として残していったデスナイトに異常はないか聞くと、異常とは何かと聞かれた。普段とは違った事だと答えると、普段の村の状況が分からないのでどんな状況が普段と違っているのか分からないと言われた。

 あー、もう!

 じゃあ敵は来たか、と聞いたらと来たという。

 

 ――えっ? 来たの!?

 

 デスナイトの足元を見ると、従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となったネズミが何匹かちょろちょろと走り回っていた。とりあえず、そいつらは片づけておくように指示して、そのまま立たせておいた。

 

 じゃあ、この野兎を解体しよう。

 やり方は本で見たことがある。確かこう、足首の周りに切れ目を入れて……ん? なんだか、視界が暗く――

 ――ザシュッ! 気がついたら、ダガーが兎の腹を半ば貫いていた。

 

 ……なんだ、今の?

 

 それを見ていたラッチモン――村の野伏らしい――が代わってくれた。

 慣れた手つきで皮をはぎ、内臓を切り取って、肉を切り分けた。皮は大きく傷がついたので売り物にはならないが、なめして自分たちで使う分には何とかなるし、膀胱を切り裂いてしまったが良く洗えば食べるのには問題ないそうだ。

 

 しかし、気になるのは先ほどの事だ。何故だか、皮を剥がそうと刃を入れたあたりで意識が途切れるような感覚がした。なんだか、以前も似たような感覚があったような……。

 

 そうだ!

 この前、村を襲った騎士。あいつの腹を切り開こうとしたら、同じように意識が朦朧として、気がついたら大きく切り裂いてしまっていたんだ。

 肉を切り裂くと意識が途絶える? しかし、腕を切り刻んだ時は何ともなかったよな。足とか引きちぎった時も。あの時、腹膜を割いて内臓をひっぱり出してみようとしていたんだよな……。

 

 ん?

 もしかして――『解体』しようとしたからか?

 

 今回、兎を毛皮と食肉に『解体』しようした。前回は、人間の内臓を見てみたいという好奇心から『解体』しようとした。

 考えられるのは――職業(クラス)技術(スキル)の有無。

 あり得るかもしれない。

 何故だか分からないが、この世界はゲームの技術(スキル)や性質を受け継いでいる謎の世界だ。レンジャーの職業(クラス)や何かそれ関連の技術(スキル)あたりがないと『解体』と判断されることが出来ないとか? レンジャーか……。たしかアウラが持ってたな。後でアウラに出来るかどうかやらせてみるか。

 

 技術(スキル)の有無か……。

 エンリが畑仕事をするというので、ゴブリンたちが手伝う様子を観察してみた。ゴブリンたちは力があるので草むしりや刈った草の運搬などは手伝うものの、芽欠きや育苗などの細かい作業は出来ないようだ。ファーマーの職業(クラス)辺りがないと出来ないのだろう。しかし、細かい作業は出来ないものの、成人でも骨の折れる力仕事を肩代わりしてくれるために、女子供のエンリとネムしかいないエモット家にとってはものすごく助かっているようだ。あいつらがいれば、とりあえず、エンリたちは大丈夫だな。

 

 ……。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………あれ?

 

 

 ――俺、いらなくね?

 

 この村を発展させようと思ったのに、使えそうな職業(クラス)技術(スキル)がない。単純に力仕事を肩代わりするくらいしか出来ることがないぞ。

 

 いや、待て!

 考えてみよう。何かできることがあるはずだ。確かに、畑仕事を始めとした細かな作業は出来ない。だが、さっき野兎をとったように狩りとかはできるじゃないか。狩っても自分では解体できないけど。あ、それに下手に森で狩りをすると、『森の賢王』を刺激するから拙いんだっけ。それに畑の方を何とかしようと思っていたのに、畑のものは狩りでは取れないし。

 

 ……狩り……穀物……森以外……。

 

 おお、そうだ!

 良い案を思いついた!

 

 

 ――穀物を持っている者から狩りをすればいいじゃないか!?

 

 

 うん。きっと街道とかを見張っていれば作物を輸送する馬車とかが通るだろう。そいつらを狙えばいい。いっそ、生産している農村の方を狙ってもいいな。そうして、周辺の穀物を一手に牛耳れば、穀物価格も上がる。そうすれば手に入れた穀物を売ることで、カルネ村の財政も潤うだろう。

 考えれば考えるほどナイスな案だ。

 さっそく、アインズさんに相談してみよう。

 

 

《駄目に決まってんでしょうが!?》

 

 怒られた。

 

《なんで、いきなりそんな話になってるんですか?》

《いや、だって、それ系の職業(クラス)技術(スキル)持ってないとなんだか手も足も出ないみたいなんですよ》

《武装関係だけじゃなく、通常の行動も制限を受けるってことですか?》

《ええ、試しにちょっと狩りで捕まえた動物を解体しようと思ったら、なんだか一瞬意識が遠くなってですね。気がついたらざっくりとやってしまっていました》

《ふむ。なるほど》

《まあ、そういう訳でして、そういうのが無いと生産関係とかも出来ないみたいなんですな。なら、持ってる奴から奪ってしまえばいいじゃないですか》

《……ひゃっはーとか叫びながら、村人から種もみを奪ってる光景しか想像できませんよ》

《うん。あいつら、正しかった。子供の頃に読んだ時は、村人から無理矢理奪うより自分で畑仕事すれば確実でそっちの方がいいじゃんとか思ってた。けど、何か月もちまちま農作業して、自分では何ともならない天候とかの心配して、うまく作物が出来るかどうかは割と運しだいとかやってられない》

《だからと言って、略奪とかは止めてください。よその作物奪ったら、そっちの人たちが困るでしょ。蛮族ですか、アンタ?》

《昔の偉い人は言いました。『ゴマと農民は絞れば絞るほど出る』、『折れた足をいじられると、彼は痛いが、わしは痛まない!』》

《とーにーかーく! 駄目ですよ! ガゼフがカルネ村に来た理由を忘れたんですか? この辺の村を襲っている連中の討伐に来たんですよ。我々が村を襲ったら、ガゼフが我々を討伐しに来るじゃないですか。王国を敵に回しますよ》

《む。今、ピーンときましたよ》

《今度は何です?》

《ガゼフが言っていましたよね。この辺りの村を騎士が襲撃していたって。という事は、カルネ村の近くには襲撃されて廃村になった所があるはずです。そこに行って、使えそうなものを漁ってきましょう》

《まあ、それくらいなら。一応、盗んだことにはなるんでしょうが……》

《いえ、我々は使える資源を保護しに行くんですよ。リサイクル。環境にやさしい》

《分かりましたから。くれぐれも慎重に。下手に目撃者とかに噂立てられないように気を付けてくださいね》

 

 ソリュシャンやエントマらを連れて、襲撃された村を探しに行く。

 この前、カルネ村を襲った陽光聖典の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の持ち物から、周辺の地図は手に入っていた。そして、その地図には5か所に印がつけられ、そのうち4か所はバツ印で消されていた。バツ印がつけられていなかった唯一の場所がカルネ村だった。という事は、このバツ印の場所が襲撃された村なのだろう。村長に周辺の集落の位置を聞いてみたが、やはりそのうちのいくつかが印の場所に重なっていた。

 念のため、印がついておらず、村長から場所を教えられた村を遠目から観察してみたが、何事もないように人が生活していた。

 次に印のある場所へ行ってみる。家々は焼け落ち人の気配のない廃村があった。

 日が暮れるのを待ってから、シモベたちに辺りを捜索させる。わざわざ家の地下室にまで油をしみこませてから火をかけたようで、使えるものは限られていた。

 食料は保存食がわずか程度しかないし、金目のものはとっさに地面に埋めたような形跡のある物しかない。

 

 ん? こんなもんか?

 

 気になって、アサシン持ちのソリュシャンに周囲を調べさせる。

 案の定、比較的新しい複数の足跡があった。焼け跡の上についていることから、すでに先客がいたらしい。

 

 ソリュシャンに足跡を追跡させる。どうやら馬で移動しているらしい。だが、こちらは馬よりは速く走れるし、夜の闇などどうという事はない。しばらくすると、火の明かりを見つけた。ここは地図上で印がついていた別の場所だ。

 こっそり近づくと、お楽しみの最中らしい。装備がバラバラの連中。だがガゼフの部下たちとは明らかに違う。まともに手入れもしていない武器防具。伸ばし放題のヒゲ。なにより、強さを追い求めつつも自らの強さを律するのではなく、ただ暴力に酔った獰猛な気配を漂わせている。

 

 第一『ならず者』発見!

 

 酒の飲み、笑い声をあげながら、若い女をソフトな表現で言うと『暴行』している。『乱暴』しているか? まあ、どうでもいいや。無造作に出ていき、上から頭を叩くと頭部が体にめり込んだ。突然の事にそいつらが呆然としているが、わざわざ正気を取り戻す間を与えるのも時間の無駄だ。適当に殴る蹴るして半殺しにする。何人かは死んだがどうでもいい。手をへし折った奴の襟首をつかみ、話を聞く。最初は混乱して喚き散らし、話すどころではなかったが、足もへし折ったら話をする気になったらしい。

 やはり、こいつらは野盗らしかった。たまたま襲われた後の村を見つけたので、残されたものを漁って移動したらしい。集めたものを出すように『お願い』したが、渋ったので鼻を引きちぎったら、全部の置き場所を教えてくれた。

 シモベたちに回収させていると、ボロボロの服というか端切れを身に纏った、先程『乱暴』されていた娘がひざまずいて感謝の言葉をかけてきた。年齢的にエンリと同じくらいかな。なんでも、この娘はこの村の者で、村が騎士に襲撃された際、両親とともに幸運にも逃げだせたらしい。だが、騎士たちがいなくなってから村へ戻ってきたところを野盗たちに捕まり、父親は面白半分に殺され、母親はさんざん嬲られた後に同様に殺され、娘の自分ももう少しで後を追うところだったらしい。そう涙ながらに語った。

 話を聞いている間に、食料や金の回収が終わったようだ。

 生きている奴は貴重な情報源として、死体はスタッフが美味しくいただくためにナザリックに運んだ。この娘は、自分のお付きをやってくれているご褒美にとソリュシャンにあげた。目撃者残ると困るし。

 

 トラブルがあったのはそれくらいで、夜が明ける前に全地点の調査、回収を終えることが出来た。

 食料は結構燃やされていたものの、そこそこ集まった。家畜は十数頭程度。死んだほかにどこかにいなくなったのもいるんだろう。まぁ、野生で生きてはいられないだろうが、さすがにそいつらを全部探すのは骨が折れる。金は銅貨が10,000枚程度。でも、結構ある気もするけど、金貨だと100枚にしかならないんだよな。

 

 とりあえず、カルネ村近くまで運び、そこで拾ってきた荷馬車に食料を載せ、家畜たちを連れてソリュシャンと戻ると村の人にはたいそう驚かれ感謝された。金だけは今後の活動資金としてポッケないないしておいたが。

 連れてきた家畜の餌は回収してきた穀物でもなんとか賄えるだろう。と思っていたら、なんでもこの辺りは放牧が可能らしい。基本的に『森の賢王』を恐れて怪物(モンスター)が森を出てくることは少ないし、まれに出てきた場合も家畜を放牧していると、そちらを襲って食べて満足して森に戻るので、かえって村が安全なんだそうな。そして、味を占めた怪物が再び森を出てくる前にエ・ランテルに行って兵士なり冒険者を頼むらしい。結構、考えてるんだなぁ

 

 うーん。

 でも、この回収って一回だけでこの先続けられるわけでもないんだよな。再び、やる事がなくなってしまった。

 どうしようか?

 もう一度、アインズさんに相談してみるか。

 

《もしもし、カルネ村への集めた穀物とか家畜とかの輸送終わりましたよ》

《お疲れ様です。野盗とかありがとうございました。みんな、美味しいって喜んでましたよ》

《そりゃ良かった》

《それで例の職業(クラス)技術(スキル)の件ですが、私も試してみましたよ》

《何やったんです?》

《料理です。ただ肉を焼いてみただけだったのに、肉を火にかけてから黒焦げになるまでの記憶がないんですよ。傍にいたメイドの話ではその間ピクリともしなかったらしいですが》

《おお、微妙に怖いですね。……どこからが『料理』になるんでしょうね? この前〈焼夷(ナパーム)〉で騎士達を焼きましたけど、あの時、意識飛んだりしなかったでしょ?》

《む? 確かに……。ああ、それとベルさんの言っていた解体ですが、やっぱり私も駄目でした。解体しようとすると意識がなくなるんですよ。でも、ニューロニストは出来ていましたから、解体そのものが出来ないという訳でもないと思います》

《ははあ、なるほど。ニューロニストはレンジャーはないけど、ドクター持ってましたね。これ関係も実験してみないといけませんねぇ。ところで、回収終わっちゃいましたから、もうする事ないんですけど~》

《はぁ、そうですね。じゃあ、村の発展はとりあえず置いておくことにして、再び村が襲われないように防備を固めたらどうですか? ベルさん、建築とか罠作成とかは出来たでしょ》

《おお、それナイスです。盲点でした。ふつうこういうSLGとかって、ある程度資金稼いでから、その金で戦闘に使う施設とか立ててたんで。金を使わずに出来る物はやってしまっていいですね》

《ええ。いいですけど、あまりやりすぎないようにお願いしますよ。この前みたいに、村を襲おうとしたりとかの極端な行動は無しで、ほどほどにしてくださいね》

 

 さっそく、エンリのところに行って計画を話した。そういう事は自分だけでは……、という事なので村長のところに行き説明する。村長はすぐに許可を出してくれた。やはり、襲撃を受け命の危険に晒されたばかりなので、再度、同様に襲われないようにする対策は復興と並んで優先課題だ。

 

 とりあえずは村へ入る街道部分に塀や掘を作ろう。先ず塀だが、これには資材がいる。襲撃で住む住人がいなくなった家を壊して資材にしても、多少の足しにはなるが、すべて賄うことは到底できない。

 そこで森に木材を伐採しに行かせる。『森の賢王』のテリトリーを侵さないように、村から少し歩いた地点で木を伐採し運んでくる。そちらにはゴブリン隊を護衛としてつけた。

 

 そして俺は堀の方を担当する。

 デスナイトに街道脇の地面を掘らせる。元からの剛力に加え、さすがアンデッドだけあって、疲労もなく休憩など取らずに作業が出来るため、一気に作業が進む。まあ、俺もアンデッドだし、力はデスナイトよりあるし、そして技術(スキル)もあるため、俺が掘った分の方が早く出来たのだが。

 

 塀と空堀を組み合わせ、そして空堀の村側の部分に石垣を作ることで高さを稼ごう。石垣の組み方は本で読んだことがある。たしか、一番下に基礎となる大きなしっかりした石を置く。そして斜面の土の部分に細かく砕いた石をびっしり詰め、壁面になる側が出来るだけ平らで斜面側に向けて細長くなっている形状の石を組んでいく。本の記憶をたどりながらやっていくと、意外と崩れずにうまく出来た。

 

 ふと気になって、試しにデスナイトにもやらせてみたが、案の定、うまく積めずに斜面を大きく崩してしまう結果になった。やはり職業(クラス)技術(スキル)がないと駄目なのだろう。そこでデスナイトには石垣に使う石の調達作業とその石を割る作業をさせた。

 ついでにソリュシャンにもやらせてみたが……あれ? 手で触れると石積みが崩れてしまうため失敗は失敗なのだが、それなりに組めている。ん? ソリュシャンって特にそんな職業(クラス)技術(スキル)もなかったよな。なんで、それなりには出来るんだ? ……まあ、後で考えるか。ソリュシャンには作業中の警戒を命じる。まさかないとは思うが、何者かが襲撃してくる可能性もある。いきなり襲わず、建築が半ばまで進んだところで襲うというのも、襲撃のセオリーの一つだ。昔、自分たちでやった手口だが、こちらが同じことをやられたくはない。

 

 石垣積みに慣れてくると、形を整えたくなる。この段は右斜めに組んで、次は左斜めに組んでと色々やってみる。いい感じだ。次は石を平らに切り出して四角形にして積んでみようか。そんなことをやっていると、「あの……そろそろ休憩されては……」とエンリから声をかけられた。おや、と思って空を見上げると、日が昇っている。あれ? やり始めたときには夕方だったのに。ああ、そうかアンデッドだから疲労もないし、食事もいらないし、あと俺は暗闇でも何の不都合もなく見ることが出来るから、一晩中作業してたのか。

 掘から上がると、塀づくりも進んでいた。穴を掘って、切り出した木材をそこへ立てる。あまり掘に近すぎて石垣に干渉しないように最初から位置は決めていた。立てた木材を基礎にして、粘土でレンガを作って壁にすればいいか。

 ふむ。そうだな。いっそ、今ある道部分も削ってしまって跳ね橋にしてしまおうか。防御力は増すだろう。入り口も枡形門にしてしまおうか。まっすぐには村に突っ込めないように。あ、でも、外の畑に行かなきゃいけないから、あんまり通行に支障をきたすのも駄目だな。普段は普通に通れて、戦闘時には門の内側に応急の塀を立てられるようにしておくか。

 とにかく門の脇には見張り台。出来れば(やぐら)が欲しいな。向こうが攻撃できない所から一方的に攻撃するのは戦術の基本の一つだ。ぷにっと萌えさんもそう言っていた。

 しかし、となると遠距離攻撃が出来る武装がいるな。俺、武器製造とかは出来ないからな。村に弓とか作れるやつはいるのかな……?

 何か代用できそうなものとか……。

 

 おお!

 素晴らしいことが分かった!

 見張り台に何か作れないかと色々やっていたら、固定式のバリスタは作れることが分かった。

 どうやら設置型の武器は罠作成の範疇という事で作れるらしい。

 いい感じだ。この調子でいろいろやってみよう。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ええと、ベルさん。私、言いましたよね。『ほどほどにしてください』って」

「お、おう」

 

 ナザリックの執務室。アインズさんと二人、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を眺めている。

 

 鏡面にはカルネ村が映されている。

 一見のどかな田舎の村だが、そんな村にふさわしくないような奇妙な箇所がある。

 一部、異様な要塞化がされているのだ。

 村を囲む塀はレンガと漆喰で塗り固められた強固な壁で形成され、見張り台や(やぐら)が併設されており、矢挟間や石落としなどもぬかりなく作られている。そしてその外側は空堀と水堀、石垣が組み合わされた防御陣地となっている。

 そのような異様に強固な防御が、村へと入る街道の周辺部のみに設置されている。

 それ以外の部分は手つかずのまま、何の防御もされていない。普通の木の柵すらない。

 はっきり言うと、街道ではない地点を回り込むと、あとは何の抵抗もなくあっさりと村に侵入できる。

 

「なんでこんなちぐはぐな構造になってるんですか?」

「いやあ、さすがに防壁でカルネ村全体を覆うとなると手間がかかりすぎて。とりあえず、村へと入る道だけでもって約束だったんで、出来る範囲でやっていたらそんな感じに」

「ベルさん、まだこの世界の事はよくわからないから警戒が必要だって自分で言ってましたよね。憶えてますか?」

「も、もちろん憶えていますとも」

「現段階では情報が不足しているから、出来るだけ世界にとけこんで行動し目立つ行動は控えた方がいいだろうって言ってましたよね?」

「ええ……」

「じゃあ、なんです、これは?」

 

 鏡に映し出されたのは、中世ファンタジーとしては明らかに時代設定が間違っているだろうという代物。

 

「た、対空砲……」

「あなたはいったい何と戦っているんですか?」

「い、いや、荒野の村とかだとランダムエンカウントでドラゴンとか出てきたりもしますし」

「カルネ村の人たち、今までドラゴン見た事あるって言ってました?」

「……いえ……」

「じゃあ、いらないでしょう」

「いや、することなかったんですよ。堀とか石垣とかはただ地面掘ったり、その辺の石とかで何とかなりますけど、塀とか作るには木材が必要になって、そっちの調達待っている間が暇になって」

「木材? 木を切るのに問題が?」

「ええ、なにぶん木材を運ぶのが結構手間なんですよ。それも村からけっこう離れたところのを切って運ばなきゃいけないので。村人やゴブリンたちがやってるんですが、どうしても農作業の合間を縫ってやっているのでなかなか……。俺やデスナイトまでそっちに行ってしまうと、村の防御が手薄になりますしね。今もゴブリンの半分以上がそっちに取られてるんで、エンリのところの農作業も滞りがちですし」

「ふむ、そうですか……」

 アインズさんは腕を組んで考え込む。

「つまり、新たに力仕事出来る人手が必要なんですね」

「ええ、まあ」

「分かりました。では、ストーンゴーレムをカルネ村に派遣しましょう」

「えっ?」

「3体もいれば、とりあえずは大丈夫でしょう」

「ええっ?」

「ストーンゴーレムは疲労とかもありませんから、ゴブリンの数十倍の働きが出来るでしょう。そいつらに木材の運搬などの力仕事を担当させれば、ゴブリンたちはエンリの手伝いに回れますよね?」

「だ、大丈夫だと思いますけど……」

「では、そうしましょう。あと、なにか必要とかいうものはありますか?」

「えーっと、そうですねぇ。……ああ、そうだ。鍛冶技術がある人間がいないって言ってましたね。エンリがゴブリンたちの装備を何とかしたいって言ってたんですが、村にはそういう事出来る奴がいないんで、どうしようかって話をしてました」

「そうですか……。では、サラマンダーの鍛冶師も2体ばかり派遣しましょうか」

「ぅえええっ?」

「その方がエンリたちにとっていいんでしょう?」

「ええ、いいとは思いますが……」

「では、そうしましょう。さっそくシズ辺りにそれらの人員を見繕うように言わなくては」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 執務室の扉を閉める。

 そして、フムと首を傾げた。

 

 なんでアインズさんは、あんなにエンリ達に肩入れするんだろう?

 

 ついさっきまで、俺がやったことはやりすぎだって咎める感じだったのに、エンリの話が出たらガラッと態度が変わった。ストーンゴーレム3体に鍛冶スキル持ちのサラマンダー2体って、明らかにやり過ぎなんてレベルじゃないだろう。

 

 なにかエンリ達って、アインズさんの琴線に触れるような事ってしたっけ?

 

 一目ぼれ?

 まさか。

 アインズさんの好みはスタイルがいい年上タイプの女性のはずだ。外見だけなら、アルベドがばっちりストライクなはず。

 じゃあ、他に何かが……?

 

 今までのエンリとネムとの関わりを思い返す。

 正直、さほど多くはない。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉をいじっていて、二人を見かけたこと。二人を助けるために〈転移門(ゲート)〉で村へいった事。そして、初めての戦闘。怪我をしたエンリにポーションをあげて治してあげた事。村を助けた後で涙ながらにお礼を言ってきた事。そして、この前、ナザリックに招待した事。

 それらの光景を思い出す。そうして考えていると――ふと思い当たるものがあった。

 強烈な印象を与えた出来事が。

 

 ふむ。

 そうか、なるほど。あれか! 

 そういう事だったのか。ようやく納得がいった。

 

 アインズさん、あなたは――。

 

 

 

 

 ――着衣失禁フェチだったんですね。

 

 

 

 

 さすがに、このことはアインズさんの名誉のために、アルベドやシャルティアには秘密にしておこうと思った。

 

 じゃあ、シズのところに行こう。今頃はアインズさんからの〈伝言(メッセージ)〉でカルネ村に送る要員を集めてるはずだ。そいつらが来たら、一気に仕事が進むぞ。

 そうして俺は、これからカルネ村に作る城壁の構造をシミュレートしながら、廊下を歩いていった。

 




アインズ「なんだかどこかでものすごく名誉を棄損された気がする!」


ちょっとしたギャグパートのつもりが、なんだか長くなってしまいました。


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第二章 エ・ランテル編
第11話ー1 前準備ー1


捏造設定の説明やいただいた感想にありました疑問の解説などを入れていたら、とても長くなってしまったので2つに分けました

2016/5/21 「開けていることが」 → 「空けていることが」 訂正しました
2016/10/7 小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/11/18 「態勢」→「体勢」、「性癖」→「性的嗜好」、「介することなく」→「意に介することなく」 訂正しました


「私、冒険者になって、世界を旅して回ろうと思ってるんですよ」

「何、言ってんですか、アンタ?」

 

 夫は40代にして上場企業の管理職を務め、郊外に20年ローンのマイホームを購入。子供は高校生と中学生の二人。これから高校、大学と授業料がかさむため、少しでも家計の足しになればと、パートに励む日々。そんな中、突然、夫に「お父さん、会社を辞めて田舎で農業を始めてみようと思うんだ」とか聞かされた40代主婦のような視線でベルはアインズを見た。

 

「いえね。やはり現地の情報を仕入れるには、人の多い街とかで過ごしてみるべきだと思うんですよ」

「はぁ、なるほど。……で、本音は?」

「ナザリックの最高責任者ってつらい! いつも周囲に人がいる生活に耐えられない! 俺も息抜きがしたい!」

 そう叫んで、机に突っ伏し、頭を抱えた。

 やれやれと思いつつも、アインズさんの気持ちもわかる。

 

 ベルとアインズでは立場が違う。

 

 ベルはアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの娘という設定だ。ナザリックの者達には丁重な扱いを受け、かしずかれているが、あくまでNPC達に至高なる御方と呼ばれているギルメン本人という扱いではない。分からないことは聞いてもいいし、適当にぶらぶらしていてもいい。仕事もそれなりでいいし、ソファーに寝っ転がってお菓子を食べていても、特に何も言われない。あまり度が過ぎると、セバスからやんわりとした注意(長時間のお小言)を受けるが。

 

 それに対して、アインズの生活は全く違う。アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー、至高の41人と呼び表される者たちの頂点であるギルドマスターである。知らぬことなどあってはならないし、常に王としての威厳を保ち続けなければならない。当然、暗殺等を警戒して、常に護衛の者が複数張り付いている。唯一、護衛の目から離れ、支配者ではなく素で話が出来るのは、こうして執務室でベルと話しているときだけである。

 そのベルは、最近、カルネ村開拓でナザリックを空けていることが多い。

 つまり、息抜きできる時間が全くないという事だ。

 

「ベルさんばっかりずるいですよ! カルネ村の開拓、楽しそうじゃないですか!?」

 

 それをいわれると、ちょっと弱い。

 実際、凄い楽しかった。

 何をやれるのか手探り状態だったが、今まで見たことのない美しい自然の中で、自分の好きなようにやれるのは最高だった。それにゲームキャラの肉体を手にしたことも素晴らしい。少女の姿にこそなっているが、体力、筋力、瞬発力はリアルの普通の人間とはケタ違いだ。それにキャラクターの特殊能力によって疲労もしない。いくら走り回っても息切れもしないし、ずっと本を読み続けても目が疲れない。カルネ村の防御陣地の作成も、もともと模型製作は好きだったが1/1模型を組み立てているような感覚だった。それに本来なら石や木などの資材を持ち上げるのに、大の大人が数人がかりかもしくは重機でも必要なところを、片手で軽々と持ち上げられる。いちいち計画を立てて、他人と相談して進めなくてもよく、自分の気の向くままに作っていい。正直、この世界で生きていくためには警戒が必要と言っていたのを、ついうっかり忘れかけるくらいだった。あまりにはしゃぎ過ぎて、アインズさんにストップをかけられる程だった。

 

 そんな光景を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見ているだけだったアインズさんの心境は容易に想像できる。

 自分も外で活動してみたい。気楽にあれこれやってみたい。だが、立場上、二人一緒に仲良く開拓とかはしてられない。

 

「うーん。そうですね。まあ、正直、カルネ村だけでの情報収集には限界を感じていたところですし」

 

 最初は、あの法国とかいう連中がまた何か仕掛けてくるかと思っていたのだ。

 行動には複数の目的を持たせることがある。ガゼフは自分を始末するためと言っていたが、なにかそれ以外にも、この周辺を荒らす事により達成される目的があるのかもしれない。再びこの近辺に、さすがに同様の襲撃部隊を送るとかはなくとも、何が起こったのか調べるための斥候くらいはやってくるかもしれない。

 そう考え、カルネ村周辺に警戒網をしいておいた。前回は情報をとる前にほとんど殺してしまったが、今度は捕まえて世界の情報を手に入れよう。

 

 そう思っていたのだが……。

 

 ……来ない。

 

 まったく。

 

 本当にガゼフを殺すためだけにあれだけの事をやっていたのだろうか?

 ガゼフって、そんなに重要人物だったのか? 自分では国の重鎮って言ってたけど。

 

 とにかく現在のカルネ村を中心とした警戒態勢は少し緩めていいだろう。

 もう少し、調査の手を広げてみるのもいいだろう。

 だが――

 

「――でも、そうするとやる事、山積みですね。アインズさんがいない間のナザリックの防衛。人間の街で過ごすアインズさんのバックアップ体制。常に行動を共にする者と、陰ながら支援する者に分けたほうがいいですか。ふむ、そうですね。どうせなら、もう少し世界の調査の手を広げてしまってもいいかもしれませんね。そちらで情報が手に入れば、しっかりとした情報網が築ければ、冒険者になったアインズさんにも有利に働くでしょうし……」

 ぶつぶつとつぶやいて声に出しながらベルは考えをまとめる。アインズは固唾をのんで、その様子を見つめていた。

 

 そして――ベルは手を打ち合わせて宣言した。

「うん。よし、やりましょう!」

「おお、ありがとうございます」

「まあ、これからしばらく色々と前準備が必要なので、すぐにとはいきませんが」

「ええ、構いません。よろしくお願いします」

「はい。任せてください。ところで、人間の街に行くってことですけど、アインズさん、その姿どうするつもりですか?」

 

 言うまでもないが、アインズの外見は骸骨だ。

 棺桶に入っているでもなければ目立つことこの上ない。

 

「ああ、〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で全身鎧(フルプレート)でも作って着ようと思ってますよ。常に鎧を着ている戦士という事で」

「ああ、『ダークウォーリア』ですか」

「その名前はちょっとどうにかしようと思ってますが……」

「ははは。ではアインズさんが戦士に偽装して活動するという事で、パーティとかも考えなきゃなりませんね」

「その辺は最小限でいいですよ。あまりぞろぞろというのは……」

「ああ、そうですね。それが嫌で行くんですものね。じゃあ、だれか厳選しなきゃなりませんね。ふぅむ。誰がいいですかね? アインズさんは戦士なうえに顔を隠している。と、なると、代わりにコミュニケーションの取れる人物の方が……」

 コンコンコンコン。

「うん。まあ、いいでしょう。何とかしましょう。ママに任せなさい」

「わーい。ありがとー、ママ―」

「ははは。よーし、ママ、頑張っちゃうぞー」

 

 バサバサバサッ。

 

 書類が床に落ちる音が響いた。

 視線を巡らせてみると、手にした書類を床に落とした姿勢のまま、執務室に入ってきたアルベドが硬直していた。

 

「アインズ様! 申し訳ありません! まさかアインズ様がそのようなプレイをご希望だとは露知らず! もちろん、アインズ様が御望みとあらば、このアルベド、どのような性的嗜好でも受け入れる所存にございます! まずは哺乳瓶ですか? それともよだれかけから!」

「ちょ、ちょっと待て! 落ち着くのだ、アルベド!」

 

 その後、アルベドが落ち着くまで、20分程かかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 カルネ村から、歩いて30分。

 あくまでベル基準でだ。

 直線距離ではなく、曲がりくねった山道を歩くため、通常はもっと時間がかかる。更に普通の人間なら、疲労や勾配、更にはこちらを狙う怪物(モンスター)に警戒して、数倍はゆうに時間がかかるだろう。

 とにかく、カルネ村から結構離れたトブの大森林内。そこに小さな湖があった。池というよりは大きく、かろうじて湖と言えるだけの大きさの水がたまった場所。名前すらついていないその水辺に、ベルとソリュシャンがいた。二人とも、自分の姿を隠す魔法が付与されたマントを身に着けている。

 周囲に知的生物がいないのを確かめてから、ベルは自分の特殊技術(スキル)を発動した。

 

 〈戦慄のオーラ〉

 

 アインズの保有している〈絶望のオーラ〉のように、たとえ高レベルになったとしても、致命的な効果は発しない。せいぜいが、ほんの少し恐怖を感じることでステ―タスがわずかに低下するといった程度だ。だが、効果が大してない代わりに、高レベルキャラでも抵抗(レジスト)しにくいという特徴を持っている。まあ、だからといって高レベルキャラに使用しても、元のステータスと比べれば誤差レベル程度にしか下がらないし、低レベルキャラに対しては、わざわざそんな特殊技術(スキル)を使う意味がない。実際にはたいして使い道のない雰囲気スキルだ。

 だが、ユグドラシルではそんなどうでもいい特殊技術(スキル)でも、この世界ではそれなりに使い道はある。

 うっかり全開にしないよう気を付けて弱い威力で特殊技術(スキル)を使うと、漂うわずかな恐怖の感覚を敏感に感じとり、周囲の森から生き物たちが離れていくのが気配で分かった。

 しばらく待ち、完全に動物や怪物(モンスター)がいなくなったのを確認してから、ベルは一つのアイテムを取り出した。

 

 〈VAULT XXX(ボルト・トリプルエックス) (ダンジョン-大)〉

 ユグドラシルの課金アイテムである。

 かつてユグドラシルではギルド拠点を作る際、既存の場所、施設を拠点と決め、そこを自分たち好みに改造するというやり方だった。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点であるナザリック地下大墳墓もかつては一ダンジョンでしかなく、そこを占拠後、皆で手を加え、現在のナザリックへとなったのだ。

 だが、当初はそうやって各地にある場所を早い者勝ちでとっていけばよかったのだが、そのうち問題が起きた。ユグドラシルのプレイ人数が増え過ぎ、それに伴いギルドも大量にできたため、ギルド拠点に出来るような施設が足りなくなってきたのである。

 ユグドラシルの世界は広大であったが、見栄えがする特徴的な施設、色々と利便性のいい場所、防御に適した堅牢な箇所などにはやはり人気があり限りがあった。

 そして早期にやり始めたプレイヤーたちがすでにそこを拠点としてしまい、後発組はなかなか良い拠点が得られなかったのだ。良い施設を持っているギルドを滅ぼして、自分たちがそこを奪うという事も可能であったが、各種レアアイテムをそろえ、ゲームにも習熟した先行組のギルド拠点を攻め滅ぼすというのはあまりにも難易度が高いことであった。

 そこで、運営が用意したのが施設作成アイテムである。これを使うと指定した場所に特定の施設が出来、そこをギルド拠点などに利用することが出来るというアイテムである。出来る施設は任意で選べるために、これを使ってダンジョンなり、高い塔なり、鳥の足がついた家なり、空飛ぶ円盤なりを作ってギルド拠点とすることが出来た。また、ギルド拠点とする以外にも、自分好みの空間が作れるとあって、すでにギルド拠点を持っているプレイヤーたちも購入し、ギルドと関係ない場所に別荘を作ったり、共用のイベント用施設を作ったりなどという事にも使われていた。

 

 ベルが手にしているのは、その〈VAULT XXX〉の中でも大きめのダンジョンを作る種類のものである。

 スイッチを入れ、コンソールを起動。入り口となる場所を指定。大まかな造りはあらかじめ決めていたが、現地の地形に合わせて微調整する。ダンジョンの内装はデフォルト設定で10通りから選べるが、その中から石造りの地下神殿を選ぶ。ちなみにデフォルト設定以外の内装にしたい時はさらに別の課金アイテムが必要になる。

 『決定』をクリック。

 かすかな振動が起き、無事『complete』の表示が出た。たまに、これで施設を作ろうとした場所に何か別のものがあったりすると、この場所には作れないという事で『error』が出るのだが、そんなこともなく上手くいった。

 ベルは安堵の息を吐き、初期設定を行う。

 ギルド拠点にするわけでもないから、たいして面倒な作業はない。数分で作業が終了した。

 

 山の斜面、湖の水面ギリギリに空いた洞窟。崩れかけた石造りの迷宮は、入ってすぐ斜め上方向へと向かい、家一軒分も上がったかと思うと、その後は緩やかにカーブを描きながら下方へと降りていく。一応、水辺にあるという事で水没しないように入ってすぐのところはそうしておいた。内部の広さ的にはナザリックの第一~第三階層分くらいはある。それくらい広ければ、とりあえずはいいか。

 ギルド拠点として登録すると低レベルPOPモンスターの無料湧きやNPCの作成とかもできるが、それはなし。アンデッド作成で作ったアンデッドでも中に送り込めば十分だろう。

 ちなみにギルド拠点にしなくても、POPモンスターの設定は出来る。課金が必要だが。

 NPCの作成もできる。課金が必要だが。

 

 むしろ、今でもギルド登録や課金は出来るのだろうか?

 気にはなるが、下手なことをしておかしなことになるのも嫌だったので、試しはしなかった。

 

 

 ベルが作っているのは、ナザリックのダミーだ。

 

 ナザリックがこれから活動を広げていくにあたって、いくら幻覚や偽装で誤魔化しているとはいえ、本格的に捜査されたらそのうち発見されるだろう。

 そうなればナザリックに攻め込んでくることも考えられる。

 今のところ、大して強い者には遭遇していないが、たとえ弱くとも波状攻撃を受ければ戦力は少しずつでも磨り減るし、現地の戦力の最大がどんなものなのかはまだ不明。そして、こちらはアインズ・ウール・ゴウンのフルメンバーではなく、たった二人だけだ。

 そう簡単に陥落するとは思えないが、かと言って、攻撃を受ける可能性をそのままにしておく気もない。

 そこで、ダミーを用意する。

 ナザリックがある近郊につい最近、偶然にも地上に通じたように思えるようなダンジョンを準備しておく。入り口はやや発見しづらく、かと言って全く見つからないわけでもなく、すこし注意してみれば発見できるくらいにしておくのもポイントだ。見つけにくいものを見つけた瞬間、探していた人間は自分の考えは正しかったと思い、それ以上の事は考えずに目の前のものに飛びつくものだ。

 まさか、比較的近くにそれ以外の、より隠された別のダンジョンがある事は思いも寄らないだろう。

 ダミーダンジョンへの攻撃に際し、こちらの戦力だけで迎撃できればよし。仮に抵抗できずに攻略された場合は、ナザリックとの関係を疑わせるものを廃棄して、襲撃者がいなくなるまで息をひそめていればいい。被害はダミーダンジョンだけで終わる。そして、そいつらがどんな連中なのか、どんなバックがいるのか、ゆっくり調べればいい。

 ベルは満足そうに口元を歪ませた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ギンッ!

 金属がぶつかり合う硬質な音が響く。一瞬重なり合った二つの影が即座に飛びのき、距離をとった。

 ナザリック地下大墳墓。第六階層にある円形劇場(アンフィテアトルム)

 いま、その場でベルと第五階層守護者コキュートスが対峙していた。

 コキュートスが踏み込む。

 黒色のブロードソードが裂ぱくの気合と共に振り下ろされる。それをベルは手にした戦斧で受ける。

 コキュートスの攻撃はそれで終わらない。上下左右、あらゆる方向から凄まじい連撃が襲い掛かる。

 はたから見ると、2.5メートルもの巨躯を誇るコキュートスの攻撃が、1.3メートルほどしかない小柄なベルに襲い掛かる光景は、もはや戦闘ではなく、強者による弱者のリンチとしか思えない。

 だが、ベルはその攻撃を受け止める。

 重量のある斬撃を受け流すことすらせずに、すべて正面から一歩も下がることなく防ぎきる。

 

 ベルは口をゆがめた。

 間合いを詰めることが出来ない。

 コキュートスは圧倒的なリーチの差を生かし、ベルを近づけないように攻撃を続ける。

 ベルがわずかに踏み出せば、その分、コキュートスも後ろに下がる。ベルがわずかに退けば、その分前ににじり寄る。

 常にこの間合いを維持するつもりなのだ。確かにこの間合いは、コキュートスからすると振り下ろす剣に最も体重をかけやすい位置。そして、ベルからの攻撃が届かない位置だ。この距離をキープされればベルは何もできない。

 そこでベルが動いた。振り下ろされた刃に、逆に下から刃を叩きつける。驚くべきことに、その一撃でコキュートスの身体がわずかに浮き、その体勢が大きく崩れた。

 その隙を狙って距離を詰める。

 

 しかし――

 

 〈穿つ氷弾(ピアーシング・アイシクル)

 コキュートスはその身の4本の腕のうち、使用していなかった下の2本の腕を使い、瞬時に魔法を使う。ベルの身体めがけ、人間の腕程もある氷柱が何本も襲い掛かる。

 〈穿つ氷弾(ピアーシング・アイシクル)〉を防いでも避けても体勢を整える時間が稼げる。

 だが、ベルの行動は予測を超えていた。

 ベルがとった行動はその手の戦斧をコキュートスの顔面めがけて投げつけることだった。とっさの事に手にした剣で払ったが、そのせいで体勢を整えるどころではなく、さらに大きく崩れた。

 そして、襲い掛かる氷柱に対しては、さらに加速をつけて突っ込んだ。幾本かは体に当たり砕け散ったが、幾本かはその身を貫き身体に突き刺さった。しかし、ベルはそのことを一向に意に介することなく突き進む。

 

 そして、ついにコキュートスを間合いにとらえた。

 ベルの空の手に、背後からフローティングウェポンが飛んでくる。

 手にしたのは鎚鉾。

 それを力の限り振りぬいた。

 とっさに下の手で防御するコキュートス。だが、ベルの一撃はその防御ごと打ち貫き、コキュートスの巨体が空へと吹き飛ばされた。

 しかし、コキュートスは吹き飛ばされながらも、手にしたブロードソードを横なぎに払った。力を込めて振りぬいた体勢のベルには避けるすべがない。

 その身に受けて跳ね飛ばされた。

 そして、お互い地面を転がり、距離をとって再び対峙する。

 

 数秒そうした後、ベルは大きく息を吐いて、武器を下ろした。

 コキュートスは膝をつき臣下の礼をする。ベルは「ありがとう。お疲れさま」と声をかけた。

 

 ぱんぱんと服についた土ぼこりを払う。

「どう思う、コキュートス? 今の戦い方は?」

 ベルの問いに、コキュートスが言葉を返す。

「ハイ。ベル様ノオ強サ、コノコキュートス感服イタシマシタ」

「ああ、ありがとう。だけど、質問に答えていないね。ボクは戦い方をどう思うか聞いたんだよ」

 ベルの言葉にコキュートスは身じろぎする。

「モ、申シ訳アリマセン」

 そして、わずかに躊躇してから、意を決して答えを返した。

「ベル様ノ戦イ方デスガ、……差シ出ガマシイヨウデスガ、アマリベル様ニ適シテイルトハ思エマセン。オソラク、ソノ戦イ方ハ御父君ニアタルベルモット様ノ得意トサレテイタ戦法。ソノ戦イ方ハ、ベルモット様ノソノ巨体ヲ十二分ニ生カシタモノデス。恐レナガラ、未ダ小柄ナベル様ニハ、イササカ不向キカト思ワレマス」

 そう言って、コキュートスは身を固くした。

 

 コキュートスの考えは間違ってはいない。その身に適さない戦い方は、ただ自身の戦闘能力を低下させるだけだ。

 だが、至高の御方であるベルモットの得意とした戦い方。それを真似ているベルに対して、至高の御方にして自分の父君と同じ戦い方をするのは止めろと言ったのだ。事実ではあるが、父のようになりたいと願っているであろう幼いベルの気持ちを踏みにじってしまった。後悔の念がその心を責めさいなむ。

 だが、ベルは「やっぱりそうか」とだけ、淡々とした様子で答えた。

 

 そうしていると、デミウルゴスを始めとして、円形劇場(アンフィテアトルム)に守護者たちが集まってきた。

 ベルがいることに気づき、臣下の礼をとろうとした守護者たちを手を振って止める。

「ああ、これから会議だったね。じゃあ、ボクは行くよ。コキュートス付き合ってくれてありがとう」

 そう言うと、ベルは転移していった。

 

 

 



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第11話ー2 前準備ー2

当2次SSでは出来るだけソリュシャンを優遇しようと思っています。
原作では出番が多い(特にWEB版)はずなのに人気がないので。
でも、意外と動かしにくい……。


2016/3/31 「先だってのワーム件」 → 「先だってのワームの件」 訂正しました
2016/5/21 「再選」 → 「再戦」 訂正しました
 階層前に「第」がついていない所がありましたので、「第」を付けました
 「アイテムボックスない」 → 「アイテムボックス内」 訂正しました
2016/10/7 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/11/18 「非情に」→「非常に」、「例え」→「たとえ」 訂正しました


 第6階層の一角、40メートルはある巨木の中に作られたアウラとマーレの住居。そこの一室に置かれた丸テーブルに並べられた椅子に守護者らが腰かけ、その周りではセバス、ならびにベルのお世話をするためにいったソリュシャンを除いたプレアデスの面々が給仕をしている。

 いささか人員過剰だが、それはわざわざアルベドによってこのメンツが招集されたためだ。

 

「ところで、コキュートス。先ほど、ベル様と模擬戦をしていたようだが、どうだったかね?」

 デミウルゴスの問いにコキュートスが答える。

「大シタ強サヲオ持チダ。最初ハ私ガベル様ヲ一人前ノ戦士トシテ育テ上ゲネバト思ッテイタノダガ、ソノヨウナコトハ必要ナイヨウダ」

「それほどの腕前なんでありんすか?」

「アア。正直、先ノ戦イデハ私ガ幾分優勢ダッタガ、アクマデベル様ハ自身ノ戦闘能力ノ確認トイッタ程度ノゴ様子ダッタ。オソラクハアレガ真ノ全力デハナク、実戦ニ際シテハ切リ札ヲ、ソレモ複数ハゴ用意サレテイルノダロウ」

「そ、そんなにお強んいですか?」

「ウム。戦イノ最中、一瞬モシヤベルモット様ゴ本人ト戦ッテイルノカト錯覚スル程ダ」

 ほう、とその場にいる者達から声が漏れる。

 少女でありながら、すでにそれほどの腕前なのか。

 

「ベルモット様といえば」

 デミウルゴスが居並ぶ面々を見回す。

 

「小耳にはさんだのだがね。先だって、わずかな時間ながら、このナザリックにベルモット様がご帰還なさっていたというのは本当かね?」

 アルベドを除く守護者たちにわずかな驚愕が走る。

 そんな中、セバスが言葉をつないだ。

「はい。ベル様がこのナザリックにおいでなさる直前ですが、ベルモット様がお帰りになられておいででした」

「詳しいことを聞いても?」

「はい。私とプレアデスらに付き従うようご命令になり、ベルモット様はアインズ様と共に玉座の間へとおもむかれました。どうやらお二人とも円卓の間よりいらっしゃったようですが。そして、玉座の間でアインズ様と何事か話された後、転移していかれたようでした。そして、気がついた時にはベル様が玉座の間にいらっしゃったのです」

「そのアインズ様とベルモット様との話とは?」

「至高なる御方の会話は非常に難解で、おぼろげにしか聞き取れなかったのですが……。たしか『最後』、『アイテム』、『言うより使ってみた方が』などとおっしゃられていました」

 

 その答えに、聞いていた者たちは首をひねる。

 だが、その中でもナザリック一の知恵者、デミウルゴスはそのわずかなキーワードから答えを導き出した。

 

「ふぅむ。それは私が思うに、ベルモット様の保有されるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン、それをベル様にお渡しする許可をアインズ様にお求めになられに来られたのではないかな」

 

 その場にいる全員がデミウルゴスの説明に耳を傾ける。

 

「『最後』というのはベルモット様がナザリックを訪れることが出来るのが『最後』ということ。『アイテム』とはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。そして『言うより使ってみた方が』とはベル様がリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを実際に使用してみる事だろうね」

「つまり、どういう事?」

「なんらかの理由でベルモット様はナザリックを当分お離れにならなければならなくなった。代わりとしてベル様を派遣するつもりだが、その際に身分の保証、並びに万が一の際にはいつでも安全なナザリックに戻れるようにと、ご自分のお持ちになられているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをベル様に譲渡したい。だが、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは至高なる御方しか保有が許されない至宝。たとえ血がつながっていようと、そのようなことは自分の一存で勝手に出来る事ではない。そこで、御自分の娘であるという事で特別に譲渡を許可してもらいたいと、ギルドマスターであるアインズ様に要望しに来られたのではないかと思う」

「なるほど。それでアインズ様よりその許可をいただけたので、ベルモット様は外へと転移し、そこでベル様にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをお渡しになられ、そしてベル様は指輪の力によって玉座の間へ転移してこられたという事でありんすか?」

「ああ、そうだろうね。」

「あ、あの、アインズ様が指輪の譲渡の件をご承認された事や、最初からベル様の指輪のご使用に関して『使ってみた方が』とおっしゃるという事は、アインズ様はベル様がこちらに来られるより前から、ベル様の事をお知りになられていたのでしょうか?」

「ふむ。その可能性は高いだろうね」

「そういえば、ベル様は玉座の間にいらっしゃった際、すぐにアインズ様と親しく会話をなされ、アインズ様も機嫌よく笑い声を上げておられました。それとるし★ふぁー様の事も口にしておいででしたので、以前より御息女という事で他の至高の方々とも交流があったのではないでしょうか?」

 なるほどと全員が得心する。

 

 だが、一人だけ、内心首をかしげていたものがいた。

 プレアデスの一人、シズである。

 

 シズはナザリックのギミック及びその解除方法を熟知しているキャラである。その関係もあり、ナザリックの構造や特殊なアイテムに関してもそれなりの知識がある。そして、その知識と今までの会話に出てきた説明の間には齟齬が生じている事に気が付いた。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは特別な能力を持つアイテムである。至高の方々しか保有を許されないという事はさておき、基本的に一部の区画以外転移が許されないナザリック内を自由に、回数無限で転移できる。また、ナザリックの外からだろうとも直接の転移が可能だ。

 

 だが、この指輪にも制限が存在する。

 ナザリックのごく一部の箇所には転移できないのだ。

 

 例えば、至高の御方の私室。

 例えば――玉座の間。

 

 そう、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンでは玉座の間には転移出来ない。

 すなわち、この指輪の力を使おうとも、ベルは玉座の間に転移してくることなど出来はしないのだ。

 しかし、シズもその場に居合わせたが、あの時たしかにベルは玉座の間に突然現れた。

 

 一体、どういう事なのだろう?

 確かめようにも現在リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを保有しているのはアインズとベルの二人だけ。他のナザリックの者は使用したことも手にしたこともない。実験などできるはずもない。

 なにか特別な条件で玉座の間への転移が可能になるのだろうか? それとも先ほどの推測になにか見落としや誤り、もしくは前提の抜け落ちがあるのだろうか? 

 

 普段から表情を変えることのないため、思考に沈むシズの内心には誰も気が付かず、話は続いていた。

 

 

「それにしても、不思議なんだけど」

 アウラが疑問を口にする。

「なんでベル様って強さが感じれないのかな? なんだかこう、気配とかもほとんど感じないし」

 守護者たちのように戦いに習熟した者たちは、見ただけで相手の大まかな力量を感じ取ることが出来る。それによって戦闘の判断を行うのだが、ベルに関してはそのような強さが全く感じ取れないのだ。もちろん強くないからという訳ではない。先のコキュートスとの戦いでよく分かる。それが疑問だった。

特殊技術(スキル)ニヨッテ隠蔽シテオラレルノダロウ。アノヨウナ不自然ナホドノ見エニクサハソウダ」

「うーんそうなのかなぁ。でも、あそこまで消せるのは尋常じゃないと思うよ。ナザリックに所属してるかどうかの気配すら、よっっく見ないと気づけないじゃない」

 それは他の者も疑問に思っていた。確かにステータス等を隠す特殊技術(スキル)能動的(アクティブ)受動的(パッシブ)問わず存在する。だが、あそこまで隠蔽することが可能なのか? 

 その疑問に答えたのは、丸テーブルを囲んでいる守護者たちではなく、後ろに控えていたプレアデスのエントマであった。

「たしかぁ、ベル様の御父君のベルモット様は、非常に強力なステータス隠蔽の受動的特殊技術(パッシブスキル)を保有しておられたはずですぅ。おそらく、御息女であらせられるベル様はベルモット様よりその特殊技術(スキル)を引き継いでおいでなのではないでしょうか」

 

 言われて記憶を辿る。

 

 確かにベルモット様は他の至高の方々と比べて、非常に気配が読みづらい御方だった。しかし、あそこまで読み取れないほどだっただろうか。もしくは隠蔽に関する特殊技術(スキル)に関しては、娘であるベルの方が上という事なのだろうか?

 

「まあ、たしかにアウラが気にするのは分かるよ。不問にしていただいたとしても、先だってのワームの件を気にしているんだろう?」

 その言葉にアウラとマーレは胸の苦痛に耐えるような表情を浮かべた。

 

 ナザリックに属する者たちはお互い気配によって仲間かどうか判別できる。

 だが、ベルはその気配があまりにも希薄すぎるのだ。

 それでも、目視でベルと判断することは可能なため、それまではさほど問題とはならずに対処できたていた。

 

 だが、ナザリックに属する者の中には視覚がない者もいるのだ。

 

 先日、ベルが第6階層を訪れた際の事。地中に潜むワームが同じナザリックの仲間という気配を感じ取れずに、ベルにかみつくという事件が起きたのだ。

 幸い、そのワームは警戒用のものでレベルが低かったことからベルに傷一つつけることは出来なかったのだが、至高なる御方の御息女であるベルにナザリックのシモベが攻撃を加えたという事は、一大事となった。第6階層をまとめるアウラ、マーレだけではなく守護者一同、その愚かな判断をしたシモベに怒り、ベルから下される裁きを想像し身を震わせた。

 だが、寛大にもベルは全く怒ることなく、むしろ気配が希薄な自分に非があると謝罪したうえで、全て不問に処された。そして、大地の震動で相手を判別するワームたちのために、第6階層で歩いて見せ自分の足音を教えてくださるという、加害者に対して溢れるばかりの温情を注いでくださったのだ。

 守護者たちの心のうちはそれで収まりはしなかったものの、ベルだけではなく、アインズまでもその裁定で良しとしたため、何も言えなくなった。

 

 それに失態というのならば、自分たちも行っている。

 この第6階層で初めてベルと会ったあの時に。

 

 皆、あの時の事は思い返すだけで、呼吸が必要でないものですら、息が苦しくなる。その身を血が出るまで掻きむしりたくなる。もし、許されるならば、自害することが最も楽かもしれない。

 

 パンパンパン。

 乾いた音が響く。

 

 アルベドがその手を叩いた。

 

「みんな、前も言ったでしょう。さらなる忠義と功をもって、無礼を覆すべきだと。アインズ様は先だっての件は知らずに行った事として不問に処すとされたわ。そしてベル様もその事は気にしなくていいと言ってくださったわ。でも、あなた方は、それでも罰を求める。それは、あなた方はアインズ様並びにベル様に対し、不服の意を示しているという事になるのよ」

 その言葉に皆、身を固くした。

「もう一度言うわ。さらなる忠義と功をもって無礼を覆すべき。至高の御方は過去の罪より未来の功を求めているわ。それでもあなたたちは、至高なる御方の意に反し、未来の功を捧げようとしないというの?」

 すでに皆の心は決まっている。

 至高の御方へ、ふさわしい栄光を捧げる。それだけが自分たちの存在意義。迷いも後悔もいらない。

 

 表情を変えた守護者並びにセバスとプレアデスらを見回して、アルベドはさらなる口を開く。

「皆! 今日、皆に今日ここに集まってもらった理由。それは先にも話したナザリックがこの世界を征服するという大いなる目的を実行に移すためよ。そして、今から語るのはベル様がその世界征服の第一歩として考案された計画なのよ。この計画を見事に果たすことで先の償い、そして新たな忠誠の証となるわ。誰か、このことに不服の者はいるかしら?」

 アルベドが全員を見回す。

 当然、反対するものなど居ようはずがない。

 満足したようにうなづき、全員にベルが計画した任務を説明し、仕事を割り振っていく。

 

 

(まあ、なかなかに役に立つじゃない)

 アルベドは内心笑みを浮かべた。

 

 守護者たちは初めてベルと会った際、ベルに敵意を向けてしまったことに悔恨の念を抱いている。

 色々と言い訳はできる。

 曰く、ナザリックにとって敵である人間だったからだ。

 曰く、ベルはナザリックの味方だという気配を消していたからだ。

 曰く、アルベドの敵意に引っ張られたからだ。

 

 だが、そんな言い訳に何の意味があろうか。 

 ナザリックの所属する者は至高なる41人に奉仕するために存在する。いかなる理由あろうと、至高なる御方に不快を感じさせる行為などあってはならぬのだ。

 しかし、そのあってはならぬことを行ってしまった。至高なる御方の御息女に敵意を向けてしまったのだ。それは、ご本人が許したからと言って、守護者ら当人が自分の事を許せるはずがない。その後悔はいつまでも、ゆっくりと守護者らの心を傷つけていく。

 

 だが、アルベドは違う。

 

 アルベドは先の一件に対して、失敗であったとは思っているが、何の慙愧の念も不敬の念も感じていない。

 

 現在のアルベドにとって、その思考も感情も、すべては自分の愛するモモンガ=アインズ・ウール・ゴウンに向けられている。

 アインズを一人置いていなくなったベルモットの事などどうでもいいし、その娘、しかもベルとかいう人間の事など、更に輪をかけてどうでもいい。

 むしろ、ナザリックのエロ最悪と言われていたアイツにでも放り投げてやりたいくらいだ。

 

 だが――当のベルとアインズはそれなりに仲がいいようだ。

 そんな状況でベルを邪険にして、万が一でもアインズの不興を買うのは困る。

 

 言うなれば、彼氏の前で『犬嫌いなんだよね~』と言ったら、実は後で彼氏が犬飼いだったと分かった彼女のようなものである。

 

 幸いな事に、アインズ並びにベルは、先の件は特に気にはしていないようだ。

 そして、ベルはアインズの利益となるような計画をあれこれ立てている。

 アルベドとしては、まあ、それなりに役に立つようだし、犬ころ(人間)どもは嫌いだが、彼氏(アインズ)ペット(ベル)くらいは例外としてそれなりにかわいがってやってもいいかな、という心境である。

 

(しっかりアインズ様のお役に立ちなさい。アインズ様があなたを飽きないでいる間は、私も目をかけるくらいの事はしてやるわ)

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「さあ、ベル様。お体を洗いましょう」

 そう言って、ソリュシャンがスポンジをもって立つ。

 ベルは腰が引け気味になりながらも、言われるがままに背中を向け、ごしごしと洗ってもらう。

 

 ここはかつてのベルモットの私室。今はベルの私室だ。

 そのバスルームでベルはソリュシャンに体を洗ってもらっていた。

 

 当然ながら、もともとベルは一人で風呂に入っていた。メイドが手伝うといっても、さすがにそれは固辞した。風呂に入ってる時くらい一人でゆっくりしたい。

 

 だが、一つ問題があった。

 髪を洗うのが面倒なのである。

 

 ベルは中身は男なので、腰まである長髪を洗うという行為はしたことがない。毎回毎回、これが実に面倒なのであった。

 あるとき、もううんざりして適当に洗って出たら、まだ髪にシャンプーの泡が残っていた上に、ちゃんと拭いて乾かしてもいなかったことが見咎められ、それ以来、ベルの入浴時は誰かが一緒に入って洗うという事になった。

 だが、何度も言うが、ベルの中身は男である。

 そしてプレアデスを始めとしたナザリックのメイドたちは、ほぼ全員がリアルでは見たことがないくらいの美女ぞろいである。そんな見目麗しい女性が一糸まとわぬ姿で自分の身体を洗ってくれるというのは心臓に悪かった。エントマは別の意味で心臓に悪かった。

 そこで、ベルはお付きのメイドとしてソリュシャンを選ぶことにした。

 ソリュシャンも当然ながら美しく、またその身体つきはメイドたちの中でも上位に位置するほどであったが、ソリュシャンを選ぶ理由があった。

 それは正体が粘体(スライム)という事である。

 不定形で自分の身体も変えられることから、湯気や光で消さなければいけないようなところも、最初から無いことに出来るという、とてもレーティングにやさしい身体になる事が可能だったためだ。

 とはいえ、肝心なところは隠してもその素晴らしい体形はそのままの為、出来るだけ見ないようにしながら、体を洗ってもらっていた。

 

 スポンジを持つソリュシャンの手が、ベルのしていた腕輪にあたる。

「ベル様。お風呂に入るときは、これらの装身具は外してしまった方が……」

 その言葉に慌てて理由をでっちあげ、何とか誤魔化した。

 

 この腕輪や指輪など、風呂に入っているときも着けたままの装備には理由がある。

 これらはマジックアイテムで、ベルの持つステータス隠蔽の受動的特殊技術(パッシブスキル)の効果を増幅(ブースト)させる能力があるからだ。

 

 最初は、ただ単に久しぶりにユグドラシルにログインしたため、そんな能力を全開で発動しっぱなしだったことを忘れていたためだった。そして転移後は、NPC達が反意を示した際、逃げやすいようにと常に発動させていた。これを発動しておいた方が〈偽死〉や〈透明化〉などの特殊技術(スキル)が使いやすくなる。

 その後、アインズさんのダークウォーリアの顛末が明らかになった時は肝を冷やした。

 NPC達は姿を変えていても気配でアインズ・ウール・ゴウンのギルメンは判別できるらしいのだ。

 

 しかし、最初に彼らと会った時にはベルがギルメンとは分からないようだった。つまり、ステータス隠蔽スキルをアイテムを使いながら全開で発動させていればベルモットだと気づかれないが、もしその能力を落とせば気づかれる可能性がある。

 

 やばかった。

 タイミングよく発動させていたから良かったものの、もし切っていたらバレバレだった。ベルモット本人だとばれている相手に、ベルモットの娘ですなんて言うところだった。

 

 それからは、ステータス隠蔽スキルは絶対に切らないようにし、更にその効果を上昇させるアイテム類は外さないようにと心がけた。

 もしかしたらスキルのみでも大丈夫で、アイテムは外してもいいのかもしれないが、まさか実験してみるわけにもいかない。たとえ、邪魔でもつけておかなくては。

 

 ただ、このステータス隠蔽スキルとアイテムの併用には少々問題もあった。あまりにも効果が強すぎ、NPCやトラップの一部に味方だと判別されない場合があるのだ。幸いユグドラシルの頃はフレンドリィファイアはなかったためダメージを受けることはなかったが、いちいち攻撃されるのも面倒なので、ナザリックにいる間はアイテムを外していた。

 だが、今の現状では外すことは出来ない。幸い、AIで動くゲーム中とは違い、NPC達は自分の頭で判断できるようになったため、誤って攻撃されることはなかったが。

 それで安心してうろうろしていたのだが、ついにこの前、騒ぎになってしまった。

 第6階層でワームにかみつかれたのだ。

 その時は、大騒ぎになった。いくらベルがいいからと言っても収まらず、アウラやマーレは監督不行き届きだと、自分の前で頭をゴリゴリと床にこすりつけながら土下座するし、他の守護者たちは第6階層からワーム種を根絶しようとするし。

 結局、アインズさんやアルベドに制止してもらい、何とか事は収まった。

 足音で探知するワームらのために第6階層を歩いて自分の足音を憶えさせるという落としどころで済んでよかった。

 ステータス隠蔽のスキルを抑えてくれと言われなくて本当によかった。

 

「はい。じゃあ、ベル様。今度は髪を洗いますわ」

 ソリュシャンが指を細く変形させて、髪をすきながら洗ってくれる。時折、柔らかいものが背中に当たるが、極力気にしないことにして別の事を考える。

 

 考えるのは先ほどのコキュートスとの模擬戦。

 

 

 ――戦闘能力の低下がはなはだしい。

 

 もともとベルの戦い方は武器を持っての白兵戦がメインだ。フローティングウェポンを飛ばす、姿を隠して隙をつくといった戦い方は、巨躯による速度の遅さを補うためのあくまで補助的なものに過ぎない。

 

 だが、現在はその本来の戦い方が出来ない。

 この少女の身体のせいだ。

 今までは長いリーチを生かして相手を自分の懐に飛び込ませない戦い方をしてきた。だが、今は逆に相手の懐に飛び込まないと攻撃をあてることすらできない。

 

 それと武器の切り替えも問題だ。以前は巨大な体躯のその背に武器を突き刺していたため、背中に手を伸ばせばすぐに武器を替える事が出来た。それにより相手に合わせて武器を自在に使い分けて戦うことが出来た。

 だが、今の身体ではそのようなことは出来ない。

 自分のすぐ周囲に浮かべておくというのは、戦いの最中にそちらにわずかばかりでも意識を集中し続けなければいけないため、肝心の戦闘がおろそかになる。かと言って、今日のように少し離れた場所にあると、武器を手にするのが一拍遅くなる。

 あの時、鎚鉾を手にした時も、飛んできたものを捕まえて振るうという事をしたために、攻撃がわずかばかり遅れてしまった。本来ならば、コキュートスの防御は間に合わず、反撃の余地も与えなかったはずなのだ。

 

 ガゼフや陽光聖典との戦いの時は圧倒的なレベル、ステータスの差があったため何とかなったが、もし高レベルの敵と対峙した場合、かなり拙いことになる。

 

 最初は、守護者数人程度なら相手に出来ると思っていたが、おそらくそれは無理だ。

 一対一でようやく、複数相手だととんでもない。仮にそんなことになったら、幸いリーチは短くなったものの力自体はそのままのようなので、ダメージ覚悟で強引に相打ち攻撃を仕掛ければなんとか勝てるだろう。ただ、それも一回限りのやり方でしかない。連戦や同じ相手との再戦となったら、勝ち目はない。

 

 

 どうにか戦い方を考えなければならない。

 この体躯に合わせた戦術を考えるか?

 もしくは、フローティングウェポンによる遠距離戦をメインに据えた戦術を考えるか?

 もし、この世界に同じような武器を飛ばすことが出来る人間がいたら話を聞いてもいいかもしれない。

 

「はい、洗い終わりましたわ。じゃあ、肩までつかって、よく温まってくださいね」

 

 そう言って、湯につかったベルと向かい合うようにソリュシャンも同じ湯船に入る。

 どこを向いても目に困る光景に、ベルは目を閉じ、今後の事を考え続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリックの第9階層。アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー専用の私室に機嫌の良さそうな鼻歌が響いていた。

 

「さーって、何もってこうかな? まあ、全部アイテムボックス内だけど、使いそうなものは取り出しやすいようにしておかなくちゃ」

 独り言をつぶやきながら、アインズはアイテムボックスから物を取り出してはまたしまっていく。

「そうだ。エンリを助けたときにポーションが役に立ったな。手にとりやすいところに置いておこうかな」

 その光景は、まさに遠足の前の子供である。

 

「それにしても、こっちに来たのがベルさんと一緒でよかったなぁ。俺一人だったら絶対パニクってただろうな」

 

 こう言うのは何だが、ともに巻き込まれた友人の存在をありがたく思う。

 

「昔から、頼りになったからなぁ」

 

 そうして、昔、ユグドラシルの世界を駆け回った時のことを思い返す。

 

 確かにベル――ベルモットは頼りになった。

 

 口では冗談を言いつつも行動は控えめで、何も言わずとも作戦が失敗した時や撤退する時のことを考え、準備してくれていた。

 そうだ。たしか、ベルモットさんは他の人が立てた作戦にのって、その上で、立案した本人が気がつかないような万が一の際のフォローをしてくれていた。あくまで常に一歩引いた、相手を立てるような態度だった。

 ベルモットさんがいれば死ぬ確率が格段に減る、などとギルメンからは言われていた。

 

 

「あれ?」

 

 ふと、疑問に思った。

 記憶をたどる。

  

 脳裏に浮かぶのは、この前の件。

 警戒が必要、目立たないようにとか自分で言ってたのに、それを忘れたように派手なことをしたり、考えなしな行動をしていた。

 常に慎重に思考し、デメリットを可能な限り減らしていく。それがかつてのベルモットさんだったはずだ。たとえ皆が興奮しているときでも、そういうときこそ冷静な人間が必要と、

 そんなベルモットらしからぬ行為。

 

 異世界ではしゃいでいたから?

 

 だが、考えると疑問はほかにも出てくる。

 

 ベルモットさんはホラー映画とかが好きだった。それで、よくタブラさんとかとホラー談義をしていた。

 しかし……そう、たしか作り物はいいけど、実際のグロシーンは苦手って言ってたような気がする。本などで知識としてはそういうのを調べたりしていたが、実際の遺体の写真とかを見るのは嫌がっていた。

 いい年してるけど注射を打たれるときは思わず目をそらすとか、リア友が自転車で転んで10センチくらい擦りむいたの見たらぞっとしたとか言ってたな。

 

 でも、カルネ村での虐殺を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見てた時は目をそらせたりなんかせずに、むしろ嬉々として見ていたような……。

 その後、実際にカルネ村に行った時も大はしゃぎで死体とかいじってたし。

 

 何なのだろう?

 なにか妙な感じが……。

 

 感じたのはわずかな、ボタンを掛け違えたようなほんの微かな違和感。一つ一つは言葉にならず消えていくような、そんな些細なものだが、考えれば考えるほどチリが山となるように心のうちに積もっていく。

 

 そんな曖昧な感覚を無理に一言で表すと――

 

 なんだか、最近のベルさんの行動を見ていると――

 

 

 ――とても子供っぽく感じる――

 

 

 ふと浮かんだ疑問。

 その疑問は晴れることなく、いつまでも頭に残っていた。

 




ベル「武器を飛ばして攻撃出来る奴がいたら話してみようかな?」

おや?
誰かと誰かにフラグが立った気が……。



補足
 アインズとベルは転移直後、いち早く自分たちの精神にもスキルの影響が及ぶことに気がつきました。
 しかし、かえってその為に、何か疑問に思うことがあってもそれは何かのスキルの影響だろうと考えるようになってしまっています。スキル以外の部分、肉体によって精神が影響を受けることには気がついていません。


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第12話 おまけ リュースの大冒険

ほぼオリキャラですのでご注意ください。

特典小説のデスナイトがいい味を出していたので。

2016/5/21 「店員オーバー」 → 「定員オーバー」 訂正しました
 句点が重なっているところがありましたので、訂正しました
2016/9/16 「堀」「塀」に「ほり」「へい」とルビをつけました
2016/11/18 「~行った」→「~いった」 訂正しました


 自分はデスナイト。

 至高なる御方アインズ・ウール・ゴウン様がカルネ村というところにいらっしゃった際に創造された。

 

 

「それにしても消えませんね、こいつ。」

「やっぱり死体を触媒にすると召喚時間が無限になるんでしょうか?」

「うーん。とりあえず、識別用に何か名前を付けませんか?」

「名前ですか。どんなのがいいか……。あ、そういえば、こいつの素材にした奴。名前、何とか言ってましたよね」

「あー……たしか、ベリュース隊長でしたっけ?」

「確かそんな感じだったような……。よし、デスナイトよ。お前にはリュースという名を授ける」

 

 デスナイト=リュースは喜びの雄たけびをあげた。

 

 

 

 ベリュース隊長というのは、自分の素材になった人間ではなく、あの時、自分が殺した人間のような気がするが、至高の御方には深いお考えがあるのだろう。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 リュースは再びカルネ村へとやってきた。

 至高の御方アインズ様の御盟友でもあるベル様がこのカルネ村を発展させるそうだ。自分はその手助けである。

 

 最初は村に入り口で敵が来ないか見張っていた。

 自分が立っている横で、ベル様は見る見るうちに防御施設を作っていく。(ほり)(へい)、それに石垣に櫓。

 非常に強固に見えるが、村への入り口部分にしか作っていないのは何故なのだろうか?

 あれでは簡単に回り込まれると思うのだが。

 

 頭の悪いリュースには分からないが、ベル様には深いお考えがあるのだろう。

 

 

 今日はベル様に狩りに連れていっていただいた。

 他のお供はソリュシャン様と村のゴブリンたち。

 村の防衛はストーンゴーレムらが来たため、一時的にならそいつらに任せても大丈夫らしい。

 

 カルネ村から結構歩いていき、そこから森の中へと踏み入っていく。

 なんでもカルネ村の近くは森の賢王というのが縄張りにしているらしくて、出来るだけそこから離れた方がいいそうだ。

 ベル様にそんな配慮をさせるとは、森の賢王という奴はなんという不遜な存在なのだろう。命令さえあれば、今すぐにでも始末してくるのに。

 

 そんなことを考えていると、ベル様から「リュース、行ったぞ!」と声がかかった。

 見ると、人の胸辺りまでの体躯を持つ巨大猪がこちらに向かってくる。

 

 動じることなく、その突進をタワーシールドで受け止める。地鳴りのような重い響きとともにそいつの突進が止まった。その隙に、フランベルジュで心臓を一突きにしとめた。

 ベル様から「よくやった」とお褒めの言葉をもらう。実に誇らしい。

 

「あ……」

 

 地に倒れた巨大猪はブルブルッと体を震わせたあと、従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって立ち上がった。

 

「あー、そっか……。デスナイトが仕留めると従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になるよなぁ……。んー、でも、ならない条件とかあるのかな? ちょっと試してみるか」

 

 ベル様について、しばし狩りから離れる。そこで虫や小動物に対して、ベル様に指示されるとおりに攻撃してみた。その結果、自分が直接殺した相手は従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になるが、間接的に殺した場合、例えば盾で弾き飛ばした先にあった石などにぶつかって死んだ場合は死体のままであることが分かった。

 

 この結果は我が事ながら驚愕だった。

 

 自分が殺せば、殺した相手は従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になる。それが当たり前だと思っていた。まさか、殺し方を工夫することでアンデッドにせず死体のままにしておくという発想自体、自分の頭にはなかった。

 そのようなことを考えつくとは、なんと聡明な御方なのだろうか。

 

「殺し方次第では従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にはならないのか。んー、もしかしたらデスナイトにアンデッド作成のスキルが備わっていて、デスナイトが殺した瞬間、自動発動するようになってるのかな? そのスキルの発動や解除が出来れば、ひと手間かけなくて済むかもしれない」

 

 ベル様はそうおっしゃったが、スキルの発動や解除というのがよくわからない。お役に立てずにしょんぼりしていると、「まあ、とりあえずはやり方が分かっただけでいいや。狩りに戻るとしよう」といって、再び狩場に連れていってくださった。

 

「んーと、結果的に鳥3羽、シカ2頭か。まあまあかな? じゃあ、帰ろうか」

 ベル様が宣言為され、全員帰り支度をする。

 

 せっかくだからという事で、ベル様は先程の従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となった巨大猪の背に獲物を括りつけられた。たしかに疲労のないアンデッドに荷物を運ばせることで他の者の負担は軽くなる。巨大猪は生きている時とは違って、体を捩りながらまるで病に侵されたものが無理に体を動かしているがごとく歩く。しかし、その割には歩く速度は遅くはない。

 

 じき、村へと帰りついた。

 

 巨大猪の背から獲物を降ろしていると、「ん? もしかして、これ焼いたら食えないかな? 食えるんだったら運ぶ手間が省けるな」とベル様がおっしゃった。

 

 怯える野伏に肉を切らせ、その場で焼いてもらう。

 村人はおろか、ゴブリンたちですらドン引きしている。

 

 他人の視線による無言の圧力にも屈せず、一切の先入観を捨て、ありとあらゆるものを自分の肌で体験、検証しようするその探求心は、本当にご立派だと思う。

 

 

 やがて焼きあがった肉をベル様は口に頬張り、盛大に吐き出されていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 トブの大森林内の湖畔。水面ギリギリの山肌にぽっかりと穴が開いている。入ってすぐ勾配になっているため先は分からないが、その穴の奥はかなり広そうに感じる。

 

「リュース。お前に任務を与える。ここのダンジョンにはナザリックのダミーにするつもりだけど、まだ怪物(モンスター)が一匹もいない。だから、お前は自身の能力を使って、このダンジョンに入れる大量のアンデッドを作って連れてこい」

 そう言って、地図をお出しになられた。

「ええと、現在地がこの辺。それで、だいたいこの辺りが森の賢王の縄張りみたいだから、ここ以外の場所で狩ってくるように」

 

 リュースは雄たけびをあげた。

 ついに!

 ついに自分が至高の御方のお役に立てる!

 しかも、自分たった一人に与えられた任務だ! 絶対に成功させねばならない。

 偽物とはいえ、至高の御方の迷宮にふさわしい強さを持ったアンデッドを連れてこよう。

 

 そして、リュースは森の中へと駆けていった。

 

 

 

 ガッ!

 心臓を突き刺されたゴブリンが倒れ込む。

 そして、しばらく待つと従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって立ち上がった。

 

 あれからしばらく森をさまよった。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって付き従うのはホブゴブリンやゴブリン、悪霊犬(バーゲスト)、それに熊など。そして、それらによって殺されたゴブリンやイノシシなどのゾンビがついてくる。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)に殺されたものはゾンビになり、そちらは数に限りなどないが、リュースが殺したことにより従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)として連れていける数には限りがある。より強い者に遭遇し殺して従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にする事を考えると、従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)の数はある程度余裕を持たせておかなければならない。気をつけておかないと、せっかく強い奴を見つけても、定員オーバーで従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になれなかったりする。だから、定期的に従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)は減らす必要がある。

 今も、ミミズや昆虫など、リュースが歩く際に踏みつぶしたものまで従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となってついて来てしまっている。そいつらを始末しておく。

 

 たくさんの従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を作りだすなかで一つ発見したことがある。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を作る際、どうやら身体に一撃を与えて殺した方が良さそうだというだ。相手の殺し方を各種検証してみた結果、手や足に攻撃を加え切り落としてから殺してしまうとその部分が欠損したまま従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になるため、動きに制限が加わってしまう。そこで胴体を切断しない程度の攻撃、可能ならば心臓への一突きで殺すと、最もいい状態の従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)になる。

 ベル様が、一見当然と思えるようなことも先入観を持たずに創意工夫していたのを思い出し、自分なりに色々試してみた結果だ。

 何事も当たり前と考えずに試行錯誤することで良い結果に結びつく事がある。

 リュースは一つ賢くなった。 

 

 

 リュースは自分に付き従うアンデッドの群れを眺める。

 その総数は数十にも及ぶ。

 だが、駄目だ。

 この程度では駄目だ。

 

 自分に下された命令は、ナザリックのダミーのダンジョンに入れるアンデッドを調達すること。それなのに、自分が作ったアンデッドはその辺にいる最下級の怪物(モンスター)ばかり。

 とてもではないが、ダミーとはいえ、この程度の怪物(モンスター)ではふさわしいとは言えない。

 どこかにもっと強大な怪物(モンスター)はいないのか。

 

 森を駆けていたリュースは、その足を止めた。

 日は傾き、空は紅く染まりかけている。そんなほのかな茜色が混じった光に照らされた森の下草。それが何者かに踏みつぶされているのを見つけた。

 レンジャーの職業(クラス)特殊技術(スキル)を持たないリュースでも分かる、何か大きなものが複数通った跡。

 リュースはその後をたどっていった。

 

 ほどなく、この跡を残していたその正体を見つけた。

 そこにいたのは人型の巨大な怪物(モンスター)たち。オーガと、……先頭の方にいるのはトロールだろうか。計十数体の群れが森の中を移動していた。

 

 うむ。こいつらなら、まあ、及第点だ。

 少なくとも、ゴブリンやホブゴブリンよりはいいだろう。

 

 リュースは一気に襲い掛かった。

 足音を忍ばせるなどしなかったため、オーガたちはすぐに気づいたが、武器を構えるよりも早くリュースの剣がその体をとらえる。

 瞬く間に、オーガ3体が切り捨てられた。

 

 突然の襲撃に混乱した群れがようやく態勢を整えた。

 一匹の巨大なトロールが前へと出てきた。複数の動物の皮をはぎ集めて作った革鎧を身に着け、巨大なグレートソードを手にしている。しかも、どうやらその剣は普通のものではなく魔法がかかっているようで、何かの毒のようなものがその刀身を濡らしている。

 

「何者だ、お前! 俺を東の地を統べる王であるグだと知っているのか!」

 

 びりびりと空気が震えるような大声。だが、その声に動じることなく、リュースは自分の名を名乗った。

 

「ふぁふぁふぁ! 臆病者の名前だ! 俺のような力強い名ではない、情けない名前……な、なんだ?」

 

 笑い声をあげていたグが声を詰まらせる。リュースから発している怒りの殺気を感じ取ったためだ。

 

 この愚かなトロールは自分の名を!

 至高なる御方より直接賜ったリュースという名前を侮辱した!!

 許されるはずがない!

 万死に値する!!

 

 もはやグに言葉を発する(いとま)すら与えず、リュースは躍りかかった。

 

 

 

 森の中に激しい音が響く。

 リュースとグの死闘はいつ果てるとも知れず続いていた。

 

 デスナイトは元来、防御に長けたアンデッドだ。その堅牢な防御はグの爆撃のような連続攻撃を防ぎ続けていた。ごくまれにその剣が体に届く事があるが、微かな傷を与える程度で致命傷を与えるには至っていない。そしてアンデッドであるリュースの身体には、その大剣の持つ毒の効果は無意味であった。

 だが、リュースの攻撃もまたグに対して有効打を与えるには至っていない。グの身体に幾度も剣で斬りつけるも、トロールの再生能力はその傷を瞬く間に治してしまう。

 

 すでに日は暮れ、辺りは闇が支配している。

 両雄譲らず、この戦いはいつまでも続くと思われた。

 

 だが――

 

「はあっ、はあっ……」

 

 グの息が切れ始めた。

 

 いかに強靭な体力を有しようとも、あくまでトロールであるグは生きた存在である。いつかは疲れ果てる。

 それに対してリュースはアンデッド。疲労などしない。

 

 グの剣を振るう速度が落ちはじめ、だんだんとリュースに押され始める。

 そして、ついにそのグレートソードを持つ腕をフランベルジュがとらえ、骨を半ば断ち切るほどの深い傷を負わせた。

 

 苦痛の声をあげるグ。とっさに周囲にいる部下たちを見回し「お、お前たち! こいつを殺れ!」と叫んだ。

 

 だが、それは悪手だった。

 先ほどまでギリギリ均衡の戦いをしていた者を前にして、配下の者たちに命令を下すその姿は隙だらけだった。

 そして、リュースはその瞬間を見逃さなかった。袈裟懸けに力を込めて振り下ろす。

 

「グオオオォォォ!」

 

 鮮血が噴き出し、グの身体が大きく(かし)ぐ。トロールの生命力をもってすれば致命傷ではないが、たまらず膝をつく。

 そこへリュースは剣を突き立てた。

 

 一思いに鋭い剣が心臓を貫いていたら楽だったかもしれない。

 だが、リュースの手にしているのは刃が波打った肉を切り裂くフランベルジュ。本来、刺突には向いていない武器だ。

 その刃先はトロールの頑健な肉体に阻まれ、心臓の一歩手前で止まっていた。

 

 リュースは力を込めてえぐるように自らの剣をグの身体へを押し入れていく。

 グの絶叫が響く。自らの頑強な肉体とトロールとしての再生能力が、剣が突き入れられるのを押しとどめ、苦痛を長引かせる。

 グン。リュースは剣先にグを刺し貫いたまま、その剣を上へと向けた。

 グ、自らの体重によって身体が沈み、剣先が体の内部へと潜っていく。

 断末魔の叫びをあげるグ。

 ついに剣が心臓を貫き、その背へと突き抜けた。

 

 リュースは勝利の雄たけびをあげた。

 

 

 後はただの殲滅戦だった。

 

 自分たちのリーダーが殺されたことに、配下のトロールとオーガ達は我先にと逃げ出そうとした。

 リュースは剣を振り払い、グの死体を傍らに投げ捨てると、逃走しようとした者たちを次々と切り捨てていった。

 ほどなく、新たに従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となったトロールとオーガの一団が仲間に加わった。

 その光景をリュースは満足そうに見つめる。

 

 このような者達ならば、主にも満足いただけるだろう。さあ、もっともっと強者のアンデッドを増やさなくては。

 

 リュースは再び歩きだした。

 

 その時――

 

「……こいつは一体、何者なんじゃ……」

 

 駆けだした足を止める。

 周囲を見回す。

 

 確かに今、何者かの声が聞こえた。

 しかし、見渡す限り周囲には誰もいない。

 

 隠れているのか?

 リュースは咆哮をあげながら、周囲の木々や草、岩など手当たり次第に切り倒す。その剛力の前にあらゆるものが鎧袖一触になぎ倒される。

 ひとしきり暴れた後、再度、周囲を見回すが、やはり目につくようなものはいない。

 

 ――逃げたか。

 

 新たなアンデッドを加えられなかったことをやや残念に思いながら、リュースはアンデッドの群れを引き連れ森の中へと走って行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「お、恐ろしい。……あ奴はいったい……」

 

 リュラリュースはようやく不可視化を解除した。

 アンデッドの群れが姿を消してから、かなりの時間が経っている。

 だが、そのくらい待たなくては、再びあの集団が戻ってくるのではという恐怖には勝てなかった。

 

 身を隠していた岩の陰から身を起こす。

 周囲の光景は、あのわずかな暴虐の時間で一変してしまっている。アイツは一抱えもありそうな木をまるで雑草を刈るかのごとく切り倒し、強固な岩をまるでバターにナイフを入れるかのごとく切りつけた。

 あの時、とっさに木の陰に隠れず岩の陰に伏したのは正解だった。木の陰に隠れていたのならば、隠れた樹木ごとリュラリュースの身体は切断されていただろう。

 現にリュラリュースの隠れていた岩には、振り回した剣閃がまざまざと残されている。

 

「あのような輩がうろつくとなると、この辺りも危険かもしれん。森の賢王に話してみるか、もしくは住処を変えねばならんな」

 

 そうつぶやくと、リュラリュースは森の中へと消えていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の執務室。

 そこではナザリックの主であるアインズとベルが、アインズ冒険者計画の最後の詰めの話し合いをしていた――のだが、すでに飽きてだらだらと雑談をしていた。

 

 ぼりぼりと煎餅を齧りつつ、ベルが口を開く。

「昔読んだ、古いマンガであったんですがね。強固な壁の壁面が崩れたと思ったら、壁の中に巨人が埋まっていたってのがあったんですよ」

「壁の中に巨人? 動かず、じっとしてたんですか?」

「ええと、確か……うろ覚えなんですが、光が当たらないと巨人の活動が停止するとかいう設定だったような……。まあ、それはいいんですが。カルネ村の防壁を作るときに、デスナイトを立たせておいて壁に塗りこめたら、基礎とかいらなくて済むと思いません?」

「いや、そんなことにデスナイト使うのはもったいないでしょう。普通に木を調達した方がマシです。……デスナイトと言えば、あのリュースってどうしました?」

「ああ、あいつなら。ほら、例のダミーダンジョンに入れるアンデッド、あれを確保させるために『大量のアンデッドを作って連れてこい』って命令して、トブの大森林に向かわせましたよ」

「……ん? そう言ったんですか?」

「はい。何か?」

「いや、具体的に何体って指定せずに『大量の』という曖昧な命令だけだと、その『大量の』というのを達成するためにいつまでもアンデッドを集め続けるんじゃないですか?」

「……あっ!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バシャリ!

 リュースの足が水辺に踏み込んだ。

 目の前には広大な湖、そしてそこへとつながっている湿地帯が広がっていた。

 

 あれから後もリュースはあちこちを歩き回り、配下を増やした。すでにリュースに付き従うアンデッド達は三桁を優に超えている。

 

 広い湖を前に、あまり中央へと行くと深みにはまる危険性を恐れて、外周の湿地帯をぞろぞろと歩き、あらたな獲物を探していく。

 

 その時、どこからか石つぶてが飛んできた。

 自身に飛来したものは盾で防ぐが、幾個かは後ろのアンデッドたちめがけて飛び、回避という事をしないゾンビたちに当たった。

 

 リュースは怒りの咆哮をあげる。

 このアンデッドたちは至高の御方に献上するためのもの。それを傷つけるなど決して許すわけにはいかない。

 

 見ると、沼地に生える草に隠れて、複数の蜥蜴人(リザードマン)達が顔をのぞかせている。そいつらはスリングに石を再装填し、再び投げつけようと回し始めた。

 

 だが、一瞬で接敵したリュースが剣を振り回す。隠れていた水草ごと、蜥蜴人(リザードマン)達はその鱗に覆われた体を切られ、水面へと倒れ伏した。

 

「て、てった……にげる!」

 

 声が響く。

 見ると、不思議な光沢を放つ白い鎧を着た蜥蜴人(リザードマン)が声をあげていた。

 その声に従い、隠れていた蜥蜴人(リザードマン)達が撤退していく。その中でも精鋭らしい幾人かのみが白い鎧の蜥蜴人(リザードマン)の背後についた。

 

 『白い鎧』の指示で蜥蜴人(リザードマン)達が動いたことを知り、そのリーダー格を始末してしまおうと、リュースは突進した。その勢いのまま剣を振るう。

 その剣は『白い鎧』が突き出した槍を容易く両断し――

 

 白い鎧を着た蜥蜴人(リザードマン)を弾き飛ばした。

 『白い鎧』は数メートルも吹き飛ばされ、苦痛のうめきをあげながら立ち上がろうとする。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達は驚愕した。

 蜥蜴人(リザードマン)の四至宝の一つ、白竜の骨鎧(ホワイト・ドラゴン・ボーン)。つけた者の知性と引き換えに装甲が強固となる性質を持つ。そして蜥蜴人(リザードマン)の中でも歴代屈指の知能を持つ『鋭き尻尾(レイザー・テール)』の族長がその身に着けて以来、その装甲の固さはもはや伝説の鉱物で作られた鎧に匹敵すると言われていた。

 そして、その鎧を身に着けていた者が、このアンデッドの攻撃によりダメージを受けたのだ。

 

 しかし、これはリュースとしても意外だった。

 容易く鎧ごと切断できると思って剣を振るったのに、あの白い鎧はリュースの一撃にすら耐えたのだ。よっぽど頑丈なのだろう。

 まあ、だからと言って勝敗は変わらない。確かにあの白い鎧は一撃では倒せなかった。しかし、見れば明らかにダメージは受けている。一撃で駄目ならば、何度も打ち据えれば倒すことは十分に可能だろう。

 

 リュースは足を進める。

 白い鎧を着た蜥蜴人(リザードマン)を周りの者たちが助け起こそうとしている。その場にいる者全員が死を覚悟した。

 

 

 だが、その時――

 

 ――暴力を具現化したかのごときアンデッドがその動きを止めた。

 

 

 突然、リュースの頭の中に自らの主、アインズ・ウール・ゴウン様の思念が届いた。

 今、どこにいるかと問われたので、広大な湖のそばと返した。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)やゾンビ達はどのくらいいるのかと問われたので、後ろを振り向き、100以上と返した。

 次に届いた主からの思念は、帰還の指示だった。

 

 すぐさま踵を返し、主の下目指して駆けていく。

 もはや、その頭には先ほどまで戦っていた蜥蜴人(リザードマン)達の事はない。

 その背に従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)やゾンビ達が続く。リュースが切り殺した数体の蜥蜴人(リザードマン)達も従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって起き上がり後を追った。

 

 

 遠ざかっていくアンデッドの群れを『鋭き尻尾(レイザー・テール)』の者たちは呆然と見送っていた。

 

「な、なにーあれ?」

 

 族長の言葉に答える者はいなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 〈転移門(ゲート)〉を通り抜け、アンデッドの群れが小さな湖畔に現れてはダンジョンの中へと消えていく。

 

 あの後、1日ばかり歩いて移動したが、再び主から思念が届き、帰還にはまだ何日もかかると返したら、なんと〈転移門(ゲート)〉で即座に、このダミーダンジョンの入口へと繋げてくださった。

 リュースが集めてきたアンデッドの大群を見て、主とベル様はその数に驚き、また魔法の剣を持つトロールまでいることにたいそう喜んでくださった。

 そして、リュースにお褒めの言葉をかけてくれた。実に誇らしい。

 

「これで、大体はいいですかね?」

「ええ、最初はこれでいいでしょう。後は死体が手に入ったら随時、アンデッド作成で増やしていけばいいです」

「これで良し、と……そうだ。このダミーダンジョンですが、なんと呼びましょうか?」

「あー、そうですねぇ。何か名前を付けた方がいいですねぇ。どんなのがいいと思います?」

「うーん……。ウンゲホイアー……ゲフンゲフン……怪物牧場とかはどうでしょう?」

「ほう、なるほど」

「ベルさんは何かあります?」

「フム……エターナル・ダークネス・ケイヴとか?」

「うーむ。悩みますねぇ。……リュースよ、お前はどちらがいいと思う?」

 

 その問いにリュースは答えを逡巡した。

 自らの造物主たる至高の御方と、その盟友たるとても聡明な御方のお考えになられた名前。きっとどちらも大変素晴らしいものなのだろう。

 だが、しかし……なんと言えばいいのか……。自分は……。

 

 言葉を発しないリュースに、デスナイトには判断が難しかったかと思い、傍らにいた護衛のシズに同様に尋ねた。

 

「はい。どちらも甲乙つけがたいと思われます。」

 

 その答えにお二人はさらに名前の候補をあげ、相談なさっている。

 

 だが、リュースは気づいていた。

 お二人に問われたシズ様は『どちらも甲乙つけがたい』とは言ったが、『どちらも素晴らしくて(・・・・・・)甲乙つけがたい』とは言わなかったことを。

 

 口に出さずにいたほうが良いこともある。

 リュースは一つ賢くなった。

 

 




ナザリック勢なら、アインズ様が何を言っても素晴らしいと褒め称えそうですが、アインズ自らが作ったパンドラにうわぁと言ったシズなら……


今回ザリュースも出す予定でしたが、書いている途中にリュース、ベリュース、ザリュース、リュラリュースと『リュース』がつく名前ばかりが出る事に気づいたので出番なしにしました。


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第13話 冒険者モモン エ・ランテルに立つ

エ・ランテル編始まりですが、今回は前フリなのであまり動きはありません。

これからオリ展開増やそうと思っています。


2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/7 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/11/18 「~来い」→「~こい」 訂正しました


 その日、エ・ランテルに身知らぬ二人組が訪れた。

 

 一人は漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、深紅のマントを羽織っている。そして、その背には二本のグレートソードが揺れている。

 もう一人は長い赤毛を三つ編みにした誰もが振り返るような美しい女性。褐色の肌とその笑みからは野性的な魅力を感じる。その女性は膝まであるチェインメイルに、肩当てやブレストプレートを始めとした金属製の部分鎧を身に着け、長柄のウォーハンマーを手にしていた。

 

 二人は五階建ての冒険者組合の建物に入ると、ほどなくして首から銅のプレートのついたネックレスを下げて出てきた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冒険者御用達の安宿から、明らかにその宿にはふさわしくないような豪華な漆黒の全身鎧(フルプレート)を着た人物が一人出てくる。

 その人物は町中を物珍しそうに眺めながら歩みを進める。どこか目的地があるというでもなく、ただ街をぶらついているという風体だ。

 しばらく市場を歩いた後、店と店の間、通行人や買い物に来た客達の邪魔にならない位置で立ち止まった。

 

《もしもし、ベルさん、どーぞ》

《はいはい。こちらベルです》

《今、エ・ランテルの市場にいるんですが、分かります?》

《OKでーす。ばっちり見えていますよ》

 

 ナザリック地下大墳墓の執務室。豪華な椅子に座り、目の前に据え付けられた〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉をベルが覗き込んでいる。

 その鏡面には、エ・ランテルの市場の片隅で、周囲を見回しながらたたずむ漆黒の全身鎧(フルプレート)を着た人物が映し出されていた。

 

 アインズが冒険者としてエ・ランテルに行くにあたって、ベルは様々な警戒態勢を整えていた。〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉による状況の確認もその一つ。

 

 そして、もう一つが――

 

《ええと、ラの4番は市場の方へ。その辺りに黒い鎧を着たアインズさんがいるから、そこへ》

《ラの4番。ベル様へご報告。アインズ様の下へ到着いたしました》

 

 〈伝言(メッセージ)〉でシャドウデーモンに指示を出すと、ほどなく、アインズさんのところにたどり着いたようで〈伝言(メッセージ)〉が送られてきた。

 机の上に置かれたエ・ランテルの地図の上で、ラの4番と書かれたコマをソリュシャンが移動させる。

 

《周辺は人間どもの声で大変騒がしい状態です。周囲に聞こえる主な声は、リンゴ売りの女の声。焼いた鶏肉を売っている男……む? 『泥棒ーっ』と叫んでいる声がします》

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉の鏡面には走って逃げる男とそれを追う男が映し出されている。そいつらがアインズさんのすぐ近くを通り過ぎていった。

 今、シャドウデーモンから報告されたことを、そのままアインズさんに伝える。

 

《ええ。だいたい正確ですね。今、追いかけっこをしている二人が脇を通り過ぎていきました。大丈夫そうですね。そのシャドウデーモンでの警戒は》

 

 

 監視用として現在愛用している〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉には欠点がある。

 

 見ることは出来ても音を聞くことが出来ないということだ。

 

 やはり相手を見ることが出来ても、その声を聞くことが出来ないというのは不便だった。そして、しゃべった言葉が自動的に翻訳して聞こえるらしいこの世界では読唇術などは使えない。まあ、仮に使えても、ベルにもアインズにもそんな心得はないのだが。

 

 そこで考えたのはシャドウデーモンを使う方法。

 シャドウデーモンを音が聞きたい場所付近に潜ませ、聞いた内容を〈伝言(メッセージ)〉でこちらに伝えるというやり方だ。直接聞くのではなく、間にシャドウデーモンを挟む為、文字通り伝言ゲームになる危険性はあるが、それでもメリットの方が大きいと判断した。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉とシャドウデーモンの中継、二つを併用することで画と音の両方を、その場ではなく遠隔地にいながら知ることが出来る。

 すでに、エ・ランテルの街には〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉の監視やシャドウデーモンの存在に気づける者がいないことは確認済みである。

 そして、ここしばらくかけて、シャドウデーモンたちには何をどのように報告すべきか、優先順位は何かという事を教育し、訓練していた。 

 

 ただ問題は、シャドウデーモンからの報告は〈伝言(メッセージ)〉で送られてくるため、一度に複数の〈伝言(メッセージ)〉が送られてきたとき、誰が送った〈伝言(メッセージ)〉なのか、誰に〈伝言(メッセージ)〉を返せばいいのか、報告を受けた当のベルの方が処理しきれず混乱することである。

 

《ところで、アインズさん。お一人なんですか? お供のルプスレギナは?》

《ああ、宿に残してますよ》

《いきなり、個人行動ですか? エ・ランテルに着いた途端にいきなりそれって、守護者たちが知ったらなんて言うか》

 

 アインズ冒険者計画を知った時の守護者たちとのやり取りを思い出して、ベルはいささかうんざりした。

 

《いや、そこはベルさんと、この警戒網の最終チェックをするという事で……》

《はいはい、気を付けてくださいね》

《それにルプスレギナには私が出ている間に、ナザリックへの報告をするように言ってありますよ》

《ふーん。そうですか》

 

 耳を澄ませると、隣の部屋から「くふー! よくやったわ、ルプスレギナ! その調子で私の事をもっともっとアピールするのよ!」という大声が聞こえてくる。

 

《ああ。今、報告してるみたいですよ……。そういや、結局、名前はどうしました?》

《私がモモンで、ルプスレギナがルプーにしました》

《普通ですね》

《この前、二人で考えた名前も捨てがたかったんですが……、偽名なのだから、分かりやすく間違えないシンプルなものの方がいいとシズに言われまして》

《そうですか。そうだ、お金は大丈夫ですか?》

《ええ、まだ物価を調べているところですが、この調子ならすぐには無くなったりはしませんよ》

 

 今のところ、こちらが持っているこの世界の通貨は、周辺の村から集めた銅貨と陽光聖典の魔法詠唱者達が持っていた財布に入っていた分だけだ。陽光聖典の連中はそれなりに金貨や銀貨を持っていたし、わずかながら白金貨まで持っていた。さすがに銅貨は重すぎるためにごく一部だが、それらの大半はアインズさんに渡してある。この世界の町で暮らすには何かと入用だろうから。

 だが、とにかく一刻も早く資金を集める必要がある。金がないことには満足にこの地で動くことが出来ない。

 

《じゃあ、ベルさん。私はもうしばらく街をうろついてから宿に戻りますよ》

《了解です。私も〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉であちこち見て回りますよ。なにかありましたら、すぐ〈伝言(メッセージ)〉で連絡ください。セバスやユリ、ナーベラルらを派遣しますので》

《はい。その時はお願いします》

 

 そう言って〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉内のアインズさんが移動を始め、画面から消える。

 隣の部屋からは「ル、ルプスレギナがアインズ様と同じ部屋に宿泊するーっ!?」という絶叫が聞こえてきた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、町中を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見て回り、練習がてらシャドウデーモンを向かわせて報告させるなどしていた。

 

 活気あふれる市場、穏やかな雰囲気が漂う住宅区、昼間でも日が当たらない貧民街……。

 あからさまに危険そうな場所にでも足を向けない限りは、エ・ランテルは結構治安は良さそうだ。

 

 上空から街を見下ろしてみたり、売っている品物をアップで見て質を確かめたり、塀の上を歩く猫を追跡したりと気の向くままに〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の視点を動かす。

 すでに時刻は夕暮れ時。家へと帰る者も多い中、街中では酒や女など夜の商売が始まろうとしている。家々には灯りがともり、基本的に灯りは使わず日が沈んだら寝てしまうカルネ村とはかけ離れたものを感じる。

 若い男女二人組が人気の少ない公園の茂みに入ったのを見て、思わずそこに視点を動かそうとしたが、すぐそばにソリュシャンがいるのを思い出し、さりげない風を装ってさらに視点を動かす。こっそり顔を盗み見たが、今の行為に気づいたかどうかはその顔からは分からない。ばれてないといいなぁ、と思いながら視点を進ませると――。

 

「おや?」

 

 ――こんな時間に墓地へと向かう、フードをかぶった人物が鏡に映った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 墓地の中を漆黒のフード付きマントをかぶった人物が進む。

 やがて一つの霊廟にたどり着くと中へと入り、石造りの台座の装置を作動させてその地下へと降りていく。

 そこは魂の安息を祈る場所とは全く異なる邪悪な空間であった。

 

「やっほー。カジッちゃん、いるー?」

 その声に赤いローブを着た痩せた男が物陰から姿を現す。

 

「クレマンティーヌか。首尾はどうだった?」

 

「ああ、いや、ダメダメ。ま~だ」

「ぬ? まだ、手に入っとらんのか」

「だぁってぇー。叡者の額冠獲りに法国に戻ろうとしたら、なんか急に王都に行ってこいなんて命令が来てさ。今、行って帰ってきたとこ」

「王都にだと?」

「そう。なーんかぁ、陽光聖典の連中が王国戦士長殺しに行ったのに、殺すどころか返り討ちにあって。しかも、そのリーダーが自殺もせずに捕虜になったっていうんだもん。下手に情報漏れたら大変だ、急いで殺してこい、って言うから急いで殺してきたの」

「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフか……。確かに戦士としての腕前は英雄レベルだが、魔法に関しては全くの門外漢。そんな相手に、わざわざ自分たちから襲い掛かって逆にやられるとは。うわさに聞く陽光聖典も大したことがないようだな」

「まあ、エリート気取りのやな連中だからねー」

 

 嘲笑の顔を改め、カジットがクレマンティーヌに向き直る。

 

「まあ、そんなことはいいわ。それよりどうするつもりだ? これから、法国へ行って叡者の額冠を奪ってくるのか? 儂としては別にお主の計画、叡者の額冠とンフィーレア・バレアレを使って〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉を発動するという事をせんでも、いいのだぞ」

 

 だが、その言葉にもクレマンティーヌは全く動じることなく、へらへらとした笑いを顔に浮かべている。

 

「んんー。そうだね。カジッちゃん頑張ってるもんね。……でもねぇ、それなしだと一体いつまでかかるのかなぁ?」

 

 その言葉にカジットが口をゆがめる。

 カジットはこのエ・ランテルで『死の螺旋』を行うために数年をかけて準備してきた。だが、まだそれが出来る段階ではない。儀式には大量の負のエネルギーが要る。実際に実行できるようになるには、まだまだ時間がかかる。今のままでは、ゆうにあと数年は要するだろう。

 カジットがクレマンティーヌの無茶ともいえる計画に協力する気になったのもそこに理由がある。〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉を使って町中をアンデッドで埋め尽くせば、数年も待つことなく、すぐにでも儀式を開始できる。

 

「そういう訳で、もうちょっとの間だけ待っててね」

「ふん。もう一度聞くが、これからどうするつもりだ?」

「うーん。そうだねぇ。いっそ先にンフィーレアの方を攫っちゃおうか? 叡者の額冠は後で」

「ンフィーレアはまだ若いがこの街でも有名人だぞ。しかも祖母のリイジーは第3位階魔法まで使える魔法詠唱者(マジック・キャスター)な上に街の名士でもある。騒ぎになるぞ」

「んー。大丈夫じゃない? むしろ先に叡者の額冠奪って法国に追われながら儀式するよりいいと思うよ。それに、そのンフィーレアって薬師だから、たまに薬草取りに行くんでしょ。そこを攫っちゃえば当分の間はばれないんじゃない?」

 

 




 現在のクレマンさんはまだ法国に対して明確に裏切り行為はしておらず、裏切った後の潜伏先としてズーラーノーンに接触しているという設定です。

 シャドウデーモンが〈伝言(メッセージ)〉を使えるかどうか分からなかったのですが、とりあえず使えるという事で


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第14話 災厄の始まり

原作準拠シーンはさくっと飛ばします。


2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/5/21 「・・・・・・」 → 「……」 訂正しました
2016/11/18 「いつもどうり」→「いつもどおり」、「するだけ飽きたらず」→「するだけに飽きたらず」、「早さ」→「速さ」、「延び」→「伸び」、「~来た」→「~きた」訂正しました


 村を救った事への心からの感謝の言葉を残し、ンフィーレアは背を向けて歩き出す。

 

 その背をベルと、漆黒の鎧で身を包んだ冒険者モモン=アインズは見送っていた。

 

「……いきなり、バレましたね……」

「……ええ……」

「ルプスレギナ、アルベドの名前出しちゃったんですか?」

「はい。ルクルットさんに私の恋人かと尋ねられた時に、ついポロっと」

「うーん。人当たりの良さからアインズさんのお供にルプスレギナを選びましたけど、……ナーベラルの方が良かったかもしれませんね」

「ああ、確かにそつなくこなしそうですから、そんな失言はしないでしょうね。ちょっと他人へのあたりがきつそうだったので止めましたけど」

 

 ここはカルネ村。

 冒険者モモン=アインズが、冒険者組合で文字が読めないために諍いを起こして後、銀クラスの冒険者『漆黒の剣』並びに薬師ンフィーレアとともに怪物(モンスター)討伐、薬草採取の護衛、そしてカルネ村への配達という任務のためにやって来ていた。そして、村の手助けに訪れていたベルと偶然(・・)出会い、二人で話していたところにンフィーレアがやって来たのだった。

 

「…………」

「…………」

「……エンリ。……アルベドの胸をアインズさんが揉みしだいたって言ったの憶えてましたね」

「……まあ、口止めしたのは私がアンデッドであるって事と現在の基礎知識を知らないって事だけでしたし」

「ま、まあ、いいのでは?」

「よかないでしょ。エンリ、女の子ですよ。伝聞でもそんなことしたって知ってるって、今後、どんな顔してエンリに会えばいいんです?」

「いつもの顔でいいでしょう。どうせ骸骨なんですし」

「他人事みたいに言いますね」

「めっちゃ他人事ですし」

「言い切りましたね! そもそもベルさんが言ったからでしょう!」

「だって事実でしょうが!」

 

 馬鹿な二人のやり取りに、アルベドの名前を出したことの謝罪を切り出すタイミングがつかめず、ルプスレギナはいつまでもまごついていた。

 

 

「それにしても、アインズさんがガゼフの報酬を届けに来るとは思いませんでしたよ」

「私もです。文字が読めずに適当にとったものが、まさかガゼフが内々に依頼した、この前の報酬の配達依頼だったとは」

 

 しばらくして、いつもどおり強制的に精神が落ち着いた二人は、スライディングするように土下座したルプスレギナに対して支配者然とした態度で再び同様の過ちは行わないようにと注意をしたうえで、先ほどのやり取りは他の者には言わないように言い含めた。そして、モモンが運んできた荷物に一緒に入っていた手紙をあらためて広げてみる。

 当然ながら、そこに書いてある文字は読めない。先程、カルネ村のアインズ達にあてがわれた家に入り、そこで〈解読〉のスクロールを使って内容を読んだのだ。

 

 そこには前回の件の感謝の言葉、本来自分が直接カルネ村を再訪すべきところだが貴族の目があり行けなくなったことへの謝罪が書かれていた。

 

 ガゼフとしては正式に先だっての件を報告し、アインズ達に王国からの報奨の支給と王都への招待を行いたかったのだが、それは叶わなかった。

 王派閥と貴族派閥で争う今の王国では、それは貴族たちによる口舌の争いの的となったのだ。

 名前も知られていない見ず知らずの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が王国の兵士それも王国戦士長という地位にあるものを差し置いて王国の民を救った。それも民を襲っていたのは法国の人間で、それを明確に示す証拠物品があり、さらに当の指揮官まで生け捕りにしたというおまけつきだ。

 会議は紛糾し、ガゼフの能力を疑問視するだけに飽きたらず、そのゴウンとかいう魔法詠唱者を引っ立てるために軍を派遣すべきだとか、この件を基に法国に攻め入るべきだなどという話まで出た。

 その場は王の声で何とか収まったが、もしガゼフと互角に戦った少女ベルの話までしていたら、それこそとんでもないことになっていたはずだ。

 

 アインズ達に約束した先の件を反故にするのは信義に反するし、あのような強大な力を持つ者たちを冷遇するのは王国の為にもならない。だが表立ってはそういった事は行えない。

 

 そこでガゼフは一計を案じた。

 貴族の目が届かないよう、伝手を使ってエ・ランテルへ報酬と手紙を運び、そこで他人の名でミスリル級冒険者への依頼として冒険者ギルドへ頼んでもらったのだ。

 だが、そこで齟齬が生じた。ガゼフとしては自分が直接おもむけないことへの詫びとして、わざわざエ・ランテルで雇える最高の冒険者であるミスリル級に託すことで、王国が決してアインズ達を軽視していないことを示そうとしたのだが、当の冒険者たちはそんな内実は当然ながら理解していない。

 ミスリル級の冒険者ともなると、ほぼ一生分の金は稼ぎ切っている。冒険者としての依頼を受けるのは生活の為というより、自らの探求心や功名心を満足させるため、そして力を持つものとしての使命感の為に依頼を受けている。銀や鉄、銅級の冒険者ならよだれを垂らして飛びつくような、報酬は高額だが、ただの配達任務というものを受けようとはしなかった。

 その為、他の任務が請け負われ張り出された羊皮紙が剥がされていく中、この任務のみが周囲に他の依頼の紙がない状態で、一枚だけぽつんと貼ってあった。

 それを冒険者組合に来たものの文字が読めなくて困ったアインズが、ただ目についたという理由で手にとり、受付に持っていったのだ。

 しかし、ミスリル級冒険者が受けようとしなかったとはいえ、それはあくまでミスリル級冒険者に依頼された任務である。

 当然のことながら、問題が起き――

 

「ミスリル級冒険者を吹っ飛ばしちゃったんですか?」

「ええ、まあ……。前日に宿屋でやったように胸ぐらをつかんで放り投げたんですけど、その時横に投げ飛ばしたら他のテーブルにぶつかっちゃってトラブルになったので、そうならないようにと今度は上に投げたら、そいつ天井に頭をぶつけて気を失ってしまいましてね」

「うーん。文字が読めないことをごまかすための苦肉の策から起こった仕方のないことですけど……。まあ、良くはないですねぇ」

「やはりそうですか」

「なんせ、相手はミスリル級冒険者ですからね。そいつがどんな奴かは分かりませんが、下手に恨みを持つ奴だと嫌がらせとか悪評立てるとかあるかもしれません」

「はぁ、参りましたね」

 アインズは肩を落とす。

「いやいや、さっきも言いましたけど、良くはないですが仕方のないことですよ。とにかく何か行動すればトラブルはつきものです。それにそのおかげで、そのミスリル級の依頼を銅級の新人モモンが受けられたんですから。おかげでガゼフの報酬以外に、冒険者としての依頼金まで手に入る事になりますから、だいぶ財政が潤いますよ」

「そう言っていただけると、少し気が楽になります」

「それより対処法を考えときましょう。それで、その投げ飛ばしたっていうミスリル級冒険者はなんて奴なんです?」

「ええと、なんだったかな? たしかクラル……いや、カラルグラ、クロラグル……なんだかそんな感じの変なチーム名でしたね」

「はっきり憶えていないんですか?」

「あ、私にケンカを売ってきたのは、そこのリーダーだとかいうイグヴァルジって男でしたね」

「ふむ。冒険者組合付近でシャドウデーモンに聞き耳を立てさせておけば、いずれ特定できるでしょう。ミスリル級の冒険者、それも銅級に負けた存在となると色々噂とか立つでしょうし」

 ベルは腕組みをしながら考えていたが、ふと思いだしたようにアインズを見上げた。

「そう言えば、なんかタレントってのあるんですって?」

「ああ、そうらしいです。なんだか、特別な才能――異能と言ってもいいようなものを持って生まれる人間がいるらしくてですね。なんというか、生まれる際に低確率で、かつランダムにスキルを取得するような感じらしいですね。一緒に来た冒険者のニニャは魔法の習熟が通常より容易になるというタレントを持っているらしいですし、あのンフィーレアは使用制限を無視してありとあらゆるマジックアイテムを使うことが出来るそうです」

 

 ベルは目を細めた。

 

「アインズさん、それ……」

「ええ、注意が必要ですね」

「タレントですか……、どんなものなのか、調べてみたいですね。持っている人間を手に入れるか、囲い込むか……。ああ、それはそれとして」

 

 パンと手を叩く。

 

「これから皆で薬草取りに行くんでしょう?」

「ええ、ついでに森の賢王も倒して、可能ならば従えてしまおうと思ってます」

「ああ、そりゃいいですね。カルネ村の発展を考える時に、なにかとあいつの存在が引っかかってきて、とにかく邪魔で邪魔でしょうがなかったですし。……っと、それでこれから森に行って、カルネ村で一泊して明日には帰るって日程なんですよね?」

「はい。今のところ、そんな予定ですけど」

「それなんですけど。エ・ランテルに帰るの、もう少し遅らせられませんか? ちょっと、面白そうなの見つけたんで。あとデミウルゴスのとこの嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)って〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉使えましたよね? 少し、アイツ貸して下さい」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの貧民街。それも廃棄された地区を歩いていた。

 今日はここで待ち合わせがある。金の為なら汚れ仕事も請け負うワーカーを雇うためだ。

 目標であるンフィーレアは、タイミングよく薬草を取りにエ・ランテルを出てカルネ村という集落の方へ行ったらしい。そして護衛は銀級と銅級という有様。まさに攫ってくれと言わんばかりの状況だ。

 ただ、さすがに一人でそいつらを襲ったとしたら、いかに自分と言えども数に押されて獲物の逃走を許してしまう事になるかも知れない。

 そこで、数には数という事でワーカーを雇うことにした。

 出来れば捕まえた後に足がつかないように、普段からエ・ランテルにいる連中じゃない方がいい。さすがにそういう条件付きだと探すのは面倒かと思ったが、もうエ・ランテルに数年潜伏しているカジットに頼んだら伝手を使って条件にあてはまる数チームを探し、さらに連絡まで取ってくれた。とりあえず、頭数さえいてくれればいい。ンフィーレアを捕まえたら、あとは全員殺してしまってもいい。

 一仕事終わった後、ワーカー達にどうネタ晴らしして、そしてどう殺そうかと考えながら鼻歌交じりに歩いていた足がピタリと止まった。

 

 直感。

 

 やばい。

 なにか危険がこの先にある。

 

 血の匂いはしない。

 だが、長年危険と隣り合わせに暮らし、多くの死を見、そして作りだしてきたクレマンティーヌは空気に漂う死の匂いを感じていた。

 

 周囲に注意を巡らす。

 何の音も聞こえない。

 いや――不自然なほど静かすぎる。

  

 引き返すべきか?

 わずかにあとずさりした、その瞬間、また足が止まる。

 

 前だけではない。後ろからも危険な感じがする。

 囲まれている?

 どうする? 全速力で走って逃げるか? こちらから奇襲して倒すか? それとも交渉してみるか?

 

 逡巡するクレマンティーヌの前に、路地の暗闇から二人の人影が現れる。

 

 一人は少女。腰まで伸ばした白に近いブロンドの髪に紫色の不思議な衣服を身に纏っている。

 もう一人は金髪のメイド。その容姿、体形、全てがまるで何者かに作り出された芸術品のように整っている。

 

 感覚で分かる。

 このメイドは危険だ。おそらく自分に匹敵、もしかしたら自分よりも強いかもしれない。

 いったい何者だ? クレマンティーヌはスレイン法国の漆黒聖典として、強者の知識は十分蓄えている。風花の調査でも、法国の外で自分にかなうのはこの近辺では5人だけという事だった。そして、このメイドはその5人のだれとも容姿が似通っていない。

 

 目立たないようにわずかに腰を落とし、即座に行動を起こせるように態勢を整えていると、少女の方が近寄ってきた。

 

「やあ、こん……」

 

 クレマンティーヌはスティレットを手に、矢のように飛びかかった。

 

 相手の正体は分からない。意図も分からない。

 だが、主導権は渡さない方がいい。

 見たところ、あのメイドの方はかなりの使い手だが、こちらの少女は全くの素人だ。ただの金持ちの娘か、それともどこかの組織に属する高位の者なのかもしれない。もしかしたら見た目は幼くても、竜王国のロリババアのように年を誤魔化しているのかもしれない。金持ちの娘ならともかく、どこかの組織の人間なら拙いことになるかもしれないが、この状況で何もしないでいるよりはマシだと判断した。

 とりあえず、足でも突き刺して人質にしてから話を聞けばいい。

 

 電光のような速さの載った突き。

 だが、その刃先は少女の手にしっかと掴まれた。

 

 クレマンティーヌは驚愕に目を見開く。

 いまだかつて、自分の必殺の突きをそのようにされた事は一度たりともない。

 力を込めて振りほどこうとするが、まるで万力に挟まれているかの如く、びくともしない。

 

「うーん。えっとさ、ボクは君に……」

 

 空いているもう片方の手で別のスティレットを手にとり、少女に突き立てようとするが、それも同様に掴まれてしまった。

 

「あのね……」

 

 次の瞬間。

 クレマンティーヌはスティレットに込められていた魔法の力を解放した。触れていたベルの身体に〈雷撃(ライトニング)〉が流れる。本来は刃先を相手の身体に突き立て、体の内部に直接魔法をぶちこむという必殺の業だ。刃先を掴まれているだけという状況で使うのは、あまり良い手段とは言えないが、今のこの状態を打破しないことにはもうどうしようもない。とにかく、相手の手を離させることが最優先だ。

 だが――

 

「ん? これは〈雷撃(ライトニング)〉かな? 属性武器というより、魔法を追撃として放っているのか? 面白いね」

 

 〈雷撃(ライトニング)〉を受けたはずの少女は何の苦痛も効果もないように、平然と声を発している。

 

 そんな、馬鹿な!

 

 もう片方の〈火球(ファイヤーボール)〉も発動する。

 だが、一瞬、少女の身体が炎に包まれるも、瞬く間に雲散霧消した。

 

「へえ、いろんな魔法を好きに装填出来るんだ。色々と応用がききそうだね。……でもさ、ちょっと、人の話は聞こうよ」

 

 微かにイラついた声が耳に届いた瞬間、ものすごい力で両手のスティレットが奪い取られる。そして、少女がクレマンテーヌの顔に手を伸ばす。

 それを後ろに下がって避けようとしたが、

「っ!?」

 後退しようとした足を払われた。

 自分の背後にはいつの間に回り込んだのか、金髪のメイドが立っている。

 

 羽交い絞めにされる!

 

 とっさに、残った予備のスティレット2本を手にとり、掴まれた瞬間メイドの脇腹に突き立てようとしたが――

 

 

 ――ズブリ。

 

 クレマンティーヌの身体が、メイドの身体に沈み込んだ。

  

 クレマンティーヌは混乱した。

 背がぶつかると思った瞬間、その背に当たるはずの感覚がなく、代わりに泥に潜るような感触とともに自分の身体が他人の身体にめり込み、そして突き抜けたのだ。しかも、その直後、今度はびくともしなくなる。

 

 今、目の前に見えているのは金髪の後頭部だけ。口から下はメイドの身体の中にある。

 

 訳が分からない。

 口元から胸、上腕部までがメイドの体内にめり込んでいる。

 クレマンティーヌは自由に動く足をばたつかせる。足を曲げて、メイドの膝をへし折ってやろうと踵を叩きつける。だが、その足も体のときと同様に、泥に足を突っ込んだような感触の後に引き抜けなくなる。もう片方の足も同様だ。

 唯一動かせる肘先で必死にスティレットをメイドの脇腹に突き立てるが、メイドは意に介した様子もなく、「はいはい。暴れないでくださいませ」と言って、その手首をつかみクレマンティーヌのへその上辺りに押し付ける。

 

 もはやクレマンティーヌは何一つ身動きが取れない状態だ。

 見る人がいれば、それは奇怪な光景だったろう。端正な顔と素晴らしい身体つきをした美しいメイドの直立しているその身体に、肌もあらわな鎧を着た別の女がエビぞりのような状態でめり込んでいるのだ。

 女の身体に潜り込んでいる部分では、まるで無数の触手が皮膚を撫でているようなおぞましい感触が伝わってくる。

 

 クレマンティーヌは唯一動かせる目を大きく見開き、周囲を見回す。

 その目は暗闇から現れた第三の存在をとらえた。

 

 肉感的な身体を持つ女。黒い革で出来た身体の要所要所だけを覆う衣服を身に纏っている。だが、最大の特徴はその頭部。女の頭は人間のそれではなく、黒い鴉そのものだった。

 

 悪魔。

 

 クレマンティーヌの身体に震えが走る。

 いま、目の前にいるこの悪魔は明らかに桁が違う。

 人間が体を鍛えたからどうしたの、修行をしたからどうしたのといった些細なものを超越している。

 

 圧倒的な強者の空気。

 

 それがクレマンティーヌの肌にビリビリと伝わってくる。

 

 クレマンティーヌもそれこそ数え切れないほどの修羅場をくぐり、強敵と相対してきた。幾度も視線をくぐった。死も覚悟した。死よりもつらい拷問を受けた。だが、そんなものは、今、目の前にいる存在と比べれば何の意味も価値もないものだった。

 はるか昔、子供の時、他愛もない闇や影におびえたように、クレマンティーヌはただ無力な幼子のように恐怖に身体を震わせていた。

 

 その悪魔が、身動きの取れないクレマンティーヌの額に手を伸ばす。

 クレマンティーヌは悲鳴をあげたかったが、その口はメイドの身体の中なため、それすらもかなわなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やっほー。カジッちゃん、ただいまー」

 

 声をかけられカジットは眉を、カジットには眉毛などないが、ひそませた。

 

「どうした、クレマンティーヌ? ワーカーを雇って、街を出たンフィーレアを攫いに行くと言っておったではないか?」

「ああ、それね。やめちゃった」

 

 カジットの瞳が危険な形に吊り上がる。

 

「クレマンティーヌよ。何を考えている? 儂はこの街を死の街へ変えるために、数年の準備をしてきたのだ。儂の邪魔をするのなら……殺すぞ?」

 

 僅かばかりでない苛立ちと殺意のこもった声。

 しかし、その声にクレマンティーヌは平然と答えた。

 

「まあまあ、怒らないでよ。代わりに凄くいい物、持ってきたんだ」

 

 そう言って、背負い袋からアイテムを取り出す。

 それは奇怪な姿をしていた。見たこともないような金属で出来た物体。細長い円錐のようなものが螺旋をまいて上へと伸び、さらにはその途中途中から奇怪に折れ曲がる筒状の突起が生えている。

 

「なんじゃ、これは?」

 

 見るからに謎の物体。外見からはまったく用途もわからない。だが、念のため、カジットは〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉〈付与魔法探知(ディテクト・エンチャント)〉をかけてみる。

 

 その顔色が瞬時に変わった。

 

「なっ! ば、ばかな、これは……!? き,貴様、いったいこれをどこで……」

「えへへへへ。凄いでしょ。これはね。スレイン法国が厳重に保管している秘宝の一つでー、ふふん、発動させると、この先っちょのところから霧が出て、かなり広範囲に広がるんだよ。そして、その霧でおおわれている場所では際限なくアンデッドが召喚されるって代物。いうなれば、範囲にかける〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉って所だね。法国がこの近くを輸送するっていうから、ちょっと行って奪ってきちゃった」

 

 そう言ってにひひと笑う。

 

「ふはは。つまりは、このエ・ランテルそのものがカッツェ平野となるという事だな。素晴らしい。これがあれば、ンフィーレアなんぞ必要ない。早速、死の祭典を前倒しで進めよう」

 

 意気揚々とそのアイテムを運ばせ、準備を始めるカジット。

 

 

 だが、クレマンティーヌはその背を見ながら、ふと心に浮かんだ疑問を考えていた。

 

 スレイン法国の秘宝……?

 そんなものあったっけ?

 そもそも、そんな存在があるという事をいったいどこで聞いたんだったか……?

 輸送しているところを奪う? あれ? 自分はここ最近エ・ランテルを離れたことはない。いったい、どこを輸送していたんだ?

 それに自分の武器。愛用のスティレットは4本あったはずなのに、今は3本しかない。どこかに落としたのだろうか? それにそのうち1本は魔法蓄積(マジックアキュムレート)に込めていた魔法が何故か無くなっている。

 

 何か違和感を覚え、記憶をたどる。

 確か、自分はどこかに行こうとしていた。ワーカーに会う約束で……。人通りのない暗い道を歩いて……。

 

 ――少女。

 

 そう、少女を見たんだ。

 白に近いブロンドの髪を長く伸ばし、紫色のこの辺りでは見ない奇妙な服。

 

 でも、あれはどこで見たんだ?

 そもそもあれは誰だったんだ?

 

 クレマンティーヌの疑問は晴れぬまま、死の螺旋の準備は速やかに進んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その日、異変に最も早く気付いたのは墓地を見張る衛兵だった。

 

「今日も静かな夜だなぁ」

「ああ、そうだな。いつもこうだといいんだけどな」

「そうだな。早く交代が来ないかね。酒でも飲みに行きてぇや」

「まったくだなぁ。 ……なんだか霧が出てきたな」

「ああ、そうみたいだな。俺の生まれ故郷では……」

「ちょっと待て! 何か聞こえなかったか?」

「おい、脅かすなって」

「いや、耳を澄ませてみろ」

 

 鎧が立てる音を抑えるため、身動きせず耳を澄ませる。

 なにか遠くから固い音が聞こえてくる気がする。

 

「なんだ?」

「墳墓を見回っている隊が帰ってきたんじゃないか?」

「もうか? しばらく前に行ったばっかりだろ」

 

 だが、見ると一人の衛兵が墓地の中から門の方へと走ってくる。

 たった一人?

 巡回の部隊は必ず10人一組で行動するはずだ。何故一人だけなのか。その衛兵は目は大きく見開き、必死の形相を浮かべ、明らかに異常な様子だ。

 やがて門へとたどり着き、走ってきた勢いのまま体当たりする。そして、上にいる仲間たちに門を開けるよう頼むことも忘れたように、ガチャガチャと扉を揺らし続け、握りこぶしを叩きつける。

 その様子に、塀の上にいた衛兵たちが慌てて扉を開ける。走って来た男は文字通り転がり込んできた。

「どうした? いったい何があった?」

 問う声に答えもせず、(おこり)のように身体を震わせた途端――。

 

 ビシャアッ!

 

 その腹が破裂し、中から内臓が飛び出した。

 

「ひやああぁぁっ!」

 

 近づいていた衛兵が悲鳴を上げる。飛び出した内臓はグネグネと生きた触手のように衛兵の身体に絡みつく。

 周囲の者達は慌てて引きはがそうとする。

 だが、そうして仲間を救うために格闘する耳に新たな音が聞こえてきた。

 門の向こう側から大挙して歩いてくる無数のアンデッドの群れ。

 

 

 

 その日がエ・ランテルの地獄の始まりだった。

 




ナーベラル
「もちろん私ならば、たとえどんなことがあろうとアルベド様のお名前をうっかり喋るような失態は致しません。もし万が一にもそのようなミスをしたら、小鉄のコスプレでもしてあげます(フフン)」



ようやくタイトル詐欺状態を脱せそうです。


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第15話 エ・ランテル それぞれの戦い

2016/1/17 『骨も皮もない骸骨』→『肉も皮もない骸骨』に訂正しました。
2016/1/18 ユリの髪型が『シニヨン』となっていたのを『夜会巻き』に訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/7 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
 文末に「。」がついていなかったところがありましたので、つけておきました
2016/11/18 「来た」→「着た」、「うがった見方」→「勘ぐった見方」、「言った」→「いった」、「魔方陣」→「魔法陣」、「~来い」→「~こい」、「~行く」→「~いく」 訂正しました


 ガチャリ

 

 音を立てて、部屋の中に武器防具を装備した一団が入ってくる。

 全員、すでに疲れ果てた様相だ。

 かなりの広さのある大部屋では、すでに何人もの武装した人間がくたびれた様子で思い思いに体を休めていた。

 

 

 エ・ランテルが晴れることのない霧に包まれてから数日が経った。

 突如、街中に出現したアンデッドの大群に対応は後手後手に回った。

 どうやら、この霧は西側にある墓地から流れてくるらしいが、そこに近づこうにも、大量のアンデッドの群れに阻まれて辿り着けない。

 アンデッド達のいる場所を封鎖しようにも、この霧が立ち込めているところからなら場所を問わず、そこかしこでアンデッドが湧いて出てきており、それがあまりにも広範囲におよぶため、封じ込めによる被害の拡大防止が叶わなかった。

 

 エ・ランテルは三重の城壁に守られた難攻不落の城塞都市である。だが、あくまでその防御は外からの敵に対してである。内側から無限に出現するアンデッドの大群の前に、その城壁は意味をなさなかった。

 

 

 街の人々はこの状況から我が身を守るために右往左往した。

 そして、その行動は大きく分けて4つに別れた。

 1つ目は、自分たちの居住区にバリケードを作ってアンデッドの侵入を防ぐ事。この霧は西側から発生しているため、東側ではあまり霧もかかっていない。アンデッドも霧が立ち込めていない場所には、別の場所から歩いてくることはあっても、突如湧いて出ることはあまりないようなので、東側の地区ではすべての道をバリケードで封鎖し、侵入する者たち、アンデッドも人もすべてを防いでいる。

 2つ目は、街の外に出る事。街から出る際にもアンデッドに襲われる危険はあるが、アンデッドたちが徘徊する街の中にいるよりは、はるかにマシだった。そのまま、別の街に行ける者達はいいが、そうできない者たちもたくさんいる。街の城壁の外には逃げ出した民衆が大量にあふれ、臨時に作られた大きなテントで寝泊まりしている。当然ながら環境は悪く、食料も満足にない。治安も悪くなる一方だという。

 3つ目は、自分の家に立てこもる事。しっかりと扉にカギをかけ、出入り口をふさぎ、自分たちの力だけで家を守り、この異変が終わるのを待つ。一体どれだけの人間がこの選択をし、そしてどれだけの人間が生き残っているかは、今は誰にも把握できない。

 4つ目は、防衛に適した大きな建物に大勢で避難し、即席の防壁を築き、力を合わせて立てこもる事。東地区に逃げ込めず、街の外へ逃げるタイミングも逸した者たちがそうして身を寄せ合っている。このような避難所は現在、エ・ランテル内にいくつもあった。

 

 そして、ここはその一つ。多くの一般市民が逃げ込んでいる建物を取り囲むように、周辺の建物をバリケードで繋げ防御施設とした避難所だ。守るのは街の衛兵だけではなく、冒険者および戦いに長けた者たちが拠点の守備に加わっている。

 

 

「おい! 『3つ』と『4つ』! お前ら、さっさと守備に行ってこい!」

 

 その怒鳴り声に、『4つ』などという呼び名で呼ばれたワーカーの金髪碧眼の男が声をあげる。

 

「おい、俺たちはちょっと前まで守備についてたところだぜ。それと俺たちは『フォーサイト』って名があるんだ」

「はん。だからどうした? 普段、人に迷惑かけてんだから、こういう時くらい役に立てよ。分かったらさっさと行きやがれ」

 

 その男、ミスリル級冒険者『クラルグラ』のリーダー、イグヴァルジは侮蔑の混じった言葉を投げかける。

 

 床に直接座って休んでいた『フォーサイト』のメンバーであるイミーナが、怒りの声を発した。

 

「ちょっと、アンタ。ミスリル級冒険者かなんか知らないけど、なに偉そうに命令してんのよ」

「はん。冒険者になりたくてもなれなかった落ちこぼれだろ。金の為なら何でもするゴミ虫の分際で、人間の言葉を口にするなよ。混ざりもの」

 

 人間と森妖精(エルフ)のハーフであるイミーナを揶揄された瞬間、ヘッケランは立ち上がった。

 

「おい、てめぇ……。今、なんて言った?」

 

 ビキビキと眉間に青筋を立てて睨みつける。

 だが、イグヴァルジもまた幾多の死線を乗り越えてきたミスリル級冒険者。

 

「あん? 言った通りだ、コラ!」

 

 一触即発の空気に場が凍り付く。

 

 

 

 その空気を破ったのは第三者の怒声だった。

 

「あんたら! こんな時に何やってるんだい!」

 

 高齢の老婆がガチャガチャと音を立たせて荷物を運んでくる。

 彼女はリイジー・バレアレ。この街の薬師だ。

 

「この非常事態に随分と余裕があるんだね? 喧嘩するくらい、まだまだ体力に自信があるのかい? それなら、両方とも守備に行って、その無駄な体力を使ってきてくれないかね?」

 

 そう言って、二人をねめつける。

 その視線に、イグヴァルジもヘッケランも目をそらした。

 

 彼ら、衛兵や冒険者たち、戦いに身を置く者たちが彼女に逆らえないのには理由がある。

 彼女自身、第3位階という常人が到達できる最高位の魔法まで使いこなすことが出来、その戦闘力は下手な冒険者などよりはるかに高い。だが、それよりなにより、彼女リイジー・バレアレは、このエ・ランテルにおいて最高の薬師であるためだ。

 人がケガや病気にかかった時は、神官に魔法を使ってもらうか、薬師の作ったポーションで治すかである。特に冒険者を始めとした戦いの場におもむく者にとって、神官が常にそばにいればいいが、当然のことながら、そんな状況にはならないことも多い。回復魔法が使える神官はどこでも貴重であり、また、魔法も無限に使えるわけではない。そこで冒険者にとって、個人で持ち運べていつでも使えるポーションはまさに生命線となる。当然、自分の命がかかるポーションは可能な限り効果の高いものを求める。この街で最も効果の高いポーションを作れるリイジーにケンカを売ることは、そのポーションが手に入らなくなってしまうという事だ。

 

「そら、アンタたちはこんな年寄りが荷物を運んできているのに、ただぼーっと見てるのかい?」

 

 その言葉に、座って休んでいた者達は慌てて立ち上がり、リイジーの持ってきた荷物、箱に入ったポーションを代わりに持って運ぶ。

 今も、戦闘が続く中、ありあわせの材料で可能な限りポーションを作ってくれているのだ。逆らえるはずもなく、またその理由もない。

 

 

 イグヴァルジは唾を吐き捨て、体を休めるために部屋の片隅に行く。クラルグラのメンバーもそれに続く。その際、先頭を行くイグヴァルジに見えないように、軽く手をあげ、すまなさそうに頭を下げていったが。

 

 ヘッケランとイミーナも仲間の下へ戻り、再び腰を下ろす。周囲にいた冒険者たちが気にしないようにと声をかけて(なだ)める。

 

 この避難所において、戦力となるものは貴重だ。

 建物の奥にはかなりの人間がいるが、その中で戦闘が出来る人間となるとまずいない。引退した元衛兵なども駆り出されている。

 まともに戦力になるのは街の衛兵と冒険者。だが、それだけではあまりにも足りないため、フォーサイトらのようなワーカーにまで声がかかり、こうして防衛の任についている。

 普段は冒険者とワーカーというあまり仲の良くない間柄だが、今はお互い肩を並べて戦う仲間だ。その中で諍いなど起こしてほしくないというのが、普通の者達の考えだった。

 

 

 

 それにしても、ついてないことばっかりだ。

 

 ヘッケランは肩を落とす。

 もともとフォーサイトは王国ではなく帝国、それも帝都周辺をホームグラウンドとして活動していた。たまたま、ちょっとカッツェ平野にアンデッドを狩りに行ったら思ったより稼げたので、掘り出し物のアイテムでもないかとそのまま少し足を延ばしてエ・ランテルにやって来たのだ。

 そうして、しばらく滞在していると、この街を拠点にしていないワーカーを探しているという人物が接触してきたので、その依頼を受けに行った。だが、連絡のあった場所に行ったが依頼人はおらず、その後ずっと待ち続けるも結局すっぽかされてしまった。

 ちょっと遅刻しただけだというのに。

 あの時、行くのが遅れたのはイミーナがかわいい声を出していたからであって、それに抵抗できなかったのはしょうがない。後でそのことを言ったら、膝蹴りを食らった。

 そして、もうこの街を出ようと話していたところ、どこからともなく霧が出てきて、この始末。

 

 一応、終わった後の報酬は約束されたが、そもそも生き残れなければ報酬が払われることはない。

 幸い、この避難所の中にはクラルグラのような……というかあそこのリーダーのイグヴァルジとかいう馬鹿のような奴はほとんどいず、他の冒険者や衛兵たちも気を使ってくれている。ここしばらくの戦闘で、自分たちの実力が冒険者で言えばミスリル級に達すると示したためだ。エ・ランテルではミスリル級が最高で、その数も少ない。自分たちが頼りにされるのも当然だろう。それに普通程度には周囲とのコミュニケーションも取っている。

 

 あっちの『スリーアーム』と比べれば。

 

 部屋の隅にいる、先ほどイグヴァルジに『3つ』と言われたワーカーチーム『スリーアーム』の連中を視界の端に収める。

 とにかく、胡散臭く奇妙な連中だ。ワーカーという事だが、その格好は街の外を旅する格好ではない。一人は全身鎧(フルプレート)を着た戦士で、こいつはまあいい。だが、他の二人は貴族のように高価そうな衣服に身を包んだ男とトーガのような大きな布をその身に巻き付けた女だ。何故か3人とも、その防具や衣服に比べて、振るう剣はそこらで手に入れたような並みの代物だったが。

 聞けば、町の外で冒険するのではなく街中での活動がメインだとは言っていたが、町中で人さらいなり、暗殺なりを専門にしているのだろうか? 

 まあ、素性なんてどうでもいい。あいつらが戦っているのを見たが、その実力は間違いなく大したものだ。

 

 だが……。

 

 こうして見ている今も、衛兵がスリーアームらにちょっと話しかけたが、それには全く応えず手を振るようにして追い払う。

 

 あいつらもこの街の人間じゃないらしいが、とにかく人づきあいが嫌らしい。他の冒険者らと協調姿勢をとりたがらない。

 先程、イグヴァルジに難癖つけられた時もあいつらは、全身鎧(フルプレート)の男の表情は分からなかったが、冷笑を顔に浮かべ、逆に見下すような態度をとっていた。

 実際、あの連中の態度に腹を据えかね、またイグヴァルジが怒っていちゃもんをつけ、それをあの連中が嘲笑うという悪循環が続いていた。

 そのせいで避難所の雰囲気がどんどん悪くなっている。

 

 そうして、まるで破裂寸前の風船に囲まれでもしているような空気の中、エ・ランテルの冒険者組合組合長のプルトン・アインザックが苦虫を噛み潰したような顔で現れた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 イグヴァルジは舌打ちをした。

 

 まったく腹の立つことだ。

 こんな時に、貴族の護衛だと。

 

 ちらりと後ろを見やる。

 そこには戦士の一団。皆、衛兵たちとは異なり、武装がしっかりしている。その中央にはより一層武器防具共に高価なものを身に着けている、なんというかいわゆる気品とでもいうようなものを漂わせた男。

 戦士のような恰好をしているが、その身のこなしから見るに大した戦力にはなるまい。装備はいいが、せいぜい街の衛兵と同程度。おそらく貴族としての鍛錬は積んでいるが、実際に生き延びるために地を這って戦った事などないだろう。本人はそれなりの自信があるようだが、イグヴァルジからすれば笑ってしまうようなものだ。

 

 たしか、クロード……なんとかクルベルクとか言っていた。いちいち憶えていないが、その辺は仲間が憶えていてくれるだろうからいいだろう。

 

 こんな時にこんな奴を街の外に逃がさなくてはならないとは。

 

 先ほど、組合長から言われた事を思い出す。

 この避難所に逃げ遅れた貴族とその護衛達がいる。そいつらを街の外まで護衛しろ、と。

 

 こんな状況下で何を言ってるんだと食って掛かったが、どうやら、その貴族はただの人物ではなく、王国でも権力的に上位にあたる人物と関わりがある者らしい。そいつがこのエ・ランテルで死ぬと、あれやこれやと政争の種になるそうだ。

 

 「お前たち、クラルグラを信用して頼む」と言われたが、何故自分たちが選ばれたのかはよく分かる。

 それは一緒に護衛に指名されたのが、避難所の空気を乱す原因のもう一つでもある、あのワーカーチーム、『スリーアーム』の連中だからだ。

 

 本当にこいつらはむかつく連中だった。

 チームワークが必要な非常事態だというのに、まったく他の者と協力をしようとしない。

 確かに強さはあるのだろう。だが、個々に出来ることには限りがある。こういう時は全員で協力すべきだ。そしてミスリル級冒険者である自分たちの事をまとめ役と認め、言う事に従うべきだろう。

 それなのにあいつらは、この俺に従いもせず、敬意すら示さない。それどころか、嘲笑や侮蔑まで向けてきやがる。

 それによその街の人間らしく、この街がどうなろうと知ったことじゃないという態度だ。あいつらがこの任務を聞かされたとき、リーダーらしい優男が言ったのは「やれやれ、ようやくこの街からおさらば出来るぜ」というセリフだった。

 

 イライラしていると、仲間から肩をたたかれた。声を出さずに、大丈夫だと手をあげて応える。

 軽く深呼吸して、心を落ち着かせる。

 苛立ってくると周りが見えなくなるのが、俺の悪い癖だ。何度も注意され、自分でも拙いことは分かっていたため治そうとしたが、なかなか上手くはいかない。

 

 とにかくここ最近は苛ついていた。

 原因は分かっている。

 それは数日前の出来事。

 冒険者組合に現れた銅のプレートを下げた二人組の件だ。

 

 あいつらは、まだ一度も依頼をこなしてもいない新人のくせに、他のミスリル級の連中が受けなかったとはいえ、ミスリル級の依頼を受けようとした挙句、冒険者組合によって決められたランク制すら否定したのだ。内心、イグヴァルジ自身もこのプレートによるランク制は馬鹿らしいとは思っているが、それでも自分は規則に従い一つ一つ昇格試験をこなして上がってきたのだ。それをぽっと出の人間が馬鹿にしたのだ。

 

 イグヴァルジからすれば、今までの自分のしてきた苦労に唾を吐きかけられた思いだった。

 

 その男は見ただけで逸品である事が分かる鎧をその身に纏っていたが、背中にはどう使うんだというような、普通は両手持ちで使うグレートソードを二本も担いでいた。そして連れの女も、目を見張るような美女。

 おそらく、どこかのボンボンが金に飽かせ、吟遊詩人の歌うサーガを夢見て冒険者ごっこでもしようと思ったのだろう。

 

 そう考え、身の程を教えてやろうと思ったのだが――

 

 ――逆に自分の方があっけなく気絶させられてしまった。

 

 

 イグヴァルジは怒り狂ったが、もはやその二人組は、イグヴァルジが気絶している間に依頼を受けて街を出ていってしまった。しかも何故か、まだ若いが高名な薬師ンフィーレア・バレアレの指名依頼を受けてだ。

 数日は街に戻らないらしい。

 つまり、イグヴァルジの雪辱を晴らす機会も数日は訪れないという事だ。

 

 ミスリル級冒険者が銅級、それも昨日冒険者組合に登録したての新人冒険者に気絶させられたという噂は瞬く間に広がった。

 イグヴァルジ自身、自分の力を誇示し横柄に振る舞うことが多く、表立っては言わないが嫌う人間が多かったことと、その銅級冒険者が目立つ外見をしていた事も影響した。

 

 自分に向けられる侮蔑の視線に怒り、気づかう者達の言葉に怒り、そうではない者達の一挙手一投足にまで勘ぐった見方をして怒った。

 

 そうしているうちに霧の異変が起き、苛つきは収まらないまま、避難所での防衛にあたり……こうして、遠ざけられる有様だ。

 

「ところで君たち。まだかかるのかな? 結構歩いた気がするが」

 例のお貴族様が声をかけてきた。

「ええ。あの避難所からだと北西の門が近いんですが、そっちのルートだとアンデッドがたくさんいる墓地の近くを通らなきゃいけないんで、一度南東に向かって富裕層の居住区を三つ目の城壁に沿って抜け、そこから南を目指します」

 気分はささくれ立っているが、貴族に失礼な態度をとっては拙いと考えるだけの分別はある。

「ふむ。そちらは大丈夫なのか?」

「富裕層の人たちは割と早く街を脱出しましたから、あの辺りには人があまりいないんですよ。人がいないってことは、それを襲うアンデッド達もあまりいないってことです」

 

 たぶんな。

 

 胸の中で付け足す。

 今、言ったのはただの憶測に過ぎない。異変が起きてから、避難所を出歩くなんてできなかったのだから。

 避難所の外の状況は魔法詠唱者(マジック・キャスター)が〈伝言(メッセージ)〉で交信して得られたあやふやなものしか分からない。だが、いちいち全部喋って、不安になったこの貴族にあれこれ質問攻めにされるよりはましだろう。

 

 とにかく一刻も早くこの貴族を外に送り出して、自分達はあそこに戻ろう。このままだと、あそこにいた者達から、肝心な時に貴族の護衛のついでに逃げ出していたと噂される可能性がある。先の組合での一件に加えて、そんな悪評が流れでもしたら、十三英雄のような詩人に歌われる英雄となるという自分の夢も露と消える。

 

 (はや)る心を再び深呼吸で落ち着かせ、先を急ぐ。

 

 

 だが、そうして歩いていると――

 

 ――地獄の奥底から聞こえるような咆哮が響いた。

 

 

 その声に皆、足を止める。

 不安そうに顔を見合わせていると、音が聞こえた。 

 何者かが足音を立てて、こちらに向かってくる。

 それもかなりの速さで。

 

「な、なんだ!?」

 

 誰があげたのかは分からないが、悲鳴のような声が聞こえた。

 民家の壁を破壊しながら路地から飛び出てきたのは、見たこともない、まるで悪夢から出てきたような、死の騎士とでも呼ぶような存在だった。

 

 突然現れた強大なアンデッドに皆が凍り付く中、周囲からはガシャンガシャンと大勢が速足で駆ける音が近づいてきた。

 無数のスケルトンたちがイグヴァルジ達を囲むように霧の向こうから姿を見せる。

 

「ひ、ひぃ……」

 

 かすれるような声を口から出し、クロードらは剣を構えた。だが、その剣先はぶるぶると震えている。

 

 この場で、かろうじてだが、戦えそうなのはクラルグラ、それとスリーアームの連中だけか。

 イグヴァルジはそう判断し、ごくりとつばを飲み込む。

 

 誰もが動こうとしない。

 そんな中、「リュースぅ。あなたの今日の役目は死体を手に入れる事なんだからぁ、くれぐれも従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にしないように気を付けてねぇ」と、姿は見えないがどこからか女の声が聞こえた。その声に応えるように、死の騎士が一鳴きする。

 

 それと同時に囲んでいたスケルトンたちが動き始めた。

 

 何とか突破口を開けないかと考えた瞬間――。

 

「今だ! 行くぞ!」

 

 そう叫ぶとスリーアームの三人は、囲みが薄そうなところに突っ込み、包囲からの脱出を試みた。

 

 貴族らを挟んで後ろにいたスリーアームがいなくなると、当然、貴族たちはスケルトンたちと向かい合う事になる。

 情けない悲鳴を上げる貴族たち。もはや足さえも震え、立っているのがやっとという状態だ。

 

「くっ、あの連中。このタイミングで裏切りやがって!」

 イグヴァルジが毒づく。だが、それはクラルグラ全員の思いだ。

 周囲はスケルトンに囲まれ、目の前には見たこともない強大なアンデッド。さらに自分たちにはお荷物までついている。一応戦力になりそうな連中は我が身可愛さに自分たちだけ逃げだそうとしている。

 どう考えても絶望的な状況だ。

 だが、この程度で諦めるわけにはいかない。

 自分は絶対に生きて帰る。それこそ誰かを犠牲にしても。

 

 イグヴァルジは気合を入れるために声を発した。

 

「おう、アンデッドども! 俺はクラルグラのイグヴァルジだ! お前らを倒す男の名前だ、冥土の土産に憶えときな!」

 

 虚勢交じりのイグヴァルジの啖呵。

 

 それに対し――

 

 

 ――その場にいたアンデッド全てが一斉に顔を向けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エ・ランテルの一角。

 最奥の3つ目の城壁に近い居住区。この辺りは主にエ・ランテルでも富裕層が居を構えている。

 かつては家の持ち主およびその家族や使用人達が生活し、穏やかな時間が流れていたであろう一帯は、街が霧に包まれ、アンデッドが徘徊するようになってからは無人の地となっていた。住人たちは他の街へと避難し、逃げ出そうとせず自分の家に護衛と共に立てこもった者たちは、すでにアンデッドたちの仲間入りをしていた。

  

 そんな生ける者のいない地で、動く者たちがいた。

 

 多数のスケルトンが一軒の大きな家の中で動いている。外から窓越しに見る限りでは何をやっているのかは分からない。ただ、何かを探しては、手に持ってどこかに歩いていくのは分かる。

 しばらく見ているうちに、やがて、段々と家の中のスケルトンの数が減ってきた。

 家の外に出ていっているのではない。家の門からも、通用口からも、そして窓からも出ていくものは何一つない。それなのに、家の中を動き回るスケルトンの姿は減り続け、やがて一体も見えなくなった。

 

 そうして、静まり返り誰もいなくなった家の扉を開け、一人の女性が歩み出てきた。

 髪を夜会巻きにまとめ、レンズの入っていない眼鏡をかけたメイド。

 

 そのメイドはまっすぐ門の方へと歩き――

 

「失礼ですが、出てきていただけますか?」

 

 と、声をかけた。

 

 

 その声に門の陰に隠れて観察していた三人の人間、スリーアームの面々が姿を現した。

 皆、一様に身体を固くしている。

 

「やあ、お嬢さん。ごきげんよう」

 

 伊達男が声をかけた。

 

「はい。皆様方におかれましても、ご健勝のご様子なによりでございます」

 

 慇懃無礼といったメイドの答えに、伊達男が顔を引きつらせる。

 

「ええっと……こんなところで何をしていたんだい? そうだ。このお屋敷の主に仕えていたメイドだったけど、逃げ遅れていたとか?」

「いえ、違います。主の命によりこの屋敷に伺っておりました」

「ははあ。この異変の前にこの家を訪れたけど、逃げだしたこの家の人間たちに取り残されて、家から出られずにいたって事かな?」

「いえ、違います。私がこの家に派遣されたのはこの霧が発生した後の事です。今から1時間ほど前でしょうか。」

「そ、そうなんだ。……じゃあ、これから帰るのかな?」

「はい。ですが、もう一仕事残っております」

「そうか。じゃあ、邪魔をしちゃ悪いな。それじゃ、俺たちはこれで」

 

 そう言って立ち去ろうとするが、その背に「お待ちください」と声をかけられた。

 

 嫌々ながらという雰囲気を隠しもせずに振り返る。

 

「何かな?」

「はい。たいへん申し訳ありませんが、私への命令には目撃者の始末も含まれておりますので、皆様方にお帰りになられては少々困ります」

 

 言葉を失う男に代わって、トーガを身に纏った女が口を開く。

 

「あのさぁ。お互い会わなかったことにしない? あなたは……何やってたか知らないけど、その家の中でやってた事をきっちり出来る。あたしらはこのまま見なかったことにして街を去る。その方がお互いにとっていいじゃない」

「大変申し訳ありませんが、主の命ですので」

「そこまで仕事熱心にやる事もないと思うけど……」

「とんでもない! 頂いた任務をこなし、主のお役に立つことこそ、この身に受けうる最上の喜びです」

 

 はっきりと強く断言する。その言葉に女も絶句した。

 

「血路を開かねばならん、という事か」

 

 全身鎧(フルプレート)の男が声を発した。普段話さない分、その言葉には重みがあった。

 三人は瞬時に散開し、フォーメーションを組む。そして互いに距離を保ちながら、メイドを取り囲む様にじりじりと間合いを詰めた。

 対するメイドは直立した姿勢を保ったまま、微動だにしない。

 

 

 

「気を付けろ! こいつはボス並みに強いぞ」

「ああ、本気でいくさ」

 

 そう言うと伊達男は腰の剣を投げ捨てた。

 そして、彼本来の主武器であるレイピア。『薔薇の棘(ローズ・ソーン)』を引き抜いた。

 

「挨拶しておこう。俺の名は『千殺』マルムヴィスト」

 

 女は身に纏っていたトーガを脱ぎ捨てる。その下には薄絹を身に纏ったなまめかしい肢体。そして、なぜそんなにあるのか、三日月刀(シミター)を入れた鞘が5本もぶら下げられている。

 

「私は『踊る、三日月刀(シミター)』エドストレーム。そっちの全身鎧(フルプレート)は『空間斬』ペシュリアン」

 

 言われたペシュリアンは腰に下げた剣を一つ鞘ごと捨て、残ったもう一つの剣の柄に手をかける。

 

「お嬢さん。アンタも相当な使い手みたいだ。王国の人間なら八本指の事は知ってるよな? 俺たちはその中でも最強と言われている六腕のうち3人だ。当然、俺たちに何かあれば、アンタとアンタのご主人様にも手が回るぜ。さあ、今のうちに降参してくれるんなら、加減してやってもいいけどな」

 

 自らの正体並びに後ろ盾(バック)を明かすことで、少しでも相手にプレッシャーを与え、動揺させようという思惑だったが、意に反しメイドは何ら動じる気配すら見せなかった。

 

 そして、自らの両手の籠手を胸の前で打ちつける。

 

「私、名前をユリと申します。僭越ながら、主命により目撃者である皆様方を殲滅させていただきます。それでは参ります」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エ・ランテル西部にある墓地。

 ここでは、今まさに邪悪な儀式が完成しようとしていた。

 

「ふはははは! 素晴らしい。素晴らしいぞ! 負のエネルギーが集まってくるわ」

 

 霊廟前に作られた魔法陣。今そこで、カジット並びにその部下たちが儀式を行っていた。

 

 これこそ『死の螺旋』。

 アンデッドが集まっている所ではさらなるアンデッドが生みだされるという性質を利用し、大量のアンデッドを集めることで、より強力なアンデッドを召喚し、より強力なアンデッドを集めることでさらに強力なアンデッドを召喚し……といったように際限なく強大なアンデッドを生み出し続けていく邪法である。だが、ズーラーノーンにはこの邪法の裏の意味も伝わっている。それは大量のアンデッドを生み続けることで集まった負のエネルギーを己に封じ込めることで、自らをアンデッドに生まれ変わらせるというものである。

 

 今、エ・ランテルはアンデッドを発生させる霧に覆われ、もはや数えることすらできないほどのアンデッドが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、それによって失われた命は数知れず。それらによって生み出された負のエネルギーは膨大なものとなっていた。

 

 カジットが魔法陣の中心に立ち、呪文を唱える。

 部下たちも魔法陣の各位置につき、一心不乱に呪文を唱えていた。

 

 その様子をクレマンティーヌは冷めた瞳で眺めていた。

 そうまでして、アンデッドになってなにか意味があるのか? というのがクレマンティーヌの率直な感想だ。

 カジットは子供の時に死んだ母親を生き返らせたいらしい。だが、いい年をしたカジットがなぜそこまで母親を思うのかが理解できない。クレマンティーヌの心にある家族は憎しみの対象だ。目の前にいたら、その手のスティレットを突き刺してやりたくなりはすれ、けっして愛情とかは感じないだろう。もしかしたら、自分の精神がおかしくなっているためにそういった事を感じないだけで、普通の人間は何年たっても母親を求めるものなのかもしれない。

 まあ、どうでもいいか。

 

 見ているうちに負のエネルギーとやらが、目視出来るほど濃くなってきた。黒い煙のようなものが周辺に渦を巻いている。

 

 一際、カジットの声が大きくなった。

 絶叫のように声をあげ、手にしていた黒いオーブを高く掲げる。

 

 

 その瞬間。

 黒い光。そうとしか言えないような不可思議なものが魔法陣の中を駆け巡った。

 

 

 先ほどまで吹き荒れていた風がピタリとやみ、黒い煙もどこかへ消え去った。

 

 そして、魔法陣の中に立っていたのは――

 

 

「やった! やったぞ! ついに儂はアンデッドに。骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)になった!」

 

 そこにいたのは、肉も皮もない骸骨。

 それが先程までカジットが着ていた衣服を身に着け、杖や黒いオーブをその手に持っていた。

 

 死の螺旋の完成である。

 

「おめでとうございます、カジット様」

 

 部下達が駆け寄り、口々に祝いの言葉をかける。

 

それに対して、カジットは――

 

「ああ。ありがとう、お前たち。そうだ。お前たちにも褒美をやろう」

 

 そう言うと黒いオーブを掲げ、魔法を使った。

 

 オーブから飛び出した光が部下の身体へと突き刺さる。苦痛のうめきをあげて、部下が瞬く間にミイラとなった。

 

「カ、カジット様! いったい何を?」

 

 カジットは満足げにうなづき、慌てる部下たちに向き直った。

 

「言った通りだ。褒美だよ。お前たち人間に、アンデッドであるこの儂に生命を捧げさせてやろうというのだ」

 

 笑い声をあげながら、次々と魔法を使う。悲鳴を上げて逃げ惑う部下達。魔法で反撃しようとする者もいたが、カジットの防御魔法にすべて防がれる。

 

 そして、一分も経たないうちに、全ての部下たちがその場に倒れ伏していた。

 

 カジットは空っぽの眼窩を向ける。

 その先にはクレマンティーヌ。

 

「んー? どうしたのかな、カジッちゃん」

「ははは。言わなければ分からんか、クレマンティーヌ? お前にも儂の役に立つ栄誉を与えてやろうという事だ」

「そりゃあ、ごめんこうむるね」

「ふはははは。ひ弱で愚かな人間の意思などどうでもいいわ。目の前に見えている真理にすら気づかぬ愚か者に罰を与えてやろう」

 

「……あのさぁ、カジッちゃん」

 

 クレマンティーヌの声が低くなる。

 

「念願のアンデッドになって調子に乗ってんのかもしれないけど、なりたてアンデッドがあたしに(かな)うとでも思ってんの?」

 

 突然、叩きつける殺気。

 常人ならばそれだけで腰を抜かし悲鳴を上げる程だったが、カジットはそれにも全く動じることはない。

 

「愚かよな、クレマンティーヌ。儂の切り札にも気がつかんか」

 

 その時、音を立ててはるか上空から巨大なものが飛来した。

 地響きを立てて、カジットの両脇に着地する。

 

 スケリトルドラゴン。

 骨で作られた竜の形状をした巨大なアンデッドである。その最大の特徴は魔法への完全防御であり、魔法詠唱者ではないクレマンティーヌにはあまり意味をなさないが、元が骨だけのアンデッドであるため、クレマンティーヌが本来得意とする刺突攻撃が効きにくいという特性がある。そして、その巨体はなかなかの肉体能力を有している。

 それが2体。

 さらにカジットが黒のオーブを掲げると、先ほどカジットが生命を吸い尽くした弟子たちがむくりと起き上がる。生命のない瞳でクレマンティーヌを見つめ、カジットを守るように前へと並んだ。

 

 アンデッドの軍勢に守られ、カジットは宣告した。

 

「さて、人間よ。儂がこの身に生まれ変わった今日という日を祝し、我が糧となるがいい」

 




カジッちゃん。
念願のアンデッドになれたものの、アンデッドになったことによる精神の変化のために、人間を下等な存在としか見れなくなり、クレマンさんと喧嘩になってしまいました。


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第16話 英雄の光臨

今回、アインズ様回です。

2016/3/31 「プルトン・アインザックエ・ランテルの~」→「プルトン・アインザック。エ・ランテルの~」 訂正しました
2016/5/21 「返ってくるくらいなら」→「帰ってくるくらいなら」 訂正しました
2016/10/7 「漆黒の件」→「漆黒の剣」 訂正しました
 「―」が誤ってついているところがありましたので削除しました
 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
 文末に「。」がついていなかったところがありましたので、つけておきました
2016/11/27 「~来た」→「~きた」、「そう意味」→「そういう意味」、→「例え」→「たとえ」、「言う」→「いう」、「呼んだ」→「読んだ」、「機転を効かせ」→「機転を利かせ」、「沸いて」→「湧いて」 訂正しました


「畜生! アンデッドども、とっととくたばりやがれ!」

 ヘッケランが叫ぶ。

 振るったメイスが壁を登ろうとしていたスケルトンの首を打ち砕いた。

 身を乗り出したヘッケランの身体を掴もうと、周りのスケルトンたちが手を伸ばす。

 イミーナの放った矢とアルシェの放った魔法の矢がその頭を貫いた。

 ロバーデイクがヘッケランの身体を引き戻し、飛びかかってきたアンデッドたちをモーニングスターで叩き落とす。

 

 フォーサイトは避難所の周りに作られた、民家を利用した防壁の上で、壁をよじ登り中へ侵入しようとするアンデッドの群れと戦っていた。

 

 基本的にアンデッドの群れはただ単調に襲ってくるだけなので、ミスリル級冒険者と同程度の実力を持つフォーサイトにとって撃退は困難な事ではない。

 

 だが、それが圧倒的な数の暴力による、来る日も来る日も繰り返される連戦、波状攻撃となると話が変わってくる。

 

 すでに武器を振るう腕は重くなり、放つ矢も尽きかけている。唱える魔法も、一度に多数を殲滅することのできる魔力消費の激しいものではなく、一体一体わずかずつでも確実に数を減らせ魔力消費が少なく済むものを使用している。

 

 ヘッケランの腹が鳴った。

 すでに食料も節約しなければならないほど、備蓄が少なくなってきてしまっている。

 一応、ここに立てこもる際に周辺から食料をあるだけかき集めたが、あくまで可能な限りという程度でしかなかった。

 しかも、避難している人間はかなりの数に上る。当然、消費は多くなる。

 守備に回っている人間には優先的に配られてはいたが、それも減らされてきた。魔術師組合の人間も多数いるので、中には食料を出す魔法を使える者もいるのだが、そちらに回す魔力があるなら防壁の防衛を優先させなくてはならない。

 

 あと何日持つか……?

 

 それまでに救助は間に合うか……?

 

 

 絶望的な思考に飲まれながらも戦い続けていた、その時――

 

 音が聞こえた。

 

 もうここ数日ですっかり耳にこびりついたスケルトン達の立てる乾いた音の合間に聞こえる、何か雷のような激しい音。暴風雨の夜に家の壁や屋根が立てるような、いつ果てるとも知れない切れ目のない音。

 それが少しずつ大きくなってくる。

 音の正体が、こちらに近づいてくる。

 

 ヘッケランは壁の上で目を凝らした。

 

 厚い霧に覆われた通りの向こうから、何かがこちらに向かってくる。

 通りを埋め尽くすアンデッドの群れを吹き飛ばしながら、この避難所めがけて近づいてくる。

 

 それは、漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った戦士だった。両の手に巨大なグレートソードを1本ずつ持ち、それを縦横無尽に振り回し、まるで無人の野を行くようにアンデッド達を切り捨てながら、こちらに走ってくる。

 その後ろには見たこともないような強大な魔獣。遠目でもわかる美しい赤毛の女神官。そして、こちらはただ走ってその背を追いかけているだけだが数人の冒険者達。

 

 その一団は瞬く間に防壁の手前までたどり着いた。

 そこで漆黒の戦士は両手の剣を大きく振るい、巨大な魔獣がその爪と尻尾で薙ぎ払い、周囲の敵を一掃する。続いて追いついてきた者達に「ルプー、アンデッド退散を!」と命ずると、女神官がウォーハンマーを両手で握り祈りをささげた。

 そしてウォーハンマーを突き上げ、発動させた瞬間――

 

 ――その場にいたすべてのアンデッドが消滅した。

 

 

 その光景に言葉もなかった。

 

 その力は圧倒的だった。

 

 一体一体は弱いと言える程度の相手であっても、あれだけの数を瞬く間に殲滅したのだ。

 戦いの中に身を置き、程度の差はあれども強さを追い求める者たちにとって、その姿は憧れそのもの。

 防壁の上にいた者たちは誰もが言葉もなくして、ただ茫然とその姿を眺めていた。

 

 やがて、漆黒の戦士はこちらを見上げると、膝を曲げた。

 

 ――そして飛び上がった。

 

 金属製の全身鎧(フルプレート)という普通の人間なら歩くのもやっとという代物を身につけた状態で、4メートルはある防壁をたやすく飛び越えた。

 

 そして壁の内側へ、体重を感じさせない動きで着地する。

 

 全員の眼がそちらへ釘付けになる中、外からは「え、ええーっ!」「いや、ちょっと待……」「ルプーちゃん、抱きしめてくれるのは嬉しいけど、それは……」「ぬわーっ!」「きゃーっ!」という声と共に先ほど少し遅れて走ってきていた冒険者たちが、同様に空を飛んできた。こちらは自分で飛んだというより、何かで放り投げられたという感だが。

 その者達を、漆黒の戦士は地面に落ちる前に首根っこを掴んで体を回転させ、怪我の無いよう地面におろしていった。

 次に「ちょ、ちょっと待ってほしいでござるよ。それがしはー……」という声と共に強大な魔獣も空を飛んできた。そちらは漆黒の戦士も受け止めはせず、地面にべちゃりと落ちた。

 続いて、赤毛の女神官も漆黒の戦士と同様ジャンプしてきた。

 

 

 突然、現れた一団に皆、声もない。

 

 現れたその者が凄い人物だとよく知られている人間なら反応も違っただろう。

 だが、漆黒の全身鎧(フルプレート)の戦士は銅のプレートを下げている。冒険者としては最低ランク。素人に毛が生えたような存在だ。何の助けになる。

 

 だが、その場にいた者達の中で、冒険者たちだけは気づいていた。

 

 こいつは先日、ミスリル級冒険者クラルグラのイグヴァルジを容易(たやす)く投げ飛ばした奴だ。

 

 

 沈黙の中、奥の建物から出てきた人物が声をあげた。

「ンフィーレア! ンフィーレアじゃないか。お前、無事だったのかい?」

 リイジーは作りかけのポーションを手にしたまま、走り寄った。

 空中に放り投げられたショックで地面にへたり込んでいたンフィーレアは、その声に立ち上がり祖母へと近寄る。

 

「お前、よく無事で。どうやって、ここに? いや、安全なエ・ランテルの外にいたはずなのに、なんでわざわざ中へ」

「うん、おばあちゃん。モモンさん達が連れてきてくれたんだ」

 そう言って振り返る。漆黒の戦士は軽く頭を下げ、会釈した。

 

「そうかい。それはよかった。……いや、よかったのかねぇ。こんな状況のところに帰ってくるのは」

 リイジーの顔が曇る。

 孫が無事だったのは嬉しい。再会できたことも。だが、この絶望的な状況の場所に帰ってくるくらいなら、最後に一目会えなくても、街の外にいてくれた方が良かったのかもしれない。

 

 その表情を見て、ンフィーレアは言葉を紡ぐ。

「大丈夫だよ、おばあちゃん」

「ん? どういうことだい?」

 リイジーは孫の顔を見返す。

「モモンさんがこの異変を解決してくれる。そう約束してくれたんだ」

 

 いったい、孫はどうしたんだろう? 不思議に思うリイジーにンフィーレアは真面目な顔で言葉を続ける。

 

「おばあちゃん。僕は……この件が無事に終わったら、カルネ村に行こうと思うんだ」

「? カルネ村にはたまに行ってるじゃないか」

「ああ、ええと、そういう意味じゃなくてね……。その……カルネ村に移り住もうと思ってるんだ」

 

 その答えにリイジーは目を丸くした。

 

「お前、何を言ってるんだい? カルネ村に移り住む? なぜ、そんなことを……」

 驚きの色を隠せないリイジーだったが、色々原因を考えるうちに、一つの答えを思いついた。

「ふむ、あのエンリという娘の事かい?」

 

 その答えにンフィーレアは顔を赤くする。

「う……うん、そうだよ」

「そうかい」

 はっきりと言ったンフィーレアにリイジーは微笑んだ。孫がカルネ村のエンリの事を気に入ってるのはうすうす気づいてはいた。まさか、ここまで本気だとは思っていなかったが。リイジーとしてもンフィーレアが幸せになるのに反対するわけではない。

 だが……。

 

「しかし、お前、薬師としての仕事はどうするんだい? たしかにカルネ村でも薬は作れる。あそこで採れる薬草も多い。でも、薬や錬金術には様々な材料がいる。カルネ村で採れる薬草だけでは無理だ。物が集まるエ・ランテルならそれらはたやすく手に入る。新しい薬とかの情報もだ。あの村ではそういう事は望めないだろう」

 

 カルネ村に行けば、好きな女性との幸せな生活は手に入るかもしれない。

 しかし、その代わり、薬師としての未来は失われてしまう可能性が高い。

 

 こう言っては親類であるための贔屓目かもしれないが、孫のンフィーレアは才能があると思う。まだ若くリイジーからしてみればまだまだ未熟だが、その腕、知識はなかなかのものだ。それが、カルネ村に行ったら、その才能も成長する機会がないまま枯れ落ちてしまうかもしれない。

 

 そうリイジーは危惧したが、それに対してンフィーレアは驚くことを口にした。

 

「おばあちゃん。例のポーションの件なんだけど……。もし、僕がカルネ村に行くっていうんなら、それが原因で薬師としての生活に不便が起きないように、モモンさんがあのポーションについての知識や情報を教えてくれるって……」

 そう小声でささやく。

 

 その言葉にリイジーは目を丸くした。

 知識とは力であり財産でもある。薬学を学んでいる者にとって、あの赤いポーションは喉から手が出るほど欲しい代物だ。それこそ、その製法の知識を得るためならば、手段を選ばないだろう。

 状況によっては、リイジーですら。

 それほどのものを赤の他人の為に、ほぼタダ同然で投げ捨てるように分け与えてくれるとはどういう事だろう?

 

 リイジーはあらためて、全身鎧(フルプレート)の男を見た。

「あんた、一体何を考えているんだい? あんたは……一体何者なんだい?」

 その問いに男はちらりと視線を走らせた。

「私はモモン。困っている人を助ける旅の者さ」

 

 リイジーは考え込んだ。

 そして――うなづいた。

「……分かったよ、ンフィーレア。カルネ村に移り住もうじゃないか。私も一緒に行くよ」

「おばあちゃん……」

「でもね、それはとにかく、ここから助かってからの話さ。今の状況は分かっているのかい?」

「うん。門の外にいた人たちに聞いたから」

「そうかい。じゃあ、どうするね? 逃げようにも、たとえモモンさんの力を借りたとしても、難しいだろうよ。ここにいる人間は私らのような人間だけじゃなく、戦う事も出来ない普通の人もたくさんいるんだ。そうそう逃げられっこないよ」

「問題はない」

 

 話を聞いていたモモンが口を挟んだ。

 

「どうする気だい?」

「なに。この霧は西の墓地から流れてくるのだろう? なら、墓地に行ってその原因を突き止め、霧が出ないようにすればいい」

 事もなげに言った。

 その答えにリイジーは絶句する。

 

 その言葉に息をのんだのは彼女だけではない。

 騒ぎを聞きつけ、建物から出てきた冒険者組合長プルトン・アインザックと魔術師組合長テオ・ラケシルの二人もだ。

 

「たしか……、君はモモンと言ったかな?」

 冒険者の組合長であるアインザックにとって、ミスリル級を叩きのめした銅級という存在は当然耳に入っていた。

「はい、そうです。……失礼ですが、あなたは?」

「私はプルトン・アインザック。エ・ランテルの冒険者組合の組合長をしている。こっちのラケシルは魔術師組合の組合長だ」

「そうでしたか。これは失礼な真似をして申し訳ありません」

 特に躊躇もなく頭を下げる。

 

 アインザックにとって、これは少々意外だった。

 普通、冒険者は自分の腕一つで世界を渡り歩いてるという自負がある。いざというとき頼りになるのは自分、そして仲間たちのみ。そうした血気盛んさと他への警戒心の強さを常に張り巡らせている。そんな彼らにとって、頭を下げ謝罪の意思を示すというのは、他者に舐められる危険性があるため、極力避けることが多い。

 

「いや、知らんのだから仕方がないさ。それより、今、君が言っていたことだが……」

「墓地に行って、この霧を止めるという事ですか?」

「ああ、そうだ。……出来るのかね? 本当に?」

「はい。無論です」

 

 再び言い切るモモンにアインザックは言葉を繋げることが出来ない。代わりにラケシルが尋ねた。

 

「ず、ずいぶんと自信があるようだね。しかし、先ほど、君たちが倒したアンデッドたちはあくまで一群にしか過ぎないのだよ。外はそれこそ数え切れないほどのアンデッドがたむろしているんだ」

「それが、この私、モモンにとって何か問題だとでも?」

 

 圧倒的な自信。傲慢と言ってもいいほどだが、その声には確かな実力に裏付けされた確信があるようだった。

 

「いや、待て待て」

 

 再びアインザックが話を代わる。

 

「仮に君の実力が確かなものであり、この辺りのアンデッドをものともしない程の力を持つとしても、今は動かない方がいい。すでに我々の方でも周辺の都市に救援を要請している。いずれ、援軍が来るだろう。解決に動くのはそれを待ってからの方がいい。君にはここの防衛を助けてもらいたい」

「ふむ。しかし、その救援とはいつ来るのですかな?」

「いや、それは分からんが、数日中には来ると思う……」

「では、重ねて聞きますが、この避難所はあと何日ほど持ちこたえられますか? 備蓄はあと何日分ありますか?」

「う、ぬぅ……」

「時間が経てば経つほど不利になる。それを分かったうえで守りを固めろとおっしゃるので?」

「し、しかし、今、この避難所では戦力が足りない。君という戦力が減少した場合、ここを守り切れない可能性もある」

「なるほど。つまり、ここを守ることが出来ればいいのですね?」

「あ、ああ、そうだが」

 

「何か、考えがあるのかね?」

 ラケシルも尋ねた。

「切り札があります」

 そう言って、モモンが懐に手を入れた時――

 

 

「敵襲ー! また敵が来たぞー!」

 声が上がった。

 

 防壁の上に立つ衛兵が声を張りあげていた。

 その男は声をあげながら怯えるように後ずさりし、数メートルはある防壁の内側へ転がり落ちてきた。

 苦悶のうめき声をあげる男の遥か上から、巨大な影が差した。

 

 防壁の上端をはるかに超える異様な姿。

 無数の死体が集まってできた巨大なアンデッド、集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)だ。

 

 その場にいた者たちは恐怖した。

 目の前にそびえる圧倒的な死と絶望にただ悲鳴を上げて、我先に逃げ惑う事しかできなかった。

 

 だが、そんな中で、モモンは動じることなく懐に入れていた手を出した。

 その手には水晶が握られている。

 

 それを目にしたラケシルは時も場合も忘れて声を出した。

 

「そ、それは! 稀覯本で読んだことがある……法国には至宝と呼ばれる強大な力があるマジックアイテムがある、と。それはその中の一つ……魔封じの水晶!」

 

 モモンはちらりと目を向け、

「ええ、その通りです」

 

 そう答えた瞬間、水晶が砕け散った。

 

 ラケシルが嘆きの悲鳴を上げるのと時を同じくして――光が輝いた。

 

 

 それはもう何日も霧に包まれ(さえぎ)られていた太陽がついにエ・ランテルに出現したかのようだった。

 数え切れないほどの光り輝く翼が集まり塊となっていた。そして、その中から笏を持つ手だけが伸びている。

 辺りは白く染め上げられ、微かな芳香が鼻孔をくすぐる。まるで、不死の者たちに汚染されていた空気が清浄なものへと浄化されていくように。

 

「ば、ばかな……これは、まさか。威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)……」

 

 呆然と口にするラケシル。

 今まで幾多の文献、資料を読んだが、その中でも僅かな記述しかなかった伝説の存在。200年前の十三英雄の時代、暴れまわっていた魔神の一体をたった一騎で倒したという最高位の天使。それをまさか、この目で見ることがあるとは思いもしていなかった。

  

威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)よ。〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉を放て」

 漆黒の戦士の命令を受け、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が動く。

 

 次の瞬間。光の柱が落ちてきた。

 

 

 第7位階魔法〈善なる極撃(ホーリースマイト)

 

 人間では到達しえない究極の魔法。

 それが集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)をとらえる。

 

 あまりの眩しさに皆が目を覆った。

 そして、再びその目を開けたとき、そこにはアンデッドの影も形もなかった。

 

 もはや言葉もない。

 絶望の中に現れた至高善の存在。

 誰もが声もなかった。ただ、身じろぎすらせず、その神聖なる異形の姿を眺めていた。

 避難所にいた者達も、外の騒ぎを聞きつけ固く閉ざしていた窓を開いた。そして、目の前にいる神の御使いを目にした。人々は誰ともなく膝をつき、両手を組んで祈りを捧げた。

 

 

 その光景を背に、モモンはアインザックに声をかけた。

 

「あの威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)はここに置いて、この避難所を守らせます。それでよろしいですね?」

 

 唖然としていたアインザックは、それでようやくモモンの意図が分かった。

「こ、ここを守るためにアレを召喚したというのか。……し、しかし、あいつを連れていかなくていいのか?」

 

「問題ありませんとも」

 当然のように答える。

 

 まさか、これを超える切り札があるというのか?

 

 もはや、アインザックには何も言えなかった。

 

 

 墓地へ向かおうと防壁へ歩み寄った時、

「モ、モモンさん!」

 声が聞こえた。

 

 振り向くと、ニニャがこちらをじっと見ている。

 声をかけたものの、なんと言ったらいいか迷ったそぶりを見せた後、

 

「ご、ご武運を!」

 

 そう声を発した。

 

 モモンはうなづくと、

「ええ、では行ってきます。すまないが、漆黒の剣の皆さんはここを守っていてください。行くぞ、ルプー! ハムスケ!」

 そう言うと、再び跳躍し、塀の外へと消えていった。

 

 ルプーは同様に飛び立ち、ハムスケは塀を登るための階段を駆けのぼり、視界から消えていった。

 

 あとに残された者たちはただ、その背を見送ったまま、呆然とたたずんでいた。

 

「あの人は一体……」

「モモンと言ったか。あんな人が銅のプレートとか嘘だよ……」

「……俺たちは伝説を目にしたのかもな……漆黒の戦士……いや、漆黒の英雄だ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 三人、モモンとルプー、それに一人に数えていいか分からないがハムスケは、しばらく走った後、急に道の脇、塀に囲まれた民家の庭に入って立ち止まった。

 ハムスケは何故止まったのか不思議そうにモモンを見つめている。

 

 その視線を流し、モモンは〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《もしもし、ベルさん。聞こえますか》

 

 わずかな時間待った後、返信が聞こえた。

 

《はい。聞こえますよ》

《あ、忙しかったですか?》

《ああ、すみません。あちこちから〈伝言(メッセージ)〉が届いてましてね。どれが誰からのなんやらという状況でして。すこし、遅くなってしまいました》

《大変ですね。では、手短に。まず、エ・ランテル内に入り、ンフィーレアの祖母であるリイジーのいる避難所に行きました。そこで例の、陽光聖典から手に入れた魔封じの水晶を使って、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚し、その辺のアンデッドを片づけました。現在は、避難所の防御は威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に任せ、我々はそこを出て、墓地へと向かっているところです》

《そうですか。どうでした? 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の召喚は?》

《ええ、上手くいきましたよ。兵士たちも冒険者たちも、みんな吃驚してました》

《ああ、やっぱり、この世界ではあれってかなり強いって印象なんですね。あ、それと、ンフィーレアの件は上手くいき……》

《どうしました?》

《すみません。ちょっと、問題が……ええと、少し待っていてもらえます?》

《あ、はい。こっちは大丈夫ですよ》

 

 そう言って〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 ルプスレギナとハムスケには休憩をとるように伝える。ルプスレギナはともかく、ハムスケは首をひねっていたが、主の命令という事で身体を休めることにした。

 

 僅かの間だが、気の休まる時間だ。

 アンデッドであるアインズに疲労はないが、心を休める時間は必要だ。

 

 これまでの行動を再確認する。

 

 思い返すのは、やはり先ほどまでの事だ。

 

 

 

 正直、もうばっちりだろう。

 

 もう、自分で自分を褒めてあげたいくらいだよ。

 

 あそこにいたお偉いさんたち、たしか冒険者組合の組合長のアインザックと魔術師組合のこれまた組合長のラケシルだっけ? この二人との話し合いも上手くいったな。

 あまり傲慢と思われない程度に、強者としての態度を示す。どのくらいのさじ加減でやればいいかはよく分からなかったけど、案ずるより産むが易しってヤツだ。

 

 それにあの陽光聖典が持ってた魔封じの水晶。

 正直、微妙すぎて使い道ないかなぁと思ってたけど、この世界では結構レアなアイテムみたいだったなぁ。それに召喚された威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)もなんだかこっちじゃ凄い強いキャラみたいな扱いだし。ラケシルなんか、もう目が飛び出るような凄い表情だったもんなぁ。インパクトは十分だろう。

 

 それとンフィーレアの件も上手くいった。

 もう、文句の付けどころがないくらい。

 

 ンフィーレアがエンリに恋心を抱いているって報告があったから、うちで囲い込むのに、ナザリックの影響力の強いカルネ村に住んでいるエンリとの仲を進めてやろうっていう方針は正解だった。

 

 俺がこの案を言った時、ベルさん驚いてたからなぁ。「ホントにいいんですか?」って。

 いや、俺だって、他人の恋路を邪魔しようとは思わないよ。

 嫉妬マスクは持ってるけどさ。

 せいぜい、デートでもしてたら嫉妬マスク被って何かしてやろうと思うくらいで……。まあ、エンリを始めとした村の人たちにはあの仮面の姿見られてるから、それはやらないけど。

 ベルさんは、なにか誰かの命の危険とかを演出したうえで、まともな判断が出来ない状態を作ってから、「お前の全てを差し出せ」なんて無茶な取引を持ち掛けるとかした方がいいって言ってたけど。そっちは上手くいきそうな気がしないんだよなぁ。

 かと言って、アルベドが提案した、二人を気絶させたうえで裸にして同じベッドに寝かせておく、とかいう案は絶対に反対するつもりだったけどさ。

 

 やっぱり、前準備として、ンフィーレアに恋愛の話をしておいたのが良かったよなぁ。

 

 

 

 エ・ランテルに入る前、それを話した時のことを思い返す。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 城塞都市エ・ランテル。

 数日ぶりに帰ってきた街の姿にンフィーレア、そして漆黒の剣の面々はただ唖然とした表情を浮かべていた。

 

 城壁越しに見えるエ・ランテルの上空には厚い霧がかかり、ときおり中から大量の人間のうめき声のようなものが響いてくる。城壁の外には数え切れないほどの人間がたむろし、ありあわせの材料でテントやバラックを作り、それが無分別に組みあい、重なり合ってスラム街を形成している。嘆きの声はとどまる事を知らず、怒声や悲鳴まで聞こえてくる。

 

 いったい何事かと思い、付近にいた人間に聞いてみたところ、数日前に突如霧が発生しはじめたこと、その奥から大量のアンデッドが襲ってきたこと、どうやら発生地点は墓地らしいがアンデッドが多くて誰も近づけないこと、もはや城壁の中はアンデッドだらけなこと、中には逃げ遅れ取り残された者も多数いることなどが分かった。

 

 ンフィーレアも漆黒の剣の面々も、このエ・ランテルの人間だ。

 生まれ故郷ではない者もいるが、少し前まで暮らしていた街だ。様々な人がいた。いい人間もいれば、中には悪い人間もいた。だが、みんなを助けたい、何とかしたいという気持ちがある。

 

 だが、彼らは迷う。 

 いったいどうすればいいんだと。

 

 だが、彼らは分かっている。

 自分たちには街を救えるほどの力がないことを。

 

 だが、彼らは思いあたった。

 この事態を何とかできるかもしれない人物の存在を。

 

 虫のいい願いだと話分かっていたが、問わずにはいられなかった。

 

「モモンさん……。モモンさんなら、この異変を解決できますか?」

 その問いに彼はちらりと視線を向け、「ああ、出来るだろう」と、答えた。

 

 普通の人間ならばそんな言葉は信用できなかったろう。

 だが、彼らの胸には確信があった。

 この人ならば、あの偉大な剣技を操るこの人ならば、強大な森の賢王すらねじ伏せたこの人ならば、この街を救う事も可能なのだろう。

 

 ンフィーレアは思いつめた表情で言った。

 

「モモンさん、お願いです。この街を、エ・ランテルを救ってください」

 

「なるほど。だが、条件がある」

 

 ごくりとつばを飲み込み、ンフィーレアは続く言葉を待った。

 

「それは……君が自分の心に向き合う事だ」

 

 突然の言葉に意表をつかれた。てっきり金銭やマジックアイテム、それもンフィーレアが払いきれるか分からないくらいのものを要求されるものだとばかり思っていたからだ。

 

 そんなンフィーレアにモモンが向き直った。

 

「エンリ・エモット」

 

 ンフィーレアの顔が一瞬で赤くなった。

「君はあの娘の事をどう思っているのかな?」

「い、いや、それは! モ、モモンさん!」

 

「私には幼馴染がいた」

 モモンは大きく息を吐き、語りだした。

 

「彼女は家も近く、年も同じで幼い時から一緒だった。いつも共にいるのが当然だった。だが、私はやがて大きくなり夢を持つようになった。この手で多くの人を救いたいと思うようになった。それで、薬……や、薬師の友人を……護衛して世界を旅してまわったんだ」

 

「薬師の友人……、もしかして、あのポーションはその方の!?」

 

「……ぅえ? ……あ、ああ、そうだ。そう、彼の置き土産だ。……っと、まあ、そんな訳で、そこはいいとして。そうしてあちこちを旅してまわる生活をしていて、いつの間にか彼女とはたまに故郷に帰った時しか会わないようになってしまっていたんだ。それでも、私は二人の関係はこれからも何ら変わりなく続くと思っていたんだ。あの時までは」

 

 モモンは皆に背を向け、視線をエ・ランテルに向けた。

 

「その頃、原因不明の伝染病があった。感染する者は少ないものの、感染が分かった時にはもう手の打ちようがなく、数か月ほどで息絶えるという厄介な病だった。私は……友人とその病気の治療法を探して歩いた。その治療法を見つけることが自分に与えられた使命なんだと思っていたよ。どこかの誰かが感染して命を落とすから、それを自分が救ってやるんだとね。そう、私はあの病気をただの自分が乗り越えるべき壁程度に考えていた。彼女が感染していることに気がつくまでは」

 

 聞いていた皆が、はっと息を飲んだ。

 

「気がついた時はもう手遅れだった。彼女は余命3か月と診断された。まさか自分の近しい人間がその被害にあうとは思いもしていなかった。限られた時間で必死に治療法を探したが、そんなに都合よく急に見つかるはずもなかった。私はなすすべもなくその手を握るしかできなかったよ。彼女のやせた手を握った時、なぜ私は今まで彼女のそばにいてやらなかったんだ、なぜ手を伸ばせば触れられる所にいたのに何もしてやれなかったんだ、と自分を責めたよ。そして、彼女が亡くなった後、彼女のこ……彼女の事はいつも胸の内から離れなかった……」

 

 肩越しに一瞬だけ、ンフィーレアに視線を向けた。

 

「君にはそんな思いをさせたくはない。何もなくても上手くいくかもしれない。だが、君の手の届かない所にいるうちに、彼女に何かあるかもしれない。後で後悔するよりは手の届く所にいてやるといい」

 

「モモンさん……」

 

 言葉もなかった。

 この偉大な人は、胸の内にそんな重い十字架を背負い続けていたのか。

 

「お聞きしても良いかな、モモン氏。その後、薬師のご友人はどうなったのであるか? もしや、この前、話されていたお仲間の御一人なのであるか?」

「え? ……えーと、そう……いや、違う、違うさ。その後、薬師の友人は不慮の事故で亡くなりましてね。一人になった所を聖騎士に助けてもらったのですよ。……そして、私は、せめてこの手の届く範囲の者だけでも救おうと力を身につけたのですよ」

 

「そ、そうだったんですか。そうして研鑽を積んだ結果、あれほどの魔法を習得されたのですか……」

 

「え? 魔法?」

 

 ペテルが疑問を口にした。

 何の事だろう? ルプーさんはともかく、モモンさんは戦士だから、魔法なんて使えないはずだが。

 

 モモンの背がびくりと動き、言ったンフィーレアは盛大に慌てた。

 

「い、いや……魔法、そう、魔法の知識の事ですよ! 魔法そのものじゃなく。モモンさんは戦士なのに色々な魔法の知識を習得されていたり、マジックアイテムにも詳しかったので!」

 

「ああ、なるほど。旅の途中もモモンさんはよく魔法の事を聞いていましたからね」

 ポンとニニャが手を打った。

「あれほどの戦士でありながら、並々ならぬ知識欲だと思っていました」

「あ、ああ、そういう訳なのですよ。知識は大切ですからね」

 とっさにニニャの言葉に乗った。そして、そのまま話をそらした。

 エ・ランテルという大きな街で名が知れ渡っているほどの地位や立場を捨ててカルネ村に行くのは、さすがに色々と困る事もあるし、薬師としての研究もそのままでは出来なくなるだろう。そこで、モモンは、カルネ村に行った場合に援助、すなわち例の赤いポーションの作成を始めとした薬学の知識を提供することを約束した。

 その提案にンフィーレアは息をのんだ。「そ、そんな……本当にいいんですか!?」と息せき切って訊ねてきたが、昔の友人の薬師から受け継いだものを君に託したいというと、ンフィーレアはうつむいて立ちつくし――そして承諾した。

 

 そうして、先ほど城壁の周りにいる者にリイジーが避難している場所を聞いたという事にして、街の中へと入っていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 うん。

 我ながら、上手くいった。

 色々ボロは出かけたものの、まあ、何とかなったってことで。

 結果が良ければ、それでいいだろう。

 もう皆、話に飲まれていたもんなぁ。

 やっぱり、いつの時代設定でも、こういう話はうけるなぁ。

 

 いやぁ、まさか――

 

 

 ――ペロロンチーノさんに薦められてやったエロゲが役に立つ日が来るとは思わなかった。

 

 

 あの作品泣けたからなぁ。

 自分が薬学を学んで世界の人を助けようと世界を回っていたら、メインヒロインの幼馴染が治療方法も感染ルートも未だ不明な伝染病にかかってしまって、あと3か月の命と宣告される。そこで初めて二人は自分たちの思いに気がつき、思いを遂げる。その後、彼女との間に生まれた娘を育てるため、地元で喫茶店を始め平和で幸福な日々を送るも、その娘が母親と同じ病気にかかってしまい、あと数か月の命しかなくなってしまう。諦めきれない主人公は、かつての研究のライバルに頼み込み、治療法の研究施設を貸してもらう。一刻一刻、娘の命の炎が消えていくなか、必死で研究に没頭した結果、まったくの偶然から治療薬を作ることに成功する、というストーリーだった。

 病気になった外国の女の子とか、患者の姉とか、他の女の子もいたけど、やっぱり幼馴染のあの子が一番良いな。

 今、思い出してもまだ泣けてくる。

 まあ、今は涙は流れないけどな。

 

 カルネ村に行ったとき、ソリュシャンが機転を利かせ、ンフィーレアとエンリの話を隠れて聞き耳を立てていたのは、まさにナイス判断だと言わざるを得ない。後で褒めておいてやろう。

 ンフィーレアが薬師で、昔からのなじみのエンリが好きということから、あのゲームのストーリーが頭に浮かんだのだが、まさに大成功だった。

 

 

 

そんなことを考えていると、再び〈伝言(メッセージ)〉が繋がった。

 

《もしもし、アインズさん。聞こえますか?》

《はい。よく聞こえていますよ》

《やあ、先ほどはすみません。ちょっとしたトラブルがありまして》

《不測の事態は仕方がないですよ》

《いやいや、色々想定していたつもりですが、結構あれこれありますね。ええと、それでさっき何を話してましたっけ? ……ああ、そうだ。ンフィーレアの説得。あれ、どうなりました?》

《ええ、もうばっちりですよ。こっちに感謝の言葉を述べて、完全に心酔している様子でした》

《おお、凄いじゃないですか。アインズさんの案、大成功でしたね。一体どうやったんです?》

 

 アインズは上機嫌でさきほどのやり取りを話した。

 

《ん? その設定って……》

《どうしました?》

《それって、……確かなんとかシーズンとかいうエロゲのストーリーじゃなかったでしたっけ?》

《え? ……し、知ってました?》

《ええ。昔、ペロロンチーノさんが薦めてたヤツですよね》

 

 うぉ……。

 そうだ。

 良作なんだから、俺以外にも勧めていて当然じゃないか。

 

 ……いや、なんというか。

 ……最初から元ネタありって言ってから説明したんならともかく、自慢げに語った後でそれ元ネタありだろってバレるのって、なんだかすごく気恥ずかしいな。

 

《え、ええ。そうです……。私、ペロロンチーノさんから薦められてプレイしまして》

《あはは。とにかく一度これやってみろって、そりゃもう熱心に薦めてましたからね。あの時だって、もうペロロンチーノさん、一見まともそうだがやればやるほどおかしな設定だらけのネタゲーだって、笑いをこらえきれずに吹き出しながら言ってましたし》

《……ぇ?》

《ネットでもさんざん叩かれてましたよ。『原因不明の伝染病患者とやるのって自分も感染する可能性あるだろ(笑)』とか、『余命3か月なはずなのに、いつの間に妊娠出産したんだよ(笑)』とか、『ずっと最先端の医療現場離れてた奴が、突然職場に戻って、今まで誰も出来なかったのに、たった数か月で治療法見つけるのかよ(笑)』とか》

 

 

「ぐはぁっ!」

 突然、声を発したアインズに、ルプスレギナとハムスケは驚いて振り向いた。

 

 

《ん? 今、一瞬、〈伝言(メッセージ)〉切れませんでした?》

《……いえ、気のせいでしょう》

《そうですか? まあ、元がネタ満載でもうまく説得できればいいでしょう》

《ええ、そうですね。そうですよね》

《ははは。でも、もし元ネタ知ってる人がその場にいて聞きでもしてたら、『エロゲで人生語っちゃう男の人って……』、なーんて言われてかもしれませんね》

 

 

「ノオオウゥゥッ!!」

 突然、頭を抱えて身悶えたアインズに、ルプスレギナとハムスケは目を丸くした。

 

 

《あれ? やっぱり、また〈伝言(メッセージ)〉が切れたような……》

《いえ、気のせいでしょう》

 あまりに精神が振れ過ぎて、強制沈静したアインズはなんとか平然を装って言葉を返した。

 

《それより、今後の事ですが》

《ええ、そうですね。ええと、まず、この件の首謀者はズーラーノーンという死霊術を使う魔法詠唱者です。なんでも、アンデッドがたくさんいると別のアンデッドが湧いてくる習性を利用し、街をアンデッドだらけにして大量の負のエネルギーを集め、自分もアンデッドになるってのが目的みたいです》

《ふむ。なるほど。場所は墓地で間違いないですか?》

《ええ、墓地です。例の、この霧を出している装置は墓地の中央付近にある霊廟にあります》

《そこに行って、そいつらを倒して装置を回収すればいいんですね?》

《ええ、そうです……っ!》

《どうしました? また、なにか?》

《ええ、ちょっと気になるのがありまして。すみませんが、俺が〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)〉を使って直接フォローし続けるのは無しで。代わりにシャドウデーモンをアインズさんのところに行かせるので、そいつに道案内させてください》

《分かりました》

《あと、現在、エ・ランテル内には野良の他に、ナザリックのアンデッドもたくさん潜入しているんですが、とりあえず、アインズさんを見かけたら逃げるようには言ってあります。まあ、目撃者とかがいた場合、倒してもいいですが、もったいないので出来れば戦わずにお願いします》

《ええ。私もナザリックの者達は滅ぼしたくはないですよ》

《それと何かあったら、俺、もしくはアルベドに〈伝言(メッセージ)〉をお願いします。万が一の際の投入戦力としてセバスにアウラ、マーレをいつでも行けるよう待機させていますので。後はこの前の打ち合わせ通り、および状況に応じて臨機応変、事後報告という事で。では》

 

 そうして、〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 

 そのままほどなく待つと、人間大の影が滑るように道からアインズらの下へやって来た。

 

《至高なる御方、アインズ・ウール・ゴウン様。シャドウデーモン、ラの3番、御身の前に》

《うむ。道案内頼むぞ》

《ははっ。お任せください。現在ベル様の指示により、シャドウデーモン、ラの9番が墓地に先行しており、現地に着き次第、報告の〈伝言(メッセージ)〉を送る手はずとなっております。また、万が一に備え、付近に展開していたアンデッドに、墓地周辺へ向かいそこで待機する様、御指示なさいました》

 さすがベルさん。その辺は抜かりがない。

《うむ。では行くぞ。先行せよ》

 

 そして、ルプスレギナらに出発を告げ、先を行く影を追っていった。

 

 走る彼らの姿を見て、襲ってくるアンデッドは蹴散らし、距離を置くように逃げるアンデッドは相手にしなかった。

 

 群がるアンデッドを鎧袖一触に蹴散らしながら、道を急ぐアインズの心にあったのは、一つの事。

(俺の好きだったあのゲーム……駄ゲーだったのか……)

 

 微妙に落ち込みながらも先を進むと、やがて、エ・ランテルの西側地区。高さ4メートルにもなる強固な壁に囲まれた箇所。目的の墓地が見えてきた。

 

 

 




思ったより長くなってしまいましたので
ユリVS六腕の三人、クレマンティーヌVSカジッちゃんのアンデッド軍団は次回に


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第17話 エ・ランテル それぞれの戦いー2

今回、バトルシーンばっかりです。


2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/7 文中で誤って改行していたところがあったので訂正しました。
 「鈴がなるような」→「鈴が鳴るような」 訂正しました
2016/11/27 「~来た」→「~きた」、「~言った」→「~いった」、「元」→「下」訂正しました


 ガッ!

 

 クレマンティーヌの振るったモーニングスターが、スケリトル・ドラゴンの右足をへし折る。

 

 バランスを崩したスケリトル・ドラゴンがその身を地に落とす。だがクレマンティーヌはそれより早くその下を潜り抜け、次の獲物へと身を躍らせた。

 

 つい先ほどまでカジットの配下として仕えていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)、今はその身が何年もかけて習得した幾多の魔法もたったの一つすら使えずただのゾンビとして動くその膝を蹴り砕く。そして、その体が倒れるより先に、へし折った膝を踏み台として蹴りを放った。クレマンティーヌの戦闘用に補強されたブーツのつま先がその頸椎を完全に砕く。偽りの生命を与えられた死体は、再び物言わぬ死体へと戻った。

 

 カジットが魔法を唱える。緑の槍状の光がクレマンティーヌめがけて飛ぶ。

 

 クレマンティーヌはそれから逃げるように飛びのいて距離をとった。だが、その前にもう一体のスケリトル・ドラゴンが立ちはだかる。

 スケリトル・ドラゴンがクレマンティーヌを踏みつぶそうと前足を振り下ろす。だが、それを前にしてクレマンティーヌは速度を落とすどころか、さらに加速した。

 前足が地面に叩きつけられるより早く、踊るようなステップでスケリトル・ドラゴンの足の間をすり抜ける。カジットの放った〈酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉が魔法を無効化するスケリトル・ドラゴンの身体にぶつかり雲散霧消する。

 

 駆けるクレマンティーヌの狙いは先ほど右足を砕いた方のスケリトル・ドラゴン――。

 

 ――と見せかけ、今体の下をくぐったばかりのスケリトル・ドラゴンがもう一体に近づけさせまいと放つ尾による薙ぎ払いを高く跳躍してかわし、落下する身体を回転させ、攻撃の直後でまだ体勢の整わないその背に必殺の一撃を放った。

 その一撃は狙いたがわず背骨を打ち砕く。力を失ったスケリトル・ドラゴンの身体が大地に叩きつけられ、その自重で巨大な体を構成していた人骨がばらばらと四散した。

 

「うぬぅっ!」

 

 カジットは憎々し気なうなり声をあげ、〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉を右足を折られたスケリトル・ドラゴンに当てる。

 先程クレマンティーヌに砕かれた自身の左腕も治したいが、そちらを先にすると、その間にスケリトル・ドラゴンが完全に破壊されてしまう。そうなれば前衛のいない魔法詠唱者(マジック・キャスター)である自分はたやすく倒されてしまうだろう。

 すでにゾンビにした自分の元配下たちは、あらかたクレマンティーヌに倒され、動けるのはたった2体しかいない。スケリトル・ドラゴンも今、1体倒されたため、治療中の1体のみ。そして、自分は片腕が砕かれ、頼みになるのは〈死の宝珠〉のみという有様だ。

 

 対してクレマンティーヌは怪我一つせず、体力的にもまだまだ余裕があった。今もへらへらとした笑いを浮かべながら手慰みにモーニングスターをぐるぐると回している。

 

「あのさぁ。確かに私って得意なのは刺突だけどさー。もしかして、それさえ何とかすれば何とかできちゃうとか思ってた?」

「な、なんなのだ、貴様は! た、たかが人間が、このアンデッドとなった儂に!」

 

 言われたクレマンティーヌはふむふむと訳知り顔でうなづいた。

 

「ねぇ、カジッちゃん。あなたさぁ、なーんか体の感じがいつもと違う気がしない?」

 

 一瞬、カジットは呆気にとられた。

 自分は人間をやめてアンデッドとなったのだ。以前と違うのは当然ではないか。

 

「ああ、そういう意味じゃなくてさ。なんか身体がちょっと前より動かせないとか。んーと、カジッちゃんは魔法詠唱者(マジック・キャスター)だから、魔法が前より使いづらくなったとか」

 

 !?

 確かに以前と比べて魔法の使用に違和感はあるが……。

 なぜ、こいつがそれを知っている!?

 

「えへへ。あのねぇ、カジッちゃんみたいに人間から他の種族に変化した時の事なんだけどさ。確かに人間より優れた種族の肉体能力とか、その種族特有の能力を手に入れられるから強くはなれるの。なれるんだけどさ。でもね、それをちゃんと使いこなせるようになるには時間がかかるんだぁ」

「な、なに!?」

「だからぁ、それやると変化によっていろんな能力が手に入ったりするんだけどさ、変化した後は以前と比べて戦士としての力も、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力も低下するって事。まあ、もう一度鍛錬して強くなれば、最終的には人外の力がベースな分強くはなるんだけどね。要するに、今のカジッちゃんはアンデッドとしての基本的な力は手に入れたものの、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としては前より弱くなってるって事」

「な……そ、そんな馬鹿な……」

「あはは。正直、アンデッドになる前のカジッちゃんとスケリトル・ドラゴン、それとカジッちゃんが殺してアンデッドにしちゃった部下たちが生きたままだったら、私もちょおっと分が悪かったよ。スケリトル・ドラゴンが盾になってる間に魔法をガンガン使われたら、さすがに厄介だったもんね。まあ、自分から弱くしてくれたカジッちゃんには感謝感謝」

 

 おどけて話すクレマンティーヌの言葉に、思わず、身体がグラッと傾いた。

 何とか踏みとどまったものの、その心の中の衝撃は激しい。

 

「んー、でも、まあ、そろそろ潮時かな? 私もそろそろ逃げなきゃいけないし、あの霧を出してるアイテムさえあればこの状況は続くから、別にカジッちゃんはもういらないよねー」

 

 そう言って、クレマンティーヌが一歩前へ出る。

 

 カジットは一歩後ずさった。

 

 なにか、何か手段はないか?

 長き時の果て、ようやくアンデッドとなったのに!

 このまま、ここで終わるのか!?

 

 歯噛みするカジット。

 

 

 その時。

 その耳に、すでに外耳はないが、なにか地鳴りのようなものが届いた。

 

 驚いて振り向く。

 

 立ち込める霧の奥から、重い足音を立ててこちらに走ってくる巨体があった。

 カジットの口から思わず笑いが漏れる。

 

「ふ……ふはは、ふはははは。素晴らしい。なんと素晴らしいのだ。死の螺旋は、まさかこんなアンデッドすら生み出そうとは! ははははは!」

 

 狂ったように笑うカジットの声が響く中、一体のアンデッドが姿を現した。

 

「見よ、クレマンティーヌよ! これこそ英雄と呼ばれるものしか太刀打ちできぬ伝説のアンデッド! 生命を憎み、この世を死で満たす究極の存在! デスナイトだ!!」

 

 ズンと地響きを立てて、死の騎士が大地にしっかと立つ。

 その姿は圧倒的な死を振りまく暴君そのものだった。

 今もどこかで暴虐を繰り広げてきたのか、その巨大な盾、それに手にしたフランベルジュの柄頭は、まだ乾いていない鮮血がてらてらと輝いていた。

 

 先ほどまで余裕しゃくしゃくだったクレマンティーヌは顔をひきつらせた。

 その姿を前にしただけで、氷のような悪寒が背筋を登ってくるのを抑えることが出来なかった。

 

「ふはは! 行け、デスナイトよ!」

 

 カジットの声に応えるように、デスナイトはクレマンティーヌに襲い掛かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「しゃあ!」

 

 化鳥のような叫び声とともに〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉の突きが繰り出される。それも一度ではなく、相手をそれこそ穴だらけにするかの如く幾重にも。

 しかし、その降雨のような連撃をユリはすべて両手の籠手で防いでいた。

 

 相手の呼吸を見極め、放たれた無数の突きのうちの一つを連撃の最後の突きと判断する。それを腕を回すように回転させからめとる。突然変化した防御にマルムヴィストが反応しきれずバランスを崩したところへ、踏み込んで肘の一撃をたたき込む。

 うめき声をあげるマルムヴィストに、鎖骨への鉄槌、胸への肩での体当たり、そして後ろへ身体が反った所で、足の膝裏付近を跳ね上げる。マルムヴィストの身体が数メートルは宙を飛んだ。

 

 その攻撃の隙を狙ったのはエドストレーム。手にした三日月刀(シミター)で切りかかってきた。

 その攻撃を、ユリは難なく籠手で受け、更に一歩踏み込む。剣の間合いより近く踏み込まれてしまったエドストレームは後ろに飛びのき距離をとろうとする。

 だが、当然、ユリはそれを許さず再び間合いを詰めた。エドストレームが反撃するなり、更に動くなりするより早く、下から、横から、そして上に伸びあがってからの振り下ろしという肘の連撃をたたき込む。

 

 エドストレームがその場に倒れ込む。

 その時、わずかに光るものがほんの一瞬前までエドストレームの身体があった所を通り過ぎる。ペシュリアンの操る鋼線と言ってもいいほどの薄さを持つ剣だ。

 およそどんなものでも切断するであろうし、その剣というか鞭の軌道を認識することすら人間にはほぼ不可能と思われるそれを、ユリは下から籠手で払いのけた。わずかに軌道が変わったその斬撃を背をそらして避ける。

 その後、続けざまに放たれる斬撃をすべてスウェーやダッキングで避ける。焦れたペシュリアンが下半身を狙って低い薙ぎ払いをすると、瞬間、ユリは飛んだ。数メートルの距離を一瞬で詰め、ペシュリアンの頭へ兜越しに膝蹴りをたたき込む。

 金属鎧を着ていてさえ防げない衝撃に、ペシュリアンの身体は大きく揺らぐ。後ろにそのまま倒れかける。

 だが、ユリはそれを許さず、その首筋を両手で掴んだ。

 ペシュリアンに体勢を整えることを許さず、右に左にその体を振り回しながら、足へのローキックや腹部への膝蹴りの雨を降らせる。そして、飛び上がって膝蹴りを胸部へたたき込むと、ペシュリアンの身体はビクンと大きく身を震わせ、人形のように力なく倒れる。

 しかし、そのまま地面に倒れ伏すのを待たず、ユリはサイドキックでその身体を蹴り飛ばした。重い全身鎧(フルプレート)に包まれた身体がぼろきれのように吹き飛ばされた。

 

 

 ユリは軽く肩を回すと、そのレンズが入っていない眼鏡の位置を直した。

 

 

 マルムヴィストらがうめき声をあげながら、緩慢な動きで何とか立ち上がる。

 

「少々お聞きしたいのですが、よろしいですか?」

 

 鈴の鳴るようなという表現の似合う美しい声。

 それを発したメイドは息一つ切らしていない。

 対して、言われた三人は息が切れるどころか、その身の苦痛でまともに呼吸することすらままならない。

 

 マルムヴィストは、今は少しでも会話で引き伸ばして体力を回復させた方がいいと、その会話に付き合う事にした。

 

「なんだい、お嬢さん?」

 その言葉に一瞬、ユリの眉がひそめられた。だが、すぐに平静を取り戻す。

「はい。大変失礼ですが、皆様はお強いのですか?」

 

 言葉通り、大変失礼にもほどがある質問だ。

 ましてや、今、自分が叩きのめした相手に向かってである。

 さすがにマルムヴィストの心にも怒りが芽生えるが、そんなことはおくびにも出さずに答えた。

 

「ああ。強いつもりでいたがね」

「なるほど。大体どれくらいなのでしょうか?」

「ん? ……ま、まあ、アダマンタイト級の冒険者とやりあえると自負しているが……」

「アダマンタイト級冒険者? それはどのくらい強いのですか?」

「は?」

 

 あまりの言葉にマルムヴィストは絶句した。

 

 いったい、このメイドは何を言っているんだ? アダマンタイト級冒険者を知らない? そんな人間いるわけがない。ましてや、ここまで自分たちを圧倒するほどの強さの持ち主だ。そんな人物が強さの基準すら知らないなどという事があるだろうか。

 

 だが、視線の先のメイドはまったくまじめな表情。その顔からは嘲笑の感情をわずかでも読み取ることは出来なかった。

 

「ええっと。冒険者ってのは強さ、まあ多少例外もあるけど、とにかく実力に応じてランク分けされてる。銅、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトの順だな」

「ほう。皆様方はアダマンタイト級と言っておられましたが、それはどれほどの数がいるのですか?」

「……まあ、王国には2チーム、帝国にも2チーム。あとは周辺国に何個かいるくらいか」

「ふむ。つまりアダマンタイト級というのは、この近辺の国には数えるほどしかいない強者。そして、皆様方はそのアダマンタイト級に匹敵する強さという事で間違いないでしょうか?」

 

 なんだか先程から、六腕としてのプライドをぐりぐりと焼けた鉄鉤でえぐられるような質問ばかりだが、とりあえず答えた。

 

「ああ、そうだな。……そんな俺たちと戦えるお嬢さんは何者だい?」

 

 だが、その質問には答えずユリは考え込んだ。

 

 

 アインズとベルは現地の人間の情報、特に強者の情報を求めている。

 この者たちは、彼らの話通りだとするならば、この周辺ではかなりの使い手。

 殺すよりは攫っていった方がいいのではないか?

 

 

 判断に困ったユリは指示を仰ごうと、〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を取り出す。それを使いベルに連絡を取ろうとした瞬間――。

 

 ――彼らが動いた。

 

 ペシュリアンの剣が閃く。

 だが、先程よりも鋭さがない。たやすく籠手で受け流す。

 同時にマルムヴィストとエドストレームが飛びかかる。マルムヴィストの突きを籠手で防ぐ。手から離れた巻物(スクロール)が燃えながら落ちていった。

 

 エドストレームがその三日月刀(シミター)を大きく振りかぶり――そのまま投げつけた。

 

 これにはユリも意表をつかれた。

 だが所詮、投擲専用の武器ではないものを投げつけただけ。ユリがわずかに首をひねると、そのまま空を切って後ろへ飛んでいった。ユリの耳にそれが地面に落ちた音が届く。

 エドストレームは何本もある刀を次々と投げつけるが、当然そんなもの当たるはずもない。すぐに投げつくしてしまった。攻撃手段を失ったその身体をとりあえず蹴り飛ばす。エドストレームの身体が吹っ飛んだ。

 マルムヴィストが幾重にも連撃を行うが、その剣閃はつい先ほどまでの鋭さを持っていない。腰が引けたような浅い突きを何度も繰り出す。それら全てを片腕だけで弾き返した。

 

 ユリは少々困惑していた。

 どうも、彼らの攻撃が先刻までと異なっている。こちらの命を仕留めようとする気合の下に繰り出されているのではなく、なんというか、ただ形だけ攻撃を繰り出しているといった感じの気の抜けたものになったからだ。

 

 そこそこの強さとはいえ、ひ弱な人間だから、もう諦めてしまったのだろうか?

 

 内心疑問に思いながら、彼ら一人一人の顔を見回す。

 回避すら容易い攻撃を繰り返すマルムヴィスト。剣を鞘に戻したまま動こうとしないペシュリアン。そして地面に倒れたまま顔をこちらに向けるエドストレーム……。

 

 ?

 ユリは違和感に気づいた。

 

 地面に倒れ伏したエドストレームはこちらを爛々とした目で見ていた事。決して恐怖や憎しみ、諦観といったものではない、あの目は……。

 

 次の瞬間、ユリの背筋に走るものがあった。

 それは直感。

 

 刹那、マルムヴィストが突きを放った。

 先ほどまでの腰が引けたものとは違う、本当の殺気の載った刺突。

 

 突然の変化に戸惑いながらも、その攻撃を受けとめつつ、自分の背後に視線を回す。そこには先ほどエドストレームが投げつけ地面に転がっていたはずの三日月刀(シミター)が空中に浮かび上がっていた。そして、幾本もの剣先が自分に向かって襲いかかった。

 

 ペシュリアンが剣を閃かせる。

 ユリはその斬撃を再度籠手で払おうとしたが――。

 ――ペシュリアンが僅かに手を動かすとその剣先は軌道を変え、蛇のようにユリの籠手へと絡みついた。

 普通は絡みついた籠手ごとその手首が切り落とされるところだが、特殊な素材でできたその籠手には傷一つつかなかった。その代わり、絡みついた腕が動かせなくなる。

 そしてペシュリアンはその全身の力をかけて引いた。

 通常ならば、ペシュリアンの全力といえどユリの力に勝てるはずもなく、逆に引きずられる羽目になっただろう。だが、エドストレームの三日月刀(シミター)が宙に浮いて自分を狙っておりそれを回避しようとしていた事、再びマルムヴィストが必殺の突きを繰り出しそれを防いだ事がかさなり、さすがのユリもバランスを崩した。

 

 思わずたたらを踏む。

 

 その瞬間、飛来した三日月刀(シミター)が狙いたがわず――。

 

 

 ――ユリの首を切り落とした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 クレマンティーヌは荒い息を吐き、汗をぬぐった。

 

 息を飲み込み、再度突進する。

 狙いはスケリトル・ドラゴン。

 ……と見せかけ、その斜め後ろに立つカジット。

 

 〈疾風走破〉

 風を切ってスケリトル・ドラゴンの脇を抜け、黒いオーブを掲げる骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)に接近する。

 

 だが、その前に。

 またあのアンデッドが、その巨体に見合わぬ速度で前へと立ちはだかった。

 

 手にした巨大なフランベルジュを振り下ろす。

 その一撃をクレマンティーヌは〈不落要塞〉で受け止める。その隙に脇をすり抜けようとしたが、デスナイトは素早くその進路をふさぐ。

 続けざまにデスナイトはシールドバッシュを放つ。とっさにガードし後ろに飛びのこうとしたが、デスナイトはその剛力で盾の軌道を変えた。タワーシールドが下へ突き立てるように振り下ろされる。その下端はクレマンティーヌの足をとらえ、その骨を粉砕した。

 たまらず苦悶の声をあげるクレマンティーヌ。そこへ今度は振り上げるように盾の上縁部を叩きつける。重い金属の塊がぶち当たり、クレマンティーヌの顎が砕ける。にやにやと笑うたびに口元から覗いていたあの白い歯を周囲にまき散らしながら、その体が吹き飛んだ。

 

 その様子にカジットは喜悦の笑みを浮かべた。

 

「どうした、クレマンティーヌ? 先ほどまでの威勢が嘘のようではないか?」

 

 先刻、もはやクレマンティーヌにカジットがやられるのは時間の問題といった時に現れたデスナイト。

 高い白兵能力を持つ伝説級のアンデッド。

 その出現によって情勢は一変した。

 

 これまでは相手の数の多さや多少の武装の不利などものともせず、戦士としての技量で圧倒出来た。

 だが、相手にもデスナイトという強力な戦士が加わった。戦士としての強さもさることながら、こいつはクレマンティーヌの攻撃からカジットらを守るように戦っている。

 固いデスナイトの守りに阻まれ、カジットへの攻撃が届かない。その間に、カジットは傷ついていたスケリトル・ドラゴンや自身の回復を終え、さらに再びアンデッドを幾体も作り出していた。デスナイトと戦っている間にも、カジットからの魔法攻撃やスケリトル・ドラゴンらの攻撃が飛んでくる。

 

 もはや形勢は完全に逆転していた。

 

 

 ガッ!

 

 横なぎに振るわれたスケリトル・ドラゴンの尾の一撃がクレマンティーヌの身体をとらえた。吹き飛ばされ、宙に浮いたところを前腕で霊廟の壁へと叩きつけられた。

 全身に受けたダメージとスケリトル・ドラゴンの怪力によって、クレマンティーヌは身動きが取れなくなる。折れた骨に力を加えられ、苦悶の表情をその顔に浮かべた。

 

 カジットはことさらゆっくりとした歩調で近寄った。

 

「ふふふ。いい様よなぁ、クレマンティーヌ」

 

 手を伸ばし、クレマンティーヌの鎧、そこに張り付けられていた無数の冒険者のプレート、その一つを剥ぎ取った。

 

「ははは。お前はこれを集めるのに執心しておったな」

 

 クレマンティーヌの目の前でこれ見よがしに振ってみせる。

 プレートはチャラチャラと音を立てた。

 

「お前はこれを集めることで、自分がしてきたことを誇っておったのだろう。自分はこんなにも強い、自分はこんなにも多くのものを倒した、とな。そうやって、自分に言い聞かせておったのだよ。自分は普通の人間どもとは違うのだと。だが――」

 

 カジットは手にしたプレートを地面へと投げ捨てた。

 

「――だが、お前は人間なのだ」

 

 別のプレートを剥ぎ取り、地面へと投げ捨てる。

 

「お前が殺してきた連中と何ら変わることはない」

 

 さらに別のプレートを剥ぎ取り、同様に地面へと投げ捨てる。

 

「ほんの僅か、誤差程度の強さの差があったに過ぎん」

 

 クレマンティーヌの鎧に着けていた金属板を次から次へとむしり取り、投げ捨てていく。

 顎を砕かれているクレマンティーヌは、憎まれ口一つ叩くことが出来ず、苦痛に顔を歪めていた。

 

 やがて、カジットの足元には様々な金属で出来たプレートの山が出来た。

 それを足をあげて踏みつける。

 

「分かったか、クレマンティーヌよ! お前の積み上げてきた剣技も、お前が幾戦の戦いで得た経験も、全て卑小な人間の身の内での事。この世の理の前には何の意味もないことだったのだ!」

 

 スケリトル・ドラゴンがその腕を振るった。

 クレマンティーヌの身体が、ゴミクズのように吹き飛ばされる。

 

「絶望して死ぬがいい、人間」

 

 身体を起こすことさえままならないクレマンティーヌにゾンビたちが群がる。クレマンティーヌはその手を跳ね除けようとするが、もはやあちこちの骨が折れた体ではそれすらもままならない。

 

 カジットが愉悦に口をゆがめた瞬間――。

 

 

 ドゴォッ!

 

 突如飛来した大剣が、群がるゾンビたちの身体を貫いた。

 

 

「な、何者だっ!」

 

 驚愕して振り向くカジット。

 

 そこには巨大な大剣を持ち、漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った人物。その後ろには、見たこともないような強大な魔獣と、褐色の肌に赤い髪をした目を見張るような美しい女神官が続く。

 

 その者たちが放つ雰囲気に後ずさるカジット。

 

 やがて全身鎧(フルプレート)の人物は悠々とした足取りでクレマンティーヌの下へと歩み寄ると、先程ゾンビたちを打ち砕いた、よほどの筋力の持ち主でもかろうじて両手で持てるかという巨大なその大剣を片手で持ち上げた。

 そして、両手持ちの大剣を片手に一つずつ、二刀流で持ちカジットへと向き直った。

 

「き、貴様はいったい何者だ?」

 

 動揺の色を隠せないカジットの詰問に、ちらりと兜の奥の視線をクレマンティーヌに向けた後、高らかに名乗りを上げた。

 

「私の名はモモン。この異変を解決するよう頼まれた冒険者モモンだ!」

 

 

 

 




 
 調子に乗って大口叩いたものの、クレマンティーヌの圧倒的な戦闘力の前にフルボッコにされるカジット。

 そこへ伝説のアンデッド、デスナイトが現れた。

 デスナイトはカジットを後ろに隠し、クレマンティーヌの前に立ちはだかる。
 デスナイトが自分をかばって立ちはだかった瞬間、超巨大な城壁が目の前に生まれたような気分になった。心の底から安堵と安心感が湧き上がってくる。

 そして目の前で繰り広げられる凄まじい戦い。

 カジットの失われた心臓が一つ跳ねた気がした。胸に手を当ててみるが、やはりそこにはもう心臓は存在しない。
 
 カジットは両手を組んで祈った。

「……がんばれ、ですないとさま」



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第18話 エ・ランテル それぞれの戦いー3

2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/11/27 「くらい程」→「くらいの程」、「間髪入れず」→「間髪容れず」、「非情に」→「非常に」、「跳ね飛ばされた」→「撥ね飛ばされた」、「足り無い」→「足りない」、「元」→「許」 訂正しました


「なんとかなったか……」

 

 マルムヴィストは額の汗をぬぐう。

 

「はぁ……まったく、なんなのよ……」

 

 エドストレームは地面にべたっと座り込んだまま、疲れ果てた様子で声をあげた。横でペシュリアンもうなづいている。

 

「最初から三日月刀(シミター)舞踏(ダンス)を使わなかったのは正解だったな。意表をついた上で、俺たちが気をそらさなかったら、こいつにはきかなかったろうな」

 

 エドストレームも自分の技には自信があり、認めるのは少々(しゃく)だったもののマルムヴィストの言う通りだろうと思う。

 

「しかし、本当にこいつは何者だったんだ?」

 

 その目が、首を切断され地面に倒れ伏しているメイドに向けられる。

 一見、たおやかな外見で虫も殺せそうにもないのに、あの戦闘力。

 あれは……

 

「正直、ボス並みどころか、ボスより強かったんじゃない?」

「ば、馬鹿よせ」

 

 エドストレームの言葉にマルムヴィストが慌てる。

 彼らのボス、『闘鬼ゼロ』の苛烈さは身に染みている。冗談でもそんなことを言ったというのが耳にでも入ったら、どんなことになるか……。

 

「誰も聞き耳なんて立ててないわよ。それに、どうせその相手のこいつはもう死んでるんだし」

「まあ、確かにな」

 

 よっと声をあげてマルムヴィストが立ち上がる。「おっさんくさいわよ」とエドストレームに言われて、「やかましい」と顔をしかめる。

 ふと見ると、ペシュリアンは話に加わらず倒れたメイドの方に顔を向けたままだ。

 

「どうした? その女にでも惚れたかい? まあ、目を見張るような美人さんだがな。もしや、お前さん、死姦趣味の持ち主とか?」

 

 マルムヴィストの軽口にちらりと目を向けたが、再びその視線をメイドに戻した。

 

「あの女」

「あん?」

「あの女だが、傷口から血が出ていない。……アンデッドかもしれん」

 

 言われて二人は慌ててメイドの死体に目を向ける。

 よく見れば、ペシュリアンの指摘通り、確かに赤い血の一滴も周辺に流れていない。

 

 三人とも殺しに関しては熟練の腕だ。今まで殺した人数に関しては、優に二桁、もしかしたら三桁を超えるかもしれないくらいの程。そんな彼らが、血が出ていないという単純なことにすら即座に気がつかないほど、ここ数日の事で精神的に参っていたのだろう。

 

「どういうこと? あのメイドも、この街に現れてるアンデッドの一体だったってこと?」

「さあ、それは分からん。しかし、余計な事などせずに急いでこの街を出た方がいいかもしれん」

「ああ、そうだな。とてもお土産の一つもなんて言っていられないな」

 

 三人がこの家を通りかかったのは、城門へのルート上にあったという他に、事のついでに誰もいなくなった金持ちの家から、行きがけの駄賃として金目のものでも持っていこうという下心があったからだ。

 そんなちょっとした動機で家の前を通りかかったら、家の中で動いているアンデッドを見つけ、さらにあのユリとかいうメイドと戦闘になった事には己の不運を嘆いた。己の欲深さも嘆いた。もっともそれは、悪事を働いたため(ばち)が当たったという事ではなく、自分の身の安全より金銭欲を優先してしまったという後悔だが。

 

「仕方ない。とにかく、さっさとこの街とおさらばしようぜ」

「そうね。命あっての物種だわ」

 ペシュリアンも無言でうなづいた。

 

 そうして三人が立ち去ろうとした時――「お待ちくださいませ」と女の声がした。

 

 

 その声に驚き、振り向こうとした瞬間。

 

「がはっ」

 

 ペシュリアンが苦悶の声をあげた。

 

 首のないメイドの身体。つい先ほどまで地に倒れ伏していた身体が立って動き、その拳がペシュリアンの腹部に突き立てられていた。

 

 くの字に身体を折るペシュリアン。

 その身体を続けざまに放たれたストレートが吹き飛ばす。

 ペシュリアンの身体が門柱に叩きつけられる。

 

 まさに刈り取るようなという表現のとおりの足払いを受け、マルムヴィストの身体が宙に浮く。

 そこへ回転を殺さずに放たれた裏拳が直撃。

 弾き飛ばされた身体がペシュリアン同様、門柱へと叩きつけられた。

 

 そして、一足飛びにエドストレームの前へと距離を詰める。エドストレームはひきつった顔で腰の鞘から三日月刀(シミター)舞踏(ダンス)で飛ばそうとする。しかし、首のないメイドは鞘から出かかったその三日月刀(シミター)の柄頭を上からたたいて再び鞘の中へと押し戻した。そして、間髪容れず、その剥き出しの腹部に双掌の一撃を叩き込む。

 エドストレームの身体が吹き飛ばされ、起き上がりかけたペシュリアンとマルムヴィストへぶち当たった。

 もんどりうって、三人とも絡み合うように倒れる。

 

 うめき声をあげる三人をしり目に、メイドの身体はパンパンと服についた土埃を払いながら、地面に転がる自分の首へと歩み寄る。そして、その頭を抱えると元あった通り首の上へ据え、再びチョーカーで固定した。

 

 何度か首を回して位置の具合を確かめると、再び三人と向かい合った。

 

 マルムヴィストらは苦痛の声をあげながらも、なんとか立ち上がる。

 それを見届け、ユリが声をかけた。

 

「さて、皆様。皆様にお伝えいたします。私の主は私共の邪魔をした皆様方にご立腹ながら、皆様方のその戦い方にとても強い関心を寄せられております。特に――」

 

 ユリの眼がエドストレームに向く。

 視線を向けられたエドストレームはビクッと身体を震わせた。

 

「そちらの踊る三日月刀(シミター)のエドストレーム様。あなたの武器を飛ばす戦い方には非常に興味があるそうです。そこで、私と戦う事で皆様方の強さを見せていただきます。主の満足いくほどの戦いを見せたのならば、今回の事はご寛恕(かんじょ)くださり、命は助けて差し上げるそうです。ですが――」

 

 冷たい視線を走らせる。

 

「ですが、もし主の眼鏡に叶うほどの満足のいく戦い方が出来なかった場合には、絶対に誰の助けも来ない所に幽閉し、何日も、何か月も、何年もかけて決して死なないように拷問するとのお達しでございます。ですので皆さま、主を退屈させないように頑張ってください」

 

 あまりと言えばあまりの言葉に三人は呆然とした。

 もはや上から目線などというレベルではなく、圧倒的な上位者からの命令。それも自分たちに道化になれと命じているのだ。怒りなどとうに通り過ぎて、唖然とするほかはなかった。

 

「さて、では私も少々本気を出させていただきます」

 

 え? と三人が疑問に思う間もなく――ユリは抑えていた闘気を解放した。

 

「「「はああっ!!」」」

 

 三人異口同音に驚愕の声をあげた。

 

 彼らは戦士としての勘から、ユリの実力を自分たちのボス、ゼロと同格くらいと判断していたのだ。

 だが、今、本気になったユリはそんなレベルをはるかに超えている。

 自分と比べてゼロは強いとか、こいつとは同格とか、あいつは弱いとかいったそんな物差しで測れる強さではない。

 今まで、これほどの領域に立つ者は一度たりとも見たことがない。まさに人間としての限界をはるかに超えた強さ。

 つい先ほどまでですら、自分たち三人がかりで戦い、それでも押されるほどだったのに、それが今度は本気を出すという。

 

 思わず、三人は及び腰になった。

 とっさに逃げ道を探す。

 

 だが、さりげない(てい)だったが、その視線の動きはメイドに見つかってしまっていた。

 

「ああ、逃げられるとは思わないでくださいませ」

 

 すぐ脇の出入り口である門に目をやり――身体が震えあがった。

 自分たちの気づかぬうちに、いつの間にやら、そこには悪夢の中から姿を現したような漆黒の影が立っていた。痩せた体躯に、蝙蝠の羽。そして手には鋭利な爪。明らかに悪魔の一種であろう。それがのっぺりとした頭部についた病的な印象を持つ黄色い目を爛々と輝かせ、自分たちを見つめていた。

 

 がちゃり。

 扉が開く音がした。

 屋敷の両開きの扉が開き、その中からスケルトンの大群が整列して出てくる。この屋敷中にどれだけ詰め込んでいたのかと思うような大量のアンデッドの軍団が、ユリと三人から一定の距離を置いて幾重にも取り囲む。

 

「さて、始める前に、少々皆様に申し上げておきますが」

 

 ユリはクイッと眼鏡をあげる。

 そして、やや険のこもった眼を向けた。

 

「非常に個人的なことで恐縮なのですが。私は首無し騎士(デュラハン)であり、首は元から外れているところをチョーカーで押さえているだけですので、衝撃を受けると比較的簡単に取れるようになっております。ですが、私の創造主は現在のように頭部を身体から外さない、この姿でお作りになられました。ですので、この完成された姿から首を切り落とすといった事を行った皆様方に対しまして、私は少々苛立っております。もし、万が一、やりすぎてしまった場合はお許しくださいませ。まあ、仮にそうなったといたしましても、主より皆様へのポーション等の使用許可が出ておりますので、何度でも治して差し上げます」

 

 その言葉に、マルムヴィストら三人は顔に絶望の表情を浮かべた。

 

「では、始めましょうか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 踏み込みと同時に両手の大剣が風すら切り裂くように振るわれる。

 鉄の塊が暴風となって襲い掛かる。だが、そのすべてをデスナイトは巨大な盾とフランベルジュで防ぎきる。

 そして、わずかに空いた攻撃と攻撃の合間を縫って、逆に斬りつけてきた。

 モモンはその剛力をもって振るいかけた大剣を止め、とっさに身をそらす。

 デスナイトのフランベルジュが空を切る。

 剣を振り切った所を狙ってモモンは一撃をくらわせようとしたが、デスナイトはさらに踏み込み、返す刃で再度斬りつけてきた。

 さすがにそれには虚を突かれ、反撃をする暇もなく、モモンは大きく飛びのいて距離をとった。

 デスナイトは油断なく武器を戻し、今の攻防のために距離があいてしまっていたカジットの方へと後ずさる。

 

 互いに一足飛びには攻撃出来ない間合いまで離れたため、わずかに緊張が解けた。

 モモンは片手の剣を地面に突き刺し、空になった手で首の辺りを押さえて回す。そして、平坦な口調でつぶやいた。

 

「ふむ。なかなか倒せんものだな」

 

「あのなあ……。当たり前だろうが!」

 

 その背にクレマンティーヌの罵声が飛んだ。

 

「アホか、お前! てめぇのは単にその凄い肉体能力で剣をぶん回してるだけなんだよ。虚実すらない、ガキが剣を振り回すのと同じなんだよ。だいたいよぉ、両手にそれぞれ武器を持ったとしてもそいつをうまく使いこなせないんなら、片手だけに持った方がいいんだよ。戦士を舐めてんのかぁ!」

 

 痛む身体を抱えながら、クレマンティーヌがスケリトル・ドラゴンの攻撃をかわしながら叫ぶ。

 

 

 現在の情勢はギリギリ互角といえる状況だ。

 

 この高価そうな全身鎧(フルプレート)を身につけているのに何故か銅のプレートをつけた冒険者モモンとその仲間たちが加わったものの、前よりマシになったとはいえ、劣勢を挽回し逆に攻勢を強めるまでには至っていない。

 

 このモモンという男は、その筋力、反射神経など肉体能力は余人を超越しているものの、戦士としての技量が全くない。今はその反則級の力で何とかデスナイトを抑えているといった程度だ。

 一緒に来た、クレマンティーヌも嫉妬しそうになるほどの美しさを持った女神官は、カジットから放たれる魔法の防御で忙殺されているし、強大な魔獣はなぜだか周囲から大量に集まってきたアンデッドの群れをこちらに近づけないようにすることで手いっぱいだ。

 当のクレマンティーヌも、女神官の回復魔法で足や顎を治してもらったおかげでこうして悪態がつけるようにはなったものの、完全回復とまでは行かないために、スケリトル・ドラゴン1体の相手をするのがせいぜいという有様だ。

 

 今はなんとか均衡を保っているものの、相手はアンデッド。対してこちらは生身だ。いつかは疲労で動きが鈍り、逆に疲労など存在しないアンデッド達に最後はやられてしまうだろう。

 

 それが分かっているからこそ、クレマンティーヌは切り札となるべき強さを持っているのに、それを生かせないモモンに苛立つ。

 

 だが、そんなクレマンティーヌの(とが)り声にも、当のモモンは呑気な口調だ。

 

「なるほど。勉強になるな」

 

 先ほど、クレマンティーヌを治してくれた女神官が凄い視線をこちらに向けてくるがそんなこと構うものか。せめて、もう少しこいつらが強くてカジットらを抑え込んでくれるか、もしくはもっと完全に自分の身体を治してくれるかしてくれれば、自分だけでもここからさっさと逃走できるのに。

 

 

「ふふふ。クレマンティーヌよ。もう諦めるがよい。おぬしも分かっておるだろう。いずれは力尽き、この儂の足元に屍をさらす羽目になると。おぬしならば、アンデットの材料として末永く儂のために働かせてやろう」

 

 カジットも、もはやこの戦いの趨勢を見極めたようだ。

 この先、いくら戦いを続けてもデスナイトの守りは貫けない。

 

「ごめんね、カジッちゃん。私、諦めが悪いタイプだから、最後まで粘らせてもらうよ。それよりカジッちゃんも自分のこの先の事心配したら?」

「この先の事?」

「カジッちゃんの目的って、自分の母親を生き返らせることでしょ。アンデッドになって長い時間かけてリスクのない蘇生の魔法を開発して、ようやく生き返らせても、その骸骨顔を見せたらお母さんショック死しちゃうんじゃない?」

 

「ぬ? 何を言っておる?」

 カジットはきょとんとした。

 

「母? 母だと? 何故、そんな人間を生き返らせねばならんのだ? 魔導の奥義はもっと崇高な目的のために使うものだ。ただ、この儂をこの世に産み落としただけの人間を生き返らせるために、貴重な力と時間を浪費するなどありえん事だ」

 

 本当に、突然訳の分からないことを言われたという様子で首をひねっているカジットに、クレマンティーヌは内心で嘆息した。

 

「あーらら。本当に人間としての精神もなくしちゃったんだ。まあ、これも歪んだ思考でおかしな方向に邁進した人間の末路ってヤツよね……」

 

 クレマンティーヌのつぶやきも、カジットの耳には届かず風の中へ消えた。

 

 

「まあ、そろそろ頃合いのようだ。終わらせるとしよう」

 

 この一進一退の流れを断ち切るように、淡々とした口調だがよく通る声でモモンは宣言した。

 

 その手の大剣を握り直すと、デスナイトへとにじり寄る。

 デスナイトも気配の変化を感じ取ったのか、足を踏みかえ警戒の姿勢を見せる。

 

 突如変化した空気に、その場にいた誰もが二人に目をやった。

 

 

 両手の大剣を大きく構え、必殺の攻撃を叩き込もうとするモモン。

 タワーシールドを前に構え、相手の攻撃を防いだ上で反撃を叩きこもうとするデスナイト。

 

 両雄相立たず。

 今、二人のうちどちらかの命が尽きようとしていた。

 

 

 

 誰もが息をのむ緊迫した空気の中、モモンが声をあげた。

 

「では行くぞ、リュ――流星剣を受けろ!」

 

 モモンは全身の力をばねに、突っ込んだ。黒い弾丸となって襲い掛かる。

 デスナイトもそれに反応し、相手の攻撃を待つことなく、真っ向から突進する。

 

 

 

 そして、二つの影が交差した瞬間――。

 

 

 ゴオン!

 

 ――モモンが軽々と吹き飛ばされた。

 

 

 

「「は?」」

 

 クレマンティーヌもカジットも思わず気の抜けた声をあげた。

 

 モモンの身体はデスナイトのシールドバッシュを受け、大きく撥ね飛ばされた。

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだその巨躯がおよそ数メートルは軽く吹っ飛び、霊廟の扉をぶち破って中に転がり落ち、その姿が見えなくなる。

 

 周囲に白けた空気が漂う。

 あれほどの大言を吐いた直後、実にあっさりとやられてしまったのだ。

 

 クレマンティーヌとカジット、ふたりとも口をあんぐりと明けたまま、硬直していた。

 

 

 どれほどの間そうしていただろうか、クレマンティーヌが身体を震わせながら、怒声をあげる。

 

「あ、あ、あ、……アホか、てめぇぇぇ!? なに大口叩いた途端、さっくりやられてんだよ!!」

 

 だが、その言葉にも霊廟の中から応える声はない。

 

「は、……ははははは。……どうやら、もはや儂にあらがう術はなくなったようだな」

 

 対して、カジットは焦るクレマンティーヌの声で落ち着きを取り戻したようだ。

 

 これまでの膠着状態は、あのモモンがデスナイトを押さえていたからだ。そのモモンがいなくなり、デスナイトが自由に動けるようになった今、もはやクレマンティーヌには勝ち目はない。

 

「己が死を受け入れるがよい、クレマンティーヌよ。なに、死とは終わりではない。新たなる人生の始まりだ。おっと、人としての生ではなく、アンデッドとしての生だがな」

 

 憫笑(びんしょう)を交えながら宣告するカジット。

 クレマンティーヌは、それでも何か手はないか思案し、歯噛みする。

 

 

 

 その時――。

 

 

 ――黒い疾風が駆け抜けた。

 

 

 

 霊廟から飛び出したその影は瞬く間にスケリトル・ドラゴンの許へとたどり着き、大剣の一撃でその体を打ち砕いた。

 そして、止まることなく周囲を駆け巡り、その黒い暴風になびかれたアンデッドたちは何も出来ぬまま、再び永遠の眠りについた。

 

 そして、モモンは再度、デスナイトへとその歩を進める。

 迎え撃つデスナイト。

 

 だが、防御に長けたデスナイトですら反応しきれない速度でモモンの大剣が襲い掛かる。

 

 一閃。

 

 ゆらりとその前を通り過ぎるモモンの後ろで、グラリと姿勢を崩すと、デスナイトはその場に倒れ伏した。

 

 

 

 眼前で起こった光景。

 突然の出来事。

 まるで白昼夢を見ているかのごとき現実感の無い、しかし確実に現実の事に誰もが声も発せなかった。

 

 

 その光景を前に、クレマンティーヌは動揺し、絶句していた。

 

 今のモモンの動き。

 長年戦士として訓練を積み、漆黒聖典にまで上り詰めた自分ですら、かろうじて目で追えると言える程の動き。

 先ほどまでの全く戦士としての心得がないようなあの戦いっぷりは何だったのだろうか?

 あの身のこなしは漆黒聖典の隊長、……いや、あの番外席次にすら匹敵するかもしれない。

 

 いったい、このモモンという男は何者なんだ?

 神人の一人だとでもいうのだろうか?

 それとも……まさか『ぷれいやー』だとでもいうのだろうか?

 

 クレマンティーヌは息をのんだ。背中に流れる冷たいものは決して冷えた汗だけではない。

 

 

 カジットもまた動揺していた。

 目の前で起こったことが全く理解できなかった。

 

「ば、馬鹿な……。あり得ん! そんな事、あり得ん! あ、あり得るはずがないのだ! デスナイトが一撃で倒されるなど、絶対にあり得ん!!」

 

「もう十分だろう。それ以上、語る必要はない」

 

 カジットの前にモモンが立つ。

 

 カジットは後ずさった。

 今、ついに魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるカジットの前に立つ盾はただの一人たりともいなくなった。

 目前の死から、カジットを守る物は何もないのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 お、終わるのか? この儂が。

 

 長い年月をかけて積み上げてきた魔法の技術も、この世の理に関する知識も、全てが無に変えるのか?

 

 そ、そんなこと許されるはずがない。

 

 儂は何十年もかけて自分の過ちを正すために研究を重ねてきた。

 必死で信仰系魔法を学んだが、既存の信仰系の魔法では目的を果たす事は不可能だと分かった。目的を果たすためには新たな魔法を開発する必要がある。

 だが、魔法の開発には時間がかかる。高位階の魔法であればあるほどその難度は上がり、それに伴う研究時間も跳ね上がる。およそ数年、もしくは十年という単位では到底足りないものもある。

 

 そこでカジットは自身がアンデッドになる事を目指した。

 

 人間であれば寿命はせいぜい数十年。長くても100年程度でしかない。だが、アンデッドならば、それこそ半永久的に生きられる。

 アンデッドの寿命があれば、自分の目的を叶えるための魔法の開発を行うための時間が手に入る。

 

 そう、アンデッドにさえなれば……。

 

 そう願い続け、このエ・ランテルで数年かけて準備を行い、そして遂にアンデッドになったのだ。

 

 これで、自分の願いが叶う。

 これで時間は手に入った。

 あとは自分の目的のための魔法を開発するだけ。

 

 しかし……。

 

 ――はて?

 ――自分の目的とは何だったか?

 

 ……母……?

 

 なぜ、母を生き返らせるのか?

 人間を?

 そんなことをして何の意味があるんだ?

 自分の過ち?

 それは何だったか。

 

 あの日を思い出す。

 

 屈強な体躯を持つ父。穏やかな性格の母。

 二人に育てられ、スレイン法国の辺境の村でカジットはすくすくと育っていた。

 

 あの日。

 焼けるような夕日の中、カジットは家への道を走っていた。

 

 帰れば、母がいつもの笑顔で迎えてくれるはずだった。

 

 いつもより遅くなった理由はもはや記憶にない。街はずれできれいな石を探していたとか、友達との英雄ごっこに夢中になっていたとか、そんなたわいもない理由のはずだ。

 

 帰れば、そこにいつもの日常が待っているはずだった。

 

 勢いよく扉を開けたカジットの目に飛び込んできたのは、苦悶に満ちた表情で倒れている女だった。

 今までカジットが見たことのない、苦痛に歪んだ女の顔。

 

 そこまで思い返し、現在のカジットは疑問に思った。

 

 優しい微笑みをたたえているはずの母はどこに行ったのだろう?

 なぜ、帰ったはずの自分を迎えてくれなかったのか?

 

 なにか大切なパズルのピースを失ったように。

 何かが欠けている気がする。

 何か大事なものが失われている気がする。

 それが何かは分からない。

 だが、今、この瞬間も何かが欠落してく感覚がする。

 この感覚は何だろう?

 何か、大切なものがなくなっていくような……。

 

 カジットは消えていく何かの欠片を惜しむように、ふと、その言葉をつぶやいた。

 

「……おかぁ……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その瞬間、冒険者モモンの剣がカジットの偽りの生に終わりを告げた。

 

 

 




 人外になったことによる人間性の喪失と言えば、ジョジョ1部での赤ん坊を抱いた母親が印象的でしたね。


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第19話 漆黒の英雄

2016/2/5 ベルが冒険者のランクをうろ覚えというのが分かりづらかったので、該当部分のセリフをすこし修正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/10/7 「ー」が「-」となっていたところを訂正しました。
 単語の後に「〉」がついていないところがありましたので、つけました。
2016/12/1 「別に人間」→「別の人間」 訂正しました
「始めて」→「初めて」、「恣意的」→「恣意的」、「(おもんばか)って」→「(おもんぱか)って」訂正しました。


 カジットの身体が崩れ落ちるのを見届け、大剣を振って汚れを払うと鞘へと戻す。

 

 そして霊廟の方へと足を向けたが、途中でモモンは立ち止まり、クレマンティーヌの方を振り向いた。

 

 一瞬、びくりとしたものの、クレマンティーヌは猫なで声で話しかけた。

 

「いっやぁ、助かったよ。最後、凄かったじゃん。あれって何、実力を隠していたとか?」

「ふむ。そうだな。相手の手札がどれだけあるか、どれ程の強さのものを隠しているか、即座には判断できなかったから、手の内をさらさず探っていたんだ」

「ふーん。そうなんだ。あれがあなたの本気ってヤツ?」

「いや。まだ、切り札はあるがな」

「そ、そうなんだ……」

 

 クレマンティーヌはごくりとのどを鳴らした。

 

 あれより上があるのか……。

 ……ブラフか?

 いや、こいつならあってもおかしくない。そう思わせるだけの何かがある。

 

「それにしても、あなたって一体何者? モモンって名乗ってたけど、私、そんな名前聞いたことないけど」

「ああ、つい先日、冒険者登録をしたばかりだからな」

 そう言って、首にかかった銅のプレートをはじいて見せる。

「ふうん。じゃあ、どこから来たの? 冒険者になる前は何してたの?」

「……冒険者にそういう事を聞くのはマナー違反だと思うが?」

「だぁってさー、強い人間の事だもん。気になるじゃん」

 

 モモンは微かに苛立ちを交えた声で(たしな)めたが、クレマンティーヌはそれでもくらいついた。

 

 これほどの強者の情報。

 知っておいて損はない。

 いずれ自分が法国を裏切った際にも役に立つかもしれない。上手くすれば味方に出来る可能性もあるし、最悪でも敵に回すようなことはしたくない。

 生まれはどこなのか? 仲間はあの女神官と巨獣以外にいるのか? なんらかの後ろ盾(バック)はあるのか?

 ――そして、強さの底はどれほどなのか?

 

 とにかくクレマンティーヌは、偶然の結果とはいえ、ともに肩を並べて戦ったのだ。

 この縁は利用しない手はない。

 声を聞くに中身は男らしいから、女の武器を使ってもいいかもしれない。

 こう言っては何だが、自分は顔もいいし、スタイルも抜群だ。可愛らしさというのはないが、女性の魅力というのなら十分にあると自負している。

 ……まあ、あの女神官と比べられるとアレだが。

 

 そうして、とりあえずその鎧に包まれた身体に、自分の身を擦りつけてやろうかと歩み寄った時――

 

 

 チャリン。

 

 ――冒険者のプレートが落ちた。

 

 クレマンティーヌの鎧につけられていた幾多の冒険者のプレート。

 自分が殺した冒険者から奪った記念品。

 あらかたカジットによって剥ぎ取られたと思われていたが、ちょうどスケリトル・ドラゴンの指が当たっていたせいでカジットの眼に届かなかったものがあったらしい。だが、むしり取られはしなかったものの、強大な力で壁に押し付けられ圧迫されたことで、止めていた金具が緩んでいたようだ。動いた拍子にこすれ、鎧から外れて落ちてしまった。

 

 しかも悪いことに、それはクレマンティーヌのブーツにあたって跳ね、モモンの足元へと飛んでいった。

 

 モモンはそれを何気なく手にとり、しげしげと眺める。

 

 その様子にクレマンティーヌは冷や汗を流した。

 

 まずい!

 冒険者のプレートには、そのプレートの持ち主の名前がしっかりと刻まれている。

 先ほどの戦いの最中、カジットははっきりと自分の事をクレマンティーヌと呼んでいた。冒険者のプレートを見れば、そこにある名前はクレマンティーヌとかけ離れたものだというのは一目瞭然だ。そうなれば、なぜ他人のプレートを持っていたかと疑問に思うだろう。

 それに気づいた時、このモモンがどんな反応をするか……。

 

 どうする?

 モモンが何らかの反応を示す前に殺すか?

 だが、あれほどの腕前の戦士に?

 瞬く間に殺されるのが落ちだ。

 

 逃げるか?

 その背にあの剣を投げつけられないことを祈る事ぐらいしかできないが。

 

 誤魔化すか?

 クレマンティーヌという名前は通称もしくは偽名で本名はプレートにある名前だと。

 だが、大量にあるプレート一つ一つに書かれていた名前など、いちいち憶えてもいない。プレートにある名を聞かれたら、一発でばれてしまうだろう。

 

 どうするのが最も生存率が高いか、クレマンティーヌが判断に困っている間に――。

 

 

 ――モモンは手にした金のプレートをクレマンティーヌに差し出した。

 

 

「え?」

 

 クレマンティーヌが反応に困っていると、モモンは首をかしげ「どうした?」と言って、さらに差し出してきた。

 思わず、冒険者のプレートを受け取る。

「え、ええと……うん、あんがとね」

「ああ、冒険者のプレートは失くした場合、自腹で再発行してもらわなくてはならないのだろう? 気を付けておくことだ」

 

 まるで何の心算も感じさせずにさらっと話す。

 

 

 いったい何を考えているのだろう?

 このプレートが自分、クレマンティーヌの物ではないと知ったうえで渡すことで、こちらに恩を売ったという形にしたいのだろうか?

 そうなると、自分が法国の人間だと知っている?

 まさか?

 ただの冒険者、それも銅のプレートの冒険者が、そんな情報網を構築しているはずがない。

 ……いや、銅のプレートだからか。

 つまり、どこかの組織の人間が新しいアンダーカバーとして冒険者に登録したばかりという事も考えられる。まあ、さすがにいきなり銅のプレートがというのもおかしな話だが、逆に意図的なものだと推測することもできる。

 都合よく考えたいなら、自分の色香に誘われて……というのもなくもないだろうが。

 いや、そうした場合、恩を売るより弱みを握るほうが確実だろう……。

 

 考えれば考えるほど、思考の海にのまれていってしまう。

 いったい、こいつは何を考えている?

 

 

 まさかとは思うが、これほどの人物がプレートに書かれた文字が読めなかった、などという馬鹿な話はあるまい。

 

 

「うん、ごめんね。あんがとね。じゃ、また、いつか会おーねー」

 

 その辺に投げ捨てていたフード付きマントを拾って羽織り、その身体を隠した。鎧につけられていたプレートのほとんどは剥ぎ取られていたが、何個かはまだ残っている。特に背中側。それが誰かに見つかったら、少々拙いことになる。見ないふりをしてくれたこの男の、どんな思惑があるかは知らないが、気遣いも無駄になるだろう。

 

 とにかく、相手の意図が何であれ、ここはいったん退くべきだ。

 顔は繋いだんだから、また偶然を装って会いに来てもいい。

 

 冒険者モモンか……。

 もしかしたら、これから台風の目になるかも。

 

 様々なことを思案しながら、足早にクレマンティーヌは去っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 クレマンティーヌが立ち去ったのを確認してから、モモン――アインズはルプスレギナに声をかけた。

 

「周囲に敵および、第三者はいないか?」

 その問いに「はい、おりません」と答える。

 しかし、その答えにやや硬いものを感じ取って、アインズは振り返った。視線の先でルプスレギナはぷくぷくと頬を膨らませている。

 

「どうした?」

「はい。だって、アインズ様。あのガイコツとか、特にあの女っす! あいつらアインズ様にあんなに失礼な口ききまくりやがってんすよ。私に一言ご命令くだされば、あいつらに至高の御方に対する口の利き方を体に叩きこんでやったっすよ。フルボッコっすよ!」

 

 ぶんぶんと両手を振りながら熱演する。

 

 誰も見ていないとはいえ、アインズ様と呼ぶのは止めて欲しかったが、とりあえず人のいない所ではもういいやという諦観がここ数日で心の中には生まれている。

 正直、プレアデスの中では人当たりの良さそうだったルプスレギナだが、それでもアインズ扮する冒険者モモンが下に見られた時はちょくちょく暴走しそうになった。その都度、〈伝言(メッセージ)〉でストップをかけなければならなかった。

 アンデッドで大騒ぎしていたこのエ・ランテルに戻って後、特にクレマンティーヌと遭遇してからは、基本的に喋ることを禁止しなければならないほどだった。さすがに敵意の視線を向けるくらいは大目に見ていたが。

 

 とにかく、いつまでも騒がせておいても仕方がないので、(なだ)めることにした。

 

「落ち着け、ルプスレギナよ」

 その言葉に、ルプスレギナはゼンマイ仕掛けのように動いていた口と体の動きをピタッと止める。

 

「ルプスレギナ。お前が我が事のように私を(おもんぱか)ってくれていたことはよく分かった。だが、あいつらにある程度、好き放題言わせていたのも私の策の内だ。気にすることはない。だが、それでも私の為に怒ってくれたことは嬉しく思うぞ」

 

 そう言って、手甲越しだが頭をなでる。

 ルプスレギナは不満そうだった顔から一転、ぱあっと明るい顔になった。

 

「おお、アインズ様。今、私の中のルプスレギナ袋は急速に充てんされてるっすよ。もう超必殺技も3回は連発できそうなほどっす」

 

 意味はよく分からないが、とにかく機嫌は直ったようだ。それで、もう一度周囲に敵はいないか確認したが、やはりいないという。

 

「じゃあ、もうこれは解いてしまってもいいか」

 その答えを聞き、アインズはその身にかけていた魔法を解く。

「〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を解除、と。あと、……ああ、もう面倒だ。この鎧もいいだろう」

 

 一瞬で、漆黒の鎧が消え、いつものグレート・モモンガ・ローブ姿になる。

 

 「ふぅ」と息を吐きながら、ぐるぐると肩を回す。

 「あぁーっ」と声を出しながら、ぐぅーっと伸びをする。

 アンデッドだから疲労はないものの、やはり重い金属鎧を身に着けているというのは動きに制限があって、煩わしいものだ。

 それにヘルムのスリット越しに周囲を見るというのも、最初は物珍しくて楽しかったものの、だんだん視界の狭さにうんざりしてきた。久しぶりに見る遮るものの無い視界というのは実に快適だ。

 

 そうしていると目の端に、先程モモンの大剣の一閃で倒したデスナイトが地に横たわっているのが映った。

 

「リュース。もういいぞ」

 

 そう声をかけると倒れ伏し、やられたふりをしていたデスナイト=リュースがむっくりと起き上がる。

 

 

 何のことはない。先程の戦いはただの自演だったのだ。

 

 最初はさっさとズーラーノーンの連中を倒して終わらせようと思っていた。

 だが、先行したシャドウデーモンから、すでに墓地では冒険者のプレートを付けた女とアンデッドを操る骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)が戦っているという報告がきた。それも冒険者のプレートを付けた女の方が優勢で死霊術師の方が押されている。倒されるのも時間の問題だという。

 

 これはさすがに焦った。

 

 避難所であれほど大見得切っておきながら、いざ現場についてみたら、諸悪の根源はもう別の人間に退治されていましたでは立つ瀬がない。

 

 そこで、ベルが墓地周辺に移動させていたアンデッド部隊の中から、見栄えのするリュースを骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)の増援として送り込むことにした。

 思惑通り、情勢は一変。女は一転ピンチに陥る。

 そこを正義のヒーローよろしく助けに入った。

 あとは自分の戦士としての実力を計るための練習試合がてらリュースと戦い、頃合いを見てわざとシールドバッシュを食らって霊廟の陰へと姿を消す。そこで〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使って、100レベル戦士として華麗に再登場。そして、すべての敵を片づけてみせたという訳だ。

 

 しかし、あのクレマンティーヌという女が倒れたリュースにとどめを刺そうなどと言い出さずにいてよかった。

 自分の攻撃によって瀕死状態になっているところへ、さらにもう一撃喰らうとさすがに死ぬからな。あの女がデスナイトは一撃では絶対に倒されないというのを知らずにいてくれて助かった。カジットとかいう骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)はさすがに知っていたみたいだがな。

 

 とにかく今現在、あと一撃のダメージで死んでしまう。ちょっとつまづいたり、坂道で前ジャンプした程度で死んでしまったら後味が悪い。

 そこで、魔法で負のエネルギーを当ててやると、見る見るうちにリュースの傷が治っていく。

 喜びにリュースは雄たけびをあげようとした。

 

「おっと、雄たけびは無しだ、リュースよ。お前はやられた事になっているんだからな」

 

 慌ててリュースは口を手で押さえた。

 声は発しないまま、嬉しそうに体を揺らしている。

 正直、見た目は不気味だが、こうして喜んでいる姿を見ていると案外、愛嬌がある気がしてくる。可愛らしいペットのような感じがして愛着心もわいてくる。

 

 そうだ。

 ペットと言えば……。

 

 振り向くと、ハムスケが墓石の陰から顔をのぞかせている。

 墓石は人間の腰くらいしかないので、ハムスケのそのでかい図体は丸見え状態だ。

 

「あのー……もしかして、殿でござるか?」

「そう言えば、この本来の姿を見せたのは初めてだったか。これが私の本当の姿だ」

「なんと! そうだったのでござるか! なんとご立派なお姿。このハムスケ、さらなる忠義を尽くすでござるよ!」

「うむ……ちょっと声が大きすぎる。すこし静かにしろ」

「これはそれがしの忠誠の思いを表してるんでござるよ!」

「いや、お前な……」

「おお、忠誠の思いなら負けないっすよ」

 

 ルプスレギナまで加わってきた。

 

「殿! このハムスケ、殿の偉大なお姿に感動したでござる!」

「アインズ様! この世のすべてまで見通すその御見識! まさに智謀の王という言葉しかないっすよー!」

 

「ちょ、ちょっと声を抑えろ」

 

「殿の御威光溢れるその姿、なんと素晴らしい!」

「アインズ様の偉大なる魔導の奥義、この世に比肩するものなんかいないっすねー!」

(……王よ……)

 

「ん? 今何か、声が……」

 

「殿の卓抜(たくばつ)たる力、このハムスケ、感嘆のあまり言葉もないでござるよー!」

「ひゃっほー! アインズ様、最高っすよー!」

(……偉大なる死の王よ……)

 

「ちょっと、お前ら、静かに……」

 

「殿ー! 殿ー!」

「アインズ様ー! アインズ様ー!」

 

「やかましい!」

 二人をダブルチョップで黙らせる。

 

 頭を押さえている連中を無視して耳を澄ませると、声はカジットの遺体の方から聞こえてくる。

 死体を漁ってみると、その手の黒いオーブが発信源のようだ。

 インテリジェンス・アイテムというヤツか。〈上位道具鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使ってみると、……まあ、微妙な感じの能力が色々あった。

 なんだか、尻が痒くなるような美辞麗句を延々並べたてていたが、それほど重要そうなアイテムとも思えなかったので――。

 

「リュース、持ってろ」

 傍らのリュースに投げ渡した。

 

「え? いいんすか? そいつに渡して」

「探知魔法対策は行ったが、それで完全に安全だとは言い切れまい? だからリュースに持たせる。生者であるハムスケに持たせて、おかしな影響を受けても困るしな」

「なんと、殿! それがしの事を心配してくださるとは! このハムスケ一層の……」

「さっすが、アインズ様! その深謀遠慮、まさに……」

「だから、やかましい!」

 

 再び脳天にダブルチョップを当てる。

 ちょっと涙目のハムスケとルプスレギナを置いて、霊廟内へと足を踏み入れる。

 がらんとした室内の最奥部、祭壇の上に目当ての物があった。奇妙にねじくれた筒先からこんこんと霧を湧き出し続ける、奇怪な姿のマジックアイテム。

 ピッと指で触れると、一瞬、空ぶかしするような音がして霧の発生が停止した。満足そうにうなづくと、それをアイテムボックスへと放り込む。

 

 そして、外へと足を向けながら、〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《もしもし、ベルさん。今、いいですか?》

《はいはい。こちらベルです。ちょうど、こっちは一区切りついたところですよ。何かありました?》

《今、例のアイテム停止させて、霧の発生を止めましたよ》

《おお、お疲れさまでした。じゃあ、エ・ランテルに行ってるナザリック勢は撤退させますね》

《はい、そちらはお願いします》

《それでどうでした、首尾の方は?》

《ええ、ばっちりですよ。ズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はちゃんと倒しました》

《お疲れ様です。あ、ズーラーノーンの連中はちゃんと全部殺してしまってくださいね。可能ならば、死体にも復活出来ないように魔法なりアイテムなりで処置しといてください》

《ずいぶん厳重ですね》

《実はですね。ズーラーノーンの人間なんですが、もしかしたらアイテム渡した時の俺の姿を憶えてるかもしれないので》

《えっ! 〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉使ったんじゃないんですか?》

《ええ、使ったんですが、思ったより魔力の消費が激しくてですね……。嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)の魔力が尽きかけてしまったんで。まあ、なんとかアイテムの出どころだけ、つじつまは合わせたんですが、完全にその時の記憶が消しきれたかちょっと微妙なんですよ》

《ああ、なるほど。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉の実験はしたものの、あの時は私がやりましたからねぇ。私と嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)では総魔力量に結構な差がありますし》

《しかも、その時、記憶を変えてアイテム渡したのって、なんだか法国の人間らしくてですね。下手に生き残ったり蘇生されたりすると、俺の事が法国にばれる可能性も……》

《そりゃ、拙いですね。分かりました。そちらは何とかしておきます》

 

 霊廟の外に出て、地面に散らばった死体に目をやる。

 フードを着ている死体が二桁近くある。これがズーラーノーンの者達の死体なんだろう。だが、それ以外の人骨や死体も、そこらに多数転がっている。

 これを全部やるとなるとかなり面倒だ。

 ……しかし、念のためという事もあるから、やっておいた方がいいだろうな。骨が折れる作業だが。

 

《む……》

《どうしました?》

《いえ、ちょっと……》

 

 ……骨が多くて骨が折れる……絶対にうけないだろうから、言うのはやめておこう。

 

《おっと、そうだ。墓地に来た際、ズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)と戦っていた冒険者を助けたんですが、それは良かったですよね?》

《冒険者ですか? それはオッケーですよ。冒険者を助ければ、冒険者モモンの評判が上がりますし。どんな奴だったんです?》

《金級の女戦士でしたよ》

《ええっと、たしかエ・ランテルではミスリルが最高で……んー? その下が……金……でしたっけ? で、その下が銀、鉄、銅と。おお、じゃあ、結構高い地位の冒険者を助けたんじゃないですか》

《そいつの目の前でデスナイトを倒してみせましたよ》

《そりゃあ、いいですね。名声もうなぎ上りですよ。……あれ? 女戦士って、一人だけだったんですか? チームとかじゃなくて?》

《ええ、一人でしたね。……ふむ、どうやってここまで来たんだか……》

 

 疑問に思ってふと辺りを見回すと、目につくものがあった。

 

 霊廟脇の地面。

 

 そこにいくつもの冒険者のプレートが散らばっている。

 

 なるほど。

 おそらくズーラーノーンの骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)は、これまでにも幾人もの冒険者を殺めてきたのだろう。そうして、殺した冒険者から冒険者のプレートをトロフィー代わりに奪っていたのだろう。

 きっと、あの女戦士はその殺された冒険者の知り合いで、ずっとあの骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)を追っていたんだな。ずいぶんと互いの事を知っていたようだったから、よっぽど長い間狙い続け、執念でここまでたどり着いたのか。

 そんなに追い続けるとは……。

 きっと、殺されたのは同じパーティの仲間……恋人という線もあるか。

 

 まあ、いい。

 エ・ランテルにいるならまた会う機会もあるだろう。

 向こうも、また会おうねって言っていたし、その時にでも、それとなく聞けばいい。

 

《じゃあ、とにかく、ここでやることは終わりましたし、あとは避難所に戻りますね》

《はい。凱旋になりますから、かっこよくお願いしますね。あ、そうそう。あの威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)って、まだいます?》

 

 言われて思念を飛ばしてみる。

 

《ああ、いますね。どうやら、あの後、2回ほどアンデッドの群れが襲ってきたらしいですけど、全て撃退したらしいです》

《じゃあ、せっかくですから、避難所に戻って事件の解決を伝えたら、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)連れて、残ったアンデッドの掃討でもしてください。良いパフォーマンスになります》

《はい了解しました。では、また》

 

 そうして、〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 

 

 

 その後、〈転移門(ゲート)〉を使ってリュース、並びに近辺で戦闘の間、雑魚アンデッドを召喚していた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)らをナザリックに送り返し、再び〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を使って、漆黒の全身鎧(フルプレート)を作成して身に着け、避難所へと帰還した。

 ずっと晴れることのなかった霧が晴れたことで、もしやあの人物が解決したのでは、と思っていたらしい避難民たちからは盛大な歓声を浴びた。

 組合長のアインザックらからは、事の顛末を聞かれたので、今回の首謀者はズーラーノーンという組織の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が何らかの儀式によって引き起こした事件だ、倒した死霊術師の遺体なら墓地に転がっているから確かめてくるといい、と言って威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を引き連れ、街中に残ったアンデッドたちの退治に向かった。

 

 神々(こうごう)しいオーラを放ち、その偉大なる姿にたがわぬ攻撃によりアンデッドを滅ぼしていく威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)。それを従え人々を救っていく、銅のプレートを首にかけた漆黒の全身鎧(フルプレート)の人物。

 

 その姿は絶望に打ちひしがれていた街の人間たちに強烈な印象を与えた。

 

 途中で威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の召喚時間が切れたため、その後は自力で倒しながら進む羽目になったが、あちこちに孤立した者たちを助けていくことで、冒険者モモンの名はエ・ランテル中に知れ渡った。

 

 

 誰ともなく、冒険者モモンの事を『漆黒の英雄』と呼び讃え始めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふむ。私のいなかった間に何か異常はなかったか?」

「はい。すべて順調でございます」

 

 ナザリック地下大墳墓の第9階層。

 そこをナザリックの支配者であるアインズと、やや下がって守護者統括アルベドが歩いていた。

 

 冒険者としてエ・ランテルにおもむき、そこからカルネ村、そしてまたエ・ランテルへと動いたため、しばらくぶりの帰還となる。

 まめに〈伝言(メッセージ)〉で状況は聞いていたが、やはり目で見て、実際に会って話を聞かないと不安になるのが元下っ端サラリーマンのアインズだ。こうしてナザリックに帰ってきて、皆が普段通りなのを見て安心する。

 

 やがてたどり着いたのは執務室。

 

 ベルがいるはずなのでノックをして扉を開けると――。

 

 ジャララララッ!

 

 音を立てながら、内側から流れてきた金色の波がアインズの足元を包み込んだ。

 驚いてよく見ると、見慣れたユグドラシル金貨ではない。ええと、たしか王国の金貨だ。それに所々に色とりどりの宝石や装飾品も交じっている。

 

 部屋の中に目を向けると――

 

「はーっはっはっは!」

 

 部屋中に積み上げられた、このアンデッド騒ぎのどさくさに紛れてエ・ランテル中から盗み出してきた金銀財宝の山の上、どこから持ってきたのか悪趣味なサングラスに葉巻を咥えたベルが高笑いをあげていた。

 

 

 




 クレマンさん、ベルの連絡ミスとアインズ様の勘違いのおかげで生存です。
 ヤッター!

 リュース、遠距離攻撃ができないという弱点を克服した、魔法攻撃ができるデスナイトになりました。
 スゴイ!


 これで書籍2巻分は終了になります。
 いただいた感想ですが、誤りの指摘以外に返信できなくて申し訳ありません。
 偶にですが、活動報告のほうで疑問への回答などさせていただいておりますので、それでご容赦を。

 お読みいただきましてありがとうございました。


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第20話 おまけ 人化アイテムを使おう

ムシャクシャしていた。
つい、カッとなってやった。
反省している。


2016/10/7 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
2016/12/1 「収集」→「収拾」 訂正しました



「なんです、それ?」

 

 ナザリック第9階層。

 本来はギルドメンバーの私室の一つであったが、いまはアインズとベル共有の執務室となっている部屋に疑問の声が響いた。

 

 問われた相手は、その骸骨の手で一つのポーションをつまみ取る。

 

「人化のポーションですよ。昔、あったでしょう」

「ああ、そういえば。そんなのありましたっけ」

 

 ユグドラシル時代、特定種族でないと作れないアイテムなどがあった。そのため、そのようなアイテムを作るときに短時間だけその種族になれるアイテムというのが存在した。これは、その短時間だけ人間になれるというアイテム。

 ちなみに本来の目的はそれだったのだが、実際は姿を変えて遊ぶだけのただのジョークグッズとして一般に使われていた。

 

「しかし、なんでまたそんなものを?」

「ええ、これを使えば、私も一時的にですが人間になれるでしょう? つまり、食事や睡眠が楽しめるんです」

 

 その答えにベルは納得した。

 

 正直、このアンデッドの肉体というのは便利な反面、不都合な点も多い。

 特にゲーム的な意味ではない所でだ。

 疲労がないのはいい。ずっと手を使っていても腱鞘炎にもならないし、長時間座っていても腰が痛くならない。食事も必要ないし、睡眠も必要ないから、ずっと作業に没頭できる。

 だが、逆に言えば肉体的な制約で精神を癒す休息が取れないという事だ。

 人間ならば仕事をしたら疲労を感じ、それを癒すために睡眠や美味しい食事といったことでリフレッシュ出来るが、アンデッドの身体だとそれがない。

 マイナスはないが、プラスも体験できないという状態である。

 疲労には休息を、眠気には睡眠を、空腹には食事を。

 休息も睡眠も食事もいらないが、代わりにそれらの行為による精神的な充足感が感じられない。

 

 それは、人間からいきなりアンデッドになった身には堪えた。

 

「もう、バッドステータス状態なのは分かりますが、とにかく睡眠なり、酔いなりを楽しみたいんですよ」

「まあ、休みなくずっと働き続けることが出来ますからね。肉体的には大丈夫でも、精神的に磨り減るような感じがしますし」

 

  

 まだ、ベルは一応人間の少女の姿の為、食事はすること自体は出来るが、アインズはそれすらも出来ないのである。

 現在のアインズのリフレッシュ方法としては、せいぜい風呂に入る事くらいしかできない。

 しかし、風呂に入ると全身骨の体をちゃんと洗えているか気になってしまい、かえって精神が休まらないという困った状態である。

 

「暖かな布団の中で心地よく眠る、それ以上の幸せがあるだろうか、とか眼鏡の少年も言っていましたね。昔はユグドラシルやってた方が有益だろうと思っていましたが、今なら納得できます」

「そうですねえ。……ん? でも、そのアイテムってわりと短時間しか効果ないんですよね。仮にそれを使って人間の姿になっても、布団に入って眠りについたらすぐアイテムの効果が切れて、目覚めてしまうんじゃないですか?」

「あ……」

 

 言われてアインズは絶句した。

 思ったより衝撃を受けているのに気がつき、慌ててベルが取りなす。

 

「ま、まあ、食事とかは出来ますからいいじゃないですか」

「あ……ええ、そうですね。食事は大丈夫ですよね」

「ナザリックの食事は素晴らしいですよ。それこそ、ほっぺたが落ちるという修辞表現の通りのようです」

「おお、そうなんですか? この前、ベルさん美味しそうに食べてましたからねぇ。リアルではほとんど液状食ばっかりでしたから、楽しみだなぁ」

 

「で、使ってみないんですか?」

「いえ、ハムスケを呼び出してありますので、先にハムスケに使ってみようかと」

「そりゃまた、なんで?」

「この前みたいに下手にアイテム使って大騒ぎになったら困りますし」

「ああ、〈完全なる狂騒〉の時は大騒ぎでしたからねぇ」

 

 あの時の収拾のつかない大騒ぎを思い返し、二人はウンザリとした気分になった。

 

「ええ。一時的にカルマ値を下げるとかいうアイテムの時も、ひどかったですしね」

 

 自分たちは元からカルマ値が最低値なため、下がる余地があるアウラとマーレに使ってみたのだが、その結果、アウラはコキュートスに「おらぁ、全裸ヤロー!!」と蹴りを入れたり、マーレは一般メイドたちのスカートめくりをしたりとまた騒ぎになった。

 ……ただ、なぜかメイドたちは、やったマーレにはろくに怒りもせず、はにかんだ表情を浮かべ照れた様子で(たしな)めるだけだったのがなぜか腹が立ったが。

 

 そうして理不尽な怒りを覚えていると、ノックの音がした。

 入るように命じると、一般メイドのリュミエールがハムスケを連れて入室してきた。

 

「殿―。お呼びでござるか?」

 

 リュミエールには退室するように伝え、部屋を出るのを確認してから、ハムスケにポーションを放ってやった。

 

「はて? これは何でござる?」

 

「形態を変化させるポーションだ。お前がこれから私の配下として活動するうえで、それが有用と分かれば、お前にとってなにかと便利かと思ってな」

 

 自分本位な実験のはずなのに、まるでハムスケを思いやっての事のように平然と言い放った。

 これはアンデッドになったための非情な精神によるものか、それとも過酷な企業戦争の中で営業サラリーマンとして磨いた鉄面皮によるものか。

 

 ハムスケは滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら、ポーションを口に含んだ。

 

「おお、殿! それがしにそれほどお心をかけてくださるとは! このハムスケ、感涙のあまり前が見えないでござるよ」

 

 純然たる敬愛の念がこもった視線にやや罪悪感を憶えながらも、早く使う事を促す。

 

 ハムスケは2本足で立つと、首を上にして一気に飲み干す。

 

 

 次の瞬間、ぼんっと煙が立ち、ハムスケのその身体が覆われる。

 

 そして煙が晴れた後にいたのは――。

 

 

「おお、何でござるか? これは?」

 

 そこにいたのは黄色人種の特徴を持つ女性。

 普段のハムスケのござる口調に合わせたものか、長い黒髪を後ろでまとめ、凛々しい黒目を持つ、まさに女サムライといった姿の人影。

 

 だが、特筆すべきはその姿。

 

 

 全裸である。

 

 大事なのでもう一度言おう――。

 

 ――全裸である。

 

 

 まあ、それは当然だ。

 ハムスケは普段から全裸なのだから。

 

 だが、それを見たベルは呆然とした。

 

「え? ハムスケって……メス?」

「あれ? 知りませんでした?」

「知ってたんですか!?」

 

 驚愕の瞳を向けるベルをよそに、ハムスケはわたわたと体を動かす。

 これまでの姿と人間の姿では色々と勝手が違い、身体を動かすのにすら難儀しているようだ。

 ふらふらと体を揺らしたり、慌てて転ばぬよう両手でバランスをとったり。

 

 だが、その動きは見ている者にとって目の毒であった。

 

 ハムスケはもともと全裸が身の上の生物であり、その姿を衣服等で隠すなどといったことはしたことがない。

 そして、アインズらと会ってからも、なんらその行動を注意されることはなかった。

 

 そんな者が、突然、人間としての姿になったのだ。

 人間ならば本来隠すべき場所等も、そこを見えないように隠すという概念すらない。

 あまりにも無防備な姿をさらしている。

 

 ハムスケが体を揺らすたびに、その胸、プレアデスであるユリや守護者統括であるアルベドすら凌駕する双丘が激しく揺れる。

 揺れ具合だけなら、パッドを入れたシャルティアも勝負できるだろう。

 

 その光景をアインズとベルは言葉もなく見守っていた。

 

「……わざとですか?」

「ち、違いますよ!」

「殿ー、大変でござる!」

 

 ハムスケの声に目をやると、

 

「それがしの尻尾が無くなってしまっているでござる。これでは戦闘の際に不利になってしまうでござるよ」

 

 そう言って背中側を向け、本来であれば尻尾があった場所、今は当然尻尾などない場所を、爪先立ちになってアインズに見えやすいように上げて見せる。

 

「……これでもわざとではないと?」

「い、いや。ちょ、ちょっと待ってください。誤解ですよ」

「殿~」

「ええい。ハムスケ、ちょっと待て。これでも食べていろ!」

 

 そう言ってアイテムボックスから、バスケットボールほどの木の実を取り出しハムスケに放ってやる。

 

「おお、これはかたじけないでござる」

 

 そう言って、ハムスケは床に仰向けになり、手と足でしっかりと木の実を押さえ食べ始めた。

 ハムスターがやるなら特に問題のない、ほほえましさすら覚える姿だが、それを人間の姿でやると……。

 

 

「わざとだ! 絶対にわざとだ! このエロ魔神! アンタ、本当はペロロンチーノさんだろ!」

「い、いや……。エロも何も人のこと言えるんですか? さっき、ベルさん、ハムスケの姿を凝視してたでしょ!?」

「そりゃ、目の前であんなことすりゃ誰だって見ますよ! アルベドに迫られて困ったとか言ってたけど、本当はエロい命令でもしてるんじゃないですか!?」

「してませんよ! そもそも、ベルさん、人のこと言えるんですか!? アンタ、ソリュシャンと一緒に風呂入ってるんでしょ!」

「入ったって、するモンも何も無いですよ!」

「そりゃ、私だって同じですよ!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

(この木の実は絶品でござるなぁ)

 

 ハムスケはただひたすら木の実を味わっていた。

 

 今までハムスケはトブの大森林でたった一匹で暮らしていた。

 他の者達と一緒に生活するなどという事は初めての体験だ。

 社会生活を営むにあたって、一体どのような事に気を付ければいいのか、どのような事が大切なのかが全く分からない。

 そこで、ナザリックに来る直前に知り合ったデスナイトのリュース殿に聞いてみたのだ。

 彼は少々悩んだ様子だったが、大切なこととして一つの事を教えてくれた。

 

 『口に出さずにいたほうが良いこともある』

 

 含蓄深い言葉だと思ったが、おそらく今がその言葉を実践すべき時なのだろう。

 

 主人たちの喧騒をBGMに、ハムスケは木の実の味を堪能することだけに、その全神経を集中させていた。

 

 

 その数分後、アルベドとシャルティアが執務室を訪れ、さらに大パニックになるのはまた別の話。

 

 

 

 

 




「ハムスケ。子孫を作りたいって言ってたけど、あの格好ならいくらでも子づくりしたいって奴現れるんじゃ……」
「人の事、エロ魔神とか言っておいてそれですか?」


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おまけ ~破滅の少女~ IF

 今回は完全に本編とは異なるパラレルな話です。

 オーバーロードのオリ主ものと言えば、最終日、久しぶりにやって来たオリギルメンがアインズ様と共に転移に巻き込まれ、仲良く異世界で奮闘するというのが定番ですが、ふと、アインズ様が皆がいなくなったことに腹を立てたままだったら、というのを思いついたもので。


2016/2/11 2カ所ほど「使える」と表記していたところを「仕える」に訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/7/26 「帰そうとしない」→「返そうとしない」、「ナザリックの全ての自分のものに」→「ナザリックの全てを自分のものに」 訂正しました
2016/10/7 文末に「。」がついていないところがあったので、つけました
2016/12/1 「元」→「許」、「前方の方」→「前方」、「来ている」→「着ている」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「王女」→「女王」、「持ってして」→「以てして」、「火ぶたが切って落とされました」→「火ぶたが切られました」


「モモンガ様に質問する愚をお許しください」

「構わん。続けよ」

「はい。先ほどからモモンガ様の後ろに立つ、その人間は何者でしょうか? 〈~中略~〉 下賤な人間の分際で、ナザリック大地下墳墓の支配者にして、至高なるアインズ・ウール・ゴウンの最高責任者であるモモンガ様を前にして膝もつかぬ、その者は何者なのでしょうか?」

 

 一息に発したアルベドの声に合わせて、守護者たちから強烈な気が当てられました。

 当惑。敵意。そして殺気。

 

 普通の人間はもちろん、かなり高位の怪物でさえ怯み、震え、逃げ出すような濃密な空気を苦にもせずに、前へと進――

 

 ――む前に、モモンガが口を開きました。

 

 

 

「侵入者だ。殺せ」

 

 

 

 ファッ!?

 突然何を言い出しているんでしょう、この顎尖り骸骨は。

 

《ちょ、ちょっと、モモンガさん! なに言ってるんですか!?》

 

《誰もいなくなったアインズ・ウール・ゴウンをたった一人で支えてきたのは俺なんだ……。ずっと放っておいた癖に、……最後の時だけふらっと現れたような奴には渡さない! ここにある物はみな俺の物。このナザリックのすべては、俺だけのものだ!》

 

 ホラー物やパニック物で定番な、武器や食料を独り占めにしようとするウザキャラみたいなことを言いだしました。

 悪魔にだって友情はあるというのに、アンデッドには無いとでもいうのでしょうか。

 

 

 それはそれとして、大ピンチでございます。

 守護者たちは明確な怒りの空気をまとい、武器を構えて立ち上がりました。

 数人ならともかく、守護者全員+セバス+モモンガなどというドリームチームと戦えるはずもございません。

 デミウルゴスが腕をあげかけた瞬間、ベルモットは即座にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを発動させました。

 

 転移場所はナザリック地下大墳墓1階の出入り口。

 そこからわき目も振らずに飛び出しました。

 

 

 外には危険があるかもしれません。

 ですが、全員が自分に敵対しているナザリックの中よりは、確実にマシだと思われました。

 

 そうして、ベルモットは一人で未知の世界へと足を踏み出したのでございます。

 

 

 ベルモットはしばらく森や草原をさまよいました。

 そうして、野生動物などと戦ううちに、自分はかなり強いことに気がつきました。ゲーム時代、ユグドラシルの時と同じような力を発揮でき、さらに現地の生き物は自分と比べてかなり弱いようです。

 また、いくら歩いても全く疲れも感じませんでした。眠くもならないし、空腹も感じません。どうやら、こちらもユグドラシルの時と同様、アンデッドとしての特性を保有しているようです。

 

 

 まさに、解放されたような気分でございました。

 今まで見知らぬ世界にビクビクしていたのが馬鹿みたいに感じられました。

 ここでは自分は圧倒的な強者であり、身の危険すら感じません。その身を脅かす者もおりません。

 それに今の自分は一人だけ。

 何の責任もなければ、何の守る物もありません。友人や配下などのしがらみすらありません。

 ベルモットは記録映像でしか見聞きしたことのないこの美しい大自然の中で、完全に自由な存在でございました。

 

 

 ベルモットは鼻歌交じりで、雄大な景色を楽しみながら歩いていきました。

 

 すると、前方から、何やら人の足音が近づいてきます。金属のたてるガチャガチャという音も聞こえてきます。

 

 とりあえず、ベルモットは木の陰に隠れました。

 すると、JKくらいの少女ともっと幼い少女が手を取り合って走ってきました。その後ろからは中世ファンタジーの騎士の様な格好をした男二人が剣を手に追いかけてきました。

 やがて、男たちは娘二人に追いつき、その剣を振るい、年かさの娘がその身を切りつけられました。

 

 その様子を物陰から見ていたベルモットは、姿を隠したまま、自身の武器であるフローティングウエポンを飛ばしました。

 人間の戦闘力は未知数だったために警戒したがゆえの事でございます。

 ですが、その警戒は杞憂のようでした。投げつけられた武器は狙いたがわず、一撃で騎士たちを倒すことに成功したのでございます。

 騎士達が起き上がらないのを確認してから、ベルモットは木陰から出て、姿を見せました。

 「え、ええっと、あなたは? 私はエンリ、こっちはネム……」突然現れた謎の少女に、エンリは困惑しながら声をかけました。

 

 ベルモットは何も言わず、エンリとネムの方へと歩み寄り――二人の首をぽきりとへし折りました。

 

 二人の服を剥ぎ取りにかかります。

 ベルモットが今着ている服は昔の巨人アンデッドだった頃の服でございます。幸い装備のアジャスト機能があるため、脱げたりはしなかったのですが、男物のボロボロに引き裂かれた服ですので、それを少女が着ると露出度的に拙い感じがいたします。

 でも、中身は成人男性なので、このキャラは18歳以上ですと言い張れるかもしれませんが。

 

 エンリの服は少々大きかったうえに騎士に斬りつけられて大きく裂けております。しかも血がついております。そこで、ネムの方の服を身に着けることにしました。サイズ的にもばっちりです。さすがに下着も剥ぎ取って身に着ける事はためらわれたので、そちらは残したままでございます。

 

 見るからに美少女の村娘といった風体になったベルモットは、騎士達のポケットや胸元を探り、金目の物を漁りました。

 倒した敵から戦利品を得るのは当然の事でございます。

 袋に入った硬貨や薬品瓶などが手に入りました。瓶の口を開けて匂いを嗅ぐと、なにかの油のようでした。

 そこで、下着姿の村娘たちの死体と金目の物を奪った後の騎士の死体を重ね合わせ、その瓶の中身をかけると、自らの保有するものの中で火属性の武器を使って火をつけました。

 死体が焼ける嫌な匂いを背に、ベルモットは彼らがやって来た方向、黒い煙が空にたなびく方へと歩いていったのでございます。

 

 

 そこでは先程の騎士達と同じ格好をした者たちが、村人らしき人間たちを一カ所に追い集め、迫害しておりました。

 

 ベルモットが近づくと、騎士の一人がその姿に気がつきました。

 まだ村娘が残っていたのかと、ベルモットに掴みかかろうといたしました。

 ですが、横なぎに払われた戦斧の一撃で身体を真っ二つに切り落とされました。

 周りの騎士達が一斉に襲い掛かってきましたが、さくっと返り討ちにいたしました。

 その様子を見た別の騎士が怯えた声をあげて逃げようとしましたが、そいつの背にフローティングウエポンを投げつけ殺しました。

 騎士たちは怯えるようにベルモットから距離をとりましたが、彼らを囲むようにフローティングウエポンを飛ばし逃げられないようにいたしました。

 

 先ほどまでの様子とは一転、怯える騎士達。

 すると、隊長のベリュースという男が金をやるから助けてくれと言い出しました。

 ベルモットは手を差し出しました。

 ベリュースは震える手で胸元から金が入った袋を取り出し、その小さな手の上に載せました。

 ベルモットは袋を開け、中にこの地の通貨らしき様々な材質で出来た硬貨が入っているのを確認すると、それをポケットにしまい――ベリュースを殴りつけました。

 くれるという物を貰ってから、更に殴ってもっと貰うというのが賢いやり方でございます。

 巧妙な交渉の結果、ベリュースは後で金貨500枚をさらにくれるという事を約束いたしました。

 

 その顛末を見た騎士たちは武器を捨てベルモットに命乞いを始めました。

 ようやく助かったと思った村長は、ベルモットに近づき感謝の言葉を述べました。

 ベルモットはその村長を剣で斬り殺しました。

 特に生かしておいても得もなさそうだったからでございます。

 そして、フローティングウエポン群を飛ばし、その場に60人ばかりおりました村人たちを全て殺してしまいました。

 

 騎士たちはその光景に呆然としておりました。

 ベルモットはその尻を蹴り飛ばし、村中から金目の物を集めてくるように命じました。騎士たちは恐怖を顔に浮かべながら、ベルモットの機嫌を損ねないように、慌てて村の家々を漁りました。

 

 そうして広場に積みあがる物の山、何やら本当に価値があるのかすらわからないような代物でしたが、それが積み上げられていく様子を眺めていると、遠くから馬蹄の音が聞こえてきました。

 見ると、歴戦の戦士集団とでもいうような者たちがこちらに向かってきます。その中から、一際屈強な体躯の男が進み出ました。その顔は怒りに歪んでおりました。

 

「き、貴様ら……無辜の民に対し、こんなにも非道なことをするとは! その悪行の報いを受けよ! 俺は王国戦士長ガゼフ・ストロ『ザク!』」

 

 男が名乗りを上げている所に、ベルモットは戦斧を飛ばし、殺してしまいました。

 なんと卑劣なのでしょう。挨拶は大事と古事記にも書いてありますのに。

 

 リーダーが殺され浮足立つ戦士達。ベルモットはフローティングウエポン群で瞬く間に皆殺しにしてしまいました。

 

 近隣で最も強いと知られる王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの呆気ない死に、唖然とする騎士達。

 ベルモットは手を止めた騎士達を容赦なく蹴り飛ばしました。騎士達は慌てて作業に戻りました。

 

 しばらくすると、また別の一団がやってきました。

 さすがにウンザリしてベルモットが見ると、今度来たのは魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一群のようです。その姿を見た騎士達は顔を引きつらせて、直立し背筋を伸ばしました。

 そいつらの中から、いかにも偉そうな男が進み出て、子安声で話しかけてきました。

 

「お前たちがガゼフ・ストロノーフを倒したのか?」

 言われた騎士達は全員視線をベルモットに向けました。

 その様子を見た男は怪訝そうな表情でございます。

 そこでベルモットは、未だガゼフの頭に突き立ったままの戦斧を飛ばし、自分の手に収めました。

 

 その光景を見た男は、一瞬目を丸くしたものの、納得した様子でその変わった村娘のような存在に声をかけました。

 「お前は何者だ?」と問われたので、本名を名乗るのもなんだなと思い、とりあえずベルと名乗りました。

 「これからどうする気だ?」と問われたので、ベリュースを指さし「こいつの家に行く」と答えました。

 金をくれると約束したので、それを取りに行くつもりだと答えました。

 ベリュースは顔が真っ青です。

 

 男――ニグンは「お前はかなり異質な強さを持っているようだから、自分たち、法国に仕えないか?」と勧誘してきました。なんでも彼らは法国の中でも陽光聖典というエリート集団なのだそうです。ガゼフ・ストロノーフを殺すほどの腕前の持ち主をぜひとも欲しいとの事でございました。

 しかし、まずベリュースから金を受け取ってからだと言うと、ベリュースの家は法国にあるから一緒に来ればいいとニグンは言いました。

 ベルはわずかに考えてから顔を縦に振りました。どうせ行く場所が変わらないなら、一緒に行っても問題なかろうと思ったからでございます。それに何らかの組織の庇護下に入るというのも悪くないという判断でした。

 ちなみにベリュースはもうひきつけを起こしそうな顔をしておりました。

 

 そうして話していると突然、空間がゆがみ、またすぐ元に戻りました。

 陽光聖典の者たちは慌てて謎の現象に対して警戒態勢をとりましたが、ベルは平然としておりました。

 おそらく、この陽光聖典の者達を監視していた存在があり、ベルの保有する対監視の攻性防壁アイテムに引っ掛かったようです。ですが、監視をしていた者が敵ならばいいのですが、それが味方であり、なおかつ素直にその事を話した場合、自分の責任がどうのとか言われそうな気もしたので黙っていることにいたしました。

 

 そして、ニグン率いる陽光聖典、並びにベルと騎士達はガゼフの死体を馬に乗せ、足早にその場を立ち去りました。

 

 騎士達がカルネ村中から集めた物品は大した価値もなさそうだったのでそのままでございます。

 自分たちの苦労は何だったのかと騎士達は涙しました。

 

 

 

 そうして何日も馬に揺られ法国につくと、何やら騒ぎになっておりました。

 聞くと、土の巫女姫とやらがいる神殿で数日前、突然奇妙なキノコが大量発生し、その胞子を吸い込んだ者たちはキノコ人間になってしまうのだそうです。

 陽光聖典の者たちは慌てて神殿へやってきました。

 すでにその建物は封鎖されており、胞子を吸わないように口元を隠した者たちが必死で、中から出てこようとするキノコ人間と戦っておりました。

 そこへ、ベルはさっそうと現れ、瞬く間にキノコ人間を倒してしまいました。そして、自分は毒は効かないからこの異変を解決してみせると大見得切って神殿内へ入っていきました。

 他の者達はその小さな背中を頼もしく見守り、無事に帰ってくる事を神に祈りました。

 

 さて、内部に侵入しましたベルですが、火属性の武器を取り出し、ちゃっちゃとキノコ駆除にかかりました。

 このキノコがなんなのかは分かっています。

 ベルが常備していた対監視の攻性防壁アイテムです。誰かが情報魔法等で覗いた時、キノコの胞子がその者に吹き付けられ、それを吸った者はキノコ人間になり、そのキノコ人間はさらに人間をキノコに変える胞子をばらまくという代物です。

 早いとこ解決して証拠を隠滅しておかないと、ベルが原因だとばれてしまう危険性もあります。

 ベルはサクサクと怪物たちを退治しました。

 そして、文字は読めなかったものの、数日前に陽光聖典たちを監視していたという記録が残っている可能性がありますので、その辺の書類等も処分しておきました。

 ついでにキノコ人間が持っていた金目の物も漁っておきました。

 

 ほどなくして、異変は解決いたしました。

 

 ベルは異変解決の立役者として、法国のお偉いさんと謁見することになりました。

 現在はニグンらに連れられてお城の廊下を歩いております。

 ガゼフ殺害の報告をするために、あの時の騎士に扮していたベリュースとロンデスも一緒でございます。

 ニグンはほくほく顔でした。なにせ、自分がスカウトしてきた人間がいきなり一つの神殿の危機を救ったのですから。

 ベリュースとロンデスは蒼白な顔でした。もう、こいつと関わり合いになりたくないという気持ちがまるわかりです。

 

 そうしてぞろぞろと歩いておりますと、前から奇妙な一群が現れました。気取ったような騎士から中二病をこじらせたような者まで様々です。

 

 彼らこそスレイン法国の中でも、最強と謳われる漆黒聖典と呼ばれる者達でした。

 

 その中でも一人の人物がベルの目を引きました。

 老婆です。

 ですがその身に纏うのは、五本爪の竜が空に向かって飛び立っていく姿が黄金の意図で描かれている白銀のチャイナドレス。

 正直、皺だらけの老婆がそんな露出度の高い服を着ている姿は、視界にも入れたくない所でございますが、ベルはそちらへまっすぐ歩み寄りました。

 見知らぬ少女、ですが陽光聖典の者が連れ立って歩いているという謎の人物の不思議な行動に一団が首をかしげました。

 そうしている内に、ベルは老婆の前へ立ちました。

 

 そして、その頭に鎚鉾を振り下ろしたのでございます。

 

 

 鈍い音とともに老婆の頭がスイカのように砕け散りました。

 

 突然の凶行に誰もが目を疑いました。

 周囲のすべての者たちがその場で凍り付きました。荒事になれているはずの漆黒聖典や陽光聖典の者達もです。

 周りの人間の反応には目もくれず、ベルは死んだ老婆の腕を叩き潰して引きちぎり、その服を剥ぎ取りました。

 

 そこでようやく周りの者達も正気に返りました。

 漆黒聖典の者たちはベルにその武器をつきつけました。そして、その服――六大神が残した秘宝『ケイ・セケ・コウク』を返すように命じました。

 

 ですが、なんとベルは断りました。

 何せ、これは普通のアイテムとはわけが違います。

 これこそワールドアイテム『傾城傾国』。

 このアイテム自体の使い勝手もさることながら、ワールドアイテムを持っていれば原則的に他のワールドアイテムから身を守ることが出来るのです。

 これを手に入れるためならば、一国を敵に回してしまっても惜しくはないとベルは判断いたしました。

 

 一触即発の空気。

 もはやニグンや陽光聖典の者たちすら息をのむような状態です。ベリュースやロンデスにいたっては気を失っていないのが奇跡のようです。

 

 漆黒聖典の隊長はベルに向かって、尋ねました。

 何者か、と

 ベルは答えました。

 自分はベルである、と

 

 漆黒聖典の隊長は尋ねました。

 何の目的でここに来たのか、と

 ベルは答えました。

 法国についたら土の神殿が大騒ぎになっていたので、それを解決したら城に呼ばれた、と

 

 漆黒聖典の隊長は尋ねました。

 なぜ法国にきたのか、と

 ベルは答えました。

 金をくれると言われたのと法国に仕えないかと誘われたからだ、と

 

 その答えにニグンは顔を引きつらせました。ベリュースはもはや息も絶え絶えです。

 

 漆黒聖典の隊長は、ニグンに向かってどういう事かと尋ねました。ニグンは、この少女がリ・エスティーゼ王国の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを倒した腕前を持つ人物だと答えました。

 ですが、自分は実際にはガゼフを倒したところは見ていないので、詳しいことはその二人に聞いてくれと後ろの二人を指さしました。

 ベリュースはすでに気を失って倒れております。ロンデスはなぜこんなことになったと、世の無常を呪いながら震える声で必死であの時の事を説明いたしました。

 

 一通り説明を聞いた漆黒聖典の隊長は悩みました。

 カイレを殺し、神が残した遺物を奪って返そうとしないこの少女を許すことは出来ない。だが、かと言って、凄まじい戦闘力を有するこの少女を殺すのは大きな損失ではないか? そもそも、この少女は法国に仕えることを望んできたようなので、なにか首に鈴をつけて飼いならすことは出来ないか?

 

 誰もが隊長の示す方針を息をのんで見守っておりました。

 

 そんな中、空気を読まずあくびをする者がおりました。

 あろうことか、渦中の人間である当のベルでございます。

 

 正直、闘うなら闘う、闘わないなら闘わないでさっさと方針を決めてほしかったのですが、いつまでも話が終わる気がしません。

 そこで、その老婆が死んだのが問題の一つなんだろうと、さっさと生き返らせることにしました。

 アイテムボックスからそこそこ高レベルの蘇生の短杖(ワンド)を取り出して、死体に使います。

 すると、見る見るうちに死体の欠損部分が再生し、その老婆が起き上がりました。

 

 皆がその光景に目を見張りました。

 そして、目をそらしました。

 ベルによって身に着けていた『傾城傾国』を剥ぎ取られていたため、その肢体は下着のみという状況でございましたので。

 

 隊長は唖然としている一同の中で真っ先に理性を取り戻しました。

 そして、ベルに向かって尋ねました。

 何者か、と。

 ベルは答えました。

 自分はベルである、と

 

 わずかに思考した後、ベルに向かって、法国に仕える意思はあるかと尋ねました。

 ベルはその手の『傾城傾国』を見せ、これをくれるんならと答えました。

 

 

 

 数日後、ベルの姿はエ・ランテルにありました。

 

 あの後、ベルは問われるままに自身の身の上を話しました。少しぼかしてですが。

 もともと、自分はとある組織の戦士だったこと。

 その組織の長に企みによってマジックアイテムで少女の姿に変えられた事。

 そして、長の裏切りによって組織を追われ今は放浪の身だという事。

 

 そうして色々話し合った結果、ベルには一つの任務が与えられました。

 その任務をこなしたら、土の神殿の異変解決の功も考慮に入れ今回の事は大目に見るし、漆黒聖典の一員となることを認め、『ケイ・セケ・コウク』の所持も許可するという事でした。

 

 隊長としては、かなりの戦闘力も保有しており、希少なアイテムを多数保有しているであろう人物であるならば、素性が不明な点があっても確保しておきたいという思惑がありました。あまり信用は出来なくても、とりあえず餌を与えているうちはおとなしくしているだろうという魂胆です。

 また、仮に戦いになった場合、どれだけの被害が出るのか、そもそも勝てるのかという算段がつかなかったためでもあります。普通、相対すれば戦士としての実力はある程度分かるのですが、この少女はその実力のほどが全く分からなかったのです。

 まるで、何の明かりもない夜の海に漕ぎ出すような、そんな不確かなものに法国の命運を賭けたくはなかったのでございます。

 

 お目付け役として、かなり強面で剛力の持ち主である『巨盾万壁(きょじゅんばんへき)』セドラン、それにベリュースとロンデスがつけられました。

 特にベリュースには、ベルに関する全ての世話役の任が与えられました。

 そもそもベルに目を付けたのはベリュースなのであるから、ベリュースが全責任を負うべきだとされたためです。

 実際のところ、ベリュースはベルに脅されて金をやると言ってしまっただけにすぎません。本当にベルを法国に招いたのは陽光聖典のニグンです。

 ですが、ニグンは自分がそう言った事をおくびにも出さず、ベリュースに丸投げいたしました。

 ベリュースとしても反論したかったのですが、陽光聖典、それも隊長の任を持つニグンに異を唱えることが出来るはずもありません。

 そういった実に卑怯な大人のやり方によって、全ての面倒ごとはベリュースに押し付けられたのです。

 ベリュースはあとでマジ泣きいたしました。

 ちなみにロンデスは、ただあの場にいたというだけで盛大なとばっちりでございます。

 

 とにかく今回ベルが果たすべき任務でございますが、元漆黒聖典の一員でしたが法国を裏切り叡者の額冠という物を奪って逃げた人物を殺すことでした。

 数年前からエ・ランテルに店を出して潜伏していたという風花の男のところに行くと、すでにその情報網によってある程度の情報を掴んでおりました。これまではあちこち飛び回っていたため、足取りがつかめなかったのですが、ここ最近はこのエ・ランテルにとどまって活動していたため、ついに網に引っ掛かったそうです。 

 居場所さえわかれば、あとはベルのやる事と言えば、その裏切り者クレマンティーヌのところに行って、直接殺せばいいだけです。

 

 話している間に、男の後ろの垂れ布が動き、さっと小さな紙片が差し出されました。男はそれにちらっと目を向けた後、現在地がつかめたので今からいう場所にすぐに向かうようにと告げました。

 

 男から言われた所に行くと、そこは薬屋というより工房といったおもむきの建物でした。

 中には誰かいるらしく、ベルの優れた聴力はその話し声をとらえました。

 ベルは特に躊躇もせずにバーンと扉をあけました。

 中にいた者たちが驚いて振り返ります。

 室内には結構な人がいました。

 つま先立ちになり、体をかしげて奥を覗き込むと、一番奥に隊長から言われたのと同じような特徴の女性がいるのが分かりました。

 

「な、なんだ、おま『ザク!』」

 一番手前にいたローブを着たハゲがしゃべり終わるのを待たず、殺してしまいました。

「き、君! 助けを呼『ザク!』」

 銀のプレートを付けた帯鎧(バンデッド・アーマー)を身に着けた男が声をかけてきましたが、殺してしまいました。

 金髪のやせた男、中性的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)、野人のような大男も殺してしまいました。

 そして、なにやら放っておいたら、悪い奴にさらわれて半裸で助けられたり、好きな人に押し倒されたりしそうなヒロイン力高めの目隠れ男も殺してしまいました。

 標的であるクレマンティーヌのところに行くのに、間に立っていて邪魔だったからです。

 

 そうして、てくてくとクレマンティーヌの許へ歩み寄ります。クレマンティーヌは驚愕の表情を浮かべていましたが、慌ててその身を部屋の陰へと翻しました。

 ベルは扉や壁などの障害物など気にもせず、突撃して手にした戦斧を振り払いました。

 破壊された木片や漆喰のかけらが飛び散る中、クレマンティーヌはその体を断ち切られ、鮮血を撒き散らして絶命しました。

 

 ベルは後ろを振り向き、セドランに確認を求めました。セドランはそれがクレマンティーヌ本人であることを確認し、二つになった身体を調べ、腰の袋から無数の宝石がつけられたサークレットを見つけ出しました。これが叡者の額冠なのだそうです。ベルにとって、特に欲しくもないアイテムなので奪うのは止めておきました。

 セドランはベリュースとロンデスに後始末を命じました。二人は死体や建物に錬金油をかけ、火をかけました。割と手慣れた手つきです。

 4人が出てしばらくすると、やがて炎は外壁へと広がり、その建物を赤く包み込んでいきました。

 家の中を漁れなかったのが、ベルには少々心残りでした。

 

 任務は完了したので、足早に現場を離れ、通りの人ごみに紛れてそのまま街を出る心づもりでございました。

 ですが、通りを歩いていると、奇妙な一団が目に留まりました。

 特に目に付くのは一人の男。

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、紅いマントを羽織っております。

 ですが、最も目に付くのはその者が騎乗している動物。

 それは、巨大なジャンガリアンハムスターでした。

 

 

 その光景は、非常に率直に申し上げますと――

 

 

 ――バカ丸出し――でございました。

 

 

 世が世なら、即座に写メって『あほなおっさんいたーwww』とSNSで全世界に発信していたところでしょう。

 ですが、残念ながらこの世界にはその手の物はありません。心の中で爆笑するだけにしておきました。本当はその場で腹を抱えて転げまわりながら笑いたかったのですが、さすがに殺しをした後でそんな目立つ行為をしないだけの分別はありました。ベルはフードを顔の前まで引っ張ることで、口元の笑いを隠していました。

 一緒にいた黒髪をポニーテールにした女性はどこかで見覚えがあったような気もしますが、特に思い出せなかったので、気のせいかとそのまま歩き去りました。

 

 あと、街を出たところでイグヴァルジという男にあったので、とりあえず殺しておきました。

 

 

 

 法国に帰ってきました。

 

 これでベルは漆黒聖典の仲間入りでございます。とりあえず第十三席次というのが与えられました。

 そして、明確に『傾城傾国』、現地語で『ケイ・セケ・コウク』の所持が許可されました。

 さっそく着てみましたが、美少女のベルが着るとかなり似合っておりました。

 ちょっと外見年齢的にこのスリットはいいのかという按配でしたが。

 まあ、普段からこの格好で歩くのは恥ずかしいですが、この上から貫頭衣を羽織ったり、マントを身に着ければいいでしょう。

 

 再びカイレに着せようと言う者は、誰もおりませんでした。

 婆さんはもう用済みでございます。

 

 

 それから、ベルは漆黒聖典として精力的に働きました。

 正義の名のもとに悪の限りを尽くせるというのはまさに最高の体験でした。

 標的相手なら人を殺しても、金を略奪してもいいのです。とりあえずやりすぎない程度なら、ちょっと間違って被害を大きくしても大丈夫でした。任務の範囲をあまりにも(・・・・・)逸脱し過ぎない限りにおいては、好きなだけ暴れることが出来たのです。

 

 任務のために各地を回りました。

 法国内だけでなく、王国、帝国、聖王国……。

 あちこちを回りながら、言われた任務をこなしていきました。

 旅の準備など細かいことはベリュースとロンデスに任せておけばいいのです。

 最近、ベリュースは目がうつろでございましたが。

 自分は現地に行って、標的を暗殺したり、殲滅したりするだけでよかったのです。

 そういう任務ばかり回されたとも申します。

 しかし、適材適所の原則を守ったお偉いさんの判断は正解です。

 そういう任務に関して、ベルはまさに適任でした。

 

 

 ある時は竜王国の女王に呼ばれて、侵攻してきたビーストマンどもを皆殺しにしました。

 その国の女王は一見少女なのですが、実は姿を変えているだけで実際はけっこう年がいっているようでした。

 要は合法ロリ、つまりはロリババアでございます。

 しかし、ベルもあまり人のことは言えません。向こうはロリババアですが、ベルはロリおっさんでございます。こちらの方が圧倒的に不利でございました。

 そこで、そのことには触れないようにして頼み事だけさっさと片づけ、この国を後にしました。

 これ以上、竜王国のアダマンタイト級冒険者『クリスタル・ティア』……というか、そのリーダーである『閃烈』セラブレイトのいる土地にいたくなかったからでございます。

 

 ある時は都市国家連合におもむきました。

 この辺りには亜人が国家を作ったりなどしているため、近辺での亜人たちの評判を下げろというのです。要は亜人のふりをして人間を襲い、憎しみを煽れという事でした。

 もちろん勤労少女のベルは真面目に任務をこなしました。

 覆面をして、旅する人間たちを襲いました。そして、人間は皆殺しにしても、亜人だけは命をとらずに逃します。その際、人間は助けないが亜人のお前は助ける、と話しているのをうっかり(・・・・)人間に聞かれてしまった上に、偶然(・・)にもその人間を取り逃がしてしまうという失態を犯してしまう事が多々ありました。

 そうしてお仕事していると、ある日、襲撃を受けました。

 その者たちは女だけの5人組で、がっちりとした体格の男と見紛(みまご)うような女戦士、露出の多いニンジャ装束の二人、ローブに全身を隠したうえに仮面で顔を隠した小さな魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そしてリーダーらしい女性は六本もの光り輝く剣を周囲に浮かせ高貴な雰囲気を漂わせている、じつにオークの群れをけしかけてやりたくなるような人物でした。

 彼らはアダマンタイト級冒険者の『蒼の薔薇』だと名乗りました。

 他にも何か言っていた気がしますが、憶えておりません。

 問答無用で全員殺してしまいましたから。

 

 

 そして、ローブル聖王国へとおもむきました。

 なんでも聖王国付近の亜人たちが覇権を争っている荒野で、最近妙な勢力が力を増しているという報告があったためです。

 そうして、荒野に調査におもむいた際、思わぬ出会いをしました。

 

「これは、これは。まさかこのような場所でまたお会いするとは、実に奇遇ですね」

 

 そこにいたのは、まるで東洋系のやり手ビジネスマンと言った面持ち、三つ揃えのスーツにその身を包み、そして明らかに人間とは異なることを印象付ける銀のプレートに包まれた尻尾を有している人物。

 

 その姿は忘れもしない、ナザリック第7階層守護者デミウルゴスでございました。

 

 すみません。嘘です。

 すっかり忘れておりました。

 

 デミウルゴスが指をはじき合図を送ると、この『牧場』にいた怪物(モンスター)達がこちらを包囲するように集まってきました。

 結構、拙い状態でございます。

 ベルの保有する〈上位物理無効化Ⅲ〉や〈上位魔法無効化Ⅲ〉を突破できる者達もそれなりにいるようでした。

 なにより注意すべきは目の前のデミウルゴス。本気を出されると、かなり面倒です。

 それにもう一つ警戒しなければならないことがございます。

 

 ベルはわずかに後ずさりしました。

 

 それに目ざとく気づいたデミウルゴスは、再度、ぱちりと指を鳴らし特殊技術(スキル)次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉を発動しました。

「出会って早々、別れるのも辛いですし、転移は阻止させていただきますよ」

 そう言って微笑みました。

 

 ですが、それこそベルの狙いでした。

 〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉をひとたび発動してしまうと、使用者が解除しない限り、効果時間が切れるまでは転移することは出来ません。

 それはすべての者にあてはまります。

 そう、デミウルゴス自身にも。

 

 ベルが最も警戒したのは、自分がこうしていることがナザリック、すなわちモモンガにばれることです。

 自分の所在が分かれば、ナザリックの全軍をあげて法国に襲い掛かるでしょう。

 そうなれば、せっかく逃げたのに自分も再び危険にさらされます。

 それどころか、確実に狙いは自分です。

 おそらくこの世界で、モモンガを除けば、唯一ナザリックの内部に詳しい存在でございますので、そんな人間を自由にしておくはずがございません。マジックアイテムで封印するか、復活をあきらめるまでリスポーンキルするかのような運命が待っているのでしょう。

 

 そこでデミウルゴスに〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉を使わせることで、転移で情報を持ち帰ることを不可能にしたのでございます。デミウルゴスが〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉を解こうとしても、それには一アクション必要ですので、当然妨害してさせないつもりです。

 

 ベルは大きく息を吐きました。

 即座に転移で逃げることは防いだものの、今この場にいる怪物(モンスター)達を殲滅しなければなりません。これまでの戦いとはわけが違います。何せ、この世界の野良怪物(モンスター)ではなく、ナザリック謹製の怪物(モンスター)達でございますので。

 

 ベルは、アイテムボックスからフローティングウエポンをすべて出しました。そして、その身のステータス隠蔽スキルを切りました。常時発動型特殊技術(パッシブ・スキル)強化(バフ)弱体化(デバフ)問わず、ありったけ発動させました。

 確実に敵対が判明した状況で、実力を隠すことで相手に侮らせるのは不要。それより、圧倒的な強者として相手を威圧しながら、出し惜しみすることなく短期決戦でのぞんだ方が良いという判断からでした。

 

 ベルは今にも襲い掛かってくるであろう怪物(モンスター)達に、気合を入れてその攻撃を待ち受けました。

 

 ですが、襲撃は訪れませんでした。

 皆、雷に打たれたように体を大きく振るわせて硬直し――そしてその場にひれ伏しました。

 

 ベルは首をかしげました。

 そんなベルに、あのデミウルゴスでさえ慌てた様子で声をかけてきました。

「あ、あなたは……なぜ、ナザリックに属する者と同じ気配を……。そ、それも、至高の御方、アインズ・ウール・ゴウンの皆様方と同じ気配を発する、あなたはいったい何者……?」

 

 

 はてな?

 いまいち意味が分かりません。

 

 とりあえず、即座に敵対することはなくなったようなのでデミウルゴスに話を聞くと、ナザリックに属する者たちは気配で敵か味方か判別できるようでした。

 しかも、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーは、他とは全く違う絶対なる支配者としての気配を身に纏っているのだそうです。

 

 

 ……おや?

 ……もしかして、一番最初の時点で、普段常時発動しているステータス隠蔽を切れば、そもそもナザリックを追われる羽目にはならなかったのかもしれません……。

 

 

 とりあえず、デミウルゴスおよびその場にいた者達には自分の事を話しました。

 

 自分はアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフであるという事。

 ギルドマスターであるモモンガさんの陰謀によって人間の少女の姿に変えられてしまった事。

 ナザリックの全てを自分のものにしようとしたモモンガさんの企みによって、自分は侵入者の嫌疑をかけられ、ナザリックを追放された事。

 

 デミウルゴスはその身を震わせました。

 今、目の前の少女によって語られたことは、デミウルゴスを以てして、衝撃と言わざるを得ない内容でございました。

 考えるだけで魂飛魄散(こんひはくさん)、目を見張り、舌がこわばり、言葉も発せなくなる思いでした。

 まさか、至高なる御方アインズ・ウール・ゴウンの皆様方の中でそのような内紛があったとは……。

 そして……あの時自分が敵意を向けたお相手こそ、自分たちが崇敬の意を向けてやまない至高なる御方その人だったとは……。

 

 

 衝撃に声も出ないデミウルゴスに、ベルはもう一息だと思いました。

 

 そこでベルは証拠を見せようと言いました。

 

 デミウルゴスは目を見開きます。

 そのようなものがあるとでもいうのでしょうか?

 

 ごくりと喉を鳴らすデミウルゴスに、ここではなんだからと、どこか屋内で二人きりで見せる事を提案しました。

 デミウルゴスはここでの自分の住居へと案内しました。

 

 ベルがこのことを提案したのは、このままでは分が悪いと判断したからです。

 ギルドマスターであるモモンガと、あくまで一ギルメンでしかないベルモットとを両天秤にかけている状態です。時間をおいて冷静に思考させると、ギルメンたちがいなくなった後もナザリックを守っていたという事で、やはりモモンガを選ぶと言い出しかねなかったからでございました。

 

 そして、二人で住居に入り、デミウルゴスが扉を閉めるのを確認して、ベルはその身を覆っていた貫頭衣を脱ぎ捨てます。

 白銀のチャイナドレスが光を放ちました。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、玉座の間。

 そこに二つの陣営の者たちが対峙しておりました。

 

 片方は玉座の前に立つギルドマスターモモンガに忠誠を誓う者達。アルベド、セバス、シャルティアでございます。

 対するは不敵にも、まっすぐひかれた絨毯を堂々と進み、玉座を下から見上げる者達。デミウルゴス、コキュートス、アウラ、マーレ、そしてベルでした。

 

 

 あの後、ナザリック内でベルの味方をする一派の構築に専念いたしました。

 ベルに忠誠を誓ったデミウルゴスの働きにより、モモンガに気づかれることなく、秘かに同志を増やしていったのでございます。

 デミウルゴスによる説明と懐柔、そして、時にはベルが直接おもむき、『傾城傾国』を用いて説得することで、それは着々と進んでいきました。

 

 最終的には、全ての者達を寝返らせたかったのですが、それは叶いませんでした。

 

 ナザリックにおいて、デミウルゴスに匹敵する知恵の持ち主であるアルベドの為でございます。

 

 ベルとしてはデミウルゴスとアルベドの二人をこちらに引き込むことが出来れば勝利はもう目の前。もはやミルクレープの皮をはぐより容易く、モモンガ側の戦力を切り崩せたことでしょう。

 そのために、何とかアルベドの隙になるようなところを探しました。

 しかし、基本的にナザリックから出ることなく、『モモンガを愛している』という設定によりモモンガに絶対の忠誠を誓い、そしてワールドアイテムを保有しているアルベドには手の出しようがなかったのです。

 逆にナザリック内部に不審な動きをしているものの存在に感づかれてしまいました。

 

 事ここに至って、もはやこれ以上の浸透工作は不可能と判断し、決戦を挑むことにいたしました。

 

 ベルが最も警戒したのは、向こうが先手を打って、ベルの味方をしている者たちを様々な理由をつけて上階層に集めてしまうことでした。

 そうなれば、一からとは言いませんが、正攻法でナザリック地下大墳墓を攻略するはめになり、いかな戦力であろうとかなりの被害を受けるでしょう。特に第8階層の突破は、下手をすればそこで戦力が壊滅する恐れもございます。

 そこで、あらかじめデミウルゴスによってシンパの者達を各階層、特に第9階層以下のエリアに偶然を装って集めておき、一斉に蜂起させるというやり方をとりました。

 戦力の分散にはなりますが、それでも各地点でほぼ互角、そして第8階層を攻めあぐねるという事態にはなりませんでした。

 

 

「あなたは……。どうしても、このナザリックを欲するというのか? このナザリックを! 皆を捨てておきながら! 利用価値が出来た途端、手のひらを返して支配者面をするのか!?」

 

 モモンガは激昂して叫びました。

 それに対するベルは嗤笑(ししょう)で返しました。

 

「はっ。これはお笑いだ。誰がナザリックを捨てたと? ナザリックを捨てたのではない、捨てさせられたのだろうが。いったい、誰が? モモンガさん、あなたがだ」

 

 ベルは視線をモモンガを守るように立つシャルティア、セバス、そしてアルベドへと動かしました。

 

「お前たちは疑問に思わなかったのか? なぜ、自分たちを作ったアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーがナザリックを訪れなくなったかを」

 

 その言葉に皆、息をのみました。

 その場にいた誰もが帰ることのない自分の造物主たちをただひたすら待ち続けた、あの日々を憶えていたからです。

 

「それは皆を捨てたからではない。企みを巡らせたものがいたからだ! よこしまな企みを。ナザリックを自分の物にするために! アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが、このナザリックに帰還することが出来ないように! そう、そのモモンガさんの手によって!」

 

 その場にいたものは皆、雷に打たれたかの如く、その身を震わせました。

 

「モモンガさん。あなたはそうまでして、このナザリックが欲しかったのか? この地を、皆で作ったこのナザリックを独り占めにしたかったのか? その為に、ただそれだけの為に、あれだけ仲の良かったたっち・みーさんやペロロンチーノさんまで罠にかけたのか!?」

 

 ベルは慟哭するように声をあげました。

 自分たちの造物主の名前をあげられたシャルティアとセバスは思わず、その視線を背後のモモンガに向けました。

 

「な、なにを言っている!? くだらん出まかせを言うな!」

「出まかせか……。己がやったことすら一顧だにせず、全てを出まかせと誤魔化すのか……」

 

 ベルは哀感を漂わせてつぶやきました。

 

 

 いちいち解説するのもなんですが、もちろんベルのいう事はすべて出まかせでございます。

 ですが、構う事などございません。

 どうせ、真偽を確かめることなど出来るはずもないのですから。

 

 とりあえず、モモンガ側のシャルティアとセバスの動揺をさそえればそれでいいや、という魂胆でした。

 

 

「このような結末を迎えたのは残念だ。せめて最後に己が行為を悔いてくれたらな……。もういい……もはや語るまい」

 

 あまり長く話すとボロが出そうなので、この辺で止めておきました。

 

 

 そして、ナザリックを二分する戦いの火ぶたが切られました。

 

 

 

 あれから幾度も日が昇り、沈み、そしてまた昇りました。

 

 夕焼けに赤く染まる大地。

 ナザリック地下大墳墓の地表部。かつては常人であれば怖気の走るような景色をしていた墓地も、その大半が破壊され瓦礫と化していました。

 

 今そこに二つの人影が対峙しておりました。

 

 にらみ合うアインズとベル。共にかなりの負傷をしています。

 残りHPは互いにもう数割程度しかございません。

 

 ナザリックのシモベたちはすべて死に絶えました。今現在、ナザリック内部で生きているのは――アンデッドも含めた上で活動しているのは、ほんのわずかの低レベルPOPモンスターと恐怖公の眷属くらいでした。

 

 ですが、大して問題はございません。

 

 ナザリックの宝物殿にはシモベ全てを生き返らせる事の出来るほどの財宝が存在します。もちろん、さすがに全員復活させるとなれば、いかなナザリックと言えど、ちょっとどころではない大きな損失と言えるでしょう。ですが、元通りに出来ることに違いはありません。

 

 アインズとベル、二人のうち、どちらかの一方の支配者が生き残れば、ナザリックは再び再生できるのでございます。

 

 二人はじりじりと間合いを詰め、最後の決着をつけようと踏み込み――。

 

 

 ――その時、空に轟音が轟きました。

 

 

「「ん?」」

 

 

 何だろうと二人が天を仰いだ瞬間。

 

 

 

 上空から光が降り注ぎ、そこにいたすべてを吹き飛ばしました。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ツアーは閉じていた目をゆっくりと開きました。

 

「上手くいったか?」

 

 リグリットの声に、そちらに頭を向け頷きました。

「ああ、上手くいったよ。ちょうど彼らが仲たがいしていてよかった」

 

 そう言い、大きく息を吐きました。

 

「今回の100年目は何とかなったようじゃな」

「ああ、そうだね。人間の世界は大きく揺れたようだけど」

「なに。そのくらいは許容範囲じゃて」

「まあ、確かに。いつもと比べればね」

 

 確かに人間たちの国では大きな事になってはいるが、幸いなことに影響があったのは、あくまでアゼルリシア山脈近郊に限定された地域だけでした。ツアーが永久評議員として名を連ねている評議国などには大した被害は出ておりません。

 無事に終わったと言ってもいい程度でございます。

 

「次も出来れば、今回くらいで済んでくれることを願うよ」

「まったくじゃ。次の時にはわしも引退してしまって、騒ぎを高みの見物していたいものじゃな」

 

 高笑いするリグリットに、苦笑するツアー。

 

 二人とも、100年おきに起こる厄介事を無事乗り切ったことに、安堵の笑みを浮かべておりました。

 

 

 

       THE END

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 だが、二人は失念しておりました。

 

 八欲王の伝承は何と言っていたのでしょうか。

 

 

 伝承は語ります。

 八欲王は倒されるたびに弱くなっていった、と。

 

 

 そう、彼らにとって死とは終わりではないのでございます。

 

 

 

 月光に照らされるナザリック地下大墳墓の跡地。

 

 その地表部はワイルドマジックによって起こった大爆発により、墓も樹木も像も霊廟もその全てが土に埋まり、土砂の山と化しておりました。

 もはや、そこに墓地が広がっていたことは誰にもわかりませんでした。

 

 

 

 いま、その土塊(つちくれ)の中から――二つの手。

 

 少女と骸骨の手が地中から突き出しました。

 

 

 

 




 思いつきで始めたので、平坦な文体でさらっとやろうと思っていたんですが、かえって面倒だったうえに長くなってしまいました。



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第三章 遭遇編
第21話 エ・ランテルの現況


2016/2/9 『見た目は外見に現れないというのは』→『中身は外見に現れないというのは』 訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/8/11 「荒くれ物」→「荒くれ者」 訂正しました
2016/12/10 「超え」→「越え」、「ブルドック」→「ブルドッグ」、「張り出されて」→「貼り出されて」、「効く」→「利く」、「務めない」→「勤めない」、「例え」→「たとえ」「元」→「下」訂正しました


 城塞都市エ・ランテル。

 その中でも3番目、最奥の城壁に守られた、最も安全な場所に作られた行政区。

 

 そこでエ・ランテルの都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアは、一人頭を抱えていた。

 

 一見、ただ肥え太り、さえない人物のような風貌であるが、その実、戦争の前線地ともなりえるこのエ・ランテルを統治するだけの英知と才覚を隠し持っている。

 その彼が書類の山に囲まれ、うなり声をあげていた。

 

 

 頭を悩ませるのは先日のアンデッド騒ぎからの街の復興だ。

 

 あの一件で街は大打撃を受けた。多くの者たちが家を追われ、着の身着のまま街の外へと逃げ出した。そして、とりあえず逃げはしたものの、そのまま他の街に避難できるものは少なく、金も食料も無いなか、そこで困窮生活を余儀なくされた。

 ただそうやって逃げ出しみじめな生活をおくれた者はまだいい。多くの人間が逃げることすら敵わず、無残に殺されたのだから。避難の際に家族とはぐれ、その行方を捜す者達の慟哭は、いまだ街に響いている。

 

 そうした悲惨な体験を越え、今、街は再興を目指そうとしていた。

 

 アンデッド達はいなくなったとはいえ、人々の日々の生活はすぐに元に戻るという訳ではない。

 その爪痕は大きい。

 大きすぎると言ってもいい。

 街のあちこちには、気力を失った者たちが膝を抱えうずくまっている。 

 今は何より、なにか目に見えるものが欲しい。タダのパフォーマンスでもいい。なにかこう、民衆の前に出せる具体的な成果を見せてやりたい。

 皆に明日への希望を与えてやりたい。

 

 だが……。

 

 パナソレイは傍らの書類に目をやり、深くため息をついた。

 

 

 金がない。

 

 

 あのアンデッド騒ぎの際に、何者かが恥知らずにも略奪を行ったらしい。

 突然の事に、皆が取るものも取らず避難した隙に各施設、家屋、商店等が狙われた。特に富裕層の住宅が立ち並ぶ区画では根こそぎやられたようだ。

 

 エ・ランテルを運営するための資金、街中から集められた税を収めている金庫。万が一に備えて数カ所に分散させていたのだが、そのうちのいくつかまでやられてしまっていた。

 幸い無事だったところもあり、そちらの資金があるため、即座に予算に困ったりはしないが、やはり色々と厳しいというほかはない。

 これまで緊急時にやっていたように、裕福な商人に信用手形で金を貸してもらおうにも、彼らの家もそもそも被害にあってしまっており、街の外に持ち出せた分しかその手には無いのだ。むしろ、少なくない税を払っていたのに街を守れなかったという突き上げが、そちらからガンガン来る。

 

 とりあえず、エ・ランテルは王の直轄領という扱いなため、王都に早馬を出し、資金を送ってもらうよう請願している。

 それが届けば、一息つけるだろう。

 

 

 とりあえず、金の問題は置いておくほかない。

 考えても、今は出来ることなどないのだから。

 

 

 そして、別の書類を手にする。

 パナソレイのブルドッグのような顔がさらに渋面になる。

 

 

 そこに書かれているのは、さらに頭を痛ませている問題。

 

 街の治安の悪化だ。

 

 

 何の前触れもなく、突如、発生した霧のなかから現れたアンデッドの大群。あまりに大量かつ広範囲に及んだ襲撃に、都市を守る衛兵たちはなすすべもなかった。

 かろうじて東部地域への侵入を阻止したり、ごく一部地域で逃げ遅れた民衆を守って奮戦していた者達もいたが、あくまで一部であり、この異変の解決に貢献したかというと疑問が残る。

 街の外に逃げた民衆たちを襲ってくる怪物(モンスター)達から守っていたり、スラムとなった地域での警邏などもして治安維持に努めていたため役には立ったのだが、街の者からすると不満を感じるものでしかなかった。

 そんなことをしている暇があったら早く街中のアンデッドを退治すべきだったと考えるものが大半だった。

 口さがない者たちなどは、なぜ問題が起こる前になんとかできなかったのかと非難の声すらあげている。

 

 もちろん、もし出来るのならばやっている。

 現に、今まで何度も様々な者たちがエ・ランテルで邪悪な企みを企て、それが重大な被害を起こす前に衛兵たちはその計画を未然に防ぎ、阻止してきたという実績があるのだ。あるのだが、民衆というものは目の前にあるものしか見ようとしないものらしい。

 

 衛兵への信頼は薄れ、治安は悪化する一方だ。

 

 つい先日も痛ましい事件が起こったばかりだ。

 街で篤志家として知られる富豪のゴーバッシュという男が、その家に押し入った何者かにより、一家皆殺しになったそうだ。

 貧しい者達へ施しをするなど、慈善活動を行う人物として知られていたが、ある日の朝、元戦士として鍛えられていたその体が教会の尖塔に突き刺さっていた。

 彼の家族もすべて、穏やかな微笑みが印象的だった妻も、利発そうな顔つきの息子も、そして生まれたばかりの愛娘さえも一緒にだ。

 

 東地区にあった屋敷の中は、壁や天井一面に血が飛び散り、使用人たちさえ一人残らず殺戮されていた。

 

 その傷跡を見るに、刃物による刀瘡や槍での刺突痕、また鎚鉾らしき殴打の跡など多種多様にわたり、よっぽど大勢の者たちが襲撃を行ったらしい。そして、金目のものがあらかた奪われてしまっていた。

 ただ、それほど大規模な襲撃だったのに、周囲の者たちが、誰も気がつかなかったというのは不思議なことだったが。

 

 唯一、彼の長女、孤児院などで慰問などを行っており人望も厚かった娘だけが、いまだ死体が見つからず行方不明になっており、街の者たちはなんとかあの娘だけは無事でいてほしいと願っていた。

 

 

 そして、この治安の悪化につけ込んだ者もいる。

 

 パナソレイは書類をめくる。

 

 そこに書かれているのはギラード商会という商組織の調査報告だ。

 

 

 もともとギラード商会というのは、貧民街の近くに居を構えていた少々胡散臭げな古物商だった。一応、表向きは合法的な事をやっていたため、とくに気にもされていなかったような小さな店。

 まあ、叩けば埃は出るだろうが、出る埃の量より叩く労力の方が大きいために、それほどまじめに取り締まりもしなかったというのが正しい。

 おそらく巡回の衛兵に多少の鼻薬をかがせていた程度だろう。

 さすがにそれくらいでいちいち処罰していたら、エ・ランテルの衛兵も店もかなりの数がなくなってしまう。

 街の治安を預かるものは清廉潔白でなければならないと言い切るほど、パナソレイは青くもない。よっぽど度が過ぎるのでもなければ、多少の清濁くらいは合わせて飲まなければやってはいけない。

 

 まあ、とにかく元はただのチンピラに毛が生えたような奴がやっている店だったのだが、ここ最近で急速にその名を広げていた。

 

 

 主に裏の方面で。

 

 

 エ・ランテルにある闇社会の枠組みの中、隅っこでせせこましく小金を稼いでいた程度の者が、突然中央へと躍り出たのだ。そして、圧倒的な金の力で周囲をねじ伏せ、その勢力を広げている。噂では王国に根を張る犯罪組織『八本指』の中枢とも関わりがあるのではという報告もある。

 この困窮しているエ・ランテルの現状につけ込んで、この街中に八本指の影響力を強めようというのだろうか?

 

 何とかしようにも、なんとかするためのその予算が不足しているというところに話が戻ってしまい、これといった手が打てないという途方に暮れるような現状だ。

 

 

 ついでに言えば、街中の治安悪化だけではなく、街の外も問題となっている。

 

 この前の件では、多数の冒険者たちも駆り出され、そして懸命に戦った。

 当然、中には命を落としたり、活動を休止する羽目になった者達も多くいる。

 

 冒険者とは主に対怪物(モンスター)相手の傭兵といってもいい。

 その冒険者が減少するという事は、退治される怪物(モンスター)が減るという事。すると怪物(モンスター)たちが活発に活動をするようになり、エ・ランテル郊外の安全が確保できなくなる。

 

 結果として、エ・ランテルに交易で来る者が減り、品薄から物の価格が跳ね上がる。もしくはしっかりとした護衛を雇わなくてはエ・ランテルにやって来れなくなるため、その分、やはり交易品の価格が上がるといったことになる。

 ただでさえ、現金の持ち合わせを失っている一般庶民には手が届かなくなり、利益が見込めない商人は寄り付かなくなる。するとさらに品薄になって、物の値段があがるという悪循環に(おちい)りかけている。

 

 不幸中の幸いだが、先だっての略奪の際、金銭は狙われ失ったものの、例年の戦争の為に普段からある程度余裕を持って備蓄されている食料には手をつけられていなかった。

 それを少しずつ市場に流すことで、なんとか食糧事情は平穏を保っている。

 だが、いまだ餓死などはそれほど報告はされていないものの、このまま続けば拙いことになる。 特に、このまま戦争の季節になったら……。

 

 腹の立つことに、例のギラード商会は社会貢献と称して、一般人への無料での食糧配給なども行っている。

 その為、市民の人気は上々で、とても取り締まりなどできるような空気ではない。

 

 歯ぎしりしたくもなるが、実際、その行為によって街が助かっているのも事実だ。

 普通の人間にとっては裏社会の勢力争いなど全く関係がない。出来れば、争い事は裏だけでやって、表には迷惑をかけないでくれていればいいのだが。

 

 

 話がずれたが、冒険者の減少は実際、困ったことだった。

 

 特にエ・ランテルの冒険者はミスリルが最高だったのだが、そのうちの一つクラルグラはあの戦いの最中に行方不明になった。なんでも、貴族閥の貴族を脱出させるために駆り出され、その後、連絡が取れなくなったそうだ。まあ、その貴族も行方不明だが、とりあえず、そちらはどうでもいい。おそらく、後で貴族閥の方から嫌味や嫌がらせを受けるだろうが、今の状況でそちらまで構っていられない。

 

 クラルグラはリーダーの性格に少々難があったが、確かに優秀だったと聞いている。それがいなくなった穴は大きい。

 

 そこで、冒険者組合の組合長アインザックは、あの時防衛に協力したワーカーたちを冒険者に勧誘した。例外的な措置ではあるが、銅級として一から始めるのではなく、ワーカーたちの実力に応じて、ある程度上の階級に据えるという、ある意味破格の条件を提示した。

 それも、あの件では冒険者とワーカーが肩を並べて戦ったというのも大きいだろう。

 互いに反目し合う事も多い二者だが、共に戦う事で実力を認めあった形になり、一足飛びに階級が上がることに対する冒険者側からの反発も少なかろうという判断からだった。

 実際、その提案を受けて冒険者になったワーカーは多くはないものの、冒険者に鞍替えしたワーカーへの風当たりは強くはない。また、その提案を受けなかったワーカーと冒険者との間柄も比較的良好なまま推移している。

 

 

 

 ああ、そうだ。

 冒険者と言えば。

 

 

 パナソレイは、自分の全体重をかけても軋みもしない頑丈な黒檀の椅子の背もたれに身を預け、大きく息を吐いた。

 

 

 このエ・ランテルには暗いニュースばかりだったが、そんな中、唯一と言っていい明るいニュースがある。

 

 

 それは、冒険者モモンの存在だ。

 

 

 このエ・ランテルに彗星のごとく現れた英雄。

 

 その実力は、先のアンデッドの襲撃の件でまざまざと見せつけられた。

 

 絶対に到達は不可能だと思われていた事態の根源の場所である墓地。そこへ無数のアンデッドを駆逐しながら突入し、そこにいたズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)らを倒して見せたのだという。それもスケリトル・ドラゴン2体(・・)を同時に撃破して。

 更には、街の人間たちを救うために魔封じの水晶という希少アイテムを使用し、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)という伝説クラスの強大な天使――怪物(モンスター)を召喚したのだという。戦闘に関しては門外漢であるパナソレイには、それがどれだけ凄いのかはいまいち分からなかったが、魔術師組合のラケシルがいかにあれが凄まじいものなのか説明してくれた。目を血走らせ、唾を飛ばしながら、延々と。

 

 街の多くの者たちが実際に彼の強さを目の当たりにし、その話、伝説は燎原の火のように街中に広まった。

 

 

 『漆黒の英雄』の名と共に。

 

 

 彼には特例ながら、ミスリルのプレートが即座に発行された。

 

 だが、彼の実力はミスリルにとどまるようなものではなかったようだ。

 

 彼はその後も、冒険者組合にある様々な討伐依頼を受けては、あっという間に達成していった。およそ、ミスリル級でも1週間から1か月はかかるだろうと思われるような依頼を、たった1日から数日でこなし、瞬く間に冒険者組合のボードに貼り出されている高難度の依頼をする羊皮紙はなくなってしまった。

 そうやってモモンが高難度依頼をこなしていくおかげで、他の冒険者たちの手が空き、商隊の護衛などの依頼に回れるようになっている。それでなんとか、減少した冒険者の穴を埋めることが出来ている状況だ。

 

 また、彼は人格的にも素晴らしい人物のようだ。

 強者、それも荒くれ者の冒険者にありがちな、強さゆえの(おご)りや弱者に対する(あざけ)りがない。淡々として自信にあふれた態度だが、どんな人間に対しても礼節を持って接している。

 

 そして、彼の共もまた人目を惹く。

 健康的な魅力にあふれ、誰かれなく親しく振る舞う女神官ルプー。かつてはトブの大森林で伝説となっていた森の賢王ハムスケ。

 

 実際、彼らの人気は凄まじく、街を歩くだけで羨望と崇敬のまなざしがついて回る。

 

 

 打ちひしがれた街の者達にとって、彼らはまさに希望の星となっている。

 

 

 出来る事ならば、この先もずっと、このエ・ランテルにいてくれたらな。

 少なくとも、もうしばらくの間は。

 

 パナソレイはそう願わざるを得ない。

 

 

 モモンは冒険者だ。

 

 突然この街に現れたように、また別の街に行ってしまう可能性もある。

 さすがに都市長である自分が一介の冒険者相手にあれこれするのは(はばか)られるため、あまり表立っては動けないが、冒険者組合のアインザックは何とか引き留める手立てをいろいろと考えているようだ。金はあまり出せないが人との交流による街への愛着、また女を使う計画も立てているらしい。

 そちらにはそれとなく協力するように手を回してはいる。

 

 

 なにはともあれ、これ以上厄介ごとが増えないことを祈るばかりだ。

 禍福はあざなえる縄のごとしと言う。これだけ禍があったんだから、今度は福がたっぷり来てもいいだろう。まあ、たいていの場合、禍の後にはもっと禍が来るものだが。

 

 

 ため息とともに、パナソレイはすっかり薄くなった髪を撫でつけた。

 これ以上、残り少ない髪に負担がかかるような事は勘弁してほしい。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルで2番目と3番目の城壁に挟まれた地域。

 この地区が一般的に街と言われたときに想像する、人々が生活する区域になる。

 

 そこの商業地区の中でも、通りの中心から大分離れた場所。

 ほんの少し歩けば、治安の悪い貧民街に迷い込むという、かろうじて表の世界に属する地域。

 

 そこに居を構えるのが、表向き古物商として商売をしているギラード商会である。

 

 

 はた目には、それなりに大き目な普通の屋敷だが、建物を取り囲む塀は高く、その上には容易に乗り越えられないよう金属製の返しがついている。また、建物の窓はどれも小さく、一見、メッキがほどこされ美しい飾りのようになってはいるが、しっかりとした造りの鉄の格子がはめ込まれている。おそらく建物の内部も、初見の者は迷うような入り組んだ構造になっているのだろう。

 

 

 そんなギラード商会の応接間。

 いま、そこには3人の男が椅子に腰かけていた。

 

 一人は、いかにも胡散臭げなナマズ髭を生やした痩せぎすの中年男。

 一人は、顔にいくつもの傷がある強面の男。

 

 最初のナマズ髭を生やしている男こそ、このギラード商会の会長ギラードその人である。

 

 だが、自分の店の中で訪ねてきた客に相対しているというのに、先程からやたらとソワソワしたり、さかんに汗をぬぐったりと落ち着かない様子を見せていた。

 

 訪ねてきた相手というのが大物だからという訳ではない。

 実際、ギラードの正面に座っている強面の男も、額に汗を浮かべながら、子供はおろか大の大人ですら避けて歩くような外見に似合わぬ怯えたような様子で、テーブルの上に置かれた水を喉に流し込んでいる。

 

 二人が怯える原因はギラードの隣に座り、にこやかな笑顔を浮かべている人物。

 

 いかにも裏世界の住人らしい服装の二人とはかけ離れた、まるで優雅な舞踏会の最中にちょっと席を外して出てきたかのような煌びやかな服装。

 動作は優雅で無駄がなく、動くたびに微かな薔薇の香水の香りがする。

 しなやかな体に金糸刺繍を施した上着やチョッキ(トラヘ・デ・ルーセス)を着用した優男。

 八本指の中でも荒事を得意とする警備部門。その中でも六腕と称され、アダマンタイト級冒険者に匹敵するとまで言わしめられた存在。

 

 

 ――『千殺』マルムヴィストである。

 

 

 緊張のあまり、何度もつばを飲み込む二人に対し、何の気負いもなく穏やかに話を進める。

 

「まあ、つまりはそういう事さ。特に今までとやることは変わらない。いつも通り、ビジネスを進めてくれていい。あくまでギラード商会の傘下に入って、上納金もうちに納める。ただ、それだけでいい」

 

 そう言って、安心させるように顔に笑みを浮かべる。

 強面の男は、マルムヴィストの機嫌を損ねないようにと、慌てて追従の笑いを浮かべながらうなづいた。

 

「ああ、分かってくれて嬉しいよ。もちろん、うちの傘下に入ってくれれば、仕事も色々融通するさ。報酬だって、これ、この通り」

 

 傍らのテーブルから布袋を手にとると、それを逆さにする。

 強面男の手のひらの上に金貨の山が出来る。中には白金貨まで混じっている。

 男は目を丸く見開き驚いた様子でマルムヴィストの顔を見つめ、そして顔一面に喜色を浮かべた。

 

 いそいそと金をその懐に収める男に、マルムヴィストは声をかける。

「それはあくまで前金さ。うちのボスは気前が良くてね。頼んだ件をこなしてくれれば、更に報酬がある。おっと、これも渡すように言われてたんだった」

 

 そう言って、引き出しから一つの金属板を手にとり差し出す。

 

 はしゃいだ様子でそれを覗き込んだ男の顔が一瞬でこわばる。

 突然、刃物を突き付けられたような、冷水をぶちかけられたような、そんな表情で差し出された金属板を震える手で受け取る。

 それはすでに赤黒く変色した血で汚れた、とある富豪の家の家紋だった。

 

 それから目を離せないでいる男の肩にやさしく手を回し、部屋のドアへと誘導する。

 

「なあに、心配することはないさ。お前さんは安全だよ。そんな風にはならないとも」

 

 にこりと微笑んだ。

 

「お前がボスを裏切らない限りはな」

 

 衝撃が抜けきらず呆然とする男を部屋の外へと追いやり、マルムヴィストは扉を閉める。

 そして部屋を横切り、奥の扉へと手をかけた。

 

「ギラード。そこのテーブルの上、片づけておきな」

 

 そう言うと、部屋を出ていった。

 

 扉が閉まる音が響いてから優に10は数えられる時間の後、ギラードは精根尽き果てたという感で机に突っ伏した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ギラード商会の曲がりくねった廊下を歩くマルムヴィスト。

 

 建物が襲撃されたときに備えてこんな構造をしているとは分かっていても、少々面倒な気分になってくる。

 やがて奥まった場所にある、チーク材を鉄枠で囲った扉をノックする。

 

「終わりましたぜ。ボス」

 

 扉を開けた部屋の中は大きく、ごてごてと装飾品が並べられていた。壁や天井から下がる垂れ布はどれも目が冴えるような赤や青、様々な色の布地が金糸で縁取られており、壁際には色とりどりの宝石があしらわれた金の彫像や装飾品が並んでいる。はた目にもどぎつい色彩があふれていた。

 

 部屋に入ったマルムヴィストを迎えるのは4人。

 同僚の、薄絹をまとった女――エドストレームと全身鎧に身を包んだ男――ペシュリアン。

 それに、部屋の奥に鎮座する金箔で装飾の施された黒檀のテーブル、その向こうにある金色の椅子に腰掛ける小柄な姿と、その脇に立つ美しい金髪のメイド。ベルとソリュシャンである。

 

「はい。ご苦労さま」

 ベルは声をかけた。

 

 マルムヴィストは中央に置かれたソファーに腰掛け、テーブル上の冷却の魔法がかかった水差しからカップにアイスティーを注いだ。

 ベルに仕えるようになってから初めて飲んだのだが、こうして冷やした紅茶というのも中々に気に入っている。

 

「これで、まあ、四割がたくらいですかね。いや、連中、なかなかに目端が利くようで」

「もう数日経ったからねぇ。……これ以上、判断に迷うような連中はいらないか」

 

 ベルはテーブルの上に置かれた宝石を手にしたサルの金細工、いかにも悪趣味な代物を、その白い指の先でつんつんとつつきながら、天気の話でもするかのように喋った。

 

 少々抗弁させてもらうなら、この部屋の悪趣味な内装は、今この場にいる者達の見立てではない。屋敷の持ち主であるギラードの手によるものである。

 この部屋を初めて見たとき、ベルはその成金趣味に眉をひそめ、ソリュシャンはこんな粗末なところにベルが滞在するなんてと眉をひそめた。

 

「いや、こう言っちゃなんですが、組織が大きくなってくると、さすがに上だけの判断でどうこうってわけにもいきませんよ。あちこちに分散している連中の意見も聞かなきゃならない。もう少し、時間をかけて様子を見てもいいと思いますよ」

 

 マルムヴィストの言葉に「ふうん。そんなもんかな」と、見た目だけは金ぴかで美しいわりに座り心地はあまりよろしくないためクッションを置いている椅子の上で、ベルはぶらぶらと足を揺らしながら返した。

 

「ええ、そうです。まあ、もう少ししたら、また見せしめ代わりにどこか小さいところでいいですから、何かした方が良いと思いますが」

「そっか……。じゃあ、まだ、傘下に入ってない所で、特に潰しても問題ないようなところを見繕っておいて」

 

 マルムヴィストは了承の返事をした。

 

 

 

 かつては八本指の中でも最強の六腕と謳われたうちの三人、マルムヴィスト、エドストレーム、ペシュリアンは、ベルすなわちナザリックの傘下に入っていた。

 

 

 あのアンデッド騒ぎの際、脱出しようとした3人は、ユリと名乗る奇妙なメイドに出会い戦闘になった。

 最初は苦戦しつつも首を切り落とすことに成功し、勝ったと思ったのだが、なんと相手はアンデッドで首は最初から切り離されていたそうだ。

 そして、そのメイドから自分の主が見ているから主を満足させる戦いをしろと言い渡され、本気になったメイドに徹底的にボコボコにされた。

 

 その後、動くことすら出来なくなった3人は、何者かが作った〈転移門(ゲート)〉によって、どこかの円形闘技場へと転移させられた。

 

 そこには、高級そうなスーツを身に纏った少女が立っていた。

 不思議と強さは感じ取れないが、彼女こそがメイドの言っていた主らしい。

 

 その少女は、自分はベルであると名乗り、「お前らはなかなかの強さを持っているし、なかなか興味深い戦いをするようだ。自分と戦って強さを見せてみろ」と言った。

 

 3人は、あのメイドとの戦いで強さを見せれば命は助けてくれると言ったはずと抗議した。

 

 だが、ベルは、

「別に命は助けると言ったが自由にするとは言っていない。それにどのくらいの期間、命を助けるかも言っていないな。ははは、ほら、今、こうしている間にも10秒くらい命を助けてやっているぞ」

 と長年、暴力と偽りの世界で生きてきた3人ですら唖然とするような悪辣極まりない事を平然とのたまった。

 

 そして、円形闘技場で散々ベルの戦闘能力の実証とやらにつき合わされた。

 地に倒れ、動けなくなったら、回復魔法やポーションで何度でも無理矢理立ち上がらされた。

 

 3人の中でも特にベルが目を引かれたのはエドストレームの三日月刀(シミター)を自由自在に飛ばして攻撃する舞踏(ダンス)

 同じように武器を飛来させる戦い方をする者として、あれを自分のものに出来れば、この子供の姿になったことによる戦力低下を補えるだろうという狙いがあった。

 

 

 だが実際に戦い、そして話を聞いてみた結果――。

 

 一本一本の武器をまるで生きているかの如く飛ばして攻撃するのには、いったいどんなタネがあるかと思っていたのだが、実は何のタネも無かった。

 

 ただエドストレームが天才だから出来るという身もふたもない理由だった。

 

 

 興味を失い、一度は始末してしまおうかと思ったベルだが、その気が変わった。

 

 それはこの3人が八本指という闇組織の人間で、しかも上位に位置する人物だと聞かされたためだ。

 

 

 そこでベルは、命を助ける代わりに自分の配下となって働くよう3人に取引を持ち掛けた。

 

 取引という(てい)だが、実際は受けなければ殺すという脅迫じみたものであり、3人は拒否することすら出来ずに受諾した。

 

 

 ベルにとって、この地の社会情勢や仕組みに詳しい人物というのは是が非でもほしかった存在だ。

 

 この地においてナザリックの勢力を増していく中で、ベルは自分が実地では大して役に立たないという事は痛感した。

 

 この前のカルネ村を発展させようとした件でだ。

 

 自分には内政もののように、現地の人間たちが思いもしないような現代知識を駆使して発展させる、とかいうのは無理だった。

 この世界で実地で役に立つ知識というのは、ベルが持つ22世紀の社会常識や趣味でため込んだ知識とはかけ離れている。

 また、現地の人間は決して木石(ぼくせき)ではない。ベルよりは知識は少ないかもしれないが、決して愚かという訳ではない。ゲーム的に言うなら、ベルは現地の人間に対して、インテリジェンス(知識)においては勝っているが、ウィズダム(賢明さ)では大して差がないという事だ。

 現地の人間達による長年の経験、その積み重ねによる知恵は、決して馬鹿にできないものがあった。

 とくに積み重ねもないベルでは、100年の積み重ねを100年かけてとまではいわないが、相応の時間をかけなければ知識も経験も習得できないだろう。

 とてもではないが、やってられるものではない。

 

 

 だが、ベルはふと気づいたのだ。

 

 別に自分自身が何とかしなければならないわけではない。適切な知識や技術を持つ者にやらせればいい。

 自分は人の上に立つ立場なのだから、大まかな方針だけ示して、実際に具体的な計画を立て現場で動くのは他の者でいいのだ。

 

 リアルでは下っ端の経験しかないベルとしては、現場の状況をたいして知りもせずにあれこれと指示を出してくる上役にはほとほと迷惑させられた記憶がある。

 そのため、自分が現場を知らなければと気負っていた。

 現場を知らない上役という者は困るものだ。

 そういう話はあちこちでしょっちゅう聞くくらい、よくある事だ。

 だが、逆に言えば、ありふれた話と言われるほど同じような事例を多く聞くという事は、そういう状況でも存続している組織はたくさんあるという事だ。もし存続できていなかったら、その会社はすぐにつぶれているはずで、運悪く倒産寸前の会社にでも勤めない限り、そういう体験をする人間もいないはずだ。そういう体験をする人間が少ないという事は、話として聞くこともそうそうはないはずなのだから。

 つまり、そういう状態になっても、組織はつぶれもせずに動くのだ。

 たとえ、上役が駄目でも、即座に機能が停止するわけでもない。下の人間がしっかりしていれば、それなりにつじつまを合わせて何とかするから大丈夫。

 

 上役が現場を知っていれば、より良いのであって、それは必ずしも必須ではない。

 あくまで上は上として、下から上がってくる報告を聞いて、それなりに改善点を講じていればそれで十分なのである。

 

 そう、組織として重要なのは分業。

 適切に対処できる出来る人間に、その仕事を任せてしまえばいいだけなのだ。

 

 

 

 そんな考えに至ったベルに、この3人の存在は渡りに船だった。

 

 

 最初から、この地の社会情勢に詳しく、その名や顔が知れ渡り、色々な伝手がある。

 つまり、ある程度任せられるのだ。

 ついでに、それなりに自分の身が守れるというのもお手頃だった。

 

 

 そうして、ベルはエ・ランテルの裏社会を牛耳る計画を立てた。

 

 3人から主だった顔役たちの住居を聞き出し、そこにシャドウデーモンを送り込んで、ある程度の情報を集める。

 

 並行して隠れ蓑となる存在を選抜する。

 調べた結果、ギラード商会という表向きは古物商、その実は胡散臭げな盗品売買を生業としている男が、ある程度の部下を使うノウハウを持ち、規模もそこそこ、そして拠点とするのに適した屋敷を持つなど、乗っ取りをかけるのに最も適していると判断された。

 

 そこで、3人を連れてギラードの下へ訪れ、自分の配下になるように告げた。六腕の威光だけでは裏切られる可能性もあったため、すこしベル自身の力を見せつけた上で、ナザリックへ『招待』し『歓待』してやると、ギラードは涙を流しながら配下になる事を誓った。

 

 そして、ギラードの名でエ・ランテルの顔役たちを集め、ギラード商会の下にエ・ランテルの闇組織をまとめることを宣告した。

 さすがに少女であるベルが出張って、自分の下につくように言っても誰もついてこないだろうから、口唇虫で声を変え、ソリュシャンの体内に収まったうえで黒いフード付きローブを羽織って謎の首領らしく振舞った。

 自分の下に降るのならば相応のものをやろうと、ジャラジャラと金貨や宝石を居並ぶ顔役の前でテーブルにばらまいてみせた。

 

 当然と言っては何だが、突然現れた謎の人物。いくら膨大な資金力を持ち、六腕の内の3人を従えているとはいえ、素性も知れない相手の言葉にホイホイと賛同する者はいなかった。

 たとえ、アンデッド騒ぎに乗じた火事場泥棒によって、自分たちの財産に大打撃を受けており、目の前の金は喉から手が出るほど欲しいとはいえ、さすがに八本指を裏切るというのはリスクが多すぎる。

 皆、困ったような表情で顔を見合わせていた。即座に否定しなかったのはマルムヴィストらの視線に怯えていたからだ。

 

 だが、その中でも一人の男が公然と反発したものがいた。

 ゴーバッシュという男だ。

 エ・ランテルの街では、貧しい者達への寄付などを積極的に行う篤志家としての表向きの顔を持つ。そして、裏の顔はエ・ランテルの裏社会で一、二を争うほどの勢力を誇る闇の帝王だ。また、運よく、アンデッド騒ぎを逃れた東地区に居を構えていたため、被害も少なかった。

 

 かつては武闘派として名を売ったその胆力で、マルムヴィストら六腕の面々に対しても公然と非難と罵声を浴びせかけた。

 その勢いに背を押されるように異を唱える者たちが増え、とりあえずその集まりは解散となった。

 

 

 ゴーバッシュは六腕相手にすら媚びを売らない男として、より一層の評価を高め、裏社会での地位を一段と高めた。

 

 

 

 

 次の日の朝、ゴーバッシュ、いやゴーバッシュだったものは教会の尖塔に串刺しになって発見された。

 

 

 

 彼の家族たちも一緒だった。

 その美しい妻も、後継ぎとされていた息子も、生まれたばかりの赤子すらも。

 

 

 その一報に、裏社会の人間たちは震えあがった。

 

 ゴーバッシュの館は彼の地位、権力にふさわしく、厳重な警備が敷かれていた。

 だが、その日、その屋敷にいた者たちは一人残らず、非戦闘員であるかないかの区別すらなく虐殺されたのだ。

 

 誰の手の者かは分かりきっていた。

 

 

 その日の昼頃から、ギラード商会には来客が増えるようになった。

 

 

 

「ははは。それにしても、みんなゴーバッシュの娘の行方を知りたがってたぜ」

「あら? あの孤児院とか回ってて『聖女』なんて呼ばれてた、あの女の事?」

 

 物事がうまくいっていると、空気も明るくなる。

 マルムヴィストとエドストレームは呑気に世間話をしていた。ペシュリアンは相変わらず、必要のないことは口にはしなかったが。

 

「そう、あの娘! ん? なに、聖女とか呼ばれてたのか?」

「ええ、そうよ。聖女様。はっ、外面がいいだけで、実際は孤児院のガキどもにクスリ流してたクズ女だけどね」

「クックック……。ライラの粉末の聖女様か。さぞ、孤児院では心配してるだろうな。黒粉が手に入らなくなってな」

「そうね。街中でもあの娘だけは無事に生き残っていてほしいって噂になってたわよ。特に男たちにはね」

「ああ、中身は外見に現れないというのは、あの娘を見るたびによく分かったからな。あの美しさといったら、行き過ぎる男たちは誰もが振り返ったもんさ。はてさて、どんな末路をたどったんだか」

 想像もしたくないと、マルムヴィストは肩をすくめた。

 

 

 その言葉に、ふとベルは気になった。

 首を巡らし、後ろに立つソリュシャンに目を向ける。

 

「そう言えば、あいつってまだ生きてるの?」

「はい。まだ元気ですよ。ご覧になりますか?」

 

 

 そう言った次の瞬間――。

 

 ――ソリュシャンの美しい顔から、腕が突き出した。

 ほっそりとした女の腕と思しきものは、何かを掴むように必死で空を切って振り回される。その腕は皮膚が酸によって爛れ落ち、肉が剥き出しになっている。その手が身をくねらせもがくたびに、(したた)る液体が周囲へと飛び散った。

 

 

 突然の事に悲鳴を上げてエドストレームが飛びのく。ペシュリアンも椅子を蹴倒しながら立ち上がり距離をとった。マルムヴィストに至っては、ソファーごと後ろにひっくり返った。

 

 

「申し訳ありません。失礼いたしました」

 

 顔から暴れる腕が突き出されたまま、ソリュシャンが詫びの言葉を口にする。

 そして無造作に顔の中へもがき続ける腕を押し込めると、何事もなかったように元の端正な顔に戻り、笑みを浮かべる。

 

「へえ、結構生きてるもんだねぇ」

「はい。せっかくなので長く楽しもうと、時折回復魔法をかけてもらっています。食べ物は栄養のあるものを液体状にして、直接喉の奥に流し込むというやり方をとっておりますわ」

「ふぅん。体力の回復に適切な栄養か」

「ちゃんと管理すれば、結構長く持つものですわ。……ですが、ちょっとこの娘は残念でしたわね」

 

 そう言って頬に手をやり、ため息をつく。

 

「どうしたの?」

「ええ、(ちまた)で聖女とか呼ばれていると聞いて楽しみにしていたんですけど、実際は悪人の類だったというのが」

「ああ、そういえば、出来れば無垢の者の方が良いって言ってたね。やっぱりそっちの方がいいの?」

「はい。悪人を(なぶ)り痛めつけても、それはあくまでその者が悪の報いを受けているというだけですので、充足感があまりないのです。実際、こうして体の中で少しずつ溶かしてあげても、ただの悪態や命乞いしかしないので、楽しみが薄いんですわ」

 

 ソリュシャンは微笑んだ。

 

「ですが、善人を痛めつけた場合、先ず、助けて欲しいという哀願やきっと誰かが助けに来てくれるという無根拠な確信による希望、そしてなぜ自分がこんな目に遭うのかという嘆き、最後に自分は何の罪を犯してもいないのに何故こんな報いを受けなければいけないのかという神への身勝手な怒りと、次々と感情が入れ替わっていく様が実に愚かしくて楽しいのです」

 

「そうなんだ。でも、赤ん坊とかもいいって言ってたけど、あっちはそういう感情もまだあんまりないんじゃないの?」

「ええ、ですが、赤ん坊にはまた赤ん坊の楽しみがあるんですわ。ああ、この子は将来どうなっていくのだろう? 多感な青春時代を過ごすのだろうか? いずれ恋をして伴侶と幸せに暮らすのだろうか? 子供は何人出来るんだろうか? 多くの人に囲まれ、一生懸命仕事をし、幸せな家庭を気付いていくのだろうか? もしかしたら、その子のもとに訪れるかもしれない無数の未来の展望。枝分かれしていく無限の可能性の元にいずれ大輪を咲かせるかもしれない希望の芽。そういったまだ見ぬ明日へとつながる前途あふれた未来が、今、この場で手折り潰えてしまうかと思うと……実に甘美なのですわ」

 

 そういって、ソリュシャンはうっとりとした表情を浮かべる。

 

「そうか……じゃあ、悪かったねえ、あのゴー何とかの家で赤ん坊殺しちゃったの。そっちをソリュシャンにあげればよかった。あの母親を殺した時に、まさか腕に抱えてると思わなかったからなぁ」

 

 ベルはポリポリと頭を掻いた。

 その発言に、ソリュシャンは慌てて言った。

 

「い、いえ、とんでもない! 赤子でないにしても、このような贈り物を頂き、本当に光栄に思っております! ベル様の御温情、身に染みて感謝しておりますわ」

 

 そう言って、深く頭を下げる。

 

「ああ、いつもソリュシャンには世話になっているからね。出来るだけ希望は叶えたいと思ってるよ。さて、そろそろ時間だからナザリックに戻ろうか」

 

 そう言って、反動をつけて椅子からぴょいっと飛び降りた。

 

「じゃあ、あと、よろしくー」

 

 

 

 そうして、二人は部屋を後にした。

 

 

 残されたのは、いまだ呆然自失という(てい)の3人。

 

「……俺たち、おとなしくボスの配下になって良かったな……」

 

 マルムヴィストのつぶやきに、エドストレームとペシュリアンは声も出せずにうなづいた。

 

 

 

 




 現況の説明をしていたら、結構長くなってしまい、アインズ様のところまで行けませんでした。アインズ様の出番は次回に。


 ゴーバッシュ及びギラードは完全にオリキャラです。
 当初はベルが怪しげな商会を立ち上げ、エ・ランテルの裏を支配するという展開を考えていたのですが、それよりは既存のものを乗っ取るほうが、らしいかなと思いまして。


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第22話 順風満帆……ん?

2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/7/27 「降りかかるとから」→「降りかかるから」、「良い事動機付け」→「良いという動機付け」 訂正しました
2016/10/7 文末に「。」がついていないところがあったので、「。」をつけました
 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので、削除しました
2016/12/10 「沸いた」→「湧いた」、「元」→「下」、「目線」→「視線」、「~来た」→「~きた」訂正しました


 街は雑踏に包まれていた。

 辺りは人であふれかえり、その喧騒は怒号にまで発展しそうなほどだった。

 

 

 ここはエ・ランテルの南地区。2番目の城壁の門を抜けたばかりのところである。

 

 付近には様々な商店が立ち並び、普段ならば出店も多くでていて活気があるのだが、最近は少々違った様相を見せている。

 

 通りの脇にある、しっかりとした柱と壁で建てられた普通の家々。

 今、その家々の脇やちょっとした路地には、木の棒に布や板を張っただけの粗末な住居が所狭しとひしめいていた。

 

 

 ここ、南門の付近は最も多くの避難民が押し寄せた場所である。

 先のアンデッド騒ぎでは西地区にある墓地からアンデッドを生む霧が押し寄せたため、皆が西側から避難した。だが、反対の東地区ではアンデッドを防ぐために道を封鎖したため、行き場をなくした者たちは南側にある門を目指し、街の外に粗末なバラックを建てて生活しなければならなくなった。

 

 その後、アンデッドの群れは退治され街の外にいた者たちは中へと戻ったのだが、そこにあったのは無残に破壊されたり、略奪を受けた我が家だった。

 

 また、その騒ぎによって家族を亡くした者も多い。

 こう言っては何だが、子供や年寄りなど扶養している家族ならばまだよい。だが、一家の働きどころ、大黒柱を亡くした者もいるのだ。

 そういった者達は路頭に迷う羽目になる。

 

 それでも、通常なら働き口はそれなりに見つかるだろう。

 だが、こんなにも被害を受けた後だ。そうそう人を雇おうとする者は多くない。

 

 そうした、食うに困ったり、家をなくした者たちが、この周辺へと集まっていた。

 

 

 なぜかというと、二つ理由がある。

 

 一つは、人が多いところにいた方が、働き口を探しやすいためである。労働者を探している雇用側の者にとっても、すぐ人が集まるところのほうが効率がいいため、この辺りにやってきて募集をかけている。その為、わずかな職を求めて人々がここに押し掛け、留まっている。

 

 二つ目は――。

 

「おーい。押すな! 量はたくさんある。お前ら、ちゃんと並べ!」

 強面の男が叫ぶ怒鳴り声もかき消すような喧噪。

 

 ギラード商会が行っている食料の配給である。

 

 

 

 通常ならば、当然食事には金がかかる。

 むしろ、庶民にとっては、食事のためにこそ労働が必要と言ってもいい。

 エンゲル係数という概念がこの地にあるなら、それは遥かに高い数値を叩きだすだろう。

 

 だが、この周辺にいる者たちは働きたくても働き口がない者達である。

 水を飲み、すきっ腹をわずかでも癒すしかない者達である。

 食料を買いたくても金がないのだ。

 

 放っておけば、そのまま餓死するか、金や食料を得るために犯罪に走るかの二つに一つしかない。

 

 そこで、ギラード商会というところは、慈善事業の一環として無料で定期的に食料の配給を行っていた。

 

 正直、味はそれほどでもないが、腹が膨れるのが最優先だ。

 食うや食わずの者達は、誰もがその配給に群がった。

 

 今も、普段ならば近寄る事さえ躊躇(ためら)われるようなガラの悪い男たちの『列に並べ』という怒号と制止の声を振り切り、我先にと手を伸ばしている。

 

 

 その人波の合間を縫い、一人の少女が食べ物を手にした。

 肩口辺りまでの金髪は緩やかなウェーブがかかり、顔には微かにそばかすが浮いている。

 少女は器に盛られた汁物を口にする。その熱さに一瞬、口を離すが、我慢して一気に飲み込む。器は卓に返した。そして、一緒に配られたパンをわずかの間眺めたものの、口に湧いたつばを飲み込み、大事そうにその手に抱え込んだ。

 これは家で待つ弟の為に持って帰らなければならない。

 

 そして、その場を離れようとした。

 

 その進路を塞ぐ者達があった。

 少女が顔をあげると、少女と同年代くらいの少年たちが数人、そこにいた。その服装はサイズもちぐはぐで、襟元はビロビロに伸び、元が何かわからないような汚れが付着していた。

 

 あきらかに貧困層の子供たちだった。

 

 その脇をすり抜けて家路を帰ろうとすると、少年達はわざと肩をぶつけてきた。靴と馬蹄で踏み固められた地面に少女が転がる。

 

 少女が起き上がろうとしたところを、少年たちは手で押して再び突き倒した。

 

 何度も、何度も。

 

 少年たちが少女を標的にし、いたぶっているのは、少女の服装が原因だった。

 汚れがつき、少しほつれも出来ているものの、元は仕立てのよさそうなちゃんとした服装。

 

 富裕層の地区に住んでいた者の証だった。

 

 

 この前のアンデッド騒ぎの際、人がいなくなった街中で何者かが略奪を行った。

 特に富裕層の居住区では根こそぎやられたらしい。

 

 このエ・ランテル以外にも資産や住居を持っていたりする者は、そちらから資金を回したり、別の街に移っていくという選択肢もあった。

 だが、誰しもが各都市をまたにかけるほど多くの資産を持っていたわけでもなく、それほどの資産を持たない者達も多くいたのだ。

 エ・ランテルのみに居を構え、そこに私財を蓄えていた者達。

 彼らの身に、今回の騒ぎに乗じた略奪は直撃した。

 

 蓄えていた私財も何もかも奪われ、あるのは早々には金にならないような家具だけが残された屋敷のみ。

 それでも、まだ家族がそろっている者たちはいい。なかには、騒ぎの際に家族を亡くした者もいる。

 

 

 特に親を亡くした子供たちも。

 

 

 そういった子供たちは街を出る事も出来ず、かと言って食事のために働くことも出来ず、ただ残された家に住み、こうして貧しい者達に混じって配給の食べ物を貰うくらいしか出来ないのだ。

 

 エ・ランテルはそれほど階級制が厳しかったわけでもないのだが、やはり金持ちと貧民ではわだかまりが出来ていた。

 

 それが、今、抵抗するすべもない少女に対してぶつけられていた。

 

 周囲の者達は何もしない。

 今のこの街、とくにこの界隈ではそんなことよくある事なのだから。

 

 少女が弟の為に必死で抱えていたパンが、蹴られた拍子に宙に飛んだ。ここ数日、降雨がなかったためすっかり乾いた地面の上を、土埃を巻き上げて転がる。

 

 そのパンが、通りがかった男の装甲靴(サバトン)にぶつかり、止まった。

 

 

 いたぶっていた少年グループの一人が、それを手にとろうとして、パンがぶつかった足の持ち主を見上げた。

 

 すると、その顔が凍り付いた。

 

 

 その少年だけではない。

 子供達のいざこざの様子を眺めていた周囲の者達も皆、息を止めて、その人物を見た。

 

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、紅いマントを身に着け、背中に2本のグレートソードを背負った人物。

 供として、褐色の肌と赤い髪を持つ見目麗しい女神官と、凛々しい姿の強大な魔獣を引き連れた、その人物。

 

 

 

 『漆黒の英雄 モモン』

 

 

 

 今、エ・ランテルでその名を知らぬ者はいない。

 

 このエ・ランテルがこのような事態にまで陥った原因であるアンデッドの大群を退治した強大な力を持つ冒険者。そして、そのような強者でありながら礼儀正しく、弱き者にも手を差し伸べる優しき大英雄。

 

 今、その偉大な人物は足元に転がったパンを手にとった。

 倒れている少女の下へと足を進める。少女を囲んでいた少年たちは気圧されるように後ずさった。

 モモンの足が倒れている少女の目の前に立つ。

 少女はその顔をあげた。

 漆黒の鎧に包まれた男は膝をつき、少女に手を差し伸べ立たせると、その手のパンを土埃を払って差し出した。

 

 少女はわずかに驚いた様子だったが、差し出されたパンを抱きかかえ、笑ってみせた。

 

 その笑顔にうなづいて見せ、少女の頭をなでる。

 そして立ち上がると、先ほどまでの光景を見ているだけだった周囲の者達を見回した。

 

 そのスリット越しの視線に耐えきれず、誰もが視線を落とした。

 

 この英雄は何も言わなかった。

 だが、その思うところは察していた。

 

 なぜ、困っている人がいるのに何もしなかったのか、と。

 

 皆、心の内で言い訳をした。

 そんなことよくある事だ、ただの子供のケンカだからだ、威張っていた金持ちの娘みたいだったからだ、命に危険がありそうだったら止めに入っていた、などと。

 

 だが、そんな理由に何の価値があるだろう。

 ただそこにあるのは、いじめられている少女を助けなかったという事実だけだ。

 

 

 誰もが声もないその場の中で、モモンは食料の配給を行っているギラード商会のテントに目を向けた。

 テントの前で我先にと配給品の奪い合いをしていた者達は、その身を固くした。慌てて列を作って並び始めた。

 

 その様子を満足そうに見届け、大きくうなづくと、モモンはその足を冒険者組合に向けた。

 

 

 立ち去っていくモモン。その後ろを供の者達が追っていく。

 

 その背を見つめる者達からさざ波のように、最初は微かに、だが段々と大きくその名を讃える声が広がっていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――っていう事があったんですよ」

「へえ、そうなんですか」

 

 

 ナザリック第9階層の執務室。

 

 合流したアインズとベルは互いの現況を報告し合っていた。

 

 あの後、アインズは冒険者ギルドに行き、受けていた依頼の達成を報告した。そして、新たな依頼がないことを確認すると、宿に戻っていると言い、連絡用にルプスレギナを宿に残したまま、単身ナザリックに戻ってきていた。

 

 

「順調に評判が上がっていって何よりです。でも、くれぐれも不用意な行為や発言などには十分注意してくださいね。民衆というのは、その人がやったことの絶対値ではなく、現状との落差で判断しますから。悪人はほんの少しの善意で高評価を得ますが、逆に善人はほんの少しの意に沿わない態度をとっただけで一気に評価が急落しますからね」

「そんなものなんですか」

「はい。ツンデレと同じです。ツンの状態に慣らされているから、ほんの少しのデレでコロッといくんですよ。逆もまたしかり。ちゃんとしたヒロインなのに、ほんのわずか冷たいような態度をとっただけで、一気に腹黒とか言われるんです」

 

 よく分からないが、なんとなく分かった気もする。

 

「ええ、分かりました。行動とかには気を付けておきますね。……しかし、それにしても、ああいう光景をみるとちょっとへこみますね」

「何がです?」

「いや、あの子のような食うに困る人間が出るようになった原因は、私たちがエ・ランテルで騒ぎを起こして、そして人知れず略奪したからじゃないですか。そう考えると、ちょっと良心が痛みますね」

 

 アインズの脳裏に、今日、街であったあの少女が浮かんでくる。

 

 元はちゃんと手入れされていたであろう髪はここしばらく洗っていない様子で、手甲越しだったがごわごわとした感触が伝わってきた。

 最初、落としたパンを差し出した時、疲れ果て濁った瞳をしていたのが驚愕に見開かれ、そして本来の年相応ともいえる日が照るような笑顔に変わっていったのを思い出す。

 

 

 だが、少なくとも見た目だけならその少女とたいして年が変わらないはずの、目の前の小娘はケラケラと笑いながら返した。

 

「ははは。なぁに、深く考える必要はありませんよ。そこに金があるんです。なら奪ってしまえばいい」

 

「しかし、彼女たちは人生を狂わされたわけで……」

 

「狂うも何も。レールに乗っていくか、レールから外れるかの違いだけで、人生には決まりなんてありませんよ。俺たちは新しい人生をくれてやったんです」

 

 そう(うそぶ)いてみせた。

 

 

 その答えに、アインズは内心、苦悩した。

 そこまで割り切って考えていいのだろうか?

 

 鈴木悟の人間としての残滓が、心のうちに絡みまとわりついて離れなかった。

 

 アインズが懊悩しているのに気づいたベルは、(なだ)めるように声をかけた。

 

「まあまあ、落ち着いてください。確かに、俺たちがやった行為によって、少々苦難の道を歩むことになった人もいるでしょう。ですが、ここは大局的な見地に立って考えないといけませんよ。俺たちが今、最優先で考えるべきはナザリックの存続です。俺たちは、ナザリックを守るために計画を立て、行動を選択し実行した。確かに最高のたった一つの冴えたやり方ではなかったかもしれません。ですが、あの時点で考えうる限りのベストを尽くしました。そして、それによってナザリックは利益を得た。それが最も重要です」

 

 そう言われると、アインズとしても返す言葉がない。

 

 このナザリックの者達は、かけがえのない友人たちが残していったもの。

 そんな彼らと見ず知らずの一般人では、天秤にかけるのも馬鹿馬鹿しいほどだ。

 

 完全には割り切れはしなかったものの、ナザリックの為になったという事で何とか胸の内を納得させることにする。

 

「そうですね。ナザリックの維持こそ最も重要。その為には……犠牲も必要ですね」

「ええ、そういう事です。ですが、どうせ犠牲を払うなら、それはナザリック外の者達に払ってもらいましょう」

 

 そう言ってベルは満足げに微笑んだ。

 

 

 

「さて、それでアインズさん。冒険者の方はどうですか?」

 

 パンと手を打ち、話題を変える。

 

 現在、アインズとベルはナザリックを離れ、別々に行動している。〈伝言(メッセージ)〉でやり取りは出来るものの、こうして顔を突き合わせた方が話はしやすい。互いの行動による影響、思惑の齟齬を回避するためにも、情報の共有は大事だ。

 特に、一分一秒の判断を必要とするほど、状況が切迫しているわけではないが、時間は有効に使わなくてはならない。

 

「ええ、順調ですね。組合に出されている依頼ですが、とにかくミスリル級の依頼を片っ端から受けてこなしていますよ。受付の人は、普通一月くらいかけて行う依頼を数日でこなすのはあり得ないって、目を丸くしてました。この調子だと、近いうちにオリハルコンへの昇級もあり得るかもって言ってましたね」

「おお、階級一つ飛ばして昇級ですか。そりゃ凄いですね」

 

 ?

 今ミスリルだから、上のオリハルコンになるのは別に階級を飛ばしてないわけで、ベルの発言は少々奇妙に思ったが、アインズは特に気にせず続けた。

 

「ですが、さすがに飛ばし過ぎたみたいで、すこし依頼が少なくなってきたみたいなんですね。しばらくはいいですが、その後どうするか……」

「ふむ。なんでしたら適当なアンデッドなり、怪物(モンスター)なりを暴れさせて、それを冒険者モモンが退治するってのやりますか? たしか、スケリトル・ドラゴン程度でも、十分強力って程度なんですよね」

「まあ、手の一つではあるでしょうが、仮にやるとしても慎重にやらなければなりませんね。おっと、そうだ。スケリトル・ドラゴンと言えば」

「どうしたんです」

「いえね。街のうわさ、というか冒険者組合での調査結果も踏まえてなんですが。この前のズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒した件で、なんだか私がスケリトル・ドラゴンを2体倒した扱いになってるんですよ」

 

 それを聞いてベルは首をひねった。

 

「ん? アインズさんが倒したのは1体ですよね?」

「はい。シャドウデーモンの話では私が来る前に、例の金級冒険者が1体倒していたらしいんですが」

「ああ、この前言っていた……。その冒険者が申告しなかったんですかね?」

「おそらくは。それと、あの時、私がデスナイトを倒したって話も流れてないんですよ」

「リュースに死んだふりをさせて、倒したことにしたっていうアレですか。それは、そもそもデスナイト自体がそれほど知られていないから、口にしても凄さが分からないんで、その話がスケリトル・ドラゴン退治の話に隠れて流れていないとかそういうのでは?」

「うーん。確かにそういうのはあるかもしれませんが……。でも、エ・ランテルの兵士や冒険者の中には遠目ながらも、街中をうろつくデスナイトの姿は見てる者もいるんですね。名前は知らないかもしれませんが、強大な騎士風のアンデッドがあの時、存在していたこと自体はそれなりに知られて噂になってるんですけど」

 

 危険な怪物(モンスター)の情報というのは貴重なものだ。とくに、実際に命を懸ける冒険者や衛兵らにとっては死活問題であり、その知識情報は万金に値する。

 もしそのような見た目だけでも強大そうなアンデッドが倒されたという話が流れたら、それは噂になっていていいはず。

 いや、噂になっていなければおかしい。

 それが流れていないという事は……。

 

「つまり、その金級冒険者は、モモンがズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒すところに居合わせたのに、その時のことを誰にも告げずにいなくなったってことですか?」

「そのようですね。実は、あの後、エ・ランテルの冒険者たちに話を聞いたんですが、誰もその冒険者の事を知っている人間がいないんですよ」

「たしかアインズさんの推測では、その冒険者はずっと、そのズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を追っていたんじゃないかという事でしたから、別の街からやってきて、そして、そのまま去って行ったんでしょうか」

「たぶん、そうじゃないかと」

 

 なるほど。

 他から流れてきた冒険者か。

 上手くすれば自分の名声にもつながるのに、それをしなかったって事は、かたき討ちを終えたのでもう引退するつもりなんだろうか?

 

 

 まあ、いいや。

 冒険者モモンの評判が広まらなかった事は少し残念だが、探し出して何かするほどでもあるまい。

 それよりは……。

 

「ふむ……スケリトル・ドラゴン2体倒したってのは自分で言った事あります?」

「いえ、無いですが? 後の冒険者組合の調査でスケリトル・ドラゴンの死体が2体分あったっていう事で、私が2体とも倒したという話になったみたいです」

「ええ、では、スケリトル・ドラゴンを倒した件は、はっきりと口にはしないでください。そういう噂があるからといって、2体倒したと吹聴していると、もし、その金級冒険者が現れて自分が1体倒したとか言い出したら、話がややこしくなって、モモンの評判も悪くなるかもしれませんので」

「ああ、なるほど。分かりました。まあ、そのことは口には出さずに、勝手に相手に勘違いさせる程度でいいですね」

「はい。それで問題ありません。まあ、そんなとこですかね」

「ええ。私の方からは他にはありません。では、ベルさんの方の首尾はどうですか?」

「俺の方はまずまず順調ですよ」

 

 

 そう言って、現状の説明をした。

 

 大まかな計画こそベルが立てているが、実地で動くのは元八本指に属していた人間たちだ。連中の首根っこを押さえ、裏切らないように気を付けてさえいればいい。

 

 

「ですが、やはり、そういう連中ですと信用できるかどうか不安ですね」

「まあ、それはそうですがね。俺が思うに人を動かすのに適しているのは3つ。『利益』と『恐怖』と『正しさ』ですよ」

 

 利益。

 つまり、それをすることで自分が得をするから、そうした方が良いという動機付けだ。それは金や物だけに飽き足らず、人からの信用、安全なども含まれる。

 

 恐怖。

 それをやらないと自分に不利益が降りかかるから、そうした方が良いという動機付けだ。生命の危機、財産の危機、自由の喪失などがあげられる。

 

 最後が正しさ。

 それをやることが道義的に正しい行為だから、そうした方が良いという動機付けだ。倫理観からくる公共心や正義感、宗教などなら信仰心、組織に属しているものなら忠誠心などが当てはまる。

 

 これらを利用して人を動かすのが最もたやすい。

 金で釣れば人は動く。

 やらなければ死ぬと言われれば人は動く。

 それをやるのが人として当然だと言われれば人は動く。

 

 出来れば一つではなく、複数組み合わせられればなお良い。

 

 例えば、『これは異教徒を倒すべく神に命じられた聖なる戦いである。敵を倒せば、相手の財宝は自分たちのものだ。逆に敵を倒さなければ自分たちもその家族もが殺されるのだ』と、なれば、人は動かざるを得ないものだ。

 

 

 そして、エ・ランテルの裏社会を制するのに、残念ながら『正しさ』は用意できなかったが、『恐怖』と『利益』は与えることが出来た。

 強固な守りに囲まれているはずのゴーバッシュ、並びにその家族全てが無残に殺されたことで、逆らったら自分たちも同様に殺されるのではないかという恐怖を与えた。

 そして、派手に金を振る舞う事で、こちらにつけばもっと金をもらえるのではないかという利益を示してみせた。

 

 気を付けるべきは、こちらの情報を逆に八本指に売る事くらいだ。八本指からの報復を恐れて、もしくは情報を売る事で八本指内の地位を高める、それか直接金の誘惑とかも考えられる。

 

 まあ、シャドウデーモンで監視はしているから、察知は容易だろう。もし裏切りそうな奴がいたら、適当な別の人物に探りを入れるふりで、こちらから話を誘導して誰それが不審を抱いているという事を口にさせ、その事を噂として流す。そのうえで、その裏切りの可能性がある奴を殺して見せしめにすればいいのだ。

 その後、情報の報酬として、そいつに派手に金を流してやればいい。次からは喜んで、他の情報を集めてきてくれるだろう。

 もし、金目当てに偽の情報を持ってきたら、そいつが次の見せしめ対象になるが。

 

 それにどうせ、その金はナザリックからの持ち出しではなく、エ・ランテルから奪ったものだ。

 言うなれば、そいつの財布から奪った金を、そいつに再びくれてやっているだけだ。

 まあ、一度、こちらの懐に入れたものをくれてやるのは、少々腹立たしいわけだが。それでも、実際に身銭を切ったわけでもないからいいかとも思える程度には余裕はある。

 それに、もし足りなくなったら、もう一度奪えばいいだけの話だ。

 

 

 そういった事を説明する。

 ちょっと引いた様子だったが、アインズはなるほどとうなづいた。

 

「まあ、抑えるとこだけ抑えておけば大丈夫という事でしょう。そもそも、もとより、そちらの事をやっていた連中が、元の組織を抜けてうちの配下に鞍替えしたという事なので。要はあくまで上が代わったってだけです」

 

 そう、マルムヴィストら六腕の者達の得手は荒事であって、そちらが専門というわけではない。だが、それなりには密売、脅迫、売春、麻薬などのシノギの事を知っていたし、今回、支配下にした連中はそちらが専門なのだ。

 任せておいても、というか、あまり口を出さないでいた方がいいだろう。

 もちろん、使える情報を手に入れたら、そちらに即座に流すつもりだが。特に利益になりやすい、街の復興にあたっての情報は。

 

 ベルとしても、部下にやる気を出させるやり方は分かっているつもりだ。

 部下がやる気を出すのは、上司が『お前らは自分が考えた最良の判断をやれ。何かあったら俺が責任をとる』という態度を示す事。

 逆にやる気をなくすのは、上司が『俺の言う通りにしろ。でも、何かあったらお前が責任をとれ』という態度を示す事だ。

 

 それを分かっているため、お前たちを信頼して任せているから余計なことの口出しは極力控える、という態度を示しているし、窓口となる六腕の3人にもそんな感じでいいとは言い伝えてある。

 

 

 ちなみに当然だが、実際に責任問題になった場合、ベルは責任をとる気なんかさらさらない。

 誰かに全責任を押し付けるつもりだ。

 

 だが、それをナザリックの者達にやるのは拙い。最悪だ。印象も一気に悪くなる。特にアインズほどに忠誠も受けていないベルがやったら致命的だ。

 

 しかし、この地の人間達なら話は別だ。

 彼らなら、責任をなすりつけた挙句、そのまま殲滅してしまっても何の問題もない。

 

 

「ま、そんなとこですか。俺の方からは以上です」

 

 話し合いをそう言ってまとめ、手元に置かれた資料をパラパラとめくり流し読みする。

 それはアルベドが作成したナザリック及び近縁地域の現況報告の資料だ。

 

 

 本来であれば、ナザリックの最高責任者であるアインズ、並びに実質的にナンバー2であるベルが様々な確認や決裁、指揮判断を行わなくてはならない。

 だが、今現在、二人ともそれぞれの任務のためにナザリックを離れている。

 

 〈伝言(メッセージ)〉ですぐ連絡はつくし、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで即座に戻る事も出来る。

 だが、忙しい二人を些末な雑事の為に、その手を煩わせることなど出来るはずもない。

 

 

 そこで二人の不在を補うため、守護者統括であるアルベドが、二人によって命じられた特別任務を除いては、ナザリックの全てを取り仕切っている状態だ。

 

 

 これはある意味、とても良い措置だった。

 

 ナザリックにおいてデミウルゴスと並んで最高の知能を持つアルベド。

 その頭脳は他の者を超越している。

 

 

 当然、アインズとベルの二人よりも。

 

 

 彼女はその才をフルに使い、全ての物事を処理していった。

 

 ベルはエ・ランテルにシャドウデーモンを使った情報網を作り上げた。だが、そうして集まった情報を処理するにはまた別種の技能や高度な知能がいる。そして、アインズ、ベル共にそんなものは持ち合わせていなかった。

 それも、二人の不在という名目でアルベドが処理をした。

 伝えられる様々な情報を一度頭に入れ、重要度のランクをつけ、種類によって分類し、それらを体系づけてまとめあげる。

 当初はベルが行っていたのだが、この前のアンデッド騒ぎの際、大量に入り続ける情報の津波の前に白旗をあげた。自分では無理だということが身にしみた。

 だが、アルベドは日々の日常業務をこなしたうえで、そちらも難なくやり遂げ、こうしてきっちり報告書としてまとめ上げてきた。

 すべて事柄を網羅した詳細な報告書の他に、大まかな概要だけまとめた簡易版まで。

 

 

 そうしたアルベドの働きによって、ナザリック内はつつがなく回っていた。

 

 

 

 正直、二人がやるより効率的に。

 

 

 ぶっちゃけた話、二人はいない方がマシなくらいに。

 

 

 

「特に問題はなさそうですね」

「ええ、肩の荷が下りました」

 

 二人は目を通し終わった資料を机上に放り、息を吐いた。

 アインズは背もたれに大きく寄りかかり、ベルはグーッと伸びをする。

 

 

 

 とにかく、全ては順調だった。

 

 アインズ扮するモモンの冒険者としての地位は、すでに確固たるものを築き上げ始めている。

 

 ベルの行っているエ・ランテル裏社会乗っ取りは、今だ勢力としては半分にも満たないが、それが大勢を占めるのは時間の問題だろうと思われる。

 

 最近、ベルが主にエ・ランテルへおもむいているため、代わりにカルネ村に派遣されているシズからは、移住したンフィーレアとリイジーは村の者とうまくいっていると報告が上がっている。

 エンリは、トブの大森林から出てきたオーガを従えた、とか。

 ンフィーレアは、エンリとの仲はたいして進まず、それよりナザリックから与えられた薬学の知識や機器の使い方に夢中になっている、とか。

 ……何やってるんだろう、あの男は。

 

 周辺地域の調査は進めているが、マルムヴィストらからの知識でこの世界の大体の強さの平均や常識などは分かった。

 とりあえずは、ナザリックの者たちが心配するような存在はいないようだ。

 

 

 今のところ、自分たちの処理できる範囲ですべての物事は進んでいる。

 あくまでゆっくりと進めるつもりで焦る気はないが、この世界での支配圏を広げていく計画に差しさわりがあるような情報は今のところ見当たらない。

 危険と思われるものの兆候はない。

 

  

 それに万が一の際の保険もある。

 例え、何か事がうまく回らなくなった場合でも別に心配はいらない。

 

 今の二人には切り札がある。

 

 どんな状況下からでも切ることが出来、あらゆる情勢をひっくり返すことが出来る究極のワイルドカード――『デミウルゴスに丸投げ』――があるのだ。

 

 

 すべては順風満帆。万事快調。神は天にいまし、世はなべて事も無し。

 

 

 二人のいる執務室には弛緩した空気が流れていた。

 

 

 

 その時、ノックの音が響いた。

 

 

 二人はその音に姿勢を正し、さっと身づくろいをする。

 

 今までは内密の打ち合わせと称して、護衛の者達も含めて人払いをしていたのだが、誰かが来るとなると、威厳ある様子を見せなければならない。

 

 

 アインズが入室を許可するとプレアデスの一人、エントマが入ってきた。

 

 ぺこりとお辞儀をする。

 

「どうした?」

「はい。遠征なさっていたアウラ様とマーレ様がご帰還なさいました」

 

 その答えに、一瞬、思考を巡らせる。

 様々なことを並行して行っていたため、アウラとマーレには何を命令していたのか、とっさに思い出せなかったのだが、たしか野盗あたりを攫ってこいと命令し送り出していた事に思いいたった。

 

「うむ、そうか。それで首尾は? 怪我などはしていないか?」

 

 その問いに、エントマはわずかに逡巡して答えた。

 

「アウラ様、マーレ様、共にお怪我などはされていらっしゃいません。また、見事任務を果たされ、野盗の集団を捕まえることに成功されました。ただ、……一つご報告が」

 

「うん? どうしたのだ?」

 

「はい。執事助手のエクレア様がナザリックを離反しました」

 

 

 

 

「「……は?」」

 

 

 

 




 プレアデスの面々がエクレアの名前をどう呼ぶのか分からなかったので、とりあえず『様』付けにしました。


 原作アインズ様は、たった一人残ったAOGギルメンとしてナザリックの存続を双肩にかけて頑張っていますが、当二次SSでは自分よりしっかり者(とアインズは思っている)のベルと一緒なため、割と気楽に異世界を楽しんでいます。
 また、正義の冒険者RPをしながら活動しているうえ、様々な人と触れ合っているために、比較的人間性を保っています。
 対してベルは、ナザリックの維持のために手段をえらばず、カルマ値がものすごく低い連中に囲まれ、さらに犯罪者組織と関わりを持っているため、ガンガン人間性が下がっていっています。


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第23話 アウラとマーレ 初めてのお使い

2016/5/19 「何にトラブルもなく」 → 「何のトラブルもなく」 訂正しました
2016/12/21 「野党」→「野党」 訂正しました
2017/5/17 「見せねば」→「みせねば」、「だろし」→「だろうし」、「好意」→「厚意」、「間髪入れず」→「間髪容れず」、「案内の下」→「案内の下」、「ブレタ」→「ブリタ」、「行く」→「いく」、「来る」→「くる」 訂正しました


 ナザリック地下大墳墓、玉座の間。

 

 荘厳な造りの室内が、天井から吊るされた複数のシャンデリアから降り注ぐ光を浴びて、幻想的な光景を生み出していた。

 この部屋に入ったものは誰もが、目の前に広がる光景に畏敬と感嘆の念を禁じえず、その厳かさに口をつぐむだろう。

 

 そして、今、この玉座の間には守護者統括アルベドを筆頭に各階層守護者が頭を連ね、そして、最奥の階段状になった頂点にある水晶で作られたような玉座には、ナザリック地下大墳墓主人、至高なるギルドマスター、アインズ・ウール・ゴウンその人が腰かけていた。

 その玉座の脇には至高なる41人の娘である少女、ベルもいる。

 

 言うなれば、ナザリック地下大墳墓の上位者たちが一堂に会しているのである。

 

 その光景は圧巻というほかはなかった。

 

 

 だが、今、その玉座の間には何とも言えない空気が漂っていた。

 

  

 原因は玉座へと続く階段の下、そこに立つ第6階層守護者マーレ・ベロ・フィオーレがその手につまんでいる存在。

 首根っこを掴まれ、じたばたともがいている黒ネクタイをしたペンギン。

 ナザリックの執事助手エクレア・エクリール・エイクリアーである。

 

 その姿はまさにペンギンであるため、子供のマーレが持ち上げているだけで、盛んに動かしている足や、手だか翼だかは空を切っている。

 

 

 

 自らの顎に手をやり、思案気にその様子を眺めていたアインズは、重い口を開いた。

 

 

「で? なんなのだ、これは?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガタン。

 

 突起物を踏んだらしく、馬車が縦に揺れた。

 割としっかりとした造りの馬車なのだが、サスペンションで吸収できる揺れにも限界がある。

 この辺りは街道に石畳が整備されていて、馬車で走っても比較的振動は少ないのだが、それでも整備の手までは行き届いてはいないようで、たまにこのようなことがある。

 

 今、6人はゆうに乗ることが出来る大型馬車の中には5人の者達がいた。

 5人……と言っていいのかは疑問が残った。

 外見だけで言うなら、少なくとも4人は人型なのだが後の一人が……。

 

「それで、なんであなたまで来てるわけ?」

 アウラがやや不機嫌そうな声で自分の隣に座ったものに問う。

 

 問われた黒ネクタイのペンギンは翼をばたばたさせた。

「ふむ。愚問ですな。私がいずれナザリックを支配するにあたって、忠実なシモベが必要になります。そういう者をスカウトしに行くのですよ」

 

 デミウルゴスならば、エクレアは至高の御方に代わってナザリックを支配しようとしている、というふうに生み出されているからと特に気にもせず流すのだろうが、アウラとマーレにとって、そうは分かっていても腹の立つ答えだった。

 

 車内に微妙に険悪な空気が流れる。

 

 今回の任務は、情報収集並びに現地の人間の確保を目的としたものだ。

 ナーベラルが大商人の娘、セバスがそれに仕える執事として行動し、街で活動して情報を集める。その際、わざと従者に胡散臭い人間を選び、その者の仲間である盗賊たちをアウラとマーレが捕まえナザリックに送るというものだった。

 

 至高の存在から、自分たちに与えられた任務。

 是が非でも見事こなしてみせねばならない。

 そう思い、気合を入れていたのだ。

 

 それなのに、出発しようとしたら突然エクレアが自分も行くと言い出しついて来たのだ。

 

 セバスは特に顔には出していないが、幼いアウラとマーレは不満の表情を浮かべていた。

 

「それに、私がお二人に同行するのはアインズ様の許可をちゃんと取っているのですよ」

 

 その答えに向かいの席に視線を向けると、ナーベラルが困惑したような顔でうなづいた。

 

 そう言われると、二人としてもそれ以上なにも言えなくなる。

 余人の考えるところなど足元にも及ばない叡智にあふれたアインズがじきじきに許可を出したという事は、一見何の役にも立たない執事助手エクレアが同行することにも深い意味があるのだろう。

 

 

 

 実際のところは、ただの誤解である。

 ナザリックに戻っていたアインズが、再び冒険者モモンとしてエ・ランテルに行こうとしていた時にナーベラルから、執事助手がアウラ、マーレ両名と共にナザリック外で行動をする許可を求めていると聞かされた。

 だが、アインズはすでにいつもの全身鎧(フルプレート)を着て歩いていたところへ報告されたため、自身のたてる鎧の金属音が原因でその全てをはっきりとは聞き取れず、執事助手と言ったのを執事と聞き間違えてしまったのである。

 なにせ執事であるセバスには、すでにアウラ、マーレ及びナーベラルと共に外で行動する任務を命じていた。そのため、ナーベラル、アウラ、マーレ、それとナザリックの外に執事というキーワードが並んだ瞬間、セバスの事だと自動的に結びつけてしまったのだ。

 鎧の音でよく聞き取れなかったからもう一度喋れ、というのも支配者としてかっこ悪いかなぁと思い聞き直さなかったのも、原因の一つである。

 また、ただの1レベルバードマンであり戦闘能力もないエクレアが、ナザリックの外に出るなど夢にも思わなかったためでもある。

 結果、もう命令は出してあるのに何故わざわざまた許可を求めてきているのかと疑問には思ったものの、出がけで忙しかったものだから、ナーベラルがセバスの事を『執事』と呼ぶはずもないという事にも頭が回らず、生返事で許可を出してしまったというのが真相であった。

 

 

 

 そうしているうちに、ガタンと音を立てて馬車が大きく揺れた。どうやら停止したようだった。

 

「まあ、とにかく。獲物もかかったみたいだから、始めようか」

 

 そう言って、アウラが勢いよく立ち上がり、馬車を降りようとしたところ、「あ、ちょっと待ってください」とその背に声がかかった。

 

 せっかくやる気を出したところに水を差され、ムッとした顔で振り向くと、声をかけたエクレアは翼にリュックサックをひっかけていた。

 

「なに、それ?」

「見て分かりませんか? リュックサックです」

「そりゃ分かるよ! あたしが聞きたいのは、そのリュックサックがどうしたのかって事!」

「いえ、私がこの中に入るので背負っていってください」

「はぁ!? なんであたしが!」

「愚問ですな。私は普段、男性使用人に運ばせているのですが、今、この場には連れてきてはおりません。ですので、あなたに背負ってもらわねばついていくことが出来ないではありませんか」

 

 非常に腹の立つことであったが、エクレアの同行はアインズの策の一つらしい。無下にすることは出来ない。

 不承不承、リュックサックを背負うと、その開いた口にエクレアがぴょんと飛びこんだ。

 

「もう、さっさとやるよ」

 

 不機嫌さを隠そうともせず、マーレに声をかけると、アウラは馬車の外へと飛び出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 馬車の外で武器を構え、獲物が出てくるのを舌なめずりしていた男たちは、困惑したように顔を見合わせた。

 自分たちの仲間であり、従者のふりをしてこの罠まで誘い込んだザックからは、馬車に乗っているのは見たこともないほど美しい気取った女と老いぼれの執事の2人だと聞いていた。

 

 だが、今、扉を開けて出てきたのはどう見ても少年だった。仕立てのいい高級そうな服を身に纏い、その背には彼らが今まで見たこともない奇怪な鳥を入れたリュックサックを背負っている。

 その少年は馬車から高く飛び上がると、空中でくるくると回転してから、ピタリと足をそろえて着地した。

 その場にいた目端の利く人間は、月光の薄明りの下ながら、その正体に気づいた。

 

「こいつ……人間じゃないぞ。ダークエルフだ……」

 

 金色の髪から突き出た耳の先は細くとがっており、その肌は、通常白い肌を持つエルフではありえないほど薄黒い。

 

 予想だにしなかった人物の出現にどうすべきか判断が尽きかね、考えあぐねている間に、馬車の中からもう一人ダークエルフが現れた。

 こちらは可愛らしい少女だ。ねじくれた木の杖を両手でしがみつくように抱え、えいっと声をあげて地面に降り立つ。

 

 

「おい、ザック! どういう事だ!」

 

 集まっていた男たちの中でリーダー格と思われる粗暴な空気を身に纏った男が、先ほどまで馬車の御者を務めていたはずのザックにいら立ちの声をぶつける。

 

 その怒声にザックは怯えて首をすくめた。

 怒鳴られても、ザックにも意味が分からないのだ。いつの間に、この二人が馬車に乗っていたのだろう。

 

「……まあ、予定は違っちまったが、とりあえずこいつらだけでも攫っていくか」

 

 あいにくと彼は成熟した女が好みであって、あまりに幼すぎるこのダークエルフの少年少女は欲望の対象としては見ることは出来なかった。

 だが、仲間の中にはこういう幼いのでも興奮する者もいるだろし、王都あたりにはおかしな性癖を持つ者の為の娼館もあるので、そちらに流してしまってもいいだろう。

 それに着ている服ははた目にも高級そうな逸品だ。剥ぎ取って売ればそれなりの金になりそうだ。

 

 

 その時、アウラが息を吐いた。

 

 アウラは自らの吐息に『恐怖』や『沈静』、『激昂』、『錯乱』など、感情や意思を操作する様々な効果を付与することが出来る。いま、アウラが行ったのは『友好』。デミウルゴスの『支配の呪言』ほど強力ではなく、相手の意に反する行動はとらせるようなことは出来ない。戦闘に参加させることも出来ないし、その状態の相手にダメージが入ると簡単に効果を失ってしまうという程度のものである。ユグドラシルでは抵抗に失敗した相手から一手奪う程度の効果でしかなく、直接戦闘に効果のある他のものの方が使い勝手が良いのだが、圧倒的にレベル差があるこの地ではそれなりに使いようがある。

 現に今、この場にいた野盗たちは皆、つい先ほどまでの殺気立った空気は消え、武器を下ろしていた。

 

「ああん。で? なんでぇ、坊主たちは?」

 

 リーダー格の男が困ったような顔で頭を掻き、話しかけてきた。

 

 その声にマーレはシャドウ・オブ・ユグドラシルを下ろした。もし、姉の吐息に抵抗する者がいたら、間髪容れず〈全種族魅了(チャームスピシーズ)〉を使おうと身構えていたのだ。

 

「やぁ、あなたたちってさ、他に仲間とかいるの?」

「あん? 俺たちは『死を撒く剣団』って傭兵団でな。少し離れたところに隠れ家があって、そこにはあと60人はいるぜ」

「ふぅん。そうなんだ。じゃあ、そこに連れてってよ」

「坊主と嬢ちゃんをか?」

 

 うーん、と思案顔になる。

 そもそも、ここに来たのは世間知らずの金持ち連中を襲って、金と女を手に入れるためだった。だが、見ず知らずの連中ならともかく、友人の一行を襲う訳にもいくまい。そして、襲撃が無くなったんだから、自分たちもこんな夜中に外でぶらついてないで、さっさと帰って酒でも飲んだ方が良い。帰るついでにねぐらを案内してやっても別にいいか。

 

「おう、分かったぜ、坊主。案内してやるよ」

「うん、それはありがとう。だけど、ちょっと言っておくけどさ」

 

 そう言ってアウラは自分を指さした。

 

「あたしは女! 坊主じゃないの!」

 

 そして、脇にいるマーレを指さす。

 

「そして、あっちのマーレが男。いい? 間違えないでよね! ああ、あたしの名前はアウラだから」

 

「んん? 坊主じゃなくて嬢ちゃんだったのかい? そりゃあ、すまねえな。でも、男としてもちゃんとやっていけると思うぜ」

 

 男の冗談に、他の者達もゲラゲラと笑い声をあげた。

 アウラは気を悪くしたが、マーレが袖を引いて止めたため、ムッとした顔をする程度で抑えた。

 

 そう言えば、背中に背負ったエクレアがずいぶん静かだなと思い振り向いてみると、最初の馬車から飛び降りるときの空中回転でいきなり気絶していた。

 

 

 そうして、野盗たちが帰り支度をするなか、セバスが馬を馬車に繋ぎ直し、御者席に座った。

 

「では、アウラ様、マーレ様。私たちはこの後、バハルス帝国の帝都に向かいます」

「ん? 帝国? 王都じゃなくて? 道、逆方向なんじゃないの?」

「はい。これはベル様の策でして。ザックさんというあからさまに胡散臭い人物を雇っていたのに、その者だけがいなくなり、私たちだけが何事もなく旅を続けているとなると何故無事だったのかと不審に思われるため、王都へ向かっていた私たちの足取りは一度途絶えた方が良いだろうという判断でございます。普通に考えれば次の街での消息が無ければ、道すがら怪しげな連中に襲われたと考え、そこで話は終わりますし。仮に帝国にいるところで知り合いにばったりお会いした場合は、ナーベラル扮するお嬢様の気が変わり目的地を変更したため、あくまで王国内の事しか知らなかったザックさんは解雇した、と理由をつけるのだそうです」

「ふぅん。面倒だね。でも、これから、逆戻りするの?」

「いえ、〈転移門(ゲート)〉でカルネ村近郊に行き、そこから帝都を目指すつもりです」

「そうなんだ。まあ、いいや。それじゃあね」

 

 手を振るアウラの前で、セバスが操る馬車が〈転移門(ゲート)〉の向こうへと消えていった。

 

 それを見届け、アウラは振り返った。

 

「さて、それじゃあ、あなたたちのねぐらに行こっか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「おっと、そこにベアトラップがあるから気をつけなよ、アウラの嬢ちゃん」

 

 野伏(レンジャー)スキルがあるアウラは言われずとも気づいていたが、男の厚意は素直に受け

「ありがとう」と言い、それを避けた。

 

 あの後、しばらく夜の森を歩き目的地、彼らのねぐらに向かっている。

 月明りと手にしたランタンだけという心もとない光源のみだが、皆、しっかりとした足取りで歩いている。足取りが不安なのはザックだけだ。

 

 

「それで、あなたたちの仲間で強い人とかっているの?」

「おう、ブレインってすげえ強い奴がいるぜ。タレント持ちなうえに、武技をいくつも使えるんだ。あいつに勝てる奴はまずいねぇよ」

「へえぇ、そんなのがいるんだぁ」

 

 呑気に話しながら歩を進めるアウラと男。

 男の答えにアウラはほくそ笑んだ。

 

 野盗の群れだけではなく、タレント持ちや武技の使い手も捕まえられるのは実に都合がいい。この世界特有のそれらの能力について、アインズとベルは興味を持っている様子だった。

 

 きっと、そいつを捕まえたらアインズに褒めてもらえるに違いない。

 

 その光景を思い浮かべ、笑みがこぼれそうになるのを必死で隠した。

 

 

「おっと、着いたぜ」

 

 すり鉢型になった窪地の中央部に空いた洞窟。その入り口には人の腰ほどのバリケードがあり、二人の男が見張りに立っていた。

 

 アウラの隣に立つ男が、手にしたカンテラのシャッターを開け閉めし、見張りの男に合図を送る。

 すると、向こうからも灯りを点滅させるのが見えた。

 

 外出していた男たちを迎える見張りの男。

 だが、その眉が不審にしかめられた。

 

「おい。金持ちを襲いに行ったんじゃないのか? 金は? それに女はどうした?」

「ああ、それなんだがな。見ず知らずの連中じゃなくってよ。ダチの乗ってる馬車だったんだ」

 

 そう言って、横に立つアウラを顎で指す。

 

 見張りの男が首をかしげるより先に、再びアウラがふっと吐息を放った。

 

「……ああ、なるほどな。たしかに坊主のいる馬車なら襲う訳にはいかないよなぁ」

 

 見張りの男のつぶやきに、アウラは憮然とした表情を隠しもせず、横に立つ襲撃犯のリーダー格は腹を抱えて笑った。

 

 

 

 そして、男たちの案内の下、内部に招かれたアウラとマーレ(それと気絶しているエクレア)は何のトラブルもなく、彼らを率いる団長のところへ行った。団長はすぐに命令を出し、洞窟内で一番の広間に全員を集めた。

 そうして、何の抵抗も出来ずに傭兵団『死を撒く剣団』の全員は、アウラの吐息の魔手に絡めとられた。

 

 その場にいるガラの悪そうな風体の男たちは皆、自分でも何故だか分からないが、このダークエルフの双子に親近感を抱いている状態だ。

 

 

「えーっと。これで全部?」

 

 アウラの問いに居並ぶ面々を見回していた団長が、「ん?」と首をひねった。

 

「おい! ブレインはどうした?」

 

 ブレイン。

 確か、さっき聞いた話の中で出てきた、こいつらの中で最も強い存在のはずだ。そいつがいないのだろうか?

 

「ああ、ブレインなら、剣のトレーニングとか言ってちょっと前に出て行きましたぜ。いつものところだと思いますから、呼んできましょうか?」

 

 それを聞いて、アウラは少し悩んだ。

 出来れば、ブレインという男も連れていきたい。

 だが、最優先の目的はこの野盗というか傭兵団というかの連中をナザリックに連れ帰る事だ。まずは、こちらをこなすべきだろう。

 それに、現状、彼らはアウラの吐息の影響で友好的になっているだけに過ぎない。アウラが近くにいる分にはその効力は持続するが、距離が離れると効果が無くなってしまう。

 まあ、対策としては全員でぞろぞろ、そのブレインを迎えに行くことだが、かえって大所帯だとはぐれる者も出る可能性がある。

 

 そこで、とりあえず、こいつらだけ先にナザリックに送り、自分たちだけでそのブレインのところに行って捕まえることにした。

 

 

「はいはい。じゃあ、みんな聞いて!」

 

 パンパンと手を打ち鳴らし、注目を集める。

 

「じゃあ、あたしの友達である皆の事を、あたしの家に招待しようと思いまーす。そこでは楽しい遊びを用意してるし、綺麗な女の人がたっくさんいるから、たっぷり楽しんでね!」

 

 その声に男たちは歓声をあげた。

 

 

 マーレが〈伝言(メッセージ)〉で事の次第を伝える。

 そうして、しばしの時間が経った後、広間の片隅に〈転移門(ゲート)〉が現れた。

 

 初めて見る現象に動揺する男たちの前で、その揺らめく黒い影から一人の少女が現れた。

 やや不機嫌そうな表情も、少女の端正な顔に浮かんでいれば、目を引き付けられる美の姿となる。

 

「こちらの準備は整ったでありんすよ」

「はいはい。ご苦労さま」

 

 アウラはさらりと礼の言葉をシャルティアにかけると、傭兵団に向かって声をあげた。

 

「はーい! この黒い影は魔法の産物で、これを通り抜ければあっという間にあたしの家に行けるよ。じゃあ、みんな、いってらっしゃーい!」

 

 男たちは最初おっかなびっくりだったが、一人が勢い込んで〈転移門(ゲート)〉に飛び込むと、他の者達もそれに続いた。

 

「おう、行くのはいいが、アウラの嬢ちゃんは来ないのか?」

「あたしは、そのブレインってのを探して連れていくよ。一人だけ仲間外れはかわいそうでしょ」

 

 男は「そうだな」と笑い、ブレインがいつも剣の練習をしている場所を告げて、〈転移門(ゲート)〉の中へと入っていった。

 

 

 その光景を見ていたシャルティアがブチブチと愚痴をこぼす。

 

「まったく、なんでこのわたしがこんな裏方作業ばかり……」

「そりゃ、あなたが〈転移門(ゲート)〉使えて、便利だからでしょ」

「分かってはいるでありんすけど……。わたしもこう、アインズ様のお役に立つため身体をはって任務につければ……」

「はん! あなたが現場に出ていって何かしようとしたら、『血の狂乱』で任務どころじゃなくなって、大変なことになるじゃない」

「そ、そんなのやり方次第でなんとでもなるわよ!」

「どーかなー? 100%信頼できないから、アインズ様はあなたを表には出さずに〈転移門(ゲート)〉係を任せてるんじゃないの?」

「ぐぎぎ……」

 

 姉とシャルティアのやり取りをおろおろしながら見ていたマーレだったが、思い切って口を開こうとした瞬間、洞窟の広間に絶叫が響いた。

 

 

 その場にいた者たちが目を見開く。

 その視線の先、野盗の一人が〈転移門(ゲート)〉の向こうから転がり出てきた。地面をはいずるように進み、近くにいた仲間の胸ぐらをつかんだ。

 シャルティアの配下である吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が2人、慌てた様子で〈転移門(ゲート)〉を通ってやってくる。

 

「お、おい! お前ら、行くな! この先は化け物の(そう)……」

 

 再び、アウラがその男にその吐息を吹きかける。

 

 男は一瞬硬直し、落ち着いた様相を見せた。

 

「ああ、ええと……なんだっけな……?」

「はいはい。落ち着いてね。きっと、びっくりするほど綺麗な女の人たちがたくさんいたから興奮しちゃったんだよ」

 

 アウラの取りなす声に、男は「ああ」と納得した声をあげた。

 

「そうだ。あの影をくぐったら、すげえべっぴんの女がたくさんいたんだよ。それで、俺は矢も楯もたまらずに走って戻ってきて……。あれ? なんで、戻ろうとしたんだ?」

「きっと、他の皆に知らせてあげようとしたんだよ」

「ああ、そうか。……そう、だな」 

 

 男は大きく息を吐いた。その男の肩を他の仲間たちがたたく。「ははは、なんだお前。ずいぶん、仲間思いじゃねえか」、「おう、俺だったら、他の奴には知らせねえぜ」、「ああ。全部ひとり占めだな」、そう言って笑いあっている。

 

 その笑いを背に聞きながら、アウラの目はシャルティアに向けられる。

 そして、そのシャルティアの目は、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達に。

 怒りという言葉では足りぬほどの憤怒が湛えられた視線に、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達は顔を引きつらせ、震えあがった。

 

 アウラの吐息は抵抗に失敗した者の感情や意思を操作することが出来る。とは言っても、あくまで効果範囲はアウラの周辺にいる者に限られるため、〈転移門(ゲート)〉を抜けた先では効果が切れてしまう。

 その為、転移先ではシャルティア配下の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が待ち構え、即座に魅惑の魔眼で魅了するか、直接捕らえるかする手はずとなっていた。

 それなのに、向こうでの確保に失敗したうえ、男をこちら側までとり逃がし、更には再度アウラの手によってなんとか事無きを得たのだ。

 

 これは明確にシャルティアの配下の失態であり、ひいては上司であるシャルティアがアウラに借りを作った形になる。

 この場にはまだ捕獲任務の対象である野盗たちが残っているため、シャルティアも癇癪(かんしゃく)を抑え込んでいるものの、ナザリックに戻ったらどのような勘気を受けるか、もはや吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達は生きた心地がしなかった。

 

 

 やがて、その場にいた者達はすべて〈転移門(ゲート)〉の向こうへと姿を消した。およそトラブルとなったのは、その一件のみだった。

 

「じゃあ、あたしとマーレは、そのブレインって男を探してくるね。また、連絡するから」

「ええ、そうしておくんなまし。わたしらはナザリックに戻っているでありんすから」

「次はさっきみたいな失敗はしないでよね」

 

 その言葉にシャルティアから殺気が吹き上がる。後ろに控えた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)は恐れ(おのの)いた。

 

「ええ。二度と! このような事はさせんでありんす」

 

 苛立ちを交えた声と共にシャルティア達も〈転移門(ゲート)〉の向こうに消えていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アウラとマーレは入り口のバリケードを乗り越え、洞窟の外へと出た。

 

 まだ夜の闇には包まれているが、頭上に遮るものがないと開放感が違う。ナザリックの他の者達なら違うかもしれないが、疑似的とはいえ空まで作られている広大な第6階層に常駐している2人としてはこちらの方が落ち着く光景だった。

 ぐっと背を伸ばして体をほぐすと、さぁもう一仕事と窪地を出て森の中を歩きだす。

 

 そうして、しばらく歩みを進めた後、ピタリと立ち止まった。

 

「で? 何、あなたたち?」

 

 その声に、木々に隠れて監視していた人影が姿を現す。

 

 出てきたのは3人。腰に複数の武器を下げた金髪の若い男、全身鎧(フルプレート)の上から聖印の入ったサーコートを着た屈強そうな男、最後は帯鎧(バンデッド・アーマー)を着た赤毛の女戦士だ。彼女だけが首から鉄のプレートを下げていた。

 

「やあ、えーっとな、……少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「あたしも少し聞きたいことがあるんだけど。あなたたちの誰かがブレインっていう奴なの?」

 

 問われた男は聞き覚えのない名前に首をひねった。後ろの2人に顔を向けるが、そちらも顔を横に振る。

 

「いや、違うよ。悪いけど、その名前は聞いたことは無いな。俺はヘッケラン。あっちのがたいがいいのはロバーデイクで、女戦士の方はブリタっていうんだ。それで質問なんだけどいいかい?」

「なんだ、違うのか……。まあ、いいよ。質問を聞いてあげる。……あ、でも先に言っておくけどね」

 

 びしっと自分を指さす。

 

「言っておくけど、あたしは女! 女だからね! 男じゃないよ。分かった?」

 

 さんざん野盗に男と間違われた経験から、先に言っておくことにしたアウラ。

 その宣言に驚きながらも、軽く笑いを浮かべながらヘッケランは了承した。

 

「ははは、分かった分かった。お嬢ちゃん。間違えたりはしないよ。おっと、それでこっちの質問なんだけどさ。君たちって、あの窪地にある洞窟から出てきたよな?」

「うん、そうだよ」

「やっぱり……。なぁ、あそこって……中に誰かいたりしないかな?」

「いや、今はもう誰もいないはずだよ」

 

 その答えに3人は驚愕の表情を浮かべた。

 

「え? いない!?」

「うん。もういないよ。聞きたいのってそれだけ? じゃあ、もういい?」

「あ、ああ、そうだけど……」

 

 ふと、アウラは思案顔になり、目の前の3人をじっくり観察した。

 一応それなりに戦闘経験はあるみたいな感じはするけど、どれくらいのものかはいまいち分からない。さっき捕まえた野盗連中と大差ない気もする。

 いちいち捕まえて、またシャルティアに頼んで〈転移門(ゲート)〉を繋げてもらうのも面倒だ。

 放っておいてもいいか。

 誰かと会うたびにそいつらを全部捕まえる必要もないだろう。

 それに、本来の任務である野盗の捕獲は済んでいるのだし、あとはブレインとやらを捕まえてさっさとナザリックに帰ろう。

 

「じゃ、用がないんなら、あたしたちは行くね」

「あ、君たち。行くって、これからどうするんだ? 少し、待っててくれれば町まで送ってくけど」

「いや、いいよ。あたしたちだけで帰れるし。じゃーねー、おじさん」

 

 ぱたぱたと手を振り駆けだすアウラ。

 マーレは慌てて3人にぺこりと頭を下げ、「待ってよ、おねーちゃーん」と言いながら、その後を追った。

 

 

 

 その姿を見送った3人。

 やや憮然とした表情でヘッケランはつぶやいた。

 

「おじさんって、俺、まだ20超えたばっかだぞ」

 

「なぁに、あれくらいの小さな子にとって、大人は『おじさん』ですよ。ようこそ、おじさんの世界へ」

 

 すでに30を超えているロバーデイクはにやにやとした顔を隠そうともしなかった。

 

「いや、でも、見た目とか全然違うだろ。なぁ、ブリタ」

 

 言われたブリタは困ったような笑いを浮かべた。

 

 今回ワーカーであるヘッケラン達フォーサイトと冒険者であるブリタが一緒に行動しているのは、『死を撒く剣団』という傭兵団、というか野盗と言ってもいい集団の討伐にエ・ランテルの冒険者組合が広く人を集めたためだ。

 先だっての騒ぎ以降、エ・ランテルでは冒険者とワーカーは良好な関係を築いている。そして、その際に減少した冒険者の数を補うため、ワーカーが協力を求められることもままあった。まあ、相応の報酬は約束されての事だが。

 

 今回、連絡係としてフォーサイトと共に行動しているブリタだが、彼女はあくまで下から2番目の鉄級冒険者に過ぎない。

 対して、フォーサイトの面々はワーカーながらその実力はミスリル級に匹敵すると言われている。ブリタからすれば雲の上の存在だ。

 けっして、機嫌を損ねたりできるような相手ではない。

 

「え、ええと。それより、あの子たちって、人間じゃなかったですよね」

 

 慌てた様子で、何とか話を変えた。

 

「ふむ。確かにあれはエルフ。……いえ、暗くて分かりづらかったですが、肌の色からしてダークエルフでしょうか?」

「ダークエルフ? 確か、昔、トブの大森林辺りを支配してたんだったか」

「確かそうですね。……あの子たちは、どこへかは分かりませんが『帰れる』と言っていましたね。まあ、少し距離はあるとはいえ、トブの大森林へも行けますし、どこかに隠れ里でもあるんでしょうか?」

「その線かね? 少なくとも奴隷扱いはされてはいないみたいだったけど」

 

 先ほど2人が消えていった森の奥に視線を向けながら考え込む。

 

 

 そうしていると、別行動していたイミーナとアルシェが合流してきた。

 

「お待たせ。これからの方針を協議してきたけど、逃走用の抜け道の警戒もしなきゃいけないから、周辺を包囲して警戒する班と中に突入する班とに分けるって。……どうしたの?」

 

「いえね。ヘッケランはちょっと、ついさっき出会ったダークエルフの少女の事で頭がいっぱいだったんですよ」

 

 ロバーデイクの言葉に、イミーナは眼を鋭くさせた。

 

「へえ? なんだか面白そうな話ね。詳しく聞かせてもらえるかしら? ねえ?」

「い、いや、ちょ、ちょっと待った。そ、そういう意味じゃなくてな。いや、ダークエルフの女の子に会ったのはホントで、その子の事を考えていたんだけどさ」

「うん、だからさ。その辺のことを聞きたいんだけど? 何か言うと拙い事でもあるの?」

 

 二人の犬も食わないようなやり取りは放っておいて、アルシェはロバーデイクから何があったのかを聞いた。

 そして考え込む。

 

 

 野盗討伐にねぐらまで来たのに、なぜかそのねぐらに野盗はいないという。そして、その情報を提供したのは、野盗のねぐらから出てきた人物。

 それもダークエルフの少女が二人(・・)

 

 本当は中に隠れているのに、それをごまかすために、その子たちに誰もいないと言わせた?

 でも、なぜ、ダークエルフが?

 捕まっていたのか?

 ロバーデイクの見立てでは迫害されていたような感じはないと言っていたが。

 それに、帰ると言っていなくなったというが、どこへ帰るというのだ?

 

 ……もしかして、そのダークエルフも野盗の仲間とか?

 

 ……あり得るかもしれない。エルフやダークエルフは人間よりはるかに長命だ。

 外見年齢は子供に見えても、数十歳から下手をしたら100歳を超えていてもおかしくはない。

 

 むしろ、もしかしたら、そのダークエルフの少女二人こそが『死を撒く剣団』の陰のボスとか?

 

 

 アルシェは様々な可能性を考慮しつつ、さらに思考は沈潜(ちんせん)していった。

 

 

 

 ひたすら痴話げんかを続けるヘッケランとイミーナ。それを面白そうに見つめるロバーデイク。全く無表情のままピクリともしない、何を考えているのか分からないアルシェ。

 

 そんなフォーサイトの面々を前に、一人ブリタはため息をついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アウラとマーレは森の中を駆けていた。

 

 街道と違い、うっそうとした樹木に覆われた森は、上空にある月からの光すらあまり通さず、人間の目では、伸ばした手の先すら見通すことも困難だったが、2人の目には日中と全く変わらず見通すことが出来る。

 

 

 しばし前、森の中を歩いていた二人は、木々の合間、すこし開けた場所へとたどり着いた。

 そこが教えられた、ブレインがよく鍛錬している場所のはずだったのだが、そこには誰もいなかった。

 諦めてさっさと帰るか、それとも適当な魔獣なりを召喚して探させるか。

 しばし、方針を考えながら付近を捜索していると、決断するより先に下生えの草に踏み折られた跡を見つけた。

 おそらく、そう長い時間は経っていないはず。

 

 その跡を追跡し移動していると、アウラの人並み外れた聴力が剣戟の音をとらえた。

 マーレに声をかけ、一気に音のする方へ加速する。マーレは慌てて様子で、しかし、ぴったりとくっついて後を追う。

 

 

 そうして飛ぶように森の中を駆け抜ける2人。

 冷たい夜の風が、二人の頬を撫でる。

 

 やがて、その視線の先に2つの人影が見えた。

 

 

 一人は、軽い鎖着(チェインシャツ)程度を身に纏った、切る事に特化した『刀』を振るう男。

 

 もう一人は、白銀の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ人物だった。

 

 

 

 

 




ベル「や、野党のアジトを襲ったのに、奴らがため込んだ財宝をかき集めもせずに放置!?」
アインズ「いや、そこは重要じゃないんで、ベルさん、すこし静かにしててください」


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第24話 ブレインの憂鬱

 そう言えば、前回あとがきで書くのを忘れていましたが、アウラの吐息の様々な効果は捏造です。
 原作では、はっきりと明言されているのは恐怖のみで、シャルティア戦の際にヘイト管理っぽいのはやっていましたが、ビーストテイマーという事でスカ〇リムの幻惑魔法のような効果くらいは出来るのではないかと思いまして。


2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/7/27 「当てずっぽうレベル」→「当てずっぽうなレベル」訂正しました。
2016/8/11 二重最強化のルビが「ダブルマキシマイズ」となっていたのを「ツインマキシマイズ」に訂正しました
2016/12/10 「早さ」→「速さ」、「埒が開かない」→「埒が明かない」、「元」→「下」、「本意」→「本位」、「例え」→「たとえ」 訂正しました



「ば、馬鹿な……」

 

 ブレインはあまりの衝撃に気が遠くなりつつも、刀での斬撃を幾重にも繰り出す。

 

 だが、常人ならば剣を振るった事に気づくことすら出来ず、達人でさえ反応することは困難であろうその卓越した剣閃を、目の前にいる白銀の鎧の人物は手にした剣と盾で事もなげにすべて弾いていた。

 

 その光景は、まさに悪夢の中にいるようだった。

 

 

 かつて不覚を取ったガゼフ・ストロノーフを倒すために必死で磨いてきた剣技。

 強さを追い求めたどり着いた、遠い砂漠の街で作られるという刀。

 表の栄光に背を向け、野盗の用心棒にまで身を落としてでも、人を切る経験を積んできた。他の人生の楽しみなどいらなかった。すべての金をを自分の強さを増すための装備に費やし、全ての時間を強さを増すための鍛錬にあててきた。

 

 

 自分は強くなった。

 あの時の井の中の蛙だったころの自分とは違う。

 

 今の自分に敵はいない。

 今の自分であればガゼフ・ストロノーフすら切ってみせる。

 

 そう思いつつも、決して慢心せずに、ずっと修練を続けてきた。

 

 

 それが……。

 

 

 ブレインは大きく飛びのき、一度距離をとった。

 白銀の鎧はそれを追撃しなかった。

 それどころか剣を下げ、その場に自然体で立ちつくした。

 

 刀を鞘に戻し、膝を曲げ、身を低くした姿勢で動きを止める。

 武器をしまったからといって、戦闘をやめたわけではない。

 これこそ、ブレインが編み出した必殺の剣技の一つ。

 抜刀と同時に高速かつ精密な一撃を叩きこむ、彼オリジナルの武技を組み合わせたまさに必殺の攻撃。

 

 だが、「なぁ、君……」と話しながら無造作に間合いへと踏み込んできたその男――正体は分からないが、声からして男と思われる――には、雲耀の速さで繰り出された一閃すら、「おっと」と軽く声をあげさせただけにとどまり、容易くその剣の腹で受け止められてしまった。

 

 自分は万全の構えから攻撃を仕掛けたのに対して、向こうはただ闘う気もなく武器を下ろした状態だった。

 それなのに、こちらが攻撃したのを見てから防御が間に合ったのだ。

 

 

 自分の出しうる最高の速さの剣閃すら、こいつにとって子供だましでしかないというのか……。

 

 ブレインは足元から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えていた。

 

 

 ブレインの攻撃を容易く防ぎ続ける鎧の男。

 今まで攻勢に移ったことは無いものの、決して秀でているのは防御だけで、攻撃に関しては劣っているという訳でもあるまい。

 

 

 しかし、その男は力の差をまざまざと見せながらも、逆に攻撃を仕掛けようとはせずに、当惑したような空気を漂わせていた。

 

「いや、君。ちょっと待ってくれないかな。私は君と戦う気はないのだがね」

 

 先程から、何度も口にした言葉を再度発する。

 

 

 だが、ブレインは止まらない。

 止まることが出来ない。

 剣の道、己の強さを高める事だけにすべてを注いできたブレインにとって、その全てが目の前の男には通用しないという事実と向き合うことは出来なかった。

 効かないと分かっていても、攻撃をやめることが出来なかった。

 これまでの自分の全てを否定されたくないという、子供がいやいやして頭を振るような、そんな現実逃避でしかなかった。

 

 

 このままでは(らち)が明かないと考えた鎧の男は、剣を握り直すとわずかに腰を落として構えた。

 

 再び振るわれたブレインの一閃。

 それを先程と同様に剣で受ける。

 

 ――と同時に、その刃先に沿って剣を滑らせた。

 

 金属のこすれる音、そして、互いに極限まで研ぎ澄まされた剣先が火花を発した。

 瞬きの間すらなく、互いの剣が鍔元まで交差し――鎧の男の籠手に包まれた指、その第一関節が刀を握るブレインの指を上下から挟み込んだ。

 ブレインは慌てて引きはがそうとするが、その指はまるで万力にでも挟まれたかの如くビクともしない。

 更には、次の瞬間、男の装甲靴(サバトン)がブレインの踏み込んだ足を上から押さえつけた。

 

 片方ずつながら、手と足を押さえつけられ身動きが取れなくなる。

 

 つばぜり合いの間合いにある、鏡のようにくすみ(・・・)一つないフルヘルム。

 この距離にあってなお、その奥にあるはずの瞳すら見出すことが出来ない。

 

 ほんのわずか前には、この世に恐れるものなど居ないと思っていたブレインの顔に恐怖の色が浮かんだ。

 

 

 鎧の男はその顔色を見て、ことさら安心させるように穏やかに話しかけた。

 

「落ち着いてくれないか。君はブレイン・アングラウス君ではないかな? ええと、君はリグリットは知っているはずだね。私は彼女の友人だよ。私は……そうだな。ツアーとでも呼んでくれないかな?」

 

 会話の中に出てきた名前に、ブレインの心臓がドクンとはねた。

 

 リグリット。

 

 ガゼフを除けば唯一ブレインが引き分けた相手である。いや、痛み分けという形に終わったが、向こうが追撃を止めたからというほうが正しい。剣技だけに限って言うなら自分の方が上であったと言えるだろうが、剣技のみではなく死霊術を基本とした魔法の数々は実に恐ろしかった。最終的に、向こうが退いたため決着はつかなかったという形だったが、あのまま戦っていれば、敗北したのは自分の方だったろう。

 

 あの老婆と知り合いだという、この白銀の鎧の男は何者なのだろう?

 偶々、自分が身を寄せていた傭兵団「死を撒く剣団」から一人離れ剣の練習をしていた際、この白銀の鎧に身を包んだ男を見かけた。かなりの強敵と見たため修行もかねて戦いを挑んだのだが、この男は――強いなどというレベルをかけ離れている。

 

「いったい、お前は何者なんだ……?」

 

 呆然とつぶやいたブレインの言葉に、ツアーは安堵の声を発した。

 

「ようやく話を聞いてくれる気になったようだね。あらためて言うが私の事はツアーと呼んでくれ。今日、私がここを通りかかったのは、何も君やその所属している組織と敵対するつもりではなくてね……」

 

 

 そこまで話しかけた折、空から音を立てて降りてきた影があった。

 それも2つ。

 

 突然の闖入者に2人が目を丸くしていると、その浅黒い肌に肩で切りそろえた金髪を揺らしながら、2人の姿を何度もきょろきょろと見回していたダークエルフは一人大きくうなづいた。

 

 そして、「あなたがブレインでしょ」と、びしっと指をさした。

 

 白銀の鎧に身を包んだツアーの事を。

 

 

 何とも言えない空気が漂う。

 

 一緒に現れた同じダークエルフの少女は「え? お姉ちゃん、なんで分かるの?」と驚きの声をあげた。

 言われた、少年風の格好だが実は姉らしい少女は、ふふんと自慢げに鼻を鳴らした。

「それはね。あいつらが言ってたでしょ、ブレインってのは自分たちより強いって。そっちの青い髪のおっさんはあの野盗連中と大して違わない程度の強さしかないけど、こっちの鎧は結構な強さを持ってるじゃない。わざわざ強いっていうくらいだから、2人いるうち、強い方がブレインって事は簡単に分かるわ」

 

 そう言って、将来性はあるかもしれないが、現状はとても薄い胸を張った。

 

 その分析とすら言えないような推理、というか当てずっぽうなレベルの決めつけを聞いて、魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしい妹は困ったような笑いを浮かべた。

 

 自信満々な少女の姿に、ツアーは気の毒そうに声をかける。

 

「えーと、すまないんだが。私はツアーと言ってね。ブレインというのはあちらの男性の方なのだが……」

 

 言われたアウラはその片方ずつ違う色の瞳を、今現在、混乱の極みにある男の顔へと向けた。

 

 時が止まったように、言葉を発する者もない。

 

 

「あー、もう。そんなのどうでもいいの! 二人とも捕まえるんだから!」

 アウラはがぁーっと声をあげた。おそらく気恥ずかしさからだろう。

 

「ん? 両方とも捕まえちゃうの?」

「うん。もともといなくなっても身元を洗われる心配がないような野盗で、出来るだけ強い奴を捕まえてこいって命令だったし。それにブレインってヤツじゃなくても、この鎧のが強そうなのは分かるでしょ。なら、こいつも捕まえちゃえばいいじゃない」

 

 そう言ってアウラはふっと、その吐息をツアーに吹きかける。

 

 吹きかけられたツアーは驚いて飛びのいた。

 

 現在のツアーは、遥か遠隔地から空っぽの鎧を動かしている状態のため、精神的な攻撃は効きはしない。

 今、少女が何をしようとしたのかは正確には分からなかった。

 だが、なんらかの攻撃を仕掛けてきたのは確かのようだ。

 剣と盾を構え、ダークエルフの少女の一挙手一投足に全神経を傾ける。

 

 自分の攻撃が効かなかったことを悔しがるでもなく、むしろ面白そうにアウラは口をゆがめ笑った。

 

 これまで相手にした野盗連中は、自分の吐息一つ抵抗できないような有様だった。

 だが、このツアーという人物はそれに抵抗したうえで、なおかつとっさの動きが出来る相手だ。

 

 アウラには、シャルティアやデミウルゴスらとは違い、弱者をいたぶって楽しむ趣味はない。

 アインズから与えられた任務こそ至上であり、強敵と相対するのはその任務に対する障害の排除のためであるとはいえ、ようやく少しばかり骨のある相手に出会えたのだ。

 アウラの小さな胸に心躍るものがあった。

 

 

「行くよ、マーレ!」

 

 口にすると同時、どこから出したのか、その手には銀の輝きを放つ鞭が握られていた。

 それはアウラの頭上でゆるりと一回りしたかと思うと、次の瞬間、ツアーめがけて雷光のように襲い掛かった。

 

 だが、ツアーもさるもの。

 その常人では分かっていても反応しきれないような攻撃を、しっかと盾で受け止めた。

 

 しかし、アウラの攻撃はそこで止まらない。

 手元のわずかな動きにより、振り払われた鞭は持ち主の下へ戻らず、そのまま幾重にも絡みつく蛇のように打撃が繰り出される。

 

 ツアーは当初、それらを盾で防いでいたものの、機を見て体を回転させて放った一撃でそれを迎え撃った。

 わずかな刹那ながら、鞭の先がアウラの制御を離れ、大きく揺らぐ。

 

 その隙を見逃さず、ツアーは低い体勢のまま踏み込む。

 

 アウラははじかれた鞭を無理に戻さず、流れを利用して宙で回転させ、再度、白銀の身体を襲わせた。

 

 瞬間、ツアーは地を蹴った。

 元から低い姿勢のツアーを狙った一閃。それを虎の様に跳躍し躱すと同時に、一息にアウラに飛びかかる。

 

 だが、どういう(ことわり)を使用したものか、およそアウラまで2メートルほどかという空中で、その白銀の身体は何か見えないもの足場にしたようにその軌道を変えた。

 ツアーの襲撃に反応し、マーレが魔法を使用したためだ。

 

 マーレが前へとかざした手の先で空間がゆがむ。

 その水面の波紋のような揺らぎから、植物の棘のような形状のものが機関銃のように次々と打ち出される。

 その連弾が、つい一瞬前までツアーがいた空間を切り裂いた。

 

 ツアーが着地すると同時に、その足元から濃緑色のツタが幾本も現れ、その身に絡みつこうとする。

 それに対してツアーがした行動は、その足を強く踏み込むことだった。

 瞬間、踏みしめた場所から衝撃波のようなものが発生する。

 何らかの魔法的な効果があったのだろう、その衝撃波に触れたツタは溶けるように消えていった。

 

 マーレは前へとかざした手を動かし、いまだ硬直時間にあるツアーへと再度、棘の連射を放った。あまりの連射速度に電気のこぎりのような音を立てる魔法の連射がツアーを襲う。

 ツアーはその一陣を盾ではじくと、再度飛びのいて距離をとった。

 

 アウラは鞭を手元に戻す。マーレも姉をフォローするため、その斜め後ろへと位置する。

 ツアーも飛びのいた姿勢から身を起こし、その剣と盾を構え直した。

 

 

 緊迫する空気。

 アウラは久方ぶりに味わう、このひりひりとした空気に笑みをこぼした。

 互いに生命をかけて戦っている。

 こんな感覚を味わうのは、本当に久しぶりだ。

 自分の生命をかけてまで、至高なるアインズより与えられた任務を達成するのは、まさに格別の心地だろう。

 

 アウラは、この素晴らしい獲物をどう仕留めようか、心の内で舌なめずりしていた。

 

 だから、その時聞こえたマーレの「あ……」という声に呆気にとられた。

 

 

「ん?」

 

 間の抜けた声を発し、振り向く。

 手にした鞭の柄を少し上にあげた。

 

 その柄の先に、ブレインの放った刀の一閃がトンと当たった。

 

 

 

 何とも言えないような困惑した瞳がブレインを捉えた。

 

 ブレインはその視線を受けているのを知ってか知らずか、気合のこもった声と共に、何度も何度も刀を振るう。

 

 それらの全てを、先程と同様に鞭の柄、アウラの握りから数センチも出ていない部分で受け止める。

 刀という金属の塊がぶつかっているのに音も立てない。それはアウラがぶつかる瞬間、鞭の柄を少し引き、そっとその力を消して優しく受け止めているからだ。

 

 

「あのさぁ……」

 やがて、アウラが呆れたような声を出した。

 

「悪いんだけど、邪魔だからどっか行っててくれない? あたし、あいつみたいに弱いの相手にする趣味とか無いの」

 

「よ、弱い……。俺は……弱いのか」

 

 ブレインは心ここにあらずといった感じで呆然とつぶやいた。

 分かってはいた。

 分かってはいたが、それを認めることが出来なかったが故の攻撃だった。

 

 

「うん、そうだよ。どう見ても弱いじゃん。まあ、人間だから仕方ないけどね」

「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん。かわいそうだよー」

 

 マーレの慰めるような声に、ブレインの心はさらに切り刻まれる。

 

 

 ガッ。

 ブレインは膝をついた。

 眩暈と共に訪れる、自分の身体が自分のものでないような浮遊感。心のよりどころを完膚なきまで破壊され、すでにその足は自分の体重すらも支え切れなかった。

 

 そんなブレインにアウラは見向きもしなかった。

 アウラは弱者をいたぶる趣味はないが、かと言って優しく相手するほどの関心もない。

 むしろ、これでようやくツアーとの戦いを邪魔する者がいなくなったと満足げに息を吐いた。

 

 

 

「ん? 新手?」

 

 その時、アウラの知覚が近づいてくる者達をとらえた。

 その数、およそ10名程度。

 

 ツアーも気づいたらしく、首をそちらに巡らせる。

 

 

 やがて、森の陰から幾人もの人影が現れた。

 

 それは奇妙な集団だった。

 全員が全員、バラバラの装備。それらは実用本位ではなく不思議な形状をしており、アウラの眼から見てもかなりの力を保有する武装のようだった。

 

 現れた一団もまた、アウラにマーレ、そしてツアーの姿を見て、驚愕に目を見開いた。

 まさか彼らも、この地で他の誰かに遭遇することなど想像だに出来なかったのだろう。

 いったい何者なのかと警戒の視線を向けながら、戦闘陣形を整えた。

 

 アウラは警戒の視線を、そっとツアーに回した。

 この一団がツアーの仲間であるかと思ったためだ。

 

 だがツアーにしても、彼らがこのダークエルフの2人と関係があるのか測りかねていた。

 

 

 3者とも互いの素性をわかりかね、その姿を警戒するばかりで、行動に移しあぐねていた。

 

 

 その空気を破ったのは、この中で最も長く生き、この地の知識に溢れているツアーだった。

 

「ふむ。君たちは法国の……たしか、漆黒聖典の者達だったかな? 何か用なのかね?」

 

 その声に一団を率いていたリーダー格、大地に届くかというほど長い黒髪を垂らした男は、その身を包む装備に見合わぬ粗末な槍を振りかざし、配下の漆黒聖典たちに攻撃を指示した。

 

 自分たち、漆黒聖典は法国の中でも厳重に秘匿されており、名前だけならまだしも、その姿を知る者はまずいない。

 それなのに、この白銀の鎧を着た人物は自分たちの素性を目視しただけで見抜いた。

 何者かは知らないが、このまま放っておくわけにもいくまい。

 たとえ敵ではなかったとしても、自分たちの事を知ってしまったこのダークエルフの少年少女も生かして返すわけにはいかなくなった。

 

 裸身をさらし大斧を手にした大男と、奇怪な節のある大剣を手にした青い鎧の男が、それぞれアウラとマーレ、そしてツアーに迫る。

 

 

 裂帛(れっぱく)の気合と共に、その大斧が振り下ろされる。

 だが、常人ならば防御も回避も不可能の一撃も、アウラからすれば止まっているも同然だった。ひょいっと飛びのきざま、腹部に回し蹴りを放つ。

 2メートルはゆうに超えるその巨体が、まるでゴムボールの様に蹴り飛ばされた。「ぬわあぁぁ!」という叫び声とともに宙を舞うその巨体が、後ろで魔法を唱えようとしていたローブの男や眼鏡をかけた女を巻き込み地を転げた。

 

 軽装の服を身をまとい刺突武器を手にした者が、さっと他の者の影を縫うように駆け抜け、アウラに肉薄しようとする。

 だが、それをマーレは見逃さなかった。

 素早く呪文を唱え杖を向ける。その者の足元が一瞬揺れたかと思うと、大地から幾多の石飛礫(いしつぶて)が上へと飛び出した。

 その姿を目立たせないよう地を這うかのごとく身を低くしていた所を、下からの攻撃が襲ったのだ。躱す暇もなく全身へしたたかに飛礫を受け、打ちのめされたその体は、うめき声をあげて大地に伏した。 

 

 そうしている間に、ツアーも襲ってきた男の攻撃を受け流し、剣で斬ることなくその柄で殴り倒したようだ。

 

 アウラの鞭が両手に盾を持った男に迫る。

 男は両の盾をしっかりと構え、その攻撃を受け止めようとした。だが、その鞭の一撃は男の予想をはるかに超えていた。それはあまりにも重かった。男は驚愕の表情を浮かべたまま、背後に吹き飛ばされ、勢いよく木へと叩きつけられ、そのまま崩れ落ちた。

 

 次に鞭の餌食となったのは、先ほど指示を出した髪の長い隊長格の男だった。

 だが、男は飛来した鞭の先を、手にした槍で力を込めて叩きつける事で防いだ。それでも、完全には力を消しきれず、その身が宙に浮き、たたらを踏んで後ずさった。

 

 自分の攻撃を受け踏みとどまったのは、すぐそこにいるツアーという鎧の男に続いて二人目だ。アウラは「へぇ」と感嘆の声を漏らした。

 

 

 しかし、その称賛の混じった声に対し、隊長は苦虫をかみつぶしたような表情で返す。

 

 そして、「使え!」と彼らの持つ切り札を切る判断を下した。

 

 

 今まで陣形の中央、最も安全な場所に控えていた老婆が口を開く。

「して、誰に?」

 

 

 問われた隊長は素早く視線を巡らせる。

 

 

 標的となる対象は3人。

 白銀の鎧の男。

 鞭を使うダークエルフの少年。

 魔法を使うダークエルフの少女。

 

 もう一人、膝をついている青髪の男もいるが、そちらは対象に含めなくともよい。

 

 

 迷いは一瞬。

 

 「その鞭を使うダークエルフだ」

 

 先程のわずかな攻防から、アウラこそが3人の中で最も危険な存在だと判断した。

 

 

 瞬間。

 アウラの背筋に冷たいものが走った。それは決して冷えた汗などではない。その身の警戒を示す鐘が鳴ったのだ。

 

 とっさに鞭を振り払う。

 狙いは当然、その老婆。

 

 だが、とっさだったが故に力のこもらない一撃は、再び隊長の槍によって叩き落とされた。

 

 老婆の白銀の衣服が光る。

 模様として描かれた天へと昇る黄金の竜が光を放ち、まるで生きているかのように服から這いでる。

 そしてぶるりと身を震わせると、ほとばしる稲妻の様にアウラに向かって飛びかかった。

 

 アウラの視界一杯を、白い光が覆う。

 

 

 

 その瞬間――。

 

 

 ――まったく、緊張感のない声が響いた。

 

「ほう。あなた、見たところ、中々の腕の持ち主のようですね。どうです? 私の部下になりませんか?」

 

 アウラの背にあるリュックサックから、ぴょいとエクレアが飛び出し、その前へと着地する。

 

 

 

「……あ……」

「……あ……」

「……あ……」

 

 

 

 その場にいる者たちが唖然とする中、音を立てて飛来した竜が、よりにもよってアウラの手前へと飛び降りたエクレアにぶち当たる。

 

 

「ぎゃああぁぁぁぁ!」

 

 まるで雷に打たれたように身体をけいれんさせ、くるりとその場で体を回転させると、エクレアはぽてりと地面にひっくり返った。

 

 

 その姿を見たマーレはとっさに魔法を放った。

 エクレアはナザリックを支配するなどという妄言を日常的に放ち腹の立つ相手であったが、それでもナザリックの仲間の一人だ。その仲間を、どのような手段でかは知らないが、なんらかの危害を加えたことは許せなかった。

 

「〈範囲拡大(ワイデンマジック)二重最強化(ツインマキシマイズ)獄炎の森林(ヘルファイヤーフォレスト)〉!」

 

 瞬間、視界の悪い森の中ながら見渡す限りの範囲を、突然に大地から数え切れないほどの蔦が絡み合う蛇のように這いあがり埋め尽くした。

 その場にいた、行動阻害耐性を持っていない者たちすべてに緑の蔦が絡みつく。

 だが、これはこの魔法の第一段階。

 ここから、次の段階へと移るのだが……。

 

「ちょ、ちょっと、マーレ! アンタ、何やってんのよ!」

 慌てたアウラの声が響いた。

 

「え? ……あっ!?」

 一瞬、その声に呆けたものの、すぐにマーレは自分がした事を理解した。

 もはや発動してしまった魔法に、マーレは「どうしよう……」と辺りを見回した。

 

 

 〈獄炎の森林(ヘルファイヤーフォレスト)

 

 第10位階魔法の一つであり、自分を中心とした広範囲に行動阻害効果のある蔦を生やし、さらに火炎系の持続ダメージを与え続けるという魔法である。

 

 そう、『自分を中心(・・・・・)とした広範囲』である。

 

 かつてユグドラシル時代はフレンドリィ・ファイアというものは存在しなかった。

 その為、戦闘の際には周囲を気にせずこの魔法を使用して、相手の足止め+ダメージを与えながら戦うというのが、マーレの戦闘時における行動の一つとしてAIに組み込まれていた。

 その為、本気で戦おうとした今、通常のセオリーとして何の気なしにこの魔法を使ってしまった。

 だが、よくよく(フレンドリィ・ファイアありの)考えてみると(世界法則に沿うと)、この魔法を使えば自分を含めた味方まですべて効果範囲に巻き込んでしまうのだ。

 

 このままでは自分も姉も、そしてエクレアもすべて巻き込んでしまう。

 かと言って、すでに発動してしまった魔法をなかったことには出来ない。

 

 マーレはただオロオロとするばかりであった。

 

 

 そんな弟を目にし、アウラはとっさに動いた。

 即座にマーレの襟首をつかみ、倒れたエクレアの首根っこをひっつかむと、すぐさまこの場を離脱する。

 

 アウラ、マーレとも行動阻害の耐性があるため、絡みついてくる蔦もすり抜けられるのだが、そんなものはないエクレアの身体がいちいち絡みつかれては引っ張られ、動きにくいことこの上ない。だが、それはとにかく力で引っ張って何とかする。

 

 逃げ出す途中、ただ茫然と地に膝をついているブレインが目の端に映った。

 しかし、あいにく自分の両手はマーレとエクレアでふさがっている。

 わざわざ捕まえにここまでやって来たものの、この状況下で何とかするのはさすがに手がかかるため、捕獲は諦めることにした。

 

 

 やがて周囲の全てを飲み込んだ蔦は、更に成長を続けた。

 その身はパンパンに膨れ上がり、今にも破裂しそうなほどに。

 それでもその身はさらに膨れ上がり、押さえつける外皮が音を立てて裂け、内側から葉肉と樹液が外へと弾け飛ぶ。

 そして、その外気に触れた身や液体が発火し燃え上がった。

 

 

 周辺一帯は、瞬く間にすべて焦熱地獄と化した。

 

 

 絡みつく蔦に全身を覆われたまま逃げることすら出来ずに、その場にいた者は皆、その炎に焼かれていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 周りがすべて赤く燃えていく中、ブレインは身じろぎもせず、ただ(たたず)んでいた。

 

 今のブレインにとって、周りの炎も、聞こえてくる断末魔も些細なことでしかなかった。

 

 ブレインは絶望していた。

 かつて、王国の御前試合でガゼフに負けたときの事など比べ物にもならなかった。

 

 あの時、自分は挫折を味わった。

 自分こそが最強と無邪気に信じていたのに、その自分の鼻っ柱をへし折る者の存在に初めて出会ったのだ。

 それから一月あまり呆然自失とした後、それでもブレインは最強を目指して立ち上がった。

 あの時のガゼフを超えるという思いだけを支えに。

 

 

 だが――。

 

 

 だが、今日ここで会った者達とは、次元が違うという言葉すら生ぬるいほどの隔たりがあった。

 

 あの白銀の鎧を着たツアーという男。

 ダークエルフの子供たち。

 法国の漆黒聖典とやらの者達。

 

 いったい、自分がたどり着いたはずの最強とはどの程度のものだったのか。

 自分が求め、手に入れたはずの力は、彼らにとっては子供の御遊戯ほどですらなかった。風の前に塵に過ぎなかった。

 

 血を吐き、泥水の中を這いまわり、自分の全てを強さを得るために費やしてきたものは、所詮、人外の力の前には蚊ほどの力すらなかった。

 まさに蟷螂の斧で隆車どころか、ドラゴンに立ち向かうようなものだった。

 

 ふいに、自分を取り巻くすべてが波打ち、大地すら歪むような感覚にとらわれた。

 もはや倒れぬように踏ん張る力さえ、その鍛え上げられたはずの身体には無かった。

 

 ブレインの肉体が地に転がる。

 焼けた大地は熱を持ち、もはや痛みすら感じない体に心地よい暖かさを伝えてきた。

 

「はぁ」

 小さな息を吐いた。

 

 そして、強さを追い求める者達にとってガゼフ・ストロノーフと並び称された男――ブレイン・アングラウスは、誰にも看取られぬまま、本当の強さに手をかけることすら出来ずに、その生を終えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、魔法の効果範囲外まで逃げ出したアウラとマーレは疲れ切った様子で、その身を草の上に投げ出していた。

 

 しばらくそうして息を整えた後、そう言えばエクレアはどうしたのかと目をやると、相変わらず気を失っていた。

 そこでポーションをかけてやると、ぱちぱちと瞬きして気がついたようだった。

 

 エクレアは目の開け閉めが出来るということをその時、初めてアウラは知った。

 

 

 だが、エクレアはその場に立ち上がると――ただその場で立ち尽くした。

 

 

 これにはアウラもマーレも首を傾げた。

 このペンギンはとにかく暇があれば、自分がナザリックを支配するだの、自分の配下になれだの、自分ではろくに歩けないくせに他人に運べだのと喚く、とてもウザい存在だったが、こうしてただ突っ立っているだけというのは実に奇妙だった。

 

 見かねたアウラが、「どうしたの?」と声をかけてみるが何の反応もない。

 

 

 その額を指先でぐりぐりしてみると――。

 

 ――突然、奇怪な叫びをあげてアウラに襲い掛かった。

 

 

 困ったような視線を向ける双子の前で、エクレアはそのペンギンの翼でアウラの向う脛をぺチぺちと叩く。

 正直、1レベルバードマンな上に戦闘能力もないエクレアの攻撃など、痛くもかゆくもないのだが、こうして攻撃されるのは鬱陶しいことこの上ない。

 

 ひょいっと首をつまみ上げると、空中で届かない手足をばたばたとさせている。

 

 困り果てた二人は、とりあえずこれ(・・)を持ってナザリックへと帰り、アインズの判断を仰ぐことにした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「――という訳なんです」

 

 アウラの説明を聞き、アインズとベルは大きく息を吐いた。

 

「事情は分かったが……どうしたもんかなぁ」

 

 つぶやく視線の先には、マーレに首すじを掴まれ、もう疲れたのか、ぐったりとしているイワトビペンギンの姿があった。

 

 




獄炎の森林(ヘルファイヤーフォレスト)〉 ――捏造魔法です。

 原作ではフレンドリィ・ファイアの解禁は、ただそうなっているんだくらいでしたが、あれって実は戦闘スタイルを大幅に見直さなきゃいけないほどの大問題な気がします。
 特に範囲攻撃が得意なマーレにとって、単独行動ならいいですが、チームプレイなどはかなり困難になる気が。


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第25話 決意

2016/7/27 「復活にかかかる費用」→「復活にかかる費用」 訂正しました
2016/10/7 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2016/12/10 「例え」→「たとえ」 訂正しました


 ナザリック第10階層。玉座の間。

 

 

 今、そこには微妙な空気が流れていた。

 

 

 勢ぞろいした階層守護者たち。並びに守護者統括アルベド。

 支配者であるアインズにベル。

 そして、目下、困惑の種であるエクレア。

 

 

 

「確かに『離反』している状態のようだな」

 

 玉座の間のマスターソースを開いてみたところ、なんらかの手段によってNPCが敵対した時に起こるように、リストの名前がエクレアのところだけ黒くなっていた。

 

 しかし――。

 

 

 そこで、そもそもの疑問をベルは口にした。

 

「いや、……べつに離反状態になろうがいいんだけどさ。じゃあ、さっさと治してしまえばいいんじゃないの?」

 

 それはしごくまっとうな意見だ。

 

 確かにエクレアが何らかの外的要因でナザリックに反逆している状態になったのは事実だろう。

 だが、そんなものは、そういう報告さえ上げればいいだけの話だ。

 

 エクレアは1レベルキャラであり、ましてや戦闘することなど想定していないため、まともに武装すらしていない。

 はっきり言って、どんな魔法だろうが特殊能力(スキル)だろうが、効いて当然なのである。

 なら、さっさと回復してしまえばいいだけの話でしかない。

 いちいち離反した状態なのを、自分たちの目の前までひっぱり出してきて見せる必要などないのだ。

 

 なぜ、わざわざこうして玉座の間に皆を集めてまで報告する必要があるのだろうか?

 

 

 そんなベルの疑問に、アルベドがその美しい顔を困惑の色で曇らせ答えた。

 

「それが……治そうと思いエクレアをペストーニャのところに持っていったのですが、いかなる手段を使用してもこの状態が治らないのです」

「「え?」」

 

 アインズ、ベル共に思わず声を出してしまった。

 

 メイド長のペストーニャは、およそナザリックの中で、回復魔法の使い手としては随一である。

 ナザリックの者達はアンデッドも多いため、通常の回復魔法が使える者、並びに回復魔法が効く者も少ないのではあるが、とにかくもっとも回復というジャンルに長けた存在であることは言に及ばない。

 

 そのペストーニャの考えうる限りの魔法、治療等を駆使しても治らないというのだ。

 

 いったい、どのような効果がエクレアを襲っているのだろう?

 

《ベルさん、どう思います?》

《うーん。とりあえず、考えつくのはこの世界オリジナルの魔法……ですかね。ああ、そうだ。タレントという事も考えられますか。あれも、この世界特有ですし。さすがに武技は無いでしょうしね。武技とやらの全容がまだイマイチ分かりませんが》

《そうですねえ》

 

 アインズが「おそらくは……」と前置きし、今、ベルと〈伝言(メッセージ)〉で話した新たな魔法やタレント等の可能性を口にした。

 守護者たちは「おお……」、「ナルホド」、「さすが、アインズ様」と口々に感嘆の声をあげる。

 

 

《竜が飛ぶ前に老婆の服が光ったって言いますから、マジックアイテムという線も捨てがたいですが……。ともかく現物を見ないことには判別できませんね》

《調べに行かせますか? もしマジックアイテムならば、マーレの魔法の後でも焼け残っているでしょうし》

《ええ。そうしましょう。ですが、とりあえずはまずエクレアの方を何とかしないと》

 

 

 そうだ。

 現状は分かったものの、とりあえず今重要なのはこのエクレアをどうするかという事だ。

 

 ふぅむと唸りながら、顎を撫でるアインズの眼に入るのは、その右手人差し指にはまった指輪。

 特に飾りもないシンプルな物だが、その指輪には青い宝石が流れ星の様に3つ刻まれている。

 

 

 〈流れ星の指輪(シューティング・スター)

 

 使用した際、様々な効果を選べる汎用性の高い超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を本来必要な経験値消費無しに使用できるという破格のアイテムである。

 

 そう、超位魔法である〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使えば、エクレアにかけられている状態異常が、たとえどんな手段によるものであろうと治るはずだ。

 

 だが――。

 

「エクレアに使うのか……」

 アインズは思わずつぶやいた。

 

 ぶっちゃけた話――もったいなかった。

 

 

 この〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を手に入れるために、かつて鈴木悟が手にした賞与すべてをつぎ込んだのだ。

 いくらつぎ込んでもつぎ込んでも出る気配がしないガチャ。一回一回はそれほどの金額ではないにしても、何度も繰り返せば、いつの間にやら積もり積もって莫大な金額になる。

 目の前で自分の年2回出る賞与、給与1.5か月分が瞬く間に溶けていった。

 まるで際限なく続くような落下感。その背筋に粘着し、まとわりつくように怖気。

 思わず口元には笑いがこびりついていた。そのアインズの様子に、その時傍にいた他のギルメンたちも言葉をなくしていた。DMMO-RPG内だったからいいものの、ログアウトした後、ヘッドギアを外しリアルの姿を見たら、口からはよだれが垂れ、目元から頬や鼻筋辺りは流した涙がたまり、着ていたシャツの襟首までぐっしょりと濡れていて、ひどい状態だったのを憶えている。失禁していないのが奇跡だったと思うような有様だった。

 最後の最後で出たからいいものの、もしあれで出なければ数日は廃人のように床にひっくり返ったままだったろう。

 

 

 そんな思いまでして手に入れた〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を……。

 

 

 もし仮に、これが他の者、例えば守護者たちだったとするならば、何の躊躇もせず――いや、さすがにちょっとは躊躇するかもしれないが――使用していただろう。

 ナザリックの戦力として決して欠かすことのできない者であるのだから。

 

 だが、今回の相手はエクレアである。

 即座には決断できなかった。

 

 もちろん、エクレアもまたアインズ・ウール・ゴウンのギルメンが作ってくれた大切なNPCである。けっして(ないがし)ろにしていい訳ではない。何とかしなければならない。

 

 だが、ナザリックがまったく見知らぬ異世界で活動していくうえで、まだまだ不測の事態が起こるかもしれないという状況下において、数えるほどしか切れないこの万能のカードを、実際戦力にもならないエクレアに使用してしまっていいものか。

 

 この、ナザリックを支配するとか喚く、ある意味癒し系ウザキャラのために。

 

 アインズは頭を悩ませた。

 

 

 

 その場にいる守護者たちも、妙案が思い浮かばず、玉座の間は沈鬱な空気に包まれていた。

 

 

 だが、その空気はベルが放った一言で吹き飛ばされた。

 

「いっそ、殺してしまったら?」

 

 

 あっけらかんとした口調に、その場にいたもの全てが絶句した。

 

 たしかにエクレアはナザリックの者達に(こころよ)く思われてはいなかった。むしろ腹立たしく感じていた者も多い。

 だが、かと言って殺してしまうというのは、冗談でならともかく、本当に行おうとする者はいなかった。

 なにせエクレアは、ギルドメンバーの一人餡ころもっちもちが手ずから創り上げた存在なのだ。

 常に口にする、自分がナザリックを支配するという台詞も、そうあれとして生み出されたため。そこには自分たちが想像だに出来ぬ理由があるからなのだという事は容易に推測出来た。

 そんなエクレアを消すというのは、至高の御方をも否定する行為となる。ナザリックに属する者にとって禁忌と言ってもいい。

 

 

 張り詰めた沈黙を破ったのはアルベドだった。

 

「確かにベル様のおっしゃられた方法は良い案かもしれません」

「あ、アルベド……それはさすがに」

「いいえ、シャルティア。これはしごくまっとうな事よ。落ち着いて考えなさい。今、エクレアはナザリックに反旗を翻している状態。この偉大なるアインズ様の支配するナザリックにね。そんな者を放置しているのが正しい状態だと言える?」

 

 その言葉に二の句が継げなかった。

 

 確かにアルベドのいう事は正しい。

 

 自分たちが最も優先すべきは、最後に残った至高の41人でありギルドマスターであるアインズ、ひいてはそのアインズが支配するナザリックを守る事である。

 このナザリックに属する者達は、その為にこそ存在しているのであり、その為にはすべてを捧げねばならない。

 

 そう、自らの生命も含めて。

 

 そして、それには当然、エクレアも含まれている。 

 

 今現在、エクレアは反逆状態に陥り、その治療法は分からぬまま。

 更にはそのことで、アインズの頭を悩ませる事態を引き起こしている。

 ナザリックに属する者として、この状況を放置しておくことは出来ない。

 

 それこそ、エクレアを殺してでも。

 

 

 その場にいた守護者たちの目に決意の色が浮かんだ。

 後は誰が手を下すかという決断だけだった。

 

 

 

 一瞬で室内に張り詰めた殺気に押され、思わずアインズの精神が沈静化を起こす。

 

 誰かがごくりとのどを鳴らす音が静まり返った玉座の間に響いた。

 

 

 その一変した空気を制するように、ことさら呑気な口調でベルが言った。

 

「んー、いや、ちょっと待って。えーと、みんな勘違いしてるかもしれないけど、別に『殺す』ってのは、存在を消してしまうって意味じゃなくってね。一度、エクレアを殺して、その上で生き返らせたらっていうこと」

 

 その答えにアインズはピンとくるものがあった。

 

「ああ、なるほど。この離反状態というのは、エクレア本人の自発的なものではなく、あくまで何らかの手段でもたらされた状態異常。それならば一度、最も強力な状態異常、すなわち『死』で上書きしてしまおうという訳ですね」

「そういう事です。それに幸い、エクレアでしたら復活にかかる費用も少なくて済みますし」

 

 なるほど、道理だ。

 NPCの復活にはそれなりの費用が掛かる。たしか5かけるレベルの4乗の金貨が必要になるんだったか。

 例えば、もし仮に100レベルキャラを復活させようとしたら、5×100×100×100×100でつごう金貨が5億枚かかる計算になる。だが、1レベルのエクレアならば5×1×1×1×1でたった金貨5枚で済む。

 

「まぁ、もし、それで駄目だったら、その時はまた別の方法を考えましょう」

 

 そう言って、ベルは一瞬ちらりとアインズの指に輝く指輪に視線を向けた。

 

 

 それに気づき、アインズは秘かに嘆息した。

 

 ベルも思い当たってはいたのだ。

 〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使い、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使えば、エクレアは治るだろうという事に。

 

 だが、この指輪を手に入れた際のあの一騒ぎはベルも知っている。知っているからこそ、アインズ自身が言い出さない限りは、ベルからは口にしなかったという事だ。

 

 

 こんなにも気を使ってもらっていたのか。

 

 

 この世界に来てから、ベルにはさんざん助けられた。

 アインズ一人だったら、自身の双肩にかかる責任の重圧に押しつぶされていたかもしれない。

 なにせ、自分の判断一つで、このナザリックに生きとし生けるもの全てが死に絶える可能性すらあるのだ。

 

 実際、すでに一度、自分はその重みに耐えきれず投げ出した。

 エ・ランテルで冒険者として自由気ままに生きたいと願った。

 

 その時ベルは、少し考えはしたものの、自分が代わりにナザリックの維持管理に回ることを快く了承してくれた。

 その後も、アインズが冒険者モモンとして名声を高め、正義のヒーローとして活躍している間に、自ら進んでエ・ランテルの裏社会を牛耳るという汚れ仕事を引き受けてくれていた。

 

 

 自分にはこんなにも支えてくれる人がいる。

 

 

 アインズは思わず謝罪したい気持ちになった。

 

 かつて自分は皆がいなくなったナザリックをたった一人で維持し続けてきた。一人、また一人と段々ログインしなくなっていくギルメンたちを恨みに思っていた。

 最終日、久しぶりにやって来たヘロヘロを始めとしたギルメンたちを見て、本当に懐かしく、無理をしてまでやって来てくれた皆の事を嬉しく思った。

 

 だが――。

 

 ――だが、その心の内には、タールのようにどろどろとしたものがあった。

 

 そんなにも気にしているのなら、何故、ログインしなくなったのか。何故、ナザリックを捨てたのか、と。

 笑顔アイコンを表示しながら会話していても、本当の心の内にはそんな思いが巣食っていた。表情が出ないDMMO-RPGであったのは幸いだっただろう。

 

 ベルモットがあの日現れ、見知らぬ表示の事を口にしたとき、心の内でささやくものがあった。魔がさしたと言ってもいい。

 ほんの少し、終わりまで数分だけの意趣返し。

 

 結果、ベルモットは見事に引っ掛かり、現在の少女の姿になった。

 そして、その変わり果てた姿のまま、この転移に巻き込まれたのだ。

 

 本来、もっと恨み言を言ってもいいはずなのだ。だが、ベルは多少冗談めかして口にするだけで、その事を本気で責めようとはしなかった。

 その後も馬鹿な冗談を言い合ったり、困った時には〈伝言(メッセージ)〉でフォローして裏方に回ってくれたりと、自分の支えとなってくれていた。

 

 

 自分は一人ではない。

 

 周りにいる守護者たちを見回す。

 

 誰もが、自分に対して真摯で敬虔な瞳を向けている。

 大切なギルメンたちの作ったNPC(子供)達。

 

 先ほどのエクレアを殺すという話も、彼ら自身の為ではない。すべて自分の為なのだ。彼ら自身にとっても仲間のエクレアを殺すというのは辛い選択だったろう。だが、彼らはこの自分――最後まで残ってくれたアインズの為ならと、その手を汚す決意までしたのだ。

 

 もし、アインズの身体が涙を流せるならば、その両目から溢れ出るものを止めることは出来なかっただろう。

 

 アインズは一人うなづく。

 

 自分はそんな皆の期待に応えよう。

 このナザリックのギルドマスターとして、出来る限りの事はしよう。

 

 

 アインズは万感の思いを込めて、玉座から立ち上がった。

 

「うむ。では、ベルさんの案を採用しよう。執事助手エクレアは一度殺害した後、復活させることとする」

 

 ナザリックの支配者であるアインズの力のこもった宣言。

 

 その場にいた者達は皆、深く頭を下げた。

 

 

 

 アインズの目がマーレと、その手のうちにあるエクレアに向かう。

 

 さて一度殺すという事だが、さすがに守護者たちにそれを命令するのは(はばか)られる。

 うーんと……ここはベルさんに頼むか。また、押し付けてしまう事になるが。

 

 

 だが、アインズの視線を受けたマーレは嬉しそうに微笑んだ。

 

「じゃあ、アインズ様。一度殺害するという事ですから、とりあえず、殺しちゃいますね」

 

 そう言って、止める間もなく、エクレアの首をぽきりとへし折った。

 笑顔のまま、外見だけは可愛らしいペンギンの首をひねる紅顔の男の娘。

 アインズとベルは心の中で(おおう……)とつぶやいた。

 

 確かに同じナザリックのNPCに危害が加えられるのは許せないが、それがアインズの命令であれば全く別だ。それに、これはエクレアを助ける行為にもつながる。

 マーレの心は、アインズの役に立てたという至福の気持ちでいっぱいだった。

 

 そっと丁寧に、マーレはつまんでいたペンギンの死体を玉座の間に続く階段の下へと下ろし、自分は後ろに下がりアウラの横へと並んだ。

 

 

 色々思うところはあったが、とりあえず予定通りではあるため何も言わず、アイテムボックスに手を突っ込み、ユグドラシル金貨五枚を放る。

 

 チャリンと音を立てて転がる金貨。

 

 首を折られたペンギンの死体。その周りに金貨が数枚転がっている光景は怪しげな宗教儀式を想像させた。

 

 

「では、エクレアの復活を行うか」

 

 微妙に気はそがれたが、あらためて宣言をする。

 ベルにはリストに書かれた名前の変化を確認するように頼み、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に、儀式を開始した。

 

 視線の先で五枚の金貨がまるで炙られたバターのように溶けると、金色の液体が一カ所に集まり、光を放った。白い光は何もない空間を膨れ上がり、ペンギンの姿を形作る。同時に、転がっていたエクレアの死体も同様の光に包まれ消えてしまった。おそらく死体の有無は、NPCの復活には関係ないのであろう。

 一瞬、その姿がまばゆい光を放った。

 次の瞬間、玉座の間に漂っていた寒気にも似た峻厳な空気は雲散霧消し、そこにはただ横たわるペンギンがいるだけだった。

 

 

 やがてエクレアはむくりと半身を起こし、プルプルと頭を振った。

 そして、自分が玉座の間におり、皆に囲まれていることに目をぱちくりとさせた。

 

 アインズはそっと、リストに目をやっていたベルに視線を向ける。ベルはこくりとうなづいた。

 

「おや、皆様方、おそろいでどうされました?」

「エクレアよ。お前はどこまで記憶を残している?」

 

 アインズの問いに首をひねりながらも答えた。

 

「ふむ。アインズ様。イマイチ問いの意味が分かりませんが? 私の明晰なる頭脳は記憶をたがえることなどありませんな。私はこれからアウラ、マーレの御両名と共に野盗狩りにおもむくところです。このナザリックを支配するには忠実な配下が必要ですからね」

 

 堂々とアインズの前でそんなことをのたまうエクレア。

 その場にいた者達から冷たい視線が交わされた。

 玉座の間の気温が数度下がった。

 比喩的表現だけではなく物理的にも下がっている。苛つきの感情を漂わせたコキュートスのためだ。

 

 若干、頬を引きつらせながら、デミウルゴスがエクレアの身に起きた一連のあらましを説明する。

 

「――そういう訳で、ベル様の進言により、君はこうして元に戻ることが出来たという訳だよ」

 

 それを聞いたエクレアはぺちぺちと翼を打ち合わせた。

 

「ほほう。なるほど。ベル様、あなたはどうやら私に次ぐ程、機転がきき頭が回るご様子。いかがですかな? 私の配下になりませんか? そうすれば、ナザリックが私の物になったあかつきには、階層一つくらいは差し上げてもよ……」

 

 みなまで言わせず、エクレアの身体が蹴り上げられた。

 はるか上のシャンデリアに派手な音を立ててぶつかり、ふたたび赤いカーペットが敷かれた床へとべしゃりと落ちる。

 その背にアルベドのハイヒールが突き立てられる。

 

「この馬鹿鳥……。至高なるアインズ様のお手を煩わさせたばかりでなく、その所有物である金貨を使用されてまで生き返らせてもらったというのに、お前という奴は……」

 

 こめかみには青筋が浮き上がり、怒りに震えながら、そのままぐりぐりと踏みにじる。

 エクレアは倒れたまま、べちべちと床を叩いた。

 

 

 守護者たちがその周りを取り囲む。

 

「こいつ、もう10回くらい殺して生き返らせてもいいんじゃない?」

 廓言葉も忘れて、シャルティアが言う。

 

「ホントホント! そう言えば、この世界の金貨って2枚でユグドラシル金貨1枚くらいなんでしょ。この世界の金貨でも復活できるか実験してみようよ」

 唾を撒き散らす勢いでアウラが叫ぶ。

 

「なるほど。この世界の物での代替か。実験してみる価値はあるかもしれないね」

 眼鏡を押し上げながら、デミウルゴスまで加わった。

 

「あ、はい。その実験がうまくいけば、ナザリックの為になりますね」

 おどおどとした様子ながらも、マーレがそう口にする。

 

 コキュートスは言葉は発しなかったものの、その口から冷気を吐き出した。

 

 

 

 その様子を眺めながら、アインズとベルは安堵の息を吐いた。

 

《どうやら大丈夫そうですね、ベルさん》

《ええ。上手くいったみたいで良かったです。それと、状態異常は『死』で上書きできるというのも分かりましたし、NPCの復活の実験も出来ましたから。そのうち、蘇生魔法の実験もやってみたいところですね》

《ああ、そちらも試してみないとダメですね。でも、下手な相手では試せませんね》

《うーん、確かに。蘇生魔法を使って生き返らせたら、復活場所はその場ではなくその者のホームでとかだったりして、ナザリックの情報をみすみす持ち帰られたとかなったら困りますし……。まあ、そちらはおいおいという事で。とりあえず、今やるべきことは例の集団の調査ですね》

《ツアーという白銀の全身鎧(フルプレート)と、法国の……漆黒聖典でしたっけ?》

《ええ。まずは彼らと戦闘になった場所の調査ですね。運が良ければ、何か装備とか残ってるかもしれませんし》

《エクレアを洗脳したものの手がかりがあるといいんですがね……。調査隊は当事者であるアウラとマーレに率いらせますか?》

《いえ、面が割れてますから何かあるかもしれないので、それは止めた方が良いでしょう。俺が行きますよ》

《手間をかけさせてすみませんね》

《なぁに、これくらい。大した手間でもありませんよ。アインズさんは執務室から〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でのバックアップをお願いします。アウラとマーレも一緒の方が良いですね。画面を見ながら〈伝言(メッセージ)〉を送ってもらえれば》

《はい。分かりました》

 

 そしてベルは伝言を切り、床に転がるまるまるとしたペンギンを取り囲む輪へと足を進めた。

 じゃれ合いを止め、今後の指示を出すためだ。

 

 

 

 その背を眺めながら、アインズは思う。

 

 

 いまだ、この地の事は分からないことばかりだ。

 ある程度の情報を取得し、ナザリックを害することが出来るような者はいないと思っていたのに、脅威となる可能性を保有する者達の存在が判明した。

 

 100レベルキャラのアウラ、マーレと戦うことが出来る、ツアーという人物。

 受けた者の精神を瞬間的に剥奪する、判別不能な攻撃手段を持つ法国の存在。

 探せば、この地のどこかにはさらなる強者が身を潜めているかもしれない。

 

 ナザリックの安寧の為には、まだまだ猫が爪先であるくように警戒を続けていかなければならないだろう。

 

 

 だが、心に不安はない。

 

 

 自分には友人がいる。

 この苦難の道を共に歩んでくれる友人が。

 

 かつての友人たちは、一人を残して、自分の目の前からはいなくなった。

 しかし、友人たちが残してくれたNPC(子供)達は目の前にいる。

 

 彼らと一緒なら、たとえどんな苦海に身を置こうとも、決して諦めることなく乗り越えていける。

 

 脳裏によみがえるかつての光景。

 ギルドメンバーたちと共に、ユグドラシルの九つの世界を駆け抜けた。

 全ギルド最多となる11ものワールドアイテムを集めた。

 1,500人からなる討伐隊をこのナザリック地下大墳墓で撃退した。

 アインズ・ウール・ゴウンの名をあまねく轟かせた、あの輝かしくも懐かしい昔日の栄光。

 

 あの日々は決して無益なものではない。

 

 

 確固とした思いを胸に彼らの輪へと歩み寄る。

 響いた足音に振り向いた皆の顔を見て、その骨だけの虚ろな胸に固く刻んだ。

 

 

 

 

 自分はこれからも、ずっと彼らと共に歩もうと。

 

 

 

 

 




エクレア「はっ! 気がついたらネクタイが無くなり全裸に! そして、私を取り囲むケダモノのような視線。私に酷いことをするのですね! エロ漫画の様に!」
全員(イラッ)

 
 NPC復活にかかる金貨の計算は捏造で適当です。


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第四章 諸勢力編
第26話 諸勢力の思惑ー1


2016/3/14 『野党と間違えてもおかしくないような』 → 『野盗と間違えてもおかしくないような』 訂正しました
2016/10/9 会話文の最後に「。」がついていたところがあったので削除しました
2016/12/10 「合う」→「遭う」、「~来た」→「~きた」、「~行った」→「~いった」、「代わった」→「変わった」、「変えられる」→「替えられる」、「沸いて」→「湧いて」 訂正しました


「失敗か……」

 

 パナソレイは天を仰いだ。

 その目に映るのは、それなりに立派な応接室のわずかながらスス汚れが付着している天井。

 

 エ・ランテルの最奥部である行政区。

 そこに(しつら)えられた豪奢とはさすがに呼べないが、それでも金の燭台や繻子のクッションなど、品のいい調度品が並べられた、しっかりとした造りの応接室に、今、3人の男が顔を合わせていた。

 

 1人は、エ・ランテルの都市長であるパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア。

 2人目は、冒険者組合の組合長プルトン・アインザック。

 3人目である最後の1人は、魔術師組合長のテオ・ラケシル。

 

 エ・ランテルでも名士の人間ばかり。

 そして立場の違いなどはあっても、それなりに気心の知れた仲の者達だ。

 

 

「まあ、そうなりますね。あれだけの冒険者とワーカーを動員したのに、実際に討伐できなかったわけですし」

 

 そうアインザックが言った。

 それに対し、ラケシルがとりなすように言う。

 

「いや、しかし、確かに盗賊たちを始末することは出来なかった訳ですが、そのアジトを制圧し、囚われた人たちを救い出したのですから、ある意味、成功と言ってもいいのでは?」

 

 だが、その言葉にアインザックは首を振った。

 

「いや、『死を撒く剣団』の根拠地は押さえたものの、肝心の野盗そのものは一人たりとも討伐出来ていないんだ。もしそれで討伐に成功したと言って、その後、そいつらが隊商とかを襲撃してみろ。実際は退治していないのに退治したと言った、嘘で自分たちをだました、ぬか喜びさせた、と思いっきり叩かれるぞ」

「ああ、なるほど」

 

 うんざりしたような口調で、納得の声をあげた。

 とかく大衆というのは、近視眼的に文句だけを言うものだ。下手に成果を強調すれば、ふとしたきっかけで一気に評価が急落するだろう。僅かな成果ならば、かえって口に出さない方が良かったりする。

 

「それに、実際問題これは結構拙い事態だ」

「そうなのか? 『死を撒く剣団』は拠点も集めた資金もすべて失ったんだ。これまでの勢力を大きく減ずることになるのでは?」

「いや、それは違うぞラケシル。確かにお前の言うように、奴らは根拠地も資金も失った。だからこそ、それを取り戻すために、なりふり構わず暴れる可能性がある」

「む。そうか。失地回復の為、エ・ランテル近郊を行き交う隊商を狙う可能性が逆に高くなったという事か」

「そういう事だな。むしろ、手負いの獣が野に放たれたというところか。上手くすれば、そのままくたばるが、下手をすると、決死の覚悟で向かってくる。面倒なことになる可能性があるな」

 

 ようやくラケシルも事態を理解でき、沈鬱な表情を見せた。

 

 

 今、エ・ランテルの街は先のアンデッド騒ぎからいまだ立ち直ることは出来ず、人の心はすさみ、治安の悪化に歯止めがかからない状況だ。

 

 そこで目に見える成果を見せ、人々の心に希望と落ち着きを取り戻そうと行ったのが、今回の計画だった。

 乏しくなった予算から資金を出し、街として冒険者組合に依頼を出す。最近、エ・ランテル近郊で傍若無人な暴れぶりが問題になって来た『死を撒く剣団』という普段は傭兵団、都合が悪くなったら野盗へと変貌する集団を殲滅することで、大々的に成果をアピールしようと思っていたのだ。

 

 だが、そうやって高い金を払ってまで出動させた冒険者たちだったが、すでに拠点はもぬけの殻で、『死を撒く剣団』に遭遇することさえできなかった。

 

 はっきり言えば、無駄に予算を失っただけに終わってしまった。

 

 

「まあ、今回の依頼は『死を撒く剣団』の殲滅でしたから、一人も討伐できていない状況からして、依頼の完全達成とはみなさず、冒険者たちに支払う報酬は半分のみとしようと思います。残りの半分はお返ししますよ」

 

 アインザックの言葉に、パナソレイは分厚い脂肪に覆われた首を戻した。

 

「いいのかね、それで? 冒険者たちに不満が出るのでは?」

「いえ、『死を撒く剣団』の拠点にはそれなりの財貨がありました。個別に持ち主から取り戻す依頼が出ているものを除いて、それらを参加した者達で分け合う事にしますので、それほど不服を申し立てる者はいないでしょう。実際、誰も危険な目にも遭うことなく金が手に入ったわけですし。まあトラップに引っ掛かって怪我をした者はおりましたがね」

「ふむ、そうか。それならありがたいな。今はわずかでも支出を抑えたい時だしな」

「それに、ここしばらくは冒険者たちが街中で、手に入れた金を派手に使うでしょうから、酒場や娼館は繁盛すると思いますよ」

「金が回れば、そこに税金も生まれる。多少、金周りが良くなりそうなのが、不幸中の幸いか」

 パナソレイはコップの水を口に含んだ。魔法がかかった水差しから注がれた水は冷たく、その喉を通っていった。

 

 

「そう言えば、ラケシル。例のダークエルフの件は何かわかったかね?」

「いや、色々文献や冒険者として旅した者の記録を漁ってみたのだが、まったくだな」

「ダークエルフ? 何のことだ?」

 

 アインザックとラケシルの会話に出てきた、ここ最近耳にもしないダークエルフという言葉にパナソレイは反応した。

 

「いえ、先行して『死を撒く剣団』の拠点を監視していたワーカーと冒険者が、その拠点から出てくるダークエルフの少女二人組と遭遇したという報告がありまして」

「何故、そんなところにダークエルフが? 昔はトブの大森林を縄張りにしていたと聞くが」

「ええ、その辺が全く分かりません。実際に会った者達によると、とても高価そうな衣服を身に纏っていたそうです。そして、拠点の中には『もう誰もいない』と語って去っていったそうですね。もしかしたら、トブの大森林のどこかにダークエルフの集落があり、そこに住む子供たちが誰もいなくなった廃墟、この場合『死を撒く剣団』の拠点になりますか、を探索でもしていたんでしょうか?」

 

「まて。『もう誰もいない』? そう語っていたのかね?」

 

 突然、目を光らせたパナソレイに、アインザックがたじろいだ。

 

「は、はい。そう聞いておりますが」

「それは奇妙だな。中には誰もいない、もしくはいなかったと言うだけならまだしも、『もう』という事はその前まで、そこに人がいたのを知っていたという事だ。それに、その拠点の中には『死を撒く剣団』に囚われていた人間がいたのだろう? 中に『誰もいない』わけではないじゃないか」

「……確かに」

「それに、その拠点には冒険者たちで分け合っても十分なほどの財宝がそのまま残されていたのだよな。となると、金目のものを漁っていたという事もあるまい。……ふぅむ。その2人は冒険者たちと会った時、どんな様子だったのだ?」

「ええと、とくに怯えもせずに普通に話していたそうですが」

「つまり、外で初めて会う者達を前にしても、平然としていたという事かね? 野盗の根城のすぐ近くで、野盗と間違えてもおかしくないような武装した人間を前にして」

 

 次から次へと紡がれるパナソレイの言葉に、報告にあったダークエルフの2人がどれだけおかしな存在であるか、霧が晴れるかのようにどんどん明瞭になっていく。

 『死を撒く剣団』討伐の失敗に気を奪われていたため、そちらは特に気にもしていなかったが、考えれば考えるほど奇妙な話だ。 

 アインザックの頭に、ワーカーの1人が言っていた推測、そのダークエルフたちが『死を撒く剣団』の仲間ではないかという一言が再浮上してきた。

 

「それで、そのダークエルフのその後については何か情報はあるかね?」

「拠点に『死を撒く剣団』がいないことが判明したのち、そのダークエルフに接触したワーカーが気になって、その後を追ったそうですが、別れてから時間が経っていたこともあり手掛かりはつかめなかったそうです」

 

 

 パナソレイはどっかと背もたれに寄りかかり、腕を組んで考え込んだ。

 

「アインザック」

「はい」

「エ・ランテルとして金は出す。そのダークエルフの捜索、並びに潜んでいる可能性があるトブの大森林を捜索させろ」

「良いのですか?」

「そうも言っていられまい。下手をすれば、この前のズーラーノーンの一件のように、再びエ・ランテルに危害が加えられる可能性もある。一つずつでもはっきりさせておかなくてはな」

「分かりました。では、トブの大森林の調査を手配しましょう」

「頼む。必要であれば、よそからアダマンタイト、とまではさすがにいかなくてもオリハルコンくらいは呼ぶための予算は出すつもりだ。もちろんより危険なことが分かれば、そちらを呼ぶために手は尽くす」

 

 パナソレイの本気度合いを知り、アインザックとラケシルは深くうなづいた。

 

 

「そうだ、オリハルコンと言えば。例のモモン殿は今度オリハルコンに昇格するんだったな」

 

 重たくなった空気を和ませようと、ラケシルが世間話のように軽い口調で言った。

 その場にいた者達の脳裏に、つい先日エ・ランテルにやって来た、あの冒険者たちの姿が思い浮かぶ。

 

「ああ、ここ最近の彼の働きは頭一つ飛び出ているからな。俺はもしかしたら彼はアダマンタイトに届くのではないかと思っているよ」

「アダマンタイト……! ふむ、確かに彼なら、ふさわしいかもしれんな。……アダマンタイトか。いっそ、トブの大森林の捜索も彼に頼むか? 例の薬草調達もあるしな」

 

「む? 薬草調達とは何かね?」

 

 再びパナソレイが聞いてきた。

 

「トブの大森林内のとある場所に、あらゆる難病を治す効果がある薬草が生えているのですよ。それの採取です」

「たかが薬草採取にモモンほどの人物を投入するのかね?」

「いえ、それがその薬草の採取は非常に困難なのです。30年ほど前、当時のアダマンタイト級冒険者がサポートにミスリル級冒険者を引き連れていき、ようやく採取に成功したという程でして」

「なるほど、それでアダマンタイト級に匹敵するかもしれないというモモンを投入したら、という事か」

「はい。それに彼はトブの大森林で伝説と言われた森の賢王を騎獣としています。彼ならば、薬草の採取並びに、トブの大森林の捜索も可能かと」

「……いや、それは止めた方が良いな」

 

 だが、そのラケシルの案はアインザックが否定の言葉を口にした。

 

「モモン君は現状、我々――城塞都市エ・ランテルが切れる最高の切り札だ。そんな彼に、その薬草採取や森の捜索を割り当てたら、そちらに数か月はかかりきりになってしまうだろう。ただでさえ冒険者たちが減っているときに、モモン君という貴重な戦力をそちらに張り付けるのは愚策だ」

「確かにな。モモンは私の耳に入る限りでも、ここ最近、ごく短期間で強大な怪物(モンスター)を次々と討伐し続けていると聞く。一つ所に張り付けるのではなく、いざというときの火消として使うべきだろうな」

「ええ。可能な限り、調査は他の冒険者たちで行いましょう。薬草の方は……まあ、諦めざるを得ないか。少なくとも数年ほどは」

 

 

 おそらく実際は漏れだらけだろうが、とりあえずは当面の方針が決定した。

 3人の男たちは大きく息を吐いた。

 

「まったく、いつになったら気が休まるか。最近は鼻息をやる暇もないな」

 

 そう言いながら、いつもの「ぷひー」という鼻息を立ててみせる。

 それに思わずアインザック、ラケシル共に笑った。

 してやったりと、パナソレイもにやりと笑う。

 

「まったく考える事ばかりで、胃が痛くなるな。薬師のリイジーがカルネ村に移って手に入りにくくなったから、今のうちに胃薬を買い占めておかねばならんか」

「いっそのこと、都市長の権限でエ・ランテルで胃薬を大増産させては? 都市長も使用している胃薬として、エ・ランテルの特産品に出来るかもしれませんよ」

 

 ラケシルの軽口に、パナソレイはぽんとその手を自分の頭に乗せた。

 

「いや、あいにくだが、大増産計画は胃薬より髪に効く薬の方が先だな。こっちはもう後がない」

 

 重苦しい雰囲気が続いていた応接室に、ようやく笑い声が響いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 静謐な空気が流れる空間。

 ここでは音すら場をわきまえたように静まりかえり、遥か高くにあるステンドグラスから投げかけられる幾色もの光が、汚れ一つない神官服に身を包んだ廊下を歩く者達に降りそそぎ、まるで現実の世界とは隔絶したような印象を与える。

 

 そんな場所を踏み荒らすように、足音を立ててぶらぶらと歩く女性の姿。

 

 ボブカットと呼べるほど短く刈った金髪。その奥底に何を湛えているのか分からない深紅の瞳。気まぐれなネコ科の猛獣を想像させる空気を身に纏う、しなやかでみずみずしい肉体。

 

 スレイン法国の誇る特殊部隊、漆黒聖典。

 その中で第九席次を占めるクレマンティーヌである。

 

 その体を包むのは愛用の、自分が狩った冒険者のプレートを埋め込んだ鎧ではない。相変わらずスピードを生かすために、その肉体を余すことなくさらした露出度の高いものではあるが、しっかりとつや消し加工のされた金属でできた鎧を身に纏っている。

 

 

 エ・ランテルでの一件の後、クレマンティーヌはしばらくの間、各地を放浪した。

 スレイン法国の秘宝の一つを強奪したため、追手がかかっているはずと思ったからだ。

 

 だが、待てど暮らせど、自分を襲う暗殺者の姿は影も形もなかった。

 

 思い返してみれば、そもそも自分は一体どこで、アンデッドを際限なく生み出す霧を発生させるマジックアイテムの話を耳にしたのだろう? そんなものがあるなどと聞いた覚えがない。

 だが、確かにそういう物がスレイン法国の秘宝としてあり、自分がそれを奪ったという記憶があった。

 しかし、具体的にどこで、どうやって、誰から奪ったのかはいくら考えても思い出せなかった。

 

 それと、何故だか、その時のことを思い返すと、脳裏に一人の少女の姿が思い浮かぶ。

 南方で作られるというスーツ。それも男物の代物に身を包んだ、白に近いほどのブロンドで腰まである長い髪の少女の姿。

 

 これがいったい何なのか。

 どれだけ悩んでも答えは出なかった。

 

 そこで、クレマンティーヌは法国の工作員にさりげなく接触してみた。

 もちろん、自分が裏切ったことを知っていて即座に報告されると拙いため、十全の注意を払い、一人でいるところを狙って姿を現してみた。

 だが、その結果は豈図(あにはか)らんや、特段変わったリアクションもなかった。

 

 罠かと思い、その他の者達にも同様に接触してみるが、彼らも以前となんら変わった感じは受けない。

 そうして、少しずつ上位の者に姿を見せても、なにも警戒等の行動の色を見せなかったことから、思い切って法国に帰ってみることにした。

 

 そうしたところ、しばらく連絡が取れなくなったことを責められはしたものの、結局それだけだった。

 特にお咎めもなしだった。

 

 捕虜になった陽光聖典の隊長を暗殺した後、法国に帰る道中、エ・ランテルでズーラーノーンが起こした騒ぎに巻き込まれたんだろうと判断されていた。

 

 そうして、今現在、クレマンティーヌはスレイン法国の首都、その中でも全ての判断が下される最高決定機関である大聖堂、六大神のうち五柱の装備が眠る神域内を大手を振って歩いている。

 

 

 やがて、その足が一つの扉の前へとたどり着いた。

 縁を金メッキで覆った特殊な金属で補強された黒塗りの扉。一点のくすみもなく磨き抜かれた金色に輝くドアノッカーを無造作に何度か叩くと、扉を開いた。

 

「やぁ、どーも。何か用な……の……?」

 

 その声が尻すぼみに消える。

 

 扉の先、広い室内は四方を金糸で縁取られたビロードの壁掛けで覆われ、中央に置かれた金の浮き彫り装飾のされた紫檀のテーブルについていたのは、漆黒聖典の隊長である第一席次の姿と、クレマンティーヌが最も会いたくない人物、兄であるクワイエッセであった。

 

 急速に機嫌を低下させながらも、毛皮の敷かれた椅子につく。

 

 隊長は机上に肘をつき指を組んだまま、「では、会議を進める」と言った。

 

 

 静かに言葉を待つクワイエッセ。

 対してクレマンティーヌは頬杖をつき仏頂面のままだった。

 

 そんな二人の様子を気にもかけずに命令を発する。

「クレマンティーヌよ。お前は、帝国に行ってもらう」

「え? 帝国? なんでそんなところに行く必要があんの?」

 

 無作法なその言い方に、おもわずクワイエッセが注意の言葉を口にしそうになった。

 だが、隊長は気にもかけずに言葉を続けた。

 

「帝国の上流階級の者達に広めている邪教組織がある。その管理をやってもらう」

 

 その答えに「えー」と不満げな声をあげた。

「私、そういうのって苦手なんだよねー。『占星千里』とか『神聖呪歌』とかに任せたら?」

 

 クレマンティーヌは慌てる兄に見せつけるようにへらへらと笑って言った。クワイエッセはわずかに眉を(ひそ)めるも、隊長が黙っているのならと口を出しはしなかった。

 

「それは無理だな」

「ん? どしたの? もしかして、二人とも死んじゃったとかぁ?」

 

 その言葉に、さすがに見かねたクワイエッセが口を挟む。

「クレマンティーヌ。少し口が過ぎるよ。大切な仲間に対して、死んだとか軽々にいうものじゃない」

「あん? なによー」

 言われたクレマンティーヌはふくれっ面で返す。

 クワイエッセは困ったような表情を浮かべた。彼には何故、自分の妹がこのように子供っぽい反抗的な姿勢をわざわざとってみせるのか理解が出来なかった。彼ら二人のすれ違いは、過酷な環境でクレマンティーヌの精神がゆがんだことに加え、兄であるクワイエッセが優等生的思考の範疇から抜け出せなかったことにも原因があるのだろう。

 

 2人のやり取りにも表情を動かすことすらなかった隊長が言葉を紡ぐ。

「クレマンティーヌ。その通りだ」

「え? なにが?」

「『占星千里』に『神聖呪歌』、両者とも死んだ」

 

 衝撃的な言葉が場を揺るがせた。

 しかし、それを放った当人は更に言葉を続ける。

 

「それだけではない。他の者も、だ」

 

 一度言葉を区切り、2人を見回す。

 

「はっきり言おう。漆黒聖典は壊滅状態と言える。生き残っているのは今この場にいる3名、それと番外席次のみだ」

 

 その言葉にクワイエッセが、そしてさすがにクレマンティーヌも息をのんだ。

 

「な、何があったのですか……?」

 かすれた声でクワイエッセが問うた。

 

 

 一度大きく息を吐くと、隊長は静かに語りだした。

 万全の態勢を整え、破滅の竜王討伐におもむいた際に起きた、三人の謎の存在との戦闘について。

 

「ダークエルフの少年少女に、全身鎧(フルプレート)の人物ですか?」

「そうだ。誰もが恐るべき力を秘めていた。そして、ダークエルフの少女が使った魔法、たった一つの魔法の行使により、その場にいた漆黒聖典の皆は、私を除いてすべて死に絶えた」

 

 想像を超えた、内容に唖然とするクワイエッセ。

 だが、クレマンティーヌは気になる事があった。

 

「あのさ、……その全身鎧(フルプレート)の人物っていうのはどういう奴なの?」

 

 その言葉に隊長はピクリと眉根を寄せた。そして、白銀の鎧に身を包み剣と盾で武装した、声からして男性らしい人物と告げた。「心当たりがあるのか?」という問いに、「いや、ちょっと気になっただけ」と返した。

 全身鎧(フルプレート)に身を包んだ凄まじい強さの男と聞いたため、エ・ランテルであった冒険者モモンの事かと思ったのだが、あちらは鎧は漆黒で、武装も大剣(グレートソード)を両手に2本持つという戦闘スタイルの為、別人だと分かった。それにそいつはツアーと名乗っていたらしい。聞いたことのない名前だ。

 

 クワイエッセはごくりと生唾を飲み込んだ。

「それで……完全装備で向かったとのことですが、……装備の回収は?」

 

 その問いに隊長は顔色を変えなかった。しかし、奥歯を噛みしめることまでは我慢できなかった。聞かれることは想定していたものの、それを口にするのは忸怩たる思いがあった。

 

「失われた。……全てだ」

 

 思わずクワイエッセとクレマンティーヌ、決して仲の良いとは言えない(クレマンティーヌが一方的に嫌っているだけともいうが)兄妹だったが、二人とも同様にあんぐりと口を開けて固まった。

 

 装備をすべて失う。

 漆黒聖典の者が身に纏う装備を。

 それは普通の者や部隊が、その武装を失ってしまうというのとはわけが違う。

 

 漆黒聖典に選ばれた者達が身に着けるものは、六大神もしくはプレイヤーらによってもたらされた『ユグドラシル』の装備が多く含まれている。それらは通常の武装と異なり、この地では再現できないような破格の効果を持つ物が多い。

 それが失われたとなると……。

 金銭に替えられるようなものでもないが、その損失は目もくらむほどだ。

 

 

 だが――。

 

 クワイエッセは緊張の表情を浮かべ、聞きにくい事ではあったがどうしても確認しなければならない事を聞いた。

 

「それで、カイレ様もおもむかれたという事ですが、……『ケイ・セケ・コウク』は……?」

「ああ、失われた」

 

 『ケイ・セケ・コウク』

 六大神が残した装備の中でも、最も強力にして重要と位置づけられるアイテムの中の一つ。その扱いは慎重に慎重を期したものとして取り扱われていた。通常はこの聖堂の中、漆黒聖典番外席次が守る宝物殿の中に厳重にしまい込まれ、六色聖典の神官長全ての許可が無ければ持ち出せず、現在においては法国に住むすべての国民の中で、漆黒聖典のカイレただ一人がその身に纏い使用することが許可されていた代物だ。

 その能力は他に比することすらできない。

 一度(ひとたび)その効果を発動すれば、強大な力を持つドラゴンだろうと、精神支配を無効化する吸血鬼の王(ヴァンパイア・ロード)だろうと、その精神をのっとり使用者の思うままに命令することを可能とする、まさに禁断のマジックアイテム。

 

 それが失われたという。

 さらには他の『ユグドラシル』装備も、そしてそれを使う人間たちまで含めて。

 

 

 現在、法国は未曽有の困難に巻き込まれていると言っていい。

 隊長を含めた陽光聖典の精鋭たち、総数で100人もいないうちの45人が失われ、更には魔法による監視を可能とする土の巫女姫が謎の爆発によって死亡。

 そんな状況下で、漆黒聖典がほぼ壊滅状態。身に着けていた強力な装備もすべて消失という悪夢のような事態だ。

 

 下手をしたら、今、自分たちは、法国始まって以来の難事に直面しているのかもしれない。

 

 

「犯人の目星はついているのですか?」

「それも分かっていない。おそらくそのダークエルフの2人組か、ツアーと名乗る人物のどちらかが持っていったのではないかと推測されるがな。伝承にある特定の物品の位置を探査するという魔法が使用出来ればよかったのだが」

 

 何もない空間を見つめ、記憶をたどるように静かに語りだす。

 

「あの戦闘、というかあの魔法によって、私は死なないまでも重傷を負った。何とか生き延びその場を離れ、法国の部隊が隠れて待機していた宿営地まで戻ろうとしたのだが、途中で気を失い倒れた。さいわい、異常を察して調べに来たその者達によって助けられ、宿営地まで運ばれて、そこで治療を受けることが出来た。何とか歩けるまでに回復し、控え部隊の者たちを連れて現場に戻った時には、すでに丸一日は過ぎていた。そして、そこには装備を剥ぎ取られた死体だけが転がっていた」

「魔法で焼け落ちた、とかではなくですか?」

「ああ。マジックアイテムならば魔法では焼失しないはずだし、死体には衣服を剥ぎ取るために、鋭利な刃物で切り割いた痕が残されていた。それに、ご丁寧に罠までな」

「罠?」

「死体だけでも回収しようとその場から動かすと、消費型のマジックアイテムによって魔法が発動するようになっていた。おかげで回収に連れていった者達に2桁に達する死者が出た」

「人を殺すほどの威力を持つ消費型マジックアイテムですか……。そのような希少な物を、こう言っては何ですが、遺体や装備の回収に来たような者達への嫌がらせのような罠に使用するとは……」

「物の価値的には、普通あり得んな。それにどれだけの価値があるのか知らないのか、もしくは仕掛けた本人にとっては大した価値がないものなのか」

 

 そう言って大きく息を吐いた。

 

「とにかく戦力の補充が急務だ。そこにあった漆黒聖典の者達の遺体は回収したが、あまりにも損壊が激しい。蘇生魔法がうまく使えるか、仮に使えて復活できても、その際に減少した戦闘力が回復できるのか。今、神官長会議の議題になっているが、全くどう判断されるか読めない状況だ」

 

「ふぅん。そんなときに私は帝国で頭のおかしな連中相手に、鼻先に人参振り回す役やってていいの?」

 クレマンティーヌのもっともな意見。

「ああ。そちらも重要な案件であるからな。その教団には帝国上層部の人間も多く参加している。上手く使えば帝国そのものを動かすことも可能になるほどな。手を引くことは出来ない。それに……今、下手に動いて、お前があいつらとぶつかっては困る」

「私じゃ勝てないと思ってる?」

「そうだ」

 

 断言する隊長。

 普段のクレマンティーヌなら、その言葉にかみついただろう。だが、彼女はつい先日、エ・ランテルで冒険者モモンの繰り出す凄まじい剣技を目の当たりにしている。だから、続く隊長の言もすんなりと受け入れることが出来た。

 

「おそらくあの者達は……『ぷれいやー』の可能性がある」

 

 もはや今日だけで何度驚き、言葉を失ったか分からなくなるほどだったが、クワイエッセは目を見開いた。

 

「まさか……そんなことが……」

「決しておかしな推測ではない。こう言っては何だが、私とまともに戦い、他の漆黒聖典の者達を容易く殺しきるほどの力量の持ち主だ。それと……伝承にある100年目がそろそろなはずだ」

「法国でも限られた者のみに、極秘裏に伝えられる伝承……。100年に一度、『ぷれいやー』という存在がこの地に現れる、という言い伝えですか」

「ああ、そうだ。そして『ぷれいやー』は人間に限らず、亜人や怪物(モンスター)、はたまた悪魔などの可能性もあるという。ダークエルフが『ぷれいやー』であっても、何ら不思議はない」

「『ぷれいやー』は人間に友好的とは限らない、でしたか?」

 

 隊長はうなづいた。

 

「歴史や伝承を研究している者によると、過去の例からして、亜人等の国を率い人間の国と敵対する場合も多くあるそうだ。まあそれでも、食人や虐殺を普通にする通常の蛮行に比べて、比較的人間に対して融和的な姿勢をとる事が多いらしいが」

「……この近辺ではダークエルフは地位が高いとは言えませんね。とくに我が国では」

「そうだな」

 隊長は苦笑した。

 人間という種を守るために行ってきた人間優先策だが、他の種族の者からすれば怒りを買いかねない政策だ。『ぷれいやー』は特に種族の繋がりやこだわりは薄いと言われているが、それでも同種の者が迫害されているとしたら、決して良くは思わないだろう。そうなれば、その国、特に法国とは敵対する可能性が高い。

 

 仮に『ぷれいやー』と敵対したのならばどうなるか?

 その保有する装備や配下の者達がどれだけいるのかにもよるが、少なくとも甚大な被害が出るのは予想できる。ましてや、今の法国は中枢を担う最精鋭の者たちが大損害を受けている状態だ。

 

 しかも、最悪の場合、奪われた『ケイ・セケ・コウク』を向こうが逆に使用してくる可能性もあるのだ。

 

 

 下手をしたら法国が――いや周辺国までが亡ぶ可能性もありえる。

 

 

 その想像にクワイエッセは身を震わせた。

 

「とにかく、相手が分からないことにはこちらも対応のしようがない。可能ならば、偶然の結果として戦闘になったことを詫び、法国に迎え入れたいところだが」

「はい、そうですね。では私はどうすれば?」

「クワイエッセ。お前にはトブの大森林の調査を頼みたい。とにかく今は全く情報がない状態だ。ツアーという奴も気がかりだが、まずはダークエルフの2人を優先しよう。かつて破滅の竜王が光臨するまでダークエルフがトブの大森林を支配していたと聞く。もしや、トブの大森林内のどこかにダークエルフの集落があり、そこにその二人が身を寄せている可能性もある」

「はっ。かしこまりました」

「クレマンティーヌ。先ほども言ったが、お前はバハルス帝国で邪教集団の管理だ。決して目立たず、何か異常の兆候があったらすぐに連絡しろ」

「はーい」

 

 そうして兄妹が席を立ち、扉へ向かおうとする。

 

 

 その背に、思い出したように隊長は声をかけた。

 

「そうだ。クレマンティーヌ。お前はエ・ランテルに行っていたそうだな」

 

 突然かけられたその言葉に、思わず背筋がピクリと動く。

 

「え……? う、うん。そうだけど……なにかした?」

「最近、エ・ランテルに現れた冒険者モモンという男を知っているか?」

 

 心臓がドクンとはねた。

 冒険者モモン。決して忘れられる名前ではない。

 陽光聖典隊長暗殺の後、自分がエ・ランテルに行っていたことは報告したが、カジットらの事やモモンと接触した一連の事は言ってはいない。

 なぜ、ここでモモンの名が出て、それを自分に尋ねるのだろうか?

 

「うん。知ってるよ。まあ、知ってるって言っても少し話したくらいだけどね」

 

 とっさに、全ては話さず、わずかな真実のみを一部話すという対尋問のやり口で誤魔化した。

 

「どんな男だ?」

「どんなって言っても、それこそ本当に少ししか話してないしね。まあ、なんというか変に、って言っていいのかな、とにかくこう余裕のある態度で話すような奴だったかな。それと普通は両手であつかう大剣(グレートソード)をそれぞれの手に一本ずつ持って二刀流で戦うみたい」

大剣(グレートソード)を二刀流?」

 

 傍で聞いていたクワイエッセが思わず声を出した。

 

「そうか。たいした膂力の持ち主だな。それで強さは?」

「……かなり強いみたいだけど」

 

 自分がズーラーノーンとつながっていた事、そして法国を裏切ろうとしていた事を感づいた上で質問しているのだろうかと身を固くするクレマンティーヌ。

 だが、当の隊長は特に探るような気配も見せず、沈思黙考した。

 

 

「そのモモンという男がどうしたんですか?」

 

 クワイエッセの問いに「実はな……」と前置きして話す。

 

「先だって陽光聖典の部隊が王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ抹殺の任を帯び、王国内で工作を行った。だが、任務は失敗。ガゼフ・ストロノーフに返り討ちに遭い、部隊は壊滅。隊長であったニグン・グリッド・ルーインは生きたまま捕らえられ捕虜となった」

「うん。知ってるー。私がそいつ殺しにわざわざ派遣されたんだもんね」

「そうだ。その隊長のニグンという者だが、出撃に際し、神官長からあるアイテムを渡されたそうだ」

「それは?」

「魔封じの水晶だ。しかも、それには威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚する魔法が封じられていたそうだ」

 

 

 魔封じの水晶。それ自体が非常に貴重で、その一つ一つは法国でも厳重に管理されている代物だ。

 その上、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)だという。200年前、魔神が大陸中を荒らしまわった際、魔神の一体を単騎で葬り去ったという、伝説クラスの天使だ。

 それが召喚できる魔法が込められた魔封じの水晶など、いったいどれほどの価値があるのか、そしてそれを持つ者が捕らえられたということは、法国がそれを失ったという事であり、いったいどれだけの損失であるのか。考えるだけで眩暈がするほどであった。

 

「それでぇ? 確かにとんでもないことだけど、それがモモンと何の関係があるの? あ、ちなみに陽光の隊長殺した時は特に何も持ってなかったみたいだけど」

「……例のエ・ランテルでのズーラーノーンが起こしたアンデッド騒ぎの際、冒険者モモンは魔封じの水晶を使い、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚したそうだ」

 

「「!?」」

 

 

 エ・ランテル近郊で失われた、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶。

 そして、それが失われてからすぐ後、エ・ランテルで威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶が使われた。

 

 二つを結び付けるのはオークですら簡単な事だった。

 

「考えられるのは、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと何らかのつながりがあり、陽光聖典を倒した際に手に入れた魔封じの水晶を譲り受けた、か」

「それは……さすがに無理が。どう考えても王国戦士長が、価値をはっきりと分かっていなかったと仮定しても、おいそれとマジックアイテムを譲り渡すとは思えません。ましてや自分を殺しに来た法国の人間が持っていた物を」

「そうだろうな。次の可能性としては、陽光聖典を倒したのは本当は冒険者モモンであり、その際捕らえた陽光聖典の隊長をガゼフに引き渡した」

 

 確かに。そちらの方が可能性としては高い気がする。

 

 だが、どちらにせよ、それは推測にすぎない。

 実際に調べてみないことには真相は分からないだろう。

 

「ふむ。……いっそ、暗殺した陽光聖典の隊長の死体を回収するか。漆黒聖典の者達は復活魔法が使えるかどうかすら分からんほどだ。それならば、そちらを復活させて話を聞くという手もあるな。戦力の回復としても陽光聖典の隊長ならば実力はあるだろうし」

「ああ、スティレットで後ろから首筋をグサッとやって殺したから、死体の損壊は少ないはずだよー。ただ、死んでからけっこう経ってるはずだから、腐ってるかもしれないけどね」

 

 暗殺した時の様子を手で再現しながら、クレマンティーヌが陽気に喋る。

 

「まあ、話はあげておこう。打てる手が多いことは良い事だ。確認してみて駄目だったら諦めればいいからな」

「それで、隊長。モモンの方の調査はどうします? 風花の方に頼みますか?」

「そちらにも依頼するし、戦力の拡充という意味で次席だったボーマルシェに漆黒聖典としての席次を与え、調査させようと思う」

 

 クワイエッセはなるほどとうなづいた。ボーマルシェの事は知っている。かの者ならば立派に漆黒聖典としての責を任せられるだろう。

 

「そのぐらいだな。では、行くがいい」

 

 そして今度こそ、二人は部屋を出ていった。

 

 

 

 他の者がいなくなった部屋の中で一人になった隊長は、

「あー、疲れた」

 と、組んでいた手を外し、背もたれにぐいっと寄りかかった。

 

「参ったことになったなぁ」

 独りごちる。

 そう口にする言葉は、魔法の仮面によって作られた20歳程度の姿ではなく、彼本来の、年相応のものだった。

 

 漆黒聖典の者達、すでに彼を除いて3人しかいないが、彼らはもちろん自分たちの隊長が任務の際に魔法の仮面で隠す本当の年齢は知っている。

 まだ若いながらも、その強さから漆黒聖典第一席次を任されているのだと。

 

 だが、そうは言っても上位者として命令を出すのには威厳も必要だ。その為、他の者と話す際には、先ほどまでのように硬質で威圧的な口調で話す必要があった。まかり間違っても、ボクとか言って子供っぽい口調で話すなどという訳にはいかないのだ。

 

 

 やるべき事、考えるべき事は山積みだ。

 

 死亡した者達の復活。戦力の拡充。あのダークエルフたちと鎧の人物の調査。失われた『ケイ・セケ・コウク』の捜索。冒険者モモンの素性の調査……。

 

 頭を抱えたくなる。

 いっそ、逃げ出してしまいたい。

 なんだか、病気もしていないのに胸の内に違和感のようなものが湧いてくる。これが胃が痛くなるという感覚なのだろうか?

 

「はぁ」

 

 正直、強さだけなら法国でも随一、いや番外がいるから2番か、とにかく指折りの強さを持つ彼だが、やはり中身はまだ少年と言ってもいい年齢なのだ。あまり頭を使うことを期待されても困るというのが本音だ。

 

 しかし、かと言ってやらないという選択もまたできない。

 自分は神人として覚醒した特別な人間であり、それに見合った責任があるのだから、と気を取り直した。

 

 少し斜に構えたり世の中に疲れた大人なら、特別な人間だっていうのと、だからと言って押し付けられる責任とは全く無関係だろ、と言い出すのだろうが、まだ若い少年は法国の理想を信じている。責任ある立場として裏の汚れた面を見はしても、大義の為だから仕方ないと誤魔化せるだけの純粋さを持っていた。

 

 それが果たしていつまで持つのか? そしてそれを信じられなくなったとき、仕方ないと割り切るか、それとも絶望するかは、先の話であり誰にも分からなかったが。

 

 

 とにかく、今は頭を悩ませることばかりだった。

 すこし、休みたいと思うが、そんなことをしている時間もない。

 

 立った状態でも地に着くかと思うほどの長さがある黒髪をいじる。邪魔になる事が多いから切ってしまいたいのだが、自身の能力に関わるため短くする事も出来ない。

 指ですくと、さらさらとした感触が手に残る。

 『占星千里』は綺麗な髪でうらやましいと言っていた。その彼女もすでに亡くなってしまい、復活させられるかも微妙な状況だが。

 

 そんな髪先を指でくるくると巻いていると、ふと不安が巻き起こる。

 

 考えすぎるとハゲるっていうけど、本当かな?

 今からこんなで、将来的に髪とか大丈夫なんだろうか?

 そうなったらポーションとか効くかな?

 

 少年特有の悩みにより、彼の意識は知らず知らずのうちに現実逃避という休憩に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 




 クレマンさんがまだ裏切っていないので、いまだに第九席次はクレマンさんのままです。
 そのおかげで、ボーマルシェ(カラコン君)はまだ第九席次についていませんでした。その為、アウラ、マーレとの戦闘には参加しておらず、いまだ生存しています。



――――思い付きネタ――――


 『エクレアの長い旅』


 青臭い匂いが鼻をくすぐり、エクレア・エクリール・エイクリアーは目を覚ました。
 その身を起こし、辺りを見回すが、そこは見覚えのない光景。
 
 うっそうと茂る緑の草木。
 耳に響くのは聞いた事もないような鳥の鳴き声。
 昼なお暗き原始林。

 そんなところにエクレアは一人横たわっていた。

 一瞬、ナザリック第六階層の密林にでも迷い込んだかと思ったが、肌に感じるいつもと違う心地よさの感じない空気、何かから切り離されたような感覚から、ここがナザリック地下大墳墓の中ではないことが察せられた。

「ふむ。ここはどこでしょうね」
 呟くが応える者もいない。

 困惑顔で、その頭の左右にはねた金の飾り羽を櫛でとかそうとし――。

 ――いつも後ろに控えている男性使用人すらもいないことに気がついた。


「とにかく、まずはこの森を出ましょうか。ここはこの私にふさわしいとは到底言えませんし」

 そうして、エクレアはこの森を出るため歩き出した。



 ――5日後。

「はて? 何でござろうか、これは?」

 縄張りの見回りに出ていた森の賢王は、不思議な匂いをかぎ取り、その場に行ってみると、そこには今まで見たこともないものがあった。
 どう考えてもそんなに小さくては飛べないだろうと思われる翼を持った、白黒模様の奇妙な鳥の死骸であった。

 原生林の下生えはペンギンの足では歩きづらく、エクレアは森の外に出る前に餓死した。

 
 そうしてエクレアの旅は終わった。


     終



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第27話 諸勢力の思惑ー2

諸国の現状認識を2話くらいでやろうと思ったのに、書いても書いても終わらない……。


2016/3/20 タイトルの数字が半角だったので、全角に直しました
2016/3/21 「背後関係とか現われたりする」→「背後関係とか洗われたりする」 訂正しました
2016/3/24 魔法詠唱者のルビが「スペル・キャスター」だったのを「マジック・キャスター」に訂正しました
2016/7/28 「意味にない」→「意味のない」 訂正しました
2017/5/17 「剣の元」→「剣の下」、「スケリトルドラゴン」→「スケリトル・ドラゴン」、「開けてた」→「空けてた」、「例え」→「たとえ」、「超えて」→「越えて」、「行った」→「いった」、「建てられた」→「立てられた」、「収める」→「治める」、「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「来ていた」→「着ていた」 訂正しました
ナザリックの階層をアラビア数字に直しました


「それで、どう思う?」

 

 そう言って、部屋の主は振り向いた。

 

 その目に飛び込んでくるのは、絢爛(けんらん)たる光景。金や銀は言うに及ばず、鮮やかな色の奔流(ほんりゅう)が室内にひしめいていた。高い天井は黄金、四方の壁にはつづら折りに鮮やかな色の垂れ布が張り巡らされ、壁際に並べられた調度品にはダイヤモンド、サファイア、ルビー、オパール、エメラルド等、ありとあらゆる宝石が惜しげもなく使われている。もし盗賊がこの部屋に入ったら、どれを盗もうか思案しているうちに日が昇るだろう。

 

 だが彼は、それらの目もくらむような調度品を一顧だにしなかった。

 

 この豪奢な部屋の持ち主、いや、このバハルス帝国全ての主である『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの視線は、深紅のソファーに腰掛け、読み終えた報告書をラピスラズリの天板をはった机に置き、目を閉じ黙考している人物に向けられていた。

 

 白色のローブに身を包み、髪もひげもすべて完全に色が抜け落ちるほどの老人。

 彼こそ常人には到達できぬ遥か長き時を生き、第六位階魔法というとてつもない魔術の頂に到達した伝説の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。フールーダ・パラダインその人であった。

 

「申し訳ありませんが、分かりかねますな」

 

 だが、フールーダはその頭を横に振った。

 

「第七位階魔法に〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉という魔法がございます。これは低位のアンデッドを際限なく召喚し続けるというものですが、これはあくまで一つ所よりアンデッドを召喚するというもの。この報告書によると、ここに書かれていることが事実だとするならばですが、エ・ランテルで起こった件においては、まず霧が発生し、この霧が立ち込めているところからアンデッドが現れたとのこと。このようなアンデッドを生み出す霧というのは聞いたことがございません」

「仮にこの帝都で同様の事態が起こった時、対処できるか?」

「死の螺旋と呼ばれる現象がございます。大量のアンデッドが集まる場所では、より強大なアンデッドが生み出されるのです。お聞きの帝都で起こった場合の対処ですが、初動が肝心となるでしょう。低級のアンデッドしか出現しない状況のうちに、速やかに戦力を投入し解決を図るのが最善でございますな。エ・ランテルの場合では対処が遅れに遅れ、これは未確定情報ながら、デスナイトまで現れたとの報告まであります」

「デスナイト? なんだそれは?」

「伝説級のアンデッドでございます。圧倒的な白兵能力を持ち、おそらく個としては最強クラスでしょう。そして、その剣の下に伏した者は、()の者に従うアンデッドとなり、更にそのアンデッドに倒された者はまたアンデッドになり……と際限なく不死者の軍勢を増やしていくという特性を持っております」

「ふむ。……帝国魔法院の奥に捕らえてあるという奴か?」

 

 じろりとしたジルクニフの視線に、フールーダは顔色一つ変えなかった。

 

「あのう、フールーダ様」

 

 そんな二人の視線のやり取りに物怖じもせず声をかけたのは、向かい側のソファーに腰掛ける帝国四騎士の1人、バジウッド・ペシュメルである。この室内にはジルクニフとフールーダの他に、10名程度の帝国上層部の者達、ジルクニフの懐刀といえる者達が同席していた。

 

「圧倒的な白兵能力って言ってましたが、そのデスナイトって奴はどのくらい強いんですかい?」

 

 いかに帝国四騎士とはいえ、フールーダとの序列の差は明確であり、その野卑な言葉は礼を失していると叱責されかねないものであったが、その場にいた者達はそんなこと気にも留めない。彼は自分の主人である皇帝にすら、こうした表の目がないところに限るが、このような口調で話しかけ、当のジルクニフもそれを許しているのだから。

 

「ふむ。そうだな。……表に名を出している者に限れば、王国戦士長ならばなんとかといったくらいか。裏の者たちまで含めるとさすがに判断つかんがな。すこし想像してみるがいい。アンデッドの特性として全く疲労もせず、手傷を負わせてもひるむことなく完全に息の根を止めるまで闘い続ける()の王国戦士長。そして、その剣にかかった相手がアンデッドとなり復活していく様を」

「うわ。そりゃ凄いですな」

 

 思わず顔をゆがめた。

 幾たびか戦場で見かけ、その戦いぶりを目の当たりにしたことがあるが、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの剣技は余人の追随を許さない。それに、今言われたような特性がつくとなれば、悪夢としか思えない。

 

「私も少々よろしいでしょうか? そのデスナイトというアンデッドですが、フールーダ様でしたら討伐できるのでしょうか?」

 

 バジウッドの隣に腰掛ける、同じ帝国四騎士の1人、ニンブル・アーク・デイル・アノックが質問した。

 今の説明であった恐ろしい能力を誇るアンデッド。それが主の言によればここ帝都の帝国魔法院内にいるというのだ。もし、それが逃走した場合、対処できるのかという不安からの言葉だった。

 

 その問いにフールーダは、「出来るとも」と首肯した。

 

 逡巡すらない答えに、その場にいた者達は「おお……」と感嘆の声をあげた。

 

 フールーダはその場にいる者達に、教授するように丁寧に説明した。

 

「先ほど言ったようにデスナイトは恐ろしい能力を保有する。だが、決して対処法がないという訳ではない。デスナイトは近接能力には長けていても、遠距離攻撃能力が全くないのだ。だから、その剣の届かぬ場所からの遠距離攻撃を行えばよい。そうは言っても、弓や弩など通常の射撃武器で到底倒しきれるものではない。また、そうしているうちに近づかれてしまうだろう。高い足場や濠などで地の利をとったとしても、その剛力と耐久性の前にいつかは剣の間合いまで接近されてしまう事は避けられない。それゆえ、飛行の魔法で上空から魔法による攻撃を加えるのが最も良い」

 

 そこまで言ったところで、目の前に置かれた象牙の杯をあおり、その口を湿らせた。

 

「とは言え、私一人で倒しきるのは少々難しいな。帝国魔法院の者達を動員して波状攻撃をした方が確実だ。かつて、カッツェ平野に現れたデスナイトを捕獲した時はそのようなやり方をとった。ただ、それはあくまで障害物の無い場所だからできたこと、市街地での戦闘になった場合は、デスナイトもただ黙ってやられず遮蔽物の影などに移動するだろうから、魔法攻撃も効果的にはできないだろう。それにその特性上、デスナイトに殺された者はアンデッドになるため、その手下を作らせぬよう、付近の人間の避難が重要になるだろうな」

 

 皆が「なるほど」と頭を上下させる中、ジルクニフは口を開いた。

 

「しかし、フールーダよ。そのデスナイトとやらはエ・ランテルに現れたのだろう? エ・ランテルは都市だ。そして、当然ながら帝国の様に魔法使いも多くはない。一体、どうやって倒したというのだ? もしや、お前がこっそりエ・ランテルにでも行って倒してきたのか?」

 

 思わず、部屋に笑い声が響く。フールーダはその白いひげをしごきながら答えた。

 

「そのデスナイトが倒された瞬間は目撃されておりません。そもそも、デスナイトらしき姿が多くの者に目撃されたというだけで、それが実際にデスナイトであったかは確認されておりません。見間違いの可能性ももちろんございます。ただ、デスナイトをも上回るだろう存在が召喚されておりますので、それならば倒すことも可能かと思われます」

「デスナイトを上回る存在? 今、お前が散々強大だと言いつのっていたデスナイトをか? 一体なんだ?」

「はい。威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)でございます」

 

 聞いたことのない名前に一同首をひねった。

 

「? そいつは強いんですかい?」

「200年前、十三英雄の時代に暴れていた魔神を単騎で倒したほどの天使と言えば分かるかな?」

「魔神を!?」

「ちょっと待て、フールーダ! 魔神を単騎で倒す? それほどの存在をいったい誰が、どうやって召喚したというのだ? お前ならば出来るのか?」

「いえ、私でも不可能ですな」

 

 それを口にした瞬間、ひげで隠された口元がわずかに歪められた。

 

「なんでも、それの召喚魔法が込められた魔封じの水晶が使用されたという事です」

「いったい、誰が?」

「冒険者『漆黒』のモモンだそうです」

 

 ちらりと、傍らのロウネ・ヴァミリネンに目をやる。

 そして、ロウネは先にフールーダへ語った説明を、皆の前で繰り返した。

 

「冒険者『漆黒』のモモン。このアンデッド騒ぎが起こるわずか前、エ・ランテルに姿を見せた人物です。そして、街に現れた直後、冒険者として登録。仲間はルプーという名の褐色の肌を持つ赤毛の女神官のみ。依頼で数日、街を離れている間にアンデッド騒ぎが起き、帰ってくると同時にアンデッドの大群を蹴散らし、多くの民衆が救助を待つ避難所へ急行。そこで魔封じの水晶を使い、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚。そして、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は住民保護の為に避難所へ残し、自分たちのみで墓地に向かい、事の発端となったズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒して騒動を解決したそうです。その後、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を引き連れ街中のアンデッドを駆逐していったのだとか」

 

 「はぁ」というため息しか出ない。

 

「え? つまり、そのモモンとかいう奴は。わざわざ呼び出した威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)も使わずにズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒したって事か?」

「はい。しかもその際、ズーラーノーン配下の者の他、スケリトル・ドラゴン2体を撃破したらしいです」

「スケリトル・ドラゴンを2体? 仲間はルプーっていう女神官だけなんだろう?」

「いえ、それ以外にトブの大森林に生息していた魔獣『森の賢王』を屈服させ、仲間にしたらしいですが」

「いや、それにしても凄えな。スケリトル・ドラゴン1体ならともかく2体同時。それもズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)までとはな」

「ええ。エ・ランテルの冒険者組合はその実力と功績を評価し、特例ながら評価試験無しでミスリルのプレートを渡したそうです」

「ミスリル!?」

 

 通常、冒険者の階級は評価試験を受けることによって上昇する。上のランクの評価試験を受けるためには、現在の階級の依頼を5回以上こなさなければならない。その地道な研鑽を飛ばして、初期の銅から6つは階級が上のミスリルに一足飛びに上がるとは……。

 

 

「なるほど。冒険者『漆黒』のモモンか」

 

 ジルクニフがつぶやいた。

 

「それで、その男が凄いのは分かった。で? 詳しい素性は?」

「それが……全く分からないのです?」

「? どういう事だ?」

 

 ロウネは額の汗を拭き、答えた。

 

「このモモンですが、……エ・ランテルに現れる前の経歴が全く分からないのです。調査したのですが、それらしい人物の情報は皆無。また、常にその名のごとく、漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に着けており、その素顔も明らかではありません。エ・ランテルに流れる噂レベルですが金髪碧眼の偉丈夫、禿頭で銀の顎髭を生やした男、黒目黒髪の壮年男性、はたまた目も冴えるような美しい女性などという話まで」

「なんだ、そりゃ? ずっと全身鎧(フルプレート)を着たまま? 飯とかどうしてるんだ? 冒険者なら護衛とか長期の任務もあるだろ」

「食事等をしているところをだれも見ていないのです。人前で食事をしないという、宗教上の事だとかで」

 

 それを聞いた者達は不思議な表情を浮かべる。あまりにも奇妙だ。いや、奇妙すぎる。冒険者には変わり者も多く、敢えて目立つ格好をしている者も多いとはいえ、常に全身鎧(フルプレート)を着続け、その素性を全く明かさないなど目立つという範疇を超えている。

 また、続いて報告された、大剣(グレートソード)を両手に2本持った二刀流の使い手という情報には度肝を抜かれた。

 その場にいた者達が、頭の中に思いつく限りの強者の名を出し、モモンの鎧の中身を討議しだした。

 

 

 だが、皆がその冒険者モモンの素性を詮索し合っている中、一人黙考していたフールーダにジルクニフが声をかけた。

 

「どうした?」

「はい、少々気になる事が」

 

 フールーダの言葉に、皆が耳を傾けた。

 

「その者が使用したという魔封じの水晶ですが、これは非常に貴重なもので高難度ダンジョンの奥底などでしか見つからない希少なものでございます。帝国魔法院でも80年ほど前のアダマンタイト級冒険者が見つけてきた数個しか保有しておりません」

「ん、そうか。ふむ、それがとても希少なものという事は分かった。それがどうした?」

「はい。そんな希少な魔封じの水晶ですが、……それをある程度の数、保有している者達がございます」

「なに? それはどいつだ?」

「スレイン法国でございます」

 

 

 その答えに、一瞬、場が水を打ったように静まり返った。

 

 

「そして、スレイン法国は六大神の残した遺産と呼ばれるケタ外れのマジックアイテムを多く保有しており、その中には特殊な儀式を行う事で、本来使用できる位階を超えた魔法の行使を可能にするものなどがあるそうです」

「……つまり、お前でも使えぬという威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚する魔法とやらもか」

「おそらくは」

 

 誰かがごくりと喉を鳴らした。

「もしや、冒険者『漆黒』のモモンの正体は法国の人間……」

 

 

 ジルクニフは口元に手を当て室内を歩きながら思考をまとめようとした。彼自身の体によって、青銅の香炉から立ち上るジャコウの香りがかき乱される。

 

 ジルクニフの脳内で、報告書に書かれていた重要な情報から、微かに耳に入ったようなささいな情報までが入り乱れ、その中から点と線がつながり一つの形となって浮き上がってくる。

 

 

「おい、ロウネ。たしか、エ・ランテルに潜む正体不明の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に法国の人間らしき者が接触しているという話があったな」

 

 皇帝の問いに、ロウネは目を見開いた。

 

「は、はい。あまり信頼性の高い情報とは言えず、調査継続とされたままでしたが、確かに」

「まさか、ズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に法国が接触し、あのアンデッド騒ぎを起こさせたというのですか?」

 

 その言葉から推測されるものに、ニンブルが思わず声をあげ、それが呼び水となり、皆が銘々に声を発した。

 

「あり得ぬ話ではないな。スレイン法国は人類守護という名目の為、全ての人間を法国の傘下に収めることを目的としている。その為であれば、一時的な犠牲、すなわち殺戮等も平気で行う連中だ」

「少々補足させていただくなら、最初に私はエ・ランテルで起きた現象を分からぬと申しましたが、それはあくまで私が知る限りの魔法知識の上での事。六大神の遺産といわれるアイテムの中にはアンデッドを生み出す霧を発生させるという効果を持つ物もあるやもしれませぬな」

「……そして、同じスレイン法国の人間がモモンという名で冒険者になり、事件を解決したという事ですか?」

「なるほどな。しかし、そう言われりゃ納得ですな。騒ぎの直前にモモンがエ・ランテルで冒険者登録した事。その魔封じの水晶とやらで、すげぇ天使を召喚した事。そして、自分たちだけで墓地に突っ込んで騒ぎを解決した事。ああ、霧が発生して大騒ぎになった時に、自分たちは街を空けてた事もですな。騒ぎが起こってすぐに解決するよりは、街中が混乱に陥ってから助けた方が評判は上がりますし」

 

 バジウッドの言葉に、誰もが得心がいった。

 

 まず、法国の人間――おそらくその強さから六色聖典の誰かと推測される――がモモンという名で冒険者として登録する。

 次にエ・ランテルに潜伏するズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、法国の人間がアンデッドを生み出す霧を発生させるという特別なマジックアイテムを渡す。

 ズーラーノーンはそのアイテムを使い、エ・ランテルを破壊と混乱で包み込む。

 そして、人々が絶望の淵に沈んだところでそのモモンが颯爽(さっそう)と現れ、民衆の前で魔封じの水晶を使い威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚する。ここでの民衆は自分の名声を高めるための材料だ。生き残ってその名を広めてもらわなくてはならない。そこで威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)をその場に残し、民衆をアンデッドから守らせる。

 そうして自分は墓地へ行き、ズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を退治する。口封じもかねて。そうして、その者に渡していた霧を発生させるアイテムを人知れず回収するという訳だ。

 デスナイトの出現は、あまり噂になっていない所から、意図してのものではないかもしれないが、後は威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を引き連れ、街中の人間にモモンという名を知らしめたということなのだろう。

 

「しかし、なぜ、そんなことを?」

 

 ニンブルの疑問に、ジルクニフ(みずか)らが答えた。

 

「帝国と王国の戦争。もう座視している気はなくなったのだろう」

 

 帝国と王国はここ数年、定期的に戦争を繰り広げている。

 戦争をしていると言っても、大規模な戦闘を行っているという訳ではない。あくまで王国の国力を減らすため、並びに帝国内でジルクニフに逆らう貴族の力をそぐために、戦争という形で兵員を動かすことが目的だ。何せ兵隊を動かすには金や食料がいる。実際に戦わずとも、戦争という形をとらせるだけで、王国は毎回民衆を徴兵し運用しなくてはならなくなり、それにかかる費用の捻出や兵役中の労働者不足からくる作物の生産性の悪化で、王国の国力をどんどん減少させることが可能なのである。数年の後には、王国の国内は虫に食われた桑の葉のようにボロボロになるだろう。その時こそ、兵を動かし王国軍を打ち破るときである。

 

 だが、それを自国による人類の統一を目的とする法国が黙って見ているだろうか?

 帝国が王国を破れば、パワーバランスが大きく崩れることになる。王国を下した帝国は今よりはるかに強大になるだろう。下手をしたら、法国を下すことが出来るほどに。

 おそらく法国が帝国と王国の紛争に介入しなかったのは、漁夫の利を得るためだったのだろう。

 片方が、もしくは互いに疲弊し弱った所を併呑(へいどん)する。

 それを狙っていたのだ。

 

 エ・ランテルは帝国、王国、法国への交易路が交わる交通の要衝である。ここを法国が押さえればたとえ王国が崩壊したとしても、帝国は軍を進めることが出来ない。また、仮に帝国が戦争の結果、エ・ランテルを王国から割譲してもこの街で民衆を扇動されたり、レジスタンスなどを組織されたりすれば、その後の王国侵略も差し障りが出る。

 

 そう、民衆の扇動や抵抗組織の結成。

 強大な実力の持ち主で、その名声が広く知れ渡っている人望の厚い人物などがいれば適任だ。

 

 

 すなわち、冒険者『漆黒』のモモン。

 

 

 おそらく法国は、王国がこのままだと数年で瓦解することを見越して、布石を打ってきたのだろう。

 

 

 誰もがこの後の次善策を考える中、声を出したものがいる。

 

「そう言えば、陛下。一つよろしいですか」

 

 ロウネである。

 ジルクニフは顎で続けろと指示した。

 

「先日より、王国から流入するライラの粉末を始めとした麻薬が、著しく減少しております」

 

 その場にいた者達は内心、首をひねった。

 なぜ、ロウネは突然そんなことを言いだしたのだろう? この件と関係あるとは到底考えられないし、麻薬が帝国に入ってこなくなったのだから、それは良い事だろう。

 そんな視線を受けつつも、ロウネは言葉を続ける。

 

「麻薬が入ってこなくなった原因ですが、エ・ランテルにあるようです。そもそも、王国内で麻薬売買を始めとした犯罪行為を組織立って行っていたのは、八本指と呼ばれる犯罪組織。そして、その組織の息のかかった者達がエ・ランテル経由で帝国に麻薬を運んでおりました。ところが、先日より、エ・ランテルで八本指以外の闇組織が急激に勢力を伸ばしております。その勢力争いにより、エ・ランテルを越えて自由に麻薬が運べなくなり、帝国への流入量が一気に減少しております」

 

 それは分かった。だが、それが今の話と何の関係があるのか?

 

「新たに勢力を伸ばしているのは、元は傘下の一店でしかなかったギラード商会という故買屋です。それがどこから手にしたものなのか、圧倒的な資金力と逆らうものは皆殺しにするという強引なまでの力でエ・ランテルの裏社会をその手に収めていっております。それも、アンデッド騒ぎの直後から」

「「「!?」」」

 

 ようやくロウネの言わんとしている事が分かった。

 

 ズーラーノーンの騒ぎが終わった途端、急速にエ・ランテルの闇社会を手中に収めていっている、不自然なまでの資金力と軍事力をもつ、ただの一商会。

 タイミング的にも偶然であろうはずがない。

 考えられるのは……。

 

「なるほど、冒険者モモンが表で名声を広め、同時にエ・ランテルの裏社会をも牛耳るという計画か」

 

 表と裏、その両方にスレイン法国は手を伸ばしているのだ。

 

 その大胆かつ、あまりにも素早い動きに皆は戦慄した。

 これでは、仮に戦争に勝ちエ・ランテルを手に入れても、その抵抗運動は激しさを増すばかり。かつ先導者にうながされるまま、せっかく勝ち取った都市が法国へと帰属する羽目になるかもしれない。

 血を流してまで手に入れたのに、成果なしとなっては立つ瀬がない。

 だが、最も恐るるべくは、エ・ランテルを手中にし、さらに王国内へ兵を進めた時を狙って反乱を起こされることだ。そうなった場合、帝国兵に選べるのは、背後から襲い掛かる王国兵におびえながらエ・ランテルを攻略してこじ開けるか、さもなくば補給の不安を抱えたまま進軍し王国の都市を占領して孤立するかだ。

 どちらにせよ、帝国、王国共に大きく疲弊し、法国の侵略に耐える余力は残らないだろう。

 

 その未来予想に誰もが身震いした。

 

 

 とにかく、今は法国の策略をすべて知ることが肝要だ。ジルクニフは居並ぶ者達に、なにか少しでもエ・ランテル付近並びに法国の動向について知っていることがあったら言ってみよと命じた。

 幾人かが自分の知りえる情報を、それが重要か重要でないかはさておき、報告した。エ・ランテル近郊で法国の兵士が帝国の騎士に偽装して虐殺を行っていた等の、語られる大半はジルクニフも耳にしていたものだった。

 

 そんな中、一人の文官が声を出した。

 報告が届いたばかりで精査もしていない情報ですが、と前置きしたうえで、法国の兵士らしき部隊、およそ50人ほどがトブの大森林に入っていった。そして、2日ほど後、入って行った時の半数ほどの兵士が出ていったと語った。

 その場にいる者は、法国がよくやる魔物狩りだろうと思った。実際、これまでも法国はトブの大森林を始めとした場所で、人類に仇なす怪物(モンスター)を狩る事があった。森から出ていった人数が入っていった時と違うのは、戦いによって犠牲者が出たからだろう。

 そう判断され、次の者が口を開こうとした瞬間、彼らの皇帝が「待て!」と制止の声をあげた。

 

 驚きに目を見開くなか、ジルクニフは誰の顔も見ず、思考の海に浮かんだまま問うた。

「トブの大森林内に、兵の駐屯地を作る事は可能か?」

 

 その問いには、バジウッドでさえ妙なことを聞かれたと困惑の表情を浮かべた。

 

「陛下、そりゃ無理でしょう。トブの大森林は魔物の領域。駐屯地どころか留まる事すら困難でしょうな」

 

 当然の答え。

 それに対し、問いを行ったジルクニフはうなづきながら言った。

 

「ああ、そうだろうな。普通であれば。だが――」

 

 

 

「――だが、トブの大森林を縄張りとする強大な魔獣の助けがあればどうだ?」

 

 はっと皆、息をのんだ。

 

「モモンの従えているという森の賢王!」

 

 そうだ。トブの大森林を縄張りとするという伝説の魔獣。それがおそらく法国の人間と目される冒険者モモンに付き従っているのだ。

 

「そう言えば」

 

 ロウネが喘ぐように口を開いた。

 

「冒険者モモンはアンデッド騒ぎの前、冒険者としての依頼、それも指名依頼を受けてエ・ランテルを離れました。その依頼というのがトブの大森林での薬草採取だそうです。そして、その際に、森の賢王をねじ伏せ、配下にしたという報告を受けております」

「なるほどな。薬草採取にかこつけてエ・ランテルを離れる。そしてトブの大森林でその一帯を支配していた魔獣を倒す。最初は討伐する気だったかもしれんが、恭順の意を示したため、モモンの名声づくりに一役買うかと思い、連れまわしているというあたりか。その時点では、モモンはエ・ランテルに来て冒険者登録をしたばかりのはず。そんなぽっと出の新人に指名依頼などする奴がいるはずもない」

 

 

 これまでトブの大森林は人間の住まう土地ではないとして、国家間の争いからは無縁の地であった。これまで幾人もの近隣の統治者が、森の魔獣達を根絶しようと大規模な討伐隊を組んだが、行軍に不向きな深い密林と、そこに潜む怪物たちの前に大きな被害を受け、帰らぬ人となった。その為、無駄に犠牲を払う必要もないと、魔物の領域である森林は避けるようになり、森の切れる南の地に交易路が出来、エ・ランテルが出来たのだ。

 

 だが、仮にそのトブの大森林内に、人間の兵を留め置く駐留地を作ることが出来れば……。

 

 まず、森の中にあるため、そこにいる兵を排除するには魔物たちを倒さねばそこに近づくことも出来ず、まさに難攻不落の拠点となる。

 そして、その兵たちが自由に森の外への出入りが出来るのならば、先ほど考えたエ・ランテルでの蜂起の際に投入する兵士の待機など、いくらでも使い道は考えられる。

 それだけではない。もし仮にトブの大森林内を兵士が長距離移動することが出来た場合、帝国、王国共に敵の攻撃に対する警戒線が格段に広がることになる。知らず知らずのうちに領内奥深くへ攻撃が加えられるかもしれない。すると、それに対する警戒に使う兵士も必要になる。

 もし、これらの想像が現実のものとなったら、王国との戦争どころではない。下手をすれば帝国そのものさえ危うくなる。

 

 

 周到に立てられたであろう計画、そしてそれが及ぼす結果の予想に、その場にいた者達の背に一様に冷たいものが走る中、フールーダが静かに口を開いた。

 

「先ずは実際に調べてみないことには話になりませんな。最悪は想定しつつも、影におびえていてはなりません」

 

 その言葉に皆、気を取り直した。

 そう、ぼうっとしている場合ではない。ここにいるのは帝国でも皇帝の信任厚い側近たち。自分たちの判断によって帝国は動き、行動することで帝国の道は切り開けるのだから。

 

「とりあえずはトブの大森林の調査ですか」

「ああ、魔獣に襲われる危険があるし、くわえてこんな状況だ。いつもより厳重に部隊を組んだ方が良いな」

「帝国領に接する箇所を調べるのも重要ですが、その法国兵士が目撃された辺りも捜索させた方が良いのでは?」

「それは少々危険かと。王国領の奥深くですので」

「なに、帝国の騎士鎧を着ていかなきゃいいだろう。冒険者なりワーカーなりのまねごとをして」

「なるほど。では、手配しましょう」

「それと、エ・ランテルでの諜報に力を入れては? 冒険者モモンや、そのギラード商会とやらの情報を集める必要があります」

「人員も出来るだけ増やした方が良いな」

「では予算を増額して……」

 

 

  皆が帝国の為を思い、為すべき事を議論し合う討議は、その後、夜を徹して行われた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「結局分からないかー」

 

 ベルは疲れた声を出した。

 実際に疲労はしないが、気苦労は確実に蓄積される。特に生命の危険があるとなればなおさらだ。

 

 机を挟んで正面に立つデミウルゴスとユリにしても、大切な至高の御方の御息女に落胆の声をあげさせるのは本意ではない。だが、その顔をほころばせるために虚偽の報告を上げるわけにもいかない。それこそ、不敬であるし、ベル当人の意に反している行いであることは明白である。

 だから二人はその悲嘆の混じった声を聞き、ベルに責める意図はないにしても、自らの不備に恥じ入った。

 

 

 ここはナザリック第9階層。アインズとベル共有の執務室。

 今、この場ではデミウルゴス並びにユリから一連の調査結果の報告を、高さが合わないためクッションを敷いた椅子に腰かけたベルが受けていた。

 

 ぺらぺらと報告書をめくり、その内容を流し読みする。

 しかし、読むにしても、そこに書かれていることは少ない。

 ほとんど分からなかったという事なのだから。

 

 それは先日、アウラとマーレが遭遇した者達、ツアーという人物と法国の漆黒聖典に関する調査結果。

 100レベルキャラである二人とそれなりに戦えるツアー、並びに謎の精神操作を行える漆黒聖典。

 

 この地に敵する者はいないと思っていたアインズとベルにとって衝撃だった。

 

 その為、慌ててそれらについて調べさせたのだが……。

 

「法国については、上層部は謎に包まれていてよく分からない。ただ、六色聖典とかいう特殊機関があるという噂はある、か……。そして、ツアーについては噂レベルすら無し、と」

 

 法国、六色聖典と聞いて思い出したのは、カルネ村で闘った陽光聖典。同じ法国で聖典と付くという事は、似たような機関があってそっちが漆黒聖典なのだろうか? そもそも、六色聖典と陽光聖典、漆黒聖典は別物なのだろうか?

 

 やはり、あの時、陽光聖典の誰かを攫っておくべきだったかと後悔した。あのニグンとかいう男をガゼフに渡さなければよかったかもしれない。

 しかし、あの時はこのよく分からない世界で、ナザリック地下大墳墓が存在する地を治める王国とパイプが出来るというのは捨てがたいものがあった。

 

 それと、エ・ランテルでのクレマンティーヌ。あの者も法国の人間だった。あの時はとにかくこの地で使われる金が欲しかった。その為、騒ぎを起こさせるために使ってしまったのだが、あれも今から考えれば惜しかった。

 アイテムを仲間に渡させた後、どうにかして連れ出し、そのまま攫ってしまえばよかったかもしれない。

 もしかしたら、漆黒聖典について何か知っていた可能性もある。

 ……さすがに、そんな都合のいい話はないか。

 

 

 そして、ツアーについてはまったく手掛かりはなし。

 アインズ扮するモモンが冒険者組合で白銀の全身鎧(フルプレート)の強者についてそれとなく聞いてみたが、一切該当しそうな者はいなかった。

 

 

「うーん……。結局のところ、あのエクレアがおかしくなった原因は何だったんだろう?」

 

 

 思い返すのは、あの後、現場へ行ってみたときの事。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 戦闘があった場所から少し離れた所へ〈転移門(ゲート)〉で移動し、単身、現場へおもむいた。

 〈伝言(メッセージ)〉の指示に従い進んでいくと、不意に見通しのきかない密林にぽっかりと視線が通った。

 森の中の一角。樹木が焼け落ち、そこだけ周囲の森林から切り離したように円い広場となっていた。

 

 目指すものはすぐに見つかった。

 十人程度の人間の死体。その肉体は黒く焼け焦げ、肉が炭化したため奇妙にねじくれている。

 

 さっそくそれらの死体を漁ったのだが――。

 

 

 ――すでに、漁られた跡があった。

 

 戦闘報告にあった大斧使いの大斧や奇妙な剣を持つ男の鎧など、よっぽどかさばる物は残されていたのだが、そうではない物――衣服や片手武器などは失われていた。

 

 魔法の炎によって焼け落ちたわけではない。

 

 その証拠に、転がる焼死体には装備を剥ぎとるために、鋭利な刃物で肉体を切り割いた痕があった。

 

 〈伝言(メッセージ)〉を使い、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉でこちらを見ているはずのアインズ、およびアウラ、マーレとやり取りしながら確認したのだが、死体の位置などから、エクレアに光の竜を放った老婆の死体も特定した。

 だが、その身体も同様に切断され、もしマジックアイテムならば焼け残っているかもと思っていた衣服も無くなっていた。

 

 

 どういう事だろう?

 アイテムだけ回収して、死体は回収していないという事は、重要なのはアイテムであって使った本人ではないという事か?

 つまり、エクレアを襲った竜は、個人の持つタレントや魔法等ではないという事なのだろうか?

 

 

 しかし――。

 

 あらためて関節がねじくれ奇怪な姿となった者達を見下ろす。

 

 死体も回収していない?

 なぜだ?

 蘇生魔法が使えないのだろうか? 

 この世界にも蘇生魔法自体はあるらしい。それは国単位でも使えない程、希少なのだろうか?

 エクレアで試したNPC復活のように、蘇生に死体は必要ないのだろうか? 遠隔地から蘇生魔法をかけることで、死体はホームで復活するとか。

 もしくは、重要アイテムだけを回収して、一旦、この場を離脱。後で死体や持ち切れなかったアイテム等を再び回収に来るつもりなのだろうか?

 

 ……分からないことだらけだ。

 だが、とにかく、この漆黒聖典たちの保有していたアイテムの一部を、ベルが手に入れることは出来ないようだ。

 

 

 出遅れたか……。

 

 エクレアの状態回復に時間をとられていたため、ここに到着するのに、戦闘から半日ほど時間をおいてしまっていた。

 その間に、何者かがすでに持ち去ってしまったらしい。

 

 ……では、誰が?

 

 最も考えられるのは、ツアーという人物だ。

 アウラ、マーレと戦えるほどの戦闘力。当然、レベルも相応に高い事は予想できる。マーレが使用した〈獄炎の森林(ヘルファイヤーフォレスト)〉。あれは継続ダメージを与え続ける魔法のため、全て受けると総ダメージは結構なものになる。だが、あくまで結構なダメージを与えることは出来るが、高レベルキャラが相手だと、それだけで仕留めることは出来ない。

 ツアーがあの魔法を生き残ったことは想像に難くない。

 現に、周辺には白銀の鎧など転がっていないのだから。

 

 それと、そう考えた場合、もう一人生き残った可能性がある人物がいる。

 漆黒聖典の隊長格らしい長い黒髪の男だ。

 その男はツアー程の強さはないが、それでもアウラの鞭を防ぐなどしたらしい。

 その男もまたマーレの魔法を耐えきった可能性がある。

 報告にあったあからさまに怪しい武器。みすぼらしい槍を持った死体もまた存在しない。まあ、槍はそれほどかさばらないので、回収者によって持ち去られた可能性はあるが。

 

 

 どちらにせよ、今、ここで出来ることはあまりない。

 これらの死体を回収していこうかとも思ったが、それは止めておいた。

 魔法で蘇生させた場合の実験がまだだったからだ。もし復活場所が死体のある場所でなくホームでの復活だった場合、ナザリックから死体が消え法国で復活するという事態になり、もしかしたらナザリックの情報が洩れる危険性がある。エクレアの蘇生実験では、ホーム復活だったが、それがギルドのNPC復活特有のものなのか、魔法によるものもそうなのかはまだ判断できない。

 

 一応、死体回収に来る可能性もあるためと、アイテムが手に入らなかった腹いせのために、死体の下に罠を設置しておいた。もし死体を動かそうとしたら、消費型のマジックアイテムが発動して、回収しようとした奴が被害を受けるだろう。

 

 そして、大斧など回収できるアイテムは、すべてアイテムボックスに放り込んだ。

 

 もう一度、森の緑の中、焼け焦げ黒に染め上げられた一帯に目を向けるが、いくら惜しんでもそこにはもう何もない。

 後ろ髪引かれる思いながら、ベルはナザリックに帰還することにした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリックに戻ってから、そこで回収したアイテムをアインズに魔法で鑑定してもらったが、やはりそれらはユグドラシルのものだった。効果はそれほど高くないようだったが。

 

 やはり自分たちより前に、この世界に来たプレイヤーがいる。

 もしかしたら、今もどこかに存在しているかもしれない。

 共通の魔法やなぜか適用される特殊技術(スキル)、翻訳される言葉により、うっすらとその可能性はあるかもくらいに思っていたが、これではっきりした。

 

 より一層、警戒を厳にしなくてはならない。

 今のナザリックは、プレイヤーであるギルドメンバーは2人だけ。しかも、現在ベルは子供の身体になっているため、戦闘能力が(いちじる)しく減少してしまっている状態だ。

 こちらにはNPC達がいるとはいえ、向こうにも同様にいるかもしれない。

 

 本当にいるのか?

 どこにいるのか?

 何人いるのか?

 ナザリックのようにギルド拠点まで来ているのか?

 

 暗闇の中を手探りで探るように、不明瞭ながら慎重に慎重を重ね、それでいて相手より先にこちらが向こうの尻尾を捕まえなくてはならない。

 

 その為、ナザリックの警戒態勢を一から見直した。侵入者への警戒はより厳重に。

 そして、ナザリックの外へ出る者達のなかで、重要度が低いと判断した者達は任務を取り消した。

 重要性が高いと判断したものには、防備を整えるためのアイテムを追加支給した。

 

 

 そうして情報収集を優先させ、諜報活動に力を入れたのだが……。

 

「それで、王都の方は?」

「残念ながら、失敗です」

 

 デミウルゴスが顔を曇らせながら首を振った。

 

「王都に派遣したシャドウデーモン5名。すべて全滅しました」

 

 その報告に思わず歯を噛みしめる。

 

 

 シャドウデーモン。

 影に潜む能力を保有しているため、隠密活動に適した悪魔である。だが、かと言ってその戦闘能力は、ナザリックではなく現地の者達と比較するなら、決して低くはない。多少の魔法を使えるほかは、あまり戦闘に適した特殊能力(スキル)は保有していないものの、シャドウデーモン自体のレベルは30に達する。そのため、その肉体能力だけでも十分強力と言える。この地の者達の強さはそれなりに調べたつもりだが、その中でシャドウデーモンと一対一で闘うことが出来るのは、ガゼフやハムスケくらいのものだろう。

 

 そんなシャドウデーモンが5体とも倒されるとは……。

 

「全滅した原因は?」

「はい。戦闘によるものです」

「相手は?」

「シャドウデーモンの一体がとどめを刺される間際、相手にその素性を聞いたのですが、冥土の土産として蒼の薔薇のイビルアイであると語ったそうです」

「蒼の薔薇のイビルアイ? どんな奴なのか、情報はある?」

「リ・エスティーゼ王国に2組しかいないアダマンタイト級冒険者チームのうちの1人だそうです。常に仮面をつけた小柄な魔法詠唱者(マジック・キャスター)。それでいて、肉体能力にも優れ白兵戦闘も出来るとか」

「ブラフの可能性は?」

「少ないと思われます。死の間際にされた報告により得られた身体的特徴などの情報、アインズ様自らが冒険者に扮し、エ・ランテルの冒険者組合から入手なさいました情報と一致いたします」

「そっか……。うん。そのシャドウデーモン達は死したとはいえ、ナザリックの為に良き働きをしてくれた」

 

 ベルの発したいつもと違う厳かな口調に、デミウルゴス並びにユリは深く頭を下げた。

 

「なんともったいないお言葉。あの者達には最高の手向けとなるでしょう」

 

 

 

 ベルは内心で嘆息した。

 現段階で王都にこれ以上シャドウデーモンを送り込んでも仕方がないだろう。かと言って、もっと強力な魔物を送り込むのも躊躇する。より強力な魔物なら、もしくはより隠密活動が得意な高レベルモンスターなら、そのイビルアイに邪魔されずに諜報活動が出来るかもしれない。だが、仮に、そのイビルアイ自体がより強大であったり、もしくはイビルアイは餌で更にバックに強大なもの――それこそプレイヤーが潜んでいた場合、そこからナザリックの存在が露呈する可能性がある。

 力押しではなく、誰かを人間として潜伏させて情報を探らせるか。

 

 しかし……。

 

 

 どうしようもない事実がベルの頭を悩ませる。

 

 送り出せる人材がいないのだ。

 

 

 まず、ナザリックの者達はほとんどがアンデッドや魔族などの異形種であることがあげられる。人間の姿をしている者が圧倒的に少ない。人間に偽装し、人の住む街に潜伏出来るようなものがほとんどいないのだ。

 

 そして、問題はそれだけではない。

 

 かつてナザリックは第8階層まで攻め込まれた事がある。

 すなわち、その時の攻略に参加、もしくは攻略動画を見たプレイヤーならば、第8階層より上の階層にいた者達の顔を見知っている可能性があるのだ。

 

 考えすぎかもしれないが、何もかもが不明瞭な中、可能な限りリスクは押さえたい。

 

 そうして考えると、絶対に顔バレしていないのは第9階層以下にいた者達。

 だが、それらの者達の中には人間に近い姿をしている者が多くいたものの、戦闘能力を保有していない者がほとんどだった。

 さすがに、そんな者達をナザリックの外に出して危険にさらすのは躊躇(ためら)われる。

 

 そうすると、誰も侵入したことがない第9階層以下におり、なおかつ戦闘能力がある者として考えた場合、ゴーレムらを除くと、アルベド、セバス、それとプレアデスくらいのものだった。

 

 まあ、実際には桜花のあれや宝物殿のパンドラもいるのだが、前者には任務があるし、後者のパンドラは出すとアインズの精神状態が危うくなるので除外する。

 

 とにかくその中で人間世界に混じれるものとして考えると、アルベドは明確に悪魔の姿をしているので駄目。シズはギリギリ。エントマはアウト。と、実質動かせるのはセバス、ユリ、ナーベラル、ルプスレギナ、ソリュシャンの5名だけ。

 付け加えるならば、ユグドラシル時代と姿形が変わったベルも加えた6名である。

 

 この内、セバスとナーベラルは情報収集のため帝国へ向かわせているし、ルプスレギナはアインズのパートナーとしてエ・ランテルで冒険者である。そして、ベルはソリュシャンをお供としてカルネ村やエ・ランテルで活動している。

 

 そうなると残るはユリしかいない。

 

 ユリを王都に向かわせるか?

 ユリにはコックの職業(クラス)があるので、上手くやれるだろう。それに人間を下に見ることが多いナザリックの中でも、比較的人間に友好的という得難い性質がある。

 だが、ユリは今、そういった人間社会に潜伏という活動に関して言うならば、このナザリックで切れる唯一のカードだ。

 それを王都に投入してしまっていいのだろうか?

 

 

 とにかく、この人間社会に適応できる部下がいないというのが目下の悩みである。マルムヴィストらの伝手で八本指の人間をこちらに引き抜くというのもやっているが、そちらもペースを速めた方が良さそうだ。

 いや、八本指の人間をひそかに寝返らせ、そのまま八本指へのスパイとして内情を探らせるという事も出来るか。

 

 ……正直、難しいか。

 仮にそれをやろうとしたら、本当に知見と策略のみで八本指を制さなくてはならない。なにせ、諜報に送り出したシャドウデーモンは倒されている。

 はるか昔から、王の御膝元である王都で裏社会を牛耳り、生き馬の目を抜く権力争いを生き残ってきた八本指相手に、ナザリックの高レベルチート無しで、純粋に勢力争いのみで勝利する? 無理に決まっているだろう。

 

 いや、出来ないことは無い。出来る人材はいる。

 

 ちらっと、視線を目の前にいる悪魔に向ける。

 デミウルゴスはその眼鏡の奥にある宝石の視線を返した。

 

 そう、デミウルゴスならば出来る。

 この謀略と奸智に長けた悪魔ならば、たとえ、長年にわたって都市に根を張り続けてきた闇組織であろうと、膝を屈させることは十分に可能だろう。

 

 だが、それほど有益な駒であるからこそ、躊躇(ためら)われる。

 

 今現在、ナザリックはプレイヤーの存在に警戒を強めている状態である。

 万が一の時に投入できる知恵者。配下の指揮や運営まで全てを任せてしまっていい存在として、デミウルゴスの価値は鰻登りだ。すでに巻物(スクロール)に使える皮の調査という任務も任せてしまっている状態で、さらに王都での勢力争いまでやらせたら、それこそ本当に緊急事態が起きた肝心の時にデミウルゴスの力を使えなくなる恐れがあるのだ。

 

 

「そう言えば、帝都へ向かったセバスの方は?」

「現在、順調に旅をつづけ、もうすぐ帝都へ到着するようです。ただ……」

「ただ?」

「はい。報告によると、共に行った裕福な商人の娘役であるナーベラルが、少々問題を起こしているようです。人の名前を憶えない、人を面と向かって虫けらと言うなど、高慢というにはいささか過ぎた態度のようで」

 

 ベルは「ぬぅ」と声をあげた。

 

 ナザリックの者達は人間を見下す傾向にあるが、それでもドッペルゲンガーであるナーベラルならば演技もうまくやれるかもと思い送り出したのだが、かえってダメダメだったようだ。

 どうする?

 いっそ帝都につく前に役割を変えるか? 

 セバスをどこかの貴族でナーベラルを親戚の娘とか。いや、貴族はまずいか。背後関係とか洗われたりする危険性がある。どこかの引退した商人……、息子なり親戚なりに経営を譲って今は悠々自適に物見遊山の旅をしているとか。どこかの落ちぶれ貴族が商売に手を出し成功したとか設定をつけて……。

 いや、でもそうなると、さすがに二人きりで動いているというのは駄目だな。そういうのは下働きの者がするだろうし。

 誰か、人を……。そうだ。それこそ八本指から引っ張ってきた人間を下働きとして送るか。王国内だと顔を憶えている者もいるかもしれないが、帝国なら大丈夫だろうし。

 そうすると、ええっと、身分の偽装には何がいるんだ……?

 

 

 

 ……あああ、頭が痛い。

 なんで俺がこんなに働いてるんだろう?

 ちょっと前までは、異世界転移で俺Tueeeな感じで楽勝気分だったのに。

 

 そもそも、俺ってそんなに作戦とか考える(タチ)じゃないんだけどな。なんだか『ナザリックの朶思(だし)』とか変な仇名つけられてたみたいだけど。

 ただ単に、自分が死んでアイテムロストとかするのが嫌だったから、作戦が失敗した時にどう逃げ延びるかを考えて、あれこれ準備してたら、結果として他のギルメンも助けることになって、俺が一緒だと生存性が上がるって頼りにされる事になったんだよなぁ。

 

 なぜ、ぷにっと萌えさんは最終日に来なかったんだろう。一緒に来ていれば、こういうことはあの人に任せられたのに!

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ベルは内心で嘆いた。

 なんだかすべてを投げ出して逃げ出したくなった。

 

 だが、それをするわけにはいかないのである。

 

 

 この地の者達と100レベルプレイヤーであるベルの実力差は、それこそ天と地ほどの差がある。さらにベルは、低レベルキャラからのダメージを物理、魔法共に無効化する特殊能力(スキル)を持つ。ついでに精神操作系も無効だ。はっきり言って、害を加えられるものなどいまい。

 少女の姿とはいえ、この地で生きていくのに問題はないだろう。

 

 だが、忘れてはならない。

 

 この地にはもうナザリックが存在するのだ。

 

 ナザリックの力は破格だ。

 いずれ、その勢力圏はどんどん拡大していくだろう。

 たとえ、ベルがどんなに離れた場所で暮らそうとも、やがては接触する事になる。

 

 そうなった時どうなるか?

 ただの家出くらいに思われるか、それとも裏切りとみられるか……。

 

 実際、戦闘になったら、ベル一人ではひとたまりもない。守護者クラス数人でもきついし、そこまでいかなくても多数いる高レベルキャラによる波状攻撃などされたら、勝ち目はないだろう。

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがあるから、宝物殿に行ってあるだけワールドアイテムを持って逃げようかいうのも考えてみたことがあるが、どう考えても悪手でしかなかった。

 もしそんなことをしたら、ナザリック全軍で追ってくるだろう。ワールドアイテムがあればその襲撃を撃退できるかもしれないが、ワールドアイテムはワールドアイテムを持つ者には基本的に効果が無いというのがある。つまり、個人でワールドアイテムを保有しているアインズとアルベドの2人に攻撃されると、為す術もないのだ。

 色々考えた結果、現状、ナザリックの組織力の下を離れるのは得策ではないという結論にいたらざるを得ない。

 

 

 

 一見、ナザリック内で何不自由なく暮らせるのに、なぜナザリックを出ていったらなどということを考えるのかと疑問に思うかもしれないが、このようにベルが考えるのには理由がある。

 

 

 ベルは常に恐怖しているのだ。

 

 アインズと敵対することを。

 

 

 今現在、ナザリックはアインズとベル2人で話し合って方針を決め、運営している。言うなれば、ナザリックは現在、2人のものと言っていい。

 だが、もしアインズがナザリックの全てを自分一人のものにしようともくろんだ場合――ベルには為す術もないのだ。

 

 

 アインズの胸中を知るものならば、何を馬鹿なと笑い飛ばすかもしれない。

 アインズはこのナザリックのNPC達、そして友であるベルをいかに大切に思っているかは言うに及ばない。

 それこそ天が落ちてくるのを憂うようなものである。

 

 

 だが、ベルにとってこれは深刻な問題であった。

 

 ナザリック内でのベルの地位はアインズに次ぐとはいえ、そこには明確な差がある。

 アインズはこのナザリックの絶対的な支配者である。最後まで残ったギルドメンバーにしてギルドマスター。絶対的な忠誠をささげられる身である。

 対してベルはギルドメンバーの娘という設定である。その身に向けられる忠誠はあくまで間接的なものに過ぎない。

 

 もし仮に、アインズとベルが敵対した場合、ナザリックのNPC達は、多少の躊躇はするかもしれないが、全員がアインズの側に立つであろう。

 そうなれば、ベルに待つものは破滅しかない。

  

 例えるならば、アインズは常にその懐に拳銃を抱えているマフィアのボス。そして、ナザリックは敵対する者すらいないマフィアの組織である。対してベルは、それなりに腕っぷしはたつが、あくまでボスの友人であり、組織の役に立つちょっと知恵の回る者でしかない。ボスの機嫌次第では殺されかねないのだ。

 

 そんな不安定な地位にあるベルとしては、生き延びるために、己の立ち回りや万が一の保険に気を配らなくてはならない。

 

 マーレが焼き尽くした戦場に、己が身を危険にさらしても単身向かったのも、その為でもある。

 エクレアを精神操作した何かや、ツアーの装備などをいち早く調べて、使えるようなものがあったら自分のものにする魂胆だった。

 アリバイのように〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉でアインズらに見てもらっていたが、もし何か重要な物を見つけたら、周辺の警戒など適当な口実で別の場所にその視界をずらさせ、その隙にアイテムボックスに放り込むつもりだった。

 

 まあ、結局そんなものはなかったわけだが。

 

 とにかく、今の地位に安穏としているわけにはいかない。可能な限り情報を集め、自分だけの切り札をその手にしなければならない。

 

 とりあえずは当分、ナザリックから離れられないのだから、今はナザリックの為になる事をして、有用性を示さなくてはならない。

 まずは今、目の前にある懸案を片づけなくては。

 

 

 気を取り直して、再び思考の海に戻る。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 とにかく情報収集という観点から、ここはやはりユリを王都へ潜入させるべきか。

 

 法国の調査も行わなければならないし、そちらに潜入させるというという手もあるが……。

 いや、それは止めた方が良いな。法国にはあのエクレアを洗脳した『何か』がある。数少ない使えるカードであるユリを送り出して、餌食となったら目も当てられない。

 情報がない中、下手に法国を刺激するより、帝国や王国で十分に情報を集めてから、法国に対応した方がいい。

 

 

 そうだ、エクレアと言えば。

 

「そう言えば、エクレアはその後どう?」

 

 ベルの問いに、ユリが頭を下げて答えた。

 

「現在のところ、不審な兆候はないようです。全く以前のまま、ナザリックを支配すると言っております」

「……この前の影響があるのかないのか、いまいち分からないけど……。まあ、いいか。それで業務も日常通り?」

「いえ、現在は特別任務に就いております。さすがに完全に信頼できない現状では、主任務であるトイレ掃除の際に何かを仕掛ける可能性について警戒しなくてはなりませんので」

 

 盗撮カメラとか?

 

「うーん。まあ、そうだね。それで特別任務って?」

「現在はニューロニスト様のところで、鼻から椎茸ヨーグルトを食べる実験を行っております」

「なに、その実験!?」

「私には理解しかねますが、アインズ様の許可を得た実験との事でございます」

 

 

 なるほど、さすがはアインズさん。一見、意味のない行為に見えて、その奥には深淵なる目的が隠されているのだろう。

 

 

 ……な訳ないな。

 たぶん、また、あげられた要望をよく聞きもせずに許可出したんだろう。

 

 まあ、いいか。

 先程も考えたが、アインズさんはギルドマスターであって、俺はかつてのギルメンの娘って設定。上下関係として、向こうが上で俺が下。

 よほどの重大事項ならともかく、多少の事でその決定に異議を挟むとかは控えたい。

 

 そう考えると、この前、エクレアがおかしくなった時に〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉で〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使うとか言い出さなくてよかった。

 

 アインズさんの発言、しかもナザリック旗下の者を助けるためという名目がつくと反対など出来ない。

 この何がどうなるか分からない世界で、万能な効果が期待できる〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉はとても貴重だ。もちろん、そのうち使用実験とかしてみなければならないが、正直、現段階で戦力にならないエクレアに使うのはあまりにも惜しい。

 最初、エクレアは当分の間、第5階層の氷結牢獄に閉じ込めておこうかと思ったのだが、あの時、アインズさんは一瞬、ちらりと〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉に目を向けた。早期の解決を考えて〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使うと言い出しかねなかった。なので、殺して再復活を提案したのだ。

 最悪、殺した後、復活できないことも考えたが、限りある〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉の使用回数を減らす事によるナザリック全体の戦力低下よりはマシと思えた。

 まあ、運よく復活に成功したから良かったが。

 

 

 結局のところ、エクレアのあれの原因は何だったんだろう?

 

 一切の魔法による治療も効かない状態異常。

 アイテムを使うのはもったいなかったのでやらなかったが、死亡でしか治せないバッドステータス? そんなのあるのか?

 この世界特有のものなのか?

 まさかとは思うが、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使っても治せないという可能性もあるのか?

 うーん。やっぱり気になるのは無くなっていた老婆の服だよなぁ。

 実際に目にしていれば何かわかったかもしれないけど、伝聞で聞くだけでは、やはりはっきりとは判断できない。

 

 ……アイテム。

 …………アイテムなぁ……。

 ……………………アイテム……。

 

 

 

 

 

 その時、ベルの脳裏に天啓のように閃いたものがある。

 

 

 

 

 

 もしや、それはワールドアイテムだったのでは?

 

 

 

 老婆が着ていた服。

 それは、実ははるか昔、この地に来たプレイヤーが残したワールドアイテムだったとか!?

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、さすがにそれはないか」

 

 ベルはひとり呟いた。

 

 

 

 




 前々回、アインズ様は友情ゲージがMAXになりましたが、対するベルの魂胆はこんな有様です。


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第28話 諸勢力の思惑ー3

2016/5/20 「利来を達成するには」 → 「依頼を達成するには」 訂正しました
2016/10/9 「代わりのもう一杯が届いた時を同じくして」→「代わりのもう一杯が届いたのと時を同じくして現れたのは」訂正しました
 段落の初めに一字下げしていない個所がありましたので、修正しました
 文末に「。」がついていない所がありましたので、「。」をつけました
2016/11/12 「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」訂正しました
2017/5/17 「言う」→「いう」、「スケリトルドラゴン」→「スケリトル・ドラゴン」、「例え」→「たとえ」、「使える」→「仕える」、「捕らえた」→「捉えた」、「ブレタ」→「ブリタ 訂正しました
 


「な、なんだと!? その姿はまさか……デスナイト!」

 

 

 王都でも最上級の冒険者の宿屋。

 その一階にある酒場兼食堂に驚愕の声が響いた。

 

 この場での会話は耳に入ってもお互い口を挟まず、聞かないふりをするというのがここを定宿とする冒険者たちの不文律であったが、常に冷静沈着にしてその実力も随一であるアダマンタイト級冒険者イビルアイの叫び声に、思わず振り返った。

 

 さすがに、その視線に気づき、イビルアイは再び席に着く。

 そして、この場での話が他人に聞かれぬように魔法を使った。

 

 こちらに向いていた他の席に座る者達の視線が無くなるのを確認してから、改めてガゼフに問いただした。

 

「それは確かなのか? 本当にデスナイトだったのか?」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ここはリ・エスティーゼ王国の王都リ・エスティーゼ。

 

 普段であれば、行き交う人並みのざわめきや商品を売り込む露店の呼びかけが響き渡り、活気あふれる大通りであるが、すでに夜の薄暗がりが近づいてきている今の時間帯には通りを行くものの姿もまばらだった。

 昼の顔である商店の立ち並ぶ大通りは眠りにつき、これから賑わいを見せるのは眠る事のない歓楽街だ。

 通りを行く者達は家路を急ぐか、それとも金の入った革袋を懐に夜の街に繰り出すか。どちらにせよ、皆、足早に通り過ぎていった。

 

 

 そんな中、灰色の外套を羽織(はお)り、一人の男が道を急いでいた。

 

 そうして、ようやく目当ての場所までたどり着き、安堵の息を吐く。

 

 門柱につるした角灯に火を入れようとしていた男、この宿屋の警備兵が人の気配に振り返り、目の前に立つ人物を見て目を丸くした。

 その男は軽く挨拶をして、中へと入る。

 警備の男はその肩を止めようともせず、背を正し「どうぞ」と見送った。

 

 ここは王都でも最上級の宿屋であり、不穏な外見の人物やふさわしくないと判断された者は、入ろうとしても宿の警備兵に止められ、つまみだされることになる。

 だが、今現れたその男を不審人物として止められようはずもない。

 

 近隣諸国にまでその武名が轟いている人物、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの事を。

 

 

 

 ガゼフが入り口をくぐると、宿屋の音が一斉に静まった。

 誰もが入ってきた人物を確かめようと振り向き、そのまま凍りついた。

 

 そんな視線を気にも留めず、ゆっくりと室内を見回すと、目的の人物達を見かけたらしく、そちらへと足を進めた。

 

 宿屋のなかでも最も奥まったところにある丸テーブル。

 

 王国に2つしかないアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』の定位置である。

 そして、今そこには蒼の薔薇のメンバー4人が顔をそろえていた。

 

 

 

「時間をとっていただき申し訳ない」

 

 そう言って椅子に腰かけるガゼフ。そんな彼に蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アランドラは首を振りつつ恐縮の声をあげた。

「いえいえ、こちらこそ。ストロノーフ様に足を運ばせてしまい申し訳ありません。王城内で会うと色々と目立ちますので。とりあえず、お飲み物を頼みましょうか?」

 

 疲れた様子のガゼフを見て、手をあげ給仕の者を呼ぶ。

 ガゼフは水で割った葡萄酒を頼み、運んできたそれを一息で飲み干した。そして、そのままグラスを返し同じ物をもう一杯頼むと、ようやく人心地ついたように息を吐いた。

 

 

 そう、今のガゼフは疲れていた。

 肉体的にきつい任務を終えたばかりという訳ではない。

 つい先程まで王城で、いつもの結論の出ない、迂遠な皮肉と直接的な罵倒という相反する2種類のものばかりが飛び交う会議という名目の権力争いに顔を出していたためだ。

 

 正直、あれらの行為には何の意味があるのかすら、平民出身のガゼフには分からない。

 貴族にとっては剣を使わない戦争そのものであり、そこでの敗北は己の進退にもかかわる重大な問題なのであろう。

 だが、かと言って、それに巻き込まれた方としてはたまらない。彼らには彼らの考えや掟があるのだろうが、それより敵国との生存競争を最優先してほしいというのがガゼフの思いだった。

 

 

 特に今回長引いた原因は、帝国との国境付近にあるエ・ランテル近郊の村を襲撃していた者達の件である。

 何者かがエ・ランテル近郊の村を襲撃しているという話があった。その為、ガゼフが一軍を率いて討伐に向かおうとした際、貴族の一部がそれに反対した。

 

 曰く、エ・ランテルは王の直轄地なので、国軍を動員することは出来ない。

 曰く、そのような無法者討伐程度に国の秘宝を用いるわけにはいかない。

 曰く……。

 

 その結果、ガゼフに使用が許可されているはずの国宝である装備も身に着けることは出来ず、自分直属の部下達のみを連れて、討伐に向かう羽目になったのだ。

 

 そうして、本来であれば枷をつけられた獣は為す術もなく狩られる運命にあったのだが、その地で知己となった者の助けで、死地を生き延びたばかりか、襲撃者を返り討ちにして生きたまま捕虜として連れ帰ってきてしまった。

 

 しかも、その者の口から聞かされたのは法国の陰謀。

 それが露見し、更に事態は紛糾することとなった。

 

 法国を滅ぼせという者。そいつを使って法国との交渉を有利に進めようという者。そもそも、その者のいう事は信用出来ず、これは王国と法国を戦わせようとする帝国の陰謀だという者。中には全てガゼフの出まかせであると主張する者まで出る始末。

 さらに、そうした議論が続いている間に、そのニグンが何者かに暗殺されてしまい、もはや妄想に近い、というか妄想そのものでしかない陰謀論が互いに繰り広げられ、収拾のつかないような事態になってしまった。

 

 最終的に王の一声で何とか収まりを見せたものの、その火種はくすぶったままだ。

 

 

 代わりのもう一杯が届いたのと時を同じくして現れたのは、蒼の薔薇のメンバー5人のうち、この場にいなかった最後の1人、見上げるような偉丈()ガガーランと、こちらはよく見知った顔、ラナー付きの騎士クライムだった。

 クライムの登場には少々驚いた。少し顔を紅潮させている程度のガガーランと汗だくのクライムという組み合わせから、宿の裏庭で稽古をつけていたのだろう。そのような話は耳にしていた。決して、他の者が語っていた下賤な噂のとおりではないだろう。

 

 そこにガゼフがいるのを見て取り、疲れ切った表情を見せていたクライムが慌てて背筋を伸ばし、深く頭を下げて挨拶した。そして「内々の話であれば、自分はこれで失礼いたします」と言い、ガガーランに礼をのべてその場を去ろうとしたが、ガゼフがそれを止めた。 

 

 クライムは現王の第三王女ラナーの信任厚い騎士である。彼の耳に入るものは、ラナーの耳に入るものと考えてもいい。

 派閥争いで揺れる王国であるが、個人的にクライムは信頼できると思っているし、ラナーは特にバックはいないものの王女という身分の為、ガゼフと同じ王派閥に属していると考えられる。それにラナーは知恵者としても知られている。剣戟と血臭(けっしゅう)しか詰まっていない自分の頭にのみ情報を占有しているよりは、そちらにも話を伝わらせた方が良いだろうと思えた。

 

 

 そして、ガガーランとクライムに飲み物を運んできた給仕が去るのを合図に、先だってのカルネ村での一件を詳しく話して聞かせた。

 

 貴族でもあるラキュースはそれらの報告を聞いており、彼女の口から蒼の薔薇のメンバーも耳にしてはいたが、それはあくまで上への報告として挙げられた情報である。法国の工作員がかかわっていたなどは聞いていたが、戦闘の詳細などは聞き及んではいない。貴族たちにとって重要なのは、誰が何の目的でそれを行ったかであり、どのように撃退したのかは枝葉末節でしかないのだ。その為、カルネ村で通りがかりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)一行が、ガゼフと協力してそれらを退治した程度にしか聞いていなかった。

 

 彼女らも冒険者として剣に命を懸ける者達である。

 強者の情報を仕入れることは、命にかかわる大事であり、ガゼフの語る内容には熱心に耳を傾けた。

 

 そして、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)が召喚したアンデッドを聞いたイビルアイは、彼女らしからぬ様子で叫び声をあげた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「それは確かなのか? 本当にデスナイトだったのか?」

 

 息せきかけ尋ねる仮面の人物に、ガゼフは当惑しながらも答えた。

 

「たしか、……そのように話していたな。俺が直接聞いたわけではないが、彼らは仲間内で、あのアンデッドの事をそう呼んでいた」

 

 その答えに、がんと頭を殴られたように硬直し、イビルアイは言葉をなくした。

 

「信じられん。7体ものデスナイトをたやすく召喚し、しかも従えるなど……」

 呆然とつぶやいた。

 

 その様子にガゼフとクライムだけではなく、付き合いの長い他の者達も当惑したような表情を浮かべた。

 

 彼女たちも冒険者だ。代償もなくアンデッドを生み出す魔法というのは高位のものであるという事は知っており、それを行ったアインズ・ウール・ゴウンという聞き覚えの無い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の実力は大したものなのだろうとは思う。

 だが、デスナイトという聞き覚えの無いアンデッドの名前を聞かされても、それがどれだけのものかは分からなかった。

 

「おう、なんでぇ。そのデスナイトって奴はそんなに凄いもんなのか?」

「凄いなどというものではない。伝説クラスのアンデッドだ」

 

 そう言うと、デスナイトというアンデッドはどれだけ危険な存在なのか滔々と語った。

 最初はふむふむと聞いていた顔が、見る見るうちに蒼白なものに変わっていく。

 

「なんだ、そりゃ? なんで、そんなもんを従えられるんだよ」

「知るか! 1体でも下手な都市国家一つくらいは壊滅させられるほどのアンデッドだ。それを同時に7体など……。かつての十三英雄すら超えるやもしれんぞ」

 

 その言葉に皆息をのんだ。

 

 十三英雄。

 200年前、何処(いずこ)から現れたかもしれぬ魔神との戦争で人類を勝利へと導いた伝説の英雄たちだ。

 そのカルネ村に現れたというアインズ・ウール・ゴウンはそれに匹敵するという。

 

「おそらく通常のアダマンタイト級冒険者パーティー1つで、デスナイト1体を相手に出来るくらいだろうな」

「イビルアイなら勝てる?」

 

 その問いには首肯した。

 

「勝つことは出来る。だが、あれはとかく防御に長けたアンデッドだ。倒すのは、かなり手間だな。もし7体ものデスナイトが王都を襲ったとしたら、……すべて倒しきる頃には、この都は死の街になっているだろうな」

 

 あの時、下手な態度をとっていれば、王国も危うかったかもしれない。

 イビルアイの言葉に、ガゼフは氷柱から滴る水滴がその背を打ったような感覚を覚えた。

 

 

 

 仮面の少女の言葉に誰もが言葉を失うなか、ガガーランはジョッキのエールを一息にあおった。

 

「まあ、しかしよ。そいつがその村を助けてくれたって事は、困ってる人を助けるくらい義侠心がある奴なんだろ? それも報酬の話もろくに聞きもしないで、後回しでいいっていうくらい。だから、アンデッド操ってるったっても、善い奴って事なんじゃねえの?」

 

「まあ、確かにそうね。そんな強大なアンデッドを操ってるって聞いてびっくりしたけど、やったこととかを聞く限り、決して悪人って訳じゃなさそうだわ。出来れば、落ち着いて話をしてみたいところね」

 

 その言葉にティアがうんうんとうなづいた。

「うん。そのかわいい女の子とゆっくり話してみたい」

 

 ティアの興味は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンではなく、彼と一緒にいたベルという少女に向いていた。

 彼女の性癖を知らないガゼフとクライムを除く他のメンバーは、やれやれという表情を浮かべた。

 

「でも、確かに気になる。戦士長とまともに戦える少女とか、信じがたい」

「うちのおちびちゃんの知り合いか?」

 笑いながら、イビルアイに目をやる。

 視線を向けられた見た目だけ少女は顔色一つ変えずに、まあ仮面をかぶっているから顔色は分からないのだが、わずかに虚空に視線を巡らせ口を開いた。

 

「ベルか……。聞いたことは無いな。しかも、南方で着るというスーツ、それも男物を身に纏い、フローティング・ウエポンを使いこなすとはな」

 

「その手の武器は意表をつくには使えるけど、使いこなすのは困難。そんな武器を使いこなせるなんて、うちのボスとエドストレームくらいしか聞いたことない」

 ラキュースが浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)というマジックアイテムを使用することは有名だが、一緒に語られたもう一人の名前はその場にいる者達、ティアを除いては、聞き覚えのないものだった。

 

 言ったティナに、クライムは誰なのか尋ねた。

 

「エドストレームは王国の裏社会を束ねる犯罪組織『八本指』の中で、荒事に長けた警備部門の人間。そして、その中でも最強と言われる『六腕』の1人。『踊る三日月刀(シミター)』の異名を持つ。まあ、今はもう八本指にはいないけど」

「? どういう事なのですか?」

「エドストレームは八本指を抜けた。彼女だけじゃない。同じ六腕の『千殺』マルムヴィスト、『空間斬』ペシュリアンも同時に抜けて、エ・ランテルで八本指に対抗する組織を作ってる。そのせいで、今、八本指は大騒ぎ」

「組織を抜けた? しかも対抗組織を作った!? なんだ、そりゃ?」

 

 ガガーランが驚きの声をあげるが、それはこの場にいる皆にとっても、再びティアを除いては、初耳の情報だった。驚きの表情を浮かべたラキュースが詳しい情報を言うよう促す。

 

「エ・ランテルで八本指に代わる組織が立ちあげられた。エドストレーム、マルムヴィスト、ペシュリアンらの有名どころが加わったこともあって、今、エ・ランテルの裏社会は完全にそっちに乗っ取られてる。そっちへの対処のおかげで今、八本指は王都での活動が減ってる感じ」

 

 誰かは分からないが、ごくりと生唾を飲む音が聞こえた。

 もしその話が本当だとするならば、それこそ王国にはびこる派閥争いにまでかかわる大事となりかねない。

 

「その組織って?」

「ギラード商会っていう、エ・ランテルの故買屋。もともと八本指傘下ではあったけど、名前も覚えられないようなはるか下の商会。というか、ただの店。それが突然、急速に勢力を拡大している」

「なにそれ? そんなところが、その八本指の中でも実力者の3人を引き抜いて、独立したって訳? そして一気にエ・ランテルを押さえている? どういう事よ?」

 

 疑問符だらけの言葉だが、まさに聞いているものの心のうちを明確に表していた。

 

 闇社会に生きるものが裏切る。

 当然、そこには法はない。

 生きるか死ぬかの選択は、より力のある方につくという、完全なる弱肉強食の世界。

 裏切るという事は、人質を取られたでもない限り、明確に勝算あっての事。

 

 しかし、聞かされたギラード商会。

 よもや、聞いた通りそのままであるはずがない。

 商会はあくまで矢面に立つ存在にすぎず、裏に何かがいるのは明白だ。

 では、そのバックに立つものは一体……?

 

 皆、頭をひねるが情報が少なすぎる今の状況では結論までには至らない。

 

「そう言や。エ・ランテルって、この前、大騒ぎになったんだって? アンデッドが大量に湧いたとかで」

「ああ、なんでも、ズーラーノーンの者が騒ぎを起こしたらしいな。解決はしたものの、それで街は大きな被害を受けた。その混乱につけ込んだという事なんだろう」

 

 ガガーランとイビルアイの話に、ガゼフは渋い顔をする。

 その騒ぎの際に、何者かが街中で火事場泥棒を行い、エ・ランテルに住まう民草達の財産や、頑丈な金庫にしまわれた都市そのものの運営費が奪われたらしい。そのため、財産を失ったものが着の身着のまま飢えている状況なのに、エ・ランテル自身では資金不足から対処できず、王都から大量の資金を回す羽目になった。

 

 その時、ふと今話していた事と繋がるものを感じた。

 

 ガゼフは、「あまり口外しないでほしいのだが」と前置きし、先だっての騒ぎの際、エ・ランテルで起きた大規模な盗難について蒼の薔薇らに話して聞かせた。

 

 みなまで言わずとも、その話はすんなりと得心がいった。

 

「なるほど。そのギラード商会とやらの連中がズーラーノーンの騒ぎにかこつけて、街中で略奪を行った。そして、その時奪った資金を元手に、エ・ランテルの裏社会を牛耳ったという事か」

「ほんとうにふざけた話ね」

 

 ラキュースはその端正な顔に明確に憤りを表し、吐き捨てるように言った。他の者達も大なり小なり、その腹に据えかねるものを感じている。

 

「案外、そのギラード商会はズーラーノーンにも手を貸していたのかも。そうでもなければ自分たちもアンデッドに襲われて、金を盗むどころじゃないし」

「確かにその可能性もあるわね」

「ふむ。ズーラーノーン、すなわちアンデッドや魔物との繋がりもあるとすれば、先日から王都に紛れ込んでくる連中の説明もつくか」

 

「イビルアイ様、王都に紛れ込んでいる連中とは?」

 クライムが息せき切って問いかける。

 

 この王都には彼の敬愛する主、ラナーがいるのだ。

 この都が今、話に聞いたエ・ランテルのように地獄となったら、と想像し恐怖を覚えた。

 

「ああ、先日から数体、シャドウデーモンが王都に侵入しようとしているようだ」

 

 聞き覚えのない名前にクライムとガゼフは首をひねった。

 2人は冒険者である蒼の薔薇と違い、あまりそういった怪物の知識に長けているわけではない。

 

「冒険者の難度で言えば90くらいか。まあ、一体一体はアダマンタイト級冒険者1人に匹敵、もしくはやや上回ると言えばいいか」

 

 その言葉に絶句した。

 アダマンタイト級冒険者と言えば、怪物(モンスター)に対する人類の切り札。

 その者達と同格とも言える魔物が何体も人知れず、絶対安全と思われていた、この王都に忍び込もうとしていたのだ。

 

「その怪物(モンスター)達は……?」

「ああ、心配いらん。全部で5体ほどいたが、全て私が倒した」

 事もなげにイビルアイは答えた。

 

 その答えに安堵の息を吐くと同時に、わずかに疑問を覚えた。

 先の説明では、シャドウデーモン1体はアダマンタイト級冒険者1人と同等のはず。そんな怪物(モンスター)をたった一人で倒せるイビルアイは何者なのか、と。

 先程のデスナイトの説明でも、そうだった。アダマンタイト級冒険者パーティー1つでようやくデスナイト1体を相手できると言っていたのに、そのアダマンタイト級冒険者であるイビルアイはデスナイトを倒せると言っていた。

 アダマンタイト級を超えるクラスは存在しない。イビルアイは通常のアダマンタイト級よりはるかに強者なのに、ランクとして上の階級が存在しないため、同じ地位に甘んじているという事なのだろうか? そのような人間がいるのだろうか? 常にかぶっている、その仮面に隠された正体は何者なのか?

 

 疑問がクライムの頭に浮かぶ間にも場の話は進み、皆の関心はエ・ランテルでの事件の詳細に戻っていた。

 

「それで、結局のところ、『漆黒』のモモンがその件を片づけたようだ」

「『漆黒』? 冒険者のチーム名よね? 聞いたことないんだけど」

「ああ、つい先日、冒険者登録したばかりだからな。それでいて、実力は十分。エ・ランテルの事件を解決した功績でミスリル級が与えられ、その後も通常のミスリル級が1~3か月ほどかかる依頼をわずか数日でこなすという離れ業を繰り返し、今度、オリハルコンへの昇格が決まった所だそうだ」

「はあ!? 何よ、それ?」

 そのケタ外れの業績に、ラキュースは思わず声をあげた。

 

 冒険者が依頼を達成するにあたって、最も重要なのは情報である。

 その為、一つの依頼を達成するには入念な前準備が必要となる。

 だが、数日で依頼をこなすという事は、情報を集めることなく、実力のみで諸問題をねじ伏せているという事。

 一体、どれほどの力を有するのか。

 

 イビルアイはとりあえず今のところ知りえる情報を語る。その武装、容姿、パーティー構成など。

 

「ちょっと聞くけど、エ・ランテルの件を解決するのにはどうやったの?」

「なんでも、仲間たちを引き連れズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒したらしい。護衛のスケリトルドラゴン2体を倒してだ。逃げ遅れた者達を助けるためには、魔封じの水晶で威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)まで召喚したらしいぞ」

「それは……凄いわね」

 

 正直あきれ返って、言葉もなくすほどだ。

 一体、どこから驚いていいのだろう。

 

 今、語られたところによると『漆黒』の構成は2人と1体。それで、ズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)にスケリトル・ドラゴン2体まで倒す? 一体、どれだけのものだというのか。

 しかも、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の召喚とまで来た。200年前、十三英雄の時代に召喚されたという、魔神すら倒すほどの最強クラスの天使。じつにふざけているとしかいいようがない。

 さらに、これは未確定情報を合わせた自分の推測だがとイビルアイは前置きして、先に話したデスナイトらしきアンデッドがエ・ランテルで目撃された事、その後はそれらしい目撃情報がないので、もしかしたらモモンが倒してしまった可能性もある事を話した。

 

 

 女性陣およびクライムがあれこれと言葉を交わす中、ガゼフは一人思考の海に沈んでいた。

 

 そんなガゼフにクライムは声をかけた。

「どうなさいました、ガゼフ様?」

「うむ……。少し尋ねても言いか?」

 

 ガゼフの言葉に、何だろうと皆振り返る。

 

「その威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が封じられているという魔封じの水晶。それはどれほど希少な物なのか?」

 

「はっきり言って言葉に出来ぬくらいだな。魔封じの水晶はいかなる位階の魔法もその内に封じ込めることが出来るというアイテム。その価値は計り知れん。私も数度見たことがあるくらいだな。金銭に換算出来る物ではないが、それこそ黄金が馬車単位で数えねばならぬほどは必要だろう。まあ、市場に出回る事などなく、国がその宝物庫の奥深くにしまい込んでしまうだろうがな。噂では、法国がいくつか保有しているらしいが。それに威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚する魔法など、現在の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に使用出来るものではない。そんな魔法が封じ込められている魔封じの水晶など、よっぽど高難度の迷宮(ダンジョン)の奥深くにでも行かねば手に入らぬだろう」

 

 イビルアイの解説に、ガゼフは再び「うむむ……」とうなる。

 

 

 その脳裏に浮かぶのは、カルネ村での光景。

 

 思い返すのは、自分を殺すためにやって来た陽光聖典の隊長ニグンと恐るべき魔術の使い手アインズ・ウール・ゴウン、ならびにベルという少女の会話。

 

 優位と思っていたところ、逆に自分たちが囲まれたうえに、頼みにしていた天使たちがその恐るべき魔法により壊滅させられた後、あのニグンという男は切り札として懐からアイテムを取り出した。

 使用する前にベルによって奪われてしまっていたが、あの時の会話の中で確かに、そのアイテムは魔封じの水晶であり、そして封じられているのは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)であると言っていた。

 

 ガゼフはマジックアイテムなどに関して、各地を放浪してきた戦士としてそれなりの知識は有していたが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)など専門の者ほど詳しくはない。それがどれほどのものかその場では理解できなかったが、たしかにそれらの言葉が耳に残っていた。

 

 今、イビルアイによって語られた、計り知れない価値を持つ威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶。

 

 それがカルネ村とエ・ランテルという、ごく近い場所でかつ短期間のうちに、その名が出てくるなど偶然と呼ぶには出来過ぎている。

 

 

 突然、マジックアイテムに興味を示し、難しい顔で思案にふけるガゼフを皆、不審げに見ていた。

 

 

 ガゼフは、思い切って話してみることにした。

 

 

 カルネ村での戦闘でアインズ一行が魔封じの水晶を手に入れたという事は、報告としても上げていない。

 法国の人間が王国内で暗躍し、それを捕らえたというだけでも貴族たちは大騒ぎしているのだ。その法国の者が保有していた、たとえよくは分からなくとも、重要そうなアイテムを謎の人物が自分のものにしたと知れれば、貴族たちからそのアイテムを取り返せ、接収しろという声が出る事は想像に難くない。

 下手をすれば、持ち主である法国の人間を王国が捕らえた以上、そのアイテムの所有権は王国にあり、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)の行為は窃盗にあたるため、縄でくくって引き連れてこいなどと言い出す可能性すらあった。

 強大な力を持つと思われる魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンと友好関係を築きたいと願っているガゼフとしては、そのような事になる事態は絶対に避けたいところだった。

 自らが仕える王にだけは秘かに耳に入れていたものの、現国王ランポッサ三世もまた、自らに忠実な戦士長と意見を同じくし、その件は秘しておく事にした。

 

 だが、ここにいるのは信用が出来る者たちだ。自分一人の胸の内にしまっておくよりは、知恵を借り、情報を共有した方がよかろうと判断した。

 なにせ事が事だ。

 あの時は、何か分からないがそれなりに強力なアイテムくらいにしか思っていなかったが、今、聞かされた話によると桁違いのアイテムだったらしい。すこしでも情報を得ておきたい。

 

 

 そうしてガゼフの口から語られた事実。

 2つの場所で存在を示された威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶。

 

 そこから想像できる事柄に、皆、息をのんだ。

 

「つまり、冒険者モモンがエ・ランテルで使った魔封じの水晶は、カルネ村で魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウンが陽光聖典から奪ったものって事?」

「可能性は高いな。そんな希少な物。それも封じてあるものまで同じである別物というのは考えられれん」

「どういうこった? つまり、そのゴウンってのと、モモンは仲間って事か?」

「売った可能性もある」

「ないと思う。さっき、イビルアイが言ったみたいに、それを買うのには莫大な金額がかかる」

 

 蒼の薔薇が口々に語る中、クライムはふと思いついた。

 

「あの、ただの思い付きで差し出がましいのですが、よろしいですか?」

「ん? なんだ? なんでもいいから言うがよい」

「今、話に聞きました冒険者モモン一行と、魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン殿の一行で共通しているような人物が」

「え? 誰のこと?」

「はい。どちらの一行にも黒の全身鎧(フルプレート)を着た戦士がおります」

 

 ハタと思い浮かんだ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間は、その顔を仮面で覆い隠した魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン本人と、スーツを身に纏ったベルという少女、そして黒い全身鎧(フルプレート)で身を包んだアルベドという名の女戦士だった。

 対してモモン一行は、ルプーという女神官、トブの大森林で森の賢王と呼ばれていた魔獣ハムスケ、そして漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだモモンその人だ。

 

 黒の全身鎧(フルプレート)

 その価格はかなりのものである。また、その重量からずっと着続けることが出来るような筋力の持ち主もそうはいない。そして、どちらの人物も常に頭部全体を覆う兜をかぶり、その顔は分からない。

 だが、確かに全身鎧(フルプレート)に身を包んではいたものの、ガゼフが目にしたアルベドは女性らしい体形が見て取れるものを身に着けており、モモンの鎧とは似ても似つかぬ物だった。けれども、あいにくとこの場にいる者達の中にはモモンの姿を直接見た者はいなかった。

 

 

「いや、クライム。私が出会ったアルベドという御仁は、顔こそ見ていないものの、確かに声は女性だったぞ」

 

 ガゼフの記憶にあるアルベド。ガゼフ自身は直接話したことは無いものの、アインズとの会話でその声や口調は耳にしていた。

 

「それはいくらでも誤魔化(ごまか)す方法がある」

 

 ティナが反駁(はんぱく)する。

 かつて暗殺者として闇社会に生きたティナには、その方法がいくらでも考えついた。

 薬、マジックアイテム、特殊技術(スキル)、それに口にするのもおぞましいある種の蟲を使ったやり方……。

 声だけで判断するのは早計というものだ。

 

 

 モモン=アルベドの可能性。

 

 それとアルベドと名乗る人物は巨大なバルディッシュを使用していたとガゼフの言。そして、モモンは本来両手で扱う大剣(グレートソード)を片手に一本ずつ、二刀流で扱うという。どちらもかなりの膂力の持ち主のようだ。

 

「少々尋ねるが、そのモモンの供をしているという女神官はどのような外見なのだ?」

「褐色の肌を持つ赤毛の女と聞いたな。見た者によれば年の頃は20程度、少なくとも、10前後の年ではないらしい」

 

 一瞬、そのルプーと名乗る女神官が、カルネ村で会ったベルかとも思ったが、それは無いようだ。

 

「考えられるのは、アルベドという女性が、モモンと名乗って男性のふりをして冒険者登録したということかしら? 逆も考えられるけどね」

 

 アインズ、モモン、アルベド。

 3者ともにその素顔を見た者がいないため、何とも判断しかねる。

 アインズと名乗る魔法詠唱者(マジック・キャスター)の中身が女で、ルプーだったという可能性もあるわけだ。

 

 しばらく頭を突き合わせて考えてみたが、結局のところその答えは、今、エ・ランテルにいる冒険者モモンの正体を突き止めないことにはどうしようもないという結論に至った。

 

 

 問題は、どうやって調べるかであるが……。

 

「はいはーい。私が調べる。エ・ランテルに行ってくる」

 

 ティアがいつもの飄々(ひょうひょう)とした口調ながら、ぶんぶかと手をあげる。

 

 男より美しい女性を好むティアとしては、アルベドという女性の可能性があるモモンの素顔や、ベルというかわいい女の子の行方に興味があった。そちらは空振りするかもしれないが、最低でも、ラナーに匹敵するという噂のある女神官ルプーとは会えるだろうという思惑もあった。

 

 だが――。

 

 

「うーん。……エ・ランテルに行くの?」

 

 リーダーであるラキュースは、困った声と表情で腕を組んだ。

 そうして、しばし悩んだが、「……ちょっと、今すぐには、判断できないわね」と否定の言葉を口にした。 

 ティアは「えー」と平坦ながら落胆の声をあげる。

 

 その声を耳にしても、軽々に首を縦に振ることは出来ない。

 

 今、自分たちが急ぎでやらねばならないような仕事はないとはいえ、この王都からエ・ランテルまでは、通常の手段であれば片道10日程度かかる。ティアがエ・ランテルに行くということは、その間、蒼の薔薇の戦力が落ちるという事。そして、ティアを呼び戻そうにも20日前後という、かなりの時間を有する事になる。

 蒼の薔薇は5人のパーティーである。そのメンバーの内、一人が抜けるのだ。幸い蒼の薔薇には、ティアの代わりに、ほぼ同じ能力があるティナがいるとはいえ、その戦闘力の低下は避けられない。また、行動の指針や戦闘の陣形もかなり変える必要があるだろう。

 

 かと言って、全員で動くというのも、また出来ない。

 

 今現在、通常なら王都にいるはずのもう一つのアダマンタイト級冒険者、『朱の雫』がこの地を離れているという実情がある。自分たちがいなくなっては、万が一の際、この王都を誰が守るというのか。現に今の王都には、シャドウデーモンというアダマンタイト級でなければ対処できない魔物が侵入しようとしているし、それこそデスナイトとやらが現れたら……。

 そもそも、別にモモンの正体を探る事は、重要ではあるだろうがアダマンタイト級冒険者である自分たちがやらねばならない喫緊(きっきん)の課題という訳でもない。

 

 しかし、ラキュースは胸騒ぎがしていた。

 この件は調査しなければ、重大事になるという勘が働いた。

 それこそ、この王国そのものに害になる可能性もあるほど重大な事に。

 冒険者として活動するうえで、この勘というものはけっして馬鹿にならないものだという事は身に染みて実感している。

 放っておくのは悪手だ。

 

 だが、リスクもまた考えねばならない。

 その為、保険はかけておかねばならない。

 

 ラキュースは、その場にいた男の目を見て言った。

「ねえ、クライム。悪いんだけど、このことはラナーの耳に入れておいてもらえるかしら? もしかしたら、ラナーの力を借りることになるかもしれないし。後で私も相談しに行くけど」

 

 そう頼んだ。

 

 もちろん今ここで話したことを、クライムがラナーにすべて報告することは分かっていた。

 だが、敢えてそう口にした。

 万が一、いざというときは王女であるラナーの権威を使わせてもらうためだ。

 

 無理矢理な方法だが、魔法の使い手を酷使することでエ・ランテルへの伝達、及びエ・ランテルから1日での帰還も可能ではある。だが、それには色々と、金銭的にも権限的にも、無茶をする必要がある。その際にラナーに口添えを頼むつもりだ。もちろん、それをやったことにより、派閥間に与える影響が考えられるため、可能な限りはそうはしないつもりではあるが。

 

 クライムも長年ラナーに仕えて、言葉の裏に隠された内実、様々な意図や思惑が裏にある事は分かっていた。仮にそれを行った場合、厄介な派閥の抗争に巻き込まれ、彼の仕える主に影響が及ぶことも。

 だが、ラナーの提案したそれが王国を守る事に繋がり、ひいてはラナーの安全の為になると理解したため、しっかとうなづいた。

 たとえ、非才の身なれど、何があってもラナーを守るという決意のもと。

 

 ガゼフはそんな彼の事を眩しそうに、何も語ることなく見つめていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオンの鼻は、わずかな空気の揺らぎを捉え、その身を浅い眠りから目覚めさせた。

 

 その開いた瞼の奥が捉えたのは、かつての仲間の姿。

 白髪の老婆ながら、腰にはその身に似つかわぬ立派な剣を帯びている。

 

 リグリット・ベルスー・カウラウ。

 伝説に謳われた十三英雄にして、遥かな時の流れに人である身を蝕まれたものの、今なお人をはるかに超えた力をその身に湛えている人物である。

 

「久方ぶりじゃな」

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン――ツアーは懐かしい人物の来訪に、その目を細めた。

 

「ああ、久しぶりだね。実は私も会いたいと思っていたんだ」

 

 その答えにリグリットは不審げな顔を見せた。

 

「なんじゃ? 用があるというのなら、昔、旅をしたわしの本当の仲間、そのがらんどうでも寄越せば……ん? 何があった?」

 

 リグリットが目をやるその先には、かつて自分達と共に旅をしていた際、ツアーが遠隔操作で動かしていた白銀の鎧が置いてあった。

 だが、今、美しい光を反射するその姿は焼け焦げ、黒いすすで汚れていた。

 

「そのことだよ。再び、世界を汚す力が動き出したかもしれない」

 

 そう言って、先日の遭遇、漆黒聖典とダークエルフの2人、それとブレインらとの経緯を話して聞かせた。

 

 

「ブレインか……。見込みのありそうな奴じゃったんじゃがの。そんな戦闘に巻き込まれたのではな」

 リグリットは遠い目でつぶやいた。

 

 だが、すぐ気を取り直して、目の前の竜へと聞いた。

 

「それでお主が気になっとるのは、ダークエルフの子供2人か」

「ああ、そうだよ。何故だか知らないけど、少女が少年の姿をして、少年が少女の姿をしていたがね。弟の方はマ-レと呼ばれていたかな」

「む? ふぅむ……。100年に一度現れる『ぷれいやー』は妙な姿をしている事が多いらしいし、それに配下の『えぬぴいしい』にも同様に、おかしな格好をさせていることが多々あるしの」

「うん。それに、あの魔法の威力は、竜ならともかく普通の人間たちには無理だろうね」

「それほどまでか?」

「何なら、場所を教えるから、調べに行ってみるかい?」

「面倒じゃな。わしは冒険者は引退したんじゃ。そんなのはあの泣き虫にでもやらせるか」

 

 そう言って、皺だらけになった顔でからからと笑った。

 ツアーはわずかに考え込む。頭に一人の人物が思い浮かんだ。

 

「あー、彼女か。君の代わりに冒険者をやらせているんだったかな?」

「良い勉強になるじゃろ。あいつにとっても、ラキュースらにとってもの」

 

 ふと、ツアーは思案気に視線を飛ばした。

 

「そうだね。リグリット、冒険者を止めた君には悪いんだが、すまないがちょっと調べてもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」

「……まあ、何を言いたいのかは分かるが。言うてみい」

 

 ツアーは傍らにある、自分がここにいる理由――八欲王が残したギルド武器に目をやった。

 

「このギルド武器に匹敵するアイテム。もしくは『朱の雫』が保有しているようなユグドラシル製のアイテムの所在を調べてほしいんだ」

「分かったわい。それを探って行けば『ぷれいやー』の居所もつかめるかもしれんしの」

「頼むよ。そう言えば――」

 

 ツアーは顔をあげた。

 

「先程の話に戻るんだが、先の戦闘の際に漆黒聖典の者が奇妙なことをしていたんだが、何をしたのか分かるかな?」

 

 疑問の色を顔に浮かべるリグリットに、ツアーは先の出来事、老婆の服が光を放ったかと思うと、その服から光る竜が飛び立ったこと。それが前に飛び出たペンギンに当たって、ペンギンが倒れたことを語った。

 

 リグリットは、ペンギンのくだりで眉をしかめたものの、顎に手を当て考え込んだのち言った。

 

「そんな魔法とかタレントとかは聞いたことがないな。法国が持っているという六大神の遺産とやらではないのか?」

「うーん。やっぱりそうなのかな? あの魔法の後、気になって見てみたら、着ていた本人はすっかり焼け焦げて死んでしまっていたんだけど、その服はそのまま焼け残っていたし」

 

 それを聞いて、リグリットは呆れたような声を出した。

 

「なんじゃ。それなら、それを持ってくればよかったろうに」

「それも考えたんだけどね。でも、それを持ってたのは法国の漆黒聖典だったから、持ち去ったあとで現在の持ち主を調べられたら困るし。確か、今の魔法にはアイテムを探し当てるというものがあるんだよね?」

「〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉か? あれは第六位階魔法じゃから、使えるものはめったにおらんじゃろうが……。まあ、法国ならば、儀式をすることで使うことが出来るやもしれんな」

「うん。それで下手に私が持っているのが分かったら、外交問題になりかねないしね」

「まあ、確かにの」

 

 ツアーはアーグランド評議国の永久評議員という地位を得ている。そんなツアーの(もと)に法国の漆黒聖典が保有していた武装、それも殺されて奪われたものがあることが分かれば、どのような諍いの種になるか。

 

「それに、その漆黒聖典の隊長っぽい人物は、あの魔法でも生き残っていたからね。重傷は負ってたみたいだけど」

「ふむ。どの程度の魔法か、見ていないから分からんが、もしや法国では神人とか言っておる『ぷれいやー』の血を引く者か」

「可能性はあるね」

 

 ツアーは息を吐いた。

 

「うーん。やっぱり、今考えると、持ってくるべきだったかな。なにも手元に置かなくても、どこか人のたどり着けないような所に、50年くらい埋めておいても良かったし」

「後の祭りじゃな。しかし、いまさら行っても、その隊長が戻ってきて回収してしまっておるのではないか? 戦闘の後、数日は経っておるのじゃろう?」

 

 ツアーは竜の身体で、器用に肩をすくめてみせた。

 

「それで話は戻すけど、改めて考えてみると、そのダークエルフは『ぷれいやー』ではなく、『えぬぴいしい』の可能性も高いね。たしか、いなくなってもおかしくない野盗とかで出来るだけ強い者を攫うよう命令されていたみたいだったからね」

「ふむ。誰かに命令される様な存在か。たしかに『ぷれいやー』当人より、『ぷれいやー』に仕える『えぬぴいしい』の可能性の方が高いな。それに、野盗か。その近辺で消息が消えた野盗団でもいないか調べさせるか。ついでに、その戦闘跡やその付近の調査もな」

「その付近って言っても、端とはいえトブの大森林に入ってしまっているから、ついでで出来る簡単な調査にはならないと思うけど」

「とはいえ、そこで会ったダークエルフの2人以外手がかりもないのじゃろう。それにトブの大森林なら、人知れず潜伏するには絶好の場所じゃ。余人ならいざ知らず、『ぷれいやー』なら生命の危険はないじゃろうし」

「まあ、そうだね」

 

 

 そうして、リグリットは珍しく年相応のため息をついた。

 

「100年に一度現れる『ぷれいやー』か……。出来る事ならばリーダーのように世界に協力してくれる者ならばいいんじゃが……」

 

 ツアーは何も言わずに首肯した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「何よ、これ……」

 

 ブリタは思わず声を漏らした。

 

 目の前に広がるのは、黒く焼け焦げた跡。

 獣道の身が走る深い森の中、そこだけぽっかりと視界が開けていた。

 元は木々や草が幾重にも重なっていたであろう一帯が、焼け焦げたように黒くその姿を変えていた。

 

「これは……火事か? 落雷でもあったのか?」

 

 共に来た戦士がつぶやく。

 だが、仲間の野伏(レンジャー)がそれを否定した。

 

「違うな。焼け焦げているのはこの一帯だけ。もし、普通の森林火災なら、周辺まで燃え広がっているはずだ」

 

 言われてみれば確かに、燃えて焼け落ちた痕が残る木々のすぐ脇には、今も鮮やかな緑色を輝かせる木々が生い茂っている。炎からその身を守る固い幹を持たない下生えの草までもだ。

 

「むぅ……。自然の火ではなく、魔法によるものでしょうか?」

「魔法? この範囲をか?」

 

 ぐるり周囲を見渡す。

 今、彼らが立つ森の中の黒い広場は、文字通り見渡せるほどだ。

 それほど広い空間に焼けた跡がある。

 こんな広大な範囲に届く魔法など聞いたことがない。それこそ、(ドラゴン)吐息(ブレス)でも受けたのだろうと言われた方が納得できた。

 

「それにしても、こんなんで、どうやってダークエルフを探せって言うんだか……」

 

 雲をつかむような依頼に、ブリタは嘆息した。

 

 

 

 ブリタが冒険者組合から呼び出しを受けたのは、「死を撒く剣団」討伐の報酬を受け取りに行った際の事だ。

 

 その討伐は、結局アジトはもぬけの殻で野盗の1人も倒せなかったため、依頼の完全成功とはみなされず報酬は半分にされてしまった。

 

 だが、皆にとって、そんなことはどうでもよかった。

 そのアジトから見つかった財貨はかなりのものであり、参加した冒険者やワーカーで分けても結構な金額になった。それがあったため、冒険者組合からの報酬が半額になった事など、特に気にする者もほとんどいなかった。

 

 ブリタもこれまでの冒険者生活で初となるような額の金貨を手にし、七面倒なことは明日以降考えることにして、とにかくこの後は酒場にでも繰り出そうと考えていたところだった。

 

 そう思っていたら、あれよあれよという間に組合の上階に連れていかれ、普段、話すことすらない組合長アインザック・プルトンの前に座らされ、冷や汗をかいていた。

 

 組合長が聞きたかったことは、「死を撒く剣団」のアジトから出てきたダークエルフの少女2人の事だった。

 思わず震えそうになる言葉を必死で落ち着かせ、その時のことを説明する。そもそも、説明とは言っても、本当にわずかしか話もしていない。語れることなどたかが知れている。

 

 すべてを聞いた後、アインザックは腕を組んで考え込んだ。

 

 もうこの場から早く帰りたいと、ブリタは内心泣きたくなった。

 

 

 そして、アインザックの口から発せられたのが……。

 

 

 

「はあ……」

 

 ブリタはあの時の事を思い出し、再度ため息をついた。

 

 アインザックの口から出たのは、ブリタへの指名依頼。

 どんなものでもいいから、ブリタが目撃したというダークエルフの手掛かりを探れというもの。

 さらに、今すぐ取りかかれと言われた。

 

 「拒否とかできます?」と聞いてみたものの、その答えは「出来ると思うのか」という実に無体なものだった。

 

 

 おかげでブリタは酒もお預けのまま、仲間たちと共に再び「死を撒く剣団」のねぐらにトンボ帰りし、そこからダークエルフの2人があの時立ち去っていった方へと探索の足を向ける羽目になったのだ。

 正直、仲間のほうがいい迷惑である。

 

 あの時、そのダークエルフに出会ったのは3人。

 ブリタの他、ワーカーチーム『フォーサイト』のヘッケランとロバーデイクだったのだが、そちらには声はかからなかった。

 ワーカーとはいえ、彼らの実力はミスリル級冒険者に匹敵する。エ・ランテルにいる冒険者の最高もミスリルなため、この界隈では最強クラスと言っていい。まあ、今度、冒険者モモンがミスリルより上のオリハルコンになるらしいが。

 とにかく、彼らであれば条件的にも実力的にも最適であった。

 

 しかし、選ばれたのはブリタおよび彼女の所属する冒険者チームの方だった。

 

 理由はしごく単純。

 高いからである。

 

 ワーカーを動かすとなると、どうしても冒険者より割高になる。とにかく予算不足にあえぐ今のエ・ランテルでは少しでも予算は浮かせたかった。そこで、今のところ、特に危険も予想されないような調査任務であったため、鉄級という下から2番目の冒険者たちを行かせたのだ。

 安くすむために。

 

 彼らにしても、説明を受けた際に「どうしろと?」という言葉が頭に浮かぶような困った任務であった。

 だが、たとえ失敗でもそれなりの報酬、当然成功ならばもっと高く、を約束されたため、仕方なく遭遇場所から向かった方向を調べてみようと足を進めた。

 

 その結果、偶然にも森の中に奇妙な焼け跡を発見するに至ったのである。

 

 

「なにか、あったかー?」

「いや、ないなー」

 

 普段なら鳥や獣の鳴き声だけが響く森の中に、冒険者たちの声が響く。

 

 とりあえず、彼らは焼け跡を調べてみることにした。

 だが、特になにも見当たらない。仲間の野伏(レンジャー)は、何か焼け跡の上を歩いたものがいる事を発見したものの、すでにそれから数日は経っているようで、それが野生動物なのか知性あるものなのかは分からなかった。

 

 そうして、徒労という言葉が頭にちらつく中、手や顔を黒く汚しながら、しばらく捜索していると、「おーい! 来てくれ」と声が上がった。

 

 皆がそちらに向かうと、そこには一体の焼死体が転がっていた。

 

「この辺りを焼いた火に巻かれたのか?」

 

 もっともな推測を口にする。

 さらに周囲を調べてみるも、特段変わったものはなく、結局、ここにあったのはこの謎の死体ただ一つだった。

 

 皆がこの死体を取り囲む。

 

「調べてみるか。ブリタ、手を貸してくれ」

「ええぇっ!」

 

 思わず、ブリタは悲鳴を上げた。

 ブリタも冒険者ではある。死者を見たのは別段初めてという訳でもない。

 だが、死んでから何年もたち、骨や皮だけになった遺体から装備品を漁るくらいならともかく、数日前に死んだばかりの焼死体を調べる、というか触るのは敬遠したいものだった。

 

 だが、それなりにでも調査結果は報告せねばならず、それをやらなければならないというのも分かっていたため、顔をしかめつつも遺体のそばにしゃがみ込み、うつ伏せに倒れていた身体をひっくり返した。

 

 

 

 その瞬間――。

 

 ぽしゅ、という緊迫感のなさそうな音とともに握りこぶしくらいのものが、その下、身体によって隠されていた地面から飛び上がった。

 

 

「へ?」

 

 

 遺体を取り囲む者たちが呆けたように見ている前で、人の頭くらいまで飛び上がったそれは、カッという光と共に爆発した。

 

 その熱と風、そして衝撃は、ブリタの意識と生命を一瞬で吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 




 つ、次こそ、必ずやこの諸勢力編を終わらせます。


 えー、実は私はSSを書く際、長いルビがある単語などはいちいち入力するのが面倒だったため、文章の終わりにそういった単語をまとめて羅列しておいて、そこからコピペで文中に張り付けるという事をしておりました。
 なのですが、最初にそこに単語をまとめた際、何故だか魔法詠唱者のルビを「マジック・キャスター」ではなく「スペル・キャスター」と入力してしまっていました。
 その為、今まで作中の表記がずっと魔法詠唱者(スペル・キャスター)となっておりました。
 とりあえず、今までの投稿した話で見つけたところは魔法詠唱者(マジック・キャスター)に直しておきました。
 申し訳ありません。


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第29話 諸勢力の思惑ー4

2016/6/19 「うなづけなる」 → 「うなづける」 訂正しました
2016/10/9 「。」が2つ続けてついているところがありましたので、1つ削除しました
2017/5/17 「口腔」→「口腔へ」、「エ・ランテル来る」→「エ・ランテルに来る」、「断末魔」→「断末魔の悲鳴」、「体勢」→「態勢」、「姉さん」→「姐さん」、「収める」→「治める」、「触る」→「振る」、「来た」→「きた」、「行く」→「いく」 訂正しました


「ふう。こんなものかしら」

 

 イミーナはテーブル上の硬貨を数え終わった。

 それを種類ごとに別々の皮袋に、切りのいい数だけ分けて入れていく。硬貨で最も多いのは金貨だが、白金貨も少なくない数がある。

 

 開け放たれた鎧戸から差し込む日の光が、彼らフォーサイトがエ・ランテルで定宿としている部屋の中を照らしていた。

 

 ほどなく作業も終わり、口を縛った袋をテーブルの脇にのける。そこには同じような袋のちょっとした山が出来ていた。

 

 肩を回して「あー」と声をあげるイミーナに、「お疲れさん」と葡萄酒が入った革袋をヘッケランが差し出した。

 それを受け取ると、その口元を大きく開けた自分の口の上にやり、袋の腹をしぼる。革袋の口から葡萄酒が一筋の流れとなってイミーナの口腔へ向けて飛び出し、そのまま袋を上に向け、流れる紫色の液体が喉奥へと消えていく。

 

 ひとしきり咽喉(のど)を潤した後、それを金髪の男へと返した。

 ヘッケランも同様にして、中の液体を腹に収め、最後は革袋を完全に上にして、ぽたぽたと滴る水滴を舌で受ける。

 

「全部飲んじゃっていいの?」

 その問いに笑って答えた。

「なに。こんな安酒、その気になればいくらでも買えるさ。何なら湖一杯に葡萄酒を満たして、そこで2人で泳ごうか?」

 

 その答えにイミーナも微笑む。

 彼の言葉通り、今、テーブル上の袋に入った金だけで、樽にして、いや荷車(カート)単位で一体いくつの酒を買えるだろうか。

 

 

 彼らの気分は明るい。

 これほどの大もうけをしたのは久しぶりだ。

 

 当初、エ・ランテルに来たらアンデッド騒ぎに巻き込まれ、自分たちも焼きが回ったと思っていたら、次には飛んだ幸運が次々と舞い込んできた。

 

 エ・ランテルでは、ミスリル級が常駐する冒険者のランクとしては最高だった。

 そして、そのミスリル級はアンデッド騒ぎによって数を減らしている。

 つまり、ワーカーながらミスリル級に匹敵する戦力を持つ彼らの重要度はとても高くなったのだ。

 

 その為、高い金を積むことになってもワーカー、フォーサイトへ頼みたいという依頼が次々と舞い込んできたのだ。

 

 しかも、それらの依頼は冒険者組合が仲介するものも多かった。

 

 くだんのアンデッド騒ぎにより、衛兵や冒険者にはかなりの犠牲が出た。

 そうして起きた冒険者不足のため、本来、冒険者がやるべき仕事などもワーカーらに割り振ったのだ。冒険者より割高なワーカーへの金を払ってまで。

 

 普通、ワーカーは冒険者と違って依頼されてもすぐには飛びつかず、自分たちで裏をとる必要がある。

 冒険者組合のように後ろ盾がないためである。

 普通に依頼を受けたら、おかしな陰謀に巻き込まれたり、捨て駒にされたり、報酬が払われなかったり、終わった後濡れ衣をなすりつけられたりなどという事は日常茶飯事だ。

 その為、自分たちの足を使い、金を払ってでも、依頼の裏取りをする必要があった。

 だが、今のエ・ランテルではちゃんと冒険者組合が確認した仕事がワーカー料金で舞い込んでくるのだ。本来の経費であるはずの調査費用もかからない。

 まさに割のいい仕事だった。

 

 そして、今回の野盗討伐の依頼。

 フォーサイトらはその討伐団に参加したが、途中離脱とされ、報酬はもらえなかったものの、アジトにあった金は同行した冒険者らの判断により彼らにも分けてもらえたし、副次的に手に入れたあがり(・・・)は大きかった。

 

 

 空になった革袋を台の上に放り、傍のベッドに腰かける。

 イミーナはテーブルを離れ、その脇に腰をおろした。

 

 ヘッケランがわずかな動揺に身を震わせるその肩に、こてんと頭をのせる。

 

 

 彼らフォーサイトは4人パーティーである。

 もちろん四六時中一緒にいるという訳ではない。

 ないのだが、それでも二人きりになれるという時間は貴重だ。

 

 今、ロバーデイクとアルシェは、数日前の『死を撒く剣団』討伐におもむいた際に手に入れた物、そのなかでも高額で厄介な交渉が必要であろう代物を売りに行っている。

 しばらくは帰ってこないだろう。

 

 

 室内という事で鎧を外しており、布の服越しに互いの体温を堪能していた2人。

 だが、「そうだ」という声を発して、ヘッケランが立ち上がった。

 

 体重をかけていた相手がいなくなり不満顔のイミーナ。

 ヘッケランは部屋を横切り、片隅に置いていたバックパックに手を突っ込んだ。

 

 

 そして、中の物を確認し、ゆっくりとイミーナに振り返る。

 

「なあ、イミーナ」

「なに?」

「あ、あのな……」

 

 喉が張り付いたような感覚を覚える。ごくりと生つばを飲んだ。

 

 今までヘッケランは幾多の敵と戦ってきた。大型のサーベルウルフやマンティコア、果てはエルダーリッチまで。恐怖を覚えたことはあったが、今この瞬間ほど、緊張したことは無い。

 

「その……」

 

 ヘッケランの雰囲気に、イミーナもまた、なんだろうと不審に思った。

 

「……プ、プレゼントがあるんだ」

「プレゼント?」

 

 意を決したようにヘッケランは深呼吸すると、バックパックから手を引き出した。

 

「こ、これを、お前に!」

 

 バッと中にあった物を前へとかざす。

 

 

 それを見た瞬間、イミーナは息をのんだ。

 

 それは一目見ただけでも、服飾の世界とは無縁なイミーナでさえ素晴らしいと分かる逸品。

 

 

 ヘッケランが手にしているのは白銀に輝く女性用ワンピース。

 首元は詰襟になっており、腰の脇には深いスリットが入っている。

 何より目を引くのは、金糸で描かれていた五本爪の竜が空へと向かい飛び立っていく様。

 見るものが見れば分かる、チャイナドレスとよばれる衣服。

 

 

 それは法国では『ケイ・セケ・コウク』の名で、そしてユグドラシルプレイヤーには『傾城傾国』という名で呼ばれる、ワールドアイテムであった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 キィ。

 

 わずかに蝶番がきしむ音を立てる。

 ウエスタンドアを揺らして入ってきたのは、厚手の服の上にゆったりとしたローブを羽織り、手には鉄の杖という、いかにも魔法詠唱者(マジック・キャスター)という格好の人物。

 だが、その服に包まれているのは、まだ十代中盤から後半といった少女だ。

 

 その少女――アルシェは宿の中を見回す。

 

 いくつかテーブルはあるもののそれらはほとんどが(から)のままで、人が座っているのはたった一つ。

 そちらへと足を進める。

 

 一人、椅子に座っていたロバーデイクは近づいてきたアルシェに気づき、口元に近づけていたコップを卓に戻した。

 

「やあ、どうでした? 高く売れましたか?」

 

 その問いにコクリとうなづく。

 

「うん。結構な値になった。それに交渉も早く済んだ」

「そうですか。こちらもですよ。街がこんな有様ですから、もっと買いたたかれるかと思ったんですがね」

「逆にこんな有様だから、お金のある人は大金を積んででもいい武器や防具、マジックアイテムとかを欲しがるのかも」

「なるほど」

 

 ロバーデイクは得心し、うなづいた。

 

 

 ここはエ・ランテルによくある、旅の者を対象にした宿屋。

 あまり飾り気のない屋内は、宿として過ごした年月を端々(はしばし)にうかがわせる様相ながらも、部屋の隅まで丹念に掃除がされており、今日の金にも困るような者達が群がる場末の宿とは違うものを感じさせた。

 彼らフォーサイトは少々懐が温かかったこともあり、エ・ランテルに来る前、人づてに聞いていたこの宿にずっと逗留していた。

 ここは普通、彼らワーカーや冒険者らが泊まるような宿ではなく、都市を渡り歩く旅の商人が泊まる宿なのだが、あいにく先日のアンデッド騒ぎ、そしてその後の治安の悪化により彼らの足が遠のいたため、今はほとんど貸し切り状態だった。

 

「ああ、そうだ。この装備とかマジックアイテムとかを売ったお金ですがね。これらに関してなんですが、ヘッケランは自分を頭割に含めなくていいと言っていましたよ」

「? どうしたの?」

「いえ、ちょっと。あの時、手に入れた装備ですが、その一つを自分のものにしたいんだそうです。ですから、その代わりに、それ以外のものを売った分は私たちで3等分してくれていいとの事です」

 

 アルシェはわずかに首をかしげて「ふぅん」と言った。

 

 今日、2人は先日の冒険者組合からの依頼、『死を撒く剣団』討伐に行った際に手に入れた装備やアイテムを売りに行ってきたのだ。

 

 

 結局、『死を撒く剣団』討伐は空振りだった。

 

 ねぐらを襲ったものの中はもぬけの殻。野盗はすでに逃げ出したのか、だれ一人いなかった。いたのは捕まっていたと思しき女性が数名程度。冒険者側の被害は、罠に引っ掛かった者が怪我をしたくらい。

 

 それでも念のため、アジト内や周辺を捜索してみようという話になった。さすがに成果なしでは帰った後の報告もしづらいという思いもあったのだろう。

 

 その時、ヘッケランがそう言えばと、先程出会ったダークエルフの話を口にした。

 アジトから出てきたダークエルフの少女2人が、「中にはもう誰もいない」と言って立ち去ったという。

 

 その話を聞いたイミーナは思案顔になった。

 

 そして、探しに行こうと言い出したのだ。

 

 イミーナは半分エルフの血を引いている。その為、人間の社会で暮らしていくのに色々と苦難や不都合があったのは想像するに難くない。

 ワーカーとして生活していく中で非情さが身についていたものの、この時、ほんの気まぐれと言ってもいいが、その2人の事が心配になったのだ。

 

 

 だが、その提案は安易にはうなづけるものではなかった。

 

 この場の冒険者たちは野盗討伐という目的の為、これから消えた野盗の捜索をしようとしているところだ。

 そんな中、そのダークエルフを探しに行くのは、途中で依頼を放棄したと言われかねない。

 

 それに、ここに来た冒険者の中でミスリル級は『天狼』のみ。それ以上はいない。

 つまりフォーサイトが抜けることは最強の二つの内、一角が抜けることになる。そうなれば、冒険者たちにも危険が及びかねない。

 

 ヘッケランは、イミーナの気持ちも分かるが、なんとか説得しようと考えた。

 だが口を開こうとしたところ、そこへロバーデイクもまた賛同の意を示した。

 ワーカーながら彼は善良な性根を持っている。彼としても、あの少女たちの事が気になったのだ。

 アルシェは中立の立場を維持し、チームの方針に従うと言った。

 

 ヘッケランは皆の考えに頭をなやませたものの、結局、ダークエルフの捜索に行くことにした。

 たしかに依頼未達成で今回の報酬はもらえないかもしれないが、すでに自分たちはこの街でかなりの額を稼いでいる。依頼一つ分、稼ぎが減っても特段問題もない。それに、どう見ても野盗たちはすでにこの近辺にはおらず、とっくにどこか遠くへ逃げ出しているだろう。

 

 そう決断したヘッケランは、『天狼』のベロテに先のダークエルフとの遭遇の一件を話し、自分たちがそのダークエルフを探しに行くため、捜索を抜けることを伝えた、

 そして、彼女ら2人がいなくなった方向へと、樹海の奥に足を踏み入れた。

 

 

 小一時間もすすんだろうか、不意に先頭を行くイミーナが制止の声をあげた。

 皆、足を止め、鎧の音すらたてぬよう身動きを抑えた。

 

 他の3人の耳には何も聞こえなかったが、イミーナの優れた聴覚は奇妙な音を捉えていた。

 

 はるか遠くで、鳥が高い鳴き声をあげながら飛び立つ音がする。

 それも大量の鳥が一斉に。

 

 

 異変を感じとり、イミーナはそちらへ向かい足を速めた。

 仲間たちも、藪に足をとられながらも、それに追随する。

 

 やがて、ヘッケラン達の耳にも段々と様々な音が響いてきた。

  

 鳥や獣のたてる警戒の声。

 空気を震わせるような低い音。

 そして、人間の断末魔の悲鳴。

 

 

 彼らは警戒の態勢をとり、物音を立てぬよう金属鎧の金具には布を詰め、緑の壁に囲まれた道なき道を進んでいった。

 

 

 突然に、視界が晴れた。

 

 林間にぽっかりと空いた空き地。

 まるでその一カ所だけ――とはいっても十分に広大であるが――業火で焼けつくされたような、奇妙な黒の空間。

 

 アルシェが地面に手をやると、まだ温かいものを感じる。

 だが、明らかに日に照らされた日向の温かさではない。

 

 火だろうか?

 だが、その割には燃えた跡があるのは、この一帯だけ。周辺への延焼はないようだ。焼け焦げた樹木のすぐそばに、新緑の壁がある。

 

 魔法だろうか?

 しかし、こんな広大な範囲を焼き尽くせる魔法など聞いたことがない。彼女が知る限り、最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダ・パラダインですら、これほどの魔法は不可能だろう。

 

 なら、一体何が?

 疑問に頭を悩ますうちに、イミーナから「来て!」と声が上がった。

 

 イミーナの傍らに集まる。

 その足元には、焼け焦げた死体。それがいくつか転がっている。

 おそらく何かは分からないが、この辺りを焼きつくしたものに巻き込まれたのだろう。

 

 だが、彼らの視線の先にある物は死体そのものではなく、その体に纏った、この炎でも燃え尽きなかった剣や鎧など。

 おそらく魔法のかかっているであろう装備だった。

 

 

 通常の冒険者であれば、はるか昔の遺体などが身に纏っていた装備とかならいざ知らず、死んだばかりの遺体から装備を剥ぐなど忌避する行為である。

 

 通常、遺体を見つけた場合、かさばる物は遺体とともに埋葬し、かさばらない物は冒険者組合に所定の手続きを経て提出する。それを遺品として手にしたい者は市価の倍の価格で引き取る。金がない者には気の毒だが、そうしなければ、赤の他人が知り合いと称して持っていってしまう為だ。そうして一定期間、引き取り手がない場合は、発見した者に受け渡されるか、冒険者組合が適切な価格で買い取り、発見者には金が支払われる事になる。

 これが遺体を見つけた冒険者がとる通常の手順だ。

 建前上は、という注釈はつくが。

 

 

 だが、彼らはワーカー。

 冒険者ではなく、金の為に生きる者達である。

 そのような不文律には縛られず、また遺体を漁る事に躊躇する理由もない。

 

 フォーサイトの面々は――ロバーデイクは渋い顔をしたものの、周囲に転がる死体から金目の物を漁った。マジックアイテムを装備している遺体もかなりあり、普通の冒険者などではないという事はうかがえた。

 それらの遺体はすべて黒く焼け焦げ炭化しており、見たものに怖気(おぞけ)を走らせる、恐ろしい形相と姿形をしていた。

 だからと言って、彼らの手を止めるまでには至らなかったが。

 

 

 その時、また別の死体を探ろうと、焦げた草木を払いのけたヘッケランの手が止まった。

 その掌の下にあったのは、焼かれてもその美しさを損なうことない、見たこともない白銀の輝きを持つ衣服。

 

 それを見た瞬間、その脳裏には一つにビジョンが浮かんだ。

 

 この美しい衣服を身に纏ったイミーナの姿が。

 

 

 ヘッケランは、そばにいたロバーデイクの肩を組み、彼に頼んだ。

 

 この服を自分個人でもらう事。

 その代わり、ここに落ちていたマジックアイテム等を売却した分の金は、自分はいらない事。

 そして、このことは女性陣、イミーナとアルシェには黙っていてほしい事。

 

 真剣な表情を浮かべるヘッケラン。

 勢い込んで近づけられた顔に、困ったような表情を浮かべたものの、ロバーデイクは首肯した。

 

 ヘッケランとイミーナの二人については、からかいはするものの、神官として、そして友として祝福している。別に二人の仲をこじらせる気はない。それにヘッケランは自分の取り分を減らしてまで頼んだのだ。それには応えてあげたかった。

 

 ロバーデイクが女性陣の方へ声をかけ、そちらの手伝いに行って、その目を引いている間に、ヘッケランはナイフで遺体の頸や腕を切り、竜の文様が描かれた白銀の衣服を剥ぎ取ると、さっとバックパックの中にしまい込んだ。

 

 

 

 そうして、彼らはエ・ランテルへと戻ってきた。

 一応、その後もすこし探したものの、ダークエルフの少女二人の痕跡は見つからなかった。

 

 フォーサイトが抜けた後の『死を撒く剣団』討伐は結局、野盗には一人たりとも会う事は出来なかった。その為、依頼は完全達成とはみなされず、報酬は半額のみ。

 まあ、フォーサイトは途中離脱という扱いなので、その報酬は貰うことは出来なかったのだが。

 しかし、ねぐらに残された資産についてはフォーサイトもアジト内へ突入した時の参加メンバーだという冒険者らの判断で、彼らにも頭割した金額が配られることになった。

 

 その際、探しに行ったダークエルフは結局見つからなかった事は、皆には説明しておいた。

 

 だが、森の焼け跡の事は言わなかった。

 もし言った場合、じゃあ、そこにあった死体の装備は誰が持っていったんだという話になり、自分たちに疑いの目が向けられる羽目になりかねなかったからだ。まあ、実際持っていったのは自分たちなわけだが。

 

 そうして、あの時拾ったアイテムの売却先を探していたのだが――。

 

 

 アルシェはとりあえず、荷物を置きに部屋へ戻ろうとした。

 2階への階段に足をかける。

 

「そうだ! 売ってくるのが、かなり早かったみたいですが、どこへ行ったんですか?」

 

 ロバーデイクが慌てるように、問いかけてきた。

 突然、大きな声を出したロバーデイクに驚きながらも、アルシェは振り返る。

 

「魔術師組合。この前の件で伝手(つて)が出来たから」

 

 先だってのズーラーノーン騒ぎの際、たまたま、フォーサイトが立てこもった避難所にはエ・ランテルの魔術師組合の組合長であるテオ・ラケシルがいた。その時の縁により、ラケシルとは知己となり、マジックアイテムの買い取りもスムーズに行ってもらえたのだ。

 

 通常、冒険中に拾ったアイテムというのは、持てる量には限界があるため、よっぽどのものでない限り大抵は売り払うのが冒険者の基本である。

 だが、大抵の物ならばよいのだが、少々扱いに困るのが高価な物だ。

 

 そういった物は店先ですぐに値段の判別が出来ないため、いったん店に預けて調べてもらい、後日、金を受け取りに行くなどといったことをする場合も多い。

 その際、冒険者ならば冒険者組合がある程度信用先となるため、店側も冒険者側も互いに安心して取引が出来るのだが、そういった後ろ盾がないワーカーは少々困る事になる。預けた物を預かっていないと言われたり、安物とすり替えたりなどの詐欺にあう事もあるし、店側も買い取った後でそれが実は盗難品であることが分かって官憲に調べられたりと問題になる事が多いので、通常の店では取引を断られることも多い。

 その為、大抵は胡散臭い故買屋などの裏の店に行くことになる。

 当然そのようなところでの交渉は厄介であり、気を付けないと買いたたかれることになるため、売買には時間がかかる。 

 そういった意味で、信頼のできる魔術師組合で買い取ってもらえたことは実に幸運だった。

 

 

 再度、アルシェは2階への階段を登ろうと足をかける。

 だが、そこへ再びロバーデイクが焦ったような声をかけた。

 

「ああ、私の方は故買屋へ行ってきましてね。紹介されたギラード商会というところに行ったんですが、長引くかと思ったら、すんなりといきましたよ。なかなかいい額で買い取ってもらいました」

 

 それには興味をひかれ、アルシェは足を止めた。

 

 ロバーデイクが持って行ったのは魔法のかかった武器など、一目では値がつけにくい物。そのような物を大した交渉もなしで高い金を出すというのはどのような店なのだろう。よっぽどの目利きがいるのだろうか?

 

 

「じゃあ、話を聞かせて。でも、ちょっと待ってて、荷物を置いてくるから」

「いえ! まあ、話なら今しましょう。帰ってきたばかりですから、まず飲み物でもどうですか?」

 

 三度(みたび)、階段を上りかけるアルシェ。だが、そこへまた声をかけるロバーデイク。 

 さすがにアルシェは不審げな表情を浮かべた。

 

 なぜ、ロバーデイクは自分が2階に上がろうとすると、それを止めるように声をかけるのだろう?

 2階に何があるのか?

 

 どうしても気になった。

「うん。じゃあ、私もミルクでいい。持ってきて」

 

 階段にかけた足を下ろし、そう言った。

 ロバーデイクは安堵の息を吐き、この店には給仕など居ないため、カウンターへカップを取りに腰を浮かせた。

 

 ロバーデイクの目がそれた隙を見計らい、アルシェは2階へと駆けあがった。

 その背に「あ……!」という声が届く。

 

 そして、2階の部屋、自分とイミーナの2人部屋の前へとたどり着く。

 ノックをしようとした瞬間――誰かの声が聞こえた気がした。

 

 何だろう?

 

 耳を澄ます。

 それはヘッケランの声だった。

 

 「おお、似合ってるぜ! イミーナ!」、「ああ、凄いきれいだ!」、「ひゃっほー!」という興奮した声。

 その後、何か重いものがベッドに落ちる音。

 きゃっきゃという男女の笑い声。

 そして、……ベッドがきしむ音が耳に届いた。

 

 

 アルシェはその場で回れ右をし、1階に降りてきた。

 

 ぎこちない動きで、年季の入った頑丈そうな椅子に腰を下ろす。アルシェが生まれたころから使われていそうな椅子は、防具まで含めたアルシェの重みを受けても軋みすらしなかった。

 

 目の前のテーブルにヘッケランがミルクの入ったカップを置く。

 それを両手で掴み、口に含んだ。牛乳本来の味だけでなく、やや甘みが混じっている。僅かばかり蜂蜜を入れたのだろう。

 もう一口飲み、カップを下ろした。

 

 向かいの席に少し困ったような顔でロバーデイクが腰を下ろした。

 

「……あの2人ってそういう関係だったの?」

「ええ。私の知る限り、帝都を出る少し前あたりからでしょうか」

「そ、そうなんだ」

 

 再びカップを口に運ぶ。

 いつも人形のような顔が、今は赤みがかっていた。

 

 しばらく二人とも口を開かなかったが、ロバーデイクは顎髭をさすりながら言った。

 

「しかし、我々のパーティーも今後どうするか、考えなくてはならないかもしれませんね」

 

 その発言にアルシェは驚いて、彼の顔を見た。

 

「いえ、通常こういったパーティーは同性同士で組むのが普通で、我々のように男女混ざり合ったものというのは少ないんですよ。どうしても、男性と女性が一緒に行動していると、そこに恋愛などが生まれます。そうなるとパーティー内に不和が出来たりしますからね」

 

 それはアルシェも聞いたことがある。

 仲間内で相談する時に誰か一人の肩を持ったり、戦闘の時に恋仲の相手をかばったりと、パーティ内のバランスが崩れて、チームが崩壊するきっかけになったりするらしい。

 

「まさか、あの二人はそんなおかしな事にはならないと思いますが……。ですが、私も今まで、そうやってチームが分裂したのを何度か見てきましたからね」

 

 フォーサイトが無くなる。

 それを考えたとき、アルシェの背に冷たいものが走った。

 

 とても利己的な考えだが、このパーティーが無くなったら、自分は一体どうやって金を稼げばいいのだろう? 

 アルシェはパーティー間を渡り歩いたことは無い。仲間が欲しがっていた、特に魔法詠唱者(マジック・キャスター)を探していた彼らと偶然にも知り合い、それからずっと旅をしてきた。

 

 自分には実家の為に金が要る。いくら稼いでも、貴族だった時のように湯水のごとく金を使う父と母。そんな彼らのために金を稼ぎ続けなければいけないのは馬鹿らしい。だが、そうしなければ自分の妹たちがどうなるか分からない。それに実家の使用人たちもいるのだ。彼らとその家族も路頭に迷う羽目になる。

 今まで自分が稼いできた金は、そちらにすべて流してきた。その為、パーティーを組んでいても、自分だけは装備は劣悪なままだった。

 今までフォーサイトの面々は、そんな自分を見ても何も言わないでいてくれたが、他のパーティーに移ったらそうはいかないだろう。なにせ、一人だけ悪い装備をしているという事は、その分戦力が下がるという事なのだから。

 どうすべきか……。

 

 沈んだ顔で物思いにふけるアルシェ。

 その顔を見て、ロバーデイクは息を吐いて言った。

 

「そうですね……。何をするにしても、そろそろ帝国に戻りましょうか? それから考えても遅くはないですし」

 

 もともとフォーサイトは帝国の帝都を足場として活動していた。本来、エ・ランテルに来たのは、カッツェ平野でのアンデッド狩りのついでに、ちょっと買い物に寄っただけだったのだ。割と報酬のいい仕事を回してもらえていたので長居してしまっていたが、確かにそろそろ帰ってもいいかもしれない。

 

 それにアルシェはまた実家に金を渡さなくてはならない。

 帝都を離れる前に一度、まとめて返したため、次の返済までにはまだまだ日があるはずだが、エ・ランテルでの件のように不意のアクシデントなどがあるかもしれないことを考えると、余裕を持っておいた方がいい。

 

「まあ、とにかく、ゆっくり考えましょう。何も今日明日で決めなければいけないことでもありませんし。そもそも、パーティーが解散するかも決まっていないんですし。なにがどうなるか、先の事は分かりませんからね。慌てることはありませんよ」

 

 酷い顔をしていたのだろう。アルシェを安心させるように微笑みかけ、ロバーデイクは自分のカップを彼女のカップに、コンとぶつけた。

 アルシェは顔をあげ、肩の力を抜いて座り直し、同じようにカップとカップを打ち合わせた。

 

 口にしたミルクは甘い味がした。

 

 

 

 1時間後、そろって階下に降りてきたヘッケランとイミーナ。

 2人は予想より早くロバーデイクとアルシェが帰ってきていた事に内心慌てたが、何でもないようにテーブルに着いた。

 

「先ほどはお楽しみでしたね」

 

 にやりと笑って言うロバーデイクに、ヘッケランは慌て、イミーナは顔を赤くした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ん……」

 

 曲げていた腰を起こし、大きく伸びをするエンリ。

 暖かな日の当たる所で体を動かしていたため、下着が汗でしめり、すこし気色悪い。

 

 その背に、少し離れたところにいたカイジャリが声をかけた。

 

「姐さん! 少し休んでいていいですぜ。俺らがやりますから!」

 

 顔を上に向けるエンリ。太陽は真上、空高く上っている。

 

「そろそろお昼にしましょうか。ネムが準備してくれているはずですし」

 

 その声に、周辺にいたゴブリンたちが一斉に歓声をあげる。

 手にしていた道具を手に、村の門へと皆、足を向ける。

 昼食は何だろうとワイワイ話しながら、一様に楽しげな雰囲気を醸し出している。

 

 そして、堀に渡された跳ね橋を渡り、異様に立派な石造りの門をくぐると――ささっとその陰に身を隠した。

 

 そうして、小さな声で尋ねる。

 

「いました?」

「ええ、今日もいましたぜ。一体、何なんだか?」

 

 ため息をつく一同。

 そこへ、ンフィーレアとネムが大きなかごを手に、並んでやって来た。

 

「やあ、お疲れさま。どうだった?」

「やっぱり、私たちだけじゃ、どうしても手が足りないよ」

「まあ、いくらゴブリンさんたちの力を借りても、村一つ分だからね、それにあまり門から遠くへはいけないし」

「うん」

 

 そういうエンリの目が門の影に身を潜めている、暴力的な死の化身のようなアンデッド――デスナイトのリュースに向けられる。

 門柱の裏にピタリと背をつけて立つその首からは、おぞましい恐怖を感じさせる姿態とは裏腹の可愛らしいポシェットを下げていた。

 

 これはエンリが作ったものだ。

 普段は村で警備の任務に就いているものの、しばらく前にアインズの指示で村を離れ、そして戻ってきた時には、その手に黒いオーブを握っていた。

 それから、どこで何をするにしても、そのオーブを手にしたままだったので、それでは持ち運びに不便だろうとポシェットを作ってオーブを入れ、首からかけられるようにしてあげたのだ。

 低い唸り声をあげながら、体を左右に揺らしていたので、喜んでいたんだろう。

 ……たぶん。

 

 そのリュースが何故、今、カルネ村への入り口でその身を隠すようにしているかというと、エンリを守るためである。

 

 そして、何故そんな風にエンリを守らなければいけないかというと……。

 

 

「…………エンリ」

 

 門の上に作られた(やぐら)へ上り、身を隠すように壁際へと近づくと、先にそこにいたアインズの使い、シズに声をかけられた。

 

「どうも、シズさん。何か動きは?」

「…………ない」

 

 そう言うと望遠鏡というアイテムを渡してくれた。それを使い、外側からは見えないように偽装された覗き窓から村の外を見る。

 この望遠鏡というアイテムを使うと、遠くの物がものすごくよく見える。一体、どのような魔法がかかっているのかはエンリには分からなかったが、使い方は教わってるため不都合はなかった。

 

 その円く切り取られた視界の先。

 緑に支配された森の外縁。あの奥はトブの大森林へと続いている。

 そこに奇妙な姿があった。

 

 薄茶色のフード付きローブを頭からかぶった奇妙な人影。

 あれが、今、カルネ村の者達が警戒している謎の人物だった。

 

 

 

 あれが現れたのは数日前。

 

 周辺を監視していたシズが発見した。

 不審な人物がいるとンフィーレアに連絡し、望遠鏡で確認した彼が、万が一を考え壁の外で農作業していた村人たちへ村に戻るよう合図を送った。

 すぐさま門を通って村の中へ退避する中、ゴブリンやオーガたち、そしてリュースらは防衛態勢を整えた。

 

 だが、その後待てど暮らせど、何者かが攻め寄せてくる気配はない。

 

 (やぐら)で監視し続けていたシズによると、村人たちが逃げ始めた際には驚いた様子を見せたものの、門の内側に逃げてからは門が見通せる場所に陣取り、じっと動かずにいたらしい。

 

 その日は、そのまま警戒態勢を続けたが、向こうも何も行動を起こす事はなかった。

 

 

 翌日、村の外に出たのはエンリとゴブリンたちだけだった。

 

 前夜に会合が開かれ、あの謎の人物が何者なのか分かるまでは、外に出るのは控えた方が良いと決まった。

 だが、塀の外にある畑をそのままにはしておけないし、まったく向こうと接触する機会も無しではいつまでかかるか分からないため、ゴブリンに守られたエンリが村の外へ出て、畑仕事などここ数日中にやらなければいけない作業をすることになった。

 もちろん、向こうが何らかのアプローチをしてきたときは、交渉なり、戦闘なり対処する。

 

 だが、あくまでエンリの身の安全を最優先するという、当然の事は皆で確認した。

 その為、作業する範囲は門の近くのみ。

 すなわち、危険が迫った時にはゴブリンたちが足止めし、その間にデスナイトのリュースやオーガたちがすぐに駆けつけられる所でのみ、という事になった。

 

 そうして数日、なかば囮代わりのエンリがゴブリンたちと共に行動していたものの、フードの人物は何もする気配がない。だが、こちらに関心がないというわけではなさそうだ。その証拠に、エンリらが動くと、その姿が見える場所へと移動する。

 

 村の方ではかえって動きがないことに当惑していた。

 畑仕事の中でも急ぎの作業だけエンリらにやってもらっているが、本来、農作業は山ほどやることがある。しばらくは何とかなっても、このまま作業が出来ないと、収穫に深刻な被害がでる。そうなれば、納める税が足りなくなり、自分たちが飢える事態になりかねない。

 

 カルネ村の住人はほとほと困り果てていた。

 

 

「どうしやすかい、姐さん? なんでしたら、やはりとっ捕まえましょうか?」

 

 カイジャリがそう提案するが、なかなか首を縦に振ることはできない。

 

 まず、相手が何者なのか、敵ならば戦力がどれくらいあるのかが全く分からない。下手に手を出して、藪蛇になっては困る。

 それに相手がいる位置が問題だ。

 あのフードの人物はトブの大森林へと続く森の外縁付近にいる。村から出て捕まえようと追いかけても、その間に樹林の奥へと逃げ込むだろう。あの者が森の中での活動に長けているかは分からない。だが、追いかけ捕らえるのは困難であることは予想できる。

 

 ちなみにシズならば、遠距離からバッドステータスを与える弾丸を用い、狙撃することでたやすく捕縛することは出来たのだが、エンリらはそんなシズの能力など知らない。

 

 その為、カルネ村全体の方針としては、警戒はしてもこちらからは手は出さず、相手の動きを見守るという消極策しか出来ないでいた。

 

 

「もうちょっとだけ、待ってみましょう。それでどうしても、動かないようでしたら、シズさんを通じてゴウン様に相談することも考えましょう」

 

 そういうと、先ほどネムが持ってきてくれた昼ごはん、パンの半ばにナイフを入れ、そこに野菜や肉を挟んだものを頬張った。

 

 

 そして、午後の作業を始める。

 そうは言っても、さすがに村の入り口に近い範囲のみのため、そろそろやることが無くなってきた。出来るだけゆっくり、小休止を挟みながら作業をする。

 

「動きやしたぜ」

 

 不意にゴコウが声をかけた。

 「顔を向けないようにしてください」と注意を受けたので、うつむいたまま目だけを向けると、今まで森と呼べる範囲から出る事がなかったフードの人物が草原へ歩み出てくる。

 その足は一直線にこちらへ向かってきていた。

 

 さりげない(てい)でゴブリンたちが動く。

 エンリの周囲に展開し、いざというときは自分の命を捨ててでも自分たちの主を守るために。

 

 そっと目をやると、門の入り口付近ではリュース並びにオーガらがいつでも飛び出せるように構えていた。

 大丈夫、ネムはいない。

 ンフィーレアは家へと戻っているところなのだろう。

 

 その様子を確かめてから、エンリは体を起こし、フードの人物が歩み寄るのを待ち受けた。

 

 

 やがてエンリと20メートルほどの距離を置き、フードの人物が相対する。

 

 大きい。

 ごくりとエンリが唾をのんだ。遠くにいたときは気づかなかったが、こうして近くで見ると、上背は2メートル弱はあり、ローブに隠されはっきりとは分からないが、体の厚みもかなりある。

 

 エンリのすぐ後ろにはゴブリンたちが並んだ。

 これはまず話してみようというエンリの意向の為だ。だが、もしほんのすこしでも不穏な動きを察知したら、すぐにエンリの盾になれるような距離に控えている。

 

 

 草原を風がなびく。

 

 どちらも言葉がないまま、時間が過ぎる。

 その硬直にじれ始めたとき、フードの人物が声を発した。

 

「……ここはエ・ランテルか?」

 

 奇妙な、息が抜けるような不思議な発音。

 その声にも、その問いにも、不思議に思いつつ、だが気圧されてはいけないと、エンリは凛とした声を発した。

 

「いえ。ここはカルネ村です」

 

 その答えに、フードの人物は微かに体を揺らしただけだった。

 

「……話しているお前は何者だ? このゴブリンたちをまとめているのはお前か?」

 

 その問いには、横からジュゲムが胴間声をあげた。

 

「おう! この方こそ、俺たちが忠誠を誓うエンリの姐さんよ!」

「……村にはオーガらもいた。そいつらをまとめているのも、そのエンリという……人間のメスか?」

「そうだ! オーガたちも、このエンリの姐さんの命令なら何でも聞くぜ。姐さんの為ならば、俺たちは全員、命だって捨てる覚悟だ!」

 

 ジュゲムの宣言に顔が赤くなりそうだったが、ここでうつむいてはいけないと、視線はフードの人物からそらさなかった。

 

 

 しばらく、身じろぎもせずに立っていたその人物は、やおらローブの下から手を出した。

 黒い鱗に包まれた、短いかぎづめの生えた手。

 

 その手に驚くより早く、頭部を隠すフードを掴み、一気に投げ捨てた。

 

 

 その中に隠されていた姿を見て、エンリは息をのんだ。

 

 全身が黒い鱗でおおわれ、見るからに筋肉が発達した屈強な体躯。

 だが、何より目につくのは、長い尻尾の生えた直立した蜥蜴とでもいうべきその姿形。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)

 

 

 それはおとぎ話の中でしか聞いたことのない姿。

 

 おそらく一生目にすることすら無かったはずの種族の登場に、エンリは現実から乖離(かいり)した感覚に襲われていた。

 

 だが、その彼女の前で、その蜥蜴人(リザードマン)は片膝をついて(こうべ)を垂れた。

 

 

「カルネ族の族長エンリよ。俺は緑爪(グリーン・クロー)族のザリュース・シャシャ。人間の身にしてゴブリンやオーガら異種族たちをもまとめあげるお前に頼みがある。我が種族の為に助力を願いたい」

 

 

 




 ラナーの思惑もやろうと思ったのですが、書いてみたら、現段階ではラナーが一人で延々考え続けるという展開になり、際限なく長くなったので、今回は断念しました。

 ヘッケランはちゃんと『傾城傾国』を女性陣の目につかないように、こっそり洗って干してから渡していますよ。




 ―― 一連の時系列です ――


 アウラとマーレ、漆黒聖典、ツアーが戦闘。
 マーレの魔法により、隊長を除いた漆黒聖典とブレインが死亡。
 アウラ、マーレ、エクレア離脱。

   ↓

 魔法の持続時間が終了。
 重傷を負った隊長が離脱。
 それを確認した後、ツアーも離脱。

   ↓

 戦闘から30分後。現場にフォーサイト到着。
 『傾城傾国』並びにかさばらないアイテム等を回収。

   ↓

 戦闘から半日後。現場にベルが到着。
 フォーサイトが持っていくのを断念したかさばるアイテムを回収。死体に罠を仕掛ける。

   ↓

 戦闘から丸1日後。法国の部隊を引き連れ、隊長が現場に戻る。
 漆黒聖典の遺体を回収しようとして、ベルが仕掛けた罠に引っ掛かり二桁の被害を出す。

   ↓

 戦闘から数日後。ブリタら冒険者が現場に到着。
 残されていたブレインの死体を調べようとして、ベルが仕掛けた罠に引っ掛かりブリタら全滅。



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第30話 おまけ 悪魔の懊悩

 作中に、牧場のシーンを含みますのでご注意ください。

2016/4/8 「貧欲に」→「貪欲に」 訂正しました
2016/7/28 「娘にあたら」→「娘にあたる」 訂正しました
2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字となっていたところを訂正しました
 半角スペースおよび「、」が誤ってついているところがありましたので削除しました
2017/5/17 「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「浮足立ってしまう」→「浮き立ってしまう」
 ナザリックの階層をアラビア数字に訂正しました
 読点が重なっていたところがありましたので、訂正しました


「なるほど。では、巻物(スクロール)に使用する皮、それの安定供給のめどが立ったという事か」

 

「はい。あくまでまだ低位の魔法を込められるものでしかありませんが。すでに採取する生物は十分な数を捕らえております。これから、治癒魔法やポーションを使用することによる、その皮の再生、および再度採取できるかの実験を行うつもりでございますが、仮に再採取がうまくいかない場合の効率の低下を勘案しましても、その生息数自体が多く捕獲も容易であるため、特に問題はないかと思われます」

 

「そうか。よくやったぞ」

 

 ナザリック第九階層の執務室にて、デミウルゴスの報告を受けたアインズは安堵の息を吐いた。

 主から直接、賛辞の言葉をかけられ、デミウルゴスは歓喜の表情をその顔にたたえて、深々と頭を下げた。

 

 

 巻物(スクロール)

 様々な魔法を込めておくことが出来る消費型アイテムである。

 これを使用することにより、魔法が使えない者も魔法を使用する事が出来るようになり、また、魔法が使える者にとっても、MPを消費することなく魔法が使えるため、非常に使い勝手がいいアイテムである。

 ナザリックの防衛のみが主任務であったこれまでより、各員が多種多様な任務に就くことになっている現況において、その需要は鰻登り。その消費量もかなりのものとなっている。

 

 だが、一つ問題もある。

 巻物(スクロール)はあくまで消費アイテム。

 使えば無くなるのである。

 

 このナザリックにはまさに膨大な数の多種多様なマジックアイテムがため込まれている。当然、巻物(スクロール)も凄まじい量があり、数えるだけで日が暮れるどころか、常人ならば数え続けることに耐えかね発狂するほどの在庫がある。

 

 だが、ほぼ無限に近いほどあるとはいえ、あくまで『ほぼ』『近い』であり、その数は有限だ。

 無分別に使用し続けていけば、いつかは枯渇する恐れがある。

 

 それを防ぐ為には新たに作成すればいいのであるが――。

 

 

 ――その作成に際し、魔法を込める羊皮紙が手に入らないのである。

 

 高位の魔法を込めるには、より特別な皮――例えばドラゴンなど――が必要になるのであるが、ユグドラシル時代ならいざ知らず、この地ではそうそう手に入れることが出来ない。試しに、この地で流通している羊皮紙を使用したところ、第1位階魔法でやっと、それ以上の魔法を込めようとすると羊皮紙の方が持たずに燃え尽きてしまうという結果となった。

 

 その為、第10位階とまでは行かなくとも、ある程度の位階を込めることが出来、比較的容易かつ大量に皮を採取可能な生物を見つけることが喫緊(きっきん)の課題となり、この度、デミウルゴスがついにそれを見つけ出すことに成功したのだ。

 

 

「それで、その皮の採取はおまえの『牧場』だけで大丈夫なのか? なんなら増員や増設も許可しよう」

「お心遣いいただきましてありがとうございます。ですが現状においては、まだ実験段階という事もありまして、私の配下のみで不足はございません。もちろん他の者の手が必要であり、それがナザリックの為と判断いたしましたら、その時はあらためて請願させていただきます」

「なんなら、いっその事、その任は他の者に任せてしまってもよいが?」

「いえ、大変やりがいのある仕事でございますので、負担になるほどの事ではございません」

「そうか。ナザリックの為に身を粉にして働くお前の忠義、賞賛に値しよう」

「おお、なんともったいないお言葉! その言葉だけで、このデミウルゴス! この身、この命の尽き果てるまで、忠誠を尽くすことを誓います」

 

 デミウルゴスの発した赤心(せきしん)の言に、アインズは満足げにうなづいた。

 

「ああ、ありがとう、デミウルゴスよ。……そう言えば、その皮を持つ獣はなんという生物なのだ?」

「ふむ……名前ですか……聖王国両脚羊でアベリオンシープというのはいかがでしょうか?」

「ふふふ……羊か。山羊の方が良いと思うがな。まあ、よい。あらためて言うが、もし牧場に不足のものがあったら言うのだぞ」

「はい。ありがとうございます。ですが、先ほど申し上げたように、現段階におきましては難渋(なんじゅう)している事はございません。皆で知恵を出し合い創意工夫を行う事により、よりよい方法を日々検討、並びに実行しているところでございます。先だっても、ベル様が視察においでになられ、色々と助言をくださいました」

「ふむ、ベルさん……か……」

 

 その時、主の言葉に含まれた感情の変化、わずかな陰りをデミウルゴスは聞き逃さなかった。

 

「ベル様がいかがなさいましたか?」

「む? いや、何でもない……」

 

 アインズは机の上で指を組み、思案気な様子を見せた。

 その姿を、デミウルゴスは無言で見守る。

 

 やがてアインズは、思い切ったように口を開いた。

 

「デミウルゴスよ。……最近のベルさんの様子はどうだ?」

「どう? と、申されますと?」

「いや、つまりだな。普段と変わった様子というか……」

「ふむ……。最近は主にエ・ランテルにおける裏社会の支配に関しまして、精力的に働いておられるご様子。そちらが多忙のため、以前、よく行っていたカルネ村の方からは少々足が遠きがちなようですが。それでも、なんとか時間を作ってはおもむかれているようです」

「う、うむ、そうか。いや、そういう事ではなくてな……。その、カルネ村で……な……」

 

 妙に歯切れの悪い言葉に、首をかしげる。

 しばらく懊悩(おうのう)していたアインズだったが、心の中で納得したのか、小さくうなづいて言った。

 

「……いや、まあよいか。すまんな。おかしなことを聞いてしまって」

 

 アインズの言葉にデミウルゴスは「とんでもございません」と恐縮して頭を下げた。

 

 

 そして、その後は他の議題に移り、いくつかの報告やそれに対する許可などを出し、謁見は終わった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 カツ、カツ、カツ。

 

 デミウルゴスの靴が固まった溶岩の上で音を立てる。

 灼熱の風がその場のもの全てを焦がし、水分の一滴までを奪い尽くそうと吹き抜けるが、獄炎の支配者たるデミウルゴスは汗一つかかず、そよ風の中を歩くように足を進めた。

 

 ナザリック第7階層、溶岩地帯。

 アインズとの会談が終わった後、デミウルゴスは即座に牧場には戻らず、自らの管轄であるこの炎熱の地へと足を踏み入れていた。

 

 第7階層に集う悪魔たちは、自分たちを指揮する者が歩み去るのを声もなく見送る。

 それは今、デミウルゴスが考え事をしながら歩いているため。

 その頭脳が思考することはナザリックが為の事であると理解しているがゆえに、その邪魔をすることはあってはならないと口をつぐんでいるのであった。

 

 そんなデミウルゴスが考えているのは、先ほどのアインズとの会談。

 その際に、ベルの事を口にした途端、アインズの顔が曇ったことだ。

 

 

 デミウルゴスは、ナザリックの(しもべ)たるもの、主の心中を察し、その命なくとも準備と行動を進めるべきだと考えている。

 その為には、主の言外の思惑を察知し、主の心にある狙い、その真意を読み取らねばならない。

 

 そうして考える。

 あの時、何故アインズはベルの話になった途端、心悩ませるものを見せたのか?

 

 

 ベル。

 しばらく前、至高なる御方ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘としてナザリックを訪れられた少女だ。

 その戦闘力は、父であるベルモットほどではないにしても、デミウルゴスらナザリックの階層守護者に匹敵するやも知れぬほどの力を保有してる様子。

 またその頭脳も明晰である。

 むろん、至高なる御方々の中でも特に知性に(ひい)で、そのまとめ役を任されていたアインズには及ばないが。

 まあ、それはさすがに比較対象が悪すぎるだろう。

 

 彼女はアインズがこの地の世俗に身を潜ませ、情報を収集している間、このナザリックの指揮管理を任されていた。

 

 少なくともデミウルゴスが実際に目にし、また聞き及んでいる範疇において、その能力は決して劣っているものではない。

 自らの知りえないことに関しては、貪欲に他人の知識を欲し、自己研鑽に努めている。そして、部下の者達を信頼して仕事を任せる一方、自分から進んで、本来上位者であるベルがやらずともよいであろう仕事を手ずから行い、それを実体験として知識と経験の向上に努めている。

 

 

 また、その性質もデミウルゴスにとって、好ましいものだった。

 

 

 

 現在、ここよりはるか遠く離れたローブル聖王国に近い荒野、亜人たちが紛争を繰り返す地に、デミウルゴスの『牧場』がある。

 

 この地における魔法や薬品等の性質、応用法など様々な検証を行う壮大な実験場と言ってもいい。

 その中でも、最大の成果と言っていいものが、先ほどアインズに報告した、巻物(スクロール)作成の際に魔法に耐えられる羊皮紙、その原料となる皮の発見であろう。

 

 この皮にたどり着くために、様々な生物、多種多様な亜人たちを捕まえ、気が遠くなるほどの実験に供してきた。

 

 その進捗(しんちょく)は亀の歩みのようにゆっくりとしたものだった。

 主が為に早く結果を出したいと、デミウルゴスの心に焦りが生まれるほどに。

 

 だが、正解は遠くではなく、すぐ足元にあった。

 

 青い鳥は目の前にいたのだ。

 

 普通の人間。

 そこらにいくらでもいるような人間の皮こそが、低位のもののみでありながらも、彼の求める巻物(スクロール)の素材、魔法に耐えきれる羊皮紙の材料として適していた。

 

 これからもより高位の魔法を込められる巻物(スクロール)の生産の為に研究を進めなくてはならないだろうが、ともかく一息つくことが出来た。

 

 今後はまず、人間の皮……いや山羊の皮を大量生産する為の効率性を重視して考えねばならない。

 なにせ皮を剥ぐのは一人一人……一体一体、手作業で行わなくてはならないのだから。

 どのような方法が最善か検討しなくてはならない。

 

 

 どうすれば、より大量に、より簡単に、より綺麗に――

 

 ――そしてより残酷に。

 

 

 己の知識にある様々な方法を頭に思い浮かべ、それを施すことを考えるだけで、デミウルゴスの心は楽しいパーティに誘われたかのように思わず浮き立ってしまう。

 これからの牧場は忙しくなるだろう。

 

 

 デミウルゴスは、先だって、そんな『牧場』をベル自らが訪れた際の事を思い浮かべた。

 

 

 ベルはいつも通り、お供のソリュシャンを連れて来訪した。

 アインズが冒険者モモンとしての仕事で忙しいため、代理としての視察だ。

 

 あくまで研究実証を優先したため、牧場の施設はまだ即席のものであり、至高の御方の娘にあたるベルの目に入れるのにふさわしいとはとてもではないが言えるものではなかった。そのために一度は固辞したものの、ナザリックに属する者達が働く場を見るのは重要であるという、ベルの意向を尊重する形で行われた。

 本来なら、つたないながらも飾りつけや歓迎の準備――建物に生皮を剥がした人間を吊るしたり、様々な亜人の頭蓋骨を並べたり、可憐に悲鳴を上げる人間と拷問具を用意したり――をしようとしたのだが、それもご遠慮された。

 

 デミウルゴスは各種施設を案内し、可能な限り、丁寧かつ詳細に説明した。

 

 ベルは熱心にその説明を聞き、そして、人間の皮が巻物(スクロール)作成に適していると聞かされ、長い試行錯誤の末にたどり着いたその発見に感心した様子だった。

 そして、エ・ランテルの方でギラード商会の支配を受け入れず、かと言って死体が発見されると面倒なことになる人間を行方不明という事でこちらに送ってよいかと聞いてきた。

 

 もちろんデミウルゴスは満面の笑みで快諾した。

 

 そして、数名の男たちが連れてこられた。

 皆の見ている前で、ベルは素晴らしい処置を行った。

 なんでも『りある』の『ちゅうおうあじあ』というところで行われていたという『シャツ脱ぎ』というやり方だという。

 人間の腰付近で横にぐるりと切れ目を入れ、さらに左右脇を縦方向に刃を入れたあと、腹側と背中側、両方の生皮を脇下の高さまで剥ぎあげる。そして身体の前後にぶら下がった状態の皮を頭の上で茶巾ずしのように縛り上げるというものだ。もしくは、長袖シャツに相当する部分の皮をそっくりそのまま剥ぎ取ってしまうやり方もあるらしい。

 だが、ベルはそこにもう一つアレンジを加えた。

 両手は後ろで結び、頭の上で結んだ皮を足の届かない高所に渡した横木に通し、ぶら下げたのだ。

 そうして放置することによって、自らの体重により、じわじわと生皮が引き剥がされるという寸法である。

 綺麗に剥がれず、千切れたりしないように、肩口には回り込むようにノースリーブ状に切れ目を入れ、そこから頭部へ横一直線に刃を入れておくという万全のアフターケアもしておいた。

 苦痛に耐えきれず、暴れれば暴れる程、その振動で皮が引き剥がされる。皮が剥がれないように身動きせずに堪えていると、より苦痛が長くなり、ゆっくりと皮が引きはがされることになる。

 

 その状態で吊るされた男たちに、ベルは麻薬の流通ルートについて尋ねた。

 当然、男達は無言を貫いたが、長時間そうしてぶら下げられ、身体を棒の先で突きまわされた。さらに戯れに投げつけられる刺激物の苦痛、そして身をよじるとメリメリと音を立てて自らの皮が剥がれていく(さま)に一人の男が耐え兼ね、ついに口を割った。

 するとベルは、身長が足りなかったために踏み台を使って、血の滴る生皮の向こうにある男の顔と高さを合わせると、「そう、教えてくれてありがとう」とその肩を上からバンと叩いた。

 その肩への衝撃により、一息に頭頂部までずるりと皮がめくれ、支えが無くなった男の身体が下へと落ちた。赤身の姿となったその身が、下に敷き詰められた尖った砕石の上に叩きつけられ、その口から悲鳴が高々と上がった。苦痛で叫び声をあげながら、打ち上げられたエビのように跳ねまわる。そして、暴れれば暴れるほど、新たな石が皮を剥がれた肉に突き刺さり、終わりなき苦痛を与え続けた。

 

 その哀れにして愚かしい姿に、ベルやデミウルゴス、ソリュシャン、そして牧場で働くトーチャーを始めとしたデミウルゴス配下の者達、誰もが立場の違いを超えて、皆仲良く声をあげて笑ったものだ。

 

 

 その時の光景を思い出すだけで、デミウルゴスの口元がにんまりと歪む。

 

 デミウルゴスですら知らない知識を有し、なおかつその知識のみに頼らず、新たな創意工夫を行う。その才はまさに支配者としての資質を有していると言ってもいい。

 

 

 そんなベルに対するデミウルゴスの評価は、格段に上がっている。

 当初は、あくまで至高の御方の御息女として大切にしなくてはという程度の思いだったが、今では至高の41人とは並び立たずとも、それに限りなく近いほどの崇敬の念を抱いている。

 この方にならば、膝を折ってもいいと思えるほどに。

 

 

 そんなにもベルに対して畏敬の念を持っているからこそ、先ほどのアインズの態度がどうしても気になった。

 

 なぜ、ベルの様子を気にかけたのだろう?

 それも最近と言っていた。

 変わった様子と。

 何か聞かねばならぬような事があったのだろうか?

 

 

 

 悩みながら歩くうち、デミウルゴスの足は自らの居城へとたどり着いた。

 元は白く壮麗で美しかったであろう神殿、それを悪意に満ちた者達が破壊と冒涜の限りを尽くした跡、というような設定で作られた場所。

 その神殿跡地を抜け、奥に据えられた白い玉座へと腰かける。

 

 周囲の者達は、物思いにふけるデミウルゴスに配慮し、皆席を外した。

 誰一人いなくなった小高い丘の上の玉座で、デミウルゴスは思索にふける。

 

 

 先ず考えられるのは、守護者の目から見たベルの最近の仕事ぶりを聞きたかっただけという、ごく普通のもの。

 だが、それならば、何も言いよどむことは無い。「お前の目から見たベルさんの評価はどうだ?」と聞けばいいだけの話だ。そう聞かれれば、デミウルゴスは何ら包み隠さず、自分の評価を口にするだろう。

 

 だが、あの時、アインズは言い淀んでいた。

 ナザリックの主であるアインズが、言いづらいような事?

 

 およそ、ナザリックの全ては至高の御方のためにあり、ナザリックの全ての者は至高の御方に忠義を果たすために存在している。

 たとえ、どのような事であろうと――それこそ「死ね」という命令だろうと、――主が口に出して差しさわりがあるようなことなど存在しない。

 

 いったいなんだろうか?

 

「……アインズ様が言いづらい事……?」

 

 

 そこで、ふと思いつく。

 思いついてしまった。

 

 誰(はばか)ることない存在、アインズ・ウール・ゴウンがその口に出すのを躊躇するような事柄。

 

 

「もしや、アインズ様も『りある』にお隠れになるのでは?」

 

 自らの発した言葉に、思わず寒気が走った。

 

 だが、その事を否定はできなかった。

 かつてデミウルゴス自身もその事を考えたことがあるではないか。

 

 たしかにアインズは最後まで残ってくださった。

 だが、これまで残っていたからと言って、これからも残っているとは限らないのではないか?

 ただ、順番として最後になっただけであり、これから御姿を隠される事もあるのではないか?

 

 そして、アインズがいなくなった後、忠義を尽くすべき相手。

 それがベルということなのだろうか。 

 ついにアインズはこのナザリックを立ち去る決意をし、後継者として、ベルにすべてを禅譲(ぜんじょう)しようと考えたのだろうか?

 

 そう言えば、以前、アインズはベルの事を呼び捨てで呼び、その口調も上位者然としたものだったが、最近は『さん』づけで呼び、その口調も他の至高の御方と話されていた時と同様に丁寧なものだ。あれは自分がいなくなった後、ベルが至高の41人と同様に上位者として扱われるようにという、周りの者達に対する自然なアピールではないだろうか?

 

 まさか、本当に……?

 

 だが、その想像を頭を振ってかき消す。 

 

 今迄においても、アインズがこの地を去るようなそぶり(・・・)や発言などしたことがなかった。

 確かにいつかは、その時が来るかもしれない。

 だが、かと言って、今回のわずかな発言から、そんな結論を導き出すのは早計と言わざるを得ない。

 

 

 もう一度、落ち着いて一から考えてみよう。

 

 アインズは、最近のベルの様子を尋ねていた。

 ――変わった事とか……。

 

 最近ベルは冒険者をしているアインズと離れ、単独行動をしている。単独と言っても、ソリュシャンら、ナザリックの供のものがついているが。

 ベルが単独行動しているときのことを知りたがる?

 なぜ?

 

 

 ――なにか、ベルがアインズの意に反している行為を行っている可能性?

 

 

 その答えに思い当たり、デミウルゴスはその身を震わせた。

 

「まさか……、裏切りを想定されている……!?」

 

 もしや、アインズが冒険者としてナザリックの外に出ているのは、敢えて自分がナザリックから離れることで、ベルが不審な策動をしないか泳がせてみるためでは?

 

 デミウルゴスの身に冷たいものが走る。

 

 

 ――裏切り――。

 

 

 在る訳はない。

 くだらない想像だ。

 一顧だにする価値すらない妄想だ。

 

 しかし、もしあったとしたら……。

 

 

 デミウルゴスの忠誠は至高の御方にささげられている。

 すなわち、最優先すべきは至高の御方にしてギルドマスターであるアインズだ。ベルはあくまで、至高の御方の娘であり、それに向けられるものは一段落ちる。

 もし、どちらの味方に付くと言われたら、デミウルゴスは当然、アインズの側に立つだろう。他の者もそうだ。

 いかにベル当人の性質が好ましいものであり、その才気がナザリックの統治者としてふさわしいものであろうと、その事実は絶対に変わらない。

 

 しかし――当のベルがそれに気づいていないだろうか?

 賢く聡明な御方だ、もちろん自分の側に立つものがほとんどいないことは気がついているはず。

 ならばこそ、あり得るはずが……。

 

 ……いや、だからこそ、ベルは精力的に活動しているのか? ナザリックの中と外で。

 ベルは裏切りに向けて着々と手を進めている?

 

 しかし、どうしても手が足りるはずがない。

 いかな人物でもたった一人で……。

 

 ……いや、一人ではないとしたら?

 

 ベルは至高の御方ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘。

 ならば、その後ろにベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの存在があってもおかしくはないのではないか?

 

 

 そこでふと、デミウルゴスは思い出した。

 ベルがナザリックに現れた、その日の事を。

 

 あの日、ナザリックがこの地に転移したあの日、メイドたちの報告ではヘロヘロを始めとした数人の至高の御方々がわずかな時間ながら、ナザリックにお帰りになったらしい。

 そして、ベルモットもまた。

 

 ベルモットはアインズと共に、円卓の間から玉座の間へと移動したらしい。

 だが、後にナザリックの防衛態勢を整えるために各階層の(しもべ)たちと接したデミウルゴスは、一つ奇妙な報告を受けていた。

 

 あの日、ベルモットがナザリックの第四階層、地底湖を訪れていたと。

 

 地底湖。

 その奥底にガルガンチュアが沈められているほかは、特に見るべき所もない場所のはず。

 そんなところに何故? と思っていたのだが……。

 

 ――まさか、ガルガンチュアに何か細工をするために……?

 

 

 ごくりとその喉を鳴らした。

 

 

 このナザリックにいるのは知性ある者ばかりではない。ゴーレムのようにただ命令に従って動く者達もいる。その者達を動かすことが出来たならば……。

 そう考え始めると、事はそれだけにとどまらない。各所に仕掛けられた罠なども、通常はナザリックに属する者には反応しないが、その制限が解かれたとするならば……。

 

 

 しかし――デミウルゴスは頭をひねる。

 

 

 確かにそれらを押さえられ使用されれば、ナザリックの者達にかなりの被害は出る。

 出るものの、それだけでは勝利する事など出来ないはず。

 明らかに兵力が足りない。

 先ほども考えた通り、いくらベルが旗を振ろうが、至高の御方に逆らう者など居ようはずもない。至高の御方の権威、そしてそれに捧げる忠誠は絶対なのだ。

 

 至高の御方……。

 

 

 瞬間、思い浮かんだものに対して、デミウルゴスは思わず玉座から腰をあげてしまった。

 

 

 そう、至高の御方に逆らう者はいようはずもない。

 

 だが――至高の御方は1人ではないではないか。

 

 そう、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ本人がいたとしたら!?

 そして、目の前に現れ、命令したとするならば!?

 

 その考えの行き着く先、ナザリックが2分されて争う(さま)を想像し、デミウルゴスは恐れ(おのの)いた。 

 

 

 自分は一体どうすべきか?

 

 デミウルゴスは再び玉座に深く腰掛け、そのナザリック随一と言われる思考を最大限に巡らせた。

 

 もしベルが兵をあげたときの為、秘密裏に防衛体制を整えておくべきだろうか?

 それとも、先にベルに話して思いとどまってくれるよう嘆願すべきか? いや、それがうまくいけばいいが、もし説得が失敗した場合、アインズがその計画を警戒していることをベルに知らしめるだけに終わり、かえって軽挙妄動のきっかけとなるかもしれない。

 

 このナザリックに不和の種をもたらさぬためにはどうすべきか。

 

 デミウルゴスは一人思案し続けた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――という訳なんですよ。」

 

 再度、場面はナザリック第9階層執務室。

 

 今、ここではアインズとベル、ナザリックの支配者2人が顔を合わせ、互いの状況を報告し合っていた。

 

「麻薬、とくにライラの粉末とかいうのって、何でも王国領内の奥に原料栽培を専門とした農村がそれ用に作られているらしいです。生産も流通も全部八本指がかかわってますから、流通ルートに食い込むとかはちょっと難しそうですね」

 

 ここ最近、ベルが狙っていたのは近隣諸国に流通する麻薬だった。

 

  

 麻薬売買。

 

 実に心躍る響きだ。

 

 リアルでもそちらに関わったことなどあるはずもないベルだが、なんとなくぼろ儲けできるのではないかと想像は出来る。

 儲からないなら、わざわざ犯罪組織が手を出すこともないだろう。

 

 とにかく、そういったものは依存性があるものだから、最初は軽いものを安い値段で、そして犯罪とはかけ離れた気軽なイメージをつけて流す。後は少しずつ効果が強いものを流していけばいい。

 いや、食べ物の中に混ぜてしまうというのはどうか? 人々は知らず知らずのうちに薬を常用することになる。いっそのこと、水源に混ぜてしまってもいいかもしれない。気づいた時には薬が無くては耐えられない体になっているだろう。 

 もちろんやりすぎれば、多くの者が薬のもたらす甘い酩酊にひたり続け、ただその悦楽を持続しようと薬を求める者ばかりになってしまうため、治安の悪化、産業力等の低下などをもたらす事になる。

 だが、べつに都市だの国だのの管理経営しているわけではないベルにはそんなことはどうでもいい。

 大切なことは金が儲かるかだ。それに、この地にある国の国力が落ちるという事は、相対的にナザリックの力が上昇することにもつながることになる。

 

 考えただけで夢が広がる。

 

 そう思って、麻薬ルートを手に入れようとしたのだが、そちらは生産から流通までがっちり八本指に押さえられていて、現状では手が出せなかった。

 

 現在の状況は、エ・ランテルの裏社会はあらかた牛耳ってしまっているが、エ・ランテル以外の地域に関しては、まだ情報収集の段階だ。

 特に、この前のアウラとマーレの一件以降、強者の存在を警戒し、より慎重に事を進めることを余儀なくされている。

 そんな中、八本指制圧を狙う前段階として、その拠点となっている王都の情報収集に送り出したシャドウデーモンたちは、蒼の薔薇のイビルアイという冒険者に倒されてしまう始末。

 その為、こちらから王都に居を構える八本指には手が出せずに、向こうから送られてくる工作員や暗殺者をちまちま撃退するだけという非効率的な守勢に回らざるを得ない状況だ。

 現に八本指を直接裏切ったことになっているマルムヴィストら3人に対しては、もう二桁ほどの暗殺者を送られている有様。

 

 とりあえず次善策として、人間に扮したユリを王都に潜入させることにしたが、情報収集力はシャドウデーモンの大量運用と比べて格段に落ちざるを得ないだろう。

 

 とにかく、イビルアイという存在が厄介者だった。

 王都にこの冒険者がいる限りはシャドウデーモンを送ることは出来ない。

 こいつさえいなければ、八本指の壊滅や乗っ取りも可能だろうに。

 そうすれば、夢の麻薬ルートが見えてくるのに。

 もしかして、イビルアイとやらは八本指と繋がっているんじゃないかと邪推したくもなる。

 

 何とか王都から引きはがせないか、「うむむ」と腕を組んで考えていると、ふと目の前のアインズが先程から沈んだ面持ちでいるのに気がついた。

 

 最近、よく顔を突き合わせているうちに、この骸骨顔の微妙な表情の変化というのが分かってきた気がする。

 他では確実に、全く役に立たない技能だが。

 

「どうしました?」

 

 その問いに、アインズは目線を下げたまま口を開いた。

 

「ベルさん……。何か……私に隠していることは無いですか?」

 

 突然の問いに「何かとは何ですか?」と、ベルは何を言っているのか分からないという(てい)で首をひねった。

 そのしぐさに嘘偽りはない。隠していることはそれなりにあるが、ありすぎて一体何を指すのかは分からない。

 

 アインズはアイテムボックスから〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を取り出す。

 そして、その前で手を動かし操作した。

 

 この〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉には、いくつものマジックアイテムがごてごてと取りつけられている。その中には、画面に映ったものを記録し、そして再生する機能まで付与されている。

 

 パッと鏡面が明るく映った。

 

 それを見てベルは、はっとその身を固くした。

 そこに映し出されたのは、数日前のカルネ村の光景。ベルがおもむいた時の映像だ。

 

「ベルさん……。嘘ですよね?」

 

 アインズがかすれた声で問いかける。

 

 それに対しベルは――。

 

 

 ――くくっと口元を吊り上げた。

 

 あり得ないものを目の当たりにしたという風に、アインズはその身を震わせた。

 アインズの向ける驚愕の視線を平然と受け、ベルは口を開いた。

 

「嘘とは?」

「……ベルさん……」

「なにも疑問の余地もないじゃないですか? 見たとおりですよ。目で見たものが信じられませんか?」

「そ、そんな……」

 

 2人の横にある〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の鏡面。

 そこにはカルネ村でのベルの姿、アインズに対してベルがひた隠しにしていた行動。

 それが今、白日の下にさらされていた。

 

「〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉とは迂闊でした……。ええ。ご覧の通りですよ。これが俺の真実の姿です。アインズさん、俺は……」

「ま、待ってください! そんな……そんなことは言わないでください」

 

 アインズは聞きたくないとばかりに耳をおさえる。

 耳に相当する部分の骨を押さえて効果があるかは知らないが。

 

 ベルはそんなアインズへ力のこもった視線を向ける。

 

「いいえ。目をそらさないでください。耳をふさがないでください。事実と向き合ってください。これが俺ですよ」

 

 その言葉にアインズは恐れ(おのの)く。

 それ以上は続けないでほしい。嘘だと言ってほしい。ぱっと表情を変えひっかかりましたねと笑ってほしい。

 だが、ベルはそんなアインズの思いを十分理解したうえで、それを踏みにじるかのようにさらに言葉を紡いだ。

 

「いいですか? 聞いてください、アインズさん。本当は、俺は――」

 

 

 

 

「――俺は、犬派じゃなくて、猫派なんです!!」

 

 

 

 

 その答えに、アインズはハンマーで叩かれたかのような衝撃を受けた。

 

「そ、そんな……」

 

 アインズはよろめく。

 その拍子に指が〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に当たった。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の鏡面には、カルネ村でちょっと前に生まれたらしい子猫をベルがなでたり、抱き上げたりする様子が映し出されていた。

 

「な、何故なんですか!? 何故、猫なんかを!」

「いや、かわいいじゃないですか、猫。丸々としてるとことか、仕草とか」

「猫なんて、人間を堕落させる邪悪な生き物ですよ! 俺たちは皆、犬派だったじゃなかったんですか!?」

「邪悪って、カルマ値マイナス500の人が言いますか……。それにギルメンにも結構、隠れ猫派いましたよ。スーラータンさんとか、チグリスさんとか」

「マジでッ!! Σ(゚Д゚;)」

 

 衝撃を受けるアインズ。

 

「ちなみにるし★ふぁーさんは、『犬派猫派で分けるのはおかしい、俺は蛇派だ!』って言ってましたよ」

「あ、べつにるし★ふぁーさんはどうでもいいんで」

「……前から思ってましたけど、アインズさんってるし★ふぁーさんにきつくありません?」

「じゃあ、ベルさんだったら、るし★ふぁーさんに寛大に接します?」

「いえ、まったく。これっぽっちも」

 

 そんなやり取りをしている間にベルは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を操作し、現在のカルネ村、そこにいる子猫たちを探し当てる。

 

 どうやらちょうどタイミングよく、ネムが子猫たちの(もと)を訪れているらしい。

 声は聞こえないものの、きゃっきゃっと笑いながら子猫たちを抱き上げたり、その辺の物で作り上げた猫じゃらしを振り回したりして遊んでいる様子が映し出された。

 

 ぽてぽてと足取りもまだおぼつかない、丸々とした子猫達と戯れる無邪気な少女という反則的なかわいさを振りまく映像に、アインズでさえも思わず相好(そうごう)を崩しそうになる。

 

 だが、それにハッと気がつき、アインズは慌てて目をそらした。

 対してベルは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を掴み、逸らしたアインズの目の前に鏡を持ってくる。

 

「ほれほれ。悩むことなどないんですよ。かわいいと思ったんでしょう? この光景を見て。なら、意地をはる事なんてない、自分の心に素直になればいいんですよ」

 

 だが、アインズは苦悶の声でそれに抗った。

 

「くっ。そ、そんな誘惑には負けん! 黙るがいい、悪魔よ!」

 

 きゃいきゃいと、ふざけ騒ぐ2人。

 

 

 

 その頃、当の悪魔は――。

 

「私は……このナザリックの為に、一体どうすべきか……」

 

 灼熱の風が吹きつける玉座の上で一人懊悩(おうのう)し続けていた。

 

 

 




 作中では、頭頂部まで一息に皮がめくれたと表現していますが、実際は顔面部(瞼や唇、頬)のところが引っかかるために力づくで綺麗にむくのは難しく、綺麗に剥ぐにはナイフなどを入れながらゆっくり丁寧にやらなければいけないそうです。


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第五章 蜥蜴人編
第31話 エンリの決断……え?


2016/4/22 「エランテル」となっていたところがありましたので、「エ・ランテル」に訂正しました
2016/10/9 「命守るために」→「命を守るために」訂正しました
 段落頭で一字下げしていないところがありましたので修正しました
2017/5/18 「元」→「もと」、「別れ」→「分かれ」、「見せる」→「みせる」、「重い物に」→「重いものに」、「持って行けても」→「持っていけても」、「とと感情たっぷり」→「と感情たっぷり」、「盛下がる」→「盛り下がる」、「2月」→「ニ月(ふたつき)」 訂正しました


「では、申し訳ありませんが、今夜はこちらでお願いします。それと出かけるときは見張りの人をつけることになりますけど……」

「ああ、分かった。本来ならば、俺のような者は村の中へも入れてくれぬはず。そこを曲げて宿まで与えてくれた厚意、感謝する」

 

 頭を下げるザリュース。

 その部屋の扉を閉じ、わずかな間そこに(たたず)んでいたものの、エンリは(きびす)を返した。

 

 その歩みに、そっとンフィーレアが歩調を合わせてきた。

 

「お疲れさま、エンリ」

「うん、ンフィー……」

 

 視線を前に向けたまま、友人に尋ねる。

 

「どう思う? あの人の話……」

「何とも言えないね。嘘を吐く意味はあまり考えられないけど、その可能性もあるし。それにもし本当でも、あくまでその蜥蜴人(リザードマン)の集落だけの問題かもしれない。でも、彼の言う通りの可能性もある」

「そんな……トブの大森林全体、そして、その周辺にまで降りかかるような災いって……」

「何とも言えないね。有るかもしれないし、無いかもしれない。ただ、一つだけ言えるのは、絶対にないとは言えないってことだよ」

「でも……そんな恐ろしい存在がいて、そして暴れだしたなんて……」

 

 エンリは先程、ザリュースと名乗る蜥蜴人(リザードマン)から語られた話を思い返す。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 あらためて名乗らせてもらうが、俺は〈緑爪(グリーン・クロー)〉という蜥蜴人(リザードマン)の部族のザリュース・シャシャ。部族での立場は旅人だ。

 

 旅人というのは何だって?

 ふむ、つまりだな……。普通の蜥蜴人(リザードマン)は部族のもとを離れるということをしない。生まれてから死ぬまでな。

 いや、他の種族の者にはおかしいと思えるかもしれないが、俺たちの暮らしの中では決しておかしくはないんだ。蜥蜴人(リザードマン)という種族は水辺で暮らすのだが、その水辺があるところは限られているしな。

 

 ああ、いや、いいとも。謝罪されるほどではない。

 俺も湖から離れて森の人のところに行った時は、文化やそもそもの思考の違いに困惑するばかりだったからな。

 

 話を戻すが、俺は旅人。

 部族を離れて見聞を広め、そしてまた部族、〈緑爪(グリーン・クロー)〉へと戻ってきていたのだ。

 

 俺が暮らしていたのはトブの大森林の奥、アゼルリシア山脈の南端。山から流れる川が平地でたまり、大きな湖を作り上げているところだ。

 そこは上流には大きく深い湖、そして、その下流にはそれより幾分か小さい湖が出来ている。その小さいほうの湖の一角、浅瀬と湿地帯が広がっている辺りに、俺のような蜥蜴人(リザードマン)がいくつかの部族に分かれ生活しているのだ。

 

 部族をまとめるのは最も強い者で、数年に一度それを決めるための儀式が……っと、とりあえずは俺たちの暮らしぶりはどうでもいいな。

 まあ、とにかく、主にその湖で魚を獲って暮らしているわけだ。

 

 湖には俺のいる〈緑爪(グリーン・クロー)〉族の他に、4つほど蜥蜴人(リザードマン)の部族があるが、他の部族と交流することはあまりない。

 時折、部族間での戦いなどが発生した際に同盟を組むなどもするが、その程度だな。

 

 そんな感じで、基本的に外との交流などもなく、自給自足で暮らしていたのだ。

 

 

 

 だが、そんなある日、俺たちの村に奇妙な来訪者が現れた。

 現れたのは2体のゴブリンと1体のオーガだった。

 

 聞けば、湖よりはるか南――ここからだと北にあたるが――の森の中を縄張りとしているらしいナーガの使いという者が集落を訪れたのだ。

 

 なんでも、トブの大森林内で長き眠りについていた『世界を滅ぼす魔樹』とやらが目覚めた。

 その力は圧倒的で、とてもではないが個別に戦っても勝ち目はない。

 そこで、種族の垣根を超え同盟を組み、その『世界を滅ぼす魔樹』に立ち向かおうという提案だった。

 

 

 俺たち〈緑爪(グリーン・クロー)〉は会合を開いた。

 その同盟の打診を受けるかどうか話し合うためだ。

 

 だが、その場にいた戦士階級の者達、祭司達、狩猟班の者達、長老会、皆すべてが反対した。

 まだ蜥蜴人(リザードマン)同士での同盟ならいざ知らず、ゴブリンやオーガらと同盟を組むなど論外だった。

 しかも、そのナーガはこの同盟話を、あろうことか湖の北に住む忌々しいトードマン達にまで持ちかけているという話だ。

 そんな連中と肩を並べるのは御免であるというのが皆の認識だった。

 それに、その『世界を滅ぼす魔樹』というのは祭司頭でも聞いたことがないという。その同盟話自体がナーガの邪悪な計略ではないかという推測まで出た。

 

 幾人かの者達からは、まずは調査してみるべきではないか、と提案もでた。

 だが、その意見も同盟に賛成の立場からではなく、あくまでいきなり反対してナーガと敵対するのはどうか、という消極的なものに過ぎなかったため、議論を覆すまでには至らなかった。

 

 そうして、俺たちはその使者達を追い返した。

 

 誇り高き蜥蜴人(リザードマン)たるもの、いるかどうかも分からない影に怯えるなどあるまじき行為だ。仮にその『世界を滅ぼす魔樹』とやらが襲ってきても、自分たちだけで倒してみせるという自負があった。

 

 その時はな。

 

 

 そうして、しばらくしたのち、また別の来訪者を迎えることになった。

 

 今度、現れたのは同じ蜥蜴人(リザードマン)

 〈緑爪(グリーン・クロー)〉の集落より少し離れた湖岸で暮らす〈小さき牙(スモール・ファング)〉の者だった。

 総勢で10名程度。メスや子供も交じり、皆怪我をし憔悴していた。

 

 話を聞くと、〈小さき牙(スモール・ファング)〉の集落が数体の謎の怪物(モンスター)に襲われたらしい。

 その怪物(モンスター)は樹木の姿をしており、その大きさは周辺の森に生える大樹ほど。かなり長さをもつ触手は剛力を発揮し、その体の頑強さは戦士たちの攻撃をものともしなかった。

 そんな怪物(モンスター)の群れに襲われ、〈小さき牙(スモール・ファング)〉は壊滅。生き残りは今、この場にいる者達だけという有様。他の者達は死者も生者も分け隔てなく、その怪物(モンスター)(むさぼ)り食われたという。

 

 とりあえず、その者達の怪我を治療し〈緑爪(グリーン・クロー)〉に迎え入れ、その一方で数名の斥候を〈小さき牙(スモール・ファング)〉の集落へと向かわせた。

 

 斥候の話では、そこはもはや集落の跡形もなかったという。

 まさに暴風が去った後、という表現が正しいような状態で、家という家が強大な力でかたっぱしからなぎ倒され、周辺の湿地に生えている草ごと、巨大な何かに踏みつくされていた。

 ただ、蜥蜴人(リザードマン)だったものらしい肉片がそこらじゅうに飛び散り、赤い色が混じった水の中を湿地に住む生き物が蠢き、その肉をついばんでいるという有様だったそうな。

 

 

 その報告を受け、あらためて会合を開いた。

 事ここに至って、ようやく俺たちは事態の深刻さを理解した。

 

 皆の意見は、怪物(モンスター)の襲撃に備えるべきというものと、この地を捨てて逃げるべきというものに別れた。

 二つの意見は平行線をたどり、いつまでたっても結論は出なかった。

 その怪物(モンスター)が恐ろしい相手であるという事は分かったが、それが一体どれほどの強さを持つものなのか、情報が少なすぎて判断できなかった為だ。

 

 そこで、先に同盟を打診してきた、そのナーガの(もと)に使いを出し、あらためて詳しく話を聞くという案が採用された。

 そのナーガの使いはそいつの事を『世界を滅ぼす魔樹』と呼んでいた。つまりはある程度、その怪物(モンスター)の情報を掴んでいるという事だ。

 

 

 急遽(きゅうきょ)、使いとなる者が選ばれた。

 それは俺だ。

 俺は旅人として部族を離れ、各地を旅してまわった経験がある。湖周辺しか知らない普通の蜥蜴人(リザードマン)よりもふさわしいと判断された。

 実際、他の者では下生えの生い茂る森の中を歩くという行為だけでも難渋(なんじゅう)するだろうからな。

 

 そうして、俺はナーガのアジトへと向かった。

 そいつらの居場所が分かるのかって? ああ、それは最初に現れた使いのゴブリンらから、方針が変わったらそこへ来るようにと聞かされていたからな。

 

 数日、森の中を歩いた末、言われた場所へとたどり着いた。

 少し起伏が激しい山際、岩棚が(ひさし)のように張り出しているその下に、数体のゴブリンとオーガ、それにトロールがいた。

 教えられた場所というのは、あくまで連絡用の者がいる仮の前哨地で、ナーガらの本隊はまた別のところにいるらしい。

 用心深い奴だ。

 

 そこからゴブリンとオーガに連れられ、森の中をしばらく歩いた。

 そうして陸地を歩くことに足が疲れてきた辺りで、ようやくその根拠地としている洞窟へとたどり着いた。

 そこすらも仮の住居らしかったが。

 

 そこで初めてナーガというものを見たのだが……あれは恐ろしい怪物(モンスター)だったな。

 

 そいつが目の前に現れただけで、途轍もない強さを持つ存在だという事はよく分かった。

 

 そいつは自分の事を、リュラリュース・スペ……なんだったかな? まあ、いい。そのナーガは自らの事をリュラリュースと名乗ると、気が変わって同盟の締結に賛同する気になったのかと聞いて来た。

 俺は、あくまでまだ検討段階である事を話し、近隣の蜥蜴人(リザードマン)の集落が、何者かは分からないが巨大な樹木の怪物(モンスター)の群れに襲われたことを語った。そして、その魔樹とやらについて、もっと詳しく教えてほしいと。

 

 思案気な顔で俺の話を聞いていたそいつ――リュラリュースは重い雰囲気を漂わせながら、語りだした。

 

 トブの大森林の奥地。

 そこに古の竜王によって封印されたという怪物(モンスター)、『世界を滅ぼす魔樹』という存在がいる。

 そいつは封印されていながらも時折眠りから覚めては、付近の生物や植物を貪り食い、その養分を吸い取り、力を蓄えてきた。

 200年ほど前に目覚めたときには、その圧倒的な力の前に、当時、トブの大森林を支配していたダークエルフたちですら為す術がなく、その多くが森を捨て、はるか南方へ皆逃げ出したのだとか。

 

 すでに一度、リュラリュースは自分の配下の者達を引き連れ、その魔樹に挑んだのだそうな。

 その結果は見るも無残な有様。圧倒的な力の前に多大な犠牲を払い、為す術もなく敗退したのだと語った。

 どうりでここにいる連中は負傷している様子の怪物(モンスター)達が多い訳だ。

 

 正直な感想を言わせてもらうならば、そんな話自体が信じられなかったな。

 目の前にいる下半身が蛇の人間――ああ、ナーガの外見については言っていなかったか?――は俺が今まであちこち旅をして、この目で見、そして知りえた中でも別格な程の力を保有している存在であるということは一目瞭然だった。

 下手をすれば、このリュラリュース一体で、俺の部族を滅ぼしつくすことも可能かもしれない。

 それだけ桁外れな奴だった。

 そんな強大な怪物(モンスター)が配下のトロールやオーガ、ゴブリンなどの軍勢を引き連れて戦いを挑み、それでも倒せなかったという怪物(モンスター)

 それを想像しただけで、思わず足が震えそうになるほどだった。

 

 そうこうしているうちに、何か金属の物が打ち鳴らされる音が洞窟中に響いた。

 その音に皆、目の色を変え、武器を手にして洞窟の外へと飛び出ていった。

 

 そこにいたのは巨大と言っても遜色ない。蜥蜴人(リザードマン)の背にしてゆうに5人分はあるであろう体高を持つ樹木の怪物(モンスター)だった。

 

 

 まあ、そいつとの戦闘の詳細については省略しよう。

 

 そいつは長い触手を振り回し、その怪力で暴れまわった。〈小さき牙(スモール・ファング)〉の者達が、戦士の攻撃も歯が立たなかったと言っていたが、その言葉を裏付ける頑強さを持っていた。

 だが、リュラリュースの放つ魔法、俺の持つ〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の攻撃、そしてオーガやトロールらの単純ながら防ぎようのない力づくの攻撃の前に、やがては力尽き地に伏した。

 

 終わってから聞いたが、リュラリュースによると、これは『世界を滅ぼす魔樹』が自らの手足として生み出した『落とし子』というものらしい。

 今はまだ完全に復活はしてはいないため、これらの(しもべ)を作り上げ、自らの先兵として各地に送り出し、復活の為のエネルギーを蓄えているらしい。

 

 

 戦いの後、俺はこの話は絶対にまとめなくてはならないと思った。

 

 正直、この『落とし子』を退治できたのはリュラリュースの存在が大きい。

 もし彼――彼なのか彼女なのかは分からないが――がいなければ倒すことは不可能だったろう。

 そんな存在がいたおかげで、今はようやく一体倒せたというのに、〈小さき牙(スモール・ファング)〉の集落を襲った時、『落とし子』は群れを成していたという。

 何とかしなくては湖の蜥蜴人(リザードマン)、いやトブの大森林、いやいや下手をしたら世界の危機かもしれないのだ。

 

 リュラリュースは言っていた。

 あの魔樹はまだ力を回復している段階のようだ。当初は付近の植物だけが狙われたが、動けるようになってから『落とし子』を生み出し、数日おきに活動させては生物の群れを襲い、そしてそれを貪り食う。そうして集めた栄養素を自らの(もと)へ届けさせるのだそうな。『落とし子』を操れる活動時間は、現段階ではそう長くはない。せいぜい数時間程度。そうして栄養を補給しては、その後、しばらく眠りにつくというサイクルを繰り返しているらしい。

 つまりは多少の余裕はあるかもしれないが、下手をしたらそう遠くないうちに湖の蜥蜴人(リザードマン)(ほろ)ぶ可能性もある。

 

 俺はリュラリュースに、なんとしても魔樹の危険性を部族に伝え、同盟を成立させるつもりだと言って湖へと戻った。

 リュラリュースからは一晩泊まって体を休めるよう薦められたが、俺は固辞した。

 一刻も早くこの話を村に届けたかったからだ。

 

 

 そうして、半ば強行軍で湖へ戻った俺が見たものは――すでに破壊されつくした集落だった。

 

 ああ、そうだ。

 俺の知らせは間に合わなかった。

 

 破壊後の〈小さき牙(スモール・ファング)〉の集落へ行った斥候達がどんなものを見たのか分かったよ。彼らから聞いた話と同じ、建物はすべて破壊しつくされ、周囲にはバラバラになった死体が散乱していた。動く者はだれ一人いなかった。

 

 俺は放心しながら、辺りを歩き回った。

 生存者がいないかと思ってな。

 

 足を進めるたびに、まだ腐敗もしていない蜥蜴人(リザードマン)だったものの破片が足に当たった。そして、その度に肉片に潜り込んでいたカニや魚が慌てて逃げ出していった。

 

 歩きながら、ここは〈緑爪(グリーン・クロー)〉の集落ではなく、森に入ったことで方向感覚が狂い、別の場所に出てしまったのではないかと考えもした。もしくは、集落へと帰る途中の野営中にひと眠りした際、リュラリュースから聞かされた話の為に悪い夢でも見てるんじゃないか、とな。

 そんなこと、あるはずがないというのは分かってはいたが。

 

 やがて、俺はかつて集落の外れにあった、傾きかけ(なか)ば水中に没した小屋にたどり着いた。

 それが傾いているのは元からであり、小屋が破壊されずに建っていたことで、心の中に一縷の望みが芽生えた。

 俺は思わず小屋へと走り寄った。

 

 近づいた俺の目に、その小屋の壁が大きく破れているのが見えた。

 そして、その裂け目から垂れ下がるように飛び出している物体の姿が。

 

 三角形の頭を持ち、そこから繋がる濃い茶色の鱗に包まれた筒のような体。一見、巨大な蛇の胴体にしか見えないその姿だが――それは1本だけだった。

 その先につながる四足獣の身体も、そこから繋がる他の3つの頭部も無かった。

 

 昔、親に捨てられていたところを俺が拾って育てた多頭水蛇(ヒュドラ)のロロロだった。

 巨大な体躯を持つ多頭水蛇(ヒュドラ)でさえも魔樹の力の前には、為す術もなく引き裂かれてしまっていた。

 

 俺はすべてを失ってしまっていた。

 その時の虚無感が分かるか?

 大切なもの――共に暮らしていた部族も、皆のためにと心血を注いでいた作り上げた生け簀も、血肉を分けた兄も、幼いころから面倒を見ていたロロロも、もはや何もないのだ。

 リュラリュースの(もと)を出た際には、〈緑爪(グリーン・クロー)〉の為に同盟を成立させる。そのためには、何としても長老会や祭司頭らを説得しなければと考えていた。皆の命を守るために、闘わなくてはと思っていた。

 だが、その守るべきものがすべて失われてしまっていたのだ。

 

 

 俺は呆然自失となり、自らの身体すら支えきれず、その場に崩れ落ちた。

 水音を立てて、湿地に膝をついた。

 

 その時、俺自身の鱗と、腰に下げていた〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉がぶつかり音を立てた。

 

 〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉。

 蜥蜴人(リザードマン)に伝わる四至宝の一つ。

 かつて部族間での大規模な戦いとなった時、当時の持ち主である〈鋭剣(シャープ・エッジ)〉の族長を兄とともに倒した際に手に入れた武器。

 これを手にしたことで、俺は蜥蜴人(リザードマン)の中で英雄として知られることになった。

 

 俺の腰には今もそれがある。

 その事に気がついた。

 

 そして俺は立ち上がり歩き出した。

 他の部族の(もと)へ。

 

 〈緑爪(グリーン・クロー)〉は滅んだ。

 だが、この湖に住む蜥蜴人(リザードマン)が滅んだわけではない。

 俺は蜥蜴人(リザードマン)として、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の所有者として、他の部族へ世界を滅ぼす魔樹の危険を知らせに、リュラリュースというナーガとの同盟の打診を伝えに行かなくてはならない。

 

 それだけが俺の生きる目的だった。

 

 

 そうして俺は湖畔を移動し、やがて〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の村へとたどり着いた。

 姿を隠していたわけではないので、俺が村へと向かっていることは既に報告が回っていたのだろう。村の入り口で俺の事を待ち構えている人物がいた。

 俺の持つ〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉と並び蜥蜴人(リザードマン)に伝わる四至宝の一つ、フロストドラゴンの骨から作られたと言われる〈白竜の骨鎧(ホワイト・ドラゴン・ボーン)〉を身に纏った〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の族長。

 それと――。

 

 ――その時、俺はその目を疑った。

 

 ほのかな魔法を感じさせる鎧をまとった〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の族長と共に、そこに立っていたのは黒色の鱗に幾多の傷跡が白く残る堂々とした体躯。背中には魔法がかかった巨大な大剣。

 

 俺の兄。

 〈緑爪(グリーン・クロー)〉の族長であるシャースーリュー・シャシャだった。

 

 予想外の事に呆然とする俺に、兄は説明してくれた。

 俺がいない間に、あの魔樹の『落とし子』が現れ、〈緑爪(グリーン・クロー)〉の村を襲った。

 その際、〈小さき牙(スモール・ファング)〉の生き残りから話を聞いていたため、徹底抗戦はせず、可能な限り皆を逃がすことを優先させた。

 その為、少なくない被害は出したものの、多くの者達が〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の村まで逃げ延びることが出来たのだと。

 そして、ロロロはその時、戦士たちと並んで『落とし子』に立ち向かった。おかげで、実に半数以上の者達が命を長らえることが出来たのだと。

 

 その話を聞いた時、俺は全身の力が抜ける思いだった。

 全てを諦めていたのに。だが、まだ命をつないだものがいる。そして、ロロロはその為に、俺の部族の為に、命を捨てることになってでも立派に立ち向かってくれたのだと。

 

 思わず涙しそうになったが、そんな場合ではないと(こら)え、俺はリュラリュースから聞かされた話を語った。実際に魔樹の脅威を目にした兄は賛同に回ったし、〈白竜の骨鎧(ホワイト・ドラゴン・ボーン)〉の呪いによって知性が落ちているはずの〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の族長も首を縦に振ってくれた。そして、この場にいない〈朱の瞳(レッド・アイ)〉や〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉らの部族と同盟の締結を約束してくれた。

 だが、それでも、蜥蜴人(リザードマン)全部族とそのナーガ率いる怪物(モンスター)群だけでは、勝てないのではないかとも言われた。

 

 そして、俺はリュラリュースの許へと、とんぼ返りした。

 およそ10日弱はかかる道のりを半分の時間で踏破し、蜥蜴人(リザードマン)全部族間での同盟を了承させることを伝え、同時に勝利の概算について尋ねた。

 リュラリュースは言った。たとえ、トブの大森林にいる全種族の同盟が成ったとしても、勝利は難しいだろうと。

 

 だが、聞いた話だがと前置きしたうえで語った。

 かつて魔樹が暴れた際――どれほど昔かは聞いた者が年月を理解していないために分からなかったが、考えるに200年前の事だろう――数人の人間たち――話によると巨人や有翼種も交じっていたらしい――が目覚めた魔樹を倒し、その身を封印したらしい。

 おそらくその当人たちは、すでに寿命で死んでしまっているだろうが、人間たちならば、なんらかの攻撃手段を有しているかもしれない、と。

 だが、現在の人間たちは自分たち以外の者、亜人等の事を排除して暮らしている。比較的、人間に近いエルフやドワーフですらだ。ましてや、ゴブリンやオーガは言うに及ばず。たとえ、人間たちの街に行っても話は聞いてもらえまい。

 そう思い、人間たちには話は持ちかけていない、と語った。

 

 それを聞いて、俺はリュラリュースに提案した。

 俺が人間たちのところに行ってみると。

 

 リュラリュースは難しい表情で首を振り、「やめておけ。お主も怪物(モンスター)として退治されるだけじゃぞ」と言ったが、俺は反駁(はんぱく)した。

 俺は旅人として各地を歩いて回り、人間とも交流したことがある。もちろん、いきなり人間の街に入ることは出来ないだろうが、街から出てきた人間と接触することは可能だろう。姿を隠していけば、少なくともゴブリンたちよりは話を聞いてもらえるだろう。

 

 それを聞いて、ざんばら髪の老人の顔に深い皺をよせて考えていたが、リュラリュースはやがて首を縦に振った。

 

 そして、「この森を南に抜けた先、大きな城壁に囲まれた人間の都市がある。そこはエ・ランテルという。そこには人間の冒険者らも多くいるため、なかには話を聞いてくれるものもいるかもしれん」と語った。「だが、あくまで『かもしれん』という推測に過ぎない。お主を見た途端、退治しようと襲いかかってくるやもしれんぞ」とも続けた。

 

 だが、やらない訳にはいかなかった。

 可能性が低いからと言ってやらなければ、魔樹によってすべてが滅ぼされかねないのだ。

 リュラリュースには俺の代わりに使いの者を湖に送ってくれるよう頼み、俺はそのまま南を目指した。

 俺の姿を見ても話を聞いてくれる人間がいるかもという一縷の望みをかけて。

 

 

 そうして、幾日も森の中を歩いたところ、ついに樹木の海が途切れた。

 森の端へとたどり着いたのだ。

 

 念のため、そのまま平原にさまよい出るのではなく、森の外周に沿って移動した。

 見晴らしの利く場所に出たら、俺の姿を見かけた者にいきなり攻撃される恐れもあったからな。

 丈の長い草が風になびくさまを横目に、俺は歩いた。

 

 そうしていると、リュラリュースの語った通り、大きな城壁に囲まれた場所があった。

 門から多数の人間が出てきては黄色く輝く畑で作業をしている。

 しかも、人間だけではなく、ゴブリンやオーガ、それに見たこともない強大なアンデッドまでいる様子ではないか。

 

 そう、このカルネ村だ。

 その時はここがエ・ランテルだと思っていたがな。

 

 ようやくたどり着いた街だが、俺はひとまず様子を見ることにした。

 一見、様々な種族が共に手を取り合い暮らしているようだが、かといって蜥蜴人(リザードマン)の俺の話を聞いてくれるとは限らんし、何かより強大な存在に奴隷のように働かされているのかもしれん。

 そう思い、数日程、監視してみた。部族の事を考えると気は()くが、いきなり訪ねていって、攻撃されては元も子もない。

 そうして、しばらく探っていたが、どうやら誰かに支配され怯えているような様子はないし、皆仲良く会話しながら作業しているようだったので、思い切って声をかけてみたという訳だ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エンリは立ち止まり、考え込む。

 

「同盟って……」

 

 ザリュースの頼みの一つは、このカルネ村もその魔樹に対抗し、共に戦う同盟に加わってほしいというものだった。

 しかし……。

 

「戦うって事は、怪我をしたり、死んじゃったりするんだよね……」

「ああ、そうだろうね」

 

 ンフィーリアが答えた。

 

「私たちも戦わなくちゃいけないのかな?」

「さあ、それは分からない。さっきも言ったけど、仮にその『世界を滅ぼす魔樹』というのが本当にいたとしても、それがトブの大森林の外までやってくるかは分からない。でも、襲ってくることも考えられる」

「同盟……結んだ方が良いのかな……?」

「同盟を結んで戦いに参加し、魔樹を倒してしまえばカルネ村は安全になる。でも、その同盟に参加したせいでカルネ村が襲われる事も考えられる。そもそも、その同盟に参加しなくても、カルネ村には被害が及ばない可能性もあるね」

「う、うーん……?」

 

 エンリは首をひねった。

 

「どうすれば一番いいんだろう?」

「何とも言えないね。どれも可能性の話さ。でも……」

 

 ンフィーレアは髪の合間からエンリを見つめた。

 

「でも、どうするか、決断はしなくてはならないね。エンリはもうカルネ村の村長なんだから」

 

 その答えに、エンリはたじろいだ。

 

「そ、そうは言われても……。なったばっかりだし、なにをどう判断していいんだか……」

「もちろん、僕達もエンリの手助けはするよ。それと判断するための助言もね。でも、それはあくまで助言でしかない。決断は君がしなくちゃならない」

「……でも、私の判断によっては人が……ううん、人間だけじゃなくてゴブリンとかオーガも死ぬんだよね」

「うん。判断のいかんによっては僕も含めたカルネ村全員の命も危うくなったりはするね」

 

 その言葉にエンリは身震いした。自分の肩に乗せられたあまりにも重いものに。

 

 

 死。

 

 

 今まで自分からほど遠かったものが、最近はすぐ身近にまで迫ってきている事に、眩暈にも似た感覚を覚えた。

 

 通常、カルネ村のような開拓村は常に危険と隣り合わせであり、死とは身近なものだ。人間の住む都市から離れれば離れる程、そこかしこに怪物(モンスター)が現れ、そんなところに住む人間は格好の餌食となる。

 だが、カルネ村は怪物(モンスター)の生息地であるトブの大森林に接しながらも『森の賢王』の縄張りに近かったため、比較的、怪物(モンスター)の襲撃に怯えることは無く過ごすことが出来ていた。

 

 これまでは。

 

 だが、すでに『森の賢王』の姿はトブの大森林になく、カルネ村は自力で怪物(モンスター)から、その身を守らなくてはならない。

 

 

 それに敵は怪物(モンスター)だけではない。

 

 エンリの脳裏には、ついこの前、この村が殺戮と暴虐の波にのまれた時のことが、まざまざと思い起こされる。

 

 

 あの時。

 そこかしこから聞こえる悲鳴。転がる死体。飛び散った鮮血。自分を捕まえた男の手。下卑た笑い声。斬りつけられた背中の痛み。

 生まれたときから共に過ごしてきた人たち。親しい人も、あまり仲が良くなかった人も、優しい人も、偏屈な人も、そして――父も母も、皆あの時殺された。

 

 あの時のようなことがこの村で起こっていいのか?

 いい訳はない。

 あんなことが、またこのカルネ村で起こっていいはずがない。

 人間だろうと、怪物(モンスター)だろうと、村を危険にさらすものは倒さなくてはならない。

 そのためには、村を襲う恐れがある、その魔樹と戦わなければならない。

 だが、そうなると、戦う者を送り出さなくてはならない。

 そうなれば、当然、その者が死ぬ可能性がある。

 

 

 村の者の命を守るために、誰か村の者を命の危険にさらさなくてはならない。

 

 

 その事にエンリは苦悩する。

 歯を食いしばり、拳を握りしめ、ぎゅっと目をつむって立ち尽くす。

 

 

「まあ、落ち着いてゆっくり考えるといいよ。明日にでも、おばあちゃんや元村長さんも含めて、あらためて話を聞こう。時間をおいて皆で考えれば、また別の案も思いつくかもしれないし」

 

 悩むエンリに、ンフィーレアはそう声をかけ、今日は休むように促した。

 

 

 エンリは生返事を返し、日が暮れかけた空の下、ふらふらとネムやゴブリンたちが待つ自分の家へと歩いていった。

 

 

 その背を見届け、ンフィーレアは(きびす)を返した。

 

 その足が向かう先はカルネ村で自分達にあてがわれた家ではなく、村を取り囲む壁。

 ンフィーレアが見上げると、ザリュースがここをエ・ランテルと見間違えたのも一理あると思うような、様々な建築様式をでたらめに混ぜ合わせたかのような印象を受ける不可思議な城壁がそこにある。

 

 据え付けられていた梯子に足をかけ、(やぐら)へと昇ると、そこにお目当ての人物。偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの使いであるシズがいた。

 ンフィーレアには気づいているのだろうが、振り返ることなくいつもの無表情のまま、相変わらず望遠鏡で村の外を監視していた。

 

 その背にンフィーレアは声をかけた。

 

「シズさん、ちょっといいですか? モモン――いえ、ゴウン様に伝えてほしいんですけど……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌日、朝早くから村長――いや、元村長の家には幾人かの者が集まっていた。

 元村長、エンリ、ンフィーレア、リイジー、それにジュゲムとシズ、そして事の発端であるザリュースの7名。

 

 今日は村の者達は、日が昇ると同時に畑仕事に精を出している。

 昨日まで、ザリュースが森にいたために警戒して出来なかった作業を大急ぎでやらなくてはならないためだ。

 

 

「さて、いくつか聞かせてもらっていいかい?」

 

 この場にいる皆がなんと言って話を始めていいか迷ううち、そんなことをしている場合ではないとリイジーが口火を切った。

 

「先ず聞きたいのは、その『世界を滅ぼす魔樹』の情報さ。そのナーガの情報ってのは事実なのかい?」

「疑うのは仕方がない。全て正しいか、確認することは不可能だ。だが、奴が語り、俺自身が見、そして戦った『落とし子』の姿と、生き残った蜥蜴人(リザードマン)らの語る外見は似通っている。それとリュラリュースは魔樹の活動できる時間、『落とし子』を操れる時間は今のところ数時間と語っていた。〈緑爪(グリーン・クロー)〉の集落が襲われた際、防戦しながら皆を撤退させていた所、突然『落とし子』は追撃を止め引き上げていったらしい。これらの事から、リュラリュースの語った内容はある程度、事実だと思われる」

「ふむ。推測も多く含むが、否定も出来ないね」

 

 そう言って、リイジーは思案気な顔を見せた。

 

「この話。事は大事だね。私らの内で済ます範囲を超えている。出来るならエ・ランテルに話を持っていきたいところだけど、話の情報源がトブの大森林に住むナーガだけじゃあ、都市を動かすのは難しいだろうね」

「都市の長ではなく、冒険者たちでも駄目か?」

「冒険者たちを動かすには金が要るよ。アンタ、何か持ってるかい?」

「いや、ないな。……む? しかし、リュラリュースはその魔樹の頭頂部に生える苔は万病に効く薬草であると語っていたな。価値がある物なのではないか?」

「それだと、駄目だね。あくまで最初に支払う金が要る。冒険者が苦労の結果手にした物は、冒険者の物って不文律があるからね。報酬にはならないよ。……ん? ちょっと待ちな。万病に効く苔って言ったね?」

「ああ、そうらしいが……」

 

 いったいどうしたんだろうと皆が疑問に思う中、リイジーが口を開いた。

 

「そうだね。聞いたことがあるよ。その薬草の話を」

「!? 本当なの、おばあちゃん!?」

「ああ、たしか30年位前だったかね。その頃、冒険者がトブの大森林に行って採ってきたはずだよ。たしかその時はアダマンタイト級冒険者がミスリル級を2チーム連れて行って何とかだったね」

「アダマンタイト級!?」

 

 その場にいた者達は皆、驚愕の声をあげた。アダマンタイト級が何なのか分からず、声をあげなかった者もいるが。

 

 アダマンタイト級冒険者。人類の決戦存在。

 そんな冒険者がミスリル級という現在のエ・ランテルで最高のクラスのチームを2つもサポートにつけて、それでようやく採取することに成功したという。

 しかも、あくまで薬草を採取しただけだ。

 もし、その薬草が魔樹の頭頂部に生えているものと同様のものだとすると、採るだけでもそんな桁外れの存在が必要だったのに、それを倒しきるなど、いったいどれほどの戦力が必要か……。

 

「ううむ」

 

 リイジーは唸り声をあげた後、言った。

 

「なるほどね。分かった。私がエ・ランテルに行って掛け合ってみるよ」

 

 同席した者達から、安堵の声が漏れた。

 

「私は、今は元がつくが、ちょっと前までエ・ランテルでも名士に数えられるほどだったからね。色々と顔はきくさ。都市長にはあったことは無いが、冒険者組合長のアインザックや魔術師組合長のラケシルを通せば、話を上げられそうだね」

「大丈夫なんですか?」

 

 村長の声に、リイジーは首を縦に振った。

 

「ああ、これはちょいと事が大きすぎるからね。下手をすれば都市ごと巻き込むような重大案件になりかねない。そんな大事に関する事なら、依頼の時に金が出せるかって問題じゃなくなるのさ。まあ、先の件でエ・ランテルの予算をしまってある金庫が襲われたって話だから、すぐに動けるかは不安だけどね」

「手数をかけさせ申し訳ない。感謝する」

 

 ザリュースが頭を下げた。

 

「そいつがトブの大森林を出て暴れだしたら、私たちも他人事じゃないしね。ただ、上手く話を持っていけても、すぐに討伐チームが組まれたりはしないだろうね。最初にミスリルかオリハルコンくらいの冒険者が、その話が事実か森の中に確認に行って、それからだろうね」

「いや、なんにしてもありがたい」

 

 そう言ったザリュースの顔が、蜥蜴人(リザードマン)の顔色は分かりにくいが、ほころんだのを感じた。

 話を聞いてもらえるどころか、下手をすれば即座に戦闘になるかもしれない人間との交渉が予想以上にうまく進み、ようやくその肩の荷が半分下りた気分だった。

 だが、肩の荷はもう半分残っている。

 

「それで、エンリよ。エ・ランテルには話は持って行ってもらえることになったが、カルネ村の同盟はどうする?」

 

 エンリは身を固くした。

 ついに自分が決断しなくてはならない時が来た。

 

 夕べ、ジュゲムらゴブリンたちに相談してみたが、皆、エンリの為ならば命を懸けると一分の躊躇もなく明言した。オーガらも、エンリの命令があれば戦いにおもむくだろうと太鼓判を押された。

 

 すでにリイジーがエ・ランテルに事を知らせに行くことは約束してくれた。

 だが、たとえ話がうまくいっても、解決までは相当時間がかかるだろう。

 彼女が言った通り、まずは話の真偽を確かめるために冒険者が偵察に行き、そして事実だと分かったら、戻って報告。それを基に対策が立てられ、各地に知らせが行き、派遣される軍隊なりアダマンタイト級冒険者なりの準備が整えられ、それからようやく討伐にかかるという順だろう。

 おそらくは早くてもニ月(ふたつき)くらいはかかるだろうと予想できる。

 

 その間、その魔樹がおとなしくしているだろうか?

 もし、魔樹がカルネ村を襲ったら……。

 いや、その蜥蜴人(リザードマン)の村を襲う方が先だろう。

 夕べの相談では、ゴブリンらの見解ではカルネ村が襲われるのは、仮にあったとしてもしばらくは先だろうという事だった。

 その『世界を滅ぼす魔樹』が完全に復活するには、大量の栄養、すなわち生きているものを食らわなくてはならない。そうした時、生命が豊富なトブの大森林をわざわざ出るとは考えにくい。順番的に、森の中を滅ぼしつくしてからだろう。

 そう考えると、蜥蜴人(リザードマン)の村は襲われる危険は高いが、カルネ村が襲われる可能性は低いと考えられる。

 

 だが――。

 

 ――だが本来ならば、見知らぬ村、それも亜人の村が襲われる事を気にかけたりはしない。

 けれども、こうして実際に目の前で蜥蜴人(リザードマン)と話してみて、けっして異質な存在でないことに気がついてしまった。

 

 甘いと言ってしまえばそれまでだが、カルネ村が襲われた、あの時の光景がエンリの記憶に焼きついており、それがどうしても脳裏から振り払えなかった。

 

 彼らは今、平和な生活を蹂躙する力に脅かされている。

 それは、あの時のカルネ村と一緒ではないか。

 あの時、カルネ村は自分たちの力だけではどうする事も出来ない暴力の前に為す術もなかった。

 誰かに助けを求めるしかなかった。

 そんな相手を見捨てるべきだろうか?

  

 もちろん、同盟を組んだからと言って、その魔樹に対抗できるという保証はない。だが、話によれば、魔樹が活動できるのは数時間。その数時間だけ耐えることが出来ればいい。時間を稼げればいい。わずかでも戦力が増えれば、それが可能になるかもしれない。

 

 しかし、エンリ自身は戦うことは出来ない。

 エンリがそう考えたとしても、実際剣を持ち、命を懸けるのはゴブリンやオーガらだ。

 自分の思いだけで彼らを危険にさらしていいのか?

 

 一晩中、眠ることなく考え続け、それでも答えが出なかった。

 

 

 だが、皆の目が今、自分に向けられている。

 カルネ村としてどうするか、長として決断しなくてはならない時が来た。

 

 

 喉がひりつく。

 声がかすれそうになる。

 エンリはごくりと無理矢理つばを飲み込み、その口を開いた。

 

「わ、私は……」

 

 

 その刹那――。

 

 

 

 ――バンと、扉が開いた。

 

 「話は聞いたぁっ!!」

 

 

 

 皆の目が戸口に向けられる。

 

 外からの陽光を背に、一人の人物がそこに立っていた。

 

 

 その人物は長身を金と紫で縁取られた豪奢な漆黒のローブで身を包み、泣いているようにも怒っているようにも見える奇妙なマスクをつけていた。

 

 誰もがあっけにとられる中、その人物はズンズンと室内に入ってきた。

 

「全てはこのアインズ・ウール・ゴウンに任せておくがいい!!」

 

 そう言って、びしっと親指を立てた。

 

 

 

 誰もが言葉もなかった。

 沈黙が辺りを支配していた。

 

 

 リイジーやジュゲムにしてみれば、話に聞いただけの存在であり、ザリュースにいたっては全く見たことも聞いたこともない人物である。

 元村長は以前に会った事はあるものの、目の前に現れた人物は、彼の記憶にある落ち着いた様子の魔法詠唱者(マジック・キャスター)とはかけ離れたものであり、その落差に目を丸くしていた。

 エンリは自分が一世一代になるであろう決断の言葉を口にしようとした瞬間、突然現れたアインズに、ただ口をあんぐりと開けたままだった。

 そして、昨夜、シズを通じてこの件をアインズの耳に届けたンフィーレアにしても、まさかこんな行動に出るとは予想だにしていなかった。

 

 

 その時の状況を一言で表すならこうだろう。

 

 

 ――滑った――

 

 

 アインズとしては格好よく登場したつもりである。

 かつてギルメンが集まったオフ会の際に見せられたたっち・みーのコレクション、昔の特撮ヒーローものの映像にあった、皆が困った時にヒーローが颯爽と現れる際のやり方を真似たのである。

 そのやり方も、時と場合によっては悪くないだろう。

 だが、それはタイミングや演出方法を計算してやった場合であり、TPOを考えずにやって成功するものではない。

 そして、この場合、完全に失敗であった。

 

 

 沈黙の中、ぱちぱちと手を叩く音が響く。

 シズである。

 

 彼女はいつもの無表情のまま、「……おおー。なんと、アインズ様、自らがご出陣くださるとは。これで全て安心ですね」と淡々とした口調で言った。

 

 もし、ここにいたのがルプスレギナで「おおーっ! なんと、アインズ様がご助力くださるっすかーっ! いっやあ、もうこれで一安心っすねーっ!」と感情たっぷりに言ったのなら、また反応は違ったかもしれない。

 

 だが、もう一度言うが、今この場にいるのはルプスレギナではなくシズである。

 抑揚のない、言い換えれば棒読みに近いその口調は、ただでさえ冷え切った場が盛り下がることこの上なかった。

 

 

 皆、言葉もないまま、時間だけが過ぎる。

 

 相変わらず打ち続けているシズの拍手だけがむなしく響く。

 

 

 どんな意味があるのかは分からないが、親指を立てた姿勢のまま動かないアインズの身体が、緑色にチカチカと何度か光った。

 

 

 やがて、アインズはゆっくりとその手を下ろし、ウォッホンと咳払いをした。

 

「あー……とにかくそれについては私が何とかしよう」

 

 

 

 




 いきなりアインズ様、登場です。
 ザイトルクワエとどちらが勝つのか、ハラハラドキドキですね(棒)

 ザイトルクワエは、エ・ランテルが大騒ぎでモモンに薬草取りの依頼なんて出していなかった事と、ツアーが漆黒聖典やアウラ、マーレと戦った後に帰ってしまった事で、そのまま放置されたため、より力が増しています。



―捏造設定―

〈ザイトルクワエの落とし子〉

 ザイトルクワエが自分の分身として生み出した30レベル程度の植物系怪物(モンスター)。特に特殊能力はないものの、単純な怪力とリーチの長い触手攻撃、頑強な肉体を誇る。体に栄養素を貯めこむことが出来、それによってザイトルクワエ本体に栄養を運ぶ役割を持つ。

 トブの大森林を支配していたというダークエルフが逃げ出すほどという事ですので、かなり広範囲に暴れたのだろうと思ったのですが、となるとじゃあ、どうやってと疑問に思いました。
 本体のみで暴れたのか、それとも配下となるものがいたのか?
 色々考えたのですが、本体のみだと移動速度が気になってしまい、植物系モンスターなら自分の身体から増殖できてもおかしくないよなあと思い至ったので、配下設定の方を採用しました。


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第32話 救援――そして蜥蜴人デビュー

2016/4/25 ナパームの漢字が「獄炎」になっていたのを「焼夷」に訂正しました
2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 段落頭で一字下げしていないところがありましたので修正しました
2017/5/18 「目に写る」→「目に映る」、「シャドウデーモン」→「シャドウデーモン」、「体制」→「態勢」、「持って」→「以て」、「力づく」→「力ずく」、「超え」→「越え」 訂正しました


 眼下を流れていく緑の樹海。

 耳元で音を立てる風の音。

 目に映るすべてが瞬く間に後ろへと流れていく。

 

 その想像を絶する光景と体験に、蜥蜴人(リザードマン)の中でも勇者として知られるザリュースですら、幼子(おさなご)のように身をすくめたくなるのを必死にこらえるだけで精いっぱいだった。

 

 そっと、頭を動かすことなく視線を自分を抱えている人物。カルネ村で出会った桁外れの強さを持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンへと向ける。

 だが、その視線の先にある顔は奇妙な仮面に包まれ、その表情をうかがい知ることは出来なかった。

 

 いったい何者なのだろうか? その仮面の下の素顔はどうなっているのか? そもそも、人間なのだろうか? という疑問が次々とわいてくる。

 

 そんなザリュースの視線に気づいているのか、気づいていないのか、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はその指をあげた。

 

「〈連鎖する竜雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 アインズが魔法を唱えると同時に、その指先からほとばしった(いかづち)が、今まさに不用意に空を飛ぶ獲物をその(あぎと)にかけようと飛び上がった魔獣を、2体同時に打ち据えた。

 断末魔の悲鳴を上げる(いとま)すらなく炭の塊となった、ザリュースですら倒すのは困難であろう翼のある魔獣は、眼下に広がる緑の波に沈んでいく。

 

 あれほどの魔獣をたった一撃の魔法で撃ち滅ぼす。

 しかも、先ほどカルネ村を出てから、それこそ片手の指では数えられぬほど、その偉大な魔法を幾度も行使している。

 更に言うなら、飛行の魔法を維持し、片手にザリュースを抱えたままだ。

 

 いったいこの方の底はどれほどのものなのか?

 

 ザリュースはつい先程、まだ、その両脚が地面を踏みしめていたころ、カルネ村で手合わせした時のことを思い返した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 話し合いの最中に突然現れた謎のローブの人物。

 

 「自分に任せろ」と言い放ったものの、その場の誰もが困惑の表情を浮かべ、なんと言っていいか分からず口をつぐむ中、金髪を目元まで伸ばした男――ザリュースの目にはおそらくオスではないかと見えた……いや、メスかもしれない――がとりなすように口を開いた。

 

「そ、そうですね。ゴウン様なら全てを任せても安心ですね。ねっ、エンリ?」

「え? え、ええ……うん……」

 

 いまいち反応の鈍いエンリの様子に、ンフィーレアは他の人物、元村長に声をかけた。

 

「ゴウン様の力は知ってらっしゃいますよね? どう思います? ゴウン様なら、この問題も解決できると思いませんか?」

「む? ああ、……そうだな。ゴウン様であれば、このような大事(だいじ)も解決できるかもしれん」

「ええ、そうですよ!」

 

 なぜだか必死な様子でンフィーレアは声をあげた。

 

「偉大な魔導の奥義を極められたアインズ・ウール・ゴウン様なら、見事解決してくださるでしょう。本当にありがとうございます、ゴウン様」

 

 そう言って頭を深く下げる。

 その最大限の敬意を払う(さま)に、アインズは落ち着いた口調で声をかけた。

 

「ああ、もちろんだとも。皆よ、何も心配することは無い。すべてはこの私、アインズ・ウール・ゴウンの手にゆだねるがいい」

 

 その言葉は、圧倒的な自信に裏付けられた強者然としたもの。先程の少々うろたえたような口調は、聞いた側の気のせいだったのであろう。

 

 だが、ザリュースは判断をつけかねていた。

 なにせ、事は自分たち蜥蜴人(リザードマン)を含めたトブの大森林、いやそれだけにとどまらず、全世界規模の危機かもしれないのだ。周りの者達はその力を認めているようだが、彼本人はこの人物の実力を計りかねていた。

 

 未だ胡乱(うろん)な表情を浮かべるザリュース――蜥蜴人(リザードマン)の表情は分かりかねるが――の視線に気づいたのか、アインズは自らの力を見せようではないかと言った。

 

 

 皆が家の外へと移動する。

 

 そこでアインズはザリュースとの手合わせを提案した。

 そして、「では、木剣を2つ持ってきてくれないか?」と言った。

 

 その言葉に誰もが耳を疑った。

 アインズは誰が見ても、100人中100人が魔法詠唱者(マジック・キャスター)と分かる服装をしている。

 そんな人物が、武器で戦うのか?

 

 その場にいた者の中で2人だけ動じることのなかった人物、ナザリックからの使いであるシズと、両手剣を二刀流で使いまわす偉大な戦士モモン=アインズと知っているンフィーレアが近くの小屋から剣の練習用である木剣を持ってきた。

 

 木剣を片手に持ち、バランスを確かめているアインズから距離を置いて、ザリュースはこの人物を見極めようと目を凝らした。

 

 そして、二人の中ほどに立ったンフィーレアの合図によって戦いが始まった。

 

 まずは様子見とザリュースが牽制の打撃を放つが、それをアインズはその場から動くことなく、木剣で受け止めた。

 ならばと、力を込めた打撃を放つも、それに対しても同様にアインズの足元を崩すには至らなかった。

 

 続いて、アインズが攻撃に移った。

 それは魔法詠唱者(マジック・キャスター)が放つものとは思えなかった。

 

 受けるだけでも困難な重い打撃が幾重にも降り注ぐ。

 しばらくその攻撃に耐えていると、今度は硬軟織り交ぜた攻撃へと戦闘スタイルを変化させた。軽い打撃かと思えば重く、重い打撃かと思えば軽く、素早い一撃が来たかと思えば次の攻撃は遅く、遅い打撃が来たかと思えば次の攻撃は素早く。

 その多彩な攻撃に翻弄されるばかりだった。

 

 ザリュースの戦士としての観察眼では、アインズの評価は訓練された猛獣であった。

 戦士としての技量は、基本的なものは習得しているものの、あくまでその程度。だが、その内包する膂力(りょりょく)や反射神経は圧倒的だった。

 現にザリュースは、アインズの荒れ狂う暴風のような攻撃にさらされ、まるで嵐の中に投げ出された小舟のような有様で、防御に徹するのがやっとであった。

 

 しばらくそうしていた後、アインズは「そろそろ頃合いかな?」とつぶやいた。

 横なぎの一撃を放つ。

 ザリュースはそれをしっかと受けたが、アインズの打撃はそこで止まらなかった。受けた木剣ごと、ザリュースを弾き飛ばしたのだ。

 思いもよらぬ事に、思わず後ろに倒れるザリュース。

 その姿にアインズは木剣から離した左手を向けた。

 

「〈二重化・焼夷(ツインマジック・ナパーム)〉」

 

 尻餅をついたザリュースのすぐ両脇、そこに天まで上るような炎が噴きあがった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 あの時、最後に放たれた業火。

 あれをその身に受けただけで、鱗に覆われた頑強なはずの体はたやすく消し炭と化していたであろう。

 

 あれほどの近接戦闘能力を誇りながら、なおかつ、圧倒的なまでの魔法を容易に行使できる。

 その実力のほどはいかほどのものか?

 

 その時のことを思い返すだけで、ザリュースの身に震えが走った。

 

 

 その身を腕に抱く者、当のアインズは抱える蜥蜴人(リザードマン)の震えに気がついた。

 

「どうした?」

 

 その声に、慌てて言った。

 

「いえ、このような上空から森を見たことは初めてなので、目印となる物を見逃さぬよう目を凝らしておりました」

 

 その言葉は嘘ではない。

 地から足が離れるという経験は初めてだ。

 ましてや、今いるのは何の足場もなく、魔法の加護が無くなればそのまま大地に落下し、為す術もなく死ぬしかないという高所である。心胆まで蝕む本能的な恐怖に目がくらむ思いだ。

 

 そんな体験だけで浮足立っているところに加えて、ザリュースがこれまで生きてきた上でも想像を絶する速度での移動である。

 ザリュースは一度だけ馬に乗ったことがある。その時も、その風を切る感覚に目を丸くしたものだ。だが、今感じているものは、その時のものとは比べ物にならない。

 それに森の中を歩いたときに木立を下から見上げる景色と、鳥のように天空から樹木を下に見る景色とでは全く異なる。ましてや、トブの大森林は一面を覆う緑濃い樹木の屋根によって大地に日すらささないところも多くある。いったい、自分が歩いてきた陰鬱な景色は、どこの地点の事だったのか、把握するだけでも大難事であった。

 

 ちゃんと迷うことなく道しるべを見つけ、案内出来るのか? 

 緊張に身を固くするザリュースをその手に抱えながら、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

《もしもし、ベルさん。どうです? ちゃんと追えてますか?》

 

 即座に返信があった。

 

《はいはい。それぐらいの速度ならなんとか大丈夫ですよ。でも、それ以上だとちょっと辛いかも》

《了解です。では今より気持ち速度を抑える程度で維持しますね》

 

 そう言って、本当にわずかばかり速度を緩めて、アインズは飛び続けた。

 自分には認識できないが、はるか遠く、ナザリックよりベルが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で追跡し続けてくれていることを予感して。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 この降ってわいた蜥蜴人(リザードマン)達からの救援要請に対し、手を貸すべきと言い出したのは、ベルである。

 シズ経由でンフィーレアからもたらされた情報。

 これを例によって執務室で検討した結果、自分たちが動いた方が良いと判断したのだ。

 

 

 ベルが語った利点は2つ。

 

 

 1つは現地勢の戦力の確保。

 

 現在のナザリックは動かせる人員に限りがある。

 他のプレイヤーがいる可能性を考えると、顔バレの危険性があるため、限られた者たち以外は自由に動かせないという制約がある。そのため、ユグドラシル時代からナザリックに属している者以外のナザリックの配下がどうしても欲しかった。

 

 それと、ナザリックの者達に被害を出したくないというのもある。

 現地勢との一般的なレベル差の違いから、ナザリックの雑魚モンスターでさえ危害を与えられる可能性は少ないようだが、確実という訳ではない。現にPOPモンスターながら、これくらいなら大丈夫だろうと思っていたシャドウデーモンが、イビルアイという冒険者に撃破されるという事態が起きている。復活や再召喚等にかかる手間や費用は大したものではないが、それでも可能な限り、そのようなことは避けたいというのが本音だ。

 

 そして、ナザリックがこの地を支配するための人員確保という面もある。

 はっきり言ってナザリックは強い。この前会ったツアーや漆黒聖典のような警戒しなくてはならない相手はいるだろうが、現地の者達と()して個々の戦闘力でも群を抜き、そしてそれらが数百数千にもおよぶ軍勢でいるのだ。まだ調査段階だが、おそらく戦争にでもなれば、どこの国だろうと亡ぼせるだろうと思われる。

 だが、それはあくまで敵が目に見える形で存在する場合だ。直接的に敵対するのではなく、誰が敵か分からぬよう民衆という海を泳ぎ続けられた場合、人民の動向、治安に目を光らせる必要がある。

 そうなると、途端にナザリック勢だけでは不安が出てくる。

 ナザリックの戦力は、直接的な火消戦力としては有能でも、各地に張り付けて治安維持を担う能力は低いとベルは判断している。

 それに、この世界は広大だ。仮にナザリックの全戦力を均等に各地に配置したとすると、とんでもなくスカスカな密度で配置することになってしまう。そうなれば、各個撃破の恐れも出る。

 やはり、人員としての数は大事となる。

 それもこの世界に適応した者が。

 そういった意味では出来れば人間が良いのだが、この際、亜人である蜥蜴人(リザードマン)でもいいから、とにかく頭数を増やしておきたい。問題がありそうなら、投入しないでおけばいいだけだし、いざというときの予備があれば何かと便利だ。それに大して維持費もかかりそうにもない。

 

 

 2つ目はプレイヤーの調査である。

 

 先のアウラ、マーレが戦闘した相手、その残されていた装備により、プレイヤーに対しての警戒が必要となった。

 だが、現状、調べた範囲では何ら手掛かりがない。漆黒聖典の属していた法国が怪しいが、かと言って、いきなり手を突っ込むというのも危険すぎる。栗を探そうと目をつむって手を突っ込んだ先が藁の中ならいいが、囲炉裏の中である可能性もある。

 

 そこで魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンである。

 この名はすでにカルネ村を助けた時に使っていたし、特に問題はないだろう。

 仮にプレイヤーがいた場合、これが『アインズ・ウール・ゴウン』のモモンガだったら問答無用で攻撃される可能性はあるが、あくまで謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンである。かの悪名高きDQNギルド『アインズ・ウール・ゴウン』と同じ名を名乗るこの人物は何者だと調査から入るだろう。

 もしかしたら、この見知らぬ世界で手を組もうと提案してくるかもしれない。

 まあ、それは虫のいい考えとしても、なんらかの形で接触してくる可能性が高いと思われる。

 

 そこで、窮地に陥っていた人を助けたという実績のある、アインズ・ウール・ゴウンを名乗る人物を表に出して動かしてみる。

 動かす場所は、先の者達と接触したトブの大森林。

 

 はっきり言って、虎児を得るために虎穴に入るような行為であり、危険極まりないものだ。

 この案を説明した時には、聞いた守護者一同、皆一斉に反対したものだ。

 アインズとベルの予想通り。

 だが、その反対を押し切ってでも、アインズは自らが行くことにこだわった。

 

 当初、ベルはさすがに危険だからと宝物殿のパンドラを代わりに行かせることを提案したのだが、アレを表に出すくらいなら自分が行くからそれだけは止めてくれと、チカチカと時折緑色に光りながらも、絨毯の上をごろごろと転がり、のたうち回る骸骨が非常に鬱陶(うっとう)しく、仕方なしに首を縦に振ったのだ。

 

 その代わりとして、万が一の時は即座に守護者らが投入できるようにと、移動用の〈転移門(ゲート)〉を自力で使えるシャルティアのみならず、各階層守護者に〈転移門(ゲート)〉の巻物(スクロール)を持たせたうえで、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を操作しているベルの後ろに待機させている。

 

 そうしてアインズが大森林上空を飛行中の間も、遠く離れたナザリックから常に〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉での――マジックアイテム越しではあるが――目視による警戒を行っているところである。

 

 さすがにずっと監視されているのはあまり良い心地ではないだろうが、それくらいはアインズも我慢してほしい。

 現にベルも、鏡に映る映像――ザリュースの身体をアインズが抱えて飛ぶ姿――の為に、後ろの方から歯ぎしりの音がステレオで聞こえ続けることに、我慢しているのだから。

 

 本当はカルネ村に行った時も一緒にいたアルベドを護衛としてつけた方がよかったのだが、同行させ、仮にプレイヤーらと接触に成功した際、向こうが対等の立場で話でもしたら、激怒しだし交渉を決裂させる恐れがあったので、こうして予備戦力として控えさせておいた。

 やや即応防御には不安は残るが、アインズにはカルネ村で同席していたシズをつけている。

 

 

《それで、ベルさん。例の物は?》

《ええ、心配しなくても、ちゃんと今も装備してます。何かあった時は即座に駆けつけますよ》

 

 念を押してきたアインズに〈伝言(メッセージ)〉を返し、ベルは自分の腰の後ろに装着したものを手で撫で、確認した。

 

 ワールドアイテム〈山河社稷図〉。

 

 パンドラではなくアインズ自らがおもむくことに、ベルが同意したのに訳がある。

 

 相手は強さも規模も知れない強者、そして自分たちと同格の相手であるプレイヤーの可能性もある。とてもではないが甘く見ることは出来ない相手だ。 

 だが、他のプレイヤーらに対して、自分たちナザリックが圧倒的に優位な点が一つある。

 それはワールドアイテムである。

 

 ユグドラシルにおいて、全部で200ものワールドアイテムがあったと言われていた。だが、それらは入手条件が非常に難しく、保有数一位の『アインズ・ウール・ゴウン』に次ぐギルドですら3個程度でしかない。

 だが、この『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点であるナザリックには、11ものワールドアイテムが存在しているのだ。

 

 ワールドアイテムの効果は桁が違う。使い方さえ間違えなければ、どのような戦力差があろうと容易にひっくり返せる。また、ワールドアイテムを保有する者には、基本的には、ワールドアイテムの効果が及ばないという副次効果まである。

 

 もし、アインズがプレイヤーと接触し、それが敵対的なものであったのならば、即座に〈転移門(ゲート)〉を使って移動し、ベルが〈山河社稷図〉を使い相手を隔離する。もしくは、アルベドが〈真なる無(ギンヌンガガプ)〉を打ち込む。その後は状況に応じて、ナザリックに退避するか、守護者を始めとしたナザリックの戦力が投入される手はずとなっている。

 

 考えうる限りの万全の態勢であった。

 

 

 ベルは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉を操作しながら、椅子に座り直した。腰の後ろに下げた〈山河社稷図〉が背もたれに引っ掛かり、座りにくいことこの上ない。

 

 ふと、この〈山河社稷図〉をとりに宝物殿に行った時のことを思い返した。 

 財宝が所狭しと詰まれた間の先、武器庫を抜け、ワールドアイテムが保管されている最奥へとつながる霊廟手前の部屋で出会った、アインズが手ずから作ったNPC、パンドラズ・アクターの事を。

 

 一緒に行ったアインズは会いたくないとごねたため、入り口で待つアインズにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを渡して一人で奥に行ったのだが、なぜだか最初はギルメンの1人、タブラ・スマラグディナの姿をしており、一瞬ドキッとさせられた。

 その後、本来の姿に戻ったのだが、その芝居がかったオーバーアクションは、なるほどアインズが人の目に触れるところに出したくないと考えるのもうなづける話だった。

 

 だが、ベルはその時のパンドラを思い返すと同時に、つい先ほどのカルネ村でのアインズを思い返す。

 当然、あの時の姿は〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で、ベルはしっかりと見ていたし、話した内容もシズ経由で耳にしていた。

 

 皆の前で自分に任せろと堂々とポーズをつけて言い放ち、そして盛大に滑ったあの姿。

 

 なんとなくパンドラに似ている気がした。

 

 ナザリックのNPCは、その作成者であるギルメンに比較的近似する傾向にあるようだ。

 ウルベルトとデミウルゴスしかり。たっち・みーとセバスしかり。

 そう考えると、アインズとパンドラが似ていてもおかしくはない。

 アインズは中二病を卒業したと思っているが、あくまで外面を考え理性で封印しただけで、本質はいまだ似通っているのかもしれない。

 自分が忘れてしまいたいただの黒歴史ではなく、すでに捨てさったと思っている性質だが、実は今でもそこはかとなくかっこいいと思っている、その内心を鏡のように見せつけられるという事が、アインズがパンドラを忌避する最大の原因なのかもしれない。

 

  

 そんなことを考えながらも〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を操作していると、鏡面の端に映るシズが動きを見せた。 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 タン!

 

 乾いた音が響いた。

 下に向いていた頭を驚いて振り返らせたザリュースの目に飛び込んできたのは、先ほどの村からついてきたアインズの使いであるシズとかいう――おそらく人間が、奇妙な鈍色に光る金属の筒を眼前から胸元に下ろす姿。すかさず視線を動かすと遥か前方で、眼窩を撃ち抜かれ、錐揉みしながら鮮血を撒き散らして落ちていく、蝙蝠の羽を持った獅子の姿があった。

 

 その姿を目で追っていると、その視界の端にきらりと光るものが移った。

 目を凝らすと、果てがないかと思われた緑の絨毯、その向こうにそれは青く輝いていた。高く昇った日の光が風に揺られる湖面にキラキラと反射している。

 

「あれです! 湖です!」

 

 ザリュースが叫んだ。

 そちらへ向け、蜥蜴人(リザードマン)を抱えた魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そして眼帯をした人間――おそらく――のメイドは速度をあげた。

 

 

 樹海の端がみるみる近づいてくる。

 やがて広大な湖面が3人の前に姿を見せた。

 目にも鮮やかな水の青と森の緑、それが太陽の光の下、美しく輝いている。

 このような美しい大自然をリアルでは記録映像の中でしか見たことがないアインズにとって、思わず時間を忘れて見とれていたくなるような光景だったが、その間も目を凝らしていたザリュースは一点を指さした。

 

「あちらです! あちらに〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の村があるはずです!」

 

 ザリュースの指さす方へ、再び速度を上げる。

 

 そうして湖岸の湿地帯に沿って飛んでいくと、見渡す限り水面から伸びる丈の長い草ばかりだったところに、なにか背の高いものがあった。最初はただの木が風に揺れているのかと思ったが、近寄るうちにそうではないものだと分かった。

 

「あれは……『落とし子』!」

 

 遥か上空から見下ろすと、湿地の一角に集落のようなものがある。水面から突き出た木の杭の上に建てられたいくつもの家。それらは周りに幾重にも木の柵や泥の壁に囲まれており、厳重に守りを固められていた。

 だが、今、その守りは崩壊しつつある。

 数体の『落とし子』がその巨体を以て、力ずくで柵や壁を打ち破っている。幾人もの蜥蜴人(リザードマン)が手にした武器、原始的な槍やこん棒で叩きつけるが、それらはあまり効いているとも思えない。

 よく見ると、守り手の中には蜥蜴人(リザードマン)以外の者達も交じっている。ゴブリンやオーガ、トロールなどもおり、それらが手にしている金属製武器は、それなりにだが効果がありそうだ。

 瞬間、光が走ったかと思うと、『落とし子』の身体に空飛ぶ炎が叩きつけられた。〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法だ。その射手はと見ると老人の上半身に蛇の身体という化け物が、巧みに魔法を操っていた。

 

「おお、リュラリュース! 助けに来てくれていたのか」

 

 ザリュースが思わず、声を出した。

 あれがザリュースの語った話に出てきたナーガ、リュラリュースなのだろう。

 

 あいつは世界を滅ぼす魔樹についての情報を持っていたはずだから、死んでもらっては困るな。アインズはそう考え、今もこちらを見ているはずのベルに〈伝言(メッセージ)〉で相談した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「怯むんじゃねぇ! 押し返せ!」

 

 ゼンベルが叫ぶ。

 その手のハルバードが力ずくで触手の一本に叩きつけられる。手ごたえはあったものの、その頑強な樹皮に覆われた枝を切断するには至らない。

 

「ちっ。固てぇな」

 

 痺れそうになる腕をかかえ、ゼンベルは毒づいた。

 そもそも、ゼンベルの得意は槍ではなく、モンクとしての武技を身に着けた素手である。だが、この『落とし子』とかいう巨大な植物系モンスターには打撃より斬撃の方が効果があるため、昔、ドワーフに貰ったこのハルバードを使用しているのである。

 

「ゼンベル! 出過ぎるな!」

 

 後ろからシャースーリューが走り寄り、薙ぎ払うように振り払われた枝に対し、手にした両手剣を叩きつけた。その力によってよろけはしたものの、軌道をそらすことには成功した。

 その隙に二人は後ろに下がる。

 

「きりがねえな、こりゃ」

「仕方があるまい。今はまだ防御に徹するのだ。あいつらの活動時間は数時間程度。その間耐えれば、撤退していく」

「しかしよ。そうやって追い払っても、また来るんだろ。どうするんだ?」

「今、俺の弟が森の外に助力を求めに行っている。必ずや、良い知らせを持って帰ってきてくれるはずだ。それまで待つのだ」

「弟か……。今の〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主なんだよな。戦ってみてぇな」

 

 こんな時にも、そうつぶやくゼンベルに、シャースーリューはやれやれという顔をした。

 

「それは帰ってきた後での話だな。今はこいつらを押し返すぞ!」

  

 駆けだす〈緑爪(グリーン・クロー)〉の族長に、「おう!」と〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉の族長が続いた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達は苦戦を強いられていた。

 地の利を得た戦いながらも、及び腰にならざるを得なかった。

 決して蜥蜴人(リザードマン)たちが臆病だからという訳ではない。彼らの強靭な肉体と勇猛な精神は、並の人間の戦士をはるかに上回る。そして、その数も十分にいた。

 だが、問題となったのはその手にある武器だった。

 通常、蜥蜴人(リザードマン)が手にするのは、石や木で作った槍や石斧のような原始的な武器だ。だが、今、襲ってきている魔樹の落とし子は樹木系の怪物(モンスター)である。その身に最もよく効くのは、斧のような鋭利な刃物による斬撃や火などの攻撃である。蜥蜴人(リザードマン)の持つ武器では、いまいち効果があげられていなかった。

 

 そういう意味では、援軍としてやって来ていたリュラリュース率いる森の亜人達の方が効率的であった。リュラリュースの放つ炎の魔法、そして単純な力なら蜥蜴人(リザードマン)をも上回るオーガやトロールの手から繰り出される戦斧――錆の浮いた物ではあるが――の一撃は落とし子に対して成果を上げていた。

 

 だが、それでなんとか1体2体倒してもきりがない。

 たとえ倒しても、しばらく後に落とし子は再び生み出される。森の奥深くにいる本体である魔樹そのものを倒さないことには、いつかは押しつぶされる事になる。

 

 

 この戦いを終わらせるには、決め手となる圧倒的な戦力がどうしても必要なのであった。

 

 

 

 その時、轟音が響いた。

 

 空気そのものが生き物となったかのような、音の振動。

 それが辺り一帯に響いた。

 

 その場にいた誰もが――それは落とし子まで――突然の事に戸惑い混乱するなか、いち早く異変に気付いた者達がいる。

 蜥蜴人(リザードマン)は他の種族より、はるかに広い視界を持つ。その視界が上空から飛来する赤い塊を捉えた。

 

 

 遥か天空を駆ける流れ星。

 

 今、それが、この大地へと降り注いできたのだ。

 

 

 それを目にした者達は皆、驚愕のあまり硬直した。その場を逃げ出すという当然の行動すら出来ぬ間に、見る見るうちにその塊が視界を埋め尽くす。

 

 

 そして、その流星は狙いたがわず――『落とし子』たちの頭上に叩きつけられた。

 

 燃え盛る隕石に打たれたその巨躯は、一瞬のうちに打ち砕かれた。

 

 

 誰もが声すらなかった。 

 

 たった今まで、絶望的な戦いを繰り広げ、何とか時間を稼ぐことで精一杯、防戦に徹する事しかできなかった強大な相手が、瞬く間にすべて打ち倒されたのだから。

 

 神の仕業と考えるより他にない光景に、ただ、呆然と立ち尽くすほかなかった。

 

 

 再び広い視界を持つ蜥蜴人(リザードマン)たちが、いち早く気が付いた。

 上空からゆっくりと降りてくる人影を。

 

 皆、固唾をのんで見守った。

 

 やがて、その者達は微かな水音を立てて湿地へと降り立った。

 奇妙な仮面をつけ、漆黒のローブで全身を包んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 不思議な金属の筒を抱えた、おそらく人間の女。

 そして、最後の1人。魔法詠唱者(マジック・キャスター)に抱えられ、今、ようやく地に足をつけた人物は……。

 

「ザリュース! ザリュースではないか!」

 

 シャースーリューの驚きの声。

 それを聞き、ザリュースは喜びの声をあげた。

 

「おお、兄者! まだ無事だったか!」

 

 共に駆け寄り、互いの無事に安堵する2人。

 その様子に、遠巻きにしていた他の者達も近寄ってきた。

 

「おう。そいつがお前の弟で〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主か」

「ああ、こいつがザリュース。俺の弟だ。ザリュース。こっちはゼンベル。〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉の族長だ」

「おう、よろしくな! お前のうわさは聞いてるぜ。後でちいっと腕試ししような」

「ああ、後でな」

 

 そう言って、ザリュースは目線を動かした。

 

「む? リュラリュースはどこに行った? さっきまでいたようだったが」

 

 つられて皆も辺りを見回したが、先ほどまでいたはずのその巨体はどこにも見当たらない。

 

 そんな中、アインズはその指をあげた。

 何もない空間を指さす。

 

「そこだ」

 

 皆が目を向けるが、そこには誰もいない。

 ……と、思った刹那、何もない虚空から溶けだすように、そのナーガの姿が現れた。

 

「ほう? 儂の透明化を見破るか。先の魔法もお主の仕業じゃろう。お主は一体何者なのじゃ?」

 

 今度は皆の視線が一斉にアインズに集まる。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)の村上空にたどり着いてみたら、すでに戦闘が始まっている状況にどうすべきか、アインズはベルと相談したのだが、ちょうどいいので派手な魔法で『落とし子』を倒して注目を引き付け、アインズの名を知らしめるのがいいのではないかという結論になった。

 

 先ず、落とし子を倒すのに適した、派手な魔法は何がいいか?

 ベルからは即死系の目立たない魔法は使わないようにと釘を刺されていた。〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉とかもいいかと思ったのだが、とにかく派手さを優先させるべきと考え、〈隕石召喚(メテオフォール)〉を三重化して、まとめて一掃するというやり方をとった。

 

 結果、狙い通り、皆の注目を集めることに成功した。 

 では、次だ。

 

(……やっぱり、はったりかますために、少し芝居がかった言い方の方が良いかな……?)

 

 一瞬、カルネ村での失敗が頭によぎったが、これが最善手と自分に言い聞かせる。

 アインズは考えながら自分の気を奮い立たせるために、他の者達に気づかれぬ程度に微かにうなづき、こぶしを握る。

 

(……よし!)

 

 

 寄せられる視線による圧力を感じながらも、アインズは臆することなく一歩前に出た。

 そして――。

 

 

「聞くがよい!」

 

 ――バッと袖を払うように片手を振るった。

 

「我こそは、この世の魔導の奥義を極めつくした存在。虚空を越え、世界の深淵の縁まで覗き込み、そしてこの地へとたどり着きし叡智の具現化! 我が名を知る者には我を讃えることを許可しよう。我が名を知らぬ者は己が無知を恥じるがよい!」

 

 両手を胸の前で重ね、そして振り払うように大きく広げた。

 

「我が名は……アインズ・ウール・ゴウン!!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その光景を、はるか遠くナザリックでは〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を通して目にし、共にいるシズから〈伝言(メッセージ)〉を介して聞いたアルベドが代弁する内容を聞き――そこにいる誰しもがその身を震わせていた。

 

 感極まるあまり。

 

 

 自らが忠誠を誓う主の、かくも偉大な姿。

 かくも堂々たる態度。

 かくも素晴らしき口上。

 

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の鏡面には、自分たちの常識を超えた強大な魔法、そしてそれを使った人物の威厳ある姿に、その場でひれ伏す蜥蜴人(リザードマン)やゴブリンたちの姿も多く映し出されている。

 

 守護者たちは自分がその地に居合わせぬ不幸を呪い、たまさか同行を認められたシズには嫉妬にも似た感情がこみ上げてくるのを抑えられなかった。

 

 

 一方、その(さま)を目にしながらベルは思った。

 

(やっぱり、アインズさんとパンドラって似てるなー)

 

 後でアインズに言おうかと思ったが、言ったら際限なくチカチカ光り続けそうだったので、言わないでおくことにした。

 守護者達も喜んでるみたいだし、本人の精神状態を無駄に追い詰めることもないだろうと思った。

 

 

 



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第33話 救援――出陣

2016/4/29 「転移門(ゲート)〉要因として」 → 「転移門(ゲート)〉要員として」訂正しました
2016/5/4 「アウラとマーレは黙り込み」 → 「アウラとシャルティアは黙り込み」訂正しました
2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
2017/5/18 「口を聞いて」→「口を利いて」、「体制」→「態勢」、「押さえつけ」→「抑えつけ」 訂正しました
 句点と読点が間違っていたところを訂正しました。


「なるほど、そういう事だったのか」

 

 ザリュースが得心したと声をだした。

 

 ここは〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落の集会所。この地に住まう蜥蜴人(リザードマン)達の他の家屋と同様、湿地に突き立てられた杭の上に立つ、数十人が一度に入れるような広い板張りの部屋だ。もっとも今は板壁の一部が破れ、その上を覆う屋根も半ば吹き飛び、半屋外となっている。

 

 今、その部屋には8名の人物がいる。

 人と呼んでいいのか迷う者もいるが、ザリュース、ゼンベル、シャースーリュー、リュラリュース、そしてアインズとシズ、それと〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉並びに〈朱の瞳(レッド・アイ)〉の族長達である。

 

 

 今、蜥蜴人(リザードマン)達は怪我の治療や集落の復旧に取り掛かっている。

 蜥蜴人(リザードマン)の全5部族――〈小さな牙(スモール・ファング)〉はすでに壊滅状態だが――共同でだ。

 

 

 落とし子の襲撃から、いくばくかの時間が経った。

 他の者達が先の戦闘で壊れた箇所の修復や、次なる戦闘に備えた準備をするなか、リーダーである者達は今後の対策を話し合うため、こうして一つ所に集まり、情報を交換していた。

 

 

 そこで、村を離れていたザリュースに対して、これまでの経緯が説明されていた。

 

 ザリュースがナーガの協力を求め、〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落を離れた後、残った者達は他の蜥蜴人(リザードマン)2部族との同盟に動いた。

 〈朱の瞳(レッド・アイ)〉は比較的簡単に話がまとまったものの、〈竜牙(ドラゴン・タスク)〉に関してはシャースーリューが現在の族長であるゼンベルと決闘して納得させるという事態になった。

 

 そうして、それらの部族が合流したところに、ゴブリンとオーガが村に現れた。

 

 〈緑爪(グリーン・クロー)〉の者達はその姿を知っていた。

 あのナーガの使いだった。

 

 その者達の口からザリュースが行った交渉の内容が語られた。

 

 ナーガ――リュラリュースは協力を約束し、こちらの同意さえあれば、合流もやぶさかではないと。そして、ザリュース本人はかつて魔樹を封印したという人間たちの力と知恵を借りるために森の外を目指していったと。

 

 その話を聞いた蜥蜴人(リザードマン)達の胸中は様々だった。

 ザリュースは人間たちの協力を取り付けに森の外へと向かったという。

 自分たちを(さげす)み、迫害する人間たちが自分たち蜥蜴人(リザードマン)の話など聞くはずがないではないか。むしろ、自分たちの英雄であるザリュースが人間たちに襲われ、失われるだけではないか?

 そもそも、このゴブリンたちが持ってきた話は本当なのか? こいつら自身がザリュースを殺しておいて、味方のふりをして村に入り込み、自分たちを襲う気なのではないか?

 話を聞いた者達は、そんな事を考えた。

 

 だが、シャースーリューを始めとした族長達が宣言した。

 

 彼らを信用する、と。

 今はそんなことを言っている場合ではない、と。

 ゴブリンやオーガだから、そしてナーガだからなどと言わず、種族の違いを超えて協力すべき時である、と。

 彼らを信用し力を合わせるべきだ、と。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)達から告げられた協力の意を伝える知らせを持って、ゴブリンは急ぎ己が拠点へと戻った。

 

 そして、再度戻ってきた時には、人間の身体に蛇の下半身を持つ恐るべき力を有する怪物(モンスター)、話に聞くナーガと数名のオーガ、トロールを引き連れていた。

 

 そこでリュラリュースは蜥蜴人(リザードマン)の族長たちと会合を開き、正式に魔樹に対抗するための同盟を組むことを約束した。

 

 

 その時、〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落に、甲高い擦過音が響いた。

 蜥蜴人(リザードマン)が発する警戒の声だ。

 

 慌てて集会所を飛び出すと、ここ最近で新たに作られた木の柵や泥の壁の向こうから、巨大な樹木の怪物(モンスター)、世界を滅ぼす魔樹の『落とし子』の群れが迫って来ていた。

 

 

 ――そうして、その場にいた者達で防戦していたところ、ザリュースがアインズらを連れてもどり、あとは知っての通り、その偉大な魔法で『落とし子』を一掃したという事だ。

 

 

 

「事の次第は分かった。それで聞かせてくれないかね? その世界を滅ぼす魔樹とやらについて」

 

 静かに口に出された仮面の魔術師の言葉に、その場の者達は誰しもが押し黙った。

 

 その人物に対しては、勇猛であることを誇りとする蜥蜴人(リザードマン)達ですら気後れしてしまい、下手な口を利いてはいけないという本能的なものが働いていた。

 

 実際、彼らの目の前で振るわれた天の星々すら動かす偉大な魔法。そして、ザリュースの口から語られた、剣を手にした戦いですら当代の〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主である彼自身をも凌駕(りょうが)するというほどの圧倒的な戦闘力。

 彼らはこの援軍としてやって来た謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)にどう接すればいいか、計りかねていた。

 

「ふむ。では、わしが知る限りの情報をお教えしましょう」

 

 静まり返った中、リュラリュースが語りだす。

 およそ、この場にいる蜥蜴人(リザードマン)すべてとまとめて戦えるであろう彼だが、すでにアインズ・ウール・ゴウンと名乗る魔法詠唱者(マジック・キャスター)の力をその身で体験していた。

 つい先ほど力試しにと戦い、その身に刻まれた傷跡は、()の人物が渡した、この地に生きる者には再現出来ぬ赤きポーションによって完全に治癒していた。

 

 そうして、語られた内容。

 すでにザリュースに話してはいたため、彼から先に聞いた内容とほぼ同じものではあったが、より仔細なものだった。

 アインズはそれをうなづきながら聞く。

 

「そうか。それで、その魔樹本体がいる場所は分かるか?」

 

 アインズが特に聞きたかったのはそれである。

 それに対しリュラリュースは、この蜥蜴人(リザードマン)の集落からの行き方を語って聞かせた。

 

 アインズは聞かされた内容を〈伝言(メッセージ)〉でナザリックにいるベルに伝える。

 ベルはその情報をもとに〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に映る画面を動かしていく。

 

「どうされましたかな?」

 

 自分の話を聞きながら、時折口をはさんでは、また急に黙り込むアインズの様子に、リュラリュースは疑問を口にした。

 

「ああ、お前の話をもとに魔法で居場所を探っているのだ」

「なんと! 信じられん……。魔樹の居場所はここからはるか遠く。そんな遠くまで見通せる魔法を使用されていたのですか! いったい、どのような魔法で……。〈千里眼(クレアボヤンス)〉でも距離が遠すぎて見通せぬはず……」

 

 微妙に勘違いしていたようだが、特に手の内をさらすこともないと、訂正はしなかった。

 

 そうしているうちに、ベルはどんどん〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の視点を進めていた。

 

《ええっと、3つの尖った岩……ああ、これか。ここを北に進むっと……。んーと、そして……お! なんだか森が枯れてる一帯がありましたよ》

 

 ベルから語られた場所をリュラリュースに確認すると、アインズの行使している(と思っている)魔法に対する感嘆の言葉とともに、まさにその付近であると言った。

 アインズはそのことを伝え、近辺を探ってほしいと送った。

 

《はいはい。この付近ですね。一回、上にあげてみるか……。あ、例の『落とし子』が何体かいますね。じゃあ、あの辺にズームして……お、何かが……っ!?》

 

 驚いたようなベルの思念に、アインズは尋ねた。

 

《どうしました?》

《これは……もしかしたら、釣れたかもしれませんね》

《プレイヤーですか?》

《いえ、それは分かりません。……ですが、高レベルキャラみたいです》

《へえ。一体、何が映ったんですか?》

 

 興味深げに聞くアインズ、それに対しベルは否定の言葉を返した。

 

《映りませんでした》

《?》

《アインズさん、憶えてますか? この〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉って、対監視魔法とかで反撃されるのを避けるために、そういう対策をとっている者を見ようとしたら強制的に遮断するよう設定しているのを》

 

 アインズはしばし目を宙に動かし、記憶を探る。

 

《……ああ、そう言えば。色々なアイテムを付与して、そんな風に設定し直しましたね》

《ええ、そうです。それが発動しました。見ようとした瞬間、効果が切れましたよ》

《つまり、なんらかの対監視措置を有している存在という訳ですか》

《はい。今までそんなことが出来る存在なんて、この世界では見当たらなかったんですが……。これは注意が必要ですね》

《どうします? やっぱり手を貸すのは止めておきましょうか?》

《いえ。ある意味、ようやく掴んだ尻尾です。誰のものか、どんなものかは分かりませんが、調べないという選択肢はありません。ですが、より警戒は必要です。とりあえず万が一を考えて、そちらに増援を送りましょう。誰を送るかはこれから考えますが、しばらく待っていてくださいね。俺はこれからニグレドの所に行きます。アレの探知でしたら、より強力ですから、その魔樹を捉えられるかもしれません。そういう訳ですみませんが、これからしばらくは緊急の〈伝言(メッセージ)〉はアルベドにお願いします。では》

 

 〈伝言(メッセージ)〉が切れた。

 視線を戻すと、集会所にいる誰もが黙り込むアインズの顔を仮面越しに見つめている。

 

「ふむ。どうやら相手はなかなか強力な存在らしいな。魔法による探知を妨害された」

 

 そしてゆっくりと、自分に視線を向ける者達を見回し、言葉をつづけた。

 

「これは少々本気を出さねばならぬかもしれんな。なに、心配はいらん。たかが、捜査の魔法一つ防がれたからと言って、我が魔導の奥義を打ち破ることは出来ん。だが念のため、私の配下の者達もこちらに呼び寄せるとしよう。魔樹の討伐におもむくのはそれからだな」

 

 アインズの宣言に、安堵のこもった息が漏れた。

 

 この桁外れな魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法すら妨害する。世界を滅ぼす魔樹がそれほどまでに強大な存在であったという事実に、アインズが当初の話と異なり、協力を止めると言い出す可能性が一瞬頭をよぎったのだが、それは杞憂だったようだ。

 

 そうして、話はこれからどうするかという話題に移った。

 あまり大軍で言っても、森の中では蜥蜴人(リザードマン)はあまり上手く立ち回れない。それに装備の問題もある。いくらかは金属の武器などもあるが、それは戦士階級全員に配れるほどでもない。

 その為、蜥蜴人(リザードマン)の中でも精鋭を40名ほど選抜し、アインズやリュラリュースらとともに討伐隊を結成することになった。

 残りの者達は討伐隊が魔樹本体へ攻撃を仕掛けに行っている間、村を守る。その際、『落とし子』が現れたら、あまり防御に固執せず、退避を優先させるとい指針が決められた。

 

 当面の方針が固まり、張り詰める様に緊迫していた場の空気が、やや弛緩したものに変わる。

 

 

 その時、ザリュースが口を開いた。

 

「〈朱の瞳(レッド・アイ)〉の族長よ。少々いいだろうか?」

 

 言われた〈朱の瞳(レッド・アイ)〉の族長――正式には族長ではなく族長代理だが――アルビノ特有の白い身体を持つ蜥蜴人(リザードマン)、クルシュ・ルールーはその顔を向けた。

 

「なんでしょう?」

 

 討伐におもむく精鋭部隊の中には当然クルシュも含まれている。戦いの前に、彼女が使える部族一、いや、おそらくこの湖に住む蜥蜴人(リザードマン)随一(ずいいち)である森司祭(ドルイド)の力、その詳細が聞きたいのだろうかと思った。

 

 皆が注目する中、再度ザリュースが口を開いた。

 

 

「結婚してくれ」

 

 

「「「「「「は!?」」」」」」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 いまだ天高くある陽光が集落の湿地、そしてそこから繋がる対岸すら見とおせぬほどの広大な湖を満たす水をきらめかせ、そこから突き出す丈の長い水草の緑と相まって、みずみずしい生命の息吹を感じさせる。

 普通なら誰しも思わず目を奪われる様な美しい光景だが、それを前にしたアインズは腕を組み、心ここにあらずとはるか遠くを見つめていた。

 その仮面の下に隠された顔にいかような表情を浮かべているのかは知るものもない。

 

 

 やがて誰に聞かせるでもなく、ぽつりとつぶやいた。

 

「……恐ろしいな……」

 

 

 その言葉をたまさか通りかかった、集落や防御柵の復旧のために木材を運んでいた者や、これからおもむく戦いに備え武器を用意していた者達の耳に入った。

 

 その言葉に、蜥蜴人(リザードマン)達は思わず息をのんだ。

 

 彼らはこの仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が人知を超えた力を持つ存在であることを、先の戦いでよく理解している。

 あの天に輝く星を落とすという常識はずれな魔法、自分たちがあれだけ苦戦していた『落とし子』をたやすく滅ぼしつくす偉大な御業。

 

 それを使いこなすような人物でさえ恐怖するほど、あの世界を滅ぼす魔樹というものは凄まじい存在なのだろうか?

 蜥蜴人(リザードマン)達の我知らず早まる鼓動が、その胸の内を激しく打ち鳴らしていた。

 

 

 そんな周囲の者達の様子など気にも留めずに、アインズは物思いにふける。

 

(恐ろしい……。初対面で、しかも人前で、いきなり『結婚してくれ』だと!? あれが、あれがリア充というヤツなのか!! な、なんという……。しかも、言われた白い蜥蜴人(リザードマン)――クルシュだっけ――もまんざらでもないようだったし……。これがペロロンチーノさんが言っていた『ただし、イケメンに限る』というヤツなのか? 蜥蜴人(リザードマン)の顔の良し悪しとかは分からないけど)

 

 思わず身震いするアインズ。

 その様もまた周囲の蜥蜴人(リザードマン)は見ていたわけだが、そこへ〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

《もしもし。アインズさん、聞こえますか?》

 

 すでに聞きなれた声に、アインズはようやく気を取り直した。

 

《はい。どうも、ベルさん。聞こえてますよ》

《どうもー。それで早速ですが、魔樹の件です》

《どうでしたか?》

《ええ。ニグレドのところに行って探知してもらいましたよ。ニグレドのところに行って探知してもらいましたよ》

《……それはお疲れさまでした》

 

 わざわざ二度言ったベルに斟酌(しんしゃく)してねぎらいの言葉をかけた。

 

《……まあ、それはいいとして》

 

 疲れた口調でベルは続ける。

 

《さっき、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉が切れた辺りを調べてもらったんですがね。やっぱり、いましたね。なんだか、凄いでかい怪物(モンスター)が》

《ほう。それで何かわかりました? それとザイトルクワエとかいう名前については?》

 

 先ほどリュラリュースから聞かされた話、おそらく200年程前に来たという冒険者たちはその魔樹の事をザイトルクワエと呼んでいたらしい。聞き覚えのない名前にアインズはその実力を計りかねていた。

 

《まずはニグレドの探知越しの調査ですが、さすがに探知魔法越しでは実力は測りかねますね。ですが、調べた限りという前提がつきますが、どうやらそいつは複数存在するとかではなく1体のみ。それと、『落とし子』とやらは結構いますけど、それ以外は味方となるものはいないみたいです。そしてザイトルクワエですが、見つけましたよ。タブラさんの残した百科事典(エンサイクロペディア)にありました》

《おお。ありましたか。私、名前すら聞いたことも無かったですけど》

《俺も知りませんでしたよ。クトゥルー神話に出てくる植物っぽい怪物(モンスター)みたいですね》

《あー、なるほど。そう言えば、タブラさんってそっち系のファンの人たちと、ユグドラシルにいるクトゥルー神話由来の怪物(モンスター)めぐりとかしてましたからね》

《タブラさんの書き残しによると、レベル的には80くらいだとか。主な攻撃手段は6本の触手攻撃と種を飛ばす攻撃みたいです》

《あ、レベル80ですか。そのくらいなら、そんなに心配する必要もありませんでしたか》

《ただ、ちょっと気になる事もありますね》

 

 ベルはわずかに言いよどんだ。

 

《その魔樹をザイトルクワエと呼んだという人物。つまり、それを知っているって事はクトゥルー神話の知識がある人物だったってことですよね》

《……プレイヤーですか?》

《その可能性は高いと思います。まあ、生きているかは分かりませんが、死んでいないとも限りませんな。リュラリュースにそれを語ったっていう、そのドライアードに会ってみて、もう少し詳しく話を聞いてみたいですね》

《そうですね》

 

 ふと、アインズは周囲を見渡す。

 仮面の目を向けられた蜥蜴人(リザードマン)達は、思わずびくりと背を震わせた。

 

《……それで、こちらはじきに蜥蜴人(リザードマン)達の出撃態勢が整いそうですが、準備出来次第、魔樹のところに出発するという形でいいですか?》

《いえ、そうなると移動手段は歩きですよね? それだと、おそらく何日もかかると思いますので、魔樹のいる場所から少し離れたところに、〈転移門(ゲート)〉を繋げましょう》

《〈転移門(ゲート)〉ですか? それだと、万が一監視している者がいたら、こちらが転移手段を有していることに気づかれませんか?》

《その危険性はあります。ですが、何日も見通しのきかない森の中を移動し続けるよりは安全でしょう。長期間にわたって警戒網を敷き続けるほうが、こちらの手の内をさぐられる可能性が高いと思います》

《あー、なるほど》

《それに、何日も旅するのめんどいでしょう?》

《まあ、確かに》

《ですから転移地点付近の安全確認、それとこっちの準備が終わったら、また連絡しますね。まあ、魔樹付近まで魔法で転移することが出来る。今、配下の者達にその準備させている所なので少し待て、とか言っておいてください》

《了解です》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ほどなくして、蜥蜴人(リザードマン)達の準備が整った。

 

 集落の中央にある広場に皆が集結する。

 

 彼ら、湖に住む蜥蜴人(リザードマン)のなかでも選ばれし40人の精鋭。その中にはもちろん、ザリュース、シャースーリュー、ゼンベルの姿もある。〈白竜の骨鎧(ホワイト・ドラゴン・ボーン)〉に身を包んだ〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の族長や、先程告白を受けた〈朱の瞳(レッド・アイ)〉のクルシュの姿もある。

 

 そしてリュラリュース率いるオーガ、トロール、ゴブリンらもだ。

 彼らは本来、同盟の締結におもむいたところで、そのまま戦闘に参加することになったために人数はさほど多くはない。その為、魔樹のところに向かう途中、彼らのねぐらに立ち寄り、そこで待機させている戦力を補充していく事を提案をしてきた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達は、最初から移動も数日がかりになると思っていたため、多少の遠回りにはなっても戦力が増えるのは良い事だとそれを許諾した。

 

 だが、この中で魔樹を倒す切り札となる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がそれに異を唱えた。

 

 なんと、彼の魔法で魔樹のいる近くまで一気に転移が可能だというのだ。

 それも全員がだ。

 魔樹が方々に散らばっている『落とし子』を集結させ、防御の態勢を整える隙を与えず、本体を即座に倒してしまおうという策であった。

 

 もちろん、このアインズ・ウール・ゴウンと名乗る人物の魔術の腕前を疑う訳ではないが、それでも戦力は多い方が良いのは自明の理である。そのため考え直すようやんわりと打診したのだが、アインズは自分直属の配下の者達も同行させるから大丈夫だと太鼓判を押し、半ば強引に話をまとめてしまった。

 不安がなかったわけではないが、彼の強さは皆よく知りえていたために、その当人が自信を持って言うことに、異論を呈することは出来なかった。

 

 やがて、アインズがつぶやいた。

 「準備が整ったようだ」と。

 

 その武骨な小手に包まれた手を振るうと、何もない空間に突如、半球状の黒い霧か煙、もしくは闇そのものとでもいうようなものが出現した。

 

 不意に、その中から一人の人影が現れる。

 

 全身を黒の全身鎧(フルプレート)で身を包み、バルディッシュとカイトシールドを手に(たずさ)え、鮮血のようなマントとサーコートを身に(まと)っている。

 

 その鎧の人物は堂々とした姿で、その場にいた者達全員の視線が交わされる中を横切り、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の前で膝をついた。

 

「アインズ様、お待たせして申し訳ありません。アルベド、御身の前に」

 

 その絶対の忠誠を前に、アインズは鷹揚(おうよう)にうなづいた。

 

「うむ。ご苦労。それで首尾は?」

「はい。すでに準備は整っております。どうぞ向こうへ」

 

 そう言うと立ち上がり、(おの)が主が湧き上がる闇へと向かう道を譲る。

 何の躊躇もない足取りでアインズは足を進め、その闇の奥へと姿を消した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 〈転移門(ゲート)〉を抜けると、そこは森の中だった。

 特に知識もないアインズの目には、どこの森のどのへんなのかは判別もつかなかった。

 

 森と森の隙間、やや広い林間の合間に丈の低い下生えと灌木だけが生えている空間があった。

 

 そこには一人の人物が待ち構えていた。

 薄緑色のフード付きローブに身を包んだ人物。見たところかなり横に広い身体をもつ、いわゆる肥満体形の人物だ。

 その人物はフードの奥から覗く金髪を揺らし、現れたアインズに膝をついて頭を下げた。

 

 その姿を見てわずかに動きを止め、そして辺りをきょろきょろと見回し、アインズは尋ねた。

 

「……ソリュシャンか? どうしたのだ、その姿は? ベルさんはいないのか?」

 

 その言葉にソリュシャンは、ブクブクと膨れたその体を起こした。

 

「ここですよ」

 

 声が聞こえた。

 よく聞きなれた、鈴が鳴るような少女の声。だが、どこから聞こえているのか、いつもの姿が見当たらない。

 

 見ると、ソリュシャンが首元にしていた襟巻の合わせ目がもぞもぞと動き、やがて白く細い指がそこから突き出た。その少女の指が上下に動くと、空いた隙間からまつ毛の長い瞳が覗いた。

 

 はたから見るとまるで心霊写真のようなその姿に感じたわずかな動揺をアンデッド特有の精神鎮静で抑えつけ、落ち着いたような口調で声をかけた。

 

「そこにいたんですか。なぜ、そんなことを? ドッキリですか?」

「狙ったわけではないですけどね。ほら、一応、監視されてる可能性も考えてですよ」

「なるほどそれで、そのソリュシャンの姿は? それを考えてそんな格好に変えてるんですか?」

「ええ、それも兼ねてですがねっ……!?」

 

 急に言葉が止まり、覗いていたベルの目が見えなくなった。アインズがそれを疑問に思う間もなく、ベルの目が覗いていた隙間よりも下、襟もとを押さえている合わせ目の下付近から赤い瞳が覗いた。

 

「ああ、アインズ様。我が愛しの君。なんと凛々しいそのお姿。この私が御身に危害を加えようとするものなど、すべて滅ぼしてみせんしょう」

 

 その言葉の直後、ぎょろりと覗き込むような赤い瞳が消えた途端、今度は緑の瞳が覗き込んだ。

 

「ちょっと、シャルティア! あんまり動かないでよ、狭いんだから。あ、アインズ様、任せてください。あたしはばっちり任務をこなしてご覧に入れます」

「こら、ちび! アインズ様のお姿を拝見するという行為を邪魔するとは何考えてるんでありんすか!」

「あーもう、ごそごそ動かないの! 邪魔なんだから」

「邪魔とは何でありんすか! アンタが……」

「うっさい! だいたいあなたが無理矢理ついてくるから……」

 

「あっと、その、シャルティア様、アウラ様。あまり動かないでくださいませ。いくら身体の小さい御方々とはいえ、三人は少々無理が……。」

 

 困った声を出すソリュシャンのローブに包まれた身体が、文字通り、中に別の生き物がいる様に蠢く。

 

《まあ、こんな有様でして》

《なるほど》

《本当はザイトルクワエが〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉みたいな転移封じをしてくる可能性も考えて、戦力としてアウラとマーレをソリュシャンの中に入れて連れてくるつもりだったんですが、アルベドがアインズさんの護衛として行くって聞いたら、シャルティアが自分も行くと聞かなくてですね。本当は〈転移門(ゲート)〉要員としてナザリックに、残っていてもらいたかったんですが》

《まあ、シャルティアって最近は〈転移門(ゲート)〉での運搬ばっかりでしたからね》

《便利ですからねぇ、〈転移門(ゲート)〉は。まあ、それはそれとして》

 

 わちゃわちゃと続く言い争いは無視して、状況を説明する。

 

《ええと、まずここはザイトルクワエがいる場所から少し離れた森の中です。ここからしばらく行くと、周囲の木々が枯れはてている広場があり、その中央部、地面の下で普段は眠りについているようです。今は、その周辺には数体の『落とし子』がいるようですね。まあ、そのくらいです。それでこちらの戦力としては、基本はアインズさんにアルベド、そしてシズの3人で対応してください》

《基本はベルさんたちは戦わないんですね》

《はい。基本的には俺たちは抑えです。あくまで向こうの強さ次第ですが、必要と判断したら先程も説明したように転移封じ対策として同行している俺、アウラ、シャルティア、ソリュシャンが適宜参戦します。もちろんそれ以外にも、この場にいないデミウルゴス、コキュートス、マーレを始めとした支援部隊も、いつでも投入出来るようナザリックで待機済みです》

《なるほど》

 

 その説明を聞き、万が一の備えもしてくれている事にアインズは安堵した。

 

《それで防諜の方は?》

《現在、ナザリックの(しもべ)たちを使って、この近辺及びザイトルクワエがいる地点を囲むように監視網を構築済みです。ザイトルクワエ本体がいるところには直接の監視はないんですが、今もニグレドが魔法による監視を続けていて、何か動きがあったら俺のところに連絡が来る手はずになっています》

《そうですか。それで今のところ、なにか異常は?》

《現状では何もなし。プレイヤー等、高レベルキャラの気配はありませんね》

《ふむ》

《それと念のためですが、蜥蜴人(リザードマン)の集落がある湖の対岸側に、イグヴァ指揮下の部隊を隠して配置しています。〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉を持たせてありますんで、蜥蜴人(リザードマン)が何かおかしな動きを見せたときはすぐに報告するように言ってありますし、もしこちらに何かあって定期連絡が届かなくなったら、証拠隠滅の為に蜥蜴人(リザードマン)の集落を滅ぼして、口封じするように命じてあります》

《おかしな動きとは? もしかして蜥蜴人(リザードマン)とかも疑ってます?》

《もしも、今回の一件自体が俺たちをはめる罠だったりしたらという可能性ですよ。ナザリックの影響下にあるカルネ村に助けを求める者が来る。そこで聞いた話の範囲では、敵は大したことがない。そう思って協力したら、実は対監視能力まで持つ強キャラが裏にいるとか、ちょっと怪しいですからね。警戒するにこしたことはありません》

《確かに警戒はしたけれど、実際は気の回し過ぎ、取り越し苦労とかだったら、それはそれでいい訳ですからね》

《ええ。そうです。実はちょっと気になる事がありまして》

《なんです?》

《森の奥、これから魔樹のところに行く途中なんですがね。なんだか人間らしい死体がありました》

《ん? それはなんなんです?》

《いえ、まだ魔法による遠隔視で見つけただけなので素性なども全く分かりません》

《ふむ。……ザイトルクワエを目覚めさせたのがそいつらとか?》

《その可能性も否定できませんね。とにかく、それについては行く途中に調べるとして、最悪の状況も想定し、その場合でもナザリックに被害が出ないように考えなくてはなりません。……まあ、そうならない可能性もあるんで、あまり気に病むこともないですが。念のため、警戒だけは怠らないという感じに》

《そうですね》

 

 一通り打ち合わせを終え、うんうんとうなづくアインズの耳には――出来るだけ聞かないようにはしていたものの――いまだ口喧嘩の声が聞こえてくる。

 

「ああ、もう! いい加減黙りなさいよ!」

「アンタが黙ればいいでしょうが!」

「ただでさえ狭いんだから、いちいち叫ばないでよ! あたしは耳がいいんだから」

「うるさいのはそちらでありんしょう! だいたい……」

 

 

 本当にいつ果てるとも知れない口論に、いい加減止めようかとアインズが思った、その時――。

 

 ――荒れ狂うような怒気が叩きつけられた。

 

 

 見ると、アインズが通ってきた〈転移門(ゲート)〉の闇の向こうから、黒の鎧に身を包んだアルベドが姿を現していた。

 

「あなたたち。アインズ様の御前で、何を下らないことをやっているのかしら?」

 

 心胆の奥まで凍り付かせそうな冷徹な声。

 その声に、アウラとシャルティアは黙り込み、ソリュシャンは身を震わせ、関係ないアインズとベルまで思わずビクリとした。

 

 アルベドの後ろからはシズと、瞬く間にはるか遠い地へと移動するなどという魔法に目を見張る蜥蜴人(リザードマン)、並びにリュラリュースらが続いた。

 

 シャースーリューが思わずつぶやく。

 

「い、いったい、ここは……?」

《ザイトルクワエのところまで、歩いて1時間くらいのところですよ》

「魔樹のところまで、人の足でおよそ1時間くらいと離れたところだな」

 

 すかさず〈伝言(メッセージ)〉で伝えられたベルからの情報を、アインズがもっともらしく説明してやる。

 

「なんと!」

《まあ、もっとギリギリまで転移場所を近くしてもいいんですが、あまり近くを転移場所にすると、転移直後に即攻撃を受ける可能性もありますし》

「本当はもっと近くまで行くことも可能なのだがな。しかし、あまり近くに転移すると、こちらが態勢を整える前に襲い掛かられる可能性があるのでな」

 

 その説明に「おお」、「なるほど」等、感嘆の声があがった。

 

 

 その声を耳に受け、アインズはばっとローブの袖を振り、皆の耳目を集めると、あらためてこれから魔樹打倒の為に戦いにおもむくことを告げた。

 

「皆よ! 今、この場にいる者達は誰もが豪胆かつ勇敢なる魂を持つ勇者であるという事は十分に理解している。だが、これ以上先は邪悪なる樹木の悪魔が住まう領域。その生命の保証は、いかな私とて出来ぬ。もし、この先の戦いにおもむくことにわずかなりとも躊躇する者があれば、先ほど皆が通ってきたあの闇を通って村へと帰るがいい。私は決して(とが)めだてはせぬ。(さげす)みもせぬ。皆の心のうちに任せよう」

 

 その場に集う者達は、そのアインズの言葉を聞いても、誰一人として躊躇どころか身じろぎ一つしなかった。

 

 アインズは満足そうにうなづく。

 

「皆の心はよくわかった。では行くとしよう。世界を滅ぼすという魔樹を倒しに! 皆よ。忘れるな。この戦いは残してきた家族、同胞を助けるためのものだけではない! この世界に、生きとし生けるもの全ての為の戦いであると!」

 

 その言葉に――皆一様に、勇壮なる雄たけびを緑深い森林にとどろかせた。

 

 

 

 そうしてアインズを先頭に、世界を滅ぼすと言われる魔樹、プレイヤーからはザイトルクワエと呼ばれた伝説の怪物(モンスター)を討伐する為、恐れを知らぬ亜人たちの混成部隊は、うっそうと茂る濃い緑が重なり合う森の中へと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

《ええと、こっちでいいんですよね?》

《はい。そっちに行って……そこ。その木を越えて、ちょっと右手の方に獣道が……はい、そうです。それです。それに沿って、そのまま進んでください》

 

 格好良く先頭を行く割には、肝心の道を知らないアインズの為に、ベルが〈伝言(メッセージ)〉でナビを続けていった。

 

 

 

 




 ザイトルクワエ戦まで書こうかと思ったんですが、そこまでたどり着けませんでした。
 妙なところで区切ってしまったので、次回は少し短めになるかも。



~おまけ~

 テンポを崩しそうだったので考えはしたものの、本編中ではカットした力試しのアインズVSリュラリュース戦です。


 〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落中央にある広場。
 いまだ幾人もの蜥蜴人(リザードマン)達が壊れた建物や柵の修復に追われる中、族長たちや戦士階級に属するの者達に囲まれる形で、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズと強大な力を持つナーガ、リュラリュースが向かい合っていた。

 今、彼らがこうしているのは、これから互いの実力を見極めるための試合を行わんとする為だ。

「よいかな、魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ。お主の魔法の強大さは先ほどの魔法で分かったが、肩を並べて共闘するためには、それ以外の実力も見極めねばならん」
「構わんとも。さっさと始めるとしよう」
「ほう、余裕じゃな。では、行くとするか」

 そういうと同時にリュラリュースは〈火球(ファイアー・ボール)〉を唱えた。
 人の半身程の火の塊が空を飛ぶ。

 だが、アインズはそれを避けもせず、身を撃たせるに任せた。
 それはアインズの身体に届くやいなや、かき消すように消滅した。

 その様に目を見開く周囲の者達。
 アインズはお返しとばかりに魔法を唱えた。

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「ぬう! 〈火炎抵抗(レジスト・ファイア)〉」

 アインズの手から飛んだ火球の群れがリュラリュースの身体を捉える。
 だが、その爆炎が収まった後からは、ほのかな赤い魔法の光に包まれた半人半蛇の姿が現れた。

「ふはは。先ほどの魔法も含め、火系統の魔法が得意なようじゃが、これで火炎のダメージは半減よ。さて? 次はどうする?」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

 あざけるようなリュラリュースにアインズは再度、同じ魔法を唱える。

「ははは。だから言ったじゃろう。火炎ダメージは、その半分しか効果を発しはしないと」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「愚か、愚か」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「馬鹿の一つ覚えじゃな」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「いや、だからじゃな……」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「火炎の効果は半減しとると……」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「少しは人の話を……」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉」

「い、いや、ちょっと待……」

「〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉、〈魔法三重化(トリプレッドマジック)火球(ファイアー・ボール)〉……」




「申し訳ありませぬ。あなたの実力は十分わかりました。許して下され」

 リュラリュースは焼け焦げた体を抱え、ひれ伏している。

 これくらいで見ている蜥蜴人(リザードマン)達も含め、実力はアピールできたかな、と振り向くと――。

(あれ?)

 なにやら、見ていた蜥蜴人(リザードマン)達は微妙な表情を浮かべている。
 凄いと言えば凄いんだろうが、なんと言っていいのかという困ったような表情を。

(おかしい。何故、こんな目で見られるんだろうか?)

 アインズはベルに〈伝言(メッセージ)〉で相談してみた。

《いや、そりゃ、言葉に困りますよ》
《え? 駄目でした?》
《凄い魔力の持ち主ってのは分かったでしょうが、あの戦い方は無いでしょう。延々三重化した〈火球(ファイアー・ボール)〉撃ち続けただけですから。格ゲーで言えば、判定の強い技を延々出し続けたようなものですよ。もっと、見せ技とかを使わないと》
《あー、そうでしたか……》

 言われて困ったような表情を仮面の下で浮かべる。

 しばらく悩んだものの、《まあ、いいか》という結論に達した。
 とにかく強者と思わせることには成功したんだし、あとはまあ、微調整で何とかなるだろう。

 そう気を取り直すと、体中焼け焦げているリュラリュースにポーションを放った。
 「使うがいい」と声をかける。

 それを手にとったリュラリュースは目を丸くした。
「こ、これは一体……。あ、赤いポーションとは……」

 その言葉に、アインズは少々驚いた。
 まさか薬学を研究しているでもないナーガが、赤いポーションの価値を知っているとは。

「ふむ、その価値が分かるならば話が早い。使ってみるがいい」

 言われて、リュラリュースは恐る恐るその中身を口にする。
 すると、ほんの一瞬前まで全身に感じていた痛みが、瞬く間に消え去った。
 驚いて自らの身体を見下ろすと、体中の焼け痕が痕跡すら残さず無くなっている。

「お、おお……。伝説に聞く、劣化しないという赤いポーション。そして、これほどの効果を持つ物を保有し、それをたやすく人に分け与えるあなたは一体……」

「もう一度言おう。私の名はアインズ・ウール・ゴウンだ」

 静かに語られた言葉に、リュラリュースは深く頭を下げた。
 そのリュラリュースの態度を見て、自分たちですら倒すことなど到底不可能なナーガの心服を得るこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)はいかに偉大な存在なのかと、蜥蜴人(リザードマン)はあらためて理解した。

「まあ、これくらいでいいだろう。今後の事を話さないかね? それと、今の現状も。何せ、私とザリュースは先ほど、この地についたばかりなのだから」

 その言葉に、蜥蜴人(リザードマン)を束ねる族長たちは、落ち着いて話せる場所として、村の集会所へと案内した。

 
 


 


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第34話 救援――決戦

 次は少し短めになるかもと言ったな。
 あれは嘘だ。


2016/8/4 「至ることろには」→「至るところには」 訂正しました
2017/5/18 「例え」→「たとえ」、「脛骨」→「頚椎」、「賞賛」→「称賛」、「別れて」→「分かれて」、「行った」→「いった」、「体形」→「体系」 訂正しました



 木々と蔓植物からなる緑の海の中を一行は歩く。

 

 道は細く曲がりくねり、下生えが足首に絡みつき、灌木が歩みを邪魔する。森の中で生きるリュラリュースやオーガ、トロール、それにゴブリンたちにとっては獣道など石畳で舗装された道路を歩むも同然であったが、深い森を歩いたことのない蜥蜴人(リザードマン)達は特に難渋していた。

 

 空を覆う枝葉の隙間からわずかに漏れる日の光に目を細め、リュラリュースがつぶやいた。

 

「ううむ。やはり、この辺りにまで影響が及んでおるな」

 

 その声に、蜥蜴人(リザードマン)とは違い、疲労がないうえ、移動阻害に耐性があるため、特に苦労もなく森の中を歩いていたアインズが尋ねた。

 

「どうしたのだ?」

「はい。普段ならば森の中は生命溢れる場所のはずなのに、この付近には鳥や動物たちが一匹たりともおりませぬ」

「ふむ」

 

 言われてみれば、先ほどから鳥の鳴き声一つ聞こえない。

 魔樹を恐れて逃げたのか。それとも、食べられたのか。どちらにせよ、通常の森とは違うという事だ。

 周囲で動くのは、彼らを除けば、風に揺れる草木と身にまとわりつく羽虫たちだけだった。

 

 やがて、ふいに視界が広がった。

 森の中にぽかりと空いた空き地。丈の低い草が生い茂る中、高い木はあちらこちらにまばらに生えているだけだった。

 アインズは続く者達を振り返り、彼らの様子から、この辺りで小休止を取らせようかと考える。

 その時、再びリュラリュースが声を漏らした。

 

「うぬ。あれは……」

 

 リュラリュースの視線の先には、地に倒れ伏し、枯れ果てた大樹があった。

 

「あれは長き時の果て、その身にドライアードが宿るようになった樹木でしてな。わしに魔樹の話を聞かせてくれたのは、その者なのです。魔樹の手が彼の者に及ばぬうちに討伐を成功させたいと思っておったのですが、間に合わなかったようですな……」

 

 それを聞いて、ベルはソリュシャンの中で渋面を作った。

 そのドライアードには、ザイトルクワエの名を付けた者についてなど、聞きたいことが山ほどあったというのに。

 

 ギリギリと不機嫌そうに歯を鳴らしつつも、アインズに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《アインズさん。この開けたところの奥、森との境界付近に、さっき言ったのがありますよ》

 

 それを聞いて、アインズは視線を巡らす。

 やがて、緑の下生えの上に黒い塊と鈍色(にびいろ)の輝きを見つけた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達には休憩を指示しつつ、アインズはそちらに近づいた。

 歩み寄り、他の者を巻き込まないように気を付けて〈絶望のオーラ〉を使うと、それに(たか)っていた黒蠅が一斉に飛び立った。

 そこには先にベルから報告があったもの、バラバラに食い散らかされたという表現以外しようのない人間だったとおぼしき死体が無造作に散らばっていた。

 

 

「ふむ」

 

 仮面の顎に手を当て、しばし考える。 

 

 ほぼ肉片の状態の為、正確には分からないが、おそらく10人まではいかないだろう。

 見た感じだが、装備は統一されていない。

 戦士や魔法使いなど、各職業に分かれていると思われる。

 しかし、中でも気になったのは……。

 

 その辺に転がる首や上半身を調べてみる。

 服が汚れるからと、慌ててソリュシャンがその役を引き継いだ。

 

 だが、いくら調べてもない。

 

《こいつらは何者なんでしょうね。装備の統一性の無さからいって、どこかの軍隊とかではなさそうですが》

《冒険者とかでは?》

 

 だが、アインズはそのベルの考えに異を唱えた。

 

《いえ。それは考えにくいと思います。ここにある死体ですが、どれも冒険者のプレートを下げていません》

 

 そう。

 そこに転がる死体の首にはどれにも、冒険者ならば必ず保有している、首から下げるプレートが無いのである。

 もちろん殺されたうえにバラバラにされているため、首から外れ、その辺に落ちた可能性もあるが、それを考慮しても周囲にはそのようなものは見当たらない。殺してプレートを奪った後で死体だけばらまいたというのも考えづらい。

 

《ああ、なるほど。じゃあ、ワーカーですかね?》

 

 なるほど、冒険者崩れであるワーカーならば、冒険者に近い装備をしながらも、冒険者のプレートは保有していない。

 そう考えるのが妥当と思われた。

 

 だが、死体の持ち物を調べていたソリュシャンが「妙ですわね」とつぶやいた。

 

「何が妙なの?」

 

 一人の人間から異なる声が聞こえ、さらに問答するという奇妙な事になりながらも、ソリュシャンは尋ねたベルに答えた。

 

「はい、ベル様。目を引くような物が全くないのです」

「? それがどうしたの?」

「普通、どんなものであれなんらかの素性を探る一端となるものがあるものですが、彼らはそのような物を一切保有しておりません。ごくごく普通のありふれた武器、道具、装備のみで、特徴立ったものは何一つ。また、付近に散乱している彼らの持ち物、これらをいくら探しても、身元や所属につながるようなものが全く見当たりません」

「どこにも所属していないから、そういうものを持ってないとかじゃなくて?」

「いえ、たとえそうだとしても普通は多かれ少なかれ、何らかの痕跡はあるものですわ。むしろすべて消すことこそ難しいものです」

「……つまり、敢えて素性を消した者達って事か」

 

 つぶやくと同時に、アインズに〈伝言(メッセージ)〉を送る。

 

《普通人間が入り込まないような森の奥に素性を隠した一団ってどう思います?》

《怪しいですね。リュラリュースの話を聞く限りでは、この辺りに遺跡とかは無いみたいですし。そもそも、人が来る理由が考えられません》

《うーん。……そう言えば、魔樹のどこかに万病に効くとかいう薬草が生えてるって言ってましたね。それを採りに来たという線は?》

《ああ、そういうのもありましたね。ですが、素性を隠す理由が謎のままですね。仮にワーカーで、どこかから秘かに依頼を受けたとしても、依頼先を隠すならともかく、彼ら自身の身バレする物を持ち物から完全排除する理由にはならないと思います》

《たしかにそうですねぇ。殺し屋とかならいざ知らず》

 

 頭を悩ませつつ、とりあえずザリュースとリュラリュースを呼び、散らばった死体を見せてみる。

 2人の見解は、その状況から、おそらく『落とし子』に食い殺されたものだろうというものだった。

 

《つまり、なんらかの理由で素性を隠した人間達が、普段人間の入らないトブの大森林の奥まで侵入し、魔樹の『落とし子』に襲われて全滅したという事ですか》

《全滅したとは限らないのでは? 逃げた者もいるかもしれません》

 

 その言葉にハッとしてアインズは確認の問いをした。

 

《ベルさん。この辺りの監視は?》

《ばっちりですよ。今も、この周囲には隠密及び索敵に長けた者達を配置してます。今のところ、警戒に引っ掛かったものはありませんよ》

 

 その答えに、ひとまず安堵する。

 

《しかし、そろそろ頃合いかもしれませんね》

《?》

 

 ベルの言葉に頭をひねるアインズ。

 何の事だろうと問いただそうとした矢先――周囲に異様な気配が膨れ上がった。

 

 突然、周辺の森がその様相を変えたことに休憩をとっていた蜥蜴人(リザードマン)達も気がつき、武器を手に立ち上がる。

 

 広場に面する森の中、木立の向こうを何かが動いている気配がする。

 明確な敵意を持った何かが。

 

 やがて、樹木の枝葉を突き破り、体にまとわりつく蔓草をたやすく引きちぎりながら飛び出してきたのは巨大な、雄牛をも上回る堂々たる体躯を持った虎であった。

 それが5匹。

 広場を囲むように、唸り声をあげながら姿を現した。

 

「な! これはトブ・グレーター・タイガー! なぜ、こんなところに!」

 

 驚いて叫ぶリュラリュースに、アインズは「こいつらを知っているのか?」と尋ねた。

 

「はい。こやつらは見ての通り、大型の虎でございます。特に変わった能力は持ってはいないものの、虎の敏捷性に加え、その巨大な体躯による膂力、タフネスなどは恐るべきものがあります。しかし、名に『トブ』とついてはいるものの、現在はトブの大森林ではなくアゼルリシア山脈の方に生息域を移した種族のはず。それが何故こんなところにいるのか? しかも、こやつらは普段、子育てのわずかな時を除いては群れを作らず、単体で暮らすはずなのですが、何故にこうして群れで襲ってくるのか? まったく分かりませぬな」

 

 説明を受ける間にも、黄色地に黒の縞を持つ野獣はこちらを品定めするように、一定の距離を保ちつつ、アインズらの周囲を円を描くように回る。

 それに合わせて円の内側になる蜥蜴人(リザードマン)達も、いつ襲いかかられてもいいように武器を向けながら、油断なく陣形を動かす。

 

 そんな緊迫した空気の中、一人の人物が前へと踏みでた。

 黒い全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士。

 アルベドである。

 

「アインズ様、ここは私にお任せを。このアルベド、アインズ様には指一本たりとも触れさせません。この後の魔樹戦に備え、アインズ様は魔力を温存しておいてくださいませ」

 

 その言葉にはじかれる様に、シャースーリューも声をあげた。

 

「皆よ! 蜥蜴人(リザードマン)の戦士たちよ! 我らも行くぞ! ゴウン様にこのようなところで魔力を使わせることなどない! この魔獣どもを打ち倒し、決戦に向けての露払いをせよ!」

 

 その声に、武器を手にした蜥蜴人(リザードマン)達、リュラリュース並びにトロールやオーガ達が一斉にときの声をあげ、巨虎へと襲い掛かった。

 

 

 

 円の中心部、戦いには参加せずその(さま)を観察していたアインズは、すぐそばで自分と同様に立っているだけの満腹バージョンソリュシャンの中にいるベルに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《ベルさん。これは怪しいかもしれませんね》

 

 やや早口で続ける。

 

《先程、ベルさんは周囲の張り巡らせた警戒網に引っ掛かったものはいないと言ってましたね。しかし、こいつらは私たちの目の前に現れた。つまり、その警戒網をすり抜けてきたという事です。見たところ、あくまでただの大きな虎にしか過ぎないこいつらが、ナザリックの者の目を誤魔化せるほど隠密能力に長けているとは思えません。それに奴らの身体から、妙な魔力の流れを感じます。あれは何らかの魔法の影響下にあると思われます。こちらの殲滅か威力偵察か、その目的までは分かりませんが、我々にぶつけるために何らかの者があの虎を用意したのは明らかです。注意してください!》

 

 周囲に鋭い目を向けるアインズ。わずかに腰を落とし、いつでも動けるように身構える。それに対して、ベルは落ち着いた様子で〈伝言(メッセージ)〉を返した。

 

《そんなに気をはらなくてもいいですよ、アインズさん》

《ベルさん、何を言ってるんですか? ナザリックの者達ですら気づかない内に兵力を送り込んできたんですよ。それこそプレイヤーとかの可能性もあるじゃないですか》

《いえ、大丈夫ですよ。これ、ウチの仕込みですし》

 

 その言葉に思わず――当の人物はソリュシャンの中にいるため直接見ることは叶わないのだが――アインズは振り返った。

 

《……え?》

 

《いえね。ほら、出発するときにアインズさん、みんなの前で演説して、それで蜥蜴人(リザードマン)達もやる気になってたじゃないですか。そんなに意気込んでるのに、ただ何もやることないまま村に帰るってのもなんだなあと思いまして。実際、蜥蜴人(リザードマン)達ってあんまり強くないですから、その魔樹がどれほどの強さでも大して役に立ちそうにありませんし。ましてや、プレイヤーとかがいたら、言わずもがな。それで、何もないままより少しは盛り上げてやろうと、遠くで捕まえてきた虎に凶暴化の魔法をかけて、そして、ぎりぎり蜥蜴人(リザードマン)達達でも勝てるくらいに魔法で強化して、けしかけたんですよ。ほら、アルベドがアインズさんを守ると言い出せば、蜥蜴人(リザードマン)達も我も我もと言い出すと思って》

 

《……えーと、……つまりやらせ(・・・)ですか?》

《演出ですよ》

 

 襲撃の内情を知ってしまい、何とも言えない気持ちになりながら、アインズは周囲で繰り広げられる蜥蜴人(リザードマン)達の決死の戦いを眺めていた。 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うおおぉぉっ!」

 

 ゼンベルが雄たけびをあげ貫手(ぬきて)を繰り出す。〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉によって硬度を増した爪が、虎の右目に突き立った。

 だが、その目の奥、脳まで達させることは出来なかった。止めを刺すには至らない。

 

 虎はその痛みにより増した凶暴性で、その前腕の鋭い爪を振り回す。〈ナチュラル・スキン〉を使用した強固な鱗でさえも、その荒ぶる猛攻の前に瞬く間に血しぶきをあげて切り刻まれていく。しかし、それでも骨を断つには至っていない。

 ゼンベルは回し蹴りを放ち、その反動を利用して距離をとった。

 

 虎がその蹴りにより体勢を崩した瞬間を狙い、視力を失った右側からシャースーリューが(おど)りかかった。全体重をかけ、両手剣を振り下ろす。

 その刃が、虎の分厚い筋肉に包まれた首筋深くに食いこむ。

 剣を握るシャースーリューの手には、頚椎まで達した感触があった。

 

 その攻撃にはさすがの大虎も苦痛に身をよじる。

 襲撃者に対し、威嚇の吠え声をあげた。

 だが、片目を失い、見えぬ側に立つ相手を視界に収めようと身体をくねらせた事により、柔らかな胴がわずかな瞬間ながら無防備にさらされた。

 

 ゼンベルは全身の力をばねに身体ごと突進し、必殺の貫手を繰り出す。

 激しい衝撃と共に、身体と身体がぶつかり合う。

 ゼンベルの突き出した腕は狙いたがわず、その胴に突き立った。虎の肉体の奥深くまで、その異様に発達した右腕が刺し貫いた。そして、その爪先は正確に虎の心臓を貫いていた。

 

 ズンと音を立てて、彼らに襲い掛かってきた最後のトブ・グレーター・タイガーが地に転がる。

 ゼンベルはその手で虎の心臓をえぐり取り、それを天高く掲げ、雄たけびをあげた。

 

 周囲の者達もまた、彼を讃える様に武器を突き上げ、歓声をあげる。

 

 

 

 熱気あふれる中、アインズは鮮血溢れる拳を振り上げていたゼンベルへと近づいた。

 

「見事だ、ゼンベルよ。此度(こたび)のお前の戦いぶり、蜥蜴人(リザードマン)だけではなく、トブの大森林に生きる者の中で永く讃えられるであろう」

 

 偉大な魔術の使い手からの称賛の言葉に、周囲の者達、蜥蜴人(リザードマン)だけでなくオーガやトロール達も熱賛(ねっさん)を浴びせた。

 

 盛り上がる彼らの輪から外れ、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

《……これでいいんですかね?》

《ええ、ばっちりですよ。特に役に立ちはしないでしょうが、皆の士気は上がりましたし。後はゼンベルら、族長クラスの忠誠を引きつけとけばいいでしょう》

《そうですか……》

 

 アインズは、いまだ興奮冷めやらぬ彼らの様子を、わずかな(あわ)れみを込めて見つめていた。

 彼らが命がけで行った誇りある戦い、それがナザリックが用意した籠の中での出来事に過ぎないと知ったらどう思うだろうかと、哀憐(あいれん)にも似た気持ちが胸の内に湧いてくる。

 

《ですが、やはり、この機会にも仕掛けてきませんね。もしかしたら、この後も何もないかも》

《あれ? もしかして、虎たちをけしかけると同時に、この機に乗じて何かする者がいないか調べてました?》

《はい。ちょっとした揺さぶりのつもりだったんですが、その間、動きは無しです》

 

 なるほど。蜥蜴人(リザードマン)達の活躍の場を作るという目的の他に、監視しているかもしれない強者への『釣り』という、ちゃんとした目的もあったのだ。アインズの考えの及ばないところにまで思考を巡らせ、様々な策を先を見通しめぐらすベルに、この人に任せていれば安心だという思いが胸に落ちた。

 

 

 一通り、戦いの興奮が落ち着いた所で、こちらの負った被害を確認する。

 怪我を負ったものはかなりの人数にのぼる。いや、むしろ戦いに参加したもので無傷の者などはいない。

 

 ――アルベド以外は。

 

 皆、多かれ少なかれ負傷しているが、幸いにも死者は出ていなかった。

 

 ――死なない程度にアルベドとシズが、それとなくカバーしたからだが。

 

 とにかく、軽い傷には応急手当てを済ませ、傷が重いものには祭司の力を使える者達が、その力を振るった。

 それにより、結果的に戦闘不能となった者はおらず、このまま行軍が可能であった。

 

 ――その程度で収まるように色々と加減、調整したからだが。

 

 

 

 そうして、一部の者の思惑はどうあれ、世界を滅ぼす魔樹との最終決戦に向け、一同は気を新たにし、森の最深部へと足を進めていった。

 

 

 

《この先ですよ》

 

 ベルからの〈伝言(メッセージ)〉を受け、行く手を阻む藪を手で払うと、そこには周囲一帯の木々が完全に枯れ果てた異質な情景が広がっていた。

 森の中にまれにある開けた場所とは訳が違う、見渡す限りの広大な空間が、黄色と茶色の枯れ草色で埋め尽くされている。見ると、『落とし子』達が十数体、空き地の中央部に固まっている。今のところは、姿を現したこちらに対し、反応する様子はない。

 

 一同、みずみずしい生命の息吹溢れる木立の中から、生きる者の気配のない地へと抜け出た。

 枯れて乾いた草木を踏みしめながら、その武器を構え、注意深く陣形をくんだまま、じりじりと距離を詰める。

 

 やがて、歩く誰かの足がべきりと地にある朽木(くちき)をへし折った。『落とし子』の枝がピクリと動く。

 まるでスイッチが入ったように、一斉にその身を揺らしだした。大地深くに差し込まれていた根が地中から引き抜かれ、枯草の上を踏みしめる。そうして、自分たちの領域に向こうから足を踏み入れてきた愚か者たちを、自分たちの養分にしようと行動を開始した。

 

 そうして、激しい戦いが繰り広げられるかと思われたが、アインズとしてはこいつらはザイトルクワエと戦う前の邪魔者でしかない。

 さっさと、三重化した〈隕石召喚(メテオフォール)〉を何度か唱え、『落とし子』達をすべて吹き飛ばしてしまった。

 

 あらためて、眼前で振るわれた強力無比な魔法に、誰もが言葉もない中、辺り一帯が震動し始めた。

 踏みしめている大地が揺れるという事態に誰もが驚き、転ばぬようその身を低くして耐える中、アインズやアルベドらは何ら動じることなく、そのような些末(さまつ)な脅かしは無駄とばかりに超然(ちょうぜん)と立っていた。

 その堂々たる姿に蜥蜴人(リザードマン)達はさらなる畏敬を抱いたのだが、そうしていると、枯れた大地の中央、朽ち果てた木々の破片を辺りに撒き散らし、ついに世界を滅ぼすと言われる魔樹がその姿を現した。

 

 

 『落とし子』にも似た外見だが、その巨体は比べ物にもならない。

 まさに天をも突くような巨大な大樹。

 そして、周囲に縦横無尽に振り回される、その触手。太さは人間が直立したよりもあり、また、その長さはゆうに数百メートルに達するであろう。

 

 その姿を見ただけで、誰もが絶望を顔に浮かべるであろう異様。

 だが、そんな怪物を前にアインズらは呑気に話していた。

 

「これがザイトルクワエとやらか」

「たしか、頭付近に薬草が生えてるといっておりました」

「頭付近……あれか? なにか(こぶ)みたいなでっぱりのところに苔のようなものが生えているな」

「せっかくですから、採取しておきましょうか?」

「うむ。そうだな。せっかくだから、採っておくか」

 

 魔樹にどれだけの知恵があるのかは分からないが、後ろの者達と異なり、自らを恐れる事もない様子の人間たちに苛立ったようだ。

 その触手の一本が大きくしなり、アインズめがけて振り下ろされる。

 

 

「〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 

 その瞬間、全てが動きを止めた。

 森の中を駆け巡る風。撒き散らされた木片。大地から吹き上がった土煙。

 周囲にいる蜥蜴人(リザードマン)達は、恐れ(おのの)いた表情のまま凍り付いている。

 そして、今まさにアインズの頭上に振り下ろされんとする魔樹の触手も。

 

「さて、アウラよ。こいつの力はどれほどのものだ?」

 

 止まった時の中で何事もないようにアインズは振り返り、声をかけた。

 

「はい、アインズ様。少々お待ちください。……三つ色違いですのでレベル80から85くらいだと思われます。特化しているのは体力で測定外です」

「そんなものか。目を引くのは体力が測定外という点くらいで、それくらいのレベルの奴なら、対監視の何かを持っていてもおかしくはないな。……どうした、シャルティア?」

 

 ソリュシャンの中から聞こえる微かなうめき声に、アインズは尋ねた。

 

「は、はい、アインズ様。その……動きにくいんでありんす」

「ん?」

 

 アインズは首をひねる。よく見ると、中の者達が姿勢を変えるたびにぶよぶよと(うごめ)いていたソリュシャンの身体が、ピクリともしようとしない。

 

「あー。もしかして、プレアデスって時間対策アイテム持ってないんじゃ……」

 

 ベルの声に視線を巡らせると、そこではシズも同様に凍り付いたように動きを止めている。まあ、シズの場合、普段が普段なのでイマイチ分かりづらいが。

 

「ふむ、なるほど。止まった時間の中ではダメージ等は受けない。そして、身体の内側から体形を変える程、力を加えて押す行為も攻撃の一種とみなされるため、柔らかいはずのソリュシャンの身体が姿を変えず、固く硬直しているという訳か」

「き、きついんでありんす」

「ちょっと、我慢しなさいよ」

 

 ソリュシャンの中から聞こえる声を耳に、自分の推測に得心がいったとうなづくアインズ。

 そこへ横からアルベドが声をかけた。

 

「アインズ様」

「なんだ、アルベド?」

「恐れ多くもアインズ様に対し、攻撃を仕掛けようなどと不敬の極みを行わんとする、この腐れ樹木ですが」

「そういう表現はとりあえずいいから、どうした?」

「触手が動いております」

「なに?」

 

 言われて見上げると、時間が止まっているはずなのに、今まさに叩きつけられんとする宙にある触手がブルブルと震えている。

 やがて、唐突に(さえぎ)るものが無くなったように、その巨大な枝が振り下ろされた。

 

 それを間に入ったアルベドが手にした盾ではじき返す。

 止まった時の中ではいかな攻撃もダメージを与えることは叶わないため、防がなくてもよいのだが、たとえ影響がなくても、あのような下賤な者の手が至高の御方に触れるのは許せなかったのだ。

 

「ほう。完全ではないが、時間対策は有しているようだな」

 

 感心したように言うアインズ。

 そうしている内に魔法の効果時間が切れ、止まった時が再び動き出す。 

 身を切るような静寂の世界から、音の奔流が連なる現実へと戻ってきた。

 

 身動きできるようになった蜥蜴人(リザードマン)達は、驚きに目を見張った。

 彼らからすれば、止まった時の中で振るわれ、そしてアルベドによって弾かれた一撃は己の認識の範囲外での事であり、魔樹の触手が自分たちの目にもとまらぬ速さで振るわれたと思ったのだ。

 

 魔樹が振るった触手を引き戻さんとする刹那、再びアインズが〈時間停止(タイム・ストップ)〉を使った。

 そして、再び作戦タイムである。

 

《それでベルさん。周囲の様子はどうですか?》

《周辺の(しもべ)たちからの報告では、異常なし。物理的に、そして魔法的にも監視している者はいないみたいですね。ニグレドの監視にも何も引っ掛かりません》

《何もなし、ですか?》

《はい。それ以外、この付近にいる他の者とかもまったく存在しません》

《……つまり、こいつはただ単にそれなりの強さを持つ奴だったという事ですか?》

《おそらくは。まあ、目覚めたのが偶然か、それとも誰かの何らかの意思によるものかは分かりませんがね。どっちにしろ、こいつに関しては、もう辿れるものもないみたいですね》

 

 それを聞かされ、とたんに興味も失せた。

 気をはっていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。

 要は、ただ単になんらかの理由で体力が多いだけのレベル85の怪物(モンスター)だったというだけらしい。

 

《じゃあ、さっさと倒してしまいましょうか》

 

 そう提案し、蜥蜴人(リザードマン)達の手前、どうやって派手目に倒そうかと思案していると、ベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

《あ、ちょっと待ってください。どうせですから……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「〈スマイト・フロスト・バーン〉! レイザーエッジ・羅刹!」

 

 コキュートスの放った一撃が、ザイトルクワエの触手を切り落とす。

 痛覚はあるのか、その巨体をよじる魔樹。

 その身めがけてコキュートスは銀の残光を(ひるがえ)し、一息に飛びかかった。

 

 アインズによってこの場に召喚された2足歩行の蟲人コキュートスの凄まじい戦いぶりに、見ている蜥蜴人(リザードマン)達は喚声(かんせい)をあげた。

 

 

 

 ザイトルクワエの始末をコキュートスを任せようというのはベルの提案である。

 

 コキュートスはこの地に来てからずっと、ナザリック防衛の任を担ってきた。

 もちろん、ナザリックそのものを守る事は最も重要であり、その役目は決して他に劣るものではない。

 だが、他の者達がナザリックの外に出て様々な成果を上げる中、コキュートスは目立った成果をあげてはいないのだ。これまでナザリックに侵入した者はなく、その剣がナザリックの為に振るわれることも無かった。侵入者がいないという事は良い事ではあるのだが、それでも、アインズらのお役に立ったという実感が欲しいと望んでいた。

 

 バーにやって来た時、そんな事を一人つぶやいていたと、偶々同じタイミングで同席していたらしいエクレアから聞いていたベルは、今回がいい機会だと思った。

 

 コキュートスの外見は非常に目立つため、下手にナザリック外で戦わせるわけにはいかない。どこに目があるか分かったものではない。それに、例の1500人からなるナザリック討伐隊の時にも姿を見られている。プレイヤーが見たならば、気づく可能性もある。

 だが、今この魔樹周辺には厳重なまでの監視体制が取られ、その様子を監視している者は確実にいない。

 今こそが、コキュートスを活躍させても大丈夫な万全の時であった。

 

 

 コキュートスには、あまり簡単にザイトルクワエに止めを刺さないよう言いふくめてある。

 ベルの目的は、あくまで現地勢の兵員の確保である。

 アインズに言ったのと同じく、蜥蜴人(リザードマン)達を支配するために、その強さを見せつける必要がある。

 その為、瞬殺ではなく、ある程度魅せる戦いがいい。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達の様子を(うかが)っていると、思惑通り、コキュートスの戦いは受けがいい。

 アインズの凄まじい魔法も崇敬を集めていたが、やはり蜥蜴人(リザードマン)達としては魔法よりも、肉体を使った白兵戦の方が好みのようだ。

 

 見ているうちにも、幾重にも振り払われる触手の猛攻をくぐり抜け、本体に攻撃を加えては、近づいたその身を捕捉される前にさっと退(しりぞ)く。

 そのたびに蜥蜴人(リザードマン)達から、感嘆の声が上がる。

 

 同じように、〈転移門(ゲート)〉での輸送以外にいまいち働く機会のないシャルティアは、アインズの御前で繰り広げられるコキュートスの戦い、その活躍ぶりを目の当たりにし悔しそうにしていたが。

 

「サテ、ソロソロ頃合イダロウカ」

 

 コキュートスはつぶやくと、自らの剣『斬神刀皇』を深く構える。

 

 皆の視線が一転に集まる中、高らかに声をはりあげた。

 

「スキル発動。〈アチャラナータ〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅剣!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 半球状の闇が〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落、その入り口に音もなく出現した。

 

 村の前に現れた謎の物体。しかし、それはかの偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が魔樹の下へと行く際に生み出したものと同等のものである事は一目で分かった。

 

 すぐさま村中に知らせが走り、集まった者達が見つめる先で、そこからあの仮面の魔術師が現れた。その後には、先に見た黒い鎧の人物や眼帯をした人間、そして、銀色に輝く巨体を持つ2足歩行する蟲のような者、奇妙に膨れ上がった体を持つ肥満女が出現する。

 

 やがて、それに続くように彼らの族長たちを始めとした、遠征に参加した戦士たちも姿を現した。 

 誰もが緊張に固唾をのむ中、居合わす者達に対し、シャースーリューが高らかに宣言した。

 

 『世界を滅ぼす魔樹は退治された』、と。

 

 その場が歓声に包まれた。

 

 

 

 帰ってきた戦士たちを囲み、どんな戦いをしたのか問い、そして彼らが生きて戻ってきたことを喜ぶ蜥蜴人(リザードマン)達。

 

 その様子をアインズらは少し離れた所で見ていた。

 

《まあ、今回の件ですが、こんな感じで良かったですかね》

《ええ。当初の目的の一つであった、現地勢の兵員確保は達せそうです。彼らの間ではコキュートスはもはや神格化されていますから、コキュートスの命令ならば何でも聞くでしょう》

《これからどのようにするんです?》

《ええ、コキュートスを前に出して、蜥蜴人(リザードマン)達の政治に介入しましょう。まあ、あまり複雑な政治体系はないでしょうしね。強者を重んじる性格みたいですから、より強い戦士を育成するとか言えば、人手は借りられるでしょう》

《実際に戦士として鍛えるんですか?》

《ええ。ナザリックにあるレベリングアイテムを貸し出したり、条件によってはクラスチェンジアイテムを試してみてもいいでしょう。下手な相手で実験してみるわけにもいきませんし》

《レベリングアイテムですか……。彼らって、鍛え続ければ私たちのようにレベル100に達するのでしょうか?》

《それも調査研究の対象ですよ。もし、それが可能ならば、それに対するなんらかの手筈(てはず)なりを考えなければなりませんね》

《ふむ。なるほど。そういった情報はいち早く調べなければなりませんね》

《ええ。もし、仮にこの地にプレイヤーがいたとした場合、一体いつからいて、どんな情報までを掴んでいるかがとても重要になります。とにかく、この世界はゲームの仕様が通用するとかいう訳の分からない世界ですし》

《こちらが知らない世界法則を、向こうが先んじて知った上でなんらかの形でこちらに対して使用するとかいう事態になると、思わぬ窮地に陥る可能性もあるということですか》

《そういう事です》

 

 そうして、ふとアイテムボックスに手を入れる。

 取り出したのは先程コキュートスが切り取った魔樹の(こぶ)状の突起。そこに生える苔を眺めた。

 

《これって、本当に万病に効くんですかね?》

《さあ? この世界の人間、あくまで低レベルキャラ基準ですから、なんとも。効果は限定的な可能性もあります。帰ったら、誰かに鑑定させてみましょう》

《そうですね》

 

 視線をあげると、まだ蜥蜴人(リザードマン)達はその生還を祝い、盛り上がっている。

 

「とりあえずは、今のところ、これ以上ここですることもないか。コキュートスを遣わせるのは、日を置いてからでいいだろうしな」

「ヌ? 何カ私ニ新タナオ役目ヲ?」

 

 問うコキュートスに、先ほど〈伝言(メッセージ)〉で相談した蜥蜴人(リザードマン)の支配計画を語る。

 その説明に、コキュートスはわずかに狼狽し身を揺らせた。

 

「ム……。無論、コノコキュートス、ナザリックノ為デシタラドノヨウナ任モ受ケルツモリデハアリマスガ、討伐ナドデハナク支配、統治トナルト私ニハ少々難シイカト……」

「なに。心配することは無い。お前には象徴として前に出てもらうだけだ。先の戦いで蜥蜴人(リザードマン)達の崇敬を集めていたからな。逆らおうとする者はおるまい。それに、細かなことはナザリック内の、誰かそういう事が得意な者をつけるつもりだ」

 

 アインズの言葉に、いまだ困惑した様子を見せていたものの、やがて「ゴ命令ノママニ」と膝をついた。

 その様子にうむとうなづいた後、そう言えばとベルに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

《そう言えば、プレイヤーとか強者の情報は手に入りませんでしたね。それと、結局、あの人間の死体は何だったんでしょうね?》

《うーん。現状では分かりませんね。ですが、例の素性が消されていた件から考えるに、なんらかの組織が秘密裏に何かをしようとしていたといったところでしょうかね》

《何らかの組織、そして謎の理由ですか》

《ええ、とにかく言えることは、情報が少なすぎて今のところは何とも言えないってことですね》

《これからも調査や警戒は必要って事ですね》

《はい。面倒ですがね。一応、これから何かあるかもしれませんから、ザイトルクワエがいた辺りには少しだけ監視は残しておきましょう》

《まあ、そんなところですかね》

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、自分に視線を向けている周囲の者達に目をやった。

 

「さて、帰るとするか。我らのナザリックへ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 ややその身を細めた月が、わずかなさざ波を立てる湖の上に浮かんでいる。

 集落の至るところには篝火(かがりび)が焚かれ、その炎に赤く照らされた蜥蜴人(リザードマン)達が陽気な声をあげていた。

 

 広場の中央には、この湖に住まう蜥蜴人(リザードマン)達に伝わる四秘宝の一つ『酒の大壺』がどんと置かれており、そこから幾人もの蜥蜴人(リザードマン)達が入れ代わり立ち代わり、手にした椀で酒を汲み出している。

 

 彼らの酒の肴は、今日の魔樹討伐での出来事。

 いまだかつて誰も体験したことがないような、今でもわが目を疑うような光景を遠征に参加した者達は語った。

 

 雄牛のような巨大な虎の群れとの死闘。

 偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法によって、あの『落とし子』十数体が瞬く間に壊滅した様子。

 そして、魔樹とコキュートスという蟲人の戦い。

 

 かつて、世界を滅ぼすとまで言われた魔樹は、圧倒的な強さを誇るコキュートスの剣技の前に、再生不可能なほど切り刻まれ、その欠片一つに至るまで凍りつかされた。

 もう二度と、かの怪物が近隣を脅かすことはあるまい。

 

 そのことが語られると、聞いていた聴衆たちは歓喜の声をあげた。

 

 

 

 ゼンベルは、がばとその椀に注がれた酒を飲み干す。

 

「おう、それでよ。その虎がシャースーリューの方を向いた瞬間を、俺は見逃さなかった。その一瞬の隙をついて、虎の身体に貫手を叩きこみ、その心臓を抉り出したんだ」

 

 「おお」と聞いていた者達が声をあげる。

 すでに酒宴は三々五々、小さな集団ごとに分かれて酒を飲みながら思い思いに語り合う場となっていた。

 

 この場にいるのは蜥蜴人(リザードマン)達のみ。アインズら及びリュラリュースらはいない。

 あの後、アインズらはその魔法を使い、どこかにあるという自分たちの拠点に帰っていった。

 リュラリュース達もまた、自分たちのねぐらへと旅立った。本来、リュラリュースらは同盟の締結におもむいたのであり、そのまま魔樹討伐まで行くなどということは考えてもいなかった。その為、すぐにでも仲間の下へ取って返し、魔樹の脅威が去ったことを伝えたいと言い、この場を後にしたのだ。

 

 そうして、ゼンベルが再び酒を汲みに行くと、シャースーリューもまた壺のところへとやって来た。

 

「おお、ゼンベルよ。飲んでいるか?」

「ああ、たっぷりとな。……お前の方は少し飲み過ぎじゃないのか? 足元がよろめいてるぞ」

「なに、多少は魔法で何とかなる」

「おいおい。そんなことに魔法を使うのかよ。まあ、こんな時だから、たっぷりと飲みたいって気分は分かるがよ」

「うむ。警戒は必要だが、心身ともに休む時には休まねばな。それより、俺の弟……ザリュースを知らんか? あいつめ、酒を汲んでくると言ったまま、戻ってこんのだ」

「ん。……あー、なるほどな。まあ、それについちゃ、詮索はしねぇ方が良いな」

「なんだ? 知っているのか?」

「まあ、いいじゃねえか。向こうで呑もうぜ。部族間の戦争の時に活躍したっていう、お前の話も聞いてみてぇ」

「おう。いいとも。まあ、長い話だ。酒が無くては始まらん」

 

 そう言うと、大壺から酒を汲み、2人は肩を組んで歩いていった。

 

 

 

 そんな盛り上がっている宴席から離れたところ。

 喧騒の音も遠く、静謐な空気がそこには漂っていた。

 

 黄色い月は湖の真上。風に揺れる水面にキラキラとその光を反射させている。

 

 そんな光景をザリュースとクルシュは2人で眺めていた。

 

 二人とも言葉はない。

 ただ、互いがそこにいるだけで満ち足りた気分になる。

 

 どれくらいそうしていただろうか、やがてザリュースが口を開いた。

 

「俺は恋など出来ぬと思っていたよ。旅人となり、世界を知った身として、はたして普通に生きる蜥蜴人(リザードマン)のメスと(つがい)となって、相手を幸せにできるのかという考えが常に頭の先にあってな。だが……」

 

 そして隣に腰掛ける、かつてザリュース自身がアゼルリシア山脈に積もる雪と例えた白い身体を持つ蜥蜴人(リザードマン)、クルシュに目をやった。

 

「だが、お前を見たとき、そんな考えなど吹き飛んでしまった。ただ、俺の頭の中はこのメスと添い遂げたいという事で一杯になってしまったのだ」

 

 それを聞いたクルシュは優しく微笑んだ。

 

「ええ。私も誰かと(つがい)になる事など考えられなかったわ。このアルビノの身。陽光の下を自由に歩くこともかなわないこの身体を見て、私に求愛する者などいるとは思えなかった」

 

 その笑顔は、旅人として各地を回り、普通の蜥蜴人(リザードマン)なら見ることもかなわなかったような光景を多く目にしてきたザリュースにして、今まで見たものの中で最も美しかった。

 

 今回の騒乱で多くの被害が出た。

 〈小さい牙(スモール・ファング)〉は部族を形作れず、〈緑爪(グリーン・クロー)〉に吸収される形になった。その〈緑爪(グリーン・クロー)〉もまた多くの被害を出し、そしてザリュースにとって家族といってもいいほどの存在であったロロロを失った。

 

 皆の負った傷は深い。

 だが、命ある限り、その営みは続いていく。

 家族や仲間を失った悲しみは時とともに癒え、やがて新たな家族や仲間を手に入れた喜びを手にすることだろう。

 

「クルシュ。俺はここに誓おう。おれはこの命ある限り、お前を、そして蜥蜴人(リザードマン)達を守ると」

「ええ。ザリュース。その時は私も隣に」

 

 いつしか腰かける2人の尻尾が絡み合っていった。

 

 今、このとき、誰も2人を邪魔する者はいない。

 ゼンベルには絶対に近づくなと、きつく言い含めてある。

 

 やがて、月明かりに照らされる中、二つの影が一つになった。

 

 

 

 

 天まで届けとばかりに燃え盛る篝火の明かりの下、蜥蜴人(リザードマン)達の饗宴の声がトブの大森林にいつ果てるともなくこだましていた。

 

 

 

 だが、彼らは気がついていなかった。

 

 

 こうして酒を酌み交わし、勝利と安寧を祝い騒ぐ、その姿。

 

 それを、今、この瞬間も――見ている存在がいることを。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 ――自分たちの命運が明日の日の出を待たずに尽きることを。

 

 

 

 

 

 

 



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第35話 推理~そして、結末

2016/5/20 〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の最初の「〈」が無い箇所がありましたので訂正しました
2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました
 文末に「。」がついていないところがあったのでつけました
2017/5/18 「沸いて来た」→「湧いてきた」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「行った」→「いった」、「来た」→「きた」 訂正しました


「はぁ? あの蜥蜴人(リザードマン)達が滅ぼされたぁっ!?」

 

 予想だにしなかった報告。

 

 幸い、この場が自分とベル、2人しかいない執務室であったから良かったものの、ナザリックの支配者としての演技も忘れ、思わずアインズは驚愕の叫びをあげてしまった。

 

 アインズが驚くことは予想の範疇(はんちゅう)だったベルは動じることなく、机の上で指を組んだまま、話をつづけた。

 

「はい。昨夜……まあ、数時間前ですね。今、ちょうど外では夜が明けたところですから。あの蜥蜴人(リザードマン)の集落は襲撃を受け、壊滅しました」

 

「……それで、生存者は?」

(ゼロ)です。戦闘員、非戦闘員の区別なく。生き残った者はいません」

 

 その言葉に、アインズはやたらと広い肩を落とした。

 

「そう……ですか。あの蜥蜴人(リザードマン)達に関しては色々と計画を立てていたのですがね」

「まったくです。惜しかったですね。戦力の増強、レベリング実験、クラスチェンジ実験等、試してみたいことは山ほどあったんですが……」

 

 ベルはそう語る。

 そもそも、蜥蜴人(リザードマン)を使った様々な実験や研究などは、ベルが言い出したことなのだ。今回の蜥蜴人(リザードマン)壊滅という有益な研究材料の喪失という事態においては、ベルが最も落胆している事だろう。

 

 だが――。

 

「まあ、仕方ないですね」

 

 ――と、明るく言った。

 

 その様子に、無理をしているのだろうと、アインズはかえって悲しく思った。

 悲嘆の姿を、友であるアインズにすら見せずに気丈に振る舞うその(さま)

 その心中を思うと、そんな結果を作り出した何者かに対する怒りが、ふつふつとその胸に湧いてきた。

 

「それでベルさん。その蜥蜴人(リザードマン)の村を滅ぼしたのは、どこの手の者なんですか?」

 

 眼窩(がんか)の奥に暗いものを宿して問いかける。

 だが、それに対するベルの答えは、淡々としたものだった。

 

「さて、なんとも。生存者も残さないように、とにかく徹底的にやったようだという事だけしか」

 

 おや? と、アインズは思った。

 まだ、調べている最中なのだろうか?

 

「ん? 手掛かりとかはなかったんですか?」

   

 胸に浮かんだ当然の疑問。

 それを尋ねてみたのだが、それに対するベルからの答えは――。

 

「いえ、とにかく我々の目的を達するには蜥蜴人(リザードマン)達が必要でした。そして、それが今、いなくなってしまいました。もういない以上、捜査にかける時間や手間は無駄でしかありません。調べる必要もないでしょう。それに不幸中の幸いといっては何ですが、リュラリュースらが蜥蜴人(リザードマン)の集落を離れた後でしたから、そっちで代わりにはなりますしね」

 

 ――と、いうものだった。

 

 

 はてな、とアインズは首をひねる。 

 なぜ、ベルはそんなに簡単に犯人捜しをあきらめたのだろうか?

 

 ベルからの話によると、襲撃はほんの数時間前。

 ならば、今からでも調査すればよいではないか? 探せば、必ず手掛かりはあるはず。

 

 確かに、犯人を見つけたからといって、蜥蜴人(リザードマン)達は帰ってこない。 

 帰ってこないのではあるのだが……。

 ……かと言って、これを放置しておく理由にはならない。

 仮にそのままにしておいた場合、第2、第3の事件が起きる可能性がある。この後も同じようにナザリックの支配権を広げたときに、ナザリックへ恭順の意を示した者達が同様に壊滅させられる恐れがあるのだ。それこそ、今、ベルが言ったリュラリュースの方が、次に狙われる可能性もある。

 そうならない為にも、対策を講じる必要があるではないか。

 

 犯人を捜し、それを叩きつぶす。

 

 それがどう考えても最善の手であり、先々を見通したうえでの転ばぬ先の杖だろう。

 それなのに、それをしようとしない? ギルメンの中でも慎重派に分類されていたベルが?

 いや、慎重派だからだろうか? 敵を叩くことを躊躇しているという事なのか?

 

 ……敵を叩く……。

 

 ふむ。

 今、自分は敵を見つけたら叩き潰すと考えていた。この世界の者の力量的には、未だ強者に関して調査中とはいえ、ナザリックの戦力を持ちえれば、それは十分に可能だろう。およそ、この地の者達は、ナザリック勢と比べれば圧倒的に低レベルの者達ばかりだ。

 

 先のエクレアの件により、この世界にも警戒しなければならない者がいることは分かった。

 なるほど、注意は必要だろう。

 だが、それはあくまで注意である。言うなれば毒のある虫の対する注意のようなものだ。

 毒の一刺しには警戒は必要でも、こちらに対する本質的な脅威にはなりえない。

 

 現段階においてアインズとベル、2人で話し合った結果の現状認識はそうだった。 

 その上で、警戒しつつもわざと隙を見せて相手をおびき出し、姿を現したところを叩き潰すというのが基本方針だったはずだ。

 

 しかし――。

 

 しかし、相手がそう簡単に叩き潰せない存在だったとしたら、どうなるだろう?

 

 そう、こちらが容易には勝てないほどの相手。

 下手に手出しをするのが拙い相手だとしたら、手を出すこと自体を控えるだろう。

 

 今回の件に関するベルの奇妙な態度は、犯人が容易には手を出してはいけない相手だと分かっているから?

 そうなのか?

 

「ベルさん。……この件について、これ以上調べないつもりですか?」

「え? ……ええ。もう過ぎてしまったことですからね。こぼれたミルクを嘆いても無駄です。終わりでいいでしょう。それより、帝国の事なんですがね……」

 

 やはり。

 ベルは蜥蜴人(リザードマン)の集落を襲った者について、深入りするのを避けている。

 

 おそらく、ベルはもう犯人に繋がる、なんらかの証拠や手がかりとなるものを掴んでいるのだろう。

 犯人について、ベルはすでに確信を得ている。

 

 だが、ベルは確信を得たうえで、その犯人とアインズを接触させたくないと望んでいる?

 アインズに事の真相を伝えまいと考えている?

 

 どうしてだ?

 向こうが強者だから?

 いや、どうやらそれはないだろう。

 もし強者の影があるならば、容易に手を出せない相手ならば、なおさら急いで対策を練らねばならない。アインズに秘密にしておく理由がない。

 

 

 何か別の理由から秘密にしている?

 

 いったい、自分に真相を明かそうとしない理由とは、犯人との接触を阻もうとする理由とはなんだろう?

 

 

 自分の名が向こうに知られると拙いのだろうか?

 いや、そうだとしても、自分に秘密にする理由にならない。

 そもそも、この地においてアインズ・ウール・ゴウンの名を前に出して行動したことはほとんどない。カルネ村と、今回滅んだ蜥蜴人(リザードマン)達の件くらいか。

 アインズ・ウール・ゴウンの名前が出る事への警戒は除外して考えてよさそうだ。

 

 同様に、アインズがアンデッドであることが知られると拙い相手というのも除外していいだろう。

 確かに仮に接触するにしても、アンデッドの姿を持つ自分が出ていっては交渉すらままならない事は理解できる。

 この地においては、アンデッドは生者を憎み敵対する存在であって、友好や共存を望めるような存在ではない。その点、外見は人間のベルならば、その見た目が子供とはいえ折衝は出来るだろう。

 だがそうだとしても、先のものと同じく、自分に秘密にする理由がないのだ。

 

 

 

 では逆に向こうに知られるのが拙いのではなく、自分、アインズが知ると拙い相手という可能性はどうだろう?

 

 

 落ち着いて一つ一つ考えてみる。

 

 まずはアインズがその者と接触した時に、冷静ではいられないような相手。

 

 考えられるのは、アインズが大切に思っているナザリックの者に傷をつけた存在。

 エクレアを洗脳した法国の人間、それとアウラ、マーレと戦ったツアーという者か?

 そいつらと相対(あいたい)したらと考えると、あくまで戦っただけのツアーはともかく、法国の者達を目の前にしたら、確かに冷静でいられる自信はない。向こうの言葉や対応次第では激怒してしまうかもしれない。

 交渉の問答無用な決裂を避けるという意味では、ベルが現段階でアインズに知らせないということもあり得るか。

 

 

 

 次に考えられるのは、逆にアインズにとって親しい相手だったらという線だ。

 

 ナザリックとしての計画である蜥蜴人(リザードマン)の支配育成を邪魔したのが、この地においてすでに知己となった者達の仕業だったとしたのならば――。

 

 ――無理に真相を白日の下にさらさず、ベルだけの胸の内にとどめておこうと思うかもしれない。

 

 

 仮にそうだとした場合、考えられるのは……。

 

 ……冒険者か?

 人間世界では蜥蜴人(リザードマン)はゴブリンらと並ぶ亜人の一種と捉えられているとか聞いた。即座に討伐されるほど警戒されているかまでは情報を仕入れていないため分からないが、冒険者組合に蜥蜴人(リザードマン)討伐の依頼などがあってもおかしくはないだろう。

 しかし、エ・ランテルには冒険者はミスリル程度までしかいない。とりあえず見た感じ、ミスリル程度では、あの蜥蜴人(リザードマン)達を滅ぼすのは少々無理があるな。

 だが、どこか他の都市からやって来た高位冒険者という線も考えられるか。他地区からやって来た冒険者と、この付近に土地勘のあるエ・ランテルの冒険者が共同で当たったとか?

 アインズはエ・ランテルにおいてモモンと名乗り冒険者として活動している。当然ながら、街に顔見知りも多い。その中の誰かが関わっているのだろうか? もしくは、直接知っている『漆黒の剣』あたりがかかわっているのだろうか? それか、まだ、はっきりと知り合いかどうかは分からなくとも、犯人の冒険者がモモンと知り合いの可能性を考慮して、現段階では自分に秘密にしているとか?

 

 他にはカルネ村であったガゼフ・ストロノーフか?

 確か、彼は王国に仕える戦士長だったな。

 トブの大森林は王国に接しており、森の中から怪物(モンスター)が出てきて、近隣の村や街道を行き来する者を襲う事もあるという。

 国として森林内に潜む怪物(モンスター)の討伐に軍を送り出してもおかしくはない。

 そうなった時、彼が先頭に立ってもおかしくはないな。

 

 あとは……そうだな。カルネ村の人間たちという線もあるか?

 うーむ。しかし、これは考えにくいだろう。エンリにはゴブリンやオーガたちという配下はいるが、あいつらを使っても、蜥蜴人(リザードマン)の集落一つは無理だろう。さすがに戦力が違いすぎる。ンフィーレアという魔法詠唱者(マジック・キャスター)兼薬師が加わっても無理だな。

 ……いや、待て。カルネ村にはそれだけではなく、デスナイトのリュースや土木作業用に貸し出したストーンゴーレムらがいる。あいつらにも戦わせれば蜥蜴人(リザードマン)の集落を落とせるかもしれない。

 カルネ村での動きはナザリックに報告がくるはずだが、今回の件に関してアインズにベル、それに守護者ら一同は対ザイトルクワエ戦に注力し、そちらの対応に気をとられていた。その為、カルネ村からの報告が後回しにされ、それを後になって知ったベルが慌てて口止めしたとか?

 

 とりあえずは、考えられるのはそんなところか。

 

 

 

 他にも、可能性だけで言うなら、なんらかの周辺組織が関わっているとかも考えられるか。

 例えばトブの大森林には王国の他にも帝国も面しているし、エ・ランテルでの件で知ったズーラーノーンとかいう死霊術をメインとした怪しげな結社とかも。

 それらについてはあまり情報がないため、ベルが自分に秘密にする理由自体思いつかないが、逆に情報がないという事は、なんらかの理由がそこに存在し、その為に隠しているとしてもおかしくはない。

 あの森の中に転がっていた謎の死体と関連性があるのかも……?

 

 ……うーん。

 しかし、そこまで考え出すと、すべてが犯人の可能性があるな。それこそ、悪魔の証明に近い。

 

 

 もう一度、事態を整理してみよう。

 今、自分は、蜥蜴人(リザードマン)の集落を壊滅させた犯人についての情報を、ベルが自分に対し何故だか隠しているという憶測から犯人像を推察してきた。

 

 では角度を変えて、蜥蜴人(リザードマン)の集落の壊滅という点から考えてみよう。

 

 

 ふむ。

 まずは戦力だな。

 あの蜥蜴人(リザードマン)達は、およそ族長クラスでレベル20前後、それ以外の者達にいたっては戦士階級の者達でも10程度しかない。しかし、ナザリック基準で言えば本当に雑魚でしかないのだが、これまで見てきた現地の者の力量から考えると中々のものだ。

 それに、それなりに数もいる。『落とし子』の襲撃による被害を受けていたとはいえ、戦える者だけでも4桁に迫ろうかという程はいたはずだ。

 それら全てを壊滅させるのは容易ではない。よっぽどの戦力差があったという事が考えられる。

 完全に包囲殲滅するだけの軍勢としての戦力を保有しているか、もしくは単体ならおよそ70~80レベルくらいはある存在でもなければ無理だろう。

 

 次に場所だ。

 蜥蜴人(リザードマン)の集落はトブの大森林の奥にある湖に面していた。

 トブの大森林自体、人間が足を踏み入れるところではない。せいぜい、外周部付近で狩りをしたり、薬草をとる程度だ。およそ、森林内を移動するだけでも容易なことではない。

 そんな森の奥深くにある村。

 ザリュースの話では、他種族の者が集落を訪れること自体めったに、というか、まず無い事なのだとか。

 そんな存在自体がほとんど知られていない集落を襲う相手とは?

 

 それに襲撃されたのは昨晩の事だという。

 自分たちナザリックの者達が蜥蜴人(リザードマン)の集落を訪れたのは昨日の事。たしか昼頃に自分、アインズとシズがザリュースと共に初めて訪れ、ちょうどその場にいた『落とし子』達を退治した。そしてザイトルクワエ討伐におもむき、それが終わって集落に戻ってきたのが夕刻頃。

 アインズ本人は対監視の攻性防壁を保有しており、また一緒にいたアルベドを始めとした守護者たちならば、魔法以外の方法で監視している存在がいたら気づくことが出来るだろう。そして、アインズらがザイトルクワエ討伐におもむき不在だった間は、たしかベルが湖の対岸にイグヴァらを配置して、周辺の監視をさせていたはずだ。

 それらの事から考えると襲撃犯がその近辺に現れたのは、アインズらがザイトルクワエ戦終了後、蜥蜴人(リザードマン)達を集落に送りとどけ、そしてナザリックに帰った夕刻以降という事になる。

 ベルの話によると壊滅は数時間前という事だから、およそ9時間程度の空白期間がある。

 偶然か? それとも、なんらかの手段、手管(てくだ)でナザリックの者という強者が去るのを待ってから行動したのか?

 

 そして、最大の疑問。

 なぜ蜥蜴人(リザードマン)の集落を襲ったのかである。

 その真意までは、今判別することは出来ないが、少なくとも、明確に殲滅を狙ってのことと考えて間違いはない。偶発的な発見、遭遇から戦闘にいたったとは思えない。

 そう考えた理由は、蜥蜴人(リザードマン)達の生存者がいないことからである。

 ベルは襲撃状況について、生存者0といっていた。

 普通、戦闘で相手を打ち負かしても、必ず敗残兵は出るものだ。それに非戦闘員の者達は戦士たちが敗北したのを知ったら逃げ出すだろう。湿地にある集落の周囲は森である。いかに蜥蜴人(リザードマン)が陸上に慣れていないとはいえ、森の中に逃げ込んだ者達を狩りたてるのは容易なことではない。

 それなのに、生き残りが一人もいないという事は、最初から逃走経路を潰したうえでの襲撃とみるのが妥当だ。

 

 

 ふむ。

 これらの事から、つまり犯人は――。

 

1.蜥蜴人(リザードマン)を完全に滅ぼせるほどの強力な戦力を持っている。

2.ほとんどの者が知りえない蜥蜴人(リザードマン)の集落の場所を知っていた。

3.ナザリックの者がその地を去ってから、攻撃を開始した。偶然か狙ってかは分からないが、もし故意だったものだった場合、ナザリックの戦力を知っていた可能性が大きい。

4.蜥蜴人(リザードマン)の殲滅を目的として戦闘を行った。

 そして――

5.おそらく誰が犯人か確信を抱いているベルが、アインズには言いたくないような相手である。

 

 

 ――これらの条件を満たす存在という事になる。

 

 

 ……む……?

 これらの条件を並べ考えてみると、何か脳裏に引っ掛かるものを感じた。

 古い言い方を使うなら、魚の骨がのどに引っ掛かったとでもいうような、何か言葉にならないような感覚。

 自分の記憶の奥底に漂う何かに、犯人につながるヒントとなるものがあるのだろうか?

 

 今までの記憶を思い返してみる。

 この世界に転移してからの事を。

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でカルネ村が襲われているのを見て、助けにいった事。

 その後、やって来たガゼフらとともに、法国の陽光聖典とかいう奴らを倒した事。

 エ・ランテルで冒険者となり、ンフィーレアや『漆黒の剣』と薬草取りに出かけた事。

 その後、戻ったエ・ランテルでのアンデッド騒ぎを解決した事。

 アウラとマーレを野盗狩りに出したら、法国の漆黒聖典やツアーという人物と戦闘になり、エクレアが謎の攻撃で洗脳された事。

 そして、助けを求めに来たザリュースの頼みを聞き、蜥蜴人(リザードマン)を助け、ザイトルクワエを倒した事。

 

 

 ……ん?

 待てよ。

 そう言えば……。

 

 アインズは思い起こす。

 今、脳裏に浮かんだものを。

 

 ――あの時の記憶を。

 

 ……そう。

 …………そうだ。

 確かにそうだ!

 あいつならば――先にあげた5つの条件全てを満たすじゃないか。

 

 アインズはその仮定をもとに、すべての事象を頭の中で組み立て考えてみる。

 すると、全てのピースがこれ以上ないほどにかっきりと合った。

 考えれば考える程、正にそうとしか思えない。

 

 その事はアインズの心の内で、疑念からはっきり確信へと変わった。

 

「ベルさん」

 

 アインズは目の前に座る少女に声をかける。

 ベルは何だろうと目線をあげ、続く言葉を待った。

 

 ナザリックの支配者にふさわしいといえる豪奢な造りの椅子に座り直し、およそこの世の物ではない素材でできた黒い机の上で指を組み、アインズは言った。

 

「ベルさん。今回の蜥蜴人(リザードマン)の集落襲撃の件なんですがね」

 

 その言葉に、ベルは困惑の顔を向けた。

 

「いや、アインズさん。その事はもういいじゃないですか」

 

 ああ、確かにその通りだ。

 すでに過ぎた事。

 今更、言っても蜥蜴人(リザードマン)が滅んだという結果は変わらないのだ。

 今、こうして事実をはっきりさせることは、ただの自己満足にすぎないかもしれない。

 

 だが、それでもはっきりさせておきたかった。

 今回の結末、悲劇を引き起こした者について。

 アインズは知っておかなければならないのだ。

 このような悲劇を繰り返さないためにも。

 

 そのためにアインズは、一足早く、事の真相にすでに行き当たっているであろうベルに確認の言葉をかける。

 

 

「ベルさん、今回の事ですが……」

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「ベルさん、今回の事ですが……」

 

 

 

 アインズは居住まいを正し、ベルを正面から見た。

 そして、口に出す事に躊躇(ためら)いを憶えながらも――それでも言葉を紡いだ。

 

 

「ベルさん、たしか……蜥蜴人(リザードマン)の集落対岸にイグヴァらを待機させておいて、自分からの定期連絡が途絶えたら、口封じのために蜥蜴人(リザードマン)達を滅ぼすよう命令していましたよね? ……ちゃんと、撤収指示出しました?」

 

「……」

 

「……」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………………………………………」

 

「………………………………………………」

 

「………………………………………………………………………………………………てへぺろ」

 

「やっぱりですか」

 

 アインズは呆れたような声を出した。

 

「いやー、ついうっかり」

 

 ベルは誤魔化すように笑いながら、頭を掻いた。

 

「ザイトルクワエのところに行く時に俺たちの周りにいた連中には、ザイトルクワエを倒した後、あの辺りの監視を一部の者に命じて、残りはナザリックに戻したんですがね。蜥蜴人(リザードマン)の集落の方、イグヴァにそんな命令出してたの……というか、イグヴァの事自体、すっかり忘れてました」

 

 

 そう。

 そうなのだ。

 このザイトルクワエ騒動が罠だったときのことを考え、ベルが念のため蜥蜴人(リザードマン)の集落を滅ぼせるよう配置しておいたイグヴァ達。

 彼らなら、条件にすべて合致するのだ。

 

 1つ目、蜥蜴人(リザードマン)を滅ぼせる戦力。

 最初から、万が一の際に蜥蜴人(リザードマン)を滅ぼすことを前提にしているため、それをこなすのに十分な戦力が用意されている。

 

 2つ目、蜥蜴人(リザードマン)の集落の場所を知っている。

 ザリュースに案内されて集落に来たアインズらの情報をもとに配備したのだから当然だ。

 

 3つ目、ナザリックの者達がその場を去ってから行動を開始した。

 これはザイトルクワエ戦の後、アインズらがすぐに蜥蜴人(リザードマン)の集落に戻り、そしてまたすぐにナザリックに帰ったためだろう。その後、今回の一件はすべて終わったと思ったベルが連絡するのを忘れていたため、定期連絡なしとして行動を開始したという事だ。

 

 4つ目、最初から殲滅を目的として戦闘を行った。

 イグヴァらの任務は万が一の際の口封じ。最初から生存者を一切出さないように準備、計画されていたのだから。

 

 そして、最後の5つ目、ベルが犯人の事をアインズに知らせたくなかった理由。

 自分の命令で部隊を配備しておいたのに、そのことをすっかり忘れていて、それで蜥蜴人(リザードマン)壊滅なんてことになったんだから、そりゃ言いたくないわな。

 

 

「湿地とか森の中とか移動しましたから、なんだか湿気でべたべたしているような気分がしまして。ナザリックに帰ってきてから、風呂に入って、着替えをして、ようやくさっぱりした気分になって、ソファーでゴロゴロしながらジャーキー齧ってたらですね。急に〈伝言(メッセージ)〉が届いたんですよ。それもイグヴァから。なんだろうと思って受けたら《蜥蜴人(リザードマン)の集落殲滅を完了しました》とかいうんですよ。もう、びっくりしちゃいました」

「びっくりしたのはこっちですよ。一体何が起こったのかと思ったじゃないですか」

「待ってください! イグヴァを責めないでやってください。あいつはちゃんと指示を守っただけなんです!」

「そんなの分かってますよ。悪いの全部、ベルさんでしょ」

「いやぁ、すみません」

「まあ、過ぎた事ですし、もう仕方ないですけどね」

 

 「やれやれ」と、胸のつかえが下りたとばかりに安堵の息を吐き、アインズは椅子の背もたれ深くに身を預ける。

 ベルは机の上に置かれた菓子皿から、かりんとうを一つ手にとり、がじがじと噛み砕いた。

 

「それで、これからどうしましょうか? 蜥蜴人(リザードマン)達を配下として従えるってのは駄目になりましたし」

「その現地の配下に関しては、さっきも言った通り、リュラリュースらで代用できるでしょう。いっそ、ザイトルクワエもいなくなったことですし、あいつにトブの大森林を支配させましょうか?」

「それは良いですね。そうすれば実験材料には事欠かないでしょうし」

「それと蜥蜴人(リザードマン)の死体ですが、大量にありますからアンデッドの材料にしましょう。もうエ・ランテルで集めたの無くなってましたよね」

「ええ、そうです。確かにもう在庫切れ状態でした。……そう言えば、人間の死体だと〈アンデッド作成〉を使っても中位アンデッドの弱い奴までしか作れかったんですよねぇ。人間じゃなくて蜥蜴人(リザードマン)なら、もっと強いのを作れるかも」

「ふむ、その可能性はありますね。せっかくですから、有効活用しましょう。MOTTAINAIの精神ですよ」

 

 そこまで行ったところで、「ん?」とベルは何かを思いついたように視線を虚空に向けた。口の中いっぱいに放り込んでいた物をごくりと飲み込む。

 どうしたんだろうと見つめるアインズに、ベルは食べ差しのかりんとうをくるくると回し言った。

 

「そうだ。たしか蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)ってありましたよね。せっかくの機会ですし、蘇生魔法の実験とかしてみません?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 重い瞼を開くと、光が飛び込んできた。

 目を刺すようなという形容がぴったりとくるような、痛みすら感じさせる光。

 その刺激に耐えて目を見開くと、ゆっくりとその目が眩しさに慣れていった。

 

 そして、初めてそこが室内であることに気がついた。

 木製ながら蜥蜴人(リザードマン)の集落にあるのとは違う、しっかりとした造りの建物。

 かすかにカルネ村で見た人間の家を思い起こさせたが、これはあの村のものとは比ぶベくもない程の立派でしっかりとした造りだ。

 

 ザリュースは鉛が詰まったような体を動かす。まるで二日酔いにも似た、だが、今まで経験したことのないような強烈なだるさ(・・・)が身体を襲う。

 

 天井付近の光源からは陽光とも違った白い光。森の人のところで見たことがある魔法の光が、辺りを包み込んでいた。

 

 そこに一人の人物がいた。

 漆黒のローブに身を包み、泣いているような奇妙な仮面をつけた人物。

 ()の偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)。アインズ・ウール・ゴウン、その人であった。

 

 その御仁は、なにか奇妙な短杖(ワンド)を床に仰向けに伏していたザリュースの胸元に向けていた。

 

「こ、こ()は」

 

 声を出そうにも、なにやら上手く舌が回らない。

 ザリュースは身体にのしかかる重石を押しのけるかのように力を込めて、その半身を起こした。

 

「気がついたか」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が声をかける。その後ろには、あの眼帯の人間が控えていることに気がついた。

 

「ぁ……ぁー、あー、ゴホン。ご、ゴウン様? ここはどこなのですか?」

 

 何度か声を出し、咳ばらいをして、アインズに問いかける。

 それに対し、アインズは満足そうにうなづき、手の短杖(ワンド)をしまった。

 

「憶えていないのか? どこまで記憶がある?」

 

 その問い自体を不思議に思いながらも、(かすみ)がかる頭を振って、これまでの事を思い返す。

 

 その瞬間、ザリュースは思わず飛び起きようとして、力の入らぬその身は板張りの床の上に叩きつけられた。

 

「あ、あいつが……。あのアンデッドが……村を!」

 

 脳裏に浮かんできたのは、あの絶望。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 日は落ちたというのに、辺りは紅蓮の明かりで照らし出されていた。

 夜の闇を照らすのは家々の燃える炎。

 そして、嫌な臭いを発して燃え盛る蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 

 少し離れた湖岸から、集落に燃え盛る光を見たザリュースはクルシュと共に、急いで戻ってきた。

 

 そこで見た光景。

 『落とし子』の襲撃から守りきったはずの村は燃え、辺り一帯が阿鼻叫喚の声で埋め尽くされ、そして、虐殺された蜥蜴人(リザードマン)の死体がそこかしこに転がっていた。

 

 轟音が耳に響く。

 見ると、嫌らしい黄色い膿を思わせる光をその身に纏う(もや)に映す、骨だけの馬がその身体を震わせた。すると、怪しげな光が周囲に飛び散り、それに触れたものは建物だろうが蜥蜴人(リザードマン)だろうが、分け隔てなく細切れに吹き飛んだ。

 

 別に目を向けると、その巨体を薄汚れた包帯で包んだ怪人が、その身に突き刺さる(かぎ)から繋がる鎖を振り回し、逃げ惑う蜥蜴人(リザードマン)達をその鋭い先端で捕らえていく。

 

 その光景に呆然とする刹那――直感が走った。

 

 考えるより先に飛びのくと、つい先ほどまでザリュースがいた空間を、空を切り裂く電光が走り抜けた。

 その魔法が飛んできた先に目をやると、そこにいたのは骨に皮が張り付いたような生理的嫌悪感をもたらす身体を、豪華なローブで身を包んだ邪悪なアンデッド。

 死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)が立っていた。

 

 そのアンデッドは、眼窩の奥の光を揺らめかせながら告げた。

 

「ひ弱な者達よ。偉大なる御方に逆らわんとする愚昧(ぐまい)極まりない下等生物どもよ。このイグヴァが、至高なる御方に代わり、汝らに天誅を下さん」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 絶叫した。

 恐怖と絶望、そして怒りに。

 

 あのイグヴァと名乗る死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)を始めとしたアンデッド達により、村は滅ぼされ、村人は殺され、そして自分とクルシュもまた……。

 

「……っはぁ!」

 

 深く水の中を潜っていた後のように、一息に呼吸をした。咽喉が傷むほど、空気が急速に肺に出入りする。

 

 息を整えながら、自らの身体を見まわす。

 自分は死んだはずではないのか? なぜ、生きている?

 

 疑問に思うザリュースに、アインズは答えてやった。

 

「ザリュースよ。お前は一度、死んだのだ」

「な……!?」

「一度、死んで我が魔術の奥義によって生き返ったのだよ」

 

 驚いて、己が両掌を見つめる。そこに焼け焦げた痕などない。だるさ(・・・)はあるものの、体に痛みはなく、どこにも怪我の痕跡もない。

 

「ま、まさか……。一体、どうやって……。私の為に大儀式を行ったのですか?」

「いや、これくらい私一人の力で出来る事だとも」

 

 伝説でしか聞いたことのない、竜王(ドラゴンロード)の血を引く者でもなければ行えないという復活の儀式。それをこの偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、誰の力も借りずに行えるという事なのか。

 

 驚きのあまり、その仮面をぼうとみつめていたが、どうしても聞きたいことを思い出した。

 

「む、村はどうなったのですか?」

「壊滅した。私が異変に気づき、村を訪れたときにはすでに終わった後だった」

「……生き残ったものは……?」

「誰もいない」

 

 その答えに、ガンと鈍器で殴られたようにその身が震えた。

 

「ゴ、ゴウン様の、その偉大な魔法で、私のように皆を生き返らせることは出来ないのですか?」

「いや、止めておいた方が良いだろうな」

 

 アインズはその仮面に包まれた顔を振った。

 

「蘇生の魔法で復活するには対象者の生命力が重要になる。(よみがえ)る際に、身体からそれが失われるのだ。そして、それが(よみがえ)りに足るほど、その身に宿していなかった者は、己が肉体が魔法に耐えきれず、灰となって消え失せることになる。すでに蜥蜴人(リザードマン)達の族長にはこの魔法を使った。だが、その中には復活に耐えきれず、灰となった者もいる。おそらく部族の中でも上位にあたる族長ですら、そうなのだ。普通の者達では耐えきれまい」

 

 冷静に告げられたその答えはあまりにも残酷だった。

 湖の蜥蜴人(リザードマン)は滅んだ。

 そして、彼らを復活させることは出来ない。

 

 

 ザリュースはよろめく足で立ち上がり、崩れ落ちそうになる膝を必死で動かし、部屋の扉を開け、外へと転がり落ちた。

 

 ガッと固い大地にその身が落ちた。

 苦痛のうめきと共に顔をあげると、そこは〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落からほど近い、湖畔の空き地であった。

 そこにいつの間にやら建てられていた、木製の家屋からザリュースは飛び出したのであった。

 

 空は目も冴える様に青く、湖は普段通りのよそおいで、湖面にさざ波を浮かべていた。

 

 だが、ザリュースの視線の先にあるのは、そんな美しい景色ではない。

 

 死体。

 死体。

 死体。

 

 目の前に広がる土の上。それこそ見渡す限り、湖岸を埋め尽くすように蜥蜴人(リザードマン)の死体が並べられていた。

 

 年老いた蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 年若い蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 祭司らしき蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 鍛えられた戦士と(おぼ)しき蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 瑞々(みずみず)しい肉体を持つメスの蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 年端もいかない幼い蜥蜴人(リザードマン)の死体。

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 そこにはただ『死』があった。

 ただ、物言わぬ、身じろぎ一つせぬ、ただ土にかえるのを待つだけの『死』が。

 

「……あ……」

 

 ザリュースの咽喉が音を発する。

 

「……あああ……」

 

 その意思と切り離されたザリュースの咽喉が音を発する。

 

「…………ああああぁぁぁぁぁ!」

 

 その震える音はやがて絶叫となって、周囲にほとばしった。

 

 

 ザリュースの手には、腰に下げていた武器。蜥蜴人(リザードマン)に伝わる四至宝の一つ、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉が握られていた。

 その刃先を大地に叩きつける。

 幾度も。

 幾度も。

 

 

 

 誓った。

 守ると誓った。

 この湖の蜥蜴人(リザードマン)を。

 そして、愛したメス。クルシュを。

 誓ったのだ。

 それなのに……。

 それなのに……俺は……。

 俺は……。

 俺は何をした……?

 何が出来た?

 何も出来なかった。

 何も出来ず、皆がアンデッドの軍団に蹂躙されるのを止めることも出来なかった!

 なにが英雄だ!

 なにが〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主だ!

 英雄ならば部族の、蜥蜴人(リザードマン)の危機の時に立ち向かうものではないか!

 ……だが……俺は……。

 ただ、刈り取られる草のように……。

 ただ、屠殺される家畜のように……。

 圧倒的な力の前に、不条理に荒れ狂う運命に蹂躙される弱者のように、ただ為す術もなく殺されただけだった。

 こんな……。

 こんな時なのに……。

 全ての蜥蜴人(リザードマン)が死に絶えた。家族も、仲間も、守るべき者も、愛する者も、全て死に絶えたこんな時なのに!

 どうして、世界はいつもと変わらぬままなのだぁっ!!

 

 

 

 ザッ。

 地に叩きつけていた〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉が、地に深く刺さった。

 不意に持ち上げる力さえ失ったように、ザリュースの手がピクリとも動かなくなる。

 

 その場には、ただ風によって湖面が作る波の音だけがちゃぷちゃぷと響いていた。

 

 

 どれだけの時が経ったか、ザリュースは大地に突き立った〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を引き抜いた。

 濁った瞳が刃先を見つめる。

 

 そして、その能力を解放する。

 刀身に白い霜のようなものが(まと)わりつく。

 

 ゆっくりと〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を持ち上げ、その切っ先を己が胸に向ける。

 

 そして、力を込めて胸に突き立てようとした刹那――。

 

「ザリュース!」

 

 叫び声とともに、彼に抱きついてきた者がいる。

 

 かつて彼に山脈に残る雪のようと形容された白い肌をもつ蜥蜴人(リザードマン)

 クルシュ・ルール―であった。

 

 そのたおやかな腕をザリュースの身体に巻き付け、その手を必死に止めようとする。

 

 ザリュースとしては、死んだと思っていた彼女の出現に驚き戸惑うばかりであった。

 だが、少し冷静さを取り戻して考える。

 

 ゴウン様は言っていたではないか。

 『すでに蜥蜴人(リザードマン)達の族長にはこの魔法を使った』、と。

 

 クルシュは正確には族長ではないが、族長代理である。

 族長に準ずる立場と考えていい。

 あくまで〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の持ち主ではあるが、ただの旅人に過ぎない自分より先に蘇生を試みられてもおかしくはないではないか。

 

 ザリュースはまだ信じられない気持ちで、抱きつくクルシュの体温を感じていた。

 

「クルシュ……」

「ザリュース、……良かった……」

 

 二人は言葉もなく抱き合った。

 

「クルシュ……村が……」

「ええ、もう何も言わないで……今はじっとしていて」

「いや、駄目だ」

 

 ザリュースは立ち上がろうとした。

 

「すぐにでも行かなくては。そうだ、あいつを倒さなくては。あのイグヴァという死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)を滅ぼさなくては! 俺は何をしていたのだ? こんなことをしている場合ではない。あいつを野放しにしていたら、我らのように平穏な暮らしを望む誰かが、その(あぎと)に捕らえられるかもしれないではないか」

 

 だが、クルシュは首を振った。

 

「もう、いないわ」

「……なに?」

「もうあのイグヴァという死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)は、事態に気づいてやって来たゴウン様に滅ぼされたそうよ」

「……あ……」

 

 そんな……

 ……まさか、そんな……。

 仇を討つ事も出来ないのか?

 すでに果たすべき仇すら、この世にいないのか……?

 俺はゴウン様により、再び生を与えられた。

 だが、守るべき民もなく、倒すべき敵ももういない。

 俺は……。

 俺は何をすればいいのだ……?

 

 

 生きる目的を失い、力なく膝をつくザリュース。

 

「ザリュース。聞いて」

 

 そんな彼に向けて、クルシュは口を開いた。

 

「湖の蜥蜴人(リザードマン)。これはほぼ滅んだと言ってもいいわ」

 

 その冷徹な現実を告げる言葉に思わず身を震わせる。

 

「でもね、ザリュース。まだ完全に滅びたわけではないの。まだ私たちがいるわ。私たちは蜥蜴人(リザードマン)。私たちがいる限り、湖に生きた蜥蜴人(リザードマン)の物語は続いていく。私たちが負った傷は深いわ。でも、私たちはまだ生きている。生きている限り、蜥蜴人(リザードマン)の歴史は続いていくの。ザリュース、お願い。共に生きて。私と共に生きて。生を諦めずに、私と共に生きてちょうだい。この世界は残酷だわ。運命は隙あらば平穏に暮らすことを夢見る者に残酷な牙を突き立てる事だけを考えている。でも、そんな残酷な世界の中でも、それでも共に、私と共に行きましょう」

 

 肩に落ちる滴。

 クルシュの涙があたたかい。

 

 ザリュースは何も言わず、ただ彼女を抱きしめていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ザリュースは足を止め、振り返った。

 

 小高い丘の上からは、湖全てとは言わないが、自分が暮らしていた〈緑爪(グリーン・クロー)〉や先日までいた〈鋭き尻尾(レイザー・テール)〉の集落、いや集落跡地が見える。

 そこには、まだ破壊された跡が生々しく残っているが、数年も放っておけば、かつてそこに集落があったと知っている者でなければ分からぬ場所となるだろう。そして、二桁もの年数がたてば、そこはただの湖岸の湿地でしかなくなる。全ては大いなる自然の下へと帰ることだろう。

 

 立ち止まったザリュースを他の六つの目が見つめる。

 湖を離れる蜥蜴人(リザードマン)は総勢4人だけだ。

 彼と共に行くのは、クルシュ、ゼンベル、そして兄であるシャースーリューである。

 ゴウン様の魔法に耐えられる生命力を持つ蜥蜴人(リザードマン)は僅か4人しかいなかった。

 

 これからザリュースらが目指すのは、トブの大森林の果て。森の先にある異種族が手を取り合って暮らす場所、カルネ村である。

 彼らの身の振り方については、議論があった。リュラリュースらの許へ身を寄せるという案もあったが、森の中に慣れない蜥蜴人(リザードマン)がそちらの狩猟生活に加わるよりは、農耕を行い、そして戦力となる者を求めているカルネ村の方が良かろうと判断された。

 

 ザリュースの目には、傾きかけた太陽に照らされるひょうたん型の湖が映る。

 

 今、ここにいる人数だけでは種族を維持することは出来ない。

 だが、この世界のどこかには、自分たちと同じような蜥蜴人(リザードマン)も必ずやいるだろう。

 彼らとともに、新たな部族を作る。

 そして、いつかまた、この湖に戻ってくる。

 

 ザリュースは新たな誓いを胸に刻み、僅かな時ながら待たせてしまっていた旅の仲間の先へ行き、森の中へと歩いていった。

 長き時を離れる故郷を振り返ることなく。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「いっやぁ。世の中、なかなか上手くいかないものですね」

「ちょっとは反省してくださいよ」

 

 

 

 

 




 という訳で、犯人はヤスでした。

 蜥蜴人(リザードマン)を滅ぼしてしまった件ですが、現代で例えると、
「ある日、家の網戸にカブトムシがとまっていた。虫籠に入れてスイカの皮をあげたら、それを食べている。何となく愛着がわいたから明日にでも虫用ゼリーでも買って来てやろうかなと思っていたら、うっかり虫籠を置いた部屋で蚊取り線香を焚いてしまい、カブトムシが死んでしまっていた。あー、残念」
 くらいの感覚です。


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第六章 幕間
第36話 ラナーの思惑


2016/5/19 「夢にも思いもしていない」 → 「夢想だにしていない」 訂正しました。
2016/5/19 レエブン侯やブルムラシュー侯の「侯」の字が「候」になっていたので訂正しました。
2016/7/30 「及びとあらば」→「お呼びとあらば」 訂正しました
2016/10/9 「瞬く間にすべてが」→「瞬く間に他も含めたそのすべてが」 訂正しました
2016/12/1 「再考」→「再興」 訂正しました
2017/5/31 「暖かい」→「温かい」、「危険性」→「危険」、「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「元」→「下」、「来た」→「きた」、「言った」→「いった」、「無碍」→「無下」、「変わろう」→「代わろう」、「非情に」→「非常に」 訂正しました


「そう。教えてくれてありがとう、クライム」

 

 ラナーは音もたてずに、カップを下に置いた。

 

「心配しなくても大丈夫。もちろん、賛成よ。ラキュースの提案は王国、そして皆のためを思って考えてくれたものだという事は分かっているわ。私の力ではうまく出来るか分からないけど、何とかして見せるわ」

 

 そう言って、黄金と言われたその美貌に笑顔を浮かべ、本来ならば身分さ(ゆえ)に許されないであろう同じ卓についている、自らに仕える忠実な騎士にうなづいた。

 

 そのまさにパッと花が咲いたという表現が似合うような笑顔を向けられ、クライムは思わず頬を紅潮させて笑みを浮かべ、安堵の息を吐いた。

 つい数時間ほど前、街の宿屋で蒼の薔薇やガゼフと会談した際にラキュースから頼まれた件。蒼の薔薇のメンバーであるティアを調査の為にエ・ランテルに派遣した(のち)、万が一、王都に緊急で戻らなければならない事態等に陥った際に、第三王女であるラナーの権威を使用してもよいかといういささか無茶な頼みだったのだが、ラナーはなんら悩むことなく快諾した。

 

 クライムからして、心優しく聡明な自分の主が否定の意を示すという事は考えられなかったが、その提案を受け入れることはラナー当人にとって不利益をもたらすことにもつながる。もちろん、それをやらなければ、また違った不利益をもたらすことになるという事は重々分かってはいたが、そのようなことを主に言わなけばならなかったという事実は、彼の心を鉛のように重くした。

 

 視線を下げるクライム。その手にそっとラナーは手を重ねた。

 

「っ! ラナー様」

「ありがとう、クライム。私の事を心配してくれたのね。嬉しいわ」

 

 声を詰まらせる彼に、ラナーは安心させるように微笑んだ。

 

 

 その後、手を握られたことで固くなるクライムは、「今日はもう遅いでしょうから」とぎこちない所作で部屋を退室していった。

 

 

 扉が閉まり、クライムが立ち去る足音に、名残惜しそうに耳を澄ませていたラナー。

 

 それが完全に消え去った後、その表情が一変した。

 見る者全てが美しさに目をよせるその顔から、太陽のような笑みが消えた。そして、冷たい能面のような表情で、卓上の保温瓶(ウォーム・ボトル)から温かい紅茶を自ら注ぎ、砂糖をドボドボと入れてかき混ぜた。

 

 なにも、不快な事があったという訳ではない。

 今現在、室内には誰も他の人間はいない。自らに仕えるメイドたちも、そして彼女にとって最も大切なクライムも。

 誰も見ている者がいないため、わざわざ顔に浮かべていた『笑み』を止めただけだ。

 

 ラナーは学習していた。

 『笑み』をその顔に浮かべることによる他人の受け取りようの変化。見かけだけながら、その場に適した表情を表に出すという社交性を身に着けていた。

 昆虫が擬態するように、人間社会で生きていくうえでの(すべ)として。

 

 まったく表情を動かさず、カップを口元に持っていく。

 明らかに入れ過ぎた糖分が舌から脳へとめぐり、今、クライムから聞いた話、およびこれまであちらこちらから漏れ聞いた断片的な情報から、確実性の高いと思われる推測をはじき出す。

 

 

 

 そうして、どれほどの時が経ったろうか、身じろぎ一つせず思考の海に沈んでいた頭を復帰させる。

 手にした紅茶はすでに完全に冷めきり、カップの底でどろどろの軟体と化した砂糖をスプーンですくい、口に運ぶ。

 

 すぐ脇のテーブルに置かれたハンドベルを鳴らす。

 呼ばれて部屋に入ってきたメイドに、紅茶の代わりと一つの指示を出した。

 「レエブン侯を呼んでくるように」、と。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 すでに少々遅い時間ながら、ほどなくして、彼はやって来た。

 

 長身痩躯で金髪をオールバックでぴしりと固めた人物。どことなく人をだまし喰らう狡猾な蛇を思い起こさせる気配を身に纏った男。

 

 彼こそはリ・エスティーゼ王国の六大貴族にして、王派閥、貴族派閥、どちらにも属さず、己が利益のためならば誰とでも手を結ぶ狡猾な男として知られるエリアル・ブラント・デイル・レエブン、その人である。

 

 彼はいつも通り、謁見にも使えるかという最高級の衣装を、それが当然であるかのように着こなし、優雅に礼をした。

 

「これは殿下。何やら私に御用とか? もちろん、殿下のお呼びとあらば、いついかなる時でも馳せ参ずる所存でございますが……」

「レエブン侯」

 

 貴族としての辞令の口上を(さえぎ)り、ラナーは即座に本題に入る。

 

「今日、侯に来ていただいたのは、侯の知恵、そして力を借りたいためです」

 

 その言葉に、レエブン侯はその切れ長の瞳をさらに細めた。

 

「ふむ。私たちの関係が他の者に知られる危険を冒してでも、という事ですか?」

「ええ、下手をしたら、少々拙いことになるかもしれない。そんな気がするのです」

「なるほど、殿下がそう判断したのでしたら、そうなのでしょう。お伺い致します」

 

 レエブン侯は深い理由も聞かずに単刀直入に言うと、丸テーブルに並べられた椅子に腰かける。

 彼を案内して来たメイドはすでに退室しているため、ラナーが手ずから紅茶を注ぎ、その対面へと腰かける。

 そして、クライムを通して聞かされた、蒼の薔薇の面々と王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの会談の内容を逐一説明した。

 

 

 彼、レエブン侯と王国の第三王女ラナーは、秘密裏にではあるが、協力関係にある。

 互いの利益という点で、互いの能力を認め、胸襟を開いて話をする間柄だ。

 

 ラナーは、第三王女という地位にありながら、政治的な力というものを一切保有していなかった。

 あまりにも優れた知性を持つ彼女は、一般人の思考は理解出来なかった。年を重ねることにより、ある程度は人の心を読むことを憶え、演技することを学習したものの、人心掌握という点に関しては劣っていた。

 また、あいにく第三王女という立場のため、彼女自身専属の力を増やすことは、いらぬ憶測、邪推を呼び、余計な政争に巻き込まれる恐れがあった。

 その為、彼女は直属の部下というものをほとんど、クライム程度しか持たず、政治的に無風の状態の下に自らを置いている。そのおかげで、現在のように彼女の愛するクライムとの仲を邪魔されることなく過ごすことが出来ており、それで十分満足していた。

 しかし、最近の様々な情勢の変化を前に、このクライムとの幸せな空間を守るため、物事を動かす力の必要性を感じていた。

 

 対するレエブン侯としても、その優れた能力を若いころから発揮し、王国のあらゆるところにコネクションを繋げていた。そして、一見、派閥争いで揺れる王国上層部において、利益の為ならばどちらにも組する蝙蝠と見せかけ、その実、王派閥の為にその才を振るっていた。

 だが、六大貴族の彼をもってしても、振るえるその力には限界があり、また様々な案件を考え、処理するにあたって、自分と同様に様々なことを見通せる知性の持ち主を求めていた。

 

 

 そんな二人は互いの利害の一致から手を組むようになり、他の者には知られぬよう会談を行い、様々な案件に関して知恵を出し合うなど、極秘裏に親交を深めていた。

 

 そういう意味からすると、こうしてある程度遅い時間にラナーがレエブン侯を私室に招き入れるという事は、口さがない者達から彼らの関係がばれる危険性をはらむ行為といえる。しかし、それを押してでも、ラナーはレエブン侯との(すみ)やかなすり合わせが重要であると判断している証左でもあった。

 

 

 

「なるほど。そのような事があったのですか」

 

 一通り、説明を聞いた後、レエブン侯は紅茶を一口啜った。

 

「それらの情報はすでにつかんでいましたか?」

「ある程度は。ですが、初耳のものもいくつかありますね。まったく、ガゼフ殿もちゃんと報告してくだされば、こちらももっと早く動けたのですが」

 

 そう言って、苦笑する。

 

 ガゼフが最も危惧したのは、自分が行った報告が貴族派閥、その中でも彼、レエブン侯の耳に入る事である。それを聞いて、アインズ・ウール・ゴウン一行やカルネ村におかしなことをしでかさないかと懸念したためだ。

 

 信義を大切にするガゼフは、派閥間をふらふらと渡り歩くレエブン侯を嫌悪しており、王国における貴族政治の最も悪辣なる典型だと思っている。

 まさか彼こそが、王派閥の影のまとめ役であるとは夢想だにしていない。

 もちろん、そう思われる様にレエブン侯が動いているのであり、また王の直属といえるガゼフが彼を毛嫌いする事によって、レエブン侯は貴族派閥からの信頼を得ることが出来ているのであるが。

 

 

 

「まあ、それはいいとして情報を整理しましょう」

 

 そう言うと、あらためて分かっている事、関連付けられると思われる注視すべき事を口に出して羅列する。

 

 情報としては大きなものは5つ。

 

 1つ、王国戦士長ガゼフが、カルネ村で出会ったアインズ・ウール・ゴウン一行。

 2つ、エ・ランテルでのズーラーノーンの騒ぎ。

 3つ、エ・ランテルにおいて、元八本指である六腕の者たちまで参加した新たなる闇組織の構築。

 4つ、エ・ランテルに現れた冒険者モモンたち。

 そして5つ、王都にシャドウデーモンという強大な魔物が侵入しようとしていた事。

 

 まず、目につくのはエ・ランテルでの出来事が5つの内3つを占めている事。カルネ村もエ・ランテルからほど近い為、それも含めると8割がエ・ランテル近郊で起きた件と言える。

 もちろん、王国の人間であるという以上、王国内の情報が多く集まるため、近隣の帝国や法国でも何かあった可能性はあるのだが。

 

 そして、これら5つは、ここ最近のごく短期間で起こった出来事という事があげられる。まったくの偶然という事も考えられるが、少なくとも、複数の事柄は関連しているとして推測してみる。

 

 

 

 1つ目のカルネ村での一件。

 たまたま現れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行が村を助け、そして、ガゼフまで助けて法国の六色聖典の一つである陽光聖典すら押しのけた。

 陽光聖典が呼び出した天使軍すら一撃の下に滅ぼし、強大なアンデッドの大群まで召喚するような魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 仲間は近隣諸国最強の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと戦える少女。

 

「ふむ。彼らの素性や目的の考察は後にするとして、まず、彼らを起点として考えてみましょうか」

 

 何故かというと、その他の事についても関連付けることが出来るからである。

 

 

 2つ目であるエ・ランテルで起きたズーラーノーンの騒ぎ。

 

「殿下はこれに、そのアインズ・ウール・ゴウンも何らかの形で絡んでいると考えておいでですね?」

 ラナーはコクリとうなづく。

 

 その根拠はデスナイトだ。

 

 イビルアイによると、デスナイトはそれこそ数十年に一度程度しか現れないような、非常に強力ながらも珍しいアンデッドらしい。

 そのようなアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がエ・ランテル近郊の村に現れる。

 その直後、未確定情報ながら、騒乱のさなかにエ・ランテルでも同様のアンデッドが出現する。

 とてもではないが、偶然とは思えない。

 

「そのアインズ・ウール・ゴウンですが、もしやズーラーノーンの者なのでしょうか?」

「何とも言えませんが、あり得ないわけでもないと思います」

  

 それは騒ぎに乗じて、エ・ランテル中の財貨が盗み出されたこと。

 3つ目にも関係するが、その際に奪われた資金がその後に起きているエ・ランテルの闇社会乗っ取りに使用されていると推測されることからだ。

 

 その騒ぎの当時、エ・ランテルは溢れ出るアンデッドにより地獄絵図だったという。

 街中にあふれかえるアンデッドの群れ。誰もが命からがら逃げだすことに奔走し、逃走することすら叶わなかったものは一つ所に身を寄せて、その身を守る事だけに集中していた。

 そんな生者を憎むアンデッドだらけの中、一体だれが略奪を行えるというのか。

 

 可能なのは、アンデッドに襲われない者しかあり得ない。

 すなわち同じアンデッド、もしくはアンデッドを操れるものだ。

 デスナイトという桁外れなアンデッドを召喚できるアインズならば、十分可能であろう。

 

 まあ、直接関係はない可能性も十分考えられる。首謀者はズーラーノーンでも、あくまでそれに便乗しただけという可能性だ。

 もし関係があるならば、首謀者がズーラーノーンであるという情報は残さず、別の身代わりとなる存在を用意するだろうし。 

 

 だが、どちらにせよ、まったく無関係という事はあるまい。

 

 

 そして3つ目の闇社会乗っ取りの件。

 

「ふむ。それについては私のところにも情報が入っております。エ・ランテルの裏社会を牛耳ろうとしているギラード商会についてですな。八本指の中で抜きんでた戦闘力を持ち、『六腕』といわれていた者達、このうち3人がギラード商会の上役として君臨しているという話です。しかし……」

「しかし?」

「しかし、どうやら、その3人のさらに上に何らかの者がいるようです。はっきりとその素性は確かめられていないのですが、『ボス』とだけ呼ばれる正体不明の人物が」

「そのボスというのは他人の目をそらすためのスケープゴートで、実際はその3人の合議制という可能性は?」

「ないとは言えませんが、可能性は低いかと」

「では、その『ボス』がゴウンの手の者であると思いますか?」

「否定できませんな」

 

 

 そして4つ目であるが、その騒ぎを解決した冒険者モモンとアインズの関係もまた疑わしい。

 

 これは先に蒼の薔薇らが検討した事、カルネ村でアインズが法国の人間から奪った希少アイテム、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚できる魔封じの水晶を、モモンがエ・ランテルで使用したことによるものだ。

 

「たしか、彼女たちの予想ではゴウンの供をしていたアルベドがモモンではないか? という事でしたが」

「いえ、おそらくそれはないでしょうね」

 

 一応、同じ格好をすることでガゼフもしくは王国が接触することを期待している、という解釈もできるが、それなら名前を偽る必要はない。アルベドという名で活動すればいいだけだ。

 だが、同一人物であるかはさておき、関係があるのは確かだろう。その理由は彼女たちの予想のとおり、希少アイテムの一致のためだ。

 

 

 5つ目の王都にシャドウデーモンという強力な魔物が侵入しようとしていた事。

 

「これに関しては、ゴウンとの関連性は、はっきりとは判断しかねますな。しかし、ゴウンが関わっている可能性も低くはない」

 

 デスナイトが召喚できるアインズなら、それよりは劣るとみられるシャドウデーモンを召喚できてもおかしくはない。だが、アインズに対抗するなんらかの存在が、王国領エ・ランテルに居を置くアインズに対するために、王都の情報を得ようとしているということもあり得るかもしれない。そもそも、まったく無関係である可能性もある。

 とにかく、難度90という強力な怪物(モンスター)がなんらかの目的を持ち、王都に侵入しようとしたことは間違いないだろう。もし、1、2体程度ならどこかから流れてきたはぐれ悪魔という事も考えられるだろうが、5体ものそんなに強力な悪魔が一時(いちどき)に現れるというのは何者かの指示があったと考えるのが妥当だ。

 

「これが別々のタイミングでしたら、こうまで確信は持てなかったのですが、桁違いのアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)が王国領内に現れたのと時を同じくして、同じ王国の王都に強力な悪魔が出現したというのは、偶然とは思えません」

 

 ラナーの言葉にレエブン侯は首を縦に振った。

 

 

 

 レエブン侯は「はぁ……」と大きく息を吐き、その額をおさえた。

「ふぅむ。これは……。もしこれらの推測が正しいとなると……」

「ええ。かなり拙いことになりますね」

 

 これらのことを考えると、もしラナーの予想が当たっていた場合ではあるが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは、すでにかなりの手を広げていることになる。

 

 

 すなわち、エ・ランテルでズーラーノーンに協力して都市が滅びかけるほどの騒ぎを起こし、その隙に都市中の金目の物を強奪。

 そして、自分の息のかかった冒険者モモンを使い、実行犯の息の根を止め口封じをし、窮地に陥った民衆を助けたモモンは英雄としてエ・ランテル住民の支持を得る。

 その後、騒ぎの最中に奪った金を湯水のように使い都市の暗部をねじ伏せ、エ・ランテルという都市の表も裏も意のままに支配する。

 

 

 恐ろしいまでの傍若無人ぶり、かつあまりにも行動が早すぎる。

 アインズがカルネ村に現れてから、まだそんなに時が経っていない。

 それなのに、軍事的の面からしても、交易の面からしても重要拠点であるエ・ランテルを骨までがっちり喰らいこんでいる。

 ラナー、そしてレエブン侯をして、そら恐ろしくさせるほどだ。

 

 

 

 だが、先にこれらの事実を話し合ったガゼフや青の薔薇らは、アインズによるそのような裏の策略の可能性をまったく考えていないようだった。

 

 その原因は、カルネ村で直接アインズと会い、話したガゼフの評価によるものだ。

 

 アインズが善人であるという前提が頭にあるため、エ・ランテルを救った冒険者モモンとは繋げられても、エ・ランテルで起きた負の側面とは関連付けて考えてはいないのだろう。

 

 確かにアインズはガゼフと話した時に、困っている人を助けるのは当然と言ったり、報酬の話は後回しで人を助けようとはしたようだ。それらの事から推察するならば、まともな、それも善人寄りの倫理観念を持っていると言ってもいいかもしれない。

 

 

 しかし――。

 

「しかし、だからと言って、他の者もそうだとは限りませんな」

「ええ。アインズ・ウール・ゴウン個人以外の者、彼の周辺の者達も良識を持つ人物であるとは断定できません」

 

 そう。つまり、彼らはアインズを取り巻く者達、彼個人の背後になんらかの組織がある可能性を考えていない。

 

 

 ラナーがアインズはなんらかの組織を持っていると考えるのには理由がある。

 カルネ村に現れたアインズ一行、召喚された怪物(モンスター)であると推測できるデスナイトを除いた、残りの3人の事だ。

  

 まず、話に聞く分には――あくまでガゼフが見聞きし感じたものをクライムを通して聞いているので齟齬は生じるかもしれないが――彼らの間には明確な上下関係が存在する。

 

 アインズとベルが上位者で、アルベドが下位者だ。

 

 理由の一つとして、アインズは少女ベルの事を『さん』付けで呼び、ベルもまたアインズの事を『さん』付けで呼んでいたそうだ。対して、たまたまガゼフの耳に入った彼ら同士の内々の会話では、アインズとベルはアルベドを呼び捨てにし、アルベドの方は2人の事を『様』で呼んでいたらしい。

 

 次に、謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズと少女ベルの関係はどのようなものなのだろう?

 二人の間ではアインズの方がおそらく上だ。会話では主導権を握り、行動の決定権を有している。ベルの方はあくまでそのフォロー及び提案する立場に回っている。だが、そこにアルベド程の明確な立ち位置の違いはない気がする。

 そこまで考えたところで、ラナーの頭に浮かんだのは冒険者達のような関係。友人であるラキュースを始めとする蒼の薔薇。彼らはもちろん主従などという関係には無い。対等な立場として方針を話し合うが、その決定はリーダーであるラキュースが行う。

 アインズとベルの間柄を考えるに、これが一番的確な気がする。

 

 その2人よりアルベドの方が下なのは、そこに自分とクライムのような主従関係があると考えられる。

 そして、彼らの下になるものがアルベドだけとは限らないのだ。

 

 アインズがそこで最高の存在かは分からない。

 だが、少なくとも、かなりの上位者であることは間違いなさそうだ。

 そのアインズが善良な存在だったからと言って、同じ組織に属する者も善良とは限らない。むしろ、そんなアインズを補佐するために、裏で情け容赦ない行動をとる可能性もある。

 

 また、組織が一枚岩ではない可能性も考えられる。

 

 王国が良い例だ。

 ラナーの父にして現王ランポッサ三世は温厚な人物ではある。

 決して甘いという訳でもなく時には非情な決断もするが、その誠実は善良であると断言してもいい。

 しかしだからといって、王国に属する者全てがそうだとは限らない。胸の内にたたえる様々な欲望から、あるいは自分から良かれと思って、独自の行動をとることが多々ある。多々あるどころではない。多すぎるほどだ。

 

 

「つまり、そのゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)らの行動を考える際には、複数の視点や目的が介在する可能性がある、と考えるべきだと?」

「ええ。たった一つの線がつながるものではなく、無数の狙いや目的が絡み合ったものと考えるべきでしょうね。その上で、本当の真意を考えるべきかと」

 

 

 もう一度、原点に戻り、カルネ村でのアインズ一行について考える。

 

 聞けば聞くほど奇妙な一行である。

 まず、全身を隠した魔法詠唱者(マジック・キャスター)に全身を鎧で隠した戦士、それと奇妙な服を着た少女の3人組。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるアインズは、デスナイトという伝説クラスのアンデッドを同時に7体召喚するという行為まで行えるという。イビルアイの話では、それだけで王都を壊滅させられるかもしれないほどの戦力らしい。

 

 そもそも、そのデスナイトという強大な、イビルアイに言わせれば伝説クラスのアンデッドを操る人間とはいったい何者なのだろう?

 

 

 とかく奇妙なのは、アインズとアルベドが全身を衣服や鎧で身を包み、一切、その肌を見せようとすらしなかったことだ。

 ガゼフにはデスナイトを制御するため仮面を外すわけにはいかないと言っていたようだが、そんなものは虚言であろう。それにアインズの仮面を外すわけにいかないのなら、一時的にでも手甲の方を外したり、アルベドの方の兜を外す事も出来たはずだ。

 僅かながらでも素顔をさらすなどした相手と、完全に仮面をかぶったままの相手では、どちらが信用されるかは言うまでもない。

 だが、彼らはそのような事は一切しなかった。

 

 なぜか?

 外すわけにはいかなかったから?

 見せると拙い理由が?

 

「考えられるのは、どこかの御尋ね者だったからでしょうか? もしくは著名人だったとか?」

  

 誰にも正体を知られることなく活動する必要があった? カルネ村を救ったのは偶然、通りかかったから。そして、見て見ぬ振りが出来なかったからとか。

 

「しかし、そう考えた場合も、何故ベルという少女だけが素顔をさらしていたのかが気になりますな」

 

 確かに。

 彼女は他の2人と違って姿も現したままだ。

 なぜ、彼女だけが素顔を現しているのか?

 

 

 ベルだけが顔を隠していない理由……。

 

 

「……すでに変装していたから?」

 

 

 どうやって?

 

 魔術によってだ。

 

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは天使の群れをたった一つの魔法で吹き飛ばし、また、デスナイトという桁外れの存在をたやすく召喚するような存在なのだ。通常の常識の範囲内で考えるべきではない。

 それにイビルアイの話によると、魔法の中には肉体を変化させる魔法というものがあるらしい。

 それがどれほどのものか、位階はいくらか、効果時間はどのくらいか、どれほどの変化をもたらされるか、魔法に詳しくないラナーには分からない。

 だが、とにかく方法自体はあるらしい。

 

「魔法ですか? 私はそちらにあまり詳しくはありませんが、もしかしたらそういう魔法もあるやもしれませんが……。少々飛躍のし過ぎでは?」

「いえ、すでにデスナイトという伝説のアンデッドを召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるという時点で、通常の常識的な考えの通じない相手と思われます。それに、そう考えるとつじつまが合うのです」

 

 

 ガゼフは言っていた。

 ベルという少女はずば抜けた身体能力を保有しているが、戦い方に妙な点があった。小柄な体に見合わぬ、体格に優れた重戦士のような戦い方をしていた。おそらく、彼女に剣を教えた者が巨漢戦士だったため、そのようなちぐはぐな戦法を身に着けたのだろうと。

 

 だが、そうではないとしたら?

 

「どういうことですか?」

「つまり、小柄な少女が巨漢の重装戦士の戦い方を身に着けているのではなく、巨漢の重装戦士が小柄な少女の姿をとっていたとするならば……ということです」

 

 

 突拍子もない話のようだが、そう考えると説明がつく。

 なぜ、一見たおやかで戦闘経験などなさそうな少女が、近隣諸国で最強と謳われる王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと闘えたのか。

 

「ガゼフ殿の話では、その圧倒的な膂力は戦士として鍛えている自分すらも上回るほどだったという事でしたな。そして、ガゼフ殿との戦闘の際、そのベルという少女は自らの肉体能力を確かめるようなそぶりを見せていた。とくに自分が振るう武器、その間合いの目測を幾度も誤り、空振りしていた、と」

「はい。それは自分の肉体能力そのままに、本来の体格とは異なる姿になっていたためではないでしょうか?」

 

 なるほど、と腕を組んでレエブン侯は考え込む。確かにそう考えると、つじつまは合う。

 そして、ふと思った。

 

「それにしても、幻覚程度ならまだしも、そのような肉体変化の魔法など聞いたこともありませんでした。そんな魔法を知っているイビルアイ殿はいったい何者なのですかね? 先ほども、王都に侵入したシャドウデーモンとかいうアダマンタイト級冒険者に匹敵する悪魔を一人ですべて倒したと聞きましたし、その例のデスナイトとやらにも勝てると言ったのでしょう?」

「ああ、彼女は国堕としですから」

 

 何でもないような口調。

 その内容をレエブン侯の脳が理解するのには、数秒の時がかかった。

 

「…………は?」

 

「ですから、国堕としですよ。200年前、魔神が暴れていたころに、たった一人で一国を滅ぼしたという吸血鬼(ヴァンパイア)です」

「……い、いや、ちょっと待ってください! なんですか、それは!?」

「なんですかと言われても、そうですとしか言いようがありませんが」

 

 その受け答えに、さすがのレエブン侯もあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。

 凍り付いて動かない彼を前に、ラナーは優雅に紅茶を口にする。

 数分の後、ようやく麻痺の魔法が解けた様に大きく息を吐いた。

 

「そ、そうですか。国堕としですか……。……一応聞きますが、嘘ではないのですよね?」

「嘘でも冗談でもないですよ」

 

 グビリと喉を鳴らした。

 もう驚愕のあまり、なんと言っていいかも分からない。

 十三英雄の時代の人物。おとぎ話の中の存在。子供の時分、良い子にしていないと国堕としにさらわれるよ、とか言われていたものが自分のすぐそばにいたとは……。

 まあ、逆に考えれば、そんな存在がこの王都におり、そして人間の、自分たちの味方でいてくれるという事は実にありがたい。人知れず潜入しようとしたシャドウデーモンを倒したように、彼女がいる限り、この王都は怪物(モンスター)からは絶対に安全だと言える。

 

 

 レエブン侯はそんなことより、目下の問題の方が大事と思考を戻した。

 

「と、とにかく色々考えてきましたが、あまりにも情報が少なすぎますね。ほぼすべてが推測でしかありません」

「そうですな。やはり調査が必要になりますね」

 

 とにかく、なんとしても調べなければならない所がある。

 

 

 城塞都市エ・ランテル。

 そしてその近郊。

 

 

 そここそが、現在、アインズ・ウール・ゴウンの手が回った者や、その思惑が集中する場所。

 今のエ・ランテルを調査することで、何かが分かるだろう。

 

 そう考えると、ティアのエ・ランテル行きは最良の選択と思える。

 ティアは忍者として、そういった情報収集などの諜報にも長けている。1人のみでの行動という事になるが、ある意味、万能型ともいえる職業(クラス)の忍者ならば、十分にこなせるだろう。

 もちろん、相手が強大なことは予想出来るから、とにかく無理はせず、尻尾を掴んでも敵対しない事は言い含めておく必要があるだろうが。

 

「すみませんが侯、ティアの件ですが……」

「はい、分かっておりますよ。エ・ランテルへ行った彼女のバックアップは私の手の者にさせましょう。殿下の威光はいざというときのみに限るべきでしょうから。ふむ、そうですな。後でラキュース殿に、私のところに行くよう伝えておいてもらえますか?」

「はい。ティアのエ・ランテル行きの件でどうするか私が悩んでいるという話を侯が小耳に挟み、協力を提案してきた。そのことを私はラキュースに伝える。そして、今回の件でいろいろ手を貸してくれるよう、彼女が侯のところにおもむき請願する。蒼の薔薇に恩を売っておきたいと考えた侯はその頼みを聞き入れる、という筋書きですね」

「ええ。そうしておかないと、何故私が手を貸すのかという話になり、私と殿下の関係を探られてしまいますから。まあ、形式的な物ですが」

 

 

 ラナーは満足げにうなづくと、レエブン侯と今後の計画を練る。

 

「そのゴウン一行が初めて現れた地、カルネ村についても調べられますか? もっと詳しい情報などを集められれば」

「それは、少々難しいかと。なにぶん辺境の村のようですから、街のように人に紛れて噂話を集めるという訳にもいきませんし。それに、そういうところでは、住人はすべて家族のような存在ですからな。こっそりと話を聞こうにも、すぐに村中に知れ渡るでしょう。考えつくのは行商人などを使って、買いに来た村人から直接、どうどうと話を聞くくらいですか」

「では、すみませんが、そちらもお願いできますか?」

「はい。やれやれ、さすがに手が足りなくなりそうですな。それと、時間的な余裕もあるのか心配になります。殿下の予想ではエ・ランテルの騒ぎにもゴウンは絡んでいる可能性があるという事でしたから、あのように性急な手を打たれたとしたら」

「いえ、それについてはまだ時間はあると思いますよ」

 

 そう言ったラナーを、レエブン侯は不思議そうに見つめた。

 

 ラナーがそう判断した理由は王都に忍び込もうとしていたシャドウデーモンである。

 あらためて考えてみると、やはりそのシャドウデーモンはアインズに関連していると考えて間違いなさそうだ。

 そう考えると――。

 

「隠密に長けたシャドウデーモンを王都に潜り込ませようとする目的はなんでしょうか?」

「あくまで王都の情報収集が目的という訳ですか?」

「おそらくは」

 

 ラナーはこっくりとうなづいた。

 

「諜報に向いた怪物(モンスター)を送り込んできたという事は、いきなり荒っぽいことをするのではなく、まず王都の情報を調べ上げるのが狙いだと思います。おそらくは、この王都を裏から蝕もうと考えているのでは?」

「そうなると……。ふむ。肝心の情報がいまだつかめていないという事で、まだ、こちらが手を打てる時間はありますな」

 

 ただ、それがどれほどの時間かは分かりらない。

 情報収集が目的だったと思われるシャドウデーモンは、イビルアイによってすべて滅ぼされた。配下の者を潜伏させることに失敗したという事は、向こうも気づいているはず。

 ならば予想される対応は3つ。

 

 一時的に、王都での情報収集は控える。

 怪物(モンスター)を使わず、人間の間者を送り込む。

 そして、より強大な怪物(モンスター)、もしくは多くのシャドウデーモンを送り込む。

 

「少なくとも、いきなりデスナイトを王都にぶつけてみるなどという実に効果的な事はやらないみたいですわね。それだけで、王国は崩壊の引き金にもなりかねませんが」

 

 冗談めかして言われたラナーの言葉に、レエブン侯は笑えない冗談だと唸り声をあげた。

 

「とにかく、今のところは、王都で情報を集めようとする人間に目を配っておきましょう。とくに、ここ最近でやって来た人間に関して。それと、やはりエ・ランテルですね。ギラード商会の事も、より重点的に調べさせましょう。それと、冒険者モモンについても早急に」

「そうですね。……いっそのこと、そのモモンという人物に接触してみては?」

「ふむ。彼は冒険者らしいですからね。なんらかの依頼という形をとれば可能でしょうし、もしくはこちらの息のかかった冒険者やワーカーを彼と一緒の依頼につけて、友誼を計るとか」

「良いと思いますよ。今現在、ほぼ確実にゴウンとつながりがあると推測され、居場所も分かっている人物はそのモモンしかいないわけですから、慎重かつ丁重な扱いが必要ですね。それと、もしベルやアルベドという名前の人物と接触が出来たら、そちらも注意が必要ですね」

「そうですね。やはり、最大限急ぐ必要がありますね。そのゴウンの方は時間はあるかもしれませんが、もう一つの方の準備もそろそろ必要になりますから」

「もう一つ?」

「いつもの、帝国のですよ」

 

 その答えに、ラナーは「ああ」と納得した。

 

 今、現在、隣り合うリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国は定期的に戦争を繰り返している。

 その際、戦場となるのが、エ・ランテルの東にある平原である。

 当然、近郊が戦場になるという事でエ・ランテルは大騒ぎになるし、レエブン侯自身もそちらの準備に忙殺される。そうなれば、エ・ランテルおよび近傍でのんびり調査などしていられない。

 謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンより、目の前の帝国の方がはるかに危険度は高い。

 

 この戦争に駆り出される兵士や、彼らを運用する予算だけでも王国の財政を逼迫し続け、おそらく、あと数年も続けていれば、王国は戦わずして敗れると一部の知見ある者はすでに気がついている。 

 だが、こんな滅亡の危機にあっても、王国は一枚板にはなれず、いまだに派閥争いで国力を削り続けている。火にかけた水鍋の中のカエルのごとき有様だ。

 

 

 

 一つの組織の中に派閥がある事自体は、けっして悪いものではない。

 その持ちえる潜在力を一つにつぎ込めないという欠点はあるが、逆に組織の中の多様性にもつながる。全ての力を一つに注ぎこめばそれは強固にはなれど、一敗地にまみれでもしたら、瞬く間に他も含めたそのすべてが失われる事態に陥る。その点、派閥があれば、どれか一つの派閥が失敗しても、他の派閥がそれを補う事も可能となる。

 

 例えば、王国の六大貴族の中でもブルムラシュー侯は秘かに帝国とつながっている。

 もし、仮に戦争で王国が帝国に敗れ、現在の均衡が崩れるようなことがあれば、ブルムラシュー侯はすぐさま帝国への臣下の礼を表すだろう。

 そして、王国貴族のブルムラシュー侯ではなく、帝国貴族のブルムラシュー侯になるだろう。

 そうなった時には、いかに中央集権制の帝国といえど、彼を無下(むげ)には出来はしまい。

 もし、かつての陣営を裏切ってまで味方になった者を冷遇しようものなら、以降、帝国に内通しようとする者はいなくなるだろう。

 その為、ある程度、高い地位と裁量を約束しなければならない。抜け目のないバハルス帝国の皇帝ジルクニフの事だから、約束したうえで少しずつ、その内部に息のかかった者を浸透させ、骨抜きにはするだろうが。

 とにかく、統治する者の頭を下げる相手が変わるだけで、そこに住む者達は変わることは無い。

 そうしてブルムラシュー侯は帝国貴族として過ごしながらも、もし皇帝の死などで帝国の力が弱まるようなことがあれば、今度は帝国に反旗を翻し、自らの血筋の正当性でも訴え再び王国を再興するなどするだろう。

 そうして、歴史は続いていく。

 リ・エスティーゼ王国という一国家が無くなろうと、それは長い歴史の一幕に過ぎない。たとえ、為政者が代わろうと、そこには変わらず人の営みがあり、生き続ける者がいるのだ。

 完全に他種族に占領されたり、徹底的な民族浄化でもされない限り、歴史が終わることは無い。

 今、行われている王国と帝国の紛争も、あくまで人間の支配地域内で行われている、コップの中の嵐でしかないのだから。

 

 

 

 だが、かといって、そのコップの中の嵐に巻き込まれる当人たちにとっては、たまったものではない。

 今、話している2人、ラナーとレエブン侯にとっては、王国が潰れるというのは非常に困る事態であり、なんとしても回避せねばならないという認識で一致していた。

 

 ラナーにとって最も重要なのは愛するクライムと一緒にいることである。

 正直、王国などなくなろうがどうでもいい。

 だが、ラナーは王女という地位にある。王国が無くなり帝国に支配された場合、彼女に待っているのは二つに一つ。

 王国領の支配をしやすくするための施策の一つとして、血を混ぜるという目的のために帝国の貴族と政略結婚させられる。もしくは、後顧の憂いを立つため、現王の血筋の者を絶やすという名目で、その首を飛ばされるか。

 とにかく、王国が帝国に敗れるという事態は避けなければいけないのであった。

 

 レエブン侯にしてもそれは同じである。

 彼の目的というか願いは、彼の愛息子に現在の自分の領地を完全な形で残すというもの。

 王国は貴族の権限が非常に大きい。特に六大貴族となればなおさらである。それが故に、王の抑えが聞かぬほどの派閥争いが起こっているのではあるが。

 だが、対する帝国は、皇帝の下に権力を集中させるという政策を行っている。皇帝にとって利用価値のない者や信用のできない者は、何代も続いた貴族であろうともその権限を剥ぎ取られてしまっている。

 そんな帝国の支配下にはいろうものならば、現在と比べ、息子に継がせる領地、権限ははるかに目減りするのは目に見えている。

 そのため、レエブン侯としては何とか現状を維持しつつ、王国の崩壊を食い止めるという難題に挑む。

 

 レエブン侯は、ロケットに入れていた彼の愛する妻と息子の姿絵を見て、「はぁ」と息を吐いた。

 

 すべては愛する息子の為。

 その為に、彼はまるで砂で楼閣を作り続けるようなことに、けっしてめげることなく励んでいた。

 

 

 その様子を見て、ラナーが何気なく口を開いた。

 

「おや、息子さんですか。確か5歳になるんでしたね。たいそう、かわいく……」

 

 王女として身に着けた社交辞令により、特に意識することなくそこまで口にだしたところで、しまったと口をつぐんだ。

 彼女が意識して会話に上らせないようにしていた事だったのだが、長い時間、思考を巡らせ討議していた疲労もあり、ついうっかり言葉にしてしまった。

 

 そして、もちろんレエブン侯もその言葉を聞き逃さなかった。

 

「ええ、もちろんですとも!」

 

 突然、別人のように声を大きくした。

 

「うちのリーたんはかわいくてですね、それはもう天使といわんばかり! いえ、ただ天使というだけではあのかわいさは表現できませんな。まさに天上のもの。きっとあと10年もすれば、世の女性は皆放っておかないのは自明の理でしょうな。そして、また、あの子には天才の片鱗があります! なぜかというと……」

 

 滔々と語り続けるレエブン侯。

 普段は非常に理性的な彼だが、こと息子の事になると人が変わったようになる。

 

 その端正にして可憐な顔を引きつらせるラナーという、およそこの世のだれも見たことのない姿を前にしながらも、レエブン侯は愛息子のかわいさ、素晴らしさをいつ果てるともなく語り続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はあぁ」

 

 非常に珍しく、疲れた様子を隠そうともせず、ラナーはすっかり冷めきった紅茶をすすった。

 

 あの後、レエブン侯は「もう我慢できない! リーたんに会いたい!」と叫ぶと、部屋を出ていってしまった。

 まあ、すでに急いで話すことは済んだから、別にいいのだが。

 

 とりあえず、急いでやるべきことは情報収集だ。まったく戦力も思考体形も分からない相手とは、戦端も開けないし、交渉も出来ない。

 そのうえで対応を検討して、可能ならば接触したい。

 おそらく、アインズの持ちえる戦力は桁が違う。カルネ村で召喚してみせたというデスナイト7体だけが奥の手という事はあるまい。

 

 先んじて接触し、こちら側に引き込む。

 もし、それがだめでも好印象は与えておきたい。

 

 その為にも、アインズに関係する者達の情報は少しでも手に入れておきたい。

 おそらくは善良な性質と思考を持つであろう魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン。

 エ・ランテルで冒険者として活動している、おそらくアインズの関係者であるモモン。

 モモンとの同一人物も疑われるアルベド。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとも互角に戦えるほどの腕前を持つ少女ベル。 

 

 とくにベルという少女に関しては、先ほどの推察のように、魔法やマジックアイテムで姿を変えていて、見た目通りの少女ではない可能性もあるのだから。

 

 

 しかし――。

 

 先ほどラナーはレエブン侯を前にそう語ったものの、この説は少々穴があると思っている。

 

 仮にベルが魔法によって姿を変えているのならば、なぜその魔法を自身、アインズ・ウール・ゴウンに使わなかったかという疑問が出てくる。

 

 そのような魔法を習得しており、仮にベルに使用したのならば、自分にも使えばいいのだ。

 そうすれば姿を隠すことで疑われる心配もない。

 

 もし先ほどの推測通り、大柄な戦士の肉体を小柄な少女の肉体にまで変えられるのならば、どんな姿にだってなれるという事だ。たとえ、アインズ・ウール・ゴウンの元の姿がどのようなものであろうと、種族まで変わることが出来るかは分からないが、同じ人間にならばあらゆるタイプの姿へと変化できるはず。

 

 

 

 ……同じ人間?

 

 ラナーは、はたと思い至った。

 

 ……そもそも、本当に人間なのだろうか?

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンの本当の姿は誰も見ていない。

 完全にその肉体は仮面やローブなどで覆い隠されていた。

 人間以外、別の種族である可能性もあるではないか。

 

 先ほどの考察はアインズが人間であることを前提にしたものだった。仮にアインズが人間外の他種族でなおかつ肉体を他の種族――この場合人間にまで――に変化させる魔法を習得していないと仮定するならば、それもあり得ると考えられる。

 

 この辺りの近隣諸国では、人間以外の種族は尊重されているとはとてもではないが言い難い。

 森の奥に住むエルフは、森林に近いところに住む人間とはそれなりに付き合いがあったりする。また、ドワーフはその技術から取引相手としては見られており比較的友好関係にあるとはいえるものの、それでも人間の街に住めるほどではない。特にスレイン法国では完全に人権などは与えられず、奴隷とされるなどしている。

 

 その為、異種族であれば姿を隠してもおかしくはない。

 

 

 だが……。

 

 だが、異種族――亜人種ならばまだよい。

 

 ――例えばアンデッドであったのなら。

 

 

 アインズはズーラーノーンと協調した可能性がある。

 そして、仮にズーラーノーンに所属する者、もしくはズーラーノーンと接触できる者ならば、アンデッドであってもおかしくはない。

 実際、エ・ランテルでの異変を起こしたズーラーノーンは、アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)であったらしい。

 決して否定はできない。

 

 また、アインズはデスナイトという伝説のアンデッドをたやすく召喚できるという。それは蒼の薔薇のイビルアイをして驚愕させるほどの凄まじい御業。また、他の話を聞く分にも、()の者がつかう魔法は一般の者達、魔術師ギルドでも高位の者達が使えるものとは、まったく桁が違うそうだ。

 イビルアイと比べても、彼女をはるかにしのぐほどの魔術の使い手。

 200年の時を生きる伝説の吸血鬼(ヴァンパイア)すらも上回る魔法を習得するのには、一体どれだけの歳月を費やすだろうか?

 少なくとも、人の寿命のうちでは収まるまい。

 だが、永遠の命を持つアンデッドならば……。

 

 まさか、天使たちをまとめて滅ぼすような強大な魔法を行使し、王都すら滅ぼせるほどの戦力をたやすく召喚できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの正体はアンデッド……?

 

 

 

 そこまで考えたところで、ラナーはかぶりを振った。

 

 いや、それはさすがに飛躍が過ぎる。

 妄想といっていいレベルだ。根拠となるものに乏しすぎる。

 

 一度、思考を止め、頭に浮かんできた最悪の想像を思考の片隅に追いやった。

 

 

 ガゼフがあって話したところによれば、かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は善なる心根を持っていたという話ではないか。

 そんな人物が生命ある者を憎むアンデッドというのは、とうていあり得ない。

 

 

 だが――。

 

 ――あり得ないと分かっていても、その考えはラナーの胸のうちに(おり)のように沈み、いつまでも離れる事はなかった。

 

 

 

 

 




 ラナーとレエブン侯の会談はWEB版の方が好きです。
 書籍だと、デミの入れ知恵もあってか、ラナーが完璧すぎるので。


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第37話 おまけ 恋の橋渡し

2016/10/9 ルビで小書き文字が通常サイズの文字となっていたところを訂正しました
 文末に「。」がついていないところがありましたので「。」をつけました
2017/5/31 「来た」→「きた」、「(おもんばか)って」→「(おもんぱか)って」、「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「元」→「下」、「来た」→「きた」、「行った」→「いった」 訂正しました
文末に「。」がついていないところがありましたので「。」をつけました


「いい加減、あの2人の仲を進ませるべきだと思うんですよ」

「あの2人? パットとリーナですか?」

「……誰です、それ?」

「リーナはエ・ランテルで活動している女性の鉄級冒険者ですよ。それでパットは表通りにある商店の店員です。リーナは以前、お金がなくて空腹だった時に、たまたま店先にいたパットから果物をもらったことがきっかけで彼と話すようになり、恋心を抱くようになったらしいです。ですが、自分が明日をもしれない冒険者という立場から告白までには至っていなくてですね。そうしているうちにパットの方に、知り合い経由での見合い話が舞い込んできたみたいで。それが、性格のいい相手だったらまだいいんですが、その紹介される予定の相手は、色々と裏で男をとっかえひっかえしている性悪女らしいんですよ。それで、冒険者たちとしては何とかリーナの恋を応援しようかという話になっていてですね……」

「いや、そんな連中の事なんてどうでもいいですよ。違います。エンリとンフィーレアの事ですよ」

 

 毎度のようにナザリック第9階層の執務室。

 そこでアインズとベルは顔を突き合わせ、今後、ナザリックが行うべき計画を討議していた。 

 だべって(・・・・)いただけとも言える。

 

「もともとですね。使用制限を無視してどんなマジックアイテムでも使えるとかいう厄介なタレントを持っていて、なおかつ、この世界の薬学に詳しいンフィーレアを囲い込む為に、エンリに恋心抱いてるってのを利用したわけじゃないですか」

「ああ、そうでしたね」

 

 アインズはちょっと遠い目をした。

 

「それなのに。それなのにですよ。あいつはカルネ村に来てからというもの、とにかく薬の研究の方に熱心で、エンリの方は二の次になってるらしいんですよ。夜とかも、徹夜でひたすら実験と研究ばかりだそうで」

「そんなにも打ち込めるものがあるってすごいですね。私はユグドラシルくらいでしたよ。仕事は生きるためでしたし、リア友も彼女もいませんでしたしね……」

「いや、そういう鬱になる話は置いといてですね。とにかく、ンフィーレアを自発的に私たちの傘下に収めておくにはエンリとの仲を進める必要があるんですよ。あいつの興味のあるものって薬とエンリしかないじゃないですか。薬の研究に集中をするのはいいんですが、薬だけに熱中するのはどうかと思うんですよ。薬に熱中。略して薬中ですよ」

「いや、そんなボケはいりませんので」

「とにかくあの2人はさっさとくっつけてしまいましょう。そもそも、ンフィーレアの方がエンリを好きという思いが強くて、エンリの方は仲のいい友人くらいにしか思ってないみたいなんですから、ンフィーレアの方から強く迫らないと進みませんよ。趣味に気をとられてて、好きな女の子は後回しで放っておくとか。そんなことして放置してたら、そのうち、ぽっと出のルクルットみたいな奴に、エンリはふらっと(なび)いてどこかにいってしまいますよ」

 

 ルクルットにものすごい失礼なことを言っている気もしたが、ぎりぎりと歯ぎしりして悔しがるベルの様子に、昔、実体験で何かあったんだろうなと、アインズはその事には深く触れないことにした。ちなみにベルがそこまで切歯扼腕しているのは、実体験は実体験でも、昔やってたゲームで苦労して育てたキャラが変な恋愛イベントで突然いなくなったのを思いおこさせるというしょうもない理由が原因なのだが、そんなことはアインズには知る由もない。

 

「まあ、確かにそうですね。でも、どうするんです? 以前、アルベドが提案していた、眠らせておいて一つのベッドに全裸で並べておくとかは駄目ですよ」

「そんな事しませんよ。この作戦の肝はンフィーレアの気持ちに気づいていないエンリに恋心を認識させる事です」

「まあ、エンリがその気になれば全ての話はスムーズにいくでしょうね。しかし、それはなかなか難しそうですが」

「大丈夫です。ちゃんと考えてありますよ」

 

 ふっふっふと不敵そうに笑う。

 

「女性を落とすのにバッチリな、いいやり方があるんですよ」

「ほう? そんなのがあるんですか? いったい、どんな?」

 

 

「はい、それは――『壁ドン』です!」

 

 

「『カベドン』? ワールドエネミーですか?」

「違います。100年位前、女性の心をときめかせるシチュエーションとして有名になったものです」

「へえ、そんなのがあるんですか」

「たしか、昔、茶釜さんもかっこいい男性にはやられてみたいって言ってましたよ」

「あの茶釜さんですら、そう言う程のものですか。それはすごい」

「ええ。これを使えば、どんだけの鈍感系主人公かよ、と言われそうなエンリといえどもいちころですよ。……(多分)

「ベルさん、今、ちっちゃい声で多分って言いませんでした?」

「言ってません。言ってません。そんな事より、純真な少年の為にひとつ私たちで恋の橋渡しをしてやりましょう」

 

 そう言って2人は恋に悩む青少年の為、暇つぶしがてら、エンリ即落とし作戦会議を進めていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ああ。

 もしこの場に神の視点を持つ第三者がいたのならば突っ込んだことだろう。

 

 若く才気あふれるイケメン相手に、非モテおっさん2人が恋愛指南ってどんな冗談だよ、と。

 

 だが、残念ながら、ここにはそんなまともなことを言ってくれる者は存在しなかったのである。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「「「「「ごちそうさまでしたー!」」」」」

 

 声を合わせて、食後の挨拶をする。

 

 そして、皆めいめいに立ち上がり、テーブル上の食器を重ね一カ所に集める。集められた食器は決められた当番の者が洗う。今日はネムとキュウメイ、グーリンダイが担当だ。

 そうして、畑仕事の手伝いに行く者、警備に向かう者、村人への戦闘指南に向かう者……、各々の仕事へと向かう。

 あわただしく皆が動く中、エンリもまた椅子から立ち上がった。

 

「じゃあ、後片付けはお願いね」

「まかせて、お姉ちゃん」

 

 ネムが元気よく答える。キュウメイとグーリンダイもまた「任せてください」と返事をした。

 

「私は今日は家で(つくろ)い物をするつもりだけど、何かある?」

 

 その声に、皆ふるふると首を振った。

 エンリはうなづくと家へと戻ろうとする。その背にンフィーレアが声をかけた。

 

「あ、あのさ、エンリ」

「なに、ンフィー?」

「ええっと、ちょっと僕も、……そのエンリの家で作業したいんだけどいいかな?」

「うちで作業?」

 

 なんだろう? とエンリは首を傾げた。

 

「なにか、ンフィーの家で出来ないことをするの?」

「え? ええっとね……。そ、そう。ちょっと僕の家では出来ないことをしたいんだ」

「なにするの?」

「う、うーんと、その……や、薬品の臭いがね。ほら、僕達に割り振られた家って日常的に薬を作ってるから、そういう臭いがするじゃないか。今度、試してみたいのはちょっと、そういう臭いがあると拙いんだ。だから、エンリの家で……エンリの隣の部屋を貸してほしいんだけど……」

 

 何やら落ち着かない様子で話すンフィーレアに、ますます訳が分からなくなる。

 

「それって、大丈夫なの? 何か危険だったり、家に臭いがついたりしない?」

 

 普通に話さず、動揺しているところを見ると、なにか言いにくい事でもあるのかと邪推してしまう。

 問われたンフィーレアは慌てて否定した。

 

「そ、そんなことないよ! エンリを危険にさらしたり、迷惑をかけたりはしないよ!」

 

 思わず大きな声を出したンフィーレアに、エンリは驚いて目を丸くした。

 先ほどからまったく話が進まない状況に、見かねてネムが助け舟を出す。

 

「うん。いいよ、ンフィー君。家を使っても。ンフィー君なら変な事とかしないから安心だもんね」

「そ、そうですな。何やるかは分かりやせんが、ンフィーの兄さんなら大丈夫でしょう」

「ええ、そうっすよ」

 

 妹に続き、ゴブリンたちもまた擁護する状況に、まだ疑念は残るもののエンリは「まあ、いいか」と思った。

 

「うん、じゃあ、いいよ。私は部屋にいるからね」

 

 そう言うと、エンリは自分の家へと足を向けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その背を見送り、ンフィーレアは大きく深呼吸する。

 だが、それでもまだ空気が足りない。

 バクバクと高鳴る心臓が、まるでこれからやることを急かしているような気分になる。

 

 ンフィーレアはごくりと生唾を飲み込み、必死で(はや)る気持ちを抑え込もうとする。

 

「本当にやるんですかい? ンフィーの兄さん?」

 

 そうやって気持ちを落ち着けていると、ゴブリン集団の1人、カイジャリが声をかけてきた。

 

「う、うん。やるよ」

 

 ンフィーレアは決意と共にうなづいた。

 

「最近、僕は薬づくりの方に集中していて、エンリとは距離を詰めていなかった」

 

 その心の内を吐露する。

 

「でも、それは言い訳だ。僕は自分の心に向き合うことが出来なくて、逃避として新薬の開発にのめり込んでいただけなんだ。正直な話、僕は怖かったんだ。もしエンリに告白して、そしてもし断られて、2人の関係が壊れることが。エンリが僕に今までとは違った表情を向けることが……。そんなことになるくらいなら、このあいまいな関係でもいいと思っていたんだ。でも……」

 

 きっと前を見据える。金色の髪の間から覗くその目が見つめるものは、はるか遠く。

 

「でも、このままでは駄目だ。このままでは何も変わらない。僕は関係を変える。僕は……エンリとの関係を! 仲を進める! 僕は……エンリの恋人に……なる!」

 

 皆の前で放たれる、固く心に誓った言葉。

 だが、カイジャリの顔に浮かぶのは、相変わらず困惑の表情のままだった。

 

「いや、そりゃあ、いいんですがね。ンフィーの兄さんと姐さんがくっつきゃあ、そりゃ万々歳でさぁ。ですが、その……助言されたっていう、そのやり方っつうのは……」

 

 その言葉には、気合を入れていた心も思わず及び腰になってしまう。

 

「う……た、確かに意味は分からないけど、ベルさんから教えてもらったやり方だし……。それに、もしかしたら僕達男にはわからなくても、女性としてはそういうのもいいのかも……」

「いや、私も意味分かんないよぉ……」

 

 これからやる訳の分からない行為について、自分自身を無理矢理納得させるかのごとき言葉だったが、それが耳に入ったネムも思わずつぶやいた。

 

 せっかく心を奮い立たせたのに、なんだかだんだん気持ちが()えてきてしまった。

 

 止めようかな……。

 そんな言葉が頭に浮かんでくるが、そんな弱気な考えを頭を振るって追い払う。

 

「よし! 行ってくるよ」

 

 固く拳を握りしめ、揺るがぬ決意を胸にンフィーレアはエンリの家へと大股で歩いていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ええっと、これが使えるかな……」

 

 行李(こうり)の中から引き出してきた服を手にエンリはつぶやいた。

 

 エンリとネム共用の部屋。今そこのベッドの上には数着の服が並べられている。

 

「うん。これなら少しサイズを合わせればンフィーでも着れるはず」

 

 いま、彼女の手にあるのは男物の服だ。だが、やや大柄な人物のものらしい。男性としては細身なンフィーレアが着るには大きすぎる。

 

 エンリはその手の服をしばし、じっと見つめた後、胸にかき抱いた。

 服から漂う懐かしい香りが、彼女の鼻孔をくすぐる。

 

「父さん……」

 

 いま彼女が手にしているのは、あの襲撃で彼女を守って命を失った父の服だ。

 

 

 あの時の事は今でも夢に見る。

 家々の焼ける匂い。耳に響く悲鳴。下卑た男の笑い声。流れる鮮血の色……。

 「はやくいけ!!」というあの時の……エンリが聞いた最後の言葉が今でも耳に残っている。

 あの不条理に対する怒りは癒えることなく、じゅくじゅくと化膿し続ける傷口のように彼女のうちで(うず)き続けている。普通に過ごしていても、ふとしたきっかけでその心に黒い汚わいのような感情が流れ込んでくる。自らさえも傷つけようとするほどの、荒れ狂う負の感情が。

 

 だが、そんな感情をその身のうちに抱えつつも――自分たちを取り巻く環境は変わっていく。

 ゴブリンたちが新しい家族として加わり、村にバレアレ一家が移住し、そしてオーガらも住み着くようになった。

 当のエンリもすでにただの一村娘ではない。このカルネ村の村長だ。今はまだ、()村長に色々頼っている状態だが、いつかは自分一人で村の事を判断し、決められるようにならねばならない。

 彼女の決断次第では、村の者達の命さえも左右することになる。その圧倒的な責任感の重さの前には、エンリ個人の黒い感情など心動かす余地もなく抑えつけられている。

 たった一人の気持ちを(おもんぱか)って、世の趨勢(すうせい)は留まっていてはくれない。

 ましてや、ただの少女一人の為に。

 

 

 この服もエンリにとって亡き家族の大切な思い出ではあるが、このまま朽ち果てさせるよりは有効に使った方が良いだろう。

 

(ごめんなさい。いいよね、お父さん)

 

 そんな気持ちを胸に抱いていると、玄関の扉が開閉する音が耳に入った。

 先程、家で作業したいといっていたンフィーレアだろう。

 

 その音を契機に、気持ちを入れ替える。

 目の端に溜まっていた涙をぬぐう。

 

 湿っぽいのはこれで終わり。

 さあ、自分の仕事をしなくちゃ。

 ンフィーは作業着以外の服がないって言ってたから、普段着用の服を……そうね、とりあえず2着あればいいかな? うん。それくらいならば、今日だけで終われるだろう。一から服を作るのでもなく、サイズ合わせをすればいいだけだから。じゃあ、さっさとやってしまおう。

 

 そう意気込み、戸棚から裁縫道具をひっぱり出す。 

 そうして、(つくろ)いに必要な道具を取り出していった時、各色の糸を入れていた箱が手から滑り落ちてしまった。

 音を立てて、床に落ちる。

 

 「あちゃー」と思い、散らばった糸巻きを拾い集めようとしたとき――。

 

 

 ドン!

 

 壁が音を立てた。

 

 

 突然の音に思わず、身体がビクッとした。

 

 そうして身をすくめる事、数秒。

 ゆるゆると固まった体を戻す。

 

 なんだろう? 今の音は?

 隣から聞こえてきた。

 いや、隣の部屋というより壁からだ。

 何かが壁にぶつかった?

 今、隣の部屋にいるのはンフィーのはずだ。

 どうしたんだろう?

 

 耳を澄ませてみるが、隣からは何の物音も聞こえてこない。

 

 なにか、作業するときにぶつけちゃったのかな?

 

 そう思い、床に転がり落ちたものを拾い集め、戸棚をバタンと閉める。

 すると――。

 

 

 ドン! ドン!

 

 再び音がした。

 それも今度は2回。

 

 

 それで気づいた。

 この音は、エンリが音を立てたときにンフィーレアが壁を叩いているんだと。

 

 いささか、ムッとするものを憶えたが、隣にいるンフィーレアはよく分からないけれども大切な事をしているんだろう。気がたってしまうのもしょうがないかと思い、出来るだけ音を立てないように作業を始める。

 

 

 そうして無音のまま、手を動かすことしばし。

 作業しつつ耳をそばだてるも、隣からの音は全く聞こえない。

 そうしている間に作業に一区切りがつき、ふうと髪をかき上げ、椅子に座り直した時――。

 

 ――椅子の足がズズッと床をこすった。

 

 その音にエンリが「あっ」と思う間もなく――。

 

 

 ドン! ドン! ドン!

 

 

 三度(みたび)、壁が叩かれた。

 

 その音を聞くやいなや、エンリは立ち上がり、隣へと続く扉を勢いよく押し開けた。

 

 

「ちょっと! ンフィー!」

 

 扉をくぐると、そこには壁際でビクリと身を揺らすンフィーレア。

 

「エ、エンリ……」

 

 エンリは完全に腰が引けているンフィーレアにつかつかと近づくと、すぐそばの椅子に座るように言った。

 おとなしく言われるがまま、腰かけるンフィーレア。

 

 そして、立っている自分より頭が下がった彼に、体を曲げるようにして目線を合わせ、腰に手を当てて言った。

 

「あのね、ンフィー。ンフィーが大切なことをしてるのは分かるよ。ンフィーの作る薬は村の人の役に立ってる。うん、それは認めるよ。でもね、こういうのは駄目でしょ! 音がしたら自分の作業に集中できないからといって、壁をドンドン叩いたりして! そうやって、人に迷惑をかけるのは良くないよ。それにね……」

 

 ぷんぷんと怒り顔でお説教を続けるエンリを前に、ンフィーレアは肩を落としてうなだれるしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「駄目じゃないですか」

「あっれー、おっかしいな」

 

 その様子を、例によって〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉とシャドウデーモンの実況で見聞きしていたアインズとベル。

 鏡に映る姿はどう見てもエンリとンフィーレアの関係が深まったとは言い難い。

 

「仲良くなるどころか、見るからに険悪ですよ」

「おかしいですね。たしか、『壁ドンとか乙女の夢だよね。もし、イケメンにされたら心ときめく』って茶釜さんも言ってたんですが」

「いやいや、これでときめくってないでしょ。どう考えても、ただの嫌がらせですよ。本当にこれがその『壁ドン』なんですか?」

「ええ、これで合ってるはずですよ。ペロロンチーノさんも言ってましたし。『世間一般には誤解されたものが広まってるが、本当の壁ドンっていうのは隣の部屋とかがうるさいとき、壁をドンと叩いてやる事なんだ』って」

「そうなんですか?」

「ええ。ちなみに昔、ペロロンチーノさんが隣の部屋にいた茶釜さんにやったら、ぶんなぐられたって言ってました」

「駄目じゃん」

「まあ、姉弟なのに恋愛シチュをやったからかなー、と思ってたんですが。もしされたら心ときめくと言いつつも、実際されたら殴りつけるとか、女心は複雑ですね」

 

 やれやれと、椅子の背もたれに身を預ける。

 

「それでベルさん、これは駄目だったわけですが、他に何か良い案ありませんかね?」

「他にですか。そうですねぇ、……そうだ、『ヤンデレ』っていうのがありましたね」

「一応やる前に聞きますが、どういうのです?」

「えと、大まかには精神的に病むほど人を愛したうえで常軌を逸した行動をとるというヤツで……。そうですね。カルネ村で出来るのっていったら、……エンリをどこかに拉致監禁して、ンフィーレアの事が好きになるまで調教するとか……」

「ただの犯罪じゃないですか! なんですか、それ!?」

「いや、これでも100年位前、21世紀初頭あたりに流行したシチュエーションだそうですよ。ペロロンチーノさんに聞きましたし」

「100年前の人間って頭おかしかったんじゃないですか?」

「その可能性は無きにしも非ずですな」

「とにかく。とにかくですよ。もう一度案を練り直しましょう」

「そうですね」

 

 そう言うと、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の起動を停止し、シャドウデーモンらに撤収を指示する。

 そして、ただの鏡となった〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を横目に、2人はエンリ×ンフィーレア計画を進めるため、さらなる話し合いを続けていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……それでね、ンフィー。言いたいことがあるのなら、ちゃんと口で言わないと伝わらないよ。私たちは人間なんだから。自分の思いは言葉にして……」

 

 ベルが助言をくれはしたものの、ついさっきまで自分たちの様子を監視していたとは思いもよらないンフィーレアは、言われたとおりにしたのに何が悪かったんだろうと、心の中で自問自答していた。

 そうして、欝々(うつうつ)とした感情に気をとられ、エンリのお小言をつい聞き流していると――。

 

「ンフィー。聞いてるの!」

 

 ――と声をかけられた。

 慌てて顔をあげると目と鼻の先には、エンリの顔。

 ほんのすぐの距離にある、恋する女の子の顔に、ンフィーレアは返事も出来ずに唾をのんだ。

 

 すると、不意にエンリはその顔に浮かんでいた険のある表情を曇らせ、ンフィーレアの顔を覗き込んでいた姿勢を正し、ふうと大きくため息をついた。

 

 

 そして、ぎゅっとンフィーレアの頭をその胸にかき抱いた。

 

 

 突然の事に混乱するンフィーレア。

 

 今、彼の頭は優しく少女の腕に抱えられている。

 その顔面は丈夫なごわごわとした服越しに、彼女の、同年代の女性と比するとややつつましやかな双丘の感触を感じている。

 

 まったく予期せぬ、そして突如として訪れた幸運事にンフィーレアの思考は千々にちぎれ飛ぶ。心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。

 落ち着こうと深呼吸しても、その口と鼻の接している所から服越しに感じる少女の汗の匂い、エンリの名誉を考え言いかえるならば甘い匂いが胸いっぱいに広がる。

 

 そんな状況に、いつ果てるとも知れない眩暈にも似た感覚にとらわれ、時間すらも忘れていると、エンリにその肩を掴まれ、その身を離される。

 いまだ思考もままならない状況で、呆と見上げるとその額に、エンリの額がくっつけられた。

 

 そうして、彼女の体温をおでこ(・・・)で感じていると、エンリが目をつむったまま語りだす。

 

「ごめんね、ンフィー。ンフィーも大変だったんだよね。ンフィーの故郷のエ・ランテルはなんだかすごいことになっちゃって、それでこっちに移り住むことになって。街の暮らしと、こんな田舎の村じゃ勝手が違って落ち着かないよね。ンフィーも……やっぱりつらい事がたくさんあったんだよね。でも男の子だから、弱音も吐けないで頑張っていたんだよね。ごめんね。気づいてあげられなくて」

 

 エンリは額を離すと、ンフィーレアの両手をやさしく包んだ。

 

「ンフィー。慣れない環境で大変だと思うよ。でもね、私がいるよ。私だけじゃない。ネムも、ゴブリンさんたちも、それに他の村の人たちだって。困ったことがあったら何でも言って。出来ることは限られてるけど、出来るだけ頑張るよ。だって、ンフィーはこの村の、私の、大切な……家族なんだから」

 

 つたないながらも、ンフィーレアを(おもんぱか)り、己の心の内をありのままに伝えるその言葉に、ンフィーレアの固くなっていた心が解けていくようだった。

 

「は、ははは……ははははは」

 

 朗らかな笑い声をあげたンフィーレアに、エンリは目をぱちくりとさせる。

 

「ごめんね。そしてありがとう、エンリ。心配してくれて」

 

 今、ンフィーレアの心からは、早くエンリの気持ちをとらえないとという焦燥や、自分はエンリにはふさわしくないのではないかという卑屈な忸怩(じくじ)たる思いは消え去っていた。

 

 「ああ、僕はここにいるよ、エンリ。これからもずっと一緒さ」

 

 ンフィーレアは立ち上がると、エンリの手をあらためて握る。

 残念ながら、その手はあまり柔らかくはなく、日々の農作業により固くなっていたのだが、その手から安心するような彼女の体温を感じる。

 

 この温かさをずっと守っていこう。

 エンリの傍らで。

 そして、それは僕一人だけじゃない。みんなでだ。

 

 先ほどまでと人が変わったような友人の様子に、少々驚きの表情を見せるエンリ。

 そんな彼女を顔を見つめ、ンフィーレアは思った。

 

(そうか、ベルさんはこうなる事を予想していたのか。僕の、一足飛びにエンリと仲を進めなくてはと焦る凝り固まった心を一度打ち砕いて、本当に大切なものに気づかせようとしてくれたのか)

 

 ンフィーレアは憑き物が落ちたような晴れやかな面持ちで上を見上げる。

 その視線は空を見上げることなく、薄汚れている木組みの天井で阻まれたが、その心に浮かぶものは自分にとって何が重要か気づくきっかけをくれた恩人である銀の髪を持つ少女の姿であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 所変わって、再びナザリック第9階層執務室。

 ここでは、誤用として広まった『煮詰まった』という言葉がぴったりとくるような有様であった。

 

 2人の横にあるボードにはいくつもの案が書かれては消され、書かれては消され、『役立たずここに眠る』、『羊の呪い。呪ってやる』、『男なら、水鉄砲で勝負しろ』、『オレンジを食べる』といった訳の分からない言葉が羅列されていた。

 

「あー、もう! ちょっと待った!」

 

 アインズは何もない空中に浮かんだものをかき消すように両手を動かす。

 

「待ってください! 落ち着いて! もう一度最初から考えてみませんか? エンリとンフィーレアをくっつけるため、もう一歩踏み込ませるだけですよ。あんまりひねる(・・・)必要もないじゃないですか」

「ふむ、確かに。そもそも、ひねり(・・・)は必要なかったかもしれないですね。シンプル・イズ・ベストと言いますし」

「そうですよ。こうですね。恋人同士が仲良くするような……」

 

 そう言ってアインズは恋人同士の甘い逢瀬を頭に浮かべる。 

 

 

 その頭に浮かんだのは、こじゃれた街のオープンカフェ。

 太陽がさんさんと照り付ける空の下、そこにエンリとンフィーレアが並んで座っている。そして、ンフィーレアがフォークでケーキをひとかけら切り出し、エンリに「あーん」と言って差し出す。言われたエンリは控えめに口を開いて、そのケーキを食べ、その舌先に感じる甘さに幸せそうな笑みを浮かべる。その表情にンフィーレアもまた微笑み、エンリの頭を撫でてやる。慌てて照れるエンリに「かわいいね」と声をかけた。

 

 

 そんなアインズらの生きていた頃から一時代は昔のイメージが頭の中に浮かんだ。残念ながら、本人の実体験に基づいたものではなく、本やゲーム、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーから聞いた話をもとにした陳腐極まりないものだったが。

 

「ほら、ベルさん。とてもシンプルに。こう……陽光の降り注ぐ空の下、ンフィーレアがエンリに甘いものを食べさせて、それでエンリが幸せそうな顔をして。そしてンフィーレアはそれを見て、頭を撫でてやったり、かわいいとか言ってやって笑ったりとか、そういうのですよ」

 

 ふむ、とベルは今言われた事を頭の中で想像してみる。

 

 

 

 太陽がさんさんと照り付ける空の下。

 青々とした緑がまばゆい風薫る季節。海原のようになびく草原を見渡す丘にンフィーレアとエンリはいた。

 ンフィーレアはやおらポケットに手を突っ込むと――。

 

「そら、エンリ。角砂糖だぞ」

 

 そう言って白く輝く立方体を放り投げる。それも二つも。

 エンリは目を輝かせると、大きく跳躍して、空中でその角砂糖を口でとらえる。優雅に飛び上がり一つ口に入れた刹那、雷光のように身をくねらせ、残るもう一つもその口にとらえた。

 

「よーしよし。いい子だ、エンリ」

 ンフィーレアは角砂糖の甘さに頬を緩めるエンリの頭を撫でてやる。

 

 次の瞬間、なぜか想像の中のンフィーレアの様子が変わり、その顔が包帯でぐるぐる巻きにされていた。

「ふふふ。昔、ちょいとエンリにじゃれつかれ、さわられただけで、僕の顔面はご覧の通りメチャメチャさ。しかしカワイイやつよ……」

 

 そう言って、誰を相手にしているのかは知らないが、不敵に笑った。

 

 

 

「うーん。……たしかに……愛情かもしれませんが、それでいいんですかね?」

 

 言われたキーワードから脳裏に浮かんだ自分の想像に首をひねるベル。どう考えても、恋愛方面にはならない気もする。

 だが、アインズは力強く、確信を込めてうなづいた。

 

「いえ、ベタでもこういうのがいいんですよ。ひねりは無しで」

「んんー……? ひねりまくってる気も……」

 

 そう言いつつも、ベルはまあいいかと思う。

 すでに一度、ベルが考えた『壁ドン』の計画は失敗に終わった。次はアインズの策を試してみるのもいいのではないか?

 

「ふむ、そうなると……角砂糖が必要になりますね」

「角砂糖?」

 

 ベルのつぶやきに、何の事だろうと頭をひねったアインズだったが、すぐに「ああ、なるほど」と思い至った。

 

「ええ、そうですね。角砂糖とかあるといいですね」

 と、同意した。

 

 アインズの想像の中にある喫茶店のシーン。

 その中では、相手の紅茶に砂糖をどれくらい入れるか聞き、そして入れてあげるというシチュエーションもあった。そこで砂糖をスプーンですくわずに、指で角砂糖を一つずつ(つま)みあげて入れてあげるという演出に使うんだろう。

 

(さすが、ベルさん。俺が細かく言わなくても、様々な展開に合わせ、色々な小道具の手配まで考慮してくれるなんて。嫉妬マスク非保持者なだけはあるなあ)

 

 あらかたの仕切りはベルに任せておけば安心だなと、アインズは満足げにうなづいた。

 

「よし、分かりました。とりあえずはその計画で進めてみましょう。今度こそ、エンリとンフィーレアの仲を進めてみせますよ」

「ええ、やりましょう」

 

 力強くうなづく2人。

 

 

 

 

 

 ああ。

 もしこの場に神の視点を持つ第三者がいたのならば――。

 

 

 

 




 アニメではアインズ様が壁ドンをしてましたね。
 パンドラに。


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第38話 ボーイ・ミーツ・? -1

 なんと今回、久しぶりにベルが主役です。

2016/8/3 「食べ追えると」→「食べ終えると」 訂正しました
2017/2/15 「数敵」→「数滴」 訂正しました
2017/5/31 「張られて」→「貼られて」、「見せる」→「みせる」、「押さえきれなかった」→「抑えきれなかった」、「話声」→「話し声」、「例え」→「たとえ」、「できるに」→「できるように」、「数件分」→「数軒分」 訂正しました


 女性の声が耳に届いた。

 

(うん?)

 

 扉の向こうから聞こえてきた声に、アインズは机上の書類に向けていた視線をあげる。 

 耳を澄ませてみると、何やら部屋の前で警護をしている者に、慌てて取次ぎを頼んでいる声が聞こえてくる。

 

(今のはソリュシャンの声か? なんだか、凄く慌てているようだが……。ソリュシャンがここまで慌てるとは珍しいな。一体何があったんだ?)

 

 疑問に思い、室内に控えていたメイド――シクススに、ソリュシャンを通すよう命じる。

 

 彼女が外へ行き、警護の者に話を通すと、ソリュシャンが執務室の中へと入ってくる。

 やや急ぎ足で。

 アインズの傍らに控えていたアルベドが片眉をピクリと跳ね上げた。

 

 そしてガッと、音を立てるほど勢いよく、アインズの前で片膝をつく。

 

「アインズ様! お騒がせして申し訳ありません! 火急の用にて失礼いたします!」

 

 息せき切ってやって来たソリュシャンの様子になにがあったかと、非礼を詫びる言葉を遮り、先を促す。

 

「よい。お前の様子から察するに、急ぎで知らせねばならぬ用なのであろう。非礼を咎めはせぬ。聞かせるがよい」

「はい、アインズ様。ベル様なのですが」

「ベルさんがどうした?」

「ベル様が、一人でナザリック外にお出になられました!」

「……なに?」

 

 その答えは、いささか意表をつかれた。

 

 ベルはとにかく慎重に行動するタイプだ。とにかく虎穴にいらずんば虎児を得ずとばかりに突撃するタイプではない。常に先々の事を考え、失敗に備える。一つの失敗をした時の為に予備策を。二つの失敗をした時の為に、二つの予備策を。とにかく、念には念を入れ、いくつも次善策をこうじ、警戒するような人間だ。

 そんな人間が突然一人でナザリックの外に?

 それも自分に何も言わずに?

 

 アインズは不吉な胸騒ぎを感じた。

 無くなったはずの心臓が早鐘を打つような、幻肢とも思えるような感覚を覚えた。

 

「何か聞いているか?」

 

 念のため、アルベドに問うてみるが、彼女は無言で首を振る。シクススもまたプルプルと首を振った。

 

 ソリュシャンに目をやるが、……当然、知っていようはずもない。知っているのなら、こんなにも慌てて報告しに来る必要もないのだから。

 その時、ソリュシャンが手にしていた封筒を差し出した。

 

「アインズ様。恐れながら、これがベル様の私室に」

 

 膝をついたまま差し出された封筒。合図するとシクススが受け取り、アインズの前まで持ってくる。

 

 やや青みがかった白い封筒、その表には、「ソリュシャンへ、この封筒をアインズさんへ渡すように」と書かれた薄緑色の付箋が貼られている。

 

 一体どうしたんだろう? 何か重大な事が、それも緊急であったのだろうか? 

 緊張のあまり震えそうになる指先を何とか抑え、封を開ける。中には数枚の便箋が折りたたまれ入っていた。

 はたして何が書いてあるのだろうか? 急いで中を見て確かめたいという気持ちと、中を見る事で不穏な事実を突き付けられたくないという気持ちが拮抗する。

 相反する気持ちに心の天秤が揺れ動くが、意を決してそれを開いた。

 

 薄桃色の便箋、その一枚目にはこう書かれていた。

 

 

 

   『働きたくないでござる』

 

 

 

(あの人は……)

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ああぁぁーー」

 

 ベルはソファーに寝っ転がったまま、グーッと伸びをする。

 勢い良く手を下ろすと、下に敷かれた柔らかなクッションによって身体がフヨンフヨンと跳ねた。

 

 今度は体を半回転させ、うつ伏せになり、また両手両足を突っ張らせて背をそらすように伸びをする。

 

「いっやぁ、人生メリハリが必要だよね。働いてばっかりじゃなくって、たまには休まなきゃ」

「俺はいま働いてるところなんですけどね」

 

 先ほどから同じ室内で、ごそごそと動いたり、何か喋ったりするベルに気をちらされながらも、机に向かって書類を片づけていたマルムヴィストがぼやく。

 

 

 ここは城塞都市エ・ランテルに居を構える、今各勢力から注目の的にして話題沸騰中のギラード商会。

 その中の最も奥まった部屋。まさしく、商会のトップたるものが過ごす絢爛豪華な部屋である。

 あまりに絢爛豪華過ぎて、普通の人間が入ったのならば、部屋中に荒れ狂う毒々しい色の奔流と成金趣味による下品かつ悪趣味極まりない装飾に、開いた口が塞がらないこと間違いなしの空間だ。ギラード商会の元トップ、ギラードが集めた装飾品の数々は、あまり芸術に興味もなく、詳しくもないベルの目には派手で鬱陶しいなと思う程度だったが、芸術及びファッションのセンスがあるマルムヴィストには、もうこの部屋にいるだけでウンザリさせられるという、ある意味(たくみ)の部屋であった。

 

「それにしても、ボス。今日はソリュシャンさんは一緒じゃないんですか?」

「いや……今日は休暇だし……自主的な」

「……自主的って、サボりですか? 後で怒られますよ」

「怒られるのは仕方がない。全ては俺の選択だ。だが……だが、俺はそんな未来しかないと分かっていても、必死であがいてみせる。今日という日を、必死で生きねばならないんだ」

「サボりを無駄にかっこよく言われても……。それに心配してるんじゃないですか?」

 

 その言葉には思わず、ウッとうなって言葉を失う。

 

「いや、大丈夫だよ、……たぶん。それに一応、置手紙は置いて来たし」

 

 私室の机の上には、アインズに届けるようにと付箋(ふせん)をつけて、ちゃんと書置きをしておいた。

 エ・ランテルに行ってくる旨と、危険なことに首を突っ込むことは無いから心配する必要はないと書いておいたので、まあ、大丈夫だろう。

 

 帰ったら、怒られるくらいで。

 

 

 今回の行動が、仕方ないでは済まされない程のものであることはベルも重々承知している。ザイトルクワエ戦が終わり、外への警戒は引き下げたとはいえ、まだ他の強者についての調査は完全には済んではいないのだ。

 軽率のそしりを受けても、しょうがない行為だ。

 

 だが、どうしても、どこかに行きたいという衝動は抑えきれなかった。

 

 

 それはここ最近の働きぶりにある。

 

 もともとは、ベルはギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する至高の41人の娘という設定であり、あくまでギルメンへの見習い期間とでも言えるような扱いを受けていた。それに現地での橋頭保を作るという名目でカルネ村の運営に関わり、頻繁にナザリック外部へおもむくなど、わりと自由な身分であった。

 対して、当初のアインズは常にナザリック地下大墳墓主人としてのロールプレイを続けねばならず、精神的に参ってしまっていた。

 

 その為、新たな情報収集に気晴らしもかねて、アインズがモモンとしてエ・ランテルで冒険者として活動し、ベルはカルネ村やエ・ランテルでの活動をしつつも、ナザリック内での仕事を肩代わりすることになったのである。

 

 だが、段々とその比重が変化してきた。

 

 アインズは、冒険者モモンとしてエ・ランテルで確固とした地位を築いていった。

 それ自体は良いのだが、そちらに時間をとられて、ナザリックに戻る時間がどんどん減っていったのである。

 

 対してベルの方はというと、最初はエ・ランテルでの情報網の構築や、裏社会の掌握など、悪のフィクサーっぽくて楽しかったのだが、段々とそれも飽きてきてしまった。

 情報と言っても、そうそう刺激的な情報などはなく、ただ誰と誰の関係がどうなったとかゴシップのようなものが多かった(それも人心掌握としては重要な物ではあるが)し、裏社会の掌握も最初は見せしめでどこかを襲撃するなどしていたものの、軌道に乗るにつれ、傘下に降った者達が彼らだけでうまく回すようになり、もうベルの手をすっかり離れてしまっていた。

 そして、カルネ村の方でも結局、農業関係には手は出せなかったし、進めていた防壁建築も終わってしまい、することが無くなっていったのだ。

 結果、ベルはたまに視察としてカルネ村やエ・ランテルのギラード商会に行く他は、ひたすらナザリックで書類整理するしかなかったのである。

 

 来る日も来る日もあげられてくる書類に目を通し、各地に配備しているナザリックおよび自分たちに組する者達の現状を確認して、次なる指示を出す日々。

 

 そんな毎日に嫌気がさしてしまっていた。

 

 特に、この前、蜥蜴人(リザードマン)の村へ救援に行った際の事。

 ザイトルクワエという高レベルキャラの存在が予期されたことを受け、ナザリックの者達を総動員して厳戒態勢を敷き、そいつとの戦闘及び漁夫の利を狙うかもしれない他勢力の襲撃に備え、万全の態勢を整えた。

 整えたにもかかわらず――大したことも無かった。

 結局のところ、大山鳴動して鼠一匹の言葉の通り、ザイトルクワエはただ単に80レベル程度のモンスターにすぎなかったし、警戒していた他勢力の存在など影すらも見えなかった。

 なんだかもう気をはっていたのが馬鹿らしくなるほどだった。転ばぬ先の杖という事で、注意を払いはしていたものの何事もなく済んだというのは良い事ではあると頭ではわかっていたが、それでも、無益な労力をはらったという印象がぬぐえなかった。

 

 なんだか、もう色々なことが面倒くさいな。

 

 ふと自室に一人でいたとき、脳裏に浮かんだ言葉。

 そんな考えに取りつかれたとき、衝動的に手紙だけを残し、ナザリックを抜けだしてきてしまったのだ。

 

 

 今、落ち着いて考えてみると、自分のこの行動は拙いという事はよく分かる。

 残してきた者達に心配もかけるだろうし、怒りもするだろうという事は十二分に分かってはいる。

 分かってはいるのだが……。

 

 

「まあ、やってしまったものは仕方がないわな。最悪、後で土下座でもすればいいだろ」

 

 もう、その胸の内にあるのは、どうせ後で怒られるのなら、今日は出来るだけ遊んでやろうという諦めと開き直りの心持ちであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 かつり。

 

 足音が建物内に響いた。

 

 騒々しいとまではいわないが、あちらこちらで話し声の絶えない屋内、その全ての者が、そのたった一人の足音を耳に止めたわけではない。

 だが、入り口付近にいた者がその音に振り向いて言葉をなくし、その様子に気づいたまた別の者が振り返っては黙り込みと、まるで一斉に潮が引いたかのように冒険者組合の建物から音が消えていった。

 

 無音の空間に、彼女の足音だけが響く。

 

 彼女からすれば、自分の足音を消すことなど、息をするくらい簡単な事なのだが、戦いの場に身を置く者達からすると、足音を消して近づかれることは不快と判断されることも多い。

 もちろん、たとえ不快に思うものがいようとも、彼女にわざわざ喧嘩を売ろうものなどこの場にいるはずもない。

 だが、彼女がここに来たのは別に争いに来た訳ではない。

 そのため、他者への一応の礼儀としてわざと靴音高く歩いた。

 

 まるでバジリスクに睨まれたかの如く、身じろぎ一つする者すらいない中、彼女は受付へと歩み寄る。

 受付の女性職員と、彼女が入ってくるまで話し込んでいた冒険者が、よろよろとよろめくように後ずさり、場を譲った。

 

 受付嬢の前、カウンター越しに彼女が立つ。

 静寂の中、ごくりと喉を鳴らす受付嬢の目は、目の前に立つ小柄な女性、その首から下げられた冒険者のプレートに注がれている。

 

 その女性は首からプレートを外すと、それを受付嬢に差し出し、「組合長に会いたい」と告げた。

 

 受付嬢は震える手でプレートを受け取り、その裏に書かれている文字を確認すると、緊張に上ずった声をあげた。

 

「は、はい! 直ちに! ようこそおいで下さいました。蒼の薔薇のティア様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガタン、ゴトン。

 

 馬が歩みを進めるたびに、車輪が路面の石を踏み、馬車が揺れる。ちゃんとした街道とはいえ、帝国側のものとは大違いだ。

 

 揺れる馬車の重さに耐えつつも、それを曳く立派な体躯の馬は少しずつ丘を登っていく。

 

「あの丘を越えれば、エ・ランテルが見えるぞ。アレックス」

 

 馬車の手綱をにぎる髭面の男が隣に座る少年に言った。

 「へぇ、そうなんですか」と明るく答える少年。

 長い黒髪を結い上げて後頭部でまとめ、くすんだ銀色のバレッタで留めている、一見すると女性にも見える線の細さだ。とてもではないが荒事などは出来そうにもないが、その実、行商人らしい緩やかな布地の服の上から、厚手の布を巻き付けるようにして隠されたその身体は、戦う者として鍛え上げられたものである。

 

「よし、あと一息だ。がんばれ」

 

 隊商の誰かがそう口にする。

 旅に加わったもの全てが、あの立派な城塞が目に入るのを今か今かと心待ちにしている。

 

 やがて、黒毛の馬は重い荷を曳きながらも、坂を登り切った。

 

 やや小高くなった丘から見渡せるのは、瑞々(みずみず)しい緑に輝く草原。緑の中を貫く茶色い大地が露出した曲がりくねる道、そして、その先にある誰をも寄せ付けぬような暗灰色の城壁。

 

 城塞都市エ・ランテルである。

 

 それを見た隊商の者達は、思わず控えめながら歓声をあげた。

 

 街道周辺は比較的治安がいいとはいえ、旅する者は野盗や忌まわしい怪物(モンスター)の襲撃に警戒しなくてはならない。その旅を終え、目的地が見えたという事は、もはやほぼ身の危険は去ったという事だ。まさか、都市の目と鼻の先で襲撃を企てる者などいない。

 

 皆、そのような襲撃が無かったことに安堵の息を吐いた。

 

 

 ――そういう演技をした。

 

 この場にいる者達、今はごくごく一般的な隊商に偽装している彼らが本気を出したならば、例え、野盗だろうが怪物(モンスター)の群れだろうが、たやすく打ち勝てる。生き残りすら許さず、完全な殲滅も可能だろう。

 だが、あくまで一般的な隊商としては襲撃を恐れるものである。今、こうしているうちにも、どこに目があるか分からない。そのため、このように普通の隊商の振る舞いを真似てみせる必要があった。

 

 それに、そもそも出来るだけ、そのような戦闘は避けたかった。

 いかに労を払おうとも、その痕跡を完全に消し去るのは容易ではない。盗賊などの心得のあるものならば、戦闘の痕を発見されてしまう恐れもある。

 そうなった場合、何者が襲撃者を返り討ちにしたのかという話になり、巡り巡って自分たちの素性がばれてしまう恐れもあるのだ。

 彼らがスレイン法国の秘密部隊という素性が。

 

 

 そう、彼らはただの隊商ではなく、スレイン法国が他国へ人員を派遣する際に隠れ蓑として利用する偽装部隊である。

 

 実際に商人として活動するかたわら、旅する者達に紛れ、多種多様な人や物を他国に秘かに送り届け、また法国へと移送するのが目的だ。

 

 その移送するものは多岐にわたる。

 法国から追われ捕らえられた罪人だったり、世界を揺るがせかねないマジックアイテムだったり、一国をも転覆させることも可能な戦闘員だったり。

 

 無論、街道を使わず、街にもよらずに秘かに活動する場合もある。

 だが、領地を治める王国、帝国とも、そこに仕える人間はけっして木石ではない。いかに訓練された者達だとしても、それが多勢であるのならば、完全に目撃されずに動くのは困難極まりないものであり、発見されれば、その目的が露見してしまう危険性をもはらんでいる。

 その為、こうして正規のルートを通って、多くの人と共に行動した方が、木の葉を隠すには森の中という事でかえって目立たず動けるのだ。

 

「じゃあ、行くか。さっさと街に入っちまおう」

 

 このキャラバンのリーダー格である、少年の隣に座っていた髭面の男が皆に声をかける。

 その声に、皆も声をあげる。ゴールが目の前に見えれば、やる気も上がるというものだ。

 

 彼らは全員がスレイン法国の人間であるが、一つの部門に所属している人間という訳ではない。

 この商人としての顔も持つ移送を専門とした部隊専属の者達の他は各種組織、部門からその時々に応じて、様々な人間が配備されては、目的地に着いた途端いなくなる。そして、またその地で別の場所へ向かう者達がキャラバンに加わるという訳だ。

 誰がどこの部署の者なのかは、はるか遠い本国において手配をする者以外、誰も把握していない。あくまで移動する際だけの同行者であるし、互いに知らなければ万が一にも情報が漏えいする心配がないだろうという判断からである。

 

 その為、髭面の男に言われて、街へ持ち込む売り物のリストを荷物の中から探しているアレックスと呼ばれた黒髪の少年の正体もまた、共に旅してきた数十名の中でも、本人含め数人しか知りえなかった。

 

 彼の正体が、法国でもごくわずかのものにしか存在をも知られていない六色聖典の一角である漆黒聖典、その第一席次であり、またその漆黒聖典の隊長であるという事実は。

 

 

(エ・ランテルか……。この街ならば、トブの大森林とも近い。森に異変が起きているならば、噂レベルでもなにか流れているはずだ。それにここは冒険者モモンの拠点。なんとか情報を掴みたい。それと、クワイエッセ、ボーマルシェから現況報告を受けなくてはな)

 

 これからの事を考えつつも、(たらい)の下に挟まっていた書類を見つけてひっぱり出し、彼は少年らしい笑顔を顔に張りつけ、男に手渡した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「いやぁ。まあ、たまにはいいんじゃないですか? 羽を伸ばすことも必要ですって」

 

 マルムヴィストは上機嫌で追従(ついしょう)の言葉を口にし、でっぷりと太った男がにたり(・・・)と不気味に笑う様が彫刻された金の杯を(あお)った。

 器は、いかにも悪趣味極まりないが、その中身はまさに絶品。

 酒を満たした杯をくゆらせると、ヒースの甘い香りが鼻をくすぐる。そして、口に含んだ瞬間、舌先にシロップのような甘さを感じさせるものの、それが口いっぱいに広がると甘さは瞬く間に消え、プラムのような香りを併せ持つナッツを思わせる味わいへと変わる。そして、それを喉奥に飲み干せば、口腔に残るのはコーヒーのようなかすかな苦み。それとともに心地よい香ばしさが後を引き、ついついもう一口、杯が進んでしまう。

 

 マルムヴィストは卓上にある瓶から手酌(てじゃく)で杯に酒を注ぐと、再びそれを口にした。

 ベルもまた、同様に酒を(あお)る。

 

 この酒はベルが持ってきた物である。

 昔、とあるアイテムを作る際の原料としてこの酒がかなりの量必要になった。その為、各種原料を集めてこの酒を大量に作り、それを素材としたのだが、その時の残りをそのままアイテムボックスにしまい込んでいたのだ。

 ゲームであるユグドラシル時代、酒はただの状態変化などを引き起こすアイテムでしかなく、飲んでも味覚すら感じられなかった。だが、ゲームではなく現実となった今なら味が分かるかもと思いひっぱり出して飲んでみたら、これが実にうまかった。その素晴らしさは、漂う香りをかいだだけで、近くにいたマルムヴィストが仕事をほっぽりだして、こうして酒盛りを始める程だ。

 

「まあ、仕事なんて後でいいですよ」

 

 こんなことを言い出す始末である。

 血の香りを漂わせる裏社会の人間ながら、伊達男然として華美(かび)な服装に身を包み、優雅なしぐさに気を使い、また古今東西の美食にも精通しているマルムヴィストですら虜にするほどの美酒。この出会いだけでも、ベルの下に降ってよかったと思ってしまう程の一品であった。

 

「そもそも、お前って書類整理なんて出来るの?」

「そりゃ出来ますよ。こう見えて昔は、色々部下とかの手配とか指導とかしてきたんですから」

「へえ、そうなんだ」

「そうですよ。例えば、どっかを襲うってなったら、探索に長けた奴を何人、戦闘に長けた奴を何人、それと並み程度の仕事が出来る奴――つまり、頭数要員を何人とかって、計画を立てる。手に入る儲けの予想を立てて、その内どれだけを使って、どれだけの技能を持つ奴を集めるか決める。それによって一人一人リストからアップしていって、各人の都合を合わせて、チームを作る。そして、そいつらを引き合わせた上で全員理解できるように――つまり馬鹿でもわかるように噛み砕いて計画を伝える。その計画に必要なものを用意する。実際に使う武器や道具だけじゃなく、そいつらがしばらくどっかに張り付くなり、潜伏するなりするんなら、それに合わせて食料を始めとした生活必需品を手配する……っていうように、とにかく人を動かすって事は、付随するもんが山のようにあるもんですから」

「ふぅん。なんだか、武闘派っていうから、ただ強けりゃいい脳筋かと思ってた」

「そんなのはボス……いや、元ボスくらいですよ」

 

 その言葉に、マルムヴィストらから聞かされた、八本指の構成についての情報を脳の奥から引っ張り出す。

 

(ええっと元ボス、そいつを含む八本指に属する六腕の残り3人か……。どうせならそいつらも欲しいよなぁ)

 

 ベルはそんなことを思った。

 別に是が非でも欲しいわけではない。ちょっとしたおまけでも、それが大したものではないと分かっていても、つい集めたくなってしまうような感覚だ。使える使えないは置いておいても、せっかくだから一セットコンプしてしまいたい。

 そう言えば……。

 

「そういや、今日はペシュリアンとエドストレームは?」

「今日は外を回ってますよ。なんだかんだで、やっぱり自分たちの目で見なきゃいけないこともありますからね。とくに、こう言っちゃなんですが、裏の人間ってまともな連中じゃありませんから、ちょっと目をはなしてると、さぼったり、私腹を肥やしたり、裏切ったりってのはするもんですからね」

「なるほどねー。……でもさぁ、マルちゃんや」

「……俺の事ですか、ボス?」

「他にいないじゃん」

「そんな面白い呼び方、生まれて初めてされましたよ!」

「まあ、それはさておき」

「なんですかい?」

「いや、エドストレームって普段からあんな格好してるんだね。戦う時だけじゃなくて」

「ああ、目立たないようにする時は、上にトーガみたいなのとかふわっとしたの羽織りますが、基本的にあのまんまですよ」

「あの格好のままうろつくのって、露出狂一歩手前レベルじゃん」

 

 その言葉に、思わずマルムヴィストが口に含んだ酒を噴き出す。ベルは慌てて、しぶきを避けた。

 

「ゲホッ、ゲホッ。……まあ、あいつの戦闘スタイルに関しちゃ、特に固い防具とか必要ありませんしね。それに、こういった商売じゃ目立つのも必要なんですよ。とくに俺たちみたいな武力が売りの者はですね。……まあ、それでも、あんな格好必要あるのかよっては思いますが」

「だよねー」

「はっはっは。いっそ、ボスもお揃いであんな服を着てみたらどうですかい?」

「この体形で、あんな服着て誰が喜ぶんだ? 幼女好きにしか需要ないだろ? ロリコン喜ばせてどうするんだ?」

「竜王国中心に活動しているクリスタル・ティアっていうアダマンタイト級冒険者チームの『閃烈』セラブレイトはロリコンらしいですから、ボスが肌さらせばイチコロでこっちに引き込めると思いますよ」

「そんなの引き込みたくないなぁ」

「まあ、今日の服、そのままでもいいとは思いますがね」

 

 そう言って、目の前の見た目だけ美少女を見やる。

 普段の男物のスーツ姿とは違う、ひらひらとしたフリルのついたドレス、いわゆるゴスロリ服に分類される紫色を基調とした女性ものの服。透き通るような銀髪と相まって、まるで整えられた人形のような、神秘的な美しさを醸し出している。

 ただ、その幾重にも折り重なるフリルのついたロングスカートをはだけさせ、片膝にもう片方の足首をのせるように足を組み、その膝に肘をつきながらやさぐれた表情で酒を呷るその姿は、色々と台無しである。

 

 ベルが今着ている服は、一見シャルティアが着ていそうな代物ではあるが、実はアウラからの借り物である。エ・ランテルに行くにあたって、見つからないように普段とは違う服を着ていこうと思ったものの、私物の中には普通の服などというものがなかったため、昔撮ったぶくぶく茶釜のスクショ数枚でアウラから借りたのである。

 そのワードローブを見たときは、その数の多さとセンスに、さすが茶釜さんだなと感心したものだ。

 まあ、たくさんある服の片隅には、スクール水着まであったりしたのだが。

 それも、紺色のものと白色のものの2種類。

 それを見たときもさすが茶釜さんだなと感心した。

 

 ちなみに、その時一緒にマーレのワードローブも見たのだが、そこにアウラのものとまったく同じ形のスクール水着があったことは忘れておこう。

 それもアウラのものと同じく、紺色のものと白色のものの2種類あったことは忘れておこう。

 

 

「正直、動きにくいなぁ、これ。よく世の女の子はこんなもの着れるよなぁ」

「ボスも女の子なんですから、いつもの男物だけじゃなくって、身なりには気を付けた方が良いと思いますが。好きな男とか出来ても、そいつに振り向かれませんよ」

「男とかに振り向かれたくないし」

「うん? もしかして、ボスって女の方が好きってやつですかい? まったく、蒼の薔薇のあの忍者じゃあるまいし……。うーん、こう言っちゃなんですが、そりゃあ、思春期特有ってやつだと思いますよ。まあ、ボスくらいの年頃だと異性に対して警戒心っていうか、敵意みたいの持ったりするもんですが、もう少し大きくなったらまた気持ちも変わりますよ。それに身体つきだって、変わってきますし」

「身体なぁ……。いや、変わらんと思うが」

 

 マルムヴィストも、ベルの背後にはナザリック地下大墳墓があり、数々の異形の怪物(モンスター)達を率いているのは知ってはいるが、さすがにベル本人もまたアンデッドであり、また中身が男であることまでは想像だにしていない。

 

「いやいや、あと数年もすりゃ、ボスだって背も伸びますよ。それにほら、そのブラもつける必要もない胸とかも、そのうち大きくなるでしょう。たぶん」

 

 そう言って、自らの主のまったいらな胸を指さし、ケラケラと笑う。

 常に慇懃な振る舞いをするマルムヴィストにしては、ずいぶんと砕けた物言いだ。

 もしこの場にソリュシャンがいて、今の言葉を耳に入れでもしていたら、マウントポジションで泣くまで殴られるだろう。

 

 こうまで、彼が緩い態度をとるのは、すでにかなり酔いが回っているからである。

 ベルが持ってきたこの酒だが、口当たりはいいものの、実はかなりアルコール分が高い。それを2人はかぱかぱと空けているのである。

 同じアンデッドでもベルは骨だけのアインズと違い、飲食自体は不要ではあっても、その行為自体はできるタイプであるため、味覚を感じることが出来る。その為、こうして飲酒を楽しんではいるのだが、そもそもアンデッドの特性としてベルには毒無効の特殊能力(スキル)があるのだ。いくら飲んでも、酔いはしないのである。

 それに対し、普通の人間であるマルムヴィストは、当然たくさん飲めば酔っぱらう。

 少女の姿をしたベルが速いペースで杯を空けていくのにつられて、ついつい自分も飲んでしまい、知らず知らずのうちにもうかなりの分量を飲み干していた。

 

「……と」

 

 空になったグラスに注ごうと、酒瓶をひっくり返したところで、その口からはもう数滴しかしたたり落ちない事に気づく。

 未練気に向かいの少女の顔を見やると、ベルは自分の杯を一息に空け、勢いをつけて立ち上がった。

 

「まあ、この酒はまだあるけど、どうせなら食べるものも欲しいな。よし、街に出よう」

 

 まだこの酒があるという言葉に、マルムヴィストは顔に喜色を浮かべ、僅かばかりの残りを飲み干すと、部屋を出ていく小さな主に続いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(こんなものかな)

 

 彼、漆黒聖典第一席次にして漆黒聖典の隊長であり、キャラバンではアレックスと呼ばれていた少年は心のうちでつぶやいた。

 

 一応、街に潜入するときの身分は、キャラバンの商人見習いである。たしか、隊商のリーダーの親友であった人物の息子という設定だったか。その為、将来、キャラバンを任せられるよう目をかけられ、鍛えられているというという事になっている。

 まあ、人を使うための訓練と思えば、どうという事はないのだが、面倒であることに変わりはない。

 新たな街にやって来た隊商としての仕事に少し時間をとられてしまった。

 彼としては、あくまでこの身分は任務の為のアンダーカバーであり、他国の諜報機関の目を誤魔化せればいいのだから、そこまできっちりやる事もないのだが、そもそも、このキャラバンを率いていた髭面の男も、彼――仮名アレックスの正体などは知らない。法国の関係者だとは思っているが、まさか、風のうわさに聞く漆黒聖典の人間だとは思いもしていない。その為、通常の潜伏者と同じく扱ったのだ。まあ、その方がいくらかでも目立たないからいいのだが。

 

(さて、どうしようかな)

 

 行き交う人々の話声や客の呼び込みでにぎわう活気あふれる通りを、彼は今一人で歩いている。

 

 エ・ランテルで接触する予定の者達との約束までは、結構な時間が空いてしまっていた。

 それは予定外という程でもないのだが、法国からエ・ランテルまで、何事もなく着いてしまったからである。

 大抵は何らかのトラブル、野盗の襲撃や突然の荒天などで時間をとられてしまうものであり、それを見越して少し余裕を持った行程だったのだが、今回は道中、とくに何事もなくすんなりと旅をつづけることが出来た。

 その為、予定よりも幾分早く到着してしまい、今、慌てて報告する人員を呼び寄せたり、報告書を作成したりと裏では大忙しである。 

 とりあえず、夜までには準備が整うという話だったから、それまではどこかで時間を潰さなくてはならない。

 

「こんなに時間が空いたのも久しぶりだな」

 

 彼はひとり呟いた。

 漆黒聖典の隊長である彼の日常はとにかく忙しい。自分や他の者の訓練、様々な報告の取りまとめやそれに対する指示、時には上層部との会議にまで出席しなくてはならないこともある。

 まして、最近は陽光聖典や漆黒聖典、更には巫女姫にまでと、立て続けに甚大な被害が出ており、その穴埋めもあって目が回るような忙しさだった。

 これもすべて人間種の存続の為とは分かってはいるが、それでも弱音も吐きたくなる。

 

 また、これまでは婉曲に言われるだけだった結婚話も最近は露骨に言われるようになった。

 彼は法国でも数少ない神人であるため、その血を残すことが重要とされている。

 特に六色聖典の戦力低下を受けて、とにかく早く結婚しろ、子供を作れとひたすら言われ続けていた。

 

 本来、忙しいはずの彼が法国を離れてエ・ランテルまでおもむき、近郊での活動報告を受けるという事になったのも、旅の途中で誰か嫁となる人間を見つけることを期待してのものである。

 もし、気に入った女性がいたら、その者を法国に迎え入れるのに待遇や金に糸目は着けない、説得や脅迫、何なら拉致にいたるまであらゆる手段をとってもいい、法国としても全面的にバックアップする、とまで言われて送り出されていた。

 さすがに、彼個人としてはそんなことで犯罪行為まではする気はないが。

 

 しかし、実際問題、結婚と言われてもいまいちピンと来ない。

 彼はまだ若いし、これまで法国の、そして人間種のために任務と訓練の毎日であった事もあり、色恋沙汰というのは縁遠いものであった。燃え上がるような恋に胸を焦がすと言われても、たかが恋愛でそんなに心が動くものなのか、と思うより他はなかった。

 それに、もし仮に自分と結婚したら、その相手は法国の監視を受けることは間違いない。愛する、というのは未だよく分からなかったが、好きになった相手がいたとして、その人物が籠の中の鳥として生活する羽目になるのは気の毒に思える。

 結局のところ、そのうち法国の上層部が見繕った身分なり、実力なりが高い者と見合いで結婚することになるのだろうという事を(ばく)と考えていた。

 

「さて、そんな先の事よりは今の事だな。とりあえずは腹ごしらえをしよう」 

 

 現在の彼は、漆黒聖典として活動するときに使用する年齢を偽装するための魔法の仮面は着けていない。年相応である10代半ば、そして、その顔立ちからさらに幼く見られてしまう。その為、行けるところは限られてしまう。

 一人でどこかの飲食店に入ったら、少々奇異にみられるだろうし、下手をしたら、金を持っている少年だとして、おかしな連中に絡まれるかもしれない。たとえ絡まれても、そんな連中歯牙にもかけない実力はあるのだが、とりあえずは潜伏している身分であるため、あまり目立つことも避けたい。

 とはいえ、この空腹はどこかで何とかしたい。

 朝、軽い保存食を口にはしたものの、やはり旅の途中で口にする保存食よりは、街での温かい食事の方がいい。

 特に、通りの両側にあるいくつもの店先からは、胃袋を刺激する匂いが漂ってくる。

 

 ちゃんとした店に入るのではなく買い食いならばそんなに目立ちもしないか、と考えた。

 「うん、そうだ」と自分の理性に対し、その食欲を満たすための判断を正当化する言い訳をする。

 

 とにかく、どれか適当に一つ、口にするか。

 

 そう思い、辺りを見回すと、多くの商店が立ち並ぶ中にある一つの店が目についた。

 串に突き刺した巨大な肉を焼き、それを刃物で薄くそぎ落とし、ソースや野菜とともに柔らかいパンの切れ目に挟んだものを売っている。

 それは法国でも見たことがあり、彼も知っていた。たしかケラウサンドだ。手ごろな味と値段、それにボリュームで、市井(しせい)の者達だけではなく、ひそかに上級職の者達の間にすら人気だった。

 

 それにしようと、人ごみの中をすり抜けて歩く。よく訓練されたその体は、ひしめく人波を、誰にもぶつかることなく、移動する。

 

 店先にたどり着き、日に焼けた顔に口ひげを蓄えた店主に声をかけた。

 

「ケラウサンド1つ」「ケバブサンド2つ」

 

 ほぼ同時に横からかけられた声に驚いて振りむくと――。

 

 

 ――心臓が止まったような気がした。

 

 

 そこにいたのは一人の少女。

 銀そのものから削りだしたような、太陽の光を星屑のようにきらめかせる長い銀髪。

 幼いながらも整った顔立ちは、神殿にある絵画の世界から飛び出してきたかのよう。

 その小柄な体は、フリルが幾重にもつけられた紫色を基調としたドレスに包まれ、その袖先から延びる手は、白磁という例えそのもののように一点のくすみもなく白い。

 

 そんな彼女が振り向いた。

 

 彼の鼻孔を甘い花の香りがくすぐった。

 

 彼女の赤みがかった瞳。

 それが彼をとらえる。

 

 その視線に彼の心臓がドクンと高鳴った。

 

 今まで、様々な人物と出会ったが、こんな目の持ち主は見たことがなかった。

 

 彼女の目は彼に向けられていた。

 向けられていたが、その視線はまたはるか遠くをも見つめていた。

 

 目の前の彼を見つつも、目の前の彼以外のものを見つめる不思議なその瞳。

 そのまなざしを受け、彼はその胸を湧き上がるものを感じていた。

 

 燃えるような恋。

 今、それが彼の胸を焦がしだしていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(……おい、ついてくるんだけど……)

(……そうみたいですねぇ……)

 

 ベルとマルムヴィストは人通りの多い表通りから、路地を抜け、裏通りへと入って行った。

 さすがに、この辺りまで来ると人影もまばらなのだが、そんな彼らの後ろ、家数軒分は離れたところを、先ほどの髪を後ろでまとめた行商人風の少年が付いてきていた。

 

(あれ、なんなんだ?)

(さぁて、ボスの知り合いとかじゃないんですか?)

(知らないよ。さっき、店先であったばかりだ)

 

 小声でやり合いながら、ベルはしばらく前、ギラード商会を出たところから思い返す。

 

 

 

 

「おおー。人がたくさんいるなぁ」

 

 あふれる人込みを前に、ベルは思わずつぶやいた。

 

 ベルはこの地に来てから、昼のにぎわう街中に出たことは無かった。

 もともと人ごみが嫌いだったので、わざわざそんなところに行きたくないというのもあったのだが、そもそも行く機会がなかった。

 ベルが訪れた人の住むところというのは、辺境の村であるカルネ村、それとエ・ランテルでも、ギラード商会内と、襲撃する家屋くらいしか出歩いたことがない。〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)〉であちこち見て回りはしたが、やはり画面上で見るのと実際に行ってみるのとでは全く違う。

 特に今回はナザリックのお目付け役もいない――一応マルムヴィストはいるが――完全に自由な状態である。

 この世界に来てからの初めての事柄に、ベルはいささか興奮していた。

 気分は新しいフリーワールドゲームを始めたようなものである。さて、何をしようかと、胸が高鳴った。

 

 そこで何をしに外に出てきたのかを思い返した。

 

「そうだな。まずは腹ごしらえしようか。何かいいところある?」

 

 マルムヴィストに尋ねる。

 「ふーむ」と顎に手を当てて考えた末、「この近くにケラウサンド出してる店がありますから、それとかいいんじゃないですか?」と言った。

 ケラウサンドが何かは分からないが、とくに行きたい場所があるでもないし、マルムヴィストの言う通り、その店に行ってみることにした。

 

 その店はすぐに見つかった。

「ここがケラウサンドの店ですよ」

 

 マルムヴィストに指し(しめ)される一つの店舗。

 そこで売られているものは昔、友人との会話の中で聞いた通りのものだった。

 

(そうだ。たしかこれってケバブサンドだ。ペロロンチーノさんがよく言ってた、昔あった食べ物だ)

 

 ベルはかつての友人が語っていた中に、ケバブサンドという食べ物の話があったことを思い出した。

 そう、はるか昔の事。まだ、外を歩くのにマスクも必要なく、普通の人間の寿命が平均80歳くらいまであり、自然由来の食べ物を庶民にいたるまで口にできていた夢の時代の食べ物。

 

 その鼻をくすぐる臭いと過去の思い出に、ベルは我慢できなくなり、即座にその店へと歩み寄る。

 

 そして、値段も確認せずに店の男に注文しようとしたところ――。

 

「ケラウサンド1つ」「ケバブサンド2つ」

 

 ――隣にいた少年と注文の声がかぶってしまった。

 

 

 少年の方を振り向くと――どうした事か、少年は呆けたような視線をベルに向けている。

 

 注文しようとしたところで声が重なったから驚いたのかな? そう思い、「先に注文したって事でいいよ」と順番を譲ったら、突然慌てだして、「い、いや、そっちが……」と言い出したので、じゃあ、さっさとと思い、ケバブサンドを2つ頼み受け取ると1つはマルムヴィストにやって、自分はもう1つに齧りつく。

 その間も、その少年は驚いたような唖然とした顔でこちらを見つめていた。

 

 さすがにじろじろ見られるのも気分がわるいので、食べ終えると早々にその場から退散した。

 

 

 

 そうして、人通りの少ない通りに移動したにもかかわらず――いまだにその少年は自分を追跡している。

 いったい、なんなんだろう?

 

(どう思う?)

(さて? 俺達の素性を確かめようとしてるんでは?)

(その割には追跡がちぐはぐなんだよな)

(なんだか、突然見えなくなったかと思うと、今度は素人(しろうと)のようにふらふらついてきたりしてますね)

 

 その足取りから見るに、かなりの追跡技術を持っているのは確かなようだ。確かなのだが、それほどの技術をもちながら、それを持続して後をつけるわけでもない。巧みに、死角から死角へと足音も立てずに動いたかと思うと、今度は一般人のようにふらふらと歩いたりもする。

 

 ……故意にやっているのだろうか? それとも敢えて挑発し、こちらに何らかの手を出させる腹積もりなのだろうか?

 

(狙いは俺か?)

(おそらくは。裏の人間でしょうね。ときどき見せる、あの足運びは訓練してないと出来ませんし。たぶん、うちには面と向かって歯向かうことが出来ないんで、人質でも取りたいのでは?)

 

 なるほどと思った。

 急速に勢力を拡大するギラード商会に反発する気持ちを抱きつつも、元六腕のうち3人を擁するギラード商会そのものに直接仕掛けるのはどうしても無理がある。そこで、元六腕の1人、マルムヴィストが連れている少女――すなわちベルを攫って、人質として交渉するなり、腹いせに嬲りものにするなりしたいのだろう。

 

(仕掛けてくるなら、人通りの少ない方がこっちもやりやすいか。それに、本当のただの一般人なら、治安の悪い方に行ったら、そのうちいなくなるだろうし)

 

 謎の追跡者に対して、明確な判断をしかねたまま、2人はどんどん人通りの少ない場所に歩みを進めていった。

 

 

 その時、不意に一人の男が路地裏から飛び出してきた。

 背を丸め、何か一抱え程度の袋をその胸に抱えた男。

 

 あわやベルとぶつかる――かと思いきや、ベルはすっと男を回避する。

 突然、目の前から少女が消えた様に見えた男は、そのまま誰にもぶつかることなく、勢いのまま地べたに倒れ伏した。男の抱えていた袋詰めのものが割れる音がした。

 

 そのまま立ち去ろうとしたベルに、後から来た男達が絡む。

 

「おうおう、ちょっと待てや。お前、俺の兄弟にぶつかっておきながら、そのまま逃げる気はないよな」

「ああっ。大切な壺が粉々だ! どうしよう」

「こりゃあ、ひでぇ。直しようがねぇなぁ」

 

 別にぶつかりもしていないのに騒ぎ立てる男たちに、冷めた視線を向けるベルとマルムヴィスト。その前で、チンピラたちの三文芝居が続いていく。

 

 つまり、これはよく話に聞く、当たり屋ってヤツか。

 マルムヴィストに視線を向けると、首を縦に振る。

 どうやら、マルムヴィストの顔すら知らないチンピラが、裏通りに入り込んだ人間をカモにしようとしたらしい。たしかに見た目だけで言えば、ベルもマルムヴィストもいかにも金持ちに見える。

 

(さて、どうしようかな?)

 

 こいつらを叩きのめすのは簡単だ。ぶちのめした後でマルムヴィストの名前を出して脅しかければいい。それで終わりだ。

 だが、問題は追跡している少年の方。

 目撃者がいると、気軽には戦えない。下手に暴れると、衛兵に通報される恐れもある。

 まあ、仮にされても揉み消すことは出来るからなんとでもなるが、面倒なことになるのは変わりはない。

 特にこの少年の素性が知れない。

 金や暴力で誤魔化そうにも、もし高い地位の人間の息子だったりしたら、藪をつついて蛇を出すことにもなりかねない。そもそも、この連中とグルの可能性もある。

 

 この場をどう処理すべきか頭を悩ませているうちに、チンピラ連中の寸劇は終わったらしい。見るからにガラの悪そうな顔つきの男が、ベルに顔を近づけてきた。

 

「おう、嬢ちゃん。弁償してくれるんだろうな」

 

 さすがにイラッとした。

 せっかくの自主休暇を台無しに仕掛けている男に腹が立ち、殺してしまおうかと思った刹那――。

 

「そこまでにしろ!」

 

 ――そう声がした。

 

 

 振り返ると、そこにはあの少年。

 

「お前たち、か弱い女性を相手に恥ずかしくはないのか?」

 

 まるで、お芝居のようなセリフを吐くと、男たちの前に立ちふさがる。

 

「なんだ、お前?」

 

 男がベルの前に立った少年の胸ぐらに手を伸ばす。

 

 

 ズン!

 

 

 男が空を舞った。 

 大柄な、それこそ雄牛を想像させるような筋骨隆々とした男が、自分の胸ほどもない小柄な少年に投げ飛ばされ、壁へと激突した。

 一瞬、呆気にとられたチンピラたちであったが、「てめぇ!」とまた、ひねりの無い言葉を口にして、刃物を取り出す。

 

 

 だが――。

 

「ぐあっ!」

 

 男がナイフを取り落とし、手を押さえて(うずくま)った。

 ちゃりんと音を立てて、銅貨が地面に落ちる。

 

「誰だ!」

 

 男たちが辺りを見回す。

 

「あ、あそこだ!」

 

 チンピラの1人が付近の屋根の上を指さす。

 その指の先にいたのは、陽光を背に立つ、変わった衣装――露出の多い忍者装束を着た一人の女性。

 その胸元にはアダマンタイトのプレートがきらめいている。

 

「私はすべての女性の味方。罪なき美少女を、その毒牙にかけんとする悪漢ども。お前らの悪事は、この私が許さない」

 

 

 

 

「……なんだよ、この茶番」

 

 ベルの目の前には、屋根の上に腕を組んで立つ女性。その女性に「ちくしょう、降りてきやがれ!」とありきたりな言葉を叫び、こぶしを振り上げるチンピラたち。男たちの方を向きつつも、ベルの様子をちらちらと覗き見る少年。

 

 せっかくの休日なのに、おかしな厄介ごとに巻き込まれた己の不運を呪い、ベルは頭を掻きながら嘆息した。

 

 

 

 




 うおぉ……、1話で終わりませんでした。

 ついに10巻が発売されましたね。
 手に入れたものの、まだ挿絵くらいしか見れてないんですが。漆黒聖典の隊長、ずっと彼とか隊長とか言い続けるのも大変なので、名前とかあったらいいなぁ。


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第39話 ボーイ・ミーツ・? -2

2017/5/31 「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」、「見せた」→「みせた」、「例え」→「たとえ」 訂正しました


「忍者レッグラリアート!」

 

 ティアの一撃が決まり、最後に残ったチンピラが倒れ伏した。

 

 

 人通りの少ない通りを歩いていた貴族風の少女と護衛らしき男性、そこへ突然絡んできたチンピラたち。その男たちに勇敢に立ち向かった少年と、謎の女忍者という組み合わせ。

 

 当事者たちであってさえ、互いの素性を計りかねる間柄である。

 4勢力のうち、チンピラ連中はいなくなったが、残る三者とも互いの思惑を掴みかね、その視線を交えさせた。

 

 

 お見合い状態から口火を切ったのはベルだった。

 

「ええっと。お二人とも、危ないところをありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 ぺこりと頭を下げると、にこりと笑う。

 この姿になってから、いい加減長いため、子供っぽい演技はすっかり身についていた。

 

 見た目美少女ににこやかな笑みを向けられ、他の2人は相好(そうごう)を崩した。

 

 

 ベルがこのような演技をしてまで、印象を良くしようと思ったのは純然たる打算からだ。

 

 当初、彼らが戦っている間に、さっさとバックレようかとも考えていた。厄介ごとによって休暇がつぶれるのを嫌がったためだ。

 だが、突然現れた女忍者を目にしたマルムヴィストが、ベルの耳にささやいたのだ。

 『ボス。あの女、蒼の薔薇のティアですよ』、と。

 

 

 蒼の薔薇。

 ベルが情報を調べようと王都にはなったシャドウデーモンをことごとく倒しつくしたのが、王都をホームタウンとするアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』に所属するイビルアイらしい。

 その者と同じパーティーに属する人間。

 

 ベルとしては、是が非でも彼女から情報を引き出したかった。

 

 今日、ベルは仕事でエ・ランテルを訪れているのではない。サボりである。帰ったらアインズに叱られることは間違いない。

 だがそこで功績があったとしたら。

 勝手な行動をしたとはいえ、ナザリックの為になる情報を入手しできたとしたら、その叱責は軽いものとなるだろう。上手くすれば、今後も一人で街を出る許可も取り付けられるかもしれない。

 そう考えたベルは、ティアとは顔をつないでおくべきと考えた。

 ……一緒にいる少年が何者なのかはいまだに分からない。もしかしたら、このティアの仲間なのかもしれない。その為、無下(むげ)にするのもよくないと判断した。

 

 

 そんな思惑は知らずに、ティアもまた挨拶する。

 

「なに、私はたまたま通りかかっただけ。私はすべての女性の味方。とりわけ、美少女にとっては強力な味方になる。ところで見ず知らずの美少女、名前は?」

 

 微妙に困惑する物言いだが、動揺を顔には出さずに、とりあえず自己紹介した。

 

「私はベルと言います。こちらは……マルコ。護衛のマルコです」

 

 マルムヴィストの名前を出すのは拙いかなぁと思い、とっさに適当な名前を言ったのだが、ティアが食いついたのはそちらではなく、先にあげた自分の名だった。

 

 

「ん? ベル?」

 

 ティアは忍者として諜報の訓練を受け、また実際にそちら方面の任務にたずさわった経験もある。だがそんな彼女であっても、突然思いもかけない所から出てきたその名には、思わず表情を変えてしまった。

 

 

 

 『ベル』という名は、記憶にある。

 ガゼフ・ストロノーフがカルネ村で会ったという魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの仲間にして、王国戦士長である彼と互角に戦ったという程の人物だという。

 

 あらためて、ティアは自分が助けた少女に目を向ける。

 その姿は、服装こそ違えど、ガゼフ本人から聞いたのと同じ。見た感じ、年の頃は10歳程度。髪は綺麗に整えられた白に近いプラチナブロンドを腰まで伸ばしている。すべすべとした白い手にはタコ一つない。

 

(まさか、本人?)

 

 ティアがエ・ランテルにやって来た理由はいくつかあるが、その内の一つには魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの一行に関する情報をあつめるというものもある。

 もっとも、それは可能ならばという優先順位の低いものであったが。

 しかし仮に彼女が話に聞くベル本人だとしたら、いきなり思いもかけない獲物を釣り上げたことになる。

 ティアは目の前の少女に、これまでと違った観察の目を向けた。

 

 

 

 一方、名を名乗った時に見せたティアの様子に、ベルもまた目を細めた。

 ――なぜ、ベルという名を聞いただけで、こんなにも反応したのだ? まさか、自分の名を知っていた? いったいどこで?

 

 そんな疑問が頭を渦巻く中、最初に彼女をかばった行商人風の少年が、さらに冷水をかける様なつぶやきを発した。

 

「ベル……ですか? それって本当の名前……じゃないですよね」

 

 その言葉に、ベルはぎょっとして振り向いた。

 目の前の10代半ばと思われる少年をマジマジと見る。

 

「え、ええ、そうなんですよ。実はこのベルっていう名前は本当の名前じゃないんですよ」

 

 慌てた様に言葉を紡ぐ。

 

「本当にですね。ちょっと……本当の事が知られると色々と拙いことになりますものですから。ええっと、すみませんが、私の事はご内密に、ですね」

 

 そう早口で、手をパタパタと動かし慌てた風に演技する。

 本当は動ずる様子を見せずに取り繕うなどして対処するのがいいのだろうが、さすがにベルはそんな腹芸を貫ける自信はない。そこで、逆に大きく気が動転しているように見せることで、内心の動揺を誘うポイントがどこなのか悟られないようにしたのだ。

 

 

 そう。

 今、ベルはこれまでにないほど泡をくって狼狽(ろうばい)し、焦りに焦っていた。

 この姿になり、この世界に来て以来、いまだかつてないほどに。

 

 

 ベルという名が本当の名前でないことは、それこそ自分の他はアインズしか知らない最大級の秘密である。

 ナザリックの者達ですら知りえない事実だ。

 それをこの少年は、いきなり見抜いてみせたのだ。

 

(今日、ソリュシャンを連れてこないでいて良かった……)

 

 ベルは内心安堵した。

 マルムヴィストにはばれても大したことは無い。彼にはナザリックの全容すら教えていないのだから、本名ではないと聞いても、ああ偽名なのかくらいにしか思わないだろう。

 だが、ソリュシャンに――ナザリックに属する者に自分の名前が本当はベルではないと知られたら、色々と拙いことになるところだった。下手をしたら、ギルメンの娘であるといった設定も疑われて、ナザリックを追い出されることになるかもしれない。

 ベルは内心冷や汗をかいた。

 

 

 それにしても、この少年は一体どうやって見抜いたのだろう、という疑問が頭に浮かぶ。

 真っ先に思い当たったのはタレント。

 この世界特有の生まれながらの異能である。

 もしや、嘘を感知する、真実を見抜く、心を読むなど出来るのだろうか? それとも、ピンポイントで他人の名前を判別できる能力なのだろうか?

 どんなものかは判断は出来ないし、そもそもタレントなのか、別の手段なのかは分からないが、とにかくなんらかの手段があるのは間違いなさそうだ。

 この少年には注意しなければ、と気を引き締めた。

 

 

 そうして考えているうちに精神の強制沈静によってベルは落ち着きを取り戻した。

 特殊技術(スキル)によって落ち着いたことを悟られぬよう大きく息を吐くまねをして、とりあえず少女らしく胸の前で手を組み、困ったような表情で少年を見つめる。

 

「その……言わないでいてもらえますか?」

 

 少女の瞳に見つめられた少年は顔を赤くして、こちらもあわてて言葉を紡ぐ。

 

「あ、いえ、すみません。そんな詮索するつもりだったわけでは……」

 

 狼狽(うろた)える少年の向こうに見えた、普段と違う少女らしいベルの口調や仕草を見て笑いをこらえているマルムヴィストの姿に、あいつは後でしめようと心に決めながら、2人を見回し言った。

 

「ええっと、こんなところで立ち話もなんですから、どこか場所を変えてゆっくりお話ししませんか?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 エ・ランテルの商業地区の一角。この辺りは、先のアンデッド出現の件でも被害が少なく、また比較的富裕層が多い地域の為、治安も安定している。少なくとも、いきなり強盗に遭うなどと言ったことは無い。たまにスリは出るが。

 そんな地域にある飲食店。通りとしきる可動式の壁は開け放たれ、半解放された店内にはいくつもの丸テーブルとそれを囲むように椅子が置かれており、昼下がりの今現在もいくつかの卓が埋まっており、それぞれ談笑の声が聞こえてくる。

 

 そんな店の片隅、通りに面したところにあるテーブルを4名の人物が囲んでいた。

 

「あらためてお礼を言わせていただきます。お二人のおかげで助かりました。ありがとうございます」

 

 そう言って、ベルが頭を下げる。

 

「ところで、お名前をうかがってもよろしいですか?」

「私はティア。冒険者、蒼の薔薇のティア」

「ボ、ボクはアレックスと言います。ええと、行商人……見習いです」

 

 緊張した面持ちでしゃべる少年に、ベルは優しく声をかけた。

 

「旅の商人さんなんですか。では、あちこち世界を見て回ったんですね。ぜひ、お話をお聞かせください」

 

 ベルにとって、素性のしれないのはこの少年だ。ティアの方は冒険者であるという事がはっきりしているが(まさかプレートを偽造してまで、身分を偽ってはいまい)、彼が一体何者なのか判断しかねていた。それに、自分の名について偽名と見破ったのも気になる。

 

「それより、こっちも聞きたい」

 

 ティアが口をはさむ。

 

「ベルとマルコと言ったが、この街の人間? 見たところ、お金持ちみたいだけど」

 

 その質問は予期していたため、何ら言いよどむことなく答える。

 

「ええ、今はこの街にいます。住んでいるところは別の場所にあって、ときどきこちらを訪れているんですけど。実は、ちょっと今日はそちらを抜け出してきてしまいまして……。あ、それで先ほども言いましたが、私やこのマルコの名は偽名になります。本名を名乗ってしまいますと、その……色々とあちこちに迷惑が掛かってしまいますので……」

 

 

 言った事は嘘ではない。

 ベルがナザリックを抜け出してきたのは事実だし、ベルモットなのにベルと名乗っている事、マルムヴィストをマルコと言った事、そして、それらの事がばれるとナザリックやギラード商会に問題が生じる事も事実だ。

 

 ベルがわざわざこのような言い回しをしたのは、2人を警戒したためである。

 このアレックスと名乗った偽名を見抜いた少年もだが、ティアにもまた注意を払わなくてはならない。

 この世界の事は未だ調査中だが、こちらで忍者というのは初めて会った存在であり、全く情報がない。ティアがどんなことを出来るのか、どんな能力があるのか不明である。

 そのため、とりあえず嘘を言わずに誤魔化すような言い方をしたのだ。

 そして、それは偶然にも功を奏していた。

 

 ベルは先ほど、名前を偽っていることを見破った少年をそっと窺った。彼の顔には今の説明に疑念を呈している様子はない。

 この少年の能力は未だ判別できないが、少なくとも今の説明には口を挟むことは無いらしい。

 

 ベルの視線の先で、彼女に見つめられる形となった少年は特に動ずることもなく紅茶を口にしていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アレックスと名乗った少年――漆黒聖典の隊長は紅茶を口にする。

 不意に、ベルと名乗るこの少女から視線を向けられ、思わず挙動不審になりそうなところを紅茶を口にすることで誤魔化した。何とか動揺した様子を見せずに済んだが、今もその鼓動はバクバクと高鳴っている。

 

 彼は表には見せないが、今はとにかく緊張しきりであった。

 この少女が近くにいることもだが、蒼の薔薇のティアも同席していることからである。

 

 王国の冒険者チーム『蒼の薔薇』

 

 法国でもその名は轟き、一般の者達は彼女たちに好意的な印象を抱いている。彼女たちは、いわゆる正義と名の付くような行動をとり、それは広く知れ渡っているためだ。

 だが、法国の中でもごく一部の者達、特に六色聖典の者達からは嫌悪されている。大局的な見地からすれば人間の為になることをも理解せずに、その場その場の近視眼的な正義感で行動する、と見られているからである。実際、人間種の為に動く六色聖典の行動を幾度も妨害し、時には実際に矛を交えることすらあった。

 その為、今はまだ排除対象にはなっていないが、最悪、抹殺指令が下されるかもしれないという噂までたっている。

 

 そんな蒼の薔薇の1人と、こうして接触することが出来たのだ。

 この機会に出来る限り、彼女たちの情報、特に戦闘能力に関するものを入手しておきたいというのが、彼の心算であった。

 

 忍者でもある彼女から上手く情報を聞き出せるか、逆に自分が言いくるめられるのではないかという不安もあったが、このマジックアイテムさえあれば大丈夫だろうと、自分の左手人差し指で、くすんで輝きすら発せぬ鈍色(にびいろ)の指輪をさすった。

 

 この指輪こそ、先ほどベルの偽名を見抜いたマジックアイテムである。

 その能力は他人が嘘を口にした場合、それが着用者には分かるというもの。

 

 漆黒聖典の隊長であるという重責を担うものの、その内実はあくまでまだ少年である。立派な人物足らんと日々研鑽(けんさん)しているものの、まだまだ経験不足と言える。そんな彼が、旅先で他の者に(だま)され(おとし)められないようにとの配慮から、特別に今回、貸与されていたものだった。

 

 この指輪が先程、ベルがその名を名乗った時に反応したのだ。

 嘘を言っていると。

 その為、なぜ名前を偽るのだろうと不思議に思っていたのであったが、それは今語られたベルの説明、実家をこっそり抜け出してきた所であり、そちらに迷惑をかけたくないからという理由で、なるほどと納得できた。

 

 言った少女にもう一度目をやる。

 彼の視線に気づいたベルが、笑みを向ける。 

 

 彼は手元の紅茶もう一口飲み、緊張でひりつきそうになる喉を湿らせ、この可憐な思い人の事をもっと知りたいと願った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ティアはコーヒーを啜った。

 その苦みを舌の上で転がし、どうするか考え込む。

 

 彼女がこの街に来て真っ先にやったことは、冒険者組合でアダマンタイト級冒険者としての地位を利用し、冒険者モモンに渡りをつける事だった。

 だが、あいにくモモンは近隣での魔物の討伐に出払っていて、会うことは叶わなかった。

 そこで、次なる任務。最近エ・ランテルの裏社会を掌握せんとしている者達の調査をしようと、治安の悪い裏通りを歩いていたら、たまたまチンピラ風の男に絡まれている上流階級の人間らしき女の子とその護衛と(おぼ)しき優男、そして止めに入った商人風の少年を見かけた。

 見目麗(みめうるわ)しい女の子が人相の悪い男に(にら)まれているというのに、護衛の男は何もする気もみられず、間に入った少年ではさすがに筋骨たくましい男相手では分が悪いと思われたので、とりあえず助けに入ったのだ。

 動きを見るに、あの少年だけでも大丈夫だったかもしれなかったが。

 

 とにかく、まったくの偶然によってかかわることになった、この少女がベルと名乗っているのが気にかかった。

 ガゼフと共にカルネ村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンと行動を共にし、そしてガゼフと互角に戦ったという謎の少女『ベル』と同じ名を名乗る少女の事が。

 先の会話によると、目の前の少女の『ベル』という名前は偽名らしいが、そもそも、そのアインズ・ウール・ゴウンと一緒にいた少女がガゼフに語った名も本名であったかは分からない。 

 

 罠だろうか? 

 たしかにこの出会い自体、仕組まれた罠の可能性もある。もし探している本人だとするならば、この出会いは、あまりにも幸運すぎるといえるくらいだ。

 

 ティアはベルと名乗る少女から紹介された、彼女の隣の席に腰掛けるマルコと言われた男に目をやる。

 

 赤を基調にした布地に、金糸刺繍が無数に施されたはた目にも高級な服に身を包み、肩には服にそろえた外套をかけている。その合間から覗く腰のレイピアは、鍔元にまるで本物の薔薇のような装飾があつらえられている。

 実際の姿は見たことは無かったが、その特徴的な姿はティアの耳に入っていた。

 

 『千殺』マルムヴィスト。

 

 八本指の中でも警備部門と呼ばれる荒事を得意とする部署で、その中でもアダマンタイト級冒険者に匹敵すると言われた最強の六腕に数えられていながら、現在はそれを抜け、エ・ランテルのギラード商会に籍を移した人物。

 

 そんな男を護衛と呼ぶ少女。

 そして、その名がティアも別の理由から探していたベルだという。

 もしや、あのチンピラに絡まれていたのも自分をはめるための演技だったのではないか、という思いがティアの胸をよぎった。

  

 ――だが、せっかく掴みかけた情報源。たとえ罠だとしてもこの手を離すべきではない、とティアは腹を決めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ベルは紅茶を啜って、自分の記憶をたどる。

 本当は酒が飲みたいのだが、さすがにこの姿ではと思いとどまった。

 

 考えるのは、ベルという名を名乗った時のティアの反応。

 この名はこちらに来てから名乗り始めたものだし、そもそも自分の名を知っている相手はそれほど多くはないはずだ。

 カルネ村の面々。それとギラード商会の中でも、元六腕の3人とギラード本人。後は……この前、カルネ村に来た冒険者『漆黒の剣』と、同じくカルネ村で一番最初に共に戦ったガゼフらの戦士団、それとあの時の法国の人間くらいか。

 

 ……ふむ。

 落ち着いて考えてみると、最も可能性が高いのはガゼフらの線か。確かガゼフは王国に仕える戦士長であり、王都へと帰っていった。そして、蒼の薔薇は王都をホームとしている。なんらかの情報を伝え聞いていてもおかしくはない。

 ――まずったか?

 もし、その線から知っているとすると、カルネ村に現れて以降、正体を表していない魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの関係者がエ・ランテルにいることがばれたという事だ。

 

 ……いや、かえって好都合かもしれない。

 ここで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの仲間であるベルが他とのつながりを持つというのも一手だ。

 

 カルネ村の件では、誰がどう見ても少女ベルよりアインズの方が上位者であり、目の前の女忍者もそう認識しているはずだ。

 ならばこそ、自分が表に立った方がいい。

 仮にアインズ本人が他の者と会話した場合、それは重大な意味を持つことになる。たとえ、騙されたとしても、一度、口にしたことを翻すなどすることは出来はしない。それは大きな信用の失墜に繋がる。

 だが、そこでアインズより下位にあたるベルが代理として話していたのなら、それほど大ごとにはならない。たとえ後でその言を覆しても、泥をかぶるのはベルだけで済む。なんなら、後からアインズが出てきて、先の言は自分の意を下の者が誤って伝えたものだと言ってもいい。

 

 なにせ、自分は見た目は少女である。泣いたり笑ったりすれば大抵の事は誤魔化せるだろうし、後で向こうが発言の責任云々と言ってきても、子供のいう事を真に受けたのかと言ってやれば、それ以上追及も出来ないだろう。

 かぶる責任は少なく相手と話が出来る自分が相手をするのは適任な気がする。

 

 そう考えると、この出会いは実に幸運だったと言える。

 喉から手が出るほど欲しかった王都の情報持つ者、それも蒼の薔薇の人間と知り合うことが出来たのだから。

 

 ――いや、出来過ぎか?

 こうも都合よく、都合のいい相手と巡り合うことが出来るなど……。

 ……罠か?

 その可能性もある。

   

 舌先で紅茶の渋みを味わいながら、ベルは考え直す。

 ――いや。やはり、ここはアインズ・ウール・ゴウンの関係者だというのは明言せず、とぼけておいた方がいい気もする。

 必要なら、後から事情を話して接触すればいい。

 向こうは蒼の薔薇という有名な人物だ。その気になればいくらでも渡りはつけられるのだから。

 それに今はマルムヴィストと一緒にいるところを見られている。すでに知っているかは分からないが、少し調べれば、こんなに目立つ人間はすぐに分かるだろう。そうなると、エ・ランテルの裏社会にアインズ・ウール・ゴウンが関わっていることまではっきりしてしまう。

 

 とにかく、向こうがこちらを知っていたと思しき態度をとった理由も探らねばならない。

 

 それに、結局のところ、ティアとは別に自分に付いてきたこの少年は一体何なのだろう? もしかして、自分を探していた? そして、自分を見つけたから後を追跡し、息のかかったチンピラを差し向け、そこを助ける様に登場したのだろうか? それと、ベルという名が偽名と見抜いたからくりはなんだ? 

 現時点では、分からないことだらけだった。

 

 

 ベルはその美しさと愛らしさをあわせもつ整った顔に、日が照るような笑顔を張り付けたまま、どう話を切り出し情報を探るべきか考えていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ちなみにマルムヴィストは、われ関せずとばかりに、のんびりカフェラテに口をつけている。

 彼は、アレックスと呼ばれた少年が自らのボス、ベルに恋心を抱いている様子だというのはすでに感づいていた。

 そして、当のベルはそれには気づいていない様子である事も。

 ついでに蒼の薔薇のティアの性癖も彼は聞き及んでいる。

 

 マルムヴィストとしてはこれから起こるであろうこのドタバタ劇を、観客として特等席で呑気に眺め楽しむ腹積もりだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 各人の思惑が入り乱れる中、場の空気を和ますように、ベルは殊更(ことさら)きゃいきゃいと笑いながら、はしゃいだ様子を見せていた。

 

「アレックスさん。紅茶に砂糖はいかがですか? 美味しいですよ」

 そう言って、小瓶から白い粉をスプーンですくいあげる。

 

「ええっと、その……それって本当に砂糖ですか?」

「あれ、ばれちゃいました。本当はお塩です」

 

 そう言って舌を出してみせる。いたずらを見つかって誤魔化す様子に彼は思わず頬を緩めた。

 ベルはスプーンの上の塩を小瓶に戻すと、テーブル上の別の小瓶から白い粉をすくい、少年の紅茶に入れる。

 少女が手ずから入れてくれたことに感謝し、彼は紅茶を口にする。

 そして、口いっぱいに広がった味に、思わずむせかえった。

 

「ゲホッゲホッ。……これ、塩では?」

「あはは、引っ掛かった。実は両方とも塩の小瓶だったんですよ」

「えー、ひどいですよ」

 

 そういって笑う少年のティーカップに、ベルがポットからお代わりを注いであげる。

 

「ティアさんもいかがですか? あ、これは塩ではないですよ」

 

 ティアはベルの顔を窺う。

 

「塩ではないといったけど、砂糖でもないとみた。それはきっと小麦粉か重曹」

「残念。石灰でした」

「さすがに飲食物だけにして」

 

 そう笑い合う姿は、(はた)から見ている分には、ほほえましい光景であった。

 近くを通りかかった通行人も、笑いあう少年少女の姿に顔をほころばせた。

 

 その様子からは、彼女らの腹の内など知るすべもない。

 

 

 しばし、そうやってじゃれ合った後、ベルは(さあ、これからが本番だ)と腹を決め、ティアに声をかけた。

 

「ティアさん。お聞きしてもいいですか?」

 

 

 

 




 漆黒聖典隊長が持っていた嘘発見の指輪は捏造です。
 何かないと隊長がベルとティアの会話になかなか絡めなかったので。


 すみません。
 話がほとんど進んでいないのですが、今回の話の終わりまで一気にだと、あまりに長すぎて読みづらいので、一旦ここで切ります。
 続きは明日辺りにでも。
 


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第40話 ボーイ・ミーツ・? -3

2016/11/12 「シャドーデーモン」→「シャドウデーモン」訂正しました
2017/5/31 「行った」→「いった」、「見せた」→「みせた」、「来た」→「きた」、「(おもんばか)り」→「(おもんぱか)り」 訂正しました


「ティアさん。お聞きしてもいいですか?」

 

 わずかに変わったベルの声色に、ティアは本題に入ったかと心の奥で気を引き締めた。

 

「ええと、ティアさんは冒険者という事でしたが、やはりお仕事でエ・ランテルに?」

「うん。私は普段王都の方にいる。今日はいろいろと調べものに」

「へえ、そうなんですか。うかがってもよろしいですか? 何を調べに?」

「先日、この付近にあるカルネ村っていうところを襲った法国の人間を、王国戦士長のガゼフ殿と一緒に退治した、アインズ・ウール・ゴウンっていう魔法詠唱者(マジック・キャスター)とそのお供をしていたアルベドっていう戦士、そしてベルっていう名の少女について調べに来た」

 

 ティアはいきなり直球を叩きこむ。

 まさか牽制のやりとりすらなく、突然、本丸に切り込んではこないだろうと考える相手の意表をついた作戦だったが、ティアの予想に反し、その言葉に激しく動揺したのはベルではなく、(かたわ)らにいた少年の方だった。

 

 

 ガチャリ!

 音を立てて、ティーカップをソーサーにぶつけてしまった。幸いにも割れはしなかったものの、その音は周囲の者達の注目を集めてしまう。

 ベルは手を振り、こちらに視線を向けた者達に何でもないと伝える。関心を失い、彼らは自分たちのおしゃべりに戻っていった。

 

 

 だが、彼にはそんな周囲の状況に気を配る余裕はなかった。

 今、ティアがさらりと言ったのはとんでもなく重要な情報である。

 

 エ・ランテル近郊においてガゼフ暗殺におもむいた陽光聖典の者達は任務に失敗し、隊長のニグンを残して全滅。そのニグンもまた囚われの身になった。

 その一件はガゼフストロノーフ率いる王国戦士団に返り討ちにあったものであり、その任務に際してニグンに渡されていたものと同一のものであると思しき魔封じの水晶を、その後に使用したというエ・ランテルの冒険者モモンも関わっている可能性が強いと思われていた。

 少なくとも、現在の法国上層部の判断もそうだ。

 

 だが、この女忍者はさらりと、聞いたこともない魔法詠唱者(マジック・キャスター)の名をあげ、そいつがガゼフと協力して陽光聖典を倒したと言ったのだ。

 

 嘘を見抜く指輪に反応はない。

 ティアが言った言葉に嘘はない。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウンといったか、そいつは何者なのだ?

 彼の脳内はその疑問で埋め尽くされた。

 

 

 一方のベルはティアの言葉にも狼狽(ろうばい)することなく取り(つくろ)えた。

 ベルとて、いきなりの直球には驚いたものの、そばにいた少年の度を越した慌てぶりに、自分の方はかえって冷静になることが出来たのだ。

 

 ベルを動揺させようとした自分の思惑を潰された形になったティアは、アレックスと名乗る少年に若干険のこもった瞳を向けた。

 

 だが、少年はそんな視線には構わず、ティアに問いかけた。

 

「ティ、ティアさん。今の話は本当なんですか?」

「なにが?」

「法国の人間をガゼフ……様と一緒に、そのアインズ・ウール・ゴウンという魔法詠唱者(マジック・キャスター)が倒したというのは」

「本当。ガゼフ殿本人に聞いた。でも、なんで少年がそれを気にする?」

 

 その言葉には思わず、声が詰まった。

 

「あ、いえ、そんな名前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)って聞いたことが無かったので。そんな無名の人が周辺国最強と名高いガゼフ様と協力したというのに驚いてですね……。それになんで、法国の人間がこんなところにと思いまして……」

「ええ、私もティアさんの言葉には驚かされました。アレックスさんが驚くのも無理はないですよね」

 

 自分が懸想(けそう)する少女が助け舟を出してくれたことに、彼は喜びを感じて照れ笑いを浮かべた。

 

「それで、そのアインズ・ウール・ゴウンと一緒にいた女の子っていうのが、ベルって名前を名乗ってた。同じ名前だけど、知らない?」

「そう申されましても……。先ほども言ったように、ベルというのはあくまで偽名ですし。それにアインズ・ウール・ゴウンという人間(・・)は知りませんよ」

 

 あらためて、再度投げつけるが、それに対しベルは小首をかしげた。

 

「マルコ、あなたはアインズ・ウール・ゴウンって人は知ってる?」

「ん? アインズ・ウール・ゴウンですか? いや、知りませんね」

 

 これまで、言葉を発していなかったマルムヴィストに話を振る。マルムヴィストは先ほどからのベルの普段と違う取り繕った言葉に笑いをかみ殺すのに必死であったが、とりあえず率直に答えた。

 彼はナザリックの存在は知ってはいても、その内実の全てを知っているわけではない。あくまでマルムヴィストらはナザリックのこの地における尖兵の1人でしかなく、ベルがナザリックの上位者であることは知ってはいても、その更に上の存在であるアインズの事までは聞かされていないのだ。知らないものは知らないとしか答えようがない。

 

「でも、偶然同じ名前というには……」

「あの、ティアさん。失礼ですが、あまりそういった事を探ろうとするのはどうかと思いますよ。先ほど、ベルさんもおっしゃっていましたが、ベルさんはご実家に迷惑をかけたくないから本名も秘密にしているとの事ですし」

「いや、しかし……」

「それに、冒険者としてはあまり他人の素性を探るのは良くないでしょう」

 

 ベルのことをかばう少年。

 彼がこんなにもベルに肩入れしたのは、何も好意を持った相手だからという訳だけではない。彼の持つ嘘を見抜く指輪に反応がないからである。ベルが嘘は言っていないと分かっているから、こうまでその肩を持ったのだ。

 それに、先ほど気が動転してしまった自分をフォローしてくれたからという恩義もある。

 しかし一番の理由は、彼本人は自分の胸懐(きょうかい)に気づいていないかもしれないが、法国の六色聖典の一つである漆黒聖典の人間として、蒼の薔薇の一員であるティアに対し、決して良いとは言えない感情を抱いていたためだ。

 

 自分を擁護してくれた少年に、ベルは感謝の言葉をかけた。

 

「ありがとうございます。アレックスさん」

「あ、いえ……」

 

 彼の様子を見て、ベルはしてやったりと心の中で笑みを浮かべる。

 

 ――このアレックスという少年の能力。それはおそらく嘘を見抜くというものだ。

 

 

 最初、ベルという名前が偽名だと言い当てられた時は、嘘発見、真実を見抜く、読心術、もしくは名前の探知等、いくつかの可能性を考えた。

 それで、ついさっき紅茶に砂糖と偽り、塩を入れるといういたずらによって彼の能力を試してみたのである。

 

 あの時、最初はスプーンに塩をすくい、砂糖であると口にした。それを彼は、砂糖ではないと当ててみせた。そして、次は先程と同様にスプーンに塩をすくい、今度は何も言わずに紅茶に混ぜたら、彼は砂糖ではなく塩だという事には気づくことなく口にした。

 

 もし、真実を見抜いたり、心を読むことが出来たのならば、ベルが砂糖と偽り塩を入れようとしている事に、2回とも気がついたはずだ。また、名前の探知だった場合、それが無機物まで効果が及ぶのであれば、スプーンの上の物体が塩であることは2回とも分かるはずだし、無機物には及ばないのであれば、2回とも分からないはずだ。

 だが彼は、最初、口に出して言った時には砂糖でない事には気がついたが、それがなんであるかまでは分からなかったようだった。次に何も言わずに塩を入れたときは、それが砂糖でない事には気がつかなかった。

 

 そこから彼の持つ能力は嘘発見であると推察した。

 それも言葉を発した時、それを口に出したものが嘘だと認識しているかどうか分かるというタイプ。言わば嘘発見器のようなものだと確信を持った。

 

 

 そしてその予想にそって、嘘を言うのではなく、質問を微妙に歪曲させて答えるという嘘発見の裏をかく定番のやり方をとったところ、この少年には気づいた様子は見られなかった。

 

 賭けに勝ったと、ベルは内心ではほくそ笑み、外面ではにこやかに微笑んだ。

 

 

 顔を合わせて笑いあう2人。

 その様子に面白くなかったのはティアである。自分の言った言葉がきっかけで、見ず知らずの少年と自分好みの美少女が笑みを交わし合う事になったのだから。

 しかも、自分はまるでベルを執拗に追及するかのような形になったのである。

 情報をひっぱり出すには仕方ないと思っていても、その事はティアの心にひっかかり、次はガゼフから聞いたベルの身体的特徴をつきつけようとしていたのを思わず躊躇(ためら)わせる事となった。

 しかし、欝々(うつうつ)たる気分だがそれでも問わなくてはと気を取り直して口を開きかけた刹那、今度は機先を制するようにベルが逆に声をかけた。

 

「では、今度はティアさんにお聞きしていいですか?」

「う、うん」

 

 先ほどまで自分がベルに質問していたのに、自分が逆に質問されたら、まさかそれを断るわけにもいかない。ティアは不承不承(ふしょうぶしょう)うなづいた。

 

「ティアさんは冒険者なんですよね。それもアダマンタイト級冒険者なのだとか」

「うん。現在王国には2チームしかいない」

「凄いですねえ。そんな方とお話しできるなんて。せっかくですから、ご友人の方々についてお聞かせ願えますか?」

 

 ふむ、と一瞬考えたが、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は色々と有名である。

 彼女らの事は割と一般的に知れ渡っている。もちろん、隠したい事、隠さなければいけない事はあるが、それ以外の事に関しては話してしまってもいいだろう。むしろ、こちらから情報を出すことで向こうの信頼を手に入れたい。

 そう思ったティアは、自分たちの事を話しだす。当たり障りのない範囲で。

 彼女らのパーティー構成、仲間であるリーダーのラキュース、姉妹であるティナ、筋肉の塊であるガガーラン、そして凄まじい魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイ。

 適当に冒険話なども交え、面白おかしく語ってみせた。

 その話にベル、アレックス、そしてマルムヴィストまでもが耳を傾けていた。

 

 

 ある程度話し、ティアの語りが一息ついたところでベルが質問した。

 

「そう言えば、イビルアイさんって魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんですよね。どれくらい凄いんですか?」

 

 その言葉に、隊長もまた耳をそばだてた。

 蒼の薔薇でもガガーランの実力は広く知られていたが、イビルアイに関しては法国でもいまいち情報をつかめてはいなかった。

 

 その問いに、探りを入れてきたなとティアは身構えた。

 

「ん。まあ、かなり強い」

「へぇ、そうなんですか? じゃあ、イビルアイさんとティアさんを比べたら、どっちが強いんですか?」

 

 無邪気な少女の素朴な疑問を装ったその問いには、聞いていた隊長、それにマルムヴィストも頬をひきつらせた。

 こうして(なご)やかに話しているティアとて、自分の腕を頼りに世を渡り歩いている冒険者である。当然、自身の力には信を置いており、その実力を他者と比較されるなど、激昂されてもおかしくはない行為である。

 だが、ティアは一瞬、わずかに目を細めただけで、何でもないように語った。

 

「まあ、パーティを組んでるんだし、向き不向きはあるけど、強さはみんな一緒の横並び程度。イビルアイも同じくらい。」

「え……?」

 

 瞬間、聞こえたかすれた声にティアは問いただした。

 

「どうした? なにか疑問でも?」

 

 射すくめるようなそのまなざしに、少年は取り繕うように言った。

 

「あ、いえ……ええっと、小耳にはさんだ話だと、蒼の薔薇の皆さんとイビルアイさんは強さがちょっと違うとか……」

 

 少年は、先ほどのティアの台詞が聞こえた瞬間、指輪から嘘だという反応があり、思わず声を出してしまったのだ。

 拙いとは思いつつも、蒼の薔薇の実力を知るまたとないチャンスだと考えた。

 

 ティアは、しばしの間、その少年を見つめていたが、やがて視線を落としてコーヒーに口をつけた。

 

「うん。少し見栄を張った。イビルアイは強い。私たちとは別格に。イビルアイ一人で私を含めた他の四人を倒せる」

 

 その言葉に「そうなんですか……」とアレックスはつぶやいた。

 これは、法国として非常に重要な情報だ。

 口を挟まずにいたベルもまた、内心、重要な情報を手に入れることが出来たとほくそ笑んだ。

 

 

 

 事ここに至って、ティアもまた、このアレックスと名乗る少年の異様な点に気がついた。

 

 蒼の薔薇がアダマンタイト級冒険者であるという事は知れ渡っているが、イビルアイが他の者と比べて桁外れの強さを持っている事については、表沙汰にはなっていないはずだ。

 それなのに、この少年はそれを知っていた。

 

 ――知っていた?

 いや、その割には何だか反応の仕方が奇妙だった。

 先程ティアは皆の強さが同じと言った。それに対して、彼は驚きの声をあげた後、『強さがちょっと違う』と言った。『イビルアイが強い』ではなくてだ。

 

 ――もしや、この少年はなんらかの方法で嘘を見抜くことができる? だから、『強さが同じ』という言葉に対して、『イビルアイが強い』ではなく、『強さが違う』のでは、と返した?

 

 そう考えると、つじつまが合う。

 先ほど、このベルという少女に対し、その名が本名ではないと看過した件だ。

 この少年はベルという名が本名ではないと言ったが、その本名は口にしなかったし、その後の態度を見るにその本名は分かってはいないだろう。

 おそらく他人がいった事が嘘かどうか見分ける能力を、なんらかの手段で持っている。

 

 

 その答えに行きついた時、ティアは今回の会談での失敗に気づいた。

 おそらく、最初に自分の名前が偽名であることを言われたとき、すでにベルは少年の能力に当たりをつけていたのだろう。そして、それを知ったうえで会話をし、少年からの信頼を積み上げていった。ティアが素性のしれない少年に警戒心を抱いている間に。

 少年がベルの肩を持っていたのは、なにもベルに対して恋慕の感情を抱いていたからのみではなく、ベルの言葉には嘘が含まれていなかったため。それによって少年はベルに対し気を許していったのだろう。

 

 ティアは内心歯噛みしつつも、もしこの少年が本当に嘘を見抜く能力があるなら、こちらとしても利用できると考えた。

 

「ベル」

「はい?」

「さっきからイビルアイについて聞いてるけど、そんなに気になる?」

「ええ、蒼の薔薇の皆さんは有名ですし、それにそんな凄いパーティーにいる魔法詠唱者(マジック・キャスター)って、どれくらい強いのか気になりまして」

「イビルアイは本当に強い。シャドウデーモンを一人で簡単に倒せるくらい」

 

 その言葉に、ベルは一瞬言葉を詰まらせた。

 ――まさか、王都にシャドウデーモンを送ったのが自分たちだと気づいているのだろうか? いや、はったり、ブラフか?

 

「シャドウデーモンですか?」

「そう、シャドウデーモンっていう悪魔。ベルは知ってる?」

 

 ティアがエ・ランテルに派遣される前、彼女たちのリーダー、ラキュースがラナーとあれこれ打ち合わせをした。

 その際、王都に現れたというシャドウデーモンにアインズ・ウール・ゴウンが関係している可能性もあると告げられた。

 アインズは善良な人物であると思い込んでいたラキュースはまさかと思ったが、ラナーはあくまで情報収集のためにシャドウデーモンを使ったのであって、何も悪さをさせようという気はなかったかもしれないと言いくるめて、アインズ・ウール・ゴウンについて調べるならシャドウデーモンとの関連性も考慮するようにと伝えた。

 その事があったので、アインズ・ウール・ゴウンの関係者と(おぼ)しきこの少女に、シャドウデーモンの話を振ってみたのだ。もし、彼女が本当は関係者であり、とぼけてシャドウデーモンなど知らないと言ったら、このアレックスという少年の嘘発見に引っ掛かるだろう。

 

 一挙手一投足も見逃さぬと目を皿のようにするティアの前で、何も知らぬ風にベルは顎に手をやり、宙に視線を巡らせ考え込む。

 

「うーん。シャド()()モンというのは知りませんねえ」

「違う、シャドウデーモン。知ってる?」

 

 ベルのごまかしに気づいたティアが重ねて問う。

 

「……シャドウデーモンというのはどんな悪魔なんですか?」

「長いかぎづめを持つ、かなりの肉体能力を持つ悪魔。さらに最大の特徴として、影に潜むこともできる」

 

 ベルはその顔に怯えの表情を浮かべた。

 

「まあ、なんという悪魔でしょうか。そのような恐ろしい能力を持つ悪魔に襲われでもしたらどうしましょう。でも、マルコならば、シャドウデーモンが群れを成して襲ってきても追い払えますよね」

 

 その言葉に、横でやり取りを聞いていた少年の持つ指輪が反応した。

 言葉に嘘があると。

 このベルという少女は、もしシャドウデーモンに襲われたら、このマルコという護衛だけでは追い払えないと思っていると、彼は知った。

 

「大丈夫です。そんな悪魔が襲ってくるなんてありえませんよ。それにもし襲ってきても、ボクがあなたを守ります!」

 

 口に出すのは躊躇(ためら)われたが、思い切って口にした。

 特に後半の部分。

 

 ――「あなたを守る」とかまるで告白じゃないか。

 思わず言ってしまった言葉に少年は顔を赤くした。

 

 それに対し、ベルはティアの追及をかわす事が出来たと彼の言葉にのった。

 

「そうですね。そんな悪魔が私を襲うなんてあるはずがありませんし。そんなのはただの杞憂にすぎませんでしたね」

「は、はい……そうですよ。万が一に警戒は大事ですけど、可能性が低いことにまで怯えてはいけませんよ」

 

 

 2人のやり取りを前に、ティアは敗北を悟った。

 ベルという少女は、その外見に見合わず、小賢(こざか)しい知恵がまわる。

 それにどうやら、このアレックスという少年は自分にかなり非好意的であるようだ。

 これ以上、この場でティアが探りを入れようとも、知恵のまわるベルと嘘を見抜けるアレックス、2人がかりで言葉を返され、誤魔化されてしまう。2対1、先程から話にはかかわろうとはしないがマルムヴィストまで入れれば3対1ではさすがに言葉の戦いでも勝ち目がない。

 

 それにこの場所も問題だった。

 最初、この場に来たとき、なぜここを選んだのかと不思議に思った。普通、こういったやり取りをする場合は人目につきにくいところ、例えば店の奥まったところなどの席を選ぶ。

 どうして、わざわざオープンカフェのような、しきりの無い店の、それも通りに面した席を取ったのか分からなかった。

 ここでは人目についてしまうではないか。

 

 だが、今ならば分かる。

 これは最初から人目につくことを狙ったものだ。

 

 こんな人目のつくところでは、あまり強く言い争う事も出来ない。もしティアがベルを強く追及していたとすると、その姿は衆目にさらされることになる。なにせ、この場所は外も、そして外からもよく見えるのだから。

 ティアはアダマンタイト級冒険者として名声を得ている。対してベルはただの少女でしかない。口論の場を見られでもしたら悪評がたち、拙いことになるのはティアの方だ。

 それにベルは不利と見たら、泣き真似でもするだろう。先程から見ていて分かる。ベルの笑みや怯えの表情は作ったものだ。いざとなったらそういうことをするのに躊躇する(たち)ではない事は、このわずかな時間でもわかった。少女を泣かせるアダマンタイト級冒険者とか、外聞が悪いなどというレベルではない。

 

 それにベルは最初に、今は実家をこっそり抜け出してきている状態である旨を言っていた。

 もし話の形勢が不利にでもなったら、なんらかの手段で合図を送り迎えの人物を呼ぶ、もしくは知り合いが見えたから姿を隠さなければなどと理由をつけて、この場を離れる事も可能なのだ。

 

 ――最初から、策をちりばめていたのか

 

 

 ティアは忸怩(じくじ)たる思いに胸を詰まらせた。

 そして――ベルへの追及を諦めた。

 

 諦めると同時に、その矛先を変えた。

 今回はベルに対し、深く切り込むのは無理のようだ。

 ならば、このアレックスという少年について切り込んでみよう。この少年もまた、奇妙なところがある。自分に良い感情を抱いていない理由や彼本人の素性も知りたい。それに、彼がこのままベルと仲良くなるのなら、この少年経由で再びベルと接触できるかもしれない。

 

 

「えーと、アレックス。聞きたいことがある」

「はい?」

 

 突然、自分に話がふられた事に、彼は目を白黒させた。

 

「アレックスは商人と言ったけど、どこから来たの?」

「ええっと……法国からです」

 

 ここは特に隠すことでもないので素直に答えた。治安の良さから法国に居を構える商人も多くおり、聞かれたときにはそう答えるよう、言われていたから大丈夫だろう。

 

「へえ、そうなんですか? 法国って行った事無いんですよ。ぜひ、お話をうかがえれば。そういえば、アレックスさんはこの街には何をしにいらっしゃったのですか?」

 

 ベルもまた、知りたいと思っていた法国の話が手に入るかもと、こちらの話にも加わってきた。

 そんなことをベルから言われた少年は、狼狽(うろた)えた。

 

 

 エ・ランテルに来た目的。

 それはこの近辺での調査報告を直接聞くためだ。

 そして、神官長たちから言われた事は、もう一つある。

 

 その内容を思い出し、彼は目の前で屈託ない笑みを浮かべている少女を盗み見た。

 

 こんなことをいきなり言っていいのだろうか? それも今日初対面の相手に。

 煩悶(はんもん)する彼の心のうちを知らないベルが首を傾げるようにして、その顔を覗き込む。

 

 間近で見たその優しげな面立ちに、彼は心を決めた。

 

 

「ええとですね。ボクがこの街に来た目的は色々あるんですが……」

「はい」

「その……長……まあ、上役からですね、お前もいい加減、身を固める決意をしろとか言われていてですね」

「? そうなんですか」

「ま、まあ、身を固めると言ってもですね。その、すぐに結婚しろという訳でもなくてですね。まあ、ボクはまだこんな年ですし。でも、とりあえず、将来の結婚相手を決めろとかは言われてまして……」

「はあ」

「そ、それでですね。今回、旅に出たついでに結婚相手を見つけてこいとか言われていてですね……」

 

 ごくりと喉を鳴らして、彼は目の前の少女に目を向ける。

 きらきら陽光を受けて輝く銀髪。細い輪郭の小柄な顔。やや赤みがかった瞳。透き通るように白い肌。

 まるで精巧に作られた芸術品のようなその美しさに、腹をくくってここまで口にしたのに、また覚悟が揺らぎそうになる。

 だが、頭を振るってそんな弱気の虫を払い落した。

 

 

「べ、ベルさん!」

「は、はい」

「あの……す、好きです」

 

 

 

「……は?」

 

 

 思い切って発せられた告白の言葉。

 だが、ベルからすれば混乱するばかりだった。

 

(いったい、この少年は何を言っているのだろう? ……好きとか? この俺に? なんで?)

 

 頭の中は疑問符だらけである。

 つい先ほどまで必死で頭を働かせて、頭脳戦を繰り広げてきたのである。そんな頭でいたら、突然、告白とか。

 

(ええぇ……。何考えてんだ、こいつは? 俺に告白って……)

 

 突然の事にオーバーフローしかけているベルの思考には、自分が今、少女の姿であるため、男性から告白されるのは当然であるという事は思い浮かばなかった。

 

「ボクにはわかります。ベルさんが清廉潔白な心の持ち主だという事を。その澄んだ瞳の奥にある優しく穏やかな清流のような心を。ボクの目は節穴じゃありません」

 

 

 その言葉にマルムヴィストは思わず吹き出し、それを咳払いで誤魔化した。

 

(ねーよ! 俺が知る限り、ボス程心が汚れきってる奴なんて見た事ねーよ! ボスの心の中は清流どころかどぶ川、いや毒が垂れ流しになってる川だよ! お前の目は節穴以外のなにものでもないよ!)

 

 思わず叫びそうになるのを、彼は必死でこらえた。

 

 

「あ、あの、ベルさん。ベルさんは結婚相手に望むのはなんですか?」

 

 はっきり言って、好きか嫌いかの程度を通り越し、いきなり結婚まで話が飛ぶというのも無茶苦茶であるが、気持ちを振り絞った告白に頭が沸き上がっている彼には気が回らなかった。

 

 そして突然、結婚などという思いもよらないキーワードを言われたベルもまた、ろくに思考も出来ないまま、考えることなく思わずその本心を口にしてしまった。

 

 

「……お……」

「お?」

「お……大きなおっぱい」

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………。

 

 

 その場にいた誰もが言葉もなかった。

 これほどひどい答えも、そうないだろう。

 相手が男であるか女であるか関係なく最悪だ。

 これまで可憐な少女の演技をしてきたのも台無しである。

 

 

 そうして、にぎやかな喧騒の中、彼女たちのいるテーブルだけ沈黙が支配するところに声が響いた。

 

 

「ベル様!」

 

 

 その声に振り替えると、そこには息を乱したソリュシャンが立っていた。

 おそらくかなりの時間あちこちを捜し歩いたのだろう。その靴やメイド服には土埃が纏わりついている。

「あ、ソリュシャン……」

 

 ソリュシャンは一足飛びにベルのところへ近寄ると、そのままがばっと彼女を抱きしめた。

 

「ベル様……心配しました」

 

 そう言って、この場の者が誰も持ちえない、まさに『大きなおっぱい』と言える豊満な胸がベルの身に押し付けられる。

 どれだけの時間そうしていたか、見ている者も定かではないが、やがてソリュシャンはその身を離し、ベルに「帰りましょう。皆も心配していますよ」と告げた。

 勝手をやったという罪悪感と、ソリュシャンの柔らかい躰を押し付けられた感触に呆となっているベルは言われるがまま、彼女に手を引かれ去っていった。

 

 

 そうしてその場には、ただ唖然としている3人だけが残された。

 特に、告白の答えも聞かされず、相手にいなくなられてしまった少年は、ただその場で凍り付くしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「今回の事はさすがに拙いというのは理解していますね?」

「……はい……」

「ベルさん、反省していますか?」

「……深く……」

 

 ベルは言葉少なく返す。

 その顔は憔悴(しょうすい)しきっている。

 

 当初ベルは、たぶんナザリックに帰ったらアインズに散々怒られるんだろうな、程度に思っていた。リアルでの社会人生活で怒声を聞き流すのは慣れたもの、適当に頭を下げておけばいいやと(たか)をくくっていた。

 

 だが、ナザリックに戻ってきたベルを出迎えたのは、予想に反しナザリックのメイドたちであった。

 そして、彼女ら皆に泣きつかれたのである。

 

 滂沱(ぼうだ)の涙を流し、ベルの事を心配していたと切に訴えるメイドたち。

 リアルでも女性に泣かれるなどしたことのないベルにとって、嘘偽りなく本当に身の安否に心悩ませていた女性たちの哀哭(あいこく)は、その精神がガリガリと削り取られるようだった。

 

 精神的に疲れ切った様子で肩を落とし、ベルは大きくため息をつくとアインズに言った。

 

「まあ、代わりと言ってはなんですが、ちょっと情報を手に入れてきたんですがね」

「へえ、どんなのです?」

「ええ、ほら、王都の蒼の薔薇についてなんですがね。そのうちの1人が今、エ・ランテルに来ていてですね……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(ああ、楽しい見せ物だった)

 

 マルムヴィストは酔いを感じさせない足取りで、ギラード商会に帰ってきた。

 あの後、もはや会話をつづける空気でもなく、誰ともなくそのまま解散となったのだ。

 ティアの方はまだしも、アレックスと名乗った少年の方は、正直見ていて気の毒になるくらい憔悴(しょうすい)しきった様子だった。

 大丈夫かねぇ、とマルムヴィストが心配するほどに。

 

 まあ、どっちにしろ他人事だ。

 人の恋路ほど楽しいものはない。

 自分がそれに巻き込まれさえしなければ。

 

 そうして、割といい気分でギラード商会最奥部のいつもの部屋に足を踏み入れた。

 

 

 ――その瞬間。

 

 ガッと後頭部を掴まれた。

 自分が後ろをとられた驚愕に目を見開き、背後を窺おうとする彼の耳に澄んだ声が届いた。

 

「あなたは……。なぜ、ベル様がこちらにおいでになられていることを私に知らせなかったのかしら?」

 

 凍るような冷たい声でソリュシャンが言う。

 自分の頭を掴む、妙にひんやりとして柔らかい感触に戦慄を憶えながら、マルムヴィストは弁解する。

 

「い、いえ……。ボスがここに来ていることは秘密にしろと……」

「ベル様に責任を押し付けるという訳かしら?」

「そ、そういう訳では……」

「あなたには少し自分の立場を教えてあげなくてはいけないようね……」

 

 

 

 

「何やってんのよ、マルムヴィスト」

 

 外回りを終えてギラード商会に帰ってきたエドストレーム。

 彼女が商会奥の部屋に足を踏み入れたところ、部屋の片隅の金色の壺には、後ろ手に縛られ、顔を腫れあがらせたマルムヴィストが逆さに入れられ、半泣きしていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(あら?)

 

 蒼の薔薇の定宿である冒険者の宿にやって来たラキュースは、彼らの指定席である奥まったテーブルから立ち去る人物を目にした。

 彼はラキュースに気づくと、一度ピタリと立ち止まり深く頭を下げると、再び足早に出ていってしまった。

 

 彼女は疑問に思い、そのテーブルにいた彼女の仲間、ティアがエ・ランテルに行っているため残る3人に声をかけた。

 

「今のって何?」

 

 それに対し、ガガーランが答えた。

 

「ああ、レエブン侯のところの人間だな」

「レエブン侯の?」

 

 思わず、ラキュースの顔が渋面になる。

 ティアをエ・ランテルに送り出すことに関し、どこから聞きつけたのかはしらないが彼が協力を約束してくれた。

 それはいいのだが、その時に、散々厭味ったらしくラキュースに恩を着せるかの如き物言いをしてきたのは、本当にうんざりした。

 王国の、ラナーの為でもなければ、あの蛇男となんて口もききたくもないのに。

 

 そんなラキュースの心を(おもんぱか)り、イビルアイは言葉をかける。

 

「まあ、嫌な奴でも役には立つ。そんな事よりティアからの手紙だ」

「ティアからの?」

 

 テーブルに目を向けると、そこには一通の封筒が置かれていた。先ほどの人物はこれを持ってきたのだろう。

 さっそく手にとってみるが、表書きですら、訳の分からない字で書かれており、まったく分からない。

 

「何よ、これ?」

「暗号で書かれている」

 

 言ってティナが手にとり、中に入っていた便箋に目をやる。

 皆が固唾をのんで見守る中、ティナが口を開いた。

 

「本人かどうかは不明と断ってあるけど、アインズ・ウール・ゴウンと一緒にいた可能性のあるベルっていう少女と接触したと書いてある」

 

 その言葉に皆息をのんだ。

 彼女らからして、アインズ・ウール・ゴウンの方の調査は望み薄だと思っていたのだ。

 

 イビルアイが先を読むように促す。

 しばしの間、ミミズがのたくるような特殊な文字を目で追っていたティナが言葉を発した。

 

「えーと、なになに。『ベルは巨乳好き』」

「……」

「……」

「……なによ、それ?」

 

 ティナは便箋に目を落としたまま言う。

 

「いや、確かに書いてある」

「ベルって、たしか女の子のことよね。そんな情報あげられてどうしろっていうのよ……」

 

 

 そうして、それ以外にもいろいろとベル及びエ・ランテルに関する情報は書かれていたため、それらの情報はラキュースがまとめて、ラナーのところへ届けられた。

 マルムヴィストらしき人物とベルと思しき人物が一緒にいた、ベルという名は偽名かもしれない、など。

 そんな中、ベルが巨乳好きという話は、さすがに要らないだろうとラナーには伝えられなかった。

 

 もし伝えられていたら、ベルという少女は魔法で姿を変えているものではないか、というラナーの推測を補強するものとなり、それによって新たなアプローチが出来ていた可能性もあるのだが。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 どっと笑い声が上がった。

 男たちは立ち上がり、「こいつに乾杯!」と声をあげると、その手のジョッキを飲み干し、蛮声をあげる人の間をせわしなく動いていた女中に酒の追加を頼み、また席についた。

 

 

 ここはエ・ランテルの宿屋。旅の商人たちが一夜の宿りとする場。

 壁際に設えられたランプの明かりに照らされ、男たちが食事に舌を打ち、酒を酌み交わしてはにぎやかな笑い声をあげていた。

 誰もが、今日という一日を無事に過ごせたことを祝い、明日も災難に遭わないことを祈る。そして、たまたま居合わせた同業者からは彼らが旅先で得た様々な情報を交換する。もちろん、そこは海千山千の者達。己が利益のために虚言や策略が渦巻いているが、中には身の安全に関するものまであるため、だれもが熱心に、酒を潤滑油として互いの口から流れ出る言葉に耳を傾けていた。

 

 そんな宿屋の片隅。

 こうこうと燃える暖炉の火を少年は椅子に座って見つめていた。

 その目は焦点を結ばず、ぼんやりとしており、ただ揺らめく炎が瞳に映っていた。

 

 あの時、思い切って言った自分の告白に彼女が答えた言葉。

 

 『大きなおっぱい』

 

 ――どうしろっていうんだ!

 少年は頭を抱えた。

 

 遠くにいた男の視界の片隅に、少年の奇行が目に入ったが、彼らはそういう年頃だからなと見て見ぬふりをしてくれた。

 そんな気遣いにも気づかず、少年は懊悩(おうのう)する。

 

 もし、かっこいい人と答えられたら、身だしなみに気を付けただろう。

 もし、たくましい人と答えられたら、今より体を鍛えることに専念しただろう。

 もし、賢い人と答えられたら、知識を得ることに励んだだろう。

 

 しかし……。

 『大きなおっぱい』など、どうしろというのだ?

 彼女がそう口にしたとき、嘘を見抜く指輪は反応しなかった。つまりは、結婚相手に求めるのは『大きなおっぱい』というのは本心であるという事だ。

 男である彼にはどう頑張っても、絶対にどうしようもない事である。

 しかも、あの時現れたソリュシャンと呼ばれた、あのメイドはそれこそとても大きな胸をしていた。あまり、女性を性的な目で見たことのなかった彼にはイマイチ詳しくは判別できなかったが、おそらくクレマンティーヌと同じくらいはあっただろう。

 自分ではどうやっても彼女の好む人間になれないという事実に、少年は苦悩していた。

 

 悩む少年の後ろを一人の酔漢が通り過ぎる。

 どれだけの酒を飲んだのか、もはやすっかり赤ら顔となり、足元もおぼつかない。

 千鳥足で歩いていた男は足をもつれさせ、手にしたジョッキの中身をこぼしながら、少年の座る椅子の背もたれにぶつかった。

 そうして、よろめく足で立ち上がる際、ジョッキを口にあてながら秘かにつぶやいた。

 

「クワイエッセから報告。トブの大森林内で奇妙な洞窟を見つけたとのことです」

 

 



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第41話 幕間―1

2016/6/16 「西の蛇」→「西の魔蛇」 訂正しました
2016/10/9 「非情に」→「非常に」 訂正しました


「では、ちょっと行ってきます」

 

 そう声をかけると、店の奥から「すまない、頼む!」と声が響いてきた。

 その声を背に、彼女『マイコ』は後ろ手に裏口の扉をしめ、店を後にした。

 

 後ろ手に扉を閉めるなど、ナザリックでは絶対に許されない行為であり、彼女としても抵抗のあるものであったが、この街で暮らす一般人としてそれが自然であるのならばと、そういう行為を行う事も我慢できた。

 

 そして、『マイコ』ことナザリックのプレアデスの1人、ユリ・アルファは道を急ぐ。

 

 

 すでに西の空高くは紫の色に染まりかけている。

 今の時間でも少々遅すぎるくらいだ。急がねば、店が閉まってしまうだろう。

 今日のおすすめにしようと大量にウサギ肉を仕入れたのに、一緒に煮込む野菜が無ければしまらないものになる。そうならないよう事態は急を要する。

 ――まさか、昼に届いた食材の中にビートが無かったことに今になって気づくなんて。

 まあ、恐妻家の料理長は奥さんである女将さんにこっぴどく叱られていたから、自分まで責めるつもりはないが。

 とにかく急がなくては。

 

 とかく真面目な性格のユリは、思わず自分の身体能力を十全に発揮して、店まで一気に駆け抜けてしまいそうになる。だが、そんな(はや)る気持ちを抑え、あくまで普通の人間として許容される範囲の速度で道を駆けた。

 

 ユリが『マイコ』として、このリ・エスティーゼ王国の王都に潜入してから、幾許(いくばく)かの時が経っていた。決して長い時間とは言えないが、彼女の目を見張るような美しさ、そして何事にもひたむきに取り組むその姿に、街の皆は親しみを持ち接していた。

 

 いま、彼女は自身の持つコックの職業(クラス)を生かし、街の食堂で働きながら、この地の情報を集めている。

 彼女の主からは、あくまで情報収集が最優先であり、可能な限り目立たぬよう、特に彼女自身の強さが悟られぬようにと厳命されて送り込まれていた。

 

 その為、細心の注意を払い、普通の町娘に扮して行動している。

 その姿も普段とは違い、巻き上げていた髪は下ろして、首筋辺りで結ってまとめている。服装もやや厚手で丈夫な、くすんだ茶系の上着とロングスカートに、紺色のエプロン。そして、最大の特徴であるメガネも外している。

 彼女としては、自らの創造主たる『やまいこ』が選んだ姿と異なる格好をするのは不本意なものであったが、最後まで残られた至高の御方アインズのお役に立つためならば、このような姿を取る事も問題ではない。

 

 ただ、一つ問題があるとするならば、もともとプレアデスを含めたナザリックのメイドたちはすべて――様々なタイプに別れてはいるが――美しい容貌として作られているため、彼女もその美貌(びぼう)が常連客を始めとした者達に評判となり、非常に目立ってしまう結果となっている。

 店に来た男に告白を受けたり、時にはいきなり求婚までされて、面倒なことになるのもしばしばだった。

 

 とにかく、彼女は道を急ぐ。

 急いで食材を買いに行かねば。

 偽装のためとはいえ、コックとして働いておきながら、客に満足いく食事を出せませんでしたというのは、律儀な性格の彼女からして耐えがたい行為だ。

 

 

 ユリは少し近道をすることにした。

 通りから少し外れ、狭い路地を早足で進む。

 

 ――ここを抜ければ、商店街に早くつく。

 

 入り組んだ建物がまるでのしかかるようにひしめく周囲は、まだ日は落ちていないにもかかわらず薄暗い。すえた臭いが彼女の鼻をつくが、それは我慢する。

 そうして歩いていくと、道の少し先で扉が開いたままになっており、その隙間から屋内の明かりが漏れているのが見えた。そして、そのわずかな光に照らされ、道端に大きな布袋が転がっているのも。

 

 ユリは特に気にすることもなく、その脇を通り過ぎる。

 いや、通り過ぎようとしたとき、何かがその身を引き留めた。

 

 

 足下に目をやると、爪も皮膚もボロボロとなった手が彼女のロングスカートの端を掴んでいた。

 

 路上に転がされた布袋からは、半裸の女性の上半身が力なくまろび出ている。その女性の手であった。髪は栄養失調からかバサバサであり、その顔や身体にはつい今しがたまで受けていたであろう暴行の痕がまざまざと残されている。

 

 そんな姿を見て、ユリは眉根をしかめる。

 だが、そうして立ち止まった彼女にドスのきいた声が投げかけられた。

 

「おう、嬢ちゃん。何見てんだ!」

 

 開いた戸口から現れたのは、いかにも暴力を生業(なりわい)としているであろう雰囲気を纏った男だった。

 男は舌打ちをすると、顎をしゃくった。

 

「失せな。今なら、無事に帰してやるよ。かわいい顔に傷つかねえうちに行きな」

 

 男の声に、ユリは一つ息を吐いて――。

 

 

 

 ――一歩、後ろに下がった。

 

 力なくつかんでいたその手が、ユリのスカートから滑り落ちる。

 

 

 そして、ユリは振り返ることなく細い路地を進んでいった。

 

 

 あの場で男を叩きのめすことは簡単だった。

 彼女の目から見て、あの男は大した強さではない。それこそ、手を抜いた状態でも一撃で昏倒、本気になれば即死すら楽にさせられるだろう。

 

 だが――。

 だが、そうする理由がない。

 

 ユリはナザリック地下大墳墓では珍しく、そのカルマ値が高く、属性(アライメント)も善に傾いている存在である。

 そんな彼女にとって、今見た光景はいささか気分を害するものであり、死にかけていた女性に対しては哀れみの感情を抱いていた。

 出来るならば、助けてやりたいとも思った。

 

 しかし、ユリが王都に来ている理由は人助けなどではない。

 あくまでナザリックの為の情報収集であり、可能な限り目立たぬようにと指示されている。やむを得ないと判断した場合には自衛の行動を取る事は許可されていたが、それ以外に関しては出来るだけ、荒事に首を突っ込まないようにと言われている。

 

 彼女の事は気の毒に思うが、見ず知らずの人間の為に、自分の感情に任せて行動し、至高の御方から言い渡された任務に支障をきたすわけにはいかない。

 

 ――もし、あの方だったらどうするだろうか?

 と、一瞬、同じプレアデスの妹であるナーベラルと共に帝国に行っているはずの人物を頭に浮かべた。

 

 ――いや、セバス様も同じ判断を下すはず。アインズ様のご命令の遂行こそ最優先される事柄なのだから。

 

 ユリは軽く頭を振って、先ほど見た光景を脳裏から振り払うと、その足を速めて歩いて行った。

 

 ――すこし時間を取られてしまった。

 急いで買って戻らないと。

 

 そうして、彼女の姿は日の傾きかけた、入り組んだ路地の向こうに消えていった。

 

 

 

 その後、急いだユリの働きによって、野菜の買い付けは無事に終わり、夜のかき入れ時までに料理の仕込みは間に合った。だが、肝心のワインが底をついていたのに後になってから気がつき、その日、店ではアルコールはエールのみの営業となった。

 料理長は奥さんに頭をおたま(・・・)で散々叩かれたらしい。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やっ。よく来たね、お疲れさま」

 

 明るくはつらつとした少女の声が、良く晴れた森の湖畔に響く。

 その声に対し――。

 

「ははあっ! アウラ様、御無沙汰しておりました」

 

 老人の上半身に下半身が蛇という異形の姿を持つ怪物(モンスター)リュラリュースが頭を下げた。

 自分たちより圧倒的な強者であり、支配者であるナーガが頭を下げたことに、人間の数倍もの巨大な体躯を持つオーガや逆に小柄なゴブリンらもそれに倣って、この小さなダークエルフの少女に頭を下げる。

 

 その姿に満足げにうなづいて、アウラはそばの岩に腰掛け言った。

 

「うん。じゃあ、今回の報告を聞こうか」

 

 

 

 ここはトブの大森林。その南部にある名もなき湖のほとり。

 池というよりは大きく、ぎりぎり湖と呼べる程度の大きさだが、冷たいせせらぎの注がれる水中には、日の光をその背に反射させる川魚が悠々と泳いでいる。

 その湖岸、山側の斜面には水面近くにぽかりと洞窟が口を開けている。

 一見、岸辺(きしべ)に生えた大木の根に隠れている自然の鍾乳洞と思いきや、その内部は石造りの地下神殿となっている。

 

 

 この地下施設は、かつてベルが万が一の際に備え、課金アイテムを使って作ったナザリックのダミーダンジョンである。

 

 当初は何か正式に名前を付けようかという話もあり、アインズとベルであれこれ討議していたのだが、どうせナザリックの者しかその名を呼ばないのだからダミーでよいのでは、というシズからの進言を受け、結果として湖畔のダミーダンジョンとだけ呼ばれるようになった。

 

 そして、あくまで目的はナザリック本体の場所を隠蔽(いんぺい)するための囮である事から、基本的に――ナザリック内に直接転移する場合を除けば――このダミーがナザリックへの窓口として利用されていた。

 

 

 例えば、今のように、リュラリュースとの会合場所とするなど。

 

 

 前回のザイトルクワエの一件以来、リュラリュースはナザリックの旗下に入り、トブの大森林南部をまとめ上げている。

 アゼルリシア山脈南側の外周を囲むように広がるトブの大森林。その森の中でも中央に位置する南部地帯ではもともと、東の巨人グと西の魔蛇リュラリュース、そして南側に位置する森の賢王とで三つどもえの縄張り争いをしていた。

 しかし、ここ最近において、グは謎のアンデッドに倒され、森の賢王はハムスケと名を変えて冒険者モモンと共に行き、その均衡は失われた。

 

 そして偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン率いるナザリックの配下となったリュラリュースが、空白地帯となった南部全域を治めることになったのだ。

 

 ナザリックが背後にいるとはいえ――いざというときは力を貸してくれるだろうが、そもそも下手に頼み事などしたら、役に立たないやつと判断され、リュラリュース自身も消されてしまう可能性が多分にある。そうなったら、リュラリュースに待つのは破滅しかない。

 アインズの戦いをその目で見、また実際に戦った事もある身としては、もはや常識の範疇では語る事の出来ない桁外れの強さを誇る魔法詠唱者(マジック・キャスター)、そしてそれに率いられた怪物(モンスター)の軍勢など、勝つ目算など全く立たない。

 リュラリュースとしてはとにかく、可能な限り自分の有用性を見せ、興味を持ってもらうしか命を長らえる(すべ)はないのだ。

 その為に、必死でナザリックから下される指令をこなしていた。

 

 支配地域を広め、配下を増やし、様々なサンプルとなる物品を集め、トブの大森林内への侵入者を監視し、縄張りに異常がないか調べ、そしてそれらを報告する。

 

 

 そんなリュラリュースとの定期会合の場所に選ばれたのが、このダミーダンジョン入り口である。

 

 本来はリュラリュースが〈伝言(メッセージ)〉を使えれば問題はなかったのだが、残念ながらこのナーガは〈伝言(メッセージ)〉は習得していなかった。

 一応、緊急時の連絡用に〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)は渡してはいる。だが、あくまでそれは緊急用。そう簡単に使うなと命令している。

 デミウルゴスの活躍により量産が可能になったとはいえ、まだまだ、巻物(スクロール)はそうほいほい無駄遣い出来るようなものではないし、リュラリュースが巻物(スクロール)を大量に渡してもいいくらい有用な者かはいまだ判断中であった。

 

 そこで、定期的にこのダミーダンジョンがある湖畔で落ち合い、その間の成果や発見、調査結果の報告を受けるという形をとっている。

 

 今も、森の中で採取してきた各種薬草や、アゼルリシア山脈の麓で採れる鉱石などをオーガがその背から下ろし、それをスケルトンやエルダーリッチらが受け取り、洞窟内へと運んでいく。それらは洞窟内の一カ所に集められ、後にナザリックへと送られ検査されることになる。

 

 

「それで、どう? 順調?」

 

 そういった作業をしり目に、アウラはリュラリュースに声をかける。

 

「はい。特に問題はございませぬ。かつて、グの配下であった者達はほとんどが我が傘下に収まりました。そして、そのことを知り、近隣に住んでいるゴブリンなどの種族も次々とわしに恭順の意を示しております」

「うん。一応聞くけど、そいつらにはナザリックの事は?」

「はい。仰せの通り、広くは語っておりません。ナザリックの事を知っているのは今日ここに来た者達を始めとした、昔から我が配下にいた者達のみ。新たに加わった者達は、単純にわしの下に降った形になっております」

 

 その答えに、アウラは「ん」とうなづいた。

 内心はあまり面白くはないのだが。

 

 

 本来であれば、そいつらにもナザリックの偉大さを教え込み、アインズを讃える言葉を語らせたかったのだが、それはベルから止められていた。

 

 なんでも、そのような連中にまで名を広めると、この地に隠れ潜んでいる自分たちの存在が外に漏れ出てしまう危険性があるからだとか。

 今現在、ナザリックのことは隠匿している状態であり、その存在を(おおやけ)にはしていない。

 それはこの地に潜む強者に警戒しているためであり、調査が完全に済み、脅威となりえる者達を排除するまでは、可能な限り姿を隠して行動するというのが、現在のナザリックの行動方針であった。

 

 

 だが、アウラからすれば、それは心配のし過ぎではないかと思う。

 

 

 実際にトブの大森林内でツアーという人間や、法国の人間と戦った身としては、どう考えても、ナザリックが恐れるような者達ではないと感じられた。

 確かにツアーは結構な強さを持っていた。だが、守護者クラスならば数人、それほどまではいかずとも高レベルの者達が数十人、もしくはアウラ自身の配下の者達で一斉にかかれば、そう苦労することなく討ち取ることは十分に可能だと思えた。

 法国の方も、あの謎の洗脳には注意が必要だが、所詮その程度。あの時戦った人間たちは、アウラからすれば十把ひとからげの雑魚でしかなかったし、唯一、彼女の鞭の一撃を防いだ男も、他よりは少しやるというくらいで、敵として立ちはだかれるなどというものではなかった。いわば、毒虫を退治する際には、その毒に刺されぬよう気をつけなければならないが、かといってその虫を対等の戦闘相手とはみなさないのと同じだ。

 

 

 ――どう考えても、ナザリックの戦力に敵うとは思えない。そこまで慎重に行動する必要があるのだろうか? ベルは弱気にすぎるのではないか? 至高の御方が作り上げたこのナザリックを過小評価しているのではないか?

 

 そんな疑念が頭をよぎるが、彼女たちの支配者であるアインズはそんなベルの案に賛同している。

 アインズがよいと言ったものに、彼女が反論できるはずもない。

 

 アウラは自分の考えを胸の内に押し込めた。

 

 

 ――ベル様か……。

 アウラは銀髪の少女の姿を思い浮かべる。

 

 ベル。

 至高なる御方ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフ様の御息女。現在はナザリックにおいて、アインズに次ぐ地位についている。

 守護者にも匹敵するほどの強さを持っているようだが、その力は振るうことなく、主にナザリック外において現地の者達相手の組織運営など、知略に関する方面で活躍している。

 また、ナザリックの活動方針の決定に関しても、よくアインズと2人で秘密の討議を行っているようだ。

 

 

 その事を思い浮かべたときに、なにかアウラは胸にちくり(・・・)としたものを感じた。

 

 ベルはアインズと話すときは普段と違う口調で話す。他の者と話すときは子供っぽい口調なのに、アインズに対しては敬語ながら砕けた口調だ。

 そして、アインズもまた、皆に対しては支配者然とした威厳ある口調だが、ベルに対してだけ、同様に砕けた口調で話している。

 

 アインズにとって、ベルは心安い存在なのだろう。

 他のナザリックの者達よりも。

 

 アウラ・ベラ・フィオーラよりも。

 

 

 アウラは胸を押さえた。

 なにか分からないが、胸の奥に違和感を感じた。毒無効のアイテムを外した状態で酒を鯨飲(げいいん)した次の日のような、なにやら身体の奥から湧き上がってくるようなモヤモヤしたもの。それが何なのか判断つきかねるが、とにかく、何かが自分の心のうちに澱のようにたまっていくような、実に嫌悪感を覚える不快な感じ……。

 

 

「どうなさいましたか?」

 

 リュラリュースの呼び声に我に帰った。

 視線をあげると、心配そうなリュラリュース、それとエルダーリッチ達が視界に入った。

 どうやら思わず顔に出してしまっていたらしい。

 

 彼らに「なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだから」と伝え、気を取り直す。

 ――とにかく今は、このアインズから命じられた仕事をしっかりこなそう。

 そう考え、どこまで確認したかなと思い返す。

 

「ええっと、それで、トブの大森林内に侵入しようとした不審人物とかは?」

「とりあえず、わしの知りえる限りではおりませぬな。冒険者たちは森の外周部辺りを訪れておりますが、まあ、薬草取りでしょう。たまにエ・ランテルのある方面から冒険者がある程度、森の奥深く入り込み、何やら調査している風ですが、例の魔樹がいた辺りやあの時、人間の死体が転がっていた付近には近づいてはおりませぬ。それ(ゆえ)、そちらに関してはご命令通り、わしの配下となった者達には、監視だけに(とど)めて手は出さぬよう伝えております。まあ、配下となっていない怪物(モンスター)らが襲い掛かったりはしているようですが」

「うん。それでいいよ。せっかく集めたこっちの戦力が減らないようにするのが大事だし。でも、魔樹のいた辺りまで近づこうとしている人間がいたら、〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を使ってもいいから教えてね。それと――」

 

 言いかけた刹那、ばっとアウラがその顔を上に向けた。

 なんだろうと、つられて近くの者達も上を見上げる。

 

 そこには一羽の鳥が空を舞っていた。

 

「あれは……クリムゾンオウルですな」

 

 リュラリュースの言葉に、アウラはすぐに関心を無くした。

 クリムゾンオウルは、ナザリック基準では、対して強いわけでも珍しいわけでもない。わざわざ捕まえてペットにするほどの価値も、殺してその羽をとるほどの価値もない。

 

「えーと、話を戻すけど、特に警戒しなきゃいけない人間がエ・ランテルに来たみたいだから、そいつには近寄らないように。戦闘も駄目だよ。そいつの特徴はね……」

 

 もはや、アウラの心から上空を旋回するフクロウの事は消え失せていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 トブの大森林の外周部にあたる切り立った岩場。

 そこでは森の中から流れてくる水が滝となり、眼下の滝つぼへ流れ落ちている。

 

 そんな川岸の崖に突き出した岩に一人の男が立っている。

 

 優し気な甘い顔立ちに、しなやかな身体、肩口で切りそろえられた美しい金髪と、演劇の舞台にでもあがれば人気が殺到するであろう人物である。

 

 その人物は目をつむり、岩の上に立ち尽くしていたが、やがて、その左腕を肩の高さまで上げた。

 その前腕に、風を切って飛び降りてきた巨大なフクロウ――クリムゾンオウルが、その鉤爪で主を傷つけないようにして留まる。

 

 そして、男はゆっくりとその目を開いた。

 

「やはり……あの洞窟こそが、ダークエルフの隠れ潜んでいたねぐらという事ですか」

 

 そうつぶやくと、男――漆黒聖典第五席次クワイエッセ・ハゼイア・クインティアは、腕のクリムゾンオウルを帰還させ、身を隠すようにその場を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「では、そろそろ失礼させてもらいますよ」

「はい、本日はありがとうございました。では、モーリッツ様、お気をつけて」

 

 戸口で深く頭を下げる家令の男に見送られ、灯りに煌めく高価な衣装に身をまとった老人が、宴が行われていた館を後にする。

 その髪も髭もすっかり白くなってしまっていたが、お付きの者が用意した降車台をふみ、馬車へと乗り込むその足取りは、加齢による衰えなどみじんも感じさせなかった。

 老人が車内に姿を消し、他のお付きの者達も続いて乗り込むと、4頭立ての豪奢な馬車は石畳の敷かれた帝都の道を静かに歩き出した。

 

 

 

 高級な馬車らしくサスペンションがよく効いているため、眠気を誘うような揺れに包まれる車内。3人ずつが座れる椅子が前後にしつらえられており、今、そこには4人の人物が座っていた。

 

「ふう。かえって、このような真似事は疲れるものですな」

 

 先ほど、『モーリッツ様』と呼ばれた老人、ナザリック地下大墳墓の執事セバス・チャンはその身にまとう、普段の執事服とは異なる金や銀、宝石などで装飾された紫色の服の裾を引っ張り、若干着崩していた襟首を直した。

 普段から執事服を身に着けているセバスからすると、服というものはピタリと着こなしていないと、どうにも落ち着かない。

 

「お疲れさまです。セバス様。でも、服はすこしばかり乱していた方がいいんですよ。いつものぴしりとしたもんじゃなくって」

「ふむ。そうでしょうか?」

「ええ。セバス様が扮しているのは、没落しかけの貴族が商売を始めてそれなりの商人になって、そしてすでに家督を譲った老人という設定ですから。ちょっと成金趣味っぽい方がそれらしいんですよ。それにちゃんとした社交界に出るのならともかく、あくまで、それなりの連中と交流を深めるんですから、少しばかり隙を見せていたほうが親しみとか持たれやすいですし」

 

 セバスの向かいに座った護衛の人物、中性的な美貌を持ち、腰にレイピアを下げた男がやや砕けた口調の敬語で答えた。

 

 男の名はルベリナ。

 元は八本指の警備部門に属していたが、元六腕であるマルムヴィストら経由で引き抜いた男だ。

 今、彼を始めとした十数人の者達が、半ば引退した商人という設定であるセバスの護衛という名目で、帝都に送り込まれていた。

 

 

 もともと情報収集の為に帝都へと向かったセバスとナーベラルは、ナーベラルが商人の娘、そしてセバスはその家に仕える執事という役柄を演じていた。

 だが、少々問題が生じた。

 ナーベラルがあまりにも人間に対して敵意をむき出しにしていたためである。

 父である商人に甘やかされ、他者に対して傲慢さを持つ娘という設定だったため、多少はいいかと思っていたのだが、さすがに出会った人間相手にろくに会話もせず、口を開いたと思ったらナメクジだの、ガガンボだのと言いはなってしまい、さすがにこれは度を越していると、役割変更を余儀なくされた。

 その為に現在は、セバスが王国の没落しかけた貴族の三男が商売に活路を見出し、それなりに成功した後、そちらは息子に譲って悠々自適な生活を送る老人。そしてナーベラルはその親戚筋の娘で、社会勉強のために旅に同行させられているという設定になっている。

 ただ、さすがにその設定で二人旅だと、明らかに不自然なため、八本指から引き抜いた者達を共の者としてつけたのだ。

 

 ちなみに今日、ナーベラルは現在帝都での活動拠点として借りている家で、他の護衛役の者達とお留守番である。

 

「ふむ。そう言えば、私の現在の名前はセバス・デイル・モーリッツでしたか。没落している設定とはいえ、適当に名乗って大丈夫なのでしょうか?」

「ああ、大丈夫ですよ。一応、そのモーリッツ家ってのは実在の王国貴族ですし」

 

 ルベリナの答えに、セバスは眉をひそめた。

 

「なればこそ、調べられた場合、拙いのでは?」

 

 懸念を伝えるセバスだが、彼は何でもない事のように答える。

 

「いやー、その家ってのは一応領地はあるものの、王城とかにも入れないような辺境の三流貴族なんですよ。その上、貧しい土地なのに子供だけはたくさんいるんで、嫡子を残して下の連中は何かで身を立てなきゃいけないっていう家でしてね。そんな家なんで、領地の無いような傍流もたくさんいますし、そいつら全員の身元を洗うなんて出来っこないんですよ。それに……」

 

 ルベリナは片手の親指と人差し指をつけて輪を作る。

 

「これを少し払いさえすれば、本家の方も見て見ぬふりをする約束なんですよ。八本指でどうしても適当な貴族位が必要なときにやってたやり方でしてね。それも昔っから。まあ、最近はわざわざそんな偽装しなくても本当の、それも中央の貴族を使えるんで、めったにはやらなくなった手なんですけどね」

 

 それを聞いて、セバスは「ふむ」とうなづく。

 ――あまりそう言った不正の内情や方法を聞かされるのは好きではないが、主から与えられた任務遂行の為になるならば、自分の好みに関わらず知識として持っておいた方がいいだろう。

 

 

 そうして、しばらく馬車に揺られながら、色々と法の網をすり抜けるやり口を耳にしていると――。

 

「む? 止めなさい!」

 

 セバスが不意に声をあげた。

 その声に、車内に同席していた男が、外の御者に馬車を止めるよう伝える。

 

「どうしたんですか?」

 

 ルベリナの問い。

 それに対しセバスは顔を外へ向け、耳を澄ませながら答える。

 

「今、悲鳴が聞こえました。それも子供の」

 

 その言葉にセバスを除いた車内の者達は顔を見合わせる。

 彼らは今、速度を出してなかったとは言えども、走っている馬車の中にいたのだ。彼らの耳には自身の話声と、木製の馬車がきしむ音、馬蹄が石畳を叩く音しか聞き取れなかった。

 だが、セバスは「やはり、聞こえました」と言い残すと扉を開け、馬車から単身、疾風(はやて)のように飛び出して行った。

 

 

 

 闇に包まれた路地を駆ける。

 道を進むうちに子供……少女の声と争う男、それも複数の声が聞こえてくる。

 

 ほどなくして、路地の角を曲がったところ、そこで揉み合う少女と4人の男が目に入った。

 男たちの手から逃れんと必死でもがく少女の口元には、布があてがわれている。段々と、少女の動きが緩慢になってきたところを見ると、なんらかの薬品をしみこませてあるようだ。

 少女は「やだ」、「おうちへ帰る」、「たすけて」などと口にしたものの、やがてその体から力が抜けていく。

 そして、意識を失い倒れたところを男たちに抱え上げられた。

 

 

「待ちなさい」

 

 その声に男たちが振り返る。

 男たちの目に入ったのは、やや高級そうな仕立てのいい衣服に身を包んだ老人。

 だが、その身に纏っているのは、高級そうとはいってもそれなり程度のものであり、本当に上流階級の人間が着るような上品なものではなく、どちらかと言えば成り上がりの金持ちがその威を見せつけるために着るような、いささか品の無い代物であった。

 その為、男たちは成金の老人がおかしな正義感を振りかざし、止めに入ったと考えた。

 

「爺さん。ここで見たことは忘れな」

「関係ないことに首突っ込んでも、(ろく)な事にはならないぜ」

「そうだぜ。長生きしたいんならな」

 

 

 口々にそう(はや)し立てる。

 だが、その言葉にセバスはやれやれと首を振り、更に前へと進み出た。

 

「詳しい事情は存じ上げませんが、どうやらその少女の意に反してどこかへ連れて行こうという御様子。申し訳ありませんが見逃すというわけにはまいりません」

 

 その異様に丁寧ながら、はっきりとした意思のこもった言葉に、男たちは鼻白んだ。

 そして少女を脇に置き、獲物を取り出す。

 

 男たちには強力なバックがある。もし殺人を犯しても、それを容易に揉み消せるほどの。なれば、口封じをすることに躊躇はない。むしろ、目撃されたからと少女を置いて帰ったら、自分たちの方が命を危うくするだろう。

 

 武器を構え、包囲するように間合いを詰める男たち。

 だが、セバスは何らひるむことなく対峙する。

 

 

 勝負はあっけなくついた。

 一人の男が背後から襲い掛かかったが、その男を視界に収めることなく、後方に蹴りを繰り出し、続いて剣を振り上げ飛びかかって来た男の腹に拳を叩きこむ。釣られる様に踏み出した男の首筋に軽い手刀の一撃を浴びせた。

 一瞬のうちに3人の男が地面に崩れ落ちる。思わず足がすくんだ最後の1人だけが、その場に立ちつくしていた。

 

 男は震える足を止めることも出来ずに、その手の短剣がこの老人から身を守ってくれる唯一のよすがと両手で握りしめた。

 

「失せなさい。まだ、自分の足で歩けるうちに」

 セバスはそう言うと、路地の奥を指さす。

 

 男は一歩、二歩後ずさりすると、後ろを振り向き、脱兎のごとく逃げ出した。

 

 もはや、そんな男の事など気にもとめずに少女の下へかがみこんだセバスの耳に、「こひゅっ」という微かな音が届いた。

 肺腑からあがった空気が咽喉から漏れ、かすれ声となった。そんな音。

 

 肩越しに振りむくと――。

 

 ――先ほど逃げ出した男が、ルベリナの持つレイピアに首を突き刺されていた。

 

 

 首を串刺しにされていても、その男からはほとんど血が吹き出してはいない。僅かに彼のレイピア〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉を血が伝うだけだ。正確に血管と血管の隙間を狙い、かつ身動きが取れないよう刺し貫いたのであろう。

 

「セバス様ー。駄目ですよ、こういう奴らを逃がしちゃー」

 

 串刺しにされその身を痙攣させる男の許に、先ほど同じ馬車に乗っていた男達が駆け寄る。そして男に手にした厚手の布をかぶせる。その布が男の体を覆い尽くす直前、ルベリナはレイピアを引き抜き――瞬間、手首を翻し、男の首筋を切り裂いた。水気が厚手の布に降りかかるくぐもった音がする。どうと男が倒れるが、吹き出る鮮血はその布の内を濡らすにとどまった。

 

 ルベリナはレイピアについたわずかの血をハンカチで拭いながら言う。

 

「この手の連中は、放っておくと後から色々といちゃもんつけてきますからねー。理由や口実なんてのは、その気になれば、いくらでも作れるものですし。だから、目撃者は残しちゃあ駄目ですよ。殺すか、もしくは逆らう気なんて二度と起きないようにさせとかないと」

 

 セバスとしてはもはや戦う気の無くなった相手を殺すのには抵抗があった。だが、こう言った裏の事に関しては、長年それをこなしてきたルベリナに一日の長がある。彼のいう事も一理あるなと思い、口に出しかけていた反論の言葉を飲み込んだ。

 

「それと、あんまり一人で動くのは勘弁してくださいよ。一応、私らは護衛って形になってるんですから」

 

 ルベリナを始めとした男たちは、セバスの下に派遣された時点で、その実力を見せつけられている。とてもではないが、逆立ちしても自分たちが叶う相手ではないというのは、散々その身に覚え込まされていた。

 自分たちが護衛という役ではあるが、護られるはずのセバスが危険な目に遭うという心配は全くない。むしろ自分たちこそが降りかかる危険に対し、セバスらの足を引っ張らないように気をつけなければいけないという有様なのであるが、とにかくそういう偽装をしている以上、体裁は整えておかなくてはならない。

 それに短い付き合いながら、このセバス、及びナーベラルはいまいち普通の社会常識に疎いところがある事に気がついていた。不自然な行動や言動が度々(たびたび)あり、そのフォローをする事もまたよくあった。

 今回も一人で行ったセバスに何かあるのではと、急いで追いかけてきたところ、いかにもガラの悪そうな男らと戦闘になっており、あまつさえそのうち一人をそのまま逃がそうとしていたので、慌てて始末したのだ。

 

 ルベリナについて来た男たちが、倒れ伏している男たちに猿ぐつわをかませ、手足を縛って、先ほどの死体と共に馬車へと運んでいく。

 なんども同じことを繰り返したことがあるであろう、手慣れた手つきだった。

 その意味するところにセバスは少々胸に抱く思いがあったが、些末な事と気を取り直し、倒れている少女に目を向けた。

 

 少女はいまだ意識を取り戻さない。

 だが顔色は良く、また息も乱れていない所から、命に別状はないと判断した。

 

「んー? セバス様。この子は……」

 

 セバスが抱え上げた少女を覗き込むルベリナ。

 

「この子は……貴族かもしれませんね」

 

 言われて、胸元の少女にもう一度視線を落とす。

 

「ほら、手とかきれいですし、服とかも少しほつれはあるものの、上質のものですよ。とてもじゃないですけど、その辺のガキをてきとうに攫ったってわけじゃあ、なさそうですね」

「ふむ。貴族ですか……」

「どうします? 厄介ごとに巻き込まれるかもしれませんから、このまま、ここに放っておくってのも手ですよ」

「無論、助けますよ。このままにしてはおけないでしょう」

「んーと、じゃあ、家に送り届けますか。攫われた娘を無事に送り返してきたって事で、そのお貴族様と顔を繋げられるでしょうし」

 

 その提案には首肯した。

 この娘の親がどれほどの相手かは分からないが、貴族と既知の間柄になる事は、セバスがこの街に来た目的とも重なる。

 

「そうですね。そうしましょうか」

「まあ、この子を人質にとって、脅迫するって手もありますけどねー」

 

 冗談めかして軽口をたたくルベリナの声を聞き流し、セバスは少女を優しく抱きかかえる。

 短い付き合いながらも、セバスの性格を分かっていたルベリナは、無視される形となった事に気を悪くすることもなく続けた。

 

「はーい。じゃあ、とにかく、一度馬車に戻りましょうか。……っと、目が覚めたみたいですよ」

 

 セバスの胸の中で、少女が身じろぎする。

 その白い手が、桃色の頬をこすった。

 

「気がつきましたか? 自分の名前は言えますか?」

 

 少女の耳に届く見知らぬ男性の声。

 だが、その声に逃げ出した自分を追って来た男たちの者とは違う、優しく暖かなものを感じ、少女は朦朧とする意識の中、自分の名を答えた。

 

 

「……クーデリカ……」

 

 

 



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第42話 幕間―2

2016/6/25 「ウレイレカ」 → 「ウレイリカ」 訂正しました
2016/10/9 「器」に「うつわ」とルビを付けました


 ザッ。

 

 濃緑の下生えと、焦げ茶色を通り越してもはや黒色に近くなった朽ち木を装甲靴(サバトン)が踏みしめる。その黒い足元から逃れる様に、砕けた樹木から茶色や緑の虫達がちょろちょろと這い出ていった。

 

 木々や(つる)草がうっそうと生い茂り、葉の多い灌木が足元を邪魔する樹林の中を数人の人影が行く。

 

 数人?

 いや、数人の人物と、一体の巨大な魔獣だ。

 

 彼らは、頭上を覆う緑の屋根の隙間から降り注ぐ陽光をその身に受けながら、無言のまま歩く。

 

 やがて、一人先頭を歩く者が、足を止めた。

 手をあげ、後続の者達に止まるよう指示する。

 後ろから見るその人物の尻はわずかに丸みを帯び、またその胸は革鎧に覆われ分かりづらいが、本当にかすかにだが膨らみを帯びている。

 先頭を行く人物は女性だった。それだけではない。彼女の耳先、その先端には特徴的な尖りがある。

 彼女はエルフ……いやハーフエルフであった。

 

 しばし、先方の状況を確認した後、後ろの仲間たちに安全だと合図を送る。

 

 警戒を緩め、ガチャガチャという金属鎧の音を響かせながら、皆が木々の切れ目、森の中に出来たちょっとした広場へと足を踏み入れる。

 辺りを見回し、一人の男が息を吐いた。

 

「ここらですこし小休止しませんか?」

 

 金髪を短く刈り込んだ戦士風の男――ヘッケランが提案する。

 その言葉に、モモンは首肯した。

 

 

 

 ここはアゼルリシア山脈の南端、トブの大森林の南部中央地帯である。

 いま、その森の中をワーカーチーム『フォーサイト』と冒険者チーム『漆黒』が共同で調査を行っていた。

 彼らの目的は、この森にいるかもしれないダークエルフの捜索である。

 

 

「ふう」

 

 疲れた息を吐いて、丈の短い草に覆われた広場に転がっていた石にアルシェが腰かける。

 ワーカーとして経験は積んでいるため、並みの者達よりはるかに体力はあるが、いつ木々の合間から槍が突き出されるか、いつ茂みの奥から魔獣が襲い掛かってくるかと気をはりながら行軍するのは、やはり精神的に疲弊する。

 すぐそばでロバーデイクも革袋を取り出し、口の中をわずかに湿らせた。

 

「モモンさんもいかがですか?」

 

 革袋を持ち上げて見せるが、漆黒の兜は横に振られた。

 

「ああ、ありがとう。しかし、私は宗教上の理由で、人前では飲食はできないのでね」

 

 いちいち命を奪った日はとか、4人以上ではとか、あれこれ条件を言うのも面倒なので、最近通している言い訳を口にするアインズ。

 その声に、「おっと、そうでした。これは失礼」と差し出した革袋を戻す。

 

「あ、じゃあ。私がもらっていいっすかー?」

 

 ビッと手をあげる美しい赤毛の女神官。

 モモンの仲間ルプーである。

 「ええ、どうぞ」と差し出された革袋を受け取ると、中の水をごくごくと喉を鳴らして飲んだ。

 

「ぷはー。生き返るっす」

 

 袋から口を離し、大きく息を吐く。

 その際にこぼれた水が顎から喉へと滴り落ち、その隆起に沿って褐色の肌を流れていく様は、何やら(なま)めかしいものを感じさせた。

 

 一瞬、見とれたロバーデイクは慌ててその目をそらす。

 そのそらした先にはヘッケランがいた。

 にやにやとした表情を顔に浮かべたヘッケランが。

 

 がしっと体をぶつける様に肩を組む。

 

「なんだよ。なんだか、女に興味ないみたいな顔してたけど、やっぱり男だなぁ」

「い、いや、待ってください、ヘッケラン。彼女に対して失礼でしょうが」

「隠すこたねえって。男なら、やっぱ見ちまうよな」

 

 肩越しに見る、その赤毛の女神官はその美貌もさることながら、チェインメイル越しにも肉感的な身体つきが見て取れ、太陽が照るようなという表現がぴったりとくるような明るさを振りまいている。

 あれをいい女と言わない者は、男女問わず、よっぽどの偏屈者以外いないだろう。

 

「で? なによ、告白とかは?」

「や、止めてくださいよ。そういうのではありませんって」

「いやー、ロバーにも春が来たか。こりゃあ、仲間として応援してやらないとな」

 

 普段ロバーデイクにはイミーナとの仲を冷やかされているため、ここぞとばかりにからかうヘッケラン。対して、ロバーデイクは防戦一方だ。

 

「ですから、そういうのではありませんよ。それに彼女にはモモンさんがいるじゃないですか」

「やっぱりあの2人って、そういう関係なのかな?」

「そうではないですか? ハムスケさんが加わる前、エ・ランテルに来た時から2人だったと聞きますし」

「いや、諦めるのは早いぜ。男と女に大事なのは一緒にいた『時間』じゃない。大切なのは、一緒にいてお互い胸の奥から燃え上がってくるような『気持ち』だ」

 

 いつもなら、「ほう、それはイミーナとの経験談ですか?」と返すところだが、今のロバーデイクにはそんな返しをする余裕もない。

 「ですから……」と困り顔で話を収めようとするロバーデイクと、「いいからいいから」と悪乗りするヘッケラン。

 そんな馬鹿話を続ける男たちの頭を、ハーフエルフは後ろからひっぱたいた。

 

「アンタら。いくら、この辺には怪物(モンスター)がいないからって、気を抜きすぎ。いつ襲われてもおかしくない森の中なんだから、少しは警戒しなさいよ」

 

 疲れをとるために干した果実を齧りながら、あきれた声を出すイミーナ。

 

「まあ、あまりに気を抜きすぎるは駄目だが、多少はリラックスしていた方がいいだろう」

 

 そんなフォーサイトの面々に、モモンに扮するアインズが声をかける。

 

「それに、なにか危険が近づいたら、ハムスケが気づくだろうしな」

「はいでござるよ、殿。それがしの見たところ、周囲には何もいないでござる。この辺は安全でござるよ」

 

 モフモフしながら答えるハムスケ。アインズの目には可愛らしいとしか思えない行為だが、この世界の者達――ナザリックの者達もなようだが――偉大で雄々しい姿と見えるらしい。ハムスケの自信満々の言葉と態度に、アルシェはうなづいた。

 

「ハムスケさんがそういうんだから、きっと大丈夫。でも、あんまり羽目を外し過ぎないで」

 

 言われた男2人は肩身が狭く、その辺に腰を下ろしてイミーナから貰った干し果実を齧る。

 その実は甘酸っぱかった。

 

 

 

 しばし、そうして疲れをいやす。

 アンデッドであるアインズは疲れなどないのだが、辺りに広がる自然の風景は、リアルでは全く縁のなかったもの。この世界に来てからけっこうな時が経つが、いまだにいくら見ていても飽きなかった。

 そして、ルプスレギナもまた疲れなど感じさせず、あれこれ喋ったり、ハムスケとじゃれあったりと、せわしなく動き回っていた。疲労無効のアイテムを装備しているからだが。

 彼女から水の入った革袋を返されたロバーデイクがそれに口をつけようとしたところで、「そこ、ルプーさんが口つけたとこだな」とヘッケランに言われ、年甲斐もなく凍り付いたり、言ったヘッケランをイミーナが再度ひっぱたいたり、アルシェが騒がないようにと再び注意したりとするなどという一幕もあった。

 

 

 

「それにしても、見つかるかねぇ」

「うーん。正直難しいと思いますね。あれから時間もたっていますし、その間、手掛かりはないようですしね」

「ちょっと。アンタらがそう言わないでよ。実際にダークエルフを見たのって、アンタたちともう一人だけなんだから」

 

 渋い顔で話し合うヘッケランとロバーデイク。それにイミーナが声をかける。

 

「だってよ、イミーナ。そもそもエ・ランテルの冒険者達だって、これまでずっとトブの大森林でダークエルフなんて見たことなかったんだろ? それをちょっと探したくらいで見つけろったって無理な話だろうが」

「そうですねぇ。私たちが会ったと言っても、本当に数分、二言三言(ふたことみこと)話したくらいですしね」

「そもそも、ダークエルフというのが見間違いという線はない?」

 

 アルシェの確認の言葉だが、それには首を振った。

 

「いや、さすがにそれはねえよ。……まあ、暗くてエルフを見間違えた可能性はあるかもしれないけどな」

「いえ、あれはたしかに普通のエルフの肌の色とは違いましたね」

「うーん。ダークエルフの姉妹(・・)ねえ……。モモンさんは何か心当たりはない?」

 

 少し離れたところで周囲を警戒するふりをして彼らの会話に耳を澄ませていたアインズは、不意にイミーナから話を振られ、少々狼狽(うろた)えた。

 

「ん……いや、私はもともとこの辺りの人間ではないのでな。それは何とも……」

「ああ、そっか。俺たちがエ・ランテルに来て、そのすぐ後くらいにこの街に来て、冒険者になったんでしたっけ」

「ああ。だから、あまりこの辺りの事については詳しくは分からないな」

 

 そう言って、誤魔化した。

 アインズは彼らフォーサイトに聞いたダークエルフの容姿から、彼らが会ったダークエルフはアウラとマーレであることは気がついていた。それは双子からの報告とも合致する。

 だが、彼らをアウラとマーレに会わせてやるわけにはいかない。

 

 

 今回、フォーサイト並びにアインズら『漆黒』が冒険者組合から依頼されたのは、ダークエルフの姉妹(・・)の捜索である。

 なんでも、しばらく前にアウラとマーレが捕まえてきた野盗達、『死を撒く剣団』の討伐を冒険者たちが請け負っていたのだそうだ。その際、2人が野盗たちを全て捕獲し、ナザリックに送ったのちに彼らのアジトから出てきたところで、このヘッケランとロバーデイク、それと鉄級冒険者と出会ったらしい。その後、冒険者たちがアジトに突入するも、そこに『死を撒く剣団』は一人もいなかったため、そいつらを知るであろう唯一の手掛かりと思われるダークエルフの姉妹(・・)を街近郊の安全確認のためという事で、結構な期間にわたって捜索している。

 

 最初は、ヘッケランとロバーデイクとともに、アウラとマーレに会ったもう一人の冒険者がいる鉄級のチームに依頼したらしいが、彼らは捜索中に全員帰らぬ人となった。

 その後、幾度かトブの大森林内に捜索の冒険者を送り込むも、誰一人手掛かりとなるものはつかめなかった。

 そして最後の希望として、実際にダークエルフと遭遇した人物が所属する、冒険者で言えばミスリル級にも匹敵するワーカーチーム『フォーサイト』と、現在エ・ランテルで最高にして唯一のオリハルコン級冒険者チーム『漆黒』が合同で送り込まれたのだ。

 

 およそ、現在のエ・ランテルにおいては最高と言える戦力であり、これまでのものよりも、はるかにトブの大森林の奥深くまで侵入しての捜索である。

 これで見つからなければ、もはや諦めるしかないであろうという布陣だ。

 

 

 しかし、そのような状況であっても、アインズとしては会わせるわけにはいかないのである。

 

 冒険者組合としては、その野盗とダークエルフの関係を知りたいと思っているのだろう。もしかしたら、両者は繋がっているのではと考えているかもしれない。街の人間としては、野盗とダークエルフが協力関係にあるかもなどという一見、荒唐無稽ながらも不安を呼び起こす説は明確に否定しておかねばならないのであろう。

 だが、その不安を解消するには実際にダークエルフと会って話をさせる事、つまりアウラ、マーレと接触させなくてはならない。ナザリックには双子の他にダークエルフは存在しない。この地にもダークエルフは住んでいるだろうが、今のところ、ナザリックとしてはどこにいるのか把握していない。すなわち、会うのは2人以外にはいないのだ。

 しかし、接触するにしても、ただ会ってそれだけではすむまい。街の人間と会い、自分たちは野盗と関係ないと言って、はい終わりとはいかないだろう。どこに住んでいるのか? 仲間はどれだけいるのか? 等々、根掘り葉掘り聞かれることは間違いない。

 そして、それらの説明を納得させるためには、説得力のあるもの、例えばそれらしい集落などを見せる必要がある。

 さすがにそのような(うつわ)を作るのは論外であった。ただそれだけの偽装の為に、ダークエルフが住んでいそうな場所を作成するのは骨が折れるなどというレベルではない。費用対効果を考えると、ほぼ無駄と言える。

 そんなことをするくらいならば、捜索したが見つからなかったという事で、依頼の未達成を選んだ方がマシだった。

 

 そもそも今回の依頼自体、冒険者組合としてもあまり期待はしていない様子だった。

 おそらく、エ・ランテルにおける最高戦力を投入したが、それでも発見できなかったという形にして、もうこの件にけり(・・)をつけたいのであろう。きっと彼らが街に帰ったら、『死を撒く剣団』並びに謎のダークエルフ達は、すでにこの近郊を離れた事が確認されたという事が発表される算段にでもなっているはずだ。

 いうなれば、街の行政まで加わることになった事柄を終わらせるための形式的なものともいえる。

 

 

 そういう訳で、現在は徒労ともいえる捜索活動を延々続けている。

 捜索ルートに関しては前もってフォーサイトや冒険者組合の組合長アインザックと討議してある。その際、例のダミーダンジョンや、魔樹がいた付近には近づかないようなルートを設定した。そして、その内容はナザリックに伝えられ、この付近を支配させているリュラリュースに、自分たちが通る日はそのルート上に配下の者達を近づかせないよう命じてある。 

 一応、リュラリュースの配下になっていないゴブリンたちや、知性の無い蟲系モンスターに襲われる可能性はあるものの、基本的に安全な森の中を散策しているようなものである。警戒しながら歩いているフォーサイトの面々には悪いが、アインズとしては呑気に森林浴気分であった。

 

 

 ただ、今回の依頼で少し気になったのが――。

 

「それにしても、少々気になったのだが」

「どうしたんですか?」

「いや。今回のダークエルフ捜索の依頼だが、ずいぶんと急だったと思ってな。なにせ、突然言われたかと思ったら、その日のうちに打ち合わせをして、次の日に出発という形の強行軍だったからな」

「あ、ああ……そうですか……」

 

 バツが悪そうに額を掻くヘッケラン。

 

「おや、なにか知っているのか?」

「まあ、知っているというかなんというか。……実は俺たち、エ・ランテルを出ようかと思いまして」

「ほう?」

「もともと俺たちはバハルス帝国の帝都をホームタウンにして活動していたんですが、カッツェ平野でのアンデッド狩りのついでにエ・ランテルに来て、その時、あのアンデッド騒ぎに巻き込まれたんですよ。その後、街の冒険者が減ったって事で、俺たちにも結構いい仕事を廻してくれてたんで、しばらくこの街にいついていたんですがね。いいかげん、そろそろ帰ろうかと」

「なるほど。それを冒険者組合に告げたところ、例のダークエルフを目撃したあなた方が街を離れてしまう前に捜索を頼もうと、このような急ぎの依頼になったという事かな?」

「ええ、おそらくは。モモンさんにはちょっと迷惑をかけてしまったかもしれませんが」

「いやいや、迷惑などと言う必要はないとも。依頼を受けて、それをこなすのが冒険者だからな」

 

 かつての営業経験から、恩を着せることなく、何でもない事のようにとりなすアインズ。これで借りを作ったと考えないような相手であればまた別のやり口を考えなければいけなかったが、その態度にフォーサイトの面々は、これだけの強者でありながら傲慢な態度を凝るでもなく実に謙虚な人だと、さらに好感を抱いた。

 

「ははは。俺たちは向こうでは歌う林檎亭って所を定宿にしてるんですよ。ぜひ帝都に来たときは寄ってください。帝都を案内しますよ」

「ああ、いつか帝都に行った時はお願いしよう。そう言えば、私は行ったことが無いのだが、そもそも帝都とはどんな街なんだ?」

「えーと、そうですねぇ。やはりエ・ランテルとの違いは……」

 

 そうして、聞き役であるアインズに対し、あれこれと帝都の事を話すヘッケランやイミーナ、それにフォローを入れるロバーデイク。

 

 彼らの話す内容に、アルシェもまた帝都にある実家の事を思い出していた。今から帰っても借金の返済には間に合うはずだが、また新たな金を借りていないだろうかと不安がよぎる。いくらあの家にお金を入れても、砂に水を撒くようなものだ。どうやっても事態は好転しないだろう。

 いい加減、もう家を見捨てるべきかもしれない。もう十分に育ててもらった恩は返した。十分すぎるほどだ。帝国に帰ったら、この『フォーサイト』のパーティーをどうするかの話し合いがもたれるだろう。最悪、パーティー解散の可能性もある。そうなった場合、上手く新たな仲間を見つけられるかは分からない。これまでのように金を稼ぎ続けることは出来ないかもしれない。いや、ほぼ不可能だろう。

 彼らと知り合い仲間になったのは全くの偶然だが、彼らは最高のチームであったと言える。気が合う事ももちろんだが、彼らは手に入れた報酬でアルシェ自身の装備を良いものにしないことを問題とはしなかった。共にいる仲間が一人だけ劣った装備でいることは、巡り巡って自分の命にもかかわる事だ。事情は詮索されるだろうし、かたくなな態度をとり続けていればパーティーから外されてもおかしくはない。だが、彼らは何も言わないでいてくれた。そんな彼らの厚意に甘えていたが、いつまでもそういう訳にもいかないだろうし、別のパーティーに行ってもそうなるとは限らない。

 

 幸いな事に、しばらくエ・ランテルで稼いだことで、まとまった額の金を貯めることが出来た。

 これくらいあれば、現段階での借金の返済、実家の使用人たちの給金と退職金、それと妹たちとの新たな生活をする頭金にはなるだろう。

 

 ――そう、妹たち。

 ウレイリカとクーデリカ

 天使のようにという形容がふさわしい、可愛らしい双子の妹たちの姿を思い浮かべる。没落したとはいえ貴族として暮らしてきたあの2人には、新たな生活はすこし不自由をさせるかもしれない。だが、先が見えないあの家で過ごさせるよりはましだと思える。

 

 

 帝都に帰る際には、2人に何かちょっとしたお土産でも買って行ってあげようかとアルシェが思い浮かべていた時――。

 

 

 

 ――空間が歪んだ。

 

 

 

 思い思いに腰を下ろし、話に花を咲かせていた彼らの眼前で、一瞬、景色がひび割れたかのようにずれ、またすぐ元に戻る。

 

 

 突然の事態にもかかわらず、さすがに危険と隣り合わせの生活をしている彼らは、瞬時に立ち上がり、武器を構えて警戒態勢を整える。

 背を合わせる様にして、360度周囲の森に警戒の目を向ける輪の中に加わりつつも、初めて見た現象に油断なき注意の目をむける他の者らと異なり、アインズにとってあの光景は既知のものだった。

 

 

 ――今のは魔法による監視。そして、それに対して俺の攻勢防壁が発動したか。

 ……たしかカルネ村で陽光聖典と戦った時も同様の事があったな……。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 数台の馬車が村の広場にとまり、その荷台から地面に敷いた布の上にいくつもの商品が並べられている。

 その周りには、落ちた食べ物に群がるアリのごとく、カルネ村の住人たちが普段の作業を中断し集まって来ていた。

 

 基本的に辺境の集落は自給自足の生活を送っている。

 だが、どうしても、自分たちだけでは賄う事が難しいものもある。

 例えば、刃物などの金物である。これらはさすがによほどの条件に恵まれた地でもなければ自分たちで生産することが難しく、今回のような行商の者達から購入するのが一般的である。

 また、品物の売却もである。

 薬草など採取から時間が経ってはいけないものは、多少の危険はあっても近郊のエ・ランテルまで売りに行くのだが、毛皮などのように時間をおいても大丈夫なものは、わざわざ持って行かずに行商の人間が来た時に売ってしまう。

 カルネ村のような一寒村(かんそん)にはなかなか行商の人間も訪れることは無い。

 その為、売買の機会を逃してはなるものかと、商人が村に来た際には毎回にぎやかな騒ぎになるのだが、それが今回は規模が違った。どういう訳か、普段なら馬車が1台も来れば十分なところ、今回は3台もの馬車が来たのだ。当然、購入できるものも増える。村人たちは皆、品定めに余念がなかった。

 

 

 カルネ村の新しき村長であるエンリも、とりあえず入用なものの購入が終わり、ほっと一息ついていた。

 そこへ近づく者達がいた。

 

「やあ、エンリさん」

「あ、ペテルさん。それにダインさん、ニニャさん、どうも」

 

 エンリにとっては見知った顔だった。

 以前、まだンフィーレアがエ・ランテルに住んでいたころ、彼を護衛してきた冒険者だ。今日は隊商の護衛として、やって来たのだ。

 

「おや、今日はンフィーレアさんは?」

「作業が一区切りしてから来るって言ってました。自分の欲しいものは他の村の人と競合するようなものじゃないから、遅れても大丈夫だって」

「うむ、確かに薬師であるンフィーレア氏にとって必要なものは、普通の人が購入するものとは違うであろうからな」

 

 そして、エンリは3人に向き直り、深く頭を下げた。

 

「それにしても、行商の人が来るっていうのを前もって教えてくれてありがとうございます。本当に助かりました」

「いや、前回の事がありましたから。そのまま村に来たら、色々と面倒な事になるかと思いまして」

 

 ニニャの言葉通り、前回、彼らがカルネ村を訪れた際には、武装した人間が近づいてきたことに警戒したゴブリンたちによって待ち伏せされ、周囲を囲まれてしまうという羽目に陥ってしまった。特にペテルなどは完全に引っ掛かり、彼らの人質になってしまったという苦い経験をした。

 だが、その時にそのゴブリンたちは村の人間、村娘であるエンリの配下であり、むやみに人間に敵対するような存在ではないという事を知った。

 

 その知識があったため、ゴブリンたちが守るカルネ村にいきなり行商人たちを連れていき、先だっての時と同様に一悶着あっては拙いと、村の少し手前で皆に休憩を提案し、その間にルクルットが一足先に隊商の到着を知らせに村へと足を運んだのだ。

 そのおかげで、村にいたゴブリンやオーガ、新たな住人である蜥蜴人(リザードマン)達は一時的に姿を隠すことが出来た。

 もし、彼らが村にいるところが隊商にばれた場合、下手をしたら討伐隊が組まれていた可能性だってある。

 

 その為、そんな事態を引き起こさずに済んでエンリは胸をなでおろし、また機転を利かせてくれた『漆黒の剣』の皆には感謝の気持ちで一杯であった。

 

 

 そうして、賑わいを見せる即席の売店の様子を眺める。

 

「それにしても、なんで今回はこんなに品物が多いんですかね? いつもならこんなにはないのに」

 

 それについてはペテルもまた、首をひねるしかなかった。

 

「うーん。それは俺も分からないな。なぜだか、カルネ村に行きたいって隊商が2つほどあって」

 

 ――カルネ村に来る理由? こんな村に? 何かあるだろうか?

 ――もしかして、エ・ランテルでも有名だったンフィー達、バレアレ一家が移住してきたからだろうか?

 

 そう考えていると当の本人、ンフィーレア・バレアレがこちらにやって来た。

 

「やあ、エンリ。どうも、皆さん。お久しぶりです」

 

 そう挨拶をする。

 微妙に体がふらついている感じがするが。

 

「ちょっと、ンフィー。もしかして、また寝てないの?」

「ああ、大丈夫だよ。しばらく寝てないけど、眠気がとれる薬を使ってるから」

「いや、駄目だよ、そんなの」

「体は替えがききませんからね。休む時はしっかり休んでおかないと」

「うむ、ンフィーレア氏。あまり日常的に薬で体の調子を整えるのは控えるべきだと思うのである」

「そうですよ。薬の専門家であるンフィーレアさんにこう言うのも『シャカに戦法(・・)を説く』という南方のことわざ通りかもしれませんが、日常的に使いすぎると、薬の効果があることに体が慣れてしまいますから、薬無しになった時に身体がおかしくなってしまいますよ」

 

 エンリの言葉に、ペテルとダイン、ニニャも賛同する。

 さすがに4対1では分が悪いものを感じて、ンフィーレアは頭を掻いた。

 

「う、うん。まあ、出来るだけ控えようとは思うよ」

「本当にお願いよ。リイジーさんも気をつけてないと、睡眠はおろか食事までとろうとしないし」

 

 

 そう話していると、「お姉ちゃーん」という声が聞こえた。

 振り向くと、妹であるネムと、普段と違い緊張した様子のルクルット、それに奇妙な服を着た女性がこちらに歩いて来た。

 その女性を目にした途端、ペテル、ダイン、ニニャに緊張が走った。背筋を伸ばし、息をのむ。

 

 誰なんだろうと疑問に思っていると、彼女の胸にネムが走り込んできた。その服を掴み、興奮した様子で話す。

 

「あのね、お姉ちゃん。ティアさんって凄いんだよ。こうね、家の屋根にぴょんって飛び上がったり、パッと姿が消えたり」

「フフフ。これくらい(しのび)ならば当然の事」

 

 ドヤ顔を浮かべ胸を張るティア。その首下(くびもと)でアダマンタイトのプレートが揺れる。

 エンリは『しのび』というのが何なのか分からなかったが、とりあえず挨拶した。

 

「初めまして、私はエンリ・エモット。ええっと、今はこの村の村長をしています」

「私は蒼の薔薇のティア。人は呼ぶ美顔戦士(ビューティ)

「はい。ビューティさん」

「そこはギャグだから、スルーしてほしい」

「はぁ……」

 

 初対面からいまいち距離感がつかめない相手に少々困惑したが、そばにきたルクルットから彼女はアダマンタイト級冒険者だと耳打ちされる。言われてもその意味が分からなかったのだが、その顔色を察知したンフィーレアから、冒険者の中でも最高ランクの人だと言われ、目を丸くした。

 

 ――この自分とそれほど年も離れていなさそうな女性が、そんな凄い人なんだろうか。……確かにこんな露出の多い服は自分には無理だが。

 上半身は首元の襟巻と胸元を覆う金属の部分鎧のみであり、肩やおなかは丸見えである。また身動きするたびに、どんな意味があるのか分からないが、脇や前が大きく開いたブカブカの短跨(たんこ)の隙間から肌色が覗き、同性であるエンリをして不安になる格好だ。

 

 ちらちらと自分を横目で見るエンリの視線には気づいており、こういった純朴そうな村娘もいいなと思うティアであったが、その前にお仕事お仕事と気を引き締めた。

 ンフィーレアという少年が、自分も買い物に行くと言い、ネムという少女を連れて、彼女のそばを離れたところを狙い、それとなく話しかけてみる。

 

「それにしても、この村の壁は凄い。よく作った」

 

 そう言って、遠くを見る。

 今、村の周囲には頑丈な、城壁と言っても差し支えないほどの強固な防壁が築かれていた。村に入るときに見たが、外側には空堀と水堀が張り巡らされ、村に入るには跳ね橋を通らなければならない。

 その城壁は少々不思議なものだった。ティアが良く知る石積みの城壁の他、石組の上に漆喰で塗り固められた白い壁がある様式――南方ではそういったものもあると聞く――の城壁が組み合わされていた。それ以外にも、あちこちに何に使うのかもわからない奇妙な石造りらしき塔のような砦のような建築物があった。

 それは塹壕を組み合わせたべトン要塞やら、地雷原と鉄条網の先に機銃座を構えた陣地やら、あまつさえ単分子ワイヤーと高速振動空中魚雷の張り巡らされた光子戦防壁などという代物まで、ベルが気の向くままに築きあげたものであったが、アインズから時代設定がおかしすぎて人目につくと叱られ、泣く泣く取り壊した残骸である。だが、それが作り上げられる過程を見ていないティアを始めとした他の者にとっては、それらは奇怪な古代遺跡としか思えなかった。以前、カルネ村に来たことがある漆黒の剣は、前来た時もあんなのはあったっけ、と首をひねったが。

 

 それはともかくとして、この村を囲む防壁は普通の村人だけの力で作れるものとは思えなかった。

 ティアは村の中を歩いてみて、奇妙な事に気がついた。

 足跡である。

 村のあちこちに家畜のものとも思えぬ不思議な足跡がいくつもあることを、ニンジャであるティアの目は見抜いた。人間よりはるかに巨大な足跡や、何か太いものを引きずったような奇妙な跡。それも古いものではない。真新しいと言ってもいいものだ。だが、見て回った限り、そんな足跡をつけるようなものは無かった。一体、何がこの村内をうろついていたのであろうか?

 そいつが壁の建築に関わっているのだろうか?

 あの謎の遺跡らしきものといい、この村は何なのだろう?

 

 疑問に思うティアに、エンリは微笑みながら答えた。

 

「ええ、ゴウン様のお力を借りて、ベル様が主に作られたんですよ」

 

 その名前に、ティアの目が一瞬鋭くなった。

 

 

 ベル。

 この前、エ・ランテルで出会った少女。

 

 エ・ランテルではギラード商会というところが裏社会で勢力を伸ばし、八本指の中でも戦闘力では最強である六腕といわれたうちの3人がそちらに寝返ったと言われている。その3人のうちの1人、『千殺』マルムヴィストと一緒にいた少女。彼を護衛と呼んでいたところから、どういう関係かは分からないが、上位者であることは間違いないだろう。

 そして、カルネ村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの仲間の一人の可能性もある。

 この前はアレックスという少年の邪魔により、その素性を詳しく知ることは出来なかったが、このカルネ村の村長であるというエンリという少女は彼らの事を知っているようだ。彼女から、少しでも多くの情報を聞き出さねばとティアは考えた。

 

 

「そのゴウン様というのは?」

「はい。村を救ってくださった偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)様なんですよ」

「そうなんだ。冒険者として強い人間には興味がある。出来れば、その人の話を聞きたい」

「ええ! もちろんですとも!」

 

 突然、声を張り上げたエンリにティアが、そして漆黒の剣の面々もまた呆気にとられ、目を丸くした。

 

 

 エンリとしては、アインズの話はぜひとも語りたいことだった。

 

 ――ゴウン様は凄い魔法を使えるうえに、とても心優しいアンデッドだ。あの方が本当はアンデッドであることは口止めされているから言う気はないが、それを差し引いても、ゴウン様の人となりを少しでも多くの人に知ってもらいたい。本当に慈悲深き御方だという事があまねく世間に知れ渡れば、その正体がアンデッドだと明かしても、皆も受け入れてくれるかもしれない。

 このティアと名乗る女性は、冒険者として最高のアダマンタイト級の人らしいし、今日は行商の人たちも村に来ている。ここで話せば、ゴウン様の名声が旅から旅の生活をしている隊商の人たちによって、あちこちに広まる事になるだろう。

 

 そう考えると、責任は重大だ。

 彼女の言葉次第で、世界中に流れる噂が決まるのだから。

 

 エンリはぎゅっと拳を握りしめ、フンスと鼻息荒く、気合を入れた。

 その気合の入れように、ティアは思わず一歩下がった。

 

「ええっと、どこから話せばいいのか……。そうですね、じゃあ、私が騎士風の男に襲われ、あわや命を奪われかねないといった時に、颯爽と現れたのがゴウン様でして……」

 

 息せき切って言葉を紡ぐエンリ。

 その様に、やや引き気味ながら、ティアと漆黒の剣の面々は耳を傾けていった。

 

 

 

「おい、ちょっとこっち頼む」

 

 そばにいた少年に声をかけ、隊商の男は自分の代わりに商品の金額計算を任せた。そうして、自分は紙と羽ペンを手に、馬車に並べられている商品を見て回りながら、時折うなづきつつペンを動かす。

 しかし、そのペン先が書くものは売り物の商品についてではなく、まったく別のもの。今、カルネ村の村長であるエンリという少女が冒険者たちに向かって、魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンについて語っている、その内容であった。

 

 ――ふむ。アインズ・ウール・ゴウンについての情報がこうも容易く手に入るとは……。ティア殿も聞いておられるが、俺の方でも情報をまとめてレエブン侯に報告せねばな。

 

 男は悟られぬよう、エンリの言葉に耳を傾け、そのペンを走らせていった。

 

 

 

「どうしたんだい?」

 

 毛皮を買い取りで持ち込んだ村の男が、交渉の途中で突然、言葉を発しなくなった商人に不思議そうに声をかけた。

 

「ん? ああ、すまんね。ちょっと、この毛皮をどこで売ったらいいか、考え込んでしまったよ」

 

 そう言って、顎髭をしごく。

 その言葉に村の男は笑みを返し、「じゃあ、もう買ってくれる気になったのかい?」と尋ね、男は「さて、どうしようかね?」ととぼけて見せた。

 2人は会話しているが、その実、もはやこの毛皮を買う事は決まっている。後は、どれだけの金額で買うか、そのつり上げ交渉中だった。交渉と言っても、あまり常識外れの値をつけると、互いに次回以降の商売に困る。売る方としては、隊商に買ってもらわなくてはエ・ランテルまで足を運ばなくてはならないし、買う方としても、直接、エ・ランテルなどに持ち込まれると、その分卸値が安くなり、自分のところで売るものの値段を下げなくてはいけなくなる。

 だから、実際は値段交渉と言っても、酒一杯分の値段をどうこうする程度であり、生活圏の違う者と会話をするという娯楽の一種でもあった。

 

 そんな話の途中だったが、商人の男はつい気をとられてしまった。

 それは、村長エンリが語りだした魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの話の為である。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウン……。ではこの村で陽光聖典がその魔法詠唱者(マジック・キャスター)に倒されたという、アレックスが持ってきた情報は確かだったのか……。これは、是が非でも聞いた内容を法国に伝えねば。

 

 商人に偽装している法国の男は毛皮の話をしつつも、マジックアイテムによって増した聴力で、エンリの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳をすませた。

 

 

 

「ええっと、それでですね。ゴウン様がおっしゃったんですよ。『悪為すものに慈悲はない』って。そうして魔法を唱えたらですね。もう凄い火が村を襲ってきた騎士達を包んだんです。どのくらい凄いかっていうと、もう辺り一面、ええっと畑二つ分くらいですかね。それくらいの所から、こう火柱が天高く上がったらしいんですよ。実際には村の広場にある樹の高さくらいだって、ゴードンさんが言ってました。ああ、そうだ、えーと、私が見たわけではなくて、これはゴードンさんから聞いた話なんですけどね。その時、私は別の場所にいたので。ゴードンさんっていうのは一家4人でビートとか作ってるお家で……」

 

 唾を飛ばすような勢いで熱心に話すエンリ。

 対して、聞いている方は困り果てていた。

 

 エンリはとにかくアインズの偉業を伝えようと意気込んでいるのだが、その意気込みが完全に空回りしてしまっている。

 説明下手の人間がよくやる失敗。他人に話をする際、誤解が生じないように正確に伝えようとするあまり、枝葉末節にいたるまで微に入り細にわたって説明してしまい、肝心の本筋がさっぱり分からなくなってしまっている。

 聞いた話を頭の中で整理しようとしているティアたちは、次から次へと繰り出される無駄と言えるような注釈の多さに混乱してしまっていた。

 馬車の中では商人の男が、車内にはそれほど品物はないはずなのに、商品をチェックしている紙はすでに3枚目に突入していた。

 向こうで毛皮の商談をしている顎髭の男は幾度となく黙り込み、話をしている村人から調子でも悪いのかとその体を気遣われていた。

 

 

 結局、その後、エンリの話は買い物を終えたンフィーレアとネムが返ってくるまで続いた。

 エンリはまだまだ話したがっていたが、買ったものを運んで食事の準備をしないとというネムに引っ張られてエンリは家へと去って行った。

 他の村人達からだいたいの顛末を聞いていたンフィーレアが代わって説明したところ、5分ほどで話は終わった。

 聞いていた者達には徒労感だけが残った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そこは荘厳としか言いようのない光景だった。

 周囲に立ち並ぶ石柱、足元の床、はるか高い天井、中央に段上になっている祭壇。すべてが磨き抜かれた大理石で作られており、灯される燭台の炎が黒光りする石の表面に幾重にも反射していた。

 

 いま、その室内には幾人もの兵士の姿があった。

 鎧兜を身に着け、剣や矛を構える兵士たち。だが、いささか奇妙とも思える点があった。その場にいた者達は皆女性である。

 彼女らは神殿衛兵と呼ばれる。スレイン法国において最も重要とされる神殿の最奥、巫女姫と呼ばれる存在が関わる場所を守るための兵士たちであった。

 

 彼女らに守られながら、純白の神官服に身を包んだ者達が作業を続ける。

 今回、この場において行われるのは通常の大儀式と呼ばれるものではない。通常のものに加え、いくつもの魔法やマジックアイテムを組み合わせた複雑な儀式となる予定である。

 その一端が、いま、祭壇の上に座る少女である。

 薄絹に身を包み、布で目を隠すという、普通の巫女姫と呼ばれる存在に似た格好をしているが、幼さの残る彼女の目隠しの下からは今も赤いものが滴り落ち、へらへらと歪むその口元からはよだれが(ぬぐ)われることなく垂れ流し続けられている。

 

 

 しばらく前の事、この神殿である儀式が行われた。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ暗殺の任を帯びてこの地を立った、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーイン。彼には定期的な監視が行われており、その日もまた、魔法がつかわれた。

 だが、その時に起こったのは、魔法によってはるか遠き地で起きている光景が空中に映し出されるといういつものものではなく、死をもたらす大爆発であった。

 

 その爆発により、神殿内にいた衛兵や儀式の補助をする神官たちの多くが亡くなった。

 だが何より痛手だったのは土の巫女姫本人が死亡した事であった。

 

 他の者達とて一朝一夕にそろえられる存在ではなく、重大な損害であったのだが、その中でも巫女姫という存在は別格である。彼女たちは叡者の額冠と呼ばれるマジックアイテムの適合者であり、その割合は100万人に1人という非常に稀有(けう)な存在だ。一国家全てにおいて、その意思が統一されているスレイン法国においても適合者を見つけるのは至難の業といえる。

 そんな人間が謎の爆発によって命を落としたのである。

 

 また、それに続くように、その時監視するはずだった陽光聖典が全滅、大魔法が込められた魔封じの水晶の紛失、漆黒聖典の壊滅といった凶事が法国には続いた。

 

 そしてなにより、漆黒聖典のカイレが装備していたアイテム、『ケイ・セケ・コゥク』が失われるという前代未聞の事態にまで陥ったのだ。

 

 このことにスレイン法国上層部は揺れ動いた。

 この地において怪物(モンスター)から人間を守ってくださった六大神。かの神たちの残した遺産の中でも最重要とされるアイテム。その内の一つが『ケイ・セケ・コゥク』である。

 なんとしても探し出し、取り戻さなくてはならない。

 どれだけの被害を、どれだけの犠牲を払っても。

 どれだけ、非人道的と後ろ指をさされるような行為をしようとも。

 

 

 その結果が、いま、祭壇の上にいる少女だ。

 法国、いや近隣諸国中から探し出され、半ば攫われるようにして連れてこられ、今回の儀式の為だけにその目を縫いつぶされた。僅かな慈悲としては、彼女の精神は麻薬による深い陶酔の中にあり、自身の現状にすら気づいていない事か。

 

 本来は100万人に1人しか適合者がいないマジックアイテム。

 少女は僅かに適正ありと判断されたものの、巫女姫として選ばれるほど完全なる適正は保有していない。魔法の発動を行った途端、額冠のもたらす負荷に耐えきれず即座に絶命するだろう。

 だが、スレイン法国、その宝物庫の奥深くにある六大神が残した遺産の中には、様々なこの地の常識を覆すようなアイテムが存在する。

 例えば、魔法やアイテムなどによる肉体への効果をわずかに遅らせるものなど。

 本来は敵に対して使用し、その者にかけられた支援魔法の効果が及ぶのをわずかに遅らせるためのものだが、これを使用すれば、叡者の額冠によって命を失うまでの時間を稼ぐことが出来るだろう。

 ほんの数秒だが。

 

 だが、そのほんの数秒がなんとしても欲しかった。

 

 遠く離れた場所から、この神殿内の事を魔法で見ている者達にとっては。

 

 

 今、儀式の準備が行われている室内の様子は、魔法によって別の場所で映し出されている。

 そこには12人の人間がいた。

 土、火、水、風、そして光と闇の神官長、そして彼らの上に立つ最高神官長。そして、スレイン法国における国家としての各機関の(おさ)達である。

 

 先だっての土の巫女姫による監視の際は、なんらかの手段によって、監視をしようとしたこちら側が攻撃を受けた。その轍を踏まえ、今回は土の神殿において魔法を使い、その様子を別の魔法によって他の場所で映し出すようにしていた。これにより、もし前回と同様に爆発が起きても、被害は土の神殿内のみにとどまり、魔法によって遠隔地より見ている神官長たちには被害を出さずに済むと考えられた。

 今も、叡者の額冠を頭に巻き虚ろに笑う少女の周囲、少し離れたところには少女と同様の薄絹をまとった女達が囲むように集まっているが、その前には強固な魔法のかかったタワーシールドを前にかかげた衛兵達が位置している。

 これも、あの爆発が起こった場合、その被害は魔法の発動体となる少女のみとして、魔力供給する者達までは及ぼさないようにするための備えである。

 

 

 やがて、すべての準備が整ったようだ。

 神官長たちのいる室内に映し出された映像の中で、一人の神官が手をあげる。その意を受け、〈伝言(メッセージ)〉で儀式を行うよう伝える。

 

 それを受け取ったであろう映像の中の人物が首を縦に振り、儀式が始まった。

 彼らのいる部屋に届くのは映像のみであり、音までは分からないのだが、神殿で何の魔法が使われるかは皆承知している。

 

 

 第6位階魔法〈物体発見(ロケート・オブジェクト)

 

 この魔法を法国が使用できることは秘中の秘である。

 他国はおろか、法国の人間、特に現役の漆黒聖典に対しては。

 

 漆黒聖典は六大神、また他の『ぷれいやー』が残した装備やアイテムなどを身に着けている。その装備の価値は計り知れない。

 万が一にも、そうしたアイテムを持ち逃げされては困るのだ。

 その為、もしそういったアイテムを持ったまま逃亡した際、すぐ見つけられるよう〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の使用の能否(のうひ)は伏せられている。まあ、実際はうすうす感づいている者もいるようだが、それはそれでやっても無駄だという抑止力となる。

 

 そして今日、この魔法を使って探すのは失われた法国の至宝『ケイ・セケ・コゥク』である。

 

 

 やがて神殿内に光が満ちる。段上にいる少女に、周囲の者達から魔力が集まる。

 その光が一瞬まばゆくなったかと思うと、魔法が発動した。

 

 少女の頭上に、映像が映し出された。

 

 

 

 

 

 映像の中の神殿内では後始末が行われている。

 怪我をしたものの治癒。吹き飛んだ装飾品の片づけ。爆発によって四散した少女の遺体の回収。

 

 それらの光景を映しだす魔法の持続を終了する。

 神官長たちがいる室内に、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法がかけられた明かりが灯される。

 

 その場にいる者達の顔を見回し、最高神官長が口を開いた。

 

「皆よ、見たな。あの光景」

 

 その場にいた誰もが、しっかと首を縦に振った。

 

 先ほどの光景。

 〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の魔法により、六大神の残した遺産『ケイ・セケ・コゥク』を持つ者が特定され、その者の姿が映し出された。

 

 映像が中空に映ったほんの一瞬後に大爆発が起き、巫女姫の代理として連れてきた少女は死亡、周囲にいた者達もまた、魔法のかかった盾で身を守っていたとはいえ少なくない被害を出した。

 

 だが、そんな多大な犠牲を払ってでも、やった甲斐はあった。

 

 

 

 あの時、わずか一秒ほどしか映ることのなかった映像。

 

 森の中にいると思しき数人の男女と一匹の強大な魔獣が映し出された。

 誰もが武器や鎧で武装しており、また装備も各人によってバラバラであった事から、おそらく冒険者かワーカーと思われる。

 

 その中でも一人、一際目を引く人物がいた。

 その者は最近一地域で話題となっている人物であり、また法国でも目をつけていた人物であった。

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏い、両手持ちの大剣を2本背中に背負う男。

 冒険者モモン。

 壊滅した陽光聖典の部隊の隊長であるニグンが所持していた物と同一の物であると(おぼ)しき魔封じの水晶を使用した人物。

 

 もし、これが別々のところにいたのならば偶然ともいえるだろうが、そんな要注意人物ともいえる男が、今回、多大な犠牲を払ってまで行った魔法によって映しだされた映像の中にいたことは、偶然とは到底思えない。

 

 

 最高神官長は深くうなづき、その場にいるスレイン法国における最高執行機関の者達に向かい、強く断言した。

 

「六大神の残された遺産『ケイ・セケ・コゥク』を持っておるのは、冒険者モモンだ! 間違いない!」

 

 

 




 間違ってますよ、最高神官長。




没ネタ

「私は蒼の薔薇のティア。ちなみに蒼の薔薇には私とそっくり同じ姉妹が1人いる。プリティなティアちゃんが2人。略してふたりはプリティアと呼んでほしい」




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第七章 侵入者編
第43話 蠢動


2016/6/30 会話文なのに1字下げしていた箇所があったので、訂正しました。
2016/9/8 攫われたのルビが「さわ」になっていたところを「さら」に訂正しました
2016/10/9 会話文の最後に「。」をつけていたところがあったので削除しました


「ふう」

 

 扉を閉め、邸内に入ったことで息を吐くセバス。

 この館は帝都アーウィンタールに潜伏するうえでの仮の宿りでしかなく、本来の住居であるナザリック地下大墳墓とは比ぶベくもないが、やはり自分たちの拠点へと戻ってきたという安心感はある。

 

 着崩している自分の身なりを普段の習慣で整えつつ、それなりの館でありながら、なんら装飾品の一つも飾られることなく空虚な印象を与える廊下を歩き、そしてリビングへとたどり着いた。

 

 そこには羅紗布の敷かれたソファーの上に身を投げ出し、テーブルの上に足をあげている男がいた。

 その男の手にあるグラスの中の液体が黄金色である事を見咎め、セバスはわずかに眉をひそめる。

 

「日のあるうちからアルコールとは感心しませんね、ルベリナ」

 

 言われたルベリナは、組んだ足をぶらぶらと揺らしながら答えた。

 

「いやー、勘弁してくださいよ、セバス様。私も情報収拾に街中を歩き回って、ようやく帰ってきたところなんですからー」

 

 ルベリナの向かいのソファーに腰を下ろす。

 そのセバスの前に、「どうぞ」と杯が置かれた。

 

 部屋の脇に控える男の用意してくれた杯を口につけると、良質の茶葉の苦みと柑橘類の酸味を感じた。外に出ていたことで少々汗ばみ火照った体に染み渡るようだ。おそらく、一度熱湯で入れた紅茶を冷却の魔法のかかったデキャンターで冷まし、そしてレモンの果汁でも絞ったのであろう。

 

(この男は、確か貴族向けの娼館に用心棒として派遣されていた男でしたか。さすがにこういった気配りも身に着けているようですね。貴族への対応に慣れているからと、貴族あがりの商人という演技をすることになったこちらに応援としてつけてくださったのは、さすがはアインズ様と言うより他にありませんね)

 

 

 そうして、のどの渇きを潤していると、コツコツと床を叩く音がする。

 

「おかえりなさいませ。セバス様」

 

 目をむけると、裕福な商人の娘という設定の為いつものメイド服ではないが、黄色いドレスを身に着けたナーベラルが居間に入って来た。

 無表情ながら端正な顔立ちだが、今、そのこめかみには青筋が浮かびかけている。

 

 その歩み寄る足が、普段と違い少々遅い。

 ふと見ると、フリルのついたスカートの後ろ、腰のあたりにしがみつくようにしてついて来た人影がある。

 

「おかえりなさい。セバスさま」

「ええ、ただいま。クーデリカ」

 

 そう微笑みかけると、クーデリカは照れたように笑い、ナーベラルのスカートの影に顔を隠した。

 ナーベラルが険のこもった眼で目くばせすると、館に詰めていた、ルベリナらと同様に元八本指の女が「さあ、クーデリカ。あっちへ行ってましょうね」と少女を抱きかかえる。クーデリカは「やー」と抵抗するものの、そのまま二人は部屋を出て行いった。

 

 

「あははー。ナーベラルさん、ずいぶんと懐かれてるみたいじゃないですか」

 

 ケラケラと笑うルベリナを一瞥し、チッと聞こえる様に舌打ちをするナーベラル。

 

「別にヤブカに懐かれても嬉しくないわ」

「いーじゃないですか。将来、子供が出来たときの練習って事で。いいお母さんになるんじゃないですか?」

 

 フンと鼻を鳴らして、テーブルに載せているルベリナの足を叩く。床に下ろしたその前を通り、形のいい尻をビロードのクッション上に据えた。

 

「それで、ルベリナ。どうでした?」

 

 セバスは本題に入った。

 問われたルベリナは手にした杯を眼前まで一度持ち上げ、口に運ぶ。

 

「ええ。やっぱり、あの子はフルト家の娘に間違いないですよ」

 

 その答えに、セバスは思案気(しあんげ)顎髭(あごひげ)を撫でた。

 

「その割には、家に連れて行った時、随分とおかしな行動でしたが」

 

 そう、セバスらはすでにあの少女、クーデリカを彼女の家だというフルト家に連れて行っていたのだ。

 

 

 

 フルト家というのは高級住宅街の一角にあった。屋敷は風格を感じさせる立派な造りをしていたが、最近はずっと手入れをしていなかったのであろう、あちこちに痛みが生じているのが見て取れた。

 とにかく、家人を呼んだところ、中から執事と(おぼ)しき老人が出てきた。

 彼にこの家の娘を見つけたので連れてきた旨を告げ、クーデリカの事を抱え上げて見せると、老執事がその皺の深い顔に浮かべていた、この世の終わりのような沈鬱な表情が一転、驚き、そして喜びへと変わった。

 「どうぞ、中へ」と家の中へ招き入れると、彼は慌てた足取りで主人を呼びに行った。

 通された応接間で、これで一安心、と安堵の息をついていると、やがて足音高く館の主人がやって来た。仕立てのいい服を身に纏った人物。見るからに貴族といった男だ。だが、セバスの目からするとその服の袖や裾に若干汚れが見て取れたが。

 男は胡散臭げな様子でこちらに視線を向け――そしてクーデリカを見た瞬間、激しく動揺した。

 驚愕、困惑、そしてうしろめたさの混じった恐怖が、わずかの間にその顔をよぎった。

 そして男が行ったのは、愛する我が子への抱擁でも、心配し心を痛めていたという優しい言葉でもなかった。

 

「誰だ、そいつは! うちにはそんな娘はおらん!」

 

 いきなり怒鳴りつけられ、クーデリカは目を丸くし「おとうさま……」とつぶやいたが、男はそれには目もくれず、彼女の横にいたセバスに視線を移し、「お前もさっさと帰れ!」と言い放つと、荒々しく部屋を出て行った。

 突然の事態に狼狽(うろた)えた執事の男は、自らの主に「旦那様! お嬢様を見つけ、お連れしていただいたというのに何を……」とその後を追いかけていった。

 部屋の中には思わぬ状況に戸惑うセバスと、服の袖で涙をぬぐい嗚咽(おえつ)の声を漏らすクーデリカだけが残された。

 

 

 

 

 あの時の様子を思い浮かべ、眉を(しか)めて「うむむ」と唸り声をあげるセバス。

 

「あの子の家、フルト家ですが、行ってみて気づきませんでしたか?」

「ふむ? そうですな。ある程度、見栄えは取り繕っているようですが、あちこちに手を加えられず放置するまま荒れている様子が見て取れましたね」

「ええ、あの家って帝国では典型的な、現在の皇帝である鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスによって、貴族位を剥奪された家ってヤツですよ。それなのにいまだに貴族生活にしがみついてるって手合いです。とーぜん、もう貴族じゃないんで、金にも困ってますな」

「貴族じゃないけど貴族風を吹かせているから、素性のしれない見知らぬ人物にたいして感謝の意を表したくない。だから、本当は娘なのに知らないふりをしたという事かしら? それと謝礼のお金を払うのも、金欠の身では困るからとか?」

 

 ナーベラルの言葉に、ルベリナは皮肉気に口元をゆがめた。

 

「いやー、もうもっと事は進んでしまっているようですね。金欠なんてレベルじゃないですよ、あの家は。もう借金まみれですよ。実際の金もないのに、貴族としての格とやらを気にして、借金してでも芸術品だの調度品だのを買いあさっていたみたいで」

 

 口の端をゆがめたルベリナに負けないほど、嘲笑の表情を浮かべるナーベラル。

 

「身の程を知らない愚か者は、ただのガガンボより滑稽ね。しかし、よくそれほどお金を貸す相手がいたものね。貸しても後でそれを取りたてられなければ意味ないでしょうに」

「ああ、それまではその家の娘がワーカーとして働いて、金を稼いで返していたらしいんで。危険ですが、実力さえあればワーカーは稼げる職業ですからねー。なんでもその娘は、昔は帝国の魔法学院にいて、その当時で第2位階魔法、今じゃ第3位階魔法すら使いこなす秀才だったって話です」

 

 第2位階や第3位階というあまりに低次元の話に、第8位階魔法を使えるナーベラルは鼻で笑った。

 

「まあ、今まではその娘が、そうやって欠けた器に水を注ぎ続けるようなことをしていたらしいんですけどね」

「それがうまくいかなくなったと?」

「はい。先日、金を稼ぐために仲間と一緒にカッツェ平野にいったらしいんですが、その後、エ・ランテルに行ったみたいですね。そこで運悪く、例のアンデッド騒ぎに巻き込まれて死んだとかで」

「なるほど、お金を持ってくる人間がいないのに、あいも変わらずお金を湯水のように使い続けていたという事ね。……その娘が死んだというのは確かなの?」

「ホントのところは音信不通らしいです。でも帝都を出る際、実家にいつ頃返ってくるって告げていたのに、それを大分過ぎても帰ってこないんで、ほぼ死んだのは間違いなさそうですな。それで、そこの当主が少し慌てて知り合いの貴族に金策の話をしたら、その貴族も金欠気味で借金しているような奴だったんで、そいつ経由で金を借りている奴の耳にまで届いてですね。もう金を貸しても帰って来る見込みがないって事がばれて、家じゅうにあるもので取り立てられてるって状態みたいですね」

 

 それを聞いても、セバスはまだ腑に落ちなかった。

 

「ふむ。それは分かりました。ですが、なぜ(さら)われた娘を知らないと言っていたですか?」

「まー、はっきり言うと。あの娘は攫われていなかったって事です」

「?」

「つまり、借金のかた(・・)に家じゅうの金になりそうなものは売られた。それでも、足りなかったんで、他に価値のあるものを売ったって訳ですよ」

「……それがあの子ですか?」

「ええ、あの家には子供が3人。一番上が、エ・ランテルに行って死亡。その下が双子の娘。双子なんですから1人いなくなっても、もう1人を使えば家は存続させられますから。そうして売られていった商品ですが、そういうのを欲しいって奴がすぐに見つかって、無事に売買成立。そして、そっちに引き渡されたところで隙を見て逃げ出すも、すぐに追手に見つかって連れ戻されそうになったところを、引退した商人の老人がたまさか通りかかったって事です」

 

 セバスは――彼を知る者にとって非常に珍しい事ではあったが――やや不機嫌そうな表情を浮かべ、その指先でテーブルをいらだたしげに叩いた。

 

「借金のかた(・・)にあの娘を連れて行ってどうするつもりだったのでしょうか」

「んー? そりゃあ、女ですからね。使い道はいくらでも。ゆっくり育てるなり、使いつぶすなり。いやー、さすがにちゃんとした年にならない女ってのは、普通の男は食指が動かないもんですが、お貴族様ってのはいろんな趣味がありましてね。そういうのが好きだとか言って、もう金と権力にあかして、領地の娘を攫って来たり、高い金を払ってでも買い付けたり。王国とかでも、表向きは禁止されてるのに、それが結構な金になってですね……っ!?」

 

 目の前の老人が思わず発した怒気。ルベリナ本人に対してではなく、そのような組織や貴族たちに対してのものであったが、それにさらされルベリナは二の句が継げなくなった。

 自分達に対してではないと理解はしていても、セバスが振りまいた殺気に肝を冷やしつつ、ナーベラルは話をそらすように言った。

 

「っ……随分と、詳しく情報を手に入れてきたみたいだけど、お金は足りたかしら?」

「え、ええ……、そっちは大丈夫です……。こっちに来る際に持ってきた分だけで間に合いましたよ」

「ほう」

 

 聞くだけで不快な事実に思わず殺気だってしまい、その場にいた者達――ナーベラルとルベリナは冷や汗を流す程度で済んだものの、周囲に控えている人間たちは(おこり)のように身体を震わせていた――を怯えさせてしまった事に気がついたセバスは、一つ深呼吸して落ち着きを取り戻した。

 

「今回の調査に関しても、あちらこちら回って来たのでしょう? 私たちに預けられたお金はアインズ様から活動資金として渡されたもの。必要であればいくらでも使用していいとの旨を受けていますし、不足しそうなら追加を要請するようにと指示を受けています。資金がかからないのはいいのですが、本当に大丈夫なのですか」

「ええ、大丈夫ですよ。蛇の道は蛇ってことで、裏の社会には色々と伝手(つて)がありますし。()はそれほど使ってません」

「そうですか。それはそれでいいのですが、必要でしたら言ってください」

 

 セバスとルベリナの会話を聞いていたナーベラルは、わずかに身じろぎした。

 彼女はルベリナがどうやって向こうの人間に報酬を支払っているのか知っている。

 

 ルベリナは『ライラの粉末』と呼ばれる麻薬を流しているのだ。

 

 

 かつて『ライラの粉末』を始めとした麻薬は、王国の裏を取り仕切る犯罪組織『八本指』によって組織的に生産されていた。特に『ライラの粉末』に関しては禁断症状が弱いという事から、他の薬物と比べても、その取り締まりは厳しくはされておらず、また利益目当ての貴族をもがっちり取り込んで売りさばいていた。

 その流通は王国内だけにとどまらず、隣国であるバハルス帝国を始めとした周辺諸国にまで流れ込み、もはや外交問題になるほどの規模にまで達していたほどだ。

 

 だが、ある時、そんな情勢が変わった。

 

 王国領と帝国領、そして法国領との境にあり、交易の中心地でもあったエ・ランテルにおいて、新たに起こった闇組織が街の裏社会を支配し、エ・ランテルから八本指の勢力を追い出してしまったのだ。

 

 エ・ランテルは周辺諸国への陸路の(かなめ)である。そこが大々的に使えなくなったため、王国から他国への輸出が一転して困難となった。取りうる手といえば、遠回りな海路を使う。もしくはその新興組織の目を盗むように輸送するしかなかった。それもその組織に奪われる危険性をさらされながら細々としたものでだ。

 

 麻薬が自国に流れ込まなくなったことに、周辺国の上層部は安堵したものの、それに困った者達もいる。

 

 まずは当の八本指だ。

 彼らは原料となる草を、それを栽培をする村まで作って行ってきたのだ。少なくない経費まで使って行ってきた事業だが、それが他国への販売ルートに乗せられないとなると困ったことになる。実際、すでに在庫がダブついてきており、王国内では値崩れし始めている。

 そして、それによって王国内ではさらに麻薬が蔓延することになり、王国上層部の頭を悩ませることになってきている。

 だが、最も困ったのは周辺国の常用者である。

 『ライラの粉末』は禁断症状は薄いとはいえ中毒性はある。吸引することによる多幸感と陶酔感の快楽は、一度味わえば病みつきになる。

 だが、吸いたくても物がないのだ。

 麻薬というものは、物が無いから、じゃあいいやと簡単に言えるようなものではない。むしろ無いからこそ、どうしても手に入れたくなるものだ。

 その為、現在、周辺国では『ライラの粉末』の値が急上昇しており、末端価格においてはかつての十倍以上という有様であった。

 

 そんな『ライラの粉末』であるが、ルベリナは帝都に来る際、ある程度の量を秘かに持ち込んでいた。

 八本指は、かつてほどの規模ではないが、今でも交易の荷物に隠してエ・ランテル経由で他国に流している。それらはある程度はエ・ランテルを通る際、ギラード商会の息のかかった者に没収される事になる。実際はそこでも賄賂を多く積めば、彼らも見て見ぬふりをするのだが。そしてその賄賂分、さらに末端での売買価格が上がる結果となるのだが。

 とにかく、その没収した『ライラの粉末』を、他国での価格上昇に目を付けたベルは、交渉事に利用できるとみてルベリナに渡していた。

 そしてベルの期待通り、元八本指であるルベリナは帝都では品薄である『ライラの粉末』を、金貨よりも有効に活用していた。

 

 ただ、このことはセバスには知らされてはいなかった。

 ルベリナたちが暗躍する際の資金源に疑問を持ち、ナーベラルが問いただしたところ、実にあっさり『ライラの粉末』を賄賂代わりに使っていることを白状した。そして、このことはセバスには言わなくていいと、ベルから指示されていたとも。

 驚いたナーベラルが直接ベルに〈伝言(メッセージ)〉で確認したところ、その通りである旨が告げられた。

 

 

 その事にナーベラルは心を千々(ちぢ)にかき乱された。

 

 別に麻薬を流すことに罪悪感があるのではない。

 共にナザリックに仕え、直接の上司であるセバスにそのような隠し事をしなければならないことにである。

 

 ベルとしては、セバスはあまり麻薬云々などといった話は好まないだろうから、わざわざその事を教えて心悩ませることもないかというただの配慮のつもりであり、深く考えもしないで言った事であったが、ナーベラルからすれば重大事であった。

 属性が悪に偏っており、人間を下に見る者が多いナザリックにおいて、セバスは数少ない善の属性を持つ者であり、ナザリック外の人間に対しても慈悲の心を持って接する事はもちろん知っている。

 だが、例えそのセバスといえど、目的の為とあらば非情に徹するであろう。もともと、プレアデスを始めとしたナザリックの者達は、自分たちを創造された至高の御方のお考えによって性格に違いはあれど、同じ目的意識を持っていたはずだ。ナザリックに仕える者として、最優先すべきはナザリックの利益であり、その際には己が意思や感情を封印し、行動することは当然である。そこに揺らぎや躊躇(ためら)いなど生じるはずもない。

 

 

 だが、ベルはそのセバスには秘密にしておけと命じた。

 プレアデスらの上司にして、階層守護者にも匹敵する地位と力を持つセバスに対して。

 

 

 ――本当にいいのだろうか? 

 

 これまで、ナーベラルは命令に従う以外の事は考えたことは無かった。上位者からの命令は絶対である。特に至高の御方からの命令ならば、死すらもいとわない。

 

 だが、今回ナーベラルの心に迷いが出たのは、それがアインズからの指示ではなく、ベルからの指示だったためである。

 絶対の忠誠を誓う至高の御方からの命令なら、なんら疑問を持つ余地はなかったであろう。

 だが、それよりは忠誠が一段劣るベルからの指示だったため、そこに出来るはずのない余地が生まれたのだ。

 

 ナーベラルの胸の内に、言葉にもならないような小さな種火が灯る。その火は懊悩の熱を持って心の中でくすぶり続けていた。我慢できないほどではないが焦燥を感じさせる、これまで感じたことすら無いような感覚に戸惑いを覚えていた。

 

 ――あとでベル様と一緒にいることが多いソリュシャンに相談してみようか?

 

 

 一人、心の内で煩悶し続けていたナーベラルだが、ルベリナの発した言葉に、思考の海を漂っていた意識を取り戻した。 

 

「……ですがね。あの娘ですが、早めに手放した方がいいと思いますよ」

 

「ふむ。ルベリナ、あなたがそう判断した理由は何ですか? 子供が苦手だから手放したいなどという理由ではないでしょうが」

 

 セバスの問いに、ポリポリと頭を掻いて言った。

 

「いえね。ほら、さっきも言ったでしょう? あの娘は借金のかたに売られて、そして、さらに売り飛ばされた先から逃げ出したところだったって。その売却先がちょっと気になりましてね」

「危険な相手なのですか?」

「いや、ちょっと調べてみたんですが分かりませんでした。まー、もっと派手に動いていいなら分かるかもしれませんけどね。でもまあ、とにかく、ちょっとやそっとじゃ分からないって事は、結構やばい相手な可能性があるんですよ」

「ふむ」

「いっそのこと、上の人たちに相談して援軍を送ってもらって、もっと大々的に動くってのも手かもしれませんよ。どうにも、その売った連中の態度が妙なんですよね。隠し方が必死過ぎて。下手すれば帝国の、それも結構上の方の人間まで絡んでくる可能性もあります。手をこまねいておいてぼや(・・)が大火事にでもなったら、目も当てられませんよ」

 

 危険な世界に生きてきた者の直感に基づく警戒心に満ちたルベリナの言葉だが、それにセバスは首を横に振った。

 

「いえ。それには及びません」

 

 この場にいる皆を見回し、力を込めて告げる。

 

「今回の一件ですが、この程度の些事(さじ)は私たちで対処せよという意味なのでしょう」

 

 セバスのこの発言の理由。

 それは、アインズらからはクーデリカに関する指示がないためである。

 

 

 セバスは今回の一件、クーデリカの保護ならびにその後の顛末については定期報告において、すでに報告してあった。

 

 最初、セバスは今回の事を報告すべきか悩んだ。

 攫われそうだったクーデリカを保護した事。そして家に連れて行ってやったら、なぜかその家から拒絶された事。仕方がないので、彼女を自分たちのいる館に連れて帰った事。

 本来ならば報告せねばならない事ではあり、そうするのが正しいとは分かっていたが、そのまま報告することはためらわれた。

 クーデリカが館にいることによるメリットは特に思いつかなかった。対して、人間の少女がいることで情報収取という任務に差しさわりの出る可能性もあった。また、新たな厄介ごとにつながる可能性も考えられた。

 

 至高の御方の意向ならびにナザリックの益となる事こそが最優先されるべきものであり、それに反するものは排除せねばならない。

 だが、そうは分かってはいても、たっち・みーによって創造され、その性質を受け継いでいるセバスにとって、ひ弱でよるべ(・・・)の無いこの少女を処分してしまうというのは、どうしても受け入れがたいものであった。

 

 悩み続けるセバスに対して、ルベリナが忠言した。

 クーデリカの事は報告としてはあげておくべきだと。だが、はっきりと書き記すのではなく、遠回しに婉曲な書き方にとどめておけばいいと。

 

 その言に対してセバスは眉をひそめた。

 執事として、主に対する報告に曖昧で不明瞭な記載をするのは納得できなかった。それに彼の仕えているのは聡明かつ知性溢れるアインズと至高の御方の御息女であるベルである。そのような欺瞞(ぎまん)などすぐに見抜いてしまう事は自明の理であった。

 

 だが、ルベリナは続けた。

 そういう頭のいい人なら、そういった誤魔化しなどすぐに気づくだろう。そして気づいたうえで、なぜ自らに忠実な配下がそんな書き方をしたのかと頭をめぐらせ、やがてそう書かざるをえなかった、その胸の内を察してくれるだろう。その上で各種情勢を(かんが)みて、状況が許すのならば、見て見ぬふりをしてくれるはずだと。

 

 その答えにセバスは苦悩したものの、ままよとばかりにクーデリカの事を小さな注釈で書き記した報告をあげた。そしていつ主の怒りが落ちるかと不安の日々を過ごしていたのであるが、意に反しアインズらからの反応はなかった。

 その後も、定期報告のたびに彼女の事を遠回しにさらりと書くのであるが、それに対しても新たな指示は一切なかった。アインズから直接〈伝言(メッセージ)〉で進捗を説明する機会もあったが、その時もアインズは何も言わなかった。

 

 事ここに至って、セバスは確信した。これはアインズとベルが、クーデリカを助けたいと願うセバスの胸中を(おもんばか)ってくれたのだろう。 

 そして、この件は帝都に派遣されている自分たちを信用して、すべて任せるという証左であろう。

 

 

 その自らの主から向けられた絶対の信頼を感じ取り、セバスは感激に身が震える思いであった。

 

 

「まあ、遠回しに書いたんで、そのことに気がつかなかったって可能性もありますけどねー」

「フフン。そんな事、天と地がひっくり返ろうともあり得ないわね」

 

 ルベリナの軽口を、ナーベラルは鼻で笑った。

 そして、先ほどの迷いを振り払うかのごとく、強く言い放った。

 

「私たちがお仕えしているのはまさにこの世のすべてすら見通す智謀と叡智に満ち溢れた方なのよ! その御方がまさか、部下に調査を命じ、報告を上げさせておきながら、自分が忙しいからとそれにろくに目を通しもせず流し読みだけですませて、パッと見、特段目立つような変わったことも書いてないからそのままでいいかなどと、物事を現状維持のまま放置するような、愚鈍かつ愚昧の極みとしか言いようのない判断を下すミドリムシのような事をするはずなどないわ!」

「ミドリムシって虫じゃないですよね?」

「やかましいわよ!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――と、このような事でございます」

「ふむ。なるほど。つまり、トブの大森林の少なくとも帝国に隣接している地域では、異常は発見できなかったか」

 

 自らの抱く皇帝の言葉に、報告した若き文官は額に汗を浮かべながら深く頭を下げる。

 そして、バハルス帝国の最高指導者、鮮血帝ジルクニフは居並ぶ者達を見回した。

 

 窓一つない部屋。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の明かりに照らしだされたいくつもの顔。

 いま、ここに集められている者達は、すべてジルクニフ自身が集めた最も信義にあふれ有能な者達。誰もが、この帝国の為ならば命を捨てることもいとわぬ忠義の者達である。

 そんな彼らの視線を一身に集め、彼は口を開いた。

 

「では南部付近、エ・ランテル側はどうだ? たしかダークエルフが目撃されているとかいう報告があったな」

 

 その問いに、菫色のローブを着た男が答える。

 

「はい。エ・ランテルの冒険者組合が、ダークエルフの捜索という事で冒険者たちをトブの大森林南部に送り込んで調査しておりました。ですが二桁に近い回数、調査隊を送ったものの目立った成果は上げられず、じきに捜索は終了となりそうです」

「なんら異常と判断されるような、普段と違ったものは見つけられなかったと?」

「はい。その通りでございます」

 

 その答えにジルクニフは僅かに目を閉じ考え込んだ。

 

「結局のところ、法国がトブの大森林内で何かしているかもってのは心配のし過ぎだったんじゃないですかい?」

「全部、私の杞憂だったというなら、それはそれで全ては丸く収まっていいのだがな」

 

 ジルクニフはため息交じりに返す。

 

「しかし、ワーカーに偽装させた我が帝国の精鋭部隊は戻ってきませんでしたよ」

「そりゃあ、トブの大森林内の怪物(モンスタ―)にやられたんじゃないか? 精鋭部隊ったって、人間なんだ。あの森の中にはそれより強いのなんてうじゃうじゃいるだろ」

 

 ニンブルとバジウッドの会話を聞いていたジルクニフは、傍らのフールーダに目をやった。

 何を聞きたいのか悟った、この偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)は静かに口を開いた。

 

「ふむ。同行させおりました魔法詠唱者(マジック・キャスター)からは、何やら数体の樹木の怪物(モンスター)に襲われたという〈伝言(メッセージ)〉による報告が最後にありました。まあ、〈伝言(メッセージ)〉はあまり信用のできる魔法ではありませんが、仮に報告が事実だったとした場合、狂ったトレントなどに襲われたのでは?」

「トレントか……可能性はあるが。他に心当たりは?」

「他ですと、トブの大森林には伝説がございます。森のどこかに魔樹の竜王なる存在が封印されている。それを恐れるが故、森にはドラゴンたちですら近づかぬと。その魔樹の竜王とやらがどれほどの力を持っているか、どのような存在なのかは分かりませぬが、はるか長い周期ながら活動が活発になる時期があり、その時に縄張りに入った者は命がないと言われております。……ですが、もし本当に魔樹の竜王が目覚めた場合、事はトブの大森林だけにとどまらず世界を滅ぼしかねない大騒動になるでしょうから、これはないでしょうな」

 

「ふうむ。まあいい。とりあえず、トブの大森林については警戒を一旦(いったん)下げても構うまい」

 

 これまで帝国は、トブの大森林内におけるスレイン法国の策動を警戒していた。

 多くの法国の兵士が森の中に入っていった事。法国の関係者、もしかしたら六色聖典の人間ではと警戒されている冒険者モモンが、森の賢王と呼ばれる怪物(モンスター)を従えている事などから、トブの大森林内において、なんらかの動きがあるのではと推測し調査を続けてきた。

 だが、東側の帝国に接する地域では何ら異常はなかったものの、南部、エ・ランテルにほど近い辺りを捜索していた帝国の兵士と魔法詠唱者(マジック・キャスター)からなる精鋭部隊は、謎の怪物(モンスター)に襲われ、全滅の()き目に遭ってしまった。

 その為、南部地域に関してはちょうどエ・ランテルの冒険者組合が森の調査を始めたこともあり、帝国としてそれ以上兵は出さずに、冒険者が集めてきた情報を収集する方向にシフトさせた。

 

 だが、そうした調査でも、ダークエルフの姉妹(・・)が目撃されていたらしいと言う他は、何ら目立つ情報はなかった。

 ここ最近の帝国はトブの大森林での調査を重要事項とし、その持てるリソースを割り振って来たが、帝国としてはそれ以外にもさまざま調べねばならぬことや動かねばならないことが山ほどある。

 いつまでも、結果の出ない調査に力を注いでいてはいられない。

 

 ジルクニフは、トブの大森林での調査に対する優先順位を下げることを決めた。

 皆の前でそれを宣言する。

 

 その時、口を開いた者がいた。

 

「申し訳ありません。一つ、ご報告したき件が」

 

 ジルクニフは顔を巡らせ、居並ぶ者達の中から、言葉を発した者を見つけた。

 

「なんだ、ロウネ?」

「はい。トブの大森林の調査に関してなのですが」

 

 文官の中では、最も皇帝の信が厚いロウネ・ヴァミリオンは言葉をつづけた。

 

「帝国の貴族――元貴族なのですが。その者がとある学者に金を出し、トブの大森林内で古代遺跡の調査をさせようとしているようです」

 

 その場にいた者達は、皆一様に首をひねった。

 なぜ、そのような些末なことをロウネともあろうものが、このような場で報告するのだろうか?

 

「その貴族は、2人の学者の為に護衛としてワーカーらを雇いいれ、そして彼らはエ・ランテルまで移動し、そこでさらに冒険者を雇うつもりのようです。エ・ランテルにおける最高の冒険者『漆黒』のモモンを」

 

 その言葉を聞き、そこにいた者達の間にどよめきが起こった。

 

 冒険者チーム『漆黒』

 しばらく前に、ふらりとエ・ランテルに来たかと思うと、瞬く間に頭角を現し、ごくわずかな時間でオリハルコンまで上り詰めたチーム。

 そして帝国、いや、この会合においては法国の息がかかった人間ではないかとも推察される人物だ。

 

 帝国が気にかけていたトブの大森林での調査。そして、同行させるのがそのモモン。

 到底偶然とは思えない。

 

 ジルクニフは腕組みをして聞いた。

 

「それで、その学者に金をやった元貴族とやらは?」

「はい。フルト家です」

 

 その言葉には皆、きょとんとした。

 特に耳にしたこともない家だ。

 

「フルト家は、陛下の施策によって貴族位を追われた家でございます。当然そんな学者のパトロンになれるような資金などなく、それどころか、自分たちの生活すらおぼつかないような有様の家です」

 

 ジルクニフは面白がって先を促した。

 

「ほう。それではそんな生活にも困るほどの金欠の者が、どうやって学者に金を出し、ワーカーや冒険者を雇う金を手に入れたのかな?」

「とある人物から、……というか、その学者本人からだそうですよ。その学者からはフルト家が金を出したことにしてくれと」

「随分と気前がいいではないか。その学者とやらは。いっそのこと、我が帝国に依頼してくれればいいものを」

 

 笑みを交えた皇帝の言葉に、その場にいた者は皆笑い声をあげた。

 だが、ジルクニフはすぐに真顔に戻って聞いた。

 

「それで? わざわざこの場で言うという事は、すでに尻尾をとらえてあるのであろう?」

「はい、陛下。その学者の正体ですが――フルト家に対しては帝国上層部の者と偽装してあるようですが――実際のところは法国の人間のようです」

 

 他の者達が驚きに息をのむ中、その答えを予期していたジルクニフは、フンと鼻を鳴らした。

 

「付け加えさせていただきますと、彼らが雇うワーカー。その者らには、さらなる秘密の依頼が課せられるようです。冒険者モモンの暗殺という依頼が」

 

 それにはさすがにジルクニフもピクリと眉を動かした。

 

「……確かか?」

「はい。そのフルト家でワーカーに繋ぎをとる役の者からの情報です」

「ふむ。……どう思う?」

「十中八九、我々に情報が漏れることを想定しての事でしょうな。こう言っては何ですが、かの国が本気で足跡を消そうとした場合、我が帝国の諜報機関でも捉えるのは少々困難といえるでしょう。それが赤子の手をひねるより容易く調べがついたのですから」

 

「いや、待ってくだせえ」

 バジウッドが頭を掻きながら口を挟む。

 

「そのモモンって奴は法国の、それも六色聖典かもって奴でしょう? そいつを法国の人間が暗殺しようとするんですか?」

「さてな。法国の人間かもというのが間違いだったか、法国を裏切ったので粛清されるのか、そもそもモモン暗殺という情報自体ブラフの可能性もあるな」

「ですが、法国が冒険者モモン暗殺の情報を、わざわざ俺たち、帝国に流すのは何かの意味があるんですかい?」

「まずカギとなるのは、そのモモン暗殺というのが本気かどうかだな。本気ではなかった場合、あくまで法国として始末しようとしているという態度を見せる事で、我々に対し、法国はモモンとつながっていない、無関係であるというジェスチャーになる」

「本気だった場合は?」

「帝国は今回のモモン暗殺に手出しするなという意思表示だろうな」

 

 

 言ってジルクニフは、皆の前を悠々と歩き、水差しから果実水を杯に一杯注いで飲み干した。本当はワインが欲しかったが、今、自分の頭を酒精で鈍らせるわけにはいくまい。

 それを見ていたバジウッドが、皆を代表する形で彼に聞いた。

 

「で、どうします?」

 

 その声に視線を向けず、手にした象牙の杯を眺めていたジルクニフが言った。

 

「そのワーカーとやらはすでに雇われているのか?」

「いえ、まだです」

 と、ロウネ。

 おそらく、彼がジルクニフの耳に入れるまではと引き伸ばさせているのだろう。

 

「では、先にこちらでワーカーに声をかけ、そいつらをフルト家で雇わせろ」

「手を出すんですかい? 何なら、ワーカーに命令しなくても、その法国の手先って学者を捕まえて、情報を吐かせましょうか?」

「不要だ。それにワーカーにもそんな命令をするつもりはない。そういう事をされないように、こちらに情報を流したのだろうからな。モモンという敵か味方かもわからん奴の為に、法国と事を起こす気はない」

「じゃあ、先にワーカーに声をかける理由ってのは?」

「なに、特段何かさせるわけではない。そちらに仕事で雇われて普段通り依頼をこなす。そして、事の顛末などをあとでこちらに報告させるだけだ。後手に回るが、その程度なら法国側も織り込み済みだろうよ。(しゃく)にはさわるがな」

「しかし、一応学者の護衛って事ですが、帝国のワーカーが王国の冒険者を王国領内で暗殺するってのは拙かないですか?」

「わざわざ、こちらに法国が絡んでいると情報を流しているんだ。目立たぬようにやるつもりなんだろう。例えば、トブの大森林に連れ出し、怪物(モンスター)に襲われて戦死したように見せかけるとかな。さすがに王国領内での暗殺は拙いが、トブの大森林は人間の領域ではない。エ・ランテル近郊とはいえ、微妙に王国領ともいえんしな。それに仮に王国と帝国の問題になったとしても、その学者のパトロンという体をとっているフルト家に責任を押し付ければいいではないか? 貴族でもない、ただの一般人の独断であるとな。実際、我々が絡んではいないから嘘という訳でもない。まあ、多少は王国との仲は悪くはなるかもしれんが、法国に貸しを一つ作れると思えば安いものだ」

 

 主の決断に、その場にいた者は頭を下げ、了承の意を示した。

 

 

 

「それにしても」

 

 ふとジルクニフは声を漏らした。

 

「その情報は、フルト家でワーカーを雇う者から手に入れたといったな。そんな落ちぶれた家にも間諜を潜り込ませていたのか?」

「いえ、その話を当主から聞かされた者がこちらに接触を取ってきました」

「ほう。どんな奴だ?」

「ジャイムスという名の、その家に仕える執事でございます」

 

 辺りから失笑が漏れる。

 

「本来、執事ってぇのは、何があろうとその家の当主に忠実なもんだろう。そんな奴まで、沈む船から逃げ出そうとするような有様なのかい?」

「もう、ほとほと、愛想が尽きたそうで。なんでも、そのフルト家の当主が金に困って、幼い我が子を借金のかた(・・)に売り飛ばしたことを知って、もはやついていけないと決断したそうです」

「やれやれ、元貴族の窮状(きゅうじょう)には心が痛むよ」

 

 その原因を作った当のジルクニフの言葉に、周りの者からは笑いが起こった。

 

「全くですな。そのフルト家は陛下の施策で貴族ではなくなったものの、その後も変わらず貴族のような生活を続けていたようです。借金をしてでも、高価な芸術品などを買いあさるなど。それまでは帝国魔法学院にも在籍していたアルシェという長女がワーカーとなり、必死で家の為に金を稼いでいたそうなのですが、つい先日、もはやその娘が金を持ってくることが出来なくなったと判断した高利貸しにより借金をとりたてられ、その結果、幼い双子の娘の片方まで売り飛ばしたそうです」

 

「ぬ? 待て。今、帝国の魔法学院に在籍していたアルシェといったな。そして、その家がフルト……。もしや、そのワーカーをしていた長女というのはアルシェ・イーブ・リイル・フルトか?」

「はい。さようでございます」

 

 突然、話の中に出てきた名に反応したフールーダに、ジルクニフはいささか驚いた。

 

「知っているのか、じい」

「はい。憶えております」

 

 フールーダは深い皺の刻まれた顔を縦に振った。白いあごひげを撫でながら語る。

 

「アルシェ・イーブ・リイル・フルト。帝国魔法学院の生徒でも、若くして第2位階魔法を習得し、そのうち第3位階魔法にまで手をかけるのではないかと思っていた天才ですな。また、魔法の才だけではなく、目視した相手の魔法の力を見極めるというタレントを保有しておりました。いずれ、もっと高き(いただき)に立てるかと期待しておったのですが、ある時、何かの理由で学院を止めてしまいました。その時は愚かな事をと失望したものですが……。そのような才あるものが、実家の金稼ぎの為などというくだらぬことで命を落とすとは……」

 

 口惜しさと憤りの色をにじませるフールーダ。

 だが、それにロウネは言葉を返した。

 

「いえ、そのアルシェという者は死んではおりません」

「ぬ?」

 

 その答えにはフールーダも虚をつかれた。

 

「どういうことだ? ワーカーをして金を稼いでいたアルシェが死んだから、もはや彼女が稼ぐ金がその家に入ってこなくなったという話ではないのか?」

「エ・ランテルに行っている諜報員からの情報ですが、そのアルシェという娘は、現在もそちらでワーカーとして活動しております。アルシェが所属している『フォーサイト』というワーカーチームは、普段は帝都を中心に活動しているようですが、しばらく前にカッツェ平野のアンデッド狩りにおもむき、その後、エ・ランテルに向かった際、そこでズーラーノーンの引き起こしたアンデッド騒ぎに巻き込まれました。その騒ぎを生き延びた後、そのままそちらで長期にわたって活動しているようです。エ・ランテルでは冒険者が減少した分、代わりにワーカーを雇い入れるなどしており、彼らにとっては好待遇で金が稼げる場となっておりますので。ただ――」

 

 皆がロウネに顔を向け続きを促す。

 

「ただ、その事はフルト家の者は知らず、すぐに帰ってくると思っていたのにいつまでも戻ってこない事から、死んでしまったと勘違いしたようですな。それで慌てた当主が金策に走った結果、それが高利貸しの耳に入り、借金を取りたてられる羽目になったと」

 

 ロウネの口から語られる実に馬鹿馬鹿しい顛末に、その場にいた誰もが嗤笑(ししょう)を顔に浮かべた。

 本人は貴族位を剥奪されるほど無能であり、それでも娘の才に寄りかかって生きながらえてきたのに、早とちりで勝手に動いて、更に事態を悪化させたのだ。

 

「ははは。そんな奴から貴族の位を取り上げた私には先見の明があるだろう。お前ら、私を褒め称えてもいいぞ」

 

 その言葉に再度、どっと笑いが起きる。

 

「なるほど。そんな奴なら万が一、今回の事で王国との関係が悪化したとして、その全責任を取らせても、帝国としてはなんら惜しくもないな」

「法国も考えたものですな」

「ああ、まったくだ。さて、皆よ。とにかく、その件に関して帝国としては、現段階ではあくまで情報収集と様子見だ。送り出すワーカーを見繕っておけ。それと、エ・ランテルに潜り込ませている連中にはその事を伝えて、そいつらがエ・ランテルについた際には一度接触しておくことと、冒険者関連の情報には注視しておくように通達しておくように」

「ははっ!」

「うむ。さて、では次の件だが、例の邪教集団の方は……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――おや?

 

 

 門をくぐり、冒険者組合に足を踏み入れたアインズ扮するところのモモンは気がついた。組合内の空気がいつもと少し違う、張り詰めたものなっていることに。

 

 フルヘルムを動かすことなく、視線を巡らせると――その原因がいた。

 

 建物内の奥、普段冒険者たちがあれこれ雑談したり、情報交換をしたりなど、とくに秘密という訳でもないような内容を話すことができるようテーブルと椅子が複数設けられている一角があるのだが、そこに二桁ほどの人影があった。

 

 もはやエ・ランテルの冒険者たちの顔は覚えきったアインズである。だが、その一団は冒険者のような装備と雰囲気を醸し出しているが、アインズには見覚えのない者達であった。

 一瞬、よそから来た冒険者かなと思ったものの、彼らの首元を見てその素性は知れた。

 

 首に冒険者のプレートがない。

 彼らはワーカーだ。

 

 

 実は他の街から来たワーカーがエ・ランテルの冒険者組合を訪れるというのは、これまでにもあった。

 このエ・ランテルは、先日のズーラーノーンが引き起こしたアンデッド騒ぎの際に、戦える者達の被害が多く出た。その犠牲者の中には兵士だけではなく、冒険者もまた多く含まれており、結果、エ・ランテル近郊で怪物(モンスター)退治をする者が減少してしまったのだ。その不足分を補うため、エ・ランテルの冒険者組合はワーカーとして活動していた者達を冒険者として転向させたり、また彼らに依頼を廻したりなどの措置を行ってしのいでいた。

 その話を聞いた他の街のワーカーたちが、自分たちもその優遇措置のおこぼれをあずかれるのではないかとエ・ランテルを訪れることがままあった。

 

 だが、あくまで冒険者組合がそのような対応をしたのは――この前エ・ランテルを離れたフォーサイトのように――アンデッド騒ぎの際、ともに街を守るために戦ったワーカーのみであり、それ以降に来た者達は対象外とされた。

 危険な時に背中を預けて戦った仲間は、例えワーカーといえど信用できるが、報酬目当てに寄って来ただけの者達は信用が置けなかった。

 そうした事情が知れると、やって来たワーカーたちはまたさっさと元の街に戻って行ってしまった。

 

 

 ――おそらく、またその手合いの者が来たのだろう。

 

 そう判断すると、アインズはそれ以上気にすることは無く、受付嬢の下へと足を運んだ。

 

「依頼は片づけてきた。新たな依頼はあるか?」

「は、はい。モモンさん。その……実は指名依頼が入っております」

「ほう?」

 

 緊張した様子の受付嬢に続きを促そうとしたところ、後ろから声がかけられた。

 

「おお、あなたが噂のモモンさんですか?」

 

 視線を巡らせると、先程のワーカーらしき集団と共にいた藍色のローブに身を包んだ人物が近づいて来た。

 深くかぶったフードに隠されているが、肩まで伸ばしたつややかな金髪に、陽光の下にさらしたならば世の女性たちが放っておかないであろう甘い顔をした若い男。

 

 彼は微笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げた。

 

 

「私はエッセと申します。古代遺跡の研究をしている市井の学者でございまして。実はトブの大森林内にあるというダークエルフの遺跡の調査におもむくつもりなのですが、護衛としてあなた方を雇いたいと思っております」

 

 

 

 




 ようやく触れられましたが、ザイトルクワエ戦の前に見つけた人間の死体は、帝国のワーカーに偽装した調査隊です。トブの大森林内で法国が何かしているのではないかと素性を隠し、調べに入ったところ、たまたま『落とし子』に襲われて全滅しました。


 書いてから、ルベリナがミドリムシを知っているのかという事に気がつきました。
 きっとルベリナがミドリムシを知っていたのは、八本指が麻薬などを研究する際にミドリムシだの、クロレラだの、ビフィ〇ス菌だの、血がさらさらするブレスレットだの、波〇水だのも調べていたからでしょう。


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第44話 突入

2016/8/26 章に侵入者編と入れたため、タイトルから「侵入者編」を取りました


「あれですか?」

「おお、間違いありません。あの洞窟です」

 

 真上から照らされる陽光の下で、目にも瑞々しい青や緑の色がキラキラと輝く。池の水はよく澄んでいて、涼し気で清らかな印象を与えてくれる。湖畔に生い茂る植物もまた、皆一様にその威勢を誇っており、時折吹き抜ける風が新鮮な草木の香りを運んでくる。

 

 そんな野外の散策には絶好のロケーション。

 山際にある湖の水面付近には、ぽっかりと空いた空洞があった。

 

「あれこそが、かつてこの地において隆盛を誇ったダークエルフの地下遺跡。古文書の通りです」

 

 手にした革張りの装丁の書物を布袋から取り出し、そこに書き記された記述と眼前の光景を見比べながら幾度もうなづいていた。

 そんな臙脂色(えんじいろ)のローブを着た男――ボーマと名乗っていた――を横目に、藍色のローブを着たもう一人の学者エッセは優雅に微笑み、傍らのモモンに声をかけた。

 

「ようやくたどり着けました。護衛ありがとうございます、モモンさん」

「いえいえ、仕事ですので。それに道中、怪物(モンスター)にも遭わずに来れて幸運でした」

 

 そうして二人で、湖畔の洞窟に目を向ける。

 付近に生える木の根で見えにくくなっているが、その作りは土ではなく石、それも切り整えられた石材が並べられているのが見て取れた。あきらかに自然の洞窟ではありえない。なんらかの知恵のある者が手を加えたものだ。

 

「さて、……では、まだ日も高い事ですから、このまま潜りましょうか?」

 

 モモンは微妙に困った口調でそう言うと、後ろに首を巡らす。

 

「ええ、そうですね。さすがにここで1日野営する事もないでしょう」

 

 そう言って、学者のエッセこと、漆黒聖典第五席次クワイエッセ・ハゼイア・クインティアもまた、少し当惑した様子をにじませながら、後ろを振り返った。

 

 

 

「では、俺たちはこの入り口付近にベースキャンプを作って待っていますね。こちらは任せておいてください」

 

 顔を向けられ、ミスリル級冒険者チーム『虹』のモックナックが言った。

 

「じゃあ、このまま突入ですね。すぐに準備します」

 

 『漆黒の剣』のペテルが言う。

 

「了解。まあ、モモンさんたちと一緒だから大丈夫だろ」

「うむ。非才なる我らであるが、ちゃんと仕事はやり遂げる所存である」

「あ。でも、あの洞窟だと、ハムスケさんはさすがに無理ですね」

「うーん、残念でござるがしょうがないでござる。殿、それがしはここでお留守番しているでござるよ」

 

 次々と『漆黒の剣』のメンバーらとハムスケが言葉を続ける。

 そして――。

 

「うむ。では、迷宮攻略に入る。皆の者、私がいるからには浮沈艦に乗ったつもりでいるがよいぞ」

 

 そうアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のティアが、いつもの抑揚のない口調で口を開いた。

 

 

 ワイワイと騒ぎながら作業を続ける彼らの姿に、モモンとクワイエッセは内心でため息をついた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そもそも今回の遺跡探索が、このような冒険者達を交えた大所帯になったのは、いくつかの思惑や誤算が重なったためだ。

 

 

 当初、クワイエッセに下されていた指令は、トブの大森林内でのダークエルフの捜索であった。

 そうして、魔獣たちを召喚できる彼の能力によって捜索したところ、今いる湖のほとりの洞窟入り口で、ナーガを始めとした怪物(モンスター)達とともにいるダークエルフを見つけたのだ。

 

 肩口で切りそろえられた金髪。赤い軽装鎧の上から白い服を身に纏ったその姿。そしてなにより、左右の目で青と緑に異なる瞳。

 

 まさに、先の戦いで唯一生き残った漆黒聖典の隊長が語った言葉通りの外見。

 

 この少年(・・)こそが、漆黒聖典の者達をたった一つの魔法で殺しつくした2人のダークエルフの片割れだろう。

 

 

 それを本国に報告し、その洞窟の調査の準備を進めていたところ、クワイエッセに新たに一つの緊急任務が言い渡された。

 

 

 

 『冒険者モモンを暗殺し、かの者が持っていった六大神の遺産『ケイ・セケ・コゥク』を奪還せよ』

 

 

 

 その命令には驚かされた。

 冒険者モモンについては以前、隊長から陽光聖典の者が持って行った魔封じの水晶を使用した形跡があると聞かされており、その噂は注意して集めていたが、まさかその者が『ケイ・セケ・コゥク』をも持ち去った犯人であるとは思ってもみなかった。

 

 それと同時に怒りがわいて来た。

 クワイエッセの六大神、特に死の神スルシャーナに対する信仰は狂信といってもいいほどだ。

 かの遺産は人間を守るために戦った偉大な神が残された至宝。それをかすめ取った者など万死に値する。

 内心、憤怒に打ち震えつつも、彼は着々と準備を整えていった。

 かなりの強者と想定されるモモンを確実に抹殺するために、彼の下へは新たに漆黒聖典に加わったボーマルシェが送られてきた。

 そして、古代遺跡を調査している学者という仮面をかぶり、帝国の落ちぶれた元貴族をそそのかして、そいつ経由でワーカーを数チーム手配した。彼らには最初、昔のダークエルフの遺跡調査であると言って雇い入れ、エ・ランテルに向かう道中で真の依頼内容は冒険者モモンの暗殺であることを告げた。それを告げられたチームの中には、話が違うと任務を降りた者達もいたが、幸い2チームは残ったし、降りた者達の口封じも済んだ。

 

 そうして、エ・ランテルにたどり着き、冒険者組合でモモンに対して指名依頼を行ったのだが、ここで誤算が生じた。

 

 

 クワイエッセは冒険者組合で、トブの大森林内にあるダークエルフの古代遺跡を調べるために、冒険者チーム『漆黒』を雇いたいと依頼した。

 もともとの任務はそちらであったため、学者としての素性を偽装する目的で最初に潜伏した帝国でも表向きそのように説明しており、わざわざ当初と話が変わったことを誤魔化してまでそこを変更する必要性が感じられなかった。

 それと、エ・ランテルの冒険者組合は現在トブの大森林内でダークエルフの捜索を行っているとの情報があったため、ダークエルフの名を出せば容易に、この地において最高ランクであるオリハルコン級冒険者であるモモン含む『漆黒』を雇えるだろうという目算(もくさん)もあった。

 

 だが、それは一つの困った事態を生み出した。

 

 帝国の帝都アーウィンタールからエ・ランテルまでは通常10日ほどかかる。特別な早馬などを用意しても5日ほどだ。そして、彼らは怪しまれないため、普通に馬車で移動してきたのであるが、その間に状況が変わっていたのだ。

 

 

 彼らが旅をしている間に、冒険者チーム『漆黒』とワーカーチーム『フォーサイト』合同調査が終わり、それをもってエ・ランテルは都市として、ダークエルフ並びに野盗集団『死を撒く剣団』は他の地に移ったと安全宣言を出していたのだ。

 

 

 それはここ最近ずっとかかりっぱなしであった懸念事項の終了を意味し、これでようやくけり(・・)がついたとエ・ランテル関係者たちは、ほっと胸をなでおろしていた。

 

 だが、その宣言から数日後、旅の学者を名乗る男が街に現れ、冒険者組合として聞いたこともないダークエルフの古代遺跡を調べたいと言ってきたのだ。

 

 半信半疑ながら、当の『漆黒』は調査終了後、別の討伐依頼の為に街を離れていて時間があった事もあり、彼らが戻ってくるまでの間に、冒険者組合でその古代遺跡があると話していたところに冒険者を送って裏を取ってみた。

 

 

 その結果、本当に言われたところに遺跡らしきものがあったのである。

 

 

 その湖の存在に関しては、冒険者組合としても既知のものであった。もう何十年も前から定期的にその周辺は調べられ、そして完全に何もないただの湖だと判断されていたところであり、今回のダークエルフ捜索の網からも外されていた。

 だが、今回、人を送ってみたところ、山際の湖畔にぽっかりと、それまでは確認されていなかった洞窟が口をあけていたのである。

 

 

 これには冒険者組合だけではなく、エ・ランテル上層部まで巻き込んで、てんやわんやの大騒ぎとなった。

 

 あれだけの人間と予算を費やし調査したにもかかわらず、何の手がかりも得られなかったため、全ては偶然が重なった事であったとして、ようやく安全宣言を出したのだ。

 それが、その直後に。

 名も知られていない学者が言った、まさにその場所に手掛かりが転がっていたのである。

 

 もし、本当にその遺跡にダークエルフ等の痕跡があったならば、冒険者組合並びにエ・ランテルの行政として立つ瀬がない。

 ただでさえ、今のエ・ランテルは先のアンデッド騒ぎによる混乱によって信頼が揺らいでいるところだ。

 ここで下手を打ったら、自分たちの沽券にかかかわる。

 

 そこで、組合長のアインザックは、そのエッセと名乗る若い学者に、冒険者組合としての全面的なバックアップを約束した。

 事が街の安全にもかかわる重大な事柄であるとして、エ・ランテルとして金を出し、冒険者の一団をつけ、街との共同調査としようと持ち掛けたのだ。

 

 

 これに困ったのはクワイエッセである。

 ダークエルフの調査は今では副次的なものでしかなく、彼の現在一番の目的はモモンを暗殺し、彼の持つ法国の至宝『ケイ・セケ・コゥク』を取り戻すことである。

 他の冒険者などつけられては、事が露見しかねず、また暗殺の邪魔でしかない。

 そこで、学者としての功績を横取りされてはと口実をつけ、彼は必死でその話を断ろうとしたのだが、アインザックは引き下がろうとせず、たまたまこの街に滞在しているアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のティアまでつけるとまで言い出した。

 

 アダマンタイト級冒険者。

 その名は冒険者だけではなく、市井(しせい)の者にまで広く知れ渡っている。

 わずかに自分たちの生活圏を出るだけで、襲い来る怪物(モンスター)の危険にさらされる世界に生きる人間たちにとって、あまりに高く貴く、そして希望の存在である。

 そんなアダマンタイト級冒険者の名まで出されては、それを断るなど自分の存在が悪目立ちするなどというレベルですらない。その行動や、素性すらも疑念の目で見られる事は火を見るより明らかだ。

 そう判断した彼は、表向きは深く感謝の意を示し、内心では泣く泣くその話を受ける事となった。

 

 

 その為、当初の予定ではあまり時間をかけず、トブの大森林に入ったら野営の時を狙ってさっさとかた(・・)をつけるという段取りであったのだが、その計画の変更を余儀なくされた。

 一応、道中、隙を(うかが)ってみもしたのだが、さすがに野外においては油断の色はなく、またその周りには常に冒険者たちが集まっていたため、とてもではないが他の者に知られずオリハルコン級冒険者を始末する機会などなかった。

 そうしているうちに、ずるずると旅は進み、とうとう本当に例の遺跡までたどり着いてしまったのである。

 

 ――かくなる上は洞窟内で、始末するしかない。

 

 クワイエッセは、共に来たボーマルシェにそっと目くばせをし、背負った背嚢(はいのう)の中身をより分け、ダンジョンに潜る準備を始めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ハッ!」

 

 気合の声とともに閃く剣閃。

 次の瞬間、飛びかかった最後のサーベルウルフの身体と頭が分かれ、体は敷き詰められた花崗岩の床上に、頭は血しぶきをあげながら壁へとぶつかり跳ね落ちた。

 

 一体倒したのちも油断なく、両手の剣を構え、周囲を見渡すモモン。

 辺りを警戒していたティアが、敵意あるものの不在を知らせ、戦闘終了を告げた。

 

 皆、安堵の息を吐く中、剣についた血糊を振り払うモモンの背に、拍手と共に声がかけられた。

 

「いやあ、さすが、モモンさん。あなたを雇ってよかった」

「いえいえ、私がやっているのは依頼の範疇ですから、特に褒められるようなことは」

 

 そう謙遜するモモンの言葉をききながら、迷宮に同行した冒険者たちは素早く自分たちの被害状況を確認していた。迷宮内の広い大部屋に足を踏み入れたところ、突如、サーベルウルフの群れに襲われたのだ。圧倒的な強さを誇るモモンは怪我一つしなかったものの、他の者の中には多少の手傷を追ったものも幾人かいた。

 

 そんな治療をしている者達をしり目に、今回の探索に参加したワーカーの1人――〈緑葉(グリーン・リーフ)〉の異名の通り濡れたような緑の鎧を身に着けた老人――パルパトラが首をひねった。

 

「ふうむ。妙しゃのう」

「どうかされたんですか? パルパトラさん」

 

 冒険者チーム『漆黒の剣』のペテルが、そのつぶやきを耳にし問いかけた。

 

 彼――パルパトラはワーカーではあるが、かつては冒険者として活動していたこともあり、また現在において(よわい)80をも超える老体ながらいまだに現役であり続けるその姿には、冒険者たちからも敬意を持って接せられていた。

 

 そして、今回の『漆黒の剣』の面々に与えられた仕事は、あくまで自分の身を守れる荷物運び(ポーター)である。その扱いには、彼らとて忸怩たる思いを抱かざるを得ないが、共に迷宮に挑む錚々(そうそう)たる面子の前には、そんな役目も仕方がないと思う他はない。そして、どうせ彼らと同行するなら、少しでもその知識や技術を学んでやろうと気持ちを切り替えていた。

 

 

 そんなペテルに声をかけられた当のパルパトラはしげしげと、たった今モモンによって切り飛ばされた魔獣の首を見つめる。

 

「これはサーベルウルフしゃな。こいつは普通、森の中に生息する魔獣しゃぞ。これがこんな迷宮の中にいるとはおかしな話しゃ」

「確かに、妙ですが……。ここを巣にしていたのでは? 子づくりのためとか」

 

 言葉を返したペテルに、老人はちらっと眼をやった。

 

「子づくりのう? こんなアンデッドだらけの所で、安心して子供をそたてられるか?」

「……確かにそうですね。入ってすぐの所で、いきなりエルダーリッチなどが出てきましたし」

「そうしゃろ? それにサーベルウルフの狩りっしゅうもんは、自分より大型の、それこそ野牛や巨熊とかを狩るもんしゃぞ。洞窟のちっこいネズミとか獲物にはせんし、そもそもあのでかい牙じゃそんなもん捕まえられんわな」

 

 次々とあげられる奇妙な点に、周囲で聞いていた他の者達も納得のいく考えを探し、思考を巡らせる。皆であれこれと推察を口にする中、それまで無言で聞いていたモモンが口を開いた。

 

「我々は湖の入り口から入って来たが、入り口があそこだけとは限らないのではないか? ここは古代遺跡というから、もしかしたら長い年月の果てに遺跡に一部が崩れ、どこかの洞窟の奥と繋がっており、そこからサーベルウルフなどの野生の魔獣が入り込んだのかもしれん」

「なるほど。その可能性はありますね」

 

 学者のエッセもまた、その言葉に同意する。

 

「とにかく、細心の注意が必要という事で、みなさんよろしくお願いしますよ。それと、ちょうど広い場所まで来たのですから、ここで少し休憩しましょうか?」

 

 雇用主の言葉に、そこでひとまず議論は終いとなった。

 皆、続く通路からの襲撃は警戒しつつも、水筒から水を飲む、携行食を口にするなど、思い思いに疲れをいやす。同じ室内には先ほど始末したばかりのサーベルウルフの死体が転がっているのだが、それらは一カ所に集めておいた。

 探索メンバーの中にはついでとばかりに、その魔獣の討伐部位や、その巨大な牙――それなりに金になる――を剥ぎ取っている者もいる。

 

 そんな中、ルクルットが先ほどから気になっていたことを聞いた。

 

「なあ、ルプーさん。どうも、普段と比べて様子がおかしいみたいだけど、大丈夫かい?」

 

 その問いに、ルプーことルプスレギナは大きな声で答えた。

 

「はい。今、『せーりつー』なんっすよ!」

 

 その言葉にはさすがのルクルットもなんと言っていいのか分からず、「そ、そうなんだ……」とだけ返した。

 だが、それに素早く反応した者もいる。

 

「うん。それはいけない。生理痛には人肌で温めるのが一番。これはアダマンタイト級冒険者に伝わる秘伝」

 

 そう言って、話を聞いていたティアがルプスレギナに抱きつく。

 抱きつかれたルプスレギナもきゃいきゃいと声をあげる。

 計ったものかは分からないが、ルプスレギナの発言によって何とも言えない空気になっていたのが和らいだ。

 

 そうしているとニニャがごそごそとバックパックから一つのものを取り出す。

 

「あの、ルプーさん。よろしかったらどうぞ。クラルの実を干したものです。色々薬効があるんですが、生理痛とかも和らぎますよ」

「おおー、それはありがたいっす」

 

 差し出された干し果実をむしゃむしゃと頬張る。

 

「ほうほう。結構、甘くておいしいっすねー。それにしても、男なのに生理痛に効くものを持ち歩いてるなんて、ニニャさんも隅に置けないっすねー。一緒に旅した女性冒険者とかにこれを渡してナンパとかするっすか?」

 

 ルプスレギナのからかう言葉に、ニニャは「そ、そんなんじゃないですよ」と顔を真っ赤にしていた。

 

 

 ――『生理痛』と言って誤魔化すべきという案は正しかったか……。確かに、これ言われると男としては何も言えなくなるからなぁ。

 

 そうアインズは心の中でつぶやいた。

 

 

 

 ルプスレギナのこの『生理痛』発言は、いかんともしがたい事実が突如判明したからであった。

 

 当初、このダミーダンジョンに潜るとなった時、迷宮内に巣食う敵としてアインズがそのスキルで作ったアンデッドを出せばいいと思っていた。

 エ・ランテルやリザードマンの集落で大量の死体が手に入り、日課として自身の持つアンデッド作成を毎日行い続けた結果、それこそ掃いて捨てる程、アンデッドのストックは溜まっていた。

 アインズらにとって、アンデッド作成で作れるアンデッドというのはそれほど強いものではないが、この世界においては十分、というか圧倒的と言えるほど強大な存在らしい。

 そこで冒険者『漆黒』のデモンストレーションもかねて、それらを敵として送り出し、モモンらに蹴散らさせようとしたのであるが、ここで一つの問題が生じた。

 

 彼らアンデッド軍団並びに冒険者チーム『漆黒』のメンバーにしてモモンの相棒、女神官ルプー役のルプスレギナが互いに戦おうとしないのである。

 〈伝言(メッセージ)〉で密かに話した結果、同じナザリックに属する者を傷つけるのは……と言われた。

 どうやら、フレンドリーファイアは解禁されたものの、かと言って仲間とされるものを傷つけるのは抑制が働くようなのである。

 

 このことには後でさらなる検証が必要であるという事になったのであるが、問題は今この場での事だ。

 

 とりあえず、ルプスレギナの不調は生理痛で誤魔化せという事になった。今回のメンバーはほとんどが男であり、女はティアとワーカーであるエルフたち3名――メンバーというより奴隷のようだが――しかいないため、そう言えば突っ込める人間はいないだろうという判断からであった。

 

 

 そして、ダンジョン内の敵としては代わりに、アンデッドがたくさんいるこの迷宮内に自動湧きしてきた者達などを集めてけしかけたのであるが、こちらも難点があった。

 そいつらに関しては、ナザリックに属する者という仲間意識は働かなかったものの、モモンに扮しているアインズもまたアンデッドであるため、彼をスルーして他の者達にだけ襲い掛かったのである。

 これもまた明らかに不自然に見えるため、慌ててそいつらはすべて始末し、さらなる相手として、アゼルリシア山脈で捕まえてきたサーベルウルフを敵として迷宮内に放したのであるが……。

 

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

《ベルさん。駄目です。サーベルウルフもアウト。不審がられてますよ》

《えー。それも駄目なんですか? せっかくたくさん捕まえたのに……》

《はい。サーベルウルフがダンジョンにいるのはおかしいとか言われてますよ》

《うーん。そんなこと言われても、そう簡単には……。精霊とか悪魔とかは明らかに人為的なものが働いてるって分かりますから、この探索の本当の目的がはっきりするまでは控えたいですし……。そうだ! 蜘蛛とかならならどうですかね》

《あ、いいんじゃないですか? 迷宮とかにいてもおかしくはなさそうですし》

《そうですね。じゃあ、トブの大森林内で蜘蛛とかの虫取りを優先させますね》

《よろしくお願いします》

《はいはい。じゃあ、ちょっと探索ペース遅くしといてください。今、獲りに行かせますので》

 

 

 ベルとの〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 

 当初予定していた怪物(モンスター)の都合が悪くなったので、新たに投入する怪物(モンスター)の確保は自転車操業状態である。

 今、こうしている間も、普段ナザリック第七階層にいる悪魔たちがトブの大森林やアゼルリシア山脈で、必死で捕獲作業に大わらわである

 

 見るからに恐ろしい形相をした悪魔たちが、虫取り網で蜘蛛などの捕獲に汗を流している姿を想像し、ちょっとした可笑しさと共に、彼らにそんな苦労をさせている現状にいささか苛立ちがつのってくる。

 

 

 

 休憩が終わり、アインズが苛立ちながらも歩くその目に、壁に書かれた迷宮内の区域のコードとこの先に仕掛けられているトラップが詳細な説明と共に図入りで描かれているのが見えた。

 

 この迷宮内には、アインズが冒険者として中に入るという事になってから、誤ってトラップに引っ掛かったり、中で迷ったりしないよう、あちらこちらに注意書きが書き込まれていた。

 それらは特殊な顔料で書かれた透明な文字であり、普通の人間の目には見えないが、透明看破の特殊技術(スキル)を持つアインズならば問題なく見ることが出来る。この迷宮に挑む他の者の中に見ることが出来る者がいると困るのだが、そのような能力がないことは入り口に書かれた図形が見えるかどうかで確認済みであるし、そもそもそれらの説明は日本語で書いてあるため、この世界の人間には読むことが出来ないはずである。

 それを読むことが出来るのはアインズと、今回透明看破のマジックアイテムを貸与されているルプスレギナの2人だけであった。

 

 とにかく、そこに書き込まれた説明から、この先にシュートが設置されていることが分かった。

 アインズはそれを見て取り、今度こそはと祈る気持ちで歩を進める。

 

 

 やがて通常の通路と異なり、大人十人ほどが横に整列して歩けるほどの広い廊下にたどり着いた。

 そうして、先を急ごうとしたところ、制止したものがいる。

 

 

 先ほどからアインズを苛立たせる原因のもう一つ。

 ティアである。

 

 

 彼女は共に来た者達に、これ以上先に進むなと指示し、自分一人注意深く足を進めた。

 そして、敷き詰められた花崗岩の石畳に耳をつけたり、コツコツと叩いたりして調べ上げ、やがてチョークで広い一角を囲った。

 

「ここはトラップがあるから、この端っこを歩くといい」

 

 そう言うと、横幅のある廊下の左端、50センチほどの区域に白いチョークで斜線を引いた。

 ルクルットが物珍し気に近づいてくる。

 

「へえ、こっちの方には何があるんです?」

 

 問われたティアは、メンバーの一人が持っていた10フィート棒を手にとると、その先で大きく四角に囲われた区域の入り口側を突いた。

 

 

 ……だが、何も起こらない。

 

 

 他の者達が不思議そうな表情を向ける中、彼女はその細い通路を通って区域の向こう側に立つと、自分の足元をつついた。

 

 すると何の前触れもなく、ほんの一瞬前まで確かな足元だった床が消えた。

 

 突然空いた、はるか奈落へと続く穴に、誰もが息をのんだ。

 数秒もそうしていただろうか。魔法なのか機械的な装置なのかは分からないが、下方へと折りたたまれる様になっていた石畳が微かな軋みの音を立て元へと戻った。

 そこは何一つ、先ほどの光景があったとは思えない、ただの石床にしか見えなかった。

 

「なるほとのう。先頭を行く者がトラップの範囲に入っても、そこで発動すると引っ掛かるのは先頭を行く者だけしゃ。しゃから、すくには作動させずに、一番奥まで先頭が到達したところで初めてトラップが発動するようになっておるのか。たしかにこれなら、後に続く全員が罠にかかるのう。ずいふんと、陰険な罠しゃ」

 

 パルパトラの言葉に、皆がなるほどとうなづいた。

 ティアはびしっとこちらに、おそらくルプスレギナに向けて、親指を立てて自分の凄さをアピールする。

 

「さすがはティアさんですね。助かりました」

 

 アインズはそう口にしつつも――。

 

(余計な事すんな、ボケ!)

 

 と、内心、毒づいていた。

 

 

 

 そう、問題はティアである。

 このアダマンタイト級冒険者という触れ込みでついて来た忍者であるが――とにかく、先程から迷宮内に仕掛けられた罠をことごとく解除し続けてきたのである。

 

 

 

 そもそもアインズらは最初から、今回の探索には疑念を抱いていた。

 特に、このメンバーの中でも学者を名乗る2人が怪しいと踏んでいる。

 

 それは、文献の調査により、この場にダークエルフの古代遺跡があると言っていたためである。

 

 このダンジョンは、ナザリック地下大墳墓がこの地に転移してきて後に、課金アイテムを使用して作った迷宮である。

 当然のことながら、古書などにその存在が書かれているわけもないのだ。

 

 偶然、遺跡の上にダンジョンを作ってしまったのかと思い、念のため、ナザリックの者達に周辺地域の調査をさせたものの、湖の奥や地中まで調べても、なんら遺跡の存在をにおわせるものなど、欠片も存在しなかった。

 

 それなのに文献に遺跡の記述があるという。

 それに、迷宮内に入ってからも、内部の様子が書の記述の通りだと度々(たびたび)口にしていた。

 

 

 明らかにおかしい。

 

 

 アインズとしては、もうこうして探索ごっこに付き合って、ナザリックの者達に無駄な労苦をさせる意味も感じられないため、出来る事ならば、さっさとこの学者たちを捕まえて、拷問だろうが何でもして情報を吐かせたいところではあるのだが、そうするには一緒について来ている冒険者たちが邪魔なのであった。

 

 冒険者としての名声を考える上で、ワーカーならまだしも、同じ冒険者が犠牲になる中、自分だけ帰ってくるという事は出来るだけ避けたかった。もちろん、学者が依頼主である以上、彼らが帰ってこなかった場合、任務失敗になるのであるが、そこは何とでも誤魔化す自信があった。要は、一緒に冒険に行って帰って来れなかったら問題なのであり、一度帰った後、消息を絶つのならば問題はない。魔法で操る、幻覚で成りすますなどして、冒険者組合に依頼達成を報告、つまりはこの迷宮には何もなかったと伝えた後で、処分してしまえばよい。

 その為にも何とかして、現在一団として行動しているパーティーをバラバラに分断したい。

 

 だが、それが出来ないでいた。

 

 分かれ道があったので、別行動を取る事を提案してみたりもしたのだが、今回の任務は迷宮を調査する学者の護衛である。2人いるとはいえ、調査の為には進むパーティーの中には学者がいなければならず、各パーティーごとにバラバラには行動できなかった。

 その為、こうして20人ほどの大所帯でぞろぞろ移動し続けるという羽目になっている。

 

 それならばと偶然、迷宮内のトラップに引っ掛かったことにしてメンバーを分断しようと目論んでいるのだが、その罠はこのティアが片っ端から解除してしまっているのである。

 

 

(ああ、もう面倒くさい! どうにかして、この一行を分断する方法はないのか?)

 

 アインズはイライラとした頭を抱えながら、迷宮内を進んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 だが、アインズの他にも、この状態に困り果てている者達がいた。

 

(どうしたものですかねぇ……)

 

 学者に偽装している漆黒聖典のクワイエッセ、そしてボーマルシェである。

 

 彼らの目的は、先にも述べたが、モモン暗殺である。

 漆黒聖典として選ばれた彼ら二人であれば、おそらく直接戦っても倒すことは容易いであろうが、とにかく失敗が絶対に許されない任務であるため、特に慎重に行動せよと本国からは仰せつかっている。また、そのためにはいかなる犠牲を払ってもよいと。

 

 そこで、彼らはまずワーカーをけしかけるやり方を考えついた。

 ワーカーを先にモモン暗殺の為に戦わせる。そこで彼らがモモンを倒してしまえばよし。

 ……おそらくは無理だろうが。

 倒せなくても、彼らとの戦いでモモンの力の底は見極められるし、戦闘を終えて疲弊したところを狙えば、モモンを抹殺するのも容易になるであろう。

 

 そう考え、帝国においてワーカーを3チーム雇い入れた。

 彼らには最初ただの遺跡探索という名目で仕事を依頼し、旅の途中でモモン暗殺の目的を明かし、さらなる報酬を約束した。結果、降りることを言いだしたのは1チームだけであり、2チームは残ったので十分その役目は果たせると思っていた。

 

 しかし、エ・ランテルについてモモンを雇おうとしたら、冒険者組合からの横やりが入り、おかしな大所帯でそのダンジョンに向かう事になってしまった。

 

 その為、道中での暗殺は叶わず、こうしてなし崩し的に、本当に迷宮に挑むことになってしまったのである。

 彼らとしては、確かにダークエルフがいるであろう迷宮の調査も重要な事項なのであるが、今はそれよりなによりモモン暗殺の方が重要である。無駄に迷宮内を進んで、せっかく雇ったワーカーたちの戦力を減らしたくはないし、なによりクワイエッセの一人師団と呼ばれるまでの能力、大量の魔獣を召喚し操る力は、狭い迷宮内では十全に発揮できるとは言い難い。

 幸い、そこそこの広さのある玄室は幾度かあったため、仕掛けること自体は可能かと思われた。

 だが、それをやるには一緒について来ている冒険者が邪魔である。

 

 この『漆黒の剣』という冒険者たちであれば始末は容易であろう。

 銀級冒険者などは漆黒聖典の者の前には敵ではない。ボーマルシェ一人でも簡単に対処できるだろう。

 

 だが、問題となるのはアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のティアである。

 

 アダマンタイト級という人間としては最高レベルの実力を持ち、しかも戦士や魔法使いならまだしも、彼女は隠密に長けたシノビである。

 さすがにこちらが負けることは無いだろうが、確実に止めをさせる自信はない。その能力を逃走に使われたら、とり逃がすことは十分に考えられる。そうなれば、彼らがここでやろうとしたことが明るみに出てしまうだろう。

 考えうる最悪の展開は、『ケイ・セケ・コゥク』をティアが手にし、そして遁走される事だ。

 そうなれば、法国の下に再び『ケイ・セケ・コゥク』が戻ってくることはないだろう。『蒼の薔薇』はそのリーダーが王国貴族であることもあり、王国上層部とも繋がっている。その伝手を辿って、『ケイ・セケ・コゥク』が王国上層部へと流れる事は十分に考えられる。六大神の遺産が益体(やくたい)もない王国での政争に使われるという、物の価値も理解せぬ愚か者たちによる不敬極まりない事になるのは断じて許しがたかった。 

 

(とにかく何とかして、この一行を分断しなくてはなりませんね)

 

 クワイエッセはその牙を心の奥に隠し、襲撃の機会をうかがい続けていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 期せずして同行する2組から疎まれる羽目になっているティアであるが、彼女もこの探索に妙なものを感じていた。

 

 もともと、彼女がエ・ランテルに来たのには複数の目的があり、そのうちの一つはトブの大森林内におけるダークエルフの捜索というものもあった。

 

 彼女がエ・ランテルに行くことが決まり準備していたところ、突如、かつて共に行動していたこともあるリグリットが彼女らを訪ねてきたのだ。

 そして、彼女らに対し、エ・ランテル近郊でダークエルフの情報を集めるよう言った。

 

 だが『蒼の薔薇』として、エ・ランテルに全員でおもむく訳にもいかなかった。

 

 その理由は先日、王都にシャドーデーモンが潜入しようとしていたためである。

 幸いそれに関しては、問題が起きる前にイビルアイが先んじて倒してしまったため、事なきを得たのであるが、再度、シャドーデーモンが侵入してこようとはしないとは言い難い。

 もし、イビルアイが王都を離れている間に同様の事があれば、誰が王都を守れるというのか。

 

 その為、最初に決まっていた通り、エ・ランテルに行くのはティア1人のみとなった。

 だが、いかにアダマンタイト級冒険者である彼女とて、たった一人でトブの大森林内をうろつくのは危険極まりないため、冒険者組合に話を通し、そこでダークエルフの情報を集めるという事になった。

 

 タイミングよくエ・ランテルにおいても、近隣でダークエルフが目撃されていたことは憂慮(ゆうりょ)されており、冒険者組合ではその捜索も行われていた。

 そこで、ティアはダークエルフに関する情報があったら自分に教えるよう組合長に伝え、その間、自分は本来の任務であるアインズ・ウール・ゴウンの情報収集や、エ・ランテルにあるギラード商会の調査に時間を費やしていた。

 

 だが、結局のところ、冒険者組合の調査ではダークエルフの情報は全く手に入らないまま、その捜索は終了となってしまったのである。

 

 こうなっては仕方がないので、あとは冒険者モモンの身辺調査をもって、エ・ランテルでの活動を終了し、王都に戻ろうと考えていたところであった。

 

 そうしたところ、旅の学者がこの近辺にあるというダークエルフの古代遺跡を調査したいと言っているという話が飛び込んできた。しかも、彼はモモン率いる『漆黒』を指名しているという。そして、さらに冒険者組合の思惑も加わり、その調査にティアもついていってほしいというのだ。

 

 ティアは一も二もなく首を縦に振った。

 懸念(けねん)だったダークエルフの件も、モモンの件も同時に調べがつくのだ。

 

 

 そうして、数日ながら共に旅を続ける内に、色々と気づいたことがある。

 まずはモモンの事であるが、うわさに聞いていた通り、彼は常にその全身鎧(フルプレート)を脱ごうとしない。また、宗教上の理由と言って飲食をしている所を全く見せなかった。彼がすこし同行者たちの輪から離れた時があったので、兜を脱いで食事をしているのかと、こっそり後をつけたことがあったのだが、尾行に感づかれていたためか、彼は兜を外すことなくただ立ち尽くし、遠くを眺めているだけだった。

 また、王都において皆で話し合った時に、モモンの正体はカルネ村を救った魔法詠唱者(マジック・キャスター)の仲間であった黒い全身鎧(フルプレート)に身を包んだ女戦士アルベドではないかという推測が出ていた。

 しかし、彼の歩き方を見る限り、その正体が女性とは思えなかった。

 態度や仕草は取り繕えても、その歩き方まではそうそう誤魔化せるものではない。わずかの間ならともかく何日も、それも森の中を歩いていれば、そのうちボロが出るものだ。だが、その足取りを見る限り、モモンは女性が性別を偽っているとは考えられなかった。

 

 

 そして、歩き方と言えば――。

 

 ティアは通路の壁や天井を油断なく見回すふりをして、自分の後ろを歩く人物、学者のエッセとボーマという男を視界の縁に入れた。

 

 彼らは実に奇妙だった。

 学者と名乗ってはいるが、その足取りは山中の行軍にも慣れた様子であった。それだけならフィールドワークの経験を積んできたのだろうと思うにとどまるところであったが、それだけではなかった。巧みに隠しているようだったが、それは隠密の訓練を受けた者の足運びだった。

 

 名も知られていない学者を名乗る謎の人物が、他の街からワーカーを引き連れて現れ、何かと謎の多い新進気鋭の冒険者モモンに指名依頼を出し、これまで発見されていないダークエルフの古代遺跡の調査に向かう。

 

 

(随分ときな臭い……)

 

 ティアは周囲の迷宮の様子だけではなく、自分の後ろに続く者達の動きにも注意を払いながら、迷宮の奥へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(やれやれ、いつになったら始めるんですかね?)

 

 ワーカーチーム『天武』のエルヤーは心の内で嘆息した。

 

 彼は今の状況に飽いていた。

 エ・ランテルからの道中、敵となるものはゴブリン一体たりとも現れなかったし、この迷宮に入ってからは最初こそ、いきなりエルダーリッチなどが出てきたものの、後はゾンビや虫、動物など大した敵は出てこない。

 

 さっさとモモンに襲い掛かればいいものを、彼の依頼主は共について来ている冒険者たちを気にしてか、いまだに(らち)を開けようとはしない。

 

 ――そんな連中など、まとめて始末してしまえばいいものを。

 

 彼は鞘に入れたままの自分の剣の柄をそっと手で撫でた。

 

 

 

 彼、エルヤーがこの依頼を受けたのは本当に偶然だった。

 今いるエルフ達には飽きが来ており、そろそろ新しい奴隷が欲しかったため、報酬が良さそうな依頼だからと受けたのだ。

 そんな折、旅の途中で突然、依頼主たちからさらなる別の依頼『冒険者モモンの暗殺』という話を持ち掛けられたのだ。

 それを受けた場合の報酬は倍。

 彼は二つ返事でそれを了承した。

 

 受けた理由は報酬の多さからだけではない。

 冒険者モモンの名は彼も聞き及んでいた。

 曰く、本来両手で持つ大剣を片手でひとつずつ、二刀流で操る剛腕の戦士。その実力は凄まじく、エ・ランテルに現れてからのわずかな期間でオリハルコンの地位に駆けあがり、もしかしたらアダマンタイトまで昇り詰めるのではないかと噂されていた。

 

 その話を聞き、エルヤーは憤懣(ふんまん)やるかたなかった。

 自分とて、冒険者で言うならば、アダマンタイトに匹敵すると自負している。それなのにぽっと出のよく分からない戦士が、自分よりはるか高い勇名をほしいままにしているのだ。彼の憤りは並大抵ではなく、危うく大枚はたいて買ったエルフの奴隷を無駄に殺してしまうところであった。

 

 そんな鬱屈を抱えていたところに、ふいに転がり込んできた依頼。

 成り上がり、思いあがったモモンとやらを始末できる上に、大金まで転がり込んでくる。

 エルヤーはこれこそ天の采配と、ほくそ笑んだ。

 

 

 そんなエルヤーであるから、目の前に獲物がいるのに手を出してはいけない今の状況にイライラしていた。

 

 ――邪魔者はまとめて消してしまえばいいだろうに。どうせ冒険者であるモモンを殺すのに、他の冒険者にまで気を回す必要があるのか? 

 確かに、『漆黒の剣』とかいう冒険者はどうでもいいとしても、アダマンタイト級の『蒼の薔薇』のティアは確実に始末しないと面倒な事になる。

 だが、彼女とて、エルヤーならば問題ない。

 いかにアダマンタイト級とは言え、彼女は隠密行動を得意とするニンジャであって、専業の戦士ではなく、エルヤーにかなうはずもない。

 確かに逃げの一手を打たれれば面倒ではあるが、最初に不意打ちで手傷を追わせてしまえば、あとはなんとでもなる。

 さすがに雑魚といえど、『漆黒の剣』が邪魔をすれば面倒ではあるが、一緒に来たパルパトラたちが時間稼ぎでもしていれば、その間にティアも、そしてモモンも仕留める自信がある。

 

 特にモモンとやらは張り子の虎でしかない。

 

 卓越した剣士であるエルヤーが見る限り、このモモンという男は、戦士とは呼べぬほどのお粗末な技量しかない。

 確かに両手剣を片手でたやすく振り回し、全身鎧(フルプレート)を常に着続けて疲れた様子も見せない、その筋力とタフネスは目を見張るものがある。

 だが、あくまでそれだけだ。

 本当に素人の手習い程度の技巧や足運びしかできず、ただの力任せにすぎない戦い方しか出来はしない。

 いうなれば、ある程度訓練された猛獣とでもいうべき存在だ。

 その暴風のような膂力に心胆をすくませさえしなければ、大した相手でもない。

 

(ふふふ。早く、あの男の泰然自若たる声が、動揺と絶望に震えるところが聞きたいですね。こいつを私が倒した事を大手を振って言えないのが残念ですが)

 

 エルヤーはそんな逸る気持ちを抑え込みながら、一行と足並みをそろえて進んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(さて、どうしたもんかのう?)

 

 齢80を超えるであろう老人、〈緑葉(グリーン・リーフ)〉の異名を持つパルパトラは頭を悩ませていた。

 

 彼はとにかく慎重な判断と行動を旨としていた。ワーカーというその身を危険にさらすことで、より大きなリターンを得るという職業に身を置きながら、常に用心を心がけ、そして生き延びてきた。

 それが老境に達するまで危険と隣り合わせの世界を生き抜いてこれた秘訣(ひけつ)である。

 

 そんな彼が今、悩んでいた。

 

 いったいどうすれば、この場から生き延びられるかと。

 

 

 彼がそう思い悩むのは、エ・ランテルに来る途中、追加として冒険者モモンの暗殺依頼を提案されたときの事。

 危険な事が多く、汚れ仕事も多くこなすワーカー相手とはいえ、依頼を受けた後で、さらに別の依頼を提示するというのは明らかに信義に反する。

 彼らの資本は自らの命であるがため、依頼を受けるかどうかに関しては冒険者よりはるかに厳しく吟味する必要がある。

 それなのに、後から依頼内容を変えるなどというのは、激昂されて当然の行為であった。

 

 実際、最初の護衛依頼を受けた中でもヘビーマッシャーというチームは憤慨(ふんがい)し、この依頼そのものを降りることを明言し、去って行った。

 パルパトラもまた依頼の破棄を選ぶだろうと彼の仲間は思っていたが、予想に反し、パルパトラは何も言わず、立ち去ろうともしなかった。

 仲間たちは疑念を感じつつも彼が引き受けるならと何も言わないでいたが、パルパトラ本人には勘が働いていた。

 

 長年のワーカー生活によって身にしみついていた、はっきりと言葉には出せない直感が。

 

 

 それが正しかったと分かったのは次の日である。

 

 翌日、野営を終えてまた旅を続けようとしたとき、その依頼主である学者とすれ違った。

 その時、死の匂いを感じた。

 実際の嗅覚に働きかける匂いではなく、曖昧模糊(あいまいもこ)たる言葉にならないような感覚。

 

 

 ――こいつら、ヘビーマッシャーを始末したな。

 

 

 彼らは何も語らず、またその立ち居振る舞いも変わりはなかったが、パルパトラには分かった。

 ヘビーマッシャーはモモン抹殺の依頼を知った後で断ったから殺されたのだと。

 

 死人に口なし。

 自分たちも断れば躊躇の余地なく殺されるだろう。

 

 

 そこでパルパトラは、服従するように見せかけ、彼らの手から逃げ出す機会を探り続けていた。

 何せ、口封じのためにワーカーチームすら暗殺するような奴らだ。自分たちに不審なそぶりを感じたら、即座にメンバー全員が皆殺しになるだろう。

 

 そこで彼はエ・ランテルから迷宮へ向かう道中、モモンと手合わせを願い出てみた。

 これでモモンの実力が分かるはずだと、他の者達、特に学者たちも喜んでいる様子で、特に不審がられずもいたようだった。

 

 結果から言えば、パルパトラの完全なる敗北。

 モモンにとっては、彼が手加減などなく殺す気で放った必殺の連撃すら、まるで児戯を目にしたかの如く、なんら痛痒も与えていない様子だった。対して、モモンは反撃すらしなかったが、もし手にした木の棒とはいえ攻撃していたら、パルパトラの命はそこで尽きていたであろうという事は身にしみてわかった。

 

 

 モモン暗殺は不可能。

 かと言って、暗殺しなければ、自分たちの方が口封じに殺されるだろう。

 

(どうすべきかのう? いっそ、モモンに暗殺の事を教えてしまうか?)

 

 パルパトラはどうすれば自分が生き残れるかと、必死で頭を働かせながら、その顎を撫でた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんな複雑に絡み合う思惑の中、迷宮の奥へとゆっくりと足を進める彼らであったが――。

 

(いやあ、さすがモモンさん。相変わらず、あんな大剣を軽々と振り回すとはなんと素晴らしい。それにティアさんのトラップへの見極め方も参考になるなぁ。それにさすがはパルパトラさん、目の付け所が違う。ああいうところが長くこの稼業をつづける秘訣なんだろうなぁ。いやぁ、今回、他の方々と一緒に探索に出られたことは、幸運だったなぁ)

 

 そんな陰謀の事など露知らず、呑気にそんなことを考える『漆黒の剣』のペテルであった。

 

 




 侵入者編でやろうと思って、ベルが冒険者のランクを間違って覚えている(ミスリルより白金(プラチナ)の方が上だと思っている)というネタをこれまで何度か前フリしていましたが、そもそも白金(プラチナ)級相当のキャラって出てきたことがないという事に気づいたのと、当初プロットと違ってモモンまで迷宮に入ることになったので、そのネタはやらない事にしました。申し訳ありません。


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第45話 分断

2016/8/26 章に侵入者編と入れたため、タイトルから「侵入者編」を取りました
2016/8/26 「シャドーデーモン」 → 「シャドウデーモン」 訂正しました
2016/10/9 短杖にちゃんと「ワンド」のルビがついていなかったところがあったので訂正しました


 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられた短杖(ワンド)を前にかざす。

 石造りの地下道は、沈鬱な雰囲気を漂わせる闇の中、ゆっくりと下へと続いている。

 

 その明かりに照らされた通路を進むアインズに〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

《もしもし、アインズさん。そっちの調子はどうですか?》

《どうも、ベルさん。こちらは変わらずですよ》

 

 スリットの隙間から、歩みを合わせる同行者たちの姿を眺める。

 皆、顔に緊張と警戒の色をたたえつつも、そこはさすがに慣れたもの。特に気負いすぎるような様子もなく、隊列を維持しつつゆっくりと進んでいく。

 

《そうですか。それなんですがね。そろそろ、強制イベントでもあっていい頃だと思いませんか?》

《こっちとしては早く来てほしいところですけどね。いい加減、ただ進むのも飽きてきましたし。そちらから、そう言うって事は何か使えそうなのありました?》

《ええ、トブの大森林を捜索していた悪魔たちが見つけてきましたよ。マンティコアを》

《そう言えば、トブの大森林上空を飛んでた時に、それっぽいのに襲い掛かられた記憶がありますね》

《そうなんですか? まあ、それはいいとして、天然ものが3匹ですからね。ナザリックの仲間を襲いたがらないってのも無いですし、自演にはばっちりですよ》

《自演というのは聞こえが悪いですね》

《おっと、失礼。演出でした》

 

 そう言って、魔法の回線上で2人は笑いあった。

 

《でも、マンティコアの襲撃だけだとどうですかね? マンティコア1体はミスリル級程度の実力があるパーティ―なら倒せますから、それだけでは……》

《ええ、そうですね。ですから、その襲撃と同時にですね。転移のマジックアイテムを使って、それぞれチームごとに迷宮内に散らしてやろうかと》

《転移アイテムですか? ユグドラシル時代ならともかく、この世界ではとんでもないレベルのアイテムらしいんで、不自然じゃないですかね》

《なに、大丈夫ですよ。ほら、この迷宮って、ダークエルフによって遥か古代に作られたって事になってたはずでしょ?》

《ああ、そう言ってましたね》

《ですから、現代ではありえないそんな魔法の品があってもおかしくはないですよね》

《確かに、そうですね。それで転移アイテムを使うのはいいんですが、具体的にはどうやって?》

《トラップ系のを使います。それなら効果範囲広いですし》

《トラップですか? いや、それだと、またティアに見つかって避けられたり解除されたりするのでは?》

 

 アインズの脳裏に、ここまで迷宮内に仕掛けておいたトラップを片っ端から解除された苦い記憶がよみがえる。

 

《まあ、それは使い方次第ですよ。怪物(モンスター)にそれを持たせた上で突っ込ませて、巻き込む形で問答無用で飛ばしてしまいます》

《うーん……。しかし、それでも近づく前に倒されたら意味ないですよね。特に、その……またティアは手裏剣とか遠距離攻撃も出来るみたいですし》

《そのためのマンティコア3体ですよ。そいつらに暴れさせて注意を引き付けた上で、奇襲をかけます。それとティアに関してはちょっと考えが。ルプスレギナにですね……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふむ、これは……」

 

 その空間に足を踏み入れた者達は皆、思わず上を見上げた。

 かなりの広さを持った円形の一室。しかし、その天井はこれまでの部屋と異なり、見通せぬほど高い。

 頭上に明かりを掲げるも、そのはるか上にわだかまる闇の奥までは照らし出すことは出来ない。まるで石造りの塔の内側である。

 室内を探索する彼らの足元で砕けた石片が音を立てた。

 

「ここは螺旋階段でもあったのでしょうか?」

 

 つぶやくその手が触れられた先、規則正しく積まれた石積みの壁面には、(いにしえ)の昔はそこに石板が埋め込まれ、足の踏み板となっていたであろう痕跡が螺旋状に上へと続いていた。

 

 

 誰もが、この地に刻まれた長い時の流れを感じる中、この場にいる者達の中でアインズとルプスレギナだけが、それはただ単に最初からそういう設定で作られたものであり、上に行くには登攀するか〈飛行(フライ)〉の魔法を使えという意味でしかないという事を知っていた。

 

 

 はるか頭上には横穴はあっても、そこへ行くための階段は崩れ去っており、自分たちでは到達は不可能と悟った一行は、入って来た入り口の他、広間に3つある通路のうち、どれを選ぶべきか頭を悩ませていた。

 

 

 結局のところ、特に判断材料もないことから、棒を倒して適当に選んだ一つに入ろうという事で話がまとまりかけた時――不意に風切り音が耳に届いた。

 

 驚きとともに顔をあげる。その音の正体に皆がとっさに壁際に飛びのいた。

 部屋の中央に土煙を撒き散らしながら舞い降りてきたのは3体の、ライオンの身体に蝙蝠の翼、そして毒蛇の尾を持つ魔獣、マンティコアであった。

 

「マンティコアか。気をつけろ。固まるな。魔法攻撃を食らうぞ」

 

 アインズがそう指示するより早く、他の者達は適度な距離を開けて散開し、突然襲ってきた魔獣にも慌てず対峙した。漆黒の剣だけは、一度固まった後、アインズの声に慌てて動いた様子だったが。

 

 

 そうして、突然現れた魔獣と人間たちはにらみ合いつつ、じりじりと移動してポジションを変え、中央に陣取る魔獣を半包囲で囲むように陣形を整える。

 

 その時、機先を制するように1体のマンティコアが、身を乗り出し吠えかかった。

 

 それに合わせてティアが、手裏剣を投げる。

 その狙いは魔獣本体ではなく、床に放り投げられた短杖(ワンド)によって照らしだされた、壁面の黒い影。

 石壁に映し出された影に、その鋼の切っ先が突き刺さると同時に、魔獣の動きがとまった。

 

 

 忍の持つ忍術、《影縫い》

 影に刃を突き立てることによって、抵抗に失敗した者の動きを制限する技である。

 

 

 あまり長くは押しとどめておけないが、今、この場の拮抗が大きく崩れたのは明白であった。

 そして、この場にいるのは、その隙を逃すような者達ではない。

 ……『漆黒の剣』以外は。

 

 アインズが動く。

 狙いは身動きが取れなくなったマンティコア。

 その切っ先を首筋めがけて振り下ろす

 

 ――と、思いきや、力で剣閃を強引に変え、そちらを牽制しようと動いたもう一体に大剣を叩きつけた。

 

 しかし、さすがはそれなりに高レベルの魔獣であるマンティコア。

 オーガなどならば、一撃で一刀両断されるところであったが、その刃は皮を切り裂き、肉をえぐったものの、骨を断ち切るところまではいかなかった。

 苦痛の唸りをあげながらも、獣の生命力はまるで減じたところを感じさせず、その戦意は衰えを見せるどころか、ますますもって荒れ狂った。

 

 魂まで凍らせるように、牙をむき出し威嚇の吠え声をあげるその姿めがけ、アインズは足元の石くれを蹴り飛ばした。

 石くれと言っても、それは一抱えもありそうな巨大な塊。それが凄まじい速度で飛び、狙い(あやま)たず、魔獣の額に直撃した。

 いかに強大といえど、たまらず(ひる)んだ声をあげるマンティコア。

 その様子をただ見ているだけのアインズではない。

 (つぶて)を蹴り飛ばすと同時に、宙に身をひるがえしており、次の瞬間、全体重をかけてその大剣を振り下ろした。

 

 その一撃は、金の(たてがみ)ごと、獅子のそっ首を切り落とした。

 

 

 他の一体が、仲間を殺した漆黒の全身鎧(フルプレート)に向けて、負の衝撃波を幾重にも放つが、直前、ルプスレギナが唱えたなんらかの魔法の守りによるものか、その邪悪な力が鎧の奥にある身体に痛痒(つうよう)を与えた様子はなかった。

 突如、その衝撃波の連打がかき消え、苦悶の叫び声があがる。

 マンティコアの猛々しい獣性をみなぎらせる獅子の顔、その片目をティアの手裏剣がとらえていた。

 

 その攻防の隙に、パルパトラ率いるワーカーチームは、ティアの《影縫い》によって身動きが取れなくなっている一体に狙いを定めて執拗に攻撃し、その背に生える蝙蝠の翼を半ば切断し、重傷を負わせることに成功していた。

 

 

 そんな中、『天武』もまた動いた。

 エルヤーはその天才的と称される剣を振るう。

 鋼の刃が、魔法の明かりの中、その軌跡を閃かせ――。

 

 

 

 ――ティアの背を切り裂いた。

 

 

 

 誰もが驚愕に目を見開く中、ティアががっくりと膝をつく。

 背後から袈裟切りに斬りつけられたその背には、ピンク色の肉が脈動する所が見えるほどの深い傷が口を開け、吹き出す鮮血は見る見るうちに石床に血だまりを作っていく。

 今すぐ治癒しなければ生命の危機であることは明白であった。

 

「な、何をやってるんですか、あなたは!?」

 

 ニニャが叫ぶ。

 彼――?――は道中見てきた、エルヤーの仲間であるエルフ女性に対する扱いに、かつて貴族に奪われていった自らの姉の姿を見て取り、義憤に胸を燃やしていた。

 

 だが、言われた男は動揺することなく薄笑いを浮かべる。

 

「さて? ちょうどいい頃合いですね。冒険者モモンおよび『蒼の薔薇』のティア、それとおまけの連中はダンジョン内で魔獣に遭遇し、命を落とした。そんな筋書きさえあれば十分でしょう。パルパトラ、あなたもさっさとそいつらを始末してください」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その言葉にパルパトラは顔をひきつらせた。

 

 ――この男……こんな時になんということを言うんじゃ……。

 

 冒険者とワーカー。

 立場は違えど、怪物(モンスター)の脅威にさらされたときには、共に手を携え協力するのが不文律とされている。少なくとも建前上は。

 それをこのエルヤーは怪物(モンスター)を目の前にしておきながら、仲間である冒険者に手をかけた。

 それも背後から斬りつけるという、最悪のやり方でだ。

 

 しかも、相手はアダマンタイト級冒険者。

 もし、この話が広まったら、ただではすむまい。それはエルヤー達『天武』だけにとどまらず、パルパトラたちも巻き込まれることは間違いない。

 今、エルヤーは最初からの筋書き通りと言った体で、パルパトラに声をかけたのだから。

 

 ――それも、狙っての事か? 態度を決めかねていた、わしの退路を塞ぐために。

 

 このエルヤーの行為とその台詞を広まらせずに隠蔽するには一緒に来た冒険者たち、『漆黒』のモモンとルプー、ティア、そして『漆黒の剣』の面々、全てを殺して口封じするしかない。

 確かに当初予定はモモンのみの暗殺であったが、こうして全員で動いている状況では、彼ひとりを秘かに暗殺するのは不可能に近い。その為、この場にいる学者に雇われたワーカー以外の者達、冒険者組をすべてまとめて始末するというのは悪い手ではない。

 

 任務達成のみを考えるのならば。

 

 

 しかし――。

 

 パルパトラはちらりとその視線を彼の雇い主、学者のエッセとボーマに走らせた。

 

 ――しかし、それは危険だ。

 冒険者たちをすべて殺し、モモン暗殺の任務を達成したとして、それで終わるとは限らない。

 この学者を名乗る2人は油断ならない。今回全ての事の口封じをするために、自分たちワーカー組もまた殺される危険性を秘めている。

 どうやらエルヤー自身は己の腕を過信しているのか、その可能性は考えていないようだが。

 

 ――どうすればいい? どう立ち回るのが、一番いい?

 

 

 考えたのはわずかな時間のみ。

 数秒のことながら、必死で思考を巡らせたパルパトラが選んだ行動は――。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 他の冒険者たちから猜疑の目を向けられていた老人、パルパトラは首を左右に振り、モモンの後方へと足を進めた。

 そこで油断なく、手にした槍先をエルヤーの方へと向ける。

 リーダーである彼がそうしたことにより、彼の仲間たちもまた、その背後で陣形を整え武器を構えた。

 

 その様子にエルヤーは不快気に顔を歪ませ、エッセと名乗る学者は微かに目を細めた。

 

 

 

 手負いの魔獣が怒りの咆哮をあげる。

 その雄たけびが反響する石室内で、互いに刃を向け、にらみ合う人間たち。

 

 

 そんな彼らの頭上から、また新たな音が近づいて来た。

 

 鳥の羽ばたく音ではない、カチャカチャと骨の打ち鳴らされる音。

 見上げた者達の目に飛び込んできたのは、円筒状の光すら届かぬ虚空の闇の中から現れた白い飛来物。骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の群れであった。

 そいつらははるか頭上で一回転したかと思うと、水に飛び込むカワセミのように、翼を折りたたみ一直線に降下してきた。

 その様はまるで、幾本もの投げ槍が狭い空間に降り注いできたかのよう。

 

 だが、幾人かの目には、その飛来するアンデッドの足がなにかを掴んでいるのが見て取れた。

 なにか、それは危険であると直感の働くものを。

 

 

 

 痛む身体を動かし、ティアが飛来するアンデッドたちを撃ち落とそうと手裏剣を構える。

 

 ――だが、

 

「危ないっす!」

 

 その体にルプスレギナが抱きつき、上から降り注ぐ危険から彼女をかばおうと、その身を自らの身体で覆い隠す。

 ティアは抱きつかれた事による苦痛と、計らずもルプスレギナによって自分の行動を邪魔された事に口をゆがめた。

 

 

 瞬間、アインズも動いた。

 彼の扮するところであるモモンの任務は学者たちの護衛である。学者のエッセとボーマをかばおうと、そちらに飛んだ。

 それを見て、標的であるモモンを逃すものかとエルヤーもまた距離を詰める。

 

 

 様々な思惑が重なり、結果、遠距離攻撃で撃墜されることなく、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)達は距離を詰めた。

 そして、その足で掴んでいたマジックアイテム、転移の宝石を発動させる。

 

 

 一瞬の光が次々と閃いた。

 

 ほんの数秒の後、その場には傷ついた2匹のマンティコアのみが、怒りをぶつける相手もなく、ただ吠え声をあげるのみであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……っ(つう)……」

 

 ティアがその身に走る感覚に、思わず呻き声をあげる。

 膝に手を当て、気合の声とともに立ち上がった。

 

 すでにルプスレギナの回復魔法によって背中の傷はふさがっているが、それでも血を失いすぎた。寒気を伴う倦怠感が、その小さな体を襲う。

 

「申し訳ないっす。もっと高位の回復魔法を使えれば良かったんすが……」

「いや、仕方がない。命があるだけ儲けもの」

 

 しょんぼりとした雰囲気で言うルプスレギナに、慰めの言葉をかける。

 エルヤーに切られた傷はかなり深く、それをふさいだだけでもそれなりの技量が必要であり、この上、更に失血による体調不良まで治すのは彼女の鬼リーダー、ラキュースでも無ければ難しい。

 

「それより、ここはどこだろう? まさか、私たち2人の愛の巣?」

 

 辺りを見回しながら言う言葉にも力がない。

 いつものおかしな冗談すらも、まったくキレがないほどだ。

 

「さあ? なんか光ったと思ったら、ここにいましたから、転移か何かでは?」

「転移? まさか、そんな凄い魔法のアイテムが……」

 

 信じられない思いであるが、周囲の様子を見るに、あながちないとも言いきれない。

 

 今、彼女たちがいるのは、先ほどまでの石造りの部屋と回廊などという場所ではない。壁や天井にヒカリゴケが生えている洞窟の中である。あの場所から、どうやってここまで移動したのか、それも大けがを負った自分が、という事を考えるとやはり魔法による転移という推察は的を射ている気がする。

 

「それにしても他の皆は?」

「さあ、気がついたら私たち二人だけだったんで。もしかしたら別々に転移させられたのかも」

 

 答えたルプスレギナが、再び落ち込んだ様子を見せる。もし頭に犬耳でも生えていたら、その耳をうなだれさせるくらいに。

 

「申し訳ないっすー……。あの時、私がティアさんをかばおうとしなければ、ティアさんは何とか出来ていたっすよね?」

 

 確かにその通りだ。

 あの時、ルプスレギナが余計な事をしなければ、手負いとはいえアダマンタイト級冒険者、ティアの手裏剣によって骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)達は近づく前に撃ち落とされていただろう。そうだったならば、あのアンデッド達が持っていた転移のマジックアイテムを発動させることも出来ず、こんな状況には陥ってはいなかっただろう。

 

 だが、悪手だったとはいえ、あの時にルプスレギナの取ったとっさの判断は責められるものではない。

 彼女とは昔からのチームでもなく、今回の探索で初めてともに行動することになった間柄である。当然ながら、互いの能力は十全に知りえているという訳でもなく、その連携にずれが生じても仕方がない。

 それに彼女は重傷を負ったティアを守ろうとその身をはったのであり、その自己犠牲をも厭わぬ精神には、ティアとして何も言えなかった。

 それに、目を見張るような美女であるルプスレギナに抱きつかれたのは役得でもあったし。

 

 

 

 コツコツコツ。

 

 その時、音が聞こえた。

 誰かが洞窟の奥、暗闇の向こうから歩いてくる。

 

 ティアは慌てて、ルプスレギナをその背にかばう。いまだ、力は入らないが手にした刀を構える。とにかく今はルプスレギナと2人、協力して他のメンバーと合流せねば。

 

 腰を落として身構える彼女の前に、その足音の主が姿を現した。

 

 

 現れたのは男性である。

 南方で着用する者がいるスーツという衣服を身に着け、丸眼鏡をかけた人物。

 その口元は笑みを形作られているが、それは決して親しみなどではなく、人をだまし傷つけることを喜びに思うもののそれである。

 そして、何よりティアの目に飛び込んできたのは、その腰の後ろ。

 銀の輝きを放つ硬質な尾が伸びていた。

 

 

 悪魔。

 

 およそこの地における邪悪さの象徴であり、殺戮と破壊、そして人間の堕落に喜びを見出す存在である。

 

 ティアが警戒心を強めたのは、その姿が人間に近しいものであったからである。

 一概にすべてそうだという訳ではないが、低級の悪魔ほど黒い肌に蝙蝠の翼という人間離れした姿形を持っており、人間に類似したものは高位の悪魔である事が多いというのは、イビルアイから聞いたことがある。

 

 

 ごくり。

 ティアが生唾を飲む音が、他に音もない洞窟内に響いた。

 対峙しているだけで、思わず冷や汗が滴る。

 

 

 だが、警戒を強め勇み立つティアに対し、現れた悪魔は何ら気負うことなく距離を詰め優しく話しかけた。

 

「やあ、初めましてお嬢さん。さて、本来であれば自己紹介するところですが、少々時間がもったいないのでそれは省略させていただきましょう。なに、ちょっとあなたを招待するだけですとも」

「……初対面で名乗らない人にはぺろぺろキャンディーをもらってもついていくなと、ウチの鬼保護者から言われている」

 

 その言葉に、悪魔は大仰に嘆いて見せた。

 

「ああ、なんという事でしょう。己が身が危険に巻き込まれるのを警戒するあまり、信じる心を失くしてしまうとは。人を信じられない人間ほど、哀れで悲しい存在はないというのに」

「誰も信じない人間は愚かだけど、誰でも信じる人間はもっと愚か。あなたは信じられない側」

「おっと、それは心外ですね。私ほど誠意溢れる者はいないと自負しておりますが」

「人を見る目はあるつもり」

「そうですか。ですが私は人ではなく悪魔ですので。あなたは悪魔を見る目はございますか?」

 

 そうにこやかに笑う。

 その笑みに、ティアの背に戦慄が走った。

 思わず早くなる呼吸を整え、思考を巡らせる。何としてもこの場から、せめて後ろのルプーだけでも逃がさなくてはならない。

 

「まあ、おしゃべりはこの辺にしておきましょうか。では、始めてください」

 

 その言葉にティアは身を固くし、何が来るかと目の前の悪魔の一挙手一投足に目をくばる。

 

 

 だが、衝撃は前からではなく、後ろから。

 彼女の後頭部に走った。

 

「とあ」

 

 軽やかな声とともに、ティアの視界が大きくぶれ、あまりの衝撃に意識が一瞬朦朧とする。

 訳が分からず、驚きとともに膝をついて振り返ると、美しい褐色肌を持つ赤毛の女神官がその手の武器を振り下ろしていた。

 

「ありゃ? 気絶しないっすねー」

「やれやれ。上手く一撃で仕留めてあげないといけませんよ」

「はい、すみませんっす。デミウルゴス様。いやあ、人間って力加減を間違えると、簡単に死んじゃうもんっすからねぇ」

 

 呑気な感のあるルプスレギナの言葉に、デミウルゴスは渋い顔をした。

 

「ルプー。先ほど私は彼女に名を名乗らなかったのですよ。あなたが私の名前を言ってしまってはダメでしょう」

「あ、それは申し訳ないっす」

 

 

 目の前で繰り広げられる会話を、ティアは信じられない思いで見つめていた。

 

 ――この悪魔と、ルプーという女神官は旧知の間柄のようだ。

 一体いつからだ? 最初からか? それとも、ここに転移したときか? いや、そもそも、彼女は本物のルプーなのか?

 

 混乱するティアに、再びデミウルゴスが目を向ける。

 

「おっと、主賓を放っておいてはいけませんでしたね。これは失礼を。まあ、落ち着いて。気を楽にして、『体の力を抜きなさい』」

 

 その言葉が発せられた瞬間、ティアの全身から力が抜けた。

 一体何をされたのかも理解できないまま、地面に転がる。

 

「さて、今度こそ、ちゃんと気絶させてくださいよ。力加減を誤って殺してしまうと、蘇生させる手間がかかりますからね」

「はいはい、今度こそ任せてくださいっす」

「そういう訳ですので、ティアさん。あなたは何の心配することもなく気を失って構いませんよ。あなたから少々情報を聞き出したいだけですので。ああ、ご心配なく、あなたが私たちに情報を漏らしたことは誰にも教えませんとも。そして、あなたが良心の呵責に悩む必要性すらありません。私たちに情報を教えたという記憶自体も消してしまいますので」

 

 悪魔の宣言に背筋が凍った。

 自分の記憶すらも、勝手に書き換えるという。それが本当に出来るかどうかは分からないが、不快極まりないものであることは間違いない。

 必死で起き上がろうとするも、長年共に厳しい修行を続けてきたはずの彼女の身体は、主である彼女に反抗するかのように、ピクリとも動こうとはしない。

 

「じゃあ、ちょっと痛いけど我慢してくださいね。チャー、シュー、メン!」

 

 陽気なルプスレギナの声とともに、聞こえる風切り音。

 強い衝撃と共に、ティアの意識は闇の中に沈んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「よし! 上手くかかりました!」

「うむ。ては、皆の者! せーので一息に引くそ」

 

 パルパトラの声に、手の中のロープを握りしめ、皆が頷く。

 そして、掛け声とともに力を込めて一気に引っ張った。

 彼らの手にしているロープの先、輪を作ってひっかけられていた宝箱には、あらかじめ別のロープが上部に括りつけられている。下端に結わえられたロープが引っ張られることにより、狙い通り宝箱は音を立ててひっくり返った。

 おそらく中には重量のあるものが複数はいっていたのであろう。逆さになった宝箱はその半円筒状の上部を下に、ゆっくりと重心を移動させて前後に動く。

 その様子をパルパトラ率いるワーカーチームと『漆黒の剣』は、部屋の外から壁に身を隠すようにして見つめていた。

 

 大きかった揺れが段々と小さくなり、やがてその動きがとまった。

 それを見届けてから、なおもいくばくかの時間を待って後、ようやくパルパトラが動いた。

 口元を布で覆い、慎重に宝箱に近づく。その槍先で宝箱をつついた。

 最初は恐る恐る、段々と力強く。

 そして、それでも何も起こらないのを確認し、戸口に立つ仲間たちに合図を送った。皆がぞろぞろと室内に入ってくる。

 誰もがまだ、布で口元を覆い隠していた。

 

 パルパトラが目配せをすると、彼のチームの1人が宝箱に近づいた。

 そして、そのひっくり返った箱の底面、木板を取り出したナイフで削り始める。

 

 その後、しばらくの間、刃物が木を削る音だけが辺りに響く。他の者達は周囲に警戒の目を向けるが、彼らの目にとまるようなものはない。

 

 やがて、突き立てていたナイフの感触が変わった。ついに中まで貫通したのだ。

 彼は瞬時に距離をとる。弾かれるように他の者達もまた同様に部屋の外まで走って避難した。

 

 待つこと、しばし。

 そして、なにも起こらないことを確認すると、再び室内に戻ってくる。

 再度、宝箱に取りつくと、慎重に底の穴を広げていく。そうしていくうちに穴は広がり、大人の腕が突っ込めるほどにまでなった。

 その穴から器具を挿入し、中のものをゆっくりと掻き出す。

 宝箱の中にあったものは王国金貨であった。一掻きごとに、美しい金色を放つ金属片が床に煌めいていく。

 すべて取り出してみると、そこには金色の小山が出来ていた。見るだけで思わず、ため息が出るほどだ。

 

「やりましたね、パルパトラさん」

「ふう。いささか手間であったか、この金色の輝きを見れば、苦労が報われる気がするのう」

「はい。……ですが、その前のロープを張ったり、引っ張ったりの行動はいくらなんでも警戒のしすぎではないでしょうか?」

「警戒しすきくらいでちょうどええんしゃ。兵士の鍛錬に関しては、『訓練で流した汗の分、実戦で流れる血が減る』と言うしゃろ。それと同じで、警戒した時間の分たけ、わしらの寿命が延びるんしゃよ」

 

 ペテルは「そんなものでしょうか」と言い、床に転がる金貨を一枚、何気なく手にとる。

 それを横目で見ていたパルパトラは――。

 

「それに触るな!」

 

 ――と、警戒の声をあげた。

 

 

 突然の大声にペテルが目を丸くするうちに、その手から金貨が零れ落ちた。他の者が向けたいぶかし気な視線の中、ペテルは自らの手を押さえ、苦痛に顔を歪める。その指先は紫色に染まり、それが見る見るうちに広がっていく。

 

「毒しゃ! 解毒剤を!」

 

 その叫びに『漆黒の剣』の面々が狼狽(うろた)える中、ワーカーの1人がすぐに腰の袋から小瓶を取り出し、ペテルの手にかけた。一瞬、焼けつくような痺れが走った後、その手の痛みが潮が引くように消え去った。

 

 不思議そうに手を握ったり開いたりしているペテルにパルパトラが言う。

 

「金貨に毒が塗ってあったんしゃよ。それを素手で触ったんて、今みたいになったんしゃ。この手のものは下手に触ってはいかん」

「そうなんですか!? では、せっかく手に入れましたけど、この金貨は捨てるしか……」

「いや、毒さえ飛ばしてしまえばええんしゃ。素手で触らんようにして持って帰って、鍋にでも入れて火にかけるんしゃよ。そうすれば毒は飛ぶ」

「なるほど。パルパトラさんの知見には頭が下がります」

 

 傍らで聞いていたニニャが関心の声をあげた。

 

「なに、こういう稼業しゃ、色々古文書とかも調べてのう。昔、口だけ賢者と呼ばれたミノタウロスが書き残したという触れ込みの、トラップを書き記した本の中に、今あったような一節があったんじゃ」

「そんな物まで調べられてるんですか!?」

「『知は力なり。無知は罪なり』という言葉もあるしの。自分の命は一つだけしゃ。一見、無駄な警戒に思えるかもしれんし、時には手に入るはずのものを手に入れられず損することもあるしゃろう。しゃが、それで自分の命が買えたと思えば安いもんしゃ」

 

 自分たちがこの世に生を受ける前から危険な冒険の世界に身を置いていた、偉大な先達の実体験を伴う叡智に感嘆のため息をついた。

 

 

 そうして、金貨の山を直接触らぬよう注意しながら布袋に詰める作業に取り掛かる。今、この場にいる者達で頭割すると、結構な金額になる。本来、実力面などからいって『漆黒の剣』の分は減らされるはずなのに、この老人は彼らに関しても均等に分割することを約束してくれていた。

 ペテルはハッと、先ほどかけてくれた毒消しの代金の事に思い当たった。決して安い額ではない。

 だが、それに関しても別に金はとらないと、パルパトラは言った。

 

「一緒に迷宮に潜っておる仲間同士しゃ。別に気にせんでええ。その代わり、おぬしらも儂らか危険にさらされたときは助けてくれよ」

 

 自分たちより圧倒的に強者ながら、傲慢なところを欠片も見せず、共に行動する者達に気を配るその姿勢に、『漆黒の剣』の面々は敬意の瞳を向けた。

 

 

 

 そのキラキラとした瞳を向けられ、パルパトラは思った。

 

 ――こいつら、ちょろいのう。

 

 

 

 パルパトラがこんなにまで足手まといともいえる『漆黒の剣』相手に親身になって話したり、手持ちのポーションを使っているのに代金も請求しないというのは、もちろん打算あっての事だ。

 

 

 彼の目的は生存する事である。

 

 冒険者モモンの暗殺という依頼を断る事も出来ぬまま、迷宮に入ってしまい、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなった。どうにか事を収めてここから脱出せねばならない。

 

 モモンは暗殺など出来ぬほど強い。だが、逃げようとすれば、あの学者たちに殺されるだろう。いや、下手にモモンを殺してしまえば、口封じに消される可能性すらある。

 そこで、パルパトラとしてはまずはモモンの強さを見極めてから、隙を見てモモンに暗殺依頼の件を話してしまおうかとも考えた。

 だが、迷宮に入った一行は分かれる事もなく、ともに行動し続け、モモンと個別に接触する機会もなかった。

 そうこうしているうちに、現れたマンティコアとの戦いの際、一緒に暗殺依頼を持ち掛けられたエルヤーが、他の者の前でパルパトラに始末しろと言ってしまったのだ。

 

 それには泡をくった。

 それまでの道中でモモンの強さは分かってはいたが、彼が学者連中より強いかは分からない。一か八かの賭けなどする気もなく、どうすれば勝ち馬に乗れるか頭をひねっていたところだった。そんな時に自分の立場を示さなければいけなくなったのだ。

 

 そしてパルパトラが選んだのは、武器を構え、モモンの背後に位置するという事。

 別に直接、学者やエルヤーらに直接敵対するわけでもなく、威圧の雰囲気を出すだけである。

 

 もし、モモンら冒険者側が彼らを圧倒するならばそれで良し。

 逆にモモンらの情勢が不利と見たならば、彼を背後から攻撃し、自分たちはモモン側についたふりをして隙を窺っていたとでも言うつもりであった。

 

 だが、幸か不幸か、その後すぐに謎の怪物(モンスター)の襲撃、そしてなんらかの転移の魔法によって彼らは散り散りとなった。

 そして、気がついたらモモンや学者らは傍にはおらず、この『漆黒の剣』達が共にいたのだ。

 

 

 モモンや学者らがどうなったかも気になるが、パルパトラとしては今のうちに、彼らの信を取り付けておきたかった。

 なにせ、エルヤーがああも堂々と彼らも始末しろと口に出したのだ。

 出来るだけ恩を売って、あれはエルヤーだけの暴走であり、自分たちは関係ないという事を証言してもらわなくてはならない。

 その為、今回の宝箱から得た大量の金貨であるが、これもこの場にいる者達で均等に頭割する気であると言った。もちろん、強さや功績で言えば、パルパトラらのチームが多く取ってもいいのだが、気前よく報酬を分けることで、さらに彼らの印象を良くしておこうという魂胆である。

 

 

 それにしてもと、パルパトラは考える。

 迷宮に入った一団はあの転移によってばらばらになったようだが、彼らが合流する前に決着をつけていてくれないだろうか。

 上手くそうなっていれば、どちらに取り入るか分かり易くていいのだが。

 もし分かれている間にモモンが学者たちを倒していた場合、『漆黒の剣』に良くしていたのがプラスになるだろう。なんなら、暗殺に協力しろと脅されていたと言ってもいい。エルヤーの言葉に首を横に振ったのは、その場にいた者達全員が見ていたのだから、パルパトラが乗り気ではなかったことは明らかと思われるだろう。

 逆に、もし学者たちがモモン暗殺に成功していた場合は、さっさとこの『漆黒の剣』連中を殺して取り繕うつもりだ。その場合は危険だが、エ・ランテルに帰る途中で脱走するしかあるまい。

 

 比べて考えてみると、やはりモモン生存の方が都合がいい気がする。

 パルパトラは神などに祈りはしないが、もし上手くモモンが生き残り、学者が死んでしまっていたら、この後、一週間は酒を断つと心の中で願掛けをして祈った。

 

 

 そう考えていると、金貨を袋に詰め終わったようだ。仲間がずっしりと重い金貨を詰めた袋を担ぎ上げた際、袋の口から一枚が零れ落ちた。

 それは硬質な音とともに数度跳ね、そしてころころと転がり、パルパトラの濡れたような緑に輝く装甲靴(サバトン)へと当たって止まる。

 

 彼は何気なく、素手では触らぬようボロ布を使い、それをつまみあげ――。

 

 ――そこでピタリと動きを止めた。

 

 

 落とした金貨を拾おうと、こちらにやって来た彼の仲間が、老人の異様な様子に足を止めた。

 誰もがどうしたんだろうと疑念に思う中、パルパトラは金貨から目をあげ言った。

 

「お前ら、その金貨を下ろせ」

 

 突然の台詞に誰もが、虚を突かれる中、パルパトラはずっしりと重い袋を奪い、それを放り投げた。ざらざらと黄金色の物体が石畳の上に零れ落ちる。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 驚愕に目を見開きながら、ニニャが老人に声をかける。

 彼は口元を歪ませて言った。

 

「この迷宮は遥か古代、この地に住んでいたダークエルフの遺跡という話しゃったな」

「え? ええ、そう聞いてますけど……」

「昔、トブの大森林はダークエルフの支配下しゃったそうな。しかし、ある時、強大な怪物(モンスター)が現れ、森を追われたと聞く。その怪物(モンスター)とやらがどこから現れた、どんな怪物(モンスター)なのかは知る由もないかの。しゃが、少なくともそれは数百年は昔の事。魔神が暴れたという十三英雄の時代よりは前の事は確かしゃな」

 

 パルパトラの口から語られる話に、ニニャはきょとんとした。一体、それがどうしたのだろう?

 

「遥か古代の遺跡ならば、先ほど儂らが引っかかった怪物(モンスター)が持っていた転移のマジックアイテムがあるのも納得できるの」

「はい。そうですね」

「そんな古代遺跡に、これかあるのか?」

 

 つま先で、チャリと金貨の山をつつく。

 なおも理解できないニニャに、パルパトラはため息を一つつき、もう一度ボロ布で転がる金貨を一枚摘みあげた。

 

「見てみい。気つかんか?」

「何をです? これは……普通の王国金貨ですよね?」

「そうしゃ、エ・ランテルを始めとした王国内で流通しておる、ごくごく普通の王国金貨しゃ」

「?」

「分からんかの? では、一つ聞くがリ・エスティーゼ王国が出来たのは何時(いつ)しゃ?」

「え? それはたしか十三英雄の時代、200年位前で……!?」

「そういう事しゃ」

 

 パルパトラはようやく我が意を得たりとうなづいた。

 

「少なくとも200年以上は前の古代遺跡の中に、なんで200年内に出来た国の金貨があるんしゃ。おかしいしゃろ? それに、先ほどの毒もしゃな。普通、接触タイプの毒っちゅうもんは永いこと空気に触れておると効果を失っていくもんしゃ。それが、そこのもんが触れた途端、すぐに効果があらわれおった。時代的にあるはずのない金貨、それにまったく劣化していない接触毒、それと迷宮内に普通はおらんはずのサーベルウルフがいたこともそうしゃの」

 

 パルパトラは一同を見回して言う。

 

「この迷宮は明らかに古代遺跡ではないわい。つい最近、たれかが手を加えたもんしゃ」

 

 床に転がる袋からあふれる金貨の山を顎で指す。

 

「この金貨。そして、さっきの宝箱もしゃな。何者かが迷宮に入ることを予期して用意されたものしゃな。つまり、今、儂らがこうして宝を漁っているのも誰かの想定の範囲内というわけしゃ」

 

 その言葉に、誰もが思わず辺りを見回した。

 その目に動くものは見当たらなかったものの、誰かに見張られているのではという感覚がついて回り、その背がじっとりと濡れていくのを感じた。

 

「で、でも……エ・ランテル周辺でダークエルフの目撃例がありますから、つい最近、彼女らが集めたのでは……」

「だったら、なおさらしゃ。この迷宮に入ってすくの所にエルダーリッチとかがいたしゃろ。普通に迷宮に入ったら、あいつに攻撃されてしまうわい。しかし、この金貨を運び込んた者はあいつに襲われることなく、迷宮内、それも奥まで運び込んておる。つまり、この迷宮を管理している者達はエルダーリッチと敵対しておらん。そもそも、エルダーリッチが入り口にいることがおかしい。普通は迷宮の主でもおかしくないはずしゃからな。おそらくは番人として、真っ先に侵入者の迎撃に当たらせておったんしゃろう。つまり、この迷宮の管理をしている者は、そんなアンデッドですら配下として使えるほとの実力者っちゅうことしゃな」

 

 そう言って、もう一度深くうなづいた。

 

「そういう訳しゃからな。この迷宮の中のもんには手を出さん方がええ。下手に欲をかいて持って行こうとしようものなら、今も見張っているかもしれん何者かにちょっかい出されかねんわい」

 

 そう言うと彼は何も持たずに踵を返した。

 今の目的は迷宮からの脱出、ただ一つ。

 ただでさえ、モモン暗殺の件に対する対応で薄氷を踏むような事に巻き込まれているのに、この上さらに、この迷宮の主から狙われる様な事は、わずかな可能性でも避けたい。

 万難の危険を排して、命を大事にするというのがパルパトラのやり方だ。

 彼の仲間はその後に続く。これまで、そういったこの老人のやり方についてくることで命を長らえてきた者達だ。その判断には信を置いている。

 そうして、残された『漆黒の剣』の面々もそれぞれ顔を見合わせたものの、皆、首を縦に振るとパルパトラの後を追って走って行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、誰もいなくなった室内。

 床に転がる金貨の山の傍らに伸びた影。それがむくりとその身を起こした。

 のっぺりとした頭部に冒涜的な印象をうかがわせる黄色い目を爛々と輝かせた悪魔は〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《ベル様。()の者達は宝箱の金貨をすべて放棄し、脱出を図っておりますが、いかがしましょう?》

《うーん。そうだねぇ……》

 

 ナザリック第9階層の執務室において〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったベルは、椅子の上に置かれたビロードのクッションに腰掛け、床に届かぬその足をぶらぶらとさせながら考え込んだ。

 彼女の目の前にあるテーブルには、皆が潜っているダミーダンジョンの地図が何階層分も置かれており、そのいくつかの場所には仕掛けたトラップを示すチップや、侵入している者達の現在地を示す色分けされた針が突き刺さっている。

 その内の二つ、灰色の針と小豆色の針を見つめる。

 

 しばらく考えた末、洞窟内のシャドウデーモンに〈伝言(メッセージ)〉を返した。

 

《いや、そいつらはいいや。おかしなことをしない限りは、そのまま、外に出してしまってもいいよ。冒険者モモンの名声の為にも、生き残りはいた方がいいし。まあ、そいつらがダンジョン内に用意した金貨や宝石を大量に持って行こうとしたんなら、殺して奪い返すところだけど、全部おいてったっていうんなら、わざわざ手を出さなくてもいいや》

(かしこ)まりました》

 

 そうして〈伝言(メッセージ)〉が切れる。

 ベルは今語った方針を他の者に伝えると、サイドテーブルに置いていた紅茶のカップを手にとり、ずずーっと音を立てて啜った。行儀悪いことこの上ないが、今この場にいる者達は、皆それぞれの作業に忙しく、(たしな)める者はいなかった。

 

 そして、机上の地図を見やる。

 そこにあるいくつかの針を眺める。

 こうしている今も、室内に控えている蟲人たちが、監視している怪物(モンスター)達からの情報をもとにリアルタイムで、それぞれを示すコマを移動させ、その動きを表している。そして、それをもとにアルベドが、ダンジョン内に展開させているナザリックの(しもべ)たちに順次、的確な指示を出していく。

 マンティコアを送った際に、なんだかよく分からない仲間割れのようなものがあったみたいだが、とりあえず、こちらの思惑通り、数チームに分断できたようだ。

 

 

 そんな中、今、見逃すことを決めた『漆黒の剣』とパルパトラらを示す針は順調に出口を目指している。

 先程示した方針に沿って、出口へ続く道以外は前もって連絡された(しもべ)達が順次、石壁で一時的に塞いでいくというやり方で誘導しているからなのだが。

 

 そしてもう一つ。赤い針と茶色い針は、無事にデミウルゴスを示すチップと重なっている。あちらは心配することは無いだろう。すでに赤い針は倒されている。

 

 最後に、ベルは地図の一角。

 最奥部に近い一室、地下神殿の祭壇に刺された3つの針。

 白い針、藍色の針、そして漆黒の針に目をやった。

 

  



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第46話 VSエルヤー

2016/8/3 「全身の血が凍りるく」→「全身の血が凍りつく」、「息が切れているを」→「息が切れているのを」 訂正しました
2016/8/26 章に侵入者編と入れたため、タイトルから「侵入者編」を取りました
2017/5/7 「木偶の棒」→「木偶の坊」、「屍収集家と最前へ」→「屍収集家が最前へ」、「英雄象」→「英雄像」 訂正しました


「ぬうっ!」

 

 エルヤーは思うようにいかぬ事に対し、苛立ちの声をあげて飛びのいた。

 

 彼の目の前では、漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士が、ゆったりとした動作で両手に持った大剣を掲げ直す。

 その様はエルヤーにとって、卓越した剣士である自分を侮辱しているとしか思えない仕草であった。

 

 

 

 骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)が仕掛けた転移のトラップの後、気がついたらエルヤーはこの場に立ち尽くしていた。

 

 邪教の聖域とでもいう神殿。

 そこはこれまで通って来た地下迷宮の内部とは思えぬ空間。

 手にした灯りではその端の闇までは追い払えぬほど広大な一室。天井は鳥をも飛べるであろう程高く、左右には奇怪な文様が描かれた、大人が両の手を回して何とか届くほどの太さの石柱が無数に立ち並んでいた。だが見える範囲でも、そのうちの幾本かは根元から崩れ落ち、この場がはるかな時の流れの前に屈服し、荒廃の波に襲われた様子を漂わせていた。

 その最奥部には、階段状に高くなったその上に鎮座する怪しげな祭壇。そしてその向こうには朽ちかけてなお、見るもの全てに醜悪さを感じさせる奇怪な石像が(たたず)み、祭壇の下に立つ者達を睥睨(へいげい)していた。

 

 

 だが、エルヤーの意識はそんな過去の遺物には見向きもしなかった。

 彼の目の前には、暗殺依頼の対象である冒険者モモンがただ一人いるのみである。

 

 その仲間である女神官ルプーやその力によって従えられた魔獣ハムスケ、及び、共に迷宮に潜った冒険者であるティア、『漆黒の剣』らはこの場にいない。雇い主である学者らや裏切り者のパルパトラらもいなかった。

 今、この場にいるのは自分と自分のエルフ奴隷ども、そして、この漆黒の鎧に身を包んだ木偶の坊のみである。

 

 まさに抹殺の絶好の機会である。

 

 出来る事ならば、自分がこの男を倒す所を他の者にも見せてやりたかったが、それは我慢するよりほかにない。あまり望み過ぎても罰が当たるというものだ。一人でいる今のうちに、さっさと始末してしまおう。

 うかうかしていると、他の邪魔者たちと合流してしまい、千載一遇の機会を逃してしまう事になるかもしれない。

 

 エルヤーはそう判断すると、瞬時に〈能力向上〉を使い、モモンに対し躍りかかった。

 

 

 

 だが、このモモンという男は一筋縄にはいかない存在であった。

 

 

 

 最大の難題は、その鉄壁の防御であった。

 全身を包むその全身鎧(フルプレート)は、信じられないほどの堅牢さを誇り、エルヤーの放つ幾多の斬撃を受けてもろくに傷もつかない。

 通常、切断や貫通は不可能にしても、鎧越しに攻撃を当てればその衝撃はその中、着ている人間へと伝わる。メイスなどの打撃武器ほど効果的ではないが、それでも剣で切りかかるという事は金属の塊を叩きつけているのと同じことだ。普通の人間ならば、何度も何度も受け続ければ、その衝撃によろめきもするだろう。

 しかし、この男は動きを見るに、そんな鎧越しの攻撃になんら痛痒を感じている様子はなかった。

 

 まあ、その程度ならば、鍛えあげた戦士の中には耐えきれる者もいてもおかしくはない。

 それくらいはエルヤーとしても想定内である。

 

 ならばと、今度は鎧の継ぎ目に狙いを定めた。

 金属という固いものを身に纏い、そして動く関係上、どうしても固い防具と防具の間には境目が存在する。

 もちろん、鎧を作る者、鎧を着る者にとってそこが弱点であることはよく理解している。そのため、そこに覆いをつける、金属部が重なり合うようにする、鎧の下にチェインメイルなどを着るなど、各種対策を施し、その不利を補っている。

 だが、いかにそのような対策をしたとしても、頑丈な金属板である鎧の真正面より弱くなるのは、必然であり自明の理である。

 

 エルヤーはそこを狙い、攻撃を仕掛けているのであるが……。

 

 

  

 足音を響かせて突っ込んでくるモモンの突撃に合わせて、再びエルヤーの剣が閃く。

 その振り下ろされる大剣を持つ腕の付け根、返す刀で肘の内側、そして身をひるがえして突進をさらりとかわし、すり抜けざまに(ひかがみ)へと、流れるような連撃を加える。

 

 

 だが――。

 

 ――それら、板金鎧ではカバーしきれない弱点に対する斬撃、たとえチェインメイルで守られているとしても金属による痛打をされているはずなのに、モモンは負傷どころか、痛みをこらえる様子すらなく、平然と動き回っている。

 逆にエルヤーの手には、まるで鉄床を叩いたかのごとき痺れが残る有様だ。

 

 

 

 ――いったい、こいつは何者なんだ?

 

 エルヤーは額を流れる汗をぬぐった。

 

 

 エルヤーは天才的な剣士であり、今となっては彼と渡り合える相手など数えるほどしかいない。そして、どちらかと言えば短時間で敵を仕留める戦いこそが彼のスタイルであり、あまり長時間にわたって剣を交え、鎬を削る戦闘というものは不得手ではある。だが、あくまで得意ではないというだけであって、これまでもそのような熾烈(しれつ)な戦いは幾度も潜り抜けてきたし、また常にそんな事態に陥る事に備え、その身を鍛えてある。戦士としての技量も相まって、その持久力は並みの戦士をはるかに凌駕している。

 

 だが、そんなエルヤーでさえ息を荒くし、その身に纏う衣服が水でもかぶったように湿り気を帯びるような状況に対して、目の前の男は息一つきらした様子もない。

 常人ならば着て動くことさえ困難と思われる重量を持つであろう漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、更には両手剣を片手に一本ずつ持って二刀流で振り回すという常識外れの行い。普通の人間ならば10分もしないうちに、その脚絆に包まれた足はもつれ、剣を振り回す腕は上がらなくなるだろう。

 だが、この男はそんな装備でエルヤーとの命がけの戦闘を長時間にわたってこなしておきながら、まったく疲労の色を見せず、その無尽蔵とも思える体力は依然、底が見えなかった。

 

 

 モモンの戦士としての動きは、エルヤーからして稚拙(ちせつ)というより他はない。

 多少はフェイントを使ったり、足さばきも工夫はしてはいるものの、それはお粗末と言えるレベルのもの。すこし戦士としての戦い方を真似てみた一般人。素人の生兵法といえる程度のものだ。

 だが、その圧倒的なまでの膂力から颶風(ぐふう)を伴って繰り出される大剣の斬撃は、ほんのわずかでも当たれば致命傷となるのは明白であった。

 

 

 躱すことは容易い。

 だが鉄壁の防御に阻まれ、こちらの攻撃が通らない。

 また、その身に宿す超人的な持久力により、その動きが鈍る様子も見えない。

 

 

 今はまだ、力任せのモモンの攻撃をひらりひらりと躱しているが、このままではいずれエルヤーは疲労で動きが鈍り、その恐るべき剣閃に捕らえられることは間違いない。

 

 

 

 まるで悪夢の中での戦闘のようだった。

 

 もはや、同じ人間を相手にしているとは思えない。

 まるで石や鉄で出来たゴーレムを相手にしているかのような錯覚に襲われた。

 ――もしや、あの全身鎧(フルプレート)に包まれた中の本体、それは本当は血の通った生きた人間ではなく、アンデッドなのではないか、という馬鹿な考えまでエルヤーの脳裏をよぎる。

 

 

 

 そうして、エルヤーが口内に苦いものを感じ始めた時――。

 

 ――突然、モモンは後ろに飛びのき、その動きを止めた。

 邪教の聖堂の最奥部。気が遠くなるほど古の昔、かつておぞましい儀式が行われていたであろう祭壇を背に、漆黒の戦士が仁王立ちで立ち尽くした。

 

 ついに疲労で動けなくなったかと内心安堵しつつも、それはフェイクで自分が好機と見て必殺の一撃を放ったところにカウンターを入れようとする罠ではないかという思いもまた胸中をかすめた。

 その為、エルヤーは距離をとりつつ、数度大きく深呼吸することで、自分の呼吸を整えるにとどめた。後ろに控える奴隷のエルフたちに、切れかけた補助魔法を重ねがけさせる。

 

 

 

「うーむ。やはり当たらんな」

 

 だが、そんなエルヤーの行動には特に注意も払わず、その男はつぶやいた。

 

「これでも、以前より戦い方は身に着けたつもりなんだがな。やはり命を懸けない模擬戦とは違うな」

 

 戦いの場、命のやり取りをする場にいるとも思えない、のんびりとした声。

 この自分を前にして、そして剣を交えておきながらの呑気な声に、エルヤーの胸に怒りがともる。

 

「ふふん。子供ではないのですから、そんな幼稚な攻撃など当たるはずもないでしょう。今まで、よっぽど、弱者相手に威勢をはってきたのですね」

 

 エルヤーは嘲笑した。

 だが、それにもモモンは怒ることなく、肩をすくめるだけだった。

 

「まあ、やはりある程度は付け焼刃で何とかなっても本職の、それもそれなりの腕前の戦士相手での実践では誤魔化しも出来んか」

 

 そういうと、片方の大剣は構えるでもなく無造作に肩に担ぎあげ、もう片方の大剣は床へと放り捨てた。重い金属が石畳の上に落ちるずしりとした音が響く。

 

「……ほう、今までは本気を出していなかったとでも?」

「いや、それなりに真面目にやっていたつもりさ。……戦士としてはな」

 

 その言葉にエルヤーが眉を顰める前で、彼は剣を手放し空いた、その黒い籠手に覆われた手を肩の高さまで上げた。

 

「さて、出来るだけ手の内は隠しておきたかったが、いい加減あまり時間をかけていると、そちらのギャラリーたちも飽きてしまうだろう。お前とは終わらせるとしようか」

 

 ギャラリーという言葉にエルヤーは自分の後ろにいる奴隷のエルフたちに一瞬目を向けた。だが漆黒の兜、その奥の顔は分からないが、視線が向いているであろうその先には誰もおらず、ただ聖堂の闇だけが広がっている。

 エルヤーが奇妙に思う中、モモンの手が横に払われた。

 

 すると、それが合図だったかの如く、モモンの目の前、エルヤーとの間の空間に闇が生まれた。

 

 エルヤーが目を見開く前で、闇は渦を為し、一点に収束していく。

 そして、それが一瞬握りこぶしほどになったかと思うと、次の瞬間、はじける様に広がった。

 

 

 

 その場にいた者達は我が目を疑った。

 

 つい先ほどまでその場にいなかった存在。

 音すらなくそこに現れたのは1体のアンデッド。

 長年危険な世界に身を置いて来たエルヤー、人間よりはるかに長い時を生きるエルフたちですら名前も知らぬ異形のアンデッド。

 全身を(けが)らわしい(うみ)(よご)れた包帯で巻かれたその巨大な体躯。その身に突き刺さる幾本もの鉄鉤から延びる鎖の先では、しゃれこうべが死してなお呻き声をあげていた。

 

 

 誰がたてたかは知らないが、ごくりと生唾を飲む音が、死の気配が充満した邪教の神殿内に響いた。

 

 誰もが身動き一つすら怯える空気の中、この場にそぐわぬ、何でもない事を告げるような声が耳に届く。

 

「さて、じゃあ、お前の相手はこいつに任せようか」

 

 モモンの声に、そいつが動く。

 包帯のアンデッドが足を前に進め、エルヤーとの距離を詰める。

 そいつの身体から繋がる鎖の先、頭蓋骨が奏でる叫びがより一層、その声を増した。

 

 そのおぞましさと肌に感じる危険にエルヤーは一歩後ずさった。

 

「な、何なんだ? その化け物は!?」

「ん? 知らないのか? こいつは屍収集家(コープスコレクター)というアンデッドだ。強さは……まあ、それなりだな」

 

 それなりと言ったモモンの言葉だが、そのアンデッドから感ずる気配は、凄まじいの一言に尽きる。こうして対峙しているだけで、全身を包んでいた不快な汗の熱が冷めていくのを感じる。

 

「では、我が(しもべ)よ。邪魔者を片づけよ」

 

 自らの創造主の言葉に、その異形のアンデッドは雄牛の断末魔のような声をあげた。

 そして、邪神を奉ずる冒涜的な空気を漂わせる神殿内に重い足音を響かせながら、全身の血が凍りつく思いにとらわれていたエルヤーに襲い掛かった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その戦いは熾烈を極めた。

 先ほどまでのモモンとの戦いとは比べ物にならない。

 

「はあっ、はあっ!」

 

 もはや、エルヤーは自分の息が切れているのを隠すことすら出来ない。

 格好を取り繕うどころか、死なぬためにはなりふり構っていられず、大きく肩で息をして酸素を取り込む。

 

「ぬうっ!」

 

 エルヤーは振り廻された剛腕を、身を低くして避ける。

 本来ならば、そんな大振りの攻撃など、避けると同時にカウンターの一撃を叩きこむところだが、エルヤーはそのまま後ろに身を投げ出し、石床の上を転がって距離をとった。

 

 普段の彼であれば、そんな無様な行為など絶対に忌避するところであるが、生命の危険の前にそんなことは言ってはいられない。

 事実、彼が身をひるがえした場所は、数舜の時を置いて、金属の(かぎ)先が次々と石床をえぐっていった。

 

 

 エルヤーはこのアンデッドの攻撃に攻めあぐねるどころか防戦一方であった。とにかく必死で、その攻撃を避けるだけで精いっぱいである。

 

 この屍収集家(コープスコレクター)なるアンデッドは鈍重そうな外見どおり、素手による重い攻撃を得意とするようであるが、その隙を補うように、その身から延びる幾本もの鉄鉤付きの鎖が蛇のようにのたうち回り敵を襲うのだ。

 素手の一撃を食らえば、それだけで致命傷。だが、そちらに気を取られるあまり鎖の攻撃を受ければ、身動きが取れなくなったところに本命の攻撃を食らう。

 重い一撃だけに気をつければいいモモンとは、その戦い難さは比べ物にならない。

 

 とにかく、エルヤーに今、出来ることは避け続ける事しかできなかった。

 だが、それで事態が好転するとは思えない。

 

 何せ相手は疲労などないアンデッドだ。

 どうにかして、この情勢をひっくり返さなくては、拙いことになるのはエルヤーの方である。

 

 憎しみのこもった彼の目が、離れた場所で戦いを眺める、漆黒の鎧に身を包んだ、このアンデッドの召喚主へと向けられる。

 

 もし、モモンが決着のつかないエルヤーと屍収集家(コープスコレクター)の戦いにじれて、自らその剣を振るおうと近づいて来たのなら、切り札である〈能力超向上〉を使い必殺の一撃を、その兜のスリットから脳髄に叩きこむつもりであったが、そのモモンは悠然(ゆうぜん)とした態度で、何をするでもなく剣を肩に担いだままの姿勢で祭壇前に立ったままであった。

 

 この距離からでも、〈空斬(くうざん)〉で攻撃出来ないでもないが、それでモモンを仕留めきれる自信はなかった。

 遠くからちょっかいを仕掛けることで頭に血が昇り、直接攻撃を仕掛けてくるような馬鹿ならやる価値はあるが、さすがにモモン相手ではそんな手は通用するとは思えず、ただ、自分の手の内をさらす悪手としか考えられなかった。

 

 

 そうしてエルヤーがこの状況を打開させる良手が思いつかないうちにも、このアンデッドは自らの身体につながる鎖を縦横無尽に振り回す。

 空を切り裂き振り回されるその鉤先がついに、後ろに飛びのいたエルヤーのそのふくらはぎをとらえた。

 

 激痛に身を(よじ)るより早く、一気に鎖が引き寄せられる。

 鉤先を外す暇などなくエルヤーの、重装戦士ほどではないがそれでも戦士として鍛え上げられ、常人よりは重い目方の肉体が軽々と宙に浮く。

 その体は一直線に薄汚れた包帯に巻かれたアンデッドの(もと)へと引き寄せられる。

 

 屍収集家(コープスコレクター)の握りしめられた拳が、エルヤーの身体に突き刺さる。

 

 その体がくの字になって、再び空を飛んだ。

 放物線を描いて固い花崗岩の床に、その身が叩きつけられる。

 だが、一撃で骨が砕け、内臓が破裂するかという拳を受けておきながら、エルヤーは血を吐きつつも立ち上がった。

 

 その理由は、とめどなく足から流れる鮮血。

 彼は、空中で自らの足の肉を剣でえぐり、鎖によって引き寄せられる力を弱めた上で、振りぬかれる拳をその剣で受け止め、致命的な一撃となるのを防いだのだ。

 

 

 一瞬で瀕死となるのを避けた代わり、その代償として足に大けがを負ったわけであるが――。

 

「おい、お前たち! 何をやっている! 早く回復をしろ、クズども!」

 

 慌ててかけられたエルフたちからの魔法により、その流れ出る血は瞬く間に止まり、欠けた肉が見る見るうちに膨れ上がり、元へと戻った。

 

 

 

 そうして、再びエルヤーが立ち上がるのを見たモモンは――。

 

「なるほど。これでは切りがないな。では、こう言うのはどうだ?」

 

 そう言うと、再び、その手を横に振るう。

 すると、先ほどと同様。彼の目の前に渦巻く闇が生まれる。

 だが、先ほどとは異なり、その数は1つではなく、なんと6つ。

 そして、その闇が収まった先に現れたのは3体の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)と、その後ろに立つ同じく3体ものエルダーリッチ。

 

 その姿に瞠目するより早く、屍収集家(コープスコレクター)が再度、エルヤーめがけて鎖の鞭を叩きつけた。

 エルヤーは、それを横っ跳びに回避する。

 それにより、エルヤーと彼のエルフたちとの間が離れた。

 

 それこそが、向こうの狙いであった。

 

「やれ」

 

 モモンの言葉とともに、1体のエルダーリッチが〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を続けざまに放つ。

 目標はエルヤーではなく、後ろのエルフたち。

 突然自分たちが狙われた事に、驚いて飛びのき、その身を寄せ合うエルフたち。

 そこへ、残りの2体のエルダーリッチが〈火球(ファイアー・ボール)〉を唱えた。〈魔法の矢(マジック・アロー)〉と違い、爆発して広範囲にダメージを与える〈火球(ファイアー・ボール)〉は避けようがない。

 彼女らの足元めがけて放たれた〈火球(ファイアー・ボール)〉は一瞬のうちに、彼女たちを炎で包む。

 

 他の一体も加わり立て続けに連打された〈火球(ファイアー・ボール)〉によって、そのほっそりとした白い身体は、あっという間に焼け焦げ、黒く炭化した肉体はどうと床に倒れ込んだ。

 

 その様を為す術もなく見ているしかなかったエルヤーは、顔を歪ませ言った。

 

「やれやれ、弱いものから狙うとは。戦士として恥ずかしくはないのですか?」

「直接戦力ではなく補助要因から狙うのは、戦術の基本だろう?」

 

 平然と言うモモンに憎々し気な視線を向けるも、戦いの趨勢(すうせい)はすでに決まった。

 屍収集家(コープスコレクター)という桁外れの戦闘力を誇るアンデッド。高度な魔法を使いこなすエルダーリッチ3体と、それらを守るように盾を構える骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達。そして、それらを苦も無く召喚する漆黒の戦士モモン。

 エルフたちという補助、回復要因がいない今、エルヤーの勝ちはほぼ失われたとみていい。

 

「奴隷とはいえ、彼女らは私の仲間でしてね。仇はとらせてもらいますよ」

 

 そう言いつつも彼の頭は今、自分がいかにしてこの場から逃げるかという事しか考えていなかった。

 エルフの奴隷など高い買い物ではあるが、あくまで替えのきくものでしかない。自分の命とは比べ物にもならない。

 

 その様子を察知したのか屍収集家(コープスコレクター)が再度、鎖を振るう。

 エルヤーはまた横へと飛んで躱す。

 飛びのいたその足元に転がるのは、彼が大枚はたいたもののなれの果て。

 彼は何の躊躇もせず、その焼死体を前面へと蹴り飛ばした。その死体によって視界をふさがれるなりして、一瞬でもこちらへの反応が遅れるなら儲けもの。

 彼は蹴り飛ばすと同時に後ろを振り向き、一か八かこの聖堂から逃げ出すことを選んだ。

 

 だが、振り向いた彼の目の前には、予想だにしていなかった姿。

 トレンチコートを身に纏い、笑うような仮面をつけた異形の存在がそこにいた。

 

「……え?」

 

 呆気にとられる彼の腹部に熱いものが走った。

 下を見ると、そいつの手、刃物となっているその指先がエルヤーの腹部に収まっている。

 

 その熱が痛みへと変わり、悲鳴の声をあげようとした瞬間――。

 

「がああぁっ!」

 

 その背がのけぞった。

 いつの間にやら近寄った屍収集家(コープスコレクター)が鎖の鉤先を直接彼の背に突き刺したのだ。

 

 

 そして、屍収集家(コープスコレクター)は鎖を担ぐようにして、祭壇の前へと立つ主の下へとズンズン歩く。

 鉄の鉤に肉はおろか、骨までひっかけられているエルヤーは、そのアンデッドの歩く震動に、これまで彼が発したことのないような、肺腑から漏れ出るような悲鳴を上げた。

 

「やれやれ、油断大敵だな。私がアンデッドを出現させられるのは、私のすぐ目の前だけだと何故思った?」

 

 そんなモモンの嘲り声も、背中の激痛の前に憎まれ口をたたくことすら出来なかった。

 

 やがて、そいつが到達したのは邪教の祭壇前。

 そこには奈落が口を開けていた。

 おそらく往時は、想像するだに吐き気がするような残忍な方法で生命を散らされた生贄を、ここから捨て去っていたのであろう、井戸のような縦穴があった。

 そのアンデッドはエルヤーに繋がれた鎖の反対側に今、息絶えたばかりの奴隷エルフの死体をひっかけた。

 

 そして、エルフの亡骸を抱え上げると生贄を捨てる縦穴へ、そのもはや美しかった生前の面影も想像することが出来ぬほど醜くひきつった死体を放り投げた。

 

 その背の肉をえぐる鉄鉤にかかる重みに、エルヤーの身体が引きずられる。

 彼女らの肉体は焼け焦げたことで本来の重さではなくなっているのだが、踏ん張ろうにも臓腑や骨にかかる激痛に踏みとどまる事さえできない。

 

 一気に後ろに引きずられ、縦穴を囲むようにある、人の腰ほどの高さの(へり)に身体がぶつかり、何とかそこで堪えることが出来た。

 必死で縁を後ろ手に掴み、落下を防ぐ。

 3人分の死体の重みが、その背に食い込む鉄鉤にかかり、彼は再び悲鳴を上げた。

 痛みに耐え、必死で体を起こそうとするも、その顔をアンデッドたちの骨の手が抑えつける。

 

 

 エルヤーの周りを囲む異形のアンデッドたち。そして、死後の地にて生前の行いを裁く査問官のごとく、傲然(ごうぜん)と高みから見下ろすモモン。

 

「さて、エルヤーよ。質問がある」

 

 モモンの声に、エルヤーは彼がたとえどんな相手にも、ついぞ向けたこともない怯えの混じった目を向けた。

 

「聞きたいことは、お前の目的だ。何故、私を狙った?」

 

 エルヤーは苦痛と恐怖に耐えつつ言った。

 

「そ、その前にこの体勢から戻せ。さもなくば話さんぞ」

 

 切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)のメスがエルヤーの足の腱を切り裂いた。

 エルヤーの悲鳴が神殿内に(こだま)する。踏ん張っていた片足がきかなくなり、その体が大きく縦穴上へと(かし)げる。

 

「エルヤーよ。私は駆け引きなどを今更する気もないのだよ。理解してくれたかね?」

 

 必死の形相で、エルヤーは何度もうなづき言った。

 

「わ、私は雇われたんだ。あの学者たちに。最初はダークエルフの古代遺跡の捜索という事で、そして道中でお前を暗殺しろと」

「ほう、何故だ? なぜ、その学者たちは私を暗殺しようとしたのだ?」

「そ、それは……」

 

 その問いには言葉に詰まった。

 そんなものは彼の知る由もない。知らないものは答えようがない。

 だが、このまま知らないと素直に答えてしまっては、自分の利用価値がないとして殺されるのではないかと思い、答えることを逡巡した。

 

 意を決して言葉を紡ごうとした刹那、モモンはなんでもない事のように言った。

 

「まあ、いいか。それなら、そこにいる当人たちに聞けばいい事だ」

 

 その言葉に、疑念を感じるより早く――。

 

 

 ――屍収集家(コープスコレクター)握りしめた拳が、縁を掴む彼の右手に振り下ろされた。

 

 

 長年にわたって剣を振り続け、厚い皮膚とタコだらけになったその手。彼の剣士として栄光に満ち溢れた、その道を築きあげてきた誇りとなる手が、卵の殻を潰すより容易く叩き潰された。

 砕けた手では石を掴むことは出来ず、ついにエルヤーは自分の体重を支えることが出来なくなり、縦穴の奥底、見通すことすら出来ぬ暗黒の奈落へと、悲鳴と共に落ちていった。

 

 数秒の浮遊感の後に、その体が水音と共に冷たいものに包まれた。

 おそらく、地下迷宮の下に広がる水路へと落下したのであろう。

 

「まあ、そのエルフたちとは死がその仲を分かつまでどころか、死してなお一緒なのだから寂しくはないだろう」

 

 そんなモモンの声は、地の奥底で水流に流されていくエルヤーの耳には届かなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そんなワーカーの末路には気も留めず、アインズは顔を真正面に向けた。

 邪教の聖堂の奥、祭壇への(きざはし)の上に立ち、堂々たる態度を崩さぬその姿。

 目の前で繰り広げられていたエルヤーと屍収集家(コープスコレクター)との戦いを眺めている間も、明かりの届かぬ深淵の向こうへ向けていた警戒の色をなくそうとはしなかった。

 

「さて、前座は終わった。そろそろ、出てきてもいいのでは?」

 

 そんな彼の前に、広大な聖堂を包む闇の奥から2人の人物が姿を現した。

 藍色と臙脂色のローブに身を包んだ人物。

 依頼主である学者、エッセとボーマである。

 

 彼らは悠々とした足取りで、祭壇前の明かりの下へと歩み出てきた。

 

「おや、私たちが潜んでいたことはご存じだったのですか?」

「ああ、最初からな。当初は、エルヤーが勝手な裏切りをした可能性もあり、お前たちが姿を隠しているのはおかしな争いに巻き込まれないようにするためかとも考えたが、……闇の中に潜んでいる様子はどう見ても怯えて姿を隠しているようには思えなくてな」

「ほう、光の届かぬところに身を潜めていたのですが、それをも見抜いていたとは。暗闇を見通すまマジックアイテムでも持っているのですか?」

「さてな? 語る必要があるかね?」

 

 アインズが作成したアンデッドたちが彼の前へと陣を組む。

 屍収集家(コープスコレクター)が最前へ、それに切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が続き、エルダーリッチと骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達が後ろでアインズを囲むように布陣する。

 

 そんな化け物どもを眺めて、クワイエッセが感心したように声を出した。

 

「ほう、大したものですね。ずいぶんと忠実にして、忠誠心溢れているようだ。それにしても、いったいそれらを呼び出したのはどうやったのですか? 魔法とは思えませんでしたが、タレントですか?」

「タネを教えるとでも?」

 

 そう返され、クワイエッセはその端正な顔に苦笑を浮かべる。

 

「随分と質問が多いが、こちらからも聞かせてもらっていいかな? いったいお前らは何者だ? 先ほどの件、エルヤーの独断ではないだろう? おそらくお前がワーカーを雇って、こちらへの噛ませ犬にしたといったところか。狙いはなんだ? ティアを襲ったが、彼女が今回ついてくることになったのは急遽の事だ。それにお前は私を指名依頼したな。狙いは私の暗殺か?」

 

 その問いには、クワイエッセは答えない。

 あいにくと冥土の土産などと言って、情報を漏らしたりなどする気もない。死人に口なしと言っても、撃ち損じる可能性はあるし、そもそも死者も生き返る可能性があるのだ。

 

「さて、おしゃべりはこのくらいにしましょうか。申し訳ありませんが、()()く死んでください。出ろ!」

 

 その言葉とともに、クワイエッセの傍らに黒い穴が出現する。

 そこから這いずり出てきたのは、巨大にして人間に原初の恐怖を思い起こさせる爬虫類。ギガントバジリスクであった。

 それも1体ではない。

 続けてさらに2体。

 計3体もの鱗に包まれた巨体がこの場に姿を現した。

 さらにはそれ以外にも、巨大な(たてがみ)をたなびかせる狼のような魔獣や、太い腕に白銀の体毛を持つ狒狒(ひひ)など、見ただけで強大さを感じさせる数体の魔獣が姿を現す。

 

 眼前に現れた危険に対し、しかしアインズは恐怖することは無かった。

 興味深げな視線を投げかける。

 

「ほう、見たこともない怪物(モンスター)もいるな。お前は魔獣使いか? ふむ、この地では聞いたことがなかったが、珍しいな」

「ええ、そうですよ。しかし、珍しいと言えば、私よりあなたの方だと思いますがね」

「む?」

「そうでしょう? 私はあくまで普通に生息する魔獣を操るだけにしかすぎません。しかし、モモンさん、あなたは人間の敵であるアンデッドを自在に操っている。いやいや、ひとかたならぬ御仁ですね」

 

 クワイエッセの目が鋭くなった。

 

「実に恐るべき、そして危険な力ですね。モモンさん、あなたの本当の力は死霊使い……いや、アンデッド使いという事ですか」

 

 アインズの前に立つアンデッド達に視線を巡らせる。

 

「その本当の力を隠すためのフェイクとして、凄まじい肉体能力により大剣を派手に二刀流で振り回して見せ、他人の目をそちらに引き付けていたという事でしょうか? 見る限り、戦士としての技量はなさそうでしたし」

 

 その物言いにアインズは苦笑した。

 

「やれやれ、分かる者には分かるものだな」

「ええ、普通であれば、両手にそれぞれ武器を持ったとしても、それを使いこなせなければやる意味がありませんから。そんなことをするくらいなら片手だけに持った方が有効ですしね」

「ふむ」

 

 クワイエッセが言った言葉。

 それがアインズの脳裏に引っ掛かった。どこかで聞いたような……。

 

「ん……。そうだ。そうだな。両手にそれぞれ武器を持つくらいなら、片手で振るった方がいい。たしかクレマンティーヌにも同じようなことを言われたな……」

 

 かつて出会った女戦士を思い返し、アインズは何の気なく、ぽつりとつぶやいた。

 

「! クレマンティーヌ……!?」

 

 クワイエッセはふいに出されたその名に動揺し、うっかりそれを口にしてしまった。

 

 しまったと思った。

 モモンが現れたのはエ・ランテルでのズーラーノーン騒ぎのわずか前、王都での任務を終えた彼の妹は法国に帰る途中、しばし帰還が遅れた。

 エ・ランテルでその騒ぎに巻き込まれたという事だが、そう言えば漆黒聖典の隊長に問われたとき、彼女はモモンとは少し話したと言っていた。どんなことを話したのか、どんな出会いをしていたのかは聞いていなかったが、知った仲であるのは聞き及んでいたはずなのに、予期せぬタイミングで出された妹の名に思わず反応してしまった。

 

 クワイエッセが迂闊にも発した言葉。それをアインズは聞き逃さなかった。そして驚きに耳を疑った。

 

 ――ただ、なんとなく頭に浮かんだこと。かつて出会った事のあるクレマンティーヌの名前を出しただけで、なぜこいつはこんなにも動揺したのだ?

 

 アインズは思考を巡らせる。そして、いくつか仮定を考え、それを分かっている根拠及び確度の高い推論で否定していき……そして、一つの結論を出した。

 

「そうか、そういう事か。……お前らはズーラーノーンの手の者か」

 

 そう、彼らがズーラーノーンの配下の者だとするならば納得がいく。

 エ・ランテルでズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)と戦っていた金級冒険者クレマンティーヌの名を知っていたことも、その騒ぎでズーラーノーンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を倒し、奴らの計画を頓挫させた冒険者モモンを狙う事も理解できる。

 

 

 しかし、そんなアインズの言葉に、クワイエッセらも、またさらに驚いていた。

 彼らはモモンの正体こそズーラーノーンの人間ではと、疑っていたのだ。

 

 ズーラーノーンの人間であれば、最初から事の全容は分かっている。実際に騒ぎを起こす直前のタイミングで街に現れておき、自分たちで事件を起こし、そして解決して見せる。言うなればマッチポンプだ。それにより、偽装となる英雄像を作り上げ、同時に事件解決という形で本来の目的をカムフラージュする事が出来る。

 いま、彼が見せたアンデッドの召喚能力を見れば、話に聞いた大騒ぎを起こすことは十分可能と思われた。

 

 ――もしや、自分がズーラーノーンの人間であるから、逆にこちらから疑いの言葉をかけられる前に、こちらに向かってズーラーノーンではないかと嫌疑をかけたのか? それとも、本当にズーラーノーンとは関係のない人間?

 

 クワイエッセは混乱する思考を抱えつつも、相手の真意を見抜こうと、その兜の奥にあるであろう瞳をじっと見据えた。

 

 

 

「構えよ」

 

 どれほどの時間睨み合ったか。アインズの発した言葉に、彼の率いるアンデッド群は武器を構えた。

 それを見て、クワイエッセもまた、配下の魔獣たちに戦闘準備を指示した。

 アインズはさらにアンデッドを召喚する。骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)をさらに3体、骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)を両脇に2体ずつ、計4体出現させる。それに合わせて、更に陣形を整える。

 対するクワイエッセもさらに狼や蛇、クリムゾンオウルなどの魔獣たちを召喚した。

 

 

「お前たちの素性、ぜひとも知りたくなったよ。捕まえてから、情報を吐かせるとしよう」

「私たちもですよ。ですが、私はあなたを捕まえようとは思いません。その強大なアンデッドを召喚する力、あまりにも危険です。ここで排除させていただきます」

 

 

 

 仄暗い明かりに照らされる広大にして忌まわしい邪教の神殿内。

 一触即発の空気の中、にらみ合う異形の2軍団。

 

 

 振り下ろされる手と共に、今、2つの軍勢が力と力でぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 



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第47話 神の怒り

2016/7/28 「常名」→「常命」 訂正しました
2017/5/7 「慣行」→「敢行」 訂正しました。


 野太い声をあげ、屍収集家(コープスコレクター)が両手に一体ずつ、ギガントバジリスクの喉笛を掴み上げる。その薄汚れた包帯に巻かれた手が、ぎりぎりと咽喉の肉に食い込み、蜥蜴は巨体を渦巻かせ、その腕に長い尾を絡みつかせて締め上げる。だが、トロールの強靭な肉体さえもへし折るであろう怪力も、その巨躯のアンデッドの拘束を緩めることは出来なかった。

 

 そんな彼らと距離を取った所にいる、ヤマアラシに似た魔獣が全身を覆う硬質の針を逆立てた。

 その体から、白い針が幾本も打ち出される。

 

 それらは狙いたがわず、屍収集家(コープスコレクター)の胸元に次々と突き立った。深い傷ではないものの、その衝撃に体勢が崩れ、思わず手の力が緩む。その隙を見てギガントバジリスクは、怪力の尾を振るい、この恐るべきアンデッドと距離をとった。

 

 

 その隙に疾風の勢いで長い(たてがみ)(なび)かせ大型サーベルウルフが駆け抜けた。

 よろめいた屍収集家(コープスコレクター)の横をすり抜け、後方に布陣する、わずかばかりの皮が骨にこびりついている手にねじくれた杖を持つアンデッド、エルダーリッチに飛びかかる。

 

 だが、その間に骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が3体割って入った。

 その身を寄せ合い、手にした盾を並べ壁を作る。

 

 激しい衝突音とともに、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達の身体が弾き飛ばされた。彼らの骨の身体では、圧倒的な質量を誇る巨獣の突進は受け止めきれなかった。

 だがそれでも、3体ものアンデッドを弾き飛ばしたことで、巨大な体躯を誇る獣も一瞬足を止めざるを得なかった。

 

 そこへ、エルダーリッチらが魔法の雨を降らせる。

 立て続けに放たれる〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉。

 負のエネルギーの奔流が大型サーベルウルフを襲う。

 

 苦痛に身をよじる巨獣。

 激しく体をくねらせることで、いくつかはその身を外れ、周囲の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)に光線が当たるが、負のエネルギーはアンデッドを傷つけることは無い。むしろ当たれば、その身のダメージが回復していくのだ。先ほど、狼の突進を受けて吹き飛んだ骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達の傷も見る見るうちに治っていった。

 

 

 白い毛並みの巨大狒狒が、聖堂内に転がる石柱の破片、大の大人一人分はあろうかという巨大な石塊を拾い上げ、今まさに敵陣の中で集中砲火を受ける狼を囲む、その輪に向かって放り投げた。

 

 それを見て、慌てて骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)らが再び盾を構える。

 だが、放物線を描いて落ちてくる単純な重量の前には防御など無力であった。1体は回復の余地すらもなく完全に叩き潰され、他の者達も弾き飛ばされた。

 それにより、エルダーリッチの放つ魔法の連撃に乱れが生じる。

 

 その隙に巨大サーベルウルフは身をひるがえし、後退する。

 自陣に戻って来た魔獣の傷を、クワイエッセは回復魔法で癒してやった。

 

 

 巨大サーベルウルフがこじ開けた穴を埋めさせまいと、やや後ろに控えていたもう一体のギガントバシリスクが前へ出る。

 そして、狒狒の投石で足並みが乱れたエルダーリッチらめがけて、サーベルウルフの代わりに飛びかかろうとした刹那、突然、頭から石床に突っ伏した。

 見れば右前脚が半ばまで深く切り裂かれている。

 他の者の陰に潜んでいた切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)がすれ違いざまに、その手の刃物で斬りつけたのだ。

 

 毒の血液を辺りにまき散らしながら苦痛の怒りに身体をくねらせるが、あいにくアンデッドたちには毒など効きはしない。

 その身に、先ほどと同様、エルダーリッチが魔法を雨霰(あめあられ)と振らせた。

 

 その間に、大きく迂回して側面に回り込んだ骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)が、のたうつギガントバジリスクの脇腹めがけて、騎兵槍(ランス)による突撃を敢行しようとする。

 だがその時、空を切って飛来したクリムゾンオウルが骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)の騎乗する骨の馬の足元を攻撃した。

 突撃の勢いのままつんのめる骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)。床に転がったその体をギガントバジリスクの尾が打ち据えた。その一撃は到底耐えきれるものではなく、骨が砕けちり、骨粉が撒き散らされる。

 しかし、倒れた骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)に止めをさした事により、蜥蜴のたうつ身体が一瞬、完全に動きを止めてしまった。

 

 切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が動く。

 その刃物の指が光る。

 

 一瞬、時をおいて、蜥蜴の首筋から噴水のように鮮血が噴き出した。

 

 

 自らにまとわりつく死を追い払おうとするかの如く激しく身をくねらせ、尾で床を打ち、のたうち回るギガントバジリスク。

 その暴れように、両軍は巻き込まれまいと互いに距離をとった。

 

 

 小さな竜巻のように荒れ狂った姿も、段々と動きが緩慢になり、やがてどうとひっくり返ったまま起き上がることは無くなった。それでも、時折ピクリピクリとその尾に生命の残滓が見える。

 

 

 その様子にクワイエッセは歯噛みをし、もはや出し惜しみしている場合ではないと、残る魔獣たちを次々と開放していった。

 

 ともに1体ずつ倒したものの、骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)とギガントバジリスクでは到底割に合わない。

 

 

 彼は忌々しげな視線を向ける。

 その視線の先には1体の、実に奇怪な怪物(モンスター)

 一言でいうなら、巨大な肉塊である。その赤黒い表面にたった一つ、巨大な目だけがあり、その瞳がぎょろりと辺りを見回している。それが何をするでもなく、ふよふよと空中に浮かんでいた。

 その姿形や色合いを見ても、はたしてどんな怪物(モンスター)なのかは、漆黒聖典として、とくに魔獣使いとして知見のあるクワイエッセをしても判別できぬ魔物であった。

 

 だが、先ほどから戦闘に参加していなくとも、あれこそがアンデッド達にとって、とても重要な怪物(モンスター)であるという事は、彼らの陣形から見て取れた。

 その謎の宙に浮かぶ目がついた肉塊を取り囲むようにエルダーリッチ3体が展開し、更にその外側に骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が陣をくんでいる。

 

 クワイエッセの勘では、あの怪物(モンスター)こそが、視線の攻撃を無効にさせているのだと推察している。

 たとえアンデッドだろうと、ギガントバジリスクの石化の視線は効力があるはず。それが、なぜかこの場において威力を発しないのは、なんらかの妨害があるという事。そう考えると最も怪しいのは、あの怪物(モンスター)だ。

 

 ――あいつさえ倒せれば、一気にこちらに優位になるのだが……。

 

 クワイエッセはさらなる攻撃の為に、彼の魔獣たちに指示を出し、陣形を再度整える。

 

 

 

 その戦いは一進一退ながら、奇妙な膠着状態にあった。

 

 アインズが召喚したアンデッド群のなかで、屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は群を抜いて強力ではあるものの、たった2体しかいない。その他は、3体のエルダーリッチ、それとはるかに低レベルの骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)である。いちおうもう一体、高レベルながら戦闘に参加させていない宙に浮かぶ肉塊もいるが。

 

 対して、クワイエッセの魔獣軍団は、魔獣なだけあって強靭な肉体と素早さを誇りつつも、遠距離攻撃が出来る個体は多くはない。個では屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)に敵うことは出来ないが、その数と速度でその背後にいる後衛陣を狙うことが出来る。

 

 その為、必然的に強力な2体、屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)を軸に相手の攻撃を防ぎつつ、エルダーリッチの放つ魔法攻撃で優位に立とうとするアンデッド軍団と、その数と速度で全面に攻勢を仕掛け、後衛から魔法攻撃を仕掛けるエルダーリッチ並びに彼らが守る目のついた肉塊を打ち倒すことを狙う魔獣軍団という構図となっていた。

 

 

 

「ははは。なかなかやるじゃないか」

 

 そんな、戦い方は違えど目の前で繰り広げられる攻防を眺めていた、階段状になった祭壇その最奥に陣取る漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士は、ちりちりとした緊迫の空気を読んでか読まずか陽気な声をあげた。

 

「なら、こういうのはどうだ?」

 

 その声とともに、祭壇下に闇が生まれる。

 その闇が一点に収束したのちに、その場に現れたのは、ぶよぶよと膨れ上がった鉛色の肌を持つ、見る者全てに嫌悪感を与える醜悪なアンデッド。

 

 

疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)!」

 

 その姿を見たボーマルシェが警戒を示す声をあげる。

 

「行け」

 

 創造主の命令を受け、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)はよたよたとその短い足を動かし、前へと突進する。

 

 

 その姿にクワイエッセは顔をひきつらせた。

 

 疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は直接的な攻撃能力は低いものの、ある程度ダメージを与えると、その膨れ上がった肉体が爆発を起こすという性質がある。

 あれが突進してきて爆発したら、こちら側に甚大な被害が出る。しかも、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の爆発は負のエネルギーである。その爆発を受けても、アンデッド側は何ら被害を受けず、それどころかダメージが回復するのだ。

 

 

 ――どうすべきか?

 

 判断は一瞬。

 クワイエッセは、意を決して、ボーマルシェに頷いた。

 ボーマルシェもまた、それに首肯で答えると、自らが(まと)っていた臙脂(えんじ)色のローブを脱ぎ捨てた。

 

 その下から現れたのは、しなやかな肉体を覆ういささか奇妙な感を覚える衣服。一見、身軽そうな服装の上から、その全身にベルトや武装を備えた帯を幾重にも巻き付けている。

 そして、彼はその左手に不思議な光沢を放つ鎖を巻きつけていた。

 

 

 それこそが漆黒聖典第九席次として神領縛鎖の名を冠するに至ったアイテム。

 六大神が残したとされる遺産の一つ。『咎人(とがびと)縛鎖(ばくさ)』。

 

 

 ボーマルシェは高く飛び上がると同時に、左手の鎖を伸ばす。

 その鎖はまるで意思ある蛇の如く、雷光の速さで空間を這いまわるように進み、彼らに向かって進む疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)に巻き付いた。

 

 彼は満身の力を込めて、その手を振った。

 その細腕にどれほどの力があるというのか。疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の巨体が宙に浮く。

 そして、勢いをつけて奇怪な飾りのある横壁へと、そのぶよぶよとした身体が叩きつけられた。

 

 その衝撃によって、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が爆散する。

 かろうじてその爆発は、クワイエッセの魔獣たちに被害は出さず、またアインズの召喚したアンデッド群の体力を回復させることもなかった。

 そのことに、ボーマルシェとクワイエッセは顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべた。

 

 

 

 だが、そんな二人に投げかけられたのは、アインズのさらなる声。

 

「なるほど。見事なものだ。では、追加といこう」

 

 その声とともに、再び疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が出現する。

 それも3体。

 

 思わず驚愕の声をあげる2人。

 それが幻覚であることを心の奥で期待するが、無情にも疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は彼らの眼前で足音を立てながら、突撃を開始する。

 

 愕然としつつも、とにかくどうにかして被害を少なくするために、再度思考を巡らせる。

 

 とりあえず、一体は先ほどと同様、ボーマルシェの鎖によって横壁に放り投げた。

 一体は、仕方がないのでクワイエッセの召喚獣である大蛇がその身に絡みつき、そのまま聖堂の脇へと引きずっていく。その際、絡みつく力が強かったのかダメージの限度を超えたらしく、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が爆発し、その蛇もまたその身がちぎれ飛び、死に至った。

 

 最後の一体に関しては打つ手もないため、まだいくらも歩き出さず、アンデッドたちの中にいる間に、ヤマアラシの魔獣の放った針によりそこで爆発させられた。

 

 爆風が収まった後に残ったのは、そいつが放った負のエネルギーによって、魔獣たちが苦労して与えたダメージがすっかり回復したアンデッドの群。

 

 

 クワイエッセは歯噛みしつつも、自らの魔獣たちに被害が出なかったことに対して安堵し、胸をなでおろした。胸をなでおろしつつも、相手の思う通りの展開にさせられた事は理解しており、一連の事を引き起こしておきながらも悠然(ゆうぜん)(たたず)む漆黒の男を憎々しげに睨む。

 

 

 しかし、それを見ていた当の召喚主は、フルヘルムの奥で「うむむ」と小声でうなった。

 

 ゲームであったユグドラシル時代は、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の爆発はただ、普通の者には鬱陶しいが、アンデッドにはその爆発によってダメージを受けるどころか回復するため、アンデッドを召喚した際には特に気にもせず使える便利な奴という程度の認識しかなかった。

 だが、ゲームではなく現実となった今では、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が爆発した際に、その内臓や肉片もまた広範囲に飛び散る羽目になっていた。

 屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)らの身体は、ダメージは回復したものの、細切れになった悪臭を放つ肉片があちこちにこびりつく惨状となっていた。

 

 ――今後は、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)を使うのは、極力控えた方がいいか……。

 

 秘かに、アインズはそう心に誓った。

 

 

 

 そんな内心を知る由もないクワイエッセは苦々しく、漆黒の鎧に身を包み階上にたたずむアインズに視線を向ける。

 

「モモンさん、それがあなたの力ですか?」

「む? ……そうだとも。私はご覧の通り、アンデッドたちを召喚することが出来るのさ」

「それで、その力の振るい方に疑問は持たないのですか?」

「? どういうことだね?」

「そのアンデッドを召喚する力を、他の事、大いなる大義の為に役立てようとは思わないのですか?」

 

 クワイエッセら、そしてアインズは互いに相手の事をズーラーノーンの者であると考えている。

 その為、アインズは邪悪なはずのズーラーノーンの人間が口にした大義とかいう言葉に少々首をひねりつつも答えた。

 

「さて? 私の出来ることは限られていてね。私の両手では、かつての友が残していったものを守ることだけで精いっぱいだな」

 

「くだらない」

 

 クワイエッセは吐き捨てるように言った。

 

「……なに?」

 

 アインズの言葉が低くなった。

 だが、クワイエッセは構わず、言葉を続ける。

 

「友がなんだと? そのような自分の周囲のみ、些末な事にだけ目を向けてどうなるというのですか。もっと大局に目を向けるべきでしょう? かつての友という事は、すでにその友とやらはあなたの許を去ったという事ですね? あなたは力を持っています。ですが、その力を過去の遺物、思い出だけに使うなどばかげていいます。いなくなった友になど……。友が残していったものとやらにこだわるのはくだらないとしか言いようがありません!」

 

 クワイエッセは、ズーラーノーンの一員と思われる冒険者モモンの目的は、今は亡き友人の願い――おそらく邪悪なものであることは間違いないだろう――を果たすためと判断し、その力を人類の守護の為に使おうとしないことを喝破した。

 

 

 

 その言葉を受け、漆黒の鎧の人物はがくりと(こうべ)を垂れた。

 放たれた正道の論説により、自らの行いの過ちにようやく気づき、衝撃を受けたかのように。

 

 冒険者モモンは言葉もなく、その手からずるりと大剣が離れ、祭壇の(きざはし)を音を立てて落ちていった。

 

 

 瞬間――。

 

 

 ――空気が変わった。

 

 

 

 名すらかたられぬ邪神をまつる地下神殿の中。

 

 そこに――荒れ狂う殺気が渦巻いた。

 

 

 たった今まで、恐るべき力を持つ魔獣とアンデッドの生死をかけた戦いが繰り広げられていた空間であるが、そのような戦闘など児戯でしかないとばかりに、鬼気迫る空気に満たされた。

 その空気にクワイエッセの操る、たった1体でも幾多の強者(つわもの)をもゆうに殺戮することのできる恐るべき魔獣たちすら震えあがった。

 

 それだけではない。

 本来、恐怖などの感情すら感じないであろうアンデッドたちですら、自らの主から(ほとばし)る憤怒の情動にその身を震わせた。

 

 そう、このねっとりとまとわりつくような感覚さえ覚える、嵐のような邪気の発生源は、漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだこの男から発せられていた。

 

 

 皆が咽喉にひりつく恐怖を覚え、息をする事すらやっとの状態であった。

 そんな中、彼らの視線の先で漆黒の鉄脚絆が一歩一歩石段を踏み、下へと降りてくる。

 その歩みはまるで夢遊病者のごとく。その体を左右に大きく振り、兜に覆われた顔は下を向いたままであった。

 

 彼の足が、最下段をとらえたとき、目を疑うような事が起きた。

 冒険者モモンの身体を包む、その漆黒の全身鎧(フルプレート)がかき消すように消えたのだ。

 そこに現れたのは、豪奢でありながら繊細かつ大仰な装飾を施されている漆黒のガウンに身を包んだ、まるで魔法詠唱者(マジック・キャスター)のような姿。

 

 クワイエッセとボーマルシェが驚きに目を見張るなか、ついに彼は神殿の床へと降り立った。

 

 

 ギガントバジリスクの一体が跳ねるように襲いかかる。

 原始的な爬虫類の精神は目の前から叩きつけられる圧倒的なまでの恐怖に対し、撤退ではなく攻撃を選択した。

 それにつられる様に、クリムゾンオウルもまた、上空から漆黒の姿に襲い掛かる。

 

 

 

 それに対して、そいつはうつむいたままで――。

 

 

「〈音の爆裂(ソニックバースト)〉!」

 

 ――魔法を唱えた。

 

 

 

 瞬間、空気が震えた。

 音波が空間を揺らす波となって、その姿を中心に広がった。

 

 効果範囲外にいたクワイエッセらですら、その衝撃に耳を一瞬ふさぎ、目を閉じねばならぬほどの威力。

 

 そして、恐る恐る瞼を開く彼らの目に飛び込んできたのは、もはや細切れの肉塊となったギガントバジリスクとクリムゾンオウル。

 

 

 呆気にとられる様な出来事。

 なんとそいつはたった一撃の魔法で、都市一つすら壊滅させると言われるギガントバジリスクを倒したのだ。

 

 しかも、その魔法の威力はよほど凄まじいものだったのだろう。

 怒りに任せて、自身を中心に発動した魔法。

 アンデッド軍団の中央で放たれた魔法は、その配下のアンデッドたちまで、全員を一瞬で吹き飛ばしたのだ。

 あれだけ配下の魔獣たちを全力で使ってでも倒すことは出来ず、幾許(いくばく)かの手傷を負わせることも容易ではなかった屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)ら桁外れの力を持つアンデッドたちですら、ただの一撃で消滅してしまっていた。

 

 

 

 本来、護衛であるはずの味方のアンデッドたちまで魔法で消し飛ばしてしまい、今立っているのは彼ただひとり。

 彼がいかなる存在であろうと、『一人師団』とまで言われる漆黒聖典第五席次クワイエッセの魔獣群の猛攻の前に膝を折るのは目に見えていた。

 

 

 

 だが――。

 

 

 だが仲間もいない、たった一人の男を前に、強大な魔獣たちが怯えを見せていた。

 絶好の機会でありながら襲いかかろうとはせず、それどころか歩み寄るその動きに合わせて後ずさる始末。

 

 

「くだらぬ……くだらぬだと……」

 

 うつむき、その顔を隠すフードの下から言葉が漏れる。

 

 クワイエッセらに聞かせるためだろうか。

 いや、違う。

 聴者がいることなど、意識の上にすらない。

 その呟きは、さきほどからずっとその口から垂れ流し続けられていたのだ。

 

「友を……俺の友を! ……友が残してくれたものを! それを、それをくだらぬだと!?」

 

 最初は小さく、だがやがてその言葉は(いかづち)のように、怒りと共に響き渡った。

 

 

 ボーマルシェはクワイエッセに声をかけた。

 よく分からないが、このままでは拙い。奴を一気に仕留める、と。

 

 そして、彼は踏み込む。

 その手の獲物。『咎人(とがびと)縛鎖(ばくさ)』を振りかざし。

 それを見てクワイエッセもまた、配下の魔獣に指示を出した。ギガントバジリスク、巨大サーベルウルフ、それに他の魔獣たちにも突撃を指示する。

 

 

 地下神殿が崩れそうなほど地響きを轟かせ突進する魔獣たち。

 

 それに気づいたのか、漆黒の鎧からガウン姿へと一瞬で変わり、うつむいたままであった冒険者モモンは、そこでようやく顔をあげた。

 

 ゆっくりと黒いフードが上がり、その下に隠された(かんばせ)があらわとなる。

 それを見てクワイエッセは目を丸くした。

 

 

「ま、待て、ボーマルシェ! そいつは! いや、その御方は……!」

 

 慌てて制止の声を発するクワイエッセ。

 彼はフードの下、その影の中に爛々と輝く、深紅の輝きを目にしていた。

 

 

 

 だが、すでにボーマルシェ並びに魔獣たちは宙を舞っている。今更、止まる事など出来はしない。

 

 そんな彼らを視界に収め、アインズは魔法を発動する。

 

「〈集団標的(マス・ターゲティング)〉〈魔法三重化(トリプレッドマジック)暗黒孔(ブラックホール)〉」

 

 飛びかかる魔獣たちの眼前に数個の小さな点が浮かぶ。それは見る見るうちに巨大な空虚の穴と化した。そしてその暗黒にその身が触れるや否や、瞬く間にその体が穴に吸い込まれ、次々とこの世から消えていった。

 

 ほんの数秒も立たぬうちに、その穴は音もなく消え去った。

 その後はまるで何事もなかったかの如く。

 漆黒のガウンの男に飛びかかり、魔法の暗黒に触れ、消えていった魔獣達や漆黒聖典第九席次ボーマルシェなど最初からいなかったかのように。

 

 

 ただその場にあるのは、その偉大な魔術を行使した男の猛り狂う怒りのみ。

 

「クゥ、クズがぁあああああっ!! 俺のぉおおお! 俺の友をぉ! 友が残していったものを侮辱するなどぉぉお!」

 

 その眼窩の奥に灯る赤い光を輝かせ、その背後に黒く揺らめくものを纏わりつかせながら、アインズは激昂に身を任せ叫びちらす。

 

「生かしてぇぇえええ! 生かしておくものかぁああああっ!!」

 

 

 クワイエッセはびりびりと耳朶(じだ)を打つ、その憤怒の言葉に(すく)みあがっていた。

 自らが行った行為に愕然(がくぜん)としながら。

 

 

 

 いま、目の前で怒りを露わにする存在。

 

 その姿は、まさにスレイン法国が崇める六大神の1人。

 亜人や怪物(モンスター)の脅威の前に、風前の灯火でしかなかった人類を救った存在。

 他の神々がいなくなった後も、最後までこの地に残って人類を守護してくださった偉大なる神、スルシャーナに間違いはなかった。

 

 

 クワイエッセの信仰は深い。

 特にスルシャーナに対して。

 

 その彼が言い放ったのだ。

 彼の信仰する神、その御方に対して。

 その面前で。

 

 

 『いなくなった友とやらにこだわるのはくだらない』、と。

 そして、『友が残していったものを守る事で精いっぱいだ』と言う、彼の神が発した言葉を否定したのだ。

 

 

 スルシャーナの語る友とは、他の六大神の五柱の事。

 そして、その友が残してくれたものというのは、それすなわち六大神が作り上げた、彼の所属するスレイン法国そのものでしかあり得ない。

 

 それを彼が面罵(めんば)したのだ。

 そんなもの、襲い来る怪物(モンスター)や亜人達から人類を守護する事など、馬鹿げていると。

 

 それは、例え今の今までスルシャーナであるとは知らなかった、ズーラーノーンの一味ではないかと勘違いしていたとはいえ、それはけっして許されるものではない。

 

 

 

 荒れ狂う殺気と嚇怒(かくど)奔流(ほんりゅう)に、クワイエッセが支配していたはずの魔獣、人の数倍はあろうかという巨大な狒狒、そいつの恐怖の本能が彼の制御をも勝り、この場から逃げ出そうと背を向けた。

 アインズはそいつに向かって、指を向ける。

 

 

 〈即死(デス)

 

 

 その、たった一度の魔法の行使で、人とは比ぶべくもないほどの圧倒的な生命力をその身に宿した巨獣は、糸が切れた操り人形の様にその場に倒れ伏した。

 

 

 生き物の根幹である生命すら、()の神にとっては(たなごころ)の上にあるものに過ぎず、それをもたやすく操る偉大な魔術に、クワイエッセは目の前の存在は間違いなくスルシャーナ本人であることを確信した。

 

 そして仲間の魔獣に訪れた異様な死に、他の魔獣たちも色めき立った。怯え声をあげ、その身を震わせ、後ずさりし、脱兎のごとく遁走(とんそう)を計る。

 

 だが、アインズはそんな獣たちにも容赦はしなかった。

 

 まるでオーケストラの指揮者が振るうタクトの如く、アインズは指を振るう。

 その夜空に浮かぶ月光のように白い指。一体いかほどの魔術が込められているのであろうか、その価値など想像すらも出来ぬほどの逸品であろう指輪で飾られた、細い骨の指が指し示した者達は、その肉体の大小、その身に秘めた強さの如何(いかん)に関わらず、ことごとくその生命を失っていく。

 

 ――ああ、地に生きる常命のものとは、神の前ではかくも無力なものなのか

 

 

 

 

 アインズの眼窩の奥に灯る赤い光が、最後に立ち尽くすクワイエッセの姿をとらえた。

 

 もはや、この場には一人たりとも、他に一体たりとも生命あるものは存在しない。

 

 この地の奥底に作られた、朽ちた石柱列のならぶ忘れられた古代神殿内にいるのは、距離を置いて向かい合うアインズとクワイエッセ2人のみである。

 

 

 クワイエッセは(おこり)のように体を震わせていた。

 本来であれば、その場でひれ伏し許しを請うべきなのだろうが、つい先ほど自身が行った、神の行い、そして神そのものをも冒涜した罪の前に、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 だが、自らの信仰する神の視線を受け、彼は喉の奥から絞り出すような声で謝罪の言葉を口に出そうとした。

 

 

 

 しかし、彼の神はそれを(さえぎ)った。

 

「もう、いい。それ以上喋るな。もはや謝罪も悲鳴も、そして哀訴すらも聞きたくはない」

 

 そうして魔法が行使された。

 

 

 〈溺死(ドラウンド)

 

 

 直後、クワイエッセの身体がビクンとはねた。

 

 突然、呼吸が出来なくなった。

 苦しさにせき込むと、どういう訳か体の内から水が吹き出してくる。クワイエッセは喉を掻きむしり、石床の上をのたうち回った。

 

 彼は必死で吐き出そうとするも、その身の内から漏れ出す水は尽きることなく、湧き続けている。

 

 クワイエッセは地に転がりながらも、自らの神に詫びようとした。彼の行いを説明しようとした。自分は神の作り上げたスレイン法国の人間であると伝えたかった。

 だが、彼の口から出てくるのは謝罪の言葉ではなく、ゴボゴボという音とともに肺腑の奥から流れて出る液体だけ。

 

 

 そして、そんな哀願の瞳を向ける彼に、眼前の死の支配者(オーバーロード)はただ冷たい目を向けるだけであった。

 

「お前の行為……、それは決して許されるものではない。お前の死だけが、俺の心を慰めてくれる。せいぜい苦しみぬいて死に、己が罪を悔いよ」

 

 

 

 その言葉にクワイエッセは、自分は神にすら見放されたと絶望しながら死んでいった。

 

 

 

 

 




《大量の捏造設定》


・アインズが召喚した、肉塊に目が一つついた怪物(モンスター)
 ――自分の周囲における視線攻撃を無効化する特殊能力があります。ある程度以上、レベルが低い者が行ったものに限ってですが。


・クワイエッセが召喚した、ヤマアラシのような魔獣
 ――全身の針を飛ばして遠距離攻撃が出来ます。


・クワイエッセが召喚した、狒狒のような魔獣
 ――力が強く、耐久力もあり、簡単な道具を使うことが出来ます。


・『咎人(とがびと)縛鎖(ばくさ)
 ――ボーマルシェが法国から貸し与えられた六大神の遺産の一つで、彼が『神領縛鎖』の名を冠する由来ともなりました。振り回しての打撃攻撃や、相手の拘束を行うことが出来ます。聖遺物(レリック)級アイテム。


・〈音の爆裂(ソニックバースト)
 ――〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉と威力効果ともほぼ同じですが、属性が違うため、アンデッドにも効果があります。アインズ様は怒り狂っていたため、〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉ではなく、こっちを使ってしまいました。



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第48話 顛末

 地の奥底にある忘れられた邪神を祀る神殿。

 その場には今、生命の炎など欠片もない。

 

 今、そこで蠢くものは、地獄の底にて燃え続ける(おき)にも似た赤い二つの忌まわしい目をぎらつかせる、漆黒の衣服を身に纏ったアンデッド。

 

 アインズは、自らを不快にさせた者達――確か学者だったか――の死体を見下ろし、さらなる子羊、胸の内で荒ぶり続ける怒りをぶつける対象を探した。

 だが、この場にはほかに動くものすらいない。

 あるのはただ、生命の残滓すら残らぬ魔獣の亡骸のみ。

 

 

 誰もいない地下室で、アインズはただ際限なく湧き続ける激情に身を任せていた。

 

 

 あの時、あの学者が言い放った、あの言葉。

 

 『いなくなった友になど……。友が残していったものとやらにこだわるのはくだらないとしか言いようがありません』

 

 それを思い返すたびに、憤怒がマグマのように湧き出ては、精神の強制沈静が起こる。

 もう両の手の指では数え切れぬほど、幾度も幾度も際限無く、それを繰り返していた。

 

 

 しかし、感情の高ぶりもやがては小康状態となり、間欠泉のように吹き上がる怒りも、沈静の対象にならないほどに収まって来た。

 

 

 

 アインズは大きく深呼吸する。

 彼の身体では、実際に呼吸することは出来ないが、かつての人間の時と同じ動作をすることで、だんだんと気分が落ち着いた。

 

 

 そうして、彼は〈伝言(メッセージ)〉を使う。

 

 骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)による転移の後、エルヤーとの戦いを始めたときに連絡はしたものの、その後は連絡を怠ってしまい、今もこちらの事を心配しているであろう人物。

 この見知らぬ異世界へ共に迷い込んだ同じ境遇の人間として、内心を包み隠さず話せる存在。

 あの学者の不快な台詞が嘘であるとはっきり認識させてくれる、最後まで残ってくれた彼の友人――。

 

 ――ベルに対して。

 

 

 魔法が発動される。

 一秒一秒、ベルが〈伝言(メッセージ)〉を受け、その声を聞かせてくれるのを一日千秋と言っても過言ではない思いでじりじりと待つ。

 声が聞きたい。

 今すぐに。

 

 やがて、回線がつながった感覚があった。

 待ちわびていたベルの声が脳内に響く。

 

 

 

《ハァハァ、お兄ちゃん、どんなパンツ履いてんの?》

 

 

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 すぐに、今度は向こうから〈伝言(メッセージ)〉が届く。

 

《やめて。切らないで!》

 

 アインズはため息をつきつつも、その〈伝言(メッセージ)〉を受けた。

 

《切りたくもなりますよ。なんですか、あれ》

《いや、ウイットとペーソス溢れたパーティージョークですよ》

《どう考えてもパーティージョークじゃないでしょ。そもそもウイットとペーソスってどういう意味ですか?》

《あれ? もしかして、おこ(・・)ですか? そんなに今、パンツの話はされたくありませんでした? いや、別にいいですよ。俺は守秘義務を守る人間です。アインズさんがちょっと冒険してTバックを履いていようが、ルプスレギナの使用済み下着を身に着けて秘かに楽しんでいたとしても、いろんな趣味嗜好があるよねと言ってやる度量の広さも持ち合わせてます》

《Tバックも、ルプスレギナの下着も、あまつさえそれが使用済みのとか無いですから! そもそも、私は身体が骸骨ですから、下着なんかつけていませんよ》

《……》

《あれ? ベルさん?》

《……》

《どうかしましたか? 急に黙り込んで》

《……》

《も、もしや、何かありましたか? ベルさん! ベルさん、返事をしてくださいっ!!》

《あー、もしもし》

《ベルさん! よかった、繋がった! 今なにがあったんですか? 急に返信が無くなりましたけど》

《いえ、大したことじゃありませんよ。アルベドが倒れてしまってですね》

《アルベドが? 何があったんですか!?》

《いやー、アルベドが近くにいたもんで、今話してた、アインズさんがノーパンでそのままズボンらしいと教えてやったら、『ア、アインズ様はノーパン! つまり、あの普段の御召し物の下は……。あんなに胸元が空いたガウンを身に纏ってらっしゃるのは、つまり……くふーっ!』って言って、突然、鼻血を吹き出してぶっ倒れまして》

 

 その答えに、アインズはガクッと肩を落とし、床に手をついた。

 

《いや、何やってんですか》

《本当に漫画みたいだったんでびっくりしましたよ》

《今、守秘義務うんぬん言ったばかりでしょ》

《報連相は組織の基本ですねっ》

 

 

 やれやれとばかりに、身を起こす。

 馬鹿なやり取りであるが、少し気が紛れた。

 

 ――そうだ。ちゃんと自分の友人はここにいる。こうしてくだらない話も言い合える。愚かな奴の口上など、いちいち聞く必要もないではないか。くだらない雑音に耳を傾ける必要もない。

 

 

 アインズは気を取り直し、あらためて、事の顛末(てんまつ)を説明した。

 

《えーっとですね。今回の件ですが、ズーラーノーンが黒幕みたいですね。依頼をした学者たちは、本当はズーラーノーンの人間で、エ・ランテルでの一件を冒険者モモンが解決したので、復讐か後顧の憂いを断つためかは分かりませんが、遺跡探索と偽ってモモンに指名依頼を出して誘い出し、抹殺しようとしたみたいで》

《へえ、そうなんですか。まあ、ワーカーを連れたうえでのいきなりの指名依頼、それもこのダミーダンジョンの事をダークエルフの古代遺跡と言っていたのでおかしいと思っていましたが。……ふむ、ズーラーノーンですか。せっかくですから、もうちょっと詳しい情報が欲しいですね》

《あー、情報と言っても、そいつら殺しちゃいましたよ》

《じゃあ、生き返らせればよいのでは? 蘇生のアイテムありますよね?》

 

 軽く言われたその言葉に、一瞬、うっと言葉に詰まった。

 

 

 ――あいつを生き返らせる? あの不快なことを言った奴を?

 

 再度、胸の内に怒りが湧いてくるも、今度は精神の鎮静が起きる程でもなく、すぐにその波は引いていった。

 

 ――そうだな。うん、その方がナザリックの利益のためになる。ここは生き返らせて情報を引き出すべきだな。ああ、そうだ。あくまであいつは知らずに言っただけなんだし。そう、知らなかったんだからしょうがない。……生き返った後も、またふざけたことを言ったら、ニューロニストの所なり、餓食孤蟲王の所にでも、放り込んでやればいいし。うん、そうしよう。

 

 そうして無理矢理気味だが自分の心を納得させると、アインズは蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を取り出した。

 それを苦悶と苦悩の表情で息絶えているエッセとかいう学者の上にかかげたのだが……。

 

《……あれ?》

《どうしました?》

《えーっとですね。なんだか、生き返らないんですけど……》

《? 蘇生の魔法がきかないんですか?》

《発動自体はしているみたいなんですが、なんというか……こう……手ごたえみたいなのが……。前、蜥蜴人(リザードマン)達を生き返らせたときは、発動した後、魂を掴んだみたいな感覚があったんですが……》

《〈真なる死(トゥルーデス)〉を使ったとか? あれで殺すと、高レベルの蘇生じゃなきゃ駄目ですよね?》

《いえ、使ってませんよ。使ったのは〈溺死(ドラウンド)〉ですし。……あ! もしかして……》

《なんです?》

《多分なんですが……蘇生を拒んでいる状態なのでは?》

《蘇生を拒む? まあ、確かに、ユグドラシルでは蘇生する側の同意がなければ生き返らなかったはずですね。こちらにおいても同様でも、おかしくはないですけど……。でも、なんで蘇生を拒む理由が?》

《あー、とですね。実は……こいつ殺す前に、私の姿を見せちゃいまして》

死の支配者(オーバーロード)の姿をですか?》

《はい》

《なるほど。ズーラーノーンの人間って事は、死の支配者(オーバーロード)の事を知っていてもおかしくはないですし、下手に生き返ったら、何されるか分かりませんしね。怖がって蘇生したがらなくても、仕方ありませんな》

《ええ、それにこいつの前でちょっと怒ってしまいまして。怖がらせてしまったかなぁ、と》

《ん? なにか、あったんですか?》

《いえ、ちょっと……。それよりどうしましょうか?》

《うーん、そうですねぇ。学者って2人いましたよね。もう1人の方も駄目ですか?》

《あ! そう言えば》

 

 アインズは記憶をたどる。

 怒りに我を忘れていたため定かではないが、たしかもう1人は着ていたローブを脱ぎ捨て、奇妙な鎖を振り回して戦闘に参加していたはずだ。

 ……ええっと、そうだ。

 飛びかかってきたところを〈暗黒孔(ブラックホール)〉で吸い込んだんだ。

 あっちなら、自分のアンデッドとしての姿は一瞬しか見られていないはず。そっちなら大丈夫だろう。

 

 そう考え、蘇生アイテムを手に振り返り――。

 

 

 ――アインズは途方に暮れた。

 

 

《あの……ベルさん》

《どうしました? そっちも駄目ですか?》

《いえ、その……まだ、試していなんですが……》

 

 口ごもる様子に、ベルは何だろうと小首をかしげた。

 

《とりあえず、試してみたらどうです?》

《いえ、そうしたいのは山々なんですがね……》

 

 アインズは地下神殿内を見回す。

 

《死体がないんですよ。〈暗黒孔(ブラックホール)〉使ったんで……》

《別に死体が無くても蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)なら蘇生できるんじゃないですか?》

《ええ、ユグドラシルでは出来てましたから、たぶんできると思うんですが……》

《?》

《その……どこに使えばいいのやら》

《え? そりゃ、……死体がないなら死んだところでは?》

《それが……どこだったのか……。ほら、ユグドラシルでは蘇生を使おうとすると、死亡ポイントとかに表示が出たでしょう? それが出ないんですよ》

 

 そこまで聞いて、ようやくベルは合点がいった。

 ゲームだったユグドラシルの頃は、死亡した場合、死体はその場に残ったままにならずに消えてしまう。だが、一定時間内に蘇生の魔法やアイテムを使おうとすると、その死亡した場所にカーソルが現れ、誰を復活させるか選ぶことが可能であり、そこに近づいて魔法なりアイテムを使えば、蘇生させたり、時にはアンデッドとして操ったりなど出来た。

 だが、ここはゲームの法則は適用はされていても、ゲームの中ではない。ユーザーの為にカーソル表記されるなどという事はないのだ。

 

《あー……でも、たぶん使うことは出来るでしょうから、とりあえず、その死亡ポイントを探してみたらどうですか?》

《でも、どうやって?》

《しらみつぶしに。ローラー作戦で》

 

 

 ベルの提案に従って、短杖(ワンド)を掲げながら、そいつが死亡した場所を探すアインズ。

 

 怪しげな神をまつる薄暗い神殿内を、奇妙な杖を掲げてうろつくアンデッド。

 誰かに目撃されたら、邪教の儀式と間違えられること間違いなしである。

 

 

 そうすることしばし。

 たった一人で広い部屋をローラー作戦するという行為に寂しさを覚え始めた頃、魔法が発動した手ごたえがあった。

 

《お! ベルさん、反応がありましたよ。蘇生に成功しました》

《おお、良かったじゃないですか。じゃあ、そいつは気絶させてナザリックに送ってください。くれぐれも殺さないように》

《分かりました》

 

 そうして話しているうちに、空間に空いた渦から、何かが這い出てくる。

 鱗に覆われた巨大な爬虫類の姿。ギガントバジリスクであった。

 

「いや、お前じゃない」

 

 アインズが〈即死(デス)〉を使うと、生き返ったばかりのギガントバジリスクは即座に再び死んだ。

 

 

《あー、駄目ですね、これは。どこに使えばいいのか、はっきりとした場所が分からないんで。〈暗黒孔(ブラックホール)〉で倒した怪物(モンスター)が邪魔になって、そいつを見つけられません》

 

 うーむと顎を撫でるアインズ。

 外れることもあるとはいえ、何度も続けていけば、いつかは当たりを引くのは間違いない。だが、それをやるには、それこそ何度も蘇生のアイテムを使い続けなくてはならない。

 もちろんアインズ、というかナザリックが保有している蘇生アイテムは彼が今、手にしているものだけではない。蘇生アイテムなどは山のように、低級の物まで加えれば、それこそ掃いて捨てるほどある。

 だが、ある程度補給の目途がたったスクロールならともかくマジックアイテム、それもこの世界で高位とされるものに関しては再入手の可能性が乏しく、無分別に使っていれば、いつかは枯渇するだろう。

 それに貧乏性で、もったいないとばかりにアイテムを使わず貯めこむタイプであったアインズとしては、どうしても必要とも思えないこいつらに、そんなアイテムを使う事はどうしてもそれを躊躇(ためら)わせるものだった。

 

 そして、同様にそういうアイテムをケチる性格のベルもまた、無駄にアイテムを消費するのは忌避感があった。

 

《じゃあ、止めときましょう。アイテムもったいないですし》

《そうですね。まあ、またの機会にでも》

 

 あくまで、ズーラーノーンの人間を復活させて情報を聞き出すというのは、どうせならという程度のものであり、それほどまで情報が欲しかったという訳でもないので、彼らはあっさり諦めることにした。

 

《……あ、そうだ。今回の依頼って、結局どうします? 依頼主、2人とも死んじゃったんですよね? 冒険者モモンに入った指名依頼なのに、失敗って事になっちゃうんじゃないですか?》

《ああ、それなら、私にちょっと考えがありますよ》

 

 アインズは周囲に倒れ伏す魔獣の死体と、倒れるクワイエッセのすぐそばに転がる、彼らが手にしていた革張りの装丁の書物に目をやった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ガチャッ、ガチャッ。

 

 金属がぶつかる音が聞こえてくる。

 音がする事に気がつくと、自分の身体がその音と同時に揺すられている事にも気がついた。

 

 決して耳に心地よい音ではなかったが、一定のリズムで聞こえる音と震動に、ティアの心はいつまでもまどろんだままであった。

 頬にはなにかの金属が当てられている。長時間そのままの姿勢だったらしく、すでに自分の体温で温かい。

 不意に少し大きく揺れた。

 その拍子に頬骨が金属製の肩当てにぶつかり、わずかに痛みを覚えた。

 

 

 ――ん?

 

 

 そこで、ようやく彼女は自分が今どんな状況なんだろうかという事に思い当たった。

 覚醒したティアは目を、忍者としての経験からパッと大きくは開けずに、そうっと薄く開けた。

 

 その視界に入ってくるのは、燃えるような赤い髪。

 本当に目と鼻の先にあるため全容は見渡せないが、編み込みがされていてなお、その髪質に傷みもなく、まるで常に身だしなみを整えている貴族のような美しい髪だ。

 

 ティアは意識を取り戻したことを見抜かれぬよう、体を動かさずに薄目のまま状況を確認しようとする。

 だが、彼女を背負っている人間は、ティアが意識を取り戻したことにその鋭敏な感覚で気がついた。

 

「あ、目が覚めたっすか」

 

 そう言って首を廻し、肩越しに彼女の顔を覗き込む。

 冒険者ルプーことルプスレギナは、自分の背のティアを安心させるように、にぱっと笑った。

 

 その日が照るような笑顔に、よく分からない状況に置かれていることへ警戒の色を強めていたティアも、毒気を抜かれた様に肩から力を抜いた。

 

「うん、目が覚めた。お目覚めのキスを所望する」

「この体勢じゃそこまで首が回らないっすから、それは勘弁してほしいっす」

 

 ルプスレギナは冗談だと思ったようだが、ティアは言質(げんち)を取ったとばかりに首を伸ばして唇を奪おうとする。

 だが、何故だか体に力が入らず、ルプスレギナの背でバランスを大きく崩すにとどまってしまった。

 

「わっとと、あんまり動かないでほしいっす」

 

 ルプスレギナは一度ティアの身体を持ち上げるようにして、背負い直す。

 人一倍、体力があるであろう神官らしく、軽いとはいえ人ひとりを支えても、その体がよろめくことは無かった。

 

 

 そこで、ようやくティアは周囲を見回した。

 周囲は石造りの通路である。

 今、この場にいるのはルプスレギナと、背負われているティアだけ。

 

 ――他の者達はどこへ行ったのだろう?

 

 きょろきょろと周りに目を向けるも、他に動いている者はいない。

 はてな、と記憶をたどる。

 確か、ダークエルフの古代遺跡を調べるという学者の依頼で、冒険者やワーカーらとともに迷宮に入ったはず。そして、迷宮内でマンティコアに遭遇し、戦っている間に……。

 

 

 はっとティアは自分の背に手を廻す。

 ルプスレギナのものらしいマントで覆われているが、その下に傷は無いようだ。痛みもない。

 

 そのティアの動きに気づいたらしい、ルプスレギナが再度声をかけてきた。

 

「ああ、怪我なら私が直したっすよ。結構、深手だったので。でも、傷口は塞いだものの、流れ出た血までは治せなかったんで、ちょっと力が入らないかもしれないから無理は禁物っすよ」

 

 なるほど、そうだったのかとティアは納得した。

 先ほどからの倦怠感もその為だったのだろう。

 何か後頭部に痛みがあるが、倒れたときにどこかにでもぶつけたのだろうか?

 

 

 そしてティアは今の現状、何故、2人だけなのか? 他の者達はどこにいるのか? という事を尋ねてみた。

 それに対してルプスレギナは、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の転移によってバラバラに飛ばされたらしく、気がついたら迷宮の一室で怪我をして気を失っているティアと自分の2人きりだったので、とりあえず回復させ、彼女を背負って地上を目指しているところだと語った。

 

 その説明は、彼女をして恐縮させた。

 つまり、この女神官は本来の仲間であるモモンの安否が知れない状態ながら、ティアの身を案じて、一旦、遺跡を出る事を決断したらしい。

 困った時はお互いさまであり、身に危険が迫っている時はパーティーが違っていても、互いに背中を預けて戦うのが冒険者やワーカーである。そうではあるのだが、やはり最も大切なのは自分の仲間である。仲間の命と他のパーティーのメンバーならば、仲間をとるのが普通だ。

 だが、彼女は仲間であるモモンの捜索と救出より、他人であるティアの安全を優先させたという事だ。

 ティアの心は、美女であるルプスレギナの選択に、優越感と罪悪感を共に感じていた。

 

 湧き上がった気持ちを誤魔化す様に、ティアはルプスレギナのうなじ辺りに顔を押し付け、大きく息を吸った。

 匂いがする。甘い匂い。彼女の大好きな女性の匂いだ。

 

 ――おや?

 ティアはなぜだかその匂いの中に犬のような獣臭を感じた。

 

 しかし、疑問に思ったが、口には出さないでおいた。

 冒険者の宿命。

 旅の間はろくに身体も洗えないのである。それだけならまだしも、状況によっては服の洗濯すら出来ずに、何日も着たきり雀で過ごさなくてはならない。当然そんなことが続くと、たとえどんな人間だろうと、臭いの問題が出てくる。

 よって、臭いの話はある意味タブーであった。

 特に女性冒険者には。

 

 

 そして、ルプスレギナの背で揺られるティアが、せっかくだからこの体勢を利用して胸を揉もうか、いや、さすがに鎧越しで揉んでも面白くはなさそうだし、それをしたことによってそれくらい元気があるなら自分であるけと言われて、この素晴らしい状況を壊すことになってしまのではないかと心の中で煩悶(はんもん)していると――。

 

「あれ? いま、何か」

「ええ、何か聞こえたっすね」

 

 足を止め、後ろを振り向く。

 通路内に反響していた、ルプスレギナの鉄脚絆の音が収まる。

 

 耳を澄ませると、今度は確かに聞こえた。

 何かは分からないが、おそらく通路の石畳を叩きつける音。

 それがとどまることなく、連続して続いている。

 やがてその音は段々と大きくなり、耳をそばだてる必要もなく聞こえるようになった。

 そして、やがて迷宮内に反響する音は耳をふさぎたくなるほどに。石造りの地下通路が振動で震えるほどにまで。

 

 今なら分かる。

 何者かが盛大な足音を立てて、走っている。

 

 自分たちの後ろから。

 こちらに向かって。

 

 

 彼女らは一瞬、呆気にとられた。

 だが、事の次第に気づくと同時に駆けだした。

 どちらに行けば迷宮から出られるかは分からないが、とにかく音の主から逃げる様に。

 そいつがなんなのかは分からないが、少なくとも自分たちと仲良く話をしたいと思うような(やから)でないのは確かだろう。

 

 

 そうして足音に追われる様にただひたすら走るルプスレギナの背にいるティアの目は、自らの記憶にあるものを捉えていた。

 

「ここ! 前に通った通路で、たしかこんなところがあった!」

 

 ティアは必死で自分の記憶と、目の前の通路を重ね合わせる。

 分かれ道に差し掛かる度に、「右!」、「左!」と叫ぶ。

 

 やがて通路が登り坂となった。

 この坂こそ迷宮の入り口へとつながる坂のはず。

 案の定、すぐに長い下り坂となり、ティアを背負ったまま、ルプスレギナは転がるように駆け降りる。

 

 はるか先に、光が見えた。

 入り口だ。

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光に慣れた目に、太陽の光が眩しく映る。

 2人は、燦燦と照りつける日差しの中へ飛び出そうとした。

 だが、そこでティアは気がついた。

 

「ストップ! スタァップ!」

 

 言われたルプスレギナは慌てて、足で制動をかける。2人分の体重を乗せた足は洞窟の石の上を滑りつつも、光刺す洞窟入り口で制止した。

 ルプスレギナの足元が、水面でちゃぷんと音をたてる。

 まばゆい光に目を細めつつも辺りを見回すと、そこはたしかに、最初に入って来たところ。湖の水面ギリギリに作られた洞窟の入り口。

 危うく、坂道を駆け降りた勢いのまま、湖に突っ込むところであった。

 

 10メートルほど向こうの対岸に目をやると、物音に気付いたのか、そこで野営をしていた『虹』の冒険者たちと『森の賢王』ハムスケ、そして先に脱出したのであろう『漆黒の剣』の面々、ならびにパルパトラのワーカーチームが驚いてこちらを振り向いているのが見えた。

 

 そうしている間にも、彼女たちの後ろから何者かの音がどんどん近づいてくる。

 もはや、その音はすぐ後ろから聞こえてくる。

 

 ルプスレギナはとっさに横っ飛びに飛んだ。

 間一髪、一瞬前まで彼女らの姿があったその場所を巨大なものが駆け抜けていった。

 

 そいつは激しい水音と共に、湖へと突っ込んだ。

 

 

 対岸にいた冒険者らは目を見張った。

 それは巨大な蜥蜴。

 暗緑色の鱗に覆われ、通常の蜥蜴とは明らかに違う凶暴さを纏わりつかせた、その姿。

 『漆黒の剣』は知らなかったが、他の者達は一目見て分かった。

 

 

 ギガントバジリスクである。

 

 

 彼らは皆一様に顔をひきつらせた。

 圧倒的な生命力、その毒の体液、そして何より石化の視線は何の準備もなしに勝てるような、生半可な相手ではない。

 

 

 だが――。

 

 

 ――ん? なんじゃろうか? こいつは、ちと妙じゃのう。

 

 パルパトラは、突然の大魔獣の出現に慌てふためく他の者達をしり目に、すっかり白くなった眉根をしかめた。

 彼はかつてギガントバジリスクとも戦った事がある。その記憶の中の怪物(モンスター)と今、目の前に現れた蜥蜴では妙な点がいくつかあった。

 

 まず、その動き方。ギガントバジリスクはその長い胴体をまるで蛇のようにくねらせながら滑らかに動くのであるが、今、湖面で(うごめ)くそいつの姿は、どこかぎこちないものを感じさせた。

 とくに気になったのは、その目。ギガントバジリスク最大の特徴にして、恐るべき能力が石化の視線である。対石化もしくは対視線の対策を施していなければそれだけで、いかなる強者であろうと命を奪われてしまう。しかし、今、蜥蜴の目は半開きになったままだ。本来ならば、石化の視線を受け、石と化すはずなのに、何故、自分たちはこうしていまだに生きていられるのか?

 目の前の巨獣に懐疑の目を向け、パルパトラは首をひねった。

 

 だが、そう悠長にもしていられない。

 なぜだか石化の視線は効力を発しないようだが、ギガントバジリスクという怪物(モンスター)は単純な体力、生命力だけでも十分凶悪かつ強力な相手なのだ。

 

 その恐るべき魔物は不格好ながらも湖の水面をその四つ足でたたき、こちらへ向かってくる。

 全員が慌てて、武器を取り、陣形を整えた。

 魔法はまだ温存していたが、弓矢を手にしたものは早くも次々と矢を射かけている。だが、大蜥蜴の固い鱗は鉄の矢じりなどものともせず、幾本かは鱗と鱗の間に刺さるも、それには痛痒の一つも感じていない様子であった。

 

 やがて、そのねじくれた鉤爪のはえた足が、水辺の土を踏みしめる。

 湖畔のぬかるんだ軟泥に短い足と這いまわる胴体の跡をつけ、猛然と突進を始める。

 ハムスケの尾が鞭のようにしなり、ギガントバジリスクの身体を打ち据えるが、それでもそいつは怯んだ様子もない。

 

 

 そして、あとわずかで一足飛びに飛びかかれる距離に踏み込むと思った刹那――。

 

 

 今、ティアとルプスレギナ、そしてギガントバジリスクが飛び出してきた古代遺跡の入り口。そこから、更に飛び出してきたものがある。

 黒い姿のそいつは一息に湖を飛び越えた。

 

 

 その場にいた者達は、思わず顔をあげた。

 はるか高く、陽光を背にした、宙を舞う漆黒の全身鎧(フルプレート)

 

 冒険者モモンだ。

 

 

 彼は足場もない中空で体を回転させ、その大剣を下へと投げつける。

 その鋭い切っ先は狙いたがわず、ギガントバジリスクの首筋に突き刺さり、その体を大地へと縫い付けた。

 

 ズンと音を立てて着地するモモン。

 彼の後ろでは、ギガントバジリスクはしばし身体をのたうち回らせたものの、やがて動かなくなった。

 

 

 突然の巨獣の襲撃、そしてその幕引きに誰もが声もない中、『漆黒の剣』のニニャが慌てて彼の下へ駆け寄って来た。

 

「モモンさん! ご無事でしたか」

「ええ、ご心配かけてしまいましたか」

「あの、転移で皆、散り散りになってしまいましたから……。あ、今、ティアさんとルプスレギナさんも出てきたところみたいですよ」

 

 視線を向けると、ルプスレギナと彼女の背から降りたティアの2人が、湖岸に生える木の根を伝って、湖を回り込んで来ようとしている所だ。こちらの視線に気がついて手を振っている。

 

 そして、やや緊張した面持ちでニニャは問いかけた。

 

「それで、他の人たちについて知りませんか? あのエルヤーというワーカーはティアさんの背を切りつけたんです。放っておくわけにはいきません!」

「ああ、そいつなら、私の事も殺そうと襲いかかって来たので、切り伏せました」

 

 事もなげに言うモモンに、一瞬ぎょっとしたものの、ニニャは安堵の息をついた。

 

「そう……ですか。モモンさんが無事で何よりです。あ、それと依頼主である学者のお2人もまだ、洞窟から出てきてはいないみたいなんですが……」

「その2人も倒しておきましたよ」

「……え!?」

 

 近くで彼らの会話を聞いていた他の者達も驚いて、悠然と立つ漆黒の戦士の事を振り返った。

 

 彼は皆の視線を集めているのを理解したうえで、マントの下に手を突っ込み、そこから取り出したものをニニャに放った。

 ニニャは慌てて両手でそれを受け止める。

 それはあの学者たちが手にし、そして頻繁に目を落としていた、革張りの装丁の書物だった。

 

 モモンにうながされるまま、なんだろうと、ニニャはそのページをめくっていく。

 読み進めていくうちに、ニニャの目が驚愕に大きく見開かれていった。

 

「モ、モモンさん! これは……」

 

 その言葉に深くうなづいた。

 

「つまり、それが今回の一件の真実ですよ。つまり、今回の依頼、そしてそれだけではなく、この近辺で目撃されたというダークエルフの件もすべて、ズーラーノーンの仕業という事です」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、彼らはエ・ランテルに戻り、冒険者組合に事の顛末を報告した。

 

 最初はいくらなんでも予想だにしなかった話に、アインザックとしても半信半疑であったが、参考として提出された、依頼主である学者が持ち歩いていた書物が揺るがぬ証拠となった。

 

 

 そこに書き記されていたのは、おぞましいまでの研究とそれを実現させるための計画であった。

 

 

 エ・ランテルを死の都市に変える作戦に失敗したのち、ズーラーノーンはその計画を阻止した冒険者モモンへの復讐を第一の目的とした。

 その第一歩として、先の計画で投入したもののモモンらによって倒されたアンデッドの補充が最優先とされた。

 そこで、奴隷として購入したダークエルフの姉妹を、彼らのうちに伝わる邪法により生きたままアンデッドに変化させ、生きている人間のように意思はあっても、自分たちの意のままに動く存在へと作り替える。そのダークエルフを囮にし、いなくなっても不審がられない人間、すなわち野盗などの犯罪者をおびき出し、そして捕まえては殺し、アンデッドの尖兵たちを作り上げていった。

 

 そして、あの湖畔の遺跡こそ、彼らが長き時と手間をかけて作り上げた秘密の実験場だったという訳だ。

 その最奥に作り上げられた研究施設では、口にするのもおぞましく、禍々しさに吐き気を覚えるような実験が日夜、繰り広げられていた。

 

 そうして全ての準備が整ったとみた彼らは冒険者モモンに指名依頼を出し、自らの勝手知ったる迷宮へと、遺跡の調査という名目で指名依頼を出しておびき寄せ、あらかじめ雇い入れていたワーカー、並びに自分たちの手塩にかけたアンデッド達を使って抹殺してしまうおうという計画を立てた。

 

 首尾よくモモン暗殺が叶った後は、再度、エ・ランテルを地獄の底に落としてやろうという野望を胸に。

 

 

 その書物にはそう書かれていた。

 

 

 

 もちろん、その内容はクワイエッセらが書いたものではない。

 エ・ランテルの裏社会において、筆跡の偽造で名を馳せている男に大枚はたいて、書かせたものである。ベルが乗っ取ったギラード商会は、すでにエ・ランテルの大方を牛耳る事に成功している。そちらの伝手で、半ば強引に仕事を依頼し、超特急でやらせたのだ。

 

 

 

 とにかく、その書物に書かれていた内容に、エ・ランテル上層部は青くなった。事は冒険者組合だけでは収まらない。

 今回の依頼には、エ・ランテル上層部の意向も多く入っている。

 

 自分たちが出した都市周辺の安全宣言。ダークエルフはこの近辺にはいないと明言した。

 その直後にダークエルフ関連の遺跡の存在が明らかになり、慌てて冒険者組合を介して、街としての依頼という形にしたのだ。

 本来ならば持ち込まれた依頼は、冒険者組合が裏を取るなどの作業をしたのちに依頼としてだすのであるが、今回の件に関してはもし事実であった場合、急いで対処しなければ都市として、冒険者組合としての面子(めんつ)が立たなくなると危惧したため、遺跡の存在を確かめただけで通常の確認手続きを省略してしまっていたのだ。

 

 もし、この書物の内容が事実だとしたら、都市そのものがズーラーノーンの策略にまんまと引っ掛かり、あたら有能な冒険者を無駄死にさせかねないところであったということだ。

 

 

 しかも、今回の件に関してはオリハルコン級の『漆黒』モモンのパーティーや『虹』パーティーメンバーだけではなく、アダマンタイト級冒険者ティアまで絡んでいるのである。

 悪いことに、ティアは共に行ったワーカーチームの襲撃にあい、重傷を負ってしまっていた。

 

 エ・ランテルの冒険者だけならまだしも、『蒼の薔薇』のティアは王都を根城としている。

 下手をしたら今回の一件で、エ・ランテルの冒険者組合は都市行政が絡んだ政治的な案件が一因となる理由によって、持ち込まれた依頼をろくに調査もせずに承認し、冒険者を危険にさらしたという事が、各地に知れ渡る羽目になりかねない。

 

 そんなことになったら、エ・ランテルの冒険者組合の信頼は地に落ちる。

 エ・ランテルにやって来ようとする冒険者はいなくなるだろうし、エ・ランテルの冒険者たちもまた、そんなところに自分の命は懸けられないと街を去ってしまうだろう。

 怪物(モンスター)退治に関して冒険者への依存が大きい王国で、冒険者がいなくなった都市など、想像するだに最悪としかいいようがない。

 

 不幸中の幸いは『漆黒』のメンバー、ルプーが怪我を治してやったために、ティアの命に別状はなかったことだろうか。

 

 

 

 とにかく、エ・ランテルの冒険者組合は急いで、この書物の確認に動いた。

 

 まず、ワーカーを使ってモモン抹殺を計っていたという記述から、生き残ったワーカーであるパルパトラたちが尋問にかけられた。

 その際、パルパトラは何も隠すことなく、全てを話して聞かせた。

 帝国で学者に扮した2人から遺跡調査の依頼を受けた事。旅の途中でモモン暗殺の話を持ち掛けられた事。それを断った他のチームが殺されてしまったようだったため、そのことを告発できずに行動を共にしていた事。そして、自分たちはモモン暗殺に協力はしたくなかったことを語った。

 それらの事が説明されたのであるが、当初はモモン暗殺の任務を失敗したための保身を目的とした言い逃れとしかとられなかった。

 だが、同じワーカーであったエルヤーがティアに切りかかった際、パルパトラらにも裏切りを示唆したものの、彼らがそれに従おうとしなかったところは生き残った冒険者たち全員の知るところであり、またその後に行動を共にした『漆黒の剣』が彼らに助けられ、そのおかげで無事に遺跡を抜け出ることが出来たと証言し、彼らの弁護に回ったため、パルパトラらに関しては一先(ひとま)ず保留とされた。

 

 

 次に遺跡の調査である。

 冒険者組合として、その書物によれば遺跡の最奥にあるというズーラーノーンの研究施設を調べようとしたのであるが、それは叶わなかった。

 

 迷宮の奥にあった生命を冒涜する、口にするのも(はばか)られる様な(おぞ)ましくも邪悪な施設や装置は、発見したモモンが二度とこのような事が無いようにと、徹底的に破壊してしまったという。

 その際、なんらかの毒が漏れ出たらしく、その遺跡にはもう入れなくなってしまっていた。

 

 入り口から入ろうとすると、即座に精神に異常をきたし、それでもなお進もうとすると命を奪われてしまうのだ。動物を侵入させてみる実験でそれが明らかになったのであるが、さすがに人間なら耐えられるかという事は試してみようとは思えなかった。

 

 

 ちなみに、そんなことになる原因は迷宮内に入ってこられないよう、入り口付近に永遠の死(エターナルデス)をこっそり潜ませているからである。

 

 ズーラーノーンの研究施設がこのダミーダンジョンの奥にあるなど、完全な嘘であり、中まで調査などされたら困るためだ。

 だが、さすがに本当か嘘かも分からぬ書物の記載のみで信じてくれというのは、いささか無理のある話だとはアインズもまた思った。

 その為、少しでも信憑性を高めようと、ギガントバジリスクの死体をゾンビにして、外にいる冒険者たちを襲わせ、そこを冒険者モモンとして格好良く退治して見せたり、クワイエッセの召喚した魔獣たちの中で死体が残っているものに関して、証拠となる討伐部位を出来るだけ集めて提出することで、迷宮の奥は恐るべき死地であったと印象付けたのだ。

 

 幸いにも、アインズが思っていたより、ギガントバジリスクを始めとしたそれらの魔獣の脅威は、この地の人間にとってはるかに高く、冒険者組合の人間はその事をよく知っていた。

 それらモモンが提出した幾多の魔獣の討伐部位を見ただけで事の重大さはよく理解できた。これらの魔獣の討伐など、エ・ランテルの全勢力を結集してもほぼ不可能であり、それをたった一人で倒したというモモンの実力は彼らにとって計り知れないものであった。

 

 

 当然、その言葉を疑う事など出来ようはずもない。

 それに下手に疑うと、対外的に拙いのだ。

 先にあげた通り、冒険者組合はしっかりとした調査無しに指名依頼を通してしまったという負い目がある。

 

 

 そこで冒険者組合は、筋書きを変えることにした。

 学者の依頼に冒険者たちをつけたのではなく、最初からズーラーノーンの討伐が目的であったという事にしたのだ。

 つまり、知らずに冒険者たちを送り込んだのではなく、その遺跡がズーラーノーンの拠点であると情報を掴んだうえで、アダマンタイト級冒険者のティアやオリハルコン級の『漆黒』など、錚々(そうそう)たるメンバーで討伐に臨んだ。そして『漆黒』のモモンの活躍によって、エ・ランテルの街を再度襲撃しようとしていたズーラーノーンの計画は潰えた、という形にしたのだ。

 

 

 当然のことながら、事の真相を知っている『虹』や『漆黒の剣』ら冒険者組には、口止め料として報酬を上積みした。

 パルパトラらに関しては、そのことを口外しないことを解放の条件とし、彼らもまたそれを了承した。

 ティアに関しては、真正面から頭を下げ、そういう事にしてくれと頼み込んだ。ティアとしても、今回の探索に関しては、最初は罠の解除などで活躍したものの、エルヤーに不意を突かれ背後から斬りつけられた上、その後はルプーに背負われて迷宮を脱出しただけであり、あまりアダマンタイトらしく活躍したとも言えなかったため、そのやり口にどうこう言える立場でもなく、彼女は首を縦に振った。

 その判断には、アインザックから聞かされた、冒険者チーム『漆黒』に対する今後の処置も関連している。『漆黒』と知己となったアドバンテージを生かせると考えたためだ。

 

 

 そして、冒険者チーム『漆黒』であるが――。

 

 

 エ・ランテルを破壊と混乱の渦に再度叩きこもうとしたズーラーノーンの野望を未然に防ぎ、またギガントバジリスクを始めとした幾多の恐るべき魔獣を討伐した功績を持って、襲い来る魑魅魍魎たる悪意から人間を守る最後の切り札、人類の決戦存在たるアダマンタイトの称号を与えられることとなった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

《余談―1》

 

 

 パルパトラはエ・ランテルの街を一人歩いていた。

 

 空はまだ染まりはしないものの、日はすでに傾きかけている。

 彼が歩く通りは、まだ人がひしめく時間にはまだ早すぎる。だが、目当ての店の扉を開くと、その中はまだ日も高いというのに、淫猥さと猥雑さが混ざり合った空気に包まれていた。

 

 窓一つない室内は、方々(ほうぼう)に据え付けられた様々な色のシェードをかけられた燭台の光に照らされ、日々の日常とはかけ離れた意識にさせる。

 そしてその中では、その秘所のみを隠すわずかな薄布を身に纏った、時にはその薄布すらも纏わぬ女性たちが淫靡(いんび)な踊りを舞い、それを見る男たちが下卑(げび)た声とともに酒を飲みながら、ステージ上に硬貨を投げつけていた。

 

 パルパトラは踊りに夢中になっている男たちの間を縫うように進み、店の片隅にある小さな丸テーブルへとたどり着いた。

 そこにはすでに先客がいた。浅黒い肌の男だ。おそらく荷運びを生業としているらしく、シャツから覗く筋肉ははちきれんばかりだ。陶器のグラスを度々口に運び、踊る女たちを眺めている。

 パルパトラは彼に声をかけた。

 

「美味そうなものを飲んておるの」

 

 そこで初めて男が、傍らの老人に目を向けた。

 

「美味いもんかよ。不味くて口が曲がりそうだ」

「ほう。そういうのが趣味かと思ったんしゃか。さて、儂も一杯もらおうかの」

「せっかくだ。一杯奢ってやろうか?」

「いや、奢られるのは性に合わん。半分は出させてもらうそ」

 

 そう言うと、卓上に銀貨を3枚積む。

 宝石のついた乳当てと腰に緩やかな帯だけをつけた女が、尻を振りつつ酒の入った杯を運んできた。そして、女が歩き去ったのを確認すると荷運びの男は、歩く女に好色そうな瞳を向けつつ、その目の奥で光る、その表情とは全く違う冷たい瞳で辺りを見回し、周囲の喧騒に紛れる様に低い声で言った。

 

「それで、報告の方は?」

 

 

 エ・ランテルの上層部には今回の一件、学者を名乗る男に雇われて、モモン抹殺を頼まれたなどということは話したのであるが、パルパトラにはもう一つ、その前から頼まれていた依頼があった。

 それは帝国からの依頼。

 エッセと名乗る学者らの依頼を受け、事の顛末を報告する事という依頼であった。

 

 この荷運びに扮した男は、エ・ランテルに潜伏している帝国の諜報員である。

 パルパトラは事の次第を、彼に報告するようにと前もって指示を受けていた。そうしたら任務達成とみなし、約束していた報酬を渡すと。

 

 

 パルパトラは包み隠さず話した。

 下手に情報を隠し持ち交渉しようとするより、全て情報は渡してしまって、もう用はないと思われた方が安全だと判断したためだ。

 

 幾度か杯を口に運ぶ真似をしながら聞いていた男がうなづいた。

 

「なるほど。では、報酬だが……」

「すまんが、それは今度にしてくれんか? 実はご覧の通り、今日来たのは儂一人での。仲間がおらんのしゃよ。一人で報酬をもらって帰ったら、儂がこっそり報酬を抜いたと思われるからの。そういう訳で、報酬をもらうのは3日後でいいかの? そん時には仲間を連れてくるでの」

 

 男はわずかに口元をゆがめたものの、首を縦に振った。

 

 

 

 そして、3日後。

 荷運びの男は指定の場所で待っていたが、パルパトラらはいつまで待っても来なかった。

 

 彼らはすでにエ・ランテルを後にしていた。

 パルパトラが男に会った後、彼は仲間と共に急いで荷物をまとめ、夕刻、エ・ランテルの門が閉ざされる前に、街を脱出したのだ。

 

 なぜ、そんなことをしたのかというと、すでに用済みとなった自分たちを帝国が口封じに暗殺する可能性に備えたためである。

 

 しかし、これはさすがに杞憂であった。

 帝国としては、あまり触れ回られたくはないものではあるが、それでも他国の領内で名の知れたワーカーチームを暗殺するほどの事でもない。あまりにリスクが多いわりに、得るものが少ない。

 パルパトラとしても、それは分かってはいた。おそらく、ここで暗殺されることは無いだろうとは踏んでいた。だが、それでもわずかであろうと可能な限りリスクを減らす事が、彼がワーカーという綺麗事の存在しない世界で生きてきた処世術である。

 

 

 その後、彼らは帝国には戻らず、法国を経て、竜王国へとたどり着いた。

 そこで荒れ狂う大波のように襲い来るビーストマンの侵攻を幾度も防ぐこととなり、パルパトラ〈緑葉(グリーンリーフ)〉オグリオンの名は、かの地で英雄として語り継がれることとなる。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

《余談―2》

 

 

「がああっっ!」

 

 苦痛の声をあげて、男が坂道を転がり落ちる。

 やがて、その体が一番下の石畳に叩きつけられ止まった。反動で振られた男の腕が、ばしゃりと音を立てて、水の中に沈んだ。手に感じる冷たさに、激痛で遠のきかけた男の意識が覚醒する。

 男は地に這いつくばったまま、藻や泥で濁った水を口に運ぶ。

 口に含んだ瞬間、ぬるりとした感触が口内に広がり一度吐き出すも、再度手を入れ、水をすくいあげる。そうして、生臭さを我慢し、ゴクリゴクリと喉奥に流し込んだ。

 

 やがて、ようやく人心地ついたのか、男は仰向けに転がった。

 迷宮の暗さに慣れた目に、傾きかけたとはいえ、日の光は強烈であった。

 

 まばゆさに目を細めつつも、エルヤーは大きく息を吐いた。

 

 

 

 エルヤーが生きて迷宮を出られたのは偶然だった。

 モモンとの戦いに敗れた後、彼は迷宮内の地下水路へと投げ捨てられた。その利き手は砕かれ、片足の腱は切られ、その背には鉄鉤が突き刺され、その端にはエルフ奴隷の焼死体が括りつけられるという有様。

 その流れに押し流されるままに水路を進むと、やがて貯水池とでもいうべき広大な空間に流れ着いた。

 幸い、そこには水に落ちた獲物を狙う肉食系の水棲動物はいなかったものの、水の冷たさと流れ出る血、そして、湖底へと落ちていこうとする死体の重さにエルヤーは必死で格闘した。

 端にある縁に手をかけることが出来たものの、片手ではそこを掴んだまま背中の鉄鉤を外すことは出来ず、ただ、水の中へ沈んでいかぬよう堪えることで精いっぱいであった。

 

 どれほどの間、そうしていただろうか?

 

 不意に背中から重みが消えた。

 彼の背中に突き刺さっていた鉄鉤が、どういう訳だか消えてしまったのだ。

 エルフの死体は彼女たちだけでゆらゆらと揺らめきながら湖底に沈んでいく。

 

 エルヤーは助かるのは今しかないと力を込めた。

 だが、冷たい水で奪われた体力で、長時間水の中にいた体を持ち上げるのは超人的な努力を必要とした。

 だが、エルヤーの生への渇望が、それを成し遂げた。

 その身を貯水池の端にある通路へと押し上げることに成功したのだ。

 

 そのまま倒れ伏し、身動き一つ出来ずに大きく呼吸をするエルヤー。

 だが、まだ助かったわけではないと、痛む全身に喝を入れて、起き上がる。

 

 しばらく周囲を調べたところ、上へと続く梯子を見つけた。

 

 そして、また難行が続いた。

 彼の片手片足は使い物にならないため、残ったもう片方で昇らなくてはならない。あいにくと回復魔法が使えるエルフは、すっかり黒焦げの炭になってすぐ脇の地底湖の底である。ポーションも水に落ちた際に無くしてしまった。

 

 だが、それでもエルヤーは諦めなかった。

 不屈の精神で一段一段身体を押し上げ、やがて一番上、平らな石畳の一室へと這いあがったのだ。

 

 そこからさらに迷宮の入り口を目指したのだが、どういうわけだか侵入時は大量にいた怪物(モンスター)やらアンデッドやらが、迷宮内にまったくいないのである。

 

 よくは分からなかったが、彼は好機と見た。

 そして、幾度も迷いながら、遺跡内を歩き回り、ついに脱出に成功したのだ。

 

 

 

 そして、今度は人里、もしくは街道まで移動しなくてはならなかった。

 遺跡の入り口で待っていても、救助が来るとは思えない。むしろ、(ろく)でもないやつに見つかる可能性の方が高そうだった。

 

 そして、エルヤーは日の落ちたトブの大森林を一人進む。

 落ちていた木の棒を支えに、木の枝をかき分け、何か物音がしたと思ったら、即座に地に伏した。

 

 本来の彼であれば、どんな相手だろうと何ら恐れることは無い。いかなる怪物(モンスター)だろうが切り伏せて見せる自信はあった。

 だが、今はまともに戦える状態ではない。ゴブリン1、2体程度ならまだしも、二桁に達する数であったり、もっと強力なトロールなどと遭遇したら拙い。

 その為にこっそりと隠れながらの移動であったが、それは彼にとっては屈辱の極みであった。

 

 

 やがて月が夜の真上に来る頃、その体が樹木の海から飛び出した。

 ついに街道へと行き着いたのだ。

 ここからは街道沿いにどちらかに行けばよい。

 だが、ここまで歩いてきたことで、すでに方向感覚は失われている。どちらに行けばよいのか……?

 

 悩むエルヤーの目に光が見えた。

 揺らめく赤い光。

 火の灯りだ。

 

 見ると近くに馬車も見える。おそらくどこかの隊商が野営をしているのだろう。

 

 ――一先ず、彼らに助けを求めよう。旅の商人ならば、ポーションくらいは持ち歩いているだろう。怪我さえ治れば、なんとでもなる。それと食料だ。もう丸一日近く何も食べていない。どんなものでもいい。腹に入れたい

 

 エルヤーは気がせくままに、足を引きずりながらそちらに近づいていった。

 

 

 

 だが、その野営地らしき場所にたどり着いてみると、奇妙な事に気づいた。

 

 人がいないのである。

 

 焚き火は燃えている。

 そこにかけられた鍋もそのままである。

 だが、なぜか誰一人いないのである。

 

 

 エルヤーは首をひねりつつ、燃える火に近寄って行った。

 

 不意に――背筋に寒気が走った。

 

 

 ――何かがいる!

 

 

 その時、風向きが変わった。

 風がエルヤーのところに臭いを運んでくる。

 

 血の臭い。

 それと――獣臭。

 

 慌てて上を向くと、堅牢そうな馬車の上、そこに巨獣がいた。

 凶暴な気配を漂わせる堂々たる体躯の獅子。その背には黒い蝙蝠の羽があり、本来尾があるところからは先が割れた舌を出し入れする毒蛇が生えていた。

 

 

 マンティコアである。

 それも2体。

 

 

 エルヤーは後ずさりした。

 普段の彼であれば、マンティコアなど恐るるに足らない。

 だが、今の彼は片手片足が使えず、その身は疲労困憊し、更にはその手にあるのは愛用の剣ではなく、ただの棒っ切れである。

 

 

 マンティコアは威嚇の吠え声をあげた。

 大きく開けた口からはよだれが垂れている。だが、それは空腹による飢餓感からではなく、抑えきれぬほどの憤怒の発露である。

 怒りに燃える瞳がエルヤーをとらえる。その瞳は片方しかなく、獅子が体をゆすると、潰されたもう片方の目から赤黒い血が滴った。

 

 

 そして凶獣は耳をつんざく咆哮と共に、飛びかかった。

 

 

 襲い来る魔獣に叩きつけられたのは、華麗な剣閃ではなく、エルヤーの口から洩れた恐怖と怯えの悲鳴であった。

 

 

 

 

 

 

「あの、ベルさん」

「なんですか、アインズさん?」

「ちょっと聞きたいんですけどね。あのダミーダンジョンに使ったマンティコア。あれ、どうしました?」

「? あの時のマンティコアですか? いや、特にもう必要もなかったですし、うちで飼ってても無駄に食費がかかるだけですから、てきとうに転移でその辺に捨てておきましたよ。ついでに、あのダンジョン内に自然湧きしていたアンデッドとかも。レベル低いのに数だけいて邪魔だったんで、そいつらも一緒に」

「そうですか……」

「どうかしましたか?」

「いえね。実はエ・ランテル近郊の街道に、トブの大森林奥地にいるはずのマンティコアが突然現れて、隊商とかを襲ってるって、冒険者組合の方で問題になってるんですよ。それも、現れたマンティコアは2体で、1体は片目が潰されている。もう1体は翼が取れかけているって話です」

「…………」

「…………」

「……………………頑張れ。アダマンタイト級冒険者、モモンさん!」

 

 

 



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第49話 おまけ ペットは家族

 あまりに暑くて書く時間が取れなかったためと、一度書きかけたデータが飛んでしまったために、少し遅くなってしまいました。

2016/8/11 「ネム様にこっそり」→「ベル様にこっそり」訂正しておきました。数名の方から誤字指摘いただきました。申し訳ありません。
2016/8/11 村長宅での会議のシーンで、いないはずのンフィーレアの名前を削除しました
2016/8/11 火球(ファイアー・ボール)〉となっていたところを〈火球(ファイアー・ボール)〉に訂正しました


 まばゆいばかりに輝く陽光が、のどかな農村を照らし出す。

 すでに太陽は真上を過ぎ、村の皆はそれぞれ、休憩をとる者、畑でもうひと稼ぎする者、家の手伝いをする者、戦闘の訓練をする者などと各人の都合に合わせて行動している。

 

 

 そんなカルネ村に、久しぶりに2人の人物が訪れていた。

 

「いやあ、カルネ村ですねぇ」

「はい。カルネ村ですねぇ」

「見るからに、カルネ村ですねぇ」

「紛うことなく、カルネ村ですねぇ」

「十中八九、カルネ村ですねぇ」

「九分九厘九毛、カルネ村ですねぇ」

「これでもかという程、カルネ村ですねぇ」

「まさに怒涛の勢いで、カルネ村ですねぇ」

 

 何やら、どちらが先に突っ込むかという謎の勝負をしているアインズとベル。

 2人の前で、出迎えたエンリが困った顔をしたまま、いつ声をかけたものやらと困惑していた。

 

 

 

「やあ、エンリ。調子はどう?」

 

 そうベルが声をかける。

 ちなみに勝負は、「まさにナウなヤングにバカウケのトレンディでイタメシなスポットですね。カルネ村だけに」という言葉に、思わずアインズが「いや、カルネ村に全然かかってませんし、なんですか、その訳の分からない言葉の羅列は?」と突っ込んでしまい、ベルの勝ちとなった。どうでもいいのだが。

 

 

「お久しぶりです、ゴウン様、ベル様」

 

 2人のおかしなやり取りにつき合わされた事により、いささか疲れた様子ながらも頭を下げ挨拶するエンリ。

 

「話には聞いているが、随分と住人が増えたようだが大丈夫かね? もし、上手くいかなくなっているところがあるようなら、応援を出してもいいぞ?」

 

 アインズのエンリを気遣う言葉。

 だが、彼女は首を振った。

 

「オーガ達もちゃんとこちらの指示に従ってくれてますし、蜥蜴人(リザードマン)の方たちも色々と協力してくれていますので、村としては問題はありません。周囲を取り囲む防壁もありますし……」

 

 アインズは「ふむ、そうか」とうなづきながら、周囲を見渡した。

 高さにして数メートルはあろう防壁。その外側には空堀と水堀が張り巡らされており、攻城兵器などが直接外壁までたどり着くのは難しいだろう。また、各所には(やぐら)(しつら)えてあり、そこに設置されたバリスタは、防壁に取り付けぬよう設置された堀により歩みが遅くなった敵に対し、恐るべき威力を発揮しそうだ。

 

 

 だが、ベルは気がついた。

 エンリの顔が、こうしている今もわずかに曇っていることを。

 そして、この出迎えに、なぜかネムがいないことを。

 

「あれ? ネムはどうしたの? いつもなら、久しぶりに会えたって言って喜んで来るはずなのに」

 

 そう尋ねてみると、エンリはとても言いづらそうに口にした。

 

「ええ、ちょっと……今回、ゴウン様達がいらっしゃるのはネムには伝えておりませんので」

「ん?」

「あ、あの、実は……お話ししたいことが……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

  

 

 

「ネム―!」

「あ、ベル様!」

 

 村の外れを一人歩いていたネムは聞こえた声にきょろきょろと辺りを見回し、その視線の先に見知った顔を見つけ、手を振った。

 ベルはそれに手を振り返す。

 

 てこてこと駆けよって来たネムがベルの前で立ち止まる。

 

「ようこそ、いらっしゃいましたー」

「やあ、久しぶり」

 

 しばし、近況を話し合う。

 にぎやかになったカルネ村の話。

 ゴブリンたちがいかに村人たちの役に立っているか。オーガらの持つ巨大な武器をどう工面したか。新しく村にやって来た蜥蜴人(リザードマン)達の働きぶりはどうか。なんだか最近、デスナイトのリュースの近くを通ると、うなり声以外に知らない人間の言葉が聞こえることがあるとか。倒れたンフィーレアがエンリにお姫様抱っこで運ばれたとか、そんななんでもない話に花を咲かせた。

 

 

 そして、話が一段落ついたところで、ベルは本題を切り出した。

 

「ところで、なんでこんなところにいたの?」

 

 先ほどエンリから一通りの話は聞いてはいたため、大方の事情は察しているが、そう質問してみた。

 案の定、その事を聞かれたネムは言葉に詰まった様子だった。

 

「え? う、うーん? な、何でもないよ……」

 

 ネムは悩んでいるようだった。その小さな額にしわを寄せている

 話していいのか、それとも秘密にしていた方がいいのか迷っている様子である。そんな表情を人前で見せていること自体、なにか隠していることがあると白状しているも同様であるのだが。

 

「なにか、この辺にいなきゃいけない理由があるとか?」

 

 その言葉にネムの背がビクッとはねた。

 

「そ、そんなことないよ! この辺を歩いてたのはたまたまだよ!」

 

 思わず言葉が大きくなった。

 誤魔化そうとしたのであるが、それこそ逆効果である。

 だが、ベルは気付かないそぶりで、その言葉にうなづいて見せた。

 

「ふーん。そうなんだ」

「う、うん。そうだよ」

 

 目をそらすネム。

 ベルはにやりと笑った。

 

「ネム。何か隠し事をしてない?」

「そ、そんなことしてないよ!」

「いや、しているね。当てて見せようか?」

 

 ベルは人差し指をピンと立て、額に当てると目をつぶり、しばし考え込む――フリをした。

 そして、その指をビッとネムに向ける。

 

「ネム。君は何かをこっそり飼っているね」

 

 その言葉にネムは目を丸くした。

 

「えー、なんで分かるの!?」

 

 突然、自分の秘密を言い当てられたことに目をぱちくりするネム。

 対して、手を腰に当ててドヤ顔をするベル。

 

 

 なぜ分かったかというと、何のことは無い、さっきエンリからネムがこっそり何かを飼っているらしいと聞いていたからである。

 

 

 

 子供がこっそり動物を飼う。

 

 ある意味、よくある話である。 

 たしかにその動物にやる餌は必要になるが、問題となるのはその程度だろう。もちろん、大きくなった後の世話とかをどうするのかとかいう問題もでてくるだろうが、別に人間の住む都会のど真ん中という訳でもなく、もともとカルネ村は自然に囲まれている村だ。それこそ、飼えなくなったらその辺に放してしまっても、余所に迷惑をかけることもないだろうし、そいつもそれなりに生きていくだろう。生態系が壊れるとかもまず考えられない。それに飼育の責任とか問われる様な環境でもない。

 

 アインズやベルからすると、大したことでもないような気がする。

 だが、エンリから話を聞いたところ、実はペットに関して、こう言った村ではかなりの問題となる事例も多くあるようだ。

 

 

 一匹でいた動物の子供を見つけたので、餌をやるなどして世話をしていたら、子供をさらわれたと思った動物の親が村を襲った。

 幼獣に餌をやっていたら、どんどん大きくなってしまい、食べさせる餌に困って森に放したら、餌を求めてその獣が当の村を襲った。

 子供のころから世話をしていた人間が、村の共同作業中に怪我をしたら、その人間が他の人間に襲われたと勘違いした獣が村人を襲った等々……。

 

 辺境の村では下手に拾ってきた動物を飼ったがためにトラブルになるというのは、枚挙(まいきょ)にいとまがないほどらしい。

 それでもただの動物ならまだいいのだが、拾ってきた幼獣が実は魔獣の子供だったりすると、さらに被害が拡大し、下手をするとその村が滅んだり、近隣の地域にまで被害が出る恐れまであるそうだ。

 

 

 そのため、近くで何かを拾ってきてどこかで飼っているらしいネムから、どこで何を拾ってきたのか聞きだそうとしているのだが、ネムはそれを隠して言おうとはしないのだそうな。

 

 エンリとしてはカルネ村の村長として、村に対しての責任があるため放っても置けない。

 ネムとしても、そんなエンリに村の安全を優先して捨ててこいと言われるのではないかと恐れて、拾ったこと自体を言い出せないでいた。

 

 今までずっと一緒に暮らしてきた、何ら隠し事などすることもなかった姉妹の間で、話せないことがある。

 そんな状態にエモット家の空気はぎこちないものとなり、それを見ている周囲の者達にとっても、常に薄氷の上にいるような居心地の悪い状態が続いていた。

 

 

 だが、いつまでもこうして宙ぶらりんなままでいる訳にもいかない。

 エンリは強引にでもネムから聞き出さねばと心に決めた。

 たとえ、それで喧嘩になったとしても。

 

 だが、そのとき偶然にも、アインズとベルがカルネ村を訪れると連絡があったのだ。

 

 自分ではなく、恩人である2人ならネムも話してくれるのでは? そう思い、虫のいい話ではあるが彼らに事の次第を話し、どうかネムが飼っているものについて聞き出してほしいと頼み込んだのである。

 

 そこで、いきなりアインズが聞き出そうとするより、見た目年齢が近いベルがまず話してみようという事になったのだ。

 

 

 

 ネムは思案顔である。

 彼女としても、姉であるエンリに対し、ずっと隠し続けている事に後ろめたさを覚えていた。だが、今更言い出すのも躊躇(ためら)われた。今まで黙っていた事を怒られるのではないかと心配するあまり、ついつい先延ばしにしてしまっていたのだ。

 

 だが、幸いにも、この事に気がついたのはベルである。

 自分より少し年上くらいで、姉であるエンリよりは年下らしい少女。そんな可愛らしい外見ながら、この村を救ってくれた恩人。村人たちの話によると、とても強いらしいし、また、村を囲む防壁を作ってくれた人物でもある。彼女にならば話してしまってもいいのではないか? 何とかしてくれるのではないか? そんな考えが頭の中に浮かんできた。

 

 

 わずかに逡巡したのち――。

 

「うん。じゃあ、ベル様にこっそりタマの事、教えるね」

 

 そう言って、彼女が拾ったペットを隠している場所へと、ベルを案内していった。

 

 

 ネムに連れられ歩くベルであるが、彼女としてはエンリがしていたような心配などしていない。

 

 エンリはその飼っている存在の正体を気にかけているようだったが、例えどんな代物――普通の動物だろうが、凶悪な魔獣だろうが――だろうと、大して問題はないと思っている。

 この村は完全に防衛体制が整っており、ゴブリン、オーガ、蜥蜴人(リザードマン)、さらにはデスナイトのリュースなど、桁外れと言ってもいいほどの戦力を有している。ネムが拾ったものが魔獣だったとしても、その親が取り返しにきたところで、返り討ちに出来る戦力は十分にあるだろう。それに、いざとなればシズがナザリックに報告をし、それを聞いてアインズらが駆けつけるなり、逆に転移で村人を逃がすことも可能である。

 また、仮にその魔獣の子供自体が凶暴化しても、デスナイトがいれば他の村人が怪我をする事もないだろう。

 なんなら、一時的にナザリックに連れて行ってアウラに躾させるという事も出来る。

 

 どんなペットを飼っているかは知らないが、そいつのせいで村が被害を受けることは考えにくい。

 そもそもな話、ペットがそんな危険な生き物ではない可能性だって十分にあるのだ。

 

 

 そんなわけで、ベルとしては特に気負う事もなく、どんな生き物を飼ったんだろうなぁ、タマって言うから猫か? いや、猫ならもういるからこっそり飼う必要もないだろう。となると、なにか丸っこい生き物なのかな? と、呑気にあれこれ想像しながらネムの後をついていった。

 

 

「ここにいるんだけど……」

 

 ネムが辿り来たのは村はずれにある小屋の前。

 先の襲撃で、この小屋の持ち主は死亡。その家はオーガらの住居として利用される事となった。 その後、村を囲むように防壁を作ったのだが、彼の畑は入り口から遠くなってしまい、非常に便が悪くなってしまった。また、畑自体も襲撃の際にかなり荒らされており、それにもともと収量もたいして期待できなかった土地のため、再度耕地として利用するのは現実的ではないと判断された。皮肉にも先の襲撃で村人が減少したことにより食料の消費は減っている上、ゴブリンを始めとした戦力が増えた事、付近を縄張りとしていた森の賢王がいなくなった事で、森での狩りが可能となったために、彼の農地はそのまま放棄されることになった。

 その為、小屋の中の道具だけは村で回収したものの、今は誰も使う事なく放置されていた物置小屋である。

 

 ここまで案内してきたところで、ネムはやはり少し不安になった。

 

「あの……ベル様。……捨ててこいとか、言ったりしない?」

「ああ、もちろん、そんな事言わないよ」

 

 その答えに、ネムは嬉しそうに笑みを浮かべ、そのガタついている引き戸を開けた。

 

「タマー。出ておいでー」

 

 ペットの名前らしきものを口にしながら、小屋の中へ入っていく。

 ベルもまた、その後に続いた。

 

 小屋は素人作業で作り上げた代物らしく、立てた柱に横木を渡し、板を打ち付けて覆った簡素な代物。壁板も雑な造りのため、あちこちの隙間から陽光が差し込んでいた。歩くと土埃がわずかに立ち昇る。

 そんな小屋の片隅に、それはいた。

 

 

 タマという名前の通り、そいつは丸々としていた。

 ぷっくりと膨れていた。

 鉛色の肌。髪一つない頭部。奇妙な肉瘤に包まれた肉体。わたわたと動く、一件ユーモラスにも見える短い手足。見る者全てに嫌悪感を与える醜悪なアンデッド。

 

 

 

 それは紛うことなく疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)であった。

 

 

 

「……捨ててきなさい」

 

「やーだー!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 元村長宅において、緊急会議が開かれることになった。

 

 出席者は家の持ち主である元村長と現村長のエンリ、妹のネム。ゴブリンらを代表してジュゲムとカイジャリ。蜥蜴人(リザードマン)のザリュース、クルシュ、シャースーリュー、ゼンベル。他にはシズ、デスナイトのリュース。そして、オブザーバーとしてアインズ、ベルの総勢13名である。

 ンフィーレアは所用でエ・ランテルに行っているため欠席である。

 ……しかし、リュースまで連れてきて、どうするんだ?

 

 

 とにかく会議が始まった。

 議題はもちろんネムのペット、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)のタマである。

 

 

 いきなり口火を切ったのはベルであった。

 

「いや、どうもこうも。処分する以外ないでしょ」

 

 身もふたもないことをいきなり口にする。

 だが、その発言に誰もが言葉もなかった。

 あまりに正論すぎる。

 

 だが、その中でただ一人、ネムだけが口をとがらせていた。

 

「なんで? 処分なんてひどいよ!」

「いや、ひどいって言っても、仕方がないよ。あれはものすごく危険だし」

「タマは凄くおとなしいんだよ。人に悪さなんてしないよ」

「なんで、アレがネムを襲わなかったかは分からないけど、たとえ、あいつ自身が人間を襲わなくても、村に置いておくのは駄目」

 

 ベルの言葉に、ジュゲムが聞き返した。

 

「ベルさん。あのプレーク・ボンバーでしたっけ? あいつはそんなに危険なアンデッド何ですかい?」

 

 ベルは深くうなづいた。

 

「うん。疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)な。あれは直接的な戦闘能力は低いけど、ある程度ダメージを与えると、爆発して周囲に負のダメージを撒き散らすっていうはた迷惑なアンデッド」

「爆発……ですか?」

「そう、自分を中心に爆発する。特に問題なのは、その爆発が範囲攻撃という点。誰かを狙っての攻撃とかなら、デスナイトのリュースを近くにおいておけば、リュースがかばってしまえるけど、範囲攻撃だと防ぎようがない」

 

 その答えに、聞いていた誰もがうーんとうなった。

 

「なるほど。……さすがにそいつは危なすぎますな。言うなれば、いつ爆発するかもわからない〈火球(ファイアー・ボール)〉がその辺をうろついているって事ですな」

 

「でもでも、爆発するのはダメージが与えられたらなんでしょ? じゃあ、何もなければ爆発なんてしないじゃない」

「確かに何も無ければ爆発はしない」

 

 ネムの反論に、ベルが言葉を返す。

 

「でも、絶対にダメージを与えるような行為が行われないとは言えない。不慮の事故で爆発しかねないし、誰かに狙われることも考えられる。例えば、村が何者かに襲われた時、弓矢とかで疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)を攻撃されれば、とんでもないことになるよ」

 

 もし村人たちの真ん中で爆発したら、という光景を想像し、誰もが顔を青くした。

 

 

 

「確かにやべえな、そりゃ」

 

 静まり返る部屋の中、ゼンベルが口を開いた。

 

「あいつに襲われたときに、殴り返さなくてよかったぜ」

 

 その言葉に、皆はぎょっとした。

 慌ててゼンベルを問いただす。

 

「ちょ、ちょっと待った! ゼンベル、お前、そのアンデッドに襲われたのか?」

「ああ。ちょっと前、村の外で訓練してたら、そいつがそこにいるネムの嬢ちゃんと一緒に野っ原を歩いて来てな。そんで何やってんだと思って、近づいたらなんだか突進してきてよ。そんで俺もやり返そうとしたら、嬢ちゃんが間に入って攻撃を止めさせたんで、まあ、そこで収まったんだが」

「うーん……つまり、人を襲ったって事か……。ん? ゼンベル、今の話が本当だとすると、つまりお前は、しばらく前からその疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の事を知ってたって事じゃない? なんで、皆に知らせなかったんだ?」

「つってもよお。もともと、この村にゃあゴブリンだのオーガだの、それに見当もつかねえアンデッドの騎士みたいなのまでいるじゃねぇか。その太ったアンデッドっていうのも、普通にこの村に住み着いてる奴だと思ったんだよ」

 

 その言葉には苦笑するしかない。

 カルネ村は現在、様々な種族、亜人だけではなくアンデッドまでがいるのだ。新参のゼンベルとしてはどこからどこまでが、皆が周知しているものなのか判断のしようがない。

 

 

 だが、ゼンベルの証言で、さらなる問題が明らかとなった。

 

 あの疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は人を襲う。

 

 

 疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の攻撃力は大したことは無いとはいえ、それでも襲われたら怪我は免れないだろうし、下手をすれば死ぬことすらありうる。

 なぜ、ネムを襲わないのかは分からないが、座視したままでいるわけにもいかない。

 

 全員が頭を突き合わせ、解決策を探して模索する中――1人声を発した者がいた。

 

「恐れながら、発言をよろしいでしょうか?」

 

 声がした方に皆が振り向くと――そこにいたのは漆黒の鎧に身を包んだアンデッド、デスナイトのリュースである。

 

 

 ――デスナイトがしゃべった!?

 

 

 驚きに誰もが身を凍らせる中、再び落ち着いた声が響く。

 だが、よく聞くと、その言葉の発信源はリュースが胸元に下げている可愛らしいポシェットの中のようだ。

 

 そう言えば、エ・ランテルでズーラーノーンのやつから手に入れたインテリジェンスアイテム、死の宝珠とかいうのをリュースに渡していたんだっけ、という事を思い出した。

 

 皆の注目を浴びる中、死の宝珠は語りだした。

 

「つまり、今回の問題はその疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が、生者である村人を襲う可能性がある。疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が爆発した際に発せられる負のエネルギーによって、村人が被害を受ける可能性がある。という2点に集約されると思われます」

「ああ、そうだね。何か、良い案でも?」

「はい。ございます」

 

 自信をもって発せられた言葉に、誰もが身を乗り出した。

 

「へえ、どうするの?」

「はい。私の考えうるところ、どちらの問題も村人が生者であることが問題となって起きております。よって、村人全員を私の力でアンデッドにしてしまえば、問題は両方とも片付くと愚考いたします」

「うん、なるほど。お前は当分、黙ってろ」

 

 

 静かになった死の宝珠の事は頭から捨て去り、再びどうするか皆で話し合う。

 だが、さすがに全てを解決する冴えた方法など出てくるはずもない。

 

「やっぱり処分するしかないか」

 つぶやいたベルに、皆も言葉を続けた。

 

「いたし方ありませんな」と、元村長。

「生きている奴を襲うってぇのはなぁ……」と、カイジャリ。

「村の人間にも被害が出かねないっていうのは、どうしようもありやせんな」と、ジュゲム。

「うーん。そいつに襲われるくらいならともかくよぉ。ある程度ダメージを与えたら爆発するってのがなぁ」と、ゼンベル。

「そうね。それに爆発は不慮の事故等で起きる可能性もあるし」と、クルシュ。

「うむ。大局的に考えるに、被害が出る前に始末した方が良かろう」と、シャースーリュー。

「爆発に関しては、ダメージを与えない以外に防ぎようがないからな」とアインズ。

疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)はかわいくない。始末した方がいい」と、シズ。

「そう……ですね。村の人に被害が出たら、それこそ取り返しが尽きません」と、エンリ。

 

 次々と出る同意の言葉。

 ネムは涙目である。

 だが、かわいそうでもこればっかりはどうしようもない。

 

 

 しかし、その時、声をあげた者がいる。

 

「待ってほしい!」

 

 

 皆の目がその者に集まる。

 発言したのは――ザリュースであった。

 

「俺はあのアンデッドを始末するのには反対だ」

 

 その答えには誰もが驚いた。ザリュースは蜥蜴人(リザードマン)達の中でも、いや、今カルネ村に住む者達の中でも、最も冷静で理性的な考え方をすると思われている。そんな彼が、起こりうる確率の高い危険性の排除に異議を唱えたのだ。

 誰もが、一体どういう理由があっての事なのかと、彼の発言の続きに耳を傾けた。

 

「皆は、あのアンデッドは危険だという。アンデッドであるから生者を襲うと。それは替えがたい性質であると。俺は、最初からそう決めてかかるのには反対する。たとえアンデッドであろうと、知性はある。愛情と慈しみの心を持って接してやれば、きっとあいつも分かってくれるはずだ!」

 

 

 ……は?

 

 ザリュースの言葉に、誰もが呆気にとられた。

 

  

「ペットはただペットとして、ただのその身に宿った野生のままに、無分別に行動するようなものではない。悪意を持って扱えばそれには悪意を。ちゃんとした愛情を持って扱ってやれば、愛情を返してくれるものだ。それはアンデッドであろうと変わらないと俺は確信している」

 

 

――って、何言ってんだ、こいつ? お前、真面目枠なのに、なんでそんなおかしなことを力説してるんだよ。

 ……ああ、そう言えば……こいつって、捨てられていたとはいえ、多頭水蛇(ヒュドラ)の子供を拾ってきて育てるようなおかしな奴だったな。

 ……その多頭水蛇(ヒュドラ)蜥蜴人(リザードマン)の集落を襲ったらどうするつもりだったんだろう?

 

「う、うん! そうだよね、ザリュースさん! タマだってちゃんと教えてやればおとなしくなるよ!」

「おお、もちろんだとも。ペットはただの動物ではない。家族なんだ。それぞれの胸に抱えた思いがある。それにより反目(はんもく)もするだろう。傷つけ合いもするだろう。だが、分かり合えないと、心を通じ合わせることは出来ないと切り捨てるんじゃない! 分かり合おうとすることが、共に歩んでいこうという絆を結ぶことが大切なんだ!」

 

 ネムとザリュースがひっしと手を重ねる。2人とも感極まって身を震わせていた。

 

 

 ――おい、ザリュース。

 ……クルシュ、ドン引きしているぞ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 カルネ村の防壁を出た外縁部。

 作成した防壁の入り口から遠くなってしまい利便性の悪さから放棄された耕地が、名も知らぬ雑草の伸びるままにされている。

 

 そんな丈の長い草の生い茂る元畑に囲まれた野原の中央、優しく見守る保護者の前で少女がペットと戯れている。

 

 言葉にするとのどかな光景のように思えるが、実際のところは、キャッキャッと声をあげる少女はともかく、そのペットの方はブクブクと膨れ上がった体を持つアンデッドであり、保護者というのも棘のついた黒い鎧に身を包んだ、これまたアンデッドである。

 少女を襲う化け物達という、ホラー映画のワンシーンとも思えなくもない。

 

 

 そんな、ネムと疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の追いかけっこを、離れた木陰に立つアインズとベルが見つめていた。

 

 

「どうしたもんですかねぇ」

 

 頭を掻きながら言うベル。

 

「このままって訳にもいかないでしょうしね」

 

 アインズもまた困り顔だ。嫉妬マスクをかぶっているうえに骸骨だが。

 

 

 

「そもそも、なんでこんなところに疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)なんていたんでしょうね? あれって、この世界的にはそこそこレベルが高いはずですから、そうそう現れないと思いますけど」

 

 何となしに根本的な疑問をつぶやいたベルだったが、それにアインズが答えた。

 

「ああ、私、その原因に心当たりありますよ」

「あるんですか!?」

「はい。あれがこの近くに現れたのは偶然ではなく、人為的なものですね」

 

 ――人為的なもの?

 誰かが、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)なんて厄介なものを人里近くに送り込んだって事か?

 誰だよ! そんな七面倒くさいことをした馬鹿は!?

 

「ベルさん、この前、ダミーダンジョンにあふれてたアンデッドたちを、その辺に転移で適当に捨てたでしょ? あれって、その時に捨てた中の一体だと思いますよ」

 

 ――って、原因俺かよ!!

 

 

 ベルは頭を抱えた。

 ちらりと野原の様子に目をやると、ネムと疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)のタマ。そしていざという時の護衛であるリュースの所に、一人の蜥蜴人(リザードマン)――見分けがつきづらいが、おそらくザリュース――がやって来た。

 タマを刺激しないようにゆっくりと近づいていく。

 そして、その鱗に包まれた手を伸ばし、体を撫でることで、スキンシップを計ろうとする。

 

 ……あ! 張り手を食らった。

 

 

 近づこうとしては、それを嫌って暴れる疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)。そして、それに弾き飛ばされるザリュース。

 何度も何度も繰り返される、その様子を眺めながら、ベルは首をひねった。

 

「うーん、それにしても……なんであいつってネムに襲い掛からないんでしょうね? アンデッドなら、相手が子供だろうが生きている者に襲い掛かりそうなものですが」

「ああ、アイテムを渡しているからでしょう」

「アイテム?」

「ええ。アンデッドは同じアンデッドの事を襲いませんから。持ち主を同じアンデッドと誤認させる欺瞞の護符(アミュレット)を、ネムとエンリには渡してあるんですよ。まあ、低レベルのアンデッドにしか効き目はありませんし、こちらから攻撃したら、途端に効果は切れるんですけどね」

「そんなの渡してたんですか?」

 

 ベルにしても初耳だった。

 

「ほら、デスナイトのリュースを常駐させていますから、あいつが原因で増えたアンデッドたちが万が一にも、彼女たちに危害を加えないようにと思ったんですよ」

「ああ、なるほど」

「ちなみに、それには下位の物理無効や魔法無効の効果もあります」

「はあっ!?」

「あと、ついでにその他の各種属性攻撃や状態異常などの全ても無効にさせます。まあ、無効化の対象となるのは、あくまで低レベルの者から受けるものに限られますが」

「い、いやいや。そんな物ポンポン渡さないでくださいよ! それ、下手に流出したら、この世界のパワーバランス崩れますよ。ここって基本的にレベルが低いようですから、それを身に着けていれば、この世界でほぼ無敵とかいうひどい状態になるじゃないですか!?」

「駄目ですかねぇ?」

「前から思ってましたけど、アインズさんってネムに少し過保護すぎますよ」

 

 

 2人が見ている前で、ザリュースはいくら拒絶されてもへこたれることなく、友好的に接することで、タマとの信頼関係を築こうとしている。

 だが、どう考えても、普通の生き物ならともかくアンデッドとは無理だろう。

 

「でも、本当に困りましたね。ネム自身はそのアイテムとやらで、被害はうけないにしても、他の者が疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)によって怪我をしたら、どうやっても責任問題になります。いくら現村長エンリの妹であるとはいえ、エンリ自身にもまださほどの功績もありませんから、問題が起きたときにかばうとかも出来ませんよ」

「そうですね」

「うーん……。どうやっても、村人全員を守る対策とかは無理ですから、やはり、処分してしまうしかないですね。ネムには恨まれそうですけど」

「いや、そうとも限らないのでは?」

 

 その答えにベルは驚いてアインズの顔を見返した。

 

「え? どういうことです、アインズさん。何か名案でも?」

「はい。えーとですね。我々がタマを処分しようとするから、ネムは嘆き悲しむという事ですよね」

「? そりゃ、まあ、そうですね」

「つまり、タマが自発的にネムの許を去るという形にしてしまえばいいのでは?」

「……まあ、たしかにそれなら、ネムは悲しみもするでしょうが、仕方がないと諦めてくれるのではないかと思いますけどね。でも、どうやって? 村にアンデッド避けのアイテムでも撒きますか?」

「いえいえ、そういうやり方ではなくてですね。ほら、拾ってきた動物ものとしては定番のエピソードがありますよね……」

 

 そのアインズの提案は、すとんとベルの胸に落ちた。

 石がストーンと落ちる様に、胸に落ちた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ネム―! ご飯だよー!」

 

 エンリがジュゲム、そしてクルシュと共に、ネムを呼びに来た。

 妹の傍らに立つ(おぞ)ましい姿のアンデッドに、思わず鳥肌が立つ。ちなみに、リュースに関しては、すでにすっかり慣れてしまっていた。

 

 ネムは「はーい!」と返事をすると、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)のタマに、小屋に行くように指示する。だが、タマはそれを聞いているんだか聞いていないんだか分からない。ただ、立ったまま、身体をゆらゆらと揺らしている。

 

 アイテムがあるため、ネムの事を襲わないとはいえ、その命令を聞くわけでもない。

 最終的にはネムが手を引っ張って、小屋まで連れて行かなければならない。最近はリュースの手も借りれるのでだいぶ楽なのだが。

 

 

 そうして、いつもと同じくタマを連れて行こうとしたのだが、その日はいつもと違った。

 

 

 何か遠くから、地響きのようなものが聞こえてくる。

 

「これは……何かの足音か!?」

 

 タマと触れ合おうとして散々その身に攻撃を食らい続けたザリュースが、ボロボロの様子ながらも警戒の姿勢をとる。慌てて近寄ったクルシュが彼の傷を魔法で癒してやった。

 

 

 その場にいた皆は慌てて周囲に目を配る。

 そして、それらの目はすぐに、こちらに近づいてくる小屋ほどもある巨大な姿に釘付けとなった。

 

 

 ズン! ズン! と、音を立てて歩いてくるその姿。

 ぶよぶよと膨れ上がった肉体。明らかに生命の痕跡の無い鉛色の肌。自らの肉瘤に阻まれ、上手く動かせない、体の割には短い手足。

 

 紛うことなく、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)であった。

 

 だが、皆が目を見張ったのはその大きさ。

 タマと名付けられた個体より一回りほども大きい。

 

 

「な、なによ、あれ……」

 震える声でつぶやくクルシュの言葉をかき消すように、一歩一歩踏み進める足音が響く。

 

 

 そんな小山のような存在が、ゆっくりとこちらへ向かって、一直線に歩いてくる。

 

 

「おお、あれは!」

 

 いつの間に近くにいたのやら、ベルが叫び声をあげた。

 

「間違いない! あれは親疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)だ。おそらくタマがいなくなったのに気がついて探しに来たんだろう!」

 

 その言葉に皆、元からいるタマと、新たに現れた疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)を見比べる。

 確かに似ていると言えば似ている。親子であると言われても違和感はない。

 だが、そもそもこの場にいる者は皆、大きさ以外に疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の区別などできるはずもない。

 

 見分けはつかないのであるが、とにかくアンデッドや怪物(モンスター)などに深い知見を持つベルがそう自信満々に言うからには間違いないのだろうという結論に落ち着いた。アンデッドの親とかいう訳の分からない話にも、なんとなくそうなのかという感じになり、アンデッドに親なんかいるのかと突っ込めないような空気だ。

 

 

 皆の視線が集まる中で、その巨大疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は、タマの許へと歩み寄る。そして、その手でタマを掴もうとえっちらおっちら体を動かす。その身体を掴み、どこかへ連れて行こうというそぶりを見せる。

 

 その様子を見て、ネムはつぶやいた。

 

「タマ……行っちゃうの……?」

 

 目の端に涙を浮かべ、そのアンデッドたちの挙動を見つめる。

 『親』はもたもたとした手つきでタマを触るが、タマは特に何をするでもなく突っ立っているだけだ。

 

「ネム……」

 

 その小さな肩に、いつの間にか傍らにやって来たアインズが手を置く。

 

「あいつにとっては、その方がいいんだよ。ここで人間と共に暮らすより、仲間と一緒に暮らす方が……」

「で、でも、タマは……」

「ネム。いなくなった子供を探して、あの『親』はきっとあちこちを探したんだろう。いなくなってから何日も、何日も。山の中も、川の近くも、そして人間に見つかりかねない危険な街道付近も。そんな危険に身をさらしてでも、自分の子供と一緒にいたかったんだよ。親……だからね」

 

 その言葉にネムの脳裏に思い出が浮かんでくる。

 あの懐かしい日々。

 ほんのすこし前まで、普通にあると思っていた、これからもずっと続くと思っていた日々。

 家に帰ると自分を待っていてくれる両親の姿。

 優しい父と母。

 理不尽な襲撃で奪われた父と母。

 目をつぶると瞼の裏には家族みんなで微笑んでいる、かつての姿が浮かび上がってきた。

 その幻影が今、目の前で触れあっている疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の親子と重なった。

 

 

 ごしごしとネムは自分の涙をぬぐう。

 

「うん。そうだね。タマもお父さん……なのか、お母さんなのかと一緒なのが一番いいもんね」

 

 そう言って笑って見せた。

 泣き顔ながら笑って見せた。

 アインズはその顔を見て、その頭をそっと優しく撫でてやった。

 

 

 

 そして、皆が見ている前で、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の親子は連れ立って森の中へと帰って――行かなかった。

 

 『親』の方は、タマと呼ばれた個体を引っ張って行こうとするのだが、対してタマと呼ばれた方は、特に何をするでもなく立ち尽くしたまま動こうとしなかった。

 アインズによって作られた『親』は、創造主であるアインズの指示を受けており、その命令に従って同族を森の奥へと連れて行こうとしているのであるが、自然発生により生まれたタマは、とくにだれの指示を受けることもない。そいつにとっては『親』の指示など受けねばならない理由もない。

 また、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は重量はあるが、特に力が強いという訳でもない。『親』がタマを無理やり引っ張って行こうとしても、その歩みは遅々として進まないのが現状である。

 

 その為、2体が去っていくのを若干の悲しみと共に涙交じりに眺めるはずだった一同の間にも、やや白けた感が漂っていた。

 

 

 このままでは拙いと、ベルが近寄る。

 

「きっとタマはこの村、ネムと別れるのがつらいんだよ。だから、なかなか行こうとしないんだ」

 

 そう皆に言いつつ、ぐいぐいともたつく2体を押していく。

 さすがにベルの力には抵抗できず、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の巨体もずりずりと押しやられていく。

 

「でもね。やっぱり、こうして親と一緒に! 自分たちの集落で! 暮らしていくのが! 一番いいんだよ!」

 

 力を込めて幾度も、その太った体を小さな手で押していく。そのたびに彼女と対比して、はるかに巨大な身体が少しずつ村から遠ざかっていく。

 

「だから、タマもきっと寂しくは――」

 

 言いながら、ベルが力を込めて一気に押しやると――。

 

 

 ――ズブ、とその手のひらに感じていた抵抗が不意になくなり、その手が突き抜けた。

 

「……んあ?」

 

 間抜けた声を出すベル。

 

 

 ベルはもともとガチ勢ではなく、自身の生存性を重視したビルドのキャラである。各種巻物(スクロール)等を使える様にとあれこれ様々な職業(クラス)を低レベルでだけ取ったり、また直接戦闘に関係ない職業(クラス)も取得するなど、あまり強さを重視しないビルドをしている。さらに少女の姿になったことでリーチが極端に短くなったことも相まって、その戦闘能力はかなり低いと言わざるを得ない。

 

 だが、腐っても100レベル前衛キャラであり、ステータスだけなら昔のまま、結構な値を誇っている。

 

 そんなベルが力を込めて手をつき出したため、その腕が疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の外皮を突き抜けてしまったのだ。

 

 そして、それは当然のことながら、疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)爆発のダメージ許容値を容易く超える行為――攻撃であった。

 

 

 

 盛大な爆発音が響いた。

 それも2度。

 

 一瞬、黒い波動が広がった後、ぼとぼとと爆散した疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の内臓が飛散する。

 

 リュースが皆の前に立ち、その巨大な盾で降り注ぐ肉片から皆を守った。

 

 

 その肉片の雨が降り止んだ後、視線を巡らせてみると、そこには先ほどまでいた2体の疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)は影も形もいなくなっていた。

 

 

「タ、タマが……」

 

 ネムがぼろぼろと涙をこぼす。

 アインズはそっとその肩を抱いて、足を進めた。

 

「ネム……あれで良かったのかもしれないよ。もともと疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)というのは、そう長くは生きられないんだ。生活するうちにその体に爆発のエネルギーをドンドン貯め続けて、最終的にはどこかで爆散してしまうというアンデッドなんだよ。彼らは、そうなるときが少し早かったというだけなんだ」

「そうなの?」

 

 嘘である。

 

「……疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)って、なんだか可哀想」

 

 そう言って自らの身体にしがみつき歩くネムに、アインズは優しい目を向けて歩いた。

 

「そうだな。私たちからするとそういう生き方しかできない事は可哀想に思えるかもしれない。でも、彼らにとってすれば、彼ら自身の存在意義を全うしたという事だ。ある意味、とても幸せだったかも知れないよ」

 

「存在意義か……」

 

 遠くを見つめながら歩くザリュースがつぶやいた。

 

「何が本当の幸せなのかは分からない。その幸せというのは人によって違うのかもしれないという事か……」

「ああ。誰かの為になる。自分から見ればその人の為になる事をしているつもりでも、本当にそれはその人の為になっているのかという事だな……。だがな、ネム」

 

 歩みを進めながら、アインズは肩を抱いたネムを見下ろして言った。

 

「ネム。お前があの疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)、タマにしてやった行為は無意味ではないさ。あの時、『親』がタマを連れて行こうとしたとき、タマは動こうとしなかっただろう? つまり、タマもネムのそばを離れたくなかった。ネムが一緒にいたあの期間はタマにとっても大切な時間だったという事さ」

「タマ……」

 

 皆、爆発の方向を振り返ろうともせず、歩き続けた。

 

 

 

「……いい話ですねえ」

 

 微妙にやさぐれた雰囲気を醸しつつ、歩くベル。

 その疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の内臓にまみれて悪臭が漂う身体から身を遠ざける様に、アインズらはあらぬ方向を見つめたまま、止めることなく足を進めていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「フフフ。まさか、この年になってばい菌扱いされるなんて思ってもみませんでしたよ……」

 

 腐った魚の目でしゃべるベル。

 そんな彼女から微妙に目をそらしてアインズは言った。

 

「いや、だって仕方ないじゃないですか。疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が爆発した後に飛び散る内臓とかって、本当に臭いんですから。ベルさん、全身にそれを浴びて汚かったですし。それに、なにか病気系のバッドステータスも引き起こしそうでしたし」

「『臭い』上に『汚い』、さらには『病気持ち』ですか? そりゃ近寄りたくありませんな。ええ、ええ。そんな臭くて汚い奴は、その辺の川原で一人、水浴びするのがお似合いですな」

 

 あの後、ベルは悪臭を放つ肉片まみれだったため、そのままカルネ村に入る訳にもいかず、仕方なしに近くの川で体を洗い、自分で服も洗濯したのである。

 

 

 ()ねて机に突っ伏すベルに困った眼を向けつつも、アインズの心はネムの事で一杯であった。

 

 あの後、ネムはかなりのショックを受けていたようだった。

 疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)が死んだことに関しては何とかフォローしたつもりではあるが、その後のネムの様子を見聞きする限り、やはりいまだ落ち込んでいる様子であるようだ。

 短い間ながらも世話をし、共に時間を共有していたタマがいなくなったことにより、今までタマと共に過ごしていた時間を持て余し、ふとしたことで楽しかった記憶がよみがえり、空虚な気持ちに(さいな)まれてしまっているらしい。

 

 かつて、ギルメンの中にもペットのハムスターが死んだと言って1週間近くログインしなかった者もいた。まあ、ペットロスと言われるまではいかなくとも、心に傷を負っているのは間違いないだろう。

 

「ネムの事……どうしましょうかねぇ、ベルさん」

「ばい菌に話しかけていいんですか? アインズさんまで仲間外れにされますよ。えんがちょ(・・・・・)とかしました? ベル菌がうつりますよ?」

「いい加減、機嫌を直してください。拗ねないでくださいよ」

 

 はぁ、とベルはため息をついた。

 

「まあ、解決方法となると……一番いいのは時間による解決ですかね。そっとしておく事で、日常生活の中で、アレの事も思い出の一つになるのを待つというのです。こういっちゃなんですが、エンリとネムはペットどころか両親の死すらも乗り越えたんですから、ちょっと時間を置けば落ち着くでしょう。まあ、他には新たに別のペットを与えてやれば、そっちの世話に気を取られることになるでしょうから、それで胸の隙間を埋めてやるとかも手っ取り早いですかね」

 

 「ふうむ」とアインズはその尖った顎を撫でた。

 

「なるほど。別のペットですか……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「旅に出ようと思う」

 

 ザリュースはそう言った。

 その言葉に、住む者のいなくなったその家をあてがわれ、共に暮らしていた他の蜥蜴人(リザードマン)たち、クルシュ、ゼンベル、シャースーリューの3人は目を丸くした。

 

「ど、どうしたの、ザリュース?」

「ああ、俺は今回の事で自分の未熟さを痛感した」

 

 椅子から立ち上がり、開けた窓から外を眺める。

 

「俺はどんな相手でも、愛情を持って接してやれば仲良くなれると思っていた。たとえ言葉が通じない動物だろうと、皆生きているのだから、その根底は一緒だと思ってな」

 

 彼は目をつぶって思い返す。

 ネムと戯れていた疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の姿を。

 だが、そんなあいつは自分には懐こうとしなかった。

 

「ゴウン様も言っておられた。自爆することが疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)の存在意義であると。何のために生きるのか、それは人それぞれで違う。主君への忠義に生きる者もいれば、自分の幸せのために生きる者もいる。アンデッドであろうと、それは同じなはずだ。だが、俺はその事に気づこうともせず、ただロロロの時と同じようにあいつを懐かせようとしていたんだ」

 

 ゼンベルが「いや、そもそもアンデッドなんだから、生きてないだろ……」とつぶやいたが、それには気にも留めずに、ザリュースは戸口に置いていた頭陀袋(ずだぶくろ)を手にとった。

 

「俺は修行の旅に出る。いつか、全ての生き物と心を通わせられる様になって帰ってくる」

 

 そう宣言すると、ザリュースは振り向かずにこの家を出て行った。

 あとに残されたのは呆然とした表情のままの3人。

 

「なあ、お前の弟って……実は結構おかしくないか?」

 

 ゼンベルの言葉に、シャースーリューは遠い目をするだけだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「あ、ベル様」

 

 エンリがカルネ村にやって来たベルに気がついた。

 畑仕事をする手を休めて、手を振り、頭を下げる。

 ベルはそれに自分も手を振ってこたえた。

 

 

 あれから1週間がたった。

 今日、ベルがカルネ村にやって来たのはネムの様子を見るためである。

 

 

 結局、あの後、アインズは代わりとなるペットを与える事にした。

 今度は、危険性のない安全なものを用意するから安心してほしいと、骨だけの胸を張っていたのだが。

 

 

 きょろきょろと見回す。

 辺りにネムはいないようだ。

 

「ところで、エンリ。あのあと、ネムの様子はどう?」

「はい。しばらく落ち込んだものの、今は、気を取り直しております」

「そう、良かった。ところでアインズさんが何か新しいペットを送るって言ってたけど」

 

 その言葉にエンリは顔を引きつらせながらも笑顔を浮かべた。

 

「は、はい。代わりのペット……というのはシズさんが連れてきました。ネムも、可愛がっているようなんですが……」

 

 なにやら、歯にものが挟まったような感じでしゃべるエンリ。

 その様子に、どうしたんだろうと疑問に思っていると……。

 

 

「あ、ベル様ー!」

 

 ネムの声が響いた。

 

 声のした方に顔を向ける。

 そこにはネムと、おそらくアインズが送ったであろう新しいペットがいた。

 

 

 直径にして2メートルほどはあろうかという巨大な肉塊。健康的なピンク色に脈動する肉の表面には、濁った眼が無数に浮かび上がっている。

 そんな奇怪な化け物がふよふよと空に浮き、その上にネムがニコニコ顔で腰かけていた。

 

 

 その姿を見て、ベルはアインズに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

 

疫病爆撃手(プレイグ・ボンバー)より安全は安全でも、集眼の屍(アイボール・コープス)なんて、高レベルアンデッド送んなよ!》

 

 

 

 



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第八章 帝国編
第50話 帝国へ行こう


 お盆って疲れる……

2016/8/20 「このゆっくりとした旅程にはまんじりとしたものを感じ、わずかながら焦燥感がつのっていた」 → 「このゆっくりとした旅程にはわずかながら焦燥感がつのっていき、まんじりとした日々を過ごすこととなっていた」 訂正しました

2016/8/26 「シャドーデーモン」 → 「シャドウデーモン」
「竜王国の王女」 → 「竜王国の女王」 訂正しました


 ゴトゴトン、ゴトゴトン。

 車輪が石畳を踏む、規則正しい音が響く。

 ちなみにその少し前方では、パカパカ、パカパカ、とこれまた規則正しい馬蹄の音が響いている。

 

 帝都アーウィンタールの街並みは古都然とした古い街並みであるが、今やその中に、新たな改革による発展の波が押し寄せてきている。

 百年ほどの歴史がありそうな民家があるかと思えば、そのすぐ隣には漆喰の色も真新しい現代様式の集合住宅が立ちならんでいる。

 こちらで建物を解体しているかと思えば、そこから運び出された石材が、また別の場所での建築に使用されている。

 

 

 今の帝都は、時代の転換点となる大きな潮流の中にいると言って過言ではない。

 『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの施策は、中には血を流すものはいるかもしれないが、その結果として大いなる果実をつけようとしていることは間違いない。

 

 そんな皇帝の目に見える政策の一つ。

 それが帝都に敷き詰められた石畳である。

 

 道々に石畳を敷くことは、気が遠くなるほどの資金が必要となる。だが、それを敷くことにより交通の便が良くなり、また道路整備のために民衆に仕事を廻ることになる。また石畳の石材を切り出し輸送するところにも雇用が生まれる。

 普通は様々なところに利益が生まれると、各部門を管轄している者達の間で、足の引っ張り合いや派閥争いが起こってしまう。時には、それに終始するあげく、事業そのものが潰される羽目となってしまう事もある。

 実際、各貴族の管轄権が強い王国においてはそんな事例は枚挙にいとまがない。

 

 だが、皇帝の下に権力が集中しているバハルス帝国においては、そんな事など起こりえない。

 

 一点に権力が集中していることは、行動や決断が早く、またその力を一つ所に集中できるという利点がある。しかし、その反面、もしその権力者が誤った判断をしたり、なんらかの要因でその権威を振るうことが出来なくなると、今度は一気に国そのものが瓦解してしまうという危険性がある。

 もし現在の帝国において皇帝ジルクニフ、それと後ろ盾となっている主席魔法使いフールーダ・パラダインの身に何かあれば、それだけで帝国は空中分解してしまうだろう。

 だが、権力が複数の貴族に分散されている王国の場合、例え現国王ランポッサ三世の身に何かあったとしても、内乱とまではいかない程度の権力争いがあるだけで国体は維持し続けるだろう。

 しかし、一長一短ながら、現状ではあと数年も今の状態が続けば、王国は帝国に膝を屈するのが確実と言える両国の今の情勢を見る限り、後世の歴史家は帝国のやり方の方が優れていたと記述するであろうことは間違いない。

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 さて、そんな皇帝が腐心して敷設した石畳の上を、一台の馬車が行く。

 木板が雑に打ちつけられたり、天井が布製の幌で覆われたりなどという、頑丈さや利便性を重視した旅の商人達が使う馬車などではない。天井から車体から全て丹念に作り上げられた高級な馬車である。

 道行く者達は道を譲りつつも、その馬車に乗るのは一体何者なのだろうか? 貴族だろうか、それとも裕福な商人だろうかと物見高い視線を向けていた。

 

 

 その時、馬車の窓が開け放たれた。

 

 そこから顔をのぞかせたのは、目を見張るような美しい少女。

 整った容貌の卵型の顔、透き通るように白い滑らかな肌。長いプラチナブロンドの髪は風になびき、陽光にキラキラと輝いている。そして、今その(かんばせ)には美しい帝都の街並みを前に、好奇に満ち溢れた笑顔が浮かんでいた。

 その表情を見た帝国の臣民たちは、そんな美しい少女に朗らかな笑顔を浮かべさせる自分の国、そして国を率いる若き皇帝に誇りと崇敬の念を抱いていた。

 

 

 

 

 やがて、その馬車は一軒の宿へと留まる。宿という表現が正しいかは分からない。もはや、ホテルと言っていいほどの規模である。

 その建物の脇にある厩に馬車を止める。そして、御者台にいた下男らしき男が従業員相手に手続きしている間に、宿付きの男が持ってきたタラップを踏み、車内から数名の男女が降りてきた。

 

 その4名の男女は建物内に入り、その中の黒一点たる男が受付へと足を運ぶ。

 他の3人の女性陣は、高級ホテルを思わせる内装のエントランス内を見て回っている。

 

 視線を巡らせれば、そこは様々な絵画や装飾品が飾られたラウンジとなっており、据え付けられたテーブルやソファーには幾人もの着飾った男女が腰を落ち着けていた。

 だが、よくよく見れば、彼らは普通の人間ではない事はすぐに見て取れた。

 美しく高価な服装に身を包んでも隠し切れない凶性。笑顔の奥に潜ませた冷徹な瞳。全身にしみついた死の香り。

 

 

 彼らは裏社会に生きる人間たちであった。

 このホテルは、そんな闇の人間御用達の宿である。

 

 

 そんなホテルに現れた見知らぬ数名の男女。

 彼らはラウンジにたむろする者達から好奇の視線を集めることとなった。

 

 いったい、こいつらは何者なのかと頭のてっぺんからつま先まで視線を巡らせ、値踏みする。

 

 物珍しそうにあちこちに目をやる少女。美しい銀髪はとても大きなリボンを用い、頭の両脇でツインテールに結い上げられてあり、まるで貴族のように日々丹念に手入れされているのが一目で見て取れた。その身に纏うふんだんにフリルのついた青色のドレスは、腕のいい職人の手による下ろしたての服。

 そして、彼女について回る、目を見張るように美しい金髪のメイドと踊り子のような薄絹をまとった女。彼女らもまた皆、一様に仕立てのいい衣装に身を包んでいる。

 その中でも彼らが注目したのは、ただ一人だけいる優男(やさおとこ)。その関係性はいまいちわからないが、おそらく彼がこの一団の中で上位者であろうか。目も冴えるような金糸による装飾が所狭しと施された洒落物の衣服。腰に剣を下げてはいるものの、どう見ても専業の戦士とは思えず、大した技量は持っていなさそうに見える。飾りの優美さを見ても、あくまで見栄の為だけだろう。

 

 ――と、なると、こいつらは碌な護衛もなしにここを訪れたという事になる。

 どこかの小金持ちがちょっと危険なところに足を踏み入れ、後で自分はこんなところに泊まったんだと仲間内で凄さを語り合うネタにでもするつもりで、ここに宿をとったのだろうか?

 

 そうソファーに腰掛けている者達は考えたが、その後ろに控える強面の用心棒たち、その中でも実力者と言える極一部の者達は気づいていた。

 

 その優雅な仕草で歩く優男と、肌も露わな女の持つ桁外れの強さに。

 

 

 

 やがて受付がすんだ男は、ふらふらと気の向くままにラウンジ内をうろついていた少女たちの所へ歩み寄った。

 

「受付が終わりましたよ。5階の南部屋です」

 

 目ざとく彼らの会話に耳を澄ませていた男たちは、その言葉に微かに瞠目した。

 彼らの記憶にある限り、そこはこのホテルの中でも2番目に良い部屋だ。そんなところに、裏社会とも関係がない、ちょっとした小金持ちが泊まるという事に彼らの胸がざわめいた。

 

 

 そして、彼らが階段へ向かおうと、ラウンジに据え付けられた卓のそばを通った時、顎ひげを蓄えた強面の男が、新規客の優男の行く手を遮った。

 

 その場にいた大半の者達は、一団の事を値踏みし予想は立てていたものの、その背景がまだはっきりとは分からないため、様子見を決め込んでいた。

 そんな中、まだ若く、裏社会で自分の力を見せつけることに躍起になっていた男が、自分の名を売る機会だとみて、配下の用心棒の男を使ってちょっかいを出したという訳だ。

 

 ――後学の為に少し身の程を教えてやらねばな。なに、今後の人生を生きる上で、これは良い勉強になるだろう。

 

 そんな身勝手な理屈を胸にした、くせっ毛の金髪男は、髭面の男に睨みつけられている優男に嘲るような笑みを向けた。

 だが、優男の方はというと、状況を理解していないのか、顔色一つ変えようともしない。

 

 思ったように相手が怯えない事に苛立った男は、すこし怖がらせてやれと配下の者達に顎で指示をした。強面の男たちが優男を取り囲むように動く。

 優男の方はやれやれと肩をすくめ、紅茶のティースプーンを手にとると――。

 

 

 ――鶏が絞殺されたときのような悲鳴が上がった。

 

 

 その場にいた男たちは恐怖に後ずさる。

 たった一人だけ、最初に行く手を阻んだ髭面の男は自分の顔面を押さえ、その場でうずくまり、苦痛の呻きをあげている。

 

 

 彼らの視線の先にあるのは、優男がつまんだティースプーン。

 その上に乗る、青く濁った瞳が張り付いた眼球。

 赤い血に濡れ、その滴はスプーンの中へと溜まっていく。

 

 

 おそらく、わずか一瞬のうちに、そのスプーンで髭面の男の眼球を抉り出したのだ。

 『おそらく』と付くのは、あまりの速さにその場にいた誰もが、その動きを目視することすら出来なかったからである。

 

 用心棒の男たちが後ずさり遠巻きにする中で、優男はソファーに座る若い男に目を向ける。

 男は電流に打たれたように、ビクンとその背を跳ねさせた。

 優男はにっこり笑い、男の目の前に置かれた紅茶のカップに、血に濡れた眼球を落とし、つまんだティースプーンでかき混ぜる。

 

「やあ、兄さん。これは俺の奢りだ。飲んでくれよ」

 

 そう言って、優しく金髪男の肩に手を置いた。なんら凄みはない口調だが、優男から発せられる威圧感は、それだけで卒倒しかねないほどであった。その肩に乗せられた手が、まるで呪いの効果を持つかのごとく、身動きが取れなくなる。

 男はがたがたと身を震わせ、ティーカップを手にとる。震える指により、カップから紅茶がたぱたぱとこぼれる。だが、そんなカップの中央では、丸い眼球が自分だけは落とされまいとゆっくりとした動きで転がり続ける。

 

 男はちらりと目をあげる。だが、優男は先ほどの笑みを崩そうとしない。

 

 口の中で「ひっ……」と言葉が漏れた。

 そして、男はカップを持ち上げ、その中身を一息に口に入れた。口中に広がる生臭さと鉄の味に吐き出しそうになるものの、肌に直接感じる生命の恐怖に、必死で大きな塊を飲み下した。

 すると、男がのどを押さえて倒れ込んだ。

 さすがに噛み砕きもせずに、眼球をそのまま胃の腑まで落とすことは出来なかったのだろう。喉で詰まってしまったようだ。

 

 男が倒れ込んだことで、テーブルがひっくり返り、大きな音を立てた。

 その音に、先に階段のところまで行っていた少女たちが振り向く。

 

 

「おーい、マルムヴィスト! 早く行くよ!」

 

 

 その声に、優男は返事をすると、何事もなかったかのように足を進める。

 彼の前にいた男たちが慌てて道を開けた。

 

 やがて、一団は階段を上って行った。

 

 

 

 あとに残されたのは、静まり返ったラウンジ。

 誰もが言葉もなかった。

 苦痛に身をよじる髭の男の事も、のどを詰まらせて倒れ伏す男の事も、皆の意識の外であり、誰も助けようとすらしなかった。

 彼らの胸の内に繰り返されていたのは、あの時少女が呼んだ、あの優男の名前。

 

 

 『マルムヴィスト』

 

 

 裏の社会で生きる者にとっては、その名は広く知れ渡っている。

 リ・エスティーゼ王国を拠点とし、各地に勢力を伸ばしている犯罪組織『八本指』。その中でも最強の武力を持つという『六腕』と呼ばれた6人の人物。

 その実力は、アダマンタイト級冒険者すらに匹敵すると言われていた。

 

 その内の1人。

 『千殺』の異名を持つ男。

 

 (きら)めく装飾の施された衣服を身にまとい、芸術品かと見紛うような(こしら)えのされたレイピアを腰に帯びているという。

 あらためて記憶を漁り、その話に聞いた通りの姿に、まさか本物なのかと誰もが身を震わせた。

 

 

 ――では、アレが本物のマルムヴィストだとするならば、一緒にいたあの者達は何者なのか?

 

 

 だれもが必死で思考を巡らせた。

 その結果、とある情報に思い至った。

 

 六腕のマルムヴィストは八本指を抜け、現在はエ・ランテルに拠点を置くギラード商会に身を寄せていると聞く。

 そのギラード商会のトップは素性のつかめない謎の人物だと。

 そしてマルムヴィストは、あの少女の事を上位者として扱っていた。

 

 そこから想像できること、それは――。

 

 

 ――つまり、あの少女は謎に包まれたギラード商会のトップと関係している人物である。

 

 

 その場にいた者達は皆、生き馬の目を抜く裏社会を生き抜いてきた海千山千の人物である。プライドや感情より、自分の実利を優先させる人間だ。

 誰しもが、ではどうやってあの少女と近づき、友好を結び、そして甘い汁を吸えるかの算段を頭に思い描いていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一行の足が目的の階層へと、たどり着く。

 足元がふわふわと不安な気分にすらなるほど柔らかい絨毯――ナザリックのものほどではないが――を踏みしめ、頑丈な黒檀製の両開きの扉をあけ放つ。

 そこに広がっていたのは、入り口からすぐにベッドが見えるなどというせせこましい部屋ではなく、部屋という言葉では明らかに不足の空間であった。

 豪華な装飾が施されたリビング。壁面には高価なガラスがはめ込まれており、帝都の様子を見下ろすことが出来る。壁際には絵画や置物が品よく並び、ギラード商会の悪趣味極まりない部屋とは雲泥の差だ。他にも応接間や複数人が泊まれるような寝室が複数。使用人用の部屋まである。

 宿の一室というより、一区画と言うべき場であった。

 

 その室内の様子をベルはキラキラとした目で見まわし、あれこれ指さしながら、傍らのエドストレームやマルムヴィストらときゃっきゃと話している。

 

 その間にソリュシャンは、手早く室内を見て回る。

 テーブルの下や絵画の裏、装飾品の影に何か仕込まれていないかどうか。備え付けの食器類に毒が塗られていないか。ソファーに座った時にその中に仕込まれていた何かが突き出してこないか。そして、一通りリビングを見て回ると、次は他の部屋に捜査の場を移す。

 

 ほどなくして、ソリュシャンが戻って来た。

 そして、ベルに室内及び各種装飾品には何ら異常はなく、また盗聴等もないことを告げた。

 

 それを聞いたベルはピタリとはしゃいでいた動きを止める。

 日が照るような笑顔は、日に照らされた霧のようにかき消えた。

 そして足を進める。部屋の奥に置かれていた大きな肘掛け付きの椅子に。

 身を投げ出すようにして、その小さな体を沈ませる。

 

 そうして、呟いた。

 

「あー……少女らしい演技ってだるいわー」

 

 

 その顔に浮かぶのは先ほどまでの可愛く可憐な外見相応のものではなく、やさぐれた感の漂うものであった。

 フリルのついた可愛らしい青いドレス。ピカピカに輝く革靴。美しいプラチナブロンドをツインテールに結んだ大きなリボン。肩から下げた愛くるしいポシェット。

 そんな誰が見ても愛くるしい少女が黒い革張りの椅子にふんぞり返って足を組み、葉巻をくわえている姿は、色々と台無しであった。

 おそらく、全世界でがっかり少女コンテストがあったら、準優勝くらいできるだろう。優勝は竜王国の女王である。

 

 

「面倒なんだったら、ボスの事を見ていた下にいた連中、全員ぶっ飛ばしてしまったらどうですか?」

 

 くだをまくベルの様子を面白がるように笑いながらマルムヴィストが言う。

 ベルは、はんと鼻を鳴らした。

 

「そうできれば楽なんだけどなー。今回はあくまで情報収集が目的であって、いきなり帝都を支配下に置くことじゃないし。まあ、このホテル破壊して下にいた連中を全部殺してしまって、混乱に乗じるってのも手だけど」

 

 何でもないことにように物騒なことを口にする。

 

「試しに聞くけど、あそこにいた連中くらいならマルムヴィスト1人で何とかなるくらい?」

 

 その問いには、伊達男はかぶりを振った。

 

「いや、さすがに負けはしませんが、全員殺すとなると手間ですね。どうしても逃げてしまう奴もいるでしょうし。エドストレームと2人なら大丈夫でしょうが」

「ああ、そういうのだったら、私は得意ですよ。何ならちょっと降りて行って、皆殺しにしてきましょうか?」

 

 そう言って微笑む顔は美しかった。

 その提案も魅力的だったが、さすがに今後の事も考えると、首を縦に振る訳にもいかない。

 

「いや、出来るって事が分かったんなら、それでいいや」

 

 そう言って、ぷかりと紫煙を吐いた。

 

 

 

 そこへ扉を開けて室内に入って来た男がいる。服だけはそれなりに高級な者を身に纏った貧相な男。先ほど、馬車の御者を務めていた男である。

 

 ――何て名前だっけな、こいつ?

 

 ベルが記憶を漁る中、マルムヴィストが声をかけた。

 

「おい、ザック。この部屋に泊まることになったから、荷物を運んでおきな」

 

 その声に「は、はい!」と返事をして、足をもつれさせるように再び部屋を出て行った。

 

 ――ああ、そうだ。たしか、ザックとかいう奴だ。ええっと、前にアウラとマーレになんとかいう野盗を捕まえさせた時に、一緒に捕まえたんだっけ。

 ……まあ、誰でもいいか。

 

 そう心の中でひとりごちると、皆を見回して言った。

 

「さて。じゃあ、さっそくだけど、この帝都でのとりあえずの方針を決めようか」

 

 

 

 

 

 今回、ベルらがエ・ランテルから帝都アーウィンタールくんだりまでやって来たのは、ギラード商会の版図を広げるためである。

 

 ベル達が精力的に活動を続けたため、めでたくエ・ランテルの裏社会の大半は、ナザリックが乗っ取ったギラード商会が牛耳ることが出来た。

 それはそれでいいのだが、今後の運営方針、さらなる勢力拡大に関し、少々頭を悩ませることになった。

 

 エ・ランテルは交易の中継地という側面が強い。

 帝国、王国、そして法国と、それぞれの3カ国を行き交うのにほぼ必ず通る交易路が交わる土地とである。その為、経済もそうした旅の商人達、そしてその商人相手の商売への比重が大きくなる。

 彼らから税の他に、ほんのわずかの賄賂を受け取るだけでも、十分な稼ぎとなる。彼ら、旅の者からはエ・ランテルでの安全を保障する代わりに、ほんの気持ちばかりの寄付(・・)を求める。もちろん寄付は強制ではない。だが、寄付を拒んだ相手というのは商会の保護対象から外れることとなる。彼らが、盗みに入られようが、強盗に襲われようが、ギラード商会としては知ったことではない。そして、現在のエ・ランテルはギラード商会がほぼすべてを手中に収めており、商会ただ一つにさえ、上納金を納めてさえしまえば、他の派閥の者に攻撃されることもなく安全だというので、旅の者達からは、現在の状況は意外と好評であった。

 

 だが、あくまでそう言った少しばかりの金を集めるだけというのはとても楽ではあるものの、勢力の拡大にはつながらない。なにせ、すでにエ・ランテルの街全域はほぼ押さえてあり、商会の売り上げも頭打ち状態である。

 エ・ランテルにおいては毎年、帝国との戦争における王国側の拠点となるため、王国相手の商売、とくに食料関連こそが最大の利益となるのだが、そちらは完全に既得権益層によって固められているために、そうそうには手が出せない。

 とはいえ、総力を注げば、もちろんそちらだろうと食い込むことは十分に可能である。

 だが、そもそもナザリックとしての目的は、ただ金を稼ぐためだけでなく、自身の影響力を行使できる地域を増やしていくことにある。無理にそんなところに注力するのはあまり良案とは思えなかった。

 

 

 その為、今後の新たな事業計画として、エ・ランテルだけにとどまっているのではなく、どこかに版図を広げることが提案された。

 提示された案は3つ。

 すなわち、隣接する3カ国である帝国、王国、法国のどちらに手を広げるかである。(一応、エ・ランテルは王国の一部ではあるが)

 

 

 そうして検討した結果、候補地として最も適していると判断されたのが帝国であった。

 

 法国の方は、先の洗脳の件があり、その手の内がはっきりとしないうちは、まだまだ様子見がよいと判断された。

 

 そして王国の方は、以前に侵入させたシャドウデーモンが、アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のイビルアイによって壊滅させられてしまっており、代わりに王都に潜伏させたユリからの報告は上がっているものの、たった一人で一般人に偽装しての潜入である為、その成果は遅々としたものでしかない。

 幸い、先だってのダミーダンジョンの一件により、『蒼の薔薇』のティアから王都の戦力、並びにイビルアイについての情報を聞き出すことには成功していた。

 その結果、イビルアイの正体は吸血鬼であり、200年前から生き続け、『国堕とし』とかいう名で呼ばれる伝説の存在であった事が判明した。その強さは、冒険者の判断基準とする難度でいえば150程度。すなわちユグドラシルで言えばレベル50程度という、この世界では破格な実力の持ち主ではある。あるのだが、ナザリック基準に照らし合わせれば、打倒することは難しくはない。守護者クラスとまで行かなくとも、一段落ちたレベル80、90程度の者でも送れば、瞬時にかた(・・)はつくだろう。

 だが、それをやると、この世界に潜む強者の目につく可能性がある。

 ティアの知りえる情報だけでも、リグリットという老婆や、ティア自身直接会った事はないものの、そのリグリットの友人という謎の人物など、表に出てこない強者の存在が示唆された。

 

 そんな存在が出てくる可能性があるのに、そのイビルアイ退治を優先することもないと思われた。

 とにかく、王都に関してはまだまだ情報が少ない。藪をつついて蛇を出す可能性がある、一か八かの賭けをするには割に合わない。

 

 

 そこでアインズとベルは残された帝国に目を向けた。

 帝国にもまた『三重魔法詠唱者(トライアッド)』として名高い、200年以上を生きると言われる伝説の魔法使い、フールーダ・パラダインがいるのだが、あくまでナザリックの現段階の目的は裏社会の掌握である。伝説の人物のおひざ元であるからと言って、そんな市井の事にまで、国の要職についているそんな人物が出張ってくるとは考えにくい。

 なぜか伝説の吸血鬼が冒険者として、ふらふら街中をうろついている王国とは違うだろう。

 ……そう考えると、王国って怖いな。

 とにかく、帝都には先に潜伏させていたセバス、ナーベラル、そしてルベリナらがおり、彼らは順調に情報を集めていた。

 その甲斐(かい)もあって今回、直接、ベルがおもむくことになったのである。

 

 

 目的は、新たな影響力を行使できる版図の拡大。その為の、より特化した帝国内の裏社会の情報収集。

 ……という名目を兼ねたベルの息抜き旅行である。

 

 正直、最近、ベルはナザリックとエ・ランテル、それとカルネ村程度しか出歩かず、顔を合わせるのも限られた人物のみという状況だった。ちょっと前には、こっそりエ・ランテルに単身出かけ、問題となったりもした。

 そのため、今度はさらなる新天地の開拓という口実をつけ、ちゃんとアインズから許可を得た上で、今まで行った事のない帝国に来てみたのである。

 ちなみに旅行と言っても、のんびりと何もすることのない時間、暇を楽しむなどという感性は持ち合わせていないため、ちまちま馬車で旅するのも面倒だと、いきなり帝都直前まで〈転移門(ゲート)〉で移動するという有様である。旅の情緒もあったものではない。

 

 

 とにかく、他の者達に帝都の裏社会を支配下におさめるためだと口実を語ったため、今もこうして目の前では、ソリュシャン、マルムヴィスト、エドストレームの3人が現在知りえる限りの帝都の情報を網羅した資料をテーブル上に並べ、どこを調べるか、どこに誰が行って話をするかという事を詰めている。

 完全に物見遊山気分なベルは、ちょっと悪かったなぁとは思いつつも、下手に喋って藪蛇になったら拙いと思い、口を挟まないようにした。

 

 そして、ナザリックにいるであろうアインズに〈伝言(メッセージ)〉を送り、帝都についたことを伝え、そして今後の事について秘かに相談を始めた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「よっし、今日はこの街に泊まるか」

「ええ、そうですね。まだ日は高いですが、無理に道を急いで野宿することになるよりはいいでしょうし」

 

 ヘッケランとロバーデイクは馬車から降りて、人の行き交う通りを見回した。

 本来ならこの街には夕方近くに到着する予定だったのだが、たまたまこちらに向かう馬車の乗員と仲良くなり、荷台の端に乗せてもらうことが出来たため、予定より早く着いたのだ。

 

 もとより特に急いで帝都まで帰る必要もない二人はそう考えると、振り返って女性陣の意見を聞いた。

 イミーナは肯定の意を示し、アルシェもまた首を縦に振った。

 

 そうしつつも、アルシェの内心は少々()いていたのだが。

 

 

 彼らフォーサイトはもともと帝都アーウィンタールを活動拠点としていたのであるが、ここしばらくの間はエ・ランテルの方で活動していた。

 しかし、いい加減長く本拠である帝都を離れすぎたと、エ・ランテルを出て、帝都へと帰る旅路についたのである。

 帝都に帰ると言っても、彼らは特に帝都で待っている者がいるという訳でもない。その為、急ぐこともせず、旅をしながら各町で買い物をしたり、そこでちょっとした揉め事の解決を手伝ったりと、のんびりとした旅程であった。

 

 だが、その中でただ一人だけ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェには、彼女の帰りを待っている家族がいる。両親はまた借金を増やしているのではないかと気が気ではないし、なにより彼女の妹たち、クーデリカとウレイリカは自分の帰りを首を長くして待っているはずだ。

 その為、このゆっくりとした旅程にはわずかながら焦燥感がつのっていき、まんじりとした日々を過ごすこととなっていた。特に先日、あちこちの街道に謎のアンデッド集団が出現したという事件が起き、その対応により途中の街で足止めをくった時など、自分たちならそんな連中倒しながら移動できるのにとやきもきした気持ちにさせられた。

 

 だが、仲間たちには自分の事情を話してもいないのだ。

 少しばかり帰りが遅れたとしても特に問題もないはずだと自分に言い聞かせる。

 旅に出る前に聞かされていた次の借金の返済まではもう少し時間があるし、それにエ・ランテルで稼いできた額は、彼女がいない間に両親がまた借金の総額を増やしていても、それをまとめて返せるほどはあるだろう。

 

 何ら焦る事などない。

 帰ったら愛する妹たち、クーデリカとウレイリカの笑顔が自分を出迎えてくれるはずだ。

 彼女たちには特別にお土産も買っておいた。

 きっと、喜んでくれるだろう。

 

 アルシェはその情景を思い浮かべ、微かに口元に笑みを浮かべながら、今夜の宿を探しに行く皆の後へと続いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「お名前はなんて言うの?」

 

 老女の優しい声に、問われた少女は元気よく答えた。

 

「マリーア!」

 

 そうクーデリカは名前を聞かれたときに答えるよう言われていた偽名を語った。

 

 

 今、皆がいる場所はちょっとした広さを持つ邸宅の庭。目にも鮮やかな草木や花々の並ぶ中を、さわやかな風が駆け抜け、太陽が燦々(さんさん)と照りつけている。

 

 今日はセバスが帝都で知己となった商人の家で行われている、ちょっとしたパーティに招待されていた。

 そんな中、可愛らしいクーデリカの様子を、年配の者が多い参加者たちは、誰もがほほえましく好々爺然とした笑みを浮かべて見つめていた。

 

 

 

 セバスは保護したクーデリカを護るため、帝都に構えた邸の奥に彼女を隠しておくのではなく、あえて自分が行く先々へ連れていくことを選択した。

 あちらこちらで、マリーアことクーデリカは自分の親戚であるとアピールして歩くことで、街の人間たち、特に平民ながら裕福な商人を中心に、その事を既成事実として周知してしまうつもりである。

 

 

 彼女を犯罪組織から買い取ったという存在はいまだ不明であるが、ルベリナの継続的な調査によると、どうやら帝国の有力者、貴族なども関係している集団のようだという事が分かった。さすがに、一体だれが関与しているのか、どの程度の者か、までは辿れなかったが。

 

 この帝都は皇帝の御膝元であり、治安もよい。

 そんな所で、無理にセバスらの元から子供を取り返しでもしたら、それは明確な事件として調査対象となるだろう。

 セバスは没落しかけとはいえ、モーリッツ家という他国の貴族位に連なる者として、帝国の裕福な層からは認識されている。

 そんなところの子供を攫うということは、下手をしたら外交問題にもなりかねない。帝国の名において、厳密な調査が行われるだろう。もちろんその調査の中でセバスの語っていた身分の真実もばれるだろうが、事が明るみになれば拙いのはむしろ相手、帝国に居を構える貴族の方である。

 帝国を収める現皇帝『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは就任以来、様々な口実をつけては貴族の権力を削り、自分のところに権力を集中させようとしている。

 子供を攫ったことから調査が進み、それをたどって行ったら実は帝国貴族が関与していたと判明すれば、それこそ皇帝にその貴族を取り潰す格好の口実を手に与えることとなる。

 その為、クーデリカの事を目立たせることにより、もし無理に彼女を奪還しようとしたら、それは皇帝の目にとまる可能性があり、自身の身の破滅を招くかもしれないぞと行動を思いとどまらせる作戦であった。

 セバスとしては相手が誰だかは知らないが、その辺の事を察し、彼女の事は諦めてくれればという思いである。

 

 

 そういった狙いから、クーデリカをセバスが行く場所へ連れまわしているのであるが、ここで思いもよらぬメリットがあった。

 

 彼女は、周囲の人間の受けが非常に良かったのである。

 

 連れ立っているナーベラルは目を見張るほど美しいが、その対応にはやや難がある。

 人間という種を下に見ているため、話しかけられても、取りつく島もなく氷のように冷たい対応をする。そういうのが好きなごく一部の人間もいることはいるのだが、そんな者はごくごく少数派でしかない。

 

 対して、クーデリカは可愛らしい少女である。それもまだ、子供の域から抜け出していない年齢だ。動物と子供は万人を和ませると言われる通り、彼女は誰からも好かれることが出来た。

 また、子供と言っても躾のなっていない子は疎まれるが、元とは言え貴族としての教育を受けていた彼女は天真爛漫ながら、時と場合に応じては空気を読んで、その行動を控えることも出来た。そういう点も好ましい目で見られた。

 

 彼女を連れていくことで、他者と親交を結ぶことが容易になったのだ。

 その為、彼女を保護しておくことは大変なメリットがあると言えた。

 クーデリカはナザリックの、主の目的達成の役に立つ有用な存在と言えた。

 

 唯一の問題は彼女の事を周囲になんと説明するかであった。

 そちらは色々検討した結果、ナーベの姉妹であるという事にした。

 ナーベラルとはいささか年が離れているため、妹ではなく姪の方がいいのではという意見もあったのだが、その設定に合わせてクーデリカが『ナーベおばさん』と呼んだところ、ナーベラルが盛大に顔をひきつらせたため、その案は没となった。髪の色が違ううえ、あまり似ていないことは腹違いであるためと誤魔化すことにした。

 それと、一応、元のフルト家のクーデリカであるとばれないようにマリーアという偽名を使わせた。フルト家を始めとした貴族たち(元もふくむ)と、セバスが交流を深めている平民の商人たちでは生活の層が異なっており、クーデリカの事を知っているものは少ないだろうが、さすがに同じ名前では気づくものも出るかもしれない。念のためである。

 

 とにかく、セバスは彼女を保護し続ける口実が出来たことと、自らを信頼してくれた主の期待に応えられたことに安堵の息を吐いた。

 

 

 ――アインズ様、この私めのわがままをお聞き届けくださった御温情、感謝の念に堪えません。帝都の事はお任せください。必ずや、あなた様の信頼に応えて見せます。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

《……あっと、そうだ、ベルさん》

 

 〈伝言(メッセージ)〉でベルとの相談中、思い出したようにアインズが言った。

 

《どうしました?》

《いえね、そういえば、ベルさん。何かセバスに新しい指示とか、許可とか出しました?》

《え? 許可……ですか? いえ、していませんけど……何かありました?》

《実は、セバスに〈伝言(メッセージ)〉での定期連絡をしたときなんですがね。その時なんだか、わがままを聞き届けてくださってとか、感謝しているとか、信用に報いる結果を出して見せるとか、言ってたんですよ》

 

 おや、と思った。

 

《? なんです、そりゃ? なにか、セバスからの要望でも聞いたんですか?》

《いえ、特にそんなことしていませんがね。かと言って、何のことだか分からないから言ってみろとも尋ねられませんし》

《そりゃ、聞かなくて正解ですな。……んー、でも、本当に何かありましたっけ? セバスがあげてくる報告書には目を通してましたけど、特に変わったこととかは書いてなかったような……》

《ええ、私も見ましたけど、何もないはずですよね……。一応、後で読み返してみようかと思っていますが。まあ、それでですね。ベルさん、同じ帝都にいるんですから、ちょっと会ってみてもいいかも?》

《うーん……いやそれは止めた方がいいのでは? 何だかは分かりませんが、セバスとしては任されていると思って、やる気になっているところでしょう? そこへ上司である俺が現れて口出しするっていうのも……》

 

 その答えに、アインズはなるほどと思った。

 上司に信頼されて全てを任されていると思っていたのに、そこへ上役が監視に現れたら、やっぱり自分は信用されていなかったのでは、と思うだろう。

 アインズもリアルの会社員時代に経験があるが、上から任された仕事を進めていたら、急にやって来た上司があれこれ口を出し、かえってそのせいでやりかけていた仕事が混乱してしまい、後始末に一苦労した憶えがある。

 

《まあ、たしかに。じゃあ、ベルさんたちが帝都に行っている事はセバスには秘密にしておくのが無難ですかね。ベルさんもそんなに長い事、いる気でもないんでしょう?》

《だいたい10日位をめどに考えています》

《それなら、いちいち言わなくても、顔を合わせずに済みそうですね。そうしますか》

《ええ、その方がいいでしょう。嘘も方便ですよ》

《じゃあ、そうしましょう。それでベルさん、他に何か変わったことはありますか?》

《いえ、今のところはないですね》

《それは良かった。分かっていると思いますが、くれぐれも気をつけてくださいよ。あまり騒ぎは起こさないように》

《ええ、分かっていますよ。ここはエ・ランテルじゃないですからね》

 

 エ・ランテルの裏社会が短期間であらかたナザリックの軍門に降ったのは、単純にナザリックの力をふんだんに使ったからではなく、ズーラーノーンの騒ぎによって町が荒廃した混乱につけ込んだからである。治安を守る衛兵の力も頼りになるとは言い難い状態で、警備も隅々までいきわたらなくなり、ほぼ無法状態と化したエ・ランテルにおいて、強引なまでの金と暴力で支配下に置いたというのが正解である。

 

 対して、ここ帝都アーウィンタールは、セバスからの報告によれば、とても治安が良いらしい。

 街中を騎士が巡回し、ちょっとでも騒ぎがあればすぐにでも飛んでくる。それに、フールーダ・パラダインの下にある帝国魔法院や優秀な人材を育てるための学院など、魔法を使える人間を育成、運用し、国家として抱え込んでおり、ここもまた王国やその一部であるエ・ランテルとは一線を画しているところのようだ。

 

《とにかく、エ・ランテルとはだいぶ勝手が違うようですから、下手な事をして目立つ気はないですよ。そもそも、今回はあくまで様子見程度のつもりですし》

 

 ベルとしても、いきなり無茶はするつもりもない。特段、急いで行動しなければいけないほど、切羽詰まっているという訳でもないし、そもそも、今回はちょっとした観光旅行も兼ねているのだ。下手に動いて、せっかくの旅行を切り上げる羽目になる事は避けたい。

 

《今回は裏社会の情報収拾と、あと警備体制の調査でしたっけ?》

《ええ、王都ではイビルアイのせいでシャドウデーモンの潜入が出来ませんでしたから、帝都ではどの程度の怪物(モンスター)なら大丈夫か? また、帝都の即応能力とかも調べるつもりですよ》

《即応能力というと、適当な怪物(モンスター)をぶつけてみるんですか?》

《はい。それが手っ取り早いでしょう。もちろん、こっちの手はずというのは厳重に隠しておきますよ。まあ、それは最後に街を出る頃の事ですね。とりあえず、当面はセバスからの報告をもとにあちこち動いてみますよ》

《お願いしますね。やっぱり、私たちの目で見るのと彼らからの報告ではどうも印象が違うみたいですし》

《了解です。では》

 

 そうして〈伝言(メッセージ)〉を切る。

 

 視線をあげると、ベルの前では配下たち3人が、彼女が〈伝言(メッセージ)〉を終えるのを待っていた。

 

 

 ベルはパンと手を叩く。

 

「さて、今後の活動方針だけど、来る前にも言った通り、あくまで今回は本格的な進出をする前の、情報収集を目的としている。あまり大きな荒事は避ける様に。それと、今回、俺たちが帝都に侵入したことは、先に侵入しているセバスには秘密とする。これは下手に接触することで、セバスたちの行っている情報収集任務に悪影響が出ないようにするためだ。あと、ギラード商会のトップは不明の人物という事になっているから、俺の事はボスではなくベル様と呼ぶように」

 

 そこまで話したところで一つうなづいた。

 重々しい口調を改め、肩の力を抜いて言った。

 

「ま、そんなところかな。とにかく今回は、この帝都で大騒ぎを起こすとかもする気はないし、気楽にね」

 

 

 



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第51話 帝国の人々

 群像劇風にしてみたら、どこで一話切ろうか悩む……。
 本当は昨日投稿する予定でしたが、1エピソード書き忘れていたため、遅れてしまいました。

2017/3/29 「愚行」→「愚考」 訂正しました


「はあっ、はあっ」

 

 大きく息を荒げながら、アルシェ・イーブ・リイル・フルトは街を駆けていた。

 走りながらも今、その脳裏に浮かぶのは、彼女の大切なものとしてフォーサイトの仲間たちと共に並ぶ、彼女の妹たち。

 

 

 クーデリカとウレイリカ。

 

 彼女は湧き出して来る涙を、必死で振り切り、道を走った。

 

 

 彼女、アルシェが久しぶりに、実家の借金返済の為に命を懸けて稼いできた金を手に家に帰った所、待っていたのは予想だにしていなかった悪夢であった。

 

 この家には、クーデリカもウレイリカもすでにいない。

 

 どういう事なのかと聞こうにも、父や母相手ではもはやまともな話すら通じない。

 

 一体いつからこうなったのだろうか?

 アルシェは反問する。

 鮮血帝に貴族位を奪われた時からだろうか? 他の貴族たちからそっぽを向かれた時からだろうか? それとも、入ってくる金もないのに貴族の頃と同様の生活を続け、借金に首が回らなくなった時だろうか?

 彼らの言葉は、まるでがなりたてられる動物の鳴き声のようにしか聞こえない。

 

 とにかく、親たちとこれ以上話しても無駄だ。

 アルシェは執事であるジャイムスを呼んだが、その声に応えるものはいなかった。

 

 代わりに父が答えた。

 侮蔑の色を交えて。

 

 

 ジャイムスはもうこの家を逃げ出したと。

 

 

 その答えには、さすがにアルシェも驚愕に目を丸くした。

 

 ジャイムスは彼女が生まれた時からずっといてくれたのだ。貴族位を奪われ、すでに落ち目になったこの家にも、前と変わらずずっと仕えてきてくれたのだ。

 そんな彼が出奔するわけがない。

 それこそ、よっぽどのことがない限りは。

 

 そんな、よっぽどのことをしたのだろうかと、自分の父を懐疑の目で見つめるが、父はとにかく怒りに身を震わせるばかりであった。

 そして、その怒りの矛先はアルシェにも向いた。

 

 ――なぜ、エ・ランテルに行ったあと、すぐに帰ってこなかったのか、と。

 

 そして、さらに問いただした。

 

 ――それで、ちゃんと金は稼いできたのか、と。

 

 

 その言葉を耳にした瞬間、アルシェは手にした杖で父親を殴りつけていた。

 

 これまで、アルシェは父に手をあげたことなどなかった。

 学院に通って勉学に励み、様々な魔法を身に着けた。ワーカーとして生死の境をさまよい、ミスリル級冒険者に匹敵する実力を身に着けた。

 

 アルシェが本気になれば、強権的な父親をなど力でねじ伏せることも容易であり――。

 

 

 ――それこそ、殺すことなど造作もなかった。

 

 

 だが、これまで彼女は父には手をあげなかった。

 育ててくれた恩もある。貴族として育てられ、親に手をあげるのに忌避感があったこともあげられる。

 彼女にとって、それは明確な禁忌であった。

 しかし、今、それを冒してしまった。

 

 アルシェは鼻血を撒き散らし、床にはいつくばって悲鳴を上げる父親をただ見下ろしていた。いつも穏やかな瞳を向けてくれていた母は今、彼女に対し、突然現れた怪物(モンスター)でも見るような怯えた視線を向けていた。

 

 アルシェは(きびす)を返す。

 そして、もう戻らないことを告げ、長年暮らした家を後にした。

 

 

 

 その後、彼女は妹たちを捜し歩いた。

 裏社会の人間、闇の組織にも接触し、人身売買に妹たちが商品として出品されていないか尋ねてもみた。

 その結果、しばらく前にクーデリカらしき人物がどこかに売り飛ばされたらしいという話は聞けたものの、それがどこなのか、その後どうなったのかは分からずじまいであった。ウレイリカに関しては、手掛かり一つなかった。

 

 

 ――どうか、無事でいて。

 

 

 アルシェはそれだけを願い、夜の街を駆けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「それでどうする気だ!?」

 

 何処にあるやもしれぬ一室。飾りの(たぐい)など何一つなく、ただ部屋の中央に置かれた燭台に灯された〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の仄暗い明かりだけが室内を薄暗く照らす。

 今、その明かりの中に数名の人間が浮かび上がっていた。

 

 

 (いら)ついた様子を隠すことなく怒声を上げるのはウィンブルグ公爵。

 ここ、帝国の貴族としてはかなりの上位に位置する男だ。

 

 その勘気に触れた男はオロオロと狼狽(うろた)えた。

 

「そ、その……次までには、か、代わりの娘を用意いたします」

「ほう? では次回には、今回用意するはずだったのと同じような貴族の娘を用立てられるという事か?」

「い、いえ……それはさすがに……」

 

 公爵は再び苛立たし気に声をあげた。

 

「つまり代わりなど用立てられんという事だろうが! とりあえず、言い逃れをして取り繕っておけば何とかなるとでも思ったか! 貴様は自分がどれだけの事をしたのか分かっているのか!?」

 

 再度落とされた怒りに、身を震わせる男。

 その様子を見ていた神官は取りなす様に間に入った。

 

「まあまあ、落ち着いてください、公爵」

 

 横からかけられたその言葉に彼は少し落ち着きを取り戻した。

 

「しかしですな、神官殿。あれは元がつくとはいえ貴族の娘。手に入れるのには、少なくない費用を要したうえに、そうそう手に入るような存在ではありませんぞ」

「ええ、その辺りは重々に承知しております」

「今は、あの皇帝が貴族を潰す口実を目を皿にようにして探っている状況。金に困って娘まで売るフルトの阿呆のような奴でもいない限り、青い血を持つ者を生贄にする機会なぞ、そうありますまい」

 

 公爵の懸念はまっとうである。

 今の帝国は自身に権力を手中させようとする皇帝ジルクニフの施策によって、能力の乏しい貴族たちは貴族位を取り上げられ、例え能力があったとしても彼の意に背いた者達は様々な難癖をつけられ、その力をそぎ落とされて没落していく有様である。

 そんな中、この邪教集団に参加している者達は高位の貴族達であり、さすがにジルクニフとはいえ、そうそうは手が出せはしないのではあるが、それでも情報が洩れれば粛清の対象になりかねず、慎重な行動が求められていた。

 その為、生贄としてささげられる少年少女たちも、彼らが直接取り扱うことなく犯罪組織を仲介させている。そして、あくまでグレーではあってもちゃんとした契約の下に売り飛ばされたなど、可能な限り足がつきにくい者を集め、儀式を行っていた。

 

 

 そんな折、没落貴族であるフルト家の娘が借金のかたに売り飛ばされることとなった。

 

 鮮血帝ジルクニフの施策によって貴族から脱落した元貴族達は、金に困ることがほとんどである。

 なにせ、これまでは領地からの収入や国からの給金によって生計を立てていたのだ。

 金というものは勝手に出てくるものであり、それを使って貴族同士の見栄の張り合いに勝利し、貴族としての(くらい)をあげたり、領地を増やしたりという事をするのが武官ではない貴族たちの戦いであり、生き方であった。

 

 だが、その基盤である貴族位ならびに領地を取り上げられてしまったのだ。

 

 彼らは世間一般で言う労働などしたことがない者がほとんどだ。貴族位や領地が無ければ継続して手に入る収入もなくなる。

 無論、それ以外にも商売に手を出すなど、別の収入源を確保している貴族もいるが、そのような目端の利く者達に関しては有能であるとして貴族位を取り上げられはしなかった。そんな者達も、彼の意に反すれば、資金拠出の協力(・・)などを求められることにはなるのだが。

 

 その為、貴族位を失った貴族たちの行く末は3つ。

 1つ目は、家にあるこれまで集めてきた金目の物――芸術品であったり、宝飾品であったり――を少しずつ売り飛ばして生活する者。

 2つ目は、食いぶちを稼ぐため、これまで自分がした事のない労働に従事する者。

 3つ目は、金が入ってくる当てもないのに借金をして生活をする者。

 

 フルトの家はこの3つ目に該当した。

 フルト家の当主は、あくまで貴族としての権力争いの才能はそれなりにあったのであるが、残念ながらそれ以外のものは持ち合わせていなかった。すでに貴族ではないにもかかわらず、それには目をつぶり、ただ貴族の血筋であるという栄光にすがって生きてきた。金が無くなっている現状にもかかわらず、何ら節制することもなく、これまで通りの生活を続けていた。

 通常ならそんな生活はすぐに行き詰るはずだったのだが、長女であるアルシェには天才と呼ばれるほどの魔法の才能があり、貴族でなくなって(のち)は彼女がその才を生かして金を稼ぎ続けていた。

 その為、彼は自らの生活を(かえり)みることなく、貴族であった頃、そのままに生きてしまっていた。

 

 そして、稼ぎ頭である長女が予定の日にちを過ぎても家に帰ってこなかったとき、フルト家の生活は破綻(はたん)した。

 

 借金の返済期日までは、実際の所まだあったのだが、長女以外の者に金を工面できる能力がないことは金貸しにはよく分かっていた。帰ってくる見込みがないなら、約束の期日を馬鹿正直に待っていてもしょうがない。むしろ、先延ばしせず繰り上げて取りたてた方が利息も減って借りた側の為にもなる、と身勝手な理屈をつけて、家じゅうの物で返済を迫った。

 そして、物だけでは足りなくなり高値を付けたのが、家にいた双子の娘たちであった。

 

 

 そうして双子の片割れ、クーデリカは売られた。どちらでもよかったのだが、ウレイリカの方は家を継ぐ者がいなくてはフルト家が断絶してしまうと、家に残された。

 買い取った人身売買の業者はすぐに邪教組織に渡りをとった。掘り出し物があったら、連絡をするように話がついていたからだ。

 

 このフルト家の娘というのは中々に珍しい代物であった。金に困った没落貴族が娘を……という話はよくあったが、そういう者は直接娼館に流れるのが普通であり、彼女のように貴族の娘、それも明確に処女である年端もいかない少女が人身売買の方に出されるというのは、非情にまれであった。

 

 彼らとしては、買い取った連中は彼女をろくでもない事――異常な性欲のはけ口――にでも使うのだろうと考えていたが、さすがに邪神への生贄として殺してしまうなどという事は想像だにしていない。だが、彼らには売った後の結末を探る気もない。

 

 

 そして、クーデリカは大金で売り飛ばされた。

 

 ――だが、彼女は邪教組織の許へは来なかった。

 途中で、輸送に(たずさ)わっていた者達もろとも消えてしまったからである。

 

 

 その結果、最も困ったのが当の邪教組織である。

 なにせ、今回の儀式の生贄は普通の者ではない、青い血の持ち主であるフルト家の娘、クーデリカであると参加者たちに広言してしまっていたからである。

 それなのに、クーデリカが突然いなくなってしまった。

 あまりに急の事で代役となる人間も見つからず、とりあえずだが代わりを用意したものの、そちらは大不評であった。

 組織の中で彼ら貴族の取りまとめ役となっている、ウィンブルグ公爵もまた顔に泥を塗られる結果となり、それが今の嚇怒(かくど)につながっている。

 

 

 

「あはは。あれって、酷かったもんね。皆、子供が殺せる、子供が嬲られて死ぬところが見れるって期待して集まってたのに。ふたを開けてみたら、出てきたのはただのメーメー鳴く羊だもん。こんだけ雁首(がんくび)そろえて家畜を殺すとかって屠畜業者のパーティーかっての」

 

 半ば糾弾(きゅうだん)の場と化し張り詰めていた空気を読んでか読まずか、その場にいた唯一の女性が茶化すような声をあげた。

 その笑い声に、思わずウィンブルグ公爵も彼女の事を、男に対しての怒りのままに睨みつけてしまう。

 だが、そんな怒りの視線など彼女、クレマンティーヌは気にも留めなかった。

 

「で? どうすんの? 皇帝陛下にばれちゃうのが怖いから、いっそのことうちは人間を生贄にするの止めて、これからずっと家畜を生贄にしようか? この前は羊だったから、次は山羊、その次は豚とかって。それなら、もし皇帝にばれても、いつも食材となってくれる動物たちへの感謝を示す催しですって言っちゃえば、誤魔化せるんじゃないの?」

 

 自分で言って、更に甲高い声で爆笑する。

 圧倒的な権威を持つ上級貴族の年寄り連中が集まり、全員が裸になって、家畜の解体をするという想像がツボに入ったようだ。

 

 

 人を苛立たせる笑い声。

 公爵の身体が抑えきれない怒りに震える。

 それを見て、神官が彼女をたしなめた。

 

「クレマンティーヌよ。その辺にしておきなさい」

 

 クレマンティーヌは糸が切れた様に笑いを止めた。

 そして、一瞬だが氷のように冷たい瞳を神官に向けた後、

 

「はい。言いすぎました。申し訳ありません」

 

 と、頭を下げた。

 

 

 しおらしい彼女の様子に、ウィンブルグ公爵も冷静さを取り戻し、吹き出しそうだった怒りの感情を飲み込んだ。

 そして神官は皆を見回す。

 

「ええ、たしかに。今回の事は痛手でありました。次は絶対にこのような事が無いようにしなければなりません。次も同様の事があれば……これは決して許すわけにはいかないでしょうな」

 

 フードの奥に隠された神官の青い瞳に一瞥されて、先程公爵に咎められていた男は再び怯えた表情を浮かべた。彼は生贄の輸送などに携わっていたのだ。クーデリカがいなくなったのは彼の責任という事になる。そして、今、彼の目の前にいる人物たちは、彼を社会的にも物理的にも抹殺できるような者たちなのだ。

 その事をあらためて思い返し、その身に震えが走った。

 

 

 その場にいながら、先のやり取りに目もくれることもなく、一言も発しない男がいた。

 ローブをまとったその姿は非常に小さく、枯れた朽ち木にも似た印象を思わせる。本当に生きているのかさえ疑問である。

 その男の口元がモゴモゴと動いた。

 

「…………」

 

 聞き取れないほどの微かな声だったが、その場の内でクレマンティーヌだけはその声を聞き取ることができた。

 

「ん? なに? 次は生贄はたった一人だけじゃなくて、数人は準備しておいた方がいい? あー、なるほどね。何人か用意しておけば、不測の事態で1人使えなくなっても、他を使えばいいからねー」

「な! ふ、複数だと」

 

 その提案にウィンブルグ公爵が驚いて身を震わせた。

 

「お、お前たちは、今の状況を理解しているのか!? 今、皇帝ジルクニフは貴族の言動や動向に目をとがらせていて、なにか失脚させる口実を探し回っているところなのだぞ! そんな目立ちやすい行動をしたら、どうなるか……」

「あのさぁ、公爵。あなたこそ、今の状況分かってる?」

 

 クレマンティーヌは聞き分けのない子供に向けるように苦笑を浮かべ――その赤い瞳を向けた。

 獣のような目に捉えられた公爵はウッと言葉が詰まる。

 

「そんな事言ってる場合じゃないよね。この前の失敗みたいなことしたら、この組織、ガタつくよ。下手すりゃ、無くなるね。そんな事になったら、あなた、どうなると思う?」

 

 問われた公爵は、もし再び前回のような失態――貴族の娘を生贄にすると宣言しておきながら、ただの家畜を生贄にする――を繰り返す羽目になった時の事を考えた。

 

 この邪教組織は帝国貴族の中でも上位の者達が参加している。言うなれば、上流階級における闇の社交界のようなものだ。そして、自分はその中の貴族側の取りまとめ役として一目置かれており、それは邪教組織の中だけにとどまらず、表の世界でも何かと存在力を誇示することが出来た。

 だが、それは、この度々(たびたび)(もよお)される儀式に参加できるというメリットがあっての事だ。

 別に彼らは本当に邪神を崇めているわけでもない。邪神に生贄を捧げると称して、普段なら行うことは出来ない『殺人』を楽しむことが出来る。そんな禁忌を破る秘かな楽しみがあるからこそ、彼らは益体(やくたい)もないこの組織に所属しているに過ぎない。

 そんな集会で彼らの所属する目的、すなわち『殺人』を行えなくなったら、いったい誰がそんな組織にいたいと思うだろうか。

 当然、脱会していくだろう。それも何人も。

 そして、辞めた人間がこの組織の秘密を守るとは考えにくい。

 それこそ、何かのきっかけでその者が皇帝から睨まれでもした際には、取引材料としてこの組織の情報を包み隠さず話すだろう。

 

 そうなったら、待っているものは身の破滅だ。

 

 ウィンブルグ公爵が邪教組織に属する貴族達の取りまとめ役だったことは誰もが知っている。

 これまで彼はその立場を利用して、裏表問わず権勢をふるってきたのであるが、それがかえって(あだ)となる可能性がある。

 この邪教組織の行った犯罪行為、そのすべての責任を押し付けられかねないのだ。

 

 貴族たちは、共に神の摂理に反したことを行っているという後ろ暗い優越感と連帯感で繋ぎ止めておかなくてはならない。

 この組織を揺らがせるわけにはいかない。

 すでに後戻りはできないところまで、足を踏み入れてしまっているのだ。

 

 

「危ない橋を渡ることになっても、やらない訳にはいかないのか……」

 ウィンブルグ公爵は青い顔でつぶやいた。

 

 そして、彼はうなづいて了承を示すと、灯りのそばから離れ、暗闇へと消えていった。

 続いて、クーデリカが消えたことの責任を問われていた男も怯えた様子で、その場を離れた。その背にクレマンティーヌからたっぷりと、次にまた失敗したらどうなるか分かっているのかという脅迫の言葉が投げかけられ、震えながらの退出である。

 

 

 

 そして、その場には3人の人物だけが残された。

 神官の男。

 クレマンティーヌ。

 そして、ローブを着たミイラのような人物である。

 

 

 しばしの時が経ち、この場を去った他の2人が十分に離れ、ここでの話し声が届くことがないと知れてから、ようやく神官は口を開いた。

 

「クレマンティーヌ様。先ほどは失礼な口を開いて申し訳ありません」

 

 そう言い、深々と頭を下げる。

 どう見ても、先ほどの上位者然としてクレマンティーヌをたしなめた態度とは雲泥の差だ。

 それに対し、彼女はケラケラと笑う。

 

「まあ、いいって、いいって。そういう配役だしね。まあ――」

 

 一瞬で言葉に冷たいものに変じる。

 

「――少し言葉遣いにイラッと来たから、殺しちゃおうかとは思ったけどね」

 

 瞬間的に叩きつけられたその殺気に、彼は思わず後ずさりし恐れ慄いた。

 

「…………」

 

 ミイラのような男が口を震わせる。

 それを聞き、また一瞬でクレマンティーヌの気配が変わった。

 

「はいはい。冗談だって。ね、そんなに怖がんなくてもいいよ」

 

 にこにこと笑う。

 笑みを向けられた神官は、ごくりとつばを飲み、姿勢を正した。

 

 彼は表向き、邪教組織の中でも儀式を取り仕切る最上位の人間という形になっている。

 だが、実際のところはそうではない。

 彼はそれなりに力はあると言っても、所詮はズーラーノーンの末端構成員の1人でしかない。

 今、彼の目の前にいる人物たち、詳しい事は知らないが凄まじい戦闘能力を誇るクレマンティーヌという女性、ならびにこのミイラと見間違うような人物、秘密結社ズーラーノーンの高弟の1人ズル=バ=ザルこそが、実質的にこの邪教組織の方針を決める上位者と言える。

 

 

 ズーラーノーンとスレイン法国。

 一見すると激しく敵対し、決して手を取り合う事などありえない2者であるが、その内実、目的の為ならば協力し合う事もある。

 他国においてスレイン法国が工作を行うときには、ズーラーノーンというのは実に良い隠れ蓑になるのだ。また、ズーラーノーンは各地に広く手を伸ばし、潜り込んでいる。時には驚くべきところまで根をはっていることもある。そんなルートが使用できるのは法国として実にありがたかった。

 ズーラーノーン側としても、スレイン法国から資金などのバックアップを受ける事もある。また、裏を使わず表の法国のルートで物資を調達したりすることが出来、ときには人員までも貸し出してくれるというのは魅力的だった。

 その為、その時々で簡単に破棄されたり、再度締結されたりという信用のならないものではあったが、2者は手を結ぶこともあった。

 しかし、そんな裏事情は一般の者は知る由もない。

 普通に彼らは互いに憎悪し、敵対し、そして殲滅し合っている。

 彼らの限定的な協力関係はごくごく限られた者達、法国の六色聖典の一部やズーラーノーンの高弟以外知る由もない。

 

 その為、神官である彼もまた、クレマンティーヌと名乗る女性はズル=バ=ザルが見つけてきた凄腕の傭兵としか考えていなかった。

 彼女がまさかスレイン法国の人間であり、さらにそのなかでも、ズーラーノーンに属する彼ですらかろうじて噂として聞いたことがあるに過ぎない、法国最強の戦力と言われる漆黒聖典に属する者であるなどとは夢にも思わなかった。

 

 

 彼は冷や汗をぬぐい、先程から抱いていた疑念を口にした。

 

「しかし、先ほど、次は生贄を複数用意すると言っていましたが、大丈夫でしょうか? ウィンブルグ公爵も心配しておりましたが、あまり事を大きくすると我らの活動が帝国にばれてしまうのでは?」

 

 その言葉に、クレマンティーヌは大仰に肩をすくめて見せた。

 

「あのさぁ」

 

 呆れたような声を出す。

 

「あの切れ者皇帝が、うちらの事を知りもしないと思ってる?」

「は……?」

 

 ぽかりと口を開けた彼を無視して、クレマンティーヌはミイラのような姿のズル=バ=ザルに顔を向けた。

 

「うーん、とりあえず、次の集会は派手目にしないと駄目だね。今回の失敗を取り返さなきゃいけないし。生贄も増やすって事だから、いっそ場所も変えちゃおうか?」

「…………」

「うん。そうだね。あと、やっぱ生贄もちゃんとしないと。貴族ねぇ……私がどこかのやつを攫って来ようか?」

「…………」

「冗談、冗談。やらないって。でも、貴族でちょうどいいの探すのとかってめんどくさいねぇ。別に貴族じゃなくても、普通のやつに貴族の服着せたりするだけじゃダメなの?」

「…………」

「分かるとは思えないけどねぇ。まあ、いいや。貴族見つかればオーケー。見つかんなかったら、その辺のやつにちゃんとした服を着せて誤魔化すって事で」

「…………」

「あー、たしかに。一番いいのはそのいなくなったフルト家だかの娘が見つかれば、あとくされないんだけどね」

 

 そう言うと、クレマンティーヌは背を向ける。ズル=バ=ザルもまた話は終わったと背後の暗闇の中に姿を消した。

 慌てて神官も、二人の後を追うように灯りの下から歩み去る。

 

 

 誰もいなくなった室内を、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のほのかな明かりだけが照らしていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「――と、いう事が事の顛末(てんまつ)のようです」

 

 ロウネはそう説明を締めくくった。

 報告を聞いていた『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、「ふむ」とだけつぶやき、座りのいいソファーに身を預けたまま、わずかな間、目を閉じた。

 

 今、彼は側近であるロウネ・ヴァミリオンから、帝国の元貴族に接触し、エ・ランテルの冒険者モモン暗殺を目論んだ学者を名乗っていた者達についての報告を受けていた。

 

「ズーラーノーンか……。どう思う?」

 

 ジルクニフの問い。

 それを予期していたロウネは時を空けることなく答えた。

 

「事実ではないでしょうな。学者を名乗る法国の人間が、万が一、任務が失敗した時に備え、そう思わせるためになんらかの物証を用意していた。もしくは、冒険者モモンが証拠を捏造して、ズーラーノーンに罪をなすりつけたと言ったところでしょうか」

「しかし、そのダークエルフの古代遺跡とやらには、大量のアンデッドや怪物(モンスター)がいたというぞ。それにギガントバジリスク――まあこれはアンデッドらしいが――そんなものまでいたそうだ。法国が偽装の為にそこまで用意して、今回の事を行ったと思うか」

「あの国ならやりかねませぬな。ましてや今回は他国で活躍するオリハルコン級冒険者の抹殺という大事(だいじ)でございましたから。それと、そのダークエルフの古代遺跡とやらですが、そもそもそこは元からズーラーノーンの拠点の一つであった可能性もございますな」

「嘘の中に真実を混ぜるという手か?」

「はい。法国は秘かに王国や帝国で活動するズーラーノーンの者達とも手を結ぶ場合もありますから。なんらかの理由で破棄されたズーラーノーンの拠点を利用したのかもしれません。まあ、可能性の話でしかありませんが。とにかく、法国が目論んだモモン抹殺は失敗という事です。まあ、その抹殺というのは表向き、すべてズーラーノーンのせいで済んだようですが」

 

 その言葉に、ジルクニフは微かな笑いを漏らした。

 

「ああ。法国の意図、なぜモモンを殺そうとしたのかは分からずじまいだがな。こちらとしては、元とはいえ帝国貴族が絡んだモモン暗殺のことが明るみになって、ウチと王国との仲が悪くなることもなかったし、失敗に終わったとはいえ法国には少しばかりの貸しが出来た。まあ、得たものはほとんどないが、失ったものもとくにはないか」

「はい。まあ、帝都を拠点としていたワーカーチームが失われたため、多少、治安の問題がありますが、それくらいですね」

「そっちは手配しておけ」

「畏まりました」

 

 そう言って、ロウネは深く頭を下げた。

 ジルクニフは話が一区切りついたと卓上の杯を呷り、のどの渇きをいやした。

 その時、ふと一つの事を思い出した。

 

「そういえば、その件の情報をこちらに流したことで、フルト家の執事からその家の娘を保護する事を嘆願されていたな。あれは、どうした?」

「はい。そちらですが、結局、娘の引き取りはしておりません」

 

 その答えに、ジルクニフはわずかに眉をしかめた。

 別にその娘がどうなろうと知ったことではないが、一度、約束したものを反故にするという事は、こちらの信用にかかわる。下手に、その噂が漏れ、帝国上層部は約束を守らないという話が広まってしまう事になったら、今後の情報工作等に影響が出かねない。

 

 そんな若き皇帝の内心を察したロウネは言葉を続ける。

 

「こちらとしては約定を守ろうとしたのですが、フルト家の執事であり、今回の取引相手であるジャイムスが娘を引き渡すための場所に現れなかったのですよ」

「向こうが約束を破ったという事か? しかし、何の得がある? すでにこちらに情報は渡し済みなんだぞ」

「どうやら、そのジャイムスという執事は約束通り、ウレイリカという娘を帝国に保護してもらうため、その娘を連れてフルト家を出たようなのですが……その後、何者かに殺されたようです」

「なに? 確かか?」

「はい。死体が発見されました。背中に深い刺し傷、そして首や手などに切り傷がありましたので、検死した者の見立てでは、最初にいきなり後ろから刺され、驚いて振り向いたところを執拗に切りつけられたようです。手には防御瘡があり、また前面への傷は浅いものが多いことから、犯人は人を殺す経験を積んだ戦士ではなく、そういった事に不慣れな者が、ちゃんとした武器ではなく携行性の高い短めの刃物で襲いかかったと思われます。娘の引き渡し場所として、目立たぬよう少々治安の悪いところを選んだのですが、そこへ来る途中、運悪く暴漢に襲われたのでしょう」

「なるほど。それで、娘の方は?」

「手がかりはございませんな。行方不明のままでございます」

 

 ジルクニフは鼻を鳴らした。

 

「一応聞いておくが、その娘を抱え込むのが負担になるから、お前が手を廻したという訳ではないんだな」

 

 その問いに、ロウネは大仰に嘆いて見せた。

 

「おお、なんということをおっしゃいます。私は右筆(ゆうひつ)の身として国のために身を粉にして働いているというのに、善良なる国民が非道なる犯罪に巻き込まれた事に心痛めているというのに、我が主はこの私めをお疑いになるなど! しかしながら、私としては、そのような残忍な始末をする者にたった1人だけ心当たりがございますな。これは私見でございますが、噂に聞く鮮血帝なる人物が怪しいのではないかと愚考いたします」

「ははは。さすがにその鮮血帝とやらも、いちいち一国民たった一人の為に暗殺者は雇わんと思うぞ」

「なおの事、臣下たる私めも、さような事はいたしませんとも。さすがに報酬を帝国につけずに、ポケットマネーで暗殺者を雇う気もございませんので」

「やれやれ、主の為ならば自分の身銭を削ってでも、動くのが忠臣と思っていたがな。いささか、お前の忠誠心も疑わねばならんかな?」

「はてさて、なれば、さらなる給金を支払う事で、その者の忠誠心を繋ぎ止めることに努めてはいかがでしょうか?」

 

 ひとしきり冗談を言いあった後、ジルクニフは笑い顔をひっこめた。

 

「それで、何か裏があると思うか?」

「いえ。おそらくは裏はないと思われます。こちらで引き取って、どこかの貴族の養子として送った後ならともかく、現段階では大して価値もありませんし。そもそも、結局のところ、あくまで貴族でもない平民が治安の悪い区画をうろついて強盗に遭い、これまた平民の娘が1人行方不明になったというだけですので」

 

 つまり、大した事件ではないとして、あまり詳しくは調査が行われていないという事だ。

 帝国、それも帝都は治安はいい。スレイン法国ほどではないだろうが、王国とは格段に違う。だが、それでも国内で起きた些細な事件のすべてを把握し、調査、解決する事など出来はしない。

 

「これは完全に推測なのですが……」

 

 ロウネの言葉に、ジルクニフは顎で続けるようにうながす。

 

「もしかしたら、例の邪教集団が絡んでいるかもしれませんな」

 

 その言葉には虚を突かれた。

 まさか、再び、その話が出てくるとは思ってもいなかったためだ。

 どういうことだと、ジルクニフはその推測の根拠を尋ねる。

 

「そのフルト家の娘、ウレイリカの保護をその家の執事がこちらに持ちかけてきたきっかけは、彼女の双子の片割れ、クーデリカを父である現当主が借金のかたに売り払ってしまったからです」

「ああ、それは聞いたな。ワーカーとして金を稼いでいた姉の帰りが遅くなったのを、死んだと勘違いしたために、借金を取りたてられて、そいつまで売り飛ばしたんだったか」

「はい。それでその売られた片割れですが、その邪教集団の集会の際に生贄として(きょう)されるはずだったようです。ところが途中でその行方が分からなくなってしまったようで」

「逃げたのか?」

「不明でございます。なんでも、一緒にいたはずの者達も皆、消えていたということらしく。結局、その時の集会では生贄は羊で代用したらしいですな。たいそう不評だったそうで」

 

 それはそうだろう。あくまで邪神への生贄と称して、狂乱のまま人間を殺すという事に暗い喜びを感じ、共にそれを体験した者達とひそやかな連帯感を抱くはずの儀式が、ただ普通に、法に触れることもなく家畜一頭殺して終わりでは何の意味もない。

 

「それでですな。その双子の片割れを生贄にしそびれたそいつらが、代わりに双子のもう片方を攫ったのではないかと。ある意味意趣返しに、そして次の生贄にするために」

 

 ロウネの言葉に、ふむと考え込む。

 たしかにその可能性はある。

 そいつらの基準は分かりはしないが、邪神への生贄となれば、普通の者より貴い血筋の者の方が価値はありそうな気がする。

 それに、おそらく邪教集団としては、事が大事になり国の調査対象となることは嫌がっているだろう。フルト家は元とは言え貴族という家柄ながらすでに1人、娘を借金のかたに娘を売り飛ばしているような有様だ。そんな家の残りの1人を攫っても、いまさら誘拐だなどと届け出はしにくいだろう。そもそも、家から連れ出したのは、その家の執事だ。責任はすべてそいつに押し付けられる。

 

 

 しばらく顎に手を当て考え込んだのち、ジルクニフは尋ねた。

 

「その邪教集団についての情報はどれだけ集まっている?」

「参加している帝国貴族はすでにあらかた判明しております。彼らは未だこちらには情報は漏れていないと思っているでしょうが。ですが、残念ながら肝心の、集会の運営を取り仕切っている幹部連中については、いまだはっきりとはしておりません。ズーラーノーンや法国あたりが絡んでいるのではないかと推察はされますが、確証はありません」

「ふむ、そうか」

「探りを入れますか? 今より重点的に人員を割けば、もっと早く調べはつくとは思いますが」

「いや、いい。急ぐこともない」

 それには首を振った。

 彼はビロードの布を敷いたソファーから立ち上がる。

 

「貴族連中にだって娯楽の一つも必要だろう? それまで取り上げる程、俺は非情ではないぞ」

 

 自分の言ったことながら、笑い声をあげた。

 

「それに、連中も帝都の治安を大きく乱すなどはせずに、控えめに行動しているのだろう。俺に目をつけられぬようにな。その程度に分をわきまえてやっているなら、いちいち固いことは言わんさ。今回のフルト家の娘の事も、大した問題でもないしな」

 

 そう、正直な話、フルト家という貴族位を剥奪された家の娘2人がいなくなろうが、帝国としてなんら困ったことが起きるわけでもない。

 ただ帝都に住む何万人もの人口のうちからたった2人減るだけだ。

 そんなことに目くじらを立てるよりは、見て見ぬふりをした方がいい。今いる帝国貴族たちはそれなりに有能な者達であり、そいつらの気晴らしに饗された方がはるかに帝国の役に立つというものだ。

 

 その邪教集団は秘かに活動しているつもりが、実のところ、ジルクニフの手の上で遊んでいるだけである。

 そして、それは彼らを裏で操るズーラーノーンや法国としても、織り込み済みであった。

 

 殲滅しようとしたら激しい抵抗が予想され、帝国側としてもそれなりに被害が出る。そして、そうまでしてやっても、上級貴族たちが一度にいなくなり、それによって帝国内が混乱する結果しか生み出せない。そんなことをするくらいならば、泳がせておいた方がいい。密偵を送り込み、彼らの弱みを掴む程度で十分だ。あくまで後々使える切り札の収集だけでとどめており、一線を超えない限りは自由にさせておくというのが帝国としての判断であった。

 

 知らぬは当の集団に参加している貴族たちのみである。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゴトンと馬車が揺れた拍子に、マリーア――クーデリカ――の身体が大きく揺れた。

 向かいに座っていたセバスが思わず支えようとしたが、隣に座っていたナーベ――ナーベラル――が素早くその体を支えた。その身を背もたれに戻し、振動でずり落ちかけたひざ掛けを戻してやる。

 その行為にも、クーデリカは「う……」と声を漏らすだけで、その目が開くことは無かった。そのままうとうととし始める。

 

 セバスは浮かしかけていた腰を座席に戻した。

 

「随分と疲れてるみたいですねー」

 

 車内に同席していたルベリナがそう声をかける。

 

「無理もありません。ここしばらく、あちこち連れまわしてしまいましたからね」

 

 セバスは眠るクーデリカの姿を優しく眺めて言う。

 彼女はセバスと血縁の人間であるというアピールのために、ここ最近、連日あちらこちらに連れまわされていた。出来るだけ早いうちに、彼女が身内であると周知しなければ、彼女自身が危険にさらされる恐れがある為、それはやむを得ない事ではあったのだが、それでも、幼い身体には負担だったのであろう。

 今はわずかな間でもゆっくり休ませてやろうという心持であった。

 

「しかし、この娘がいることでこちらの任務も上手くいきましたね。もしや、このこともアインズ様のお考えの内なのでしょうか?」

「おそらくはそうでしょうな。我々が知恵を絞った結果、クーデリカをモーリッツ家の親類として偽装するのがいいという結論に至る事もまた、アインズ様の想定の範疇なのでしょう。クーデリカを保護して(のち)もこちらへの指示の際、彼女に関する事は何一つお触れになられませんでした。私たちはこの帝都での調査に関して、形式的ながらアインズ様より全権を任されています。そんな私たちに対し、至高の御方ながら口を挟むことを良しとしなかったのでしょう」

「おお……」

 

 ナーベラルは自分たちにかけられた信頼の厚さを感じ取り、思わずその身を震わせた。

 

「私たちはそんなアインズ様の信頼を裏切ることなく、任務に励まねばなりませんね」

「はい」

 

 セバスの言葉にナーベラルは深く頭を下げる。 

 しかし、その会話を横で聞いていたルベリナには少々気になる事があった。

 

「あーっと、ですね、セバス様」

「どうしました?」

「いやー、その、さっき私らに帝都での全権を任されたって言ってましたけど、それなんですが……っと」

 

 ルベリナが話しかけたところで、馬車が大きく揺れて止まった。

 

「んー、セバス様、着いたの?」

 

 その揺れによって、クーデリカが目を覚ました。

 目をごしごしとこすって立ち上がろうとする。床に落ちたひざ掛けは、ナーベラルが畳んで座席に置いた。

 セバスは微笑んで、彼女に手を差し出す。

 

「ええ、着きましたよ。では、行きましょうか」

 

 そう言って馬車の外へと彼女を導いて降りて行った。

 ナーベラルもそれに続く。

 

 

 馬車の中に残されたのはルベリナ1人。

 彼は誰もいない馬車の中で、先ほど言いかけた事を伝えるべきかと頭をひねった。

 

 

 

 今、この帝都アーウィンタールの裏社会は、ある噂でもちきりである。

 

 『元六腕の1人で、今はエ・ランテルのギラード商会に身を寄せている千殺マルムヴィストがこの帝都に来ている』 

 

 もちろんルベリナはマルムヴィストの事はよく知っている。

 そもそも彼がナザリック旗下となったのは、マルムヴィストの紹介によるものだ。

 そう。当然、マルムヴィストもまたナザリックに所属しているのだ。普段はエ・ランテルのギラード商会というところで幹部として活動しているらしいが、そこはあくまでナザリックの偽装組織にしか過ぎない。

 

 そんなマルムヴィストが帝都まで来るなど、ナザリックに属する者、彼に命令を下せるほど上位の者の意図が無ければあり得ない。

 つまりナザリックは、帝都で活動している自分やセバスらの他に、なんらかの目的でマルムヴィストも帝都に送り込んだということである。それも彼らには内密のままに。

 

 

 その事をセバスに言うべきかと悩んだのであるが――言わない方がいいかもしれないなと結論づけた。

 

 先程の話を聞くにセバス、それにナーベラルは、自分たちがこの帝都での全活動を任されていると思っているようだ。そこへ、彼らの知らぬ間に別の人員も送り込まれているぞと聞かされれば、心穏やかではいられないだろう。とりあえずのところ、彼らには秘密のままにしておいて、マルムヴィストらは何故帝都に来たのか、どのくらいの人間が送り込まれているのかをもう少し調べてみてからにしようと考えた。

 

 

 このルベリナの考えは、彼が普通の人間社会を基準に考えていることに起因する。

 彼を始めとした元八本指の人間は、ナザリックの全体像までは知らされていない。新しく入れた彼らが裏切る、または何者かに捕まり尋問されるなどした場合、ナザリックの情報が外部に漏れることを警戒したためである。

 彼らは、ナザリックとは人間だけではなく凄まじい力を持った魔物や怪物(モンスター)などまで属する秘密組織のようなものと認識していた。

 そして、そこには当然、派閥もまたあるものだと考えていた。

 セバスやナーベラルの話では、ナザリックの上位者として『アインズ』という名前がよく出てくる。だが、マルムヴィストらと話をすると、彼らの口からは上位者として『ベル』の名前が出てくる。

 そこでルベリナは、ナザリック内は八本指のように複数の部門に別れ、それぞれに支配者が存在しているようなものだと考えていた。

 

 つまり、セバスらが所属している組織のボスが『アインズ』という者で、マルムヴィストらが所属しているところのボスが、あの『ベル』という少女なのだろう。

 今、『ベル』の方はエ・ランテルを支配下に置いている。そこで、『アインズ』の方は帝都を支配下に置こうとし、そこへ『ベル』が探りでも入れているという状況なのだろうか?

 

 ルベリナはそう考えた。

 

 

 ――ここは慎重に行動する必要があるなぁ。派閥争いとかに巻き込まれたくないし。

 

 そういう結論に達した彼は、今はまだ全ては彼の胸の内に収めておき、いざというときにはマルムヴィスト経由でベルの方に近づけばいいかと心に留めて、怪しまれないうちにセバスらの後を追って車外に飛び出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そこは活気にあふれていた。

 数人の料理人が厨房内をせわしなく歩き回り、もうすぐ始まるパーティーに出す料理の盛り付けや調理に汗を流していた。

 そんな中、でっぷりと太った料理長は部屋の中央に突っ立ち、神経質そうに爪先を鳴らしていた。いつもは温和な彼の顔が、今は険しいものに変わっている。

 

 料理長は待ち続けていた。

 目の前には肉が鉄板に並べられて、火にかけられるのを今か今かと待ちわびている。

 だが、今はまだ、彼らの願いを叶えてやる訳にはいかない。

 どうしても足りないものがあるのだ。

 

 

 その時、外へとつながる扉が数度叩かれた。

 きしむ音を立てながら開かれた扉の先にいたのは、この時間帯に来るのは珍しいが、特徴的なよく見知った顔だった。

 

「あ、すみませーん! 香辛料を届けに来ました」

 

 料理長は袋を手にした少年の許へと突進する。

 そして袋を受け取ると、その中身を確認する。間違いない。それこそ、彼が待ち望んでいたものだ。

 

「おお、これだよ。いやあ、ありがとう」

 

 料理長はすぐにその香辛料を手に、並べられた肉の元へと戻った。指でつまむだけの目分量ながら、計測したかのように正確かつ均等な量が肉の上にかけられていく。

 

 その様子を見つめる少年の所に、すでに自分の担当である料理の盛り付けまで終えた男が近寄って来た。

 

「いや、すまないね。ちょっと急に料理を変更したせいで、香辛料が急ぎで必要になってしまってね」

「あ、いえいえ、こちらも仕事ですし。いつもご贔屓にしてもらってありがとうございます」

「ははは。料理長がなんだか急にインスピレーションが湧いたとか言って、予定の料理を変更してしまったんで、こっちは大騒ぎさ。でも、間に合ってよかったよ。今日はうちのパーティーにモーリッツ家の方々が初めておいでになるのに、ウチの料理を勘違いされたんじゃたまらないからね」

「モーリッツ家?」

「ああ。最近、帝都に来た、なんでも王国の方の貴族の血を引く人だったかな? なんでも、商売を始めたら成功して……、でも弟だかにそちらはすでに譲ってしまったらしいけど。あ! ほら、ちょうど来たようだ」

 

 男が指をさす。

 厨房の窓の向こうに、一台の馬車が泊まり、そこから降りてくる人影がある。

 

 いささか年を取った男性。やや派手目な服装だが、それを身に纏うその人物は姿勢もよく、遠目に見ただけでもその姿に品性が感じられる。

 続くのは目を見張るような美女。漆黒の髪はポニーテールに結い上げられ、ややきつそうな顔だちも、まるで完成した芸術品のように感じられる。

 

 ――おや?

 

 窓枠に隠れて見えなかったが、先頭の老人は誰かの手を引いているようだ。

 ずいぶんと小さい、歩くたびに身体がぴょこぴょこと窓の桟から時折覗く。

 

 子供かなと思い、彼は窓際に近づいた。

 

 そこにいたのは彼の予想通り、子供であった。

 年齢は5歳程度だろうか、必死で足を動かし手をつないだ老人の歩みに合わせている。老人の方は彼女に合わせて出来るだけゆっくり歩いているのだが。

 

 その幼いが整った顔を見て、彼は包帯に覆われていないもう片方の目をぱちくりとさせた。

 

 

 その少女を見た瞬間、彼の脳裏をよぎったのは、学院を辞めてから久しくその姿を見ていない彼の尊敬する人物。アルシェ・イーブ・リイル・フルトであった。

 しかし、彼らはモーリッツ家の者達であると、顔見知りの料理人から説明を受けたばかりだ。モーリッツ家は王国貴族だというから、帝国貴族のフルト家と関係がある訳がない。

 

 ――なんであの子を見てアルシェお嬢様を思いだしたんだろう?

 

 ジエットは首をひねった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 アルシェはふらふらと歩いていた。

 その身は疲れ果て、今にも倒れ込みそうだった。

 彼女のおなかが、くぅとかわいく鳴った。もう丸一日ほど、何も食べていない。

 

 彼女は実家を出た後、その足でいかがわしい店が立ち並ぶ治安の悪い区域に足を踏み入れ、ずっと彼女の妹たちを探していた。

 

 元とはいえ、貴族のアルシェはこのような場所に足を踏み入れるのはめったにない。

 初めてでないのは、ワーカーとしての依頼の情報収集に関して、幾度か足を踏み入れたことがあるためだ。

 だが、あくまでこの辺りに住んだり、生活しているという人間から話を聞くために訪れただけであって、その辺の店に足を踏み入れたことがあるという訳でもない。どの店がどのような商売をしており、どの程度の事をしているのかといったことまでは、彼女には分からない。

 

 今回、彼女が探しているのは幼い妹達である。

 彼女の乏しい知識では、金に困った女性が売り飛ばされたりするのは娼館であるという程度しか想像つかなかった。

 その為、大量の紙を用意し、それに魔法で妹たちの姿を映し出した。そして、それを見せて、この絵の少女の行方を知っていたら、高額の報酬を約束するから教えてほしいと、聞いて回る方法をとった。

 

 フォーサイトの仲間たちには頼めない。

 これは彼女、アルシェ・イーブ・リイル・フルト個人の問題であり、フォーサイトのアルシェの問題ではないのだから。

 すでに彼らには、彼女自身の装備の件で迷惑をかけている。

 完全に個人的な事で、実家の揉め事に巻き込みたくはなかった。

 

 

 しかし――。

 

 

 ――アルシェは赤く染まりかけた空の下をとぼとぼと歩く。

 

 彼女は歩き続けた。

 ワーカーとして鍛えた足が棒になるほど、あちこちを駆けずり回った。

 だが、手掛かりとなるものは皆無であった。

 

 女衒や人身売買を主としているところにも行ってみた。エ・ランテルで得たかなり高い報酬も提示したのだが、取りつく島もなく、けんもほろろに追い返されてしまった。

 

 彼女は疲れ切っていた。

 苦労しても、それに見合う成果があれば人は頑張れるが、何の成果も得られない徒労は人の心と肉体に重くのしかかる。

 もはや鉛のようなその足が止まりそうになる。

 だが、どこかにいるはずの妹達の為を思うと、足を止めるわけにはいかない。

 

 

 彼女は夕闇が迫る中、時間とともに人が増えてきた歓楽街を歩く。昼でも人はいるのだが、やはりこの辺りが活気づくのは日も傾いてからだ。通りには道行く者を呼び止める客引きの声が響き、肌もあらわな服装をした、アルシェとは比べ物にならない肢体を持った女性たちが姿を見せている。

 誰もが通り過ぎる互いには興味はなく、彼らの関心はこれから訪れる楽しみの事に向けられていた。

 

 

 そんな時――。

 

 

 ――うなだれて歩いていた彼女の前から、2人連れの人物が歩いて来た。

 顔は下げていたが、その人物が近づいて来たのは気がついた。

 

 向こうも気づいたらしく、歩く彼女にぶつからないよう、進路をそらす。

 先を歩いていたフリル付きのドレスを着た少女が、さっとアルシェの脇をすり抜ける。

 

 アルシェもまた距離を開けようとして――。

 

 

 ――足がもつれて、倒れ込んでしまった。

 

 悪いことに倒れ込んだ先が、その2人連れのもう1人、まるで貴族のように着飾った男の足元であり、その尖った革靴の先が彼女の薄い胸にぶつかることとなった。

 

 突然の衝撃に、こはっと肺から空気が漏れ出る。

 痛みに呼吸が出来なくなる。

 

 周囲の通行人たちは、彼女らの脇を足を止めずに通り過ぎながらも、物見高く視線を向けてくる。

 今の一件は、見方によっては、倒れ込んできたうら若き女性を貴族らしき男が傲慢にも蹴り飛ばしたようにも見える。

 そんな状況を理解し、男は困惑の様子を見せた。

 

 そんな男に、前を歩いていたドレスを着た少女が声をかけた。

 

「マルムヴィスト、何やってんのさ?」

「いや、ボ――ベル様。この娘の方から、ちょっと倒れ込んできましてね」

 

 地に伏したまま、疲れ切った瞳で見上げるアルシェの瞳に映ったのは、困ったように頭を掻く伊達男マルムヴィストと、くりくりとした瞳でこちらを見下ろす美しい少女ベルの姿であった。

 

 

 




――今回の捏造説明――

ゾル=バ=ザル……WEB版の邪神で出てきた、クレマンさんと逃避行することになったミイラのような男です。名前がないと不便だったので、とりあえず名前をつけました。


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第52話 帝都の策動

「ええっと、大丈夫?」

 

 美しい銀髪の少女が顔を覗き込んでくる。

 こちらを心配するような表情を浮かべるその顔に、こくりとうなづいた。

 

「少し落ち着いた。ありがとう」

 

 そう礼を言った。

 そうして、彼女たちが用意してくれた食事を口にする。

 アルシェはほぼ丸一日、何も口にしていなかった。すきっ腹に、彼女たちが用意してくれた冷製スープのような不思議な食事はもたれることなく溜まっていく。

 

 

 スプーンでスープを口に運びながら、それにしてもここはどこなんだろうとアルシェは考えた。

 今、アルシェ並びにベルとマルムヴィストら3人がいるのは冒険者の宿にも似ているが、それよりは高級そうで設備も整えられた一室である。その辺の調度品はしっかりしている。その割には、アルシェの知る、貴族の泊まる宿のように生活に必要なこまごまとした物は備えられていない。

 こんな感じの宿もあるんだなぁ、とアルシェが呑気に考えているここはどこかというと、宿は宿でもいわゆる連れ込み宿というヤツである。

 

 

 

 少し前、歓楽街を歩いていたアルシェは、疲労によりふらついて倒れた拍子にベルのお供をしていたマルムヴィストの足元に倒れ込み、その足に蹴られる事となってしまった。

 

 通りのど真ん中、公衆の面前である。

 それは非常に人目につくこととなった。通りを歩く人間が誰もが彼女らの事をじろじろと見ていった。

 このまま倒れた彼女を放っておいて下手をしたら、衛兵まで呼ばれる事態となるかもしれない。

 それを危惧したベルたちは、アルシェを助け起こし、とりあえず休めるところと思いその辺の、少々高級な客層を狙った連れ込み宿へと運んだのだ。

 

 アルシェにそういう経験や知識が無かったのは幸いだった。

 もし、自分がいるところがそういう行為をすることが目的の場所だと分かったら、見知らぬ男性の他に美しい少女も同席しているとはいえ、混乱して大騒ぎする羽目になったであろうことは想像に難くない。

 

 

「えーと……それであなたたちは一体……? なんで、子供連れであんな歓楽街にいたの?」

 

 アルシェが尋ねる。

 それに何と答えようかベルたちは戸惑った。

 素直に自分たちは裏社会の人間だと言っていいのだろうか? それにあそこにいた理由と言われても……。

 

 2人は言葉を濁した。

 

 

 

 ベルとマルムヴィストがあの場所、いかがわしい店が立ち並ぶ歓楽街にいたのには、明確な理由がある。

 

 それは、ベルとマルムヴィストはいかがわしい店に行こうとしていたからである。

 

 

 

 ベルはここ数日うんざりとした日々を送っていた。

 

 ベルがこの街に来た本当の目的はただの観光旅行であり、さらなる版図拡大のために帝都でコネクションを作るというのはただの口実でしかなく、その辺は一緒に来たマルムヴィストとエドストレームに丸投げでいいやと思っていたのである。

 

 だが、いきなりベルの目論見は外れる事となった。

 初日にホテルのエントランスで起きたちょっとした騒動によって、首尾よくマルムヴィストの名前を出すことが出来、その時点で予定していた手順は一足飛びに達成してしまえた。

 最初にやるべきこととして考えていた、自分たちがここに来ていることを示すことが出来た。

 後は何もせずとも噂は流れるだろうから、てきとうに2人を連れてあちこち回っているうちに憶測が憶測を呼び、あれこれ勝手に話は膨らんでいくはず。そして本当にこちらと手を組みたいと思う者達ならば、後でエ・ランテルまで足を運んでくるだろう。

 だから、今回は顔見せ程度で、それなりに接触してくる連中にちょっと対応する程度で十分、と考えていたのだ。

 

 

 しかし、ベルが考えていた以上に、マルムヴィストの名は国外でもビッグネームだったらしい。

 

 

 彼女らが宿泊しているホテルの部屋にはひっきりなしに顔を繋ぎたいと考える来客が訪れ、その間、あくまでボスとしての身分を隠しているベルは、お人形よろしくおとなしく座っているしかなかった。

 せめて、もう少し多くの人間を連れてきていればよかったのだが、あくまで今後の為の下準備として少し噂を流す程度としか考えていなかったために、少人数で来ていたのも裏目に出た。もし、多数の人間がいたら、来客の対応はそちらに任せ、ベルは適当なお供と一緒に街をぶらつけたであろう。

 だが、人がいない現状で来客の対応をするのに、まさかこちらが当のマルムヴィスト1人で相手をするわけにもいかない。エドストレームもまだ名前は名乗っていないものの、その姿からもしやと正体がばれかけており、そうなるとメイドであるソリュシャンがあれこれ対応することになる。ザックは論外であった。

 必然的にベルのお供が出来る者はいなくなってしまう。

 そして一人で外をぶらつくのは当然ながら禁止されているために、ベルは何もすることもないのに、ただホテルの一室で座っているしかなかった。

 

 

 

 そんな状況にうんざりとしていたさなか、千載一遇のタイミングが訪れた。

 

 あまりに来客が多く、その際に同席することになるベルの服や装飾品が少なすぎると考えたソリュシャンが買い物に出かけることにしたのだ。

 ベルの普段の服装は男物しかなく、今着ている少女らしい服装は、普通のお嬢様として帝都に行くためにエ・ランテルで揃えたものであり、不足分の服や小物は新たに買いそろえる必要があった。

 ナザリックに戻って、シャルティアやアウラの予備の物を借りてもいいが、彼女らの保有している物だと、現地の製品と比べて天と地ほど品質がかけ離れており、ちょっとどころではなく悪目立ちすることになってしまう。

 その為、急遽、帝都でそのあたりの物をそろえることにしたのである。

 本来なら、ベルの身に着けるものなのだから、ベルも一緒に行った方がいいのだろうが、もしそのような店にベルが直接行って買い物をすれば、当然、それはこちらの顔色を窺っている者達の耳に入る。そして、そこで買ったものを次の日そのまま身に着けて現れたら、エ・ランテルを牛耳っていると噂になっているが、実際のところは物もろくに持っていないのかと侮られることになるそうだ。

 正直、元男で特にファッションを気にしたこともないベルとしては、汚れている訳でなければ毎日同じ服でも構わないんじゃないかと思うのだが、女性は毎日服装に気をつけ、身に着ける装身具の組み合わせにも気を配らなければいけないものだとソリュシャンに力説された。

 

 そこで、ソリュシャンが買い物に出る事にした。本来ならば、頼んですぐ出来る物でもないのだが、そこは金を積むことで、夜までに大急ぎで仕立ててもらう事にする。

 

 その間は、来客は受け付けないとした。

 あれこれと対応できる人間がいないためだ。

 

 ベルはこの時を好機と見た。

 様々なものを買いつけるのに1人では大変だろうと、エドストレームをソリュシャンに同行させた。

 

 

 ソリュシャンはもちろんだが、エドストレームもまた意外と女性として(たしな)みとやらを口うるさくベルに言ってくる事が多い。ボスも女の子なのだからと、そういう仕草はいけませんとか、こういったものは教育に悪いと、こまごまと。

 いや、お前の普段の格好こそ女の子には教育に悪いわ、とは中身は大人のベルは口には出さなかったが。 

 そして当然ながら彼女に、歓楽街のいかがわしい店に行きたいなんぞと言いでもしたら、あれこれ言われるのは火を見るより明らかであった。

 

 その点、マルムヴィストの方はというと、ボスもお年頃ですからねと、案外そういったものも大目に見てくれる。

 

 その為、ソリュシャンとエドストレームがいなくなった隙を狙い、マルムヴィストと街に繰り出したのである。

 例え急ぎで頼んだとしても、さすがにソリュシャンらの方は夜まではかかるだろう。

 ならば、その間は自由だとホテルを出てきたところ、たまたま通りがかった魔術師風の少女が彼女らの目の前でふらつき、それをマルムヴィストが蹴とばした形となり、悪目立ちする羽目になったのである。

 

 

 さすがにそんな事情を素直に話すわけにはいかないなあと、ベルは頭を抱える。

 本来なら、今頃は半裸の、もしくはそれこそ全裸の女性が艶めかしい踊りを見せている酒場で、酒でも飲んでいる予定だったのが、なぜか訳の分からないまま見知らぬ若い女性と3人で連れ込み宿にいるのである。そんなところにいても、少女の姿のベルとしては何も出来ないし、自分がされるのは勘弁してほしい。

 

「ええと、その……彼がお酒を飲みたいっていうから、俺――ボクもついて来たんだよ」

 

 とりあえず、あんなところにいた理由はマルムヴィストのせいにした。

 それを聞いたアルシェはマルムヴィストに、こんな少女をあんなところに連れてくるなんてと、非難の目を向ける。マルムヴィストは、なんでこっちに振ってるんですかと、抗議の視線を向けてきたが、俺が行きたかったからなんて言えるわけないだろと、視線で黙らせた。

 

 

「それより、君はなんであんなところにいたの? なんだか、凄く疲れていて、倒れる寸前だったみたいだけど」

 

 その言葉にアルシェは視線を落とし、椀の中のスープを掻きまぜた。また、一すくいスプーンを口に入れる。

 

「……この食べ物、結構おいしいね。スープなのかオートミールなのか、少し不思議な感じがするけど」

 

 そう言って、力なく匙を口に運ぶ。

 心ここにあらずといった感じで、なんとなくアルシェが口にした言葉だが、それに対しベルとマルムヴィストはひきつった作り笑いを浮かべた。

 

 

 アルシェが今、口にしている食べ物の出どころはどこかというと――ベルの胃袋である。

 

 ベルは一応アンデッドなので特に食事は必要はない。

 だが、人間の少女の姿になっているため、舌や胃袋は存在しており、食べ物の味を楽しむことは出来る。そして現在、ただ楽しみの為だけに一日三食食事はしている。だが、食べたとしてもそれは消化されて栄養となることは無い。口に入れて飲み込んでも、消化のための胃液は分泌されないし、噛んだ時に出る唾液にも酵素などは含まれない。実質、食べ物をまとめてミキサーにかけただけと変わりはない。

 変わりはないのだが――だからと言って、一度胃に収まったものを食べようとはする者はいないだろう。

 

 ……いや、意外といるかもしれない。

 特にベルの顔写真でもつければ。

 

 

 

 とにかく、ちゃんとしたところならともかく連れ込み宿では食事など出るはずもないため、空腹のアルシェの食事として、そうやって食べられるものを用意したのである。

 

 知らぬが仏とはまさにこのことだ。

 

 

「え、ええとね。とにかく何か事情があったんだよね。出来れば聞かせてくれないかな」

 

 話を変えたことから何か言いづらいことを抱えているというのはよく理解したし、話を聞くことによって厄介ごとに巻き込まれそうという気はしたのだが、とにかく彼女が口にしている物の話題から離れてほしいという思いで、そう尋ねた。

 

 アルシェは口に運んでいたスプーンを椀の中に下ろし、目を瞑ってわずかに考えた後、ポツリポツリと話し出した。

 

 

 自分の実家が鮮血帝に貴族位を奪われた家である事。

 両親の作る借金の為に、自身が学院を辞めてワーカーとなり、金を稼いでいた事。

 しばらく旅に出ていて、ようやく帰ってきたら、妹たちがいなくなっていた事。

 

 

 目の端に溜まってくる涙をぬぐいながら、それらの事を口にした。

 そして、手にしていた椀を傍らに置くと、これが妹たちの姿だから見たことは無いか、見つけてくれたら出来るだけの報酬を払う、とクーデリカとウレイリカの姿を魔法で描いた紙を2人に見せた。

 

 その紙を手にとり眺めつつも、マルムヴィストは微妙な表情を浮かべた。

 出来るだけの報酬と言われてもな、というのが率直な感想である。

 

 ワーカーをやっていると彼女、アルシェは言った。

 首から下げているプレートのおかげで冒険者のランクは判別がつくが、そんなものはないワーカーは実力が計りにくい。

 そこで、マルムヴィストはアルシェが身に着けている装備に目をやった。

 冒険者にせよ、ワーカーにせよ、危険な世界に身を置いているものの常として、その装備には可能な限り良いものを選ぶ。最も大切なものは自分の命であるのに、ちょっとした金をケチった結果、死んでしまったなどという話は馬鹿のすることとして先達から口を酸っぱくして言われるものだ。

 その例で言うと、アルシェの手にした杖や防具は明らかに粗末な代物。せいぜいが、冒険者で言うならば、鉄か良くて銀程度しかないだろう。

 そんな者が支払える出来る限りの報酬というのもたかが知れている。

 

 そもそも、彼らは帝都を根城にしているわけでもなく、あくまでちょっとエ・ランテルから出張って来ただけである。土地勘がある訳でもなく、人探しなど出来る訳もない。

 

 その為、もし見つけたら連絡するよ、と社交辞令で口にする程度に留めておくつもりだったのだが……。

 

「なるほど。それは心配だね。うん、出来る限り協力するよ!」

 

 と、目の前の見た目だけ美少女がびっくりするほど安請け合いしたのである。

 

 

 驚愕に目を見開いたのはマルムヴィストだけではない。アルシェもまた、驚いた表情を浮かべた。

 

「う、うん。手伝ってくれるのは嬉しいけど……」

「任せて! じゃあ、捜すのに必要だから、この紙何枚か貰っていっていい?」

 

 戸惑いつつもアルシェは了承した。

 少なくない紙の束をベルに手渡す。

 

 本当に捜すのかと、マルムヴィストはベルに耳打ちして尋ねた。

 

「本気ですか? そんなガキ1人捜しても大した得にはならんでしょう?」

「ああ、マルムヴィスト! 悲しい、悲しいなぁ。ボクはとっても悲しいよ」

 

 そう言ってベルは大仰に嘆いて見せた。

 

「いいかい? そこに困っている人がいるんだよ。そう、胸が張り裂けそうになるほど自分の妹たちの安否を心配して、もう疲労困憊して倒れる程に八方手を尽くして、それでも力が足りないと悲嘆する人がいるんだ。それも目の前に! 君はそんな人を見て胸が痛まないのかい? 助けてあげようと思わないのかい? この世にはびこる不条理な罪悪から、あまねくすべての人々を救うのは人の愛だよ! 愛はちきゅ……世界を救うんだよ!!」

 

 おおう……、とマルムヴィストは口の中でつぶやいた。

 彼もそれなりに長い事生きてきた。

 嘘や建前、皮肉が当然の綺麗事など通じない世界に長年身を置いて来たのであるが、そんな彼をして、これほどまでにしらじらしいセリフというのも、そうそう聞いたことは無い。

 

 

 2人の関係は分からないものの、なんだか妙な感じにやる気に満ちあふれているような少女の言葉に、アルシェは戸惑いながらも感謝の言葉を口にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「もう一度聞きますけど、……本当に捜すんですかい?」

「まあ、それなり程度にね」

 

 ベルとマルムヴィストはホテルへの道を歩いていた。

 その後、アルシェの頼みを聞くことにして連れ込み宿を出たのだが、これからさらにどこかによるとソリュシャンらが帰って来る時間までにはギリギリくらいだと判断したため、今日の所はさっさと戻ることにしたのだ。

 マルムヴィストは拍子抜けするくらいに、あれほど外に行きたがっていたベルが、この絶好の機会をふい(・・)にしておとなしく帰ると言い出した事を(いぶか)しんだ。

 

 その事を尋ねると、ベルはにししと笑った。

 

「いや。これで外を出歩く口実が出来るじゃん」

 

 そう、ベルの狙いの一つはそこだった。

 そのアルシェとかいうワーカーの、連れ去られた妹を捜すという口実があれば、街を出歩けるのだ。

 

 ベルの言葉にようやくマルムヴィストは納得がいった。

 

「ああ、なるほど。とりあえず、ソリュシャンさんらに聞かせるだけの名目としてって事ですか?」

「そういう事。それに、俺たちはあくまで、一時的にこっちに来ているだけだからね。別に、捜査が上手くいかなくったって、その後で変な逆恨みされても、困る訳でもないし。まあ、それに、それなりの考えはあるしね」

「へえ、なんなんです?」

 

 ホテルに帰りつき、周囲の人間の目を無視して階段を昇りながらマルムヴィストに自分の考えを説明する。それを聞いて、彼はふんふんとうなづいた。

 やがて、5階にある自分たちの部屋の前へとたどり着く。

 

「まあ、そんな感じで、話を流せば……」

 

 バンと明けた扉の先。

 その奥には――。

 

 

「おかえりなさいませ、ベル様」

 

 

 ――扉の向こうに控えていたソリュシャンが、にっこりほほ笑んで頭を下げた。

 

 

 

 なんでも、ベルの服などを注文し、急ぎで仕立ててもらっていたのだが、出来上がるまでにはまだ時間がかかりそうだったため、その場にはエドストレームだけを残し、ソリュシャンだけはベルの世話の為に戻って来たらしい。

 

 

 その後、ベルはくどくどとお叱りをうけた。

 マルムヴィストは物理的にお叱りをうけた。

 

 

 

 ちなみに後日の事であるが、ベルらが連れ込み宿から出てきたところはしっかりと目撃されており、ベルという少女とアルシェという魔法詠唱者(マジック・キャスター)はマルムヴィストの愛人なのではないかという噂が口さがない者達の間で広がってしまい、それを耳にしたソリュシャンがさらに激昂することとなる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 歓楽街での奇妙な2人との出会いの後、アルシェは夜の道を歩いていた。

 

 あの後、2人と別れてから彼女ははたと気がついた。

 

 ――泊まる場所をどうしよう。

 

 

 普段、帝都に戻って来た時は実家に帰っていた。

 だが、妹たちの件で父を殴り、もう家には帰らないと宣言したばかりだ。

 となると、どこかに宿を取らなくてはならない。

 真っ先に思いついたのは歌う林檎亭だ。

 彼女以外のフォーサイトの仲間は皆、あそこを定宿としている。アルシェも仲間たちとの打ち合わせの際にはよく訪れており、あそこの食事は彼女の舌から見ても中々の味であった。

 

 思わず口の中に唾がたまる。

 

 だが、その唾を飲み込んで頭を振った。

 仲間たちはアルシェの事情を知らない。彼女が貴族――元ではあるが――の家柄である事も話したことは無い。帝都にいる際、彼らと別のところに泊まっている事にも、詮索はしてこなかった。

 それなのに、急に彼らと同じ宿をとったら、何があったのかと心配され、不審がられるだろう。

 それに、なにより自分個人の事情に彼らを巻き込みかねない。

 別の所に宿をとった方がいい。

 

 しかし、そうなるとどこがいいのかと迷ってしまう。

 ワーカーとして旅して回った経験のあるアルシェとしては、別に粗末な宿でも構わないし、普通の貴族のように宿の取り方が分からないという訳でもない。だが、中にはやはり、胡乱な人間のたむろする宿というのもあるのだ。一夜の宿をとったら、目が覚めたときに財布がなくなっているとか、もしくは泊まったのが女性の場合など寝ている間に襲われることすらある。時には襲われる対象が男性である場合の話も、イミーナから聞かされていた。

 やはり、それなりに評判を聞くというのは重要になる。

 

 しかし、帝都が故郷だったこともあり、かえってこの街にある宿の評判というものをアルシェはさっぱり知らなかった。

 

 ――だれか、知己の者のいそうな酒場などに行って聞いてみようか。

 自分たちで情報を集める必要のあるワーカーであるため、それなりに人脈はある。

 だが、そんな人間がいそうな区域は、今いるところからかなり離れている。

 そして、アルシェの足はもう限界だった。なにせ、ほぼ丸一日ろくに食事もせずに走り回っていたのだ。先ほど、連れ込み宿で食事をし、わずかに休んだことでかえって体中に溜まった疲労が表に出てきてしまい、もはや耐えがたいものとなっていた。

 

 ――どこか、どこでもいいから、宿を取ろう……。

 もしかしたら下手なところにあたるかもしれないが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の自分なら何とかなるだろう。

 

 そんないささか捨て鉢な考えで、通りを見渡し、宿の看板を探しながら歩く。

 

 そんな折、通りの向こうから一人の少年が走って来た。

 門前にかかげられた看板に目を凝らしていたアルシェは気がつかなかったが、その少年は黒を基調とした帝国魔法学院の制服を身に着けていた。

 学院が終わった後、商会で仕事をした帰り、家路を急ぐその足どりはわずかな疲労を漂わせながらも、若さあふれるしっかりとしたものであった。

 

 その少年がアルシェの脇を走り抜ける。

 

 

 瞬間――。

 

 

 たたらを踏み、慌てて立ち止まった。

 彼は我が目を疑った。

 先日、ちょっとしたきっかけで思い出し、ここ数日のあいだ、ずっと頭の中を離れなかった人物。

 彼の母がかつて働いていた貴族の家。

 そこの優しいお嬢様。

 

 思わず、彼はつぶやいた。

 

「あ、アルシェお嬢様……?」

 

 その声に、ふとアルシェは振り向いた。

 彼女の視線の先にいたのは、彼女よりわずかに年下の少年。

 帝国魔法学院の制服に身を包み、その片目を包帯で覆った、かつての知り合い。

 

「ジエット君?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「はいはい、あはとぅーんく」

 

 翌日の事。

 パンパンと手を叩いてベルは皆の注目を集める。

 皆と言っても、ベル本人の他は3人しかいない。

 ソリュシャンとエドストレーム、それと昨日ソリュシャンにマウントポジションで殴られた顔の腫れがようやくひいて来たマルムヴィストである。

 

 とにかく、彼らの目の前で、なぜだか赤縁の眼鏡をかけたベルが今後の方針を説明する。

 

「えーと、これから俺たちは、この娘たちの捜索をします」

 

 そう言って、傍らのテーブルに置かれた紙を手にとった。

 皆の前に広げて見せる。

 

「この娘たちは帝都をホームタウンとしているワーカーの1人、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェの妹たちにあたる人物です。そして、この娘たちは両方とも現在行方不明。手掛かりとなりそうな情報だけど、クーデリカの方は借金のかたに売り飛ばされ、ウレイリカの方に至っては目下のところまったく情報なし」

「えーと、すみません。いいですか、ボス?」

「ボスじゃなくてベルって呼べって言ったけど、まあ、この部屋の中なら人目はないからいいや。はい、エドストレーム」

 

 手をあげたエドストレームを指さす。

 

「そいつを捜す意味あるんですか? 私らにメリットとか、全然感じられないんですけど」

「良い質問ですね。飴をあげましょう」

 

 そう言って、ポシェットから取り出した棒付きキャンディーを渡す。

 渡されたエドストレームは、こんなの貰ってもなぁという表情を浮かべたが、ベルから物を貰っておいて喜ばない様子に、隣のソリュシャンから湧き上がるものすごい殺気を感じ、慌てて感謝の言葉を述べた。

 

 そんなやり取りを流して、ベルは言葉を続ける。

 

「ええと、このアルシェという人物が所属しているワーカーチームは『フォーサイト』という名前で、ちょっと前までエ・ランテルで活動していました」

 

 それを聞いて、エドストレームは「ああ」と声をあげた。たしか、エ・ランテルで聞いたことがある気がする。

 そしてベルは夜のうちにアインズとメッセージでやり取りして確認した話を、向こうの人間に確認した話として話して聞かせた。

 

「へえ、あの娘はミスリル級冒険者並みの実力があるんですか? それにしては大した装備はしていないみたいでしたが」

「うん、その辺の事情は知らないけど、まあ、妹が借金のかたに売られるくらいだから、今までは稼いだ金を装備に回さないで実家に送っていたとかじゃないの?」

 

 マルムヴィストの言葉に、ベルは自分の推測を話す。

 

「でも、とにかく、ミスリル級の実力があるのは確定情報だね。それで、我々が帝都に進出するにあたって、帝都に情勢に明るいワーカー、それもそこそこの実力者と伝手を作るのはかなり有益だと判断しました」

「まあ、その娘たちの捜索に乗り出す理由は分かりました」

 

 そう言いつつも、エドストレームは思案気にその形のいい眉を曇らせた。

 

「でも、私らはまだ帝都に基盤もないですから、人を捜すと言っても……」

 

 だが、それに対してベルは、ふっふっふと自身の考えに自信ありげな様子であった。

 

「ああ、それは心配いらない。それに関してはちょっと考えが……」

 

 

 その言葉が途中で途切れる。

 その時、ノックの音が聞こえたからだ。

 部屋の扉が控えめに開いて、そこからその身に纏う服装とは異なる貧相な印象を与える人物が顔をのぞかせた。

 

「あ、言われたものの買い出しは終わりましたぜ」

 

 そう言って、ザックはその顔に愛想笑いを浮かべる。

 

「あ、ご苦労さま」

「へい。それで、他に何かご用はありますかね?」

 

 皆、顔を見合わせるが言葉を発する者はいない。

 

「えーっと、何もないようでしたら、ちょっと出かけてきていいですかね?」

 

 それに対しても、特に反対すべきこともない。

 ザックは「それじゃ」と言って、部屋を後にした。

 

 その背を見送ったエドストレームがぽつりと言う。

 

「あいつ、外で何してるのかしら? 帝都に来てから、しょっちゅう出かけてるわね」

「特に何をさせる必要があるという訳でもなく、ただ下働きの人間がいないと不自然だからという理由だけで連れてきた男ですから、いなくても困りませんが。しかし、あまりふらふらと出歩いているのも問題ですわね。すこし、注意して身の程をわきまえさせましょうか?」

「ああ、待った待った。いや、別にいいよ。それくらい」

 

 そう言って椅子から腰を浮かせたソリュシャンを、ベルは制止した。

 

 

 ベルはザックが出歩いている理由にだいたい予想がついている。

 それは昨日、ベルがマルムヴィストと歓楽街をうろつき、アルシェと出会う前の事。

 きょろきょろと辺りを物珍しそうに見回していたベルは偶然、歩く人ごみの中、入り組んだ裏路地のはざまにある建物へと消えていくザックの姿を目撃していた。その建物は、いかにもそういう用途で使われるような安宿のようだった。

 それでベルは、ザックは帝都に来てから頻繁に女のところに通っているのだろうと当たりをつけていた。

 

 正直、ザックはいたからと言って何をさせるわけでもない人間である。先程ソリュシャンが語った通り、ただの飾りとして連れてきただけだ。することと言っても、アリバイ程度の買い出しくらいしかない。やる事もないのだから、渡している小遣いの範囲内で遊ぶ程度は大目に見てやるべきだろう。

 

 

 ――まあ、少し遠出した時くらい、女買うのに目くじら立てることもないよな。

 

 

 ベルとしてはリアルでは会ったこともない話の分かる上司像というのを思い浮かべ、部下のプライベートには口出ししないものだと、鷹揚(おうよう)な態度で振る舞うことにした。

 

 

 

 話が中断してしまったが、気を取り直して言葉を続ける。

 

「さて、人捜しだけど、まあ、俺たちが街をぶらついても得るものは少ないだろうね。まあ、偶然会う可能性はあるから、そちらもやりはするつもりだけど。それよりももっと、効果的なやり方がある」

「へえ、それはどんな?」

「つまり、この帝都に詳しくて、あちこちに人脈があって、こっちのご機嫌を取りたい人間たちに代わりに捜させるって事だね」

 

 

 そこまで語った所で、再度、部屋の扉をノックする音が響く。

 ソリュシャンが応対したところ、ちょうどベルのお目当ての人物たちが、今日もまたこちらとの顔をつなごうと来訪したようだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ザックは一人、街を歩いていた。

 その足はやがて整然とした街並みから外れ、嬌声と切れ切れの唄声が響く、猥雑さの支配する区域へと向かう。その手には、来る途中に買ったクチナシの花束が抱えられている。

 そして、歓楽街の一角。道ならぬ恋に身を費やす者達のごくわずかな逢瀬から、脛に傷持つ者が身を隠す場所まで、様々な使われ方をする安宿の一室へと足を踏み入れた。

 

 

 ザックはそこに、ベルの予想どうり、女性を囲っていた。

 だが、女性は女性でも、ベルの想像とは全くかけ離れた女性であった。

 

 

 きょろきょろと辺りを見回した後、部屋の扉を開けるザック。 

 その姿を見て、扉の奥、ベッドの他は粗末な机程度しかない部屋にいた少女は、部屋に入って来た彼の顔を見て、その表情に喜色をたたえた。

 

「ザック。おかえりなさい」

 

 ウレイリカはその顔に、ぱあっと笑顔を浮かべた。

 

 

 

 ベッドに腰掛けるザックと、にこにこ笑いながらその体に纏わりつくウレイリカ。

 その無邪気な表情が目に入り、ザックは顔に浮かべた笑みの奥にも沈痛な瞳をたたえた。

 

 

 今、2人がこのような関係を続けているのには深い理由がある。

 

 

 そもそものきっかけは、ザックがベルらとともに帝都に訪れた日にさかのぼる。

 その日、ザックはただ街をぶらついていた。

 下働きとして連れてこられたものの、あくまで彼は偽装の下働きであり、実際にはほとんどすることもなかった。そこで、給金はそれなりに渡されていたため、女でも買いに行こうかと歓楽街の方に足を向けたのであった。

 

 そうして、街角に立つ女たちを品定めしつつ歩いていると、偶然、出会ったのだ。

 

 

 割と仕立てのいい服装に身を包んだ老人が、抱えた幼い少女をどこかへ連れて行こうとしているところを。

 

 その抱えられている少女は訳が分からず、暴れている様子だった。

 なぜ、自分が家から連れ出されて、見知らぬ所へ連れていかれなければならないのか。

 自分は姉の帰りを待っていなければいけないのに。今までずっと一緒だった双子のクーデリカと共に、あの家で優しく大好きな姉を出迎えなくてはならないのに。

 少女は抱きかかえる執事の胸元で抵抗していた。

 執事のジャイムスは、今は説明するより早くウレイリカを約束の場所まで、安全が保障されているところまで運ばなくてはという思いから、彼女にはろくに説明せずに必死で道を急いでいた。混乱して暴れる彼女の為に、その胸元にウレイリカの好きなクチナシの花束を置いて。

 

 

 その光景を、たまたま通りがかったザックが目にした。

 

 ザックの脳裏に、ある情景が浮かんだ。

 彼の妹はザックが畑仕事に行っている間に、何処とも知れない所に売り飛ばされていった。

 不意に、彼の妹も同じような姿で攫われていったのだろうかという想像が頭をよぎった。

 

 

 瞬間、身体が動いていた。

 懐に秘めたナイフを、その老人の背を突き立てていた。

 突然の苦痛に、驚きとともに振り返る老人。

 ザックはその身に、手にした凶器を振りかざした。

 

 幾度も振り下ろされる白刃。

 しかし、ジャイムスはその刃がウレイリカの身に届かぬよう、その身を盾にする。

 鮮血がほとばしり、赤い雫がウレイリカの望月のような顔を染める。耳に触るような甲高い悲鳴が薄暗い通りに響いた。

 

 気がついた時、老執事は血だまりの中に倒れ伏していた。

 その腕の中には、鮮血に濡れた幼子。

 

 ザックはその少女を抱え上げ、走り出した。

 

 

 しばらくして、路地裏で息を整えていたザックの腕の中で、少女が目を覚ました。

 彼女は、人を殺してしまった事による怯えを顔にたたえていたザックに、屈託ない笑顔を向けた。

 

 

 どうやら、ウレイリカは目の前でジャイムスが殺されたショックで記憶に障害を負ってしまったらしい。ジャイムスが殺された時のことは覚えておらず、目が覚めたときに自分を抱いていたザックの事を昔からいる執事だと認識してしまったようだ。

 

 

 それから、彼女はこの安宿に逗留している。

 なんでこんなところにいるのかという事自体はさっぱり把握していないが、長年仕えてきた執事(と思っている)であるザックがここにいろと言っているので、彼の言葉をなんら疑うことなくここにとどまっている。

 

 

「ザックぅ」

 

 にこにこと微笑みながら、彼に抱きつく姿からは、一かけらなりとも彼に対して疑念を持ち合わせている様子など感じ取れない。

 

 ザックは若干引きつりながらも微笑んで、彼女を抱きとめる。

 

 

 こうして間近で見れば見る程、ウレイリカの姿はザックの妹、リリアとは似ても似つかない。

 リリアは農民の娘だ。貴族のように整った髪でも肌でもない。それにいなくなった時の年もまったく違う。見れば見る程、欠片も似ていない。

 

 だが、そんな彼女をザックは突き放せなかった。

 彼の妹と重なることは無いのだが、なぜか纏わりつくその手を振り払うことは出来なかった。

 

 その為、彼はウレイリカの妄想である、執事という演技を続けることとなった。

 

 

 なんら不信の余地もない笑みをうかべるウレイリカを抱き上げつつも、ザックはこの生活がいつまでも続くとは思っていなかった。

 

 まず第一に金が続かない。

 ザックは帝都に来るにあたって、小遣いとしてそれなりの金はもらっていたものの、それでも少女1人をいつまでも支え続けられる程の金額ではない。

 

 それに彼が帝都にいるのはあくまで、彼の現在の主人、ベルが帝都にいる間でしかない。あの少女が帝都を離れると言い出したら、彼もまたついていかざるを得ない。

 あの主にウレイリカの事を相談してみようかとも思ったこともあるが、どう考えても良い結果になるとは思えない。

 彼が昔所属していた盗賊団『死を撒く剣団』の末路を考えるに、慈悲など与えられるわけもない。

 盗賊団の仲間たち――ろくに剣も使えないザックは仲間扱いされていたとは言い難いが――は、口にするのもおぞましい末路をたどった。ザックがそちらに混ぜられなかったのは、彼ら程度の武勇すら持ち合わせていなかったからだ。

 ザックは無能者であったがゆえに生きながらえることが出来、今こうして飾りとして存在していられるのだ。

 

 

 だが――。

 

 ――ザックは自分に向けられる笑顔に、笑みを返す。

 それは盗賊団に入って以降――妹が連れ去られて以降、ついぞ彼の顔に浮かぶことがなかった笑みだ。

 

 彼はこの少女の微笑みを何とか守りたいと願う。

 どんなことをしてでも。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「セバス様!」

 扉を開けて、部屋に転がり込んできたルベリナを、椅子に腰かけていたセバスは見上げる。

 

「どうしました、ルベリナ?」

 

 その声に、息を整えながら、室内を見回すルベリナ。

 

「いや、クーデリカの嬢ちゃんはいますか?」

 

 はあはあと息を切らせて言った。

 部屋に控えていた男がコップを運んできた。彼はそれを一息に飲み干す。

 

 ルベリナの気が落ち着いたところを見計らって、声をかける。

 

「落ち着いてください、ルベリナ。何があったのですか?」

 

 彼は再度注がれたコップの中身を、また一息に飲み干してから、言葉を紡いだ。

 

「えーとですね。クーデリカの嬢ちゃんと、……ええっと、双子の姉だか妹だかのウレイリカとやらなんですが。今、網にかけられていますよ」

「む? 網とは?」

「つまりですね。裏の方なんですが、その2人を捜せって話が流れてるんですよ」

 

 ようやく合点がいき、セバスは瞠目した。

 

「しかし、なぜですか? なぜ、今になって突然に?」

 

 セバスの疑念も当然だ。

 彼らがクーデリカを保護してからしばらくの時間が経つ。何故、今頃になって捜査の網が広がったのかと不思議に思った。

 

「さあ、それは分かりませんね。何か、どこかで妙な動きがあったのか。とにかく、クーデリカの嬢ちゃんはうちにいますか?」

 

 その問いにセバスは、眉をしかめた。

 

「拙いですね。今。クーデリカはナーベラルと共に市場に出かけています」

 

 



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第53話 すれ違い

2016/9/9 「来ているのは」→「着ているのは」訂正しました
2016/9/9 一カ所「ジェット」となっている箇所があったので「ジエット」に訂正しました
2016/10/9 文末に「。」がついていないところがありましたので、「。」をつけました


「うわー、凄いねー。ナーベお姉ちゃん」

 

 興奮したように目を輝かすクーデリカ。

 それに対して、つないだ手を引っ張られるようにして進むナーベラルはというと、口元がひきつりそうになるのを必死でこらえている様子だ。

 

 

 今、彼女たち、ナーベことナーベラル・ガンマと、マリーアことクーデリカは帝都アーウィンタールの市場を歩いていた。

 

 

  

 彼女、ナーベラル・ガンマは、人間を下に見る事が普通であるナザリックにおいても特に人間に対する侮蔑がひどかった。まったく人間の名前を憶えようともしなかった。

 このままでは任務に支障が生じかねないと懸念したセバスがアインズに相談したところ、主から一つの提案がされた。

 

 人間たちの多くいる市場において、上位者であるセバス以外の他の者と共にナーベラルを行動させることにより、ナーベラルの意識改革並びに人間社会にとけこむ訓練を行ってはどうか。

 

 アインズから出されたその案を聞き、セバスはそれならばとクーデリカをつけることを思いついた。

 

 平民の富裕層と呼ばれる者達へのクーデリカの顔つなぎも一段落した。

 そして、その間、特に捜査の手が及ぶことも危険な事も共に無かった。

 そこで新たな段階として、次はより広く一般の人間たちの周知へと駒を進めてもいいかと判断された。

 

 他にフォローする人間がいない状況下で、逆にナーベラルの方がフォローにまわらざるをえない存在としてクーデリカをつけることにより、先に述べたナーベラルの訓練とクーデリカの周知を同時にこなせるという考えであった。

 これは案外、良い案に思えた。

 

 そして、それをセバスから説明されたナーベラルにとって拒否するなどという選択肢はあるはずもなく、こうして2人で手をつなぎ、行き交う人でごった返す市場を散策する羽目になったのである。

 これがセバスの、そしてアインズの考えであるという事から、ナーベラルはこれも任務であるとして必死で我慢していた。

 額に青筋を浮かべながらも。

 

 そんなセバスの狙いやナーベラルの感情になど思いを馳せることもないクーデリカは、ただひたすらはしゃいだ様子であった

 クーデリカは貴族であったため、帝都に住んでいたと言っても、このような市場になど来たことは無い。その為、目に映るもの全てが新鮮で、きょろきょろと見回しては目を輝かせ、あちらこちらへと足を向けていた。

 

 さすがに今日はパーティーに行くのではないため、2人が着ているのはドレスではないが、それなりに値が張りそうな見事な仕立ての上下である。そんな服を着ている二人はこの場ではいささか浮いた存在であった。ナーベラルの容姿も原因ではあるのだが。

 

 

「あっち。ほら、あっちに美味しそうなのがあるよ。行ってみようよ!」

 

 また何か見かけたらしく、クーデリカはナーベラルの透き通るような手を掴むと、そちらへ引っ張っていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

「おー。結構凄いね」

 

 ベルはそう、ソリュシャンとマルムヴィストに声をかける。

 ソリュシャンは「そうですね」とただ肯定し、マルムヴィストは「まあ、この辺りの区画は一般人が買い物に来るのが多いみたいですからね。もう少し離れた北市場に行くと、また客層が変わるようです」と説明をした。

 

 

 今、彼女たち、ベルとソリュシャン、それにマルムヴィストは帝都アーウィンタールの市場へと足を踏み入れていた。エドストレームはお留守番である。

 

 ベルの計画通り、マルムヴィストの顔色を(うかが)いに来た連中に、アルシェの妹たちの捜索をふった所、話を聞いた者達は皆一様に色めき立った。こちらのご機嫌をとるには、その少女たちを捜すのが一番だと、考えたようだ。

 そして、その話は燎原の火のごとく、瞬く間に広がって行った。

 おかげで、わざわざホテルまで来て、目を瞑ったままそろそろ足を踏みだすような、相手の喜ぶツボを見つける探り合いをするような輩はぱったりとなくなった。下手に訪ねて来て、あれこれしゃべった結果、うっかりこちらの勘気を買うような事を口にしてしまう危険を冒すよりは、明確にこちらの望んでいる成果を持ってきたほうが確実だと判断したようだった。

 

 

 そうして来客が途絶え、時間が出来たベルはついに帝都の街中を大手を振ってうろつくことが出来るようになったのである。 

 まあ、前回の件から、必ずソリュシャンがそばにつくことが条件とはなったのであるが。

 

 とにかく、そうして3人は、見知らぬ街の活気ある市場の姿に、若干戸惑いつつも楽しみながら歩いていった。

 

 

 そんなベルの鼻先をくすぐるものがあった。

 見ると屋台がいくつも出ており、その中の一つ、串焼き屋が発する匂いのようだ。なにやら茶色いたれを付けて焼いている。そのたれが火であぶられると、食欲を誘う匂いが周囲に漂う。

 

「あれ、食べよう」

 

 ベルの言葉に、ソリュシャンは「そんな市井の物など……」と眉をひそめたが、自身も食欲を誘われたマルムヴィストがさっと店に近寄る。

 そして、何気なく前にいた人物の後に並ぶと、店の男ががたりと物音を立てた。

 うん? と目を向けると、露店の男はぶるぶるとその身を震わせていた。

 

「よ、ようこそ、いらっしゃいました! マルムヴィスト様!」

 

 びしりと腰を深く折って頭を下げる。

 どうやら、この店はただの露店ではなく、どこかの犯罪組織が手がけている店だったようだ。

 

「ああ、串焼き3つな」

「はいっ! ただいま!」

 

 大きな声で返事をすると、それこそこれ以上ないほど大急ぎで商品を用意する。前にいた男が「おい、俺の方が先にいたのに……」と口にするも、そんな声を無視して、焼きあがったばかりの串焼きを3つ手渡す。

 

「あんがとよ。いくらだ?」

「いえっ! マルムヴィスト様からお代はいただけません! 無料で結構でございます」

 とそのいかつい顔いっぱいに追従(ついしょう)の笑みを浮かべた。

 

 普通の人間ならば、かえって恐縮して「いや、代金は払うよ」と言うところだろうが、マルムヴィストとしてはこんな対応は慣れたものである。

 

「そうかい。じゃあ、貰っていくぜ。それで? お前の名前はなんていうんだ?」

「はいっ! ファサード一家のカッツと言います! お見知りおきを……」

「なるほど。カッツな。憶えておくぜ」

「はい! ありがとうございますっ! 例の捜索の件もお任せくださいっ!!」

「ああ、期待してるよ」

 

 再度、深く頭を下げる店主を置いて、マルムヴィストは串焼きを手にその場を離れた。

 

 

 顔をあげた男の視線の先で、戻って来たマルムヴィストがベルとソリュシャンにアツアツの串焼きを手渡している。少女の方は貰った串焼きに上からガシガシとかじりつき、もう一人の目を見張るような美しい金髪のメイドは手渡された串焼きを胡乱気(うろんげ)な表情で見つめた後、一息に飲み込んだ。それも、串ごと。

 その様子に男は目を丸くしたものの、そんな異様な行為もまた、あの絶世の美女ならば、という気分にさせた。

 

 そうして、ソリュシャンに目を奪われる店主に向かい、先に並んでいた騎士風の男は、釈然としない思いを抱きつつも、自分の注文した分を要求した。店主の目は未だ、雑踏の向こうに消えていく3人組――特にソリュシャン――に注がれつつも、新たな串を金網の上に並べ、焼き始めた。

 

 しばしの時を置き、再び香ばしい匂いが立ち込め始める。

 焼きあがるのを待っている騎士風の男の口内に唾がたまっていく。

 

 そうして、もう出来上がるかと思われた時、店主の男に声がかけられた。

 

「串焼きを2つ貰えるかしら?」

「ああ、はいはい。ちょっと待ってくださいね。こちらの騎士さんの分が今焼けますんで……」

 

 そう言って目線をあげた店主のカッツは声を失った。

 彼の目の前にいたのは、先ほど、マルムヴィストと共にいた金髪のメイドに勝るとも劣らない美しい女だった。

 

 射干玉(ぬばたま)のような黒い髪。まるで人形のような卵型の顔。その目、鼻、口、全てが精密に計算されたバランスを持って完成された芸術品と言ってもいい。

 今、その眉にはわずかに険がこもっているが、それもまた、彼女の美しさを損なうどころか、ある種の美を感じさせた。

 

「聞こえなかったかしら? この串焼きを2つ、ちょうだいな」

 

 その声に何も考えず、焼きあがった串焼きを渡そうとして――ハッと我に返った。

 

「あ、すいません。実はこちらの騎士さんが先……で…………」

 

 カッツは再び目を大きく見開いた。

 彼が目にしたのは、その美しい黒髪の女性が手を引く少女。

 

 初めて見る顔である。

 だが、その顔はよくよく憶えていた。

 配られた手配書で。

 

 

 ――ギラード商会が探していると言っていた、手配書に書かれた少女だ……。

 

 

 ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 

「……それで、串焼きは?」

 

 再度の催促に、慌てて焼きあがったばかりの串焼きを手渡す。

 「あ、……だから、俺が先……」再び騎士がつぶやくが、そんな言葉は耳に入らない。

 「いくらかしら?」と尋ねられたが、頭が回らなかった彼は、思わず「……いらない……」と答えてしまった。

 女性は「そう?」とだけつぶやくと、串焼きを片手に、少女と共に歩み去った。

 

 

 カッツはその後ろ姿を食い入るように見つめた。

 

 ――どうすべきか?

 今すぐ、マルムヴィストに知らせるか? 先程串焼きを渡してから、それほど時間は経っていない。まだ、さほど離れていないはず。今から走って追いかければ、間に合うか? そうするか?

 

 しかし、彼は頭を振って、その考えを否定した。

 

 ――いや、そんなことをしても意味がない。それだと、ただ探していた相手の情報を教えただけという事になる。それだけでは大してこちらを取りたててはもらえないだろう。それよりは捕まえてから引き渡した方がいい。捜していた人物の確保までやったら、覚えは良くなるだろう。それに、見たところ、あの女と少女の2人だけのようだ。捕まえるのは難しい事ではない。だが、念のため、一家に声をかけて仲間を集めてからの方がいいだろう。

 

 

 そんなことを考えていると、いかにも貧相な感じのする男がやって来て、「串焼きをくれ」と声をかけてきた。

 そんな男にカッツは目もくれず、「串焼き? ああ、勝手に焼いて食ってけ!」と言い捨て、屋台をそのままに、わき目もふらずに急いで仲間の許へと走り去った。

 

 

 

 あとに残されたのは、唖然として露店の前にたたずむ貧相な男と先ほどからいる騎士の2人。

 

 だが、貧相な男の方はというと、「勝手にって言うなら、勝手に貰っていくぜ」と鼻歌交じりにさっさと網の上で焦げかけている串焼きを2本手にとった。そして(かたわら)の油紙で包むと、ザックはさっさと立ち去った。

 

 

 一方、騎士の方はというと、「勝手に焼いて食っていけ、と言われてもなぁ……」と腕を組んで悩んだ。

 見ての通り、彼は帝国に仕える騎士である。そんな彼が誰もいない露店にある商品を勝手に食べているようなところを見られたら、泥棒でもしているのではないかと思われ体裁が悪い。

 

「串焼きは諦めるか……」

 

 そう言うと、帝国四騎士の1人、『激風』ニンブル・アーク・デイル・アノックは頭を掻きつつ、腹ごなしが出来そうな別の露店を捜して歩み去った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

「あ、ジエット君、おかえりなさい」

 

 アルシェは首だけで振り返り、午前の仕事を終えて、一旦家に帰って来たジエットに声をかけた。

 その様子を見たジエットは大いに狼狽(うろた)えた。

 

「あ、アルシェお嬢様! お嬢様がそんな事をしなくても結構です」

 

 慌てて駆け寄り、台所でアルシェが洗っていた食器を手にとる。

 どうやら、後で洗おうと思って放っておいた家族の分の食器まで、全て洗ってくれていたらしい。

 ジエットは、貴族であるアルシェにそんなことまでさせてしまった事に、恐縮しきりだった。

 

「いや、私は泊めてもらっている身。気にすることは無い」

「そ、そういう訳にも……」

「それに私はもう貴族じゃない」

 

 その言葉には、うっと声が詰まった。

 アルシェのフルト家は現皇帝ジルクニフによって貴族位を奪われた家系であり、そうした元貴族の家の窮状はジエットの耳にも入ってきている。

 学院でもアルシェの他に、何人もの学生が退学を余儀なくされた。本当は学院を卒業して後、ちゃんとしたところに召し抱えてもらえば給与もいいため、一時的に借金してでも学院にとどまったほうがいいのだが、やはり様々な理由によりそういう道を選べなくなる者もいるのだ。

 

 そんな暗い思いにとらわれていると、コフコフとせき込む声が聞こえた。

 慌てて、奥の部屋に駆け込むと、彼の母がベッドから身を起こしていた。

 

「母さん、無理に起き上がらなくていいよ。最近、調子が悪いんだろ?」

「大丈夫よ。それに、アルシェお嬢様がいらっしゃっているのに私が寝ているわけには……」

「お嬢様のお世話は俺がやっておくから。ほら、横になって」

 

 ジエットは横たわる母の胸元まで布団をかけてやり、部屋を後にした。

 閉じた扉に背をつけ、大きく息を吐く。

 そんな彼をアルシェは見つめていた。

 

「お母様の具合、そんなに悪いの?」

「……ええ、普通の〈病気治癒(キュア・ディジーズ)〉では治らない特殊な病気らしくて……」

 

 会話もなく黙り込む2人。

 その耳に、壁の向こうで彼の母が苦しそうにせき込む音だけが届く。

 

 

「……あ、……これ、泊めてもらった分のお礼」

 

 差し出したアルシェの手を、ジエットは押さえた。

 

「いえ、お嬢様。こういうことをしてもらうためでは……」

「ううん。本当なら、私はどこかで宿をとるはずだった。これは宿代」

 

 そう言って、ジエットの手を掴み、その手に数枚の金貨を握らせる。

 ジエットは手の中の金貨を眺め、アルシェに尋ねた。

 

「……あの、……なんで俺の家に泊まる必要があったんですか? 貴族じゃなくなったとはいえ、あの家はまだありますよね。なら、帰ることは出来るはずです。どうして、帰らなかったんですか? それに、何日か家に泊まってますけど、日中はどこかに行って、そしてくたくたになって帰って来てますよね? 何か事情があるんですか?」

 

 その言葉にアルシェは身を固くする。

 ジエットとしても、アルシェ自身が口にしないという事は、そうしないだけの理由があるのだろうという事は理解はしていたが、それでも尋ねずにはいられなかった。

 

 

 再度、2人の間に重苦しい空気が漂う。

 

 その重圧に耐えかね、失礼なことを言って申し訳ありませんでした、と謝ろうかとジエットは思ったのだが、彼が口を開こうとした刹那、アルシェの方が先に口を開いた。

 

「ごめん……言ったら、君を巻き込むかもしれないから、黙っていた。……でも、この問題は私一人の手には余る……私一人の力では解決できないのは分かっていた。……たぶん、話してしまうと君を巻き込んでしまう。私の事は卑怯者と思っていい。でも……力を貸してほしい」

 

 そう言って、深々とそのブロンドの頭を下げた。

 その姿に慌てたのはジエットである。

 

「あ……い、いえ、頭をあげてください、アルシェお嬢様。俺に出来る事ならなんでもしますとも」

 

 泡をくったように早口でしゃべる。

 その言葉に、アルシェは下げたままだった頭をようやく上げて、彼を見つめた。

 

「ごめん。ありがとう」

 

 彼女はその無表情な顔に僅かながら笑みを浮かべた。

 対して、そんな顔を向けられたジエットは大いに狼狽(ろうばい)して、誰が見ても分かるほどその顔を赤くした。

 

「い、いや……いいですよ。そんなに気にしなくても」

 

 そこで彼は気を取り直し、ごくりと生唾を飲み、先を促す。

 

「……それより、その理由っていうのを話してくれませんか」

 

 再度、沈痛な表情に戻ったアルシェはポツリポツリと言葉を発し、これまでの、そして今置かれている状況を説明する。

 

 

 あらかた話を聞き終わったジエットの心に灯ったのは憤りであった。

 

 ――こんなにまでアルシェお嬢様が身を粉にして金を稼いでいるというのに!

 

 

 ジエットはかつて、働いていた母に連れられ行った事のあるフルト家の事を思い返す。

 

 確かに旦那様はやや貴族であることを鼻にかけるきらいがあった記憶がある。だが、それでも、アルシェの話にある現在の事情も理解できずに散財し続けるような愚かな男という印象はなかった。その頃、すでに母には病気の片鱗が見られたが、彼は周囲の反対にもかかわらず、母の事をクビにしようともせずにいた。

 しかし、かと言ってアルシェの話を嘘だともいうことは出来ない。フルト家の窮状の話は、風の噂には聞いていた。

 おそらくだが、貧すれば鈍すの言葉の通り、貴族位を追われた事で、かえって貴族の位にあったことに囚われ、まともな判断が出来なくなったのであろうか?

 まあ、理由はどうでもいい。

 原因はどうであろうと、そいつがクズになったのはそいつの責任だ。

 

 そんな事より、今アルシェが探しているという、妹たちの事だ。

 たしか、小さな双子の女の子がいたことは記憶の端に引っ掛かっている。

 最後に見たのは2、3年前だから、たぶん彼の記憶より大きくはなっているだろう。

 

 何の気なしに、そう考えていたジエットは、アルシェから見せられた現在の妹の姿を映した紙に釘付けになった。

 

 その幼い姿はまさに、数日前、彼が香辛料を届けに行った先で行われていたパーティーで見かけた、モーリッツ家の老人と共にいた少女であった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ふっ」

 

 声とともに振り払われた拳で、路地裏に積まれた廃材の山が吹き飛ぶ。

 その破片がまだ宙にある中をナーベラルは突っ切って駆ける。

 

 彼女の視線の先には一人の男の背。

 そして、その男の脇から、ぶらぶらと揺れるクーデリカの手足がわずかに覗いていた。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 魔法の発動と共に、光の矢が男の背めがけて飛ぶ。

 だが、その矢が届く前に、また男が路地を曲がった。魔法の矢はすぐそばの石壁に穴を穿(うが)つ。

 

 チッと舌打ちをすると、ナーベラルは足元のごみを蹴り飛ばしながら、更に足を速める。

 

 

 

 今、彼女が追跡劇を行っている原因は、つい先ほど、ナーベラルとクーデリカが市場の散策をしていた際にさかのぼる。

 

 あれこれと見て回りながら歩いているうちに、いつしか少々人通りの少ない所まで来てしまった。

そこでさすがに歩き疲れたらしいクーデリカの為に、どこかに座れるような場所はないかと辺りを見回していた時、不意に掴んでいたクーデリカの手が離れた。

 また、何か見つけてそちらに走って行ったのかと、ナーベラルがややうんざりした顔で振り向いたその先には――見知らぬ男に抱きかかえられ、口元を抑えられたままどこかに連れ去られようとするクーデリカの姿があった。

 

 ナーベラルはとっさに〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉を唱えようとして――思いとどまった。

 ライトニング系の呪文では、抱えられているクーデリカを巻き込んでしまう。

 それに〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉は第5位階魔法だ。ナーベラルがナザリック外での情報収集の任務に就く際、あまり高位の魔法を使うと目立ってしまうため、基本的に魔法は使用せず、使ったとしても出来るだけ低位階の物のみ。彼女自身の生命の危険がない限り、魔法を使用する際には最大でも第3位階までとするように、と言いつかってある。第1位階の〈魔法の矢(マジック・アロー)〉ならともかく、第5位階の〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉は拙い。

 

 そのわずかな躊躇の間に、男は路地へと駆け込んでしまった。そしてナーベラルは、その後を追って細い家々の隙間に飛び込んでいった。

 

 

 

 そうして、追いかけているのであるが、なかなかにその距離が詰められない。

 遮蔽物の無い直線ならば、それこそあっという間であるのだが、ここは見通しがきかず、幾重にも折れ曲がる細い路地である。さらにそこら中に板切れやら角材やら、穴の開いた鍋などの鉄くず、汚れたぼろきれ、その他いちいち言う気にもならないようなゴミがその辺に投げ出されており、それもまた走る彼女の足をいちいち邪魔した。

 対してクーデリカを抱えた男は、そんな路地裏を自分の庭のように縦横無尽に縫うようにして走る。

 ナーベラルとしては男を見失わないようにするのが精一杯であった。

 

 いっそ〈飛行(フライ)〉の魔法で上空から回り込もうかとも思ったのだが、この辺りは屋根の軒が伸びている家も多数あり、上空からだとかえって路地を走る男を見失う可能性がある。

 その為、彼女はその内に男が疲れ果てるか、路地を抜けでるのを期待してひたすら根競べのように走り続けていた。

 

 

 やがて彼女の願いが通じたのか、ついに逃走劇は終了する。

 

 クーデリカを抱えた男は、ハアハアと荒い息を吐いた。

 さすがに子供一人を抱えて走り続けるのは体力的に堪えたらしい。

 家々と路地の間に出来た少々広くなった空間。その壁際に寄りかかるようにして、その足を止めた。

 

 比して、ナーベラルの方はというと、ほとんど息も乱れていない。

 疲労を無効化するようなアイテムは保有していないのであるが、やはり根本となる体力が違う。僅かに汗をかき、その前髪が幾本か額に張り付いている程度である。

 

 

「さて、鬼ごっこは終わりかしら?」

 

 走り回ったことで乱れたスカートの裾を手で治し、ゆっくりと歩み寄る。

 振り返ってそれを見た男は、へへっと笑った。

 

「ああ、もう鬼ごっこは終わりさ。ここがアンタの終着駅だよ」

 

 男の声とともに、その広場につながる路地から、武器を手にした男たちがぞろぞろと現れる。男たちはその顔ににやにやと下卑た笑みを浮かべた。

 

「へへへ、嬢ちゃん。ファサード一家のシマにようこそ。アンタ、ずいぶんと別嬪(べっぴん)さんだねぇ。なあ、こいつは好きにしていいんだろ?」

「おう。渡さなきゃいけないのはこの娘だけだからな。行きがけの駄賃だ。こいつは俺たちのアジトに連れ帰ろうぜ」

 

 男たちから歓声が上がる。

 そして、その中でも一際大柄な男が「さあ、嬢ちゃん。痛い目を見たくなきゃおとなしくするんだ」とナーベラルに手を伸ばした。

 

 

 瞬間――。

 

 

 ――男の身体が空を舞った。

 

 男の巨体は広間を横切り、路地の向こうへと吹き飛んだ。

 いったい何が起こったのか。男たちはその目ではっきりと見ていたにもかかわらず理解できなかった。

 まさか、あんな細腕の女が繰り出したアッパー一発で、大の男がゴミクズのように跳ね上げられるとは。

 

 声もないチンピラたちの視線を集めていた黒髪の美女は、眉根を指で押さえ、頭を振った。

 

「まったく、あきれるくらい低俗な会話ね。ゴキブリどもの知能にはテンプレートとしてそんな会話が詰め込まれているのかしら?」

 

 辛辣な嘲り声に、呆然としていた男たちも色めき立つ。

 

「ゴ、ゴキブリだと」

「ああ、あなた方をゴキブリなんて言ったら、恐怖公に失礼ね。それは訂正するわ。そうね、ゴミムシ……まだ、少し高尚すぎるかしら? ……ナメクジ……カマドウマ……まあ、面倒だからウジ虫でいいわ。ウジ虫ども、さっさとかかってきなさい。一匹ずつ潰してあげるから」

 

 言うと同時に、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を発動する。

 クーデリカを抱えて立ち止まっていた男の顔面に、その矢は今度こそぶち当たった。男は鼻血を流し悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。その拍子に拘束が緩み、クーデリカの身体が自由になる。

 「壁際に下がっていなさい!」と叫んだ。

 その声にビクンと体を震わせたクーデリカは慌てて壁の方へと身を寄せた。

 

 

 

 チンピラたちの心に、闘ってはいけない相手にケンカを売ったのでは、という思いがよぎったが、それは一瞬だった。

 暴力の世界で生きる彼らにとって、舐められては生きていけない。自分の直感より、数の暴力を信じたのだ。

 そして彼らは武器を構えて、中央に一人立つ女性に襲い掛かった。

 

 

 しかし、彼らはすぐに直感を信じるべきだったと後悔した。

 この絵画から飛び出してきたような美女は、まるで魔神のような存在だった。

 

 ナザリックの戦闘メイド、ナーベラルガンマは魔法職に特化しているのであるが、わずかだが戦士としての職業(クラス)も保有している。だが、それ以上に63レベルという、この世界に生きる者達と比べて圧倒的なまでに高いレベルからくる能力差というものは、まさに絶望的なまでの戦力の開きを生んでいた。

 

 彼女の振るう腕の一撃で大の男が軽々と吹き飛ぶ。そして彼らが振るう剣閃は、その姿をとらえることも出来ず、よろめき、つまずき、ぶつかり合い、無様な姿をさらすだけであった。

 だが、さすがに多勢に無勢。ときおり振り回される刃が彼女の身体をとらえることもあったが、せいぜい皮一枚を切り裂き、わずかに血をにじませるに留まった。

 ナーベラルが得意の魔法を使うまでもなかった。

 

 ただ一つだけ、ナーベラルが難渋したことは、殺さないように手加減する事であった。自身の力があまりにも強すぎるため、素手とはいえ下手に殴りでもしたら、簡単に人間は死んでしまう。こちらが襲われた側であると言っても、さすがに大量の死体が出来ては後々、誤魔化すのも面倒だ。それに官憲に痛くもない腹を探られたくはない。

 その為、死なない程度に弱い攻撃で打ちのめすに留めざるをえず、そうすると、襲い来る暴漢たちを全員まとめて気絶させるのは中々に困難であった。

 

 そうして戦闘はいつ終わるとも知れずに続いていた。

 だが、やがて広場にいた者達の耳に、こちらに向かい、走って近づいてくる足音が聞こえた。

 数名の新手が路地を抜けて広間へと入ってくる。

 

 暴漢たちは最初、ようやく自分たちの援軍が来たのかとほくそ笑んだ。

 おそらく他の犯罪組織の者達だろう。娘を攫った分け前が減るのは業腹(ごうはら)だが、今は協力してでも、この女を倒してしまおう。

 そう考えた。

 

 だが、やって来た者達が躊躇することなく自分たちに襲い掛かってきたのを見て、その考えが誤りであることにようやく気がついた。

 

「大丈夫ですか、ナーベ」

 

 周囲で繰り広げられる戦いを横目に、セバスは彼女に声をかけた。クーデリカが攫われた後の追跡中に、ナーベラルが〈伝言(メッセージ)〉でセバスに状況を伝えていたのだ。

 そして、その腕の傷を見て、眉をひそめた。

 

「怪我をしているのですか?」

「いえ、大した事はありません。それより、あの娘を……」

 

 振り向いたナーベラルは目を丸くした。

 

 

 そこにクーデリカはいなかった。

 

 

 

 ――自分は確かに壁際にいろと言ったはずなのに。

 

 慌てて周囲を見回す。

 だが、視界の範囲内には金髪の少女は見当たらない。

 

 

 そんな彼女の様子を見て、セバスも状況を悟った。

 

「ナーベ。〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉の巻物(スクロール)を。私が許可します」

 

 セバスの言葉に懐から巻物(スクロール)を取り出す。巻物(スクロール)が炎に包まれ焼け落ちると同時に魔法が発動する。

 

「あちらです。あちらの方向距離にして80メートルの所にクーデリカが」

 

 セバスの視線を受け、言われずともルベリナは数名の部下を連れてそちらへと駆けて行った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 ザックはようやく走る足を止めた。

 その腕に抱えていた少女を地に下ろす。

 はあはあ、と荒く息を吐き、額に流れる汗をぬぐう。

 

 そして、まだ呼吸も整わぬままにザックは、傍らに立つ少女の肩をがっしと掴んだ。

 

 彼があの広場の戦闘から連れ出した少女。

 安宿で彼の帰りを待っているはずの幼子へと怒気のこもった目を向けた。

 

「なんで、こんなところにいるんだ! 勝手に宿を出てきたのか!」

 

 思わず声を荒げるザックに、言われたクーデリカは怯えた表情を見せた。

 

 

 

 彼がその場を通りかかったのは偶然だった。

 隠れ潜むウレイリカの為の食料を買い込んだ後、宿へと帰ろうと路地を歩いていた際、どやどやと武器を手に駆けていく者達の姿を見た。

 ザックとしては厄介ごとに関わりたくはなかったのだが、彼らが向かった先は、ちょうど宿へと向かう際に通らなければならない道の近くであった。

 そこで、出来るだけ近寄らないようにと足音を忍ばせて、一応何をやっているのかと広場を覗き込んだところ――突然吹き飛んできた大男の下敷きとなった。

 

 その後、ザックは何とかのしかかる男の身体を押しのけ、その下から這い出ることに成功した。そして、再び同じような事に巻きこまれまいと壁際に張り付き、ちらりと広場の方へと目をやると、どうやら誰かが武器を持った男たちと戦っているらしい。もう少し覗き込めば誰と誰が戦っているのかは分かるだろうが、先ほどの二の舞になる気はないし、もうこれ以上関わり合いになる気もない。

 

 ザックはそっと、その場を離れようとした。

 その時に、ふと壁際に立つ少女を見つけた。

 

 

 その姿を見て彼は愕然とした。

 我が目を疑った。

 

 そこにいた幼い少女はまさに、彼が今、安宿で保護しているウレイリカに間違いない。

 

 ――いったい、なぜこんなところにいるのか?

 そんな疑問が頭をよぎったが、彼は危険を承知でもう一度、広場の奥へと目を向けた。

 どうやら戦いはまだ続いているようだ。こちらに注意を払っている者はいない。

 

 ザックは決断し、路地から手を伸ばすと少女の身体を抱え上げた。驚いて少女が悲鳴を上げようとしたため、慌ててその口をふさぐ。

 

 その時、遠くから複数の人間が走り寄ってくる足音が聞こえた。

 何者かは知らないが、ザックに味方する者でない事だけは確かだ。

 

 そしてザックは、少女を抱えてその場から逃げ去った。

 

 

 

 ザックは憤りのこもった視線を、膝をついて目線を合わせた少女に向けていた。

 クーデリカは男に睨みつけられ、何も言えずに目に涙を浮かべている。

 

 ザックは記憶をたどる。

 たしか数時間前、彼はウレイリカのいる安宿の部屋にいたのだが、食料を買い込んでくる必要があったため、独り出かけようとした。

 そうして、扉を開けて一歩廊下に出たところ、ザックが出て行くのを寂しがったウレイリカが走って来て彼の足にしがみついた。彼は思わずたたらを踏み、廊下を通りすがった強面の男とぶつかりかけた。その男に睨みつけられ、ザックは愛想笑いを浮かべて誤魔化しつつ一度部屋へと戻り、ウレイリカにこの部屋で待っているよう言い含めて、市場まで出てきたのだ。

 もしかしたら、その時の強面の男――どう考えてもその筋の人間にしか思えないような人物――によって、部屋に少女が1人いることがばれて攫われでもしたのだろうか?

 あり得ない話ではない。

 

 そこまで考えたところで、ザックは頭を振って考えるのを止めた。

 所詮は想像に過ぎない。とにかく今ウレイリカは怯えているようだから、落ち着いてから話を聞けばいい。

 ザックは大きく息を吐き、立ち上がった。

 

「まあ、いつまでもこんなところにいたら危ねえな。とにかく行こうか」

 

 そう言って、顔に笑みを浮かべ、手を差し出す。

 だが、クーデリカは見知らぬ男が差し出した手を握ることなく、その身を震わせ後ずさった。

 

 ザックはその仕草に怪訝(けげん)な表情を浮かべ、そして奇妙な事に気がついた。

 

 その髪。

 ザックは特にウレイリカの編んだ髪をほどいたり、そして櫛で梳いたりなどはしていなかった。その為、ウレイリカの髪はやや乱れてきていた。だが、目の前の少女は丹念に手入れされ、油までつけられたような美しい髪をしている。

 それになにより服だ。

 ウレイリカは攫われた時そのままの、上質ながら少しほつれ始めている服を着ていた。ザックとしても、さすがにサイズもよく分からない子供服を買うことは出来なかった。だが、今、目の前の少女が来ている服は、まさに卸し立てとでもいうべき新しいワンピースだ。

 

「おい、その服は一体どうしたんだ? ウレ――」

 

 言いかけた刹那、ザックの横っ面が殴り飛ばされた。

 

 抵抗する術すらなく地面に崩れ落ちるザック。

 倒れた彼の事を、ルベリナは容赦なく蹴り飛ばした。そして追いついて来た部下たちに視線を送る。部下たちはルベリナの代わりに、地べたに転がるザックを袋叩きにした。

 

 そんな彼らには目もくれず、彼は怯えた瞳の少女に目をやった。

 

「だいじょーぶかい? クー……っと、マリーア」

 

 その言葉にクーデリカは、抑えきれなくなった涙と共にルベリナに抱きついた。

 幼い身にこれまでの荒事はつらかったのだろう、そのままぼろぼろと涙をこぼし、声をあげて泣き続ける。

 

「はいはーい。もう安心だよ。さあ、戻ろうね」

 

 言ってルベリナは来た道、セバスらの許へと足を向ける。

 「この男はどうします?」と部下たちに聞かれたが、放っておけと命じ、さっさとその場を離れた。

 

 

 

 その場に残されたのは、さんざん殴られ蹴られたザックただ一人。

 彼は顔中を腫れ上がらせ、口から血を流し、力なく地面に転がっていた。

 

 口の中に溜っていく鉄の味を感じながらつぶやいた。

 

「……なんでぇ……ウレイリカじゃなかったのかよ……」

 

 あの少女はウレイリカではなかった。

 とても似ていたが、別人のようだった。

 確かあの男は少女の事をマリーアと呼んでいた。

 聞いたことのない名前だ。

 ウレイリカから家族の名前は聞いたことがある。姉がアルシェ。そして、ウレイリカは双子で、片割れがクーデリカ。

 ウレイリカが語った家族の名の中に、マリーアというのは無かった。

 つまり、全くの他人という事だ。

 

「……つまりただの勘違いかよ……無駄な事をして、無駄に殴られただけか……」

 

 自分の愚かさを自嘲気に笑った。

 

 

 やがてザックはその身を起こす。

 そして、懐に先ほど買った串焼き――すでにすっかり冷めてしまっていたが――があるのを確かめると、痛む身体を引きずり、ウレイリカが待っているであろう宿へと歩いていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふう」

 

 ナーベラルは汚れた服を着替え、身支度を整えると、モーリッツ邸の自分にあてがわれた部屋を出た。

  

 あの後、彼女らは急いでこの館に戻って来た。

 そして帰る道すがら、しばらくの間、クーデリカは邸から外出しない事。クーデリカの守備に注力するという方針を決めた。

 そして皆で邸に返った後、全員で居間に集まり、再度、細かい方針の打ち合わせをするということになったのであるが、その際、それほど深手ではないとはいえ、腕を剣で幾度か斬りつけられていたナーベラルは、先に怪我の治療や着替えなどをすませてくるようにと言われた。

 そして、とりあえず最近よく着ているドレスへと着替えの終わったナーベラルは居間への廊下を歩いていた。

 

 

 その時、玄関のノッカーが鳴らされた。

 おや? と思う間もなく、2度、3度。

 更には扉をノックする音がせわしなく何度も響く。

 

 やれやれと思いつつ、ナーベラルはそちらに足を向ける。

 

 そして、やや苛立ちもこめ、バンと扉を開けると、そこには拳を振り上げていた女性の姿が。

 何も、扉を開けたとたん襲いかかろうとしたわけではない。いくら呼んでも誰も出てこないため、焦れてきたアルシェは頑丈な戸に拳を叩きつけようとした瞬間、その扉が開かれたため、突然の事にその姿勢のまま凍りついたのである。

 

 

 アルシェとナーベラル。

 しばし、2人は見つめ合う。

 

 ナーベラルは胡乱気(うろんげ)な視線だが、アルシェの方は驚愕に目を見開いている。その体は小刻みに震え、半開きの口元からは「……あ……ぁ……」と意味をなさない言葉が漏れ出ていた。

 

「……そんな……あ、ありえない……まさか、第8位階魔法まで使えるなんて……」

 

 そのつぶやき声を聞きとめたナーベラルは、その目を細めた。

 

「当家に何か御用でしょうか?」

 

 ナーベラルが冷たい声で問いかける。

 彼女としてはわざわざ家にやって来た人間(ガガンボ)、それも礼儀も知らずに幾度もドアをたたくなどという事をする輩には、優しく応対してやるいわれなどない。それに、何も言っていないのに、自分が使える魔術位階を言い当てられた事による警戒心があった。

 

 声をかけられたアルシェは、氷柱から滴る水が背筋を打ったように、びくりと身を震わせる。

 思わず、腹の奥から食道を駆けあがってくるものを感じた。ゴポゴポとした水音がその身を伝って聞こえてくる。

 だが、気を取り直した彼女はそれを再び飲み下し、胃の奥へと戻した。

 

 彼女は大きく息を吐き、へその下に力を入れると、目の前の見目麗しい女性に向き直った。

 

「あ、あの……私はアルシェ・イーブ・リイル・フルトといいます。ここに妹が、クーデリカかウレイリカがいると伺って参りました。私は彼女達の姉です。妹たちに会わせてください!」

 

 そう一息に言い切った。

 

 万感たる決意を胸に抱えた言葉であったが、それを受けたナーベラルの顔に浮かんだのは嘲笑であった。

 

 

 ――クーデリカの姉などと、ずいぶんと見え透いた嘘を吐くものね。

 

 

 ナーベラルは、ルベリナからの情報により、クーデリカの素性については聞き及んでいた。

 

 クーデリカは双子の片割れウレイリカと、姉であるアルシェとの3人姉妹。

 だが、その姉であるアルシェはというと、ワーカーとしてエ・ランテルを訪れた際にズーラーノーンのアンデッド騒ぎに巻き込まれて死亡している。

 

 

 死んだはずの姉の名を名乗る女が、突然にもクーデリカの捜索が広まったタイミングで現れる。

 それもついさっき、力づくでの襲撃を受け、それを退けたばかりのところに。

 

 あまりにもあからさますぎるというものだ。

 

 

 それに――。

 

 

 ナーベラルはアルシェと名乗る女の装備に目をやる。

 

 

 それに、彼女の身に着けている装備はあまりにも貧相だ。

 これもルベリナからの報告であるが、クーデリカの姉であるアルシェが所属していた『フォーサイト』というワーカーチームは、冒険者で言えばミスリル級に匹敵する実力の持ち主だったと聞き及んでいる。

 ナーベラルも一般人に偽装しての情報収集という任務の為、この世界の様々な知識を身に修めている。そんな彼女の知る限り、ミスリル級冒険者というのは、かなりの実力者に分類される存在だ。

 と、なれば当然、その手にした武器、その身に纏う防具はかなりの性能を持つ物――ナザリック基準では完全にゴミレベルだが――を揃えているのが当たり前である。

 しかし彼女、アルシェとやらの身に着けている代物は、この世界の基準からしても、明らかに大したものではない。

 手にした杖、厚手の服にゆったりとしたローブ。

 およそ駆け出し程度の者が持つような装備でしかない。

 これで歴戦のワーカーであると言い張り、成りすますというのは笑わせる。 

 

 おそらくは先ほど、強引にクーデリカを誘拐しようとして失敗したために、今度は少々毛色を変え、クーデリカの姉を騙り、肉親のふりをして引き取ろうとする作戦に出たのだろう。

 そして、さすがにミスリル級冒険者に匹敵する者達が身に着けている装備は、そうそう手が出ない額になってしまうため、安物の装備をそろえて取り繕ったというところか。 

 

 大方、この娘はその辺の普通の女に、冒険者風の衣服を身につけさせただけなのであろう。今、ナーベラルを前にして怯えた様に震える身体を必死で抑えている姿を見るに、無理矢理、この役と演技を強要されたのだろうという事は想像に難くない。 

 

 

「そのような名の者は当家にはおりません。お帰り下さいませ」

 

 そう取りつく島もなく冷たく言い切り、ナーベラルは扉を閉めようとする。

 だが、その閉まりかけた扉をアルシェはがっちりとつかんだ。

 

 その端正な顔に苛つきの色を隠さないナーベラルに対し、アルシェは必死で食い下がった。

 

「ほ、本当に私はクーデリカとウレイリカの姉のアルシェなんです。妹に会わせてください! ここにいるという話は聞いています! あの――グハッ!?」

 

 

 アルシェの腹部に、ナーベラルの拳が突き立った。

 体をくの字に曲げ、後ろによろめくアルシェ。

 その咽喉を掴み、片手で持ち上げる。

 

 アルシェの足が宙に浮く。

 ギリギリと首の骨がきしむ音が聞こえる。アルシェの顔に苦悶の表情が浮かび、手足をばたつかせてもがき苦しんだ。

 

 そんなアルシェの耳元に、ナーベラルは口を近づけた。

 

「いいこと? あなたの事情など私は知らない。これ以上、こちらに近寄らないようにね。……次は、殺すわよ」

 

 その殺気交じりの言葉は、ワーカーとして幾度も視線をくぐったアルシェですら凍りつくほどであった。

 

 

 そして、アルシェの身体を無造作に投げ飛ばした。

 女とはいえ人1人分の体重である。それがまるで小石のように軽々と投げ飛ばされた。

 アルシェの身体がほぼ水平に飛び、門扉を超えて、向かいの家の壁に音を立てて叩きつけられる。

 そのままずるずると崩れ落ち、アルシェは道端に倒れ込んだ。

 

 そんな彼女の姿になど興味もなくなったナーベラルは扉を閉め、屋敷の奥へと消えていった。

 

 

 

 コツコツと足音を立てて廊下を歩き、やがて皆が待つリビングへと辿り着く。

 そこには、すでに他の者達が雁首(がんくび)をそろえていた。

 

「どうしました、ナーベラル? 先ほど、来客があったようですが?」

「大した事ではありません。クーデリカを狙う輩が玄関先に現れただけの事です」

 

 その言葉に、セバスはうぬと声を発した。

 

「まさか、家までかぎつけられたという事でしょうか?」

「その可能性はありますねー」

 

 呑気そうに言うルベリナを横目に、ナーベラルは居間を横切り、腕に負った怪我の治療とその際に切り裂かれてしまった服を着替えるために一時的に外していた、着用者のステータスを隠蔽する効果がある指輪を手にとり、いつもの左手中指へとはめた。

 

 

 そんな彼女を視界の端に収め、セバスが今後の方針を語る。

 

「とりあえず、家までばれているというのなら、クーデリカを一人にしておくことは出来ませんね。最低でも私かナーベラル、もしくはルベリナが家に残るようにしましょう」

 

 その言葉に皆、深くうなづいた。

 

 

 その後、あれこれと話し合っていると――。

 

「ナーベお姉ちゃん」

 

 見ると戸口から寝間着姿のクーデリカが顔をのぞかせていた。

 

「どうしました?」

 

 セバスが優しく問いかけるが、彼女は枕を胸に抱いて(うつむ)いたままだった。

 困惑した表情を浮かべるセバス。

 その横からナーベラルが足を進めた。

 立ち尽くすクーデリカの許まで歩みよると、いつもの冷たい瞳ながら、穏やかな口調で彼女に声をかけた。

 

「眠れないのかしら?」

 

 こくりとクーデリカが頷く。

 ナーベラルは一つ息を吐くと、その小さな手を取った。

 

「では、私がついていてあげるから眠りなさい。あなたを怖がらせる奴はいないわ」

 

 そうして2人でクーデリカの部屋へと歩いて行った。

 

 その光景を驚いた様子で見つめるルベリナ。

 そして、穏やかな笑みを浮かべるセバスであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「う……。うっ、うぅ……かはっ……」

 

 胸に走る痛みに、苦悶のうめきをあげ、アルシェは壁に手をつき身を起こす。

 道路に転がったため、その身は土埃で汚れているが、それを払い落す気力すらない。

 

 何とか壁に身を寄せて起き上がり、荒い息を吐く。

 立ち上がった彼女の目に映るのは目の前の邸。

 

 

 家に泊めてもらっていたジエットから偶然、クーデリカらしき姿を見たという情報を得ることが出来た。

 最近この街に来たモーリッツという人物であるが、この絵そっくりな少女を自分の家族であると周囲の者達に紹介しているらしい。

 

 もちろんジエットの見間違いの可能性もある。その為、自分の目で確かめようとモーリッツが住んでいる邸にやって来たのだが――。

 

「ううっ」

 

 戸口から現れた存在を思い返し、彼女は耐えきれず、道のわきの排水溝に嘔吐した。

 

 

 あの時、扉を開けて出てきた女性。

 寒気すら覚える程に整った美貌の持ち主であったが、アルシェが畏れたのはその魔術。

 一見たおやかな、その身に宿していたのは第8位階という桁外れの魔法。

 

 

 アルシェには生まれながらの異能(タレント)がある。

 それは相手の習得している魔術位階を見ただけで分かるというものである。

 

 そんな彼女をして、第8位階の使い手などこれまで見たこともなかった。

 かつて師としていた、帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)三重魔法詠唱者(トライアッド)』フールーダ・パラダインでさえ、第6位階までしか使えないのだ。

 第8位階魔法の使い手など、伝説やおとぎ話の中の存在だ。

 

 なぜ、そんないるはずもない第8位階魔法の使い手がこんなところにいるのか?

 それも、クーデリカがいると思しき貴族の家に。

 

 そして同時に驚愕したのは、その膂力。

 決して大柄とは言えないアルシェの身ながら、その身体を片手で掴み上げ、投げ飛ばしたのだ。そんな芸当はロバーデイクですら出来ないだろう。彼は絶対にそんなことはしないだろうが。

 

 余人の到達することすら叶わない第8位階魔法を習得し、また彼女の知る限り最も力のあるものをも凌駕する怪力の持ち主である美貌の女性。

 彼女はいったい何者なのだろうか?

 

 

 

 ひとしきり胃の中のものを吐き出したアルシェは、革袋の水で口をゆすいだ。身体を動かすたびに、先ほど壁に叩きつけられた身体が悲鳴を上げる。

 

 

 とにかく、そんな存在がいるなら、一旦、退かざるをえない。

 まずはそのモーリッツという家の情報を探ることが重要だ。

 

 

 しかし――とアルシェは考える。

 

 しかし、どうやって調べればいいのだろう?

 モーリッツというのは帝国の貴族ではないようだが、やはり貴族を調べるには貴族の伝手があった方がいい。

 だが、アルシェの家は貴族位を追われた家である。現役貴族の家に行っても話は聞かせてもらえまい。

 となると――。

 

 

 アルシェはその足を学院に向けた。

 

 学院はすでに退学してしまっているが、現在も在籍している生徒の中にはアルシェの知己の者がいるはずだ。こう言っては何だが、かつてアルシェは学院でも有名人だった。彼らに頭を下げて頼めば、多少の情報程度ならば融通してくれるだろう。

 

 辞めた身として学院の中には入れないだろうが、入り口付近で張っていれば、誰か知り合いが出てくるところは見つけられるだろう。その者に頼んでみよう。

 

 

 アルシェは痛む身体を抱え、その場を離れた。

 

 



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第54話 すれ違い―2

2016/9/16 「人間の見回す」→「人間を見回す」 訂正しました
2017/3/29 「拳の後」→「拳の痕」 訂正しました


「うわああぁっ!」

 

 ザックは精一杯の雄たけびを上げて、男に襲いかかった。

 突然の事に男は驚き、とっさの反撃一つ出来なかった。

 ザックの手にした木の棒が、男の頭に振り下ろされる。

 男は慌てて、手で頭を抱え込むようにしてその一撃を防いだ。だが、その拍子に少女を捕まえていたその手を放してしまった。ウレイリカの身体が拘束から解放される。

 少女は泣きながら、未だ恐怖と興奮に足を震わせるザックの胸に飛び込んだ。

 

 

 

 ザックがギリギリのタイミングで帰って来たのは本当に偶然だった。

 宿で待つウレイリカのために食料品を買い込み、彼女の好きなクチナシの花束を買って宿に戻ると、叫び声が聞こえた。

 その声は聞き間違えるはずもない、最近ずっと一緒にいた少女ウレイリカのものだった。

 

 ザックはその辺の棒っ切れを手に階段を駆け昇ると、今度は一転、こそこそと音をたてぬように廊下を進んだ。

 その叫び声は間違いなく、彼とウレイリカの部屋から聞こえてきた。ザックは足音を忍ばせ、戸口から中を覗き込む。

 その中では強面の男が4人――1人は彼が今日出かける前にぶつかりかけた男だ――が暴れるウレイリカを捕まえ、連れて行こうとしているところであった。

 

「間違いない。こいつは手配書のガキだぜ」

「ああ、こいつを差し出せば、俺たちの憶えもよくなるな」

「どうだい? 俺の目端も聞くだろう?」

「ああ、確かにな。今、帝都中の犯罪組織がこいつを捜しているんだ。真っ先に見つけられたのはラッキーだったな」

 

 彼らはそんなことを話しながら、自分たちのたてた手柄、そしてその結果による未来を想像して、にやにやと笑いあっていた。

 

 

 

 ザックの心は揺れ動いた。

 

 ウレイリカを助けるべきか? それとも見捨てるべきか?

 

 

 今すぐ逃げた方がいい。

 見ただけでも、ウレイリカを捕まえている男は荒事になれているというのはよく分かる。身に着けた服の下から盛り上がる筋肉は、ザックのひょろりとした細腕とは雲泥の差だ。

 それに4人もいる。

 仮に相手がたった一人でも勝てる気がしない。

 更に言うならば今のザックは、先ほど勘違いで助けようとした少女の関係者に、散々殴る蹴るの暴行をうけたばかりだ。その服の下にはあちこちに怪我をしており、ちょっと動くだけで痛みが走る有様だ。

 とうてい歯が立たないのは火を見るより明らかである。

 

 それは分かっていた。

 よく分かっていた。

 頭では分かっていたのであるが――。

 

 

 気がついた時には、叫びながらザックは男に飛びかかっていた。

 その気迫に押され、不意を突かれた男達は思わず気が動転してしまい、その隙にウレイリカをその腕に奪還することは出来た。

 さすがに、いくら体格に優れているからと言って男達は4人とも素手である。ただの木の棒と言えど、振り回される武器にわずかだが怯んだ様子を見せた。

 

 だが、すぐに男達は気を取り直し、体勢をたてなおした。

 突然の事に意表を突かれたものの、部屋に踊り込んできたのは、先ほど少女と一緒にいた貧相な男ただ一人だ。こんな奴が自分達に歯向かおうなど、身の程を教えてやらなくてはならない。

 男達は先の屈辱を振り払うかのように怒りに震え、目の奥に凶暴なものを宿した。

 

 ザックは片手にウレイリカを抱え、必死で手にした棒っ切れを振り回す。

 しかし、武器とはいえ、所詮はただの木の棒である。重量のある金属でも、研ぎ澄まされた刃という訳でもない。

 

 男たちは目くばせし合い、その身を低くし、一気に突っ込もうと身構える。

 殴られることを覚悟で襲えば、一度は殴られるだろうが、容易く制圧できる。それにこちらは4人もいるのだ。全員で一息に襲い掛かれば、防げるものでもない。

 

 

 そんな男達に対し、ザックは手にした棒を頭上まで掲げると、勢いよく振り下ろし――。

 

 

 ――そのまま、投げつけた。

 

 

 これにはさすがに男達も虚を突かれた。

 投げつけられた男は、とっさに腕で頭を守る。

 大した痛みでもないが、その衝撃に一瞬身体を縮こまらせた。

 

 

 その隙にザックは走った。

 ウレイリカを抱え、男の横をすり抜けて部屋を飛び出る。他の男が慌てて追いかけようとするが、よろけた仲間の身体が邪魔で戸口から出るのに、一瞬間が空いてしまった。

 

 そして、ザックは勢いそのままに階段を駆け下り、宿からの脱出を果たした。

 宿の入り口には部屋にいた連中の仲間らしき男たちが数人たむろしていたが、突然飛び出してきたザックに驚き、その行く手を(さえぎ)ろうとする者はいなかった。

 後ろから追ってくる男たちの怒声を背に、ザックはウレイリカをその腕に抱え、ひたすら走った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「いや、こういうのはどうなんでしょうか?」

「なに、そんなに深く考えることは無いって。ただ、飲み食いするだけなんだからな」

 

 やや日が傾きかけた帝都アーウィンタールの歓楽街を2人の男が歩いていた。

 陽気な笑みを顔に浮かべる、腰に数種類の武器を下げた若い金髪の男と、首から聖印を下げ、がっしりした体躯ながらも今は周辺の空気に落ち着きをなくしている、壮年と言ってもいい年齢の男性。

 

 

 ワーカーチーム『フォーサイト』のヘッケランとロバーデイクである。

 

 彼らは今、若い女性たちが(なま)めかしいダンスを踊る、あまり年若い少年少女の教育にはよくないような酒場へ向かうところであった。

 

 

 

 事の発端は彼らの定宿、歌う林檎亭でのことである。

 

 エ・ランテルからしばらくぶりに返ってきた後、たんまり稼いだ後という事もあり、彼らは特に仕事をするでもなく、のんびりと骨休めをしていた。

 日がな一日、ベッドで惰眠をむさぼったり、普段はいけないようなちょっと高級な店に食事に行ったり、朝から酒を飲んだりと怠惰な時を過ごしていた。もちろん、次の冒険の為に良い装備をそろえたり、減ってしまった消耗品の買い足しも行ってはいたのだが。

 

 しかし、これまで忙しい日々を過ごしてきたこともあり、なんとなくそうしてゆったりと過ごす事に退屈を憶えてきてしまっていた。

 だが、帝都に返ってきてからアルシェはどこか――詳しくは知らないが、おそらくは帝都にある自宅だろう――へ行ったきり宿に姿を見せようともしない。

 当初は、翌日には顔を出すといっていたのに。

 何かあったのだろうかとも思ったのだが、実家がどこにあるかはプライベートな問題として聞いていなかったため、確認する(すべ)もなかった。

 つまり、メンバーが1人いない以上、フォーサイトとしての今後の方針を決めることも、なんらかの行動も起こせないという事だ。

 

 その為、特になにするでもなく日々を過ごすほかはなかった。

 

 

 

 そんなある日のこと。

 イミーナが情報を仕入れてくると言って出かけた後、残った男2人はのんびりと話をしていた。そうしたところ、話題は自然とエ・ランテルでの事になり、やがて冒険者チーム『漆黒』の話になり、やがてそのうちの美しい女神官ルプーの事になった。

 

 ロバーデイクが彼女に惚れてしまっている事は、ヘッケランらも知るところとなっており、自身とイミーナの件でしょっちゅう揶揄(からか)われていた意趣返しという事で、度々その事をつついていた。

 普段は落ち着いた様子のロバーデイクも、その話になると慌てだすので、面白がり悪乗りするヘッケランをイミーナが止めるというのが最近の定番であった。

 

 そして、イミーナがいぬ間にまたその話題となり、そうしてあれこれ話が飛ぶうちにどういう訳か、じゃあロバーデイクがいざという時に慌てぬよう、半裸の女性がいる店に行って耐性をつけようという結論になってしまった。

 

 そうして2人は、傾きかけているとはいえ、まだ日が空にあるうちから歓楽街に繰り出すことになったのである。

 

 

 自信満々に歩くヘッケランの後ろを、押し切られる形となったロバーデイクが続く。

 彼は大きな体でため息をついた。

 

「いや、これって意味あるんでしょうかね?」

「まあまあ、言ってみりゃ分かるさ。お前だって、そういうところは初めてじゃないんだろ?」

「ええ、まあ。昔、知り合いに連れられていった事はありますがね……」

「行った事あるんなら、そう気にすることもないだろ。これから行くのは別におかしなところってわけでもないんだぜ。ただ、裸の姉ちゃんが踊っているところに……!?」

 

 話していたヘッケランに、突然、路地から飛び出してきた男がぶち当たった。

 歴戦の戦士であるヘッケランの方はよろけただけで体勢を立て直したものの、追突した方の男は勢いよく地面に転がった。

 

「おい! どこ見て歩いて、っと。……ん?」

 

 悪態をつこうとしたヘッケランの目が、石畳に倒れた男の腕の中にいた少女に向けられた。

 

 ――なんだろう?

 なにか……はっきりとは結びつかないが誰かの面影があるような……。

 

 

 だが、男の方はというと、そんなヘッケランの視線から少女を隠す様に抱え直す。そして、再び駆けだそうとした。

 しかし、男の逃走は路地から続いて飛び出てきた男たちによって妨げられた。

 

 いかつい顔つきの、いかにも悪漢とでもいうべき10人弱の男たちが、少女を抱えた痩せた男に追いつき、痩せた男は殴り飛ばされた。

 再び地面に転がった男に殴る蹴るの暴行を浴びせ、男の手から金髪を三つ編みに纏めた少女を奪い取る。少女は悲鳴を上げて男に手を伸ばすが、起き上がろうとした男はチンピラたちに蹴り倒された。

 そうして、少女は男たちの手によって連れ去られようとしていた。

 

 

 その光景をヘッケランは眺めていた。

 その心境はやれやれというものである。

 詳しい事情は知らないが、借金か何かのトラブルであろう。かわいそうだが、自分に何の利益もない(いさか)いに首を突っ込む気はなかった。

 

 だが、ヘッケランはうっかり忘れていた。

 今、自分の隣にいる男は、そんな自分にとって何の利益にもならない諍いだろうと、自分の良心のままに行動する男だという事を。

 

 

「待ちなさい!」

 

 その場に響いた声に、皆驚いて声を発した者に目を向けた。

 ロバーデイクはその巨躯の胸を張り、堂々とした態度で言った。

 

「私は詳しい事情は知りません。皆さんにも何か事情があるのかもしれません。ですが、少女が涙を流すような行為を黙って見過ごすわけにはいきません!」

 

 その言葉に男たちは呆気にとられた。

 そして、口元に笑みを浮かべた。

 (あざけ)りの笑みを。

 

「よう、神官さん。こいつはアンタにゃあ関係ない事だ」

「そうだぜ。こちとらには、こちとらのルールがあるんだ。余計な事には首を突っ込んだら、大やけどするのがオチだぜ」

「ああ、せいぜい神殿ででも、いい世の中になるように祈っていてくれや」

 

 示し合わせた様に、全員で鼻にかかる笑いをあげた。

 

 

 

 その笑いは次の瞬間、凍り付いた。

 

 男の1人が吹き飛んだ。

 その頬にはロバーデイクの握りしめた(こぶし)の痕が、まざまざと残っている。

 

 殴られた男の腕の中からウレイリカが抜け出し、倒れたままのザックの許へと駆けよる。ザックは彼女を腕の中に迎え入れ、痛む身体をおして立ち上がった。

 

 

 ロバーデイクは、仲間が一瞬のうちにやられ、息をのむ男たちに静かに語りかけた。

 

「申し訳ありませんが、私は祈るだけでは世の中は変わらないという事を重々承知しています。私の手の届く範囲は小さいですが、その小さな範囲を守るためだけでも力を振るわせていただきますよ」

 

 その言葉にヘッケランはあちゃーと天を仰いだ。

 なんで何の得にもならないことをやって、誰かの恨みを買わなくてはならないんだろう。

 

 

 彼はため息一つ吐くと――チンピラの1人を殴り飛ばした。

 

 

「しゃあねえな。付き合ってやっか」

 

 ヘッケランは気楽な口調で言った。

 

 

 

 チンピラたちは色めき立った。

 突然現れたヘッケランとロバーデイクの2人はザックの仲間であり、彼らがいるところまで必死で逃げたのだと思ったためである。

 

 男たちが見たところ、目の前にいる男2人はかなり強そうだ。しかし、こちらはまだ幾人もの頭数がある。全員で一斉にかかれば、こちらの方が数が多いのだ。倒せないことは無い。

 そう考えた彼らは2人を囲むように位置すると、いちどきに襲い掛かった。

 

 

 

 勝負は実にあっさりついた。

 

 たとえ素手だとは言え、ミスリル級冒険者に匹敵する実力の2人の前に、街のチンピラ数人など赤子の手をひねるようなものであり、数倍程度の数の多寡などハンデにすらならなかった。

 

 

「さて、終わったようですね。お怪我はありませんか? 私は神官なのでお怪我は治せますが……」

 

 そう言って振り返ったロバーデイクであったが、その視線の先には誰もいなかった。

 

「ちっ。お前らのために戦ってやったっていうのに、礼の言葉すらないのかよ」

 

 そう、ザックは2人が戦っている間に、これ幸いとばかり再び逃げ出していた。

 残されたのは地に伏し、うめき声をあげる男たちだけだ。

 

「まあ、彼らにもいろいろ事情があったのでしょう」

 

 そうロバーデイクは言った。

 彼はヘッケランとは異なり、胸に淀むものはない。

 

「とにかく、泣いていた少女を助けたという事でいいではないですか」

 

 そう言って晴れやかに笑う。

 そんな表情を見て、またヘッケランのいたずら心がうずいた。

 

「まあ、確かにな。これで何の憂いもなく、女の裸を楽しめるな」

 

 その言葉に、再度ロバーデイクは慌てた。

 

「いや、ですからね。そういう訳では……」

「だから、気にするなって。深く考える必要はいないって。俺たちはただ飲み食いする。その横で女たちが踊ってるだけだから」

「いや、問題はそう……」

 

 そこまで口にしたところで、ロバーデイクは顔をひきつらせた。

 対してヘッケランの方はというと、変わらず自信気に語っていた。

 

「だからな。あれこれ考える必要もないんだって。な? 裸のねーちゃん、特に胸の大きい姉ちゃんたちの踊りを楽しんでいればいいんだよ」

「あ、あのー、ヘッケラン。その辺にしておいた方が……」

「やっぱり巨乳の姉ちゃんの踊りってのは見ごたえがあるぜ。動くたびにブルンブルン揺れるからな。やっぱり小さい胸だとな。見ても面白みがないし」

「い、いや、あのですね。もうそのくらいで」

「いや、やっぱり胸は大きい方がいいよな。ルプーさんもチェインメイルの下とか、あれ絶対詰め物無しの巨乳だぜ。あんな胸マジであるんだな。いっやあ、あの胸は男なら誰だって憧れるってもんだなあ、おい。……ん? なんだよ。どうした? まあ、そんなことよりしばらく一緒に動いたんだから、水浴びとかの時に何とか見ておけばよかったな。うちの女勢はさっぱりないもんな。アルシェはまだしも特にイミーナ。もう小さいどころか、本当にあるのかってレベルだしな。……え? だからどうしたって……」

 

 先程からちらちらと自分の後ろに目をやるロバーデイクの視線の先を追う。

 振り返った自分のすぐ背後には、その場にいないはずの人物。

 

 情報を買いに出かけ、たまたま通りで喧嘩している者がいると目を向けたら、実は仲間たちであったために近寄って来た、基本的に大きな胸とは無縁である森妖精(エルフ)とのハーフの女は、にっこりほほ笑んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「本当にやるんですかい?」

 

 顔に傷のある髭面の男。いかにも大胆不敵で、およそこの世に怖いものなどないという風体(ふうてい)であるが、今その顔には不安の色が覗いていた。

 

「当たり前だ。このまま、舐められていられるか!」

 

 問われた若い男が怒気を発する。

 脳裏にはあの時の屈辱の光景がフラッシュバックする。

 叫んだ拍子に、くせ毛の金髪が揺れた。

 

 

 男は帝都の裏社会で生きてきた。

 まだ若い年齢ながら、無鉄砲なまでの強引さと何物にも恐れないというふてぶてしさを併せ持ち、暴虎馮河の勇といってもいい振る舞いで、急速に勢力を伸ばしていた。

 その勢いはすさまじく、古くから帝都に根をはり、権勢を誇ってきた硬直した組織を追い落とし、そして代わりにその隙間に食い込んでいき、いずれは裏社会の一角をも占めるのではないかと噂されていた。

 

 だが、その評価は一転地に落ちることとなった。

 

 

 きっかけはしばらく前の事。

 裏社会の者達がたむろするホテルの一角で、見知らぬ男に絡んだことである。

 

 彼らとしては、自分たちの無分別な危険さ、そのほんの少しばかりのアピールのつもりであった。

 ちょっとした遊びでしかなかった。

 しかし、その代償は信じられないほど高くついた。

 

 

 彼らが絡んだ伊達男。

 ただの気取った金持ちと(あなど)った優男。

 しかしてその正体は、隣国リ・エスティーゼ王国において悪名名高い八本指、その中でも最強の六腕として知られた男。

 『千殺』マルムヴィストだったのである。

 

 

 アダマンタイト級冒険者にも匹敵すると言われた強さの前に、男は醜態をさらした。

 用心棒の男は目玉をえぐられ、若きボスはその目玉入りの紅茶を飲むことを強要された。そして、断ることすら出来ず、言われるがままにそれを飲み下そうとして目玉がのどに詰まり、皆が見ている前で倒れるという醜態をさらしてしまったのである。

 

 

 男もこれまで幾度も死線を潜り抜けてきた自負があった。

 どんな相手を前にしても、恐怖を感じた事などなかった。

 

 だが、マルムヴィストという本当の強者を前にしたとき、恐れを知らないはずの彼の身体は、深夜、ベッドの下の暗闇に怯える幼子のようにただ震えるしかなかった。

 

 

 当然、その姿はその時、ホテルのエントランスにいた者達全員に目撃されていた。

 そして彼らの口から、いきがっていたその男が無様に震え、さらに卒倒した話は、瞬く間に広がって行った。

 

 それから、彼を待っていたのは嘲りの視線であった。

 どこに行っても侮蔑と嗤笑(ししょう)がついて回った。彼が通り過ぎたその後ろではせせら笑いが交わされた。

 彼はもはや、舐められてしまったのである。

 

 

 

 その状況をひっくり返すには、復讐するしかない。

 自分たちであの『千殺』マルムヴィストを殺して、力を誇示する以外に、この世界で彼らの生きる道はない。

 だが――。

 

「か、勝てるんですかね? あのマルムヴィスト相手に」

 

 髭面の男は、思わず自分の片目を(まぶた)の上から撫でた。

 あの後、神殿に行き、少なくない金を積んだことで幸いにも傷跡一つなく治ったのであるが、あの時の、一瞬で眼球がえぐり取られ、吹き出る血と体験したこともない激痛にのたうった経験は今思い出しても身震いする。

 

 そんな弱気にかられた男を、ボスは地面に唾を吐きつつ、睨みつけた。

 

「ビビんな! マルムヴィストったって人間だ。勝ち目はある」

「で、ですが……」

「大丈夫だ。今、マルムヴィストはガキとメイドと一緒に街をぶらついている。ホテルに残ってるのは娼婦みたいな女1人だけだ。そいつを人質にして、マルムヴィストを罠にかける」

 

 それが彼が立てた計画だった。

 マルムヴィストは強い。

 おそらく今集められる自分の手下全員で襲っても勝てはしないだろう。

 だが、馬鹿正直に真正面から戦う必要はない。自分達は高邁な騎士ではない。相手の弱みにつけ込む。人質を取る。それが自分たちの戦い方だ。卑怯というのは、彼らにとっては賛辞の言葉だ。手段など択ばない。そんなやり方で、自分たちはここまでのし上がってきたのだ。

 

 

 金髪の男は周りの人間を見回す。

 ホテルから一ブロックほど離れた場所の路地に、自分に忠実な部下たちおよそ30人が武器を持って集まっていた。

 

「お前ら、覚悟はいいな?」

 

 その言葉に、殺気だった目を持つ男たちは一斉に頷いた。

 あのホテルは犯罪に関わる者達が使う場所であり、あの場では多少のケンカ程度ならともかく、基本的に戦闘はご法度である。あまり派手な事をすると、暗黙のルールを破ったとして、裏社会からも追放されることになる。

 そんな場所に襲撃をかけ、ホテルの部屋から人を攫う。

 闇社会にもある暗黙のルールをも平然と破る事で名を馳せてきた彼らでもなければ、やろうとすらしない事だ。

 

 それでも成功すればいい。

 もし、失敗でもしたら、それこそ彼らの名は完全に地に落ちる。

 ルールを破ったうえに敗北したものに、手を貸すものはいなくなる。それは、ボスだけではなく、構成員一人一人にとっても同じである。後ろ盾がいなくなったはぐれ者など、裏社会でどんな扱いを受けるか、想像するだけで震えが走る。

 

 

 やるからには成功させなくてはならない。

 誰もが緊張に喉を鳴らした。

 

 男はそんな手下たちの様子を見ると、再びホテルに目を向ける。

 そして、突撃の号令をかけた。

 

 

 

 武器を手にした男たちが(とき)の声をあげながら、一斉に道路を走る。その勢いのまま、ホテルの入り口に殺到する。慌てたホテルの者が制止するより早く、階段を駆け上がった。

 2階……3階……4階、そして5階へと。

 目当ての南側の部屋。両開きの扉の前に皆が集結する。

 視線を巡らせると、皆無言のまま首を縦に振った。

 そして、そのしっかりとした造りの黒檀の扉を蹴り開け、室内へとなだれ込んだ。

 

 

 

 

 部屋の中には、調べの通り、マルムヴィストはいなかった。

 フリルのついたドレスを着た少女も。目を見張るように美しい金髪のメイドもいなかった。

 室内にいたのは、奥の籐椅子に優雅に腰かけた、薄絹を身に纏った女ただ1人。

 

 

 その様子に男たちは安堵した。

 万が一の覚悟はしてきたとはいえ、マルムヴィストと直接やり合うことはしたくなかった。

 

 ボスである金髪の男は、額の汗をぬぐい、自分の幸運を神に感謝した。賭けに勝ったという事だ。

 さあ、次はこの女を人質にして、マルムヴィストを誘い出さねばならない。いかにあの男とはいえ、待ち伏せして一斉に毒のついた矢じりで狙われれば命はあるまい。

 それと……。

 

 彼、そして他の男たちも、椅子にゆるりと腰かけ足を組む、退廃的な色気をまとった女に好色そうな目を向けた。

 実に(なま)めかしい肌の女だ。マルムヴィストの情婦の1人なのだろうが、人質として使う他にも、マルムヴィストを待つ間の暇つぶしにも使えるだろう。

 

 そんな男たちの情欲と凶暴さを交えた視線にさらされながらも、彼女は悠然と椅子に座ったままだった。

 

「よお、アンタ。アンタはマルムヴィストの知り合いなんだろう? おとなしく来るんだ。抵抗しなけりゃ、痛い思いはしねえ」

「抵抗しなけりゃ、優しくしてやるよ」

「ああ、暴れないで、ちょっくら全員の相手をしてくれるだけでいい」

 

 そう言って、男たちは下卑た笑いをあげた。

 

 

 だが、それを聞いても彼女は特に反応も見せなかった。

 そもそも、突然室内に侵入してきた武器を持った男たちにも怯えることなく、ゆったりと傍らの卓に置かれた器具で水タバコを吸っている。

 婀娜(あだ)めいた仕草で、ふぅーっと紫煙を吐き出してみせた。

 

 まったく恐怖の色を見せないその姿に、暴力を生きる旨とする男は苛立ちを感じた。

 

「おい! 状況が理解できてんのか? お前にはマルムヴィストを殺すための人質になってもらうんだよ!」

 

 その言葉に女はようやく反応した。

 その美しい顔に笑いを見せた。

 愚者を嘲笑う憫笑(びんしょう)を。

 

「何がおかしい!?」

「何がおかしいって? 全部よ。何もかも全部がおかしいわ。あなたって有名なコメディアンなのかしら? 道化でもなければ、そんな台詞は吐けないわね」

 

 言葉にすら色気が漂うような美しい声であったが、その声色に乗ってくるのは傲慢さすら感じられるほどの嘲りであった。

 予期せぬ相手からの蔑みの言葉に男の顔が怒りに染まる。

 

「おい、てめぇ! 女だからと言って、安全だと思ってねえよな。すこしばかり、痛めつけても人質としての価値は変わらないんだぜ!」

 

 凄んで見せたその言葉に対して返って来たのはさらなる嘲笑だった。

 

「あはははは! なんておかしいのかしら。身の程知らずを見るのは面白いけど、あなたは特に格別ね。『少しばかり、痛めつけても』ですって? 猿が人間様に道具の使い方を教えてやるというようなものだわね」

 

 そう言って、更に甲高い笑い声をあげた。

 

 

 すでにその場にいた者達は剣呑を通り越した殺意の目を向けていた。その顔は怒りのあまりどす黒く染まり、すでに先ほどまでのぞいていた情欲の炎などはどこかにいってしまっている。

 

「なるほど。一度、体に教えてやらなければ分からないらしいな」

 

 男たちは武器を構え、部屋の入り口など、女の逃げ場をふさいだ。

 それを見ても、彼女はクスクスという笑いを顔に浮かべるだけで立ち上がろとさえしない。優雅にその艶美(えんび)さを感じさせる足を組み替えた。

 

「そうね。体に教えてあげるというのはいい考えだわ。でも、教えてはあげるけど、あなた方は2度とそれは活かせないわね」

 

 そう(うそぶ)く彼女の傍らにある卓。その上に無造作に置かれた数本の鞘から、誰も手に触れる者すらいないのに三日月刀(シミター)が音を立てて飛び出した。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は『踊る三日月刀(シミター)』のエドストレーム。さあ、私の前で優雅に踊って見せて」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うわぁ……」

 

 ベルは目の前の光景につぶやいた。

 

 帝都に来てからようやく大手を振って街を歩けるようになり、意気揚々と街に繰り出し、あれこれ買い食いなどして良い気分で帰って来たベルたちを迎えたのは、泊まっている部屋一面にぶちまけられた鮮血と転がる死体であった。

 

「おかえりなさい、ボス」

 

 血の海を挟んで向こう側では、籐椅子に腰掛けたエドストレームが優雅に水タバコを吸っている。

 

 部屋中に立ち込める血の匂いに、せっかくの楽しい気分もウンザリとしたものに変わってしまい、とりあえず窓を開けて換気させた。

 

 

 とにかくこの惨状の原因を尋ねると、初日にマルムヴィストに絡んできた男が手下を連れて復讐しに来たので返り討ちにした、とエドストレームは事もなげに語った。

 

 証拠として、その辺に転がっていた首の中から、恐怖に歪んだ顔の金髪男の頭を、自身の空飛ぶ三日月刀(シミター)で突き刺し、ベルの前に持ってくる。

 しかし、そんなものを見せられても、いちいち顔なんて憶えていない。マルムヴィストの方を振り向くと、彼も少し困ったような顔で首をひねった。

 

 

 まあ、とにかくそちらはどうでもいい。

 転がる首の元の持ち主に興味はない。

 そんな事より気にしなくてはならないのは……。

 

 

「返り討ち自体はいいけど、これはなあ……」

 

 足元の血だまりに転がっていた生首を足の先でつつくと、先が丸くなっている黒い革靴の先がどす黒い血で汚れた。絨毯の乾いている部分になすりつける。

 見回すともう壁から何から、金の額縁に入れられた美しい絵画にも、品のいい高級そうな家具にも、壁際にかけられた瀟洒(しょうしゃ)な垂れ布にも、ありとあらゆるもの全てに血の赤が飛び散りまくっている。

 

「どうやって掃除するんだ、これ?」

「まあ、こんなホテルでしたら〈清潔(クリーン)〉の魔法を使える奴とかいるでしょうけど。さすがにこの有様じゃあ、数日がかりの仕事になるでしょうな」

 

 ベルの言葉にマルムヴィストが答える。

 

「数日なあ……。それで、その間、この部屋に泊まるのか? こんな有様の所に?」

「いんや。こういう裏の人間が使うところで派手な抗争はご法度ですよ。組織間での暗黙の了解ですし、ホテルとしても止めなきゃいけません。ですが、制止することも出来ずにこうして部屋まで通してしまったんですから、ホテルにも責任ありってことで、たぶん言ったら部屋を変えてくれるでしょうな」

「まあ、それならいいけどね」

 

 ため息交じりに、こうなった原因を作った当のエドストレームに目をやると、「なに、ベル様に副流煙を吸わせてるのかしら」とソリュシャンに腹パンを食らっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 とりあえず、ホテルの従業員に事の次第を知らせると、マルムヴィストの言った通り、平身低頭し謝罪してきた。彼らはすぐに死体を片づけ、部屋の清掃を始めた。

 そしてマルムヴィストの予想通り、すぐには全て片づけられないという事で、1階上の6階に部屋を移してくれた。

 

 

「ふうん。前の部屋よりは大きいんだね」

「まあ、ここがこのホテルで一番いい部屋みたいですからね。ホテル側としても、謝罪のつもりなんでしょう」

 

 ぷらぷらと部屋の中央で所在なさげに会話しながら、きょろきょろと部屋の飾りを観察する。

 そうこうしているうちに、例のソリュシャンのチェックが終わったようだ。やはり盗聴器など、怪しいものは見つからない。

 この襲撃事件は完全に偶発的なものであり、部屋が汚れたことを口実にして何かの仕掛けをしていた部屋に替えるといったことでは無いようだ。

 

 

 ぼふんと音を立ててソファーに腰を落としたベルを横目に、ソリュシャンはマルムヴィストに言った。

 

「じゃあ、マルムヴィスト。下の部屋からこの部屋に、荷物を全部運んできなさい」

「俺が!?」

「あなた以外に誰がいるというの。まさか、か弱い女性陣に運ばせるというのかしら?」

「いや、エドストレームはともかく、ボスやソリュシャンさんは俺より力があるんじゃ……」

「なにか、言ったかしら?」

「いえ、今すぐ運んできます!」

 

 マルムヴィストは慌てて、部屋を飛び出て行った。

 エドストレームは我関せずといった面持ちで、壁際に寄りかかり、部屋に用意してあったワインを口にしている。下手に口を出すと自分の方に矛先が向きかねないからだ。

 

 そんな彼らの様子を見ていたベルは……。

 

 

 ――ん? そう言えば……ザックもいたな。

 

 

 と、この場にいない人物の事を思い出した。

 

 

 そうだ。自分たちとともに帝都に来て、このホテルに宿泊していたのは、今ここにいる4人だけではない。ザックもいるのである。

 あいにく、彼はまた一人でどこかに出かけたままなのであるが。

 

 ――そうだな。部屋が変わったのをあいつにも知らせておかないとな。

 

 そう考え、ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使おうとしたが……。

 

 

 ――あー、やっぱいいか。そこまでしなくても。

 

 と考え、使うのを止めた。

 

 

 あまり、自分たちが〈伝言(メッセージ)〉で頻繁にやり取りしているということは、一応ザックはナザリックに属しているとはいえ、広く人には知られたくない。

 それに正直、ザックに知らせるために〈伝言(メッセージ)〉を使うのはMPがもったいない。

 

 そもそも、ザックが下働きとして自分たちと一緒の部屋に泊まっている事はホテルの従業員も知っているのだから、ザックが帰ってきたら受付の人間が教えるだろう。

 

 だから、いちいち教えなくてもいいや、とベルは気楽に考えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 はあっはあっはあっはあっ。

 ザックは息を切らせて、必死の面持ちで走る。

 腕には布きれで身体を隠したウレイリカを抱えて。

 

 あの後、襲撃をからくも逃れたザックとウレイリカは、ある場所を目指していた。

 すなわち、ザックが最近泊まっているホテル。

 彼の主、ベルのいるところである。

 

 

 当初は、ベルの許にウレイリカを連れていったら、どんな目にあわされるか分からないと思い、そうする事は避けていた。

 下手に連れて行きでもしたら、彼のかつての仲間、『死を撒く剣団』のような末路が待っている可能性があると考えていた。

 

 

 だが、今やそんなことなど言っていられない。

 

 

 先ほど、ウレイリカを攫おうとしていた男たちは言っていた。

 『手配書のガキだ』、と。

 『今、帝都中の組織がこいつを捜している』、と。

 

 どういう訳かは分からない。

 何故、ウレイリカが捜索されているのか、さっぱり意味が分からない。

 だが、一つだけ言えるのは、ウレイリカが狙われたのは一人で安宿にいた攫いやすい少女だからなどという理由ではなく、なんらかの明確な意図をもってしたものであるということだ。

 

 

 窮地に陥った彼が最後に頼る事が出来るのは、彼が恐れ、近寄る事も出来るだけ避けていた彼の主人しかいなかった。

 

 ――とにかく、主であるベルに頭を下げて頼み込もう。

 なに、あの少女とて鬼ではない。しばらく一緒にいて話を聞いた限り、人間らしい心も持ち合わせているようだ。悪事も働いていない、そして闘う事も出来ない幼子であるウレイリカの事を無下(むげ)には出来ないだろう。

 

 

 ザックはそれが甘い考えである事は分かっていた。ただの希望的観測に過ぎないことは十分理解していた。

 だが、このままでは、また別の場所に隠れ潜もうとも、再度襲撃を受けることは目に見えている。

 この帝都で安全な場所といっても、土地勘のないザックには、あの部屋しか思い浮かばなかった。

 彼としてはあの気まぐれな少女が、懐に入った窮鳥に慈悲をくれることを願うばかりであった。

 

 

 

 そうしてザックは、ホテルが見える路地までたどり着く。

 ウレイリカにかけた布きれを、誰にも見られないように今一度かけ直した。

 

 そこで呼吸を整え、あと一息だと気合を入れ直した。

 

 

 そして、ホテルまでを一気に駆ける。

 入り口に飛び込むと、そのまま階段を駆け上る。

 途中、ホテルの受付が「お客様……!」と声をかけてきたが、止まる訳にはいかない。

 2階、3階、4階、そして5階。

 ザックは疲労を訴える太ももに喝を入れ、最後のラストスパートをかける。

 

 そうして、転がるように扉を開けて室内へと転がり込んだ。

 そして、部屋の中の人物に声をかけようとして――。

 

 

 

「うわああああーーー!!」

 

 彼の口からほとばしったのは悲鳴であった。

 

 

 

 彼の目の前に広がっていたのはまさに惨劇の後。

 血の海に沈んだ室内であった。

 

 

 

 ザックは目の前の光景に、へなへなとへたり込んだ。

 

 

 ――ま、まさか殺されたのか!?

 あの全員が!!

 

 彼は信じられなかった。

 彼の知る限り、今回の同行者は八本指の六腕『千殺』マルムヴィストに『踊る三日月刀(シミター)』エドストレームである。それに当のベルとソリュシャンもまた桁外れの強さをもっていた。

 そんな強さの人間たちでさえ、こうして殺害されてしまったのか? いくら強いとは言っても、個人の強さでは、犯罪組織を敵に回してはひとたまりもないのか?

 

 

 見回してみるが、すでに赤黒く変色している血だまりの中には死体は見つからない。そちらはすでに回収されて、およそ想像したくもない見せしめに使われているのだろう。

 いや、死体ならまだいい。

 最悪の場合、まだ生きていて、その上で見せしめに使われている場合も……。

 

 

 ザックは自らの想像に身を震わせた。

 その震えを感じ取り、胸元のウレイリカが身じろぎした。

 

「どうしたの? ザック?」

「な、何でもない。だから、見るな」

 

 ザックは慌てて、彼の悲鳴に何があったのかと外を覗き込もうとした彼女の顔に布をかけ直した。

 

 

 ――そうだ。混乱してはいられない。とにかく、ウレイリカを何とかしなくては。そのためには……。

 

 

 ザックは自分に割り振られた部屋、脇にある使用人用の部屋に飛び込んだ。

 だが――。

 

「な、ない! 俺の荷物……金がない!?」

 

 彼は帝都に来るにあたって少なくない額の金銭を小遣いとして渡されていた。

 一度に全部持ち歩いていると、強盗や恐喝などにあった場合、全て奪われてしまう可能性があると考えたため、普段持ち歩くのはその日一日使う分だけで、それ以外はこの宿に置いていった。

 

 だが、その荷物がすべてなくなっている。

 この部屋を襲撃したものが荷物まで持って行ったのであろうか?

 

 ――拙い。

 今、ザックの財布にあるのは銀貨が数枚だけだ。これだけでは何もできない。

 街を脱出することすら出来ない。

 

 

 彼は思考の混乱するまま、しばらく呆然とその場で立ち尽くしていた。

 そんなザックに後ろから声がかけられた。

 

「お客様」

 

 びくりと身を震わせ、慌てて飛び退(すさ)るザック。

 振り返ったその目の先には、先ほど受付にいたホテルの従業員だ。

 彼はザックの様子にも動ずることなく、落ち着いた様子で言葉をつづけた。

 

「お客様、実はこの部屋にお泊りになられていた方々なのですが……」

「し、知らない!」

 

 突然のザックの叫び声に、さすがに従業員の男も目を丸くする。

 だが、ザックはウレイリカをしっかと抱えながら、じりじりと後ずさりして距離をとる。

 その様子に困惑しつつも、再度説明しようとした従業員に背を向け、脱兎のごとくザックは逃げ出した。

 

「知らない! 俺はこの部屋に止まっていた奴らとは関係ない!」

 

 叫ぶと同時に、彼はウレイリカを抱えて部屋を飛び出ていた。

 その背に「お客様! この部屋にお泊りになられていた皆様方は一つ上の階に……」と声がかけられたが、そんなものを聞いている余裕はない。

 

 

 

 ザックは腕っぷしが強いわけでもない。

 魔法が使えるわけでもない。

 金も持っていない。

 当然、どこかへ顔がきくわけでもない。

 そして、華麗な解決策を思いつくような頭脳も持ち合わせてはいない。

 

 もはや彼を支えるものは何もなかった。

 いざとなれば頼れるだろうと考えていた後ろ盾も、すべてなくなってしまった。

 

 今、彼は見知らぬ土地で、足手まといであるウレイリカを抱え、ほとんど金もない状態で、犯罪組織からの襲撃に怯えなくてはならないのだ。

 

 

 彼は転がるようにホテルを飛び出していった。

 そして、絶望があふれ出す心を抱え、夕闇迫る帝都を駆けて行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「こちらになります。簡単なものですが」

 

 手渡された資料をパラパラとめくって目を通す。

 そして、アルシェはうなづいた。

 

「うん。ありがとう、ランゴバルト」

 

 言われたランゴバルトは、その整った顔に一瞬喜びの表情を出しかけたものの、それを慌てて取り繕った。

 かつて帝国魔法学院において天才の名をほしいままにしていた――例え今はしがないワーカーの身であるとしても――アルシェから礼を言われた事に、彼は内心飛び上がりたいほど喜んだのであるが、貴族としての立場を考えたのである。

 

 彼は若干わざとらしさが漂うものの咳払いをして浮かびかけた笑みを誤魔化し、更に話をつづけた。

 

「申し訳ありません。なにぶん急ぎの事だったので、集められたのは本当に表面的な噂のみになってしまいました」

「いや、これでも十分。そもそも頼んだのは昨日の午後だったのに、一晩挟んだ、たった半日ほどでここまで調べてくれたのには感謝に堪えない」

 

 

 

 昨日の事であるが、学院の授業が終わり、帰ろうとしたランゴバルトが門を通り抜けたところ、そのすぐ脇にフードをかぶった怪しげな人物がいるのに気がついた。

 最初は、なんでこんなところに、こんな薄汚い格好をした奴がいるんだと不快に思ったのだが、なんとそいつはランゴバルトを見かけると一直線近づいて来た。

 物乞いにしてはおかしな行動に鼻白み、まさか暗殺者かと、いつでも〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を打てるように身構えていると、そいつは彼の前でフードを外して見せた。

 

 

 その顔を見たランゴバルトは、目を丸くした。

 

 そこにいたのは、帝国魔法学院の歴史上屈指の天才と呼ばれ、将来を嘱望されていたのに、現皇帝の施策により実家が貴族位を追われたために学院を離れることとなった人物。

 

 アルシェ・イーブ・リイル・フルト、その人であった。

 

 

 当然ながら、ランゴバルトもまた彼女の事は見知っていた。

 彼もまた魔術の才に優れ、今でさえ第1位階魔法を完全に使いこなす程の腕前であったが、目の前の少女はそんな次元を凌駕していた。以前、学院に在籍していたころでさえ第2位階魔法を使いこなし、いずれ第3位階魔法の習得すら遠い未来の話ではないと噂されるほどであったのだ。その魔術の才能は群を抜いていた。

 当然、ランゴバルトもまた学院にいたころは、将来の為の伝手を作ろうと実家の地位を利用し、彼女とも親交を結んでいた。

 そして、実家の家柄は良くとも三男という立場であり、自分の居場所を魔術に求めたランゴバルトにとって、わずかに年上ながら、ほぼ同年代で自分が選んだ魔術の道の先を行くアルシェの事を、いつしか純粋な敬意のこもった視線で見るようになっていた。

 

 

 そんな彼女が久しぶりに姿を見せ、そしてランゴバルトに頼んできたのだ。

 現在、帝都にいる王国の貴族、モーリッツ家について知りたい、と。

 

 なぜ、そんな相手が気になるのかと問いかけると、実家からいなくなった彼女の妹が、どういう理由かは分からないが、その家にいるらしいのだ、と答えた。

 

 

 話を聞いたランゴバルトはその頼みを快諾(かいだく)した。

 彼は即座に伝手を使い、モーリッツとかいう者達についての話を集めた。

 

 その結果、現在帝都に滞在しているモーリッツ家のセバス・デイル・モーリッツという男は、王国の貴族とはいえ落ちぶれた家の三男坊であり、帝国貴族ではなく、裕福な平民たちの方に顔をつないでいる人物であるという事が分かった。なんでも、継げる程の領地もないため商売を始めたところ、そちらは軌道にのり成功をおさめた。今は、そちらは息子に譲り、姪たちと共に各地を旅行して回っているらしい。その姪というのはナーベという目を見張るように美しいが性格にやや難がある娘と、マリーアという可愛らしい金髪の少女の2人だという。

 だが、話を集めていくと、少々奇妙な事があった。確かにセバスの姪という女性はいたのであるが、最初に紹介されていたのはナーベだけであった。それが、ほんのわずかに前からマリーアという少女をあちこちの集まりなどに連れてくるようになったという。

 

 そのマリーアという少女が姿を見せることになった時期を考えると、おそらくアルシェの双子の妹の内、ウレイリカではなくクーデリカの方だろう。

 

 

「もう少し、時間をいただければ、もっと詳しく調べられるのですが」

「いや、それには及ばない。本当にありがとう」

 

 これ以上、調べてもらい、ランゴバルトに危害が加えられることになってはいけない。

 

 昨日モーリッツ家に行った際に出会ったあの女性のことが、アルシェの脳裏をよぎった。

 あの第8位階魔法まで使用でき、そして桁外れの膂力を持つ、美しい謎の女性。

 彼女はいったい何者なのか? 話に出てきたナーベなのか、それとも別の護衛の1人なのかは分からないが、とにかく深入りさせるのは危険極まりなかった。

 

「ランゴバルト。本当にありがとう。感謝する」

 

 アルシェは深々と頭を下げた。

 それに対しランゴバルトは彼女の事を、女性として扱うべきか、それとも尊敬する先輩として扱うべきか迷い、慌ててしまった。彼の頭の中には、貴族位を追われた、ただの平民として扱うなどというものはなかった。

 

 

 

 そうしてロべルバド邸を立ち去るアルシェの背を見送っていたランゴバルトに声をかけた者がいた。

 

「誰かいたのか?」

 

 その声にランゴバルトは慌てて振り返った。

 そこにはしっかりと身だしなみを整え、品のいい服装に身を包んだ初老の男が立っていた。

 

「は、はい。父上。アルシェ様がいらっしゃったので……」

「アルシェ? フルト家のアルシェか?」

 

 彼はフンと鼻を鳴らした。

 

「フルト家はもう貴族位を追われた家だ。平民相手に『様』などつけるな」

 

 吐き捨てるように言う。

 彼の後ろについていた、ランゴバルトによく似た若い男――彼の兄――もまた(さげす)むような表情を浮かべた。

 

 尊敬する人物への侮蔑の言葉であるが、彼はそれに対して何も言葉を返せなかった。

 彼はあくまでロべルバド家の三男でしかない。父、そして兄に口答えできる立場ではないのだ。

 

 そんなランゴバルトにはもう目もむけることすらなく、「フン。フルト家の者など聞くだけで忌々しい」とつぶやきながら、通り過ぎる。

 「それで? 没落した家の娘が何をしに来たのだ? 金でも無心しに来たのか?」と顔も見ずに尋ねた。

 

 問われたランゴバルトは黙っているわけにもいかず、アルシェに頼まれた事をそのまま話した。

 

「いえ、最近帝都に滞在しているモーリッツという王国貴族の家に、アルシェさ――アルシェの妹であるクーデリカらしき少女がいるようで。その家についての情報が欲しいと頼まれたので、少々調べてさしあげ――教えてやりました」

 

 

 

 その刹那――。

 

 

 ――ランゴバルトの父の足がピタリと止まった。

 

 

「……今、なんと言った?」

 

 ひび割れた声で聞き返す父。

 突然の事に驚きの様子を隠せないランゴバルトとその兄であったが、当の父親はそんな彼らの動揺など気にも留める様子もなく、自らの息子に詰め寄った。

 目を白黒させるランゴバルトに対し、息せき切って問い詰める。

 

 

「今、言ったな? アルシェの妹と? つまりフルト家の娘が、フルト家のクーデリカが今、そのモーリッツとやらの家にいるという事か!?」

 

 

 



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第55話 各々、踏み出した一歩

2016/9/29 「美しい美女」→「美しい女」訂正しました


 ドン!

 

 皆が囲んでいるテーブルの上に、音を立てて革袋が置かれた。

 その拍子に口が緩み、中から金貨、さらには白金貨がぼろぼろと零れ落ちる。

 

 

 突然の事に、歌う林檎亭で軽く腹ごなしをしていたフォーサイトの3人、ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクは食べ物を口に運んだその姿勢のまま、目の前に金の入った大きな革袋を叩きつけるように置いたフォーサイトの残る1人のメンバー、帝都に帰って以来、ひさかたぶりに姿を見せたアルシェの姿を呆然と見上げた。

 

 

「みんな、依頼がある」

 

 そう言ってアルシェは、卓上にあったイミーナのグラスを掴むとそれを一息にのみ――そのアルコールのきつさに盛大にむせた。

 

 口だけでなく鼻からまで吹き出してしまい、それを布きれで拭いつつも激しくせき込み、鼻孔の奥に走る痛みに耐える彼女の姿を、3人はただ黙って見つめていた。

 

 

 

 しばらくして落ち着いた彼女は気を取り直して、皆を見つめる。

 

「依頼主はこの私。依頼内容は私の妹を取り返すこと。報酬は、ここにある分すべて」

「んーっと、依頼ってつまりはどういう事よ」

 

 アルシェに飲まれた分のおかわりと、アルシェの分の水を持ってきたイミーナが問いかけた。

 持ってきてくれた水を一口飲み、まだ鼻から垂れてくる液体をぬぐいながら、アルシェはこれまでの経緯を洗いざらい話した。

 

 

 自分は現皇帝に貴族位を奪われた元貴族の家の者である事。

 自分がこれまで稼いできた金は、貴族としての生活を忘れられない両親が作る借金返済のために使われていた事。

 そして、エ・ランテルから帰ってきたら、自分の双子の妹たちがいなくなっていた事。

 街中を捜していたけれど見つからなかったのだが、知り合いの伝手でモーリッツという貴族の家に、双子の片割れ、クーデリカがいるらしいというのが分かった事。

 

 

 話を聞いた3人は言葉を発することなく、考え込んだ。

 そして、代表してヘッケランが口を開いた。

 

「なるほど。つまりはその家からお前の妹、クーデリカを連れ出すことが依頼って事か?」

 

 その言葉にアルシェは首を縦に振る。

 

「ふむ。……だが、仮にそれをやったとして、助けられるのは1人だけだろ。もう1人はどうするんだ? 手掛かりもないんだろう?」

 

 アルシェは顔を歪めた。

 

「うん。分かっている。でも、とにかく今は居場所が分かっているクーデリカだけでも助けたい。クーデリカをその家から助け出して、別の街に移送する。とりあえず、私の依頼はそこまで」

「では、残るもう1人、ウレイリカさんについてはどうするんですか?」

 

 ロバーデイクが問いかける。

 

「ウレイリカについてはまったく情報もない。捜すといってもいつまでかかるか、どんな手筈が必要か現段階では全く判断できない。だから、クーデリカを助けた後は、何とか私で調べてみる」

「何とかってどうするのよ?」

「クーデリカを別の街で暮らせるようにした後、私はまたアーウィンタールに戻ってきて、もう一度、裏社会の者たちにあたってみる」

「しかし、すでにあなたが行った際には相手にもされなかったのでしょう?」

「だから、長期でそちらの信頼を勝ちとって行くつもり」

「……まさか、裏社会の仕事を請け負うだけじゃなく、そっちに入るつもりか?」

「うん。とにかく今は手掛かりもない。そっちで仕事をすることで、時間はかかるけど、少しずつ伝手を広げていこうと思っている」

 

 その話を聞いて、3人は黙り込んだ。 

 

「皆には迷惑をかけない。とにかく、クーデリカを助ける事だけは手伝ってほしい」

「……それでお前は、クーデリカって妹を助けた後は、フォーサイトを抜ける気か?」

 

 ヘッケランの言葉に、うつむいたままアルシェは言葉を紡ぐ。

 

「ごめん。それだけは許してほしい。それにクーデリカを助けることは犯罪行為とされる可能性もある。一緒にいたら、みんなにも嫌疑がかかる」

 

 ヘッケランは大仰に肩をすくめて、ため息をついた。

 

「おいおい。俺たちはお行儀のいい冒険者じゃないんだぜ。今更、犯罪行為の一つや二つ怖くもないっての」

「そうね。私たちはお金の為なら何でもするワーカーよね」

「ええ、危ない橋なら今まで何度も渡ってきました。ここで中途半端な依頼をこなして、はい終わりとする方が目覚めが悪いですね」

 

 顔をあげたアルシェの肩を、ヘッケランはバンと叩いた。

 

「これまでずっとやって来たんだ。きっちり最後まで付き合うぜ」

「こう言っちゃなんだけど、あなた一人でやるよりは、皆でやった方が成功率は高いわ」

「そうですね。フォーサイト最後の仕事になるかもしれませんが、あなたの妹2人を助けて終わりにしましょう」

 

 皆の言葉に思わず、アルシェの視界がにじむ。

 

「みんな。……本当にありがとう」

 

 アルシェは深く頭を下げた。

 

 

「別にいいわよ。それに、まあ、ワーカーとしても色々と潮時かな、なんて考えていたし」

「ん? どうしたんだ、イミーナ? 急にそんな事言いだして」

「いやぁ、今はまだいいけど。もうしばらくしたら身体が重くなりそうで、ね」

「なんだよ。エ・ランテルでドカ食いでもしたのか? まあ、もう少し脂肪をつけてもいいと思うけどな。特に胸に……ゴフッ!」

「まあ、そこも少し増えるかもしれないけどね」

「……!? イミーナ! まさかとは思いますが、それはもしかして……」

「……うん……」

「え? ほ、本当なの……!?」

「ん? どういう事なんだ? 何、話してんだよ」

「……ヘッケラン……あなたは鈍い人ですね。つまり……あー、なんと言いますか」

「比喩的な表現をすると、産卵するという事」

「アルシェ……比喩と言えば比喩かもしれませんが、その言い方は……」

「……産卵って……おい! まさか、イミーナ……!!」

「ちなみにここでボケたら、さすがに殴りますよ」

「私も魔法を叩きこむ」

「しねーよ! ボケねーよ!! いや、イミーナ。……つまり、その……こ、子供が……」

「(コクリ)」

「ま、まさか……お前って実は既婚者だったのかグハァッ!」

「ついさっき、殴るといいましたよね?」

「あ、ああ。分かっていたが、緊張に耐えきれなかったんだ」

「そこは我慢しなさい!」

「お、おう……。イミーナ、つまりは……俺の子か」

「……そうよ……」

「そ、そうか。ははは、俺の子か……」

「良かったですね、ヘッケラン。パパですよ」

「お、おう! そうと決めたら、この山はきっちり終わらせるぜ!」

 

 気合を入れるヘッケランだったが、アルシェは慌てて口を挟んだ。

 

「あ、待って! さっきも言った通り、そのクーデリカがいるらしいモーリッツ家にはとんでもない女性がいる」

「ああ、さっき説明の中で言ってた、第8位階魔法を使いこなす、怪力の女か」

「うん。あれと戦ったら、私たちでも勝ち目はない」

 

 あの時の彼女の姿が脳裏をよぎり、アルシェの身体に寒気が走った。

 だが、それに反してヘッケランの言葉は楽観的だった。

 

「なに。気にすることは無い。正面から勝てないなら、正面からは戦わないだけだ」

「一体どうするの?」

「別にそいつを倒すのが目的じゃなくって、あくまでその家にいるクーデリカを助け出すだけなんだろう? なら、こっそり忍び込めばそれで済む話だ。とにかく、そっちを何とかしてから、もう一人のウレイリカについて調べようぜ。なに、お前ひとりじゃ無理だったかもしれないが、俺たちそれぞれのルートで調べればきっと見つかるさ」

 

 そうしてヘッケランはグラスを片手に立ち上がった。

 他の者達もグラスを手に立ち上がる。

 ヘッケランとイミーナは酒であったが、ロバーデイクの杯の中身はミルクであり、アルシェのものはただの水だった。

 そして、皆で杯をぶつけ合わせるとそれを一息に飲み干した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あー、どうしたもんかねえ」

 

 ベルはぼやきつつ、テーブルの上に置かれた書類に目をやる。

 

「どうしたもんも何も、とりあえずは見てみない事には」

 

 そうマルムヴィストにうながされ、指先でつまむように書類を一枚手にとった。

 そこには、帝都の歓楽街にある娼館に、手配書にあったクーデリカという少女がいたという報告が書かれていた。

 

 ベルはうんざりした様子で、その書類をマルムヴィストの方に差し出す。それにざっと目を通したマルムヴィストは、その情報は信頼性がないと判断し、その書類を数個並べられた箱のうち、重要度が低いものを入れる所へ投げ入れた。

 もし本当に、その少女が娼館にいたというのなら、この話を掴んだ者がこちらに持ってくるのは情報だけではなく、その少女自身も、だろうから。

 

 その様子を見ていたベルは、ため息とともに目の前のテーブルに積み上げられた書類の山に半眼を向けた。

 

 

 

 ベルらは帝都の裏社会の者達に、自分たちがクーデリカとウレイリカという双子の少女を捜していると情報を流した。なぜ、探しているのかという事は語らなかったのだが、裏社会の者達にとっては理由などどうでもいい。彼らは、その少女を捜して連れてくることこそ、こちらと顔をつなげる最良の方法だと考え、帝都中に広く網をはった。

 その結果、ベルの思惑通り、彼らは双子の捜索に掛かりきりになり、ひっきりなしにホテルの部屋を訪れるものはいなくなった。

 上手くいったとベルはほくそ笑んでいたのであるが、代わりに一日置いて双子の『情報』とやらが大量に届く羽目になった。

 

 あちこちの組織の者達が双子を捜しているものの、実際に少女をみつけ、確保する事が出来た者はいない。

 そこで、とりあえず情報だけでもということで、真偽もはっきりとしないような代物が山のように届けられていた。

 

 

 曰く、それらしい少女が道端で物乞いをしていた。

 曰く、周辺都市に売られた者達の中にその少女らしき人物が混じっていた。

 曰く、安宿で貧相な男と一緒にいた。

 曰く、この前、とある貴族に売った女かもしれない。

 曰く、食堂の下働きをしている娘が、手配書の少女と似ている。

 曰く、市場で美しい娘と2人、買い物をしていた。

 曰く、水路に少女の遺体が浮かんでいた。

 曰く、どこかの貴族がそれらしい少女を姪だと紹介している。

 ……等々……。

 

 

 あまり本気で探すつもりもなく、ただ裏社会の者達の目をそらすための口実のつもりでしかなかったはずなのに、こうして次々と際限なく寄せられる報告の大波に彼らはすっかり閉口していた。

 双子捜索の話は時間が経つにつれ、どんどん広がって行き、このままではもはや収拾がつかなくなりそうな状況である。

 どこかでケリをつけなければならない。

 だが、特に理由もなく、捜索を止めたとかいう訳にもいかない。いささか、問題が大きくなりすぎている。止めるにも何らかの理由づけがいる。

 

 一番いいのは本当に双子が見つかり、そこで終わりを宣言することだ。

 そうなのだが、この現状を見るに、見つかるのはいつになるのやらという有様であった。

 その為、止めるに止められず、かえって無駄な苦労に頭を悩ませる羽目になっていた。

 

 

 そんな感じでやさぐれた気分で頬杖を突きながら、ぺらぺらと報告書の束をめくっていたところ、〈伝言(メッセージ)〉が繋がった感覚があった。

 

 

《もしもし、ベルさん》

《あ、どーもです、アインズさん。どうしました?》

《いえ、モモンの方の依頼を終えて返ってきたところなので》

《ああ。依頼の方はどうでしたか?》

《なんだかどこかの貴族が成人の儀とやらに行くんで、その護衛という事だったんですがね。途中でギガントバジリスクに会いまして。そちらの討伐をついでにこなしてきましたよ》

《ギガントバジリスクですかー。お疲れ様です》

《それで、そちらはどんな按配(あんばい)ですか?》

《ええ、それなんですが、ちょっと聞いてくださいよ》

 

 

 そうしてベルはここ数日の顛末を語って聞かせた。

 

 

《……という訳なんです》

《はあはあ、なるほど》

《そんな訳で、なんだかもうめんどくさい事になってしまってですね》

《……うーん。いっそのこと、一旦、エ・ランテルに帰ってしまっては?》

《エ・ランテルにですか?》

《ええ。ベルさんたちが今、帝都にいるから、そいつらはとにかく急いで親交を結ぼうとして、不確定ながらも手に入った情報を回してくるんでしょう? 帝都から10日はかかるエ・ランテルに戻れば、知らせるだけでも手間と時間がかかりますから、そいつらとしてもちゃんと調べて、ある程度の成果を見込めるものしか寄越さなくなると思いますよ》

《うーむ、確かに》

 

 ベルは腕を組んで少し考えた。

 

 犯罪組織の連中が、とにかく急いでこちらとコンタクトを取ろうとしている理由。

 それは、こちらが突然帝都に現れたからだ。

 

 彼らとしても遠く離れた場所のこととはいえ、エ・ランテルを牛耳ったギラード商会の事はそれなりに耳にはしていた。

 だが、あくまでそれなり程度でしかない。

 所詮は遠く離れた地でのこと。あまり詳しい事までは知りもしなかった。

 それが突然、自分の目と鼻の先に現れたのだ。

 その素性を詳しく知らないがため、かえって彼らは躍起になった。警戒しつつも、とにかく急いで接触し、こちらの情報を得ようとした。

 

 何故、いきなりマルムヴィストという重要人物が帝都に現れたのか?

 組織の為には敵対すべきなのか、それとも手を組むべきなのか?

 はたまた即座に両手をあげて、その前に這いつくばるべきなのか?

 

 判断するのにはあまりにも材料に乏しい状態であったが(ゆえ)の行為だったのだ。言わば、彼らも混乱していたと言える。

 ここは一旦、距離を置くことで、そいつらに頭を冷やさせる時間を与えてもいいかもしれない。

 

 

 自分たちが帝都からいなくなれば、帝都を拠点とする組織にとって、こちらとの接触は火急の案件ではなくなる。少し冷静になり、様々なルートでこちらの事を時間をかけて調べるだろう。そして、手を組みたいと思う奴ならば、必ず向こうから連絡を取ってくるはずだ。

 そうなれば、落ち着いて話も出来るだろう。

 

 

 唯一の問題点は、ベル自身のせっかくの旅行がつぶれてしまう事だが、すでに現状でもろくに観光を楽しめていない状態だ。

 ……残念ではあるが、今回は一旦諦めた方がいいかもしれない。

 

 

《そうですね。ちょっと惜しいですが、今回の所は旅行を切り上げて、エ・ランテルに戻りますか》

《仕方がない事ですけど、そうした方がいいでしょうね》

《そうなると……まあ、捜索している犯罪組織達に、一旦帰ることを伝えなくちゃ駄目だなぁ。あと、アルシェにはなんて言うかな……》

《それですけど、あとはセバスたちに任せては?》

《セバスたちに?》

 

 アインズの提案に、ベルはいささか驚かされた。

 

《いや、セバスたちには俺がこっちに来ていることは秘密にしてるんですよ?》

《もちろん、分かっていますよ。でも、ほら、べつにその事を告げる必要もないでしょう? それにベルさんは本当に帝都からいなくなる訳ですから》

 

 ふむとベルは再度考えた。

 

 そもそもセバスたちにベルが帝都に行ってるのを伝えなかったのは、帝都の事はセバスたちを信頼してすべて任せているという事にしているからだ。信任されているはずなのに、そこにこっそり上司であるベルが訪れているという事が知れたら、セバスたちからすると、自分たちは本当はそれほど信頼されていないのではないかと邪推してしまう懸念があったからである。

 その為に、同じ帝都に来てからもセバスたちとは接触しないようにしていたのである。

 

 だが根本的な話として、ベルが帝都にいないのであれば、問題はないのだ。

 もともと帝都に潜伏しているセバスらに、帝都での捜索を任せてしまっても、なんら不自然なことは無い。

 

《ははあ、確かに。俺が帝都に来ていたという点を少々ぼかせば、問題なさそうですね》

《ええ、そのアルシェはフォーサイトの一員で、彼らに関しては私がモモンとして知り合っていますし、ちょっと前までエ・ランテルにいたんですから、そこでベルさんと伝手があった事にしてもいいですしね》

《なるほど。ふむ、そうなると、アルシェには……双子の妹の捜索に協力するといったけど、俺たちは急遽、この街を離れなくてはならなくなった。だから、代わりに捜索に協力してくれる知り合い――セバスたちを紹介する。ただ、実は俺はお忍びでこの街に来ていたから、その紹介した知り合いには俺が帝都にいたことは秘密にしてくれと頼む、といった感じでいいですかね?》

《ええ、そんな感じでいいと思いますよ。前もってセバスにはアルシェの事を知らせておけばいいですね》

《じゃあ、そうしますか》

《ええ、そうしましょう》

 

 ようやく事が一つ片付きそうだと、ベルは安堵の息を吐いた。

 

《では、セバスにはアインズさんからお願いできますか?》

《はい。ええと今夜ですね、定期報告を〈伝言(メッセージ)〉で行う予定になっていますから、その時にでも》

《まあ、そういう設定だと急に知らせてしまったら、なぜ突然急ぎでそんな指示が来たのかと疑問に思うでしょうからね》

《ええ、急いでの指示ではないという形にしなくては》

《じゃあ、すみませんがお願いしますね》

《はい。任せてください。では》

 

 そういう結論に落ち着き、〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 

 そして、室内にいるソリュシャン、マルムヴィスト、そしてエドストレームを見渡す。

 こちらに視線を向ける彼女らに、今、アインズとの〈伝言(メッセージ)〉で決めた事、自分たちはエ・ランテルに戻り、そして双子の捜索に関してはこちらにいるセバスたちに引き継ぐ事を告げた。

 

 

 その話を受け、皆は身の回りの後始末を始めた。

 別に今すぐ街を出て行くわけでもないのだが、いつでも動けるようにしておくのに越したことはない。ある程度の準備だけは早めにやっておいた方がいい。

 

 当然のことながら、そういった事はベルがやる必要はない。ベルの分はソリュシャンの仕事である。皆が動いているときに自分だけ何もしないのは手持無沙汰な感があり、落ち着かないものを感じるのではあるが、もしベルが自分でやろうとしたら、私の事が信頼できませんかと泣かれる恐れがある。その為、彼女に全部任せるつもりである。

 

 

 そうしてベルは一人、することもなく椅子の上でぐーっと伸びをした。

 

 

 ――せっかくの旅行を切り上げることになったが、まあ、また来ればいいか。セバスから双子の捜索に関して、何らかの進展があったと連絡があれば、それこそ大手を振って来れるわけだし。

 

 

 そうしたことをのんびりと考えながら、あれこれと片づけに動く3人をぼんやりと眺めていた。

 

 その時、ふと思い出した。

 

 

 ――ん? 3人?

 そう言えば、ザックはどうしたんだ?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 ザックは荒い息を吐いていた。

 その身は緊張のあまりに強張(こわば)り、日の遮られた暗がりにしゃがみこんだまま、両手でナイフを抱え震えていた。

 

「大丈夫。大丈夫だ。俺はこれまでも何度も同じことをこなして来たんだ。きっと大丈夫だ」

 

 自分に言い聞かせるように、ぶつぶつとつぶやいた。

 

 

 

 昨日(さくじつ)、ホテルから逃げ出した後、ザックは彼の持つなけなしの金をはたいて、そこそこの宿をとった。

 今、ウレイリカはそちらにいる。

 先に襲撃のあった安宿と違い、そちらはそれなりの宿だ。警備もしっかりしている。もちろん、あくまでそれなりだが。

 しかし、1日くらいなら、素性がばれることは無いだろう。

 

 とにかく、今日のうちに何らかの金を手に入れて、2人でこの街を脱出するつもりであった。

 

 

 彼は今、強盗を働こうとしている。

 道を通った馬車を脅し、その乗員から財布を奪おうというのだ。

 本来なら、ちょっとした盗みや詐欺の方が官憲に目をつけられる可能性も少なく、街を出る程度の金は手に入るのだろうが、ザックにはそのようなことで金を手に入れるための知識も経験もなかった。 

 ザックは元農民であり、徴兵の後、村に返らず逃げ出し、そのまま野盗集団に拾われたのだ。

 盗賊としての技能も無ければ、人をだます巧みな話術もない。せいぜいが卑屈な様子で下手に出て、下賤な者と侮られる事で、不審がられず他の者が考えた罠に誘導する程度の事しかできない。

 何の知識もなく技術もない彼には、かつて仲間たちと行っていた馬車強盗くらいしか思いつかず、また出来る事もなかったのだ。

 

 

 彼は、じっとりと汗ばむ手でナイフを握りしめている。

 このナイフは、彼がウレイリカを助けたときに使用したものだ。

 

 ――これを使えば、きっと今回も上手くいく。

 せめて、あと一回だけ上手くいってくれ。

 

 ナイフの峰を額に当て、その冷たさを感じながら、ザックは神でもない何者かに祈った。

 

 

 そうして、本当にやるのか? 止めた方がいいのではないかと心の中で自問しているうちに、彼の耳に音が聞こえてきた。

 石畳を馬蹄がたたく音が。

 

 ザックは息をのみ、そっと身を隠している隙間から、通りの向こうを覗いた。

 

 一台の馬車が近づいてくる。

 明らかに金持ちの物と思しき豪奢な造りの馬車だ。

 おあつらえ向きに、それこそ一流貴族が乗るような目を見張るほどのものでもない、まあ、ちょっとした小金持ちが乗るようなそこそこの代物だ。

 

 

 彼はその身に気合を入れる。

 

 ――やるしかない。

 俺とウレイリカが助かるためにはこれしかないんだ。

 

 なに、大丈夫だ。

 今まで何度もやったことがある。

 以前と違って仲間はいなくとも、昔のように馬車の乗員を攫う訳でもない。ただ、馬車に乗っている貴族をナイフで脅して、持っている財布を奪うだけだ。別に危害を加えるわけでもない。

 その金を手に入れたら、すぐに高飛びする。ウレイリカを連れて、帝都を離れる乗合馬車に飛び乗るつもりだ。

 きっと大丈夫だ。

 

 

 ザックは目をつぶり、歯を噛みしめ、身を震わす怯えを抑えつけた。

 そして、その身を隠していた、通りの建物に立てかけられていた木材に肩を押し当て、力を込めて押した。

 幾本もの丸太が最初はゆっくりと、やがて勢いづき、音を立てて街路に倒れる。

 馬車を曳く馬がいななきをあげて(さお)立ちになり、その足を止めた。

 

 

 ザックは迷いを振り払い、飛び出した。

 

「う、動くな! 金を出せ! おとなしくすれば殺しはしねえ。全員出てくるんだ!」

 

 彼は必死の面持ちで、両手でナイフを握りしめ、御者台の男に叫んだ。

 威嚇するようにその手の刃物を振り回す。

 

「歯向かおうとするな! 今も、俺の仲間たちが物陰から弓矢で狙ってるんだぞ! 抵抗せずに全員出てこい。おとなしく金を渡せば殺しはしない」

 

 咽喉にひりつきそうになる声を必死で抑え、それなりに華美な装飾の施された馬車の扉に刃先を向ける。

 

 

 やがて、馬車の扉が開いた。

 そして――。

 

 

 ガッ!

 

 

 中から飛鳥のように男が飛び出してきた。

 その勢いのまま繰り出された蹴りを胸に受け、ザックは地面に転がった。

 続けて腕に衝撃が走り、その手のナイフが蹴り飛ばされる。

 

 その後はただひたすら、蹴られるだけだった。

 腹部。顎。肋骨。二の腕。尻。肘。胸。ふくらはぎ。鼠蹊部。

 ありとあらゆる場所が、馬車から飛び出した男の足先、戦闘用に金属が埋め込まれた革靴で蹴り飛ばされた。

 蹴り飛ばしている相手は、ザックに苦痛を与えつつも、それでいて致命傷になるような攻撃は避けているようだった。もし、相手が本気であったら、ザックは一撃のうちに命を落としていただろうから。

 とにかくザックはただひたすら、全身に浴びせられる痛みに悲鳴を上げることすら許されず、悶絶し転げまわるしかなかった。

 

 

 

 そうして、ひとしきり万遍なく痛めつけた後、馬車から飛び出てきた男は一息ついて、地に転がるザックの事をまじまじと見た。

 

「んー? お前って、もしかして、昨日の誘拐犯じゃない? まーた、うちらを狙ってきたってこと?」

 

 その声にザックは腫れ上がった瞼を開き見上げると、そこにいたのは昨日、ウレイリカと勘違いした少女を取り戻そうとしたときに現れ、ザックをさんざん蹴り飛ばした中性的な容姿の男だった。

 

「偶然って事はないよねー? うーん。これはちょっと放っておけないねー。ちょっとの間だけでもうちに招待して、話を聞かせてもらおっかなー?」

 

 男の口調はおどけたようなものであったが、ザックは恐怖に(おのの)いた。その拍子に目じりに溜まった涙がこぼれる。

 

 

 ――冗談めかしているが、こいつは本気だ。俺を連れていって、拷問にかける気だ。

 そうなったら……もし今俺が死んだら、ウレイリカはどうなる?

 

 

 ザックは全身に走る痛みに震えながらも、這って逃げようとした。

 だが、次の瞬間、ふくらはぎに灼熱の感覚が走った。

 ルベリナが腰に下げたレイピア、〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉を抜き、ザックの足を刺し貫いたのだ。

 ザックはぎゃっと悲鳴を上げた。 

 彼は必死でその痛みから逃れようとしたのだが、ルベリナはそんな姿をにやにやと眺めながら、ぐりぐりとその足をえぐった。

 

 

 

 そうした事がどれだけ続いたのか、もはやザックには分からなかったが、痛みにもだえ苦しむ彼に聞き覚えのある声がかけられた。

 

 

「おや? あなたはザックさんではないですか?」

 

 顔をあげると、馬車から降りてきたのは見間違えるはずもない、かつて彼が罠にはめようとして、逆に罠にはめられた人物。

 穏やかな態度の老執事。

 セバスであった。

 

 

「セ、セバスさん!」

 

 その姿を見て、ザックは彼の方へ這い寄る。

 ルベリナは顔をしかめ、レイピアを引き戻した。

 

 だが、ザックは自分の足の様子など気に留めずにセバスの方に近寄り、叫んだ。

 

「あ、あの! すみません! お、女の子! 俺は今、ウレイリカっていう女の子をかくまってるんです!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バン!

 

 造りこそしっかりしているものの、赤茶色の塗装が若干はげかけた木の扉が勢いよく開かれた。

 

 

 その音に、室内にいたウレイリカはビクンと体を跳ねさせた。

 ベッドのシーツを胸に抱え、振り向くその目に映ったのは、その髪も(ひげ)も完全に白一色に染まった老人。その顔は温和なものを感じさせるが、ウレイリカは突然現れた見知らぬ人物に思わず身を縮こまらせた。

 昨日のこと、突然部屋に入ってきた男たちに無理矢理連れ去られそうになった記憶が少女の脳裏によみがえり、その顔が恐怖に歪んだ。

 

 だが、そのすぐ後ろから、足を引きずりながらも現れたザックの姿に、少女の表情は一変する。

 目の端に涙を浮かべ、彼の名を呼びながら、その胸に飛び込んだ。

 ザックは痛む足に顔をゆがめつつも、少女の身体を受け止め、優しくその頭を撫でてやる。

 

 

 その様子を穏やかな目で眺めていたセバスは、その顔をザックの胸にうずめる少女に向かって、安心させるように声をかけた。

 

「あなたがウレイリカでよろしいですか? 大丈夫ですか? どこか痛いところはありませんか?」

 

 ザックと会えたことで落ち着いたらしいウレイリカはごしごしと目をこすって、その老人を見返した。

 

「あなたはだれ?」

「私はセバスと言います。ザックさんとは知り合いでして。もう安心ですよ」

 

 ウレイリカはしがみついているザックを見上げる。

 ザックはその視線にうなづいて見せた。

 

「これからどうするの?」

「とりあえず、私たちの家に行きましょう。そこなら安全ですよ。そこにはクーデリカもいますよ」

「クーデリカ!?」

 

 不意に告げられた姉妹の名に、ウレイリカは驚きのあまり目を丸くした。

 ザックからは、ちょっと事情があって今は無理だが、すぐに会えるとだけ告げられていた。ずっと寂しさを堪えてきたのだが、その名を聞いたことで、彼女の胸は溢れる感情の奔流に晒され、目からぼろぼろと球のような涙がこぼれだす。 

 

  

 クーデリカとウレイリカ。

 双子として生まれた2人はずっと一緒だった。

 少女の僅かな記憶の中で、互いはいつも隣にいた。

 自室のベッドで眠るときも。食堂で食事をするときも。大好きな姉のアルシェに本を読んでもらうときも。

 懐かしい幸福な記憶が次々と蘇ってくる。

 

 

 ――あれ?

 

 ウレイリカは自分の脳裏に浮かび上がってきた記憶の波、それになにか不思議な違和感を感じた。

 まるで魚の小骨がのどに刺さっているような、僅かな不快感を伴う奇妙ななにか。

 

 

 困惑するウレイリカの思いに反し、次々と過去の記憶が湧き上がってくる。

 あの家で家族みんなで暮らしているときの事を。

 誰もが笑いながらいたときの事を。

 たくさんの使用人たち――最近は何故だか少なくなったみたいだが――に囲まれ生活していたときの事を。

 

 

 自分の家には昔から執事がいた。

 ザックはずっと前から執事だったはずだ。

 だが、何故だか、彼女の思い返す昔の記憶の中にザックがいない。

 生まれたときから執事は家にいたはずなのに、どういう訳だか、ザックがアルシェやクーデリカ、それに父や母と一緒にいたときのことが思い出せない。

 あの、すこし頼りなさそうな印象を与える顔が、懐かしい我が家で家族と話したり、廊下を歩いたりといった本来あるべき光景と重ならない。

 なぜだろう?

 不思議に思い記憶をたどると、誰か別の人間――年老いた人物の事が頭の片隅をよぎる。

 捕まえようとしても伸ばしたその手からすり抜けてしまうような、朝、目が覚めると瞬く間に掻き消えていく夢のような、そんな不確かでおぼろげな感覚。

 考えれば考える程、訳が分からなかった。

 それはいくら思い返しても、はっきりとした形にはならなかった。

 

 

 そんな胸の奥に引っ掛かるものが何なのか分からずウレイリカが当惑している横で、セバスが目配せをすると3人の女性が部屋へと入ってくる。

 1人はナーベラル。そして残りの2人は、帝都に連れてきていた元八本指の人間である。

 ナーベラルを除く彼女らはウレイリカの許に近寄り、その身だしなみを整え、偽装用の衣服に着替えさせる。

 

 ウレイリカの容姿はどういう訳だか、この街の犯罪組織に知れ渡っているようだ。そのままでは、いつどこで見られるか分からず、また誰かに目撃されれば騒ぎの種になりかねない。そのため、変装させたうえで邸まで連れていく算段であった。

 

 

 その様子を横目で眺めるナーベラルがセバスの傍らに立つ。

 

「セバス様。この部屋に近寄る者はおりません。監視、盗聴等もないようです」

「魔法も含め?」

「はい。対抗魔法を使用しつつ、魔法による捜査を行いました。なんら反応はありません」

「それは良かった」

 

 セバスは安堵の息を吐いた。

 

「では、彼女の変装が終わり次第、邸に戻るとしましょう」

「はい」

「しかし、こんな状況でウレイリカが見つかるとは思いませんでしたね」

「ええ。しかし、一体どういう事情でこのような事になったのでしょうか?」

「さあ、それは分かりませんね」

 

 セバスはフルト家に行った時のことを思い返す。

 たしか、その時は会う事は出来なかった。だが、その後にルベリナが調べたところでは、クーデリカは人身売買に売り飛ばされたものの、ウレイリカはフルト家に残されていたはずだ。それが、何故、ザックと一緒にいたのだろう? そもそも、どうしてザックは帝都にいたのだろうか?

 

「ザックさんと会った後、急いで邸に戻り、そしてあなたと女性陣を連れてこちらに来たので、詳しい事情はまだ聴いていないのですよ。一刻も早くウレイリカを保護することを優先させたので。とにかく安全な邸に戻ったら、ゆっくりとザックさんから話を聞けばいいでしょう」

「そうですね」

「ウレイリカと会えたら、クーデリカも喜ぶでしょうね」

「おそらくは」

 

 いささか固い声だなと、セバスは思った。

 懐いていたクーデリカを取られてしまうかもという懸念が湧いたのだろうか? むしろ懐き始めたのはナーベラルの方だろうか? 

 

 まあ、今はまず、邸に返る事だ。

 邸ではクーデリカとルベリナが待っているはずだ。相談事は全員頭を突き付け合わせてからにしよう。

 すべての話はそれからでいい。

 

 

 セバスは顎髭を撫でつけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ルベリナはソファーに寝そべったまま、ぐっと伸びをした。

 床に足を下ろすと、テーブルの上に置かれていたアイスコーヒーを口にする。

 

 彼の視線の先にはいつもの光景。

 元八本指の部下たちが思い思いにたむろし、時間を潰している。さすがに野放図や恐怖を旨とするガラの悪い連中とは違い、上流階級の相手を務められる者達なだけあって節度を保ちながらも、皆それなりにリラックスした空気であった。

 部屋の片隅では、女性の部下がクーデリカの遊び相手を務めて、きゃいきゃいと笑い声をあげている。普段なら数人は彼女についているのだが、今、クーデリカとともにいるのは2人だけだ。他の者達はウレイリカを迎えに、セバス、ナーベラルと共に出かけてしまっている。

 

 

 ――しかし、あの貧相な男が一応ナザリックに属している奴だったとはね……。

 

 ルベリナは菓子入れから砂糖菓子を一つ摘み、それを齧りながら思い返す。

 

 

 あの時、ウレイリカという名前が突然出てきたときはさすがに驚かされた。セバスもまた同様であった。

 とにかく詳しい事情をと思い、問い詰めようとしたのだが、ウレイリカは今も狙われていて、こうしている現在も宿でひとり、ザックの帰りを待っていると聞いたセバスは、先に彼女の確保をすることにした。

 いったん、邸に戻り、そこでナーベラルと世話用の女たちを馬車に乗せ、ザックの取った宿へと飛んでいったのだ。その際、ルベリナはクーデリカの護衛の為に、ナーベラルと入れ替わりに邸に残る事になった。

 

 

 ――それにしてもどういう事なんだか……?

 ルベリナは思考を巡らせるが、考えれば考える程、訳が分からない。

 

 昨日、クーデリカとウレイリカが帝都の犯罪組織によって、その行方を調べられているという情報を掴んだ。その後、攫われかけていたクーデリカを助け、邸に戻って来た。

 そして、一体何故そんなことになったのか?

 誰が何の目的で、いきなり今のタイミングで捜索を始めたのか?

 彼は伝手を頼り、黒粉をちらつかせて調べた。

 

 その結果、捜索のきっかけとなったのは、帝都にやって来たマルムヴィストら、エ・ランテルのギラード商会であることが判明した。

 何故、マルムヴィストらが双子の行方を捜しているのかは分からなかったが、とにかく商会に取り入ろうとする者達がこぞってクーデリカとウレイリカを捜しているという事情は理解した。理解は出来たのであるが……。

 

 

「さーて、どうするかねー」

 ルベリナは口の中でつぶやいた。

 

 

 ルベリナは、ナザリックとは一枚岩の組織ではなく、あれこれと派閥が存在するものと考えている。

 すなわち、セバスやナーベラル、そして自身も属することになっているアインズ派と、マルムヴィストらが属するベル派と、だ。もしかしたら自分の知らない別の派閥もあるかもしれないが、とりあえず、今関係しているのはこの二つだ。

 これまで帝都の事を任されていたのは、アインズ派のセバスらだった。そこにエ・ランテルを根城にしていたベル派のマルムヴィストらが現れた。

 セバスらは帝都での情報収集を行い、順調にコネクションも作ってはいるものの、その動きは遅々としたものである。対して、エ・ランテルの方はというと、すでに裏社会をすべて牛耳ってしまっている。

 こちらの進行が遅いため、同じ組織間での援助を口実に、帝都の方にまでベル派が食い込もうという腹なのだろうか?

 セバスらはマルムヴィストらが帝都に来ていることは聞かされていないようだった。話に聞く分には帝都にやって来た向こうの人員は、マルムヴィストにエドストレーム、それに可愛らしい少女と美しい女、それと下男というごく少数のようだった。

 あまり大人数を動かしてはいない所から、せいぜいこちらへの揺さぶり程度と考えた方がいいだろう。

 

 

 そして、ここでキーワードとなるのはザックの存在だ。

 

 

 あの男はセバスの知り合いで、現在、ナザリックに属している男らしい。これは確定だ。

 ナザリックに属している、そしてセバスらの所に直接送られてきた人間ではないという事は、必然的にベル派の人間という事になる。たしか、下男を一人連れてきていたという話だから、それがザックの可能性も高いだろう。

 

 そう考えると、どうなるか。

 

 どういう理由かは分からないが、ベル派はクーデリカとウレイリカを捜していた。

 そして、ザックはベル派の人間でありながら、すでにウレイリカを確保しておきながら、そちらには渡そうとしなかった。

 

 ……つまり、ザックはウレイリカという手土産を持ってこちら、アインズ派につこうとしたのだろうか?

 いや、こちら以外の選択肢もあるかもしれない。

 昨日ザックは、こちらの所にいたクーデリカを攫おうとした。もし、あの時、ザックが誘拐に成功していたら、彼はクーデリカとウレイリカという二人の少女を同時に抑えていた事になる。

 先にウレイリカを秘かに確保しておき、さらにクーデリカまで見つけてから、マルムヴィストに報告しようとしたのだろうか? たしかに、それが達成できていれば、そちらの派閥でのザックの株も上がるだろう。

 もしくは、2人を連れて別の派閥に取り入ろうとしたのかもしれない。だが、それが失敗したため、強盗をして街を脱出する金をつくり、秘かにウレイリカだけでも連れてどこかに身を隠そうとしたのかもしれない。そのうち高く売りつけられるタイミングを見計らって現れるために……。

 

 

 そこまで考えて、ルベリナは頭を振る。

 

 駄目だ。情報が足りない。

 このままでは想像の域を出ない。

 

 

 そこで彼は意識を変え、今後、どうするのが一番良いかを考える。

 やはり、まずは情報だ。

 現在の状況、そして自分の立ち位置を見極めなくてはならない。

 

 やはり、帝都に来ているはずのベル派の情報をもっと掴んでいきたい。その狙いは何なのか? なぜ、その双子を捜していたのか?

 だが、時間がない。

 じきにセバスらはザック、そしてウレイリカを連れて邸に戻ってくるはずだ。そうしたら、ザックの口から事情が語られる。これまでルベリナが独占していた情報がセバスらにも流れることになりかねない。

 

 

 ――そうだな。口をふさぐか。

 

 ルベリナは唇を舐めた。

 

 

 何も殺すわけではない。

 一時的にだ。

 彼らが帰ってきたら、ザックの飲み物に薬を混ぜて少し眠らせてやればいい。誰もがただの疲労、そして安全なところに来た安堵の為と思うだろう。

 そうすれば、1日ほど時間が出来る。

 その間に、情報収集と称して邸を出て、マルムヴィストの方に接触してみよう。

 

 

 ――うん、そうするか。

 

 ルベリナは独りうなづくと、グラスを口に運んだ。

 だが、それを傾けたところで、すでに空だったことに気がついた。

 

 彼はグラスを片手に、台所の方へと足を運んだ。

 そこに置かれた、入れたものを冷却するマジックアイテム――デキャンターサイズの物ならともかく、あれこれ物が入れられるほど大きいものは、これまで八本指の拠点くらいでしか見たことがなかった――から、容器を取り出し、そこから冷やしたコーヒーを注いだ。

 抽出したコーヒーをわざわざ冷やしてから飲むというのは、彼をしてそれまで経験のないものであったが、慣れてしまうとなかなかにやみつきになる味だった。

 

 そうして、冷たく染み渡る琥珀色の液体をすすりながら、居間に戻ろうとしたとき、ノッカーが音を立てた。

 

 

 おや? と思った。

 

 セバスらが帰って来たのだろうか?

 しかし、彼らなら、わざわざノッカーを叩くこともないはず。

 来客か? いったい誰が?

 

 

 訝しみながら、玄関へと向かうルベリナ。

 汗の浮いたグラスは脇のキャビネットの上に置き、腰に〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉があるのを確かめ、玄関のドアを開いた。

 

 

 

 そこには黒いフード付きマントを羽織った人物が立っていた。

 その人物は、実になれなれしく話しかけてきた。

 

「やあやあ、どーもー。いきなりで悪いんだけどさ。すこーし聞きたいことがあるんだよねー」

 

 そう言うと、その人物はフードを下ろした。

 短く刈り揃えられた金髪が揺れる。

 

「ちょーっと、小耳にはさんだんだけどさぁ」

 

 

 

 そしてクレマンティーヌは露わになった口元を三日月のように歪めて言った。

 

「この家にクーデリカって娘はいるかなー?」

 

 

 



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第56話 急転直下

2016/9/29 「非情に優れていた」→「非常に優れていた」訂正しました
「連れて言った」→「連れて行った」 訂正しました
2016/10/9 「存在だっのだた」→「存在だったのだ」 訂正しました
 文末に「。」がついていないところがあったので「。」をつけました


「こ、これは……」

 

 邸の様子を見て、セバスは絶句した。

 ナーベラルらと共にウレイリカを保護して邸に帰り、玄関を開けたところ、目の前に広がっていたのは血の海であった。

 

 

「どうしたの?」

「み、見るな!」

 

 ウレイリカが覗き込もうとしたところを慌ててザックが止めた。視線を遮るように自らの胸の中に抱き寄せる。

 彼らには馬車の中で待っているように指示し、セバスとナーベラルは血臭の立ち込める邸内に足を踏み入れた。

 

 

  

 セバスは入り口付近に倒れていたルベリナの死体に目をやる。

 

 遺体の損傷は一カ所。

 喉の中央である。

 それも尖ったもので、前から貫かれている。

 

「フム……」

 

 セバスはうなった。

 

 ルベリナはかなりの使い手だ。

 そんな彼を正面からの攻撃で、正確に急所、それも体の中心線を狙うことが出来る人物とは、いったい何者だろう?

 彼の手には愛用の武器、〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉がある。死してなお、その手に握られたままだ。

 つまり、この襲撃犯は武器を手にしたルベリナを相手に、正面から一撃で急所を貫き、殺害したという事になる。

 

 無論、ナザリックの者達ならばその程度、苦にすることもなく出来る。

 だが、この地の者において、そんなことが出来る存在というのは、任務として強者の情報を集めてきたセバスをして知りえなかった。

 もちろん、ルベリナを上回る強さの人物はそれなりにいるというのは把握している。冒険者の基準で言うとアダマンタイト級ならば、おそらくルベリナにも競り勝てるだろう。

 だが、戦闘態勢になった彼を正面から一撃で下すとなると皆目見当もつかず、それこそ本当に噂レベルの人物、組織くらいしか思いつかなかった。

 

 

 とにかく、一旦ルベリナの事は置いておいて、セバスとナーベラルの2人は屋敷の中を調べた。

 だが、そこには生命の火を残している者は一人たりともいなかった。

 その光景は見るも無残としか言いようがなかった。何人もの男女が驚愕、それと苦悶の表情のまま息絶えていた。そのどれもが刺突武器によって仕留められていた。

 

 

「……クーデリカの死体がありませんね」

 

 ナーベラルがつぶやく。

 邸内をくまなく調べたのであるが、死して転がっているのは元八本指の者達ばかりで、あの幼い少女はどこにも見当たらなかった。

 となると、この襲撃犯の狙いはクーデリカの誘拐なのだろうか?

 

「ナーベラル。昨日、この家にクーデリカを捜しに来た者がいたといっていましたね。どんな人物でしたか?」

魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしい若い女でした。ですが、正直、大した強さは持っているようには思われず、あの者がこれを行ったとは考えにくいかと」

「そうですか。となると、手掛かりはこの足跡くらいですね」

 

 室内から廊下まで、いたる所に広がる血だまり。

 そこには素人目に見ても、はっきりと分かる足跡が残されていた。

 それも複数。

 

 盗賊系の技能がある人物ならばそれが何人分の者なのか判別できるだろう。もしかしたらどのような者なのかまで推測出来るのかもしれない。だが、そんなスキルなど保有していない彼らでは、まったく分からなかった。

 

 

 

「恐れながらセバス様。この件はアインズ様にご報告すべき案件かと思います」

 

 ナーベラルからの進言に、セバスは唸った。

 彼としては、この帝都における調査の全権を至高なる御方アインズとその後継者たるベルから任せて貰っていたという自負がある。けっして自惚れではなく、あの方々は自分達を信頼して、この任務を命ぜられたのだ。それなのに、起きたトラブルを解決することなくそのまま報告としてあげ、指示を仰ぐというのは自らの無能を示し、ひいては彼に委細(いさい)にいたる全てを任せたアインズとベルの顔に泥を塗りかねない行為であり、それは彼をして躊躇(ためら)わせるのに十分なものであった。

 

 だが、彼女の進言は実に正しい。

 自分たちの活動拠点としていた邸が襲撃され、そこに控えていた大半の人間が殺害されたという事態は、自分達の胸の内に収められる範囲をはるかに超えている。

 

 またセバス及びナーベラルは2人とも戦闘能力は高いものの、情報を収集するのにはあまり適しているとは言い難い。特にナーベラルは。

 街にとけこみ、噂話を集め、その集めた情報から重要度の高いものの取捨選択するといった行為はまた別個の能力が必要であり、そちらに関しては、送り込まれた元八本指の者達の能力は非常に優れていた。この地で生き、そして騙し騙されるのが日常である裏の世界に身を置いて来た彼らは、セバスらの手の届かないところにまで手を伸ばす事の出来る、実にありがたい存在だったのだ。

 だが、今回の襲撃により彼らは壊滅してしまった。生き残ったのは、ウレイリカの迎えに連れて行った数人のみ。

 

 念のため、蘇生アイテムは渡されてはいるが、もちろんそれは主の許可なく、おいそれと使っていいものではない。

 また、別の場所での実験結果として聞かされていたが、ある程度の強さを持たないものは蘇生の際の生命力の減少に耐えきれずに消滅してしまうらしい。おそらくルベリナなら大丈夫だろうが、それ以外の者達が復活できるかは、はなはだ疑問であった。

 

 そうなると実際、館に残していった者達はほぼ全滅と言える。

 しかも、館にいたはずのクーデリカの行方も不明である。 

 このままでは、帝都での活動に支障が出るのは避けられない。

 

 

 任務の失敗よりは、主からの叱責を選ぶ。

 セバスは断腸の思いながら決断した。

 

 ナーベラルが〈伝言(メッセージ)〉の魔法を使おうとしたのを押しとどめ、ポケットから指輪を取り出す。

 この指輪はマジックアイテムであり、これを装備していれば、対応した魔法の職業(クラス)を習得していなくとも、あらゆる巻物(スクロール)が使えるという盗賊系の特殊技術(スキル)と同じ効果を発することが出来る。ユグドラシル時代は、貴重な指輪の装備箇所にそんなどうでもいい効果のアイテムをつけるなんてと、ほぼゴミアイテム扱いであり、結果、大量に死蔵されていたのであるが、現在ではその有用性からナザリックの外で活動する者には広く貸与されていた。

 

 それを指にはめ、懐から巻物(スクロール)を取り出す。

 ナーベラルならば、巻物(スクロール)を使うことなく〈伝言(メッセージ)〉を使えるのだが、今回は失態の報告という事になる。部下のナーベラルにやらせるのではなく、セバス自らが行うべきだと判断した。

 羊皮紙が燃え落ちると同時に、アインズと〈伝言(メッセージ)〉が繋がった。

 

 

《アインズ様。セバスでございます。今、お時間をよろしいでしょうか?》

《む? セバスか? どうしたのだ、お前の方から連絡してくるとは。何か緊急の問題でも起きたのか?》

 

 さすがはアインズ様。すべて御見通しとは――とセバスはその身を震わせた。

 

《はい。実は少々問題がおきまして》

 

 セバスは屋敷が何者かの襲撃を受け、配下としてつけられた元八本指の者達が壊滅したことを報告した。

 

 

《申し訳ございません。アインズ様、並びにベル様より送られました者達に被害を出してしまい――》

《いや、よい。予期せぬトラブルとは、どうしても起きるものだ。仔細は後で聞くが、先ずは今すぐの事だな。それで今後の事はどうなる?》

《はい。人員を失った事に伴い、帝都での情報収集の任も現況のままではいささか困難になるかと……》

《そうか……。いや、お前たちに帝都での新たな任務を頼みたかったのだがな》

 

 何の気なしに言ったアインズの言葉であるが、その言葉にセバスは身を震わせた。

 主が自分たちにかけた信頼に応えられなかった己が無能を恥じた。

 

《それは一体、どのようなものでしょうか? 確かに以前より困難とはいえ、このセバス、不佞(ふねい)の身ながら粉骨砕身し任に当たる所存にございます》

《ああ、いや、ちょっとしたことだったのだがな》

 

 そして、アインズは言葉をつづけた。

 

《実はお前たちには、クーデリカとウレイリカという双子の捜索を頼みたかったのだ》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふざけるなぁっ!!」

 

 部屋に怒声が轟いた。

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のほのかな灯りに照らされる、その顔は憤怒のあまり、どす黒く染まっている。

 

「お、お前は何をしたのか分かっているのか!?」

 

 そのあまりの怒りにすぐ横にいた、見るからに粗暴かつ粗野な印象を与える男は、他人を怯えさせるその顔に、今は逆に怯えの色を見せていた。

 円帽子と司祭服に身を包む神官もまた顔を歪ませ、内心の動揺を抑えていた。

 

 それに対し、この場で平然としていたのは2人。

 そのうちの1人である、怒りをぶつけられた当人のクレマンティーヌは相変わらず、へらへらとした表情を浮かべていた。

 

 

「だあって、仕方ないじゃん。迎えに行ったら、人がたくさんいたんだしさー」

「だから殺したんだとでもいうつもりかっ!」

「そうだよー。私はちゃーんと礼儀正しく、玄関のノッカーを鳴らして、出てきた奴に『クーデリカいますかー』って聞いたんだよ。『その子は邪神様の生贄にするから連れてくねー』ってね。そうしたら、急にレイピアを抜いたんで、殺しちゃったの。正当防衛だよね」

 

 更に怒りを買うのを分かったうえで茶化すクレマンティーヌ。

 それに対し、普段は冷徹で切れ者という印象を与えるその顔に今は鬼のような形相をたたえているウィンブルグ公爵へ、神官は声をかけた。

 

「公爵、過ぎたことは仕方ありませんよ」

「神官殿、これはそんなことで済まされませんぞ!」

 

 普段、声を荒げることのない神官に対してまでも、彼は怒りの様子を抑えきれなかった。

 

「そのモーリッツという者は、王国貴族の血を引いているのですぞ! 三流とはいえ! 下賤な商人に身をやつしているとはいえ他国の貴族! そんな家に強引に押し入って、その家の者達を皆殺しにして娘を攫ってくるなど、あの皇帝の耳に入らない訳がありません!」

 

 そう怒声を撒き散らし、彼は身を震わせた。

 だが、その震えは怒りのみのものではなく、怯えもまた混じっていた。

 

 

 鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 

 その若き皇帝のやった苛烈な粛清の嵐は、最近はあらかたの背信者を狩り尽くしたことから少々控えめになっているとはいえ、その最盛期を知っている者にとっては、今なお語り草となる恐怖そのものであった。

 

 

 その様を思い出したウィンブルグ公爵は、我知らず生唾を飲み込む。服の下には鳥肌が立っていた。

 だが、その怯懦(きょうだ)たる有様を傍から見ていたクレマンティーヌは嘲りに口をゆがめた。

 

「あのさぁ。そんな事言ってる場合な訳? この前も言ったけどさ。この組織の事が失敗したらどうなると思うの? とくに今回のクーデリカの情報はロベルバドの奴からの情報だよ。まあ、そっちからの情報で取り返しても、ロベルバドの点数にはなっちゃうかもしれないけどさ。情報が入ったのに、その上で失敗したとなれば、それ以上にアンタの点数が一気に下がるんだよ。下剋上もあるかもしれないよ? トップの座から転げ落ちて、まさかそのまま組織の中にとどまっていられるとか思ってんの?」

 

 その指摘に、「ウッ」と声を詰まらせた。

 そう、モーリッツ家というしばらく前から帝都にいる王国貴族の館に、自分たちの手を逃れたフルト家のクーデリカがいるという情報を掴んだのが自分であればよかった。

 だが、どういうルートを使っての事だかは知らないが、その情報を手に入れてきたのは、ロベルバドの奴だった。

 

 

 ――ロベルバド。

 忌々しい気取り屋め。 

 大した事も出来ないくせに、貴族たちには大言を吐き、この邪教組織での地位を高めようとする背乗り屋めが。

 

 

 ウィンブルグ公爵は歯ぎしりをした。

 そして、ロベルバドに邪教組織のまとめ役を追い落とされる危険と、今回の事が皇帝の耳に入り、次なる粛清の対象にされる危険を比べ、力なくうなだれた。

 

「そのモーリッツとやらにスパイの濡れ衣をかける……いや、それは危険か……。事件の訴え自体をもみ消すのが上策か……」

 

 彼は口の中でぶつぶつとつぶやいた。

 その様子を見て、神官は言った。

 

「次なる生贄の儀式ですが、急ですが今夜にした方が良さそうですね。とにかく、邪魔が入らないうちにすませてしまった方がいいでしょう」

 

 その発言は頷けるものだった。

 そのモーリッツの件が下手に広まりでもしたら、皇帝の目から逃れるために、しばらくは活動を控えざるを得なくなる可能性が強い。前回の失態を補う意味でも、事が大きくなる前に、一度大々的に活動して印象付けておいた方がいい。

 また、時間をおくと、その間にロベルバドの奴がクーデリカの情報をいち早くつかんだのは自分であることを、あちこちで言いふらしかねない。そうして話が広まった後で、実際にその娘が生贄に使われたとなれば、ロベルバドの株が跳ね上がる事になる。だがその前に、さっさと生贄にしてしまっておけば、後からロベルバドがそれは自分の功績だと言っても、終わった後で他人の功績を横取りしようとしている程度にしか思われないだろう。

 

 

 そういった算段をしていた彼に声をかけた者がいる。

 

「…………」

 

 その場に佇んでいたズル=バ=ザルが言葉を紡ぐ。

 だが、やはりその言葉は他の誰にも聞き取れなかった。唯一聞き取ることが出来たクレマンティーヌが、彼の言葉を代弁した。

 

「それで、生贄を複数準備するって話はどうなっているのか? ってさ」

「ふ、複数の生贄?」

 

 公爵はその問いに狼狽(うろた)えた。

 

「そ、そんな事を言われても、突然今日やると決まったのに、急に準備できる訳なかろう」

「あっれぇ? この前の話で、次は複数って話になってなかった?」

「確かに言っていたが、実際にやるとなると……」

「なぁに? まーだ、踏ん切りがついてなかったの? いつまでも、何言ってんのよ」

「き、貴様は状況が……」

「状況が分かってないのはアンタの方でしょう?」

 

 剣呑な視線を交わすウィンブルグ公爵とクレマンティーヌ。

 そこへ再びズル=バ=ザルが口を挟んだ。

 

「…………」

 

 はぁ、とため息一つついて、クレマンティーヌが通訳する。

 

「とりあえず、生贄にする貴族の目星だけでもつけているのかってさ」

「一応は調べさせはしているが……まだ、リストアップした程度で表立ったことにならないような工作も何もしておらんぞ」

「まあ、目星だけでもつけてるんならいいや」

「どうするのだ? まさか……」

「うん。これからちょっとひとっ走り行って攫ってくるよ。後、2人もいればいいかな?」

「…………」

「そうだね。それ以上だと、さすがに大ごとになっちゃうしね。んじゃ公爵、そのリストとやらから適当な2人を急いで見繕って」

「ほ、本当にやるのか」

「当たり前でしょ。また、何かで妨害があって、生贄がいないまま儀式が始まったら、今度こそ完全に終わりだよ」

 

 その言葉に公爵はごくりと息をのんだ。

 そんな彼に、内心やれやれと思いつつも、クレマンティーヌは優しく声をかける。

 

「ほら、そんなに慌てることもないって。絶対に皇帝の耳に入るとは限らないんだからさ」

「お前はあの男を甘く見ているのだ。そんなに無能だったなら、どれだけ良かったことか」

「落ち着いてよ。べつにさぁ、いいじゃん。だったら考え方を変えようよ。皇帝にばれるのは仕方ないとして、誰かに責任をなすりつけちゃえばさ」

「なに?」

 

 言われて彼はクレマンティーヌの赤い瞳をまじまじと見た。

 クレマンティーヌは狡猾そうな視線を向けた。

 

「ほら、ロベルバドとかいう奴が目障りだったんでしょう? ならさ、そいつに全責任押し付けちゃえばいいじゃん」

 

 言われた公爵は、ハッとした表情を浮かべた。。

 そして髭に隠された口元を釣り上げ、目障りな政敵を追い落とす陰険かつ邪悪な計画に思いをめぐらす。

 

 

 しばらく後、彼は深くうなづいた。

 

「……分かった。私も腹を決めた。用意しよう」

 

 自明の理であることをグチグチと悩み続け、ようやっとのことで決心した公爵に、腹の内の侮蔑を隠して笑顔を見せるクレマンティーヌ。

 

「よっし。じゃあ、始めよっか」

「いや、待て。用意はするが、やはり表ざたにならないよう工作は必要だ。さすがに時間はかけられんが、建前程度でも失踪の理由となるものを作らねばならん」

「えー。それ、すぐ出来んの?」

「急ぎだが、人と金を動かして何とかする。夕方までには何とかできるだろう」

 

 それまで顔に浮かんでいた怯えの色が消え、普段の大貴族らしい冷徹さと自信を取り戻したウィンブルグ公爵。

 そんな彼に、神官が話しかけた。

 

「どうやら、今夜の儀式には間に合いそうですね。それではそちらの手筈はお願いします。それと儀式の場所ですが、今回はいつもの場所から変えた方が良さそうですね」

「万が一を考えると、そうした方がいいでしょうな。なにせ、今回は突発な上に幾分、危ない橋を渡っての事になりますから」

「では、参加される貴族の方たちにも、ギリギリまで正確な場所をお教えしない方がいいでしょうね。問題は生贄の輸送ですが」

「ふむ……。おい、その攫ってきたクーデリカとやらは今、どうしているのだ?」

 

 そばに控えていたガラの悪い男に声をかける。

 男は傷のある顔に卑屈な愛想笑いを浮かべて答えた。

 

「へい。今は絶対安全なところに捕まえてあります。逃げられやしませんよ」

「そのクーデリカを始めとした今回の生贄ですが、確保したらそれぞれ別の場所に捕まえておいた方がいいでしょうね」

「なるほど。その方が何者かの邪魔が入っても、全員が生贄に使えなくなることは無くなりますからな。そうやって別々に確保しておき、直前になったら、儀式の場に移送を開始する。その際にも、捕まえているところから一直線に儀式の場に運ぶのではなく、複数の者の手を介させましょう。その方が場所の特定もされにくいでしょうし」

「ええ、それでいいと思いますよ」

「へい。分かりました。ではそのようにいたします」

 

 

 そうしてようやく話がまとまった。

 ウィンブルグ公爵は急いで準備しなくてはと、席を外した。ガラの悪い男もまた、輸送にかかる者達の手配に走り去った。

 

 

 

 あとに残されたのは神官とクレマンティーヌ、それとズル=バ=ザルの3人のみ。

 他の者がいなくなり、神官は大きく息を吐いた。

 

「ふう。何とかなりそうですね」

 

 安堵の表情を浮かべる男にちらりと視線を走らせ、クレマンティーヌは言った。

 

「まあねぇ。ここであいつに怖気づかれちゃ、せっかく大きくしたこの組織も空中分解だもんね」

「盟主さまのご期待を裏切ることなく済んで良かったですね」

 

 ただ盲目的にズーラーノーンの盟主とやらを崇拝している神官役の男に呆れつつ、クレマンティーヌは言った。

 

「まあ、それはちゃんと今回の仕事を終わらせてからね」

「ん? なにか気になる事でも?」

「この前も、ホントは何もなかったはずなのに、生贄の娘がいなくなるとかあったじゃない。またそういう事が無いようにね」

「しかし、今回はそのような事態に備えて3人準備するという話ではありませんでしたか? それなら大丈夫では?」

 

 男の能天気さに若干(じゃっかん)苛つきをおぼえたクレマンティーヌはズル=バ=ザルへと顔を向けた。

 

「で? どうするの?」

「…………」

「んー、そっか。やっぱり生贄の防衛に回った方がいいか。今回の集会所も守りを固めた方がいいかと思ったんだけど」

「…………」

「それもそうだね。わざわざ最初から守らなくても、生贄と一緒に集会所まで来て、そのまま警戒に入ればいいか」

 

 そこで再びクレマンティーヌは、訳の分からないという顔をしていた神官の男に向き直った。

 

「んじゃ、そういう訳だから。私らは生贄の護衛に回るよ」

「生贄の護衛ですか?」

「そう。前回みたいにいなくなられちゃ困るでしょ。集会所の方は最悪別の場所に変えてもいいわけだしさ」

「おお、なるほど」

 

 そうして話し合い、クレマンティーヌとズル=バ=ザルが生贄の護衛に、そして神官は予定された場所で儀式の準備をすると決まった。

 生贄は3人なのだが、この神官の男はそこそこ魔法を使えるといった程度で彼女たち2人との戦闘能力は、オーガと子猫ほども違う。そんな人物を1人で戦闘がおこるかもしれない所に回すよりは、裏方を任せておいた方がマシだというのが2人の判断であった。当の神官だけはそんな理由には思い当たらなかったのだが。

 とにかく生贄のうち、最悪でも誰か1人でも儀式に連れてこれればそれでいいのだ。およそクレマンティーヌとズル=バ=ザルに敵う者など、この帝都ではフールーダ・パラダインくらいしか思い浮かばない。つまりは、2人が1人ずつ生贄の娘の護衛につくとなれば、護衛のついていない1人は最悪失われるかもしれないが、彼女たちがついていた2人はほぼ確実に生贄として使用できるという事だ。

 

「じゃあ、配置はどうする?」

「…………」

「お? クーデリカの方につく? あれぇ、もしかして、そういうのが趣味だとか?」

「…………」

「え? なになに、やっぱり幼女は最高だぜって?」

「……あの、クレマンティーヌ様。ズル=バ=ザルは首を振ってらっしゃいますが……」

 

 さすがに神官も口を挟んできた。

 

「いやいや、ちゃんとそう言ってんのよ」

「…………」

「ほら。クーデリカたん最高! マジ天使! ぺろぺろしたーい! って言ってんじゃん。……っと!」

 

 飛びのいたクレマンティーヌが一瞬前まで立っていたところを赤い光弾が貫いた。ズル=バ=ザルの両手に血のような赤い光がまとわりついている。

 

「もう冗談冗談だってば。そんなに怒んないでよ。前回もその娘がいなくなったし、今回も連れてくるとき私が一悶着起こしたから、その娘のとこが一番妨害が来る可能性が高いってんで、アンタがつくって事でしょ」

「…………」

「はいはい、ごめんなさいでした。ったくユーモアを理解しない奴は困るわ。ま、私は残った方どっちでもいいから、適当に決めるねー」

 

 そう言うと、クレマンティーヌは身をひるがえして、灯りの下から走り去った。

 ズル=バ=ザルもまた、その手の光を消すと、ゆらゆらと体を揺らしながら歩み去った。

 残された神官は、しばらく呆気にとられていたものの、自分のやるべき任務を思い返し、その使命の重さとこの重要な任務を任せてくれた偉大な盟主への思いに1人身を震わせていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「陛下。ご報告したき件が」

「なんだ? こんな時に」

 

 ジルクニフは、当人には背を向けたまま、姿見に映ったロウネ・ヴァミリオンに声をかける。

 侍女たちはその視線を遮らぬように、主の着付けを続けていた。

 

 

「どう思う、この服装は? 少々地味すぎるか?」

 

 そう言って、白と明るい緑、それと目の冴えるような蒼が織りなすコントラストに包まれた自身の姿を()めつ(すが)めつ鏡に映して見返した。

 主からの問いではあるが、それに対してロウネは首を振って言った。

 

「申し訳ありませんが、何とも言いかねます。私はあまりそういった方面は詳しくないもので」

「それはいかんな。文官として、こういった衣装の良し悪しを判断できぬというのは」

「儀典等の際の正装ならば見識はありますが、ファッションの流行までは追いかけ続けられません。それに餅は餅屋、そのような方面については、私のような政務につくものではなく、服飾の専門家に意見を聞くのが一番でしょう」

「ふむ。多少は自分の専門外の知識に触れるのも、教養を高めることになるぞ」

「そうですな。自分の仕事がおろそかにならない程度には学んでおこうと思います」

 

 いつもの掛け合いをすることなく、さっさと退いたロウネに、ジルクニフは重要な案件かと意識を切り替えた。

 

「そうしておくがいい。それで? 報告とは何なのだ? まさか今夜開かれる聖王国の大使とのパーティーに自分も出席したいとでもいうのか?」

「いえ、今夜のパーティーは現大使の親戚がお国で失脚したことにより、大使の任を解かれて国に戻される送迎のものですから、今後重要でなくなる人間と顔をつないでも仕方がありません」

「むしろ、そうして落ち目の人間なら、少し餌を与えるだけでこちらのいいように出来るのではないか?」

「正直、現大使はただのお飾りですから、下手に顔をつないでおいて、後々おかしなところでこちらの名を出されたくありません。ご心配せずとも、影でまとめ役をしていた者とは親交を結んでおりますので。それで、報告なのですが」

 

 そう言って、ロウネはちらりと侍女たちに目をやった。

 その視線に、彼女たちは頭を下げ、部屋を退出する。

 

 

「さて、では聞かせてもらおう。そのパーティーの前にこれからもう2つ、園遊会の予定も入っていてな。そちらの時間も迫っている有様だ」

「陛下は皇帝なのですから、むしろ少し遅れて行った方がいいのでは?」

「それぞれ、その遅れる分を考慮したうえでのスケジュールだ」

 

 ロウネは頭を下げた。

 

「それは失礼を。では、さっそく本題なのですが。例の邪教集団の事でございます」

「動きがあったのか?」

「はい。突然ですが、今夜、新たな儀式を行うそうでございます」

「ほう。この前、やったばかりだというのに随分早いな。前回、生贄の娘を用意できなかったから、失地回復に焦ったか。……それで? 今夜、そいつらの集まりがあるのは分かったが、それを急いで俺のところまで報告に来たのはなぜだ?」

「今回の儀式なのですが、生贄として3人ほど貴族の娘を用意するようです」

「3人? よく集められたものだな」 

「それなのですが……いささか、荒い手管を使って集めたようで……」

「ほう?」

 

 わずかに声を潜めていったロウネの言葉。

 ジルクニフは面白そうな表情を浮かべた。

 

「あくまで下級の貴族が相手のようですが、偽りの職場の斡旋や臨時の手伝いなどの口実を作って誘い出し、そのまま誘拐したようです」

「ははは。随分と思い切ったではないか」

 

 ジルクニフとロウネ、そして近衛の騎士達しかいないドレスルームに若き皇帝の笑いが響く。

 

「いかがいたしましょう? これまでとは違い、いささか度が過ぎていると思いますが」

「ああ、さすがに現役貴族に手を出したのを、このまま座視しているわけにもいかんな」

「では騎士団を集め、集会を摘発いたしますか? 今回は普段使用している墓地の地下にある秘密空間ではなく、どうやら別の場所を集会所にするようなので、まだその場所の把握は出来ていないのですが」

「いや、そこまではしなくともよい」

 

 ロウネの固くなった声色に反し、ジルクニフは気楽な口調で答えた。

 

「警告程度で十分だ」

「どうなさるので?」

「裏社会の連中に、こちらが掴んだ今回の情報をすこしばらまいてやれ。連中も後ろ暗い者達との繋がりはあるだろうから、派手に動いた今回の情報がそちらに流れていたと知れれば、今後はおとなしくなるだろうさ」

 

 ジルクニフは侍女がいなくなったため、近くにいた近衛の騎士に水差しとグラスを持ってこさせ、そこに入っていた果実水を飲み干した。

 

「おそらく連中は、前回の失敗を取り繕うために、俺の耳に入る危険を冒してまで、そういう手段をとったのであろう。強引で乱暴な手を使ってはいるが、その内心はこの件が俺の知るところにならないかと戦々恐々(せんせんきょうきょう)しているといったところか。なら、今回は見て見ぬふりをしてやるが、再びこういうことをしたら、俺の耳に届くかもしれないぞと警告するに留めておけば十分だ」

 

 空になったグラスを傍らの卓に置く。

 

「その生贄にされた下級貴族の家の者達が訴えてきたら、一人くらいは引っ張ってもいいがな。まあ、連中もそれくらいは織り込み済みだろうよ。誰が切り捨てられるか見ものだな」

 

 そう言って、彼は再度笑い声をあげた。

 

 

「畏まりました。ではそのように」

 

 深く頭を下げ、主の意に了承する態度を見せるロウネ。

 そんな彼にジルクニフは声をかけた。

 

「ああ、では、すぐに手筈を整えろ。それと、外にいる侍女たちを呼んで来い。いささか、時間を取りすぎた。これではせっかく園遊会に行っても、すでに料理が冷めてしまっているかもしれんな」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「じゃあ、準備はいいですか、ベル様?」

 

 エドストレームの言葉に、ベルは憮然(ぶぜん)とした表情ながらも首を縦に振った。

 

 その身を包むのは、いつもの男物の服でも、帝都に来てから着ていたフリルがふんだんにあしらわれた少女らしい服でもない。それなりに仕立ては良さそうなものの、少しばかり埃と汚れの付着した、くたびれた感のあるワンピースである。

 普段、その髪は主にソリュシャンの手によって綺麗に洗われているのであるが、今はマルムヴィストによって、その辺の土くれをバサバサと髪に擦りつけられ、いつもの煌めくような輝きは失われていた。

 

 その様子を目じりをぴくぴくとさせながらソリュシャンは見つめている。

 本来ならばベルがそんな扱いを受けている事に怒りを爆発させるところだが、これはあくまで任務の為、そして至高の御方アインズならびにベル本人がお決めになられた事だからと我慢し、マルムヴィストの目元に(あざ)を一つ作るにとどめていた。

 

 

 そんな彼らの傍らには、所在無さげに立つ男が1人。

 彼は馬車の御者である。邪教組織が集会所まで生贄となる貴族の娘を運ぶ際の途中に選ばれた人物であった。

 彼はその輸送途中で、この場所に立ち寄るよう、指示を受けていた。

 ここで馬車に積んだ貴族の娘を別の人物、すなわちベルに入れ替えるのだ。

 

 その事は、この場に来てから初めて聞かされた。元の依頼主について詳しくは知らないが、おそらく貴族の関係だと思われた。下手をしたら、そんな者の不興を買いかねないという事実に彼は怯えたのであるが、彼が金を借りている犯罪組織からの命令にも逆らえない。貴族も怖いが、それよりなにより借金取りの方も怖かった。そこで彼は何も見て見ぬふりするという、問題の先延ばしと結果を他人に任せるという選択肢を選んだ。

 

 その男がそういう判断をするのはベルたちにとっても好都合だった。

 ここで、変な正義感とか起こされても、この状況を利用して誰かに媚びを売ろうとされても困る。

 なにせ、男には先に言われたとおりの仕事をしてもらわなくてはならない。

 そうでなくては、ベルがその生贄の娘と入れ替わり、邪教組織とやらの集会所を突き止めるという計画が水の泡となってしまう。

 

 

 

 そう。

 もはや面倒な全ての事は邪教組織のせいにしようというのが、アインズとベルの腹積もりであった。

 

 

 

 とにかく事態は急転直下を迎えた。

 

 

 事の発端は今日の昼下がりの事。

 セバスがアインズに屋敷が襲撃された件を報告しようと〈伝言(メッセージ)〉を送った際、アインズが彼らにクーデリカとウレイリカの捜索をさせようと思っていた事を、何の気なしに話してしまった所から始まる。

 

 そこでセバスから、ウレイリカはすでに確保してある事、そしてクーデリカの方はというと、そちらはなんとしばらく前から保護していたのに、つい先程何者かに逗留していた邸を襲撃され、攫われてしまったのだという事が語られた。

 

 その話にアインズは大いに慌てた。

 とくにセバスから、クーデリカについてはこれまで提出していた報告書にも書いていたという事を聞かされ、何度も精神沈静が起こる程だった。そしてとっさに、あくまで二人一緒に確保するのが重要なのだと言って、そこはなんとか取り繕うことが出来たのであるが、さらにウレイリカを保護していたのはベルと一緒に帝都に行ったはずのザックであると聞かされたアインズはもはや何がどうなっているのか分からず混乱のあまり、ベルが現在帝都を訪れていることまで話してしまったのだ。

 

 当然、聞かされたセバスは驚いていたようだった。

 すぐにアインズも拙いと思ったがもはや後の祭りである。

 とりあえず、いつもの深い考えやら計画がうんたらで誤魔化して待機を命じ、ベルに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばして相談したのである。

 

 

 帝都からの撤収を決めた後、暇つぶしにホテル内をうろついていた所、片隅に置かれたピンボール台を見つけ、それで遊んでいたベルはアインズからの〈伝言(メッセージ)〉に、盛大に飲んでいたコーラを吹く羽目になった。

 

 とにかく何とか誤魔化さねばと頭をひねった2人は、生き返ったルベリナの証言、『襲撃してきた女は、クーデリカを邪神の生贄にするから連れて行くと言っていた』という事や、コーラをぬぐったマルムヴィストの集めてきた情報、『死の神とやらを崇める秘密組織があり、そこでは若い娘が生贄として捧げられている』という話から、全部その邪教組織のせいにしようと決めたのだ。

 

 

 ベルが帝都に来たのはギラード商会として邪教組織を調べての事。

 セバスらにそれを秘密にしていたのは、すでに王国貴族として帝都になじんでいるセバスに接触したら、そちらにまで累が及ぶ可能性があったため。

 クーデリカとウレイリカを捜していたのは、彼女らは実力のあるワーカーチーム『フォーサイト』のメンバー、アルシェの妹であり、彼女に恩を売るため。

 

 それらの事を黙っていて申し訳ないと、帝都のセバスたちが逗留していた邸に足を運び、セバスとナーベラル、2人の前に立ったベルは頭を下げた。

 

 そのような事情を聞かされ、自分たちが忠義を捧げるべき至高の御方の娘であるベルが自分たちに頭を下げたことに、セバスとナーベラルは大いに慌てふためいた。その言葉に追及はおろか、疑念を抱くことすら頭の中から消え果てた。

 そして「我々にお気遣いくださいましてありがとうございます」と、向こうも頭を下げ、そうしてベルたちが秘かに帝都に来ていた件は、なんとかうやむやながらも収束を見せる事となった。

 

 

 後は攫われたクーデリカの捜索、ならびにこの惨劇を起こした者達への報復をどうすべきかという事になったのだが、セバスらの滞在していた邸をソリュシャンが調べた限りでは、数人の人間が邸内をうろついたらしいという事は分かったものの、手掛かりとなるようなものは見つからなかった。〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使っても、クーデリカが着ていた衣服が路地裏のゴミ箱に捨てられていたのが発見されただけであった。

 

 そこでもう一度マルムヴィストに、邪教組織の会合について、裏社会の方でもっと詳しい情報を集めて来るように命じた結果が、今、こうしてベルがみすぼらしい服装でズダ袋に詰められるといった事に繋がるのである。

 

 

 

 なんでも、邪教集団は会合場所を突き止められるのを警戒して、生贄となる娘の輸送に何人もの人間を介するつもりらしい。つまり、それぞれ指定された場所から次の場所まで袋に詰められた娘を運んでは、そこで次の者に渡すことになっているそうだ。

 そして幸運にも、その輸送に関わる者の1人が特定できたうえ、都合のよいことにその男はこちらに接触してきていた犯罪組織から借金があるというのだ。

 そこで、その男と渡りをつけ、輸送中にこちらが待機している場所に立ちよらせ、本来の生贄の娘とベルを入れ替える事にした。そうしてベルが生贄のふりをして会合場所まで運ばれ、その場所を特定したらアインズに連絡を取り、そこにいる邪教組織を殲滅する。その間にベルはクーデリカを助け出すという手筈となった。

 別にベルとしてはクーデリカは助けなくともよいのだが、セバスらへ語った言い訳の手前、探し出す必要はあった。最低でも死体くらいは見つけておかなければならなかった。

 

 

 その為、ベルは生贄としてパッと見だけでも不自然の無いよう偽装した、自分の着ている服を見下ろす。平民の着ている服より上質ながら、すこしばかり見すぼらしい格好である。これなら落ちぶれた下級貴族の娘としておかしくはないだろう。

 

 そんな感じで、自分の服を見回していたベルに、マルムヴィストが声をかけてきた。

 

「しかし、ボス。……もうボスって言ってもいいですよね? それにしても、ちょっと妙な気もするんですが」

「なにが?」

「いや、この情報の集まり具合ですよ。邪教組織の事なんて、これまで裏社会でも全然話題にもならずに、情報なんて皆無だったのに、ここに来て急に広まってきましたからね。ついさっき、確認したら、もう生贄の娘の1人はクーデリカという名だ、なんて話まで出てきてましたし。とにかく今は一刻一刻ごとに、どんどん新しい情報が流れてきている状態です。こりゃあ、どうにもきな臭いですな」

「……罠かな?」

「さあて? おそらくですが、何者かが意図的に情報を流しているのは間違いないと思いますよ。それが邪教組織なのか、それとも、その組織と対立する何者なのかは分かりませんがね」

 

 なんだかその話を聞いて、やる気がそがれたのだが、これは別の人間に任せるという訳にいかない。

 セバスらに秘密のままベルが帝都に来ていた事は、なんとなく収まるところに収まったものの、やはり色々と行き違いが山のようにあり、それらが明るみに出た場合、今後の求心力の低下が心配された。それを避けるために、今回の件も全てがアインズらの深淵なる計画の一環であると印象付けておきたかった。

 その為にも、アインズ並びにベルが直接、今回の事件の終息に動いてみせるのが必要である、という結論に2人は落ち着いていた。

 

 

 

 ちなみにそもそもの話であるが、セバスらが活動している地域に、こっそりベルが訪れていた事がセバスたちの耳に入っては彼らの気分を害する事になるのではないかという懸念は、あくまでリアルでの社会人経験のあったアインズとベルの想像でしかない。彼ら自身の基準で、もし自分が同様の事をされたらと考え、こちらを信頼していない様子の上司に嫌気がさしてしまうのではと邪推し、部下たちの信頼の低下につながるのではと思ったのである。

 だが、はっきり言うとそれはアインズに対して絶対の忠誠を持つセバスらには当てはまるものではない。

 もし彼らがそのまま顛末を知り、わきあがる負の感情に蝕まれたとしても、それは自分は至高なる主の信頼に足る能力を有していなかったのだという自らに対する失意でしかなく、アインズに対する忠誠に揺らぎなどでるはずもない。次こそは主からの信頼を挽回しようと奮起こそすれ、決して反意など持ちえなかったであろう。

 要はただの杞憂だったのである。

 

 

 

 そうこうしているうちに準備も整った。

 ベルはズダ袋に半身を入れ、今後の手順を皆と確認する。

 それを済ませると、マルムヴィストの手によって頭まですっぽり袋をかぶせられ、口を縛られた。そのまま荷物のように馬車の荷台に転がされる。

 そして、合図とともに御者の男は馬に鞭を入れ、馬車は夜の闇へと消えていった。

 

 

 その姿がすっかり見えなくなってから、どこかへ行った馬車の背を見送っていた3人の背に声をかけてきたものがいる。

 

「ソリュシャン様」

 

 振り向くとそこにいたのは、骨に干からびた皮が張り付いた身体をぼろぼろのローブで身を包んだ人影。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であった。その背後には武器や盾を構えた直立した骨格標本が並んでいる。

 自分たちにとって危険ではないと分かってはいても、マルムヴィストとエドストレームは思わず身を固くした。

 そんな2人の様子など気にも留めずに、ソリュシャンは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に声をかけた。

 

「準備は整っているのかしら?」

「はい。ご命令通り、そろっております。セバス様、並びにナーベラル様の所にも他の者達が集合しております」

「今回の件に関しては、アインズ様並びにベル様も直々に動かれているわ。もし、至高の御方並びにベル様の顔に泥を塗るような働きをしたものは、アンデッドですら死をこいねがう程の苦悶の果てに落とされると思いなさい」

「ははっ。この身全てが潰えようとも、偉大なる御方の為に」

 

 言葉とともに、全員が一斉に膝をつき、頭を下げた。

 

 

 邪教組織とやらは死の神だかを祀っているらしい。

 その組織でアンデッドを召喚したものの、それらを支配できずに自分たちも襲われ、組織は壊滅。そして、街にあふれだしたアンデッドたちにより帝都は混乱に陥るも、やがて帝国の騎士達によって事態は鎮静し、今回の一件は解決する。

 それが今回の筋書きである。

 そして、召喚したアンデッドたちが適当に暴れ、帝都の警備についている騎士たちと争っている間に、ナザリックの者達は帝都から撤収するという算段であった。

 

 

 そこでようやく、ソリュシャンはその場にいる2人の人間に顔を向けた。

 

「では、私たちは帝都に隠れ潜んで、その邪教集団とやらの会合場所の壊滅に向かうわ。あなたたちは予定通りに」

「はいはい。分かってますよ。セバスさんらがいた、あのお屋敷に火をかければいいんでしょ」

 

 それも今回の計画の一つであった。

 この件が終わったら、セバスらも同時に帝都から引きあげる予定である。

 人員としてつけていた元八本指が壊滅し、今後の活動が困難になったことが理由の一つ。

 二つ目は、もし今回の襲撃でも、セバスの騙るところであるモーリッツ家からクーデリカを攫った事を知っている者が生き残った場合、下手にその後もモーリッツ家として帝都に残っていたら、どんな妨害や詮索やらを受けるか分からなかったからだ。

 その為、邪教集団壊滅のついでに、召喚したアンデッドを適当に暴れさせて帝都が混乱した、そのどさくさに紛れ、セバスらが滞在していた邸に火をかけてしまうつもりであった。 

 もし、後にこれまで親交があった者とセバスが別の場所で出会ったら、幸いにも火の手は免れ、そのまま帝都を離れたとでも言えばいい。

 

 

「あっと、そうだ。この娘はどうします?」

「娘?」

「ええ、ボスと入れ替わった、本来の生贄の娘です」

 

 ソリュシャンは地に転がる娘に目をやった。その容姿には僅かに食指が動いたものの、そんなことをしている場合ではないと、気を取り直す。

 

「その辺にでも捨てておけばいいでしょう。運が良ければ、目が覚めて一人で帰れるんではなくて?」

「運が悪ければ?」

「捕まって、犯されて、殺されるんじゃないかしら? とにかく、そんな娘一人の事なんてどうでもいいわ。あなたたちは自分の仕事をきっちりやりなさい」

 

 そう言い捨てると、ソリュシャンはアンデッド軍団を引き連れ、去っていった。

 

 

 残されたマルムヴィストとエドストレームは顔を見合わせると、薬を使われたらしい意識を失ったままの娘を抱え上げ、どこか捨てるのに適したところを探して闇の中へと消えていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……う、うん……」

 

 うめき声をあげて、彼女は目を覚ました。

 うつ伏せに地に伏しているその体は、帝都の石畳の冷たさを感じる。

 

 彼女は重い瞼を開き、その細い腕でけっして重くはないその身を起こす。

 頭を振りつつ立ち上がったその場所は彼女の記憶にない場所だった。

 

 

 ――あれ? ここ、どこだろう?

 

 

 彼女はきょろきょろと辺りを見回すが、まったく見覚えがない。

 それだけではなく、何故、あんな場所に倒れていたのかという記憶もない。

 

 

 ――ん? 私ってどうしたんだっけ? たしか、どこかの貴族のパーティーに人手が足りないからちょっと手伝ってほしいとか言われたような……。

 

 ぼんやりと煙がかったようにはっきりとしない思考を抱え、ふらふらと暗くなった街路を歩く。目覚めたのは暗い路地裏だったが、少し歩くと街灯が輝く大きな通りが目に入った。

 さすがに、せっかく助けたのに、そのまま悪漢たちに攫われるのもなんだと考えたマルムヴィストとエドストレームの手によって、路地を行く人通りは少ないが、少し歩けば大きな通りに出る、比較的治安のよい場所に放置された彼女は、夜の灯りに吸い寄せられる虫のように明るい方へと足を向けた。

 

 そこは繁華街の一角のようだった。

 門柱に吊るされる角灯の灯りに照らされた通りには、今日の稼ぎを酒に変えた酔漢たちが千鳥足で歩いているが、歓楽街のような猥雑さは感じられない。

 

 そうして、彼女は見知らぬ街並みに怯えながらも、どうにかして自分の家に帰る道を捜そうと辺りをさまよっていると、声をかけられた。

 

 

「おい! ネメル!」

 

 聞き覚えのある声に振り替えると、そこには昔なじみの少年。

 顔の半分を包帯で隠した学院の同級生。ジエットの姿があった。

 

 ジエットはネメルの許へと走り寄る。

 

「はあはあ……。お前、こんな時間まで何してるんだよ。捜したぞ!」

 

 その言葉を裏付けるかの如く、少年の髪から汗が滴り落ちる。

 よっぽど長い時間、走り回っていたのであろう。

 

「うん、ごめんね。ジエット。なんだか、よく覚えていないんだけど……」

「いいから。とにかく帰るぞ」

 

 そう言って、少年は少女の手をしっかりと握った。

 その引く手の強さにネメルは驚いたものの、握った手から感じる心強さに嬉しそうに微笑み、2人は手をつないだまま家路を急いだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……あー……」

 

 ベルは退屈のあまり、うなり声をあげた。

 その声は袋に阻まれて、外にはほとんど漏れないはずだし、サスペンションもない安物の馬車は石畳の衝撃を緩和させることなく、激しく上下し音を立てるため、その音に紛れて御者の男の耳には届かないはずだ。

 

 

(暇だ……)

 

 

 あれからベルはずっと袋に入れられ馬車に転がされたっきりである。

 時折、馬車が止まるのは分かったが、そこでそのまま担ぎ出され別の馬車に放り込まれて、また走り出すのである。

 それが何度かあった。

 

(いや、1回、2回ならともかく、執拗すぎだろ)

 

 とにかくこうしている間は、ベルとしてもすることは無い。

 本当は御者が後ろの荷台に目を向けていないときは、のんびりしていてもいいんじゃないかという気にもなるのだが、一応、今もこうしている自分をなんらかの方法で監視している者がいたらという警戒から、仮にいるかもしれない監視者に不信感を抱かれないよう大人しくしていた。

 幸いな事にアンデッドの特性を持つため、固い木の板の上に転がされていても体は痛くならないのであるが、その代わりに退屈でも眠る事さえできない。

 その為、芋虫のように転がったまま、ぼーっとしている以外することもなかった。

 

 そうして退屈に耐え、ただひたすら寝っ転がり続けていたのであるが、その時、ガタンと馬車が揺れた。どうやら停止したようだ。

 

(ようやく、ついたかな? それとも、また馬車の乗り換えか? もういい加減にしてほしいな)

 

 そんなことを考えていると――。

 

 

 ――ドサリ。

 

 何かがベルのすぐ脇に転がされた音がした。

 なんだろうと思っていると、今度は袋に包まれたベルの身体が持ち上げられた。

 

 見えないのだが感触から人間の肩らしきところに担ぎ上げられたようだ。軽い衝撃と共に、固い靴が石畳の上に降りた音がした。

 そして、ベルの身体がそっと横たえられた。

 感触からすると下は石か。石畳の上か?

 

 

「こいつかな?」

「だといいけどね。とにかく、開けてみましょう」

 

 上から聞こえる男女の声とともに、袋の口が開けられる。

 そして、一気に引き下げられる。

 ベルの上半身が久しぶりに外気に触れる。

 

「おうっ?」

 

 ベルは目をぱちくりさせて、目の前にいた人物を見た。

 

 

 そこにいたのは2人の男女。

 1人は金髪を短く刈り込んだ若い男。もう1人は若い女。だが、その耳の先が長く尖っている。エルフの血を引いているようだ。

 

 2人は手にした紙とベルの顔を何度も見比べている。

 

「違うみたいだな」

「そうね。どう見ても年齢も合わないし」

 

 2人は困り顔でベルを見た。

 困っているのはベルも同じである。

 周囲をさりげなく見回すが、ここは建物と建物の間の路地であり、どう見ても目的の邪教組織の集会所には見えない。

 

(誰だよ、こいつら……)

 

 不審げな少女の表情に気づいたのであろうか、若い男の方が人好きするような笑顔を見せた。

 

「ああ、大丈夫かい? 俺の名はヘッケラン。こっちはイミーナ。ええっと、おかしな奴らに攫われた女の子を助けに来たんだ。心配しなくていいよ」

 

 



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第57話 きっかけ

 《悲報》とりあえず特装版11巻手に入れたものの、ブルーレイ視聴環境なんてない。


 【注意】今回グロシーンがありますのでご注意ください。



2016/10/7 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました



 夜のとばりの降りた帝都。

 松明の灯りの下で繰り広げられる酒場の饗宴がこの街のどこかでは繰り広げられ、こうしている今も酒に酔った男の蛮声や、婀娜(あだ)めいた女の嬌声、酒盛りの喧騒、酔漢たちの喧嘩の音が騒々しく鳴り響いているのだろう。

 しかし、そんな騒々しい狂乱の声も、はるか遠く離れたこのあたりまでは届くことなく、時折馬車に繋がれた馬がたてる鼻音だけが通りに響いていた。

 

 建物と建物の間に挟まれた道路。石造りの左右の建物は高く、軒も張り出しているために、月明りさえもろくに地面の敷石までその光を落とさない。

 

 そんな暗がりの中で、内部に〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられたランタンのシェードを開け、その光で照らし出される地図をヘッケランとイミーナの2人は顔を突き合わせるようにして覗き込んでいた。

 

 

 

 ――ええっと……。

 

 そんな彼らの傍らで、ベルは困惑していた。

 戸惑いの中にいたと言ってもいい。

 

 その原因は目の前にいる2人の人物。

 彼らは手書きの地図――おそらく帝都の物らしい――をながめながら、あれこれと相談している。

 

 その姿をベルは、何をするでもなく見つめていた。

 

 

 ――こいつらは何者なんだ? 冒険者か?

 

 ベルは態度を決めかね、所在無さげに立ち尽くすしかなかった。

 

  

 そんな彼女の様子を気に留めた、耳の長い半妖精が声をかけてきた。

 

「大丈夫? 心配しなくていいよ。あなたの事は、ちゃんとお家に返してあげるからね」

 

 そう言って、種族特有の冷たい印象を与える切れ長の眼ながらも、精一杯優しそうな笑顔を見せる。

 それを向けられたベルもまた、その女性――おそらくエルフとしても少女の時代は過ぎているだろう――の笑みに、困惑と苛立ちの入り混じった内心を隠し、その外見年齢にみあった愛想笑いをその顔に浮かべた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 フォーサイトがチームとして、アルシェの妹救出に動くこととなり、彼らはまず真っ先に情報を集めた。

 クーデリカと共にいるというモーリッツという貴族の情報を。

 そこで得られた情報は、彼らはしばらく前に帝都にやって来た王国貴族であり、その借りている邸には、セバスという老人と彼の姪だというナーベとマリーア、それと下働きの者達十数名ほどがいるという。

 

 その話を聞いた彼らは、ひとまず邸の下見に訪れた。

 正面から正直に話すというのは前回、アルシェが訪れた際の対応から、更に警戒される恐れがあるため却下された。

 

 そうして、彼らはそれとなく邸周辺を回ってみたのであるが――その時、盗賊であるイミーナの鼻が臭いをとらえた。

 

 濃厚な血の匂いを。

 

 

 気になったイミーナが人目につかない所でロバーデイクの肩に乗り、邸を取り囲む高い塀の上から覗いてみたところ、庭を挟んで屋敷の窓が開いていたのが見えた。

 そして、その開いた窓際から人間の手が飛び出ていた。

 こうして見ている今なお、その指先からポタリポタリと赤い鮮血の滴り続ける手が。

 

 

 邸に何か起こっていると見て取った彼らは、この隙に内部を調べてみる事にした。

 

 

 面が割れているアルシェには変装をほどこし、彼らは普通に邸を訪れた(てい)を装い、玄関に向かったのだが、案の定、扉には施錠もされていなかった。

 念のため蝶番に油を指し、そうっと開けてみると、目の前にはいきなり死体らしきものが転がっている。

 注意深く近寄り調べたが、その中性的な容姿の男は喉元に一撃を受け、完全に絶命していた。

 

 その後、彼らは屋敷の中を見て回ったが、そこに広がっていたのはまさに地獄のごとき光景であった。

 幾人もの人間が血の海の中に倒れ伏していた。

 その苛烈にして徹底的なやり口は、ワーカーとして汚れ仕事をこなしてきた彼らをして、吐き気をもよおすような不快な感情を覚えるほどであった。

 

 そして幸いながら、そんな凄惨な状態の死体の中には、捜していたクーデリカはいないようだった。

 

 しかし、このままでは彼女につながる糸が途切れてしまう。

 何か手掛かりはないかと、彼らは家中を調べようとした。

 

 

 だが、その時、イミーナの鋭敏にして物理的にも大きな耳が物音をとらえた。

 馬蹄と車輪が石畳を踏みしめる音を。

 

「拙い! 馬車よ! この家の人間が帰って来たかもしれない」

「おい。このままだと俺たちが殺害犯って疑われるぜ!」

「どうする?」

「裏の窓から逃げましょう!」

「あ、館の中、私たちの足跡が残ったまま……」

「そんなのいいから急げ!」

 

 慌てた彼らは、邸内に広がる血だまりにつけてしまった彼ら自身の足跡を消す間もなく、何の情報も得られぬまま邸から逃げ出さざるをえなかった。

 

 

 

 その後、彼らの姿は歓楽街にあった。

 人身売買なども行っている犯罪組織にもう一度、話を聞いてみようと思ったのだ。

 数日前もアルシェが話を聞きに行ってみたのであるが、訪れたのはたった1人、それもまだギリギリ少女を脱したという程度のうら若い女性が相手とあって、向こうはまともに話を聞こうともせず、木で鼻をくくるような態度で追い払われてしまった。

 しかし、今度はフォーサイトの仲間たちも一緒だ。武装したワーカーならば、決して威圧で負けることは無いと、再度訪れたのである。

 

 

 だが、その結果は拍子抜けするほどであった。

 

 前回、アルシェとはまともに目も合わせず、物乞いを相手にするように邪険に扱った髭面の男は、やって来たアルシェの顔を見た途端、子供はおろか大人すらも怯えるその顔に満面の笑みを浮かべ、揉み手をしながら奥へと通した。そして、クッションのきいたソファーを進め、上等の赤ワインを手ずから注ぎ、追従の笑みと共に彼らを接待した。

 そのあまりにも手厚い歓待の様子、特にアルシェからすると前回とのあまりの変わりように、彼女は目を白黒させた。

 

 

 

 実は前回の訪問の後、アルシェは通りでベルとマルムヴィストの2人に出会う事となったのだが、その後、彼らと連れ込み宿から出てきたところを、街の者にしっかりと目撃されていたのである。

 マルムヴィストに関する情報をほんの少しでも探し求めていた裏社会の者達の間で、その噂は瞬く間に広がり、本人たちの全くあずかり知らぬ所で、アルシェはマルムヴィストの愛人であるという話がまことしやかに語られたのだ。

 

 

 それを聞いた、かつてアルシェに冷ややかな態度をとった人身売買組織の男は震えあがった。

 

 ――自分の愛人を邪険にされたマルムヴィストが報復に来るかもしれない。

 

 男はこの数日、額に脂汗を浮かべながら過ごしていた。

 廊下の角から誰かが飛び出して来るのではないかと、恐怖に震えた。

 悪夢にうなされ、夜中、飛び起きることもままあった。

 

 そんな折、再びアルシェが自分の許を訪れたのだ。

 今こそ、前回の失態を払拭(ふっしょく)するチャンスとばかり、必死で彼女のご機嫌取りに走ったのである。

 

 

 そんな事情など知る由もない彼らフォーサイトは、とにかくモーリッツ家が何者かに襲撃された件を説明し、その家にいたはずのクーデリカの行方についてなにか知っていることは無いか尋ねた。

 それを聞かされた男は、ゼンマイ仕掛けのように飛び上がり、すぐに調べてきますと一声叫ぶと、転がるように部屋を飛び出て行った。

 

 

 情報を集めている間、男たちを退屈させないよう半裸の見目麗しい女達があてがわれた。ヘッケランとロバーデイクに絡みつきながら、その手の酒杯に酒を注ぎ、時には口移しで飲ませようとするなどの歓待をした。その行為にロバーデイクは固まり、ヘッケランはやに下がり、イミーナとアルシェからは冷たい目で見られた。

 もちろん彼女らの為にも男娼が――それこそたくましい男から年若い少年まで――用意されてはいたのであるが、そちらはいかにも不機嫌なイミーナの眼光によって追い払われた。

 そうしてヘッケランがイミーナの氷のような視線をものともせずに、己が顔面に押し当てられる豊かな双丘――それは彼の恋人にとって、生まれ変わらぬ限り、絶対に手に入れることのないほどのものであった――の感触に心奪われていると、主である髭面の男が部屋の入り口にかけた垂れ布の向こうからまろび出てきた。

 

 

 疲労と緊張に震える彼の口から語られたのは、死の神とやらを崇めるという邪教組織が、モーリッツという貴族の館に押し入り、娘を攫ったらしいという事。その組織では毎回、若い娘を生贄として殺しているという事。

 

 それを聞いたアルシェは血相を変えた。

 男にその攫われた娘の居所を問いただした。

 だが、額に汗を浮かべている男もそこまでは知りえなかった。

 

 そこで激昂するアルシェは男にはさらなる情報収集を要求し、怯えた男は再度部屋を飛び出て行った。

 そうして、じりじりとした焦燥に駆られながら、さらなる時間をその場で過ごした後、ついに生贄となる娘の輸送方法を入手したのである。

 

 

 ただ、その手に入れた情報というのは完全なものではなかった。

 どうやら生贄は複数人用意されるようであり、しかもそれぞれバラバラに、さらに幾人もの人間の手を経て移送されるらしい。そして、その生贄の隠し場所及びそこから邪教組織の会合場所までの完全な輸送ルートは分からず、分かったのは生贄の輸送に関わるであろう数人の運び屋が担当する区間のみの、とぎれとぎれのものでしかなかった。

 

 4人しかいないフォーサイトではその全てのルートを抑えることは出来ない。

 その為、苦渋の決断として彼らが選んだのが、分かった範囲で予想を立て、特定のルート上を移動する馬車を狙うというものだった。

 

 正直、出たとこ勝負な作戦であった。

 なんとか、輸送の馬車が通る区間は判明したものの、そこを通る正確な時間などは分からないし、それぞれの場所も離れている。かなり運が絡む事になってしまうが、移動中の馬車の後をつけ、最終的に邪教組織の集会所に集められたところを狙うよりはリスクが少ないと判断された。

 そういった会合場所には当然、強固な護衛もいるだろう。その守りを突破して生贄を助け出し、そして離脱するのは考えるだけでも困難な事は目に見えていた。そちらは、このやり方で見つけられなかった場合の本当の最終手段としておきたかった。

 

 

 そうして生贄となる少女を輸送する馬車を探して行動していたフォーサイトであったが、たまたまアルシェとロバーデイクの2人が別れて行動していた時に、幸運と言っていいのか悪いのか、ヘッケランとイミーナがそれらしい馬車が近づいてくるのを発見することが出来た。そこでその場にいた2人だけでその馬車を制圧。そして荷台に転がっていた、生贄の少女と入れ替わったベルを助け出したという訳だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「どうする? 次に一番近いのはここだが……」

「うーん……。近さではそこだけど、待ち伏せには向かないわね。ちょっと離れるけどこっちの方が……」

 ヘッケランとイミーナの2人は、その手の地図に目を落とす。

 

 馬車で運ばれていた生贄の娘を助けはしたものの、結果は外れであった。馬車の荷台で見つけたのは、目当てのクーデリカではなく見知らぬ女の子であった。

 そこで彼らは情報を掴んでいる別の馬車が通るルートのうち、次はどれをおさえるべきか話し合っていた。移動距離と時間を考えると、あまり余裕はない。

 

 彼らは立った状態で地図を広げて話をしているので、残念ながらベルの身長では、その地図を覗き込むことも出来ない。

 ベルは自分を運んできた馬車に寄りかかり、とりあえず顔には不安そうな表情を浮かべつつ、彼らの話をこっそりと盗み聞きするしかなかった。

 

 

 

 正直、ベルは困っていた。

 ベルの目的は、邪教組織の集会場所を突き止めることと、生贄として攫われたはずのクーデリカを見つける事である。

 その為、こうして生贄の娘と入れ替わり、集会場所まで運ばれるつもりだったのに、この何者とも知れない男女に『救出』されてしまったのである。

 

 

 とにかく、ここでぼうっとしていても仕方がない。

 すぐにこの場を離れ、どうにかして集会場所を捜しに行かなければいけないのであるが……。

 

 

 ベルが動こうとすると、2人のうちエルフの血が混じっているらしい耳の尖った女がこちらに視線を向けた。

 安心させるように笑みを浮かべ、心配しなくていいと声をかけてくる。

 そこでベルからも話しかけた。

 

「あ、あの……助けてくれてありがとうございます。……でも、お家に帰らなくちゃ……」

 

 とりあえず、何者かに攫われて不安そうな少女といった演技でおずおずと声をかける。

 その声に、イミーナは怯える少女を安心させようと柔らかい声でなだめた。

 

「落ち着いて。大丈夫、後で安全なところまでは送って行ってあげるから、ちょっと待っててね」

「……でも、実際の所どうする気なんだ? まさかこの子を連れて探し回るのか? 移動が遅くなるし、それにこの子の安全も保障できないぜ」

「それは分かってるけど……違ってたから、ここではい、お別れって訳にもいかないでしょ。とにかく、もうしばらくしたらアルシェとロバーデイクが合流してくるはずだから、それからにしましょう。全員一緒ならこの子一人連れてても何とかなるんじゃない?」

 

 

 イミーナの口から出てきた名前に、ベルは驚愕のあまり顔をこわばらせた。

 

「あの……お姉ちゃんたちはもしかしてワーカーのフォーサイト?」

 

 その言葉にヘッケラン達も驚いて目を丸くした。

 

「え、ええ、私たちはフォーサイトだけど……あなた、一体どこで私たちの名前を知ったの?」

 

 

 その答えにベルは、その整った顔を少女らしからぬ様子でひきつらせた。

 

 

 ――フォーサイト? こいつらが? しかもアルシェが合流する?

 拙い! アルシェには自分の面が割れている。

 顔を突き合せたら、根掘り葉掘り聞かれる事は間違いない。自分の素性はそんなには語ってなかったものの、なんと言い(つくろ)えばいいのか……。

 

「あ、あの! おれ……ボク、ここから1人で帰れるから、大丈夫だよ!」

  

 突然息せき切って、そんなことを言いだした少女に面食らったものの、彼らは首を横に振った。

 

「駄目よ。この夜道を女の子1人で歩くのは危険だわ。それにあなた、ここがどの辺りなのか分かってるの?」

「ええと……それは……」

「ほらね。知り合いを心配させたくないのかもしれないけど、軽挙はだめよ」

 

 そうイミーナは、慌てる少女をたしなめる。

 

 おそらく服装から見るに、この少女は平民ではなく下級貴族あたりの娘なのだろう。フォーサイトの事を知っていたのは、その家が自分たちに依頼でもしたことがあるからだろうか? もしかしたらアルシェも貴族の家柄だったというから、彼女と面識があるのかもしれない。

 どうも自分たちと関係があるのを知られたくない様子みたいだから、こっそりと家を出たところを攫われたとかで親に知られたくないからだろうか?

 とにかく理由がどうあれ、こんなところに置いていくわけにもいかない。帝都は治安がいいとはいえ、それでも夜間にこんな少女が一人で街を歩けるほどではない。

 

 だが、その少女は更に言いつのる。

 

「い、いや! 大丈夫だよ。そこは……」

 

 ビリィィッ!

 

 その時、布が裂ける鈍い音が響いた。

 

 

 

 ベルが背を預けていた馬車。

 貴族が乗る馬車のように職人の手による丁寧な仕上がりなどは施されておらず、頑丈さを重視しただけの粗末なものであり、また年数による補修も幾度も受けてきたであろう代物だった。壊れた箇所を補修するため打ち付けた釘なども、完全に木板の中に埋まりきっておらず、ところどころ外へ飛び出しているものもあった。

 そんな釘頭の一つ。

 それがベルが勢いづいて話そうと身を乗り出した際、その服の襟に引っ掛かり、またベル自身の怪力も相まって、着ていた布地が一息に大きく破けることになってしまった。

 

 ベルが自分の服を見下ろすと、襟口から腹の近くまでが大きく縦に裂け、そのほっそりとした白い肩口から、そのほとんどふくらみの無い胸元までが、夜の冷たい空気に触れていた。

 

 

「ヘッケラン、アンタは向こうを向いてなさい!」

 

 その姿――特に胸――を思わず凝視したヘッケランを蹴とばすと、イミーナがベルの下へ駆け寄る。

 そして、その大きく裂けた服を見て顔をしかめた。

 

「これは……困ったわね。何か、着るものがないと……」

 

 そう言いつつ、傍らに置いていた背嚢(はいのう)を持ってきて、その中を漁る。

 事が終わった後は、そのまま帝都を脱出するつもりだったため、着替えを始めとした予備の服もまたその中に入っていた。

 そこから何着か服をひっぱり出し、この少女が着れそうな服を捜す。

 

 だが、さすがにベルとイミーナでは身長に差があるため、どの服でもいいという訳にはいかない。幸い、少女の胸のサイズはイミーナと大差がないため、そこは気にしなくてもいい。

 ただ、年齢差を考えると、そこは暗澹(あんたん)とした気持ちになるのだが、ハーフエルフと人間という種族差があるから仕方がないと自分に言い聞かせた。

 

 そうして、あれでもないこれでもないと背嚢の奥から服をひっぱり出していると、その指先に他とは異なる上質の布の手触りがした。

 ひっぱり出してみると、以前、ヘッケランからプレゼントされた白い袖なし服に竜の刺繍が施されたあの服だった。

 

 さすがに、この太もものスリットが大きく空いた服をこの少女に着せるわけにもな、と苦笑を浮かべたイミーナの頭が――。

 

 

 

 ――次の瞬間、はじけ飛んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ま、まさか……」

 

 ベルは唖然として、呟いた。

 自分の目で見たもの、今、目の前にあるものが信じられなかった。

 

 

 半森妖精が手にしていた服。

 白銀に光り輝くチャイナドレス。その表には金糸で、舞い上がる竜の絵が描かれている。

 

 

 それに向けて、イミーナの血と脳漿で汚れた白い手をのばす。

 

 

 

 この世界に来る前、ユグドラシル最盛期の頃、ベルもまた動画サイトで目にしたことがある。

 あれはたしかアインズ・ウール・ゴウンが「な、なんだ?」カロリックストーンを手に入れたころの事だったか。「おい! イミーナ!」その頃はベルも、熱心に「う、嘘だろ……」ユグドラシルの情報をネットで集めており、ウィキや「て、てめえ! ふざけやがって!!」あちこちの掲示板に大量に流されている、真偽も定かではない様々な情報に日夜、「死ね!」目を通していた。その頃は鉱山の件で他のギルドにウロボロスを使われた直後という事もあり、「くそ、なんだ!」特にワールドアイテム関連の情報を漁っていた。もちろん、「どうなって、どうなってるんだよ!」ほとんどは嘘だとは分かってはいたが。その中の一つに、ワールドアイテムを使用した際の映像があった。「なんで剣が通らない!?」そういうものは、動画編集による捏造がほとんどだったのだが、「化け物か!」この服の造形はその時に見た物とまったく一緒だった。「ちくしょう!!」

 

 

 

 ――って、うっせえな! さっきから!

 

 

 

 ベルが険のこもった眼で振り向くと、憤怒と絶望を共にその顔に湛えたヘッケランがベルの背中に、手にした剣やメイスを幾度も振り下ろしている。

 

 考え事を邪魔されたベルは鬱陶(うっとう)しいとばかり、力任せにその腕を振るった。

 弾き飛ばされたヘッケランは壁に叩きつけられ死んだ。

 骨まで砕けたその体は、叩き潰された虫のごとく、ズリズリと血の跡を残しながら壁を擦り落ち、床へと崩れ落ちた。

 

 

 ようやく静かになったと、その手の服に目を戻す。

 そして、アイテムボックスから巻物(スクロール)をひっぱり出し、〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使用する。

 

 その結果にベルは息をのんだ。

 

 

 

 ――間違いない!

 これはワールドアイテム『傾城傾国』だ!!

 

 

 なんで、こんなものがここにあるんだ!?

 

 いや、この世界はおかしかった。

 どういう訳だか、魔法、特殊技術(スキル)、各種アイテムの効果など、ゲームのままだった事。ゲームの頃の世界法則が通用した事。

 そう、自分たち以外にも、この世界に来ていた者がいてもおかしくはない。

 アインズとベルがナザリック地下大墳墓と共に転移してきたように、ギルド拠点やワールドアイテムと共に、転移してきた者がいてもおかしくはない。

 

 

 そこまで考えたとき、ベルの脳裏に甦ってきたものがある。

 

 それはエクレアが洗脳された時の事。

 あの時の、一切魔法がきかないらしい状態異常。

 そしてあの時聞かされた、不思議な力を使った老婆。その老婆が着ていた服装。

 

 ――まさか、これか!?

 『傾城傾国』か?

 しかし、そうだとするならば、どうしてこいつらはそんなものを持っていたんだ?

 あの婆さんはマーレの魔法で死んだはず。あの後、自分が行って捜索したが、そんなものは見つからなかったというのに。

 何故、ただのワーカーが?

 

 

 次々と頭の中からあふれ出てくる思考の波に混乱するベル。

 その時、その耳に響いたものがあった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「な!? まさか、ヘッケラン!!」

 

 ロバーデイクは絶句した。

 壁際に崩れ落ちた若い男のその体は、何か巨獣に跳ね飛ばされ、激しく壁にでもぶつかったようにひしゃげ、潰されていた。だが、その顔は目や耳、それに鼻、更には耳とすべての穴から血を流してはいるが、長年共に肩を並べてきたあの年若い戦士のものに間違いなかった。

 

「すると、やはりこちらは……」

 

 顔を動かすと、石床にひざまずいたアルシェの前に倒れ伏す頭部のない死体が目に入る。その特徴的な耳はすでにないが、その服装もまた見慣れたもの。

 イミーナに間違いなかった。

 

「そんな、どうして……」

 

 アルシェの頬を伝って、涙が零れ落ちる。

 その涙は血に染まったイミーナの遺体に落ちた。

 

 

 彼らがここに来たのはわずか数分前の事。

 

 当初、フォーサイトの4人は邪教組織の生贄を運ぶルートを見張りに行ったのだが、彼らが向かった先ではすでに目的の馬車は通り過ぎた後だった。

 その為、彼らはチームを2つに分けた。アルシェとロバーデイクは一旦歓楽街に戻り、新たな情報を手に入れてくる。そしてヘッケランとイミーナは馬車が通るらしい別の場所に一足先に向かい、そこでまた合流するという手はずだった。

 

 だが、そうして新たな情報を仕入れてやって来た2人が目にしたものは、停止した馬車とその前に倒れる首なし死体。そして壁際で倒れるもう1人の死体であった。

 

 

 即座に傍らの馬車に目をやった。

 ものすごい勢いで跳ね飛ばされたようなヘッケランの遺体を見て、もしや馬車に跳ね飛ばされたからでは、と考えたのである。しかし馬車にはそんな痕跡はないし、それを曳く馬も力はそれなりにありそうだが、速度が出るようなタイプではない。

 

 荷台を覗くと縛られ、目隠しをされた御者が気絶した状態で転がっていた。

 彼を起こして話を聞いたが、どうやら馬車を走らせている途中で――おそらくイミーナの手により――一瞬のうちに意識を失わされたらしい。何が起こったのかも理解していない様子だった。馬車から地面に降り立ち、そこで初めて転がっている死体に気がつき、彼は悲鳴と共に尻餅をついた。

 ロバーデイクは彼に、今夜の事は他言無用と言い含めてその場を去らせた。御者の男としても、本来、請け負っていたはずの袋に包まれた人間らしきものの輸送に失敗したことになるため、このことは誰にも言う気はなかった。

 そうして男は馬車に乗り、ほうほうの(てい)でその場を立ち去って行った。

 

 

 それを見送ったロバーデイクは崩れ落ちそうになる膝に力を入れ、悲しみ嘆くアルシェに近寄った。

 

「行きましょう。アルシェ」

「でも、2人が……」

「アルシェ、悲しんでいても2人は戻りません。今、優先すべき事は何ですか? それはあなたの妹を助け出すことですよ」

 

 涙にぬれた瞳でロバーデイクを見返すアルシェ。

 そんな彼女に巨漢の神官は優しく言った。

 

「私たちはワーカーです。命を懸け、危険の中に飛び込んで依頼を果たすのが仕事です。私たちの今回の任務、あなたからの依頼は――アルシェ、あなたの妹の救出です。ヘッケランもイミーナもその途中で命を落としたんです。彼らの為にも、この任務はやり遂げねばなりません」

 

 そういうと、彼は背嚢から2枚の布を取り出した。

 

「これは安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)です。彼らの遺体はこれで包んでおきましょう。どこかに運べればよいのですが時間がありませんので、ここに置いておくしかありませんが。あなたの妹を助けた後、街を脱出する際には彼らの遺体も共に運びましょう。復活の費用は膨大なものかもしれませんが、上手くすれば生き返らせることが出来るかもしれません」

 

 ロバーデイクは手早く彼らの遺体を包んだ。アルシェもまた、立ち上がりそれを手伝う。

 数分後、布にくるまれた2つの遺体は出来るだけ目立たぬよう、壁際の暗がりに並べられた。

 それに目をやり、ロバーデイクは一瞬、沈痛な面持ちを浮かべたものの、奥歯を噛みしめ表情を変えた。

 

「さて、これからですが、Eー3地区に行きましょう」

「そこって邪教組織の集会場所があるところじゃない? まさか、集会場所に乗り込む?」

 

 アルシェが地図を広げ、2人はそれを覗き込む。

 さすがに集会の時間ギリギリまで調べ続けた情報だけあり、彼らはより正確な輸送ルート、そして邪教組織の集会場所までも把握していた。

 

「いえ、さすがにそれはしません。しかし、通るかどうかわからないルートをはっていても、とりこぼす可能性があります。そして、その事に気づいた後に集会場所に向かった場合、間に合わない可能性もあります。ですので出来るだけ近い場所で張りましょう。もっとも、あまり近すぎても気がつかれる可能性があります。集会場所がここの赤レンガの3本塔がある倉庫ですので、ええと、このあたり。同じブロックでもギリギリ端のこの地点、ここで待ち伏せましょう」

 

 籠手に包まれた指先で、地図の一点をさす。そこには輸送ルートを示す赤い線が引かれている。

 それを見てアルシェはうなづいた。

 

 

 駆けだすロバーデイク。

 アルシェはそれに続き……。

 一度だけ振り向いて、マジックアイテムに包まれ眠りについている彼女の友人たちを見つめ、そしてまだ生ある仲間の後を追った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 2人の足音が消えたのを確かめ、ベルは暗がりから、さかさまに顔をのぞかせる。

 人間ならば3人分はあろうかという高さから、音もなく石畳の上に飛び降りた。

 

 

 先ほど、何者かが近づいて来た足音に気がついたベルは、即座に手にしていた『傾城傾国』をアイテムボックス内に放り込んだ。そして、すぐ脇の建物にその跳躍力をいかして飛び上がり、張り出た屋根の軒にしがみついて、身を隠していたのだ。

 ただでさえ明かりの乏しい夜の暗がりの中、普通の人間が視界に収めることのない高さにある影の中など、気がつくことなど出来はしまい。

 そう考えたとっさの行動であったが、どうやら功を奏したようだ。

 

 

 そうしてベルは、ふむと考え込む。

 

 

 この安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)とかいうマジックアイテムに包まれた死体をどうするか?

 

 この世界では蘇生に莫大な金が必要らしい。

 この2人が生き返る可能性は、先ほどの話を聞いていた限りでは、あまり高くもなさそうだ。

 

 だが、可能性は低くとも生き返る可能性はある。そして生き返られるととても拙いことになる。何せ彼ら、とくにヘッケランという男の方は、自分たちを殺したのがベルだという事――まあ、名前は言っていなかったが――を知っている。下手にそのままにしておいたら自分の事が妙なところで広まる可能性も否定できない。

 

 そうならないためにも、ここは誰もいないうちにこの死体を持ち去ってしまい、復活できないようにするのが得策か。

 

 少々気の毒だが、そこは仕方がない。

 どうやら彼らは、捜していた人物と勘違いしたためだったようだが、本当に善意で助けてくれたのであり、それを殺してしまったのは少々心が痛む。

 実に悲しい出来事だった。

 

 

 だが、それもワールドアイテムの為なら仕方がない。

 

 

 この地におけるナザリック強化こそ、何をおいても達成せねばならない最大の目的であり、この殺人と略奪はその為なのだから。

 これもまた最低限の犠牲といえる。

 

 ワールドアイテムというものは何をしても、いかなる犠牲を払おうとも手に入れるべきものなのだ。

 それこそ今回の一件、邪教組織の壊滅やクーデリカの捜索に例え失敗しようとも、ワールドアイテムの奪取を優先させてしかるべきことだ。

 

 アインズだって、責めはしないだろう。

 むしろ、ナザリックの為の最大の貢献となる行為だ。

 ナザリック内のNPCたちからのベルへの評価も、かつてのギルメンと並びまではしないだろうが、それに肉薄する程になるだろう。

 あくまでギルメンの娘だからではなく、ベル個人としての確固たる地位を築くことが出来るのは間違いない。

 

 

 ベルは乾いた唇を舐め、にんまりと口元に笑みを浮かべた。

 

 

 ――あ、そうだ。

 何だったら、この2人は生き返らせてしまってもいいかもしれない。そうすれば、フォーサイトに恩を売るというのもついでに達成することができる。

 蘇生させたうえで、ナザリックの誰かに〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使わせて、ベルが殺したという部分の記憶を消してしまえばいい。

 幸い、この現場の目撃者は誰もいない。

 この2人の記憶、それも数分程度だけ誤魔化してしまえば真実を知る者はいなくなる。

 真相は闇の中だ。

 荷物は失くしたことにすればいい。

 ああ、そうだ。この『傾城傾国』の入手経路も確認しておいた方がいい。魔法で尋問すればすぐだろう。もちろん尋問の記憶も消しておかなければならない。

 あとは適当な理由をつけて、生き返らせた2人をアルシェ達に引き合わせればいいだけだ。

 ふむ。それでもいいな。

 うん、そうしようかな。

 

 

 

 そう気楽に考えていたベル。

 

 だが、その時――彼女の背筋に電流のような閃きが走った。

 

 

 

 ――ん? 目撃者がいない?

 

 誰も?

 

 そう、誰も。

 

 

 つまり、この地に住まう者達だけにとどまらず――ナザリックの者達ですらも。

 

 

 

 ベルは辺りを見回す。

 誰もいない。

 目撃者はいない。

 

 

 

 

 普段なら、ベルが行動するときには必ずお供がついていた。大抵はソリュシャン、彼女がいないときには誰か別の者、最低でもギラード商会の誰か。

 だが、今は生贄のふりをして邪教組織の集会場所を突き止めるという任務の為、供の者は誰もいない。

 今この瞬間を見ている者は、先ほどの一件を見ていた者は、この世に存在しない。

 

 

 

 すなわち、ベルがワールドアイテムを手に入れたことを知る者は、アインズ、そしてナザリックの者達を含め、誰一人としていないのだ。

 

 

 

 アイテムボックスを開いて、それをもう一度取り出す。

 

 ワールドアイテム『傾城傾国』。

 

 

 

 ベルは常に恐れていた。

 アインズと敵対することを。

 

 この世界の者達に対しては100レベルキャラとして圧倒的な強さを発揮できるベルであるが、そもそも100レベルのプレイヤーキャラクターとしてはそれほど強いわけではない。

 前衛アタッカーではあるのだが、あれこれと職業(クラス)をばらけて取り、自身の生存性を重視した、様々な状況に対応できる万能タイプであり、ガチ勢でも特化型という訳でもない。特に現在は少女の姿になったことによる戦闘スタイルの変化、及びリーチの減少という弱体化が(はなは)だしい。

 下手に100レベルキャラと戦闘になったら、かなり拙いことになる。

 そしてベルの近くにはそんな存在がいるのだ。

 それも常にワールドアイテムを所持している100レベルキャラがすぐそばに。

 

 モモンガの保有しているあのワールドアイテムは使用に際し、相応のペナルティもあるため軽々には使えないとはいえ、そのようなデメリットもある分、桁外れの威力を発揮する。 

 

 もし万が一、ベルがアインズの機嫌を損ない戦闘にでもになった時、ベルの勝ち目はそれこそ万に一つもない。

 

 

 

 だが、この手に入れた『傾城傾国』があれば……。

 

 

 無論、これがあったとしても、ベルの不利は変わらない。ワールドアイテムを保有している事によりワールドアイテムの効果はうけないが、そもそもの地力が違うのだ。

 しかし、効くと思って放たれたワールドアイテムの効果を無効化できれば、相手の思わぬところで一手、先んじることが出来るのである。

 

 

 また、このアイテムの効果は相手の精神を操り味方とすること。

 上手く使えば、いくらでも有用に使える。ただ下手に使えば、それこそ無用の長物ともなりかねない。これは検証実験が不可欠になるが。

 

 ユグドラシル時代は、ワールドアイテムだけあって――一度に操れるのは一体だけでしかなかったが――ワールドエネミーでもない限り、精神を操る対象に制限はなかったはずだ。

 ……ナザリックの守護者クラスでも操れるかもしれない。

  

 仮に、たった一人だけ味方につけるとしたら――味方につける事で最も有利になる者は誰か?

 ベルは守護者たちの顔を、次々と頭に思い浮かべる。

 直接戦闘能力でシャルティアか?

 それとも、広範囲攻撃を考えるとマーレか?

 いや、直接的な戦闘能力はそれほど高くなくとも、やはり知恵のきくデミウルゴス辺りを味方につけてしまうのが一番だな。

 もし、デミウルゴスを味方につけることが出来れば……。

 

 

 

 その時、さらなる閃きが走った。

 

 

 

 ――この効果……もしかして俺たちにも効くのか?

 

 

 ………………つまり、アインズさん本人にも………………。

 

 

 

 その想像に、ベルは思わず身震いした。

 アインズは常に胸の内にワールドアイテムをぶら下げている。

 それがある限り、アインズにはワールドアイテムの効果は及ばない。

 

 だが、なんらかの口実をつけて、それを外させることが出来れば……。

 

 

 ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 

 

 

 そこまで考えたところで、ハッとしてベルは頭を振った。

 

 ――待て待て。落ち着け。

 そうだ。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 やらなければいけないことがあるんだ。

 

 思いもよらず、ワールドアイテムが手に入ったわけであるが本来の目的、邪教組織の壊滅とクーデリカの捜索をきっちりやらねばならない。

 そちらをおろそかにしていると、なぜそちらの計画が頓挫(とんざ)したのかという事を説明しなければならなくなり、そこからこの場での事、『傾城傾国』を入手したことがばれてしまうかもしれない。

 

 

 

 『傾城傾国』を手に入れたのは、誰にも知られるわけにはいかない。

 これは切り札となる。

 そう、この世界に来てついに手に入れた、自分一人が使えるワイルドカード。

 

 これは……ナザリックのものじゃない。

 これは俺の――俺だけのワールドアイテムだ。

 

 

 

 そうして、ベルは『傾城傾国』を再びアイテムボックスの中に放り込み、これまでの頭を切り替えた。

 今、真っ先にやらなければならない事は、今回の件を誰にも疑念を持たれることなく収める事だ。

 その為には……。

 

 

 あの2人、アルシェと神官の男――たしかロバーデイクだったか――は話していた。

 邪教組織の会合場所は、倉庫街のE-3地区にある赤レンガの3本塔がある倉庫。

 確かにそう言っていた。

 

 事実かどうか、行って確かめる必要はあるが、これは有益な情報だ。

 偽情報の可能性もあるが……ふむ、そうだな。

 

 

 ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 それは数秒程度ですぐに繋がった。

 

《もしもし、ベルさん。どうしました? なにか、想定外の事でも?》

《ええ、ちょいと問題がありまして。つかぬことを伺いますが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉はどうしてます?》

《そちらは起動していますよ。先に決めた通り、ベルさんの方ではなく、今はソリュシャンの所を映しています。無事、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達と合流できたみたいです》

《そうですか。そりゃあ、良かった》

《? ええ、そうですね》

 

 安堵の色が混じるベルの口調になにやら妙な感じ、まるでインスタントラーメンを作るときに粉末スープなどが入った袋を取り出さないまま容器にお湯を入れたような、言葉にならない奇妙な違和感を覚えたのだが、続くベルの会話にはいつもと変わった感じはなく、気のせいかとアインズは流した。

 

《さてと、それで話なんですがね。どうやら生贄の輸送ですが、ダミーとかも用意していたみたいですね》

《ダミーですか?》

《ええ、俺が入れ替わったのはダミーで、これは集会所までは行かないみたいでした。殺されそうになりましたよ。まあ、逆に殺して死体は始末しておきましたが》

《そうですか。では、肝心の集会所が見つからないという事ですか?》

《それなんですが、そいつらがしゃべっていましたよ。邪教組織の今回の集会場所は、帝都の倉庫街、E-3地区にある赤レンガの3本塔がある倉庫だそうです。一応、これから確認に向かいますが、帝都に展開しているアンデッド達も倉庫街の付近に移動をお願いします》

《分かりました。では、私の方から各人に〈伝言(メッセージ)〉を送っておきますね》

 

 そう言うと、〈伝言(メッセージ)〉は切れた。

 

 

「さて、運よく予想通り」

 ベルはつぶやいた。

 

 最大の問題は解決した。

 ベルが生贄として運ばれていくところを、アインズが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で監視していて、先の一件をずっと見ていたとかいう事だと拙かったのであるが、アインズは当初の打ち合わせ通り、こちらは見てはいなかったようだ。

 最初、アインズはそれを提案したのであるが、下手にベルの行く先を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で監視していると、もしかしたら誰かの対監視に引っ掛かり、生贄というのが怪しまれるかもしれなかったため、集会場所までたどり着き、連絡が来るまではベルの方を覗かないようにと決めていたのである。

 

 まさか、それがこんなところで有利に働くとはと、ベルはほくそ笑んだ。

 

 

 

 ベルは再び、安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)に包まれた死体に目をやる。

 

 そうと決まれば、こいつらには復活してしまっては困る。

 ベルは〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉など使えないし、巻物(スクロール)もない。もしかしたら宝物庫なり図書館なりに転がっているかもしれないが、それを捜すためにはそのどちらを選んでもナザリックの者に知られる可能性がある。

 そんなリスクは取れない。

 

 結論として、こいつらには死んだままでいてもらおう。

 

 ただ死体を損壊するだけでは蘇生の成功率が低くなるだけで、可能性としては残ったままになってしまう。

 やはり、死体を持ち去ってしまうのが一番だ。後でどこかで処理してしまおう。

 

 

 そう考えると布に包まれた死体を抱え上げ、ベルは自分のアイテムボックスへと放り込んだ。

 

 

 しかし、そこで思わぬトラブルが生じた。

 ヘッケランの方はというと、難なくアイテムボックスの異空間内に放り込めたのであるが、問題はイミーナの方だった。

 頭部が無くなったバランスの悪い身体なのだが、なぜかアイテムボックスには全て入らず、途中で引っ掛かってしまうのである。

 

 このことにはさすがにベルも焦った。

 こんなところで計画に支障が出ては困る。

 

 

 ――いったい何が起きているのか?

 もしかしたらアイテムボックスには使用制限があるのか?

 それとも何か別の要因があるのか?

 

 

 焦燥に身を焼かれながら、何度も試行錯誤していると、ある事に気がついた。

 

 イミーナの身体であるが、途中までは普通に入るのだ。だが、ある一点からそれ以上入らなくなってしまうのである。

 

 なんだろうと疑問に思い、その身を包む安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)を解いてみたり、彼女の服や装身具を取り除いてから、再度試してみたりもしたのだが、それでも結果は変わらなかった。

 何故か彼女の胴体、下腹辺りが入っていかない。

 

 

 だんだんイライラしてきたベルは、彼女自身のダガーを手にとり、その腹を割いて見た。

 すると、そこに奇妙なものがあった。

 

 

 ヴィクティムに似た、それよりもっと小さいもの。当然羽もないし、宙にも浮かないのであるがやや赤黒いところもあるピンクの物体がピクリピクリと動いていた。

 

 もしかしてと思い、それを引きずり出した状態でイミーナの身体をアイテムボックスに入れてみると、腹が切り裂かれ内臓がはみ出している状態ながらも、難なく収めることが出来た。

 対して、そのピンク色の蠢く物体は入れることは出来ない。

 

 

「ああ、なるほど」

 ようやく事態が理解できた。

 

 つまり、おそらくこれはイミーナの腹に宿っていた胎児であり、生命あるものと認識されたのだろう。生き物はアイテムボックス内には入ることは出来ない。その為、これが体内にある状態では、イミーナの死体をアイテムボックス内に入れることは出来なかったのであろう。

 

 

「それにしても、これが胎児か」

 

 ベルとしても本来は女の腹の中にいる状態の生きた胎児など、書籍程度でしか見たことは無い。

 

 ――これが人間の赤ん坊になるのか?

 

 まじまじと見ると、実に不可思議な形状の生き物だ。  

 イミーナの腹から取り出されている状態のため、段々と動きは鈍っているものの、親指で押すとそのぶにゅぶにゅとした身体を震わせる。

 

 

「――っと、そんなことしている場合じゃないな」

 

 ベルは気持ちを切り替える。

 ヘッケランとイミーナの死体の回収は済んだのだから、今はとにかく急いで、その邪教組織の集会所に向かわなくてはならない。

 

 ポイと手にしていた胎児を地面に放り捨てる。

 血となにかの粘液っぽいものに包まれた胎児は地面に落ち、石畳の上を転がった。

 ベルは敷石の上でまだぴくぴくとしているそれに目を向けると、靴で踏みつけた。

 虫のような固い外身もなく、まだ骨もしっかりとは出来ていない状態の為、踏みつけてもぐにゅりとした気持ちの悪い感触しか、その足には伝わってこなかった。

 

 

 そうして、すでに興味を失った胎児から目をそらすと、ヘッケランらが持っていた地図を広げる。

 その紙面上で、ロバーデイクらが邪教組織の集会場所と言っていた地点を確かめると、一息に建物の上まで跳躍する。

 

 そして、蒼白い月光の冴える中、目的地めざして屋根の上を獣のように駆けて行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 弦楽器の奏でる緩やかな音に満たされる会場。

 そこでは誰もがまばゆいばかり煌めきを放つ装身具に身を包み、世界中より集められた美酒と美食に舌鼓を打ち、華美に飾られた表現の行き交う会話に花を咲かせていた。

 頭上高くに据え付けられているのは、満天の星の輝きのごときシャンデリア。それだけでも下手な貴族の数年分、平民ならばそれこそ一つの村の100年分の収入すらも上回るであろう、この世の至高に等しき芸術品は、その下で蠢く虚飾と欺瞞、そして欲望にまみれた人面獣心のパーティーに、色とりどりの宝石に彩られた光の雨を降り注がせていた。

 

 そんな偽りの笑顔と追従の溢れる中にいた、一際目を引く若い男性。

 今もさわやかな笑顔と会話で、南方の密林に住むという美しい鳥たちのように着飾った妙齢の女性たちを楽しませていた彼の許に、この華やかな場にはいささかそぐわぬ目立たないような服装を身に着けた男が近寄ると、その耳元にそっとささやいた。

 それを聞いた彼は、女性たちに中座する非礼を詫び、にぎやかな音に満たされた宴席を後にした。

 

 

 

「どうしたというのだ?」

 

 宴席を抜け出した彼、鮮血帝ジルクニフは、会場から少し離れた控えの間で、顔をそろえた配下の者達を見回した。

 その場には秘書官であるロウネ・ヴァミリオンの他に、帝国四騎士のうちの3人、ナザミ・エネック、ニンブル・アーク・デイル・アノック、バジウッド・ペシュメル、そして主席魔法使いフールーダ・パラダインまでもが顔をそろえていた。

 

 ジルクニフは悠然と余裕を見せた態度であるが、そこに居並ぶ顔ぶれに、これは大ごとのようだなと内心、気を引き締めた。

 

 

 そして、そのなかでロウネが代表して説明を始めた。

 

「陛下。緊急の事態でございます。この帝都において、アンデッドの群が確認されました」

「なんだと」

 

 思わず声を荒げそうになったが、何とか腹に力を入れ、低い声で押さえた。

 

「いまだ全戦力の詳細は調査中でございますが、少なくとも武装したスケルトンが100体以上、そして複数の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も確認されております」

「……っぬぅ……!」

 

 今度はさすがにその動揺を噛み殺しきることは出来なかった。

 

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 本来ならば幾多の怪物(モンスター)を配下に置き、遥か地底の奥深くに作られた死の迷宮、その最奥で待ち構えるアンデッドの主である。

 それが複数。

 それだけで、その身に宿す魔導の奥義により、下手な軍隊すらをも滅ぼせる程だ。

 しかも、そいつらは3桁におよぶスケルトンの群まで率いているという。

 

「そんな連中がどうやって、帝都に現れたというのだ?」

「原因は不明でございます。ですが、きやつらは人目につかないようにしているようですが、どうやら帝都の倉庫街の方へと集まって行く様子」

「倉庫街? 一体、何が……まさか、あいつらか?」

「はっ。おそらくは例の邪教組織が関係しているかと。今夜の集会場所は倉庫街にある建物の一つを使用するという事ですので」

「ええい!」

 

 ジルクニフは苛立ちまぎれに、傍らの卓に拳を叩きつけた。

 

「どういうことだ? あいつらの集会は邪神を崇めるというのは名目だけで、ただ人を殺して遊んでいるだけではなかったのか?」

「これまでの報告ではそのようです」

「では、何故だ? 何故、今回に限ってアンデッドどもが、この帝都を闊歩(かっぽ)している?」

「申し訳ありません。詳しい事は分かりかねます。ですが今回はいつもと異なり、3人もの生贄を捧げることになっているとか。そのあたりが関係しているのかもしれません」

 

 ちらりと傍らの大魔法使いに目をやる。

 それを受けてフールーダが語りだす。

 

「ふうむ。正直、例えそれが本当にアンデッド召喚の儀式だとしても、人間3人程度でそれほど大量のアンデッドを召喚できるというのは信じがたいですな。魔法により召喚されるアンデッドというのは、自然発生するアンデッドとは似て非なるもの。その召喚にははるかに膨大な魔力が必要になります。到底3人程度では足りますまい。……そうですな。考えられるものとしては強大なマジックアイテムでしょうか? もしくは生まれながらの異能(タレント)ですな。その3人の誰か、もしくはその邪教組織に関わる何者かがアンデッドに関する生まれながらの異能(タレント)を保有していたとか。……まあ、どちらにせよ、あくまでこれは想像でしかありませんが。それよりは事にどう当たるかを考えるべきでしょうな」

 

 その説明に、ジルクニフは頭を振った。

 

「そうだな。ここで原因を考えていても始まらん。まずは対処だ。ニンブル、騎士団はどうなっている?」

「はっ! すでに近衛の騎士団は招集済みです。それと、帝国魔法院の方から魔法詠唱者(マジック・キャスター)も集めております」

「部隊の編成は?」

「はい。混成でございます。各部隊5~8名につき、魔法詠唱者(マジック・キャスター)1~4名を混ぜて編成しております」

 

 それを聞いたフールーダはその白いひげを撫でつけた。

 

「ふむ。それが一番効率よかろう。大規模戦闘ならともかく、ある程度の小規模ならば、その編成の方が小回りが利く」

「エ・ランテルの件を聞き、準備と訓練をしていたのが不幸中の幸いですな」

 

 ロウネの言葉に皆が頷く。

 エ・ランテルで起きたアンデッド騒ぎの件は、ここ帝国でもよく知られていた。

 そして帝国上層部は、もしこの帝都であのようなアンデッドの大群が出現した時にはどう対処すべきかという事を日夜検討し、それに合わせた訓練を行っていた。

 けっしてこの帝都をエ・ランテルの二の舞にはさせぬという強い決意のもとに、ジルクニフによって集められた帝国有数の頭脳と力の持ち主たちが入念に対策を練り、万が一の事態に備えていたのだ。

 それが役に立つ時が来た。

 

 

「民衆の避難はいかがいたしましょうか?」

 

 ナザミの声にジルクニフは首を振った。

 

「いや、それはいい。下手に帝都で大規模に民衆を避難させると、混乱とそれに伴う流言の為に収拾がつかなくなる。アンデッドどもが現れているのは倉庫街なのだろう? 幸い、あの辺りは元から住んでいる人間はほとんどいない。巻き込まれる人間も少ないだろう。それより、迅速に包囲網を敷き、倉庫街の中に連中を抑え込み、撃破するのが最良だ。その方が被害も少ない」

「はっ! ではそのように」

 

 頭を下げるナザミ。

 そんな彼を横目に、椅子に腰かけていたフールーダが立ち上がった。

 

「陛下。この私も出ましょう」

「じいもか?」

 

 その提案にはジルクニフも面食らった。

 確かにフールーダならば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)相手にも十分太刀打ちできるだろう。魔法詠唱者(マジック・キャスター)を加えた騎士団達だけでは、どうしてもかなりの被害は出てしまうだろうから、フールーダも出てくれるのであれば、これほど頼もしい事はない。

 

 しかし、フールーダはまさに帝国の守護神。

 ここで帝国の最高戦力というカードを使ってしまっていいものか?

 

 ジルクニフの逡巡を理解しているフールーダは言葉をつづけた。

 

「今回の件、最大の相手が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だけでは収まらないかもしれません。もしかしたら、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)すらも支配下に置いているような何者かが糸を引いている可能性もございます。個人的にはそのような者がいたら、語り合ってみたいとは思いますが……まあ、それは置いておくにしても、ここは戦力の出し惜しみをすることなく叩き潰すのが良策と考えます。下手に時間をかけて、エ・ランテルの時に噂であったようにデスナイトが出現しては、被害を抑えることは出来ますまい」

 

 その答えはうなづけるものだった。

 たしかにここで戦力の逐次投入という愚を犯すよりは、倉庫街という民衆に被害のほとんどない場所でケリをつけてしまった方がいい。

 

 

「よし。では、そうしよう。皆よ、急げ! この地にて策謀を企てる愚か者どもに、我らが帝国で愚挙を行った報いを受けさせるのだ!」

「ははっ!」

 

 




 いいかげん、この帝国編も長くなってきてしまいましたので、サイドストーリーを減らしてメインを進めて行こうと思います。


 11巻で色々新設定とか出てましたが、今後予定していた展開どうしよう……


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第58話 フォーサイト、残る2人の戦い

「今!」

 

 少女の声と共に、綱が力を込めて引っ張られる。

 木材の束が音を立てて倒れ、道行く馬車の前に転がった。

 

 目の前に突如、丸太が転がったことに馬車を引く馬は驚いて竿立ちとなった。

 その馬の挙動に、思わず手綱を引く馬車の御者も慌てた様子で腰を浮かせる。

 

 

 その刹那、横合いから光が飛んできた。

 自然界ではあり得るはずもない、燃える火とも太陽の反射とも違う、それ自身が発するまばゆいばかりの光。

 それは魔力の塊であった。

 

 飛来する不可思議な光に触れた御者は、その接触した右肩にまるで獣に追突されたかのような激しい痛みを覚え、そのまま御者台から吹き飛ばされた。馬車から弾き落とされた勢いのまま、立ち並ぶ倉庫の石壁に身を打ちつける。

 

 

 地面に倒れ伏し、その身に走る苦痛に呻き声をあげる男には目もくれず、その魔法を放ったアルシェは停止した馬車に駆け寄る。ロバーデイクもまた、周囲に警戒の目を向けつつ、その背を追う。

 

 馬車の荷台を覗き込むと、その広い空間にたった一つ、灰色の細長い布袋が転がっていた。

 アルシェは馬車に飛び乗り、その袋の中から突然刃が飛び出してこないか警戒しつつも近寄り、袋の口を結んでいる紐をほどいた。

 

 

 

 そして、袋を下ろす。

 

 そこにいたのは幼い少女。

 アルシェと同じ色の髪を持ち、アルシェに似た容姿の幼い少女。

 

 

 彼女は突然、視界を覆っていた布が取り除かれ、目を刺すランタンの灯りにまぶしそうに(まぶた)を細めたものの、やがて光に慣れたその目を大きく見開いた。

 

 驚きに声をあげようとしたものの、それは口に(くわ)えさせられていた猿ぐつわによって阻まれた。

 アルシェは固く結ばれていたそれをほどいてやる。

 

 ケホケホとせき込んだ後、少女は声を出した。

 

 

「アルシェお姉さま……」

 

 

 ずっと待ち続けた、もう会えないかと子供心にも思った愛する姉の姿に、クーデリカはぼろぼろと涙をこぼす。

 アルシェもまた涙を流し、その胸に大切な妹を抱きしめた。

 

「クーデ……ごめんなさい」

「お姉さま……」

「大丈夫……もう大丈夫よ」

 

 そう言って再び、ぎゅっと抱きしめた。

 その胸の中から嗚咽(おえつ)の声が響く。

 

「アルシェ、今は急ぎましょう」

 

 馬車の外からかけられたロバーデイクの声。

 その声に、彼女は抱いていたクーデリカの身を離した。

 

 

 ――そうだ。今はまだ安心できる状態ではない。クーデを安全な場所まで連れて行かないと。

 

 

 アルシェはクーデリカの身体を袋から引っ張り出す。その身に(まと)っていたのはこれが人間に着せるものなのかと、怒りを覚えるような代物。麻袋を上からかぶせ、手と頭を出す穴を空けただけのような、ただ申し訳程度にその身を覆うだけの物だった。

 胸の内よりこみ上げる感情を抑えこみ、アルシェはクーデリカの手を縛っていた縄を切る。

 起き上がった彼女の肩を抱き、馬車の外へと降りた。

 

 その少女の粗末な格好と、誰かに殴られたらしい青あざの浮かんだ頬を見たロバーデイクは思わず顔をゆがめる。回復魔法を使おうかという考えが頭をよぎったが、とにかく今はこの場を離れるべきだと思い直した。

 

 苦悶の声をあげつつ起き上がった御者に向かって、『この事は他言無用です。もし言ったら、あなたがどこにいても絶対に捜しだして殺しますよ』と脅迫しておく。

 このように凄んで見せることはロバーデイクにとって不慣れなものであったが、武装した巨大な体躯を持つ男が自分にのしかかる様にして発した言葉に男は震えあがった。痛む身体を抱え、まるでゼンマイ人形のように何度も首を縦に振る。

 もちろんそんな男の態度など信用出来るものではないが、とりあえず少しでも時間稼ぎになればいい、自分たちが帝都を出るまで追手が辿りつけなければそれでいいという程度の考えであった。

 

 

 

 そして足早にこの場を離れようとした、その時――ロバーデイクがアルシェとクーデリカを抱え込み、身を投げ出すようにして敷石の上へ転がった。

 

 

 金属鎧を身に纏った身体の下敷きになり、その重さに顔をしかめつつも、驚きに目を丸くするアルシェ。

 

 その頬に、赤い雫が飛び散った。

 

 

 周囲を見回すと、今の今までそこにいたはずの御者の男の姿はなかった。

 

 彼女のすぐ脇。

 そこに男の生首だけがごろごろと転がって来た。

 

 

 再びロバーデイクが二人を抱えたまま、石畳の上を転がる。

 ほんの数瞬前まで彼らがいた場所に、虚空から飛んできた赤い光弾が幾本も突き刺さる。

 

 

 見上げると彼らの上空には、青白く光る小望月(こもちづき)

 その僅かにかけた月に重なるように黒い影が浮かんでいた。

 

 風になびく黒のローブに身を包んだ、干からびたミイラのような奇怪な姿。

 だが、その枯れ木のような手の中には、たった今、彼らを襲った赤い光と同じものが浮かんでいる。

 

 

 

「…………」

 

 そいつはゆっくりと高度を下げ、地面へと降りたった。

 

 

 ロバーデイクは立ち上がり、女性二人を(みずか)らの背に隠す様に前に出る。アルシェもまた、クーデリカをそいつの視線にさらさぬよう前へ出るが、彼女の口からは抑えきれない(うな)り声が漏れた。

 その声にちらりと、後ろに立つアルシェの顔を覗きこむ。彼女は額に脂汗をにじませ、歯を噛みしめて、その朽ち木のような小柄な人物を睨みつけていた。

 

「どうしました?」

「……ロバー、気をつけて。そいつ……第五位階魔法まで使える」

「!?」

 

 息をのむロバーデイク。

 そんな彼らの姿など気にも留めぬ(てい)で、そいつは足元に転がる御者の男の生首を手にとった。

 

 

 それを自分の真上に持ち上げる。

 

 

 滴る鮮血が切り落とされた首元から流れ落ち、その下でぽっかりと大きく空けられた、そいつのしわくちゃな口の中へと消えていった。

 奇怪な事に、まったく喉が上下する様子もないのに、どれだけ経っても口内に入った血液はその口の端から溢れ出ない。まるで底の無い暗黒の穴の中へ消えて行くかの如く、滴る鮮血がそいつの喉の奥に消えていく。

 

 するとどうだ。

 そいつの身体に異変が起きた。

 

 まるで乾燥させた干物を水に浸したかのように、その身体が体積を増す。

 アルシェの背丈よりも小さかったその身体が、見る見るうちに大きくなり、またその厚みも急激に膨れ上がった。

 

 明らかに異様であった。

 生首から滴る血液の量などたかが知れているのに、その増えた体積は人間一人分などはるかに多い。どう考えてもありえない現象だった。

 

 

 やがて、「ふぅ」という息を吐く声と共に、そいつは手にした生首を放り捨てた。

 

 

 その体は、先ほどまでのミイラのような姿とは全く異なる。

 実に奇怪な異形の姿。

 くすんだ緑色の肉体。全身ははちきれんばかりの、人間としてはいささか奇異な形の筋肉に覆われており、見ているだけで威圧感を憶えるほどの巨躯であった。その背丈、胸板は対峙するロバーデイクをも上回る。

 そして、より目を引くのがその背。

 蝙蝠の翼、その皮膜を引き裂いたような、奇怪な手と言っていいのか脚と言っていいのか、不可思議なものが左右一対生えていた。

 

 

 そいつは額の両脇に生えた突起状の角を撫でつけ、その牙の突き出た口を動かした。

 

「初めまして、諸君。自己紹介させていただこう。私の名はズル=バ=ザル。秘密結社ズーラーノーンにおいては、十二高弟という大役を担っている者だ」

「ズーラーノーン!? それも十二高弟!!」

 

 ロバーデイクとアルシェは息をのんだ。

 

「知っているようで何よりだ」

 

 そいつは満足そうに頷く。

 

「さて、本題なのだがね。私の希望としては、君たちの後ろにいるその娘、そいつを引き渡してほしいのだ。おとなしく言う事を聞いてくれるかね?」

「引き取って何をするというのです? 邪神への生贄にでもするというのですか?」

 

 敵意を隠さぬロバーデイクの問いに、異形の怪物(モンスター)と化したズル=バ=ザルは動ずることなく何でもないことのように答えた。

 

「ああ、そうだとも。その娘を生贄に捧げたいのだ。もっとも邪神への生贄と言っても、本当の邪神に対してではなく、ただそういう体裁をとっている祭りの出し物に過ぎんがな。まあ、そういう訳だ。別に生贄にささげられたからと言って、その娘の魂が邪神の下で永遠の苦痛を受けるなどという事はなく、ただ死ぬだけだから安心したまえ」

「た、ただ死ぬだけですと! そんなふざけた話を受け入れるとでも!?」

「君は神官のようだから、本当の邪神とは関係ないという意味で言ったのだがね。まあ、ただ寄越せと言われても、メリットがない状態では君達も首を縦には振らないだろう。だから、条件を提示しようではないか」

「条件?」

「ああ、そうだ。もし、おとなしくその娘を譲ってくれるのなら、君たちが我々の組織に入ることを認めようじゃないか。先ほど喋っていたようだが、そちらの女性は見ただけで私が使える魔術位階まで分かったようだな。生まれつきの異能(タレント)かな? それともマジックアイテム? まあ、どちらにしても、有能な人材は得難いものだ。2人とも、ズーラーノーンに入らないかね?」

「……は!?」

 

 その突拍子もない提案に、2人は思わず呆気にとられた。

 

「それを私たちが受けるとでも? 自分の妹を犠牲にしてまで」

「冷静になって考えてみたまえ。君も魔術の道を歩む者だろう? 我々、ズーラーノーンは普通の、表の世界には出てこない知識、技術を有している。これに触れることのできるまたとない機会だ。肉親への情ごときで棒に振っていいものではないと思うがね」

 

 そう言うと、ズル=バ=ザルはその奇怪な顔に穏やかな笑顔らしきものを浮かべて語りかけた。

 

「先ほども言ったが、私はズーラーノーンの中では十ニ高弟と呼ばれる地位についている。この私が推薦するならば、君たちも我らが結社の一員として認められよう」

 

 

 その言葉にアルシェとロバーデイクは顔を見合わせる。

 そして2人は答えなど決まっていると互いに笑みを浮かべた。

 

「そう。私たちの答えはこれよ!」

 

 アルシェは瞬間、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉を飛ばす。高レベルの魔法より、速射できるという判断からであり、もしそれが当たったら、怯んだその隙に逃げ出そうとした意図からのものであった。

 しかし、その白い光弾はズル=バ=ザルの手から放たれた赤い光弾によって中空で撃墜された。

 

「交渉決裂か。仕方がない。倒してしまうとしよう。ふむ、そうだな。生贄は多い方がいい。君たちも捕まえるとしようか。邪神への生贄というなら、神に仕える神官というのもいいだろうし、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の君の方はその娘を妹と呼んでいたから、君もまた貴族なのだろう? 貴族の生贄が増えれば連中も喜ぶだろうしな」

 

 そう言うと、ズル=バ=ザルはその上半身を前のめりに倒し、彼らの方へ一歩踏み出した。

 ズンという重い足音と共に、敷かれた石畳に亀裂が走る。

 

 

 明らかなまでに圧倒的な強者との戦い。

 アルシェとロバーデイクは恐怖と諦念が湧いてくるその心を必死で抑え込み、絶望的なまでの戦闘に身を投じた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 トン。

 もともと重くもない身体であるが、その体重を殺して屋根の上に着地した。

 

 フムとつぶやき、きょろきょろとその辺を見回す。

 周囲にはたくさんの建物が並んでいるが、やはりここ以外にない。

 赤レンガで出来ており、三本の塔がある倉庫というのは。

 

 

 ベルは物音を立てぬよう、こそこそと屋根の上を動き回り、眼下の様子を探る。

 通常の民家などとは明らかに大きさの異なる巨大な建物が見渡す限りに整然と並んでいる。その建造物群には生活の臭いなどなく、人の営みの中で自然発生的に作られたものではなしに目的を持って計画的に建てられたものだという事を感じさせた。

 

 辺り一帯の周辺地域には全くと言っていいほど人気(ひとけ)がないのだが、この建物の周辺にのみ、隠れ潜むように人間らしき影が動いているのが見て取れた。

 そして、時折馬車がやって来ては、そこから降りた人影が倉庫の中へと吸い込まれていくのだ。

 だが、そうして入った数を数えるとすでに倉庫内にはたくさんの人間がいるはずなのに、ベルがあちこちの明り取りや換気の窓などから覗き込んでも、倉庫内に人影を見ることは出来なかった。

 おそらく、この倉庫にはどこかに秘密空間が隠されており、そこへ行っているのだろう。

 

 

「うーん……。この辺にしておくかな」 

 ベルはつぶやいた。

 

 こっそりと忍び込んで内部の様子を調べてもいいが、……そこまでする必要もないだろう。

 内部に潜入しても中の者達に見つかりはしまいとは思うが、ベルの目的は会合場所の特定である。その特定が済んだのであるから、後の事は隠密行動に特化した者達に、この倉庫を調べさせた方がいい。

 そもそもこうしてやっては来たものの、今のベルには今回の件などもはや重要でもなかった。どうでもよかった。今、ベルの意識は期せずして手に入れた秘宝をどうするかの算段の方に向いており、こちらの事などさっさと誰かに丸投げしてしまいたかった。

 

 

 ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使う。

 

《もしもし、アインズさん》

《あ、どーもです、ベルさん。その後、どうですか?》

《さっき言った倉庫。あれ、見つけましたよ。今、そこの屋根にいます》

《おお、そうですか。ええっと待っててくださいね。今、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉動かしますんで。……いいですよね?》

《はい。もうOKですよ。監視とかなさそうですし》

 

 そうして待つこと、しばし。

 

《うーん。すみません。ちょっと見つけられないんですが》

 

 そんな返答が帰って来た。

 

 

《倉庫街にある赤レンガの建物で三本の塔がある倉庫ですよ。えーと、E-3地区の》

《それは分かっていますが、結構似たような塔がある建物が多くてですね。うーん、どれだろう……》

 

 この付近には三本塔がある建物は少ないとはいえ、他にもある事はある。それに建物の材質が赤レンガかどうかは近寄ってみないと分からない。ベルもまた地図がある上でロバーデイクが指さした場所から見当をつけて探したのだが、それでも発見するのには少々時間を費やした。多くの倉庫が立ち並ぶこの中から〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に映る映像だけで見つけるのはそれなりに時間がかかってしまうだろう。

 

《ベルさん、今、その倉庫の上にいるんですよね。なにか目印とかお願いできますか?》

《目印といいますと?》

《一度〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の視点を上空にあげて広角で見るんで、何か光源とか……そうだ、武器に火をつけて上に飛ばしてくれませんか?》

《武器に火を? んん? 何かの武器に油でもかけて、火をつけたものを上に放り投げろって事ですか? いや面倒そうですけど。それに上に何かを放り投げて、そして落下してきたところをつかみ損ねて下にでも落としたら、屋根の上に俺がいる事がばれて拙いことになるのでは》

《いや、そういう事ではなくてですね。ほら、ベルさんの武器で》

《はい?》

《いえ……ほら、フローティングウェポンの中に火属性をつけられる剣があったじゃないですか。あれを発動させて上にあげてもらえれば》

《えっ?》

《えっ?》

 

 

 ベルは自身のアイテムボックスを開いてみる。

 その中に放り込んだ死体やら、手に入れたばかりの『傾城傾国』を横に押しのけて内部を漁る。酒瓶やら、着替えやら、貰ったお菓子やら、拾った金目のもの、露店で買ったなんだかよく分からない物やらのさらに奥、なかばその身を虚空に空いた空間に突っ込んでごそごそとやり、ようやくその奥から目当ての物を見つけ出すことに成功した。

 

《おお、あったあった。フローティングウェポンだ》

《……ベルさん。もしかして、自分の武器のこと忘れてましたね?》

《いや、最近ずっと使ってなかったんで……》

 

 正直な話、最後にいつ使ったのか、はっきりと思いだせなかった。

 

《うーん、これ全部あるかな? えーと、1、2、3……》

 

 1つ1つ指さして数えてみる。

 

《……あれ? 1つ足りない気がする》

《1つ足りないって……いや、ちょっと! そんなもの無くさないでくださいよ!》

《あれぇ? おっかしいなぁ、どこやったんだろう?》

《ちゃんと探してくださいよ! 下手に流出したら、大問題じゃないですか》

《……んー? もっと奥にしまったっけかな? 剣がもう1本あった気がするんだけど……》

《剣ですか? ……そう言えば、たしかソリュシャンに武器を何個か預けておく事にするとか言ってませんでしたか?》

《ん?》

 

 記憶を探る。

 

《あー……そうだ。……たしか、そんな事をした気が……。うん、そうです。いちいちアイテムボックスから取り出すのが面倒なんで、ソリュシャンの体内に何個か……そうだ、結局1本だけ預けてましたね》

《そんな大事なこと忘れないでくださいよ》

 

 そんな小言を聞きつつ、久しぶりに触る事になった自分の武器の中から一本の剣を手にとる。柄を握るとその属性の力を発動させる。瞬く間に揺らめく炎がその白銀の刀身に纏わりついた。握ったベルの手が離れても、剣はその場にとどまり続ける。

 そして、上空へと舞い上がった。

 

 当然のことながら炎を纏わりつかせた空飛ぶ剣など、何の気なしに見上げでもすれば下からでも見えてしまうため、かなり首を曲げなければ地上からは見えない程度の高さまで上げる。

 そこでしばらくくるくる回していると、再び〈伝言(メッセージ)〉が繋がった。

 

《見つけましたよ。炎の剣ですね》

《はい。その真下です。下ろしますね》

 

 上空に浮かんでいた剣を下降させる。

 ほどなくして、それは再びその手のひらの中へ戻った。刃を包んでいた炎を消す。

 

《おお。いました、いました。ベルさんを見つけましたよ。この建物ですね。じゃあ、帝都に展開しているアンデッドたちを集めて……って、ベルさん! なんです、その格好は?》

《恰好?》

 

 言われて自分の姿を見下ろした。

 そう言えば、先ほど釘にひっかけて服は大きく裂けたままだった。その格好のまま、屋根の上を風を切って飛ぶように移動してきたので、その上半身はもはやすっかり露わになっており、しかも腰のあたりにかろうじて残っている布切れも返り血で汚れている有様だった。

 その未成熟ながら艶めかしい肢体を惜しむことなく夜気に晒したその姿は、特殊な趣味の人物であればのっぴきならぬ事態になること間違いなしであった。

 

《R18ですなー》

《ベルさんの年齢ですと、それも危険ですけどね》

《大丈夫です。外見はともかく中身は18歳以上ですから。このゲームに登場するキャラは全員18歳以上です》

《ペロロンチーノさんが言っていた魔法の言葉ですね。それよりどうしたんですか。その有様は?》

《あーっとですね。ほら、さっき言った、そのダミーの待ち伏せの件で戦闘になった時にちょっと……》

《ああ、なるほど。……じゃあ、もう場所は分かりましたから帰ってきて、着替えでもしてください。そっちには別の者を送りますよ》

 

 ベルはそれを了承すると、交代要員として、隠密系に優れた怪物(モンスター)を送ってくれるよう頼んだ。

 

 

 すると、屋根の上に立つベルのすぐ脇に〈転移門(ゲート)〉が繋がった。

 そこから数体の怪物(モンスター)達が現れる。

 そいつらは皆一斉にベルの前で膝をついた。

 

「ベル様、ハンゾウ並びにシャドウ・デーモン4体、アインズ様の命により参上いたしました」

 

 大枚はたいて作ったハンゾウまで送ってきたことに少々驚いたものの、ベルは一つ頷くと彼らに後の任務、この会合場所らしき倉庫のさらなる調査、ならびに未だ発見できていないクーデリカの行方の捜索などを命じた。

 

 一糸乱れず了承の返事をした異形の者達。

 ベルはその中のリーダー格であるハンゾウに一つのアイテムを手渡した。

 

「これは?」

「ああ、それを持っている者と位置を入れ替えるマジックアイテム。いざというときはボクと君を入れ替えるから、ちゃんと持っていてね」

「おお……。こんな私めを心配してくださるとは、なんともったいない。お任せください! このハンゾウ、必ずやこの任、見事果たしてご覧に入れます!」

 

 感動に打ち震えるハンゾウ。

 そんな彼から視線を外すと、ベルはアインズが開いた〈転移門(ゲート)〉へと足を向けた。

 

 

「じゃあ、後はよろしくー」

 

 

 そうして魔法で作られた漆黒の中へと姿を消すベルの足の下では、一台の馬車が倉庫の中へと入っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ただいまー」

 

 部屋に入ってくるなり、いつもの調子でクレマンティーヌが声をかけた。

 

「おかえりなさいませ。クレマンティーヌ様」

 

 その声に振り向いた、神官がランプの光に照らされたクレマンティーヌの姿を認め、頭を下げた。

 クレマンティーヌはカツカツと机に近づくと、水差しからコップに水を注ぎ、一息に(あお)った

 

 

「私んとこは特に妨害もなく、すんなりいったよ。生贄の方もばっちり連れてきた」

「おお、それは良かった。これで、今日の『儀式』は執り行うことが出来ます」

 

 神官は安堵の息を漏らした。

 今回もまた、なんらかの妨害が入って『儀式』に支障が出れば、帝国でのズーラーノーンの足掛かりを失う事にもなりかねない。そうなれば盟主様の期待を裏切ってしまう事になりかねない。

 そんな愁眉(しゅうび)を開く彼を見やり、クレマンティーヌは肩をすくめた。

 

「ま、そうだね」

 

 クレマンティーヌは薄暗いランプに照らされた室内を見回す。

 

「それより、アンタ1人? ズルちゃんは?」

「ズル=バ=ザル様はまだお帰りになられてはおりません」

「じゃあ、生贄の方は? 私が一番最初?」

「はい。他の生贄はまだこちらには届いておりません。クレマンティーヌ様が運んできた者が1人目になります」

「ふーん。そうなんだぁ」

 

 ネコ科の動物をおもわせる彼女の、その怪しげな光をたたえる目が細まった。

 

「もしかして、やっぱり妨害でもあったのかなぁ? たしか、ルート的には私のとこが一番遠回りだったはずだよねぇ」

「たしかに予定より遅れてはいますが、妨害があったと考えるのは早計では? まだ誤差の範囲内と思われます」

 

 そう言いながら、男は懐から地図を取り出す。それを傍らの机の上に広げた。

 書面を見るのに、薄暗いランプの灯りでは適さなかったため、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉を点け、ランプの灯を消す。

 

 

「ん?」

 

 さっと周囲に視線を巡らすクレマンティーヌ。

 殺気こそ放ってはいないが、異変の一つも見逃すまいと感覚を張り巡らせる。いつでも攻撃にも回避にも、そして逃走にも動けるよう、豹を連想させるしなやかな肉体をたわめ、その形のいい腰を落とした。

 不意に警戒の姿勢をとった彼女に、どうしたんだろうと神官は不思議そうに声をかけた。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 彼女は注意深く、辺りを(うかが)ったまま言う。

 

「なんだか今、……部屋の影が揺らめいた感じがしてさ」

「それはおそらくランプの炎の揺らめきでしょう」

 

 彼はそんなクレマンティーヌの様子など気にも留めずに、卓上に広げた帝都の地図に目を落とす。

 しばし、周囲に警戒の目を向けていたクレマンティーヌであったが、やがて気のせいかと腰のスティレットにかけていた手を下ろし、地図上で生贄のルートを辿る神官の指先に目をやった。

 

 帝都を詳しく書き記したその地図には3種に色分けされた線が、帝都中に張り巡らされた街路と絡み合い、最終的に一つの点、すなわちこの倉庫へと続いている。

 

「クレマンティーヌ様が護衛につき、通って来たのがこの青のルート。そしてズル=バ=ザル様が護衛についているのが、こちらの赤のルートになります。確かに経路で言うならばクレマンティーヌ様のルートが距離は長いですが、他のルートもまたそれなりの距離があり、且つ入り組んだ場所を通りますので、時間がかかっても仕方がないかと」

 

 その答えを聞いても、クレマンティーヌはにやにやとした笑いを顔に浮かべ、そのほっそりとした顎先を指で突いていた。

 

「いんやぁ、それを考えても、先に着いてておかしくはないんだよねー。やっぱ、他の二つに何かあったのかなー? ちょっと、行ってみようかなー?」

 

 その言葉にはさすがに彼も慌てた。

 

「お待ちください。生贄を護衛してこの会合場所についた後は、この場の守備につくという話ではありませんでしたか?」

「そう言いはしたけどさー。本当にどっかの誰かが妨害にでも走ってたら、そこで戦闘が始まってるかもしれないんだよ。うはー、楽しそうじゃん」

「それは考えすぎでは? 先ほども言いましたが、本当に妨害が入ったのかは分かりません。少々遅れているのも別の要因、例えばなんらかの理由で予定していたルートから外れ遠回りした、もしくは輸送の馬車に不具合があったなどの可能性もありますよ」

「だから、ここであれこれ考えてるよりもさ、私がちょっと行ってみりゃいいじゃん」

「いえ。クレマンティーヌ様がそちらに向かった結果、すれ違う可能性もあります。それにすでにこちらに出席する貴族たちは集まっておりますし、まだ一人だけとはいえ生贄となる娘もこの場に来ているのです。一人いれば『儀式』は出来ますし、ここは下手に動かず、こちらで待機されるのが良策かと思います」

 

 熱弁する神官の言葉に、はいはいと手をぴらぴら振ってみせる。

 

「分かった、分かった。んじゃ、まあ、いいよ。私はここにいるよ」

「分かっていただけて、ありがとうございます」

 

 神官は再度頭を下げた。

 

「でもさ。私が一緒に来たのって、公爵がどっかから手配してきたどっかの貴族の血を引く娘であって、例のフルト家のクーデリカじゃないんだよ。確かにそっちでも『儀式』は出来るけど、今日集まってきた貴族たちは今度こそフルト家のクーデリカを殺せるってはしゃいでいるんじゃん? それでやっぱり、貴族とはいえ別の人間だったら、また文句いう奴が出るんじゃないの?」

「それでしたら、その話はこちらが流したものという事にしなければよいのでは? 先だってクレマンティーヌ様ご自身が、誰か別の者に責任をなすりつけることを提案されていましたから、ウィンブルグ公爵がその辺は上手くやるでしょう」

 

 その答えは頷けるものだった。

 公爵とて無能ではない。もし仮に、現状の噂が流れた上でクーデリカ不在のまま儀式が行われたとしても、そのロベルバドとやらが本来は違うのに、当てこすりで今度の生贄こそフルト家のクーデリカであるなどという勝手な噂を広めたんだとでも、流言を飛ばすのだろう。後は貴族同士での勢力争いであり、その辺はクレマンティーヌが関与するところではない。

 

 

「それにクーデリカの護衛にはズル=バ=ザル様がついておられます。万が一、何者かに襲撃を受けても、あの御方に敵うものなどいようはずもありません」

 

 そう言って、我が事ではないのだが胸を張る神官。

 対して、クレマンティーヌはわずかに口の端を釣り上げ、秘かに嘆息した。

 

 

 ――『あの御方に敵うものなどいようはずもありません』、ねぇ……。

 

 

 ズル=バ=ザルは強い。

 本気を出したらあれに勝てるものはそうそう居はしない。

 だが、勝てる者が皆無という訳ではない。

 

 

 彼女は頭の中に、自分の知っているズル=バ=ザルより強い者を思い浮かべる。

 

 

 漆黒聖典である彼女の知識の内で、そのような人物は幾人か知りえていた。

 本国にいる漆黒聖典の隊長。彼ならば確実だ。

 それにあの五柱の神の装備を収めた聖域を守る番外席次『絶死絶命』。

 他の漆黒聖典の者達ならば互角くらいか? まあ、彼らは死んだというから数に数えなくてもいいだろう。

 思わず、頭の中にあの忌々しい兄の姿が浮かんできたが、頭を振ってその姿を消し去る。

 

 

 その他、何人か思い当たる人物の姿が脳裏をよぎったのだが――。

 

 

 ――その時、ふと不思議な人物の姿が頭に浮かんだ。

 

 

 

 美しい少女の姿が。

 

 南方で着用されるスーツという服。

 それも女物ではなく男物を身に纏ったプラチナブロンドの少女。

 

 

 

 ――え? 誰だっけ?

 

 不意に浮かんできたその人物にクレマンティーヌは混乱する。そんな少女など会った事もないはずだ。

 それがなぜ、突然頭に浮かんできたのか?

 

 

 ――妙だ……何か忘れている気がする……。

 

 

 クレマンティーヌは必死で頭を働かせる。

 野生の獣のように美しく、常にふてぶてしい表情を浮かべているその顔に、突然渋面を浮かべた彼女の事を神官が不審げに見つめるが、そんな彼には目もくれず、彼女は記憶をたどる。

 

 

 ――少女……。あの少女はどこで見たんだったか。

 何か鮮烈な記憶が……。

 メイド……そう、メイドだ。金髪のメイドがいた。そのメイドの身体に、私の身体が潜り込んで……。

 スレイン法国の秘宝……アンデッドを生み出す……そう、エ・ランテルでカジットに渡した秘宝。

 ……エ・ランテル?

 

 

 

 クレマンティーヌの頭の中で何かが形になりかけた。

 

 

 だが、その時、バタンと音を立てて扉が開かれた。

 その突然の音に、彼女の脳裏でまとまりかけていた何かはすっかり掻き消えてしまった。

 

「神官殿、こちらは全員が集まりましたぞ。生贄の方はどうなっていますか?」

 

 靴音高く近づいて来たウィンブルグ公爵。

 神官は軽く息を吐くと、温和ながら威厳をたたえた顔つきで彼の方を向いた。

 

「ええ、すでに生贄は1人届いております。残りにつきましても、もう間もなく届くことでしょう」

「おお、そうですか! なら、今日の集会は大丈夫ですな」

「はい。では少々早いですが準備に移りましょうか」

 

 そう言うと、神官とウィンブルグ公爵は連れ立って部屋を出て行った。

 一人残されたクレマンティーヌは、先ほどの記憶の残滓をかき集めようとしたが、すでに雲散霧消(うんさんむしょう)したその断片は、手で海の水をすくうかのように、刹那に浮かび上がっては再び手の届かぬ深淵へと消え去っていく。

 そこへ倉庫の警備を担当している者が、この後の警備体勢について聞きに来た。クレマンティーヌは釈然としない思いであったが、別に思い出すのは後でもいいかと気を切り替え、彼女もまた部屋を出て行った。

 

 

 

 誰もいなくなった室内。

 机の上に置かれた〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランタンだけが室内を照らしていた。

 

 

 すると、壁に長く伸びた椅子の影から、手甲に覆われた手が音もなく生える。

 そして、机の上に置かれたままとなっていた、生贄の輸送ルートが記された地図に伸ばされた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぐああぁぁっ!」

 

 ロバーデイクの巨体がまるでゴミクズのように吹き飛ばされる。

 

 絶望のあまり目の端に浮かんだ涙をきつく目を閉じて弾き飛ばし、アルシェは〈雷撃(ライトニング)〉を唱える。

 だが、その(いかづち)もまた、緑の巨人の右手より放たれた赤い光線によって中空で撃ち落とされた。

 

 アルシェの魔法を撃ち落とした光線を放った右手を引き戻すと同時に、今度は左手より赤い光弾が放たれる。

 それは避ける間すらなく、魔法を使った直後のアルシェに着弾する。

 肉より体の内部にまで浸透するような痛みに、アルシェは体をびくつかせ、固い石畳にその身を打ち据えた。

 頬に冷たい石の感触を感じる彼女に、クーデリカの悲痛な声が届く。

 アルシェは全身に感じる痛みをねじ伏せ、再び立ち上がった。

 そんな彼女のそばに、起き上がったロバーデイクが肩を並べた。

 

 

 絶望の中から必死で闘争心をかき集め対峙する彼女らを前に、ズル=バ=ザルはというと、その元よりはるかに長大となった肩をすくめて見せた。

 

「やれやれ。困ったものだな。死なない程度に手加減するとなると、なかなか勝手が分からん。これ以上、力を加えてしまうと殺してしまいかねん」

 

 そうして、再び彼らに声をかけた。

 

「もう一度言うが、降伏する気はないかね? 大人しく降参して、我が軍門に降るのならば、君たちをズーラーノーンに加えてやってもいいのだが」

 

 

 その言葉にアルシェは血を吐き捨てた。本当はイミーナが時々やっていたようにツバをはこうと思ったのだが、すでに口の中は切れて血まみれであり、唾液より血液の方が多かった。

 

「答えは『くそくらえ』よ」

 

 その言葉と共に、手にした杖を音を立てて地面に突き立てる。

 杖の石突がたてた夜気に響く甲高い音に、無理矢理闘志を沸き立たせる。

 

 

 その言葉を聞いたズル=バ=ザルは、本当に困ったという風に頭を振った。

 

「やれやれ。これほど頑固とはな。……しかし、そろそろ時間も迫ってきている事だし、いい加減、生け捕りにして『儀式』の生贄にするというのは諦めるかな」

 

 

 そう口にした瞬間、ズル=バ=ザルの手の中に揺らめく赤い光がより一層輝きを増した。

 

 拙いとアルシェらが思うより早く、その光が広がった。

 そして放たれた赤い光を受け、アルシェとロバーデイクの身体は弾き飛ばされた。

 

「きゃああぁぁぁーーーっ!」

 

 

 その威力はこれまでのものと格段に違った。

 まさに次元の違う強さのものであった。

 

 アルシェが立ち上がろうとした刹那――喉の奥から何かが湧き上がってきた。

 せき込みながら吐き出すと、それは真っ赤な鮮血であった。

 

 どうやら内臓にまでダメージがいったらしい。

 臓腑の奥から湧き上がる血液に呼吸もままならなくなり、アルシェは膝をついたまま、動けなくなってしまう。

 

 

 そんなアルシェにクーデリカが走りより、(すが)りつこうとする。

 

 ――逃げて、クーデ。

 

 そう言おうとするも、言葉の代わりに吐き出されるのは口腔の赤い液体であり、それは言葉にはできなかった。

 

 

 ズル=バ=ザルはその少女の姿を見ると、何もない虚空を掴み、それを引き寄せる動作をした。

 クーデリカの身体が、何かに引っ張られたかのように宙を飛ぶ。

 

 悲鳴を上げるその小さな体が敷石の上を転がり、巨躯の妖術師はさらなる魔法を唱えた。

 青白い光の輪がクーデリカの身体に幾重も纏わりつく。少女の身体はその光に縛られたように、身動きが取れなくなる。

 

 

 妹を助けようとアルシェは駆け寄ろうとした。しかし、酷使され続けた彼女の身体はその意思に反抗して、膝をついた状態から足を一歩踏み出す事までしか許さなかった。

 

 そんな彼女に目をやり、ズル=バ=ザルは無情にも戦いの終わりを告げる。

 

「すまないが、そろそろ終わりにさせてもらうよ。なに、死は終わりであり安らぎでもある。気を楽にすることだ。抵抗すると痛むことになる」

 

 再びズル=バ=ザルの両手の光が増し、ロバーデイクが覚悟を決め、アルシェの視界が押さえきれない悲嘆の涙ににじんだ瞬間――。

 

 

 

 ズン!

 

 

 耳を聾するかのごとき轟音と共にすぐそばの倉庫、その石壁がはじけ飛んだ。

 

 

 

 突然の事に誰もが言葉もない。

 

 もうもうとたちこめる土煙の中から現れたのは、戦闘の場にはふさわしくない、黒いぴしりとした執事服に身を包んだ品の良さそうな老人。

 

 

「申し訳ありません。どうやらお取込み中の御様子ですが、失礼させていただきます」

 

 突然の闖入者は呆気にとられる全員に対し、落ち着いた様子で挨拶をした。

 その中で唯一、その人物を見知っていたクーデリカは声をあげた。

 

 

「セバス様!!」

 

 

 




 ズル=バ=ザルというオリネームをつけられたうえ、オリスキルでパワーアップまでしたのに、いきなりセバスに出会ったでござるの巻。


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第59話 禍福は糾える縄の如し

 ちょっとだけ、グロっぽいシーンもあるためご注意ください。



 ズンとその身体が音を立てて敷石の上へと崩れ落ちる。

 首から上を無くし、地に転がる緑の巨人。その肉体からは赤い霧のようなものが湧きだし、見る見るうちにその巨体がしぼんでいく。

 やがて、そこに残されたのはすっかり干からびた矮躯(わいく)であった。

 

 

 

 その光景をアルシェは呆然と眺めていた。

 あれほど強大にして、絶大な強さを誇っていた妖術師。ズーラーノーンの十二高弟の1人、ズル=バ=ザルが為す術もなく殺されたのだ。

 

 

 その戦いはまさに一方的なものであった。

 思い返すだけで背筋に戦慄が走った。

 

 ズル=バ=ザルの放つ赤い光弾は、ほのかな明かりに包まれた老執事のその掌ですべて受け止められ、その巨体から繰り出された拳は、軽く伸ばした人差し指と中指によって難なく止められた。

 そして、老執事の放った一発の拳。

 それだけでズル=バ=ザルの頭は容易(たやす)く吹き飛び、長き時を生きたその邪悪なる生命の炎は、今日この時を持って潰えた。

 

 

 ロバーデイクから回復魔法を受けつつ、アルシェはその凄まじいまでの強さにごくりと喉を鳴らした。

 

 その音に、ちらりと目をやる執事。

 向けられた視線に敵意などは感じ取れなかったものの、アルシェは先ほどの戦闘を思い返し、震えあがった。

 

 だが彼は視線を戻すと、石畳の上にへたり込んでいたクーデリカの許へと足を向けた。

 彼女の目の前で高級そうなその衣服が汚れることも(いと)わず地面に膝をつき、少女にやさしく話しかけた。

 

「大丈夫でしたか、クーデリカ」

「セバス様ー!」

 

 クーデリカはその首筋にしがみつく。そして、その身を嗚咽に震わせた。

 セバスは抱きかかえた彼女の背をポンポンと優しくたたく。

 そして安心させるように穏やかな口調で語りかけた。

 

「クーデリカ、この街を出ましょう。何も心配する事はありません。大丈夫、あなたの姉妹であるウレイリカも見つけて保護してあります。彼女も一緒ですよ」

「ウ、ウレイ!?」

 

 思いもかけず飛び出たその名に、アルシェは声をあげてしまった。

 突然の声にセバスが振り向く。

 制止しようとするロバーデイクにもかまわず、彼女は妹を抱く老執事に詰め寄った。

 

「あ、ああ、あの! 今、ウレイリカって言いませんでした!?」

 

 息せき切って問いかけてくる女性に、セバスはその顔に困惑したような表情を浮かべた。

 

「はい。そう申しましたが、あなたは?」

「わ、私はアルシェといいます。アルシェ・イーブ・リイル・フルト! クーデリカとウレイリカの姉です!」

 

 

 その言葉にはさすがのセバスも驚き、微かに眉を跳ね上げた。抱きかかえるクーデリカへと視線を向ける。

 少女はセバスに対し、彼女こそ自分の姉であるという事を告げた。

 

「そうでしたか。これは失礼を。はじめてお目にかかります。私はセバスと申します」

「セバス……。あの……モーリッツ家の? あれ? でも、貴族……ですよね?」

 

 話に聞いた分だと、モーリッツ家のセバスとは王国貴族、それもその家の中ではかなりの地位にあるはずだ。それなのに目の前の人物が着ているのは貴族が着るような豪奢(ごうしゃ)な服ではなく、黒い執事服である。

 だが、セバスは困惑する彼女の疑問を解くことなく話をつづけた。

 

「はい。こちらではそう名乗っておりました。それより、アルシェ様はこの後どうされるおつもりですか?」

 

 その問いに、アルシェは一瞬声に詰まった。

 

「は、はい。……その……出来れば妹たちと一緒に街を離れたいと思うのですが……」

 

 思わず声が尻すぼみになってしまう。

 ズル=バ=ザルを倒しクーデリカを助けたのはこのセバスであり、ウレイリカもまた現在この人物の下にいるようだ。この恐ろしいまでの戦闘力を誇る執事がどのような目的で妹たちを保護していたのかは不明であり、すんなり返してくれるかは分からない。姉であるアルシェの存在がその目的に反する場合、殺されてしまう可能性もある。

 

 

 アルシェは喉がひりつく感覚を覚えた。冷や汗を流して、老執事の顔を(うかが)う。

 セバスは思案顔で、その白い髭を撫でた。

 

「なるほど。いささか問題になっている様子ですから、この街からは離れてしまった方がよいでしょうな。とにかく、先ずはこの場を離れるとしましょう。この者が帰ってこない事を不審がり、仲間が捜索に来る恐れがありますので」

 

 確かに言う通りだと、アルシェは自分の元に走り寄って来たクーデリカの肩を抱く。

 そして、やはりセバスの事は気になるため、ちらちらとそちらの方を向きつつも、ロバーデイクと共に帝都の外れ、元は皆で街を脱出するために準備していた場所へと移動することにした。

 

 

 そんな彼らの後ろを歩きながら、セバスは懐からこっそりと〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を取り出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「諸君! 讃えよ、偉大なる神を! 大いなる死の神を! 敬服せよ! 生と死とつかさどる神に礼賛を!」

「生と死とつかさどる神に礼賛を!」

 

 神官の声に続き、その場にいた者達の声が唱和する。

 

 

 すでに『儀式』は盛り上がりを見せている。倉庫の地下に作られた秘密の空間に、今、幾人もの人間たちがひしめいていた。

 その誰もが顔の上半分を隠す仮面をかぶっている。そして、彼らが身に着けているものといったら、その覆面の他は何も身に着けていない。生まれたままの裸身そのままである。それでもまだ、本当にこの世に生まれたままであったのならば、まだよかっただろう。彼ら、彼女らの姿は、皆がこの世に生まれ出て後に過ごし、経験を積んだ年数と同じだけ老いさらばえた姿であったのだから。

 

 

 そんな異様な人間たちがこぞって興奮している(さま)に、クレマンティーヌはその喧騒から離れるよう避難した壁際で、皮肉げにその口元を歪めた。

 

 

 

 あの後、クレマンティーヌらは待ち続けた。

 他の生贄が届く事を。

 そして、ズル=バ=ザルが帰ってくる事を。

 

 しかし、いくら待っても次なる馬車がこの秘密の集会場所である倉庫に到着することは無く、ズーラーノーンの十二高弟と(うた)われた男が帰還する事もなかった。

 その事態にクレマンティーヌは、やはり自分が探しに行ってくると主張したのだが、それは神官が何とか押しとどめた。

 

 儀式の最中にはクレマンティーヌがいてもらわなければ困るのだ。

 儀式に参加するのは全員が貴族なため、めったの事はほとんど起こらないのであるが、殺人と流血による狂気が蔓延する場の空気にのまれ、前後不覚の狂乱状態に陥り、暴れ出す者も時折出る。

 そんな時、それを止める役の者がいなくてはならない。暴れ出したといってもその人物は貴族なのであり、取り押さえる際に怪我などさせてはいけないのだ。必然的に高い技量の者が必要になる。神官である彼が儀式を中断して取り押さえるわけにはいかないので、クレマンティーヌ、もしくはズル=バ=ザルのどちらかが儀式に同席してもらっていなければ困るのだ。

 

 その説得にクレマンティーヌはやれやれと肩をすくめて首肯した。

 クレマンティーヌもズーラーノーンの一員であり、自分より高位の者だと思っている神官は、彼女が自分の意見を聞き入れてくれたことに安堵の息を吐いた。

 

 

 

 しかしながら、いつまでもこうして待ち続けているわけにもいかない。

 すでに参加する貴族たちは全員集まっているし、儀式の準備も整っている。

 むしろ、何故いつまでも儀式が始まらないのかと彼らの内には不満が生じ始めている。

 

 これ以上儀式の開始を引き延ばすわけにはいかない。

 

 そう判断した彼は、まだ生贄は1人しかいないのではあるが、1人いれば可能だとして、儀式の開始を決めた。

 

 

 

「贄を! 死をつかさどる神に、若き魂を捧げよ!」

 

 神官の声が響く。

 その言葉を皆が繰り返す。

 それなりに広いとはいえ、この閉じた地下空間に反響する音の震動が、その場にいた者達の耳朶(じだ)を打つ。

 

「贄を!」

「贄を!」

「生贄を!」

「神に生贄を!」

 

 叫ぶような声と共に、集団の後ろから細長い物が運ばれてくる。中になにか柔らかく、それなりの重量をもったものを入れているであろう灰色のズダ袋。それが彼らの頭上を通過する。全員が手を伸ばしそれを前へと押し運ぶ。

 

 やがて、最前列の人間がその袋を石床へと投げ捨てた。

 落ちた衝撃に中から、くぐもった悲鳴が上がる。

 

 両手を高く掲げた神官が大仰にその生贄の入った袋へ近寄ると、手にした銀のナイフで袋の口を縛る紐を切る。

 

 袋の中からは、美しいというよりは可愛いという表現が似合う、人を安心させるような穏やかな容姿の若い女性が転がり出てきた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 クリアーナ・アクル・アーナジア・フェレックは混乱の中にいた。

 

 自分はなぜ、こんなところにいるのだろう?

 奉公先の貴族から新しい勤め先を紹介されたはずだ。そして先ずは紹介と面接があると言われ、指示された場所にいってみたところ、そこは貴族の屋敷ではなく、古びた建物の一室であった。とりあえず中に入ってみると、そこにいたのは1人の温和そうな男性。その彼から、しばらくしたら主人がやってくるのでそれまで待っていてほしいと飲み物を薦められた。それを口にしながら、椅子に座って待っていたところ、突然眠気に襲われ、気がついたら何かで顔を覆われ、手足もまた拘束され身動きが取れないような状況であった。

 そうして袋に入れられたまま運ばれ、今、ようやくそこから出ることが出来たのだが、辺りを見回した彼女の目に映ったのは、今まで彼女が生きてきて目にしたことはおろか、想像だにしなかった光景。

 

 

 目の前には怪しげな骨で作られた奇妙な彫像と燃え盛る蝋燭。その向こう、階段状となっているその上には、紅玉やサファイア、トパーズなどがふんだんにちりばめられたラピスラズリの祭壇が鎮座している。周囲の壁には、見たこともないような奇怪な紋章というか図形というか分からないようなものが金糸で縫い上げられた、朱色の垂れ布がかけられている。

 

 だが、それよりなにより、クリアーナの精神を打ちのめしたのは、彼女の周囲を取り囲む人の姿。

 顔の上半分を貴族が素性を隠すときに使う仮面で覆いながらも、それ以外は全く何も身に着けていない、裸身をそのままさらした男女の人、人、人。

 

 まさに悪夢そのままの光景であった。

 

 

 その人垣の中から1人の人物が進み出る。

 他の者と同様に顔半分は隠しているものの、そのかつては引き締まっていたのだろうが、今は皮がたるんだ肉体を隠すことなく晒している。

 

 男の手には金と瑪瑙(めのう)、そしてトルコ石で装飾された銀のナイフが握られていた。

 

 

 クリアーナは男が近づいて来ても、悲鳴は上げなかった。

 胆力があるなどという訳ではない。

 その口は歯の根がかみ合わぬほど打ち鳴らされ、悲鳴をあげる余裕すら無かったからだ。

 

 

 ――夢。これは夢! 早く、早く覚めて!!

 

 

 クリアーナは近づいてくる凶器を持った男を見ぬよう、きつく目を閉じ、この悪夢が消え去るように祈った。

 

 

 ――早く目覚めねば。きっと自分は今、新しくメイドとして使えることになる貴族の面接を迎えるところなのだ。おそらく、新しい主人との顔合わせに緊張したところで温かい飲み物を貰ったために、うとうと(・・・・)してしまったのだ。

 早く。

 早く、目を覚まさないと!

 

 

 やがて大股であるいて来た男が彼女の髪を掴むと、クリアーナの身体は恐怖にビクンと震えた。その頭を後ろにそらせる。

 必死で夢から覚めることを祈るクリアーナの首を、男の手に握られた芸術品のような美しいナイフがかき切った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 頸動脈を切り裂かれ、噴水のように吹き上がる鮮血をその身に受け、更に儀式は狂乱の渦にのみこまれた。

 

 

 ナイフを手にした者達が少女の許へ殺到し、自分もまた邪神へ生贄を捧げる行為を果たすべく、まだ温かい彼女の肉体に刃を突き立てる。

 吹き出す鮮血をその身に受けた者達は、それがまるで若返りの妙薬であるかのように、鉄臭い液体を自らの身体に塗りたくった。

 それだけでは足らぬとばかりに息絶えた少女の肉体に殺到し、その刃で切り刻まれた傷跡に手を突っ込むと、それを力を込めて引き裂き、細かな肉片をむしり取る。それをあたかも神聖なものであるかのように掲げ、肉片から滴る血液を己が顔面に振りかける。

 

 誰もがはしゃいでいた。

 血に狂っていた。

 もはや正気の仮面を脱ぎ捨てた祭りは、さらなる狂騒に包まれていた。

 

 

 その為、彼らはその事に気がつくのが遅れた。

 

 彼らが崇める邪神の祭壇、そこに黒い闇が出現したことに。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 静寂の波が集会に参加した者達の間を駆け抜けた。

 

 最初にあの闇に気がついた者は誰だったか?

 誰もが血の興奮の中にあり、異変には気がつかなかった。

 大勢の中には暗黒が出現した瞬間を見ていた者はいたのだが、その人物にしても、あまりの事に気圧され言葉の一つも発することは出来なかった。

 

 最初、揺らめく暗黒が邪神を迎えるため――少なくとも建前上はそういう事になっている――に用意された祭壇――普段使っている場所では石の玉座だったが、さすがにアレをここまで運んでくることは容易ではなかった――の上に出現した。

 そして、ハッと目を向けたときにそれは、さらに一回りも大きい暗黒に覆われていた。だが、彼は一瞬だが見た気がした。最初に出現した揺らめく暗黒の中から、豪奢なガウンを身に纏った白い人骨のようなもの、まさに邪神というよりほかにない存在が現れたことを。

 

 

 

 誰もが全身に赤い血を浴びたまま、凍り付いたように動きを止めていた。

 それはこの場を取り仕切る神官、そしてクレマンティーヌもまた例外ではない。

 皆一様にこの突然の異常事態にどう反応していいか困惑していた。

 

 

 やがて、声が響いた。

 この場にいる誰のものでも無い声。

 それはその暗黒の中より聞こえてきた。

 

「お前たち……お前たちは何を望む……?」

 

 静かな響きを持つ男性の声。

 その声を耳にした者達は息をのんだ。

 

「……お前たちは私を呼んでいたのではないか……? 何用があり、この私を讃え、贄を捧げるか?」

 

 

 その場にいた者達は、その言葉にただパクパクと口を動かすだけであった。

 だが、やがて一人の男がかすれるような声を発した。

 

「……い、命を……永遠の命を……」

 

 その言葉が呼び水となったように、他の者も声をあげる。だが、異口同音に繰り返される彼らの願いは皆同じ。

 

 

 ――老いから遠ざかりたい。

 ――迫りくる死の手から逃れらたい。

 ――どうか、どうか邪神様、我らの願いをお聞き届けください。

 

 

 連なる声が合唱のように秘密の地下空間に反響する。

 やがて、張りのある声が轟いた。

 

「騒々しい、静かにせよ!」

 

 全員、びくりと身を震わせ、再び場が静寂に支配される。

 しかし、次に聞こえた言葉に、彼らは皆一様に息をのんだ。怯えの爪が心胆にまで食い込む彼らの耳に届いたのは、信じられないような内容であった。

 

 

「なるほど。そなたらの願いは分かった。その願い叶えよう」

 

 

 その答えに誰もが耳を疑った。

 

 ――まさか、本当に?

 

 嘘だと否定する気持ちと、もしや事実なのではという相反する気持ちが皆の心の内で渦巻いていた。

 

 

 そんな彼らに対し、暗黒の奥から現れたのは雪花石膏(アラバスタ―)より白い骨の手。

 目を見張るような輝きを放つ、一体金額にしていかほどの価値を持つかも考えるだに馬鹿らしいほどの大ぶりな宝石のついた指輪。それをいくつもその指にはめた手が伸ばされた。

 尖ったその白い指先が1人の人物を指し示す。

 その先にいたのは、この邪教組織を取り仕切っていた神官。

 

 皆の視線が法服を着た彼の許へ集まる中、祭壇上の邪神は魔法を唱えた。

 

 

 〈即死(デス)〉。

 

 

 身じろぎ一つ許されず、神官は命を奪われ、固い床の上に転がった。力なき体は置かれていた邪神の彫像を倒し、骨で作られたおどろおどろしい虚仮(こけ)脅しの代物は石床の上で砕け散った。

 

 一同が唖然として見守る中で、倒れ伏した神官の死体の上に奇怪なものが出現する。

 中空に表れた黒い霧がとけこむように、その死体に纏わりつき、消えていった。

 

 すると、どうだ。

 その死体がピクリと動いた。

 

 誰もが瞠目(どうもく)する中、彼は再びその2本の足で立ち上がり、喉の奥から絞り出すような声をあげた。

 その顔はかつての生命溢れた、集会に参加する女性陣から人気のあった端整といえるようなものではない。干からび、引き()れた皮が、骨にこびりついているだけという容貌。

 

 その姿は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)そのものであった。

 

 

「……そ、そんな……」

 

 誰が漏らしたかもわからぬその言葉を聞き取った邪神は言葉を返す。

 

「お前たちが望んだのだろう? 老いすらなく、死から遠き存在になりたいと。私はその願いをかなえよう。お前たちにはアンデッドとなり、この私に未来永劫、仕える栄誉を与えようではないか」

 

 その言葉に甲高い悲鳴が上がった。

 その場にいた者は男も女も、老いも若きも、貴族としての地位の上下も区別なく、その身を恐怖で震わせた。誰しもが恐れ慄いた。

 

 そして邪神は新たに別の人物を指さす。

 その指先で指し示された者は先の神官と同様、抵抗すらも許されず命を奪われ倒れ込み、そしてアンデッドとして甦った。

 

 

 

 場をパニックが襲った。

 誰もが恐慌に陥ったまま、我先にこの場から逃げ出そうとした。

 悲鳴と怒号、そして罵声が場を支配する。倒れ込む者。踏みつける者。誰もが全裸に返り血を浴びた姿で、押し合いへし合い出入り口へと殺到する。

 

 そんな彼らに対し、高笑いをあげ続ける邪神。

 逃げ惑う人々に対して次々と指先を向け、幾度も死をもたらす呪文を投げかける。

 そして、その魔法により死した者は奇怪な邪法によってアンデッドとして復活し、今の今まで肩を並べていた生者に対して魔法を投げかけた。

 

 

 やがてその指先が次なる獲物を捜し、壁際を逃げようとした人物に向けられた。

 その骸骨の指の先にいた女性、クレマンティーヌは背筋を駆け抜ける戦慄に彼女らしからぬ声を喉の奥で漏らした。

 

 だが不思議な事に、彼女に向けて突きつけられたその指先であるが――不意に躊躇(ちゅうちょ)するように宙を泳いだ。

 

 そして、クレマンティーヌの隣にいた別の者にその指先は向けられ、その標的となった老女は声も上げずに倒れこんだ。

 

 

 ――どういう訳だかは分からないが、今、この時をおいて助かるチャンスは二度とないかもしれない。

 

 クレマンティーヌは肉体能力を上昇させる武技を発動させると、逃げ惑う人々の頭を踏みつけて跳躍した。はるか頭上、垂れ布の裏にあるキャットウォークに手をかけ這いあがると、そこから外へとつながる側道へと逃げ込んだ。

 

 

 

 

 しばしの狂乱の後、再びこの地下空間に静寂が戻って来た。

 苛烈なる殺戮の行われたその場に残されたのは幾体かの死体と、新たに生み出されたアンデッドたち、そして祭壇上にたゆたう漆黒の闇だけであった。

 

 やがて、その祭壇上を覆っていた闇が消える。

 暗黒が掻き消えたその場にあったのは、先のものより一回り小さな深淵の揺らぎと、豪奢なガウンに包まれた骨だけのアンデッドであった。

 

 

 その場にいたアンデッドたちは皆、その死の支配者(オーバーロード)に向かい(こうべ)を垂れた。

 彼のすぐ脇、床に出来た影の中から、全身を忍び装束で包んだ人型と漆黒の悪魔が出現し、同様に膝をつく。

 

 アインズは彼らに向けて軽く手を振り、新たに生み出されたアンデッドたちはここから出て逃げた者達を追う、シャドウデーモンはあらためて倉庫周辺を調べる、そしてハンゾウはこの場に残り自分の護衛をするように、と指示を出した。

 

 深く頭を下げると異形の者達は皆、行動を開始した。

 

 

 

 そんな彼らを見送り、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を送る。

 

《もしもし、ベルさん》

《ん? あ、はーい。どうしました?》

 

 その言葉におやと思う。

 

《あれ、まだ着替え終わってません?》

《今、体を洗い終えて、着替えて執務室に向かうところですよ》

《ああ、そうでしたか。ええとですね。こっちは終わりましたよ》

《あ、もう終わらせちゃいましたか? すみません。ちょっと、いつもはソリュシャンがやってくれているんですけど、エントマに頼んだら、物の置き場が分からないらしくてですね。時間がかかってしまいました》

《なるほど、他人の物の配置って、どこに何があるか分かりませんからね》

《ええ、そんな訳で今、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉のある執務室に向かっているんですが、どうでしたか?》

《特に問題はありませんでしたよ。邪神様とか言ってましたから、邪神のふりをして現れて、尊大な口調でしゃべってやりました。でも、大声を出したり高笑いしたりしたんで、ちょっと後で喉が痛くなりそうですね》

《骨だけなんですから、喉なんてないでしょうが》

 

 ははは、と2人で笑いあう。

 

《それでまあ、集会に集まっていた者達を何人か殺して、目の前でアンデッドにして見せたら、皆怖がって逃げて行きましたよ。これでいいんですよね?》

《ええ。今回の目的は帝都で多少の混乱を引き起こすことも含んでいますから。逃げ出したそいつらは、周辺に展開させているアンデッド部隊に殺させる。まあ、何人かは逃がすつもりですが。そうしていれば人目について、衛士たちが集まってくるでしょうから、そいつらと適度に戦闘して暴れたら、頃合いを見て撤退させる。後はそちらの倉庫に向かって撤収してきたアンデッドたちを回収して終了です》

《その帝都の衛士たちとの戦闘が気になるんですが、大丈夫ですよね?》

《大丈夫でしょう。エ・ランテルの例を見るに、基本、街の外からの攻撃には備えていても、街中で起こった突然の事には、そうそう即応は出来ないようですし。慌ててやって来た第一陣を適度に蹴散らして、あとは撤退するだけです。そんなに危険もないでしょう》

 

 ベルの説明に、なら一安心とアインズは胸をなでおろした。

 その時、アインズはそう言えばと、先ほど心に引っ掛かったことがあったのを思い出した。

 

《あ、そうだ、ベルさん。ちょっと、気になることがあったんですがね》

《何ですか?》

《はい。実はこの集会場所にですね。エ・ランテルで会った金級冒険者がいたんですよ》

《ん? エ・ランテルの冒険者?》

《ああ、いえ。エ・ランテルで会ったのであって、その後モモンとして活動している間も見かけたことは無かったので、エ・ランテルをホームとしているわけではないみたいですが。ほら、前、話したでしょう? エ・ランテルで騒ぎを起こした時に、私が行く一足先に墓地でズーラーノーンと戦っていた女冒険者ですよ》

 

 ベルは記憶をたどる。

 

《……あー。たしか、そんな事言ってましたね。……え? その冒険者がここにいたんですか? んん? そいつってズーラーノーンと戦っていたんですよね。なんでこんなとこに?》

《はい。もしかしたら潜入捜査中だったのかも。……とりあえず殺さず逃がしたんですが、外にいる者達には、そいつを狙わないように言った方がいいですかね》

《うーん、そうですねぇ。……そもそも、そいつってどんな奴なんです?》

《あれ? 言ってませんでしたっけ? ええとですね……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

《――え!? そいつって……》

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 帝都の各所に展開していたナザリック配下の者達。

 彼らに対し、ベルから〈伝言(メッセージ)〉で檄文が飛んだ。

 

 『邪教組織の集会所から逃げたと思しき、クレマンティーヌという女を抹殺せよ』

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そのクレマンティーヌは街灯もない夜の闇を駆けていた。

 左右に並ぶ高く冷たい石作りの壁は青白い月光に照らされ、陰鬱たる印象と共に、己の頭上にのしかかってくるような感覚すら覚える。

 

 彼女は必死で遁走していた。

 漆黒聖典として、幾度も死線を潜り抜け、常人では目にすることもないようなものを幾度も目の当たりにしてきた彼女であったが、そんな彼女をして、あの場に現れたものにはその身が(おのの)いた。相対(あいたい)するだけでその危険さは肌身に染みた。

 

 

 ――いったい、アレは何なのか?

 

 あいつが使った魔法。〈即死(デス)〉など伝承の中でしか聞いたことがない。

 それを容易く行使し、更には何の触媒もなしに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)クラスのアンデッドを生み出す存在。

 

 

「まさか、……本当に邪神だとでもいうの?」

 

 

 元より肌を惜しみなく晒した薄着の鎧であるが、その身に走る冷たいものは、決して夜の冷えた空気によるものではない。

 

 

 ――とにかく街を脱出しなければ。

 あんなものがいる地から、一刻も早く離れねばならない。

 

 その後はどうするか?

  

 アレの存在を法国に伝えるか?

 しかし、そうした場合、六色聖典に討伐の任務が下りるかもしれない。そうなれば漆黒聖典である彼女もまた参加しなくてはならない。六色聖典の上位者たちと共にならば、何とかなるかもしれないという気も湧いてくる。少なくとも、彼女一人で立ち向かうよりは、はるかにマシだろう。

 だが正直、彼女自身としてはアレと再び対峙するのは御免であった。

 

 となると、このまま誰も知らない土地に逃げるか?

 いや、何の手札もなく法国を離れて、風花の目を逃れ続けけられるか疑問だ。どういう手管を使っているのかは彼女にも分からないが、法国の手は長い。その調査の網は周辺諸国に張り巡らされている。彼らの目から逃れようとするならば、それこそ中原の、人間の支配領域外まで逃げねばならないだろう。

 そんな場所に行くのは、さすがにクレマンティーヌといえども、躊躇せざるを得ない。

 

 

 

 そんなことを考えながら走っていたため、その先に待ち構える存在に気がつかなかったのは彼女らしからぬことであった。

 

 

 不意に彼女の目の前にアンデッドの軍勢が現れた。

 

 驚愕に目を丸くするクレマンティーヌ。

 

 武装したスケルトンたち。しかし、よく見るとただの下級アンデッドではない。低級のもののような無理矢理魔法で動かされているような固い動きではなく、あたかも生命あるかの如き滑らかな動きをしている。しかも、その手にした装備はほのかに光を放っていた。

 

 ――まさか、魔法の武器? それも全部? 全員が魔法の武器を持っているなんて!?

 

 しかし、いかに魔法の武器を持ち、通常のスケルトンよりは強力なアンデッドであるとはいえ、そいつらだけならば漆黒聖典に名を連ねる者なら、鎧袖一触に蹴散らせるのは間違いない。

 

 彼女が真に瞠目(どうもく)したのは、スケルトンたちの隊列の奥から現れた2体の怪物(モンスター)

 一体は彼女もよく見知ったアンデッド、強大な魔法を自在に操る死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 しかし、残るもう一体は彼女をして今まで見たこともない奇怪なアンデッドだった。

 

 異様な程の巨躯を汚らしい膿に汚れた包帯で包み、カタカタと死してなお顎を震わせる骸骨を先端にひっかけた鉤のついた鎖がその背からのびている。

 一目見た瞬間に、クレマンティーヌは生理的な、そして宿命的な嫌悪感をその不死の怪物に抱いた。

 

 だが、同時に彼女は卓越した戦士の勘で理解した。

 

 

 ――こいつらは、特にこいつと戦うのは拙い。

 

 その身に走った戦慄に一瞬、足を凍らせてしまったクレマンティーヌに対し、その異形のアンデッドは躊躇することなく距離を詰めた。

 颶風(ぐふう)を伴い振り下ろされる巨大した拳、並びに蛇のようにのたうつ幾本もの鎖が、暴風のように襲い掛かる。

 

 その恐るべき攻撃に、あわれ為す術もなく命を奪われるかに見えたクレマンティーヌ。

 

 

「待て!」

 

 だが、今しもクレマンティーヌの命を奪わんとしたその攻撃を止めたのは、誰であろうか、そのアンデッドと共にいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 イグヴァは困惑していた。

 

 もともと彼の今回の任務は、急遽集められたアンデッド集団の指揮であり、合流したセバスの下で彼の指示に従い、邪教の集会とやらに集まった人間たちを始末することであった。

 しかし、そのセバスはというと、先行したハンゾウの報告により救助対象であるクーデリカの行く先が判明したという事で、独り彼女の救援に向かうこととなった。

 その為、その後の指揮はすべてイグヴァに任せられることになった。

 

 そこまではいい。

 例えセバス不在であっても、彼は自分のなすべき任務をよく理解している。セバスという最強戦力が抜けても、今、ここにいる者達だけでもひ弱な人間たちの群など、容易く殲滅できるだろう。

 

 彼はそう考えた。

 そして、その考えはあながち間違いという訳でもない。

 この地において、彼自身の放つ魔法と、一体一体はそこそこ程度しか強くはなくとも数のいるオールド・ガーダーたち、そしてなにより共に派遣された屍収集家(コープスコレクター)に敵う者など、いないといっても過言ではないのだから。

 

 だが、そうして指示された地点において姿を隠し、やってくるであろう人間たちを待ち構えていた所へ、ベルから新たな指令が届いたのである。

 

 

 クレマンティーヌという女が現れたら、確実に始末しろという指令が。

 

 

 これは彼を困惑させるものであった。

 もとより、彼及び共にいるアンデッドたちへの命令は現れた人間たちを始末することである。ベルが帝都に連れてきたという人間、並びにクーデリカという少女は殺さぬように注意されていたが、それ以外の者達は全て殺してしまえばいいと思っていた。何人かは殺さずにわざと逃がすことも計画されていたようだったが、それはあくまで別の地点を担当する者だけに指示されており、彼が担当した地点においては殲滅が命令されていた。

 そこへこの指示が来たのである。

 

 

 彼、イグヴァがこの指示に困惑した理由、それは――。

 

 

 ――クレマンティーヌを殺せと言われても、そのクレマンティーヌとやらがどんな人物なのか、イグヴァは全く知らなかったためである。

 

 

 

 配置についていたイグヴァに対し突如、慌てた様子のベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いた。そして、この命令が下された。

 しかしその際、彼がその標的となる女、クレマンティーヌの詳細を訪ねるより先に、すぐに〈伝言(メッセージ)〉が切れてしまったのである。

 

 

 はっきり言ってしまうと、ベルの連絡ミスである。

 自分が知っているからと言って他人も知っているとは限らないのであるが、最初に〈伝言(メッセージ)〉を送ったソリュシャンは、ベルがクレマンティーヌについて詳しく語るより先に「分かりました」と返したのだ。

 ソリュシャンは以前、ベルと共にクレマンティーヌを捕獲していたため、その容姿を憶えていたからなのであるが、突然予想だにしていなかった者の生存の話を聞かされたベルは慌てており、現在帝都に展開している者の中でクレマンティーヌの容姿を知っているのはソリュシャンだけ――一応アインズもだが――という事にまで気が回らなかったのである。

 それでベルは彼女に対しては説明もそこそこに抹殺の指示を出し、すぐに次のイグヴァへ〈伝言(メッセージ)〉をしたのであるが、直前のソリュシャンとの会話の際に容姿の説明を省いたことから、イグヴァに対してもクレマンティーヌの抹殺だけを指示して、さっさと〈伝言(メッセージ)〉を切ってしまったのだ。

 

 

 

 イグヴァは悩んだ。

 こちらから〈伝言(メッセージ)〉を使い、ベルに聞いてもいいのではあるが、先ほどの様子から察するに()の方はずいぶんと急いでいたようであった。そこへいちいち確認の〈伝言(メッセージ)〉を入れるのは躊躇(ためら)われた。

 

 しばし悩んだ末に、イグヴァは〈伝言(メッセージ)〉を入れないことにした。

 元より、彼の指揮下にあるアンデッドたちが待ち構える拠点にやって来た人間たちは、先に述べた殺さぬよう注意された者たち以外は生きては返さぬつもりであった。

 その為、特にそのクレマンティーヌという女の容姿が分からなくても問題なかろうと判断したのだ。

 

 

 そうして、網をはって待つことしばし。

 彼の許に薄暗い闇の中を駆けてくる、生命ある人間の女の姿があった。

 

 進路を変えられぬよう十分に引きつけたところで、彼自身を含む隠れ潜んでいたアンデッドたち――今回の任務の為に隠形のアイテムを渡されていた――がその姿を現す。

 その出現は女の不意を突いたらしく、彼女の足がわずかなりともピタリと止まった。

 その隙を見逃すアンデッドたちではない。

 傍らに控えていた屍収集家(コープスコレクター)が一息に距離を詰め、その生命を奪おうと襲いかかった。

 

 

 だが、その女の姿を見たイグヴァは慌てて、包帯に包まれた巨躯の不死者に制止の声をかけた。

 

 

 

 彼は言われていた。

 

 ベルの配下にある人間たちもこの帝都にいるため、その者らには手を出さぬようにと。

 その人間たちの姿は、きらびやかな衣装を身に纏った若い男と、肌もあらわな衣服を身に纏った若い女だという。

 そして彼らの武装はというと、穿ち刺し貫く刺突武器と、幾本もの宙を舞う三日月刀(シミター)だという。

 

 

 あらためて現れた女、屍収集家(コープスコレクター)を前にして凍り付いている女戦士に目をやる。

 

 

 その身は肌を大胆にさらした鎧を身に着けている。そして、その年齢は――この世界で言うところの――結婚適齢期は過ぎているかもしれないが、若いといえる程度だ。

 

 ――つまりは肌もあらわな服装の若い女だ。

 

 

 そしてその腰に目をやると、くびれのある腰にはベルトが巻かれており、そこに下げられた鞘に納められているのはスティレット。

 

 ――刺突武器である。

 

 

 肌もあらわな若い女。

 刺突武器。

 

 これら2点を鑑みると、この女こそが、帝都に来る際に聞かされていたベル配下の人間である事に間違いはない。この2点を同時に併せ持つ全くの他人など考えられるはずもない。

 

 

 イグヴァは周りのアンデッドたちに、道を開けるよう指示した。

 月光の下、青白く光り輝く骨の群が分かれ、その中央に一本の道が出来る。

 

 

 

 そのアンデッドたちの様子にクレマンティーヌは面食らったものの、どういう訳だか自分に危害を加える気はなさそうだと、その中央をそろりそろりと通り抜ける。

 そして、いつ襲ってきても飛びのけるよう警戒の足でその道を抜け、最後のアンデッドの脇をすり抜けた途端、即座に跳躍して距離を取り、そのまま一目散に夜の闇、その奥へと駆けて行った。

 

 

 

 その背を見送るアンデッドたち。

 そんな彼らに対して、イグヴァは再び陣形を組むように指示した。

 

 その(おぞ)ましい顔に困惑気な表情をたたえていた屍収集家(コープスコレクター)のエッセに対して、あの者を逃すのは主からの指示であると一連の事を言って聞かせた。

 彼はその説明にも、いまいち納得していなかった様子であったが、そうこう話しているうちに騒々しい物音が響いて来た。

 重い金属鎧が立てる高い音と、鉄脚絆が石畳を踏みしめる低い音。

 

 振り向くと、向こうからやって来たのは金属の全身鎧(フルプレート)を身に着けた騎士と(おぼ)しき部隊。中にはローブをまとった魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしい者も含まれている。

 

 

 

 イグヴァは来たと思った。

 彼がこの帝都に派遣されるにあたって、街の衛士が襲い掛かって来るかもしれないと言われており、この騎士風の者達こそが、街の衛士隊に間違いはないだろう。

 

 彼らとは全力で戦っていい。だが完全に撃破する必要はなく、相手の戦力が強大であれば、撤収してもかまわないと命ぜられていた。

 無論、イグヴァは自分の創造主であるアインズの偉大さを示すために、完全なる殲滅をするつもりであった。

 

 即座にイグヴァは指示を出す。

 その指示に従い、アンデッドたちが隊列を組む。

 

「気をつけろ! いたぞ! アンデッド。アンデッドだ! 隊列を組め!」

 

 騎士達をまとめ上げる隊長が叫んだ。

 今回の一件を解決するために集められた帝国騎士団の者達は、眼前に展開するアンデッドたちのその指揮系統がはっきりとしている様子に、ただの知性もなく本能のまま彷徨(さまよ)うアンデッドではなく、知能持つ者が明確な指示を出している『部隊』であると認識した。

 彼らは慌てて距離を取り、陣形を整える。

 

 

 距離をとってにらみ合う2者。

 戦闘開始の合図とばかりに、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の〈火球(ファイアー・ボール)〉が叩きこまれた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《はい。こちらの被害はオールド・ガーダーが6体のみ。こちらに逃げてきた、邪教の集会に参加していたと思しき者達は数人程度逃がして、残りはすべて殺害しました。ならびに襲撃してきた帝都の衛士達も撃退いたしましたわ》

 

 ソリュシャンの報告にベルは、ご苦労さまと返す。

 

《ですが私たちの所にやって来た帝国の衛士ですが、おそらくただの兵士ではなく、騎士ではないかと思われます》

《騎士? つまり、街を守るための兵士じゃなくって、国家である帝国に仕えている騎士って事?》

《はい。元より帝都では騎士が街の治安を守る役目についていたようですし、死体の装備や、そこに刻まれた紋章を見ても、そうではないかと思われます。それと、この騎士達と共に魔法詠唱者(マジック・キャスター)もおりました。この地においては普通の人間が使えるのはせいぜい第二位階、高くても第三位階が関の山であり、また魔法を使える人数も在野にはそれほど多くはないという話ですが、帝国は魔法学院を作り、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を育成していると聞きます。そして、この者達は第二、第三位階程度の魔法を使用しており、且つそれなりの数もいたことから、帝国の魔法院に所属している者達ではないかと》

《なるほどねぇ》

 

 ベルはふむふむと頷いた。

 

《つまり、街の守備についている者が動く程度じゃなくって、帝国が動いているかもしれないってことか》

《おそらくは》

《そうか……それはそれで好都合。ええっと、まず邪教組織の方の貴族連中は復活魔法にも耐えられないだろうし、騎士連中も高額な金を払ってまで復活させようとは思わないだろうから、そのままでいいや。まあ、復活されても特に問題ないし。だから、死体も回収しなくてもいい。最初に言った通り、邪教組織の会合場所が開かれていた倉庫へ撤退。そこにアインズさんが控えているはずだから、〈転移門(ゲート)〉で帰ってきて》

 

 その指示に了承する旨を伝えると、〈伝言(メッセージ)〉が切れた。

 

 ベルは、ふぅと安堵の息を吐いた。

 ペストーニャが持ってきてくれた夜食のピザを齧る。少し冷めてしまったが、帝都で食べたものよりもはるかに美味である。

 

 

 事は順調だ。

 

 クーデリカの方は、ハンゾウが手に入れた地図をもとに捜しまわったセバスが、無事に発見したらしい。

 その際、救出におもむいていたアルシェと接触したらしく、ウレイリカの件も含めてどうするかと問われた。

 ベルとしては、もはやそちらには興味はない。ベル自身がヘッケランとイミーナを殺してしまったため、残った2人ではもうフォーサイトとしての活動も出来まい。特に恩を着せるでも、取引に使う程のメリットも感じなかったため、セバスの進言を受け入れて、アルシェにクーデリカとウレイリカ、2人を引き渡して帝都を去らせることにした。せっかくのことであるし、セバスの心証をよくするのに使った方がまだ役に立つ。

 

 そして、邪教組織の方は予定通り、かたがついた。

 アインズがそこで祀られている邪神よろしく集会場所におもむき、散々恐怖を振りまいた。逃げ出した者達は、付近に展開させているナザリックの者達に始末させる。完全に殲滅するのではなく、適度に幾人か逃してしまえば、そいつらが今回の顛末の責任をまとめてかぶってくれるだろう。捜査の手が伸び、そいつらが帝国に捕まれば、なお良しである。

 

 ――邪神を崇める秘密組織で生贄の儀式の真似事をしていたら、本当に邪神が光臨し、アンデッドが街にあふれる結果となった。

 

 取り調べでそんな事を言いだした人間を、今回の騒動で仲間に犠牲を出した官憲がどんな扱いをするか。

 想像するだけで楽しくなってくる。

 

 

 

「でも、意外と被害は出たな。さすがに帝国の首都は守りが固いのか」

 

 ベルが気にしていたのは帝都の衛士、ソリュシャンからの報告によると、もしかしたら帝国騎士団の強さであった。

 今回、邪教組織壊滅の為にアンデッドの軍勢を動員したのには、帝都の戦力を調べるための威力偵察という意味合いもあった。

 エ・ランテルでの衛士たちの対応を見る限り、大して被害も出ないかと思ったのだが、ソリュシャンの方でオールド・ガーダーが6体。イグヴァの方に至っては11体ものオールド・ガーダーが倒されたらしい。

 敵の編成も戦士だけではなく、魔法詠唱者(マジック・キャスター)も混じっていたらしく、中々の戦力といえる。

 

 しかし、結局のところ、倒されたのは新たに召喚したオールド・ガーダーのみであり、その他の者には被害も出ていないことから、そんなものかとベルは特に気にもしなかった。

 

 

 だが、一つだけ問題が発覚した。

 エ・ランテルで会ったスレイン法国に所属していた女、クレマンティーヌがまだ生きており、この帝都にいることが発覚した。

 彼女についてはエ・ランテルで捕まえた際に嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使い、アイテムを渡して泳がせたのであるが、その際、思ったより魔力消費が激しく、完全にベルの記憶を消すことが出来ていないのではないかという懸念が残っていた。

 ともあれ、そのすぐ後にアインズがズーラーノーンの一味をすべて始末してしまったので、彼女も一緒に死んだはずであり、一安心という按配であった。だが、つい先ほどその一件について詳しく話を聞いたところ、アインズが冒険者モモンとしてエ・ランテルの墓地におもむいた際、いったいどういう訳だか、クレマンティーヌはズーラーノーンの幹部と戦っており、彼女をズーラーノーンの魔術師の敵であり冒険者仲間だと勘違いしたアインズが彼女の事を助けたのだという。

 そいつが生きており、またもし記憶が完全に書き換えられていないとなると、自分の情報が未だ全容が不明の法国に流れてしまう恐れがあった。その為、とにかく急いで始末してしまおうと、慌てて今回派遣した者達にクレマンティーヌ殺害の命令を出したのである。

 

 

 しかし、ソリュシャンが率いていた方には、儀式の場から逃げ出した邪教組織の者達は多く来たものの、そこにクレマンティーヌらしき人物はいなかったようだ。

 対してイグヴァの方はというと、そちらには邪教組織の関係者らしき人物は1人も来なかったという。

 

 すこし気になったのは、イグヴァの方にベル配下の人間の女が1人で現れたので、そちらは襲うことなく見逃したと報告された事だ。

 

 ――女。

 つまりはエドストレームか?

 なんであいつが倉庫街辺りをうろついているんだ? それもマルムヴィストと離れて、一人で。

 ……まあ、いいか。後で聞けば。

 

 

 それに落ち着いてよくよく考えてみれば、クレマンティーヌが生きていたとして、ベルの情報が漏れるかもしれないという懸念は今更の話である。すでにエ・ランテルの件から時間も経っているのだから、情報は流れるところには流れてしまっているかもしれない。とにかく、今になって慌ててクレマンティーヌを始末したからと言って、すでに拡散したかもしれない情報が収まる訳でもない。

 手遅れかもしれないが、まあ、それはもうどうしようもない。

 

 そんな感じでベルの心の内は、過ぎてしまったものは仕方がないという諦観であった。

 

 

 

 それよりベルには気になることがあった。

 

 いくら待っても、ソリュシャンらと同様に帝都にいるはずのナーベラルからは連絡がないのである。

 何かに手間取っているのだろうか? 彼女の事だから、うっかりなどないとは思うが、やはりまったく連絡がないというのは心配になってくる。

 

 こっちからかけてみるかと、ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《こちら、ナーベラルです》

《ああ、ナーベラル? こっちはベルだよ》

《ははっ! ベル様、いかがなされましたか?》

《ええと、そっちの進捗(しんちょく)状況を聞きたかったんだけど》

《はい、連絡が遅くなってしまい、申し訳ありません。すぐにでもこいつらを始末してかたをつけます》

《ん? もしかして戦闘中だった? 後でかけ直そうか?》

《いえ、このようなガガンボどもなど、今すぐにでも……グゥッ!》

《……どうした? 何があった?》

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しに聞こえてきた(うめ)き声。

 それは確実に苦痛に起因するものであった。

 思わずベルは普段の子供っぽい口調も忘れて問いかける。

 

《申し訳ございません。無作法な事を。ナザリックの戦闘メイドとして、ゴミムシどもに不覚など……っちぃっ!》

《え? ちょ、ちょっと、今どうなってる!?》

《……ええい、ひ弱で愚かな人間が! 邪魔をす……》

 

 

 そこで突如、〈伝言(メッセージ)〉が途切れた。

 ベルは息をのんだ。

 

 ――いったい何が起きている?

 ナーベラルが苦戦するほどの敵が現れた?

 

 

 慌てて巻物(スクロール)を取り出すと〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使う。

 目標はナーベラルに渡してある、装備している者の能力を他者から隠蔽する指輪。

 反応があった地点と帝都の地図を見比べ、その場に〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を繋げる。

 

 

 そこに映し出されたのは、無数の死体が折り重なる中、配下につけたアンデッドたちはすでになく、帝国の紋章をつけた騎士や魔法詠唱者(マジック・キャスター)の軍勢相手に、たった一人で孤軍奮闘するナーベラル・ガンマの姿であった。

 

 

 



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第60話 結末、そして始まり

 前半、延々と戦闘シーンが続きます。


2016/10/27 「髪に聞く」→「髪に効く」 訂正しました
帝国兵の蘇生に関する話の部分を、法国から蘇生魔法の使い手を呼ぶ等、少々修正しました


「ええいっ!」

 

 苛立ちからあまり淑女らしからぬ声をあげ、ナーベラルは飛び来る矢の雨の中を突進する。

 補助魔法をかけられた射手から放たれる矢の全てを(かわ)すことは出来ず、襲い来る幾本もの鋼の矢じりが彼女の身に着けているドレスに穴をあけ、その白い柔肌に傷をつくった。

 

 突如、その攻撃がぱったりと止む。

 その答えは、彼女の目の前に光り輝く槍の穂先。

 前衛の戦士たちに接敵したことで、仲間を巻き込むまいと、地を這うように駆けた彼女へ射かけるのを控えたのだ。

 

 そうして遠距離攻撃は納まったものの、次なる脅威はその身の前面に盾を構え、並ぶその隙間から槍を突き出す重戦士たち。

 今、ナーベラルの手にしている両手杖(ロング・スタッフ)は、彼らの持つ槍に匹敵する長さがあるが、重装戦士に有効打を与える間合いに入るには、その槍先よりさらに一歩二歩、踏む込まねばならない。

 

 走り寄りつつ息を吸い込むと、力を込めて槍の穂先を横合いから弾き飛ばす。

 そして乱れたその槍衾(やりぶすま)の中に飛び込み、勢いのままさらに体を一回転させ――歯を食いしばった。

 専門は魔法であるといえど総レベル63という、この世界において桁違いの強さを持つ者の膂力のままに振り回された杖は、全身鎧(フルプレート)を身に着け大盾(ラージシールド)を構えた屈強な男をすらも弾き飛ばし、その包囲網に穴が空いた。

 

 だが、それは力任せに振るった一撃の為、さすがにその動きは、わずかながらではあるが止まらざるをえなかった。

 

 そこへ後方にいた魔法詠唱者(マジック・キャスター)が牽制の魔法を飛ばす。

 その指先から放たれた火炎は、彼女自身が己が身にかけていた持続型の魔法に対する防御によって阻まれ、その眼前で消え去ったのだが、弾けた炎により一瞬、視界が覆われる。

 

 そこへ左右から、片手剣(ロングソード)と盾を手にした騎士たちが切りかかって来た。

 

 身をそらして襲い来る刃を躱し、その手の杖で剣閃をいなす。

 

 

 しかし――。

 

「もらったぁっ!」

 

 その瞬間を狙っていた男がいた。

 高く跳躍し、手にした両手剣(グレートソード)を力任せに振り下ろした。

 

 とっさに両手杖(ロング・スタッフ)で受け止めたのだが、先の剣士の攻撃を(かわ)したことにより体勢が崩れており、魔法で身体能力を強化していた男のその一撃を、完全に止めることは出来なかった。

 

 衝撃に膝が崩れる。

 無様(ぶざま)ながらも後ろに倒れこみ、地に転がる事で斬撃を受け流す。

 肩が石畳に激しく打ち付けられ痛みを覚えたが、その剣先は彼女の頬に一筋の傷をつけるにとどまった。

 

 怒りと屈辱を覚えつつ、敷石の上を転がりながら男の追撃を避け、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を唱えて距離をとり、あらためて両手剣(グレートソード)の男と対峙する。

 

 

 立ち上がった彼女の頭めがけ、またも魔法の光が飛んできた。

 防御魔法で防げると思ったナーベラルは(かわ)そうともせず、目の前の男から視線をそらさなかったのだが、その魔法の矢は消えることなく、そのまま彼女の顔面にぶつかった。

 怒りに我を忘れていたため、その身を護る防御魔法の効果時間が過ぎていた事に気がつかなかったのだ。

 

 だが、所詮は低位階の魔法。

 彼女にとっては大したダメージではない。

 それより、それで(ひる)んだ瞬間を狙い、男が今にも飛びかかってくるかと杖を構えて身構えた。

 

 しかし、彼女の予想に反し、帝国の紋章をつけた美々(びび)しい鎧を身に着けつつも、あたかも野盗であるかのごとく粗野(そや)にして粗暴(そぼう)な雰囲気を漂わせる両手剣(グレートソード)の大男は、その様を前にしながら踏み込んで襲い来ることなく、それどころか逆にバッと後ろに飛びのいた。

 

 

 虚を突かれたナーベラル。

 男の行動に一瞬、呆気にとられる。

 そんな彼女に対し、魔法の雨が降り注いだ。

 

 防御魔法の効果が切れたと知った魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちが、一斉に攻撃魔法を使いだしたのだ。

 一発一発は大したダメージにはならぬとはいえ、その魔法の連打は、彼女の体力をじわじわと削っていく。

 

 

 ナーベラルはとっさに魔法を使い、魔力の盾で身を守った。

 降り注ぐ炎や氷、酸に雷撃、そして弓から放たれる矢じりが、彼女の目の前に張られた半球状の緑の膜に当たり、色とりどりの幻想的な色彩を生み出す。

 そのどれもが、彼女の唱えた魔法の守りを貫くことは出来なかった。

 

 

 しかし、その場に一人の人物が歩み出た。

 髪も長い(ひげ)も完全に白一色となった老魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 このバハルス帝国の主席魔法使い、フールーダ・パラダインその人である。

 

 

 フールーダはその杖を振りかざし、おもむろに魔法を使う。

 周囲にいる者達――ナーベラルは除く――が知りえるはずもない呪文を唱える。

 

 〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉。

 

 その雷はナーベラルが発動させた魔法の守りをも貫き、その身を打ち据えた。

 

 

「くぅっ!」

 

 苦痛に呻きつつも彼女は〈電撃(ライトニング)〉を唱える。

 狙いはフールーダ。

 反撃に放たれたその魔法であったが、それはフールーダの唱えた防御魔法によって防がれ、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)の眼前で弾け飛んだ。

 

 

 〈電撃(ライトニング)〉を唱えたことにより、目の前に展開させていた魔力の盾が掻き消えた彼女の身に、再び幾本もの魔法が叩きつけられる。

 

 今は優先順位として、これらの魔法に対抗する方が先と判断し、じわじわと体力を削る魔法の雨のなかで、再度、持続型の魔法に対する防御を身に纏った。

 

 攻撃魔法がまたその身に届かなくなったと知った魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは、即座に魔法の発動を止めた。

 そして間髪入れず、代わりに魔力の込められた矢じりが再び襲い掛かった。

 

 

 

 ナーベラルは襲い来る矢を避け、投げつけられた投網を杖で打ち払いながら、十重二十重(とえはたえ)に自分を取り囲む下等生物(にんげん)たちに、憎々し気に目をやる。

 

 その姿は多種多様。

 全身鎧(フルプレート)に身を包み、隊列を組んで大盾(ラージシールド)の隙間から槍を突き出し距離を詰める重装戦士たち。

 それと比べて軽めの金属鎧、一回り小さい盾を身に着けつつ、速度で重装戦士を補佐する剣士たち。

 体の要所要所のみを金属鎧で覆った弓兵たち。

 そして、それらに守られるようして、杖を振りかざす魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち。

 様々なタイプの者達が、それぞれの利点を生かし、且つその欠点を補うチームワークの取れた部隊。

 

 そんな彼らの前に、いかに個の力では優れていても、ナーベラル率いるアンデッドの部隊はすでに壊滅してしまっていた。

 

 

 

 

 苛立ちにその美しい顔をゆがめ、彼女はぎりりと歯ぎしりする。

 

 ――全力で戦うことが出来ればこんな奴ら、すぐにでもかた(・・)がつくのに。

 

 

 そのナーベラルの思考は決して誇張でも負け惜しみでもない。

 彼女が行使できる最高の能力、第8位階魔法を行使すれば、この場に居並ぶ者たちなど潰走を余儀なくされるであろう。

 

 

 だが、第8位階魔法など使う訳にはいかなかった。

 

 彼女がこの帝都での情報収集に従事する際に、主であるアインズから言われていたことがある。

 それは、あまり目立ってしまわぬよう魔法を使用する場合は基本的に低位階のもののみとし、最大でも第3位階魔法までに(とど)めておくように、ということであった。

 

 もちろん、その魔法制限というのは、任務遂行の為にはその程度に留めておくべきというだけであって、生命の危険などがあると判断したら第3位階より上、第4位階以上の魔法も適宜、使用してよいとは言い含められている。

 

 しかし、それは『生命の危険がある』と判断した場合である。

 生命の危険がない限りは第3位階までにおさめておかねばならない。

 

  

 ナーベラルは自分の目の前において陣形を組み、立ちはだかる者達を睨みつける。

 

 重装鎧に身を包む者。軽装の防具を身に着けた者。ローブをまとった者。

 多種多様な者達がいるが、そこにいるのはすべて人間だ。

 

 

 つまり、第4位階以上の魔法を使用するという事は、すなわち彼女が人間との戦闘で生命の危険にさらされたと判断したという事である。

 

 それは断じて容認できるものではなかった。

 栄光あるナザリック、そこに仕える戦闘メイド『プレアデス』の一員たる自分が、下等生物である人間によって、自らの生命を守るために、主より止められていたはずの高位階の魔法まで使用せざるをえないような状況にまで追い込まれてしまったなどと、けっして認めることは出来なかった。

 

 

 アインズとしては最優先するのはNPC達の命であり、その命と引き換えにするくらいならば、情報収集など途中で辞めたとしても構わない程度のものであった。何の理由もなく高位の魔法を使ったのならともかく、そこにそうすべきであったという判断があったのならば、叱責などするはずもない。

 だが、その命を下されたナーベラルの身としては、アインズからの命令は至上にして絶対のものであり、自分の生命よりも重視すべきものであった。

 すでに情報収集の任務は半ば解かれたものも同然であったが、あくまで今回の殲滅作戦の終了を持って、長期にわたった帝都における任務の終了とし、ナザリックに帰還するのである。

 いまだ、彼女にとってアインズから下された魔法の使用制限の命令は生きたものであった。

 

 

 

 そのため、今のナーベラルはその力を最大限には発揮できず、その最も得意とする魔法の能力に枷をかけられたままで、帝国の部隊との交戦を強いられていた。

 

 使用出来る魔法は第3位階魔法まで。

 そして、その身に纏うのは彼女本来の高い防御効果を持つ特製のメイド服ではなく、何の効果もないどころかその動きを阻害する豪奢なドレス。

 様々な特殊効果を持つマジックアイテムの(たぐい)も身に着けてはおらず、ただ自身の能力を隠蔽する指輪と、何の変哲もない金属製の両手杖を持つのみであった。

 

 

 対して、迎え撃つ帝国の兵士たちは、精鋭と言って過言ではない者達。

 戦士は常備戦力たる騎士団や各兵科の中から選抜された、忠誠、技量共に優れる忠勇無双(ちゅうゆうむそう)の者たち。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、個々の魔術の研鑽だけではなく、戦士達との連携を訓練した者たちである。

 個人個人がたぐいまれなる資質を備え、それに慢心することなく厳しい訓練により、能力を磨き上げていた。そんな人間たちがチームを組み、1人ではフォローしきれぬ自分たちの欠点を補いあい、部隊が一個の生き物のごとく行動する。

 まさに彼らこそ、この帝国における部隊単位での最高の戦力と言えよう。

 

 しかも、それだけではない。

 今日の彼らには、さらなる強者が加わっている。

 このバハルス帝国において、最強と評される帝国四騎士。そのうちの2人、『雷光』バジウッド・ペシュメルと『不動』ナザミ・エネックが、彼らに同行していた。

 更にはもう1人。

 生ける伝説として、帝国だけではない周辺諸国すべてに余すところなくその名が轟いている帝国の守護神『三重魔法詠唱者(トライアッド)』フールーダ・パラダインまでもがいるのだ。

 

 

 ナーベラルの知らぬことではあったが、彼女の他に帝都に展開していた部隊、ソリュシャンやイグヴァらが交戦した者達はあくまで、アンデッドたちの被害が市民にまで及ばぬよう足止めをするための、戦力としてはやや劣った部隊であり、今、彼女の目の前にいる彼らこそが此度のアンデッドの全てを壊滅すべく組織された本隊であった。

 

 

 

 飛び来る攻撃をかわしつつ、体勢を整え足を踏みかえる彼女の靴先が、倒れ伏した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に当たり、まだかろうじて形のあったその姿を灰へと変える。

 すでに彼女が従えていた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)やオールド・ガーダーなどのアンデッドたちは、大挙してやって来た騎士団並びに魔法詠唱者(マジック・キャスター)からなる混成部隊の前に一人二人と数を減らしていき、ついにはその全員が力尽きていた。

 今、生き残っているのは彼女ただ一人。

 

 

 これまでナーベラルは幾度も相手の数を減らすべく、様々な攻撃を行っていた。

 しかし、強力な魔法を禁じられている現状では、攻撃魔法を唱えても魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちの防御魔法によって威力を減ぜられ、一撃で命を奪うには至らない。そして負傷し倒れた者達は、回復魔法やポーションによってすぐさまその怪我を治癒され、再び戦列に加わった。

 かと言って、自身のレベルの高さに起因するその膂力を発揮しようにも、近接戦闘に関しては決して得手とは言えぬその動きでは相手の数に押されてしまい、その力を十全に発揮することすら出来なかった。

 

 それに対し、近距離でも遠距離でも間断なく繰り出される向こうの攻撃は、致命傷こそ与えることはないものの、わずかずつではあるがじわりじわりとナーベラルの体力を奪っていく。

 

 いつかは騎士たちの回復手段は途絶えるだろうが、それまでにこちらの体力が削りきられかねない。

 戦いは、もはや先が見えない消耗戦の様相を呈していた。

 

 

 

 

「皆よ。手傷を負わせているからと言って油断はするでないぞ! この者の強さ、これは人間の範疇(はんちゅう)を超えておる。よいな、けっして人と思うな。手負いの魔獣と思え!」

 

 フールーダの声に、たった一人のか弱そうな女性を完全武装の者達が囲んでいるという状況ながら、皆一層気を引き締め、包囲の輪を狭めた。

 

 

 その声を聞いたナーベラルの目が細められる。

 

 ――やはり、あの老人こそが、この場において最も上位の者。あの者さえ殺してしまえば……。

 

 

 ナーベラルは軽く息を整え、両手杖を握りしめると、再び突撃を敢行する――と見せかけ、魔法を唱えた。

 

 〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉。

 

 ナーベラルの身体が軍勢の前から掻き消える。

 誰もがその姿を見失った。

 

 同時に漆黒の中空。フールーダの背後、斜め上空にその姿が現れる。

 落下しつつ身体をひねり、手に握りしめた金属の杖を力を込めて、老魔術師めがけて振り払った。

 

 

 ――殺った。

 

 

 ナーベラルはそう思った。

 彼女はフールーダの頭がザクロのように弾けるのを予想した。

 

 予測も出来ない方向からの素早く力の載った一撃。

 その攻撃に魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダは、とっさに反応できるはずもない。

 

 

 しかし、その行動は悪手だった。

 叩きつけられた杖は間に入った者によって防がれた。

 

「その転移魔法で指揮者を狙うのは読んでいたぞ」

 

 先ほど、ナーベラルは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で攻撃を回避していた。ならばその魔法を別の目的で、この状況をひっくり返す起死回生の手段として、軍勢に命を下しているフールーダもしくはバジウッドのどちらかを転移して襲うのではないかとナザミは警戒していたのだ。

 そしてその予想は見事に当たった。

 

 

 これも、ナーベラルが人間を見下していた事に起因する。

 第3位階魔法までしか使えぬ現状において、安易に手の内を見せるという愚を犯し、更には相手がそれを考慮し、対策を立てるかもしれないという事を考えていなかったのである。

 

 

 耳をつんざく硬質の音。

 『不動』ナザミ・エネックの盾を持つ両手に、骨まで響くような衝撃が走る。

 それはこれまで彼が経験した中で、かつて討伐任務によりおもむいたアゼルリシア山脈において、幼いながらも家一軒ほどもある大きさのフロストドラゴンが放った尾の一撃を受け止めたときに匹敵した。

 

 常人であれば盾ごと弾き飛ばされそうな重い一撃であったが、防御に特化したナザミはそれを受けきった。

 そして、その身がいまだ中空にあるナーベラルめがけて、バジウッドの両手剣(グレートソード)が横なぎに襲いかかる。

 

「とったぁっ!」

 

 態勢を整えることが出来なかったナーベラルは、その一撃を防ぐことすら出来ず、がらあきの胴に刃の直撃を受けた。

 

 

「ぐあぁっ!」

 

 思わず悲鳴をあげるナーベラル。

 その身は大きく弾き飛ばされ、地面に激突し、石畳の上を転がる。

 転移の魔法により突然、陣形の奥に出現した標的に対して、部隊は流れるような動きで陣形を組み直し、再度倒れた女性への包囲網を構築する。

 

 

 そうして全員の目が集まる中、ナーベラルは苦痛の声をあげて膝をつき、立ち上がった。

 

 

「信じらんねぇな。あれで死んでないのかよ」

 

 バジウッドが呆れたような声を出す。

 

 先の両手剣(グレートソード)での一撃は、彼の全力を叩きこんだものだった。

 もとより四騎士のみならず、帝国騎士団の中でも随一と言われる筋力の持ち主であり、さらにその身には魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちによる補助魔法を幾重にもかけられている。その振るう剣閃の前ならば、例え相手が金属の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ重装戦士であろうと、鎧ごと一刀両断に出来る自信があった。

 それなのにこの女と来たら、なんら特別な装備もなしに両手剣(グレートソード)の一閃をその身に受けておいて、まだ生きているのだ。

 腹部に裂傷ができ、それなりのダメージを与えたようだが、それでもなお、こうして両の足で立ち上がったのだ。

 

「お前、本当に人間じゃないのか?」

 

 

 その声に、ナーベラルはぎりりと音を立てて歯ぎしりする。

 腹を押さえた手の隙間からは血が滴っている。

 いくら魔法で身体能力をあげた戦士の攻撃とはいえ、その刃先は内臓にまでは届くことはなかった。

 だが、それは決して軽くはない傷である事をうかがわせた。

 

 彼女の胸の内は自分に傷をつけた人間達に対する憤怒があった。

 屈辱に打ち震えた。

 しかし、それよりなにより、下等な人間相手に不覚を取り手傷を追った自分に対し、至高なる御方アインズは失望するのではないかという恐怖があった。

 

 思わず脳裏をよぎったその想像に、ナーベラルは身を震わせ、足を止めた。

 

 

 

 それを敗北を認めた、勝利をあきらめた証と見て取ったバジウッドは全軍に対し、攻撃を指示した。

 勝利を確信しつつも、慢心することなく、慎重に距離を詰める兵士たち。 

 

 そして、遂に戦士たちが長きにわたったこの戦いの雌雄を決するべく、突撃を敢行した。

 具足のたてる金属音と共に、その柔肌から血を流し続ける彼女に対し、剣や斧、鎚鉾などの武器を構えて殺到する。

 

 

 

 

 しかし、その時――。

 

 

 ――轟音と共に風を切って飛来したものが襲いかかった重装戦士たちを引き裂いた。

 

 

 

 皆が目を()くなか、青光りする金属の鎧がまるで紙のように貫かれ、敷き詰められた石畳が粉々に弾け飛んだ。

 

 驚きと共に慌てて周囲を見回す騎士たち。

 その目が異様なものをとらえた。

 

「あれは!」

 

 誰が放ったか、不意にあがった声に皆がその足を止めた。

 見上げるその視線の先。

 立ち並ぶはるか高き倉庫。月光に照らされた屋根の上。そこに揺らめく漆黒が現れていた。

 

 

 そして、その手前。

 赤銅色の屋根の上に、これまで誰も見たこともない奇怪な金属の筒のようなものを小柄な体の前に据えた少女の姿があった。

 

 奇妙なまだら模様の服を身に着けた彼女は、手袋に包まれたその小さな手で給弾ベルトを押し込み、コッキングハンドルを2度引くと、作られてから200年近く経った2138年現在でも未だに現役で使用されているブローニングM2のトリガーをその両親指で押し込んだ。

 

 

 再び耳を聾するかのような音と共に銃口より弾きだされた弾丸が、居並ぶ騎士の隊列を引き裂く。

 連続で発射される50口径弾の前に、その場は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 

 

 

 突然現れた新手。それも繰り出されたその凄まじいまでの破壊力に、訓練を積んでいた彼らもさすがに算を乱した。

 傷ついたナーベラルを取り囲もうとしていた陣形を崩し、慌てて屋上の射手に向かって態勢を整える。

 大盾を構えた重装戦士が前に立ち、魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは物理防御の魔法を必死で唱えた。

 魔法で強化された盾に銃弾がぶつかる音が響く。

 運よく盾によって弾かれた弾もあるが、防ぎきれなかった弾は鎧ごとその肉体を挽き肉へと変えた。

 

 そして炸裂音の反響がまだ耳に残る中、射撃が止まる。

 もはや穴だらけとなり砕け散った敷石の上には、血と肉片が飛び散っていた。

 

 

 今の射撃の犠牲となった者はあくまで、今ここにいる全部隊の内ごくわずかでしかない。

 しかし、鼓膜すら破るようなその轟音の波にさらされた者達は、一時的に虚脱症状に襲われていた。

 

 

 そんな彼らと、すでにズタズタとなったドレスをその美しい身体にひっかけている状態のナーベラルとの間に距離が出来ていた。

 

 シズは彼女の背丈よりはわずかに短い銃身の横から顔をのぞかせた。

 その眼帯に覆われていない方の目で傷つき、血を流す姉を見る。

 

 

「……命令。もういいから帰って来いって」

 

 その声にナーベラルは顔をゆがめた。

 

 ――自分の任務は邪教組織の人間の殲滅、並びに襲いかかってきた帝国の衛士たちを蹴散らす事である。目の前にはまだ、帝国の騎士達がいるのだ。つまり、まだ命令は完遂できていないのである。それなのに帰って来いという事は――すなわち、任務失敗という事ではないか?

 彼女の胸中は口惜(くちお)しさで一杯であった。

 

 だが、不意にビクンとその表情が変わった。何かその耳に聞こえているのか、その顔が虚空に向けられたまま動かなくなる。

 彼女は苦悩している様子であったが、やがてその首を縦に振った。

 

 

 そうしていると、屋上に位置するシズのその脇にもう1人、彼女よりも小さいブカブカの奇妙な服を身に纏っている少女が現れた。

 

「はいはーい。じゃーあ、撤収しますよぉ」

 

 その少女、エントマは広くなっている(そで)の中から何かを取り出した。

 細長い紙である。

 それも何枚も。

 

 それを周囲にばらまいた。

 

 一体なんだと見守る彼らの上に、その符が降り注ぐ。

 そして、それが地に落ちた瞬間、魔法が発動した。

 

 

 不意に渦巻く濃霧が出現し、辺りに立ち込めた。

 否。

 それは霧などではない。どこからともなく現れた大量の蟲が嵐のように周囲を飛び交い、広場を埋め尽くし、その場にいた者達に襲い掛かった。

 

 

「な、なんだ、これは!?」

「む、虫だ! 虫だぞ!」

「気をつけろ! こいつら、かみついて……!」

「叩き落とせ!」

「いや、魔法で始末しろ!」

 

 一匹一匹は弱く、ダメージも大したことはないものの、とにかく量が多い。飛び回るあまりの数の多さに視界もろくに効かない。

 鎧や衣服の隙間から潜り込み、その身を齧る痛みと不快さに、大混乱に陥る一同。

 

 

 そんな彼らをしり目に、ナーベラルは〈飛行(フライ)〉の魔法を唱える。その体がふわりと宙に浮いた。

 一筋の鮮血が、その柔肌を撫でるように滑り落ち、やがてその身から滴り、地へと落ちる。

 

 そして、屋上へと降り立ったナーベラルを先頭に、シズ、そしてエントマの3人は屋上に浮かぶ深淵の中へと次々と消えて行った。

 

 

 そうして掻き消すように消える揺らめく漆黒の姿を、エントマの符術によって大量召喚された蟲達を、その身に纏う魔法の守りにより寄せ付ける事もなかったフールーダは、喉の奥でうなり声をあげながら為す術もなく見送るしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、夜が明け、東の空が白み始める。

 

 殺戮と混沌の一日が終わり、また新しい一日が始まる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 鮮やかな朝焼けのはえる中、一台の馬車が街道を走っていた。

 この世界において、人は日の始まりと同時に動き出し、日の終わりと共に家路につくものであるが、それを考えてもこの時間にこれほど急いで馬車を走らせるのは、よほどの事情がなければあり得なかった。

 

 

 早朝の冷たい空気の中を駆ける馬車。

 その広さに比べ、乗員の少なさからやや空虚な感すら覚える車内にいたのは4人の男女。

 その内の1人、ロバーデイクは馬車の窓を覆うカーテンをずらし、外を眺めていた。まさかないとは思いつつも、念のため外に注意を払っているのだが、幸い追手は無いようだ。

 

 そんな彼と向かいの席に並んで座っているのは3人。

 その真ん中に座っていたアルシェは、心の内より沸き立つ苦悩がその表情にまで現れていた。

 

 

 その顔に浮かぶのは後悔。

 

 今夜、クーデリカと再会し、セバスという人物と出会い、そして再びウレイリカと巡り合うことが出来た。

 だが、自分の妹たちを助ける為に、彼女は大切な友人たちを失ってしまった。

 

 

 ヘッケラン、それにイミーナ。

 

 

 あの後、彼らの死体を置いておいた路地へと戻ったのだが、その死体は何処(いずこ)かへと消えていた。

 そこには何の痕跡も、遺体に巻いた安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)を始めとした遺留品も残っておらず、付近の街路にただ2人が殺された場所である事を示す血痕が残されていたのみであった。

 

 

 遺体がなければ、蘇生魔法に望みをつなぐことも出来ない。

 ヘッケランとイミーナを蘇らせることも出来ない。

 

 

 その事実を突きつけられたアルシェの身体に恐慌が取りついた。

 両足がブルブルと震え、まるで眩暈(めまい)でも起こしたかのように周囲の光景が揺れた。

 

 そんな彼女を正気に戻したのは、やはりロバーデイクだった。

 

「しっかりしなさい、アルシェ! あなたは妹たちを守らなくてはいけないんですよ!」

 

 その言葉に視線を落とすと、そこにいたのはあどけない瞳で彼女を見上げる妹たち。自分が命を懸けて守り抜いて来た、長い間会うことすら出来ずにいた2人の姿があった。

 友人たちが命を懸けた結果、再びこの手に抱きしめることが出来た、彼女たちの姿が。

 

 アルシェは2人を抱きかかえ、走り出した。

 

 

 

 そして、夜が明け、門が開くと同時に街を出て、昨日のうちに約束していた馬車で帝都を離れたのだ。

 

 アルシェは馬車の揺れに身を任せながら、目をつむってつぶやく。

 

 その言葉は謝罪。

 大切な仲間たち。自分の頼みが原因で彼らが死んでしまった事。

 そして今、彼らを殺した犯人の調査も、かたき討ちもせずに街を離れてしまう事を詫びる言葉だ。

 

 

 

 そんな苦悩に顔を歪ませる彼女に声をかけてきた者がいる。

 

「お姉さま、どうしたのー?」

 

 彼女の右手からクーデリカ。

 

「おなか、痛いの?」

 

 左手からはウレイリカ。

 両側に座った妹たちが、その顔を覗き込んできた。

 その幼い顔には、姉を心配するものが浮かんでいる。

 

「うん。大丈夫よ」 

 

 アルシェはそんな彼女らを心配させまいと、ぎこちないながらも笑みを作る。

 

「お姉さま、これからどうするの?」

「おうち、帰らないの?」

 

 その問いに首を振る。

 

「私たちはね、お引越しするの」

「お引越し?」

「そう。ここからずっと行ったところ、エ・ランテルって街に行きましょう。そこで部屋を借りて住むの」

「……んー?」

 

 2人はいまいちよく分かってないようで、首をかしげた。そのしぐさは、まるで鏡に映したようだった。

 

「それって、お姉さまも一緒ー?」

「ええ、そうよ。私もエ・ランテルでお仕事を見つけて、一緒に暮らすわ」

 

 その答えに2人はキャッキャと喜んだ。

 

「一緒に暮らすのー?」

「ええ、そうよ」

「みんな、一緒ー?」

「ええ、みんなこれからは一緒よ」

「ザックもー?」

 

 不意にウレイリカの口から出てきた知らない名前に、アルシェは一瞬困惑したものの、とりあえず、彼女を安心させるために首を縦に振った。

 ウレイリカは嬉しそうに微笑む。

 

「わーい。楽しみー」

「うん。クーデリカ、お姉さまと一緒」

「ウレイリカもお姉さまと一緒」

 

 アルシェはそんな妹たちをぎゅっと両手で抱きしめた。

 今度こそ、この手を放すまいと。

 例え何が起ころうとも、彼女たちの事を放すまいと。

 

 

 

 そんな彼女らの様子を、向かいの席に腰かけたロバーデイクは(まぶ)しそうに見つめていた。

 

 

 そして、彼らを乗せた馬車は街道をひたすら南西に向けて走り続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そうか……」

 

 ジルクニフはそうつぶやいた。

 

 溜息を吐きつつ、昨夜出席したパーティーでの酔いを追い払おうとプレーリーオイスターを一息に飲み干す。その独特の味に、思わず顔をゆがめた。

 

 対するロウネの顔には疲労が色濃い。

 昨夜は一晩中、不眠不休で帝都でのアンデッド出現という事態の対処、及び噂が広まらぬよう各所に手配を続けていたのだから。

 

 

 ――たまにはこいつにも休暇と賞与を与えてやった方がいいか。

 

 そんな考えも頭に浮かぶが、とかく優秀な人材というのは得難いものだ。とくに今現在やるべきことは山ほどある。彼自身も、自分が何人分もいればいいのにと思う程だ。

 ロウネへの休暇はある程度落ち着いたら、という考えのままにずるずるといつまでも引き伸ばされたままである。

 

 ――すまんが、やはり帝国への忠誠心に期待するという事で当面は何とかしてもらうか。

 

 結局いつもの結論に至った所で、再度つぶやいた。

 

「被害は大きいな」

「はい、陛下。とにかく騎士団や魔法院の精鋭がかなり犠牲となっておりますので……。育成にかかった費用なども考えますと、頭がいたくなりますな」

「やれやれ少し飲み過ぎたのではないか? もう一杯用意させるか?」

 

 そう言って、手の中の杯を振って見せる。

 

「いえ、それはご遠慮させていただきます。私が飲み過ぎているのは、眠気を覚ますためのコーヒーですので」

「それも飲み過ぎると胃を荒らすというぞ」

「さて? それを実証した者はおりませんな。私がその検体第一号になるかもしれませぬ。まあ、胃潰瘍で死ぬのが先かもしれませんが」

「心配するな。お前が胃潰瘍で倒れたら、俺の名でポーションを届けさせよう。その程度で死んで楽になってもらっては困る」

 

 ロウネはやれやれと頭を振った。

 

「まったく、臣下をさらなる苦しみの中に引きずり込むとはなんという上司でしょう。まあ、戯言はこれくらいにして、此度の一件ですが」

 

 真面目な表情で語りかける。

 

「まず、邪教組織はほぼ壊滅ですな。参加していたもののほとんどは死亡。死因は邪教組織の儀式中に現れたという邪神によるものと、そこから逃げ出したのち、倉庫街に出現したアンデッド集団によって殺されたもの、この2つです。ごくわずかながら、それら両方から逃げ延びた運のいい者もいるようですが」

「ふむ。帝都に現れたアンデッドたちは結局、邪教組織と関係があるのか?」

「現在の所は不明ですな。ただ、儀式の際に出現した邪神は、唱えただけで容易く人の命を奪う魔法を唱え、そして死した者をアンデッドに変えたという話でございますから、アンデッド同士なんらかの関係はあると思われます」

「陛下、恐れながらよろしいですかな?」

 

 話にフールーダが割り込んできた。

 

「唱えただけで容易く人の命を奪う魔法という事ですが、似たような効果をもたらす、相手に外傷もなく死に至らしめる魔法というものはいくつかございます。ですがもし仮に、それが本当に死の魔法ならば、……それは第8位階魔法ということになります」

「第8位階魔法……!?」

 

 ジルクニフは瞠目(どうもく)した。

 今、彼の目の前にいる伝説の魔法使い、それこそ帝国の歴史と共に生きてきたこの人物すらも第6位階魔法までしか使えぬのだ。

 もし邪教の儀式において現れたその邪神とやらが本当に死の魔法を使えたとするならば、フールーダをもはるかにしのぐ存在であるという事だ。

 無論、フールーダの語るところの他の魔法であるという可能性もあるが。

 

 

 フールーダは傍らの酒杯を一息に呷った。

 彼が頭を鈍らせる蒸留酒をこれほど飲むのは、付き合いの長いジルクニフにして初めて見るものであった。

 

「気になりますな。その邪神とやらが。邪神本体もさりながら、その従者たちも。今回帝都に現れたアンデッドの軍勢は、その邪神の配下と見るより他にありませぬ。私が同行した本隊以外の者達が壊滅した原因は、はっきりとは分かりませぬ。あくまで信頼のおけない〈伝言(メッセージ)〉での報告になりますが、そちらにも死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や魔法の武具を身に纏ったスケルトンたちが現れたとの事。そのような者達を従える存在というのは条理から逸した存在であると考えてしかるべきでしょう」

 

 銀細工の酒杯に傍らの小瓶から酒を注ぐ。今度はちびりと口をつけるにとどまった。

 焼けるような感覚がのどを走る。

 

「そして、私が出会った存在」

 

 フールーダは目をつぶって記憶をよみがえらせる。

 

 第3位階魔法まで使いこなし、常人をはるかに超える身体能力を持つ女。奇妙な事に、彼の保有する相手の使用出来る魔術位階を見抜く目には、何も見えなかったのであるが。

 そして、その仲間であると思われる、奇怪な鉄の筒から恐るべき威力の遠距離攻撃を放つ少女に、奇妙な紙切れを使って魔法を発動させるこれまた少女。

 

「あれは私の知る限りの常識を超えた先にいる存在ですな。ふむ。確か以前読んだ古代の文書には、紙に文字や絵を書き、それを触媒として魔法を発動する符術というものがあるという記述がございましたが、とにかく広く知られた技術ではありません。そのような世に知られぬ魔術を使いこなす存在……。可能ならば、その魔導の知識を手に入れたいものですが……それはいささか難しいでしょうな。とにかく、その者らの情報を少しでも知っているであろう人間から情報を得るのが良いと考えます」

 

 その答えは頷けるものだった。

 とにかく、情報こそが最優先である。知は力なり、無知は罪なりという言葉通りだ。

 ロウネに目をやる。

 

「そう言えば、邪教組織の者は少しは捕まえてあるのであったな?」

「はい。幾人かは逃げてきたところを捕まえてあります。現場で捕らえられず、家に逃げ込まれた者達に関してはすでに調べを終えております。その気になれば、様々な罪状で引っ張る事は可能です。事実に関与した犯罪でも、もしくは冤罪でも」

 

 ジルクニフは満足そうな笑みを浮かべた。

 

「そうか。ではとりあえず、すでに捕縛してある者達から情報を集めるとしよう。一体、あいつらが呼び出そうとした邪神が何なのか? どうしても知らねばならん」

「そうですな。急いだ方がいいかもしれません。帝国としても、彼ら自身にとっても」

 

 ロウネのその言葉に、ジルクニフは聞き返した。

 

「彼ら自身の為というのはなんだ?」

「はい。実は邪教組織の儀式というのは基本的に服を何も身に着けない全裸で行うようなのでございます。そして、彼らは突然現れた邪神に怯え、逃げ出したため、服を着替える間もなく外へと飛び出したようなのです。ですので、逃げ出してきた彼らを捕縛したのですが、なにぶんそういう訳でして……」

 

 その意味するところに、ジルクニフは吹き出した。

 

「ははは! では、今でも着替えも与えず全裸のままなのか?」

「はい。脱獄の道具を隠しているのではないかという懸念がある為、そのままですな。さて、捕縛している者達の中には自分は公爵なのに、この扱いは何だと叫んでいる者もいるとか」

 

 さらに声をあげて笑った。

 そして、ひとしきり笑い声をあげた後、ジルクニフはいつもの余裕ある表情を取り戻した。笑った事で、昨夜の結果――被害の甚大さや事態の深刻さを聞き、欝々(うつうつ)としていたものがようやく晴れたような気分であった。

 

「よし。そいつらは徹底的に尋問しろ。ほんのわずかでもいい。情報を引き出せ。それと服はそのままだ。与える必要はない。これ以上聞ける情報を引き出しきったと思ったら、次は尋問をだらだらと長引かせろ。裸のまま、動物のように尋問されるのは屈辱だろうよ。たっぷりと羞恥を刻み込んで、弱みを握れ」

「はっ」

「そして、邪神の方だが……あくまで一時的に召喚されただけの存在なのか、それともそいつがこの世に解き放たれたのか判断できんな。警戒は厳重にしろ。それと、今回の騒動で負傷した者達はすぐに完全に回復させろ。回復魔法代、ポーション代はいくら使ってもかまわんから急げ。それと死亡者の遺体は回収してあるな?」

「はい、もちろん。すべて回収し、冷暗所にて保管してあります。遺体が形として残っている者は可能な限り安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)で包んであります」

「うむ。では法国から蘇生魔法を使える者を招聘し、指揮官クラスの者達は蘇生させろ。フールーダらと共に行った本隊の者達もだが、壊滅した押さえの部隊の連中もだ。そちらは全員が死亡しているから、何が起こったのか、どんな相手と戦ったのか詳しい情報が知りたい。その他、適宜、蘇生させる価値があると判断した者は復活させろ」

「いいんですかい? 蘇生魔法を使える者を派遣してもらって、そんで復活の儀式をやってもらう、それも何人もとなると、とんでもない金が必要になるんじゃないですか?」

 

 思わず口を挟んできたバジウッドに、ジルクニフは皮肉気に口角を上げて答える。

 

「なに、費用なら心配するな。その邪教の儀式に参加し、殺された上級貴族どもに、今回の責任を取らせるとしよう。利用出来なさそうな家系は潰して財産を取り上げる。それで蘇生費用は賄えるだろう」

「畏まりました」

 

 頭を下げたロウネにフールーダが声をかける。

 

「そやつらから得た情報、特にその邪神については私の方にも回してくれないかね?」

「はい。フールーダ様」

「爺よ。念のため言っておくが、魔導の深淵を覗き込みたいとか言って、お前がその邪神を召喚しようとするなよ?」

 

 からかうようなジルクニフの口調に、フールーダは肩をすくめた。

 

「さて? その邪神とやらが、本当に魔導の深淵を知る者ならば、心惹かれるものがありますがな」

 

 ジルクニフはその答えに、いつものことながら困ったものだと口元をゆがめた。

 

「それで、爺。その呼び出された邪神とやらに心当たりはないか?」

「邪神の伝承はいくつもありますが、少なくとも今の時点で聞き及んだ限りでは、はっきりと断定できるものはありませんな。ですが、備えは必要です。私の弟子たちに調べうる限りの伝承を捜させ、リストアップさせましょう。後はそれを邪教組織の者から得た情報と突き合わせ消去法で探っていくのがいいかと思われます。手間はかかりますが、その方がかえって予断に振り回されることなく突きとめられるでしょうから」

「気が遠くなるような作業だが、止むを得んか。では、そうしてくれ。ナザミ」

「はっ!」

「とりあえず、危機は去ったかもしれんが、まだ帝都のどこかに昨夜のアンデッドの生き残りがいるかもしれん。帝都の警備は厳重にせよ。ニンブル、お前は部隊を率いて倉庫街を捜査しろ。決して油断するな。バジウッド、帝都の外で活動をする可能性もあるから、そちらの警吏もしっかりやらせろ」

「分かりやした」

 

 

 とりあえず、当面の指示を出すと、ジルクニフは凝った肩をぐるりと回した。

 

「やれやれ、これからも面倒ごとは続くな。このままでは悩み過ぎて髪が薄くなってしまいそうだ。皇帝には薄毛になった時の見舞金は出るのか?」

 

 髪の端をつまみあげて行ったその言葉に、重苦しく張り詰めていた空気が弛緩した。

 室内に笑い声が響く。

 

「ははは。じゃあ、髪に効くポーションでも買い占めたらいかがですかい?」

「引退した魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちにでも、増毛の魔法の研究でもさせましょうか?」

「いっそのこと、カツラ職人を優遇し手当を出すことで、帝国の基幹産業にしてしまってはいかがですかな? この帝都を良質のカツラの生産地と為したとして、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの名は歴史に残るやもしれませんな」

 

 

 やらねばならぬ課題は山積みであったが、その居室にいた者達は束の間笑いあった。

 皆、この帝国の繁栄の為に、どんなことでもする覚悟を胸に秘めたまま。

 

 

 

 

 

 

 だが、このとき彼らはまだ気がついていなかった。

 

 

 

 

 昨夜の戦闘がもたらした、事の重大さを。

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓に仕えるプレアデスの1人、ナーベラル・ガンマに怪我を負わせるという事は――。

 

 ――龍の逆鱗に触れるという表現すら生ぬるい行為であったという事を

 

 

 




 とりあえず、これで帝都での延々と絡み合った一件は、いったん区切りとなります。


 この後、アルシェはウレイリカ、クーデリカと共にエ・ランテルに行きます。そこで、かつての伝手で魔術師組合で働き口を見つけ、妹たちと暮らし始めます。幸せになれるとイイデスネ。(ニッコリ)

 ロバーデイクはエ・ランテルについた後、どこか辺境の村で神官として生きる道を選びます。募集のあった村におもむいてみたら、その村に一緒に住んでいたゴブリンやオーガ、蜥蜴人(リザードマン)らに驚かされたものの、やがては慣れ、先の襲撃により父親を失い母子で必死に生きていた未亡人と仲良くなり、それなりに幸せに暮らします。


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第61話 破滅の少女

2016/11/3 文末に「。」がついていない所がありましたので「。」をつけました


「ふざけるなあっ!!」

 

 ナザリック地下大墳墓。その最奥である第10階層にある玉座の間に憤怒の声が響く。

 

 

 本来ならば、至高なる御方を表す旗が並ぶ、神聖にして(おごそ)かなるこの場において声を荒げるなど、()の方々に対する不敬極まりない行為であり、ナザリックに属する者であれば、一般メイドから末端のスケルトンに至るまでその行為を看過することなど出来はしない。

 

 だが、今、怒りに身を任せ、声をあげるのはこの墳墓の主、アインズ・ウール・ゴウンその人である。

 

 この地において、彼の御方こそがすべての法であり、善悪の基準となる。

 その方が激怒しているのならば、それこそが最も正しいものであり、それを一体だれが止められようか。

 

 

「こ、このナザリックに仕える、配下であるナーベラルを寄ってたかって攻撃し! あまつさえ怪我を……顔に怪我を負わせるだとぉ!?」

 

 アインズは激昂するままに言葉を紡ぐ。

 その体からは、もはや抑えることすら出来なくなった、彼の保有する様々な状態異常の特殊技術(スキル)が無分別に発せられていた。

 

 

「これが! たとえ、この世の誰であろうとっ! 許されるはずがぁ、許されるはずがないっ!!」

 

 

 アインズの怒りが、室内を荒れ狂う。

 その場にいた守護者たちは、己が身を打つビリビリとした感覚に息をのんだ。

 彼らは特殊技術(スキル)としてのオーラの影響はうけずとも、自らが絶対の忠誠を誓うアインズの憤怒、その発露を目の当たりにし、総身に震えが走った。

 

 

「この帝国は滅ぼす! もはや、許しては置けぬ!! ……ベルさん、いいですよね?」

 

 皆の目がアインズの腰かける玉座の隣に立つ、至高の御方の御息女として、現在ナザリックにおいてナンバー2の地位にある少女に向けられた。

 

 

 その場にいる全員の視線が集まる前で、問われたベルは陽気な声をあげた。

 

「あははー! いいんじゃない? やろう、やろう。楽しそうだねー!」

 

 そう言ってベルは、ケラケラと笑った。

 

 

 その様子に、その場にいた者達、守護者並びにプレアデスの面々は満足げにうなづいた。 

 至高なる御方の頂点に立つアインズの意思こそ絶対のものであり、それに逆らうことなく同意したベルの答えは彼らをして当然と思えるものであった。

 

 だが――。

 

 

 ――おや?

 

 

 その笑い声を聞いた彼らの中に、内心、首をひねった者達がいた。

 それは守護者やプレアデスらの中で、ベルと接する事が多かった者、デミウルゴスやソリュシャンなどである。

 

 

 ――ベル様がここまで陽気に笑われた事など、今まであっただろうか?

 

 

 普段のベルを知る彼らは今日の彼女の様子に、はっきりと形となるものではないが、何か腑に落ちぬような、奇妙な違和感を覚えていた。

 

 その感覚は、この場にいた者達の中でベルと最も接していた人物、アインズもまた感じていた。

 負傷したナーベラルの件で際限なく噴き出しては強制沈静していた怒りの衝動がわずかに途切れ、若干ではあるが落ち着きを取り戻した。

 

 傍らのベルをまじまじと見つめる。

 

「ん? どうしました?」

 

 頭蓋骨の正面を向けられたベルは、その虚ろな眼窩を見つめ返し、目をぱちくりとさせた。

 

「いえ……ええっとですね。……うむ。では、今後の事……帝国に対して対応だが、アルベドよ。向こうの戦力はどの程度とみる?」

 

 問われたアルベドは淀みなく答える。

 

「はい。アインズ様。此度(こたび)の一件、ナーベラルが交戦した戦力こそそれなりのものであるとはいえ、ソリュシャンらが相対した敵兵は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とオールドガーダー、それと屍収集家(コープスコレクター)だけで難なく壊滅しております。今回の戦闘報告、並びにセバスらが帝都において収集した情報を(かんが)みますと、デスナイト300、ソウル・イーター300もあれば、十分に帝都の殲滅は可能でしょう。ただ、街一つを完全に壊滅しようとすると、そこに住む人間たちが蜘蛛の子を散らしたように逃げる事も予想されます。それらも始末しようとなるとオールドガーダー3000、それと死者の大魔法使い(エルダーリッチ)300程度も追加で必要かと思われます。唯一警戒しなければならないのは帝国の主席魔法使いとかいうフールーダという人間でしょうか」

「ふむ。しかし、そのフールーダというのは第6位階魔法までしか使えんと聞いたが?」

「はい。もちろん我らからすれば歯牙にかける必要すら感じない小物でございますが、放っておけば下級アンデッドたちの包囲を食い破る可能性もあります。ですので、あらかじめ集眼の屍(アイボール・コープス)数体にスケリトル・ドラゴン数体、それとペイルライダーを派遣し始末しておくのが良いかと思われます」

「道理だな。うむ」

 

 アインズは一つうなづくと、居並ぶ臣下の者達に目を向ける。

 

「では、皆よ。これより、我がナザリックは帝国に対し、全面戦争に……」

「あ! ちょっと待ってください」

 

 戦争の開始を宣言しようとしたアインズの言葉を遮ったものがいる。

 それは誰であろう、ベルであった。

 

 

 誰もが、その少女に目を向ける。

 幾多の視線には、程度に差こそあれ、一体どうしたのだろうという疑念が込められていた。中には不快と敵意の感情のこもったものまで混じっている。

 

 なにせ、唯一このナザリックに残った至高なる存在、アインズが下そうとした宣言、言葉を遮ったのだ。

 例え、至高の41人の血を引く娘とはいえ、それはけっしてよろしくない行為である。

 特にアルベドなどは、表情こそ変えぬものの、その目はドラゴンすらも(すく)みあがりそうな瞳で睨みつけていた。

 

 

 しかし、そんな視線を気にすることもなく、ベルはアインズに話しかけた。

 

「少し落ち着いてくださいな。そんな事にナザリックの戦力を大々的に動かすのは反対ですよ」

 

 その言葉は、さすがにアインズも見過ごすことは出来ず、険のこもった視線を向ける。

 

「ベルさん。そんな事とはなんですか。帝国はナーベラルを傷つけたんですよ。これを黙っているわけにはいきません」

 

 アインズの言葉に、一同頷いた。

 この場に並ぶ者達の中には昨夜負傷した、当のナーベラル・ガンマも加わっている。

 すでにその身はペストーニャの手により完全に回復しているものの、治癒したからと言って彼女が受けた屈辱が無くなる訳ではない。

 

 

 だが、ベルは特に意に介すこともなく言葉を返す。

 

「ええ、ええ、もちろん。ボクとしても、このままにしておく気はありませんよ」

 

 そう言ってにこにこと笑いながら、パンと手を叩いた。

 

「でもですね。せっかくならば、ただ帝国を滅ぼすんじゃなくて、ナザリックの利益も考えるべきでしょう?」

 

 「ほう」とアインズの口から言葉が漏れた。

 皆、この少女が何を言いたいのか、続く言葉に耳を傾けた。

 

「帝国に対し、ナザリックの戦力を差し向ける。もちろん、勝利は確実でしょうね。よっぽどの隠し玉でもない限り」

「もしや、帝国には何かあるかもしれないという事ですか?」

「さて、どうでしょうね?」

 

 聞いていた者達は、その答えには鼻白んだ。

 

「まあ、分かりませんが、その可能性はあるという事ですよ。まあ、あちこちに配下の者達を潜伏させて調べた結果、帝国に関しては大丈夫でしょうが。でも、念には念を入れましょう。それに帝国だけでなく、今後の展開についても考慮しましょう」

 

 アインズは玉座の上で座る位置を直した。

 

「なるほど。……つまり、ベルさんはこの件に関して何らかの考えがあるという事ですか?」

「ええ、ありますとも」

 

 ベルは自身気に首肯した。

 

「帝国に対しては、我々ではなく別の者に矢面に立ってもらいましょう。完全に危険がないと分かるまで、こちらはあくまで裏で糸を引くだけです」

「どこかの第三戦力をぶつけるという事ですか?」

「はい。石橋が本当に安全かどうかは、叩いてみるだけではなく、他人に渡らせてみるのが一番です」

 

 その答えにアインズは深く頷いた。

 

 確かにその方が安全だ。

 ナザリック旗下のものを動かすというのは手っ取り早いが、もし強者がいた場合、戦闘によってナザリックの戦力が減少する恐れがある。しかも、下手をしたらこちらの存在、特にこれまで秘匿していた、この拠点たるナザリック地下大墳墓の位置をばらしてしまう事にも繋がりかねない。

 その点、誰か別の者をけしかけて帝国に被害を与えつつ、様子を見るというのは実に理に適っている。

 

 

 アインズは居並ぶ者達に向かって威厳ある態度で語った。

 

「うむ。では、ベルさんの案を採用しよう。今後、この件はベルさんを総指揮者とし、全権を委任する事とする。皆よ、異論はあるか?」

 

 むろん、異論のある者などいるはずもない。

 

 父であるベルモットの代わりとして彼女がここナザリックに来てから、それほど長い時を過ごしたわけではない。

 だが、例え期間は短くとも、ナザリック地下大墳墓がかつてのグレンデラ沼地から見知らぬ土地へと転移するという異常事態の中で、これまでベルは知恵をしぼり、幾多の策を考え、ナザリックに貢献してきたことは誰もが知るところである。

 

 ――この少女が立てた策ならば大丈夫。

 

 皆の心の内には、そんな安心感があった。

 

「はい。では非才の身ながら、この対帝国作戦において総指揮を担当させていただきます。とりあえず、各種準備や情報の確認もあるので、後ほど個別に任務を割り振りたいと思います」

「ああ、では一度解散としよう。ベルさんからの任務はナザリック防衛に次ぐ優先事項とするため、各自、呼び出された場合は、その命に従うように。以上だ」

 

 アインズから下された言葉に、皆、深く頭を下げた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリックの第九階層。

 その一角に並ぶ、至高の41人と称されるギルメンたちの部屋。

 その内の一つ、ベルモットの部屋が、彼の娘であるベルの使用する部屋とされていた。

 娘というのは建前であり、実際には当の本人であるのだが、とにかくそこが定められた彼女の私室である。

 

 

 今、彼女の室内にはフヒヒとか、クケケとか、およそ少女らしくない笑い声が響いていた。

 

 

 部屋にいるのはベルただ一人。

 普段はソリュシャン、もしくは持ち回りで一般メイドがついているのだが、今日に限っては重要な作戦を立案するためとして、人払いをしていた。

 

 そして部屋の中にたった一人いるベルは、机の上に様々な資料や地図を並べ、それらを見返しながら、自らの頭の中から浮かんできた様々な案を紙の上に書きなぐっていた。

 

 その表情は楽しいパーティーに向かう前のようにはしゃいでいるようでもあり、また、人をだまし罠にかけようとする詐欺師が独り酒を口にしながら浮かべる暗い笑みのようでもあった。

 

 

 そう、ベルははしゃいでいた。

 

 これまで、やりたくても出来なかった大々的な遊びをこれから行うのだ。

 転移して来てから、出来なかったこと。

 この世界に対して、自分たちの持っているその力を存分に振るうのだ。

 

 自分の指示や判断によって、考え一つでこの世界がどう変わるのか? 想像しただけでベルは背筋にゾクゾクとした感覚を覚えるほどであった。

 

 

 これまでであれば、そう派手に動くことは出来なかった。

 先ほど皆の前で語ったように、どこかに隠れ潜む存在への警戒があったのだが、各地に送り込んだ配下たちが集めた情報により、少なくとも自分たちに匹敵する表立った強者はいないという事が判明していた。せいぜい警戒すべきはアーグランド評議国のドラゴン達、それとリグリットという老婆くらいのものだ。

 だが、それでもナザリックの安全を第一に考えているアインズの懸念を完全に払拭(ふっしょく)するほどではなく、今までの方針を大きく変え、行動を起こすには至らなかった。

 

 

 しかし、今回は違う。

 

 帝国の騎士との戦闘によるナーベラルの負傷。

 これに激怒したアインズ自身が、ナザリックの総力を挙げて帝国の殲滅を宣言したのだ。

 そして、その全権をベルに任せたのである。

 つまり、ナザリック全体の総意として、全軍を動かすことが出来るのだ。

 

 タイミングよく転がり込んできた絶好の機会に、ベルはほくそ笑んだ。

 

 

 これまでは、少しずつ手を伸ばし、この世界に侵食していくだけだった。

 ならば、もう一歩、踏み込んでみよう。

 状況を一段階進めて、こちらの身は隠匿したままながら、この世界の国々に仕掛けてみよう。

 巣にこもっているかもしれない強者がいるなら、近くに火事でも起こしてやろう。それで、慌てて出てきたのならば、こちらの策略であったことは秘密にして友好を計ってもいいし、弱そうならば倒してしまってもいい。

 どちらにせよ、これから事態は大きく動く。

 

 

 ベルは今後、起こりうるであろう様々な展開を頭に思い浮かべ、それを紙に書き連ねながら、にやにやと笑いを浮かべていた。

 

 

 

 しかし――はしゃぎつつも、ベルの心の内には一つだけ得心のいかないものがあった。

 

 

 ベルはひとり呟いた。

 

「それにしても、……なにをあんなに怒ってたんだか」

 

 

 確かにナーベラルは帝国騎士団と戦いになり、深手を負った。

 自分の味方であるナザリックの勢力に属する者が攻撃を受け、負傷したというのは、ベルにとっても、それなりには腹が立つものである。

 

 だが、あくまでそれなりでしかない。

 

 怪我をしたと言っても、回復魔法を使えばそんなものはすぐに治る。

 それに例え死んでしまったとしても、生き返らせればいいだけの話だ。

 無論、NPCの復活には金貨が必要になり、それはナザリックの保有する財産の減少という事になるのだが、宝物庫に収められている財宝の額から考えれば、大したことなど無い。

 

 それを考えれば、別に怒る程の事でもないのだ。

 

 

「そんなにマジになってもなぁ……」

 

 ベルはそのほっそりとした顎を撫でて、小首をかしげた。

 

 

「……たかが、ゲームのキャラになぁ」

 

 

 そう、ベルにとってナザリックのNPC達は、所詮はゲームのキャラなのだ。

 まるで生きているかのように話し、考え、行動しているが、あくまでユグドラシルというゲームの中で自分たちが設定したキャラが動いているに過ぎない。

 自分たちにとっては味方キャラであり、その忠実な性格や行動に愛着こそ湧きはすれども、アインズのようにそこまで妄執(もうしゅう)し、守るべき存在であるという考えは持っていなかった。

 

 

 そのベルの感覚はゲームに過ぎなかったユグドラシル時代から変わらないものであった。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンの一員として活動していたときも、彼はナザリックの構築にはそれほど熱をあげていなかった。

 

 他のギルメンたちはナザリック地下大墳墓の設備を作る事に夢中になっていた。

 このPKギルドの拠点たるナザリック攻略を目指し、襲いくる侵入者たち。彼らを撃退するため、ダンジョンのあちこちにトラップやモンスターを配置し、防衛網を構築するという実利部分だけではなく、ロールプレイの一環としてナザリック内の住環境の整備にも力を入れていた。

 第九階層には各種商業、サービス施設が軒を連ねているし、ゲーム内では味覚を感じることなど出来ないのだが、実際に使う事はなくとも雰囲気のある飲食店なども複数作られていた。

 皆、もし本当にこのナザリック地下大墳墓が、各所に配置したNPC達の生活する場所だったのならばと考え、自分たちの生活環境の悪さに対する不満と理想の生活に対する憧れも込めて、そういった施設を整えることに熱中していた時期があった。

 

 しかし、当時のベル=ベルモットはその行為には、いまいち乗り切れていなかった。

 ユグドラシルには夢中になってはいても、あくまでゲームの中でしかないという冷めた考えが頭にあり、そこまで熱心にはなれなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちと各地を冒険し、様々な敵と戦い、財宝を集め、防御の布陣を考えるのは楽しかったが、そういったあくまで雰囲気に過ぎない無駄施設の設置には消極的であった。

 

 

 ナザリックのNPCを作る際もそうだった。

 各人が作成するキャラクターに使えるレベルを公平に割り振るため、くじ引きをする事になった。さすがにギルメン全員が100レベルキャラを作れるほどには、NPCの制作可能レベルがなかったためである。

 その際、ベルモットは見事100レベルキャラを1体作る権利を引き当てた。

 皆からは羨ましがられたが、……彼は少々困ってしまった。

 そんな権利を入手しても、特に作りたいようなキャラもいなかったからだ。

 

 その為、「女の子に男装させたキャラがいいかな? いや、男の娘も捨てがたい。あー、どっち作ろう!」と悩んでいたぶくぶく茶釜に、自分の100レベルキャラ作成の権利をあっさりと譲り渡したのである。

 

 

 ベルにとってナザリックというのものは、ただ単に味方拠点であるという認識しかなかった。

  

 ナザリックに強い愛着と憧憬があり、NPCたちをかつてのギルメンの残滓ととらえ、彼らを守らなくてはならないという強い思いにとらわれていたアインズと異なり、ベルはこのナザリックには、それほど思い入れもなかったのである。

 

 

 

 そのような昔と変わらなかったものの他に、大きく変わったものもある。

 

 この世界への転移はベルにとって大きな変化をもたらしていた。

 アンデッドの性質を得たことにより、食事や睡眠が不要となり、疲労なども無縁のものとなった。

 また、人間などに対する共感もなくなったことにより、人の生死を見ても何も感じる事はなかった。

 

 本来、生ある人間として感じていた感覚、感情から突如、切り離されたのだ。

 

 

 

 思い入れも大してない所にいて、ゲームのキャラに囲まれ、特に守るべきものもおらず、さらに様々な肉体的な欲求とも制約とも無縁の状態。

 

 

 

 ベルにとって、この世界はまるで現実感の無いものとしか感じられなかった。 

 

 今のベルの精神を言い表すなら、アルコールによる軽い酩酊のまま、ゲームをしているようなものであった。

 

 

 

 仮に、その姿が元のままである男性のものであるのならば、また事情も変わったかもしれない。もしそうだったのならば、おそらくナザリックの女性陣、もしくはこの世界の女たちに手を出し、それにより情が深まっていただろう。それをきっかけとして、はっきりとした地に足のついた現実認識が生まれ、行動指針とでもいうべきものが生じていたかもしれない。

 

 だが、彼は少女の姿を得て、この世界に来てしまった。

 そのため、そのような機会を得ることは無かった。女の裸を見ても、エロ本を見た程度の喜びしか生じなかった。

 また、幼い少女の肉体になったことにより、精神が少女としての肉体に引っ張られ、子供特有の後先考えない無分別さの影響を受けたことも、そのふわふわとした現実感に拍車をかけていた。

 

 

 そんなベルにとって唯一、気にかけていたのは、自分を取り巻く現実感の乏しい者達と違い、実際にその中身が人間であると認識している存在、アインズだけであった。

 

 そして、そのアインズとベルはかけ離れていた。

 アインズは圧倒的な力を発揮するワールドアイテムを保有しているのに、自分は持っていなかったのだ。

 実に身勝手ながら、この差にベルは腹が立った。向こうには自分の生殺与奪を握られていながら、自分にはなにもなかったのだ。

 現実で社会人経験のある彼本来の思考のままであるならば、そのような差も、まあ仕方ないかと腹の内に収めていたかもしれない。

 しかし、今、彼を支配する幼い子供の精神構造として、他人が持っているおもちゃを自分が持っていないような状況というのは許しがたかった。

 

 

 だが、今は……。

 

 

 ベルはアイテムボックスを開き、その中にしまっていた物に手を触れる。

 その顔がにんまりと笑う。

 

 滑らかな肌触りの布地。

 ワールドアイテム『傾城傾国』。

 

 

 この世界の人間も、そしてナザリックの者達も、誰一人としてワールドアイテムをベルが保有している事は知らないのだ。

 

 

 誰にも知られることなく、自分一人が持つ切り札。

 

 その存在がベルの気を大きくしていたといってもいい。

 

 

 ワールドアイテムの効果は絶大である。他のアイテム類などくらべものにもならない。上手く使えば、どんな状況からでも戦況をひっくり返すことが出来る。

 そしてなにより、その効果もさることながら、ワールドアイテムを所持している者は、原則ワールドアイテムの効果を受けることはないのだ。

 

 この『傾城傾国』の入手こそが、ベルがより一層大胆に、この世界に対して力を振るう事を決めさせるきっかけとなった。

 それを保有したことにより、常にベルの思考に纏わりつき、その行動に制約をかける事になっていた強者への恐れというものから、完全に解放された。

 重しとなっていた(かせ)から解き放たれたのだ。

 

 

「さあ、始めようか。新しいイベントの始まりだ」

 

 

 ベルは子供らしい無邪気な残酷さをその目にたたえ、机上に広げられた世界地図を眺める。

 

 一人しかいないその部屋にこだまする笑い声は、夜遅くまで続いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 陰鬱たる印象を与える密林。

 絡み合う樹木は太古のまま、その葉陰には剣歯虎が潜み、灌木の下を毒蛇が這い、木々の合間には二足歩行する大蜥蜴が闊歩し、そしてそこら中にはそれらに勝るとも劣らぬ危険な猛獣たちが我が物顔で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。

 

 そんな緑の海が途切れたその先。

 そこでは今、いくつもの篝火がたかれ、漆黒の夜を赤く染めていた。

 

 その炎に照らし出される人影。

 分厚く屈強な体躯を惜しげもなくさらし、申し訳程度の腰布を撒いた者達。

 広場に置かれた(かめ)から杯で酒を汲みだしては次々と飲み干し、仲間同士で敷物もなしに地の上に車座になり、蛮声をあげる。中央の焚き火で焼かれた肉を切り分け、口元が汚れるのも厭わず、そのままかぶりつく。

 

 まるで蛮族であるかのごときその姿と振る舞いであるが、彼らは人間ではなかった。

 その肩の上に収まっているのは人のものではなく、獅子や虎など猛獣の頭部。

 そして、口から生えた鋭くとがった牙で、手にした骨から肉を齧りとる。

 

 

 彼らはビーストマンと呼ばれる種族であった。

 

 

 その文明レベルは人間と比べて劣っている。

 彼らは蛮勇を尊び、怯懦(きょうだ)たることを最も嫌う。

 防具などほとんど身に着けず、こん棒などのおよそ原始的な武器、もしくは倒した人間から奪った武器しか使う事はないが、その生まれつき持った強靭な肉体こそが最大の武器であり、完全武装した人間の戦士すら上回るほどの恐るべき強さを誇っていた。

 

 

 そんな種族としての強靭さよりも彼らが人間から最も恐れられているのは、彼らの食生活ゆえである。

 

 彼らは人間を餌として(むさぼ)り食うのだ。

 

 見れば、彼らが手にしている杯は人間のしゃれこうべであり、そのかぶりついている肉は炙った人肉である。

 彼らは今日の戦果を(さかな)に酒を酌み交わし、自分たちの勇猛さをたたえ合っていた。

 そして明日以降の戦い、宵闇の向こうに影のようにそびえたつ、人間たちの立てこもる砦の攻略に備え、英気を養っていた。

 

 

 

 

 その灯りは距離を置いた砦側、現在の竜王国において最果てとなる人類の要衝からもよく見えていた。

 

「くそっ! 奴ら、夜襲の警戒すらしておらんぞ!」

 

 舐めた態度に、砦の守備隊長は歯ぎしりした。

 まだ若いながらも、その確かな実力から守備隊長を任された彼の顔は今、疲労と苦渋の色がにじんでいる。

 もし戦力が整っているのならば、例え夜目が効かない不利をおしても、酒精に浸っているビーストマン達に襲撃をかける所であるが、もはやこの砦にはそんな戦力は存在しない。

 誰もが傷つき、疲れ切っている。

 回復魔法を使う神官はおらず、負傷を直すポーションすら足りず、包帯代わりの布きれで止血するのが精一杯という有様。

 武器を手にした者達に無傷の者はなく、彼自身もまた、その片目を血で汚れた布で覆っていた。

 

 

 

 おそらく、明日の襲撃により、この砦は陥落する。

 

 

 それは痛いほど分かっていた。

 連中もそれが分かっているから、こうして視界が通るような場所で堂々と野営を行っているのだ。

 

 彼はギリリと歯ぎしりをした。

 

「ええい。王都からの援軍は来ないのか? 法国はどうなっている!? こちらを見殺しにする気か、くそっ!!」

 

 思わず、そんな悪態が口に出てしまう。

 それに答えられる者はいない。

 答えなど言わなくても分かっているからだ。

 

 

 援軍はない。

 自分たちは明日、あのビーストマン達によって食い殺される。

 

 

 もはや(くつがえ)すことのできぬ明確な未来に、誰もが悲痛の表情を浮かべた。風に乗って、誰かのすすり泣きの声が聞こえてくる。だが、それを留めることさえできなかった。

 今この砦には、近隣の村々から逃げてきた避難民も多くいる。出来れば彼らを脱出させたいが、それすらも叶わない。この砦から出た途端、奴らに捕まり、今夜のツマミに追加されることは目に見えていた。

 

 

 

 絶望に沈む隊長の頭に、かつての光景が浮かんでくる。

 

 彼がまだ新米の兵士だった頃、今回と同様、ビーストマンの大規模な襲撃があった。いくつもの村落が連中に襲われ、逃げ遅れたものは捕まり、貪り食われた。

 

 王都からはるか離れた辺境の地、そこに住まう人間たちが生命の危機に晒されていたそんな時、援軍として現れたのは隣国であるスレイン法国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち。

 奇妙な服に身を包み、顔すらも不可思議な紋章を描いた布で隠していたものの、その力は確かなものであった。

 魔法によって次々と羽の生えた天使たちを召喚し、自身も様々な魔法を放ち、襲い来るビーストマン達を見事撃退したのだ。

 

 中でも印象に残っているのは、彼らの隊長の姿。金髪を短く刈り込み、その身は自信に満ち溢れていた。堂々とした態度は傲岸不遜(ごうがんふそん)と言ってもいいほどのであったが、それも彼の確かな実力に裏打ちされたものであり、まさに英雄と呼ぶのにふさわしい人物であった。

 

「ルーイン様がいてくれたら……」

 

 思わず、そんな言葉が口をつくが、そう都合よく()の人物が助けに来てくれるはずもない。

 

 

 彼は腹を決めた。

 主だった者達を集めて、作戦を伝えた。

 

 それは明日、日が昇ると同時にビーストマン達がこの砦めがけて攻めてくるはずだから、その戦闘の混乱の隙に、砦にいる領民たちを後方へ逃がすというもの。そして、砦の兵士たちは彼らが逃げる時間を稼ぐため、出来るだけ派手に敵を引き付けるというものであった。

 

 それを聞いた兵士たちは言葉もなかった。

 はっきり言って、それすらもほぼ絶望的な作戦であった。

 おそらく十中八九、逃げ出した者達も追いつかれて殺されるだろう。

 だが、砦にいるままよりは、わずかでも助かる目があるというだけの策だった。

 

 皆、悲壮な顔つきで、持ち場に戻っていった。

 数名の若い兵士たちが駆けて行く。広場で休んでいた領民たちに脱出の準備をするよう告げに言ったのだ。

 隊長はそんな彼らの背に、命を捨てること前提の戦いをさせることを心の中で詫びた。

 

 

 彼は砦の胸壁の上へと(おもむ)いた。

 その目に映る、遠くで煌々と照り続ける亜人どもの火。

 彼はその視線でわずかなりともビーストマンどもを殺せたらとでもいうように、その燃え盛る炎を睨みつけた。

 

 

 

 

 そんなビーストマンと人間たち。

 2者の関心はそれぞれ互いの事であり、魔獣たちが蠢く密林に、新たに数名の人影が現れた事に気がつく者などいようはずもなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「おお、いるいる」

 

 灯り一つない樹木の上、二股に別れた枝に腰かけ、アウラは目を凝らして言った。

 その隣の樹上には、体重を感じさせぬ身のこなしで、枝をしならせることなくシャルティアが立っている。

 

「あれだけいれば、とりあえずベル様が言ってらっしゃったのに十分でありんすね」

 

 その言葉にアウラが頷く。

 

「じゃあ、これからやる事は分かってるよね? 殺したりするんじゃないよ。この辺ってなんだか血の匂いがするけど、血の狂乱とかやって暴れたら、ぶっ飛ばすからね」

「そんなもの分かってるでありんす。血の匂いを少し嗅いだくらいであれは発動しんせん」

「もう一回言うけどさ。殺すのは無しだからね」

「くどいでありんす! それよりチビすけこそ間違うんじゃないでありんすよ! あくまでおんしの役目は眠らせるだけ。吐きだす吐息を間違うんじゃないかと、しっかり者のわたしは気が気でありんせん」

「誰がしっかり者だってのよ!」

 

 シャルティアはにやりと笑い、そのパットで膨らんだ胸を強調するようにそらす。

 

「ふふふ。わたしはアインズ様並びにベル様から、しょっちゅう仕事を頼まれているでありんす。それは私の事を、至高なるアインズ様が認めてくださってるからに他ならないということでありんすよ!」

「何言ってるのよ。アンタが頼まれる仕事って、ほとんど〈転移門(ゲート)〉使う事だけじゃない。どこでもドア係のくせに!」

「あん? ろくに仕事もしてない奴より、はるかにアインズ様の役に立っているって事でしょうが!?」

「あたしはトブの大森林の方を任されてるっての!!」

「ええ、アインズ様の『遠く』で働いてるんでありんすよね。まあ、認めてあげるわ。組織にはあんたみたいな、下働きも必要でありんすから」

「……あなた、喧嘩売ってるの?」

「おや? 身長に合わせて脳みそも少ないから、気がつかなかったんでありんすか?」

 

 ギンと擬音が聞こえる程に睨み合う二人。

 そんな彼女らに、傍に控えていたハンゾウが恐る恐る声をかけた。

 

「恐れながら……」

「……あん?」

「……何よ?」

 

 ドラゴンすら睨み殺しそうな2人の視線にさらされ、彼はゴクリと息をのんだ。思わず、抱えていた〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を取り落としそうになる。

 

「その……今回の任務は極秘裏にという事ですので、あまり声を出されるのは……」

 

 冷や汗を流しながらも、なんとか言葉をつづけた。

 言われて意識を眼下に向けてみれば、今の2人のやり取りをその鋭敏な聴覚が捕らえたのであろう、武器を手にしたビーストマンが数人、警戒の足取りでこちらへと歩いてくる。

 

「……ちょうどいいね。あれからやろっか?」

「了解でありんす」

 

 

 アウラは数度深呼吸すると、大きく息を吸い込み、大樹の根元まで歩いて来た最初の標的めがけて眠りの吐息を吹きかけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なんだ、これは……? ……一体、何が起こったというのだ……?」

 

 

 守備隊長である彼は呆然として、呟いた。

 あまりの事に我が目を疑った。

 

 

 夜が明け、決死の戦いを迎えんと身構えていた彼らの眼前にあったもの。

 それは篝火も燃え盛ったまま、誰一人としていなくなり、もぬけの殻となったビーストマンの野営陣地であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――いい朝だ。

 

 布で顔をぬぐいながらベベネは思った。

 湧水帯が近くにあるらしく、そこから引いて来た水路の冷水が気持ちいい。

 

 

 ベベネ・バイセンは騎士である。

 まだ騎士になって数年という若輩の身であり、まだまだこれから経験を積まねばならないが、人当たりの良い彼は何かと周囲の先輩達から気にかけられていた。

 

 

「おはようございます。騎士様」

 

 顔を拭いていると、通りすがりに声をかけられた。

 見ると、たしか宿として小屋を借りる際、村長の家で見た若い娘がいた。

 挨拶を返すと、彼女はそばかすの浮いた頬に、にこにこと笑顔を浮かべた。

 

 

 そのまま何気なく世間話をする。

 彼女は突然村を訪れた騎士ともう少し話したそうだったが、その手にある農具を見て、これから一仕事するところだと見て取った彼は、適度なところで話を切り上げた。

 軽く手を振って、農作業に向かう彼女を見送る。

 

 その背が見えなくなってから、彼は何気なく話した内容から、任務に関係ありそうな事を頭に並べ整理した。まあ、特にこの村は何も異常はないという事が分かったに過ぎなかったが。

 

 

 彼は任務でこの村を訪れていた。

 彼を含む帝国の騎士団は数名ずつのチームを作り、帝都近郊の村々を回っていた。

 これは騎士達および帝国魔法院の者にしか明かされていない事実なのだが、実は先日、帝都内においてアンデッドが出現するという事件があったらしい。幸い、そのアンデッドたちは即座に退治され、その原因を作った者達もすでに捕縛されているという事だが、万が一、帝都の外にアンデッドが漏れ出たという事がないか、こうして騎士団が各地を巡回して調べているのだ。

 

 

 だが、現在のところ、そんなアンデッドの情報は影も形もない。

 兆候一つ見当たらず、何ら異常なことは無かった。

 

 おそらくはこうして警戒することは杞憂に過ぎないのだろうが、帝国の治安を守る騎士として、万が一の事態に備え無駄な努力をする方が万が一の事態が起こることよりはるかにマシだと、先輩たちから口を酸っぱくして言われてきた。

 

 ――何もない事こそ、最も良い事。

 

 彼は心の中でつぶやき、傍らに置いていたヘルムを、面頬をあげた状態で身に着けた。

 

 

 そうして、同様に傍らに置いていた剣を手にとり、腰に帯びようとした、その時――悲鳴が響いた。

 

 

 

 彼は手にしていた剣を抜き放つとその鞘を捨て、声のした方へ目を向ける。

 

 先ほどの村娘がいた。

 手にした農具をかなぐり捨て、スカートをひるがえし、必死でこちらに走って来た。

 走り寄る彼女の向こう、小屋の影に奇妙な人影が見えた。

 

 彼がおや? と思う前にそいつは高く跳躍した。十メートル近い距離を一息に飛び越え、ベベネの許へ駆けてきた彼女の背へと、その錆の浮いた大剣を振り下ろした。

 背中から袈裟懸けに切り下され、驚きと絶望の表情と共に血を吐き、彼女は絶命する。

 

 

 彼はそいつの姿に目を剥いた。

 

 筋骨隆々たる(たくま)しい肉体。申し訳程度に巻いた腰巻。

 そして何より、金の(たてがみ)を靡かせた獅子の頭。

 

 

「ビーストマン!?」

 

 

 ベベネは驚愕した。

 ビーストマンの話は聞いたことがある。

 帝国の治安を預かる騎士として、各種怪物(モンスター)や様々な亜人に対する知識もまた必要なものであった。そのあたりは座学として、必須のものとなっている。

 そこで聞かされた外見そのままの存在が、今、彼の目の前に立ちはだかっているのだ。

 

 しかし、聞くところによると、ビーストマンは帝国よりはるか遠く、竜王国のさらに向こうに住むという。

 それが何故、バハルス帝国の、それも帝都近辺にいるというのか?

 

 彼が疑問に思うより先に、村長の娘の命を奪った獣人は新たな獲物に向かい、その大剣を振り上げた。

 ベベネは手にした剣でその刃を受け止めようとする。

 

 

 ギン!

 

 金属のぶつかり合う甲高い音が響く。

 

 

 だが、ビーストマンの膂力は彼の予想をはるかに超えるものであった。

 剛力と共に勢いよく振り下ろされた大剣は、人間の力で止めることなど出来はしなかった。

 

「うおぉっ!」

 

 気合の声と共にベベネは何とか身をよじり、その剣閃を己が身からそらすことに成功した。剣先が地を抉る。

 安堵の息を吐く刹那――背後に気配を感じた。

 振り向いた彼の目に飛び込んできたのは、いつの間に現れたのか、もう一体のビーストマンが振り下ろした戦斧の欠けた刃であった。

 

 

 兜を叩き割られ、彼は地に膝をつき、ゆっくりとその場に倒れ伏す。

 額を砕かれ、倒れ伏したままやがて意識が薄れて行く彼の目には、家々の影から現れた数十体ものビーストマンの姿が映った。

 

「仕留めたか」

「ああ、人間たちはすべて始末した」

「それにしても一体、ここはどこだ? 人間たちの領域のようだが」

「分からん。このようなところは見たこともない」

「他の者達とははぐれてしまったようだな。連絡も取れん」

「とにかく、今、この場にいる者達で戦列を作る以外になかろう」

「おお。帰還の(すべ)を捜すか? 他の者達を捜して合流するか? それとも、この地において生きるかだな」

 

 そんな彼らの討議の声を耳にしたまま、ベベネは死の淵に沈んでいった。

 

 

 

 死した彼は知る由もなかったが、その日こそが、バハルス帝国の災厄の始まりとなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 帝都アーウィンタール中央にそびえる帝城。

 およそ帝国建国と同時に建設されたとされ、代々の為政者の手によりわずかずつ改修され、手が加えられていった。

 その威容は帝都に住まう者ならば誰もが誇りに思うものであった。

 

 

 その城内の一室。

 帝都の様子が一望できる素晴らしい眺望の部屋であるが、今、そこに詰める誰もがそんな眺めに気を向ける(いとま)すらなかった。

 

「グ・スクルの周辺にビーストマンの群が確認されました。その数およそ50」

「イクス村が襲撃されたようです。生存者は確認できたところで2名。襲撃してきたのは、総数不明のオークとのこと」

「フォトス近郊で、『銀糸鳥』含む騎士団がビーストマンの撃退に成功しました。こちらの被害は騎士が死亡2名、重傷5名。戦果は二十八体撃破、そして2体を捕虜にしたそうです」

「イタルカ方面に向かった騎士達と連絡が取れません」

 

 室内に怒号のように飛び交う声。

 幾多の情報が次々と届けられる。それらすべてを管理、把握することは、帝国において最高の頭脳の持ち主を集めた文官たちであっても難事であった。

 

 バタバタと足音を響かせながら、あちらに書類を持ってきては、何かを書き加え、それをこちらに運び入れて、というのを繰り返しているように見える。しかもそうしているうちに、さらなる書類が外からもたらされるのだ。もはや、どれだけ書類整理をこなせるかというスポーツのような気もする。

 

 

 そんな愚にもつかぬ考えに囚われたジルクニフの思考が、口に含んだただ苦いだけのコーヒーによって現実へと戻される。

 

「陛下、おかわりはいかがですか?」

 

 そう訊ねるロウネの目の下には、まるで染料でも塗ったかのごとく、くっきりとクマが浮かび上がっていた。

 ジルクニフは恨めし気に睨むと、もう一杯要求した。

 

 正直、このコーヒーを飲むくらいなら、泥水をすすった方がマシなのだが、頭を冴え渡らせるためには仕方がない。

 今、帝国を襲っている異常事態解決の為に、少しでも頭をはっきりとさせておかなくてはならないのだから。

 

 

 彼は傍らの菓子皿から黒糖を使った砂糖菓子を一つ手にとると、口に放り入れ、乱暴に噛み砕いた。

 

 

 

 いったい何が原因なのかは分からない。

 始まりは10日ほど前の事。

 突如、帝国のあちこちに亜人の群が現れ、帝国の領民たちを襲撃しだしたのである。

 ほとんど規則性もなく、帝都中に無作為に現れ、襲撃を繰り返す亜人達に対して、帝国の対応は後手に回った。

 そいつらはせいぜい数十から百名程度の群でしかないのだが、それらの出現した場所は、それこそ帝国中の全ての地域に散らばっていたからだ。

 まだ、組織立って行動しているのならば、こちらも軍隊を繰り出し、決戦に持ち込むなど手の打ちようがある。だが、その各自バラバラの無分別な行動と襲撃には、一つずつ対応していかなくてはならず、かえって対応に苦慮することになっていた。

 

 また、帝国中に現れたその亜人というのも、不可思議な存在だった。

 彼らは竜王国の、そのまた向こうに生息するというビーストマンだったり、ローブル聖王国近辺の荒野に居を構えるオークたちなどであり、帝国では姿を見ることもほとんどない種の亜人達であった。

 

 原因も分からず、効果的な対処法も思い浮かばず、こうして帝国上層部はモグラたたきのような不毛な対処療法をするより他になかった。

 

 

「爺、どう思う? 此度の一件」

 

 フールーダは閉じていた目をゆっくりと開く。

 

「ふむ。……正直何とも言えませんな。確かに亜人の一部は魔法などで召喚することは出来ます。しかし、それにしても規模、数共に多すぎますな。それにオークはまだしも、ビーストマンの召喚なぞ、聞いた事もありませぬ。一体どこからあの者達が現れたのか気になりますな」

「やはり、この前の邪教組織の一件と関係があるのでは?」

 

 追加のコーヒーを運んできた四騎士の1人『重爆』レイナース・ロックブルズが言った。

 

「なんでも、その集会では邪神が召喚されたとか聞きます。フールーダ様の話では、第8位階魔法を使った可能性もあると。そして、この異変が起こったのは、その儀式の数日後から。無関係にしては、あまりにもタイミングが合いすぎていますわ」

「だろうな。報告の中には、ビーストマンの撃退に出撃した騎士たちが、アンデッドの群に待ち伏せにあったというものもある。……もしや、その邪神がどこかから亜人を呼んだのか?」

「推測の域を出ませんが、もう一度邪教組織の者達を尋問してみましょうか?」

 

 ロウネの言葉に、ジルクニフは首を縦に振る。

 

「すぐに手配しろ。しかし、その役目はお前ではなく、別の者にやらせろ。経験も必要だろうし、それに今、こんなに混乱しているときに、お前がこちらの任を離れるのは許さん」

 

 その言葉にロウネが首肯するより早く、一人の文官が室内に飛び込んできた。

 ノックしなかったことを叱責する声など気にも留めず、彼はジルクニフの腰かけるテーブルの前へと転がり込んだ。

 

「へ、陛下。ご、ご報告が……」

 

 息を整える彼に続きを言えとうながす。

 彼は大きく深呼吸数すると、震える声で口に出した。

 

「陛下、……先ほどビーストマンの襲撃を確認いたしました」

「またか。こんどはどこでだ?」

 

 その文官はごくりと生唾を飲んだ。

 

「こ、この帝都内においてです!」

「なんだと!?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 昼下がりの帝都に怒号と悲鳴が響く。

 喧嘩でも起きたのかと振り向いた者達は、それがそんな生易しいではない事に気がついた。

 振り返ったその顔に、べったりとどす黒い血がぶちまけられる。

 突然、轟いた獣の咆哮が、市場の者達の耳朶を打った。

 

 

 どこからともなく現れたビーストマンの群が人波でごった返す市場を襲撃したのだ。

 辺り一帯は阿鼻叫喚に包まれた。

 

 彼らはその持ち前の運動能力を生かして、屋上を飛び回り、ここぞと決めた通りへと飛び降りると、その手の武器を縦横無尽に振り払った。

 その腕が振り回されるたびに鮮血が舞い、死体が道端に転がった。

 

 

 

 パニックに陥り、押し合いへし合い逃げる民衆の海の中をパナシスは必死に走っていた。

 

 彼女の仕えていた貴族の家が、何故か突然取りつぶしとなり、とりあえず実家に帰ってきていたのだが、せっかくだから妹の為においしい料理でも作ってやろうと考え、食材を捜しに訪れた市場で、まさか話でしか聞いたことがなかったビーストマンに襲われるなど夢にも思っていなかった。

 

 彼女は買い込んだ野菜でパンパンになった袋を抱え、必死で逃げた。

 

 だが無情にも、そんな彼女の目の前に、巨大な体躯が立ちふさがる。

 その獅子の瞳からは凶暴さに満ちた視線が投げかけられ、手にした大剣は、たった今誰か命を奪ってきたのであろう、鮮血でてらてらと濡れていた。

 

 その姿を前に、彼女の足は地面に縫い付けられた。

 その細い足はガクガクと震えるだけで、なんら意味ある行動を示せなかった。

 

 見上げる獣人が、獣の頭ながら、その顔ににやりと笑みを浮かべたのが分かった。

 ビーストマンは手の大剣を振り上げる。

 

 

 いよいよ最後と思い、思わず目をつぶった彼女の耳に重い音が響いた。

 ゆっくりとその目を開けてみると、彼女の目の前には首のない蛮族の身体。そして、足元に転がる、一抱えは優にありそうな獅子の頭であった。

 

 ゆらりと体勢が崩れ、どうと倒れ込んだ獣人の向こうにいたのは1人の人物。

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、深紅のマントをはためかせる戦士であった。

 

 

 パナシスは最初、騎士団の人間かと思った。だが、その鎧には帝国の紋章は刻まれていない。その代わり、その首にはプレートが下げられている。

 冒険者である事を示す、彼女がこれまで見たこともない不思議な色に輝くプレートが。

 

 

 彼はパナシスに向かって「自分の後ろに」と言った。しかし、彼女は突然の事態に呆然とするばかりであった。

 彼の連れらしき赤毛の女神官が彼女の手を掴み、凍りついたその体を引き寄せた。

 

 

 

 そこで起こった事、仲間が殺害された事はすぐに他の者達にも知れ渡ったようだ。その仇を取ろうと、ビーストマン達が集まってくる。

 通りの正面に、路地に、建物の屋上に、獣人たちが姿を見せる。

 漆黒の戦士を取り囲むように武器を構え、威嚇の唸り声をあげた。

 対する戦士は、本来ならば両手で扱うような大剣を、右手と左手両方に一つずつ軽々と構えた。

 

 

 じりじりとしたにらみ合い。

 誰もが息をのむような緊迫した空気の中、2体のビーストマンが飛びかかった。

 巨大な戦斧と、彼ら自身の持つ長く伸びた爪が全身鎧(フルプレート)の戦士に襲いかかる。

 

 

 しかし――

 

 ――ズンと音を立てて、獣人の巨躯が沈む。

 

 戦士の大剣が(ひるがえ)り、襲い掛かったビーストマンを2体とも瞬く間に切り裂いた。

 

 

 その様を前に、包囲の輪の中から、ひときわ大きなビーストマンが歩み出る。

 肉体は強固そのもの。上背も胸板も、他の者達とは一回りも違う。

 そして、そいつは他の者が手にしているような粗末なものとは異なる、上質の輝きを放つ剣を手にしており、その堂々たる態度は、あきらかにその群での上位者を思わせるものであった。

 

 そいつは血に濡れた剣を構え、呻る様に眼前の戦士に言葉をかけた。

 

「おい、貴様。名は何という? 俺の刃に倒れる戦士の名を知りたい。お前がラトゥス・ボウの川を渡り、ヴァトクの丘で祖霊に会いまみえたときには、赤き(たてがみ)族の勇者、グラコスとの戦いに敗れ、地に伏したと語るがいいぞ」

 

 

 そんな亜人の言葉に、彼は泰然自若(たいぜんじじゃく)たる態度のまま、口を開いた。

 

「ふむ。それがお前らの礼儀か。俺の名を聞いたな? 俺の名は……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「陛下! ご報告が!」

 

 また、一人の男がビーストマンの対策に追われる一室に転がり込んできた。

 

「なんだ? 今、忙しい、後にせよ! とにかく今は、帝都に侵入したビーストマンの対応を急いでせねばならぬのだ」

 

 苛立ちを隠さぬ皇帝の叱責の声。

 普段であれば、その勘気に触れた年若い文官は口をつぐんでしまうところであったが、彼は気力を総動員し、言葉を続けた。

 

「その事でございます」

「なに?」

「先ほど帝国に侵入したビーストマンはすべて殲滅されました」

「!? ……そうか。それは良かった。騎士団が仕留めたのか?」

「いえ、帝都を巡回していた騎士団ではありません」

「では、冒険者たちか? それともワーカーとか?」

「ビーストマン達を殲滅したのは冒険者でございます」

「おお、そうか。しかし、漣八連や銀糸鳥を始めとしたアダマンタイト級から、白金(プラチナ)級に至るまで、各地の亜人退治を頼んでいたはずだが? 任務を終えていち早く戻って来たものがいたのか?」

「いえ違います。それらの者ではございません」

 

 なかなか確信に至らず、本題を言わない男にジルクニフは若干苛ついてきた。

 

「では、一体誰だ? どこからともなくアダマンタイト級冒険者が現れて、帝都に現れたビーストマンたちをまとめて退治してくれたとでもいうのか?」

 

 冗談めかせた言葉であったが、目の前の彼は首を縦に振った。

 

「その通りでございます」

「なに?」

 

 彼はごくりと生唾を飲み込み、言葉をつづける。

 

「帝都に現れたビーストマンを倒したのは、アダマンタイト級冒険者です。エ・ランテルのアダマンタイト級冒険者、『漆黒』のモモンでございます!」

 

 




 ビーストマンの外見って、ウォーザードの王様みたいな感じなんでしょうか


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第62話 翻弄される帝国

 さっぱりモチベが上がらない……。

2016/11/10 「指示」→「支持」、「仕様」→「使用」、「臨ん」→「臨む」 訂正しました。
 段落の初めに1字下げしていなかったところがありましたので、1字下げをしました。
 「匹敵るほどの」→「匹敵するほどの」訂正しました
2016/11/23 「一件を案じた」→「一計を案じた」 訂正しました
2016/12/29 「法国」→「報告」 訂正しました


「では、失礼させていただこう」

 

 そう慇懃にして、一応は無礼ではない程度の言葉を残し、漆黒の戦士は部屋を出て行った。

 

 

 扉が閉められる音。

 そして立ち去って行く足音に、室内に残された者達の間に、おもわず安堵の息がもれた。

 彼がこの部屋にいる間中、張り詰めたような、それこそ身を切るような空気が立ち込めていたのだから。

 

 

 はあ、と盛大に息を吐き、ことさら大きく額の汗をぬぐう仕草をすると、会見に同席していた『雷光』バジウッド・ペシュメルは口を開いた。

 

「ふう。いっやあ、緊張したなぁ。なあ、ニンブル」

 

 明らかに不機嫌そうなレイナースは避けて、同僚のニンブル・アーク・デイル・アノックに話を振る。

 彼もまた、疲れた様子で肩の力を抜いた。

 

「ええ、まったくですね。あれがアダマンタイト級冒険者ですか。……『銀糸鳥』や『漣八連』の方々とは少々趣きが異なるようですが」

 

 そのつぶやきはジルクニフも同意せざるを得ないものであった。

 

 彼は今回の亜人騒動で帝都の冒険者たちの力を借りる際、冒険者組合長、並びに冒険者の代表として、それらのアダマンタイト級冒険者たちとも顔を合わせている。

 その際、彼らはこの帝国における最高権力者たる自分に対し、非常に丁重かつ丁寧な態度をとっていた。

 媚びへつらいなどはしなかったものの、当然のことながらジルクニフを上位者として扱い、礼儀と節度を守っていた。

 

 

 

 少なくとも今、会った『漆黒』のモモンのように、周囲に殺気を垂れ流しにするなどといった非常識極まりない行為などはしなかった。

 

 

 

 ノックの音が響く。近くの者が扉を開けると、側仕えの者達が室内に飲み物を運んでくる。

 それと同時に、隣の隠し部屋で会見の様子を(うかが)っていた者達もまたこの応接室に入って来た。

 

 

 そうして全員がそろったのを確かめると、目の前のテーブルに差し出された紅茶を一口飲み、ジルクニフは声を発した。

 

「さて、皆よ。彼らの事をどう思う?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 無造作に扉を開く。

 力を込めて開け放った扉はそのままに、大股で室内へずかずかと足を踏み入れた。

 扉の取っ手を掴んだ時の様子といい、扉を勢い良く開けた行為といい、その乱暴な歩き方といい、それぞれの行為からそれをやった人間の心の内を占める不快の感情が見て取れた。

 

 その後に続いた女が開いたままの扉を閉める。

 さすがに最高級の宿だけあって、扉を動かしても蝶番がきしむことは無い。

 重い音と共にチーク材の扉が閉じられた。 

 広い室内には自分たちだけ。

 周囲に他の者の目がなくなり、漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ男は内心の苛立ちを振り払うかの如く頭を振り、意識を切り替える。

 そして豪奢な部屋の内部を見回した。

 

 帝国最高級の宿だけあって目のつくところに置かれているあらゆる物、暖炉の上に置かれた光輝く宝石を埋め込まれた彫像、壁にかけられた色鮮やかな垂れ布、卓上の金の燭台、美しい光沢をはなつ大理石の床、非常に珍しいアルビノの剣歯虎の敷物など、すべてが高価ながら派手過ぎない品の良さを感じさせるものであった。

 しかし、ここはあくまでも冒険者が使う宿である。

 一見、華美(かび)に見えつつも、室内に置かれた調度品などは実用性も重視している。その美しい光沢を放つ黒檀のテーブルはどっしりとした重さのあるものであり、その卓上に固い金属などを乗せても傷がつかないよう表面を処理されている。また、その椅子は鎧兜を身に着けた者が腰かけてもガタつくことなどない頑丈なものであった。

 堅牢さと優美さを兼ね備えた、正に一級品とでもいうべき代物である。

 

 だが、男の意識はそんなものに心動かされた様子はない。

 豪華極まりない調度品の並ぶ部屋であったが、そこに並べられているものなど、本拠地であるナザリックのそれとは比べ物にもなりはしない。

 

 

 辺りを見回した彼の視線は、室内の一点。壁際に置かれた紫檀の椅子へと向けられた。

 今、そこには誰も腰かける者などいないのであるが、彼の視線はそこで止まった。

 

 ちらと脇に立つ、一緒に室内に入って来た赤髪の女を見る。

 彼女は声を出すことなく、その視線に頷いた。彼女の聴力及び嗅覚で察知した範囲内において、室外より様子を窺っている者はいない。

 

 

 再び、彼が誰もいない椅子へと目を向けると、突如、気圧が変化した時のような奇妙な感覚が一瞬耳を襲い、部屋の外から聞こえる音が消えさった。

 

 それと同時に、男の目の前に置かれた優美な曲線を描く椅子、その上に煌めく銀髪の少女が現れた。傍らには美しい金髪を縦ロールにした美しいメイドが控えている。

 その手元からは、ボロボロになった巻物(スクロール)の破片が零れ、床へと落ちる前に掻き消す様に消え去った。

 

 

 彼女らは突如、そこに現れた訳ではない。〈透明化〉で姿を消していただけだ。

 そして〈透明看破〉のスキルを持つ男は、最初から椅子に腰かけている少女の姿に気がついていたという訳だ。

 

 

 

「やあ、ベルさん。お待たせしました」

「お疲れ様です、アインズさん」

 

 ねぎらう友人の声に、ようやっと一息ついた気がする。

 

「どうでしたか、首尾は?」

 

 ふう、と息を漏らし、肉体的な疲労はしないのであるが、精神的に疲れたとアインズはぐるりと肩を回しながら答えた。

 

「ええ、皇帝との面会はひとまず、無事終えましたよ」

「ほうほう。それで、どんな具合だったんです?」

「ええ、それがですね――」

 

 

 そうしてアインズは、先ほど皇帝らと会った際の事を、友人であるベルに説明した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ジルクニフと『漆黒』との会談は急遽(きゅうきょ)組まれた。

 

 突然、この帝都に現れた他の都市、他の国を拠点とするアダマンタイト級冒険者。

 しかも、ちょうど帝国を悩ませていたビーストマンの襲来、それもこの帝都への襲撃を速やかに解決したのである。

 

 一体、彼らが何者なのか。

 何故、この帝都に突如として現れたのか?

 

 いち早く、知る必要があった。

 

 もちろん、帝国としても彼らの情報は掴んではいた。

 法国の人間ではないかという疑念もあったため、特に念入りに調べられていた。

 だが、エ・ランテルに現れたのが比較的最近、しかもそれまでの足取りは全くつかめないという状態であり、その詳細は何一つ判明しなかったのであるが。

 

 そのため、皇帝直々に帝都の民衆を救ってくれた感謝の言葉をかけるという名目で、自らの居城へと呼び出したのだ。

 

 連絡はすぐについた。

 彼らは、その地位にふさわしく、この帝都において冒険者が使用するものの中で最上級の所に宿をとっていたからだ。

 

 そして、翌日すぐに招いたのであるが……。

 

 

 ジルクニフ並びに、フールーダやロウネ、帝国4騎士などが待つ応接室――謁見の間は固辞された――に入って来たその姿を見て、彼らは息をのんだ。

 

 

 その身を包む、彼らの異名ともなった漆黒の全身鎧(フルプレート)

 それが血の朱で染められていたからだ。

 

 

 聞けば、今日、ここに来る途中も帝都内においてビーストマンの襲撃があり、通りがかった彼らが始末してきたところだという。

 命を懸けた戦闘の直後という事もあってか、鎧の返り血がいまだ乾いた様子すらないモモンからは、火山の奥底において今か今かと噴き出す瞬間を待っているマグマのような、どろりとした殺気が内包されているのが感じ取れた。

 

 とてもではないが皇帝を前にしてとる態度ではない。

 例え、呼ばれた賓客だとしても許される様なものではない。

 だが、本来ならば叱責すべき帝国の忠臣たる彼らをして、その人物から発する獰猛さを内に抑え込んでいるような雰囲気を前に、口に出すのは躊躇われた。

 

 とりあえず、そんなモモンをあまり刺激せぬようにと、彼の語る所の宗教上の都合とやらで皇帝を前にして兜を取らぬことをも触れぬままであった。

 

 その後のやり取り――自己紹介や、帝都の領民を救ってくれた感謝の言葉など――も、まるで入っただけで身を凍らせる海に張った薄氷の上を歩むかのごときものであり、(はた)で見ているだけで冷や汗が滂沱(ぼうだ)のように流れるかのごとき時間であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アインズさん、皇帝の前で怒りださなかったでしょうね?」

 

 確認するような言葉に、アインズは少し言葉を濁しつつ答えた。

 

「ま、まあ、我慢しましたよ。……なんとか」

「頼みますよ。まあ、色々と想定外の事も起こるでしょうし、様々な展開や状況次第で流動的に動くつもりですけど、さすがに今、そこで直接暴れられたら困りますよ」

「ええ、大丈夫です。ただ、やはり少々腹が立ちましたがね」

 

 言った後で、アインズは誤魔化すように言葉をつづけた。

 

「ほら、ベルさんが念のため、前もってやっておいた方がいいって言ってたやつ。あれ、大正解でしたよ。おかげで向こうは何も言ってきませんでしたし」

 

 

 アインズが『漆黒』のモモンとして、皇帝と会うのに際し、一つ懸念があった。

 それは、ナーベラルを傷つけた張本人らしき者たちを目の前にして、アインズがその怒りを抑えておけるかというものだった。

 

 対面する相手は帝国のトップである皇帝並びに、その脇を固める重鎮たちである。彼らは普段から面従腹背(めんじゅうふくはい)人面獣心(じんめんじゅうしん)の貴族らと接している者達であり、相手の感情や心のうちを推し量る能力に長けている事は想像に難くない。そんな彼らを前にして、内心の怒りを抑えていることなど、容易く見抜かれてしまうであろう。その結果、何故怒りの感情を持っているのかと疑念に思い、あれこれ詮索されるのは間違いない。

   

 さらに、また別の心配もあった。

 向こうは他国の人間たちと機知や口先で渡り合い、多種多様な外交交渉をまとめてきたほどの人物たちである。そんな者達を相手に、あくまで営業畑とはいえ、普通のサラリーマンとしての知識と経験しか持たないアインズがまともに話した場合、どんなボロを出したり、おかしな言質(げんち)を取られるか分かったものではない。

 

 

 そこで、ベルは一計を案じた。

 アインズが招かれて城に行く中途、再びビーストマンを帝都に送り込んだのだ。そして、そいつらと戦った後、時間も押しているからと、返り血も拭わぬまま会見に臨むという案であった。

 

 そのような事情があったとするならば、刺々しいアインズの態度も戦いの後の興奮状態の為と判断されるだろうという思惑あっての事だ。

 そして結果は、先に述べた通り。

 帝国側は、血に染まったその外見にのまれ、またアインズの態度にも触れようとはせず、腫れ物に触れるかの如き対応となったのである。

 一応、念のため、もし何か拙い状態になったら、怒ったふりをして絶望のオーラレベルⅠを使ってもいいとは言っておいたが、幸いな事にそれを使うまでもなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アレをどうみる?」

 

 ジルクニフの言葉に答えたのはバジウッドだった。

 

「いやあ、確かに戦闘の後ってのは殺気立ちはしますがね。まあ、それがどれくらい続くかは人次第ですが……あれほどってのはちょいと無いと思いますよ」

「では、わざとか?」

「その可能性は無きにしも非ずですな」

 

 バジウッドの代わりにロウネが答える。

 

「モモン本人もですが、私は彼の仲間であるルプーという女神官も気になりましたがね」

 

 その名を出され、先ほどから何度か聞こえてきた舌打ちが、再度室内に響いた。

 

 

 

 

 今にも襲い掛かってきそうな獰猛な獣にも似た雰囲気を漂わせるモモンの代わりに、ジルクニフは共にいたモモンの仲間の方へと話を振ることにした。

 

 彼の後ろに続く、燃えるような赤い髪の女神官。

 チェインメイルと金属鎧に包まれていながら、その実、肉感的な肢体の持ち主であるという事は見て取れた。そして、その顔もまるで芸術品のように非の打ちどころがなく、どこからか舌打ちが聞こえてくるほどであった。

 

 刺々しさの感じるモモンよりは、こっちの女から親しくなり会話を交えた方がいいと、ジルクニフは考えた。

 

 

「噂には聞いているが、君が『漆黒』モモンの仲間である女神官ルプーかな?」

「はい。私はルプーと申します。私めの事まで皇帝陛下のお耳に入っているとは恐悦至極にございます」

 

 淡々と手弱女(たおやめ)のように、静かで(かしこ)まった口調の女神官。

 そんな彼女に向かって、ジルクニフは(ほが)らかに笑いかけた。

 

「ははは、あまり(かしこ)まらないでいいとも。堅苦しく皇帝などと呼ばずに、そうだな、親しみを込めてジルと呼んでもらっても結構さ。むしろ君にはそう呼んでもらいたいな」

 

 言われた彼女は下げていた(かんばせ)をあげた。

 その黄色い瞳が、ジルクニフをとらえる。

 そして次の瞬間、厳かなる印象を与えていた顔が、不意に日が照ったかのごとく、ぱあっと明るく輝いた。

 

「いっやあ、そう言ってくれると助かるっす。こういった、真面目な感じなのは苦手なもんで。さっすがジルちゃんは話が分かるっすねぇ」

 

 先ほどまでとのあまりの落差に、誰もが声を無くしてしまった。

 本来ならば、皇帝が直々に言った事とはいえ、そのあまりにも気安い態度――特にジルちゃんなどという呼び方――は咎められてしかるべきものであったが、大輪の花が咲いたように顔いっぱいに笑みを浮かべるその様を前にすると、誰も注意などは出来なかった。

 

 

 

 

「あれですが。もしや、計算したものの可能性もあるかと」

「ん? あのとぼけた様子がか?」

 

 ロウネに言われて、先ほど交わした会話を思い浮かべる。

  

「うーん。お言葉ですが、あまりそんな印象はうけませんでしたが」

 

 ニンブルは眉根を寄せて考えながら、言葉を返した。

 

「どちらかといえば、頭に浮かんだものを特に考えもせず次々と口に出すタイプかと思われますが」

 

 それを聞いていたバジウッドもまた首を縦に振る。

 だが、それに対しロウネを首を横に振った。

 

「いえ。つまりはそれ自体が偽装である可能性があります。あえて、空気を読まないような発言をすることによって、場を振り回し、こちら側が落ち着いて質問できぬようにしたのではないかと思われます」

 

 確かに言われてみれば、と思い返す。

 あのルプーという女神官は、とにかくやたらと馴れ馴れしく、皇帝の前であるという事など忘れているかの如く、冗談を言ったり、こちらのいう事を茶化したりとせわしなく話を振り回し続けていた。

 

 威圧的な態度のモモン、そしてテンション高く話し続けるルプーという組み合わせの前に、本来帝国側のホームであるこの場でありながら、始終ペースをかき乱されていたのは否定できない。

 

「もしかして、あの2人のあまりに対照的な態度は、自分たちに対する追及の機会を与えないようにするための故意のものでしょうか?」

「おそらくは」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ああ、そうだ。その会談ですけど、私はちょっと腹が立っていて固い対応になってしまったんですけどね、ルプスレギナが役に立ちましたよ」

「おや、そうだったんですか?」

「ええ、皇帝がルプスレギナに畏まらなくてもいいと言ってくれましてね。おかげでいつもの感じでルプスレギナが喋りまくって、上手く話を回してました」

「へえ。大したもんですね」

 

 先の皇帝とは異なり、自分が本当に敬意を払うべき上位者たる2人からの視線、それも明らかに好意的なものを向けられ、ルプスレギナはパッと目を輝かせた。

 そんな彼女に、アインズは支配者然として語りかける。

 

「うむ。ルプスレギナよ。お前の対応は見事であったぞ」

「うん。えらい、えらい」

 

 アインズからのお褒めの言葉、並びにベル、そしてソリュシャンからのパチパチという拍手を贈られ、彼女はまさに鼻高々である。

 

「ははっ! お褒めに預かり光栄です」

「そうだね。じゃあ、後でルプスレギナには何かご褒美上げるね」

「マジッすか!」

 

 思わず素のままに喜びの声をあげるルプスレギナ。

 

 

 その御褒美というのが何なのか、それをアインズが知るのはしばらく後の事。

 ナザリックに戻り、執務室にいた彼の許を彼女が尋ねてきて、その目の前に見なれた筆跡で書かれた『アインズ様からのなでなで券』なるものを差し出された時である。

 

 ちなみに、その際、アルベドも同席していたため、一悶着あったのは別の話。

 

 その後、アルベドが『アインズ様のだっこ券』なる物を持ってきたのであるが、そこに描かれた魚の目の部分に針で穴が空けられていなかったことから、ベルが作ったものではなく偽造された物である事がばれ、アルベドは謹慎をくらうことになってしまったのは、さらに別の話。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「このタイミングで、彼らが帝都を訪れたのは偶然ではないでしょうね」

 

 ロウネは眉を(ひそ)めて言った。

 

「そりゃまた、なんで?」

「先ほど、彼らが言っていたでしょう。彼らがエ・ランテルから帝都に来た理由は、帝国においてビーストマンら、亜人達の襲撃が行われていると聞き及んだからだと」

「ああ、言ってましたな。他国の領民とはいえ、罪のない人間が被害に遭うのは許せなかったとか」

「ええ。しかし、それはおかしいのですよ。この帝都とエ・ランテルは片道で10日かかるくらいの距離があります。そして、帝国に亜人の襲撃が始まったのがほぼ10日前です」

「ん? 亜人の襲撃を知ったんで、すぐに帝都に移動したってなら、ちょうど10日で計算は合うんじゃないですかい?」

「いえ、違います。いいですか? 『漆黒』の拠点はエ・ランテルです。帝国ではありません。はたして彼らは帝国国外にいながらにして、何時(いつ)どのようにして帝国の窮状を知ったというのですか?」

 

 あっ、と声が漏れた。

 

 情報というものはすぐに知れ渡るものではない。

 信頼性に欠ける〈伝言(メッセージ)〉の魔法でも使わない限りは、1日離れた場所の事を知るのには片道1日、往復で2日かかる。

 

 一体、いつの間に帝国国内の事をエ・ランテルにいる『漆黒』は知ったというのであろうか?

 

 エ・ランテルは帝国との境にある都市の為、帝国国境付近の町や村が被害にあったという情報は帝都に伝わるより早く届くかもしれない。しかし、それでも2日程度はかかるはずだ。それを聞いた後に移動したとすると、かなりの強行軍をとってまでやって来たことになる。仮にそうだとするのならば、なぜ、そうまでして帝都にやってくる必要があるというのだろうか。

 

 会見の際、ロウネはそれを疑問に思った。そして、その事について尋ねようとした。

 一体、いつ、どのようにして帝国の窮状を知ったのか、そして、どうやって彼らはこの帝国にやって来たのかと。

 だが、それを聞きだそうと探りの質問を一つしたところ、対するモモンの答えは『帝国の無辜の民が脅威にさらされていると、小耳に挟んだからすぐにエ・ランテルを出て、その後10日かけてこの帝都アーウィンタールに来た』というものであった。

 そして『それが何か?』と聞き返してきた。

 まるで威圧するかの如く。

 

 すなわち――。

 

 

「こちらがその日数の齟齬に気がつくのは織り込み済みという事でしょうな。その上で傲岸にも、助けに来たことに何か問題でもあるのかと、白々しくもふてぶてしい態度をとったのでしょう」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そう言えば、ベルさん」

「なんです?」

 

 とりあえず、させる事もないので、ルプスレギナとソリュシャンは室内で自由にさせていた。今、彼女らは、近況を姦しく報告し合っている。

 そんな彼女らの事をのんびりと眺めていた視線を、傍らの鎧の人物に向ける。

 

「なんだか側近らしい人間に、10日かけてエ・ランテルから来たのかって聞かれたんですよ。ちょっと変な、含みのあるような感じで。まあ、それで、それが何かって聞き返したら、向こうは黙ってしまったんですがね。何か拙かったですかね?」

「ん? エ・ランテルから帝都までは片道10日くらいなはずですから、なにもおかしなところはないはずですよね?」

「ですよねえ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 さらにロウネは言葉をつづける。

 

「付け加えさせていただくならば、もし人間の領域に亜人が襲撃してきたなどという事を耳にしたのならば、まず真っ先にすべき事は何でしょうか?」

「……襲撃の規模の把握ですか?」

「ええ、そうです。一体、この襲撃はどれほどの規模なのか? 襲ってきた亜人というのはどんな種族の者達なのか? どれほどの数が襲ってきたのか? 襲撃はどれほどの範囲に及んでいるのか? その把握が重要になります。対岸の火事ならいざ知らず、自分たちに被害が及ぶ可能性があるなら、誰しもその行動は慎重にならざるを得ません」

 

 その場の者達は頷きつつも、彼が何を言いたいのか頭をひねった。

 

「いいですか? 今回の襲撃は亜人の襲撃です。それもビーストマンやオークなど、種族も行動もバラバラであり、統一した行動はとっておりません。つまり、国家と国家の戦争ではありません。被害は帝国だけに限らないはずなのです。王国、それも帝国と隣接しているエ・ランテルにも亜人の襲撃がないとは言い切れないはず。むしろ、エ・ランテルに住まう者なら、それを警戒すべきでしょう。それなのに、『漆黒』は帝国が亜人に襲撃されたという報を聞き、すぐにエ・ランテルを出たと言っておりました」

 

 皆、息をのんだ。ロウネの言いたいことが分かった。

 この亜人の襲撃にあっているのは帝国だけとは限らない。近隣諸国もまた、被害にあっている可能性もある。また、今はなくとも、これから亜人が襲ってくるかもしれないのだ。そう考えた場合、自分たちの領域の防御、襲撃への警戒を最優先するのが普通だ。

 そんなときに今現在、襲撃を受けている帝国のすぐ近く、エ・ランテルを拠点としている『漆黒』がわざわざ他の地に移動するはずがない。彼らが帝都に行ったとしら、ホームであるエ・ランテルの方が危険にさらされるではないか。

 

 それなのに、彼らが即座にエ・ランテルを離れ、帝国にやって来たという事は……。

 

 

「……おそらく、この亜人の襲撃は帝国のみにとどまっている。そして、『漆黒』はこの襲撃に関して何かを知っている?」

「その可能性が強いかと」

 

 ジルクニフのつぶやきに、ロウネが同意した。

 静まり返った部屋に、誰かがごくりと息をのむ音が響いた。

 

 

「どういう事でしょうか? 今回の亜人の襲撃、やはりどこかの組織が手を引いているのでしょうか? もしや、先の邪神とやらについても、何か知っているのでは?」

「そうかもしれんな」

「聞き出しますかい? なんなら、無理やりにでも」

 

 帝国の為であれば手を汚すのも、けっして忌避するものではない。

 目に剣呑な光をたたえ、荒っぽい手段を口にしたバジウッド。

 そんな彼に、ジルクニフは皮肉気な視線を投げかける。

 

「どうやってだ? お前なら、アダマンタイト級冒険者をどうにかできるのか?」

 

 そいつはさすがに、とガリガリ頭を掻いた。

 

「ああ、難しいですな。アダマンタイト級冒険者ってのはケタ違いの存在ですからな。下手に手をだしゃ、どんだけ被害が出るか」

「いっそ、イジャニーヤに依頼したらどうでしょう?」

「それも手の一つですが、下手をしたら、そいつらにおかしな情報が漏れかねないのではないでしょうか」

「いや、依頼ならば大丈夫ではないでしょうか。守秘義務は守るはずです」

「普通のものならばそうでしょうが、今回は事が事ですよ。謎の組織なり、邪神なりの知識を得た彼らが何をするかまでは、はっきりとは言えないでしょう」

「む……確かに。外の者達を使うのは控えた方がいいかもしれませんね。しかし、ならばどうします? 相手はアダマンタイト級冒険者ですよ」

「フールーダ様なら、何とかできるのでは?」

 

 皆の目が、数百年を生きた白髪の主席魔法使いに注がれる。

 フールーダはすっかり白くなった髭をしごきながら言った。

 

「ふむ。おそらく出来はするだろう」

 

 帝国の守護神たる人物の言葉に、一同から感嘆と安堵の息が漏れた。

 

「しかし出来はするかもしれんが当然、それには危険が伴うな。冒険者というのは個の力だけではなく、仲間同士での連携も優れている。一個のチームとして動く彼らは、自分たち一人一人では到底勝つことのできない相手すら、打ち倒して見せる。1+1が2ではなく、3にも4にもなるのだ。ましてや、アダマンタイト級冒険者というのはその力の上限も定かではない。さすがに私といえどリスクが高いと言わざるを得んな」

 

 その言葉に再び皆、頭を突き合わせ、他に何か手はないかと討議を始める。

 

「しかし、いかに強くとも人間ならば、数で圧倒できるのではないでしょうか?」

「出来るかもしれないけど、こちらにも甚大な被害が出るのは火を見るより明らかね。正直私ならごめん被るわ。それよりは、誰か知己(ちき)のものを人質に取るなどしてみてはいかがかしら?」

「人質か。確かに良い案だが、こっちには知り合いなんぞいないだろう。エ・ランテルに人をやって、知り合いを(さら)わせるか?」

「いえ、それは止めた方がいいでしょう」

 

 4騎士の内、この場にいないナザミを除いた3人の話にロウネが口を挟んだ。

 

「エ・ランテルまでだと、それこそ最短でも往復20日はかかってしまいますな。まあ、魔法院の力を借りれれば、数日で済むかもしれませんが。しかし他国でそのような事をした場合、任務遂行も困難ながら、下手をしたら外交問題になりかねません。それよりはこの帝都のものを人質にするのがいいかと思いますよ」

「? しかし、この帝都に『漆黒』の知り合いなどいるのですか?」

「こちらでは把握しておりません。ですが、いないというのなら作ってしまえばいいでしょう」

「……なるほど。これからでも、誰かを『漆黒』の者達に接近させるという事ですか」

「ええ。その通りです。どんな人間なら、彼らと交流を深められるかは不明ですが。まあ、子供を使うのが手っ取り早いでしょうか。子供には警戒も甘くなりますし、またさほど親しくはなくとも、子供を人質にされれば、普通の思考を持つ者ならば躊躇はするでしょう」

「さすがはロウネ。実に外道だな」

 

 ジルクニフの揶揄する声に、ロウネは眉を動かした。

 

「私とて子どもを巻き込むなどやりたくはありませんよ。ですが、この帝国にはそれこそ数え切れないほどの人間がいるのですよ。それこそ、子供も含めて。彼らを守るためならば手段は選べません。それに私がこのような非道な策を考えてしまうというのは、きっと仕えている主に影響を受けたからだと思われます」

「なんと、お前の仕えている主というのは実に酷い奴だな。一度顔を見てみたいものだ」

「顔を洗うときにでも存分に見てください。それよりも、あくまでそれは最後の手段としておきましょう。本当にそれをやって失敗でもしたら、それこそ本当に戦闘になりますよ。勝算はあるのですか?」

 

 一同、押し黙った。

 つまりは最初の話、アダマンタイト級冒険者『漆黒』をどうすれば攻略出来るかに戻るのだ。

 

 ロウネは一つ息を吐いて言葉をつづける。

 

「人質を取って言う事を聞かせるというのは決して称賛される行為ではありません。そのような事をしようものなら、それをやったが最後、こちらの敵か味方か、いまだ不明な者も明確にこちらの敵になりますよ」

 

 その言葉に皆、頭を切り替え、考えを改めた。

 たしかに、無理に敵対する必要もない。彼らの背後に何がいるかはいまだ分からないが、よく分からないものを無理に刺激するのも得策ではない。

 

 

「最悪の事態を考え、備えるのも大切だ。まあ、それをやるかどうかは別としてな。選択肢は多い方がいい。とりあえずの所、『漆黒』相手に伝手(つて)を作れ。子供でも女でも、愛人でもな。何なら女ではなく男を使っていい。あくまで親しい間柄の者を作る分に留めておけば損はあるまい。実際に人質にしなくとも、情に訴えることが出来るかもしれん」

 

 ジルクニフの言葉に一同、頭を下げ、その件について了承を示した。

 

 

 

 気を改めて、ジルクニフが言う。

 

「さて、それよりは今これからのこと、ビーストマンについての事を考えるとしよう」

「とすると先刻、モモンが語った策はどうします?」

 

 その言葉には、うーむと呻ってしまう。

 

「確かに、現在のように亜人の報告があった場所に騎士団を派遣して、各個撃破するよりはいいかもしれんが……」

「効率でいえば結果的には良いかと思いますが、領民に被害が出ますな。それもかなり」

 

 その答えに誰もが黙り込む。

 

 

 先ほどジルクニフはやって来たモモンに対し、現在帝国で対応に苦慮している亜人の襲撃に関して、何か良い案はないかと訪ねてみた。

 

 それに対し、モモンが提案したのは実に単純明快。

 

 獲物を一カ所に集め、包囲して叩く。

 根本的に言うならそういうものであった。

 

 つまり、帝国の各地を区域ごとに分け、その区域の外周部に部隊を派遣し戦いつつも区域の内側に逃げるよう誘導する。そして、その輪を狭めて行き、亜人達が一カ所に固まった所を、こちらも戦力を集めて叩く。これを区域ごとに繰り返していくというものだった。

 

 確かに効果的ではある。

 これまでは亜人達が集結し、戦力が増大することを恐れて、各個撃破にこだわっていた。しかし、そうやって強引にでも向こうに決戦を強いた方が早期に解決できるかもしれない。特に帝国にはビーストマンらや他国には無いアドバンテージ、大量に動員できる魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるのだ。一つ所に集結した亜人を遠距離からの魔法で徹底的に攻撃し、その後、騎士団で殲滅するというやり方ならば、被害も少なくなるだろう。

 

 

 しかし――。

 

 

 その場にいた者達、皆の顔に苦悩の表情が浮かぶ。

 

 それをやるという事は、包囲の輪の中、亜人たちが集まる中央においては、領民の被害が拡大する。いや、正確に言うならば、中央部にいる領民を犠牲にして周辺の亜人を殲滅する策だ。人間を餌とするビーストマン達、それも手負いの者達が集結するのだ。その運命は糧食ならばまだマシで、腹いせに嬲られ、死より過酷な運命をたどる事も十分考えられる。

 

「それをやるとしても、せめて対象地域の中央に位置する箇所に暮らしている領民は避難させては?」

「いや、それでは意味があるまい」

 

 ジルクニフは言う。

 

「あくまで食料となる者達がいるから、ビーストマン達はそちらに逃げ、留まるのだ。撤退した先が何もないと知れてしまえば、現状を打開するため、困窮する前に包囲網を必死で突破しようとするだろう。それに連中だって馬鹿ではない。そんな避難などしたら、こちらの策に気づく者もいるかもしれない。そうなってしまえば、大々的に兵力を動かした意味もなくなる。奴らには火にかけた水鍋の中のカエルでいてもらわなくては困る」

 

 非情すぎる答えであるが、それが実に理に適っている事は皆理解していた。

 沈痛な面持ちのまま、更に話をつづける。

 

「それで、どう思います? アダマンタイト級冒険者招聘(しょうへい)の件は?」

「ああ、それか」

 

 机の上で組んでいた手をほどき、ジルクニフは顔をあげた。

 

「……先ほど、モモンにも言ったが、それは却下だ」

 

 

 先ほどの会談で出た、モモンからの提案の一つ。

 それは、亜人相手ならば、正規の兵士より冒険者の方が役に立つ。その為、隣国、リ・エスティーゼ王国の王都より、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』を招聘するべきという案であった。

 

 それには驚かされた。

 たしかに、噂に聞く彼女らの協力が得られれば、この亜人騒動の解決に際し、一助となる事は間違いない。

 いや、それどころではない。

 帝国のアダマンタイト級冒険者たちは様々な状況に対応できるという点では、たしかにその地位にふさわしい者達であったが、純粋に戦闘能力という点では、人類の決戦存在と謳われるアダマンタイト級にふさわしいとはいささか言い難い。

 それに対し、『蒼の薔薇』はまさにアダマンタイト級の名にふさわしく、もはや人類の枠を超えた戦闘能力を有しているという。

 そんな戦力が加わってくれれば、どれほど心強いか。

 

 さらに言うならば、『蒼の薔薇』リーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは蘇生の魔法を使う事が出来る。

 先日の邪教組織の件で、帝国側には大きな損害が出た。

 長い期間をかけ、大枚はたいて育成してきた騎士達に、かなりの被害が出たのだ。そこで多少、いやかなりの金を使ってでも蘇生させたいところなのだが、あいにくと帝国国内には蘇生魔法の使い手は存在しない。その為、法国に蘇生魔法が使える者の派遣を打診していたところなのだが、折悪く始まったこの亜人騒動のせいで、その交渉も中断したままであった。

 そこで、彼女に蘇生を依頼することが出来れば――例え、帝国のかなりの資金が王国に流れることになっても――非常に都合がいい。

 

 

 だが、ジルクニフは首を縦に振る訳にはいかなかった。

 

 確かに今、帝国はビーストマンの対応に苦慮している。

 しかし、だからと言って、よりにもよって『蒼の薔薇』は拙い。

 『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースは王国の貴族である。冒険者は特定の国家に肩入れしないという建前はあっても、彼女らが王国、特に王派閥側に立って行動している事は、それなりに聡い者達の間では周知の事実である。

 彼女らを帝都に呼び寄せるという事は、帝国の情報が王国に筒抜けになる危険性もはらんでいる。

 

 その為、それを提案したモモンに対しては、帝国としても帝都をホームにしているアダマンタイト級冒険者『漣八連』や『銀糸鳥』に協力を依頼しており、隣国の王都からの移動時間も考えると、彼女らを呼び寄せるのはあまり現実的ではないと、やんわり否定したのだ。

 

 

「しかし、提案した割にはあっさりと引き下がりましたね」

「確かに、気になりますな。『漆黒』は『蒼の薔薇』のティアと面識があったはずですから、冒険者として彼女らが信頼できると判断していたからと考えれば、不思議ではないのですが。……ただ、これまでここで話したように、彼らがただの冒険者ではなく、なんらかの背後やそれに連なる思惑があっての事と考えると……」

「うむ……当然、こちらがそれを断る事を考慮したうえでの行動……。名前を出すことでこちらに『蒼の薔薇』の存在を意識させる? もしくは、帝国国内の事で忙殺されている我々に他国の事をそれとなく意識させる、か? ……うーむ、とにかく今はまだ判断できんな」

「とりあえず、現在『蒼の薔薇』は全員王都にとどまっております。……あくまで、その情報は20日程度は前のものになりますが」

「ふむ、突然にそいつらまで帝都に現れるとかいう展開はないか……。まあ、いい。いない者の事を気にする必要もあるまい。今はとにかく、帝国内の亜人たちの事だな。……モモンの言った策、検討しておけ」

「やるんですかい?」

 

 渋面を浮かべたバジウッド。

 それよりもさらに、ジルクニフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

「……効率的ではある。被害の拡大を防ぐという意味では、大を救うために小を捨てねばならん。その方が結果的には多くの領民を救う事になるだろう」

「……かしこまりました」

 

 皇帝の決断にその場にいた者達は皆、(こうべ)を垂れた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――という訳で、ですね、ベルさん。『蒼の薔薇』を帝国に呼ぶというのは断られました」

「ふむふむ。そうですか」

 

 一連の話を聞き終えたベルは、脇の丸テーブル上に置かれたフルーツ皿から、一つ黄色い果実を手にとった。その白く細い指先で皮をむくと、あんぐりとかぶりつく。 

 アインズは、もしゃもしゃと咀嚼する少女に向かって尋ねる。

 

「どうします?」

「まあ、『蒼の薔薇』については、今後の事も考えて、上手く進めばいいや程度だったんですけどね。駄目なら駄目で仕方ありませんが」

 

 そう言うと、ベルはもう一つ果物を手にとると、ポンと放り投げた。

 ルプスレギナは高く跳躍すると、その果実を見事に口でキャッチした。そのまま着地し、ボリボリと音を立ててかみ砕く。

 

「でも、そうかといって、さっさと諦めるのも惜しいですね。せっかくですから、一押ししてみましょうか」

「なにをするんです?」

「そうせざるを得ない状況にしてしまえばいいんじゃないですか。さっきの皇帝の話にも出てきたでしょう? つまり――」

 

 

 

「――という訳です」

「ちょっとあからさま過ぎませんかね?」

「秘かに、そして友好的に事を進めるなんて時点は過ぎていますからね。もうゴールの場所は決まっています。後はとにかくこちらの目指すゴールに向けて、強引にでもボールを押し込む段階です。とにかく、脅そうが何しようが相手の選択肢をドンドン削っていくのが正解ですよ」

「そんなものですか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「リーダー。飯が出来やしたぜ」

 

 そうケイラ・ノ・セーデファーンが声をかける。

 呼ばれた彼、フレイヴァルツは振り返った。その手には有名なリュート『星の交響曲(スター・シンフォニー)』がある。

 それを見て、セーデは顔をしかめた。

 

「おっとと。こんなところで一曲弾くのは止めてくださいよ」

 

 フレイヴァルツは肩をすくめた。

 

「やれやれ残念だね。せっかくの美しい夜空に創作意欲を掻きたてられたところなんだが」

「ビーストマン退治に来て、そんなものかき鳴らされちゃたまりませんや。自殺する気ですかい?」

「彼らが美しい音色に心洗われて、戦いの虚しさに気づき、争いをやめるかも」

「絶対にないですから。それより飯が冷めちまいますぜ」

 

 呆れた口調で焚き火の方へと戻っていくセーデ。

 燃え盛る炎の周りには彼の仲間たち、『銀糸鳥』の面々がすでに火にかけた鍋を囲んでいる。

 フレイヴァルツはリュートを肩に担ぎ直すと、そちらへと足を進めた。

 その魔法のかかった靴先に、さらさらと風に揺れる下生えの草が撫でる。

 

 

 星の灯りに照らされた草原には今、いくつものテントが張られ、あちらこちらに同様の焚き火がたかれている。そして、その火の周りには幾人もの人影――それこそ数十人はいるだろうか――が動いていた。

 大声で騒ぎ立てるなどという事はしていないが、さすがに普通の声でも、これだけの人数となると、夜の静けさをかき乱してしまう。

 

 

 彼らはバハルス帝国の騎士団である。

 フレイヴァルツ率いる冒険者チーム『銀糸鳥』と共に、帝国に現れたビーストマンを始めとした亜人退治の任務におもむいているのであった。

 

 だが、フレイヴァルツとしてはあまり亜人退治という言葉は使いたくはなかった。彼の仲間の1人も亜人に分類されるものであったから。

 そんな仲間の亜人、ファン・ロングーが真っ赤な毛に覆われた腕を振り、彼に自分たちの焚き火の位置を知らせた。

 

 

 彼は自分の仲間達の下へと歩み寄った。

 そこは帝国騎士団も含めた野営陣地の外れであった。

 騎士たちはもちろん彼らに対して隔意(かくい)などないし、それどころか強者として敬意を払った態度を示してくれるが、やはり国に仕える彼らと気ままな冒険者では少々勝手が異なる。その為、彼らに必要以上に気を使わせないよう、『銀糸鳥』はあえて彼らから少し距離をとった所に野営の準備を整えていた。

 

 

 火のそばに腰を据えると、隣のポワポンがパンを渡してくれる。ウンケイが火にかけた鍋からスープをよそってくれた。

 

 彼はスープにパンを浸しながら齧り、仲間たちと取り留めもない話をしながら、夜のひと時を過ごしていた。

 

 

 その時――。

 

 

 ――セーデが動いた。

 

 

 

 座っていた姿勢からパッと立ち上がり、奇妙な形のナイフを手に宵闇の向こうへと視線を投じる。

 その彼の様子に、他の者達もあわてて武器を構え、立ち上がった。

 

 

 そこにいたのは1体の異形の人影。

 

 長大なフランベルジュと巨大なタワーシールドを手にし、異様な紋様が浮き出た全身鎧(フルプレート)に包まれた巨躯。

 だが、何より目につくのはその身を覆う死の空気。その鎧兜に包まれたその体は、生者のものではない。その虚ろな眼窩からは、命ある者に嫌悪と恐怖をもたらす深紅の光が灯っている。

 

 

「アンデッドか」

 

 セーデがつぶやいた。

 

「しかし、なんと(おぞ)ましい姿。このようなアンデッドは見たことがござらん」

 

 ウンケイが呻る。

 

「そう言えば、ビーストマン討伐におもむいた騎士団がアンデッドの襲撃を受けたとも聞いた」

 

 ポワポンが言った。

 

 ファン・ロングーは何も言わずに、斧を構えた。

 

「見たこともないアンデッド相手に戦いたくはないですが、このまま放っておくわけにもいきませんね。あちらもその気はないようですし」

 

 フレイヴァルツがそのリュートをかき鳴らす。

 その音に、『銀糸鳥』の方へ目を向ける騎士たち。

 そして、彼らの前に立つ恐ろしい姿をしたアンデッドの騎士に気がつき、慌てて戦闘準備にうつる。

 

 

 本来であれば情報の全くない怪物(モンスター)との戦闘は避けるべきである。それが冒険者としての常道だ。

 だがしかし、今日の彼らは帝国に雇われた身であり、この近辺での危険性の排除が任務である。人類の守護者と言われるアダマンタイト級冒険者として、この見るからに凶悪なアンデッドを放っておくわけにはいかなかった。

 それに今は後ろに帝国の騎士団がいる。逃走を図った場合、自分たちだけならともかく、彼らがうまく逃げ切れるとは考えにくい。かなりの被害が出てしまうだろう。

 

 

 『銀糸鳥』並びに帝国騎士団が、アンデッドの騎士を半包囲する。

 それに対して、その不死者は動じることなく、兜の奥にある腐りかけた顔にニタニタと笑いを浮かべていた。

 

 

 そして、満天の星空の下、地獄から響くような咆哮をあげて、デスナイトのリュースは躍りかかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なんだ、それはぁっ!!」

 

 皇帝の執務室に怒声が響く。

 怒りの声をあげているのは誰であろう、鮮血帝ジルクニフ、その人である。

 今、彼は自らの感情のままに、怒りを(ほとばし)らせていた。

 長年ジルクニフに仕えてきた臣下の者達も、彼がこれほど感情をあらわにするのは初めて見る光景であった。

 

 

「も、もう一度、言ってみろっ!?」

 

 その視線の先に晒された、報告を持ってきた魔法院の人間、フールーダの高弟は激昂する皇帝を前に(おこり)のように身を震わせ、もう一度報告を繰り返した。

 

「ビ、ビーストマン退治におもむいていたアダマンタイト級冒険者『銀糸鳥』並びに『漣八連』、そして彼らと共に行動していた帝国騎士団、か、壊滅いたしました」

 

 

 改めて、その知らせを聞き、ジルクニフはグラリと体を揺らした。

 そばにいた者が慌てて駆けよるのを手で制し、よろよろとした足取りのまま、豪奢な椅子に座り込む。

 そして、机の上で手を組み、額をその上に乗せうつむいたまま、動かなくなった。

 

 その皇帝の様子、並びにもたらされた報告内容によって、その場にいた者達は言葉を無くしてしまった。

 

 

 誰もが言葉もない中、この中で、いや、おそらく全世界において最も年長の人間と思われるフールーダが、一報をもたらした自らの高弟に問いかけた。

 

「その内容は確かなのか?」

 

 場の空気にのまれ、何も言えなくなっていた彼は、自らの崇敬すべき師の言葉に若干理性を取り戻した。

 

「は、はい。〈飛行(フライ)〉の魔法を使い、それぞれの現場に行って確認しましたが、両方とも戦闘の痕跡は認められたものの、装備のいくつかが散乱しているだけで、遺体は見つかりませんでした」

「両方といったな。それぞれの現在把握している状況を詳しく話せ」

「ははっ。先ず、『漣八連』の方なのですが、こちらは昨夜その隊に同行していたものから〈伝言(メッセージ)〉で連絡がありました。なんでもアンデッドの大群に襲撃を受けたという内容です。〈伝言(メッセージ)〉での報告という事で信頼性に疑問はありますが、その報告では死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や奇妙なスケルトン、それと全身を包帯で包んだ見たこともないアンデッドが襲ってきたという事です」

「そうか。それで、『銀糸鳥』の方は?」

「は、はい。それが……」

 

 高弟はなぜだか、そこで言い淀んだ。

 フールーダはその様子に疑問を感じつつも、続きを話すよう促す。

 

「そ、その……『銀糸鳥』の方に現れたアンデッドは1体のみです」

 

 その答えに、聞いていた誰もが虚をつかれた。

 人類の守護者、決戦存在たるアダマンタイト級冒険者、ならびに帝国の騎士団がたった1体のアンデッドに壊滅させられたなどというのだろうか?

 

「確かなのか?」

「はい。こちらに関しては、同行していた魔法詠唱者(マジック・キャスター)が〈飛行(フライ)〉で離脱し、2人が帝都まで戻ってまいりました。彼らからの報告なので、先のものより正確でございます」

「そうか。……そのアンデッドとは一体なんだ? 正体は判明しているのか?」

「はい。その者達からの報告により、判明はしているのですが……」

 

 彼は再度、言葉を濁した。

 その反応にフールーダは眉をしかめる。

 

「どうした? 分かっているのなら、はっきりと言うがいい」

「は、はい。その……現れた、たった1体のアンデッドというのは……」

 

 ごくりとつばを飲む。

 

「そのアンデッドというのは……デスナイトでございます」

「な、なんだと!?」

 

 その答えに思わず彼は立ち上がった。

 愕然とした表情のフールーダ。そんな彼にジルクニフは尋ねた。

 

「おい、爺。たしか、そのデスナイトとやらは、かつてお前が言っていたアンデッドではないか?」

 

 ジルクニフの問いに、フールーダは青い顔で答えた。

 

「は、はい。かのアンデッドこそ、英雄級の白兵能力を持ち、更にはその剣によって殺害されたものをアンデッドを生み出すアンデッドなどという恐るべき存在に変えてしまう、伝説級のアンデッドでございます。そいつが現れたなど……信じられませぬ。もしや、見間違いやも……」

「恐れながら」

 

 いまだ信じられぬと頭を振るフールーダに対し、その高弟は答えた。

 

「『銀糸鳥』と共に行き、帰って来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)は帝国魔法院の奥底で、かのアンデッドを実際に目にした事のある者でございます。見間違えるという可能性は低いかと」

 

 うむむ、と老魔術師はうなった。

 

「信じがたいが、デスナイトが現れたというのなら、いかにアダマンタイト級冒険者とて不覚を取ってもおかしくはないな。陛下、これは一大事かと思われます。それこそ、ビーストマンの襲撃にも匹敵するほどの。一刻も早く、そのデスナイトの所在を調べ、帝国魔法院総出で対処せねば大変な事になるでしょう」

「それほどか……」

 

 そのデスナイトの恐ろしさを体感していないジルクニフとしては、話として聞かされても、それがどれほどの脅威であるのかはいまいちよく分かっていない。だが、帝国の守護神たるこの老魔術師がそこまで言うのならば、そうなのだろうという思いであった。

 

 

 しかし、そのフールーダへ、彼の高弟はさらなる爆弾を投げつけた。

 

「フ、フールーダ様……」

「どうした?」

「実は、その返ってきた者達から、ある報告を受けました。……そのデスナイトに関してですが……」

「なんだ? 早く言うがよい」

「はい。そのデスナイトですが……ま、魔法を使ったというのです」

「な、なんだと!?」

 

 その驚愕の声は、先ほどのものと一言一句同じながらも、先のものをはるかに上回る大きさであった。

 

 

 デスナイトの戦闘能力は圧倒的である。その恐るべき剣技は英雄に足を踏み入れたものでもなければ、太刀打ちすら出来ない。おそらく、あの王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをして、ようやく同じ土俵に立てるといったところか。それに加えて、アンデッド特有の疲労がないという特性もある。まさに白兵能力に関しては、死角もない。

 

 そんなデスナイトであるが、たった一つ、ある致命的な弱点がある。

 それは遠距離攻撃能力がないという事である。

 

 いかに素早く、重く剣を振るおうとも、その刃の届かぬ位置から攻撃を仕掛ければ良いのだ。もちろん、その恐るべき耐久力を削りきるのは容易ではないが、それは決して不可能ではない。

 だからこそ、フールーダはそのデスナイトの話を聞き、すぐさま倒そうとしたのである。

 魔法による飛行状態から、攻撃魔法で爆撃が出来るフールーダ並びに帝国魔法院の魔法詠唱者(マジック・キャスター)達は、デスナイト相手には圧倒的に優位に立てる。

 しかし、そのデスナイトが魔法による遠距離攻撃まで使いこなしたとなると……。

 

「ば、馬鹿な……。そんなものをいったいどうやって倒せばいいというのだ……」

 

 フールーダは呆然としてつぶやく。

 200年以上を生き、貪欲に蓄えた知識の中にも、魔法を使うデスナイトなどという異常な存在は記録にも伝承にも欠片すらもなかった。

 

 

 伝説の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の放心したような様子に、室内は水を打ったように静まり返った。

 

 

 

 やがて皆の耳にくぐもった笑い声が届いた。

 

 その声の主に目を向けると、彼はうつむいていた顔をあげ、背もたれにグンとその背を預けると、高らかに笑いをあげた。

 

「ははは! 随分と急いだものだな!」

 

 ジルクニフは傍らの象牙の杯を呷った。

 それを満たしていたのは度数の高い蒸留酒。

 喉を焼く感覚など、気にも留めずに彼は言葉をつづける。

 

「ほんの昨日、帝都には『銀糸鳥』に『漣八連』というアダマンタイト級冒険者がいるから、『蒼の薔薇』を呼ぶ必要はないといったばかりだぞ。その日のうちに両チームとも仕留めるか。実に仕事が早いな!」

 

 皇帝の言葉に、今回の一件は一体どういうことなのか、その場にいた皆は真相を悟った。

 

「まさか、『漆黒』が……」

「奴らとつながっている者の仕業に間違いあるまい。くくく……伝説のアンデッド、それも爺すら聞いたことがないほどの存在だと? それを操る者……はてさて、一体想像も出来んな。本当に邪神その者かもしれんぞ。そんな奴とつながりがある『漆黒』……。ははは、案外モモンのあの兜の奥は肉も皮もない骨だけのアンデッドかもしれんな」

 

 もはやヤケクソのように笑う自らの主に、バジウッドが硬い声で言う。

 

「陛下……こうなりゃ、被害がどうのと言ってられませんぜ。『漆黒』をひっつかまえましょう。そして洗いざらい吐かせましょう」

 

 そんな彼にジルクニフは冷たい目を向けた。

 

「捕まえる、か? 証拠はあるのか?」

「証拠なんざ、いくらでもでっち上げられるでしょう」

「ああ、そうだ。証拠の有無など問題ではない」

 

 そう言いつつもジルクニフはかぶりを振った。

 

「今、帝国はビーストマンの脅威にさらされている。誰もが、あの獣人の襲撃に恐怖している。そして『漆黒』モモンはこの帝都に現れ、民衆を襲ったビーストマンを彼らの目の前で退治したのだ。それも2度もな。そんな奴を被害を出してまで捕まえ、こういう罪がある悪い奴だったんだと後から説明して、民衆は納得するのか?」

 

 その言葉には二の句が継げない。

 強権的な権力を持つジルクニフではあるが、民衆からの支持というのも、けっして無視は出来ないものである。

 彼は『鮮血帝』とまで呼ばれるほどの粛清を行ったのだが、その対象はあくまで貴族に限られていた。自分たちを苦しめる貴族を処断し、そして自分たちの生活を良くしてくれたから、民衆は彼を支持するのだ。

 そんな彼が、今回のビーストマンの襲撃には後手後手に回っている。そんなとき、よりにもよってこの帝都がビーストマンの襲撃に遭い、そこへ偶々やって来たアダマンタイト級冒険者が、普段から頼りにしている帝国騎士団より先に退治したのだ。すでに帝都の民衆の間で、『漆黒』の名は英雄として広まっている。

 そんな人間を街中で、はっきりとした証拠もなしに捕まえることは出来なかった。

 

 

 誰もが苦渋に満ちた表情を浮かべる中、誰かがぽつりとつぶやいた。

 

「しかし、『銀糸鳥』や『漣八連』の抹殺が『漆黒』の意図するものだとしたら、奴らの目的は何なのでしょう?」

 

 最大の問題はそれだ。

 本当に、モモンが関係しているとするのならば、一体その狙いは何なのだろうか?

 

 

 

「……死の螺旋……」

 

 フールーダがつぶやいた。

 老魔術師に視線が集まる。

 

「死の螺旋をするつもりなのかもしれませんな。今度はこの帝国で。それも大々的に」

 

 

 言われて、思い返した。

 『漆黒』モモンが提案したビーストマン殲滅の策。

 すなわち、バラバラに散らばっているビーストマンたちを一つ所に集めて殲滅する。そして、そのビーストマン達を包囲、誘導した地域ではそこに暮らす多数の領民たちが犠牲となる事が予想されている。

 

「大量の人間、そして人間よりも強靭なビーストマン達の死によって、かの邪法を行うつもりなのかもしれん」

「お言葉ながら、フールーダ様」

 

 高弟の1人が言葉を返す。

 

「たしかエ・ランテルでズーラーノーンと思しきものが死の螺旋を執り行った際、『漆黒』はむしろそれを解決した側ではないですか?」

「たしかにそうだ。しかし――」

 

 一拍置いてから、彼はつづけた。

 

「しかし、それはすでに死の螺旋による目的を果たした後でのことだったのではないか? 目的は達成した。その後始末をしただけではないだろうか?」

「目的……死の螺旋を行ってまで達成した目的とは?」

「分からぬか? エ・ランテルで現れたとされ、またたった今の報告でもあった存在が」

「……あっ!」

 

 彼は思い当たった答えに身をわななかせた。

 

「ま、まさか……デスナイト! エ・ランテルで行われた死の螺旋は、現れたデスナイトを支配する事が目的だったという事ですか!?」

 

 フールーダは首肯した。

 

「私も詳しくは知りえぬのだが、スレイン法国では特殊な儀式を行う事で、本来は余人に使えぬはずの高位魔法の使用を可能にするという。溢れ出たアンデッドにより当時、あの町でどのような事が行われていたか、全容を知ることはいまだに出来ぬ。これは完全に私の推測でしかないのだが、エ・ランテルを死都としたことで集めた大量の負のエネルギーを利用して、現れたデスナイトを支配下に置いた。そして、それを成したのちに、『漆黒』がすべてを解決した(てい)をとったのやもしれん」

 

 言葉もない一同。

 そんな中でフールーダはさらに言葉をつづける。

 

「そう考えたとき、『漆黒』モモンが『蒼の薔薇』を帝国に呼び寄せるよう提案したのも説明がつく。『銀糸鳥』や『漣八連』を殺してまでな。おそらく、より強大な魔法の行使、もしくはアンデッドの支配や召喚を行うのに、生贄が欲しいのかもしれん。『蒼の薔薇』のリーダー、アインドラは蘇生魔法を使いこなせるほどの神官だと聞く。生贄にはもってこいだろう」

 

 

 再び、静まり返る室内。

 

 ジルクニフは傍らに立つ者に、空になった酒杯を差し出した。

 近くにいた者は慌てて酒を注ぐ。

 それを再度、一息に飲み干し、ジルクニフは命じた。

 

「至急、冒険者組合に連絡を取れ。そしてリ・エスティーゼ王国の王都リ・エスティーゼに伝令を送れ。『蒼の薔薇』をこちらに送ってくれるようにとな。報酬は全て帝国持ちだ。それと、騎士団に連絡を。モモンが言っていた策、ビーストマンの包囲殲滅の準備だ」

「よ、よろしいのですか?」

 

 慌てて聞き返すニンブル。

 

 それに対し、ジルクニフは視線も合わせず、虚空に向けて憎しみのこもった瞳を投げかけた。

 あたかもそこに、殺しても殺したりない仇敵がいるかのように。

 

「奴の策に乗る。だが、途中までだ」

 

 優美な装飾の施された酒杯を机に叩きつけた。

 

「街中では人目につく。だから、奴の提案通り、ビーストマンの包囲の為として軍を動かす。そこで仕留める。荒野ならば被害も人目も恐れず戦える。『蒼の薔薇』が帝国に来たのならば、『漆黒』がアンデッドたちとつながっていて、彼女らも危険にさらされる恐れが高い事を伝え、『漆黒』討伐に協力してもらってもいいだろう」

 

 

 砕けた酒杯により手の平から滴り続ける血にすら構うことなく、ジルクニフは力強く立ち上がった。

 

 

「いいな、お前ら! 『漆黒』モモンを捕らえ、帝国に害をなそうとしたものを洗いざらい吐かせろ! 総力を持って、帝国に害を与えた黒幕、そいつを叩き潰す!!」

 

 




 気の向くままに書いていたら、思ったより長くなり、『蒼の薔薇』登場まで行けませんでした。
 次回は短くなるかもしれません。


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第63話 蒼の薔薇

 次は短くなるかもといったな。
 あれは嘘だ。(2回目)

 おかしい。数千字程度にしかならないと思ったのに。


2016/11/17 「言ってる」→「行ってる」、「高見」→「高み」、「帝都」→「王都」、「~来た」→「~きた」、「例え」→「たとえ」、「収める」→「治める」、「座り」→「据わり」 訂正しました



 太陽は頭上高くにあり、そこから燦燦とした光と熱を地上に注いでいる。

 雲一つないとは言えないが、それでも暗色の混じらぬ白雲が浮かぶ青い空を見上げると、人はさわやかな気分になる。

 

 そんな心地よい日差しの下、帝都から数時間ほど離れた軍の駐屯地である砦内には活気があふれていた。

 普段ならば、厳格な規律と命令に支配されているはずのこの砦であるが、ここ数日はにぎやか、且つ雑然とした空気に満たされていた。

 騎士達が普段、訓練の為に集うその練兵場を歩いているのは、帝国の紋章が刻まれた鎧を身に着けた者たちではない。皆、一貫性のない思い思いの装備、しかしそれは見せかけだけではなく実戦で使いこまれたものと一目で知れるような武装に身を包んだ者達。

 

 そんな彼らには一つの共通点があった。

 それは、その胸元に下げられたプレート。人によって、多種多様な輝きを放ちながらも、どれも似かよったデザインの代物。

 

 

 彼らは冒険者であった。

 

 

 

 帝国は遂に、国内に跳梁(ちょうりょう)するビーストマンの組織的な討伐を決定した。

 それは帝国の騎士団並びに帝国魔法院の魔法詠唱者(マジック・キャスター)達だけではなく、同国において活動する冒険者たちも多数動員して行う大々的なものであった。

 

 今、この駐屯地には3桁を超える冒険者たちが集まっていた。

 参加した冒険者たちは強制的に動員されたものではない。ちゃんと帝国から多額の報酬を約束した依頼が出され、それを自らの意思で受けた者達である。

 各々、武器の手入れを行い、装備の確認をし、広大な敷地でトレーニングを行うなどして過ごしていた。中には多少の酒精で喉を潤している者もいたが。

 

 

 現在、この軍の駐屯地に多数の冒険者たちが待機しているのは、ビーストマン討伐の実施に当たり、別の場所で編成を行った帝国軍との合流をこの地において果たすためである。

 

 本来、この砦こそ帝国軍の駐屯地にして練兵場であるため、軍の編成もここで行ってしまえば早いのではあるが、そこには少々事情があった。

 

 

 今、帝国の民衆は突如、自分たちの身に降りかかったビーストマンの襲撃という災厄に怯えている。

 そんな彼らに対し、帝国としての威を見せてやらなければならない。自分たちの国はこんなにも強大な力を有しており、何も心配することは無いのだと示し、安心させてやらなければならない。

 

 そのため、今回討伐に参加する帝国の騎士団は一度、帝都の中にある軍施設において編成を済ませ、そこから大々的に民衆の前を行進して帝都を出立し、そしてこの駐屯地へと立ち寄る予定になっていた。

 そういう訳で、今現在、この駐屯地にいる騎士たちはこの砦の防御、保守を行う最低限の者達しかおらず、人数で言えば帝都からやって来た冒険者たちの方が多い状態となっている。

 

 

 

 そんな戦いにおもむく前特有の高揚感に包まれている彼らの目が、広場を歩く一団へと向けられた。

 

 

 まず目を引くのは、巨大な体躯の魔獣。

 もし襲い掛かってきたら、今、この場にいる全員が力を合わせても、討伐はおろか追い払う事すら難しいような見るからに恐るべき魔獣であるが、そいつは実に大人しく先を歩く者達の背後に控えている。

 その魔獣の前にいるのは、目を見張るような美しい女。燃えるような赤い髪に健康的な褐色の肌の神官。

 そして、やはり皆の注目を一番に集めているのは、その彼女の前。先頭を歩く人物。

 異名の通り、漆黒に輝く全身鎧(フルプレート)を身に纏い、背中には大の大人でも両手で扱うのが難しいような両手剣(グレートソード)を2本背負っている。目にも鮮やかな深紅のマントは風になびき、その動きは身に着けている全身鎧(フルプレート)の重量すらも感じさせぬような軽々としたもの。

 誰もがその凛々しさ、力強さに息をのんだ。

 そして、その首元に(きら)めくのは、冒険者の憧れにして人類の守護者たる証。アダマンタイトのプレート。

 

 

 彼らこそがアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』であった。

 

 

 

 帝都を拠点とするアダマンタイト級冒険者チーム、『銀糸鳥』と『漣八連』が壊滅したという噂は、すでに彼らの間に広まっていた。たとえ、緘口令(かんこうれい)を敷こうとも、蛇の道は蛇。冒険者たちはあらゆる手段手管で情報を仕入れていた。

 さすがにアンデッドの軍勢と戦い、命を落としたことまでは知りはしなかったが、アダマンタイト級冒険者チームがビーストマン討伐におもむき、そして両チームとも死亡したという話は彼らを意気消沈させた。帝国からの脱出を計画する者達も少なからずいた。

 

 そんな時、代わりに帝都に現れたアダマンタイト級冒険者チーム。

 

 その堂々たる振る舞いに、誰もが勇気づけられた。

 すでに幾度か、ビーストマンの群れと対峙したが、彼らは荒波のように襲いくる獣人たちを、まさに鎧袖一触(がいしゅういっしょく)に蹴散らした。

 その勇猛無双(ゆうもうむそう)ぶりを目の当たりにし、彼らがいれば、この国家レベルの大難事すら退けられると誰もが希望を胸に抱いていた。

 

 

 

 そんな彼ら『漆黒』が歩く、その先。

 そちらからどよめきが起きた。

 

 見ると、広場に集まり『漆黒』を遠巻きに見ていた冒険者たち、彼らの人波が二つに割れ、そこに出来た道を一組の者達が歩いてくる。

 

 

 その一団はすべて女性であった。

 美しい鎧に身を包んでいる者、動きやすい装備に身を包んだ者、巨躯の者、小柄な者。

 だが、その首に下げられた冒険者を示すプレート。それは『漆黒』が下げているものと同じ輝きを放つ金属で出来ている。

 

 

 

 衆目の中、二組のアダマンタイト級冒険者チームが対峙する。

 

 どちらも、お互いを値踏みするように視線を絡ませる。

 女性側の1人はピコピコと手を振っていた。

 

 

 そして、伝説として語られる鎧『無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)』に身を包み、有名な『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』を周囲に浮かばせた美しい金髪の女性が先に挨拶をした。

 

「初めまして『漆黒』モモンさんにルプーさん。私たちは『蒼の薔薇』です」

 

 

 

「『蒼の薔薇』……」

 

 

 誰かのつぶやきが、冒険者たちの間にさざ波のように広がっていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 時をさかのぼること数日前。

 

 彼女たちの姿は、帝都アーウィンタールを遠く離れた隣国の王都リ・エスティーゼにあった。

 

 

「どうしたんだ? 急に招集なんてしてよ?」

 

 戦闘の危険がある訳でもなく、彼女らの定宿での集まりであるため、ガガーランはその上半身に鎧を身に着けておらず、白のタンクトップ一枚という姿であり、その逞しい肉体を惜しげもなく晒していた。肉の厚みに内側から押し出され、血管はその表面に浮き出ており、またその筋肉は筋の一本一本に至るまで、まるで巌から削りだした彫刻であるかごときものであった。

 そんな彼女は、日課のトレーニングの最中だったらしい。その金剛石より硬いかと思われる肉を包む肌の上には、まだ汗の粒が浮いており、彼女はそれを布きれで拭った。

 それに対し、向かいの席に腰かけるラキュースは簡素ながら、仕立てのよく動きやすい乗馬服を身に着けており、涼しい顔をしていた。

 そして、彼女は同席している者達を見回した。

 

「依頼よ。それも緊急のね」

 

 そう彼女は『蒼の薔薇』のメンバー全員に告げた。

 

 

 ティアとティナはいつもの飄々とした様子でジュースをすすり、イビルアイもまた仮面をつけたまま、身じろぎもせずに椅子の上に座っている。

 皆、言葉の続きを待っている。

 そして、ラキュースは僅かにブランデーを混ぜた紅茶を一口飲むと続けた。

 

「依頼主はバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。依頼内容は現在、帝国を襲っているビーストマン等の亜人を退治すること」

 

 

 その言葉には、さすがの皆も呆気にとられた。

 ガガーランにティア、ティナ、3者ともあんぐりと口を開けている。イビルアイもおそらくその仮面の下で驚きに表情を変えている事だろう。

 

 

 彼女らが驚愕から立ち直るまで、ラキュースがさらに紅茶を三口飲むほどの時間がかかった。

 

 

「おいおいおい」

 

 ガガーランが言う。

 

「なんだよ、そりゃ? 依頼主が皇帝? しかも、帝国がビーストマンに襲われてる?」

「あり得ないな」

 

 イビルアイがつぶやくように言う。

 

「ビーストマンの生息地は帝国から、険しい山々やカッツェ平野などを挟んだ竜王国のその更に奥だ。竜王国はしょっちゅうビーストマンの襲撃を受けているが、あそこはまだ健在なはず。とてもではないがそういった人間の国や自然の要害を抜けて、バハルス帝国まで襲いかかるとは思えん」

「だよなあ。まあ、大規模侵攻じゃなくて、はぐれものが迷い込んだって可能性もあるけどよ。それにしても、なんで王都にいる俺たちなんだ? 帝国にもアダマンタイト級冒険者はいるはずだろ?」

「『銀糸鳥』と『漣八連』というのがいたはずだな。まあ、彼らは両チームとも少し特殊な編成をしていて、直接的な戦闘能力はアダマンタイト級と呼ばれるには少々疑問が残る程だというが。それでも実力は折り紙付きなはずだ」

「ならなんでだ?」

「知るか」

 

 にべもなく切り捨てるイビルアイ。

 

「もしかして、罠かな?」

「王国の私たちを誘い出して始末する?」

 

 2人の言葉にガガーランは、うーんと呻る。

 それに対し、「まあ、落ち着け」とイビルアイが声をかけた。

 

「でもよお。依頼だからってわざわざ帝国くんだりまでのこのこ行って、着いてみたら剣と槍でお出迎えってのは勘弁してほしいぜ」

「それはまったくだがな。しかし判断はすべての話を聞いてからだ」

 

 ちらりと仮面の奥の瞳を、言葉を投げかけた後、会話に加わらずにいた彼女らのリーダーに向ける。

 

「ラキュース。詳しい話を頼む。冒険者組合で聞いてきたんだろう?」

 

 その言葉に、彼女は半分ほど中身の残ったティーカップを皿の上に置き、話し始めた。

 

「まず、帝国がビーストマンに襲われているという話。これは本当らしいわ。そしてその被害規模も帝国全土に及んでいる」

「確かか?」

「帝都の冒険者組合長の署名入り手紙も添えられてあったわ。ついでに皇帝自らの書状もね」

「皇帝が帝都の冒険者組合長を脅迫した可能性は?」

「絶対という訳ではないけれども、ほぼないと言い切っていいわね。冒険者組合はあくまで国と国との事に関わらず、独立した組織よ。そんな組織を脅しでもしたら、すぐにその噂は広まって、国中の冒険者が他国に拠点を移すわ。帝国では騎士達が怪物(モンスター)退治を行っているから、冒険者の重要性が減っているとはいえ、今の段階で冒険者にいなくなられては困るはずよ」

「ふむ」

 

 イビルアイは黙考する。

 

「でも、帝国がそんな被害に遭ってるなんて聞いたこともない」

「うん。私たちの耳にも入ってきてない」

 

 首をひねるティアとティナの2人。

 

「帝国にビーストマン達が出現したのは半月くらい前の事らしいわ」

「それなら、情報がまだ届いていなくても仕方ないけど、じゃあ私たちへの依頼はどうやって届いたの?」

「皇帝のいる帝都からこの王都まで、だいたい一月くらいはかかるはず」

「〈飛行(フライ)〉を使える魔法詠唱者(マジック・キャスター)を使って最速で届けられたみたいよ。ちなみに私たちが帝国に行く際も、彼らが運んでくれるって事だから数日で行けるわ」

 

 ラキュースの言葉に、ほうと声が上がる。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)を使った輸送か。それも帝国の国内だけではなく、王国でもそれを可能にするとはな。それも、ろくに交渉する時間もなかったろうに、そんな事を認めさせる……。いやはや、一体どれだけの金をつぎ込んだのやら」

「まあ、想像するだけでも気が遠くなりそうなほどね。ちなみに私たちの報酬もよ」

 

 そうして口に出された今回の報酬額に、彼女らは再度唖然とさせられた。

 その金額は、けっして安くはないどころか、それこそ目が飛び出るほど高額なアダマンタイト級冒険者への依頼額としても、普段より桁が一つ違う程であった。

 

 当然、疑問もわく。

 

「なんで、そんな大金を湯水のようにばらまいてまで、俺たちを呼ぶんだ?」

「ああ。先ほども言ったが、わざわざ隣国から我らを呼び寄せずとも、向こうにもアダマンタイト級冒険者チームが複数あるはずだが」

「もしや、超絶美女が私を呼んでいる?」

「もしや、超絶美少年が私を呼んでいるのでは?」

 

 そんな彼女らの疑念に、ラキュースはすでに知らされていた理由を話した。

 

「先ず、理由の一つは今回、遠隔地にいる私たちに指名があったのは、帝都を訪れていたエ・ランテルのアダマンタイト級冒険者チーム、『漆黒』からの推薦があったからだと聞くわ」

 

 その答えに、エ・ランテルにおもむき調査をしていたティアから聞いた話を一同、頭の中に思い浮かべた。

 

「おお! つまり、マイ嫁が私を呼んでいる!?」

 

 ティアの脳内に、かつて行動を共にした事もある、あの『漆黒』の一員、女神官ルプーの姿が甦ってきた。他に類する者などいないと言いきっていいほど美しかったあの赤毛の美女の姿を思い返し、また彼女に会えるとその場で小躍りした。

 対して、美少年の線が消えたティナは、瞬く間にやる気をなくしていた。

 

「そーなんだー。でも、なんでエ・ランテルにいた『漆黒』が帝都に行ってる? それに、たとえ『漆黒』が私たちを推薦しても、どうして皇帝が大金を払ってでも、私たちを呼び寄せる? それも大急ぎで」

 

 やや投げやりな感はあるが、そんな疑問の言葉を口にするティナ。

 彼女と同じ顔であるティアは、「それはこの私に今すぐ会いたいと思う彼女が帝国にねじ込んだからだろう、常考」と、実に理不尽にモンゴリアンチョップを食らわせ黙らせた。

 

 

 そんなやり取りを横目にラキュースは言葉をつづける。

 

「ええ、もちろん。それ以外にも理由はあるわ。……これはまだ極秘にしてほしいんだけどね」

 

 そういって、声を潜める。

 

「実は……帝国のアダマンタイト級冒険者『銀糸鳥』に『漣八連』。どちらも全滅したらしいわ」

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………。

 

 

「「「「はあぁぁっ!?」」」」

 

 

 異口同音に驚愕の声を発する。

 幸い、重要な会議であるため自分たちの会話が他者に聞こえないよう、あらかじめイビルアイにアイテムを使ってもらっていたからいいものの、下手をしたら、とんでもない国家レベルの情報が漏れてしまうところだった。

 

「おい! それは本当なのか!?」

「死体は見つかっていないらしいけど、向こうの冒険者組合長の手紙、そして皇帝直々の手紙を見た分には本当ね。その手紙自体が偽造だとか、組合長が嘘を書かされたとかでもない限りはね」

「一体、どういうことなんだ? そいつらが死んだのも、ビーストマンの襲撃に関連しているのか?」

「関連といえば、関連しているかもしれないわね。彼らはビーストマン退治のために帝国騎士団と行動を共にしていた。その際、現れたアンデッドとの戦闘によって死亡したらしいわ」

「アンデッド? それは一体どんな奴だ?」

「これも伝聞らしいんだけどね。スケルトンや死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、そして見たこともない包帯に包まれたアンデッド、そして――デスナイトらしいわ」

「ぬう……」

 

 唸り声をもらすイビルアイ。

 

「なるほど……アレが相手ならば、そのような事もあるだろうな。デスナイトはアダマンタイト級冒険者チーム1つでようやく抑え込めるかという程度のアンデッドだ。何らかの不確定要素が混じれば、不覚を取ってもおかしくはない」

「それなんだけどね。何やらただの――そのデスナイトとかいうのではないらしいの」

「ん? どういうことだ?」

「そいつなんだけどね。なんでも、魔法を使ったらしいのよ」

「なにっ?」

 

 思わず、彼女は声をあげてしまった。

 

「な、なんだ? その魔法を使うデスナイトというのは?」

「イビルアイも、そういう存在は知らない?」

「聞いたこともないぞ。信じられん。あの白兵能力に優れた化け物が、魔法まで使うとは……。本当にそのデスナイトが使ったのか? デスナイトの他、別のアンデッドなり怪物(モンスター)がいたなどではなくか?」

「そこまでは分からないわね。その辺も含めて、話を聞きたいってことらしいわ。なんでもビーストマンの襲撃が起こるちょっと前なんだけど、帝国で――鎮圧はしたものの――ズーラーノーンらしき組織が邪悪な儀式を行った結果、強大な魔術を使う正体不明の『邪神』が現れたともあるし」

「なんだ、『邪神』とは? それに強大な魔術とはどれだけのものだ?」

「はっきりとは不明だけど第8位階の可能性もあるとか」

「だ、第8位階……だと?」

 

 もはや驚くどころか、あきれたような口調のイビルアイ。

 

「……それも、その皇帝からの手紙にあったのか?」

「ええ。あと、その邪教組織殲滅の時に、謎の女魔法使いとも交戦したとあるわ。あの帝国の主席魔法使いフールーダ・パラダイン含む帝国魔法院、帝国騎士団達を以てしても、たった一人を仕留めきれなかったとか」

「……なるほど。たしかに、一国の手に余るな。なりふり構っていられないというのもよく分かる」

 

 そこでガガーランがさすがに口を挟んできた。

 

「いや、ちょっと待てよ。第8位階なんてそんなもの使える奴なんているのかよ?」

「さて? (いにしえ)の昔の八欲王は使えたと聞くな。今使える者がいるかは知らん」

「お前、信じるのか?」

「正直な話、いささか判断に困るというのが本音だな。しかし、否定も出来ん。普通ならば、馬鹿な話をと笑い飛ばすところだが、……それを送ってきたのは他国の皇帝だぞ。それもあの鮮血帝だ。我々を罠にかけたいのならば、もっとまともな嘘をつく」

 

 

 その言葉には誰もが黙り込んでしまった。

 実にもっともすぎる理屈だ。

 そんな中、イビルアイは幾度も首をひねり考えていたが、ふっと顔をあげた。

 

「デスナイトか……そう言えば、カルネ村に現れたというアインズ・ウール・ゴウンの方はどうなっている? 何か分かったか?」

 

 その言葉に、皆、ハタと以前聞いた話を思い出した。

 

 かつてカルネ村に現れ、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと共に、法国の陽光聖典を倒したというアインズ・ウール・ゴウンなる謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 彼はデスナイトを召喚してみせたという。

 それも7体も。

 

 

 だが、その質問にラキュースはかぶりを振った。

 

「だめね。その後、まったくといって動向の情報は入ってこないわ。ティアが集めた情報が全てね」

 

 

 

 ティアはその魔法詠唱者(マジック・キャスター)に関する情報収集などの任務を帯びて、しばらくの間、単身エ・ランテル方面へとおもむいていた。そして、すこし前にようやく帰ってきたばかりである。

 『蒼の薔薇』の他の面々、特にイビルアイは秘かに侵入しようとしたシャドウデーモンへの対処と警戒のため、王都を離れられなかったからだ。

 

 

 そうして、ティアが集めてきた情報であるが、それは時間的な制約などもあり、断片的なものでしかなかった。

 

 まずアインズ・ウール・ゴウンに関しての情報は無し。カルネ村にも行ってみたが、ガゼフが語った以上の情報はほとんどなかった。せいぜいがその後も時折、使者を通じてカルネ村の運営に関与している、村人には好意的であり、彼らの生存と村の発展の為に力を貸しているというのが分かった程度である。

 エ・ランテルに現れた『漆黒』モモンについては、その素顔すら分からずじまい。しかしティアが見たところ、モモンの戦士としての力量は確かなものであり、またその動作および身のこなしから、疑念が持たれていたモモン=アルベドの可能性はとても低いとされた。

 ダークエルフに関しては、ズーラーノーンの手によるものであるらしかった。ただ、これはモモンが見つけてきた手記にあった記述以上の証拠もない。

 唯一、手掛かりとなりそうなものは、アインズ・ウール・ゴウンと共にいたベルらしき人物が、エ・ランテルにおいて急激に勢力を伸ばしていたギラード商会に関与しているらしいというものであった。八本指を抜けて、ギラード商会に身を移したマルムヴィストらしき人物と共にいたことから、それはほぼ確実と思われた。そして、彼女の知性も、とてもではないが外見通りの年齢に見合ったものとは考えにくいというのがティアの判断であった。

 

 しかし、彼女がエ・ランテルにおもむいていた期間、一人で調べがついたのは、この程度。

 その後、エ・ランテル近郊の、ズーラーノーンの拠点たる迷宮探索におもむいた際、同行していた『天武』のエルヤーというワーカーによって深手を負ってしまい、治療はしたもののそれ以上の調査は出来なくなり、王都への帰還を余儀なくされた。

 あまり長い事、『蒼の薔薇』のメンバーが別行動し続けるというに限界が来ていた事もある。

 

 そしてティアが王都に帰り、フルメンバーとなった『蒼の薔薇』は、その間に溜まっていた依頼を片づけるのに忙殺された。

 

 そうして一月ばかり経ち、あらかた依頼を済ませて、ようやく余裕が出来てきたため、あらためて情報収集を再開しようかと話していた矢先の今回の依頼であったのだ。

 

 

 

「もしかして、その帝国でのズーラーノーンの儀式で呼び出された『邪神』ってえのがアインズ・ウール・ゴウンだったりしてな。そんで呼ばれた後にカルネ村に行ったとか」

 

 冗談めかして言うガガーラン。

 

「うーん。帝国からの書状には、その『邪神』が現れた邪悪な儀式がいつ行われたのかは書いてなかったのよね。しばらく前としか。ただ、ニュアンス的にそれほど前の事じゃないみたいだから、帝国での儀式が原因で現れた『邪神』がカルネ村にやって来た可能性は低いと思うわ」

「やれやれ、別口かねぇ。じゃあ、訳の分からねえ、とんでもない奴らが急にポコポコ現れ出したってのかい? それも最近になって。どうなってんだか」

 

 苦笑するより他にない。

 確かに噂レベルのものも多数あるが、ここ最近聞こえてくる話は信じがたいものが多い。

 

 カルネ村に現れたというアインズ・ウール・ゴウン。彼と共にいた、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと互角に戦う少女ベル。伝説クラスのアンデッド、デスナイト。アインズ・ウール・ゴウンとの繋がりを推測されるアダマンタイト級冒険者『漆黒』。強大な魔法を使う、謎のダークエルフの少年少女。最近になって活動が活発となったズーラーノーン。フールーダや帝国騎士団らと渡り合うような女魔法使い。そして第8位階魔法を使う『邪神』……。

 

 何故、こんなにも突然、これまで伝説でしか聞くことのなかったような奇妙な存在が表に出てきたのか?

 一同、困ったものだと嘆息した。

 だが、その中でただ一人、仮面の吸血鬼だけは脳裏に引っ掛かるものがあった。

 そして、雷光のように閃いた。

 それは200年来の知り合いであり、彼女をして頭が上がらない存在である老婆から聞かされた話。

 

「突然現れた強大な存在達……。第8位階を使う存在……。第8位階魔法、人間では到底到達できぬ高み……確かにそれほどの魔法を使えるのならば、デスナイトをすら召喚できるやもしれん。……まさか……まさか、100年目か? あいつが言っていた……100年というやつか……? よもや本当に……いや、もし本当だったとしたら、おかしくはない……」

 

 急に黙り込んだかと思うと、その仮面の下でぶつぶつとつぶやきだしたイビルアイ。そんな姿を仲間たちは不審げに見つめていた。

 

 

 

 パンパンと手を打つ音が響く。

 皆がラキュースの方に目を向ける。

 

「いくら考えても、これ以上は想像の範疇を出ないわね。とりあえず、この依頼を受けるかどうかを考えましょう? 向こうは急いでいるみたいだから、断るなら断るで返事だけでも、急がなきゃならないしね」

 

 ガガーランはがっしりと腕を組んで、考え込む。

 

「問題は場所が帝国って事だよなぁ」

「ええ、行きは魔法で運んでくれるらしいから数日で向こうに辿り着けるけど、帰りもそれをやってくれるかは分からないわね」

「とすると一月以上、いや、そのビーストマン退治の進捗(しんちょく)によってはそれこそ、何か月も王都には戻れない可能性もあるな」

「まあ、あらかた依頼は片づけたから、今のところ取り立てて私たちじゃなきゃダメなような依頼はないけどね。それに今は王都におじさん達も帰ってきているし」

「……『朱の雫』か。まあ、そっちがいるなら、大丈夫かもな」

 

 思考の海から戻ってきたイビルアイが頷きつつ言った。

 

「例の王都に侵入しようとしてきたシャドウデーモンだが、結局あれ以来、影も形も見えん」

「はっ! 影の中に姿を隠せるシャドウデーモンだけに影も形も見えない」

「狙ったわけじゃないわ! まあ、とにかく、現状で私たちがこの王都にいなければならないというようなことは無いな」

「じゃあ、受ける?」

「……受けてもいいかもしれん。今、帝国には『漆黒』がいるのだろう? アインズ・ウール・ゴウンの調査もあるから、直接話を聞いてみてもいいかもしれん。あくまで、私一人だけになるが、転移で王都には戻れるしな。……ところで、帝国まで魔法で運ぶにしても、アゼルリシア山脈を直接越えるのではないだろう? どう行くのだ?」

「北に行って海越えはないでしょう。たぶん山脈の南側、エ・ランテル経由だと思うわ」

「なら、エ・ランテルでその何とかいう商会に関わっているというベルという少女に会えるか? 奴はほぼ確実にアインズ・ウール・ゴウンの関係者なのだろう?」

「うーん、でも冒険者組合を経由してきた帝国としては、とにかく急いで来てほしいという感じだったわ。宿の関係で、エ・ランテルには寄ると思うけど、そこで数日滞在とかはなさそうね」

 

 ちらりと先にエ・ランテルに行っていたティアに目を向ける。

 ぷるぷるとティアは首を振った。

 

「ギラード商会と渡りは取れるかもしれないけど、そこで上手くベルにまで会えるかは微妙。というか難しい」

 

 ティアとしてもエ・ランテルに滞在していた時、せっかく運よくベルという少女と接触したというのに、同席したアレックスという少年に邪魔された苦い経験から、再度、あの少年抜きで会いたいと八方手を尽くして画策したのである。だが、結局その後、一度も会えずじまいであった。

 今回の日程を考えるに、せいぜいエ・ランテルにとどまるのは一晩程度。その間にまた会えるかというと、幸運を祈る以外にないというのが本当のところであった。

 

 

「まあ、そちらはついでになるけどね。とにかくこの件、依頼として受けましょうか?」

「おけー」

 

 即座にティアは両親指を立てて賛成した。

 心はすでにルプーの事ばかりである。

 

「まあ、いいんじゃないか? とにかく、帝国の事とは言え、人間がビーストマンに襲われてるってんだろ」

 

 と、ガガーラン。

 

「そうだな。先ほども言ったが、『漆黒』モモンと直接話してみたい」

 

 イビルアイも賛同する。

 

 残るはティナだが、彼女は肩をすくめただけであった。つまり、賛成でも反対でもなく中立。

 

 自分を除いた4人のうち、3人が賛成、1人が中立。

 その結果にリーダーであるラキュースは決断した。

 

「ええ。じゃあ、この依頼を受けましょう。依頼主である帝国としてはとにかく一分一秒でも早くっていう事だから、皆、急いで準備して。1時間後に冒険者組合で集合しましょう」

「あのお姫様にはどうする?」

 

 わずかに考え込む。

 

「そうね。さすがに……これから直接伝えに行くのは難しいわね」

 

 ラナーがいるのは王宮である。当然、今のような服装でふらっと行ける場所ではない。

 一度邸に戻り、正装に着替えてから、王城へ行かねばならない。そして話した後は、また邸に戻って旅装に着替えて、という事をやっていたら、それこそ半日がかりになってしまう。

 

「うん。ラナーには手紙で知らせとくわ」

 

 そう言って、ラキュースは席を立った。

 なんだかんだ言って、準備に最も時間がかかるのは、冒険者の宿に泊まっているわけでもない彼女である。移動時間といい、ラナーへの手紙を書く時間といい、無駄に出来る時間はない。

 

 

 そして、その日の夕刻。

 ラナーがラキュースから送られた手紙を読んだ時、彼女らはすでに王都を発っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 なんの飾りもなく、頑丈ではあるが粗末なテーブル上に、紅茶の入ったカップが置かれる。

 けっして高価なものではなく、香りたかくはないが、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 

 皆にお茶を出し終えた後、盆を脇の台に置き、赤毛の彼女は自らもティーカップの置かれたその前へと腰かけた。

 

 

 そうして、2組は視線を交えた。

 どちらも無言のまま、時が過ぎる。

 両者の間には、相変わらず奇妙な緊迫感が漂っていた。

 

 このいたたまれないような沈黙に耐え兼ね、ルプスレギナにお茶を入れさせたのだが、残念ながら、空気を変えることは出来なかったようだ。

 

 沈黙の中、室内にいる7人の中で1人だけ目の前に紅茶の入ったカップが置かれていない、モモンことアインズは、このお見合い状態を解消するにはどうすればいいかと必死で頭をひねっていた。

 

 

 ――と、とにかく、何かの話を振るべきだ。

 

 アインズは沈黙の中、先ず場を(なご)ませねばと考えた。

 何かいい話題はないかと思考を巡らせる。

 営業職としての経験からいって、もっとも無難なのは天気の話題である。時事ネタとなると、今はとにかくビーストマンの話題になってしまうため、雑談の域を超えてしまう。食べ物の話題は駄目だ。彼女らは王都から来たという事だから、王都の美味しい店や食べ物の話を聞くというのは本来、悪くない手なのだが、飲食が出来ないアインズはこの世界にどんな食べ物があって、どんな味がするのかが分からない。ずれた回答をしてしまい、更にしらけさせてしまう可能性もある。

 

 ――この場で提供するのに、最も適した話題は……。

 

 

 彼らのいる一室、窓にはガラスなどという高価なものは()められてはおらず、ただ木板がつっかえ棒で押し上げられていた。その為、がやがやといまだ興奮冷めやらぬ外の声がここまで届いていた。

 

 その内容を耳にしたアインズは、これが手っ取り早いと、先ほどの試合をネタにする事にした。

 

「いや、それにしても皆さんの戦い方は見事でしたね」

 

 

 

 外にいる冒険者たちが声を高くして談義している内容。

 それは先ほど、互いの実力を計るために行った模擬戦の事だった。

 

 

 『漆黒』モモンの大剣(グレートソード)二刀流。ルプーの素早く突進しては、また一瞬で距離をとる一撃離脱の戦術。ハムスケのその巨大な体格に見合わぬほど素早く、かつその巨大な体格に見合った力強い戦い方。

 そして、対するは『蒼の薔薇』のラキュースの『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』。ガガーランの膂力だけではない刺突戦槌(ピック)捌き。ティアとティナの蝶のように舞い蜂のように刺す、素早く華麗に死角をつく動き。 

 

 それらを目の当たりにした冒険者たちは、試合が終わった今もなお、熱気がいまだ冷めやらぬ様子で、彼ら『蒼の薔薇』と『漆黒』の戦いを語り合っていた。

 

 

 

 上手くいくかと息をのみながらの一言であったが、幸い、『蒼の薔薇』のガガーランがそれにのってきた。

 

「そりゃあ、お前さんらもな。一応、3対4だったのに、仕留めきれないとはなあ。ウチは一人減らしてたとはいえ、全員でやってても勝てたかどうか」

「いや、偶然ですよ、ガガーランさん」

「おいおい、そんな謙遜なんてすんなよ。それから、そんな喋り方なんて止めな。同じ冒険者だし、アダマンタイト級同士だろ。『さん』づけもいらねえって」

「む……? あー、そうだな。では、口調を崩させてもらうか」

「おう、そうしてくれや。それにしても、お前らって2人、あの魔獣を入れてもたった3人か。まあ、あれくらい実力があれば、そんな人数でもやっていけるか」

「ああ、なんとかな。しかし、先ほども言ったが、そちらの戦い方も見事だったな。各自、素晴らしい連携だった」

 

 ガガーランの気安い口調と何とか会話が続いたことに、上手くいったかと内心で胸を撫でおろし安堵しかけた所へ、別の者が口を挟んできた。

 

「やれやれ、それは皮肉か? 横から見ていたが、お前は全力を発揮してなどいなかっただろう?」

 

 話しかけてきた仮面をつけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、視線を巡らせる。

 

「本当の命を懸けた戦いではないからな。余力はこの後のビーストマン退治にとっておくべきだろう」

「たしかにそうだな。しかし、これから自分の背を預けて戦うのだ。もう少し、互いの事を知っておくべきではないかな?」

「もっともだ。私もあなたの実力が知りたいな、イビルアイさ――イビルアイ」

 

 

 先の試合であるが、イビルアイだけは参加していなかったのだ。あくまで本当の戦いではなく模擬戦であり、魔法を使う訳にもいかないため、魔法詠唱者(マジック・キャスター)という事になっている彼女は戦闘には参加していなかったのだ。

 その為、彼女だけはその実力を見せぬままとなっていた。

 

 発した言葉を逆に自分に返された形となり、イビルアイはアインズの顔をじっと見据えた。

 

「私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのでな。下手に魔法を使って、魔力を消費するのは拙いであろう。まあ、さすがに今日のうちに、そのまま出撃して戦闘にはならんとは思うが、用心にな」

「とりあえず、どれくらいの魔法が使えるんだ?」

「まあ、それなりだな?」

「それなりとは?」

「アダマンタイト級にふさわしいくらいだな。なぜ、そんなにも気にする?」

「あなたが言った事ではなかったかな? 『これから背を預けて戦うのだ。もう少し、互いの事を知っておくべきではないかな』、と」

 

 一触即発とまではいかないが、腹を探り合うような会話をつづける2人。

 

 

 正直、アインズとしては、何故、こんなにもピリピリとした空気が流れているのか、さっぱり分からなかった。

 これまで幾多の冒険者と出会ってきた。一足飛びにランクを駆けあがった自分に対して、嫉妬に近い視線を浴びせかける者もいたが、ほぼ初対面でこのような、野生の獣を前にしたかのような用心深い態度をとられるのは初めてであった。

 やはり同じランクの商売敵だからだろうか? イビルアイ以外の面々も、何やら緊張しているような、警戒の空気を漂わせている。

 

 ちらりと、以前に親交のあるティアへと視線を巡らせると、彼女はその顔に何やら据わりの悪そうな表情を浮かべていた。

 

 

 

 何故、『蒼の薔薇』がここまで『漆黒』を警戒しているかというと、その原因の一つは、この駐屯地に来る前の事。

 

 帝都についた彼女らは真っ先に皇帝ジルクニフと面談した。

 その際、帝都のアダマンタイト級冒険者チーム『銀糸鳥』と『漣八連』の死の真相を教えられた。

 すなわち、この地にやって来た『漆黒』モモンが『蒼の薔薇』を帝都に呼ぶよう進言したのだが、それを帝都には『銀糸鳥』と『漣八連』がいるからと断った。そうしたら、その日の晩に、帝国騎士団と共にビーストマン退治におもむいていた彼らは、デスナイトを始めとした謎のアンデッド集団の襲撃に遭い、全滅したのだと。

 おそらく、『漆黒』はそのアンデッド達とつながっている。『蒼の薔薇』も身の周りには十分注意するようにと忠告された。

 

 普段であれば、自らの治める国家が窮地に陥った皇帝の疑心暗鬼からの妄言と切り捨てるところであったのだが、彼女らとしてはそう言いきれない理由があった。

 どうやら帝国はまだ情報を掴んでいないようだが、『漆黒』モモンはカルネ村でデスナイトを召喚した魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンと繋がりがあるのではと、推測されている。

 『漆黒』の都合のいいようにデスナイトが動いても、なんら不思議な事ではないのだ。

 

 自分の命を狙っているかもしれない相手に、胸襟を開き、手の内をさらす訳にもいかない。

 その為、『蒼の薔薇』としてはモモンの事を警戒し、最大戦力であるイビルアイの実力を隠していたのだ。

 

 

 そして、イビルアイにはもう一つ、彼らに対し、細心の注意を払う理由があった。

 

 

 一挙手一投足まで値踏みするような、イビルアイの視線はアインズの頭部を覆い隠す漆黒のフルヘルムから動かない。

 

「常在戦場もいいが、その兜は取らんのか?」

「申し訳ないが、宗教上の都合でな。あなたこそ、冷めないうちにその仮面を外して飲んだ方がいいのでは?」

 

 仮面をかぶったままの彼女に、紅茶を勧める。

 再び、2人の視線が交錯する。

 

「宗教といったが、どのような宗教なのだ」

「私の故郷の宗教だよ。食事や肌をさらすことに関しては禁忌が多くてな」

「ほう、興味深いな。詳しく教えてくれないか?」

「……すまんが、今、するような話とは思えんな。宗教の話は争いになることが多い」

 

 微かに苛立ちのこもった声色に、イビルアイは肩をすくめ、言った。

 

「それはすまんな。私はてっきり、お前がその(ヘルム)を取らないのは、てっきり見られては拙い顔だからかと思ったのだよ」

「……私は犯罪者ではないかと?」

「いや、違うさ。その鎧兜に隠された中身、それはもしかして異形種ではないかと思ったからさ」

 

 

 その言葉に思わずアインズは、わずかではあるが、身じろぎしてしまった。

 

 

 ――何故、異形種といった? 普通ならば、まず亜人種を疑うべきところだろう。それなのに、異形種だと? こいつは一体、何を知っている?

 

 

 それはあくまでカマかけに過ぎなかったのだが、アインズの動揺を見て取ったイビルアイはさらに言葉をつづける。

 

「モモンよ。お前は、しばらく前にエ・ランテルにやって来たのだよな? 一体、どこから来たんだ?」

「……遠くからだ」

「遠くとは?」

「……素性の詮索は冒険者にはご法度ではないのか?」

 

 イビルアイは再度、その小さな肩をすくめ、先ほどと同じ調子で言った。

 

「それはすまないな。私はてっきり、お前はユグドラシルから来たのではないかと思ったのだよ」

 

 

 

 その言葉は衝撃的であった。

 

 不意に投げかけられた爆弾に、さすがに取り繕うどころではなく、電流に撃たれたかようにビクリと体を揺らしてしまった。

 

 

 無言のまま、仮面の奥の視線を漆黒の鎧に向けるイビルアイ。

 対してアインズは、出るはずの無い冷や汗が全身に溢れ出すような感覚を覚えていた。

 

 先ほどまでとは違った意味で緊迫した空気の中、イビルアイは遂に本題を切り出した。

 

 

 

「なあ、モモン。……お前は『ぷれいやー』もしくは『えぬぴいしい』と呼ばれる存在なのか?」

 

 



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第64話 皆殺しのトランペット

 そこはかとなく残酷な描写があったりなかったりしますので、ご注意ください。

2016/11/24 「子山羊」→「仔山羊」、「~来た」→「きた」、「最認識」→「再認識」、「光輝く」→「光り輝く」、「いつもどうり」→「いつもどおり」、「1月」→「一月」、「立つつづけ」→「立てつづけ」、「負傷を直す」→「負傷を治す」、「持って」→「以って」、「使えて」→「仕えて」、「直線状」→「直線上」、「身目麗しく」→「見目麗しく」
2017/1/5 会話文の最後に「。」がついていたので削除しました


 モモンことアインズは自分たちに割り当てられた個室で椅子に腰かけていた。

 傍らにはルプスレギナが控えていたが、彼女から投げかけられる困ったような視線には頓着(とんちゃく)すらせず、ただ独りうなだれたまま、先ほどイビルアイから語られた話を、幾度も頭の中で反芻(はんすう)していた。

 

 ルプスレギナは、そんな主の姿を前に、声をかけることも出来ず、まごまごとしていた。

 

 

 そんな折、〈伝言(メッセージ)〉が届く。

 アインズはその魔法の回線を繋げる。

 

《やあ、どうも、アインズさん》

 

 友人の声がアインズの脳裏に響く。

 

《今、大丈夫ですか?》

《……ええ、大丈夫ですよ》

《そうですか。えーとですね。こちらの方はもう準備万端ですよ。それに向こうの方も、ちょうどいいタイミングです。ちょっとの間、そちら抜けられますかね?》

《今、ルプスレギナと部屋にいたところですから……〈転移門(ゲート)〉を使っても問題はありません》

《そりゃ、良かった。じゃあ、打ち合わせ通りにお願いしますね》

 

 だが、アインズはその言葉に、即座に返事が出来なかった。

 

《? アインズさん?》

 

 急に黙り込んだアインズに、どうしたんだろうと声をかけるベル。

 

《どうしました?》

《……あの……ベルさん。ちょっと話したいことがあるんですが……》

《話ですか?》

 

 ベルは思案気に、「んー……」と声を漏らした。

 

《ええっと。それって、今回の帝国殲滅作戦、最終段階に関係あります?》

《いえ、直接は関係ないんですけど……》

《じゃあ、すみませんが後でいいですかね? とにかく、今が絶好のタイミングなんで、この機を逃す手はありませんよ》

 

 魔法越しにも、少女のはずんだ様子が(うかが)い知れた。

 

《ベルさん。……楽しそうですね》

《ええ。そりゃ、もちろん!》

 

 ひときわ大きな思念が届く。

 

《いやぁ、これは見物ですよ! なんせ、超位魔法ですよ! リアルになった超位魔法なんて、一体どんな感じなんだか。うはは、興奮しますねー!》

 

 まるで素敵なパーティーがこれから始まるかのように、その少女が一片の他意もなく本当に楽しそうに笑っているのが感じられた。

 

《あの……ベルさん》

《なんです?》

《今回の作戦って……人が死にますよね》

《ええ、そりゃもう。たっくさん、人が死にまくるでしょうね! いやあ、今から楽しみですね》

 

 何の思うところも、良心の呵責などかけらほども感じられないその言葉に、アインズは苦悩する。

 

《本当に……今回の事ですが、やっていいんですかね?》

 

 なんだか先ほどから煮え切らない様子のアインズに、ようやくベルは妙なものを感じ、不審げに尋ね返した。

 

《ん? どうしたんですか? 急にそんな事言いだして》

《いえ、本当に帝国を滅ぼしてしまっていいものか……》

《いやいや。何、言ってるんですか》

 

 ベルは嘆息した。

 

《いまさら、何を言ってるんですか。もう皆、準備を終えているんですよ。忘れたんですか? あいつらがした事を。ナーベラルがあいつらに寄ってたかって袋叩きにされた事を》

《もちろん憶えていますよ。忘れられるものですか》

 

 あの時、ボロボロとなってナザリックに戻ってきたナーベラルを見たときの怒りは、今もアインズの心のうちにある。あの時の姿を思い返すだけで、胸の奥底にある憤怒の熾火(おきび)が再び燃え上がってくるのが感じられた。

 ナーベラルを始めとしたNPC達はかつてのギルメンたちが残した忘れ形見。彼らの子供のような存在だ。

 

《ナーベラルにあのような事をした相手を、けっして許せる訳がありません》

 

 迷いを振り払い、固い決意を胸に秘めた言葉に、ベルは相好(そうごう)を崩したようだった。

 

《ええ、そうですね。許せませんよね。これはそのままにしておくって訳にもいきませんよね。じゃあ、やりましょう。復讐してやりましょう。復讐するは我にありです。ちょうど今、最高の機会ですよ。もう、これ以上ないという程に! それじゃあ、お願いしますねー》

 

 そう言うと、〈伝言(メッセージ)〉は切れてしまった。

 

 

 残されたアインズは、しばらくそのまま(たたず)んでいたものの、やがて立ち上がると、その身を包む漆黒の鎧を掻き消した。

 その場に現れたのは豪奢なガウンに身を包んだ、死の支配者(オーバーロード)

 

 彼はゆるりと、同室にいたルプスレギナの方へと振り向いた。

 

「しばし、出てくる」

 

 そう言い残すと彼は、出現させた〈転移門(ゲート)〉の暗黒へと身を躍らせた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 今日の帝都は、にぎやかにして、人々の活気にあふれていた。

 ここ最近はなかったことだ。

 

 市場には威勢のいい物売りの声が響き、それを買い求める者達がひしめいているのが、ここ帝都アーウィンタールの日常であった。

 しかし、最近は街中を歩く人の数も半減し、少なくない者が家の中で息をひそめるように過ごしていた。それでも、生きていくうえで多種多様な用事に迫られる。そうした時には、仕方なしに彼らは出歩かざるを得ない。そうして、通りを急ぎ足で行き交う人々の顔。その顔には暗い影が差していた。彼らの心のうちには、いまだ自分たちを襲う災厄、ビーストマンに対する恐怖が重くのしかかっていたからだ。

 

 ビーストマンの襲撃。

 それはこの帝国を突如として襲った災厄であった。

 強靭な肉体をもち、人間を捕食するという残忍な性質を持つ亜人。

 その噂は伝え聞いてはいたものの、それはあくまで遠い異国の話でしかなかった。この帝国が、自分たちが襲われるとは夢にも思っていなかった。

 しかし、その脅威が突然、現実として彼らの上へと降りかかってきたのだ。

 街と街を行き交う行商人たちから、帝国のあちこちで亜人たちの襲撃があり、多くの村々が襲われ滅んだという噂が流れてきた。その話を耳にした帝都の民衆は、その話には心胆寒からしめられながらも、あくまで街の外に恐るべき魔物が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになったという認識でしかなかった。

 帝都の外にいる同胞たちを心配しながらも、自分がその牙にかかることなど想像していなかった。

 

 だが、10日ほども前の事、突如として、この帝都内にまでビーストマンの群れが現れたのだ。

 彼らがこれまで目の当たりにした事もない、野蛮かつ凶暴なるその姿。そしてもたらされた無慈悲なる殺戮に、彼らは恐怖に(おのの)いた。

 幸いな事に、数度の襲撃は街にいた冒険者や駆けつけてきた騎士団によって食い止められたものの、いつ再び自分に、自分の家族たちにその凶刃が襲い掛かるかと思うと、気が気ではなかった。

 誰もが恐怖に震え、あの邪悪な蛮族たちから自分たちの身を守ってくれることを、神に祈っていた。

 自分たちはあくまでひ弱な人間でしかなく、凶暴な怪物(モンスター)に怯える脆弱な存在でしかないという事を再認識し、戦々兢々(せんせんきょうきょう)として日々を過ごしていた

 

 

 しかし、それも今日までだ。

 

 ついに自分たちの帝国が動く。

 帝都の冒険者たち、そして帝国軍が大々的なビーストマン討伐におもむくのだ。

 今日、この後、出立(しゅったつ)する帝国騎士団が大通りを行進する事になっている。その様を一目見ようと、これまでビーストマン襲撃の恐怖におびえ、外出を控えていた者達が、ぞろぞろと街中にあふれだし、帝都の街路は早くもものすごい人波に埋め尽くされていた。

 

 

 そうして集まった彼、彼女らの表情には恐怖の色など欠片も感じ取れなかった。

 

 今はまだ。

 

 

 

 そんな帝都上空。

 あたたかな日差しが降り注ぎ、白雲がたなびき、心地よい風が吹き抜ける蒼空に、ポツンとシミのような黒い点が現れた。

 

 その事に地上を行き交う者達の大半は、気がつくことなど無かった。

 わずかに目に留めたものはいたが、鳥か何かと思い、すぐに興味を失った。

 その為、その黒い点の周りに、ほんの一瞬だけ、奇妙な文字が浮かび上がった蒼白い魔法陣が出現し、そしてすぐに消えたことに気がつく者はほとんどいなかった。

 

 たとえ、いたとしても、その事を(のち)に誰かに伝えることなど出来はしなかっただろう。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――各員、この作戦こそ、帝国の存亡をかけたものであるという事を意識してもらいたい!」

 

 若くはないが、張りのある声が帝都の軍施設内に響く。

 帝国において、その名を広く知られる将軍、ナテル・イエニム・デイル・カーベインの目の前に広がるのは、天高くにある陽光を受けて輝く金属の海。

 今、彼は自らが率いる帝国第二軍、並びに第四軍を前に訓示を行っていた。

 

 今回のビーストマン討伐には帝国に8つある騎士団の内、2つまでも動員して行われる大規模な作戦であった。

 そこに不動の姿勢で整列する者達。まばゆいばかりの輝きを放つ甲冑に身を包んだ騎士達は、日々、厳しい訓練に耐えてきた者達である。皇帝直属の近衛騎士団には若干劣るが、誰もが武勇に優れた精鋭ぞろい。この場において姿勢を崩す者など一人たりともおらず、皆、帝国の民草を守るために悪辣(あくらつ)極まりない獣人どもを打ち倒そうと意欲に燃えていた。

 彼らが(またが)る軍馬たちは、その一頭一頭に至るまで、美々しい甲冑と金の留め金で身を飾られている。よく訓練されているらしく、これほどまでの数がいながら(いなな)き一つ立てようとはしなかった。

 居並ぶ彼らの後ろには、目も冴えるような赤地に光り輝く金糸で紋章が縫い上げられた旗が堂々とした威容で翻っている。それは帝国の正規軍である証。また、これから帝都の民衆の前を行軍するため、彼らの持つ槍には青赤黄といった色とりどりの槍旗が(なび)いていた。

 

 まさにその姿は、他に類する者などいないと断言できるほど、絢爛(けんらん)にして無双たる軍団。

 バハルス帝国が誇る勇壮にして精強なる騎士団。

 その姿を前にした将軍たちは、彼らをして制圧できぬ敵などいようはずもないと、今回の作戦に自信を深めていた。

 

 

「諸君! 我らが振るう剣は、ただ我らのものにあらず、それは……」

 

 カーベインが居並ぶ者達を見回しながら、そこまで言いかけた、その時――。

 

 

 ――段上に立つ彼の視界に奇妙なものが目に入った。

 

 

 あれは一体なんだと目を凝らす、その先。

 黒い影のような霧のようなものが地表を滑るように走ってきた。

 

 そしてその影は、彼が警戒の声をあげるより早く、整列する帝国軍を背後から飲み込んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「な、なんだ、あれは! なんだ、あれはぁっ!?」

 

 バハルス帝国皇帝ジルクニフは、限界まで目を見開き、驚愕の叫び声をあげた。

 その顔は普段の取り繕った様子など欠片もない、自身の常識に当て嵌まらぬものを前にした人間が浮かべる、ひどく凡庸としたものであった。

 

 皇帝として、ジルクニフは目の前で起こっている事になんらかの対処を指示すべきであったのだろう。

 だが、あまりの事態を目の当たりにし、彼はただ痴人のように呆けて見ている事しか出来なかった。

 

 だが、彼一人を責めるわけにもいくまい。

 責められる者などいようはずもない。

 その場にいた誰もが、彼と同じようにあんぐりと口を開けて、ただ茫然とするより他になかったのだから。

 

 

 

 今、彼らの眼前で繰り広げられている光景。

 帝城の一室。眼下に帝都の様子が一望できるその部屋のバルコニーに立ち尽くす彼らの前では、突如現れた、見た事も聞いた事もない奇怪にして強大な巨獣、それも1体ではなく3体もの怪物(モンスター)が、彼の治める帝都をまるで積み木細工を蹴散らすかのように破壊していた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 帝都に悲鳴が響く。

 それに続くのは建物が粉砕され、石畳の街路が重いもので踏みつぶされる音。

 

 

 ビーストマン退治の為に出征する騎士達。それを見送ろうと集まった民衆達のただ中へ現れたのは、ねじくれた触手を束ねたような姿にして、その体中に無分別に浮かび上がった口から厭らしいよだれを垂らし、羊のような鳴き声を発する、これまで悪夢の中でしか見たことのないような(おぞ)ましい姿の巨大な魔獣であった。

 

 そいつは、その身の触手をやたらめっぽうに振り回し、その進路にある全てをその蹄の生えた短い脚で踏みつぶしながら、暴れ出した。

 

 

 集まった民衆はパニックに陥った。

 誰もが我先にと逃げ出し、街路という街路は恐慌のままに走る群衆で押し合いへし合いしていた。

 そして、そんな身動きも満足に取れない所へ、超位魔法〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉によって召喚された黒い仔山羊は突進した。

 

 

 地にひしめく虫けらを踏みつぶすかのごとき様相。

 

 男も、女も、老人も、子供も、善人も、悪人も。

 

 その魔獣の圧倒的なまでの力の前に、全てが等しく赤い血の滴る肉塊へと変えられていった。

 黒い仔山羊が通りすぎた跡は、まるでワイン造りの際、乙女が行うというブドウ踏みの樽の中のような有様であった。

 

 

 

 

 そんな中、必死で逃げる姉妹の姿があった。

 

「きゃあっ!」

 

 年若い女性が脇を駆け抜けた男に押され、道に転がった。立ち上がろうとする彼女の背から、さらに多くの人々が押し寄せる。

 

「ネメル! しっかり!」

 

 パナシスは転んだ妹に手を差し伸べ、力を込めて立ち上がらせる。

 そして、彼女をその腕に抱え、必死で走り出した。

 

 はあはあと息が切れる。

 心臓が早鐘(はやがね)にように打ち鳴らされている。もう今にも破裂しそうなほどだ。

 駆ける足はすでに重く、鉛のよう。

 額に浮いた汗が顔を伝って目元に流れ、目に痛みを覚えるが、それにも構わず妹を抱いて走り続けた。

  

 腕の中で鼻をすする音が聞こえる。

 妹は、ネメルは泣きながらも必死で駆けている。

 そしてパナシス自身も、その視界を歪ませているのは汗ではなく、彼女自身の涙だというのは分かっていた。

 

 

――なんで? なんでこんなことになるのよ!

 

 何故、こんなことになっているのか、彼女はさっぱり分からなかった。

 勤め先が無くなり暇していた彼女はせっかくだからと、騎士団の勇壮な(さま)を見物しに、妹と共に軽い気持ちで出かけただけだったのだ。

 

 それが今や、見たこともない巨大で恐ろしい魔物に追い廻されている。

 

 まるで、悪い夢の中にいるようだった。

 通りは逃げ惑う人々で一杯であり、どこに行くかは分からないが、その流れに乗って走るより他になかった。

 

 

 そんな彼女たちの後ろから、ズシンズシンという重い音が近づいてくる。

 

 パナシスは懸命に走った。

 今までの人生で、これほどまで必死になったことは無いという程、足を動かした。

 だが、その音は離れることなく、どんどん近づいてくる。

 そして、同時にグチャグチャという、何かを潰すような音も聞こえてくる。

 

 

 不意に、ブンという風切り音と共に、彼女達の前にいた人々がいなくなった。

 追いついてきた仔山羊がその触手で先を行く人間たちを薙ぎ払ったのだ。

 弾き飛ばされた人間は、ごみくずのように吹き飛んで脇の建物へとぶつかり、その壁に大輪の花を咲かせた。

 

 

 足は恐怖で凍り付き、パナシスはその場から一歩も歩けなくなってしまった。背筋に走る怖気のままに身体を震わせながら、ゆっくりと後ろを振り向く。

 彼女の目と鼻の先で、醜悪な魔物がその象のような足を振り上げていた。

 

 パナシスは妹の身体を強く抱きしめた。

 歯の根が噛みあわぬほど、がちがちと震える。

 

 

 ――大丈夫。

 この前……。

 ビーストマンに襲われそうになったあの時、あの人は助けに来てくれた。

 きっと……。

 きっと今回も、冒険者『漆黒』のモモンさんが助けてくれる。

 

 

 彼女はそう信じ、ぎゅっとその目をつむった。

 

 

 

 当然、助けてくれる者などいようはずもなく、パナシスとネメルは抱き合ったまま踏みつぶされ、死んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「くそっ! ふざけおって!」

 

 どんとテーブルに拳を叩きつけ、悪態をついた。

 立派な髭に隠されたその顔は、ようやく娘に殴られた時の青あざが見えなくなったところだ。

 

「アルシェめ! このフルト家の事を何だと思っている! あの親不孝者が!」

 

 ギリリと歯ぎしりをする。

 

「落ち着いて、あなた」

 

 傍らに座る穏やかな顔つきの中年女性、彼の妻が優しく声をかけ宥める。

 

「ちょっと、難しい時期なのよ。いつかあの子も分かってくれるわ」

 

 彼女は優しく温厚であり、慈愛の精神の持ち主であったが、それはあくまで貴族としての思考の範疇を超えることは無かった。彼女は娘や家族の事を大切に思ってはいるが、未だに自分たちの置かれている状況や娘たちの苦悩も本当のところで理解などしていなかった。

 

 いつか、立派な貴族の下に嫁ぎ、子を産む。

 それが女の幸せとしか考えていなかった。

 

 

 そんな妻の言葉であるが、それは彼の怒りを収めるには至らない。

 憤懣やるかたなしといった(てい)で、幾度も目の前のテーブルにあたる。

 特に鍛えたこともないその手は、固いテーブル相手にすぐに痛みを訴え、そのような行為を止めることを余儀なくされた。

 

 彼は腹立たしさを別の事で紛らわせようと考えた。

 

「おい! ワインを持ってこい!」

 

 そう声をあげる。

 しかし、その言葉はただ室内にむなしく響いた。

 

 

 その事に、彼はさらにむかっ腹を立て、渋面を浮かべた。

 

 

 もう一月近く前の事だが、執事のジェイムスが逃げ出したのだ。

 それも何も言わずに。

 長年、フルト家に仕え、大恩がある身ながら、言伝一つもせずにいなくなったのである。それも、ウレイリカと共に。

 

 ――ウレイリカを攫っていったな。あの恩知らずめが!

 

 彼は再度怒りに身を震わせた。

 いつもどおりアルシェが金を稼いで戻ってこなかったために、借金のカタとしてクーデリカを引き渡さねばならなかった。アルシェが帰ってこなかったら、残るウレイリカに適当な男を見つけて結婚させ、このフルト家を継がせなければならなかったというのに、そのウレイリカを連れ去られてしまったのだ。

 

 このままではフルト家が断絶してしまいかねない。 

 彼はその想像に、目の前が真っ暗になった。

 

 

 そうして、絶望の日々を欝々と過ごしていたところ、のうのうとアルシェが帰ってきたのだ。

 

 彼は怒りに打ち震えた。そして、帰りが遅くなったことを叱責した所、なんとアルシェは謝るどころか殴りかかってきたのだ。

 

 親に向かってである!

 

 自分の親に向かって、当主に向かって、暴力を振るう娘。

 娘であるアルシェは野蛮なワーカーと過ごすうちに、貴族としての常識も振る舞いも忘れて、蛮人並みの知性と行動の持ち主となってしまったらしい。

 

 その後、アルシェは家を飛び出し、そのまま帰ってきていない。

 家を空けていた間に稼いだ金を、この家に入れすらせずにだ。

 なんと非常識極まりない娘になってしまったのだ。今まで育ててやった恩を何だと考えているのか? 金を稼いでこねば、このフルト家が潰えるかもしれないという事が分かっていながら、なんと身勝手な思考をしているのか?

 

 

 その事を思い出し、喉の奥で呻り声をあげる彼。その横に腰かけていた彼の妻は、ある事に気づき、ふと顔をあげた。

 

「あら? 何かしら、この音は?」

 

 その言葉に耳を澄ませてみると、何が重いものが叩きつけられるような音が聞こえてくる。

 それも段々と大きくなってくるようだ。

 

「なんだ? またあの愚か者がこの街で何かを始めたのか?」

 

 彼はそう言うと、ソファーから立ち上がった。

 彼の妻もその後に続く。

 

 

 そうして、通りの様子を見ようと、ガラス張りの窓に歩み寄った彼ら。

 その窓に仔山羊の触手が叩きつけられた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「う、うっうぅ……」

 

 フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドは呻き声をあげた。

 瞼を開いた瞳の先には木の板。

 

 ――?

 

 何故だろう? 自分の目の前に板張りの壁がある。

 柔らかい頬や形のいい胸がその壁に押し当てられている。

 不審に思い、その壁をおしやろうと手を動かした時、彼女はようやく気がついた。

 

 ――これは壁ではない。

 床だ。

 自分は床にうつぶせに倒れていたのだ。

 

 顔をあげ、周囲に目を向ける。

 そこにあったのは惨状と言う他ない光景だった。

 もはや目をつむっても歩けるほど、馴染みのものとなっていた魔法学院の校舎。それが見るも無残に崩れ落ちていた。壁にはひびが入り、天井の梁は落ち、床には大穴が開いている。取るに足らぬ物から、一つ一つが一般人にとって目の飛び出るような高価な物まで、全てが投げ出され、破壊されていた。

 

 フリアーネは自分の記憶を探る。

 何故、学院がこんなことになったのか? 何故、自分は崩れ落ちた校舎の廊下に倒れているのか?

 

 

 

 ――たしか、廊下で話していたはずだ。

 

 そう、ジエットとランゴバルトが何やら言い合いをしていたのだ。

 

 彼らが最近、不仲であるのは知っていた。

 ジエットの幼馴染であるネメルに、ランゴバルトが遊び半分で――本当にそうなのか、それとも内心は本気なのかは知らないが――ちょっかいを出しているのが原因だ。

 ランゴバルトの家はというとそれなりの有力貴族であり、対してネメルは下級貴族、ジエットに至っては平民である。立場の差は歴然としている。

 そんな状況下で、ジエットは様々な手管を使い、機転を働かせ、ネメルに近づこうとするランゴバルトを牽制(けんせい)して、難を逃れていた。

 

 この時も――ネメル自身は同席していないようだが――すでに同様のやり取りがあったのだろう。

 通りがかったフリアーネにジエットが声をかけた。

 

「生徒会長! ランゴバルト君にいじめられたんです!」

「な!?」

 

 告げ口をされた形となったランゴバルトが、ひきつった表情を浮かべた。

 ジエットの思惑が分かっている彼女は内心の苦笑を押し隠し、2人に声をかけようとした。

 

 

 

 その時、重い音が響いた。

 激しい振動を伴う、空気をも震わせる轟音。

 廊下の窓がびりびりと震動する。

 

 驚きに目を丸くする3人。

 

 いったい何があったのかと周囲を見回す。

 だが、視界に入った他の生徒たちも彼女らと同様、不審そうに辺りを見回し、何があったと囁きあっていた。

 

 その間にも、轟音は立てつづけに響き、段々とその音は大きくなってくる。

 生徒たちの顔に不安の色が浮かんだ。

 

「おい! 外を見ろ!」

 

 誰かが叫んだ。

 皆、窓へ目を向ける。

 

 フリアーネもまた同様に窓際へ駆け寄り――そして見た。

 彼女のこれまでの人生で見たこともないほど巨大な体躯の、禍々(まがまが)しさを具現したかのごとき魔獣が、その胴体から生えた長い触手を振り回し、進路上の建物を踏みつぶしながら、こちらへ向かってくるところを。

 

 

 誰もが呆気にとられた。

 皆、凍り付いたように動きを止め、目の前の脅威をただぽかんと口を開けて見入っていた。

 

「逃げなさい! みんな、逃げなさい!」

 

 いち早くフリアーネは声をあげた。

 その声に我に返り、慌てて走り出す一同。

 だが、彼らが屋外へ脱出するより早く、黒い仔山羊が帝国魔法学院の校舎に突っ込んできた。

 

 

 

 ――そうだ。あの魔物が……。

 

 もう一度、かすむ目をこすり、周囲を見回す。

 すると自分の傍ら、手を伸ばせば届くところに、ランゴバルトが転がっている事に気がついた。

 

「ひっ……」

 

 思わずフリアーネは声を漏らす。

 性格はともかく若い女学生達が思わず視線で追ってしまう程端正だったその顔、それが半分潰れている。割れた頭蓋骨の奥からピンクの肉が顔をのぞかせ、その表面は赤い血でてらてらと濡れていた。

 おそらく、落ちてきた天井の梁が頭を直撃したのであろう。すでに命がない事は明白であった。

 

 目の前の死体に目が釘付けになっていると、「ううぅ……」という呻き声が耳に届いた。

 そちらに視線を向けると、そこには倒れ伏すジエットの姿。

 幸いにも、まだ息はあるようだが意識はないようで、その足は崩れた壁材に挟まれていた。

 

 彼女はとにかく立ち上がって、彼の許へ行こうとした。

 木材の破片が散乱する床に手をつく。手のひらに感じる微かな痛みを押し殺し、体を起こそうとしたのだが……。

 

「ぐがぁっ!」

 

 背筋を襲った激痛に、悲鳴がこぼれた。

 淑女らしくないと考えることすら出来ないほどの痛み。

 

 

 彼女は肩越しに自分の背を見る。

 白い埃で汚れた制服。それは鮮血に染まっていた。

 

 

 そうっと、もう一度体を動かしてみる。

 再度走った体の芯を駆け巡る激痛に、再び床に突っ伏した。そのまま、身じろぎ一つせず、痛みが引くのを待つ。

 

 ――おそらく、背骨が折れている。

 

 その予測に彼女はぞっとした。

 フリアーネは第2位階魔法まで使用できるが、当然ながら神官系の魔法などは使用できない。負傷を治す術はない。

 すなわち、この怪我を自力で何とかすることは出来ない。

 

 唯一の望みはポーションで治すことだ。

 学院の医務室には、生徒の怪我に備えて、ポーションがあるはずだし、専属の薬師もいるはずだ。

 だが、この怪我では自分の方から、そこへ行くことは出来そうにもない。

 

 ――ここで、助けを待つしかないか。

 

 そう考えた彼女は、床に(うつぶ)せになったまま、出来るだけ痛みを感じぬよう、身動きせずにその場で救助を待つことにした。

 

 

 そんな彼女の耳にパチパチというかすかな音が聞こえてきた。

 

 

 体を動かさぬよう首だけで視線を巡らせると、床にできた穴、そこから飛び出た柱が階下から照らされる赤い光に揺らめいていた。

 彼女が見ている前で、その光はだんだんと大きくなり、やがて柱の表面を舐めるように炎が上がってきた。

 

 彼女は恐怖に目を見開き、悲鳴を漏らした。

 火の手は瞬く間に燃え広がり、崩れ落ちた廊下を包んでいく。

 

 

 彼女はその火から我が身を遠ざけようとする。

 三度(みたび)、激痛がその動きを止める。

 けれども、逃げなければ、火にのまれてしまう。

 

 フリアーネは床を這い、逃げようとした。

 腕を動かし進むたびに、脳天まで駆け巡る激痛が彼女を襲う。

 彼女の額に脂汗がにじむ。

 だが、それでも彼女は生きるために、一心不乱に腕を動かした。

 

 しかし、そんな努力もむなしく、燃え盛る炎は瞬く間に彼女の許へと追いついた。

 

 

 崩壊した学院に絶叫が響いた。

 

 

 ランゴバルトのように即死したり、ジエットのように意識がないまま炎に巻かれた方が幸運だったかもしれない。

 公爵家という何不自由ない地位に生まれ、恵まれた魔法の際により秀才と呼ばれた美しき生徒会長は、その身を焼き焦がす炎と、背筋に走る激痛に身悶えながら、死んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ジルクニフはただ茫然としてその光景を眺めていた。

 

 彼の眼前で、栄光あるバハルス帝国の街並みも、そこに住まう民衆も、様々な歴史ある建築物も、全てが壊されていく。

 人知を超えた暴虐の嵐の前に、襲い来る圧倒的な暴威の前に、全ては夢幻(ゆめまぼろし)、砂上の楼閣でしかなかったかの如く現実が崩壊していく。

 

 

 

 一体それが始まってからどれほどの時が経ったのか。すでに理解できなかった。

 だが、ふと誰かが言葉を発した。

 

「お、おい……あれ……こっちに向かってくるぞ!」

 

 見ると、帝都を我が物顔でのし歩く3体の巨獣、そのうち1体が、彼らがいるこの城の方へと進路を変えた。

 間にある建物を次々と踏み壊し、足元の人間を弾き飛ばしながら、一直線にこちらへと向かってくる。

 

 その姿に、誰もが息をのんだ。

 さすがに、この城なら大丈夫という思いもあったが、まさかという不安も決して拭いきれなかった。

 

 やがて黒い仔山羊は城を取り囲む胸壁へと、勢いのままぶち当たった。壁の上で警備にあたっていた兵士が吹き飛ばされ、地面へ落下する。

 およそ、どのような破城兵器を持ってしても破壊は不可能と思われていた城壁は、人間の(ことわり)を超えた存在の前に一瞬のうちに粉砕された。

 噴煙が立ち昇る中、魔獣の触手が空を切って振り回される。

 触手が辺りに叩きつけられる音と共に、聞こえてくるそいつの可愛らしいさすら感じさせる鳴き声が耳に届き、その声に全身が総毛だった。

 

 

 仔山羊は一度大きく身じろぎすると、再びその蹄の生えた足を動かし始めた。

 職人たちが丹精込めて作った庭の花園を踏みつぶし、木々をへし折り、そいつが向かった先は……。

 

「ま、まさか、この城に突っ込む気か!」

 

 見る見るうちに大きくなるその姿に、皆慌てて、バルコニーから室内へと逃げ込んだ。

 次の瞬間、ズズンという轟音と共に、激しい振動が彼らを襲った。

 立っていられる者はなく、全員、床に伏せたまま、状況を見守る。

 

 やがて、彼らは顔をあげた。

 どうやら自分たちはまだ生きている。

 いかな恐るべき魔獣といえど、この城を破壊することは出来なかったのだ。

 

 誰もが安堵の息を吐いた。

 

 しかし、その期待は次の瞬間、裏切られることになる。

 再び、地の底から響くような音と震動が聞こえてきたのだ。

 それははるか下方から聞こえてきており、ゆっくりとだが移動をつづけていた。

 

 あの巨獣は、城に突っ込んでなお、まだ生きている。

 そして、力任せに城の中を突き進んでいる。

 

 その事に気がつき、彼らは一様に顔を青くした。

 

 部屋が大きく揺れる。

 剛勇なる者達も、剣すら振るったことのない者達も、皆等しくその身をすくませた。

 幸いながら、彼らのいる上層部が崩れ落ちることは無かったものの、このままここにいては危険だという事はよく分かった。

 

 

「陛下、お逃げください!」

 

 現実感すらわかぬほどの暴威と自らの生命の危険による虚脱状態から、ようやく理性を取り戻した臣下たちが、彼らの主、皇帝ジルクニフに避難を勧める。

 

 彼もまたその声に、ようやく我に返った。

 

「……う、うむ。よし、そうだな。とにかく、この場から離脱するとしよう」

 

 そう言って、同じ室内にいるはずの帝国主席魔法使い、彼が子供の頃から支え守ってくれていた老魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダ・パラダインを探す。

 おそらくここからならば城内を通るより、彼の使う飛行系の魔法でバルコニーから飛び出した方が安全だろうという判断からだ。

 

 

 そうして、室内を見回した彼の視線が一つ所で止まった。

 

 

 激しい振動で、壁際にあった装飾品や本棚の書物がすべて床に落ち、それらがあちこちに散乱している室内。そこら中に、小さな村で言うならば税収の100年分はあろうかという高級装飾具が並べられていたのだが、いまやそれらのすべてが投げ出されていた。床に散乱する芸術品や歴史的資料の海。そんな混沌とした室内から通路へと出るための扉の前、そこへ揺らめく漆黒があった。

 

 

 ――これは一体なんだ?

 魔法だろうか?

 魔法だとするならば、一体だれが?

 

 疑問が頭を駆け巡る。

 その様子に気がついた一同は、一体どうしたのだろうと主の視線を追い、そこで彼と同じものを見つけ、目を丸くした。

 

 

 皆の視線が集まる前で、その漆黒の中から、人影が歩み出てきた。

 

 それは美しい銀髪に透き通るような肌を持つ少女。その小柄な体に、南方で着るというスーツという服、それも男物を身に着けている。

 

「やー、やー、こんにちは。皆おそろいでなによりだね」

 

 そう言って彼女はにこやかに笑いながら、手を振った。

 

 呆気にとられる中、少女が出てきた揺らめく漆黒から、さらに3人の女性が次々と出てきた。

 フリルのついた至高の一品といっていいほど上質のボールガウンに身を包んだ、これまた美しい少女。

 美しい金髪を縦ロールにし、胸元や太ももを大胆にさらした服を身に着けるメイド。

 そして、最後の1人は……。

 

「ぬうっ! おまえは!」

 

 その姿を見たフールーダが呻った。

 最後に現れたのは、2人目のメイド。

 その射干玉(ぬばたま)のような長い髪は、頭の後ろでポニーテールに結い上げられている。そして、その切れ長の瞳は髪と同じ黒。そのまるで南方の人間のような姿は、忘れることなど出来はしない。以前の邪教組織壊滅の際、彼らの前に立ちはだかった恐るべき身体能力を誇る謎の女魔法詠唱者(マジック・キャスター)であった。

 

 

 そんな彼女を引き連れる、この者達は……。

 

「もしや、この謎の巨獣の襲撃……お前たちの手引きか?」

 

 フールーダの問いに、答えたのは銀髪の少女。

 

「うん。そうだよ」

 

 そう、事もなげに答えた。

 

「……お前たちの目的は何だ? 何故、こんなことをする?」

 

 ジルクニフは内心の動揺、そして自分の治める帝都を破壊した張本人であると自称する少女に対し湧き上がる怒りを抑え込み、問いただした。

 それに対しても、少女はあっけらかんとした態度だった。

 

「んー? 目的? 目的ねぇ。まあ、一つは復讐かな。こっちはあんまり大事にする気はなかったんで、手加減するようにって言ってたうちのナーベラルの事を、みんなで寄ってたかっていじめたんでしょ? 悪いんだけど、ボクたちは子供のケンカにも親が出張ってくる方針なんだ」

 

 どう見ても、黒髪のメイドの方が目の前の少女より年上なのに、メイドを子供と例える少女に奇妙な感覚を覚えたものの、『復讐』という言葉に、周りの者達は反応した。

 

 立て続けの事態に呆気に取られていたものの、気を取り直したバジウッドやニンブル、そして近衛の騎士達が剣を抜く。

 彼らの主を守ろうと陣形を組む。

 

 

 そして、その内の2人が前へと進み出た。

 一息に飛びかかって距離を詰める。刃を振り回して他の者を牽制しつつ、一番先頭にいる銀髪の少女を確保しようと手を伸ばす。

 

 だが――。

 

「ちょっと、邪魔」

 

 無造作に振り払われた少女の手。

 その一見たおやかな白い(かいな)に弾き飛ばされ、魔力の込められた全身鎧(フルプレート)を身に着けた大の大人が宙を舞う。彼らは凄まじい勢いで、収めるべき書物がすべて床に落ち、空となった黒塗りの本棚へと叩きつけられた。

 ズンと床に落ちた彼らの首はありえない方向に曲がっている。

 

 

 息をのむ彼らの事など気にも留めずに、ベルは傍らに立つ女性へと視線を送った。

 それを受けて、ナーベラルが前へと進み出る。

 彼女の目は武器を構える騎士の壁、その向こうに立つフールーダに据えられている。

 

 そして彼女は、その白魚のようなほっそりとした指に嵌められていた指輪を抜き取った。

 

「ぐぶっ!」

 

 その場にいた者達は、そのような声をあげた人物が一体だれなのか、最初分からなかった。

 まさか、あの人物がそんな声をあげるはずがないのだ。

 だが、その当人は周りの者の視線など気にもとめなかった。周囲の反応を考える余地すらもなかった。

 

 フールーダはよろよろと前へと歩み出る。

 

 今、彼の目に前にいる人物、相手の使用できる魔法位階を見抜く目にさらされたこのメイドの真の力は……。

 

「お、恐れながら……あ、あなた様は……」

 

 ごくりと生唾を飲み込む。

 

「あなた様はもしや……第8位階魔法まで使えるのでは……?」

「ええ、そうよ」

 

 その答えに、フールーダの身体が電流を受けたかのようにビクンとはねた。

 

 

 いたのだ。

 彼が願い続けてきた者が。

 深淵なる魔導の世界において、200年以上の時をかけてようやく第6位階にまでたどり着いた自分のその先を歩む者が。

 彼は遂に、遂に出会えたのだ。

 

 

 だが、そんな長き時の果てに巡り合った、至上なる人物から投げかけられたのは、残酷なる宣言。

 200年を生きたフールーダをして、いまだ到達しえない魔導の高みにいる彼女は冷たい瞳で彼を見据え言った。

 

「ナザリックに仕える戦闘メイドである、この私に歯向かった報い。死を以って償いなさい」

 

 

 その非情な宣告に、フールーダは身を震わせた。

 

 

 知らなかったのだ。

 まさか、敵とした戦った彼女がそれほどの、自分が首を垂れねばならぬほどの御方だという事に。

 知っていれば、歯向かう事など絶対にしなかった。

 かの方が望むのであれば、帝国など捨てても良かった。

 自分は知らなかっただけなのだ。

 

 

 彼はよろめく足でなお前へと歩み寄る。

 至高なる存在に。

 彼が数百年来求め続けてきた存在。

 気が遠くなるような時間願い続けてきた、自分を超える魔導の奥義を極めた存在。

 それがそこにいるのだ。

 今、目の前にいるのだ。

 

 

 彼は手を……。

 震えが止まらぬ手を伸ばした。

 

 

 そんなフールーダの前で、ナーベラルは腕をあげ魔法を唱えた。

 

 〈二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)

 

 ナーベラルの両手からほとばしった雷撃。

 それがフールーダの身体を直撃した。

 

 

 我が身を焼き尽くす(いかづち)に撃たれながらも、フールーダは歓喜に震えていた。

 

 

 ――す、素晴らしい。これが、これが第8位階魔法。ははははは! これこそが、これこそが求め続けた高位の領域の魔法。な、なんと素晴らしい……。

 

 人間には達しえない偉大なる魔術、その桁外れの威力に喜悦の涙を流しながら、フールーダ・パラダインの200年以上にわたった生命は終わりを告げた。

 

 

 

 その場にいた誰もが、言葉を失っていた。

 6代前の皇帝からずっと国に仕えてきた伝説の存在。帝国の守護神として、彼らが生まれる前からこの国を守り続けてきた偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 それが、たった一つの魔法をその身に受け、死んでしまったのだ。

 さらにはナーベラルの放った魔法は、フールーダのみを絶命させたにとどまらなかった。

 その直線上にあった騎士、魔法詠唱者(マジック・キャスター)、文官らもまとめて焦げ臭い消し炭へと変えていた。

 

 その凄まじいまでの魔法の威力を前に、歴戦の戦士たちすらもその足の震えを止めることは出来なかった。総身が(すく)みあがった。

 

 

 静寂が支配する中、独り、両者の間に歩み出た者があった。

 

「あ、あの、ま、待ってください。あなた方に歯向かいは致しません」

 

 それを言った者は女性。

 甲冑を身に着けていながらも、女と分かる体形。その美しい顔の右半分はたらした前髪で覆い隠している。 

 そうして、帝国四騎士の1人、レイナース・ロックブルズは謎の闖入者たちの前に片膝をつき、自らの名を名乗った。

 

「わ、私は先の戦闘には参加しておりません。そちらの女性に、わずかなりとも怪我を負わせるなどといった行為はしておりません。あ、あなた方は偉大な魔術の使い手かと思われます。私の願いを聞いていただけないでしょうか。もし願いを聞き届けてくださるのならば、私の剣をあなた様に捧げましょう」

 

 そう必死で懇願した。

 

 ジルクニフは思わず舌打ちしてしまった。

 彼女、レイナースは自分に対して忠誠を誓っているのではない。彼女自身にかけられた呪いを解く(すべ)を捜すため、為政者たる皇帝である彼に仕えていたのだ。もし、目の前に、より魔法に詳しいであろう人物が現れたのならば、自分に忠誠を誓う必要などない。

 

 

 ベルは突然、自分の目の前で膝をついた女騎士をどう扱うべきか図りかねていた。

 とりあえず、聞いてみる。

 

「んーと。君の願いって?」

 

 話を聞いてもらえたと、レイナースは息せき切って言い募った。

 

「は、はい! 私のこの顔です!」

 

 そう言って、自らの顔の右半分を隠す髪をかき上げる。

 それを見たベルは顔をしかめた。

 そこにあったのは肉が引き攣れ、じゅくじゅくと溢れる膿にまみれた顔。左半分が整っているだけに、その落差により醜さがより一際強調されている。

 

「かつて、魔物を討伐した際に呪いをかけられたのです。これによって私は家を追われ、婚約者からも捨てられました。お願いです! どうか、どうか何とかしていただけないでしょうか?」

 

 言われたベルにとっては、そんな事情などどうでもよく、内心鬱陶しいなと考えていたのだが、ふと思いつくものがあった。

 その顔に、にんまりとした笑みが浮かぶ。

 

 そして、自分の懇願を聞いてもらえるかと気をもむレイナースに優しく声をかけた。

 

「うんうん。それは大変だったね。分かった。何とかしてあげるよ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 レイナースは声をあげた。

 蜘蛛の糸にすがるような思いであったが、まさか本当に自分の望みを叶えてくれるとは。

 彼女は期待に、その緑の瞳を輝かせた。

 

 レイナースが見ている前で、ベルはアイテムボックスに手を突っ込み、そこから一つの宝石(タリスマン)を取り出した。

 そしてそこに込められていた魔法――〈呪い(カース)〉を発動する。

 

 

 レイナースは肌を焼くような感覚を覚えた。

 何か身体に異変が起こっている。

 顎先に違和感を覚え、手で押さえた。

 

 そして、手のひらを見た彼女は悲鳴をあげた。

 

 そこには膿がべっとりと付いていた。

 もはや見慣れた、忌むべき黄色いねっとりとした液体が。

 だが、いま彼女が押さえたのは彼女の顔、膿が浮き出る右半分ではない。 

 元の美しいままであるはずの左側である。

 

 彼女はガクガクと膝を震わし、己が身を見下ろした。

 今まで顔の右側にしかなかった膿を垂れ流す引き攣れ。

 それが、見る見るうちに全身を覆っていく。

 胸元も、その手も、太腿も、足先に至るまで全身が醜い肉塊へと変わっていく。

 そして、残されたその左の顔すらも。

 

 愕然とする彼女の視界に、何かがズルリと滑り落ちたのが見えた。

 見れば、それは美しい金髪。

 彼女の頭に生えていた髪が汚らしく黄色い膿に濡れ、頭皮ごとべろりと抜け落ちたのだ。

 

 

 レイナースは、喉の奥から悲鳴をあげた。

 それに応えるのはベルの高笑い。

 

「あはははは! 何とかしてあげたよ。歪みは顔の右側だけだったから、ちゃんと全身にいきわたるようにしてあげたよ」

 

 そう言って、ベルは嘆きに身を捩らせるレイナースを指さして笑った。

 

「『不幸を知らない人間は、幸せを知らない』だっけかな? うん、良かったね。君はこれで不幸を知って、これまで顔の右半分だけで済んでいた幸せに気づくことが出来たって事さ。あはははは!」

 

 ベルの魂胆を理解したシャルティアやソリュシャン、そしてナーベラルは、不遜にも自分たちに対して取引のように願いを語った愚か者の末路を嘲り笑った。

 

 

 しかし、その内、ソリュシャンは笑いを止めて言った。

 

「ですが、ベル様。実際の所、この者はどうなさるのです?」

「ん? どうって?」

 

 ベルは笑いすぎて目じりに浮かんだ涙を指でふき取りながら、自らに忠実なメイドに聞き返した。

 

「いえ、先ほど、この者は顔を何とかしてくれたのなら、剣を捧げると申しておりました」

「ああ、言ってたね。いいんじゃない? 仕えたいって言うのなら」

「ええ、ですが……この者をナザリックの末席に加えるのですか? この汚らしい膿を吐き出す肉塊を?」

 

 言われてベルは気がついた。

 

「ああ、そっか。……こいつを連れて帰ったら、ナザリックが汚れるね。困ったなぁ」

「掃除せよと命じられるのならば、拒む者などいようはずもありませんが……」

 

 笑顔から一転渋い顔をした。

 今のレイナースは全身から膿を垂れ流す肉塊である。

 そんな者をナザリックに連れ帰りたくない。少なくとも、自室にこいつがいるような事態は勘弁してほしい。

 

「もう動くだけで、膿が垂れ流されて部屋が汚れてしまうからなあ」

「本当に汚らしい生き物でありんす」

「ええ、臭いも酷いですし」

「やれやれ。こんな物体が女を名乗るなど、仮にも同性として恥ずかしくてしょうがありませんね」

 

 目を見張るほどの美しさを持つ女性たちから、次々と侮蔑と嘲笑の言葉を投げかけられ、かくも無残にして醜い姿に変えられたレイナースは涙を流した。

 だが、その涙は、その身から滲み出す汚らしい黄色い膿に混じってしまった。

 

 

 

「まあ、いいや。こいつの事は後で考えよう。とにかく、ばっちいから適当なところに当分放り出しておけばいいか。ああ、黒棺の中にでも放り込んで置けば、恐怖公の眷属が膿を食べるかな」

 

 そう言うと、もう元レイナースだった物体には目もくれず、残った人間たちへと意識を戻した。

 「シャルティア、ちょっと片付けて」と声をかけると、ボールガウンの少女はその赤い瞳を輝かせた。「了解しんした」と答えると、彼女はさらりと〈内部爆散(インプロ―ジョン)〉を使う。

 

 

 帝国四騎士として謳われたバジウッドやニンブル、それに皇帝の懐刀として采配を振るったロウネら、その場にいた帝国全土、いや、世界中からジルクニフがかき集めた金銭に代えることのできないような傑物たちは、瞬く間に内部から膨れ上がり、爆散し死んだ。

 

 

 血に染まる室内に、えひゃっえひゃっと笑い声が響く。

 部屋の隅にいて、今の魔法を免れた文官たち。そのうちの1人が笑っていた。その顔はすでに理性を手放した者が浮かべる、それだった。

 トンという音と共に、その笑い声が止まる。

 彼の額には銀色に輝くナイフが埋まっていた。

 どういう手品かは知らないが、金髪を縦ロールにしたメイドが、何も持っていない腕を振るうたびにそこからナイフが放たれ、闘う術など持たない彼らをただ機械的に、物言わぬ(むくろ)へと変えていった。

 

 

 

 そして、その場に立つのは、鮮血帝ジルクニフただ一人のみとなった。

 今、彼はその異名の通り、血に(まみ)れていた。

 自らに忠実であった臣下たちはすべて死んだ。

 彼らの鮮血に濡れ、臓物を体にぶら下げながら、身じろぎすら出来ず、その場に立ち尽くしていた。

 

 彼は肌身離さず、自らの首から下げていたマジックアイテムを呪った。

 この精神異常を回避するネックレスがなければ、先の文官と同様に、とっくに発狂して楽になれただろうに。

 

 

「やあ、皇帝。……名前は何だっけかな? まあ、いいか。自己紹介もいいよね。もう今更だしさ」

 

 彼は微笑みながら歩み寄る少女の姿に、怯えの色を隠すことなく後ずさる。

 そんなジルクニフに彼女は無邪気な表情で笑いかけた。

 

「えーと、それで君ってさ、自分の命すら賭けの対象にする、とか言ってたんだっけ? でもさぁ……」

 

 そう言うと、彼女はそのあどけない顔に、少女らしからぬ、子鬼のように邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

「でも、まさか今日死ぬとは思わなかっただろ?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その日こそ、後世の歴史書にバハルス帝国崩壊の日、『大破壊』と記される日となった。

 

 

 突如として帝都アーウィンタールを襲った謎の巨獣。

 どこからともなく現れた3体の魔獣は、帝都を完膚なきまで破壊しつくし、そして何処かへと消え去った。

 その暴虐の嵐により、幾多の歴史ある建物も数多くの尊い人命も様々な知識も、そして国としての秩序も失われた。

 

 何より帝国にとって痛かったのは、このバハルス帝国を統べていた皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、ならびに何代にも渡り皇帝に仕え、支えてきた第6位階魔法まで使いこなす主席魔法使い、『三重魔法詠唱者(トライアッド)』フールーダ・パラダインの両者を失った事であった。

 

 さらに、それだけではない。

 その襲撃により、これまで皇帝を支えてきた側近たちものきなみ命を落とし、また帝国が誇る勇猛無比たる戦力である帝国騎士団も三分の一近くが壊滅した。

 

 

 これにより、帝国領は大混乱に陥った。

 

 現皇帝ジルクニフは中央集権制を進めてきた。地方の権力をこの帝都に集め、そして帝都の権力を皇帝たる自分の下へと一手に集めてきたのだ。

 それなのに、その権力を握っていた者ならびに管理していた者達が、すべていなくなってしまったのである。

 

 生き残った貴族達は、自らの権力拡大に力を注いだ。

 まず、彼らは帝都を離れた。

 この崩壊した帝都にいても、何の益もないどころか、自らの安全すらも危うい。

 そして皇帝の血を引く遺児を、中には血など引いてすらいない子供を皇帝の落胤と称し、擁立した。そして自分はその子の庇護者であるとして、実権を握ろうとした。

 その動きに、これまで皇帝によって抑えられてきた地方領主たちもまた動きを見せた。彼らは帝都の貴族たちと同様に皇帝の遺児と称する者を立てた。もしくは、自分こそがバハルス帝国建国前、この地に存在した国家の王族の血を引く者であると僭称(せんしょう)した。

 

 そうして、権力争いが激化する中、次に彼らが動いたのは戦力の確保であった。

 この混乱の中においては、現実的な戦力こそがものをいう。

 彼らは残された帝国騎士団を抱え込もうとし、傭兵団を高値で雇い入れ、隣国のように平民たちを徴兵して、戦力をそろえようとした。

 

 そこには自分の勢力を拡大しようとする欲望のみが渦巻いており、崩壊した帝国に暮らす民衆の事など顧みようとはしなかった。

 

 

 そうした狂乱怒涛(きょうらんどとう)たる権力争いに仮初めの為政者たちがかまける中、帝国領には依然として重大な問題が放置されたままであった。

 

 ビーストマンの跳梁である。

 

 帝国が大々的な討伐作戦を実行しようとしたその矢先にあの大破壊が起きたのだ。

 当然、彼らの事は後回しにされ、獣人たちは今も野放しのままである。

 すでに巨獣により、帝都の外壁は大きく破壊されてしまっている。住む家も多くが踏みつぶされ、粗末なバラックでの生活を余儀なくされている者も多数いる。獣人の襲撃により都市間の交易は(とどこお)っており、食料も満足には手に入らなかった。

 日々の生活で薄汚れた顔を巡らせても、彼らの誇りであった偉大なる皇帝の住まう居城は痛ましい傷跡を晒したままであった。

 

 帝都の民衆は、失意の底にあった。

 

 

 

 だが、彼らにも希望があった。

 襲い来る脅威から、彼らを守ってくれる偉大なる英雄がこの地にはいるのだ。

 

 

 

「うおぉっ!」

 

 気合の声と共に薙ぎ払われた一閃が、ビーストマンの首を切り飛ばした。

 僅かの時をおいて、その獅子の頭が地を転がり、頭部を失った一際大きな体躯の獣人の肉体がどうと倒れる。

 

 その光景を目のあたりにした、人間たちは一斉に喝采の声をあげた。

 

「今だ! ビーストマンの族長はモモン殿が討ち取った! 残敵を掃討せよ!」

 

 雄々しい鎧に身を包んだ将軍ベリベラッドが命令を下す。

 それを受けて、深いひっかき傷や打撃によるへこみなど、かつての美々しい姿を思い出せぬほどの傷だらけの鎧に身を包んだ騎士達は一斉に、族長が討ち取られ及び腰になったビーストマン達に襲い掛かった。

 

 彼らは残存した帝国騎士団である。

 大きな被害を出した帝国騎士団は再編成すらままならぬうちに、貴族たちの勢力争いに巻き込まれた。自らの地位や立場の為に各々部隊を率いて、それぞれが押す貴族の下に集い、散り散りとなってしまっていた。

 今、ビーストマンの群れと戦っている彼らは、かつての帝国第三軍。いまだ帝都に残る皇帝ジルクニフの愛妾の1人であったロクシーを主として仰ぎ、将軍ベリベラッドに率いられ、この帝都周辺の治安を守っていた。

 彼らは、帝都に住まう民草を守るという使命の為、かつてのように見目麗しくはなく、傷だらけにして薄汚れた姿ながらも戦意高らかであった。

 

 

 

 そうして、戦いが撤退する敵の追撃戦に移る中、漆黒の鎧に身を包んだモモンはゆっくりと体勢を戻した。

 

 

 アダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモン。

 彼こそがこの地の希望となった。

 

 その堂々たる態度。

 何事にも動じぬ落ち着きよう。

 圧倒的な膂力。

 類まれなる剣技。

 

 その存在は、ともすれば絶望に打ちひしがれそうになる、この帝都に生きるすべての者の希望の光となった。心の支柱であった。

 

 帝都には同じアダマンタイト級冒険者として『蒼の薔薇』もいるのだが、やはり彼女らはリーダーが他国の貴族という事から、人気としては『漆黒』の後塵を拝していた。

 

 実際、帝都の人間たちは、モモンはこのままずっと帝都にいてほしい、冒険者を引退し、将軍としてこの地に残ってほしいと願っていた。

 中には、いっそ皇帝になって自分たちを率いてほしいなどという言葉すら聞こえてくるほどであった。

 

 

 

 そんな、皆の崇敬と思慕を向けられている当のモモンことアインズは、フルヘルムに隠された顔をゆがめて苦悩していた。

 

 

 その頭のうちにあるのは、先に『蒼の薔薇』と会った際、イビルアイから語られた内容。

 

 

 

 この地に100年に1度の間隔で現れる『ぷれいやー』、その『ぷれいやー』に忠誠を誓う『えぬぴいしい』なる存在。そして、彼らがこの世界にもたらすユグドラシルの装備。

 

 小柄な仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の口から語られた、様々なこの世界の(ことわり)

 アインズは驚きつつも、それを一言一句たりとも聞き逃すまいとした。 

 彼は喜んだ。

 ずっと探し求めていた、この世界の根本たる情報がついに手に入ったのだ。この話をきかせれば、きっと彼の友人、ベルも大いに喜ぶだろう。

 彼はイビルアイからさらなる情報を引き出しそうと話を促し、イビルアイは自らの知識を惜しむことなく伝えた。

 そうして、これまで彼ら、ナザリックが把握していなかった知識を、実に多く手に入れることが出来たのだ。

 

 

 だが、せっかく手に入れた情報ながら、アインズはその事をいまだベルには話してはいなかった。

 

 続けて聞かされた、ある事柄に心を打ち据えられたからである。

 

 

 

 イビルアイは語った。

 

 『心は肉体に引っ張られる』、と。

 

 

 そうして、彼女は自分の知っている者の話だがと前置きしたうえで、アンデッドとなった者を知っていると言った。最初は理想に燃え、その願いをかなえるための手段であったはずが、肉体の変化に心が引っ張られ、いつの間にかその精神はアンデッドとしての悍ましいものへと変わっていったのだという。

 

 そう語るイビルアイの姿と言葉は、苦悩を胸に湛えたものだった。

 かつて『蒼の薔薇』のティアをとらえ、彼女の持つ知識を漁って得た情報により、アインズはイビルアイの正体が吸血鬼である事は知っていた。その為、彼女の語る内容は、彼女自身の事であると推測できた。

 

 

 彼女は更に話を続けた。

 話は『ぷれいやー』の事に移った。

 

 

 彼女の話では――彼女自身も別の者から聞いた話らしいが――かつて現れた『ぷれいやー』たち、彼らは人間種だけではなく亜人種、中には異形種の者までいたらしい。

 

 最初は人としての心を持ち、平和と安寧を求め、正義と公正に生きた者達も、やがてその異形種の器にふさわしい歪んだ精神の(とりこ)となっていったという。

 

 

 

 アインズは自らの手を見下ろした。

 漆黒の手甲の表面からは、たった今、切り殺したビーストマンの血が滴り落ちた。

 

 ――そう言えば、確かに変だ。何故、俺は狼狽えもしないんだ? 人――今殺したのは人間ではなく亜人だが――を殺したんだぞ。リアルでは血なんてまともに見ることもなかったのに。

 

 

 考えてみればおかしかった。

 アインズとベルはユグドラシルからゲームのアバターを身に纏った状態で、ナザリックと共にこの世界にやって来た。

 そして、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で殺戮される村を見つけたとき、アインズはその光景に動揺することもなかった。その後、カルネ村に行き、騎士を魔法で殺した時も、そしてベルが死体をばらしていたときも、何も感じることは無かった。

 

 明らかに異常だった。

 鈴木悟は訓練を受けた兵士でも、血を見るのに慣れた医療関係者でもない。

 それなのに、血まみれの死体を見ても、自分で人を殺めても、何ら動じることは無かった。

 

 

 当初はゲームキャラとして能力を得たことによる保有スキルの影響かと思っていた。

 激しく精神が乱れると、それは強制的に沈静された。これをベルは、アンデッド特有の精神作用無効の特殊技術(スキル)の影響ではないかと推察した。他にも自分たちはゲームにおける特殊技術(スキル)らしきものを保有している事が、その説の裏付けとなった。

 だが、すべてが精神作用無効のスキルによるものだとするには、いささか疑問が残った。

 ベルの推察通りならば、人の死に動揺し、その興奮が一定量を超えたときに特殊技術(スキル)が発動、精神の強制沈静が起こるはず。

 最初から、心が揺れ動きすらもしないことに関しては説明がつかなかった。

 ナザリックに属する者が誰かに傷つけられたりした時などは、すぐに明確なる不快や怒りの感情が湧いてくるというのにだ。

 

 

 ――もしや、この身がアンデッドになったことで、肉体のみならず、心まで人間を止めてしまったという事か……?

 

 

 それを裏付けるように、先の帝都で行った〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉での大虐殺も、なんらアインズの心を乱れさせる事はなかった。

 

 そのこと自体に後悔はない。

 彼が最も重視するのはナザリック、そして、かつてのギルメンたちが残してくれたNPC達だ。彼らの為ならば、他の者の命などものの数にもならない。

 

 しかし、彼の放った魔法で10万人近い人間が死に絶えたというのに、その心は静かなる湖面のようにかき乱されることなく、それこそ虫の巣に殺虫剤をかけて駆除した程度にしか感じられなかった。

 

 

 ――俺の精神はすでに人のものではないのか……。

 

 ……ならば、ベルさんは?

 

 

 ベルもまた元はアンデッドだったはずだ。

 ならばアインズ同様、人間に対する共感を失っていてもおかしくはない。

 

 そして、ベルはもう一つ変化がある。

 

 

 アインズはかつて、ともにユグドラシルをプレイしていたときの異形の大男、ベルモットの姿を思い返した。

 

 昔の彼は控えめな人間だった。

 皆とユグドラシルを遊んでいても、常に一歩引いたところがあった。あまり騒ぐこともなく、冷静に事後策を考え、慎重に行動していた。

 

 だが――。

 

 ――だが、今のベルはどうだ?

 

 とてもではないが、その行動は控えめとは言い難い。かつてのように万が一の事などは考えてはいるようだが、その計画はどうにもボロボロと穴がある。そして、ときおり後先など考えてもいないような突拍子もない行動をとる事すらある。

 

 大きく外見が変わっているからとはいえ、最近の無邪気にはしゃぎ笑う様子は、かつての冷静沈着な姿と重ね合わさらない。

 

 

 昔、アインズの頭に思い浮かんだことがあった。

 

 ――最近のベルはなんだか子供っぽい、と。

 

 

 イビルアイの話が事実だとするのならば、ベルは子供の姿になった影響を受けているのだろうか?

 もし、そうだとするのならば……。

 

 

 アインズは奥歯を噛みしめた。

 

 ユグドラシル最後の日。

 あの時、メールを受けてやって来たベルモットに、ほんの悪戯(いたずら)のつもりで身体変化のマジックアイテムを使用させたのは自分だ。

 今の少女の姿にしてしまった原因は、アインズなのだ。

 もし、彼が少女の姿になったことが原因でおかしくなったというのならば、自分にこそ責任がある。

 

 アインズの心のうちに罪悪感が湧き起こる。

 それは果実に湧いた蛆虫のように、アインズの心にたかり、執拗に責め(さいな)んだ。

 

 

 かつて皆と共にユグドラシルをプレイした。

 九つの世界を股にかけて各地を荒らしまわり、幾多のワールドアイテムを手に入れ、拠点たるナザリック地下大墳墓を作った。

 そうして、共に笑いあった友人たち。

 彼らこそ、リアルでは何も得られなかった鈴木悟にとって、生きる(よすが)たる全てであった。

 

 

 その大切な友人が変わってしまったのは、自分のせいなのだ。

 自分が友を騙した結果が、現在の友人のかつてとは異なる思考と行動なのだ。

 

 

 それに思い至ったとき、アインズはベルからの提案に対し、何も言うことは出来なかった。

 

 

 イビルアイとの会談で得た情報だが、いまだ(つまび)らかに相談するどころか、話してもいない。

 話を聞いた当初は、思い切って言ってしまおうと考えたのであるが、その時、ベルから後にしてくれと言われた。

 面と向かってその件を話すことに躊躇いがあったアインズは、その言葉に飛びついてしまった。

 その後も、なかなか話すタイミングを掴めず、ずるずると先延ばしをしたままになってしまっていた。

 

 

 今、ナザリックはベルの立てた計画により、行動を進めている。

 子供の精神を持ったベルの計画のままに。

 

 

 ――このまま進んで、……本当にいいのだろうか?

 

 

 『お前が本当に『ぷれいやー』もしくは『えぬぴいしい』なのかは知らん。その鎧の中身も、普通の人間であって、全ては私の取り越し苦労かもしれん。だが、一つだけ言わせてくれ。もし、お前が、お前の仲間が異形種だったとしても、人としての心は失わないでいてほしい』

 

 

 イビルアイの言葉はアインズの頭を離れず、いつまでもグルグルと回り続けていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あはははは!」

 

 ナザリックの執務室に陽気な声が響く。

 

 

「そうか、それは素晴らしい! よくやったぞ」

 

 嬉々とした様子でベルから投げかけられた称賛の言葉に、デミウルゴスもまた、にこやかに頬を緩ませた。

 今、彼らの間にある机の上に積まれている大量の報告書に書かれているのは王都リ・エスティーゼの調査結果である。

 

 王都への調査は以前にも試みたのであるが、王都を拠点とする冒険者チーム『蒼の薔薇』、そこに所属するイビルアイによって、送り出したシャドウデーモンはことごとく滅ぼされてしまった。

 その為、王都の情報収集は、秘かに潜伏させたユリの手による細々としたものに頼らざるを得なかった。

 当然、それは遅々として進まなかった。

 

 

 だが、今回の帝都での騒ぎを口実に、『蒼の薔薇』を王都から引っぺがす事に成功した。

 冒険者の依頼として、彼女らを帝都に動かさせたのだ。

 

 そこでベルは一気に動いた。

 シャドウデーモンだけではない。隠密行動に長けた怪物(モンスター)を総動員して、王都の情報を集めさせたのだ。

 

 その結果が、この高く積まれた報告書の山。

 イビルアイがいない今、王都において、こちらの邪魔になる者など誰もいなかった。王都の情報はすべて白日の下に晒される事となったのだ。

 

 

 ――さあ、情報は集まった。ここではどんな遊び方をしようか?

 

 ベルは新しいゲームを買ってもらった子供のように無邪気にはしゃいでいた。

 

 

 

 




 最初の予定では、レイナースは顔を治してもらい、ナザリック勢に加わる予定でした。ですが、10巻でイラスト公開されて以降、そのような展開のSSは結構あったので、それじゃ面白くないなと、逆に膿だらけにしてみました。


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第65話 おまけ 姉妹たち

2016/12/1 「満天の星空」→「満天の星」、「握り閉めて」→「握りしめて」 訂正しました
2016/12/4 「肩眉」→「片眉」 訂正しました


「じゃあ、お先に」

 

 そう言って、席を立った。

 出口へ向かう彼――表向きは――の背に仲間たちの声がかけられる。

 

「おう」

「じゃあなー」

「気をつけて帰るのである」

 

 彼らに軽く手をあげ、ニニャは微かによろめく足取りで酒場を出ていった。

 

 

 

 夜のエ・ランテルを独り歩く。

 日中とは異なり、夜気をまとった涼しい風がアルコールで火照った顔に心地いい。

 

 

 冒険者として酒を飲むことは多く、普段は量をわきまえているのだが、今日は少々飲み過ぎてしまった。

 なぜかというと、今日は祝いの日だったのだ。

 

 ニニャは自分の首からぶら下げられた冒険者のプレートに視線を下ろす。

 そこにあるのは金の輝き。

 

 胸元で輝く新品の金属板に、おもわずにんまりとその顔が歪んでしまうのを感じた。

 

 

 そう。彼ら冒険者チーム『漆黒の剣』は、ついに今日、冒険者のランクが上がったのだ。

 これまでの銀から金へと昇格したのである。

 

 

 ここに来るまでは、けっして平坦な道のりではなかった。

 

 冒険者となる者は多いが、その実力は個人個人によって大きな開きがある。本当に一般人に毛が生えただけのような者から、十分な実力を有していながら、なんらかの理由で新たに冒険者として登録するような者まで様々だ。

 中にはその実力を認められ、冒険者のランクを一足飛びに飛び越していく者までいる。

 とは言え、そういう人間はごく一部にとどまり、大抵は上のランクに上がれぬままいつまでも足踏みをしたり、道半ばにして命を落としてしまうのがほとんどであるのだが。

 

 そして彼ら『漆黒の剣』は、階級を飛び越えるなどという芸当は到底出来ず、普通の冒険者同様、ランクを一つ一つ這いあがってきたのである。

 

 これまで幾度も危険な目に遭い、遭遇した難敵に恐怖し、僅かなミスで命を落とすような死線を潜り抜けてきたのであるが、なんとかチームを組んで以降、誰一人失うことなく冒険を続けてこられた。

 そして、その地道な努力が報われたのである。

 

 

 

 ほろ酔い加減のニニャの頭の中に、これまでの記憶が蘇ってくる。

 

 姉が連れ去られた後、故郷の寒村を独り飛び出した事。

 運よく、自分には魔法の習得に適した生まれながらの異能(タレント)があり、才能を見出した師匠の下で魔法を学んだ事。

 冒険者になろうと決意し、登録に行ったギルドでルクルットに声をかけられ、4人でチームを組むようになった事。

 

 そして、ニニャの記憶は、冒険者としての稼業をこなすようになってからに移る。

 

 冒険者になってから、様々な人と出会った。

 ほんの一度会っただけの人もいれば、長い付き合いになった人もいる。

 嫌な人も多くいたが、良い人も多くいた。

 

 特に印象に残っているのは、つい最近出会った人物たち。

 

 独特な口調と性格のアダマンタイト級冒険者、『蒼の薔薇』のティア。

 旅をする上での様々な知識や心構え、特に迷宮(ダンジョン)の歩き方、注意するべき点などを優しく丁寧に教えてくれた老ワーカー、〈緑葉(グリーン・リーフ)〉パルパトラ。

 

 

 そして、一番は……。

 

 

 ニニャの脳裏にあの勇ましい姿が浮かんでくる。

 

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、颯爽(さっそう)と深紅のマントをひるがえして、常人では片手で扱う事さえ持て余しそうな大剣を二刀流で振るう、その姿。

 

 『漆黒』のモモン。

 

 ふらりとエ・ランテルに現れるやいなや、そのたぐいまれなる強さから、瞬く間にアダマンタイトまで登りつめた、まさに英雄の名にふさわしい人物。

 

 一度だけ見せてもらった、あのヘルムの奥の素顔。モモンはその後、誰にもその兜を脱いで見せてはいないようだ。つまり、彼の素顔を知っているのは『漆黒の剣』の面々だけ。それは自分たちだけの秘密なのだ。

 

 そんなちょっとした優越感とともに、記憶の中にあるあの堂々たる雄姿を思い返していると、知らず知らずのうちにニニャの顔に陶然としたものが浮かぶ。

 それに気づいたニニャは慌てて、顔を手で覆い隠した。

 幸いにも宵闇の中での事であり、彼――彼女の顔など覗き込む人間などいはしないのだが、どのような表情を自分が浮かべていたのかはよく分かった。

 火照る頬を両手で押さえ込み、必死で心を落ち着かせる。トクントクンと脈打つ心臓の高鳴りを抑え込んだ。

 

 そうして、もう一度あらためてモモンの事を思い返してみる。 

 それだけで、彼女の股間から脳天にかけて、電流のようなものが走った。

 

 それが何なのか、ニニャ自身もうすうす感づいてはいた。

 感づいてはいたものの、今はそれに身を任せるわけにはいかなかった。

 

 

 ニニャは胸元に抱えこんでていた手を離し、ぐっと拳を握りしめた。

 その手はすでに冒険者のもの。

 節々にタコが出来た、傷だらけの手。

 幾多の戦いや危険を潜り抜けてきた、戦う者の手。

 

 

 

 彼女の心のうちに、姉が貴族に連れ去られる前夜の事が蘇ってくる。

 

 その夜、2人は肌を刺すような冷たさを持った夜気のなか、満天の星を眺めていた。

 見上げた姉の顔は、満足な食べ物もなく、日々の過酷な労働によって、やつれていた。

 けれども、彼女はその顔に精一杯の笑みを浮かべて、肩を並べ立っていた妹に顔を向けた。

 

『辛いことがあったら、空を見上げなさい。私は貴族の下に行かなきゃならないけど、この空は私のいる所からあなたのいる所まで繋がっているわ』

 

 彼女はそっと冷えきった妹の肩を抱いた。

 

『生きなさい。精一杯にね。生きていればきっとまたいつか会えるわ。貴族たちは私たちをおもちゃとしか思っていないけど、私たちは人間なのよ。けっして虫けらなんかじゃないわ』

 

 

 そう言い残し、翌日、姉は貴族に妾として召し上げられていった。

 

 その後、いくら探しても姉の行方は(よう)として知れなかった。

 

 

 

 ニニャはにじみそうになった涙を振り払い、空を見上げた。

 

 あれから何年もたった。

 自分は冒険者になり、各地を旅してまわった。幾多の知識を身に着け、数え切れないほどの戦いを経験してきた。

 もう昔の無力だった頃とは全く違う。

 嘆きの声が枯れ果て、涙も尽きるほど慟哭しても、何一つ変えることが出来なかったあの頃とは違う。

 

 

 ニニャは、その脳裏に今一度、モモンの姿を思いおこす。

 

 人間の限界すらも超えたかのような、あの圧倒的な力。

 

 それを思い浮かべると、出来ないことなどない、叶わぬことなどない、越えられない壁などないという勇気が、ニニャの胸の中にふつふつと湧き起こる。

 

 

 

 ――待っていて、姉さん。どこにいるかは分からないけど、必ず見つけるから。

 

 

 あの日と変わらぬ星空の下、ニニャはその胸に再び固く誓った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「くそっ! ふざけおって!!」

 

 スタッファンは苛立ちのままに、幾度もこぶしを振り下ろす。

 そのたびに肉を叩く音が響き、仕立てはいいものの飾り気のない簡素なベッドが上下に揺れた。

 

 しばしの間、そうしていると、彼の息が切れてきた。

 運動や鍛錬などというものは、彼にとって、とうの昔に捨て去った習慣だ。今、その身は長年かけてじっくりと育てた、ぶよぶよとした贅肉によって覆われている。

 彼が息を切らすほど運動するのは、この娼館で女をいたぶっている時くらいだ。

 

 

 彼は荒い息を吐きつつ、額の汗をぬぐった。

 そして、その手でもう一発、組み敷いた女の顔を殴りつける。

 「ぎゃっ」という悲鳴と共に、女の頭が揺れる。

 元は美しかったであろうその顔も、長時間の暴力にさらされた結果、ぼこぼこと腫れあがり、赤やどす黒い青に色を変えていた。

 

 殴りつけた拍子に鼻孔から血が流れ落ちる。スタッファンは自分の拳についたその血を、べろりと舌で舐めとった。鉄臭い液体を口の中で転がすと、いっそう強く認識できる。

 

 ――今、自分は女を思うままに支配し、好きなだけ乱暴している。こうして女をいたぶるのは、何と素晴らしいのだろう。

 

 

 その顔に一瞬、愉悦の表情が浮かぶ。

 

 だが――。

 

「くそがぁっ!」

 

 彼の心は一転、怒りに包まれた。

 再度、握りこぶしを女へと振り下ろす。

 

 

 ベッドの上で跳ねる女の胸を握りつぶすように掴み上げる。指先が肉に食い込む激痛に、女が身悶えするも、声をあげた女の顔をさらに張り飛ばす。

 

 そうして、目の前の女をいたぶりつつも、スタッファンの脳裏を占めていたのはこの場にいない別の女の事。

 ギリリと歯ぎしりしながら、思い出すその女性は、このリ・エスティーゼ王国において、その美しさから黄金と称され、誉めそやされる第3王女ラナーであった。

 

 

 

 ただでさえ、ラナーが進めた政策、奴隷制の廃止によって、スタッファンは困った事態に陥った。

 

 彼は女をいたぶる事が大好きなのである。

 女が自分に逆らえず、苦痛に顔をゆがめ、そして一方的に振るわれる暴力に怯える姿を見ることこそ、彼を興奮させた。

 何故と言われても、そういう性癖なのだからとしか言いようがない。

 異常であるかもしれない。だが、たとえそれは異常であると誰かに言われたとしても、彼にとってその異常性をどうにかできるものではなかった。

 

 そんな彼にとって、奴隷というのは実に都合のよい相手であった。普通の人間を虐待したら大問題だが、奴隷ならばそれほど問題にはならない。無論、奴隷とはいえ、あまり手荒に扱おうものならば、非難の対象となるのではあるが、その辺はいくらでも抜け道があった。

 

 だが、それが制度そのものの廃止によって出来なくなってしまったのである。

 そうしてスタッファンは、今いるような特別な娼館に来なければ己が欲望を満たせないという状況に置かれてしまっていたのだ。

 

 

 しかも彼が今、怒っている原因はそれだけではない。

 そのラナーが最近になって、今度は王都中において治安の維持並びに綱紀粛正の名の下、犯罪組織に対する衛士などによる監視の目の強化、そして彼ら自身に対しても報告の徹底による管理の強化を押し進めたのだ。そして、もし怠慢が発覚した場合、その者に厳罰を処すという事までも。

 

 通常であれば、そんなものは通るはずもなかった。

 

 治安が良くなることは国にとっては良い事であるはずなのだが、それはそれで後ろ暗い事をしている者にとっては好ましくないことである。貴族たちの多くは大なり小なり、なんらかの秘め事を抱えていたし、貴族でなくともそれに連なる者、関係のある者達は山ほどいた。さらには、裏社会を牛耳っている八本指は深刻な病巣のように王国、とくに貴族たちの間にすっかり根を張っていた。

 それゆえ、今まで似たような話が出るたびに彼らの息のかかった貴族たちによって、資金がない、理想論でしかない、優先順位として他にやることがある、管轄権の侵害だなどといちゃもんがつき、取りやめになってきたのである。

 

 そして今回もまた、いつものようにラナーの提案は通らないものと誰もが思っていた。

 

 だが、今回に限っては違った。

 普段は通らないはずのラナーの提案が通ってしまったのだ。

 どこからかは不明だが、なんらかの勢力による政治的な後押しがあったらしい。

 

 しかも、そういう話に敏感なはずの当の八本指はというと、エ・ランテルという交易の一大地をギラード商会なる新興勢力に奪われた事、そして、それに伴う収益減、並びにギラード商会側にそれなりの人間が寝返ったことによる構成員の減少に苦慮しており、貴族たちへの根回しが十分でないまま、話が進んでしまったのだ。

 

 

 これにスタッファンはすっかり参ってしまった。

 彼は様々な便宜や口利きを図ることによって、本業以外に潤沢な金を稼ぎ、そして、この特別な娼館に来ることを許されているのだ。そういった事が出来なくなれば、この娼館を経営しているような裏社会の存在にとって、彼の利用価値が無くなってしまう。スタッファンはお払い箱という事になりかねない。

 

 そうなった時、自分はどうなるか?

 まず、この娼館に来ることが出来なくなれば、その欲望を満たすことが出来なくなる。我が事ながら、自分の情欲を我慢し続けられるとは思えない。そのうち己が欲望に耐え兼ね一般人に手を出し、その結果、衛士である自分が逆に檻の中へと放り込まれかねない。

 更には、スタッファンは一端なりとも裏社会の情報を掴んでいる。役に立たないと放置されるのであればまだいいのだが、下手をしたら口封じされるかもしれない。

 

 ――あくまで可能性であり、自分のようなちょっと裏と接触しただけの存在に、そこまで徹底した対応をとることは考えにくい。

 

 彼は想像に身を震わせつつ、必死で自分にそう言い聞かせていた。

 

 

 とにかく、彼が今やっている事、ならびにこれまでやっていた事が明るみに出ては拙いのだ。

 そこで彼は伝手を使い、国に報告する代わりに、とある貴族――流れをたどれば、六大貴族のレエブン侯の派閥にあるらしい――にその都度状況を説明し、リベートとして金を流すことで、自分のやっている事を隠蔽してもらっていた。

 

 当然のことながら、そちらに渡す分、自分が使える金が減る。

 こうして、ここに来る回数も、以前よりだいぶ減少する羽目になってしまっている。

 

 実際、これまでと違い、この娼館で楽しむ際にも、女に対して常に手加減を考えながらにしなければならなかった。

 女が死んでしまうと、その処理に手間がかかるため、少なくない別料金が取られるのだ。これまでは、特にそんなことなど考える必要もなかった。確かに安くはない額だが、常連であるスタッファンは付け(・・)が利くうえ、当時の彼の稼ぎ――主に副業の分――を考えると、特に困るほどの高額という訳でもなかったのだから

 だが、その料金まで、ラナー提案の施策が遠因となり、より厳重な隠蔽工作が必要となったことに伴い、格段に値上がりしているという有様である。

 以前よりかなり減った袖の下や、それの隠蔽の為に貴族に回す金を考えると、もはや軽々に殺してしまってもいいと言えるほどではない。

 

 

 

 彼は再び苛立ちまぎれに、こぶしを振るう。

 女はくぐもった悲鳴を漏らした。

 

 その哀れな女の姿に、スタッファンは興奮を一段と強める。自身の鼠蹊部において屹立したものを女の体内に突きたてる。新たな痛みに、彼女は身悶えた。そんな苦痛に歪む顔面にさらなる殴打の雨を降らす。

 元は整っていた顔、それが見るも無残に鼻骨が折れ、瞼は内出血で腫れあがり、唇は切れ、折れた歯が飛び散り、鼻から血がとめどなく流れ続ける。

 

 

 ――ああ、この女が、あの忌々しい第三王女だったら……。

 あのすました顔を、こんな風にボコボコに出来たらなぁ。

 

 スタッファンはそんな事を夢想しながら、もはや性欲と同期し抑えのつかなくなった暴力の衝動に身を任せた。

 

 

 

 スタッファンに組み敷かれ、暴力の嵐に晒されていた彼女は、譫妄(せんもう)なる意識の中にいた。

 

 彼女の脳裏に浮かんだのは、故郷の妹の事。

 故郷から連れ去られる前夜、彼女は妹に言った。

 

『辛いことがあったら、空を見上げなさい。私は貴族の下に行かなきゃならないけど、この空は私のいる所からあなたのいる所まで繋がっているわ』

 

 彼女は自分の上にのしかかる男から視線を外し、ふと上を眺めた。

 

 その視界に入ったのは夜空ではなく、彼女を閉じ込める檻である何の飾り気もない、煤と蜘蛛の巣が張った娼館の天井。

 

 

 そして、次に目に入ったのはスタッファンのまったく鍛えられもせず、タコ一つないぶよぶよとした拳。

 

 

 

 そうして、ツアレニーニャ・ベイロンは虫けらのように死んだ。

 

 

 

 興奮のあまりに、うっかり彼女を殺してしまったスタッファンは予想外の出費によって、それからしばらく安酒だけで我慢する羽目になり、更に機嫌を損ね、ラナーへの恨みをつのらせることとなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 コンコンコンとノックの音が聞こえた。

 

 こんな時間に誰だろうと、アルシェは訝しんだ。

 すでに夕食を終えた時間だ。他人の家を訪ねるには少々時間が過ぎている。

 一体、誰がこんな時間に、自分と妹たちとが暮らすこの部屋を訪れるというのか?

 

 

 

 ここはリ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテル。

 その中でも、そこそこに収入のある者が暮らす集合住宅である。

 アルシェは妹であるクーデリカ、ウレイリカと3人でこの部屋を借り、新たな暮らしを始めていた。

 

 幸いにも『フォーサイト』として、しばらく前までこのエ・ランテルで活動していたため、彼女の事を知っている人間は多かった。また滞在中に冒険で手に入れたものを頻繁に売りに行っていた事によって顔が繋がっていたこともあり、ワーカーとしての活動を辞めた今、彼女は魔術師組合で職を得ることが出来ていた。その収入も、これまでの蓄えに手をつけなくとも、十分3人で生活できる程が約束されていた。

 

 

 ――もしや、魔術師組合で何か緊急の用事でもできたのだろうか? ロバーはこの前、街を離れたばかりだから、こんなにも早くエ・ランテルに戻ってくるはずもないし。

 

 疑問に首を傾げながらも、とりあえずドアの方へと歩み寄る。

 その手には、愛用の杖を握って。

 

 

 そして、暴漢の可能性を考え、警戒しつつも扉を開けた。

 

 そこにいたのは、一人の男。

 お世辞にも立派とは言えない、はっきり言ってしまえば貧相という表現がしっくりくる容姿。その立ち居振る舞いは、長年の生活によって身に染みた卑屈さを漂わせていた。だが、その服装だけは、それなりといえるような代物であり、なんともちぐはぐな印象を見る者に与えていた。

 そんな男が今、戸口で花束を持って立っていた。

 クチナシの花束を持って。

 

 

 不審げな目を向けるアルシェに対し、彼は緊張に声を固くして言った。

 

「あ、あの……こ、ここにウレイリカがいるって聞いて来たんだけど、よ……。あ、……俺はザックって言うんだ……」

 

 頭を掻きながらの男の答えに、アルシェはピクンと片眉をあげた。

 

 

 『ザック』。

 

 時折、ウレイリカが口に出す人物だ。なんでも、昔から自分の世話をしてくれた人物だとか。

 だが、アルシェの記憶にある限り、ザックなる人物は聞いた事もない。自分がワーカーとして、家を留守にしている間に、家に来ていた男なのだろうかとも思ったが、一緒にいたはずのクーデリカに聞いても、そんな者は知らないという。

 

 ――この男性が、その『ザック』なのだろうか?

 

 

 アルシェは僅かに躊躇したものの、とりあえず彼を部屋に通すことにした。

 まずはウレイリカと会わせ、彼が妹の語る人物であるか確かめてみるべきだと考えたからだ。

 それに彼は1人だけであり、常に危険と隣り合わせであるワーカーの世界で生きてきたアルシェの目からして、その身体つきや動作から、戦いに身を置くものとは考えられず、万が一の際にも自分一人でたやすく制圧できると判断したからでもある。

 

 

 先導して廊下を歩く。

 貴族の屋敷であった実家と異なり、借りている部屋は数歩歩くだけで、居間へとたどり着いた。

 

 扉を開くと、今日はどんな本を読んでもらおうかとソファーの上で騒いでいたクーデリカとウレイリカの目がこちらに向けられた。

 戻ってきた姉の姿を認め、目を輝かせる2人。

 だが、その顔は後ろから現れた男の姿を目にし、両極端の反応を見せた。

 

 クーデリカは警戒に眉を顰ませ、対してウレイリカはその顔にぱあっと笑顔を浮かべた。

 

「ザック! ザック!」

 

 ソファーに腰かけたまま、ぱたぱたと腕を上下させ、喜びを表すウレイリカ。

 そんな彼女に対して、双子の片割れは怪訝(けげん)な面持ちで訊いた。

 

「ウレイリカ、ザックって?」

「ザックはザックでしょー? 何言ってるの、クーデリカ?」

「ザックなんて知らないよ、ウレイリカ。ザックってだあれ?」

「クーデリカ、何言ってるの? お家にずっといたでしょー?」

「いないよー」

「いたよー」

「いないよー」

「いたってばー」

 

 アルシェは2人の話に割って入った。

 

「えーと、ウレイ。ちょっと、訊きたいんだけど、ザックってどんな人なの?」

 

 クーデリカだけではなく姉からの問いに、ウレイリカは目を丸くした。

 

「えー。お姉さま、ザックだよ。昔から、お家にいたでしょ」

「もーウレイリカってば、そんな人、お家にいなかったよ」

「いたよー」

 

 再び始まった彼女らのやり取りに、もう一度アルシェは口を挟む。

 

「ごめん、ウレイ。もう少し詳しく話して。家にいたって、ザックは家で何をしていたの?」

「ザックはお家の執事だったよ」

「え……?」

 

 アルシェは妹の言葉に困惑し、首を傾げた。

 

「それって、ジャイムスじゃないの?」

 

 クーデリカが、ウレイリカの語った内容を聞き、不思議そうに言った。

 

「ジャイ……ムス……?」

「うん。うちの執事はジャイムスでしょ? ザックなんて知らないよ」

 

 

 そうして、クーデリカは長年フルト家に仕えていた老執事ジャイムスの容姿を思いつく限りすべて、事細かに話した。

 年を取り、すっかり白くなった髪と髭。穏やかな印象を与える容姿。皺だらけの顔。痩せぎすな身体。

 

 彼女の口から語られる言葉に、まるでパズルのピースが組み合わされるかの如く、一人の老人の姿が形作られていく。

 

 

 

 ウレイリカの瞳が、扉の所にたたずむ、先ほど彼女が親しみを込めて笑みを向けた男性へと向けられる。

 

 その身体がブルブルと震え出した。

 脳裏に紅の情景が浮かび上がってきた。

 あの時、目の前に広がった朱の色が。

 

「ぅ……」

 

 家のベッドに一人いたところ、老執事に抱きかかえられた。

 そして、訳も分からぬまま、夜の路地をどこかへ運ばれていたときに、突如、聞こえたくぐもった呻き声。

 

「うぁ……ぁ……」

 

 振りかざされる凶刃。

 倒れ伏した老執事。

 彼は襲い来る刃から、己が身よりウレイリカの身を守ろうと、必死だった。

 

「あ……うあぁ……」

 

 飛び散った鮮血がウレイリカの顔にかかる。

 息も絶え絶えの老人は、彼女に逃げるように声をかけるも、ウレイリカの足は縫い止められたかのように動かない。

 やがて、老人へ止めをさした凶漢は、血に濡れた手をウレイリカに伸ばした。

 その男の顔は……。

 

「う、うあぁぁ……うわあああぁぁぁ!!」

 

 ウレイリカの顔が歪み、その目からぼろぼろと涙がこぼれる。

 滂沱の涙でかすむ瞳が捉えるのは目の前の、彼女が生まれた時から傍にいて、やさしく見守ってくれていた老執事を殺した殺戮者の姿。

 

 

 ウレイリカは怯え、恐怖し、そして泣いた。

 

 突如泣き出した彼女に対し、双子であるクーデリカは最初、驚いたような表情を見せていたものの、やがて彼女と同様に泣き出してしまった。

 

 

 そんな妹たちを見て、アルシェは彼女たちを優しく抱きしめる。

 大丈夫、何も怖いものはない、私があなたたちを守ってあげるからと何度も言い含めた。

 

 

 そして、ふとアルシェが視線を巡らせると、部屋の戸口からは、『ザック』を名乗る奇妙な男は消え去っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夜のエ・ランテル。

 通りに面した窓や戸口からは灯りがもれ、のしかかる宵闇を都邑から追い払っている。

 酒を帯びた者達ががなり立てる蛮声と女たちの嬌声が響き渡る歓楽街の喧騒も遠い裏通り、その薄暗がりの中をザックは一人歩いていた。

 知らず知らずのうちに歯を食いしばり、手には少女の為に持っていったクチナシの花束をかたく握りしめていた。

 

 

 ――忘れていた。

 自分はクズだという事を。

 今更、まっとうな道なぞ歩く資格などない人間だったという事を。

 

 なんで、そんな単純な事さえ忘れていたのか。

 

 傭兵団という建前のほぼ野盗のような連中の仲間になり、これまで何人もの人間を罠にはめてきた。

 金持ちもいた。貴族もいた。

 醜い者もいた。美しい者もいた。

 年配の者もいた。年若い者もいた。

 そして、幼い少女もいた。

 

 これまで、ザックは直接手を下すなどという事はほとんどなかった。

 そういった荒事は、彼より手慣れた者、そしてそういった事が好きな者が手を下しており、ザックは自分で武器を振るうなどといった事はほとんどしてこなかった。

 

 しかし――。

 

 しかし、だからと言って、ザックに罪がないという事はけっしてない。

 直接、手を下していないだけで、彼らのおこぼれには喜んでありついていた。

 ザックもまた彼らと同類に過ぎないのだ。

 

 

 彼が今こうして生きて街を歩いているのは、奇妙な幸運をつかみ、驚くほど数奇な巡り合わせの道をたどったためである。本来ならば、ザックは縛り首になってもおかしくはない人間だ。

 奪われるより奪う方に回ろうと決意し、そしてその通りに生きた。

 そんな人間が、足を洗えるというのだろうか?

 今更まっとうに生きられるとでもいうのだろうか?

 

 ――そもそも、自分は今日、何をしに来たのだろうか?

 ウレイリカと会ってどうしようというのか?

 この前まで一緒にいたときのように、笑みを向けてくれると思っていたのか?

 仮に、その微笑みを向けてくれたとして、自分はどうしようと考えていたのか?

 また、一緒に過ごそうと思っていたのか?

 姉たちと一緒に、幸せに暮らしているウレイリカを、再び家族から引き離すつもりだったのか?

 

 それで幸せになれるとでも思っていたのか?

 ウレイリカが?

 いや、彼が願ったのは、ウレイリカの幸せではない。彼自身の幸せだ。ろくでもない人生を送り、彼の手は汚れきっていた。これまでの人生でいい事は何一つなかった。泥濘の中を這いまわるような人生だった。

 そんな人生に絶望していた時、何一つ罪の無い純真な少女に無垢なる笑顔を向けられ、全てを捨ててやり直せるのではないかと考えたのだ。偽りの上に立つ生活ながら、希望を持ってしまったのだ。

 こんな自分でも、幸せとやらを手に入れられるのではないかと思ってしまったのだ。

 

 

 だが――。

 

 だが、現実は結局のところ、同じだった。

 

 偽りはあっさりと壊れ、ザックは独り、このくそ下らない現実に取り残された。

 少女との数日こそが、まやかしだったのだ。

 自分のような人間が、人生をやり直せるはずも、幸せを掴めるはずもありはしないのだ。

 

 なんで、そんな当たり前の事すら忘れていたのか。

 

 

 

 そうして、欝々とした思考に囚われたまま、彼はどこを目指すでもなく足を進めていた。

 そんな彼の袖を引っ張る者がいた。

 

 彼は濁った瞳をそちらに向けた。

 

 その視線の先にいたのは幼い少女。

 ウェーブのかかった金髪は薄汚れており、そのそばかすの浮いた頬は痩せこけている。着ている服は、元はそれなりのものらしかったが、今は端々が擦り切れ、泥と埃で汚れていた。

 

 彼女はすでにしなびかけた花が入ったかごを抱えており、ザックに花を買わないかと尋ねてきた。

 

 

 ザックは少女をねめつける。

 その顔や身体つきを見る限り、あまりにも幼い。どう考えても、()を売るには早すぎる。更にその痩せぎすの身体。

 さすがによほど特殊な嗜好の持ち主でもない限り、買おうとはしないだろう。

 

 だが、少女はぎこちない様子ながらも、その顔に精一杯の笑みを浮かべた。

 彼女には弟がいる。自分と弟の食い扶持をどうにかして稼がなければならないのだ。

 

 

 そんな少女の必死な笑みを、ザックは死んだような表情のままに見つめていた。

 

 そして、少女の胸元に手にしていたクチナシの花束を放り投げる。

 吃驚しつつも、思わずそれをキャッチする少女。

 

 そんな彼女へ、ザックはポケットに手を突っ込むと、そこに入っていた物をばらまいた。

 

 

 彼女の周りにばらまかれたのは硬貨。

 窓から漏れる明かりを受けて光り輝く何枚もの金貨だった。

 

 驚きに目を丸くする少女。

 彼女はしばし、身を硬直させ立ち尽くした。

 驚愕から我に返った彼女が、男へ視線を向けると、ザックは幽鬼のような足取りで、エ・ランテルの街、その闇奥へと消えていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第9階層にある一室。

 この部屋は戦闘メイド『プレアデス』の共用部屋とされている。

 彼女たちが仲間内で会合をしたり、お茶会などをして交流を深める場として、用意されていたものだ。

 

 ゲームであったユグドラシル時代から、一応そういう設定はあったものの、この部屋がその目的で使用されることは無かった。

 雰囲気を出すため、あちこち歩き回るよう設定されていた一般メイドと異なり、侵入者を撃退することを目的として、第10階層へ降りた直後の広間でセバスと共に待機していたままの彼女たちには、時折にでも、この部屋にやってくるというプログラムなどはされていなかった。

 その為、あくまでただのロールプレイ用の設定として設置されていた部屋であったのだが、転移によってNPCたちが自らの意思を持ち動きだすようになり、遂に本来の役割を果たすこととなった。

 

 とは言え、この部屋を使う者は限られていたのが現状である。

 なぜならば転移以降、彼女たちにはそれぞれ非常に重要な任務が割り振られ、全員そろってのんびりしている暇はなかったからだ。

 

 

 この世界における調査、任務において、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルメンの他は誰もその姿を知らず(やまいこのリアル妹である『あけみ』などごくわずかの例外はあるが)、また人間に近い容姿をしているプレアデスの面々の価値は非常に高いものであった。

 

 彼女たちには様々な指示が言い渡された。

 

 ユリは、王都へ潜入しての情報収集。

 ルプスレギナは、冒険者に偽装し外界におもむいているアインズのお供。

 ナーベラルは、セバスと共に帝都での情報収集。

 ソリュシャンは、ベル付きのメイド。

 シズは、度々カルネ村におもむき、そちらに異常がないか監視、報告する役目。

 唯一、エントマだけが外での任務を割り振られず、ナザリック内で他のプレアデスが抜けた代わりに働いていた。

 

 その為、プレアデス全員の共有の場であったのだが、実際に使用しているのはナザリックから出る事がほとんどないエントマと、ナザリックとカルネ村を行ったり来たりしているシズの2人が使用するのみであった。今も、部屋の中央に置かれた赤いテーブルクロスの敷かれた丸テーブル、その周りに置かれたいくつもの椅子に腰かけているのはその2人だけである。

 現在はナーベラルも、長期間にわたった帝都での任務を終えてナザリックに帰還していたのだが、今はアインズとベルから、とある実験の為に呼び出されており、席を外している。

 

 

 室内は真ん中に置かれたテーブルの他は、壁に赤と黒を基調とした奇妙な絵画がかけられている程度で、取り立てて見るべきものはない。

 がらんとした空間だ。

 しかし、これはつい最近になって、当初通りの姿に戻された光景である。

 

 ほんの少し前までは、この部屋は別の様相を見せていた。

 姉4人がナザリックを長期間離れている間、部屋を使用していたのは先にも述べたようにシズとエントマのみであった。

 その頃、部屋の片隅には、シズが持ち込んだ様々な武器や兵装などが山のように積まれていた。そして、エントマの蟲たちが、その隙間を住居に暮らしていたのだ。

 

 ようやっと久しぶりにナザリックへ帰ってきたナーベラルはその室内の有様を目にし、盛大に顔をひきつらせた。

 そして彼女の号令の下、部屋の一斉片付けが行われ、ようやくかつての姿を取り戻したのである。

 

 その時、その光景を目にしたのがナーベラルであったのは幸いであっただろう。

 もし先に返ってきたのが、ナーベラルが想像して顔をひきつらせたように長姉であるユリであったのならば、整理整頓がいかに大切であるか、体で憶えさせられていただろうから。

 

 

 とにかく、そんなのどかな時間の流れる昼下がり。

 この部屋にいる2人のうちの1人であるシズは黙々とMG42の分解整備を行い、エントマはというと、コリコリと音を立てて、グリーンビスケットを齧っていた。

 室内にエントマがビスケットを齧る音と、シズの手元で金属と金属がぶつかり合う音だけが響く。

 

 そうしているうちに、ふとした事を思いついたエントマが声をかける。

 

「ねえ、シズぅ」

「……なに?」

 

 整備の手を緩めることなく、シズが尋ね返した。

 

「あのねぇ。ちょっと、みりんって10回言ってぇ」

「……みりん、みりん、みりん、みりん、みりん、みりん、みりん、みりん、みりん、みりん」

「じゃあぁ、鼻が長いのはぁ?」

 

 シズは間髪を容れずに答えた。

 

「ハナアルキ!!」

「なにそれ!?」

 

 




 文字を大きくする機能があるのに気がついたので、使ってみました。


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第九章 王国編
第66話 ベルベル王都へ行く


 ちょっとだけグロっぽい描写があるかも。

2016/12/8 「情報を打った」→「情報を売った」 訂正しました
「金属版」→「金属板」、「制作」→「製作」、「言う」→「いう」、「良く」→「よく」、「進行」→「侵攻」、「置ける」→「おける」、「眉根を潜ませた」→「眉を顰めた」訂正しました
2016/12/10 12/8に訂正したはずの「情報を打った」→「情報を売った」が訂正されていなかったので、訂正し直しました
ブルムラシュー侯の「侯」の字が「候」になっていたところがあったので、訂正しました
2017/7/10 「外憂内患」→「内憂外患」 訂正しました


「じゃあ、いきますよー! いいですかー?」

 

 遮るもの一つない荒野に響き渡るアウラの声。

 それに手を振り、了承の声をあげる。

 

 豆粒程度に小さく見えるほど遠くで、アウラが腰の後ろに下げていた大きな筒状のものを身体の前へと動かし、それを広げる。

 

 

 すると――一瞬、浮遊感がベルの体を襲った。

 

 そして、次の瞬間、周りには奇妙な山野が広がっていた。

 先ほどまで立っていた、草木の一つたりとも生えぬ、土塊が所々に転がっているだけという殺風景極まりないナザリック第8階層の荒野とはまったく異なる場所だ。

 

 

 ベルは足元の草を指でつまみとり、顔の前に持ってくる。そうして、じっくりと観察してみる。

 知識の無いベルには種別なぞ分からないが、見るからに草である。草の匂いもする。

 だが、なにか奇妙な、微妙に現実感の乏しい植物であった。

 

 辺りを見回した。

 とりあえず、目に見える範囲でつい先ほどまで隣にいたはずのアインズを捜してみる。

 だが棺桶の中以外、どこにいても目立つこと間違いなしの、露出狂かよと思うくらい胸元を大きくはだけた、あの骸骨の姿はどこにも見えなかった。

 自身の他は、少し離れたところにワールドアイテムを使った当の闇妖精が1人立っているだけだ。

 

 

 ふぅむ、という言葉を口から漏らし、しばし待つ。

 そうしているとアラームが鳴った。腕にはめた金属板からだ。

 そして、前もって行っていた打ち合わせ通り、〈伝言(メッセージ)〉の魔法を発動させる。

 

 ……しかし、繋がらない。

 

 何度かやってみるが、かけた先であるアインズに繋がる時の、いつもの感覚が起こらない。

 そうしていると、逆に〈伝言(メッセージ)〉が届く感覚があった。

 繋げてみると、案の定アインズからである。

 

《どうですか?》

《ええ、そっちからは繋がりましたよ。でも、こっちからかけても繋がらなかったんですが……着信拒否とかしてませんよね?》

《していませんよ。ベルさんからは通じず、私からは通じる。やっぱり、ワールドアイテムの有無ですかね?》

《ええ、おそらくはそうでしょうね。ワールドアイテムを保有していれば、ワールドアイテムである『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中にも〈伝言(メッセージ)〉を飛ばすことが出来るってことでしょうね》

 

 

 

 今、彼らがやっているのはワールドアイテムの効果の検証である。

 

 

 ユグドラシル時代はワールドアイテムを保有している者には、ワールドアイテムの効果は及ばなかった。

 それがこの世界においてもそうなのか?

 それを確かめてみるための実証実験である。

 

 

 そうして、ベルはアインズ以外の者、共に『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中にいるアウラや、別の場所で待機しているはずのナーベラルやシャルティアに〈伝言(メッセージ)〉を送ってみる。アウラには普通に繋がるのだが、ナーベラル及びシャルティアの方はというと、やはり通じない。

 

 

 しばし、そうして〈伝言(メッセージ)〉を送ってみていると、ベルの眼前、何もない空間が揺らめいた。

 虚空から現れたのはアインズである。  

 

「やっぱり、ワールドアイテム持ちなら、ワールドアイテムの効果を無視できるみたいですね」

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』で作りだされた空間内に忽然と現れたその姿を認め、アインズに話しかけるベル。

 それに対してアインズは「え、ええ……そうみたいですね……」とやや固い口調で返した。

 

 

 

 

 アインズは心配していた。

 イビルアイから聞かされた精神の変異。

 それが自分、そしてベルに影響を与えているのではないかという事に。

 

 考えれば考えるほど、これまでの行動で当て嵌まる点はいくつもあった。

 その事を理解した後、アインズは様々な理由をつけ、ベルと対面することを避けていた。

 故意ではないとはいえ、自分の軽はずみな行いの為に友人が変わってしまったという事実は受け入れがたかった。理性では、そうだと分かっていても、感情では否定したかった。

 事実を知った今、アインズはベルと正面切って向き合う事が出来なかった。

 

 

 だが、いつまでもそうして避け続けているわけにもいかない。

 ナザリックを統治するのはアインズとベルの2人であり、ずっと会わないままでいる事も出来ない。

 いつかは事実と向き合わねばならない。

 

 だが、そうは分かっていても気が重い事に変わりはないのだ。

 先延ばしできるものなら、先延ばししてしまいたい。

 その為、ついついなんらかの口実をつけて、顔を合わせないようにしてしまっていた。

 

 

 そうしてしばらくの間、過ごしていたのであるが、たまたま何の気なしにアインズが第9階層の執務室におもむいた際、ちょうど室内にベルが在席していた所に出くわしてしまったのだ。

 

 

 アインズは思わず、戸口で身を凍らせた。

 何の心の準備もなく、当の本人と遭遇したのだ。

 

 ベルは机上に肘をついて指を組ませ、それで顔の半ばを隠すようにして、自分の席に腰かけていた。

 顔の下半分は、その小さな手で覆い隠されているとはいえ、卵型の顔に浮かんでいるのが懊悩である事は容易に察せられた。可愛らしい少女の眉根は寄せられており、なにか生半(なまなか)に答えの出ないことに頭を悩ませている様子であった。

 そして、彼女は立ち尽くすアインズに視線を合わせることなく声を発した。

 

『アインズさん。……俺、思ったんですがね』

『……なんですか?』

 

 アインズは飲む喉すらない身ながら、生唾を飲みこみ、その背筋を這いずりまわるものを感じつつ、尋ねかえした。

 

 少女は顔をあげる。

 部屋に入ってきたアインズに初めてその瞳を向ける。

 やがて、ゆっくりとした調子で語りかけた。

 

『考えたんですが……人間がモン(むす)とやるのって無理じゃないですかね? 長さ的に』

『……なんの長さですか?』

 

 

 

 その後、いくつか話はしたものの、特段、これまでのベルと変化は見られなかった。

 

 よくよく考えてみれば当然だった。

 あくまで現在の少女の姿になってからベルの性格が変化したかもしれないという事について、ついこの前、イビルアイと話した事により、初めてアインズが気がつき、得心しただけなのだから。

 ベルが変わったのはこの世界に来た後、つまりかなり前からの事であり、ここ最近で変わったのは、その事を知ったアインズのベルに対する態度だけのはずである。

 アインズが気づいたからといって、ベルに新たな異変がある訳でもない。

 

 

 そして、久しぶりに会ったベルはアインズに対して、ワールドアイテムの効果の実験を提案してきた。

 当人を前にして、自らの内心の動揺と後ろめたさを悟られたくなかったアインズは、その提案に対し、一も二もなく首肯した。事実を知ってしまった後として、少しでもベルと親睦を深めたかったのだ。

 

 

 

 

 そうして、その後も〈伝言(メッセージ)〉や〈転移門(ゲート)〉などを使い、様々な実験を行ってみた。

 その結果、判明したことは、ワールドアイテムを保有している者ならば、ワールドアイテムである『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果を無効化できる。だが、ワールドアイテムを保有していない者からの場合は、たとえ相手がワールドアイテム保有者だとしても、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果の無効化は出来ないという事が分かった。

 

 例えば〈伝言(メッセージ)〉を使用した場合、同じ『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にいるアインズ~ベル間は普通に通じるし、ワールドアイテムを持っているアインズから、外にいるナーベラルには届く。だが、外にいるナーベラルからワールドアイテムを持っているアインズへは届かないようだった。

 

 

 

「こんなもんですかねえ」

 

 一通りの実験を終え、アインズに話しかけるベル。

 それに対してアインズは「ええ、興味深い内容でしたね。さすが、ベルさん」とやや早口で返した。心のうちにある負い目から、思わず追従(ついしょう)のような言葉を発してしまう。

 そんなアインズの挙動不審な様子に対し、ベルは僅かに眉を(ひそ)めたものの、特に追及することもなかった。

 

 

 何やら2人の間に微妙な、居心地の悪い空気が流れる。

 

 

「……えーと、じゃあ、実験終わったんで『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』ですけど、宝物庫に返してきますね」

 

 そう言って、アウラから(くだん)のワールドアイテムを回収する。

 ちらりと傍らの骸骨に目をやった。

 

「アインズさんも来ます?」

 

 その言葉に、アインズは顔を引きつらせて、ぶんぶんと首を振った。

 

「いえ! それはベルさんにお任せします!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使い、宝物庫に転移したベルは霊廟手前で待機していたパンドラズ・アクターに指輪を渡し、その奥へと足を進めた。

 その手には『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』が抱えられている。

 

 

 やがて、革靴を履いた足が最奥部へと達する。

 扉を開けると、その先にあるのは広大な空間。柱一つなく、その各所にいくつかの陳列棚が、本当にポツンポツンと並べられているだけの、空虚さすら感じさせる一室。

 

 宏闊(こうかつ)たる室内に比べて、置いてある物の数は圧倒的に少ない。

 しかし、ここにある物の価値は、どれも破格の代物ばかりである。

 宝物庫の入り口、部屋中を埋め尽くしていた金銀財宝の数々など、この部屋に安置されている物の足元にも及ばない。比ぶべくもない。塵芥(ちりあくた)に等しいと言いきっても過言ではない。

 

 

 設置された陳列棚一つに対し、その中に収納する物はたった一つ。

 

 この最奥部において、陳列棚――幾重にも厳重に罠が仕掛けられている――の中にしまい込まれている物。

 それはワールドアイテムである。

 

 

 ユグドラシルには200ものワールドアイテムが存在するという。

 その一つ一つが通常のアイテムとは比べ物にならない破格の効果を持っており、その希少性から、1つ保有しているだけでも、そのギルドは一目置かれるほどであった。

 そのワールドアイテムをギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は11個保有していた。彼らに次ぐのが3個所持という話であるから、11個も一つのギルドで所持しているというのは、他に類しないほどであるという事が窺い知れる。

 

 この最奥部には、あると言われていた200個のワールドアイテム全てを収納できるスペースがあった。もちろん、全てを独占出来ようはずもないのだが、その為の空間が作られていた。

 

 そして、この室内に置かれている陳列棚は20ばかりである。盗難防止トラップが仕掛けられた陳列棚は、作るのにも結構な素材が必要となるため、さすがに200個作っておくのは手間であり、とりあえず20個ほどが作られたのだ。

 だが、20ほどの陳列棚の内、本来の目的通り、内部にワールドアイテムが保管されているのは半分にも満たない。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が所持する11個の内、アインズに個人的な保有が許可されている物が1つ、アルベドに渡されている物が1つ、そして玉座の間にある玉座その物が1つであるため、この最奥部にあるワールドアイテムは8個しかない。

 

 

 いや、9個か。

 

 

 

 ベルは空になっていた棚、そこに『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』をしまうと、所定の手順で盗難防止の鍵や罠をかける。

 

 

 そして、それが終わると――油断なく周囲を見回した。

 

 動くものはない。

 

 

 この宝物庫に入れるのはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持つベルとアインズのみ。そして元から宝物庫内にいるパンドラズ・アクター。霊廟のゴーレムは抜かして考えると、この3者のみしか、この最奥部には侵入できないはずである。

 今、パンドラはベルのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを預かっている状態であり、霊廟を通ることは出来ない。

 そして、アインズはパンドラに会いたくないため、宝物庫の奥には来ようとはしない。彼が来ていないのは、パンドラから確認済みである

 

 

 ベルの感知に引っ掛かったものはいない。

 だが、念には念を入れ、ベルは幾個もの巻物(スクロール)を使い、周囲に生命ある者、そして生命ない者も含め、この地に自分以外の他者がいない事を確かめる。

 

 

 そうして、確実に誰もいない、誰の監視の目もない事を確かめると、彼女は一つの陳列棚に近づいた。

 

 罠を解除し、中に眠っていたワールドアイテムを取り出す。

 『ヒュギエイアの杯』

 魔法の光を受けて煌びやかに輝くそれを手にとると――ベルは傍らへと置いた。

 

 そして、その杯がしまい込まれていた奥底、一見何の変哲もない板を幾度か手で動かすと、音を立てて底部が動いた。

 

 

 ここに置かれている陳列棚、全てではないがその一部には仕掛けがしてある。

 万が一、盗まれそうになった時のため、上部にダミーを置いておき、本当のワールドアイテムはその奥に隠しておけるようになっているのだ。

 

 ウルベルトやタブラなど、ごく一部のギルメンたちがそういう仕掛けはどうだと言いだし、他の者達には秘密のまま、こっそり作ってみたのである。

 だが、その製作には予想以上に手間がかかり2、3個作ってみたところで、皆すっかり飽きてしまった。

 それと、そういうものを作っている事を知ったるし★ふぁーが似たような物を作ったのだが、それをよりにもよってぶくぶく茶釜が開けてしまい、彼女の身体が溢れだしたセンジュナマコに埋め尽くされるという事態になってしまった。そのため、彼女の勘気に自分たちまで触れぬよう、知らぬ存ぜぬ、悪いのは全部るし★ふぁーです、で押し通した事から、隠し場所のある陳列棚は、製作はおろか存在自体が他の者に知られぬままになってしまっていたのだ。

 そして、かつてのベルモットも、そのごく一部のギルメンの1人であったため、そういった細工がある陳列棚の存在を知っていた。

 

 ちなみにピンクの肉棒より、センジュナマコの方がビジュアル的にマシじゃないかというのが、ギルメンたちの総意であった。

 

 それはさておき、この『ヒュギエイアの杯』が収められていた陳列棚こそ、それまで特に使いこそされなかったものの、そういった仕掛けが作られた棚の一つなのであった。

 

 

 

 そうして現れた仕掛けの奥底から、ベルは1つの物を取り出した。

 

 それは、およそナザリックに所属する幾多の者達の中で、唯一ベルだけが存在を知っている物。

 

 

 ワールドアイテム、『傾城傾国』である。

 

 

 

 ベルはこの『傾城傾国』を手に入れてから、これをどう扱うべきか悩んだ。

 一番いいのはずっとアイテムボックス内にしまっておくことである。そうしていれば、なんらかの時にワールドアイテムによって攻撃されても、その効果をベルが受けることは無い。ベルは盗難防止のアイテムも所持しているため、いきなり盗まれるようなこともないだろう。

 だが問題となるのは保有している事が他の者、とくにナザリックの者達にばれないかという事である。

 入手した時のいきさつは誰にも知られていないはずであり、こうした思いに囚われるのも疑心暗鬼でしかないというのは我が事ながら分かってはいたのだが、だがそれでも、万が一にでも、誰かに疑念を持たれているかもしれないという懸念が付きまとうのはなんとかしたかった。

 

 そこで考えたのが、今回の実験である。

 ゲームの時と同様、ワールドアイテム保有者は、他のワールドアイテムの効果を無効化できるかどうかの実証実験という名目で自身をワールドアイテムの影響下に置いてみせる。そうすることで、ベルは今現在ワールドアイテムを保有していることは無いという事を、アインズを始めとした者たちに示すのが狙いであった。

 そして実験の為、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を取りに宝物庫の最奥にやってきた際に、自身が持つ『傾城傾国』をそこの陳列棚に隠したのであった。

 

 

 

 ふむ、とベルは先ほどの事を思い返す。

 その脳裏に浮かんできたのは、一通りの実験を終えた後のアインズの様子。ベルが声をかけたとき、アインズは狼狽えたような仕草を見せていた。

 

 

 ――なにか、疑念を持たれるようなことがあったか?

 いや、大丈夫だったはず。

 久しぶりにばったりアインズと顔を合わせたのだが、動揺は隠せたはずだ。

 秘かにワールドアイテムを手に入れ、それを秘密にしている後ろめたさに身を凍らせることなく、自然体で話をすることが出来た。

 なんでもないごく普通の、誰もが心悩ませる素朴な疑問の話題を振った。たとえ疑いを持っていたとしても、あれで機先を制することが出来たはずだ。

 

 その後は、実証実験を提案し、アインズの注意をそちらに向けさせた。

 アインズはナザリックのNPC達を大切に思っている。よくは理解できないが、妄執といっていいほどだ。彼らが危険に晒される可能性があるというのならば、今回の実験結果はおろそかには出来ず、そちらに意識を集中させるはず。自分への追及は(仮にあったとしても)二の次となり、甘い判断のまま、なあなあにできるだろうという思惑があっての事だ。

 

 ……いや、そもそも、ワールドアイテムがこちらの世界にあると知っているのは、ナザリックの者の中では自分一人しかいない。かえって、それを提案したことで、あるはずの無いワールドアイテムの存在を意識されてしまったのだろうか?

 

 

 そもそも最近、ベルが見る限り、アインズの様子がおかしい。

 なんだか、あまり自分と顔を合わせることもないし、ときたま相対した際にも、なにやらきょどきょどとした様子を見せる。  

  

 思い返してみるとアインズの様子がおかしくなったのは、帝国殲滅作戦を行ったあたりからだ。

 つまり、ベルが『傾城傾国』を手に入れた後くらいからという事になる。

 

 

 ――もしかして、ばれているのか?

 ばれた上で泳がされている?

 

 冷たいものがベルの背筋を走る。

 ベルは頭を振って、体に走る怖気を振り払った。

 

 

 ……まあ、いい。

 とにかく、一応のパフォーマンスは終わった。

 自分がワールドアイテムを保有していないと対外的に見せつけた上で、実際はこうしてワールドアイテム『傾城傾国』を所持している。

 これで、仕込みはばっちりだ。

 これからは『傾城傾国』は宝物庫ではなく、常にアイテムボックス内に放り込んだままにしておこう。これでもう、ワールドアイテムを恐れる必要はない。

 

 さて、次にやるべき事は……。

 

 

 

 そこまで考えたところで、〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 そのタイミングに、思わずビクンと身体が跳ねてしまう。誰にも見られていなかったからいいものの、明らかに挙動不審だ。気をつけねばと自戒し、大きく深呼吸してから、その〈伝言(メッセージ)〉を繋げる。

 

 

《ベル様、今、よろしいですか?》

 

 〈伝言(メッセージ)〉はデミウルゴスからであった。

 大丈夫だと伝えると、彼はさっそく本題に入った。

 

《王都の例の組織ですが、どうやら今夜、会合を開く模様です》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その室内は陰鬱たる空気で満たされていた。

 円卓についた9人の男女。彼らの顔に明るい色は見えない。

 誰もが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

 重くるしい雰囲気の中、八本指のまとめ役である男は定例会の開催を告げた。

 

 そうして、交わされる会話。

 様々な連絡事項や組織間での確認事項、ならびに情報のやり取りであるが、どれも景気のいい話は一つもない。

 

 

 

 今、王国に広く根を張る八本指は困った事態に直面していた。

 その原因は全てエ・ランテルに端を発している。

 

 ズーラーノーンの者が起こした大事件。そして、その後に勃興したギラード商会なる組織の台頭。

 それによって、八本指はエ・ランテルでの影響力を失ってしまった。

 それがまだ、どこかの地方都市であるのならばまだよかった。

 だが、失ったのは泡沫ともいえる町ではなく、城塞都市エ・ランテルである。そこが組織から外れた影響は決して小さいなどと言えるものではなかった。

 

 エ・ランテルは交易の要である。

 そこを敵対勢力に押さえられるという事は、活動範囲が一気に減少するという事だ。

 エ・ランテル自体、彼らの支配圏の中でも有数の利益が出る都市であったのに、それを失ってしまった。

 さらにはエ・ランテルを経由していた闇荷の物流は滞り、奴隷の売買も、ライラの粉末を始めとした麻薬の輸出も満足にできなくなったのだ。

 これにより、組織の収入が激減したのである。

 

 もちろん八本指としても、それを座視している気はなく、幾度も密偵の潜入、そして商会関係者の暗殺を謀ったのであるが、そちらはことごとく失敗するという有様。

 そして、その話が広まると――それまでもギラード商会側に寝返った者はいるのだが――さらに多くの人間が八本指に見切りをつけて、そちらに行ってしまった。

 

 裏社会の人間にとって舐められるというのは死活問題である。

 何とか状況を立て直そうと画策したのであるが、どれも上手くいったとは決して言えない状況であった。商会自体は昔から存在しているものであり、そこにはなんらかのバックがついた事までは掴めたのであるが、一体どういう手品を使っているのか、そこから先が全くつかめないのだ。

 

 

 そして、もう一つ不気味な点がある。

 そんな謎の存在であるギラード商会であるが、エ・ランテルの全てを支配下においた(のち)、それ以上勢力を拡大するというそぶり(・・・)を見せないのである。

 

 一体、何を考えているのか?

 そもそも、背後にいるのは何者なのか?

 

 正体を掴めない、得体の知れない相手を前に、八本指はどう対処していいのか分からず、手をこまねいたまま、何の有効な対策も取れないというのが彼らの現状であった。

 

 

 そうして、会議は続く。

 麻薬組織を代表しているヒルマの口から――昔は美しかったものの、すでにとう(・・)が立った彼女の顔には、化粧でも隠せぬクマが浮かんでいた――国外に流せぬ麻薬が完全にだぶついており、その保管にかかる金額もかさみ、一部は値崩れを起こさぬために廃棄処分としている旨が報告されていた時――。

 

 

 

 外から、なにやら騒ぐ声が聞こえてきた。

 

 室内にいた者達は、何事かと首を巡らせる。

 全員の目が集まる中、重い両開きの扉が開き、そこから数人の男女がこの会合の場へと入ってくる。

 

 その姿を目にしたものは誰もが息をのんだ。

 彼らの事を知らぬ者は、この場にはいなかった。

 

 

「よお、みんな集まってるな」

 

 

 そう気軽そうに声をかけつつ歩みを進める、新たに現れた男女。

 

 彼らは元八本指の一員である。

 荒事を専門とする警備部門の中でも最強の『六腕』と謳われ、そして(くだん)のギラード商会に寝返った『千殺』マルムヴィスト、『踊る三日月刀(シミター)』エドストレーム、そして、『空間斬』ペシュリアンであった。

 

 

 室内にいた者達は、皆それとなく視線を動かした。

 彼らの視線の先にいたのは、円卓についていた一人。

 (いわお)のような肉体を持った禿頭(とくとう)の大男。

 警備部門、いや、多くの人員を抱える八本指において誰もが最強と認める人物。

 

 『戦鬼』ゼロである。

 

 

 彼は皆の視線が自分に集まっている事を知りながら、どっかと腕を組んで椅子に座ったままだった。

 

 だが、ゼロの近くにいた者たちは、がたがたと椅子の音を立てさせて、彼から距離をとった。

 今、彼の身体からは、自分を裏切っておきながら、ぬけぬけと姿を現したかつての部下たちに対する殺気が垂れ流されていた。

 

 

 だが、対するマルムヴィストらはそんなゼロの態度になんら頓着(とんちゃく)する様子はない。彼は円卓に近づくと、そこに腰かけた。

 

「さて、今日は皆にいい話を持ってきたんだ」

 

 そうなんでもない事のように話す。

 

「なに、話は簡単さ。うちの……」

「貴様ら」

 

 マルムヴィストの言葉をゼロが遮る。

 

「よくも俺の前に姿を現せたものだな」

 

 性根据わった豪胆極まりない者でさえ思わず身を(すく)ませてしまうような、その声色。

 だが、マルムヴィストは相変わらず、軽い口調で答える。

 

「おっとと。怒らないでくれよ、()ボス。いやあ、だって仕方ないだろ。今のボスの方がアンタよりもっと強いんだからよ」

 

 その言葉に、エドストレームとペシュリアンもまた頷く。

 

 

 瞬間――轟音と共に、円卓が弾け飛んだ。

 

 ゼロが己の身から湧き出す憤怒のままに、その力を振るったのだ。

 

 

 濃厚なまでの殺意をまとわせ、立ち上がるゼロ。

 その様子に、さすがにマルムヴィストも飛びのいて距離をとった。

 

「……おい。そのボスとやらはどこにいる? 俺の前に連れてこい!!」

 

 もはや嚇怒(かくど)を抑えすらしないゼロ。それに、マルムヴィストが答える。

 

「ああ、そりゃ、ちょうどよかった。実はもう来てるんだよ。いや、今日はボスを皆に引き合わせるためにわざわざやって来たって訳さ」

 

 そうして、いまだ開け放たれたままの入り口の向こうへと声をかける。

 

「ボス―。いいですよー」

「ああ、もういい?」

 

 そうして現れた存在に、誰もが呆気にとられた。

 マルムヴィストの声に返事を返し、室内に入ってきたのは2人の女性。

 

 1人は目を見張るような美しいメイド。美しい金髪を縦ロールに整え、その絹のような肌もあらわなメイド服に身を包んだ女。

 まあ、彼女は分かる。

 美しい女を侍らせるのは力や資金、政治力などがあるから出来ることでもある。美しい女性を探し出し、自分に仕えさせることで、自らが行使できる力を周囲の者に誇示しているのだ。

 

 だが、問題はその前を歩く人物。

 普通に考えると、そんな彼女を従えている人物という事になるのだが……。

 

 

「やあ、みんな、初めまして。自己紹介するね。ボクはベル。まあ、長い付き合いになるか、短い付き合いになるかはそれぞれかもしれないけど、よろしくー」

 

 鈴が鳴るような耳に心地よい声で挨拶したのは、少女である。

 到底、大人と呼べるような年齢ではなく、まだ子供の域を出ていない。その顔には、あどけなさが残り、腰まで伸びる銀髪は毎日丁寧に手入れをされているのが見て取れた。

 

 ――はて? どこかの有力貴族の娘だろうか?

 

 それがこの場にいた者達の大方の推測であった。

 この突然現れた少女にどんな対応していいのか、誰もが計りかねていた。

 

 

 そんな中、1人だけ、怒りを露わにした者がいた。

 ズン! という音と共に室内が揺れた。

 他の者達が恐怖に顔を引きつらせ、目を向ける先には憤怒に震えるゼロ。その足元からは、放射状に亀裂が走っている。

 

「ガキめ、貴様なんぞに用はない! 俺より強いとかいう『ボス』とやらを連れてこい!」

 

 吠えるゼロであったが、それに対して少女はその可憐な顔に笑みを浮かべた。

 嘲りの笑みを。

 

「やれやれ。弱い犬ほどよく吠える」

「なに!」

 

 猛るゼロを丸っきり無視し、傍らの伊達男に顔を向ける。

 

「ねえ、マルムヴィスト。ゼロっていう奴はこのハゲでいいの?」

「ええ、そうですよ」

「ふぅん。そうなんだ」

 

 そう言って、ベルは冷たい瞳でゼロを見る。

 

 

 その刹那、何かが周囲の空気を変えた。

 実際に冷気が走ったという訳ではない。しかし、身の毛もよだつような感覚がその場にいた全員の背筋を駆け巡った。

 誰もが、思わずその身を震わせた。

 それはゼロとても例外ではない。

 

 

 彼は瞠目した。

 目の前の少女をまじまじと見つめる。

 

 

 ――自分が恐怖に震えるなど、それこそ物心ついてから、ついぞ感じたことなどない。それが今、このベルと名乗る少女を前にして、必死で震えを抑えねばならぬほどの有様である。

 一体なぜ、こんなにも鳥肌が立つような感覚を覚える? なんらかの特殊技術(スキル)、もしくは生まれながらの異能(タレント) だろうか?

 一体、この少女は何者なのだ?

 

 

 ゼロが凝視する当の少女は、何の気負いもせずに、てくてくと彼の許へと近寄ってきた。

 

 そして、ゼロの腰につけたベルトのバックルを片手で掴むと――彼の身体を無造作に放り上げた。

 100キロは優に超える、ゼロの巨躯が軽々と宙を飛び、音を立てて天井へと叩きつけられる。

 

「ぐあっ!」

 

 上がったものは当然重力にひかれ落下する。

 彼の身体は今度は床へと叩きつけられた。

 

 うめき声をあげ、全身を襲った衝撃に耐えるゼロ。

 おそらく骨にヒビでも入ったかもしれない。

 だが、彼は痛みをおして立ち上がった。彼の戦士としてのプライドが地に伏したままというのを許さなかったからだ。

 

 しかし、その姿に感銘を受けるべくもなく、ベルはもう一度ゼロを天井に放り上げ、叩きつけた。

 

 そして再び床に落ちたゼロの、今度は足をひっつかむと、濡れ布巾を振り回すかの如く、勢いをつけて石床にゼロの身体を叩きつけた。

 右に叩きつけたかと思うと、今度は左に。

 左に叩きつけたかと思うと、今度は右に。

 幾度も幾度も叩きつけた。

 

 

 もはやそれは戦いといえるものではなかった。

 相手に対する敬意も敵意もなく、ただ作業として痛めつけているだけであった。

 

 

 その(さま)を目の当たりにしている者達。

 マルムヴィストなど元よりベルの強さを知っている者を除いた誰もが、理解しがたい光景にただ口をぽかんと開け、呆けたまま見ているより他になかった。

 

 およそ、スプーンより重いものを持ったこともなさそうな少女が、自分たちの知りうる限り、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフに匹敵するであろう八本指の警備部門長であるゼロを子ども扱い、いや子猫以下の扱いをしている。それも相手は、そんな非道な事は誰もやらないだろうという思う情理を超えた残酷さを伴って、だ。

 

 

 しばし、そうしていた後、抵抗のそぶりを見せなくなったため、ようやっとベルは掴んでいたゼロの足を離した。

 すでにゼロはボロ雑巾のごとき有様である。

 

 ベルはそんなゼロをひっつかみ、顔を上げさせると上唇を掴み――力任せに引きちぎった。

 

 ついぞ誰も聞いたことがないゼロの悲鳴が、室内に響く。

 ベルはそれに構うことなく、そのまま力に任せゼロの顔面、その表皮も肉も、白い歯すらさえも、その白魚のような手でブチブチとむしり取っていった。

 

 血と肉片が辺りに――凍り付いたように身動きできない、八本指の者達の上へとばらまかれた。

 

 

 ひとしきり引きちぎり終えると、すでに骨や目玉が露出し、息も絶え絶えの顔面に回復のポーションをかけてやる。

 どれほど高い効果のポーションだったのか、傷は瞬く間に癒え、ゼロの顔がすっかり元通りに戻った。

 そして、ゼロが驚きに何か声を発する前に、再びその顔をむしり取っていった。

 

 

 それを幾度か繰り返した後、ベルは手を離した。

 もはや抵抗どころか力をいれる気力すら失ったゼロは、そのままどうと床に倒れ伏した。

 

 ベルはゆっくりと周囲の者達を見回す。

 視線を向けられると、彼らは皆、(おこり)のように身体を震わせた。ガチガチと音がなるほど、歯と歯が噛みあわされる。

 それはベルの苛烈さをすでに知っていた、マルムヴィストらすらも例外ではなかった。

 この中ではただ一人、ソリュシャンだけがうっとりとその光景を眺めていた。

 

 

 ベルは血と肉片で真っ赤に染まった小さな手を、べちゃっべちゃっと音を立てさせて叩き、すでに十分すぎるほど集まっているのであるが、注目を集めた。

 

「はい。じゃあ、皆、聞いてね。えーと、これから八本指はボクがしきる事にします」

 

 そう子供っぽい口調で言った。

 

「文句のある奴は殺すけど、皆、それでいいかな?」

 

 八本指の幹部たちは否応もなく、壊れた様に首を幾度も縦に振った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「今こそ、こちらから帝国に攻め込む番でしょう」

「全くですな。いい加減、帝国の侵攻を迎撃するのには飽き飽きしてきました」

「帝国の愚か者どもに我らの恐ろしさを知らしめる時が来たという訳ですな」

「違いありません。まさに伯爵殿のおっしゃる通り」

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王都に立つ王城ロ・レンテ。

 その敷地内にあるヴァランシア宮殿の一室において、つぎつぎと声が上がる。

 

 今日、ここで行われているのは王国における、いつもの宮廷会議である。

 そして、いつものように貴族派閥の者達が、敵対している隣国バハルス帝国を打ち倒そうと気勢をあげているのであるが――今回は、普段とは少々異なる様相を呈していた。

 

 

「うむ。まさに今こそ千載一遇の好機ですな」

「いささか敵失に乗じた感はありますが、今こそ絶好の機会」

「ええ。ここは行動すべきときでしょう」

「しかり、こんな好機を逃す手はございませぬな」

 

 

 今回に限っては、王派閥の者達さえ口々に主戦論を述べていたのである。

 

 

 いつもならば、血気盛んな貴族派閥に対して、王派閥側はそれを抑える形で話が進む。

 現状、王国が帝国に戦争で勝利する事はほぼ不可能である。これはいかんともしがたい事実であった。

 その為、国王に連なる王派閥の者達は、あくまで帝国の攻勢をしのぐことを第一とし、大規模な戦端を開くことは回避しようと努めていた。

 対して貴族派閥の者達はというと、当然彼らもまたそんな事は分かってはいたのだが――一部、理解していない者もいるのであるが――王派閥が戦いに消極的な態度を示しているため、それを痛罵することによって、相手の勢力を減じようと画策していた。

 

 はっきり言ってしまえば、帝国という国外の要因を口実とした、国内での足の引っ張り合いである。

 まさに内憂外患の極みである。

 

 もし王派閥が戦いに積極的な態度を表したとしたら、今度は貴族派閥が消極的な態度を示すであろう。

 

 そんな反対の為の反対、揚げ足取りといちゃもん付けと言ってもいいようなやり取りが繰り広げられるのが常であったのだが、今回の会議では違った。

 

 

 例年の帝国との戦争は、雌雄を決するための戦いというものではなく、あくまで形式的な『戦争』程度に過ぎなかった。

 本気で戦争をした場合、互いに人的被害が深刻なものとなる。仮に勝利しても、それで相手の領地を占領すべき人材がおらず、それどころか自国の統治に支障が出ては元も子もない。

 その為、例年の戦争ではエ・ランテル近郊において、互いに兵力を出してにらみ合い、適度に小競り合いを行って、それで終了としていた。

 帝国は毎年作物の収穫時期を狙って、その『戦争』を仕掛けてきており、それに対するための兵士の徴兵によって、王国の国力を年々減少させることに成功していた。その事は王国としても、憂慮していたのだが、専業兵士である帝国の騎兵に対して、数は多くとも徴兵した農民では優位に立つことは出来ず、なんら打開策もないまま、ずるずると真綿で首を絞めるような破滅への道を進んでいくしかなかった。

 

 

 しかし、今年は帝国に異変が起こった。

 

 およそ2か月半ほど前に起こったビーストマンの襲来。

 いったいどこから現れたのかは不明であるが、帝国全土をはるか南東にいるはずのビーストマンの大群が襲撃した。

 さらには謎の魔物に帝都アーウィンタールが襲われ、彼ら自慢の帝国騎士団は壊滅、ならびに主席魔法使いフールーダ・パラダイン、そして現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスまでもが死亡したのだ。

 これにより、現在の帝国は大混乱に見舞われている。

 もはや国として一つにまとまることは叶わず、各勢力が己が欲望のままに群雄割拠する有様を呈している。

 そして、その実情は隣国であるリ・エスティーゼ王国にまで届いていた。

 

 

 それは王国貴族にとって涎が出んばかりの状況であった。

 

 

 弱った帝国を攻め、王国の――自分の支配する領土を拡大する。

 まさにこれまで夢想するしかなかったような好機。

 そんな千載一遇のチャンスが、目と鼻の先に転がっているのである。

 誰もが一様に、欲望の光を目を灯らせていた。

 

 

 

 

「王よ。ご決断を」

 

 皆の視線が玉座に腰かけ、王冠を頭に載せた老人へと注がれる。

 

 リ・エスティーゼ王国、国王ランポッサⅢ世。

 彼は王笏を握り、立ち上がった。

 

 

「我らは平和を愛し、周辺諸国と手を携えることを願ってきた。誰もが奪われず、犯されず、命を奪われることない友和に満ちた世界を望んでいた。だが、その平和への思いは無残にも引き裂かれることとなった。長年にわたり強欲なまでの領土的野心を持って、神聖なる我が領土を脅かしてきた悪逆非道たる隣国がいたせいである。そんな不善極まりない奸邪(かんじゃ)の輩に対しても、我らは忍耐を重ね、徳と義を説いてきたが、遂に彼らは耳を貸そうとすらしなかった」

 

 

 ランポッサⅢ世は温厚ではあれど、愚鈍でも怯懦(きょうだ)でもない。

 彼自身、この王国と帝国の状況を何とかせねばと常に考えていた。

 しかし、彼が即位した時には、すでに王国内部は貴族たちの勢力争いが蔓延していた。そして、そちらに忙殺されている間に、新たに即位した帝国の鮮血帝ジルクニフは瞬く間に帝国をまとめ上げ、その牙を王国に向けてきた。このハラスメントとでもいうべき『戦争』によって、年々国力を減少させられることを余儀なくされており、このまま続けられれば、数年内に王国は限界を迎えるだろう。そして、その時こそ、帝国は一息に王国を呑み込むであろうことは、十分に予測できていた。

 

 だが今、そのジルクニフは死に、帝国は混乱に陥っている。

 今こそ、長年にわたる愁苦辛勤(しゅうくしんきん)たる現状を覆すことが出来る唯一の機会かもしれない。

 

 

 彼は目の奥に光を湛える。

 

 ここで帝国を叩く。

 完全には滅ぼせなくとも、帝国領を広く支配下に収めることが出来れば、後顧の憂いを絶ち、安心して自分の子供たちに王国を継がせることが出来るかもしれない。

 

 

「皆よ。我は決断する」

 

 

 ランポッサⅢ世は厳かに言った。

 

「我は断腸の思いながら、扼腕(やくわん)の思いながら、今ここに決断する。不実なる者に正義の鉄槌を下す。我らリ・エスティーゼ王国はバハルス帝国の征伐を開始する」

 

 

 

 こうして、これまでの政情からすれば異例ともいえる、リ・エスティーゼ王国からバハルス帝国への侵攻作戦が決定されることとなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 数台の馬車が邸に駆けこんできた。

 そのどれもが貴族としての格を示すかの如く、ここ王国ではめったに見ることもないほどの立派な設えと造りの馬車である。

 

 王都における自分の私邸に帰ってきた彼は、小間使いが用意したタラップを降りると、時間も惜しいとばかりに、護衛の者達が皆降りてくるのを待ちもせず、足早に邸内へと足を踏み入れた。

 己が主が通りすぎるのを、邸の執事やメイドたちは頭を下げて見送る。

 そして、彼はドレッサールームへとたどり着く。

 部屋の中央に立つと、年配のメイドの合図と共に、替えの服を手に見目麗しいメイド達がその服を着替えさせた。

 大貴族である彼は、特に何するでもなく、纏わりつく者達の手によって着替えをすませながら、これからの事に頭を巡らせていた。

 

 やがて、着替えが終わる。

 王城へ赴くための正装から、普段使いの服に着替えた彼は、ちらりと姿見に目を向ける。

 そこに映し出されていたのは、先ほどまでの見栄えのいい豪華極まりないものから、高価ながらも派手すぎず品の良いといえるものへと衣装を変えた、整った顔立ちの中年男性。

 

「お似合いです。ブルムラシュー侯」

 

 年配のメイドの声に、彼は軽く頷いた。

 

 

 

 着替え終わった彼は自身の書斎へと移り、まずは一杯ひっかけた。

 カルヴァドスの甘い香りと口当たりが、先ほどまでの宮殿でのゴタゴタを洗い流してくれるような気がする。

 

 そして、彼は目の高さにグラスを持ち上げ、中に半分ほど残る琥珀入りの液体の揺れる様を眺めながら、彼が今後やるべきことを、帝国への侵攻作戦における自分の優先事項を考えた。

 

 

 彼が最も重視すべきこと。

 それは自分が儲けることである。

 

 もちろん、これから始まる帝国の領土切り取りレースは実に魅力的だ。領土が増えれば、そこから吸い上げられる税なり資源なりが期待できる。

 しかし――。

 

「しかし、だ」

 

 彼はつぶやく。

 

「仮に領土を増やしたとしても、それが利益に結びつかなければ、増やす価値はない」

 

 

 非常に遠い飛び地を手に入れたりすれば、領地の維持管理にも多額の金がかかる。また、収益をあげるのに多額の投資が必要な場合も考えられる。投資した結果、投資額を上回る利益が上がればよいのだが、思ったほど利益が伸びずに回収率が低いままになる可能性もある。そんな事になるのならば、最初から領地を増やさず、その代わりに交易に絡んだ方がいい事もある。下手に鉱山を経営するより、鉱山で働く者の衣食住などのインフラを一手に引き受けた方が利益になることもあるのだ。

 

 それに領地を増やすにしても、それを管理する人員を雇わなければならない。

 人員というものはそうそう増やすことは出来る物ではない。彼も若いころはしがらみだらけの貴族より、在野から背景や身分の貴賤など気にすることなく、有能な人材を捜した方がいいと考え、それを実行した事があった。

 だが今では、そんな事はするだけ無駄であり、おとなしく繋がりのある貴族から人を雇った方がマシという結論に至っていた。

 

 まず、教育の問題がある。王国領内においては平民一人一人に至るまで満足な教育が施されているとは言い難い。農村などでは読み書きすら出来ないものも珍しくはない。それは彼の領地においても同じことである。必然的に教育、それもある程度の高等教育を施されているのは貴族に限られていた。

 

 それでも、平民でも取り立ててやり、仕事を覚えさせればものになるはずと考え、あれこれやってみたのではあるが、結局のところ、上手くはいかなかった。

 

 まず、その出自を問わず、有能なものを採用するという事は、一体その人物が本当に有能か否か、しっかりと見極めなくてはならない。

 さらには、その者が信用に足る人物であるかという問題がある。見込みがあると思って雇ってみたら、実は口だけの人物であったり、それだけならまだしも詐欺師や余所から送り込まれたスパイなどだったなどということも多々あった。

 また、最初からそのような企みをもった者でなくとも、長い期間をかけて、教え育ててやった人物なのに、余所から高額の報酬を提示され、引き抜かれてしまったなどという事もある。それにより、長期で立てていた計画が崩れてしまい、修正に苦慮する羽目になってしまうなどの問題も多発したのである。

 

 対して縁故採用の場合、まずその者の事を紹介した人間がある程度の保証をすることになる。おかしな人物を紹介したのならば、紹介者の評判が下がるのだ。そして当然、紹介した人間がなんらかの損失を引き起こした場合も、紹介者は知らぬ顔は出来ない。自身の評判を下げたくなければ、代わりに損失の保証をせねばならない。

 その為、紹介者は下手な人物を紹介することは出来ず、また紹介されたものも、自分が下手を打てば紹介者に迷惑がかかるため、おかしなことは出来ない。言うなれば、互いにがっちりしがらみの網に絡まれている状態である。

 守るべきものがあるため大胆なことは出来ず、極端に優秀な者もそうそういないのではあるが、そこそこの仕事くらいなら任せられる者も多い。また、裏切りなどを心配する必要も少なく、ある程度の信頼をおけるとあって、ブルムラシュー侯としてはそちらを重視する方針に変更していた。

 

 

 今、彼の領地で働いている者の中で動かせる者は何人くらいいるか。また自らの派閥に連なる貴族の中でそういうものが任せられる者として誰がいたか、しばし記憶を辿って考えた。

  

 とにかく、領土を得るにしても、何処を得るべきかは十分に考えなくてはならない。

 無駄に他の貴族たちの妬みを買う気もない。その辺は上手くやらねば。

 自分が求めるのは富であって権力ではないのだ。

 名は捨てて、上手く甘い汁だけ吸えればそれでいい。

 

 

 だが、そこに思い至ったとき、ブルムラシュー侯の整った顔がわずかに歪んだ。

 

「今回に関しては早めに、そして上手く動かねばならんな」

 

 そう。本当は自分が考えるのは己が利益の事だけならばよかったのだが、今回に関してはそうもいっていられない。

 彼には帝国侵攻に深く関わらねばならぬ理由があるのだ。

 

 

 彼、ブルムラシュー侯は数年来、帝国と秘かに友誼を結んでいた。

 表面上は敵同士であるのだが、その実、金の為に王国の情報を帝国に売り飛ばしていたのだ。

 

 

 彼自身はその事に何の良心の呵責を覚えることもない。

 自分は高く売れる商品を持っており、高く買いたいと願う客に売って何が悪いという心持であった。

 それに将来のことを考えれば、王国に未来はなく、今のうちに帝国に顔をつないでおくのも決して悪い手ではなかった。

 

 

 だが、事態は急転した。

 かつて国と国とのパワーバランスの上で優位にあった帝国は壊滅しかけており、彼の属する王国が逆に帝国領に攻め込もうというのだ。

 

 

 ブルムラシュー侯が心配するのは、ただ一つ。

 彼が帝国に情報を売った証拠が残されていないかという事である。

 

 もし、それが記録として残されており、帝国の都市を支配した王国軍がそれを見つけた場合、いささか拙い事態となる。まだ、見つけたのが下級将校たちであれば、彼らを買収することも出来る。だが仮に、それが彼と同じ六大貴族、もしくは王のもとに届いたとしたら……。

 六大貴族という看板を持つ彼の首がいきなり斬られることは無いだろうが、弱みを握ったものが彼にどんな要求を突きつけるか分かったものではない。

 政治的な協力ならばまだいい。

 それで彼の財産が減ることにでもなったら……。

 

 

 彼は自分の想像ながら、憤懣やるかたない思いで一杯となった。

 自分がやったことを棚に上げて、悲憤慷慨(ひふんこうがい)し、悲しげな様子で首を振った。

 

 

 

 彼はもう一口酒を口にし、心を落ち着ける。

 

「そうだな。最優先すべきは、その記録があるかどうかだな。……ふむ。ならば、ボウロロープ侯らの軍と共に動くのが得策か。あの戦馬鹿ならば、敵を倒すことばかりに気を取られ、それ以外の事には目を向けんだろうからな。そうすれば、こちらの戦力も温存できる。うむ、いい考えかもしれんな」

 

 そう独りごちていると、扉をノックする音が響く。

 入室を許可すると、年老いた家令が入ってきた。

 

 何の用事か尋ねると、老人は口元の髭を震わせ言った。

 

「旦那様。今夜なのですが、夕食の御招待が来ております」

 

 その答えにブルムラシュー侯は、はてと首をひねった。

 

 

 有力貴族である彼のもとには、ひっきりなしに繋ぎを取ろうとする多くの者達からの誘いがある。

 だが、彼は王国でも六大貴族として、最も格の高い貴族派閥の長である。当然のことながら、そんな誘い全てを受けるわけにもいかない。

 その為、彼に会いたければ最低でも数日は前に連絡し、アポを取るのが普通である。

 もちろん、連絡したからといって確実に会えるわけでもない。相手の格式や立場によっては後で中止とされたり、時には門前払いを食らう事すらあり得る。

 

 ――そんな自分に対し、数日の時も置かず、今夜の予定をねじ込む者……。

 

 彼はちらりと年老いた家令に目をやる。

 この家令は昔から彼に仕え、有能かつ信頼のできる男だ。

 下級貴族などから面会の要望などが来ても、その全てをブルムラシュー侯自身が判断してはいられない。その為、会うべきか会わざるべきか、それらの大まかな選別もこの男が行っていた。

 

 その彼が急な面談を要請されて断らずに、自分の所まで話を持ってくるような相手……。

 

 

 ――同じ六大貴族の誰かだろうか?

 それとも、王族?

 

 

「いったい、誰からの招待なのだ?」

 

 尋ねたブルムラシュー侯に老人は答えた。

 

「はい。ギラード商会のヤルダバオトという御方からでございます」

 

 

 




 すっかり忘れていた設定。

 ベルは〈戦慄のオーラ〉というオリスキルを使える。


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第67話 ブルムラシュー侯との会談

2016/12/15 「現す」→「表す」、「臭い」→「匂い」、「~見せる」→「~みせる」、「元」→「許」 訂正しました


「金を儲けるという事はなかなかに、周りの者に理解されないものでな。私もこれまで、業突く(・・・)だの金の亡者だのと散々言われたものだよ」

「なるほど。物事を一面でしか見ない愚か者、自らの能力不足からくる嫉妬を清貧という仮面で覆い隠した卑怯者の言いそうなセリフですな」

 

 ブルムラシュー侯の言った言葉に、その対面に位置する男――ギラード商会のヤルダバオトを名乗っていた――は深く頷いた。

 

 男の笑顔を前に、グラスに注がれたワインを口にする。

 酸味と渋みが口腔に広がる。

 

 だがその味は、目の前に出されている料理と同じく、まあまあという程度のものでしかなかった。

 

 

 

 彼、ブルムラシュー侯は今、当日の午後という差し迫った時間になってから、急遽組まれた夕食会へと臨んでいた。

 

 

 王国における六大貴族の1人である彼は、通常はそんな申し出など受けはしない。

 

 相手に対して、どれほどの猶予期間を置かずにアポを取れるかというのは、貴族としての格を表す行為である。

 例えばレストランの予約をするにしても、高位の者ならば、当日すでに予約で一杯の所であろうが割り込むことは出来るし、逆に低位の者ならば、嘲笑と共に門前払いをくらうのが関の山だ。

 誰でも平等、対等になどという概念はない。

 

 

 それこそが常識であるのだが、それに反し、ギラード商会などという貴族でもない一商会の者が貴族の、それも六大貴族の長である自分に対して、突然ねじ込んできたのだ。

 

 

 もちろん、ブルムラシュー侯もエ・ランテルの新興勢力、ギラード商会の事は聞き及んでいた。

 先のズーラーノーンの騒ぎの後で、急速に勢力を伸ばし、エ・ランテルの裏社会を制圧した謎の組織。

 彼としても、一度接触を持ちたいとは考えていたのだ。

 

 急速に勢力を拡大した者は、周囲との摩擦も大きく、また長期間にわたって支配力を維持するノウハウも持ちえない事が多い。そんな者達といち早く接触を取り、手助けしてやることで結びつきを深める。それにより、彼らが関わるもの――情報なり、取引なり――を自分の所に優先的に回させるのだ。互いに利益のある事であり、また上手くすれば新たに発生する権益すべてを握り、独占してしまう事も出来る。

 

 しかし、新興勢力というものは、勃興はしたもののすぐに潰れてしまう事も多々ある。そんな者達に金や資源を注ぎ込みでもしたら、それこそ丸損だ。

 その辺をしっかり判別できるかが重要であり、その見極めこそが肝心にして、上に立つ者に求められるものである。

 

 それに、新たな産業の隙間に潜り込んで利益を得るようになった場合、事がそれだけに収まらない事も十分にありうる。そこから更に勢力を広げていった結果、巡り巡って既存の権力と(いさか)いを起こす事になったというのもよく聞く話だ。そうなった際、あまりそちらに肩入れし過ぎていると、その軋轢の火の粉が自分の所にまで降りかかってくるやもしれない。

 

 それ故、ブルムラシュー侯はギラード商会に対して、現段階においては、あくまで情報を集めるだけに留め、配下の者や門閥貴族には接触することも控えさせていた。

 

 そうして慎重に慎重を重ね、調べを進めていたところへ、今回の会食の話が舞い込んできたのである。

 

 

 

 ちらりと壁際に控える自らの家令を盗み見る。

 老人は何ら変わった様子もなく、皺に覆われた顔はいつもと同じまま、そこに立っていた。

 

 この家令が今回の会食の話を自分の所まで持ってきたときの様子。それは明らかにおかしかった。

 いくら彼、ブルムラシュー侯がギラード商会を警戒していたとはいえ、あくまで王国領内にある他の街を牛耳る闇組織に過ぎない。それも、相手はその商会のトップでもなく、あくまで一従業員でしかないという。

 

 はっきり言って、六大貴族である自分とは格が違う。それこそ天と地ほどもだ。

 もちろん、そんな事はこの老家令も分かっているはずなのに、なぜ彼は一旦断りもせず、また自分に伺いもたてることすらなく、同日夜の会食などという、性急にして無礼と(そし)られてもおかしくないような話をそのまま受けてしまったのか?

 

 ブルムラシュー侯としてもその事は疑問に思い、彼を問いただしたのであるが、当の老家令はというと、なぜ自らの主が今回の会食を受けた事に疑念を抱いているのか、まったく理解できぬ様子であった。なにやら、その話を受ける事こそ、しごく当然の事であるという認識であったようだ。

 

 

 その老家令の奇妙な、異様といってもいい反応に対し、ブルムラシュー侯は警戒を強めるとともに、いたく興味を引かれた。

 

 この自らに忠実なはずの老家令の不可思議な態度。

 その原因は分からない。

 

 だが、彼はそこに、ゾクリとしたものを感じた。

 予感がした。

 彼の直感が匂いをかぎ分けた。

 金儲けの匂いを。

 

 彼はこれまでも、その直感に従い、海のものとも山のものともつかぬ突飛な計画に着手することもあった。誰もが反対する中、彼は自分の判断をこそ信じ、ただひたすらに邁進(まいしん)した。

 時には失敗することもあったが、大きな成功をおさめたものも多くある。そのうちの一つ、鉱山の新規発掘に手をつけ、そして見事、新たな鉱脈を発見したことが現在、王国貴族の中において随一と呼ばれる財力を手に入れることに繋がったのである。

 

 今回もまた、そんな感覚を覚えた。

 そのため、自らの直感の命ずるまま、このいささかというより明らかに急すぎる誘いに乗ってみたのである。

 

 

 そして話を受けたはいいが、その後も奇妙な点はいくつも散見された。

 

 まず、その会食場所が知らされなかった。

 

 夕刻、王都にあるブルムラシュー侯の邸宅に迎えの馬車が来た。豪華ではあるが、特徴的なものは何もない4頭立ての馬車。

 御者は鎧兜で顔を隠したまま、素顔はおろか肌すら見せない。そして、その御者以外の者は誰一人としていなかった。

 

 とりあえず、その馬車に自らの護衛の者たちと共に乗り込むと、何も言わぬまま、馬車は走り出した。

 

 そして、しばらく運ばれるままであったのだが、そこでまた不可思議な事態に気がついた。

 窓一つない馬車に揺られ、王都の道を幾度も曲がっていくうちに、馬車に同乗している者達全員が今、どのあたりを走っているのか、見当もつかなくなったのだ。

 これまでも場所を知らされない秘密の会合というものに幾度か出席した事はある。そのような会合に際しては十分な用心が必要である為、彼は今回同行させる護衛の中に、特に方向感覚に優れ、馬車の走る速度とその曲がるタイミング、どの程度の角度で方向を変えたかによって、自らの通った道と現在の位置を正確に認識することが出来るという人物までも加えていた。だが、その者をして、まるで狐狸にかどわかされ山中に迷い込んだかの如き有様であり、もはやよく見知ったはずの王都で自分たちがどこに運ばれていくのかすら測りえないような状況であった。

 

 やがて、馬車が止まった。

 供の者達は警戒していたが、すでに腹を決めていたブルムラシュー侯は狼狽えることなく、馬車を降りた。

 外は霧が立ち込めており、周囲もろくに見渡せぬ中、彼の目の前にそびえたっていたのは、何一つその素性を明かす手掛かりとなるものが扉や門柱などの表にはない、一軒の邸宅であった。

 

 そうして案内された大広間。

 そこで今こうして、得体も知れぬ男と差し向かって食事をしているのだ。

 

 

 

 銀製のフォークの先で、皿上のソテーされた黄色野菜を口に運ぶ。

 

 バターのまろやかな塩味が舌の上で踊る。

 ……だが、やはり普通の味だ。

 ついでに言うならば、このフォークも、そして皿もまた、客人を迎えるにあたって及第点とは言えるものの、到底六大貴族である彼をうならせるようなものではない。

 

 もう一口、ワインを口に含み、それを舌上で転がしつつ、彼は向かいに座るギラード商会の使い、ヤルダバオトなる男に目を向ける。

 

 

 ブルムラシュー侯の心のうちは、一体、このヤルダバオトという男は何者なのかという思いで一杯であった。

 

 

 どうにも奇妙な感じのする男である。

 上背はそこそこあるようだが、その肉体は鍛えあげられたものとは言い難い。不摂生により、たるんだ身体という訳ではないのだが、逞しく鍛えあげられ胸板に厚みのある戦士を目にすることも多いブルムラシュー侯の目からすれば、その肉体はひょろ長いと評してもいいような体型である。

 その顔ははっきり言って、あまり特徴の無い、数日おけば忘れてしまうような凡庸な顔だ。

 それでいて彼が一体何歳なのか? 20を超えたばかりなのか、それとも初老に差し掛かるほどなのか? まったく判別がつかなかった。姿勢は良く、とうてい老境に差し掛かっているとは思えないが、その口から紡がれる言葉の端々からは、深い知性を感じられる。

 特に気を引かれたのはその声。

 高くもなく、低くもないその声は、聞けば耳に心地よさを覚えるような不思議な声である。

 

 総体として見るならば、この物腰柔らかな男は、まったく素性の計り知れない正体不明の(ぬえ)的人物としか評しようがなかった。

 

 

 ブルムラシュー侯の視線の先で、男はナプキンで口を軽く拭うと、今、彼が内心で心地よさを覚えると評した声を発した。

 

「それにしても、ブルムラシュー侯。私は実に嘆かわしく思っております」

「何がだね?」

「この王国の民衆のあり方がですよ。彼らは利益を得ようとはしない。とにかく現状維持こそ最善と考えている。明日、更によい生活をすることより、今日、家族友人と共に過ごし、空腹を満たすことが出来ればいいと考えている。それでもまだ、都市部の人間は良いのですが、地方の村々に至っては、明日の事など、天気のことしか考えていない有様。生活でも、仕事でも、交友関係でも、常に向上を目指さぬ者がなんと多い事でしょう」

 

 そう言って、ヤルダバオトは大仰に嘆いてみせた。額に指先を当て、実に悲しげな表情で頭を振る。

 

 そのいささか芝居がかった仕草を前にブルムラシュー侯は、引っ掛かってはいけないなと注意を新たにするとともに、その口元に形ばかりの笑みを浮かべた。

 

「民草の考えることというのは、今日の食事の事だけ。今、自分が食べているものは、すぐ隣の人間と比べて、多いか少ないかだけだからな。とにかく今目の前にあるものの多寡でしか、物事を判断できんし、それに先の事も考えてはおらん。その分、配慮してやることが上に立つ者の債務であるな」

「愚者は最後の種芋を食べつくし、賢者は植えるというやつですな」

「その通りだとも。彼らの代わりに長期的な視点を保有する者が、『種芋』を彼らの目の届かぬところで保管してやらねばならない。しかしながら、そうやって彼らに代わり、万が一の際の余剰を確保している事を、富の独占などという喚き叫ぶ輩のなんと近視眼的な事か」

「彼らの為を思ってやっているはずの事なのに理解されることなく、また批判も甘んじて受け入れなければならない。貴族とは大変な仕事ですな」

「まあ、それも上に立つ者たる貴族の債務の一つだよ。法国で言うところのノブレス・オブリージュという奴だな」

「心中お察しいたします」

 

 そう言うとヤルダバオトは、彼もまたワインで口を湿らせる。

 そして、彼は満足そうに口元に笑みを浮かべ頷いた。

 それはワインの味に満足したのではない。この人物は、十分に交渉に値すると判断したが故の笑みであった。

 

 

 

「さて、ブルムラシュー侯。何もしないには長く、何かするには短いのが人生です。飾らぬ言葉で本題に入らせていただきましょうか」

 

 彼はグラスをテーブルに置く。

 ブルムラシュー侯は、ついに来たかと内心で身構えた。

 

「私共、ギラード商会は新たな販路をエ・ランテルの外、すなわちここ王都リ・エスティーゼにまで広げたいと思っております」

「なるほど。エ・ランテルに於けるギラード商会の噂は聞き及んでいるとも。王都で君の所の商売がうまくいくといいな。幸運を祈っているよ」

「ありがとうございます。つきましては、ブルムラシュー侯のお力添えを頂きたいと思っているのですよ」

「さて? 力添えといっても、何をしたらよいのやら?」

「恐れながらブルムラシュー侯はここ王国において、絶大な権力を誇る六大貴族の御一人。版図を広げるにあたりまして、その御方と友誼を結びたいのですよ」

「ほう、友誼ね。……君とかね?」

「いえいえ、私はあくまでギラード商会の使いの者、仲介者に過ぎません。侯には別のものと仲良くなっていただければと」

 

 

 そう言うと、彼は椅子からすっくと立ちあがった。

 カツカツと靴音高く、広い室内の中央に会食の為の長テーブルが置かれていたため数メートルは歩き、白い壁紙の張られた壁際へと歩み寄る。

 そして、彼は視線を投げかけるブルムラシュー侯の方へと振り返ると、その指をぱちんと鳴らした。

 

 

 最初何が起きたのか分からなかった。

 低い音と共に、微かな振動が部屋を包む。

 すると壁に異変が起きた。壁紙の幾何学模様が動いていくのが見て取れた。

 

 

 ヤルダバオトが鳴らした指。その音を合図に、この大広間に面した横壁が下に沈んでいくのだ。

 

 そして、その壁の向こう側が露わとなる。

 

 

 ジャラジャラと音を立てて、色とりどりに光り輝くものが広間へと零れ落ちてきた。

 

 

 

 その奥にあったもの。

 それにブルムラシュー侯は驚愕のあまり、こぼれんばかりに大きく目を見開いた。

 

 心のうちを顔に出さぬことなど、隙あらばいつでも背中から刺される、生き馬の目を抜く貴族社会を生き抜いてきた彼にとって、大地を歩むことより容易い事であった。しかし、そんな彼をして、表情を取り繕う事を忘れさせるほどのものがそこにあった。

 

 

 壁の向こうに作られた隠し部屋。

 そこに広がっていたのは、目もくらむような、まばゆいばかりの輝きを放つ、文字通り財宝の山であった。

 

 

 金や銀は言うに及ばず、ダイヤモンド、サファイヤ、ルビー、エメラルド、玉髄、瑪瑙などの宝石が石ころのように転がり、高く山を作っている。その宝玉の山のすそ野に広がるのは、無造作に投げ捨てられ、床を埋め尽くす金貨、及び白金貨。それらに埋もれるようにして乱立しているのは、一品でも千金の価値を持つであろう宝の数々。象牙で作られた美しい乙女の像。鳳凰の羽飾りを額に飾った黄金の兜。幾個もの宝玉を埋め込まれた美しい飾りの鞘。それに合わされるのは、これまた大振りの宝石をいくつも柄に埋め込まれた剣。宝石を無数にちりばめた馬具。濃緑色の輝きを放つ翡翠の床几。今にも動き出しそうなほどの黒曜石で出来た馬の模型等々……。

 

 

 およそ、財など見慣れたブルムラシュー侯をして、ただあんぐりと口を開けたままにさせるほどの財宝がそこにあった。かなりの広さがある奥の部屋を埋め尽くさんばかりに、人の身長を優に超える天井付近まで、それらがうずたかく積まれていた。

 

 これほどの財貨は、彼の領地リ・ブルムラシュールにある本宅の奥に設置された宝物庫にすらありはしない。

 一貴族の財産どころではなく、王国や帝国など一国の宝物殿、それも通常の予算執行の為に出し入れする為のものだけではなく、その最奥に厳重に保管されている国の至宝に至るまで、一切合切すべてをかき集めたものに匹敵すると言って過言ではない。

 

 

「いかがでしょう、ブルムラシュー侯」

 

 自らの足元を波のごとき金貨と白金貨に埋もれさせたヤルダバオトが言葉を紡ぐ。

 

「突然現れた私を信用しろとは申しません。ええ、信用できなくとも仕方がありません。それはしごく当然の事です。しかし――しかし、我々は金を持っております! ご覧のように! それこそありあまり、腐らせるほどに! ブルムラシュー侯、あなたには我々の持つこの金と、仲良くなっていただきたい!」

 

 

 

 ブルムラシュー侯は眼前に広がる色とりどりの輝きを前にして、図らずとも釘付けとなってしまうその目をなんとか逸らし、震える指で新たに運ばれてきた料理を切り分け口に運ぶ。

 

「むうっ……!!」

 

 それを口にした瞬間、身体がビクンとはねた。

 赤褐色のソースがかけられた肉を口に運んだ瞬間――その口腔から世界が広がった。

 

 ――これは一体なんだ?

 本当に肉なのか?

 これが肉だというのならば、今まで自分が食べていたものは何だったのか?

 およそ自分は、溢れんばかりの富に囲まれ、人間の口にするものにおいて最高級のものを食していたと思っていたのに、このようなものは今まで一度も口にした事もない。

 

 もう一切れ、口に放り込むと、二回目だというのにまったく同様の多幸感に全身が包まれる。

 その全身を駆け巡る感覚に震えが走った。眩暈にも似た感覚が彼を襲った。

 彼は理性を取り戻すのに、意思の力を総動員せねばならなかった。

 

 

 そして、ふとある事に気がついた。

 彼は肉を切り分けると、それを口に入れる前に、鼻へと近づけてみる。

 

 案の定。

 彼の予想通り――匂いがしない。

 給仕され目の前に出された状態では、この料理からは、まったくと言っていいほど香りがしないのだ。

 だが、一たび口に入れ、歯でしっかと噛みしめると、溢れだす肉汁と香りの奔流が、口腔から鼻へと抜けていく。それはえも言われぬほどだ。

 

 

 ――これは……おそらく、敢えて香りを消してある。

 口に入れ噛んだ時に、初めて肉に閉じ込められていた香りが広がるよう、下ごしらえと調理をしてあるのか……。

 

 

 

 その事に気がついた時、ブルムラシュー侯は、自分が相対している存在に寒気すら覚えた。

 

 

 彼としても、この部屋の細工には気がついていたのだ。

 この部屋に通される際、館の中を歩いた感覚から、大まかな屋敷の構造は推測していた。そして、その作りからして、なにかこの大広間の壁面に細工がしてあるようだと目星をつけていたのだ。

 ヤルダバオトという男の態度から、おそらく壁の向こうには、ギラード商会のトップが控えており、そこからこちらを監視している。そして、タイミングを見計らって、自分の目の前に現れ、突然の登場にこちらが驚愕の(きわ)にあるうちに正体を明かすという段取りだろうと考えていたのだ。

 

 

 だが、そんな彼の予想に反し、壁の向こうにいるのは人ではなかった。

 そこにあったのは、部屋いっぱいにひしめき合い、埋め尽くさんばかりの財貨の山。

 彼らの持つ余りある資金を、意表をつく形でこちらに見せつけ、度肝を抜いたのだ。

 

 そして、それに動揺したところを狙っての、この料理。

 

 香りを消してあるため、口にするまでは気づかず、口にすれば、その味に驚嘆せざるを得ない。

 おそらく、この前に出てきたオードブルやワインが普通の味だったのも、全てはこれを狙っての布石、一連の演出の一つであったのだろう。

 現に、腹芸に関しては王国内においても随一であると自負しているブルムラシュー侯をして、その動揺の激しさから、外面を取り繕うどころではなくなったほどなのだから。

 

 

 

 この会談はけっしてただ親交を結ぶための場ではない。

 いかに相手をやり込め、自分が上位に立ち、より自分に都合のいい約定を結ぶかという、武器を使わぬ戦いの場である。

 

 この場において、優位であったのはブルムラシュー侯である。

 彼は最初から六大貴族という、王国において他に比肩しうるものがほとんどいないほどの地位にあり、資金もまた豊富にある。そして、彼は自分から動くのではなく、相手からの提案を聞く立場にあるのだ。

 そして、対するヤルダバオトは貴族ですらなく、ブルムラシュー侯に対して、自分の提案を推し進める側だ。

 

 例えるならば、金属製の鎧兜に全身を包んだブルムラシュー侯相手に、裸身に剣一本持ったヤルダバオトが挑む構図である。

 

 本来であれば、ブルムラシュー侯は相手のいかなる攻撃をも意に介さぬような堅固な守りに身を固めており、攻略することは困難極まりない。ただ泰然自若たる態度でのぞみ、相手の攻撃をあしらっているだけで、相対した者は何も出来ぬまま終わってしまうだろう。

 それに向こうが焦って、無理に仕掛けてこようものなら、その隙を見逃すことなく、逆にその圧倒的なまでの政治力並びに資金力に裏打ちされ、長年舌先三寸の貴族対手に磨き抜かれた口舌を振るえばよい。それですべては事足りる。

 

 だが、そんな難攻不落の彼を前に、ヤルダバオトは意表をついた。自身が持つ莫大な財宝の誇示、そしてその魂すらを震わせるほどの料理によって、万全たるブルムラシュー侯に対して揺さぶりをかけたのだ。

 それにより、ブルムラシュー侯は心を千々に掻き乱された。体勢を崩し、膝をついたのだ。

 

 いまや、圧倒的強者であるはずのブルムラシュー侯の方が、一介の人物であるヤルダバオトの次なる出方を警戒する構図となっていた。 

 

 

 

 ブルムラシュー侯はグラスのワインを一息に飲み干し、気を落ち着かせる。

 

「……聞いていいかね?」

「なんなりと」

「なぜ、私なのかね? 私は王国でも有数の貴族であるとはいえ、あくまで一貴族にすぎない。それほどの金があるのならば、他の誰だとて、その金の前には屈するだろう。それこそ、王族であろうとも。なぜ、この私にその話を持ち掛けてきたのかね?」

「それはブルムラシュー侯、あなたこそ、この王国において最も誠実かつ公正公平な人物であると判断したからでございます」

 

 男の言葉に、思わずブルムラシュー侯は呆気にとられた。

 

「せ、誠実? 公正公平だと? この私がかね?」

 

 彼が金を第一義に考えているという事はあまねく知れ渡っている。それこそ貴族だけではなく、平民に至るまでも。広言こそしなかったが、別に隠すことでもないし、現にそうしてきた。その為に生きてきたのであり、その生き方を何ら恥じることは無い。

 

 だが、そんな彼をして、自分を評するのに誠実にして公正公平などという言葉は、ついぞ言われた事などない。

 

「ええ、そうです。あなたは金さえあれば、いかなる人間であろうと、いかなる人種であろうと、そしていかなる存在であろうと平等に扱う御仁であるとお見受けいたしました。あなたの前では、敵か味方かも、身分の貴賤も、人種も性別も思想も信条も全て関係ない。あなたにとって判断基準となるのは金。ただこの一点のみ。これを公平と言わずしてなんと申しましょう」

 

 そう言いながら、彼は足元の金貨を掻き分け、テーブルの方へと戻ってくる。

 不意に、そのヤルダバオトの姿が煙のように(かす)んだ。

 

 

 ――酔いが回ったか? それとも、まさかワインの中にでも何か仕込まれていたのか?

 

 

 目元を押さえ、もう一度目を凝らしてみる。

 

 そして――ハッと息をのんだ。

 そこにいたのは先ほどまで相手をしていた、凡庸な顔の、正体不明の男ではない。

 

 黒髪に黄色い肌と南方系の顔立ちであるが、その耳は細く尖っている。そして、彼の身体の後ろ、そこには銀色の金属でおおわれた長い尻尾が伸びていた。

 

 

 その姿は話に聞くことこそ多けれども、実際には高位の冒険者くらいしか目にすることなどない存在。

 

 

「あ、悪魔……!?」

 

 明らかに人とは異なるその姿にブルムラシュー侯、ならびに壁際に控えていた老家令や護衛の兵士たちもまた驚愕をあらわにする。

 彼らは突然現れた、人類の天敵ともいえる異形の存在に狼狽し、慌てて武器を構えようとした。

 

 

 だが――。

 

 

「『落ち着き給え』」

 

 悪魔が静かに声を発する。

 

 するといったいどうしたことか。

 その言葉を聞いた途端、色めき立っていた彼らは瞬く間におとなしくなった。

 

「ちょっと、ブルムラシュー侯と落ち着いて話がしたいのでね。『武器をしまい、部屋の外に出て行きたまえ』。おっと、あまり騒ぐと近所迷惑だから『喋らないように』ね」

 

 自らの主でもないものが発した命令。

 しかし、誰もが反論の言葉一つ放つことなく、ただ唯々諾々(いいだくだく)とその言葉のままに、ぞろぞろと連れ立って部屋から出て行った。

 

 

 バタン。

 扉が閉まる音が響く。

 

 その音にブルムラシュー侯の背筋を冷たいものが這いあがった。

 臓腑の奥に氷の塊を突っ込まれたように、際限なく寒気が身体の奥から湧いてくる。

 胸元に澱のような怖気がわだかまり、息をつくことすらままならない。

 

 

 今、彼の目の前にいる者は、恐るべき存在だ。

 それこそ、彼の命など容易く奪えるほどの。

 こいつの前では貴族としての権威も、自分がこれまで積み重ねてきた金の力など何一つ通用しない。そのことはよく分かった。

 いつの間にか、自分は強大な猛獣と同じ檻の中にいたのだ。

 この悪魔の気まぐれ一つで、自分は破滅する。

 貴族として戦場におもむくことはあっても、実際に敵に向かって剣を振るったり、逆に振るわれたりなどという事はまずない。金銭のやり取りにおける多大な損失の危険などは幾度も経験し、乗り越えてきたが、生命の危険というものはほとんど体験したことがない。

 今初めて目の前に現れた、具現化した死の危機に、彼は身じろぎ一つ出来なかった。

 

 

 やがて彼はひび割れた声でつぶやくように問うた。

 

「あ、あの者達は……?」

「ああ、ご心配なく。殺しなどはしませんよ。ただ、この場での記憶を消しておくにとどめておきますので」

 

 ――そ、そんなことまでできるのか!?

 

 事もなげにそう語る常識の理を超えた存在を前に、彼は身を凍らせた。

 頭の中が、恐怖と戦慄に塗りつぶされる。

 

 

 そんな恐れ(おのの)く彼の許に、一人のメイドが歩み寄る。

 非常に整った容姿であるが、眼帯をつけたその顔はまったくの無表情であり、まるで人形のごとき印象を与えていた。

 

 彼女はブルムラシュー侯の目の前に酒杯を置くと、手にした酒瓶から酒を注ぐ。

 

 彼は注がれた酒と、それを注いだメイド、そして悪魔へと視線を動かした。

 恐る恐るといった感じで、美しい宝玉が埋め込まれ、燦爛(さんらん)たる金細工が施された幅広の酒杯を持ち上げ、満たされている紅色の液体、その匂いを確かめてみる。

 

 それを嗅いだ途端、思わず身体が震えた。

 やがて彼は迷うことなく、中の酒を(あお)った。

 口に入れた瞬間、芳醇な香りが脳天まで突き抜ける。まろやかにして、それでいてしっかりとした酸味と苦みのある深い味わいが舌先を駆け巡った。

 飲んだ瞬間、腹の奥から湧き上がった熱が体中を駆け巡り、先ほどまで胸の奥に溜まっていた寒気を瞬く間に追い出してしまった。

 

 

 一息に飲み干し、ほうと息を吐いた。

 卓上へ戻した酒杯に、再度、メイドが同じ酒を注ぐ。

 

 彼の目に再び力が戻ってくる。

 それを見た悪魔はにこりと、その口角を上げた。

 

「あらためて自己紹介いたしましょう、ブルムラシュー侯。私の名前はデミウルゴスと申します。お見知りおきを」

 

 そう言って、慇懃にして優雅に礼をした。

 

 

「……一つ聞いていいかね?」

「なんでしょう?」

 

 ブルムラシュー侯はわずかに逡巡し、尋ねた。

 

「君は……悪魔……なのかね?」

「はい。私は悪魔です」

 

 その答えにもう一口、酒をすすり、胸の内より恐れを追い払ってからさらに尋ねる。

 

「君の……望みは何かね?」

 

 デミウルゴスはにっこりほほ笑んだ。

 

「先ほども申し上げましたように、我らは王都に版図を広げようと思っております。侯には協力者として友好関係を結びたいと考えております」

「友好関係……それは人間同士で言う友好関係と相違ないかな?」

「はい」

「……友好とはこういうものだと、私を破滅させ、苦しめる気かな? 約束をたがえ、裏切り、失意のどん底に突き落とすのが悪魔流の友好だと言って」

 

 その言葉に、デミウルゴスは声をあげて笑った。

 

「いやいや、なかなかにユーモアのセンスがおありのようで。もちろんそんな事はいたしませんとも。剣には剣を。協力には協力を。共に手と手を取り合って、互いに繁栄していければと思っております」

「すまないが、君は悪魔だろう? 今はそう言っていても、事が成ったら、その言葉を反故にする気ではないのかな?」

 

 当然の疑問を口にするブルムラシュー侯。

 対して、デミウルゴスは反駁した。

 

「これは心外ですな、ブルムラシュー侯」

 

 そう言うと、悪魔は首元のネクタイを締め直す。

 

「私は悪魔です。人を騙します。さりながら、悪魔は約束を違えは致しません」

 

 

 言われてなお、ブルムラシュー侯は口の端をゆがめたまま、判断をつきかねていた。

 そんな彼の許に、悪魔は歩み寄る。

 

「ブルムラシュー侯。あなたはこう考えておいでですな。私どもと手を組めば、莫大な金が手に入るかもしれない。しかし、人類の敵である怪物(モンスター)。とくにその中でも最悪の存在として知られる『悪魔』と手を組んでいいのかと。人としての尊厳、その一線を越えてもいいのかと。守銭奴と呼ばれることを恥じることなく、金の亡者という言葉を体現する自分といえど、人として守るべきもの、人間の良心を捨ててしまっていいのかと」

 

 今、自分の頭の中をグルグルと駆け巡る懊悩を言い当てられ、体を揺らすブルムラシュー侯。

 

「ですが、ブルムラシュー侯。逆にお尋ねしますが、その人間の良心とやらは、本当に守るべきものなのでしょうか?」

 

 その言葉に、驚愕の瞳でデミウルゴスの顔を見返した。

 

「ええ、そうですな。人間として、たとい常人の(ことわり)と異なる逸脱の道を歩む者といえど、悪魔と手を組むというのは最後の最後、どうしようもなくなった時にのみ縋りつく最終手段でしょう。ええ、あなたの考えは人として正しいですよ。種としての人間の繁栄を考えるのであれば、私の提案などすげなくはねつけるのが当然です」

 

 自分で言いながら、うんうんと幾度も頷く。

 

「しかしながら」

 

 悪魔はすぐに否定した。

 

「しかしながら、そうする事で、あなたはどれだけの利益を得ることが出来るでしょうか?」

 

 そう逆に問いただした。

 

「ギラード商会は悪魔と手を組んでいる組織だと触れ回り、異形種の息のかかった組織の根絶に動く。いやまったく人として当然の事ですな。あなたがそれを率先してやった場合、あなたの評判は良くなるでしょう。金の為ならば悪魔に魂までも売るといわれていたブルムラシュー侯、しかし、本当の悪魔に対しては屈しなかった。人としての尊厳を堅持した。貴族の矜持を守った。()の人物がいなければ、リ・エスティーゼ王国は邪悪なる悪魔の意のままになっていたかもしれない。さすがは王国における六大貴族の一員。なんと素晴らしい!」

 

 そう言って、パチパチと拍手してみせる。

 眼帯をしたメイドもまた、無表情のまま手を叩く。

 

「しかしながら」

 

 悪魔は再度言った。

 

「しかしながら、それだけですな。あなたは褒め称えられるでしょう。嗟嘆(さたん)の声がついて回るでしょう。あなたの株も上がるというものです。しかしながら! あなたが得るものは、それだけに過ぎません。あなたは人間です。人間が悪魔の策略から人間の国を守る。それはしごく当たり前の事に過ぎません。人として当然の事をやったに過ぎません。いち早く感づき対策を講じたというだけで、それなりの称賛はうけるでしょう。ですが、あなたがそれで得られるのは、ただの賛辞のみ。実際の所、銅貨一枚すら利益はありません」

 

 デミウルゴスはブルムラシュー侯の傍らに立つ。

 椅子に座る彼の肩に、そっと手を廻した。

 そして耳元で囁きかける。

 

「人間としての良心。それを守ったとしても、あなたの懐は潤いません。むしろ、他の貴族たちは、そんな事をするのは貴族として、人として当然の事であり、賛美するほどでもないと噂し、(くさ)すでしょうな。自らの主義すらまげて、金より人としての良心をとった、あなたの事を。しかしながら――!」

 

 2人の許に奇妙な服を身に纏った小柄なメイドがやってくる。

 手には大きな器を抱え。

 

「しかしながら、あなたのその人としての良心! 今ならば、この私が高く買わせていただきます!」

 

 そう言うと、悪魔はメイドが持ってきた器に手を突っ込むと、掴み上げた幾個もの大振りの宝石を、ブルムラシュー侯の手にしている酒杯の中に投げ入れた。

 

 その宝石は、どれもが傷一つなく、美しくカットされた芸術品といってもいい逸品。大貴族であるブルムラシュー侯をして、今まで見た事もないほど巨大な宝石たちは、酒杯を満たしている紅い酒の中で、怪しげな輝きを発している。

 

 

 そして、デミウルゴスはまた器から宝石を掴み上げると二度、三度とさらに酒杯の中に投げ入れる。

 

 もはや顔すら浸せるほどの大きな酒杯はまばゆいばかりの宝石で一杯になり、溢れ出た酒がブルムラシュー侯の手を濡らし、ダラダラと零れ落ち、卓上の白いテーブルクロスを紅く染めていく。

 

 

 ブルムラシュー侯は手にした杯から酒が零れ落ちていく様を、何も言わず、ただじっと見つめていた。

 ごくりと喉が音を立てる。

 その手の酒杯が微かに震える。

 

 

 そして――彼は、その酒杯に口をつけた。

 

 



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第68話 王国軍

2016/12/23 「などというなどという」→「などという」、「指示」→「支持」、「針の一刺し」→「蜂の一刺し」 訂正しました
「伸びる」→「延びる」、「~行く」→「~いく」、「最も」→「尤も」、「会いまみえた」→「相見えた」、「置いて」→「於いて」、「大軍を要しようと」→「大軍を擁しようと」 訂正しました


 城塞都市エ・ランテルは時ならぬ喧騒で溢れていた。

 

 普段であれば、この街に3つある城壁、その一番外側にある壁の内側に集められた兵士たちには、恐怖と怯懦、そして諦念の空気が漂っているのだが、今回に限ってはいつもと違った。

 その身になじまぬ鎧や武器を手にした者達の顔には困惑や安堵、そして僅かではあるが略奪への期待が見て取れた。

 

 彼らの口から交わされる言葉の数々。

 これから自分たちが向かうのは例年の戦場とは異なる、これから自分たちは帝国領に攻め込むのだという事が異口同音に囁き合われていた。

 

 

 

 エ・ランテルにある三重の壁。

 その一番内側にある壁の更にその奥。この都市において最も守りの固いそこは、行政区及び食料などの貯蔵施設があるエ・ランテル最重要区域である。

 

 そんな場所にある、都市長パナソレイの立派な邸宅。その隣には、よりいっそう巨大な、見る者に所有者の権勢を誇る豪壮たる館がそびえ立っていた。

 それは王族や貴族がこの街に来たときに使用する貴賓館である。

 

 普段は滞在する者もなく、唯一、管理及び掃除する人間のみが廊下を歩くような場所であるのだが、現在、この建物はいつもの静寂に包まれた佇まいとは大きくかけ離れた様を呈しており、今もその一室では言葉を干戈(かんか)と為したやり取りが丁々発止(ちょうちょうはっし)と繰り広げられていた。

 

 

 

「皆様お疲れ様でした」

 

 そう六大貴族の1人、レエブン侯が声を発する。

 

 この部屋にいた者達は誰もが疲労していた。まだ敵と矛を交える前だというのに。

 王国側から帝国領へ攻め込むという、これまでほとんど経験したことがない状況に対して、ほぼ一から準備を整えなくてはならなかったのだから。

 

 

「とりあえず、これで目途(めど)はついたか」

 

 貴族の1人が疲れた様子で声を漏らす。

 その声にレエブン侯が答える。

 

「そうですな。まあ、とりあえず最低限度としては。実際に事が動けば想定外の事態も多数起こりうるでしょうから、それも考慮に入れますと、もっと余裕をみなくてはなりませんが」

 

 聞かされた正論に皆、げんなりとした表情を浮かべた。

 

「そんなに補給を気にする必要があるのか? 占領した帝国の町から分捕ってしまえばいいではないか」

 

 そう。

 今、彼らが散々討議し続けていたのは、どのように帝国に攻め込むかというものではなかった。如何に自軍に滞りなく補給を行うかというものであった。

 

 その貴族の言葉に鼻を鳴らしたのは、意外にも武闘派であるボウロロープ侯であった。

 

「ふん。お前は馬鹿か? それで満足な食料が手に入らなかったらどうするつもりだ? そのつもりでしたが、駄目でした。だから、作戦は失敗しました。運が悪かったです。で、済む話だと思っているのか?」

「これはしたり。王国はおろか他国まで名を轟かせている勇猛なるボウロロープ侯の言葉とも思えませんな。たとえ、食料が足りなくとも、士気溢れる勇猛果敢な兵士たちならば、必ずや勝利するでしょう。それとも、噂に聞く侯のお抱えである精鋭兵団とやらは敵を前にして、空腹だから戦えぬと泣き言をいうような惰弱な者達であるというのが実態なのでしょうか?」

 

 貴族派閥の盟主であるボウロロープ侯に、皮肉の言葉を投げかける王派閥の貴族。

 それに対して、ボウロロープ侯は怒るでもなく、蔑みのせせら笑いで返した。

 

「阿呆か、貴様。食わずに戦える兵などないわ。士気溢れる戦士ならば飲まず食わずでも戦うことは出来るが、それもせいぜいが1週間程度。最低でも数か月、下手をしたら数年かかるやも知れぬ戦争に、自分に都合のいい考えだけで突っ込む馬鹿がいるか!」

 

 さすがに王国貴族の中でも最強の戦力を有していると言われ、自身も若いころはその武勇の誉れをあまねく轟かせたボウロロープ侯は、ただの猪武者という訳ではなく、補給の重要性を理解していた。

 その発言は――相手は貴族派閥といえど――王の脇に控えていたガゼフとしても頷けるものであった。

 

 

 実際、今回の戦争における補給はかなりの難題である。

 

 王国と帝国の間にはアゼルリシア山脈、そしてトブの大森林が広がっている。

 そのため、帝国侵攻にあたって、全ての補給物資はエ・ランテルを起点として運搬せねばならないのだ。

 

 いつもの戦争ならばよかった。

 これまでのように、エ・ランテルを背中にして襲い来る帝国兵を追い払うだけならば、昨年なり、そのまた一年前なりの前例をもとに、軍隊を維持するのに必要な食料を始めとした資材の量を計ることができた。その時に動員する軍勢の多寡により多少増減はすれども、特段問題はない。それでも毎回煩雑な作業に大騒ぎになるのだが。

 

 だが、今回は違う。

  

 今回の戦争は、帝国領の奥深くまで、それこそ帝国の全てを支配下に収めるための戦いである。

 補給は自国領である近郊のエ・ランテルから直接でよかったこれまでとは違い、軍隊が消費する糧食などのすべてを輸送する必要がある。

 

 エ・ランテルに備蓄されている物資を前線まで輸送するのに、一体どれだけの馬匹(ばひつ)が必要になるのか? そして王国が軍を進め、前線が進んでいくとなると、さらに補給路が延びることになるのだが、その場合どのようにして、補給をまかなうのか? その手配や計算だけでも、これまでとは比べものにならぬほど膨大な手間となり、もはや机上での計算を行うだけでも頭が痛くなるほどであった。

 

 帝国北部までをも攻め落とし、そこを王国の支配地域としたのならば、海運も利用できるのだが、エ・ランテルから北の海まではかなりの距離があり、その間にはいくつもの防備を整えた都市が存在する。それらすべてを攻略し、海岸部まで踏破するのはけっして容易な事ではなく、また一朝一夕に出来る事でもない。

 かと言って、海から帝国領を強襲揚陸出来るほどの海軍戦力もない。

 

 一番いいのは、攻め込んだ帝国領内の町で、適宜(てきぎ)徴発することだが、現況、帝国の流通網は寸断されていると聞く。折よく必要な物資を攻略した街が保有しているとは、けっして確約出来るものではない。

 しかも、それをやった場合、帝国民衆のさらなる反発が予想される。

 

 

 王国軍が帝国に侵攻するにあたって、何よりも優先させねばならない事は、まず戦いに勝利する事である。

 

 謎の巨獣の襲撃によって大きな被害を受け、国家としての統制を失い、かつてほどの戦闘力は発揮できぬとはいえ、バハルス帝国の騎士団はまだ残存しているのだ。

 帝国領に踏み込むという事は、彼らと戦闘になるという事である。

 当然であるが、王国側にとって帝国領は異国の地。全く未知の土地とまではいかないが、その地理を詳しくは知りえない。また、民衆も表立って逆らいはしないかもしれないが、自分たちの国に侵入してきた他国の者達を快く思いはしないだろう。心情的に、帝国騎士の方に味方する事は想像するに難くない。

 

 可能な限り、民衆の反発を抑え、彼らの支持を取り付けておきたい。

 少なくとも、帝国騎士に協力することを控えさせたい。

 略奪や重税は我慢すべきであり、厳に慎むべきである。

 ……とりあえず帝国側の反攻の可能性を完全に排除するまでは――というのが本音であった。

 

 

「今回の帝国侵攻……おっと失礼、帝国征伐には国家としての命運がかかっておるからな。失敗は絶対に許されん。可能な限り、前もって対策を講じておくべきだろう」

 

 年かさのウロヴァーナ辺境伯が頷きつつ言う。

 その言葉に、リットン伯が皮肉気にかみついた。

 

「ええ、まったくですな。今回の帝国征伐は王国にとって存亡のかかった重要なものです。そんな重要な作戦の(かなめ)となるのが遅滞無き兵站運用ですな。であるにもかかわらず、このような時にその補給物資を買い占め、自らの私腹を肥やそうなどという卑劣にして愚か極まりない者など言語道断ですな」

 

 そう言って、自らの髭をしごく。

 その言葉に、王派閥の者達は皆一様に苦い顔をし、貴族派閥の者達は忌々しさを隠すことなく顔に浮かべた。

 両者の態度に違いはあれど、彼らの胸に共通するのは(いきどお)りである。

 

 

 その理由はこの場にいる者を見回せば、すぐに分かる。

 今、このエ・ランテルに集まったのは王国の有力貴族として知られる六大貴族、その内五つの派閥の者達だけである。

 

 

 レエブン侯、ボウロロープ侯、べスペア伯、リットン伯、ウロヴァーナ辺境伯。

 

 

 そう。

 今日、この場には、ブルムラシュー侯が来ていないのであった。

 

 

「ブルムラシュー侯は病気の為、今回の作戦には参加できないのでしたか?」

「そう聞いているな。なんでも急な流行り病だとか」

「なるほど、流行り病か。では、ブルムラシュー候と親交のある者たちは感染に気をつけねばならんぞ。おそらく侯がかかった病は『臆病風』だろうからな」

 

 ボウロロープ侯の飛ばした冗談に貴族派閥、王派閥の区別なく、嘲りの笑い声が上がった。

 

 本来、ブルムラシュー侯は王派閥に属しており、ボウロロープ侯の発言は王派閥を当て擦ったものだったのだが、その王派閥の者達にすらブルムラシュー侯を擁護しようとする者はいなかった。

 

 彼らをして、このただでさえ大変な時に、食料をはじめとした物資の買い占めを行ったのは、()の人物である事は知りえていた。

 しかも、そのような事をやった挙句に、自身は体調を崩したなどとのたまい、その買い占めた物資を持ってくるでもなく、戦争には参加しないのだから。

 おかげで王国内において物資は不足気味となり、食料などは高騰する羽目になっている。

 その結果、今後の作戦にまで影響が出かねない有様である。

 

 とくに深刻なのは下級貴族たちである。彼らは家計的にも十分な予算があるとは言い難い。そんな彼らであるが、自分たちより上に位置する上級貴族たちから命ぜられれば、戦争の為の準備を整えなくてはならない。ただでさえ火の車の中、何とか都合をつけ、物資を工面しようとした矢先に、この六大貴族であるブルムラシュー侯による物資買い占めである。

 想定していた予算ははるかにオーバーしてしまったのだが、かと言って金がないからできませんという訳にもいかず、なんとか借金をして、無理矢理間に合わせたのである。そして彼らが金を借りる先というのは、自らの所属する派閥の上位者にあたる貴族であり、つまるところ六大貴族と呼ばれる彼らは予想外の、多額の金を用意立てする羽目になった。

 

 思わず誰かがギリリと噛みしめた歯ぎしりの音が室内に響いた。

 それほど、ここにいる者達のブルムラシュー侯に対する怒りは深い。

 

 

 だが、それはある意味、好機でもあった。

 

 今回の帝国侵攻作戦は、広大な領地を誇っていた帝国が国家としての統率を欠き、混乱している隙をついた、いわば火事場泥棒的な領土の分捕り競争である。

 共に肩を並べて攻め込みつつも、いかに他の貴族たちより先に有益な地域を確保し、その占領の正当性を宣言するか。それによって、戦後の領土配分に大きな影響を与えるであろう。

 それが王国貴族たちの最大の関心ごとである。

 

 そんな限られたパイの奪い合いから、六大貴族の一つであるブルムラシュー侯が脱落したというのは、またとない機会であった。

 金に汚いと噂の()の侯であるならば、危険な戦闘だけは他の者に行わせ、自分たちは抜け目なく、都市占領の際にだけ出張ってくる事も十分考えられたのだから。

 

 だが、その心配は無くなった。

 ブルムラシュー侯の不参加により、彼の取り分が無くなり、その分自分たちの取り分が増えた事は、他の貴族たちからすれば歓迎すべきことである。

 その為、彼らはこうして公の場でブルムラシュー侯の立場を落とす発言を繰り返すことにより、戦後の()帝国領の分配についてブルムラシュー侯が口を挟んでくることがないよう、物資の買い占めの件で責め、彼の立場を貶めているのである。

 

 すでに貴族たちの大半の者、その頭の中は戦後、どう新たな領地を統治、経営するかの皮算用で一杯であった。

 

 

 

 

 ――そう上手くいけばよいのだがな。

 

 欲望に血をたぎらせ、目を輝かせる貴族たちの顔を見回し、レエブン侯は内心でひとりごちた。

 

 

 弱った国を一息に併呑する。

 領地を増やし、利益を手にする。

 

 今回の件、そんなに簡単な話では済むまい。

 

 

 レエブン侯は王都を出る前の、ラナーとの会談を思い返した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「危ういですね」

 

 黄金と称される現国王の第三王女ラナーは一言で切って捨てた。

 

 

「やはり、そう思いますか?」

 

 紅茶の入ったティーカップを口に運びつつ、渋い顔を浮かべるレエブン侯。

 そんな彼を前にして、クライムの目もない事から、これでもかという程砂糖をドボドボと入れた紅茶をすすりながら、ラナーは答える。

 

「どう考えても悪手ですね。帝国の現状が罠か、そうでないかを置いておくにしても、そこに手を突っ込むのは危ない橋をわざわざ渡る以外の何物でもありません」

 

 そうきっぱり言い切った。

 

 

 現在帝国は謎の巨獣による襲撃を受け、皇帝ジルクニフ以下側近のほぼ全てにいたるまでが壊滅した状態だという。

 精強を誇った騎士団は散り散りになり、かつての戦力は存在しない。

 攻め入れば、それなりの苦労と困難に直面するだろうが、それでも王国側の勝利は揺るがないだろう。

 

 だが、ラナーが警戒しているのは帝国の残存戦力ではない。

 

「やはり、此度の帝国の一件。何者かが絡んでいますか」

「そうとしか考えられませんね」

 

 ラナーが真に警戒しているのは、ここ最近になって現れた、強大な力を保有する謎の存在たちである。

 

 カルネ村を救ったアインズ・ウール・ゴウン。

 その関係者であり、エ・ランテルを牛耳ったギラード商会と関連があるベル。

 

 彼らの動向をラナーは特に気にしていた。

 

「帝国の件も、アインズ・ウール・ゴウンが絡んでいると思いますか?」

 

 その問いにはかぶりを振った。

 

「いえ、それはまだ分かりません。なにぶん判断材料が乏しすぎます。アインズ・ウール・ゴウンの関係者なのか? それとも、逆に敵対する存在なのか? はたまた、それとは無関係の第三者なのか? 何とも言えませんね」

 

 ティーカップの底でどろどろとなった、溶け残りの砂糖をスプーンでかき集めて口の中へと放り込み、舌先でそのじゃりじゃりとした甘みを堪能する。

 

「しかし、少なくともデスナイトなる伝説のアンデッドを多数召喚できるという、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)に匹敵するような、世の常識の域外にいる存在と考えて間違いはないでしょう。なにせ、あれだけ繁栄を極めていた帝国の首都をたった一日で滅ぼせるほどの存在を使役するのですから」

 

 ラナーの頭の中では、帝都を滅ぼしたという魔獣が野生のものであるという可能性はすでに排除されていた。

 あくまで伝聞ではあるが、その魔獣は3体同時に帝都の中心部に出現し、帝都を徹底的に破壊しつくしたのち、何処ともなく消え去ったという。

 自然発生したとは考えにくいし、野良の魔獣が偶然帝都を見つけ襲いかかったというのもいささか無理がある。何者かがなんらかの意図をもって、帝都に放ったと考えるのが普通だ。

 

 

 スッとラナーがレエブン侯へ手紙を差し出した。

 

「読んでください」

「これは?」

 

 いぶかしげな表情のレエブン侯に、ラナーは答える。

 

「イビルアイからの書状です」

「イビルアイ殿から? 蒼の薔薇は帝都に行っているのでは?」

「ええ、そうです。でも、イビルアイは転移が出来ますから。まあ、移動できるのは彼女自身のみのようですが」

 

 その答えに、レエブン侯はビクンと身を跳ねさせた。

 

 ――転移!

 そんなものが使えるのか!?

 そんな存在がいたとしたら、物流にせよ通信にせよ、様々なものが根本から覆させられることになる。

 まさか、本当に?

 

 

 そう考えたところで彼は、以前ラナーから、イビルアイの正体は『国堕とし』であると聞かされた事を思い出した。

 

 ――そんな伝説上の存在であるのならば、確かに使えてもおかしくはないな。

 

 そう、自らを納得させ、とにかく差し出された紙束を開いてみる。

 

 

 それを読み進めていくうちに、レエブン侯の顔が見る見るうちに青ざめていく。

 目は零れ落ちそうなほど見開かれ、その手紙があたかも親の仇であるかの如くに、ただひたすら凝視した。歯は食いしばられ、その肩がブルブルと震える。

 

「で、殿下……ここに書かれてある内容は……!」

「調べる(すべ)はありませんが、事実でしょうね。彼女が嘘をつく必要もありませんし」

 

 事もなげに語り、手ずから自分のカップに紅茶を注ぐ。

 ごくりと生唾を飲む、レエブン侯。

 

 

 

 そこに書かれていたのは驚くべき情報。

 

 すなわち、今、この王都には不可視の怪物(モンスター)が大量に潜入している、というもの。

 

 

 

「た、退治はしなかったという事でしょうか。以前、王都に潜入したシャドウデーモンはイビルアイ殿が全て始末したという話でしたが……」

「あまりにも数が多いため、全てを秘密裏に、そして迅速に討伐しつくすことは不可能だそうです。1体2体だけ倒すことは、かえって相手を刺激することになりますから、それは控えてもらいました」

 

 レエブン侯は愕然として、その手紙をテーブルの上に置いた。

 こうしている今も、見張られているのではないかという疑念に囚われ、恐る恐る周囲を見回す。

 

 対して、ラナーは泰然自若たる態度で、砂糖を入れまくった紅茶を口に運んでいる。

 別に彼女が胆力に優れているという訳ではない。

 もとより彼女には組織力もない。

 唯一の戦力といえるのは、友人であるラキュース及び彼女の仲間である蒼の薔薇くらいだったのだが、彼女たちは冒険者としての依頼を受け、帝国に行ってしまった。ラナーがその事を知らされたのは、すでに彼女らが王都を発ってからの事である。もし、最初に相談されていれば、転移で戻ってこられるイビルアイのみを帝国に派遣することを提案することも出来たのだが。

 そして、クライムは並みの兵士よりは強いが、それでも戦力と呼べるほどではない。

 すなわち、ラナーとしては、自らの身を守る者も定かではなく、常に侵食してくる危険、脅威と隣り合わせなのは日常である。すでにそんな状況となっている事に対して、現状で打てる手はないのなら、今慌ててもしょうがない。

 

 

 レエブン侯はすっかり冷えた紅茶を一息に飲み干し、カラカラになったのどを潤した。

 

「不可視の魔物が大量に王都に侵入している件……帝国の件と関係があると思いますか?」

「おそらくはそうでしょうね。直接的か、間接的かまではわかりませんが。以前に王都に潜入しようとしたシャドウデーモンはイビルアイによって退治された。そのイビルアイが王都を離れた途端に再度、それも大量に送り込んできたのですから」

「相手の目的は何でしょうか?」

「一番可能性が高いのは、王国が全軍をあげて帝国領に進軍している間に、王都での影響力を強めようというのではないでしょうか?」

「ふむ、なるほど。仮に此度の侵攻作戦が上手くいき、王国が帝国を併呑したとしても、肝心の王都が裏から支配されていたとしたら……」

「皆の目が帝国に向いている間に、王都に残った文民らを篭絡、脅迫して、自分達の言いなりにしてしまう。気がついた時には王国はその者の操り人形と化してしまうでしょうね。せっかく大国となっても、その利益は陰ながら王国を支配した何者かに吸い取られるという結果になります」

 

 レエブン侯は、なるほどと深く頷いた。

 

「……そう考えると、合点がいきますな。実は私の掴んだ情報によると、ここ最近、王国国内における八本指の活動が鈍化しているようです」

「もしや、その怪物(モンスター)を操る存在は、八本指をも取り込んでいるのやも知れませんね」

「八本指の持つ組織力に、隠密タイプの怪物(モンスター)が掴んだ情報が加わるとなると……これは厄介ですね」

「ええ、ここまで事が進んでいるとなると、もはや防ぐことなど出来はしません。戦争に勝利しようが敗北しようが、王国は蝕まれるでしょうね。その何者かに」

 

 ラナーの言葉に沈痛な表情を浮かべるレエブン侯。

「……何とか理由をつけて、今回の出兵を控えさせましょうか?」

 

 レエブン侯の言葉であるが、それにラナーは首を振った。

 

「いえ、すでにお父様が帝国への侵攻を宣言なさってしまいました。今更、この流れを止めることは出来ません。そうでしょう?」

 

 言葉を返されたレエブン侯は諦観のこもった表情で返した。

 国家というのははずみ車のようなものだ。動かすには大変な労力がいるが、一度動きだしたら、止めることは難しい。

 

「事ここに至っては、可能な限り被害を少なく、そして私たちに良い影響が出るように事を運ぶことを考えるよりほかにありませんね。とりあえずは……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「陛下、よろしいでしょうか?」

 

 いまだ、喧々諤々と今後の作戦計画についての討議が続く中、レエブン侯は国王ランポッサⅢ世に声をかけた。

 「なんだ?」と問いかける老王。

 あれこれと唾を飛ばして論争していた面々はレエブン侯が何を言うのだろうと、皆、耳をそばだてた。

 

 

「此度の帝国征伐なのですが、私はこのエ・ランテルに残ろうかと思います」

 

 静かに放たれたその言葉は水面の波紋のように、その場にいる貴族たちの間に広がっていった。

 誰しもが耳を疑い、突然、レエブン侯は何を言いだしたのかと、彼の事をまじまじと見た。

 

 

 衆目が集まる中、ランポッサⅢ世に理由を聞かれた彼はその内心を隠したまま、理路整然と答えた。

 

「この場で討議されているように、今回の作戦において、補給こそが非常に重要な案件となります。ですので、私がこの街にとどまり、補給物資の確保や輸送の手配を行うべきと考えます」

 

 確かにそれはもっともな話だ。

 レエブン侯の有能さは誰もが知るところである。

 彼ならば、この難題も見事さばいてみせるだろう。

 

 帝国侵攻において、ここに集う貴族たちの最大の関心事は、帝国の残存勢力との戦闘ではなく、いかに早くかつ広大な地域を己が支配下に置けるかという事だ。その為には進軍する自分の勢力の許に、遅滞なく補給物資が届けられることが重要となる。 

 

 だが、それは敬遠したくなる仕事である

 兵站の管理をするという事は、烈火のごとく進軍する者達を遠目で見ながら、自分は後ろで地味な作業するという事になる。

 すなわち、帝国領の占領に関われなくなるという事である。

 いわば貧乏くじに近い。

 重要ではあるとはいえ、誰もがそれをやりたくはなかった。

 

 そんな仕事をやると自発的に言いだしたレエブン侯の発言は、他の者からすれば願ったりかなったりであった。

 

 だが、そうは言っても、皆の頭の中に浮かんできたのは、では何故、レエブン侯はこんな旨みの無い事を自らやると言い出したのかという事であった。

 

 

 皆の懐疑の視線に晒される中、レエブン侯はさらに言葉をつづけた。

 

「現状において海路が使えぬ以上、王国軍の補給の要となるのはここ、エ・ランテルでございます。もし、万が一、このエ・ランテルに攻撃が仕掛けられ、占拠でもされた場合、帝国領に進軍している王国軍が孤立の憂き目に遭う可能性すらございます。その為、私は自軍と共にこの街にとどまり、防御を固めようと思います」

 

 ――ああ、なるほど。それは実に尤もな懸念だ。

 だがしかし、ただでさえ混乱している帝国軍が、進軍する王国軍を迂回して、エ・ランテルを攻めるなどという事があるだろうか? このエ・ランテルは3重の防壁に囲まれた強固な城塞都市だ。それこそ街の守備兵でも事足りるのではないか?

 

 そんな疑念の声に、レエブン侯は答えた。

 

「ええ、帝国軍が迂回反撃してくる可能性は低いでしょうな」

 

 ――ではなぜ?

 

「敵は帝国だけとは限りますまい」

 

 その言葉に、誰もが身を凍らせた。

 彼らは領土拡張の欲望に胸を躍らせるあまり、大事な事を失念していたのだ。

 ここエ・ランテルは近隣3国の国境にほど近い地である。

 

 

 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国。

 そしてスレイン法国である。

 

 

 最近動きがなかったとはいえ、()の国をけっして忘れてはいけない。

 むしろ、法国が動くとしたら、今が絶好の機会ともいえる。

 王国軍が帝国に攻め込んでいる間に補給路であるエ・ランテルを落とす。

 もしそんな仮定が現実のものとなったら、王国軍は敵地である帝国領内において孤立することになる。補給が途絶えた状態で、何処から襲ってくるかもわからない、地の利と機動力を有した帝国騎士団に襲われる。

 考えるだに最悪の展開である。

 

 エ・ランテルを奪い返そうと取って返すも、エ・ランテルは城塞都市。

 ある程度の戦力さえあれば、20万を超える王国軍すらも跳ね除けるであろう。

 しかも、攻城戦を行っている間中、背後を帝国軍に狙われ続けるのである。

 さらに言うのならば、そうして何とか取り返したとしても、王国としてはもとより自国の都市であった街を取り返しただけに過ぎず、無駄に戦力をすりつぶしただけという最悪の結果に終わってしまう。

 そんな事になったら、責任を王に問うなどという段階を超えて、国力の低下した王国の命運が尽きてしまう事にもなりかねない。

 

 それを避けるためにも、エ・ランテルは絶対に落とすことの出来ない拠点である。

 

「それと、もう一つ懸念していることがございます」

 

 ――なんと! まだあるのか!?

 

「敵は他国だけとは限りますまい。獅子身中の虫という言葉もございますので」

 

 その言葉には、誰もが再び、侮蔑と不快の表情を浮かべた。

 レエブン侯が直接、口にはせずとも、言外に示したことは推察できた。

 

 

 つまり、病に倒れたためと言い、此度の作戦に参加しなかったブルムラシュー侯の動向を警戒しているのだ。

 すなわち、あの者が王国全軍が遠く異国の地にある内に、おかしな考えを起こすのではないかと。

 

 

 レエブン侯は表向き、貴族派閥に属しているとみなされている。利益の為ならば、どちらの派閥とも手を組むと考えられているが、基本的にはそちら寄りの態度を取っている。

 

 あくまで表向きは。

 彼が実際は国の為、王の為に行動している事を知る者は少ない。

 

 それはさておき、ともかくそんなレエブン侯の今回の提案である。

 ブルムラシュー侯は王派閥の人間だ。

 貴族派閥の者達からすれば、王派閥の者に対する警戒、それも裏切りに対する警戒の為、貴族派閥のレエブン侯が睨みを利かせておくというのは悪い事ではない。

 王派閥の者からすれば、貴族派閥のレエブン侯が王派閥の者対する疑念を公然と口にするのは決して心地の良いものではないが、そもそも戦争に参加しようともしないブルムラシュー侯に対する苛立ちもあり、反論も出来なかった。

 

 そしてなにより、どちらの派閥の者としても、帝国の領土を奪取する競争からブルムラシュー侯に次いでレエブン侯まで脱落するというのは歓迎すべきことであった。

 

 

 レエブン侯の提案に目を細め、黙考していたランポッサⅢ世。

 彼はレエブン侯が、利益の為ならば派閥間を辺り歩く蝙蝠などという汚名を被る事になっても、自分の為に働いてくれている事はよく理解している。

 その為、今回の案も何か考えあっての事だろうと、その提案を了承した。

 

 ランポッサⅢ世が見回すが誰一人として反論する者などいない。

 王が決断した後に反対の意見を言うなど自らの立場を危うくする以外の何物でもないとは分かっていたし、貴族たちは、レエブン侯は敢えて地味な裏方に徹することで、領地の奪取より、貴族社会における自らの発言力の増加を狙ったのだと判断したのだ。

 

 

 

――とにかくこれで、一安心だ。

 

 

 自分の提案が他の者達に疑念すら持たれぬまま通ったことに、レエブン侯は内心、上手くいったと胸を撫で下ろした。

 

 レエブン侯が自軍を可能な限り帝国に進軍させず、エ・ランテルに留め置くべきであるということはラナーとの話し合いで決めたことであった。

 

 

 レエブン侯としてはとにかく、ここエ・ランテルこそが最重要の地であると考えていた。

 戦略的にも兵站の拠点であるし、また先に述べた様に、ここが落とされた場合、帝国領に進軍した王国軍が立ち往生する羽目になりかねない。

 

 

 帝国への進軍に関して、レエブン侯はけっして楽観できないと考えていた。

 

 確かに帝国軍は弱体化している。

 往時のような戦力などは保持していない。

 

 だが、決して侮っていい戦力ではない。

 

 

 真正面から戦えば、現在の王国軍は帝国騎士をも圧倒するだろう。

 だが、それは例年の戦争のように合戦として相見(あいまみ)えたときの話だ。

 

 地の利も民衆の支持も向こうにある。

 帝国側の戦術として考えられるのは、馬鹿正直に正面から当たらず、待ち伏せしたうえでの機動力を生かした蜂の一刺しのような一撃離脱であろう。

 

 帝国側としては数に勝る王国軍を殲滅する必要もなく、指揮系統を混乱させ、一突きして混乱させてやればいいのだ。ただでさえ、職業軍人が圧倒的に少なく、ほとんどが徴兵によって集められた王国軍は、一度算を乱したら統制を再び取り戻すことは不可能に近い。烏合の衆と化し、我先に逃げ出すだろう。それだけで王国軍は瓦解する。

 そうなった場合、敵地において敗走する王国軍の運命は想像するに難くない。

 

 

 それを考えると、今の帝国側としては、出来るだけ即座に撃退するのを避け、王国軍を帝国領の奥深くまで引きつけようとするだろう。その理由は、王国側の補給路の引き延ばしを狙ってである。一時的に帝国の領土を占領されようとも、それにより兵站はどんどん伸び、王国軍の密度はどんどん薄くなる。

 その上で機動力を生かし、兵站線への攻撃によって継戦能力を減らし、指揮を混乱させる事により統制を失わせ、各個撃破によって敵を撃退する。

 

 それが予想される帝国側の戦略だ。

 

 

 ましてや、王国の敵は帝国の騎士団だけではない。

 現在、かの地において跳梁跋扈しているビーストマンどももいるのだ。

 

 ビーストマンの前では帝国兵も王国兵も関係ない。

 どちらも人間でしかなく、彼らにとっては食料に過ぎない。

 

 下手に帝国領内で長期の活動をすることになれば、度重なるビーストマンの襲撃を受けることになり、王国兵は疲弊していくことになる。

 その士気は見る見るうちに減少していくことだろう。

 しかも、当然のことながら、先行する王国軍に補給物資を運ぶ輜重隊にも被害が出る事は予想出来る。

 ますます以って進軍は困難となり、帝国の領土を奪う事並びに奪った土地の支配を維持することは困難となるだろう。

 

 そうして王国軍が敗走してきた場合、彼らを受け入れ、かつ追撃してくるかもしれない帝国軍やビーストマン達を撃退するのに、やはりこの城塞都市エ・ランテルが重要となる。

 

 

 そして、そんな目に見える脅威などより、もっとも警戒せねばならないのは、帝都に謎の巨獣をけしかけた存在だ。

 今、下手に帝国に侵入しようものなら、帝都を滅ぼしたという魔獣の牙がこちら、王国軍に向けられる恐れすらある。

 もし仮にそんな事態になったのならば、それは戦いにすらならない事は容易く想像できる。

 王国の兵力は為す術もなくすりつぶされることになるだろう。

 

 

 そんな正体不明かつ強大な力を振るえる謎の存在に対し、いったい何処が安全だろうかと考えたとき、おそらくそれはこのエ・ランテル以外にありえないというのがラナーの考えであった。

 

 

 ここエ・ランテルはギラード商会の支配下にある。そして、そのギラード商会にはカルネ村を救った、デスナイトとかいう桁外れの存在を召喚できるほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウンの関係者とみられるベルがいるのだ。

 つまり、この地はアインズ・ウール・ゴウンの懐の内といえる。

 

 もし帝国に魔獣を放ったり、王国にシャドウデーモンを忍ばせた者がアインズ・ウール・ゴウン側の者だったとするならば、同じアインズ・ウール・ゴウンに組すると思われるベルなる人物の関与が明確な組織、ギラード商会の存在するエ・ランテルは安全であろう。

 

 逆にそれを行った者がアインズ・ウール・ゴウンに直接は関係のない者だったとしても、アインズ・ウール・ゴウンと関係が深いと目される組織の拠点たるエ・ランテルに攻撃を仕掛けるという事は、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する敵対行為という事になる。そのため、よほどの覚悟を決めた決戦でも起こらない限り、やはりエ・ランテルは安全であろうと思われる。

 

 

 すなわち、レエブン侯が自分の軍勢をエ・ランテルに駐留させておくという事は、彼らは魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの傘により、その安全が確保されるという事である。

 

 

 ――これで自分がここに長期滞在する理由は作ることが出来た。

 

 

 レエブン侯は、これから自分のやるべきことを頭の中に並べあげ、秘かに唾を飲み込んだ。

 

 レエブン侯としては、自分がエ・ランテルにいる間に、どうにかしてギラード商会と接触を図るつもりである。多少強引な手を使ってでも構わない。とにかく一刻でも早く、この地に現れた条理を超えた存在らに対する糸口を捜したい。

 そして現段階において、そんな存在へのつながりがある組織として、唯一、所在がはっきりしているのは、エ・ランテルのギラード商会だけである。

 レエブン侯としては、なんとしても、この組織に渡りをつけ、関係者であるであろうベル、そして謎の存在であるアインズ・ウール・ゴウン本人と繋ぎを取りたかった。

 それこそが王国が生き残る唯一の道と考えた。

 

 一方、協力者であるラナーはというと王都に残っている。

 シャドウデーモンを操っている者達が行動を起こすとしたら、王国が帝国領に軍を進めてからだ。王都が空になった隙に暗躍しだすであろう、その何者かと彼女はいち早く接触をとるつもりである。友好を結ぶか、それとも敵対するかは、エ・ランテルのレエブン侯と連絡を取り合い、どちらにつくのがいいかを決めるつもりである。

 その為に、王都に残してきたレエブン侯の側近たちには可能な限りラナーに協力するよう言い含めてあるし、彼のお抱えの引退した元オリハルコン級冒険者たちにもラナーの指示で動くよう命じてある。

 もし、万が一、その接触がうまくいかなかった場合は、彼らの手引きで王都を離れ、彼女もまたエ・ランテルに避難する手はずとなっている。

 

 

 ――今のうちに何とかせねば。

 後で王には事情を説明しておこう。ラナー殿下の推察も含めてお伝えし、あまり先陣をきって帝国内に踏み込まず、貴族派閥の者たちを先に行かせるように進言しよう。

 それとガゼフ殿にも同席してもらおう。事は緊急を要するかもしれない。いざというとき、私が貴族派閥であると思われていると意思の疎通に齟齬が生まれるやも知れぬ。ガゼフ殿には王国貴族の内情を知ってもらおう。いい加減、いつまでも自分は王の剣だからなどと言って、貴族の勢力争いに我関せずの態度を取られていても困る。

 それにガゼフ殿はアインズ・ウール・ゴウンと接触した数少ない人物。

 直接話を聞いてみたい。

 そうだ。どうせ、エ・ランテルに留まるのならば、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)が現れたカルネ村をもう一度調べてみてもいいな。たしか、ここから歩いて一日くらいの距離のはず。馬を使えば、日のある内に往復も出来るだろう。何なら、自分が直接出向いてもいい。

 時間は限られている。

 だが、考えうる限り、出来る限りの事は行い、手を打っておかねばならない。

 王国のために。

 帰りを待つ妻と愛らしい息子の為に。

 

 

 

 そうしたレエブン侯、並びにラナーの判断は正しい。

 彼らの判断や行動――何とかして、アインズやベルと接触を図ること――こそ、彼らが生き残る最良の判断といえる。

 

 だが、惜しむらくは――そんな彼らの判断も、もはや遅きに失したという事なのだが。

 

 

 

 その時、部屋の外から騒ぎが聞こえてきた。何やら、大声で問答する声が室内まで届く。

 いったい何事だと扉の方へ目を向けると、一人の兵士が室内に駆け込んできた。

 

 王並びに貴族の前で取るべき態度ではなく、無礼千万にして、その場において懲罰が下されてもおかしくはない行為であったのだが、その伝令の男のひどく慌てた様子に、いったい何事かと誰もが押し黙った。

 そして、皆の前で汗みずくとなった男は手にした紙片を目の前にかかげ、それを読み上げた。

 

 

「ほ、報告! 王都においてクーデター発生! 首謀者はコッコドールと名乗る男。自らを真のリ・エスティーゼ王国の王の血筋を引く者と称し、王都に於いて反乱を起こしました。オークやトロールなどの亜人を交えた戦力を率い、すでに王城は占拠された模様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その一報はその場に絶大なる衝撃をもたらした。 

 誰もが凍りつき、身じろぎ一つ出来なかった。

 

 

 そうしたまま、一体どれほどの時が経ったか。

 やがて貴族たちはようやく我を取り戻した。そしてその場は上を下への大騒ぎとなった。

 

 誰もが大驚失色(たいきょうしっしょく)し、文字通り口から泡を吹き、ひっくり返る者まで出る始末。

 

 そして彼らは慌てふためきつつも、行動を開始した。

 ここエ・ランテルに待機している兵力のうち、貴族お抱えである機動力のある騎兵を先頭に、とにかく一刻も早く王都へ戻ろうとしたのだ。

 もはや帝国に攻め入るどころではない。

 彼らの頭の中には、この王国の今後を決める重大な局面において、王都で反乱を起こしたなどという愚か者を誅伐(ちゅうばつ)することしか頭になかった。

 

 

 だが、そんな彼らの激憤に任せた行動であったのだが、それはすぐに頓挫することとなった。

 

 王都に向かおうと軍を率いてエ・ランテルを出立した途端、どこからともなく現れた、謎のアンデッドの群れに襲われたのだ。

 数こそ多くはないが、見た事もないような禍々しい死の騎士や厭らしい黄色い膿にも似た霧をまとわせた骨だけの馬など、桁外れの強さを持つアンデッドたちの集団であった。

 それらに襲撃され、王国軍は反撃すらろくにできぬまま、瞬く間に蹴散らされた。

 そして、今出てきたばかりのエ・ランテルの城門へと、とんぼ返りして逃げ込む羽目になってしまったのだ。

 

 幸いにして、撤退の判断が早かったためと、前衛に位置していたのは機動力のある騎兵であったため、被害も軽微なうちに城壁の内側へ避難することが出来たのだが、エ・ランテルの巨大な門の前には逃げる兵士を追い、押し寄せてきたそのアンデッドらがそのままたむろ(・・・)することとなり、そこから出る事は叶わなくなってしまった。

 

 そして、アンデッドが出現したのは王国軍が出て行き、撃退されて逃げ戻ってきた北西門にとどまらなかった。

 一体どういう訳か、エ・ランテルに3つある城門、その全ての箇所において同様のアンデッドたちが出現したのだ。

 

 

 それにより、エ・ランテル内に留まる王国軍は窮地に立たされた。

 都市内にいる王国軍は20万を超える軍勢である。だが、エ・ランテルは強固な城壁に囲まれた城塞都市であり、その出入り口は3つある巨大な門に限られる。

 つまりはその3カ所を抑えられるという事はエ・ランテルからの出入りを封じられるという事である。

 

 門は巨大ではあるのだが、それでもせいぜい10名程度の兵士が横に並んで通れるほどの幅しかない。

 そこを抑えられてしまえば、如何な大軍を擁しようと、その数を生かすことは出来ない。まず門を抜けられねば展開も布陣も出来ない。

 

 ましてやアンデッドは疲労も睡眠も必要としない。

 数に任せた波状攻撃も効かず、油断した隙をつくことすら出来ないのだ。

 

 

 

 それを受けて、再び王国の貴族たちは貴賓館へと立ち戻り、現状を打破するための方針を討議した。

 

「とにかく、このまま門を抑えられていては街を出ることすら出来ん。従軍させている魔法詠唱者(マジック・キャスター)を使って〈伝言(メッセージ)〉などで外と連絡を取るべきだ。領地から多くの兵を動員しているとはいえ、そこには守備兵を残してある。そいつらをかき集めてエ・ランテルに救援に来させよう。そうだ。冒険者も動かそうではないか。国家間の争いではなく、アンデッドが相手ならば、奴らとて拒抗(きょこう)は出来まい。とにかく、軍勢をエ・ランテル近郊に呼び寄せて、門前のアンデッドどもを引き離すのだ。奴らが援軍につられてそこから動けば、都市内に閉じ込められている全軍を展開できる。そうすれば、あのアンデッドたちも討伐できるやも知れぬ」

 

 そんなボウロロープ侯の言葉を受け、伝令が自軍の魔法詠唱者(マジック・キャスター)並びにエ・ランテルの冒険者ギルドや魔術師ギルドに駆けていく。

 

 それを見送る貴族たちの顔には一様に安堵の色が見て取れた。

 この突然の状況の中、多くの者が対策も考えられずに、ただ呆然自失のままでいるしかなかったからだ。

 

 だが、光明は見えた。

 時間はかかるかもしれないが、各地から援軍がやってくるまで、待っていればいい。そうすれば、アンデッドたちを挟み撃ちに出来る。

 ボウロロープ侯の言葉通り、アンデッドたちが援軍に反応し、迎撃の態勢をとったのならば、その隙に王国軍は都市を出て、布陣できる。20万の軍勢をいちどきに操れるのならば、いかに強くともアンデッドの討伐も可能かもしれないし、仮に撤退することになっても、一度、都市を出てさえすれば、そのまま自分たちの領地に逃げ帰ることが出来る。

 逆にアンデッドたちがあくまで自分たちを狙う気で門前を動かないのならば、新たな援軍に対して無防備な状態をさらすという事である。それならそれで、そのまま少しずつ戦力を減らし続けていけばいい。

 

 そう、自分たちのやることは援軍を待つことだ。

 それまで自分たちはここで籠城していればいいのだ。

 

 

 皆の目にようやく生気が戻った。

 

「ふむ。ところで援軍が来るまで、このまま待たねばならぬな。兵士たちの食料は大丈夫か?」

「何を言っとる。我らは長期の遠征をする為に、この街に集まっていたのだぞ。食糧庫には全軍を数か月は食わせるだけの糧食が保管してあるわ」

「しかし、このエ・ランテルには兵士たちだけではなく、民衆もいるのだぞ。彼らにも食わせてやらねば、暴動が起きかねん」

「そんなもの、兵士たちに蹴散らさせればいいだろう」

「阿呆か。こっちに籠城しているというのに、都市内で、人間同士で諍いを起こしてどうする」

「では、とりあえず食糧庫に保管してある食料の数を確認させましょう。兵士たちだけではなく、民衆にも分け与えたとしたら、どれだけの期間の分があるか。兵士たちだけならば、どれくらい持つか。それが分からぬうちに言い争いをしても始まりますまい」

 

 

 その言葉を受け、一部隊が食糧庫へと赴いた。

 厳重に錠を施された扉を開け、内部へ〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光を投げかける。

 

 

 そこで彼らは見た。

 食糧庫内に大量に備蓄された糧食。

 そのはるか高く、そして見渡す限りに積み上げられた袋の山に、みっしりと集る黒光りする存在を。

 

 

 そこにいたのは、それこそ大きさも小さいものから1メートルを超えるものまでの、数え切れないほどのジャイアント・コックローチの群であった。

 

 

「うわあぁぁぁー! あ、あああぁぁぁ!!」

 

 それを目撃した彼らは2度絶叫した。

 

 

 1度目は、そのあまりの悍ましさに。

 そして2度目は、その意味を理解して。

 

 

「しょ、食料が……食料がない……!?」

 

 

 

 敵からの攻撃を防ぐ強固な城壁は一転、自分たちをけっして逃すことない檻と化した。

 

 王国軍22万、そしてそこに住まう民衆たちは、食料の備蓄もないエ・ランテルに閉じ込められることとなった。

 

 




 やったね。コッコドール。
 王様だよ。
 凄い。大出世。


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第69話 王都リ・エスティーゼ

 直接的ではないですが、グロを連想させる描写がありますのでご注意ください。

2016/12/29 「図りかね」→「計り兼ね」、「収める」→「治める」、「間接」→「関節」、「~行った」→「~いった」、「~見えた」→「~みえた」、「~言う」→「~いう」、「~来よう」→「~こよう」 訂正しました
「特異」→「得意」 訂正しました


「憶えておれよ、この逆賊が! 忌まわしき簒奪者めが! 青い血など一滴たりとも流れぬ下賤な奴ばらめが! 貴様らの末路は捕らえられ、命乞いをしながら、犬のように殺されるのだ!!」

 

 血を吐くように叫ぶリ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ。

 その青あざがうかび、流れた落ちた血が乾き、こびりついたままとなっているその顔へ、本来はこの国の王、ランポッサⅢ世のみが座るべき玉座に腰かける男は視線を向けた。

 

「言いたいことはそれだけかしら? やっぱり頭が足りないと、気の利いた言い回しも出来ないものね」

 

 そう皮肉気に鼻を鳴らす。

 その声に、玉座の周りに立つ八本指の面々は皆一様に、下卑た笑い声をあげた。

 

 王の血を引く自分が、下賤な者達から嘲りの声を投げかけられている。その事実にバルブロの顔がどす黒く染まる。

 

 そんな王子の事などもはや興味を無くしたように、いささか大き過ぎる感のある王冠を頭の上に載せたコッコドールは手を振った。

 

「馬鹿と話すのも疲れるわね。さっさと連れていってちょうだい」

 

 その言葉に重い足音が響く。

 そいつは後ろ手に縛られ、(ひざまず)かされているバルブロのすぐ背後までやって来た。

 

 ガッとその首筋を掴む。

 べちゃり。

 その拍子に掴んだ手のひらにある膿胞がつぶれ、じゅくじゅくとした汚らしい膿が流れ出す。その首筋に伝わる悍ましく不快な感触に、思わずバルブロは声をあげた。

 だが、膿だらけの肉塊――レイナースはそんな彼の態度など気にも留めずに、力まかせにバルブロの身体を引きずっていった。

 自分の前に曳きたてられた傷だらけの捕虜と共に、見るだけでも吐き気をもよおす醜悪極まりない人影が玉座の間を出て行ったことに、コッコドールは隠す余裕すらなく、疲れ切った様子でほっと息を吐いた。

 

 

 力なく肩を落とし、彼は室内の一角、誰もいない片隅に目を向けると、微かな追従の笑みを浮かべて話しかけた。

 

「……えーと、これでいいのかしら、ボス?」

 

 

 その声に応えるかの如く、コッコドールの向けた視線の先に2人の人影がこつ然と現れる。

 1人は美しい金髪を縦ロールにしたメイド。

 もう1人は腰まであるプラチナブロンドをなびかせた少女である。

 

「オーケー、オーケー。そんな感じでいいよ。良かったよ。あははー、お前って案外王様ってのも(しょう)にあってるんじゃないの?」

 

 そう、ベルはケラケラと笑った。

 そんな少女の陽気な笑いにどう反応すべきなのか判断できず、コッコドールは愛想笑いを浮かべるだけであった。

 

 

 

 今、彼らがやっているのは王権の簒奪に伴う残務処理である。

 

 この王都を八本指の者達で掌握した。

 表向きはコッコドールは先代の王の血筋を引く者で、その地位を不当に奪った現王から、玉座を奪い返したという名目である。

 

 しかし、当然のことながら、王都の人間たちでそんなお題目を信じる者などいないだろう。

 コッコドールが率いているのは、いかにも脛に傷を持つ者達であるばかりか、恐るべき亜人たちまで加わっている。エルフやドワーフなど比較的人間に近い性質を持つ者達ならばまだ民も受け入れられたであろうが、そこに現れたのはオークやトロールなどである。明確に人間と敵対し、冒険者組合では討伐対象の怪物(モンスター)に分類される様な存在である。そんな化け物どもを率いる者がまともな王位継承者であるわけがないのは自明の理であった。

 

 すでに一部では貴族の邸宅を守る兵士を始めとした者達が、反抗作戦を行っており、それに対してコッコドール率いる王国新政権は力で叩き潰しているところだ。 

 そして、自らに歯向かう者達への見せしめもかねて、そういった反抗的な貴族達をむごたらしく殺してみせているのである。

 

 

 

「しかし、ボス。ちょっといいですかね?」

 

 そう話しかけてきたのは、ベルに対する対応の仕方をまだ計り兼ね、声をかけるのを躊躇っている他の者たちよりは、彼女との付き合いが長いマルムヴィストであった。

 

「国を盗るのはいいんですが、これからどうするんですか? いや、俺たちも裏社会を取り仕切ってましたから、大まかな事とかはある程度知ってますし、それなりに何とかなるでしょうがね。でも、やっぱり国家レベルってのは別もんですよ。ちょっと、素人仕事で何とか出来るかというと……」

 

 その言葉に、その場に居並ぶ者達も、さすがに不安を隠せない様子で彼らの新しきボスの顔を窺った。

 

 

 

 八本指の彼らとて、決して無能という訳でもない。

 むしろ、他者との蹴落とし合いが日常の世界を渡り歩き、生き抜いてきた分、有能な者のみがそろっていると言える。

 しかし、だからと言って、国家レベルの(まつりごと)などは別格である。

 いかに巨大組織とはいえ、所詮は一組織。国家とでは規模が違いすぎる。

 

 例えば、戦いに関して言うならば、八本指の中で戦闘に慣れた警備部門の者達でも、せいぜいが100人程度、多くても千には達しないくらいの人数の指揮しかしたことがない。

 対して、それが『国』となると、指揮すべき人数は数万から数十万もの規模になる。

 

 そんな、文字通り『桁が違う』組織を動かすノウハウ。それを彼らは持ちえていないのだ。

 

 

「なあに、気にすることはないさ」

 

 一同、今後の対応について不安の色を隠せない様子であったが、ベルはそんな彼らの懸念を払拭(ふっしょく)するように、気楽に笑ってみせた。

 

「そんなに心配しなくても、王にくっついてエ・ランテルに行った連中以外にも、各地には留守番としてそれぞれの領地を守っている人間がいるんだ。そいつらにやらせればいいさ。取り立てて騒ぐほどの事でもないよ」

「……上手くこっちの言う事を聞きますかね?」

「大人しく聞かないようだったら、法を盾にして言う事を聞かせればいいさ」

「そんな都合のいい法なんてあるんですか?」

「そんなの作ればいいじゃん。新しいこの国の法律を決めるのはこっちだし。それに逆らうんなら殺してしまえばいいしね。なあ、コッコドール?」

 

 そう言って、玉座に腰かけるコッコドールに笑いかける。

 彼は口の中で「ひぃっ」と声を漏らし、身体を震わせた。

 

 

 今、この王都を支配している(事になっている)王はコッコドールなのだ。

 彼の名のもとに、好きなように法律を作ってしまえばいい。

 

 もちろん、反発は出るだろう。

 ただでさえ、どう考えてもまとも(・・・)ではない方法で王の座についた――王位を簒奪した、あるいは僭称しているといってもいい――人間が、明らかに私利私欲の為だけにおかしな法律を作り、それを押し付けようというのだ。

 誰だって、不満をつのらせるだろう。

 今はまだ貴族たちの間でのわずかな反抗程度にしかなってはいないが、やがて大規模な叛乱などが起きてもおかしくはない。

 

 

 だが、ベルたちからすれば、そんなものは関係ない。

 叛乱が起きたら潰してしまえばいいのだ。

 

 今回のクーデターを起こした八本指には、オークやトロールなどの亜人たちまでも味方としてつけている。彼らの戦闘力は普通の人間をはるかに上回る。生半(なまなか)な戦力では、歯向かうことすら出来はしない。そして、まともな戦力となる者の大半は戦争の為にひっぱり出され、その結果、エ・ランテルに閉じ込められている状態だ。残っているのは万が一の予備戦力や、経営、管理などを担当する文官たちがほとんどである。

 

 唯一の懸念は、そうした人間同士の戦争には関わろうとしないまま、街に残った冒険者たちである。人間だけではなく亜人を使っているとなると、彼らが敵となる可能性もあるため、その動向には注意が必要であった。

 

 まあ、いざとなれば真のバックとなっているナザリックの戦力を動員することも出来る。

 ナザリックが本気を出せば、滅ぼせぬ戦力はまずないだろう。尤も、あくまでそれは最終手段であり、ナザリックの戦力は可能な限り秘匿するつもりではある。

 

 

 

「それに、力尽く以外にも色々と考えはあるしね。まあ、手は打ってあるから、心配することは無いよ」

 

 皆を安心させるよう、ベルは言った。

 その言葉に、玉座を囲む八本指の者達はわずかに表情を和らげた。

 

 

 ちなみに、そんな事を口にしたものの、ベルには特に他の考えなどないし、手も打っていない。

 てきとう言っただけである。

 

 そもそも、ベルとしては統治が仮にうまくいかなくとも、まったく問題がない。

 王国が繁栄しようが荒廃しようが、べつにどうでもいいのだ。

 

 

 ベルにはナザリック地下大墳墓がある。

 それだけで完結した世界であるナザリックが。

 

 金。

 力。

 人員。

 知識。

 技術。

 美食……。

 

 欲しいものはそこにすべてある。

 

 

 様々な触媒となる金貨などは手に入れたいが、それは別に交易によるものでなければいけないという訳でもない。どこぞの鉱脈などをアンデッドを使って採掘させ、それを自分たちで精錬、鋳造すれば事足りる話である。 

 苦労して、為政者として人民を統治し、税収という形で金や資源を手に入れる必要もないのである。

 

 

 それに、この世界の国々が荒廃していき、人類文明が崩壊するのはナザリックとしては実に都合がいい事だ。

 先にも述べたが、ナザリックはそれだけで完結した世界である。

 他との交流がなくとも、まったく困ることは無い。

 この世界に存在する国家の国力が衰え、その知識や文化、技術が失われれば失われるほど、ナザリックとの差は開いていく。

 すなわち、相対的にナザリックの力が増していくことになるのだ。

 

 

 つまり王国が今後も何とか国として成立していければそれでよし、駄目になったら駄目になったでナザリックが優位に立てるという、どちらに転んでも美味しい作戦であった。

 

 

 

「それに――」

 

 ベルはその見た目だけはあどけない瞳を、その場に並んでいた一人の人物へと向けた。

 

「国の(まつりごと)で分からないこととかは、実際に経験のある、ブルムラシュー侯に聞けばいいだろう」

 

 名前を出された事に、居並ぶ者達の中に目立たぬようひっそりと立っていた、豪奢な服に身を包んだ人物。

 リ・エスティーゼ王国における六大貴族の1人、ブルムラシュー侯はビクリとその身を震わせた。

 

「わ、私は……」

 

 声を震わせるブルムラシュー侯。

 皆の視線が集まる中、彼は(おこり)のように身体を震わせた。すでに顔面は蒼白である。

 そのあまりに尋常ではない様子を見て、他の者の間にざわつきが起こる程に。

 

 

 一体どうしたのだろうと誰もが眉を顰める前で、彼は不意に飛び出すと、がばとベルの前に身を投げ出した。

 突然の行為に、さすがにベルも目を丸くした。

 

「お、お許しください、ベル様。こ、このような恐ろしい事など……わ、私にはとても……」

 

 そうして、ひたすら地に頭を擦りつけ、平身低頭しながら情けを乞うような事を喚く。

 そのあまりの醜さ、情けなさに、さすがに弱者のそのような姿を見なれた八本指の者達といえど声もなかった。

 

 彼、ブルムラシュー侯は王国における六大貴族である。血筋や権力に媚びへつらうことない八本指の者達からしても、彼は圧倒的に上位の人物であり、その姿を前にすれば思わず、身をこわばらせてしまいがちになるほどであった。

 

 そんな彼が今、目の前で無様にも慈悲を乞い、泣き叫んでいるのである。

 ベルとしても、貫禄ある年配の人物がそんな半泣きで手をこすり合わせる様子に、呆然とするよりほかになかった。

 

「あー、あのさぁ……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 呆れたようなベルの声に、言葉にならない返事を叫ぶブルムラシュー侯。

 その時、水の滴るような音が耳に届く。

 見ればブルムラシュー侯の股間、そこから水気が滴っている。

 それに気づいた皆は、あまりの醜態に嘲笑うどころではなく、その顔をしかめた。

 

「も、申し訳ありません。ベル様、どうかお許しを」

 

 わたわたとした様子でベルの足元に滲みよる。

 そして、彼女の足に縋りつこうとした。

 それに思わずベルは「うわっ!」と声をあげて、その顔を蹴り飛ばした。

 失禁したおっさんにすり寄られて、その汚水で靴を汚したくはない。

 

 ベルの靴を顔に受け、ブルムラシュー侯はその場にへたり込む。

 その様子に、ベルは心底ウンザリして声をかけた。

 

「ああ、もう。ブルムラシュー侯。鬱陶しいから、ちょっと黙っててよ」

「し、しかし、ベル様のお役に立てねば、わ、私、私の領地は……」

 

 その言葉にベルは、ブルムラシュー侯は事ここに及んで、自らの積み上げたものが失われることを恐れているのだと感じた。すでに事は進んでいるのに、こちらにつくと決めた自らの選択に対し、いまだ覚悟の一つも決めていないのだと。

 

「ああ、めんどいなぁ。んじゃ、もういいや。お前は領地にでも引っ込んで大人しく金勘定でもしてろ。もうあれこれ頼まないから。わかった?」

 

 もはや、苛だちを隠すことなく、ベルは怒気を込めて、そう言った。

 その勘気に当てられ、ブルムラシュー侯は驚き、ひっくり返った。

 

「は、ははあっ! 了解いたしました! ベ、ベル様にご迷惑をかけることは致しません。わたくしめは領地に戻り、大人しくしております」

 

 再度、土下座し地に頭を擦りつけると、ブルムラシュー侯はおたおたとした様子で、転がる様に部屋を出て行った。

 

 残されたのは白けた様子の面々。

 

 そんな中、ベルは空気を変えようと疲れた様子でパンパンと手を叩いた。

 

 

「はいはい。ええっと、まあ、ブルムラシュー侯の事はもういいや。それより、国の運営の事をどうするか考えよう。とりあえず、王都で留守居している貴族でこっちのために働く奴を選抜しようか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はあっ、はあっ」

 

 いまだ呼吸もおさまらないその口に酒を流し込む。

 カルヴァドスの甘くさわやかなリンゴの香りが、口腔に広がる。

 

 

 今、彼がいるのは、上流階級の者が乗るために作られた最高級の馬車、その中である。

 6頭立ての馬が全速で走っていながらも、それに曳かれる車内ではわずかな揺れすら感ずることもない。

 

 手にした酒杯に、傍らの酒瓶から手酌でもう一杯注ぎ、再度、口に運ぶ。

 その舌上を駆け回る味覚と、腹に広がるアルコールの熱に、ブルムラシュー侯は深く息を吐いた。

 

 そうして、ようやっと人心地ついたと、失禁の跡が残る自らの服を着替える。

 本当は一度、王都内の邸宅に戻って着替え、そして移動の準備を整えたかったのだが、下手に時間をかけている間に、あの少女の気が変わってしまっては困る。その為、取るものも取らず、馬車内での着替えだけを持って、王都を離れたのだ。

 

 

 せっかく、あれほどの言質(げんち)を引き出せたのだ。

 後は機を逃さぬうちに、大急ぎで領地に戻るのが得策だ。のんびりしていて、またぞろあの少女の気が変わりでもしたら目も当てられない。

 

 

 

 先の玉座の間に於ける彼の醜態。

 あれはもちろん演技である。

 

 

 彼としても今後どうするかは実に悩んだ。

 あのベルという少女と八本指たちと共に行動するか、それとも距離をとるか。

 

 行動を共にするというのは、実に魅力的に感じられた。

 なにせ、彼らは今回の件において勝ち組である。

 すでに王都を手中に収め、貴族たちもまた押さえてある。彼らと組んで行動すれば、いくらでも甘い汁を吸えるだろう。また、彼らには一国を動かすほどのノウハウがない。対して六大貴族と言われていた自分にはそれがあるのだから、それもまた大きなアドバンテージとして利権をむさぼれただろう。

 

 

 だが、彼の直感はそれに待ったをかけた。

 

 これ以上深入りしない方が得策であると感じた。

 

 

 それはあのベルという少女を目の当たりにして、確信に変わった。

 

 

 あの少女が求めるものは、ただ混乱と破壊である。

 利益の為ではない。己が享楽の為に、国を崩壊にまで導いたのだ。

 あんな存在の下に収まっていては、そのうち自分まで遊びの対象として滅ぼされかねない。

 

 

 そう判断したブルムラシュー侯は一計を案じた。

 

 それが、今回の醜態であった。

 ベル、そして皆の前で無様な姿をさらすことによって、自分は力も意気地もない、叩き潰すほどの価値もない、貴族というのは張り子の虎で実際は無力にして無害な存在であるとよそおったのだ。

 

 そして、それにより、ベル本人から言質を引き出すことに成功した。

 彼女はブルムラシュー侯に対し『領地に引っ込んでいていい』、『今後頼ることは無い』という2つの事を口に出したのだ。

 

 まさに望んでいた内容だ。

 出来れば、自分の地位の保証も欲しかったのだが、贅沢は言えまい。

 これで、ブルムラシュー侯は今の権勢そのままに、今回の一件から手を引ける。今後は彼らから協力を要請されても、自分にとって低リスク且つ利益の多い頼みごとのみを引き受け、旨みの少なそうなものは、トップであるベルが言った先の発言を錦の御旗として、それらを断る事が出来るのだ。

 

 

 そんな絶好の条件を獲得しつつもながら、ブルムラシュー侯の胸中には未だ暗い霧のような不快なものがわだかまっていた。

 

 

 ――あまりにも上手くいきすぎる。

 まさに自分がこうなってほしいと思った、その通りに。

 ……まさか、これもあの少女の考えの内か?

 あの娘の手中から逃げたつもりが、いまだ巨大な手の平の上だというのか?

 

 

 ブルムラシュー侯は背筋を這い上がる寒気を覚え、もう一杯酒を呷った。

 

 

 

 おそらく、今後周辺国家は荒れる。

 帝国はあの有様だし、王国もまた滅びかけている。下手をしたら法国をも滅亡に向かうかもしれない。そんなときに重要となるのは自分の力である。

 

 

 彼が懸念している事は今、エ・ランテルあたりにいるはずの王国軍が王都へ戻ってきた時の事である。

 

 なんでもあのベルなる少女の手の者がエ・ランテル付近で、王国軍の足止めを画策しているようだ。

 それについては詳しく知らされてはいないため、いまだ彼にはそれがどの程度のものかは分かりかねていた。

 ただ遅滞作戦を講じているだけなのか?

 それとも、まさかとは思うが、本当に一国の軍すべての身動きがとれぬようにしているのか? 

 ……案外、その可能性も高い気もする。恐るべき悪魔を(しもべ)に持ち、亜人たちをも従えるほどの力を持っているのならば、それすらも可能かもしれない。

 

 とにかくだ。もし、その遅滞工作を突破し、王国軍が戻ってきたとしたら、新政権の勢力と戦闘になるのは必至である。

 

 

 まあ、どちらが勝っても、彼らと距離をとることが出来たブルムラシュー侯には損はない。

 

 新政権側が勝つならばそれも良し。そのまま、ほどほどに付き合いを続ければいい。あくまで自分からの持ち出しは極力なしの方向で。

 もし負けたら、自分は脅迫されて協力を余儀なくされたと言い張るつもりだ。

 

 おそらく、それを信じる者はいないだろうが、仮に王国軍が新政権側を戦闘で追いだした場合、王国軍はかなりの被害を受けると予想される。

 

 それに対して、ブルムラシュー侯は今回、上手く力を温存することが出来た。彼の領地では未だ戦争の為の徴兵すらしていないのだ。戦闘により被害を受けた他貴族の兵に対して、彼の動員する兵士は万全の状態のままである。

 すなわち、潜在的な戦力としてみると、ブルムラシュー侯率いる軍勢は王国でもトップクラスとなるはずなのである。

 そんな相手に対し、たとえ不満があるとしても、怒りに任せて行動出来るものではない。

 

 付け加えて言うならば、今回の戦の前に、ブルムラシュー侯は食料を始めとした資材などの買い占めを行っている。

 彼の領地を除く地域では、働き手が戦争に駆り出され、満足な農作業も出来ないでいる。それでも帝国に攻め込み、食料や財宝など諸々の戦利品を分捕ることが出来れば、それで帳消しになったろうが、それは叶わなかった。

 となれば、食料が不足する事必至である。

 そうなれば、ますますもって、食料を大量に保有しているブルムラシュー侯には逆らえなくなるだろう。金をつぎ込んでも、彼の保有している食料を買わねばならない。それを少しずつ売るだけで莫大な儲けになるだろうし、且つ彼の政治的な発言力も上がるはずだ。

 

 それにどちらが勝つにせよ、王国にはこの先暗雲が立ち込めている。

 現在の土地ではもはや食っていける限度を超え、逃亡する農民たちが増えるだろう。

 そんな彼らがどこに逃げ込むかというと、戦火とは無縁で食料も豊富にあるブルムラシュー侯の領地の他にない。

 やってきた彼らを使い、何もなかった地を開墾させるか、それとも鉱山で働かせるか。

 

 どちらにせよ、彼の領地の未来は明るい。

 

 

 

 そこまで考えたところで、彼ははたと思い浮かんだ。

 

 

「もしや、それが狙いか!?」

 

 あの少女はブルムラシュー侯のやった演技のままに、彼のこれまでの権利を認めた上で放逐し、新たに王都を支配した新政権側と距離を置かせた。

 

 それが彼女の目的だったのかもしれない。

 

 あの玉座の間でのやり取りにより、その場にいた八本指連中には不審に思われることなく、ブルムラシュー侯は王都と関わることのない、いわば外様の勢力となった。

 そうした王都の新政権とは異なる、中立に近い新たな勢力を作るのが狙いなのだろうか?

 

 

 ブルムラシュー侯は腕を組み、その可能性を考察する。

 

 

 正直な話、あの新政権は満足に国家の統治など出来るとは思えない。ほぼ無政府状態と変わらない有様となり、腐敗と暴力の支配する土地になるのは間違いない。

 対して、ブルムラシュー侯の領地は治安を保てるだろう。これまで同様、侯爵たる自分が統治するのだから。

 仮に新政権側の勢力が彼の領地を荒らそうとしても、ベルからブルムラシュー侯には新政権として関わらない旨の言質を取っている。すなわち、彼の領地に新政権に関わる者がちょっかいを出すという事は、トップであるベルの言葉に背くという事である。そんな虎の尾を踏む様な事は、無頼漢たる八本指の者達とて避けるであろう。

 

 そこから導き出される答え。

 荒れ果てるであろう国土。

 そして、自らに友好的ながら、ある程度距離をとって繁栄している領地。

 

 

 ――もしや、敢えて八本指に暴れさせ王国を混乱に陥れた(のち)に、旧来の王国軍と戦わせる。そして、どちらも共倒れになった所で、私の所、リ・ブルムラシュールの戦力を投入するつもりか?

 

 

 彼はごくりと生唾を飲んだ。

 

 先に考えた様に八本指の者達だけではまともな統治は無理だ。国内は荒れ果て、人民は怨嗟の声をあげるだろう。

 だが、それは元の王国とて対して変わりはない。

 かつての貴族たちが治めるリ・エスティーゼ王国は決して住みよい土地という訳ではない。貴族の専横を止めようという者はなく、その生活は領地を治める者の良心次第。(よこしま)な精神とどまらぬ者の治める地においては、そこに住まう民衆は塗炭(とたん)の苦しみの中に放り込まれていた。

 

 民衆にとってはどちらが勝っても同じことだ。 

 どちらが覇権を得ようと、更に生活は苦しくなっていく一方だろうから。

 仮に旧来の王国側が勝ったとしても、無駄に兵を動員し、疲弊した現状を立て直すためにさらなる重税が課せられるだろうし、新政権側が勝ってたとしても言わずもがな。

 

 その両軍の争い、どちらにも期待をかけることすらないだろう。

 

 

 だが、そこに新たな第三の勢力が現れる。

 その新勢力は、己が利益の事しか考えぬ両軍を瞬く間に打ち倒し、飢えに苦しむ民衆に食料を分け与え、善政を敷く救世主となるだろう。

 

 ――その役目を自分にやらせる気なのではないか?

 

 先にも述べた様に、ブルムラシュー侯の領地では農民の徴兵も行っておらず、その戦力は丸々温存したままだ。それに、先に接触したデミウルゴスという悪魔からの進言により、食料を大量に買い占めてあるのだ。

 その条件には見事に合致する。

 

 

 ――そうした時、自分はどうなるのか?

 新たな王として玉座に腰かけ、王冠でもかぶるのか?

 あのコッコドールとかいう者のように。

 傀儡の王。

 あの少女の操り人形となって。

 

 

 彼はその想像に身震いした。

 再度、杯の酒を呷ろうとしたが、それはすでに空であった。

 

「落ち着け。想像に過ぎんかもしれん。全ては私の気の回し過ぎの可能性もある。今はまず、リ・ブルムラシュールに戻るのだ。何が起こるかは分からんが、とにかく万全の態勢を整えなければ。各地の情報を集めなければ」

 

 震える手で、傍らの棚から酒瓶を取り出し、それを自ら酒杯に注ぐと、それを満たす琥珀色の液体を一息に呷った。

 カルヴァドスとは違う、強い苦みのある味わいが喉を焼いた。

 

 

「……となると、先ず調べねばならんのは、王都での捕獲した貴族の扱いだな」

 

 見たところ、あの少女は貴族をすべてを殺すのではなく、ある程度は新政権側に取り込もうと考えていたようだった。その自陣に引き入れた貴族の顔ぶれを知ることが出来れば、今後、あの少女が行うであろう行動の予測もたてられる。

 有能なものを生かすか殺すかによって、先の彼の考えが正しいか判断できる。

 その内容次第で、今後の対応も変えねばならない。

 

 とにかく自分としては、彼らとも、そして王国とも心中するつもりはない。

 愚か者どもの国盗りなど勝手にやらせておけばよい。

 自分が欲しいのはこの世にただ一つ。

 金だけだ。

 

「第一王子であるバルブロ殿下は見せしめとして殺すつもりのようだったが、ザナック殿下と、それとラナー殿下についてどうするつもりか。傀儡とするか、それとも……」

 

 

 

 そうして思考の海に沈むブルムラシュー侯を乗せ、馬車は街道を一路、彼の本拠、リ・ブルムラシュールへと駆けていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――甘かった。

 

 自室でラナーは1人歯噛みしていた。

 

 

 普段と変わらぬ白を基調とした豪奢な部屋であるが、今、彼女の周りには仕えているはずのメイドの姿はない。

 彼女付きのメイドたちはいち早く、王都での異変に気がつき、建前上は仕えている事になっているラナーを放っておいて、慌てて彼女たちの真の雇い主である貴族の館の下へご注進に向かおうとした。

 

 だが、向こうの手はもっと早かった。

 元よりシャドウデーモンを始めとした隠密行動が得意な怪物(モンスター)たちが王都に侵入し、徹底的に情報を調べ上げていたのだ。逃げ出したメイドたちは、ご丁寧にもラナーの部屋の窓から見える場所で、トロール達に貪り食われた。ちゃんと火を通すための移動式のロースターを前もって用意し、焼き残しの無いよう丹念に両面とも焼き上げてから、特製のバルサミコ酢のソースをかけて食べるという念の入れようであった。

 

 レエブン侯から預かった元オリハルコン級冒険者たちもまた殺された。

 彼女を王城から脱出させようとしたところ、突然廊下に落ちた影から悪魔たち――これがシャドウデーモンという悪魔らしい――が現れ、襲撃を受けた。

 彼らは奮戦したといえる。だが、彼我の戦力差は明白であった。

 シャドウデーモンはアダマンタイト級に匹敵するほどの身体能力を持つ。すでに肉体的な盛りを過ぎ、引退したオリハルコン級冒険者では歯が立たなかった。

 そしてただでさえ押されていたところに、突如天井より投げかけられた蜘蛛の糸に動きを絡めとられた。そして身動きが取れなくなったところを、シャドウデーモンの鋭い爪でズタズタに引き裂かれてしまったのである。

 彼らの遺体もまたラナーの部屋から見える庭へと運びだされ、ちゃんと無駄なく調理し食べられた。

 

 

 

 そうして、彼女は1人この部屋に戻された。

 

 

 囚われの身ではあるが、彼女の腕には鎖などは繋がれていない。だが、それ以上の枷によって、身動きを封じられていた。

 

 先の逃亡劇の際、元オリハルコン級冒険者たちを捕らえた糸を操る存在――奇怪な姿をした蜘蛛型怪物(モンスター)によって、彼女を守ろうと前に歩み出たクライムをも捕らえてしまったのだ。

 

 クライムは蜘蛛の糸に絡めとられたまま、別の部屋に連れ去られてしまった。

 悪魔たちが彼を連れていこうとしたとき、自分が抵抗したり、脱出を図ったりしないかわりにクライムには手を出さぬよう伝えておいたから、彼の身は大丈夫だとは思うが。

 

 とにかく現在、彼女に出来ることはなにも無い。

 彼女に戦闘能力などないし、なによりこの世でたった一つ大事なクライムを押さえられてしまっているのだから。

 

 

 窓から外を見ても、そこから見える凄惨な処刑風景――もしくは食事風景の中にクライムらしき人物はいなかった。

 

 ――今のところは。

 

 

 

 ラナーは必死で思考を巡らせた。

 

 彼女とて、王国軍が帝国領に侵攻している間に、何者かがこの王都で事を起こすとは踏んでいた。

 それに対して、様々な手を考えていた。

 

 だが、こんなにも性急にして直接的、言ってしまえば短絡的な行動に出るとは思ってもみなかった。

 

 

 これまで相手がどんな人物だかは知りえなかったが、少なくとも慎重であったはずだった。

 やり方としては大胆な面もあるが、あくまで表舞台に立つことは無く、裏からその勢力を伸ばしていた。じわじわと侵食するように、その力の範囲を広げていた。

 

 それは以前にシャドウデーモンが王都に侵入しようとした時、イビルアイによって退治された(のち)、同様の行動を控えていたことからも窺えた。

 強引な手を打つ者なら、斥候であるシャドウデーモンが倒された時点で、さらなる行動に出た事だろう。いきなり王都全域が襲撃されるか、計画を邪魔したイビルアイを捕らえでもしただろう。

 だが、先に現れた5体が倒された後、目に見えた行動は何もなかった。

 

 

 かつて、ラナーはレエブン侯と会談した際、この後向こうが取りうるであろう行動を推測した事があった。

 

 新たな行動を起こさない、人間の間者を送り込む、そしてより多くのシャドウデーモンのような怪物(モンスター)を送り込む、の3つである。

 

 その内、1つ目であれば取り立てて急ぎ警戒する必要はないし、またイビルアイの哨戒により3つ目のさらなる怪物(モンスター)の投入というのは排除されたため、2つ目の人間の間者についてレエブン侯は警戒し、王都においておかしな兆候のある者を念入りに調べていた。

 そうして、レエブン侯がその権力と金、人脈を使い極秘裏に調べたところ、数名の不審人物と目される者の名が浮かび上がってきた。

 

 

 ラナーはレエブン侯が王都を出る前に渡された書状、その名が暗号で書かれた紙片を取り出し、目の前で広げる。

 

 他国の間者の可能性もあるため、下手に刺激しないよう調査及び接触には細心の注意を払わなければならないのだが、ラナーとしては王国が軍を進めた(のち)、この王都を調べている何者かが行動に移す前に、その者らと接触するつもりであった。

 

 

 だが、それは遅きに失した。

 ラナーがレエブン侯から預かった元オリハルコン級冒険者たちを使って、その者らと接触を取ろうとした矢先に、今回のクーデターである。

 

 

 ラナーとしては歯噛みするより他になかった。

 先んずれば人を制す。

 この絵図を描いている何者かに先手を打たれてしまった。

 

 思わず手にした紙、そこに羅列された数人の名を睨みつける。

 そこには王都の食堂で働くマイコなる人物の名もあった。

 

 ラナーは勘気を抑え込み、その紙片を丁寧に折りたたむと、自らの服の内側に滑り込ませた。

 この紙に書かれた情報はこれからの取引材料になる。

 

 

 ――とにかく、自分の愚かさを呪っていても仕方がない。今はまず、これからのことを考えねば。

 

 

 ラナーは頭を切り替える。

 

 今後起こりうるであろうこと。

 それは、このクーデターを起こした者達の前に、彼女が曳きたてられるであろうという事だ。

 

 

 彼女の部屋の窓から見える先にも、第一王子バルブロ、そして第二王子ザナックが連行されていく姿があった。

 ならば、そのうち、自分も連れていかれるだろう。

 

 その時が勝負だ。

 曳きたてられていけば、真なる王を僭称するコッコドールなる者、そしてその裏で糸を引く真の実力者と必ずや顔を合わせるだろう。

 そこで、ラナーは自らの才を見せるつもりだ。もはや、その能力を隠しておくなどという行為は愚の骨頂である。

 

 おそらく向こうは自分の事を探ろうとするだろう。

 自分はこれまで表には出さなかったが、影でその有能さを示していた。既存勢力によって否定される事も考慮に入れたうえで、様々な案や政策を提示した。そしてその内にいくつかは王国において実現させ、否定された提案もその話を伝え聞いた他国に採用させるなどしてきた。

 これにより、自分の利用価値を知らしめ、何の実質的な後ろ盾もない身の安全を図ってきた。

 

 当然、今回の事を起こした何者かも、その事には気がついているだろう。これまでの経緯や計画からして、相手は決して馬鹿ではない。彼女の今までやってきた事にも気が付いているはず。

 そして、実際に顔を合わせて話すことで、本当にそれらを彼女が提案したのか、その知性のほどを計ろうとするだろう。

 

 そこで、自分の知能を見せる。

 いかに自分が有能且つ有益な存在であるか、国としての政から諸般の案件に至るまで精通している利用価値のある存在であるかをアピールし、黒幕たる何者かに自分を売り込む。

 

 とにかく今は、新たな権力者に取り入らなければならない。

 さもなくば自分も、そしてクライムも未来はない。

 

 クライムとのことを考えるのならば、むしろ、かつてより現在の方が状況は良くなったといえる。

 あのまま王国の枠の中にいた場合、自分たちに待つのは、別離しかなかっただろう。

 ラナーはどこかの有力貴族の下へ政略結婚に出される。そこにクライムを連れていけるはずもなく、ましてや彼と結ばれることもないのは確実であった。

 

 だが今の、何者かに支配された状態のこの国ならば、自分は王女ではなく、一人の人物として存在できる。

 

 彼女にとって、王国など必要ない。

 ただクライムさえ自らの下にいればいいのだ。

 

 ここで彼女が新政権に対し、有益かつ重宝される存在であると認識させることが出来れば、彼らとて彼女を無下には出来まい。その有能さを示し、確固たる地位を築くことで、彼女の身は安泰となり、それこそクライムを正式に伴侶として迎えることも、もしくは一生自分の許で飼い続けることも可能となるであろう。

 

 

 その為にも――。

 

 

 ラナーは彼女としては珍しい事に、緊張に息をのみ、こぶしを握り締めた。

 

 

 ――その為にも実際に曳きたてられ、顔を合わせたときが勝負。

 そこで、自分の有能さを見せる。

 それこそが、唯一の道。

 私とクライムの未来の為に!

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 「えーと……。主だった貴族連中の処遇なり、処分なりの決定はもう全部終わった?」

 

 そうベルはコッコドールに語りかけた。

 彼女はいささか、というより露骨にもう飽きたという空気を醸し出していた。

 

 ベルとソリュシャンは魔法で姿を隠し、特に何をするでもなく、ただ部屋の片隅で、延々とこの玉座の間で繰り広げられるやり取りを眺めていたのである。

 

 

 王都にいたある程度上位の貴族たちは皆捕らえられ、この場に曳きたてられてきた。

 

 連れてこられた者達に対し、王冠を頭にかぶったコッコドールは、当初の予定で決められていた者についてはさっさと処刑し、残った者達には自分たちに恭順を誓うか、それとも処刑台送りになるか決断を迫った。 

 

 選択の機会を与えられた多くの者が、その場しのぎの偽りのものとはいえ、忠誠を誓う事を選んだ。

 もちろんそんなものは信用が出来ないのは分かっている。

 だが、大事なのは、形ばかりでもそうした形式をとったことだ。後は放っておけば、各自それぞれに策動を始めるだろう。

 

 彼らには――本人自身は知らないが――それぞれにシャドウデーモンの見張りをつけてある。おかしな行動をとっているという報告があったら、そいつらを捕らえ、見せしめとして一族郎党、そこに仕える者達も含めて皆殺しにするつもりだ。

 一度、それを見れば彼らは震えあがって、大人しくなるだろう。

 少々困るのは、誰も反乱や内通などを画策せずにいた時の事だが、……まあ、その時は濡れ衣でもいいから適当な貴族を標的にすればいい。

 

 そんな計画を玉座に座っているコッコドール、並びに周りを固める八本指連中に説明してやったのだが、それを聞いた彼らは安心するどころか、戦慄にその身を震わせた。

 

 

 ――やれやれ、極悪非道の犯罪組織のくせに、存外に気が小さい。 

 

 

 そう内心でひとりごちていると、玉座の間にいた者達の中で隅の方に立っていた一人の男が、ベルの前に進み出て膝をついた。

 

「恐れながら、ベル様」

 

 そう口にするのは、ぶよぶよとした贅肉に包まれた、それなりに仕立てのいい服に身を包んだ男。

 

 

 ――ええっと、こいつは…………ス……スタ、スタ……そうだ、スタッファンとかいう名前だっけ。

 

 

 ベルが名前を思い出している間に、そのスタッファンなる人物は言葉をつづけた。

 

「お伺いいたしますが、ラナーについてはいかがいたしましょうか?」

 

 そう言って、その贅肉に包まれた身体を震わせる。

 

 

「ラナー……ラナーか。さて、そいつはどうするかな」

 

 問われたベルはその言葉に鷹揚に頷き、腕を組んで考え込む――ふりをして、必死で記憶をたどった。

 

 

 

 ――ラナー…………ラナー?

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………それ、誰だっけ?

 

 

 

 王国には貴族が大量にいる。

 それこそ履いて捨てるほど。

 大まかに六大貴族と呼ばれる派閥があり、そこからさらに門閥貴族が無数に枝分かれしたり、時には絡み合ったりもしながら、大樹の根のように家系が広がっている。

 はっきり言って、そこにいる全員など憶えていられるはずもなかった。

 

 今回のクーデター計画にあたり、それぞれの貴族たちの名前や経歴、性格などを事細かに書かれた報告書が作成されていた。

 ベルももちろん、それに目を通していた。

 だが、通しただけで、憶えてはいなかった。

 

 

 貴族たちは皆、名前が長ったらしい上に、似たような名前がつけられている。そして、その家系も複雑に絡み合っている。写真でもついていればよかったかもしれないが、そんなものは添付されていようはずもない。

 そのためいくら読んでも、何度読んでも、誰が誰なんだか、さっぱり頭に入らなかった。

 

 ベルとしても、がんばろうとは思ったのである。

 上に立つ者として、人の名前や素性を把握しておいた方がいいというのは、しごく当然の事だ。

 

 その為、彼女は必死でそれらを憶えようとした。

 

 

 だが今回の王都でのクーデターに関して、八本指やそれに連なり味方することになった者達まで含めると、一度にとんでもない数の人間が新たに配下となったのである。

 彼らの名前を憶えるだけで、ベルとしては精いっぱいだったのだ。

 

 コッコドールを王にすることに決めたのも、彼はオネエ言葉で話すため、他の者より記憶に残りやすかったから、という身も蓋もない理由による。

 

 

 そもそもベルとしては、真面目に国を統治する気もなかったために、細かい事は誰か――八本指連中やブルムラシュー侯にでも任せておけばいいやと妥協し、貴族たちの名前を憶えるのは諦めたのである。

 実は今回の貴族たちの粛清計画には、名前を憶えておくのが大変だから、貴族の数そのものを減らしてしまおうという魂胆もあった。

 

 

 しかし、今、こうして名前を出されて判断を迫られてしまった。

 

 

 ベルは悟られぬよう、周囲の者達に視線を巡らせる。

 その場にいた誰もが固唾をのんでベルの判断を待っている。

 

 

 ――拙い。

 何やら知っていて当然の相手のようだ。

 今更、『ラナーって、誰だっけ?』などとは言えない空気だ。

 

 

 ベルも一応、何人かの貴族の名前や詳細は記憶していた。

 とりあえず帝国への侵攻作戦に参加せず残った者達の中で、貴族家の当主や後継ぎとされている者だけに絞って、名前などを頭に入れておいた。

 そうして必死で当主などの名前を憶えていこうとしている中で、ラナーは有名人であり王族であるとはいえ、あくまで王家を継ぐこともなく、どこかに嫁に出されるであろうという存在でしかなかった。

 その為、ベルは彼女の事を記憶しておく対象から外してしまっていたのである。

 

 

 ベルは悠然とした表情を崩さぬまま、内心どうしたらいいと冷や汗を流していた。

 

 この場にいるのは八本指、その幹部の者達である。彼らは――マルムヴィストらを除けば――自分の配下となってからまだ日が浅い。

 一応目の前で、彼らが最強と考えていたゼロとかいう奴を徹底的に叩きのめして恐怖を植え付けてやったのではあるが、その程度である。あくまで想像の痛みであって、実際身を切るような痛みではない。この手の連中は自分の痛みと他人の痛みを分けて考える。けっして人の痛みを理解できぬわけではないが、それが自分に襲い掛かったらという事とは完全に区別しているのだ。

 

 時間さえあれば、ナザリックにおいて恐怖公の管理する黒館に何日、何週間か放り込んでおけばよかったのだろうが、それには時間が足りず、クーデターの方で準備に人手もかかるため、それはやらずじまいであった。

 

 その為、今、彼らの前で甘い顔や侮られるような事はするわけにはいかなかった。

 

 

 しかも、彼らだけならばまだいい。気に入らなければ、適当な理由をつけて壊滅させてしまっても構わない。

 問題は、この場にプレアデスの1人、ソリュシャンもいる事である。

 

 当然ながら、ソリュシャンはナザリックに直接所属する存在である。

 彼女の前で愚かな痴態をさらしてはいけない。

 そんな事をしようものなら、それはプレアデスの中に広まることとなり、彼女たちから一般メイドに、一般メイドからナザリック全体に広まりかねない。

 

 今、この場で対応を間違えれば、彼ら全員から信を失い、ベルの株が大暴落することは間違いない。

 

 

 「くぅぅ……」と口の中でうなり、秘かにごくりと喉を鳴らしながら、視線を泳がせていると、その目が当の質問をしたスタッファンの許に止まった。

 

 

 ハッとした。

 

 ラナーの処遇について訊いてきたスタッファン。

 その目の奥にある炎にベルは感づいた。

 

 

 そうして、ベルはにんまりと口の端を吊り上げる。

 

「……うん、スタッファン。そいつの処遇はお前に任せよう」

 

 

 その言葉にはどよめきが起きた。

 居並ぶ八本指の者達の口から、声にならぬ言葉が漏れる。彼らの顔に隠し切れない驚きの表情が浮かんだ。

 

 王の血を引く第三王女にして、その優しさから民衆の信も厚く、『黄金』という異名を持つほどの美貌の持ち主。そして、悪魔的とでもいうべき知性の持ち主であるラナー。

 まさか、そんな重要人物を、あれこれと後ろ暗い事に便宜を図り、私腹を肥やすだけのクズ、スタッファンに払い下げるなどとは思ってもみなかったのだ。

 むしろ、そんな舐めたことをこの場でのたまったスタッファンの方が粛清されるだろうと考えていた。

 実際の所、ベルはスタッファンに関しては名前の他は素性もろくに憶えておらず、ただこの場にいるから八本指の仲間なんだろうなくらいにしか思っていなかったのだが。

 

 

 その決定は彼らの心のうちに、あるものを刻んだ。

 すなわち、逆らう者には死あるのみと。

 

 

 ラナーという、対外的にも政治的にも、そしてその身に宿る知性により如何様にも使える人間を、ただ自分たちのおこぼれに与るだけのサディストの豚、スタッファンにくれてやったという事実は、たとえ八本指幹部の者であろうと、自分に意にそぐわない者は容赦なく処分するぞという強力なメッセージとして叩きつけられた。

 居合わせた彼らは、暗に突きつけられたその警告に、誰しもが震えあがった。

 

 対して、言われたスタッファンはそんな彼らの思考になど思いをはせることもなく、その醜い顔一面に喜色をあらわにした。

 

 

 そんな彼らの表情の変化を見てベルは、

(やった! 正解だった!)

 と心のうちで万歳をした。

 

 スタッファンの顔のうちにあった隠し切れない情欲から、そのラナーというのは女で、こいつはその女を欲しがっているのだと踏んだのだが、どうやら当たりだったようだ。

 八本指連中の顔色から察するところ、大して役に立たなさそうなスタッファンでも働けばちゃんと褒美をもらえるのかと驚いた様子である。これからは他の者も良い仕事にはちゃんと報酬があると知り、彼らの奮起を期待できるだろうと、ベルは自分の直感の正しさに自信を持った。

 

 

「ははあっ! ありがとうございます、ベル様! あの王女には虐げられてきた国民の怒りを味わわせてやろうと思いますっ!!」

 

 スタッファンはガバッと勢い良く頭を下げ、感謝の意を示すと、今度はばね仕掛けのように勢いよく立ち上がり、廊下へと通じる扉へと身をひるがえした。

 

 

 だがベルは、スタッファンが言った言葉に、記憶の引っ掛かりとなるものを感じた。

 

 

 ――ん?

 王女?

 …………王女…………。

 ……あー、そうだ。

 たしか、この国の第三王女とかがラナーとか言ってたような……。

 あー、はいはい。

 そうだそうだ。思い出した。

 なんだか、『黄金』とか呼ばれるほど美しくて、しかもかなりの知恵が回る奴だとか。

 ……王女かー……王女ねえ……。

 ……あげると言ったのは、もったいなかったかな? 

 うーん……。

 ……。

 

 

「ちょっと待て」

 

 ベルは今にも部屋から飛び出していこうとしていたスタッファンの背中に声をかけた。

 スタッファンの脂肪に包まれた肉体がビクンとはねる。

 そして彼は恐る恐る振り返った。その顔には、せっかくの褒美を取り上げられるのではないかという不安が色濃く映し出されていた。

 そんな彼に対し、ベルはつづけて言う。

 

「……王女に国民の怒りを味わわせてやるんだから――お前だけで一人占めするんじゃないぞ」

 

 その言葉に、スタッファンの顔は再びパッと喜びに輝いた。

 

「ははっ! 分かりました! 皆で分け合おうと思いますっ!!」

 

 そうしてスタッファンは今度こそ、重い金属製の扉を開けて出ていった。

 それを見送るベルはガリガリと頭を掻く。

 

 

 ――んー。

 まあ、いいか。

 ちょっとくらい褒美をくれてやっても。

 飴も必要だしな。

 そのラナーとやらが王族だからって、いちいち会わなくてもいいだろう。

 面倒だし。

 それに知恵者とか言っても、王国のこの現状を見る分に、そんなに大したものでもなさそうだしな。

 そもそも第三王女って事は、他に第一王女とか第二王女とかいるって事だろうし、一人くらいいなくなっても問題ないだろう。

 

 さて、そんなことより、これからの事だな。

 これで一通り、貴族の始末は終わったわけだし、これからこの国をどういった方針で運営するかを伝えなきゃな。

 

 

 

 そんな事を考えながら、ベルは気を引き締め直して、居並ぶ八本指の面々の方へと向き直り、ラナーの事はさっさと忘れることにした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――ふ、ふひひひひ。

 やった!

 やったぞ!

 あの女を! あの腐れ王女を! ラナーを好きなように出来るんだ! 

 この日をどれだけ待ち望んだか。

 王女! 王女だぞ!

 あ、あの女の顔。

 『黄金』なんぞと呼ばれていた、あの端整な顔をひっぱたいてやったら、どれだけ気持ちがいいか。あの澄ました顔がボコボコに腫れあがったら、さぞ見ものだろう。

 ふひひ。

 そうだ。せっかくだから鏡も用意しよう。

 あの女に、自分の顔がどれだけ醜くなったか見せてやろう。

 どんな悲鳴を上げることか。

 そうだな。そうするんなら、顔面全部をボコボコにするのは止めておいた方がいいか。い、痛めつけるのは、顔の半分だけにしよう。その方が、どれだけ美しい顔が変わったか一目でわかるからな。

 うん。

 そうだ。

 体を痛めつけるときも、半分だけにしておいた方がいいな。

 あの白い陶磁のような身体が醜く引き攣れた肉塊に変わるんだ。

 そして、そう二目とみられぬ姿となった半身は、かつての美しさそのままにしておくんだ。

 うひゃひゃ。

 ど、どうしてやるかな。

 死なぬ程度に身体に釘を何本も打ち込んでやるか。

 あの胸を刃物で薄く刻んでやるか。

 腹に焼き(ごて)を当ててやるか

 足の骨をハンマーで打ち砕いてやるか。

 そ、そうだ、指もやっとこで関節一つ一つ丁寧にへし折ってやろう。

 その様も、鏡でしっかりと見せてやらんとな!

 そう、鏡。

 鏡だ。

 ふひひ。

 か、鏡は大切だ。

 あの女はもちろん処女だろう。

 大きな姿見の前で、自分の大切にしてきた処女が散らされる様を見せてやろう。

 ふひゃひゃひゃひゃ。

 か、観客も要るな。

 八本指の者達……いや、それだけでは駄目だ。

 民衆を集めるか? 王女様の初体験をたっぷり鑑賞させてやるか……いや、だめだ。そんな連中に見せてもつまらん。

 誰か…………そうだ。

 あの女には子飼いの、お気に入りの兵士がいたな。

 たしかクライムとか言ったか。

 あの男を連れてこよう。

 そして、そいつの前で処女を奪ってやろう。

 ふひ。

 ふひひひひ。

 そうだ。

 ラナーの前でそいつを嬲ってみるというのも面白いかもしれんな。

 おお、そうだ。王女の前で男と交わらせてやっても面白いかもしれんな。

 あひゃひゃ。

 そして、王女様の処女が大事なら、と……うむ、自分で自分の睾丸を潰せと命令してみるか。王女の処女と自分のタマ。どちらが大事かと言ってやるのもいいな。

 それでやらねば、命を懸けるとまで言ったそいつの忠義とやらはそんなものだと言って嬲ってやろう。

 もしやったら……ふひひ。もちろん。もちろん俺は約束なぞ守らん。そいつの目の前でラナーの処女を奪ってやろう。

 ひゃはは!

 し、しかし、俺も鬼ではないぞ。

 そいつには敬愛する王女の破瓜の血くらいは舐めさせてやろう。

 ふひ、ふひひひひ!

 

 

 

 もはや抑えることすらできぬほどの狂喜にその身を震わせるスタッファンは、口の端からよだれを垂れ流し奇声をあげながら、その様を見た八本指の者達があまりの悍ましさから道をあける廊下を走っていった。

 

 

 




ラナー「何とか、自分の有用性を売り込まなくては……」
ベル「ふん。この女はお前たちにくれてやる。好きにしろ」
スタッファン、八本指「さっすが~、ベル様は話が分かるッ!」
ラナー「!?」


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第70話ー1 王都にて①

 本当はこの70話は1つの話だったんですが、前半、オリキャラしか出てこないうえ、グロシーンがあるので2つに分けます。
 グロシーンが苦手な方はこの第70話ー1を飛ばして読んでも、話は繋がります。










 それでは、グロシーンが大丈夫という方だけ、このままお読みください。

 飯テロ注意。


2017/1/12 「態度を現す」→「態度を表す」 訂正しました


「ここだ」

 

 先頭に立つひときわ大きなトロールが指さした先に、皆は目を向ける。

 その先には一軒の食堂らしき建物があった。

 

 しかし――。

 

「こ、ここですか?」

 

 そう、トロールのゴブツは戸惑いの声を漏らした。

 彼がそんな態度を表すのも無理はない。彼の所属する部隊の隊長、トロールのザグが連れてきたのは、やや高級そうな感はあるが、ごくありふれた人間用の食堂を思わせる店構えである。

 ザグの後に続く者達、彼らは手にした武器も、その身に纏う服装も、そして種族すらも異なる面子であったが唯一、首のネックレスだけは共通のものを下げている。

 そんなザグ率いる部隊の隊員たちは皆一様に、その醜い顔に困惑したものを浮かべていた。

 

 

 ――こんなところで、トロールやオークを満足させるような食事が出るのだろうか?

 

 

 そんな彼らの内心を見透かしたかの如く、ザグはその口元に笑いを浮かべた。

 

「ふふふ。入ってみれば分かる」

 

 

 カランカラン。

 扉のカウベルが音を立てて、客の来訪を伝える。

 

 その音を聞き、中にいた人物がこちらを振り向いた。

 

「ようこそ。いらっしゃいませ、ザグ様。お待ちしておりました」

 

 その姿を見て、ゴブツはなるほどと納得した。

 室内にいたエプロンを胸にかけた人物、それは彼と同じトロールだったのだ。

 

「こちらへどうぞ」

 

 案内されるままに、彼らの体格からすれば明らかに小さい入り口を頭を下げて潜り抜け、室内の中央にドンと置かれたテーブル、それを囲むように置かれた座席に腰を据える。

 

 

 誰もが物珍しそうに、この店の内装を見回した。

 それは明らかに、彼らがかつて住んでいた荒野ではありえなかったような細かく手の行き届いた造り。

 

「ふふふ。この店は元は人間がやっていた店だったんだが、俺たちがこの街に来てから、元あった店をこいつが俺たち用に作り替えたんだ」

 

 自慢気なザグの説明に、皆なるほどと頷いた。

 言われてみれば、自分たちが腰かけている椅子も複数の樽を縄で縛りつけ、その上に厚手の布をはった即席のものだ。

 だがこの街のいたる所にある、人間の使う小さな、彼らが座っただけで潰れてしまうようなやわな椅子ではない事に好感が持てた。

 

 

 そうしている間に、テーブルについた彼ら――上座に座るザグを含めトロール4名に、オーク3名というザグ隊の面々の前に酒が運ばれてきた。

 

 

 小さな(かめ)ほどもあるジョッキを手に、ザグが皆に話しかける。

 

「今日、皆に集まってもらったのは、はっきり言えば打ち上げだ。先日の制圧作戦において、我々は敏捷にして果断な行動をとり、多大な戦功をあげることができた。それに対する労をねぎらうのが目的だ。今日は遠慮せずたっぷり飲み食いしてくれ。そしてともに飯を食い、親睦を結ぶことで、より一層チームワークを良くし、皆の今後さらなる活躍を期待したい」

 

 

 簡単な挨拶の後に続く、「乾杯!」という掛け声。

 全員で唱和すると、皆一斉に手にしたジョッキを口にする。

 

 

「ぷはあっ! 美味い!」

 

 ゴブツは思わず口にした。

 亜人たちが作る雑な酒ではなく、人間の手になるビール。

 食事に関しては各種族ごとに好みはあるが、酒に対する味覚はどの種族もさほど変わるものではない。だが、酒造りには細かい手間と作業がいる。亜人たちの作る酒というものは、どうしても雑なものになってしまいがちだ。そのため、そういった事でもコツコツとやる、人間の手になる酒はやはり一味違う。

 

 

 そして、最初に出てきたサラダ、そしてスープを味わう。

 サラダはごく普通の葉物をザクザクと切ったものだ。上に香辛料を混ぜたドレッシングがかかっているものの、基本的には野菜本来の味である。

 

 柄杓のようなスプーンを手にとり、次はスープに取り掛かる。

 野蛮なビーストマンらは、熱いスープも手づかみで食べるが、トロールやオークのような進んだ文化を持つ者は、そんな無作法にして下賤な事などしない。

 

 先ず、具をすくうことなく、汁のみをすする。

 塩味のスープにわずかに垂らしたごま油が食欲をそそる。

 

 そして、次にその椀の中に沈んでいる具の肉を口にする。

 柔らかい。

 舌の上でとろけるように肉がほぐれていく。おそらくまだ若い、子供の肉を時間をかけてよく煮込んだのだろう。

 その味につられて、もう一欠片(かけら)口にする。

 

 それを噛んだ瞬間、ゴブツは驚いた。

 先ほどのものとは触感が異なる。先ほどの肉片は柔らかい歯触りだったのに、こちらはしっかりとした歯ごたえがある。そして、その筋状の肉を噛みしめると、じんわりと人肉の旨みが口の中にあふれだす。

 

 そこで彼は気がついた。

 

 ――これは一つのスープに2種類の肉を使っている!

 柔らかい子供の肉と、年寄りの少し硬いが深い味わいのある肉、2種類の人肉を使う事で味にメリハリをつけている!

 

 見れば他の者達、卓を囲んでいるトロールもオークも同様に、その味の変化に驚き、かつその美味さに舌鼓を打っている。

 

 

 ――なるほど。確かにこれは良い考え。

 皆で一つの卓を囲み、同じ料理を食べる事で同じ隊の者達に、親近感と連帯感を生むことが出来る。

 

 ゴブツは彼の上司、トロールの勇者ザグの知恵に心のうちで感嘆した。

 

 

 

 彼らは、王都リ・エスティーゼ制圧の為に、八本指への援軍としてこの街に派遣された亜人たちである。

 もともと、彼らはローブル聖王国とスレイン法国との国境にあるアベリオン丘陵付近の荒野に棲息していた。その地において各自バラバラの集団を形成し、特に部族間、そして種族間同士の行き来もなく、交流といえば争いのみという生活をしていたのであるが、しばらく前に状況を一変させることが起きた。

 

 その地に現れた悪魔が率いる謎の怪物(モンスター)達が、瞬く間にその荒野の一角に自分たちの領地を確保し、そこを拠点として、周辺に住まう者達を制圧し、さらには自分たちへの従属を求めてきたのだ。

 

 当然ながら、それに対し誰もが反発した。

 しかし、彼らは圧倒的な力でもって、その抵抗をねじ伏せた。それにより、多くの者はおとなしく膝を屈し、それでも反抗した者は苛烈にして容赦なき扱いを受けた。

 

 そうして従属に同意した者は、そのまま彼らの拠点たる『牧場』で働くことになっていたのだが、そこへ今回の王都制圧作戦の話が持ち上がった。

 

 なんでも、遠く離れた人間たちの町を制圧するのに、自分たちを従える悪魔と繋がりのある人間だけでは力が足りないため、『牧場』で働く亜人たちの中から、そこへ派遣する戦力を募集するという。

 そんな事をしなくとも、自分たちを力尽くでねじ伏せた、あの悪魔やアンデッドを使えばいいのではないかと思ったのだが、何やらそれらの戦力は極力使いたくないらしい。出来るだけ自分たちが関わっている事を、知られたくないような話をしていた。

 詳しい事情は分からなかったものの、『牧場』での気の滅入るような仕事よりも、武器を持った相手と勇敢に戦い、敵地を制圧するという、彼ら本来の気性にあった仕事の方がマシに思えた。

 

 その為、多くの亜人たちが、この人間の都市であるリ・エスティーゼにおける、八本指のクーデターのためにやって来たのだ。

 

 

 だが、そこで困ったことが生じた。

 彼らがこの地で行動するにあたり、彼らの新たな主たちはチームを組ませたのだが、そのチームというのは、個別の戦力的なものを考慮して組み合わせたものであり、彼ら個人個人の性格、相性にまで考えを巡らせたものではなかったのである。

 

 これまで、彼らが仲間として肩を並べてきたのは同じ種族および部族単位で、である。

 しかし、新たな編成ではそういった枠組みを考慮せず別部族、時には別種族の者達までもが同じ部隊に組み込まれたのだ。

 

 このトロールのザグが率いる1-5ザグ隊も、トロールとオークの混成部隊である。

 この部隊で幾度か、人間相手に戦闘を繰り広げたのであるが、気の置けない仲間たちで構成された集団での戦闘と異なり、いささかというか、かなりちぐはぐな行動が目立つ結果となってしまっていた。

 

 

 そこで一計を案じたこの隊のリーダー、トロールのザグは自分の部隊の者達を一緒に食事に誘ったのだ。

 

 今、彼の目の前では、トロールもオークも分け隔てなく、彼らの中でも腕利きの料理人が腕を振るった人肉料理に舌鼓を打ち、酒を酌み交わし、和やかに声を交わしている。

 ゴブツは、ただ力だけではない、ザグの賢さに舌を巻いた。

 

 

 そうして和やかに会話をしながら、食事をしていると、給仕の者が次なる料理を運んできた。

 テーブルの上の小皿や酒瓶を脇にのけ、その中央に巨大な木の皿をドンと置く。

 

 その上に盛られていた料理に誰もが目を剥いた。

 

 

「こ、これは……っ!?」

 

 

 刺身だ。

 

 大皿の上に置かれた少女の肉体。その胸部がくり抜かれ、そこに彼女から切り分けたであろう薄くスライスした肉が丁寧に並べられている。

 まさに極上の料理だ。

 

 そのあまりの豪華さに皆驚き、ごくりと喉を鳴らす。

 そんな彼らの幾多の視線を受け――皿に盛られた少女の目がぐるりと動いた。その細い躰がビクンと跳ねる。だが、両手両足を切り取られ、大皿に縛り付けられていたため、その抵抗はあくまで皿の上で意味もなくもがくのみにとどまった。

 

「おお、凄い。活け造りだ。まだ生きているぞ!」

 

 トロールの中でもごく一部の料理人には、人間を殺すことなく、各部の肉を切り取る特殊な調理法が伝わっている。きっと、この少女はそのやり方で調理され、まだ生きたまま肉を切り分けられたのだ。そして、食用部分を取り除かれた後、まだ息がある自らを食器として、先ほどまで自分の一部であった肉をその上に盛りつけられたのだろう。

 

 

 見るからに新鮮な刺身の登場に皆歓声をあげた。

 これほどの料理など、そうそう食べられるものではない。

 誰もが待ちきれないとばかりに、積み上げてある小皿をとり、それぞれに回した。

 

 少女の上に並べられた肉切れを手にとり、皿にとった醤油につけて口に入れる。

 まさに新鮮な証拠であるコリコリとした触感が口の中に残る。

 次いで人肉の甘みが口いっぱいに広がる。

 

 皆、喜んだ様子で次々と刺身に手を伸ばす。

 

 

 だが――。

 

「どうした?」

 

 その中で1人、浮かない顔をし、料理に手を伸ばそうとしない者がいた。

 言葉をかけられたギャスケルというオークは困ったように言った。

 

「すみません。俺、生の人肉とか駄目なんです」

 

 そうして彼は伏し目がちに言葉をつづけた。

 

「いや、あの……人間を生って怖くないですか? なんだか、その……寄生虫とか不安で」

 

 その言葉に、ザグは「ははあ」と頷いた。

 

「ああ、ちゃんとした知識のない奴が、そのまま切り分けたんなら、そういう可能性もあるがな。しかし、しっかりとした料理人が処理したんなら、そういう事はありえないから、安心して食べるといいぞ」

「で、ですが……」

 

 ギャスケルはちらりと皿の上に少女に目を向ける。

 そして、視線を落とした。

 

「すんません。やっぱり駄目です」

「おい!」

 

 そのにべもない否定の様子に、トロールの1人が思わず声をあげる。

 ギャスケルは叱責されたようにビクンと肩を震わせた。

 そして、彼は震える声で告白した。

 

「あ、あの……実は俺、牧場で……その……『繁殖』の方に回されてたんで、こういう生の人間の女を見ると、その時の事を思い出してしまって……!」

 

 その言葉には、誰もがウッと声を詰まらせた。

 

 

 彼らが以前いた牧場。

 そこでは悪魔たちの手により、交配実験なる検証が行われていた。

 すなわち、異種族同士でも子供が産めるかというものである。

 そこで特に力を入れて研究されていたのは、亜人や異形種と人間とのハーフが作れるかというものであった。周辺から集められた亜人たちはそこで、半強制的に異種交配を強いられていた。

 全く美的感覚も異なる異種族相手にである。

 よほど特殊な趣味のものでもない限り、誰だってそんな仕事は敬遠したい。 

 このギャスケルというオークは、その仕事を長く割り振られていたのだろう。

 

 

 和やかな空気であった会食の場が一転、重苦しい空気に包まれる。

 

「いや、だからと言って、食えないってことは無いだろう!」

「しかし、無理強いするのもな……」

「せっかくのザグ様の心遣いを無駄にするつもりか!?」

「そうは言っても、仕方がないだろう!!」

 

 同席していた者達が口々に声を荒げる。

 

 

 ――拙い!

 

 ゴブツは口をゆがめた。

 

 ――裏目っ……!

 裏目に出たっ……!!

 本来、皆の親睦を図るための食事会。

 だが、肝心の……よりにもよってメインディッシュをめぐって口論になってしまった。

 

 人間の刺身を食えないというギャスケルを責めるのはトロール達。

 対してオークたちは皆、彼に同情的だ。

 

 牧場での『繁殖』実験において、トロールはサイズ的な問題から、『繁殖』の仕事につくことはほとんどなかったのだが、オークは比較的人間と体格が近似しているという事から、そちらに回されることが多かった。

 

 トロールとオークの間にある垣根を越えて交流するための場だったのに、かえって両者に壁を作る羽目になってしまった……!!

 

 

 ゴブツは冷や汗が湧き出るのを感じながら、そっと上座に座るザグの顔色を窺った。

 

 しかし――。

 

 

 ――ウッ……!

 笑っている……!?

 

 彼の視線の先で、自らの計画した慰労を台無しにされた形となったはずのザグは、目の前で繰り広げられる口論に動ずることなく、その口元に笑みを浮かべている。

 

「ふふふふふ。落ち着け、お前ら」

 

 落ち着いた声に、唾を飛ばすほどの勢いで怒鳴り合っていたトロール、そしてオークもザグの方を振り向いた。

 彼らの視線を一身に集め、ザグはゆっくりとした口調で話しだした。

 

「くくく。まあ、いいじゃないか。好き嫌いは誰でもある。どうしても食べられないというものに強制することもあるまい」

 

 そう言って、不敵に笑った。

 

「それに、これはあくまでオードブル。メインディッシュはこれから、だからな」

 

 

 ――えっ!?

 

 その言葉に皆、耳を疑った。

 人間の活け造りなどという豪勢な料理の後に、さらにメインディッシュが続くというのか?

 

 全員の動揺を楽しむかのように微笑むザグは、カウンター向こうの料理人へと目くばせをした。

 料理人は頷き、カウンター下から、新たな食材をまな板の上へと並べる。

 

「うッ……! こ、これはっ……!!」

 

 

 そこにゴロゴロと並べられたもの。

 それは――まだ生きている人間の赤ん坊である。

 

 

 普通、人肉の中で口にすることが多いのは成人直後、及びそれから20年程度以内の年齢の肉である。拠点を離れ外を出歩くことが多いのは、そのくらいの年齢の者がほとんどなため、最も手に入れやすいからだ。それより若いものや年老いたものは、彼らの住まう拠点から出てくることが少なく、入手するには拠点の攻略が必要となる。結果、わずかに手に入ったそのような人間たちは、その拠点攻略に際し、功が大きかった者から順に割り振られるため、なかなか口にすることは叶わない。

 その中でも、死ぬ割合が大きい赤ん坊、それもまだ生きているものなど、よほどの事でもない限り口にすることなど出来はしない。

 それを今回は二桁に達するほどである。

 

 

 驚きに声もなく見守る中、料理人は慣れた手つきで手早く処理を進める。

 いまだ泣き叫ぶ赤子をすりこぎで叩き、骨を砕くと同時にその肉を柔らかくする。そして流れるような動作で内臓を取ると、さっと水で血を洗い、頭と手足を切り分け、さらに体を縦に割いてから胸や腰などに分割していき、食べやすい大きさにしてから串に刺していく。

 

 刷毛(はけ)たれ(・・)をつけ、火にかけると、食欲を誘う香ばしい匂いが店中一杯に充満する。

 

 ほどなくして彼らの前に、上手そうな匂いの串焼きが並べられた。

 

 

「どうぞ。人間の赤子の串焼き、たれと塩です」

 

 

 それに皆の目が釘付けになる。

 茶色くねっとりとしたたれ(・・)がランプの灯りを受け光り輝き、シンプルに塩のみで味付けしたものは白い肉にわずかに焦げ目がついている。

 この場の誰かは知らないが、思わずごくりと喉を鳴らす音が響く。

 

「本来は、人間の兵士が立てこもる拠点制圧の功績により、俺個人が権利としてもらったものだが……拠点制圧は俺たち、この部隊全員での功績だ。だから、皆で平等に楽しもうと思ってな」

 

 ザグの言葉にその場にいた全員が、その顔に感激の色を浮かべる。

 いかに、この上司が自分たち、部下の者の事を気にかけてくれているのかという事に気がついて。

 それを前にして彼は、上機嫌に笑った。

 

「ははは。まあ、せっかくの料理を前にして、余計な話はこれくらいにしておこう。それより、冷めないうちに食べてしまおうではないか」

 

 その言葉に、目の前に並べられたごちそうにもう我慢の限界となっていた彼ら、ザグ隊の隊員であるトロール並びにオークたちは、いまだ湯気をあげる串焼きの串に手を伸ばした。

 

 

 

 ゴブツは先ず、たれ(・・)を選んだ。

 串の一番先に刺されていた塊を口にする。

 

 ――美味い!!

 

 肉の表面を覆った甘みのあるたれ。そして、その中に押し包まれた肉本来の味。その2つが混ざり合って、得も言われぬハーモニーを生み出している。

 

 急いで次の肉にかぶりつきたい衝動を抑え、サラダに手を伸ばす。

 パリパリとした歯触り。瑞々しく青臭い味わいが舌の上に広がり、味を一度リセットする。

 

 そして、完全に0となった味覚の状態で、今度は塩の方に手を伸ばす。

 それを口に入れた瞬間、肉の表面に流れる油とそこへ振った塩とが舌上で混ざり合う。

 塩と油。

 それだけで極上の組み合わせが、人肉という主役をさらに引きたてる。

 

 そして噛みしめた刹那、ゴブツはハッとした。

 

 ――これはっ……!

 たれの方は骨砕きをしていたが、塩の方はそのまま!!

 これは、隠し包丁を入れて肉を柔らかくする反面、敢えて骨を取り除いたり砕いたりしない事で、骨のコリコリとした触感を楽しませているのかっ……!?

 

 そして、その食味が口腔一杯に広がっている状態でビール!

 冷たく冷やされたビールを一息に流し込む!!

 

 ――ぷはあっ! 最高だ!!

 

 

 その場にいたトロールもオークも先ほどのわだかまりなど忘れ、串焼きの美味さとそれに合わせるビールの味に皆喜び、酔いしれた。

 

 

 

 かくして、ザグ隊の団結――大成功っ!!

 

 

 

 

 そうして、和やかに笑いながら食事をつづける彼らの頭上。

 その天井裏にいた者が、眼下で繰り広げられる胸糞の悪くなるほどの凄惨な光景のあまり、カタリと音を立てた事に、幸か不幸か、彼らは気がつくことは無かった。

 

 

 




 最初、普通のグルメもの風にするつもりだったのに、中間管理職トネガワを読みながら書いたら、なんだか奇妙なノリに。


 漫画のグルメシーンといえば、アスラという漫画であった鬼たちが人間の美味しい食べ方を語り合うシーンが屈指ですね。


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第70話ー2 王都にて②

2017/1/5 「過ごしてして」→「過ごして」、「成す術」→「為す術」、「影ながら」→「陰ながら」、「~来た」→「~きた」、「~言う」→「~いう」、「保障」→「保証」、「~行った」→「~いった」、「一部の隙も」→「一分の隙も」、「大失態を犯して」→「大失態を演じて」、「光臨」→「降臨」、「辞め」→「止め」 訂正しました


 黒い影がすっかり日の落ちた王都を駆ける。

 暗色の布に全身を包まれ、その体型は分からないが、少なくとも小柄な人物である事は見て取れた。

 

 いや、その姿を見る者などいない。

 そいつは、月明りに照らし出される建物の影から影へと渡り歩き、誰の目にも止まることなく夜の街を走り抜ける。

 普段とは異なり、王都の街路には吊るされる角灯も、家々の窓から漏れ出る明かりもなく、沈鬱なる暗闇に沈んでいる。そこに住まう人々も、今はひっそりと息を潜めるように過ごしており、夜の街を歩き回ろうという者は、粗暴な空気を漂わせた人物か、もしくは醜悪な姿形、そしてその容姿に見合ったねじくれた精神を持つ亜人たちくらいしかいない。

 

 

 そんな人目もほとんどない通りを泳ぐようにして駆けるその影は、やがて一本の路地で歩みを止めた。 

 家と家との間に出来た暗闇に身を隠し、しばし周囲を注意深く見回す。

 

 そして尾行がない事を確かめると、不意に高く飛び上がり、建物の壁に各階ごとに作られたわずかなでっぱり(・・・・)へとしがみついた。その状態で建物から建物へ飛ぶようにして、さらに移動を続ける。そうして数十軒分は移動した後、再び地上に降りると、そこにあった勝手口をわずかに開け、その隙間に音もなく滑り込んだ。

 そして明かりもない廊下を迷うことなく進み、やがて行き着いたのはまた別の扉。それを特定の間隔で数度叩く。

 すぐに向こうからもあらかじめ決めておいた符丁通りの返信があった。

 向こうから(かんぬき)が外される音が聞こえ、開けられた扉の奥へと足を進めた。

 

 

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランタンに照らし出される室内は、特に調度品もなく簡素な作りであった。粗末な木の机に数脚の椅子。部屋の片隅には数人分の荷物を入れる背負い袋が転がされている。

 そして、今、そこには数人の人影があった。

 その姿を認め、外からやって来た影はその身に纏っていた布きれ――隠密行動を気付かれにくくさせるマジックアイテム――を剥ぎ取った。瑞々しい生命力を持つ少女の姿があらわになる。

 

「お疲れ様、ティナ」

 

 部屋で待っていたラキュースは、秘かに王都内を探っていた仲間にねぎらいの言葉をかけた。

 

 

「外の様子はどうだった?」

 

 ガガーランの問いかけに、彼女にしては珍しくその顔に渋面を浮かべた。

 

「酷い。とにかく、ものすごい酷い。めっさ酷い」

 

 そして彼女の口から語られる内容。

 それはたった今、彼女が見てきたオークやトロール達による胸糞の悪くなるような食事風景を始めとした、軍が出払っている間に王城を占拠し、新たに王都を支配した八本指の者達による統治の現状。

 強盗、殺人、強姦は当たり前。新たな支配者たちは傍若無人のふるまいを行い、そしてそれを咎める者はない。非道を訴えようものなら、逆に処刑される有様。それも一思いに斬首されるならまだましな方、醜悪な亜人どもの腹の中に消えたり、ひどい時には広場において残忍な拷問の見せ物として幾日もかけて嬲られることすらあった。

 王都の民衆は恥辱と恐怖に身を震わせ、怨嗟の声は異口同音に湧き出はすれども、為政者の圧倒的なる暴力の前に為す術すらなかった。

 それを彼女はありのままに語った。

 

 

 仲間の口から語られるその内容に、ラキュースの口からギリリと歯ぎしりが漏れる。

 善なる性根をもち、更に自分の夢や目標を叶えるだけの実力を持ち、それを達成してきた彼女としては、こうしてこの世の地獄たる惨禍がすぐそばで繰り広げられているのに、今はまだ行動に移せないという現状に焦燥と苛立ちを感じていた。

 

 そんな彼女の肩に、「落ち着け」とガガーランがその分厚い手のひらを乗せる。

 そういうガガーランとて怒りを覚えていないという訳ではない。むしろ彼女こそが、心のうちで燃え上がる憤怒を必死で抑えていた。

 

 

 

 そうしてティナの報告を受けていると、部屋に2つある扉の内、ティナが入ってきたものとは別のもう1つ、そちらが何度か規則的に叩かれる音が響いた。

 全員の目がそちらに向けられる。念のため、手の届くところに置いていた自らの武器を掴んだ。

 そして陽動であることも考え、他の出入り口にもそれとなく目をやりながらも、ティナが音のした扉の方へと歩み寄る。

 扉の前には立たず、少し離れた壁に背をつけたままティナは手を伸ばし、先ほど彼女が入ってきた時と同様、特定の符丁でドアを叩いた。

 

 それに対し、再度、向こうからドアが叩かれる。

 今度は先ほどとは少し違った調子で。

 

 

 それを聞いたティナがラキュースに視線を送ると、彼女は緊張した面持ちで頷いた。

 

 ティナが内側から(かんぬき)を外すと扉が開き、扉の向こうから彼女の片割れ――ティアが姿を見せた。

 そのティアの後ろには、フード付きローブを着た数人の人影が続く。

 

 全員が部屋に入り、それに続く者、並びに尾けてきた者がいない事を確かめたティナは扉を閉め、再度、固い(かんぬき)をかけた。

 

 

 ティアはそのまま彼女らのリーダーの許へと進み、二言三言(ふたことみこと)話すと振り返って彼女の脇に立った。

 対して、彼女の後ろに続いてきた謎の人物たちは室内に入った後、そこに立ち尽くしたままだ。

 

 

 そうして、しばし視線を絡み合わせた後、彼らの先頭に立っていた人物がフードを跳ね除けた。

 

 そこから現れたのは若い男性。

 一見女性と見紛うかというほどの端整な顔立ちであり、その射干玉(ぬばたま)のような黒い髪は長く伸ばされ、ローブの下へと消えている。

 

 彼はラキュースの事をしっかと見据え挨拶をした。

 

 

「初めまして、アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。私はスレイン法国における六色聖典の一、漆黒聖典を束ねる隊長になります」

「こちらこそ直接会うのは初めてね。私がラキュース・アルベイン・デイル・アインドラよ」

 

 そう言って、彼女はその緑の瞳を目の前の男へと向けた。

 

「で? 隊長って、あなたのお名前は?」

「申し訳ないが本名を名乗る訳にはいかないので、『隊長』でお願いしたい。気にくわないというのなら、お好きなように読んでいただいても、結構です」

「じゃあ、アレックスで」

 

 口を挟んできたティアの言葉に、彼は思わず顔をしかめた。

 今の彼は自らの素顔を隠す仮面をつけているのだが、その歩き方と声によって、熟練のシノビであるティアは、彼の正体はかつてエ・ランテルで出会ったアレックスなる少年だと見抜いていた。

 

「もうしわけないが、それは止めてほしい」

「まあ、一時的な同盟なんだし、名前はいいでしょう。じゃあ、『隊長』と呼ばせてもらうわね」

 

 ラキュースはそう言って、話を進めることにした。

 彼女のすぐそばで「ショタの匂いがする……」「童貞の匂いがする……」という言葉が聞こえるが、それは無視しておく。

 

 

「では『隊長』さん。協力してくれるという事で間違いはないわね?」

 

 そう念を押す。

 隊長は首を縦に振った。

 

「ええ、ここは共に手を組み、協力しましょう。我々としても、この人間の領域における亜人の跳梁、絶対に見過ごすことは出来ません」

 

 

 

 

 この付近一帯はかつての六大神の活躍により、人間たちが平和に暮らすことの出来る大陸においてもごくわずかな例外的な地である。

 勃興した国家が人間同士の愚かな争いにかまけている間にも、六大神の遺志を継ぐスレイン法国が周辺諸国内において怪物(モンスター)の増加を抑えたり、また外から襲い来るビーストマンらの亜人たちを食い止めるなどして、なんとか人間の生存権を守っていた。

 

 

 だが、その均衡は何の前触れもなく、崩されることとなった。

 

 

 突然起こった、帝国へのビーストマンの侵攻。

 これまでバハルス帝国はビーストマンの侵攻を受けたことは無かった。彼らの領地と接している竜王国が防波堤となっており、そこをスレイン法国が支援してきたため、そこで残忍なる亜人たちの侵攻は食い止められていた。

 それなのに突如、大量のビーストマンの群れが竜王国を飛び越え、帝国を襲ったのだ。

 

 それに対し、帝国は一時混乱したものの、何とか自力で反抗作戦を整え、領地のビーストマンの駆逐に動いた。

 

 法国としてもその対応には安堵した。

 なにぶん、スレイン法国は人類の守護者として動いてはいるが、それはあくまで影でのこと。国家を超えて人間同士が手を結ぶほど、世の中は成熟していない。他国の人間であるスレイン法国の者が帝国内で表だって自由に動くことは出来ないし、その活動に対する帝国からの援助も期待できなかった。

 それにスレイン法国としては、普段の任務だけでも手いっぱいであり、この突然のイレギュラーに対処できるだけの余裕がなかったというのも事実である。

 その為、帝国が一国のみでビーストマン退治に動くことは歓迎すべきことであった。

 そして、それはおそらく成功するかに思われた。

 

 だが突如、帝都を襲った謎の魔獣の襲撃により、皇帝ジルクニフは死去し、逸脱者であるフールーダ・パラダインさえもが失われてしまった。

 これによりバハルス帝国は崩壊。ビーストマン駆逐計画は結局行われぬまま、今も奴らは帝国の領地にそのまま蔓延(はびこ)り続ける始末だ。

 

 

 その事に法国首脳部は頭を悩ませた。いっそ、法国が帝国領を併呑してしまおうかという案すら出た程であった。

 そんな時、続けて起こったのが、今回のリ・エスティーゼ王国の王都襲撃である。

 

 これがただの人間同士の争いであるのならばまだよかった。

 だが、王都を占拠した者達は、亜人を多数味方につけていたのである。それも人を食らうトロールやオーク達をである。

 

 

 バハルス帝国が亜人の脅威にさらされる中、隣国リ・エスティーゼ王国までもが亜人たちに支配されたとなれば、もはや取り返しがつかない。

 

 事態を重く見た法国上層部は亜人、及び亜人を使役する者の手から王都を奪還することを最優先目標と決めた。

 その為、虎の子である六色聖典を複数投入することを決断したのだ。

 

 そして今回の一連の作戦における総責任者とされた漆黒聖典の隊長が実働部隊と共に王都までやって来たところ、現地で諜報を行っていた風花の者から、帝国におもむいていた『蒼の薔薇』がすでに王都に戻ってきており、新政権に対し反抗作戦を練っているとの情報を得た。

 そこで、下手に別行動をして互いの作戦を邪魔し合うよりはと、彼女たちに共同戦線を張ることを持ち掛けたのだ。

 そうして、幾度か配下の者を遣わせ接触を図り、ようやく今回顔を合わせる運びとなったのである。

 

 

 

「では、おおむねの計画は事前に聞いていた通りで」

「ええ、そうね」

 

 今回、彼らが行う作戦の概要はシンプルだ。

 市中で冒険者たちが新政権に対して反旗を翻し、王都を混乱させる。

 新政権側の戦力たる亜人たちがその対応に当たっている間に、『蒼の薔薇』並びに六色聖典の者が手隙となった王城に潜入。

 そして、コッコドールを始めとした新政権の主要人物を排除し、可能ならば王族、特にラナーを救出するというものだ。

 

 とにかくこの作戦の要は、如何に派手な騒ぎを起こし、どれだけ新政権側の戦力を王城の外におびき出す事が出来るかにかかっている。

 

「それに関しては、こちらの方でも陰ながら増援を出すつもりですよ」

 

 彼はそう約束した。

 その言葉にラキュースは安堵した。もともとは法国の力を借りずにやるつもりだったのだが、それをやった場合、市街で新政権側の戦力を食い止める役の冒険者たちにかなりの、いや甚大な被害が出る事が予想されていたからだ。それが少しでも軽くなるなら願ってもない事だ。

 

「それで確認したいのですが、あなた方『蒼の薔薇』としては今回の作戦において、どこまでを達成すべき目標と考えていますか?」

 

 隊長の問いにラキュースは答えた。

 

「そうね。私たちの目標としては現在王を名乗っているコッコドールとかいう男を成敗すること、それと囚われているはずのラナーを救出することかしら? 首謀者であるコッコドールとやらを倒して、王族であるラナーが号令をかければ、そこでかたがつくはずだわ」

 

 もし救出が出来たのならば、彼女の口から王都の民衆に号令を下してもらう。王族の命があれば、そして首謀者たるコッコドールはすでに討ち取られたと聞けば、必ずや民衆たちも立ち上がるだろう。そうなれば、新政権側の戦力とて多勢に無勢。到底抑え込めるものではない。後は混乱の渦の中、怒れる民衆に紛れる形で、冒険者や六色聖典の者が王都にいるオークやトロール達を狩っていけばいい。

 

「なるほど。いまだ王族の権威はある。その第三王女ラナーを救いだして、彼女の命として御触れを発せれば、王国の国民すべても立ち上がるかもしれませんね……。一つ聞いても?」

「何かしら?」

「王女のラナーを救いだすのはいいのですが、彼女はまだ存命なのですか?」

 

 その問いにラキュースはわずかに身じろぎした。

 

「……ラナーが生きているかどうか。その情報はないわ」

「では、この計画も……」

「ないけど!」

 

 ラキュースは強く言葉を重ねる。

 

「はっきりとした確証はないけれども、ラナーは王族として重要人物よ。そして、実際に王国を継ぐ可能性のあるバルブロ殿下やザナック殿下よりは政治的地位は高くない。つまり、見せしめとして殺される可能性は低いという事よ。少しでも考えがある相手ならば、そんな彼女を殺してしまうはずはないわ。どこかに幽閉しているはずよ」

 

 いささか感情的なものが混じっているようだが、その判断におかしなところはない。

 ラナーは如何様(いかよう)にも利用できる便利な駒だ。

 新たに王位を簒奪した者からすれば、男であるバルブロやザナックより使い道がある。王の血を引く彼女の口から王権の移譲を発言させたり、もしくは未婚の彼女と婚姻関係を結んでもいい。そうする事で、自分達の支配の正当性を内外に示すことが出来る。

 

 まともな判断能力がある相手なら、そんな彼女を殺害するなどという愚か極まりない行為をするはずもない。

 

 そう判断した隊長は、確固たる情報がない中ではあるが、首を縦に振った。

 仮に殺されていたとしても、王国の貴族であるラキュースが号令をかけることで代役になるだろうという目論みもあった。

 

 ラキュースの顔に安堵の色がともる。

 彼女とて、はっきりとした確定情報のない中で、相手を説得できるか不安だったのだ。

 

 とにかく法国の目的は王都を支配する亜人の殲滅にある。その為ならば、王都の人間を犠牲にすることも厭わないだろう。ラナーがこの状況をひっくり返すのに有用であるならば助けるが、ラナー一人を助けるために余計な犠牲を払いそうなら、容赦なく切り捨てるであろう。

 『蒼の薔薇』としても、法国側のそんな内心は分かってはいる。だが、彼らの力なしでは、もともと自分たちだけでこの一連の作戦を行うつもりだったとはいえ、民衆や冒険者に多くの被害が出てしまう為、何とかして彼らに協力してほしかった。

 そして今、向こうは動かしようのない証拠がない状況ながら、協力を約束してくれた。

 ラキュースは、彼らの気持ちに答えねばならないなと、決意を新たにした。

 

 

 

「もう一つ伺ってもいいですか?」

 

 隊長の問いに、ラキュースは声をかけた。

 

「なにかしら?」

 

 彼は一つ息を吐いてから、彼女に問いかけた。

 

「皆さんは、どうやって王都にやって来たんですか? あなた方は2週間ほど前までは帝都にいたはず。それが今、こうして王都に潜伏しています。通常、帝国首都から王国の首都まで馬を使っても20日程度。そして現在、エ・ランテル経由のルートは突如現れたアンデッドにより封鎖されています。北部の海運もビーストマンの襲撃による被害の為に、船を出すのも困難なはず。考えられるのはアゼルリシア山脈を一直線に踏破するか、もしくは少し迂回して山のふもと、トブの大森林内を抜けるかですが、そちらにしても一月、二月ではどう考えても、越えられるものではありません。一体どうやって、帝都から王都まで移動したのでしょうか?」

 

 その問いに、彼女はウッと言葉を詰まらせた。

 思わず視線が泳いでしまう

 そして、その視線がほんの一瞬、飛ばされたその先。

 これまで部屋の片隅において、乱雑に置かれた荷物の上に腰かけている人物。その者はフード付きローブを深くかぶったまま、一言も言葉を発することすらしない。

 

 

「失礼ですが、そちらの方は?」

 

 彼の問いに『蒼の薔薇』の面々は身じろぎし、彼に対してやや険のこもった視線を向けた。

 

「協力者よ」

 

 そうにべもなく言い捨てる。

 

「そうですか。フードを取り、顔を見せてはいただけませんか?」

「その必要はないでしょう。彼は信用できる。それで十分でしょ」

 

 ――彼。……つまり男か。

 

 隊長はさらに問い詰める。

 

「しかし、この作戦は我々法国としても、かなりの戦力をつぎ込んだ作戦です。そんな危ない橋を共に渡るものの素性は知っておきたいところです」

「だから、その人の素性は私たちが保証するわ。けっして怪しい者ではない」

「ですが、言葉だけで……」

 

 

 口論が続き、険悪な雰囲気になりかけたその場を治めたのは、当のローブの人物であった。

 

「ふむ。彼の言う通りだな。これから肩を並べて共に戦うのだ。姿も見せぬ相手には、不審を感じても仕方があるまい」

 

 しゅるしゅるという擦過音の混じった声。

 そして彼がフードを取ろうとあげた手を見て、法国の人間たちは目を剥いた。

 その手は黒い鱗でおおわれ、その指先には鋭い爪が伸びていたのだ。

 

 

 独特の発声、そしてその手から想像されるもの。

 それは――。

 

 バッとフードを後ろに跳ね除け現れたその頭部。

 それは大型の爬虫類を思わせるもの。

 

 

 彼は蜥蜴人(リザードマン)であった。

 

 

「俺はザリュース・シャシャという。元は〈緑爪(グリーン・クロー)〉族にいたが、今は部族を持たぬ身だ。よろしく」

 

 

 予想だにしなかったその姿に、法国の者達はハッと息をのみ、あわてて武器を構える。

 『蒼の薔薇』の面々もまた、武器を手に取った。

 

「落ち着いて、さっきも言ったけど、彼は信用できる人よ」

「……あなたは自分が何を言っているのか分かっているのですか? 我々の目的は亜人、そして亜人を支配する者たちの手から人間の領域を解放することです。その為の戦いに亜人を加えろと?」

「亜人といっても、人間を襲うオークやトロール、ビーストマンたちと彼のような蜥蜴人(リザードマン)は違うわ」

「ああ、そいつらは人間を襲って食べるらしいな。我々蜥蜴人(リザードマン)の主食は魚だ。まあ、牛や豚は食べられんでもないが、少なくとも人間は食べたくはないな」

 

 ザリュースの言葉にも、警戒の様子を解かない法国の面々。今にもその鋭い牙をむきだして、飛びかかってくるのではないかと疑っている様子だ。

 

 そんな中、隊長は向かい合う彼女らの一挙手一投足をも見逃さぬよう注意を払いつつ、口を開いた。

 

「先ほどの質問に戻りますが、皆さんはどうやって帝国から王国へ移動してきたのですか?」

「彼に助けられてよ。アゼルリシア山脈を越えてきたの」

「その地に住まう蜥蜴人(リザードマン)たちの秘密のルートでも使ったという事ですか?」

「いえ、違うわ。私たちは山の麓で偶然彼に出会ったの。そして……フロスト・ドラゴンの背に乗せてもらったのよ」

 

 その答えには、さすがの彼も虚をつかれた。

 

「は? フロスト・ドラゴン?」

 

 そのアワをくった様子に、ガガーランが愉快そうに説明する。

 

「ああ、ありゃ、俺たちもびっくりしたからな。なんせ、決死の思いで山越えしようと、トブの大森林を抜けたら、いきなりフロスト・ドラゴンに出くわしてよ。こんな時に最悪の巡り合わせだと死を覚悟して戦いを挑もうとしたのに、よく見たらドラゴンの足元でこいつが肉を焼いていて、それで一緒に飯食ってたんだからな」

「それで彼に頼んで、フロスト・ドラゴンの背に乗せてもらう事で、一気にアゼルリシア山脈を越えることが出来たの」

 

 呆気にとられる様な内容だが、その言葉を聞いた隊長は、なるほどと得心した。

 

「つまり、その彼……蜥蜴人(リザードマン)はフロスト・ドラゴンをテイムしていたという事ですか」

「テイムとは心外だな」

 

 ザリュースはムッとした顔で――蜥蜴人(リザードマン)の表情はいまいちわからないが、口調から察せられた――反駁した。

 

「共に飯を食い、共に鍛え、共に時間を過ごす。そうする事によって、たとえ種族が異なろうとも、そこに深い絆が生まれる。俺とあいつはそうして、心を通わせたのだ。あいつがこの『蒼の薔薇』のメスらを運んだのは俺の命令あっての事ではなく、あいつ自身の意思によるものだ。そこに主従の関係などない」

 

 妙に力のこもった言葉に、隊長は「そ、そうなんですか……」としか言いようがなかった。

 

「……で、では、今回の作戦において、そのフロスト・ドラゴンの力を借りることは出来るのですか?」

「出来はするでしょうけど、相手は戦場で隊形を組んでいるわけではないから、直接攻撃してもらうことは出来ないわね。王都上空を目立つように飛んでもらって、あとはせいぜい王城の一角、誰もいない辺りにブレスを打ち込んでもらうくらいかしら」

「まあ、示威的な行動をしてもらうだけでも、向こうの士気はだいぶ落ちるでしょうね」

 

 とりあえず戦力になるのならと、彼は亜人であるザリュースの事を、信用はしないまでも、敵ではないものとして扱うことにした。

 王都近辺で出会ったのならともかく、アゼルリシア山脈の麓で、偶然『蒼の薔薇』と遭遇したのだという。その話から、さすがに新政権側もそこまで手を伸ばしてはいないだろうと考えたためである。また、王都で新政権側の味方をしているのはオークやトロールであり、蜥蜴人(リザードマン)は見かけたことがないというのもそう考える理由の一助となった。

 

 それにドラゴンが味方となるという事は実に心強い事であった。

 ドラゴンというのはこの上ないほど目立つ存在だ。

 現れただけでも大騒ぎになることは間違いない。その姿を見ただけで誰もが驚き、狼狽え、平静のままではいられまい。

 今回の計画においても、最初の陽動の際、十分な効果を発揮するだろう。

 

 ただ不安材料としては、あまりに影響が大きすぎて、逆に新政権側が怯えきって全員王城にこもってしまう事だが、その時は王城そのものにブレスを打ち込んでもらえばいい。囚われているラナーの身を案じるラキュースはそれに反対するかもしれないが、その時は彼が率いている六色聖典の者達によって王城を魔法攻撃するなり、召喚した怪物(モンスター)によって攻撃させてもいい。

 また、亜人たちを王都から追い出した後なら、被害を気にせずブレス攻撃で逃げる亜人を殲滅出来るだろう。

 

 

「しかし、冒険者に反乱を起こさせるという事ですが、そちらの戦力は十分なのですか? 新政権側が操る亜人たちはかなりの数がいますし、八本指とかいう犯罪組織の人間も多数いると聞きます。下手な戦力では鎮圧に出てきた彼らを引きつけておくことは出来ませんよ」

 

 それに対して、ラキュースは自信ありげに笑った。

 傍らのティナに目をやると、彼女は腰の袋からけっして派手ではない、それどころかとても地味で光をろくに反射すらしない金属のネックレスを数個取り出した。

 

「これは?」

 

 問う隊長の方へ、「着けてみて」と1つ差し出す。

 言われるがままにそれを首に下げる隊長。

 

 すると彼の目に、ネックレスを差し出したティナがほのかに光を発しているのが見て取れた。

 彼女の首には今、彼がしているのとまったく同じものが下げられている。

 そして、ラキュースもネックレスを手にとり、首にかけると、彼女もまた同様に光に包まれた。

 

「これは識別のマジックアイテムのようね。これをかけている者同士は互いに光を発しているように見えるわ。どうやら新政権側の者達は皆、これを身に着けているみたいね」

「なるほど。どうりで亜人たちが、自分たちの味方である人間と敵の人間を見分けているのか不思議でしたが、これのせいですか」

「ええ、そうよ。これをある程度の数確保しているわ。さすがに蜂起に加わる冒険者全員分はないけど、何パーティーかにこれを装備させて、亜人を攻撃させるつもり。そうすれば、あいつらは味方のはずの人間から攻撃された事にパニックを起こすでしょうね」

「混乱した亜人たちは見境なく人間を攻撃する。それこそ新政権側の人間達をも。決して数が多いとは言えない冒険者でも、十分に囮役が務まるという訳ですか」

「そういう事よ。後は私たちがいかに早く王城に侵入し、カタをつけるかにかかっているわ」

 

 その話を聞き、彼は頷いた。

 

「勝算が見えてきましたね」

「ええ、まだ運次第なところもかなりあるけどね。……本当は『漆黒』のモモンさんたちも来てくれればよかったんだけど……」

 

 ラキュースは帝都で会った、同じアダマンタイト級冒険者『漆黒』の2人と1体の姿を思い浮かべた。

 『蒼の薔薇』が王国の異変を聞き、王都へ向かおうとした際、彼らも誘ったのだが、彼らは帝国の治安を守る者も必要だと言って、それを断ったのだ。

 彼らがいてくれれば戦力として頼もしかったろうに、とラキュースは残念がったが、それを聞いた隊長は何も言わなかった。

 

 

 

「それじゃ、お願いするわね」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 彼ら2人は固く握手を交わし、ここに『蒼の薔薇』率いる王都の冒険者と法国の共同戦線が成立した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「上手くいったな」

 

 法国の人間たちが出ていった扉に目をやり、安堵の息を吐くガガーラン。

 ラキュースもまた、大きく息を吐いて、額にかかったその美しい金髪をかき上げた。

 

「ええ。最初、接触してきたときはびっくりしたけど、あの人たちと手を組むことで、かなり有利になったわね」

「うん。正直、私たちだけじゃかなり無理ゲだった」

「コッコドールを殺したり、王女様を助けるくらいは出来たかもしれないけど、その代わり、王都の被害がとんでもない事に」

 

 ティアとティナの言葉に、ラキュースは思わず顔をしかめる。

 彼女たちの言う事は全くの事実だったからである。

 

 正直当初の予定では、王城に潜入しコッコドールを倒し、ラナーを救出した後、彼女を連れて王都を脱出する予定だった。王都で騒ぎを起こした後脱出してきた冒険者たちと共に、ラナーの姉である第一王女が嫁いだぺスペア侯の治めるエ・ペスペル辺りに身を寄せようかと考えていたのだ。ただ、それをやった場合、王都の民衆を見捨てて逃げることになってしまうため、その事実に彼女は苦悩し、自らの良心の呵責に苛まれることとなっていた。

 

 だが、法国の人間と協力関係を結ぶことが出来たおかげで、ラナーという民衆の精神的支柱を取り戻せば、そのまま簒奪者たちをこの王都から追い払う事が出来るかもしれない目途が立ったのだ。

 

 まだ計画段階であり、実際に動くのはこれからなのであるが、それでも彼女はその両肩に重くのしかかっていた荷が下りた気分であった。

 

 

 そうしていると、再び部屋の扉がノックされた。

 その音に慌てて、気を引き締め直す。

 ティアが扉の許へ歩み寄り、内側からまた決められた符丁で叩く。それに対して、向こうも一定のテンポで叩き返してきた。

 

 それで扉の向こうにいる人間が誰なのか気づいたティアは、ザリュースに手で合図をする。それを見たザリュースは、再びフードを深くかぶり直した。

 

 

 ティアが扉を開けると、現れたのは布きれを幾重にも体に巻き付けた腰の曲がった人物。

 その人物は部屋の中へと進み、ティアが扉を閉めると、その曲がっていた背をグンと伸ばした。そして、その身に纏っていた大量の布を一枚一枚外していくと、そこに現れたのはバスケットを手にした美しい女性であった。

 

「食べ物を届けに来ましたよ」

 

 彼女はそう言って微笑んだ。

 

「ありがとうマイコさん」

 

 ラキュースは礼を言い、その手のバスケットを受け取る。

 ガガーランが寄ってきて、その中を覗き込み、口笛を吹いた。そこにはパンやワイン、それに肉、チーズが入っている。

 

「ひゅう、助かるぜ。とにかく、ずっとここに閉じこもっていなくちゃならないから、楽しみは飯しかないからな」

 

 その言葉に彼女は笑みを返す。

 

「ええ、私にできることはこれくらいですから」

「本当にありがとう。でも、大丈夫だった?」

「ええ、大丈夫ですよ。こう見えて、私は少しですが体を鍛えていますし」

 

 改めて礼を言うラキュースに、その腕を曲げて見せる。

 

 

 彼女の名はマイコ。

 しばらく前から王都で料理人として働いている女性で、『蒼の薔薇』の面々とも知り合いであった。

 『蒼の薔薇』はようやっとこの街に戻っては来たものの、有名人である彼女らは今の王都で堂々と歩くわけにはいかなかった。その容姿は広く知れ渡っており、あまりに目立ちすぎる。ティアとティナの変装にしてもそれには限度がある。

 その為、顔見知りであるマイコに頼み、諸々の用事をこなしてもらったり、秘かに冒険者たちへ繋ぎをとるなどをしてもらっていたのである。

 もちろん、その行為は危険極まりない。ばれれば彼女の命も危ういだろう。それに、その行為自体が明るみに出なくとも、今の王都は女性が自由に出歩ける街ではない。戯れに殺されたり、また死よりもむごい事になる可能性すらある。

 それでも彼女はそんな危険をおして、先のように老婆に扮して王都を歩き、『蒼の薔薇』からの頼みをこなしていた。

 

 そんな彼女に、ラキュースとしては感謝しかない。

 この王都には彼女のような清く勇敢な心の持ち主がいる。そんな人たちを守るためにも、この作戦は絶対に成功させなくてはならないと固く心に誓った。

 

 

 その時、彼女に〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 イビルアイからだ。

 

《おい。今、転移で隠れ家に戻ってもいいか?》

《あ、いや、今はちょっと……》

 

 ラキュースはマイコに目を向ける。

 その視線を察した彼女は、再び布を体に巻きつけると、また来ますと言い残し、部屋を出ていった。

 悪い事をしたなと思いつつ、イビルアイに返事をする。

 

《ええ、もういいわよ》

 

 

 すると一瞬。彼女の眼前の虚空が歪んだかと思うと、そこに人影が現れた。

 現れたのは小柄な姿。仮面でその顔を隠しているが、誰か言うまでもなく、『蒼の薔薇』の仲間、イビルアイである。

 

 彼女は人間ではなく吸血鬼(ヴァンパイア)だ。それも、ただの吸血鬼(ヴァンパイア)ではなく、伝説にも謳われるほどの邪悪なる存在、『国堕とし』である。

 万が一にもその正体がばれ、そんな彼女が仲間にいることが知れれば、法国との協力など締結できるはずもない。そのため、彼女には一時的に席を外してもらっていたのだ。

 

 

 「どうだった?」と聞く彼女に、上手く手を結ぶことが出来たと伝えた。

 

 そして今度は逆に、彼女に対し「どうだった?」と聞いた。

 その問いに対して、イビルアイは首を振った。

 

「分からん。モモンは出かけていたらしく、会えなかった」

 

 彼女は転移の魔法を使い、帝都におもむき、そこにいるはずの『漆黒』に会いに行ってきたのだ。

 だが、間の悪い事に『漆黒』は数日前から、ビーストマン退治に出発しており、会うことは出来なかった。

 

「今回の一連の件……どうなのかしら?」

「分からんな。そもそも、皇帝の語った『漆黒』が帝都でのアンデッド出現と本当に関係があるかも不明だしな。今、エ・ランテルで王国軍がアンデッドの軍勢に取り囲まれているのと関係があるか……うーむ。何とも言えん」

「うーん……エ・ランテルって、そのベルって少女がギラード商会とかを使って暗躍していたところなのよね。その子は魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンと関係がある可能性が高い……。そして、モモンさんもその魔法詠唱者(マジック・キャスター)と繋がりがあるかもしれない……。やっぱり、そのアインズ・ウール・ゴウンに敵対する勢力の仕業なのかしら?」

「そうかもしれんな。エ・ランテルを取り囲んでいるのは多数のデスナイトを含むアンデッドらしい。アインズ・ウール・ゴウンはデスナイトを複数召喚できるというが、自分の関係者がすでに足場を構築した街を、そんな目に遭わせるかというと首をひねらざるをえんな。やはり、敵対する別勢力と考えるのが妥当か」

「でも、エ・ランテルの方にはそんなアンデッドを多数送り込んでいるのに、王都にはそんなのはいないのよね」

 

 ティアとティナに目をやるが、彼女たちも「王都内では見なかった」と答えた。

 

「分からんことばかりだが、やはり八本指が亜人を使役するというのはこれまでからすると、いささか考えづらい。それに、その味方識別のネックレス。その出どころもだ。やはり、今回の件、なにか黒幕がいるのは確かなようだな」

「そうね。気を引き締めなてかからないといけないわ。でも、やらないという選択肢もない。皆、必ず、この作戦を成功させるわよ」

 

 ラキュースの決意の言葉に、皆しっかと頷いた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バタン。

 

 後ろで扉が閉じる音に、彼は緊張を解き、大きく息を吐いた。

 

「あ、隊長。お疲れ様ー」

 

 王都における六色聖典の隠れ家には、現在十名ほどの人間が残っていた。他の者達は作戦の準備であちこち駆けまわっているのだろう。

 そんな中、呑気にソファーに寝っ転がりながら、『蒼の薔薇』との会合を終えて帰ってきた彼に声をかけてきた、同じ漆黒聖典の第9席次クレマンティーヌに目をやる。

 

「何か異常は?」

 

 その問いに、彼女はクッキーを齧りながら答える。

 

「うんにゃ、何にもー」

 

 こぼれたクッキーのかけらがポロポロと床に落ちていくのだが、彼は努めて気にしないようにした。

 すでに漆黒聖典は彼と、目の前のクレマンティーヌ、そして法国において最奥の聖域を守る『絶死絶命』しかいない。今回の作戦において、当然のことながら『絶死絶命』は動員されていないため、彼本人を除けば、クレマンティーヌが最強の戦力という事になる。その為、こうしてダラダラと過ごしていても注意する者などいようはずもない。

 たとえ、腹に据えかねていたとしても。

 

 

 そんな彼に一人の人物が近づいてきた。

 

「お疲れ様です。……ええと……」

「ああ、隊長でいいとも。私の名前はあくまで偽名だからね。ニグン殿」

 

 言われた男はさっと頭を下げた。

 

「いえ、私の方こそニグンで結構です。私は陽光聖典に所属しており、漆黒聖典とは管轄が違いますが、あなたの方が上位でありますし、今回の作戦においては、あなたの指揮下に入りますので」

 

 一分の隙もなく、敬礼をしたニグンは直立不動の姿勢で隊長の前に立つ。

 そんなニグンに、クレマンティーヌがケラケラと笑いながら声をかけてきた。

 

「うん、真面目だねー。今度は頑張ってね。まーた、殺してこいとか命令されたら面倒だし」

 

 その言葉に、ニグンは思わず、ギリリと歯を鳴らした。

 かつてニグンはガゼフ暗殺におもむいたものの、カルネ村の戦いにおいて魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに敗れ、生きたまま王国に捕縛されるという大失態を演じてしまった。そんな彼の暗殺任務を請け負ったのが、今、彼の後ろでソファーにだらしなく横になっているクレマンティーヌである。

 

「クレマンティーヌ。お前は少し黙りなさい」

 

 隊長の命令に、彼女は「えー」と声をあげた。

 そんな彼女に、彼は苛立ちのこもった瞳を向けた。

 

「お前がエ・ランテルでやった行為。……本来ならば、漆黒聖典といえど異端審問にかけられてもおかしくはない行為だと理解しているのか? なんなら、今すぐにでもそちらを体験してくるか!?」

 

 その怒号に、言われたクレマンティーヌだけではなく、その場にいたニグンを始めとした六色聖典の面々もまた一様に凍り付いた。

 

 

 帝国での邪教組織運営という任についていた彼女であったが、その組織が儀式という名の遊びをしている最中、死の神が本当に降臨するという非常事態が起こり、当の邪教組織は壊滅、そして彼女はほうほうの体で法国に逃げ戻ってきたのだ。

 

 そして彼女の報告を受けて、明らかになんらかの脅威がこの地に迫っていると判断した法国上層部は、あらためてここ最近の情報をすべて洗い出していた。

 その中で、アインズ・ウール・ゴウンと直接会ったニグンも死体を回収して、蘇生された。

 

 だが、そうした調査によって不審な点が見つかり問題となったのは、当の彼女クレマンティーヌの足取りであった。

 王国にニグン暗殺におもむき、それを成功させてから、法国に戻ってくるまでの報告された道程に不自然なものがある事に気がついたのだ。

 そこで彼女を呼び出し、魔法まで使って、情報を洗いざらい調べ上げたところ、彼女がエ・ランテルにおけるアンデッド騒ぎに深く関わっていたという事が判明した。

 

 本来ならば、漆黒聖典といえど、到底許されるはずもないほどの罪科であり、軽くて斬首という程であったのだが、すでに漆黒聖典は完全に壊滅している状態であり、その戦闘能力を無駄にする訳にもいかず、処分は当分延期という沙汰となったのである。

 

 

 隊長に怒られたクレマンティーヌは、横になっていたソファーから身を起こした。

 

 ――やれやれ。んー。でも、隊長って、なんだか最近、ずいぶんと苛ついてるね。なにかあったのかねえ?

 

 そんなことを考えながら、とりあえずクレマンティーヌは喋るのを止め、黙ってクッキーを齧る事にした。

 

 

 

 確かに最近の彼、漆黒聖典の隊長は普段とは違い、いささか情緒が不安定気味であった。

 そこまで彼を苛つかせている原因。それはクレマンティーヌの報告に端を発する。

 

 エ・ランテルの件において、クレマンティーヌを尋問したのだが、どういう訳だか彼女の記憶には曖昧なところがあった。

 そこで法国は儀式魔法まで使い、とぎれとぎれとなった彼女の記憶を可能な限り覗き、復元したところ、実はエ・ランテルでの件において、正体は不明だが、恐ろしい悪魔を引き連れた少女と女性の2人組から、アンデッドを大量発生させるアイテムを渡されていたという事実が明らかになった。

 その少女は美しい銀髪を腰まで垂らした10歳くらいの少女であり、共にいた女性は金髪を縦ロールにした、見目麗しいメイドだという。

 

 彼はそんな組み合わせの2人にエ・ランテルで会ったことがある。

 すなわちベルと、そのお付きのメイド――たしか、ソリュシャンと言っていたか――である。

 

 ニグンの報告と、それを裏付けるカルネ村に行った法国の間者からの情報、そして自身がエ・ランテルに行った時のティアの発言。その他、あちこちから法国が総力を使って収集した情報、それらを総合的に考えると、彼女がアインズ・ウール・ゴウンの関係者であり、エ・ランテルに地獄を招くきっかけを作った人物である事は推測出来た。

 

 

 彼は自らの左手人差し指にはめた指輪に目を向ける。

 嘘を見抜く指輪。

 かつて、彼はこの指輪をはめた状態でベルの言葉を聞いた。彼女はアインズ・ウール・ゴウンなど知らないとはっきり言っていた。

 しかし、この指輪は反応しなかった。

 

 

 ――いったいどういう事だろう?

 彼女が嘘を言った時も、この指輪は反応したはずだ。効かないという訳ではないはず。

 なにか、このマジックアイテムの効果を一時的に無効化出来るアイテムを保有しているのだろうか?

 ……やはり、これを使ってみるか……。

 

 彼は一つの宝玉(タリスマン)をポケットから取り出した。

 それは六大神の残した遺産の一つ。

 その効果は、はるか高位に至るまでのマジックアイテムの効果を一時的に無効化するというもの。

 今回の作戦の成否を重く見た法国上層部によって、彼への貸与が決定し、彼の判断での使用が許可されていた。

 これを使えば、彼女がどのようなマジックアイテムを保有し、この指輪の能力を妨害しようとも、それを無効化し、真実を(つまび)らかにすることが出来る。

 

 

 ――ベルさん……あなたは、一体何者なんですか?

 

 

 後の調査により、あの時ベルと共にいたお付きの男は、六腕の1人マルムヴィストであったことがはっきりしていた。

 そして……。

 先ほどの会合で『蒼の薔薇』には言わなかったが、風花の報告により、今回、王城を占領した八本指の中に、そのマルムヴィストがいるらしい。

 すなわち、王城に攻め入った場合、あの少女と顔を合わせる可能性も……。

 

 幸いにして、法国が最重要目標と見ている『漆黒』のモモンは現在、帝国にいる。

 モモンと今回の件は不明だが、不確定要素が一つ除けたのはまたとない僥倖(ぎょうこう)だ。

 現在の法国上層部の見解として、モモンやアインズ・ウール・ゴウン、そしてベルらには『ぷれいやー』か『えぬぴいしい』ではないかという疑惑がかけられている。

 

 

 ――もし……もしあなたが本当にそのような事をした、邪悪な意思を持つ『ぷれいやー』、もしくは『えぬぴいしい』だったとしたら……。

 

 

 彼は手に握った槍を固く握りしめた。

 その手にあるのは、スレイン法国においてごく限られた者しか触れることが許されない、六大神の遺産の中でも最重要たる秘宝。

 

 発動者の命と引き換えに、その標的となった者に、その生命力の強弱関係なく、あらゆる者に等しく死を与える槍『ロンギヌス』。

 

 

 ――ベルさん。もしあなたがそうなら……ボクがあなたを殺します!

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《アインズさん。気がつきましたか!?》

《ええ、ベルさん。分かっています》

 

 今、ナザリック地下大墳墓の執務室は緊迫した空気に包まれていた。

 あいにくアインズには喉はないが、ベルはごくりと生唾を飲む。

 

 

 

 彼らが息をのんだ原因、それはシズが王都からの報告書を持って、この執務室にやって来たことにある。

 

 

 

 アインズとベルはそれに気がついた瞬間、秘かに〈伝言(メッセージ)〉を送りあった。

 

 

 互いに視線を交わし合い、そしてちらりと横目で覗き見る。

 その彼らの視線の先にいるプレアデスの1人、シズ。

 

 本来であれば、アウラ以下であるものの、さすがにマーレよりはあるその胸。

 今、それがぱよんぱよんと揺れていた。

 

 

《……あれ、シャルティアのパッドですよね?》

《……たぶん……》

 

 2人の間に何とも言えないものが漂う。

 

《ベルさん、突っ込んでくださいよ》

《やですよ、気にしてたらどうするんですか》

 

 再度、室内を歩くシズを盗み見るが、ポーカーフェイスのその顔はネタで突っ込まれるのを期待しているのか、それとも本気で満足しているのか、まったく分からない。

 

《でも、私が言うより、一応同性のベルさんが言った方がいいでしょ》

《かえって、俺が言う方が拙いですよ。この身体は、シズよりないんですから。アインズさんの方がいいですよ》

《どう言えと?》

《生の胸の方が好みだぞとか》

《部下にセクハラかましてどうするんですか!?》

《いきなりアルベドの胸を揉んだのに、何をいまさら》

《ぐお! そ、それとこれとは話が別でしょう》

 

 そうして、見て見ぬふりをするのがいいのか、それとも言ってやった方がいいのか2人が悩んでいると、

「失礼しまぁす」

 という声と共にエントマがやって来た。

 

 ――そうだ。同性であり、同僚であるエントマの口から言わせれば……。

 

 そう考え、振り向いた2人は――その姿を見て凍りついた。

 

 

 

 新たに部屋に入ってきたエントマ。

 

 その胸もぱよんぱよんと揺れていたからである。

 

 




 暴君少女を倒すべく、ついに人々が立ち上がります。

 がんばれ、『蒼の薔薇』!
 がんばれ、法国!
 人類の未来は君たちにかかっている!!


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第71話 前夜

 今回、シリアスパートとぐだぐだパートがあります。
 ぐだぐだパートは生暖かい目で見てください。


2017/1/12 「尤も」→「最も」、「平服」→「平伏」、「言った」→「いった」、「話声」→「話し声」、「群」→「群れ」 訂正しました



「くそっ、くそっ! 何なのよ!」

 

 コッコドールは苛立ちと共に、腰を打ち付けた。

 その度に、彼の前で力なく横たわる者の手足がぶらぶらと揺れる。

 

 

 ここは王都リ・エスティーゼにある王城ロ・レンテ、その中にあるヴァランシア宮殿のそのまた奥にある一室である。豪奢な天幕付きベッドに、落ち着いた色の垂れ布。壁に掛けられた絵画から、据え付けられた丸テーブル、そして暖炉の上の花瓶一つに至るまで、室内にある調度品は全て一級品が備えられている。

 そこは王の寝室である。

 

 今、コッコドールはそのベッドの上で、閨事(ねやごと)の真っ最中であった。

 とはいえ、通常の閨事(ねやごと)とは少々趣きが異なる。

 彼が今、組み敷き肌を重ねている相手は女ではなく、若い男性であった。

 

 手足の腱を切られ、その傷を覆った包帯にいまだ赤い血がにじむ、そんな男の怪我を気にかける様子もなく、コッコドールはただ己の感情のままに、その動きを早めた。 

 

 

 彼がそこまで苛立っている原因。

 それは彼の現在の状況にある。

 

 彼、コッコドールは今や押しも押されぬ、この国の王である。

 

 王。 

 一国において、最も丁重たる態度で扱われるべきであり、下々の者を従える立場にある。その言葉には誰もが平伏し、その意に背くものは処断される運命にある。

 王政の国に君臨する王とは、まさにそんな絶対的権力者であるはずだ。

 だが、現在の彼の扱いはそんな想像とはかけ離れたものであった。

 

 

 何も権限がないのである。

 

 

 およそすべての事はあのベルなる人物、及びその側近たちが決めてしまう。彼に判断の自由は与えられていない。

 彼は王城の玉座の間にはいても、実際になにをするでもなく、ただ、その玉座に腰かけ、形式的にあげられた案を承認するだけであった。

 

 彼としても、そんな自分の現状に不満を抱かぬはずもない。

 ――ないのだが、かと言って、逆らう事など出来ようはずもない。

 

 

 コッコドールはあの少女に逆らった者の末路を思い返し、その身を震わせた。

 

 

 自分たちの目の前で、幾度もその顔面をむしり取られてはポーションで強制的に回復させられ、また顔面をむしり取られてを繰り返されたゼロ。

 トロールやオークに貪り食われた兵士たち。

 あの、レイナースとかいう厭らしい膿を垂れ流す肉塊は、かつて帝国四騎士と呼ばれ、実力も美貌も兼ね備えていた女騎士本人らしい。しかし、あの少女によって、誰もが遠巻きにしたまま目をそらさざるを得ない、醜悪極まりない姿へと変えられたのだという。

 

 そして、この国の第一王子であるバルブロ、および真っ先に逆らったアダマンタイト級冒険者『朱の雫』にいたっては、王城前の広場において、生きたまま杭にその身を貫かれ、今でもそこに晒されたまま、苦悶の声をあげ続けている。

 

 

 そう、今でも生きている。

 

 彼らは手足を切断され、効果の低いポーションで止血をさせられた後、先の尖った柱で身体を串刺しにされ、多くの人の目につくよう広場の高くに晒された。

 本来であれば、長くても半日程度で絶命するのだろうが、すぐ楽にはならぬよう、1日数回、その体にポーションがかけられ、体力を回復させられている。その為彼らは、あれから何週間もたった今でも、地獄の苦しみに(さいな)まれ続けているのだ。

 市民の中には、その目も覆わんばかりのあまりの惨状に、そのような非道で恐ろしい事は止めるよう嘆願してきた者もいたが、それを請願した者は、次の日には彼らの隣で広場を見下ろすことになった。

 きっと、彼らが死という安息に包まれるのは、あの少女がこの見せ物に飽きたときなのだろう。

 

 

 そんな生きている人間を玩具としか思わぬような、あの少女に逆らう訳にはいかない。

 コッコドールが王に選ばれたのは、ベルに選ばれたからだが、けっして彼自身のその働きぶりを目にかけてなどという理由ではない事は、よく分かっている。

 

 誰でもよかったのだ

 王の役など。

 

 もし彼が、あの少女の意にそぐわぬ働きをしたのならば、すぐにでも彼はバルブロの隣に肩を並べることになるだろう。

 

 

 

「ハアッ、ハアッ」

 

 彼はその恐怖から逃れるように腰を動かし、そしてビクンビクンと痙攣すると男の中に精を放った。

 

 しばし、力なく(くずお)れるように抱いた男に身を重ねていたが、不意にその身を離すと、たった今まで肌を重ねていたクライムの身体を蹴り飛ばした。

 その鍛えられた、しかし今は両手両足の腱を切断され、人形のように動かぬ身体がベッドの上から固い床へと転がり落ちる。

 

 コッコドールはベッドの脇で全裸のまま跪いている元貴族――フィリップだったか――の掲げている銀の盆の上から酒瓶を掴むと、震える手で零れることも厭わず勢いよく酒杯に注ぎ、それをがぶがぶと飲み干す。

 口の端から溢れた酒が喉を伝い滴り落ちるが、そんな事は気にも留めない。

 

 彼は飲み干した杯を苛立たし気にフィリップに投げつけた。

 飛んできた酒杯が額に当たり、情けない悲鳴をあげながら血を流してひっくり返るフィリップには目もくれず、床に転げ落ちたクライムを力任せにベッドに引き上げると、再びその屹立したものを彼の身体に突き立てた。

 

 

 そして、悍ましき想像を追い払い、思うままにならぬ現実から逃避するかのように、コッコドールは肉欲と淫蕩の渦の中へと逃げ込んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「お待たせいたしましたー。焼き鳥盛り合わせになります」

 

 何種類もの焼き鳥が並べられた大皿が彼らのいるテーブルに運ばれてくる。

 どれを食べようかと目移りしているうちに、さっと伸びた手が各種3本ずつ載っているはずのその3本を奪い取った。

 

「あ、エドストレーム。なに独り占めしてるんだよ」

 

 自分の取り皿の上にカワ串を3本確保し、エドストレームは悪びれもせず言った。

 

「なに、男が食べ物くらいの細かい事でぐじゃぐじゃと騒いでるのよ」

「お前、さっきも鶏もも肉から皮だけとって食って、残りをこっちに回しただろうが」

「何言ってんのよ。カワはコラーゲンなのよ。美容にいいんだから、私が食べて当然。サキュロント、アンタはネギでも食べてなさい」

 

 そう言って、エドストレームはサキュロントの前の取り皿にネギ串を勝手に載せる。彼の皿の上にはそれ以外にも、料理を食べつくした後の余ったレモンやパセリが載せられていた。

 「勝手に載せるな!」と抗議するサキュロントを横目に、マルムヴィストは砂肝を手にとり、かぶりついた。

 ペシュリアンは手にしたグラスを満たすカクテルから伸びたストローを、フルヘルムの隙間から中に差し込み、ちゅーと飲んでいる。

 

 

 

 今日、王都でも割と評判のこの店にかつての六腕の内、ゼロを除いた5人が集まっていた。

 

 ゼロだけは誘われなかった。

 ベルとの戦い、いやリンチといってもいいほどの扱いを受けたゼロはあれ以来、沈み込んでおり、酒に誘えるような状態でもない。

 そして彼らとしても、立場的に自分たちと同じ扱いになったからといって、かつてとんでもなく高圧的であった元上司と一緒に飲みたいわけでもない。わざわざ慰めてやる義理もなく、今更仲良くしたいわけでもなく、それにハゲであるため、ゼロは誘わなかったのだ。

 まさに人望のない上司の末路である。

 まあ、以前一緒に酒を飲んだ時、唐揚げにレモンをかけられただけで怒って暴れ、じゃあ、自分はどうやって食べるのかと思いきや、味が分からなくなるだろというくらい大量のマヨネーズをかけて食べたような奴だから仕方がない。

 

 

 マルムヴィストが手をあげ、給仕の娘を呼んだ。

 

「おーい。こっちにビール」

「はーい。ビールですね。他にご注文はありませんか?」

「……俺はスクリュードライバーを」

「あ、私、カルーアミルク」

「あー、俺もビールでいいや。……デイバーノックは何にする?」

「……いらん……」

「えーとでは、ビール2つにスクリュードライバーとカルーアミルクですね。少々お待ちくださいませ」

 

 長い髪を三つ編みにしたその女性は、注文を繰り返すと厨房裏へと消えていった。そちらで注文を読み上げる声と、それを復唱する若い女の声が彼らの耳に届く。

 ほどなくして、頼んだアルコールが運ばれてきた。

 

「プハー、うめえな」

「うん、甘くておいしいわー」

「焼き鳥にカルーアミルクかよ。舌、おかしいんじゃないか?」

「やかましいわよ。甘いものは何にだって合うの。常識よ」

「いや、それはねーよ」

 

 サキュロントの当然すぎる突っ込みに、言い返したエドストレームであったが、それにはさすがに傍からマルムヴィストも反論した。

 

 

「なあ、デイバーノック、お前もそう思うだろ?」

 

 酒と肴、そして昔話で盛り上がる皆の中、先ほどから独り無言のままであった同僚の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、デイバーノック。

 そんな彼を気にかけ、マルムヴィストは声をかけたのだが……。

 

「……そんなもの、どうでもいい」

 

 だが、彼はそんなマルムヴィストの気遣いにのろうともせず、不快の感情を隠さぬ口調でつぶやいた。

 皆の目が、デイバーノックに向けられる。

 

「……なんで、こんなくだらん集まりに金を払わねばならん」

「なんだよ、金の心配しているのか?」

「心配しなくても、ここの払いは割り勘って事にしたでしょ」

「割り勘負けするのが嫌なら、お前も何か注文したらどうだ?」

 

 口々に投げかけられたその言葉に、デイバーノックはその両拳をドンと机を叩きつけた。

 

「ふざけるなよ! 俺は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)なんだぞ! 飲み食いなんて出来ねーよ!! 割り勘負け以前に、俺だけ圧倒的に損してるじゃねーか!?」

 

 彼は怒りのままにバンバンとテーブルを叩きながら、言葉をつづける。

 

「そもそも、なんで酒場で集まってんだよ! 今日集まったのは、新しく俺たちの上に立つことになったボスについて話すって事だったろ? なら、どっかの会議室でもいいだろうが!」

 

 治安の悪くなった王都で夜、酒を飲みに外を出歩く者などほとんどおらず、この店も貸し切り状態ではあるのだが、さすがに堂々とアンデッドである事を公言するのは拙いと、激昂する彼を宥めるように、マルムヴィストがポンポンと肩を叩く。

 

「落ち着けよ。神妙な面して、顔突き合わせて話すよりは酒で口を湿らせながらの方が、こっちとしてもスムーズに話が出来るってヤツさ」

「なら、元から新しいボスの配下になってたお前らにだけ酒を奢れば済む話だろ! なんで、サキュロントまで飲み食いしてるんだよ!」

「いや、俺たちだけ飲み食いしてるのに、目の前で見てるだけって可哀想じゃん」

「一切飲み食いしないのに、金だけ払わされる俺は可哀想じゃないのか!」

「まあまあ、辛い立場なのはお前だけじゃないんだぜ」

 

 マルムヴィストは顎で、先ほどからストローで酒だけを飲んでる鎧男の事を示した。

 

「ペシュリアンの奴はああやって酒しか飲めないんだぜ」

「いや、ペシュリアンはただ兜かぶってるからだろ! その兜外せばいいだけだろうが!?」

 

 デイバーノックが叫ぶ。

 そこへ給仕の娘がやって来た。

 

「お待たせいたしました。カルボナーラになります」

「ん? 誰か頼んだ?」

 

 ぐるり見回す中、籠手に包まれた手が上がった。

 

「俺だ」

 

 皆が驚いて見つめる中、ペシュリアンはカクテルを飲んでいたストローを引き抜くと、ピンと指先で叩いて、筒中の水滴を落とす。

 そして――。

 

 

 ――フルヘルムの隙間から突き出たストローの口をパスタの先端に持って行き、そのままズルズルと啜った。

 

 

「スパゲティーをストローで食うなよ!!」

「ぷぷー。今時、スパゲティーって言うなんてダサいわー。超ウケるー」

 

 デイバーノックの突っ込みに、エドストレームがふき出した。

 

「いい? スパゲティーじゃなくてパスタ。これ、常識よ。おっさんとか言われて女にもてないわよ」

「もてなくてもいいわ!」

「そう言ってると、いざ、メス死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と出会った時に話題に困るわよ」

「困んねーよ! なんだよ、メス死者の大魔法使い(エルダーリッチ)って! 存在するのかよ!?」

 

 言われて、マルムヴィストも首をひねる。

 

「そういや、女の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とかいるのか?」

「生前が女なら、アンデッドになっても女なんじゃないか? 知らないけど」

 

 そう言いつつ、ネギに口の端でかじりつき、串から外して頬張るサキュロント。なんだかんだ言って、食べ物を粗末にするのはいけないからと、皿に載せられた分は残すことなくちゃんと食べている律儀な男である。

 サキュロントの皿に野菜を放った張本人であるエドストレームはというと、テーブルに備え付けてあった食後のコーヒー用のシロップをつくね(・・・)にかけて口に運んでいた。

 

「どんな食い方だよ!」

「女の子は甘いものが好きなのよ」

「女の子って年か」

 

 突っ込んだサキュロントをじろりと睨みつける。

 

「あん? 何か言った?」

「い、いや、……何も……」

 

 尻すぼみになった言葉を誤魔化すように、ビールをすするサキュロント。

 そんな彼にハンと鼻を鳴らすエドストレーム。

 

「まったく、女心が分かってない野郎どもは困るわね。本当に私の周りって、碌な男がいないわ。はあ、こんなんじゃ結婚もまだまだ先ね」

(……まだ結婚する気なんか、あったのか……)

(……いや、今の時点で相手すら見つかってないんだから、触れてやるなよ)

 

 ひそひそ声で話すサキュロントとマルムヴィストの会話に、エドストレームは声を張り上げた。

 

「私は結婚できないんじゃなくて、私の眼鏡にかなう相手がいないのよ!」

「それ結婚できない奴の常套句じゃねえか」

「そういう事言ってる奴は、いい年過ぎても結婚できないまま、同じ事言ってるぞ」

 

 2人掛かりの突っ込みに、エドストレームは背もたれに腕を組んで体重を預け、ドンと足を組んだ。

 

「男が情けないからいけないのよ」

「ふうん。じゃあ、どんな奴ならいいんだ?」

 

 すでにうんざりした感ながらも、一応、義理として聞いてみる。

 

「そうね。まず、最低限、顔はしっかりしてないとだめね。それで身体も、ぶよぶよは駄目。ちゃんと鍛えていること。逞しくて、頼りがいがあって、それでいて優しい人じゃないと。もちろん将来性も大事ね。それと、親と同居とかも論外だわ。それから……」

「そう言えば、猿の酒亭ってまだある?」

「あ、そこ、お前らがエ・ランテルに行った後、しばらくしてから潰れたぞ」

「マジで? あそこ、割と美味かったのにな」

「いや、昔はそうだったんだけどな。ここ最近、経営が苦しくなってから、どんどん味落ちてしまってなあ」

「ああ、経費削減で材料の質を落としていったのか。それやると、客も離れるわな」

「しかも、最後にはエスカルゴとか言って、ヒルを出すなんて事をしたからな」

「そりゃ、潰れるわ」

「それ食った時のゼロの顔ったら、なかったぜ」

「うはは。よりにもよってゼロに喰わせたのかよ」

「……って、あんたら、聞きなさいよ!」

 

 癇癪を爆発させるエドストレームに男2人は嫌そうな顔を向けた。

 

「んなもん、聞いてどうするんだよ」

「家で妄想育ててろよ。いるか、そんな男」

「いないのが間違ってるのよ!」

「いや、間違ってるのは100%お前だよ」

 

 やいのやいの言い合う3人。

 だが、そこでスパゲティー――もとい、パスタを食べていたペシュリアンが、ストローを咥えたままつぶやいた。

 

「ふうむ。……いや、いない事もないな」

 

 その言葉にサキュロントとマルムヴィスト、そしてエドストレームもまた驚愕の表情を浮かべた。

 

「本当にそんな奴がいるのか?」

「ど、どこにいるの?」

 

 息せき切って聞くエドストレームに、まあ落ち着けと言い、ペシュリアンは先ほどまでパスタを食べるのに使っていた兜の隙間から伸びるストローを、再び傍らのグラスに差し込み、そのまま酒を飲む。その光景を前にすると、何やら、その全身鎧(フルプレート)の中身は、奇妙な口吻のある怪物(モンスター)ではないかという妄想が皆の頭の中をよぎった。

 

「鍛えている。逞しく、かつ優しい。将来性がある。親と同居じゃない。これらを兼ね備える相手がいいんだな?」

「そ、そうよ」

 

 エドストレームはごくりと喉を鳴らし、ペシュリアンの言葉を待つ。

 彼は厳かに言った。

 

「カルネ村に行った時に会ったんだがな。そこにいたカイジャリって奴が……」

「知ってるわよ! それ、ゴブリンでしょ!?」

 

 皆まで言わせず、叫ぶエドストレーム。

 

「嫌か?」

「嫌じゃない人間なんかいないでしょうが!」

「他にはジュゲムとかゴコウとか……」

「全部ゴブリンじゃないの!!」

「それ以外だと、ゼンベルとシャースーリューあたり……」

「今度は蜥蜴人(リザードマン)じゃない!」

「じゃあ、無理だな」

「ゴブリンと蜥蜴人(リザードマン)しかいないの!?」

 

 

 叫ぶエドストレームと裏腹に、サキュロントは呆気にとられたような声を出した。

 

「いや、ちょっと待てよ。なんだ、そのなんとかいう村って? ゴブリンと蜥蜴人(リザードマン)が一緒に暮らしてるのか?」

 

 その問いに、再びストローでパスタを食べることに専念し始めたペシュリアンの代わりに、マルムヴィストが話を継いで答える。

 

「ああ。人間とゴブリン、蜥蜴人(リザードマン)、それにアンデッドが暮らしてる村だ」

「はあ? アンデッド!?」

 

 サキュロントはあんぐり口を開けた。

 

「なんだよ、その村……。本当にあるのか?」

「あるんだよ。エ・ランテルの近くに。そこは、ボス達の肝いりの村でな」

「!? ……ああ、なるほどな」

 

 そう言われてサキュロントは彼らの新しいボス。あのゼロを完膚なきまでに打ちのめした恐るべき少女を思い返し、一つ大きく身震いした。

 

「そこにはいろんな種族が集まって暮らしてるんだけどな。でも、その中でも一番恐ろしいのはネムって小さい女の子だ」

「ネム? その子がどう恐ろしいんだ?」

「その娘自体はただの10歳くらいのガキなんだけどな。そいつが従えてるアンデッドがとんでもないんだよ。なんでも集眼の屍(アイボール・コープス)とかいう種族らしいが、難度165くらいの戦闘能力があるらしい」

「はあっ!! 難度165!?」

 

 横で話を聞いていたデイバーノックは思わず声をあげた。サキュロントは絶句したまま、息をのんだ。

 

 

 難度165。

 冒険者たちが使う強さ基準だが、難度165といえば伝説クラスの怪物(モンスター)やドラゴンなどに匹敵するはずだ。

 

「そんなのがなんで、そんな辺鄙な村で、そんなガキに従えられてるんだ?」

 

 震える声で問い詰める。

 

「それがな。……ボスたちから、そのガキへのプレゼントらしい」

「プレゼントって……」

 

 難度165などという桁外れの怪物(モンスター)を、ただの村娘にくれてやるなど、理解の範疇を大きく超えている。

 

「ああ、そのタマニゴー――……そいつの名前だ――が戦うところを見たことがあるが恐ろしいぞ。その村をトブの大森林を抜けてきたハルピュイアの群れが襲ったところに出くわしたんだがな。その子が「なぎはらえー」とか言った途端、そいつの目がギラリと光ったかと思うと、色とりどりの雷のような光線が上空を駆け巡って、空一面にいた何十匹ものハルピュイアが全て一瞬で炎に包まれたり、凍りついたり、石になったりして、ぼとぼとと落ちたからな」

「……無茶苦茶だな」

 

 デイバーノックが呻る。

 

「一応言っておくが、ボスたちはたぶんそれ以上に強いぜ。実際、俺たち3人でボスと戦ったことがあるが、そもそも攻撃が一切効かなかったからな」

「は? なんだ、それは? なんらかの属性攻撃無効とかか?」

「そんな甘いものじゃないな。とにかく俺たちも詳しい事は分からないが、打撃、刺突、斬撃、全て効かなかった」

「……意味が分からんな。まさか不死身とかか?」

 

 冗談めかした言葉だったが、マルムヴィストは笑い飛ばすことなく、肩をすくめるにとどまった。

 

「さあな? 案外そうかもしれないぜ。それと、ボスだけじゃなくて一緒にいるメイドたちもとんでもなく強いから、下手な態度はとらない事だ」

「一緒にいるメイド? あのソリュシャンってメイドか?」

 

 サキュロントはいつもベルの後ろをついて回る、見目麗しい金髪のメイドの姿を思い返し、その顔をにやつかせた。

 それを見て、その本性を知っている3人は顔をひきつらせた。

 

「いや、見た目は綺麗だが、とんでもないぞ。あのソリュシャンってのの他にも何人も戦闘メイドとやらがいるみたいで、どいつも恐ろしい強さを持ってる」

「そう言えば、お前らがエ・ランテルに行った時に戦って、そして傘下に入るきっかけを作ったのも、その戦闘メイドとやらの1人なんだったか」

 

 以前に聞いた話を思い返し、デイバーノックがつぶやく。

 

「ああ、たまたま通りかかった貴族の館で戦いになったんだがな。手を抜いていたときでさえ、俺たち3人がかりでやっと。それでその後、本気を出されたら、手も足も出なかったからな」

 

 エドストレームとペシュリアンがこくりと頷く。

 

 

「そいつはどんな奴なんだ?」

 

 給仕の娘が新たに持ってきた酒を一口すすり、マルムヴィストは一息ついて、その疑問に答えた。

 

「ユリって名前のメイドでな。首無し騎士(デュラハン)らしくて、強い衝撃を受けると首が取れるんだが、それをすごい嫌がってたな。で、例に漏れずそいつも凄い美人だったな。すこしトウが立ってたみたいだけど」

 

 

 がきんっ!

 

 不意に響いた音に、おや? と彼ら視線を向けると、どうやらカウンターの向こうの厨房で料理を切り分けていた包丁が折れたようだ。

 

「あー、マイコちゃん。大丈夫かい?」

 

 心配げにかけられた店長の声に、マイコと呼ばれた髪をうなじ辺りでくくった女性は微笑みを浮かべて、返事をした。

 

「ええ、大丈夫ですよ。ちょっと包丁が折れてしまったみたいで。たまたまヒビでも入っていたところで、固い石でも切ってしまったんですかね?」

 

 そう言って、ほほほと笑う声が聞こえてくる。

 どうやら何事もなさそうだと、彼らは席に座り直し、そしてエドストレームに話の続きを促した。

 

「あーと、で? そのユリって女性について他には」

「なんだか、格闘家みたいな感じだったわね。とにかく一瞬で距離を縮めて殴りかかってきたり、首を掴んで膝蹴りの乱打をしてきたりと、もうとんでもなかったわ。まあ、見た目は少しおばさん臭いんだけど」

 

 

 べきりっ!

 

「あ、マイコちゃん、どうしたんだい? 床板がへし折れているけど」

「いえ、ちょっと、ここのところの床板が腐っていたみたいですね。踏みぬいてしまいました。すみません」

「いやあ、怪我がなくて何よりだけどね」

 

 厨房から聞こえてくるそんな話し声に、再び話に戻る。今度はペシュリアンが話しだした。

 

「こちらの攻撃、剣とかの斬撃でも籠手をした手で横から弾き、軌道を変えたりと凄まじい腕だった。俺の『空間斬』すらも弾いたからな。正直な話、同じ格闘家でもゼロなど足元にも及ばないだろう。かなり年季が入ったものの熟練の技。年の功だな。きっと苦労して、若作りしているのだろう」

 

 

 ドゴンッ!

 

 後ろで響いた激しい音に、彼らは三度視線を巡らせる。

 彼らの視線の先で、分厚い樫の木で出来たカウンターテーブルが、マイコの立つその前からへし折れていた。

 

「な、何があったんだ? マイコちゃん!?」

 

 驚く店長の声に、マイコはぶるぶると肩を震わせながら、口元を無理して吊り上げた。

 

「ふふふふふ……。いえ、……きっと、今日壊れることが、このテーブルの運命だったんですよ……ふふ、ふふふふふ……」

 

 何やら聞いているだけで呪われそうな笑い声に、怖気に取りつかれた店長はその恰幅のいい身体を震わせて、少し裏で休むよう伝えた。それに対して、彼女は何度か固辞したものの、やがて店長の勧めに応じて、バックヤードへと消えていった。

 

 

 話の腰を折られ、沈黙する彼らのテーブルに、立派な髭をたくわえた店長が愛想笑いを浮かべながら、お詫びの言葉と共にビールを運んでくる。

 それに彼らは手を伸ばした。

 飲食不要というか出来ないデイバーノックと甘党のエドストレームを除く、マルムヴィストにサキュロント、そして……。

 

 ガッと黒い籠手に包まれた手がビールの入ったジョッキを掴む。

 ペシュリアンはそれを自分の前に持ってくると――ストローを突き立てた。

 

 

 そうして、そのままゴッゴッと飲み――。

 

「ゴハァッ!」

 

 盛大にむせた。

 

 

 ゴホッゴホッと身体を折り曲げ、激しくせき込む。

 口に含んだビールが咳と共に吐き出されるのだが、それは当然閉じられた面頬の中に溜まって、兜のスリットからダラダラと零れ落ちるということになり、なんともはやひどい有様である。

 

 それを見ていた他の4人は4人とも「うわぁ……」と言葉を漏らした。

 

「……今日はお開きにするか?」

「それがいいかも。明日、もう一度、仕切り直しましょうか?」

「そうだな。それがいい。そうしよう。」

「話をするのはいいが、今度は酒場でなくていいだろう」

 

 そう口々に言いあう4人。

 別段、こうして語り合うのは今日でなければいけないという事もない。

 明日も変わらぬ日常が待っている。

 

 そうして彼らは明日の夕刻、また会おうと約束を交わし、店を後にした。

 

 

 明日、何が起きるかも知らぬまま。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「失礼いたします」

 

 王都において接収した、ベルの一時的な逗留場所として使用されている貴族の館。その一室に入ったソリュシャンが見たものは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を前にして、ゲラゲラと笑っているベルの姿であった。

 

 

 「どうしたのですか?」と声をかけると、少女は笑いながら、鏡面を指さす。

 回り込むようにして鏡に映し出された映像を覗き込むと、そこに映っていたのは彼女たちがよく見知った建物。金属製の返しがついた塀がぐるりと張り巡らされた上、壁面にある通常より高い位置に取り付けられた窓には金属製の格子がはめ込まれ、警戒の度合いが通常の邸宅とは異なっていると一目で知れるような屋敷。

 エ・ランテルにおいて、彼女らが拠点としていたギラード商会の店舗兼住居である。

 

 

 だが今、鏡に映し出された画面の中では、夜の闇を掻き消し、追い払うほどに大量の松明が煌々と輝いていた。

 その光の群は押し寄せる洪水のように商会の建物に殺到し、手にした武器――ちゃんとした剣や矛などなく、ただのハンマーや鉈、中にはその辺で拾ったらしい棒っ切れ――を振り回し、手当たり次第に、周囲のものを破壊していく。

 

 やがて、打ち壊された扉の奥から、一人の男が引きずり出されてきた。

 顔や体に痣を作り、血を流しているナマズ髭の中年男。

 ギラード商会の会長、ギラードその人である。

 

 

 怒りに震える民衆たちは、怯えるギラードを取り囲み、必死で命乞いする彼を手にした武器で滅多打ちにし始めた。

 

 血しぶきが飛び交い、群衆はさらに熱狂の渦に包まれる。

 

 

 その様子を眺め、ベルは腹を抱えて笑っていた。

 

 残念ながら〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉では音を聞くことは出来ないのだが、それでも現地の混沌とした現状は伝わってくる。

 それを見て、ベルは実に楽しそうであった。

 

 

 

 今回の作戦、王都でのクーデターに際し、ベルはエ・ランテルにおいてギラード商会の配下となっていた者や、八本指から転向してきた者たちの中でも有能そうな者には、新たに別の地へ手を伸ばすことを告げ、そちらへ行く希望者を募った。

 そして、それに希望した者達は王都に連れてきたのだが、逆に希望しなかった者たちは、それ以上特に何も教えずにエ・ランテルに残してきたのだ。

 

 アンデッドの群れによって封鎖されたエ・ランテルに。

 

 

 今のエ・ランテルはまさに地獄のような有様である。

 

 誰もが、いつこの現況が打開されるのか、はっきりとした希望すらも持てずにいた。

 一番の懸念は食料である。

 エ・ランテルは交易都市であり、自らの都市内で食料の生産は出来ない。近隣の農村及び他の都市からの買い付けによって成り立っていた。もちろん、その流通が滞ることも十分に考えられたため、三重の壁の最奥にある最も厳重に守られたその場所に、都市の人間が半年から1年は暮らしていける食料を常に備蓄していた。さらに、ここが帝国との戦争の拠点となる関係から、有事の際には王国軍が消費する食料も用意することになる。

 だが今回、その都市に暮らす市民全員、および王国軍が消費する分として備蓄していた食料、そのほとんどすべてがなくなってしまったのである。

 

 

 当然のことながら、都市長パナソレイは市民の動揺を抑えるため、その事は秘密にせよと緘口令を敷いた。だが、人の口には戸は立てられず、その話は噂となって駐留する王国軍、並びにエ・ランテル市民の間にさざ波のように広がっていった。

 

 

 凶悪なアンデッドに囲まれ外に出られぬ状態で、なおかつ何時食料が尽きるやも知れぬという不安と隣り合わせの生活。

 不安は不信へと変わり、自分のすぐそばにいる者が、自分が持っている食料を奪うのではないかという猜疑心が人々のうちに蔓延していた。

 

 

 そんな中、一つの略奪事件があった。

 とある一軒の家が何者かに襲撃を受け、一家全員殺害された上、金品を奪われたのだ。

 当然、街の衛士たちはすぐさま調査を行い、その結果、貧民屈をうろつくごろつき集団が犯人とされたのだが、それに関して街の者達の間で一つの噂が広まった。

 

 あの事件の真犯人は、本当は街に駐留する貴族であり、その真相を誤魔化すためにあのごろつき集団に濡れ衣をかぶせ、下手人に仕立て上げたのだ、と。

 

 

 それは根も葉もない噂でしかなかったのだが、都市がアンデッドに包囲されるという未曽有の事態にありながら、都市に駐留する軍がなんら解決に動こうとはせず手をこまねいたままでいることに、民衆の間には不満がくすぶっていた。

 

 なぜ、彼らは街を出てあのアンデッドたちを退治しないのか?

 いったい、いつまでこうしていればいいのか?

 食料は本当に持つのか?

 普段偉そうにしている貴族たちは、なぜ何もしないのか?

 

 すでに民衆の不満は爆発寸前であった。

 そんなときに、この事件が起こり、広まった流言をきっかけにして、遂にそのタガが外れることとなった。

 

 

 そして、噂を立てられた貴族が市中に出た際、渦中の人物が市街に来ているという情報が人々の間を瞬く間に駆け巡り、その貴族の許へと大勢の民衆が押し寄せたのである。

 

 辺り一帯は怒号と罵声で埋め尽くされ、騒然とした空気となった。

 

 幸いにして、民衆は抗議の為に集まっただけであり危害を加える意思などなく、多少の揉み合いはあったものの、その貴族は混乱の中から脱出することが出来た。

 結果、大した怪我もせずに済んだのであったが、その話に貴族たちは憤った。

 

 平民たちが支配者たる貴族に逆らったのだ。

 

 彼らは即座に、その時集まった者達全員に厳罰を下すよう、都市長のパナソレイに要請したのであるが、今回の件はちょっとした騒乱とでもいうべきものであり、反乱や暴動などという程のものでもなかった。また実際騒ぎにはなったものの、互いに大した負傷者も出なかったのである。

 特定の人間が犯人だと断定することは難しく、またあまりに多くの人間が関わっているため、下手をすれば、さらなる混乱を招きかねないという懸念があった。

 その為、首謀者とでもいうべき人物の特定は遅々として進まず、それに対して貴族たちが怒りを募らせていくという形となってしまった。

 

 

 そして、更に事態は悪化する。

 平民が貴族を襲うという事態を前に、腹に据えかねた一人の貴族が自分の指揮権が及ぶ直属の配下の者達を使って、事件があった付近の住民たちを片っ端から捕まえ、正規の手続きを経ることなく懲罰をくわえたのだ。

 

 女子供も容赦ないその光景を前に、ついに民衆の怒りに火がついた。

 彼らは手に手に武器をとって、その場に押し寄せた。貴族たちもあわてて応戦したものの多勢に無勢。怒りのままに大波のように押し寄せる民衆は、無辜の民に打擲(ちょうちゃく)を行っていた貴族や兵士たちを殴殺してしまったのである。

 

 そして、その話を聞いた貴族たちは、自分たちに歯向かう愚かな民衆を処分しようと王の裁可無く軍を動かした。

 

 

 事は、エ・ランテル住民VSやって来た王国軍という構図となった。

 本来ならば、徴兵されただけでまともな訓練も受けておらず、碌な装備も持っていないとはいえ、兵士と一般人ならば勝敗の行方は火を見るより明らかである。

 だが、今の彼らはアンデッドに都市を囲まれ、脱出することも出来ずに、互いに一つ所に閉じ込められている身である。

 自分が望んだことでもないのに、無理矢理従軍させられてこの街に連れてこられ、アンデッドの恐怖におののき、満足な食料すらも与えられぬ日々。

 そして、そんな閉じられた環境において、すぐそばで貴族としての権威を振り回す輩。

 

 王国軍の大半は専業の兵士ではなく、徴兵された一般人である。

 そして王国貴族は――全員ではないが――民衆を虐げ、下に見る者が多い。

 心情的には彼らは貴族よりも、住民たちに近かった。

 

 怒りに任せ押し寄せてきた住民を、こちらも怒りに任せ制圧しろと叫ぶ貴族たち。

 躊躇する彼らに対し、容赦なく鞭の雨が襲った。

 

 そして、ついに怒りが爆発した。

 兵士たちの手にした矛槍は、まともな武器も持たないが固い決意の光をその目に灯した民衆ではなく、馬上でふんぞり返り、偉そうに命令する貴族たちに向けられた。

 馬に騎乗する貴族たちを、矛で引っ掛け、引きずり下ろし、積年の恨みをはらしたのである。

 

 事ここに至ってエ・ランテル、いや王国の秩序は崩壊した。

 王国軍の兵士と民衆が一斉に自分たちを虐げ、支配していた貴族たちに襲い掛かったのだ。

 

 

 その事を知った王が、慌てて軽挙に走った貴族を罰し、そして自身の言葉として謝罪を述べるもすでに遅かった。

 民の怒りは燎原の火のようにエ・ランテルを包み込んだ。

 

 

 もはや誰にも事態を鎮静させることは出来ず、遂にエ・ランテルの行政部は最奥にある第3の壁を封鎖することを決断した。

 

 

 それは、街を守る衛士や兵士に指示する者の不在、すなわち治安維持の停止。そしてわずかながらも倉庫に残っていた食料の配給の完全なる停止を意味する。

 

 エ・ランテルは無法地帯となり、わずかでも食料や財を貯めこんでいそうな者の住処を、民衆が集団ヒステリーのままに襲い掛かり、略奪と暴行が溢れかえる都市となっていた。

 

 

 

 当然、それで狙われることになったのは、それまで羽振りの良かったギラード商会及びそれに関わりのある者達である。

 今、ベルが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見ている中で、ほんの少し前まで彼女の手先となって動いてきた者達が、民衆の前に引きずり出されて暴行を受け、その住居には燃え盛る松明が投げ込まれ、天を焦がすような火が赤々と立ち上っていた。

 

 

 ベルはその様子を見て、実に楽しそうに笑っていた。

 彼女としては、エ・ランテルはすでに手中に収めた攻略済みのマップであり、もうやることもなくなった街である。積み上げた積木が壊され、砂浜に作った城が押し寄せた波に洗われるように、見知った人が殺され、建物が破壊され、全てが崩壊していく様子を舌なめずりしながら眺めていた。

 

 

 そんな主のはしゃいだ様子を、ほほえましく見守っていたソリュシャンであったが、この場にやって来た理由を思い出し、ベルに声をかけた。

 

「ベル様。お楽しみのところ申し訳ありません。少々よろしいでしょうか?」

「ん? なにー?」

 

 ぐるりと首だけで振り向くベル。

 

「この王都で進んでいる『蒼の薔薇』たちが行っている反乱計画についてなのですが」

「どうしたの? 何か進展とかあった?」

「あ、いえ。特に新たな情報はないのですが……。あの者らが行動を起こすのは明日との事。今夜のうちに手を打ってしまわないと……」

「ん? 手を打つ? いや、いいよ。そのままで」

「えっ?」

 

 一瞬ソリュシャンは言葉を詰まらせた。

 

「し、しかし、その計画が実行されては、せっかく支配したこの王都が大混乱に陥るのでは? 今現在入手した情報によりますと、向こうの戦力はかなりのものになる様子。八本指や亜人たちだけでは、些少(さしょう)では済まない程の被害が出ると思われます」

「いいんじゃない、被害が出ても? せっかく向こうが企画してくれたイベントだよ。どうせなら盛り上げてやろうじゃないか。派手に殺したり殺されたりしようよ」

「ですが、あの者らの被害規模によっては、ナザリックによる王都並びに王国支配の計画に支障が出る恐れがございます。ナザリックとしての利益を考えるならば……」

「なあに、そんなの構わないさ。一方的に殲滅しても面白くないでしょ。それより、このイベントを楽しもうよ。あ、そうだ。せっかく向こうから来るんだから、こっちもあっちが楽しめるように少しは準備しておこうか。そうだな、じゃあとりあえず……」

 

 

 邪悪な笑みを浮かべて計画を練る主、それを前にして――ソリュシャンの心にざわりとしたものが生まれた。

 

 

 ――本当にいいのだろうか?

 

 今回の反乱計画について、詳細は知れないが大まかな部分は王都に潜伏しているプレアデスの長女ユリから、逐一情報が送られてきている。その情報をもとにすれば、向こうが行動を起こす前に制圧してしまう事も可能だ。

 だが、ベルはそんな事をする気はないようだ。

 

 

 至高なる御方の御息女であるベル。

 彼女は今回の、愚かにも自分たちに歯向かおうという蜂起計画を逆に楽しんでいる様子である。

 それは喜ばしい事だ。

 

 だが――。

 

 ――だが、楽しみより、先ずナザリックの利益を考えるべきではないか?

 この反乱をそのまま放置していた場合、先ほどソリュシャン自身が言った通り、ナザリックが支配している八本指や亜人たちに相応の被害が生じ、その結果として王国領全土の支配に支障が出るのは十分に予想出来る。

 それは、この地におけるナザリックの支配計画にほころびが生じることを意味する。

 

 

 ソリュシャンとしても、愚かな人間が苦しむ様子を見るのは楽しい。

 苦痛に歪む顔を眺めるのは最高の愉悦である。弱者の悲鳴は至上の音色。虫籠の中の事とは気づかぬまま、あがき、苦しみ、そしてすべての努力が無駄だったと知り、打ちのめされる様を想像しただけで、ゾクゾクとしたものが背筋を走る。

 

 しかし、それはあくまでナザリックの害にならぬ範囲での事だ。

 最優先すべきはナザリックの利益である。

 

 

 だが、今ベルは構わないと言った。

 ナザリックの利益よりも楽しみを優先させた。

 

 

 ――ベル様、あなたは……。

 

 

 ソリュシャンは苦悩する。

 

 ――自分は一体どうすべきなのだろう?

 このまま、何もせず見守るべきか?

 ベルに意見を翻すよう諫言すべきか?

 至高の御方たるアインズに進言すべきか?

 それとも……。

 

 

 幾多の思考が頭の中をぐるぐるとめぐる。これまではそのような事に頭を悩ませる必要はなかった。自分はナザリックの為、至高の御方の為に最善を尽くしてきた。そして、ベルは忠誠を誓うに足る御方に相違なく、彼女は何の疑う余地もなくそう信じていた。

 

 

 しかし――。

 

 ――しかし、自分は……。

 

 

 心のうちに生じた小さな染みのような疑念は、いつまでもソリュシャンの胸中に取りついたままであった。

 

 

 




【作者注】

 文中で、「ネギでも食べてなさい」とありますが、当作品としては決してネギを侮辱する意図はありません。ネギは栄養価も高い野菜です。店によってはそんなもの頼むなよ、と言わんばかりに、生焼けのままだったり、中身がスカスカのものを出されたりしますが、ネギ焼きは大変おいしい食べ物です。
 また、パセリも飾りつけ程度の扱いを受け、食べずに残されることが多いですが、この野菜もまた栄養価が高く、六腕での飲み会の際にはサキュロントが毎回皿一杯に集められたパセリを食べるほどです。



 集眼の屍(アイボール・コープス)の難度ですが、はっきりとしたレベルは分からなかったため、上級アンデッド創造で作られていることから、とりあえずレベルは60くらい。そして、戦闘能力は若干落ちるという事でしたので、5レベル落として戦闘能力だけで言うならレベル55相当。そして難度はレベル×3という事で、難度165という事にしました。


 そして、ネムのペットである集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーという名前。
 なんという素晴らしい名前なのでしょうか。
 きっとこの名の名付け親は、美の結晶にして、絶大なる支配者にふさわしく、深い配慮に優れ、凄く優しく、端倪すべからざるという言葉がふさわしい御方に違いありません。



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第72話 作戦決行

2017/1/19 「使える」→「仕える」、「食事に言った」→「食事に行った」 訂正しました
「体制」→「態勢」、「右往左往ことなく」→「右往左往することなく」、「組する」→「与する」、「~来た」→「~きた」訂正しました。
読点がついている位置がおかしなところを修正しました


 ドオオォォォォン!!

 

 王都に時ならぬ轟音が響いた。

 その耳をつんざくような炸裂音に、誰もが驚愕の表情を浮かべたまま、振り返った。

 

 彼らの目に飛び込んできたのは、濛々(もうもう)とたちこめる灰色の煙。

 そして――ビキビキと木材と漆喰がきしむ音をたてながら、王都でも一際大きな教会の尖塔がゆっくりと傾き、そして、音を立てて崩れ落ちた。 

 建物が大地に叩きつけられ市街を揺らす。人々の足元に振動が伝わり、足で踏みしめるしっかりとした大地が揺れ動く初めての経験に誰もが驚き、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 

 そんな彼らの耳に、けたたましいラッパの音が響いた。

 

 見るとそこには幾人もの、騎士のように美々しくはないが実用性を重視した鎧兜を身に着けた者――冒険者たちの姿があった。

 彼らは武器を掲げ、廃墟となった教会に旗を掲げていた。

 

 何の飾りもない、ただ深紅の旗。

 それは灰色の粉塵の中、屈服せぬ者の象徴として燦然(さんぜん)(ひるがえ)っていた。

 

「聞け、亜人どもよ! ここは人間の領地、人間の住まう土地。お前たち、亜人たちが闊歩していい領域ではない! 醜悪な肉体と、それに見合った悪辣極まりない精神を持ち合わせた外道どもよ! 我ら、人間の怒りを思い知るがいい!!」

 

 そう叫ぶと彼らは、崩れ落ち廃墟となった家屋を飛び越え、瓦礫の山を駆け下り、いまだに事態が理解できずに呆とした表情を浮かべている豚鼻の亜人たちに斬りかかった。

 

 

 

 そこかしこで戦闘が始まる。

 一人一人は普通の人間より武勇に長ける亜人たちであったが、チームで戦う冒険者たちの前に圧倒され、次々と討ち取られていく。

 

 

 飛び散る鮮血と、その身に走る焼けるような痛み。それにより、亜人たちはようやく現在の状況を理解した。

 

 自分たちは襲撃を受けている。

 それも人間たちに。

 

 それを理解した時、一人が憤怒の雄たけびをあげた。周辺にいた他の亜人たちも続いて、蛮声にあげ、辺りは耳をつんざくような胴間声で満たされる。

 

 その合唱は幾多の危険、艱難辛苦を乗り越えてきた歴戦の冒険者たちでさえ、思わず足をすくませるほどのものであり、その攻撃の勢いにわずかなりとも陰りが生じた。

 対して、亜人たちは辺りに満たされた血の匂いに興奮し、その身に宿す凶暴性のままに、鬨の声をあげて逆に襲いかかった。

 

 態勢が整わぬところへ一気呵成に攻め込んだため、最初の内は優勢であったものの、やがて初期のパニックから立ち直り、気持ちを奮い立たせた亜人たちは反撃に移った。

 その手の武器を圧倒的なる膂力で振り回す。

 そして彼らの雄たけびを聞きつけた、他の地区にいた者達もどんどんと押し寄せ、戦場に殺到してきた。

 繰り出される純然たる暴力の前に、冒険者たちはじりじりと押し返されていく。

 

 

 やがて、彼らは崩れ落ちた教会跡地へと逃げ戻った。

 追う亜人たちは勢いのままに、もはや逃げ場のなくなった愚かな反逆者たちを磨り潰そうと突進する。

 しかし、その突撃は即席ながらも陣地として構築された柵と鈍色の槍の穂先によって、頓挫させられた。

 

 

 蜂起した冒険者たちは、自分たちが亜人たちに対し、終始圧倒できる見込みはまずないであろうという事は理解していた。最初の混乱から回復したら、逆に反撃してくるであろうという事は予測済みであった。王都にいる亜人たちに比べて、自分たち冒険者は数が少ない。いつまでも攻勢を持続し続けることなど出来るものではない。

 最初から、相手の意表をついた先制で倒せる分は倒してしまい、向こうが指揮を取り戻したら、自分たちの陣地に舞い戻る計画であった。

 

 

 ここで彼らは、自分たちが守勢に転じ、予定通り陣地にこもるという状況に至ったことを知らせる狼煙をあげる。

 甲高い音と共に弾が上空に上がると、そこで破裂し、パンパンと耳を震わせる破裂音を発する。

 

 その音は当然、冒険者たちが立てこもる陣地を包囲する亜人並びに八本指の者達の耳にも届いていた。

 だが、彼らはそれに動揺することはなかった。

 おかしなはったり(・・・・)にいちいち右往左往することなく、蛮勇に長けるトロールやオークの物理的な力で、所詮にわか作りでしかない向こうの陣地を破壊するつもりであった。

 冒険者の中にはかなりの強さを持つ者もいる。だが、それはわずかな者達のみであり、その大半は一対一で彼らとまともに戦う事など出来はしない。

 そしてなにより絶対的な数の差がある。

 下手に小細工を弄するよりは、頑丈な体躯と怪力、そして数を生かして圧倒した方がよいと彼らは判断した。

 

 

 立てこもる冒険者たちを包囲するように、彼らは部隊を配置する。

 飛び道具で狙われぬよう、付近の建物の影に部隊が集結する。ある程度の人数が集まった所で、指揮官の合図と共に、雄たけびをあげながら敵陣めがけていちどきに攻め寄せるという、実に単純にして効果的な戦術だ。

 

 彼らは突進の最中、飛び道具や魔法に狙われぬよう、周辺にある家屋の戸板を外し、即席の盾とした。これを正面に立てて突撃すれば、およそ近づくまでに戦力が削られる事はあるまい。

 更には近隣の家々を破壊し、太めの柱を束ね、防壁を破壊するための即席の破城鎚を作る。

 その即席の盾ごと突撃し、破城鎚で急ごしらえの柵を破壊して中へ突入。あとは彼ら亜人らしい蛮勇を振るえばそれで済む話だ。

 

 

 着々と進む陣地攻略の準備を見て、指揮官であるザグは満足げに頷いた。

 

 ――冒険者たちは戦術を誤った。

 トロールやオークたちは、速度や魔力よりも力と耐久性に長ける種族である。そんな亜人にとって、力押しの出来る陣地攻略は圧倒的に有利。彼らからすれば願ってもない事だ。

 そして、この王都では援軍は期待できない。民衆の蜂起を期待したのだろうが、怯懦(きょうだ)たる人間たちは現在の状況を見ても、恐れ慄くだけ。自分の家が攻略用資材として破壊されていく様を目の当たりにしても、悲痛な表情をその顔に浮かべるのみで、立ち上がる意気さえ見せない。

 まさにあの冒険者たちは袋のネズミとしか言いようがない状況だ。

 

 

 彼は、その後に行われるであろう血の饗宴を想像し、牙の突き出た口元に残忍な笑みを浮かべた。

 

 

 

 その時――音が聞こえた。

 

 

 耳に残る風切り音。

 

 鳥。

 いや、もっと巨大なものが翼をはばたかせる重い音。

 

 不意にザグの頭上に影が差した。

 いや、その影が覆ったのは彼一人の頭上のみにとどまらない。

 彼が指揮する亜人たち、盾や破城鎚を手に、今しも突撃を敢行しようとしていた血気盛んな者達全員が、不意に陰った陽光に一体どうしたのだろうと空を見上げた。

 

 

 その目が驚愕のあまり、限界まで見開かれた。

 

 

 

 彼らの視線の先にいたもの。

 それは真冬に舞い散る新雪のような純白にして、他に類するものなきほどの巨体。そしてその体躯にふさわしい巨大な翼を持ち、自在に空をかける蜥蜴にも似た幻獣。

 語るものこそ多けれ、実際に目の当たりにした者はほとんどいない伝説の魔獣。

 この世界における、まさに最強の存在。

 

 

 ドラゴン。

 

 

 ()の生物の前では人であろうと亜人であろうと、地を這う虫けらと差異すらない。

 

 ドラゴンと戦う事は無謀に等しい。

 強固な爪や牙。頑丈な鱗。屈強にして巨大な体躯。圧倒的な膂力。

 どれも怪物(モンスター)としてずば抜けているが、それよりなによりドラゴン討伐を困難にしているのは、2つの特性。

 

 空を飛ぶという事と、ブレスという遠距離攻撃を保有している事である。

 

 いかに華麗な剣技を持つ者であろうと、いかに剛力を有する者であろうと、その獲物が届かぬ上空にいられては為す術がない。これがハルピュイアなどであれば、たとえ空を飛んでいようとも、攻撃する際には地表すれすれまで下りてくるため、その瞬間を狙って攻撃出来る。だが、はるか上空に身を置いたまま、全てを破壊するブレスによって遠距離から攻撃されては、如何な勇者であろうとひとたまりもない。

 弓で撃ち落とそうにも、その生物の中でも特に固い鱗によって弾かれてしまい、その翼を貫き、地に落とすほどの傷を負わせることは難しい。

 唯一討伐のチャンスがあるとしたら、それはドラゴンが地に降り、容易に空へと舞い上がれぬ状況、すなわち彼らが巣穴にいるところを狙っての襲撃である。

 そんな絶好の状況を狙っても、討伐は容易な事ではなく、それ故ドラゴンを退治した者はドラゴンスレイヤーとして吟遊詩人に謳われるほどの最高の英雄とされる。

 

 

 

 そんな桁外れの怪物(モンスター)が突然に今、彼らの頭上に現れたのだ。

 トロールやオークたちも、彼らと与する八本指の者たちも、そして王都の一般の民衆たちも、その誰もが現在の状況も忘れ、ただ唖然としてその姿を見上げていた。

 

 

 そんな彼らの目の前で、そのフロスト・ドラゴンは上空で身を翻すと、聞くもの全ての心胆を凍りつかせる咆哮をあげ、王都の市街を低空で飛行した。

 

 その恐るべき雄たけびと、その巨体が羽ばたく事により生じた突風が街中を駆け巡る。

 暴風が荒れ狂い、人々はゴミのように転がり、建物の屋根や壁が剥ぎ取られ、そこら中を舞い飛び、王都のあまねく人々に襲い掛かる。

 

 誰もが天災とでもいうべき存在の突然の出現に恐れ慄き、神に祈りを捧げる中、()の魔獣は再び上空へと舞い上がると、今度はゆっくりと高度を下げた。

 その目の前にあるのは王城ロ・レンテ。

 

 

 そして、竜族最強の武器として知られるブレスを吐き出した。

 

 

 いかに堅牢な城塞といえど、竜種のブレスの前にはひとたまりもない。

 その強固な城門はそれこそ砂で出来た城のごとく、容易く一撃のうちに粉砕された。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あはははは! 凄い、凄い! ドラゴンってのも大したもんだねぇ」

 

 その様子を見ていた、ベルははしゃいで声をあげた。

 彼女の目の前にある〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の中では、凍りつき崩壊する城壁、そして右往左往する者達の姿が映し出されていた。

 

 

 笑い声をあげるベルの脇には、椅子に縛り付けられ、口を強制的に開かされた姿勢で、身じろぎ一つしない女性の姿。王都での自分用の秘密の拠点として接収した、この邸の持ち主である貴族――確か干しブドウのような名前だったか――の妻らしい。

 特に理由はなかったのであるが、事が起きるまでの暇つぶしとして拷問していたのだ。

 歯を小型のドリルで削っていき、全ての歯がボロボロになったら、ポーションで治して、もう一回最初からというのを3回ほど繰り返していたら、精神の方が壊れてしまったらしくまったく反応しなくなってしまった。

 一緒に捕らえた息子の事を引き合いにだし、もしお前が耐えきれなくなったら今は元気にしている息子をお前の代わりにするぞと言ったら、ずいぶんと頑張っていたのだが。

 ちなみに彼女の息子が元気にしているというのは嘘ではない。

 ベルも実際に確認したのだが、彼は今でもソリュシャンの中で元気いっぱいである。

 

 

「うーん。いいねぇ。あれくらいの強さなら、後で一匹くらい捕まえて、従えてもいいかも」

「そうでしょうか?」

 

 その言葉に懐疑の声をあげたのは、傍に控えるソリュシャン。

 

「見たところ、あのドラゴンはせいぜい40レベル前後しかないと思われます。その程度のものをわざわざ配下に加える利はないと思われますが」

「まあ、実力的にはそんなものだろうね」

 

 ベルは肩越しに、メイドの方へ視線を向ける。

 

「でも、この地の戦力としては絶対的な強さがあるさ。ナザリックの正体を明かしていいならともかく、隠しておくんなら、飼う価値はあるよ」

 

 主たるベルのその答えに、ソリュシャンは得心した。

 

 確かにナザリック基準で言えば、あんなドラゴンなど殺して素材にする他に利用価値はない。

 その程度の弱々しい者でしかないのだが、あくまでナザリックの存在を可能な限り秘匿し、外で活動する戦力を現地産のものでまかなうのであれば、ドラゴンを配下にするというのはかなりのアドバンテージになる。いや、ドラゴン一匹有するというだけで、もはや敵する者はいなくなるといっても過言ではない。 

 

 

 そして、ソリュシャンは同時に安堵した。

 

 昨日の会話。

 ベルに対して生まれた猜疑(さいぎ)の念。

 それはいつまでも彼女の頭の中から離れぬままであった。

 

 だが、ベルはちゃんと今後の統治計画の事を――ナザリックの事を考えている。

 昨日、語った言葉。

 ナザリックの利益より、自分の楽しみを優先させるような言動。

 あれはただ少し、語る言葉が足りなかっただけなのだろう。

 

 彼女はそう考えた。

 そう自分を納得させた。

 そのように理由をつけて、自分の胸に湧いたものを、自分が仕えるべき主に抱いた不遜極まりないものを、その胸中奥深くに沈めた。

 

 

 

 そうして内心の葛藤を無理やりに納得させた彼女の前で、当の主はきょろきょろと視線を動かす。何かを捜している様子に、ソリュシャンはこれの事だろうと、脇の机から書類の束を取り、差し出す。

 どうやら彼女の勘は当たっていたらしい。

 ベルは満足げな表情を浮かべて書類を手にとり、それをぺらぺらとめくる。

 そこに書かれているのは、ユリが情報を集め、報告書としてまとめた今回の反乱計画。

 

 

 その報告書であるが、ベルはそこに書かれた内容をいまだ隅々までは読んでいなかった。

 詳細に知ってしまうと、これから起こる一連のイベント、その楽しみが無くなってしまう。ゲームプレイ前に攻略本を読んでしまうようなものだ。

 

 それ故ベルは、今回の件に関して、大まかな概要だけ流し読みするに留めておいた。

 完全に前情報をシャットアウトしていると、向こうの行動と噛みあわなくなってしまう可能性もある。それに彼女としては、せっかく今回の一件を『企画』してくれた『蒼の薔薇』たちに楽しんでもらうため、色々と趣向を凝らし、演出を用意しておく必要があった。

 

 そして、ついに始まった悪の王による邪悪な統治、圧制に対する反抗作戦。

 すでに王都では大規模に事態が動いている。

 もう情報を解禁してもいいだろう。

 

 

 ベルは「ふんふん」と独りごちつつ、ページをめくりながら、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を動かし、そこに書かれた内容がどのように行われているかを確認していく。

 

 今も鏡面の中では、鎮圧にあたっていたトロールやオークたちが大混乱を起こしている現状が映し出されていた。

 彼らは訳が分からぬまま、自分の周囲にいる人間、敵対する冒険者たちだけではなく、味方である八本指の者達にまで武器を振るっている。

 『蒼の薔薇』たちが計画した、味方識別用のネックレスを装備した冒険者が亜人たちに攻撃を仕掛け、味方のはずの人間からも攻撃された事により、亜人たちにパニックを起こさせるという作戦は順調に進んでいるようだ。

 

 

 そうこうしているうちに、不意に上空から飛来したものがある。

 白い身体。しかし、先のドラゴンではない。

 それは複数の人影。

 視点を引いてみると、そこには幾体もの天使が浮かんでいた。

 どうやら、王都内に隠れ潜んでいる法国の者達が天使を召喚し、亜人たちを襲わせているらしい。

 

 なるほど、あのフロスト・ドラゴンでは小回りがきかず、無理に戦闘に参加させようものなら味方であるはずの王都の民衆も巻き込んでしまう。そのため、投入することによるインパクトはあるものの、実際のところ、先ほどのように城壁の一部を破壊させるか、上空を飛来させる事による威圧の効果を狙う以外に使い道がない。

 だが、人間大の天使たちならば、人間と共にいる中で亜人のみを狙って攻撃する事が出来るという訳だ。

 さすがに考えているなと、ベルは感心した。

 

 

 

「ん?」

 

 そうして、王都のあちこちに視点を動かしていると、ふと声が出てしまった。

 「どうしましたか?」とソリュシャンが鏡面を覗き込むと、そこには広場で串刺しにされ、いまだに苦しみ悶えているこの国の王子やアダマンタイト級たちの姿があった。

 

「これって……」

「はい。ベル様のお言いつけ通り、両の手足を切り落とし止血したうえで、生きたまま串刺しにし、死なぬようにポーションをかけ続けております」

 

 事もなげに報告するソリュシャンに、「そ、そうなんだ……」とだけ返すベル。

 

 確かにそう言った。

 それはベル本人も憶えている。

 『すぐには殺すな。即死しないように体の重要器官をずらして杭で身体を刺し貫き、その後も死なぬようポーションをかけ続け、地獄の苦しみを味わわせ続けろ』と命令した憶えがある。

 だが――。

 

「まだ、やってたんだ……」

 

 ベルはソリュシャンに聞こえぬよう、口の中でつぶやいた。

 その時はそう言ったのであるが、本当のところは死体を晒すだけで終わるのもなんだなあという程度の考えであり、そんなに長い期間行うつもりもなかったのだ。

 確かにその時、いつまでやるのかという期限は言わなかったのだが、だからといって、まさか自分がその場のノリだけで言った言葉を律儀に守り、あれからずっとポーションをかけ、生かし続けていたとは思いもしていなかった。

 

 とりあえず、回復させるポーションももったいないので今回の事が終わったら、あれも片づけさせようと心に留めておき、更に手元の紙束をめくっていく。

 

 

 

「うーん。やっぱりなぁ……」

 

 その手が止まり、ベルは思案気に顎に手を当て、考え込む。

 

「やっぱり、どうしてもあいつらだけだとバランスが悪いなぁ」

 

 ベルの視線の先にあるのは、書類に記載された数人の名前。

 彼女が心悩ますのは攻め手と守り手の戦力を比較した時、明らかにその平均からかけ離れた強さを持つ者の存在。

 

「あまりやりたくはなかったけど、こいつらだけは間引いておかないと、ゲームにもならないな。戦力の底上げが必要か」

 

 そうつぶやくと、彼女は〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やれやれ、めんどーな事になったなー」

 

 ルベリナは誰に聞かせるでもなく、そう口にした。

 手慰みに腰のレイピア、〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉の柄をいじりつつ、かび臭さの混じるじっとりとした空気に包まれた王城の地下通路を靴音高く進む。

 彼の後ろには10数名ほどの男たちが続いていた。

 

 一見すると、後ろの者達はガラも悪く強面の容貌であるが、その顔には緊張というか、怯えの色も窺えた。

 彼らの恐れの原因は、なにより自分たちの前を行く男に対してである。

 

 彼らは八本指の人間として、警備部門最強の六腕に匹敵するとまで言われていたルベリナに対して畏怖の念を抱いていた。

 

 

 

 ルベリナは一見すると中性的な容姿の優男であり、とてもではないが強そうには見えないのであるが、その実力が確かなものである事は誰もが認めるところだ。

 噂では、その強さは六腕の1人、『幻魔』サキュロントを凌ぐとさえ言われていた。

 

 彼が六腕に選ばれなかった訳。

 それは彼が得意とする刺突に関して、同様の攻撃を得意とする人物、『千殺』マルムヴィストの存在が、その理由であると知られている。

 

 ルベリナの実力も、けっしてマルムヴィストに劣るものではなかったのだが、優劣を決したものはその腕ではなく武器。

 マルムヴィストの保有するレイピア、〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉は〈肉軋み(フレッシュグラインディング)〉と〈暗殺の達人(アサシネイトマスター)〉という恐るべき魔法付与(エンチャントメント)が込められており、さらにはその刃には致死性の猛毒が塗りこめられている。

 対して、ルベリナの持つ同じレイピア、〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉は至高の一品であり魔法付与(エンチャントメント)もかけられているとはいえ、それはマルムヴィストの〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉程、強力なものではない。また、ルベリナは暗殺者寄りのマルムヴィストと違い、毒物にはそれほど詳しいわけではなく、その刃に毒も塗られてはいない。

 

 保有するアイテムは、それを持つ者の実力の一部であるというのが世の常識である。

 その為、彼らが振るうその武器の差が、六腕として選ばれるか否かを決したのだという。

 

 逆に言えば、彼とマルムヴィストを分ける差というのは、保有する武器程度にしかないという事であった。

 

 

 今、彼の後ろに続く者達は、そんな恐るべき実力の持ち主であるルベリナの機嫌を損ねぬようにと、息をひそめて歩いている。

 

 そう。

 今、ルベリナは明確なまでの不快の空気を漂わせていた。

 

 

 一番の原因はこの前、彼が帝都におもむいていた時の事。

 彼はセバスらと共に帝都に潜伏し、情報収集などを行っていたのだが、そこで保護することになったクーデリカという貴族の少女をきっかけとしたゴタゴタに巻き込まれることとなった。

 その挙句、彼は邸にやって来た謎の金髪女性によって、無惨に殺される羽目になったのである。

 幸いにして、その後ナザリックによって生き返らせてもらったのだが、蘇生に伴う体力の喪失により、その後しばらくはまともに体を動かすことは出来ず、その間に帝都での騒ぎは解決してしまったのだ。

 彼は自分を殺した相手に、復讐することすら出来なかったのである。

 

 

 その後も、リハビリを続けたのだが、やはり以前ほどの技のキレは未だに取り戻せぬままであった。

 

 思うように身体が動かぬ苛立ちと焦燥感。

 それがルベリナについて回った。

 

 

 蘇生による生命力の喪失。

 それを取り戻す方法としては、冒険者には死線の中に身を置くことによって神経を研ぎ澄まさせるというやり方が伝わっている。

 

 そして、それとは別に裏の世界の人間には別のやり方が伝えられていた。

 それは何かというと、出来るだけ多くの無抵抗な者を虐殺するというもの。

 

 いったい何故、そうする事で自分の失われた生命力が戻るのか? はっきりとしたことは分からないが、裏の組織の口伝として、その事が伝えられていた。

 

 とは言え、そんな事をする機会というのはそうそう訪れるものではない。

 虐殺などすれば、確実に足がつく。

 そんな事は表社会も、そして裏社会でも容認されるものではない。実行しようものなら悪党たちにすら後ろ指をさされ、組織を追いだされ、唾を吐きかけられない程の行為だ。

 そうなれば、あくまで人間社会の中で暗躍する犯罪組織などというなまっちょろいものではなく、ズーラーノーンなどの純然たる邪悪極まりない組織にでも身を投じなければならないだろう。

 その為、短期間で力を取り戻すためには冒険者風のやり方しか選択肢はなく、どこかトブの大森林なり、アゼルリシア山脈なりにでも旅に出ねばならぬかと思っていたのだ。

 

 

 しかし、彼にとっては幸運にも、そのそうそう訪れるはずのない機会が巡ってきたのだ。

 

 今回の王都制圧。

 表向きは真なる王の血筋をひく男、コッコドールによる王座の奪還であるが、内実、なんの義もない、ただの武力によるクーデターである。

 とにかく、それに伴い多くの貴族、官僚、そして歯向かった一般人が処刑されることになった。

 

 そして、その処刑人の役にルベリナは立候補した。

 

 今回の王都におけるクーデターにおいて、彼は両手両足の指では到底数えられぬほどの、幾多の人間を殺しまくった。

 率先して汚れ役を引き受ける彼に対し、他の者からは処刑人として怯えと蔑み、そして恐怖の視線を向けられたが、そのようなものなど構いもしなかった。

 そんな事より、死亡からの蘇生によって失われた強さを取り戻すことの方が大事であった。

 

 

 そうして、陰惨な後始末を続けた事により、彼の力はあともう少しで、失った力を完全に回復することが出来るほどにまで至ったのである。

 

 

 ――あと少し。あともう少し殺せば、かつての強さを取り戻せる。

 

 そう思っていた矢先、今回の反乱騒ぎである。

 突然の事態に慌てた八本指の面々は、今回の件への対処に追われた。王城の地下に閉じ込められている反逆者の処刑はなどしている余裕はなかった。

 

 

 そして代わりに、彼に命じられたのは王城の地下にある倉庫へ手勢を連れておもむくことであった。

 

 王の住む城の例に漏れず、このロ・レンテにも秘かに王族が逃げる秘密の脱出口があるらしい。

 その出入り口が地下倉庫なのだそうな。

 

 

 今回の反乱は冒険者だけのものとは考えにくい。きっとなんらかの形で、王国の貴族も関わっている事だろう。

 となれば、冒険者たちが王都の市街地で示威籠城して耳目(じもく)を集めている隙に、別動隊がこの秘密の通路から王城内に侵入することが予想される。

 

 その為、ルベリナは何者かの侵入に先んじて、秘密の通路を押さえるよう指示されたのだ。

 

 

「めんどー」

 

 再び、つぶやく。

 今回彼が命令されたのは、秘密の通路の封鎖である。

 おそらく戦いにはなるだろうが、あくまで少数による侵入の阻止。通路にバリケードでも築いて、突破しようとする敵を足止めする程度にとどまる事は予測できる。ある程度の時間守り抜けば、敵は奇襲失敗と悟って退却していくだろう。そしてバリケードがあるため、それが邪魔して、こちらからも追撃は出来ない。

 

 つまり、ただ時間を稼ぐ以外にすることもないのである。

 

 

 ただ暇で時間がかかるだけの面倒な作業だと、ルベリナは歩きながら嘆息した。

 そんな彼の態度を見て、また後ろにいる連中は、ビクンと体を跳ね上げさせる。

 

 その過剰反応の様子に、彼はまた機嫌を悪くし、それによって後ろに続く者達は怯えを強くするという悪循環が続いていた。

 

 

 ――ああ、もう。鬱陶しい。とにかく、さっさと通路に柵や罠を何個か(こしら)えさせるか。

 

 そう苦り切った顔で目当ての地下倉庫の扉を開ける。

 

 

 

 そこには一人の女がいた。

 

 彼が夢に見るほど恨み、恐れたあの時の金髪の女が。

 

 

「え?」

「あれぇ? あなたさぁ、どっかで見たことがある気がするね。まあ、いいや。さっさと死んでね」

 

 風すら突き通すほどの速さで突き出されたクレマンティーヌのスティレット。

 それに再び喉を貫かれ、ルベリナは再び死んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「んじゃ、この後、どうすんの、隊長?」

 

 

 息絶え転がるルベリナの服で、スティレットについた血をぬぐいながら、振り向くことなくクレマンティーヌが問う。

 彼らのすぐ脇では、連れてきた陽光聖典の者達が、ルベリナに続いて歩いてきた者達の命を、雑草を刈り獲るかの如くただ淡々と奪っていく。

 

 

 問われた隊長は、声をかけたクレマンティーヌ本人ではなく、自分たちの後ろに続いて地下通路を抜けてきた『蒼の薔薇』の面々、その先頭を歩くラキュースへ振り返った。

 

「上手く先手を打てたようです。では、この後は……」

「ええ、打ち合わせ通りにいきましょう」

 

 

 彼女ら『蒼の薔薇』と、スレイン法国に仕える六色聖典の混合部隊――漆黒聖典の隊長とクレマンティーヌの2人、並びに陽光聖典の者達――は、王都での冒険者たちによる陽動の成否を確認するより先に、秘密の地下通路を通って、王城内へと侵入を果たした。

 

 今回の作戦の(かなめ)の一つは、この城のどこかに幽閉されているであろう第三王女ラナーの救出である。

 

 何か騒ぎがあったと知ったのならば、新政権側としても真っ先にラナーの確保に動くと踏み、騒ぎの混乱に乗じての城内への進入のみならず、その隙に一気に全てのカタをつけるつもりであった。

 幸運にも、その選択は大成功となり、王族が秘かに脱出するための地下通路を封鎖されるより先に踏破することが出来た。もし、陽動の成功を確認してから動いたのならば、その間に通路内に行動を阻害するロープや網、柵などが設けられていた事だろう。そこを突破するのは不可能ではないにしても、容易ではなく、貴重な時間を費やされることになったはずだ。

 

 

 倉庫の暗がりから、白い仮面をつけた小柄なローブ姿の人物が歩み出る。

 

「うむ。そうだな。急いで行動した方が良かろう。あまり、のんびりしている時間はなさそうだからなっ!」

 

 そう言うやいなや、その小さな手の中に青白い光が生まれる。

 その光を目にして、その場にいた誰もが息をのんだ。

 とっさの事に、背筋を大きく振るわせる。

 

 イビルアイはその雷光に光る手を前へと突き出し、叫んだ。

 

「〈龍電(ドラゴン・ライトニング)〉!」

 

 その魔術によって作られた(いかづち)は青白い光を迸らせながら、思わず裏切りかと身を固くした陽光聖典の面々の脇をすり抜け、誰もいない石造りの通路の壁へと叩きつけられた。

 

 

 否。

 

 その魔法が打ちつけられた壁面。

 瞬間、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光を浴び、そこに伸びていた彼ら自身の影が悲鳴をあげた。

 

「グオアアァァっ!」

 

 突然、影の中から出現した、邪悪さそのものをまとわせた漆黒の体躯に陰鬱なる黄色い目を持つ悪魔の咆哮。

 その声に、彼らは身を(すく)ませた。

 

 

 ガッ!

 

 刹那の出来事。

 攻撃魔法をその身に受け、苦しみ悶えて、隠形が解けてしまったシャドウデーモンに対し、隊長の手にする槍が突きたてられた。見るからにみすぼらしく粗末な木の槍に、上等な深紅の布を巻きつけた、いささかアンバランスな印象を受けるその武器の一撃を受け、シャドウデーモンはくぐもった呻きを一つあげ、溶け落ちるように消滅した。

 

 

「……残念ながら、気づかれる前に秘かに潜入するというのは失敗したようだな」

 

 イビルアイの言葉に、隊長が頷く。

 

「こうなっては仕方がありませんね。急ぎましょう。我々は王城を押さえた為政者を討ちます」

「分かったわ。じゃあ、私たちはラナーを捜すわね」

「ええ。ですが、皆さんだけでは救出した王女の護衛も出来ないでしょう。陽光聖典の者を幾人かつけましょうか?」

 

 言われて、ラキュースはわずかに逡巡した。

 

「……いえ、それは結構よ。あの子がどこにいるかは分からないし、時間との勝負だから、素早く動く必要がある。あまり数が多くては動きにくいわ」

 

 そうして、彼女は自分の仲間たちを振り返った。

 

「皆、手分けして探しましょう。ティナ、あなたは私と来てくれるかしら? ガガーランはティア、それとイビルアイと。ザリュースは私たちと一緒ね」

 

 彼女らの顔を一人一人見回し、ラキュースは言葉をつづける。

 

「じゃあ、皆、気をつけてね」

 

 その言葉に、彼女と別行動することになった面々が頷く。

 

「おう、任せときな」

「ああ、こちらは引き受けた。ガガーランがオーガに間違われんように注意しておく」

「うん。こっちは任せて。もし間違われたら、ティアちゃんがフォローする」

 

 「お前らな」と苛立ちの声をあげるガガーランと、他の2人はやいのやいのと声をあげる。

 その緊張がほぐれたやり取りの様子を横目に、漆黒聖典の隊長はラキュースに声をかけた。

 

「では、ご武運を」

「任せて。あなたたちも気をつけて。皆、生きて帰りましょう」

 

 ラキュースはぐっと拳を握って見せた。

 

 




デイバーノック「ところで、ルベリナが六腕に選ばれなかった理由。あれって本当なのか?」
エドストレーム「ああ、一応建前上はそういう事になっているけどね」
デイバーノック「建前上という事は違うのか。それで、本当のところは?」
エドストレーム「んー、実際の事、言うとね。みんなで食事に行った時、ルベリナが唐揚げにレモンかけた事にゼロが怒って……」


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第73話 戦闘―1

2017/1/26 「獲物」→「得物」、「羽」→「羽根」、「言う方」→「いう方」、「夜目が効く」→「夜目が利く」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ!

 

 石造りの廊下を駆け抜ける重い靴音が響く。

 数人の人影が疾走するも、実際はその中の1人、堅牢たる金属鎧で身を包んだ女性のみがけたたましい物音を立て、並走する他の2人は足音一つ立ててはいなかった。

 

 

 一人騒がしく走る女性が、回廊の幅を利用し大きく膨らむようにして、走る速度を緩めることなく廊下を曲がる。

 曲がり角の向こうへと動かした視線の先には、その辺の部屋から運び出した長机や椅子を転がして作った即席のバリケード。

 そして、その奥には筋肉質ではあるものの、ひょろりとした体型の男たちが、怯えたような表情を隠すことなく片手剣を握りしめていた。

 

 それに対し、女戦士なんだか、オーガなんだか分からない『蒼の薔薇』の最強戦士、ガガーランは勢いを緩めることなく、突撃を敢行する。

 彼女は腹の奥から雄たけびをあげた。空気を震わせるほどの野太い声が耳朶(じだ)を打つ。

 そのけたたましい吠え声に、防壁の後ろにいた男たちは一様に震えあがった。

 

 

 そして彼女は勢いを止めることなく、正面からバリケードにぶち当たった。

 所詮、普通の家具を並べたに過ぎない防壁は、ガガーランの振り回す凶器、そのたった一撃のもとに木片を撒き散らして粉砕される。

 

 その光景に思わず「ひいっ」と声を漏らし、身をすくませる男たち。そんな彼らは一瞬の内にガガーランの振り回した刺突戦槌(ウォーピック)の奔流によって命を奪われた。

 ガガーランとしても、たとえ相手は末端の人間とは分かってはいても、王都の惨状、そして捕らえられた者たちの末路を知っているだけに、加減してやる気にもなれなかった。

 

 その暴風のような戦いというより、一方的な殺戮を目の当たりにし、ガガーランの得物の届かぬ少しばかり離れたところにいた者達は慌てて背を向け、その場を逃げ出そうとした。

 だが、その背にティアの投げた手裏剣が次々と突き刺さる。

 〈飛行(フライ)〉の魔法で宙を飛ぶイビルアイが、苦痛に足を緩めたその頭を後ろから引っ掴み、壁に叩きつけた。鈍い音と共に男たちの首が奇怪な方向に折れ曲がり、その体が冷たい石の廊下へ崩れ落ちる。

 

 素早く周囲を確認したティアは生存者無しと仲間に伝えた。

 再び彼らは、何の装飾もない実用本位にして、武骨な造りの回廊を走る。

 

 

 

 今、彼らが駆けている建物、そこは王城ロ・レンテである。

 王族の住まうヴァランシア宮殿を内側に包むように作られたこの城は、12もの巨大な塔とそれをつなぐ城壁からなっている。

 

 王城地下の倉庫から出た彼女ら、ガガーラン、ティア、イビルアイの3人はヴァランシア宮殿を目指した他の者たちと別れ、城の地上部へと上がった。

 目指すは一際(ひときわ)高さのある東北東の塔。

 

 

 

 今回行われた作戦、その目的の一つは、リ・エスティーゼ王国第三王女ラナーの救出である。

 王族であり、また民衆からの信頼も厚いラナーは、現在、簒奪者の手により酸鼻を極める有様となっている王都の情勢をひっくり返す切り札となりえる。

 またラキュースとしては、個人的にも友人である彼女の事を、なんとしても助け出したいという思いがあった。

 

 

 だが問題は、その彼女が幽閉されているであろう場所がいまだ不明な事であった。

 市中に潜伏している間、彼女たち『蒼の薔薇』自身は自由には動けないものの、様々な伝手(つて)を使い調べたのであるが、どうしても王城内の事に関しての情報は断片的なものしか得られなかった。せいぜい伝え聞く限り、捕らえられた貴族や役人たちは殺戮、拷問、凌辱などの(むご)たらしい扱いを受けているらしいという程度である。

 王城を乗っ取った者達からしてもラナーは利用価値があるはずだ。他の者とは異なる扱いをされるだろうし、そう考えれば彼女の身の安全は保障されているであろうとは推察出来る。

 だが、それでもつらい思いをしているであろうことは想像に難くない。

 

 一刻も早く助けに行きたい気持ちを抑え、蜂起計画の準備を一つ一つ進めると同時に、そちらの情報もさらに集めたのだが、とうとう計画実行の段に至っても、彼女の行方は(よう)として知れなかった。

 

 その為、作戦実行にあたって、幽閉されている可能性が高いと思われる場所を何カ所かピックアップし、それぞれの場所を一つずつあたっているのだ。

 

 

 すでに王城の地下牢などにも足を運んでみたが、そちらには何人もの貴族たちが囚われていたものの、肝心のラナーの姿はなかった。

 話を聞いてみるも、誰も知らないという。

 

 とりあえず、彼らについては、自分たちがやって来た城からの脱出口を教え、そこから脱出するよう伝えた。

 本来であれば彼らを護衛する必要があるのだが、さすがにそれをやっている暇も人手もないため、救出の際に倒した見張りの武器を渡して、自分で自分の身を守るよう言うにとどまった。実際のところ、助けた貴族たちの中には居丈高に、自分たちを護衛しろ、それが当然の義務だなどとのたまう者達も中には――いや、実際のところ、かなり――いたのであるが、ガガーランの一喝、そして小柄なイビルアイが強固な石壁を砂糖菓子のように砕くところを見て、前言を(ひるがえ)し、慌てて我先にと走って逃げていってしまった。

 彼らのその後には一抹の不安もあるものの、優先して考えねばならぬのはラナーの救出、およびコッコドールら簒奪者の始末であるのだから仕方がない。

 

 何とか八本指の者達に見つからず、秘密の通路がある地下倉庫までたどり着くことを祈るばかりだ。

 

 

 

 そして今、彼女らが向かっているのは王城に作られた塔である。

 塔といっても、ただの鐘楼や見張り塔のような小さなものではなく、兵士たちの宿舎や訓練場までその内部に作られているほどの巨大な代物だ。

 その内の一つ、彼女らが目指している東北東の塔、その最上部には戦争などで捕獲した貴族などを幽閉するための部屋があるという。

 

 そこも事前の検討の際に、ラナーが囚われている可能性が高い場所の一つであるとされていた。

 そのため、彼女らは城壁内部に作られた廊下を抜けて、その塔へ向かっているのである。

 

 

 

 そうして、幾度目かのバリケードに出くわし、それを粉砕した際――イビルアイが不意にその動きを止めた。

 

 その目は虚空に向けられたまま、彼女の後ろで繰り広げられている、八本指の者たち対ガガーランとティアの戦いには目もくれない。

 

 10を数える間もなく、その剣戟の音は静かになった。

 仲間の様子がおかしい事に気がついたガガーランが、彼女の身長の半分ほどしかないものの、巨躯を誇る彼女をはるかに圧倒する程の強さを持つ吸血鬼に声をかけた。

 

「おい。どうした、イビルアイ? おちびちゃんにはちょっと残酷だったか?」

 

 冗談めかして話しかけるその言葉に、イビルアイは振り向くことすらしなかった。

 

「……おい、お前らは先に行け」

「あん? どうしたんだよ」

「いいから、さっさと行け! 後から追いかける」

 

 突然の言葉にガガーランとティアの2人は顔を見合わせ、首をひねったのであるが、200年以上を生きた伝説の吸血鬼にして、他の『蒼の薔薇』メンバー全員を合わせたよりも強いイビルアイがそんなことを言うという事は、きっと何かがあるのだろうと思い直した。

 「おう。じゃあ、先に行ってるぜ」という言葉だけを残して、鉄脚絆の音も騒がしく、2人は廊下を駆けていく。

 

 

 

 一人残されたイビルアイ。

 彼女は相変わらず、誰もいない廊下、その一点を睨みつけていた。

 

「おい。いつまで隠れている。さっさと姿を現せ!」

 

 イビルアイの怒鳴り声。

 その場には彼女一人しかいない――そのはずなのに、それに答える声があった。

 

 

 

「ほう。このわしに気がつくとはな」

 

 その言葉と共に、たった今まで誰もいなかったはずの空間が歪んだかと思うと、そこに奇怪な姿の怪物が現れた。

 

 長い髪を振り乱した老人の上半身に、光沢すらもない鱗に包まれた大蛇の下半身。

 その姿を見た者は思わず、原始的な恐怖に身を震わせるであろう、その姿。

  

「わしの名はリュラリュース・スペニア・アイ・インダルン。まあ、見ての通りナーガじゃよ」

 

 隠れ潜んでいた姿を現し、その蛇の尾を振るわせながら穏やかに話すリュラリュース。

 対して、イビルアイは警戒の色を緩めることなく、一定の距離を保つ。

 

「わしの透明化を見抜くとは。お主、なかなかに修練を積んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)のようじゃな。まだ年若いようだが。それとも、若いのは見た目だけで実際は数百年も生きている化け物とかかの?」

 

 くくくと口を歪めながらの冗談であったが、偶然にも言い当てられた格好となった吸血鬼は何も答えない。

 

「お主の仲間たち、行かせてしまってよかったのかの? 全員で力を合わせてわしと戦うのが上策じゃろうに。それとも、仲間を守るために、お主一人が犠牲になるつもりか? ここでわしを足止めしているうちに、仲間にこの国の姫とやらを捜させるのか?」

 

 

 笑い声が響いた。

 その声の発する許は仮面の少女。

 目の前のナーガと比べると、より一層小柄な体躯が引き立つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 突然あがった笑い声に、いぶかし気な表情を浮かべるリュラリュースを前にして、イビルアイは人差し指をピンと立てる。

 

「お前は一つ大きな間違いをしている」

「間違い?」

 

 仮面をつけているため、その奥の表情を窺い知ることは出来ないが、目の前の少女の不思議な態度に首をひねるリュラリュース。

 

「ああ。あいつらにお前との戦いよりも、お姫様を捜すのを優先させたのは事実だ。だが、別に私は犠牲になるつもりはない。何故なら、お前なぞ私一人で十分だからさ」

 

 イビルアイはゆっくりと手を広げ、魔法の術式を構成する。

 

 

「少し身の程というものを教えてやろう、ナーガ。私の名はイビルアイ。この名を心に刻み、あの世に行くがいい」

 

 仮面の奥で、吸血鬼の瞳が怪しく赤い光を放った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 室内には一人の人間がいた。

 いや、それを人間と呼んでいいのかは分からない。

 まだ、彼女が人間の範疇に入るのか、それは彼女自身ですら分かりえない事だったのだから。

 

 

 その部屋は、元はそれなり、いやかなりの高位の、おそらくは女性の私室であっただろうという事は推測できるのだが、今やそんな事はどうでもよい。現在の室内に広がる惨状の前には、前の住人の事など、考えるだけまったく無駄だ。

 

 今、室内は悪臭と汚濁に塗れている。

 部屋中の装飾品、垂れ布から絨毯、テーブルに椅子、それに美しい絵画に至るまでも、そこかしこの全てが汚らしい膿によって穢されているのだから。

 

 

 そして現在の部屋の主、元帝国四騎士の1人レイナースは荒れ果てた部屋の中央に陣取り、そのぶよぶよと膨らんだ手に掴んだ小さな手鏡、ただひたすらそれを眺めていた。

 

 その鏡に映るのは、醜く膨れ上がった肉塊から一房だけ生える美しい金髪。

 そして、その髪の合間から見えるのは切れ長の瞼と澄んだ海のような青い瞳。

 

 

 この髪と右目だけが、かつて美しかった彼女の姿そのままの部分であった。

 

 

 

 あの日、レイナースは帝城にて、皇帝の前に現れたベルに自分の呪いを何とかしてくれるように願った。

 

 今思えば、なんと浅はかな行為だったのだろう。

 

 そして、その願いをあの少女は叶えてくれた。

 およそ最悪の方向に。

 

 少女は何とかした。

 すなわち呪いの力を強めたのだ。

 彼女の全身、頭の先からつま先に至るまで、隅々にまで呪いを行き渡らせたのだ。

 その結果、レイナースは汚らしい膿を吹き出し続ける、醜い肉塊へと変えられた。

 

 

 悲しみ嘆くそんな彼女に、あのベルという少女は告げた。

 

 『ボク達の役に立つことだね。ちゃんと役に立ったら、その呪いを少しずつ解いてやるよ』、と。

 

 到底、信じられるような言葉ではなかったが、もはや少女にすがる以外に(すべ)がなかったレイナースは、その軍門に下り、ナザリックの旗下へと収まった。

 

 

 そうして迎えた、今回の王都での一件。

 

 王城占拠に際し彼女は、王国戦士長を始めとした主力は不在ながらも、留守を守る護衛の騎士達をことごとく打ち倒し、第一王子であるバルブロを捕らえるという功績をあげた。

 その働きへの褒美として彼女の顔、金髪一房と右目の周辺だけは、呪いを解いてもらえたのである。

 

 

 それから、彼女は日がな一日鏡を覗き込み、吐き気がするほど醜怪なる肉塊の中のごく一部、元の美しさを取り戻した髪と目を眺め続けている。

 

 わずかな食事をとる他は睡眠すらとろうとしない。

 レイナースの身体は決して睡眠が不要の身体となったわけではない。しかし、じゅくじゅくと膿が湧き出る痒みと、その汚汁にたかる虫たちによる腐肉を齧る痛みが絶えず全身を襲い、眠ることさえ満足に出来ないのだ。その為、今の彼女は常に半ば朦朧とした意識の中にあり、そんな彼女を現実に繋ぎ止めるのは、鏡に映るかつての美貌の残滓しかなかった。

 

 

 彼女は切望していた。

 より功績をあげるチャンスを。

 功績をあげれば、もっと自分の身体の呪いを解いてもらえる。

 逆に言えば、呪いを解いてもらうには、功績をあげるチャンスがなくてはならない。

 

 チャンス。

 チャンス。

 

 この国の王都はすでに押さえた。

 後は反乱軍でも出てきてくれればよいのだが。

 

 

 そう思っていた矢先、彼女の部屋に来訪者があった。

 なんでも、王都において冒険者たちが蜂起し、この王城にも侵入者がいるという報告を知らせに来た。

 

 

 その知らせに彼女は狂喜した。

 侵入者を倒せば、王都の反乱を鎮圧すれば、彼女はより一層褒められ、更に別の場所の呪いを解いてもらえるだろう。

 

 レイナースはくぐもった笑い声をあげて、その身を震わせる。

 その拍子に肉と肉がこすれて、膿胞がつぶれ、じゅるりとした黄色い膿が、その身を垂れ落ちる。

 

 

 レイナースはその辺に投げ捨ててあった剣を掴むと、その身を揺らしながら――揺らすたびに、さらに流れ落ちた膿が周囲を汚す――曖昧模糊(あいまいもこ)たる思考のまま、自らにあてがわれた自室を出ていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そこはまさに別世界としか言いようがない部屋だった。

 ほんの数階下はまさに防御用の堅牢にして武骨な造りの城だったというのに、階段を上がり、扉を開けた所にあったのは、一転、貴族の館としか言いようのない一室。

 

 だが、目にも鮮やかな垂れ布や、足が沈み込むような絨毯によって、王城を作る石の冷たさからは遮断されているものの、明らかにこの部屋が一種独特の目的で使用される場であるという事は一目で見て取れた。

 

 

 それは今、ガガーランの目の前にある、冷たく輝く鉄格子の存在。

 およそ彼女の親指ほどもある太さの鉄柱が床から天井まで幾本も伸び、中と外とを隔絶していた。

 

 ガガーランとティアは鉄格子には触れることなく、視線を動かす。

 広い室内には間仕切りなどはほとんどないうえ、鉄格子と石壁の間に作られた通路側からは中の様子が丸見えであり、その身を隠すことなど出来る場所などない。

 それ故、如何に豪華に飾り立て、贅を凝らした瀟洒な調度品で飾ろうとも、ここは人を閉じ込める牢であるという事実は明白であった。

 

 

 すぐに目当ての人物は見つかった。

 部屋の奥に置かれたベッド。その傍らに置かれた黒いビロードの布地がかけられた椅子の上に、1人の女性が座っていた。

 目元は黒い布でおおわれ、口元には猿ぐつわが噛ませられ、ご丁寧に傍らの机から伸びた鎖がその両手につけられた手枷に繋がっている。

 

 俯いた彼女の顔は目隠しと猿ぐつわ、そして彼女自身の長い金髪によって半ば覆われており、高い格子つきの窓から差す日の光だけではよく見えないが、その白いドレスはラキュースの供として彼女の私室で一緒にお茶を飲んだことのあるティアには見憶えがあった。

 

 

「王女様?」

 

 ティアが声を潜めて問いかけるが、その声に反応はしない。

 この王女とは思えぬ扱いからして、なんらかの方法で耳を塞がれているのだろうか? さすがに耳を潰されているとは考えにくいが。

 

 

 彼女たちは顔を見合わせると、ティアは鉄格子に取り付けられた扉へ取りついた。そこの鍵の開錠にとりかかる。

 その鍵はこういった場所に作られているだけあって、生半可な腕の盗賊では開けることなど出来ぬほどのものであったが、そんなものはティアにとっては、目を瞑ってでも開けられる程度でしかない。

 ほんの数秒で開錠は済んだ。

 そして、仲間の方へ振り返ると――。

 

 メキメキッという鉄の軋む音。

 中と外とを仕切る鉄格子が、ガガーランの怪力によってへし曲げられた。

 

 そこに出来た、大柄な上に全身鎧を身に着けた彼女すらも楽にすり抜けられるほどの隙間から、ガガーランは奥へと足を踏み入れる。口の中で「おいおい」とツッコミを入れつつティアも、自分で開錠した扉からではなく、そちらから中へと入った。

 何が起こるか分からぬため、念を入れてガガーランは腰に下げていたポーションを口にし、背負っていた、普段は使わぬ盾を下ろし、左手に構える。

 

 そうして、そうっと部屋の奥に置かれた椅子に腰かけるラナーの下へと近寄る。

 

 

 

 慎重に足を進めていたティアが動きを止める。

 その様子に、ガガーランもまた足を止めた。

 

 彼女の見つめる前で、仲間の忍者はその小さな眉根を顰め、小首をかしげた。

 そして――。

 

「影技分身の術」

 

 ティアの足元に伸びる影がもぞりと蠢き、むくりと起き上がった。

 ほとんどMPを消費させずに作った分身の為、動きは本物に比ぶべくもないほどたどたどしいが、そのもう1人のティアは音もなくラナーの腰かける椅子へと近寄る。

 そして、彼女に触れた瞬間――。

 

 

 

 ――爆発。

 

 

 

 ガガーランはとっさに盾を前に構え、飛び散る破片を防ぐ。ティアの方はというと、そのガガーランの影に隠れ、難を逃れた。

 濛々(もうもう)と湧き立つ煙が納まると、そこにはベッドと椅子、そしてラナーの姿を似せて作った人形の破片が転がっていた。

 

 

「どうして感づいたんだ?」

「普通の人間は呼吸するからその時、胸が上下する。でも、その時の胸の揺れ方がおかしかった。そう、胸の重さによる慣性を感じさせない、まるで羽根のように軽いものが動く感じだった」

 

 そう言って「おっぱいに関して、私の目は誤魔化せない」と自慢げに、こちらは薄い胸を張るティアと、やれやれという表情を浮かべるガガーラン。

 

 

 そんな彼女らに耳に、緊張感のない男たちの声が届く。

 

「おいおい。やっぱりばれたじゃねえか。それも胸の揺れ方にリアリティーが足りないからだとよ。だから、お前があのお姫様の服を着て、パッドでも入れて幻覚で顔とかを変えていろって言ったろ」

「冗談じゃねえよ。上手くいけばいいが、それだとばれたら、俺が一撃でやられるんだぜ」

 

 

 誰もいないはずの室内。

 鉄格子で隔てられた通路に置かれた棚の間。何もない空間が揺らめき、そこから2人の男がどこからともなく現れる。

 

「秘密の通路……いや、幻覚か。そこの間に幻覚で隠れてたって訳か」

「たぶん、そいつらは『千殺』マルムヴィストと『幻魔』サキュロントの2人。幻覚ならお手のもの」

 

 ティアの言葉に、肩をすくめるマルムヴィスト。

 

「有名になるってのも困りもんだな。ま、仕方ないか。改めて自己紹介するぜ。俺はマルムヴィスト、そっちの貧相な顔の奴はサキュロントだ」

「誰が貧相な顔だ」

 

 サキュロントの抗議はそのまま流し、彼らもまたガガーランのこじ開けた隙間から中へと足を踏み入れる。

 

 

「それにしても、なんだよ。鉄格子をひん曲げるって。そっちの扉の鍵を開けて入ったら、王女の人形に気を取られている隙に扉を閉めて閉じ込めようと思ってたのによ」

 

 「うちの使い魔は知恵はないけど勘がいい」「誰が使い魔だ」という2人のじゃれ合いを前に、腰から愛用のレイピアを抜き、構えるマルムヴィスト。

 

 それを見て、「気をつけて。おそらくあれがマルムヴィストの〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉」と警戒の声をあげるティア。

 その言葉にマルムヴィストは思わず渋い顔をする。

 

「そんなのまで調べ上げてんのか。やれやれ、やりにくいったらありゃしねえな。それでお前らは『蒼の薔薇』のガガーランと、それと……どっちだ? ティアか、それともティナとかいう方か?」

「私はティカ。ティアとティナの姉。コンゴトモヨロシク」

「……それどう考えても嘘だろ」

「嘘じゃない。もし嘘だったらなんでもする。ガガーランが」

「おいっ!」

「それは遠慮させていただく」

「同じく」

「おいっ!」

 

 口では馬鹿なやり取りをしつつも、互いに武器を構え、じりじりとすり足で距離を詰め、または離れ、自分に有利な位置を取ろうと、静かな争いを繰り広げる。

 室内に漂うのは今にも戦いが始まらんとする緊迫した空気。

 

 

 一触即発の空気の中、マルムヴィストは先と変わらず、砕けた口調で話しかけた。

 

「なあ、お前さんたち、おとなしく降伏する気はないか?」

「大人しく降伏して、殺されろってのか?」

「仲間になるってんなら大歓迎さ。苦労して戦って勝っても、別に給料が上がる訳でもないしな」

「悩みどころだけど、お断りっと」

 

 ティアの手が閃き、手裏剣が投げつけられる。

 

「うおっ!」

 

 飛び来る刃に狙われたサキュロントが声をあげて飛びのく。

 

「残念だけど、時間稼ぎはさせてあげない」

 

 その言葉に、サキュロントは渋面を浮かべる。

 本当に彼女らが降伏する訳などないという事は分かってはいたのだが、マルムヴィストがそうして会話を引き延ばしている間に、サキュロントは得意の幻覚魔法を重ねがけするつもりだったのだ。

 

 

「本当に手の内がばれてる相手ってのはやりにくいな」

「それはお互いさま」

「違いない」

 

 ため息交じりにつぶやくマルムヴィスト。

 そして、にべもなく返すティア。

 苦笑するサキュロント。

 

 その空気を掻き消すように、ガガーランが重々しい音とともに床を鉄脚絆を踏みしめる。

 

「さて、おしゃべりはそこまでだ。こっちも予定が詰まっているんでな。ちゃっちゃと始めようや」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ここね」

 

 ごくりと生唾を飲み、息をひそめて、そっと戸を押し開けるラキュース。

 音もなく開く扉のその奥、彼女の視線の先は昼だというのに暗闇に沈んでいた。

 

 おそらく窓にカーテンを張ってあるのか。彼女はわずかに逡巡した(のち)、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランタンを取り出し、一方向分のみシャッターを開けて眼前を照らす。

 わずかに埃の漂う室内。

 光が筋となって、そこに無数に並べられた調度品を照らす。

 

 薄暗がりの中、浮かび上がってきたのは、ラキュースにもなじみのあるラナーの私室の風景。

 しかし、かつて彼女がこの部屋を訪れたときは、空気に埃が漂うなどという事はなく、床に塵一つないほど掃除されていたのだが。

 

 

 しかし、最も気にかかるのは――。

 

「なんだ、この臭いは……」

 

 思わずラキュースの後ろに続くザリュースがつぶやく。

 彼が口に出してしまう程、この部屋の中は異様な臭気に包まれていた。

 吐き気をもよおすような腐臭。人一倍嗅覚に優れているティナは襟元のスカーフをあげ、口と鼻を覆う。

 

 

 室内に足を踏み入れるラキュース。

 今、彼女が物音を立てぬよう忍び足で進む足先に触れたのは倒れた燭台。丸テーブルは倒れ、壁にかけられた陽光に煌めく花園の絵画は床に落ち、かつて二人で会話しながら飲んだ紅茶のカップは砕け散っている。

 そして、そこかしこに悪臭を漂わせる、ねっとりとした粘液のようなものが付着していた。

 

 夜目が利くわけではない彼女にとって、はっきりと見渡せるほどの光量はない中であるが、それでも、この部屋はかつての美しさ、華やかさの残滓を残すのみとなっているのは明白であった。

 

 その事実に彼女の胸に悲嘆の思いが浮かぶ。

 あの美しく整えられた、友人と共に過ごした部屋の、これが成れの果てかと。

 

 

 しかし、ラキュースはかぶりを振って、その感傷を振り払った。

 今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく大事なのは友人であるラナー本人だ。

 彼女の身の安全、そして救助こそが優先すべきことだ。

 

 

 ラキュースは気を入れ直すと、後ろに続くティナ、そしてザリュースを肩越しに振り返った。

 彼女の視線を受け、2人は言葉を発することなく、こくりと頷く。

 

 そろそろと、本職であるティナほどではないが、可能な限り音を立てずに部屋を横切る。時折ねちゃりとした感触が靴先に触れるが、それは気にしない。

 この室内には誰もいる様子はない。

 おそらくいるとしたら、奥にある控えの間、そしてその更に奥にある寝室。

 

 さすがにそちらまでは友人であるラキュースとて入ったことは無い。

 スッと彼女の前を遮るように、ティナが先んじて扉に相対する。無いとは思うが、念には念を入れ、罠の有無を調べる。

 一通りの調べが済んだティナはちらりとラキュースに目くばせした。彼女はその卵型の顔を横に振る。それに軽く肩をすくめて、ティナは後ろに下がった。

 

 ラキュースが寝室へ続く扉のドアノブへ手をかける。

 それをそうっと下げ、開いた扉の隙間から、中の様子を窺う。

 

 

 寝室は他の部屋同様、薄暗かった。

 こちらは先ほどの部屋とは異なり、異様な臭気はない。なにかの香が焚かれているらしく、甘い香りが漂っている。

 

 

 ハッとラキュースはその身を固くした。

 音が聞こえたのだ。

 何かが動く音が。

 

 息をひそめて、意識を耳に集中させる。

 衣擦れのような、何かがぶつかり合うような、そんな音が規則正しいテンポで聞こえてくる。

 

 ラキュースはごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めると、ランタンを手に室内へと身を滑り込ませた。

 

 その部屋の中は王女の寝室だけあって、ラキュースの目からしても、実に絢爛華美たる様相であった。大理石の床には、珍しい魔獣の毛皮が敷かれており、壁には不思議な色合いのモザイクタイルが埋め込まれている。縞瑪瑙の天板が置かれたテーブルの上には、金の飾りと目にも鮮やかな深紅の宝石が埋め込まれた象牙の杯が置かれており、その卓の周りには黒貂(くろてん)の毛皮の敷物が敷かれた椅子が2脚、卓を挟んで向かい合わせに置かれていた。

 

 ランタンのシェードをわずかにだけ開け、可能な限り抑え込んだ状態の光では、そんな贅を極めた室内のごく一部しか見て取ることは出来なかったものの、彼女の気になるものはそんな室内の装飾などではない。

 

 

 彼女は部屋の奥に目を凝らす。

 音がしているのはそちらの方だ。

 

 そこにあるのは天蓋付きの大きなベッド。

 ビロードのカーテンを垂らした絹の寝台。

 そこに影があった。

 その影は明らかに1人のものではなく2人。

 それがベッドの上で動いていた。

 

 

 最初、ラキュースはポカンと口を開け、呆気にとられた。

 やがてその頬が赤みを増す。

 

 彼女はもちろん乙女である。

 その身に纏う、白金の輝きを放つ伝説の鎧、〈無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)〉の着用条件の通り。

 しかし、そんな彼女とて、さすがに寝台の上での行為というのは知っている。

 とは言え、彼女にとって男女の閨事(ねやごと)というのは、実際に目にしたことは無く、もちろん自身が体験したこともない。ティアと違って、女同士もない。

 興味はあっても、おいそれと聞けるような事でもなく、せいぜいが他の冒険者たちが酒を飲みながら話している事を、横で耳をそばだてて得た知識くらいしかない。恋に恋するという程でもないが、それには漠然とした甘酸っぱいようなイメージを持っていた。ガガーランの話を聞くと、そんなイメージも消し飛ぶが。

 とにかく、そんな閨事、その真っ最中の場に踏み込むことへの気まずさが、彼女の胸をよぎった。

 

 

 だが、次の瞬間、彼女の頬はさらに赤みを増した。

 

 ラキュースは理解した。

 今、ここで、そんな男女の交わりが行われているという意味を。

 

 

 乗っ取られた王城。

 支配する無法者達。

 そして、王女であるラナー。

 その寝室で繰り広げられるであろう行為。

 

 

 彼女の頭は一瞬のうちに怒りに支配された。

 もはや、こっそりと人目に触れぬようになどという考えは吹き飛んでしまった。

 

 ラキュースはランタンから手を放す。

 世にも珍しいアルビノの魔獣から剥ぎ取った毛皮の上に転がるランタン。その内の光を覆い隠すシェードがめくれ上がり、室内を〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光が満たす。

 

 

 ラキュースはベッドまでの距離を一気に詰め、手にした魔剣キリネイラムの漆黒の刀身で、天蓋から垂れるカーテンを切り裂いた。

 

 そこにいた二人の姿が魔法の光によって照らしだされる。

 

 

 それを見た3人は息をのんだ。

 

 そこにいたのは紛うことなく、ラキュースの友人であり、この国の第三王女であるラナーに間違いはなかった。

 

 そして彼女と性交をつづけるその相手。

 それは奇怪としか言いようのない代物。

 

 醜く引き攣れた、その肉体は黒く焼け焦げている。長かったであろう髪や髭は、ところどころに生前の本来の色らしい白い部分を残すものの、その大半は体同様、焼け焦げ黒く変色し、ぼさぼさのまま体の動きに合わせ、振り乱されていた。

 

 

 そして、ラナー。

 一糸纏わぬその姿は、芸術品のごとき均整を保っていた。

 

 だが、それは片側から見たときのみだ。

 

 美しい左半身とは異なり、彼女の右半身。

 そちらは、見るも無残な様相を呈していた。

 

 刃物で切り刻まれた痕。鈍器で骨ごと叩き潰された痕。熱した焼き鏝を押し付けられた痕……。

 

 ラキュースは彼女の顔に視線を動かす。

 顔面もまた右側のみ、惨たらしい拷問の痕が残されており、かつて優し気な色を浮かべていた、その瞳はすでに何も映すものはない。

 

 すでに、その身に生命の炎が宿っていない事は明白であった。

 

 

 彼女は地獄の責め苦のうちに死してなお、動く屍として他者と性交を続けさせられ、その身の尊厳を奪われ続けていたのだ。

 

 




 ラナーゾンビのお相手は、フールーダゾンビです。
 フールーダ、童貞卒業おめでとう!


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第74話 戦闘―2

2017/2/1 「例え」→「たとえ」、「抑え」→「押さえ」、「追って」→「負って」、「力づく」→「力尽く」、「治める」→「収める」、「別れ」→「分かれ」、「長けて入る」→「長けてはいる」、「捕らえ」→「捉え」 訂正しました
2017/3/29 「高質化」→「硬質化」 訂正しました


 たぱん、たぱん、たぱん、たぱん。

 

 室内に肉と肉が打ちつけられる音が響く。

 それを聞いている者達は眼前で繰り広げられる光景を前に、ただ無言のまま、立ち尽くすより他になかった。

 

 

 ただの命令のままに行われる動作。

 かつて人だったものが行う性交の真似事。

 何の意思もない者による、何の意味もない行為。

 

 彼女らの目の前で繰り広げられているのはまさにそれだった。

 

 

 その意味するところはただ一つ。

 

 艱難辛苦(かんなんしんく)の末、彼女、リ・エスティーゼ王国第三王女であるラナーを助けに来た者に対する底知れぬほどの醜悪なる悪意。

 人としての尊厳、たとえ本人は生命を失ったとしても、残されたものに記憶として継がれるであろうそんなたった一つの心の支えにすらも、唾を吐きかけ愚弄(ぐろう)する、まさに悪逆非道としか言いようのない行い。

 

 

 

「……ぐ、ぐぶっ……!?」

 

 不意にラキュースの喉が音を立てた。

 口元を押さえ、しゃがみ込む。

 口腔の奥から勢いよく込み上げてきたもの。それが勢いよくその桃色の唇から噴き出した。

 

 およそ乙女らしからぬ声をあげ、ラキュースはこらえることすら出来ずに嘔吐した。

 脇にいたティナとザリュースは、繰り返される彼女のうめき声、そしてびしゃびしゃと床上へ液体がぶちまけられる吐瀉音をただ聞いているしかなかった。

 

 

 

 しばらく王族の寝室に敷かれた、足が沈むほど毛足の長い高価な絨毯を、胃の腑より戻したもので汚していたラキュースは、一度床に拳を叩きつけると、すっくと立ち上がった。

 心配げにその顔を覗き込むティナ。

 その目に映ったのは心優しく、高潔で、どんなことにもくじけぬ不屈の魂をもっていた仲間の、これまで共に旅してきたものの今まで一度も見た事もないような表情。

 

 今、ラキュースの目には憎悪と復讐の炎が燃え盛っていた。

 

 

 

「……ティナ、燃やしてやりましょう」

 

 その言葉に、ティナは何も言わずに頷いた。

 

 

 ただ機械的に腰を動かす2人に近づき、バックパックから取り出した細長い、先が尖った形状の容器をひっくり返して、その口から零れるややどろりとした液体を彼女たちにふりかける。

 「それは一体、何だ?」と尋ねられるより先に、ティナはザリュースに離れているよう促す。

 

「これは何の変哲もない、盗賊御用達の錬金術油」

 

 そう言って、不審げな彼に対し、事細かに説明してやる。

 

 

 この錬金術油は普通のものより粘度が高く、また火をつけた際に高温を発するが、火の手が高く上がることはない。すなわち、油をかけた部分は激しく燃えるものの、それ以外の部分においては――もちろん、すぐ近くに可燃物があれば火は移りはするが――炎の広がりを最小限に抑えられるのだ。

 

 本来ならば、神官であるラキュースが、浄化の魔法を使ってやればいいのだが、親友であったラナー、その変わり果てた姿、それも不浄とも言い切れるほどの扱いを強制的に受けさせられていた現状を目の前につきつけられ、もはや彼女は精神的に魔法を紡げるほどの心理状況になかった。

 その為、まず先に火葬し、その後、灰となった彼女に再びアンデッドにならぬよう祝福をかけようと考えたのだ。

 

 

 ベッドに近づいたティナが、彼女らに触れぬよう注意を払いつつ、容器の中身を念入りにかつ慎重に撒き散らす。

 特に、いまだにまぐわい続けている彼女らには頭の上からたっぷりと。

 

 そして、バックパックに手を突っ込む。

 しばし、中をかき回した(のち)、一本の、彼女の二の腕ほどもある長さの、細い棒っ切れを手にとった。油に火をつけるための〈発火〉の魔法がかかったアイテムである。キーワードを唱えさえすれば、使用者のMPを消費することにより、棒の先に小さな火がともるというアイテムであった。

 買おうとすると結構な金額になるのだが、いちいち火打石を使う必要も、使い捨てになる燐寸(マッチ)を使う事もなく何度でも使える火種として、ある程度以上高ランクの冒険者たちにとっては使い勝手のいい必需品、低ランクの冒険者にとってはいつか持てるようになりたいというステータスとして知られるマジックアイテムである。

 

 

 それを手にし、いまだ油まみれになりつつも何ら変わった様子もなく、ベッドの上で動き続ける彼らに近寄る。

 

 

 これから起こることを前にして、ラキュースは胸元で手を組み、目をつむって神に祈りをささげた。

 ラナー、そして誰かは知らないが黒焦げの遺体である人物の魂が、安らかに眠れるように。

 

 ザリュースもまた視線を落とし、異様な形ではあるが、死者の埋葬に敬意を払う。

 

 

 

 そうして、アイテムを手にしたティナが魔法発動のキーワードを口にしようとした瞬間――。

 

 

 ――ヒュッ。

 

 

 何かが空を切って、上から飛来した。

 

 通常ならば、そんなものを避けることなど不可能であったろうが、さすがはアダマンタイト級冒険者。一瞬の風切り音に反応して、とっさに身を翻し、不意に襲ってきた凶刃を避けることに成功した。

 

 だが、彼女らの運があったのもそこまで。

 寝室の薄暗がりの中、ベッドの天蓋の上から飛来した幾本もの三日月刀(シミター)。それはただ一直線に射出されたにとどまらず、初撃を(かわ)されたと見るや瞬時に軌道を変え、まるで透明な者が柄を握り操っているかの如く、再度彼女らに襲い掛かった。

 さすがに最初の襲撃はからくも避けたものの、それにより体勢を崩した状態へ、さらに襲ってきたその追撃を防ぎきることは出来ず、その身に浅いながらも手傷を負ってしまう。

 

 しかし、苦痛に呻きをあげつつも各々武器を構え、それそのものが知性でもあるかの如く、宙を舞う三日月刀(シミター)を弾き落とす。

 

 

 それが再度浮かび上がり、襲い来る前に、ティナは忍者としての特殊技術(スキル)を使い、室内に隠れ潜む者の気配を探知する。

 

 彼女の合わせた両の手の平より、無数の手裏剣が次々と打ち出された。

 

 毛足の長い絨毯から舞い上がった三日月刀(シミター)の群れは、さっと一カ所めがけて集まり、そこへ飛来した手裏剣をすべて弾き飛ばす。

 

 

 ティナが狙ったのは部屋の奥。

 いびつなまぐわいが繰り広げられるベッドの横、白亜の壁に金の装飾が施された暖炉、そのすぐ脇。

 

 

 ばさりと布を払う音と共に、誰もいないはずのその場に2人の人物が現れる。

 

 1人は肌もあらわな薄絹を身に纏った、まるで踊り子のような妖艶な女。

 そして、もう1人は逞しい筋肉に様々な入れ墨を施した禿頭の男。

 

 『踊る三日月刀(シミター)』エドストレームと『闘鬼』ゼロであった。

 

 

 

「あーらら。おとなしく、そこで死んでおけばよかったのに」

 

 軽口をたたく女。

 それと異なり、男の方は無言のまま。

 

 姿を現した敵に対し、飛びのいて距離をとるラキュースら。

 しかし、バックステップしたその足元が、まるで床が歪んだかの如くよろめいた。

 

 

 驚愕に目を見開く彼女ら。

 

 ――毒。

 

 とっさにラキュースは解毒の魔法を唱える。

 すると、目の前に漂っていた霧が不意にさっと晴れたかのような感覚に包まれる。

 

 

「ちっ。解毒魔法か……。せっかく私の流儀じゃないけど、それを曲げて、マルムヴィストから毒を貰ったっていうのに」

 

 彼女たちの体を襲っていた変調が治まった様子を見て取り、女は毒づいた。

 

「まあ、いいわ。何度でも、魔法が使えなくなるまで、斬りつけてあげる」

 

 その言葉と共に、三日月刀(シミター)が再度ふわりと空中に浮かぶ。その自らが操る得物の刀身に、エドストレームは取り出した小瓶から毒々しい色の液体を振りかけた。

 そして、ゼロはその筋骨隆々たる肉体を震わせ、無言のまま前へ出る。

 

 ラキュースたちは慌てて陣形を組む。

 

 

 エドストレームは怪しく微笑んだ。

 

「ここがあなたたちの終着駅よ。さあ、踊りなさい」

 

 言葉と共に、怪しげな色で煌めく刃が彼女たちに襲い掛かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぎ、ぎいっ! お、おい! 知ってることは話した。これで全部だ!」

 

 男が叫ぶ。

 

 もはやなりふり構わぬ哀願の声。

 だが、その哀れな男の声に対しクレマンティーヌが行ったのは、鋭い切っ先が骨まで届いているスティレット、その柄にさらに力を込めることだった。

 

 肺腑から絞り出される様な悲鳴が響いた。

 縛られ床に転がされていた男は、彼女が力を緩めると、水面から上がったかのように幾度も荒い息を吐いた。

 

「……ぅ、かっはぁ……ほ、本当だ。嘘は言っていない。信じてくれ」

 

 再び、クレマンティーヌが体重をかける。同時に剣先でぐりぐりと直接、骨を抉ってやる。

 男の口から、怪物の唸り声のようなものが漏れ出る。

 その声を耳に、クレマンティーヌはただニマニマと笑っていた。

 

 しかし――。

 

「ありゃ?」

 

 不意にそのスティレットの先が勢いよく男の身体に沈み込んだ。

 どうやら体重をかけたせいで先端が当たっていた胸骨がへし折れ、支えるものがなくなったその刃先が男の身体を背まで貫いてしまったらしい。

 しかも運悪く、動脈を傷つけてしまったようだ。

 彼女が男の身体に突きたてていた得物を引き抜くと、傷跡からとめどなく鮮血が溢れ出る。

 

 わざわざポーションを使ったり、回復魔法で治癒してやるほどのものでもないため、そのままそいつは死ぬに任せて、彼女はよっと声をあげて立ち上がった。

 

 

 そんな彼女に奇妙な紋章の描かれた白い布地でその顔を覆った男が歩み寄る。

 

「クレマンティーヌ様。やはり、この宮殿は魔術的に封鎖されているようです。ここから直接、王の間へは行けないようですな」

 

 男の報告に、心底面倒そうな表情を浮かべ、辺りを見回すクレマンティーヌ。

 

 

 

 本来、外から来たものが謁見に使われる玉座の間へ赴く際に通ることになる、王国の威容を見せつけるための回廊。その天井ははるか高く、金糸で縁取られた深紅の絨毯が床一面に敷かれ、左右には荘厳さを感じさせる彫刻の施された石柱が幾本も立ちならんでいる。

 およそ、この回廊を進む者は全て、国家としての偉大さを体で感じ取れるほど荘厳にして圧倒的な空間。

 まあ、残念ながら近年のこの国は、そんな装飾もただ国家としての(てい)を為すためだけの張り子の虎でしかなかったのは、事情通にはよく知られたものだったのだが。

 

 とにかく、そんな国家としての格を示すはずの広大な回廊。

 しかし、今その場は鮮血で汚れ、傷つき息絶えた者達がごろごろと、そこかしこに転がっていた。

 

 倒れ伏す者達のほとんどは、本来このような峻厳たる王城内に存在することがふさわしくような、見るからに無頼漢といった有様の者たちである。

 

 そして、その間を行き交うのは、たった今、クレマンティーヌに話しかけてきた者と同様の姿形をした者達。

 法国における六色聖典の一、殲滅を得手とする特殊部隊、陽光聖典である。

 彼らは戦闘により負傷した仲間を治療し、手分けして周辺を調べ上げ、そしてごろつきたちの内、まだ息のあるものを縛り上げ、情け容赦ない尋問を行っていた。

 

 

 彼らの手際は極めて合理的かつ効率的なものである。

 クレマンティーヌのように楽しみの為に行うのではなく、ただ素早く正確な情報を吐かせるため、簡素にして効果的な拷問をあちらこちらで繰り広げていた。

 

 

 

 クレマンティーヌは付近に充満する血の匂いに、鼻を鳴らした。

 

 彼女たちは、今回の王国での一件を力尽くでも収めるために投入された法国の戦力である。最後に残った3人の漆黒聖典の1人、クレマンティーヌをリーダーとする陽光聖典との混成部隊。

 

 今回彼らは、王都内で冒険者たちが起こした陽動である蜂起、そして新政権側がそれへの対応に右往左往している隙に、王族が使う秘密の抜け道を使い、王城内へと侵入したのだ。

 そこで、第三王女ラナーを救出する『蒼の薔薇』らと別れた後、漆黒聖典の隊長率いる部隊と、クレマンティーヌ率いる部隊とで二手に分かれ、今回の騒動の発端、王を僭称するコッコドール並びに彼を支持し、味方する犯罪組織八本指の者達の殲滅を目的として、ヴァランシア宮殿内へと突入したのである。

 そうしてクレマンティーヌ率いる部隊は一直線に玉座の間を目指したのだが、その途中にある回廊において、待ち構えていた八本指の者達と交戦になった。

 

 しかし、待ち伏せにあった彼女らであったが、結果としては語るほどのものでもない。

 なにせ相手は、ある程度は戦いに長けてはいるとはいえ、所詮は一般人の枠を超える者たちではない。対してこちらは英雄クラスの強さを誇る漆黒聖典、その周囲を固めるのは法国に使える者の中から厳選されたエリートたちである陽光聖典の者たちなのだ。

 陽光聖典の者の中には多少手傷を負った者もいたが、所詮はその程度。まさに鎧袖一触という有様で瞬く間に蹴散らされる結果となった。

 

 だが、一つ問題も発覚した。

 戦闘自体は難なく勝利したのであるが、その先に進もうとしたところ、この回廊の奥に進む為の扉が何やら魔法的な封印をされているために開かないのである。

 陽光聖典の者が魔法を使って開錠を試みたのであるが、余人をはるかに上回る実力の彼らを持ってしても、ビクともしなかったのである。

 

 その為、彼らはここでいったん小休憩を取り、負傷者の治療および生存した八本指から事情聴取を行っていたのである。

 

 

 

「どうやら連中の話によると、これはマジックアイテムによるもののようです」

 

 その聞かされた答えにクレマンティーヌは鼻白んだ。

 

「マジックアイテム? アンタらでもまともに解除できないほどの魔法を発動できるマジックアイテムを使ったっていうの?」

 

 陽光聖典の男は頷く。

 

「はっ。なんでも、侵入者の突入経路を塞ぐとかで宮殿内のあちこちで使用されたようです。僭王コッコドールらは玉座の間に集まっているとか。そして現在、上部の回廊を使わなければ、奴らがいる玉座の間がある中央の建物へは侵入できないそうです」

 

 その答えにクレマンティーヌは顔をしかめる。

 

 ――気に入らない。

 誘導されている気がする。

 ……上部の回廊……。

 おそらく、そこで待ち伏せされているのだろう。

 しかし、実際、そこ以外行くことが出来ないというのであれば仕方がない。

 たとえ罠だろうと食い破るしかない。

 ……本当はやりたくないのだが、バックレて法国に命を狙われるよりはマシだろう。

 

 クレマンティーヌは全員に動くことを告げた。

 目指すは中央の建物へ行くための上部回廊。

 

 

 彼女の言葉を受けて、陽光聖典の者達はすぐにこの場からの撤収の準備を始めた。

 それはすなわち、いまだ命のある八本指の者達の始末を意味する。

 

 面倒くさげに頭を掻くクレマンティーヌ。

 その後ろから恐怖と哀願、そして断末魔の声が響いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 轟と空気を切り裂き、振りぬかれる拳。

 その拳が宙に浮いたティナの身体をとらえた。

 

 くぐもった悲鳴と共に弾き飛ばされる小柄な身体。

 

 だが、彼女は床の上をゴロゴロと転がり勢いを殺すと、そのまま立ち上がった。

 

 

 ゼロの拳をその身に受けてなお、立ち上がれるその理由。

 それは、ゼロがティナめがけて拳を振るったその瞬間、ザリュースが脇から切りかかったのだ。蜥蜴人(リザードマン)の振るった凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)の一撃。それを防がねばならず、ティナの腰骨を打ち砕くはずであった必殺の一撃は、最後まで振り切ることが出来なかったのだ。

 

 

 だが、立ち上がりはしたものの、ティナのダメージは深い。

 足元がおぼつかない。

 

 そこへエドストレームの三日月刀(シミター)が襲い掛かる。

 

 とっさにラキュースは、自らの〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉を飛ばし、ティナを狙った毒の刃を弾き飛ばす。

 

 しかし、それは囮であった。

 彼女たちの横を大きく迂回するようにして回り込んだ、もう一刃があったのだ。

 

 ラキュースはとっさに身をひねるが、その刃は彼女の柔肌を浅くではあるが切り裂いた。

 

 通常ならば、そんな浅手の傷など気にするほどでもないのだが、今、エドストレームが操る三日月刀(シミター)には同じ六腕であるマルムヴィスト謹製の猛毒がべったりと塗られている。

 ラキュースの若くしなやかな身体に、思わずのけぞってしまうほどの激痛が走る。

 

 彼女は慌てて、解毒の魔法を唱えた。

 一瞬のうちに、身体を駆け巡る激痛が消える。

 

 

 ゼロの振り回した裏拳を飛びのいて(かわ)すザリュース。

 その横にティナが並ぶ。

 

 それを見てゼロもまた追撃を止め、体勢を整えた。

 後ろに控えるエドストレームもまた自らの空飛ぶ三日月刀(シミター)を戻す。

 

 そうして、両者は再び対峙した。

 物言わぬ死者のまぐわいの音のみが、戦いとは無関係に音を立て続ける。

 

 

 

 ラナーの寝室での戦いは続いていた。

 本来ならば3対2の戦いであり、明らかにラキュースらが有利なのであるが、逆に彼女たちの方がじわじわと追いつめられる現状であった。

 

 

 理由は2つある。

 

 まず1つはゼロの存在。

 八本指の中でも荒事を得意とする警備部門、その者らを力と恐怖で束ねる六腕と呼ばれた者達、その中でも最強と言われる彼の強さはまさに圧倒的であった。

 もし、この場に専業戦士たるガガーランがいれば状況は違ったのかもしれない。だが、あくまでラキュースは神官戦士であり、ティナは忍者である。近接戦闘に特化した相手との白兵戦においては不利が生じる。ザリュースでは彼らと比較すると、どうしてもワンランク劣ってしまう。

 

 そして、もう1つはエドストレームの操る三日月刀(シミター)、それに塗られた毒である。

 まさに『踊る三日月刀(シミター)』の異名の通り、彼女の操作する宙を飛ぶ刃は変幻自在の動きを見せ、ラキュースらへ縦横無尽に襲い掛かった。しかも、その刃には毒が塗られているため、深手を負わせる必要すらないのである。ほんの皮一枚切り裂くだけで、猛毒がその身を侵す。

 その度にラキュースは回復魔法を唱えねばならず、彼女はろくに攻撃に参加できないでいた。

 

 

 ラキュースはキリネイラムを握った拳で頬をぬぐう。

 汗と共に、斬りつけられた傷跡から流れる血が、彼女の籠手を汚す。

 

 魔法を唱え、受けた毒を消しても彼女の身体には先のものも含めて、無数に傷跡が残っている。

 それはティナとザリュースも一緒だ。

 そこから流れる出血は、じわじわと彼女たちの体力を奪っていた。

 

 本当ならば、その傷も回復させたいのだが、そちらにMPを使うことにより、肝心の解毒魔法が使えなくなってしまっては一巻の終わりだ。

 

 

 ――どうする?

 一か八かで暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)を使うか?

 いや、それで倒せればいいが、もしその一撃に耐えられでもしたら、こちらにはもう為す術がない。

 それは危険すぎる賭けだ。

 かと言って、現状を打破できるいい考えも浮かばない。

 

 

 ラキュースはじり貧の状況に、ギリリと歯を噛みしめ、顔をゆがめた。

 

 

 

 だが、そんな中、ザリュースは胸に湧き上がった微妙な違和感に内心首を傾げていた。

 

 

 彼の違和感の正体。

 それは目の前のゼロという戦士だ。

 

 このオスは明らかに強敵である。

 しかし、そんな彼を前にしているにもかかわらず、まるで何かが噛みあっていないような、奇妙な感覚を覚えていた。

 

 

 再びゼロが距離を詰め、その剛腕を振り回す。

 大ぶりの一撃。

 ザリュースはそれを後ろに下がって躱すと同時に、拳を振りきり無防備となったその肩口に凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を振るう。

 だが、ゼロはそれに対し、拳を戻すことなく、そのまま肩口から体当たりを仕掛けてきた。

 

 雄牛の突撃にも似たその一撃。

 ザリュースは身を投げ出すようにして避けつつも、すれ違いざまに腕を払い、突進してきた巨体に斬りつける。

 だが、凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)の刃はその身を切り裂くことは無く、硬質な音と共に弾かれてしまった。

 おそらく彼は素手で戦う事を生業としている者として、気により肉体を硬質化させる(すべ)を身に着けているのだろう。それでも攻撃と同時に送り込まれる凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)の冷気によるダメージと効果は受けているはずなのだが、この巨漢はそんなそぶりなど欠片も見せぬほど生命力に満ち溢れている。

 

 

 ゼロは強い。

 こうして戦っているザリュースはその事は身にしみて分かる。

 おそらく自分より、格段に強い。

 

 

 だが――。

 

 だが、なぜだかそんな強い戦士を前にしているというのに、自分の心の中にまったく恐れが湧いてこないのだ。

 恐れを取り除く魔法というのも受けた事はあるが、そんなものとは全く異なる感覚だ。

 

 

 ――いったいなぜだ?

 

 

 ザリュースは床の上で身を返し、起き上がると同時にバックステップで距離をとり、再びこのゼロという人間と相対する。

 

「一つ聞きたい」

 

 彼は目の前の巨漢に問いかけた。

 

「お前はなぜ、この国をかすめ取ったものに仕える。聞けば、今、この国を支配している者は本当の王がこの地を離れている間に、この街を占領したと聞く。正々堂々と今の王と戦い、勝利したのならともかく、そんな卑劣にして怯懦たる行いをする者になぜおまえは従っているのだ?」

 

 その問いかけに、これまで無表情のままだったゼロの顔が歪んだ。

 ぞくりとその巨躯に身震いが走る。

 

「……お前は、ボスの恐ろしさを知らんのだ……」

 

 その言葉にザリュースは怪訝な表情を浮かべた。

 

「ボス? たしか、王を名乗っているコッコドールとか言うオスの事か?」

 

 ゼロはかぶりを振る。

 

「違う。コッコドールは操り人形に過ぎん。替えのきく、な。ボスからしたら、誰でもいいのだ。この俺にしてもな」

 

 そうつぶやいた時に浮かんだ表情。

 それを目にしたとき、ザリュースは何故、強者たるゼロを前にしても恐れを感じないのか理解した。

 

 

 ――このオスは心が折れているのだ。

 

 

 その身に宿した圧倒的な膂力。鍛え上げられた肉体。おそらく長き修練により身に着けた修行僧(モンク)としての技術。

 彼はすべてにおいてザリュースを圧倒している。

 

 だが、その心のうちにあるべきものがない。

 己の胸の芯たる魂が喪失しているのだ。

 

 今のゼロという男は、昔の積み重ねによって手にした肉体をただそのまま使い、闘っているだけ。

 戦うべき相手を目の前にしていながら、その者に対して戦意すら燃やしていないのだ。

 

 

「愚かだな」

「なに?」

 

 ザリュースのつぶやきに、ゼロはただ気のこもらぬような口調で聞き返した。

 

「お前のその在り方がだ。戦士として鍛錬し、身につけたその技術。その全てをどぶに投げ捨てるかのごとき戦い。すべてが愚か極まりない」

「……なに?」

 

 先ほどと同じ言葉。

 だが、そこには今までと違う明確な怒りの感情があった。

 

「その『ボス』とやらが恐ろしい? 自分を含めて誰でもいい存在だ? そんなものはただ理由を自分でこじつけているだけだ。諦めるためのな」

「……おい蜥蜴人(リザードマン)。少し黙れ」

「黙れ? そのボスとやらには歯向かえんくせに、俺には文句は言えるのか? 強い奴には媚びへつらい尾の先すら舐めるのに、他の者には居丈高に命令できるのか。出し入れできるプライドとは便利なものだな」

「……お前は知らんのだ。圧倒的な強さを。どんなに人が手を伸ばそうとも、絶対に手の届くことなどない高みを。巨人(ジャイアント)ならば、打ち倒せるかもしれない。ドラゴンならば、手は届くかもしれない。だが、そんな勝つか負けるかなどという次元など、逸脱した地点にいる存在の事を」

 

 

 言われて、ザリュースは思い返す。

 彼の記憶の中にある限り圧倒的なまでの強さを持つ存在。

 魔樹と人知を超えた戦いを繰り広げた蟲人コキュートス。

 そして、そんな彼が忠誠を誓う偉大なる魔術の使い手、アインズ・ウール・ゴウン様。

 

 たしかに、もし仮にあのような人知を超えた力を持つ相手と敵対したらという事を考えると、彼としても震えが止まらなくなりかねない。恐れ慄いても仕方がない。

 しかし――。

 

「しかし、お前は生きているのだろう」

 

 ザリュースは言う。

 

「生きている限り、お前は生き続けねばならん。お前は生きている間、そうやって絶望に浸ったまま、拗ねた子供のように、行動しない言い訳だけを考えて生きていくつもりか?」

 

 ザリュースの心をめぐるのはあの絶望の風景。

 圧倒的なまでの暴力に蹂躙される村。

 自身も為す術すらなく、生命を奪われたあの瞬間。

 蘇生させてもらい、目覚めた後に見た、見渡す限り死体の並ぶ岸辺。

 

 悪夢の中としか思えぬような、無慈悲にして没義道(もぎどう)なる世界。

 それをやった者はすでに倒され、仇すらもを討てないという残酷な現実。

 あの時、自分は命を断とうとした。

 だが、自分は生きる事を選択した。

 蘇らせてもらった命。この命を意義あるものへとしようとして生きた。人間の村で暮らし、アゼルリシア山脈でフロスト・ドラゴンと友となり、そして、熱い信念を胸にした『蒼の薔薇』らとともにこの王都にやって来た。

 この全てを否定することなど出来はしない。

 

 

「お前がただの腑抜けならば、いくらでも腑抜けているがいい。しかし他の、意思ある者の邪魔をする為だけに生命を費やすような屑だというのならば、ひとつ性根を叩き直してやろう」

 

 そう言って、ザリュースは自分から仕掛けた。

 自分と比べて圧倒的なまでの強者たるゼロに向かって飛びかかった。

 その様を見てラキュース、そしてティナは制止の声をあげた。

 

 だが、止まる訳にはいかない。

 オスには結果は分かっていても、闘わねばならぬときがあるのだ。

 

 

 ザリュースは凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を振りかざす。

 ゼロはそれを防ごうと腕をあげる。

 

 振り下ろされたザリュースの腕。

 だが、そこに氷から切り出したような不可思議な形状をした武器はなかった。

 

 ザリュースは蜥蜴人(リザードマン)の至宝にして、彼の切り札たる凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を投げつけたのだ。

 

 

 飛来したそれをとっさに手で払いのけるゼロ。

 その隙にザリュースは間合いに入っていた。

 

 

 ザリュースの拳が繰り出される。

 

 その拳はただの拳ではない。

 あの湖での、故郷での生活が終わり、カルネ村で暮らすようになってから、彼はより強くなることを心に刻んだ。そして、共に生活するようになったゼンベルから修行僧(モンク)の技を学んだ。その後、村を出てからアゼルリシア山脈で過ごしながら鍛錬を重ね、ついにその一端を自らのものとすることに成功したのだ。

 

 

 突き出されるザリュースの拳。

 それに対して、ゼロもまた反撃の拳を繰り出す。

 

 

 

 2人の拳は同時に、互いの顔面に突き立った。

 

 吹き飛ばされるザリュース。

 ゼロの一撃を顔に受け、まるでゴミのように吹き飛ばされ、絨毯の上を転がり、壁際に設置されていた箪笥にぶち当たる。

 

 対してゼロは拳を繰り出した姿勢のまま、静止していた。

 その膝が落ちる。

 ガッと音を立てて、床に膝をついた。

 

 

 ザリュースの拳での一撃が肉体的にダメージを与えたからではない。

 殴りかかったザリュースの瞳、そこに込められた意思の強さに、心折れたゼロの魂がしたたかに打ち据えられたからだ。

 

 

 ザリュースの一撃であるが、はっきり言って、それはあくまで素人が素手戦闘の初歩を学んだという程度でしかない。

 およそ格闘術のみにすべてを捧げ、それで一流の戦士たちとも渡り合う事の出来る、達人級のゼロとは大人と子供どころではない差があった。

 

 だが、稚拙ながらも力の限りに拳を繰り出したザリュース。

 その目はただまっすぐ、ゼロの瞳を捉えていた。

 

 対するゼロ。

 彼の目からすれば、ザリュースの拳などスローモーションで向かってくるも同然であった。最初、武器を投げつけられたことにより、わずかに意表をつかれたものの、テレホンパンチで繰り出されたその拳は、これから辿るであろう軌道も容易く予想がつき、そして仮に当たった時の威力も取るに足らぬほどのものでしかない。

 

 ゼロはカウンターのストレートパンチを繰り出した。

 人並み外れた巨漢であるゼロの腕と、普通の人間よりはやや大柄ではあるもののザリュースの腕とでは明確なまでのリーチの差がある。

 ザリュースの拳はゼロに届くことなく、逆にゼロの拳はザリュースの蜥蜴の頭部を打ち砕くであろう。

 

 

 だが――。

 

 

 しっかと見開かれたザリュースの目。

 その目にゼロは気圧された。

 

 胸の奥に宿した確固たる意思のこもった瞳。

 その瞳は微動だにせず、受ければたったの一撃で命すら危ういであろう巨大な拳を前にしても揺らぐことなく、圧倒的強者たるゼロの瞳を見据えていた。

 

 

 その眼光の圧力に、ゼロは自らの視線をそらしてしまった。

 

 

 

 ゼロは膝をついたまま、身動きできなかった。

 自分はあのベルという少女と戦った。いや、あれは戦いではなかった。ただの暴虐の嵐であった。戦士と戦士との戦いではなく、ただ強者が弱者を嬲るだけのもの、子どもが虫の手足を(たわむ)れにもぎ取るようなものに過ぎなかった。

 そんな理不尽なる加虐にさらされたゼロはただ意思を奪われ、その恐怖と苦痛の前に唯々諾々と命令に従ってきた。

 

 だが、今の一撃は――ザリュースと拳を交えた一瞬の攻防はそれとは違う。

 先の暴虐にさらされた時とは異なる、はっきりとした、一人の戦士としての敗北。

 

 そもそもの攻撃力に格段の差があるため、ゼロの拳を受けてザリュースは吹き飛び、対してザリュースの拳を受けたゼロはよろめくそぶりすら無かった。

 だが、視殺戦に敗れ、ゼロは目をそらした。

 その結果、本来当たるはずのないザリュースの拳はゼロの顔面を捉えたのだ。

 

 

 ザリュースの拳。

 それは戦士であるゼロの矜持を殴り飛ばしたのだ。

 

 

 ゼロの両目から滂沱(ぼうだ)の涙がこぼれる。

 彼は腹の奥底から慟哭の叫びを発した。

 彼から見れば技術は未熟ながらも、1人の戦士として相対したザリュース、その一撃によってゼロは、あの暴力の嵐にさらされた後、現実味の欠けた朦朧たる感覚のまま過ごしてきた日々に、ようやくケジメをつけることが出来たのだ。

 

 

 

 唐突に訪れたゼロとザリュース、2人の戦いの結末。

 それにより戦いのバランスは大きく崩れた。

 

 この場にいる者達の中でゼロは頭一つ分抜きんでるほどの強さを誇っていた。

 対してザリュースは、強さ的には他の者よりは劣る。

 そんなザリュースが、相打ちの様相であったとはいえ、ゼロを戦闘不能の状態にまで持ち込んだという事は、戦いの天秤がラキュースらに大きく傾いたという事。

 

 

 それに気がついたエドストレームは自らの不利を悟り、顔をひきつらせた。

 

「さ、さっさと死になさいよ!」

 

 彼女は乾坤一擲(けんこんいってき)に、浮遊する5つの三日月刀(シミター)全てを攻撃に回す。

 

 飛来する毒刃の猛襲。

 だが――。

 

「防御!」

 

 ラキュースの〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉がそれを弾き飛ばす。

 彼女の操る〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉は、同様の武器を使うエドストレームの超人的な操作術とは比ぶべくもない。

 だが、防御のみに限って使用するならば、決して引けを取ることはない。

 

 そうして、わずかの間ながら、攻撃に使う5つの三日月刀(シミター)全てが弾かれ、制御を失った形となったその隙に、ティナが手裏剣を投げた。

 思わず、身を固くするエドストレーム。

 しかし、その手裏剣は残された最後の一本の三日月刀(シミター)を握るエドストレームとはあらぬ方向へと飛んでいった。

 投げ損じかと安堵の息を吐く彼女。

 

 

 だが、その手裏剣の狙いは別の所にあった。

 

 チィン!

 

 投げつけられた刃が、天井から吊るされた鎖を断ち切る。

 支えを失った、部屋中に甘い香りを広げていた香炉が重力に従い、床へと落ちる。

 

 香炉。

 すなわち、中には入れた香を燃やす炭がある。

 それが落下した。

 そして、その火は引火する。

 こうしている今もベッドの上で、見せかけの性交をする哀れな王女を火葬するために撒かれた油へと。

 

 

 一瞬のうちに火の手は回った。

 かすかな種火は錬金術油へと燃え移り、エドストレームの背後、天蓋付きのベッドを紅蓮の炎で包んだ。

 

 

 突然、燃え上がった炎。

 ティナの目的としては、エドストレームの背後に炎を巻き起こすことによって、彼女の意識をそらすのが狙いであったのだが、それは彼女の予想を超えたさらなる効果をもたらした。

 

 その灼熱の炎に巻かれ、すでにナーベラルの魔法により黒く焦げついていたフールーダの死体。その肉体がついにボロボロに炭化し、崩れ落ちた。

 

 

 瞬間――爆発が起きた。

 

 

 ラナーの寝室において、彼女を助けに来た者に絶望を見せつけるためだけに行われていた、アンデッドにされたラナーとフールーダによる行為。

 おそらく、この部屋に来たのはラナーの救出に来た者であるだろうから、当然、そんな光景を目の当たりにすれば、その2人の行動を止めさせようとするだろうとベルは考えた。

 

 その為、秘かに仕掛けがしてあったのだ。

 

 彼女たちが際限なく繰り広げる性交の真似事。

 それが制止された時、彼女たちの肉体が爆発するように。そして、助けに来た者を巻き込むようにと。

 

 

 今、引火した油による延焼でフールーダの身体が焼け落ち、行為が途切れた事により、その悪意のトラップが発動した。

 

 ラナーとフールーダの肉体が爆発四散し、辺りに飛び散る。

 幸いにして、彼女らのすぐ傍らにいた者はいなかったため、爆発による直接的なダメージは大したことは無かった。

 だが、問題は彼女たちの肉体が千切れ、飛び散ったことにある。

 

 彼女たちの身体には火をつけ灰にしようと、特別製の錬金術油がかけられていたのである。

 それが爆発により引き裂かれ、細切れとなった肉体と共に周囲に飛び散ったのだ。

 

 

 

 それをまともに受けたのはエドストレームである。

 

 もともと、ラナーらがいるベッドを背にしていたため、他の者よりその距離が近かった。しかも、彼女の身に纏うのは動きやすさを最優先した、肌の露出が多い衣装だ。

 その為、飛散した燃え盛る錬金術油が直接、その白い肌にべっとりと付着したのである。

 

 

「なっ……! きゃああぁぁぁっ!!」

 

 慌てて払い落そうとするエドストレーム。

 しかし、今も燃え上がるその炎は叩いても消えることなく、逆に振り払おうとした彼女の指にどろりとした油が絡みつき、そのほっそりとした手を焼き焦がした。

 

 

 それを好機と見たティナ。

 両手にクナイを構え、一足飛びに飛びかかった。

 

 しかし、さすがはエドストレーム。八本指でも最強の六腕に選ばれたほどの女。

 その身を焼く炎の苦痛にもひるむことなく、宙を舞う三日月刀(シミター)を自らの許へ戻し、迎撃しようと試みる。

 

 だが、ティナの速さは彼女の予想を超えていた。

 飛び交う剣閃を潜り抜け、瞬く間にエドストレームに接敵する。

 

 

 エドストレームは顔をゆがめた。

 自分とティナの位置が近すぎて、思うように飛ばした三日月刀(シミター)を振るう事が出来ない。下手をしたら、自分まで傷つけてしまう。

 これが普段の彼女であれば、たとえ己が柔肌を傷つけることになっても、かまうことなく自らの胸元に飛び込んだ相手を仕留めようと試みたであろう。

 

 しかし、この戦いはいつもとは違うところがあった。

 今日の彼女の得物には、エドストレーム自身の手によって毒が塗られているのだ。

 

 ――もし、その毒の刃が自身を傷つけでもしたら……。

 

 エドストレームは思わず、一瞬躊躇してしまった。

 そして、その一瞬は致命的であった。

 

 

 ティナは前方に飛び込み、飛びくる三日月刀(シミター)の剣閃の隙間をすり抜ける。そして着地と同時に絨毯の上を転がり、続く斬撃を躱しつつ、左手のクナイを投げつける。その鉄刃は残った一つの三日月刀(シミター)で防戦しようと構えるエドストレームの足を捉えた。

 次の瞬間、飛び上がったティナの右手のクナイが、足に走る激痛により、動きが鈍ったエドストレームの喉笛を切り裂いた。

 

 

 驚きに目を丸くし、首筋を押さえるエドストレーム。

 だが、その手指の隙間から勢いよく鮮血が噴き出した。

 信じられないというように、パクパクと口を開閉させる。

 

 がくんとその場に膝をつき、崩れ落ちる。

 朱に染まりゆく床の中央で、その身は飛び散った油による炎に包まれていった。

 

 

 

 傷ついた体を起こすラキュースら。

 その顔には勝利を喜ぶ色はない。

 

 回復魔法を唱え、皆の傷を治した彼女の視線は、いまだ膝をつき、うなだれているゼロへと向いた。

 

「聞かせてもらっていいかしら? 私たちは王都のこの惨状、この悲劇、その全てに幕を引くわ。この暴虐の嵐を止めなくてはいけない。王城を占拠した黒幕を倒してね。ねえ、聞かせて。コッコドールはどこにいるの?」

 

 その言葉に、ゼロは振り向くことなく答えた。

 

「……玉座の間だ。しかし、宮殿のあちこちはマジックアイテムによって封鎖されている。玉座の間がある中央部に行くには、地上ではなく上部の橋を通らねば行けぬはずだ」

 

 言われて、彼女は宮殿の構造を思い返す。

 確か、ヴァランシア宮殿と呼称されるのは3つの建物からなる建造物群。その建物と建物とを地上に降りることなく繋ぐ橋があったはずだ。

 ここからだと、一度正面の建物に移動してから向かった方がいいかもしれない。

 

 

 そうして、ラキュースは(きびす)を返した。

 一度だけ、室内を振り返る。

 絢爛たる装飾の華人の寝室。そのあちこちに、いまだ炎が赤い舌をなびかせるものが飛び散っている。

 

 もはや友人の面影すら感じさせないそれらから目を離し、ラキュースは今回の全てを終わらせる固い決意と共に、部屋を駆け出ていった。

 

 



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第75話 戦闘―3

2017/2/9 「声ともに」→「声とともに」、「怪力を持って」→「怪力を以って」、「2重の」→「二重の」、「~来た」→「~きた」 訂正しました


「うおぉっ!」

 

 声をあげて、マルムヴィストが飛びのく。

 その鼻先を巨大な金属塊が行き過ぎる。

 鋭い切っ先が厚手の絨毯を貫き、石床を抉った。

 

 手の刺突戦槌(ウォーピック)を振りきってしまったガガーラン。一瞬、無防備となった隙をついて、幾体にも分裂したサキュロントの刃がガガーランめがけて襲い掛かった。

 

 だが、それらの身体に次々と、ティアの手より手裏剣が投げつけられる。

 小さいながらもよく研ぎ澄まされた銀色の刃が、サキュロント達へと降りそそぐ。

 

 まるで機銃の弾のように打ち出された手裏剣。そのほとんどは、そこに人などいないかのようにその身をすり抜け、背後の壁面で音を立てた。

 だが、その内の一体だけは、手にした剣で襲い来る手裏剣を防ぎ、弾き落とした。

 

 サキュロントの顔が引きつる。

 幻術により隠したはずの本体の場所がばれてしまったのだ。

 

 

「そらよ!」

 

 気合の声とともに、ガガーランの武器が振り回される。

 その鋭くとがった先端が、目の前のフードの男につきたてられる。

 

「ぐはぁっ……」

 

 サキュロントは苦悶の声と共によろめき後ずさり、膝をつく。

 しかし、それだけである。

 ガガーランの攻撃であるが、それは彼に致命傷を与えたとは言い難い。彼女本来の、当たればそれだけで命すら奪う必殺の一撃とはなりえなかった。

 

 ガガーランはチッと舌打ちしつつ、後ろに飛びのき距離をとる。

 「おい、大丈夫か」という言葉を聞きながら、サキュロントは苦痛の声とともに立ち上がった。

 

 

 

 ガガーランの一撃を受けてなお、サキュロントが動けたのには理由がある。

 その一つは――。

 

「一体なんだ、そりゃ? 感触が変だったぞ、普通に殴った時よりもな。お前の装備、それに刺突耐性でもついてんのか?」

 

 その言葉に、サキュロントは曖昧に笑って誤魔化した。

 

 そう。

 サキュロントの防具、フード・オブ・スピアブロックには刺突ダメージ減少の効果があるのだ。ガガーランを前にした彼がそれを身に纏っているのは、偶然ではあったのだが、それはこの場において大きなアドバンテージとなった。 

 だが、それはあくまである程度減少させるというだけのもの。『蒼の薔薇』のガガーランが振るう一撃を受けてなお、立っていられるのにはもう一つ理由がある。

 

 

 サキュロントに止めを刺すに至らなかった、そのもう一つの理由。

 それはガガーランの手にしている武器。その使い方にある。

 

 ガガーランの主武器たる刺突戦槌(ウォーピック)鉄砕き(フェルアイアン)〉は桁外れの重量を誇り、本来怪力無双のガガーランがマジックアイテムで筋力をあげ、両手でしっかりと持つようにしてようやく振り回せるほどの装備である。

 それを今、彼女は片手で無理矢理扱っているのだ。

 戦闘直前に呑んだポーションにより一時的に筋力をあげ、人の背丈ほどもある長柄であるがそれを思いきり短く握り、前腕に柄の部分を押し当て支えにするようにして振るっているのだが、やはり普段のように自由自在に振り回せるわけでもない。

 そうして空いた彼女の残るもう片方の手、今そこには、ただ実用一点張りの武骨な盾が握られている。

 

 

 何故、彼女が普段とは異なる、そんなおかしな戦い方で戦っているのかというと、それは――。

 

「ひゅっ」

 

 微かな呼気とともに繰り出された刃。  

 その切っ先はガガーランの構えた盾の表面で、いささか軽い音を立てるに留まった。

 

 通常、盾で敵の攻撃を受ければ、その衝撃が腕に伝わる。防ぐだけでも腕が痺れ、熟練の戦士が相手であれば、防御ごと腕をへし折られることさえある。

 しかし、今、相対している相手の得物が重量のある武器ではなく、細いレイピアである事を考慮しても、ガガーランの腕には攻撃を防御したことによる、盾越しに受ける衝撃の感覚はほとんどなかった。

 代わりに、その刺突は一度にとどまらず、無数に繰り出される。

 本来あるべき、相手を一突きで刺し殺すような深い踏み込みのなされていない、まるで素人がするような小手先だけで振り回す連撃である。

 しかし、繰り出されるそのすべてを盾で(しの)いだガガーランは、額に冷や汗を浮かべていた。

 

 

 彼女がそこまでそんな浅い攻撃、一突きで臓腑を抉るような必殺の勢いを持っているという訳でもない、たとえ当たったとしても、ただ肌の表面をわずかに切り裂く程度にしか過ぎないであろう攻撃を必死になって防ぐその理由。

 それはその襲い来るレイピアにある。

 針のように鋭くとがった切っ先、その先端部に金属の輝きとは異なる、怪しげな色が浮かんでいる為だ。

 

 

 

 今回、王城に忍び込むにあたって、交戦が予想される八本指、とくに強敵となるであろう六腕の情報は全員しっかりと頭に叩きこんでいた。

 その中でも最も警戒するように言われていた1人。

 今、目の前にいる、金糸で縁取られた赤いマントを肩から下げ、きらびやかな装飾の施された衣服を身に纏う伊達男、『千殺』マルムヴィスト。

 

 正確には彼本人より、彼が振るう武器が危険とされた。

 彼の手にする、(つば)に美しい薔薇の装飾が施されたレイピア〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉。

 その刃には猛毒が塗られているのだ。

 

 

 これが、本来の『蒼の薔薇』のパーティーならば、ガガーランはここまで警戒することは無い。彼女は堅牢な全身鎧で身を包んでいるため、ごくわずかに素肌をさらしているところや鎧の隙間でも狙われない限りは、レイピアの一撃など容易くはじいてしまえる。そして、仮に攻撃を受け、毒に侵されたとしても、神官であるラキュースの魔法によって、即座に解毒が出来るのだ。

 

 しかし、今、『蒼の薔薇』はチームを割いて行動している。

 ガガーランの背中を守るのは忍者であるティアただ一人であり、回復魔法が使えるラキュースはいない。

 すなわち、マルムヴィストの毒を受けたとき、即座に回復は出来ないという事だ。

 

 もちろん、彼女らはそれぞれ単独行動した時の事も考え、各種マジックアイテムやポーションを持ち歩いている。その中には解毒のポーションもある。

 だが、目の前の相手は彼女ら、アダマンタイト級冒険者に匹敵すると言われた六腕の2人である。

 悠長にポーションを取り出し、使う(いとま)を与えてくれるとは思えない。

 

 その為、ガガーランは無理をおしてでも、両手持ちの愛武器を強引に片手で扱い、もう片方の手に盾を構えた防御主体の戦いを余儀なくされていた。

 

 

 そして、ティアとしても彼らとの相性は良くない。

 ティアは忍者であり、その身に纏うのはしっかりとした防御効果のある鎧ではなく、動きやすさを重視した、露出面積も多いものである。

 つまり、マルムヴィストやサキュロントの持つ軽めの武器でも、当たれば深手を負いかねない。

 そして現状2対2で均衡している戦いで彼女一人が脱落したら、如何にガガーランといえど、ひとたまりもあるまい。

 そこで彼女としては先ほどから、ガガーランの後ろを守りつつ、その隙をついて一撃を与えようとする彼らをけん制したり、遠距離から飛び道具や戦闘補助のアイテムを使用するに留まっていた。

 

 

 

 しかしながら、手詰まり感を感じていたのはガガーランらだけではない。

 対するマルムヴィストとサキュロントもまた、もちろん表情には出さないものの、内心苦虫を噛み潰したようなものを抱えていた。

 

 彼らは2人とも装備、そして戦い方から言うと、軽戦士に分類される。

 多少の魔法なども使えるが、あくまで白兵戦の補助程度の事しかできない。それで遠距離攻撃などは不可能である。

 

 そんな彼らからして、今、相対しているガガーランとティアはやりにくい相手であった。

 

 ガガーランは重装鎧を身に着けており、仮にその防御をかいくぐって刃が体に届いたとしても、鎧に覆われていないわずかな部分にでも当たらない限り、その身を傷つけることは出来ない。

 そして、彼女が手にしている刺突戦槌(ウォーピック)。無理に片手で振るっているために避けることは容易(たやす)いが、軽装鎧しか身に着けていない彼らにとって、下手に当たれば一撃で致命傷になりかねない。

 

 また小回りが利くティアと共にいることも厄介だった。

 この小柄な忍者はどうしても挙動、そして隙が大きくなるガガーランを、絶妙のタイミングでカバーしていた。彼女の振りまわす刺突戦槌(ウォーピック)を何とか(しの)いで、その身に刃を突きたてようとしても、そこへ手裏剣が飛んでくる。

 金属鎧に身を包んだペシュリアンや、修道僧(モンク)を極めたゼロならば、敢えて避けずにそれを受けてもかまわないのだろうが、マルムヴィストやサキュロントの薄い防具では、大した攻撃力はない手裏剣ではあるが、はじき返すことなど出来はしない。

 それを我が身に受けて、苦痛に脚を止めようものなら、次の瞬間、ガガーランの本気の一撃を受ける羽目になるだろう。

 

 更に言うならば、忍者である彼女は探知能力にたけており、サキュロントお得意の幻術を使っても、容易くそれを暴くことが出来るのだ。

 幸いにして新しいボスと模擬戦をさせられた後、対拘束などのマジックアイテムをいくつか貰っていたため、その身をからめとる投網や本体に目印をつける為のアイテムはその効果を発しなかったものの、彼本来の戦術が自在に取れないことに変わりはない。

 

 

 

 それ故、互いに勝負を決めるほどの一撃を叩きこむことが出来なかった。

 戦っている本人たちにとっては神経をすり減らす剣戟であったが、傍目(はため)からはまるで素人の振るうような、腰の引けた剣閃のやり取りが繰り返されていた。

 

 

 だが、いつまでもそんな戦いを続けている訳にもいかない。

 それを一番強く感じていたのはガガーランである。

 

 今、彼女は本来両手で使うべき刺突戦槌(ウォーピック)を、ポーションを使用することにより筋力を増加させる事で、無理矢理に片手で扱っている。

 そして、ポーションの効果はあくまで一時的なものである。

 効果時間が過ぎれば、今のような戦い方は出来ない。効果が切れ、本来の筋力に戻った瞬間、彼女の右腕は上がらなくなるだろう。

 目の前にいる男たちはそんな隙を見逃す相手とは思えない。手にした武器の重さによろけた彼女の身に、毒の刃が突き立つことは避けられない。

 

 

 ガガーランは決断した。

 盾を前方に構え、半身になりつつ、もう片方の手に持つ武器、後方に突き出たその柄をわずかに回してみせる。

 それを見たティアは、言われずとも仲間の意図に気がついた。

 

 

 一つ大きな息を吐くと――ガガーランは突進した。

 

 これまでと異なる果敢にして積極的な攻めにマルムヴィスト、そしてサキュロントは驚愕した。

 しかし、さすがは六腕と言われた彼ら。瞬時に落ち着きを取り戻し、一か八かの賭けに出た巨漢戦士の迎撃に移る。

 

 

 ガガーランの突進先はサキュロント。

 瞬時に分身を生み出すと同時に、向かってくる巨大な盾、その前面から避け、背後に身を隠すガガーランへ向けて左右、そして上方から剣を振るう。

 

 しかし、その切っ先は空を切った。

 そこにガガーランの姿はなかった。

 彼女は突進を敢行したが、サキュロントと接敵する直前に、その盾から手を離し、前へと蹴り出したのだ。

 

 絡み合った一対の蛇が刻まれた籠手が、しっかと柄を掴む。

 彼女は上位力のベルト(ベルト・オブ・グレーターパワー)によって増幅されたその怪力を以って、刺突戦槌(ウォーピック)を振り回した。 

 恐るべき質量を持った鉄塊がマルムヴィストを襲う。

 

 今しも、自分の横に並ぶサキュロントを襲おうとしたところへ、横合いから毒刃を突きたてようとしていたマルムヴィストは虚をつかれた。

 とっさに身を投げ出すようにして、その横なぎの一撃を躱す。

 

「うおおっ!」

 

 叫び声と共に床を転がる。その身が一瞬前まであったところに、次々とくない(・・・)が突き刺さる。

 転がりつつも、その反動で立ち上がろうとするマルムヴィスト。

 

 そこへ再びガガーランの刺突戦槌(ウォーピック)が襲う。

 起き上がろうと膝をついた所へ、襲い来る鋭い先端。

 

 ――躱せない。

 

 思わず口元を引きつらせる彼の前に、ガガーランの投げ捨てた盾を手にしたサキュロントが割って入った。

 

 

「ぐはあっ!」

 

 2人は床を転がった。

 サキュロントは両手で盾を掴み、肩を押し当て、体で受け止めようと試みたのだが、ガガーランの超人的な怪力の前に容易く弾き飛ばされ、後ろにいたマルムヴィストごと、大きく吹き飛ばされた。

 

 

 

「うぉぉ……。本当に人間なのかよ……」

 

 呻きつつ、床に転がる剣を手にとるマルムヴィスト。

 

「『蒼の薔薇』のガガーランは、オーガがマジックアイテムで姿を変えているとかいう噂を聞いたが、本当かもな」

 

 サキュロントもまた、苦痛に顔をしかめつつも武器を拾って立ち上がる。

 

「はっ! ガガーランの秘密がついにばれた。これは生かしてはおけない」

 

 ティアは逆手に忍者刀を構える。その柄にそえるもう一方の手、その手の平には何時(いつ)でも投擲できるよう手裏剣を隠し持っている。

 

「だれが、オーガだ。こんないい女を前にして。お前らにはレディに対する態度ってものを教えてやらないといけねえな」

 

 ガガーランは両手でしっかりと、これまで長年彼女と共にあった愛武器〈鉄砕き(フェルアイアン)〉の柄を掴む。

 

 それこそが彼女、『蒼の薔薇』のガガーラン本来のスタイル。

 敵陣に突撃し、多少の傷などものともせず、重い必殺の一撃を叩きこむ重戦車。

 防御よりも攻撃を重視したその戦い方は恐るべきものであったが、かすり傷を与えるだけでも相手を倒すことが出来るマルムヴィストの〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉相手には、いささか不利といえるものである。負ける気はしないが、一切の傷を負わずに打ち勝つというのは難しい。

 

 だが、ガガーランは決意した。

 

 一気に勝負を決める。

 おそらく、刺突のみに関しては王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをも(しの)ぐかもしれないと言われるほどのマルムヴィストの攻撃をすべては躱せまい。その刃は肉体を切り裂き、塗られた幾種類もの薬を混ぜ合わせたという猛毒は彼女を蝕むだろう。

 しかし、それで死ぬまでにカタをつける。

 マルムヴィストとサキュロント、この2人を打ち倒して、毒で死ぬ前に解毒のポーションを使う。

 なに、自分が毒で動けなくなったとしても、自分の後ろには仲間であるティアがいるのだ。2人同時にやられでもしない限りは大丈夫だ。

 

 

 

 ガガーランの雰囲気が変わる。

 先ほどまでとは異なる、チリチリとした殺気溢れる空気が張り巡らされる。

 その様子に勝負を決めるつもりだと、マルムヴィストとサキュロントもまた気を入れ直す。

 

 マルムヴィストは左肩にかけていた深紅のマントを取り外す。

 それを左手に巻きつけて半身になり、右手に持った剣、それを赤い布地で隠すように構えた。

 

 ティアはその姿に目を細めた。

 厚手の布地であるマントはある程度の防御効果がある。もちろん、ガガーランの振るう刺突戦槌(ウォーピック)の打撃などは無理だが、彼女の投げる手裏剣やくない(・・・)、そして手にする忍者刀くらいならば防ぐことが出来る。また、マントで隠すことで、その恐るべき毒を塗られた切っ先がどこを向いているのか隠す意味合いもある。

 

 おそらくガガーランの突撃に合わせて、必殺の一撃を叩きこむつもりだ。

 

 

 向こうも勝負をかけに来たことを悟り、秘かに生唾を飲み込むティア。

 互いに勝負をかける思惑である事、そして訪れるであろうわずかの剣戟の後、どちらかが命を落とすであろうという事は、その場にいた誰もが感じていた。

 

 

 

 じりじりと睨み合う4名。

 皆、相手のほんのわずかの動きも見逃すまいと目を凝らし、彫像のようにピクリとも動くことは無い。

 

 

 

 そんな中、戦端を開いたのはティアだった。

 なんの予備動作もなく、手裏剣を投げつける。

 狙いはマルムヴィスト。

 

 普通の人間であれば、その一撃で勝負が決まってしまうような眉間を狙った一投であったが、それは容易く、彼の左手に巻かれたマントによって払われた。

 

 

 それを機にガガーランが動いた。

 裂帛(れっぱく)の気合と共に一息に踏み込み、刺突戦槌(ウォーピック)を振り上げ、マルムヴィストに襲い掛かる。

 

 自分に向かってきた巨漢戦士に対し、彼は動ずることなく、たった今、ティアの手裏剣を払い落したマントを振るった。

 その先端がガガーランの目をかすめる。

 常人であれば、たとえ重い一撃ではないにしても、急所である目を打たれたら、思わずその動きを止めてしまってしかるべきである。

 

 だが、相手はガガーランである。そんな事で止まる彼女ではない。

 たとえどれほど鍛えた者であろうとも、耐えることなど出来ようはずもない眼球に走る痛みにすら、足を止めようともしなかった。

 

 刺突戦槌(ウォーピック)を力任せに振り下ろす。

 しかし、さすがに一瞬なりとも視界を奪われ、目算が狂ったのであろう。マルムヴィストがさっと身を躱すと、その鋭い切っ先は絨毯の敷かれた石床に突き立った。

 その隙にマルムヴィストは、蜂の一刺しにも似た一撃を叩きこもうとする。

 

 だが、それはガガーランの想定の内であった。

 ズンという音と共に、床が震えた。

 

 ――武技!?

 

 その事に思い至ったマルムヴィストは、不意に足元が揺れたことに体勢を崩しつつも、その弾丸のような刺突を放つ。

 同時にサキュロントもまた飛びかかった。幾体ものフードの男が剣を振りあげ、ガガーランめがけてその刃を突きたてようとする。

 

 

 しかし――。

 

 

「おらあっ!」

 

 気合の声と共に、床に叩きつけられた体勢から、力任せに振り上げられた刺突戦槌(ウォーピック)

 

 それはマルムヴィストを狙っていた。

 

 

 この場において、最も警戒すべきはマルムヴィストの持つ〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉である。

 サキュロントの振るう剣。それは受けても普通にダメージを負うだけだ。重装戦士であるガガーランにとっては怖くもない。一撃で致命傷を受ける事はありえない。

 その為、ガガーランはサキュロントを無視し、マルムヴィストだけを狙ったのだ。

 

 

 マルムヴィスト本来の、近隣諸国最高峰と謳われる刺突であれば、話は変わっていたかもしれない。

 だが、踏み込むべき足場が揺らいだ状態で放たれたその一撃は、明らかに精彩を欠くものだった。

 ガガーランの〈鉄砕き(フェルアイアン)〉、その背である巨大なハンマー部がマルムヴィストを襲う。

 とっさにマントを巻いた左腕でかばったが、案の定、そんなものでは防ぐことなど出来なかった。

 幸か不幸か一撃で命を奪われることは無かったものの、その左腕は飴細工のように粉々に砕け、彼の身体が大きく弾き飛ばされた。

 

 

 ガガーランは賭けに勝った事を悟った。

 

 マルムヴィストの放った切っ先。

 それは彼女の鼻先わずか数センチの所で届かなかった。

 

 

 武器を振り抜き、硬直状態にある彼女の身にサキュロントの刃が襲う。

 それはさすがに躱すことは出来ない。

 ガガーランはそれを甘んじて受けることにした。

 サキュロントは軽戦士であり、その刃を受けても、一撃で致命傷になる事はあるまい。たとえ鎧の隙間を狙われても、自分の鋼の筋肉で受け止めてしまえる。

 ガガーランはその身を引き締め、襲い来る無数の刃の内、本当の一撃に耐えようと身構えた。

 

 

 だが――。

 

 

 

 「ぐああっ!」

 

 

 ――思わず彼女は苦痛の叫びをあげてしまった。

 

 

 痛みが走った。

 信じられないほどの激痛が。

 

 ガガーランは己の脇を見下ろす。

 そこにはフードをかぶった男の姿。その男が持つ、己が鎧の隙間に突きたてられた(つるぎ)

 その切っ先が彼女の脇腹に深々と突き刺さっていた。

 

 

 彼女の視線の先でサキュロントの幻術が解ける。

 そこに現れたのは、何の飾りもないサキュロント本来の片手剣ではない。

 美しく精巧な薔薇の飾りが拵えられた鍔のあるレイピア。 

 〈肉軋み(フレッシュグラインディング)〉と〈暗殺の達人(アサシネイトマスター)〉という恐るべき魔法付与(エンチャントメント)が込められ、さらにはその刃に致死性の猛毒が塗りこめられている邪悪なる凶器、六腕の1人であるマルムヴィストの持つ〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉。

 それが今、サキュロントの手の中にあった。

 

 

 

 先ほど、ガガーランの打撃を盾で受け止めたサキュロントとマルムヴィストは、そのまま弾き飛ばされ床に転がった。

 その際、マルムヴィストは自身の得物ではなく、サキュロントの剣を拾いあげた。そして彼の意図に気がついたサキュロントは何も言わずに〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を拾うと、幻術により、それを普通の剣と見せかけたのだ。

 マルムヴィストがマントで剣先の視線を遮ったのも、その手にした得物が薔薇の彫刻を持つ愛武器でない事を悟られぬためであった。

 

 

 

 特に力を込めずとも、〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉の切っ先は、ガガーランの硬直させた筋肉を容易く突き抜け、内臓を抉り、その猛毒が臓腑の奥深くまで染み渡る。

 

 再度、ガガーランが苦痛の声をあげる。

 

 

「ガガーランっ!」

 

 彼女の普段を知る者であれば、驚愕に目を見開くような叫び声と共にティアが飛びかかる。

 その声を聞き、サキュロントはガガーランの身体を蹴り飛ばして〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を引き抜くと、その刃を今度はティアに突きたてようとする。

 

 だが、サキュロントにはマルムヴィストのような鋭い刺突を繰り出せるはずもなく、また種が分かった手品など何の意味もない。

 その切っ先は襲い来るシノビの身をとらえることなく、ティアの忍者刀はサキュロントの喉笛を一刀の下に切り裂いた。

 

 

 崩れ落ちるサキュロント。

 ティアはそんな彼の事など気にも留めることなく、ガガーランの許へ歩み寄る。

 彼女は苦痛に顔をゆがめつつもまだ息があった。回復能力のあるケリュケイオンの小手を自らの身体に押し当てることによって、かろうじて命を長らえている。

 

 その事に安堵し、腰から回復と解毒のポーションを取り出そうとするティア。

 

 

 

 その胸に灼熱が走った。

 

 

 

「こはっ」

 

 血を吐くティア。

 視線を下ろすと、彼女の薄い胸から鋭い切っ先が突き出ている。

 肩越しに振り返ると、そこには先ほど首を切り裂かれ、倒れ伏したはずのサキュロント。

 痛そうに片手で(さす)ってはいるものの、その首には傷がついた跡はない。

 

 

 〈偽死(フォックス・スリープ)〉。

 幻術の一つであり、傷を受けた後に発動するタイプのものである。

 

 

 もちろん普段のティアであれば、そんな幻術など見破ることは出来たであろう。

 しかし、先ほどの彼女は一刻も早く仲間を治癒せねばと焦った状態であり、倒した相手を冷静に観察したり、止めを刺したりする余裕はなかった。

 

 一瞬の油断。

 その結果が、これである。

 

 

 ティアは息をするたび駆け巡る激痛にその身を揺らしつつも、震える手でガガーランの為のポーションを取り出す。

 しかし、サキュロントは非情にもそれを蹴り飛ばした。

 ティアの手を離れたポーション瓶が絨毯の上を転がり、置かれたキャビネットにあたって止まった。

 

 もう一息、大きく血を吐くと、ティアは仰向けにひっくり返った。

 その目には、すでに生命の色はない。

 

 そして、ガガーランもまた、一つ身を震わせると息を引き取った。

 

 

 

 1人立つサキュロントは安堵の息を吐くと、念のため、ティアとガガーランの身体にもう一度〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を突きさす。

 その切っ先に抉られても、彼女らは身じろぎ一つしなかった。

 

 

 そうして彼女たちの死を確認してから、「ぐおおぉぉ……。痛ぇぇ……」と呻き転がるマルムヴィストの方へと歩み寄った。

 

「おーい。生きてるか?」

「生きてるよ。生きてなければ呻けないだろうが! 早くポーション持ってこい!」

 

 やれやれとぼやきつつ、戦闘が起こることは予期していたため、この部屋にある衣装ダンスの奥に隠しておいたポーションを持ってきて、砕けた腕を押さえているマルムヴィストへとかけてやる。

 

「おい、かけるなよ! 服に染みがつくだろうが」

 

 この期に及んで、まだそんなことを喚くマルムヴィストにため息をつき、その傍らに座り込むサキュロント。

 

「これで、こっちは終わったな」

「ああ、何とかなったみたいだな」

 

 手を開け閉めし、完全に治ったことを確認しながら、身を起こすマルムヴィスト。

 

「じゃあ、他の救援に行くか? こいつら以外にも侵入者はいるんだろ」

「真面目だねぇ、お前さん」

 

 彼はその言葉に呆れたような声を発する。

 

「止めとけ、止めとけ。また、今みたいな戦いをする羽目になるぞ。それこそ、今度は命を落としかねないぜ。俺たちは言われた任務を終えた。これで今回の仕事は終わりでいいだろ」

 

 そう言うと、ごろりと絨毯の上に寝転がった。

 サキュロントの方はというと困惑顔である。

 

「でも、いいのかよ。このままここにいて、俺たちが他の所に助けに行かなかったって言われたら」

 

 サキュロントの懸念に、マルムヴィストはひらひらと手を振ってやる。

 

「いいって、いいって。このまま、しばらく時間を潰して、ちょうどいい頃合いを見計らって、何とかこっちは片付きましたって感じで顔だしゃいいさ。律儀にやってたら、命がいくつあっても足りねえよ」

 

 そう言って、頭の下で手を組む。

 

「あーあ、酒でも飲んでたら駄目かな?」

「そりゃさすがに拙いだろ。チョコレートならあるから食うか?」

 

 マルムヴィストは少し身を起こして、サキュロントの手から溶けかけたチョコのかけらを受け取り、口に入れる。

 部屋中に漂う血生臭さが鼻につき、せっかくの味もろくに味わえなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やはり、おりますな」

 

 陽光聖典の男の言葉に、クレマンティーヌは頭をガシガシと掻く。

 

「どうするかねぇ……」

 

 そうつぶやき、彼女もまた壁のとっかかりに手をひっかけ這い上り、閉ざされた鉄扉の上に位置するステンドグラスの下端、透明なガラスがはめ込まれた箇所へ小さな鏡を差し出し、その向こうを覗く。

 ガラス越しにその鏡面に映し出されているのは、美々しい宮殿の建物と建物とをつなぐ白い大理石で作られた橋。その両脇には転落防止のためであろう腰の高さ程度の華美な装飾の施された縁が作られている。

 その中空に渡された絶景としか言いようのない回廊、今そこにはその美しい景色には到底似つかわしくないスケルトンやゾンビなど無数のアンデッドたちがたむろしていた。

 そして彼らが蠢くその先、この回廊の最奥、僭王コッコドールらがいるであろう玉座の間がある中央の建物へと続く扉の前に立ちはだかるのは、一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 

 

 彼女らが王城へ侵入する際に集めた情報によると、王城内にいるであろう六腕と呼ばれる手練れの者の中に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がいるという。

 

「あれが『不死王』デイバーノックでしょうか?」

 

 遠目ながらも、そこに映し出されたアンデッドの姿をじっくりと観察する。

 肉を失った皮が骨にこびりついたようなその姿は、典型的な死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のものであるが、特に目を引くのはその装備。

 身に纏ったローブやその手にしている杖は、あきらかに通常のものとは異なる、強大な魔力を持つ逸品である事は見て取れた。

 どう考えても、並みの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは思えない。

 

 

 となると、やはりあれが、アンデッドでありながら人間社会の間に根を張る闇組織の中に潜り込み、さらなる魔術を極め、より強い力を得ることに腐心していたとされる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)デイバーノックとやらであることに間違いはないだろう。

 おそらくあの装備も、八本指の一員として活動し、手に入れた金で集めたのだと考えれば不思議はない。

 

 

「どう致しますか?」

 

 扉を挟んで向こう側に位置し、彼女同様ステンドグラスの端から、扉の先にある橋の様子を眺めていた陽光聖典の男が問いかける。

 クレマンティーヌはそれに答えることなく考え込んだ。

 

 彼女の足元にある鉄扉。それは見るからに重々しく、たとえ蝶番に油を刺そうとも、開けたときに音を立てる事は予測できる。

 開ければ、その音に気づかれるは必至。

 向こうが気づかぬうちに接敵するというのは不可能である。

 

 次に問題となるのは、この虚空に渡された、二つの建物をつなぐ回廊。

 その端から端までは結構な長さがある。

 つまり、デイバーノックらしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がいる向こう端までは、一息には辿り着ける距離ではない。この直線の通路を進むうちに、何度も攻撃魔法を打ち込まれるであろう。その魔法の雨をかいくぐって向こう側まで辿りつくことは容易ではない。

 しかも、橋の途中には低級ながらも、幾体ものアンデッドたちが待ち構えているのだ。当然、それらを打ち倒し、突破するのに時間がとられ、その間も次々と攻撃魔法が飛んでくるだろう。

 

 

 ――どうすべきか?

 

 

 まず考えられるのは、向こうは始めから姿を現しているため、この場から扉に身を隠した状態で延々攻撃魔法を飛ばし、打ち倒す事だ。

 

 しかし、クレマンティーヌはすぐに頭を振るってその考えを捨てる。

 相手は魔法に長ける死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ。そんな相手を遠距離から魔法攻撃だけで仕留めるなど、今いる陽光聖典全員で行えば可能かもしれないが、あまりに非効率的過ぎる。

 勝つことは出来るかもしれない。だが、僅かばかりではない時間、そしてMPを多大に浪費することは間違いない。

 彼女らの任務はここで終わりではない。この橋を突破するのはあくまで経過の一つであって、最終的な任務、目的ではない。

 この場で全力を使いきる訳にはいかないのだ。

 

 次に考えたのは、独りクレマンティーヌが武技を使い、一気にこの橋上を駆け抜ける事だ。

 彼女の本気の速さならば、数秒で死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の許へと辿り着くことが出来る。

 おそらく、魔法を唱える余裕は一発分程度しかあるまい。

 それなりに幅はあるとはいえ、けっして広いとは言えないこの場で向こうの放った魔法を躱すことは出来ないだろうが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)程度の放つ魔法、その1発や2発くらいならば、たとえ直撃を受けたとしてもクレマンティーヌは耐え切れる自信がある。

 それに多少の怪我など、気にすることもない。今回は後ろに陽光聖典の者たちが控えているのだ。事が終わった後で回復魔法を唱えさせればいいだけである。

 そう考えれば、陽光聖典の者達は一旦ここに残し、彼女一人でカタをつけるのが最良の方法に思える。

 

 

 しかし――。

 

 

「だけど、やっぱ、罠だよねぇ」

 

 彼女は口元をゆがめる。

 

 どう考えても、あからさまだ。

 たとえ漆黒聖典において『疾風走破』とまで呼ばれる、素早さが身上のクレマンティーヌという存在が向こうにとって予想外だったとしても、このような一直線の橋上というシチュエーションにおいて、突進の可能性を考慮していないとは考えにくい。冒険者などが相手ならば、支援魔法で防御を固め、多少のダメージを覚悟で突っ込んでくる事は十分に予想できる。

 

 おそらく、途中でなんらかの足止めがある。

 罠か、それとも伏兵か。

 どちらにせよ、それに足を止めさせられれば、そこへ魔法の連打が叩きこまれる羽目になるだろう。

 

 

 やれやれと彼女は嘆息する。

 本当ならば、罠と分かっているところに踏み込むなど正気の沙汰ではないのだが、だからといってやらないという訳にもいかないのが宮仕えの辛いところだ。今更、裏切ってバックレるわけにもいかない。

 やっぱりあのまま法国に帰らなければよかったかもしれないという考えが頭をよぎるが、いまさら言っても仕方がない。

 

 クレマンティーヌはもう一度ため息をつくと、よっと声をあげて壁面から飛び降りると、今回、彼女の配下として動いている陽光聖典の者達を見回した。

 

「そうだねぇ。じゃあ、こうしようか……」

 

 

 

 ギイイッと音を立てて鉄扉が開く。

 その音に橋上にいたアンデッドたちが振り返った。

 

 そこへ空を切り、飛びかかる人影。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が振り払った燃え盛る剣により、近くにいたスケルトンたちは容易く打ち倒される。

 

 その後ろから現れるのは、隊列を組んだ白い衣服に身を包む人間たち。

 

 

 その姿を認め、橋の向こう、扉を背にした死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が魔法を飛ばす。

 人の頭ほどの炎の塊が一直線に、回廊上に姿を現した人間たちの隊列に襲い掛かる。

 しかし、目標に着弾したところで爆発し、辺りを紅蓮の炎で包むはずの魔法は、なぜか何もない空中で爆発した。人間たちが作り出した魔力の盾に衝突したのだ。

 そこを中心として炎が荒れ狂う。

 だが、その熱波は、人間たちのすぐ手前に張られた、同様の魔力の盾によって妨げられた。

 

 

「よっし。じゃあ、前進」

 

 隊列の中央にいるクレマンテーヌの掛け声に、彼らは魔法の防御を前面に展開しつつ、隊列を組んだまま通路を直進する。

 

 

 クレマンティーヌが出した結論は魔法による防御を固めつつ、隊列を組んで前進し、地力で圧倒するというものだった。

 前列の隊員が少し前方に魔力の盾を作り、中段の隊員が前列の隊員のすぐ前に魔力の盾を作る。後列の者は炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を召喚し、回廊上にいるアンデッドたちを物理的に排除するという、魔力はそれなりに消費するものの実に手堅い戦術だった。

 

 実際、幾度か打ち出された死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法は二重の魔法の防御により打ち消され、隊員たちに重傷といえるほどのダメージを与えることは無かった。そして多少のダメージは回復魔法で治してしまえる。また、スケルトンやゾンビなどのアンデッドでは彼らが操る炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の前には敵しえない。

 

 

 そうして、じりじりと前進を続け、およそ橋の中央部へと差し掛かった時――。

 

 

 べちゃり!

 

 ――音が聞こえた。

 

 何か泥のようなものが固い壁にぶつかりでもしたような奇妙な音。

 その異様な音に前進を続けていた部隊は何の音かと周囲に視線を巡らせた。

 

 しかし、見た限り、そんな音を立てるものは橋上にはいない。

 その間も、ぐちゅりぐちゅりと音は続く。

 やがて、その音は回廊の脇から聞こえてくると知れた。

 

 

 べちゃり!

 一際高い音と共に、回廊の縁、それ自体が芸術品であるかのように削りだされた白い大理石の飾りの上に何かが載せられた。

 

 それは黄色い腐汁を垂れ流す肉塊。

 おそらくそれは手だったのだろう。そう判断したのは、それに引きずりあげられるかのように側面から姿を見せた、それから続くさらに巨大な異形の姿のため。

 

 

 その姿を見た、過酷な訓練を積み、様々な異形の怪物(モンスター)を目にしてきたはずの陽光聖典の隊員たちは(こら)えきれず悲鳴をあげた。

 思わず、その足が止まる。

 

 

 やがて、そいつはのそのそと回廊上へと全身を現した。

 まるで子供が泥をこねて人の形にでもしたかのような、ぶよぶよと膨らんだ短い手足を持つ奇怪な姿。全身を覆う膿胞は、そいつが身動きするたびにぶちゅぶちゅと音を立てて潰れ、悪臭を放つ厭らしい膿が、体中の肉瘤を伝って流れ落ち、石畳の上に垂れ流される。なぜか頭部と思しき場所辺りから一房の、明らかにその醜い身体にそぐわない美しい金髪がなびいているのが、また奇妙だった。

 

 先ほどから聞こえてきた奇怪な音は、こいつがその粘液まみれの身体で橋の側面に張り付きながら登ってきた時のものなのだろう。

 陽光聖典の者達はその醜悪な姿を前に身を凍らせ、風に乗って流れてくる悪臭に吐き気をこらえるのに必死であった。

 

 

 だが、そんな中でクレマンティーヌはにやりと笑った。

 

 

 ――こいつがあのデイバーノックの切り札だろう。

 足止め用の化け物。どんなに強くとも、たった一体しかいない。

 ここは地面よりはるか高い橋の上だ。ならば、足元への魔法の連打で、その鈍重な体を弾き飛ばし、橋から叩き落としてしまえばいい。

 たとえ、それで落とせなくとも、すでに部隊は橋を半ばほどまで渡っている。魔法であいつをわずかでも(ひる)ませてしまえば、その隙に自分が脇を駆け抜け、後ろのデイバーノックを始末してしまえる。

 

 

 クレマンティーヌは魔法攻撃を命令する。

 彼女の指示に従い、陽光聖典の者達は一斉に魔法を叩きこむ為、精神を集中させる。

 

 次の瞬間――。

 

 

 響いたのは、耳をつんざく破裂音。

 

 

 攻撃魔法が炸裂した。

 だが、それは彼らの目の前にいる人型の肉塊に対してではない。

 

 今まさに魔法を放とうとした陽光聖典の者たち、その隊列に対してである。

 

 

 

 突然の事に混乱する彼ら。

 大理石の床に倒れ伏すあちらこちらから、苦悶の呻き声が上がる。

 

 訳が分からなかった。

 デイバーノックがいる前方には変わらず魔法の盾を展開させており、その攻撃魔法が通るはずがない。それに見ていた限り、そいつは魔法を唱えた様子はなかった。

 

 陽光聖典の者達が右往左往する中、バッと振り返ったクレマンティーヌ。

 彼女は今の攻撃が後ろから来た事に気がついていた。

 

 

 見ると、先ほど彼らが通ってきた側の入り口から二つの人影が回廊上に現れた。

 彼らの背後で誰も触れる者もいないのに鉄の扉が音を立てて閉まり、そこに魔法による封印が張られる。

 

 その二つの人影。

 1人は全身を隙間なく全身鎧(フルプレート)で包んだ性別不明の人物。

 そしてもう1人は……。

 

 

「ははは。いいタイミングだったぞ。デイバーノックよ」

 

 先に橋の向こう側にいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が、新たに現れたもう一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へと、満足げに声をかける。

 

 その言葉に新たな死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は「偉そうに……」と忌々し気につぶやいた。

 

 

 

「は、挟み撃ちか……!」

 

 必死で回復魔法を唱える声が響く中、とにかく現状を打破しようと、陽光聖典の隊員の1人が、自らが使役する炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を新手の2人に差し向ける。

 

 燃え盛る剣を片手に躍りかかる天使。

 しかし、振り上げたその剣が届く間合いに至る前に――その体は二つに断たれた。

 

 天使は血を流すことも断末魔の悲鳴を上げることもなく、飛んできた勢いのまま落下し、そのまま影も形もなく消え去った。

 

 何が起こったのかもいまだ理解できぬ彼らの前で、六腕の1人『空間斬』ペシュリアンは己が操る鋼糸にも似た剣を閃かせた。

 

 

 それと同時に、奇怪なカチャカチャという羽ばたきの音が辺り一面を包んだ。

 はるか脚下より、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の群が彼らの上空へと舞い上がった。

 

 

 そうして、魔法攻撃が始まった。

 前方と後方、橋の両端に位置する2体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が攻撃魔法を叩きこむ。

 

 

「防御だ。前方と後方、両方向に防御をはれ!」

 

 叫ぶ隊員の声。彼らは自分たちが罠にはまった事を理解した。

 負傷者を間に挟み、必死で魔法と薬とで治療する彼らの胸の内に絶望が押し寄せる。 

 

 

 そんな彼らの慌てふためく様子を見て、最初からいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は満足げに頷き、嘲りの声をあげた。

 

「ははは。哀れな力なき者たちよ。愚かにも我が主たる至高の御方に刃を向ける愚か者どもよ。主に代わって、このイグヴァが、汝らに引導を下さん」

 

 



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第76話 戦闘―4

2017/2/17 「影ながら」→「陰ながら」、「体勢」→「態勢」、「持って」→「以って」、「振るえる」→「震える」、「口を聞き」→「口を利き」訂正しました



「ぐああっ!」

 

 苦痛の声と共にリュラリュースの身体が、石壁に叩きつけられる。

 ズルズルとその身が硬い石床へと、すべり落ちた。

 

 

 尾の先まで含めれば、それこそ人間数人分はありそうな長大な体躯。それが今や力なく地に横たわっていた。

 

 そのすぐそばへ、悠々と歩み寄る小柄な姿。

 どう見ても少女としか思えない矮小な体躯は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしい漆黒のローブと、それとは対照的な深紅のフードによって覆われている。

 

 しかし、普段その顔を覆い隠している仮面は、先ほどのリュラリュースによる尾の一撃を受け、傍らに転がり落ちていた。

 それにより普段隠されていたその顔が今、(あら)わとなっている。

 

 

「き、貴様、その顔……! もしや吸血鬼か!?」

 

 口元から伸びた、八重歯というには長すぎる、まさに鋭く尖った牙。抜けるように白い肌。そして、その血よりも赤い瞳。

 それらはこの恐るべき魔力、そして常軌を逸した肉体能力を持つ少女の正体、彼女がアンデッドの中でも上位種たる存在、吸血鬼(ヴァンパイア)である事を示していた。

 

「ふん。戦う前に気づくべきだったな」

 

 自らの仮面を弾き飛ばされ、素顔をさらし、あまつさえ正体が吸血鬼だと露呈する羽目になったイビルアイは、それをやったリュラリュース、そして油断した自分への苛立ちのままに、靴音高く、大股で彼へと近づいていく。

 

 

 逃げようとはしたものの、体中に走る激痛に満足に体を動かすことも出来ず、リュラリュースは首根っこをひっつかまれ、深紅のタペストリーが飾られた回廊の石壁へと叩きつけられた。

 

 

「さて、お前には聞きたいことがある」

 

 その赤い瞳がギラリと光る。

 

「今回の一件、黒幕は誰だ?」

 

 イビルアイは問いかけた。

 

「本当にコッコドールとかいう八本指の人間がすべてを仕組んだなどという事はあるまい。裏で糸を引いているのは誰だ? 言え! 亜人どもを意のままに従え、そして、お前のような奴にまで、命令を下せる相手とは一体何者だ?」

 

 その問いに、リュラリュースはくっくっくと笑い声を漏らした。

 

「愚かよな」

「なに?」

「お主は自分が強いと思っておるのじゃろう。自分はこの世界において、圧倒的な存在だと。おお、そうじゃ。お主は強い。トブの大森林において覇権を争っておった3者、西の魔蛇と言われたこの儂よりもな。お主は強い。じゃが、お主は弱い。儂やお主の強さは所詮、普通の者が想像できる程度の強さでしかない。しかしな、この世には人知をはるかに超越するほどの強さを持つ者もおるのじゃ」

「……そいつの名は?」

「さてな」

 

 みしり! 

 イビルアイに掴まれた、リュラリュースの首が音を立てる。

 

「おとなしく喋る事だ。死にたくないならな」

 

 その言葉に、リュラリュースは苦痛に顔を歪めつつも引き攣った笑い声を吐いた。

 

「死にたくないなら、か。死んだ方がマシじゃな。おお、そうよ。あの方々に歯向かった者の末路を知るならば。逆らい、囚われ、地獄の責め苦を受ける事を考えれば、死なぞはるかに上等じゃ」

 

 イビルアイはこの――自身ほどではないにしても――強大な力を持つナーガの言葉に眉宇(びう)を寄せた。

 

「お主はあの方々の恐ろしさを知らぬのじゃ」

 

 老人の顔をしたナーガは、今しも目の前の吸血鬼に止めを刺されそうな状況にありながら、その目ははるか遠くを見て続ける。その声には畏怖があった。

 

「恐ろしい。まったく恐ろしい。あのような存在。桁をいくつも超えた存在。それも1人ではなく複数。そして、それらが反目することなく、頂点に君臨する者へ絶対の忠誠を捧げる様。一体、あのような存在が何故いるのか。一体、今まで何処にいたというのか。一体何故、突然、今になって姿を現し、行動を開始したのか」

 

 そのつぶやきに、イビルアイの脳裏をかすめるものがあった。

 ハッとして思わず息をのんだ。

 

 

 圧倒的なる強者。

 そして、それに忠誠を誓う者達。

 それらが突然この世界に現れ、活動を開始した。

 

 

 ごくりとイビルアイの喉が音を立てる。

 

 

 ぷれいやー。

 えぬぴいしい。

 そして、100年目。

 

 

 イビルアイはひび割れた声で問いただす。

 

「おい……! そいつらはもしかして……」

 

 

 その刹那――。

 

 轟音と共に何か巨大なものが、彼女たちがいる回廊、その天井や壁を突き破った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「順調だな」

 

 ニグンはつぶやいた。

 破風(はふ)に据えられた鎧戸――に見せかけた監視用の窓、その内側で市街の現状を探っていた遠眼鏡を下ろす。

 

 

 ここは王都の一角。

 とある一軒の家屋。

 表向きは食料などを卸す問屋となっているが、実際の所は王都における風花聖典の拠点の一つである。

 

 その屋根裏には今、ニグンを始めとした幾人もの人影があった。

 中央のテーブル上には王都の地図が敷かれ、魔法を始めとした様々な手段で集められた情報をもとに、刻一刻と動きつづける戦況が示されている。

 この埃っぽい屋根裏部屋こそが、王都における今回の蜂起作戦、それを陰ながら支援、協力している法国の人間たちの指揮所となっていた。

 

 

 

 「お疲れ様です」という言葉と共に持ってきてくれた紅茶――すぐに飲めるように冷ましてある――をニグンは一息に飲み干す。

 

 

 彼、ニグンは今回の作戦において、王都市街地における法国の者達の指揮監督権を、直接、王城内に突入する役となっていた漆黒聖典の隊長から譲り受けていた。

 

 彼は陽光聖典の人間として、信仰の深さ、そして戦闘に関する実力をともに買われ、かつて計画されたリ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ討伐の任を授けられたほどの人物である。

 その任には失敗し、囚われの身となった彼は、情報漏えいを危惧した法国上層部の手により一度は暗殺されたのであるが、彼らが相対したらしいアインズ・ウール・ゴウンなる魔術師の情報をあらためて欲しがった法国の思惑により、遺体は回収され、そして同国における秘儀により蘇生されたのである。

 

 蘇生を受けた者の常として、かつて陽光聖典を率いたほどの肉体能力は衰えてしまったのであるが、彼個人の生まれながらの異能(タレント)や長年戦闘部隊に所属し、活動していた事による知識と経験などは失われることは無かった。

 その為、現在のように己が身を隠して召喚能力の使用する他、こうして隠れ家において、本作戦におけるトップである漆黒聖典の隊長が不在の間のまとめ役を任されていたのである。

 

 

 

「順調だ……今の所は」

 

 ニグンはもう一度つぶやき、再び外の様子を探る。

 

 

 今のところ、戦況はこちら側が有利だ。

 亜人たちが味方を識別するためのマジックアイテムをわずかながらも秘かに入手し、それを身につけた者が攻撃を仕掛けることにより、向こうに混乱を起こすという目論見は見事に成功している。

 これで立てこもる冒険者に対し、力と数で勝る亜人たちが攻め寄せ、圧倒するという構図の針を随分と押し戻せた。

 その上、市街に潜伏した六色聖典の者達による炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を始めとした天使の召喚、更にはフロスト・ドラゴンの援護というアドバンテージもある。

 フロスト・ドラゴンは下手に攻撃に加われば、王都の民衆にまで被害を及ぼしかねないため、あまり大々的な攻撃は控えているが、ただ上空を飛行し威圧しているだけでも、相手方の意気をくじくことが出来る。

 そうして、怯えひるんだ敵兵は、もっと小回りのきく天使たちが狩っていくという策だ。

 

 

 

 だが、事態はまだ楽観できるほどではない。

 

 たしかに、現在、亜人たちは混乱しきっており、組織的な行動をとれないでいる。

 

 だが、それでも、この場の者達のみで勝利しきることは出来まい。

 最大の問題は圧倒的なまでの量の差だ。

 

 

 冒険者たちはどうしても数が少ない。

 この王都が地獄の都市へと変わってから、冒険者の多くはこの街から逃げ出した。定住しているわけでもないし、生活の基盤がこの地に根付いているわけではない。

 何も好き好んで、亜人たちが我が物顔で闊歩(かっぽ)する都市で、身を縮こまらせて過ごす必要もないのだ。

 

 また、先にこの現状を何とかしようとした『朱の雫』および彼らと行動を共にした者達は、全て殺害される、もしくはいまだに死すら許されず、地獄の責め苦を受け続けている。

 それを目の当たりにした冒険者たちは、もはや反抗など考えようともせず、彼らの王都からの脱出に歯止めがかからなかった。

 今回の作戦の為、そうして脱出した冒険者を周辺の都市から『蒼の薔薇』の名を使い、かき集めたのではあるが、それでもその総数は八本指に組する亜人たちと比較すると数分の一程度にしかならなかった。

 

 

 そして、召喚された炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)もまた、かなりの強さを誇るものの、こちらはかろうじて二桁いく程度の数しかいない。実際の所、空を飛ぶ天使の大半は、上位天使ではなく、通常の天使で補っていた。

 

 かつてニグン自身がガゼフ抹殺の為に率い、そして破れたカルネ村での戦いによって、陽光聖典の数は半減してしまっている。そして、その残された隊員の多くは漆黒聖典の隊長やクレマンティーヌ、そしてかつては仇敵であった『蒼の薔薇』らと共に、王城への突入班に組み込まれている。

 その為、他の六色聖典において戦闘に長けた者や、本来ならば選考過程でふるい落とされた者達をも招集し、何とか戦力をかき集めたのだ。

 その結果が、こうして自分たちは隠れ潜んだまま、秘かに天使を召喚し闘わせるという、あまり褒められたものではない戦い方をせざるをえなくなっている。

 

 内心忸怩(じくじ)たる思いはあるが、現状、法国の戦力は決して直接、矢面に立てるほどの戦力ではないのだ。

 

 

 その為、戦況はいまだ予断を許すことは出来ない。

 今はまだ向こうが混乱しているため、優位を保てているが、この混乱から立ち直ったら、単純なる肉体能力と数の暴力によって、こちらが押しつぶされるは必定(ひつじょう)

 だから、一刻も早く王城を制圧せねばならない。

 

 敵の首魁を討ち取ったと大々的に宣言できれば、流れが一気に変わるだろう。

 簒奪者側についていた者達は、大慌てで今後の身の振り方、対応を考えねばなるまい。降伏するか、逃げるか、どこかに立てこもるか、それとも再度王城に攻撃を仕掛けて制圧し返すか。

 

 その知らせを聞けば、圧制を受けてきた王都の民衆たちもまた、これまでの横暴に対し武器をとるに違いない。

 別に彼らを戦力として期待しているわけではない。だが、たとえ一人一人は大したことがないとはいえ、当然ながら彼らは数が多い。この街にいる亜人たちとは比べ物にならない。

 

 そして当然ながら民衆は王都のそこら中にいる。

 言うなれば、亜人たちは周囲すべてが敵対者に囲まれるという事になる。

 

 そんな状況下で、勢いに乗った冒険者たちとこれまでのように戦うことは出来ないだろう。

 たとえ相手はろくに武器も振るったことのない弱者である事は想像できるにしても、いつ背後から襲われるかもしれないという懸念を抱いたままでは、全力など出せるはずもない。

 

 それで及び腰になり、王都から撤退しようとした時が狙い目だ。

 逃げる兵士相手への追撃戦ならば、数の差など容易く覆せる。雑草を刈り取るがごとく、討ち倒せる。逃げるその背には民草の怒りの刃がつきたてられるだろう。

 まあ、完全殲滅は無理だろうが、かなりの数は討ち取れる。

 後は街から逃げ出したり、また街中に潜伏するなどして、散り散りになったものを各個撃破していけばいい。六色聖典の力を使えば、それも十分に可能だ。

 

 

 

 とにかく、全ては王城に潜入した者達の活躍にかかっている。

 

 こうして見ている限り、どうやら段々と簒奪者側の勢力、八本指と亜人たちは態勢を立て直し始めている。

 冒険者たちはその戦略上、陣地を利用した防衛戦にならざるをえず、六色聖典の操る天使たちは圧倒的に数が少ない。味方識別のアイテムを装備した攪乱(かくらん)部隊であるが、それも十分といえるほどの数は揃えられなかった。どうしても襲撃時に反撃にあう者もあり、少しずつではあるがその数を減らしている。

 

 このままではやがて、統制を取り戻した亜人たちの手によって、冒険者が立てこもる陣地への攻撃が再開されるだろう。

 

 

 ――ええい、成功の合図はまだか……。

 

 ニグンは歯を噛みしめつつ、王城の方へ視線を動かす。

 作戦成功の狼煙は未だ上がらない。

 

 

 遠眼鏡で見る王城ロ・レンテは、その城門こそ破壊されたものの、いまだその圧倒的なる威容を湛えていた。

 

 そんな王城の上空を、猛き咆哮をあげながらフロスト・ドラゴンが飛び回る。

 再度、市街にあまねく響いたその声に、落ち着きを取り戻し始めていた亜人たちも再び震えあがったのが、こうして秘かに監視しているニグンの目にも見て取れた。

 

 竜は今も攻防が繰り広げられている陣地よりわずかに離れた所、今にも攻め手に加わろうとしていたトロールたちが固まる建物の屋根へと着地した。当然、その家屋は竜の重みになど耐えきれず、音を立てて倒壊する。

 

 崩れた瓦礫に埋もれるトロールたち。彼らはその持ち前の膂力で柱や漆喰の破片を持ち上げ、放り投げ、這い出てくる。

 そうして仲間を助けるため瓦礫を取り除く作業していた一体が、竜の爪に捕らわれた。

 

 フロスト・ドラゴンはそいつを掴んだまま、その純白の羽を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。

 その光景を呆然と見上げる彼らのはるか上空。

 そこで、掴んでいたトロールを離す。

 

 空など飛べようはずもなく、悲鳴と共に落下したそいつは地面に激突し、大輪の花を咲かせた。トロールの強靭な肉体、炎以外のダメージはみるみるうちに再生していく回復力を以ってしても、死は免れなかった。

 

 その凄惨な光景を目の当たりにして、冒険者の立てこもる陣地を取り囲む包囲網、その線がさらに後退する。

 

 

 ――あのドラゴンが味方となった事は、実に僥倖だったな。アレがいる限り、こちらはまだまだ粘ることが出来る。かつてアゼルリシア山脈付近でドラゴンと相対した時があったが、あの時は肝が冷えたものだ。それが敵ではなく味方となると、なんと頼もしい事か。

 

 

 ニグンは陽光を反射するキラキラとした冷気をまとわせて上空を自在に舞い飛ぶ、そのフロスト・ドラゴンの雄姿を、まばゆいものを見るように目を細め、眺めた。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 不意に何か白い小さなものが舞い上がり、その巨体と交差したかと思うと、次の瞬間、その白銀の身体は突如、力を無くして落下し、飛翔していた勢いのまま、王城ロ・レンテ、その強固な外壁へと激突した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 王城が震えた。

 

 

 砕けた瓦礫の山からイビルアイが顔を出す。

 辺り一面、粉塵が濛々(もうもう)と舞い上がり、わずかな視界さえも利かない。

 身体の上にのしかかる石片を払いのけ、とにかく起き上がらねばと瓦礫から這い出た。

 

 そして、何度も大きく咳をしながら、手で舞い上がる煙を払い、一体何が起こったのかと周囲を見回す。

 やがて少しずつ粉塵がはれていくと、そこには目を丸くするような光景が広がっていた。

 

 

 まばゆいほどに白い新雪のような体躯を持つ、かつて自分たちもザリュースの頼みによってその背に乗せてもらった、今回の蜂起作戦において王都上空での陽動を行ってくれていたはずのフロスト・ドラゴン。

 その竜が王城の外壁を突き破り、力なくそこに横たわっていた。

 

 

 イビルアイは慌てて、その巨大な身体に近寄る。

 

 だが、その足がピタリと止まった。

 

 

 

 墜落したドラゴンの肉体により、彼女がいた回廊は壁も天井も大きく損傷している。

 そこより覗く碧空。

 その蒼の内から、ふわりと舞い降りてきたものがある。

 

 

 

 それはまさに至上の美。

 純白のドレスを身に纏い、腰まである長い黒髪を風になびかせている。

 彼女はただそこにあり、見上げるイビルアイを冷たい瞳で睥睨(へいげい)していた。

 

 

 イビルアイは端麗にして優美、そして凄艶(せいえん)たる姿を前に、ただ茫然と見返すより他になかった。

 

 

 どれほどそうしていただろうか。長い時間だったかもしれないし、ほんのごく一瞬でしかなかったかもしれない。

 彼女はハッと気がついた。

 

 何故、この女性は宙に浮いているのか。

 

 

 腰から生えた黒い翼。

 それが緩やかに羽ばたいている。

 

 そして、イビルアイは気がついた。

 彼女の頭部、こめかみから山羊のような角が生えている事を。

 イビルアイを見つめる瞳、その金色の光彩の奥にある瞳孔は爬虫類のように縦に伸びている事を。

 

 彼女は優雅なまでの仕草で、ふわりと息絶えたドラゴンの上へと降り立った。

 

 

 

「あ、悪魔……」

 

 そのつぶやきは口にしたイビルアイからして、耳を聾する轟音の後に訪れた静謐を汚す、禁忌の言葉のごとくに感じられた。

 

 

 全身が総毛だった。

 

 イビルアイの身体に震えが走る。

 200年を超える時を生き、国堕としと忌み嫌われ、十三英雄の1人として魔神と戦い、現在も人類の決戦存在と謳われるアダマンタイト級冒険者として過ごしてきた。

 そんな彼女をして、これほどの存在は見たことがなかった。

 相対しただけでわかる。

 この女悪魔は桁が違う。

 敵を前にして、勝つだの負けるだのという次元の相手ですらない。

 捕食者の前の被食者ですらない。

 まさに圧倒的、それこそドラゴンの前にいる虫けらでしかない。

 

 

 イビルアイは混乱のままに思考する。

 

 ――何故、こんな強大な悪魔がここにいるのか?

 今回の件に対抗するために誰かに召喚されたのか?

 それとも、最初からいたのか?

 となると、この悪魔こそが、今回の黒幕なのだろうか?

 いや、そうだとするのならば、何故このタイミングで出てきた?

 つまり、こいつは……。

 

 

 取り留めもない思考が脳内を駆け巡る中、イビルアイは声をかけた。

 

「お、おい……お前は……何者だ?」

 

 問いかけるイビルアイ。

 そんな彼女の事を眺めるその悪魔はつまらなそうに髪をかき上げた。

 そして、興味を失ったようにあらぬ方向に目をやり、誰に語りかけるでもなく、独り言のようにつぶやく。

 

「このように些末な事に、私が出る意味……。どう見ても、歯牙にかけるほどの価値もない連中しかいないようだけれど、一体アインズ様にはどのようなお考えがあるのかしら? かつて1500人からなる不敬者らの襲撃の時も、私が控えていたところまで辿りつく者はいなかった。つまり、ナザリック外の者で私の姿を知る者はいない。その私が表に出る理由……もしや、私の事を知っている者、すなわち、この地に他の至高の御方がいるかどうか確かめるためという事なのかしら?」

 

 目の前にいるイビルアイの事など気にも留めずに、ぶつぶつとつぶやきながら考えるアルベド。

 だが、傍らでその口から洩れる言葉を聞いていたイビルアイは驚愕に身を震わせた。

 

「お、おい! お前は今、アインズと言ったな? お前はまさか、カルネ村でガゼフと共に、法国の人間と戦ったというアインズ・ウール・ゴウンの手の者なの……」

 

 

 瞬間――ドラゴンの上に立つ悪魔の姿が消えた。

 

 その姿を目で追うより早く、イビルアイの腹部に衝撃が走る。

 

「ぐはあっ!」

 

 その小柄な体が撥ね飛ばされ、崩れかけた天井の端にぶち当たると、空中でくるくるとその身は回転し、床へと叩きつけられる。

 

 

 何のことは無い、ただ全速で近寄り、力任せに蹴り上げただけだ。

 ただそれだけの事なのに、ただの一撃で、人間よりはるかに頑健な吸血鬼の肉体、その肉が裂け、骨が折れ、臓腑が掻き乱された。

 

 血反吐を撒き散らし、震える足で立ち上がるイビルアイの姿を眺めるアルベドの瞳の奥には、憤怒の炎が燃えている。

 

「この……屑がっ……!」

 

 アルベドの編み上げ靴が、立ち上がりかけたイビルアイの胸部を襲う。

 骨と肉がひしゃげる感覚とともに、彼女の身体が蹴り上げられる。その身体は先ほど同様、天井へと跳ね上げられ、その衝撃に砕けた破片と共に、再度石畳へと叩きつけられる。

 

 呻き声をあげ、身を起こそうと床についた小さな手。

 その手が見目麗しい女悪魔の靴によって踏みしだかれる。

 

 思わず、イビルアイは悲鳴をあげた。

 その靴底により、彼女の左手が粉々に粉砕されたためだ。

 

 

 残された右手で、己が腕を踏みにじるその足をどかそうとするも、まるでそれは根の張った巨木であるかの如く、吸血鬼の剛力にもピクリともしない。

 

 アルベドが足を振り上げ、蹴りつける。

 再度、胸部を襲った衝撃、砕け散る骨の感触に息が詰まった。

 だが、イビルアイの左手は未だ悪魔によって踏みつけられたままだ。吹き飛びかけたその体は自らの腕によって引き留められる。その際、ミチミチと筋肉が引き千切れる音が彼女の耳に響いた。

 

 

 そうして、再び地面に突っ伏したイビルアイを、今度は手にしたバルディッシュの柄で乱打する。

 

「このっ、この屑がぁっ! 至高なる御方、アインズ様の事を呼び捨てで呼ぶだと!! 小娘っ! お前などは、ナザリックに積もる埃一欠片の価値もないというのにっ!! クソッ! クソ小娘があぁっ!!」

 

 湧き上がる嚇怒(かくど)を隠すことなく、怒声を撒き散らすアルベド。

 

「小娘っ! 小娘っ! あの、あの小娘がぁっ!! ア、アインズ様に馴れ馴れしく口を利きやがってえぇっ! お前はっ、お前は娘だろうがっ!! アインズ様を捨てて、どこかへいなくなった、あのクソ野郎の娘だろうがっ!? お前のっ! お前のやるべきことは地べたに這いつくばり、アインズ様の靴底を舐めて、ベルモットとかいう屑親の犯した罪を謝罪することなんだよ!!」

 

 アルベドの金色の瞳。

 それは倒れ伏すイビルアイを捉えていたが、その見つめるものは全く別の存在。

 

「それをっ! それをあのクソムシっ! 慈悲深いアインズ様の御人徳につけ込んで、舐めた態度取りやがってぇぇっ!!」

 

 柳眉倒豎(りゅうびとうじゅ)などという言葉では収まりきらぬほど怒りを(あら)わにし、激憤を撒き散らすアルベド。

 目の前に倒れているのは、かつて至高の41人と言われたうちの1人、その娘としてナザリックにいるベルではなく、初対面の吸血鬼の少女なのであるが、そんなものは関係ない。己の胸の内に溜まった鬱憤(うっぷん)を、ただ同じくらいの年恰好の少女だからという理由だけでぶつけているだけである。

 

 

 ズン!

 

 バルディッシュの石突きを回廊の石畳に叩きつける。

 その衝撃に、百年以上、完全武装した兵士の鉄脚絆の行軍にも耐え続けてきた石床に、同心円状にひびが走った。

 

 

 荒い息を吐くアルベド。

 肉体的に疲労したためではない。己の胸の奥を荒れ狂った激情のあまりの激しさ(ゆえ)だ。

 

 彼女がその気になれば、それこそ吸血鬼の強固な身体がすっかりペースト状になるまで叩いても、息切れなどせぬであろう。

 だが、彼女の足元に倒れ伏すイビルアイは、全身の骨が砕けた程度に収まっていた。

 憤怒に身を任せつつも、彼女はイビルアイの事を即座には殺さぬよう、手加減していた。

 

 

 荒れ狂う暴力の乱流が収まり、イビルアイはその身を痙攣させた。

 その強靭なはずの肉体は、金属塊によって激しく打ちのめされ、もはや立ち上がることさえできない。

 

 ――拙い。このままでは、この場を突破し、他の者と合流するどころではない。

 ……ここは一旦退避しなければ。

 

 

 イビルアイは数度、こふっこふっと口から血やら何やらが混じったものを吐くと、転移魔法を唱えようとする。

 

 しかし――。

 

 

 ――がっ!

 

 魔法を唱えようとした、その口。

 そこへアルベドがその爪先を突っ込んだ。

 

 口腔に走る衝撃と驚愕に目を見開くイビルアイ。

 彼女の鋭い牙でも、女悪魔の抜けるように白い素足に傷一つつけることは出来なかった。

 

 そして、アルベドはその足を勢いよく下へと踏み下ろす。

 固い石床の上へと。

 

 静謐なまでの冷たさをもつ花崗岩と、アルベドの履く編み上げ靴の底とに挟まれ、イビルアイの顎は砕け散った。

 

 

 声にならない叫び声をあげるイビルアイ。

 彼女は転移の魔法を使える。はるか遠くへも、自分一人ならば脱出できる。だが、彼女はその魔法を無詠唱で唱えられるほどには習熟していない。

 すなわち、撤退する術を断たれたという事だ。

 

 

 吸血鬼に生まれ変わって以降、初めて感じる絶望と恐怖にうなだれ、身を震わせるイビルアイ。

 そんな彼女の髪をアルベドは、がっと掴み上げた。

 ぐっと頭を引き上げ、そして彼女の小さな肩へ足を乗せる。

 

 首をそらした姿勢で固定させられた彼女。喉笛を切り裂かれるかと、その身を固くしたが、予想に反して冷たいものが押し当てられたのは喉ではなく、そのほっそりとしたうなじ(・・・)

 疑念に視線を動かしたイビルアイの目の端に飛び込んできたのは、己が首筋に押し当てられた女悪魔の持つバルディッシュ。

 

 だが、その様に彼女は片眉をあげた。

 

 彼女の首に当てられたバルディッシュであるが、それは如何なるものでも切り裂くであろう鋭さを持った刃ではなく、その背である。おそらく、相手の武器をからめとるために使うのだろうか、三又に別れた鈍器のようなものがそこには伸びていた。それが、今自分の首に押し付けられていたのだ。

 一体何がしたいのかと、疑念を抱く彼女。

 しかし、その答えはすぐに身を以って学習することとなった。

 

 

「ひっ! が、ぎゃあぁっ!! ごっ、がぐっ!」

 

 肺腑の奥より絞り出される様な声が、勝手に喉から漏れる。

 アルベドはその決して鋭利とは言えない突起の山をイビルアイの首筋に押し当て、まるでのこぎりでも扱うかの如く、幾度も前後に動かし、わずかずつイビルアイの筋肉と脛骨をこそげ落とし、削り取っているのだ。

 

「ぐ、ぐげっ! ま、待って。 や、止べて。せめて、せめて刃の方で……!」

 

 辺り一面、噴き出した鮮血が飛び散る。

 

 そんな赤の血化粧をその身に受け、アルベドは笑みを浮かべていた。

 残忍にして凄惨、そして憎悪の満ち溢れた笑みを。

 

「ああ、これが……これがあいつの首筋だったら……。あのベルとかいうクソムシに、こうして悲鳴をあげさせてやったら……」

 

 苦悶の表情を浮かべるイビルアイの姿に、想像の中で泣き叫びながら必死で命乞いの声をあげるベルの姿を重ね合わせ、アルベドは口角を吊り上げた。

 

 

 

「フン!」

 

 そう一声かけると、遂に頭部が切り離された。

 彼女は心のうちを荒れ狂う感情のままに、手にしたその頭をサッカーボールのように蹴り上げ――るのは耐えた。

 

 この首はあくまであの忌々しい邪魔者の首ではない。今回の王都での人間どもが起こした蜂起において、始末せよと命じられた者の首である。これはナザリックの計画に逆らった者を誅した証として、アインズに見せるのだ。

 きっと、アインズは褒めてくれるだろう。

 

 アルベドはその様を想像し、全身血に塗れたまま、にんまりと笑みを浮かべた。

 

 

 だが、その光景を思い浮かべたとき、アルベドの心は再び憤怒に包まれた。

 高揚感と多幸感は去り、代わりにここ最近、彼女の心を蝕み続けてきた殺意という言葉では収まりきらぬほどの濁った感情が胸の中を荒れ狂う。

 

 

 彼女が思い浮かべたのはナザリック地下大墳墓、玉座の間において、自身にねぎらいの言葉をかける、至高なる御方にしてアルベドが絶対の忠誠、愛を捧げるべく存在、アインズの堂々たる雄姿。

 

 しかし、その彼女の想像の中においてもアインズの傍らは、またあの唾棄すべき異物、考えるだけで虫唾が走る、あの小娘の姿があったのだ。

 

 

 ベル。

 

 

 その存在を思い返し、アルベドは自分の親指の爪を噛む。

 

 ――あいつさえ、あいつさえいなければぁっ!

 

 思えば、あの小娘はこのナザリックに現れて以降、ずっとアインズと共にあった。

 いつもアインズと共に執務室で過ごし、アインズが不在の際には代わりの執務を執り行っていた。

 しかもアインズに対して、他のナザリックの者のように忠誠や敬意を払うことなく、敬語は使っていたようだが、気安く話をしていた。

 

 

 ――気にくわない。まったく気にくわない。アインズ様の隣には私がいるべきなのに!!

 

 

 アルベドは憤怒のままに、親指の爪を噛む。

 すでに爪どころか親指の先端までもアルベドは食い破り、赤い血がダラダラとしたたり落ちて彼女の純白のドレスを汚しているのだが、そんな己が肉を食い破る激痛にも、まったく頓着しようとすらしない。

 

 

 アルベドの見るところ、最近のアインズは何か思い悩んでいたようだった。

 常にその胸に苦悩を湛え、嘆き、苦しんでいた。

 なぜ、それほどまでに愁苦辛勤(しゅうくしんきん)せねばならぬのか? 偉大なる主の胸の内を計ることはアルベドにも出来ぬことであったが、その懊悩の原因は他ならぬベルである事には気がついていた。

 

 ナザリック地下大墳墓の支配者であるアインズを心悩ませる。

 それは文字通り、万死に値し、如何なる者であろうとその報いを受けてしかるべきである。

 

 

 ――あの腐れ小娘……。

 あいつを、あいつを殺してしまえれば……。

 

 そうだ。あのベルとかいう娘は見た所、戦闘力はそこそこ程度でしかない。自分ならば容易く、且つ大して時間もかけずに打ち倒せる。

 

 

 ――いや、駄目だ。先だってのエクレアの件のように、死んだら復活してしまう。

 

 しばらく姿を見せなければ、アインズは玉座の間において、状況を確認しようとすることは間違いない。当然、ベルの死はアインズに知れる。そうしたらアインズは、すぐにでも生き返らせようとするだろう。

 

 

 では、殺さぬように注意して手足でも切り取り、塩を詰めた甕に首だけ出して押し込めでもして、どこかに未来永劫閉じ込めてやろうか?

 

 ――いや、それも駄目だ。あのベルとやらは〈伝言(メッセージ)〉が使える。

 なんらかの方法で身動きを封じたとしても、魔法を使って、その事をアインズに知らせようとするだろう。

 

 

 ならばどうする?

 

 そう考え、思考をフル回転させるアルベドの脳裏に天啓のように浮かんできたのは、普段、自分が手にしているアイテム。そして、愛するアインズのその胸の奥にて怪しく輝く球体の事。

 

 

 ――そうだ。ワールドアイテムだ。

 

 ワールドアイテムは様々な、そして破格の能力を保有する。

 その効果はそれこそ他のアイテムでは比肩(ひけん)しようものなどないほどに絶大であり、それに対しては他のワールドアイテムを以ってしなければ抗うことすら出来ない。

 あのアイテムを使えば……。

 

 

 そして、おあつらえ向きの効果を持つものがナザリックにはある。

 

 山河社稷図(さんがしゃしょくず)

 

 対象者を異空間に隔離し、閉じ込めるというアイテム。

 それならば、ちょうどいい。それにベルを閉じ込めてしまえばいい。

 

 

 しかし、そこまで考えたところで、アルベドは再び黙考する。

 

 

 良いアイディアのように思われたが、そこには大きな問題が2つある。

 

 まず1つはワールドアイテムが保管してある宝物庫。

 そこへアルベドは侵入することが出来ないのである。

 

 

 宝物庫は物理的に閉ざされ、他とは隔絶した空間だ。そこへ至るには至高の41人のみが保有を許されるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがなければならない。

 そして、今それを持っているのはアインズとベルのたった2人のみ。

 すなわち、その2人以外は宝物庫に保管されているワールドアイテムに触ることすら出来ないのだ。

 

 だが、アルベドは先に行われた、とある一つの事に思い至った。

 しばらく前の事、アインズとベルはワールドアイテムの効果を検証すると言い、宝物庫からそれらを持ち出し、第8階層で使用していたのだ。

 

 

 ベルの味方のふりをし、彼女をそそのかし、どうにかしてあの少女を使ってワールドアイテムを持って来させる。

 後は隙を見て、それを奪い、彼女へ使ってしまえばいい。

 

 アインズやアルベドと違い、あの少女はワールドアイテムを普段から持ち歩いてはいない。

 つまり、ワールドアイテムを先に使われれば、防ぐ手立てはないという事だ。

 なんらかの形でそれを手にし、先に使用してしまえばいい。

 

 

 だが、問題はもう1つある。

 

 あくまでアルベドは山河社稷図(さんがしゃしょくず)の効果は伝え聞く程度にしか知りえない。実際に自分で使ったことがある訳でも、効果のほどを目にしたわけでもないのだが、かつてアインズはアルベドに対し、その効果を語ったことがある。

 たしか、山河社稷図(さんがしゃしょくず)による隔離は絶対ではなく、その内部空間には必ず脱出の為のルートが生成される。そのルートを使い、対象者が脱出に成功した場合、その所有権が脱出に成功した者の方に移るらしい。

 

 

 ――駄目だ。

 そんなものでは仮に封じたところで、また戻ってきてしまう。

 どこまで父親であるベルモットからナザリックの事を聞かされているか、その山河社稷図(さんがしゃしょくず)の攻略法までも知らされているかは分からない。しかし、自分や守護者たちには劣るが、あの少女の実力は決して侮れるものではない。閉じ込めた後、何の策も講じず放置しておけば、そのうちに自力で戻ってくる可能性は高い。

 もしそうして戻って来でもしたら、自分が山河社稷図(さんがしゃしょくず)を使ってベルを閉じ込めた事が、アインズにばれてしまうかもしれない。

 どう考えても、分の悪すぎる賭けにしかならない。

 

 

 ――いや、待て。

 脱出ルートは必ず一つはあるという。

 

 ならば、そのルートを封じてしまえば?

 

 

 どうやって封じる?

 特殊技術(スキル)

 怪物(モンスター)

 罠?

 アイテム?

 そうだ、アイテム。

 

 ……ワールドアイテムならば……。

 

 

 

 ガタリ。

 

 音が聞こえた。

 石片が転がり落ちる重い音。

 

 

 思考の海に沈んでいたアルベドが目をやると、そこには瓦礫の山から這い出てきた一体のナーガの姿。

 

 アルベドとリュラリュース、その共に縦長の瞳孔を持つ瞳が互いをとらえる。

 物言わぬままのアルベドの視線に絡み取られ、リュラリュースは震えあがり、慌てて瓦礫を跳ね除け、起き上がり、言葉を発した。

 

「お、お待ちください。わ、儂はナザリックに組する者で……」

 

 

 ズン!

 

 リュラリュースは自分の胸を見下ろした。

 そこにはたった今まで、アルベドが手にしていたバルディッシュが突き刺さっている。

 

 彼はその光景に愕然と口を開け、驚愕にその顔をゆがめたまま、ゆっくりとひっくり返る。

 その身が地面に倒れ伏す前にリュラリュースは絶命した。

 

 

 音を立ててひっくり返るナーガ。

 その姿をアルベドは冷たい瞳で眺めていた。

 

 当然ながら、アルベドはリュラリュースの事は知っている。

 しかし先ほど、イビルアイを暴行した際、アルベドはベルに対する面従腹背の意をはっきりと口にしてしまっている。それがこいつの口から漏れでもしたら困る。

 

 それに今回の王都での作戦の仕切りはベルだ。

 あくまで今回のアルベドの任は王都上空を飛来するフロスト・ドラゴンの始末。それと可能ならば、『蒼の薔薇』のイビルアイを倒すことでしかない。他の者に被害が出ぬよう、彼らを守る事は含まれていない。

 後は蘇生されでもしないように、死体を処分し、死亡地点を特定されないようにしておけばいいだろう。

 ナザリックの旗下として、トブの大森林における支配権の確立という任に当たっているリュラリュース。そんな彼が、ベルの考えた策にひっぱり出されて死亡したとなれば、彼女の評価を落とすことにもつながるだろうという思惑もあった。

 

 

 

 アルベドは血に塗れた両手を組み、天を見上げ誓う。

 

「ああ、アインズ様。このアルベドこそがあなた様の忠実なる(しもべ)。このナザリックにあなた様以外の支配者など必要ありません。今しばらく御辛抱を。この(わたくし)めが、あなた様を心悩ます不敬者など、この世界から排除いたしますので」

 

 

 




 イビルアイに蘇生アイテム使ったら、どうなるんだろう?


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第77話 戦闘―5

 正直に言おう。
 バトルシーン飽きた。

2017/2/23 「もの」→「物」、「吐瀉物」→「嘔吐物」、「吹き出される」→「噴き出される」、「早く」→「速く」、「断末魔」→「断末魔の悲鳴」、「打たれた」→「討たれた」、「2者」→「二者」、「魔方陣」→「魔法陣」、「どう言う」→「どういう」、「向いた」→「剥いた」、「張られて」→「貼られて」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました
会話文の最後に「。」がついていた箇所がありましたので、削除しました。


「くそっ!」

 

 悪態をつくクレマンティーヌ。

 こらえきれぬ吐き気に再び襲われるが、もはや胃の中に吐き出す物はない。だというのに喉の奥から、それでもせりあがってきた胃液を脇に吐きすてた。

 そうして口元を(ぬぐ)うその腕には、いくら拭っても拭いきれない、汚らしい粘液がねっとりとついていた。

 

 幸い、クレマンティーヌはある程度の毒を無効化するアイテムを保有しているため、こうして活動出来ているが、もしそれがなければ、なんらかの行動阻害効果を受けていただろう。

 そして、そのアイテムにより毒を無効化出来たとはいえ、この辺りに立ち込める悪臭までは無効化できない。もはや彼女の嗅覚は麻痺して久しいが、それでも胸の奥底から湧き上がってくる吐き気は(こら)えられない。

 

 

「くっそ! 化け物が!!」

 

 彼女は再び、湧き上がってきた胃液を吐き捨てる。

 その液体は、壮麗な白い大理石でできた回廊の上に飛び散った。

 本来であれば、それは眉を(ひそ)められてしかるべき行為であったが、もはやそこかしこが厭らしい黄色い膿によって汚されている現況を見れば、多少の嘔吐物がそれに上乗せされようとも誰も文句など言うまい。

 

 

 そうして、クレマンティーヌはもはや幾度目かになる突進を行った。

 足裏がねっとりとした粘液によって、絡めとられる。

 その動きが鈍る。

 だが、クレマンティーヌはそんな事お構いなしに、力任せに足を動かした。

 

 しかし、せっかくスピードに乗ったと思ったのに、今度は足元の液体はズルズルと踏み込む足を滑らせる。

 クレマンティーヌは悪態をつきつつ、その超人的な姿勢制御によって体勢を保ち、目の前に立ちふさがる汚らわしい怪物へと突っ込んだ。

 

 そこら中に飛び散る粘液の発生源たる、奇怪な肉瘤の化け物――レイナースは、片手剣をその手に握り、待ち構える。

 その口腔の奥から、豚の断末魔のような野太い叫びをあげた。

 彼女の喉の内側、膿を湧きだす腫瘍はそこにまでびっちりと連なっており、今や彼女はまともな声すら発することが出来ない。発声しようとすると喉内の膿胞が潰れることにより、黄色く(けが)れた膿が奔流となって吹き出される。

 

 クレマンティーヌは、その汚らしい粘液の滝をさっと身を躱して避けた。

 その際、飛び散ったしぶきが惜しみなく肌をさらした彼女の身体を汚す。だが、すでに彼女の身体の至る所にはレイナースの噴き出した汚穢が付着している。当初こそ、その膿がかかる事を忌避していたが、もはやいちいち気にも留めることもしなくなっていた。

 

 

 そうして、一息にその懐へ飛び込む。

 

 レイナースが片手剣を振るう。

 その一閃は、さすがは元帝国四騎士の1人が振るう剣技、まさしく一流と呼べるほどの斬撃であったが、漆黒聖典第9席次たるクレマンティーヌの身をその刃に捉えるには、一流程度では到底追いつかない。

 レイナースの剣が捉えたのは、クレマンティーヌの残像のみ。

 すでに彼女の身は宙を踊っている。

 

 雷光のような一撃がレイナースの身体を襲う。

 

 

 だが――。

 

 

「ええいっ! くそ!!」

 

 クレマンティーヌは彼女を捕らえようと振り回されるぶよぶよとした腕から飛びのき、着地と同時に後転して距離を取る。

 その際にも、床に撒き散らされたレイナースの身体から滴る粘液が、ねちゃねちゃと音を立て、彼女の身体に纏わりついた。

 

 その不快な感触に顔を歪めつつ立ち上がる彼女の前には、刺突を受けた傷跡からダラダラと膿を垂れ流しつつも、何ら変わりのない様子で立つ化け物の姿があった。

 

 

 

 先ほどから、何度も繰り返された光景。

 

 およそ周辺諸国、いや人類最速と言ってもいいクレマンティーヌの刺突。

 それは同様に刺突を得意とするマルムヴィストの一撃すらをも上回るものであったが、そんな攻撃がレイナースには通用しない。

 

 その原因は今、彼女の体を覆う、汚らしい膿を垂れ流す肉瘤。

 

 かつて彼女がその顔の右半分に受けていたものを増幅させ、いまやその全身をくまなく覆っている、醜悪なる呪いの腫瘍。

 その分厚い肉壁により、クレマンティーヌの持つスティレットの切っ先、それが彼女の身体の中心、人間として生きるに欠かせない重要器官まで届かないのである。

 

 いくら体の表面を突き刺し、孔を穿っても、この忌まわしき呪いの産物は瞬く間に再生する。

 もしそうでなければ、かつてその顔の表皮を抉りとり、回復魔法を唱えることでも容易く治癒していた事だろう。

 それを許さぬ強力な呪いは、いまや彼女を守る堅牢な防具と化していた。

 

 そしてさらに――。

 

 

「ええいっ!」

 

 悪態をつき、クレマンティーヌは必死でその手足についた膿をぬぐい、弾き飛ばす。

 

 

 レイナースの身体の膿胞は、彼女がわずかに身を捩るだけで裂け、そこからねっとりとした膿が流れ出る。

 当然、そこへ攻撃を仕掛けるクレマンティーヌの身にも、返り血ならぬ返り膿が飛び散る。

 

 

 その膿は鼻が曲がるような悪臭を放つが、もう一つ厄介な特性があった。

 

 

 クレマンティーヌは足を踏みかえる。

 床から足を持ち上げると、その靴底がぐぱあっと音を立てた。

 

 橋上に撒き散らされた黄色い液体はべたべたと粘つき、彼女の速度を奪う。

 その上、それはこれまで続いた戦闘によって次々と垂れ流され、幾層にも重なっており、踏み込みの際、その足元を滑らせる。

 それにより、速さが身上の彼女の利点が奪われてしまう事に繋がっていた。

 

 

 そして、クレマンティーヌがレイナース相手に苦戦している間にも、回廊の両端に控えた2人の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、イグヴァとデイバーノックの魔法が中央で防御陣形を取る陽光聖典へと叩きつけられる。

 

 反撃しようにも、遠距離からの魔法攻撃では埒が明かない。本来、魔法に長けた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)には近接戦闘を仕掛けるのが上策なのであるが、前方のイグヴァは奇怪な肉人形のレイナースの後ろに位置している。後方はというと、こちらも長大な間合いと常人には見きれぬ剣閃を誇るペシュリアンがデイバーノックを守っており、どちらにも近づくことは出来ない。

 そして、彼らの上空には大量の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)が嫌がらせのように舞い飛び、時折攻撃を仕掛けてくる。その飛来するアンデッドを抑えるだけでも精一杯であった。一体一体は大したことはないとはいえ、とくに頑強な防具で身を守っているわけではない魔法詠唱者(マジック・キャスター)主体の集団内に飛び込まれでもしたら、現在のように拮抗している状態は容易く崩れてしまう。

 

 

 ――拙い。

 

 クレマンティーヌは口元をゆがめる。

 このままではジリ貧だ。こうしている今も、叩きつけられる攻撃魔法への防御と、それによって受けたダメージの回復で手いっぱいな状態である。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は人間と比べ、膨大な魔力を持つ。

 こちらの数が多いとはいえ、このまま防御を固めて、相手の魔力切れを待つ戦術は明らかに下策だ。

 

 

 かと言って、攻勢にも移れない。

 

 現在は、前後を挟まれたうえで挟撃を受けている状況だ。

 ならば前方か後方、どちらかを一時的に足止めしている間、他方に現有の戦力を集中させ、片方を一気に潰してから、もう片方を叩くというのが常道の策である。

 

 しかし、それをやるのも難しいのだ。

 

 召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)は、六腕の1人、『空間斬』ペシュリアンを牽制するので精一杯だ。こいつはなにやら鋼糸のようなものを振り回しているようだが、下手にその間合いに入れば、先ほどのように炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)とて、一撃で両断されてしまう。もちろん天使は再召喚してしまえば問題ないのだが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの魔法攻撃を防ぐのにも力を回さなければいけない現状で、数で押せるほど炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を大量召喚は出来ない。

 

 イグヴァを守っているこの汚らしい肉人形、レイナースは遠距離攻撃は出来ないようだ。ならば空を飛べる炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)でその上空を飛び越え、イグヴァを強襲させるという手もある。

 だが、それをすると、目の前に相対する者がいなくなり、手隙となったペシュリアンが前に出て、回廊の中央で固まっている陽光聖典に襲い掛かるだろう。普通の八本指の者達ならいざ知らず、六腕の1人に数えられるほどの人物、あの変幻自在な攻撃の猛威に晒されれば、いかな陽光聖典者達とて耐えきれまい。そしてそこに空いた穴に情け容赦なくデイバーノックの魔法攻撃が炸裂するだろう。

 そうなれば壊滅は免れない。

 

 

 考えられる中で一番いいと思われるのは、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)にレイナースを抑えさせ、その隙にクレマンティーヌが後方へと回り、ペシュリアンとデイバーノックを仕留める事だ。

 

 

 確かにペシュリアンは強い。

 アダマンタイト級冒険者に匹敵するという噂も間違いではないだろう。

 

 だが、あくまでその程度。

 人外の域に達した漆黒聖典たるクレマンティーヌと比せば、敵ではない。

 

 その身に受けたレイナースの粘液により、やや動きに支障があるとはいえ、その鞭先を掻い潜り、鎧の隙間に鋭い切っ先を突きたてるのは、難しい事ではないだろう。

 アンデッドであるデイバーノックに関しては、彼女の得意は刺突武器であるという関係上、生きた人間を相手にするのと比べ不得手であるが、それでも所詮は魔法詠唱者(マジック・キャスター)。肉薄してしまえば、予備武器のモーニング・スターでも十分倒しきれる自信はある。

 

 

 しかし、それをやるには、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がレイナースを抑え込めるという前提あっての事である。

 

 これまで何度もその身に攻撃を当ててきた感覚からしても、レイナースの耐久性はずば抜けている。いくら攻撃を当てても致命傷にまでは至らず、そして驚異的な回復力で瞬く間に傷が塞がってしまう。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の攻撃は、どう考えてもクレマンティーヌの攻撃には劣る。仮に炎の剣で傷口を焼くことにより、回復が出来なくなるのならばいいのだが、それは甘い希望でしかない。

 

 もし、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がレイナースを抑え込むことが出来なければ、先ほどペシュリアンが陽光聖典に襲い掛かることを懸念したように、あの肉塊が防御を固める陽光聖典の陣形に襲い掛かるだろう。彼女でさえ苦戦するあいつの攻撃の前に、陽光聖典が戦線を保てるとは思えない。クレマンティーヌがペシュリアンとデイバーノックを倒すのと、陽光聖典が壊滅するのはどちらが早いかという勝負になってしまう。

 

 

 一か八かの賭け。

 しかし、何もせず、このまま戦い続けていても、少しずつ戦力を削られ続けるだけである。

 

 クレマンティーヌは唇を噛み、のるかそるか、思い切って後ろのペシュリアンを狙おうと考え、振り払われたレイナースの剣を大きく飛びのいて躱した――いや、躱そうとした。

 

 

 べチャリ。

 彼女は尻餅をついた。

 背後に飛びのこうとしたその時、レイナースの撒き散らした粘液に足を取られ、後ろに倒れ込んだのだ。

 

 現状を打破するための様々な策を検討し、心ここにあらずといった形であったとはいえ、彼女らしからぬ失態である。

 幸いな事に、尻餅をついたことにより、レイナースの振るった刃は、腰を落とした彼女の頭上を通り、髪の先を揺らすにとどまった。

 

 しかし、偶然にも今の一撃は当たらなかったが、すぐに次の斬撃が彼女を襲うだろうという事は、容易く予測できた。

 

 慌てて立ち上がろうとするクレマンティーヌ。

 だが、その床についた手もまた、ぬるぬるとすべる粘液の上で踊る。

 彼女は思わず、呪いの言葉を吐いた。

 

 そんな立ち上がろうと苦慮しつつも、いまだに体勢を立て直せないでいる彼女に対し、レイナースはその巨体に見合わぬ俊敏さで距離を詰め、その剣を振りかざす。

 

 

 

 それが今、まさに振り下ろされんとした刹那、轟音が響いた。

 

 突然の事に驚き、気勢をそがれ、レイナースはその剣を振り上げたまま制止していた。

 彼女だけではなく、その場にいる誰しもが音のした方に目をやる。

 

 

 それはクレマンティーヌ及び陽光聖典の者達がこの空中回廊へと侵入するために通ってきた、今はペシュリアンとデイバーノックの背後にある扉からであった。

 今、その魔法で固く閉じられた鉄扉に、向こうから何か重いものが叩きつける音が連続して響いていた。

 

 その音を聞き、何が起こっているか悟ったイグヴァは嘲笑した。

 

「ふはははは。実に愚か。その扉は至高の主より賜った偉大な魔法を込めたアイテムによって封じられている。たとえ、どんな力自慢が腕を振るおうとも、どんな攻撃魔法を使おうとも、その封印された扉を破壊出来ようはずもない」

 

 そう高笑いを響かせた。

 イグヴァの言葉通り、その頑丈な鉄扉は魔法によって封じられている。

 それも普通の魔法詠唱者(マジック・キャスター)によるものではなく、ユグドラシル産のマジックアイテムによるものであり、この地の者の到達できる魔法技術、レベルでは到底解除など出来るようなものではない。

 

 

 

 そう、扉を開けることは不可能。

 

 しかし、扉以外ならば?

 

 すなわち――。

 

 

 

 ズン!

 破砕音が響いた。

 

 驚愕に皆が目を向ける先。

 この回廊への入り口のすぐ脇。鉄扉が据えられた宮殿の壁。

 今そこに掌が生えていた。

 

 

 扉自体は強固な魔法で封じられ、破壊する事もこじ開ける事も出来ない。

 破壊する事など出来ないのであるが――それを固定する門の方はというとごく普通の、堅牢な石造りでしかない。

 

 壁から突き出した掌が、向こうへと引き抜かれると、再び貫手がつきだされる。

 そうして削岩機のような音が連続して響き、瞬く間に扉の大枠である外側部分の石壁がくり抜かれた。

 ゆっくりと扉が手前へと倒れ、重い音を響かせる。

 

 

 濛々とたちこめる粉塵、その先にいたのは――。

 

 

「ゼロ! 貴様、裏切ったのか!?」

 

 全身に入れ墨を入れた禿頭の大男がそこにいた。

 彼の後ろからは『蒼の薔薇』のラキュースとティナ、そしてザリュースが姿を見せる。

 

 

「裏切った? そもそも、何を裏切ったというのだ? どっちにつくことが裏切ることになるのだ?」

 

 そう(うそぶ)き、どっかと腕を組むその立ち姿は堂々としたもの。強さに裏打ちされた深い自信と、ふてぶてしいまでの傲慢さを兼ね備えた態度。

 ここ最近の、八本指幹部の前で少女であるベルの暴虐にさらされ、自信を喪失していた姿とは全く異なる。

 

 六腕最強と言われた男、『闘鬼』ゼロがそこに立っていた。

 

 

 この直前に行われた、ラナーの寝室での戦いにおいて、ザリュースにより戦士として明確なまでの敗北を突きつけられたゼロ。

 彼は共に行くことを申し出た。

 かつての自分の怯え、その心胆にまで染みこんだ恐怖と向き合い、それを克服するために。

 

 

 

 自身が砕いた石片の中に倒れる、いまだ魔法で固く閉じられたままの鉄扉。ゼロはそれに足をかけると勢いよく蹴り飛ばした。

 凄まじい質量の塊が宙を舞う。

  

 特に武技などを使ったわけでもないため、その鉄扉は回転しながら緩やかな放物線を描いて落下する。

 ペシュリアンとデイバーノックの2人は、自分たちに向かって飛来する巨大な塊に一瞬、慌てたものの、特に労することもなく、その飛来する鉄塊から身を躱した。

 

 だがそれにより、わずかながらゼロに対する対処が遅れた。

 そのわずかな時間を稼ぐことがゼロの目的であった。

 

 

 ゼロの全身に刻まれた入れ墨が光を放つ。

 動物の霊魂がその身に宿り、爆発的な力が肉体にあふれかえる。

 

 かつてのボスが、彼の切り札であるシャーマニック・アデプトの能力を使った事に気がついたペシュリアンは、即座に動いた。

 デイバーノックを守るように前へ踏み出し、空間斬を放つ。

 

 

 放たれる、文字通り空間を切り裂くような一閃。

 それに対し、ゼロは臆することなく、正面から突進した。

 

 その身を両断するかに思われた横薙ぎの斬撃。

 しかし――ゼロは瞬間、這う程に身を低くして、その下を潜り抜ける。

 そして突進の勢いそのままに、低い姿勢から力を込めたロシアンフックを放った。

 

 

 その巨大な拳が、ペシュリアンの胸部を捉える。

 

 通常、鎧の正面胸部というのはとても強固な部位だ。面積がある事、稼働する必要がない事、肩でその重量を支えられる事、そして相対した敵の攻撃を最も受けやすい箇所である事から、必然的にその箇所こそ最も防御力が高いという事になる。

 

 しかし、ゼロの一撃をその身に受けたペシュリアンの全身鎧(フルプレート)、その胸部は飴細工のようにぐにゃりと、彼の拳の形に大きく歪んだ。

 

 

「ぐはあっ!」

 

 肺から絞り出すような声をあげ、ペシュリアンは弾き飛ばされた。

 大の大人、それも重い金属製の全身鎧(フルプレート)を身につけたその体が、軽々と宙を飛ぶ。

 

 

 飛ばされた先にあったのは、回廊の欄干(らんかん)

 

 この中空に渡された橋にはそこを渡る者の転落防止の為、華美な装飾の施された縁が作られている。

 ただ、あるにはあるのだが、それはせいぜいが人の腰ほどの高さでしかない。

 弾き飛ばされたペシュリアンの腰部分が勢いよく欄干へと衝突した。彼の身体はそこで大きく回転し、その身は何の手掛かりもない中空へと投げ出された。

 

 悲鳴と共に、その全身鎧(フルプレート)がはるか脚下へと消えていく。

 

 

 その様を前に、デイバーノックは発動しようとしていた足止め用の補助魔法を発動することなく握りつぶし、慌てて〈飛行(フライ)〉を使った。

 

 ゼロの攻撃力は恐ろしい。その拳を我が身に受ければ、戦士ではないデイバーノックは一撃で消滅させられかねない。

 しかし、ゼロの得意はあくまで近接攻撃。

 遠距離攻撃の手段には乏しいという弱点がある。

 その為、ゼロの手の届くことない、上空へと舞い上がったのだ。

 

 

 だが、敵はゼロのみではない。

 

 

「射出!」

 

 ラキュースの声と共に、彼女の周りに滞空していた〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉が上空に逃げたデイバーノックへと打ち出された。

 

「ぬおっ!」

 

 速くともその軌道は直線的。

 デイバーノックは空中で身をそらし、襲い来る金色の刃をやり過ごした。

 

 そこへ、ティナもまた幾重にも手裏剣を連射する。

 無数に飛び来る刃であったが、それはあくまで牽制程度のものでしかない。たとえ当たっても大した威力を持たない。

 デイバーノックは魔力の障壁を目の前に作り出した。

 キン、キン! と音を立て、手裏剣がデイバーノックの眼前では弾き落とされる。

 

 そして魔法による防御を行いつつ、お返しとばかりに彼の得意とする攻撃魔法を叩きつけようとした。

 

 

 だが、思いもよらぬ衝撃が彼を襲った。

 彼のその骨に皮が纏わりついただけの身体を貫く、剣があった。

 驚いて視線を下ろす彼の胸元から伸びる幅広の切っ先。

 その刃は赤く燃え立つ炎に包まれていた。

 

 

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)

 その陽光聖典によって召喚され、操られる上位天使の手にする剣には、炎の属性が付与されている。

 

 すなわち、アンデッドの苦手とする炎である。

 

 

 先ほどティナは、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であるデイバーノックには、当たっても大したダメージを与えることもない手裏剣を連射した。あれは新たに現れたゼロ及び『蒼の薔薇』に気を取られているデイバーノックの背後をつこうとした、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の動きを悟られないようにするための牽制であったのだ。

 

 

 デイバーノックはその身をよじり、自らの身体を貫く刃を抜き、逃れようとする。

 しかし、燃え盛る剣を持つ上位天使はそれを許すはずもない。

 

 そして、もがくデイバーノックの目に飛び込んできたのは、一度打ち出され躱された後、再び使用者のもとへ戻り、今一度さらなる攻撃を仕掛けんとしている、所有者であるラキュースの名を一段と広めることとなっている有名な武器、〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉であった。

 

「射出!」

 

 再度の指示により打ち出された、空を切り裂く剣の群れ。

 それらは、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の燃え盛る剣に貫かれ、身動きの取れないその身体に次々と突き刺さった。

 

 断末魔の悲鳴をあげる(いとま)すらなく、デイバーノックは塵と化した。保有していたアイテムがばらばらと橋上に撒き散らされる。

 

 

 

「後方は片付いた! 防御を前方に回せ! 骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)どもを始末しろ」

 

 挟撃の形となっていたうちの片方、六腕のペシュリアンとデイバーノックは共に討たれた。背後をつかれる心配のなくなった陽光聖典たちは、前後両方に展開していた防御魔法を最初と同様、前方へ二重に展開する。そうして、デイバーノックを打ち倒し、自由となった炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)たちは上空の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)たちの掃討に移る。

 

 

 

 情勢は一転した。

 

 狼狽えるイグヴァ。

 

 

 これまで、彼らは回廊の中央に位置する敵を前後、そして上空から包囲していたため、圧倒的な優位の下に戦う事が出来た。

 だが、新たに現れた援軍により、敵戦力が増強されたのみならず、後方から敵の背後をついていたはずの者達が打ち倒されてしまった。上空の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)たちは魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する牽制程度にしか役には立たない。

 全戦力がこちらに集中した場合、前衛であるレイナースがあの全てを抑え込めるかというと疑問が残る。

 

 

 そして彼の視線の先には、ペシュリアンやデイバーノックの結末には心動かされることもなく、中央に固まる陽光聖典の者達の脇を抜け、自分めがけて突っ込んでくる影がある。

 それは全身を黒い鱗で包み、光り輝く武器を手にした蜥蜴人(リザードマン)

 

「イグヴァ! この佞悪(ねいあく)にして奸邪(かんじゃ)たる輩めが! 死してなお、生者に対するいわれなき妬みに妄執するアンデッドめが! 地獄の奥底でおとなしくしておらず、冥府の縁から彷徨い戻ったか!!」

 

 駆けながら怒声を発するその目は憤怒に燃えている。

 ザリュースの目からでは、アンデッドの区別はつけづらいが、それでもこいつの姿だけははっきりと分かる。

 

 燃え盛る家。倒れ伏す人々。絶望に支配されたあの村の光景。

 

 それは今もザリュースの瞼にしっかと焼きついていた。

 

 

 だが、対して言われたイグヴァは微かに小首をかしげた。

 

「ふむ。お前はもしやあの時の蜥蜴人(リザードマン)か? 実に愚か。生きながらえた命、おとなしくどこかで身を縮こまらせ、大切にしておればよいものを」

 

 憎々し気に言い放ち、その手に握る魔法の杖を掲げる。

 

 

 当然ながら、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であるイグヴァは白兵能力には劣る。

 彼が生み出されて(のち)、幾度も下された主からの命。そして、それをこなした褒美として、自身の能力を伸ばすマジックアイテムをいくつも授けられてはいるのではあるが、それはあくまで魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての能力を活かし、補うものである。作成したアンデッドの能力を強化するアインズの特殊技術(スキル)、及びマジックアイテムによってその肉体能力は、並みの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは格段に異なるが、それでもこの場に集う一級の戦士たちと近接戦闘で闘えるかというと、首を横に振らざるを得ない。

 

 しかし、出来る出来ないの問題ではない。

 イグヴァはこの場を守れと命じられたのだ。

 主からの命令は、彼の偽りの生命よりも重い。

 そうせよと命ぜられたのであれば、そうせねばなるまい。

 

 

 向かってくるザリュースへと、イグヴァが杖の先を向ける。

 魔力が先端につけられた赤い宝珠に集まり、そこに赤い炎の弾が生み出される。

 

 打ち出された〈火球(ファイヤーボール)〉。

 その魔術の炎めがけて、彼は〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を振り下ろした。

 

氷結爆散(アイシー・バースト)!」

 

 叫び声と共に発せられた冷気が、橋上に叩きつけられる。

 〈火球(ファイヤーボール)〉の火種は巻き起こった冷気とぶつかり、一瞬にしてその場において霧氷と業火が絡み合うように荒れ狂う。

 そして、二者の効果は相殺され、掻き消えた。

 

 

 幸いにしてザリュース、そしてイグヴァはその相反する力の対消滅による奔流に巻き込まれることは無かったものの――。

 

 

「―――――!!」

 

 レイナースは苦痛の呻きをあげながら、その身を震わせる。身体の表面を覆う炭化した表皮や凍りついた膿を、同様に焼け焦げ、霜の降りた指で掻きむしり、ボロボロと剥がす。

 先ほど、イグヴァの〈火球(ファイヤーボール)〉は、その途上で氷結爆散(アイシー・バースト)によって打ち消された。そこで起きた炎と氷の乱流は、ちょうど2人の間にいたレイナースの身体を巻き込んでいたのだ。

 

 

 自身の指先によって、むしり取られる固形化した肉瘤。

 それを見て勝機を見出したクレマンティーヌは、床に広がる凍り付いた粘液の上を走る。

 

「おい、蜥蜴人(リザードマン)! 今のをそいつにもう一発!」

 

 その声に、意図は分からぬものの、1日3度しか使えぬ大技を惜しみなく放つザリュース。

 

 

 再度、広がった冷気の奔流。

 今度は〈火球(ファイヤーボール)〉によって消滅されることは無く、蜥蜴人(リザードマン)の四秘宝たる〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の能力、氷結爆散(アイシー・バースト)本来の猛威を振るった。

 

 苦痛の声を発するレイナース。

 その声と共に口から吐き出される膿も、凄まじいまでの冷気によって凍り、地へと落ちる。彼女の身体を流れる膿も、同様に凍りついた。

 

 

 そのタイミングを狙って、クレマンティーヌがつっかける。

 

 荒れ狂う冷気はいまだ完全には収まらず、範囲内に侵入した彼女の肌を裂く。その身に付着していたレイナースの粘液が凍りつき、走る度にパリパリと音を立てて剥がれ落ちる。

 

 だが、彼女はそんなものには頓着せずに腰のスティレットに手をやった。

 それは彼女の虎の子のマジックアイテム。

 流れるような動作でそれを引き抜き、苦痛に身悶えつつも反撃の刃を振るうレイナースに向かう。繰り出された斬撃を大きく跳躍して飛び越えると、その膨れ上がった巨躯にスティレットを深く突きたてた。

 

 

 それだけならば、これまで幾度も行われ、そして無駄に終わった攻防でしかない。

 クレマンティーヌは、これまで何度もレイナースの身体を貫いたが、彼女にダメージを与えることは出来なかった。

 

 

 だが、今回はこれまでとは違った点がある。

 

 

 一つは氷結爆散(アイシー・バースト)によって、レイナースの肉体が硬く凍りついている事。

 そして、もう一つは――。

 

 

 クレマンティーヌは柄の付近までスティレットが刺さり、切っ先がその身の深くにまで突き立った事を確認すると、武器に込めていた魔法を解放した。

 

 肉の奥底まで差し込まれた、その切っ先。

 そこで〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法が炸裂した。

 その衝撃で、レイナースの固く凍りついていた分厚い肉の壁が内側から爆散する。

 

 それまではねっとりとした粘液と弾力ある肉壁に覆われていたため、ほぼあらゆる攻撃がその奥まで届くことは無かった。

 仮に刃で傷をつけたとしても、魔法を叩きつけたとしても、その身の、正確には全身に付着している腫瘍の凄まじいまでの再生能力により、瞬く間に傷跡一つもなく元通りに戻ってしまう。

 その為、保有していた攻撃魔法を込めたスティレットもおいそれと使う訳にはいかなかった。込められた魔法は一度解放したら、再度込め直す必要がある。確実に効果があると見込めるならともかく、効果が不確かな状況で使用し、それで失敗したら、切り札を無駄にした事になってしまう。それ故、絶対に仕留める事が出来るという確信が持てるまで、使用する訳にはいかなかった。

 

 

 だが、放たれたイグヴァの〈火球(ファイヤーボール)〉をザリュースの氷結爆散(アイシー・バースト)が打ち消した時、その冷気がぶよぶよと弾力のあるレイナースの肉体を凍りつかせたことで、確信が持てた。

 

 

 今、体の内側で爆発した〈火球(ファイヤーボール)〉によって、レイナースの肉体の表面を覆う腫瘍は膿胞と共に弾き飛ばされ、大きく(えぐ)れたその奥に、引き締まった赤黒い筋肉が覗いている。

 そこへクレマンティーヌは、更にもう一本、スティレットを突きたてた。

 そして込められていた〈雷撃(ライトニング)〉を解放する。

 放たれた電撃はこれまで分厚い呪いの腫瘍に包まれ守られていた、レイナース本来の肉体を駆け巡った。

 

 ビグンビグンとその身が震える。

 やがて、レイナースはゆっくりとその場に倒れ伏した。

 

 

 

 自らを守る前衛であるはずのレイナースが打ち倒されたのを見たイグヴァは、切り札を使うことを決断した。

 もはやなりふり構ってはいられない。

 この回廊から先には進ませるなという命令。それが為、最終手段をとることにした。

 

 主より授けられた魔法の杖を振るい、呪文を唱える。

 すると、中空に光放つ魔法陣が描かれ、そこに恐るべき魔力が集まり始めた。

 

 

 その光景を見たザリュースは足を速める。

 何をするかは分からないが、何やら恐るべき魔法を使用するつもりのようだ。

 だが、彼がいるところからイグヴァまではまだ距離がある。

 

 旅の途中、『蒼の薔薇』の面々から聞いたが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は冷気に対して耐性があるらしい。残り1回となった氷結爆散(アイシー・バースト)を使っても足止めにもなるまい。

 

 必死で足を速める彼であったが、イグヴァの方が早かった。

 回転していた魔法陣は光の残像を残して収縮し、魔法の杖の先端に青白い魔力の球を作る。

 

 

 ――間に合わない……!?

 

 冷や汗を流すザリュースの耳にゼロの声が届いた。

 

「ザリュース、そこで跳べ! 後ろから押す。踏み台にして一気に行け!」

 

 その言葉に、口元に笑みを浮かべ、頷くザリュース。

 次の瞬間、ゼロの放った拳、そこから発せられた衝撃波が、背後からザリュースの許へと襲い掛かる。

 だが、ザリュースはその場で跳躍すると、両足でその衝撃波を蹴った。

 弾き飛ばされた勢いのままに大きく飛ぶザリュース。

 

 

 それにはイグヴァも虚をつかれた。

 慌てて魔法を放とうとする。

 だが、そこへ攻撃魔法が雨あられと叩きつけられた。

 

 

 魔法を放ったのは陽光聖典の者達。

 なんらかの魔法を使おうとした死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に対し、亜人ではあるが味方である蜥蜴人(リザードマン)が肉薄するまで、何とか時間を稼ごうとしたのだ。

 

 陽光聖典の者達が使った魔法は第一位階や第二位階など初歩的なものが多く、魔法防御力の高い 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、特に強力なイグヴァには蚊に刺されたようなものでしかない。

 

 だが、イグヴァが一瞬なりともそちらに意識を向けた事により、生じた隙。

 

 その一瞬を逃さず飛び込んだザリュースは、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の切っ先を全身の体重をかけて振り下ろす。

 それは狙いたがわず、イグヴァの頭部に突き立った。

 

 

 のけぞるイグヴァ。

 その杖の先から魔法が放たれるが、それは誰もいない橋上へと叩きつけられるにとどまった。

 

 

「……お、おおぉ……」

 

 呻き声をあげつつ、その偽りの生命が消滅していく。

 イグヴァは直接、負のエネルギーを注ぎこもうとその手をあげる。

 しかし、その身体に有効射程まで近づき、撃ち出されたラキュースの〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉が次々と突き刺さる。

 

 

「……ば、ばかな……こ、この私が……。……申し訳ありません……アインズ様……」

 

 イグヴァは最後の力を振り絞り、懐から一つの宝玉(タリスマン)を掴むと、それを橋から放り捨てた。

 そうして、かつて英雄を夢見た男から作られたアンデッドは、ようやく永遠の眠りにつくこととなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やったわね、ザリュース」

 

 駆け寄るラキュース。

 その顔には一先(ひとま)ず、戦闘が終わったことによる安堵の笑みが浮かんでいる。

 

 だが、そんな彼女の言葉に対し、ザリュースは心ここにあらずといった(てい)だった。

 

 

「ば、ばかな……アインズ様だと? たしか、お付きの者達は、ゴウン様の事をアインズと呼んでいた……なぜ、あいつがゴウン様の事を……。いったい、いったいどういう事だ? いや、そもそもゴウン様はイグヴァを倒したとおっしゃられていた。それが、なぜ……なぜ、あいつが生きていたのだ……?」

 

 

 呆然としたまま独り言ちるザリュース。

 そして、彼は弾かれたように声をあげた。

 

「おい、ゼロ!」

「ん? なんだ?」

 

 離れた所にいたゼロが振り向く。

 

「聞きたい。お前は確か……その八本指とやらの集会に乗り込んできた者、人間のメス……少女によって敗れたと言ったな?」

「ああ。あれは敗れたというより、一方的に痛めつけられたといった有様だったがな」

 

 その時の事と正面から向き合うとは決めたものの、やはり思い返したその記憶に苦い顔をするゼロ。

 そんなゼロに対し、何やら緊張した面持ちで息をのみ、さらに問いかけるザリュース。

 

「その少女というのはどのような姿をしていたのだ。……そうだ! 名前は分かるか?」

「名前か? ああ、そいつの名前は……」

 

 

 その時――。

 

 

 ――ビシリと音がした。

 

 言葉を切って振り向くゼロ。

 その視線の先にあったもの、それは――。

 

 

「なっ……! ま、まさか……崩れる……!?」

 

 ヴァランシア宮殿の建物と建物を、地上遥か高くで繋ぐ橋。

 その壮麗にして頑強であるはずの大理石の回廊の床に、ヒビが走っていた。

 

「まさか、あの時の……イグヴァの最後の魔法っ……!!」

 

 ラキュースは顔をひきつらせた。

 

 

 そう。

 あの時、イグヴァが行おうとした、彼の最終手段。

 それはこの空中回廊を崩してしまおうというものだった。

 ザリュースや陽光聖典らの行動に驚いたのは事実であったが、あの魔法は最初から向かってくるザリュースを狙ったものではなく、足元の橋めがけて打ち出すはずのものだったのだ。

 

 

 全員の視線の先で、再び硬質の音が響く。

 すると、回廊の中ほどにおいて、生じた亀裂の端から、ぼろぼろと橋が崩れ落ちていく。

 

 

 それを見て、全員総毛だった。

 

「く、崩れる……橋が崩れるわ! 皆、急いで脱出しましょう」

 

 その声に、戦闘で疲労しきっていた身体にむち打ち、回廊を渡りきろうと走り出す皆。

 

 

 しかし――。

 

「おい! 扉が開かないぞ!」

 

 橋を渡りきったものの、そこから宮殿内へとつながる鉄扉にはこちらも反対側と同様に、魔法による封印がされており、びくともしなかった。

 

「まさか、イグヴァが最後に放り捨ててたアイテムって……」

 

 封印をしたのであれば、当然ながら解除するアイテムも存在する。侵入した全員の殲滅を完了したのちにそれを使い、各所の封印を解くはずだった。

 そして、その為のアイテムを渡されていたイグヴァは、自らが死する瞬間、それを橋の外へと投げ捨てていた。

 

 

 慌てて縁へと歩み寄り、はるか下方を見回すが、目も眩むほどの高さがあるこの場から、投げ捨てられた手のひらサイズのアイテム1個など探せるはずもなく、仮に探せたとしても手に入れる術はない。

 反対側はゼロによって入り口そのものが破壊されているが、そちらに戻ろうにもすでに橋の半ばは崩れ落ち、飛び越えることなど出来はしない。

 そうしているうちにも、崩落する亀裂の幅は見る見るうちに大きくなり、少しずつ彼らの許へと近づいてくる。

 

 

 その時、ふとラキュースの脳裏に名案が浮かんだ。

 

「ゼロ! さっきのアレをやって! 扉の横の壁を壊せばい……。なっ!? ゼロ、後ろ!!」

 

 振り返ったラキュースの目に飛び込んできたのは禿頭の大男、その背後にて立ちあがった、全身の肉が焼け焦げ、引き攣り、よろよろと歩み寄る、不気味な肉人形の姿。

 すでに死んだと思われていたレイナースは、まだ息があったのだ。

 

 

 切羽詰まったラキュースの声に、ゼロは振り向きざま、もはやかろうじて人型であると認識できるほど異形の姿と化したレイナースの事を殴りつける。

 

 しかし、その振りぬかれた拳は、レイナースの肉瘤の中にズブリとめり込んだ。

 氷結爆散(アイシー・バースト)によって凍り付いた肉体はすでに溶け、先にクレマンティーヌが苦戦した弾力ある肉体を取り戻していた。その拳が突き立った孔からは、黄色い膿がじゅくじゅくと湧き、触れたゼロの皮膚を侵す。

 

 

「ぬううぅぅっ!?」

 

 声をあげつつ、己が身に纏わりつく肉塊を引っぺがそうとするゼロ。その身にしがみつく、もはや理性がどれだけ残っているのかも定かではないレイナース。

 その足元に亀裂が走った。

 

「ゼロ!!」

 

 助けようにも、助ける術はない。

 ゼロとレイナースは、共に回廊の崩落に巻き込まれ、はるか地上へと落ちていった。

 

 

 

 その光景に誰もが呆然とした。

 今いる橋の崩落から逃れる術、出口である扉が固定された壁を破壊できるゼロがいなくなってしまったのだ。

 

 その場にいた全員の心に絶望が渦巻く中、何やら小袋を抱えたティナが扉の前に陣取り、その袋をひっくり返した。

 ジャラジャラと何やら細かな物、アイテムや装身具の類が床にばらまかれる。

 

「何よ、これ?」

「さっき、デイバーノックが消滅した時に落っことしたアイテム。もしかしたら、この中に、同じような解除アイテムがあるかも」

 

 言われて、ハッとした。

 確かに、回廊に面する扉に仕掛けられた封印はどちらも同じような効果をもつアイテムの産物のようだ。

 ならば解除アイテムも共通かもしれない。

 

 回廊の奥の扉を守っていたのはイグヴァで、手前の扉を守っていたのはペシュリアンとデイバーノックだった。そのどちらかが同じようなものを持っていてもおかしくはない。

 だが、2人の内、ペシュリアンはゼロに殴り飛ばされ、橋の下へと落ちた。当然、持っていたアイテムは手に入らない。

 もし、そのアイテムを保有していたのがペシュリアンの方だったとしたら……。

 

 

「そうだな。今はまず、この中から探してみよう」

 

 その言葉に全員這いつくばり、床にばらまかれたアイテムに目を凝らす。

 ほどなくして、クレマンティーヌが声をあげた。

 

「んーと。これじゃない? さっき、イグヴァとかいう死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が放り捨ててたのも、こんな感じの宝玉(タリスマン)だったよね」

 

 彼女が拾い上げたのは、確かに先ほど、一瞬だけ目にしたものによく似ている。

 

「まあ、とにかく使ってみましょ」

 

 ラキュースは宝玉(タリスマン)を受け取り、扉の前に立つと、それを掲げて込められた魔力を解放する。

 すると、鈍色の鉄扉を覆っていた魔力の波動は、掻き消すように消え去った。

 急いで門を開け、転がるように宮殿内へと飛び込んだ。

 

 彼らのすぐ背後まで迫っていた崩落。

 それは幸いにして、その橋のみにとどまり、宮殿部分まで波及することはなかった。

 

 

 

 誰もが安堵の息を吐くその中、呆然とした様子で、かつて天上の美とも呼ばれた空中回廊があった場所を眺めるラキュース。

 その肩にザリュースが手を置く。

 彼女の瞳に涙がにじむ。

 

 

 ゼロは敵であった。

 情状酌量の余地もない悪人であり、かつては何とかして成敗してしまいたいと思っていた。

 そんな彼と、どういう因果か肩を並べて戦う事となった。

 その時間は本当にごくわずかであったが、彼は間違いなくラキュースの仲間であったのだ。

 

 

 その抜けるように白い頬に涙を流すラキュースに対し、扉の縁から下を見下ろしていたティナが声をかける。

 

「落ち着け、ボス。ゼロは生きてるかもしれない」

 

 その言葉に驚き、彼女の顔を見る。

 ティナは崩れ落ちた橋、その下を指さす。

 

「あそこの屋根だけど、黄色い筋が見える。あの肉塊の化け物が垂れ流していたのと同じような感じの。たぶん、橋のど真ん中で落下したんじゃなくて、その端、宮殿ギリギリの地点から落下したから、下にある建物とかにぶつかって落ちていったんだと思う」

「……じゃあ、生きてるの?」

「さあ、それは知らない」

 

 身もふたもない事を言う。

  

「でも、生きてる可能性も高い。あいつは飛びぬけて頑丈だったし、修道僧(モンク)は軽業も身に着けていることが多い。案外、ピンピンしているかも」

 

 ティナの言葉に、ラキュースの顔に生気が戻ってくる。

 その様子を見て、ザリュースが声をかけた。

 

「しかし、今からゼロを捜しに行くのは止めておいた方がいいな。そちらに時間を取られている間に、この街を支配した人間に逃げられかねん。お前の目的は、なにより、そのコッコドールとやらを倒すことだろう? まずはそちらを優先させることだ。なに、ゼロの方は後回しにしても問題あるまい。あいつはキャリオンクロウラーに追突され、踏みつぶされても生きていそうなオスだぞ」

 

 ザリュースの言葉に、思わず吹き出してしまう。彼が冗談交じりに自分を慰めようとしている事に、彼女は気がついた。

 そして、ラキュースは自分の両頬をパンと手でたたくと立ち上がった。

 

「ええ、そうね。行きましょう。私たちがやるべきことは、先ずこの王都をめぐる混乱を解決すること。簒奪者コッコドールを仕留めるわ。皆、あと少しだけど、力を貸して!」

 

 意気よく発せられた言葉に、その場にいた皆は拳をあげた。

 陽光聖典の者達も含めてである。

 その場で同調せず、冷めた目でいたのはクレマンティーヌただ一人であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 靴音を響かせることもなく、ランタンのわずかな明かりを頼りに、のしかかるような暗闇に包まれた通路を進む一団。

 誰一人言葉を発する者もいないが、暗闇の中、警戒しながら進むその動きに乱れはなく、よく訓練された部隊である事が見て取れた。

 

 ふと、前方を行く者が足を止め、耳を澄ませた。

 他の者達もそれに倣う。

 

 黒髪を足まで届くほどに伸ばしたその男は、片手をあげ、その指先で指示をする。

 続く者達は無言のまま頷き、陣形を組み替えた。

 そして、すぐ脇の壁、漂う湿気によりじっとりと湿った感触のする石積みの一つに手を当てると、それを深く押し込んだ。

 微かな擦過音と共に、その一部分だけが奥へと沈む。すると、その壁がゆっくりと開き、秘密の通路が現れた。

 

 その隧道を前に、手で合図すると、漆黒聖典の隊長は陽光聖典の者達を引き連れ、奥へと進んでいった。

 

 

 

 ここはヴァランシア宮殿地下にある地下通路だ。

 彼ら王宮への突入部隊はごくわずかな貴族のみが知る秘密の通路を使い、王城ロ・レンテへの潜入を果たした。火急の際はその通路を通り、王族が市外へと脱出する手はずとなっている脱出用の通路を逆に使ったのである。

 

 だが、王族が住み、国家としての政務が執り行われるヴァランシア宮殿は王城の更に内側に建てられた建物であり、王城とは直接、繋がってはいない。

 それこそ国家として万が一の事態が起こった場合、秘密の脱出路がある王城へ、いったいどうやって、人目に触れず移動するのか?

 

 その答えが、彼らが今、通っている地下通路。

 つまり、ヴァランシア宮殿から王城ロ・レンテまでもが、秘密の通路で繋がっているのだ。

 

 この通路の存在は、ラキュースなどのような高位貴族ならば知っている王城から城外への通路と異なり、完全に王族のみにしか知られていない、まさに秘中の秘である。

 しかし、そんな徹底的な情報管理がされた秘密の通路であったが、スレイン法国上層部はその通路の存在を知りえていた。

 

 国を出る前にそれを知らされていた漆黒聖典の隊長は、共に王城に潜入した者達にすら伝えることなく、自らが率いることとなった部隊を引き連れ、その通路を辿っていた。

 

 

 やがて、登り坂の隧道を黙々と歩いてきた彼らは再び立ち止まった。

 暗い洞窟、その眼前に扉が現れたのだ。

 

 扉の表面に刻まれた装飾に似せた可動部を定められた手順で動かす。

 すると、その扉は音もなく横へと動いた。

 その先にあるのは吊り下げられた服の波。

 どうやらウォークインクローゼットの中らしい。服を掻き分けながら進み、その先にあった両開きの扉を押し開ける。

 

 

 その先にあった光景に、隊長は目を剥いた。

 

 

 そこは宮殿の一室。

 おそらく、王族が使う控えの間だろうか? 質素ながら、品の良い壁紙が貼られているものの、壁際に置かれたついたて(・・・・)や背もたれのない椅子などの他は、調度品もない広い空間。

 

 だが、彼が驚いたのはその部屋の内装ではなく、そこにいた2人の人物。

 

 

 1人は美しい金髪を縦ロールに巻いた肉感的なメイド。

 そして、もう1人は……。

 

 

「ベルさん……」

 

 ずっと心のうちに引っ掛かっていた少女の姿をそこに認め、漆黒聖典の隊長は声を漏らした。

 

 

 



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第78話 ボーイ・ミーツ・……

 しまった。
 ベルの子供口調時の一人称と、漆黒聖典隊長の素の一人称がどっちもカタカナの「ボク」だった。


2017/3/2 「存在いる」→「存在がいる」、「行って」→「行って」、「早く」→「速く」、「越える」→「超える」、「見せる」→「みせる」 訂正しました
2017/3/8 「使えるべき」→「仕えるべき」 訂正しました


 暗い隧道を長時間歩いて(のち)に訪れた、目が痛くなるほどの光に満ちた室内。

 誰しもが、その目が慣れるまで身動き一つ取れなかった。瞳を刺すまばゆさに幾度も瞬きをしながら、室内を見回す。

 すると、部屋の中央において彼らを待ち受けていた存在がいることに気がついた。

 

 腰に手を当て、堂々とした態度で立つ少女。

 その姿に気付き、誰もが困惑の表情を浮かべた。

 

 

 そんな中、発せられた言葉。

 

「ベルさん……」

 

 かけられた言葉に、少女は酷薄な笑みを浮かべる。

 

「ああ、やはりな。やっぱり、そっちも探りをいれていたって事か」

 

 彼女は納得したかのように頷く。

 先頭に立つ、射干玉(ぬばたま)のような黒い髪を足首まで長く伸ばした男は、スレイン法国の中でも一般には極秘とされている精鋭部隊、漆黒聖典とかいう組織だか部隊の隊長らしい。

 ベルは出来るだけ一般の者達の目には留まらぬようにしていたとはいえ、現在リ・エスティーゼ王国を乗っ取った八本指、その上層部の者達の前にはちょくちょく顔を出している。そんな彼女の顔を知っているという事は、スレイン法国の諜報網は八本指の中にも及んでいたという事なのだろう。

 

 

「あ、いえ、違います!」

 

 そんなベルの勘違いを悟った彼は、慌てて、その顔の仮面をずらして見せた。

 

「ベルさん。ボクですよ」

 

 その一見、普通の顔にしか見えぬような魔法のかけられた仮面の下から現れた、少年本来の顔。

 その幼さの残る顔を見て、ベルは虚空に目をやり、記憶をたどる。

 

 そうすることしばし。

 ベルはようやっとその顔を思い出した。

 

「ああ……たしか、アレックス……だったね」

 

 その少年の事は、最近どういう訳だか常にアルコールによる酩酊の中に浸ってでもいるかのように、思考に霧がかかっているベルの脳裏にもちゃんと残っていた。

 ソリュシャンの手前、向こうの手を読んでいたかのように知ったかぶりをしたのに、それを見事に否定された形となったベルは先の事を誤魔化すように、ふんふんと何度も頷く。

 

「つまり、あの時から疑っていた。こちらを探りに来ていたって訳か。もしかして、君が助けに入った、あのとき襲いかかってきたチンピラも、君の仕込みだったのかな?」

 

 その問いかけに、彼は勢いよく首を横に振った。

 

「ち、違います! そんな事はしていません! あ、あの時は、ボクはあなたを助けようと……!」

 

 息せき切って言う彼。

 その顔を赤くしながら弁明する彼に対し、その心のうちを悟ったソリュシャンは険のこもった、きつい目を向ける。

 対して、再度、読みを否定されたベル。恥ずかしさから思わず頭を抱えたくなってしまったが、幸いにもその衝動はアンデッド特有の精神沈静によって抑え込まれた。

 

 

 ひび割れそうになる口調を必死で抑え込み、なんでもない事のように言葉を紡ぐ。 

 

「……まあ、いいか。アレが故意だろうが、偶然だろうが、それはもう関係ないし。それよりも、だ」

 

 そうして、ベルは彼をじっと見つめる。

 視線を向けられ、彼の頬にさらに赤みが増した。

 

「君がアレックスなのはいいとして、その正体は漆黒聖典の隊長で間違いないかな?」

 

 問われた彼は、ウッと言い淀んだ。

 漆黒聖典を含む六色聖典は法国でもごく一部の人間しか知りえない秘密の組織である。おいそれと周囲の人間に存在を明かしていい訳ではない。

 しかし、ここでしらを切ってもなんら意味がないと考え、彼は正直に答えることにした。

 

「はい。そうです。ベルさん、ボクはあなたに対し、漆黒聖典……いや、スレイン法国の者を代表して、聞きたいことがあります」

 

 強ばった口調の彼に対し、ベルは特に気負う事もなく、「なに?」と訊き返した。

 

 ごくりと喉を鳴らし、緊張から、乾いた口を湿らせる。

 そして、彼は問いただした。

 

「ベルさん。あなたは今回の八本指、そして亜人たちによる王都占領に関して……なんらかの事情を知っている、もしくは関わりがあるんですか?」

「うん。そうだよ」

 

 あっさりと告げられた言葉。

 その衝撃的な告白に対し、彼のしている指輪、相手の発した言葉に嘘が混じっているかを判別する指輪に反応はなかった。

 

「あ、あなたは今回の王都占領に関して、八本指らの裏で糸を引いたものを知っているんですか?」

「知ってるよ」

「そ、それは一体……もしや、アインズ・ウール・ゴウン……ですか?」

「んー。まあ、関わってるといえば関わってるけどね。まあ、本当に裏で絵図を描いてるのは別の人間だけどねー」

「そ、その人物とは……?」

「決まってるじゃない」

 

 少女は親指で自分を指し示す。

 

「ボクだよ」

 

 整った人形のような美しい少女の顔。

 その口元が吊り上がり、邪悪な悪魔のようににたり(・・・)と笑みを形作った。

 

 

 

 その表情を見た陽光聖典の者達は、瞬間、背筋を這い上がる寒気を感じた。

 

 ――目の前の少女は見た目通りの存在ではない。

 

 そう気づいた彼らは指示を待つことなく、パッと周囲に展開し、隊長が制止する(いとま)もなく、銘々が各種攻撃魔法を放つ。

 

 

 その魔法の奔流に打ち倒され、哀れ少女は肉塊と化し、命を落とすかと思われた。

 

 しかし、予想に反し、あるいは予想通り、それで彼女が命奪われることはなかった。

 放たれた攻撃魔法、雨あられと打ち込まれたその全てが、少女に触れるか触れないかというところで掻き消す様に消え去ってしまったのだ。

 

「なんだ、あれは!?」

「魔法の防御か?」

「まさか、魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

「いや、魔法を発動させた気配はなかった。おそらく、マジックアイテムだ」

 

 戸惑いの言葉を口にする彼ら。

 そんな中、陽光聖典の1人が剣を片手に躍りかかった。

 彼らの本当の得意は魔法であるとはいえ、武器を使った白兵戦も十二分にこなすことが出来る。その技量は、他の六色聖典に属する専業戦士と比べれば見劣りするとはいえ、通常の戦士が相手ならば、問題なく一蹴できるほどである。

 

 この少女が一体どういう手を使ったのかは分からない。

 だが現実、彼らの攻撃魔法は打ち消された。

 その事から、魔法による攻撃を続けても、それは効率的ではないと判断したが故での行動だ。

 

 

 しかし――。

 

 

「な、なんだ!?」

 

 少女は避けようともしなかった。

 その美しく長いプラチナブロンドの髪。ほっそりとした首筋。華奢(きゃしゃ)と言ってもいい肩。

 見た所、何の防御効果のある防具も装備していないというのに、力を込めて振るわれる魔法のかかった剣、その刃がまったく通らない。まるで固定された鋼の塊にでも武器を打ちつけているがごとく、その少女はびくともしなかった。

 切りかかった男は慌てた様子ながらも思いつく限り、その攻撃方法を変える。斬撃の他に刺突や殴打、更には武器に一時的な属性を与える魔法やアイテムなど、幾通りもの攻撃手段で、少女に傷を負わせようと試みる。

 しかし、どのような攻撃を受けても、少女は何の痛痒も感じた様子はなかった。

 

 

「ま、まさか、全属性防御か……!?」

「いや、そんなものがあるはずが……」

 

 そう戸惑いの声が囁かれる中、しばしの間、好き勝手に攻撃させていたベルであったが、やがて剣を振り下ろすその手をむんずと掴むと――そのまま握りつぶした。

 

 絶叫が室内に響き渡る。

 

 誰もがその外見からは想像もつかない桁外れの怪力に絶句する中、ベルは悲鳴を上げる男の膝を掴むと、同じように握り潰す。

 そうして、苦痛に泡を吹くそいつの身体を、ぽいと後ろに放り投げた。

 

 その落下地点にいたのは、露出度の大きい衣服を身に纏い、肉感的な肌を惜しげもなくさらしている見目麗しい金髪のメイド。

 

 その女は何をするでもなく、ただその場に立っていた。

 そこへ放り投げられた男が落ちてくる。

 衝突する――誰もが息をのんだが、実に奇怪な事にそうはならなかった。

 

 投げ飛ばされた男は、落下地点にいた女とぶつかった。

 ぶつかったのだが、その瞬間、女の身体が大きく歪んだ。まるで水面に物を投げ込んだ時のような波紋が、その白く艶めかしい身体の表面を走った。

 そして男はそのまま、女の中へと吸い込まれていった。

 

 

 後に残ったのは何事もなかったかのように、そこに直立するメイドの姿。

 

 

 唖然として見守る中、女の身体に再び波紋が生じ、大きく揺らいだかと思うと、何かがその身から吐き捨てられた。

 それはたった今、女に吸い込まれた陽光聖典の隊員が身に着けていた装備一式であった。

 

 

 彼らは恐怖した。

 その身に、これまで感じたことなどないほどの怖気が走った。 

 恐慌に陥りつつも、日々繰り返された厳しい鍛錬により身に染みついていた通りに彼らの身体は動いてくれた。各々、今回の任務の為に法国より支給された武器を構え、何時でも放てるように魔術の構成を練る。

 それは怯えた者が、足元に落ちていた棒っ切れを振り上げ、必死で威嚇するのと相違ない行為でしかなかったが。

 

 

 そんな彼らを手で制し、隊長は問いかけた。

 

「止めろ、お前たち! ……ベルさん、どういう事ですか?」

「ん? どういう事って?」

「先ほど、ベルさんが言った事です。今回の王都占領の計画を立てたのは……」

「うん。だから、ボクだってば」

 

 あっけらかんというその言葉に、彼は絶句する。

 彼の指輪は反応しようとしない。

 

「しょ、正直に答えてください。ベルさん、先ほどあなたはアインズ・ウール・ゴウンが今回の件に絡んでいると言いました。でも、あなたは以前、アインズ・ウール・ゴウンなる人物など知らないと言っていましたよね?」

「ああ、うん。確かにそう言ったね。知らないよ。アインズ・ウール・ゴウンなんて『人間』はね」

 

 その噛んで含めるような言い方に、ようやく彼はあの時、すでに一杯食わされていた事に気がついた。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンは人間ではない。だから、アインズ・ウール・ゴウンという『人間』は知らない、……という事ですか」

「そういう事。アインズ・ウール・ゴウンなら知ってるよ」

 

 まんまと引っ掛かったと、少女はケラケラ笑った。

 その言葉は嘘ではない事を、無情にも彼の指輪は示していた。

 

「教えてください。アインズ・ウール・ゴウンとは、何者ですか?」

「抽象的だね。アインズさんはアインズさんであるとしか言いようがないね」

「……では、そのアインズは亜人ですか?」

「うん、そうだよ」

 

 彼の指輪が反応を示す。

 その言葉は嘘だと。

 

「嘘ですね」

 

 断言した彼であったが、対するベルは笑いながら続ける。

 

「いや、嘘なんかついていないさ。アインズさんはダークエルフでね。かつて破滅の魔樹によってトブの大森林を追い出されてから、長い事、各地を放浪し続けた後にようやくこちらに戻ってきたんだよ。ボクはそこで彼と会ったって訳さ」

 

 その答えに彼は苛だたしげに首を振った。

 

「ベルさん。嘘はつかないでください。ボクの持っている指輪は嘘を見抜きます。あなたの言っている事は嘘です。何故、嘘をつくんですか」

「何故嘘をつくか。そうだね。人が嘘をつく理由は大まかに3つ。本当の事を隠しておきたいからという受動的な理由が1つ目。人を騙したいからという能動的な理由が2つ目。3つ目は――」

 

 ベルは肩をすくめ、言った。

 

「――話す気もないという無関心からだね」

「……あなたは今、この王都がどんなことになっているのか知っているんですか?」

「ん? 一通りは知っているつもりだけど」

「今、罪もない街の人々は怯えながら暮らすことを余儀なくされています。犯罪者や邪悪な亜人たちが堂々と街中を闊歩(かっぽ)し、思い思いのままに暴虐を振るっています。人々の心は嘆きと怨嗟に包まれています」

「ああ、そうみたいだね」

「あなたは心が痛まないんですか?」

「ん? 心が? なんで?」

「なんでって……」

 

 目の前の少女が発した、本当に訳が分からないという様子の言葉に、彼は思わず絶句した。

 

「あ、亜人たちの暴威にさらされているのですよ。この街の人間は」

「うん、そうだね」

「彼らはトロールやオークに貪り食われ、戯れによって命を奪われているんです」

「うん、そうみたいだね」

「あなたは同族たる人間が他種族の脅威にさらされているのを前にして、何とも思わないんですか? 人間ならば誰しもその心のうちに良心があるはず。同族意識があるはずです。あなたは同じ人間である、この王都の人の苦難、その現状を見ても何とも思わないんですか? 亜人たちを野放しにするという事は、あなたの知り合い、大切な人、友達が同じ目に遭うかもしれないんですよ」

 

 

 鬼気迫る勢いでの必死の訴え。

 しかし、それを聞かされた当のベルはというと首をひねった。

 

「友達が……ねえ?」

 

 

 知り合い。

 大切な人。

 友達。

 

 そう言われて、ベルの脳裏に浮かぶのはただ1人。

 

 

 豪奢なガウンに身を包み、その眼窩の奥からペカペカと赤い光を発する白い骸骨。

 

 今はアインズ・ウール・ゴウンと名を変えたモモンガ、鈴木悟である。

 

 

 

 ベルにとって、この世界において、アインズだけは別格の存在だ。

 それは、ベルの知る限り、アインズのみが『人』であるからである。

 

 

 

 他の者達、アルベドやデミウルゴスら守護者たち。

 ソリュシャンやシズ、エントマら、プレアデスの面々。

 ナザリック内を警備する領域守護者や各種モンスター。

 主に9階層以下でこまごまとした雑事をこなす一般メイドたち。

 

 彼らも大切な存在ではある。

 愛着もある。

 

 

 しかし、彼らはあくまでNPCでしかない。

 所詮は、ただのゲームのキャラクターだ。

 今は異形種の姿となっているとはいえ、中身は実際に生きた『人』であるアインズとは決定的に異なる。

 

 確かにベルといえど、彼らNPCたちに対し、ぞんざいな態度を取る訳にもいかない。

 彼らに攻撃されれば自分も怪我をするし、彼らの反意を買う事は決してよろしくない結果を生む。様々なところで悪影響が生じるし、無駄な火の粉をかぶることになる。

 そうならないように行動や言動には注意すべきだし、時には報奨を与えるなどして、気を配ってやらねばなるまい。

 

 だが、それはあくまでも、自らに不利益となる結果を避けるためでしかない。

 

 飼っている犬でも叩けば噛みつかれる。なら、無理に叩こうとはせず、頭を撫でてやっていれば、忠犬として役に立つ。

 犬は有益であり、大切にすべき存在であるが、それでも『人』とは違う。

 

 そして、対等の存在である『人』は、この世界にアインズただ一人しかいないのだ。

 

 

 ましてや――。

 

 

「んー、いや、別に知り合いでもないから、この街の人間がどんなひどい目に遭おうと構わないし。それに、別に人間なんて、いくら死んでもいいじゃない」

 

 

 ベルはそう言い切った。

 

 ナザリックにいるNPCたち。

 彼らについては、あくまでゲームのキャラクターとは言え、自分の味方であり、かつての友人たちが作ったものであって、自分たちに忠誠を誓い、懐いてくる様子を見れば愛着も湧いてくる。

 

 

 しかし、この世界に住んでいる、人間を始めとした生き物たちには、別に執心する理由もない。

 

 

 カルネ村のエンリやネム、自分の配下となったマルムヴィストらなど、ちょっとしたきっかけから目にかけている者については、お気に入りとして庇護の対象と捉えてはいても、そこらに大量にいる者たちなど、特に気にかけるべき存在でもない。

 

 ゲームで経験値稼ぎの為に倒す敵一匹一匹に、あいつらにもこれまで生きてきた人生があったんだぞと言われてもピンと来ないように。

 戦略SLGにおいて、戦闘により減った戦力、そしてそれが時間回復で元に戻るのを見て、失った兵士、そして新たに兵士となった者、一人一人の身の上を考えることなどないように。

 

 

 この世界に暮らす人間を始めとした生物たちの事など、いつのまにか勝手に湧いて出るモブキャラと同等にしか、ベルは認識していなかったのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「別に人間なんて、いくら死んでもいいじゃない」

 

 目の前の少女は、特になんでもない事のように、そうつぶやいた。

 その言葉を耳にした彼らは、言葉を失った。

 

 眩暈がした。

 一体、今、自分たちが相対してる人間――いや、存在は何なのか?

 

 蛇と対峙した人間が感じる、本能に根差した原始的な恐怖。

 それに似た、全く異質なものと相対しているような感覚が彼らを襲った。

 知らず知らずのうちに、陽光聖典の者達の心臓は高く脈うち、その呼吸も速くなっていく。

 

 

 そして、それはアレックス――いや、漆黒聖典の隊長もまた同様であった。

 彼はまるでそれが直視したくない現実をも切り裂くことが出来るかのように、その手にしている槍を、恋い焦がれた少女に向ける。

 

「ベルさん。あなたは一体何者なんですか?」

「んー、そう聞かれても答え辛いね。自分は一体何者なのか。……ふうむ。そうだね、今は何者なんだろうね」

 

 

 言われて考える。

 

 ――確かに今の自分は何なのだろう?

 巨躯のアンデッドであったはずが、人間の少女になってしまっている。

 すると、今の自分はアンデッドなのだろうか? それとも、人間なのだろうか?

 少なくともアンデッドの特性を保有している事から、アンデッドなのだろうが――いや、そもそもな話、当然ながらリアルでは人間だったのだから、人間の範疇になるのだろうか?

 

 

「あれ?」

 

 ベルは記憶をたどる。

 彼女は、いや彼はかつてリアルにおいてごく普通に、一般人として生活していた。

 社会人として、同僚たちと共に日々忙しいという言葉では収まりつかぬほどの過酷な、いわゆるブラックな労働環境の中、働いてきた。

 そのはずであったのだが――。

 

「んんん?」

 

 ベルは首をひねった。

 いくら記憶をひっくり返しても、当時、共に働いていた同僚たちの顔がはっきりとは思い出せないのである。ついでに言えば、自分がかつて置かれていたのがひどい環境だったことは心に刻まれているが、具体的にどんな環境であったか、非常にあやふやにして曖昧模糊たる記憶しかなかった。

 そもそも、その頃の記憶が、まるで記録映画の中のような、現実感のないもののようにしか感じられなかった。

 

 何やら自分が自分でないような、何か大切なものを忘れているような。

 手が届きそうで届かない、掴もうとするたびに指の間からすり抜けるような、そんな感覚。

 言葉にならないものが波のように、己の胸の内に押し寄せては引いていく感覚にもどかしさを覚えた。

 それが一体何なのか。あと少しで思い出せそうだったのだが――。

 

 

「まあ、いいか」

 

 ベルはそう独りごちた。

 

 

 ――昔の記憶なんか、とりあえず今はどうでもいい。

 ど忘れくらいあるだろう。

 今、思い出せないんなら、そのうち、何かのきっかけで思い出すだろう。

 

 

 その胸の内に湧いた、かつての記憶の残滓、人としての感情は、すくいあげられることなく雲散霧消してしまった。

 

 

「まあ、悩むのは後でもいいか。とりあえず、こっちを片づけよう」

 

 そう言うと、彼女は虚空から一振りの戦槌を取り出した。

 その可憐な姿にはあまりにも不釣り合いな、歴戦の戦士たる陽光聖典の彼らをして、見ただけで身の毛もよだつような、おどろおどろしい装飾がびっしりと施された、奇怪な形状の凶器。

 

 それよりなにより、その場の者達の総身を震わせたのは、唐突に叩きつけられた殺意。

 

 目の前の少女から、垂れ流される濃厚なまでの殺気の奔流に、彼らは骨の髄まで(すく)みあがった。

 慌てて互いに〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉をかけ合い、その胸に湧いた恐怖を抑えようと試みたものの、それでも彼らの足の震えは収まろうとしない。

 

 かつて経験したことのない感覚を前に、彼らは狼狽し、恐れ慄いた。

 

 

 

 そんな中、隊長である彼は、きつく歯を食いしばり、足の震えをその神人たる力で無理矢理に押さえつけた。

 

 

 ――この少女は恐るべき相手だ。

 

 彼はまだ若いながらも、これまで幾多の強敵と相対してきた。

 だが、彼が今感じている感覚は、今まで一度も経験してきた事がないものであった。

 

 ――この少女はドラゴンよりも、巨人よりも、そして下手をしたら法国最深部に控えるスレイン法国の切り札たる最強の存在、『絶死絶命』すらをも超える存在かもしれない。

 彼女を放っておくわけにはいかない。

 たとえ、自分の命と引き換えにしても打ち倒さねばならない。

 たとえ、この六大神の遺産を使用してでも。

 

 

 彼は唇を噛みしめ、決意した。

 その槍先に巻きつけていた布を取り払う。

 

 見るからに粗末なボロ布――のような外見の、実際はこれも六大神が残したものの一つである、(まと)わせたものの詳細を隠蔽する効果のある強力なマジックアイテム。

 それを取り払った事により、彼の手にしていた、身につけた装備に比すればどう見ても粗末としか言いようのない木製の槍、その真の姿が(あら)わとなる。

 

 

 それを目の当たりにし、さすがのベルも目を見張った。

 

「なっ! それは……!?」

 

 実物に見るのは初めてだが、ベルはそれをよく見知っていた。

 それはベルに限らず、ユグドラシルのプレイヤーであれば、いや、実際にプレイしたことは無くとも、ユグドラシルというゲームの情報に触れたことがある者ならば誰でも、真っ先に見聞きする最も有名なアイテム。

 

 ゲーム中に存在するアイテム群とは一線を画す、桁外れの能力を持つとされるワールドアイテム。その中でも破格の壊れ性能を持ち、『二十』と言われた物があった。

 その筆頭として必ず名前があげられる、使用者のロストと引き換えに、対象となった相手をロストさせるという作成者の正気を疑うようなアイテム。

 

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』。

 

 それが今、彼女の目の前にあった。

 その切っ先が、自分へ向けられていた。

 

 

 誰もが言葉もなかった。

 陽光聖典の者達もまた、初めてその真の姿を現した、六大神の残した遺産の中でも最高峰のアイテムを前に、震え続ける己が足の存在すらも忘れて息をのんだ。

 

 

 そして、その穂先を前にして、ベルもまた冷や汗を流していた。

 

 ――拙い。

 

 彼女の口元がわずかに歪む。

 

 

 

 これまで泰然自若たる態度を揺るがしたことのなかった少女の動揺を見て、彼は勝機を見て取る。

 

「ベルさん。あなたは……これを知っているようですね。これは『ロンギヌス』。スレイン法国を作り、人類を凶悪な怪物(モンスター)から救った六大神の残した遺産です」

「……君はそれを使うってことが何を意味するか分かってる?」

「はい。分かっています」

「それを使えば君は死ぬ。通常の蘇生魔法も効かない。それもちゃんと分かっている?」

「ええ」

 

 彼は迷いを振り払うかのように、深く頷いた。

 

「ベルさん、あなたの正体はよく分かりません。しかし、あなたは危険すぎる。そんなあなたを野放しにすることは出来ません。ベルさん、すみません。死んでください。ボクも……あなたと共に死にます」

 

 そう言って、隊長は懐から一つのアイテムを取り出した。

 その奥に炎を湛えた青紫色に怪しく光る宝玉(タリスマン)

 

「これは魔法やアイテムによる特殊効果を無効化するマジックアイテムです。ベルさん、あなたはどうやってだかは分かりませんが、先ほど攻撃や魔法を無効化してました。しかし、これを使えば、あなたにかかっている特殊効果を一時的に打ち消すことが出来ます。これを使えば、この『ロンギヌス』の効果を無効化することは出来ません」

「なっ!?」

 

 その言葉に、ベルはこれまでにないほどの動揺を見せた。

 目に見えて狼狽し、彼が手にしたアイテムを奪おうと一足飛びに距離を詰める。

 

 

 しかし、如何に彼女といえど――時間を止めることでも出来れば別だが――それは間に合わない。

 隊長は宝玉(タリスマン)の効果を発動させる。

 一瞬、まばゆいばかりの光が察せられたかと思うと、光の波動が辺り一面を駆け抜けた。

 

 

 

 同時に、彼は手にした槍を発動させた。

 己が命と引き換えに、相手の命を奪う、いわば呪いのようなアイテム。

 

 粗末な造りの木の槍が金の光に包まれる。

 ついにその効果が発動される。

 

 彼はその発動先として、恋した少女を選んだ。

 かつて、街角で出会った時の少女の笑顔が彼の脳裏を駆け巡る。

 

 その記憶と共に目をつむる。

 彼は全ての思いを振りきるように、手にしたワールドアイテムの力を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 ガッ!

 

 その手のロンギヌスが荒々しく奪い取られた。

 驚愕に目を見開く彼。

 

 その目の前には、自分が命と引き換えに殺すことを決意した少女がいた。

 そして、その顔は(まなじり)が吊り上げられており、怒り心頭に発するという言葉の通りの表情が浮かんでいた。

 

 

 彼女はその手の戦槌を振るう。

 それは隊長の腹に突き立った。

 

「げはっ!」

 

 思わず息が漏れ、苦痛のうめきと共に、その体が吹き飛ばされる。

 大理石の床を転がる彼の身体を陽光聖典の者達が助け起こし、その身に回復魔法をかける。

 それによって傷は癒えたものの、彼は身じろぎ一つ出来なかった。

 少女が生きていること、そして彼自身がいまだ生きていることに驚愕していた。

 

 

 そんな彼の視線の先では、男物のスーツを身に纏った美しい銀髪の少女が、先ほどまで彼の手の中にあったワールドアイテムをその手に掴み、忌々しげに睨みつけていた。

 

「一つ、レクチャーしよう」

 

 彼女は苛ついた様子でそう口にし、戦槌から手を離す。支えるものがなくなったというのに、その武器は床に落ちることもなく、彼女の周りをふよふよと漂っていた。

 そうして空いた手を虚空に突っ込む。

 引き抜かれた手には、一着の衣服。

 それを見た彼は息をのんだ。

 

「それは……! まさか、『ケイ・セケ・コゥク』!?」

「違うわ、アホがっ!」

 

 これまでとは明らかに異なる、憤懣やるかたないといった調子で怒鳴るベル。

 

「これはワールドアイテム『傾城傾国(けいせいけいこく)』。その能力は一体のキャラを支配状態に置くこと。そして、お前が使った『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』だけど、効果は使用者を抹消する代わりに対象者を抹消すること。ここまではいいか?」

 

 その振りまかれる勘気に思わず、首を縦に振る。

 

「はい。それでは次だけど、ワールドアイテムの効果を防ぐことはほぼ不可能。ごくわずかな例を除いてな。そのごくわずかな例の中でも最も有名且つ一般的なのが、ワールドアイテムを所持すること」

 

 手にした白銀の衣服をひらひらと振る。

 

「分かるか? つまりワールドアイテム『傾城傾国(けいせいけいこく)』を持ってるから、俺には『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』は効かなかった。逆に言えばワールドアイテムを持っていなければ、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を防ぐことは出来ない。つまり、その特殊効果を無効化する宝玉(タリスマン)を使ったのは、まったく無駄だって事だよ!」

 

 

 もはや八つ当たりと言ってもいいほどの癇癪を爆発させるベル。

 彼女がそこまで怒りを(あら)わにしている原因。

 その訳は――。

 

 

「べ、ベル様……あ、あなたは一体……」

 

 呆然とつぶやくソリュシャン。

 今浮かんでいる表情は、普段の彼女からは想像も出きぬほど。その目はこぼれんばかりに見開かれ、驚愕のあまりパクパクと口を動かし、愕然とするその体には震えが走り、まさに瞠目結舌(どうもくけつぜつ)といった有様であった。

 

 

 ナザリック地下大墳墓に所属する者達は皆、似たような気配を発している。彼らはそれをもとに敵と味方の区別をつけることが出来る。

 そして、特に彼らが仕えるべき存在、至高の41人は明らかに他のNPC達とは異なる気配を発しているのである。

 

 ベルは自身の存在を隠蔽する受動的特殊技術(パッシブスキル)を保有している。さらに常時身に着けているアイテムによってその効果を増幅させ、彼女が発する気配を完全なまでに遮断していた。

 

 

 そう、普段は。

 

 

 しかし、今、漆黒聖典の隊長が使用したアイテム。敵味方、強化(バフ)弱体化(デバフ)問わず、周辺の特殊効果を無効化するアイテムにより、それらまでもが無効化されてしまったのだ。

 その結果、隠すものがなくなり、発せられたその気配。

 

 アインズと同様の、至高の41人が発する、灼熱の太陽にも似た圧倒的なオーラ。

 

 それが今、後ろに控えていたソリュシャンの身に降り注いでいた。

 

 

 これまで、ベルとベルモットが同一人物である事は、ナザリックの者達にも秘密にしていた。その事はアインズ以外知りえない。

 その秘密が、ワールドアイテムの効果、能力をはっきりと知らぬまま、周囲の特殊効果を無効化するアイテムを誤使用した隊長の行動によって、ついに露呈してしまったのだ。

 

 

 

 ベルは苛立ちまぎれに、一つ舌打ちをした。

 そして、手にしていたものをアイテムボックスの中へと放り込む。 

 その様子を見ていた者達は、虚空へと消えたアイテムをまるで手品でも見たかの如く、呆然と眺めていた。

 

 彼らは即座には気がつかなかった。

 法国が守る六大神の遺産。そのうちの2つ、『ケイ・セケ・コゥク』と『ロンギヌス』が失われた事に。

 

 

 先ほどまでの余裕があった表情とは異なる、冷たい憤怒を湛えた目でベルは相対する六色聖典の面々を眺めた。

 

「さて、茶番は終わりだ」

 

 その言葉と共に、どこからともなく幾本もの武器が出現する。

 剣。戦槌。槍。刀。ナイフ等々……。

 

 それらはグルグルと仁王立ちする少女の上空をめぐる。

 

 

 そして、ベルは冷たい瞳で彼らを見る。

 これまで特殊技術(スキル)によって隠蔽されていた彼女本来の実力、100レベルキャラクターとしての強さが白日の下に晒され、それを感覚として理解し、凍りつく彼らの事を。

 

 

 漆黒聖典の隊長は言葉もなく、ただその瞳を見返した。

 彼はその瞳の奥底にあるものに気がついた。

 明確にして残酷なまでに、自分たちこの地に生ける人間とは全く異質なものが、その奥に湛えられているという事に。

 彼女の向ける視線。その先にある自分たち。しかし、彼女はその目に人間を見ているのではないという事に。

 その目には怒りがある。しかし、それは腹の立つ相手、人間に向けるものではなく、ただ道端で(つまず)いた路傍の石に向けるようなものであった。

 

 

 毛骨悚然(もうこつしょうぜん)とした視線が集まる中、ベルはそのほっそりとした白魚のような手を上へと掲げる。

 そして、命令を待つ者達に下知を下すように、振り下ろした。

 

 

 

 

 ベルはぴんと立てた人差し指を、頭上でくるりと回す。それに合わせて、空舞う彼女のフローティングウェポンがぐるりと周囲を一回りし、その身を染めていた鮮血を弾き飛ばした。

 そして、その小さな指先でアイテムボックスの入り口を開くと、そこに出来た空間に次々と空飛ぶ武器たちが飛び込んでいく。

 

 

 そうして、全ての武器を自分のアイテムボックスにしまうと、ベルは周囲を見回した。

 辺り一面はまさに血の海という表現がぴったりくる有様である。 

 その場にいまだ命長らえている者はいない。

 あらためて、それを確認すると、彼女は安堵の息を吐いた。

 

 

 そして、その顔に渋いものを浮かべる。

 ガリガリと頭を掻く。

 

 しばらくそうしていたが、思い切って彼女の後ろに(たたず)む、彼女お付きのメイドの方へと振り返った。

 頭2つ分は高いところにあるその顔は、いまだにあまりの衝撃から回復せず、愕然としたものを浮かべていた。

 ソリュシャンは混乱のあまり、頭の中が真っ白となったまま口を開いた。

 

「べ、ベル様。あなたは……いえ、あなた様はっ……!?」

 

 口にしかけたソリュシャンの言葉を、手をあげて制止する。

 そして、人差し指を立てると、それをいまだ女性のたしなみである紅すらもささない、幼い桃色の唇へと持っていく。

 

「ソリュシャン。このことは秘密にね」

 

 そう言って、ぎこちなく片目をぱちりと閉じてみせる。

 それに対して、ソリュシャンは反駁した。

 

「な、何故ですか!? こ、このことを皆に……」

「待った、待った。落ち着いて。ほら、今ナザリックにはボクとアインズさん2人がいる。ボクがアインズさんと同じようにギルメン、至高の41人の気配でも発したら、ナザリックの皆はどっちの命令に従えばいいのか、混乱するよね?」

 

 その言葉には、ハッとさせられた。

 確かに、今のナザリックは至高の41人の方々が離れており、最後に残ったのはアインズただ1人。ベルはというと、あくまでその娘でしかない。

 

 アインズの命令、意思こそ、最も優先されるべきものであり、ベルの指示はそれに次ぐものであると序列が決まっている。

 仮に、アインズとベル、2人の命令が相反した時は至高の41人であるアインズの命が優先される。

 ――幸いにして、今までそんなことは無かったのだが。

 

 

 これはナザリックの者であれば、とくに意識するでもなく、当然の事だ。

 

 しかし、ここで考えることがある。

 今、分かった事実。

 もし、アインズの他にベルもまた、至高の41人と同等の気配を発していたとしたら……。

 

「ね? 優先順位の問題が出てきて、指揮系統が混乱するでしょ? だから、このことは誰にも秘密のままに、ね」

 

 語られた理由に納得したソリュシャンは、一度ごくりと喉を鳴らすと、深く頷いた。

 その仕草に、満足そうな笑みを浮かべたベルはようやく肩から力を抜いた。

 

 

 ――この事がソリュシャンの口から洩れていたら、拙いことになるところだった。

 

 ただのギルメンの娘と思われていたベルが、ギルメンと同様の気配を発することが出来る。

 このことが知れ渡れば、ナザリック内でのベルの地位は確実に上がる。これまでも相応の敬意を払われていたのであるが、それとは一線を画す扱いを受けるだろう。ナザリックのNPCたちのギルメンに対する感情は並外れている。はっきり言って、常軌を逸しているといっても過言ではないほどだ。

 

 しかし、それはあまりよろしくない結果を生みかねない。

 

 現在、ナザリックはたった一人残った(ということになっている)ギルメンであるアインズの下に収まっている。

 そんな中、ベルもまた同様の気配を持っているとなれば、先程ソリュシャンに語った通り、優先順位の問題が出てくる。下手をしたら派閥ができかねない。

 そうなれば、面白くないのはアインズだろう。

 自らの地位を脅かしかねないベルに対し、猜疑の心を持ちかねない。

 そうなれば、これまで上手くいっていた2人の関係も壊れかねない。

 

 実際の所、アインズはそんな事思いもしないだろうが、精神が歪んでいるベルは、自分ならやりかねない、いや絶対にやると考えたため、アインズもまた同様に考えるかもしれないと思い込んでいた。

 

 ベルとしても、別に無理に今の現状を壊す気はない。

 アインズの気が変われば、自分の立場も危ういとは危惧していながらも、先日、ワールドアイテムである『傾城傾国』を秘かに手に入れたことから、その心のうちにあった懸念は大きく減ぜられていた。

 万が一、何かあっても『傾城傾国』があれば、何とか立ち回ることが出来るかもしれないという思惑から、心に余裕が生まれている。

 今のところは現状維持で十分であった。

 

 

「さて、じゃあ、とにかくこの死体を片づけないとな。とくに、このアレックス――漆黒聖典の隊長とやらの死体は」

 

 ベルの視線の先にあるのは、ただ無残に倒れ伏す、幾重にも投げつけられたフローティングウェポンの連撃をその身に受けた少年の遺体。

 うつ伏せに倒れた少年の顔に浮かんだ表情――恐怖を張りつけているのか、憎悪に歪んでいるのか、それとも穏やかに微笑んでいるのかすらをも確かめようともせず、ベルは肩越しに親指でソリュシャンに指示をした。

 

「あの隊長はユグドラシルの装備を身に着けていたみたいだから、回収しといてね。あと、死体を残しておいて蘇生されると面倒だから、そいつだけは中にしまっておいて。後の連中は、ナザリックで回収して、アンデッドの材料にでもしてしまえばいいや」

 

 深々と(こうべ)を垂れ、了承の意を示すソリュシャン。

 そんな彼女を背後に、ベルは扉へ足を向ける。

 玉座の間へと繋がる扉の方へ。

 

 

「さて、宴もたけなわのようだけど、そろそろ締めに入ろうか」

 

 

 




 これでようやく突入組、一巡しました。


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第79話 宴の終わり

2017/3/10 「ラナー」→「ラキュース」 訂正しました
「純繰りに」→「順繰りに」、「現していた」→「表していた」、「大切なもの」→「大切なものを」、「強力」→「強大」、「1人」→「一人」 訂正しました
会話文の最後に句点がついていた所がありましたので削除しました


 カッ、カッ、カッ。

 

 鋲の打たれた靴底が大理石の通路を規則正しく叩く。

 

 かつては荘厳なまでの威容を誇っていたヴァランシア宮殿。

 塵一つなかったその廊下であったが、今やそこかしこにすっかり乾き、こびりついた血の跡がそのまま残されており、かつてこの場において行われた蛮行の痕跡をまざまざと見せつけていた。

 

 

 そんな通路を一団が走る。

 先頭を行くのは白銀と金で作られた、あたかも芸術品のように美しい鎧を身につけた『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。それに続くのは同じパーティーメンバーであるティナ。そして蜥蜴人(リザードマン)のザリュースに、本来は彼女たちと敵対する事の多いスレイン法国に所属する漆黒聖典第9席次『疾風走破』クレマンティーヌ。そして、白い布地でその顔を隠す、同国の陽光聖典の面々といった集団であった。

 

 

 彼らは走る。

 この惨劇をもたらした張本人が待つであろう、その場所。

 

 ヴァランシア宮殿、玉座の間へと。

 

 

 

 正面に巨大な両開きの扉が見えた。

 表面には、かつての十三英雄が魔神を打ち倒し、世界を救った場面が彫刻されている。

 その見るだけで心動かすような情感をもたらすであろう飾りでさえも、まるで中に控えている者達からの嘲弄(ちょうろう)としか思えなかった。

 

 

 躊躇うことなく、勢いよくその扉を開け放つ。

 

 彼女らの足元から、一直線に敷かれた赤絨毯。

 その先に据え付けられたリ・エスティーゼ王国の玉座。

 そこには一人の中年男が腰かけていた。

 

「ひ、ひいっ!」

 

 情けない声を発する、僭王コッコドール。

 彼は、玉座の上で部屋に入ってきたラキュースらの視線を一身に浴び、身震いした。

 

 

 この玉座の間には彼以外にも、彼に協力していたと思しき役人や八本指の者達もまた集まっていた。

 だが、彼らは自分たちが担ぎ上げた王の事を守ろうともせず、玉座のその向こう側で怯えながら身を小さくして並んでいた。

 

 

 ラキュースはそんな彼らの怯えの視線が集まる中を、不意の襲撃に警戒しつつも、一直線に玉座へ向かう。

 

「ま、待って! 待ってちょうだい!」

 

 がたがたと歯の根も噛みあわぬほど身を震わせるコッコドール。

 頭の上にかぶった王冠が、ずるりと傾いた。

 

 ラキュースは燃えるような意思を、その奥底に(たた)えた瞳で彼を見る。

 

「コッコドール……。あなたが引き起こした、無残にして非道極まりない状況。この王都であった惨劇。全てを終わらせるわ」

「ち、ちが……違うのよ。私じゃないの。わ、私はこんな事……」

 

 子供がいやいや(・・・・)するようにぶんぶんと頭を振って、否定の言葉を口にするコッコドール。

 しかし、ラキュースは問答無用とばかりに、魔剣キリネイラムを振りかざした。

 

 

 

 ズン!

 

 その刀身が突きだされる。

 黒い刃は防具など身に着けていないコッコドールの薄い胸板をたやすく突き抜け、その体を玉座の背もたれへと縫い付けた。

 

 

 耳に障る甲高い断末魔の声。

 

 コッコドールは苦痛と恐怖に歪む目で、己が胸に生えた黒い刀身を見下ろす。それを引き抜こうとするかの如く、震える両手を持ちあげる。

 

 だが――。

 

 

「ふん!」

 

 ラキュースが手首をひねると、突き立った刃が肉と骨を抉る感触がした。

 肺腑から絞り出されたような声が、彼の口、いや喉から漏れた。

 

 

「そ、そんな……」

 

 そうつぶやくと、彼の首ががくんと落ちる。

 

 

 

 そうして、現王コッコドールは呆気なく崩御した。

 

 

 

 ラキュースの双眸から涙がこぼれる。

 これで今回の王都の悪夢は終わったのだ。見るに堪えない地獄の惨状から、ようやく王国は救いだされたのだ。

 

 被害が出た。

 取り返しのつかぬほどの被害が。

 彼女は瞼の裏に、かつての友人である王女の在りし日の姿を思い浮かべ、涙を拭った。

 

 

 

 

 そんな涙に濡れる彼女の瞳、そのすぐ前にあるコッコドールの(かし)げた頭。そこから王冠が滑り落ちた。

 それは、ひときわ高く床で音を立て、そのまま白い大理石が敷き詰められた床上を転がっていく。

 

 

 やがて、その王冠は小さな、ピカピカに磨かれた革靴へとぶつかり止まった。

 

 

「やれやれ。酷い事するなぁ」

 

 そう言って足元の、リ・エスティーゼ王国の王にのみ被ることを許された王冠――本物はエ・ランテルにいるランポッサ三世の所にあるため、これは予備のものだが――を拾い上げる。

 

 その場の者達は、いつの間にやら現れた少女に、驚きと困惑の視線を向けた。

 そんな彼らの態度など気にも留めずに、少女は玉座の後ろで身を震わせる、新政権に協力していた者達に目をやった。

 

「さあて、コッコドールは死んじゃったから代わりがいるねぇ」

 

 食事の最中、フォークを床に落としてしまったので別のものに取り換えなければとでもいうような気楽な口調でそう独り()つと、少女は自分に対して怯えの瞳を向ける者達に、人差し指を向ける。

 

「だ・れ・に・し・よ・う・か・な。て・ん・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り」

 

 ピタリとその白ユリのように白くほっそりとした指先が制止する。

 にんまりと笑い、その手の王冠、一国の王の地位を示す代物であり、これを頭に据える権利をめぐって幾多の暗闘、語りつくせぬほどの悲劇をも引き起こしたものを、まるで頓着する様子もなく無造作に放り投げた。

 それが放られた先にいた男は、ぶよぶよとした贅肉をゆらしながら、慌ててそれを両手で受け止める。

 

「じゃあ、スタッファン。お前がこれから王様な」

「へ、へひっ……!」

 

 突然告げられた言葉に、情けない声を出すスタッファン。

 対して、彼女はすでに興味も失ったかのように、視線を動かした。

 

 

 その視線に射すくめられ、ラキュースはキリネイラムを握りしめ、息をのんだ。

 突然、玉座の間に現れた人物。南方で着用されるというスーツ、それも男物を身につけた少女。武器を手にした者達、強面の者達が集まるこの場において、まったく物怖じもしないどころか、ふてぶてしいほどの表情を浮かべる彼女をどう扱っていいのか、判断つけかねていた。

 

 戸惑いを隠せぬ者達の中、ザリュースが「ベル様……」とかすれた声でつぶやいた。

 

 それを聞き、ラキュースは目の前の彼女こそが、アインズ・ウール・ゴウンの仲間としてカルネ村を救い、エ・ランテルにおいて裏社会を牛耳ったギラード商会と関係も深い謎の人物。少女ベルであると確信した。

 

 

「……あなた、エ・ランテルでティアと会ったベルって子なのよね?」

 

 その問いに、「うん」と頷くベル。 

 隠そうとすらせずに、なんでもない事のように答えた少女に、皆、唖然とした表情を浮かべた。

 

 

 そんな彼女らの事をベルは面白そうに眺める。

 順繰りに動いていたその視線が一点で止まった。

 

 その視線の先にいた者――クレマンティーヌは、自分の姿を認め、細まった少女の瞳に(おのの)いた。

 

「やあ、クレマンティーヌじゃないか。エ・ランテルで生きながらえて、帝都でも取り逃したみたいだから、いつ君を始末できるかと気をもんでいたんだ。また会えて嬉しいよ」

 

 そう言うと、虚空からその小柄な体躯には明らかに見合わぬ鎚鉾を取り出す。

 少女に標的としてロックオンされた事に気がついたクレマンティーヌの脳裏に、法国の儀式魔法によって思い出させられた、かつてエ・ランテルで少女と対峙した時の記憶が甦り、抑えきれぬ怖気(おぞけ)がその身を襲った。

 

「い、いや、あのさぁ。ちょ、ちょっと待……」

 

 ブン!

 空を切り裂き、投げつけられた鎚鉾。

 それは狙いたがわず、言葉を紡ぎかけたクレマンティーヌ、その顔面に深く突き立った。

 

 

 たったそれだけで。

 スレイン法国の切り札たる漆黒聖典、その第9席次まで登りつめた彼女は一瞬にして絶命した。

 

 

 

 血しぶきをあげ、後ろにどうと倒れるクレマンティーヌの身体。

 手足はビクンビクンと激しく痙攣し、不意に訪れた死に抗議するかのように、いまだその身に内包する生命の残滓の存在を表していた。

 

 

 およそ、この場まで辿りついた面々の中で、最も強者であるのはクレマンティーヌである事は疑いようのない事実である。

 〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉や魔剣キリネイラムを装備し、蘇生魔法すらも使いこなす神官戦士ラキュースといえど、純然たる強さにおいては漆黒聖典たるクレマンティーヌには及ばない。それはティナといえど同様であり、そしてザリュースや陽光聖典の面々などにおいては言わずもがな。

 そんなクレマンティーヌが容易く、そして為す術もなく一瞬で命を奪われた事に、彼女らの身に戦慄が走った。

 

 

 ラキュースは顔面にぶっすりと鎚鉾が生えているクレマンティーヌから視線を外し、恐怖から割れそうになる声を、必死で抑えて、目の前の少女を問いただした。

 

「どういう事? あなたは一体、何者なの? この王都での一件、あなたが関係しているの?」

 

 その問いに、ベルは面倒くさそうに頭を掻いた。

 その態度はたった今、人を一人殺した後とは思えぬほど。

 少女は「あー、もう一回、こっちでも一から説明しなきゃならないのか」と誰に聞かせるでもなくぼやいた。

 

「うん、そうだよ。こいつらを使って、王都を乗っ取ったのがボク達」

 

 悪びれもせず、そう答える少女をあらためて、まじまじと見る。

 コッコドールの身体から魔剣を引き抜くと、ラキュースは警戒の色もあらわに、その剣先を男物のスーツに身を包んだ銀髪の少女に向ける。

 彼女の後ろでは、ここまで共に来た仲間たち、ティナにザリュース、そして陽光聖典たちが同様に武器を構える。

 

 

 

 それに対して、ベルは愉快気な笑みを浮かべたままだった。

 しかし、ラキュースはその目の奥に邪悪な、この世に生ける者とはまったく異質なものを見出した。

 

 

 先鞭をつけたのはティナ。

 威力よりも速度を重視し、絶対に見えぬ動きで毒を塗った棒手裏剣を投擲した。

 

 

 しかし――。

 

 

「はあっ?」

 

 思わず、ティナが声を漏らす。

 彼女が投げつけた常人では視認することすら叶わぬはずのその飛来物、それも一つだけではなく、その陰に隠れるよう放った2投目まで、少女は難なくその手でしっかりと掴みとったのだ。

 

 ラキュースが〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉を射出する。 

 陽光聖典が炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を召喚し、けしかけると同時に、攻撃魔法の雨を降らせる。

 ザリュースのみはどうしていいのか分からず、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を手にしたまま、立ち尽くしていた。

 

 

 しかし――。

 

 

「な、なによそれ……!?」

 

 高速で打ち出された〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉は、少女のそのたおやかな手で、いともたやすく弾き落とされた。

 幾重にも降り注ぐ攻撃魔法は、彼女の身に触れる寸前で全て掻き消えた。

 燃え盛る剣を振るって襲い来る炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)へは、先刻、ティナが投げつけ、その指に掴み取った手裏剣を逆に投げつけた。毒をのぞけば大した威力もないはずの棒手裏剣、それは天使の身体に突き刺さる。一瞬の魔力の暴走音と共に、天使の身体は掻き消す様に消え去った。

 

 それだけにとどまらず、その体を貫いた手裏剣ははるか高き天井に吊るされ色とりどりの光を降り注がせているシャンデリアを直撃した。衝撃にその国威を示すほど巨大な照明具は、大きく揺れる。その拍子にその凄まじいまでの重量を支えていた金具が壊れ、シャンデリアが落下した。

 

 その真下、玉座の真ん前にいたのは当のラキュースたち。

 皆、慌てて身を投げ出し、落下するシャンデリアから飛びのいた。

 

 

 轟音と共に地面が揺れる。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられた無数の宝石が衝撃によって砕け、キラキラと宙を舞った。

 

 

 やがて重みによってヒビの入った大理石の床に手をつき、苦痛の呻きと共に、緩慢な動作でその身を起こす。幾人か骨を折った者はいたようだが、幸いにも死者はでなかったようだ。

 そうして彼らは立ち上がると、追撃しようともせずにただ悠々と立つ少女に対し、悍ましいものでも見るような目を向けた。

 

 彼女たちはおよそ人間の住まう領域たるこの近隣諸国においても、確実に一目置かれるほどの実力者の集まりである。

 だが、そんな彼女らの攻撃など蟷螂之斧に過ぎぬように、まるでただの児戯であるかのように、鎧袖一触に扱われたのだ。

 

 彼女らの眼前には、何事もなかったかのように、腕を組んで不敵に笑うベルの姿。

 一見、虫も殺せぬような可憐な少女に為す術もなくあしらわれ、ラキュースは屈辱に歯を噛みしめながらも言葉をかけた。

 

「あなた、エ・ランテルにいたのよね? 今のエ・ランテルの現状は知ってるの? あの町は今、強力なアンデッドに囲まれて、王国軍が閉じ込められているわ」

「知ってるよ。よりにもよって、その包囲で街の出入りが出来なくなっているところに、街に備蓄されていた食料があらかた無くなってしまって大騒ぎさ。しかも今は、普段はいない軍隊が逗留しているから、もうてんやわんやの大騒ぎだよ」

「え? 食料が!?」

 

 ラキュースとしても、アンデッドの出現により、エ・ランテルで王国軍が足止めされている事は知っていたものの、街の食料が無くなっていたなどという情報は初耳であった。

 

「ちょ、ちょっと待って! 食べ物がないって、どういう事よ」

「きっと管理の仕方が悪かったんだろうね。エ・ランテルの食糧庫で大量に虫が湧いて、そこに収められていた食料があらかた食べられてしまったんだよ」

「じゃ、じゃあ、今、あの町の人たちはどうしてるの? エ・ランテルには王国軍の兵士二十万がいるのよ」

「そりゃあ、無いなら在るものでなんとかするしかないじゃない。持っている人から食料を分けてもらう『集団での説得(・・・・・)』とかが頻繁に行われているみたいだよ。まあ、それに……」

 

 少女は怪しげに笑った。

 

「食料そのものは、街にたくさんあるからね」

 

 その答えに、ラキュースは目をぱちくりさせた。

 

「? どういう事? たしかエ・ランテルは、基本的に食料のほとんどは他の町や村からの輸入で成り立っていたから、都市内で生産とかも出来ないはずだけど」

「いやほら、王国は帝国に攻め込むつもりでエ・ランテルに兵士を集めたじゃない」

 

 そう教えられても、ラキュースはさっぱり意味が分からないと首を傾げた。

 

「え? その戦争の為にかき集めた兵士が貯める糧食が無くなったんじゃないの?」

「うん、そうだよ。無くなったのはその糧食」

「だから、どういう事よ」

 

 さっぱり意味の分からない会話に、ラキュースの言葉に苛ついたものが混じる。

 だが、そこまで聞いたところで、ティナはその答えを察した。

 

「……つまり、帝国との戦闘に備えたんで、エ・ランテルでは食料が増えた。およそ二十万人」

「うん、だから、その二十万人の食べるものが……」

「ボス。一つ所で孤立し、食料が無くなった集団がやることといったら……」

「え? ……まさか……!?」

 

 ようやくラキュースもまた言外の意味を悟った。

 つまり――。

 

「……食べているって事……? ……人間を」

 

 たどり着いた答えに絶句するラキュース。

 そんな愕然とした表情の彼女を前に、ベルはケラケラと笑った。

 

「あははー。もう街は大騒ぎだよ。隣にいた奴が自分を食べるために襲ってくるかもしれない。自分はそんな隣人から身を守りつつも、自分が飢え死にしないためにも、隣の人間を殺して食べなくちゃならない。醜い人間関係の縮図って感じで、見せ物としては最高だね。いやー、『どうしても、自分には食べることはできない』とか言っておきながら、隣で別の人間が他人を殺して食べ始めたら、そいつの目を盗むようにして肉の切れ端をかすめ取って食べて、もう後は我先にと死体に齧りつくんだもん。亜人は人間を食べるとかいっておいて、自分たちだって食べてるんだから、亜人を殺すんなら人間も殺さないとだめだね。差別はんたーい」

 

 そんな事を語りながら、茶化すように陽気に笑う少女に対し、その場にいた全員、ラキュースを始めとした王宮の奪還を目的として突入してきた者達だけではなく、悪逆非道という言葉の見本たる八本指の者達ですら、その背筋に寒気を覚えた。

 

 

 そんな少女をラキュースはきっと睨む。

 

「あなたは何をそんなに笑っていられるの? あなたはギラード商会と関わりがあるのよね? エ・ランテルを拠点としていたその組織と。自分の活動拠点が蹂躙されたっていうのに、何がそんなに楽しいの? あなただって、あの街にいたんだもの、友人や知り合いだってエ・ランテルにいるでしょう? そんな人たちが筆舌に尽くしがたい苦境に立たされているというのに、どうしてそんなに笑っていられるの?」

 

 ラキュースは身体を駆け巡る(いきどお)りのままに、言葉を紡ぐ。

 

 

 ベル。

 この少女について詳しい事は知らないが、どうやらかなりの権力を持つ存在のようだ。

 ならばなぜ、その力を自分の街を守る事に使わなかったのか?

 どういう訳だかオークやトロールにも号令を下せる立場らしい。

 ならば、その亜人たちの力を借りることが出来ていれば、今、エ・ランテルを襲っているアンデッドたちにも対抗出来たかもしれない。困った時に手を貸し、共に肩を並べて戦えば、人間と亜人たちとの関係もより良いものに出来たかもしれないのに。

 なぜ、この少女はそういった事を一切やらずに、自分の街を捨てて、別の土地、この王都を地獄へと追いやったのか。

 

 

「どうしても何も、おかしいから笑うんじゃない。いやあ、時間をかけて積み上げたものが壊されていくところを見るのって快感だね」

 

 悲痛なものを込めたラキュースの訴えであったが、対するベルはそう(うそぶ)いた。その声には罪悪感も後ろめたさも、一欠片(ひとかけら)さえも込められてはいない。

 

「……あなたはそれをやった人間に――人間じゃないかもしれないけど――、アンデッドを送り込んで街を封鎖して、自分の拠点をめちゃくちゃにした相手に復讐したいと思わないの?」

「復讐もなにもねえ」

 

 ベルはその華奢な肩をすくめた。

 

「そっちをやったのもボク達だし」

 

 広間にどよめきが走る。

 

「エ・ランテルを取り囲んでいるアンデッドたち。それを指示したのもあなただってこと!?」

「そうだよ」

「……まさかとは思うけど、今、帝国で暴れているビーストマン。あれもあなたが関わってるいるの?」

「うん。あっちもだね」

 

 事もなげに言うベル。

 もはやラキュースの心はその奥深くまで、怒りなどという言葉では収まらぬほどの激昂に支配されていた。

 

「ふざけるんじゃないわよ! 今すぐ、全部やめさせなさい!!」

「うーん、そうは言ってもなぁ」

 

 ベルは頭の上で腕を組んだ。

 

「ボクの一存じゃあ、何とも言えないね。ボクらの組織、そのトップに言ってくれないとー」

「じゃあ、私が直接言ってやるわ! そのトップとやらをここに連れてきなさいよ!!」

 

 

 

 

「だってさ。どうしよっかー、アインズさん」

 

 

 

 

 バンと扉が開け放たれる。

 

 全員の視線が集まる中、そこから姿を現したのは……。

 

 

「……え……? モ、モモンさん……」

 

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ堂々たる体躯。

 肩からは深紅のマントを翻し、背には2本の大剣(グレートソード)背負われており、その胸元にはアダマンタイトのプレートが揺れている。

 

 

 突然、この場に現れたアダマンタイト級冒険者、『漆黒』のモモンに誰もが言葉を失った。

 

 特にラキュースとティナの驚愕は底知れぬほどであった。

 彼女らは2週間ほど前まで、はるか遠い帝国の地で共に肩を並べて、襲い来るビーストマンと戦っていたのだ。

 そして、彼女たちが王都を目指す際、彼は彼女たちの誘いを断り帝国にとどまる事を選んだ。

 

 そんな彼が一体なぜこの場へ?

 いったいどうやって?

 

 

 疑問が頭の中で渦巻く中、つかつかと歩きながらモモンは言った。

 

「すまんが止めることは出来んな」

 

 発せられた答えに呆気にとられる面々の前で、モモンはその頭を覆うフルヘルムに手をかけた。

 

 

 

 その行為にハッと息をのむ。

 

 モモンの素顔は誰も見たことがない。

 口さがない者達により、あれこれと話が流れているが、それはどれも噂の範疇を超えるものではない。行動を共にしていた『蒼の薔薇』の者達ですら、彼がその兜を脱いだところはおろか、その面頬をあげて飲食しているところすら見たことはない。

 

 

 彼は両手で兜を掴み、幾度か頭をゆすると、ゆっくりとそれを外した。

 

 

 

 そうして現れた、『漆黒』モモンの謎に包まれた素顔。

 

 

 そこにあったのは雪花石膏(アラバスタ―)のように白いしゃれこうべ。その眼窩の奥には、およそこの世の生命あるもの全てを妬み、憎むかのような鬼火の光。

 

 

 

 そして、彼が手を振るうと、その異名の由来ともなった漆黒の全身鎧(フルプレート)が消え去った。

 その下から現れたのは、禍々しいまでに豪奢な飾りの施された漆黒のアカデミック・ガウン。大きく胸元が開いたその隙間から垣間見えるのは、人間の胸骨と怪しげなまでに光る謎の球体。

 

 

「あらためて自己紹介しよう。私はアインズ・ウール・ゴウンという。私こそがナザリックの支配者にして、総責任者であると認識してもらいたい」

 

 

 

 突如、現れたモモン。

 そして明かされた正体。

 常に鎧に包まれ、隠されていたその下にあったものは恐るべきアンデッド。

 

 

 誰もが身じろぎ一つできず立ち尽くす中、よろよろと前へ出たものがいる。

 

「ゴウン様……」

 

 かすれた声でつぶやくザリュース。

 

「い、いったい……いったい、これはどういうことなのですか? 私は先ほど、村を襲ったアンデッドの首領、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のイグヴァを倒しました。あやつは最後の瞬間、あなた様の名を口にしておりました。いや、そもそも、イグヴァはあなた様が打ち倒されたのではなかったのですか? いったい……いったい何がどうなっているのですか……?」

 

 問われたアインズは、かぶりを振った。

 

「あれは……悲しい出来事だった。いくつかの、情報伝達の齟齬により生じた不幸な事故だった」

 

 そう口にするアインズ。ザリュースは虚ろな様子で首を振るう。

 

「……う……」

 その体が細かく震える。

 

 ――……悲しい出来事? ……不幸な事故?

 

「……うううぅぅ……」

 固くその歯を噛みしめる。

 

 ――そんな、そんな言葉で……。 

 

「……う、うわあぁぁっ!!」

 

 ――そんな言葉で、あの惨劇を言い表すのか! 虐殺を片づけるのか!?

 

 

 吠え声と共にザリュースは〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を振りかざし、アインズに突進する。

 しかし――。

 

 

「〈即死(デス)〉」

 

 唱えられた一つの魔法。

 駆けていたザリュースの身体は、不意に糸が切れたかの如く、その身を投げ出すように冷たい大理石の床の上に転がった。

 

 

 

「そんな……酷い! 旅の途中で聞いたわ。彼は……彼は本当に、あなたに感謝し、崇敬していたのに!」

 

 その言葉に、アインズは悲しそうな声で言った。

 

「ああ、そうだな。彼には可哀想な事をしてしまった。ザリュースについては記憶を消したうえで生き返らせ、今後、平穏に過ごせるよう取り計らおう」

 

 

 およそ周辺諸国でもラキュースを始めとして、わずかな者しか出来ぬはずの秘術、死からの蘇生。

 それだけではなく、アダマンタイト級冒険者である彼女ですら聞いた事もない、記憶を消すという魔法をも容易く使用することを確約したアンデッドに対し、ラキュースは叫んだ。

 

「あなたは……あなたは人の命をなんだと思ってるの! あなたは凄い力を持っているかもしれない。とんでもない魔法を使えるかもしれない! でも、生き返らせてしまえばいい。記憶を消してしまえばいい。それで済むと思っているの! 生きとし生けるものすべてにとって、大切なものを踏みにじって、人の人生を思うがままにもてあそんで! それが……それが楽しいとでもいうのっ!?」

 

「あははははは!!」

 

 アインズの代わりに、ラキュースの慟哭にも似た叫びに答えたのは、ベルの甲高(かんだか)い狂笑。

 

「人の命、記憶、人生。うん、そうだ。大切だ。人が生きていくうえで必死に生きていく意味を探して、そして縋りつく拠り所だね。あはははは! そう、大切だ。どれも大切だ。あはははは!」

 

 壊れたような笑いが玉座の間に響き渡る。

 

「そんな大切なものを! 自分の好き勝手に(もてあそ)んで! それで楽しくない訳がない!!」

 

 ゲラゲラと嘲弄し笑うベル。

 その脇でアインズの眼窩の奥底に灯る光がたじろいだように揺れた事にも気づかぬまま、彼女は笑い続けた。

 

 

 

 そして、そんなやり取りはもう聞きたくないとばかりにかぶりを振ると、アインズは前へと踏み出した。

 

「さて、すまないが、時間は有限だ。これ以上話す必要もなかろう」

 

 そう言って悠然と間合いを詰める、邪悪にして凶悪極まりないアンデッド。

 それに対し、ラキュースにティナ、そして陽光聖典の者達。必死の思いでこの場までたどり着いた彼女らは身構える。

 

 

 しかし、彼女らに振るわれたのは無慈悲なまでの強大な魔法の力。

 

 

「〈範囲拡大(ワイデンマジック)魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)眠り(スリープ)〉」

 

 魔法使いとしてはごく初歩の魔法。

 しかし、抵抗に失敗すれば、それは致命的なまでの効果を生み出す。

 

 そして、アインズの圧倒的なまでの魔力によって発動され、なおかつ強化されたその魔法は、一瞬にして彼女らを無力化させた。

 

 決死の思いを胸に秘めながら、彼女らは一矢報いることすら出来ずに、その場に倒れ伏した。

 

 

 後に残ったのはアインズとベル。

 そして頭では理解していたものの、直接、目の前で振るわれた桁外れの力に恐れ慄き、言葉もなく立ち尽くす、新政権の中枢にしがみつき利権をむさぼる人間達。

 

 

 本当はどちらを片づけるべきだったかと煩悶しつつ、アインズは倒れ伏した者達の許に歩み寄ると、その腕に黒い鱗の蜥蜴人(リザードマン)の遺骸を抱え上げた。

 

「では、ベルさん。私は戻ります。こちらの事は……」

「ええ、こっちは任せてください。ちゃーんと、始末をつけておきますよ」

 

 そう言ったベルに、何か言いたげな視線を向けたアインズであったが、かぶりを振ると、彼女に背を向けた。

 

「では、こちらはお願いします」

 

 そう言うと、アインズは〈転移門(ゲート)〉の漆黒へと姿を消していった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

《……ザリュース》

 

 ――ぅ?

 

《……ザリュースよ》

 

 ――ええい、誰だ?

 

《……目を覚ますがいい、ザリュース!》

 

 その冷水のように頭に染み渡る声によって、彼の意識は再び浮かび上がる。

 

 

 

「はっ……!!」

 

 水の奥底から這いあがったかのように、荒々しく、幾度も呼吸するザリュース。そんな彼が落ち着くのを、側に立つ者は急かすことなく待った。

 

「大丈夫か? 意識ははっきりしているか?」

 

 そう声をかけるのは、まるで泣いているかのようなマスクで顔を覆った、偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 

「ゴ、ゴウン様……? ここは一体?」

 

 目が覚めたのはただ黒一色の部屋。そこにザリュースは一人寝かされており、その傍らにアインズが、こちらもただ一人で立っていた。

 不思議そうに周囲に目をやるザリュースに対し、アインズは優しく語りかけた。

 

「落ち着け。お前は今、甦ったばかりなのだ」

「甦った?」

「そうだ。お前はカルネ村を離れ、世界を旅する内に命を落としたのだよ」

「なっ……!」

 

 驚いて仰向けに倒れ伏していたその身を起こす。

 あわてて胸などに手をやるが、触感からすると何も変わった様子はない。どこにも痛みは感じる所はないし、また己が手足に欠損などもない。

 

 

 ザリュースが死を経験するのは2回目である。

 1度目は村を襲ったイグヴァとの戦いにおいて。

 そして2度目といわれたが――それは、まったく彼の与り知らぬ所であったようだ。

 一体なぜ死んだのか、必死で記憶を手繰るが――。

 

「思い出せない……」

 

 どういう事だろう?

 確かに以前イグヴァに殺され蘇生したときも、クルシュに言われるまで、しばらく死の瞬間の記憶があいまいであったのだが……。

 

 

 その時の事を思い返し、ザリュースは心の奥の熾火が再び燃え上がるのを感じた。

 

 ――イグヴァ。

 

 あの故郷を滅ぼした憎むべきアンデッド。

 あの時の燃え盛る光景は、永遠に彼の記憶から薄れゆくことは無いだろう。

 

 だが、すぐに襲ってきた虚無感が、その胸の火を消し去った。

 

 ――イグヴァはもういない。

 このゴウン様によってすでに討伐されてしまっている。

 いくら憎んでも、もはや仇を討つことすら出来はしないのだ。

 

 

 

 そんな怒りに震えたかと思うと、またすぐ気落ちしたように肩を落とし、乱高下する精神に振り回されるザリュース。

 その様子にいささか不安なものを感じつつも、とりあえずは大丈夫そうだと安堵の息を吐いた。彼を甦らせた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)から先ほどまでの、事の正否、その行く末を固唾をのんで見守っていたかのような緊張の雰囲気は消え去った。

 

 アインズはあえて忖度(そんたく)するようなそぶりを見せずに、声をかけた。

 

「さて、ではザリュースよ。行くとしようか」

 

 その言葉にザリュースは顔をあげる。

 

「行く? どこへ?」

 

 それには答えず、アインズは魔法を使う。

 すると、その眼前に揺らめく漆黒が現れた。

 

 それはザリュースにも分かった。これは、この仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が使用する魔法による転移の門だ。

 

 躊躇うことなく、アインズはその漆黒の中へと足を進めた。

 それを見て、ザリュースもまた、慌てて後に続く。

 

 

 

「うっ!」

 

 ザリュースは目を刺すまばゆいばかりの陽光に、思わずうめき声をあげ、その日を手で遮った。

 やがて目が慣れてくると、そこに広がっていたのは、ポツリポツリとかなりの間隔をおいて立ち並ぶ家々に、そこを出入りし、歩く人々の姿。

 

 蜥蜴人(リザードマン)の集落ではない。人間の住まうのどかな農村である。

 それはザリュースにとっても、よく見なれた場所であった。

 

「ここは……カルネ村?」

 

 ぼんやりと立つザリュース。

 てってってと道を駆けていた小さな人影が、そこに佇むアインズとザリュースの姿に気がついた。

 

「あーっ! ゴウン様! それにザリュースさんも!」

 

 道端に立つ2人の姿に目を丸くして驚いたかと思うと、ネムはこちらに駆けてきた。その後ろにふよふよと浮かぶ不気味な肉塊、集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーが続く。

 

 そうして駆け寄ったネムは、ガッとザリュースの手を取ると、その勢いに驚く彼をぐいぐいと引っ張っていく。

 

「早く、早く!」

 

 訳が分からぬまま、引っ張られていくザリュース。

 ネムの力だけではザリュースの身体を引くことなど出来はしないのであるが、彼の後ろについたタマニゴーが凄まじい勢いで背を押すので、抗うことすら出来ずにそのまま連れ去られていった。

 

 

 

 そうして辿りついたのは一軒の、通常の家より倍近く大きな家屋。

 これもまたザリュースの目に懐かしい建物。

 かつてこの村に住んでいたときに、兄たちと共に住んでいた家だ。

 

 ネムはここまでザリュースを連れてきたことに、満足そうに額の汗をぬぐうと、ドンドンと扉を叩いた。

 

「どうしたのだ? ……ザリュース! 帰ったのか!?」

「ああ、兄者。たった今、ゴウン様に……」

 

 扉の奥から顔を出したシャースーリューは、そこにいた弟の姿に驚愕の表情を浮かべた。そして、彼が話しだすのを聞きもせずに、首根っこをつかんで家の奥へと引きずっていった。

 再び訳の分からぬまま、引っ張られ、奥へと連れ込まれるザリュース。

 だが、彼の兄は不審がる彼に説明すらせずに声をはった。

 

「おい、クルシュ! ザリュースが戻ったぞ!」

 

 その声に、奥の部屋の扉が開き、そこから蜥蜴人(リザードマン)として珍しい、白い姿が現れる。

 

 久しぶりに会ったクルシュ。

 彼が愛したメス。

 

 彼女に挨拶しようしたザリュースであったが、その開きかけた口はあんぐりと開いたままとなった。

 

 

 かつて彼が山脈に掛かる雪と形容したその身体。

 今、その身の腹が大きく膨れていたのだ。

 

「クルシュ……お前は……」

「ええ、そうよ」

 

 クルシュは優しく微笑む。

 

「そうか……それは兄――」

「ふざけたことを言ったら、魔法を叩きこむわ」

 

 一転、氷のような口調と視線に、一流の戦士たるザリュースでさえも、たじろがされた。

 

「あーと、だな……。ゴホン。つまり、クルシュ。それは……俺の子か?」

「ええ」

 

 再び穏やかな表情を浮かべると、クルシュはその身をザリュースに預ける。ザリュースは壊れ物を扱うかのように、最初はぎこちなく、やがて固く惚れたメスの身体を抱きしめた。

 

 

「良かったな。ザリュース」

 

 その言葉に振り向くと、そこには気づかぬうちについて来ていたアインズの姿があった。

 ちなみに、その後ろには小さな手で顔を隠しつつ指の隙間からしっかりと、興味津々という態度で抱き合う2人の姿を見ているネムがいた。慌ててやって来たエンリが、ネムの身体を抱いて、家から連れ出す。

 

 ザリュースはその場にひれ伏し、この偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)に首を垂れた。

 

「ゴウン様。本当にありがとうございます。ゴウン様にはなんとお礼を言っていいやら分かりませぬ。あの時、カルネ村にたどり着き、あなた様に会えた事。村を救うため、魔樹と戦ってくださった事。邪悪な死者の大魔法使い(エルダーリッチ)により、命奪われた私を甦らせてくださった事。部族を失った私たちにこの村での生活を進めてくださった事。そして、再び死した私を蘇生させ、こうして再びクルシュと巡り合わせてくださった事。本当に、本当に深く感謝申し上げます」

 

 

 なんのてらいもなく、心の底からの感謝の意を表すザリュース。

 そんな彼の態度に、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はわずかに身をよじった。

 おそらく、面と向かって溢れんばかりの謝儀を示された事に、少し照れてしまったのだろう。

 

 

 そうしていると、家の外が騒がしくなってきた。

 ザリュースが帰ったことを聞いた村の者達が集まってきたらしい。

 2人は手を取り合って、外へと出る。

 クルシュは都市部の人間――高位の者のみだが――が使う日傘をさした。

 

 

 そうして現れた2人の姿を見て、歓声が上がった。

 そこにいた者達、村の人間たち――本当の人間のみに限らず、ゴブリンやオーガらの亜人たちも――は皆、心の底から2人の事を、祝福してくれているようだった。

 

 

 さすがに照れたように笑う2人。ふと相手の様子に目をやった視線が絡み合う。そんな彼、彼女の姿に、また一段と喝采の声が上がった。

 

 

 そこへ、荷車を引いてきたシズが現れる。

 小柄な体躯でいったいどうやって引いているのかと思えるほど、大きな荷車の荷台には巨大な肉塊が積まれていた。

 

「アインズ様から、ザリュース帰還のお祝い。これはドラゴンの肉。焼いて食べるといい」

 

 集まった者達は、伝説でしか聞いたことがないドラゴンの肉とやらに興味津々であった。

 ゴブリンたちは急いで、肉を焼くための準備に走る。ロバーデイクは広場に簡易的なかまどを作る。リッチモンは見たこともないドラゴンの肉に戸惑いつつも、その肉を切り分けた。

 他の者達もまた、時ならぬ祝いの準備に銘々走り回る。

 

 

 そんな彼らを横目に、クルシュはその手に触れる、愛したオスの手を更に強く握りしめた。

 慈しみの視線を向けるザリュースの肩に頭を預ける。

 2人の尾が優しく絡み合う。

 

「ザリュース。幸せになりましょう。私たちはこれからずっと幸せに過ごすの」

「……ああ。約束する。幸せになろう。禍福は糾える縄の如しというが、俺は幸福の裏にあるという不幸の存在を決して認めない。俺達にこれから訪れるのが幸せならば、その後もずっと訪れるのは幸せだけだ。クルシュ、俺は今、幸せだ」

 

 

 ザリュースはつぶやき、雲一つない蒼空を見上げた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぐううっ!」

 

 雲一つない蒼空の下、ラキュースは苦痛のうめき声をあげて、地面を転がった。

 その姿を見て、観客席からは喝采の声が上がる。

 

 

 王都リ・エスティーゼの闘技場。

 かつて御前試合が行われていた頃、今も語り継がれるガゼフ・ストロノーフとブレイン・アングラウスの戦いが繰り広げられたその地において、今、『蒼の薔薇』のラキュースが必死の戦いを繰り広げていた。

 

 

 彼女は顔についた土ぼこりをぬぐい、手から離れた剣――彼女の愛剣である黒い刀身の魔剣キリネイラムではない――を再度掴み、痛む身体をおして立ち上がる。

 その体はこれまで幾度も地に倒れこんだことにより土で汚れ、あちこちに擦り傷ができており、その透けるような白い肌には赤いものが滲んでいる。

 

 その身を守る防具は着けていない。

 何一つ。

 そう、今の彼女はその柔肌を惜しげもなくさらした状態であった。身に着けているのは鋼の手枷足枷、それに犬のような首輪。それぞれからは鎖が伸び、鉛色の鉄球に繋がっている。

 目のいい者ならば、彼女のその鼠蹊部からは、今も白いものが滴り落ちているのが見て取れたであろう。

 そんな凌辱の後も生々しい裸身で手にするのは、なまくら剣、ただ一本のみ。

 

 

 彼女はそんな装備で、堂々たる体躯を誇り、多少の傷はたちどころに治る強靭な肉体を持ち、さらに堅牢なまでの金属鎧を身につけた完全装備のトロールと戦わされていた。

 彼女の苦境を見物しようと観客席に陣取るのは、八本指の者達だけではない。この王都の一般民衆たちもまた半強制的に連れてこられていた。

 だが、彼女が苦悶の表情を浮かべる度に、喜悦を見せるのは、八本指の者達だけではない。

 彼女が救おうとした一般の民衆たちもまた、声には出さねど、暗い愉悦の表情を見せていた。

 

 

 

 あの後、王都での蜂起は奇妙な結末を迎えた。

 冒険者たちがこもっていたはずの陣地。その奥から突如、アンデッドが湧きだしたのだ。

 本来、絶対に安全であったはずの背後をつかれたかたちとなった冒険者たちは、それに持ちこたえることなど出来はせず、算を乱して持ち場から逃げ出さざるを得なかった。そこを攻め手である亜人や八本指たちに仕留められたり捕縛された者もいれば、逃げ切れずにアンデッドの餌食となった者達も多数いた。

 

 そして、陣地から飛び出したアンデッドたちは街中に溢れ、そこに住まう民衆たちをも無差別にその刃にかけ始めたのだ。

 

 

 それまでは、新政権側の人間や亜人たちとそれに反旗を翻した冒険者たちが戦うという、あくまで対岸の火事であったのだが、今度は直接自分たちの命が危険にさらされることとなったのである。

 誰もが慌てふためき、王都は混乱の渦に包まれた。

 

 すでに王都上空を飛び回っていたフロストドラゴンは、原因など知る由もないが、力を失い、墜落しており、またそれと時を同じくして、同様に王都の上空を飛びかっていた天使たちもまた、いつのまにやら何処(いずこ)かへと消え去っていた。

 そうして、暴虐を尽くす新政権側と敵対し、よくは分からないが味方ではないかと思われていた冒険者を始めとした勢力が一気に力を失い、襲い来るアンデッドの攻撃にさらされ、王都の民衆が失意と絶望に包まれる中、アンデッドたちに立ち向かったのは、これまで暴虐をつくしてきた新政権側の者達であった。

 

 彼らは部隊を組み直し、暴れるアンデッドたちに対し、組織的な反撃を開始した。

 容易い戦いとは言えなかったが、その甲斐(かい)あって、やがて市中のアンデッドはあらかた駆逐することが出来た。

 王城に突入した者達もまた全て殲滅され、捕獲された事により、ここに蜂起計画は終焉を迎えた。

 

 

 

 そうして、新政権側から、この突如現れたアンデッドの説明がなされた。

 

 曰く、今回の蜂起計画において、新政権側に対抗するために、冒険者たちは秘密結社ズーラーノーンの手を借りることにした。しかし、彼らは召喚したアンデッドの制御を行う事が出来ぬまま、街中においてアンデッドを解放してしまい、それが暴れたのが原因であった、と。

 

 その説明を頭から信じる者は少なかった。

 だが、信じない事を明言する利はない。

 それに結果として、冒険者たちの蜂起が原因となり、自分たちがアンデッドに襲われることになったのは事実である。

 また、その後もアンデッドはあちこちに出現しては暴れ、それに対抗できるのは新政権側の勢力のみであり、実際にそうして襲い来るアンデッドを彼らが退治していたため、わざわざさらなる災厄を招いた冒険者たちの肩を持つ者はいなかったのである。

 もう一つ言うならば、亜人たちに虐げられていた彼らにとって、自分たちよりさらに下で虐げられるものの存在は、その溜飲を下げることにもつながった。

 

  

 そうして、捕らえられた冒険者たちは憎悪の的に晒され、責め苦を受けることとなった。

 こうして闘技場において、わざと劣悪な装備を身につけさせられ、時には毒などをあらかじめ飲ませられた上で、完全装備の者との戦い――リンチといってもいい――を受けさせられるなどした。

 もし、彼らが敗北した場合には、別に捕らえられている者が、非道極まりない扱い――拷問や凌辱などを受けることになる。

 今も客席の一部、皆の衆目を集めるそこには裸にひんむいた冒険者を閉じ込めた鉄の檻があり、その油のしかれた床のさらに下にはしっかりと薪が並べられている。闘技場で戦う冒険者が倒れでもしたら、檻のすぐ傍らに立つオークが今、手にしている松明の火がつけられる手筈となっている。

 すでに幾人分もそうした行為が行われており、すぐ近くの檻からは、今も悲鳴と香ばしい匂いがあがっており、松明を手にする当番のオークは、その時を今か今かと待ちわびていた。

 

 

 そのため、冒険者たちは勝利することなどほぼ不可能な状況ながら、必死の思いで剣を振るう事を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 そんな哀れにして愚かな戦いの様子を、貴賓席に陣取った新王スタッファンは、愉悦の表情で見下ろしていた。

 

 

 彼は死んだコッコドールの代わりに、王の役を任ぜられていた。

 

 スタッファンとしても、今の立場には思うところがある。

 お飾りでしかない現状に、自尊心が傷つけられる。

 

 だが、彼はそんなものはまるっと無視してしまっていた。

 

 確かに、王という立場にありながら、彼には(まつりごと)に関する決定権などない。だが、それは裏を返せば、面倒な仕事は人に任せておけるという事だ。自分は余計な事に心煩わすことなく、気のむくまま、好きなように女をいたぶって楽しんでいればいい。その程度の娯楽を許すくらいは、彼の主は度量があった。

 

 

 彼の見ている前で、ラキュースが相手方のトロールが振るった鎚を腹に食らい、悶絶してひっくり返った。

 相対する亜人は、彼女の片足を掴み上げると、無防備となった股間に装甲靴(サバトン)を履いたその爪先で、さらなる蹴りを放つ。

 くぐもった叫びが闘技場に響いた。

 その悲鳴を聞いて、スタッファンは泣き叫ぶ彼女、ラキュースの処女を強引に奪った時の事を思い返し、股間を高ぶらせた。

 

 

 彼は我慢することなくいきり立ったものを空気に晒すと、傍らに繋がれていたティナの口に突っ込んだ。

 鎖につながれた彼女は、両手両足は鈍器で丹念に粉砕したかのようにぐしゃぐしゃであり、両目はえぐり取られ、さらにはすべての歯がへし折られていた。

 

 最初、スタッファンに払い下げられた彼女は、手におえなかった。

 実際、一度、咥えさせたところ、その歯で噛み千切られてしまったほどであった。

 しかし、彼の崇敬する主は、その傷を完璧に治してくれただけではなく、またコッコドールのように死なれてしまっては面倒だからと、彼に対し毒無効、筋力上昇、物理上昇など、常識的に考えて破格といえるマジックアイテムをいくつも下賜してくださった。

 それにより、再び噛みつかれた時には、逆にティナの歯が全てへし折れてしまったのだ。

 

 

 スタッファンは満足していた。

 彼は暴力を好むが、かといって自分自身は大して鍛えているわけでもない。

 だが、渡されたマジックアイテムによって強化されたため、たとえ相手が歴戦の冒険者であろうと、力任せに組み敷き、叩きのめせるのだ。

 ぶよぶよとした自分の拳を叩きつけるだけで、鍛え上げられた肉体がひしゃげ、その手で掴み、力任せにひん曲げることで、いともたやすく骨すらへし折る程の膂力というのは、圧倒的な優越感を伴い、身震いするほどの快感をもたらした。

 

 

 スタッファンは彼の主、ベルに深く感謝をすると同時に、ティナの口腔に精を放った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんなスタッファンがいるところとは、また別の貴賓席。

 こちらは場所自体が巧妙に隠されており、その存在自体もごくわずかなものしか知りえない。本当に極秘裏に訪れた重要人物が観覧する秘密の場所。

 

 そこに置かれた椅子に腰かけ、ベルは笑っていた。

 酒が注がれた切子のグラスを傾け、愉快そうに、眼下の惨劇といってもいい光景に目を向ける。

 

 

 彼女と共にいる者達もまた愉快そうに笑っていた。

 

 ソリュシャンは、哀れに泣き叫ぶラキュースの悲鳴にうっとりとした表情を浮かべていた。

 デミウルゴス――彼は新王スタッファンによる王国の新体制構築の為に、王都に呼び出されていた――は、歓声をあげる八本指の者達の様子、彼らもまたほんのきっかけ次第で簡単に虐げられる側になるという事実に気づきすらしない愚かしさに、邪悪な笑みを浮かべていた。

 

 

 そして、ベルもまた顔に笑みを浮かべていた。

 琥珀の液体が入ったグラス越しに眺めるその光景。

 

 しかし、ベルが見ているものは目の前の喜劇ではない。

 

 ベルの脳裏に浮かぶもの。

 それは、今、王国軍が閉じ込められているエ・ランテル。

 そこにいるであろう、かつて彼女がこの世界に来て直後に出会った、高潔なる意思を持つ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフであった。

 

 




 ベルの戦闘が、実は一番面白くないという事に気がつきました。


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第80話 エ・ランテルにて

2017/3/16 「一見」→「一軒」 訂正しました。
「生き延びれるか」→「生き延びられるか」、「エランテル」→「エ・ランテル」、「別かれて」→「分かれて」、「仮りの」→「仮の」、「名前ででは」→「名前では」、「もの」→「者」、「2か月間の間」→「2か月もの間」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


 耳を聾するような、今まさに扉を打ち破らんとする打撃音が響くなか、ランポッサ三世はつぶやいた。

  

「王国が……滅びるか……」

 

 その言葉に目を剥くガゼフ。

 そんな言葉を王がつぶやいたと知れれば、それこそ一大事。

 「なんと惰弱な!」と、貴族派閥に属する者達の格好の攻撃材料となる事は間違いない。

 

 

 だが、そう考えたところでガゼフはそんな自分の考えに、内心において苦笑せざるを得なかった。

 

 

 ――こんな時に、何を考えているのか。

 貴族派閥だの、王派閥だの、この期に及んで気にするような事か?

 今は生き延びられるかどうかという瀬戸際だというのに。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ここエ・ランテルに王国軍が閉じ込められ、早や2か月にもなる。

 事態は悪化の一途をたどっていた。

 

 

 きっかけは街で起きた一つの強盗事件。

 そこから広まった根も葉もない噂。

 本来、一顧(いっこ)だにする価値もないようなものでしかなかったのだが、それは街の外に押し寄せたアンデッドにより出入りができなくなっていた街の者達、その不安定な心を揺さぶる引き金となった。立て続けに事態は悪化していった。

 気がついた時には、燃え盛る憎悪の炎は取り返しのつかない程に広がり、事態は収拾など叶わぬほど混迷を極めていた。

 

 

 結果、行われたのは、エ・ランテルにある三重の門のうち、最奥の門を閉ざすという政策。

 最も守りが硬いエ・ランテル最奥部には帝国との戦争の為、街へとやって来た貴族たちが駐留している。彼らを守るための措置であった。

 しかしその区画には街の行政機関、及び戦争のために集められた兵士たちの糧食を保存する――そこに収められていたものは、かなり減少してしまっていたとはいえ――食糧庫があった。

 

  

 そんな重要な区域である最奥部と、市民たちが住まう地区とが堅牢な城門によって分断されたのだ。

 

 

 街は混乱の渦に包まれた。

 街の外にいるアンデッドのせいで、市外と交易は出来ない。そういった場合――想定されていたのは戦争によるものであったが――に備え備蓄していたはずの食料の多くが失われ、しかも、それでも細々と行われていた配給が、第3の門の封鎖によって完全に途絶えてしまったのだ。

  

 

 悪い事に、今回はエ・ランテルに多数の王国兵が駐留していた。

 本来、食糧庫に収められていたはずの彼らの糧食は、大半が何処からともなく湧いた虫の腹に消えてしまった。のみならず、かろうじて残されたわずかな分も貴族たちのものとして彼らに分け与えられることは無く、それどころか食糧庫がある第3の門が閉じてしまい、彼らは身一つでエ・ランテル市街に取り残されてしまったのである。

 

 

 彼らは王国全土からかき集められた人間であって、この街出身の者はわずかしかいない。エ・ランテルにおいて伝手(つて)などなく、またこの街に対する愛郷心なども、ほとんどの者が持ち合わせてはいなかった。

 

 兵士たちとて生きていくには食わねばならない。

 そんなとき、彼らの手にあったのは人を殺すための武器。

 

 当然のことながら、街のあちこちで略奪が起きた。

 文字通り飢えた獣の群れとなった彼らは徒党を組み、容赦なく、まさに苛烈としか言いようのない蛮行を繰り返した。

 

 それを止めるのは衛士たちであるはずなのだが、彼らの本拠も封鎖されたエ・ランテル最奥部にある。彼らへの指揮命令系統もまた失われてしまっていたのだ。

 しかも、彼ら衛士とて人間である。家族もいる。当然、食べなくてはならない。食料を手に入れなくてはならない。彼ら個人の愛する家族の分もである。

 

 

 そうして、市外での略奪は留まる事を知らず拡大し続ける――かと思いきや、すぐそれは限界を迎えた。

 

 あくまで各家庭単位で備蓄している食料はごくわずかしかない。

 普段のエ・ランテルならば、各家庭及び食料を扱う商店の備蓄分、それを隣近所で融通(ゆうずう)しあうことで何とかなったかもしれない。

 だが、今回に限っては、エ・ランテルの街には王国兵20万人分という食い扶持が増えていたのだ。

 

 すぐに奪いあうべき食料すら無くなった。

 馬などもあっという間に食いつくしてしまった。

 道端に生えている草すらも瞬く間に食いつくしてしまった。

 

 

 だが、それでも彼らは生きている。

 生きているからには腹が減る。

 

 

 

 そして、彼らが選択した食料は彼ら自身。

 すなわち人肉であった。

 

 

 

 当初は、すでに死亡していた者の肉であった。

 

 空腹にあえぐ窮状を見るに見かねて、墓場に埋葬された者の肉を切り出し、それをスープの中にいれてよく煮込み、軍馬の肉だと言って飢えていた周辺の住人に食べさせてやった者がいた。

 

 すぐにそれの出どころは知れた。

 彼は街の者たちの苦境を知り、やむに已まれぬ事情から、それをやったのであったが、彼は街の人間たちによって引きずり出され、リンチを受けて殺された。

 

 

 しかし、その話が伝わると、誰もがこぞって真似をした。

 墓場は夜のみとはいわず、昼でも顔を隠した者たちがうろつくようになった。

 そして、その対象はすでに埋葬され、乾き果てた遺体ではなく、略奪によって死んだばかりの者へと移り、やがてまだ生きている人間をも殺して食べるようになるのに、時間はかからなかった。

 

 先の述べた様に、元よりエ・ランテルに住んでいた人間よりはるかに多い、武器を持った兵士たちは王国全土からかき集められた人間であり互いの仲間意識も、同じ村からやってきた者たちなどの例外を除き、さほど強固ではない。

 

 彼らは互いに猜疑の目を向け、隙を狙い、背後から武器を突き立てあった。

 

 

 

 その結果、現在のエ・ランテル市街では正視に耐えない凄惨な状況が繰り広げられている。

 この世に地獄があるとするなら、それはここにあるのだろう。

 

 

 兵士たちは弱い者――女性や子供を狙って襲撃し、それを人間であったと分かる痕跡が無くなる程に細かく肉片にしてから煮る焼くなどして腹に収めた。その調理中に他の者に奪われる可能性もあるため、時には生のまま貪り食った。

 

 それに対して、街の者達は集団を作り、バリケードをはって対抗したが、非戦闘要員を多く抱える住民と、徴兵とはいえ戦闘要員、それも圧倒的多数を前にして、防ぎきることは困難であった。あちこちで防壁は突破され、幾人もの弱者が攫われた。

 

 攫われた女子供を助けようと、街の男や冒険者たちなど腕に覚えがある者達で救出班を組んだのだが、辿りついた彼らの目の前に広がっていたのは、煉獄もかくやという光景。

 

 

 あまりの惨状に呆然と立ち尽くす彼らの鼻をくすぐるものがあった。

 

 彼らとて空腹である。

 その抑えきれぬ食欲を刺激する匂いが漂っていた。

 

 よろめく彼らが覗き込んだ鍋の中にあるのは、よく煮込まれたシチュー。

 彼らは空腹に抗うことは出来ず、それを一啜り、口にした。

 一度、口にすれば、もはや抑えるタガはない。

 皆、我を忘れた様に、先を争い貪り食った。

 

 

 

 もはや止めるものはいなかった。

 治安を守るものなどいなかった。 

 誰もが街中に存在するわずかな食料を求めて、争い、奪い合った。

 

 

 

 

 最奥部に籠もった者達は市中の、あまりといってもあまり過ぎる惨状に、平民など人を人とも思わぬ貴族たちでさえも心を痛めた。

 

 しかし、懊悩すれども、出来ることなど何もない。

 それどころか、彼らがいる区域でさえも、食料不足は深刻であった。

 

 

 食糧庫に残されたわずかな食料。

 幸いにして、大量の兵士たちは市中に残し、ごくわずかの貴族を始めとした者達のみがこの地区にこもっているため、その少ない食料でもなんとかまかなえていた。

 

 だが、それでもいつまでもこうしていられるわけでもない。

 補給の見通しなどまったく立たぬなか、食料は刻一刻と減っていく。

 すでに極まった窮乏(きゅうぼう)の現状は、このリ・エスティーゼ王国においてもっとも地位の高い国王ランポッサ三世に(きょう)されるものですら、ごくわずかな肉片が入った椀一杯のほぼ透明な汁物が精いっぱいという有様であった。

 

 

 

 誰もが、この状況を打破するにはどうすればいいと頭を悩ませ――そして何も出来ないでいた。

 

 

 当初このアンデッドによる包囲は、多少の時間は要すれども、何とかなると思われていた。

 帝国征伐の為に、このエ・ランテルに国中からかき集められるだけの兵士をかき集めていたのだが、それでも各地にはまだ領地の留守を守る、戦力となる貴族たち、および今回の徴兵では集められなかった農民たちがいるのだ。

 彼らが戦力を集めて救援に来るまで立てこもっていればいいと考えられていた。

 

 実際、各貴族たちの中には、王都を占拠した八本指の者達の指示に従おうとせず、救援の為の兵力を集め、援軍を送った者もいた。

 しかし、そうして何とかエ・ランテル近郊までやってきたのであったが、それに対し街の内部から呼応することは出来なかった。

 

 

 それは、この食糧難から生じた騒ぎが原因であった。

 

 貴族たちがいるこの第3の壁と門に守られた行政区は、外からの攻撃に際し最も安全な、エ・ランテルの中心にある。

 

 すなわち、彼らは街の外にいるアンデッドだけではなく、第1の壁と第3の壁の間にある市街地で暴れる、血に狂った兵士と民衆によって閉じ込められているのである。

 最奥部に立てこもっていた、各貴族の近衛である私兵だけでは、市外を突破するだけでも困難であった。

 

 

 実際に、援軍到来の一報を聞き、業を煮やしたボウロロープ侯が脱出を試みたのであるが、行動が制限される市街地において騎兵はその機動力を生かせず、動きを止めた所に襲撃を受けた。仕方なしに下馬して血路を切り開き、何とか城壁まで辿りつくと門を開かせ、外へ出たものの、その時にはすっかり疲労しきってしまっていた。

 

 そこへ襲い掛かるアンデッドたち。

 予想をはるかに超えたその強さにより、街の外へようやく脱出したボウロロープ侯の手勢は一瞬にして叩きのめされた。

 

 それを見ていた守備兵は慌てて門を閉じる。

 あのアンデッドたちが市中になだれ込んだらと恐れたためだ。

 

 生き残りの兵士たちが中へ入れてくれと叫ぶも、彼らは決して門を開けようとはしなかった。

 結果、かつて王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ率いる戦士団に匹敵、あるいは上回るかもしれないと言われたほどのボウロロープ侯の精兵団は、壊滅の憂き目にあった。

 

 街の外にいた救援部隊は、中から出てきた者達の存在に気がつき、彼らを助けようと慌てて突撃を敢行。その戦端に加わり、前後からアンデッドたちを挟撃した形になったものの、彼らはあくまで主力部隊を送り出した後に残されていた、留守居を守るための予備部隊に、本来の徴兵からはねられたような者をかき集めた寄せ集めの戦力に過ぎない。

 到底、そんな2線級の戦力だけでは撃破できようはずもなかった。

 そもそも、彼らを呼び寄せたのは、そちらにアンデッドの群れを引きつけることで、その隙にエ・ランテルから出られぬ主軍を街の外に出すことが狙いであったのだ。

 

 数では回っていても、疲労などせぬアンデッドの前には弱兵など群がる羽虫と変わりなく、彼らもまた完膚なきまで叩き潰され、かろうじて這う這う(ほうほう)(てい)で散り散りに逃げのびるしかなかった。

 

 

 その顛末を従軍していた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の〈伝言(メッセージ)〉によって知らされた最奥部に残った者達の心には、もはや絶望しかなかった。

 

 このまま、ここにいても事態が良くなることは考えられない。

 しかし、出ることは叶わない。

 

 事ここに於いて、この安全なはずの最奥部でも秩序は崩壊し始めていた。

 

 王が滞在しているこの貴賓館であるが、実際に今もいる貴族は数少ない。

 銘々、派閥ごとに、自分たちに割り当てられた住居に籠もり、防備を固めていた。 

 この区域内でも食料が減ってきたことにより、自分たちの間でも略奪が起こりかねないと、各々が警戒していたためだ。 

 

 

 

 そして、さらなる凶報がもたらされたのは数日前の事。

 

「失礼いたします!」

 

 息せき切って、室内に駆け込んできた兵士。

 取次ぎもなしに入ってくるなど通常の儀礼上許されない行為であったが、この期に及んでは今急いで持ってきたであろう情報をいち早く聞くことこそがなにより大事と、その非礼を咎めようとする者はいなかった。

 むしろ、早く報告せよとうながす。

 

 その若い兵士は滑り込むようにランポッサ三世の前に駆け寄ると膝をつき、喘ぎながら言った。

 

「ほ、報告いたします! このエ・ランテル最奥部にアンデッドが出現いたしました!」

「なに!」

 

 その報告はざわめきを持って迎えられた。

 

「馬鹿な! いったいどこから侵入したというのだ? 市街にはまだ侵入されてはいないのであろう」

「何処から侵入したのかは不明です。いまだ、第3の門は固く閉められたまま。しかし、何処からともなく現れたアンデッドの群れが今、この行政区内において暴れております!」

 

 

 どういった手段によるものか、エ・ランテル最奥部に現れたアンデッドたち。

 彼らはその残忍なまでの暴力を振るい始めた。

 スケルトンの剣が女性を切り裂き、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法が兵士を吹き飛ばし、死の騎士の振るう剛剣が騎士を金属鎧ごと両断する。

 

 その暴威に対し、この地の住人たちは各勢力ごと、各貴族ごとに分かれて各々の建物に立てこもるしかなかった。

 

 しかし、そうしていても、助けが来る見通しなどなく、一つまた一つと即席の陣地はアンデッドの襲撃によって陥落し、蹂躙されていった。

 彼らはゆっくりと死を待つよりほかになかった。

 

 

 そして、今まさに、王がいるこの貴賓館にも襲撃の魔の手が押し寄せていた。

 

 最初は遠くに聞こえた剣戟の音も、段々と近くなり、今や椅子やテーブルで即席のバリケードを築いた扉の向こうから、重いものが激しく打ちつける音が室内に響いていた。

 

 普段であれば、大した用もないのに集まり、喧々諤々と貴族同士の勢力争いによる当てこすりが繰り広げられるはずの、仮の玉座が置かれた一室。

 ここには王がいて、今まさに生命の危険にさらされているというのに、もはやこの部屋で王とともにいるのはガゼフを始めとした数十名の近衛の者たち、そして近習たちのみであった。

 

 

 

 

 ランポッサ三世は疲れた目で、傍らに立つ忠臣ガゼフに語りかけた。

 

「ガゼフよ。率直に訊きたい。手立てはあるか?」

 

 その問い。

 その『手立て』とは、自分たちの生命に関するものを指すのか? 自分たちを含めたエ・ランテルにいる者たち生命に関するものを指すのか?

 はたまた、国家の命運について尋ねられているのか?

 

 ガゼフは長年仕えた王の顔を覗き込む。

 

 その顔は疲れ果てている。

 ここ最近の、エ・ランテルに閉じ込められてからの心労がひときわ大きいのであろう。

 強大なアンデッドにより、王国軍はこの堅牢無比なる城塞都市という檻に押し込まれ、その中でゆっくりと腐れ落ちるように、すべてが崩壊していく様を目の当たりにさせられているのだ。

 

 これまで長年、自分が必死で守り続けてきたもの。

 それが為す術もなく、しかも真綿で首を絞めつけられるかのように失われていく。

 

 しかも、心配事は自分たちの事だけではない。

 王都は八本指の手の者によって制圧されていると聞く。

 当初こそは魔法詠唱者(マジック・キャスター)の手によって、王都の様子はこちらまで伝えられていたものの、やがてそれも途絶えてしまった。

 

 

 ――あれから2か月あまりが経つ。

 いったい、今の王都はどうなっているのだろうか?

 王の血を引く王位継承者たちは息災なのだろうか?

 王都を占拠した八本指らは、どういう手管を使ったのか、トロールやオークなどの人を食らう亜人たちをも手勢として使っていたという。そんな者達によって支配され、王都の民衆たちは無事なのだろうか?

 

 今、王都に2組いるアダマンタイト級冒険者のうち、『蒼の薔薇』は依頼を受けて王国を離れ、帝国に移動してしまっている。

 だが、王都にはもう片方である『朱の雫』がいるはずだ。

 彼らならば、なんとか王族の方々だけでも避難させてくれているのではないかと思うが。

 

 

 

 ガゼフは飛んでいた思考を戻す。

 王都の事も心配だが、まず自分たちの事を考えねば。

 

 

 ――とにかく、この建物から脱出せねばならない。

 そして街を脱出せねば話にならない。

 

 もはや援軍が来る見込みはない。

 期待していた王国の残存兵力は壊滅させられてしまった。

 

 この際、他国に頼るにしても――例えば、エ・ランテルの統治権の譲渡などを餌にするなどして――帝国はといえば、先に現れた謎の巨獣による被害、そして領内を荒らすビーストマンとの争いによって、こちらに目を向ける余裕などあるまい。

 それこそ帝国の現状は、王国が侵攻を試みるほどなのだから。

 

 ならば、法国はどうかというと、こちらも奇妙なほどの沈黙を保っていた。

 普段ならば、例年の王国と帝国との戦争に関しても、形式上は何か言ってくるものだが、今回の王国から帝国への侵攻に際しては、無言を通していた。なにか、法国に重大事件でも起きたのかとも思ったが、相変わらず、その尻尾すらも掴ませぬままであった。

 

 ならば、持ちえる戦力はと考えた場合、もはや動かせる戦力はない。

 エ・ランテルの王国軍はもはや統率など取れず、市街において、自国民への略奪にいそしんでいる。

 街の冒険者たちはというと、彼らはエ・ランテルの第2の壁と第3の壁の間にある市街に住んでおり、暴れる王国軍との戦闘を余儀なくされている。今更、協力を要請しても遅すぎる。

 

 

 そう、全ては遅すぎる。

 今から考えるならば、最初にアンデッドが現れた際、堅牢な城壁を誇るエ・ランテルに籠もるのではなく、全軍で突破を考えるべきだったのだろう。

 そうすれば、かなりの被害は出しつつも、その多くは脱出できたかもしれない。

 

 しかし、もはやそれは叶わない。

 今となっては、ボウロロープ侯のように市街を抜けて、街の外に出ようとするだけでも至難の業だ。

 

 その上で、あのアンデッドの群れを退治するなど、身につけている王国の至宝により、疲労することは無いガゼフでも不可能だ。

 

 当初、あれらが出現した時、胸壁上からその姿を見たが、あのアンデッドたちは恐るべきものであった。

 その中の一種、デスナイトとかいうアンデッドの騎士は、かつてカルネ村で同様の存在を見た時、思わず総毛だったものであったが、その後、『蒼の薔薇』のイビルアイから話を聞いたところ、強大などというレベルではなく、もはや伝説クラスのアンデッドであったらしい。おそらく、ガゼフでも一体を相手にするのがやっとであろう。

 それがあの群れの中には何十体もいるのだ。

 更にはそれだけではなく多種多様な、デスナイトに匹敵するほど強力と思われるアンデッドたちがたむろしている。

 

 とてもではないが、ガゼフ並びに彼の戦士団だけで何とか出来るレベルではない。

 

 

 

 そこまで考えたとき、ふと思い当たったことがあった。

 

「何とかして、外と連絡を取れないでしょうか?」

 

 ガゼフの言葉に、力なく(うつむ)いていたランポッサ三世は目元にくっきりとクマの浮いた顔をあげた。

 

「外と? いったい誰と連絡を取るというのだ? 王国の戦力はほぼ壊滅した。他国もこちらへ手助けする余裕などあるまい。いったい何処へ連絡をつけようというのだ?」

 

 嘆きの混じったその問いかけに、ガゼフは答えた。

 

「カルネ村でございます」

 

 その言葉には王だけではなく、周りに控えていた者達も虚をつかれた。

 

 彼らの脳裏には、カルネ村という名などかろうじて記憶の片隅にあるだけである。

 それは、このエ・ランテル近郊にある、ただの一農村。

 そんなところに連絡をつけて、この王国戦士長は何をするつもりなのか?

 

 その場にいた者達の頭に疑問が渦巻く中、唯一その意味を理解したのは、ガゼフの戦士団の一員として、かつて共に周辺を荒らしまわっていた帝国騎士を討伐するという任を帯び、かの地におもむいた者のみであった。

 

「!? ガゼフ様! かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に助けを求めるのですか?」

 

 その言葉に、その場にいた者達はようやく合点がいった。

 

「ガゼフよ。たしか、お前は……そこでアインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)と出会ったのであったか」

「はい、陛下。私はかの地において、ゴウン殿が召喚したアンデッドを目撃しました。それはデスナイトと呼ばれる強大なアンデッドであり、現在、街の外に集結しているアンデッドの群れの中にも同種のものが含まれております。何の触媒もなくそんな強力なアンデッドを召喚し、操ることができる魔法詠唱者(マジック・キャスター)。かの御仁ならば、このアンデッドの大量発生への対処も可能やも知れません」

 

 (かたわ)らで聞いていた近習が記憶を漁り、口にする。

 

「たしか、帝国騎士の略奪と見せかけ、実は我が国と帝国の仲たがいを狙った法国の策略でしたか。そのゴウンという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、それを阻止した功績ある人物ということでしたな」

「ああ。以前は他の貴族の目がある故、大っぴらには言えなかったが、実際はあの時、法国の陽光聖典なる者の隊長を捕らえた功績は、ほとんどが俺ではなく彼らにある」

 

 その事は秘かにランポッサ三世には伝えてはいたものの、他の者達には秘されていたままであり、皆一様に驚愕に顔を歪めた。

 

「そ、それは本当なのですか?」

「この期に及んで、言い繕っても仕方あるまい。俺はあの時、囮として相手を引きつける役をしただけ。実際に法国の人間を倒したのはゴウン殿が召喚した、そのデスナイトというアンデッドと、ゴウン殿と共にいたベルという少女だ」

「少女? どういう事ですか?」

「その少女が操る空飛ぶ武器によって、法国の特殊部隊の者達の身はずたずたに引き裂かれたのだ。一瞬のうちにな」

「ほう、それは……」

「ついでに言うと、その少女の実力はそれだけではない。武器を手にしても、この私と互角以上に戦い、それでいて、あえてこちらに勝利を譲るほどだ」

「な、なんですと……!」

 

 ガゼフの口から語られた衝撃の事実。

 実際、こうして本人の口から語られても、彼らはガゼフより強い者がいるなどという事は信じられなかった。

 だが、もし仮に、そんな存在がいるとしたら、この状況も……。

 

 

「そうだな。その者らならば、この現況を何とか出来るかもしれん」

 

 疲れ切ったランポッサ三世の目に光がともる。

 ほんのわずかにしか過ぎないが、絶対的なる暗黒の中にわずかに閃いた希望にかけてみようという気になった。

 

「ガゼフよ。その者らの居場所に当てはあるのか? かつてその者らと会ったのはカルネ村だったとしても、そこに滞在しているとは限るまい」

「彼らはそのカルネ村を自分たちと連絡をつける際の場所に指定しました。その後、私がその時の謝礼金をその村に送ったのですが、無事彼らに届いたそうです。カルネ村ならば、連絡が取れると思われます」

 

 そう答えた忠臣の言葉に、ランポッサ三世は顎髭を撫でつける。

 

「うむ。……では、何とかして近郊の街に連絡を取り、そこから使者をカルネ村に遣わせるとしよう。可能か?」

「はっ。では、まず、この建物を脱出いたしましょう。そして、別の建物に籠もれば数日は時を稼げるはず。可能ならば、他の貴族の所が良いかもしれません。そこならば、控えの魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるでしょうから、〈伝言(メッセージ)〉で外と連絡が取れるやも知れません」

 

 その答えに王は立ち上がった。

 

「皆の者、聞いたな。では我らはここより脱出を図る。とりあえずは、レエブン侯の逗留場所として与えられていた建物へ、向かうとしよう。皆、死ぬなよ」

 

 その言葉に皆、失っていた力を取り戻し、強く頷いた。

 そして、この部屋から脱出しようと後ろの扉へ足を向けた、その時――。

 

 

 

 轟音が響いた。

 ついにバリケードごと、扉が粉砕されたのだ。

 

 もうもうとたちこめる粉塵の向こうに姿を見せるアンデッドの群れ。

 兵士たちは王を守ろうと、その前に陣形を組んだ。

 

 

 ガゼフにも見覚えがあるデスナイトとかいうアンデッドだけではない。その他にも、巨躯を薄汚れた包帯で巻き、背から生やした鉤付きの鎖をじゃらりと鳴らすアンデッドや、奇妙な仮面を顔にかぶり、その両の手の指が鋭い刃物となっているものなど、かつては各地を旅してきたガゼフの知識にすらない、しかし一目で強大だと分かるアンデッドたちが、ぞろぞろと室内に入ってくる。

 

 気圧されたように後ずさる人間たち。

 

 部屋の中へと足を踏み入れたアンデッドたち。

 だが、彼らは突如、左右に分かれた。

 開けた視界。

 空いた中央をこちらへ悠々と歩み寄るのは――。

 

 

「君は……ベル……」

 

 そこにいたのは、ガゼフがかつてカルネ村で会った少女。

 

 

 

 考えてみればすぐに気がついたはずだ。

 カルネ村で出会った魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは、デスナイトというアンデッドを召喚していた。

 イビルアイによれば、()のアンデッドは100年に一度現れるかどうかという程度の伝説クラスのアンデッドであり、それこそたった一体で都市国家一つくらいなら滅ぼせるほどの存在らしい。

 そんな強力だが非常に珍しいアンデッドが、このエ・ランテルを包囲する手勢に何体も加わっていた。

 そして、カルネ村でアインズ・ウール・ゴウンはそんなデスナイト7体もの同時召喚などという事までやっていたのだ。

 

 

「……つまり、今回の一件、ゴウン殿が絡んでいるという事かな?」

「うん。そうだよ」

「なぜ、こんな事を?」

「王国を乗っ取るためさ。一つ一つ王国の都市を攻め落としていたら、無駄に時間がかかる。だから、戦力を一つ所に集め、閉じ込めておく。その間に首都を落とす。合理的だね」

 

 近習の1人が怒りに声をあげた。

 

「ふざけるなっ! 正々堂々と戦うことなく、王国が軍を動かした隙に王都を襲っただと! そんな弱みにつけ込む行為など、卑怯極まりない。恥を知れ!」

 

 その叩きつけられた癇癪に、ベルはやれやれと肩をすくめた。

 

「卑怯って、君たちは帝国が混乱している隙に襲ってしまおうと軍を進めてたじゃない。人の事言えないでしょ」

 

 その言葉には苦笑せざるを得ない。

 確かに、如何に大義名分を語り、言葉で取り繕おうと王国がやろうとしていた事は、帝国の混乱につけ込んだ火事場泥棒だ。目の前の御馳走に目を輝かせているうちに、自分たちもまた策にはまったのだ。

 

 

 しかし――。

 

 

「ベル殿。貴殿に一騎打ちを申し込みたい」

 

 しかし、だからと言って、お互いさまとすませることは出来ない。

 ガゼフはリ・エスティーゼ王国の戦士長であり、ランポッサ三世には生き延びてもらわねばならない。

 

 

 ガゼフの提案にベルだけではなく、ランポッサ三世並びにその王を守るように囲む戦士団の者達も含めた全員が一様に目を丸くした。

 

「私が勝ったら、我々をこの街から脱出させてもらいたい」

「……随分とむしのいい話だね」

「おや、自信がないかな?」

「あからさまな挑発だね。そんなのに乗るとでも?」

「ああ、乗ると思っている。あの時、カルネ村での模擬戦の借りを返す機会は、今ここにしかないだろうからな」

 

 その言葉にベルは目を細めた。

 

「……なるほど。確かにね」

 

 

 ガゼフとしては自分にとって、たった一つのベルとの接点が、あの時の模擬戦であったからそう口にしたにすぎなかったのだが、それはピンポイントでベルの心を大きく揺さぶった。

 

 

 あの時。

 カルネ村での模擬戦の時、ベルはまだこの身体に慣れていなかった。

 その為、本気で力を振るうというより、ちょっとした力試し、どれだけの事が出来るかのテスト程度の気持ちで戦っていた。

 実際、しばし刃を交えた結果、慣れぬこの身であろうとも、王国戦士長を名乗っているこのガゼフくらいなら強引に圧倒できるだろうと踏んでいたのだ。

 

 しかし、その勝負はベルの敗北で幕を閉じた。

 村に近寄ってきた陽光聖典への対処の為、早々に勝負を切り上げねばならず、その事をアインズから〈伝言(メッセージ)〉で伝えられたベルは、わざとガゼフの木剣に当たったのだ。

 

 

 それは大したことではない。

 怪我一つしなかったし、わざと負けるのも当初の予定の一つであり、すべては策略、真の実力を隠す擬態である。

 

 しかし、その事はベルの心のうちにずっと引っ掛かっていた。

 気に障っていた。

 ありていに言えば、悔しかった。

 

 手加減した上での、故意の敗北。

 それは頭では理解していたものの、屈辱として彼女の記憶に刻まれていた。

 特に、その後、あちらこちらで思うがままにその凄まじい力を振るい、己が身に宿る力に酔いしれれば酔いしれるほど、かつてのガゼフとの試合における敗北という結果は、じくじくと彼女の胸の内を膿み爛れさせた。

 

 

 今、この機を逃せば、再びガゼフと戦う機会はあるまい。

 ガゼフはこの世界の人間としてはかなりの力を持っているようだが、ナザリックの者達とは比べ物にならない。放っておけば、どこかでベルの(あずか)り知らぬうちにナザリックの雑魚モンスターの手にかかり、死んでしまう事も十二分にあり得る。

 雪辱を果たす機会は、今しかあるまい。

 

「……ああ、いいとも。その話、受けようじゃないか」

 

 

 

 据え付けられていた仮の玉座が片づけられ、中央に大きな空間が生まれる。

 そこで相対するガゼフとベル。

 

 ガゼフは完全装備である。

 リ・エスティーゼ王国の至宝である〈活力の小手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)〉、〈不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)〉、〈守護の鎧(ガーディアン)〉を身に着け、そして手には〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉を構えている。

 

 対するベルは普段の格好のまま、紫色の派手な男物のスーツを着ており、その服には防御効果があるとは到底思えない。

 

 だが、それでもガゼフの目には、この少女が容易い相手とは映らなかった。

 ガゼフは武技〈急所感知(ウィークポイント)〉を発動させるも、一見たおやかな少女のどこにも弱点といえるものは見当たらない。

 

 

 

 しかし、それでも、ガゼフとしてはこの細い綱を渡るより他になかった。

 

 もし、一騎打ちをせず、そのまま戦闘になった場合、王を守る事は絶対に叶わない。

 なにせ、ガゼフでも一対一で互角に持ち込めるかどうかという程のアンデッドが敵方には何体もいるのだ。乱戦にでもなれば、瞬く間に他の者達は鏖殺され、ガゼフもまた一対複数相手に為す術もなく殺されるだろう。

 

 だが、一騎打ちならば、まだ目がある。

 一対一でこの少女を倒すことが出来れば、彼女が引き連れているアンデッドたちは指揮命令者を失い、混乱するだろう。よしんば主の復讐に走ったとしても、その狙いはガゼフただ一人。彼が戦っている間に、王は他の者たちの手によってこの場を脱することが出来るはず。

 彼自身は助かることは無いだろうが、他の者達の命を救う事が出来るかもしれない。

 

 

 ガゼフはそれに賭けた。

 その為には、まず、この少女を倒さなくてはならない。

 見たところ、彼女は特にガゼフに警戒を払ってはいない。見るからに凶悪な印象を与える戦斧を手にしているものの、その腕はだらりと垂れさがったまま。

 

 ――明らかに油断している。

 

 自分を前にしてそのような態度を取られることに、彼としてもいささか腹に据えかねるものを感じるが、とにかく好都合だ。

 彼女が油断しているうちに、必殺の一撃を加える。

 

 ガゼフは自分が使える限り、ありったけの武技を発動させ、機をうかがう。

 そんなガゼフを前にしても、ベルはただ何もせず、悠然と突っ立ったままであった。

 

 

 

 ゴクリと誰かの喉が鳴る。

 

 

 

 瞬間、ガゼフは弾丸のように突進した。

 

 己が身が風を切る音が鼓膜に響く。

 文字通り、目にも留まらぬ速さで踏み込み、袈裟懸けに振り下ろした。

 

 

 ガゼフのこれまで生きた全人生をかけた必殺の一撃。

 それは狙いたがわずベルの頭部を直撃し、その小さな頭の半ばまで、ざっくりと光り輝く刃が食い込んだ。

 

 

 王国の至宝〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉。

 それはベルの保有する特殊技術(スキル)〈上位物理無効化Ⅲ〉をも貫いた。

 

 

 

 ――勝った!

 

 

 

 その場にいた誰もがそう思った。

 可憐な外見の少女の死にわずかな罪悪感を覚えたものの、これで窮地を脱したと安堵の息を吐いた。

 

 

 しかし――。

 

 

「あはははは!」

 

 響いたのは哄笑。

 

 

 笑っているのは誰であろう、その頭部を刃によって切り裂かれた少女。

 脳の半ばまで断ち切られ、常人であれば確実に死するはずの怪我を負いつつも、傷口から止めどなく噴き出る鮮血など気にもせずに、彼女は甲高い声で笑っていた。

 

「あはははは! やるじゃないか、ガゼフ! この地にやって来てから、俺に……この地の者で俺にダメージを与えたのは、お前が初めてだぞ!!」

 

 ゲラゲラと笑い声をあげる。

 〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉によって大きく切り裂かれ、べろりと垂れる顔面の皮膚を小さなその手でしっかと掴むと、力任せに引きちぎる。その整った顔の左半分の生皮を自ら剥ぎ、てらてらとした血に濡れる肉の筋を晒しつつ、少女は狂ったように笑った。

 

 

 事ここに至って、彼らは自分たちの目の前にいるのは見た通りの可憐な少女、人間ではなく、全く異質の存在であるという事に気がついた。

 

 そのあまりの異様を前に、誰もが息をのみ、歴戦の強者たるガゼフですら(ひる)み後ずさった。

 (おび)える彼らを茶化すように、ベルはその舌で、自らの顔面を流れる赤い血をべろりと舐めとって見せる。

 

 そして、恐怖に震える(さま)に満足したかのような笑みを顔に浮かべ、今度はこちらの番とばかりに、ガゼフへと襲い掛かった。

 

 

 

 彼女の持つ戦斧が横薙ぎに払われる。

 背筋を走る怖気に身を固くしつつも、ガゼフはそれを手にした剣で受け止めようとする。

 

 しかし、彼女が振るうのは神器級(ゴッズ)とまではいかないが、この世界の基準からすれば桁外れの性能を持つ伝説級(レジェンド)の武器である。

 そして振るうベル本人はというと、万能型寄りのビルドであるため、特化型には及ばないが、それでも100レベルの戦士タイプである。この世界特有の武技は使えなくとも、その単純な能力値はこの地に生きるものをはるかに圧倒している。

 

 

 そんな彼女が全力で振りぬいた戦斧。

 それはガゼフの全力をもって防ごうとした剣を弾き飛ばし、彼の鎧をたやすく切り裂き、その身体を一瞬のうちに両断した。

 

 

 

 宙を舞うガゼフの上半身。

 くるくると回転し、鈍い音を立てて毛足の長い絨毯の上へと落下した。

 

 

 リ・エスティーゼ王国、最強の戦士。ガゼフ・ストロノーフの死。

 

 

 その事実を前に、国王ランポッサ三世を始めとした者達は、身じろぎ一つ許されず、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

 

 そんな彼らの耳朶(じだ)を打つのは、少女の甲高い狂笑。

 

 

「あははははは!」

 

 

 ガゼフ・ストロノーフは死んだ。

 ガゼフ・ストロノーフを殺した。

 これで、あの時の屈辱を晴らした。

 雪辱を果たした。

 

 

 思えば、ガゼフとの関わりこそ、ベルのこの地における始まりだったといえる。

 後先で言うならば、エンリやネムなどカルネ村の住人や村を襲っていた偽騎士達との出会いの方が先なのであるが、彼女らについてはあくまで、ただ襲われ困っているところを助けたという、ゲームにおけるイベントのようなものであった。

 

 対して、ガゼフは初めて、この地に生ける『人間』として相対した存在である。

 対等の相手として交渉し、真剣勝負ではないとはいえ剣を交え、そして共闘した相手である。

 

 そんなガゼフと再戦し、そして勝利した。

 

 

「あははははは!」

 

 

 ベルの胸の内にあるのは、ようやっと心のつかえが取れたという達成感。

 気にかけていたものを終えたという満足感。

 遂に目的を達したという充足感。

 そんな様々な感情、思いが心の奥底から湧き上がってくる。

 その感情に身を任せ、彼女は笑い続けた。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 しかし、そんな高揚とは裏腹に、その心のうちに、それらとは相反するものも生まれていた。

 全てやりきってしまったという寂寥感。

 これで終わったのだという虚無感。

 まるで寝食忘れて熱中していたゲームをクリアしてしまった後のような、一体これから何をやればいいのだろうという、ただ空虚な感覚が彼女の胸の内に風穴を開けていた。

 

 

 

 ――あぁ、あぁ、楽しかったなぁ……。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 腹まで響くような轟音が響いた。

 胸壁を守る兵士は疲れきった瞳でそちらに目を向ける。

 

 

 彼はこの街の衛士であった。

 かつて少年の頃は、街の安寧を自分が守るのだと理想に燃えていた。実際に衛士になってからは現実を知り、すこしやさぐれはしたものの、それでも人々の平和を守るという仕事に真摯に向き合い、懸命に職務に取り組んでいた。

 以前のアンデッド騒ぎの際も、冒険者たちと力を合わせることでなんとかこの街を、市民を守り切った。

 

 ――自分の力が街に平穏を作っている。

 

 彼は、それを誇りを持っていた。

 

 

 ところが、今直面しているのは、どうやっても覆せない現状。

 アンデッドに囲まれ、孤立したエ・ランテルは敵の攻撃ではなく、そこにいる人間たちの手によって滅びようとしている。

 こうして城門を守る任につき、胸壁の上に立っていると、市街から立ち上る黒煙が幾筋も天へと昇っていく様が目に入った。

 

 

 

 彼はよろよろとした足取りで、すきっ腹を抱え壁際へと歩み寄った。いまさら馬鹿馬鹿しいが職務に従い、先ほどの轟音の原因を確かめねばならない。

 

 ――ついに城門に攻撃を仕掛けてきたのか……。

 

 そんな最悪の想像とともに、彼は胸壁の縁から身を乗り出し、城壁の外側を覗き込む。

 

 

 もはや悲嘆も絶望も通り越して、諦観が湛えられた瞳が、大きく見開かれた。

 

 

 彼は叫ぼうとした。

 だが、ろくに食事もとれておらず、活力を失っていた彼の喉は、その驚愕もあいまり、かすかな声を立てるにとどまった。

 そこで彼は胸元に吊るしていた警告用の笛を咥えると、力の限りに吹き鳴らした。

 

 その音に気がつき、他の衛士たちが集まってくる。

 

「おい。いったい、どうしたんだ?」

 

 そう問いかける彼らに対し、彼は震える指で城外に立つ存在を指し示した。

 彼に負けず劣らず、疲れ果てた様子の男たちは緩慢な動作で、そちらへと顔を向ける。

 

 そして、彼らの顔もまた、先ほどの彼とまったく同様に驚愕の表情を浮かべた。

 その視線の先にいたのは――。

 

 

「モ……モモンさん……。モモンさんだ!!」

 

 

 

 彼らの視線の先、城壁の向こうに立つのは、エ・ランテルの人間が忘れるはずもない、漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、深紅のマントを翻し、巨大な両手剣(グレートソード)を両手に二刀流で持つ堂々たる姿。 

 

 アダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンである。

 

 彼の後ろには、これまたこの街の人間には馴染みの美しき女神官ルプー。

 そして、トブの大森林において伝説の魔獣として語られ、モモンとの戦いに敗れた後は、彼の配下となった森の賢王ハムスケ。

 さらに彼らの上空には、およそこの世の誰も見たことがないであろう威容を誇る、獅子の頭を持ち、絢爛たる鎧に身を包んだ天使が6体浮かんでいた。

 

 そして、さらに付け加えるならば、その後ろには荷馬車の車列が数限りないほど並んでいる。

 

 

 

 モモンは突進する。

 その先には、王国の精兵たちですら歯牙にもかけられず滅ぼされた、強大無比なるアンデッドの群れ。

 

 しかし、その走る姿を胸壁の上から見守っていた衛士たちには確信があった。

 

 ――あの人ならば、絶対に負けることは無い、と。

 

 敵陣に単身飛び込んだモモンは、その両手に握りしめた剣を縦横無尽に振るう。

 その刃にかかった、見るからに恐ろしい暗黒の鎧を身につけた死の騎士たちは、たった一撃のもとに地に伏していく。

 そして、上空に位置する天使たちが陣形を組むと、目の文様が施された盾から光線が閃いた。

 

 

 眩いばかりの光が辺りを包む。

 着弾により生じた濛々(もうもう)たる土煙。

 それが晴れた後、そこに立っているのはモモンただ一人。

 あれだけいた恐るべきアンデッドは、天使たちの放った一撃のもとに消滅させられたのだ。

 

 

 歓声が上がる。

 彼らはその身に宿る精気を最後の一滴まで絞り出すかのように、精一杯の声をあげた。

 

 そして、彼らは走った。

 門を開け、城壁の外にいるモモンを迎え入れるために。

 

 

 そして、街の者たちに偉大な英雄の帰還を知らせるために。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 『漆黒』モモンの帰還。

 

 その話は瞬く間にエ・ランテル中を駆け巡った。

 彼がエ・ランテルを封鎖していたアンデッドの撃退に成功したという一報と共に。

 

 街に戻ったモモンは休むことなく、彼の仲間と天使の群れを引き連れ、一両日もせぬうちにエ・ランテル周辺にいたアンデッドたちをすべて駆逐してしまった。

 これによって、およそ2か月ぶりに、エ・ランテルの封鎖は解除された。

 

 

 そしてもう一つ、喜ばしい知らせがあった。

 モモンと共に来たあの荷馬車の隊列は、王都リ・エスティーゼからのものであり、王都のスタッファン王がモモンの護衛の下、大規模に輜重隊を動かし、エ・ランテルへ食料を運んできたのだ。

 

 目を血走らせ、殺気だっていた者たちは皆、その手の武器を捨て、配給の列に並んだ。

 

 そこで配られた食料。

 やや硬めのライ麦パン。

 どろりとしたとろみのあるスープには、ジャガイモやニンジンなどの野菜がごろごろと入っている。

 歯ごたえのある干し果実は、噛んだ瞬間、口の中に甘みが広がる。

 

 本当に久しぶりとなる、人間が食べる食物。

 その味に誰もが、目に涙を浮かべた。

 

 

 その食事を口にしながらも、一つ疑問が湧いた。

 

 ――はて?

 こんな食料を送ってきたスタッファン王とは誰だったか?

 リ・エスティーゼ王国の王はランポッサ三世という名前ではなかったか?

 そして、そいつはこの街の最奥部に閉じこもっているはずではないか?

 

 そんな事を考え首をひねった者もいたが、そんなものは美味の前には大した事実でもなかった。

 

 まさに、この食事は素晴らしかった。

 コクがあり、また油分の多いスープは、ちぎったパンを浸して食べると、えもいわれぬ風味が口の中に広がる。塩気とわずかな酸味がちょうどいい。これまで空腹であった胃腸に負担をかけぬよう風味の他に薬効を併せ持つ香辛料が混ぜ込まれており、わきあがる香ばしい香りが食欲をそそる。そして、隠し味にはライラの粉末。

 

 誰もがこぞって、配給の食料を求め、そして癖になる味に舌鼓を打った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、一段落ついた後、モモンは街の者達を連れて、ある場所を目指した。

 そこは3つ目の壁と門に守られた、このエ・ランテルの最奥部。

 

 モモンが戻り、民衆への食料の配給が始まったというのに、いまだにその門は固く閉ざされたまま、一向に開く様子を見せない。

 そこで、モモンは街の衛士たちと共に、その場所を目指したのだ。

 

 

 彼らが門前にたどり着き、大声で呼びかけても、中の者達は一切反応一つしなかった。

 そこで、ロープの先に鉤爪をつけた鉤縄を投げ入れ、内部へ侵入を試みることにした。

 

 そうしてエ・ランテル第3の胸壁の上に昇った彼らが見たもの。

 それは、行政区の高い建物が立ち並ぶ中を、アンデッドたちが思うままに闊歩する光景であった。

 

 すでにエ・ランテル最奥部は、どうやってこちらに侵入したのかは分からないが、アンデッドの侵攻を受け、壊滅していたのだ。

 

 驚愕に言葉もない皆に対し、モモンは彼らに市街へ戻るよう命じた。

 自分はこれから内部に降り、あのアンデッドを殲滅するつもりだ、と告げた。

 

 彼らもまた、命に代えても街を守る意思を持った衛士である。そのモモンの言葉には反駁した。自分たちも行くと。

 しかしモモンから、アンデッドの中には殺した相手をアンデッドに変えてしまう能力を持ったものもいる為、大勢で行くよりは、自分の仲間たちのみの少数で行った方がいいと説得され、彼らはモモンの武運長久を祈り、ロープを伝って胸壁の上から、再び市街地へと降り立った。

 

 やがて聞こえてきたのは激しい戦闘の音。

 鉄と鉄とがぶつかり合う甲高い音が、間断なく門の向こうから聞こえてくる。

 彼らは、モモンが無事に出てきてくれることを祈った。

 

 

 およそ丸一日ほど経ったのち、扉が音を立ててゆっくりと開いた。

 衛士たちが見守る中、そこに立っていたのは、もちろん漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ偉丈夫。

 

 市中のアンデッド討伐に成功したモモンは歓声によって迎えられた。

 

 そして、モモンの口から、最奥部にはすでに生ける者は一人たりともいなかったことが告げられた。

 ここにリ・エスティーゼ王国におけるランポッサ三世の統治は終わりを迎え、そして今も王都にいる新王スタッファンの統治が幕を開けた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

 

 

 舗装もされていない道路を大勢の人間が歩く音が響き、乾ききった土は膝のあたりまで土埃を舞い上がらせる。

 

 その一団は皆一様に武装していた。

 とはいえ決して重装備という訳でもなく、軽い布の服の上から肩当て、胸当てを身に纏い、頭には頭部をすっぽりと覆う金属製の兜をかぶっているのみ。手には両手持ちの長槍が一本。

 

 そんな衛士たちを引き連れ、その前を歩く堂々たる姿。

 エ・ランテルの住人ならば、その姿を見間違う事などない、漆黒の全身鎧(フルプレート)に深紅のマント。

 冒険者モモンである。

 

 

 

 彼らが今、何をしているかというと、市街の巡回である。

 

 モモンの活躍により街周辺、及び最奥部にいたアンデッドは駆逐された。

 それにより街から危険が去ったのであるが、それでも閉じ込められていた間に街が負った傷は深い。そこら中に破壊と略奪の跡が生々しく残り、そこに住まう者達の心もまた荒廃しきっていた。

 

 そんなこの街の治安を守るため、モモンは衛士たちと共に街をパトロールしていた。

 

 なにせ、モモンの姿を見ただけで、大抵の者は大人しくなる。どんな強面の人間だろうと、彼の姿を見た者は竦みあがって、頭を下げる。

 中にはそれでも争いを止めようとしない者はいたのだが、そういった輩はモモンがその闘気を一当てするだけでおとなしくなった。

 

 

 

 そうして、彼らは一軒の大きな建物に差し掛かる。

 そこには並べられたベッドの上に、幾人もの人間が横たわっていた。その口元には大振りの吸引具が咥えられ、甘い香りの煙を吐き出している。

 

 いささか眉を顰めたくなる光景だが、これも今のエ・ランテルの現状であった。

 封鎖されていた2か月もの間、この街では言語に絶する所業が繰り広げられていた。それに耐えきれなくなった者達が薬に逃げることまでをも、厳格なまでに法を守って止めさせようとする者はいなかった。

 

 彼らは顔をこわばらせつつも、施設内を見て回る。

 

 

 ふと、その時――モモンが足を止めた。

 

 彼の視線の先にあるのは、一つの病床。

 そして、そこに横たわり他の者同様、人の腕程もある大きなパイプで麻薬を吸引している女の姿。

 

 

 共に巡回していた衛士たちから、(いぶか)しげな視線を投げかけられる中、モモンはその女性の許へと歩み寄った。

 

 その顔にかかっていた薄汚れた金髪の髪を、黒く光り輝く籠手でかき上げ、その下の顔を覗き込む。

 そこにあったのはすっかりやつれ、流れた涙が乾いた跡もそのままに、虚ろな笑みを浮かべている、かつて共に旅したこともあるワーカーの姿。

 

 その胸元に抱いているのは、ボロボロに引き裂かれ、どす黒い血で汚れている小さな女物の2着の衣服。

 

 

 モモンは彼女の名を呼びかける。

 しかし、その顔はなんら反応を見せることはなく、幸せそうな笑みに固まったまま。

 

 彼女はすでに事切れていた。

 

 

 彼はその肩に手をやったまま、しばし何も言わずに俯いていたが、やがて彼女の遺体をその胸に抱え上げた。

 いまだ煙をあげるパイプがベッドから落ち、音を立てて床を転がった。

 

 

 皆の視線を集める中、モモン――アインズははるか遠くを眺めた。

 

 

 

 ――これが……。

 これが結果だ。

 他の誰でもない。

 俺たちが、……俺が選択したことによる結末だ……。

 

 

 アインズはすっかりやせ衰え、女性という事を加味してもはるかに軽くなった彼女の遺骸を抱いたまま、一人立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 




 しまった。
 ベルがネタ晴らししてから、闘うという展開が続いていた。


 これで王国編は一区切りになります。
 この後は、おまけを1、2話挟んで新章にいく予定です。


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第81話 おまけ ワールド・ベースボール・ナザリック

2017/3/23 「持ってしても」→「以ってしても」、「触手」→「触角」、「羽根」→「翅」、「何だろう」→「なんだろう」、「鑑みた」→「勘案した」、「預かり」→「与り」、「転移す」→「転移し」、「参加して来たら」→「参加してきたら」 訂正しました



「そんな事より、野球しようぜ!」

 

 

 

 ベルから投げかけられた言葉に、アインズは唖然とした。

 その顎をカクンと下げ、黒曜石の卓についたまま、石化でも受けたかのように身じろぎ一つせず凍り付いた。

 

 

 

 時を(さかのぼ)ること、しばし。

 

 ナザリック第9階層の執務室でアインズは1人思い悩んでいた。

 お付きのメイドは少し一人で考えたいからと言って、退出させている。アインズ当番を外されるという事は、ナザリックに仕える者にとって、計り知れないほどの悲嘆を与えるものであったのだが、そんな事にすら気が回らぬままに、アインズは懊悩していた。

 

 

 思い返すのは先だっての王国における顛末。

 

 計画を立てたのはベルであるのは事実。

 しかし、それを自分は了承したのだ。

 

 かつてリアルで会社員だった時代、上司に説明して認可を貰い、書類にしっかりと判子までついてもらったのに、後で問題が起きたら、「そんなものは聞いていない」、「部下が勝手にやったことだ」などと言われ、必死に関係先に頭を下げて回った経験がある鈴木悟としては、主だったことに関与したのはベルであって、自分は関係ないと責任逃れすることは出来なかった。それが出来るほど彼は面の皮が厚くはなく、そういう甘さがブラック企業における底辺社員の証左でもある。

 

 とにかく、今、ナザリックが原因で起こっていること――直接的にも間接的にも――について、彼は見て見ぬふりで済ますことは出来なかったのだが、ならばはたしてベルに対し、いったいどういう風に話を切り出したものやらと頭を悩ませていた。

 

 

 

 そんなとき、部屋の扉がノックされた。

 

 入室を許可する言葉を口にするより早く、扉は音を立てて開かれた。

 そして足音高く入ってきた、悩みの原因である当のベルは開口一番、「そんな事より、野球しようぜ!」とのたまったのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 時を(さかのぼ)ってみても、まったく分からない。

 意味不明というより他にない。

 

 

 しかしベルは、そんなアインズの困惑など気にもかけずに、言葉をつづけた。

 

「野球ですよ、野球。今、最もナウなヤングにバカウケなホットでイタメシなトレンディですよ」

「すみません。JAPAN語でお願いします」

 

 やれやれと椅子の背もたれに身を預けるアインズ。

 

 ――おそらく図書館で野球漫画でも読んだのだろう。

 相変わらず、自由なことこの上ない。

 

 しかし――。

 

「……そうですね。やりましょうか」

 

 アインズはそう口にした。

 

 ここ最近ぎくしゃくしていたベルとの仲を考え、こういうのも気分転換としていいかと、考え直した。

 すっくと贅をつくした椅子――正直、手すりなどに各種宝石が埋め込まれており、座り心地はあまりよろしくない――から立ち上がり、そして尋ねる。

 

「でも、一つ聞いていいですか、ベルさん」

「なんです?」

「いえね、野球ってどうやるんですか?」

「さあ?」

「……」

「……」

 

 

 無言の時が過ぎる。

 

 

  

 彼らが生きていた22世紀でも当然ながら、野球は人気スポーツの一つであった。普通の子供がスポーツに親しみ、一般人でも休日に草野球に興じるほどの余裕はなく、ごく一部の才覚を見出された者による興業であったのだが、それでもユグドラシルを始めとしたDMMOなどと並び、多くの者が日々の生活で疲れた心と体を癒す娯楽として、人気であった。

 

 しかし、そんな人気のスポーツであったのだが、リア充などという言葉とは程遠く、唯一の趣味はユグドラシルというアインズ――鈴木悟は当然ながら、テレビでやっているそんな中継などろくに見た事もなかった。

 

 

 そしてさらにベルの野球知識も、アインズのものと大差はない。

 

 実際、野球をやろうと言って現れたベルの手の中にあるものであるが、片方は木製のバットであり、これはいい。

 しかし、もう片方のボールはと言うと、何故だかバスケットボール大の、しかも完全な球体ではなく微妙に歪んだ代物なのである。

 

 

 

「いや、ルールも知らずに、どうやれと?」

 

 当然の疑問を口にするアインズ。

 

「いや、まあ、詳しいルールは知らないですけどね。でも、大体は分かりますよ。ほら、ペロロンチーノさんが貸してくれたエロゲで、野球ものってあったでしょ」

 

 言われてアインズは昔、ペロロンチーノに薦められてやったゲームの内容を思い返す。

 それらの中には野球というスポーツをやっているものもあった。確か、はるか昔のゲームのリメイクとかいうので、ミニゲームで野球をやっていた。

 たしか、その内容は……。

 

「ええっと、ボールを投げて、バットで打つ……?」

「そして打たれたボールをとって……えーと、またバッターの方へと投げるんですよね? そして、それをバッターが打って、それをまたキャッチして、……って如何に長く続けるかというゲームだったような」

「たしか、そんな感じでしたね」

「まあ、とりあえず、やってみましょう」

 

 アインズの方へ、ポイと手にしていたボールを放ってよこす。

 それを両手でキャッチすると、テーブルを回り込み、アインズは距離をとってベルと相対する。

 ベルはバットを構え、その先をくるくると回してみせた。

 

「じゃあ、いいですよ。投げてください」

「はい。では、いきますよ」

 

 アインズは胸の前で一度抱え込むようにして、バットを構えるベルを見据える。

 そして大きく振りかぶった。

 

「とあっ!」

 

 いささか気合の抜ける掛け声、並びに少々珍奇なフォームながら、力を込めてボールを投げるアインズ。

 

 

 

「ぐはあっ!」

 

 そのボールは狙いたがわず、打撃フォームをとっていたベルの脇腹を直撃した。

 

 

 

「ちょ、ちょっと、待ってください、アインズさん! なんで俺めがけて投げてるんですか!?」

 

 体をくの字に曲げて倒れ込んだベルは、起き上がると抗議の声をあげた。

 

「え? だって、ベルさんの方に投げないと打てないでしょ」

「いや、違いますよ。俺に向かって投げるんじゃなくて、俺の横! この前の辺りに投げるんです。そうじゃなきゃ打てないでしょ」

「でも、ミサイルパリーとかは自分に向けて投げつけられたものを弾いてますよね」

「いや、それは戦闘の特殊技術(スキル)だからでしょ。そうじゃなくて、野球は特殊技術(スキル)とか使わない、普通の人間がやるスポーツなんですから、本当に自分に向かってきたら打ち返しようがないじゃないですか」

「ああ、なるほど」

「いや、マジでダメージ入るほどでしたよ、今の一撃! この世界に来てから俺にダメージを与えたのは、アインズさんで何人目かですよ!」

 

 おかしな表現で騒ぐベルに対して、「はあ、そりゃすみません」と一応、謝罪をするアインズ。

 では、今度は投打を交換しようということになり、お互い持っていたバットとボールを交換する。

 

 

 だが、そうしてアインズからボールを受け取ったベルは――にやり笑った。

 

「くっくっく。引っ掛かりましたね、アインズさん」

「? ベルさん? いったい何を言いだしてるんです?」

「ふふふ。おかしいと思いませんでしたか?」

 

 そう言って、人形のように整った少女の顔、その口角を吊り上げる。

 

 

 言われたアインズはハッと気がついた。

 

 今、2人がやっているのはあくまでただのスポーツでしかない。互いに危害をダメージを与えるための攻撃ではない。

 そもそも、2人とも特殊技術(スキル)として、〈上位物理無効化Ⅲ〉を持っているのだ。この特殊技術(スキル)を保有していれば、レベル60以上のアイテムでもなければ、傷一つつくことはない。

 

 

 しかし、先ほど、ベルはアインズが投げたこのボールによってダメージを受けた様子だった。

 すなわち、このボールはレベル60以上のデータ量を持つアイテムという事だ。

 

 

 ――いったい何故、たかが遊びにそんなものを持ってくるというのか?

 

 

 アインズはその意味するところに、本来、かかぬはずの冷や汗が流れる思いであった。

 そんなアインズを前にして、不敵な笑みを浮かべ、ベルは言い放った。

 

「アインズさん。俺はあなたに秘密にしていた事があります」

 

 その言葉にアインズは、大きく身じろぎした。

 

「ひ、秘密とは?」

 

 固唾をのむアインズに対して、ベルは続ける。

 

「アインズさん、実は俺は……」

「『俺は』……?」

「ふふふ。実は俺は……ギャラクシーエネミーだったんです!」

「……」

「……」

「…………なんです、それ?」

 

 呆気にとられたまま尋ねるアインズ。

 それに対し、ベルは不敵に笑って答えた。

 

「ワールドエネミーを超えた存在です。その一撃はレイドボスを一撃で倒し、その防御力はワールドチャンピオンの一撃を以ってしても傷つけることはできず、唱えただけですべての敵を死滅させる呪文を会得しており、その吐息は色とりどりの花々を咲かせるという、運営が用意した秘密キャラだったんです」

「……そうですか。ソレハ凄イデスネ」

 

 

 厨二病という言葉では収まり繰らぬほどのチート設定にあきれ果て、コキュートスのような喋りになってしまう。

 そもそも、『その防御力はワールドチャンピオンの一撃を以ってしても、傷つけることはできず』とか言っているが、先ほどアインズの投げたボールでしっかりダメージを負ったばかりである。

 たった今、身構えたのは何だったんだろう、真面目に聞いて損したという気分になってしまったアインズであった。

 

 しかし、そんな呆れかえったアインズを前にして、ギャグが思いっきり滑ったことを自覚し、顔を赤くしながらも今更退けないとばかりに、その設定を続けるベル。

 

「ふ、ふふふ。しかもですよ。えーと、……俺はついでにワールドチャンピオンでもあるんですよ!」

「はいはい」

「ワールドアイテムも個人的に持っています。それも2つも」

「わー、すごーい」

「かつては、たっちさんもワンパンで倒した事があります」

「もういっぺん、言ってみろや、ハゲ!!」

「ハゲはアンタでしょうが。まあ、いいや。じゃあ、いきますよ」

「あ、はーい。どうぞー」

 

 特に力もいれずに軽く放ったボールは、しっかりとバットを構えるアインズの脇、ストライクゾーンへと投げ込まれ、それに合わせてバットを振るうアインズ。

 打ち返されたボールはベルの真ん前に跳び、彼女はそれを両手でしっかりと受け止めた。

 

「おー、いいじゃないですか」

「結構面白いですね、これ」

「じゃあ、もう一回いきますよ」

「はーい。バッチこーい」

 

 再度ボールを投げるベル。

 今度は、投げる際に手を滑らせるようにして回転をかけた。高速で回転することにより、放たれたボールは先ほどとは異なり、不規則な軌道を取る。

 

「おっと!」

 

 声をあげつつ、かろうじて打ち返すアインズ。

 

 「あっ!」

 

 しかし、その動きを何とか目で読み、すくい上げるようにしてバットで捉えたため、ボールは大きく弧を描き、ベルの頭上を越えて飛んでいってしまう。

 

 

 

 パシリ!

 

 ドアの方へと飛んだボールが受け止められる。

 ボールを掴むのは白い布手袋。

 

 執務室に入ってきたセバスが、それをしっかりとキャッチしていた。

 

 

「おや、ボール遊びですかな?」

 

 自らの手の中にあるものを認め、セバスはにこりと微笑んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「じゃあ、どうしましょうか?」

「6階層にでも行きます?」

 

 2人は9階層の廊下を歩いていた。

 あの後、セバスから、部屋の中でボール遊びをしてはいけないというしごく当然の事を小一時間にわたり、オブラートに包んでいうと苦言を呈されたのである。

 それからようやく解放された後、精神的に疲れた様子を醸しつつも、どこかに人を集めて野球をやろうという算段を立てていた。

 

「……でも、私たちが野球をやるから集まれといったら、ナザリックの全員が集合しませんか?」

「ああ、確かに。アインズさんからの言葉ともなれば、どんな任務より優先順位は高いって判断するでしょうからね。じゃあ、今仕事してない奴を集めますか」

「その方がいいでしょうね。……あ、でも、そうしたら、休暇を与えられていたはずの者が、駆り出されることになりかねないですね」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、ナザリックの一般メイドたちの事。

 彼女らには、ローテーションで1日ずつ休暇を与えている。それはアインズの名をもってしての事だ。そうして休みとして、自分の時間を過ごしているはずの彼女らは当然、たった今、仕事をしている状態ではないだろう。つまり、今日の休みが誰だったかは思い出せないが、その者は休暇を潰され、アインズ達につき合わされるという事になる。

 

 休みの日、のんびり遊んで過ごそうと――それはほぼ1日ユグドラシルするだけなのだが――していたとき、急に呼び出しがかかり、上司や取引先の人間のやりたくもない趣味につき合わされた経験のあるアインズ――鈴木悟からすると、大切な彼女らにそんなことはさせたくないという思いが強く胸にあった。

 

 

「じゃあ、条件を変えましょう。割り当てられた休暇などにより『今現在、仕事をしていない』ではなく、『今現在、完全にする事もなく指示もない状態にある』者に限るという事で」

「まあ、それならいいですかね」

「じゃあ、ちょっとその条件で、メンバーを集めてみましょうか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして集められた者達がナザリック第6階層、円形闘技場(コロッセウム)の地に立つ。

 

 彼らはアインズとベル、それぞれをリーダーとしたチームに分けられた。

 チーム分けとしては以下の通りである。

 

 

 アインズチーム。

 

  1.アインズ

  2.恐怖公の眷属A

  3.恐怖公の眷属B

  4.恐怖公の眷属C

  5.恐怖公の眷属D

  6.恐怖公の眷属E

  7.恐怖公の眷属F

  8.恐怖公の眷属G

  9.恐怖公の眷属H

 

 

 ベルチーム。

 

  1.ベル

  2.恐怖公の眷属I

  3.恐怖公の眷属J

  4.恐怖公の眷属K

  5.恐怖公の眷属L

  6.恐怖公の眷属M

  7.恐怖公の眷属N

  8.恐怖公の眷属O

  9.恐怖公の眷属ZZ

 

 

 

「ゴキブリしかいねえっ!!」

 

 

 

 ベルの叫びが、無言のままにゴーレムたちが並ぶ観客席にこだました。

 

「まあ、皆、仕事してますからねぇ」

 

 当然といえば当然なのだが、ナザリック地下大墳墓の者達は誰もが忙しく仕事を抱え、走り回っている。走り回っていない者も、侵入者への警戒の為に神経を張り巡らせている。

 特にすることもなかったり、あまつさえサボったりなどしている者は存在しないのである。

 

 そんな中、彼ら、たまたま集められた恐怖公の眷属たちは、あまりに増え過ぎて黒棺の中に納まりきらなくなったため、そこから外に出され、新たな指示を待っている状態であり、条件に合致しているとして、今回の件に駆り出されたのである。

 

 

「いや、集まっても、ゴキブリですよ。どう野球しろと?」

 

 彼ら一匹一匹の体長はおよそ3~8cmしかない。アインズ達の力どころか、普通の人間の力でも潰されてしまいそうである。そんなゴキブリを集めて何が出来るというのだろう。

 

 

 頭を抱えるベルの許に、てかてかと黒光りのするゴキブリ――恐怖公の眷属Aが近寄り、その頭部についている触角を振った。

 

「え? 自分たちでもお役に立てるって?」

 

 それに呼応するように別の眷属Bもまた、それに続いた。

 

「そうは言ってもなあ。野球って球技だよ。お前らじゃボール使えないじゃん」

 

 その言葉に、並んでいた後ろからパッとその翅を羽ばたかせてベルの真ん前へと飛び降りる恐怖公の眷属ZZ。

 

 ――何でこいつだけ、Aからのアルファベット順とばして、いきなりZZなんだろう? 額についている変な六角形の突起からビームでも撃つのか?

 

 

 とにかく彼――彼女かもしれないが――は自分たちにやらせてみてくれと懇願した。

 他の者たちもまた、直訴でもするかの如く、ベルの周りを取り囲む。

 比較的虫は平気な方とは言え、ゴキブリの群れに押し寄せられて平然としていられるほどでもないベルは、とりあえず身震いを抑えて「分かった、分かった」と了承した。

 

 

 アイテムボックスから、ピンポン玉程度の球体を一つ取り出し、「ほれ」と転がしてやる。

 

 

 そして、彼らはパッと位置についた。

 中央にいる眷属Aの足許にボールが転がっており、キャッチャー、ファースト、セカンド、ショート、サード等、所定の位置に全員がスタンバイする。

 そうして、のそのそという動きでバッターボックスと思しき場所に眷属Oがつき、そこでプレイボールと相成った。

 

 

 

 そこに置かれたボールに対し、ピッチャーである眷属Aがその頭を打ち付け、ボールは勢いよく地面を転がる。

 それを待ち構えた眷属Oは、自分もまた勢いよく向かってくるボールに頭をぶつけた。

 

 はじき返されるボール。

 それを見て眷属Oはファーストベースに走る。

 

 転がるボールを捉えようとする眷属DとF。だが、一歩及ばず、彼らが走り寄るより早くボールは後ろへと抜けていった。

 

 その隙に眷属Oは一塁を踏んで、2塁を目指す。

 必死でボールを追いかける眷属Cは、ついにそれを捕まえ、勢いよく打ち出す。

 

 2塁に滑り込む眷属O。それをタッチアウトしてやろうとボールを待ち受けるセカンドの眷属G。

 クロスプレイになるかと思いきや、ここで華麗に眷属Mがインターセプト。ボールを捕らえたかと思うと、そのままドリブルで敵陣へ切り込む。

 

 だが、待ち構えていた眷属J、Kにタックルを受けてしまう。

 

 そこで鳴り響くホイッスル。

 どうやらノックオンと判断されたらしい。

 

 両陣営のゴキブリたちが集まり、スクラムを組んだ。その中央にボールが差し入れられ、両チームとも押し合いへし合い、ボールを後ろへと運ぼうとする。

 やがて、彼らの足の下で押し出されたボールを後ろにいた眷属Dが上へトラップ。そこへ眷属Pがその黒光りする羽根を羽ばたかせて、舞い上がり、宙で身を一回転させオーバーヘッドキックを繰り出した。

 

 唸りをあげて飛んだボールは眷属Gと眷属Yの頭上を越え、眷属ZZを直撃した。

 吹き飛ばされる眷属ZZ。その間にボールはこぼれ、地面に落ちる。ヒットとカウントされ、眷属ZZは外野へと移り――。

 

 

 

「おや、アインズ様。それにベル様も。何をしておいでですかな?」

 

 唐突にかけられた声に驚いて振り向く2人。

 そこには臙脂(えんじ)色のスーツの襟を正しながら、歩み寄るデミウルゴスの姿があった。

 

 

 彼は王国における新体制構築の任を受け、そちらの作業を進めていたのだが、大まかの案がまとまり、アインズ並びにベルの決裁を仰ぐ必要があったため、こうしてナザリックに戻り、2人の事を捜していたのである。

 

 ナザリックにおいて階層守護者という高い地位にあるデミウルゴスの立場からすれば、そんな些事は使いの者をやればそれで済む話ではあった。

 だが、彼とてナザリックの(シモベ)である。

 直接会って報告をし、主からねぎらいの言葉をかけてもらいたいという願望があったのだ。

 

 

 そうして磨き上げられた革靴が土埃で汚れることも厭わず、円形闘技場(コロッセウム)を横切り近寄ってきた彼は、顎に手を当て「おや?」と口にした。

 広い円形闘技場(コロッセウム)の片隅、そこでかれの敬愛すべき主たちがしゃがみ込み、恐怖公の眷属たちが集まって何かをしているところを熱心に覗き込んでいたことに気がついたからである。

 

 

 アインズとベルは冷や汗が流れる思いであった。

 たった今、デミウルゴスから何をしているのかと尋ねられたのだが――正直、自分たちでも何と言っていいのかさっぱり分からない状態である。

 まるで、誰もいないと思って独り言を言っていたら、実は後ろに人がいたような。拙いところを見られたとばかりに、バツの悪い思いが胸の内を走る。

 この頭脳明晰な悪魔に対し、なんと言えば自分たちへの信頼を失われずに済むのか言葉を探し、つい口ごもってしまう。

 

 

「あ、あー……デミウルゴス、これはだな……」

「なるほど、そういう事でしたか! さすがはアインズ様!!」

 

 突如、大きな声を出したデミウルゴスにビクッとする2人。

 対する悪魔は得心したかのように、うんうんと何度も頷いた。

 

「なんという素晴らしいお考え。このデミウルゴス、感服いたしました」

 

 そう言って、彼は深く頭を下げる。

 

 

 

 対する2人は驚愕した。

 

 何故、デミウルゴスはそんな態度をとったのか、さっぱり分からない。

 

 

 今、自分たちはゴキブリたちがやっている何か不思議なスポーツ――少なくとも野球ではないと思われる――をただ眺めていただけだったのだ。

 そもそも、チーム分けをしたはずなのに、味方の攻撃を防いだり、いつの間にか審判のゴキブリがいたりとかもはや意味不明であった。ついでに言うと、最初と比べてゴキブリの数が増えているような気もする。

 傍から見れば、広場の片隅でしゃがみ込んで、ゴキブリたちがわさわさ動いているのを眺めていたという、リアルであれば一発でドン引きされること間違いなしの行為であった。

 

 

 そんな状況下から繰りだされた『さすアイ』。

 割と困らされる事の多い、いつものデミウルゴスの深読みであったが、今回は普段にも増して、何を考えたのかまったく想像すらつかなかった。

 

 

 

 顔を引きつらせるベルの頭に、アインズからの〈伝言(メッセージ)〉が届く。

 

《ベルさん、ヘルプ! デミウルゴスが何を考えているのか全く分かりません》

《俺だって分かりませんよ》

《でも、どうにかしないと拙いでしょ。何とかなりませんか?》

《ええー……仕方ないなぁ》

 

 ベルは内心で嘆息すると、パッとアインズの方へと顔を向けた。

 

「え? どういうことなんですか、アインズさん? これにも深遠な目的があったという事なんですか?」

 

 やや、棒読み気味の言葉に、アインズはことさら大きく反応してみせた。

 

「おお、もちろんだとも。……ふむ、そうだな。では、デミウルゴスよ。ベルさんの後学の為だ。お前が察したところをベルさんに語ってあげなさい」

「はい、アインズ様!」

 

 デミウルゴスは実に嬉しそうに返事をし、頭をあげると、事の真の目的までいまだ到達していない様子のベルに対して、穏やかな口調で説明した。

 

「いいですか、ベル様。我らは新たに国を手に入れたのです。スタッファンという小悪党を頂点に据えて、我らの存在を極力隠したまま、この国を影から操り、支配する。そして、ゆくゆくは一国とは言わずにあまねく世界の全てを我らが手中に! さて、その計画を進めるうえで我らには圧倒的に足りないものがございます。それはなんだかお分かりですか?」

「ええっと、支配するための人員?」

「その通り、さすがはベル様! 我らは戦力として最強。現在までのところ入手した、この世界の強者の情報を勘案した際、正面切って戦えばたとえどんな相手だろうと打ち倒せるでしょう。しかしながら、敵を倒すことと地域を占領、支配することは全く異なります。敵を倒すだけなら、ただの一度、戦力を出せば事足りますが、継続的に占領するには多くの人員、それもその地に留まり続ける存在が必要になります。ここまではよろしいですね?」

 

 こっくりと頷く。

 

「そして、そういった人員を増やすのに、最も適しているのはアインズ様の、もしくは他の者達による〈アンデッド作成〉です。これならば、ナザリックに忠誠を誓った、裏切ることない兵員を生み出すことが出来ます。ですが、それは一体一体作成せねばならず、また素体となる死体まで必要となってしまいます。アンデッドたちだけですべてをこなそうとするのはあまりに非効率的と言わざるを得ません」

 

 一旦、言葉を切り、指をピンと上に立てる。

 

「そこで、注目すべきは人間たちです。何せ彼らは数が多い。それに同種である人間たちの方が、相手の気持ちや考えも把握しやすく、アンデッドなどを用いるより相手方に忌避感も生まれますまい。人間の相手は同じ人間にさせるのが一番です。しかしながら――」

 

 デミウルゴスは実に嘆かわしいとばかりにかぶりを振る。

 

「しかしながら、人間は実に愚かにして近視眼的であるという性質を持っております。すでにナザリックに捕らえたこの世界の人間たちで実験してみましたが、あの者達はなんらかの形でもナザリックに貢献する、ナザリックの為になるという事こそが、その身に与えられた至上の栄誉である事すら理解できない様子。また肉体的に見ても、あまりにも弱く、すぐに死んでしまうため、彼らに何かさせるなどという事は困難といえるでしょう」

 

 そこでデミウルゴスは、わさわさと固まっている恐怖公の眷属たちの方へと手を振るった。

 

「そこで、この訓練です。彼ら、恐怖公の眷属たちは他の(しもべ)たちとも比べて、忠誠心こそ劣りはしませんが、その肉体能力はあまりにもひ弱。そんな彼らをもってチームワークを磨き、肉体を鍛錬する方法を確立できれば、その結果は、人間たちにもフィードバックできるでしょう。すなわち、彼らが今、行っているスポーツは、我々の世界征服計画の一端を担う重要な研究なのです!」

 

 

 若干、自慢げに語るデミウルゴス。

 対してアインズはかすれそうになる声を必死で抑え、言葉を紡いだ。

 

「さ、さすがだ、デミウルゴス……。よ……よくぞ、読みきった……」

「お褒めに与り、恐悦至極にございます」

 

 主からかけられた称賛の言葉に、彼は深く頭を下げる。

 

「へえ、そんな深い考えがあったんですね。さすが、アインズさん!」

 

 ベルは握りこぶしを顎に当て、いかにもあざといといえるような仕草で、アインズを褒め称えた。

 もちろん、それがわざとだという事が気がついているアインズは、口の中でうめき声をあげた。

 

 

「ま、まあ、そういう訳だ。今後の統治、占領計画を進めるための一環としてチームでのスポーツをやらせてみようと思ったのだ。それで、野球が良いのではないかという結論になり、それをやってみようとしたのだが、あいにく私もベルさんも人間のやるスポーツなど詳しくなくてな。それで、ちと、困っていたところなのだ。デミウルゴスよ。お前は『野球』とはどのようなスポーツなのか知っているか?」

 

 

 その問いに、彼は主の期待に答えられないふがいなさにその心を(さいな)まれつつ、首を横に振った。

 

「申し訳ありません。私も人間たちのスポーツである『野球』などというものに関しましては、知識がございません」

 

 声に悲痛なものが混じっている事に気がついたアインズは、慌てて彼に語りかけた。

 

「落ち着け。お前は今でも十二分に役に立っているとも」

 

 その言葉に、悪魔は感極まったようにその身を震わせた。

 

「おお、なんともったいないお言葉! そのお言葉だけで、このデミウルゴス、全ての難苦が報われる思いでございます!」

「う、うむ。そういう訳だ。だから、『野球』を知らなくとも気に病むことは無いぞ」

「ははっ! ありがとうございます。……しかし、畏れながら、アインズ様」

「なんだ?」

「はい。その『野球』とやらですが……」

 

 デミウルゴスは続けた。

 

「たしか、以前、アウラとマーレがその『野球』という言葉を口にしていた記憶がございます」

「アウラとマーレが?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はい、アインズ様。『野球』なら知っております」

 

 アインズの前ではっきりと答えるアウラ。

 マーレもまた、その姉の言葉に頷く。

 

 

 あの後、アウラとマーレが呼び出された。

 そうしてすったもんだがあり、彼女らは『野球』のルールを知っているという事が判明した。

 

 ちなみにそのすったもんだとは、第6階層の円形闘技場(コロッセウム)に呼び出された2人であったが、そこにいたアインズの後ろに固まる恐怖公の眷属の群れ――いつの間にやら数百体は集まっていた――を目にしたアウラが、天まで届くかという悲鳴を上げた。

 その声に主の危機かと思った第6階層中の魔獣たちが集まってきたものだから、それはもう大騒ぎとなった。

 円形闘技場(コロッセウム)内は、もはや何が何だかわからないイモ洗い状態になり、収拾までにそれなりの時間を要したのだ。

 

 

 そうして集まった魔獣たちをすべて持ち場に戻し――恐怖公の眷属たちにも帰ってもらい――、ようやっと落ち着いて話を聞くことができたところだ。

 

「以前、ぶくぶく茶釜様が『野球』について語られていたことがありましたので、だいたいルールは存じております」

「おお、そうか。それは良かった。では、早速だが、『野球』というものがどういうものなのか教えてくれないか?」

 

 アインズからかけられた言葉。

 およそこの世に知らぬものなどないであろう全知にして全能たるアインズに対して、自分たちがものを教えるという事に、こそばゆいものを感じつつも誇らしげな笑みを浮かべる双子たち。

 そんな彼らに対して、ベルは手にしていたボールとバットを差し出した。

 

「はい、これ」

「え?」

 

 それを前に彼女らはきょとんとした表情を浮かべる。

 

「ええと、そういうのは使いませんけど……」

 

 おずおずと言うマーレ。

 しかし、それを聞いたアインズとベルの心には、クエスチョンマークが並んだ。

 

「ボールもバットも使わない?」

「はい。不要です」

 

 きっぱりと言い切るアウラに戸惑いつつも、とりあえずどうするのか、ちょっとやらしてみる事にする。

 

 そうしたところ、アウラとマーレは少しの距離をおいて、向き合ったかと思うと、「やーぁきゅーうーぅ、すーぅるならー」と、不思議なテンポで歌いながら、その身を踊るようにくねらせる。

 

 それを見ていたアインズとベルは思った。

 

 

 ――うん。これ絶対、本当の野球じゃない。

 

 

 

 そうして眺めているうちに、「よよいのよい」という掛け声と共に、彼女らは手を前に出した。

 アウラが手のひらを広げており、マーレは白い手袋に包まれた手をぎゅっと握っている。

 

「あー、負けちゃったぁ」

 

 嘆くマーレを横目に、アウラはアインズとベルの方を振り向いた。

 

「こうして最後のじゃんけんで負けた方が、服を一枚脱ぐんです」

 

 

 ――脱衣かよ。

 

 

 やっぱり、これは野球じゃないだろうと確信する2人の前で、マーレは自分のひらひらとするミニスカートの中に手を入れると――一気にパンツをずり下げた。

 

 

「ちょ、ちょっと、マーレ! なにやってんねや!?」

 

 思わず、エセ関西弁で叫ぶベル。

 それに対して、片方ずつ足をあげ、足首に引っ掛かっていたパンツを引き抜いたマーレは言った。

 

「ええっと、その、こういう勝負の時は普通上着から脱ぐものだけど、あえていきなりパンツを脱ぐことで相手を動揺させることが出来るからそうすべきだって、ぶくぶく茶釜様がおっしゃられていました」

「「茶釜さーん!!」」

 

 突然轟いた2人の叫びに、アウラとマーレだけではなく、一人残っていたデミウルゴスもまた驚きの様子を見せた。

 

 

「アインズ様。それにベル様も。今、ぶくぶく茶釜様のお名前を叫ばれていたのは……」

「な、何でもない。久しぶりに茶釜さんの名前を聞いたからだ。気にするな」

 

 気にするなと言われても気になるのだが、至高なる御方であるアインズが気にするなと言ったのだから気にしてはいけないのが(しもべ)としてあるべき態度であり、彼らは気にはなっていても気にしない(てい)をとることに努めた。

 

 

 

 結局のところ、野球をするという当初からの目的は振出しに戻ってしまった。

 ため息をつくアインズ。

 そこへ、後ろから声をかけられた。

 

 

「アインズ様」

 

 その声に振り向くと、そこには見慣れたボールガウンを身に纏った少女吸血鬼(ヴァンパイア)

 

「シャルティアか」

「はい。シャルティア、御身の前に」

 

 喧嘩仲間の登場に顔を歪めるアウラの事はとりあえず放っておき、転移で現れた彼女へと向き直る。

 

「どうした?」

「はい。王国国内への捕らえていた野良アンデッドの転送、本日の分が終了いたしました」

「おっと、もうそんな時間だったか」

 

 アインズは腕に巻いたバンドに目をやり、時間を確かめた。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国において、新政権の統治を容易にするため、そして冒険者モモンの名声を高めるために、定期的にアンデッドを領内に送り込み、それをモモン率いる新政権側の戦力が倒すという事を行っていた。

 

 本来ならば、ナザリック――アインズによって作られたアンデッドを暴れさせ、それを倒すという手順ならば、民衆への被害の度合いなども調節しやすいのであるが、アインズとしては貴重なナザリックの戦力たちを自分で潰してしまうのは気が引けた。

 〈アンデッド作成〉の特殊技術(スキル)は一日に使える回数に限りがあるし、時間で消えないアンデッドには触媒となる死体が必要となる。また、その死体の種類によって作れるアンデッドのレベルに上限があり、たくさん手に入る人間等の死体で作れるのは、デスナイト程度が関の山だった。幸い、この地の者たちは大した強さはないため、それでも十分な戦力となるのだが。

 とは言え、貧乏性のアインズとしては、いざというときに使う機会もあるのではないかという心配がついて回り、無駄遣いは極力したくなかった。

 

 

 そこで、注目したのが野良アンデッドである。

 その辺を適当にうろついているアンデッドを捕まえ、適当な場所に閉じ込めておき、必要になったら転移の魔法などで目的の場所に放りだすのである。後は勝手に、近くの村や町へ歩いて行き、そこで暴れだすので、それを退治すればいい。

 その野良アンデッドを使えば、通常のナザリックのアンデッドとは異なり、NPCたちでも仲間意識を感じることなく、倒すことができるという利点があった。それにアインズにしても、もともとナザリックとは無関係の存在だから、倒したとしても罪悪感を感じることもない。

 

 欠点はもちろん誰の指示もないアンデッドを野放しにするため、上手くその行動を程よいところで制御するのが難しいことである。

 

 そのため、野良アンデッドを放したら、後は早めにモモンとしての行動を開始する必要がある。

 

 

「では準備するか。ルプスレギナはどこにいる?」

「ルプスレギナでしたら、たしか第5階層にいるはずでありんす」

「第5階層に?」

 

 疑問の言葉を口にするアインズ。

 ルプスレギナの性格からして、そんな寒いところにわざわざ出かけていくとは思えない。

 そんな彼に対して、横から口を挟んだのはベルであった。

 

「ええっと、たしか今日はプレアデス全員集まって、コキュートスの所でトレーニングをすると言ってましたね」

「トレーニング?」

 

 そう言えば、今日は普段ベルのお付きをしているソリュシャンの姿が見えない。彼女もそちらに行っているという事なのだろうか。

 

「まあ、とりあえず、あいつにもルプーとなる準備をするよう伝えるか」

 

 そう言って〈伝言(メッセージ)〉を使おうとする、アインズ。

 それに対し、シャルティアが声をかけた。

 

「畏れながら、アインズ様。よろしければ、わたしが伝えに行きんしょうか?」

「む? よいのか?」

「はい。アインズ様の為ならば、お安い御用でありんす。わたしならば〈転移門(ゲート)〉ですぐですし、アインズ様もモモンに扮するための準備もござりんしょう」

 

 ナザリックの者にとって、アインズの役に立てる、アインズのために働けるというのはこの上ない名誉である。そもそも、シャルティアがわざわざここへ来たのも、デミウルゴスと同様、アインズから直接お褒めの言葉が欲しかったからであった。

 

「ふむ。では、その言葉に甘えさせてもらうとするか。では、ベルさん。今日の所はこれまでで」

「ええ、そうですね。では、とりあえず、今日は解散しましょうか。皆、お疲れ様」

「ああ、では解散とする」

 

 そう宣言し、アインズは転移していった。

 「それではわたしもこれで」と言い残し、シャルティアもまた〈転移門(ゲート)〉で転移し、残されたベルとデミウルゴス、そしてアウラとマーレの4人もまた解散と相成った。

 

 

 結局、野球をすることは叶わぬままであった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 揺らめく漆黒の〈転移門(ゲート)〉を潜り抜けたシャルティアは、氷の上に降り立つ。

 そこは磨き抜かれたような輝く氷で覆われた、だだっ広い平地。

 今は吹雪も荒れ狂うことなく、ただ凍てつく空気に覆われていた。

 

 そんな場所にある二桁程度の人影。

 彼らは各自声をあげながら、盛んに体を動かしていた。

 

 シャルティアはそこに立ち、他の者達の動きを見ていた一際大きな人影、コキュートスの許へと歩み寄った。

 

「コキュートス」

「シャルティアカ? ドウシタ?」

 

 そして彼女はコキュートスと二言三言話すと、コキュートスは大きな声を出し、彼の前で繰り広げられていた試合を止めた。

 どうしたのだろうと、皆が集まってくる。

 そこにはプレアデスの面々が顔をそろえており、その中には当然、ルプスレギナの姿もあった。

 

「どうしたんすか?」

 

 尋ねる彼女。

 一滴の汗が額から伝わり、その豊満な胸元へと流れ落ちる。

 

 その様子に目がくぎ付けになりながらも、シャルティアは主であるアインズが冒険者モモンとして出立の準備をしている事を告げる。

 

 それを聞き、さすがのルプスレギナも焦った。

 ふざけた態度をする彼女であるが、アインズに対する忠誠心は他の者に決して劣らない。時間を忘れていた事に対するユリのお叱りの言葉を聞き流しつつ、彼女は慌てて走っていった。

 

 メンバーが抜けた事で、今日の試合はこれまでにするとコキュートスが宣言する。

 

 

「ところで、コキュートス。ちょっと聞きたいんだけど」

「ナンダ?」

 

 皆、三々五々に散らばっていくのを見送りつつ、シャルティアはコキュートスに尋ねた。

 

「さっき、やっていたあの試合。トレーニングらしいけど、あれは一体なんでありんすの?」

「フム、アレカ。アレハ――」

 

 コキュートスは言った。

 

「アレハ『三角ベース』ダ」

「『三角ベース』?」

「アア。本来、チャントシタ人数ガ集マラナイ時ニヤル変則的ノスポーツナノダガナ。本来ノモノハ、カツテ武人建御雷様ガオ好キダッタスポーツデ、ヨク二式炎雷様ト熱心ニ語ラレテイタモノダ」

「至高の御方が好まれていたスポーツ……!」

「ウム。コレハ武人建御雷様ノ受ケ売リナノダガ、戦略的ナ思考ヤ読ミ合イ、一瞬ノ駆ケ引キ、ソシテナニヨリ、チームワークガ必要トナル最高ノスポーツナノダソウナ」

「そうなんでありんすか……」

 

 シャルティアは使用していた用具を片づける、コキュートス配下の蟲人たちを何とはなしに眺める。

 

「そう言えば……先ほど第六階層にいらっしゃったアインズ様とベル様は、その道具と似たようなものを持っていんした」

「ナニ?」

 

 驚いて聞き返すコキュートス。

 

「ソウナノカ?」

「ええ、あの細長いこん棒とかはそっくりでありんす。でも……」

「デモ?」

「でも、ボールが違いんすね。たしか、ベル様が持ってらしたのは、もっと大きな、人の頭くらいはあるボールだったでありんす」

「フム、ソウカ」

 

 それを聞いて、コキュートスは少しがっかりした。

 そんな大きなボールを使うという事は、それは『野球』ではあるまい。別のスポーツだろう。あるいはかつて武人建御雷と二式炎雷の会話の中にあった『ピッチャバッタン』とかいうものかもしれない。

 

 

(モシ、至高ノ御方ヲ含メタ、ナザリックノ者達デ『野球』ガ出来タラ……)

 

 彼は遠い目で、その光景を夢想した。

 太陽の光あふれるマウンド上で、ナザリックの皆が白球を追いかけ、心地よい汗を流す姿。

 今度、提案してみようかとも思う。

 

 しかし、彼は首を振って、その考えを振り払った。

 

(イヤ、ソレハ止メタ方ガイイカ……)

 

 たしか、野球の話をしていた時の御二方も、無理にやらせられたら、どんなものでも嫌になるとおっしゃられていた。

 とくに野球は、それを嫌う者も多くいるのだとか。

 実際、今、自分の傍らに立つシャルティアの創造主であるペロロンチーノ様は、かつて『野球が放送されるとアニメが潰れるから嫌いだ!』と叫んでいたのを憶えている。『アニメ』というものが何なのかは、コキュートスには分からなかったが。

 

 その為、コキュートスはこれまで『野球』という言葉はほとんど口にしてはこなかった。せいぜい恐怖公らと語らうときに、少し話したくらいだ。

 

 今回のプレアデスらに関しては、彼女たちから全員のチームワークを高めるトレーニングとして、何が適しているかと相談を持ち掛けられたから、『野球』そのものではなく、それに類似した『三角ベース』を薦めたまで。

 

 これまでアインズやベルの口から『野球』という言葉が口に出る事はなかった。

 自分が進言することで、彼の創造主である武人建御雷が好きであった『野球』を嫌いになる者を増やしてはならない。

 

 

 

 コキュートスは野球を広めたいという内心の葛藤を抑え込み、アインズ並びにベルの口から先に野球という言葉が出ない限りは、自分から口にしないようにしようと心に誓った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 円形闘技場(コロッセウム)でアインズが解散を宣言した後、各々(きびす)を返し、それぞれの仕事へ戻っていったのであるが、そんな中、ベルはというと独り第6階層の森の中を歩きながら、考え事をしていた。

 

 真面目な顔で頭を悩ませる、その心のうちはというと――。

 

 

 ――さっき、アウラとマーレがやっていたヤツ……。

 アレ、うまく広めたら、ナザリックの女性陣の裸を見れるのでは?

 

 

 案の定、ろくでもないことであった。

 

 

 もちろんベルの立場からすれば、脱げと命令すれば裸は見れる。それにそもそも、今の身体ならば同性であるから、大浴場で共に入るなどという事すらもやろうと思えばできる。

 しかし、そういったものと、恥じらいを持って脱いでいくものとはまったく異なる。

 ナザリックの一般メイドたちが、きゃいきゃい言いながら一枚ずつ脱いでいくというシチュエーション。

 ……いいかもしれない。

 

 

 そんな(よこしま)なことを考え、にやついていたベルだが、不意にその顔をひきつらせた。

 

 

 ――やっぱりやめておこう。

 オチがコキュートスか恐怖公なのは目に見えてる。

 それに、元から裸なのはまあいいとしても、最悪としてはニューロニストまでが参加してきたら……。

 

 その様を想像し、ベルは思わず身震いした。

 

 ――危険だ。

 今後、『野球』という言葉は封印しよう。後でアインズさんにも伝えておこう。

 

 

 ベルはそう固く心に決めた。

 

 そんなことを考えつつ、耳に響いた物音にふと上を見上げたベル。

 

 

 彼女の頭上、枝から枝へと飛ぶように駆けていくアウラの姿があった。おそらく、自分の担当である第6階層各地の見回りだろう。

 そんな彼女の後ろに続くのは、その体からすると大ぶりの魔法の杖を胸元に抱え、「待ってよ、お姉ちゃーん」と追いかけていくマーレの姿。

 木から木へと飛び移る度に、そのプリーツ入りのミニスカートがひらひらと揺れる。

 

 

 

「……って! ちょっと、マーレ! とにかく、先ず、パンツを履きなさい!!」

 

 

 

 




「そう言えば、ベルさん」
「なんですか、アインズさん?」
「最初にベルさんが持ってきた、あのボールって何だったんですか? ベルさんにダメージ通ってましたけど」
「ああ、あれは宝物庫に転がっていた、ユリのスペアの頭を白い布で包んだものです」
「スペアの頭!?」
「はい。やまいこさんや茶釜さんが話してましたけど、なんでも、ユリがピンチになった時に『代わりの頭だ!』とやる予定だったそうです。ちなみに取り換えると、一時的に強くなるんだそうですよ。課金アイテムが埋め込まれているんで、発動するとごく短時間ですがレベル70くらいまでパワーアップして、髪が金色になって、スーパーユリになるんだとか」
「ベルさんにダメージが通ったのはそのせいですか。それにしても、そんなネタに課金アイテムまで使って……」
「まあでも、ユリが戦闘することなんてなかったんで、そのまま、宝物庫の片隅に山と積まれたままたったんですがね」
「……ユリの頭が山と積まれていたんですか……」
「はい。まるで目競(めくらべ)のようでした」



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第82話 おまけ 悪徳の栄え

【閲覧注意】
 今回の話は、延々とラキュースがいたぶられる胸糞展開が続きます。
 そういった話がお好みではない人は、今回の話を飛ばして読んでも、今後のストーリーに問題ありません。








 それでは、そういった内容でも平気だという方のみ、このままお読みください。

 今回、一話で2万7千字オーバーと、めっちゃ長いです


2017/3/30 「2重」→「二重」、「生暖かくなった」→「生温かくなった」、「くり抜かれおり」→「くり抜かれており」、「済まされたのだが、」→「済まされた。しかし、」、「見せつけれられた」→「見せつけられた」、「清らかな清流」→「清らかな水」、「もの」→「者」、「下さり」→「くださり」、「見せた」→「みせた」、「いってたのに」→「言ってたのに」、「熱さ」→「暑さや」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


「ぐっ! がああぁぁっ!」

 

 殺しきれぬ悲鳴が響く。 

 

 激痛が収まり、ラキュースはがくんとその身を腰かける椅子に落とした。

 絹のような滑らかにして透き通るほど白い肌。そこに止めどなく脂汗が湧き、滴り落ちる。

 

 彼女は身に纏うもの一つない裸身のまま、その形のいい胸を大きく上下させ、荒い息を吐いた。

 

 

 今、ラキュースがいるのは何処(どこ)かにある拷問室である。

 『何処か』という曖昧な言い方をしているのは、ここがいったい何処なのか、ラキュースには皆目見当もつかないからだ。積み上げられた石壁、その作りがしっかりしたものである事から、おそらく何処かのちゃんとした城などではないかとは推測していたが。

 

 

「じゃあ、次の人。がんばってねえん」

 

 そう言うと拷問官ニューロニスト・ペインキルは、全身をくまなく覆う裂傷による苦痛に荒い息を吐いている少年から木槌を取り上げると、その傍らにいた少女――こちらも全身に鞭で打ちすえられた傷の痕がいまだ生々しく残っている――の手に木槌を乗せた。

 そして恐怖と怯えの視線を向けている彼女に顔を近づける。

 

「早くやった方がいいのねん。これでアレを叩いてねん」

 

 そう言って、ニューロニストがぶよぶよとした肉体に似合わぬほっそりとした指で差し示すその先には、ラキュースの身体が固定された椅子がある。

 どうやって固定されているかと言うと、その白い腕の両側には固い金属の板があてがわれており、それらが互いに外れぬようボルトを渡してある。そして片側の金属板は二重になっており、その内側と外側の板の間には尖った三角形の楔が挟みこまれていた。

 

「ほぉら、アレを叩くのよん」

 

 ニューロニストがその楔を、手にした木槌で叩くように少女に言う。

 しかし、まだ若いながらも、引き締まった身体を過酷な拷問の傷痕で埋めた冒険者の少女は、彼女にとって憧れの的であった、アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースに対し、そのような事をするのには戸惑いがあった。

 赤褐色のシミがついた木槌をその薄い胸に抱え、がたがたと震え、足をわななかせる。

 そんな彼女に、ニューロニストはその死体のような色合いの、不気味としか言いようのない顔を近づけ、優しく言った。

 

「あらぁ? もしかして、嫌なのかしら? なら、あなたもあっち側に行っちゃう?」

 

 その言葉に、少女はビクンと背を跳ねさせた。

 涙に滲む瞳を脇へ向ける。

 そこでは見ただけで悪夢にうなされるような光景が繰り広げられていた。

 

 

 

「がぎゃあああぁぁぁっ!!」

 

 およそ人間とは思えない悲鳴が少女の耳朶を打つ。

 

 かつてオリハルコン級冒険者として尊敬を集めていた男。

 今、彼は固い木製の台の上に寝かされていた。全身は身動きできぬよう、固く縛り付けられている。ちょうど首元の部分には垂直の板があるため、無理な姿勢で首を起こし、自分がどんな責め苦を受けているか、半強制的に目にしなければならないような姿勢を取らされている。

 その瞳はまん丸に、これ以上ないという程大きく見開かれ、その口元は一見笑っているかの如く凄まじい形相に吊り上げられている。

 

 血や脳漿など、およそ人間から垂れ流されるのありとあらゆるもので薄汚れたエプロンを身につけた怪物(モンスター)拷問の悪魔(トーチャー)が、その手のハンマーを高く掲げると、それを振り下ろした。

 

 再び悲鳴が走った。

 

 拷問の悪魔(トーチャー)の振り下ろした金づちが、男の足に突き立っている木製の杭の背に叩きつけられる。

 鉄釘と違い、大した鋭さもないただの白木。それもわざわざ先を丸めた杭が肉の奥底まで食い込み、そこからとめどなく流れるどす黒い血が突き刺さった杭を染め、足元に滴り落ちる。

 

 

 

 その様を目の当たりにした少女は、がたがたと(おこり)のように身を震わせる。

 

「どうしたのん? あなたもあっちに行きたいのよね? その手の木槌を振り下ろせないんなら、あっちのグループに行っちゃうけどん」

 

 その言葉に、一際(ひときわ)大きく身震いすると、少女は恐怖に顔を歪ませつつ、震える手で握った木槌を頭の上へ振りかぶり、目をつむって一息に振り下ろした。

 

 

「ぐはあっ……!」

 

 そのハンマーに叩かれ、二つの板の間に差し込まれた楔がさらに奥へと潜り、両者の間が広がる。そして、それによってラキュースの腕を両側から挟む金属板の隙間が狭まり、彼女の骨が軋みをあげた。

 ラキュースの肌から熱を奪い生温かくなった金属と彼女自身の骨の間に挟まれた肉が押しつぶされ、瞬間の激痛が治まった後も、心臓が脈打つたびに疼痛のような熱を感じさせる。

 

 

 だが――確かに痛むが、それはまだ我慢できぬほどの痛みではない。

 ラキュースとて、伊達にアダマンタイト級冒険者なのではない。この程度の苦痛は幾度も経験したことがある。このまま続けていけば、いずれ骨が砕けるかもしれないが、まだそこまではいっていない。

 そんな我慢できる程度の痛みに今、彼女が額に脂汗を浮かべ、苦悶しているのは、もう一つの理由による。

 

 

 その時、彼女の下腹が音を立てた。

 何かが腹の奥底で渦巻き、蠢いているような、そんな音。

 

 自らが立てたその音に、ラキュースは歯を食いしばる。

 

「あらぁん。駄目よ、我慢しなくちゃ。もう、お漏らししちゃう子供じゃないんだからね。まあ、あなたがいい年して漏らしちゃうようなシモが緩い人間だとしても、漏らしてもいいようにちゃんと準備もしてあるけどねん」

 

 ニューロニストの言葉通り、今、ラキュースが縛り付けられている奇怪な形状の椅子、その腰かける部分は外側のみを残して大きくくり抜かれており、下から見れば彼女の丸みを帯びた尻がそのまま晒されるようになっている。言うなれば、洋式の便器に腰かけているようなものであり、さらにその下にはちゃんとタライが置かれている。衣服を身につけず裸で腰かける彼女がそのまま漏らしたとしても、汚物によってその身が汚れぬように配慮されていた。

 だが、ラキュースはそうはしまいと、額に脂汗をかきながら、事前に飲まされていた下剤の効果に必死に抗っていた。

 

 

 彼女がそこまで耐える理由。

 傍には他の冒険者仲間たちもおり、彼らの前で無様な姿をさらすことは出来ないし、また貴族として排泄の姿を見られたくないという羞恥心もある。

 

 

 しかし、最大の理由は、椅子の下に設置されたタライ、その中にある物の存在。

 

 ガガーラン、イビルアイ、そしてティアとティナ。

 彼女が長年、艱難辛苦(かんなんしんく)をともにしてきた、大切にしてかけがえのない仲間たち。

 そんな彼女たちの、生命の痕跡を失い、痛ましい表情を浮かべている4つの生首。

 それが、ラキュースの尻の下に据えられたタライの中に転がされていた。

 

 ここで彼女が耐えきれずに漏らすことは、死したとはいえ、大切な仲間である彼女たちの顔を汚物で汚すという事になる。

 そのため、ラキュースは必死で拷問の苦痛、そしてその腹の中で蠢くものに耐え続けていた。

 

 

 だが、そこで彼女の菊座に刺すような感覚が走った。

 ニューロニストが、先ほどラキュースの腕を締め付ける拷問具の楔を打つように命じていた少年に、手にした蝋燭で彼女の尻を炙るよう命じたのだ。

 

 

 ちろちろと揺らめく赤い炎の舌が彼女の急所を舐めるように炙る。

 不意に走ったその激痛に、ついに彼女の我慢も決壊した。

 

 下品な破裂音と共に、彼女の体内から汚物が吐き出される。

 それは蝋燭を手にしていた少年のみならず、タライの中に転がされた、苦悶の表情のままに息絶えていた彼女の仲間たちの顔面へと降り注いだ。

 

 

 鼻をつく悪臭がその場に広がる中、ラキュースはただ泣きじゃくるより他になかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 肌に触れる、やすり(・・・)のような触感の床に壁。

 そんな石壁に、ラキュースは力なく寄りかかり、座っていた。

 

 同室をあてがわれた少女が、湿り気を帯びた布きれを手に、ラキュースの身体をぬぐう。

 

 

 彼女は、先ほどの拷問の後、八本指の男たちの相手をさせられた。

 そして、それが終わったと思ったら、身体を休める間もなく、この牢獄へと移されたのだ。

  

 先ほど木槌で叩く役をさせられたまだ年若い少女――おそらくせいぜい銅か鉄級の冒険者だろう――はその顔に悲痛なものを浮かべながら、彼女からすれば雲の上の存在であるアダマンタイト級冒険者であるラキュースの身体を清めていた。

 

 本来ならば、汚されつくした身体をぬぐうには申し訳程度に水を含ませたものではなく、もっと水気を含んだ布で拭いた方がいい。

 いや、そもそも水浴びなどして全身を清めるべきだ。

 だが、それをするわけにもいかない。

 

 

 部屋の片隅に置かれた小さなタライ。

 その内側、縁から半ばほどの高さで水面が揺らめいている。

 

 彼女らに与えられた水はそれがすべてであった。

 そこに湛えられた水のみで、明日まで耐え凌がなければならないのだ。

 

 

 彼女らが今、閉じ込められている牢獄。

 ここが一体どこかは分からない。

 彼女たちはここで夜を明かし、そして責め苦が行われる拷問部屋などへは通路の先にある一室、そこに据えられた全身を映せるほどに巨大な鏡――転移のマジックアイテムで移動する。

 

 とにかく、正確な位置は不明なのであるが、ここで彼女たちを苦しませているもの。

 

 

 それは暑さである。

 

 

 この牢獄は常時、かなりの高温に包まれている。

 周囲の石壁は熱を持ち、鉄格子は長時間触っていれば火傷がしそうなほど。じっとしているだけでも、その身に汗の球が浮かんでくる。

 

 そんな環境で、タライ半分だけの水はまさに命綱。

 本来であれば、ぬるい水であろうとも、湧き上がる欲望のままにがぶ飲みしたいところではあるが、そんな事をしたら、次にいつ来るか分からない配給を待ちながら、際限ない渇きに耐え続けなければならない。

 

 実際、一度、食事として塩辛い干物を出された(のち)、翌日になっても牢獄から連れ出されず、水の配給もなしで放っておかれたことがあった。

 その時は喉の渇きに悶え苦しみ、文字通り床をのたうち回って、声も枯れんばかりに水を求めて叫び、そしてただひたすら耐え続けるしかなかった。

 

 彼女らはこのわずかな水を一滴たりとも無駄には出来ない。ほんの少しずつ口にして、可能な限りもたせなくてはならないのだ。

 

 

「こんな……酷い……」

 

 そのターコイズブルーの瞳に涙を浮かべながら呟く彼女に、ラキュースは力なく座り込んだまま言った。

 

「……大丈夫。これくらいワケないわ」

「ですが、こんな事、酷すぎます。たとえ憎むべき敵だとしても、人としての誇りも尊厳も奪うようなこんなやり方……」

 

 ラキュースは歯を噛みしめる。

 

 彼女たちが閉じ込められている房の外。

 鉄格子の向こうの通路には、粗末な木の台が置かれている。

 そして、その上には彼女の仲間たち、『蒼の薔薇』の面々の首がゴロゴロと転がされていた。先ほど、彼女が腹からひりだした汚穢(おわい)に汚れたままに。

 その異臭は今も通路越しに漂ってくる。牢内のうだるような熱気によって蒸され、更に耐えがたいものとなって、彼女たちを苦しめていた。そんな状況下におく事により、ラキュースにさらなる恥辱と屈辱を与えるつもりなのだろう。

 

「今はまだ……耐えなければいけない」

 

 ラキュースはそう口にした。

 同房の少女だけではなく、自分に対して言いきかせるように。

 

「何とかして、隙を(うかが)いましょう。そして、全員で脱出するのよ」

 

 

 

 ここに閉じ込められた時、彼女たちの前に現れたデミウルゴスと名乗る悪魔は言った。

 『もし皆さんが逃走を画策する、もしくは自殺した場合、連帯責任として他の者も罰します』、と。

 

 実際、地獄もかくやという責め苦に耐えきれず、あの手この手で逃げ出そうとした冒険者がいた。

 しかし、その企ては全て失敗に終わった。

 そして、その悪魔の宣言通り、逃走に失敗した本人のみならず、ともに捕らえられていた冒険者たち、特にその者と同室だった者には過酷としか言いようのないほどの拷問が課せられたのだ。

 逃げ出そうとした本人はやっとこ(・・・・)で両(まぶた)を引きちぎられた。瞬きができずに目の渇きにずっと耐え続けなければならなかったが、彼はその程度で済まされた。しかし、同房の者はその体を刃物で縦に切り裂かれ、その傷跡に煮えたぎる硫黄をかけられ、はげしい苦痛の中、肉も骨も解け落ち命を落とす結果となった。その後、その男は怒りに燃えた他の冒険者たちの手により、リンチにあって殺されてしまった。

 

 

 その文字通り、悪魔の所業ともいえる責め苦を眼前で見せつけられた少女は、すっかり心も折れ、逃げ出そうともせず、ただ自分に災難が降りかからぬよう身を小さくしているよりほかになかった。

 

 そんな少女を励ますように、ラキュースは言う。

 

「きっと、チャンスはある……。生きている限り、最後まで希望を捨てちゃだめよ」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ほら、さっさと歩け!」

 

 ぐいと、馬に乗る兵士が手にしたロープを引っ張る。

 そのロープの先が結わえられたラキュースはくぐもった呻きをあげた。

 

 

 ここは王都リ・エスティーゼの街路。

 燦燦(さんさん)と太陽の照る中、沿道には民衆たちが強制的に集められ、そんな中を新政権に逆らった冒険者、その首班であるラキュースは一糸まとわぬ裸身のまま、曳きまわされていた。

 

 

 (うなじ)が痛くなるほどに、ロープでつながれた首輪を引かれ、彼女は必死で前を行く騎馬に追いつこうとする。

 しかし、今の彼女は首にはめられた頑丈な木製の首枷、その左右に空いた穴に両手を通して固定され、しかも足にまで同様に木製の枷をつけられている状態である。

 膝の位置につけられたその足枷は、脚を通すための穴がかなり幅を開けて作られていた。そのため、彼女はその股を大きく開いた状態にされており、そのひそやかな恥毛すら隠すことは出来ぬまま、広く衆目に晒すことになっていた。

 当然ながら、そんな状態ではまともに歩くことなど出来ず、滑稽な姿勢で足を動かすその歩みは遅々として進まない。

 

 

 そんな彼女の背に、後ろにいた兵士が鞭を振るう。

 激痛に背をそらせ、足を止めるラキュース。

 そんな彼女の首輪を再び強く引く馬上の兵士。

 

 ラキュースは彼らの事を睨みつける。だが、その視線を向けられた兵士たちはにやにやと、自分が上位であるという優越感に笑うばかり。

 彼らの顔には火傷の痕が残っている。おそらく、かつて『蒼の薔薇』がライラの粉末を生産していた村を襲い、畑を焼き払った際、そこにいた八本指の男たちなのであろう。

 彼らは偶然にも自分のもとに巡ってきた報復の機会に、舌なめずりせんばかりであった。

 

 

 そうして、二度三度と鞭が振るわれる。

 屈辱に耐え、うつむいて歩くラキュース。

 

 不意にその顔に石が投げつけられた。

 顔をあげるラキュースの目に飛び込んできたのは、沿道に立つ1人の男。

 ややガラの悪そうな顔つきの男は拳を振り上げ叫んだ。

 

「このくそ女! お前がおかしな計画を立てたせいで、俺たちは酷い目にあったんだぞ!」

「ああ、そうだ!」

 

 その声に呼応するように、別の男も声をあげる。

 

「こいつらが新政権に対抗しようと、ズーラーノーンの手を借りたせいで、アンデッドが俺たちを襲ったんだ!」

「ええ、そうよ!」

 

 さらに別の女も声を張り上げる。

 

「このラキュースって女は貴族よ。散々私たちを虐げて、大きな顔をしてきた連中の仲間ね。自分たちが新政権に追い落されたから、権力を取り返そうとして、あんなことをやったんだわ!」

「ひでえ奴だ! 自分たちの特権の為ならば、俺たちが死のうが何しようが関係ないんだろう!?」

「冒険者たちをそそのかして、本当の目的はそれだったんだな!」

「見て! 傷一つないきれいな肌よ! 私たちは肌が黒くなるほど必死で働いているというのに、お貴族様は何不自由なく暮らして冒険者ごっこをしていたのよ!」

「俺たちを助けるとか甘い事言いやがって! 俺のおふくろはお前らが連れてきたアンデッドのせいで死んだんだぞ!」

「返して! 私のかわいい娘を返してよ!」

 

 彼らの叫びに段々と周囲にいる者達もまた、怒りのこもった声をあげ始める。

 その場にいた民衆たちの興奮は大きなうねりとなり、険悪な空気が辺りを支配する。

 

 

 

 だが、ラキュースはそんな彼らの言葉に違和感を感じていた。

 

 

 ――おかしい。

 ただ、責めているんじゃない。言葉が説明的過ぎる。

 まるで、ここにいる人たち、皆の感情を煽っているよう。

 ……まさか――サクラ!?

 

 

 そこでラキュースはピンと来た。

 何故、今日、自分を捕らえている悪魔たちは、自分の身柄を八本指の者達の手に渡し、こうして王都内をひきまわさせていたのかを。

 おそらく最初から、八本指の者達が一般市民に扮し、民衆の中に潜り込んでいたのだ。王都の民衆たちを扇動し、彼らからアダマンタイト級冒険者であるラキュースへの信を奪い、彼女が守るはずであった民衆に、彼女を責めたてさせる事が目的なのだろう。

 

 

 ――ここで、連中の扇動に負けてはいけない。

 いや、逆に今こそが好機。

 今ならば、私が直接、王都の民衆たちに話をすることが出来る!

 

 

 ラキュースは一つ息を吸い込むと、声を張り上げた。

 

「待って! みんな、聞いて!!」

 

 その声に一瞬、辺りが静まり返る。

 

「皆、聞いてほしい! 私たち冒険者は決して皆を傷つけるつもりなどなかったわ!」

 

 

 ラキュースの言葉に、先ほど、真っ先に口火を切ったガラの悪い男が言い返す。

 

「ふざけるな! お前らがこのままじゃ自分たちが勝てないと分かったんで召喚したアンデッドのせいで、どれだけの人間が殺されたと思ってるんだ! お前たちがズーラーノーンと手を組んでいたせいだ!」

「おお、そうだ!」

「そうよ! こいつのせいよ!」

 

 案の定、彼に続いて怒りの声をあげた男と女が、間髪を容れずに同意の声をあげる。

 ラキュースはその声を掻き消す様に、さらに大きな声を出した。

 

「待って! それは違うわ! 私たちはズーラーノーンなんかとは無関係よ!」

「じゃあ、どうしてお前らが立てこもっていた陣地からアンデッドが湧いて出たんだ?」

 

 

 ラキュースの脳裏に浮かぶのは、あの忌まわしいアンデッド。

 冒険者モモンに成りすまして自身の名声を高めるかたわら、新政権の背後で糸を引いていた、狡猾にして邪悪なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウン。

 

 

 彼女は今こそ、語るべきと考えた。

 新政権を操る存在。

 冒険者モモンの正体。

 恐るべき魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウンの事を。

 

 

 彼女の知る限りの全てを、王都の民衆たちに洗いざらい伝えようと口を開いた。

 

 

「それは――グゥッ!?」

 

 瞬間、彼女の背が跳ねた。

 

 騎兵の持つロープから繋がる、ラキュースの首につけられた首輪。

 今、そこから流れた電流が彼女の身体を駆け巡った。

 

 

 電気の刺激は、当人の意識に関係なく、勝手に体の筋肉を反応させる。

 ビクンと跳ねあがる身体。

 その衝撃により、彼女は言葉を発することが出来なかった。

 

「見ろ! 言い淀んだぞ! つまり、反論できないからだ!」

 

 その機を逃さず、(かさ)にかかって責めたてる男。

 ラキュースは何とか身体を襲う電流の波に耐えて、反論しようとするが……。

 

「ち、違う――ガッ! ア、アンデッドは――グゥッ! この新政権の裏には――ガギャアッ!」

 

 彼女がしゃべろうとする度に、幾度もその身が跳ねる。

 繰り返される電撃が彼女の言葉を奪う。

 

 その隙に、男は次から次へとありもしない事を言いつのり、集められていた民衆を煽っていった。

 

 人間は自分の周囲にある程度のスペースをおいている限りは、自分の意思でものを考えることが出来るが、その個々のスペースが侵され、肌と肌が触れ合う程一つ所に密集していると、自分で考えることなく周囲にいる者の意見に同調するようになる傾向がある。

 沿道にひしめき合うほどに集められた王都の民衆たち、彼らは八本指の者の扇動にまんまとのせられてしまった。

 最初は口の中でつぶやくだけだった不満や怒りの声はだんだんと大きくなり、その声は再び大きな波となって、苦痛に悶え苦しむラキュースの耳朶を打った。

 

 

 そのうち、民衆の1人――おそらく、そいつも八本指の仕込みだろう――が彼女に対して、腐った野菜を投げつけた。

 そうすると他の者たちもまた同様に、群集心理によって動かされるまま、ラキュースに対してありとあらゆるもの――道端の石や棒っ切れから腐った卵、中には汚物までも――を投げつけた。

 

 手足を枷で拘束されている彼女にそれを避ける術はない。

 また逃げようにも、彼女の首輪には綱がつけられ、その先は馬に乗った兵士がしっかりと掴んでいる。彼女の意思でこの場を移動することも出来ない。

 

 

 そうして、ひとしきり投擲物によって打ち据えられ、投げつけられたゴミの汁で汚れた彼女の尻を、鞭を持った男が強く打ち据えた。

 

「そら、お前が謝罪する相手は、ここの地区の人間だけじゃないんだぞ! 王都に住む全ての人間にお前は謝らなければいけないんだ! ぼさっとするな! さっさと歩け!!」

 

 そうして幾度も鞭の雨を降らせる。

 ラキュースの首輪に繋がる綱を持った騎兵が、その乗馬を歩ませた。

 それに引っ張られるようにして、再び歩きだすラキュース。

 

 

 先ほどまでは、その奥底にはわずかな憎しみはあれども、居並ぶ民衆の心のうちには隠し切れないほどの憐憫の感情が強くあった。

 だが、今や、すっかりそんなものはなりを潜めていた。

 

 今、沿道に並ぶ彼らの顔に浮かぶもの。

 それは侮蔑と嘲笑である。

 

 

 そんな蔑みの顔が並ぶ中を、ラキュースは汚ならしい汁がその白い裸身を伝い滴り落ちるのをぬぐうことすら出来ぬまま、足枷によって動きを制限された哀れにして滑稽な姿勢で、よたよたと歩いていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

 ラキュースは熱気がこもる牢獄に、独り横たわっていた。

 

 

 王都での曳きまわしが終わった後、彼女は再びこの牢に戻された。

 同室の少女は今はいない。

 先ほどやって来た全身黒づくめの悪魔によって、どこかに連れ去られてしまった。おそらく、八本指の者達の下卑た欲望をぶつけられているのだろう。

 

 

 彼女としても、そんな事はあの娘にはさせたくなかったのだが、いかんせん戦えるような状況ではなかった。

 身体に力が入らない。

 ラキュースは連れ出しに来た悪魔によって、容易く打ち据えられてしまった。

 

 

 原因はやはり水である。

 今日、牢獄に戻されてから、水の補給がない。

 

 一日中、無理な姿勢で王都中を曳きまわされた後、疲労困憊となった身に、一滴たりとも飲む水がないというのは(こた)えていた。

 こうして独りで床に横たわり、可能な限り動かないようにしている今も、じわじわと汗が浮かび上がり、彼女の身体から水分を奪っていく。

 それが喉の渇きをいやす解決にはならないと分かってはいても、その自らの肌に浮く汗を舐めとるのを抑えることが出来ない。

 

 

 水。

 水が飲みたい。

 

 今、ラキュースの頭の中を占めていたのは、それだけだった。

 

 

 そうして、あるはずのない水分を求め、喉が上下するのを幾度繰り返した頃だろうか、半ば眠りに落ち、朦朧とした意識の中で、何か固いものがぶつかり合う、カチャカチャとした音が聞こえた。

 

 ラキュースは渇きに(さいな)まれる中で、それを忘れることが出来る眠りから醒めたくないとばかりに、半目で扉の方に目を向けたのだが――。

 

 

「……!?」

 

 彼女は我が目を疑った。

 

 牢獄の扉の前で何本もの鍵が下げられた鍵束から、彼女の部屋の扉を開ける鍵を捜して悪戦苦闘している人物。

 健康的に日焼けした肌に、燃えるような赤い髪をなびかせる女神官。

 

 

 冒険者『漆黒』モモンの相棒、ルプーであった。

 

 

 

 驚愕の瞳が向けられる中、しばしガチャガチャとやっていたが、ついに目当ての鍵に行き当たったようだ。ガチャリと音を立てて、ラキュースを閉じ込めていた扉が開かれる。

 

「ふー、ようやく開いたっす」

 

 そう言って、額の汗をぬぐう仕草をする彼女。

 その人を安心させる太陽のような笑み。

 しかし、それを見ても、ラキュースはその表情を緩ませようとはしなかった。

 

 

「ルプーさん……あなたは……」

 

 腰ほどの高さしかない入り口を潜り抜け、ルプーが牢の中へと入ってくる。

 

「さっ、ラキュースさん。今のうちっすよ。早く行きましょう」

 

 しかし、ラキュースは床から跳ね起き、距離をとった。

 

「どういうつもり?」

「なにがっすか?」

「あなたの仲間、モモンの正体はアンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンだったわ。あなたは一緒に旅をしていた。当然、あいつの事も知っていたはずよね?」

 

 猜疑にあふれた瞳を向けるラキュースに、彼女は悲しげな表情を見せた。

 

「それは……申し訳ないっす。私も、あの人があんなことをするなんて……」

 

 そうして、ポツリポツリと語った。

 

「昔、たった一人で死にかけていた私を助けてくれたのはあの人でした。あの人はアンデッドでしたが、『自分にはそんな種族の枠なんて関係ない。人間が全て善人ではないように、アンデッドもまたすべてが邪悪という訳ではないんだよ』って言って。誰にも顧みられることなく死んでいくはずだった私を助けてくれました。そうして、私はあの人の下で人としての生活をし、その助けが出来るパートナーとしての力を手に入れました。でも……でも、あの人がまさかそんな事をしていたなんて……。でも、お願いです。今は私を信じてください」

 

 涙ぐみ、訴えかけるルプー。

 

 ラキュースはどうすべきか迷った。

 彼女を信じるべきかどうか。

 

 

 そしてラキュースが出した結論は――。

 

 

「分かったわ。あなたを信じる」

 

 その言葉にルプーは、まだ目の端に涙を浮かべていたが破顔一笑した。

 

「本当っすか? 恨んではいないんすか?」

「恨んでないといえば嘘になるわ。もっと早くにモモンの正体を私たちに伝えてくれていれば、何とかなったかもしれない。色々、手はうてたかもしれない。あなたが口をつぐんでいたせいで、王国は大変な事になってしまった。それは否定できないわ。でも、今はこの状況を何とかするのが先決ね。ルプーさん、私はあなたを信じるわ」

 

 ラキュースとしても、内心思うところはたくさんある。

 だが、とにかくここは彼女を信じるべきだと決めた。信じなければ、この場に留まっている事を選択したのならば、ただこのまま何も出来ずに拷問され続けるだけだ。事態が好転するような要因は見当たらない。

 もとより、自分にベットできるようなものなどもはやない。

 ラキュースはこの細い糸のような希望にかけてみようという気になった。

 

 

「そうっすか。とにかく、ここから逃げ出しましょう。今なら見張りもいないっすよ」

「あ、待って」

 

 通路に出て、駆けだそうとするルプーの背に制止の言葉をかける。

 

「この牢屋には同室の少女がいるのよ。彼女も助けていくことは出来ないかしら? もし私一人だけが逃げたら、その娘がひどい目に遭わされてしまうわ」

 

 そんなラキュースの言葉に、ルプーは焦ったような表情で首を横に振った。

 

「いや、駄目っすよ。今、ちょうど見張りが交代する隙をついて、こうして忍び込んだんすから。このチャンスを逃したら、もう脱出は不可能ですよ」

「でも……」

 

 逡巡するラキュース。

 そんな彼女に褐色の肌の女神官は噛んでふくめるように言った。

 

「むしろラキュースさん一人が逃げた方が彼女の安全は保障されると思うっすよ」

「えっ?」

「いいですか。あいつらは逃走があった時、逃げ出した者には軽い拷問を与え、対して同じ部屋の人間には過酷な拷問をくわえていますよね?」

 

 その言葉にラキュースは過去に逃走を試みた者達の末路を思い返し、頷いた。

 

「それはさらなる逃走を防止するため、他の者への見せしめ、および仲間同士で同房の者の行動を監視させ、互いを密告させるのが目的です。もし逃げ出そうとしても無駄。むしろ、仲間がそうしているのを見て見ぬふりをしたら、こうなるぞと。そうした時に重要なのは逃げ出した人間と残った人間、両方をそろえる必要があります。そうしないと、拷問の刑罰に差をつけてみせることが出来ませんから。つまり、ラキュースさんが1人逃げ出して捕まらないでいるうちは、逃走者と残留者がそろわないという事ですから、あいつらは彼女を殺しはしないって事です」

 

 ルプーの言葉に、そうなのかなと一瞬考え込む。

 

「それに、こういっては何ですが、同室の方は鉄級冒険者でしょう? 対してラキュースさんはアダマンタイト級。重要度では格段に違います。あなたが逃げ延び、声をあげれば、賛同する人も多いでしょう。そうすれば、もう一度蜂起を起こし、今の情勢をひっくり返すことも可能です。囚われている冒険者全員を助けることも出来ます。ラキュースさん、あなたの肩に王国の、いや、世界の命運がかかってるっすよ」

 

 

 その言葉を受け、ラキュースは歯を噛みしめ、しばし悩んだのちに――首を縦に振った。

 

「分かったわ、ルプーさん。今は逃げましょう。でも、絶対、後で彼女たちを助けるわ」

「ええ、あいつらを全部倒して、皆を助けましょう」

 

 

 そうして2人は、陰鬱なる牢獄を脱出し、熱気のこもる通路を外めざして駆けていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ……ああっ……!」

 

 そこに広がっていたのは美しい緑の波。

 陽光は草の緑を輝かせ、涼やかな風が木の葉を揺らし、鳥のさえずりが耳に響く。

 目の前に広がった美しい自然の光景に、ラキュースは思わず涙ぐんだ。

 

 

 

 あの後、ラキュースとルプーの2人は彼女が閉じ込められていた建物から脱出した。

 幸いな事に、ルプーが言っていた通り、上手く交代のタイミングにだったのだろう。戸口に見張りの姿はなかった。

 

 しかし、建物から出たラキュースはそこに広がっていた世界に瞠目した。

 岩と岩の間を灼熱の溶岩が流れる、まさに焦熱地獄のような光景。

 

 どうりで自分たちが閉じ込められていた牢獄が暑かったわけだと得心するとともに、あまりのことに呆然と立ち尽くしたラキュースであったが、ルプーにうながされるまま、素足で溶岩を踏まぬよう気をつけて先へ進み、そうしてとある一つの塔へとたどり着いた。

 なんでも、彼女の説明によると、ここは大地の下に広がる地下空間であって、この塔を登っていけば地上へと出られるのだとか。

 

 あまりの展開に半信半疑ながらも、塔の中の螺旋階段を登ることしばし。

 足がくたびれるほど登った先にあった扉を開けたところ、そこに広がっていたのは眩いばかりの生命溢れる森林であった。

 

 

 

 ラキュースはよろよろと前へ歩み出る。

 足の下で踏みしだいた草は、弾力をもって彼女の素足に優しく当たり、踏み潰された事により瑞々しい香りを放った。

 

 そして、彼女の耳は音を捉えた。

 ちょろちょろという水の流れる音。

 彼女はそちらに駆け寄る。そこには清らかな水の流れる小川があり、その先には小さな池ができていた。

 

 

 そのほとりに膝をつき、さざ波にきらめく水面にそうっと手を差し入れる。

 

 ――冷たい!

 

 それは、閉じ込められていた間、ずっと願っていた冷たい水。

 

 

 ラキュースは池の水を手ですくって、口に運んだ。

 そして、それを幾度か繰り返したのち、そんなものでは足りぬとばかりに、池に直接口をつけてがぶがぶと飲んだ。ひとしきり飲んだ後に顔をあげると、両手で池の水をすくい、顔面へとバシャバシャとかける。そして濡れた手で全身を撫で、体の汚れを落とす。

 

 

 

 そこまでして、ようやく人心地ついたとばかりに大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。

 その傍らにルプーが立つ。

 

「落ち着いたっすか?」

 

 ラキュースは褐色の肌を持つ彼女を見上げ、ここはどこなのか尋ねた。

 

「アゼルリシア山脈の奥にある、ちょっとした広さの森っすよ。この付近だけ盆地のようになってるんで、こんな風に暖かくて植物が生えてるんです。さあ、あと少し頑張って、この近くにある建物に行きましょう。そこに私の知り合いが待機してます。服とかもあるっすよ」

 

 言われてラキュースは、最近すっかり慣れてしまったが、そう言えば裸であったという事に気がつき、顔を赤くして胸元と股間を手で隠した。

 

「ははは、眼福っす」

 

 そう言って、イタズラでもしたかのように、きしし(・・・)と笑うルプーに、ラキュースの顔にも笑顔が戻る。

 正直、疲労困憊といった有様であったがもう少しの辛抱と、このままへたり込んでいたいと願う自分の身体にむち打ち、何とか立ち上がる。

 

 

 そうして2人は森の中へと歩いていった。

 

 

 

 ほどなくして、その建物は見つかった。

 木々の間にある、そこそこ大きなログハウス。

 ラキュースの見たところ、作られてからそれほど日の経っていない、ずいぶんと新しそうな家であったが、先導したルプーは嬉しそうに指さした。

 

「あれです。あの中に私の仲間が待機しているっすよ。さあ、早く」

 

 言われるがままにポーチの階段を登り、据え付けられた木製の扉の前に立つラキュース。彼女が振り向くと、後ろでルプーはにこりと笑い頷いた。

 

 

 

 そうしてラキュースは扉を開く。

 

 

 

 そこにいたのは――。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。少々待ちくたびれてしまいましたよ」

 

 室内に置かれたソファーに腰かけていたのは、彼女らに非道な拷問を課していた張本人。

 邪悪なる大悪魔、デミウルゴスであった。

 

 

 

 思いもよらぬ再会に呆然と立ち尽くすラキュース。

 そんな彼女を前に、デミウルゴスは優雅な仕草で立ち上がった。

 

「いけませんね、ラキュースさん。大切なお仲間をおいて、独り逃げ出すなど」

「ど、どういう事……。ここにはルプーさんの知り合いがいたはず。まさか、その人たちは……」

「おっと、心配はご無用ですよ。彼女の知り合いは無事ですよ。ええ、もちろん、危害など加えてはいませんとも」

「本当なの?」

「もちろんです。現にこうして私はぴんぴんしているではありませんか」

 

 そう言って腕を広げ、にこやかに微笑んで見せる。

 その言葉の意味するところを悟り、愕然とした表情でラキュースは振り返った。

 

 

 その視線の先にいたルプー。

 

 彼女は腹を抱えて笑っていた。

 

「あはははは! いや、もしかしてマジで信じてたんすか? うはー、チョーウケる! マジウケる―!! ぎゃはははは!!」

 

 ラキュースの事を指さし、爆笑するルプスレギナ。

 そんな彼女の態度に、信じたすべてを打ち砕かれ、もはや流す涙すらなく、ただ茫然と立ち尽くすラキュース。

 

 

 不意に彼女はその身を投げ出すように転がり、暖炉の傍らに置かれていた火箸に手を伸ばした。

 

「シャルティア」

 

 だが、それより早く、傍らの椅子に腰かけていた、一見、人形のような少女吸血鬼が文字通り目にもとまらぬ速さでラキュースに飛びかかり、その腕を後ろ手にひねった。

 まるで小枝のように、たやすく冒険者として鍛えられた彼女の腕は、音を立ててへし折られた。

 

 腕を襲う激痛、そしてその身を押さえる凄まじい怪力により、身動きが取れなくなった彼女の許へ歩み寄り、悪魔は声をかけた。

 

 

「さて。先ほども言いましたが、お友達をおいて逃げ出すのは感心いたしませんね。約束は守らねばいけません」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ドン!

 

 音を立ててラキュースの身体が床に投げ出される。

 固い石畳が、彼女の肌に擦り傷を作った。

 

 

 両手両足を縛りつけられ、芋虫のごとき彼女の姿に、捕らえられていた冒険者たちは、目を丸くした。

 そんな彼らを前に、悪魔は口を開いた。

 

「さて、皆さん。今日は悲しいお知らせがあります。先だって、私は皆さんにこう言いました。『もし皆さんが逃走を画策する、もしくは自殺した場合、連帯責任として他の者も罰します』、とね」

 

 そこで言葉を区切り、デミウルゴスは悲嘆に耐えないとばかりに額に手を当て、かぶりを振った。

 

「ですが……残念ながら、このラキュースさんは皆さんをおいて、たった一人逃げ出そうとしました。私としても、皆さんが逃げ出すのを防ぐため、抑止を目的として言っただけの言葉だったのですが、実際にこうして、逃走を図った者が出てしまいました。悪魔は口にした約束は果たさねばなりません。そのため、皆さんは拷問の末、殺してしまうこととあいなりました」

 

 その言葉に、冒険者たちの間に驚愕、そして絶望が広がった。

 そしてすぐにその絶望は憤怒へと形を変え、目の前の、彼らの憧れの的であった美しきアダマンタイト級冒険者へと向けられた。

 

 

「ふ……ふざけんなよ!」

 

 ラキュースと同房だった少女が走り寄る。

 その顔や身体には痣が浮かび、真新(まあたら)しい裂傷がいくつも体に刻まれ、その鼠蹊部からは白いものが垂れている。

 彼女はその傷だらけの足で、ラキュースの事を力任せに蹴り上げた。

 

「なんで! なんで、お前ひとり逃げてんだよ! 一緒に! 全員で! 逃げようって言っただろ! 死ねよ、お前ひとりが死ねよ! なんで、なんで私たちがお前のせいで死ななきゃいけないんだよ!!」

 

 ラキュースを取り囲んだ冒険者たちは彼女の美しい顔に、豊かな双丘に、グシャグシャに折られた腕に、脂肪のついていない腹に、柔らかな尻に、ほっそりとした足に、その全身に殴打の雨を降らせる。

 そんな彼らの怒りに、ラキュースはただ言葉もなく、されるがままに身を任せていた。

 

 

 パンパン。

 

 デミウルゴスが手を叩く。

 その音に彼らは静かになった。

 一人気がつかなかった男がいたが、そいつは控えていた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)によって手足を砕かれ、どこかへ引きずられていった。

 

 

「さて、皆さんの気持ちはよく分かりました。では、彼女に反省の心があるか確かめてみようじゃありませんか」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ひやあああっ!」

 

 少女は猛烈な熱気に炙られ、悲鳴をあげた。

 

「もっと! もっと、引っ張れよぉっ!」

 

 その言葉に、彼女を吊るすロープがわずかばかりに引き上げられる。

 だが、それは本当にわずかばかり。

 彼女の体重を歯で支えるラキュースとしては、それが精いっぱいであった。

 

 

 

 あの後、悪魔は一つの提案をした。

 逃走を図った当のラキュースが身を挺して皆を守るのならば、罰は彼女だけに与えようと。

 

 そうして設置された醜悪なる悪意に満ち溢れた装置。

 煮えたぎった油が張られた大きな鍋の上に、ロープで少女が吊るされる。彼女を吊るしたロープは上へ伸びた後、そこで滑車を用いて斜め下へと伸ばされ、その先端を両腕を縛られたラキュースが歯で噛みしめた。

 つまり、ラキュースがロープを噛んで引いているうちは、少女は無事だが、もしロープを離したり、体重を歯で支え切れずに引きずられることになったら、少女の身体は煮えたぎった油の中へと落ちるという仕組みであった。

 

「ほら、がんばりなさい。まだ、蝋燭は四分の一くらいしか短くなってありんせん」

 

 シャルティアが嘲笑と共に言葉を投げかける。

 

 当然、そんなことはいつまでも続けていられるものではない。時間を区切らなければ、いつしか耐えられなくなるのは必定。

 そこで、設置された金色の燭台の上に置かれたろうそくの炎が燃え尽きるまで耐えきれたら、そこで冒険者たちの刑罰は終わりとし、罰せられるのはラキュースのみという取り決めがされていた。

 

 

 ラキュースは必死でロープに齧りつき、少女の身体を引き上げようとする。

 だが、踏ん張ったその足が床に散らばるものを踏み、激痛が走る。思わずたたらを踏みそうになるところを必死でこらえた。

 

 彼女が踏ん張って立つ、その周辺。

 足元には砕いたガラス片が無数にばらまかれていた。

 素足の彼女が足を動かせば、新たな破片を踏みつけ、その場で踏ん張れば、足の下のガラス片がより一層、彼女の肉に食い込むという趣向であった。

 

 

「もう諦めた方がいいんじゃありんせんこと?」

 

 

 このゲームが行われる前、彼女に提示された条件があった。

 それは燭台の炎が燃え尽きる前にラキュースが諦め、少女を油の中へと叩き落としたら、ラキュースの罪は不問とし、普通の生活を与えてやると。

 

 ラキュースは鼻で笑った。

 そんなうまい話あるはずがない。どうせ、またこちらを嬲るためにそんなことを言っているのだろう、と。

 

 だが、そうして耐えた後で待っているのは、ラキュースに対するさらなる過酷な拷問である。

 そんなに頑張ってどうする、それよりさっさと落としてしまえ、などと笑いながら見物する悪魔たちが入れ代わり立ち代わり、彼女に声を投げかける。

 

 しかし、アダマンタイト級冒険者として、そしてなにより人間として、その誇りを曲げることは出来なかった。

 

 

 そうしているうちに、蝋燭の長さは半分を切っている。

 

 ――あと少し。

 あと少し頑張れば……。

 

 蝋燭の芯が燃え、短くなっていく様をじりじりと見守っていた。

 

 

 

 ……あと四分の一。

 

 ……あと六分の一。

 

 ……そして、ついに白いロウの部分が無くなった。

 

 

 これで、後は灯心に(とも)っている火が消えれば、そこで終わりだ。

 その瞬間を、今か今かと待ち続けていた。

 

 しかし――。

 

 

「なんで? なんで火が消えないの!?」

 

 

 吊るされた少女の言葉通り、蝋燭が燃え尽きたというのに、蝋燭を固定するための突起上で燭台の炎は、いつまでも燃え盛っていた。

 

「ふふふ。いかがですかな?」

 

 デミウルゴスは上機嫌で言った。

 

「これはマジックアイテム『不滅の燭台』。上に刺した蝋燭などが燃え尽きてもその火は消えることなく、燭台上で燃え続けるというものです。本来は特別な種火を持ち歩いたり、特定の場所に火を灯し続けるためのものなのですが。もちろん風が吹いても消える心配はありません。便利なものでしょう」

 

 

 その言葉に愕然とした。

 茶番だとは思っていたが、最初から、彼らは自分たちを助ける気などなかったのだ。

 

 その事実に打ちのめされたラキュースの足が滑る。

 踏ん張るための力が入らず、ずるずると引っ張られる。その足の裏が、床に散らばるガラス片によって切り刻まれた。

 ラキュースは必死の面持ちで、踵を立て、かろうじて引き寄せられる力に抗った。

 だが、それもかろうじてといった有様。

 

 

 すぐ足の下に煮えたぎる油の熱気にあおられ、少女はつぶやいた。

 

「……し、死にたくないよぉ……」

 

 その頬を涙が一筋流れる。

 

 次の瞬間、ついに力尽きたラキュースの身体が床に投げ出された。全身にガラス片が突き刺さる。

 その口元からロープが外れる。

 滑車は一気に回り、少女の身体は油の湛えられた鍋の中へと叩きこまれた。

 

 

 断末魔の絶叫を耳に、ラキュースは冷たい石床に転がったまま、傷口から流れ落ちる鮮血にその身を濡らし、込み上げる嗚咽に喉を震わせていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ラキュースはただ何するでもなく横たわっていた。

 すでに傷ついた全身は、回復魔法によって傷一つない状態にまで治されている。

 その身を包むのは、かつて身に纏っていた最高級の服とはかけ離れているが、丈夫な厚手の布の服。ここ最近、衣服を身に纏う事も許されなかったラキュースにとって、全身を包み、覆う衣服というものは実に快適なものであった。

 

 そして、ベッド。

 ベッドである。

 

 これまたかつての貴族生活とは比べもつかぬほどの代物であったが、固く粗い石床の上に素肌で寝ることを余儀なくされていたころとは、雲泥の差である。

 

 

 

 あの後、悪魔は約束を守った。

 少女が死んだことでラキュースの罪は許されたと宣言し、これまでとは異なる部屋へと連れてこられ、ここで自由にしているよう言われたのである。

 

 部屋の中に焚かれた甘い香が鼻をくすぐる。

 

 ラキュースは同房の少女の死に、いまだ呆然としながらも、その身を包む優しい肌触りに、いつしか泥のような眠りに引き込まれていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 照り付ける太陽が、ラキュースの身に降り注ぐ。

 彼女は眩いばかりの陽光に目を細めた。

 

 彼女の眼前に広がっているのはごく普通の農村である。

 

 

 ――いったい、ここはどこなのだろう?

 

 

 ラキュースは困惑したまま、立ち尽くしていた。

 

 

 

 ラキュースがベッドの上で眠っていたところ、眼帯をつけた奇妙なメイドに起こされた。

 そして散歩と称し、転移のマジックアイテムを通って、ここに連れてこられたのだ。

 

 突然連れてこられたものの、いったいどうすればいいのか分からず、彼女はただ辺りを見回すばかりであった。

 

 

 そんな彼女、および隣にいたメイドに対して、村娘らしい1人の少女が話しかけてきた。

 

「あ、シズさん。こんにちは。ええっと、そちらの方は……」

「おはこんばんちわ、エンリ」

 

 聞いた事もない挨拶をするメイド。

 そこでようやくラキュースは、この眼帯をしたメイドはシズという名だという事を知った。

 

「こっちはラキュース。今日は散歩に来た。適当にその辺を歩かせておけばそれでいい。ちなみに適当というのは適切に妥当という意味」

「はぁ、そうですか」

 

 いまいち分かっていないながらも、とりあえず、村をぶらぶらしに来たんだと考えたエンリ。

 実際、アインズやベルは特に用もないのにカルネ村を訪れ、あちこち歩きまわったりすることもあった。たぶん、そんな感じなんだろうと、彼女は理解した。

 

 

「ええっと、ようこそ、カルネ村へ」

 

 とりあえず、挨拶する。

 だが、その言葉にラキュースは強く反応した。

 

「カルネ村! ここは、あのアインズ・ウール・ゴウンが最初に現れたっていう村なの!?」

 

 思わず、驚愕のままに声をあげたラキュースであったが、その言葉にエンリはムッとした。

 

「あの、……あなたが誰なのか詳しくは知りませんが、ゴウン様を呼び捨てにするのはあまりよろしくないかと思います!」

 

 突然の強い態度にラキュースの方が目を丸くする。

 

「え? ゴウン様?」

「はい。ゴウン()です。ゴウン様はこの村の危機を救い、私たちに日々の糧を得る手助けをしてくださり、また私たちが生命の危険に怯えて暮らすことのないよう、手を尽くしてくださりました。そんな方に敬意を払うのは、当然でしょう」

 

 腰に手を当て、普段は見せぬほどきつい口調で語るエンリ。

 その勢いに押されて、ラキュースはつい謝ってしまう。

 

「あ、ええと……ごめんなさい」

 

 おとなしく頭を下げたラキュースに、エンリは態度を柔らかくした。もとより、声を荒げることなど得意ではないのだ。

 

「ええ、分かってくれればいいんですよ。今言った通り、この村はゴウン様によって助けられました。あの方のおかげで私たちは生活できているんです。村内でゴウン様の事を悪く言うと、他の村の人たちからも良くは思われないので注意してくださいね」

 

 その言葉に大人しく首肯する。

 エンリはもう一度、微笑みを見せると、自分の仕事へと戻っていった。

 

 

 そうして、一人村の中を歩くラキュース。

 一見すればただの農村なのであるが、この村が異質な場である事はすぐに気がついた。よく見れば、道を歩くのは人間だけではない。ゴブリンやオーガなど、普通は人間と共に暮らすことなどない亜人たちまで混ざっているのだ。

 

 

 ――いったい、この村は何なの?

 これがゴウンの支配する地という事なの?

 こんな平和な……種族に関わらず、誰もが争うことなく暮らせる世界が、ゴウンの支配の下に訪れるという事なの?

 

 

 呆気にとられたまま、ふらふらと歩くラキュース。

 不意にその目があるものを捉えた。

 そこにいたのは、彼女にとってなじみの人物。

 

「ザリュース! ザリュースじゃない!?」

 

 彼女は蜥蜴人(リザードマン)としても、特に黒い鱗を持つ人影に、声をあげて歩み寄った。

 

 近づいてみればよく分かる。

 間違いなく、彼はザリュース・シャシャ。

 しばらく前まで行動を共にしていた、誇り高き蜥蜴人(リザードマン)の戦士だ。

 彼だという事を、この上ないほどはっきりと示す〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉がその腰に下げられている。

 

 

 しかし、そうして親し気に近寄った彼女に対し、ザリュースは困惑の表情を見せた。

 

「お前は誰だ?」

「え?」

 

 ラキュースは思わず声につまった。

 

「誰って……。私よ。ラキュースよ。ああ、そうか。もしかしていつもの鎧じゃないから、分からなかった?」

 

 そう口にする彼女に対して、ザリュースは首をひねるばかりであった。

 

「ラキュース? ……すまん、憶えがない。お前は人間のメスのようだな。どこかで会ったか?」

「え? ちょっと、待ってよ。ほら、アゼルリシア山脈の麓であったじゃない。それで一緒に王都まで行って……」

「ぬ? 王都? それは人間の街か? ……すまんが人違いだろう。俺はそのような人間の大きな街には近寄ったことは無い」

 

 そう断言したザリュースの態度にラキュースは絶句した。

 そして、同時に思い出した。

 

 あの時、ザリュースを殺した時にアインズ・ウール・ゴウンは言っていた。

 彼を生き返らせ、更に記憶を消し、平穏に生きられるようにすると。

 

 

 

 ――つまり、彼はかつての記憶を消されている……。

 私たちの事も、あの戦いの事も全て忘れている。

 

 

 突きつけられた事実に言葉もないラキュース。

 突然声をかけてきたと思ったら、今度は不意に呆然としたそんな彼女を前に、ザリュースは当惑するばかりであった。

 

 

 ラキュースは躊躇した。

 あのとき知った事実。

 ザリュースの故郷の村を滅ぼしたのは、この村を救ったというアインズ・ウール・ゴウンの手のものだという事を、今の彼に伝えるべきだろうかと思い悩んだ。

 

 

 

 そこへ声がかけられた。

 

「ザリュース。ここにいたの? あら、そちらは?」

 

 そう言って歩み寄ってきたのは日傘を差した、これまで見た事もない純白の鱗を持った蜥蜴人(リザードマン)

 

「おお、クルシュ」

 

 その姿をみとめ、ザリュースは優しい声をかけた。

 

「歩いてきて大丈夫なのか?」

「ええ、少しは歩かないとね」

 

 そう言った彼女の腹は、ラキュースの目から見ても身ごもっていると分かった。

 クルシュの身体を気遣い、優し気な顔を向けるザリュース。

 

 

 そんな彼に、ラキュースは問いかけた。

 

「ねえ、ザリュース?」

「ん? なんだ?」

「あなたは今、幸せなの?」

 

 クルシュと手をつなぎ、振り向いた彼はなんのてらいもなく口にする。

 

「ああ、もちろんだとも」

 

 そんな穏やかな表情の彼を前に、ラキュースは「そう……良かったわ。お幸せに……」とだけつぶやいた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ようこそ、ラキュース」

 

 目の前の卓についていた悪魔、デミウルゴスは鷹揚に手を振って、対面の椅子に腰かけるよう促す。

 ラキュースは言われるがまま、席についた。

 

 

 彼女の前に、紅茶が差し出される。

 鼻をくすぐる良い香り。

 カップを手にとり、わずかに口に含む。

 ここ最近、ずっと味わうことのなかった、華やかな茶葉の香りが口腔いっぱいに広がる。

 

 思わず、その顔が緩んだ。

 じんわりと温かいものが、腹の中に広がっていく感覚がする。

 

 彼女が一息ついたところを見計らい、デミウルゴスは口を開いた。

 

「さて、今日はカルネ村に行ってきたはず。どう思いましたか?」

「……あれはどういうことなの?」

「さて? どういうこととは?」

「あの村は人間も亜人も、それこそ人を食べるオーガも一緒に暮らしていたわ。いったいどうやって……」

「なに、簡単な話です。至高なる御方、アインズ様の前には、人間も亜人もアンデッドですら等しく同じ存在にすぎないという事ですよ。ただアインズ様の威にひれ伏し、従えば、種族の別に関係なく、繁栄を享受できるのです」

「そんな……ふざけないで!」

 

 ラキュースは声を張り上げた。

 

「あなた方が王国で、帝国でやったことを知っているわ。あなた方のせいで、あなた方が悪意をばらまいたせいで、どれだけの罪もない人たちが死を迎え、惨憺(さんたん)たる扱いを受けていると思っているの!?」

 

 そんな彼女の激情に、しかしデミウルゴスは肩をすくめただけだった。

 

「『悪意をばらまいた』ですか? それはどうでしょうね」

「え?」

 

 思わず、呆けた答えを返したラキュース。

 デミウルゴスはそんな彼女にさらに言葉をつづけた。

 

「今の王都は弱者を強者が踏みにじる悪徳の蔓延(はびこ)る都といえるでしょう。しかし、それは別に我々がそうしたわけではありません」

「な、なにを……」

「悪徳は最初から、王都に蔓延(はびこ)っていたのですよ。内に蠢く悪徳の渦、それを自分たちが見ずに済むよう、ごてごてと覆い隠していた。それがかつての王都リ・エスティーゼの姿です。我々はその覆いを取り除いたに過ぎません」

 

 デミウルゴスはゆらりと立ち上がる。

 

「私どもは、長くこの地の現状を探ってきました。王国も、帝国も。しかし、はたしてこれらの国の人間たちは罪がないといえるでしょうか? 貴族社会を構築したこれらの国は、階級制を用い、公然と弱者を踏みにじり、食い物にしておりました。ある者は飢え、住むところもなく、享楽の為に嬲り殺されているというのに、そこからわずかにへだてた場所では、その身を襲う危険など欠片もなく安寧に浸ったまま、淫蕩にふけり、飽食の宴が開かれる毎日。そんな現状は当然、貴族であるあなたも知っていたでしょう?」

 

 その言葉にラキュースはウッと言葉を詰まらせた。

 

「ええ、そうね。人々の生活に歪みがあったのは知っているわ。力のない人が不当に虐げられ、逆に力のある貴族は思うまま、我が物顔で専横していた事はね。でも、だからと言って、あなた方のやり方は絶対に正しくはない。あなた方が支配していた王都は、貴族の横暴よりひどい無法に晒されていたわ」

「ええ、そうです。まさに無法、悪徳の極みと言えるでしょう。しかし、それこそが人が勝手に作った法などというものから解放された、人として本来あるべき自然の行いなのです」

 

 悪魔は眼鏡の奥にある宝石の瞳をラキュースに向ける。

 

「ラキュース。あなたは先日、王都において両手両足を枷で繋がれ、罪人として通りを引きまわされましたね。その時、沿道にいた民衆はどうしました? 悲惨な状況に置かれたあなたを助けようとしましたか? いえ、そんな事はしませんでした。彼らは大喜びで、あなたに罵声を浴びせ、石を投げつけました。かつて英雄と呼び、尊敬の目で眺めていたあなたの苦境を救おうとする者は誰一人現れませんでした」

「ふ、ふざけないで! あなた方が人々を惑わせたんでしょう。分かっているのよ。あの群衆の中に、扇動者を紛れ込ませていた事を!」

 

 気色ばみ腰を浮かしかけたラキュースに対し、まあまあと席に戻るよう促すデミウルゴス。

 

「ええ、たしかに居並ぶ民衆の中に、我々の息のかかった者を潜ませていました。しかし、その者がやったのは大声であなたを非難しただけ。あなたに石を投げる先鞭をつけただけです。そこにいた人間たちは誰一人として、あなたを擁護し、あなたに石を投げつけるのを制止しようとした者はいなかった」

「それは……もし、そんなことをしたら、その人がひどい目に遭わせられるからでしょう?」

「ええ、そうですとも。つまるところ、あなたを助ければ、自分がひどい目に遭うから、助けようともしなかった。我が身可愛さにあなたの事を見捨てたという事ですな」

 

 その言葉にラキュースは声を詰まらせた。

 たしかにそれは事実だ。

 

「でも……それは仕方がないわ。だって、彼らは力を、理不尽と戦うための力を持たないんですもの……」

「その通りですね」

 

 彼らを擁護するように、苦しい言い訳を口にしたラキュース。

 しかし、デミウルゴスはそれにあっさりと同意してみせた。

 

「その通りです。彼らは王都を支配する八本指の者達より力がなかった。だから戦わなかった。代わりに彼らが自分たちの力をぶつけたのはあなたです。丸裸のまま拘束され、力を失っていたあなたより彼らは力があったので、自分たちより弱者であるあなたを攻撃したのです」

 

 デミウルゴスは優しく語りかけた。

 

「ラキュース。強者が弱者を虐げるのは当然の事なのですよ。何故ならば、彼らは強いからです。そして虐げられるのは弱いからなのです。弱肉強食は自然の摂理。決して弱者が強者を食い物にすることは出来ません。すなわち強者が力を振るう、強者が自分の欲望、衝動のままに行動する悪徳こそが自然なのです。こう言ったら、あなたは反論するでしょうね。力あるものこそ、節度を持たねばならない。その力を無分別に振るってはならない、と。しかし、それこそが誤りなのですよ。強者が自分の利益の為に力を振るわず、社会の利益の為に力を振るい、行動する。それを世の人は褒め称えます。あなたはそれを美徳と言うでしょう。しかしながら、その本質は他者からの称賛、感謝を得たいという実に利己的な欲求を満たすために他なりません。それは悪徳と変わるところがあるでしょうか? どちらも自身の欲求を満たしたいだけにすぎません。そこになんら違いはないのです」

 

 

 ラキュースは一息に語られた言葉に呆気にとられた。

 その口はパクパクと動くのみで言葉を紡ごうとはしなかった。 

 

「ねえ、ラキュース。私はね、気に病んでいるのですよ。それは本来この地において、圧倒的なる強者、アダマンタイト級冒険者であるあなたが、美徳なる概念に囚われ、その力を十全に振るえないでいるのを」

 

 その言葉をラキュースは何も言わずに聞いていた。反論しようにも、どういう訳だかそんな気力が湧いてこない。

 からからになった口に、再び紅茶を運ぶ。

 

「あなたは強者だ。思うままに行動する自由も、権利も、そして力もある。そんなあなたが何故そう振るまおうとしないのか。規律や自制などは、強者であるあなたを縛り付ける枷にすぎません。何故枷に絡めとられなければならないのでしょうか。自分の欲望、衝動のままに行動する悪徳こそが自然の、人間の本来の姿なのですよ」

 

 

 穏やかに語りかけるデミウルゴス。

 対するラキュースはというと、自分の足元が揺らぐような眩暈にも似た感覚に襲われていた。

 反論したいことはある。それこそ山ほど。

 だが、どうしてだか、それが頭の中で形にならない。

 悪魔の語った言葉がグルグルと彼女の脳内を駆け巡る。

 

 

 ――自分が今までしてきたことは何なのか?

 人のため、力なきもののために力を振るってきた。

 そう思っていた。

 だが、それは自分のためだったのか?

 ただ誰かに褒めてもらいたいがためだったのだろうか?

 

 

 ラキュースの記憶によみがえってきたのは、先日の王都での光景。

 あの時の、居並ぶ群衆の顔に浮かんでいた、苦境にあえぐ彼女に向けられた薄ら笑いが、彼女の脳裏から離れなかった。

 

 

 そんな、心の奥に懊悩を抱える様子を見て取ったデミウルゴスは、ちらりと目くばせをした。

 すると、見目麗しい容姿の金髪を縦ロールにした肉感的な肌をさらしたメイドが銀の盆を持ってきた。

 それをラキュースの前に置く。

 

 なんだろうと見つめる彼女の前で、メイドが蓋を取ると、そこにあったのは湯気を立てる肉の塊。

 

 

 見た瞬間、ラキュースの口内に唾液が溢れた。

 香ばしい食欲をそそる匂いが放たれ、それを嗅いだだけで、彼女はもういてもたってもいられなくなった。

 

「どうぞ、召し上がってください」

 

 そう薦められ、いざ食べようとしたものの、切り分け、食べるための食器がない事に気がついた。

 そっと悪魔の方へ目をやる。彼はにこやかな表情で頷いた。

 もはや我慢の限界とばかりに、ラキュースは素手で肉を手にとり、かぶりついた。

 

 

 美味かった。

 捕らえられて以降、まともな食物を口にしていなかったというのもある。ずっと彼女が口にしてきたのは、口に入れた瞬間、吐き気をもよおすようなひどい味付けの代物ばかりであった。残飯ならまだましな方。ウジの湧くほど腐ったシチューや、時には口にするのもはばかられる物がかけられた生ゴミなどというものまで食事として出されたのだ。

 

 それらを置いておいても、この肉の味は素晴らしかった。

 貴族として食したものと比較しても、これほど美味しいものはついぞ食べたことがなかった。

 

 

 一心不乱にかじりつき、肉塊を噛み千切り、骨から肉片をこそげ落とし、骨にまでしゃぶりついていたラキュースに、デミウルゴスは問いかけた。

 

「どうです? 美味しいですか?」

 

 その問いかけには、素直に「美味しい」と答える。

 それを聞き、悪魔はにっこりと微笑んだ。

 

「そうですか。それは良かった。それならば、彼女も本望でしょう」

 

 その言い方に引っ掛かるものを感じ、動きを止めたラキュース。

 彼女の目の前に、再び先ほどのメイドが銀の盆を持ってやってくる。

 そして、先ほどと同様、彼女の目の前にそれを置くと、蓋を開けた。

 

 

「!?」

 

 ラキュースは息をのんだ。

 そこにあったのは、焼け焦げた人間の頭部。

 

 すっかり黒く変わり果てた姿であったが、彼女はそこに、ある面影を見つけた。

 自分と同房だった少女の面影を。

 

 

 ラキュースはごくりと喉を鳴らした。

 ここに少女の頭を運んできた理由を理解した。

 

 

 ――すなわち、今、自分が口にしているものは……。

 

 

 臓腑の奥から酸っぱいものがこみ上げてきた。

 そのほっそりとした喉の中でゴボゴボと水音が蠢く。

 

「どうしました? 遠慮する必要はありませんよ。なんら躊躇う必要はありません。その肉は美味しいでしょう? 美味しいものを食べることを我慢する必要などありません。いいですか? およそこの世に禁忌などありはしません。どこかの誰かが勝手に、特定の行為をやってはいけない事だと分類したに過ぎません。強者であるあなたのすることを妨げるものなど、あなた自身の心しかありません。あなたが自らの行動をよしとするならば、それはなによりも尊重されるべきことなのです」

 

 

 目の前に立つ悪魔のささやき。

 

 

 ラキュースはしばし、手の中の肉を見つめた後、込み上げてきたものを再び胃の奥へと飲み下し、肉へとかぶりついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぎゃああーーっ!」

 

 断末魔の悲鳴と共に男が倒れた。

 彼を切り殺した女は、剣についた血を払い、口元に邪悪な笑みを浮かべた。

 

「さあ、皆殺しにしなさい!」

 

 彼女の号令と共に、八本指の者達は一斉に武器を持って襲い掛かる。

 リーダーを殺された反乱軍は怖気づき、逃げようとしたところを、次々と後ろから切り殺されていった。

 

 

 むせかえるような血の香りが辺りに立ち込める中、ラキュースは笑っていた。

 その身を包むのはかつての純白のものとは異なる、漆黒の鎧。

 今、その鎧は鮮血に塗れていた。

 

 

 

 新たに王国を支配したスタッファン王に従おうとしない者達は少なくなかった。彼らは各地で小規模ながら反旗を翻した。

 そこへ鎮圧の為に投入された新政権軍。

 その先頭で剣を振るうのは、新政権側に帰順したかつての『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースであった。

 

 

 彼女は自分の思うがままに、自分の力を振るった。

 かつては民衆を守るためと決めていた力を、ただ欲望のままに使った。

 殺戮の欲望のままに。

 

 彼女はその力に酔いしれた。

 それは本来、自分が持っていた力なのだ。

 それを今まで他人の為にしか使わなかったなど、なんと愚かな事をしていたのだろう。

 

 

 彼女が剣を振るうたびに、たやすく人間たちは死んでいった。

 たくましい戦士も。

 魔術を操る魔法詠唱者(マジック・キャスター)も。

 信仰心厚い神官も。

 抵抗する術もない農民も。

 幼い少女も。

 穏やかな目を持つ老人も。

 紅顔の幼児も。

 

 全て、生殺与奪は彼女の手にあった。

 他者の運命をその手に握るという事は、この上ない優越感をもたらした。

 

 

 ラキュースは己が全能感に酔いしれ、転がる死体の中で狂ったように笑い声をあげていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その様子をはるか遠く、ナザリックから〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で眺めていたデミウルゴスを始めとした面々。

 彼らは満足げに、鏡面に映る映像を見つめていた。

 

「うはー、変わるもんっすね」

 

 陽気な声をあげたのはルプスレギナ。

 

「正義の味方を気取っていたのに、一皮むけば、こんなものでありんすね」

 

 嘲笑に口をゆがめるシャルティア。

 

「ええ、所詮は人間。なんて愚かしい事でしょう」

 

 口元に手を当て、くすくすと笑うソリュシャン。

 そんな皆を前に、愉快そうに微笑むデミウルゴス。

 

「ああ、これこそが人間だよ。実に愚かにして愛すべき存在。彼ら以上の玩具はこの世に存在しないだろうね」

 

 その言葉に一同、笑い声をあげた。

 

 

「それにしても、あっさり堕ちたっすねえ。アダマンタイト級冒険者とか言ってたのに」

 

 そう口にしたルプスレギナに、デミウルゴスが答える。

 

「なに、人間の精神というのは常に一定ではないからね。散々に嬲ることで精神を動揺させておき、そこで紅茶や部屋に焚いた香に混ぜた薬で判断力を低下させれば、操るのも簡単という事さ」

「そんなもんっすか?」

「ああ、そうだとも。薬を使う他にも、暑さや寒さの中に長時間おいておくだけでも、同様の効果がある。ルプスレギナ、君が彼女を牢獄から連れ出そうとしたときも、あっさりと君の言うことを信じただろう?」

「ああ、なるほど。あれも、そうなんすか。ずいぶん、あっさり信じたなぁと思ってたんすけど」

「まあ、あれで堕ちなければ、寝ているうちに〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉で、少しずつ彼女の記憶をいじってみようと思っていたがね。彼女の大切な思い出、友人や仲間との語らいの合間合間にナザリックを讃え、悪徳を是とする言葉を混ぜ込もうとも考えていたんだが」

 

 

 話が一段落したところで、シャルティアが問いかけた。

 

「ところで、この女はこれならどうするんでありんすの? これから人間の王国の支配地域を増やすのに先兵として使うのかえ?」

 

 その問いかけに、デミウルゴスは首を横に振った。

 

「いや、人間として強者に属する者でも、十分に洗脳は可能だという実験は済んだからね。後は処分してしまうつもりだよ」

「なんだか、もったいない気もするんだけど」

「なに、我々に必要なのは人員であって、人間の戦力じゃないからね。我々からすれば彼女程度の戦力など、一般兵と大差はないから、大事にとっておく必要もないさ。それに……」

 

 デミウルゴスは邪悪な笑みを浮かべた。

 

「それに、ああして悪に堕ち、己の力に酔っている彼女。かつての信念まで捨ててナザリックについたはずなのに、そんな我々にさらに裏切られ、自分が無残に殺されると分かったら、はたしてどんな表情を浮かべるか。興味はないかい?」

 

 それをやった時、ラキュースの顔に浮かぶであろう驚愕、悲嘆、憤怒、そして絶望の様を想像し、その場にいた者達は、皆一様に笑いあった。

 実に和やかに。

 実に楽し気に。

 

 

 

 そして〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の中で、ラキュースもまた、いつまでも笑いつづけていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第9階層の執務室。

 今その部屋にはアインズとベル、2人が真剣な顔で机上を見下ろしていた。

 

 2人が見つめる、その先。

 机の上には、幾つものユグドラシルの新金貨と旧金貨が山を作っていた。

 

 そっとアインズはその上へと手を伸ばす。

 ごくりと喉を鳴らして、金貨の山の一部、重なった金貨の一枚に指をのせる。

 そしてそっと指を横にずらした。

 その指先の動きに合わせ、重なり合った数枚の金貨が、音もなく動く。

 だが、もう少しで机の端というところで、グラリと揺れた。

 重なり合った金貨が崩れ落ちる。

 しかし、その金貨は音を立てることもなく、ただ机上に散らばった。

 

 

「ちょっと、待った! アインズさん、今、無詠唱で〈静寂(サイレンス)〉使ったでしょ!?」

「いえ、使ってませんよ」

「嘘だ、絶対に嘘だ! だって、金貨が崩れたのに音がしませんでしたよ」

「偶然というのもあるものデスネ」

「いや、こんな遊びで魔法なんて使わないでください」

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすのです」

「つまり、やったって事ですね! ずるい! ずるぅい!」

 

 

 今、こうしているうちにも策動している(しもべ)たちの暗躍など想像すらせず、ナザリックの支配者たちはのんきに姦しく騒いでいた。

 

 



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第十章 ナザリック編
第83話 2人の懊悩――そして


2017/4/6 「人々と」→「人々を」 訂正しました
2017/4/13 「持って」→「以って」、「収集」→「収拾」、「2度。3度。」→「二度。三度。」、「会いまみえた」→「相見えた」、「応用も効く」→「応用も利く」、「元も子もなくない」→「元も子もない」 訂正しました
2018/5/13 「ンフィーリア」→「ンフィーレア」 訂正しました


 ナザリック第9階層にあるアインズの自室。

 

 今その部屋でアインズは1人思い悩んでいた。

 その顔には隠し切れぬほどの苦悩が見て取れる――骸骨の表情を見分けられる者はほとんどいないのだが。

 

 

 彼はぎりりと歯を噛みしめた。

 もし仮に同席する者がいたのならば、そのナザリックの支配者があらわにした、湧き上がる激情に息をのんだであろう。

 

 興奮が一定値を超え、もはや今日だけで何度目になるか分からない強制的な精神沈静が起こる。

 彼は力を抜き、背もたれに深く身を預けた。

 だが、その胸の奥には、じくじくとしたものが澱となって淀んだままであった。

 

 

 ここまでアインズが懊悩している原因。

 それは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に映るものが原因である。 

 虚ろな眼窩の奥底にある、暗い地獄の燠火のような光。その先にある鏡面に映る映像。それは今、カルネ村の情景を映していた。

 

 

 

 村長であるエンリ、彼女はややぎくしゃくとした口調で何かを話す。

 それをフォローするンフィーレア。

 ゴブリンたちは頷き、蜥蜴人(リザードマン)たちは意見を述べる。話にいまいちついていけないオーガたちは、結論が出るのを待ち、口をつぐんでいるようだ。

 ある程度意見が出たところで、手を叩くロバーデイク。異形の亜人たちを前にしても、気後れすることもなく、落ち着いた様子で口を開いた。

 そして一つ頷き、纏めるように話すリイジー。彼女の目がエンリに注がれる。

 皆の視線が集まった彼女は、その圧力にやや狼狽(うろた)えつつも、(ひる)むことなく胸を張って、何かを言った。

 その言葉らしきものに皆、首肯する。どうやら話はまとまったようだ。

 

 三々五々に散らばる彼ら。

 誰もが今の話し合いで決まったこと、そして今日やるべき仕事へと戻っていった。

 

 鏡はその内の1人、ゴブリンのカイジャリを追う。

 彼は1人、カルネ村近くの小高い丘へと足を向けた。

 

 

 まるで海原のように風になびく草原。

 そこには一際目立つ2つの存在、護衛であるデスナイトのリュース、並びに集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーがいた。

 

 そして、それらに守られるようにして、まばゆいばかりの太陽の光に照らされた柳緑(りゅうりょく)花萌葱(はなもえぎ)の草の上に腰かけている人物が2人。

 

 あどけなさの残る顔つきの1人はエンリの妹、ネムである。

 残るもう1人は、肩口で切りそろえた金髪をヘアバンドで留めた、少女という年を脱しかけた女性。

 かつてミスリル級に匹敵すると言われたワーカーチーム、『フォーサイト』のメンバーの1人、アルシェ・イーブ・リイル・フルトであった。

 

 

 2人は無邪気に笑っていた。

 そこへやって来たカイジャリが声をかける。

 それを聞いたネムは、彼女よりどう見ても年上に思えるアルシェの手を引き、ゴブリンやアンデッドたちと共に村へと戻っていった。

 

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉では音は聞こえないため、会話は想像するしかないのだが、その一連の様子を眺めていたアインズは、がっくりと肩を落とし、頭を抱えた。

 そのまま机に突っ伏す。

 

 

「……なんで? なんで、こんなことになってしまったんだろう……?」

 

 アインズは自問する。

 

 

 王国における一連の作戦が一区切りつき、エ・ランテルに冒険者モモンとして帰還したアインズ。彼はその後、街の衛士たちと共にあちこちの見回りをすることになった。

 街を囲んでいたアンデッドから解放され、食糧難が改善に向かっていたとはいえ、街の治安は悪化したままであり、人々を落ち着かせるため、力ある者がそれを明確に顕示してみせる必要があったのだ。

 

 その最中で見つけた、かつての知り合いの姿。

 

 彼女が、今回の王国支配計画のあおりを受ける羽目(はめ)になっていたとは予想だにしていなかった。

 

 しかし、落ち着いて考えてみればそれは想像できたはずであった。

 アルシェは妹たちと共にエ・ランテルに移り住んだと報告は受けていたのだ。

 エ・ランテルに住んでいるのならば、エ・ランテル封鎖の影響を受けてしかるべきであり、その結果は言わずもがなである。

 

 だが、アインズはその可能性に思い至らなかった。

 

 彼の思考では、帝国での一連の出来事と、王国での計画は深く噛みあってはいなかった。関連はしているとは分かっていても、あくまで別々のものであるという、そんな考えであった。

 

 

「いや、違う。俺は……俺は考えたくなかったんだ……。俺がこの世界で振るう力、振るえる力……それに伴う結果、影響の広さを……」

 

 

 自分がした、ほんの少しの行動。

 ほんの些細な判断。

 それは深謀遠慮とまではいかなくとも、さんざん悩みまくって決断したものもあれば、ただの軽挙妄動といえるべきものもある。

 

 

 しかし、そうした彼の決断を、ナザリックの者達は全力を以って叶えようとする。

 

 彼らはアインズの意に添おうとする。

 この世のすべてを見通す英知の持ち主。智謀の王たるアインズの判断に誤りなどあるはずもないと信じて。

 彼の思惑を類推して。

 

 その結果、もたらされたもの――エ・ランテルの現況を、治安改善の為、見回りに協力する英雄モモンとして、アインズは目の当たりにすることになった。

 

 

 そこにあったのは、吐き気をもよおすようなこの世の地獄。

 互いに疑心暗鬼に陥り、友人知人、はたまた見知らぬ者の区別なく奪い合い、殺し合い、そして喰らいあった果ての光景。

 過酷としか言えないような状況にあった者たち。際限ない絶望から解放され、人としての理性を取り戻したものの、その理性によって自分たちがやってきたことを突きつけられ、虚脱状態に陥っている彼ら、彼女らはまったく見知らぬ誰かではない。

 アインズは冒険者モモンとして、しばらくの間、この街を拠点として活動していた。

 彼らはかつてアインズが、共に過ごし、声を交わした知己の者たちであったのだ。

 

 

 

 アンデッドとして人間性を失っていたのは幸いであったといえるだろう。

 もし人のまま――現代人鈴木悟の精神のままであったのならば、そこに広がっていた光景に、精神が崩壊していたやも知れない。

 

 だが、精神が崩壊こそしなかったものの、いまだ強く残る人間としての良心に、彼は絶え間なく責め苛まれることとなった。

 人ではないアンデッドとなった彼は、眠りによって心休めることも、アルコールの心地よい酩酊に身を任せることも、それこそ薬物におぼれることすらも出来なかった。

 

 

 そうして、現実を直視することを余儀なくされ、心の奥底が少しずつ爛れ、うじゃけていく日々を過ごす中、アインズはアルシェと再会した。

 彼女は今回の騒乱により、帝都で助けたはずの妹2人を失い、薬による安らかな偽りの幸福に浸りきり、そしてそのまま命を落としていた。

 

 

 アインズは彼女を助けようとした。

 特に利害を考えての事ではない。

 わずかなりとも救いを求めて。贖罪の為であった。

 

 そんな衝動的な行為であったが、彼の願いは容易く叶えられる。

 死んだ人間を生き返らせたいなど、リアルの現実では口にするだけで呆れられるようなものであり、魔法というものがあるこの世界からみても、そうそう簡単に行えるものではない。

 

 しかし、ナザリックの力があれば、その程度、造作もない事でしかないのだ。

 

 運び込まれた彼女の遺体。

 呼び出されたペストーニャは、すぐに彼女を生き返らせた。

 

 

 しかし、彼女は再び、すぐに命を落とすこととなった。

 

 

 甦った当初は混乱するばかりであったが、アインズ――モモンの姿であったが――からエ・ランテルで命を失っていた事を聞かされた彼女は、すぐに生前の記憶を取り戻した。

 そして、彼女の大切な妹たちがどうなったかを思い出し、ショックのあまりに再び死亡してしまったのである。

 

 

 そこでアインズは、記憶を操作することにした。

 本当はアルシェの妹たちを生き返らせることが出来ればよかったのだが、アインズがアルシェを見つけたときには、彼女の手にあったのは服の切れ端のみ。蘇生に必要な体の一部はなく、またどこで死亡したのかすら分からなかったため、蘇生させることが叶わなかったのだ。

 そこで、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使い、妹が存在したという記憶そのものを消そうとしたのだ。

 

 ザリュースの記憶もそれで消した。

 その結果、彼は現在、カルネ村で幸せに暮らしている。

 アルシェに対しても、同じように出来るという自信があった。

 

 

 だが、そうはいかなかった。

 

 

 ザリュースの場合は、ここ数か月の記憶をそっくりそのまま消してしまうだけだったから、すんなりといった。

 しかし、アルシェの場合、トラウマの原因である妹たちの記憶を消すのは困難であった。

 なにせ彼女らの存在は、現在のアルシェという人間の根幹に深くかかわっている。

 日や月などという単位ではなく、彼女らの記憶は年単位に及んでいた。およそアルシェの生きた記憶の三分の一。物心ついてからだと、ほぼその全てにクーデリカとウレイリカの思い出が残っていた。実家の資金繰りの為に帝国の魔法学院を辞めて、過酷な環境に身を置くワーカーとなり、必死の思いで金を稼いでいた日々の心の支えは愛する妹たちであり、彼女たちの存在こそがアルシェの行動、その判断の多くを占めていたといえる。

 

 

 ウレイリカとクーデリカ。

 その2人はアルシェの中で、あまりにも大きすぎた。

 

 

 それに気がついたのは、すでに記憶の操作を始めてからであった。

 

 およそ何年にもわたる彼女らの思い出。

 それを消し、なんら不整合さを感じさせないようにするのは並大抵の事ではなかった。

 いや、不可能に近かった。

 

 魔法で記憶をいじり、いくつか直近の思い出を消してみはしたものの、それでは別の記憶と整合性が合わなくなる。その為、それに連なる別の記憶をいじり、それを変えると、また別の所を書き換える必要があり……と際限なく繰り返した結果、もはや取り返しがつかない状況になってしまっていた。

 ウレイリカ、クーデリカが生まれたとき付近からの、全ての記憶を消さねば、収拾がつかなくなってしまったのだ。

 

 結果、今のアルシェは、肉体は現在のまま10代後半であるが、精神は10歳未満のものでしかない。

 

 

 手に手を引かれ歩きながら、ネムにあれこれと話しかけられ、無邪気に笑うアルシェ。

 鏡越しに見る、共に旅をしてきた間、わずかなりとも見ることは無かった表情。

 

 それを見て、アインズは苦悩する。

 彼は苛立ちのままに声をあげた。

 

「ふざけるなっ! ふざけるなよ!! なんだよ、これ!?」

 

 怒りのままの両手を振り上げ、そしてテーブルへと叩きつけた。

 二度。

 三度。

 

 一人で調べたいことがあるからと人払いをし、呼ばない限りは入ってくるなときつく言い渡していたために、破砕音を聞いても、室内に踏み入ってこようという者はいない。

 

 

 やがて精神の鎮静により、落ち着きを取り戻したアインズ。

 しかし、その時には、目の前のテーブルはすっかり砕け散っていた。

  

 かつてゲームであったユグドラシル時代ならば、その行為は破壊可能オブジェクトへの攻撃とみなされ、ダメージは0と表示されるだけであっただろう。

 しかし、ゲーム内のオブジェクトではなく、現実に目の前にあるものとして設置された机に、苛立ちからくる力を叩きつけた結果、頑丈なはずの大理石のテーブルは跡形もなく、粉砕されていた。

 

 

 それがアインズに冷たく告げているようだった。

 お前がいるところ、そこは現実であるのだと。

 

 

 

「ちくしょう……なんで、なんでこんなことになるんだよ……」

 

 口から言葉が零れ落ちる。

 

 

 

 アインズは嬉しかったのだ。

 

 

 リアルにおいて親しい友もなく、大切な家族もなかった彼にとってユグドラシル、そこで友人たちと作ったギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は彼の生き甲斐であった。すべてと言っても過言ではない。

 そんな心血注いで作り上げたギルドも、ゲームの終了と共に全て消え去ってしまう。

 彼は寂しさから、共にギルドを作り上げた皆、かつての友人たちにメールを送った。

 

 『ゲームの終了日に皆で集まりませんか?』、と。

 

 しかし、そのメールを受けてログインした者は、アインズを除いた40人中、わずかに4人だけだった。

 

 だが、その内の1人、ギリギリでやって来たベルモットは最後の瞬間まで残ってくれた。

 そして、2人でこの異常事態に巻き込まれたのだ。

 

 

 彼は困ると同時に喜んだ。

 

 12:00を過ぎた時点でゲームは終わる。

 これまで自分がユグドラシルに費やしてきた全てが消える。

 かつての仲間たちとの絆、思い出の証も全てが無へと帰す。

 

 そう思っていた。

 

 しかし、その時が消えてもゲームは終わらなかった。

 彼はベルモット――ベルと一緒に、かつての友人たちによって作り上げられたナザリックと共に、この地へとやってきたのだ。

 

 

 鈴木悟はリアルに未練はない。

 終わると思っていたゲームがまた続けられる。

 たった1人だが、かつての友人ベルと共に、新たな世界で冒険が出来る。

 そう思って、秘かに心弾むものを感じていた。

 

 

 

 正直、彼――鈴木悟は心躍っていた。

 今の自分は、かつて心血注いで作り上げたゲームのキャラクター――モモンガの能力そのままである。

 

 当初は警戒していたものの、この世界の者達の能力ははるかに低いという事が知れた。

 すなわち100レベルキャラである自分は圧倒的なる強者として存在できる。

 もちろん、この世界には、能力を隠し潜伏している者やワールドエネミーのような存在もいるかもしれない。油断は出来ない。

 しかし、当面はナザリックは攻め落とされることもなく、安泰であると安堵した。

 

 

 そして、彼は戦士に扮して、この世界の冒険に出かけた。

 

 楽しかった。

 まったく見知らぬ地での冒険。

 しかも、あくまで戦士としての活動は演技でしかない。

 いざとなったら、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての能力を使う事も出来る。ナザリックの力を使う事も出来る。

 そんな切り札を秘めた、余裕を持った冒険。

 それはまさに現実でありながら、ゲームのような気楽さを持ったものであった。

 そこで裏の仕事はベルに任せ、彼は名声を一身に得る完全無欠な英雄として活動し、楽しんでいた。

 

 なんでも出来ると思っていた。

 本来は魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのに、その能力的な強さだけで魔法を使わぬままでも戦士として活躍する事が可能だったほどだ。

 さらに自分の行使できる魔法は、この世界においては圧倒的なまでのオーバーテクノロジーであり、それらを使えば、どんなことでも出来る。それこそ必要だと思ったら〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉で戦士としての能力を上昇させることも出来るのだ。

 ナザリックの宝物庫から拝借する気はないが、自分個人がアイテムボックスに放り込んでいる個人資産だけでも、使いきれぬほどの金を持っている。

 また、本当のちょっとしたアイテム、それこそ捨てるほどあるポーションさえも、この地では桁外れの価値があるものらしい。

 まさに全て思うがままであった。

 

 

 

 だが――。

 

 だが、そんな彼につきつけられた現実。

 ベルはかつてのベルモットではない。彼自身が行った悪戯によって、もとの友人とは別個の存在へと捻じ曲げられてしまっていたのだ。

 そして、悪の組織として作られたナザリック。それが引き起こした結果。

 

 王城ロ・レンテにおいて、ラキュースから言われた言葉が頭から離れなかった。

 

 

『あなたは……あなたは人の命をなんだと思ってるの! あなたは凄い力を持っているかもしれない。とんでもない魔法を使えるかもしれない! でも、生き返らせてしまえばいい。記憶を消してしまえばいい。それで済むと思っているの! 生きとし生けるものすべてにとって、大切なもの踏みにじって、人の人生を思うがままにもてあそんで! それが……それが楽しいとでもいうのっ!?』

 

 

 

 自分は力を持っている。

 自分はこの地の者には操れないような魔法が使える。

 自分は死した者でも生き返らせられる。

 自分は記憶すらも自由に操れる。

 

 この力があれば、何でもできるはず――。

 

 

 それを証明するために、ザリュースを蘇らせた。

 ちゃんと記憶も消し、彼はクルシュと共にカルネ村で幸せに暮らしている。

 

 これは全て自分の力だ。

 自分がやろうと思えば、誰にだって幸せを分けてやれる。

 

 だから、同じようにアルシェも幸せにしてやろうと考えた。

 だが、その結果――。

 

 

 キャッキャとネムに抱きつきじゃれ合う、その姿。

 何の悩みもなく、幸福そうな姿であるが、そこにかつての怜悧な知性溢れた面影を見て取ることは出来ない。

 

 人は記憶があるからこそ、人であるといえる。

 では、その記憶を入れ替えた存在は、同じ人といえるのであろうか?

 

 

 カルネ村に連れてきた後のアルシェの様子を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で観察していたアインズは知っていた。

 精神が退行し、すっかり変わり果てた様子のアルシェの姿に、ロバーデイクは誰にも見られぬところで秘かに涙していることを。

 あの時、幼い双子のこともあるため便利な街中で暮らすのがいいかもなどと考えず、少しばかり強引にでも彼女らもカルネ村に連れてくばよかったと、後悔と悲嘆にくれていることを。

 

 

「間違い……間違いだったというのか? ……何処からが間違いだったんだ?」

 

 アインズは苦悩する。

 ふらつく足取りで部屋の中をぐるぐると回る。

 そのたびに彼の足に、彼自身が砕いた、ゲームではなく現実の証であるテーブルの破片が当たる。

 

 

「……ベルさん。……ベルさんに話そう」

 

 アインズは決断した。

 ベルと対話することを。

 自分が知っている事、思っている事を(つまび)らかに話そうと。

 

 

 彼はそれを避けていた。

 逃げていた。

 特に帝都において、イビルアイと対話した際、かつての自分の悪戯が原因でベルの精神に変化が訪れているという事実に気がついてから。

 

 話さなければいけないとは思いつつ、その内、ベル自らが気付いてくれないかという甘い希望の下に、事を先延ばししていた。

 腹痛に苦しむ者が、医者にかからずとも自然に治ってくれないかと願うような、愚かな願望。

 だが、その結果、引き起こされたのが王国での一件。

 そこで起こった惨劇は、アインズの想像をはるかに超えるものであった。

 

 事ここに至って、現実と向き合わないままでいる訳にはいかない。

 アインズは腹を決めた。

 

 

「ベルさん。……もうこんなことは終わりにしましょう」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あー……」

 

 実におっさんくさい声をあげて、ベルは自室のソファーに寝っ転がっていた。

 パリパリと食べかすが散るのを気にもせずに、ジャガイモをスライスして揚げ、塩をふったもの――いわゆるポテトチップ――を口にほうばる。

 

 そんな傍らでは長期にわたる王国での潜伏任務を終えたユリが、あちこちで手に入れた物が無造作かつ乱雑に置かれた混沌とでも言うべきベルの私室を片づけている。

 

 

 普通の者なら、いつまでやっても終わりも見えなさそうな部屋の片づけという仕事にうんざりするところであるが、ナザリックの者にとってそれは逆にやりがいのある仕事ということである。

 とくにユリは、これまでずっとナザリックを離れていた。

 そのため、彼女はより一層熱心に、室内の清掃並びに整理整頓というベルから考えると実に面白みのない仕事に、熱心に取り組んでいた。

 

 

 だが、さすがにそんなユリといえど、ただ何をするでもなく、ソファーに寝っ転がって、間食をしつつ惰眠をむさぼるベルの事は気になったようだ。

 

「ベル様。退屈なのでしたら、何かなさっては?」

 

 至高の御方の御息女であるベルが、見るからにあらゆる気力を無くして、ぐだぐだしている様子を見るに見かねて、ユリはそう声をかける。

 けっして、そうやって寝っ転がって変なうめき声をあげていられるのは目障りだ、などという不敬な思いによるものではない。

 

 

「んー……」

 

 

 ユリの言葉にも、ベルはただソファーの上で寝返りを打つだけであった。

 

 

 実際、ベルはやる気をなくしていた。

 

 これからなにをやればいいのか?

 やるべきことはある。

 それもたくさん。

 しかし、何も手につける気になれなかった。

 

 

 転移したこの地において、ベルやアインズはナザリックの者達を使い、秘かに情報を集めた。この世界にいるかもしれない強者、自分たちの安全を脅かしかねない存在に気づかれることの無いよう、慎重に慎重を重ねて。

 それと並行して、少しずつ各所において影響力を拡大していった。

 そうして、とりあえず分かる範囲では敵する者はいないと知り、機は熟したとばかりに行動を起こすことにしたのだ。

 結果、帝国はナザリックの暗躍も知られぬままに崩壊へと導くことが出来た。

 王国については、こちらが表に出ずとも済む、傀儡政権を打ち立てることに成功した。

 

 だが、これで終わりという事ではない。

 あくまでナザリックが転移した地付近にあった国家、その内2つに関わっただけでしかない。まだまだ、これからである。

 この後は法国。そして周辺諸国。ゆくゆくは大陸中央部にあるという亜人たちの支配する地へと勢力を拡大していく。世界征服の戦いは続いていくのだ。

 

 

 

 しかし、ベルはすでにそこまでで満足を感じていた。

 

 初めて訪れた地、カルネ村で出会ったこの世界の戦士、ガゼフ・ストロノーフ。

 その後、長き時を隔てて、再び相見えた彼を、ベルはその手で倒した。

 

 もはや、やりきった感が彼女を包んでいた。

 

 

 実際、何をしても、もう面白くなかった。

 戯れに人を殺してみても、ただ作業感しかなかった。

 どれだけ拷問や虐殺をしても、楽しくなかった。

 

 ベルはもうこの世界に、すっかり飽きてしまっていたのである。

 興味の糸はぷっつりと切れてしまったのだ。

 

 

 

 そうして、やる事がなくなったベルはソファーに寝っ転がったまま、これまでの事を思い返していた。

 

 ユグドラシル最終日、ログインして終わりの時を待っていたら、突然、ゲームの世界が現実のものとなり、NPCたちが動きだした事。

 カルネ村に行き、村を助けた時の事。

 エ・ランテルでズーラーノーンの仕業に見せかけて、『モモン』を英雄に仕立て上げた時の事。

 蜥蜴人(リザードマン)の救援に行き、破滅の魔樹――たしかザイトルなんちゃらとかいう名前だったか――を倒した時の事。

 ダミーダンジョンに遺跡調査のふりをしたズーラーノーンの手先が復讐にやって来た時の事。

 旅行もかねて帝都に行ったら、おかしなことに巻き込まれた挙句に、帝国を滅ぼした事。

 帝国に進軍しようとした王国軍をエ・ランテルに閉じ込めている間に、王都を占拠し、蜂起した者達を鎮圧。そして、エ・ランテルにおいて、ガゼフ・ストロノーフを殺害した事。

 

 

 ――いろいろやってきたなぁ……。

 

 これまでの思い出が脳裏をぐるぐるとめぐる。

 そうして、しばし回想に浸る。

 

 そうしたうえで現在の自分を取り巻く状況を省みた。

 

 すると胸のうちに、拭いきれない一つの違和感が浮かんでくるのだ。

 それはここ最近のアインズの態度である。

 

 

 どうにもここしばらく、アインズの様子がおかしい。

 思い返してみると、なんだか顔を合わせたときなど、不意に表情を曇らせたり、奥歯にものが挟まったような、そんな物言いをしたりする。

 そもそも、最近あまり顔を合わせようともしない感じがする。どこかよそよそしさを感じさせる態度、はっきり言えばベルの事を避けている気がする。

 

 

 ――はて? 一体どうしたんだろう?

 

 首をひねるベル。

 記憶をたどっていくと、アインズの態度がおかしくなったのは帝都に潜入してしばらく(のち)、帝国殲滅作戦を開始したころからだったろうか?

 

 帝国で起こったこと。

 そこでアインズがベルに対する態度を変える、なんらかのきっかけとなるもの。

 

 真っ先に思い浮かぶのは、『傾城傾国』を手に入れたことだ。

 まさかこの地にあるなどと思いもしていなかったワールドアイテムの入手。

 それにベルは浮かれはしゃいだ。

 そして興奮状態のまま、気分が大きくなったベルは、これまで抑えていた願望、圧倒的なるナザリックの持ちえる力を使い、この地の情勢に介入するという計画を実行したのだ。

 

 

 ――まさかとは思うけど、秘かに手に入れた『傾城傾国』。その存在を、実はアインズさんが知っているなどという事はないだろうか?

 

 今、ベルが『傾城傾国』並びに『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を持っている事を知っているのは、ソリュシャンだけ。彼女には口止めしているが、もしベル以上の権限のある存在、すなわちアインズが彼女に何か言っていたとしたら……。

 

 ――いや、それはないか。それより可能性があるのは、あの時、護衛として何者かが隠れ潜んで尾行していた。もしくは、なんらかの手段で監視していた可能性だ。リアルタイムでは報告はいっていなくとも、後からその事を知ったとすれば、あの時の態度に矛盾はない。

 もしや、入手したことを知っておきながら、敢えてそれを口には出さないでおき、いつこちらから言いだすのか待っているとか。

 ……あり得るかもしれない。なにせ、アインズさんにはワールドアイテムは効かないんだから。慌てて拙速な行動に移す必要もない。

 

 

 アインズは常に、その胴の奥にワールドアイテムをしまい、持ち歩いている。

 すなわちベルが保有するワールドアイテム『傾城傾国』や『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を使用したとしても、その影響を彼が受けることはない。

 守護者統括であるアルベドもまた、ワールドアイテム『真なる虚無(ギンヌンガガプ)』を保有している事から、他のワールドアイテムの効果を無効化できる。

 そして、アルベドはユグドラシル最後の瞬間に設定を書き換えた事により、アインズに対して絶対的にして狂信的ともいえる忠誠、いや執着を持っているのだ。

 

 

 それを考えると、ベルは口元が引きつるのが分かった。

 

 頭に浮かんでくるのは、先日の王都における蜂起鎮圧の時の事。

 あの時、ベルはアインズに話を持ち掛け、アルベドを鎮圧の任に駆り出した。

 それは、彼女はこれまでナザリック外の者に目撃されたことがないため、仮にどこかで監視している者がいても、その時点では今回の件でナザリックが糸を引いていると気がつかれずに済むという考えもあったのは事実である。だが、一番の目的は、常にナザリック内にいるアルベドを1人で外へと連れ出す事であった。

 

 アルベドはベルに対して面従腹背といった感じがあるのは、さすがにベルでも気がついていた。その為、彼女をナザリックから引き離し、その隙にアルベドの部屋を秘かに調べたり、出撃したアルベドを隠密が得意な者に監視させるなどしていたのである。その結果判明したのは、彼女の狂気にも似たアインズへの妄執。そしてベルへの明確なまでの敵意。

 

 とてもではないが、アルベドと敵対などしたくはない。

 

 ベルは大きく一度、身震いをした。

 

 

 ――とにかく、一度、アインズさんと話してみたほうがいいかな?

 

 ベルとても、別段、アインズと喧嘩したいわけでもない。

 もちろんそうするより他にないというのであれば話は別だが、アインズはベルと同様、この世界におけるたった2人の『人間』である。

 出来るならば手を取り合い、協力して、良い関係を構築していきたいというのが本音だ。

 

 なんなら『傾城傾国』を新たに見つけたという事にして報告し、それをナザリックに明け渡してしまうか? その代わりにワールドアイテムを見つけてきた功績として、何か別のものを一つ貸与させてもらうという形をとってもいい。ワールドアイテムの発見、入手というのはそれくらいの報奨を受け取ってしかるべきほどの事である。

 そうすれば、何の軋轢もなく、ベルがワールドアイテムを保持できる状態になる。

 

 

 ――あー……いっそ、そうするかな?

 

 正直、弱気としか言えないような考えだ。思考の放棄、考え無しと言ってもいい。

 これまでのベルであれば、即座に却下するような案だ。

 だが、すでに燃え尽きた状態であり、やる気などすっかり失せていたベルは、すんなりとそんな考えに思い至った。

 なげやりに、もうそうしてしまおうかという思いが胸の奥に湧き起こってくる。

 

 

 そもそもな話。

 ベルは現在ワールドアイテムを2つ持っているのだ。

 そのうち1つなら、渡してしまっても別に問題はない。

 

 出来ればそれは、『傾城傾国』ではなく、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の方で何とかなればいいのだが。

 正味の話、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』は使用者の存在が抹消される代わりに、対象者の存在も抹消されるという、一見凄まじい性能を持つ気はするものの、実際には使用回数が1回こっきりの相打ち用のものでしかない。持っていても仕方のない、ワールドアイテム保有者にはワールドアイテムの効果が及ばないという特性を利用する以外には役に立たない、使えない(・・・・)アイテムである。一応、他の弱者に使わせるなどあれこれ手を廻せば、それなりに使えるかもしれないが、とにかくこれを保有していても利用価値は低い。

 一度に操れるのは一体だけでも、複数回使用できて、応用も利く『傾城傾国』の方がはるかに使い勝手がいい。

 

 しかし、もし『傾城傾国』を持っていることがアインズにはっきりと知られていたとするのならば、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』だけではすまず、両方供出しなければいけないことになりかねない。『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を渡した後で『傾城傾国』を渡さざるを得なくなり、せっかくのワールドアイテムを両方失う、元も子もない事態になりかねない。

 

 

 ――仕方がない。ここはおとなしく『傾城傾国』の方を渡して、様子を見ようか。

 なんだかんだ言って『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』は二十に数えられるほどの壊れ性能だ。

 使い方次第では、なんとかなるだろう。

 

 

 本気でその事を話してしまおうかなと考え、ベルは一つ頷くと、そこらを掃除しているユリにアインズの居場所を尋ねた。

 そして返ってきたのは、アインズは今、自室にこもっているという答え。

 

「なんだか、最近、独りで部屋にいること多いよね」

 

 うすしお味のポテチを齧りつつ、何気なくそう口にしたのだが、それに対してユリは掃除の手を休めることなく答えた。

 

「色々と考えるべきことも多いのでしょう。本当にいるかどうかは分かりませんが、世界のどこかに隠れ潜んでいるやも知れない強者の捜索は、いまだ続いておりますし。とくにこの地には100年に一度、プレイヤーが現れるそうですから」

 

 

 

 パリン!

 

 

 ひときわ大きな音が室内に響き渡った。

 驚いてそちらに目をやると、至高の御方の娘にして目を見張るような美少女が、ポテチのかけらを口にくわえた状態で凍り付いている。

 

「ユリ……今、なんて……?」

「は?」

「いや……今、プレイヤーについて言っていたよね!?」

「は、はい、申しましたが……」

 

 何でもない世間話のような言葉に食いつかれ、戸惑いの色を隠せないユリ。

 彼女は突然の主の変遷にしどろもどろになりつつ答えた。

 

「え、ええっと。かつて1500人からなる集団でこのナザリックを襲った不敬者らと同様の存在、プレイヤーなる者達が100年に一度、この地にやってくるのだと聞きましたが……」

「そ、その話はどこから……」

「以前、私たちの部屋で集まって紅茶をたしなんでいた際、ルプスレギナがそう口にしておりました」

 

 その答えにベルは愕然とした。

 

「ルプスレギナが!?」

 

 

 ――何でルプスレギナがそんな事を知っているんだ?

 

 

「はい。なんでも、冒険者チーム『漆黒』としてアインズ様と共に、帝国でのビーストマン退治におもむいていた際、『蒼の薔薇』から聞いたのだとか……」

 

 

 その口元からポテトチップの欠片を落とし、呆然としたまま、身じろぎ一つしないベル。

 そんな彼女の様子に、ユリは狼狽(うろた)えるばかりであった。

 

「べ、ベル様。一体何か、お気に障るような事でも……」

「……いや、何でもないさ」

 

 そう言って、ベルはソファーに座り直し、にっこりと微笑んだ。

 動揺を抑えるように、ことさら大きな動作でタバコを手にとり、火をつける。

 

「それより、ユリ。君が聞いたっていうルプスレギナのその話を聞かせてくれないかな? ほら、君たちの間で広がっている話と、ボク達の知っている真実とがかけ離れていたら、思わぬところですれ違いや齟齬が生まれてしまうだろう?」

 

 その言葉になるほどと頷いたユリは、自分の知る限りの、ルプスレギナから聞かされたプレイヤーに関する情報をベルに話して聞かせた。

 

 

 少女はそれを聞きながら、紫煙をくゆらせ続ける。

 鼻をつく香り。肺の中をタールで湿らせながら、ベルはただ口元に微笑みを張りつけ、じっと聞いていた。

 

 

 ――なるほど、アインズさん。

 掴んだ情報を秘匿しておき、出し抜こうとするとは……やるじゃないですか……。

 

 



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第84話 先んずれば人を制す

 今回、色々とワールドアイテムを始めとした捏造設定があります。

2017/4/13 「アルベドはが」→「アルベドは」、「カイネ」→「カイレ」、「というは」→「というのは」 訂正しました
2017/4/13 「訪れとしたら」→「訪れたとしたら」、「ガゼフストロノーフを吊り上げる」→「ガゼフ・ストロノーフを釣り上げる」、「もの」→「者」、「いって」→「言って」 訂正しました
2017/4/13 「すべからく」→「ことごとくにして」、「敬服しているように見えるが」→「敬服しているような素振りだが」



 カリカリとペン先が紙の上を動く音が響く。

 規則正しいその音が急にピタリと停止すると、紙をめくる音。

 書き終えた書類を手にとり、それを傍らに積まれた紙の山の上へと置く。そして、逆側に積まれた紙の山から一番上のものを目の前に置くと再びペンを走らせる。

 

 そうして、アルベドは自分の所に持ち込まれた書類を次々と処理していった。

 ペンを動かす手がほとんど休む暇もない。

 彼女の認識能力、そして知力をもってすれば書類を取り、目の前に置くわずかな刹那にて、そこに書かれた全てを読み終え、そしてどうすべきかの判断を下すことが出来る。後はどう対応すべきかをそこに書くだけだ。

 見る見るうちに傍らに積まれた未決済の書類の山が減っていき、逆に処理済みの書類を入れる箱がいっぱいになっていく。

 

 

 やがて――彼女の手がピタリと止まった。

 判断が困難な案件があったためではない。

 そこに積まれていた書類をすべて片付けてしまったためだ。

 

 一仕事終えたというのに、アルベドは一息つくどころか、その整った眉根を寄せた。

 彼女は今、ナザリックの様々な案件を処理していたところだ。まだまだ、彼女が決裁せねばならぬ案件はあるはず。普段であれば彼女が手を止める(いとま)もなく、配下の者達が次から次へと新たな書類を持ってくるはずなのである。

 それが何故、滞ったのか?

 

 

 アルベドの柳眉(りゅうび)が逆立てられる。

 

 彼女としても、このような仕事は一分一秒でも早く終えて、愛するアインズの許へ飛んでいきたいというのに。

 こうして無駄な時間を過ごすという事は、アインズの姿を眺め、アインズと声を交わし、アインズと共に過ごすはずの時間をただ無為に浪費しているという事だ。

 いったい何が、自分とアインズとの仲を邪魔しているというのか。

 

 

 彼女は抑えきれない苛立ちに、叱責の声を張り上げようとした。

 

 だが、その桃色の唇は開かれた瞬間のまま止まる。

 

 配下の者を呼ぼうと机から顔をあげた彼女の視線の先、この部屋の出入り口の所にいたのは、彼女の仕事を手伝うためにあてがわれた青銅色の肌を持つ悪魔ではなく、そこにいるはずのない、美しい銀髪を腰まで垂らした少女。アルベドが内心、最も不快さを感じる相手、ベルであった。

 

 

「やあ、ご苦労さま」

 

 言いながら、つかつかと部屋に入ってくるベル。

 

「これはベル様。このようなところにどのような御用でしょうか?」

「いやあ、陣中見舞いってやつだよ。お仕事大変そうだからね」

 

 ――分かってるんなら、わざわざ来るなよ、ゴミめ!

 

 心の奥で毒づきつつも、アルベドはそんな内心の苛立ちをおくびにも出さず、穏やかに微笑みかけた。

 

「ええ、大変ですが、これもナザリックの為ですもの。至高の御方のお役に立てると思えば、軽いものですわ」

「ふうん」

 

 彼女が座る机の傍らに歩み寄り、決済が終わった書類をつまみあげ、ベルはぺらぺらとめくってそれに目をやる。

 

 アルベドの眉がまた顰められた。

 今度は怒りの為ではなく、湧き上がる疑念から。

 

 

 ――本当に、いったい何をしに来たのかしら?

 

 

 これまでベルがアルベドに直接会いに来るなどという事はまずなかった。必要上、共に仕事をする機会はあったものの、彼女の知る限り、常に誰かを傍に置いていたはず。それが今は、たった一人である。供回りの者を誰一人付けずに歩き回るなど、異例も異例のことだ。

 

 ベルがやって来た真意を掴めず、どう相手をしていいものやらと計りかねているアルベド。

 そんな彼女に対して、少女は何でもないように声をかけた。

 

「アルベドがそうやって働いてくれているおかげで皆、助かっているよ。君がいれば、ナザリックは安泰だね」

「いえいえ、非才なるこの身ですが、わずかなりともお役に立てているのならば、そう思ってくださるのであれば、身に余る光栄ですわ」

「謙遜しなくてもいいよ。君はナザリックにとって役に立っているさ。アインズさんもそう言ってたしね」

 

 その言葉にアルベドの心臓が一つ高鳴る。

 

 アインズが言っていたという。

 自分がナザリックの役に立っていると。

 

 その頬が緩むのを抑えきれない。

 

 

 だが、次の瞬間、そんな彼女の表情が凍り付いた。

 

「うん。ナザリックの為に働く君は、ボクにとってもものすごく便利な駒さ」

 

 

 瞬間――。

 

 

 ギンと殺気が撒き散らされる。

 瞬時にして抑え込みはしたものの、それはけっして隠しきれるものではない。

 

 至高の41人の娘であるベルに対し、そんな気配を放つ。

 それは反乱の予兆ありと判断され、処断されてもおかしくはないほどの行為であった。

 

 

 ――こいつ……まさか、私を挑発して追い込むつもり!?

 

 

 その美しい(かんばせ)には笑みを形作りつつも、かろうじて音が漏れぬほどに歯ぎしりをするアルベド。

 対して、ベルは何事もなかったかのよう。

 

「ん? どうかした?」

「……いえ、別に……」

「そう、それは良かった。てっきりアインズさんにとって特別な、重要人物であるボクに対して、ただ下に使われるだけの、替えのきく歯車でしかないナザリックの(しもべ)風情(ふぜい)が舐めた態度をとったのかと思ってさ」

 

 

 限界だった。

 

 瞬間――目の前の机が粉砕され、空を切って突きだされたアルベドの手が、ベルのほっそりとした喉をがっしりと掴む。

 撒き散らされた書類がはらはらと舞い落ちた。

 

「……いい気になるなよ、ガキが。お前など、アインズ様の触れた紙屑一つにも劣る存在だというのに」

 

 喉笛を締め付ける剛力。

 そして、ドラゴンすらも怯ませるであろう、狂気にも似た殺気を湛えた瞳。

 だが、それに晒されていながら、ベルはというとへらへら笑っていた。

 

「おお、怖い。うわー、アルベドに殺されそう。アインズさんに言いつけちゃおうかな」

「な、なに?」

 

 愛する者の名を出され、アルベドはわずかに怯んでしまう。

 

「今すぐ、指輪を使ってアインズさんの所に転移しようかな? そして、アインズさんに告げ口しちゃおうかな? アルベドがボクを殺そうとしたって」

「そ、そんな事を言ったところで、アインズ様が信じるはずが……」

「そうかな? ボクの言う事と、君の言う事、アインズさんはどっちを信じるかな?」

「なっ……!?」

 

 思わず、アルベドは絶句した。

 

 彼女としても、自分はアインズにとって、けっして欠かすことの出来ぬ存在だと、大切な存在であると認識されている事は分かっている。

 もし、自分に何か危険が訪れたとしたら、危急存亡の事態が生じたとしたら、アインズは何を捨てても助けに来てくれるであろう。どんな敵であろうと、ことごとく打ち倒し、彼女を助けてくれる。

 それについては決して疑いなどない。

 

 しかし、比較対象がベルとなると、話は違ってくる。

 

 

 至高の41人の娘であるベル。

 彼女は、アインズにとって別格の存在であるようだ。

 

 

 それこそ、ナザリックの(しもべ)たちよりも。

 

 

 

 もし、ベルとアルベドどちらを取るかとなった時、アルベドはアインズが必ず自分をとってくれるとは確信できなかった。

 

 いや、彼女は理解していた。

 仮にそうした選択を迫られた場合、アインズは自分よりベルを取るであろうという事を。

 

 

 ベルを中空に吊り上げている彼女の手がわななく。

 そんな彼女に対して、ベルはさらに言葉をつづける。

 

「仮に、アインズさんに告げ口する前に秘かにボクを殺してしまっても無駄だよ。ボクは死んでも生き返れる。エクレアにやったみたいな蘇生の儀式なしでもね。ボクの口をふさぐことは不可能さ。それに仮にボクがいなくなったとしてもね。アインズさんにとって、君はナザリックの(しもべ)の1人でしかない。任せている仕事の重要性から言っても欠かすことの出来ない存在かもしれないけど、他の者と同様、なんら変わりはなく、順位などつけられることもなく、皆等しくアインズさんにとって大切な存在でしかない」

 

 

 そして、ベルは決定的な一言を口にする。

 

 

「そう、君はいつまで経っても、どれだけ尽くしても、アインズさんにとって、たくさんいるナザリックの(しもべ)の1人でしかない。アインズさんの特別にはなれない」

 

 

 

 突きつけられたその言葉に、アルベドは大きく震えた。

 否定したかった。そんなものは嘘だと。自分こそが愛するアインズの隣に立つのにふさわしいと。自分こそが、アインズにとって唯一無二の存在であると。

 

 だが――。

 

 だが、彼女の怜悧な頭脳は理解していた。

 今、ベルが言いはなった言葉。

 『アインズさんにとって、たくさんいるナザリックの僕の1人でしかない』

 それがまぎれもない真実であると。

 

 

 アルベドの膝が崩れ落ちる。

 冷たい大理石の床に手をつく彼女。その身体は(おこり)のようにがたがたと震えていた。

 そんなアルベドに対し、ベルは優しく声をかける。

 

「まあ、落ち着いてアルベド。僕はね。君を応援したいんだ」

 

 駆けられた言葉に驚き、アルベドはその憔悴しきった顔をあげる。

 

「君はボクを敵視していただろう? でもね、それは違うよ。別にボクは君と争いたいわけじゃない。むしろ、ボク達の利害は一致しているのさ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 間断の無い、雨粒が屋根を叩く音が室内に響く。

 外に目を向ければ、空は今が夜かと見紛うばかりに暗澹とした雲が立ち込め、スレイン法国の首都である聖都を覆い尽くしている。

 そこから降りしきる土砂降りの雨。それは容赦なく彼らの頭上を覆う屋根を襲っていた。

 

 堅牢な作りをしているこの建物においても、これほどの音なのだ。いったい市井の住居では、どれほどのものか。それこそ耳を聾するほどの轟音が鳴り響いているのだろうか。もしくは雨の勢いに負け倒壊した建物などもあるのだろうか。

 

 

 しかし、そんなものなど大したことは無い。

 今、この場に集まっている、スレイン法国における最高執行機関の面々が、日々悩まされている頭痛に比べれば。

 

 

 

 やつれた頬ながらその目を爛々と光らせた最高神官長は、居並ぶ者達の顔を一人ずつ見回し言った。

 

「では、現在のリ・エスティーゼ王国を影から支配する何者かに対抗するための初手として、エ・ランテルにいる冒険者『漆黒』モモン討伐に、漆黒聖典の番外『絶死絶命』を投入するということで異論はないな」

 

 その鋭い眼光にねめつけられ、これまでの討議でいささかの疑念を呈していた者達もまた、首を縦に振った。

 

 それほどまでに、彼らは追い詰められていたのだ。

 

 

 

 先ず、事の始まりは王国の国境付近において、極秘の任務にあたっていた者達と連絡が取れなくなったことだ。

 

 周辺の村落を帝国騎士に扮して襲っていた者達。彼らは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを釣り上げる生餌に過ぎなかった。

 その本命は秘かに後詰させていた切り札の一つ。白き衣に身を包んだ、スレイン法国でも屈指の精鋭ぞろいである陽光聖典。そして彼らを束ねるのは、将来を嘱望されていた若きエリート、ニグン・グリッド・ルーインである。

 

 彼らが不意に連絡を絶ったかと思うと、何とガゼフに返り討ちに遭い、陽光聖典の隊員の多くを失っただけに済まず、隊長であるニグンが捕まったというではないか。

 これは大変な失態だと、大慌てで漆黒聖典を動かし、虜囚の身となっていたニグンを暗殺させた。

 それは何とか成功し、彼の口をふさいだものの、スレイン法国は貴重な戦力である、六色聖典の中でも戦闘に秀でた陽光聖典の多くを一度に失うという事態に陥ってしまった。

 

 

 だが、彼らの不幸はそれだけに止まらなかった。

 

 破滅の竜王復活に備え、トブの大森林におもむいていた漆黒聖典の部隊が、謎のダークエルフ、そして謎の騎士と争いになり、部隊を率いていた隊長を除き、壊滅してしまったのだ。

 

 

 この事に法国上層部は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 

 およそ全世界基準としてみた場合にも最強クラスの者達を集めた漆黒聖典がほぼ全滅したうえ、同行していたカイレまでもが亡くなり、さらには彼女が身に着けていた六大神の遺産『ケイ・セケ・コゥク』までもが失われたのだ。

 

 その後、少なくない犠牲を払って〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使用し、突然、エ・ランテルに現れた冒険者モモンが『ケイ・セケ・コゥク』を保有しているということが分かった。

 そこで他国でアンダーカバーを作っていた、先の戦いに巻き込まれずに済んだ漆黒聖典の2人を使い、帝国貴族を隠れ蓑にワーカーを集めさせ、モモン抹殺を図ったのだが、そちらも失敗し、貴重な戦力がさらに失われる結果となった。

 

 

 彼らが次なる策を考えている間にも、近隣の国家であるバハルス帝国では、領内に突然現れたビーストマンの群れによる襲撃、その対応に苦慮していた。そうして彼らが何とか反撃を試みようとした矢先、今度は謎の巨獣が突如、帝都を襲い、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、並びに逸脱者フールーダ・パラダインまでもが死亡してしまった。

 そして更に王国もまた、そんな帝国の弱みにつけ込もうとして進軍しようとした挙句、何処(いずこ)ともなく現れた強力なアンデッドの集団によってエ・ランテルに閉じ込められ、立ち往生する羽目になってしまい、その隙に亜人を率いた犯罪組織『八本指』が王都を占拠してしまうという事態にまで陥った。

 

 そこで法国は王都リ・エスティーゼを支配した『八本指』、彼らを操り裏で糸を引く者こそ、全ての黒幕である可能性が高いとして、残る漆黒聖典の中でも生き残った隊長とクレマンティーヌ、並びに復活させたニグンや残る陽光聖典の者らを始めとした最強の者達をかき集め、送り込んだのだ。

 

 だが、結果は惨憺たる有様であった。

 味方であるドラゴンが打ち倒された時点で敗北を悟ったニグンがいち早く退却を指示したため、直接王城内に突入した者以外は、ほとんど被害も出さずに王都から撤退することが出来たのだが、乾坤一擲の作戦に失敗し、六色聖典の戦力を大きく減ずる羽目になった法国には、もはや打てる手は限られていた。

 

 

 ――かくなる上は、スレイン法国秘中の秘、漆黒聖典番外『絶死絶命』を動かす以外に手はない。

 

 

 彼らはついに決断した。

 彼女の存在が公のものとなれば、それは竜王国とも諍いを起こしかねない。外交上の摩擦程度ならまだいい方。下手をすれば戦端が開かれかねないほどのものであったが、そんな危険な賭けに出ねばならぬほど、六色聖典のかなりの戦力を失い、それでいて相手の素性もいまだ分からぬままという状況に、彼らは焦燥感を募らせていた。

 

 

 

 そんな彼らの視線の集まる先、壁に寄りかかって立つ少女、当の『絶死絶命』は緊張感すら見せる様子もない。

 

「ふうん。モモン、それに王国を裏から支配している謎の存在ねぇ……。まあ、いいわ。せっかく許可が出たんだもの、派手に遊べそうね。どんな奴かしら? 強い奴ならいいけど。私より強い奴なら、結婚してやってもいいんだけど」

 

 そうつぶやく彼女に、彼らは口元をひきつらせた。スレイン法国において要職につき、幾度も死線を潜り抜けてきた者達でさえも、冷や汗が流れるのを感じた。

 彼らのそんな様子など、気にかけた様子もなく、少女は笑った。

 

 

 

 だが――。

 

 

「それは、随分と舐めた口を叩くでありんすね」

 

 不意に、その場に響いた少女の言葉。

 この場にいる年若い者――少なくとも容姿は――は、目の前の番外しかいない。その為、彼女が言葉を発したのかと思ったが、その彼女も突然の声に驚愕していた。

 

 

「『結婚してやって』? 下等な混ざりものの分際で、至高なる御方に対して、よくもそこまでふざけた言葉を吐けたもんだな、この屑が!」

 

 怒気を隠さぬその言葉。怒りのあまり、普段の廓言葉も忘れたそれに同意するように続いたのは、人外の者が無理に人間の言葉を真似しているかのような耳に障る音。

 

「マッタク、不敬ニモホドガアル」

 

 続くのは、少年少女の声であった。

 

「ホント、ホント。少しは身の程を(わきま)えろっての」

「う、うん」

 

 嘲弄する姉の声に、オドオドしているように見えて、実際は心の奥底に深い怒りを湛えた弟の声。

 

「まあ、人間というものはことごとくにして愚かなものではありますが、あなたはまた格別ですね」

 

 その内容は侮蔑を含んでいたが、思わずいつまでも聞いていたいような、そんな気分にさせる聞いただけで耳に心地よい張りのある声が耳に届いた。

 

 

 

 その場に居合わせた誰もが驚いて振り返る。

 

 

 その時、聖都の上空に雷光が走った。

 轟音と共に、白く照らし出された室内。

 そこにあったのは、中空に揺らめく漆黒。

 そして、その前にたたずむ異形の者達の姿。

 

 

 黒のドレスに身を包んだ少女吸血鬼。

 ライトブルーの巨体、その周りに冷気を漂わせる蟲人。

 ダークエルフの少年少女。

 そして、一見穏やかな成人男性を思わせるものの、その瞳の奥に邪悪を張りつけた悪魔。

 

 

 突如、現れたそれらを前に、スレイン法国における重鎮たち、今はもはや前線に立つことは無いが、かつては生死をかけた実践の場に長く身を投じてきた者達でさえ、言葉もなく息をのんだ。

 見ただけで、悍ましいほどの力を内包する者達だという事はよく分かった。

 心胆まで震えそうになる圧倒的な空気が彼らの肌を打つ。

 これまで恐怖という感情を感じたことすらほとんどなかった漆黒聖典の番外たる彼女ですらも、生命の危険という本能的な恐怖に、冷たいものが背筋を這いあがる感覚を覚えた。

 

 

 そんな竦みそうになる身体を必死で抑える彼らを前に、南方で着用されるという臙脂(えんじ)色のスーツを身につけた悪魔がパンパンと手を叩く。

 

「初めまして皆さん。皆様方はスレイン法国における最上位層の方々であるとお見受けいたします。さて、せっかくお会いできたのですが、自己紹介などは省略させていただき、我々がここへやって来た目的を手短にお話しいたしましょう。私どもが今日ここへ参ったのは、皆さんをまとめて殲滅するためです。はい。実に残念ながら、この聖都に住まう生きとし生けるもの全て、殺害させていただきます。私個人としましては、不遜な神なる存在を信仰する皆様と、少々遊びたかったのですが……。おっと、手短と言ったのに、少々長くなってしまいました。では、さっさと始めましょうか」

 

 流れるように滑らかな言葉で告げられたのは、絶望の宣言。

 全身が文字通り総毛だった彼らの前で、悪魔たちはその武器を構えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「よし。今日こそ、ベルさんと話そう」

 

 自分以外誰もいないナザリック第8階層の荒野にて、アインズはぎゅっと両の拳を握り込み、気合を入れた。

 

 

 ベルと腹を割って話す。

 今がまさに絶好の機会だった。

 

 現在、守護者たちは皆、法国において要注意人物と(もく)された漆黒聖典番外とやらを倒しに法国の首都へと出向いている。

 

 いかに、その『絶死絶命』とかいう大仰な名前が付けられた存在が強かろうと、守護者5人を同時に相手にしてはひとたまりもあるまい。

 それに万が一、危険を感じた際にはシャルティアの〈転移門(ゲート)〉によって、即座に帰還するよう命じてある。他の者達だけならいささか不安だが、策略家のデミウルゴスもいることだし、引き際を間違える事はないだろう。

 彼女以外に法国に恐れる者などいない事は、王都で捕まえた陽光聖典らからの情報でちゃんと把握していた。

 大切な彼らが危険な目に遭う事はないはずだ。

 

 今、ナザリック内にいる守護者クラスの者は、墳墓を離れている者らの代わりに防衛の任務を取り仕切っているアルベド、第4階層の地底湖に沈めているガルガンチュア、そして本来はこの第8階層の荒野にいるはずのヴィクティムである。

 そのヴィクティムは現在ガルガンチュアと同じ第4階層に移動している。

 

 これから行う実験に、彼――性別はないのだが――が巻き込まれないようにするためだ。

 

 

 

 執務室にいたアインズに、ベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いたのは、しばし前の事。

 腹蔵なく話そうとは思っていたものの、突然の〈伝言(メッセージ)〉になんと切り出していいのか戸惑ってしまった。

 そんな彼に、ベルは端的に用件を伝えた。

 

 『ワールドアイテム』の効果の検証をしたい、と。

 

 何故、守護者たちがナザリックを離れているこのタイミングで、とは思ったものの、これはベルと余人を交えず、差し向かいで会える絶好のチャンスだと考え、アインズはそれを了承した。

 そして、今度は様々なワールドアイテムの同時展開、組み合わせを試してみたいという話であったため、彼女に言われるがまま、普段肌身離さず自らの胸に納めている光り輝く球を自室に置き、こうして独りで指定された第8階層の荒野に佇み、ベルが宝物庫からワールドアイテムを持ってくるのを待っているのである。

 

 

 ――ベルがやってきたら、なんと話そう。

 話の切り出し方も重要だ。

 そもそもワールドアイテムの実験をしたいという事だから、先にそちらを終えてからの方がいいだろうか? いや、また決意が鈍るとアレだ。先に話してしまった方がいいな。

 

 

 そんなことを考え、ベルとの会話を脳内でシミュレートしていると、その背後に人の気配がした。

 

 

「やあ、ベルさん。今日はワールドアイテムの実験をするという事でしたが、その前にちょっと話が……!?」

 

 振り返ったアインズ。

 彼は言葉を失った。

 

 そこに立っていたのは、彼の友人である銀髪の少女ではない。美しい黒髪を垂らし、純白のドレスに身を包んだこの世のものとは思えぬ美しい女性。

 アルベドであった。

 

 

「ぬ、……アルベドか。どうしたのだ? こんなところに一人で来るとは?」

 

 予想だにしていなかった来訪に狼狽えるアインズ、対してアルベドは何も答えず歩み寄った。

 

「あ、アルベド?」

「アインズ様」

 

 アルベドはその金色の瞳でアインズを見つめる。その瞳に込められた感情に気圧され、アインズは後ずさった。

 

 

「アインズ様。……私、アルベドはアインズ様を愛しておりますわ」

 

 その言葉に、アインズは奥歯を噛みしめた。

 アルベドがアインズの事を愛しているのは、ユグドラシル最終日にアルベドの設定をそう書き換えたからに他ならない。アルベドがアインズに対して愛情を向ける仕草をするたびに、かつての友人タブラの作品にして娘であるアルベドを汚してしまったという後悔が、胸の奥から湧いてくる。

 

「アルベドよ。お前のその感情は……」

「アインズ様!」

 

 アインズの言葉を遮って、アルベドが言う。

 

「アインズ様、過去の経緯などどうでもよいのです。大切な事はただ一つ。このアルベドはあなた様を愛しているという不変の事実のみにございますわ」

 

 そう強く言い切った。

 いつもと少し違う様子に、さすがのアインズも気がついた。

 そもそも今はベルと共にワールドアイテムの実験をするはずだったのだ。なぜ、アルベドがここにいるのか? ベルはどうしているのか?

 

 疑念が頭を駆け巡る。

 そうして立ち尽くすアインズに、アルベドは一歩近寄る。

 

「アインズ様、愛しておりますわ」

 

 また一歩近寄る。

 アインズはたじろぎ、思わず一歩退いた。

 

「ま、待て、アルベドよ。お前の気持ちはよく分かった。いや、分かっているとも。しかし、今はそれより先に解決しなければならない事があるだろう」

 

 狼狽えつつも、言葉をつづけるアインズ。

 

「このナザリック地下大墳墓はかつての毒の沼地より、この地に転移した。これまでの調査で我々に害を与えるほどの強者は見つかってはいないが、まだ世界のどこかに強者が隠れ潜んでいる可能性もある。ナザリックの完全なる安全、安泰が確認されるまで、そういった感情に身を任せる行為は控え、油断することなく警備に万全を期さねばならぬのだ。まだしばらくは不安な思いをさせる事になるかもしれんが、アルベドよ、分かってくれるな?」

 

 噛んで含めるようにそう説得した。

 だが、普段であれば自分の感情を優先させたことに対する謝罪の言葉を口にするはずのアルベドは(うつむ)いたまま、そのほっそりとした両肩を震わせた。

 

 

 ――まさか、泣かせてしまったのか?

 

 これまでの人生で、女性に泣かれるなどという体験など初めてのアインズは大いに慌てふためいた。

 なんと声をかけていいやらと、脳内はパニックに陥り、幾度か精神の鎮静が起こる。

 

 

 そんな事をしている間に、ゆっくりと下を向いていたアルベドの(かんばせ)があがる。

 

 その瞼には涙などなかった。

 そこにあったのは、狂気にも似た強い激情。

 

 それを目にし、アインズはその身を震わせた。

 

 

「やはり……」

 

 ぎりりと音がするほど歯を噛みしめるアルベド。

 その美しい顔が憤怒に歪む。

 

「やはり、私の愛を受け取ってはくださらないのですね? この私よりも、他の者達を取るというのですね?」

「ま、待て! それは違うぞ。お前も大事だが、ナザリックの皆の事も……」

「この私より、ナザリックの安寧が大事だというのですね! この! この私よりも! ナザリック地下大墳墓が!!」

「ちょ、ちょっと待て、アルベド! 落ち着くのだ!」

「やはり! やはり、このナザリックが! ナザリックさえなければあぁっ!」

 

 

 叫ぶアルベド。

 不意に彼女の脇に漆黒が生まれる。そこから現れたのは翼ある小悪魔。アルベドが自身の特殊技術(スキル)によって生み出したのだ。

 

 ――いったいなぜ、そんな怪物(モンスター)を生み出したのだろうか?

 

 狼狽しつつもアインズが疑問を感じる中、アルベドは自身の腰から生えた漆黒の翼、その後ろに吊るされていたものを身体の正面に回し、手にとった。

 それを見たアインズは驚愕した。

 瞠目した。

 

「な!? あ、アルベド! それはどこから!!」

「ナザリックなど、ない所に2人で行けたならばあぁっ!!」

 

 そして、アルベドはその手のワールドアイテム、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を発動させる。

 

 

 

 不意に浮遊感がアインズを襲う。

 足元が消え去り、その身が重力に曳かれるまま、下へと落ちていく。

 とっさに〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えようとしたのだが、どういう訳だか、その魔法は発動しなかった。

 

「ぬああぁぁっ!」

 

 天地さかさまとなったその目に映ったのは、自分がいたナザリック第8階層の荒野ではない。

 乳白色から灰白色の霧に覆われた空。眼下には、かつては荘厳であったのであろう、いくつもの石柱が立ち並ぶ、時の流れに朽ち落ちた廃神殿があった。

 それを目にした瞬間、アインズはこの具現化された異界がなんなのか分かった。

 

「あ、アルベド! こ、これは戦闘不能地域か!?」

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の発動時に選ぶことが出来る幾つもの異界の内、アルベドが選んだのは、その中での戦闘行為を敵味方問わず、一切不能にする場。

 この中では物理攻撃にせよ魔法攻撃にせよ、相手はもちろんそこらの物体に至るまで、一切ダメージを与えることは出来ない。特殊技術(スキル)も、魔法を、そしてアイテムすらも使う事は出来ないのだ。本来であれば、異界内において効果のあるエフェクトの対象者を使用者が指定できるのだが、それすらも出来ない空間。敵対するギルド同士が邪魔をされずに会合を開くなどの目的でもなければ――それもわざわざワールドアイテムを使ってまでも――使用する意味もない異界である。

 

 

 アインズは素早く周囲を見回した。

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』には、必ず1つは脱出方法が設定されており、それをこなすことでその所有権を奪う事が出来る。この戦闘不能地域は特定異空間であるため、その脱出方法はランダムで選ばれはしないが、特定の一つの脱出ルートを通れば、ここから抜け出せるのだ。

 

 そして、この戦闘行為が不能という異界からの脱出は非常に簡単である。

 中央にそびえたつ、かつては汚れ一つなく純白であったであろう面影を残す廃神殿から延びる道。その道沿いに作られた石造りのアーチを数個、立つ順番そのままに通っていけばよいだけなのだ。

 

 アインズは落下しつつも、瞬時にその丈の短い萌葱色の草が生い茂る草原の中を延びる石畳の街道を見つけた。記憶の通り、そこには朽ちかけた石造りのアーチがある。

 

 

 だが――。

 

 

「な、なにいっ!?」

 

 驚愕の声をあげる。

 その視線の先、この世界から脱出する唯一のルート。

 その入り口が、どこからともなく湧き上がった刃の山によって、埋め尽くされていく。

 

 

 アインズは愕然とした瞳を、その漆黒の羽を羽ばたかせ、舞い降りるアルベドに向けた。

 

 彼女の手に握られていたのは、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』とともに、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が保有していたワールドアイテムの一つ、『幾億の刃』である。

 

 

 そしてアルベドは自らの支配する小悪魔、その骨ばった黒い手に、たった今使用したばかりの『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』、そして『幾億の刃』を渡す。

 それを受け取った小悪魔は一直線に、今、目の前で『幾億の刃』によって生み出された剣の山に塞がれようとしている脱出口へと飛んでいった。

 小悪魔が巨石によって作られたアーチを潜り抜ける。寸刻おかず、そのアーチを刃の山が埋め尽くした。

 

「あ、アルベド! お前はいったい何を……!?」

「アインズ様、よいではないですか」

 

 舞い散る木の葉のように風に翻弄され、はるか地面へと落下していくアインズ。それに寄り添うように、アルベドはその翼で空を切って飛ぶ。

 

「これで、この世界にいるのは私たち2人だけ。私たちの間を邪魔する何人たりとも、ここにはおりません。ずっと、このまま私たちは一緒ですわ。ナザリックすらもここにはないのです。その身に背負われた重石に煩わされる必要も、もはやないのです」

 

 

 アルベドは胸の前で両の手を組み、陶酔するように言った。

 

「これからずっと、2人きりですわ。ああ、我が愛しの、モモンガ(・・・・)様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第10階層、玉座の間。

 普段であれば、アインズやベル並びに守護者統括であるアルベドを除けば、清掃の任を仰せつかったメイド以外は立ちいる者もない、いや立ちいることの許されない聖域である。

 

 今、そこにデミウルゴスを始めとした法国の最高指導部殲滅の任を終え、戻ってきたばかりの守護者たち、及びナザリックにおいて各拠点を動くことの出来ない者達を除いた、全ての(しもべ)が集められていた。

 誰もが、今日はいったい何故、この場に集められたのかと疑問を口にしていた。

 

 

 

 ざわめきが辺りを支配する中、一人の人物が玉座の間に入ってくる。

 

 それは一見すれば人間の、たおやかさすらも感じさせる小柄な少女。

 ベルであった。

 その身を包むのはいつもの紫のスーツであったが、今日はそれに加えて、首元から深紅のマントを羽織っている。

 

 

 彼女は物怖じする様子もなく、皆が見ている前を通り、一人玉座へ続く階段に足をかける。

 そうして一段一段、(きざはし)を登っていく後姿を眺め、ナザリックの者達は疑念を抱いた。

 

 

 ――何故、ベル様は1人玉座への階段を上がっていくのか?

 アインズ様はどうされたのか?

 それに、守護者各位が遠征におもむいている間、留守を預かっていたはずのアルベドもこの場にいないのは何故なのか?

 

 

 皆の視線が集まる中、階段を登りきり、玉座の前で振り返ったベルは、居並ぶ皆を見下ろした。

 誰もが、ベルが口を開くのを待っている。

 そのまま、しばし沈黙を保った後、ベルは口を開いた。

 

「皆、聞いてほしい」

 

 その言葉は静寂の中、染み渡る様に響いた。

 

「今日は……皆に悲しい知らせがある」

 

 わずかにざわつきが起きた。悲しい知らせとは一体何だろう?

 

「こうして、皆に報告するのはつらいが、知らせない訳にもいかない。落ち着いて聞いてほしい」

 

 誰もが聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 

 

 

「……アインズさんが……リアルへとおもむかれた」

 

 

 

 最初は微かなさざ波のように、やがて押し寄せる大波のように、どよめきが広がった。

 その場にいた者は皆、我が耳を疑った。

 

 ――そんな事ある訳がない。

 自分の聞き間違いにちがいない。

 他の方々がナザリックを離れていく中、最後まで残ってくださった、あの心優しき御方が、自分たちを捨てていなくなるはずがない。

 

 だが、それを告げた少女は沈痛な面持ちのままであった。

 

 

 ベルの語った言葉が真実であると理解した、いや、してしまった者達。屈強なものすら立っていることが出来ずに膝をつき、涙を流せるものは涙を流し、誰もが抑えきれない慟哭の声をあげた。

 玉座の間は深い悲しみと嘆きに包まれた。

 

 

 放っておけば、それこそ永遠に続くかと思われるほどの、胸が張り裂けそうなほどの痛哭。

 

 そんな中、ベルは手を叩いた。

 その音は嘆きの声にかき消される。

 

 しかし、その行為に気がついた者がいた。

 デミウルゴスである。

 彼自身も深い衝撃を受けていたのであるが、それでも理性を保ち、他の者達に静かにするよう命じた。

 

 そうして、再び傾聴の態度をとった(しもべ)たちを前に、ベルは再び口を開いた。

 

「これまで、このナザリックの創造主たる至高の41人はリアルへとおもむき、そして戻ってこれなかった。それは我が父であるベルモットも同様。いつか帰還する日を待ちわびながらも、いまだそれは叶わぬまま。しかし、今回、アインズさんは必ず帰ってくることを期し、守護者統括であるアルベドを伴い、出征した」

 

 ――おお、なるほど。その為にこの場にアルベドがいないのか。

 

「彼らはナザリック第8階層から出立した。今後、第8階層への侵入は禁止する。いつの日か、帰還する際、そこを目印とするためだ。現在も第7階層から直接第9階層へ移動できるよう封印の解除が行われているため、誤って侵入する者はいないと思うが留意しておくように」

 

 その言葉に皆、首肯した。

 

「さて、アインズさん並びにアルベド不在の間だが、このボクが留守居を預かるよう命じられた。至高の41人の娘として、非才の身ながら、ナザリックの為に身を粉にして働くつもりだから、よろしく頼む」

 

 頭を下げるベル。

 その場にいた(しもべ)たちは強く頷いた。

 

 いつの日か、アインズ、そしてアルベドが帰ってくるそのときまで、このナザリックを守らなければならない。その為に、至高の41人の1人、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘であるベルの下、自分たちは力を結集せねばならない。

 彼らは固く誓った。

 

 

 とはいえ、その胸にはやはり隠し切れない一抹の虚しさ、寂しさもある。

 

 至高の御方に仕え、お役に立つことこそ、自分たちの存在意義。

 ベルは肉親とは言え、至高の御方本人ではない。頭では分かってはいても、やはり、空虚なものがその胸を吹き抜けていた。

 

 

 

 しかし、その時――。

 

 

「なっ! これは!?」

 

 その場にいた誰もが驚き、顔をあげた。

 

 彼らに浴びせられた、灼熱の太陽にも似た圧倒的なオーラ。

 ナザリック地下大墳墓の主人たる気配。

 アインズがこの地を離れたと聞き、もはや再び感じることは無いと思っていたその気配が、再び彼らに叩きつけられたのだ。

 

 驚愕の視線の先にいる者。

 それは少女ベルである。

 

 今、ベルの身体から、至高の41人と同様の気配が発せられていた。

 

 

 これまで彼女は、その気配を隠していた。それこそ、気をつけねば、同じナザリックに属する者だと気づかぬほどに。

 しかし、今、彼女は自身の隠密の能力を廃し、自らの能力を隠すことなく晒していた。

 守護者らに匹敵する100レベルの力を。

 

 

 その事に彼らは感動した。

 これまでその能力を隠してきた彼女が、自分たちの前にそれを露わにした。

 すなわち、自分たちを信頼に足る者だと認めて。

 すなわち、自分たちの支配者であるということを明確に表して。

 

 

 誰ともなく、天井より吊り下げられたシャンデリアから降り注ぐ七色の光に照らし出される床に膝をついた。

 

 彼らは彼女、ベルこそが、自分たちの主であると明確に認め、忠誠を誓った。

 

 

 彼らは思う。

 

 至高なる御方のまとめ役であらせられ、最後までナザリック残ってくださったアインズもまた、この地をお離れになられた。

 だが、彼女がいれば、このナザリックは潰えはしないと。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――くっくっく。すべて計画通り。

 

 

 ベルは自分の前にかしずく異形の者達を見下ろし、笑みを浮かべていた。

 

 ……まあ、実際は、具体的な計画の大半はアルベドが考えたのであるが。

 

 

 アルベドと敵対するのは愚の骨頂。

 仮に戦いになったとしても、様々なアイテムを使用できる分、ベルは負けはしないだろうが、ワールドアイテムを保有し、防御タイプの戦士であるアルベドを倒すことは困難極まりないのは必定である。

 そして、そうまでして倒しても、まったくと言っても利益がない。その不在はすぐに知れ渡り、マスターソースで彼女の死亡を確認したアインズは即座に生き返らせようとするだろう。

 結果、ナザリックの資金がわずかに目減りするだけ、ベルの保有するアイテムを無駄に浪費するだけにとどまってしまう。

 

 

 だが、そもそもの話。

 ベルとアルベドの願うものは相反するわけではないのだ。

 アルベドは、自分とアインズ、2人だけがいればいい。

 ベルは、アインズとアルベド、2人にいなくなってほしい。

 

 そこには利害の一致があった。

 かつて、アルベドを一人王都に送り込んだ際に秘かにつけていた密偵からの情報。それを聞いたベルはその事に思い至ったのである。

 

 

 そして協調することにしたベルとアルベド。

 アルベドには、ナザリックにおいてデミウルゴスに比肩すると言われるほどの智慧がある。

 ベルの方はというと、彼女は宝物庫へ行き、そこからワールドアイテムを運びだせるのだ。

 

 そうして、練り上げられた計画。

 邪魔が入らぬよう、法国上層部の殲滅という任務を与え、守護者たち、特にデミウルゴスをナザリックから遠ざけているあいだに、ベルがアインズにワールドアイテムの実験をすると言って、その胸のワールドアイテムを外した状態で第8階層に呼び出す。そこへアルベドが現れ、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に自らとアインズを閉じ込め、『幾億の刃』で脱出ルートを封鎖する。

 そして2つのワールドアイテムを、空間内に入る前に召喚していた小悪魔によって運び、第8階層の入り口で、ともに『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中に入っていたベルに渡す。

 それを持ってベルは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出し、後は所有者がベルとなった『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』、及び『幾億の刃』を宝物庫にしまい直したのだ。

 

 アインズが『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出することは不可能であろう。

 選ばれた異界は、戦闘行為によるダメージを全て0にしてしまう空間である。そして、その脱出ルートを『幾億の刃』によって作った剣の壁でふさいだのだ。

 壁を破壊しようにも、ダメージが与えられないため、破壊は出来ない。

 すなわち、脱出ルートを通ることは不可能なのである。

 

 また、かつての実験でワールドアイテムを『保有』している状態ならば、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にも〈伝言(メッセージ)〉が届くことが分かっていたが、在処(ありか)が分かっているワールドアイテムを他の者が『保有』状態となることも、これまた不可能である。

 『傾城傾国』と『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』はベルのアイテムボックス内にしまわれているし、他の物はナザリックの宝物庫、その奥深くにある。

 そこへ行くにはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが必要となるのだが、今あるものはベルがその手にしている物、ただ一つのみ。残るもう一つの持ち主であるアインズは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内に閉じ込められたままだ。

 ベル以外の人間はナザリックの宝物庫に入ることは叶わず、当然ながら、そこにあるワールドアイテムを保有することは出来ない。

 つまり、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内のアインズに連絡を取ることは出来ないのである。

 

 

 ――本当に上手くいった。

 

 アルベドを味方に引き込むことこそ、最も困難であっただろうが、運よく彼女を説得出来た。

 正直、計画は立てたものの、上手くいくかどうか不安がぬぐえず、賭けのようなものでしかなかった。しかし、ベルが思っていた以上にアルベドは知恵が回り、かつ設定書き換えに起因する異常な精神は度を越していたため、結果として上手くいったのだ。

 

 

 ベルは神に――この世界のだか、元の世界のだか、それともスパゲッティ・モンスターだかはしらないが――とにかく何かに己が幸運を感謝した。

 

 もしあれに失敗していたら、それこそ『傾城傾国』でデミウルゴスあたりを味方につけ、他の者達も少しずつ説得し、宝物庫から盗み出したありったけのワールドアイテムを彼らに装備させ、アインズやアルベドらに戦いを挑む以外に道はなかっただろう。

 もしそうなったら、ナザリックの者同士で互いにつぶし合い、最終的にナザリック壊滅という未来が待っていたかもしれない。

 

 

 ――ナザリック壊滅か……。

 それも面白いかもしれないな。 

 

 ふと思いついた言葉に、ベルは居並ぶ者達に気付かれぬほどに鼻を鳴らした。

 

 ベルは己が発する支配者の気配とやらを目の当たりにし、首を垂れ、かしずくナザリックの異形の者達を玉座の前から見下ろす。

 その瞳はとても冷たいものであった。

 

 

 ――それにしても、随分と態度が変わるものだ。

 

 皮肉気に口の端をゆがめる。

 

 ナザリックの者達は味方が発する気配とやらを感知することが出来るようであり、それで敵と味方の判別をしているらしい。そして、彼らが至高の41人と呼ぶギルメンは姿を変えていても間違えようのない気配を発しているのだそうだ。

 だが、この気配であるが、どうやら、かつてのギルメンが発している気配というのは、皆一律に同様のものであり、その気配を発している者はギルメンであると分かるというだけで、ギルメンの内の誰かという、個人の特定は出来ないようだった。

 これはアルベド、そして宝物庫内にいるパンドラの前で試してみた結果、明らかとなった。

 つまり、気配を解放しても、ベルがギルメンの1人であるベルモット本人であると気づかれる恐れはないという事であった。

 そこでベルは、すでにアインズもいなくなったことだし、ナザリック支配を盤石のものとするため、これまで隠していたそれを皆の前で解放してみせたのだ。

 結果は見ての通り。

 

 

 ――たかが『気配』とやらの有無だけでここまで変わるものか。

 やはり、所詮はNPC。

 ただのゲームのキャラだな。

 

 ベルは至高の41人の娘という事で、ナザリックにおいて丁重に扱われてはいた。

 しかし、その扱いはギルメン本人であるアインズとは格段に差があった。

 以前もそれは感じはしており、まあ仕方ないなと思ってはいたものの、今、こうしてギルメンの気配を発し、絶対の忠義を捧げられる身となってみると、そこにかつてとは雲泥の差があることに、あらためて気づかされた。

 

 

 ――一見敬服しているような素振りだが、お前たちはこの気配を発する者に仕えられるというなら、誰でもいいんだろう?

 

 彼女の視線の先では、あまたの怪物(モンスター)たち、守護者らを始めとした100レベルのキャラも多数おり、一対一ならともかく複数で挑まれたのならば、ベルでは太刀打ちなどできないほどの者達もがひしめき合っている。

 そして、その誰もがベルに対し、忠誠の言葉を口にしている。

 その様はある意味、感動的にして――ある意味、実に愚かしかった。

 

 

 ――まあ、いい。

 ただのNPCなんだから、利用できるんなら利用するさ。

 ……いつか、飽きるまではな。

 

 

 ベルは酷薄な笑みをその顔に浮かべ、万雷の如くに轟く、彼女を讃える声をただ聞いていた。

 

 




【捏造設定】

・『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の戦闘不能の異界
 その中では敵味方問わず、全てのダメージが0扱いになります。すべての魔法、特殊技術(スキル)、アイテム等使用できません。
 一見応用が利きそうに見えますが、脱出も簡単で、逃走の妨害もほぼ不可能であり、さらに先に相手に脱出されたら『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』そのものを奪われてしまうため、利用価値はあまりありません。

・『幾億の刃』
 指定した広範囲に剣の壁を出現させます。破壊するにはかなりのダメージを与えねばならず、与えたダメージと同等のダメージが攻撃を加えた者に反射されます。


●言い訳。
 今回の展開ですが、もともとはアインズ様が三吉クン風呂に入るため、盗難防止をつけたモモンガ玉を外しているところへアルベドが現れ、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を使い、アインズと2人で閉鎖空間に閉じこもる。その際、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』はその中に持ち込まず、外に置いてきたため、中から脱出することは出来ないという展開を考えていました。
 ですが、書籍11巻で『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の設定が明らかになったことから、その展開が使えなくなってしまったため、設定がなかった『幾億の刃』に捏造設定をつけて併用することで無理矢理脱出不能にしました。
 


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第85話 マルスが幸福に支配する

2017/4/20 「収める」→「納める」、「見せた」→「みせた」、「体勢」→「体制」、「踊った」→「躍った」、「取れる」→「採れる」、「言って」→「いって」、「入って」→「いって」、「行く」→「いく」 訂正しました
会話文の最後に句点がついていた所がありましたので、「。」を削除しました
読点が連続していたところがありましたので、「、」を削除しました


 ガッ!

 

 コキュートスが勢いよく膝をつき、自らの主に対し敬意あふるる礼を示す。

 

 

 

 ナザリック第10階層、玉座の間。

 そこに並ぶのは各階層守護者を始めとした圧倒的なまでの力を誇る異形の者たち。

 

 そんな中、中央で(こうべ)を垂れるコキュートス。

 

 その前にドスンと音を立てて置かれたものがある。

 輿に乗せられ、数人がかりで運ばれてきたもの――それはドラゴンの首であった。

 それも、ただのドラゴンなどではない。

 ここ最近、ナザリックが最優先目標としてその所在を捜し、幾度も襲撃をかけ、その命を狙っていた相手。

 

 アーグランド評議国の永久評議員にして『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』の二つ名を持つ竜、ツァインドルクス=ヴァイシオンの首である。

 

 

 その身に宿す生命の炎はすでに消え、濁った瞳とだらりとたらされた舌が不快な嫌悪すらも醸し出す顔を前にして、玉座のある段上に立つ小柄な人物は鷹揚に頷いた。

 

「ああ、よくやった。コキュートスよ。こいつこそが、我らの行動を妨げていた最大の原因。これで、この近隣において我々ナザリックが警戒すべき者、敵する者はいなくなった。よくぞ、討伐の任を果たした。見事である」

「ハハッ。ナントアリガタイオ言葉。ソノオ言葉ダケデスベテノ苦労ガ報ワレル思イニゴザイマス」

 

 

 玉座の間に控えていた他の者らの間にも、安堵の空気が流れる。

 このツァインドルクスなる(ドラゴン)の存在に、ナザリックはここ最近ずっと頭を悩ませることとなっていたのだ。

 

 

 

 アインズがナザリックを離れ、リアルに旅立ってから、はや数か月が経つ。

 

 新たなる主として君臨することになったベルの旗印の下、ナザリックはその世界征服計画を一気に加速させていった。

 

 征服とは言え、ナザリックが表に出て、この地に生きる者を直接支配するという訳ではない。

 あくまで、こちらの意のままとなる傀儡政権を作り上げ、表向きはその勢力による支配圏拡大という(てい)をとり、ナザリックはその存在を隠したまま、秘かに暗躍するにとどめていた。

 

 計画は順調であり、見る見るうちに、その勢力圏は広がっていった。

 人の住まう領域において、ナザリックの息のかかった者達はその勢力を拡大させ、人の住まぬ領域においても、次々とその力で屈服させていった。

 

 

 しかし、そうしたナザリックの計画に(あらが)い、その前に立ちはだかった者達もまたいた。

 

 その筆頭であるのは、かつてトブの大森林内においてアウラとマーレに遭遇した、白銀の鎧に身を包んだ騎士。

 ツアーであった。

 

 

 その強さはまさに別格。

 守護者クラスとも互角に渡り合う程である。

 

 彼はその力でもって、勢力を拡大する傀儡政権の戦力、そしてナザリックの者達と敵対した。

 無論ナザリック側としても手をこまねいていたわけでもない。早いうちになんらかの手を打たねばならぬと判断し、その撃破を最優先と定めた。

 

 

 だが、それは困難を極めた。

 

 たった一人でありながら、一撃でナザリックの高レベル怪物(モンスター)にすら致命傷を与えるほどの圧倒的なまでの攻撃力を持ち、かつ物理、魔法問わず幾多の攻撃に平気で耐える堅牢な防御力を有している。

 また情勢が不利と見るや、何の躊躇もなく逃走してしまい、ナザリックの力をもってしても彼を仕留めきることは出来なかったのだ。

 あたかもすくおうとした手の指をすり抜ける水のように、ナザリックの監視の目をすり抜け、攻撃を仕掛けては、瞬く間に包囲網を突破し、離脱する。

 彼一人の為に少なからぬ人員、時間を取らされる事となった。

 

 

 しかし、遂にその正体が知れた。

 

 魔法による各地の監視を行っていたところ、本当に偶然であったが、彼が引っ掛かったのだ。しかも、その時、彼は一人の老婆と共にいるところであった。

 ナザリックの者達はすぐさま、そこへ襲撃をかけた。

 そして、ツアーには逃げられたものの共にいた老婆、リグリットを捕らえることに成功したのである。

 

 リグリットは苛酷なまでの拷問にも、いっさい口を割らなかったが、薬物によって意識を朦朧とさせられたところでその記憶を魔法によって読まれ、ついに白銀の鎧を着た騎士ツアーの正体は、アーグランド評議国の(ドラゴン)、ツァインドルクス=ヴァイシオンが遠隔操作で操っている、がらんどうの鎧であると判明した。

 

 

 そうして始まったアーグランド評議国攻略戦。

 

 

 ナザリックの攻撃は苛烈と言うより他になかった。

 そこでは、徹底的なまでの破壊が行われた。

 

 生存者は1人も逃さず、また以降、その地で生活など出来ぬよう、家々や田畑などは完全に破壊され、水路の濠は壊され、水源には毒が投げ込まれた。

 

 

 それに対し評議国は、後手に回らざるを得なかった。

 何せ相手は突然に現れては、そうした破壊が済むと、忽然と姿を消してしまうのだ。必然的に、それに対応するには兵力を各地に張り付けておかなくてはならず、いつ襲ってくるかもわからぬ謎の集団に、彼らは段々と疲弊していった。

 

 それでも、ナザリック側とて、楽な戦いという訳ではなかった。

 実際に戦闘になるのは、偶然、襲撃の場にドラゴンを始めとした強大な戦力が常駐していた場合のみであり、そうした場合は一撃を与えたのち、すぐに撤退するようにと指示してあったのではあるが、それでもこちら側も手痛い思いをする事が多々あった。

 

 特に標的たるツァインドルクス=ヴァイシオン本人が出張って来た時には、かなりの被害が出た。

 そいつの操る『始原の魔法』なる恐るべき攻撃は、一度受ければ普通の者達は即死、守護者クラスでも瀕死の重傷を負う程であった。

 

 

 だが、そうした長き戦いの果て、遂にこの近隣諸国最強の相手であろうツァインドルクス=ヴァイシオンを打ち倒すことに成功したのである。

 

 

「皆よ!」

 

 ベルの声が玉座の間に響き渡る。

 

「過酷な戦いであった。しかし、ついに我々は、行く手を阻む邪悪な(ドラゴン)、ツァインドルクスを征伐することに成功した!」

 

 少女は居並ぶ者達を見回す。

 

「もはや、この地において我らに敵する者はいまい。だが、決して慢心するな。私の望みは全てを手にしたとき、いつの日か至高の41人が帰還したとき、ここにいる皆、全員とその祝杯を共にすることなのだから」

 

 

 その言葉に誰もが深く首を垂れた。

 

「ナザリックに栄光あれ!」

「「「ナザリックに栄光あれ!!」」」

 

 唱和の声が響いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「いっやあ、そりゃあ、勝つよなぁ」

 

 ベルは自室でひとり呟いた。

 詳細が記載された書類が積み上げられた机を前に思い返すのは、これまで繰り広げられ、難儀する羽目となっていたツァインドルクスとの戦い。

 

 

 ナザリックの勝利は必然と言うより他にない。

 戦闘能力がこの地の者達を圧倒しているというのもあるが、その最大の要因、それは主敵となる存在をこちらは認識できるのに対し、向こうは把握すらもできなかったことにある。

 

 

 

 なにせ、ナザリック地下大墳墓は未だこの世界において、その所在を明かしてはいないのだ。

 

 

 

 周辺国の者達は、現在のリ・エスティーゼ王国や、法国のあった地を支配する亜人たちへの諜報活動などにより、彼らの背後にナザリックなる存在がいることには気がついていた。

 

 だが、その肝心の正体は誰もつかめぬままであった。

 

 所在をつかもうにも、何もない平原に転移したナザリック地下大墳墓、その外壁には土をかぶせ、そこに草木を生やし、そしてさらに幻覚によって念入りに隠されている。また、周囲の地形までも起伏のあるものへと変え、ナザリックのある場所のみが盛り上がっているとばれぬように、細工をしてある。

 ピンポイントでその地を直接、訪れた者ならともかく、なんら当てもなくただ調べただけでは見つかるはずもない。

 

 また世界的に見て、ただの一農村に過ぎず、名前を知る者すらもほとんどいないようなカルネ村に転移用のアイテムを設置している他は、墳墓から及び墳墓への移動は全て転移魔法によって行っている。

 その為、王国等において、関係者と思しきものを発見、尾行しようにも最後まで後をつけることはできなかった。

 

 また、秘かに伝わる強力な魔法やマジックアイテムをもって、その所在を探ろうとした者も中にはいたのだが、それらの者は逆に謎の怪物(モンスター)の襲撃に遭う始末。

 

 

 

 そうして、ナザリックはその正体を隠したまま、各地へと襲撃を続けていった。 

 

 それに対して、この世界の国家は有効な手立てを打てなかった。

 

 

 神出鬼没に現れ襲い来る、この世界に住まう者の常識を超えた力を持つ者たち。その戦力は圧倒的であり、各地の守備兵では迎撃するどころか、わずかなりとも抵抗することもほとんどできず、鎧袖一触に蹴散らされるより他になかった。

 また、彼らはそこである程度の破壊を行ったのち、その場所を占領しようとすらせず、そのまま兵を撤収させた。

 

 

 

 通常、国家同士の争いならば、敵地を攻略した後は、そこを如何に確保するかが重要となる。

 

 再奪取を図ろうとする敵はどこからどれだけの戦力で攻めてくると予想されるか?

 それに対し、その地にどう防御態勢を敷くか?

 その地に駐留する味方への兵站はどうするか?

 そもそも、そこは確保しておくほど、重要な地なのか? 

 

 苦労して敵を倒し、地域を奪い取ったとしても、そこが戦略的、戦術的に無意味だったり、戦闘の結果、収益などが見込めない、価値がない土地になっては意味がないのだ。

 

 

 しかし、ナザリックはそんな常識に縛られる事はない。

 ナザリック地下大墳墓は、それだけでも――一部の罠などは停止させる必要はあるが――存在し、活動することができる。いうなれば、一つの完全な国家と言ってもいい。もちろん、完全に外との交流が途絶えれば、いつの日か崩壊しかねないのではあるが、それは千年単位での話であり、実質、ほぼ無限と言ってもいい。

 べつに、この地を支配することによる短期の収益に、一喜一憂することもない。

 百年近くかけて、この世界における敵対勢力を完膚なきまでに滅ぼしつくしてから、いまだ命ある者達を奴隷として使い、各種資源などを採取し始めても遅くはない。全く問題はないのだ。

 

 

 そのため、ナザリックの方針として、潜在的な敵対勢力の殲滅を第一とした。

 まずは交渉し、こちらへの協力や帰順を打診するかなど、考える必要もない。とにかく相手の戦力、相手の生産拠点を壊滅させることに重点を置いた。

 名実ともに最高責任者となったベルの口から「かつてぷにっと萌えさんも『話をする前に一度殴っておくのは悪い手ではない』と言っていた」と語られた事から、至高の御方のお言葉通りという事で、より一層熱心に、執拗に、そして偏執的なまでにそれは行われた。

 

 また、戦闘に勝っても、ナザリックの者達を使って地域を占領しないという事は、ナザリックという存在の隠蔽、及びそこに守備戦力を張り付けることにより、ただでさえ少ないナザリックの兵員を分散させないという利点もある。

 

 その地を治める者達が襲撃の報告を受け、それに対する兵力を集め、現場に急行しても、そこはすでにもぬけの殻であった。

 後に残されたのは、徹底的に荒れつくされた領地。

 駆けつけた兵士たちは、目の前に広がる完膚なきまでの破壊の爪痕に、ただ茫然とするより他になかった。

 

 

 そうした襲撃は幾度も続けられた。

 その結果、じわじわと国力を奪われていく周辺国家ら。

 

 そこへさらにズーラーノーンの手になると思しきアンデッドの集団が襲い掛かる。

 もはや領地全体の防衛を担う力を失い、首都を始めとした重要地域のみに絞って防御を固めねばならず、地方の事は見捨てざるを得なかった。

 

 

 本来、自分たちが税を納める代わりに自分たちを守ってくれるはずの国が自分たちを守ってくれない。

 その事にそこに住まう者達は不満を募らせていた。

 

 そうこうしているうちにも、近隣の村々が襲撃を受け、命からがら逃げだした難民がやって来ては、襲い来るアンデッドたちによる無惨にして恐るべき所業を語り聞かせた。

 それを聞いた民衆はさらに中央に陳情するも、そちらも神出鬼没に襲い来る謎の集団への対応に苦慮しており、難民の保護も、地方の防衛へも兵を廻すことなど出来なかった。

 

 

 そこで彼らは決断した。

 現在、自分たちの土地を治めている領主ではなく、近隣の他の国に助けを求めたのだ。 

 それは謀反の疑いありと断じられてもおかしくはない行為であり処刑されてもおかしくはない行為であったが、そうせざるを得ないほどに彼らは追い込まれていた。

 

 だが、そうして命がけでいった話を他国の領主に持ち掛けても、信用されるかは別である。

 それ自体が罠であると疑われる可能性もある。わざと相手に食いつきたくなる偽情報を流し、軍隊を引きこみ、待ち伏せして殲滅するつもりなのではないかと。

 もし、そう判断されれば、捕らえられ厳しい尋問を受けたり、下手をしたら不具になるまで拷問されてもおかしくはない。

 

 だが、そんな必死の願いを直接聞いた新国王は、窮乏を訴える村人に対し、『それは大変であっただろう』と優しく声をかけた。そして、なんら疑うことなく邪悪なアンデッドから民衆を保護するために、自国の兵力を義勇軍として、そちらに派遣することを約束した。

 玉座の前にひざまずき、頭を下げて感謝の言葉を口にする彼らに対し、リ・エスティーゼ王国新国王スタッファンは、その恰幅のいい体を揺らし、安心させるように穏やかに微笑んだ。

 

 

 勝手に他国に兵を派遣する事は、戦争ととられてもおかしくはない事である。

 その為、相手先の国へはその旨を文書で伝えはした。

 だが、当然ながら、相手国はその決定に激怒した。

 

 ただ何の見返りもなく、兵を派遣することなどあるはずもない。リ・エスティーゼ王国が狙っているのは、そうやって自国がその土地の領民を保護したという既成事実を積み重ね、ゆくゆくはその地を自国に組み入れるという魂胆であるというのは、火を見るより明らかであったためである。

 

 

 だが、そうしてやって来たリ・エスティーゼ王国軍討伐のために派遣された部隊は、その途上で偶然にも(・・・・)、謎の集団による襲撃を受け、壊滅してしまった。

 そして、すんなりとその地にやって来たリ・エスティーゼ王国軍は、襲い来るズーラーノーンのアンデッド軍団を見事に退治し、その地を邪悪な輩から守ってみせた。

 

 民衆たちは高らかに讃えた。

 

 『心優しくして偉大なるリ・エスティーゼ王国、スタッファン王万歳!』、と。

 

 

 

 そうして、ナザリックの計画は進んでいった。

 

 偽装したナザリックの戦力が主敵となるものを打ち倒し、そしてズーラーノーンに見せかけたアンデッドを暴れさせ、傀儡政権の者達が適度に放たれたアンデッドの群れ及び残敵を掃討し、支配を確立する。

 リ・エスティーゼ王国を乗っ取った八本指並びに新王につけたスタッファンの他にも、法国の首都並びに首脳部壊滅の隙に、ローブル聖王国との境にある荒野から幾多の亜人たちを率いて攻め寄せ、現在、法国のほぼ半分を支配しているトロールのザグ王など、一つではなく複数の勢力をナザリックは支配下においていた。

 彼らは順調に旧勢力を排除し、また周辺国へも手を伸ばしている。

 

 

 

「まあ、実際、卑怯すぎるよなぁ。死んでも復活できるって」

 

 

 ただでさえ強大なナザリックの(しもべ)たちには、この地の者たちとは異なる、圧倒的なるアドバンテージがあった。

 

 

 たとえ死んでも、いくらでも復活が出来るのである。

 

 

 

 この世界においては、本当にごくわずかのものしか扱えぬ奇跡。

 

 死からの復活。

 

 蘇生した後には、以前と比べて能力の減退があるのだが、その者がこれまで生きてきて得た経験は得難いものがある。死という逃れることが出来ぬ絶対的な終着からの帰還は、誰しもが望み、そしてよほどの条件――対象人物の有用性、ふんだんに金を持つ者と友誼の関係にあるなど――を持ち合わせぬ限り、叶えられないものである。

 

 それをナザリックの者たちは、大したペナルティもなしに、その恩恵に(あずか)れるのだ。

 

 

 もちろん復活には少なくない金貨が必要なのであるが、それも宝物殿にため込まれた、数えるのが馬鹿らしくなるほどの財をもってすれば、まったく問題はなかった。

 

 実際、ツァインドルクス=ヴァイシオンの首を取るまでに守護者クラスでも、アウラとデミウルゴスが一度、シャルティアが二度、コキュートスに至っては三度も死を経験することとなった。

 

 だが、そうした犠牲――つまり金貨の喪失――を払いつつも、ついには勝利した。

 ()のドラゴンの首をとることに成功したのだ。

 

 もはや、この周辺地域において、ナザリックに敵する者はいまい。

 

 

 

「そして、各地の運営状況も順調っと」

 

 ベルは手元の書類をぺラペラとめくって見る。

 

 

 リ・エスティーゼ王国はもう大まかな支配体制、および新たな方針が固まっていた。

 

 

 まず、スタッファンの正式な王への即位である。

 これまで王位についていたコッコドールは死んでしまったため、代役として、そのちょっと小狡い知恵が回るだけのサディストであるぶよ(・・)デブが選ばれた。

 

 

 問題となったのはその正当性である。

 コッコドールはランポッサ三世の前の王の血筋を引く者であると称していた。

 そこへ新たに現れ、取って代わった人物、スタッファンについて、はたしてどう説明すればいいのか?

 

 それについては、おとなしくランポッサ三世の落胤であることにした。

 ランポッサ三世が宮中にいた女性、その一人に手を出し、そして生まれた傍流の子供がスタッファンであるとしたのだ。

 

 いちいち整合性のある新たな設定をあれこれ考えるのが面倒だったからという理由もある。むしろ、それが大きな理由であった。

 

 こんな人をいたぶるしか能のない豚が自分の息子だなどと、当のランポッサ三世が聞けば、激憤してしかるべき話であるが、どうせ当人はとっくの昔に死んでしまっている。ついでに他の王族たちもだ。本当の事を知る者などすでにいないし、たとえいたとしても、今の状況において、何か言えるようなものでもない。

 

 

 一応、貴族たちにはまだ生き残っている者もおり、スタッファンが王家とは全く無関係である事をはっきりと知る者もいたのではあるが、そんな彼らの言など、すでにまともに取り合う者はいなかった。

 

 最も階級の低い者の発言など、一体だれが耳を貸すというのか。

 

 

 

 スタッファンが王となり、新たな体制を作るにあたって、これまでとは異なる階級制を作り上げた。

 

 それはこれまでとは、まったく逆のもの。

 すなわち、まずは現在王国を統治する八本指に関連する者が上位者で、その下に一般の平民が続く。そして、その平民の下にこれまでの貴族をおいたのだ。

 さらに貴族の中でも階級の上下を作った。かつての下級貴族の下に中級の貴族を。中級貴族の下に上級貴族をといった具合に。

 

 これまで下々の者を好き勝手に虐げる事の出来る上位者たる立場にあり、その権勢を誇っていた者達が一転、最も虐げられる立場へと転落させられたのだ。

 

 下の階級の者が上の階級の者に逆らった場合、それは厳罰を以って対処させられるが、逆に上の階級の者が下の階級の者に行った行為に関しては、よほどの重犯罪、すなわち複数人の殺害などでもしない限りはお咎めなしとされた。

 

 

 その結果がどうなったかは言うまでもない。

 

 

 平民は下級貴族へ。

 下級貴族は中級貴族へ。

 中級貴族は上級貴族へと、水が上から下へと流れ落ちるように、憎しみは連鎖していった。

 

 

 

 これには新体制への不満のガス抜きという思惑もあったが、他にも重要な理由があった。

 それは反乱の抑止である。

 

 

 およそ賛同者を集め、武器を用意し、周到な反乱の計画を立てるという事を秘かにやるのには、それなりの能力がいる。

 すなわち、人を動かし、先々のことを考える力が。

 

 この世界では人はみな平等に教育など受けていない。

 貴族は領地を統治するための各種教育を受ける、とくに上級貴族は下級貴族よりも良い教育を受けるのであるが、平民にとってはそんなものなどまったく無縁である。都市部の者でも、せいぜい文字の読み書きができる程度、数字のやり取りが出来るのは商人の家に生まれた者などしかいなかった。

 

 そんな無学な輩が威を誇り、学のある者が下の立場に落とされた。愚かなる平民に対し貴族たちは何をされても逆らう事など出来ず、それどころか彼らは思うままに貴族たちを迫害した。かつて自分たちが這いつくばらされ、媚びへつらわされていた貴族たちを嬲っても、犯罪に問われることなど無いのだ。

 王国においても表向きは貴族ならばかくあるべきと知られていた上位者として取るべき態度、ノブレス・オブリュージュなどという概念すらも欠片も知りえない者達は、その愚かなる残忍性を最大限に発揮していた。暴行、略奪、強姦、そして殺人などは日常であった。

 そんな状況下において、先々の事まで見通しを立て、考えることの出来るはずの、かつての上級貴族の言葉に耳を傾ける者などいようはずもなかった。

 

 

 

 そして、もう一つ王国が新たに始めた政策として、報道機関の確立があった。

 

 これまで様々な事件や事故などの出来事、並びに国や地域の方針などは公にされる事などなかった。各自噂話という形で街頭や酒場などで小耳にはさむ程度しか、一般の民衆は情報など知る由もなかった。

 そこでスタッファン王は国民に様々な事象を知らせる『報道』を行う組織を作り、各種情報を記載した紙、『新聞』を販売させた。

 

 

 それは一般市民にとって衝撃的であった。

 まるで今まで白黒だった世界が総天然色になったような感覚であった。

 

 これまでは行商人などのうわさ話で聞くような、真偽も定かではないあやふやな情報を耳に入れ、井戸端会議や床屋談義をするのが関の山であったものが、新聞によって全てが白日の下にさらされたのだ。これにより、ごく普通の一般大衆に至るまで、国のあちらこちら、津々浦々の出来事や自分たちを治める王国の情報を知りえることが出来るようになった。

 

 一度味わったらもう忘れられない情報という甘い蜜に誰もが群がり、こぞって新聞を買い求めた。

 

 

 およそ、その報道はリ・エスティーゼ王国の肝いり政策として始めたものであり、身分不確かなものが流言飛語を飛ばさぬよう、厳重に作成する組織は管理されていた。

 下手に一般の者に対して自由に報道を行う事を許可でもしようものなら、誤った情報が流され、流言飛語が飛び交い、それによりせっかくの報道の信頼性が失われることは目に見えている。そんな事はさせるわけにはいかない。

 

 

 そうして、国家として信憑性があると判断された情報が次々と紙面上に躍った。

 

 曰く、上級貴族が再び民衆を支配下に置くため、暗躍している。

 曰く、ズーラーノーンというアンデッドを操る組織が、王国のあちこちでアンデッドを暴れさせている。

 曰く、スタッファン王は慈愛溢れる為政者で、かつて一時的に王位を奪ったコッコドールの方針を廃し、亜人たちの暴虐を許可しなかった。

 

 

 その新聞に書いてある通り、王がスタッファンに代わってからというもの、それまで王都を我が物顔で歩いていたトロールやオークなどの亜人たちは姿を消した。

 その事だけをもってしても、一般大衆はスタッファン王への崇敬の念を強くした。

 

 確かにスタッファン王に代わって以降、食糧事情は良いとは言えない。

 外貨を稼ぐために、薬とも使えるらしいライラの粉末を増産したためであるが、本来ならば、それによって得た外貨によって他国から食料を購入でき、それで自分たちの生活はよくなるはずなのだ。

 

 しかし、生活はよくはならない。

 これもすべてズーラーノーン、並びに彼らと手を組んだ上級貴族たちのせいなのだ。

 

 なぜって?

 

 それはもちろん、新聞にそう書いてあるからだ。

 

 

 

 王都の人間にも、中には読み書きの出来ぬ者もいる。そして、王都を離れた村ならばその割合は格段に大きくなる。もちろん、それ以外にもわざわざ新聞を読もうともしない者も多数いる。

 

 そんな読み書きの出来ぬ者、および読もうともしない者の為、新政権は対策を講じた。

 演劇などをやる者を集め、新聞に書いてある事を芝居風にして、街や村のあちこちで演じ、聞かせたのだ。

 

 日々の生活に疲れ、娯楽に飢えていた者達はこぞってその前に集まり、その演劇調の一説に聞き入った。

 彼らは、スタッファン王の慈悲に涙し、彼に仕える正義の戦士サキュロントとマルムヴィストの活躍に快哉を叫び、自分たちを虐げた貴族たちがスタッファン王を引きずり下ろし、再びこの国を乗っ取ろうと奸計を巡らしている事に憎悪した。かつての横暴を振るえる権力を手にする為ならば、アンデッドを操る邪悪な組織とも手を結ぶことも厭わぬ上級貴族たちに激怒した。義憤を燃やした。

 そうして、彼らの正義の怒りは、かつての豪華絢爛たる屋敷を追われ、今やあばら家で食うや食わずの生活をしている貴族に向けられた。

 

 彼らは思う。

 アンデッドを操る奸邪たる組織と内通する、人類の裏切り者である貴族を打ち倒し、いつの日かズーラーノーン共を我らが新王が滅ぼせば、きっとこの国は良くなると。

 彼らは血に塗れたこん棒を手に、そう思った。

 

 

 

「順調、順調っと。王国の方は上手く言ってるみたいだね。さて、法国の方は、と……」

 

 

 一方、法国の方はと言うと、こちらは王国とは全くアプローチの方向が異なっていた。

 かつて人間至上主義を掲げ、怪物(モンスター)だけに(とど)まらず、亜人たちをも狩り尽くさんとしていた法国。

 今、そこを支配する王はトロールのザグ。かつてナザリックの尖兵の1人として、リ・エスティーゼ王国の王都支配に駆り出され、そこで資質を見出され、新たな地における王へと抜擢されたトロールである。

 

 

 かつての法国上層部、並びに主要組織はナザリックの守護者たちによって壊滅させられていた。

 そうして上からの指示が無くなり、戸惑う彼らの前に現れたのは、大規模反乱を終結させ、王国が亜人抜きでの運営という方針に舵を切ったことから、そちらから配置転換され、新たに送り込まれることとなった亜人たちの集団であった。

 

 彼らは瞬く間に、首都である聖都を制圧した。

 

 そして始まった亜人による支配。

 その支配方法は苛烈としか言いようがなかった。

 

 以前、王国にいた頃は、民衆を支配するという事で、むやみに人を殺したり、食べてしまう事は禁じられていた。

 

 だが、この法国に関しては、人間に対する全ての自由を許可されていた。

 

 彼らは欲望のおもむくままに、行動した。

 ここに配置されるにあたって、このスレイン法国に生きる人間たちは、これまで亜人たちを容赦なく、それこそ女子供に至るまで全て残忍なまでに殺しつくしてきた存在だと説明されていた。種族は違い、立場も捕食者と被食者とに分かれていても、同じ知性ある者同士としての節度を持っていた亜人たちも中にはいたのであるが、彼らもこれまでの法国の所業を聞くに、容赦や躊躇などは投げ捨てた。

 

 今や法国は、噎せかえるような血の香りの中、溶岩に投げ込まれその身を焼き尽くされる人間の断末魔の声、戯れに嬲られる悲痛の声、生きたまま骨まで食われる者の苦悶の声が溢れていた。

 

 まさによく晴れた休日、家族みんなでバスケットケースを持って、ピクニックに行くには最適の場所である。

 

 

 

「鉱山の収支も順調っと……」

 

 採掘状況を記した資料をめくる。

 そこに記された数字は、ベルを十分に満足させるものであった。

 

 アゼルリシア山脈の地下にドワーフが王国を築いており、そこでは各種鉱物が採れるという情報があった。

 そこで、地中を掘り進み、調べる事の出来る(しもべ)を使って、彼らの生活圏を探し出した。

 

 そしてナザリックが行ったのは、地表に繋がる洞窟をすべて調べた上で、魔法も併用して強固なまでにそこを塞ぎ、そうした上で地下空間に毒を垂れ流すことだった。

 

 彼らと交渉をして、交易をしてもよかったのだが、わざわざそんな七面倒くさい事をするよりは、彼らを全滅させて、全て総取りしてしまった方がいい。

 

 そうして、しばらくの間封鎖したのちに、毒が無効のアンデッドの軍団を送り込んだ。わずかに生き残っていたドワーフもいたが、それらを殲滅し、鉱山の全てを手中に収めることに成功した。

 現在、鉱山内では疲労もせず、食料も必要としないスケルトンらが採掘にいそしんでいる。

 

 追加の調査では、何やらドワーフのいた場所から少し離れた所に、奇妙な毛むくじゃらの生き物が多数いる区画があったそうだ。そして、そこは地底都市といった様相であり、ホワイトドラゴンも住み着いていたらしい。

 まあ、見つけたときには、全て毒で死んでしまっていたのだが。

 

 

 

「まあ、上手くいってるねぇ……」

 

 ポンとその手にしていた書類を机の上に放り、ベルは背もたれにその小さな体を預けた。

 

「上手くいってるけど面白みもないねぇ」

 

 そう独り言つ。

 

 

 アインズを隔離して後、ベルは1人でナザリックを運営してきた。

 誰もが、彼女に畏敬を持って接した。

 誰一人として、彼女と気安く話せる立場にはなかった。

 

 自分以外に並び立つ者がいない、絶対の権力者。

 

 そんな立場に、彼女はいささかうんざりしたものを感じていた。

 これまでであれば形式上は、自分の上にはアインズがおり、その下でベルはある程度自由に動くことが出来た。

 しかし、今は彼女こそがナザリックの最高責任者である。

 ナザリック地下大墳墓のすべて、並びに現在、傀儡政権としているこの世界の国家らもまた、彼女の言葉一つで全てが動くのだ。

 

 

「はあ……」

 

 ベルはため息をつく。

 

「飽きたなぁ……」  

 

 

 あらゆるものを思うがままにできる権力。

 その地位にある快感。

 それは爽快ではあったのだが、やがてそこに倦怠の念も生まれていた。

 

 

 そんなベルにとって、アーグランド評議国攻略は熱中できた。

 

 ついに発見したこの世界における強者。

 彼女は舌なめずりせんばかりに狂喜し、この強敵への対処を考え、じわじわと外堀を埋めるように相手の戦力を削っていった。時には反撃を受けることもあったが、少しずつ相手の選べる選択肢を減らしていき、追い詰めていった。ギリギリと胃が痛くなる神経戦に頭を悩ませ、その勝敗や情勢に一喜一憂した。

 そしてついに、この地において、おそらく最強と目されるツァインドルクス=ヴァイシオンを倒したのだ。

 

 

 そうしたところ、ふたたびぷつりと糸が切れたように、興味が冷めた。

 心地よい達成感と共に湧いてくる、これから何をすればいいのだろうという寂寥感。

 

 もはや、この地に敵する者はいない。

 後は消化試合のように、これまでやってきた事――ナザリック勢によって難敵を排除し、ズーラーノーンに見せかけたアンデッドを暴れさせ、自分の息のかかった傀儡政権の者達によって支配させる――を繰り返していくだけだ。

 

 それはただ時間と手間がかかるだけで、とくに面白みもあるわけではない。

 

 

 そして、この付近、人間の領域を支配下に収めた後、次は大陸中央の亜人たちの国に手を伸ばすかといえば、それもあまり面白くはなさそうだった。

 すでに斥候を何人も送り込み情報収集しているが、そちらはただ人間より通常のレベルが高いだけで、強い者も面白そうなものもとくに無さそうだった。

 

 ただ、無駄にナザリックの力を使ったパワーゲームにしかなりそうもなかった。

 

 

「なんだか最近、ずっと外を歩いてもいない気がする」

 

 ベルはつぶやく。

 

 彼女がナザリックの支配者となって以降、ほとんど外を出歩きもしていない。

 日がな一日、自室に籠もり、そこで各部署からの報告を受け、指示を下すという政務に忙殺されていた。

 

 全くの自業自得であるが、アルベドが抜けた穴はあまりにも大きかった。彼女に匹敵するほどの知能を持つデミウルゴスには外での調整役――王国の運営や、法国を支配する亜人たちへの指針の提示、そして彼らに任せ規模を元法国領全体にまで大きくした牧場の管理などの仕事があり、彼に手伝わせるわけにはいかない。

 そのため、ただでさえ広がったナザリックの支配地域に関する各種処理について、ベルがそのほとんどをこなさなければならなくなったのだ。

 重ねて言うが、完全に自業自得である。

 

 

「どっか、街にでも行こうかな?」

 

 だが、そんな事をするわけにもいかない。

 ベルが1人で出歩くなど、許されるはずもない。今のベルはこのナザリックのたった一人の支配者なのである。彼女がいなくなれば、ナザリック中が上を下への大騒ぎとなることは間違いない。いなくなったベルを捜し、きっと大規模な捜索隊が組まれるだろう。そして、それらの前には如何に隠れ潜もうともすぐに見つかってしまうであろう事は疑いようもない。

 

 しかも、そうしているうちにもやらねばならぬ仕事は溜まる一方であり、帰ったらより一層大量の仕事が待っている事は想像に難くない。

 

 このナザリックの支配者である限り、ベルは際限ない労働の虜囚であるのだ。

 

 

「なんか、もう全部、面倒くさいな……」

 

 実際に疲労しているわけではないが気分で、肩をぐるぐると回し、ベルはため息をつく。

 

 ――なぜ自分はこんなにも仕事をしているのだろう? 待遇こそ雲泥の差だが、睡眠が不要の分、昔より仕事をしている気もする。

 

 

 目をつぶって、しばし考える。

 ふと、根源的な考えが頭に浮かんできた。

 

 

「ん? ナザリック……ナザリックって必要か?」

 

 

 もしナザリックがなければ、自分がここまで必死で働く必要もない。

 そうまでして、ナザリックを維持しなくてはならないのだろうか?

 

 

 椅子に座り直し、膝を組み、顎に手を当て、考えてみる。

 

 

 ナザリックは本当に必要だろうか? 自分にとって。

 これまでは強者が存在する可能性を排除できず、ナザリックの力を必要としていたが、この地において、100レベルキャラとしての能力を持つベル個人の身が危険になるほどの強敵はもういない。始原魔法を唱えるドラゴン、ツァインドルクスはすでに倒された後だ。そいつに匹敵する者は他にいないであろう事は調査済みだ。

 

 そして、今のベルはワールドアイテムを保有している。

 法国が秘かに保有していたように、この世界にまだ他のワールドアイテムがあったとしても、その効果はベルには通用しないという事だ。

 

 ナザリックの組織力を絶対に必要とすることもないのだ。

 

 

「そうか。そうだな。もう別にナザリックにこだわる必要もないか」

 

 かつてナザリックを離れられないと判断したのは、たとえどこに行こうとも、アインズに絶対の忠誠を誓い、その旗下において勢力を拡大し続けるナザリックと、いつかは鉢合わせになってしまい、一人いなくなった自分を警戒するアインズと争いになってしまうのではないかという懸念からであった。

 

 しかし、そのアインズはすでにいない。アルベドと共に『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の奥深くである。

 

 アインズとの敵対を心配する必要などないのだ。

 

 

「うん。ナザリックを離れて、1人でどこかこの世界を気ままに旅してみてもいいな」

 

 それは心惹かれるものがあったが、そこには問題がある。

 やはりネックとなるのは留守中のナザリックをどうするかというものである。

 

 

「ナザリックなぁ……。しばらくの間、誰か任せられるやつがいたらなぁ」

 

 そうつぶやくも、そんな者などいようはずもない。

 いや、一人いるが、それは論外だ。

 

「あー、アインズさんを追放したのは失敗だったな」

 

 やらねば自分の身が危うく、そうせざるを得なかったとは言え、計略を用いてアインズを封印、隔離したのは自分である。今更、助け出すわけにもいかない。

 あくまであれに関して、ベルが関わったという証拠はないのだが、仮にアインズ本人を言いくるめられたとしても、今度はアルベドの方が問題となる。ベルと彼女は共犯関係なのだ。アインズとの2人だけの蜜月を邪魔された彼女は激怒する事は想像に難くない。そうなったら、もうどんなことになるか……。

 

 

「ダメだな。それは絶対にダメだ。あー、どうしよっかなー」

 

 身勝手極まりない思考を頭を振って捨て、ぐいっと背もたれに身を預け、大きく伸びをする。

 

 

 ――とにかく、自分がいない間、このナザリックをどうにかしないとなぁ……。

 

 

 うーんと呻り、必死で頭を働かせるベル。

 そこへ再び天啓のように考えが浮かんできた。

 

 

「いっそ、滅ぼすか?」

 

 

 ポツリつぶやく。

 冗談めいた考えであったが、それはベルの灰色の脳細胞を電流となって駆けた。

 

 

「そうだな。うん、そうだ。滅ぼしてしまおう」

 

 名案を思いついたとばかりに、ベルは膝を打った。

 

「ナザリックの者達を全て殺してしまえばいい。全員を一度、まとめて殺してしまう。そうすれば後腐れも後顧の憂いもない。うん、いい考えだ」

 

 

 ベルにとって、ナザリック及びナザリックのNPCなど、所詮ゲームの延長線上の存在でしかない。特に必要もなくなったのなら、潰してしまう事にも躊躇いはない。そこに良心の呵責はない。

 むしろ、味方である彼らが死んでいく様子を見るのは、想像するだけでも実に楽しそうだ。

 

 

 それに、彼らは死んだとしても、また生き返らせることが出来るのだ。

 殺した状態にしておいて、もしナザリックの力がまた必要になったら、生き返らせればいいだけだ。それをやるだけの金は宝物殿に十分にある。

 

 

 その思い付きに、ベルの心は弾んだ。

 そして、どうやってNPC達を殺すかについて、腕を組んで思案する。

 

「しかし、殺すと言ってもどうするか? 一人ずつ殺すんだと時間がかかるな。そうだな、やはり一カ所に集めて……それでヴィクティムを使うか。フレンドリーファイアが解禁されている今なら、ナザリックのNPCにも効くだろうし。いや、生き返った時、記憶があると困るな。自分たちが殺されると分かれば、さすがに反抗してくるだろうし……。〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉で〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使って意識を失わせるか? それで後は殺していけばいいか。たしか、やまいこさんが残していったのが、宝物殿にあったはずだしな。うーん、でも、もしやっているうち効果が切れた時の事も考えて、あの二十も用意しておいた方がいいかも……」

 

 

 

 そうして、楽し気に計画を練るベル。

 彼女は気がつかなかった。

 

 

 彼女がいる自室。

 その扉の前で、その身に宿している盗賊系職業(クラス)の能力により、部屋の中での独り言を聞くとはなしに聞いてしまい、ノックしようとした姿勢のまま、凍り付いている美しい金髪を縦ロールにしたメイドの存在に。

 

 

 




 ツアーの鎧ですが、書籍では『白金』でしたが、前回登場時、WEBに合わせて『白銀』としていたので、今回も『白銀』で統一しました。


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第86話 No One Lives Forever

2017/4/29 「務める」→「努める」、「掘った」→「彫った」、「使える」→「仕える」、「最後」→「最期」 訂正しました
文末に句点がついていなかった所がありましたので、「。」をつけました



「ん? アイテムの整理?」

 

 かけられた言葉をベルはおうむ返しに尋ねた。

 

「はい。ベル様はいつもアイテムを取り出す際、難儀しておられるご様子。一度、アイテムボックス内のアイテムを整理なさってはいかがでしょうか?」

 

 

 ソリュシャンからの進言に、それもそうだなと、ベルは頷いた。

 

 

 そう考えるのは先日の一件の為である。

 

 実際、これまでも自身のアイテムボックス内から物を取り出そうとしたのに、入っているはずの物をなかなか見つけられないという事は多々あったのではあるが、それに絡んでついこの間、満座の前で少々問題が発生したのだ。

 

 ローブル聖王国より攫ってきた貴族の『説得』という任務を見事果たした恐怖公に褒美をやろうと、アイテムボックス内を探ったのであるが、その際、目当ての代物がいつまでたっても見つからなかったのである。

 

 それは玉座の間において、他の者達も多く見守る中でのことであり、まさか現支配者たるベルが褒美をやろうと大見得を切ったうえで、渡そうと思ったアイテムがどこにあるのか、ちょっと見つけられないなどとも言える状況ではなかった。

 

 

 冷や汗が流れる中、とっさに手に引っ掛かったものを掴んで取り出したのであるが、それはかつてペロロンチーノとともに苦心して手に入れた、運営のセーフアウト判定ギリギリをいったと言われていた伝説の危険な水着であった。

 

 とりあえず、それをアイテムボックスから取り出したところは皆に見られていたため、元よりそれを探していたのだという(てい)をとって、そのまま下賜してやったのだが、さすがに何も説明がないままだと、なんでこんなものを渡されるのかと不満に思うかもしれないとも思い、それがいかに素晴らしいアイテムであるのか、今回の褒美にふさわしいかをなんとか言い繕った。

 至高の41人であるペロロンチーノがこれを手に入れるため、どれほど大変な目に遭い、如何様(いかよう)にして艱難辛苦を乗り越えたか――その原因は主にぶくぶく茶釜によってだが、そこはぼかした――を語って聞かせたところ、想像以上にいたく感動し、身を震わせている様子であった。

 傍で話を聞いていたシャルティアが周囲に響き渡るほどに歯ぎしりしていたが。

 

 だがその後、恐怖公がそれを着てナザリック内を闊歩する姿は、何とも言葉にしづらいものであった。

 

 

 

 とにかく、そういった問題を再び引き起こさないためにも、アイテムボックスの整理は必要であった。

 

 それはベルとしても分かっている。

 今のままでは、いざというときに必要なものが取り出せなくなってしまう。

 本当に重要な喫緊の問題が差し迫った時に、必要なアイテムが見つからない可能性もあるのだ。

 

 整理しないという選択肢はない。

 

 

 しかし、実際問題、あまりにも量が多いのである。

 その量を見るだけでもこれからやる大仕事、整理しようという決意に水を差され、やる気が無くなってしまうのだ。

 

 

 

 正直な話。

 ベルは物の片づけが苦手である。

 

 とにかく、物を乱雑に置くのだ。

 別に綺麗に整っている状態というのが嫌いという訳ではない。そんな高尚な哲学がある訳でもない。整理整頓された空間というものは実にいいものだ。それくらいは彼女としてもそう思う。

 

 だが、何か物を使った後、それを元の場所には戻さず、またすぐ使うからと近くに置いたままにしておくのである。

 

 しばらくの間は実際にすぐ使用するので、手近な場所に置いておくのは便利かつ合理的であるとは言える。

 しかし、そこまではいいのだが、その後、段々とそれを使わなくなっていった後も、そのままそこに放置したきりなのだ。

 

 当然のことながら、やがてそういった物がそこら中にあふれかえることになる。

 結果、目の前に並べられた物の山を前にして、はてさてどこから片づければよいのやらと途方に暮れる羽目になるのである。

 

 

 このナザリックにあるベルの自室においては、片づけなど諸々の世話はメイドたちが行っているので問題はないのだが、ベル自身のアイテムボックス、その内は他者である彼女らは掃除できない。整理できるのはベルのみなのだ。

 整理、整頓、清潔、清掃という社会人として努めるべき4S全てをメイドに任せっきりにしているがゆえに、そのメイドの手が及ばないアイテムボックスの中はまさに混沌とした有様である。

 

 

 さて、こんなにも物がごちゃごちゃとしている原因は、その辺の物を後で整理しようと適当に放り込み、実際には後で整理などしないのが原因に違いない。

 整理整頓は物を使用した時、即座にやらねばならず、後でやろうと先延ばしにしてはいけない。

 後で悔いると書いて後悔。

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

 

 

 それこそ、そんなことを延々考えている暇があったら、実際に行動すればいいのに、考えるばかりで行動に移さない所が駄目な人間の典型である。

 やらない理由を考えるよりは、速やかにやった方がはるかにましだと、ベルは名も知らない何処かの誰かが言っていたような気もする。

 

 

 ともあれ、やるとしよう。

 こうして内心で言葉を遊んでいても、勝手に整理整頓されるわけもないのであるから。

 

 ベルは気乗りしないながらも重い腰をあげた。

 

 

「そうだね。……うん、整理するか」

 

 

 そうして、いざアイテムボックスを開いたのであるが、案の定、そこにあったのは大量の物、物、物。

 

 ベルが適当に放り込んだ物の山である。

 どれが要る物なのか、要らぬ物なのか、判別しようという気にすらならぬほどのものが大量に溢れかえっていた。

 

 

 それを目の当たりにしただけでも、片づけをしようというベルのやる気ゲージが一気に減少していく。

 

 これが1人だけであったのならば、さっさと見て見ぬふりを決め込んだだろう。そもそもな話、自分は整理しようとは最初から思ってなどいない。馬鹿め、整理しようとしたのはフリだけだ。まんまと引っ掛かったな、明智君と、誰に聞かせるでもない独り言を口にして、部屋の中央に設置された炬燵――ベル個人の保有する唯一の神器級(ゴッズ)アイテムである――に首まですっぽり収まってしまう魂胆であったのだが、あいにくとたった今、傍らに立つソリュシャンの前でアイテムボックスの整理をするという宣言をしたばかりである。

 さすがに自分に対し絶対なる忠心を捧げる彼女の手前、実際に口にしてしまった前言を数秒も経たぬうちに撤回するのはバツが悪い。かと言って、マルが良いというものでもない。

 

 かくしてベルは腹を決め、溜めこみまくったアイテム類、そのほとんどは愚にもつかぬガラクタの整理整頓へと、あたかもテルモピュライの戦いにおもむくスパルタ兵のように果敢に挑むこととなった。

 

 

 そんな、もしこの場にスパルタ兵がいたら、袋叩きにされること間違いなしな決心と共にやり始めた整理であるが、その作業は遅々として進まなかった。

 

 

 ごそごそと中を漁り、まずはその中に溜め込まれたものを、外へと出す。

 机の上はすぐに埋まってしまったため、その辺の床に並べていく。

 

 すると出るわ、出るわ。益体もないガラクタばかり。

 この世界の金貨、宝石、装飾品。そんな価値ある物のみにとどまらず、あったら便利だと思い、取っておいた、それなりに立派な椅子や机などの家具や調度類。捨てるのもったいなかったんで、そのまま放り込んでいた、血のついた剣や鎧など。特殊技術(スキル)の実験という名の暇つぶしに彫った木彫りの熊やらハムスケやら。更にはちょっと珍しい形をした石や、その辺で拾った動物の骨。挙句の果てには食べかけのパンなんぞという物まで入っていた。

 よくもまあ、これほどまでに意味もない物ばかりを集めたものだと、我が事ながら感心してしまう程であった。

 

 

 ――おっと、これは混ぜてはいけないな。

 

 

 そうこうしているうちにガラクタに混ざって出てきたのは、重要極まりない代物。

 ワールドアイテムである『傾城傾国』並びに『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』である。

 

 

 ――これは他と混ぜてはいけない。

 ガラクタと間違って捨ててしまっては元も子もない。

 

 

 ベルの脳裏に、かつてリアルの時分、部屋の整理をした際、買いはしたもののがっかりだったエロ本と、これは絶対に永久保存用だと考えていた究極にして至高のエロ本を一緒くたにしておき、誤って捨ててしまった苦い過去が浮かんでくる。

 

 

 ――あれは本当にもったいなかった……。

 

 ワールドアイテムとエロ本が同列というのもどうなのかという話ではあるのだが、とにかく大切なのは、捨てる物と捨てない物はちゃんと分けておこうという教訓である。

 

 その2つのワールドアイテムは他と紛れぬよう、机の上に並べておいた。

 置くためのスペースを開けようと、先に机の上に並べていたものを横へ寄せたのだが、押された拍子に机上の物は端からガチャガチャと音を立てて、床の上へと落ちていった。だが、もうめんどうくさい、どうせそこにあるのだから大して変わりはないだろうとばかりに、それは気にしない事にした。

 そうして他のアイテムを取り出しては、床の空いているスペースに並べる作業に、再び取り掛かる。

 

 

 

 そうしていると――。

 

「ベル様」

 

 呼びかけるソリュシャンの声。

 

「んー?」

 

 ベルはそちらに振り向かず、生返事だけして、作業に没頭する。

 

 ――ん?

 なんだろう、これは? 武器か? こんなのあったっけ?

 捨てるか。

 ……でも、もったいないかな? 取っておいた方がいいかな?

 いや、それはいけない。それこそ片づけられない典型だ。そうやって、いつか使うかもしれないと取っておいた物で、実際に後で使う物はほとんどない。ここは心を鬼にして捨てるべきだろう。

 

 手にしたそれを、捨てる物を積みあげている区画へ、ポイと放る。

 

 

 

「ベル様」

 

 再度、ソリュシャンの声。

 

「なに―?」

 

 再度、そちらに顔も向けずに声だけ返すベル。

 

 

 ――あれ? なんだっけ、これ……?

 ……え? 死体?

 あ! あの時の、ええっとアルシェの仲間だとかいうフォーサイトとかいう連中の死体か。

 これが見つかると色々拙いな。

 ……これはアイテムボックス内から出さない方がいいか。あっちの奥の方に放り込んでおこう。

 

 取り出しかけた安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)に包まれた遺体は、そのままアイテムボックスの奥へと押し込まれた。

 そして、それを入れるためのスペースを作るために取りだした、また奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な形と色をしたかさばるアイテムを前にして、これは取っておくべきだろうかと頭を悩ませるベル。

 

 

 

「ベル様」

 

 三度(みたび)、ソリュシャンの声。

 さすがに何度も続く呼び声に、一体なんだろうとベルは振り向いた。

 

「もう、どうしたのさ、何度も……っ!?」

 

 

 瞬間――ベルは息をのんだ。

 

 その鼻先につきつけられていたのは、鋭い切っ先。

 

 

 

 

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の穂先が、彼女の眼前にあった。

 

 

 

 

 その先端から続く柄を持つ人物へと視線を動かす。

 

 それを手にしているのは、ベルが最も信用し、これまでずっとお付きとして側にいたナザリックのプレアデス、美しい金髪を縦ロールにした肉感的なメイド、ソリュシャンである。

 

 

 

 ベルはごくりと喉を鳴らし、もう一つのワールドアイテム、『傾城傾国』へと目を向ける。

 それはすぐ傍らの机の上に、無造作に置かれている。

 

 しかし、その視線の動きを見て取ったソリュシャンは『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を突きつけ、『傾城傾国』に手をのばそうとしたベルの動きを牽制した。

 

 その切っ先に押される様にベルは後ずさる。

 

 

 

 それは、慢心としか言いようがない。

 

 ベルはナザリックの者を殺そうと考えていた。

 ナザリックを滅ぼそうと画策していた。

 ならば、ナザリックの者がその企みを察知し、逆にベルを襲う可能性もあった。

 そして、ベルはそれに対して警戒していたはずだったのだ。

 

 

 『アイテムボックス内のアイテムの整理をしませんか?』

 

 他の者が同様の事を言ったのならば、ベルはその提案を怪しいと疑ってかかり、その目論みを看破しただろう。

 

 しかし、今回の場合、それを言ったのはソリュシャンであった。

 

 ベルはまさか、ソリュシャンが自分に歯向かうなどとは思いもしていなかったのである。

 彼女とてナザリックの一員であり、あくまで作られたNPCではあるのだが、およそベルがこの世界に来てから、この姿になってから、常に共にあったのはソリュシャンであった。

 そのため、彼女に関しては自分に対し忠実な、信用のできる存在として認識しており、本来向けるべき警戒の対象から、無意識のうちに外してしまっていたのだ。

 

 

 

 未だ驚愕の色を隠せないベルに対し、彼女は言った。

 

「ベル様……。ベル様はこのナザリックを滅ぼすと……そうおっしゃっていましたが……。それは本当なのですか?」

 

 額に脂汗を浮かべ、あたかも身を切り裂く苦痛に苛まれているかのように顔を歪めながら、そう問いかけるソリュシャン。

 その声色には自分が口にした言葉ながらも、それを信じたくはないという感情がありありと浮かんでいた。

 

 

 ナザリックの(しもべ)には、同じナザリックに属する者へ危害を加えることを忌避する本能的な性質がある。

 当然ながら、それはプレアデスであるソリュシャンにもある。

 彼女らは――演技程度ならまだしも――互いに本気で攻撃し合うといったことは出来ない。

 しかも、今、彼女が槍先を向けている相手は、至高の存在としてのオーラを発しているベルである。

 自身が行っている絶対の禁忌により、彼女の全身に震えが走る。その心は千々に掻き乱され、あたかも暴風雨に翻弄される木の葉のよう。

 

 

「ああ、落ち着いて、ソリュシャン」

 

 その様子を目敏(めざと)く見てとったベル。

 これならば言いくるめられると、彼女は内心で口の端を歪めた。

 

「君はちょっと勘違いしているみたいだね」

 

 

 しかし、そう口にしたベルは気がついていなかった。

 

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を握るソリュシャンの手。

 そのほっそりとした指にある物。

 

 およそこの世において最高クラスの装備を身につけるのが普通であるナザリックの(しもべ)、とくにその中でも高位に位置するはずのソリュシャンが今、その身を飾るにふさわしいとは決して言えない、くすんでろくに輝きすら発せぬ鈍色(にびいろ)の指輪を嵌めている事に。

 

 

 それはかつて、漆黒聖典の隊長が身に着けていた、嘘を見抜く指輪。

 ベル自身が、ソリュシャンに回収を命じたアイテムである。

 

 

「ソリュシャン。どうしてそんなことを考えたのか知らないけど、ボクがナザリックを滅ぼすなんて、そんな事あるはずがないじゃないか」

 

 べるは(なだ)めるように声をかける。

 自分に対し、穏やかな表情で優しく声をかける少女。絶対の忠誠を誓うべき相手から向けられたそんな慈しみのこもった微笑みに、ソリュシャンも普段であれば、至福の感情を覚えるところである。

 

 

 だが、今、ソリュシャンの嵌めている指輪は残酷なまでの真実を彼女に告げていた。

 

 すなわち、たった今、ベルが語った『ボクがナザリックを滅ぼすなんて、そんな事あるはずがないよ』という言葉は、『嘘』であると。

 

 

 

 ソリュシャンは全身をわななかせる。

 

「ベル様……ベル様は、このナザリックが重荷だったのですか?」

「そんなことないさ。皆の事はとても大事に思っているよ」

 

 『嘘』である。

 

「ベル様は、私たちをお捨てになるおつもりですか?」

「まさか、ボクはこれからもずっと皆と共にいるよ」

 

 『嘘』である。

 

「ベル様、……アインズ様がこの地を離れられたのは、ベル様の御意向なのですか?」

「え?」

 

 その問いには、さすがにベルもわずかに言いよどんだ。

 

「……いや、まさか。そんな事あるはずがないじゃないか。ボクはアインズさんが行くのを止めたんだけどね。でも、どうしてもアインズさんは、このナザリックの為に、リアルに行かなくてはならなかったんだ」

 

 『嘘』であった。

 

 

 ソリュシャンの身体が大きく(かし)ぐ。

 ベルに向けられていた切っ先が、大きく揺れ動いた。

 

 それを見たベルは、好機と感じた。

 きっとソリュシャンは、いつの事かは分からないが、ベルの独り言をどこかで耳にしたのだろう。彼女は盗賊系の職業(クラス)を有している。おそらく、その常人より優れた聴力でもって、誰も聞く者などいないと思ってベルが口にした言葉を耳にしてしまったのだろう。

 

 しかし、彼女はまだそれに確信が持てないでいるようだ。

 

 自分の耳で聞いたことではあるが、それを信ずることが出来ずに、こうしてベルに直接確かめているのだ。

 ベルをひっかけ、ワールドアイテムを手放させたうえで、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を突きつけてまで問い詰めたのであるが、そうした一大決心の下に放った言葉を否定され、主を疑った慚愧の念に打ち震えているのであろうとベルは判断した。

 

 

 まさか、かつて自分に愛の言葉を語った少年の忘れ形見である指輪によって、自分の口にしている言葉、その真偽がすべて見抜かれているなどと、ベルは露ほども考えてはいなかった。

 

 

 ベルは打ちひしがれている様子のソリュシャンの方へ手を伸ばす。

 

「さあ、ソリュシャン。それを返しなさい。それはワールドアイテム。使うには注意を要する。下手にそれを『使用』してしまったら、相手はもちろん使った者まで蘇生魔法ですら復活できない、絶対の死が訪れる危険極まりない代物なんだ」

 

 

 ソリュシャンは懊悩していた。

 

 ナザリックを支配する至高の御方の為であれば、命を捨てる覚悟はある。

 だが、自分はどうするべきか?

 

 こうして目の前にいるベルは至高の41人ベルモットの娘であり、自身も彼の方々と同等の気配を発している。

 しかし彼女は、たった一人この地に残ってくださった至高の存在、アインズことモモンガをこのナザリックから追放した。

 そして今、彼女はさらに、ナザリックそのものを滅ぼそうと画策している。

 

 ナザリックに仕える者として、自分はどうすべきか? 

 

 

 

 ソリュシャンは力なく俯いていたが、やがてゆっくりと(おとがい)をあげ、その美しい(かんばせ)を己が主へと向けた。

 

「ベル様……アインズ様は、いつの日かお帰りになられるのでしょうか? 戻ってこられる(すべ)はあるのでしょうか?」

 

 その問いかけに、ベルは一瞬口ごもる。

 そして、言葉を発した。

 

「そうだね、帰ってくるのがいつになるか……それは分からない。でも、心配しなくてもいい。アインズさんは今でも元気にしているだろうし、戻ってくる手段はちゃんとあるよ」

 

 そう言った。

 

 

 

 そう、戻ってくる手段はある。

 アインズを戻すことは出来る。

 

 その方法とは実に簡単。

 発動したままとなっている『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果を止めればいいだけだ。

 

 

 だが、それは実質、不可能だ。

 現在、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』は宝物殿にしまってある。

 そこに入ることが出来るのはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを保有するベル、ただ一人のみ。

 一応、宝物殿の中にはパンドラがいるのではあるが、彼は現在起こっている事態も最初から知りはしない上、他のナザリックの者達とは面識すらない。

 

 すなわち、他から隔離された宝物殿に入り、その最奥部に安置されている『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を手にして、わざわざその効果を解除しようとすることが出来る者、それはベル本人をおいて他にいない。

 そして、ベルにはそんな気はさらさらない。

 

 

 だが、ベルはそう口にした。

 そこには、何とかに刃物ではないが、興奮して『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を手にしているソリュシャンの気を一時的にでも落ち着かせられればいいやという程度の軽い思惑しかなかった。

 

 なかったのであるが、その言葉を聞いたソリュシャンの目の奥に光が輝いた。

 

 

 ソリュシャンの身体が一瞬、身震いしたかのように大きく揺らいだ。

 その粘体の身体の奥底から水流が湧き上がり、全身を波紋が走った。

 

 その奇妙な様子を目の当たりにし、ベルは不審げに眉を顰めた。

 そして、彼女が『どうした?』と問いかけようと口を開きかけた刹那、ソリュシャンが先に口を開いた。

 

「ベル様……」

「なんだい?」

 

 ソリュシャンはまっすぐに、ベルの瞳を見つめる。

 ベルは突然の彼女の変化に目をぱちくりとさせた。

 

「ベル様……」

 

 ソリュシャンは目を閉じ、再度、己が主の名を口にする。

 そして、口をきっと噛みしめ、手にした槍を強く握りしめた。

 

 

 瞬間――(まばゆ)いばかりの光が走る。

 室内を光の波動が駆け巡る。

 

 

「な、なぁっ!」

 

 あまりのまぶしさに腕をあげて目をかばい、愕然とした声をあげるベル。

 その光の意味するところを悟り、とっさに身を躱そうとする。

 

 

 だが、そんなことに意味はない。

 

 対象を指定して発動された『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』。

 それは物理的に避けようが避けまいが、必ず相手に突き刺さり、その効果が発動される。

 ワールドアイテムの効果は――ワールドチャンピオンの保有するスキルの仕様などごく一部の例外を除き――ワールドアイテムを持たぬ限り防ぐことなど出来はしない。

 ましてや今、ソリュシャンが発動させたのは、そのあまりの凶悪極まりない能力から、ユグドラシル時代は二十とまで言われた壊れ性能のワールドアイテムである。

 

 

 その光の切っ先は狙いたがわず、ベルの左脇腹に突き立った。

 

 

「げはあっ!!」

 

 肺腑から絞り出すような、潰されたヒキガエルのような悲鳴をあげるベル。

 ソリュシャンは悲哀と苦悩を湛えた叫び声をあげた。

 

「ベル様……御崩御くださいませぇっ!!」 

 

 

 

 ナザリックに仕える者の願いは一つ。

 ナザリックを支配する至高の御方の役に立つことである。

 

 だが、アインズがいなくなった後、唯一の支配者となったベルはナザリックを滅ぼすことを望んだ。

 

 ナザリックの(しもべ)として、主の望みである滅びを受け入れるべきか? それとも、ベルを止め、ナザリックそのものを守るべきか?

 

 

 ソリュシャンはたとえ至高の存在すらをも完全に殺すことが出来る必殺のアイテム、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を手にしたまま、自分が取るべき行動を迷っていた。

 

 

 仮にこの『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』でベルを殺した場合どうなるだろうか?

 ベルと自分は『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の効果によって共に死ぬが、ベルによるナザリック壊滅計画は防がれる。ナザリックはその後もあり続ける。

 

 しかし――。

 

 しかし、それをやった結果ナザリックの者達に待っているのは、仕えるべき相手が誰一人いないこの地にて生きねばならぬという、ある意味、死よりも、滅亡よりもひどい生き地獄の未来である。

 

 そんな状況に、彼らをおとしめていいものか?

 そうするよりは、至高の御方の娘であるベルの手にかかった方が良いのではないか? 幸せなのではないか?

 

 そんな考えが脳裏を駆け巡った。

 

 

 

 だが、今、ベルが語った言葉。

 

 『アインズさんは今でも元気にしているだろうし、戻ってくる手段はちゃんとあるよ』

 

 

 

 その言葉に指輪は反応しなかった。

 そこに『嘘』は無かった。

 

 

 すなわち、アインズはベルの策略により追放されたが、今現在も無事であり、いつか帰ってくることが出来るのだ。

 

 

 ベル自身はただ、ソリュシャンを言いくるめるためにいった言葉であったが、それが彼女の心を決めさせた。

 

 

 そして、ソリュシャンは決断した。

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を使用することを。

 

 

 ベルは死ぬ。

 自分も死ぬ。

 だが、ナザリックは残る。

 そこに住まうすべての(しもべ)たちもまた残る。

 

 至高なる御方、アインズがいつの日か帰還した際、帰るべき場所、支配すべき者は残るのだ。

 ナザリックの(しもべ)として、彼女はそれを守らなくてはならない。

 

 

 ナザリックの皆の為に。

 至高なる御方の為に。

 

 たとえ、自分の命と引き換えにしても。

 主として仰いだベルを滅ぼすという、大罪に手を汚そうとも。

 

 

 

 槍に刺された脇腹に光がともる。

 その光は白く煌めき、やがてそこからベルの肉体が輝く粒子となって崩れ始めた。

 

「があああぁぁっ!!」

 

 苦悶の声をあげるベル。

 

 

 熱かった。

 この世界においてダメージを受けたときの衝撃などとは異なる本当の苦痛。リアルで自分の身体が炎に焼かれるような、そんな耐えがたい激痛がベルの身体を襲う。

 

「なっ、そんな! あ、熱い―!!」

 

 小さな体をよじり、身悶えるベル。

 そんな苦悶の様子を前にしているソリュシャンの身体もまた、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を握る手の先から、白い光が包まれていく。

 その光は全身を包み込み、やがて彼女の身体は溶け落ちるように消えていった。

 最期、消える瞬間、彼女の唇は主の名を形作った。

 その瞳から一筋の涙がこぼれる。

 だが、その涙は床へと落ちる前に、光と共に消え去った。

 

 

 

 

 そして、ベルの身体もまた同じ運命をたどろうとしていた。

 全身を襲う苦痛と共に、その体が末端から崩壊していく。

 

「い、痛い、痛いっ……!! ま、待った! 冗談だろう!?」

 

 だが、信じようと信じまいと、彼女の肉体は光の粒子となって崩れていく。

 

「ふ、ふざけるなよ! なんで、なんでこんなことになるんだよ!!」

 

 彼女は懸命に痛みから逃れようともがくが、そんな事で『死』ですらない、『消滅』から逃れられようはずもない。

 

 

 

 そして――。

 

 

「こ、こんな、……こんな事で……! ……こ、こんなはずが……」

 

 

 そして、最後まで、その言葉に後悔の色も反省の色も混じることなく、実に見苦しく――ベルは死んだ。

 

 

 

 次の瞬間――。

 

 

 爆発したように大量の物が室内に飛び散った。

 ベルが『消滅』したことにより、彼女の保有していた、アイテムボックス内に蓄えられていたアイテムの全てが、その場に放出されたのだ。

 

 誰もいなくなった室内に、音を立てて噴き出した物の波。

 やがて、それは主のいなくなった部屋を埋め尽くす。

 そして長い時をかけ、アイテムの放出が終わった後、ベルの私室からは山と積もったアイテムが崩れる音以外、一切聞こえるものはなかった。

 

 




 ベル死亡です。
 長期にわたった彼女だか、彼だかの活躍を讃え、ざまあみろ&スカッとさわやかな笑みでお見送りください。


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第87話 支配者の帰還

2017/5/4 「来れない」→「来られない」、「確立」→「確率」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「様に」→「ように」 訂正しました


「はぁ……」

 

 廃神殿の中にため息の音が響く。

 

 数えてはいないが、もはやこれで何度目なのか。

 少なくとも3ケタは優に越している事は間違いない。

 

「はぁ……」

 

 さらにもう一度、深くため息をつき、アインズは自分が今いる一室を見回した。

 

 周囲の石壁は崩れかけ、もはや壁としての体をなしていない。そんな部屋というより壁の痕跡により区切られた空間には、今、彼が座るソファーがあり、その前には膝ほどの高さのテーブル、そして壁際には数人同時に寝ても大丈夫なほど大きなベッドが据え付けられていた。

 一見ただの廃墟に見えるが、床はきれいに掃除されており、たとえそのまま寝転んでも、その衣服が汚れることは無いだろう。

 

 

 アインズは顔を上に向ける。 

 その視線を遮るものはない。周囲を取り囲む、人の身長の倍ほどもあろうかというほどの壁面にかろうじて残った天蓋がわずかに(ひさし)のように張りだしているのみである。

 

 そこにあったのはすでに見飽きた景色。

 見上げた空は、微かに明滅しながら色を変える不思議な灰白色の霧だか雲だかによって覆われている。

 

 

 ここには太陽というものがない。

 ただ常に、周囲を取り囲む霧によってほのかな明るさが保たれている。

 その為、アインズが腕につけているバンド型の時計によって示されるもの以外、時の流れを感じることすら出来ない。

 

 

 そうして、周囲を見回した彼は肩を落として、再び視線を床へと落とした。

 

 自分がいる周囲、崩れかけた神殿の一室には変わったことはない。

 おそらくこの廃神殿の外にもなんら変化はないだろう。

 それこそ彼、そしてアルベドがここへ来てからずっとだ。

 

 

 

 アルベドの使用した『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に閉じ込められてから――彼のしている時計になんらかの作用が働き、そこに表示される数字が狂いでもしていなければ――およそ数か月が経った事になる。

 

 

 当初は何とか、この空間から逃げ出そうとした。

 

 本来の脱出口であるアーチは『幾億の刃』によって生み出された刃の壁によってふさがれている。それの排除を試みもしてみたのだが、ある程度のダメージを与えることで破壊されるはずのその障害物は、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』による特殊空間の効果――ダメージ無効によって、絶対に破壊不可能な障壁と化していた。これを何とかするには、それこそなんらかのワールドアイテムでも用いない限りは不可能だろう。

 

 

 次に、他の脱出方法はないかと行ける範囲全てをしらみつぶしに探してみた。

 

 だが、行動できる範囲と言っても、それはこの廃神殿を中心としたせいぜい数キロ程度しかない。その外は灰色の霧に覆われ、そこに足を踏み入れるとまるで水の中を歩くかのように霧が手足に纏わりつき、だんだんと重くなっていく。それは先に進めば進むほど顕著となり、やがては100レベルPCであるアインズでさえも、自身の手足の重さに進むことが出来なくなる程であった。

 

 

 ならば、この空間内に別の脱出方法があるのではと、あれこれ試してみもしたのだが、こちらも何一つ成果はなかった。

 強いて言うならば、この空間内にいる生物――アインズはアンデッドであり、少々語弊があるかもしれないが、とにかくアンデッドも含めた動く者は、アインズとアルベドたった2人しか存在しないという事がはっきりしたのみだ。

 

 

 

 自力での脱出は不可能。

 

 そこでアインズは、この『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の外にいるはずのベルに助けを求めようとした。

 彼女ならば、状況を把握し次第、自分の事を助けに来てくれるに違いない。

 

 違いないのだが、ワールドアイテムによる閉鎖空間内からは、連絡を取る方法がないのである。

 

 普段、肌身離さず身に着けているワールドアイテムは自室に置いてきてしまっている。アインズからの〈伝言(メッセージ)〉を始めとした伝達系の魔法、〈転移門(ゲート)〉を始めとした転移系の魔法、どちらも閉鎖空間内においては使えるが、閉鎖空間の外までは繋がらなかった。

 

 

 自分から打てる手はないと分かり、そしてアインズは仕方がないとばかりにのんびりと構えることにした。

 

 ――なに、知恵者であるベルの事だ。

 すぐに自分がいなくなったことに気がつくはず。

 そして、あれこれと調べ、やがて自分が『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内に閉じ込められている事に気がつくだろう。

 大丈夫。

 しばしの辛抱だ。

 

 

 そう思い、狼狽えて右往左往するのは止め、アインズは座してベルが自発的に助けに来るのを待つことにした。

 

 

 したのだが……一向に救助に来る様子がない。

 

 

 

 ――はて? いったいどうしたことだろう?

 何故、助けが来ない?

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を使ったアルベドは自分と共にこの閉鎖空間内にいる。

 すなわち、彼女は外で救助に対する妨害工作などは出来ぬはず。ベルの活動を妨げるものはないはずだ。

 ……待てよ、アルベドは呼び出した小悪魔を使って、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』をアーチの向こうへと運ばせた。

 もしや、他にもアルベドの協力者がいるのだろうか?

 ……いや、そもそも、アルベドはどうやって『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』というワールドアイテムを入手し、アインズの1人待つ第8階層へとやって来たのか?

 その2つのワールドアイテムはナザリックの宝物殿に納められていたはず。そして宝物殿にはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たないアルベドは侵入できないはずだ。

 それが一体どうして……。

 

 

 思考するアインズの脳裏に最悪の展開が浮かんだ。

 

 

 ――まさか、アルベドはベルさんを襲ったのでは?

 

 そう、あの時アインズとベルは、ワールドアイテムの効果、それも複数のものによる同時発動を検証するはずだった。

 自身のワールドアイテムを部屋に置き、第8階層で待つアインズの許へ、ベルが宝物殿からワールドアイテムを運んでくるはずだった。

 

 ――もしや、ワールドアイテムを手に第8階層へ向かおうとしていたベルさんを襲撃し、なんらかの方法で封印したのではないか?

 そのためにベルさんは助けに来られないのではないか?

 

 

 長き思考の果て、その可能性に思い至ったアインズは色めき立ち、一体何処でどうやってワールドアイテムを手にしたのか、アルベドを問い詰めたのであるが、彼女はそれに関してはのらりくらりと言い逃れるばかりであった。

 

 自分の考えた最悪の想像に気は急くのであるが、たとえそれが真であろうが偽であろうが、今いるワールドアイテムによる閉鎖空間を何とかする手立ては、彼にはなかった。

 現在の状況は『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』、どちらかを解除させればそれで解決するのだが、その2つとも、ここにいる自分の手の届かぬ場所にある。

 そして、自分には外部と連絡を取る手段はない。

 畢竟(ひっきょう)、ここでただひたすら待ち続ける以外に(すべ)はないのである。

 

 

 

 そうして、閉鎖空間の中央にある廃神殿の一室を自分たちの部屋とし、ここを滞在先とした。

 この部屋でアインズはアルベドと常に同じ時を過ごしていた。

 

 元よりアインズはアンデッドであるため、飲食は不要であり、疲労や睡眠とも無縁である。

 そしてアルベドも、その身につけたアイテムによって、同様の効果を得ていた。

 

 その為、昼も夜もなく――そもそも、ここでは昼も夜も分からないのであるが――2人はずっと共にいた。

 ここでは取り掛からねばならぬ仕事も、作業も労務も何もない。やるべきことは何一つない。地にて連理枝、天にて比翼鳥とでもいうかの如く、ただすることもなく四六時中、2人は常に一緒であった。

 

 

「はぁ……」

 

 このわずかな時間の内だけでも三度(みたび)、ため息をついた。

 

 現在、その声を聞く者は――とても珍しい事に――アインズ本人以外にない。

 

 今、アルベドは洗濯の為、わずかな時間だが、アインズの許を離れている。

 本来、何も変わりのないこの空間内において、衣服が汚れることなどほとんど無いし、たとえ汚れたとしても他に見せる者もいない。

 いないのであるが、アルベドは定期的に自身、そしてアインズの衣服を洗濯していた。バッドステータスがあるからなどというものでもないのであるが、やはり恋する者の嗜みとして、わずかでも汚れた姿は見せたくはないのだろう。

 

 だが――。

 

 

《モモンガ様》

 

 〈伝言(メッセージ)〉がアインズの脳内に響く。

 

 

 ――ああ、またアルベドからか……。

 

 アインズはうなだれた。

 

 

 洗濯などでわずかにアインズのそばを離れる時もアルベドは、どこから手に入れたのかは知らないが、効率は悪いがMPを多く消費することで特定の魔法を使用出来る指輪により、しょっちゅう『モモンガ様、モモンガ様』と〈伝言(メッセージ)〉を送ってくるのだ。

 

 これまでも皆の前ではナザリックの支配者としての演技を常に続けていなくてはならず、唯一ベルと話しているときのみが心休まる時だったのであるが、今では本当に四六時中アルベドと一緒なのである。

 もはや気を休める時間など一分一秒たりともなく、アインズの精神はどんどん摩耗していった。

 

 

《モモンガ様》

 

 

 脳内に響く言葉に、うつむいたまま反応することもないアインズ。

 〈伝言(メッセージ)〉の着信を拒否することも出来るのだが、それをすると、すわアインズに何かあったかとアルベドが飛んできて大騒ぎになるため、アインズは〈伝言(メッセージ)〉が届いた場合はもう無意識的に繋げるようになっていた。

 

 

《モモンガ様。モモンガ様》

 

 

 ――ああ、一体いつになったら、ここから出られるのだろう?

 ベルさんは無事なのだろうか?

 そして、ナザリックの皆は?

 もし、自分がいない間にナザリックに何かあったとしら……悔やんでも悔やみきれない。

 

 

 

 苦悩に返事も返さないアインズを置いて、〈伝言(メッセージ)〉の声は続いた。

 

 

《モモンガ様……ふむ。そう言えば、たしか今はアインズ・ウール・ゴウンと名を変えておいででしたか?》

 

 

 不意に聞こえたそのキーワードに、ハッと顔をあげた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

 およそこの中に閉じ込められてから久しく聞いていなかった現在の自分の名前。

 それまで霧がかかったようだったアインズの脳が活性化する。

 

 

《誰だ!?》

《おお、モモンガ様! いや、アインズ・ウール・ゴウン様とお呼びすべきでしょうかな? ついに、ついにお話しすることが叶いました!》

 

 その聞こえてくる感激したような声。

 それまでぼんやりとした頭のまま聞き流していたため気がつかなかったが、その声は明らかにアルベドのものと異なる。

 これは男性の声だ。

 

 

 ――しかし、一体何者だ?

 

 

 考えられるのはナザリックの(しもべ)たちである。

 それは自分の事を『様』付けで呼んでいた事からも推察できる。

 

 しかし、今脳内に響く声色と、アインズの記憶にある彼らの声とで一致するものはない。

 

 それに何故、自分の事をいまさらモモンガなどと呼んだのか?

 自分は皆の前で、アインズ・ウール・ゴウンと名を変えた事を宣言した。

 それを知らぬ者はナザリックにはいないはず……。

 

 

 ――待て……。

 アインズと名を変えてから会ったことがないナザリックのNPC?

 

 いる。

 一人、いる。

 

 まさか……!?

 

 

《まさか、お前は……パンドラズ・アクターか!?》

Genau(ゲナウ)!(その通りでございます)》

 

 

 

 パンドラズ・アクター。

 かつてユグドラシル時代にアインズ自身が作ったNPCである。

 

 まさに彼の当時の厨二成分が全開で込められた存在であり、熱が冷めた現在となっては直視するのが辛いため、宝物殿に置いたまま、一度たりとも会う事はなかった。

 今もこうして〈伝言(メッセージ)〉でとはいえ、ドイツ語をしゃべられるとくる(・・)ものがあるのだが、とりあえず今は置いておくことにした。

 

 

《パンドラよ。お前は今、何処にいる? ナザリックの宝物殿にいるのか?》

《はい。私は今、宝物殿の最奥部におります》

《おお、そうか。では、お前に一つ緊急で頼みたいことがある。お前は、ベルさんの事は知っているな? ギルメンの1人、ベルモットさんの娘として何度か宝物殿に訪れたことがあるはずだ。急いでベルさんに連絡を取ってくれ。〈伝言(メッセージ)〉なり、他の魔法なり、なんなら宝物殿にしまってあるマジックアイテムを使用してもかまわん。急げ!》

 

 息せき切ってそう命令したアインズ。

 だが、パンドラから伝えられたのは、彼の想像を超える事柄であった。

 

《アインズ・ウール・ゴウン様。実は今回、私がアインズ・ウール・ゴウン様に……》

《いちいちアインズ・ウール・ゴウンと呼ぶのは長い。アインズでよいぞ》

《ははっ! では、これからはアインズ様とお呼びさせていただきます。さて話の途中でしたが、アインズ様、今回私がアインズ様に連絡を取ったのは他でもない、そのベル様が行方不明になられたためでございます》

《な、なんだと!?》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 現在、ナザリックは大混乱の渦中にあった。

 

 アインズがこの地を離れた後、ただ一人ナザリックにあり、留守居を任されていたはずのベルの行方が分からなくなったのだ。

 しかも側仕えのソリュシャンも同時にである。

 

 ベルの自室には大量のアイテムが山と転がっているだけで、そこにベルの行く先を示す手がかりは何一つ見当たらなかった。

 

 

 

 ナザリックの者達は動揺した。

 いや、動揺などという言葉では収まりきらない。周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し、上を下への大騒ぎとなった。

 

 

 至高の御方に仕えることこそが、自分たちの存在意義。

 その忠義を捧げるはずの御方が、ついに1人もいなくなったのである。

 

 いったい自分たちは、これから誰に忠誠を誓えばいいのか?

 いったい自分たちは、これからどうすればいいのか?

 

 皆目(かいもく)、見当もつかなかった。

 

 

 そうして、全員が意気消沈する中、今後の方針を決めるべく会議が開かれたのだが、お世辞にも活発な議論が交わされるなどといった(たぐ)いのものではなかった。

 ポツリポツリと意見が出されては、他の者に否定されていく。

 そんな不毛なやり取りが際限なく繰り返された後、誰かが一つの提案をした。

 

 

 それはリアルなる地へおもむいたアインズに連絡を取り、お帰りいただくというもの。

 

 

 自分たちの都合で、至高の御方にあらせられるアインズの行動を左右するなど、ナザリックに仕える者としてけっして許される行為ではない。

 そのため、それを言った者は厳しく叱責されたのであるが、皆の心の内ではその提案はこの上ない魅力的であり、けっしてなかったことに出来るようなものではなかった。

 

 

 たしかに(しもべ)である自分たちが困ったからといって、はるか遠くへ旅立ったアインズに戻ってきてもらおうなど、不敬にもほどがある。

 断じて容認できるものではない。

 

 しかし、そう頭では理解していたが、アインズの帰還を願う気持ちは皆同じであった。

 そこで折衷案として、現在の状況をアインズに伝え、指示を貰ってはどうかという案が示された。

 

 

 だが、根本的な問題として、いったいどうやって、現在ナザリックを襲っている苦境、ベルの不在という異常事態を、リアルという誰一人として詳細も知らぬ異世界へと旅立ったアインズに伝えればいいのだろうか?

 

 そんな難題の前に、議場が静まり返った時、ポツリとセバスがつぶやいた。

 

『たしか、宝物殿にはパンドラズ・アクターというアインズ様ご自身が創造された者がいるという話を小耳に挟んだことがございます』

 

 その言葉に皆、色めき立った。

 続くセバスの言葉から、そのパンドラズ・アクターなる、この場に集まった誰一人として会ったことすら無い謎の存在は、階層守護者らに匹敵するほどの能力を持つらしい。

 それにナザリックの宝物殿には、至高の御方々が世界中から集めてこられた多種多様なアイテムが収められている。その中にはリアルへ赴かれたアインズと連絡を取る事が出来る物もあるかもしれない。

 

 

 しかし、一つ問題があった。

 

 ナザリックの宝物殿は、他からは完全に隔絶された区画であり、転移門などすらも繋がれてはいない。

 いったいどうやって、そこへ行けばいいというのか?

 

 

 それを解決できる物が、ベルの自室から発見された。

 

 至高の41人、ベルモットから受け継ぎ、現在ベルの所有物となっているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 それが山と積まれたアイテムの中から発見されたのだ。

 

 

 本来は、至高の御方の許可なく、ナザリックの(しもべ)が勝手にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用するなど許されるはずもない行為であるのだが、現在は緊急事態であり、何かあった時の処罰は自分が受けるとデミウルゴスが明言したため、その指輪を一時的に貸借し、使用することにした。

 

 宝物殿に行くのに選ばれた人員はシズである。

 

 彼女はこのナザリックにあるの各種ギミックおよびその解除方法を熟知している。

 そのため、宝物殿にいるはずのパンドラズ・アクターへと、この事態を知らせる役に抜擢されたのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《――そうして、私はやって来たプレアデスのお嬢様から、現在、ナザリックが置かれている状態を聞き、こうしてアインズ様へご連絡した次第にございます》

 

 一連の説明を聞いたアインズは、はてなと首をひねった。

 

《待て。なんだ、その私がリアルへ行ったという話は?》

《はて? 私が直接聞いた話ではございませんので、何とも言えませんが、なんでもベル様がそうおっしゃられていたとか》

《ベルさんが?》

 

 アインズの頭の中にいくつも疑問符が浮かんでくる。

 

 

 ――いったいどういう事なのだろう?

 ベルさんがそう言っていた?

 ……ん? つまり、ベルさんは俺とアルベドがこの『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に入ってからも、ナザリックにいたという事か? アルベドが宝物殿からワールドアイテムを持ち出したベルさんを襲ったのではないかと思っていたのだが、そうではないのか?

 

 

《おい、パンドラよ。宝物殿に収められていた『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』は知っているか?》

《はい。もちろん存じております。ああ、あれこそがマジックアイテムの最高峰、ワールドアイテム。あの素晴らしさといったら、もうそれこそ……》

《ああっと、すまんがその話は後でだ。その2つが今、どこにあるか分かるか?》

《『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』でしたら、このナザリック宝物殿最奥部、霊廟奥に作られた、ワールドアイテムの間にございますが》

《なに?》

 

 またしても、よく分からない状況だ。

 あの時、アルベドは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』を、自らが召喚した小悪魔に渡したはずだ。たとえ小悪魔が『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』から脱したとしても、そいつはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンなど持っているはずがない。

 すなわち、宝物殿へそれを持っていくことなどは出来ないはずなのだ。

 それなのに宝物殿内には、その2つがちゃんと安置されていると言う。

 

 

 ――いったい何がどうなっているんだ?

 

 アインズは聞かされた訳の分からぬ現況に、眩暈のようなものを感じた。

 

 

《パンドラよ。宝物殿内にそのワールドアイテムが2つともあるのは確かなのか?》

《はい。今、目の前に2つ、ちゃんとありますとも》

 

 その時、アインズの頭に根本的な疑問が浮かんできた。

 

《……そもそもな話だが、パンドラ。お前はどうして、この私に〈伝言(メッセージ)〉を送ることが出来たのだ?》

《はてさて、いったいどうして、アインズ様に〈伝言(メッセージ)〉を繋げることが出来たのか? それについては、私も少々不可思議なものを感じているとしか言いようがございません》

 

 パンドラは続けて言う。

 

《プレアデスのお嬢様からかかる事情を聞き及び、私がまず最初に行ったのはアインズ様に直接〈伝言(メッセージ)〉を繋げようとしたことでした。しかし、他の皆様方も試みはすれども成功しなかったという(げん)の通り、私の使用したそれもアインズ様へ繋がる様子は見受けられませんでした。そこで私は、これはナザリックの存亡にかかわる緊急事態と判断し、独断ではございますが、いざというときの切り札を使うべきと判断いたしました。すなわち、かつてやまいこ様が残された〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使用するか? はたまた、宝物殿の奥底にしまい込まれているワールドアイテム、かの二十の名を冠するあの空前絶後のアイテムを使用すべきかというものです。そうして、その二つのアイテムを実際に手にしたものの、果たしてどちらを使うべきかという重大極まりない決断の前に、頭を悩ませてしまいました。なにしろ、どちらも回数制限のあるアイテム、しかもその貴重さ、希少性は言うまでもありません。おいそれと使ったあげく、効果がなかったなどということは栄光あるナザリックの(しもべ)として、宝物殿の領域守護者なる大任を預かった身として、けっして許されるものではありません。そうして、懊悩することしばし、私はひとまず、どちらを使用するかの決断を先送りにし、もう一度だけモモンガ様へ――失敬、アインズ様へ〈伝言(メッセージ)〉を使用してみることにいたしました。もしかしたら、千に一つ、万に一つ、億に一つの確率で今度こそ繋がるかもしれないという細い蜘蛛の糸のような可能性にかけてみたのです。それは我ながらにして、まったく非合理的な判断の極みでしかなかったのですが、ああ、なんということでしょう。今回に限り、こうしてアインズ様と〈伝言(メッセージ)〉の魔法が繋がったのです! おお、神に幸いあれ! この幸運はきっと……》

 

 延々と語り続けるパンドラの台詞は聞き流し、アインズは今の説明を頭の中で整理し、どういう訳なのか理解した。

 

 

 つまり、ナザリックが保有していた二十に含まれたほどのあのワールドアイテム、それをパンドラが使用するかどうか悩み、手にしたままの状態で〈伝言(メッセージ)〉を使ったため、パンドラが現在ワールドアイテム保有者であるとみなされ、こうしてワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にいるアインズの所にまで魔法が繋がったのであろう。

 

 とにかく、幾つも疑問はあるが、先ずやらねばならぬことは、この『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出することである。

 

 

《パンドラよ。今から言う物を用意して第8階層へ行き、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を解除するのだ》

《はて? 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を?》

《詳しく説明している時間がない。とにかく急げ!》

Gern(ゲルン)!(喜んで!)》

《……それとすまんが、ドイツ語は無しで頼む》

《ご命令とあらば》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ふんふんふん♪」

 

 アルベドは上機嫌に鼻歌を歌っていた。

 

 その手にあるのは洗濯籠。

 中には彼女の衣服、そして彼女が愛してやまないアインズの衣服が入っている。

 しかも、着替えたばかり、ほやほやである。残念ながらアンデッドであるアインズには体温がないため服も温かくはないし、代謝もないため服に匂いがつくなどという事もないのではあるが、それでも愛しい存在がほんのわずか前まで身に着けていた衣服というのは特別な意味を持つ。

 

 もし時間があるのならば、直接顔を押し付けて、その香りや味を――味など全くないのではあるが――楽しみたいところだが、そうした事をしていると、アインズ本人と顔を合わせる時間が減少してしまう。

 それでは駄目だ。最も重要なのはアインズと共にいることなのに、アインズの代わりを愛し、楽しむことに時間を取られては本末転倒である。

 今、こうしているうちにも、アインズの顔を見るはずの時間を浪費し続けているのだから。

 

 

 ――ああ、もう我慢できない!

 アインズ様のお声が聞きたい!

 

 アルベドは湧き上がる衝動に身悶えた。

 なにせ、もう474秒もアインズの顔を見ていないのだ。

 

 

 そうしてアルベドは、自身の指に嵌めた指輪――使用回数制限はない代わりに通常の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が使用する場合に比べて数倍ものMPを消費する、非効率的としか言いようがないアイテム――を使用し、〈伝言(メッセージ)〉を繋げようとした。

 

 

 だが、その時――。

 

 

 ――世界が歪んだ。

 

 

 

 突然の変化に目をむくアルベドの眼前で世界が、霧に包まれる小高い丘に作られた廃神殿が溶け落ちるように掻き消えていく。

 

 驚愕するアルベド。

 全てが夢幻(ゆめまぼろし)のごとくに消え去った後、ナザリック第8階層の荒野において彼女と対峙するのは、彼女が恋い焦がれる愛しき存在、アインズである。

 

 

 ぎょろりとアルベドは視線を巡らせた。

 

 悠然とたつアインズの傍らに立つのは奇怪な人物。勲章のついた軍服を身に纏い、軍用コートを袖を通すことなく、肩に羽織っている。そして何より目につくのはその顔。のっぺらぼうのような凹凸のない頭部に3つの黒い孔がある。おそらくドッペルゲンガーであろうとは予測がつくものの、ナザリックの守護者統括である彼女ですら見たことがない者である。

 だが、その手許にはワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』がある。

 この者がアインズと自分、2人だけの蜜月を邪魔したのに間違いはないだろう。

 

 そして、わずかにドッペルゲンガーの方が後ろに下がりつつも、並んで立つ彼らの後ろには、羽の生えた胎児、ヴィクティムを胸元に抱えたプレアデスの1人、シズが控えていた。

 

 

「……モモンガ様。申し訳ありません」

 

 アルベドは謝罪の言葉を口にした。

 

「私とモモンガ様、2人だけの世界。そこに邪魔者が入るなど……」

 

 その身を憤怒に震わせながら、アルベドは続ける。

 

「万死に値する行為を行ったその者らに、今すぐ鉄槌を……!!」

 

 

 みなまで言わせず、アインズは手をあげ、その言葉を遮った。

 

「待て、アルベドよ。これは私の指示、私が彼らに命じたのだ」

 

 その答えに、アルベドはガンと頭を殴られたように大きく身を震わせた。

 

「な……なぜなのですか、モモンガ様。この、この私がご不快でしたか……?」

「いや、そうではない。そうではないのだ。だがな、アルベドよ、私は『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長として、かつてのギルメンたちが残していったこのナザリックに責任がある。皆を放っておくわけにはいかないのだ」

 

 

 

 アインズの言葉に、アルベドは小刻みに肩を震わせた。

 

 泣いているのではない。

 彼女の瞳は濡れてなどいない。

 アルベドの全身を駆け巡っているのは、まさに噴火寸前の怒りであった。

 

 もはや目に見えるかという程に濃厚にして、際限なく垂れ流される殺気。

 その渦巻く中心において、アルベドはついにその激情を露わにした。

 

 

「ナザリック! やはり、このナザリックがある限り、この私と共にいることは出来ぬというのですか!! この、この私よりも、ナザリックが大事なのですか!?」

 

 荒れ狂う憤怒の奔流を前にしながら、ここで退いては駄目だと、アインズは腹に力を込めて踏みとどまり、アルベドの説得を試みる。

 

「待て、アルベドよ! 以前も言ったが、私は決してお前をないがしろにしようという訳ではない。お前は大切だ。お前はタブラさんによって作られた大切な存在、タブラさんの娘であると私は思っている。だがな……」

「タブラ!! そんなゴミの事などどうでもいいのです!」

 

 アルベドの口から発せられたその台詞に、愕然として言葉を失うアインズ。

 

 

「このナザリックからいなくなったタブラ・スマラグディナ。アインズ様を捨ててどこかへ消え去ったタブラ・スマラグディナ。ただ私を作ったというだけの、そんなタブラなどという屑野郎の事などどうでもいいのです!」

 

 アルベドの縦長の瞳。

 その奥には狂気にも似た妄執が湛えられている。

 

「モモンガ様。私が愛する御方、私にとって大切な御方はこの世でただ一人。モモンガ様、あなただけなのです! あなたさえいれば、私は他の者などいりません」

 

 それを聞いたアインズは骸骨の顔を歪めた。

 

「……アルベドよ。それは違う。それは……お前の本当の感情、本心ではない。お前が今抱いている感情は、私が歪めてしまった事によるものなのだ……」

 

 悲痛な表情で俯き、肩を落として告白するアインズ。

 だが、それに対し、アルベドはなんら動ずることなく力強く言い切った。

 

「そんなもの関係ありません!」

「なに?」

「それが本物かどうかなど、ありのままの自分であるかなど、そんな事は些細な違いに過ぎません。今の私にとって大事な事。この世において、たった一つだけの確かなもの。それはモモンガ様、あなたへの愛だけです!!」

 

 そして、アルベドはぎょろりとアインズの傍らにいるパンドラやシズ、ヴィクティムをねめつける。

 

「やはり……やはり、モモンガ様。あなたにとって、このナザリックが枷となるのですね? このナザリックがあなた様の事を縛るのですね! このナザリックがある限り、たとえナザリックのない地に行ったとしても自由にはなれないという事ですね?」

 

 そして慟哭するかのようにアルベドは叫ぶ。

 

「このナザリックが存在する限り、『モモンガ』には戻れないというのですね!?」

 

 

 

 そう吠えた後、力尽きたようにがくんと(こうべ)を垂れたアルベド。

 やがて、ゆっくりと顔をあげる。

 

「……分かりました。ならば、このアルベド、御身の為に――」

 

 爛々と光る、その瞳にあるのは狂乱のうちに歪みきった決意。

 

「モモンガ様の為に、このナザリックの全てを、この墳墓に生きとし生けるもの全てを、このナザリック地下大墳墓なる虚飾の器全てを、滅ぼしつくしましょう!!」

 

 

 

 そう宣言し、アルベドは己が手にある『真なる虚無(ギンヌンガガプ)』を変形させる。ナザリック殲滅の手始めに、この場にいるパンドラらを殺すつもりであった。

 そんな彼女の様子に、もはや言葉は通じぬかとアインズは嘆きの視線を投げかけた。

 そして一つ嘆息すると、強い意思を持ってアルベドを見つめ返す。

 

「すまんが、アルベド。私はナザリックの為、お前を止めねばならん。それこそ、一時的とはいえ、お前を殺すことになっても。……許せよ!」

 

 

 言うと同時に、アインズは己が特殊技術(スキル)を発動させた。

 

 それはユグドラシルでもごく少数のものしか就いていない希少な職業(クラス)、エクリプス。それを最大限まで取った者のみが取得できる恐るべき能力。

 

 『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)

 

 アインズの背後に12の時を示す時計が浮かび上がる。

 それと同時に、アインズは魔法を放った。

 

「《即死(デス)》」

 

 その必殺の魔法は、確実にアルベドを捉えた。

 もちろん彼女は、即死魔法に対して対策を施してあるのだが、そんなものがあろうと、アインズの使った特殊技術(スキル)との組み合わせの前に意味はない。

 だが、そのコンボを身に受けたはずのアルベドは悠然と微笑んだ。

 

「モモンガ様の切り札『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』からの即死魔法。100時間に一度しか使えぬとはいえ、その時計の針が一周するまでに、復活の効果があるアイテムや特殊技術(スキル)を発動させねば、たとえ即死耐性がある者すら殺しつくす恐るべき特殊技術(スキル)、でしたわね」

 

 言いつつ、アルベドは一つのアイテムを取り出した。

 その手の上にあるのは、赤い光を放つ宝玉(タリスマン)

 

「蘇生魔法が込められた宝玉(タリスマン)か。……やはり、対策があったか。見たところそれは大して高レベルのアイテムではないようだが、要は復活の効果が発動さえすればいい。それでも十分、効力があると言えるな。しかし、お前が『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』の事まで知っていたとは驚いたぞ」

「ええ、愛する殿方の事ですもの、何でも存じておりますわ」

 

 

 実際は万が一のため、ベルから聞かされ、渡されていたアイテムなのだが、そんな事はおくびにも出さない。

 アルベドは自身へ向けられた、アインズ最大の奥の手を切り抜けたことに、悠然と微笑んだ。

 

 

「さて、どうします、モモンガ様。こちらの手の内も確かめぬまま切り札を切るなど、随分と分の悪い賭けをしてしまったようですが」

 

 だが、言われたアインズは、それに対して動じる様子もなかった。

 

「そうかな、私としては結構、分のいい賭けだと思うぞ」

 

 自らの隠し玉が効かなかったというのに、狼狽えることなくそんな態度を取るアインズに、訝し気な表情を浮かべるアルベド。

 

 

「ああ、そう不審がらなくてもいい。アレは私の切り札だが、仮に対策を取られていた時の事も考えていたのだよ。パンドラ!」

 

 アインズの言葉に、傍らに控えるパンドラは、手にしていた『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を後ろに回し、代わりに別の物を手にとり、さっと前へ掲げた。

 その掲げられたものを見たアルベドは驚きに目を丸くする。

 

 

 

 それは鏡。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉であった。

 

 それも、普段ナザリックで使用している、様々な機能のマジックアイテムをごてごてと装着させたものではなく、元のまま、ただ何の機能も付けていないプレーンな状態の代物。

 

 

 突然、差し出された、緊迫したこの場にそぐわないただの監視用アイテムに、アルベドは手にした復活の宝玉(タリスマン)を使うのも忘れ、ただ茫然とするばかりであった。

 

 

 そんな彼女の目の前でアインズの腕が動く。

 すると、パンドラの手にする鏡、その表面に浮かんできたものがある。

 

 それはアインズ、そしてアルベドの姿。

 この第8階層において睨み合う、この場の光景であった。

 

 

 

 次の瞬間、アインズに対して監視アイテムが使用された事により、対監視の攻勢防壁である〈爆裂(エクスプロージヨン)〉が炸裂した。

 

 

 

「ごほっ、ごほっ」

 

 咳をするアルベド。

 濛々とたちこめる土煙により、一時的とはいえ、まったく視界が利かなくなってしまっている。

 

 だが、それは明らかに奇怪であった。

 視界を覆う土煙、それが全く揺らめかないのである。

 

 ――これは……時を止めている?

 

 

 しかし、彼女はそこに腑に落ちないものを感じていた。

 

 

 ――いったい、何が目的なのかしら? 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でこの場を視る(・・)ことでモモンガ様ご自身の対監視魔法を発動させるのが目的?

 いや、あり得ない。

 そんな事をする必要もない。

 対監視の攻性防壁である魔法を発動させるまでもなく、モモンガ様ご自身がそれを使えば事足りるはず。わざわざ、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉をこの場に持ち込み、広範囲化程度にしか強化していない〈爆裂(エクスプロージヨン)〉を発動させる必要もない。

 そもそも、このタイミングで時を止める必要性がない。

 でも、あえてそうした目的は一体……。

 

 

 そうした疑問を抱えているうちに、再び時が動きだしたのを感じた。

 それと同時に爆音が轟いた。

 

 それも一度ではない。

 幾度も続けざまに広範囲型の攻撃魔法が叩きつけられる。

 

 

 その魔法はアルベドの身を焼いた。

 しかし、それを受けても、アルベドはまだ得心がいかなかった。

 

 

 ――攻撃魔法。

 たしかに、攻性防壁の〈爆裂(エクスプロージヨン)〉で盛大に土煙をあげて視界を遮ってからの攻撃魔法は効果があるわ。

 でも、今使われたのは威力の及ぶ範囲は広くとも、それほど攻撃力のないものばかり、そんな魔法の連打など、何発浴びせ続けたとしても、それでこの私を倒しきれるはずもない。

 その事は当然、モモンガ様もご存じのはず。

 では、本当の狙いは?

 

 

 そう考えたところで、アルベドは自分が手にしているものの重さに我に返った。

 

 

 ――いや、モモンガ様の狙いは分からないけれども、今は『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』が発動し、それに続く即死魔法がかけられている状態。

 先ず最初にやるべきことは、この復活の宝玉(タリスマン)を使用して、その効果を無効化することね。

 

 

 そう考えたアルベドは手にしたアイテムを発動させようとして――。

 

 

「ギャギャギャギャ!」

 という笑い声を聞いた。

 

 

 そして、次の瞬間――彼女の手から、復活魔法の込められた宝玉(タリスマン)が消え去った。

 

 

 

 驚愕に目を開き、振り返った彼女の目に入ったもの、それは死体のような肌と瞼のない深紅の瞳をもつ子供程度の大きさの悪魔、ライトフィンガード・デーモンのいやらしい笑みであった。

 

 

 

「な、なぁっ!?」

 

 思わず声をあげるアルベド。

 

 

 ナザリック地下大墳墓には、監視行為に対する防御がある。

 墳墓内に監視の魔法やアイテムを使用した場合、使用者の所へ怪物(モンスター)の群れを自動で送り込むのだ。

 

 転移直後、すでに一度それにより大騒ぎを引き起こしてしまったアインズとベルは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉ではナザリック内は覗かないという決まりを策定した。

 

 その決まりに反し、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でナザリック内の自分たちを映したために、攻性防壁により発動された魔法の爆炎に紛れ、カウンターとしての怪物(モンスター)が召喚されたのだ。

 

 

 かつてライトフィンガード・デーモンの『盗み』の能力は、およそアイテムならばどのようなものでも盗むことが出来るという凶悪極まりないものであったが、あまりに苦情が殺到したため、彼らが盗めるものは同レベル帯の物に限られるようになった。

 そのため、最初に召喚される最下級の悪魔ライトフィンガード・デーモンでは、それなりに価値の高い復活のアイテムは盗むことが出来ない。

 

 だが、ナザリックの防御ギミックによって召喚された怪物(モンスター)は迎撃され、ある一定数が死亡すると、より強力な怪物(モンスター)が召喚されるという仕組みになっている。

 先ほど、連続して範囲魔法が叩きこまれたのは、アルベドにダメージを与えるためではなく、召喚された怪物(モンスター)の群れを連続で何度も壊滅させ、更に強力な怪物(モンスター)を呼び出すためのものだったのだ。

 そうして呼び出された、今いるライトフィンガード・デーモンは、姿形は似通っていても、最初に呼び出される低レベルのものとは異なり、はるかに高レベルのもの。

 すなわち高レベルアイテムまで盗み出せるという事だ。

 

 

 また、ライトフィンガード・デーモンの盗む対象となるアイテムには優先順位がある。

 最も盗まれにくいのは、アイテムボックスの奥底にしまわれたアイテムだ。

 次に盗まれにくいのはアイテムボックスの中でもすぐ取り出せるところにあるアイテムであり、それより盗まれやすいのは自身が装備しているアイテムである。

 そして自身が装備しているアイテムより盗まれやすいもの、それは実際に手にしているアイテムとなる。

 

 とどのつまり、アルベドが直接、手に持っていた宝玉(タリスマン)こそが、最も『盗み』の対象となりやすいものであった。

 

 

 

 耳に障る奇怪な笑い声をあげ、宝玉(タリスマン)を持ったまま逃げだすライトフィンガード・デーモン。

 アルベドは慌ててそいつを追いかけようとするが――。

 

「なっ!」

 

 再び、驚愕の声をあげた。

 彼女の足が、まるで何かに押さえつけられているかのように動かない。

 見るとそれは彼女だけではない。彼女が追おうとしていたライトフィンガード・デーモンもまた、その場に縫い付けられたように身動きが取れなくなっており、もがいていた。

 

 足が動かないながらも振り向いた彼女の視線の先にあったのは、晴れた土煙の向こうにいたシズに抱かれているヴィクティム。

 今、その体にはシズのコンバットナイフが根元まで突き刺さっていた。

 

 

 

「こ、こんなっ……!?」

 

 アルベドは必死で足を動かそうと力任せに身をよじるも、ヴィクティムの死亡により発動される特殊技術(スキル)、強力無比なまでの行動阻害効果は、その身に宿る怪力などで無効化出来ようはずもない。

 

 フレンドリーファイアが解禁された今、そこにいる誰一人として、その場から動くことが出来ないでいた。

 そんななか、ライトフィンガード・デーモンの『盗み』は誰かれ構わず発動され、パンドラの持つ〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉や、ヴィクティムに突き刺さったシズのコンバットナイフなどが次々と消えていく。

 

 

 そうこうしているうちにアインズの背後にある時計の針は、もうじき一周しようとしている。

 それが回りきるまであと少し。

 

「モモンガ様……」

 

 身を震わせながら呟いたアルベドに対し、アインズは、

 

「すまない」

 

 と、つぶやくしか出来なかった。

 

 

 そして、時計の針は文字盤を一周し、真上を指した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第10階層に足早に歩む靴音が響く。

 その足音は大広間、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)を横切り、その奥にあった巨大な扉の前へとたどり着く。

 

 その前に立った者の存在を感じ取ったかのように、音もなく巨大な両開きの扉が開いていく。

 だが、やって来た者は扉が開くのも待ちきれないといった体で、両手で強く扉を押し開いた。

 

 

 

 その先にあったのは玉座の間。

 天上より吊り下げられたシャンデリアから七色の光が降り注ぐ中、そこにはナザリック中の異形の怪物(モンスター)たちが集まっていた。

 

 彼らは不意に開いた扉の方へ、憔悴しきった瞳を向ける。

 

 そして、そこにいた存在に気がつき、目を大きく見開いた。

 

 

 

 一瞬、時が止まった。

 

 

 誰一人、身じろぎ一つできなかった。

 

 だが、誰かが一歩前へ足を踏み出すと、それにつられるように他の者も足を踏み出し、やがて全員が大波のように入り口に立つ、その人物の許へと駆けだした。

 

 

 

 そこに立つ人物の前に音を立ててひざまずく。

 涙を流せるものは涙を流し、涙を流せぬ者は感激にその身を震わせた。

 

 そして、その場にいた全員を代表するように、前へ歩み出たデミウルゴスは万感の思いを込め、深く腰を折り挨拶した。

 

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 

 ナザリックの支配者にして、最後まで残った至高の存在は、そんな皆を前に優しく声をかけた。

 

「ただいま、皆よ」

 

 




 ライトフィンガード・デーモンって、ダンジョンマスターのギグラーのようなイメージでいたんですが(必須アイテムを知らないうちに盗まれて、クリア不能になった経験が)、投稿直前にあらためて確認したら、同レベルのアイテムまでしか盗めないという設定がしっかりあったのにようやく気付き、慌てて何度も殺して高レベルバージョンを召喚したという形にしました。
 きっと、今回出てきたのはライトフィンガード・デーモンLv60とかいうのです。

 パンドラのドイツ語は一応調べて書いたんですが、ちょっとニュアンスが異なるかも。


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第88話 失意、そして……

2017/5/12 「つく」→「着く」、「するると」→「すると」、「生まれついての異能」→「生まれながらの異能」、「一人」→「独り 訂正しました


「行くぞ!」

 

 宣言したアインズを筆頭に、ナザリック第9階層を進む一同。

 

 彼らの目指す先。

 それはかつての至高の41人、ベルモットの私室にして、現在は彼の娘である(とされている)ベルが使用していた部屋である。

 

 

 ナザリックへの帰還後、アインズは自分がいなくなっていた間のあらましを聞いた。

 

 なんでも、アインズがアルベドと共に『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』に閉じ込められ、皆の前に姿を現さなくなって(のち)、自分たち2人はリアルにおもむいたのだと、ベルが言っていたという。

 

 

 そこが分からない。

 一体、何故、ベルはそんなことを言う必要があったのか?

 

 それと、やはり気になるのはあの時、アルベドが持っていた2つのワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』である。

 一体、あれはどのようにして手に入れたのか?

 

 パンドラに聞いたところ、その2つを宝物殿から持ち出したのはベルであることは間違いなく、またしばらくした後、再びベルがそれらを宝物殿に持ち帰り、ワールドアイテムを保管、陳列している部屋へと戻したんだそうな。

 

 

 これはどういうことなのか?

 

 問いただそうにもアルベドは現在、死亡しており、まだ蘇生はさせていない。

 対峙した時のあの状態で蘇生し、再び襲い掛かってきたらと警戒したためである。

 

 

 そして、ベルはと言うと、まったく行方が知れないままだ。

 

 本当にある日突然、何の前触れもなく姿を消したらしい。

 そして、ベルがいなくなったのと時を同じくして、ソリュシャンもまた姿を消してしまっていた。

 

 

 アインズがマスターソースで確認したところ、ベルモットの名が記されているはずの所が消滅していた。死亡した場合などは一時的に名が消え、その箇所は空白となるのだが、そうではなく、そこに書かれているはずの名前が無くなり、その分、他の者の名が繰り上げられていた。

 

 まるでベル=ベルモットなる存在など最初からいなかったかのように。

 

 そして、それはソリュシャンの箇所においても同様であった。

 

 

 

 正直な話、まったく意味が分からなかった。

 

 何故、ベルは、アインズがアルベドと共にリアルに行ったなどと嘘を言ったのか?

 何故、持ち出したワールドアイテムがアルベドの手に渡り、その後、ベルの手によって再び宝物殿に戻されたのか?

 彼女は何処へ行ったのか?

 ソリュシャンも一緒なのか?

 

 

 訳が分からないことだらけだった。

 そこで、とにかく彼女に関しての情報の一端でも掴めるかと、アインズはナザリックの者達を供として――さすがに今回の件があった直後なので、単独行動は出来なかった――ベルの私室へと急いでいた。

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使えば一瞬なのだが、大勢引き連れての行動のため、ベルの自室に着くまで、それなりに時間がかかったものの、ようやっと扉の前まで辿りついた。

 

 

 

 そこで、アインズは一つ深呼吸する。

 アンデッドの死の支配者(オーバーロード)である彼は呼吸などしないのであるが、とにかく人間であった時と同じ、そうしたふりをすることにより、己が気持ちを一度鎮める。

 

 ――この扉の向こうに何があるのだろう?

 そこに答えがあるのだろうか?

 それとも、何もわからないままなのだろうか?

 

 

 幾多の思いがグルグルと頭の中を渦巻く中、彼は意を決して扉を開いた。

 

 

 

 そこにあったのは、文字通り物の山。

 アインズの目からしても貴重なアイテムから、大した役にも立たないゴミアイテムまで大量の物がそこら中、見渡す限りに溢れていた。

 

 

 その光景に、思わず絶句するアインズ。

 

 ゆっくりと後ろを振り向くと、すぐ背後にいたセバスはこくりと頷いた。

 

 

 なんでも、このベルの部屋は、ナザリックの者達が彼女の行方を捜すために内部を調べはしたものの、そこにあった物の場所は変えなかったのだという。

 

 たしかに、いなくなったベルの行方を調べるにあたり、手掛かりを求めて室内を捜索する必要があった。

 だが、そこにあるのは至高の41人の娘であるベルの私物という事になる。

 おいそれと片づけていいというものでもない。

 一見、ガラクタにしか思えないような物も多くあるが、実はそれはなんらかの重要なアイテムである可能性もある。

 

 そんな杞憂がついて回った為、可能な限り配置を崩さないよう配慮し、動かした物はちゃんと記録しておき、後でまた同じところに物を戻すといった行為をしたのだそうな。

 

 だがしかし、あらためて言うが、それこそ文字通りの物の山である。

 何の規則性もなく、ただそこに無作為に積みあげられ、床の上にフルヘッヘンドしているのである。

 これらの配置を全て記録し、一つ一つ調べ、そしてまたそれを元の所に戻すなど、考えただけでも気の遠くなるような行為であり、それこそ藁山の中から針を探したうえに、その後で藁山を元通りに戻すようなものだ。

 そんな不毛極まりない事をやったという彼らに対し、アインズは思わず、かつてのブラックなサラリーマン時代を思い返し、無いはずの涙腺が緩みそうになった。

 

 

 

 とりあえず、そんな感情はひとまず置いておく。

 もう一度アインズの目でもって、この中を捜索しなければならない。

 ナザリックの配下たちは優秀ではあっても、リアルでの事までは知りえない。彼らの目の届かなかったもの、気がつかなかった部分に、なにか手掛かりがあるかもしれない。

 

 そう思い、アインズは気合を入れると、山と詰まれたアイテム類を少しずつではあるが、端から片づけていった。

 

 ナザリックの(しもべ)たちならば、ベルの私物らしきものに手をかけるのは恐れ多いとなるかもしれないが、それがアインズならばそんな感情など生まれるはずもない。

 見るからに意味のない不要と思われるアイテム、一応取っておくべきアイテム、重要と思われるアイテムを分類し、それぞれを別々の場所に運ばせ、部屋の中にある物の数を減らしていった。

 

 

 

 そうして、しばしの間、部屋いっぱい埋め尽くしたアイテムの中に、なにか手掛かりとなるものがないかと探していたのだが、作業は遅々として進まなかった。

 

 はっきり言うと、あまりに物が多すぎる。

 ただ整理をするだけでも時間を取られるのに、そこに加えて何らかの手がかりとなるものがないか探す手間までかかるのである。

 

 ときおり、ベルが書いたらしいメモなどが見つかり、もしやと思って読んでみるのだが、それはかつてゲーム時代の敵の攻略方法だったり、アイテム作成時のレシピだったり、昔攻略したワールドエネミーの戦闘前の口上を書き記しておいたものだったりと、なんでこんなものを取っているんだろうと思うような代物が大半であった。

 過去のゲーム時代の事は、今現在の彼女の行方には関係あるとは思えないし、本当にただのメモとして走り書きで単語のみが記載されているものも多く、それが何を意味するのか理解するだけでも、いちいち時間がかかった。

 あまつさえ、実に奇妙にしておよそ日常会話では絶対に使わないような単語が羅列されている不思議な紙片が発見され、すわ何かの手がかりかと思ったら、よくよく読んでみたところ、それはペロロンチーノから教えられたエロゲ攻略の選択肢だったなどということまであった。

 

 こんなところから、たった一つの指輪――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを見つけたナザリックの(しもべ)たちの労苦たるや。

 

 アインズは彼らの不屈の精神に、拍手を送りたくなった。

 

 

 

 そんな愚にもつかない事を考え、気を紛らわせながらも探すこと、しばし。

 際限なく続く作業にいささかうんざりしたものを感じ始めた頃のことである。

 

 

 アインズは肉体的に疲労することがない。

 そのため、いったん休憩というタイミングがつかめなかった。

 とは言え、精神的な疲労はするのだ。

 休憩が欲しかった。

 

 共に作業する皆に「疲れただろう? 少し休憩するか?」と問いかけても、彼らからすれば至高の御方の娘であるベルの所在を一分一秒でも早く知りたいという思いから、その首を横に振った。自分たちを(いた)わってくれるアインズに感謝の念を抱きつつ、何よりベルの事を心配しているであろうアインズの邪魔をしてはいけない、お役に立たねばいけないという思いから、その高レベルからくる体力にものをいわせて懸命に頑張っていた。

 

 

 そのため、一時休憩を切り出すことも出来ぬまま、ひたすら作業が続けられていた。

 そんな時――。

 

 

「む? これは……!? 畏れながら、アインズ様、よろしいでしょうか?」

 

 ふいにそんな声をあげたのはパンドラズ・アクターであった。

 作業をしていた全員の視線がそちらへと集まる。

 

 

 

 アインズが『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』から助かったのはパンドラのおかげである。

 それは間違いない。

 間違いないのであるが、それでもやはり、自分の黒歴史たる彼と相対するのは精神的にきついものがあった。

 だが、そんな微妙な感情を抱きつつも呼ばれたからには応えねばならず、「なんだ?」と顔をあげたのだが――次の瞬間、アインズはあまりの衝撃に凍り付いた。

 

 

 その身がビクンと跳ね上がった。

 驚愕のあまり口がパクパクと開いては閉じる。

 およそナザリックの支配者として――いささかどころではなく――けっしてふさわしいとは言えぬほどの様相。

 

 

「ば、馬鹿な……」

 

 

 信じられぬとばかりに、そうつぶやく主の様子を見て、動揺を隠せない(しもべ)たち。

 だが、彼らの前である事など意に介せず、アインズはふらふらとした夢遊病者のような足取りでパンドラへと歩み寄った。

 

 

「そんな……これは!? 馬鹿な! ……何故、これがここにある!!」

 

 

 パンドラの手の中にある物をあらためてまじまじと見つめ、震える手でそれを掴んだ。

 その時、記憶の中にピンとくるものがあった。

 

「ア、アウラ……マーレ……」

 

 かすれそうになる声で呼びかける。

 

 

 その声に、驚きつつも前に出る双子。

 そんな彼らに、アインズは声をかけた。

 

「2人とも、この服に見覚えはあるか……?」

 

 そう言って、彼女らの前にその服を晒して見せる。

 だが、それを見てもアウラは喉の奥で、わずかに困ったような声をあげるだけだった。

 

 ――アインズから尋ねられた事ではあるが、こんな衣服は特に記憶にない。

 ぶくぶく茶釜から自分の服としてもらった服の中に似たようなものはあったが、これとは少々絵柄が異なる。

 

 一方、マーレの方はおぼろげな記憶ながら、その衣服に見覚えがあった。

 

「あ……お姉ちゃん。これって、あの時の……」

「あの時って?」

「ほら、アインズ様のご命令で盗賊を捕まえに行って、その後に出会った変な集団の中にいたおばあさんが着ていた……」

「……あ! あの時、エクレアがおかしくなった時の!?」

 

 

 

 今、アインズの手の中にあるのは一着の衣服。

 

 白銀の布地に、天へと舞い上がる龍の姿が金糸で縫い上げられた、チャイナドレス。

 

 

「な、何故……何故、これがここにある!! なぜ、ワールドアイテムが! 『アインズ・ウール・ゴウン』で所有していなかった、ナザリックに存在しないはずの、この『傾城傾国』がここにあるっ!?」

 

 

 

 かつて、ユグドラシルの情報は様々なものがネットにあげられていた。

 しかし、その大半はデマでしかなく、ギルド間での情報戦の様相を呈していた。大量にあふれる情報の中から、本当に善意の者が流した情報を探し当て、正誤を見極めるといった行為は、まるで砂漠の砂の中から砂金を探すがごとき行為であり、ユグドラシルに心血を注いでいたアインズもまた、いつしかそういった情報を調べ、目を通す事すら止めていた。

 

 だが、そんな風に流れる情報が嘘偽りだらけとなるよりも、もっと前。

 まだ、信頼できる情報が比較的多く流されていた時代。

 外観や使用時の動画がアップされ、その存在や効果が広く知られていたワールドアイテムがいくつかあった。

 

 これは、その中の一つ。

 ワールドアイテム『傾城傾国』。

 

 一度に操れるのは1体だけだが、およそワールドエネミーを除く、ほぼすべてのキャラクターを支配することが出来るという装備。

 このアイテムの恐るべきところは本来、人が操作するPCすらも操ることが出来た点にある。

 

 

 そして、この『傾城傾国』であるが、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は所有していなかった。

 

 それが一体どういう訳だか、今、ここにこうして存在しているのだ。

 

 

 

「な、何故……?」

 

 

 

 だが、よくよく考えてみれば、それは決してあり得ない事ではない。

 その可能性に気がついてしかるべきであった。

 

 

 この地には100年に一度の割合でプレイヤーがやってくるという。

 そして、各種魔法などもユグドラシルと同じものが使用され、またユグドラシル由来のアイテムも多く存在している。

 

 ならば――。

 

 ならば、ユグドラシルにあったワールドアイテムもまた、この世界にすでにあってもおかしくはないではないか。

 

 

 そして、 『傾城傾国』という支配タイプのワールドアイテムの存在により、アインズの脳裏に閃いたものがある。

 

 最近、顕著となっていたベルの行動の変化。

 ベルとアインズ以外は入れぬはずの宝物殿にしまわれていた2つのワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』をアルベドが持っていた事。

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』に閉じ込められてしまっていたアインズを、ベルが「リアルに行った」などと説明していた事。

 

 すべてのそれぞれ違和感を伴う不可思議な事案が、まるでパズルのピースのようにピタリとはまった気がした。

 

 

 

「まさか……ベルさん。あなたは……精神を操られていたんですか……!?」

 

 

 

 ふと頭に浮かんだ考えであったが、仮にそうだとすると、ここ最近のベルの異様なまでの振る舞い、以前とは異なり、過激にして強引なまでの行動を繰り返していたことの説明がつく。

 

 

 この世界に来てからのベルは、いささか考え無しなところがあった。

 それに関しては転移直後からの事であり、イビルアイから聞いた通りに、肉体に精神が引っ張られた結果、子供の肉体に精神が引っ張られたためであろう。

 そんなわずかな変調は感じさせつつも、やはり彼女はかつて知恵者と呼ばれていたように、様々な策を講じ、配下の者達に指示を出し、ナザリックの為に身を粉にして働いていた。

 

 

 しかし、そんな彼女であったが、ある時を境にその行動、思考がそれまでと明らかに一線を画すようになった。

 

 それは帝国に行った後のことだ。

 

 

 ――まさか、あの時か!?

 

 

 あの時、ベルは邪教組織の所在を調べようと、単独行動をしていた。

 

 そう、単独行動。

 

 普段であれば護衛の1人もなしに行動することなどありえないのであるが、あの時はなんらかの方法で監視があると困るからというので、完全にベルが一人で行動していた時間があった。

 

 

 その時点で、彼らはこのナザリックが転移した周辺諸国のあらかたの情報は掴んでいた。

 およそ、この地の者達の強さ、レベルはおしなべて低く、ベルを害することが出来る者などはまずいないと判断されていた。

 

 ベルがかつてユグドラシル時代との体格差から、戦闘能力が幾分低下しているという事はもちろんアインズとしても知るところであった。

 しかし、たとえ多少弱体化していたとはいえ、ベルはあくまで100レベルキャラである。

 それも戦士タイプではあるが、特化型ではなく万能型、器用貧乏と言ってもいいビルドをしてある。

 

 同じ100レベルの特化型と戦えば、勝ち目はない。

 それは間違いない。

 

 だが圧倒的にレベル差がある、この世界の者たちが相手ならば、万能型であるベルは全く隙も死角もないキャラという事になる。

 ある意味、魔法職を極めたアインズよりもこの世界においては有利であり、たとえ一人でも不覚をとることは無いだろうという目算があった。

 

 その為、アインズはベルの単独行動を容認した。

 

 

 

 しかしアインズと比べ、ベルはとある一点において、致命的なまでに防御に難があった。

 

 

 それは、ベルはワールドアイテムを保有していないということである。

 

 

 アインズは厳重なまでの盗難防止措置をとった上で、ワールドアイテムを己が胸骨の内にしっかと収め、常に保持していた。

 それはかつてのギルメンたちから、そのワールドアイテムはギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のものではあっても、アインズ個人が保有していていいと許可されていたからだ。

 

 だが、ベル=ベルモットに関しては、そんな話など当然ながら無かった。

 ナザリックの宝物殿内にワールドアイテムはあったのだが、それをベルが持ち歩くという事はなかった。

 ときおり、ワールドアイテムの効果の実証などを行う際に、そこから持ち出すことはあったが、その後はすぐに戻していた。

 

 

 つまり、アインズと異なり、ベルはワールドアイテムの前には全くの無防備であったという事である。

 

 

 

「そ、そんな……」

 

 アインズはガンと頭を殴られたかの如く、思わずよろめいた。

 近くにいた者が慌てて、その身を支えようとするも、それにすら頓着せず、アインズは黙考する。

 

 

 

 あの時、ベルがたった一人、護衛もなしに行動していたときに『傾城傾国』の持ち主――それが(くだん)の邪教組織の者だったのか、それともまったく別の者なのかは分からない――と相対していたとしたら……。

 

 

 ……そう。

 あの時もそうだったではないか。

 トブの大森林においてエクレアが『傾城傾国』の効果を受けた時――その時は、この地特有の魔法やタレントが原因ではないかと推測しており、まさかワールドアイテムだとは思わなかったが――放たれたマーレの広範囲魔法、そしてその効果から避けるため混乱に乗じ、戦場を離脱した事によって、『傾城傾国』を着ていたという老婆は対象であるエクレアを支配下に置いたものの、彼に命令する間などなかった。

 そして、その後のエクレアは敵味方の区別も出来ず、アウラらに攻撃を行った。

 

 

 おそらく『傾城傾国』の効果を受けた後、『傾城傾国』の保有者が指示を出さないままだった場合、精神が錯乱、譫妄状態におかれるのではないだろうか。

 

 その状態の時、どこまで論理的な思考を保てるのかは分からない。

 エクレアの場合は、まったくの狂乱状態にあった。

 だがベルは、アインズの記憶にある限り、いささかそれまでとは異質なものを感じさせたものの、普通に考え行動している様子であった。

 

 

 しかし、そもそもAIではなく意思を持って動きだしたとはいえNPCであるエクレアと、もともとPCであるベルの両者では効果の具合が異なることも考えられる。

 

 かつてのゲームであったユグドラシル時代の『傾城傾国』は、対象がNPCであればそれこそ使用者が解除するか、一度死亡するまで半永久的に支配が続いたが、対象がPCの場合は一定時間、プレイヤーが操作できなくなり、使用者の指示のままに――およそ誰かを対象に戦闘させたり、移動させたり程度の簡単なものしか出来なかったが――行動するというものであった。

 それはさすがにプレイヤーが操作するはずのPCがいつまでも延々と操られ続け、ずっと操作が利かないままだと拙いという運営の配慮によるものであったが、それがゲームではなく現実となった今、それをPCに対して使用した場合、どのような効果となるかはアインズには分からなかった。

 

 実験してみようにも、およそこの世でたった2人のプレイヤーであったアインズとベルの内、その片方であるベルがいなくなったのだ。

 残る自分一人で実験など出来ようはずもない。

 

 

 だが、それとなく推測できるものがある。

 アインズが冒険者モモンとして様々な情報を集めていく中、気になる話を耳にした。

 それははるか昔、八欲王なる存在がこの地に降臨し、暴虐の限りを尽くしたという伝承である。

 

 (いにしえ)の八欲王は圧倒的な力を誇り、この地の竜王たちすらも討ち滅ぼしたが、やがて彼らの間に不和が芽生え、互いに殺し合い、そしていつしか滅んだのだという。

 アインズはその八欲王なる存在こそが、かつてこの地にやってきたプレイヤーたちではないかと推測していた。これまでは、各々の勝手な独占欲のままに争いあったと思っていたが、この地に『傾城傾国』があるとなれば、そんな彼らの仲たがいもまた、『傾城傾国』によるものではないかとも考えられる。アインズとベル、2人のプレイヤー間において、ベルがアインズを陥れようとしたのも、かつての八欲王の仲たがいと同等のものではないだろうか。

 

 

 しかし、疑問として残るのは、そうして精神に変調をきたしたベルが、なぜ当の『傾城傾国』を保有していたのかという点だ。

 何者かにより発動された『傾城傾国』の効果を受けはしても、相打ちか何かで、命令をさせる暇もなく相手を仕留めたのだろうか? それとも、受けた命令が所有者を攻撃する行為には反しなかったため、影響を受けつつも相手を殺してしまったのだろうか? そして、どれほど思考能力があったか定かではないが、打ち倒した相手から『傾城傾国』を奪取したとか?

 

 いや、そもそも、ベルの精神の変調が『傾城傾国』によるものだとも限らない。

 

 別のワールドアイテム、いや、それこそこの世界特有の能力、生まれながらの異能(タレント)などだった可能性もある。

 そして、精神を操って(のち)、ナザリック内においてNPCたちを同士討ちにさせようと目論み、ベルに『傾城傾国』を渡したのだとか。

 もしかしたらアルベドについても、あの状態こそが『傾城傾国』によるものかもしれない。

 

 まて、そうだとするならば……。

 

 

 

 次から次へと湧き上がる疑念の数々。

 そして、自分が何とかしていれば、そんな事態は防げたのではないかという後悔が波濤のごとくに押し寄せ、アインズの心を責め苛む。

 

 

 だが、そうした苦悩にさらされているうちに、やがてアインズは気がついてしまった。

 

 そのような事は問題ではないという事に。

 原因などはどうでもいいという事に。

 

 

 それよりなにより重要にして、核心たる事実。

 

 

 それは、ベルがいなくなったという事。

 

 そして――アインズは友人などいないこの地に、たった独り取り残されたということ。 

 

 

 

 その峻厳たる事実に打ち据えられ、アインズはその場に膝をつき、その手の中にある『傾城傾国』を強く握りしめたまま、誰(はばか)ることなく慟哭の叫びをあげた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから、アインズの姿は円卓の間にあった。

 

 

 彼がそこにいる理由。

 それは、そここそがログインしたギルメンが最初に現れる場所だからである。

 

 今更、そんなところでいくら待っていても、何の意味もない。

 かつてのギルメンがログインして現れることなど、あるはずもない。

 

 だがそれでも、アインズはただ一人、円卓を囲む椅子に腰かけ、後悔と懊悩の海に沈んでいた。

 

 

 ――自分は今まで何をしていたのだろう?

 何故、自分はベルと話そうとしなかったのか?

 何故、大切な友人の変調に、もっと早くに気がつかなかったのか?

 自分がワールドアイテムを持ち歩いているように、何故、ベルに対しナザリックのワールドアイテムを一つ持ち歩くよう勧めなかったのか?

 

 ユグドラシル最後の時、自分の行為によって、ベルの姿が少女のものへと変わってしまった。そのせいでかつての友人の精神に変化が起こってしまった。

 そのことに気がついてからも、それを指摘するのを避けていた。

 自分のせいだという事実を直視したくなかったがためだ。

 そのうち言わずとも自分で気がついてくれないかと、安易にして自分に都合のいい願望に縋った。

 そうして逃げたまま、ずるずると来てしまった。

 

 

 その結果が、これだ。

 自分にとって何より大切なはずの友人、ベルは自分の目の前からいなくなってしまった。

 

 

 

 アインズは何度も思考しては最終的に辿りつくその結論に、骸骨の身体をわななかせる。

 そして、強制的な精神沈静により落ち着いた後、再び考え始めてはまた同じ結論へ至るという、際限ない思考のループ、堂々巡りに沈んでいた。

 

 

 

 あの後も、ベルの私室において検分は行われた。

 だが結局、手掛かりとなる物はなに一つ見つけることは出来なかった。

 全てのアイテムを調べた結果、ベル個人の保有アイテムなどが多く見つかったことから、そこに山と積み上げられていたアイテムは、間違いなくベルの物である事が分かった程度だ。

 

 

 自分持っていたアイテム、おそらく量から言ってほぼすべてを置いて、ベルは一体何処へ行ったというのだろうか?

 

  

 とにかく、考えうる限り、ありとあらゆる手段を使い捜索したのだが、その行方は杳として知れなかった。

 

 アインズは思い切って、自身の切り札である超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉までをも使ってみた。

 だが、その結果、分かったことは、およそこの世界のどこにもベルは存在しないという、明確にして残酷すぎる事実だった。

 

 

 ――存在しないとはどういうことなのか?

 自分たちがこの世界に来たように、さらにどこか異世界にでも渡ったのか? ソリュシャンと一緒に?

 それともゲーム上での死とは異なり、本当に消滅したのか?

 それは、この世界特有の魔法や武技、もしくはタレントなどによるものなのか?

 はたまた『傾城傾国』があったように、この地には誰も知らないワールドアイテムが存在し、その効果によるものなのだろうか? いや、ベルはワールドアイテムである『傾城傾国』を持って(・・・)いたのだから、他のワールドアイテムの効果を受けるはずもないか。

 もしくは、この地において古来より生きる竜王なる存在は、『始原の魔法』というユグドラシルの魔法体系とは全く異なる魔法を使用出来ることが、アインズが不在の間に判明していた。あるいは、その『始原の魔法』とやらによるものなのか?

 

 

 

 何かの手がかりがあるかと思い、アルベドを復活させ話を聞いてみたのだが、彼女の口から出たのは、ベルが彼女の意を汲み、ワールドアイテムを持ってきたり、アインズの呼び出しに協力したこと程度であった。

 ベルの不可思議な行動や思考が裏付けられただけで、現在の行方に関する手掛かりは何一つなかった。

 

 そして、念のため、彼女の復活は守護者全員がいる前で行われたのだが、やはりアルベドは先日の続きのままに、ナザリックの全てを破壊しようとしたため、その場に集められていた者全員、総がかりによって捕縛し、彼女は第5階層にある牢獄に監禁されることとなった。

 これにより、アルベドについては『傾城傾国』の影響は関係なかったということは分かった。

 

 

 

 その後もナザリックの総力を使った必死の捜索はつづけられたのだが、ベルの足取りは全くつかめなかった。

 

 そうして、なんら良い知らせもない中、ただ一人悲嘆にくれたまま、円卓の周りに並べられた椅子に座り続けるアインズの姿を、ナザリックの(しもべ)たちは我が身こそが張り裂けそうなほどに、九腸寸断の思いで見つめているよりほかになかった。

 

 

 

 

 そうした時が一体どれほど過ぎたことか。

 

 

 ある日のこと。

 守護者たちは、第10階層にある玉座の間に集められた。

 

 集まった彼らの先にいたのは、それ自身がワールドアイテムである、巨大な水晶から切り出したような荘厳なる玉座に腰かけるアインズ。

 

 全員がそろったのを見て取った彼は、ここ最近ずっと悩み考えていた事を、皆の前に語って聞かせた。

 

 

「皆よ……」

 

 憔悴しきった主の声。

 その言葉を一同、一言一句たりとも聞き逃すまいと傾聴する。

 

 

「皆よ……、私は……このナザリックを封印しようと思う」

 

 

 



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第89話 物語の終わり

2017/5/18 「言った」→「行った」 訂正しました
「変エテモ」→「代エテモ」、「天上」→「天井」 訂正しました


「眠りにつく……ですか……?」

 

 驚愕のあまりにかすれたようなエンリの声。

 それに対し、アインズは「ああ」と頷いた。

 

 

 

 ここはカルネ村のある一帯を見渡せる小高い丘。

 遠くには燦々と照り付ける日差しの中、農作業にいそしむ村人たちの姿が見える。

 目にも映える緑が天高くに登った太陽の光を返し、膝上まで伸びた草が風になびくたびに足をくすぐった。

 

 

 普段、村を訪れる際に装着していた嫉妬マスクを外し、素顔のままのアインズと、こちらはいつも通りの格好のエンリ。

 2人は余人を交えず、そこで相対していた。

 

 

「私は……いや、ナザリックは当分、眠りにつこうと思っている」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 先日、玉座の間で皆へと語った思い。

 それはナザリックを封印し、眠りにつくというもの。

 

 

 ベルが、このナザリックからいなくなってしまった。

 責任の所在がどこにあるかと考えると、それが自分、アインズにあるのは間違いない。

 それはどれだけ償っても償いきれるものではない。

 

 誰一人として友人のいない世界。

 想像するだけでも、アインズの総身が震えた。

 

 

 ここには友人たちの残した大切な子供たちがいる。

 彼らを放っておくことは出来ない。彼らを守らねばならない。

 だが、友人であり、仲間であるベルのいなくなったこの地において、自分たった一人だけで彼らを守り続けていける自信は、アインズにはなかった。

 

 

 ――すでに自分の判断の誤りによって、ベルさんを失ってしまっているのだ。

 そんな自分が彼らを率いても、次々と皆を失ってしまう結果に陥ってしまうことは間違いない……。

 

 

 この地に転移してきてから、アインズはベルと2人で相談しながら、ナザリックを運営してきた。

 ユグドラシル時代から知恵者として知られていたベルにまかせっきりな部分もかなりあった。

 自分が前に出る場合でも、もし何か不測の事態やミス等があったとしても彼女のサポートがあるのだからと、あまり気負うことなく判断を下せた。

 

 だが、そんな彼女がいなくなってしまった。

 すべての決断も責任も、全てアインズ1人が背負う事になったのだ。

 

 ――すべては自分の判断1つ。

 それでナザリックの命運が全て決まる。

 

 突然、己が双肩にのしかかってきた重圧に、アインズは押しつぶされそうだった。

 清水の舞台から飛び降りるつもりで思いきって行った〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉による〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用しての捜索、それが失敗に終わったというのも(こた)えた。

 

 アインズはすっかり自信を消失し、打ちひしがれていた。

 

 

 そんな時、彼の脳裏にふと浮かんできたものがあった。

 

 それは、かつてイビルアイが語った言葉。

 

 

 ――この地には、100年に一度『ぷれいやー』が訪れる――。

 

 

 『ぷれいやー』。

 ユグドラシルのプレイヤー。

 

 

 アインズはハッとした。

 

 

 

 ――つまり、『アインズ・ウール・ゴウン』のギルメンがやってくるかもしれないのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ユグドラシルには〈仮死(フェインデス)〉、〈冷凍睡眠(コールドスリープ)〉、〈氷の棺(アイズ・コフィン)〉など、特定の条件をこなさない限り、永続的に対象者の活動を停止する魔法が多数ある。

 それらを使用し、いつの日かギルメンがこの地に訪れるまで、ナザリックの全てを眠りにつかせようという計画であった。

 

 

 今、ナザリックは急ピッチでその為の準備を進めている。

 

 最大の懸念としてあるのは、ナザリックが眠りについている間の侵入者の問題である。

 迷宮内にある各種トラップなどは、起動しているとそれだけで維持費がかかるものも多数ある。それらも全て、一時的に停止させておくつもりなのだから。

 

 そのため、様々な対策を施した。

 地表部に関しては、これまでマーレの魔法によって外壁に土をかけ、それ以外の部分には幻覚の魔法をかけて偽装していたが、そこもドーム状に岩を積んで全て覆ってしまい、その上に土をかぶせ、樹木を生やすことで、完全に丘と化すことにした。

 これで、偶然にも通りがかったものがナザリックの入り口に気づき、迷い込む心配はない。

 

 

 ただ、完全に入り口を外部から隔離してしまうと、システム・アリアドネに抵触する恐れがあった。

 

 

 そこで目をつけたのが、以前作ったダミーダンジョンである。

 

 ダミーダンジョン最奥部に転移の鏡を設置し、その転移先を岩と土とで覆った墳墓の地表部にある霊廟の一つとしたのだ。

 それによって、広大な地下空間と化したナザリック地表部は転移の鏡により、ダミーダンジョンを経由し、地上へと繋がったことになる。

 

 扉の数や入り口からの距離などが少し不安であったが、そこは一時的に第1階層を改修すること、転移アイテムを使用し、ナザリックの第2階層は通らずに済むようにすること、そしてダミーダンジョンの方の部屋や通路などをある程度破壊してしまう事によって、解決を見た。

 

 その上で、この地で手に入った死体――それこそ人間からドラゴンにいたるまで――を使って幾多のアンデッドを作り出し、ダミーダンジョン内に放り込み、さらにナザリック基準でも凶悪なトラップをそこに仕込んだ。

 

 この地の人間を始めとした種族は、おしなべてレベルが低い。

 如何なる者が攻略を目指そうとも、このダミーダンジョンを踏破するのは不可能であろう。

 それこそ、やって来たプレイヤーでもない限り。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

  

 

「あ、あの、眠りにつくとおっしゃられましたが……また、会えますか?」

「……また……か……」

 

 エンリの声に、アインズはふむと考える。

 

「それは……少し難しいかな。最低でも100年は眠るつもりだからな」

「……100年……」

 

 自分の一生をはるかに凌駕する時の単位に、絶句してしまうエンリ。

 

「……うむ。あー……、とだな。それで私たちは眠りにつくわけだが、どうしても気がかりなのはこのカルネ村の事だ。周辺諸国は現在、混乱の渦中にある。そんな中、この村の安寧が保たれるかはいささか不安としか言いようがない」

 

 

 アインズの言葉通り、この近隣の地において、かつての秩序は失われた。

 既存の諸国は滅び、新たなる勢力が台頭しだした。現在の状況下では、もはや何処が勢力を伸ばすか、誰が覇権を取るか、まったく何が起こるか分からぬ状況だ。

 

 そんな中にナザリックという後ろ盾を無くしたカルネ村が、この先も上手く切り抜けられるかというと……。

 

 

「とりあえず、ハムスケは残していこうと思う。あいつはもともと、この近隣の森に暮らしていた存在であって、元からナザリックにいたわけではないからな。きっと上手くやれるだろう」

 

 言って、遠くへとその視線を向ける。

 

「……それと、あいつらも残していこうと思っている」

 

 

 アインズの眼窩の奥に灯った赤い光が見つめるその先、遥か丘の下では、カルネ村の人間や新顔である蜥蜴人(リザードマン)たちに交じってゴブリンたちが農作業にせいを出している。ネムのそばには護衛である集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーがふよふよと浮いており、そのすぐ近くでは、この村ではすでに馴染みとなったアンデッドたち、デスナイトのリュース、屍収集家(コープスコレクター)のエッセ、そして切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)のティーヌが手伝いをしていた。

 

 切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)のティーヌはつい最近作ったばかりのアンデッドなのだが、どういう訳だか先に作っていた屍収集家(コープスコレクター)のエッセと馬が合うようだった。

 一見同じにしか思えないアンデッドたちにも、微妙に個性や特徴がある。チームを組ませるなどする際、相性のようなものが出てくる。もちろんそれは微々たるものでしかなく、ナザリックの者としては命令遂行こそが至上目的であるため、足の引っ張り合いや責任のなすりつけ合いなどは起こらないが。

 だが、この2体はまるで以心伝心の間柄とでもいうかのように、特に性質的に合う(・・)ようだった。

 こうして見ている今も、ティーヌが次々と切りおとす草を、エッセがその巨大な手で拾い集め、あぜ道へと寄せていた。

 

 

「あいつらは……そこそこの強さのアンデッドだ。おそらく、あれらがいれば村の護衛にとしては十分だろう。以前襲ってきた騎士まがいの者たち程度であれば、あいつらだけでも問題ない。それにアンデッドだから、食料とかもいらないしな」

 

 実際、集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーさえいれば、ほぼ無敵と言っても過言ではないほどなのだが、とりあえずそう言いながら、アインズはその視線をエンリへともどす。

 

 だが、傍らに立っていた少女は村にいる彼らの方には顔など向けておらず、ただうつむいたままであった。

 

 そんなエンリの様子に困惑の表情を浮かべるアインズ。

 

 

 

 やにわ――エンリはアインズに抱きついた。

 

 

 突然の事に、思わずビクンと大きく体を跳ねさせてしまったアインズ。

 ガウン越しに伝わる女性の柔らかい肌の感触と体温、わずかに立ち上る少女の汗の匂いに、年甲斐もなくどぎまぎしてしまう。

 

 そんなアインズの動揺などは気にも留めず、その胸元に顔をうずめ、エンリは肩を震わせた。

 

「あの時……ゴウン様たちに助けていただけなかったら、私もネムも死んでいました。この村のみんなも……いえ、村自体がそうです。皆さんがいなければ、カルネ村は滅んでいたでしょう。ゴウン様。本当に、本当にありがとうございました」

 

 強制的な精神沈静により、ようやく落ち着きを取り戻したアインズは、涙を流しながらそうつぶやくエンリの背をポンポンと優しくたたいてやった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夕闇の迫る中、アインズはただ独り、丘の上にたたずんでいた。

 涼しさを感じさせる風が草原を駆け抜け、その漆黒のガウンをはためかせる。

 

 

 すでにエンリは村へと帰った。

 眼下では、赤く染まりかけた家々の煙突から煙が立ち昇っている。

 おそらく夕餉の支度をしているのだろう。

 以前は、食事と言っても質素にして腹を満たす程度のものしか口に出来なかったカルネ村も、ナザリックが手を貸したことにより、大きく発展を遂げた。食う物に困るようなことはなくなり、ときおりわずかに口にする程度だった肉類も、日常的に口にすることが出来るようになった。貧しさから食事を抜くような家もなくなっていた。

 

 そんな茜色に染まっていく村の光景を眺めながら、アインズは先ほどのエンリの言葉を思い返す。

 

 

 『あの時……ゴウン様たちに助けていただけなかったら、私もネムも死んでいました。この村のみんなも、いえ、このカルネ村自体がそうです。皆さんがいなければ、カルネ村は滅んでいたでしょう』

 

 

 カルネ村。

 このリ・エスティーゼ王国の外れにある寒村は、王国と隣国のバハルス帝国との不和を狙ったスレイン法国の偽装部隊によって襲撃を受けた。そして本来であれば村は壊滅、救助に来た王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、法国の特殊部隊である陽光聖典の手によって討たれることになる。それにより、リ・エスティーゼ王国において王の力は弱まり、バハルス帝国との戦争に敗れ、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの名の下に両国は統一されたことであろう。

 

 

 だが、そこにイレギュラーが生じた。 

 それは本当の偶然にして、恐るべき運命の巡り合わせ。

 

 

 この村の近くにナザリックが転移したのだ。

 

 

 結果、権謀術策の余波による破壊と凌辱のままに滅びるはずであったカルネ村は助けられ、ガゼフ・ストロノーフは生き残り、捕らえられた陽光聖典の者の口から法国の企てた計画は白日の下に晒される事になった。

 そしてその後の周辺諸国においては、皇帝が死んだことにより帝国は分裂し、王国は犯罪組織の者達に乗っ取られ、法国は亜人たちの支配下におかれ、それぞれ壊滅した。

 

 まさに激動の時代であるが、そんな中、ナザリックの支援を受けたカルネ村は順調に発展を遂げていった。

 最初の襲撃により、住民に少なくない死者が出たが、その後はゴブリンやオーガ、蜥蜴人(リザードマン)らが村に住み着いた。エ・ランテルに出した住民募集の応募によって、神官であり歴戦のワーカーであるロバーデイクを始めとした者たちが移住してきた。それによって、村の住民はかつてよりも大幅に増えることになった。

 そしてストーンゴーレムの提供を始めとしたナザリックの力を借りることにより、村を囲む頑強な砦を作った。増えた住民に合わせて耕作地も増やした。

 ときおり、村を襲おうとする野盗崩れや亜人の群れが現れたが、強固な守りの前に為す術もなく撤退していった。

 かつて村の近くの森を縄張りとし、森からの亜人や魔獣の襲撃を防いでくれていた森の賢王――現ハムスケはいなくなってしまったが、不思議とそれ以降も森から降りてくる脅威はなかった。むしろ、新たに村の仲間となった亜人たちやアンデッドらによって、森の奥まで狩りや採取に行くことが可能となった。

 

 それらにより、カルネ村は少しずつ規模を広げ、今では辺境の一農村どころか、地方領主の拠点とでもいうべき様相を呈している。

 

 

 ――この村があるのもまた、自分たちがあったから……と言えるか。自分たちが、ナザリックがここに来なければ、この村はすでになく、このような発展はなかった。

 この村こそが、ナザリックの功なのか……。

 

 

 薄暗がりが辺りを飲み込んでいく中、アインズは家々の窓から明かりが漏れ、やがて消えていく様を、はるか遠い丘の上からいつまでも眺めていた。

 

 

 

 やがて、彼は一人、転移によりナザリックへと戻っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アインズ様。すべて準備は整いました」

 

 

 すっくと背筋を伸ばし、報告するのはデミウルゴス。

 守護者統括であるアルベドが第5階層に監禁されて不在の今、彼がナザリックの全ての者達を統括する任についていた。

 

 

 そんなデミウルゴスの言葉を受け、視線を巡らせるアインズ。

 

 玉座に腰かける彼の前に並んでいたのは、アンデッドやドラゴン、精霊、悪魔など、多種多様なまでの異形の者達。

 総数はどう見ても百はくだるまい。

 それでも、その数はナザリックにいるすべての怪物(モンスター)たちの総ての数からすれば、ごくわずかにすぎない。

 だが、そこにはナザリックを守る(しもべ)のうちでも、各々が担当する地区において責任者として他の者達をまとめる立場にある上位者ばかりがそろっていた。

 

 そして、その全員が玉座に座るアインズの前に膝をつき――膝のない者もいたが――己が主に絶対の忠誠を示し、最後の指示を待っていた。

 

 

 すでにナザリックの封印計画は、そのほぼ全てが完了している。

 最後の締めくくりとして、彼らがそれぞれの担当地区に戻った所で、ギルド武器であるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手にしたアインズがマスターソースを開く。そしてギルド長権限を用いて、この玉座の間から彼らに魔法をかけ、いつ覚めるとも分からぬ眠りにつかせる手はずとなっていた。

 

 

 

 この封印計画に際し、最も警戒しなくてはならないのは、『アインズ・ウール・ゴウン』のギルメンではなく他のプレイヤーがナザリックに侵入しようとしたときの場合である。

 

 ダミーダンジョンにはそれなりの戦力をつぎ込み、各種トラップを仕掛けたものの、ユグドラシルのプレイヤー、それも一人とは限らず複数が侵入した場合、ダミーダンジョンを突破される可能性も十分に考えられる。

 

 その為、敵プレイヤーがナザリックに侵入しようとした場合、復帰直後、すぐさま迎撃の態勢に移れるよう、入念に計画が立てられていた。

 

 まず、ダミーダンジョンからナザリックへの転移アイテムが使用された際には、即座にアインズ本人が目覚めることが出来るようマジックアイテムを設定しておく。そして目覚めたアインズは、マスターソース上から自分が使った魔法を解除し、眠りについていたNPCたちを覚醒させるのだ。

 意識を取り戻した各責任者は他の者を起こし、その者はまた他の者を起こしと、次々と大樹の枝葉のように戦闘に関する者達が目を覚ましていく。

 そして彼らの対応が整うまでの時間稼ぎとして、ナザリック第1階層には足止めを目的としたトラップをたっぷりと仕込んでおいた。そこで時間を取られているうちに、ナザリック側は侵入者に対する防衛網を構築するという計画である。

 

 その一連の計画に基づき、今、この場にいない者たちに関しては、皆一足先に眠りにつかせている。

 さすがに一度にナザリックのNPCすべてに魔法を使用するとなると、桁外れのMPを有するアインズといえどいささか残りが心もとなく、侵入者との戦闘に備えるのに少々不安が生じるからである。

 そこで(しもべ)たちの中でも同様に活動を停止させる各種呪文や特殊技術(スキル)を保有する者を使い、それぞれの特性や耐性を考慮し、順次それらを使うなり、もしくは宝物殿から運んできた各種アイテムを使用することによって、あらかじめ眠りにつかせていたのだ。

 

 

 

 そして、今、全ての手はずは整った。

 

 玉座の間に集う彼ら。ナザリックの者で現在目覚め、活動しているのは、今この場にいる者達のみである。

 彼らの指や首元などには抜かりなく、これからアインズが使用する封印の魔法に対する耐性を一時的に無くさせるアイテムを身に着けていた。

 

 後は、彼らを持ち場につかせ、頃合いを見計らって、アインズが魔法を唱えるのみである。

 

 

 

「うむ。では……ナザリック封印計画を実行する!」

 

 アインズの宣言に、誰もが深く首を垂れた。

 一糸乱れぬ口調で『アインズ・ウール・ゴウン、万歳!』と叫んだ。

 

 

 そして、アインズに頭を下げると、皆ぞろぞろと玉座の間から出ていった。

 彼らは自分たちの持ち場へと戻り、そこでアインズからの魔法により、眠りにつくのを待つのである。

 

 出口へと長い行列が続き、やがてその流れも途絶えた。

 

 

 

 そうして次に、玉座へと続く階段の下で膝をついていた守護者たちが立ちあがる。

 

 

 

 

 シャルティアは優雅にスカートを持ち上げ、頭を下げた。

 

「では、アインズ様。我が愛しの君。今しばらくお(いとま)しんす」

 

 そうして、シャルティアは玉座の間を出ていった。

 

 

 

 

 コキュートスは手にしたハルバードの石突きを床へと叩きつけ、頭を下げた。

 

「コノ身二代エテモ、不埒ナプレイヤーラハ第5階層ヨリ下ニハ通シマセヌ」

 

 そうして、コキュートスは玉座の間を出ていった。

 

 

 

 

 アウラは勢いよく頭を下げた。

 マーレもまた、自分の武器であるシャドウ・オブ・ユグドラシルを胸に抱え、慌てたように姉にならって頭を下げる。

 

「アインズ様。第6階層の守りはお任せください。かつての侵攻のときのような不覚は絶対に取りません」

「は、はい。僕も頑張ります」

 

 そうして、アウラとマーレは玉座の間を出ていった。

 

 

 

 

 デミウルゴスは胸に手を当て、優雅に礼をした。

 

「それではアインズ様。私も失礼させていただきます」

 

 そうして、デミウルゴスは玉座の間を出ていった。

 

 

 

 

 パンドラズ・アクターは、踵を叩き合わせ、ビシリと敬礼をした。

 

「では、私めも宝物殿に戻ろうと思います。このナザリックの支配者たる至高の御方以外保有が許されぬはずの至宝! リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン! このアイテムの貸与、そして使用を特別に許された身として、このパンドラズ・アクター、偉大なるアインズ・ウール・ゴウン様により創造されし者たるに、これはまさに……」

 

 長くなりそうだったので適当なところでその口上は遮られ、パンドラズ・アクターは玉座の間を出ていった。

 

 

 

 

 扉が音を立てて閉まる。

 

 つい先ほどまで、大勢の者がひしめいていた玉座の間。

 天井に吊り下げられたシャンデリアから色とりどりの光を降り注ぐ中、今も、そこに残っているのはごくわずか。玉座に繋がる階段の下にて、膝をつくセバス並びにプレアデスの者達だけである。

 

 

 あまたの気配が室内を占めていた後だったからこそ、人のいなくなったこの部屋の空虚さが身に染みるほどに、アインズには感じられた。

 

 

 まるであの時。

 ユグドラシル最後の日のようだ。

 

 

 かつてギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の名の下に、共に世界を旅し、ユグドラシル中に名を轟かせ、このナザリックを作り上げたはずの友人たち。

 最後の日、一緒に過ごさないかとアインズ=鈴木悟はメールを送った。

 だが、そのほとんどは顔も見せなかった。

 かろうじてログインした数人もまた、サービス終了を待たずにログアウトしていった。

 

 あの時、ギルメンたちの紋章が記された旗、それを見回したときの事が脳裏にまざまざと思い起こされる。

 

 

 だが、あの時とは異なっているものもある。

 

 あの時、隣にいたベルはいない。

 傍に控えていたアルベドは現在、第5階層にて監禁中である。

 そして、階段の下に控えるプレアデスたちの中からは、ソリュシャンが欠けてしまっている。

 

 

 ――いったい、どうすれば良かったのか?

 何が間違いだったのか?

 

 

 自問するアインズ。

 ふと自分の右手人差し指にはめられた〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉が目に入った。

 そこに刻まれている3つの流れ星、その内の1つは輝きを無くしていた。

 

 

 

 アインズはいなくなったベルを捜すため、この切り札を使う事を決意した。

 これは超々希少アイテムであり、これを入手するため、アインズはかつて支給されたボーナスの全てをガチャにつぎ込むなどという、愚行、狂気の沙汰としか言いようがないことまでやったのであるが、ナザリックの者たち、ギルメンであるベルの為とあらば、使用するのはやぶさかではない。

 

 そして、アインズは〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使い、彼女が今何処でどうしているかを調べた。

 

 だが、その結果、判明した事。それはベルはこの世界にはいない。生存しているでも、死亡しているでもなく、そんな者は存在しないということが分かったのみであった。

 ベルが通常の状態でこの地のどこかへ行った、もしくは死亡してしまっているなどではない事ははっきりしたものの、肝心の知りたかった事、ベルとどうすれば再び会えるのかは分からずじまいであった。

 

 

 その結果に、アインズは落胆などという言葉をはるかに超える程に打ちのめされた。

 

 この〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉は、本当に強力ながら3度しか使えぬアイテムである。

 その3回中1回をほぼ無駄に使ってしまったのだ。 

 

 

 

 実際の所、〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使いきっても、アインズは自力で〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使うことは出来る。

 だが、〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使わない、本来の超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉は、使用するのにアインズ自身の経験値を必要とするのだ。

 すなわち下手に使えば、自身のレベルダウン、弱体化に繋がってしまうのである。

 

 

 もちろん、たとえ自分が弱体化したとしても、それでベルが戻ってくるというのならば、アインズは躊躇などせぬだろう。

 

 アインズにとってベルはかけがえのない存在である。

 それは間違いない。

 彼女を助けるためならば、我が身を危険にさらすことも、自分の財を捨てることも、全く厭わない。

 

 

 だが――。

 

 だが、それを使って、ベルが戻ってくるとは限らないのだ。

 

 

 ベルがどうなったのか? 

 彼女を取り戻すためには、何をすればいいのか?

 

 いまだ、まったく不明のままなのである。

 

 

 何度も〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使い続ければ、そのうちベルを助けることが出来るかもしれない。

 だが、出来ないかもしれない。

 

 捜索対象であるベルの状況が分からぬ今、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使っても、調べる内容、叶える事柄によっては、せっかく発動させても無駄になってしまうことも十分考えられる。また、ワールドアイテムを始めとした超位魔法を超える力のあるアイテムや魔法などが使用されていたとするならば、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉は無効化されてしまう。

 

 

 アインズにはこのナザリックの支配者として、ナザリックに対する責任がある。

 ギルメンたちが残していったこのナザリック地下大墳墓、ナザリックの全てのNPCたちを守らねばならぬ立場にあるのだ。

 

 〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使いきること、そして自力で〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用し、自身が弱体化することは、ナザリック全体としての戦力低下を意味する。

 ベルを助けられるという、ある程度のでも確証があるのならともかく、そんなものが全くないあやふやな状況下の中において、切り札である〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉をアインズへのペナルティなく使える〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉、これを軽々に使いきる訳にはいかなかった。

 

 

 ――もっと早くに気がついていれば、もっと早くに彼女と向き合っていれば、こんな結末にはならなかったかもしれない。

 

 

 そんな自身のふがいなさを責める気持ちから、こんな自分が残る2回を使用しても、ベルを取り戻すことは叶わないのではないかという恐れをぬぐいされなかった。

 

 仮にそうなった場合、ベルは帰ってこないまま、ただ無駄に万能の奥の手〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使いつぶしたことになる。

 それは最悪の結果といえよう。

 

 

 アインズにとってベルは大事だが、ナザリックもまた大事なのである。

 〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使い、一か八かでベルを捜すか、それとも温存してナザリックの戦力維持をとるか。

 

 考え(あぐ)み、懊悩し続けた結果、アインズが下した決断はナザリックの封印。

 消極的な判断ではあったが、これ以上ナザリックの戦力を損なうことのないままに留めようと考えたのだ。

 

 

 

 そして、そんな決断をしたもう一つの理由。

 アインズには、一つどうしても頭を離れぬ恐ろしい想像があったからである。

 

 それは常にアインズの頭の片隅にこびりついていた。

 もしそれが事実だったらという、その恐ろしさにアインズは身悶えた。

 

 

 それは、いなくなったベル、彼女は実は正気のままだったのではないかという疑念だ。

 

 

 アインズは彼女の所持品らしきアイテムの山の中に、あるはずのない『傾城傾国』を見た瞬間、それまで想像すらしていなかった、この地にワールドアイテムが存在する可能性を知った。

 それで最近、ベルの様子がおかしかったのは、ワールドアイテムなどによる、なんらかの外的要因のために、ベルの精神が異常な状態になっていたからだと結論付けたのだ。

 

 

 その理由づけはしっくりときた。

 アインズの胸にそのまま、すとんと落ちるものであった。

 

 ベルはアインズの友人であり、彼女がアインズに不利益、危害をもたらすことなどあるはずもないのだから。

  

 

 だが――そうではない可能性もあるという事を、アインズの頭脳は囁いていた。

 

 

 すなわち、ベルは異常な状態になどなっていなかったのではないか、というものである。

 

 全くの正常な精神状態のまま、アルベドにワールドアイテムを渡す、アインズがリアルに行ったなどと嘘をつく、などといった一連の事をやったのではないか?

 全てはベルの真の意思によるものではないか?

 

 ベルはアインズがいらなくなった。

 だから、排除しようとした。

 そして、ナザリックを捨て、お付きであったソリュシャンだけ連れて、いなくなってしまったのではないだろうか?

 

 

 その事を想像するたびに、アインズの総身に冷たいものが走った。

 冷気に耐性があるはずの身体であったが、あたかも裸のまま雪山に放りだされたかのごとくにがたがたと震えた。

 数秒ごとに強制精神沈静が起きても、絶えず幾度も震え続けた。

 

 

「あ、あるはずがない、そんな事……」

 

 アインズは口の中でそうつぶやくも、その声はひび割れていた。

 

 

 皆で作ったこのナザリック、そして『アインズ・ウール・ゴウン』。

 だが、友人たちはやがて一人、また一人と去っていった。

 

 偶然ながら、最後の時にやって来て、そして再び共に過ごすことになったベル=ベルモット。

 

 そんな彼女もまた、かつて皆がユグドラシルにログインしなくなっていったように、ナザリックに飽き、この地を去っていってしまったのではないだろうか?

 

 

 ――自分が何か彼女を不快にさせる事をしたのだろうか?

 かつてユグドラシルでも、少しずつ皆はこのナザリック地下大墳墓、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』を離れていった。

 もしや、それは自分に原因があるからでは……?

 

 

 邪推と言ってしまえばそれまでだが、そんな想像がアインズの頭から離れなかった。

 

 ベルとは会いたかった。

 だが、もしベルと再会したとき、面と向かってそんなことを言われたら……、そんな恐怖が彼に消極的な選択をさせた。

 

 

 

 ――会いたい。

 ギルメンたちに。

 会って話がしたい。

 昔のように。

 

 

 今、彼の心の中はそれだけで一杯であった。

 その為に、次にユグドラシルのプレイヤーが来るであろう時まで、ナザリックの全てを眠りにつかせ、待つことにしたのだ。

 

 もちろん、次に目覚めたとき、ナザリックに現れたのがギルメンであるとは限らない。

 可能な限りダミーダンジョンの方に対策はほどこしたものの、この地の者達ならともかく、かつてのユグドラシルプレイヤーならば、突破してきてもおかしくはない。

 その時は、目覚めたナザリックの総力をもって彼らを叩き潰し、再度挑めないよう対策を行ったうえで、再び眠りにつくつもりである。

 

 

 ――願わくば、次に目が覚めたときには、ギルメンたちに会えますように……。

 

 

 

「マスターソース・オープン」

 

 アインズの言葉と共に、水晶の玉座に座る彼の前に、半透明のコンソールが開く。

 流れるような操作により、ナザリックのNPCたち、いまだ活動状態にある者たちの名が並ぶ画面が表示される。

 

 七匹の蛇がその口に宝石を咥え、複雑に絡み合っている形状の杖、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを強く握りしめ、アインズは魔法を唱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その日を最後にナザリックの名はこの地から消え去った。

 

 

 

 

 




 次で最後です。


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最終話 伝説の始まり

2017/5/26 「人間の食料」→「人間を食料」、「無い」→「ない」、「見て見たい
」→「見てみたい」、「見つけて見せる」→「見つけてみせる」、「早や1週間が立
つ」→「はや1週間が経つ」、「見た」→「みた」、「変える」→「帰る」、「寝物
語として」→「毎夜、眠りにつくまでのベッドの中で」 訂正しました
文中にカギかっこが入っていたところがありましたので、削除しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


 険しい巌が重なるようにしてそびえたつ丘陵。

 切り立った岩々は、はるか下方の大地より突きだしたようであり、もしうっかりその断崖から一歩足を踏み外そうものなら、翼のある者でもない限り、命を失うのは確実であろう。

 

 そんな地上をはるか下に臨む高地、灰白色の岩々が折り重なる渓谷の合間を抜け、とある一団が姿を現した。

 それは黒や白、そしてまだらの毛並みを持つ山羊の群れである。

 

 

 その群れはゆったりとした足取りで岩山の間に出来た坂道を登り、やがて小高い山の上、開けた場所へとたどり着いた。

 そこにはなだらかな斜面が広がっており、青々とした草が陽光を受け、山々を吹き抜ける風に揺れていた。

 

 

 連れてきた山羊たちをそのちょっとした牧草地で休ませ、彼らを率いてきたまだ幼さの残る少年と、彼よりはわずかに年上らしい痩せぎすながら上背のある少女は、辺りを見回せる小高いところに転がっている岩の上に腰かけ、一休みすることにした。

 大きく平たい岩のすぐ脇には一本の大きな広葉樹があり、その生い茂った葉がちょうどいい(ひさし)となって、初夏の陽光から彼らを守ってくれた。

 

 

 そうして、彼女らはしばし体を休めていた。

 彼女らの視線の先では、数十頭の山羊たちが警戒の色もなく、呑気に過ごしている。

 

 そんな山羊たちを見守る少年たちもまた、なんら用心する様子を見せなかった。

 

 

 この場所ならば、絶対に危険はないという訳でもない。

 およそこの付近は、子ども達だけに山羊の番を任せても大丈夫なほどに安全な場所ではあったが、それでもごくたまに魔獣が姿を現すときもある。

 周囲に気を配るのは当然だ。

 

 

 だが今の彼らは、そんな魔獣に怯える必要もないのだ。

 

 

 少女は腰に下げていた水筒を手にとり、一口だけ飲む。

 水はなまぬるかったが、それは少女の乾いた喉を癒した。

 

 彼女からその水筒を手渡された少年は、うまそうにごくごくと音を立てて飲んだ。そうして一息ついた少年は水筒を少女に返す。

 そして少女は、まだ中身が残っているそれを、この場にいる第三の人物に差し出した。

 

 

 差し出された山羊の内臓で作られた水筒。

 その先にいた人物。

 

 

 それは、目も冴えるような蒼い鎧を着た騎士だった。

 

 

 肌をさらしている部分が一つもないため、その素顔はおろか、どのような人物かさえも垣間見ることは出来ないが、かなりの重量があるであろう重い金属製の全身鎧(フルプレート)を身に着け、険しい山道を歩いてきながら、疲労どころか息一つ乱した様子もない。

 明らかに並大抵の戦士とは一線を画すほどの実力の持ち主であることは間違いない。

 

 

 彼は差し出された水筒を前に首を振る。

 それに少女はわずかに残念そうな表情を浮かべ、固くふたを閉めて、それを腰へと戻した。

 

 

 彼にはいささか変わったところがあった。

 食事などをしているところを他の者には見せようとしないのだ。

 常に鎧兜を身につけたままである。

 

 だが、食事を渡した後、しばらく経ってから見ると、それは綺麗に食べられていた。

 食事をする必要がない――実は鎧の下はアンデッド、などということではないようだ。

 

 

 その奇行には、いささか首をひねったものの、その様子を見た元冒険者の父が、宗教上の理由だろうと推察し、言われた彼はその言葉に首肯した。そう言われてしまえば、それ以上は追及してはいけないという暗黙の了解があるらしい。

 少女は素顔を見てみたいという好奇心を無理矢理、胸の内に収めるより他になかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 この騎士は不思議な人物であった。

 

 

 数日前の事、この高地において他の者らが住む集落とはいささか離れた山間に彼女らの一家は居を構えていたのだが、その住居の付近に1体のマウンテン・トロールが姿を現したのだ。

 

  

 彼女らの父はかつて冒険者であり、怪物(モンスター)への対処はお手のものだった。

 ときおり現れる、そういった怪物(モンスター)たちはこれまで彼によって退治されるなり、追い払われていた。

 

 だが、そんな歴戦の彼の目から見て、現れたそいつを討伐するのは困難極まりないことであるとは容易に知れた。

 

 

 トロールはその体躯に見合った怪力と防御力を持ち、そして何より驚異的なまでの再生能力を有する難敵である。たとえ1体でも、決して油断することは出来ない。並み程度の冒険者がチームを組んで立ち向かい、それでやっとの相手だ。

 

 それなのに今ここでトロール相手に闘えるのは、すでに引退し、肉体の盛りを過ぎた元冒険者である父ただ一人なのだ。

 少年もまた戦うと言ったが、それはげんこつで黙らされた。

 

 ましてや、相手はただのトロールではなく、マウンテン・トロールである。

 多数の亜種がいるトロールの中でも、敏捷性と知性――元より大して無いが――こそ劣るが、その巨躯からくる耐久性と膂力は群を抜いている。

 

 それこそ、子供が大人に立ち向かうようなものだ。

 

 

 勝ち目がないことをすぐさま悟った父は、大切な妻と2人の子供たちを何とか逃がそうと試みた。

 だがそいつは、彼らの住居の周りにあった建物――小屋や道具置き場など――を手にした棍棒で破壊してしまった。

 家の中に追い詰めたはずの人間たちが、自分の隙をついて、ちょろちょろと物陰に隠れて逃げだすであろうことは、そいつの知能でも分かった。

 

 

 まさに万事休す。

 

 家を出て逃げだそうにも遮蔽物も何もないところでは、歩幅が大きいマウンテン・トロールにはすぐに追いつかれてしまうであろうことは目に見えている。

 かといって、家に立て籠もろうにも、この家は木造である。そいつの持つ樹齢100年を超える巨木のようなこん棒の前には、砂糖菓子のように容易く粉砕されるだろう。

 

 かくなる上は、全員バラバラに走って逃げることで、誰かを犠牲にしつつも残る誰かを生かすという、非情の手段を決断せねばならぬかと悲痛な覚悟を決めた。

 

 

 

 そんな時であった。

 その場に、湖に湛えられた水のように蒼い全身鎧(フルプレート)を身に纏った騎士が現れたのは。

 

 

 

 彼は臆することなく、トロールへと歩み寄り――なんと、そいつに向かって、その狼藉をいさめたのだ。

 

 当然ながら、トロールはそんな忠告など聞く耳を持たない。

 不快さからくる苛立ちのままに、蒼の騎士へとこん棒を振り上げ、襲いかかった。

 

 

 ――一閃――。

 

 

 まさに一瞬。

 刹那の剣技。

 恐るべき強敵であったマウンテン・トロールは、一刀両断の言葉通りに切り捨てられてしまっていた。

 

 その(さま)を見た元冒険者の父は、眼前で起きた出来事に度肝を抜かれて、立ち尽くすより他になかった。

 

 

 

 そうして、彼はその家に歓迎を以って、迎え入れられた。

 

 なんでも、彼ははるか遠い所から、この地にやって来たらしい。この周辺の地理なども、まったく知らなかった。

 そして名前を聞いても、なんと言っていいのか困っている様子だった。

 

 そんな奇妙すぎる彼の事を一家は受け入れた。 

 彼はその一家の許にとどまり、多少の手伝いをしつつ、様々な知識、情報を教えてもらい、時を過ごした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、少年と少女、2人の護衛を兼ねた蒼の騎士の3人は、山の上にあるちょっとした草地でのんびりと時間を過ごしていた。

 

 彼らの視線の先で山羊たちはなんら警戒することなく、思い思いに跳ねまわるなり、草を()んだり、座り込んでいたりとのどかな雰囲気を醸し出している。

 

 だが、そうして代わり映えのしない山羊たちの様子を眺めている事に飽きたのであろう、そのうち少年は腰かけていた岩から立ち上がると、足首ていどまで丈がある野原の上で身体を動かし始めた。

 

 

「ちょっと、パット! あんまり騒がないの! 山羊が驚いてるでしょ」

 

 少女の言葉通り、パットと呼ばれた少年があげる気合の声というより、奇声とでもいうべきものに、すぐそばに近づいていた山羊がビクンと身体を動かしていた。

 

「えー、リーナ姉ちゃん、それくらいいいじゃん」

「駄目よ! そうして怖がって乳の出具合が悪くなったら、どうするの!?」

 

 その言葉に、パットはウッと口ごもった。

 ヤギの乳は少年の好物の一つだ。それにヤギの乳から作ったチーズは麓の街に高く売れる。もし、それが採れなくなったら、一家は貴重な収入源を失い、困ることになる。

 

 

 少年の分が悪くなったと察した彼は助け船を出した。

 

「パット、随分と熱心に体を鍛えているんだね。大したものだ」

 

 かけられた言葉に、がばっと身体ごと振り向くパット。

 その目は輝いていた。

 

「騎士様、分かる?」

「ああ、もちろん分かるとも」

 

 少年はにんまりとその頬をゆるめた。

 

 そして、ふたたびしゅっしゅっと拳を繰り出して見せる。

 それは拳を握り突きだす、勢いの乗った蹴りを繰り出すというより、握った手を振り回したり、膝を曲げたまま反動をつけて足を上へと振り上げるだけといった、およそ武術、格闘技とはとうてい言えないような稚拙なものでしかなかったが。

 

 

 しかし、そんなことはさておき、パットは軽く汗をかくほどに体を動かし、己が夢をこの漂泊の騎士へと語った。

 

「俺はさ、いつか強い格闘家になるんだ。そして世界中を旅してまわるんだ」

 

 そんな少年に、姉は呆れたような声をかけた。

 

「はいはい。また『拳聖』みたいになりたいって、言うんでしょ。なれるわけないじゃないの」

「なれるよ! 絶対になる!」

「そんなの無理だってば!」

「無理じゃない!」

 

 

 傍から見ていて、ほほえましくもある言い争いが始まりかけ、彼はまあまあと言って2人を抑える。

 そして、ふと気になった、会話に出てきたキーワードについて訊いてみた。

 

「『拳聖』とは、なんだい?」

 

 その言葉に少年はことさら驚いたような表情を浮かべた。

 

「えー、『拳聖』を知らないの?」

 

 尋ねてみたのは少々拙かったかと思ったが、今更、言い繕っても仕方がない。彼は素直に「知らない」と答え、教えてくれるよう頼んだ。

 言われた少年は少し自慢気な顔をして語った。

 

「『拳聖』ゼロだよ。300年くらい前にあったっていう死霊戦争の頃の人で、世界中が混乱していた時代を自分の拳一つで生き抜いた凄い格闘家さ」

 

 

 

 そうして少年は自分の憧れている人物が、如何に偉大な人物であったかを語った。

 

 なんでも、そのゼロという男は、武器を持った者に決して後れを取らぬほど鍛錬を積んだ格闘家であり、その肉体は鋼のごとくに刃を通さず、また繰り出した拳から衝撃波を飛ばし、遠距離の敵を攻撃することも出来たという。

 なかでも彼の一番の切り札としては、その全身に施された様々な動物の入れ墨。その力を発動させると、それぞれの動物に応じた力が自分の身体に顕現され、凄まじい肉体能力を手に入れることが出来たのだという。

 

 

「そうやって、ゼロは死霊戦争で混乱した世界各地を渡り歩いたんだよ」

 

 そう言って目をキラキラと光らせる。

 きっと少年にとって、会った事もないそのゼロとかいう人物は、崇敬の対象となっているのであろう。

 

 

 だが、それに姉のリーナは微妙な表情を見せた。

 

「うん。パットがそのゼロを尊敬するのはいいんだけどね。……でも、お姉ちゃん、唐揚げにマヨネーズをかけて食べるの止めてほしいんだけど……」

「えー。でも、ゼロもそうやって食べてたって言うぜ」

 

 唐揚げには柚子胡椒派の彼としては、唐揚げにたっぷりのマヨネーズをかけるのがこちらの習慣かと思い、我慢して食べていたのであるが、そんな理由があったのかと納得した。

 

 

 それと同時に先ほどの表情、受け答えする際の少年の様子に、実際に子供がいる身である彼は(ははぁ)と見当がついた。

 

「なあ、パット。すまないが、その死霊戦争とは何なんだい?」

 

 再度、驚いたような声をあがった。

 

「ええー? そんな事も知らないの?」

「ああ、知らないんだよ。私は遠くから来たからね。だから、すまないが教えてくれないかな? 頼むよ」

「しょうがないなぁ」

 

 口ではそう言いつつも、自分が尋ねられたことにパットは満足げな顔だ。

 

 少年は家族の中では一番の年下である。

 そして、一家はあまり余所との交流もないようだ。

 そんな自分が誰かにものを教える立場になったというのが嬉しいのだろう。

 

 

 そして、少年は語った。

 300年ほど前、この地において『死霊戦争』と呼ばれる大きな騒乱があったことを。

 

 

 

 死霊戦争。

 それは一つの大きな紛争ではなく、800年前の八欲王や、500年前の十三英雄の時代と並んで、世界が大きく混乱した時代の事を指す。

 

 先ず、何故、死霊戦争なる呼び名がつけられているのか?

 これについては、大量のアンデッドたちが全世界で暴れたことに由来する。

 

 かつて死霊術に長け、アンデッドを使役するズーラーノーンなる秘密組織があった。

 生と死の探求に全てを捧げた彼らは己が目的をかなえるため、長年にわたり、闇に紛れて活動を続けていた。

 そんな彼らであったが、その頃――どういう理由があったのかまでは伝わってはいないが――突如として活動を活発化させ、世界中を混乱の渦に叩きこんだのだ。

 

 何の前触れもなく、あちらこちらにアンデッドの大群が現れては人々を襲った。

 その結果、かつてはこの近隣にいくつもの人間を主とした国家があったのだが、今、彼らがいる竜王国を除いた全ての国が一度滅んだのだそうな。

 

 

 そんな破壊と狂乱の最中、先にあげたゼロの他、幾多の英雄や悪人が現れた。

 

 ゼロの宿命のライバルとして、そして時には友として、長年にわたって互いに切磋琢磨することになった蜥蜴人(リザードマン)の格闘家『武神』ゼンベル。

 世の混乱に乗じ、これまで踏破不可能と思われていた険しい山脈を越えて人間の領域奥深くに侵攻することに成功し、そこにビーストマンの国家を作った獣王ナグルファン。

 動乱の隙を狙い、かつてあった国家を盗み取った盗人王コッコドール。

 古よりの故郷を取り戻さんと、邪悪なる外法に身を委ねたダークエルフにして吸血鬼(ヴァンパイア)、黒のモーリア。

 圧制を敷く貴族により腐敗していた国を立て直し、民衆を助けた慈愛王スタッファン。

 華麗なる剣技、そして主への忠節で知られた『夢幻』のサキュロント。

 荒れ果てた世を立て直すため、正義と秩序を求めて戦った光の聖騎士スタイプ。

 かつてあった人間至上主義の国を完膚なきまでに破壊し、人民を虐待しつくした邪悪なトロールのザグ王。

 己がいかな目に遭おうとも、傷ついた人を助ける事を止めなかった『嘆きの聖女』ラグンヒルド。

 我が物顔で暴れ、跳梁跋扈するアンデッドや亜人、怪物(モンスター)たちから人間種を守るため、国家によらぬ秘密組織を作り上げた人類の守護者ニグン・ルーイン。

 戦争中は重宝された傭兵も、紛争が終われば野盗と化して近隣の住民を襲う状況を憂い、現在まで続く傭兵ギルドを立ち上げた、伝説の傭兵ハーコン。

 そして、そんな混沌とする情勢の中、果敢にも諸問題に立ち向かい国家、そして国民を守った偉大なる『黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)』、ドラウディオン・オーリウクルス。

 

 

 

 少年の口から止めどなく流れるのは、古より語り継がれてきた伝承(サーガ)

 鋼と魔法の世界に繰り広げられた、まばゆいばかりの英雄譚。

 誰もが掛け値ない勇者であり、悪人ですらも破格の人物たちであった。

 

 聞けば、この姉弟、リーナとパットという名も、その当時の動乱の中、為政者に迫害され、放浪を余儀なくされた民衆たちに食料を分け与えて保護し、誰かれの区別なく多くの人を助けたという偉人の名に由来するらしい。

 

 

 

 そして、少年は興奮して語る。

 

「でも、やっぱり、一番は『至高帝』だよ!」

 

 息せき切って言われた言葉を彼は聞き返す。

 

「『至高帝』?」

「うん!」

 

 パットは力強く頷いた。

 

「『至高帝』エンリ・バレアレ。ただの村娘から、一大帝国を築いた凄い人さ!」

 

 

 

 エンリ・バレアレ。

 後の世に『至高帝』と語り継がれる彼女は、元々は何処にあるとも知れぬ寒村に生まれたごく普通の村娘であったらしい。

 おそらく平和な時代であれば、彼女は名を残すことなく、平凡な女性として生き、そして年老い死んでいき、歴史の中に埋没していったであろう。

 

 だが、彼女が生きたのは動乱の時代。

 英雄が求められた時代。

 

 ズーラーノーンの策動により、各国が滅び、世が荒廃していく中、彼女は立ち上がった。

 

 

 その当時、人間や亜人などの各種族は交わることなく、別々に暮らすことが普通であった。

 とくに、この近隣の人間の領域と呼ばれていた地域では、人間種が優位に立ち、他の種族ゴブリンやオーガらの亜人は言うに及ばず、エルフやドワーフなど、その時代より一昔前までは人類の友邦とされていた種族まで迫害し、地域によっては奴隷にまで貶められていたのだとか。もっとも、そんな人間の領域の外では、戦闘力に勝る亜人たちに人間は虐げられる存在であり、奴隷として労働階級にされるならまだましな方、家畜として食料や趣味の狩猟の対象とされていたほどだったという。

 

 

 そんな中、エンリは自身も人間であり、人間の住まう領域に身を置きながら、それとは反する政策をとった。

 すなわち、種族に関係なく、人間であろうと亜人であろうと平等に取り扱ったのだ。

 彼女の旗下に収まったのは、人間の他、ゴブリンやオーガ、蜥蜴人(リザードマン)らに加え、通常、人間を食料とする亜人種であるビーストマンやトロールまで。それに加えて恐るべき力を誇る強大な魔獣や、挙句の果てにはアンデッドすらも彼女の命に従っていたとされる。

 

 そうして、彼女は混乱の大地に覇を唱えた。

 最初は自分が治めていた村を守るため。

 そして、近隣の村々に請われるままに、彼らを助け、やがて大いなる歴史の流れの中で、一大帝国を築くまでになった。

 

 もちろん、それを成し遂げることが出来たのは、彼女一人の力だけではない。

 大義の為に、彼女と命運を共にした臣下たちがいてこそである。

 彼女に心酔する者は多く、その名が語り継がれる者だけでも、トブの大森林を支配した森の賢王。エンリの妹にして数々の魔獣を従えた『獣姫』ネム。旗揚げ当初からの側近であり、ルディスの戦いの際に彼女をかばって死んだゴブリンのカイジャリ。軍師として知略の面から彼女を助けた小男グトホルム。蜥蜴人(リザードマン)の勇者、『白き鱗』のリュクラース・シャシャ。魔術の粋を極め、そしてその力で弱き民衆を助けたニニャ・ザ・スペルマスター。魔術と剣技の両方に長けた『不死将軍』リュース。臆病者としてかつての部族を追われたが、エンリの下でその怪力を存分に生かして戦ったトロールの『剛腕』グズレーズ。金属鎧すらも容易く貫く必殺の刺突を得手とした『怪鳥の雄たけび』のマルムヴィスト……。

 一人一人が伝説となるほどの英雄たちが、彼女の下に集い、そして命を懸けた。

 

 

 その頃の人物の中でも、彼女が特に人々からの人気が高く、そして広く語り継がれる理由は先にあげた、ただの村娘から皇帝までかけあがった事、種族を問わぬ平等政策を推進した事の2点の他に、さらにもう一つある。

 それは彼女こそが、長く続いた死霊戦争を終わらせた人物であるからに他ならない。

 

 

 死霊戦争と呼ばれた長き不毛の時代。

 その最後の戦い。

 

 すでに盟主は打ち倒され、最後に残ったズーラーノーンの幹部たちは、一つ都市に閉じ込めた数十万人ともいわれる生きとし生ける人間を一度に殺戮し、その莫大な負のエネルギーをもって、自分たちの悲願を成就せんと目論んだ。

 それを阻止し、人々を救わんとしたエンリの軍勢との間で起こった、『アーウィンタール攻防戦』。

 

 

 かつて、その地にあり、隆盛を誇ったと言われた国のかつての首都を舞台にした熾烈な戦い。

 

 攻める至高帝の軍勢。

 

 対するは追い詰められたズーラーノーンの残存戦力。

 滅びた国の王女を生き返らせる為、数限りない人間を生贄にささげた『外法騎士』クライム。力を信奉し、邪法により狼の力をその身に宿した暗黒戦士、(よこしま)インガルド。名も知れぬ、汚らしい膿を垂れながす醜悪極まりない異形の怪物。

 そして、邪悪なる秘術によって生み出された地を埋め尽くすほどのアンデッドたち。

 

 

 だが、そんな彼らを前にしても、『至高帝』エンリ率いる正義を胸に抱いた戦士たちは屈さなかった。

 多大な犠牲を払いつつも――ついにエンリは勝利した。

 

 そして、長きにわたった死霊戦争に幕が下りる事となったのだ。

 

 

 長き時の果て、彼女の作りあげた帝国も今はなく、各地にいくつかの街や遺跡など、往時の痕跡を思わせるものを残すのみであるが、その輝かしい功績は決して色あせることなく伝承の中に生き続けている。

 

 

 

「僕はいつか、その『至高帝』エンリの遺産が隠された迷宮を見つけたいんだよ」

 

 興奮のあまり、一人称が俺から僕になってしまっている事にも気づかず、少年はつづける。

 

 

 エンリの配下には『不死将軍』リュースを始めとしたアンデッドも多数、加わっていた。

 だが、彼らはエンリの死後、いずこかへと姿を消したのだという。

 

 なんでも、この世界のどこかに、とある迷宮(ダンジョン)があり、彼らはそこへ行ったのだとか。

 その名も知られていない迷宮(ダンジョン)の奥深くは、また別の地へと繋がっているらしい。そこは金銀財宝や値もつけられぬほどの芸術品の数々で埋め尽くされ、言葉では言い表せぬほどの、まさに天上の世界とでもいうべき空間であるという。

 そして、そこには『至高の御方』が長い眠りについているのだと語り継がれている。

 

 

「『至高の御方』って言えば、『至高帝』だろ? きっとエンリは死んだんじゃなくて、そこで眠りについているのさ。僕は世界中を旅して、それを見つけてみせるんだ」

 

 目を輝かせて言う少年の言葉に、彼は優し気な口調で「きっと、できるよ」と口にした。

 

 

 

「ねえ。そろそろ、帰りましょう」

 

 姉であるリーナの声。

 話に夢中になっていたが、天を見上げると日が傾きかけている。

 

 彼女らの家は、満足な照明がなく、そのため、日の出と共に動きだし、そして日の入りと共に眠りにつくといった生活をしている。今はまだ、頭上にある太陽はやや傾いた程度だが、これから家に帰った頃には、空が茜色に染まり始めているだろう。

 

 

 放牧を終え、帰り支度をするかたわら、リーナはちょっとすました感じで語りかけた。

 

「ねえ、騎士様。昔のお話が気になりますか? なんでしたら明日にでも、パットじゃなく私が詳しくお話ししましょうか?」

 

 その言葉には、わずかながら青の騎士に対する憧憬以上のものが込められていた。

 だが、彼は首を横に振った。

 

「いや、すまないが、私はそろそろお(いとま)しようと思っている。明日の朝にでも、この地を発つつもりだ」

 

 その答えに、少女はわずかに身を揺らせた。

 彼女の胸の奥に秘められ、生まれ始めていた感情は彼とて分かっていたものの、あまり彼らの許に長居をするわけにもいかないのだ。

 

 

 

 

 彼がこの地に来てから、はや1週間が経つ。

 その間、何の知らせもない。

 ログアウトもできず、GMコールもきかなかった。

 どう考えても、おかしすぎる。

 

 

 そもそも、彼がその日、ユグドラシルを起動したのも、ほんのちょっとしたことからであった。

 

 

 彼はすでに何年も前、友人たちに引退を告げていた。

 それ以降、ユグドラシルにログインすることもなかった。

 

 だが、忙しく時を過ごしていたある日、昔の友人からメールをもらったのだ。

 ユグドラシルが終了しますので、せっかくですから最後の日に集まりませんか、と。

 

 

 そのメールを見た瞬間、かつての輝かしい日々、楽しかったあのころの事が頭の中に浮かび上がってきた。矢も楯もたまらなかった。

 

 幸いにして、引退を宣言したとはいえ、ユグドラシルのアカウント自体は消さぬままにしてあった。 そこで彼は仕事が終わり、家に帰りついた後、久しぶりにログインしようとしたのだが、長い事、やっていなかったため、起動にはシステムのアップデートが必要ですと言われ、延々と待たされる羽目になってしまった。

 

 ようやく入れた時には、もはや終了時間ぎりぎり。

 とにかくメールをくれた友人を捜そうとした刹那、不意に眩暈のようなものに襲われた。

 

 

 

 そうして、気がついたら、見知らぬ山地にただ一人佇んでいたのだ。

 

 

 

 訳が分からないながら、それから数日かけて移動し、ようやく民家を見つけたと思ったら、どうやらマウンテン・トロールに襲われているようだった。

 とりあえず、そのトロールには話しかけてはみたものの、問答無用に襲ってきたのでそれを退治した。

 

 そうして、知り合った家族からようやく事情を聞くことが出来た。

 もっともそれは、何が何だかさっぱり分からないということが分かったのみであったが。

 

 何はともあれ、どうやら自分はゲーム中のキャラのまま、どこか全く知らない異世界へ転移したらしいということは推測できた。

 

 

 誰も知る人もない異世界に放りだされたわけだが、幸いにも、この最初に知り合った一家は自分を受け入れてくれた。

 ――くれたのであるが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

 彼には愛する妻も、自分の命より大切な娘もいるのだ。

 とにかく、早く帰る方法を見つけなければならない。

 一刻も早く探しに行かなくてはならない。

 

 

 だが――。

 

 だが、薄情な話かもしれないが、彼はこの見知らぬ世界を前にして心躍るものを感じていた。

 

 

 空気は澄んでおり、人工心肺もマスクも必要なく呼吸ができる。

 周囲を取り巻く大自然は、瑞々しいまでの生命力を見せつけている。

 料理は合成食品ではなく、彼ですらめったに口にすることのなかった自然のもの、いや、口にしたことすらもない天然ものである。そんな食事を堪能できたのは僥倖といえる。彼らは大した味付けも出来ないと言っているが、肉や野菜の素材本来の味が味わえる料理など、よほどの上流階級ですらまず口に出来ない代物だ。

 

 一切、スモッグや有毒物質に汚染されていない、生命の息吹あふれる世界。

 彼が本来生きてきた世界は、全てが人類自らが垂れ流した化学物質によって汚染され、その澱みにまみれて生きるか、人工的に作ったドームの中に籠もるしかなく、自然あふれる世界とはかつての記憶映像かゲームの中にしか存在しなかった。

 

 だが、今、彼の目の前にはゲームなどの疑似的なものではない、本当の大自然が広がっているのだ。 

 

 

 彼ははるか高き岩壁の際に立ち、そこから眼下の景色を眺めた。

 険しい岩々が連なる山脈。

 はるか遠くを見渡せば、向こうの山の頂は白い雪で覆われている。 

 下に広がるのは、うっそうとした深緑色の密林。

 それが途切れた先には、満々と水を湛えた湖が陽光を受けてきらめいており、またそのすぐ近くには灰色や黄土色の規則正しい建造物がある。おそらく人間の住む街だろう。 

 

 

 この周辺の地理については、少年たちの両親から聞いている。

 彼らの家からしばらく降ったところの谷合には山村があり、そこからさらに降った山の麓に、城塞都市オグリオン――これも死霊戦争の頃の英雄の名前に由来するらしい――があるそうだ。

 

 

 ――とりあえず、そこで冒険者にでもなってみるか。

 

 

 話に聞く分では、冒険者は様々なネットワークや情報を持っているらしいし、上位の者になれば、国の有力者とのつながりも出来る。

 彼が知りたい、現実へと帰る方法について、なんらかの情報を持っていてもおかしくはない。

 

 

 人間の街に行くにあたって、彼には大きな問題がある。

 それは今の姿だ。

 話に聞く分にはあまり人種による差別はないらしい。だが、亜人種ならともかく異形種というのはさすがに隠しておいた方がいいと思われた。

 となると、それに伴い、今着ている全身鎧(フルプレート)は脱ぐことは出来ない。人前で食事も出来ない。

 

 しかし、そこで冒険者という立場が優位に働くようだ。

 

 どうやら冒険者の間では、互いの素性を詮索するのは忌避されるらしい。

 脛に傷持つ者も多い危険と隣り合わせの仕事である。大切な事は、かつての行いではなく、今の態度と実力のみという思想があるのだそうな。

 

 

 なんでも、かつて――また死霊紛争の頃の人物のようだが――全身、黒の鎧で身を包んだ『漆黒』と呼ばれる戦士がいたらしい。

 彼は何処から来たのか素性をはっきりとは語らず、その鎧を脱ぐこともなく、人前で食事をすることも宗教上の理由として断っていた。

 そんな得体のしれぬところのある彼であったが、その実力は確かなものであり、幾度もズーラーノーンの呼び出したアンデッドの群れを撃退し、人類を窮地から救ったのだという。

 そこから冒険者に関しては、本人が自ら語ろうとしない内情を探るのはご法度という暗黙の了解が出来たのだそうだ。

 

 どうりで全身鎧を身に着け、素顔も晒さず、名前も言わない彼の事を、元冒険者の父が受け入れてくれたわけだと合点がいった。

 

 

 そういったことを考えた場合、冒険者になるというのは自分の素性を秘するための隠れ蓑として悪くないと思えた。

 

 

 ――それに冒険者となって各地を回るというのもいいかもしれない。

 

 

 彼とても、DMMO-RPGであるユグドラシルをプレイし、その世界を探索することに心血を注いだ人間である。この素晴らしい未知なる世界を旅してみたいという欲望が、むくむくと心のうちに湧き上がってくるのを感じていた。

 

 

 ひとつ、懸念となるのは現在の武装だった。

 彼、本来の装備は引退を宣言した時、「使ってくれ」とかつての友人たちに渡してしまっていた。その為、今、身に着けている装備はゲームを始めた初期の頃に手に入れ、その後は記念だからとアイテムボックスにしまいっぱなしだったものである。かつての最強装備とは比ぶべくもない。本当に強敵と遭遇した時には困ったことになってしまう。

 だが、幸いにして話に聞く分には、この辺りの怪物(モンスター)のレベルは100レベルである彼から比べれば圧倒的に低いようだ。それならば、これらの装備でも十分やっていけるだろうと思われた。少なくとも、装備の新調の為、その身を鍛冶師に晒す必要はないだろう。

 

 

 

 ――はたして、帰る方法は見つかるだろうか?

 そして、この地にはいったい、どんな未知が溢れているのだろう? 

 何なら、その話に聞いた『至高帝』の迷宮(ダンジョン)とやらを探してみてもいいかもしれないな。

 

 

 彼ははるか遠く、地平線まで見通せるほどの広大な世界に思いをはせていた。

 

 

 

 そんな彼に対し、少年は声をかけた。

 

「ねえ、騎士様。騎士様の名前を教えてよ」

 

 少年は、かつて冒険者であった父から、相手が語ろうとしない限り、素性を探ろうとしないのが力ある者達の間でのマナーであることは聞き及んでいた。

 だが、それを知っていながらも、パットはその名を知りたいという欲求を抑えられなかった。

 

 

 少年は感じていた。

 毎夜、眠りにつくまでのベッドの中で聞かされてきた数限りない英雄譚。

 それは少年にとって、それは明日の天気と同様、自分の生活とつながるものであった。

 しかし、心のどこかでは、あくまでそれらはどこかの誰かの物語でしかない、こんな山奥にいる、ちっぽけな自分と関わることなどないのだと、うすうす感じていた。

 

 

 だが、少年ははっきりと悟った。

 今、目の前にいるこの騎士。

 彼は間違いなく、自分が聞かされていた英雄たち、彼らと同じ存在なのだ、と。

 

 

 ――きっとこの人はこれから英雄譚を積み上げるだろう。

 その一番最初に出会えたのは自分なのだ。

 

 

 頬を紅潮させて尋ねた少年に、彼はいささか思案気に答えた。

 

 

 

「名前……名前か、そうだな、私のことは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――たっちと呼んでくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これで「オーバーロード ~破滅の少女~ 」は終了になります。
 本当に思い付きと勢いだけで書き始めたのですが、こんなに長く書き続けることになるとは思ってもいませんでした。
 1年5か月余りですが、最後までおつきあいくださいまして、ありがとうございました。


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