誰が為に歯車は廻る (アレクシエル)
しおりを挟む

CHAPTER:0 廻り出す運命
第1話「消滅より怖いことがあるんだ」


1.

 

 

 

ルドガー・ウィル・クルスニクは、どこまでも深い深淵を彷徨っていた。

何も感じず、何も見えず、何も聞こえない。ただ漠然と、暗い水底へと沈むような感覚を、永遠に感じ続ける。

 

「消滅より怖いことがあるんだ」

 

最期の時にそう言い残し、ルドガーは自ら呪いを募らせ…世界から消えた。

全ての分史世界の消滅をオリジンに願い、エルの身代わりとなって死を受け入れたルドガーだが、そこに後悔の念は一切なかった。

目を閉じれば───あくまで、そうしているつもりだが───、いつでもあの笑顔が思い出せる。あの笑顔を守るためならば、"例えどんな姿に成り果てたとしても"構わなかった。

 

………しかし妙だ、とルドガーは考える。自分は時歪の因子と化し、世界から消えたはずだ。

言うなれば、死…いや、果たして魂すら残るかどうか疑わしかったが、存外こうして思考することができている。相変わらず、何も感じないことには変わりはないのだが。

 

再び目を閉じ───あくまで、そうしているつもりだが───自身の最期を振り返る。

審判の門にてエルと"約束"を交わして………ああ、そうだ。嫌いなトマトも食べれるようになる、と言っていたんだ。間違いない。

だいたいどうして、未来の自分…ヴィクトルの娘なのにトマトが嫌いなのか。

考えられるとすれば、ヴィクトルが兄さんのことを思い出したくなくて、食卓からトマトを避けていた、とか?

それとも、母親の影響か? …いや、そもそもヴィクトルは誰と結婚して、エルをもうけたのか? それは自分の知る人物なのだろうか…?

 

やわらかな風が、頬を撫ぜる。

 

第一、生まれてこのかた彼女なんてできたことがなく、好きだった幼馴染のヴェルは兄さんに惚れていて、挙句その幼馴染の妹、ノヴァに借金の催促をされ続けていたこの自分が、結婚…?

よく考えると、ヴィクトルは未来の自分の姿だが、あまりに自分とかけ離れすぎているんじゃあないのか。これも時歪の因子のせいなのか。

 

 

などとルドガーの思考は二転三転していく。

心地良い春風が吹き、花の香りが舞い上がる。

 

 

「………えっ?」

 

おかしい。自分は確か、いわゆる無の深淵にいるはずだ。

はっ、と目を開けると、エレンピオスを彷彿とさせるビル街が遠くにそびえる。

足元を見れば、見たことのない花が一面に咲いており、振り返ればそこには腰の低いベンチがひとつだけ置かれている。

自分の身体をざっと見ると、時歪の因子と化す前と寸分変わらず、ヴィクトルやユリウスのような黒斑も見られない。当然、服も変わりない。

 

「嘘…だろ…? 俺、死んだんだよな…?」

 

 

そして、ここは、どこだ?

エレンピオスは微精霊が非常に少なく、大地が荒廃しかけており、こんな花畑なんかどこを探してもあるわけがない。

リーゼ・マクシアにしては、目下の建物に違和感がある。マナを豊富に含んだリーゼ・マクシアの大気とも異なる。

もっと広い範囲を見渡すと、花畑はこの周辺にしかなく、あとの雰囲気はどちらかというとエレンピオスに近い。たまたま、自分が訪れてない場所に自然が残っていたのか、とルドガーは考えた。

何より一番の問題は、ルドガーは時歪の因子と化して、消滅を選んだはず。

死ではない、消滅だ。なのになぜ自分は、ここにこうして存在するのか。

 

「………ジュードに連絡してみるか」

 

ルドガーはポケットからGHSを取り出し、電話帳を呼び出そうとする…が、電波が繋がっていない。

馬鹿な。GHSに圏外などあり得ない。エレンピオスやリーゼ・マクシアのどこに行こうと、洞窟に潜らない限りはノヴァからの借金の催促がかかってくるほどに、その精度は高い。

まして、こんな街が見渡せるような拓けた空間でそんなことなど、あるはずがなかった。

 

はぁ、とルドガーはため息をひとつつく。

この程度のアクシデントなら、ルドガーはあまり取り乱すことはしない。

幼女痴漢の濡れ衣や、2000万の借金に比べればまだ可愛いものだ。誰かに責められたり、肩身が狭い思いをしなくていいのだから。

とりあえず、街に出よう。手持ちにはいくらかガルドが残っている。列車を使ってトリグラフに戻り、そこからあとの事を考えよう、と決めた。

 

 

 

2.

 

 

 

 

街に着くや否や、ルドガーはひとつの問題点に突き当たった。

字が読めないのである。そこかしこに書かれている文字らしきものは、リーゼ・マクシアの文字とも、エレンピオスの文字とも、似ても似つかない。

ルドガーはまず駅を探していたのだが、さっきからこのざまで、駅がどっちにあるのかすらも見当がつかなかった。これではまるで迷子だ。

どこか、異国の地にでも放り込まれた気分だった。

とにかく、線路だ。線路を見つければ、それを辿って駅まで行ける。ルドガーはきょろきょろと周りを見渡して、それらしいものを探してさまよい始めた。

 

路地を渡り、根気よく探して、ある程度歩いたあたりで、どこからか猫の声が聞こえてきた。

懐かしい。かつて、同じマンションの、猫好きの住人に100匹の猫探しを頼まれたものだ。

エレンピオスだけに留まらず、リーゼ・マクシアまで。果ては瘴気にまみれたタタール冥穴にまで迷い込んでいたっけか。

…実はあの飼い主、猫達に嫌われてるのでは? などと考えながら、ルドガーの視線は道路の向こう側に見える黒猫のほうへ向いていた。

ルドガーは動物には好かれるほうだ。加えて、兄の飼い猫であるルルの世話をしていたので、猫の扱いは慣れたものだった。

笑顔を向けて軽く手を振ってやると、黒猫はにゃあ、と鳴いて反対側の歩道からルドガーの側へかけ出した。

 

その時だ。ルドガーは視線の右側から、何かが向かってきているのに気付いた。

エレンピオスでも滅多に見かけられないはずの、車だった。

エレンピオスの車は本来、荒廃した大地を走る為に作られたもので、けして街中を走る為には用いられない。

まずい。黒猫は車の進む先を横切ろうとしている。なぜ車なんかが白昼堂々と街中を走っているのかはさておき、このままでは猫が轢かれる。

 

「おぉぉぉぉぉッ!」

 

ルドガーはとっさに黒猫のほうへ走り出す。神速の居合斬り、舞斑雪を放つことのできる剛脚は一気に黒猫までの距離を詰める。それこそ、一瞬のことだ。

ルドガーはわずか数秒で猫を拾い、反対側の歩道へと駆け抜けていた。

 

「……ふぅ。大丈夫か、お前?」と、猫に声をかける。猫はにゃ、とはにかんだような顔で応えた。ほっ、と胸を撫で下ろし、ルドガーは猫を地面に放す。

その時だ。猫がルドガーの手を離れた瞬間、猫の動きがぴたり、と止まってしまった。

 

「………ん?」

 

立ち止まったのではない。文字通り。"静止"したのだ。

ルドガーは異変に気付く。後ろを振り返ると、勢いよく走ってきたはずの車が、エンジン音もたてずに静止している。

それだけではない。周囲から、雑音を含む一切の音がしなかった。まるで、時が止まってしまったかのように。

 

「こ…これは…!?」

 

そう狼狽えた一瞬のあと、静寂は不意に解けた。

車は何事もなかったように走り去り、猫はルドガーのほうに振り返って、鳴き声を上げる。

そよ風が木々を揺らす音も聞こえ、小鳥がさえずる。

だが、ルドガーの心臓は早鐘を打つように鼓動していた。

 

「…まさか、クロノスか…?」

 

時を止めることができる人物に、ルドガーは心当たりがあった。

かつてクルスニクの一族に骸殻の呪いを振りまいた、時空を司る大精霊、クロノス。

時間を巻き戻して怪我をなかったことにするような奴だ。時を止めるなど、容易いのかもしれない。

だが、骸殻の呪いは終わったはずだ。それに、もし仮にここが分史世界だとしてもだ、全時空にクロノスとオリジンだけは1人しか存在し得ない。

まさか、猫を助けるのを手伝ったわけではあるまい。奴はそんな殊勝なタマじゃない。捻くれ者だ。ルドガーの顔つきは、険しいものへと変わっていた。

 

「とにかく、ジュード達と合流しないと…」

 

ルドガーは猫に手を振ってから別れ、再び駅を探し始めた。

 

 

3.

 

 

 

結論から言うと、駅らしきものはあった。だが、路線表はルドガーの見慣れたものとはまるで違っており、さらに複雑なものだった。

やはり、文字は読み取れない。ルドガーは路線表からトリグラフを探すのを諦め、駅員らしき人物に尋ねることにした。

 

「あの、すいません」と声をかけた駅員は、恐らくルドガーとさして年の変わらないであろう、可愛らしい雰囲気の女性の駅員だった。

 

「はい、どうかされましたか?」と、女性駅員は朗らかな笑顔で対応をとる。

ルドガーの脳裏では、文字もわからず、この上もし言葉も通じなかったらどうしよう、という不安があったが、その心配はなかったようだ。

 

「ここからトリグラフには、どうやって行けば…?」

「えっ…鳥グラフ、ですか?」

「はい、どれに乗ったらいいかわからなくて…」

「お、お待ちください…鳥グラフって、"何ですか"…?」

 

───うん?

 

ルドガーは駅員のその言葉に、どきりとする。

トリグラフといえば、エレンピオスの首都。エレンピオス人なら知らないはずはない。

では、ここはリーゼ・マクシアなのか? ルドガーは質問を変える

 

「じゃ、じゃあ…マクスバードへはどうやって…?」

「マクス…バード? お兄さん、鳥が好きなんですか…?」駅員は首をかしげてルドガーに聞き返した。

 

───違う。ルドガーは自分と駅員の間に、致命的な食い違いがあることにようやく気付いた。トリグラフもマクスバードも知らない。そんな奴がいるものか。

じゃあ一体、ここはどこなんだ!? ルドガーはたまらず、頭を抱えながら駅員に言い放った。

 

「えっ………こ、ここは見滝原駅ですけど…」

 

と、見ればわかるじゃないか? と言いたそうな顔で駅員は答えた。

なんだそれは、とルドガーは思う。そんな駅、エレンピオスにもリーゼ・マクシアにもない。

となるとやはり、"その可能性"しか残ってないのだろうか…

薄々と感じてはいた。どっちとも似つかない街並みに、まるで読めない文字。すれ違う人達の服装はエレンピオス人の格好に近いが、やはり違う。

極め付けはこれだ。トリグラフのトの字も知らなそうな駅員の態度。

ほぼ間違いないだろう。文字通りルドガーは、"異国の地に放り込まれた"のだ。

ルドガーはしかし、あくまで平静を装い、駅員に「あ、どうも…」とだけ言って、その場から逃げるように移動した。

こんな嫌がらせじみた真似をするのは、奴しかいない。何しろ奴は、2000年に渡って人間に嫌がらせをし続けた、陰湿な男(?)なのだから。

駅構内を出て、あたりに人気がないことを確かめると、ルドガーはどうにもならない感情を空にぶつけるように叫んだ。

 

「───クロノォォォォォォォォォォス!!」

 

…この時、ルドガーは知る由もなかった。

怒りに叫ぶその姿を陰から見つめる、1人の少女の存在に。

 

「………………」

 

 

 

4.

 

 

 

 

悩んでいても仕方ない。こういう時にまず必要なのは、食事と寝床の確保だ。日が暮れ始めている。早いところ目星をつけたおきたい。

かつて世界の命運をかけて、ミラ=マクスウェルと共に各地を冒険した経験のあるジュードなら野宿のいろはを知っていただろうが、生憎ルドガーの冒険は、野宿の必要に迫られるほど切羽詰まったものではなかった。

ひたすら借金を返す為に魔物狩りに勤しんだり、運び屋の真似事をしたり、分史世界を破壊しに行ったりしていたが、帰る家はあったし、宿に泊まる程度の持ち金は常に確保していた。

だが、今回は話が別だ。ルドガーは身ひとつであり、もし本当に異国だとしたら、ガルドという共通通貨が使えるかも怪しくなってきた。

ルドガーは駅のそばのベンチに腰かけ、財布の中を見る。ユリウスがルドガーの高校進学祝いにプレゼントしてくれた、黒革の財布だ。

一時期は中身より財布の方が高い、という悲惨な有様だったが、今は違う。一応、それなりに金はあるのだ。

…使えなければ、何の価値もない紙クズなのだが。ルドガーは自虐ぎみにそう思った。

 

にゃあ、と不意に足元から聞こえてきた鳴き声に、ルドガーはふと顔を上げる。先ほど助けた黒猫が、いつの間にかこんなところにまで来ていたのだ。

猫はルドガーの足にすり寄り、なつく様子を見せる。ああ、やはり猫は癒される。ルドガーは柔らかい笑顔を浮かべて、猫の頭を撫でてやった。

すると、んにゃ、と鳴くと猫は急にルドガーから離れ、どこかへ行こうとしてしまう。

ルドガーはその様子に少し戸惑うが、猫は立ち止まり、ルドガーの方をちら、と見てまたひと声鳴いてみせる。

 

ついて来い、というのか? ルドガーがベンチから立ち上がり歩み寄ると、猫は再び歩き始めた。

どうせやる事も何もないんだ。ルドガーは諦観に似た心境で、猫のあとについて行く事にした。

 

 

 

5.

 

 

 

それからどのくらい歩いただろうか。夕日も沈みかけ、電灯に明かりが灯り始める。こうしていると、夜のトリグラフを散歩しているみたいな気分になる。

猫は駅前から商店街らしきエリアを抜け、だんだんと人気のない方へ進んでいるようだった。

一体どこまで行くつもりなのだろうか。もしかしたら…この猫は特に理由もなく、ただ散歩しているだけではないのか。

考えてみればごく当たり前の事なのだが、ついつい何かしら期待を抱きたくなるのは貧乏ゆえにか。

にゃーん、と猫は甘い声を出して急に立ち止まる。

夕日の差し掛かる、河原沿いだった。その向かいからは、青いショートヘアをした少女が歩いてきている。

珍しい髪色だ、とルドガーは、自身が白髪に黒のメッシュというわりと変わった髪型をしていることも忘れ、そう感じた。

…この猫はもしかして、飼い主を探して歩いていたのだろうか。だとしたら自分は何のためについて来たのだろうか…思わずルドガーは、ため息をつきたくなったが、なんとか堪えた。

少女もまた、猫を見てかすかに微笑んでいた。見た感じ、エリーゼよりも少し年上のように思える。

 

「あの、もしかしてこの猫の?」

飼い主ですか、とルドガーは尋ねる。

「へ? あ、あたし? いや、違いますけど…お兄さんのじゃないんですか?」

 

…どうやら青髪の少女は、たまたま通りがかっただけらしい。

 

「ああ、ただ結構人懐っこいみたいで…飼い主がいると思うんだけど」

「へえ、そうなんですか。可愛い猫ですねぇ〜この仔」少女は猫に手を伸ばし、額を撫でてやる。

猫はくすぐったそうに、それでいて嬉しそうにはにかむ。なんとなく、レイアに初めて会った時の事を思い出した。

その微笑ましい様子に、ルドガーは表情を柔らかくした。

 

───その時だ。不意に、背筋がぞくり、と震える。

この感覚は、何度も味わっている。本能が告げるままに、ルドガーは辺りを警戒する。

異変はすぐに訪れた。空が、周囲の景色が、塗り替えられていく。

 

「えっ!? な、なに!? なんなのこれ!?」

「…………………」

 

少女はその異変に慄きを隠せないでいる。一方ルドガーは、その変異を静かに観察する。

そうしている内に、ルドガーと少女はいつの間にか、博物館のような空間の中にたたずんでいた。

 

「あたしたち、さっきまで外にいたよね…!?」

 

少女は訳がわからないといった風に周りをきょろきょろと見渡す。黒猫も、毛を逆立てて警戒している。しかしルドガーには、この感覚に心当たりがあった。

それは、骸殻を持つものの、最後に行き着く姿。世界の写し身と化し、呪いを振りまく存在。

 

時歪の因子(タイムファクター)の反応…そんな、どうして!?」

 

それも、かなり近い。

突如として周囲に、絵の具を乱雑に塗りたくったような色をした、大きな人形のような化け物が何体も現れる。

リーゼ・マクシアでたびたび見られた、ジェントルマンという種族の魔物に似ている気がする。ここは、魔物の棲家なのか?

あいつらは、集団でリンチをかけるように攻撃してくる。ならば立ち止まるのは危険だ。追い詰められれば、逃げられない。

 

「逃げるぞ! ええと…」

「み、美樹さやかです!」

「ルドガーだ! さやか、離れるなよ!」

「へっ、あ…きゃっ!」

 

ルドガーはさやかの手を取り、魔物のいない方へと駆け出した。にゃ! と鳴いて黒猫もあとに続く。その刹那、魔物たちは口から数発の光弾をこちらへ放ってきた。着弾点から、炎が舞う。やはり、自分たちを狙っている。

走りながら、なにか武器になるものはないか、目を配らせる。以前所持していた双剣、拳銃、槌は、今は手元にはない。

最悪、骸殻を纏って応戦するしかないが、ビズリーとの戦いの中で、ルドガーの骸殻は最終形態へと進化したものの、時歪の因子化の危険も極度に高まっていた。

せめて、さやかだけでも救えれば…とルドガーは考えながら、奥へと進んでいく。逃げ道はない。ここが分史世界だとすれば、時歪の因子を叩かなければ、帰れない。

突き当たりを左に曲がると、魔物が2、3体おり、その奥に扉が見えた。時歪の因子の反応は、その先からする。あの程度の数なら、武器なしでもなんとかなるだろう。

 

「さやか、ここで待っていてくれ」

「えっ!? ル、ルドガーさんは!?」

「あいつらを始末してくる。じっとしててくれ」

 

アローサルオーブを起動させ、戦闘態勢に入る。目にも止まらぬ速さで懐に入り込み、もう何度となく目にして覚えていた、ジュードの姿を真似た体術を仕掛ける。

高速で足を振り抜き、魔物を引き寄せるように攻撃する。空中に飛び上がり、拳に凍気を纏わせて打ち下ろす。そのまま、地面を強く殴りつけ、衝撃波を起こした。

 

「衝破、魔神拳ッ!」

 

ジュードのものに比べるとはるかに弱いが、魔物を倒す威力くらいはあったようだ。それとも、この魔物たちがさほど強くなかったのか。

ともかく魔物たちは衝撃波を受けて倒れると、溶けるように地面に消えた。

 

「………はぁ、はぁ…なんとか、なったな…さやか! もう大丈夫だぞ」

「あ…は、はいっ!」

 

そんなルドガーの姿に、さやかは見惚れていた。わずか数秒で魔物を倒してしまったルドガーが、非常に頼もしく見えたのだ。

にゃー! と黒猫もさやかと同じ事を思ったようだ。

さやかがそばへ駆け寄ると、ルドガーは扉を開き、次のエリアへと進んで行った。

 

 

 

6.

 

 

 

 

扉を抜けると、またも景色ががらりと変わる。なんとも気味が悪い色が空一面に広がる、岩場のような場所。ルドガーたちの目前には、これ見よがしに巨大な門のようなオブジェがそびえ立つ。当たり前だが、時歪の因子反応はそのオブジェから出ている。

 

「仕方ない、か」

 

時歪の因子は、骸殻でなければ破壊できない。使えばどうなるかわからないが、さやかをなんとか救い出さなければならない。

意を決して、ルドガーはポケットから懐中時計を取り出した。

…ただし、それはルドガー自身のものではなく、ユリウスのものだった。

 

「……しまった、時計はエルに…」

 

失念していた。あの時計は、ヴィクトルのものだ。ルドガーの時計はビズリーに壊され、代わりにヴィクトルの時計を使って変身したのだ。

そして別れの際、ヴィクトルの時計はエルに返した。

…果たして、この時計で変身できるだろうか?

答えは否、だった。ユリウスの時計はすでに時を刻む事をやめている。いくら念じても、変身はできなかった。

 

そうこうしているうちに、門がいきなり動き始める。もそもそと、それでいてなかなかに速い動きでこちらへ向かってくる。

あれは、門の姿をした魔物…いや、ギガントモンスターだろうか?

 

「逃げろさやか!!」

 

ルドガーは叫び、さやかを守るように門の進む道に立つ。さやかは恐怖に震えながら後ずさった。

万事休す、か? 骸殻はなくとも、せめて剣さえあれば戦えるのだが、今のルドガーは丸腰だ。

門のモンスターは、人形の魔物が放つものよりも大きな光弾をつくり、今にも放とうとしている。槌の黒匣(ジン)なしでやれるか、ルドガーは両手を前にかざし、

 

「インヴァイタブル!」

 

アローサルオーブの出力だけで、バリアを展開した。黒匣のサポート付きの出力ならばかなりの強度を誇るのだが、やはり防御力がそうとう落ちている。

 

「ぐあぁぁっ!」

 

放たれた光弾を受け止めることはできたものの、バリアは一撃で剥がれ、ルドガーは吹き飛ばされた。

 

「ルドガーさん!!」さやかが泣きながらルドガーのもとへ駆け寄る。門は2人との距離を徐々に縮めていき、ぐらり、と傾いた。そのまま押し潰すつもりだろう。

さやかにはルドガーを置いて逃げることなどできなかった。倒れかかる門の姿が、スローモーションで見える。

 

「あ…あっ、い…いやぁぁぁぁぁぁ!」

 

さやかの、悲痛な叫び声が響いた。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

ルドガーが、腹の底から唸り声を上げる。さやかを死なせてなるものか、その一念で立ち上がる。

ルドガーの周囲に無数の歯車が現れ、その手足に次々と取り付き、それらは鎧のようなカタチになる。黒い、ルドガーの背丈よりも長い槍が手元に備わる。これこそがクルスニクの一族に伝わりし呪い、骸殻の力だ。

 

「ジ・エンドォォ!」

 

ルドガーが叫ぶと前方の、門に対して黒い衝撃波が走る。今にも倒れてきそうだった門は、その衝撃波で逆に後ろへとよろけた。

 

「ルドガーさん!? そ、その姿は…!?」さやかが、震え声で訊いてくる。

 

(…ああ、確かエルが初めて骸殻を見た時も、怯えていたっけか。)

 

が、その問いには答えない。今は目の前の敵を倒すことが大事だ。

骸殻も何故かビズリー戦で発現したフル骸殻ではなく、手足を覆う程度のハーフ骸殻にまで弱体化しているが、戦うには十分だろう。

むしろこれで、時歪の因子化の危険性が低くなった、と考えればいい。

 

『グ、オオオオオオオオオ!!』

 

門の化け物が、咆哮を放つ。

時歪の因子に取り憑かれたものが人間や魔物だった場合、骸殻能力者が近づくと暴走する事が多々ある。今回も、その手合いだろう。

門の化け物はたちまち時歪の因子に蝕まれて黒色に染まり、先程までよりもさらに凶暴になった。

咆哮と同時に人形の巨人と、加えて怨霊のような魔物が無数に現れる。どうやらこの魔物どもは、門の化け物が呼び出しているようだ。

しかし、ルドガーは動じない。

 

「ヘクセンチア!!」

 

ルドガーは叫びながら槍で地面を穿つ。その範囲を中心として、真後ろにいるさやかに当たらないように、空から無数の黒い光弾を落とす。

黒い光弾はランダムに降り注ぎながらも、魔物の数を確実に減らした。

間髪入れずにルドガーは槍を門の化け物に投げ込む。その槍が門に突き刺さると、同じ槍をいくつも作り出し、次々と投擲し、突き刺す。

最後に大きめな槍をひとつ作り出し、目にも止まらぬ速さで飛び込み、直接穿つ。すべての槍のエネルギーを収束させ、一気に貫く。

 

「マター……デストラクトォォォ!」

 

数々の時歪の因子を破壊してきた、ルドガーの必殺の奥義だ。

 

『───ァァァァァァァ!!』

 

その一撃を受けた門の化け物は断末魔を上げ、ドォン! と大きな音を立てて倒れた。

ルドガーの槍の先端には、禍々しい色をした宝石のようなものが突き刺さっている。

 

(……なんだ、これは?)

 

しかしそれは、ルドガーの知らないものだった。時歪の因子の核とも違うし、カナンの道標でもない。門の化け物のコアである事には違いないが、どうにも砕けない。…この禍々しさは一体?

ともあれ、時歪の因子は討伐した。景色は次第に、もとの空間へと移り変わっていく。夕日は沈み、すっかり夜の帳が落ちていた。

 

「帰ってきた…? あたしたち、助かった…!?」

 

さやかが安堵した声を漏らす。ルドガーは骸殻を解いて、「ああ…無事か、さやか?」と優しく声をかけた。

 

「はいっ、なんとか……ルドガーさんのおかげです」

 

さやかは、ルドガーが異形の姿(とは言っても、手足だけだが)に変身した事などほとんど気にせず、純粋に感謝をした。

ルドガーはそんなさやかを不安にさせないよう、頭の中に湧いた疑念を隠したまま笑いかけた。

 

 

 

8.

 

 

 

 

「それじゃあ、あたしはここで。ありがとうございました!」

 

さやかを帰り道の途中まで送り、ルドガーは再び1人になった。

道中、ルドガーの国籍はどこなのか、日本へはどのくらいいるのか、化け物と戦った時の力はなんなのかなどの質問責めに遭ったが、まともに答えられるものなど全くもってありはしない。ほとんど言葉尻を濁すように、誤魔化した。

 

「そういえば、猫ちゃんはどこに行ったのかな…?」

 

そんなさやかの問いかけにすらも答えられなかった。ルドガーも気にしていたが、黒猫の姿がいつの間にか消えていたのだ。まさか、戦闘で…? と思ってしまうが、すぐにその思考を振り払う。

単にはぐれただけかも知れない。分史世界は壊した。無事ならば、ちゃんと正史世界に帰ってきてるはずだ。ルドガーはそう思う事にした。

 

さやかを見送り終わると、ルドガーはすっかり日の落ちた空を仰ぎ、ため息をつく。…幸い、今の時期はまだ暖かいほうだ。今日のところは野宿をするしかないだろう。食事も、一晩くらい抜いても死ぬわけではない。

貧乏ここに極まれり、だ。ルドガーは重い足取りで、寝泊まりするためにどこか適当な公園を探そうと、踵を返した。

ふと、思い出したようにルドガーはポケットから懐中時計を取り出す。

銀の意匠のものはユリウスの形見。そしてもう一つ、さっきまでは無かったはずの、金の意匠の時計を。金色の時計は、ルドガー本人のものだ。

ビズリーの談によれば、クルスニクの一族は、この世に生を受けると同時にこの懐中時計を持って産まれて来るという。

この時計は呪いの象徴なのだ。と同時に、戦うための力でもある。

なぜ壊されたはずの時計が再び手元に戻ったのか、ルドガー自身にもわからなかったが、さやかを救う事ができたのだ。偶然にしろ、感謝をしなければならない。

金の懐中時計は規則正しく時を刻む。この日本という地域の時間が、エレンピオスと同じ時間ならば、午後の7時を指している。

かち、かち、という秒針の音にルドガーは耳を傾ける。かつてユリウスにねだった時計が、こんな形で2つとも手元にある。なんとも

 

─────────

 

 

皮肉じみたものだ。

 

(…………えっ?)

 

 

ほんの一瞬だが、ルドガーは違和感を感じた。はっ、と気付いて時計を見る。秒針が、止まっていた。

周りを見渡すが、ここはもう時間的にも人通りがない。判断しづらいが、この感覚は一度味わっている。

そう…あの時だ。黒猫を助けた時と同じように、"時が止まっている"。

 

こつ、こつ、と小気味の良い靴音が背後から聞こえる。振り返るとそこには、いつの間にか消えていた黒猫を抱えた、長い黒髪の少女がいた。

 

「………やっぱり、動いている」

 

少女はぽつり、と呟いた。一方ルドガーは、少女から唯ならぬ力の強さを感じとった。素人ではない事だけはわかる。

 

「美樹さやかがあの魔女の結界に取り込まれるのは計算外だったけれど…助けてくれて、感謝しているわ。だけど、貴方は一体何者なの? どうして動けるの?」

「どうして…って、まさか、君が時間を…?」

「そうよ。私は時間停止の魔法を使っている。こうしている、今もね」

 

まさか、とルドガーは思う。さやかとさして年も変わらないような少女が、時間を止めているだなんて。この少女は、あのクロノスと同じ力を持っているのか?

少女は腕の中の猫を撫でながら、続ける。

 

「私は暁美ほむら………魔法少女よ。質問の答え次第では、貴方を始末するわ」

 

冷めた表情のなか、瞳に強い意思を宿して、彼女はルドガーにそう告げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話「疑うのはもう疲れたのよ」

1.

 

 

 

 

静けさの増した夜の川原沿いに立つ、2つの人影。凍りついたように止まった川の流れ。

風も吹かず、揺れることすらしない雑草たち。

星は夜空ごと切り抜かれたかの如く、瞬きすらしない。

左耳にイヤリングをした黒髪の少女、暁美ほむらと、父譲りの白髪に黒いメッシュを入れた男、ルドガー・ウィル・クルスニク。そして1匹の猫だけが時の流れから抜け出していた。

ルドガーは、ほむらの抱き抱えていた黒猫を見る。人懐っこいとは思っていたが、猫のほむらに対するなつき方は、さやかや自分に対してのそれとは違って見えた。

まるでそこが帰る場所かのように、猫はごろごろと喉を鳴らしてほむらに擦りつく。

ほむらはしかし、猫を抱えるのをやめ、地面に下ろす。猫がほむらの手から離れると、ぴたりと猫の動きが止まった。

 

「触ってるもの以外は止まるのか…!?」

 

ルドガーは昼間、今と全く同じ体験をしていた。とするならばあの時、時間を止めたのもクロノスではなく、ほむらなのだろう。あのタイミングで止めたとなると…猫を、助けようとしてか。

ほむらは言葉こそどこか刺々しいが…猫好きに悪い奴はいない。ユリウスの言葉を思い出し、ルドガーはほむらに対する警戒心を緩めた。

 

「俺は、ルドガー・ウィル・クルスニク。何者かって聞かれると…ちょっと、説明が長くなるかな…?」

「構わないわ。時間ならいくらでもあるし、貴方は謎が多すぎるもの」

「そうか、じゃあ…どこから話そうか」

 

この世界に至るまでの経緯は、とても語りきれたものではない。それこそ、エルと出会ったことが全ての始まりなのだから。

ルドガーは、ほむらが知りたがっている事が何かを考えた。

時間停止の影響を受けない理由…断言はできないが、これは説明できる。一番知りたがっていることはそれだろう。

 

「俺は、エレンピオスっていう所にいたんだ。…知ってるか?」

「いいえ、知らないわ。どこかしら?」

「………ここではないどこか、かな。もしかしたら、他の世界なのかも。俺も、この日本って所に飛ばされたのは、ついさっきなんだ」

「飛ばされた?」ほむらはルドガーの言い回しに、疑問符を浮かべた。

「たぶん…クロノスって奴に。俺はそのクロノスと戦って、なんとか勝つ事ができた。そして、審判の門…まあ、何でもひとつだけ願いを叶えてくれる、オリジンっていう奴がいる所まで辿り着いたんだ」

「そのクロノスというのは、何者なの? 確か、昼間もその名前を叫んでいたわね」

 

昼間の、見滝原駅での出来事を思い出す。こっちは必死になって尋ねているのに、駅員からはただの鳥好きだと思われ、呆れた目を向けられたことを。

そしてそのやり場のないショックを、どうせどこかで見ているに違いない性悪精霊にぶつけたことを。

あれを見られてたのか…ルドガーは少しだけ、ばつの悪い顔をした。

 

「…時空を司る大精霊。例えば、大怪我をしても時間を戻して、怪我をなかった事にできたりする」

「時間を……!?」

 

ほむらは強張った顔をし、左手に添えられた円盤のようなものに無意識のうちに右手で触れていた。そのわずかな動作をルドガーは見逃さなかった。

もしかしたら、あれがほむらの力の源なのかもしれない。ルドガーは一目でそう予想した。

 

「…そのクロノスって奴は2000年も昔に、俺たちクルスニクの一族に呪いをかけたんだ。俺はその呪いを終わらせるために、審判の門に行ったんだ。その呪いが、これだよ」そう言ってルドガーは、金の時計をほむらに見せた。

「時計…にしか見えないけれど。ただの時計ではないのでしょうね」

「ああ…これが、"骸殻"の呪いの証だ。欲深い人間に罰を与えたとかなんとか言っていたけど…クロノスからしたら、タチの悪いゲームみたいなものだったのかも知れない。

呪いが進むと、骸殻は時歪の因子(タイムファクター)となって、時計の持ち主を蝕んでいく。力を使い過ぎたりしても、呪いは進む」

「………気のせいかしら、どこかで聞いたような話ね。それで、呪いが進むとどうなるのかしら?」

 

なにか思うところがあったのだろうか。ほむらの表情が、さらに険しくなる。

 

「さっきみたいな事になる。時歪の因子は分史世界と呼ばれる、いわゆるパラレルワールドを作り出してしまうんだ。

その時点で、骸殻の持ち主は時歪の因子そのものになってしまう…死んだも同然、かな。

ただし、分史世界は負のエネルギーをもとに作られている。存在するだけで正史世界、つまりオリジナルの世界のエネルギーを少しずつ吸い取ってしまうんだ。だから、放っておくことができない。

時歪の因子は分史世界の中の、正史世界と最も異なっている存在に取り憑いて潜んでる。その時歪の因子を唯一破壊できるのが、この骸殻ってことさ。そもそも、骸殻がなければ分史世界に入ることすらできないんだから」

「いたちごっこね。貴方のその言い方だと、タイムファクターを破壊するために骸殻を使って、そうして新たなタイムファクターが生まれる。…そのクロノスという精霊には、きっと感情がないのでしょうね」

 

骸殻のシステムの話がほむらにちゃんと伝わるか心配だったが、しっかりと理解してくれているようで、安堵した。

 

「…かもしれないな。それで、何で時間が止まってても動けるのか、だけど…たぶん、俺の骸殻が特殊だからだと思う」

「特殊…? 骸殻は、全部が全部同じというわけではないのね」

「ああ。何万人かに1人の割合で生まれるらしいんだけど……クロノスの時空を操る精霊術を打ち消せる、"クルスニクの鍵"を持った能力者が。

クロノスの決めたルールがあまりに不公平だから、オリジンがハンデを与えた、って聞いた。たぶんその"クルスニクの鍵"の力のおかげで、動けるんだと思う」

 

 

…実のところ、ルドガーは自身が"鍵"の持ち主かどうかはわからなかった。

鍵の持ち主はあくまでエルであり、ルドガーはエルの時計をそうとも知らずに使っていたから、カナンの道標を分史世界から持ち帰ることができたに過ぎない。

ビズリーの話によるならば、ユリウスの母、コーネリアがかつての鍵の持ち主だったと聞くが、コーネリアとルドガーの間に血の繋がりはない。ユリウスとルドガーは、異母兄弟なのだ。

ただ、時空を操る力を無視できる心当たりが、それしかなかったからそう答えたに過ぎない。

でなければ、他にこの状況の説明がつかない。

 

「そう……では貴方は、審判の門に何を願ったのかしら?」ほむらの声色が、わずかにトーンダウンする。

「願い、か…最初は、俺の大切な相棒を助けてくれって願おうとした。

………エルっていうんだけどさ、もうほとんど身体が時歪の因子化していたんだ」

 

ほとんど、自分のせいだ。そうとも気付かずににエルの時計を使っていたから。せめて自分の時計を使っていたならば、結果はまた違ったかもしれない。

ルドガーは、時歪の因子に蝕まれたエルの痛々しい姿を思い浮かべる。

 

「オリジンの力で願いを叶えれば、エルを元に戻すことができた。けれどそうすると、分史世界を消すことができないんだ。

…審判の門の締め切りは、門にたどり着く前に分史世界の数が100万に達したとき。それ以降は門は閉ざされ、二度と開かれない。そういう"ゲーム"なんだ。そして分史世界は、あとひとつで100万に達するところだった。

100万なんて数、とても壊しきれるもんじゃない。クロノスの言い草だと100万以上は増えないみたいだったけど、たぶん正史世界の方が保たない。

クロノスにとっては正史世界なんて、その程度の存在だったんだよ。

だから俺はオリジンに、"分史世界をすべて消してくれ"と願った。…そうするしか、なかったんだ」

「………大事な相棒を、見捨てたの?」ほむらの視線が、ルドガーをさらに強く突き刺す。

「いいや、違うさ」と、ルドガーは首を横に振った。

「俺にとっては、自分の命よりもエルを失うことの方が怖かった。だから俺は…エルの代わりに、100万人目になったんだ」

「まさか………貴方、自分がタイムファクターに?」

「………100万人に達した時点で審判は終わり、時歪の因子は増えなくなる。クロノスは嫌な奴だけど嘘はつかない…と思う。エルの時歪の因子化は、解けた筈だ。今の俺には、確かめる方法はないけどね。

そして、死んだと思ってたらこの世界にいた。訳がわからないと思うけど…実のところ、この辺は俺にもよくわからない。どうしてこの世界に、願いの力で消した筈の時歪の因子があるのかもね」

「そう……そういうことだったのね」

 

ほむらは一度軽く目を瞑り、思いだす。自分の大切なものを。何を犠牲にしてでも、守り通したいものを。

───あの懐かしい、笑顔を。

 

「貴方も、あの娘と同じね。自分の願いを、命を、他人の為に使ってしまえる愚か者。

…けれど、私の守りたいものは……」

 

それ以上は、ほむらは語らなかった。

ほむらの左手の円盤が、カシャン、と音を立てる。

少し冷たい夜風が吹き抜け、川のせせらぎが聞こえ始める。世界が、再び時を刻み始めた。

愚か者、と評されたことをルドガーはむしろ、誇らしくさえ思えた。

それでもいいさ。大切なものを守ることができたんだから。ルドガーの脳裏には、エルの笑顔が浮かび上がっていた。

 

"ぐぅぅ〜〜……"

 

………ルドガーの腹の虫が、限界だと訴える音がする。この男は、いつも肝心なところでオチがつかないことで、かつての仲間うちでも定評があった。

 

「……………お腹、減ってるのね」

「うぅぅ………」

 

穴があったら入りたい。ルドガーはほむらの冷めた視線を感じながら、そう思った。

 

「うちに来るかしら。私の方からも、貴方に話しておきたいことが幾つかあるわ。それに、どうせ行くところなんてないのでしょう?」

「えっ、いいのか…?」

「簡単な食事くらいなら、出してあげるわ。…当然、妙な真似をしたら即刻殺すけれど」ほむらは言いながら、左手の円盤に手を伸ばし…その中から、小銃をちらつかせた。

一般人なら、このような少女が拳銃を所持しているのを見たら、とても普通のリアクションなどとれたものではない。

しかしエレンピオスでは、いやルドガーにとってはその限りではない。エリーゼという、かつてのルドガーの仲間は12、3程の年齢で戦っていたのだから。

故に、ほむらが銃を見せても取り乱す事はなかった。

 

「その………情けないけど、世話になるよ」

 

ルドガーは少し気まずそうに、ほむらの好意に甘える旨を伝えた。

 

 

 

2.

 

 

 

「お、お邪魔します」

 

 

ルドガーが連れて来られたのは、エレンピオスのマンションよりもだいぶ小規模な集合住宅。いわゆるアパートだ。

リーゼ・マクシアの街、シャン・ドゥやカン・バルクで似たような造りの建物を見た気がする。

【暁美】と書かれた表札のドアが開かれると、「…先に言っておくけど、日本の家は土足厳禁よ。靴は脱いでもらうわ」と、ほむらが釘を刺してきた。

「えっ、ああ。わかったよ」

 

危うく、ほむらの指摘がなければ土足で上がり込んでしまうところだった。黒猫はルドガーを待たずにさっさと入ってしまったが。

中の造りは、実に簡素なものだった。木枠でできたガラス戸に、木目のフローリング。部屋の中央にはやたら背の低い円卓…いわゆるちゃぶ台が置かれている。

幸い、冷蔵庫やテレビ、キッチンなどは多少小さいながらも、エレンピオスでも見たような造りだった。使い方も大差ないだろう。

それよりも目を惹かれたのは、ちゃぶ台の上に散りばめられた資料の類。いくつか写真が見受けられるが、中でも一番目を引いたのは逆さから釣られた、ドレスを着たような、顔の上半分がない人形のような"何か"の写真だった。

 

「これは……なんの写真なんだ?」

「"魔女"よ。貴方の言い方を借りるならば…"タイムファクター"かしらね」

「なんだって……!?」

 

ほむらは台所に立ち、やかんに湯を沸かしながら、振り向かずに答える。

 

「ワルプルギスの夜。今から約ひと月後にこの街にやって来る、超弩級の魔女。私は、このワルプルギスを殺す為に今まで戦ってきた」

「じゃあ、もしかして君も…?」骸殻か、もしくはそれに似た何かの力を持っているのか。ルドガーは訊く。

「そうね……私を含め、貴方の話に聞く骸殻と魔法少女は、よく似てると思ったわ」

 

そう言うとほむらはルドガーの方に向き直り、左手の円盤に手を

 

 

─────────

 

 

 

かざす。ガスコンロの音がぴたり、と止んだ。

 

「また、時間を止めたのか」

「ええ……盗み聴きされたくはないのよ、この話は」

 

ほむらは、ルドガーではない第3の"何か"を警戒しているようだった。クロノス…ではないか。クロノスならそもそも、時間停止の影響なんか受ける筈はない。

 

「ひとつ、約束してくれるかしら。これから話すことは、他の魔法少女たちには言わないで」

「何か、理由があるのか?」

「…中には、ショックで取り乱す娘がいるのよ。私たちは貴方と違って、肝心な事は何も知らされずに"契約"されられるの」

「……? わかったよ。他言無用、だな」

「そうしてくれると助かるわ。では始めに、魔法少女について、かしら」

 

ほむらがちゃぶ台のそばの座布団に腰を下ろしたのを見て、ルドガーも座り込んだ。

 

「魔法少女は、インキュベーターとの契約によって生み出される。なんでもひとつ願いを叶えてくれる代わりに、魔女と呼ばれる、絶望を撒き散らして人を死に至らせる存在と戦う宿命を背負うの」

「インキュベーター…孵卵器? 魔女って…このワルプルギスだけじゃあないのか」

「違うわ。魔女は…ここは、後で話すわ。魔法少女は契約の際に、この"ソウルジェム"を与えられるの」

ほむらは左手の甲に刻まれた、紫色をした菱形の痣を見せる。その痣は一瞬で、同じく紫色に光り輝く、金の縁取りに収められた宝石へと変化した。生命の鼓動を感じさせる、魅力的な色だ。

一瞬だけ見せると、ほむらはすぐにソウルジェムをもとの痣に納めた。

 

「契約すると、魂は身体から抜き出されてソウルジェムへと変換される。この身体は、抜け殻にされるのよ。当然、ソウルジェムの破壊は魔法少女の死を意味する」

「ぬ、抜け殻…!? そんな、なぜ!」

「その方が都合がいいから、だそうよ。ジェムさえ無事なら、身体は魔法で再生が効く。痛覚も遮断することができる。それが奴らの言い分ね。

…魔法少女たちには、この事実は話されない。やつは、こういう悪印象に繋がる話は、"訊かれなければ答えない"。

この事実を知っただけで、ジェムを絶望で染めてしまう娘もいたわ」

 

なんてことだ、とルドガーは思う。そのインキュベーターとやらは、人を人と思っていないんじゃないのか?

魔法少女なんて言い方をしても、これではただの、戦う為の駒じゃないか。ルドガーは憤りを覚えていく。

 

「ソウルジェムは、魔法を使うたびに黒く濁る。それだけじゃなく、心に負の感情を溜め込んでも濁るわ。そうして完全に濁り切ったとき…ソウルジェムは"グリーフシード"へと変化する。

貴方があの芸術家の魔女を倒したときに手に入れた、あれよ」

「…っ!」

 

ルドガーはポケットから時歪の因子…だと思っていたものを取り出し、ちゃぶ台に置く。グリーフシードは何もしていないのに、駒のようにひとりでにピン、と直立した。

 

「あれは時歪の因子じゃなかったのか…じゃあ、あれは一体? 魔女って、何なんだ?」

「……魔女は、魔法少女の成れの果てよ。希望を以って生まれた魔法少女は、やがて絶望を振りまく魔女となる。

魔女は固有の結界…言い方を真似るなら、分史世界。それを造り、その中に獲物を引きずりこむの。普通は取り込まれたら命はないわ。

当然、インキュベーターはそんなコトは教えない。いつか化け物になるなんて言われたら、願いを叶えると言われても契約なんて、"普通は"する訳がないもの。

そもそも奴らの目的は、魔女を増やすことにある。魔法少女が魔女へと堕ちるとき…希望が絶望へと転移する時に発生する感情エネルギー…奴らは、それが欲しいのよ。

あいつらインキュベーターには感情がないから、代わりに私たち人間をエサに仕立ててるのよ。

魔女をタイムファクターだと思うのも無理はないわ。どちらも、よく似ていると思わないかしら?」

 

ほむらは無機質な声で、事実を突きつける。孵卵器とはそういう意味か。魔法少女は、魔女の卵なのだ。ルドガーはひとつ、納得する。

 

「そしてこのグリーフシードは、ソウルジェムの穢れを取り除くことができる。私たち魔法少女が長く生きるためには、グリーフシードが必要不可欠なのよ。

…いつかは限界が訪れるけれど」

「そんな…じゃあ君も、いつかは!?」

「ええ、いずれ魔女になる運命を背負っていると言えるわ…だけど、その心配は無用よルドガー。私は目的を果たすまでは絶望したりなんかしない。

それに、目的を果たしたら"これ"を砕くつもりよ。貴方や、他の魔法少女たちの手を煩わせる事はしないわ」

 

まるでいたちごっこね、というほむらの言葉を思い返すルドガー。

ほむらが骸殻のシステムの話を素直に聞いてくれたのは、自分がまさに同じ目に遭っていたからなのだと、気付かされたのだ。

 

「どうして…この話を俺に?」ルドガーは、恐る恐るほむらに訊く。

「………疑うのは、もう疲れたのよ。今まで、誰も私の話を信じてくれなかった。助けたかったのに、助けられなかった。そのうちに誰も信じられなくなった。私にはあの娘さえいてくれれば構わない。そういう風に言い聞かせてたわ。けれど…それでは結局あの娘を救う事ができなかった。私は、その為だけに魔法少女になったのに。

それに…貴方と話してると、どうしてかしら。牙を抜かれたような気分になるのよ。つい、口が過ぎてしまったと自分でも思ってるわ」

 

ほむらの円盤が音を立てる。時間停止が解ける合図だ。

 

「改めてお願いするわルドガー。貴方の力を

、私に貸して欲しい。ワルプルギスの夜を越え、あの娘を救う為に」

 

ほむらはそう言って、ルドガーに頭を下げた。

そこまでしてほむらの守りたいものは何なのか。…そんな事は訊くまでもなかった。きっと自分にとっての、エルのような存在なのだろう。

 

「顔を上げてくれ、ほむら。どこまでやれるかわからないけれど…俺でよければ、いくらでも協力するよ」

 

ルドガーは優しい声で、ほむらにそう答えた。

 

 

 

3.

 

 

 

 

ふと、気づいた事がある。

ルドガーが現在食しているのは、ほむらから渡されたインスタント食料品。熱々のお湯を線まで注ぎ、3分間待つだけで完成する、いわゆるカップ麺(みそ味)だった。

対角線上に座るほむらはというと、黄色い箱に入った、かすかにフルーツの香りがする細長いブロック状のビスケットのようなものを食べていた。

流石に食事の時は邪魔になるのか、魔法少女への変身を解いて、普段着のような格好へと変わっている。円盤も、一緒に片付けたようだ。

 

「まさか…食事ってそれだけか?」

「ええ。おかわりが欲しければ言ってちょうだい」

「俺はいい! 俺が言ってるのはほむら、君のことだ! …もしかして、毎日そればっかり食べてるのか?」

「ええ。食事を楽しむ必要なんて、私にはないから。栄養価は問題ないし…魔法少女はそんなにヤワじゃないわ」

 

その体格で言われても説得力がないぞ! ルドガーは喉まで出かかった言葉を、なんとか抑えた。

ほむらの体格は、恐らく同年代であろう美樹さやかと比較してもやせ細り、女性らしい凹凸が見受けられない。

…馬鹿にしてるつもりではない。ルドガーは、ほむらの健康状態が本当に心配になったのだ。

 

「…問題ないと言っているでしょう? 美樹さやかと比べられるのも不本意だわ。そんなに言うなら…貴方が食事を作ってくれるのかしら?」

 

ほむらは皮肉を込めて、ルドガーに言う。客人にカップ麺を出したり、料理を要求したりと、ほむらにはそこら辺の常識が欠落していた。

ルドガーは慣れない箸で麺を啜りながら、答える。

 

「そのくらいお安い御用さ。これでも、料理は得意なんだ」

「あら、意外ね」ほむらは2つ目の黄色い箱の封をあける。ココアのような色をした細長いビスケットを、口に含んだ。

「それなら、食費を少し貴方に預けようかしら。どうせ私が持っていても、カロリーメイトしか買わないもの」

「ん…? 待ってくれほむら、それはどういう意味で」

「暫くうちにいるとなるなら、いつまでもカップ麺を食べさせるわけにもいかないもの。ついでに、エイミーの世話もしてくれると助かるわ。

どうせ、行くところなんてないんでしょう。お金もないと見たわ。大方、エレンピオスの通貨も、この世界ではただの紙屑なのでしょう?」

 

エイミーとは、ほむらの連れてきた黒猫の名前だ。彼は今、ちゃぶ台の足元でキャットフードの缶を頬張っている。

ルドガーの金銭状況は、ほむらに完璧に見抜かれていた。

 

「面目ない……」とルドガーは呟く。

「構わないわ。以前も、ホームレス同然の魔法少女を住まわせたことがあるもの。ある程度は慣れているつもりよ。しばらく居ていいから、その間に適当なバイトでも探しなさい」

 

完全に、ルドガーの立場がなかった。

猫缶をたいらげたエイミーがにゃあ、と鳴いてほむらの膝もとに擦り寄る。

 

「…そういえばこのエイミーって、ほむらの猫だったんだな」ルドガーは話の矛先をうまく変えようと、猫の話を振る。

「いいえ、違うわ。今回は気まぐれで拾ってあげたけれど…本来は野良猫よ」

「ん…?」

 

今回は、という言い回しに、ルドガーは軽い違和感を覚えた。

 

「その仔の名付け親はまどかよ。あの時、事故から助けてあげたでしょう。本当は、エイミーはそこで死ぬはずだった。

そして、まどかはエイミーを生き返らせる為に契約してしまう。エイミーを助けることで、それを防ぐことができるのよ」

「…まどか、って?」

「私の、大切な人よ。貴方にとってのエル、かしらね。私は、まどかを救うという願いの為だけに魔法少女になったの」

「! ………そういうことか、それで君は時間を操れるのか」

 

ほむらの、まるで未来を見てきたかのような発言。"救えなかった"とか、"今回は"などの言い回し。加えて、クロノスが時間を操るという話をしたときの反応。

時間操作という大術は、ほむらの願いによって生まれた力なのだろう。そしてほむらは恐らく…1度この時間をやり直している。

"タイム・エセンティア"。時間を巻き戻して受けた傷を無かったことにする、反則的なクロノスの精霊術。ルドガーは一度それを目の当たりにしているからこそ、その考えに至ることができたのだ。

魔法少女とは、そんな強大な力を持つ存在なのか。それとも…ほむらの願いは、それだけ大きな力をもたらす、強い想いだったのか。

今のルドガーには、まだそこまで推し量ることはできない。

 

「理解が早くて助かるわね。さすがは同じ穴のムジナ、といったところかしら。

…貴方が本当に協力してくれるというのなら、早速頼みたいことがあるのよ」

 

言うとほむらは、魔女に関する資料から、一枚の写真を抜き出し、ルドガーに見せた。

金髪に巻き髪の、さやかと同じ服を着た可憐な少女の写真だ。

 

「これが…まどかか?」

「いいえ、その娘は巴マミ。昔から見滝原にいる魔法少女よ」

「仲間なのか?」

「いいえ、恐らく彼女は味方にはなってはくれないわ。私と彼女では、スタンスが違いすぎるもの。彼女はあくまで魔法少女として、"正義のヒーロー"をやっているのよ」

「つまり…このマミは魔法少女の真実を何も知らないのか?」

 

ルドガーはカップ麺のスープを一滴残さず飲み干し、ゴミ箱に捨てに立つ。

 

「ええ。それに、今までヒーローをやってきたけれど…実は、同族殺しをしていました、なんて言われたらどう思うかしら?

彼女の精神はそれを受け入れられるほど強くないわ。知ったその場で魔女化する可能性もある。

…だから貴方には、うまく動いて欲しいのよ」

 

なるほど、と思う。ルドガーのように、分史世界を壊すということが何を意味するのか…写し身とはいえ、その世界に住む何億もの命を奪うことだと覚悟した上でやるのならば別だ。

そのルドガーでさえ、時には悪夢に魘されたことがあるのだ。だがこの巴マミは、それを知らずにやっていると聞く。…確かに、真実を知った時のショックは計り知れないだろう。

 

「何もメンタルケアをしろ、と頼む訳ではないわ。マミは共に戦える仲間を欲しがっている。だから、まどかと美樹さやかを魔法少女にしようと勧めてくるのよ…それが、どういう意味なのかも知らずに。

とりあえずは…まどかとさやかが契約しないように、マミの動向に気をつけるつもりよ。

詳しい事は、また明日にしましょう」

 

ほむらは自分の食べた食料と、エイミーの猫缶を集め、指定のゴミ箱に入れる。

ちなみにルドガーがゴミ箱の蓋を開けた時には、中には黄色い箱がいくつも放り込まれていた。

これは捨て置けない事態だ、とルドガーは別の使命感を抱き始める。なんとか、ほむらにちゃんとした食生活をさせないと。

 

「布団を用意しておくわ。その間にシャワーを済ませてくれるかしら。あと…悪いけど、うちは男物の服なんて置いてないの。明日用立てるから、今日は我慢してちょうだい」

「ここまでしてもらって、贅沢は言わないよ」

 

それ以上気を遣われると、年上としての面目が立たなくなる。ルドガーは今更ながら、謙遜をした。

…異世界に飛ばされ、そこで約ひとまわり年下の少女に、衣食住の世話になる。その時点で既に面目などありもしないことを、ルドガーは忘れていたのだった。

 

 

 

4.

 

 

 

ルドガー・ウィル・クルスニクの朝は早い。

分史世界対策室長としてクランスピア社に勤めていた兄、ユリウスの為に朝食を作り、家事を受け持ち、クランスピア社のエージェントになる為に身体を鍛える。それが今までの日課だった。

入社試験に落ち(正確には落ちるよう仕組まれたのだが)、列車事故に巻き込まれ、多額の借金を背負い、得体の知れない仕事を始めても、染み付いた朝型人間のスタイルは抜けることはなかった。

布団を借りてちゃぶ台の横で眠りに就いたルドガーは、カーテンの隙間から射すかすかな朝日を浴びて、目を覚ます。

既に食材の目星はつけてあるし、台所の使用許可も取った。字は相変わらず読めないが、中身はほむらに訊いた。

ほむらの家には、なんだかんだで保存の効く食材がけっこうあるのだ。本人が無精してカロリーメイトしか食べないだけであって。

冒険している時は鍛錬の為にと、サイダー飯やクリーム牛丼なる奇天烈な食事ばかりを、仲間たちと摂っていた気もしなくはないが。

ルドガーはホールのトマト缶をひとつ手に取り、台所に立った。

 

 

それから数分して、ガラス戸の向こうから寝間着のほむらがやってくる。台所を通り抜け、洗面台へと向かうのだ。

 

「ふぁ…ルドガー…よければ、コーヒーを淹れてくれないかしら。粉なら引き出しの中にあるわ…」

 

非常に眠そうな顔で、ほむらはルドガーに要求する。どうやらほむらは、朝が苦手なようだった。

 

「ミルクと砂糖は?」

「いらないわ…」

「意外だな、ブラックか」

「ええ…甘いものは苦手なのよ…」

 

あの黄色い箱のビスケットは甘くないのか、ほむらよ。言いかけたが、ルドガーはまたも言葉を飲み込んだ。

 

 

 

ほむらが顔を洗って帰ってくる頃には、ちゃぶ台の上に料理が並んでいた。ルドガーの得意料理のひとつ、トマトソースパスタと、ブラックコーヒーだ。恐らく少食だろうと予想し、ほむらの分は少し小さめな皿に盛り付けてある。

 

「いい匂いね……これを、貴方が?」

「ああ。温かいうちに、食べてくれ」

 

2人はちゃぶ台の前に腰を下ろし、どちらともなくフォークを運び始めた。

 

「…………美味しいわね。まともな食事なんて、何年ぶりかしら」ほむらは、ぽつりと呟きを洩らした。

「そんなに…あのビスケットばかり食べ続けていたのか? 身体壊すぞ?」

「私は料理ができないのよ。…今後も、貴方が作ってくれれば、それは解消できると思うのだけど?」

 

ここにきて、初めてほむらは意地の悪そうな笑顔をニヤリ、とルドガーに見せた。

 

(なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないか、この娘は)

 

ようやく、この世界で何をするかが決まったように思える。ほむらと協力し、呪いをこれ以上増やさないようにする。

そして…ほむらに健康的な食生活を取り戻させるんだ。

ルドガーは内心で、そう固く誓ったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話「もしそうだったら…嬉しいな」

1.

 

 

 

 

 

『Ahahahahaha───ha、khahahahahahahaha!』

 

 

 

吹きすさぶ嵐に、飛び交う瓦礫。空は暗雲に満ち、絶望の色を思わせる。そこには破壊と絶望を撒き散らし、"救済"を求めてさまよう舞台装置が佇む。

その歯車の性質は"無力"。何度立ち向かおうと、何度繰り返そうと、何の意味もないのだと、むざむざと知らしめる。

焔の名を冠する少女の心は、まもなく漆黒に堕ちようとしていた。

 

(そんな彼女を、"私"は放っておけなかった。)

 

何の取り柄もない自分だけれど、あの悪魔と契約すれば、どんな願いも叶えられる。悪魔は、世界を変える力が、その手にあると囁くのだ。

確かに彼女にはその資質があった。そういう風に、彼女は"育てられた"のだ。

 

(この願いが叶うなら、彼女はもう戦わなくてすむ。…繰り返さなくてすむんだ。私だけが、彼女を救えるんだ。)

 

だから"彼女"は願った。全ての絶望を、その手で消し去ることを。

代償として、"彼女"という存在は、世界中…いや、宇宙中から喪失する。誰からも忘れ去られ、絶望を滅ぼす概念として、死ぬこともできずに永遠の孤独を彷徨い続けるのだ。

 

 

だがその願いを、救済を、あの少女は拒んだ。時を操る盾から拳銃を抜き、紫の宝石が埋め込まれた自身の左手にあてる。

その宝石には、少女の"魂"が宿っていた。

 

『貴女がその願いを叶えるというのなら…私には、もう生きている意味はないわ。

…貴女のいない世界でなんて、生きていたくなんかない』

 

どうして、そんなことを言うのか。私の為に、なぜそこまで言えるのか。

私は、こうすることでしかあなたを救えないのに、と彼女は問う。

 

『ええ、教えてあげるわ。…あなたを、愛しているからよ』

 

これ以上ないくらいに優しい笑顔を見せ、ぐい、と彼女の身体を抱き寄せて少女は答える。

何度も繰り返すうちに生まれた…あるいは、初めて出会った時から生まれていた、歪んだ感情を。

希望よりも熱く、絶望よりも深い感情を、彼女の唇に落とした。

 

『んっ……………大好きよ、◆◆◆。貴女に出逢えて、私は本当に幸せだった』

 

 

───さようなら、と。

 

撃鉄の音が響く。命を宿した宝石は、粉々に砕け散る。少女の願いは叶わないまま、その輝きを散らした。

 

(いやだ。こんなのは、いや。いやだよ。助けて。彼女を助けて。神様でも悪魔でもいい。彼女を、助けてください───)

 

そうして、世界は"救済"される。

 

───少女は、朝の夢を見る。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

ジリリリリリ、と目覚まし時計が忙しなく鳴り響く。愛用の抱き枕を抱え、桃色の髪をした少女…鹿目 まどかは夢から目覚めた。

 

「また…あの夢…」

 

ここ数日の間、まどかは同じような内容の夢ばかりを見ていた。名前も知らない、美しい少女が傷つき、嵐に吹かれながら、孤独に、逆さ吊りの化け物と戦う夢。

その少女はテレビのヒーローさながらに、数々の武器を持って化け物に立ち向かう。時折、瞬間移動を交え、機関銃やロケットランチャーを片手に、何度も攻撃を加える。

けれど、何度撃っても化け物は身じろぎひとつしない。そうしているうちに化け物は突風を起こし、少女を吹き飛ばし……いつも夢はそこで覚める。

しかし、今回だけは少し違った。泣きそうな笑顔で少女はまどかに愛の言葉を囁き……そこで、夢は途切れる。

 

「…うう、なんか胸がどきどきするよ…あの娘、誰なんだろう…?」

 

まだ微熱が残る(ような気がする)唇を押さえて、布団にくるまる。

 

「そ、それに私のこと愛してるって……うぅぅぅ…私、女の子なのに…?」

 

考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。

まどかはそのうち、どうせ夢なのだからと考えるのをやめ、ベッドから出た。

 

「……でもあの娘、すごく寂しそうだった。なんでだろ…」もし本当に出逢えたのならば、その時は仲良くしてあげよう、とまどかは思う。

本当に出逢えるかどうかなんて、わかりもしないのに。

 

 

まどかの一日は、家庭菜園に水をやる父、知久にあいさつをし、低血圧で朝の弱い母、詢子を起こすことから始まる。ここ最近は、3歳になる弟のタツヤが詢子のベッドに先行している事が多いが、それで素直に起きることは少ない。今朝もまた、例外ではなかった。

 

「まぁまー、あさー、あぁさー!」

「うぅ〜…あと5分…5分だけぇ…」

 

バンッ! と力強く寝室のドアが開く。まどかはまずカーテンをめいっぱい開け、朝日を部屋の中にいれる。そして、

 

「おっきろ───!!」

 

と叫びながら詢子のかけている布団を、思い切りよく剥ぎ取った。

 

「うひゃあぁっ!? ま、眩しいぃぃぃ!?」詢子はベッドの上で朝の光をふんだんに受けて、のたまう。

「ほぉら、着替えて、顔洗って! パパが待ってるよ!」

 

これでは、どっちが子供かわかったものではない。しかし、そんな厭味なことなど微塵も考えもしないのが、まどかの美点のひとつでもあった。

 

寝起きでぼうっとした頭のまま詢子はスーツに着替え、ふらふらと洗面所に向かう。まどかは先に見滝原中学の制服に着替えて、歯を磨いていた。

詢子は冷水で顔を洗い、頭のスイッチを切り替えると、同じく歯ブラシを手にとる。

 

「まどか、最近どんな感じよ?」

「えっとね…仁美ちゃんが、また下駄箱にラブレター入ってたって。もう今月だけで2通目だっけ?」

「はっ、手渡しする根性もねえようじゃあ駄目だねぇ。和子は?」

「先生、今回はまだ続いてるみたいだよ。3か月くらいかな? もう毎朝ホームルームでものろけっぱなしだよ」

 

歯磨きを終え、詢子は愛用のメイクセットを順番にあてていく。すっかり慣れた手つきは、流れるように見える。

遅れてうがいを終えたまどかは、やや癖のある髪にヘアブラシを通し始めた。

 

「どうだかね、それくらいの時期が一番危ういのさ。まあ、乗り切ればあと1年くらいは保つだろうけどね」

「そうなの?」

「そんなもんさ。あんたも、恋人ができればわかるよ」

「恋人、かあ……できるのかな、私にも?」

 

まどかは、その朗らかな見た目とは裏腹に、自分に自信をあまり持っていない娘だった。

温和な雰囲気のお嬢様で、男子にモテる志筑仁美と、自分とは対照的に、気さくで明るさが取り柄の美樹さやかという幼馴染を持っているが、時たま自分が浮いているように見えてしまう事もある。まして、恋人なんて想像もできない。

 

(だって、私には何の取り柄もないもの)

 

言葉にせずとも、まどかがそう思ったのは1度や2度じゃない。

自然と、いつか誰かの役に立ちたい、必要とされたい、と漠然とした深層心理を抱くようになっていた。

…多感な年頃の娘にはありがちと言えば、それまでだが。

 

「できるさ。いつか、あんたを一生守ってくれるような、素敵なやつが現れるよ。私の娘なんだ、もっと自信持て」

「一生…かぁ…」

 

まどかは詢子の言葉を受け、なぜか今朝の夢の少女を思い出す。真っ直ぐで、それでいて壊れそうな、熱のこもった感情をぶつけられたことを。

その感情は、いささか純情なまどかには刺激が強すぎたようだが。

 

(はわ、わわわわわ! なんで、どうしてそこであの娘が出てくるの!)

 

顔が熱くなるのがわかる。詢子に気取られないように、そっぽを向くように顔を背ける。

しかし、そこは母親。そんなまどかの様子を詢子は見抜いていた。

 

「ほほーう…? その様子だと、アタリがあるみたいだねぇ? あんたも知久に似てオクテな感じがしてたけど、スミに置けないねえ?」

「ち、違うってばぁ! 第一、私告白したこともされたこともないもん!」と言いながら、夢はノーカウントだもん、とまどかは考える。

 

「えっ? 好きな男子とか、いないのか?」

「そういうの、まだよくわからないよ…」

「はっはっは、そりゃあいい! 焦んな焦んな、そのうちあんたにも好きな男のひとりやふたりくらいできるさ」

 

詢子はけらけらと笑いながら、メイクセットの蓋を閉じ、パン! と自分の顔を軽くはたく。ものの数分で、詢子はあの朝の弱さが嘘のように、キャリアウーマンの風貌に変わっていた。

まどかも髪の手入れを終えて、真っ赤なリボンで髪をふたつ結いにまとめ始める。

 

「んー? 珍しく派手な色じゃないか。どうしたんだい、それ」

「これ? 友達にもらったんだ。私によく似合うから、って」

「へぇー、その"トモダチ"、見る目あるじゃないかい?」詢子が、意地の悪い笑みを向ける。"トモダチ"の言い方に、何か含みがあるのを、まどかは感じていた。

 

「……ち、違うよ!? ほんとに、ただの友達なんだからね!?」と、まどかは言い訳をするように、詢子に抗議する。

「いいじゃないか。いいかいまどか、女は外見でナメられたら終わりだよ」

「そうなの? でも、私まだ子供だもん。そういうのは、早い気がするんだけど…」

「そんな事はないさ。その"オトモダチ"だって、そう思ってるんじゃないのか?」

「し、知らないもん!」

 

まどかはリボンを結び終えると、逃げるように食卓へと向かって行った。クスクス、と詢子の笑い声が聞こえる。もう! とまどかは頬を膨らませた。

 

(そういえば…)

 

ふと、まどかは記憶を辿る。

 

(このリボンをくれた娘、誰だったっけ…?)

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

広がる鮮やかな木々の間に囲まれたような、一本の道を小走りで駆けてゆくまどか。

朝のやりとりで予想よりも時間を食ったため、トーストをかじりながら走るという、少々行儀の悪い真似をせざるを得なくなってしまったのだ。

そのトーストもまもなく食べ終わる頃、前方に美樹さやかと志筑仁美の姿が見えた。

 

「さやかちゃーん、仁美ちゃーん! おはよー!」

「おっすまどか。遅いぞー?」

「おはようございます。…あら、そのリボン?」

 

新緑に似た色をし、すこし癖のある髪の娘、仁美がまどかのリボンの変化に気づく。

それに倣うように青髪の少女、さやかも

「おっ、可愛いリボンじゃーん。どしたのそれ?」と訊く。

「これ? 前に友達にもらったやつなんだ。似合うから、っていうんだけど…やっぱり派手かなぁ…?」

「そんなことありませんわまどかさん、とっても素敵ですわ」

「ふーん、でもあたしそんなの知らなかったしなぁ…誰からもらったのさ? まさか……?」

 

さやかちゃんまでママみたいなことを……と、まどかは内心でため息をつく。しかし、それに答えることはできなかった。

 

(うーん、思い出せないなぁ……)

 

幼馴染であるさやかや、仁美が知らない友達って、誰だろう。まずはそこから考えていた。頭を悩ませ始めたまどかに対して、さやかはいきなり抱きつき…くすぐりを仕掛けた。

 

「うぇひぃっ!? さ、さやかちゃん!?」

「くぅ〜急に色気づきおってぇー! ひとりだけ抜け駆けしようだなんて許さんぞー! まどかはあたしの嫁になるのだぁー!」

「あひゃははは、ひゃめ、ひゃめてえええ!」

 

仁美はそんな2人のやりとりを、生温かい目で見守る。この組み合わせならではの、見慣れた光景だ。

ほどなくして、周囲の奇異の視線が集まり始める。それを気取った仁美が、軽く咳払いをして2人に注意を促した。

 

「…こほん、こほんっ。学校、遅れますわよ?」

「「あ、あはははは……」」視線に気付いた2人は(まどかに非はないのだが)、気まずそうに半笑いを浮かべる。

 

「お姉ちゃんたち、仲いいんだねー!」と、傍から少女の冷やかしの声がかけられる。フードを被っているが、珍しい白髪のロングヘアーをした、小学生くらいの女の子だった。

 

(………んー?)

 

その髪色に、さやかはつい数日前に出会った、同じく白髪の若い男を思い出す。化け物と戦い、さやかの命を救ってくれたヒーローのような男を。

だが、さやかはその話をここでする気はなかった。あんな得体の知れない体験、話したところで信じてくれるわけない。それを承知していたからだった。

対してまどかは「もぉ、さやかちゃんのせいだよ!」と、周囲の注目を浴びてしまったことにまた頬を膨らませる。

そんな、日常の1ページだった。

 

 

 

4.

 

 

 

 

市立見滝原中学校。モデルケースとしてG県に設立された近代都市、見滝原市内において、最初に建てられた中学校である。

その規模はまだ新しい公立校ながら、1学年だけで7クラス204人、1クラス平均30人を収められるスケールである。

全面強化ガラス張りの教室が良くも悪くも特に目立ち、ノートPCが学習机ひとつひとつに設けられる、極めて異色の学び舎だった。

そんな学校も、1年ほど通えば感覚が麻痺するのか、当たり前の光景になる。そう、例えばこんな光景も。

 

「───ですからッ! 女子のみなさんはくれぐれも醤油味の卵焼きなんか邪道だ、などと抜かす男とは交際しないように!

それと男子のみなさん、絶対に! 出された料理の味付けにケチをつけるような大人にならないコト!」

 

全員が着席し、チャイムの音とともにホームルームが開始されると、決まって担任の早乙女 和子の談話が始まる。

機嫌がいいとだいたい惚気話を繰り返し、何かしかの悶着があった時は必ずこうして、プラスとマイナスのベクトルが入れ替わったように、わけのわからない話をするのがお決まりだった。

さながら、これがティーンエイジャーだったならどこぞの宇宙人が歓びそうな光景だ。

 

ひとしきり話し終え、最後にビシィ! と教鞭をホワイトボードに打ち付ける和子。数秒押し黙ると和子は、

 

「おほん、それとですね。今日はうちのクラスに転校生がやってきまーす」と、何事もなかったかのように"スッキリ!"とした顔で告げた。

 

(普通そっちが先だろ───!?)

 

こいつはあれか、どこぞの炎の古代人のように激昂しかけると泣き叫んで心を落ち着かせるタイプなのか!? さやかは内心でそう叫んだ。

 

「じゃあ暁美さーん、入ってらっしゃーい!!」

 

和子がかなりの大声で言うと、どこからともなく少女が廊下を歩いてくる姿が壁越しに見えた。

全面ガラス張りの教室でサプライズを演出するために和子が、転校生を教室から見えない位置でわざわざ待機させていたのだ。

…その上であんな与太話をされ、余分に待たされたとあっては、転校生に軽く同情を覚える。

その姿を、まどかはガラス越しに見据える。艶めく黒髪に、黒いタイツを履き、黒いイヤリングをつけた、ミステリアスな雰囲気の美少女の姿にクラス中がざわめく。

しかし、まどかに限ってはその姿は、初めて見るものではなかった。

 

「うそ……!?」

 

ガラッ、と教室のドアが開き、その少女は教卓の傍に立った。

 

「───暁美、ほむらです。よろしくお願いします」

 

その姿は多少の差異こそあれど、まどかの夢にみた少女のものと同じだった。

ほむら、と名乗った少女は回れ右、をしてすらすら、とホワイトボードに名前を書いてゆく。

 

(あけみ…ほむら……ほむら、ちゃん…きれい…かっこいいなぁ………って、何を考えてるの私は!?)

(───ほぉーう?)

 

その様子を見ていたまどかは、さやかの目から見ても些か挙動不審であった。

 

「えっとですね、暁美さんは以前は東京のミッション系の学校に通ってらしたんですけど、ご両親のお仕事の関係で……」何も語らないほむらに代わって、和子が説明をする。

その説明を遮るかのように、ほむらはかつん、と音を立ててマーカーを置いて振り返る。

 

「………よろしくお願いします…っ」

「あ、暁美さん………?」

「………すみません、体調が優れないもので」

 

ほむらは頭を押さえ、教卓にもう一方の手をかける。"唇ばかり見ていた"まどかは、その色が青白く変化していることにいち早く気付いた。

血色が、悪いのだ。

「………席は、そこですか」ほむらは頭を押さえていた左手を離し、最前列の空席を指差す。

「え、ええ! 確か中沢くんの隣が空いてましたね! 暁美さんはそこに……きゃあっ!」

 

がたん、と突然ほむらの膝が折れかける。もはや立っているのも辛そうだ。

その顔色は、もとが白い肌であることを差し引いても危ない、と誰もが思うくらいに蒼白だった。

 

「ほむらちゃんっ!!」

 

無意識のうちに名前で呼び、まどかは駆け寄ってほむらの身体を支えてやる。呼吸が、若干荒い。

 

「だい…じょうぶ…だから…」ほむらは声を絞り出す。

「全然大丈夫だって思えないよ!!」まどかはほむらの肩を持ち、「保健室!」とひとこと叫ぶといそいそと廊下に向かった。しかし、まどかと比べると少し背の高いほむらを担いで歩くのは、簡単ではない。

「あたしも手伝うよ!」さやかもその様子を見て、駆け寄って反対の肩を持ってやる。

そうして、ほむら達は教室をあとにした。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

保健室の前にやって来るも、まだ保険医が出勤する時間には早く、鍵は閉じられていた。職員室に声を掛ける旨を記された札がドアにつけられている。

 

「私、鍵もらってくるよ!」

「頼んだ!」

 

保健委員であるまどかなら顔が利く。ほむらをさやかに託し、まどかは小走りで職員室へと向かった。

さやかは床をさっさっ、と手ではたき、そこにほむらの腰をおろす。

 

「しっかりしなよ転校生! 何か悪いものでも食べたの!?」

 

その言葉に、ほむらは思い出す。今朝の食事は同居人となったルドガーの作ったトーストとコーヒーだけだ。

というか、食あたりではない。そもそも魔法少女にそんなもの無縁だ。ほむらは原因こそわからないが、それだけは断言できた。むしろ原因は、他にある。

 

(…どうして。まどかの顔を見た途端、いきなり胸が苦しくなった。頭も痛いし、寒気もした。

………ああ、そうか。これは多分……)

 

罪悪感。まどかを救えなかったことだけではなく…まどかの"願い"を踏みにじってしまった事に対する、罪の重さだ。

ほむらは心のどこかで、まどかと向き合う事を恐れていたのだ。

それによって引き起こされた、パニック障害のようなものだろう、とほむらはアタリをつける。

 

(こんなことでは…グリーフシードがいくつあっても足りないわ…)

 

とりあえず後で、宿賃としてルドガーが自主的に差し出してきた、芸術家の魔女のシードを使おう、とほむらは考えた。

こんなところで"堕ちる"わけにはいかない。

ちゃんと、この"まどか"と向き合わなければ。今度こそ、守らなくては。

 

「世話を…かけるわね…美樹、さやか……」

「へっ?」

 

ふと、さやかは疑問に思った。

まださやかは、ほむらに対して名乗っていない。それにまどかもここに来るまでの間、さやかの名前は呼んでいない。

 

(あたしの事…知ってたのかな…? まあ、いいや。とりあえずはまどかを待たないと)

 

さやかは、なおも顔色の悪いほむらの顔を伺う。

美人だ、と素直に感じた。閉じられた二重まぶたに、長い睫毛。人形のように整った顔のパーツ。上質な絹を思わせる黒髪。

こぼれ出る甘い吐息。脂肪は少ないがすらっとしていて、頭身のバランスさえ無駄がない。

 

(………おいおい! 病人の女の子相手になにドキリとしてんのよあたしは。第一、あたしは恭介ひと筋だっての!)

 

同性すら惹きつける魅力が、彼女には備わっていた。

 

「さやかちゃーん! 今開けるよ!」鍵を受け取ってきたまどかが、保健室まで戻ってきた。

「転校生、立てる!?」さやかはほむらの肩に手を置き、確認する。

 

「…手を……貸してくれる…かしら…?」

「「うん!」」

 

再びほむらは2人に担がれ、保健室内まで運ばれた。

皺ひとつない真っ白なベッドの上にほむらは寝かされる。さやかはしわにならないようにほむらのブレザーを脱がしてやり、まどかは体温計をデスクから持ち出して、ケースから抜く。

 

「ほむらちゃん、とりあえず体温測るよ」

「ええ……ごめんなさい…」

 

ほむらは力のこもらない手で、シャツのボタンを3つ目まであける。まどかは体温計を差してやろうと、そのシャツをはだけさせた。

白く澄んだ肌が外気に触れる。どこか扇情的なその姿にまどかはかすかに息を呑むが、保健委員としての役割を果たさなくては、と頭を振る。

ひんやりとした体温計がほむらの脇にあてられると、一瞬、ぴくり、と反応した。

 

「あとは、1人で平気そう?」さやかが時計を見て、尋ねてきた。まもなくホームルームが終わり、1時限目が開始される時間だ。

「う…うん、大丈夫だよさやかちゃん。私は保健の先生が来るまでほむらちゃんについてるから」

「わかった。もうすぐ来るだろうし、あたし先に戻るよ。和子先生にも伝えとくから。ノートも任せときな」

「ありがとう、さやかちゃん」

 

言うとさやかは、ベッド周りのカーテンをさっ、と閉めて、保健室をあとにした。

 

(ルドガーがいてくれて助かったわ……)血の廻らない頭でほむらは考える。

(今日は巴マミとまどか達が接触する日…あの使い魔程度ならマミが苦戦する事はないだろうけど、どうにか介入しないとまどか達が契約してしまう危険が高まる。

今までは私が介入していたけど、幸いにもルドガーはさやかと既に接触しているし、命を助けている。私なんかよりも、信頼されるはずだわ。

うまくやってくれるといいのだけれど……)

 

ピピピ、と体温計の電子音が鳴り、まどかがそれを回収する。

 

「うん、熱はないみたいだけど。平熱が低いのかな? 6度1分しかないよ」

「…昔から、貧血ぎみなのよ…心臓の病気だった頃もあったし…」

「し、心臓っ!? 大丈夫なの!?」

「それはもう治ったわ…これも…少し眠れば、落ち着くと思うわ…もう、戻った方が…」

 

ほむらはまどかを気遣うように言う。しかし、まどかの方に視線を向ける事はできず、目を閉じて顔を少し背けていた。

 

「だっ、だめだよ! ちゃんと私がついてるからね?」

 

まどかはそんな気遣いも構わず、本気でほむらの事を心配していた。

 

「……本当に、ごめんなさい……………"まどか"………」

「───えっ…?」

 

"まどか"と。ただほむらに名前を呼ばれただけなのに。

その瞬間、まどかの脳裏で今朝の夢の光景が、フラッシュバックする。

 

『大好きよ、"まどか"』

 

そうだ、とまどかは思い出す。あの夢の少女はたしかに、私の名前を知っていた。では、この娘はやっぱり…と、疑念が募っていく。

夢の記憶は、そこまでしか辿れない。その言葉の続きが、知りたい。

意を決して、まどかはほむらに尋ねてみる。

 

「……ねえ、ほむらちゃん」不思議と、初対面のはずなのに、名前で呼ぶことには抵抗がまるでなかった。

 

「私達…もしかして、どこかで出逢ってるのかな…?」

「…どうして、そんな事を…?」

 

未だほむらはまどかを見れない。逆に、先ほど無意識に名前で呼んでしまったことに気付き、失敗した、と少し焦りがあった。

 

「だって、私まだ名乗ってないのに私の名前知ってるんだもん。それにね、私もほむらちゃんの事、初めて見た気がしないんだ」

「…それ……は……」

 

夢で出逢った、とはまどかは言わなかった。そうやって誤魔化されたくはなかったからだ。

 

「もしどこかで出逢ってたんだとしたら…それはとっても素敵なことだな、って思うんだ」

「……………」

「てぃひひひ。ねえ、ほむらちゃんは…どう思うかな?」

「………気のせいよ。私達は、逢った事なんて

、ないわ…」

「………そっか。そうだよね」

 

ほむらの声は、かすかに震えていた。まどかはこういった些細な変化に気づける、貴重な人間だ。それだけ、周りのことを見ているのだから。

だからほむらの言葉も、その板面通りには受け取らなかった。

気のせいなんかじゃない。この胸の高鳴りは、そうやってなかった事になんかしたくない。

横たわるほむらの姿を見ながら、まどかはそう強く思うのだった。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

結局、ほむらが授業に戻ってこれたのは4限目になる直前あたりだった。

まどかは保健医と入れ替わりに2限目あたりで教室に戻り、授業に参加していたが、ほむらが戻るまで心配でそわそわしており、さやかや仁美にからかわれる羽目になった。

そして、舞い戻ったほむらは早速クラス中の注目の的となる。

やれ具合がどうだの、以前の住まいはどうだの、兄弟はいるのか、髪の手入れはどうしているのか、そのイヤリングはどこで売っているのか。

その瑣末な質問の数々にも、ひとつひとつ律儀に返事を返すほむらの姿に、さやかが助け舟を出した。

 

「ほぉーらっ! 病人を質問責めしない! 転校生もなんか言ってやんなよ!」

 

さやかの注意を受けて、クラスメイト達は名残惜しそうに散っていく。

ほむらの顔にもわずかに、疲弊の色が見える。

 

「…助かったわ、美樹さやか」

「ん、どーも。…でさあ、なんであんた、そんな堅っ苦しい呼び方するわけ?」

「えっ…?」

「さやか、でいいよ。あたしも、あんたのこと"ほむら"って呼ぶからさ」にっこりと、さや かは白い歯を見せて微笑む。

 

(まさか、さやかの方からこんなにも友好的に接して来るなんて…これも、ルドガーのお陰なのかしら…?

それとも…私が、"らしく"ないから…?)

 

ほむらは一瞬だけ複雑な顔をしたが、ふぅ、とひと息吐いて「わかったわ、さやか」と答えた。

 

「ほむらちゃん! もう具合はいいの?」痺れを切らしたまどかが、駆け寄って尋ねて来る。

「ええ。ただの軽い貧血だったから、大した事はないわ。…心配かけたわね、まどか」

「いいんだよ、ほむらちゃん。困った時はお互い様だよ?」と、純粋無垢な笑顔でまどかは言った。

「……ありがとう、まどか。貴女にもし何かあったら…私が守ってみせるわ」

「………!」

ほむらは胸の内の決意をほんの少しだけ、まどかに見せてみる。

 

『いつか、あんたを一生守ってくれるような、素敵なやつが現れるよ。』

 

母、詢子の言ったひとことが蘇る。心臓の鼓動が、速くなるのがわかった。

 

(ほむらちゃんは…私のこと、一生守ってくれるのかな。もしそうだったら…嬉しいな)

 

まどかはまだ、夢の続きを思い出さない。その果ての結末を。果たされなかった誓いを。

───あの懐かしい、笑顔を。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:1 交わした約束
第4話「この願いは、私だけのもの」


1.

 

 

見滝原市内には、住宅街の近くに比較的新しいショッピングモールがある。

現在は一部のエリアが改装工事をしていて、機能していないものの、フードコートや衣料品コーナー、青果コーナーなどは機能しており、特にフードコートは学校帰りの中高生が立ち寄る場合が多い。

今日も、見滝原中学の制服を着た4人組の女子生徒がフードコートの一角で談話をしている姿があった。

 

「しっかしまー、いきなり挨拶したと思ったら顔面蒼白でフラッとしちゃうんだもん。あたしゃびっくりしたよ。まどかもまどかでいきなり『ホムラチャーン!』なんて駆け寄ってって…」

 

と、フライドポテトをつまみながら、朝方の出来事を振り返るさやか。

 

「わ、私そんな声出してないもん!」

「またまたぁ、あたしなんか最初は"美樹さやか"なんてカタイ呼ばれ方してたのに、保健室から帰ってきたらいきなりあんたたち名前で呼び合ってるしさぁ?」

「うふふふ、いったい保健室でな・に・が・あったんでしょうか? 気になりますわぁー」

 

そこに、少しうっとりとした表情の仁美が口を挟む。

 

「はっ! まさか、まどかさんが甲斐甲斐しく看病してるうちにだんだんと2人の距離が…ああっ、いけませんわ! それは禁断の愛ですのよー!」

「まぁーた始まったよ、仁美のワルい病気…」

 

それは、思春期の夢見る乙女にありがちの、熟れた嗜好だった。どうか腐らないことを祈る他ない。

さやかは慣れたように、特にリアクションを示さない。まどかは赤面しながら「ちっ、違うもん!」と必死に反論をする。

 

「悪いねほむら、あんまり気にしないでやって」

「私は、特に問題ないわ」

 

相手がまどかならね、と内心で付け加えながらファサ、と右手で長い黒髪を翻す。度々見られた、ほむらの癖である。

 

(どうして、こんなことに……)

 

ほむらは、楽しそうに談話するまどか達を見ながら思う。

本来の予定なら、ほむらは授業が終わったらさっさと学校を後にし、これから起こる事の対策を練るはずだった。巴マミとの接触と使い魔の撃退は今回はルドガーに任せ、ほむらは顔を出さずに陰から監視する手筈だったのだ。

つまり、こんなところで3人に交じって紅茶を啜るつもりでは、断じてなかったのだ。

体調だって幾分かはマシになったものの、身体強化の魔法を強めて誤魔化しているだけで、治りきったわけではない。

 

(もう…時間がないわね。志筑仁美がいるのは想定外だけど、この娘は素質はなかったはず。インキュベーターもこの娘にまでは…)

「───ねえほむらちゃん、どうしたの?」

「えっ…!?」

 

いきなり話しかけられ、驚く。いつの間にか深く考えすぎていたようで、ほむらは不意をつかれたように肩をぴくん、とさせた。

 

「なんか難しい顔してたけど…こういうところ、苦手だったかな?」

「そ、そんなことはないわ」

 

まどかが若干上目遣いで尋ねてくる。卑怯だ、とほむらは思った。

思えば、この寄り道の誘いもまどかの方からされ、今のような可愛らしい仕草にやられたのだ。

 

(だって、仕方ないじゃない。あんな顔見せられたら、どんな男だって骨抜きにされるわ。ましてや私なんて…いいえ! まどかは男になんか絶対渡さない。私が守ってみせる)

 

当のほむらは、既に骨抜きになっていたようだが。

 

「まあ、確かにまどかったら昔から世話好きな感じがしたけどさぁ」さやかが、そんな2人の様子を見て口を開いた。

「まどかったらすっかりほむらに首ったけみたいだしねぇー。確かにすっごい美人だし、スタイルはいいし、勉強はできるし、男どもが放っておかないっしょ?

純真なまどかがほむらラヴになるのも、無理はないって。あーあ、あたしの嫁が取られちゃう〜」

「さ、さやかちゃんっ!」

 

まどかの方もすっかり顔を真っ赤にして、さやかに抗議するそぶりを見せる。

ふと、仁美が腕時計をちら、と確認して「あらあら」と言った。

 

「もうこんな時間ですの。もう少しお2人の仲睦まじいところを見ていたかったですけど…そろそろ、お先に失礼しますわ」

「あんたも大変ねえ仁美。今日はなんの習い事? ピアノ? 日本舞踊?」

「書道ですのよ。正直、最近面倒になってきましたわ…」

「おぅ…お嬢さまも、楽じゃないねえ…」

 

お嬢さま、と言いつつもさやかの言い方には嫌みなどひとつも含まれていない。長い付き合いだからこそ、互いの大変さがよくわかるのだ。

 

「あたしらも行こっか。ねえ、少し寄っていい?」

「うん、いつものCD屋さんだよね。ほむらちゃんも、良かったら…」まどかはほむらの顔色を窺いながら声を掛ける。その間にも、各自で食べたもののあとを片付けていく。

 

(こんな展開は初めてだし、今後の展開が予想できないけれど……このまま離れない方が、確実に守れそうね)

ほむらは熟考したのち、「ええ、ぜひ」と答えた。

 

「では私はここで。みなさん、また明日」

 

フードコートから出ると、仁美手を振って別れを告げる。残った3人は、そのままショッピングモールの奥へと向かっていった。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

 

 

ルドガーは、面妖な面持ちで市内のショッピングモールの内部にいた。

ほむらから頼まれた指示は、"時間が来たらモール内の非常階段に行け"というもの。しかし、そこで何がどんな形で起こるのかは、聞き出せなかった。

恐らく細かくは知らないのだろう、とあたりをつけ、ルドガーは了承したのだ。

武器として2丁の拳銃を借り受けたが、この国では一般人が拳銃を所持することは、それ自体が犯罪行為であるため、決して見つかるな、ときつい言いつけをもらっている。

現在は生鮮食材コーナーで、暇つぶしに夕飯の食材を見て回っているところである。

 

「ここは……アスコルドみたいだな」

 

ルドガーは、かつて故郷の列車事故で失われた超大規模の自然工場の面影を、そこに見ていた。とは言っても、ルドガーが実際に内部を見たのは、初めての"仕事"の時だけだったが。

自然のほとんどが枯れたエレンピオスでは、アスコルド自然工場から作られるそういった物資は、重宝されたものだ。

見渡せばユリウスの好物の、程良く熟れたトマト。フレッシュさ溢れるレタス。身のよく詰まってそうなカボチャ。その奥にはトレイにパックされた魚の切り身や、牛肉、豚肉。

故郷では、わざわざトリグラフ港にまで出向かなければ生鮮魚など買えなかったが、ここはそれら全てが一同に揃っている。

恐らく、エイミーの餌にも事欠かないだろう。

 

───素晴らしい。8歳の頃から開花し、鍛えられ続けてきた主夫の感性は、この場に歓喜を覚えていた。

 

「これなら…ほむらにちゃんと栄養あるものを食べさせてやれるな」

 

ルドガーは、かつてエルがいた頃とおなじように、嬉々として脳内でレシピを組んでいた。1日がかりでほむらからこの世界での通貨の価値を学んだルドガーに、怖いものはなかった。

ちなみにルドガーは、"エレンピオスでは缶ジュースを1本いくらで買えるのか"などの例題をもとに、1ガルド≒10円という式を叩き込まれたに過ぎないのだが。

 

「…………」

 

ふと、売り場の一角にいる子供に目が止まった。

そこにはエレンピオスでも稀に見る、ルドガーと似た白髪をした幼い女の子がいた。年齢にして、エルよりも少し大きいくらいか。

何やら真剣な顔つきで、商品棚を見つめている。その視線の先には、数々の乳製品が置かれていた。

ルドガーはポケットから、ほむらに協力してもらって作った、エレンピオス語と日本語(ただし平仮名と片仮名のみ)の対応表を取り出し、遠くから商品棚を見る。

 

「ええと………あれは、チーズか」

 

なるほど、とルドガーは考える。ほむらはさやかはおろか、エルと比べても身体が細い。カロリーメイトばかり食べていては、満足に育つ訳がない。ミネラルが足りないのだ。

それに、カルシウムも不足しているだろう。ここは、夕食に牛乳を添えてやるのも悪くない。ルドガーは品定めをするために、乳製品売り場に足を差し向けた。

 

「んんと……だめだな、平仮名と片仮名以外は読めないな…何がいいんだ?」

 

漢字と英語の読みはからっきしだ。適当に手に取り、読める部分だけを見てみる。しかし製品表示はほとんどが漢字のため、まるで読めない。

 

「…………だめだ、わからない」

 

自分が手にとっているものが"牛乳"であることすら判別できなかった。

 

「お兄さん、外人さんなのですか?」急に、白い髪の女の子が話しかけてきた。

「日本語、読めないのですか?」

「あ、ああ。喋れはするんだけどね…まだ平仮名しか読めないんだ」

「そうなのですか…」

 

不思議な娘だ、とルドガーは感じた。幼な子にしては珍しく、憂いを秘めたように見える。

 

「それは牛乳なのです。こっちはチーズで、あれはヨーグルト…」女の子はあれよこれよ、と指差していく。

「ありがとう、ちょうど牛乳を探してたんだよ。君は?」

「……なぎさは、チーズを探していたのです」

「チーズを?」

「はい。お母さんが、チーズが好きだったのです…」

 

確かに、この商品棚にはいろんな銘柄、種類のチーズ(らしきもの)が豊富に置かれている。なぎさ、と名乗ったこの娘は、なんのチーズにしようか迷っていたのだろう。

ルドガー自身も、大きめな袋に入ったピザ用チーズに目が止まる。あれを使って今日の夕食を作ってみようか、と手を伸ばすと、

 

 

『───たすけて…』

 

 

いきなり、声がした。

 

「…っ!?」

 

ルドガーにも、その声は聞こえてきた。周りからじゃない。このざわめきの中でも、はっきりと響いた。まるで、直接脳内に話しかけられたような。

…まさか、これがこれから起こる事の前触れなのか。ともあれ、ほむらの指示通りに動かなければ。ルドガーは手にとった牛乳を戻し、声のした方角をきょろきょろと探した。

 

 

 

『───たすけて、"まどか"…』

 

 

さらにルドガーは凍りつく。"まどか"だと?

焦りが募り出した。嫌な予感がする。早く場所を突き止めないと。

 

「…行っては、ダメなのです」

 

なぎさが、ルドガーのシャツの裾を掴んで留める。

 

「あれは悪魔の声なのです。行ったら、お兄さんも酷い目に遭うのです。化け物に、襲われるのです…」

「…まさか、君は?」

 

この娘も、魔女に襲われたことがあるのか? とルドガーはなぎさの様子から推し量る。

 

「…ありがとう。だとしても、俺にしかできない事があるんだ」

「…怖くないのですか?」

「ああ、俺は一度死んだようなものだからね。それに、他の誰かがあそこに行ったとしたら…やっぱり、俺が守らないといけない」

「そう…ですか…」

 

なぎさは、ルドガーのシャツからそっと手を離した。ルドガーもなぎさを優しく諭すように、頭を撫でてやる。

 

「大丈夫だよ」

「…気を、つけてなのです」

 

なぎさに見送られながら、ルドガーはその場所を後にした。

 

 

「…………お兄さんは、強い人なのです」なぎさは、独り呟く。

「わたしはもう、戦うのが怖いのです。どんなに戦っても、もうお母さんには……」

 

なぎさの心には、少しずつ翳りが募っていた。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

モール内のCDショップは、広々とした空間に充実した品揃えを網羅していた。人気チャートから少しマイナーなもの。クラシックや洋楽なども揃え、痒いところに手が届くほどだ。

さやかは友人であり、現在は怪我で入院している上条 恭介のためにクラシックのCDを選んでいる。

恭介は幼少期からバイオリンを習っているのだが、不慮の事故のせいで今は演奏ができないのだ。さやかの行動は、恭介へのせめてもの励ましに、という心遣いからきていた。

まどかはというと、演歌のコーナーで試聴をしており、ほむらはその様子を訝しげに眺めている。

 

(…中学生で演歌が好き、ってどうかと思うわ…まどか。そんな貴女も素敵だけれど…)

 

きっとまどかが好きなのだから、いい曲なのだろう、とほむらはそのCDのジャケットを見てみる。

どうやら、ベテランの演歌歌手の楽曲のようだった。着物姿の妙齢な女性がジャケットに写っている。

 

(恋の……桶狭間……? わからない。わからないわ、まどか)

 

まどかはしみじみとした顔で聴き入っている。そんなにいい曲なのか。ほむらは、独りだけで魔女結界に迷い込んだような気分になった。

 

「う〜ん…買おうかなぁ…でもお小遣い…はぁ…」と、まどかがそんな憂いのため息をついてると、

 

『───たすけて…』と、声がいきなり聞こえてきた。

 

「えっ? えっ?」まどかは反射的にヘッドホンを外し、周りを見渡す。しかし、誰も何も言ってないように見える。

 

『───たすけて、"まどか"…』

 

聞こえた。今度は聞き間違いなどではない。おまけに、周りの他の人達には聞こえていないようだった。まるで、自分の頭の中にだけ喋りかけられてるかのように。

 

「えっ…私? 誰なの…!?」

 

まどかはふらふらと、声のする方角を探る。そうしているうちに、CDコーナーを出てしまった。

ほむらもまた、そっとまどかの後を追う。

 

(………やつが、仕掛けてきたわね。さやかには聞こえなかったようだけれど)

 

果たしてルドガーは、指定のポイントにたどり着けているだろうか。連絡手段の確立を急ぐべきだったか。

過ぎた事を考えても仕方ない。優先すべきはまどかの安全と契約の阻止。これに変わりはないのだから。

 

 

 

4.

 

 

 

 

薄暗い非常階段を上がった先は改装中で何もなく、本来なら一般には閉鎖されているはずの空間だ。まるで誰かがお膳立てしたかのように、その周りには人がいない。

まどかは声を辿るうちに、モールの最奥部にあるこの場所にまで入ってしまったのだ。

かつん、かつん、と空いた空間に自分の靴音が響く。やや小走りで、まどかはどんどん奥へと進んでいく。

鹿目まどかとは、誰かに救いを求められれば、それに応えなければならない、という思考の持ち主なのだ。声の主が何であるのか、など露ほどにも考えなかった。ただ、助けて、と呼ばれたから。それだけに過ぎない。

 

程なくして、まどかは違和感に気付く。

 

「…あれ、私もうかなり走ったよね。ここ、こんなに広かったのかな…」

 

だんだんと、暗闇に目が慣れてくる。改装中の階は、横には広くても縦は狭い空間のはずだ。

それがどうだ、見上げると天井らしき影ははるか上に。壁にはよくわからない文様が記されている。

 

「えっ……ここ、どこなの!? おかしいよ! 」

 

と、ようやく異変に気付いたまどかは、取り乱し始める。ショッピングモールの中に、こんな広大な空間があるわけがない。

 

『はぁ…はぁ…はぁ…っ、助けて…!』

 

声の主は、いよいよ近くまで来ていた。まどかは思い出したように前方を見る。

そこにはまるで兎のような、白猫のような、それでいてどちらでもない"何か"がいた。見た目はなかなかに可愛らしいのだが、初めて見る動物らしきものに、まどかは疑問符を浮かべる。

 

「こ…この仔は…?」

 

恐る恐る近付き、手を伸ばす。毛並みは少し荒く、傷ついているように見えた。

 

『君がまどかだね!? 助かったよ!』

 

びくり、とまどかの動きが固まった。今、確かにこの動物から声がしたからだ。しかも、まるで腹話術のように口一つ開かずに、声を発したのだ。

 

「あなたが…私を呼んだの?」

『そうだよ! 僕はキュウべえ。ここはヤツのテリトリー。使い魔に追い回されて、危ないところだったんだ!』

「使い魔…って?」

『───あれだよ! もう追って来たのかい!』

 

キュウべえ、と名乗った動物が首を差し向けたその先は、先ほどまで何もなかったはずだ。

しかしそこはいつの間にか、髭を生やした顔だけの幽霊のような何かと、同じように髭を生やした、冠毛を宿したタンポポのような何かが、数多くひしめいていた。

 

「ひっ…! な、なんなのあれ! お化け!?」

『あれは使い魔。魔女の手下だよ。やつらは凶暴だ、このままだと僕らは殺される!』

「そんな…どうしたらいいの!?」

 

まどかは半泣きで、キュウべえに詰め寄る。魔女だの使い魔だの、わけのわからない単語を羅列されるが、この状況下で普通の子供がそんな疑問を抱く余裕など、あるわけがなかった。

 

『簡単だよ! 君にはやつらを倒せる素質がある。僕と契約してくれればいいんだ!』

「契約!?」

『そうすれば君は、やつらを倒せる力が手に入る! その代わり、何でもひとつだけ願いを叶えてあげるよ! だから───僕と契約して、魔法少女になってよ!』

 

キュウべえはまどかに、相変わらずの無表情でそう言った。

どくん、とまどかの心が波打つ。

 

(契約すれば、この仔は助かるの? …こんな弱い私でも、あのお化けをやっつけられるの? それに…)

 

魔法少女。その言葉は、初めて聞くようには思えない。どこかで聞いた事があるのか…あの夢の中の少女のように。

それでいて、胸がざわつく。何か取り返しのつかない事をしようとしているような、不安感だ。

けれども、何もしなければ殺される。こうしている間にも、使い魔たちは近付いているのだ。

 

「私…わたし、は……」

 

やらなければ。このまま放っておけば外にも被害が及ぶかもしれない。ならば、自分がやらなければ。まどかは決意する。

 

「キュウべえ…! わたし、契約───」

 

その刹那。ズドン! と重厚な爆撃音が使い魔の方から響いた。何かが爆ぜたのだ。

たちまち粉塵が飛び交い、視界をわずかに塞ぐ。その奥には、どこかで見たような影が隠れていた。

 

「貴女が契約する必要は、ないわ」

 

影は、まどかに対して強い声色で告げる。

粉塵が晴れる。まどかは目を凝らし、その奥を見据える。…しかし、何もない。

 

 

「そいつの声に耳を貸しては駄目よ、まどか」

 

今度は、まどかの右隣りからいきなり声がした。一瞬でここまで移動したのか。まどかは慌てて向き直る。そこには、いつか夢で見た少女が、寸分違わぬ格好で立っていた。

 

「言ったでしょう? 貴女に何かあったら、私が守る、と」少女は、柔らかい笑顔で語りかける。

「ほむら…ちゃん…なの?」

「ええ、そうよ」

「あ、あっ……ほむらちゃぁん!!」

 

たまらず、まどかはほむらに抱き付いた。夢の中の少女は、やっぱり自分を助けに来てくれたのだ、と感激しているのだ。

 

「きゃ、まどか…!?」

 

突然の事にほむらは戸惑うが、すぐに優しく抱き返してやる。その視線は、先ほど爆撃した地点を見据えていた。グジュグジュと生々しい音を立てながら、使い魔たちが次々と涌いているのだ。

 

(………おかしい、やつらは所詮雑魚の集まり。ここまでしぶとくはなかったはずよ。…まさか、芸術家の魔女のような、イレギュラーが?)

 

その異変は、ほむらが未だ経験した事のないものだった。

 

「まどか、まだ終わっていないわ」

「あっ、え、えっ?」

「ここでじっとしていて。必ず守るから」言うとほむらは、またも一瞬でまどかの視界から消え去る。

 

「ほむらちゃん!?」まどかは突然の事に驚き、縋るようにその姿を探す。

ほむらは、空高く跳躍して機関銃を掃射していた。

その次の瞬間には着地して、バズーカ砲を何発も撃ち込む。使い魔の中の、大きめな個体にはチェーンマインが巻きつけられているものが何匹か見られる。ばらまくように、時限爆弾のようなものも置かれている。

───それら全てが、数秒置いて同時に炸裂する。閃光と、硝煙の匂いと、爆音に包まれる。

…しかし、まどかが感じたのは硝煙の匂いだけだった。

 

「きゃあっ! ……あれ?」

 

暖かい。まどかはほむらに再び抱き締められ、視界と耳を塞がれる。爆撃の余波から守られていた。

 

「………くっ」

 

それでも、使い魔を一掃するには至らなかった。倒した先からまた現れている…というよりは、再生しているように見える。

…ここは、逃げるべきか。まどかの事を考慮すると、さらに大型の爆発物を使う事ができない。放っておけば、確実に結界の外に被害が及ぶ。けれど、まどかだけは守らなければ。

使い魔の数は、どんどん増える。

 

『驚いたね、君も魔法少女だったのかい』

「…………そうよ」ほむらは、使い魔を見るよりも鋭い目つきでキュウべえを睨んだ。

『しかも恐ろしく強いね。あんな一瞬であれだけの攻撃を加えられるだなんて、興味深いよ。それに…』

「そう思ったのなら、まどかから手を引きなさい」

『それは了承しかねるね。彼女のポテンシャルは計り知れない。それこそ、世界を変えるほどの力がある』

 

キュウべえはなおも、つらつらと語る。まるで、使い魔の数が増えている事など気にも留めていないかのように。

 

(この…害獣が…ッ!)

 

状況は、刻一刻と悪化していった。

 

 

 

5.

 

 

 

ルドガーは、非常階段に通じる扉の付近の静けさに違和感を覚えていた。まるで人払いでもされたかのように、誰もいないのだ。

 

「時歪の因子…いや、魔女の反応…? 少し、弱いようだが」

 

どちらにせよ、危険には変わりない。ルドガーは隠し持った2挺銃をいつでも出せるよう確認し、扉に手をかけた。

 

「───ルドガーさん?」

 

不意に、後ろから話しかけられ、振り向く。そこにはいつの日か魔女から救い出した青髪の少女がいた。

 

「さやか、か? どうしてここへ?」

「あ、あたしの友達が2人ともどっか行っちゃって…どうやらこの辺りで消えたみたいで…」

「…その友達って、"まどか"か?」

「知ってるんですか!? もう1人、ほむら、って娘も一緒にいたはずなんですけど…?」

「…!」

 

ほむらもここに来ているのか、とルドガーは驚く。恐らく、2人は魔女結界の中だろう。この扉の先には結界が広がっているかもしれない。

 

「さやか、この先は危険だ」ルドガーは、さやかを気遣いながら言う。

「こないだみたいな化け物がいるかもしれない。…2人は俺が助けるから、さやかは」

「あたしも行きます! 2人とも…大事な友達なんです! 今頃怖がってるかもしれない…!」

「危険だぞ!?」

「わかってます! けど…けど…! 買い物に誘ったのはあたしなんです…! あたしのせいで2人が…っ!」

 

さやかが言い終わる前に、扉の隙間から結界が侵食してきた。

 

「しまった! さやか、逃げろ!」ルドガーが叫ぶが、時既に遅く、たちまち2人とも結界に飲まれてしまった。

空間が書き換えられる。明るいショッピングモールの面影はなく、夜空の広がる薄暗い工事現場のような場所に"呑み込まれた"。

 

「…仕方ない。さやか、離れるなよ。このまま奥へ進む」

 

時歪の因子…魔女を叩かなければここから出られない。ルドガーは腹を据えて、先へ行く決心をした。

広大な空間に、早速といわんばかりに魔物…使い魔が涌き始める。ルドガーはいよいよ銃を抜き、アローサルオーブで強化をかける。これなら、銃を主体とした武身技を使えるだろう。

 

「エイミングヒート!」

 

引鉄をひき、込めたエネルギーを放つ。炎の属性を付与された弾丸は、着弾と同時に爆裂し、使い魔を吹き飛ばす。

 

「行くぞ、さやか!」

「は、はいっ!」

 

全てに構っている暇はない。とにかく、いち早く本体を叩かないと。

2挺銃から風を放ち、水飛沫を散らし、銃弾の雨を降らし、使い魔を始末して道を確保する。最奥に見える鉄の扉を開けると、またも景色は一転した。

薄暗い回廊に、はるか高くにある天井。芸術家の魔女の時と同様に、結界の次の層だろう。

 

(本体がいるなら、この辺りか…?)

 

ルドガーはたちまち涌いて出てくる使い魔たちを一望して…懐中時計を構えた。

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

突然、凄まじい銃撃音が響く。ガトリング砲でも放ったかのような掃射音は、瞬時に使い魔を一掃した。立ち込める砂煙のなかで目を凝らし、ほむらは銃撃音の主を見定める。

金の縦巻きの髪に、中世風だがどこか華やかななコスチューム。花弁の髪留めと、ベレー帽が目に付く。

 

「怪我はないかしら、2人とも?」新たな少女は、余裕をもった顔で尋ねる。まどかはほむらの腕の中でびくん、としてその少女を見た。

 

「ありがとう…助かったわ」ほむらはまどかに代わり、礼を言う。

「私は暁美 ほむら。この娘は鹿目 まどかよ」

「巴 マミよ。よろしくね」

『マミ! 助かったよ!』キュウべえは、耳をぱたぱたとさせてマミに擦り寄った。

「キュウべえ…どうしてこんな所にまで?」

『道に迷ったんだよ。そうしたら結界に飲み込まれてしまったんだ。それよりマミ、凄いんだよ! この"まどか"って娘、途轍もない才能を秘めてるんだ!』

「えっ…そうなの?」

 

マミはまどかを一瞥し、腕を組んで思考する。ほむらはまどかをさらに強く抱き寄せ、否定の意思を見せる。まどかはほむらの腕に包まれ、自身の顔が熱くなるのがわかった。

 

「ふざけないで頂戴、まどかは魔法少女なんかにはさせない」

『それは君が決める事じゃないよね?』

「黙りなさい害獣! 魔法少女になったところで、待っているのは破滅だけよ!」

「…そうね、その通りかもしれないわ」マミが、割って入るように口を開く。

「終わりのない魔女との戦いに身を投じる事になる。普通の生活は送れなくなるわね。でも…何に代えても叶えたい願いがあるのなら、話は別よね」

「巴マミ! 貴女は…!」

「まあ、この話は後にしましょう暁美さん。どうやら…あれが親玉らしいわね」

 

マミが指差す方には、先程のものと同型の、はるかに大きなサイズの使い魔が唸りを上げていた。

 

「ゴアァァァァァァァ!」

 

牙を剥き、こちら側へと突進してくる。マミはマスケット銃を構え、ほむらはまどかを背中に隠し、砂時計の盾からグレネードを装着した機関銃を抜く。同時に狙いを定め、使い魔を迎撃しようとした時……

 

「絶影ッ!」

 

黒い一閃が、使い魔を切り裂いた。

黒い影は、さらに高速で動いてマミとほむらの前に立つ。まどかとマミは初めて見る、黒い鎧に白髪の男だった。

 

「お〜い、まどか、ほむらぁ〜!」

「その声、さやか!?」

 

ほむらは声のした右方に視線を向ける。さやかが、目尻を潤わせながら駆け寄ってきた。

 

「はぁ…はぁ…無事だったんだねあんたたち、よかったぁ!」

「それはこっちの台詞よさやか!」

「怒んないでよほむらぁ! …ところでそのコスプレ、何?」

「…っ、好きでしてるわけではないわ!」

「ほむら、さやか! まだケリはついていない!」

 

ルドガーは2人にぴしゃり、と告げる。使い魔はすっかり黒色に変化しながら、再生をしていた。

 

『なるほど、薔薇園の魔女の特性を使って結界からエネルギーを吸い上げて、再生しているのか』キュウべえはなおも変化のない顔色で解説した。

「だったら一気に倒す!」

 

ルドガーは槍を高々と構え、先端から黒いエネルギー弾を何発も空に放つ。エネルギー弾は、空中で網目を張るように静止した。

次いで、槍を割って双剣へと変化させ、使い魔の懐に飛び込んで斬撃を連打する。

 

「祓砕、斬ッ!」

 

再び双剣を繋いで槍に変え、使い魔を柄で強く打ち上げる。回した槍の先端から今度は炎のエネルギー弾を何発も放ち、先程の黒いエネルギー弾と一緒に波状攻撃をかける。

 

「おぉぉぁぁぁぁぁっ! 零水ぃぃっ!」

 

ルドガーの奥義のひとつ、祓砕斬・零水。兄、ユリウスの奥義を自分なりにアレンジした、多彩な武器による連続攻撃だ。

大きな使い魔はそれらの攻撃を受け、大爆発を起こした。しかし、それでもなお形を保っている。

 

「…そんな、零水を受けてまだ倒れないなんて!」

「ガアァァァ!」

 

効果がないわけではなかった。咆哮は確実に弱まっており、あと一歩、というところだ。

 

「下がって!」マミがルドガーに向かって叫ぶ。その手元には、あまりに巨大な口径のマスケット銃が構えられていた。

 

「ティロ…フィナーレェ!!」

 

銃口から、轟音が鳴り響く。戦車砲を思わせるその威力はもはや銃と呼ぶには強大で、今度こそ使い魔の顔面を吹き飛ばし、霧散させた。

同時に、結界が晴れていく。得体の知れない広大な空間は、もとの何もない空間へと戻っていった。

 

「終わった、の…?」さやかが、ぽつりと零す。

「ええ、倒したみたいね…でも、あんな使い魔、初めて見るわ…」マミは怪訝な顔で、戦闘を振り返る。

「倒しても再生するだなんて…使い魔でこれなら、魔女との戦いは苦戦しそうね、キュウべえ?」

『そうだろう? だから、ぜひまどかには───』

「させないと言っているでしょう!!」

 

ほむらはさらに声を荒げて、キュウべえを非難した。

 

「まどかだけじゃない…さやかも、魔法少女にはさせないわ。呪いを背負うのは、私だけで十分よ……!」

「あ、暁美さん…? 呪いって…?」

「…貴女が知る必要は、ないわ。どうせ耐えられないもの。ルドガー、行くわよ」ほむらは最後にマミに強い視線を向け、

 

 

─────────

 

 

カシャン、と音を鳴らして砂時計を止めた。

静止した時間の中で動けるのは、ほむらとルドガーだけだ。ほむらはまどかの手を、ルドガーはさやかの手を取り、時の戒めから解放する。

 

「えっ…ほむら、ちゃん…? どうしたの、なんであの人、固まってるの…?」と、まどかは時を止められたマミを見て言う。さやかも、ルドガーに手を取られながら、同じ事を思っていたようだ。

 

「もう隠し通す事はできないわね…今回は、あなたたちには話すことにするわ」

 

ほむらは繋いだ手を離さないように、力を込める。その瞳には、何度時を越えようとも決して消えない意思の炎が、変わらず宿り続ける。

 

「これが私の魔法。私以外の時間を止めることができる。

…この願いは、私だけのもの。まどか、貴女のためだけのものよ」

 

 

 

少女の願いが、いつか彼女に届く事を信じて。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話「だって、こんなにあったかいんだよ」

1.

 

 

 

 

 

時を止められたショッピングモール内は、明るいはずなのに音ひとつせず、それがかえって不安感を誘う。ほむら達4人は手を繋いだまま非常階段を下り、外のメインフロアまで戻って来ていた。

 

「ルドガーの手を離すと止まってしまうわよ、さやか」

「う、うん」

 

さやかが辺りを一望すると、氷のように微動だにしない人々の姿。壁に掛けられた、針の進まない時計。空中で静止したまま羽ばたかない鳥たち。中途半端に開いたままの自動ドア。

 

「ほんとに、時間が止まってるんだ…」

「信じてくれたのかしら?」

「そりゃあ、ここまで見せられたらね…あんた、こんな凄い魔法が使えるんだ?」

「大した事はないわ。私は、これだけしかできないのよ。マミやルドガーのように、武器を作ったりなんてできないし、身体能力も低い…魔法少女としては、最弱よ」

 

ほむらは自虐気味に言う。何度自分の力不足を呪った事か。もっと他に能力があれば、大切なものを守れたのではないか。

 

「でも…あの銃とかはどうしたの?」まどかは縮こまりながら、ほむらに訊いた。

「盗んだのよ。時間を止めて、ヤクザの事務所や米軍基地からね」

「ええっ!? べ、米軍基地!?」

「一般に、マシンガンや対戦車地雷なんて置いているわけないでしょう? 魔女は、それだけ強大な存在なのよ」

「その…怖くなかったの? 兵隊さんとか、ヤクザさんとか」

 

わずかに潤み出した瞳を向けながら、まどかはさらに尋ねる。

ああ、なんて可愛らしいのかしら。このまま2人で永遠に時を止めてしまいたい。無邪気な笑顔を目の当たりにして、ほむらの心はざわつく。もっとも、今となってはルドガーがいる限りはそうはいかないのだが。

 

「時を止めているのに? 魔女ならともかく、人間相手に私が負けるはずはないわ」

 

ほむらは髪をかき上げながら、少々声を高くして答えた。

 

「…そんな言い方、やめてよ」対して、まどかは少し不服そうに言う。

「まるで、ほむらちゃんが人間じゃないみたいだよ。その言い方」

「まどか、私はとっくに人間なんてやめたわ。覚えておきなさい。魔法少女になるという事は、そういう事なの」

「ほむらちゃんは人間だよ!」

「まど…きゃっ!?」

 

まどかはついに感情を抑えきれず、ほむらの手を強く引き寄せて、その華奢な体に抱きついた。

 

「だって…だって、こんなにあったかいんだよ!? 私の事守ってくれて…好きだ、って言ってくれて! わたし…嬉しかったんだよ!?」

「な…っ、何を言っているの…?」

「私…夢で何度もほむらちゃんに逢ってるんだよ? ものすごく大きな化け物と戦って…傷ついて、私はそれを見てる事しかできなくて…っく、うぅぅぅ…」

「わ、私は好きだ、なんて一言も……まどか、まどか? 泣いているの…?」

 

ほむらの動きが固まる。嗚咽を漏らしながらほむらに縋り、暖かいと言ってくれる。それが、どれだけほむらにとって嬉しいことなのか。

けれど、ほむらは自身に言い聞かせる。

ここでまどかの優しさに甘えては駄目だ。運命に抗う為に、自分は冷徹な鬼にでも、悪魔にでもなるのだと誓ったのだから。…ワルプルギスの夜を越えて、信じた未来を掴み取るまでは。

 

「……みんな、このまま私の家に来てくれるかしら。魔法少女について、貴女たちには知る権利がある…いいえ、知らなくてはならないわ」

「言われなくてもついてくよ、ほむら」

 

さやかはわざわざ聞くまでもないだろう、とした態度で答えた。

 

「…っ、私も、行くよ…ほむらちゃんの事、もっと知りたい」まどかも、泣きながら声を絞り出す。

「決まりだな、ほむら」

 

沈黙を守っていたルドガーは、ここでようやく口を開いた。そして、ほむらにひとつの提案…というよりは、お願いをする。

 

「…晩飯の材料、買って行っていいか? ほら、エイミーの餌もないし」

 

間髪入れず、「主夫か!」とさやかのツッコミが入る。まどかはまどかで、「えっ? えっ?」と言いながらルドガーとほむらを交互に訝しげな目で見ている。ほむらは肩透かしを食らったように溜息をつき…砂時計を再び動かし、変身を解いた。

周囲から喧騒が聞こえ始める。突然のことに、さやかは「うわあっ!?」と間抜けな声を出した。

 

「はぁ…食事については、貴方に一存してあるわ。予算も与えてあるし…何なら、4人分作って欲しいのだけれど」

「任せておけ、ほむら」

 

ルドガーはとても爽やかな笑顔を皆に見せた。使命感に燃えた主夫とは時としてエントロピーをも凌駕するものだ。今夜の食事も、味と栄養価は約束された。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

ほむらの家はごく一般的なアパートと同様に、お世辞にも広いとは言えない。家具も最低限しかない。共に広い一軒家住まいのまどかとさやかからしたら、逆に新鮮なものを感じられるだろう。

そこに"あの"暁美ほむらが住んでいる、となれば、また意外なものだが。

全員がうがいを済ませると、ルドガーは早速エプロンをつけて台所に立ち、リズミカルに野菜を刻み出した。

 

「♪〜♪♪♪〜♪〜♪〜、♪〜♪♪♪〜♪〜♪〜♪〜…」

 

どこか耳障りの良い鼻歌と、心地良い包丁の音のコントラスト。ルドガーの動きには寸分の迷いもなく、その立ち振る舞いだけで熟練であることが理解できる。

 

「はぁー…サマになってんねえルドガーさん…」

 

そんなルドガーの後ろ姿に、さやかは感嘆混じりの溜息をつく。

 

「…ねえ、ほむらちゃん」と、まどかは一層複雑な表情で尋ねる。

「何かしら、まどか」

「ルドガーさんとは、どういう関係なのかな…? まさか、付き合って…?」

「はぁ…そんな訳ないでしょう……私は、男になんか興味ないわ。彼はただの協力者よ」

「えっ、そ…そうなの…? そっかあ…」

 

そう答えたほむらの言い回しも、なかなかに紛らわしかった。まどか以外に興味はない、という意味では広義的には間違いではないのだが。

その答えを聞いたまどかはやっと安心したように眉間の皺をなくし、同時に、何か期待のこもった瞳の色を見せる。

にゃあ、と黒猫のエイミーがそこに擦り寄ってくる。便宜上の飼い主であるほむらにではなく、まどかの元へ。

 

(猫は正直ね……)

 

時を越えても、忘れられないものがあるのかもしれない。先程のまどかの、"夢で逢っていた"という発言も気になる。

 

「わあ…可愛い猫ちゃんだね」

「エイミー、よ。貴女に逢えて、喜んでるみたいね」

エイミーはごろごろ、と喉を鳴らしてまどかにじゃれつく。その光景に、ほむらは在りし日の投影を見た。

もし、憶えてくれているのなら…そんな淡い期待を抱く。けれど、とほむらは首を振る。

 

(もし憶えているのならば……きっと、私のことを恨んでいるはずよ)

 

だからほむらは、まどかに対しても未だ心のドアを開ける勇気が持てなかった。

 

「───説明を始めるわ。まずは、これを見てちょうだい」

 

ほむらは、菱形の黒い痣が甲に刻まれた左手を、ちゃぶ台の上に差し出す。その痣から、紫の輝きを宿した金細工の宝石が、まるで手品のように現れた。

 

「わあ、きれい……ほむらちゃん、これは?」

「ソウルジェム、と呼ばれているものよ。文字通り、魔法少女の命そのもの」

「い…命ぃ?」さやかは、信じられない、といった風におどける。

「例えばの話だけど…このソウルジェムが砕けたら、私は即死するわ。魔法少女は契約の際に、イン…キュゥべえに魂を抜かれて、ソウルジェムとして加工されるの。

ソウルジェムは魔力の源であると同時に、魂そのものなのよ」

「え、ええっ!? あんた…それ、マジ…?」

「試してみるかしら。ソウルジェムの有効範囲は約100メートル。それ以上離すと、肉体とのリンクが断たれて、死ぬわ。

その場合はまた近づければ蘇生するけれど…」

「いやいいよ! なんか、シャレにならなそうだし!」

「そう。ならいいわ」

 

ほむらは慌てふためくさやかを尻目に、ソウルジェムを再び痣の中に収納した。

ルドガーの方はというと、野菜の仕込みを終えて、寸胴鍋にコンソメを溶かした湯を沸かしている。その傍には、牛乳のパックが置かれていた。

 

「重要なのはここからよ。ソウルジェムは、一定量の魔法を使うと黒く濁っていく。他にも、絶望…そうね、気分が落ち込んだりしても、濁るわ」

「濁ると、どうなるのよ…?」

「…ソウルジェムが完全に黒く染まり切ると、グリーフシード、というものに変質するわ。簡単に言えば…魔女の卵よ。

魔法少女が願いによって造られるように、魔女は絶望によって造られるのよ」

「魔女の…!? 魔女って、さっきみたいなお化けのことよね!?」

「……………」

 

 

先ほどから、さやかの食いつき様が積極的だ、 と背中越しに聞いていたルドガーは感じた。それはほむらも同様で、

 

(…上条恭介、だったかしら。さやかは彼の為に魔法少女になるんだったわね)と、予想していた。

 

「そうよ。いずれ魔女となる少女、だから魔法少女というのよ。そして、濁ったソウルジェムを浄化するのにも、グリーフシードが必要なの。

願いの為に命を差し出す、なんて綺麗な話ですらないわ。早い話、生きる為に同族殺しをし続ける事になるのよ。

…あなたたちに、耐えられるかしら? 生きる為に、人間の肉を食べて生きていけるかしら? それが魔法少女という生き物なのよ」

 

ほむらはわざと、辛辣な言い方で語る。だから私は、人間じゃないのよ。最後にそう付け加えて、ほむらの説明は終わった。

 

「……あんたは、どうなのさ」少し俯き気味に、さやかは訊く。

「ほむら、あんたは何を願って魔法少女になったのさ? やっぱり…そうでもして叶えたい願いがあったんだよね…?」

「そう…ね。でも私の願いは、人に言えるほど綺麗なものではないのよ…悪いけど、話せないわ。

それと、もうひとつ考えてみてくれるかしら。特に、まどか」

「えっ…わ、私…?」

「キュウべえは貴女に契約を持ちかけたとき、今のような説明をしたかしら?」

 

ほむらに訊かれ、まどかは結界の中での出来事を振り返った。

助けてくれ。このままだと2人とも殺される。君には素質がある。だから、契約してくれ。キュゥべえと交した会話は、要約すればそれだけだ。

 

「ううん…言われなかった。でも、私には素質がある、って…」

「そうだと思ったわ…やつの目的は、魔法少女を増やすこと。ひいては、魔女を増やすことよ。

だから、魔法少女=魔女だなんて事は、訊かれない限りは絶対に言わないわ」

「どうして…そんなひどい事をするの…!?」

「…魔法少女が魔女になる時、即ち希望が絶望へと転移する時、莫大なエネルギーがとれるのよ。やつが用があるのはそれだけ。

私たちは、燃料か何かとしか思われてないのよ。それに、好き好んで化け物になりたい、なんて言う娘がいると思うかしら?

それを承知しているからこそ、契約を取る為にやつは何も言わないのよ」

 

ほむらは特に最後の一言を、2人に念押しをするように言った。

 

「あの、マミさんって人は…それを知ってるのかな…?」

「いいえ、知らないはずよ…彼女の心は、

その事実に耐えられないわ。だからまどか、さやか。

この事はまだ誰にも言わないで。巴マミには時期を見て私から話してみる。…もしかしたら、助けられるかもしれないから」

 

かつて、まどか以外は諦めたはずのほむらだが、やはり救えるのなら救いたい。その気持ちは本当だった。

 

「うん…わかったよ、ほむらちゃん」

「あんたも苦労してたんだね…ほむら」

 

果たしてこの2人に、ほむらの想いがどれだけ伝わっただろうか。今は、絶望の未来へと向かわない事を祈るしかない。

魔法少女となった先に、未来などないのだから。

 

「さあ、もうすぐできるぞ」

 

ルドガーが鍋をかき混ぜながら、3人に告げた。いつの間にか、台所では4枚の皿にトーストが並べられており、鍋からは食欲を誘うミルク風味の香りが漂ってくる。あとは机に運ぶだけだ。

今夜のメニューは、栄養満点クリームシチューだ。

 

「あっ…まどか、お父様には連絡したのかしら?」ほむらが、急に思い出したようにまどかに言う。

「あ。まだしてなかったよ…てぃひひ、ちょっと電話してくるね」

 

まどかは携帯を開き、電話帳を呼び出しながら席を立った。途端にさやかが、まどかが席を外した隙を突くように、ほむらの耳元に近付く。

 

「……あんたの願い、ずばりまどかに関係してるでしょ」と、さやかは声を絞って訊いた。

 

「あら、なぜそう思うのかしら」

「まどかの家、お父さんが主夫やって、お母さんが働いてんのよ。どうしてあんたがそれを知ってるのかな〜、なんて野暮な事は聞かないけどさ?

あんたたち、なんかお似合いだし。まどかも満更でもないっぽいし…仁美じゃないけどさ、禁断の愛ですのよ〜、っての? どうなの? ん?」

「はぁ…さっきも言ったと思うけれど? 私は(・・)特に問題ないわ、って。…まどかは、どうかは知らないけどね」

「…………あ〜…あんた、ガチ…だったの…?」

「さあ、どうかしらね?」

 

まどかが帰ってくるわ、と囁いてほむらはさやかとの距離を戻した。

さやかは歯痒そうに「えー!? 教えなさいよー!」と言うが、ほむらはそれ以上は語らない。

蚊帳の外にいたまどかは、不思議そうな表情を浮かべながら、ちゃっかりとほむらの隣に座り込む。

 

「…そういえば、ルドガーさんって何者なのよ?」と、さやかが新たな疑問を浮かべた。

ほむらはルドガーから聞かされた話を反芻するが…魔法少女の話で頭が一杯であろう、と考慮し、

 

「魔法少女に似た体質の人、かしらね。彼の話はまた今度にしましょう。遅くなりすぎたら、親が心配するわよ」と、先延ばしにすることにした。

 

「さあ、食事にしよう」

 

すっかりエプロン姿が板についたルドガーが、微笑ましくその様子を見守っていたのだった。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

見滝原中学校への登校2日目にして、暁美ほむらは学年中の注目の的となっていた。

 

数学で当てられれば、迷いなく手を動かしてホワイトボードに回答式を記していき、

英文の朗読となれば、担任が舌を巻くほどに流暢に読み、

陸上の授業ではありとあらゆる種目でずば抜けた記録を叩き出す。

今もちょうど、走り高跳びの測定で華麗な背面跳びを披露し、県内記録を塗り替えたところだった。

 

「………しまった」

 

そして、ほむらはふと思い出す。昨日、自分は貧血で保健室に運ばれたということにしたのに、こんなにはっちゃけては駄目だろう、と。

そもそも元々は心臓病患いで貧弱な身体能力なのを、魔法で補強している時点でドーピングしているようなものだが。

案の定、ほむらの勇姿を眺めていた女子生徒たちが黄色い歓声を上げて駆け寄ってくる。

 

「暁美さ〜ん! すごーい!」

「きゃー! かっこいい〜!」

「タオル! タオル使う!?」

 

まどかとさやか、加えて仁美はその様子を傍目から見ている。まどかの瞳もほむらの周りの女子たちと同様に、きらきらと輝いていた。

 

「ほむらちゃん、かっこいいよね〜。憧れちゃうよー…」

「まどかは、あの中に交んないの?」

「私なんかが行ったって…私、運動なんて全然できないし、ほむらちゃんみたいに頭も良くないし、ぜんぜんダメだもん」

「まどかさんには、まどかさんの良さがありますのよ?」

「まどか…あんた、相変わらずそういうとこ、ネガティブだよねぇ…」

 

さやかは少し呆れたように半笑いで言うと、急に歓声がぴたり、と止む。

ほむらが女子生徒を制してまどか達の方へ向かってきたのだ。まどかは、ほむらのその行動に戸惑いを覚える。

 

「ほむら、ちゃん…どうしたの?」

「…ごめんなさい。また体調が悪くなってしまって…よければ、保健室へ連れて行って欲しいのだけれど」

「え、えっ!?」

 

それを見ていたさやかは、ピーン、と閃く。ほむらの顔色は昨日みたいに悪くなく、むしろ良い。それに、疲れた様子も見られない。

 

「王子様の登場ね、まどか?」

「さやかちゃん!? お、王子様って」

「あんたの事、ちゃんと見てるってことでしょ? 間違ってないじゃん。行っといで」

 

さやかに背中を押され、まどかは顔を若干赤らめてたじろぐ。

 

「も、もう…! い…行こっか、ほむらちゃん」

「ええ、お願いするわ」

 

まどかはぎくしゃくしながら歩き出し、その後ろについてほむらが歩幅を合わせる。転入2日目にして、2人の距離は大幅に縮まっていた。

 

「ああっ…これからお2人は、保健室という神聖な場所でお互いの愛を確かめ合うのですね! いけませんの! それは禁断の愛の形ですのよー!」

「はいはーい、とりあえず落ち着こうか仁美」

 

 

志筑仁美という人間の扱いにもすっかり慣れてきた、さやかの今日この頃である。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

保健室のような人気のなく、漂白されたように静かな空間にいると、ほむらはつい昔の事を思い出してしまう。

身体も弱く、入退院を繰り返していたせいで友達もできず、勉強もまるでついていけない。

病院のベッドでテキストを開く事もできたのだが、いつ消えるともわからない命の灯火。自分は所詮何の役にも立てずに消えて行くのだろう、という思いが強く、新たな事を始めよう、などと思えるはずがなかったのだ。

 

(今となっては、もうはるかに昔の話ね…魔法少女になって、どれだけの時を過ごしてきたか…もうわからないわ)

 

今の自分は、魔法によって作られたもの。虚構に塗れているのだ。まどかも、きっとそんな偽物の自分に憧れているに過ぎないのだろう。

まどかの笑顔の前で、ほむらは自嘲ぎみに微笑んだ。

 

「ねえほむらちゃん…今度は、どこが悪いのかな…? また貧血…?」

 

まどかは心配そうに尋ねてくる。魔法少女なのだから、そんな心配などいらないのに。

もっとも、身体は丈夫でもメンタル面まで規格外の強さ、ということはまずあり得ないのだが。

この優しさに甘えて良いのだろうか。きっと、一度甘えてしまえばもう離れられない。砂糖菓子なんて目じゃない。ひどい中毒性の麻薬のように、溺れてしまうだろう。

人を愛する、とはつまりはそういうことだ、とほむらは思う。しかし愛するからこそ、時には突き放さなければならない。

 

「もう大丈夫よ。私、人に囲まれるの慣れてなくて…駄目ね、使い魔相手には強気になれるのに。戦う事しか能がないのかしらね…」と、皮肉交じりに言う。だが、ほむらはこういう所がいちいち鈍いのだ。

自分が人間である事を否定する度に、まどかは良い顔をしない事に、まだ気付かないのだから。

 

「そんなことないよ…ほむらちゃんはとっても優しくて、かっこよくて、だからみんなほむらちゃんの事が好きなんだよ」

「まどか…貴女は私を過大評価しすぎよ。私は、目的の為ならどんな残酷な事だってできるのよ」

「それでも、だよ。だから…もっと自分を大切にしなきゃ駄目だよ? ほむらちゃんが傷付いて、悲しむ人だっているんだから」

「………!」

 

それは、かつてほむらがまどかに対して言った言葉と同じだった。魔法少女になる事でしか自分の価値を見出せなかった、かつてのまどかに対して、だ。そしてほむらは、そんな彼女を救う事はできなかった。

 

 

………いや、違う。

 

 

(私は…この言葉をどこかで言われている。他でもない、まどかから。でも…どうして? わからない…まるで思い出せない。)

 

胸がざわつく。心の中に、警鐘が鳴り響く。頭が、締め付けられるように痛みだす。

 

思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い出すな──────

 

 

「───ほむらちゃん? どうしたの」

「…っ!」

 

はっ、として我に返る。背中には嫌な冷や汗が、心臓は未だ小刻みに緊張している。

 

(…今のは、何?)

 

ほむらは、自分でも何が起こったのか理解できなかった。ただ突然、まどかの発した一言を聞いた途端に何かがあった。そんな気がするだけだ。

…昨日からどうも、体調が乱れがちだ。休養が必要なのだろうか。

 

「…ごめんなさい。やっぱり、少し休んでいってもいいかしら。まどか、貴女は先に───」

「ううん、一緒にいるよ。だって私、保健委員だよ?」

 

てぃひひひ、と独特の笑い声をしてまどかは言った。その笑顔に、ほむらの心はみるみる癒されていく。

どんなに辛い事でも、投げ出したくなる事でも、その先にこの笑顔があるのなら、何度でも頑張れる。詰まるところ、暁美ほむらとはそういう人間なのだ。

 

 

『───2人とも、少しいいかしら?』

 

 

びくん! と2人は同時に身体を強張らせる。

 

「な、何今の!? いきなり頭の中に声が!?」

「落ち着いてまどか…テレパシーよ。魔法少女同士なら、誰でもできる。そうでしょう、巴マミ」

 

ついに接触を図ってきたか、とほむらはまどかの手を取り、警戒心を強めた。

 

『一応私、先輩なんだけどなぁ…まあいいわ、その通りよ暁美さん。今はキュゥべえを通して、鹿目さんにもテレパシーが通じるようになってるの』

「何の用かしら、巴マミ」まどかを巻き込みたくないほむらは、少し冷たくあたる。

 

『今夜、魔女を叩こうと思うの。あなたも手伝ってくれないかしら?』

「…建前なんて、必要ないわ。 私の実力を測りたいだけでしょう」

『否定はしないわよ。いきなり4人とも目の前から消えた時は驚いたけれど…瞬間移動か何かだ、って察しはつくわ。

それに、使い魔でさえああなら、親玉はもっと手強そうだもの。味方は1人でも多い方がいいと思わない?』

「どうしても、というなら考えておくわ。…ただし、行くのは私だけ。足りなければ、ルドガーをつけるわ」

『構わないわ。ところで鹿目さん、あなたは…』

 

手を握るほむらの力が、少し強まる。まどかを信じている。それでも不安なのだ。

信じていても、傷付いている他人の為に平気で自分を差し出してしまえる。まどかは、そういう娘なのだ。

 

「ごめんなさい…私、契約はしないよ」

『暁美ほむらにいろいろ吹き込まれたみたいだね?』キュゥべえの抑揚のない声が、会話に入り込む。

 

『まあいいさ。君さえその気になってくれれば、契約はいつでもできる。それこそ、大人になってもね』

 

それはつまり、大人になっても付き纏ってやると、遠回しに言っているのか。ほむらは声にこそ出さないが、不快感を抱いていた。

 

『それじゃ、また後で。放課後落ち合いましょう、暁美さん?』

 

そう言い残し、マミはテレパシーを切った。

保健室で佇む2人の表情は、決して明るいものとは言えない。

 

「やっぱり、行くの?」

「ええ。巴マミはともかく、魔女を倒すのは魔法少女の役目…いえ、義務。それには変わりないもの。…そろそろ、授業に戻りましょう」

「具合はもういいの?」

「私は魔法少女よ?」

 

またそういう言い方をして、とまどかは頬を膨らませる。

ほむらもいい加減慣れたもので、今度はそのふくれっ面を愛おしそうに眺めていた。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

すっかり日の落ちた通学路を、2つの影が寄り添うように歩いていく。

ほむらの提案でまどか、さやかと一緒に下校することにし、さやかは途中で道を別れたのだ。

 

「なんか…悪いよ、帰り道まで送ってもらっちゃって」

「気にする事はないわ、私が好きでやっている事だもの。私がいない時も極力、さやかと一緒に帰るようにしてちょうだい」

「うん、わかったよ。…でもほむらちゃんの家、方向真逆だよね?」

「私はいいのよ。貴女を守る方が大事だもの」

「ほ、ほむらちゃんってば…もうっ」

 

まどかの顔が一気に赤らむ。今日だけで何度赤面したか、もう数えるのも忘れた。

澄まし顔で髪を掻き上げるほむらの仕草ひとつとっても、艶めく黒髪が舞う姿に見惚れてしまうのだ。

そうこうして歩くうちに、鹿目家が見えてくる。2人で歩く時間は、あっという間に過ぎてしまうように感じた。

 

「………気を付けてね、ほむらちゃん」

「大丈夫よ、私はそう簡単には負けないわ。しぶとさだけは自信があるもの」

「もう…どうしてそういう言い方しかできないのかな? …本当は、私だって力になりたいんだよ?」

「その気持ちだけで十分よ。ありがとう」

 

また明日ね、と手を振ってほむらは背を向ける。まどかはその背中を名残惜しそうに見つめ、姿が見えなくなるまで玄関の前に立っていた。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

鹿目家の影が見えなくなるまで歩いた辺りで、ほむらは突然呼びかける。

 

「……いるんでしょう、巴マミ」

『あら、気づいていたのね』

「当然よ。そこまで鈍くないわ」

 

ほむらの呼びかけにテレパシーで応えるマミ。周囲に人気がないのを確かめると、ほむらの前に空から着地してきた。

かつん、と重力の法則を無視した軽やかな靴音をたて、気障ったらしく腕を組む。

 

「魔女の気配はここから東に少し離れたところからよ。行きましょ、暁美さん」

「構わないわ。ルドガーも先に向かってる」

「場所を、特定しているの?」マミは予想外の発言に、声が上ずる。

「統計よ。使い魔の動きからだいたい予想できるわ」

「ふぅん…キュウべえの言うとおり、不思議な娘ね。あなた」

 

自分にはそんな予想などできない。魔女は足で探すしかなかったのに、とマミは思う。

ともあれ、今は魔女の討伐が目的だ。この街を守る正義の魔法少女として、魔女を裁く。それこそがマミの矜恃だった。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

時同じくして。

 

うがいを済ませて自室に戻ると、まどかはあまりに予想外の来客に、間抜けな声を上げてしまった。

 

「き、キュゥべえ!? なんでいるの!?」

『やあ、まどか。いくつか確認したいことがあってね』

 

同じ動物でもエイミーとは大違いだ、とまどかは感じる。

どこか生き物らしくないというか、可愛らしい見た目はしてるのだが、可愛げがない。まるで人形が喋ってるように思えるのだ。

 

『暁美ほむらから、魔法少女についていくつか聞かされたようだね?』

「…うん。魔法少女はいつか魔女になる、そうだよね?」

『否定はしないよ。恐らく、付け加えるべき点はいくつかあるだろうけれど、ほむらの言っただろう事に訂正すべき点はないはずだよ』

「付け加える…?」

『ほむらの目的について、さ。大体の察しはつくよ』

 

その外見とは裏腹に能面のように変化のない顔つきに、まどかは心のどこかで畏怖を覚える。

そもそも、キュウべえの目的は魔女を増やすこと。自分は狙われているのだ、とまどかは改めて思った。

 

『彼女は君を魔法少女にさせない事にこだわっているけれど…君が魔法少女になった場合のポテンシャルは本当に計り知れないんだよ。

叶えられる願いは、その娘の潜在能力に比例する。力が強ければ強いほど、何でも叶えられるんだ。

君の場合は、宇宙の法則にすら干渉できるレベルだよ』

「でも…願い事を叶えたって、魔女にされちゃったら意味がないよ」

『魔女になるかどうかは君の努力次第さ。マミなんてもう4年も魔法少女をやっているんだから、やりようはいくらでもあるのさ。

でももし仮に君が魔女になったとしたら…そうだね、この世界を瞬く間に絶望で埋め尽くせるだろうね。

簡単に言えば、死の星になるのさ。ほむらはそれを恐れてるんだろうね』

「えっ………? 今、なんて」

『彼女は見た限り、自分の目的の為なら手段を選ばない娘だと思うよ。地球を守る為なら、どんな手だって使うだろうね。

それこそ、君を懐柔するなんて安い労力だろうさ。ご機嫌とりなんて、魔女と戦うよりはるかに楽だろうからね』

 

言った。確かに、ほむらは言ったのだ。

"私は、目的の為ならどんな残酷な事だってできるのよ"と。

まどかの顔から、血の気が引いていく。信じていた世界に、ひびが入っていく。

つまりほむらは、地球を守る為に自分を守っていたのか。考えたくないのに、そんな事を思ってしまう。

…自分の事を、好きではなかったのか、と。

 

 

『僕としては、何だって構わないんだけどね。君との契約がとれればノルマは達成できる。それともう一つあるんだよ、君に伝えるべき事が……聞いてるかい?』

「………そ……うそ……うそだよ……そんな……」

『はぁ…余程こたえたみたいだね? 僕は嘘は言わないよ。魔女のことだって、"訊かれれば説明する"さ。

それに、どうして君たち人間は裏切られた程度でそんなに取り乱すんだい? つくづく、感情というものは厄介だね。エネルギーとしては優れているんだけど、どうにもわからないよ』

 

まともに耳に入るわけがなかった。けれど、まどかは最後の一線で耐える。ほむらの零した、たった一言を思い出して。

 

"───この願いは私だけのもの。まどか、貴女の為だけのものよ" と。

 

「ほむらちゃんは…ほむらちゃんは、私を裏切ったりなんかしないよ! 好きだ、って言ってくれたもん! 私だって…ほむらちゃんの事………! だから、だからぁ…」

『僕には感情というものがないからね、君に同情はできないよ。それに、本気でいっているのかい、それ?

 

───暁美ほむらが魔女だったとしても?』

「………えっ?」

 

今度こそ、まどかはキュゥべえの言っている意味がわからなかった。

 

『彼女の能力は確かに特殊だよ。あのマミでさえ考察がままならないほどなんだから。まあ、大体の察しはつくんだけどね。

使い魔たちの目の前に、コンマ以下の秒数も置かずに時限爆弾や対戦車地雷が出現してたね。しかもあれは魔法で錬成したものじゃない。現存する兵器を設置したものだ。

僕の予想では、時間操作に関するものだと思うんだけど。だとしたら、4人まとめて消えたのも頷けるよ』

 

否定は、できなかった。何ひとつとして間違っていなかったからだ。

 

『そうだとしても、そんな規模の魔法は魔法少女のスペックでは扱えないよ。君ほどの素質があればわからないけれど、彼女のスペックは決して高くない。それに、彼女の魔力のパターンは魔法少女というよりは…魔女に近いんだよね』

「そんな…そんなデタラメ、信じないよ!」

『それは君の勝手さ。僕はあくまで"可能性"を話しているに過ぎない。時を越える程の力を持った魔女は、過去にも存在したからね。

そもそも、僕は暁美ほむらとは契約した覚えすらないよ。

確かめてみたらどうだい? ほむらは今、魔女と戦いに行ったんだろう? 場所なら、僕が案内してあげるよ』

 

ここでようやくキュゥべえは、まるで猫のように前足で頬を掻く真似をした。兎よりも遥かに長い耳が、ぴょこんと揺れる。

 

『僕としても、もしほむらが魔女なら対策を練らなければならないからね。マミの手には負えないなら、佐倉杏子にも援軍を頼む必要がある

し。僕はこれから確認に行くつもりだけど、君は───』

「……連れてって」

 

キュゥべえの事を信じたわけじゃない。ほむらの事を信じられなくなったわけでもない。

ただ、今のまどかはこの短期間に、あまりに色々な事を知り過ぎた。何が真実で、何が嘘なのか、わからないのだ。たとえ誰も嘘をついていないとしても。

それでも、今のまどかには決して譲れないものがひとつだけあった。

 

「ほむらちゃんは言ってくれたんだ。私に出逢えて本当に幸せだった、って。

………こんな私でも誰かが愛してくれるなら…私はその気持ちに応えたいんだ」

 

この胸の想いだけは、誰にも奪わせない。

まどかはキュゥべえに対して、強い意志を込めた眼で応えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話「私は、ここにいるよ」

1.

 

 

ルドガーが今回ほむらに指定された場所は、住宅街から少し外れたところにある、廃ビルだった。

周りには何もなく、その建造物だけが孤立している。隠れ家にするにはうってつけなのかもしれない。

 

「ほむらはまだ来てないのか…」

 

懐中時計をチェックすると、時刻は午後5時を回ろうとしているところだ。

ルドガーは知らないが、昔から"逢魔が時"という言葉があるように、夕暮れ時は怪異が動き出すものだ。故郷のエレンピオスでもやはり夜の方が魔物の活動が盛んであるが、今回の敵は魔物とは訳が違う。

魔女のくちづけ。ほむらが言うには、首筋あたりに刻印がされた人を見つけたら、極力保護しろという。

魔女によって絶望を植え付けられ、無意識のうちに事故や自殺などの死へと向かわせる、呪いの類だという。

この世界での原因不明の死亡事件は、何割かが魔女のくちづけのせいだとも言われた。

 

「とはいっても、この辺りに人気なんて………えっ…!?」

 

いた。

廃ビルの上方を見上げると、屋上のふちに女性らしき人影が見えた。こんな時間に、あんなところにいる時点で怪しい。

それに、ふらふらとしていて今にも落ちて来そうだった。

ここから間に合うか…そんな事は無理だ。建物を駆け上がる間に、地表に命を散らしてしまうだろう。ならば、取れる行動はひとつしかない。

 

「はあぁぁぁぁっ!」

 

ルドガーは懐中時計を構え、変身を始める。

キィィン、と独特の金属音が鳴り響き、身体の周りに歯車が展開され、それらは手足のほんの一部に鎧装として変化し装着される。瞳の色がわずかに変わり、顔に刻印が浮かび上がった。

魔女との戦いに備えて力を抑えた、クォーター骸殻だ。

変身を終えるとほぼ同時に、女性が落下してきた。ルドガーはそれに合わせて、骸殻で強化された身体能力を活かし、高く跳躍をして壁に取り付く。

 

「うおぉぉぉ!」

 

壁を垂直に駆け上がり、落下してくる女性を見事受け止めた。

そのまま、着地に移る。壁から足は離れ自由落下の状態だが、ルドガーは女性を片腕に抱え、空いた左手で槍を造る。

 

「───舞斑雪っ!」

 

地表まであと5メートルの地点で、壁に向かって牙突を放ち、槍を穿つ。

コンクリートが砕ける音と共に黒槍は深々と突き刺さり、重力がかかり、ガリガリと壁を削りながらブレーキをかけ、転落を防いだ。

 

「……ふぅ、なんとかうまくいったな」

 

一か八か、だったが無事に女性を助ける事に成功した事に安堵し、一息つく。首筋を見ると、やはり何かの刻印がなされていた。

槍から手を離して残り2メートルを着地し、ルドガーは変身を解いた。

 

「随分と派手な救出劇ね?」

「! その声は…マミか」

 

後ろを振り返ると、ようやくマミとほむらが到着していた。既に魔法少女の姿へと変身している。準備は万端、といったところか。

 

「でも、助かったわ? あなたがいなければその人、死んでたろうから」

「たまたま、だよ。…この人は、どうすれば?」

「魔女のくちづけは魔女を倒せば消えるわ。私がリボンで縛っておくけど、気を失ってるみたいだし、寝かせておけばいいわよ?」

 

言うとマミは、目にも止まらぬ速さでリボンを呼び出し、女性の手足を拘束した。

ちゃんと、締め跡がつきにくいような結び方だ。どうやら、こういった事は慣れているようだった。

 

「さて、行きましょうか。暁美さん、ルドガーさん?」

「ええ」

「ああ、行こう」

 

いつの間にほむらはマミと仲良くなったのだろうか。昨日の様子だと決して仲が良さそうには見えなかったのだが、とルドガーは思う。

とにかく、今は魔女が先決だ。ルドガーは2人のあとに続いて、廃ビルの中へと進んで行った。

 

薄暗い構内を、マミのソウルジェムの暖かな光が照らす。ソウルジェムには魔女の反応を辿る探知機の役割もあり、基本的にはそれを頼りに探す事になるのだ。

階段を登った先の階層の、一室のドアの前で3人は立ち止まった。

 

「ここね。準備はいいかしら?」とマミは聞くが、ほむらは特に返事をしない。代わって、ルドガーが「問題ない」と返す。

 

「結界を開くわ」

 

マミがドアの前に手を翳すと、先ほど女性の首筋に刻まれていた刻印と同じ文様が浮かび上がる。それが、魔女の結界の入り口だった。

さらにその文様をこじ開けようとした時…ルドガーは既視感に襲われる。

 

「!? この、感覚は?」

 

以前に何度も味わった。そしてこの世界に来てすぐに体験した。ほむらが芸術家の魔女と称する、門の化け物の結界に"飲まれた"時の感覚だ。

 

「きゃあっ!?」マミが急に悲鳴を上げる。文様から、おぞましいほどの黒いオーラが大量に漏れ出たのだ。

そのオーラに3人とも飲み込まれる。人々の絶望から成り立つその波動の正体を、かつてはこう呼んだ。

 

「………やっぱり、時歪の因子か」

 

周囲の景色がねじ曲がる。抗う事は叶わず、この世界の主を槍で貫くまで、出る事を許されない。

魔女の結界。そして時歪の因子、あるいは分史世界。これらがどう関わっているのか、今のルドガーにわかるはずもなかった。

 

「…っ、どうやら結界の中に入ったみたいね」

 

マミはあくまで平静を装いながら腕を組むが、その声色は少しトーンが上がっていた。緊張している証拠だ。

 

「先に進むわ。あまり、時間はかけたくない」ほむらはどうして、こういう時にも冷静に先の一手を考える。

「ここの使い魔も昨日の奴と同様に再生するなら…相手にするだけ無駄よ。本体を叩けば、再生のエネルギーもなくなるはず。使い魔は後回しよ。最低限だけ倒せばいい」

「外に使い魔が逃げたらどうする気かしら?」

「問題ないわ。私が1匹残らず殺す」ほむらは、盾から機関銃を取り出して言った。

 

確かに、時間を止めてほむらと自分でやれば、それは可能だろう。ここはほむらに従い先に進もう、とルドガーは決めた。

マミは少し不服そうな顔を見せたが、ほむらの"瞬間移動"の能力を思い出したのか、同意した。

 

「早速お出ましね、暁美さん?」

 

マミの指差す方角には、次々と使い魔が涌いて出ていた。昨日の数の、およそ倍だろうか。

不気味な笑い声のような鳴き声を出しながら、わらわらと距離を詰めてくる。

 

「後回しにするには、ちょっと多すぎるわね…飛ばしていくわよ!」

 

リボンを横にひと薙ぎすると、その射線上にマスケット銃がずらりと並ぶ。単発式の銃であるため1発ごとにリロードが必要だが、マミは銃身ごと交換することでリロードの手間を省く戦術を得意とする。

魔法の扱いに慣れた、熟練の魔法少女ならではの技法だった。

 

「ティロ・ドッピエッタ!!」

 

ズドドドドド! と機関銃のような轟音を立ててマスケット銃の一斉掃射が放たれる。使い魔たちを舐めるように一掃していくその様は、まさに圧巻だ。

 

「さ、行きましょ?」

 

マミは何事もなかったかのように、涼しい顔でマスケット銃をくるくると振り回して言った。

 

 

 

2.

 

 

 

 

迷路のように入り組んだ結界を、使い魔を薙ぎ倒しながら進んで行く。昨日の使い魔の結界とはやはり似ているが、こちらの方がより複雑、難解だと言える。

幸いなのは、使い魔は今のところ再生する兆しを見せないことだ。恐らく、親玉にエネルギーが集中しているのだろう。

芸術家の魔女のようにはいかない、という事だけは覚悟しなければならない。

 

「そういえば」と、ルドガーは双銃で応戦しながらほむらに尋ねる。

「昨日のあれは魔女じゃなくて使い魔だったけど…使い魔にも結界を作る力があるのか?」

「ええ、あの使い魔はかなり力をつけていたわ。使い魔は最終的には元となった魔女と同じ姿にまで成長して、グリーフシードを孕むらしいけれど…

私は、そこまで使い魔を放っておいた事はないからわからないわ。

ただ、そうやって使い魔を放置して、グリーフシードを稼ぐ魔法少女も過去にいたらしいわ」

「…それって、危ないんじゃないのか。一般の人が巻き込まれたら…」

「生きる為なら、人はどこまでも残酷になれるものよ。魔法少女も例外ではないわ」

 

言いながらほむらは盾から手榴弾を取り出し、口でピンを引き抜いて使い魔に投げる。

左手に持った機関銃を小刻みに放ち、的確に使い魔を撃ち抜いていく。

ルドガーのように、魔力で弾丸と筋力を強化しているのだろう。マシンガンを反動を意に介さず連射するなど、本来ならばほむらの体格では不可能だ。

マミのような派手さ、華やかさはないが、ほむらの戦う姿はどこか安心できるものがあった。

 

「負けてられないな…ロクスウィング!」

 

ルドガーも負けじと、双銃から風のエネルギーを纏わせた弾丸を連射する。着弾点の気圧が急激に下がり、周囲の使い魔を1箇所に引き寄せる。そこにルドガーは追撃の炎弾を撃ち込み、使い魔を四方に爆散させた。

 

「ふぅ…随分と、銃の扱いに慣れてるんだな」

「それだけ、長い間戦ってきたのよ。最初なんてひどいものだったわ。

この盾以外に何も持ってなかったんだもの。間に合わせで、ゴルフクラブを持参してたくらいよ」

「ゴルフクラブ? 何だ、それは」

「スポーツに使う金属の棒のようなものよ。魔力を込めて振り回せば、使い魔程度なら殴り倒せるけど…結局、銃の方が早いわ」

「……それ、今持ってるか?」

 

ルドガーはひとつ閃いた。そのゴルフクラブとやら、オーブで強化すればハンマーの代わりとして使えるのではないか。

 

「何本かあるわ。武器としては勧めにくいけれど…好きに使って」と、ほむらは盾の中からゴルフクラブを1本取り出した。ルドガーはそれを受け取り、軽く振ってみると中々の好感触。

以前使っていたハンマーに比べると丈が大分短いが、その分取り回しが楽そうだった。

 

「いけそうだ。ありがとう、ほむら」

「本気かしら?」

「ああ。見せてやる」

 

ルドガーは早速、アローサルオーブでゴルフクラブに強化をかける。得意とする属性は水、地。目の前に涌く使い魔に狙いを定めて、

 

「───ファンドル・グランデ!」

 

ゴルフクラブを豪快に振り上げ、そこから巨大な氷のエネルギー波を放った。

黒匣がないため威力は下がるものの、使い魔は広範囲に広がるエネルギー波を受けてたちまち氷漬けにされる。数秒置いて氷塊が砕けると共に、使い魔も砕け散った。

 

「…大したものね」

 

さすがのほむらも、その光景に銃を撃つ手が止まった。踊るようにマスケット銃を連射して、使い魔を撃破していたマミも釘付けになる。

…が、当のゴルフクラブは技の反動で使い物にならなくなっていた。

 

「ルドガーさん…あなた、何者なの?」

「あ、うーん…話すと長くなるんだけどなぁ…」

「まあ、いいわ。それだけの術が使えるなら、味方としては心強いもの。"この子"を倒してから、教えてもらうわよ?」

 

いつの間にかマミは、ひとつだけぽつり、と立つドアの前にいた。外観からして少し不自然な所にあるそれは、その先に魔女が隠れていることを示唆していた。

扉が開かれる。ほむらは機関銃をロケットランチャーに持ち替え、ルドガーは新しい武器を握り締めて、今一度感触を確かめた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

同刻。

 

キュウべえに案内されたまどかは、魔女の隠れ家たる廃ビルまでやって来ていた。日はさらに落ち、まもなく夜空へと移り変わろうとしている。

外壁の一部が破壊され、ビルのすぐ近くには、手足をリボンで縛られた女性が気を失っていた。

 

「キュゥべえ! この人は!?」まどかは咄嗟に駆け寄り、女性の容態を見ようとする。しかしキュウべえは首を横に振った。

 

『これは…魔女のくちづけを受けているね』

「くちづけ…? それって、これの事?」女性の首筋にある刻印を指して、まどかは訊く。

『そうだよ、呪いの一種さ。どうやら、魔女が活発化しているようだね』

 

キュウべえの言うように、廃ビルからは禍々しいオーラが漂っている。比喩ではなく、目で見た通りの光景だ。

 

『既に中では魔女と戦っているようだね。まあマミがいるから心配はないと思うけれど…ほむらの正体を見極めないといけないからね。…怖いのかい?』

「………正直、ちょっと怖いかな。でもね、キュゥべえ」

 

まどかの足はかすかに震えている。

当たり前の話だ。この先は化け物の巣。昨日のような化け物がうじゃうじゃと涌いてくるかもしれないのだ。

もしもあの時ほむらがいなければ、殺されていたかもしれない。…或いは契約をして、いつ魔女になるかわからない、死と隣り合わせの生活を余儀無くされるかもしれなかった。

だからこそ、逆に思う。

ほむらの事をもっと知りたい。支えになってあげたい。何より、一番は。

 

「私は、ほむらちゃんの願いが何なのか知りたい。ほむらちゃんを一人ぼっちにさせたくないんだ。

それに、どうして私を守ってくれるのかな、って。本当に、世界の為なのか。それとも、もっと別の何かの為なのか…私のため、だったら1番嬉しいんだけどね?」

『君がそう願えば知る事は容易だけれど?』

「もう、そういう意味じゃないよ。これは私が、自分で知らないといけないんだ」

 

まどかは真っ直ぐに廃ビルを見据える。負のオーラの立ち込める構内へと、ゆっくりと足を踏み入れた。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

───醜い。それが、"彼女"を見て第一に浮かんだ感想だった。

顔と思しき部分は熟れすぎた柘榴のようにどろどろで、薔薇の花がいくつも散りばめられている。揚羽蝶のような大きな羽根を要し、6本の脚を蠢かせ、巨大な椅子にかけている。

生物の法則を無視したような奇形の化け物。それこそが、この"薔薇園の魔女"だった。

3人は円く形どられた、芝生の箱庭のような場所で、魔女と対峙している。

 

「なんだ、あれは……」

 

ルドガーはその異形の姿に息を呑む。リーゼ・マクシアの僻地でさえ、あんな化け物はいなかった。

これが、魔女。魔法少女が最後に辿り着く姿だというのか、と。

そしてやはり、時歪の因子の反応はこの魔女からする。或いはそれに酷似した反応だろうか。

 

「ひどいものね………」

 

さすがのマミも、これには溜め息しか出ないようだ。ただし、ルドガーのそれとは大きく意味が違うだろう。

『彼女の心は、その事実に耐えられないわ』というほむらの言葉を思い出す。

全くその通りだ。こんな風に成り果てると聞かされて、ショックを受けない筈がない。それどころか、認めようとしないだろう。

 

「すぐに楽にしてあげるわ!」

 

言うとマミは足元にマスケット銃を何本も錬成し、地面に立てる。それを取っ替え引っ替えして魔女に連射し始めた。

着弾と同時に、肉の弾ける音がする。ほむらもマミに合わせてロケットランチャーを撃ち始める。

 

「仕方ない…トライスパロー!」

 

ルドガーも銃に持ち替え、エネルギーを込めた大きめの弾丸を何発も放つ。それらは燕のように上方に曲がり、弱点と思われる顔面部へと刺さった。

 

『オオオオオオオオオ…!』

 

効果はあるようだ。魔女は少し苦しそうによろめき、抵抗を見せる。

身体から茨の鞭のような触手を伸ばし、こちらへ叩きつけてくる。しかしその動きは緩慢で、回避するのは容易だった。

ほむらは盾を使うまでもなく、マミも華麗なステップで避ける。

…だが、ルドガーは油断できなかった。芸術家の魔女と同じならば、この後に時歪の因子化が待っているはずだからだ。

いつでも骸殻を纏う準備はできている。魔法少女の手だけで倒せるならばそれに越した事はないが、果たして。

 

「一気に決めるわよ!」

 

畳み掛けるようにマミはリボンを大きく回す。その軌跡からは、先程とは比べ物にならない量のマスケット銃が生み出された。

 

「受けなさい───無限の魔弾を!!」

 

それら全てが、同時に火を吹いた。まるで兵団の一斉射撃のような轟咆は、魔女を蜂の巣にせんとばかりだ。

 

『オォォォォォアァァァァァァ!!』

 

銃撃を受けて、魔女の身体から鮮血が吹き出る。その血は赤とも緑ともとれる、あり得ない色をしていた。

そのままドスン、と大きな音を立てて魔女は地に伏した。

 

「ふぅ…呆気なかったわね、暁美さん?」

「まだわからないわ。再生するかもしれない」

 

ほむらはまだ構えを解かず、魔女を見据える。

ルドガーもほむらと同じ意見だった。何故なら、時歪の因子の反応は、この局面において"さらに強まっている"のだから。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

がちゃり、と扉の開かれる音が後方から聞こえる。倒れた魔女に向いていた視線が、同時にその方向へ集まった。

 

『おや、どうやら既に魔女を討伐したみたいだね?』キュゥべえの無機質な声は、さほど声量は大きくない筈なのに空間中に響く。

 

「まどか……どうしてここに!?」ほむらは慌てた様子を見せて、まどかの方へ駆け寄った。

「えへへ…来ちゃった」

「来ちゃった、って…ここがどんなに危険な場所かわからないの!? 使い魔に殺されたかもしれないのよ!?」

「大丈夫だよ。キュゥべえが使い魔に遭わないように案内してくれたから」

「そういう問題じゃないわ!」

 

珍しく、ほむらの声が大きく響く。ここまでほむらが取り乱すのは、やはりまどかを特別視しているからなのか。ルドガーはその様子を見て、とある男の姿を思い出した。

 

『───エルはわたしのものだ!!』

 

仮面をつけて黒斑を隠し、ひっそりと待ち続けた。時歪の因子の呪縛から逃れ、娘と共に新しい世界で生まれ変わるために、過去の自分を消そうとした男…ヴィクトルの姿を。

やはりほむらにとってのまどかは、ルドガーにとってのエル、というよりはそちらの方が近いのかもしれない。

 

「ごめんねほむらちゃん。でも私、知りたかったんだ、ほむらちゃんの願いを。ほむらちゃんがどうして、私を守ってくれるのかを」

『そうだよ。厳密に言えば君の正体を───』

「キュゥべえは黙っててくれるかな?」

『きゅっぷい』

 

てぃひひ、と半笑いで気まずさを誤魔化すまどかを前に、ほむらは口をつぐんでしまう。

手に持っていたランチャーを盾にしまい、改めてまどかと正対した。

 

「貴女はどうしていつも、私の事なんかを…」呆れたように肩を落として、ほむらは溢す。

「でもだめよ、私の願いは教えられないわ。きっと…軽蔑するわよ」

「そんな事ないよ! 私、ほむらちゃんのこと……その、何ていうか……うぅ」

 

何かを言いたげにするが、赤面してそれ以上の言葉が出てこない。マミはそんな2人の様子を微笑ましく見ている。

しかし1人、ルドガーだけは視線を魔女の方に戻していた。

時歪の因子の反応が、ついに最大まで強まったのだ。

 

「みんな! まだ終わってないぞ!」

 

ルドガーがそう叫ぶや否や、魔女は再び動き始める。

もぞもぞ、とグロテスクな音を立てながら傷付いた箇所を肉で埋めていく。柘榴のような頭部を始めとして、瞬く間に全身がどす黒く変色していく。

まるでそれに呼応するように、箱庭の芝生も一気に爛れた色へと変わった。

 

『──────ァァァァァァ!』

 

絹を裂くような甲高い叫び声は、黒く染まりきった魔女のものだった。

それを見た少女達も、目の色を変える。マミは即座にマスケット銃を錬成し、構えをとる。

ほむらもまどかを庇うように立ち、盾から重火器を取り出した。

 

「まどか、下がって! …大丈夫、貴女は私が守るから!」

「う、うん…!」

 

もはやルドガーも躊躇わない。銃を仕舞い、懐中時計を構える。先程よりも多くの歯車を展開し、鎧装へと変化させていく。さらに出力を上げた、ハーフ骸殻だ。

 

「今はこれが限界か……」

 

全力を込めて念じた筈だが、やはりスリークォーター以上の骸殻を纏えない。万全を期したかったが、今はこれで戦うしかない。魔女が動き出す前に、先手を打つ。

 

「行くぞ、蒼破追連!」

 

槍をひと振りし、蒼い光弾を無数に撃ち出す。そのひとつひとつには風のエネルギーが込められており、着弾と同時に肉を抉る。

合わせて、マミとほむらも銃撃を再開する。ぶちゅり、と生々しい音はするのだが、どうにも手応えを感じられない。

ならば、とルドガーは槍を双剣に変形させて、厚い弾幕を掻い潜って懐に飛び込んでいく。

それを阻むように足元から蔦が何本も生えてくる。魔女の触手が、ルドガーを捉えようと蠢く。

 

「ルドガー、気をつけなさい!」と、ほむらが注意を呼びかける。

「ああ、この程度なら!」

 

触手が捉える前に、ルドガーは瞬時に空高く飛び上がる。そのまま魔女の頭上を取り、逆刃に持った剣を十字に重ねて、急降下して切り伏せる。肉を削る感触が、手に伝わった。

 

「絶影!」

 

剣戟は、確かに魔女の頭を直撃して2つに裂いた。2人の銃撃も確実に当たっており、魔女はさらに甲高い悲鳴を上げて悶える。

それでも、決定打とはならなかった。

 

『──────オォォォァァァァァァ!』

 

魔女が、攻撃の体勢に移る。腰掛けていた椅子を触手で器用に操り………

 

「まずい、みんな避けて!」

 

ほむらが叫ぶとほぼ同時に、凄まじい勢いで椅子を撃ち飛ばしてきた。

ルドガーは咄嗟に側転をして回避に成功する。マミは椅子の飛んでくる方向とは逸れたところで、銃撃を続ける。

ルドガーは再度振り返り、

 

 

─────────

 

 

椅子の飛んで行った方を見る。魔女が狙ったのは、ほむら達だった。

間一髪というところか。巨大な椅子はほむら達の少し手前で静止していた。咄嗟に、ほむらが時間停止を発動させたのだ。

 

「…くっ、以前より圧倒的に強い…どうなってるのよ」

 

まどかの手を取り、ほむらは左に約10メートルほどずれる。まどかの身体は、恐怖で震えていた。

 

「ほ…ほむら、ちゃん…私、わたし…」

「…大丈夫よ、まどか」

 

時計の針が動き出す。椅子は箱庭の壁に激突し、凄まじい衝撃音を立てた。あんなものが当たれば即死だ。改めて戦慄を覚える。

だが、魔女の攻撃はそれだけではなかった。突然、魔女の触手があらゆる地点から生えてきたのだ。

マミはリボンを壁に這わせてブランコのように使って躱すが、不意打ちのように現れた触手に、ほむらが足を取られる。

 

「きゃあっ!!」

 

釣り上げられ、上体も捕縛される。触手はほむらを掴んだまま上昇していく。触れられている状態では、時間を止めても意味がない。

このままでは、ほむらが危険に晒される。

 

「ほむら!! 今助ける!」

「ル…ルドガー! まどかを…ぐう、あぁぁぁぁぁっ!! 」

 

ばきばき、と骨格が破砕する嫌な音がする。触手に締め付けられ、ほむらは吐血した。

さらに触手は、ほむらを壁に叩きつける。何度も、何度も、何度も。

 

「い…イヤぁぁぁぁ! ほむらちゃん! ほむらちゃぁぁん!」

 

まどかの悲痛な叫びが木霊する。

壁はみるみるうちにボコボコにヘコんでいき、その度に血が飛び散る。ほむらは既にぐったりとしていて動かない。魔法少女でも、あのままでは耐えられないだろう。

そして、まどかの足元にも触手が迫る。

 

「ひっ! あ、あっ……」

 

恐怖のあまり、腰を抜かすまどか。

ルドガーはその光景に焦りを覚える。普通の人間に、あんなものが耐えられるものか。双剣を槍に変え、無我夢中で地面を穿つ。

 

「ヘクセンチアァァァ───!!」

 

空から降り注ぐ黒い光弾が、間一髪のところでまどかを襲う触手を撃ち抜く。

 

「暁美さんっ!!」

 

マミはついに最終射撃を行う、巨大な砲身を錬成した。本体を叩き、怯ませる気なのだ。

 

「喰らいなさい! ティロ・フィナーレ!!」

 

爆音と共に膨大な魔力の塊が撃ち出され、魔女の身体に直撃する。大きな風穴が空き、そこから夥しい血飛沫が跳ねる。

 

『ア……キヒャァァァァァァァァァァァァ!!』

 

耳をつんざくような悲鳴を上げ、魔女はようやくたじろぎを見せる。ほむらを掴んでいた触手も緩み、遥か頭上からほむらの身体が落ちてくる。

 

「ほむらぁぁぁぁ!」

 

すかさずルドガーが飛び込み、力のないほむらの身体を受け止める。

その身体を、爛れた芝生の上に寝かせた。

 

「ほむら、ほむら! しっかりしろ!!」

 

身体を揺さぶって、意識を確かめる。乱暴な方法かもしれないが、ルドガーも冷静さを欠きつつあったのだ。

 

「ほむ、ら…ちゃん……?」

 

そしてそれを、まどかも見てしまった。左腕はあり得ない方向に曲がり、盾の重みで力なくぶら下がる。

魔法少女の衣装も、顔中も血塗れで、首をもたげる。

かろうじて息をしているが、最早生きているのかを疑いたくなるレベルだ。

 

「うそ……うそ、だよね……?」

 

どさり、と膝から崩れ落ちるまどか。こんな姿を見ては無理もないだろう。

ハイライトの消えた瞳から涙を流し、うわ言のように呟く。

 

「………わたしの、せいだ……わたしのせいで……ほむらちゃんは……ほむらちゃん………ほむらちゃん……」

「───くっ!」

 

とても、見ていられるものではない。14歳の少女が受け止めるには、あまりに残酷すぎる光景だ。

2人から目を背け、ルドガーはもう一度魔女と正対する。マミが空けた風穴はさすがに堪えたらしく、再生の兆しを見せない。

代わりに、魔女はもう一度巨大な椅子を、地面の中から掘り出す。狙いは…もう考えるまでもなかった。

 

「ルドガーさん! 2人を!」

『マミ! 君の魔力はもう限界だ!』

「わかってるわよ! でも、やるしかないでしょう!!」

 

キュウべえの注意を差し置き、マミはもう1発、最終射撃の用意を始める。しかし、どうにも砲身の錬成がうまくいかないようだ。

ほむらは目を覚まさず、まどかはもう立ち上がる事すらしない。2人を運んで逃げる暇など、とうになかった。

 

「やるしかない……インヴァイタブルっ!!」

 

アローサルオーブによって紡がれる術式に、骸殻のパワーを掛け合わせる。芸術家の魔女に対して使った時よりも効果は期待できるはずだが、タダでは済まないのは確かだ。

 

 

『オォォォ……──────アァァァァァァァァァァァァ!!』

 

金切り声と共に、椅子が飛んで来る。ルドガーは目を閉じて祈る。

…どうか、この2人だけでも、と。

 

 

 

 

 

「……………………ま、ど…………………か……………」

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

全身が砕かれ、指先にすら力が込められない。呼吸ひとつ、ままならない。

誰かが何かを叫んでいるようだが、それすらも聞き取る事ができない。

 

(もう……駄目なのかしら………)

 

たった一人を守る為だけに、何度も何度も同じ時を繰り返し、その度に血を吐き、涙を流し、それでも立ち上がり続けた。

それもここまでなのか、とほむらは消えかけた意識で思う。

今回の敵は、今までとは訳が違っていた。まるで、ワルプルギスの夜に立ち向かっているかのような錯覚すら覚える。

きっと、彼女は今も近くにいるのだろう。このまま2人とも魔女に殺されるのか。

それとも、インキュベーターと契約して魔女を倒し、世界を絶望で包むのか。

 

(どちらにせよ…もうまどかを救えないのね…もう二度と、"繰り返す事はできないのに"…)

 

時計の針はもう戻せない。盾は、もう回らない。

ほむらは知っていたのだ。

我欲によって生み出され続けてきたパラレルワールド。時間軸、と呼ぶべきか。ほむらの盾は世界を生み出し、時を超える力を持つ。

しかしその機能は失われている。今はもう、時を止める事しかできないのだ。

何故か。それはあの男の願いによるものだろうか。

ルドガー・ウィル・クルスニク。彼は、自らの存在と引き換えに分史世界の消滅を願った。

つまりそれは、新しい分史世界が作られる事はなく…盾によって次の時間軸を作ることが出来なくなるのではないか。

初めて出会った時から、その可能性を考えていた。そして今この瞬間に、確信へと変わったのだ。

 

───この世界はもう、やり直しが効かない。

 

(……いいえ、諦めない。だって私は、まどかを救う為にやり直したのだから。

……どんな姿に成り果てたとしても、もう二度と躊躇ったりしないと…決めたのだから…!)

 

少女は、羽化を始める。

絶望を終わらせる為に。全ての罪を背負い、未来を創る為に。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

死を覚悟した刹那、凄まじいエネルギー波が箱庭中に広がる。

ルドガーの張った防御術式を"内側から"破壊して、何かが放たれたのだ。

その波動は迫り来る魔女の椅子を吹き飛ばし、粉々に砕いた。

 

「な……っ!?」

 

訳がわからず、ルドガーは周囲をきょろきょろと見回す。魔女は今の波動でよろめき、マミは"ソレ"を畏怖の表情で見ていた。

 

「ほむら……ちゃん……?」

 

か細いまどかの声に、後ろを振り返る。

そこには、満身創痍だった筈のほむらが立ち上がっていた。おかしな方向に曲がっていた腕も真っ直ぐに戻っている。この一瞬で傷が治っているように見えた。

 

「ほむら…何だ、それは…?」

 

その背中からは、ほむら自身の何倍もの大きさの、黒い両翼が広がっていた。翼の中には、まるで宇宙空間のような幾何学模様が浮かび上がっている。

何かをぶつぶつと呟きながら、ほむらは再び翼をはためかせた。

 

「…………か、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか……………」

 

名前を、呼んでいるのか。そのどこか傷ましい姿に、ルドガーの背筋が凍りつく。

 

「正気を…失ってるのか……?」

 

ほむらの前方に、途方もない魔力の塊が練り固められていく。ミュゼのグラビティ…いや、そんなものでは足りない。

あれは、秘奥義に匹敵するエネルギー…まるで、クロノスの"タイム・クレーメル"を思わせる程の膨大なエネルギーだ。

 

「まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか……………」

 

そして、音もなく魔力が解き放たれた。

 

 

 

『──────アァァァァァァァァァァァァ!!』

 

 

 

ドン、と空気が破裂する音と共に、あれだけ苦戦した魔女の身体が押し潰され、血みどろの肉の塊にされる。この世のものとは思えない断末魔を上げ、今度こそ魔女は跡形もなく消えた。

…正確には、グリーフシードを遺して。

 

「結界が、晴れていく……今度こそ倒したのね…?」

 

マミは困惑の表情を浮かべて、その様を見守る。箱庭は崩れ去り、もとの廃ビルの一角へと帰ってきたのだ。

得体の知れない黒いオーラも残っていない。しかし、ほむらはその事を理解していないかのように、ふらふらと歩き始めた。

 

「まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか…………」

「ほむらちゃん…? わたしは、ここだよ…?」

 

まどかはその後をついて行く。だが、ほむらの羽根はまだ広げられたままだ。

廃ビルの壁に翼がぶつかり、ガリガリと壁を削っていく。衝撃でビルは激しく揺れ、足元がふらつく。

 

「きゃあ! あ、暁美さん!?」

『まずいね、ほむらは完全に我を忘れている。まさかあんな規格外な力を秘めているとは思わなかったよ』と、こんな非常事態にも、キュゥべえは顔色ひとつ変えずにすらすらと喋る。

 

「言ってる場合じゃないわよ!!」

 

マミはほむらに対してリボンを数本放った。身体を括り、翼に絡まり動きを抑えようとする。

…だが、それらのリボンは瞬時に消し炭になった。

 

「そんな! 抑えられないなんて…!」

「…どうすれば、止められるんだ…?」

 

"クルスニクの槍"の力は、クロノスを抑え付ける事なら出来た。だが、あれを繋ぎとめられるか。迷っている暇はなかった。

たとえまどか達を連れ出しても、このままほむらの暴走が止まらなければ街が危険だ。ルドガーは槍を構え、ほむらの背中に狙いを定める。

 

「ほむらちゃん!! 待ってよ!!」

 

そこにまどかが飛び込んできた。羽根の生えたほむらの背中にしがみ付いて、止めようとする。

 

「ばっ……危険だ! まどか、下がれ!」

 

魔女を蒸発させ、コンクリートをバターのように砕く羽根に触れようものなら、タダでは済まない。

…はずなのに羽根の力は、まどかを傷付けることは一切なかった。まるで、ほむらの意思が宿っているかのように。

 

「まど……か………?」ほむらの呟きが、ようやく止まる。

「うん…私は、ここにいるよ。どこにも行ったりなんかしないよ…?」

 

その姿は、幼子に語りかける母のように見えた。

背中から、羽根が散るように消える。ほむらは無邪気な顔で振り向き、まどかに優しく声をかける。

 

「まどかぁ……どこにも、行かないでね…?」

 

涙を流しながら、ほむらはまどかを抱き返す。まるで、無くしたものをやっとの思いで見つけた子供のような笑顔だ。

その笑顔を最後にほむらは意識を失い、まどかに身を預けた。

 

「ほむらちゃん……ごめんね。私のせいで、こんなに血だらけに……」

 

まどかは人形のように力の抜けたほむらを抱いたまま、へたん、とその場に座り込んだ。ルドガーも骸殻を解き、ひと息つく。

壊れた壁から外を見ると、夜空に輝く半円の月と無数の星々が浮かぶ。かなりの間、結界の中にいたようだ。

眠るように規則的な呼吸をたてるほむらと、その細い背中を大事そうに抱くまどかの姿を見て、ようやくルドガーは生還を喜ぶことができたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:2 受け継がれる想い
第7話「そんな馬鹿な話、信じられるか」


1.

 

 

 

 

 

透明な螺旋状の階段が何本も走る回廊を、ルドガーは2丁銃を携えて駆け抜けていた。

上をみれば白から黒へ、黒から白へと緩やかに移り変わる虚空。下を覗けば、どこまでも底の見えない亜空の世界。不規則に並ぶ回廊の構造はこの結界の不安定さを表しているようだ。

 

「ルドガーさん! そっちに行ったわよ!」

「了解だ! バブルストーカー!」

 

双銃を連射して大きな水泡を何発も撃ち出しながら一回転する。回廊の空から、ルドガーを取り囲むように使い魔が飛んできたのだ。

その姿は不恰好なマネキンに小さな羽根をつけ、テレビのような箱を抱えた異様なものだ。

それを迎撃するように配列された水泡は、ゆっくりと進みながら使い魔に命中する。

泡が弾けると共に使い魔は大きく仰け反り、動きを止めた。

 

「オール・ザ・ウェイ!」

 

銃口からさらに強力な氷のエネルギーを周囲に放つ。弾けた水泡の雫を導火線代わりに、ルドガーを囲む使い魔たちを同時に氷漬けにした。

空中で凍らされた使い魔は、そのまま亜空の底へと落下していく。もう這い上がってくることはない。

 

「さすがね、ルドガーさん!」

 

マミはリボンを回廊の縁に這わせ、空中ブランコのようにして空を舞いながらマスケット銃を狙い撃つ。飛んだ先には、既に黒色に変化した、一回り大きな個体が佇んでいた。

あれが親玉ね、と言うとマミはリボンから飛び降りて、広げた両手から無数の新たなリボンを作り出す。

 

「レガーレ・ヴァスタアリア!」

 

リボンは宙を舞う使い魔達を全て縛り上げ、親玉と称した個体も雁字搦めになる。そこにルドガーの追撃の槍が高速で飛んで行った。

バドブレイカー。無の力を宿した破壊の槍は、その心臓を見事に貫いた。

 

「キャハ──────ァァァァァ!!」

 

まるで悲鳴のような断末魔を最後に使い魔は散り、結界は消滅を始める。

遺されたものは、何もなかった。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

結界が消えた先は、夕暮れ空のひと気がない公園だった。そこに立つのはルドガーとマミ、その傍らにキュウべえがいるだけだ。黒髪の少女の姿は、なかった。

 

「ここ最近は使い魔ばかりだな…」

「ええ。本体の魔女はどこかに潜んでいるはずだけれど…」

『ソウルジェムにはまだ余裕がある。焦ることはないさ。ほむらの回復もまだのようだからね』

 

既に薔薇園の魔女の討伐から2日が経っていた。黒翼の力を暴走させたほむらは、まどかのお陰で事なきを得たものの、気を失ったきり目を覚まさないのだ。

今も家の寝室で眠っている。無意識に魔力を使っているのか、飲まず食わずの状態でもやつれる様子がないのが幸いか。

ルドガーとしても粥ぐらいは食べさせてやりたいのだが、口を開かないのではやりようがなかったのだ。

目を覚ました時のために、いつでも食事を作れるよう備えておくことしかできなかった。

 

「でも…本当にいいのか、マミ? グリーフシードを俺が貰っても…」

 

ポケットの中から薔薇園の魔女のグリーフシードを出してみせ、ルドガーはマミに改めて訊く。

 

「いいのよ。…悔しいけど、あの魔女は暁美さんがいなかったら倒せなかったわ。貴方自身は必要ないかもしれないけれど…もしもの時は暁美さんに使ってあげて欲しいの」

「わかったよ…ありがとう、マミ」

「ええ。それにしても、あの羽根は一体なんだったのかしら…あれが、暁美さんの固有魔法なのかしら?」

『彼女の力は興味深いよ。あれはとても普通の魔法少女に扱える程の力ではないからね』

「あら、あなたなら暁美さんの事をよくわかるんじゃないの?」

『そうとも限らないよ。僕はほむらとは契約した憶えがないんだ。彼女の持つ力が何なのか、断定もできない。

彼女の家に行って調べようとしたけれど、なぜか僕はあそこには入れなくてね。結界か何かの類いを張っているのかもしれない。

そもそも、彼女は魔法少女なのかどうかさえ不明だからね』

「キュゥべえ…今、なんて?」

 

キュゥべえの、さらっと放った言葉にマミが疑問を抱く。腕を組み、首をわずかに傾げて指先で顎に触れる。マミがよく見せる仕草だ。

 

『ソウルジェムだよ。マミは見てわかるように髪飾りになってるし、普段は指輪に変形させているよね。でも彼女は、常にあの左手の黒い痣の中に収納しているようだね。

確かに、あれなら少し攻撃が掠ってもひび割れたりする心配もないし合理的だ。

それに、魔法を使うとソウルジェムに穢れが溜まる。でもほむらは、あれだけの威力の魔法を使っておきながら穢れが蓄積した様子がまるでなかった。となると、魔法少女ではない他の何か、だという可能性も考えられるのさ』

 

ルドガーもまた、キュウべえの意見に全く心当たりがないわけではなかった。

あの力はあまりに異質すぎる。たとえこのマミが全力を込めて魔力を撃とうとも、あの羽根のひと振りから生み出された一撃には遠く及ばないだろう。

 

「魔法少女じゃないとしたら、なんだというの?」

『それはまだわからないし、僕はあくまで可能性の話をしているだけだよ。それを踏まえていてほしい。今まで数多くの魔法少女を送り出してきたけれど、あんなのは初めてなんだ』

「……………」

 

ルドガーは何も言わない。魔法少女となった果てには、魔女に堕ちる運命が待っている。それは、死と同意義。形は違えど既にルドガー自身も体験しているのだ。

けれどマミは違う。正義の魔法少女としての矜恃を持つ彼女には、その事実は重すぎる。いつかは告げなくてはならないが、真実を話すタイミングがわからないのだ。

 

『何にせよ、しばらくは様子見が続きそうだ。僕としては、またいつあの薔薇園の魔女のような個体が現れるかわかったものではないからね。

正体もわからないほむらの力に、頼りきる訳にもいかないだろう? だから、より優れた素質を持つ魔法少女の力が必要なんだ。

例えばそう…鹿目まどかのような、ね』

「鹿目さんを…? 彼女はそんなに凄い力を持っているの?」

『素晴らしい素質だよ。恐らくは、あのほむらの力と同等…いや、それ以上かもしれない』

 

ひょい、とジャングルジムを軽く中段まで登っていくキュゥべえ。無機質な顔に浮かぶ赤い双眸からは、なんの感情も伝わってこなかった。

 

「こら、キュゥべえ? だからといって鹿目さんはまだ立ち直っていないでしょう?」

『きゅっぷい』

「とりあえず、今日はお開きにしましょう。これ以上魔女の気配を辿れないし、また明日もパトロールね。

ごめんなさい、ルドガーさん。買い物の途中なのに、付き合わせてしまって」

「構わないよ。ほむらとの約束もあるし、俺自身もこの街を守りたいからな」と、頬を掻く仕草をしながらルドガーは言う。

「それじゃあ、ここで。気をつけてな」

「ええ、ありがとう」

 

別れの挨拶をし、マミとルドガーはそれぞれ反対の方向へ歩き出す。ルドガーは公園を出ると、その足でショッピングモールの方角へと向かって行った。

夕日は、まもなく沈んでゆく。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

切れかけていた洗剤類をショッピングモールで確保したルドガーが家に戻る頃には、すっかり夜になっていた。

お世辞にも近いとは言えない距離だが、トリグラフからヘリオボーグへの往復に比べれば全然楽だと感じられる。

 

源霊匣(オリジン)の研究…うまくいってるといいな」

 

今はもう帰ることも叶わない、かつての故郷の友人、ジュードを思い出す。

エレンピオスは黒匣(ジン)という、自然界の元素をエネルギーへと昇華する技術に頼りきりになり、環境をどんどん悪化させていった。

自然界の元素とは微精霊である。ジュードは微精霊を燃やし、殺すのではなく、対話をしてエネルギーを"分けてもらう"新たなシステム、源霊匣の研究者だった。

精霊の主、ミラ=マクスウェルと交わした約束を守るために、ジュードもまたルドガーのように戦っていたのだ。

ルドガーの持つアローサルオーブも、自然界のエレメントを吸収して育つオーブだ。この世界にも精霊に値する存在があるのだろうか。ルドガーは独りごちて考える。

 

「ん、あれは…」

 

アパートの、ほむらの部屋の前に立つひとつの人影。二つ結びにした髪が特徴的な鹿目 まどかの姿だった。

ルドガーは小走りで、まどかの元へ近づき、

「こんな時間に来て、大丈夫なのか?」と声をかけた。

「あ、こんばんはルドガーさん。部屋、鳴らしても誰も出ないからどうしようか、って…」

「…待たせちゃったみたいだな。マミと一緒に使い魔を退治してたんだ。良かったら、少し上がってくか?」

「はい。ほむらちゃんの顔、見ていきたいです」

 

純粋なことこの上ない笑顔で、まどかは言う。

ほむらも随分と好かれているじゃないか、と思いながらルドガーは部屋の鍵を開けた。

中に入ると、相変わらず静かな部屋。ルドガーがいる分、最初のように生活感がないという事はなかったが、それでも女子中学生が過ごすにはあまりに静かすぎた。

ほむらの寝室は、よほどの事がなければルドガーも立ち入らない。「見られても困るものはない」とは本人の弁だが、今回の件でも数時間おきに様子を見に行く程度で、基本的には気を遣って入らない。

しかし、まどかなら構わないだろう、とルドガーは寝室へと案内をした。

ガラス戸を開けると、質素なベッドの上で静かに寝息を立てて横たわるほむらがいた。

 

「……ほむらちゃん」

 

まどかは少し涙目気味になり、ほむらの側へと近寄っていく。布団をちょっとだけめくり、命の宿る左手を包むように握る。

 

「まだ…目を覚まさないんですね」

「ああ。傷はもう治っているみたいなんだけど…悪いな、昨日も来てもらったのに」

「いいんです。私、何の役にも立てないから、せめてこれくらいは…」

「そんな言い方しないでくれ。来てくれるだけでも、ほむらもきっと喜ぶよ」

 

ルドガーはせめてもの慰めの言葉をかける。まどかが自分を恨む道理などないのだ。

ほむらは自分でこの道を選んだ。かつてのルドガーのように、自分を犠牲にしてでも大切な何かを守りたい、と。

選択には責任が伴う。それを、ルドガーは多くの犠牲のもとに身を以て学んでいた。

 

「ねえ、ルドガーさん」まどかは俯いたまま、震えた声で語り出す。

「私、キュウべえに聞いたんです…私が魔女になったら世界が滅ぶ、って」

「…! そ、それは……」

「ほむらちゃんが私を守るのは、それを防ぐためだ、って言うんです。私、訳がわからなくて……ほむらちゃんの事、信じたいのに信じられなくなって……それで、魔女の結界までついていったんです。ぐすっ……ほむらちゃんがあんな目に遭ったのも全部…私のせいなんです……」

 

まどかはほむらの手を強く握りしめたまま、その手に縋るように泣いていた。ルドガーはその姿に、胸を締め付けられるような気持ちになる。

どうして、こんなにいい娘達がこんな目に遭うのだ、と。なまじエルと共にいただけに、より強い同情を抱いてしまうのだ。

 

「…私ね、前にもほむらちゃんにいっぱい逢ってるんですよ…?」

「えっ…?」突然の、まどかの言葉にルドガーは戸惑う。

「夢の中で、ですけどね…夢の中でもほむらちゃんはとっても綺麗で、かっこよくて、素敵なんです。でも、ぼろぼろに傷ついて……私は何もできなくて見てるだけ。

うぅ……今と全く同じですよね。私は、ほむらちゃんの為になんにもしてあげられない……」

 

ほむらの左手を、自身の頬に触れさせるまどか。指先は血が通っていないかのように冷たかった。

…だが、ソウルジェムを宿す黒い痣が熱を帯び始めた。イヤリングも薄ぼんやりと、紫色に輝き出す。

ぴくり、と人指し指が動いてまどかの頬を押した。

「ほむらちゃん…?」その様子に、まどかはかすかな期待を抱いた。そしてそれは、確信へと変わる。

 

「……………まどか、なの………?」

 

ゆっくりと薄目を開けて、噛みしめるようにほむらの唇が動いた。

 

「ほむらちゃんっ!」たまらず、まどかはほむらの身体に抱きつく。

「え、えっ…?」と、ほむらは状況が掴めないのか、狼狽え出した。

「ほむらちゃん、ほむらちゃぁん……! うあぁぁぁぁん……」

「…どうして、泣いているの?」

 

泣きじゃくるまどかに胸を痛め、ほむらは優しく頭を撫でてやる。しかし、その瞳は困惑で満ちていた。

 

「……私は、魔女にやられて…助かったのかしら。魔女は、どうなったの?」

「憶えて、ないの…?」

 

訳がわからない。まさにほむらはそう言いたげだった。まどかは助けを求めるようにルドガーをちら、と見る。

ルドガーはそっと首を横に振った。今は、言わない方がいい、と。

 

「ぐす……ほむらちゃん、疲れてるんだよ…私のために、あんなに頑張ってくれたもん。ありがとう、ほむらちゃん」

 

ほむらを抱きしめる力を、さらに強める。黒い翼の話は今ここですべきではない。まどかもルドガーも、互いにそれを理解したのだ。

今はとにかく、ほむらの生還を喜ぶだけだ。

 

「良かったよ、ほむら。これもまどかのお陰かな?」

「そう…かもしれないわね。私には何が何だかわからないのだけれど」

「落ち着いたら話すよ。それよりどうだ、腹が減らないか? 何せ丸2日も眠っていたんだからな」

「2日…!? そんなに経っていたのね…」

 

むくり、とほむらはベッドから半身を起こし、目をこすって時計を見る。抱きついた状態でいきなり起きられるとは思わなかったまどかは「わ、わっ!?」と間抜けな声を上げて、ぱっと手を離してしまう。

 

「もうこんな時間…まどか、家に帰らないと」

「だ、大丈夫だよぉ。パパにも言ってあるし」

「駄目よ。私のせいで余計な気苦労を負わせてしまったもの。お父様も心配するわ」

「ほむらちゃんこそ、まだ寝てなきゃ駄目だよ」

「まどかだって…!」

「ほむらちゃん…!」

 

2人は互いに譲る事なく言い合う。その姿は、傍目からみればごく普通の女の子たちだ。ルドガーはふっ、と柔らかく笑い、

 

「ほむらの言う通りだ、まどか。今日はもう暗いし、俺が送っていくよ。それなら構わないだろ、ほむら?」

「はぁ…頼めるかしら」

「任せとけって」

 

まさか、エルと過ごした時間がこんな風に役に立つとは思わなかった。やはり持つべきものは可愛い(むすめ)だな、とルドガーは思う。

もっとも、エルはもう一人のルドガー…ヴィクトルの娘なのだが。

惜しむべくは、もっとあの娘と一緒に居てやりたかった。成長を見守りたかった。

今はもう叶わない願いを、ルドガーは目の前の少女たちのなかに見たのだった。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

翌日、ルドガーはすっかり慣れた様子でショッピングモール内の生鮮コーナーへと買い出しに来ていた。今朝から新たに追加された日課、ほむらの弁当作りの為の食材の確保だ。

かつての同級生、ノヴァの持参していたような弁当を見る限り、女子の弁当は彩りに気を遣いつつ栄養を摂れるような具材にする必要があり、また少食であるほむらに合わせたサイズにすることも忘れてはならない。

難しいように聞こえるが、主夫とは難題に当たれば当たるほど燃え上がるものだ。どこぞの家庭の主夫も、家庭菜園を作るまでに難儀したものだという。

今では対応表なしでも平仮名と片仮名を読めるようになったルドガーは、そういった要素も含めて買い物という行為が楽しくもあるのだ。

そして、乳製品売り場でいつか見た姿を再び見つける。

白く長い髪の、ピンク色のワンピースを着た小柄な少女の姿だ。

 

「あっ…お兄さん、こんにちは」

「やあ。なぎさ…ちゃん、だったっけ」

「はい。百江なぎさ、なのです」

 

えへへ、と子供らしい無邪気な笑みでなぎさはルドガーのもとへ歩み寄った。

 

「無事、だったのですね」なぎさは、3日前の事件について触れる。

「ああ。悪いやつは俺と、俺の仲間たちでやっつけたからな」

「そう、なのですか…」

「なぎさこそ、どうしてこんな時間にここに? 学校じゃないのか?」

 

この世界とて、学校教育のシステムは変わりないはずだ。今頃はほむらも授業を受けている時間。なぎさがここにいるのは少々不自然に思える。

何故なら、周りの人だかりを見てもなぎさくらいの年の子供は1人もいないからだ。

 

「なぎさは優等生だからいいのです。学校なんか行ったって面白くないのです。お兄さんは、買い物なのですか?」

「ああ。ここは何でもあるからな」

「はい。なぎさも、前はお母さんとよく来たのです」

 

なぎさはおもむろに、商品棚から"アーモンドチーズ"と書かれた、小さなチーズが4つ連なったものを手に取った。

 

「そういえば、この前もチーズを探してたんだっけ?」

「はい、お母さんの好物なのです。なぎさもよく分けてもらったのです」

「そうか…うん、このサイズなら弁当におやつとしてつけられそうだな」と、ルドガーまでもが同じチーズをカゴに入れた。

よほど、同居人のカルシウム事情が心配でならないのだ。変な意味でなく、魔法少女だからと言ってももう少し豊かに育って欲しいものだ。

 

「お弁当、ですか?」なぎさは可愛らしく首を傾げて訊く。

「ああ。放っておくとカロリーメイトしか食べない困ったやつなんだ」

「困ったむすめさんなのですね」

「娘…か…いや、年齢的にはどちらかというと、妹…?」

「お兄さん、面白い人なのですね?」

 

あはは、と明るく笑うなぎさ。今こうしている時間は、まるでエルと共にいた時間のように感じられる。

懐かしい気持ちになったルドガーの顔にも、自然と優しい笑みが浮かんだ。

 

結局、会計を済ませてショッピングモールを出た後も、なぎさがひっついてくる始末になるのだった。

 

 

 

5.

 

 

 

 

ショッピングモールを抜けて帰り道に住宅街に入ると、今度は意外な人物と顔を合わせる事となった。

青髪の少女、美樹さやかである。

「あれっ、ルドガーさんじゃん! 久しぶりです!」さやかは手を振りながらルドガー達の方へ近づく。

「さやかか。学校、終わったのか?」

「はい、買い物しようと思ってこれからショッピングモールに…そっちの女の子は?」

 

ふと、さやかの視線が傍らのなぎさに移る。ルドガーと似た白い髪、少し緑がかった色素の薄い瞳、透き通るような白い肌。幼いながらに整って見える顔立ち。それらを踏まえてさやかが導き出した結論は……

 

「まさか、隠し子…!?」

「なんでそうなる!?」

「相手は…まさか、ほむら!?」

「そんなわけあるか!」

 

そんな事を本人の前で言ってみろ。まず間違いなく眉間に風穴が空けられる。ああ、このさやかという娘はアホの子なのか、とルドガーは今更ながら感じた。

尚更契約させてはダメだ。絶対に猪突猛進型の危なっかしい魔法少女になってしまう。…ルドガーの推測は当たらずも遠からず、といったところか。

そこに、新たな爆弾が投下されるとは予想していなかったのだが。

 

「てへ、ばれてしまったのです」

 

なぎさはてへぺろ、と擬音が聞こえてきそうな仕草でさらりと問題発言をした。

「やっぱりそうなんですか!?」

「あのなぁ………」

 

嗚呼、頭が痛い。今すぐ骸殻を纏って使い魔の結界にでも飛び込みたい。ルドガーは混乱のあまり、そんな不謹慎な事を思ってしまった。

もちろん、本気ではないのだが。こと不運さにかけては右に出るものはいないのが。このルドガーという男だった。

何故なら、"本当に懐中時計がうなりを上げた"のだから。

 

「! …………さやか、なぎさ。逃げるんだ」

「えっ?」さやかはルドガーの意外なリアクションに戸惑いを覚える。対してなぎさは、ルドガー同様に表情を急に硬くした。

 

「結界が来る! 早く、逃げ───」

 

言葉を紡ぐ前に、世界が反転した。

広がる青空は乳白色に、映画のフィルムのようなものがめまぐるしく周り続ける。

地面は消え、足は空を切る。水の中を漕ぐように、無重力の波が襲う。回廊が浮かぶだけの底の見えない亜空の世界へと、3人は一瞬で引き込まれた。

 

「き、きゃあぁぁぁぁぁ!?」

「さやか! くっ!」

 

さやかは、突然の事態に思わず叫び出す。ルドガーは空を漂いながら骸殻を纏い、さやかの手をしっかりと握りしめて適当な回廊へと着地をした。

見たところ、先日マミと討伐した使い魔と同じ結界のようだった。カラクリがわかれば、対処のしようはある。

だが、なぎさの姿がない。慌ててルドガーは周囲を見渡す。

 

「なぎさ! なぎさぁ───!」

「なぎさなら、大丈夫なのです」

 

真上からなぎさの声がした。

ルドガーが咄嗟に声のした方を見るとそこには、さっきまでのワンピース姿ではなく、赤い頭巾に丈の短いポンチョを纏った姿のなぎさがいた。

 

「………まさか、君は」

 

魔法少女なのか。その言葉は喉まで出かかって、止まる。

よく考えれば、最初からわかってたはずだ。何故なら、この娘はあの時キュゥべえの声が"聞こえていた"のだ。

あの声は魔法少女の素質があるものにしか聞こえない。唯一の例外は、骸殻装者・ルドガーのみ。

そして、「行ってはだめだ」と告げてくれた。なぎさはキュウべえの正体を知っていたのだ。

 

「…はい、そうなのです」

 

なぎさはゆっくりと、宙を滑るようにルドガーのいる回廊に乗る。

ほぼ同時に、羽根付きのマネキンの使い魔が無数に現れる。獲物の気配を感じ取ったのだ。

 

「お兄さんは、なぎさが守るのです!」

 

なぎさは懐からラッパを取り出して、使い魔めがけて吹く。その音色と共に大きなシャボン玉が大量に噴き出し、撒き散らされる。

キャハハハハ、と不気味な笑い声を上げて迫る使い魔たちにシャボンが触れた途端、けたたましい爆発音を立てて使い魔が霧散した。

 

「きゃっ!? な、なんか爆発したぁ!?」

「落ち着けさやか、なぎさの攻撃だ」

「えっ!? ほ、ほむらかと思ったよぉ!」

 

確かに、重火器に爆発物はほむらの得意分野ではあるが…なぎさも、なかなか強力な魔法を使うものだ。

くす、と笑みを浮かべてルドガーも攻撃に参加した。槍を地に穿ち、解き放つ一撃。

 

「行くぞ───ヘクセンチア!!」

 

骸殻の力を解放したルドガーの十八番。虚空の彼方から紫黒の光弾が流星のように降り注ぎ、使い魔共を確実に貫いていく。

 

「先へ進もう、なぎさ。さやか、離れるなよ」

「は、はい!」

「了解、なのです!」

 

さやかとのこの応酬も、もう何度目になるだろうか。どうもさやかは使い魔に狙われ易い気がする。

使い魔は人の心の闇につけ込み、呪縛をかけようとする、と以前聞かされたが…さやかには何か悩みでもあるのだろうか? と、ルドガーは思う。

さやかのペースに合わせつつ螺旋階段を上がって行き、槍となぎさのシャボン玉で迎撃する。

親玉…時歪の因子の気配は、螺旋階段の頂上から感じられた。

 

「はぁ、はぁ…ひぃ…あれが、魔女…?」さやかは肩で息をしながら一回り大きい、マネキンの頭にテレビのような箱がすげられた使い魔を指差す。

「いや、あれは…使い魔だな。本命はいないみたいだ」

 

使い魔の親玉の、頭のテレビの画面はノイズがかかったように荒れているが、何かを映そうと点滅しているようにも見える。

 

「使い魔なら大したことないのです!」

 

なぎさは親玉に向かって、さらに無数のシャボン玉を吹き付けた。

 

『キャハハハ、キャハハハハハ───ハハ!?』

 

薄気味悪い声は爆音に掻き消され、大型の使い魔は大きく吹き飛ぶ。

仲間の使い魔たちが親玉を庇おうと、一斉に集まり出す。ルドガーが槍の一閃で薙ぎ払おうとしたその時、バチン、と何かが切れる音がして突然空が暗転した。

 

「っ!?」

「ひゃあっ! 真っ暗!?」

 

しかし、それはつかの間。暗闇の空に映画のフィルムが何本も投影され、一コマ一コマにノイズつきの映像が映る。

その全てが同じくして、ルドガーのよく見知った顔を映し出していた。

 

『───守ってやりたい娘が、いるんだろ?』

「っ、兄…さん…!?」

 

その声は耳だけにだはなく、心の中にすら響き渡るような感覚がした。槍を持つ手が緩む。動悸が、激しくなる。

かつて大切なものを守る為に、この手で殺したもう一つの大切なもの。ずっと自分を守ってくれた、大切な家族。

ユリウスの幻影が、フィルムの中に映されていたのだ。

 

「あ…恭介、なの…?」

 

はっ、としてルドガーはさやかに視線を向ける。さやかも、青ざめた顔でフィルムの空を仰いでいた。その声に、なんとか自分を律する。

 

「見るなさやか! 使い魔の攻撃だ!!」

 

少々乱暴だがぐい、と肩を掴んで身体ごとルドガーの方を向かせて、目を逸らさせる。

「きゃっ!?」と驚いた声を出すが、それによりどうにか我に返ったようだ。

 

「うぅ……あぁぁぁ……おかあ…さ…」

「なぎさもか!?」

 

次いで、なぎさを見ると虚ろな瞳で膝から崩れ落ち、魔法少女姿から変身が解けていた。なぎさも、幻影を見たのだろうか。

 

「さやか、なぎさを頼む! あれを見させないでくれ!」

「わ、わかりました!」

 

さやかはすぐになぎさの下へ駆け寄り、視界を塞ぐように胸に抱きしめる。

なぎさは、さやかの身体に力なくしがみついてきた。

 

「…すぐに、カタをつけないと」

 

次は何を"見せられるか"わかったものではない。耳を澄ませ、暗闇に潜む使い魔の気配を辿る。槍を持ち直し、いつでも投擲できるように構えた。

 

『…………ハハ…』

「──────そこだぁ!」

 

微かに聞こえた声の方向に、全力を込めた槍の一撃、バドブレイカーを叩き込む。

音速で槍は飛んで行き虚空に消えるが、確実に何かを貫いた。

さらに、それに続くように立て続けに槍を錬成し、射出する。今度は使い魔の悶える声がはっきりと聞こえた。大きめな槍をひとつ携え、その声の方向へと跳躍する。

 

「マター・デストラクトォォォ!!」

 

激しい音を立てて、槍は大型の使い魔の身体を貫いた。

暗転した空からフィルムが消えていく。かつての兄の幻影は結界そのものと共に消滅し、ルドガーたち3人は、もとの住宅街の脇道へと帰ってきた。

 

「…なんとか、倒したか…」

 

ルドガーは苦い顔をして現状を振り返る。前回の薔薇園の魔女のような再生能力はないようだが、さっきのあれは明らかに精神攻撃の類いだった。

現に後ろを向けば、何かに怯えるように震えるなぎさの姿があるのだから。

 

「あ……あっ、うぁぁ…ひっ……」

「ねえ、大丈夫!? なぎさちゃん!?」

 

さやかも必死に呼びかけている。やはり魔法少女とはいえ、幼い子供にとっては精神攻撃は辛すぎたのか。…と、ここでルドガーは、以前ほむらから聞かされた言葉を思い出す。

 

 

"『───ソウルジェムは、魔法を使うたびに黒く濁る。それだけじゃなく、心に負の感情を溜め込んでも濁るわ。そうして完全に濁り切ったとき…ソウルジェムは"グリーフシード"へと変化する』"

 

 

一気に、血の気が引いていくのが自分でもわかった。同時に、全く同じことをさやかも考えたようだ。

 

「「ソウルジェムが!!」」

 

あんな様子では、まず確実にジェムが濁り始めているだろう。ルドガーは咄嗟に、マミから託された薔薇園のグリーフシードを出した。

 

「ルドガーさん! ソウルジェムってどこにあるの!?」と、パニックに陥っているなぎさに代わってさやかがジェムを探す。

「多分、左手の指輪だ!」

「は、はい!」

 

なぎさの手を取ると、やはり左中指には謎の刻印が記された銀の指輪があった。

その指輪にグリーフシードをあてると、怪しげな音を立てて黒い穢れが滲み出てくる。その穢れは、あっという間にグリーフシードへと吸い込まれていった。

浄化が済むと、なぎさの震えが少しずつ収まってくる。さやかはなぎさを抱きしめ、優しく宥めるように頭を撫でてやる。

 

「大丈夫だからね…なぎさちゃん。あたしたちがついてるから…」

 

巻き込んでしまった事は悔やまれるが、今はさやかがいてくれて本当に良かった、とルドガーは思う。

自分だけではなぎさを守り切れなかった。あまつさえ、なぎさを魔女にさせてしまうかも知れなかったのだから。

 

「……ひっく、もうだいじょうぶ…なのです…」

「なぎさ…よかった」

 

ふう、と一息ついてルドガーもなぎさの頭をわしゃわしゃと撫でる。なぎさは少しくすぐったそうにしたが、

「てへへ…心配かけて、ごめんなさいなのです」と答えた。さやかの手を離れて立ち上がり、少し赤くなった瞳をこする。その唐突な反応に、さやかは僅かに戸惑う。

 

「なぎさは、行かなきゃいけないところがあるのです」

「えっ…ど、どこに?」

「お母さんが待っているのです。遅くなると心配するのですよ」

「あっ、お母さんね…じゃあ、早く帰らないと。あたしが送ったげようか?」

「大丈夫なのです。お姉さんは、お兄さんとデートを楽しむのです」

「で、でぇっ!?」

 

違う、違うのよとあたふたしてさやかは弁解をする。そんなさやかを尻目に、最後にルドガーに手を振って、なぎさは何処かへ走り去っていった。

 

「………? 少し、様子が変だったな…」

 

やはり違和感は拭えない。遅れてルドガーはなぎさを追いかけるが、突き当たりに差し掛かり左右を見ても、既になぎさの姿はなかった。

代わりに、後方から声が聞こえる。何度聞いても違和感しかない、可愛げがあるのに感情の一切こもらない声。

キュゥべえの姿が、家の塀の上にあった。

 

『やあ、ルドガー。使い魔を倒したようだね』

「…キュゥべえか、何の用だ?」

『グリーフシードを回収しに来たのさ。君の持つそれは、それ以上穢れを吸わせるとまた孵化してしまうよ。

マミはほむらに使わせるつもりだったけれど、あの子に使ってあげたのは懸命な判断だったね』

 

相変わらず、人の生き死にをさも平然と語ってくれる。ルドガーはもはやキュゥべえの事を信用する訳がなく、キュゥべえもまたルドガーには猫を被る必要はないと思っていたのだ。

ルドガーはやや乱雑にグリーフシードをキュゥべえに投げる。キュゥべえはそれを背中にある紋様から吸収し『きゅっぷい』とあざとい声を出した。

 

「当たり前だ! ほむらには悪かったが、あんな小さい女の子を死なせられる訳がないだろう!」

『なぜそう思うんだい?』

「お前…! 人間をなんだと───」

『違うよルドガー、そこじゃない。どうして"ほむらに悪い"なんて思うんだい? 第一ルドガー、君は前提を間違えているんだよ』

「…は?」

『あの黒翼の力だけど、あんな力を使えばキャパシティを超えて、ソウルジェムなんて一瞬で穢れきって砕けるよ。

彼女はね、ルドガー。そもそもソウルジェムの浄化なんて必要としていない存在なのさ』

「それは、どういう意味だ!?」

『ああ、怒らないでくれよルドガー。そんな存在、ひとつしかないじゃないか。

僕たちも断定はし切れないけれど、9割がた結論は一致しているよ。

───暁美ほむらは、おそらく魔女だ』

 

どくん、と。今度こそルドガーは戦慄を覚えた。そんな訳があるわけがない。

まどかをあんなにも必死に守ろうとして、傷付いて、なのに。

 

「そんな馬鹿な話、信じられるか! ほむらが魔女なわけないだろう!?」

『だから、おそらくと言っているじゃないか。断言はしていないよ。君のような"イレギュラー"も存在するからね。

君の持つ骸殻の力はまだ解析しきれていないけれど……過去に同じ力を持つ"魔法少女"は存在したんだよ。まあ、ほむらは違うだろうけどね』

「なんだと……おい、キュゥべえ! それはどういう意味だ!」

 

次から次へと、キュゥべえは煽るように能弁を振りかざす。ルドガーはすっかり冷静さを欠いていた。

骸殻を持つ魔法少女。つまりそれは、ルドガーのいた世界にも、かつて魔法少女が存在していたということなのか。

 

『さすがにもう何千年も経っているからね、当然魔女になっているだろうさ。ただ、その存在はもう僕らにすら感知できないよ。

さて、僕はそろそろ行くよ。あまり出歩くと、マミがうるさいからね』

 

ひょい、と塀から飛び降りてキュゥべえは姿を消した。…追っても無駄なことは、ルドガーにもわかっていた。

 

「…いったい、何が起こっているんだ」

 

湧いて出てくるのは疑問ばかり。少なくともひとつだけ確信したのは、自分がこの世界にやって来たのはただの偶然ではない、という事だけだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話「それが私の正義なのよ」

1.

 

 

 

 

 

見滝原中学校の図書室は、新しいながらに小規模な図書館ばりの広さを誇っており、納められている図書の数も他の中学とは比べ物にならない程に多い。

ほむらは普段はまず図書室になど訪れないのだが、今日に限ってはその通りではない。委員の招集に行っているまどかを待っており、今も本を見繕って片隅で読みふけっていた。

内容はとある映画のノベライズであり、恋人を失った科学者が過去を変える為に、4年の歳月をかけてタイムマシンを開発。

過去に戻って亡くした恋人を救おうとするが、何度やっても恋人はその都度異なった悲劇を迎え、命を落としてしまうのだ。

ついには、過去を変える方法を探す為に科学者は未来へと旅立つ決意をし………

 

(…私と、似ているかもね)

 

ほむらは少し自虐気味にため息をつく。何度繰り返しても、できうる限りの事を試しても、結局大切な人を救えない。

けれど、小説の科学者とほむらには決定的な違いがあった。科学者は可能性をたどる為に未来を切り拓こうとするが、ほむらはこの1か月に囚われたまま先に進むことができない。

そうして、繰り返す度に過ごした時間も、言葉も、想いもずれていく。そのうちに、繰り返すこともできなくなってしまった。

 

(時間遡行の力が欠落しているのは、"クルスニクの鍵"の力のせいだとしたら……)

 

ほむらは考える。自分にとって何よりも大切で、無二の存在である鹿目 まどか。彼女を救う為なら、何だってしてみせる覚悟はある。

そして、もう1度時間を繰り返す為なら"楔"を壊す事も躊躇わないだろう。

 

(…いえ、その考えに至るのはまだ早いわ。それに、わからないのは…)

 

後日になってルドガーから告げられた、薔薇園の魔女戦で発現したという黒翼の力。あの時ほむらは完全に我を忘れており、自身にそんな力があったことなど知らなかったのだ。

そしてその力は、あれだけ苦しめられた薔薇園の魔女を一瞬で蒸発させた、とも聞く。

 

(…あり得ないわ。私に備わっているのはこの砂時計の盾だけのはず。それにそんな力があるのなら…とうの昔にワルプルギスに使っているわ)

 

まして、自分で制御できないのなら。理性の伴わない力はただの暴力だ。誰彼構わずに傷付ける事しかしない。ほむらはそれを望んでいるわけではないのだ。

どちらにせよ、今の自分自身には、予測のつかない変化が起きている。その原因を突き止めない事には………

 

ふぅ、とひと息ついて小説を閉じる。いつの間にか考え事に躍起になってしまい、まるで文章を読んでいなかったのだ。

そして視線を前に向き直すと、

 

「うぇひひひ」

 

まどかが頬杖をついてほむらの真正面の席に座って、にこやかな顔をしていた。

 

「…えっ!? い、いつから…!?」

「ついさっきだよ? ほむらちゃん、すごい真剣な表情で本読んでたから眺めてたの」

 

…己の勘の鈍さをここまで呪った事はない。ほむらはため息をつき「それなら声をかけて欲しかったわ」と答える。

 

「うん…でも、本読んでるほむらちゃんの顔がすごく綺麗だったから…って、わ、私なに言ってんだろ」まどかは顔を紅潮させ、照れ臭そうに頭を掻く仕草をする。

「本当になにを言っているの貴女は……」少し呆れたようにほむらは言うが、その口角は緩んでいた。

 

思えば、ここまでまどかと親密になれたのはもういつぶりだろうか? "もう誰にも頼らない"と決めてからほむらはどんどん孤独になっていった。

巴マミ、美樹さやか、そして未だ見ぬ佐倉杏子。彼女たちを信じる事すらできなくなり、いつしかまどかさえも言葉を受け入れてくれなくなった。

それが、今回は何故か上手くいっている。まどか、さやかとも打ち解けられ連絡先を交換する仲にまでなれた。マミとも今のところ敵対していない。まだ始まったばかりであり楽観視はできないが、この状況が嬉しくないわけがなかった。

 

(これも、ルドガーのお陰なのかしらね…)

 

ほむらは柔らかく笑みを浮かべて席を立ち、まどかを促した。

 

「そろそろ行きましょう。さやかはもう向かっているんでしょう?」

「う、うん。CD屋さんに寄ってから病院に行くって言ってたから、もう今頃着いてるんじゃないかな」

「そう。少し、急ぎましょうか」

 

こうして2人でともに過ごす事ができる時間は、ほむらにとって何よりも尊いものだ。

ほむらは本を棚に戻し、まどかの手を引いて静かに図書室をあとにした。

 

 

(…繰り返す度に過ごした時間も、言葉も、想いもずれていく。私の想いは、もう決して貴女には届くことはない。

とっくの昔に、この想いは歪んだものになってしまったのだから)

 

それでも、期待せずにはいられない。彼女ならこの想いを受け入れてくれるかもしれない、と。けれど、失うくらいなら。自分を殺し、胸の想いを押し留める事に躊躇いはない。

まどかの人としての幸せを守る。それこそが、ほむらの最大の望みだからだ。

 

「………!」

 

不意に、鞄の中から振動音が聞こえた。放課後で人が少ないからこそすぐに気づけたのである。

久方ぶりに振動音を示したのは、ほむらの携帯電話だった。液晶画面には"美樹さやか"と表示されている。

 

「ごめんなさい、まどか。さやかから電話だわ」

「ううん、平気だけど…先生に怒られない?」

「私は平気よ。1人暮らしだし、多少なら、放課後だけ校内での使用を認められているわ」

 

携帯電話の使用に関しては、担任の和子による配慮が働いている。もっとも、今までは連絡をとるような相手はいなかったのだが。

受話ボタンを押し、久しぶりに携帯電話を耳に当てる。そういえば、さやかから電話がかかってきたのはこれが初めてだ、とほむらは思った。

 

「はい、暁美です」

『あっ、ほむら? 今空いてる?』

「どうしたのかしら。病院に行ったのではないの?」

『途中で使い魔に遭っちゃってさぁ。たまたまルドガーさんがいたから助かったけど…』

「なんですって!?」

 

さやかの言葉に、一気に背筋が凍りつく。隣にいたまどかも、ほむらの声にわずかにびくついた。

使い魔や魔女に囚われればまず助からない。本当に、ルドガーがそこにいなければさやかは死んでいた、或いは助かる為に契約してしまうところだったかもしれないのだ。

 

「…大丈夫なの?」

『平気だってば。ルドガーさんと、なぎさって女の子が助けてくれたからさ。それで、ルドガーさんがほむらに聞きたい事があるっていうんだけど…ちょっと代わるね』

「ルドガーが? …わかったわ」

『……もしもし。悪いな、急に』

 

受話口から男性の声が聞こえる、なんて経験は父親以外になかったほむらは少し耳をぴくん、とさせた。

しかしルドガーの声は、電話越しでも意外と耳当たりは良い。

 

『百江なぎさ、って娘に聞き覚えないか? 白くて長い髪の女の子で、魔法少女なんだけど…』

 

ルドガーがわざわざこうして自分に聞いてくるという事は、時間遡行による過去の記憶について尋ねているのだろう、とほむらは察する。

しかし、その名前はほむらの初めて聞くものだった。

 

「…いいえ、記憶にはないわ。その娘がどうしたのかしら」

『使い魔の攻撃を受けて、危なかったんだ。すぐにグリーフシードで浄化したから大丈夫だと思うんだけど、すぐに姿を消しちゃって心配でさ。ほむらなら何か知ってるかと思ったんだけど…悪いな』

「浄化が必要なほど危ない攻撃だったの…?」

『たぶん、精神攻撃だ。俺とさやかは平気だったけど、なぎさには堪えたみたいなんだ。グリーフシードも目一杯まで穢れを吸ったみたいだし…』

「…一杯まで、ですって?」

 

すぐに、ほむらは事の大きさに気付いた。魔女の落とすグリーフシードは、そんな簡単に目盛り一杯になるものではない。

十分に穢れ…絶望を溜め込んだ上で、孵化しようとする。また、その方がインキュベーターにとってもエネルギーとして効果的なのだ。

よほど馬鹿みたいに魔力を浪費しない限りは、一度や二度の浄化で一杯になどならない。

その言葉が意味するものとは。

 

「…ねえ、ほむらちゃん」と、隣にいたまどかが唐突に声をかけてきた。会話はまどかにも聞こえてきたようで、思い出したように言ってくる。

「白い髪の女の子だよね? もしかしたら、前に見た事あるかも」

「知っているの?」

「たまにだけど、登校する時に見かけるんだ。あとは…病院にさやかちゃんと一緒に行った時にも見かけたかな。

誰かのお見舞いに来てたみたいだけど……」

「そう…なら、まずは病院をあたりましょう。ルドガー、買い物の帰りなんでしょう? 荷物を置いたら病院まで来てくれるかしら。場所はさやかに聞いてちょうだい」

『わかった。すぐに向かうよ』

「よろしく頼むわね」

 

通話を切り、ほむらは視線をまどかに戻す。

ほむらはこの後どこかしらで一悶着起こると予想していた。このまままどかをついて来させてもいいものか…と考え、尋ねてみる。しかしまどかは、

「私も行くよ。その娘のこと、心配だし…それにほむらちゃん、その娘の姿わからないでしょ?」と言う。

そう言われてしまうとまさにその通りだ。ほむらはさらに一考したのちに、

 

「…わかったわ。でも、決して私から離れないで」と答えた。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

見滝原市内に属する総合病院は、県内屈指の規模と最新の医療設備を誇る。院内にはさやかの幼馴染である上条恭介も入院しており、数日前までは心臓に疾患を持つほむらも入院していた。

なぎさは病室のある階を彷徨い、ひとつの名前を探し続けていた。途中で何人かの看護師とすれ違い、なぎさも感じ良く明るい顔で会釈をしていく。

やがて次の階を探し始めたあたりで、1人の看護師がなぎさに声をかけた。

 

「あら、なぎさちゃん。今日はどうしたの?」

 

看護師が思うには、もうなぎさはこの病院には用はないはずだった。だからこそ、なぎさの姿を気にかける。

 

「お母さんに会いに来たのです。でも、病室が変わったみたいで…」

「…え、お母さん…?」

「どこなのですか? 早くお母さんに会いたいのです」

 

なぎさの問いかけに看護師は困惑を覚える。なぜ、この娘はそんな事を聞いてくるのだろう、と。

現実を受け入れることができなかったのか、と。

 

「なぎさ、お母さんと約束したのです。元気になったらチーズケーキを一緒に食べよう、って約束したのです。どこなのですか」

「なぎさちゃん……あなたは…」

 

真実を、辛い現実を受け入れられないということは人間なら誰にでもあり得る話だ。まして看護師という仕事柄、そういった場面に遭遇した事は何度かある。

現に看護師の知るひとりの少年の患者は、夢を断たれたことを受け入れられずにいるのだから。

しかし、人は前に進まなくてはならない。看護師はそう思い、なぎさに告げた。

 

「あなたのお母さんはね、もういないのよ」

「…えっ」

「もうひと月も前なのよ…ごめんね、なぎさちゃん。お母さんを助けられなくて…」

 

看護師は軽くしゃがんでなぎさの肩に手を置き、諭すように告げる。

可哀想に、と思い慰めようとしてやると、急になぎさの様子がおかしくなり始めた。

 

「なにを、言っているのですか」

 

輝きを纏い、服が一瞬で変化する。つい今の今まで着ていたピンク色のワンピースは、全く別のものへとなっていたのだ。

そして、腰のベルトには宝石のようなものが位置している。その色はほとんどが黒に染まり、僅かに薄い紫色が覗くだけだ。

 

「お母さんは生きてるのです。なぎさを置いて、いなくなるわけがないのです!」

 

ドン、と看護師を突き飛ばして離れる。その力は、小学生相当の女児にあるまじきものだ。看護師はなぎさの豹変ぶりに混乱する。

 

「きゃあっ! な、なぎさちゃん!?」

「嘘つき…嘘つき、嘘つき! お母さんは、どこにいるのですか!?」

「なぎさちゃん! 待ちなさい! 待って!」

 

なぎさは怒りに任せて叫びながら、看護師の前から走り去る。看護師は慌てて後を追おうとするが、魔法少女に変身したなぎさに追いつけるはずもなかった。

 

「なぎさちゃ…! あれは……何……?」

 

最後に看護師が見た後ろ姿は、なぎさの身体の周りから黒いオーラのようなものがかすかに見え隠れしているものだった。

何かはわからない。しかしその姿は、看護師を戦慄させるには十分なほどの負を抱えていた。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

看護師の前から消えたなぎさは、早足で階をどんどん登っていき、母の姿を探し続ける。

しかしいくら探しても見つからないまま、ついに屋上まで辿り着いた。

 

「はぁ…はぁ…おかあ、さん…」

 

見滝原の街並みを一望できる屋上は広く、春の暖かな風が吹き付けるが、なぎさの周囲だけが異質な空気を纏う。

そこに、相も変わらず飄々と猫を被った白い悪魔がやって来る。

 

『やあ、なぎさ。どうしたんだい、そんなに騒いで』

「キュゥべえ…? お前が、お前がお母さんを隠したのですか!?」

『はぁ…そんな事をして何になるというんだい。第一、君の母親はもう他界しているじゃないか』

「うるさいっ! うるさいっ! お前の仕業なのです! お前がお母さんを攫ったのです!」

『…そうか、さっきの使い魔の影響だね。幻覚でも見せるタイプだったのかな。でも、どうやら限界が近いみたいだね。なぎさ、自分のソウルジェムを見てごらんよ』

「なっ…何を言うのです! ごまかそうとしたって……っ!?」

 

なぎさはキュウべえに促され、バックルにあてたソウルジェムを元の形に変形させ、手に取って見る。既に全体が真っ黒に染まり、ひびが入り始めていた。

 

「な、なんですかこれは!? なぎさに、何をしたのです!?」

『何を、だって? 僕はちゃんとお願いした筈だけどね。"魔法少女になってくれ"って。ちゃんと対価として、チーズケーキも用意したじゃないか』

「な…なぎさは、どうなるのです…!?」

 

自分の今置かれている状況が、なぎさはまるで理解できていなかった。そのなぎさに対しキュゥべえは無機質に、冷酷に、淡々と事実を述べる。

 

『君は魔女に生まれ変わるのさ。うまくすれば、母親とももう1度会えるんじゃないかな?』

 

その言葉に、なぎさはついに限界を迎えた。

 

「うっ…あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

飲み込まれる。ソウルジェムが生み出した闇に。自らが積み上げた絶望に。

心を引き裂かれるような激痛が、なぎさを襲った。

 

「こ…これ、グリーフ…シード…!?」

 

なぎさが手に持っていたソウルジェムは天辺から崩れるように割れ、溢れた負のエネルギーはグリーフシードへと形を変えた。

 

「うぅぅぅ…! うあぁぁぁぁ!!」

 

否、認めたくない。自分がこんなモノに変わり果てるだなんて、認めたくない。なぎさはその一心で、グリーフシードを遥か遠くに思い切り投げる。

かつん、と軽い音を立てて落ちたグリーフシードは、廻る駒のように自立した。そこから、おぞましい程の負のオーラが撒き散らされる。

 

「いや、いやなのです! たすけて…たすけて、お兄さぁぁぁぁん……!」

 

間も無くしてなぎさの意識は途絶え、崩れ落ちる。最期になぎさの脳裏に浮かんだのは、あの優しい暖かな笑顔だった。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

見滝原中学から総合病院までは、徒歩でおよそ30分ほどの距離がある。先を急いだほむら達はバスを使って病院へと向かっていた。

魔法少女の力を使えばバスなど使わずに急行できるのだが、まどかが同行する以上はその選択肢は取れない。

 

「ねえ、ほむらちゃん」

 

2人掛けの席でほむらが窓の外を眺めていると、内側に座るまどかが尋ねてきた。

 

「そのなぎさちゃんって娘、魔法少女なんだよね?」

「多分。でも、私は会った事はないわ」

「…ほむらちゃんにも、わからないことあるんだね?」

「何でも知っている、という訳ではないわ。知っているのは今まで見てきた事だけよ」

 

度重なる時間遡行によって、ほむらは魔法少女の秘密を次々と目の当たりにしてきた。

けれど、それを話したところで理解してくれる人間は、今まで誰ひとりとしていなかった。自分の目で見るまでは、誰も信じなかったのだ。

 

「そう…なんだ。じゃあさ、ほむらちゃんは…どうして私の事を守ってくれるの…?」

「! そ、それは……」

 

確信を突いたような問いかけに、ほむらは狼狽える。

 

「…私ね、聞いたんだ。私が契約したら、すごい力の魔法少女になれるって。でも…もし魔女になっちゃったら、世界が滅びる、って」

「な…どうして、それを!?」

「…あは、やっぱり本当なんだね? キュウべえも言ってたもん。"僕は嘘は言わない"って」

「…確かに奴らは、嘘はつかないわ。人間と違って、奴らには感情がないのだから」

「うん…だからなの? 私が契約したら世界が滅びるから、契約させないようにしてるの…?」

 

まどかの言う事は、決して間違いではなかった。時間遡行を繰り返す度にまどかの資質は強力なものへと変わっていく。ほむらの時計の針は、まどかを起点にして廻っているからだ。

もはやその力はワルプルギスの夜さえも一撃で消し去れる程だが、その1発でキャパシティを超えてしまう。

そうして生まれるのが、救済の魔女。世界中を覆いつくし、全ての生命に死という名の救済をもたらす存在となるのだ。

そんな事を、なぜインキュベーターはわざわざまどかに話したのか。世界を滅ぼすくらいなら、契約なんてするわけがないのに。

しかしそれは結果論だ。ほむらにとって大事なのは、そんなものではない。

第一、ほむらはたった1人を救うために時を繰り返し、残された世界を見限ってきたのだから。

時間遡行とは、単なるタイムループではない。同じセーブポイントを持つ平行世界へと跳躍する力だ。ほむらが繰り返した分の中には、救済の魔女によって滅びた世界がいくつもあるだろう。

 

『"まもなく見滝原総合病院前、お降りの際は足元にお気をつけ……"』

 

アナウンスと共に、バスが病院の前に乗りつける。病院の前はちょっとしたターミナルのように整備されていた。

 

「降りましょう、まどか」

「あ……うん」伏し目がちに答えながら、まどかは席を立ち出口に向かう。

「………私にとっては、世界なんかよりも貴女の方が大切よ」

 

独り言のように、ほむらはそう言った。それを聞いたまどかの表情は、瞬く間に明るくなる。

 

「…私、悪い子だね。ほむらちゃんにこんな事聞いて、そう言う風に言ってもらえて…嬉しいの。

私なんてちっぽけな存在を大切に想ってくれるのが、すごく嬉しい」

「それは私の台詞よ…貴女がいなければ、今の私はなかったのだから」

「えっ? どういう意味…?」

「今は、わからなくていいわ」

 

ぱさり、と髪を掻き上げながらほむらは席を立ち、まどかに続くようにバスから降りた。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

「…………やっぱり、ね」

 

バスを降りてすぐに、ほむらは異変を察する。ソウルジェムを左手の痣から取り出して反応を見ると、魔女の反応が近い事を示していた。

 

「まどか、なぎさという娘を探す前にやることができたわ」

「もしかして、魔女…?」

「ええ。恐らく、病院のどこかに潜んでいるわ。なんとか騒ぎになる前に叩かないと」

 

ほむらは紫のソウルジェムを輝かせ、瞬時に魔法少女の衣装を纏った。盾を構え、いつでも魔法を使えるように準備を整える。

 

「いい? 今度は絶対に来てはダメよ。ロビーで待っていなさい」

「待ってほむらちゃん! …ひとりで、行くの? ルドガーさんとか、マミさんを呼んだ方がいいんじゃないの?」

「巴マミは呼べないわ。…彼女じゃ、あの魔女には勝てない。ルドガーが来たら"先に行ってる"って伝えてくれるかしら」

「そんな…待てないの? そんなに、危ないの?」

 

薔薇園の魔女との戦いで瀕死になったほむらの姿を思い出すまどか。1人で行かせてしまったら、取り返しのつかない事になるのではないか。

大丈夫だと思いたくても、恐れの方が先行してしまう。

 

「…病院はね、人間の負のエネルギーが溜まりやすいのよ。魔女にとっては恰好の餌場なの。それに…さやかの幼馴染もここにいるんでしょう?」

「あ…上条くん…!」

「少しでも時間が惜しいわ。まどか、待っていてちょうだい」

「待って! だめだよほむらちゃ───」

 

かちり、と音を立てて砂時計がせき止められる。だが、その音をまどかが聞く事は叶わず、ほむらはまどかの前から忽然と消えた。

 

「あっ……行っちゃったの…?」

 

どうして、いつもこうなのか。いくら大切に想われていても、自分には何もできない。

同じ場所に肩を並べたくても、それをすれば世界が滅びる。第一、彼女はそんな事を望んでなどいない。

だからこそ、あんなに傷付いても自分を守ろうとしてくれるのだ。

 

「ほむらちゃんの……ばかぁ……ぐすっ…」

 

まどかは自分の無力さを恨み、目元を潤わせる。今のまどかには、ほむらの無事を祈る事しかできなかった。

 

「あら、鹿目さんじゃない?」

 

そこに現れたのは、同じ見滝原中学の制服を纏うマミだった。彼女もまた、ソウルジェムを探知機代わりに手に持っていた。

 

「マミ、さん…?」

「キュウべえから魔女の気配がするっていうテレパシーが来て、飛んで来たんだけど…暁美さんは、一緒じゃあないの?」

「ほむらちゃんは、時間が惜しいって言って……」

「そう…あなたは、待っているように言われたのね?」

 

マミの言葉に、まどかは黙って頷く。はぁ、とため息をついて、

 

「次から次へと厄介事ばかりね…キュウべえの言ってる事も意味がよくわからなかったけれど、どちらにせよ放っては置けないわ」

 

まどかから視線を外し、病院の中へと入って行く。その背中を追うように、まどかもついて行った。

 

「待ってマミさん! ほむらちゃんが言ってたんです! マミさんはあの魔女には勝てない…って」

「…なんですって?」まどかの言葉に、マミの眉間がぴくり、と動いた。

「だから、マミさんは呼べないって…」

「………やっぱり、キュウべえの予想は当たりのようね」

「えっ…?」

「鹿目さん、貴女には少し酷かもしれないけれど……」

 

エントランスの中で、マミはまどかの方へ再び向き直り、告げる。

 

「暁美さんは魔女かもしれないのよ。それも、時間を操れる程に強力な、ね。

そうでなくとも、ここは病院よ? もしまた暴走でもされたら今度は大惨事になるわ」

「そんな…そんなことないよ! ひどいよ…マミさんまでキュウべえの言うことを信じるの!?」

「…知ってたのね、鹿目さん。でも、ごめんなさいね」

 

表面では謝りつつも、既にマミの中では取るべき行動は決まっている。

それを念押しするように、力強い声でマミはまどかに言った。

 

「魔女は、一匹残らずこの手で倒す。それが私の正義なのよ」

 

まどかの言葉は、二度はマミには届かなかった。

己の正義を信じ、魔女を裁き平和を守る。それこそがマミの矜恃であり、唯一の生きる理由。マミにとって、絶対に譲れないものだからだ。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

魔女の反応を追って、ほむらは階段を登って病院の屋上へと向かっていた。

 

(こんな所に魔女が現れるだなんて…何かイレギュラーな事でもあったのかしら?)

 

今までのほむらの経験上では、魔女は病院の駐輪場付近で孵化している事が殆どだった。ごく稀に場所が違えど、こうも大きく離れた場所に根を張ることはなかったのだ。

最後の階に差し掛かり、時間停止を解く。少し歩いた先には屋上へと続くドアがあり、その1枚を隔てた先へと向かって、マイナスのエネルギーが収束していくのがわかった。

盾の中からいつでも小銃を取り出せるように構え、ドアを開ける。本来なら晴天が見渡せる屋上も、一点から溢れ出る負のオーラで暗く霞むように見えた。あの先に、魔女の結界がある。

 

(巴マミが来る前に決着をつけないと…え?)

 

後ろ手でドアを閉めて正面を見据えると、幼い女の子が倒れているのを見つけた。ほむらは早足で駆け寄り、その身体を抱きかかえる。

白く長い髪をした少女は既に事切れており、その手には何か写真のようなものが握られている。

 

「…そう、あなたが"なぎさ"ね」

 

ほむらが初めて出会うその少女こそが、この先にある結界を産み出したのだと悟った。

ほむらはそれ以上何も言わずに亡骸を横たえ、瘴気に塗れる結界の中へと足を踏み入れた。

 

周囲の景色が一変する。どことなく人口的な造りの洞穴のような結界の中には、無数のお菓子と薬品らしきビンが散らばり、注射器のようなものがあちらこちらに突き立てられていた。

ただし、それらのいずれも人間のサイズではない。恐らくは魔女の体格に合ったサイズなのだろう。

 

「アハハ…アハハハ……」

 

侵入者を感知して、ナースの姿を模した使い魔が笑いながらいっぺんに湧き出る。

ほむらはまず手榴弾を適当に2〜3個ほどばら撒き、使い魔の陣形を崩す。

 

『キャハ…ハ、アァァァァ!』

 

轟音と共に砂煙が舞い上がり、使い魔が取り乱す。そこに的確に自動小銃を1発ずつ撃ち込んで行く。

かつて自衛隊の基地から拝借した銃のひとつであり、命中精度の高さ、取り回しの良さから愛用することが多いものだ。

魔力で強化した弾丸はコンクリートに風穴を空けることができる程の威力を誇り、マミの魔銃にも劣らない。

 

(使い魔は大したことはないのだけれど…問題は、魔女の強さね)

 

ほむらは今までの魔女との戦いを思い出す。芸術家の魔女、薔薇園の魔女…ともに、過去に戦った個体よりも遥かに強力になっていた。

そのイレギュラーの原因は、ほむらにははっきりとはわからないが、ルドガーの"時歪の因子"という言葉が引っかかっていた。

 

(もし、時歪の因子が魔女そのものと同じ反応なのではなく…魔女が時歪の因子という"力"を取り込む事で強力な個体に変化したとしたら…)

 

次に思い出すのは、まどかの素質。ほむらが周回を重ねるごとに、まどかの素質は強力なものになる。それが、今回の時間軸の魔女にも現れているとしたら。

 

(厄介ね…もしかしたら、巴マミだけではなく私の手にも負えないかもしれない)

 

それでも、勝算はあった。今度の魔女はマミだけでなく、ほとんどの魔法少女と相性が悪い。しかし、ほむらの時間停止を使えば有効な攻撃を加えることができるのだ。

 

(とにかく…今は魔女の所に急ぎましょう)

 

使い魔の死骸の山を築きながら順調に進んでいく。魔女結界は自動生成マップのように、周回ごとに構造が異なっているが、すでに数十回は同じ相手に挑んでいる。必然的に魔女結界の"癖"もわかってくるのだ。

小銃のカートリッジを2本使い切ったあたりで、一段と広い階層に出る。その奥には魔女の潜むであろう扉がぽつり、と立っていた。

使い魔もあらかた撃破し、この先の魔女相手に銃は有効ではないと判断し、小銃を盾に仕舞う。代わりに時限爆弾をいつでも出せるようにセットした。

扉に向かって一歩を踏み出し、

 

「待ちなさい、暁美さん」

 

不意に、背後から気配を感じる。

振り返るとそこには、魔法少女の姿に変身したマミが立っていた。

 

「鹿目さんから聞いたわ。貴女、独りでそこの魔女を狩ろうとしてたみたいね?」

「それが、どうかしたのかしら」

「おまけに私には勝てない、ですって? 私も甘く見られたものね」

「…今回だけは相手が悪いのよ、巴マミ。あの魔女は貴女とは相性が悪すぎる」

「ふぅん…どうして、それがわかるのかしら? まだこの結界は"生まれて間もない"のに」

 

マミは一歩ずつほむらとの距離を詰める。マスケット銃は持たずいつものように腕を組み、余裕を見せたままだ。

しかし、ゆったりとしているがその立ち居振る舞いに隙はない。

 

「やっぱりキュゥべえのいう通りなのかしら。貴女が魔女だ、って」

「えっ……?」何を言っているの、とほむらはマミの言葉の意味を理解できなかった。

「あの黒い翼の力の事よ。あれは魔法少女の魔力じゃないわ。それに貴女の魔法…時間を操れるらしいわね?

だとしたら、この先の魔女も"視てきた" のかしら?」

「……固有魔法については否定はしないわ。けれど、黒い翼なんて知らない。まして、私が魔女だなんてデタラメ…」

「この期に及んでとぼける気かしら? それっ!」

 

 

マミのひと声と同時に周囲から一斉にリボンが広がり、ほむらを襲った。

しかし、この展開は経験した事がある。ほむらは舌打ちしながら即座に砂時計を止め、リボンから逃れようとする。だが、リボンの動きは止まらない。

 

「なっ、どうして…きゃあっ!?」

 

ほどなくしてほむらは無数のリボンによって簑巻きにされ、リボンの中央に巨大な錠前をかけられる。マミの得意とする束縛魔法のひとつだった。

訳もわからずにほむらは砂時計の挙動を測る。しかし砂時計の盾は、ちゃんと作用していたのだ。

 

「キュゥべえの読み通りね。一か八かの賭けだったけれど…ほんの一部分でも貴女に触れていれば時間魔法から逃れる事ができるみたいね?」

「巴マミ、一体何をしたの…!?」

「貴女に声をかける前に、足元にリボンを這わせておいたのよ。貴女の魔法、確かに使い方次第では脅威になるけれど…いつまでも自分が優位に立っていると思わない事ね?」

「くっ…離しなさいマミ! 今はこんな事をしている場合じゃないのよ!?」

「場合なのよ、それが」

 

マミはようやくマスケット銃を一本錬成し、ほむらへと向けて言う。

 

「貴女が魔女だろうと、そうでなかろうと…あの黒い羽根の力をここで暴走させる訳にはいかないのよ。憶えてないのかしら? あの廃ビル、危うく倒壊しかけたのよ? ここは病院…たくさんの人がいるのよ。貴女はここで大人しくしていなさい」

 

くるり、と気障ったらしくマスケット銃を回す。マミはそれだけ言い残し、ほむらに代わって扉を開こうとする。

 

「待ちなさいマミ! 行ってはダメよ! お願い、待って!!」

「待つのは貴女の方よ暁美さん。魔女を倒したら、ちゃんと解放してあげるわ」

 

キィ、と軋んだ音を立てて扉が開く。マミはついにほむらの声に耳を傾けることなく、扉の先へと消えた。

 

「マミ! 待って! ………待ってよ…!!」

 

そうして、誰もいなくなった空間にほむらの声だけが虚しく響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話「選択を、魂の意思を」

1.

 

 

 

 

 

魔女の潜む部屋への扉をくぐった先は、異様なモノが立ち並ぶ空間だった。

無数に並ぶ椅子に、ひとつきりの丸いテーブル。それらは皆、数メートルはあろう足が伸びており、見上げなければそれが椅子であることすらわからない。

マミはその空間を一望して、魔女の姿を探す。すると、空中に浮かぶ小さな人形のような影を見つけた。

その人形はお菓子の瓦礫の山に降りたとうとしているようだが、空中で静止したまま動かない。ほむらの時間停止が未だ働いている証拠だ。

マミはほむらの足首に巻きつけたリボンと繋がっているからその制約を受けないのであって、手を離れたものは別だ。

試しに1発、マスケット銃を人形に向かって撃つが、銃口から放たれた弾丸は数センチも進まずに静止してしまった。

これでは攻撃にならない、とマミはため息をつく。

 

「はぁ……暁美さん? 時間魔法を解いてくれないかしら?」と、マミは扉の向こうのほむらにテレパシーを飛ばす。

『マミ、早まった真似はやめなさい! すぐに逃げるのよ!』

「まだ言うのかしら? 貴女こそ、ソウルジェムがカラになるのは困るでしょう? …あ、そうね」

 

言いながらマミはひとつ思いつき、指をひと鳴らししてマスケット銃を大量に錬成した。空中に浮かんだままの銃を一本ずつ撃ち、投げ捨てる。たちまちマミの周囲は使い捨てられ浮かぶ銃と、放たれたまま動かない弾丸だらけになった。

 

「暁美さん。貴女の魔法、有効利用させてもらうわよ」

『マミ…何をしたの!?』

「それは魔法が解けてからのお楽しみ、よ? リボンを切るわ。またあとでね?」

『マミ! よしなさ───』

 

ぷつり、とほむらと繋がったリボンを切り離した。その瞬間、静止していた弾丸は一斉に人形へと飛んで行き、圧倒的な弾幕となる。バラバラ、と空のマスケット銃は地に落ちた。

マミにとっては一瞬の出来事であるが、リボンを離してからどれだけの"空白"があったのかを知るのは、ほむら自身だけだ。

人形は弾丸を全身に受けながら、宙を舞った。マミはそこに追撃のリボンを放ち、人形を束縛する。そこに、最終射撃の用意をする。

 

「一気に決めるわよ───ティロ・フィナーレ!!」

 

轟音と共に、巨砲の魔弾が撃ち出された。ぶれることなく直撃し、爆煙が舞う。人形はボロ布のようになり打ち上げられた。

確かな手応えを感じたマミは、逆に呆気なさをも感じる。

 

「暁美さんがあれだけ言うから何かあるのかと思ったけれど…ただの脅かしだったようね」

 

だが、まだやる事はある。次はほむらを尋問しなければならない、とマミは踵を返す。

 

「あら…?」

 

しかし、ふと違和感に気付く。思えば薔薇園の魔女の時もそうだった。確かな手応えを感じたのに、結界が解けないのだ。そこに、ほむらの声が脳裏に響く。

 

『マミ! 奴から目を離さないで!!』

「えっ…?」

 

はっ、としてマミは振り向く。その瞬間、ぼろぼろの人形の口から巨大な蛇のような何かが音もなく吐き出され、猛スピードでマミに迫っていた。

 

「なっ……きゃあ!?」

 

咄嗟に、身体を捻って横に飛んで蛇の魔女の噛みつきを回避する。飛び込み前転のように手をついて回り、体制を立て直した。

マミのいたところには、がちり、と獰猛な牙が空を噛む音が響いた。

 

「なんなのあれ…あれが、暁美さんの言っていた?」

 

背筋がぞっとする。あと2秒。気付くのが遅ければマミの身体は蛇の口に飲まれていた。

どこかファンシーな柄模様をしているが、その牙だけは狡猾な肉食獣のそれであった。

 

「なんだかよくわからないけど…さっきのはダミーのようね。なら、これでも喰らいなさい!」

 

右手で空を扇ぎ、マスケット銃を無数に並べる。それぞれに魔力の弾が込められた銃身を、右手を振り下ろすと共に一斉に発射した。

弾幕の形成能力でマミの右に出るものはいない。魔女は全身に銃弾を受けて身じろぎをした。

 

『ゴアァァァァ…!』

 

しかし、魔女の口の中からさらに新たな、蛇の魔女が生え出てきた。残った身体は、抜け殻のように脱ぎ捨てられる。

蜂の巣のようになったはずの身体は、傷ひとつない真新しいものへとなっていた。

 

「うそ…脱皮!? きゃあっ!」

 

魔女の口から、金平糖のようなエネルギー弾が大量に吐き出された。的確にマミを狙ったものだ。

リボンをすぐ近くの長椅子に巻きつけて、リフトのように身体を持ち上げてエネルギー弾を躱す。

 

「ちっ…これならどうかしら!?」

 

同時に、マスケット銃を5発ほど撃つ。弾丸は魔女の目の前で炸裂し、そこから大量のリボンが生えて蛇を雁字搦めにし、身動きを封じた。

獰猛な咆哮を上げながら悶えるが、束ねられたマミのリボンはそう簡単には千切れない。

抜け出るのを諦めた魔女は、再び脱皮をする。リボンで縛られた抜け殻はくしゃりと潰され、地に落ちた。

 

「なっ…これじゃあキリがないじゃない!」

 

蛇の魔女はマミを咀嚼しようと、再度噛み付こうとする。マミはすかさず、開いた口の中に魔弾を何発も叩き込んだ。

ようやくその攻撃に魔女は怯んだ様子を見せた。外からの攻撃は脱皮でシャットアウトしてしまうが、内側への攻撃には弱いのだ。

 

「トドメよ! ティロ───フィナーレェ!!」

 

さらに、その口の中に最終射撃を撃ち込む。魔女は大きく仰け反り、ドスン、と大きな音を立てて地に伏した。

 

「はぁ…はぁ……なんだったの……」

 

しかし、まだ結界は晴れない。それは、あの一撃でさえ殺しきれなかった事を意味する。魔女はゆっくりと身体を起こし…一際大きな咆哮を上げた。

 

『グルルル……ゴアァァァァァァァァ!!』

 

その咆哮に呼応するように、2体の抜け殻がもぞり、と動き出す。それを見たマミはほんの一瞬だけ嫌な想像をする。

 

「ちょっと……まさか…?」

 

そしてその想像は、現実となる。抜け殻までもが、本体と同じように立ち上がりだしたのだ。

 

『『『ガアァァァァァァァ!!』』』

 

3体の蛇は揃って吠え叫び、マミを威圧した。唯一の差異点があるとすれば、本体と思しき蛇の魔女だけは黒く変色し、さらに血走った眼へと変わったことぐらいか。

 

「なんなのよこれは!? 冗談じゃないわよ!!」

 

倒してもキリがないどころか、いたずらに数が増えるばかり。

ほむらの言うとおり、相性が悪すぎるなんてものではない。こんな相手にどう勝てばいいのか。それでもマミは退く事はせず、射撃を繰り出す。

しかし抜け殻には多少の効果はあるようだが、変色した魔女には射撃はまるで通じない。

蛇はついに3方向からマミを取り囲み、一斉に牙を剥いた。

 

「ここまで………なの……!?」

 

蛇の凶悪な牙が目前に迫る。そして、マミの時間は止まった。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

駆け足でほむらの家に戻って荷物を置いたルドガーは、同行するさやかの案内に従い病院への道を小走りで駆けていた。

懐中時計を見ると、使い魔を倒してからじきに30分が過ぎようとしている。

 

「病院にいるといいんだけどな……」

「そうですね…でも、さっき時間止まってましたよね? ほむら、大丈夫なのかな…?」

「わからないな…ほむらなら、問題ないと思うけど…」

 

ほむらの家に戻る途中で、ほんの数分だけ時間が止まっていたのだ。ルドガーは咄嗟にさやかの手を取って共に時間魔法から逃れ、引き返したのだ。

使い魔でも出たのか、と予想したルドガー達は、病院への道のりをペースアップしていた。

しかし、数分駆けたあたりで歩幅が縮まる。ルドガーは体力には自信があったが、体格に差のあるさやかの方が、息を切らせ始めたのだ。

 

「はぁ…はぁ…ごめん、ルドガーさん…」

「! 悪い、さやか。少し休んで行くか?」

「ううん…なんとか。歩こう、ルドガーさん。もう少しだから…」

「そうか……ん、ここは…!」

 

街路樹の立ち並ぶ道から川原沿いへと差し掛かる。そこは、ルドガーとさやかが初めて出会った場所だった。

そして、最初に魔女に襲われた場所でもある。

 

「はぁ…ふぅ……あの時も、ルドガーさんに助けられたんだよね…」

 

膝に手をつき、深呼吸しながらさやかは言う。思えば、その日からルドガーと魔女との因縁が始まっていたのだ。

 

(クロノスは、魔女の存在を知ってて俺をこの世界に…?)

 

ビズリーに壊されたはずのルドガーの時計が再び現れたのも、クロノスが武器として与えたのだと考えると頷ける。

確かに魔女からは時歪の因子の反応がし、骸殻の力で戦う事ができるのだから。

 

「行こ、ルドガーさん」さやかはひと息つくと身体を起こし、先導して歩き始めた。

河原沿いから吹くそよ風が、駆け足で火照った身体に心地良く当たる。

 

「はぁー…涼しいですねぇ…」

「ああ、助かるな。これが夏ならたまったもんじゃない」

 

ルドガーはさやかの些細な呟きに

 

 

─────────

 

 

返事を返す。だが、それに対する答えは帰って来ない。

割と打てば響く娘だと思っていたルドガーは、なんとなしにさやかの顔を見る。

さやかの身体は、歩きかけた格好でぴたりと静止していた。

 

「え……また、時間停止か!?」

 

さすがのルドガーも、2度続けての時間停止の発動に違和感を覚える。少なくとも、ほむらの身に何かが迫っているのは確かだ。

ルドガーはまたもさやかの手を取り、時の流れから解き放つ。

 

「……えっ? ど、どうしたのルドガーさん!?」いきなり手を握られたさやかは、驚きを隠せない。

「…まただ」

「えっ、また時間が止まって…? あっ、ほんとだ…」

 

さやかはルドガーの言葉を受けて、少し遠くに見える風力発電機の群を眺める。普段はゆったりと回る風車の群れは、ぴたりと止まっていた。

 

「少し、急ごう。背中に乗ってくれ」

「え、えっ? おんぶ!?」

「ああ。飛ばすぞ…はぁっ!」

 

懐中時計を構えて骸殻を纏い、身体能力を強化する。時間が止まっているのをいいことに、一気に骸殻で走り抜けようというのだ。さやかはルドガーの手をうまく持ち変えて、背中におぶさった。心なしか、顔に赤みがさす。

 

(うぅ…恭介にだっておんぶされた事ないのに…?)

「行くぞ、舌を噛むなよ?」

「え、は、はい…いっ!?」

 

ドン、と地鳴り音を鳴らしてスタートダッシュを切り出す。その速さは人類最速のアスリートの2、3倍にも迫っていた。当然、未体験の速度にさやかは混乱する。

駆け出した先には十字路があり、車がちょうど横に走り抜けようとしているところで静止していた。

 

「わ! わ! わぁぁぁぁ! 速い! 速いってぇ!!」

「眼を閉じろ、さやか。飛ぶぞ! 舌を噛むなよ!」

「と、飛ぶぅ!?」

 

ダン! とアスファルトにヒビが入りそうなほどの踏み込みをして、ルドガーは十字路に差し掛かっている車を飛び越えた。

その勢いはなかなか衰えず、踏み切ったポイントから10メートルほど先にまで跳躍した。

指示通りに眼を閉じて歯を食いしばっていたさやかだが、強烈な引力を身体に感じて背筋がぞくり、として、ルドガーの背中をより強く抱きしめる。

 

「ちょ───なに、なに、何ぃぃぃぃ!?」

 

骸殻によって強化された足腰は、数メートル上からの着地にも容易に耐える。ルドガーは身体をほとんどぶれさせることなく、2本足のみで着地した。

 

「大丈夫か? さやか」

「は、はぃぃぃ! なんとかぁ! あ、あの大きい建物が病院ですぅ!」

 

さやかの言葉を受けて確認すると、先日の廃ビルなどよりも遥かに大きな建物が視界に入る。そのまま勢いを落とさず、バスターミナルへと進入していった。

 

「ここ! ここですぅ! ストップ! ストーップ!!」

 

さやかはついにルドガーの耳元で、止まるように懇願し始める。正面玄関の前に着いたあたりで、ルドガーはようやくフェードアウトしながら足を止めた。

 

「…ふぅ、骸殻を使っても…疲れたな…」

 

骸殻を解き、額と背中に汗をかきながら、さやかを降ろす。無茶な飛ばし方をしたことを謝ろうと、ルドガーはさやかの方へと向き直る。さやかはすっかり疲弊しているように見えた。

 

「…はぁ…はぁ…はぁ……はぁ…」

「大丈夫か? その…ごめん…」

「…まあ、親友のためですから…ふぅ…それに、ジェットコースターみたいで楽しかったですよ?」

「ジェットコースター? なんだ、それ?」

「えっ、知らないんですか!?」

 

当然、エレンピオスにはそんなものはなかったし、ルドガーがジェットコースターの存在を知るはずもなかった。

しかし、純日本人であるさやかにはそれを察する余地などない。

さやかは変なものを見るような目でルドガーを見て、言葉を発しようとするが、

 

『さやかちゃん、聞こえる!?』

「ルド───のわぁっ!?」

 

頭の中に響いた声によって遮られた。ルドガーは辺りをさっと見回し、バスが走る光景を見て時が動き始めた事に気付く。

 

「な、な、何!? なんかいきなりまどかの声が!?」

『いた! 落ち着いてさやかちゃん、キュゥべえがテレパシーを送ってくれてるの!』

「て、テレパシー!?」

 

さやかにとってはテレパシーは初めてのものだ。ルドガーは以前にキュゥべえがまどかをおびき寄せる声を聞いていたから、戸惑う事はやかったが、やはりさやかは驚きを隠せない。

 

『そうだよ。魔法少女の素質がある娘なら、僕がテレパシーを中継してあげられるんだ』と、間にキュゥべえの声が入る。

『さやかちゃん、ルドガーさんといるんだよね!?』

「う、うん。もうあたしら病院の前にいるよ?」

『ほんと!? すぐに中に来て! ほむらちゃんが危ないの!!』

「え、ええっ!? わかった、すぐ行く! ルドガーさん!」

「ああ、行こう!」

 

ほむらが危険だと知らされ、やはり先程の時間停止はそれに関係していたのだと感じる。

ルドガーはさやかと共に、正面玄関の自動ドアをくぐる。ロビーまで入ると、まどかとキュウべえが2人を待ち構えていた。

 

「まどか、ほむらがどうしたんだ?」

「その…病院のどこかに、魔女が出たらしいんです! 病院が危ないって言って、ほむらちゃん1人で…」

「魔女だって…!?」

『魔女の反応は屋上からするね。行くなら早い方がいいよ。マミも向かっているけどね』と、キュウべえが魔女の居場所を報せてきた。ルドガーはまどかとさやか、2人をじっと見つめ、

「…俺が行く。君たちはここで待ってるんだ」と告げた。

「ルドガーさん、あたしも行くよ! ほむらの事、放って───」

「だめだよ、さやかちゃん」

 

さやかの声をまどかが遮った。どうして、といった風にさやかはまどかの顔を見る。

 

「前に話したでしょ? ほむらちゃん、私を庇って大怪我したんだよ。…私達が行っても、足手まといになるだけだよ」

「う…そ、そうかもしれないけど…」

「…私だって、ほんとはほむらちゃんの力になりたいんだ。ほむらちゃんの事、守ってあげたいよ。でも…だめなの。私は、なにもしちゃいけないの……」

「まどか……」

 

まどかの目元は少し赤みを帯びていた。心優しいこの娘は、きっと泣いていたのだろう、とさやかは察した。

 

「…わかったよ、ルドガーさん。でも、せめて屋上まで案内させて。場所、知らないでしょ?」

「さやか……ああ、頼む」

 

さやかは先陣を切りすぐ近くのエレベーターへと向かい、ボタンを押す。ドアはすぐに開き、3人とも乗り込む。

屋上へと続く最上階のボタンを押すとゆっくりとエレベーターは閉じ、ゆるやかに昇り始めた。

最上階が近付くにつれ、ルドガーも時歪の因子の反応を感じ取る。この先に魔女が巣を張っているのは確かだ。

わずかに重力に身体を引かれる感覚と共に、エレベーターは最上階へと着いた。エレベーターを出て右を向けば、屋上へと続く扉がある。

さやかはその扉を指し、「あの先が屋上です」とルドガーに教えた。

 

「ありがとう、さやか。…行ってくる」

「気をつけてね、ルドガーさん」

「ほむらちゃんを…お願いします」

 

ああ、と柔らかく微笑みながら答えて、ルドガーは扉へと向かい、少し長い廊下を歩き始めた。

時歪の因子の反応は、すぐそこだ。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

扉を開くと心地よい春風が吹き込み、穏やかな陽気を感じるが、視界の先にはそれにそぐわない歪んだ気で満ちていた。

既に病院にいる人達から負の感情を吸い上げ始めたソレは、あの薔薇園の魔女結界と比較しても謙遜ないほどのエネルギーを感じられる。

ルドガーは息を呑み、一歩を踏み出す。

 

「ん……なっ…!?」

 

そこに、倒れこむ人の姿を見つける。白く長い髪をした、ピンクのワンピース姿の女の子だ。

 

「なぎさ!? しっかりしろ!」

 

ルドガーは慌てて駆け寄り、なぎさの身体を抱き起こす。だが、力のない四肢はだらり、とぶら下がる。首の据わらない頭を持ってやり、なぎさの容態を見る。

半開きの眼には生気がなく、かすかに涙の跡が見えるだけだ。

 

「おい……嘘だろ…!?」

 

手首をとり、脈拍をみる。なぎさの身体は既に血流が止まっていた。心臓に耳をあてるが、鼓動は聞こえなかった。

そうして、ようやくルドガーはなぎさの命の火は既に消えたのだという事を知った。

 

「なぎさ… 一体どうして!?」

 

魔女にやられたのか。やはりあの時、なんとしても追うべきだった、と後悔の念に襲われる。

しかしルドガーは、ここでひとつ違和感に気付く。脈をとった左手に、ソウルジェムの指輪がないのだ。

まさか、この先にあるものは。

 

「キュゥべえ、答えろ!! なぎさに何があった!?」

 

怒鳴るように、ルドガーは言う。その声を感知し、キュウべえの機械的な声が頭に響く。

 

『彼女なら、君の目の前にいるじゃないか。その結界の中だよ』なんの感情の起伏もなく、キュウべえは残酷な事実を告げる。

「お前…よくも!!」

『なぜ僕を怒るんだい? 彼女は願いを叶えた。"ソレ"は正当な対価さ』

「うるさい! 黙れ、黙れ!!」悔しさに、拳で地面を殴る。

「なぎさは………魔女になってしまったのか…!」

 

またしても、救えなかった。かつて分史世界から連れ出された、もう一人のミラのように。カナンの地に渡るために自らの手にかけられたユリウスのように。

わかっていた、止められた筈なのに。ルドガーは己の無力さを憎み、悲しんだ。

 

「うぅ……くそっ! くそっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

地面をさらに強い拳で殴りつける。ルドガーの感情にアローサルオーブが反応し、無意識のうちに威力を増した拳は地面に大きなヒビを作った。

その体勢のまま、無言でうなだれてなぎさを見る。指輪のない手とは反対の右手には、一枚の写真が握られている。

ルドガーはそっとその写真をとり、見てみた。

その写真にはもっと幼い頃のなぎさと、なぎさによく似た大人の女性が写っていた。

 

「…これは、まさか?」

 

同じ構図の写真を、ルドガーは過去に見ていた。エルの父親、ヴィクトルの隠れ家に飾られていたものだ。

その時に目にした写真にもやはり幼いエルと、エルの母親らしき人物が写っていたのだ。ヴィクトル曰く、数年前に病で亡くなった、と聞かされた女性だ。

その写真と、なぎさの持つ写真が重なって見えた。この女性はなぎさの母親だろう、とルドガーは確信する。

 

「そうか…お母さんに逢いに行く、って言ってたよな……」

 

覚悟を決め、四肢に力を込めて立ち上がる。選択には責任が伴う。ルドガーはそれを誰よりもわかっていた。だからこそ、ルドガーのやるべき事も自ずと決まる。

 

「なぎさ…お前には、誰も傷つけさせない」

 

これ以上、なぎさの魂を貶めさせたくない。せめて、その手を血で染めさせたくはない。

強い決意と共に、懐中時計を構える。

 

───選択を、魂の意志を。想いを込めて、今。

 

「うおぉぉぉぉっ!!」

 

 

無数の歯車が舞い、鎧となってルドガーに取り付く。手足だけではない、身体全体も覆い、頬に紋様が浮かび上がり、虹彩も変化する。

呪いを刻む歯車は、継承される鋼の鎧。それは、時空を貫く槍にして鍵。

人の想いの強さによって発現する、骸殻の更なる高み、スリークォーター骸殻を身に纏った。

 

ルドガーの周りの瘴気が、骸殻のエネルギーの余波で掻き消される。そしてルドガーは、歪んだ空間へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

もう、彼女を救う事はできないだろう。魔女結界の中で黄色いリボンに囚われたほむらは、諦観していた。

すぐそばにある扉の先では、マミが交戦している。幸いな事に不意を喰らって絶命するには至らなかったようだが、勝ち目は薄いだろう、と思っていた。

薔薇園の魔女の規格外の強さが、このお菓子の魔女にも現れているとしたら、ますます勝てる可能性は下がる。それこそ、自分でも理解できていない"黒翼の力"を使わなければ。

だが、それができていればほむらは何度も同じ時を繰り返したりなどしない。ほむらに宿るのはあくまで時間操作の能力と、副次効果としての機械操作のみだ。

いくらもがいても、リボンは全く緩まない。発動者のマミからほぼ独立して持続している術式のようだ。これが解けるという事は、発動者の死を意味する。

このままでは、マミの死を待つまで動く事ができないのだ。

 

(違う…! 私はマミを見殺しにしたいわけじゃない!)

 

時間停止も、無限にできる訳ではない。この力がなければこの先の魔女を倒す事ができないのだ。

足首のリボンを切られてからも暫くは時間を止めていたが、これ以上の時間停止は魔力の枯渇を招く。

ほむらにはもう、打てる手がなかったのだ。

もし、もう一度だけ黒翼の力とやらを使う事ができたなら。こんなリボンなど引き裂いてマミを助けに行けたのに。

 

(いつもいつもそう…私は、肝心な所で今一歩が足りない。そうやって、今まで何回まどかを…みんなを死なせた、暁美ほむら…!)

 

悔しさを抱いて自問するが、その答えを出す事は自分にはできない。

なぜなら、ほむらは気付かなかったから。足りない一歩を埋めてくれるだろう、唯一の存在に。

 

「──────ヘクセンチア!!」

「えっ……?」

 

すっかり聞き慣れた耳当たりの良い声が結界内に響き渡る共に、紫黒の光弾が天井から何発も降る。

光弾は的確にリボンの端を撃ち抜き、最後の1発で中央の錠前を破壊した。

 

「きゃっ!?」

 

予想だにしない形で解放されたほむらの身体は、どさり、と音を立てて落ちる。

そこに、黒い鎧を纏ったルドガーが駆けつけ、手を差し伸べた。

 

「ルドガー…来てくれたのね…?」

「ああ、まどかに頼まれたからな。"ほむらを守ってくれ"って」

「まどかが…?」ほむらはルドガーの手をとって立ち上がり、スカートの埃を払いながら疑問符を浮かべる。

 

「それよりも、今は魔女だ。マミが来ているらしいな?」

「ええ…けど、もしかしたら既に…」

「既に…なんだ?」

「あの魔女は強いのよ…もう、間に合わないかも……いつも、いつもそうなのよ…! 私には、マミを助けられない……!」

 

ほむらは、暗い表情で俯き気味に答える。ルドガーはそんなほむらを見て、

 

「──────諦めるな!!」

 

と、初めて大声で一括した。

 

「いいか、生きている限り可能性はゼロじゃない! 未来を選ぶのは、今生きている俺たちなんだ!」

「な…貴方は何を…!?」

 

突然の叱責に、ほむらは驚く。だが、ルドガーの眼差しはどこまでも真っ直ぐに、ほむらを見据えていた。

 

「……必要なのは選択だ。命を…世界を、己のすべてを賭けた"選択"だ!! お前に出来るのか! "選択"が、 "破壊"が! 答えてみろ、ほむら!!」

「───っ…!」

 

それは、失ったことがある者にしか言えない言葉。そして、失ったことがある者にしか答えられない問いかけだった。

かつて兄がそう問うたように、ルドガーはほむらに問いかけたのだ。

その言葉に、ほむらの脳裏にとある光景が浮かぶ。それは霧がかかっているように思えるが、ほむらの知り得ないはずの光景。深い絶望の中で見えた、唯一の光だ。

 

 

 

『───私が…意気地無しだった…

 

もう一度あなたと逢いたい。その気持ちを裏切るくらいなら…私はどんな罪だって背負える。

 

どんな姿に成り果てたとしても、きっと……』

 

"──────思い出すな。"

 

 

左耳に下がるイヤリングが熱を帯びる。靄のかかった記憶は、ノイズに掻き消された。

 

(…っ、またこの感覚…?)

 

ほむらの意識が離れていたのはほんの一瞬で、直後には何を視たのかすら覚えていない。

だが、ほむらの決意が定まった事だけは確かだ。

 

「そうね…貴方の言うとおりだわ。私はいつも、諦めてばかりだった」ほむらは砂時計をせき止め、扉へと向き直る。マミの命が砂時計によって繋ぎとめられる事を祈って。

「行きましょう、ルドガー。…今度こそ、誰も失わせたりしない」

「ああ、ついて行くよ」

 

扉を開け放ち、2人は魔女の蠢く部屋へと進んでいった。

内部はやたら足の長い椅子が立ち並ぶが、既にいくつか薙ぎ倒されている。すぐに目に飛び込んで来た異様な光景に、ほむらは唖然とした。

 

「…なんなのよあれは。どうして奴が、3匹も!?」

 

それは過去にない、明らかなイレギュラーだった。3体の蛇型の魔女が、マミを取り囲んで一斉に囓りつこうとしているのだ。

 

「ほむら、とにかくマミを!」

「わかっているわ!」

 

ほむらは蛇の群れの中心に飛び込み、マミの手を取る。ルドガーは槍を構え、蛇の挙動に備えた。

 

「───きゃっ! あ、暁美さん!?」時の流れから抜け出たマミは、突然のほむらの出現に驚く。

「こっちへ、マミ!」

「え、ええ…! でも、どうやってあのリボンを…?」

「ルドガーのお陰よ。…この借りは、いずれ返してもらうわ」

 

群れの中心からマミを連れ出したほむらは、再び時を動かす。獲物を目の前で忽然と喪失した蛇の魔女たちは、拍子抜けしたように周囲を窺う。同時に、ルドガーが空に向かって槍を投擲する。

 

「行くぞ、シューティングレイン!!」

 

空中で槍は炸裂し、光の雨となって蛇に降り注いだ。一発ごとの威力はもはやマミの魔銃を軽く上回り、蛇を貫いて地面を穿つ。

 

『ゴアァァァァァッ!!』

 

3匹のうち、華やかな彩りの2体は全身を貫かれて倒れる。しかし残った黒い個体は、口の中から新たに生まれ出て、抜け殻を残しながら光の雨をかい潜った。

 

「ルドガーさん! やつには外からの攻撃は効果がないわ!」

 

マミは魔女を内部から攻撃できる唯一のポイント、口を狙って魔弾を放つ。ほむらもロケットランチャーで牽制しながら隙を窺う。

光の雨から逃げた蛇は次々と抜け殻から這い出て、またもマミを狙って牙を剥いた。

 

「させない!」

 

口を開いた瞬間、ほむらは時間を止めて接近し、時限爆弾を放り込む。以前からこの魔女を討伐する時に用いていた戦法だ。

マミの手をとり離脱し、時を戻す。傍らで、ルドガーは槍を掲げて叩きつけんと飛びかかる。

 

「臥龍裂渦!!」

 

槍が振り下ろされた点を中心に、強大な水の波紋が巻き上がる。口内で爆ぜた爆弾と共にそれを受け、魔女は大きく吹き飛ばされた。

 

『グアァァァァァ!!』

 

魔女はもがくように叫び、抜け殻を生んで体勢を立て直す。その声を受けた抜け殻たちは、ゆったりと起き上がり牙を剥き始めた。その数は、5体。本体の黒い蛇も、まだ余力を残しているようだった。

それらは、一斉に口からエネルギー弾を吐いた。金平糖のような見た目とは裏腹に、一発一発が凶悪な威力を持つ。

すぐさま、ほむらは時間を止めて対応する。マミを連れ出そうとするが、ほむらが触れる前にマミは自力でエネルギーの弾道から逃れ始めていた。

 

「マミ、動けるの!?」

「悪いけど、またリボンを巻かさせてもらったのよ!」

「いつの間に…!」

 

目を凝らすと、周囲の色と同化したリボンがほむらの右足首に巻かれていた。長さも相当あるようで、動きを制限するようなものではない。

ルドガーは魔女のエネルギー弾に対して、矛先から黒いエネルギー弾をいくつも打ち出してぶつける。時が止まったまま魔女のエネルギー弾は一部相殺され、マミ達が逃れる余裕を作り出した。

時間停止を解き、エネルギー弾がいくつか着弾し、椅子を破壊し砂埃を立てる。弾を回避した3人は、距離を離して魔女の動向に気を配る。

 

「キリがないわね…」

 

ほむらは焦りを覚え始めた。口内に放り込んだ爆弾も、さしたる効果はなかった。明らかに、過去の個体と比べても強靭さに磨きがかかっている。

ルドガーもそれは同様で、いたずらな攻撃では倒し切ることなどできないと感じる。

それはまるで、過去に遭遇したメロラベンダーというギガントモンスターの特性に似ていた。

メロラベンダーはあらゆる攻撃に対して強い耐性を持ち、自身の分身を何体も生み出す。

そして、本体を殺しきらない限りは何度でも分身を生み出すのだ。

半端な火力では話にならない。魔女の群れ全てを巻き込み、かつ強力な一撃でなければ。

 

「なぎさ………」

 

ルドガーは、すっかり醜く変わり果てた少女の名を呟く。何より、ここで倒してやらなければ、彼女はこれからも誰かを襲い続けるのだ。

それだけはさせない。ルドガーは槍をより強く握り締めて、魔女の群れを見据えた。

 

「2人とも…こいつは、俺にやらせてくれ」

 

ルドガーの問いかけに、マミとほむらが振り向く。

 

「こいつは…こいつだけは、俺がやらなきゃいけないんだ」

「どういうことなの…ルドガーさん? 勝つ手段があるというの…?」手も足も出ない、といった様子のマミは、ルドガーの提案に疑問を抱いた。

「一か八か、だけどな。俺の持てる全力をあいつにぶつける」

「…自信があるようね。わかったわ、ルドガー。私たちは後ろから援護するわ」

 

ほむらはロケットランチャーから大口径のライフルへと持ち替える。マミもほむらに倣い大量のマスケット銃を造り、援護射撃の用意をした。

 

「ああ。行くぞ……リンク・オン!!」

 

掛け声と共に、アローサルオーブが一際大きな熱を帯びる。既に限界まで育ちきったオーブには、遥か彼方に存在するかつての仲間たちとの絆の残滓が、微かに刻まれているのだ。

その想いをたぐり寄せるように、アローサルオーブの出力を上げる。繋がるはずのない絆の証は、時間も、距離をも超えて輝き出し、限界を超えた力(オーバーリミッツ)を発現させた。

目にも止まらぬ速さでルドガーは駆け出し、魔女の群れへと飛び込んで行く。後方の2人はすかさず魔女の身体を狙い撃つ。

抜け殻の魔女にはそこそこ効果的なのだが、やはり銃器のような衝撃性の低い攻撃は黒色の本体には効き目が薄い。

 

「ファンガ・プレセ!!」

 

槍を真横に振り抜き、狼の咆哮を思わせる光の闘気を放つ。黒色の魔女は派手に仰け反り、嗚咽を漏らした。

 

『グゥゥゥ…ガァァァァ!』

 

口から這い出ようとしたその瞬間を狙って、ルドガーはさらに追撃を叩き込む。

 

「──────獅儘、封吼ッ!!」

 

地面を強く穿ち、闘気を拡散させるように放たれた一撃は、どんな敵の意識もほんの一瞬だけ眩ませるほどに強大なものだ。

その闘気をもろに受けた魔女の群れは、本体を残して崩れ落ちる。這い出ようとした魔女は、不意を突かれた形で眩暈を起こした。

 

「ほむら!! 頼む!!」

「ええ、決めなさい!」

 

合図と共に、ほむらはもう一度時間を停止させる。ルドガーは槍を大きく振り回し、風のエネルギーを掻き集め始めた。

 

「風、織り紡ぎ……大地を断つ!」

 

膨大な風の奔流がルドガーの周囲に巻き起こり、脚長の椅子がいくつか根元からへし折れる。魔女を巻き込むように、その奔流をぶつける。その奔流を駆け抜けるように交差し、槍の一閃で魔女の身体を打ち上げていく。

 

『───グ、ゴァ、ガ、ガァ!?』

 

すれ違いざまに槍が触れるたびに、ほんの一瞬だけ魔女がもがくが、ミキサーのように練られた風の奔流と時の流れからは逃れられない。抜け殻を生み落とすこともできずに、上へ上へと押し上げられていく。

 

「なぎさぁ───っ!!」

 

魔女を空中に取り残し、風の奔流を少し大きくさせた槍に収束させ、大口を開けたまま静止した魔女にその狙いを定める。

 

「お前の絶望は…俺が背負う! 選択を! 魂の意志を!!」

 

風を宿した槍を、全力で口内に向けて投擲した。その槍の軌跡に、さらなる暴風が生まれる。

槍は魔女の身体を貫き、爆ぜる。蛇の躯体は大きく膨らみ、体内は暴風でズタズタにされる。

 

「想い込めて…今!! 十臥・封縛刹ッ!!」

 

暴風を宿したルドガーの飛び蹴りが、魔女に突き刺さる。一瞬で地面に押し潰され、ゴム毬のように弾性のある躯体はその一撃によって大きくひしゃげ、地面に大きなクレーターを空けた。

 

『ガァ!? ゴアァァァァァ!!』

 

時間停止が解ける。内側から破裂するように、蛇型の魔女はその身体を爆散させ、グリーフシードを残して霧散した。

砂の城が崩れ落ちるように、お菓子まみれの結界が晴れていく。瘴気に塗れ、混沌とした空間は、緩やかにもとの青空へと戻っていく。

 

1人の少女の願いは、儚く空へと消えていった。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

病院の屋上へと戻った3人のもとに、魔女の消滅を感知したキュゥべえと、それに追随してまどかとさやかが駆けつける。

すでに3人は変身を解き、立ち尽くす。しかしその後ろ姿は、魔女を倒したというのにどこか暗い雰囲気をしていた。

 

「ほむらちゃん……終わったの?」まどかが、3人の顔色を窺いながら尋ねる。

「ええ、魔女は倒したわ」

「そっかぁ………えっ? その、女の子は…?」

「…"なぎさ"よ」

 

まどかの視線の先にいる白髪の少女は、既に体温が冷め始めている。駆け寄って起こそうとするが、ほむらがそれを制止した。

 

「やめなさい、まどか…もう手遅れよ」

「そんな、どうして…? 魔法少女だったんだよね…?」

「…魔法少女だから、よ」

「そんな…こんなのって…!」

 

まどかは少女を労わり、涙を流す。その姿を見たさやかも、なぎさの死にショックを隠せない。

 

「ねぇ、嘘でしょほむら!? だってあたし、ついさっきなぎさちゃんに助けられたばかりで…それが、こんな……」

「仕方が無い事なのよ、さやか…私は、この光景を今まで何度も見てきたわ」

「でも暁美さん…この娘は、魔女にやられたのかしら…?」マミが口を開き、倒れ伏すなぎさの身体を指す。

マミが遭遇した時点では、まだ魔女は化けの皮を被っていた。お世辞にも、あの姿で魔法少女を襲うようには見えない。

 

「いいや…違う」その問いに答えるように、ルドガーが呟いた。

「ルドガー、よしなさい! マミには……」

 

ルドガーが言おうとした言葉を察し、ほむらが止めに入る。なぎさの最期は、魔法少女の辿り着く結末そのもの。マミにはその結末は重すぎるのだ。

 

「俺の…せいなんだ」

「えっ……?」

「…俺がすぐに追いかけていれば、こんな事にはならなかった。なぎさは死ななくて済んだんだ。なぎさを殺したのは、俺だよ」

「ちょっと、どういう意味なの……ルドガーさん…?」マミは言いかけて、ルドガーの顔を見て言葉が止まる。

ルドガーは静かに、その双眸から涙を流していた。

 

「ほむら、いずれは言わなきゃいけない事だ。下手な形で知るよりはマシじゃないのか?」

「…そうね、貴方の言うとおりだわ」

「ルドガーさん、あなた何か知っているの?」

「…ああ、知っている。どうか、心して聞いて欲しい」

 

ルドガーはマミに正対し、涙を拭う事もせずに真剣な表情で向き合った。

 

「………ソウルジェムが濁りきり、絶望に染まり切ったとき…魔法少女は魔女へと生まれ変わる」

「ちょ、ちょっとルドガーさん…こんな時になんの冗談…」

「冗談なんかじゃない。俺たちがさっき倒した魔女…あれが、なぎさだったモノだ」

「えっ…ちょっと、意味がわからないんだけど…?」

 

マミは本気で困った顔をして答える。ルドガーの言う事が、理解の範疇を超えていたのだ。

その様子を、3人の少女たちは黙って見守る。

 

「ソウルジェムがどうして濁るのか、その意味を考えた事はないのか?」

「だ、だってあれは…濁ると魔法少女としては致命的だってキュウべえが…」

「…あいつの言う事を真に受けるな、マミ。あいつはいつも肝心な事を言わない。

ここに駆けつけた時、俺はキュゥべえに"なぎさになにがあった?"って聞いたんだ。

奴はこう答えたよ。"なぎさなら、そこにいるじゃないか"ってな…」

「嘘…嘘よね? そんなわけないわよね、キュゥべえ!?」

『彼のいうとおりさ。大まかには間違っていないよ、マミ』

 

キュゥべえはまるで他人事のように語る。それを聞いたマミの顔から血の気が引き、青くなっていく。

 

「…ごめんなさい、マミさん」先に答えたのは、さやかだ。

「あたしらも、ショッピングモールで使い魔に襲われたあと、ほむらに聞かされたんです。

ほむらは、あたしらを魔女にさせたくないから契約を止めようとしてたんですよ」

「あなた達まで…!」

「私も、そうです」さやかに続き、まどかも口を開く。

「私は、魔法少女としての才能も強いけど…逆に、世界が滅びちゃうくらい強い魔女になるって言われました」

「嘘よ…嘘に決まってるわそんなの!!」

「きゃっ!?」

 

マミはついに感情を爆発させ、再び魔法少女へと変身した。マスケット銃をひとつ造り、ほむらへと向ける。

 

「あなただって魔女のくせに! 魔法少女が増えたら困るからそんな嘘を言いふらしてるんだわ!!」

「落ち着きなさい、マミ! まだそんな事を言っているの!?」

「黙りなさい! 魔女は殺す…それが私の生き方なのよ! 私は魔法少女を殺したりなんかしてない!! 殺したのは魔女よ!!」

 

マミは、ルドガー達の言う事実を頑なに拒む。

自分の手が、魔法少女の血で汚れているという現実を認められないのだ。

 

「そうよ…あなたを殺せばいいんだわ…黒い翼だなんて強い力を使う魔女なんて……」焦点の定まらない、震えた手で引き鉄を引こうとする。

「やめて、マミさん!!」そこに、ほむらを守るようにまどかが立ちはだかった。

 

「まどか、何を!?」

「どきなさい鹿目さん!! 撃つわよ!?」

「どかないよ! ほむらちゃんは命がけで私を守ってくれたんだ…私も、ほむらちゃんを守るんだ!」

「なっ……くぅ、うぅぅぅぁぁぁぁ!!」

 

まどかは恐怖に足を震わせながらも、強い意志を込めた視線をマミに飛ばす。その姿に心打たれたマミの手から、マスケット銃が落ちる。

マミは嗚咽を漏らしながら、地に手をついた。

 

「私は…どうしたらいいのよ…! 正義の味方だなんて格好つけて…私のしてきた事は、ただの人殺しじゃない…! もう駄目よ……もう、戦えないわ……」

「マミ! 気をしっかり持て!」

 

マミの髪飾りにあるソウルジェムは、みるみるうちに濁ってゆく。ルドガーは採ったばかりのグリーフシードをとっさにあてた。

ソウルジェムから濁りが吸い出されるが、濁りはあとから次々と湧いて出てくる。

 

「お前がやれないのなら俺がやる!! 思い出せマミ! お前はどうして魔法少女になった!? 魔女になって絶望を撒き散らす為じゃないだろ!? なぎさだって、そんな事は望んでなかったんだ!!」

「無理よ…もう無理なの…!」

「くっ…マミ! しっかりしろ!」

 

ぱしん、と乾いた音が響く。ルドガーが、マミの頬を叩いたのだ。

「きゃっ!?」と声を上げてマミはルドガーを見る。

「…俺は、なぎさの手を、魂を血で汚させたくなかったんだ。だから戦えたんだ。ただのエゴかもしれないけどな…俺の知ってる限り、呪われたとしてもそんな事を望んだ奴は1人もいなかった!」

 

ルドガーの言葉の中に含まれるのは、魔女だけじゃない。今まで破壊してきた時歪の因子たち…骸殻能力者の成れの果ても含まれる。

それこそ、手にかけた人数ではマミなどルドガーに遠く及ばない。それが、"世界を壊す"という事なのだ。

 

「マミ、お前だってそうだろう!? せめて、魔女になった魔法少女たちがより多くの人を傷つける前に止めないと…それが、俺たちにできる唯一のことじゃないのか…?」

「ルドガー…さん……わたし、わたしはぁ……!」

 

マミのソウルジェムが、穢れを産むのを止める。かろうじてお菓子のグリーフシードはその穢れを吸い切り、マミの魂を守ったのだ。

 

「ルドガーさん…わたし、どうしたらいいの…?」

「…ゆっくり考えていけばいいよ、マミ。俺たちがついてる。お前は独りじゃないんだから」

 

マミは変身を解き、涙でぐしゃぐしゃの顔でルドガーに縋りつく。子供をあやすように、ルドガーは優しく頭を撫でてやった。

 

「全く、ルドガーには頭が上がらないわね…」その様子を見たほむらがそっと呟いた。

「彼女はずっと独りで戦ってきた。支えになれる人がいなかったのよ…」

「なんだか兄妹みたいだね、2人とも」

「そうね」

 

ほむらはようやく一安心し、視線をなぎさの身体へと向ける。さやかも、今にも泣きそうな顔でなぎさを見ていた。

 

(百江なぎさ……私の知らない、魔法少女。もし、もっと早く知っていたら…彼女も助けられたのかしら…?)

 

マミを救う事はできたものの、なぎさの運命は変えられなかった。

かつて、大切なものを守る為に全てを捨てたほむら。そして、大切なものを守る為に数多の世界を壊してきたルドガー。

それでも、誰かを喪う悲しさに慣れるなどという事はあり得ない。喪われた命を想い、ほむらは静かに祈った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:3 少女ハ朝ノ夢ヲ見ル
第10話「そうよ、私は意気地なしなの」


1.

 

 

 

 

 

 

 

(───どこにいるの)

 

 

誰もいなくなった世界で、ひとりの少女がそう呟く。

荒廃した街並みは見慣れた風景の面影すら残さず、全ての生命は少女の箱庭へと昇華され、希望も、絶望も存在しない。

けれどただひとつだけ、少女が探し求めているものがどうしても見つからない。

 

(どこにいるの)

 

 

貴女を救うために命をかけたのに。

貴女を救うために願いを棄てたのに。

貴女を救うために全てを失ったのに。

 

世界中を救済の願いで包み込んだ彼女の下には、もう何も残されていない。救いたかったものは、とうにここではない何処かへと消えてしまったのだ。

それでも少女は探す事をやめない。

 

 

(どこにいるの)

 

 

数多の世界の運命を束ね、因果の特異点と化した少女は、願いによって全ての過去の記憶を有した。

そうして初めて、自身にとって"それ"がどれだけ大切な存在だったのかを知る事ができた。

けれど、知ってからでは遅すぎたのだ。

 

 

(どこにいるの、■■■■■■───)

 

 

必ず見つけ出す。貴女を、救うために。

自身に唯一残された本能の為に世界を廻る。そうして少女は、原罪の特異点との邂逅を果たすのだ。

 

 

───少女は、朝の夢を見る。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

目覚まし時計の音が耳元で響き、重い頭が緩やかに覚醒へと向かう。

まどかは愛用の抱き枕を抱え、惚けた顔をしてベッドから這い出て、目覚まし時計を止めた。

 

 

「……また、変な夢」

 

 

誰もいない、何もかもが崩れた街で、何か大切なものを探してひとり彷徨う夢。今朝まどかの見た夢は今までのどれとも異なっていた。けれど、なんとなくわかってしまう。この夢は今までの夢の続きなのだと。

寂しい夢だ、と半開きの眼をこすりながらまどかは思う。

 

「なぎさちゃん……」

 

まどかは、初めて目の当たりにした魔法少女の最期を思い出す。実際に魔女へと堕ちる場面を見たわけではないし、なぎさと対面する事もついに無かったのだが、ルドガーの悔しそうな顔とほむらの諦観にも似た表情を見て、心象を察するに至った。

なぎさは何を願って魔法少女になったのか。どうしてあんなに小さな女の子が、命を落とさなくてはならないのか。

そして、マミの事も気がかりだ。ほむらのいう通り、マミは魔法少女の結末を知り大きく取り乱し、あまつさえほむらに銃口を向けたのだ。

ルドガーの叱責のお陰で事なきを得たものの、今後どうなるかもわからない。

そして、それらの事に対して何もできない自分に、ほとほと嫌気が差してしまう。

カーテンを開き、心地よい朝日を浴びてもまどかの心は翳りが差したまま、晴れない。

 

 

「………ママを起こさなきゃ」

 

 

寝癖のついた桃色の髪を手櫛にかけながら、まどかは寝室をあとにした。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

洗面台にて、詢子とまどかは並んで歯を磨き、顔を洗う。やはり今朝も詢子は起きれず、まどかに布団を剥ぎ取られて強制的に起こされたのだ。

それでも、冷水で顔を洗ってきっちりスイッチを切り替えられるあたりは、流石はキャリアウーマンといったところか。

 

「…ねえ、ママ」

「ん、どした?」

「もし…もしもだよ。魔法で願いを何でも叶えてもらえる、って言われたら…ママならどうする?」

 

我ながら変な質問をしたものだ、とまどかは内心で思う。しかし、魔法少女の事など話したところで信じてもらえないこと目に見えている。これがまどかなりの精一杯の相談の仕方だったのだ。

そんな質問に対して詢子は、

 

「そうねー…とりあえず、専務を2人ばかり余所に飛ばしてもらうわ」

「…えっ?」

「あとねぇー…社長ももう無理がきく歳じゃねえんだからそろそろ隠居考えてほしいんだけど、代わりがいないってのがねえ…あのドラ息子は二代目って器じゃねえしなぁ……」

「へ、へぇ〜…」

 

あまりに予想外の、それでいて中々に腹黒い答えを返され、まどかは戸惑いを隠せない。

 

「んー…そう考えると、あたしが社長になるってのもアリかな、うん」

「そ、そうだね…」

 

なんという詢子ニズム。これは駄目だ、とまどかは諦めて髪を梳かす作業に入る。今ではすっかり慣れた真っ赤なリボンを手に取り、髪を2つ結びにまとめ出す。

その様子を見て詢子は、わざとらしく含みがある風にまどかに尋ねてみる。

 

「そういえばさぁ? 最近そのリボンくれた"オトモダチ"とはどうなんだい、まどか?」

「うぇひっ!? どど、どうって!?」

「照れんな照れんな。ていうか、どんな子よ?」

「どんな、って……」

 

詢子に逆に訊かれるが、未だにリボンの贈り主を思い出せずにいたまどかは、返事に困る。

どうにか思い出そうと、首を傾げて自身の記憶を巡ると、薄ぼんやりとした情景がかすかに思い浮かんだ。

 

(渡り廊下…そうだ、学校でもらったんだっけ?)

 

見滝原中学のガラス張りの渡り廊下でまどかは誰かと正対し、赤いリボンを結んでもらう。そうして、"彼女"は瞳を潤わせながら…

 

『───やっぱり、貴女の方が似合うわね』

 

黒髪の少女は、確かにそう言ったのだ。

 

 

「………ほむらちゃん?」

 

無意識のうちに、まどかはその名を呼んでいた。

 

「ほおーう? 噂のほむらちゃんがくれたのかい?」間髪入れずに、隣から、意地の悪そうな声が聞こえる。

「ふぇっ!?」

「確かにまどかったらここ最近ほむらちゃんが、ほむらちゃんがー、って話ばっかりだもんねぇ?

まるでカレシでもできたみたいにさぁ? …うん? この場合はカノジョなのか…?」

「も、もう! ほむらちゃんはそんなんじゃないってばぁ!」

 

まどかは赤面し、詢子にまくし立てて逃げるように洗面所を立ち去った。

その様子を微笑ましく見守りながら詢子はリップをひき、キャリアウーマンの顔へとシフトする。

こうして、鹿目家の一日が始まった。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

今朝の食事も余裕があまりない状態で終え、まどかはいつものように学校へと向かう。街路樹が並ぶ通学路は暖かな陽気に溢れ、俯いた気分を明るくさせてくれる。

しばらく歩けば、さやかや仁美と合流して一緒に登校するのが恒例なのだが、今朝は2人を見つける前に黒髪の少女の姿が視界に入った。

まどかは駆け足で近寄り、その少女に声をかける。

 

「おはよう、ほむらちゃん」

「おはよう、まどか」

 

その声を聞いただけで、心が暖かくなる。背中で2つに分かれる癖のある黒髪からは良い香りがし、つい自分の髪と比べてしまう。

 

「…私の顔に何かついてるかしら?」

 

そんなまどかの様子に少し怪訝な顔をして、ほむらは言う。

 

「う、ううん。何でもないの」

「そう…この前の事があったから、てっきり…」

 

既に、百江なぎさの魔女化から5日が経とうとしていた。遺体は心不全という形で処理を受け、マミは魔法少女システムの真実を知ってから戦意を失い休養に入っている。現在も風邪をこじらせた、と言い土日を明けても学校を休んでいる状態だった。

マミの傍には常にキュウべえの姿があったのだが、なぎさの一件以来顔も見たくない、と言ってキュウべえは叩き出されていた。

さやかも何か思うところがあったようで、時折暗い表情をまどか達に見せるようになった。それに対して、ほむらはある一つの懸念を抱いていた。

時を重ねるたびに付きまとう問題…美樹 さやかの契約の是非だ。

 

「…まどか。さやかが最近何か悩んでいるようなのだけれど…心当たりはないかしら?」

 

ほむらはひとつ、嘘をつく。さやかの悩みの種などとうの昔に知っている。しかし、誰からも何も聞かされてないのにそれを話せば、自身の存在が疑われてしまう。

保険をかける、という意味でも誰かから聞き出す必要があるのだ。

 

「もしかしたら、上条くんの事かな……」

「上条くん? たしか、入院中の?」まどかの答えに対しても、わざと知らない風にリアクションをする。

「上条くん、バイオリンがすごく上手で、コンクールとかにも出てたりするんだよ。

だけど、事故に遭っちゃって…今はバイオリンが弾けなくなっちゃったの」

「そうなのね…それで、彼とさやかは友達なのかしら」

「幼馴染だよ。たぶん私よりも前からの付き合いじゃないのかな?」

 

まどかとさやかは小学校以来の友人同士だ。それよりも前となると、かなり長い付き合いになるのだろう。

 

「上条くんの事が心配なのね…」

 

過去の時間軸を振り返る限り、さやかは上条の腕の治癒を願って魔法少女の契約を交わす。だが、結果としてはさやかの想いはいつも報われない。

アンデルセンの童話"人魚姫"のように、さやかの想いは泡となって消えてしまうのだ。

さやかの契約を防ぐには、他の方法での上条の腕の治癒が必要だ、とほむらは考える。そして、その契約の期日までもう間もない。

 

(早ければあさっての夜にでも"箱の魔女"が現れる…前の時間軸だと魔女に襲われたまどかを、契約したさやかが助けに入っていたけれど…今日か、明日がヤマね)

 

上条の腕は、現代の医学では治療することはできない程の損傷を負っているが、本人は未だその告知を受けていないはずだった。

それに、ほむらには癒しの魔法は備わっていない。上条の腕を治すには、他の協力者の存在が必要不可欠となる。

心当たりがあるとすれば、マミだ。マミは"生きたい"という願いによって契約を交わした、とほむらは過去に聞いている。それ故に、命を繋ぎとめる魔法…リボンと、治癒魔法に優れている。同じく癒しの祈りによってさやかが契約を交わした時に得る治癒魔法に比べると劣るものがあるが、それでも可能性がない訳ではなかった。

問題は、マミが首を縦に振ってくれるかどうか、だが。

 

「怪我、治るといいわね」

「そうだね…さやかちゃん、上条くんのバイオリン楽しみにしてるから。よくCD屋さん寄るでしょ? あれ、上条くんへのお見舞いなんだって」

「そうだったのね…」

 

共に少し歩いたあたりで、よくやくさやかと仁美の姿が見えてくる。向こうの方が先に気付いたようで、さやかが手を振ってきた。

 

「まどか、おはよー! …あら? ほむらも一緒じゃん」

「てぃひひ、さっき会ったの」

「まさか…もうお2人はそんな関係にまで…!? いけませんわ、そんな!」

 

と、仁美がやや興奮気味に身体をくねくねさせながら言う。いつもの悪い病気だ。

 

「はいはいストーップ仁美。確かにお似合いだけど、あんたのその癖もどうにかしなさいよね?」

 

さやかがそれをいつもの様に止める。この流れも、いつの間にか恒例となっていた。

 

(ただ…ほむらの場合は冗談には聞こえないんだよねぇ…)

 

ほむらの、まどかに対する接し方は過保護だともさやかは思う。

聞けば、薔薇園の魔女との戦いでまどかを守るために危うく死にかけ、その後得体の知れない力を暴走させて魔女を倒したという。

何より気になったのは、暴走している時でさえまどかの名を呼び続けていた、という話だ。

以前のさやかの冷やかしにもどこか思わせぶりな返答を投げてきた事も相まり、さやかの中でのほむらのイメージは、まどかを本気で溺愛しているように思えてならない。

 

(まあ、到底こいつがまどかに悪さするようには見えないし…マミさんもまだ立ち直ってないもんなぁ…)

 

この数日の間には新たな使い魔、及び魔女はまだ現れていない。マミが戦意を喪失している今は、ルドガーとほむらだけが戦える状態だ。

ほむらは兎も角として、さやかはルドガーにもう何度も助けられている。その強さと性格は、十分信頼に値するものだった。

 

「そういえばほむら、ルドガーさんとはどこで知り合ったのよ?」と、さやかは何となしに尋ねる。

初めて聞く名前に仁美が隣でクエスチョンマークを浮かべるが、さやかは特に説明する気はなかった。どうしても知りたければ後から聞いてくるだろう。

 

「どこ、と言われても…いきなり現れた、としか言えないわ。私の時間停止の効果を受けないなんて只者じゃないと思って、少しつけたぐらいよ」

「いきなり?」

「彼、異世界の人だそうよ。エレンピオスという所らしいわ。帰る所がないから泊めてるだけよ」

「エレンピオスぅ? 聞いた事ないけど…どこよ?」

「さあ、知らないわ。地球ではなさそうだけれど」

「あの…暁美さんは何の話を…?」いよいよ仁美が会話についてこれず、まどかに助け舟を求める。

 

「ええっと……私にもよくわかんないよ」

 

まどかもまどかで、迂闊に魔法少女に関する事を話して仁美まで巻き込みたくなく、曖昧な返事しか返せなかった。

 

「それよりもあなたたち。学校遅れるわよ?」話を適当に切り上げ、ほむらは3人を促すように言った。

 

「えっ、もうそんな時間!? 行こ、まどか!」

「えっ、ま、待ってよさやかちゃん!」

 

わりとせっかちな性格のさやかは、ほむらの言葉を受けて慌てた様子を見せる。

それに続くように、残りの3人もやや駆け足で学校までの道程を進んで行った。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

「はぁ…………」

 

午前10時を廻るころ、マミは薄いカーディガンを羽織り、リビングで座布団に腰掛けてワイドショーを見ていた。

と言ってもニュースは終わり、すでにレポーターによる地域のグルメ特集に変わっていてマミの関心を引くような事柄はやっていないのだが、1人暮らしをしているとどうも無音の環境では落ち着かないものだ。

三角形のガラステーブルの上には注いだばかりの紅茶が湯気を立てており、甘い林檎のような香りが漂う。

1人暮らしのささやかな趣味として紅茶に凝り出したマミが淹れた、カモミールティー。紅茶の香りでも嗅いで心を落ち着かせようとするが、なかなかどうしてリラックスできない。

魔法少女の真実を知ってからのところ、マミはずっとこんな風に無機質に過ごしていた。

 

「ダメね、私…また学校さぼっちゃったわ」

 

わかってはいるのだ。自分は魔法少女として、魔女を狩って見滝原を守らなければならない、と。

両親を交通事故で失い、"生きたい"という願いによって得たこの命と、力。だが、今まで何体の魔女を倒してきただろうか。いくつのグリーフシードを使い、生き永らえてきただろうか。

魔法少女は魔女となる。今まで自分は、何人もの魔法少女の魂を浄化に使ってしまったのか?

そう考えると、とても銃を握る事など叶わなかった。

取り乱すことこそなくなったものの、ソウルジェムにはほんのひとかけ分の穢れが蓄積している。

何もせずとも緩やかに穢れていくのだ。たった5日でこれでは、恐らく魔力をほぼ一切使わずとも1か月保つかどうか、といったところか。

それは、魔女を狩らない魔法少女に用はない、という事を示しているようだった。

 

「わかってるのよ、私だって……このままじゃダメだ、って事ぐらい…」

 

それでも、やはり独りは怖いのだ。魔女結界で命を落とせば遺体すら誰にも見つかる事なく、失踪といった形で幕が降りてしまう。

戦う事に疑問を抱かなかった頃はそんな事など振り返りもしなかったのだが、今のマミには孤独感が大きく刺さっていた。

もう、マミには独りきりで戦う勇気など残っていなかった。

紅茶が冷める前に、と口をつける。ハーブティー特有のほんのりとした苦味が舌に残る。

けれど、カモミールの香りはマミの心を癒すには足りなかった。

 

「はぁ………」

 

もう何度ついたかわからないため息をつき、テレビのチャンネルを切り替える。どこもかしこもつまらない番組しかなく、そもそもこんな心持ちでテレビ番組など楽しめる筈もない。

虚しくなってガラステーブルに突っ伏す。ひんやりとした感触が額に触れ、さらに深いため息が出る。

自慢の長いブロンドヘアーも、無造作にテーブルの上に広がる。指のひと鳴らしで魔法をかけて、一瞬で巻き髪を作る事ができるのだが、もはやそれすら憚られるのだ。

肩の力を抜き、身体を弛緩させてだらりとしていると、不意にインターホンが鳴り出す。

 

「誰…? まあ、いいか…」

 

放っておこう。1人暮らしの身なら、迂闊にインターホンに出るべきではない。大抵、新聞や宗教の勧誘など、ろくなものがいないのだ。

そうして無視を決め込んでいると、さらにもう1度インターホンが鳴る。いい加減しつこい、と思いつつ応じる気はなかった。

耳を塞ぎ、鬱陶しいインターホンの音から逃れようとすると、今度は別のものが聞こえてきた。

 

 

『───マミ、いないのか…?』

 

 

 

「えっ!?」と、マミは急に脳内に流れてきた声に驚き、身体をびくん、とさせた。慌ててインターホンをチェックすると、エントランスのカメラにはルドガーの姿が映っていた。

反射的に受話器をとり、声をかける。

 

「る、ルドガーさん!? どうしたの!?」

『ああ、いたか…よかったよ。ほむらから、「マミが学校を休んでる」って聞いて心配になって…返事がなかったから、キュ……テレパシーを飛ばしてもらったんだ』

 

マミがキュゥべえに対して嫌悪感を抱いている事に気づいていたルドガーは、あえてその名を出さないようにした。

 

「そうだったの…気を煩わせてしまったわね」

『いいんだ、何ともないなら』

「その…よかったら、上がってちょうだい。せっかく来てもらったんだもの、お茶ぐらいご馳走するわ」

『そうか…話したい事もあるし、上がらせてもらうよ』

 

インターホンに付けられた、エントランスのオートロックを開けるボタンを押し、ルドガーを招き入れる。

それを見届けたマミは慌ててテーブル周りを片付け、テレビの電源を切り、座布団をもう1枚出し、魔法で巻き髪を作って身なりをチェックしだす。

数分後に部屋のベルが鳴り、ルドガーが到着した事を報せる。どたどた、と軽く足音を立てて早歩きでマミはドアを開けてやった。

 

「おはよう、マミ」

「ルドガーさん…おはよう」

 

ルドガーを部屋に招き入れたマミは、リビングで座布団に座るように促し、キッチンへと向かう。

「待っててちょうだい。紅茶を淹れてあげるわ」

かちゃかちゃ、と音を立てて陶磁器を並べ、熱い湯を沸かす。後ろの棚には密かに集めていた紅茶のコレクションが並んでおり、そこからアールグレイの箱を取り出す。

対してルドガーは、土産の品をテーブルの上に出す。

ほむらから「マミは紅茶を嗜む」と聞かされ、小さいケーキでも買って行くように言われていたのだ。

 

「マミ、よければ皿を2枚もらいたいんだけど…」座布団から立ち上がり、キッチンへと取りに行こうとする。

「ああ、座ってていいのよルドガーさん。お皿なら持っていくわ」

「そうか、悪いな」

 

程なくして、少し大きめなトレイにティーセットと金縁の白い皿を並べてマミが戻る。

慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ姿は、先程までの無気力さとは打って変わって生き生きとしていた。

 

「さあ、召し上がって?」

「いただくよ、ありがとう」

 

ルドガーには紅茶を嗜む習慣はなかった。もっぱら実家でも兄の為にコーヒーを淹れてやる事の方が多く、どちらかというとコーヒーの方に詳しく、カフェイン中毒を患う現在の同居人も絶賛する程度の腕前を持っている。

 

「……! いい香りだな」

 

そのルドガーでさえも、マミの淹れた紅茶の味わいに感嘆の声を漏らす。

 

「ずっと1人だったから、これくらいしか趣味がなくて…」

「ほむらから聞いていたけれど…やっぱり、マミはすごいな」

「暁美さんから…?」

 

おかしい、とマミは感じる。この家にほむらを招き入れた事はまだない。それこそ、ほかの少女たちも同じだ。

まして、紅茶を嗜んでいる事などほむらが知る筈もないのに。

お菓子の魔女の事もそうだ。ほむらは必死に叫んでマミを止めようとした。事実、ほむら達が助けに入らなければマミは喰い殺されていただろう。

ほむらは知っていたのだ。マミだけではお菓子の魔女には勝てない。或いは苦戦する、と。

 

「どうして、暁美さんは私の事を…?」

「…今日来たのは、その事もあるんだ。嫌な話になるかもしれないけど…」

 

ルドガーはポケットの中から、あるモノを取り出し、ガラステーブルの上に置く。

黒い宝石は駒の軸足で自立し、球体には三日月のエンブレムに加え、音符の罫線のようなものが描かれている。

 

「グリーフシード!?」マミの顔が、瞬時に強張る。

「…これを私に見せて、何を言おうというの?」

「これが誰のグリーフシードか、わかるか?」

「あなた、そんな質問をして一体何を…」

「さやかだよ」

「……えっ?」

 

マミはいよいよ、ルドガーの言いたい事が理解できなくなる。さやかのグリーフシードだ、と言われた所であまりに荒唐無稽だ。

 

「何を言っているのルドガーさん? 美樹さんはまだ契約すらしていないじゃない」

「そうだ。まだ"この時間軸のさやか"は契約してない。これは別の時間のさやかのものらしい」

「別の…? どういう事なの?」

「ほむらから預かってきたんだ。ほむらの能力が、時間を操る事だとはもう知ってるんだろ?」

「ええ。この前の様子だと、時間を止める事しかできないみたいだけれど…」

「もう一つだけある。とある日にちに到達した時だけ、時間を1か月前にまで戻す事ができるんだ」

「なんですって!? 時間を戻す!?」

「ああ。だからほむらは、過去にマミ達に会った事があるんだ」

 

言われて、マミの中の疑問のいくつかに辻褄が合い出す。

マミが紅茶を嗜んでいる事も、お菓子の魔女に負ける事も、さやかやまどかが契約してしまう事も。一度経験して、知った事だとしたら全て合点がいく。

 

「…そう、そういう事だったのね。だから暁美さんは、あんなに必死に私を止めようとしたのね」

「ああ」

「それで…このグリーフシードだけど、これがどう関係しているというの?」

「今日話したいのは、その事についてなんだ。このままだと、さやかは恐らく契約してしまう」

「それは…どうしてわかるの? だって美樹さんは、魔法少女の最期を知っているのに」

 

マミはテーブルの上のグリーフシードを見る。

わざわざこんなものを持ち出して話すという事は、ルドガー、あるいはほむらの予想はほぼ間違いないのだろう。

 

「上条恭介…その名前に聞き覚えはないか?」

「…あるわ。たしか美樹さんたちのクラスの、バイオリニストだったわよね。事故で入院しているらしいけれど」

「ああ。医者でも治せない程の怪我らしい。さやかは、その上条恭介を救うために契約するらしいんだ。そして、ほぼ必ず魔女になってしまう。

…何が原因で魔女になってしまうのかまでは、わからないけれど」

「それはつまり…上条くんの怪我が治れば契約はしなくて済むって事なのよね?」

「たぶん…そうだ。マミに頼みたいのは、その事なんだ。上条恭介の腕を治して欲しい。

…勝手な頼みだって事はわかってる。だけど、マミにしか頼めないんだ」

「私に彼を? …そうね、暁美さんなら私がどうして契約したのかも知ってるのよね」

 

アールグレイの注がれたカップをとり、ようやくマミはそれを口にする。

カモミールに比べると苦味も少なくすっきりとした味わいは、5日ぶりにまともに回り出したマミの思考回路にはしっくりときていた。

 

「でも…暁美さんはわかってるのではなくて? 私は、魔法を日常生活にまで持ち込むつもりはない、って。

この力は魔女と戦う為だけに使うと決めているのよ。…せめて、人間らしく過ごす為にね」

「…確かに、ほむらはその事も言っていたよ。だけど、マミ…」

「でもね、ルドガーさん」マミはルドガーの言葉尻を遮るように、さらに続ける。

「私は今まで、魔女と戦う為に生きてきたのよ。契約によって生き永らえたんですもの。この力をその為に役立てなきゃいけないって思ってた。けれど、あの時貴方に叱られて…今こうしてまた貴方の顔を見て、ようやく思い出したの。

私は、魔女と戦ってこの街の人々を守りたかったのよ。…上条くんを助けて、美樹さんを守る事ができるのなら、私はこの力を使いたいわ」

「マミ…!」

「案内してくれるかしら、ルドガーさん。すぐにでも行きましょう」

「ああ! ありがとう、マミ」

「お礼を言われるのはまだ早いわよ?」

 

アールグレイティーを一気に飲み、ひと息ついてマミは立ち上がる。ケーキは帰ってきてからいただこう、と思いカップを下げようとすると、

 

"ぐぅぅ…………"

 

と、腹の虫の鳴く音がともなく聴こえてきた。

 

「………いや、その、これは…」格好つけて立ち上がったマミの顔が、一気に紅潮する。くすり、とルドガーも笑みを浮かべた。

 

「し、仕方ないじゃない! ここ最近ろくに料理もしてなかったから…」

「よければ、俺が作ろうか? これでも昔から料理は得意なんだ。ほむらからも評判いいし」

「そ、そんな! 悪いわよルドガーさん! でも……」

「腹ごしらえする時間くらいはあるよ。さやかはまだ学校なんだから」

「うぅ………」

 

興味はある。この優しい顔をした男の手から、どんな料理が出てくるのか。あのほむらが評価するのだから、きっと美味いのだろう。マミは少しだけ悩んだ末に、

 

「………じゃあ、お願いできるかしら」

「ああ。台所、借りるよ」

 

ルドガーの主夫魂に火が灯る。誰かの為に作る料理ほど、楽しいものはない。マミに続いて紅茶を飲み干し、ルドガーは頭の中で献立の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

正午を告げるチャイムの音が流れ、昼食の時間が始まる。ほむらは今までは黄色い箱に入ったブロック状の携帯食料しか食さず、それを教室で堂々と食べる姿はやはり異様なものだった。

なので、今まで通りならば屋上あたりに避難して黄色い箱の携帯食料を食べていたのだが、ここ最近は違っていた。

鞄の中から包みを取り出し机の上で広げると、いかにも女の子らしい小さな弁当箱の姿が現れる。

料理の得意な同居人の作った、栄養バランスのとれたお手製弁当だ。蓋を開けると、とても男が作ったようには見えない彩り鮮やかな中身が露わになる。

そこに毎度のごとく女子の何人かが、ほむらの弁当を覗き見てくる。

 

「暁美さんのお弁当って、いつ見てもすごいよねぇ〜」

「1人暮らしなんだよね? 自分で作ってるの?」

「美味しそう…ちょっと交換しない?」

 

あいにくほむらは馬小屋で産まれたと伝えられる偉人のように、同時に何人もの言葉に答えられるスキルは持ち合わせていない。

わかりやすい一言を考え、女子生徒たちに答える。

 

「ちょうどいとこが遊びに来ていて、作ってもらってるのよ」

 

実際、ほむらは自分で料理をする事が得意ではない。このような無難な答えをする他になかった。

そこに、さやかが囲みを割って入ってくる。

 

「おーい、ほむら。一緒に食べようよ!」

「まどかは、いるの?」

「あったり前でしょー? まどかはさやかちゃんの嫁なんだか………ちょ! そんなに睨むなって!」

「そう…あなた、そんなにパイナップルが好きだったのね。5秒で食べられるように芯を抜いてプレゼントするわ」

「ねえ、それ食べ物じゃないよね!? 果物じゃない方のパイナップルだよね!?」

 

蛇に睨まれた蛙のように、さやかは冷や汗をかき出す。魔法少女…もとい爆撃少女の二つ名(命名:さやか)は伊達ではないことは既に証明済みだ。

 

「あーもう、悪かったよぉ! 誰もあんたの嫁を取ったりしないよ!」

「わかればいいのよ、さやか」

「……あれー?」軽い冗談のつもりで言ったのに、2回目は軽く受け流された事に拍子抜けする。

 

(…なるほど。否定する理由はない、ってか。って、それただの嫉妬じゃん!)

 

さやかにとってほむらは、出逢って間もないがルドガーと共に信頼に値する友人となっていた。

しかし同時に、敵に回したら1番怖い相手でもある。もしまどかに関する事でほむらの逆鱗に触れたら、時間停止された後に四方からハチの巣にされるだろう。

 

「ほ、ほらこっち来なって!」

「そうね。今行くわ」

 

さやかは脳裏に浮かんだハチの巣のビジョンをかき消し、ほむらに呼びかける。

開けかけた弁当箱の蓋を閉じ、ほむらも重い腰を上げ、さやかに続いて教室を出て廊下のベンチへと移動した。

ベンチではすでにまどかが包みを開いて待っており、ほむらの姿を見つけては嬉しそうに手を振り、迎える。2人が腰掛けたあとで、それぞれが弁当箱の蓋を開いた。

 

「わぁ…ほむらちゃんの弁当、相変わらずすごいね」

「これ、ルドガーさんが作ってるんだよね?」

「そうよ。宿賃代わりに、と言っていたかしら」

「宿賃?」

「彼、この世界の通貨を持っていなかったのよ。だから、家事をやってもらっているの」

「そ、それってあんたがルドガーさんを養ってるって事!?」

 

さやかは今更ながら驚いた表情を見せる。現実に異世界の人間が来たとして、アニメや漫画のように御都合主義でどうにかなるものではない。宿無し、文無しなのは至極当然のことだ。

ほむらでさえ、言葉が通じている(文字は読めないが)事が奇跡だとすら思っているのだから。

 

「? …確かに、そうなるのかしらね」

「あんた…金持ちだねぇ…」

「お金なんでどうとでもなるわ。"貯金"なら腐る程あるもの」

「さすが魔法少女…ほむら、おそろしい子!」

 

ほむらの指す"貯金"とは、毎回時を繰り返す前に盾に移している、預金残高の事だ。武器以外は盗まない事に決めているし、今回のような不測の事態がある時は、その"貯金"を使って解決している。その額は、社会人の平均収入のおよそ2倍以上にまで達しているが、既に本人すら数えるのを諦めているほどだ。

 

「そうなんだ……ねえ、ほむらちゃん。ルドガーさんとは本当に何もないんだよね…?」

「まどか? どうしたというの」

「う、ううん! 何でもないの。ただ…」

 

隣のまどかが不安そうな顔をして尋ねてくる。箸を運ぶのも遅く、どこか少しだけ落ち着きがない。そこに、さやかが先程のようなふざけた感じで、

 

「おやぁ〜? まどか、もしかして妬いてるの?」

「ち、違うもん!」

「まあ確かにルドガーさんみたいに強くて、カッコ良くて、オマケに家事も万能とくればねぇ。まどかも負けてられな───」

「さやか、まだデザートの時間には早いと思うのだけれど?」

「すいません調子乗りましたぁっ!」

 

パイナップルは嫌だ! と叫んで、からかうのをやめるさやか。その様子を見てほむらはくすり、と僅かに笑みを浮かべる。

 

(こんな風にさやかと話すのも…始めてね。どうにも私はこの娘に嫌われがちだったのに)

 

ようやく弁当へと箸を運び始めるほむら。今日の弁当も、味と彩りと栄養バランスは完璧だ。

素直に食事を楽しめるようになったのも、もうずいぶんと久しく思える。

 

「ところでさやか」いよいよほむらは、今日の本題へと入る。

「今日も上条くんのお見舞いに行くのかしら?」

「へっ? う、うん」

「私もついて行っていいかしら。転校して来てから、挨拶のひとつもしてないもの」

「いいけど。…また、何かある感じなの?」

「そうね……主に、あなたの命に関わるかしら」

「申し訳ないがパイナップルはNGで!!」

 

冗談を言ったつもりはないのだけれど…と、内心で思いながら、ほむらは今日の計画を頭の中で振り返る。

あとは、同居人の方がしっかりとやってくれるかどうか、だ。

 

(今回ばかりは失敗できない…ううん、"今回"じゃない。これで"最後"にするのよ)

 

ようやく掴んだ仲間との絆というものを、絶対に失いたくない。ほむらの決意は、ここに来てより強固なものへとなっていった。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

昼時を過ぎたばかりの見滝原総合病院は見舞いに来る人間もまばらで、少なく感じる。

マミは学校を休んでいる身であり、本来この時間に出歩くのは褒められたものではない事を承知している。ひと気がない方が都合が良い。

上条恭介の病室の前までほとんど迷わずに辿り着いた2人は、扉を開ける前に最後の打ち合わせをする。

 

「ルドガーさんは…廊下で待っていた方がいいのかしら」

「そうだな…俺は会ったことないし、その方が警戒されないかも」

「なら、私ひとりね。任せてルドガーさん。上手くやるわ」

「頼もしいな、マミ」

 

ふふっ、と可憐な笑みを浮かべてマミは病室の扉を軽くノックする。数秒置いて、ついに上条の病室へと入っていった。

ベッドの上には、CDプレーヤーに繋がれたイヤホンで耳を塞ぎ、眠っている上条の姿がある。

しかしマミは、すぐに上条の違和感を察した。

 

(…? このイヤホン、音が出てないわね)

 

寝ているのなら都合がいい、とマミは上条を起こさないように近寄り、CDプレーヤーを覗き見てみる。やはり電源は入っておらず、イヤホンはただの耳栓代わりのようだ。

 

(ヘンね…ルドガーさんの話だと、美樹さんは毎回CDをお見舞い品に持って来ているはずだけれど…まさか?)

 

上条は音楽を避けているのだろうか。腕の怪我は、そんなに深刻なのだろうか? とマミは考える。

そっと右腕に手を添え、治癒魔法をかけ始める。同時に、右腕の損傷の度合いも感じ取ることになるが、

 

(…ひどいものね、神経がズタズタじゃない。もしかしたらこの子の腕…お医者さんには治せないんじゃ?)

 

マミの魔法はただの治癒ではない。"繋ぎとめる"という特性を持ったものだ。ひとつひとつ、魔力を込めて千切れた神経を繋ぐイメージをする。

暖かな光がマミの手元から発せられ、昼間だというのにカーテンの下ろされた室内をほんのりと照らす。

上条の瞼がぴくり、と動いた。どうやら、マミの存在に気付いて目を覚ましたようだ。

 

「う……ん、えっ? ど、どちら様ですか?」

「あら、起こしちゃったわね。どうしましょうかしら…」

「え、えっ? 何してるんですか…?」

 

上条はマミの手から発せられる暖かい光を見て、動揺する。まるで手品か魔法でも見ているかのように。

 

「私は3年の巴マミ。あなた、2年の上条恭介くんよね」

「は、はい…」

「腕の怪我、ずいぶんとひどいようだけれど?」

「…今朝、主治医の人に言われました。今の医療でも治せない、って」

「やっぱり……」

 

ここに来て、マミでなければ上条を治せないというルドガーの言葉が確信に変わる。

神経の繋ぎ直しは少しずつだが進んでおり、マミは確かな手応えを感じている。あと少し、時間を稼げれば。

 

「バイオリニストにとって腕は命だものね。あなたの演奏を楽しみにしてる人だっているんじゃなくて?」

「…やめてくださいよ。僕には、それしかないんですから。腕の動かない僕なんて…」

「そんな事言ってはだめよ。どんな時でも、希望は残っているものよ」

「……僕、幼馴染がいるんです」

「えっ…?」

「さやか、って言うんですけど…彼女は、確かに僕の演奏を楽しみにしてくれてるんです。このCDだって、僕の為に選んで持って来てくれるんですけど……」肩を落とし、ひどく暗い顔で上条は語る。

「そのCD、電源が入っていないようだけど…?」

「…さやかの期待が、正直重いんです。彼女がCDを持って来てくれる度に、僕はみじめな気分になる。わかってはいるんです、さやかは悪気があってやってるわけじゃない。

だけど…自分で演奏できもしない曲を聴いてたって、しょうがないじゃないですか!所詮、僕からバイオリンを取ったら何も残らないんですよ…はは…こんな話、貴女にしたところでどうしようも無いのに……」

「上条くん、あなた……」

 

期待が、重圧になる。信じていたものがある日突然失われる。それは、魔法少女としての今までの生き方を失ったマミともよく似ていた。

けれど、先に進む方法は必ずある。今のマミはそう信じていた。

マミは上条の腕に添えていた手を離す。神経系はあらかた繋ぎ直すことはできた。あとは、上条次第だ。

 

「何もないわけがないわ。信じなさい、上条くん。きっと君自身を見てくれる人が傍にいる。

私がそうだったもの。あなただって、きっと前に進めるわ」

「…どうして、そう思えるんですか。前に進む、だなんて無理ですよ…もう、この腕は動かないんですから。

それこそ、奇跡か魔法でもない限り……」

「あるわよ、上条くん」

 

柔らかく微笑み、上条の目を真っ直ぐに見つめる。上条の心を後押しするように、マミはただ一言だけを告げる。

 

「奇跡も…魔法も、あるのよ。だから、自分を信じなさい」

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

放課後を迎えたほむら達3人は共に下校をし、その足でショッピングモールを訪れていた。

毎度のようにフードコートへと足を運び、ドリンクを飲みながら談笑するのだが、今日は仁美の姿はない。

ピアノのレッスンは学校から真っ直ぐ帰らないと間に合わないので、寄り道には着いて来なかったのだ。

 

「ほむら、いっつもコーヒーしか頼まないよねぇ…」

「もともと朝が弱いから、気つけにと思って飲み始めたのよ。気がついたらよく飲むようになっていたわ」

「うわぁ…あんた、その歳でカフェイン中毒なのね」

「でも、ほむらちゃんが朝が弱いなんて意外だなぁ…」

 

さやかはおどけた風に言い、まどかは首をかしげながら言う。

 

「そうでもないわ。これでも魔法少女になる前は酷いものだったもの。

…昔は、心臓の持病があったからよく入院していたわ。学校に来ても勉強なんてまるでついていけないし…体育なんて、準備運動で貧血を起こして倒れるなんてしょっちゅうだったのよ」

「…マジすか、それ。じゃあ魔法少女になって、生まれ変わったって事?」

「そうかもしれないわね」

「今のほむらちゃんからは全く考えられないよね…」

「大したことではないわ、そんなもの。魔法少女になったってろくな事がなかったもの。でも…そうね、あなた達を最後まで守る事ができたなら…それが私の唯一の自慢になるかしらね」

 

過去を振り返りながら語る。何の価値もない、と思っていた自分を支えて、救ってくれた少女を守りたい。その願いは今も叶っていないのだ。

それが叶った時こそ、ようやくほむらは役目を終える事ができるのだ。

 

「少し、白けてしまったわね。そろそろお見舞いに行きましょうか」

「ほんとだ、もうこんな時間。行こっか、まどか、ほむら。少しCD屋に寄って行っても…」

「その事だけど、さやか」

「え? どしたのさほむら」

「まどかから聞いたけど…上条くんへのお見舞い品らしいわね、CD。…たまには、違ったものにしてみたらどうかしら」

「違ったもの? なんたってそんな…」

 

さやかは自分の使ったトレイを持って立ち上がるが、ほむらの言葉に足を止めて訊き返す。

 

「私がそうだったのだけれど…周りの人たちはみんなできるのに自分だけができない、なんて事になると、それこそ辛いものよ。追いつきたくて、でも敵わなくて…あれはみじめなものだったわ。

上条くんだってそうではないのかしら。きっと彼も演奏がしたくて仕方無くて、思い詰めてるかもしれない。だとしたら、CDばかり聴いていても面白くはないはずよ」

「どうして、そう思うわけ…? あんた、恭介の事知ってるの?」

「病人の事は病人が一番わかるのよ。たまには、音楽の事を忘れさせてあげた方がいいわ。音楽がなくたって、彼は彼に変わりないんだから」

「そういうもんなのかな……ほむらがそう言うなら、今日ぐらいは他のものにしようかな」

「果物か何かが無難だと思うわ」

「私も選ぶの手伝うよ、さやかちゃん。パパが野菜育ててるの見てるから、選ぶの得意だよ?」

「まどか……うっし! じゃあ恭介にはフルーツでも持ってくか!」

 

さやかに続き、まどかもトレイを片付ける。ほむらも遅れまいと、紙のコップに入ったホットコーヒーを一気に飲み干し、口元をペーパーで拭って立ち上がった。

 

(……コーヒーは、ルドガーの淹れたものの方が美味しいわね)

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

用を済ませたマミとルドガーは、病院前のターミナルからバスに搭乗し、隣合わせに座り揺られていた。

 

「今日はありがとう、マミ。上条の方は…」

「神経はボロボロだったけど、できる限りは繋いだわ。リハビリはどうしても必要になるけど、あとは本人の努力次第よ。

ごめんなさい、力不足で。私の力では完治まではさせられなかったわ」

「いや…その方がかえって良かったかもしれないよ。俺が言うのもなんだけど、そういう過程も大事なんだと思う」

 

バスが止まる度に、見滝原中学の制服を着た子供達が少しずつ乗ってくる。ちょうど下校の時間を迎えた事にマミは気付き、生徒達と視線を合わせないように、窓際に座るルドガーの方へと顔を向ける。

 

「学校、さぼっちゃったから…ばれたら、気まずいでしょ?」

「大丈夫だよ、そのくらい。俺だって昔さぼった事ぐらいあるよ」

「意外ね、マメそうなのに」

「マメか……よく言われるけど、そんなつもりはないんだけど?」

「ふふっ…十分マメよ? 家事もそうだけど、あなたは本当に人のことをよく見てるわ」

 

もし自分に兄がいたとしたら、ルドガーのように優しくて頼りになる人だったらいいのに。マミは内心で思いながら、顔を見上げる。

この人になら命を預けても構わない。マミのルドガーに対する信頼は、すでにそこまで達していた。

 

「……ねえ、ルドガーさん。もし、もしもよ。私が魔女になっちゃったとしたら…その時は、私を殺してくれるかしら…?」

「マミ…」

 

いくらルドガーが支えてくれるとは言っても、不安は消える事はない。魔法少女ならばいつか訪れるだろう、避けられない運命。

ならばせめて、誰かを傷つけてしまう前に運命を閉ざしてしまいたい。そう思ってしまうのは至極当然の事だ。

 

「馬鹿な事を言うな、マミ。お前は俺が守る。魔女になんかさせやしないよ」

「…本気で、言っているの?」

「ああ、本気だ」

「いいの…? あなたを、信じていいの…?」

「信じてくれ、マミ。もう誰も絶望なんかさせない」

「あ…っ、う…うん…!」

 

ずっと独りで戦ってきた。誰に知られる事もなく、ひたすら影で魔女と戦い続けてきた。

両親を失って以来、誰一人としてこんな暖かな言葉を与えてくれはしなかったのだ。

双眸からかすかに涙を零しながら、マミは頷いた。

 

「不思議よね…あなたの言葉を聞いていると、心が軽くなる…こんな気持ち、初めてよ。私はもう独りじゃないのね…? あなたがいてくれれば…私は、もう何も怖くない…!」

 

ようやくマミは独りきりの迷路から抜け出し、自身の在り方を見つける事ができた。

まだ見ぬ災厄へと立ち向かう勇気を、信念を取り戻すことができた。

そして、大切な仲間と共にこの街を護りたい。それが、マミの新しい願いとなったのだ。

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

ショッピングモールでの買い物を終えたさやか達一行は、およそ30分かかる道程を歩いて見滝原総合病院へと到着した。

携帯電話の時刻を確認すると既に4時を廻っており、あちこちに見舞いと思われる人影が見られる。

上条の入院している4階へとエレベーターで上がると、さやかがやや不安そうにほむらに訊く。

 

「…ねえ、ほむら。あんたまさか、恭介に気があるとかじゃないよね…?」

「はぁ…何を馬鹿なことを言っているのかしら、あなたは」

 

ほむらは既に、さやかが恭介を想っている事を知っているし、隣のまどかもそれに気付いている。

気付かれていない、と思っているのはさやかだけなのだ。

 

「言わなかったかしら? 私は、男になんて興味ないの。そんなに不安なら、さっさと自分のものにしてしまえばいいのよ」

「なっ!? なにを言ってんのよあんた!?」

「彼、さぞかしモテるでしょうね。盗られても知らないわよ」

「ほむら、あんたねぇ!」

 

ほむらとしても、そういう風になってくれた方が都合がいい。さやかが契約してしまった場合の魔女化の原因は、その殆どが悲恋にあるのだから。

最悪、上条の腕が治らなくてもさやかと上条がくっつきさえすれば…とも考えている。

 

「ほ、ほら2人とももう着くよ? 静かにしないと」

 

そんな2人を見かねてまどかが止めに入る。程なくして上条のいる病室が見えてきて、3人はその入り口で立ち止まった。さやかは果物の入った袋を片手に、扉を軽くノックして開ける。

病室に入ろうとしたその時、ほむらは唐突に告げた。

 

「気が変わったわ。2人きりの方がいいでしょう」

「へっ?」

「ごゆっくり、さやか」

「きゃっ!?」

 

トン、と軽く背中を突き飛ばし、さやかを病室に押し込んでぴしゃり、と扉を閉めてしまった。

 

「ちょ、ほむら! あんた───」

「…さやか? どうしたんだい」その一部始終を見ていた上条は、怪訝な顔をして尋ねてきた。

「あ…恭介、やっほー…うん、何でもない。何でもないよ?」

「そうかい」

 

仕方ない 。ほむらの事だからどうせまた何か企んでるのだろう、と割り切り、さやかは上条のベッドの横の丸椅子に腰を下ろした。

 

「たはは…ごめんね騒いじゃって」

「はは、さやかは相変わらず変わってるね」

「ひどっ!? 相変わらずとはなによう!」

「ごめんごめん。相変わらず元気だね、って事だよ」

「さやかちゃんはいつでも元気いっぱいよー? はいコレ、今日のおみやげ」

 

手に持っていた袋をベッドの横のワゴンに置いてみせる。ほのかに漂ってくる果物の香りに、

今日の土産品がいつもと違う事に恭介は気付いた。

 

「珍しいね、果物だなんて。いつもCDを持ってくるのに」

「たまには、ね? CDばっかりだと恭介も飽きちゃうかな、って思って」

「…さやかは、本当に何でもお見通しだね」

「えっ?」

 

正直のところ、恭介はもう音楽を聴く事に疲れていた。さやかの持ってきたCDの数々も、もう今朝からずっと聴いていない。

 

「ねえ、さやか。もし僕の腕が治らなくて…演奏ができないままだとしたら、どうする?」

「…あんた、もしかしてお医者さんになんか言われたの?」

「答えてよ、さやか」

 

昼間の訪問者の言葉が恭介の脳裏に蘇る。"きっと君自身を見てくれる人が傍にいる。" ならばさやかはどうなのだろうか、と思い、恭介は訊く。

 

「…そりゃあ、あたしは恭介のバイオリンが好きだし…やっぱり、悲しいよ」

「そう…さやかは"僕のバイオリン"が好きなんだね」

 

僕自身ではなく、と。言葉に出す事はせず、代わりにため息をつく。

 

「…今朝、言われたんだよ。僕の腕は現代の医療でも治せない、って」

「そ…そんな!!」

「僕はもうバイオリンなんて二度と弾けないんだ。…もう、音楽なんて聴きたくない。ねえさやか、僕はどうしたらいいのかな…?」

「恭介………」

 

わずかな沈黙が流れる。今度はさやかの脳裏に、ほむらの言葉が思い浮かんだ。

 

『音楽がなくたって、彼は彼に変わりないんだから』

 

(ほむら…あんた、恭介の腕が治らないこと知ってっていうの…? まだ会った事もないくせに)

 

今にしてみれば、昼間のほむらの言動は的確すぎるアドバイスだったのだ、とさやかは思い知らされる。

 

(あたしって…ほんと馬鹿。恭介の事考えているつもりで、本当は何もわかってなかったんだ)

 

今の恭介の姿は、魔法少女の真実を知り呆然と伏すマミの姿とどこか重なって見える。ならば、なにを言うべきかは自ずとわかる。

 

「あたしはさ、恭介。バイオリンがなくてもあんたの事好きだし、そばにいたいよ」

「さやか………」

「バイオリンが弾けなくなっても、恭介は恭介だよ。あたしがついててあげるからさ、一緒に考えてこうよ……って、なんかあたし今すごい恥ずかしいこと言ったような!?」

 

わぁぁ! と頭を抱え、顔を真っ赤にして悶える。

自分でも驚くほどすらすらと流れ出てきた言葉は紛れもなく本心ではあるが、内に秘めておいた想いだ。

自分で言った事に赤面するさやかを見て恭介はくすり、と笑みを浮かべた。

 

「…ありがとう。さやかはいつも、僕の事をわかってくれる。僕の欲しかった言葉をかけてくれる。嬉しいよ、さやか」

「あ、うぅ……それは…」

「巴さんの言うとおりだね。僕自身を見てくれる人がこんなに近くにいたなんて、気付きもしなかった」

「巴…? マミさんが来たの!?」

「知ってるのかい?」

「う、うん…ちょっと、色々あってね」

 

なぜ、マミが恭介の元を訪れる必要があるのか? さやかはその意味を考えてみる。

マミとさやかの接点など、魔法少女に関すること以外に何もない。ましてや恭介など……と、そこでさやかはマミの魔法の特性を思い出す。

その特性は、"繋ぎとめる"こと。リボンと、治癒魔法を得意とすることを。つまり、マミの目的は。

 

「まさか…!? 恭介、腕出して!」

「えっ、どうしたんだい」

「いいから、早く!」

 

さやかは半ば強引に、包帯の巻かれた恭介の右腕をとり、包帯を解き出した。

何をしているのか、といった風に恭介はさやかを見るが、さやかはお構いなしに手のひらに触れる。

 

「恭介、動かしてみて」

「さやか、動かないっていったじゃないか…」

「あたしを信じて。大丈夫だから」

 

恭介は辟易とした表情をしながら、さやかの言うままに右手に力を込める動作をする。神経は断裂し、指先は動くはずなどない。今更何を…と思うが、

 

「え……うそ、だろ…?」

 

恭介の指先は、ほんのかすかだがぴくり、と動いた。当然、さやかもそれを見逃すはずはない。

 

「動く…指が、動くよ…」

「やった……恭介ぇ! 動いたよぉ!」

「さやか、どうなってるんだい!? 何かしたのかい!?」

「奇跡が起きたんだよ恭介! よかった…よかったよぉ…!」

「さやか…わ、わっ!?」

 

誰よりも、恭介本人よりもさやかは喜びを露わにし、恭介に抱きつく。触れた身体の温度に、柔らかさに恭介は顔を赤らめてもがくが、さやかの瞳から涙が零れ落ちているのに気付き、抵抗をやめる。

右手はまだ感覚が鈍くスムーズには動かせないが、今まではぴくりともしなかったのだ。

 

「ありがとうさやか……本当に奇跡だよ」

「そうだよ恭介…奇跡も、魔法もあるんだよ?」

「はは、さやかまで巴さんとおんなじ事言うんだね」

「へへっ…さやかちゃんはいつでも不思議ちゃんなのさー」

 

本当に奇跡か、魔法でもかけられたのではないか。恭介はただこの喜びと温もりを噛み締め、優しく抱き返してやった。

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

 

「…ねえ、ほむら」

「何かしら、さやか」

 

 

すっかり夕暮れ時となった見舞いの帰り道を、3人で談笑を交わしながら歩く。長い道程も、話に花が咲けばあっという間に過ぎ行くものだ。

上条の快復を知ったほむらは内心で胸を撫で下ろし、さやかの想いを知るまどかも素直に祝福の言葉をかけた。

そんな中、さやかは改めて確かめるようにほむらに訊く。

 

「色々ありがとうね。あんたが、マミさんをよこしたんでしょ?」

「何のことかしら?」

「とぼけんじゃないわよー? あんた、知りすぎなんだってば。あんたが言わなきゃ、マミさんが恭介のところに来るはずがないもん。

…だからさ、ありがとう」

「そう思うのなら、礼はマミに言うのね。私は礼を言われる憶えなんてないもの」

 

そう、これはほむらにとっては罪滅ぼしに過ぎない。過去に何度もさやかを見殺しにし続けてきた、罪滅ぼし。たった1度救えた程度で、その意識が消える筈もない。

 

「素直じゃないねぇ相変わらず。それとさ、ほむら」

「まだ何かあるのかしら」

「あんただって人の事言えないでしょーが。さっさと自分のモノにしちゃわないと、どっかのオトコに盗られちゃうよー?」

「安心なさい、その前に始末するわ」

「あんた、ナチュラルに物騒な事言うねぇ!? ヤンデレか? これがヤンデレなのか!?」

「変なあだ名をつけないでもらえるかしら」

 

2人のやりとりを、不思議そうな面持ちで見守るまどか。ほむらがさやかの為に何かをした、という事はわかるが何がどう、とまでは知る由もなかった。

ただひとつ、湧いた疑問点だけを確認するように、まどかもほむらに尋ねた。

 

「…この前から思ってたけど、ほむらちゃんってもしかして…女の子が好きなの?」

「ぶへっ!?」

「さやか、あなたが驚くのは少し意味がわからないわよ」

「ご、ごめんごめん。まさかまどかの口からそんな言葉が出るなんて思ってなかったから」

「はぁ……まあ、そうね。間違ってはいないわ、まどか」

 

ほんの少しだけ。決してまどかには気付かれないように。平静を装い、想いの内のほんの一面を明かしてみる。

 

「女の子だから、という訳ではないわ。好きになった人が、たまたま女の子だっただけよ」

「そうなの…? その娘は、誰…?」

「それは言えないわ。でも、私はその人だけを愛して、守ると誓った。その想いだけは永遠に変わらないわ」

「ほむらのいくじなしー」さやかが、にやけ顏で肘で突ついてくる。

「そうよ、私は意気地なしなの。そんなの…昔からわかってるわ」

 

 

 

未だ、望んだ未来は訪れていない。今度こそ、仲間と共に望んだ未来を勝ち取ってみせる。それが叶った時、この想いを打ち明けてみようか。

想い人の顔を見つめながら、ほむらは大きな希望を抱く。

 

 

───絶望を超えたその先に、何が待っているのかも知らずに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話「聞かせてちょうだい、あなたの想いを」

1.

 

 

 

 

 

ショッピングモール内のファーストフード店にてテーブルに対面で座る、見滝原中学の制服を着た2つの人影がある。

片方は快活さが目に見えるような青髪の少女、もう片方は長く綺麗な黒髪をした少女で、とくに人目を惹きつける容姿をしている。

いつもなら一緒にいるはずの桃色の髪の少女は、今日は姿がない。

 

「珍しいわね、まさかあなたから呼び出されるなんて思ってもなかったわ」

「まどかじゃなくて悪かったね、ほむら。どうしてもあんたに聞きたいことがあってさ」

「それなら学校でも良かったんじゃ?」

 

ハンバーガーのセットを注文したさやかとは対極的に、ほむらの目前には相変わらずコーヒーしか置かれていない。

ブラックコーヒーを好んで飲む女子とは如何に、と神妙な顔をしてさやかは答える。

 

「まどかには聞かれたくないからねぇ…あんたも、そうでしょ?」

「内容によるわ。早く話したらどうかしら」

「わかってるって…話ってのは、恭介の腕のことだよ」

「上条くんの? それがどうかしたのかしら」

 

言いながら、ほむらはわずかに不安を覚える。ルドガーからの報告では、上条の腕は完治とまではいかないものの、断裂していた神経はマミの魔法によって繋げる事に成功し、リハビリさえ重ねればまた元のように動かせるようになるだろう、とのことだった。

それが、何かあったのか。

 

「あたしさ、帰ったあとよーく考えたんだ。ほむらが恭介の腕を治して、それで何の得があんのかなー、って。それでひとつだけ思ったの。…あんた、あたしがキュゥべえと契約すると思ったんでしょ」

「………!」

「ほれみろ、図星」

 

ほむらの眉間がぴくり、と動くのをさやかは見逃さなかった。ハンバーガーにかぶりつき、したり顔をしてみせる。

 

「正直なところ、悩んでたのは本当。…恭介さ、もう治らないって言われたらしいんだ。あんたがいなかったら、本当に契約してたかもしれなかった」

「魔法少女になれば待っているのは死だけよ。百江なぎさの事、忘れたわけではないでしょう?」

「それはあんたも同じでしょーが。つうか今のセリフ、マミさんに言っちゃダメよ?

んでさ、よく考えたらほむらってあたしらみんなの事にやたら詳しいじゃん。それで思ったのよ。あんた…知ってた(・・・・)んでしょ。あたしやまどかの事…それだけじゃない。マミさんの事も、魔女の事も。…あんたさ、未来予知とかもできるんじゃないの?」

 

まさかさやかがその答えに行き着くとは、ほむらは思っていなかった。しかし、今回は特に隠すような事はせず、むしろ積極的に動きすぎたきらいがある。

キュゥべえすらもほむらの時間魔法の片鱗に感づき、マミに告げ口していたようなのだ。ほむらはコーヒーをまた一口飲み、ため息をつきながら、

 

「未来予知ではないわ。私の魔法は、時間遡行よ」

「そこう? そこうって何よ」

「………わかりやすく言うわ」

 

さやかの頭の出来を考慮していなかったほむらは、苦虫を噛んだように言い直す。

実のところ、"遡行"などという単語は普通は滅多に目にする事などない事をほむらはすっかり失念していたのだが。

 

「どうせキュゥべえも勘付いているでしょうしね…隠す意味もないわ。私はこの1か月を何度も繰り返しているのよ。それが私の魔法の正体」

「繰り返す…? 何の為によ。それに1か月って…」

「今からあと2週間と少しあと、ワルプルギスの夜が来る」

「…ん、ワルプル…?」

「超弩級の魔女よ。この街はワルプルギスによって滅茶苦茶にされる。私はその未来を変える為に戦ってきた」

「…あんたでも勝てないの? 繰り返してるって事は、負けっぱなしってことでしょ?」

 

ポテトをとっていたさやかの手が止まる。ほむらの言葉に、どこか重みを感じたからだ。

 

「そういう勘は鋭いのね…ヤツに勝てる事ができたのは、まどかだけよ」

「まどかが!? なら、どうして…」

「そして、まどかは魔女になってしまうの」

「あ………!」

「さやか、あなたもよ。上条恭介の腕を治す事を願って魔法少女になり、魔法少女の真実を知って絶望して、魔女になるの。…私は、あなたたちがそうやって命を落とすところを、何度も見てきた」

「そっか…だからあんたは、あたしらが契約するのを止めたかったんだね」

「ええ」

 

ここまで掘り下げた話をさやかにした事は、過去にほとんどない。あったとしても、それは既にさやかが契約してしまった場合だけだった。

契約してしまう前に話せて良かった、と安堵しながらほむらはコーヒーを口に運ぶ。

 

「…そのワルプルギスってやつ、どうやって勝つのよ。まどかしか勝てなかったんでしょ?」

「今回は運がいいわ。マミも生きているし、ルドガーもいる。…私一人ではとても敵わなかったけれど、今度こそ勝てる気がする」

「負けたらどうなんのよ、ほむら」

「同じ事よ。また繰り返すだけ」

「まどかが悲しむんじゃないの? そんなの」

「全てはあの娘の為よ。仕方のないことなの」

「それでいいの? だってあんた、まどかの事…」

 

好きなんでしょ、とさやかは問い掛ける。

 

「ほむら、繰り返すってことはさ…あんたはもう二度と、"このあたし"や"このまどか"に逢えなくなるって事でしょ?」

「承知の上よ。そんなの、何度も体験したわ。繰り返せば繰り返すほど、私とあなたたちとの時間はずれていく。いちいち気にしていては先へ進めないわ」

「…それは、進むって言わないよほむら。それに、"仕方ない"なんて言葉で片付けないでよ。あたし、わかるからさ…誰かを好きになる気持ち。あんただってもう知ってるんでしょ? あたしは恭介の事が、好き」

「知っているわよ。でなければ、命を対価にしてまで彼の腕を治したい、なんて思う筈がないもの。…それに、私の場合はただの独りよがりだもの。まして女同士なんて…受け入れてくれようがくれまいが、まどかに迷惑をかけるだけよ」

「今時そんなの気にするやついないって! あの仁美だってああ見えて頭の中は百合畑なんだよ? あんたテレビとか見ないでしょ。今どんだけおネェが増えてるのか知ってる?」

「…おネェって、何かしら」

「そこからか………」

 

さやかはがくん、と肩を落としてふぅ、とため息をつく。以前家を訪れた時も感じたが、テレビのチャンネルが少し埃かぶっていたのだ。ほむらの性格からもメディアとは無縁なのだろう、と思ってはいた。

 

「まあとにかく! あたしだってあんたの独りよがりなら、わざわざこんな事言ったりしないよ。…マミさんがパニクって銃を向けた時、まどかはあんたの事真っ先に庇ったでしょ? ホラー映画でマジ泣きするようなあの娘が、足震わせながらあんたの事守る、だなんてさぁ。そりゃあそうだよね。あんただって好きな人を守るために命懸けなんだもん」

「何が言いたいの、さやか」

「まだわからないの? まどかも、ほむらと同じって事よ。

あんたの事が好きで、守りたいって思ってるってコト」

「そんな事…!」

「またそうやって卑屈になって。あんたの悪い癖よね、ソレ。…あたしは、あんた達のこと応援するよ。まどかだけじゃない、あんたにも幸せになって欲しいよ」

 

本当に、このさやかは何を考えているのだろうか。上条を救って未来を変える事に成功しただけで、こんなにも変わるものなのか。ほむらは改めて思う。

 

「…どうして、そう思うのさやか」

「あんた、鈍いよねぇ……」

 

新たにつまみ上げたポテトでほむらを差し、呆れた様子でさやかは駄目押しの一言を告げる。

 

「大事な親友、だからだよ」

 

この意気地なしの親友の背中を押してやりたい。そんな気持ちを込めてさやかは言った。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

「わざわざすいません、ルドガーさん」

 

学校からの帰り道、いつもならばほむらとさやかと共に歩いている筈のまどかは、両者の不在により意外な者と帰路を共にしていた。

異世界よりの訪問者、ルドガーである。

ルドガーの風貌は白髪に黒いメッシュの、青いシャツを着た好青年といった感じで、小さく可愛らしいまどかと並んで歩くと周囲の視線が嫌でも集まる。

 

「でも、ほむらちゃんもちょっと過保護っていうか…別に1人でも帰れるのに…」

「それだけまどかの事が心配なんだよ。それに、近々また魔女が現れるらしいからな。警戒してるんだよ」

「そうなんですか…そうしたら、またほむらちゃんは戦いに行くんですよね」

 

まどかの脳裏には未だに残っている。薔薇園の魔女に滅多打ちにされ、骨を砕かれて血だらけになったほむらの姿が。

 

「私も、力になれたら……でも、ダメなんですよね。世界が滅んじゃったら、ほむらちゃんを助けたって意味がなくなっちゃう」

「あまり思い詰めるな、まどか。君もほむらも俺が守るよ。約束だからな」

「約束?」

「ああ。一緒にまどかを守るって約束だ」

「そ、そんな……」

 

言われて、まどかの顔が茹で蛸のように真っ赤になる。ルドガーもそうだが、ほむらがそんな約束をしていたという事実を知り、どれだけ自分が想われているのかという事を再確認させられたからだ。

 

『私はその人だけを愛して、守ると誓った』

 

それに、ほむらは曖昧な言い回しをしたつもりのようだが、まどかはその真意に勘付いていた。

 

(ほむらちゃんはこんなにも私の事を大切にしてくれる。それって…ほむらちゃんの好きな人って……)

「まどか? どうした、顔が赤いぞ」

「ふぇっ!?」

「熱でも出たか? 家まであとどのくらい───」

「こ、ここで大丈夫ですっ! ほら、あれ私の家ですから!」

 

まどかは赤面を誤魔化すように、およそ200メートル先に見える自宅を指差す。ルドガーは少し心配そうな顔をしたが、ぱっと駆け出したまどかの背中を追う事はせず、

 

「気をつけてなー!」と、大きな声をかけた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

早足でルドガーから逃げるように帰宅したまどかは、靴を脱ごうともせず肩で息をして、胸に手をあてていた。心臓の鼓動が高まったまま、落ち着く気配がないのだ。

ほむらの言葉の真意に気付いてしまったからだろうか。それとも、夢で唇を交わした事を思い出してしまったからだろうか。

すっかり茹で上がった今のまどかの頭では、その判断すらつかない。

 

「はぁ、はぁ……ほむらちゃんの好きな人って………やっぱり私なのかな…!?」

『理解に苦しむね』

「うひゃあぁぁぁっ!? きゅ、キュゥべえ!?」

『大きな声を出さない方がいいと思うけどね。僕の姿は君の家族には見えないんだから。もっとも、君の父親なら今は家庭菜園に夢中になっているけどね』

「そ、そうなの……?」

 

キュゥべえの突然の出現に、まどかは二重の驚きを隠せない。取り敢えず、と自分に言い聞かせるように靴を脱いで家に上がる。

その間にもキュゥべえは嫌がらせの如く、背後からまどかに雄弁を振るう。

 

『まったく…君たち人間は、時に理解しかねるよ。非生産的だとは思わないのかい? 同性同士では子孫など残せないし、無意味でしかない。最近では各地でもそういった無意味な嗜好を持った人間が増えているようだし…そんな事だからエントロピーが増え続ける一方なん───』

「キュゥべえ! 用がないなら帰ってくれないかな!?」

『おっと、僕とした事がすっかり失念していたよ。本題に入ろうか───魔女の気配が、探知されたよ』

「さっきルドガーさんから聞いたよ…そろそろ、現れるんじゃないか、って」

 

家庭菜園を横切りながら父・知久に挨拶をし、まどかは自室へと戻る。ブレザーをハンガーにかけ、着替えをタンスから抜き出していく。

キュゥべえはドアの前で待たされながらも、念話を飛ばしてきていた。

 

「私に、契約して戦えって言うんでしょ? でも、私が魔女になったら世界が…」

『そのつもりなら百江なぎさの時にも声をかけたんだけどね? 君に関しては、もうわざわざ急かすような真似はしないよ。そう、百江なぎさといえば。今度の魔女は計測するに、百江なぎさを精神的に追い詰めた使い魔と同じパターンなんだ。恐らく本体なんだろうね。もしかしたら、また暁美ほむらの謎の力を観測できるかもしれないんだよ』

「…どういう事?」

『百江なぎさは確かに幼かったけれど、戦い方を知らない訳じゃない。その彼女がああもあっさりと破滅したんだ。それに、暁美ほむらが魔女である可能性はまだ否定できていない。もしほむらも精神的に追い詰められれば、またあの力を使うかもしれない』

「そんな……ほむらちゃんが危ないよそんなの」

『もうひとつあるんだ、君に声をかけた理由がね。今回の魔女は、日が暮れ始めた現在あたりから広範囲に魔女の口づけを蒔いているようなんだ。効果は弱いものの、心に陰が差していれば何人かは口づけを受けてしまうだろうね。ちなみに、ここに来る間に志筑仁美も魔女の口づけを受けているのを目撃したよ』

「仁美ちゃんが……!?」

 

よく見知った名前を出され、背筋が凍るような感覚を覚える。あの仁美がどうして、という考えに至る前に、"止めなければ"という思考が表に出た。

 

「どこにいるの、キュゥべえ!」

『案内はしてあげられるけど、君が行ったところで何かできるのかな? 契約しているのならともかく』

「う……で、でも放ってなんか置けないよ!」

 

手にとっていた着替えをベッドの上に放り、部屋から飛び出す。キュゥべえはまどかの先に立って駆け出し、まどかはそれに追従するように玄関へと向かう。

 

「パパ、ちょっと出かけて来る!」

「どこに行くんだい?」

「友達のところ!」

 

知久の返事を待たず、家を飛び出した。キュゥべえに案内されるままに通学路を逆走していく。日が陰り始めた空は風が強く吹き、街路樹を大きく揺らす。

 

「キュゥべえ、ルドガーさんにテレパシー送れないかな!?」

『どうやら、まだ近くにいるようだね。呼んでおこうか』

「お願い!」

『わかったよ。ルドガー、聞こえるかい……』

 

念話を飛ばしながらも、キュゥべえの足取りは乱れない。通学路の途中にある噴水広場から分岐する道に入り、見慣れない通りに出た。

さらに先に進むと、下を覗けば幹線道路が一望できる陸橋があり、まもなく街灯が灯ろうとしている。

陸橋を越えると小さな工業地に差し掛かり、その一角にふらふらとおぼつかない足並みの人影が伺えた。

 

『あれだね。恐らく魔女の口づけを受けた人間だよ』

「あそこで何が起きてるの…?」

『それはわからないね。ルドガーの到着を待った方が…』

「仁美ちゃんが中にいるんでしょ!? 待てないよ!」

『あっ、ちょっと! …はぁ、気弱な娘だと思ったら時に意外な行動力を発揮するね、まどかは』

 

キュゥべえの制止も聞かず、まどかは薄暗い工場内へと入って行った。内部には既に十何人もの人が集められており、みな首元に刻印が成されている。

中央には工場の人間らしき者が数人と座り込み、うわ言を呟いている。周囲の人間もどこか遠くを見るような目でふらふらとしており、その中にはやはり、まどかのよく知る顔もあった。

 

「仁美ちゃん…ここで何してるの」

「あら、まどかさん。ごきげんよう。これから皆さんで素晴らしい処へ向かうのですわ」

「素晴らしいところ…?」

「嫌な事も辛い事も忘れて、苦しみから解放されるんですのよ」

「それって…!」

 

仁美はゆっくりと人影の中心を指差す。真ん中には銀のバケツが置かれ、何かの液体で満たされている。

それに向かって、やや離れたところにいる1人の女性がもうひとつバケツを持って歩いて来る。まどかが咄嗟に中央のバケツの近くにまで寄ると、どこかで嗅いだような匂いがした。

漂白剤の、独特の強い塩素臭のようだった。

 

「混ぜようっていうの…? まさか、これって!」まどかは、まだ幼い頃に受けた母の教えを思い出す。

 

 

『───いいかい、まどか? こういう塩素系の漂白剤はな、他の洗剤と混ぜるととんでもなくヤバいことになるんだ。あたしら全員猛毒のガスであの世行きだ。絶対に間違えるなよ?』

 

 

自ずと、ここに集まった人達が何をしようとしているのか理解に至る。塩素ガスによる、集団自殺だ。

周りを見るといつの間にか入ってきた入り口も閉じられており、窓も一つ残らず閉じている。密閉されつつあるのだ。

もしこんな閉鎖的空間で塩素ガスなど発生すれば、みなタダでは済まされない。

 

「だ…ダメ! それはダメだよ!!」

 

咄嗟にバケツをひったくろうとするが、仁美がまどかの手をしっかりと掴み、抑え込む。

 

「邪魔をしてはいけませんわ。これは神聖な儀式ですのよ」

「だ、だってあれ危ないんだよ!? ここにいるみんな、死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「そう、私たちはこれから素晴らしい世界へと旅立ちますの。それがどんなに素敵なことか、分かりませんか? 生きてる身体なんて邪魔なだけですわ。まどかさん、あなたもすぐにわかりますわ」

 

うっとりとした表情で語る仁美の姿に、周囲の人達がこぞって拍手を送る。その光景は、唯一まともな神経を保っているまどかにとっては、おぞましいものだ。

 

「イヤ……そんなの、わかりたくない!!」

「あっ、まどかさん!?」

 

まどかは仁美の制止を強引に振りほどき、バケツをひったくる。そのまま窓ガラスの面する場所に走り、

 

「こんなもの…えいっ!」

 

バケツを窓ガラスに向けて思いきり放り投げる。ガラスは割れ、洗剤は外へとぶちまけられた。

 

「はぁ…はぁ、これで……え?」

 

すぐにまどかは異変に気付く。先程まで無気力だった人々はヘイトを募らせ、恨めしそうな目でこぞってまどかを睨む。

邪魔をしやがって。何をするんだ。赦さない。そういった細々とした声が、不気味に工場内に響く。

 

「ひ…っ!」

 

まどかは憎しみを向けられる事に慣れていない。それでなくとも、一度にこれだけの憎しみを向けられれば震え上がってしまうのも当然の事だ。

餓鬼のような足取りでまどかへと歩み寄って来る。恐れをなしてまどかは逃げ出し始めた。

だが、狭い工場内では逃げられる場所など限られている。次第に追い詰められ、まどかはじわじわと包囲されていった。

 

「ど…どうしよう、どうしたら……」

 

逃げ場はもうほとんどない。最後の希望を抱いて、まどかは後方にある扉へと駆け寄り、ノブを捻る。しかし無情にも閂は降ろされており、鋼鉄の扉は訪問者を拒んだ。

ついに、群がる人々の手があと数十センチまで迫る。いよいよ絶望を抱いたまどかは、無我夢中で助けを求めて叫んだ。

 

「助けて…! 助けて! 助けて!! 助けて!! ほむら、ちゃん……!!」

 

この窮地でまどかが無意識に叫んだのは、ルドガーでもなく、マミでもなく…絶対に守る、と約束してくれた少女の名だった。

そしてその少女は絶対に、交わした約束を忘れたりなどしない。

 

「耳を塞ぎなさい、まどか」

 

突如として目の前に、ほむらの姿が現れる。一瞬驚くが、憎しみの込められた罵声がぴたりと止んでいる事に気付いた。時間が止まっているのだ。よく見れば、ほむらはまどかの服の袂に触れている。

 

「ほむら…ちゃん…? 来てくれたの…?」

「ええ。言ったでしょう? 必ず守る、って。さあ、早く耳を塞いで」

「あ…う、うん!」

 

言われるままに、まどかは両の手で耳を塞ぐ。そのままほむらが視界を塞ぐようにまどかを抱え込む。

 

「ひゃっ…!?」

 

間髪置かずに、キィィィィン! と何かが炸裂する音が手のひらの隙間から聞こえてきた。

少し間を置いてほむらがまどかから離れると、まどかを追い回していた連中はみな地面に伏しており、その中央には両手をはたいてひと息つくルドガーの姿があった。

 

「あ……ルドガー、さん…ほむら…ちゃん…?」

「まどか、怪我はない?」

「う…うん。私は何ともないよ。仁美ちゃんは…?」

「悪い、とりあえず気絶させた」

 

みんな命に別状はないよ、とルドガーはまどかの不安を取り除くように教える。

 

「行きましょう、まどか。ここはもうすぐ魔女の結界に覆われる」

「え、えっ? 魔女がここにいるの…?」

「あなたが開けようとしたドアの先よ。…私たちが行くから、あなたは逃げなさい」

「ま、待って! 私、キュゥべえから聞いたんだよ! 今度の魔女は、なぎさちゃんをやったやつだ…って」

「百江なぎさを…!?」

 

おかしい、とほむらは思う。ここの魔女は過去に、魔法少女になりたてのさやかに倒される程度の力しか持っていないはず。個体としては弱い部類に入る筈なのだ。

 

「…やはりこの時間軸の魔女はみんな強力になっているようね」

 

薄々と勘付いていたことだ。薔薇園の魔女の規格外の強さ。お菓子の魔女の、脱皮して増殖する特性。

それならば今度の"箱の魔女"も恐らく、何らかのイレギュラーな能力を備えているとみて間違いない。

或いはそれこそが、なぎさを魔女へと追いやった能力なのだろうか。

 

「だとしたら尚更放ってはおけないわ。すぐにでも倒さないと…」

「待ってほむらちゃん! 行かないで! ほむらちゃんが傷つくのはもうイヤだよ!!」

 

まどかは今にも泣きそうな顔をして、縋りついてほむらに懇願する。待ってくれるはずなどない、とわかっている筈なのに。

そして、ほむらの答えも既に決まっている。

 

「…あなたを守るためよ。私は、ここで逃げるわけにはいかないの」

「ほむらちゃん………」

「ほむら!! 来るぞ!!」

 

ルドガーの叫び声にはっ、として2人は振り向く。閂の降りたドアの先から、瘴気が漏れ出ているのだ。

たちまち、工場内はその瘴気で満たされる。一瞬だけ暗転し、数秒おいて緩やかに光が差すと、もうそこは全く別の空間へと化していた。

ほむらはその様子を、信じられない、といった表情で見届ける。

 

「そんな…まどかを逃がす間もなく、一瞬で…!?」

「…気をつけろほむら。この結界、なぎさを殺したヤツと同じだ…!」

 

乳白色の空に浮かぶ透明な回廊。上を見れば映画のフィルムのようなものが螺旋を描き、下を見れば底無しの虚空がどこまでも広がる。まさしく、かつてルドガーがなぎさと共に戦った結界と同様であった。

異なる点は、今ここにはまどかを含め工場内の人間が全員取り込まれているということだ。

 

 

『キャハハハハハハ!!』

 

 

甲高い、不気味な笑い声を上げながら空から何かが舞い降りる。ブラウン管のテレビに羽根をつけたような不恰好な姿の何かは、不出来なマネキンを取り巻きとして何十体も引き連れてきた。

 

「あいつがなぎさを……!」

「落ち着きなさい、ルドガー」

「わかってる、けど…!」

『───アハ、アハハハハハハ!!』

 

箱の魔女は大量の使い魔をばら撒き、再び空高く飛び上がって行く。逃げる気か、とルドガーは叫ぶがこのまま被害者たちを置いて追うことはできない。

 

「速攻で片付ける! はぁっ!!」

 

懐中時計をかざし骸殻を纏う。お菓子の魔女との戦いで発露した、顔以外のほぼ全てを覆う黒鎧だ。

やや乱雑に槍を振るうその姿からは、やはり焦りがみて取れる。

 

「ゼロディバイドォォ!!」

 

槍の先端に黒いエネルギーを宿し、振り回しながらそのエネルギーを弾丸として放つ。冷静さを欠きつつあるも、その狙いは正確だ。ほむらも驚くほど的確に、黒弾は使い魔の急所を次々と貫いてゆく。

すかさずほむらも加勢に入り、魔力を込めた自動小銃を連射して使い魔を撃滅していく。

僅かながら数は減りつつあるが、隙あらば被害者たちに取り憑こうとする使い魔から目を離すことができない。

 

「これじゃあジリ貧だ! キリがないぞ!」

「わかってるわ! せめてもう1人、味方がいれば……」

 

ルドガーは使う得物の特性上、ここまでの広範囲殲滅は得意ではない。槍を規格外の使い方をする事で均衡を測っているに過ぎない。

対してほむらは、本来ならば一度に大量の武器を連射するような制圧戦法は得意な方だ。だが、被害者たちを考慮するのならば爆薬やより強力な重火器を用いる事は憚られる。

じわじわと、取り囲むように使い魔が距離を詰めて来る。強力な爆薬か厚い弾幕でなければ、もはや突破は難しい。

 

「くっ…こんな時に、マミがいれば───」

 

ルドガーが力なくぼやいたその瞬間、突如として機関銃を幾重にも重ねて放ったような爆撃音が響いた。

「えっ…?」使い魔は、その爆撃音によっておよそ3割ほど間引かれたようだ。訳もわからず、ルドガーは音のした方を振り向く。

 

「ふふっ…呼んだかしら?」

 

そこには、誇りを取り戻した巻き髪の少女の微笑みがあった。

 

「マミ! 来てくれたのか!?」

「キュゥべえに呼ばれたのよ。あんな声、聞くだけでシャクだけど、あなたたちがピンチとなれば行かないわけにはいかないわ」

「助かるよ! ありがとう、マミ!」

「話は後よルドガーさん。まずはこいつらを片付けるわ」

 

マミは再びマスケット銃を2挺持ちで構え、魔力を込める。

 

「行くわよ…無限の(パロットラ・)魔弾(インフィニータ)ッ!!」

 

掛け声と同時にマミの周囲から、放射状に大量のマスケット銃が召喚される。それらは一斉に火を吹き、使い魔に取り囲まれた空間に風穴を空けていく。広範囲殲滅を得意とする、マミの代名詞だ。

続くようにルドガーも、尖端に光のエネルギーが溜め込まれた槍を高々と構える。

 

「閃剣、斬雨ッ!!」

 

かつての仲間であり、一国の王である男の技を真似て空に放たれた閃光は、弾けて放射状に雨のように降り注ぐ。巻き込まれた人々がいるゾーンを避けて、使い魔を大雑把に撃ち抜いていった。

 

「……みんな、すごい…」

 

まどかはその様子を、唖然として見守る。あの3人の前では、如何に自分がちっぽけな存在なのかを、改めて思い知らされたかのように。

 

「あなたたち、随分と仲が良くなったみたいね」ほむらは、2人のコンビネーションの抜群さに皮肉を投げかける。

「お陰様でね。仲間がいるって、こんなにも頼もしいのね?」

「それはお互い様、かしらね…」

 

ほむらの攻撃は相変わらず派手さがない。しかし、1発1発を的確に当てていく姿は、やはりいつ見ても安定している。さながら、熟練の技のようにも思える。

 

「マミ、一緒に!」

「ええ、1曲奏でましょうかしら!」

 

ルドガーはアローサルオーブの波長をマミに合わせ、擬似的なリンクを作ることを試みる。

何度か戦いを共にした2人の絆は、十分に繋がりを作り出した。使い魔の最後の群れに対峙し、2人は息を合わせる。

 

「四章移ろいて───」

「至高を生ず!」

 

槍の尖端に黒弾を纏わせ、振り回して陣を描く。マミはその陣に合わせるように、一段と強い魔力を込めた2連式マスケット銃を放つ。

1、2、3、4、とテンポよく放たれた魔弾は使い魔の群れの中で水玉のように弾けていく。

黒弾で描いた陣を収束させ、中央にエネルギーを溜め込み、そこに合わせてマミは最終射撃に用いる大口径の銃を錬成した。エネルギーはその銃口へとさらに収束し、

 

「「歌劇───ティーロ・スフォルツァンド!!」」

 

巨大な波動を伴った魔弾を解き放った。その攻撃はマミ1人で行う最終射撃の威力を軽く上回り、壮絶な破壊音と共に使い魔の群れを跡形もなく吹き飛ばした。

 

「ふぅ……片付いたな。これでヤツを追える」

「ええ、先へ進みましょう」

 

ルドガーはステージの端に現れた螺旋を描く階段を指して言う。マミもその足取りに続くように歩き出した。

 

「待って、マミ」そこに、何かを思ったほむらが声を投げかけた。

「この先へは私とルドガーで行くわ。…あなたは、残ってくれないかしら」

「…一応聞くけど、どうしてかしら?」

「ルドガーから前に聞いのだけど…百江なぎさを追い詰めた使い魔は、精神攻撃をしてきたらしいわね。恐らく、普通の魔法少女が行けばまた同じ目に遭う」

「あなたは、それに耐えられると?」

「ええ。これでも、死にたくなるような目には何度も遭っているの。今更、魔女の精神攻撃になんてやられたりしないわ。それに…誰かがここに残らないと、まどか達を守れないわ。大軍を相手にするのはあなたの方が上手だもの」

 

ほむらの言葉は一見、無機質な風に聞こえる。しかし、言葉を選んでちゃんとマミと向き合っていることを、ルドガーは察していた。

 

「マミ、君を信頼してるからこそまどか達を任せられるんだ。俺からも頼むよ」

「ルドガーさんも………わかったわ。暁美さん、後ろは任せなさい」

「ありがとう、マミ」

「ふふっ…あなたにお礼を言われるなんてね?」

 

ほむらはルドガーと並び、螺旋階段へと向かって歩き出す。盾から新しい小銃の弾を取り出して装填し直し、階段の手前でもう一度後ろを一瞥する。

 

「行って来るわ」

「待って、ほむらちゃん!」

「まどか…? どうしたの」

 

意を決した様子で、まどかがほむらの元へ小走りで駆けつける。その瞳には、どこか強い意志が込められているようにも思えた。

 

「…絶対帰ってきてね。私、ほむらちゃんに伝えたいことがあるんだ」

「何かしら、それならここで…」

「ここじゃダメだよ? ほむらちゃんだけに伝えたいことなの。ほむらちゃんじゃなきゃダメなの」

「まどか……?」

「っ…、気をつけてねほむらちゃん…」

 

最後の方は声が震えていた。力になれないことが悔しくて、大事な人を戦地に向かわせてしまう事が辛くて、瞳を潤せていた。

そんなまどかの想いを感じ取り、ほむらは精一杯の言葉をかけた。

 

「必ず、帰って来るわ。そうしたら聞かせてちょうだい、あなたの想いを」

 

想い人に見送られながら、ほむらは戦地へと赴く。

大切なひとを、守るために。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

使い魔を撃墜しながら螺旋階段を登り続けていくと、いよいよ魔女の拠点が見えてくる。広大な広場に、空にはさらに多くの映画のフィルム。

 

『アハハハハハハ!!』

 

使い魔を侍らせる箱の魔女は既に黒色に染まり、高らかに不気味な笑い声を上げて来訪者を迎える。

 

「見つけた…もう逃がすものか!」

 

ルドガーは槍を2対の剣の形に変え、魔女に向かって突撃する。ほむらはそれを援護するように、小銃を撃ち込んでゆく。しかし箱の魔女は、ルドガーの接近を感じ取ると羽ばたいて距離を取り始めた。

 

「くっ……このぉ!! 蒼破刃ッ!!」

 

風のエネルギーを込めた衝撃波を飛ばし、牽制する。しかし咄嗟に使い魔が盾となり、箱の魔女に刃は届かなかった。

 

「下がりなさい!」

 

後ろではほむらが携行式対戦車ミサイル・M47ドラゴンを構えている。ルドガーはすぐさま身を翻し、射線上から退いた。

ドン、とやや強めの反動音を鳴らしてミサイルは箱の魔女目掛けて飛んでゆく。同時にマシンガンをばら撒き、使い魔を散らそうと試みる。

ミサイルは、魔女の手前の使い魔に着弾した。魔力の込められた弾頭は通常のおよそ倍もの爆風を上げ、周囲も巻き込む。魔女本体にも、幾分かのダメージが通ったように見えた。

 

『キャハ──────ハハハハハハ!!』

 

しかし魔女は怯んだ様子をまるで見せない。チカチカ、とテレビの画面に相当する部位を点滅させたかと思えば───そこから一筋の高熱線を照射し始めた。

 

「な……ちっ!」

 

ルドガーはその場で側転して光線を躱し、ほむらは盾を中心に小型の防御障壁をつくって光線を受け流す。その威力は、直撃すれば肉を焦がすほどのものだった。

 

「これじゃあ近づけない! ほむら、時間を───」

「ええ、今……っ!?」

 

突如としてバチン! という音と共に結界中が暗転する。舞台の照明を乱暴に落としたようなその様に2人は狼狽える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ルドガーはこの先に何が起ころうとしているのかがわかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほむら…空を見るな、ヤツの攻撃が来る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注意を喚起し、魔女の攻撃に備える。ルドガーも、同じ手を何度も喰らうほど迂闊ではない、と決して気を緩めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐにでも投擲できるように槍を構える。ほむらも、未知の攻撃に対しての警戒心を最大限にまで高める。

映画のフィルムは目まぐるしく廻り始める。これより始まるのは、幸せに満ちた甘美な夢───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは、終わる事のない悪夢か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キャハ───アハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

魔女の狂ったような笑い声と共にフラッシュが焚かれたような閃光が迸り、2人は突然の魔女の行動に目を眩ませる。

世界が反転する。方向感覚が狂わされ、どこを向いているのかすらわからない。

 

「ぐっ……あぁぁぁぁぁ!!」

「きゃあぁぁぁっ!!」

 

叫び声が結界中に響き渡る。頭の中が掻き乱され、ノイズに塗れる。覗かれる。掘り起こされる。改竄される。

全身から力が抜けていき、武器を持つ事すらままならず膝から崩れ落ちた。

 

「ま………ど…か………っ…」

 

意識が刈り取られる刹那、ほむらは絞り出すようにその名を呼び、力尽きる。

そうして2人は、甘い夢の世界へと堕ちていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話「こんなにも幸せに満ちて」

1.

 

 

 

 

 

聞き慣れた目覚まし時計の音と共に、深い眠りから揺り起こされる。瞼を開けばよく見慣れた天井。布団をまくり半身を起こすと、整理され、使い慣れた机が視界に入った。

 

「ルドガー、やっと起きた!」

 

その明るい声に気付き、意識を向ける。朗らかな笑顔で愛猫のルルを抱きかかえ、相棒の目覚めを待っていた少女…エル・メル・マータの姿がそこにあった。

 

「エル……!? そんな、なぜ」

「どうしたの、ルドガー」

「…いや、何でもない」

 

ルドガーは訳がわからないといった様子で頭を捻り、記憶を振り返る。

 

(…確か俺は、ほむらと一緒に魔女の結界に……ん? "ほむら"って…何だ?)

 

しかし、うまく思い出せない。まるで靄がかかっているかのように、記憶を引き出す事ができないのだ。

 

(ほむら…魔女……だめだ、何もわからない。そもそも俺は今まで何を…夢、か…?)

「なんか怖い顔してるよ、ルドガー?」

「! ああすまない。何でもないんだよ、本当に」

「そう? ならよかった。早く来てよルドガー、ごはんできるよ?」

「ごはん? 誰が作ってるんだ」

「ミラだけど? どしたのルドガー、なんかヘンだよ」

「ミラが…!? どうして料理なんて」

 

2代目の精霊王マクスウェルが直々に料理を作りに来るなど、ルドガーは俄かにも信じられなかった。それならばジュードもいるのだろうか。ルドガーは慌てて飛び起き、髪を軽く指先で梳かしてリビングへと抜けた。

扉を開くと真っ先に、蕩けた野菜の香りが漂ってくる。

兄・ユリウスはいつものようにコーヒーを飲みながら新聞を読み、寝起きのルドガーに声をかけてきた。

 

「おはよう、ルドガー。疲れてたみたいだな」

「兄さん……?」

「もうすぐできあがるみたいだ。先に顔を洗って来るといい」

「えっ…?」

 

ユリウスに言われ、思い出したようにルドガーはキッチンに立つ後ろ姿を見る。

とても長く綺麗な髪をひと纏めに結った女性がエプロンをつけて鍋と睨めっこしていたが、ルドガーの起床に気付くと振り向いて声をかけてきた。

 

「おっそいわよルドガー。たまの休みだからって、のんびりしすぎじゃないの?」

 

その砕けた口調は。身につけている服は。素っ気なさそうでどこか可愛げがある雰囲気は。

精霊王マクスウェルなどではない。ひとりの人間として生きる事を選んだ、もうひとりのミラの姿があった。

 

「ミラ……なのか…?」

「へ? どうしたのよルドガー、まだ寝ぼけてんのかしら…って、何涙目になってんの。朝から気色悪いわね」

「…何でないよ。目にゴミが入っただけだ」

 

生きていてくれた。あの時繋いだ手を離してしまったのに、彼女は戻ってきてくれたんだ。なぜ、どうして。そんな疑問よりも嬉しさが込み上げてくる。

 

「ふぅん…いいからさっさと顔洗ってきなさいよ? こっちはもうすぐできるわよ」

「ああ」

 

リビングを抜け、洗面所へと向かう。蛇口を捻ると最初はぬるい水が流れ、数秒おいて少し冷えた水へと移り変わる。顔を洗い流し、歯を磨き、鏡で自分の顔を見る。

 

「エル…ミラ……兄さん」と、無意識のうちに名前を呟いていた。

「もう二度と、逢えないと思っていたのに」

 

湧いた疑問点にルドガーは過去の体験を追想しようとするが、やはり霧がかかったような記憶は断片的にしか振り返ることができない。

当然、自分で呟いた言葉の意味もわからなくなる。

 

「…どうして、俺は"もう二度と逢えない"なんて思ったんだ…?」

 

これはいつも通りの日常。ルドガーが望んでいた、ごく普通の幸せな日常だ。

何も心配などいらない。望んだ日常は、自分の目の前に拡がっているのだから。鏡の向こうの自分が、そう言い聞かせているように見えた。

 

「もう、料理ができるって言ってたな」

 

思い出したようにルドガーはリビングへと戻る。既にテーブルの上にはトーストと、ミラ特製の野菜スープが並べられていた。

リビングの椅子は4つある。エルとミラは並んで座り、ルドガーを待っていたようだ。促されるままに2人の向かい、ユリウスの隣に腰掛ける。

いただきます、と声を揃えて4人はそれぞれ食器を手にとった。

 

「しっかしユリウスも大変ねぇ。休日だってのに、クランスピアに呼び出し食らうなんて。食べたら行くんでしょ?」

「まあ仕方ないさ。昔からだからね、もう慣れてる。ミラさんこそ朝からわざわざ来てもらって、なんか悪いね」

「私はいいのよ。どうせ部屋に篭ってても暇だし」

「……ん、このスープ…」

 

ルドガーは自分の作るものとは一味違った、ミラのスープの味わいに感嘆を覚える。エルに認めさせてやるんだ、と意気込んでからというものの、ミラの料理の腕前はさらにどんどん磨きがかかっていたのだ。

 

「おいしいよ、ミラ」

「トーゼン! この私が作ったのよ? ねぇ、エル?」

「パパのには敵わないけどねっ」

「なっ、なんですって!?」

 

またもエルの父の腕前を越えられなかったことに、軽くショックを覚えたミラ。しかしエルは勿体ぶったように、

 

「ルドガーもミラも同じくらいだよ! 2人ともごはんおいしいよ?」

「へ、へぇ〜…そっかそっか、私ら揃って2番目らしいわよ?」

「俺はミラの料理好きだけどな?」

「なっ……ふ、ふぅん。アナタも気が利いたこと言えるようになったわねルドガー?」

 

強がった風に言ってみせるが、ミラの顔は熟したトマトのように真っ赤になっていた。

スープを掬いながら、エルはさらに燃料を投下する。

 

「やっぱり2人ともお似合いだね! パパとママみたい!」

「「えっ!?」」

 

互いに赤面して顔を合わせる。エルの爆弾発言にルドガーはどう返していいかわからなくなっていた。下手なことを言えばミラの逆鱗に触れてしまいそうだからだ。

しかし隣のユリウスも、ルドガーの予想の斜め上を行く発言をして火に油を注いでいく。

 

「そういえば、2人はもう付き合ってどのくらいになるんだ?」

「へっ!? 付き合って、って……えっ?」誰と誰が、という疑問を抱くルドガー。対してミラは満更でもなさそうに、

「うーん…私ら、やっぱりそういう風に見えんのかしらねぇ」と、若干照れ臭そうな顔で答えた。

「ルドガーとミラ、仲良しだもんね!」エルも何の恥ずかしげもなく追い打ちをかける。

「…!? え、えっ!?」

「なによルドガー、私じゃ不服なわけ? 相変わらずぼーっとして、ねぇエル?」

「そーだよ! 戦ってる時はカッコいいのに、普段はなんか抜けてるっていうか…そーいうとこ、パパに似てるけどね」

 

それはそうだろう、とルドガーは思う。何せエルの父親は、

 

(…………あれ?)

 

誰だったか。知っているような気がしたのだが、思い出すことができない。

勘違いだったろうか。そもそもエルの父親は行方不明で、彼を探す為にカナンの地を目指していたのだから。

会ったことなどあるはずがないのに。

 

(……何かひっかかるな。大事なことを忘れてるような…だめだ、わからない)

「どうしたのルドガー? さっきからヘンな顔して」

「! い、いやなんでもないんだ」

 

エルに顔色を気遣われ、ルドガーは慌てて思考を隅に追いやる。気を取り直してもう一度ミラのスープを飲み始めた。

不思議と、胸が熱くなってくる。もう随分と飲んでいなかったかのような懐かしさと、込められたミラの想いが心に染みたからだろうか。

 

(美味い………幸せな、味だ)

 

自然と、そういった思いがルドガーの心の中に生まれていた。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

額にあてられた冷たい何かの感触に、黒髪の少女は目を覚ました。

瞳をまばたきさせてみると四方は白いカーテンに囲まれており、自分はベッドの上に横たわっているのだとわかる。

しかしどうにも視界がはっきりしない。目を見開いてみても、ぼんやりとしているのだ。まるでもとの裸眼で過ごしていた時のように。

視力の矯正が切れているのだろう、と考えて魔力を込めようとする。

 

(………?)

 

しかし、魔力などかけらも感じられなかった。即座に上半身を起こし辺りを窺うが、ベッドの横に誰が座っているのかもはっきりとしない有様だ。

額にあてられていたのは、冷たい濡れタオルだという事がわかった程度だ。

 

「やっと起きたね」

 

不意に、優しい声をかけられた。懐かしくもあり、とても愛らしい声の主は、目を向けなくても誰なのかは一瞬でわかる。

 

「まどか……?」

「てぃひひひひ、そうだよ? はい、メガネ」

 

まどかは手探りのほむらに眼鏡を渡してやる。もう久しく眼鏡など使っていなかったほむらはその行動に戸惑うが、考えることよりも視力を補う事を優先し、素直に眼鏡をかけた。

今度は隣にいる、まどかの心配そうな顔がはっきりと見える。

 

「もう、びっくりしたよ。ほむらちゃんてばいきなり貧血起こして倒れちゃうんだもん」

「ここ…保健室…?」

「そうだよ? さやかちゃんに手伝ってもらって、一緒に運んだんだよ。本当に心配したんだから…ね?」

「えっ…? ま、まどか…?」

 

まどかは目尻に涙を浮かべながら、優しくほむらを抱きしめた。突然の行動にほむらは困惑を覚え、心拍数が一気に上昇する。

 

「ど、どうしたのまどか…!? いきなり、こんな」

「…いきなりはほむらちゃんの方だよ。貧血、治ったって言ってたのに…私に気を遣ってたの…?」

「い、いえ!そんな」

「もっと私を頼ってよ、ほむらちゃん…私たち、恋人同士なんじゃなかったの…?」

「………えっ!?」

 

まどかの予想だにしない言葉に、ほむらはさらに混乱していく。

柔らかな肌の感触、暖かさ。ふわりと優しい香りのする桃色の髪。布越しに伝わる心臓の鼓動は、どこか忙しないようにも思えた。

まるで気弱だった頃の自分に戻ってしまったかのように、ほむらは何もできない。おぼろげな記憶を辿り、まどかの言葉の意味を反芻する。

 

(……そう、私とまどかは恋人同士。私の方から告白して…それから…?

よく思い出せないわ。けれど、そうよ。それで正しいはず…)

 

曖昧ながらも自分の中で結論づけて、不安げな顔色のまどかに言う。

 

「…ごめんなさい、あなたに迷惑ばかりかけてしまって」

「いいよ、そんなこと。むしろもっと頼ってくれたら嬉しいなって」

「まどか………」

 

まるで初めて出逢った時のようだ、と感じる。ほむらはまだ■■■■になってもいない、病弱で何の取り柄もなかった少女で、

 

(………?)

 

対してまどかは常に前を向いて自信を持っていて、気弱なほむらをリードしていたのだ。

そんなまどかだからこそ、ほむらの心は自然と惹かれていったのだ。友達としてではない、ただひとりのかけがえのない人として。

そう信じて、疑う余地などない。

 

「………そう、私はまどかが好き。大好き。愛してるの」

「きゅ、急にどうしたのかな? 嬉しいけど、なんか恥ずかしいな…」

「ずぅっとそばにいてね。……どこにも、行かないで」

 

まどかの身体を、今度は逆に抱き返す。両者の身体はぴったりと密着していた。

 

「嫌な夢でも、見たの?」

「ええ、とても長い夢…あなたが、私を置いてどこか遠くへ行ってしまう夢よ。寂しくて…辛くて…どんなに想っても逢えなくて……ぐすっ…死んだ方がマシよ、あなたに逢えなくなるくらいなら…」

「……それは、とっても嫌な夢だね。でも大丈夫だよ? 私はどこにも行かないよ」

 

先程とは逆に、うっすらと涙を浮かべ出したほむらを慰めるようにまどかは言う。

 

「だって私だよ? ほむらちゃんでさえ死んじゃいたくなるようなこと、私だって耐えられないよ」

「あなたも……そう想ってくれるの?」

「うん。私にとってほむらちゃんは一番大切なひとだから。私だって離れたくないよ」

 

それは、今までほむらがずっと求めていた言葉だった。今まで繰り返し続けてきたすべてが、まどかの為を想ってのこと。まどかとの幸せを求めて、彷徨い続けて来たのだ。

 

(繰り返す………何を?)

 

だが、ほむらは思い出すことができない。一体自分は、まどかの為に何を繰り返し続けてきたのか。

ぼろぼろに傷付いて、時には死にたくなるような事も何度もあった、ような"気がする"。しかしほむらは、今の自分以外を思い出す事はできなかった。

 

「だめだよ、ほむらちゃん」

 

その思考を遮るように、まどかは抱き締める腕の力を強くする。鼻と鼻が触れそうな距離で見つめあい、甘い吐息を漏らしながら囁く。

 

「ほむらちゃんには私がいればいいの。この私だけが、ほむらちゃんの全部を受け止めてあげられるんだよ? だから…」

 

───ずっと一緒にいようね。

 

呪詛をかけるように呟き、ほむらの唇を自身のそれで優しく塞いだ。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

朝食を終え、ユリウスを見送った3人はマンションフレール内の自室で時間を持て余していた。

何か面白い番組でもやってないかとテレビをつけると、数日前に起きたマクスバードでの変死体発見騒動の特番が流れている。

朝から陰鬱な気分をもらいたくない、とミラはチャンネルをルドガーから取り、次々と変えていく。しかしめぼしい番組は特に見つからない。

 

「どこか出かけるか?」快晴の空を窓から一望しながらルドガーは2人に訊く。するとエルが、

「エル、あそこ行ってみたーい!」

 

と、たまたま流れていたチャンネルを指差す。ちょうどディール地方の名産品特集をやっていたところだ。

 

 

「ディールか……いいな。ミラも行ってみるか?」

「暇だから付き合ってあげるわよ。エレンピオスの事はまだよく識らないし、ちょうどいいわ」

「うん、決まりだな」

 

テレビを消して3人は身支度を始める。ディールへはトリグラフ駅から列車が出ており、数十分もすれば着いてしまう。

ディールはトリグラフと比べると狭い街だが、近くには湖畔があり独自の名産品も手がけており、軽く遊びに行くにはうってつけの場所だ。

今しがたテレビでも今年産の地酒「二千年の孤独」を紹介しており、地酒を目当てに観光に行く人々もたびたび見られるほどだ。

身支度を終えて自室をあとにする。エレベーターを降りると、猫好きで有名な住人が黒い猫を追いかけ回している姿が視界に入った。

 

「ルドガー、ココネまたやってるよ」

「ははは…大変だな」

 

その光景はすっかり見慣れたものだ。実はあの猫好き、猫に嫌われているのではなかろうか。そんな疑問も湧いて出てくる。

 

「あの猫、なんだかエイミーに似てるな」

「エイミー…?」

 

どこかで見たような黒猫の姿を見て、ルドガーは無意識にその名前を呼んでいた。しかしエルは、聞き覚えのない名前に疑問符を浮かべる。

 

「ルドガー、エイミーって?」エルはもう一度、確かめるように尋ねた。

「ああ、エイミーってのは………あれ?」

 

しかしルドガーは、その問いかけに答えることができない。

 

(エイミー……エイミーって、なんだ。どこかで見たような気がするけど……思い出せないな)

「ルドガー? どうしたのよ」何かを思い出そうと頭を捻るルドガーに対して、ミラは急かすように声をかけた。

「ミラ…いや、なんでもないよ」

「そ、ならいいのよ。余計なこと考えんじゃないわよ?」

「はは……気をつけるよ」

 

きっと気のせいだ。猫などどこにでもいるのだから。きっと、どこかでそういう名前の猫を昔見ただけだろう。ルドガーはそう自分に言い聞かせた。

 

 

マンションを出て十字路を左に曲がると、クランスピア社がそびえ立つチャージブル大通りへと差し掛かる。駅はこの先にあるのだが、クランスピア社のちょうど目の前に旧友のノヴァの姿を見つけた。向こうもルドガー達に気付いたようで、手を振って声をかけてくる。

 

「おはよ、ルドガー。3人揃ってお出かけ?」

「ああ。天気もいいし、ディールにでも行こうと思って」

「へぇ〜いいじゃん。なんかルドガーらしいっていうか」

「俺じゃないよ、エルが行きたいって言ったんだ」

 

借金の取り立てをされていた頃はノヴァの声を聞くだけで辟易としたものだったが、闘技場で稼いだガルドで一気に返済を終えたあとは、そんな気概もなくなっていた。

最後の方は互いに気まずい雰囲気だったが、今では気軽に会話を交えられるほどにまで関係が修復されたほどだ。

 

「借金も返し終わったし、久々にゆっくりとするのも悪くないだろ?」と、ルドガーは軽い冗談交じりでノヴァに訊く。しかし返ってきた返事は、

 

「ルドガー、借金もう返し終わったの?」

「えっ…?」

 

思わず、抓まれたような顔をしてしまう。この受付嬢、自分が取り立てをしていた事を忘れたとでも言うのか。或いはこれも冗談なのか? そう思ってひとこと言おうとすると、

 

「ルドガー、何してんのよ。早く行きましょ」

 

ぴしゃり、と若干不機嫌そうなミラの声に背筋を張ってしまい、振り返る。

 

「あ、ああ…すまない。ノヴァ、またな……っ!?」本来の目的を思い出し、ノヴァに別れを告げようと振り向く。

 

しかし、そこには"何もなかった"。

 

何が起こったのかを理解できずにいると、痺れを切らしたような様子でミラがエルの手を引いてすたすたと先へ行ってしまう。

慌ててルドガーはその背中を追い、隣へと駆け寄った。

 

「さっきからアナタ、何か変じゃない? 何回もボーっとして。しっかりしなさいよね、私がいるんだから」

「ご、ごめん。気をつける」

「そう、それでいいのよ。アナタは私らの事だけ考えてればいいの」

 

ふわり、と微笑みながら人差し指でルドガーの鼻をこづく。その仕草にルドガーは少しだけ自分の心臓の音が強くなるのを感じた。

 

(けど……俺、今誰かと話してたよな? …思い出せない。確かに、さっきから何か変な感じばかりだ)

 

それとは裏腹に、わずかな疑問も少しずつ積み重なる。この違和感は何なのか。在るべきものがなくて、無い筈のものがあるような、そんな風に感じるのだ。

程なくして、3人はトリグラフ駅構内へと入る。切符を3枚買い、改札を抜けるとちょうどよくディール行きの列車が到着していた。時計を持ち歩く習慣のないルドガーは、電光掲示板で現在時刻を確認する。時刻は、10時を廻るところだった。当然ながら、あの時と違ってアルクノアのテロなど起こるわけもない。

搭乗して適当な座席にかけ、程なくして列車は動き始めた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

まどかに手を引かれながら教室へと戻ったほむらは、2人揃って帰ってきた姿に対しての冷やかしを食らっていた。

既に4限目の授業は終わり、昼休みが始まる時間となり教室内のひと気はまばらだ。

ほむらも予想していたことだが、こういう時に率先して茶々を入れて来るのは、さやかだと相場は決まっている。

 

「よっ、この色女! 保健室でナニしてたのかなー?」

「………はぁ。貴女は相変わらずね…」

 

露骨に飽きれた顔をしてやり、さやかを一瞥する。どうにも、まどかと友達以上の関係に踏み入って以来突っかかってくることが多いのだ。

少しは強気に出てやろう、とほむらは鼻で笑いながら言う。

 

「そんなにまどかを奪られた事を妬んでるのかしら。残念ね、美樹さやか」

「くっ、このアクマ! まどかぁー、ほむらがいじめるよぉ!」

「アクマ、だなんて随分な言われようね」

 

ぱさり、と自身の黒髪を手で掻き上げながら冷たい視線を飛ばす。その隣にいるまどかはにこにこして2人の様子を眺めていた。

 

「2人とも、もうこんな時間だよ? お弁当食べようよ」まどかは時計を指しながら、促すように声をかける。

「うん! あたしもうお腹ペコペコだよぉー」

「そうね」

 

さやかに続き、ほむらも机に戻り鞄の中を探る。今日の弁当はどんな出来なのか。なんとなしに楽しみにして鞄を開けると、

 

「………あら」

 

中に入っていたのは、黄色い箱に入ったブロック状の携帯食料品と、教科書類だけだった。

 

「そういえば、私はいつもコレだったわね…」

 

弁当を持ってきたことなど一度もないのに、自分は何を浮かれてしまっていたのか。軽くため息をついてほむらは黄色い箱を取り出し、既に集まって陣取っていた2人のもとへ向かった。

 

「ほむらちゃん、またカロリーメイトなの? だめだよ、身体壊しちゃうよ?」

「問題ないわ。食事なんて、栄養価さえ確保できればいいもの」

「なんでだろう…大丈夫だ、って信じたいのに全然信じられないよ。私のおかずちょっとあげるから、ほら」

 

何処かで聞いたような台詞を言いながら、弁当の具を蓋にいくつか乗せて差し出すまどか。さやかも白米を少しと、小さな梅干しを一緒にそこに乗せてきた。

 

「梅干しくらい自分で食べなさい、美樹さやか」

「何よー、梅干しは貧血にいいんだからね?」

「貴女が梅干し嫌いなだけでしょ…」

 

呆れたようにさやかを一瞥するも、まどかからの差し入れに頬をかすかに緩ませる。

嗚呼、なんてこの娘は優しいのだろうか。まるで女神のようだ。まどかのはにかむ顔を見ながら、ほむらは蓋に乗ったおかずに手をつけた。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

心地よい風が吹き抜け、湖畔の方角からはかすかに湿った土の匂いがするディールの街並みは、休日という事もあってかひと気がそこそこ多く見られる。

荒涼としながらも、トリグラフに比べれば遥かに空気が良い。エルははしゃぎながら先行して広場へと駆けて行き、ルドガーに付き添うミラの表情も、心なしか普段よりも明るいように見えた。

 

「いいところじゃない、ここ」

「気に入ったみたいだな、ミラ」

 

中央の噴水広場から街並みを見渡す。絶景と名高い渓谷の隙間から覗く乳白色の空、川魚料理に定評があり雑誌にも取り上げられるほどの食堂、名産品として古くから有名な地酒売り場など、それぞれが観光地としての賑わいを見せている。

しかしこれでも、進んでいく自然の荒廃によって魚の値段が少しずつ上がっていたり、渓谷はわずかながら磨り減っていったりなど、弊害もあるのだ。

 

「で、どこに連れて行ってくれるのかしら?」

「え、ええと…」

 

ほとんど思いつきでディールまで来たものだから、そこまで考えてはいなかった。

食事にするにはまだ早いし、この面子では酒とも無縁だ。のんびりと羽を伸ばすのには良いのだが、目立った遊覧施設があるわけでもない。

ルドガーは早速、己の無計画さを呪うこととなった。

 

「エル、イセキに行ってみたーい!」

 

うなだれるルドガーの元へ、エルが戻って来た。どこからか観光スポットを聞き出してきたようだ。

 

「遺跡? そんなものがここにあるって言うの?」ミラは半信半疑でエルに聞き返す。

「うん! 湖の方にあるんだって!」

「湖…ウプサーラ湖か。あんなところに遺跡なんてあったかな…ん?」

 

エルの提案に、僅かながら思い当たる節があるような気がした。ルドガーは頭を捻り、なんとか思い出そうとする。

脳裏に浮かんだのは、どこか遠未来的な構造をした薄暗い空洞。地下深くに埋まり、ひっそりと佇む"箱舟"。

 

「"トール"………?」

 

ほとんど無意識のうちに、ルドガーはその名を呼んでいた。

 

「うっ………ぐ、うぁぁぁぁぁ!!」

 

唐突に、頭を締め付けられるような激しい頭痛に襲われる。脂汗を額に浮かべ、呻き声を上げ、頭を抱えてルドガーは膝から崩れ落ちた。

 

「ルドガー!?」

「ちょ、ちょっと!? しっかりしなさい! どうしたっていうのよ!?」

「あ、頭が痛い……ぐぁっ…!」

 

ミラが咄嗟に身体を支えてやり、手をかざして回復術をかけてやる。しかし四大精霊の加護を失ったミラの精霊術の効果は弱体化し、回復術も専門分野ではない。ルドガーの頭痛は治まる気配がなかった。

街の往来で精霊術など使おうものなら、エレンピオス人たちの注目がいっぺんに集まる。この辺りまではアルクノアの魔の手は伸びていないだろうが、奇異の目は少なからず向けられるだろう。

 

「ミラ…! 目立つから…術を止めろ…!」頭痛に苦しみながらも、ルドガーはミラを気遣う。

「馬鹿! アナタの方が大事に決まってるでしょ!?」

 

こんな時にまでお人好しスキルを発揮して、とミラはルドガーを咎めるように怒鳴った。

その言葉を嬉しく思いながらも、ルドガーは頭痛に混じって脳裏に語りかけるような声に気付く。

 

『──────忘れるな、我らが無念を! お前の罪を! 427086もの命を、お前は───』

 

お前は、誰だ。脳裏に呼びかけ、呪詛を吐くその声の主を定めんと意識を集める。

そうして浮かんだのは、幾万もの年月を過ごし、数多の命を見守ってきた箱舟の番人の姿。

かつて、この手にかけた存在の姿だった。

 

「……オーディーン…!? どうして…ゔぅぅっ…!」

「ルドガー! しっかりして!! ルドガー!!」

 

もはや回復術でも埒があかない。ミラはルドガーの苦しさを少しでも和らげてやりたい一心で、その身体を抱きしめてやる。

 

「ミラ……ごめん…っ、うぅ…」

 

柔らかな感触に包まれる。心臓の音がかすかに聞こえ、そのリズムに身を任せるとようやく頭痛は治まりを見せた。

 

「はぁ…はぁ……もう、大丈夫だ…」

「…無理、しなくていいのよ。"あんな事"があったばっかりなんだもの」

「"あんな事"……?」

 

ミラの言葉にどこか引っかかるものを覚えるが、ルドガーはそれが何を指すのかが思い出せない。こうして気遣うように言ってくるという事は、分史世界での出来事だろうか。それとなくミラに尋ねてみる。

 

「……忘れているならその方がいいわ。大丈夫よルドガー…何があっても、私だけはアナタの味方だから」

「えっ……ミラ…?」

「好きよ…ルドガー。アナタは私が守ってあげるから、ね?」

 

柔らかな、それでいてどこか切なげな笑顔を浮かべて、ミラはより強くルドガーを抱きしめる。

子供をあやすように頭を撫でられ、ルドガーの心臓は鼓動を速める。きっと自分の顔はトマトのように真っ赤になっているのだろう、などと思いながらもミラの言葉の真意を考える。

しかし、まるでフィルターがかけられたように記憶を辿る事はできなかった。

 

「…そろそろ行きましょ。立てる?」

「あっ…ああ、問題ないよ。悪い、待たせたなエル」

「ルドガー、もう平気なの?」

「大丈夫だよ。ミラのおかげでな」

 

心配をするエルの頭をわしわしと撫で、元気付けてやる。その姿は傍目から見れば、まるで親子のようだった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

「………はぁ」

 

 

どうにも回転の悪い頭を整理するために、ほむらはひとり教室を離れて化粧室を訪れていた。

鏡面の前に立ち、冴えない自分の顔を見る。眼鏡をしないほうが評判が良いようだが、眼鏡なしではこうして鏡を見る事も難しい。

 

「…記憶が混乱しているわね。何か、大切な事を忘れている気がする…」

 

そしてその勘が間違いでなければ、以前にもこんな事があった気がする。ほむらは頭を悩ませるが、その答えは見つからない。

やむなく、蛇口を捻って手を軽く濯ぐ。用を足したわけでもないのに化粧室を出る時に手を洗ってしまうのは、何もほむらに限った話ではないだろう。

もう何度ついたかわからないため息を吐き、眼鏡を軽く直してもう一度鏡を見る。

 

「はぁ…戻らないと……えっ!?」

 

その鏡に映った姿に、ほむらは絶句した。

デコルテの強調された、丈の短い漆黒のドレスを纏い、背中からは大きな翼を生やし、白い骨格から黒い羽根を散らしている。

その姿はまるで、白鳥の湖に登場するオディール…ブラックスワンのようにも見える。

眼鏡を外し、カチューシャではなく黒いリボンを頭につけたその少女の姿は、身に纏うものこそ違えど紛れもなくほむらそのものであった。

 

「な……なによこれ!? アナタ、何なのよ!?」

 

あまりに現実離れした光景に取り乱す。しかしそれとは反対に鏡の向こうの少女は微動だにせず、真っ直ぐにほむらを見据える。

 

『思い出しなさい…!』その少女の口から、言葉が紡がれた。

『何の為にやり直したと思っているの…まだあなたは、何にも守れてないのよ…!?』

「やり直した…? あなた、誰なの…?」

『…私はあなたよ。目を覚ましなさい! 約束を、忘れてはだめよ!』

 

鏡に映る少女は必死に何かを訴えかけてくる。

だが、ほむらはその真意に気付く事ができない。訳もわからないまま、目の前の光景に立ち尽くすだけだった。

 

 

「──────ほむらちゃん?」

 

不意に、背後からまどかに呼びかけられる。身体が反射的に反応し、声のした方に振り返った。

 

「どうしたの? 鏡の前でぼーっとして…まだ、調子悪いのかな」

「ま…まどか! 今、鏡に……えっ…?」

 

異変を知らせようと鏡を指差す。しかし、ほむらが振り向いた僅かな間に黒衣の少女は鏡から姿を消し、もとの学生服を着た自分の姿が映し出されていた。

 

「消えた……?」

 

正確には、先程までとはひとつだけ差異点がある。鏡に映るほむらの左耳に、見た事もない黒いイヤリングがいつの間にか備わっていたのだ。

恐る恐る手をイヤリングに伸ばすが、感触がしない。鏡の中の自分だけがイヤリングをつけており、ほむら自身の耳にはイヤリングなどつけられていないようだ。

 

「ほむらちゃん…具合が悪いなら無理しないで?」

「! い、いえ…大丈夫よ。帰りましょう、まどか」

 

まどかは半信半疑でほむらの顔色を窺うが、ほむらはそれを無理やりはぐらかし、まどかの手を取って化粧室を後にした。

 

 

 

燃えるような夕焼け空の下を、2人で手を絡ませるように繋ぎながら歩いてゆく。周りにはひと気は一切なく、まるで2人の為に道を開けられたかのような静けさだ。

 

「こうして2人でいると、恋人同士って感じがするよね」

 

朗らかな笑顔を向け、なんの恥ずかしげもなくまどかは尋ねる。

こんなにも自信に満ちたまどかを見たのは久しぶりのような気がする。"毎日顔を合わせている"のに、ほむらは不思議とそう思ってしまう。

同時に、新たな疑問も湧いてくるのだが。

 

「ええ…私は、あなたとこうしていられる時間が、とっても好きよ」

「ほむらちゃん…ありがとう」

「でも…」前置きを入れ、ほむらは意を決してまどかに訊いてみる。

 

「本当に、私で良かったの…? どうしてまどかは、私の想いを受け入れてくれたの…?」

 

そう尋ねたほむらの声は、今のまどかとは逆に不安で満ちていた。

 

「てぃひひひ、その質問何回目? …ほむらちゃんがずっと私だけの事を想ってたこと、知ってたんだよ?ずうっとひとりぼっちで抱え込んで…誰も助けてくれなくて…それでも、ほむらちゃんは私の事を想ってくれた。それがわかった時すごく嬉しかったんだ。こんな私を本気で愛してくれる人がいたんだ、って」

「まどか……?」

「私、言ったよね? 独りぼっちになっちゃだめだよって。ほむらちゃんをもう独りになんかさせたくないの。ここに居れば、嫌な事も忘れてずっと一緒にいられるんだよ?」

 

 

まどかの言葉は、まるで暗示のようにほむらの心を溶かしていく。かすかに湧いた疑念すらも、思い出せなくなる。

それでも唯一気掛かりだったのは、やはり鏡に映った異形の姿の自分だろう。

 

 

『───まだあなたは、何にも守れてないのよ!?』

 

 

あれはただの幻なんかではない。でなければ、こんなにも胸が締め付けられる気持ちになどなりはしない。

あの言葉が何を意味するのか。もしかしたら、自分には何か他の使命があったのでないか。

 

「…ありがとう、まどか。あなたが傍にいてくれるなら、それだけで私は幸せよ」

 

そんな不安を決して表には出さず、まどかを安心させるようにほむらは告げた。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

ディールでの観光もひとしきり終え、ルドガー達はトリグラフ行きの列車に揺られていた。

夕焼け空を窓から眺め、片肘をついて一日を振り返る。

エルの目当てだった古代遺跡は数年前に地盤沈下で崩れており、立ちいる事は叶わなかったが、その他の観光は満足いく内容だったと感じる。

そのエルも、今はルドガーに寄りかかる形で眠りに就いており、その様子を向かいに座るミラが暖かい目で見守っていた。

 

「意外と楽しかったわね、ルドガー?」

「満足してくれたようで、安心だよ。…昼間は悪かったな。いきなり頭痛なんて…」

「いいのよ。疲れてたんでしょきっと」

 

くすり、と笑って場を和ませる。ミラのルドガーに対する気遣いは、以前よりも格段と増しているようにも思えた。

間も無く、トリグラフ駅に到着するアナウンスが流れる。ルドガーはエルを優しく起こし、下車の準備を始めた。

 

 

 

トリグラフで下車し、チャージブル大通りにまで戻って来ると、ちょうどクランスピア社から出てくるユリウスの姿を見つけた。

 

「兄さん! 仕事終わったのか?」と、手を振りながら声を掛ける。

「ああ、ちょうどな。今夜は一緒に食事できそうだな」

「任せてくれ、夜は俺が作るよ。ミラも食べてくか?」

「いただくわよ。ライバルの料理は研究しなきゃね?」

「ははは………」

 

 

既に日は落ち、黒匣工の光を照らす街灯へと移り変わる。ひと気は既になく、マンションフレールへの帰路につくルドガー達4人の姿があるだけだった。

妖しく光る満月を見上げ、大切な人たちに囲まれながらルドガーはふと思う。

 

 

 

(ああ、この世界はこんなにも幸せに満ちて─────あまりにも、残酷すぎる)

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

ほむらはまどかを連れて、見滝原の街並みを一望できる、花畑の広がる公園を訪れていた。

日は沈みかけ、次第に星空へと移り変わってゆく。ビルに囲まれた市街地ではよく見えないが、丘の上に面するこの公園ならば景色は一段と変わるのだ。

 

「珍しいね、ほむらちゃんが寄り道したがるなんて」

「ええ…どうしても、あなたに訊きたい事があったから」

「それって、どんな事かな」

 

不思議そうな顔をしてまどかは訊き返す。その笑顔にほむらは切り出すのをつい躊躇ってしまう。

 

『必要なのは選択だ。命を…世界を、己のすべてを賭けた"選択"だ!

お前に出来るのか! "選択"が、 "破壊"が! 答えてみろ、ほむら!!』

 

 

だが、薄れてゆく記憶の中でも胸の内にかすかに残っていた言葉を思い出し、自身を勇気付ける。

 

「私、今すごく幸せなの。あなたとこうして2人でいられて…愛し合えて。魔女も、魔法少女も、インキュベーターもいない。このまま、この幸せがずっと続けばいいな、って思うの」

「できるよ。ほむらちゃんがそう望めば、ね?」

「…でも、それじゃあダメなのよ。この世界は、あまりに幸せすぎる…でもね、私は幸せになんかなってはいけないのよ。まどかの想いを、願いを踏みにじった上で私は今ここにいる。忘れかけてたけど、思い出させてくれたのよ。鏡に映った、もうひとりの"私"がね。…だから、わかるの。

 

 

────あなたは、"まどか"じゃない」

 

その言葉と共に、ほむらは魔法少女の姿へと変身する。強い意志を込めて、目の前にいるまどかに言い放った。

まだ全てを思い出したわけではない。蓋をされた記憶を断片的に辿っただけだ。それでもこの確信に至れたのは、どんなに拭っても取り去る事のできない罪悪感のお陰だろう。

それだけの事を、かつてほむらはまどかにしてしまったのだ。

 

「………ふぅん」

 

対してまどかは、動じる様子もなく平然としている。逆に、余裕のこもった笑みを浮かべるだけだ。

しかしその笑みは、今までほむらですら見た事もない程に歪んだ感情が込められていた。

 

「どうして、わかったのかな?」

「…悪いけれど、こういう事は"初めて"じゃないのよ。それに、約束したから。"絶対に帰ってくる"ってね」

「そう…そうなんだ。ほむらちゃんはやっぱり、"そっち"の私を選ぶんだね。そうやってまた私を──────」

 

 

『見捨てるんだ』

 

 

その声は、ひとりのものではなかった。ステレオのように全方位から響き渡り、ほむらを戦慄させる。

 

「なっ……!?」

 

慄いたまま周囲を見渡すと、花畑の一面のありとあらゆる場所にまどかが立っている。ひとりではない。まどかと同じ姿をした"何か"が、立ち並んでひしめいているのだ。

 

『ダメならやり直せばいい、って思ってるかもしれないけどね』

『残された私のこと、考えたことあるのかな?』

『誰もいない、全部が滅んだ世界で私だけが残されて』

『ほむらちゃんだけが頼りだったのに。ずっとそばにいてくれるって』

『愛してくれるって、信じてたのに』

『自分勝手だよね。そうやって、何人の私を』

『見殺しにしてきたか、憶えてる?』

 

 

一斉に、まどかはほむらを罵倒し始めた。傷を抉るように、決して逃がすまいと。

 

「あ……あっ! 嫌ぁっ……!」

 

数百もの双眸が一点に集められる。射抜くように、焦がすように、冷たい視線を飛ばす。

 

『また、殺せばいいじゃない』

『いいよ、ほむらちゃんになら何度だって』

『殺されてあげる』

『そうして、もっともっと、私以外の事を考えられなくなるの』

『ああ───それはとっても、素敵なことだなって』

『思わないかな?』

 

押し潰される。一斉に吐き出される呪詛に、歪んだ感情に。身体は恐怖に震え、膝が笑い出す。冷や汗を滝のように流し、青ざめていくのが自分でもわかる。

今までまどかの為だと思って見て見ぬ振りをしてきた罪を、今この場で一気に掘り起こされているのだ。

 

「いやぁぁぁぁ! 言わないで! 言わないでぇぇぇ!!」

 

次第に正気ではいられなくなる。並の神経ならば、とうに崩壊しているかもわからない。

数多の時間遡行を繰り返し、目を背けたくなる現実を何度も味わってきたほむらだからこそ、未だかろうじて堪えているのだ。

 

「わかってるの! 私はどこまでも自分勝手で、まどかを傷つけてばかりで!! 助けたかったの…救いたかっただけなの…! 殺したくなんかない……一緒にいたいだけなの…! ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

崩れ落ち、涙でぐしゃぐしゃになった顔をを土につけながら、ただひたすら謝罪の言葉を漏らす。どれだけ乞おうと、決して赦されないのだと知りながら。

そんなほむらをさらに冷酷な目で見つめながら、"まどか"は更に言った。

 

『赦して欲しいんだ? 何度も私を見殺しにしたくせに』

『裏切ったくせに』

『いいよ、赦してあげる』

『だから、もう一度───』

『私を』

『守ってみせてよ、ほら』

 

突然に、凄まじい突風が吹き荒れる。花弁は激しく舞い散り、まどかの声も絶え絶えになる。雲を裂き、ノイズのような耳鳴りと共にソレは姿を現した。

 

 

『アハハハハハハハ……フフフ…アハハハハハハハ!! キャハハハハハハ!!』

 

 

無力を冠する、最強にして最悪の魔女。壊れた人形のように空を漂い、三日月のように裂けた口で高らかに嗤う。

 

「そんな………ワルプルギスの夜…?」

 

吹き荒れる暴風に乗り、無数の瓦礫が飛んで来る。それらは某然と膝で立つほむらにはかすりもせず、代わりに無数の"まどか"に命中する。

柘榴のように血飛沫を上げ、絹糸を裂いたような断末魔と呪いの言葉を吐きながら、次々とその命は散らされてゆく。

それを目前で見せられたほむらの精神は、ついに限界を迎えた。

 

 

「イヤ…まどかぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

砂時計を宿した盾にひびが入る。狂ったように叫び声を上げながら、ほむらの背中から小宇宙を宿した二対の巨大な黒翼が広がる。

ばさり、と禍々しい力を振りまくと共に、盾はついに粉々に砕け散った。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁぁっ!!」

 

理性を欠き、獣のような声を放ちながら、強大な魔力の塊を目前に形成する。翼はなおも大きく広がり、まるで揚羽蝶が烏の羽根を生やしたかのようなアンバランスさを見せる。

ばさり、と大きくはためかせると共に地面は激しく抉れ、周囲の大気をデタラメにかき混ぜながら、魔力の塊は宙に浮かぶ魔女───ワルプルギスの夜へと解き放たれた。

 

『キャハハハハハハ───!? ウフフ、アハ、アハハハハハハハ!』

 

内側から破裂するように、ワルプルギスの夜の身体が分断される。より一層不気味で、大きな声で叫びながら、能面のような口から夥しい量の血を吐き散らし、ゆるやかに落下していく。

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ………倒した……の…!?」

 

ほとんど無意識で放った黒翼の一撃は、過去に見たどの魔法少女の攻撃よりも間違いなく強力なものだった。

だとしても簡単すぎる。あの魔女はこんなに簡単に倒せるような相手ではない。これも、幻なのだろうか。瞬きを繰り返し、もう一度目を凝らして空を見上げてみる。

 

 

「──────ひっ」

 

 

その光景に、ほむらは声にならない声を上げた。

いつの間にか、空はまるで宇宙のように銀河が煌き、そこにゆったりと浮かぶ上半身と下半身で引き裂かれたモノは、ワルプルギスの夜などではなかった。

 

 

『ほらね………嘘吐き』

 

 

純白の長いワンピース、ほむらの翼とは対極に穢れひとつない白い翼。因果の糸のように長く伸びた桃色の髪を散らしながら、ソレは呪いを吐く。

神々しさを放ちながらも、この宇宙の何よりも禍々しい光を纏う。

それはかつて全ての魔法少女の救済を願い、神にも等しき存在へと至ったまどかの姿そのものだった。

 

 

「……はは、あははは…やっぱり私は、あなたを傷つける事しかできないのね……」

 

牙を抜かれたように、翼を生やしたままほむらは座り込んでしまう。

 

「あはは、あはははは…ふふふふ、はははは…あっははははは………」

 

歯車が切れた人形のように、壊れた舞台装置のように、ほむらは乾いた笑い声をあげ出した。

次第に、星空に亀裂が入る。甘く、残酷な夢は終わりを迎える。

その先に待っているのは…今となってはもう向き合う事すらできないであろう、我欲によって繰り返され、生み出された現実だ。

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

「いきなりどうしたのよ、ルドガー。散歩なんて柄じゃないでしょうに」

 

 

夜の帳も落ち、黒匣(ジン)の街灯も間引かれて暗くなったトリグラフ市内。マンションフレールのすぐ正面にある市民公園に、ルドガーとミラの姿があった。

ベンチに腰掛け、夜空に浮かぶ2つの月を眺めながら2人は語り合う。

 

「ああ。2人だけで話したい事があったからな」

「へぇー…なによ、もったいぶらないで早く話したら?」

「はは、そう急かすなよミラ。…夢から醒める前に、伝えなきゃいけないことがあるんだ」

「! ルドガー、あなたまさか……」

 

その問いかけにルドガーは答えない。言わずとも、優しく微笑むその姿だけでミラはルドガーが"全て"を悟ったことに気付いた。

 

「…いつ、気がついたのかしら?」

「ディールにいる時かな…頭痛の、しばらくあとだよ。この世界には兄さんがいて、エルがいて…君がいる。幸せすぎるんだよ、この世界は。それでもやっぱり忘れられないんだ。この手が、数えきれないほどの人たちの血で染まってるってことがね」

「…そんなの、私だって同じよ。私の世界で、私はマクスウェルとしての使命を果たす為にアルクノアを皆殺しにしたわ。言いたくないけど、ユリウスだって…」

「それでも、だよ。…あの時ミラの手を離してしまったこと、兄さんを、この手で殺したことだけは忘れられない…忘れちゃいけないんだ。ごめんな、ミラ。俺にもっと力があればちゃんと守れたかもしれないのに」

 

ベンチから立ち上がり、ミラと正対する。以前ミラが見た時とは違う、遥かに強い意志の込められた顔をしてみせる。

その顔を見てミラは、ようやく安心したかのように微笑んだ。

 

「いい顔してるじゃない。やっぱり、守るものがあると違うわね?」

「そう言ってもらえて、何よりだよ」

「……もう、行くの?」

「ああ。"ほむら"が待ってるからな。約束したんだ。一緒に"まどか"を守るって」

「そう…なら、私も"あの娘"みたいに呪いをかけてあげましょう」

「呪い? ミラ、何を……んっ」

 

勢いよく立ち上がり、ルドガーの肩を掴む。翡翠のような色をした前髪を手でさっと掻き上げ…唇を触れ合わせた。

時が止まったかのような静寂のなか、高まる心音だけが感じられる。別れを惜しむように、ゆっくりと柔らかな感触は離れた。

 

「っ……私はあの娘(・・・)と違って寛大なのよ。私のこと、一生憶えてなさい。それで勘弁してあげる」

「忘れたりなんかしないよ。…ありがとう、ミラ。たとえ幻だとしても、もう一度君に逢うことができてよかった。それだけで、俺はまた戦える。今度こそ…全てを守ってみせる。」

「私は、いつでもアナタを見守ってるわよ。さあ…始めましょうかしら?」

「ああ。これが最後(・・)だな……はぁっ!」

 

ミラの周囲に、膨大なマナの奔流が巻き起こる。四大精霊の加護を失い弱化こそしているが、元素を操る力でミラに敵う人間はそうはいない。

それに呼応するようにルドガーも骸殻を発動させ、ありったけのエネルギーを槍の刃先へと集約させる。

 

「来たれ! 再誕を誘う───」

「終局の雷!!」

 

共鳴し、爆発的に膨れ上がるマナの奔流は大気をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、辺りの遊具も吹き飛ばされる。

狙うはこの世界の中枢。長い夢は終わりを告げ、本当の戦いが待つ世界へと叛旗を翻す。

練り上げられたマナは空へ吸い込まれるように昇り、暗雲を裂き強烈な稲光を生み出した。

 

 

 

 

「「リバース・クルセイダー!!」」

 

 

 

空を裂き、地を穿つように巨大な稲妻が2人を中心に爆裂する。造られた世界は粉々に砕け散ってゆき、夢の終わりへと向かい始めた。

閃光に包まれるなか、最後にミラはひとつだけルドガーに言い残す。

 

 

「またね、ルドガー。頑張んなさい」

 

 

その言葉を胸に、ルドガーは長い夢からようやく目覚めた。

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

散り散りになった映画のフィルムが舞う、乳白色の魔女結界へと2人は舞い戻った。骸殻を纏ったまま、ルドガーは目を凝らして箱の魔女の姿を探そうとする。だが、それよりも前に異様なモノをルドガーは発見してしまう。

黒翼を発現した、ほむらの姿だ。

 

「ほむら…!? その羽根、まさか…」

 

またも暴走しているのか。それにしては、ほむらは微動だにせず打ちひしがれるように、地に手をついた姿勢のままだ。

自分と同様に幻影をあてられたのか。その幻影によって、なぎさのように心を揺さぶられたのか。

いずれにせよ、早急に魔女を討伐しなければほむらが危ない。ルドガーは黒槍を構え直し、宙に舞う箱の魔女の姿を捉えた。

 

「すぐに片付ける! 待ってろ、ほむら!」

 

力強く跳躍し、空を駆ける。槍を振り回し、使い魔の群れを蹴散らしながら突き進んでゆく。

高熱線が何度かルドガーめがけて飛んで来るが、同じ技を受けるほど間抜けではない。身を翻し、いくつかは槍の一撃で魔女の方へと跳ね返し、その熱線は使い魔を貫いた。

 

「キャハハハハハ!!」

 

再度、結界内は暗転しだす。魔女はフィルムを敷き詰めてもう一度幻影を見せようと態勢を整えた。

しかし、視界が暗くなろうとルドガーの脚は止まらない。

 

「逃がすかぁぁぁ!! マター・デストラクトォォ!!」

 

投げつけた一本の槍を起点に、追撃を重ねる。使い魔の群れを粉微塵にしながら距離を詰め、ついにルドガーの槍は箱の魔女の本体へと突き刺さった。

 

「キャハ、ハ、アハハハ!?」

「…だめだ、足りない…!」

 

だが、その一撃は魔女に止めを刺すには至らなかった。使い魔の群れによって勢いが削られて

半端に突き刺さった槍をそのままに、魔女はさらに羽ばたいて上昇して逃げようとする。

 

「くそっ…逃げるなぁ!!」

 

奥歯を噛み締め、今一歩届かなかった悔しさと危機感を抱く。早く倒さなければみんなが危ない。焦りを胸にしたまま、再度槍を造り出して追撃をしようと試みる。

だが、その必要はなかった。

 

 

「アハハハハハ──────ハッ!?」

 

 

まるで風船が割れるかのように、突然箱の魔女は内部から破裂したのだ。

 

「えっ……まさか!?」

 

即座に振り返り、ルドガーは遥か下方にいるほむらの姿を確認する。先程までへたり込んでいたが、今は立ち上がって翼をゆったりとはためかせ、左手をこちらへとかざしていた。

魔女の爆裂死と共に、結界の構成が崩れてゆく。このままならもとの世界へと戻るだけなのだが、ルドガーの懸念は他のところにあった。

即ちそれは、黒翼の暴走。工場内にいる人間全員の身が脅かされる、最悪の事態だった。

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

魔女結界からは、無事に全員が戻る事ができた。まどかとマミは共に工場の隅におり、他の被害者たちもその付近に寝転がされている。

それとはさらに離れたところに、骸殻を解いたばかりのルドガーと翼を生やしたままのほむらがいた。

 

「……………」

 

魔女を倒したのも束の間、ほむらは一言も喋らずに立ち尽くすだけだ。ルドガーは少しだけ距離をおいた場所からほむらの動向を窺い、必要ならば止める用意をしている。

当然、ほむらの身の丈の何倍もの大きさの黒翼は大きく離れたまどか達の視界にも映り、その存在感を前面に押し出す。

 

「ほむら……ちゃん………」

 

身震いを憶えながら、か細い声でその名を呼ぶ。ルドガーには聞こえなかったその声はしかし、ほむらの耳だけには届いたようで、その声を聞いた途端にびくん、と全身を緊張させた。

 

「まどか……!?」

 

畏れるように、逃げるように、翼を広げたままほむらは後ずさる。ばきばき、と大きな音を立てて工場内の物品は羽根によって破壊されてゆく。

ついには外壁にすら損傷を加え、工場内を大きく揺らした。

 

「薔薇園の魔女の時と同じよ…このまま放っておけば、ここが潰れるわ!」

 

マミは被害者たちを心配しながら言うが、もはや自分の力など黒翼を広げたほむらには遠く及ばない事を知っている。

何もできず、地団駄を踏むことしかできずにいた。

しかし、まどかは思う。ああなってしまったほむらを止められるのは、自分だけなのだと。

意を決し、まどかは揺れる工場内のなか足を踏ん張りほむらのもとへ駆け出した。

 

「やめろまどか!! 危険過ぎる! 俺が止めるから───」

 

ルドガーも、今度ばかりは本当に危機感を抱いており、必死の形相でまどかに叫んだ。

 

「私じゃなきゃ、ダメなんです!!」

 

だが、まどかの足は止まらない。ルドガーの静止も聞かず、どんどんほむらとの距離を詰めてゆく。

ほむらもまどかから逃れようとしているのかさらに後ずさるが、ついに壁面へと突き当たり足を止めてしまう。

もう数歩先まで近づいたとき、ほむらはうわ言のように呟き出した。

 

「こないで…! わたしは…もう守れないの…! ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

その姿は、あまりに哀れなものだった。自分の無力さを呪い、身勝手さを呪い…ただひたすらに赦しを乞う。

自分の目の前にいるのがいったい"誰"なのかすら直視しようともせず、言葉を繰り返す。

 

「ほむらちゃん!! 逃げないでよ!!」

 

恐らく人生で初めて、まどかは誰かに対して大きな声でまくし立てた。後ずさるほむらを逃がすまいとして、だ。

びくり、と肩を震わせてほむらはその場にへたり込む。翼はさらに外壁を抉り地面を揺らすが、もはやまどかはその程度では動じなかった。

ほむらを優しく包み込むように、手を伸ばす。しゃがみ込み、身体を預けるように強く抱きしめた。

 

「あっ………まどか……!?」

「…言ったよね、伝えなきゃいけないことがあるって。聞いてくれるかな」

 

その返事を待つまでもなく、両手をほむらの頬に添える。少し低めの平熱を手のひらに感じ、青ざめながらも艶のある唇を見る。

ゆっくりと、自分の感情を全て込めて…唇を重ね合わせた。

 

「んっ……!?」

 

突然のことに、ほむらは硬直する。そのまましっかりと離さぬように、まどかはさらに身体を密着させた。

その様子をルドガーとマミは遠くから見守る。言いたいことはいくつもあったが、今の2人に割って入る度胸などありはしなかった。

ほんの僅かな時しか経っていないのに、時の流れが永遠のように長く感じられる。触れ合うだけの幼い口づけだが、まどかにとっては何よりも尊い儀式のように感じられた。

名残惜しそうに唇を離し、まどかは改めてほむらに告げた。

 

 

「…私ね、ほむらちゃんのことが好き。大好きなの。初めて逢った時から…ううん、きっと出逢う前からかな。女の子同士なのに、どうかしてるよね……私。でも、お互い様なんだからね? ほむらちゃんの気持ちなんて、とっくに気付いてたんだから…!」

「まどか……うそ、うそよそんなの… だって私はまどかを傷つけてばかりで……」

「そんな事ないもん! ほむらちゃんはいつも優しくて、あったかくて、綺麗で……私なんかの為に、何度も傷付いて……! 夢の中でだってそうだよ。あれはきっと、この"私"じゃない他の"私"の事なんだよね…? でも、そんな事関係ない。お願いだよ、ほむらちゃん…私だけを見てよ! 他の"私"なんて見ないで! ずっと私のそばにいてよ……!」

 

それが、まどかの選択だった。己の全てを賭けた選択。その強い意志はほむらの心を揺り動かし、まどかと向き合わさせた。

それに呼応するように黒翼は砕け、花弁のように散ってゆく。

 

「まどかぁ………わたし、も………」

 

まどかの想いに、絞り出すような声で応える。既に限界まですり減っていた神経はようやく緊張の糸が解れ始める。

最愛の人に身を委ねながら、ほむらは深い眠りへとついた。

一安心したルドガーとマミも、2人のもとへ駆け寄る。なぎさの時と同様の懸念を抱いたルドガーは、ついさっき採ったばかりの箱のグリーフシードを手にしていた。

 

「落ち着いたようだな…すぐに浄化しないと」

「ルドガーさん……お願いします」

 

まどかも、ソウルジェムの宿ったほむらの左手を握ってルドガーの前に運ぶ。箱のグリーフシードを左手の痣にあてて穢れを吸わせようとする。

しかし、グリーフシードはいくら待っても穢れを吸い取ろうとはしなかった。

 

「…どうなってるんだ。穢れてないのか…?」

 

そんな筈はない。魔力容量ならまだしも、精神攻撃を受けたならばなぎさのように穢れが蓄積していてもおかしくはない。何もない方が不自然なのだ。

ほむらの左手の痣に触れてみる。すると、ルドガーの持つ懐中時計が金切り音を鳴らし、それに反応したかのように痣から宝石が露わになる。

 

「………なんだこれは!? ソウルジェムじゃない! なんなんだ…!?」

 

現出した宝石は、以前見た紫の輝きを宿すものとは大きく異なっていた。どこまでも深く暗い色に染まり、黒の縁取りによって飾られている。

 

「これが………こんなものが、ほむらの魂なのか…!?」

 

まさに魔性の輝きを放つソレは、人間の感情の際たるものを表す。希望よりも熱く、絶望よりも深いモノ。

 

 

 

───少女はかつてソレを、"愛"と呼んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:4 ひび割れた願い、儚き想い
第13話「アタシがぶっ潰してやるだけさ」


1.

 

 

 

 

 

 

星空の下、強風吹き荒ぶ送電線の鉄塔の頂上に2つの影が見える。ひとつは小動物のような見た目をした、兎とも猫ともつかない姿をした生き物───キュゥべえ。

 

『まさか、君が直々にこの街にやって来るとはね……』

 

対してもうひとつの影は、燃える炎のように真っ赤な長髪をした少女。パーカーにデニムのショートパンツといった出で立ちであるにも関わらず、寒さなど感じていないかのように落ち着き払っている。

少女は街を一望できる高さから双眼鏡を使い、遥か遠くにそびえる古びた工場を見る。

 

「マミの奴が腑抜けになっちまったって言うから代わりに出向いてやったのに…なんだよアレ、話が違うじゃねえのさ」

『アレに関しては僕達も調査を進めているところさ。何しろ、前例がないからね』

「ふぅん……」

 

少女は反対の手に持っていたクレープにかぶりつき、むしゃむしゃと音を立てて頬張り始める。

 

「結局、アレは何なのさ。魔法少女なの? それとも…魔女なわけ?」

『魔女に近い何か、ではあるみたいだけどね。ただの魔法少女ではない事だけは確かさ。彼女の固有能力は僕達の想像を遥かに上回っているからね』

「ハッキリしねえなぁ……なんかヘンな野郎もいるみたいだし…ああムカつく! …ま、んなこたどうでもいいか」

 

一気にクレープをかき込み、ぺろりと口の周りのクリームを舐めとる。牙のような八重歯が、かすかに見え隠れした。

赤髪を翻し、工場を指差して少女は嗤う。その指の差した工場からは、外壁を突き破って得体の知れない黒いエネルギーが顕出しているところだった。

 

『アレを、どうする気なんだい? ───佐倉杏子』

「決まってんだろ、そんな事。同じ街に魔法少女は3人もいらねえだろ?」

 

にやり、と八重歯を見せるようにほくそ笑みながら赤髪の少女、佐倉杏子は答えた。

 

「アレが魔女だろうと魔法少女だろうと関係ない。全部まとめて、アタシがぶっ潰してやるだけさ」

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

相も変わらず無駄なものが置かれておらず、シンプルな造りをした狭い寝室に寝息をたてるほむらの姿があった。

箱の魔女による集団自殺の誘導から一晩明けた朝、時計の針は既に正午を廻っている。

土曜日とはいえ、本来ならば午前中の授業が終わるような時間なのだが、昨日の今日だ。ほむらは疲れ果て、未だ起きる様子はない。むしろ、少しうなされているようにも見える。

それに対して台所の方からは蕩けるような野菜の香りが流れてきて、かちゃかちゃと手際良く食器を運ぶ音が聞こえる。こんな時でも規則正しく目を覚まし、きちんと動く事ができるのは長旅で培った体力のおかげか、或いは主夫であるが故か。

 

「まだ目を覚まさないか……」

 

野菜スープを仕込み終わったルドガーは、ほむらの寝室の扉をほんの少しだけ開けて様子を見る。

やはり年頃の少女兼家主の部屋に入り込むのは気が引けてしまい、覗き込む程度になってしまうがそれだけでもほむらの様子は窺える。

まどかの身を呈した説得によってほむらの暴走は事なきを得たものの、工場は半壊状態になってしまった。

やむなくルドガー達は被害者たちを安全な場所に運び出した上で警察を呼び、その場から姿を眩ませた。

まどかはほむらを心配して家までついて来ようとしていたが、「親に怒られるだろう」とたしなめて、マミに見送りを頼んで帰らせたのだ。

そのままルドガーはほむらを背負って帰宅し、現在に至る。

 

「うぅ……」

 

何度目かの、ほむらのうなされる声が聞こえてくる。かけられた布団のなかでもぞもぞと動き、もがいているようにも見える。

少し心配になったルドガーは、扉を大きく開けてベッドの近くまで様子を見にきた。

 

「ほむら…大丈夫か!?」

 

声をかけるものの、やはり反応はない。眉間にしわを寄せた表情で、苦しそうにしている。

次第に、絞り出すような声で寝言らしき言葉を呟き始めた。

 

 

「…えん、かん……の………こと…わり………」

「えっ……?」

 

しかし、その意味をルドガーは理解できない。だが、何かひどく重要なキーワードのような予感はする。その言葉を忘れないように意識すると、さらに言葉は続く。

 

「…………まど、か………」

「!」

 

その言葉を聞いて、ルドガーは予想する。過去にまどかを救えなかった事を、悪夢として見ているのか、と。

手近にあったハンドタオルで額の汗を拭ってやりながら判断に迷う。無理矢理揺り起こした方がいいのか、あるいは寝かせたままにするべきか。

少し悩んで、ルドガーはほむらを起こす事に決める。

 

「ほむら、ほむら! 大丈夫か!」

 

肩を揺さぶり、少し強めに声を掛ける。しばらく繰り返すうちに、眠り姫は唐突にはっ、として目を見開いた。

 

「……こ、こは…?」

「目が覚めたか…ひどくうなされてたぞ」

「ルドガー…? そうだ……私は、魔女を倒して……それから…?」

「無理するな、まだ調子が戻ってないだろ? 食事の用意ができてるから、まずは食べてからにしよう」

「ええ………ありがとう…」

 

目を覚ましたほむらは、どこか少しだけ気弱に見えた。

無理もないだろう。何しろ昨夜の相手はなぎさを絶望に追いやった程の強力な魔女。ルドガーの見た幻影はなぜか危害を加えようとはしなかったが、本来ならばなぎさのように追い詰められていてもおかしくはないはずなのだ。

ほむらには未だ精神的なダメージが残っているのかも知れない。もっとも、ルドガーにはその幻影がなんだったのかを知る術はないのだが。

 

(それにしては……あの魔女は俺の事をよく知っていた。…知り過ぎな位に)

 

わざわざミラの幻影を拵えるあたり、ルドガーのウィークポイントをよく知っているということになる。

あるいは思考を読んだのか。それにしては、あのエレンピオスの街並みはあまりに精巧だったように思える。

恐らくは人の弱みに漬け込んで、一気に絶望に突き落とす類の罠だったのだろう。だが、だとしたらあの幻影のなかのミラはどうしてルドガーに敵意を見せなかったのか。

むしろ、支えようとしてくれた。拭っても拭いきれない罪悪感によって記憶を取り戻し、偽りの世界から抜け出ようとするルドガーを止めるでもなく、送り出してくれた。

 

(まさか、あのミラは幻影じゃなくて………そんなわけないか)

 

わずかに期待を抱くが、すぐにそれを振り払う。それこそあの箱の魔女の思う壺かもしれない。

気を取り直し、台所に向かい食事の準備にとりかかる。鍋にもう一度火をかけたとき、ピンポン、と不意に来訪者を告げるチャイムの音が部屋に響いた。

 

「誰だ……?」

 

 

中火にしかけたコンロを弱火に戻してから、玄関に向かう。ドアスコープから外を覗くと、扉の前には見慣れた桃色の髪の少女が息を切らして立っていた。その傍らにはさらに、青髪の少女の姿も見える。さやかの方はまどかと比べて体力が多いせいか落ち着いて見える。

とっさに鍵を開け、2人を招き入れる。まどかは開口一番落ち着きのない表情で、

 

「はぁ…はぁ……ほむらちゃんは…?」と尋ねてきた。

「あ、ああ。ちょうど今目を覚ましたところだよ。…走ってきたのか?」

「はい……心配で……」

「顔色が悪いぞ…上がってくれ、飲み物を出すよ」

 

まどかの顔色は、少し青ざめて唇の色も薄く見えた。恐らく午前中で学校が終わり走ってきたせいで、軽い脱水症になりかけているのだろう、と当たりをつける。

冷蔵庫に買い置きのスポーツドリンクがあったのを思い出し、すぐにルドガーは準備にかかった。

招き入れられたまどかは少しふらつきながらほむらの家に上がり、さやかも後ろからまどかを気にかけながらついてくる。

 

「飛ばしすぎだよ、まどか。あんた普段運動なんかしてないくせに…ご飯だって食べてないのに、身体壊すよ?」

「さやかちゃん……ごめんね…」

「まあ、いいよ。あたしもたまにはいい運動になったし」

 

基礎体力の差はここにきて露わになっていた。もともと活発なさやかは、少しくたびれてはいるようだがまだ余裕があり、顔色も優れている。

それでも、まどかをここまで不安に駆り立てたのはやはりほむらの存在が大きいのだろう。

2人は揃ってふぅ、とため息をつきながらちゃぶ台の周りに腰を下ろした。

 

「とりあえず水分補給だ。食事を食べてないなら、少し食べてくか?」

 

ルドガーはちゃぶ台の上にスポーツドリンクの注がれたコップを並べながら、2人に尋ねる。

 

「いいんですか? うわぁ、ルドガーさんの料理とか久しぶりだなぁ〜」

「さやかちゃん…嬉しそうだね?」

「そりゃあ、ルドガーさんの料理おいしかったからねぇ」

「はは…ありがとな、さやか。あいにく、大したものじゃないんだけど……」

「そんな事ないですよぉ! なんかすっごいいい匂いしますし」

 

ルドガーが作った野菜スープは、エルやジュード達も絶賛してくれたほどの逸品であり、かつてのミラの得意料理でもあった。

ほむらの体調を気遣って作ったのもあるが、幻影の中でミラとの最期の約束を振り返ったこともある。

 

『ごめん……アナタがつくってあげて…』

 

彼女もまた、エルを守るために自ら手を離し次元の狭間に墜ちていったのだ。今となってはもうエルにスープを作ってやることは叶わないが、少女たちが笑顔になってくれるのならば腕の振るい甲斐があるというものだ。

まどかとさやかの分の皿を出してスープを注いでやろうとすると、静かに寝室の扉が開く音がしてきた。ようやく、ほむらも起き上がることができたようだ。

ふらつきながらも、ほむらはリビングまで歩いて来る。ちゃぶ台の側の2つの人影を見つけると、俯いた表情が瞬く間に変化した。

 

「まどか……!? どうして…」

「ほむらちゃん!」

 

まどかの方もほむらの姿を捉えると、先程まで無理な運動で疲れていた顔がぱっ、と明るくなる。すぐさま立ち上がり、ほむらの元へ駆け寄ってゆく。

 

「よかった……もう大丈夫なの?」

「ええ、なんとかね……」

「そっかぁ………」

 

疲れなど吹き飛んでしまったかのように喜々として笑顔を向ける。その顔を見たほむらは、急に身体を緊張で強張らせて視線を背けてしまった。

心なしか、頬がほんのり赤みを帯びているようにも見える。そのほむらをからかうように、さやかは横槍を入れる。

 

「まどかってば学校でもそわそわしっ放しでさ、終わってすぐダッシュでここまで来たんだよ? よっぽどほむらの事が心配だったんだねぇ。これぞ愛の力、っての?」

「…貴女は相変わらずのようね、さやか」

「まあねー…でも、心配だったのはホントだよ。魔女にやられた、って聞いたからさ…相手、なぎさちゃんをやった奴だったんだって?」

「ええ。百江なぎさを絶望へと追いやった使い魔の本体だったわ。…私も、ひどいモノを見せられたわ」

 

くたびれたようなほむらの言い回しに不安を感じたまどかは、そっとほむらの両手をとる。

 

「ほむらちゃん……私、本当に心配だったんだからね…? また黒い羽根を出して、今度こそどこかに行っちゃうんじゃないか…って」

「…ごめんなさい、心配かけたのね。あなたを置いて行ったりなんかしないわよ…信じて」

「そっか……てぃひひ、ありがと」

 

まどかに手を引かれながら、ほむらもちゃぶ台のそばに座り込む。顔色のやや良くない2人が並び、その向かいに当たる形で健康な2人も腰を下ろした。

すでにちゃぶ台の上にはスープが4つ注がれており、トーストも仕込まれている。相変わらずの手際の良さにさやかは、

 

(うーん…一家に一台ルドガーさん…いいなぁ)

 

などと不躾なことを考えているのだった。

 

「さあ、食べてくれ」

 

ルドガーの合図と共に、各自はスプーンをとりスープを口に運ぶ。家に帰れば、父・知久が昼食を用意しているであろうまどかはトーストを断り、ほむらとさやかはジャムを取り合いながらトーストに塗ってゆく。

その様子を微笑ましく見守りながら、ルドガーもまた自分の作ったスープの味を確かめるように飲んでゆく。

 

「ねえ…ほむらちゃん」かちゃり、とスプーンを皿に置いてまどかは尋ねる。

「昨日の夜、私が言ったこと………憶えてるかな?」

「昨日……?」

 

ほむらは一瞬だけ身体を強張らせる。ルドガーは隣で聞きながら、まどかの真意をその言葉から推し量る。

黒翼を広げたほむらに対してまどかが言い放った台詞、とった行動。それはまさしく、"告白"と呼ぶに相応しいものであった。

残念ながら過去のルドガーの周辺には、同性間でそういった関係にある知人は1人もおらず、理解がイマイチ追いついていないのだが。

しかし、それに対してほむらは予想だにしない答えを出す。

 

「………ごめんなさい、記憶が曖昧で…憶えてないの」

「えっ……?」

「魔女の攻撃を受けて…気が付いたら家で寝かされてたの。ごめんなさい…」

「う、ううん! いいんだよそんな…仕方ないよね、すごく強い魔女だったもんね」

 

苦笑いをして、ほむらを気遣わせないようにしているのは傍目から見ても明らかであった。当事者でないさやかだけはピンとこない顔をしていたが、ルドガーはそれを苦い顔をして見ている。

 

(ほむら…………どうして…?)

 

それを気取られないように気をつけながら、焼きたてのトーストを口に運んだ。

 

 

(どうして、そんな嘘をつく必要があるんだ………?)

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

「なんかすいません…スープまでご馳走になった上に、送ってもらっちゃって…」

 

暁美家での軽食を終えて、まどかは昨日と同様にルドガーと共に自宅まで送られていた。

ほむらの方は、逆にさやかを見送っている最中であり現在姿はない。

組み合わせが逆ではないのか、とルドガーは歩きながら疑問符を浮かべる。やはり今日のほむらは、まどかを避けているようにも見える。

 

(あの黒い宝石と関係があるのか……?)

 

幻影空間から帰還して、ルドガーはほむらのソウルジェムを浄化しようとしたものの、その時現れたのは全く別のものだった。

ソウルジェムではない。グリーフシードでもない。あれはもっと他の禍々しい…それでいて、吸い込まれそうな程に純粋な漆黒に染まった何かだった。

そしてそれを、まどかも目撃してしまっている。

 

「……昨日のことなんですけど」

「どうしたんだ?」

「ほむらちゃんのソウルジェム、どうなっちゃったんですかね…まさか、本当に魔女になったり……」

「それはないよ。あれはいつも通りのほむらだった。それに、グリーフシードかどうかぐらい俺でも判別できる」

「でも、不安なんです……私、ほむらちゃんがいなくなったら…ホントにダメになっちゃう。自分でもわかるんです。きっと私、ほむらちゃんの為なら契約だってしちゃうかもしれない。たとえ、世界が滅んじゃうとしても…それくらい、好きなんです。………あは、私ったら何言ってるのかな…こんな事言ったらほむらちゃんに怒られちゃいますよね…」

 

ほむらの前では明るく振舞っていたものの、いざいなくなると表情は暗くなってしまった。

ルドガーが何かと相談しやすい、頼りになるタイプの人間だからこそこんな風に弱い面を見せることができたのかもしれない。

 

「……やっぱり、気持ち悪いですか?」どこか震えたような声で、まどかはルドガーに訊く。

「女の子同士なのに、こんなの…おかしいですよね、やっぱり」

「俺は、そうは思わないけどな?」

「えっ…?」

「だって、ほむらが女の子だから好きになったわけじゃないんだろ? 例えば…ほむらが男だとしても、気持ちは変わらないんじゃないのか?」

「それは……そうですけど……」

「なら女の子同士だとか、そんなのは関係ないんじゃないか? …俺も、ほむらの近くにいたからなんとなくわかるんだ。ほむらもきっと、まどかの事をそういう風に感じてるんだと思う」

「そうなのかな……ほむらちゃんも、私の事を……」

 

そうだといいな、と小さな声でまどかは呟く。まだ幼いのに、こんなにも重い現実を背負ってしまっている少女たちを見ていてルドガーも気が気でない。

本当ならばみんな笑顔で過ごす権利があるはずなのに、どうしてこうもままならないのか。問題は次から次へと振ってかかり、少女たちに休息を与えてくれないのだ。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

時同じくして、まどかの家の方角とは逸れた川沿いの道を2人の少女の影が闊歩していた。ほむらと、さやかである。

 

「まどかについて行かなくてよかったの? そりゃあルドガーさんは強いし、頼りになるけど…」

「…私じゃ、ダメなのよ」

 

ほむらもまた、まどかの前で気丈さを装っていたが、こうして2人になると途端にネガティブな思考に囚われてしまう。

そういった面をさやかには隠すでもなく見せている、という点ではさやかを信頼しているという事なのだが。

 

「何がダメなのよ? …まさか、魔女に見せられたっていう幻覚のせい? あんた…何を見せられたってのよ」

「…まどかが、死んでしまう場面をよ」

 

絞り出すような声で、ほむらは答える。長い髪に隠れて見えづらいが、瞼が濡れているようにも見えた。

 

「………さやか、まどかには私の魔法の事はもう話したのかしら…?」

「う、ううん…まだ話してないけど…」

「絶対に言わないでちょうだい…これ以上、まどかを傷つけたくないの……」

「傷つけるって…何がよ? あんた、まどかの為に今まで頑張ってきたんでしょ…?」

「…………」

 

ほむらは言葉を返さなかった。代わりに、首を横に振ってみせる。しかしその真意を、さやかには読み取る事はできない。

 

「……ダメなのよ…私は、またきっとまどかを傷つけてしまう。もう守りきれる自信がないのよ…」

「ほむら……あんたまさか…!? ちょっと、ソウルジェム見せなさいよ!」

 

やたらとネガティブな言葉しか吐かないほむらに、さやかはなぎさの時と同じ予感をする。魔女の幻覚がまだ抜け切っていないのか、と。

ほむらは一瞬だけ躊躇ったが、意を決して左手を差し出し、痣の中から命を宿した宝石を取り出す。

現れたのは、やはり先日と同様のモノである。

 

「きゃっ!? あんたこれ真っ黒じゃないのよ!? 早く浄化しないと!」

「…無駄よ、もう試したの。グリーフシードをあてても、穢れはとれなかった…いいえ、これはきっと穢れなんかじゃない。私の薄汚い心が、コレに現れてるんだと思うわ……幸いなことに、魔女になる気配はないけれど」

「そんなことってあるの…!? それに、薄汚いって…」

 

黒い宝石とほむらの顔を交互に見比べながら、さやかはほむらの真意を確かめようとする。だが、ほむらがその問いかけに答えることはなかった。

だんまりを決め込むほむらに対して、次第に苛立ちが湧いてくる。どうして、この娘はこうも意地っ張りで1人で何でも抱え込んでしまうのか、と。

 

「……あーもう! しっかりしなさいよほむら! あんたがまどかを守んなかったら誰が守るのよ!? まどかの事愛してるんじゃなかったの!? なら、最後まで守んなさいよ!」

「さやか………」

「あんたが守れないなら…あたしが契約して代わりに守るよ!?」

「そ…それはダメよ! 契約なんてしたら……」

「わかってるって、だからそれは最後の手段。…あたしだって、守られっぱなしは嫌なんだよ? まどかはもっとだ。毎回毎回、あの娘がどんな気持ちであんたを待ってるのかわかる?」

「………わかってるわよ、そんなの…!」

 

語尾をやや荒げてほむらは答える。ようやく表情が動き出したほむらの顔を、少しほっとした風にさやかは見つめていた。

 

『───大変だよ、ほむら!』

 

そこに、相変わらず空気を読むという事をしらない白い獣が現れる。大仰そうに言ってはいるが、どこか事務的な声色をしているのは気のせいではないのだろう。

 

『まどかが襲われてるんだ! どうやら君の居所を探っているようなんだけど…』

「なんですって…!? ルドガーは!?」

『今戦ってるよ。けれど、相手は"あの"佐倉杏子だ。いつまで保つか…』

「杏子が…?」

 

聞き覚えのある名前に反応を示すが、行動の意味までは理解しきれなかった。何故なら、ほむらの知る"佐倉杏子"は、まどかに危害を加えようとしたことは今までなかったからだ。

 

「 …ほら、行ってきなよ」

 

ぽん、とさやかが軽く背中を叩いてくる。

 

「あたしは1人で帰れるからさ、早く行きなって」

「さやか………ありがとう」

 

背中を押され、ほむらは再び勇気を出して宝石を輝かせる。黒い宝石はその禍々しい見た目とは裏腹に、とても暖かく優しい光を放った。

魔法少女の衣装を纏い、自身に備わっているものが黒い羽根ではなく、円盤型の装置であることを確かめて安堵する。

 

「行ってくるわ」

 

ただ一言だけさやかに言い残し踵を返し、常人外れの脚力を発揮して、瞬く間に駆けていった。

 

 

「…ほんと世話が焼けるねぇ、あの2人は」

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

「…………!」

 

不意に、背後に何かの気配を感じ取る。手慣れてはいるようだが、気配を隠しきれていない…或いは、わざと感じさせているのか。

周囲は広く開けており、まどかの家ももう数分で見えてくる。まどかとルドガー、どちらをつけているのかはわからないが警戒心を固め、ぴたりと足を止める。

 

「…ルドガーさん?」

「───コソコソしていないで、出てきたらどうだ!?」

 

 

背後にいるであろう何者かにもよく聞こえるように、大きな声でルドガーは叫んだ。いきなりの行動にまどかは驚きを隠せないが、すぐにその意味を知ることになる。

 

「…………へぇ。やっぱりアンタ、素人じゃないみてぇだな」

 

聞こえてきたのは、少女の声だ。恐らくまどかやほむらと大差ない年齢であろう。

声の主は気付かれたことも想定内であるかのように、余裕たっぷりの声色で近づいてくる。振り返って姿を捉えた先にはいつの間にか、真紅に染まった長い髪をした軽快な格好の娘が佇んでいた。

少女相手に使うこともないだろうが、銃をいつでも取り出せるように準備をする。

 

「…俺たちに用があるみたいだな」

「わかってんなら話が早い。けど、アタシが用があんのはアンタじゃない…そっちの娘さ。わざわざここで待っててやってたんだ。野郎はすっこんでな」

「わ、私…?」と、指を差されたまどかは狼狽える。

「そう、アンタだ…暁美ほむらはどこにいる?」

「えっ……ほむらちゃん…?」

 

棒付きの飴を舐めながら、獲物を捉えたライオンのような視線を飛ばし、悠然として尋ねてくる。その仕草ひとつ取っても、"ただの少女ではない"ことだけは一目瞭然だった。

 

「答えるな、まどか」敵意のこもった視線を、ルドガーはまどかの前に立ち塞がって遮る。

「あれは魔法少女だ。……ほむらに何の用だ?」

「アンタには関係ない。魔法少女でもないくせに首突っ込んでくるんじゃねえよ」

「悪いな、それはできない。みんなを守ると約束してるからな」

 

ガリ、とわざとらしく音を立てて飴を噛み砕き、棒を吐き捨ててみせる。牙のような八重歯を見せながら嗤い、少女は続ける。

 

「野郎が調子乗りやがって……まあいい。どうしても吐かねぇなら、その娘を人質にすりゃあいいだけの話なんだからな!」

 

指輪のはまった左手を翳し、少女は光に包まれた。紅のノースリーブと、動きやすさを兼ね備えたドレスのような衣装を瞬時に纏い、シンプルな見た目の槍を一振り携える。

襟元には少女の色を象徴した宝石が宿り、まばゆい紅色に輝きをみせている。

変身を終えると同時に少女はまどかめがけて急接近を始める。咄嗟にルドガーは銃を抜き、威嚇射撃を行った。

 

「ちっ……タイドバレット!!」

 

銃口から放たれたエネルギーはコンクリートを抉りながらルドガー達を取り囲むように水飛沫をつくり、少女の接近を拒んだ。

 

「ああ!? 何の手品だそりゃ!」

 

驚きながらも少女は槍をくるくる振り回し、隙を窺う。

 

「まどかは無関係だろう! どうして狙う必要がある!?」

「決まってんだろ? 暁美ほむらはその娘のことをやたら大事にしてるらしいからなぁ? それが嫌なら早く暁美ほむらを呼びな!」

 

赤髪の少女が槍を構え直すと、シンプルな構造に見えたソレは無数の節に分かれ、鎖のように変化した。多節棍と化した槍を大きく振るい、鞭のように叩きつけてくる。

 

「まどか、下がれ! 危険だ!!」

「は…はいっ!」

 

ルドガーはまどかを巻き込まないように気を配りながら、多節槍に向かってエネルギー弾を放つ。幾分かは軌道が逸れたものの、槍の先端は意志を持っているかのようにルドガーへと向かってきた。

銃では埒があかない、と瞬時に武器を持ち替える。新たにほむらの武器庫から借り受けた、折り畳み式の十手を逆手に持ち、アローサルオーブに最適化させる。

 

「刺宴ッ!!」

 

十手で高速の時雨突きを繰り出し、激しい金属音を奏でながら槍を迎撃する。必殺の一撃を迎え撃たれたことに少女は驚くも、手を休めない。

 

「やるじゃん、ならコイツはどうよ!!」

 

槍を地面に穿ち、衝撃波を伴いながら地中から無数の槍を生やす。

ルドガーは咄嗟に飛び上がって回避するが、少女はそれを読んでいたかのように同時に飛び上がり、多節槍をしならせ、空中でルドガーを捕縛せんとする。

 

「当たるか、紅蓮翔舞!!」

 

多節槍の攻撃に対して、十手に炎を宿らせながら空を切ってさらに高く飛ぶ。その打撃で多節槍を迎え打ち、軌道を大きく逸らした。

 

「なっ………テメェ!?」

 

ルドガーの奇抜な戦闘スタイルに、少女はようやく焦りを覚えた。そのままルドガーは十手に光のエネルギーを纏わせながら、槍の根元めがけて叩きつけんと殴りかかる。

 

「轟臥衝ッ!!」

 

したたかに槍だけを打ち、少女の手元から大きく吹き飛ばす。持ち主の手元から離れた多節槍は、空中でバラバラに解体されながら落ちて行った。

 

「チッ……!」

 

そのまま、2人は体勢を整えながら距離を開いて着地する。ルドガーは十手をもう一度銃に持ち替え、少女は新たな槍をつくり、手元で遊ばせながら対峙した。

 

「アンタ、魔法少女でもねえのになかなかやるじゃねえの。最近はマミみてえに骨のある奴がいなかったけど…潰し甲斐があるねぇ」

「俺はできれば戦いたくないんだけどな……」

「へっ、よく言うぜ。ケチケチしてねぇで、もうちょっと付き合え──────」

 

 

ぴたり、と少女は言葉を言いかけて固まる。口の動きだけじゃない。振り回していた槍も中途半端な位置で静止していた。

木々のざわめきも、車の排気音も、何も聞こえない。周りを見渡せば、まどかまでもが固まっていた。

 

「時間停止……!」

「間に合ったようね、ルドガー」

「ほむらか!」

 

赤髪の少女の後方から、駆け足でほむらが追いつく。砂時計をせき止めたままルドガーの近くまで寄り、赤髪の少女を一瞥する。

 

「この娘はなんなんだ? ほむらを探していたようなんだけど…」

「佐倉杏子。マミと同じ、ベテランの魔法少女よ。狙いは…だいたい察しがつくわ。大方キュゥべえに、"私が魔女だ"とでも吹き込まれたんでしょう」

「そんなの、誤解じゃないか!」

「否定はできないわよ……ソウルジェムが、こんな風になってしまったらね。とにかく今は逃げましょう。まどかを巻き込みたくはないわ」

 

言うとほむらは少し下がった所にいるまどかの手を取り、時の流れから解放してやる。

 

「……ほむらちゃん!? 来てくれたの…?」

「ええ…約束だもの。逃げるわよ」

「うん!」

 

颯爽と現れたほむらを前に、まどかは瞳を潤わせながら笑顔になる。まどかのほむらに対する信頼は、もはや何があったとしても揺るぎないものへとなっていたのだ。

3人は揃って赤髪の少女───杏子に背を向け、反対方向へと駆け出していった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

時間を止めながら逃走してきた3人は、まどかの家の前でようやくひと息つくことができた。ほむらの方も少しばかり調子が戻ってきたようで、顔色も幾分かはマシになってきているが表情は硬いままだ。

 

「あの魔法少女はどうしたらいいんだ?」

 

杏子について、改めてルドガーはほむらに確認をとる。

 

「彼女の実力は相当なものよ。恐らくマミと同じくらい…いえ、もっとかしら。味方になってくれれば心強いのだけれど…今すぐは無理そうね」

「というと?」

「杏子は現実主義者なのよ。ただ自分が生きる為だけに魔法を使っているの…皮肉だけど、魔法少女としては彼女以上に適した人はいないわね。高望みをすればするほど、皺寄せは大きくなるもの」

「だけど、それがどうしてほむらを……そうか」

 

言いかけてルドガーは思い出す。ほむらは謎の黒翼の力のせいで、魔女である疑惑をかけられていることを。

そして、まどかとの契約を目標とするキュゥべえにとって、ほむらは決して快い存在ではないということを。

それはほむら自身が一番理解していることでもあった。

 

「大丈夫よ。見合った対価さえあれば、杏子は味方になってくれるかもしれない」

「対価?」

「私が直接会いに行くわ。もともとそのつもりだったもの」

「!」

 

予想もしなかった提案にルドガーは息を呑むが、それよりも大きなリアクションを見せたのはまどかだった。

 

「そんな……危ないよ! さっきの娘、ほむらちゃんを狙ってるんじゃないの!? 魔法少女同士で争うなんて、おかしいよ!」

「争うこと自体は珍しいことではないわ、まどか。グリーフシードが足りなくなれば私達は死んでしまうもの。取り合いになることだってあるわ。

…今みたいに、マミとグリーフシードを譲りあっている事の方が珍しいのよ」

「でも……ほむらちゃんが危ない目に遭うのはやだよ! ずっとそばにいて、って言ったよね…? 私、ほむらちゃんがいなきゃ……!」

「まどか……?」

 

ほむらからすれば、ここまで感情的になるまどかの姿はあまり見慣れたものではない。いつだってまどかは心の内に強さを秘めていて、ほむらの先を行ってしまうのだ。それが、悪い結果にしかならないとは知らずに。

ところが、"このまどか"は少しばかり違っていた。ここまで強く求められたことは、今まで1度もなかったのだから。

 

「……ありがとう、まどか。その言葉だけで十分嬉しいわ。大丈夫よ、杏子はきっと仲間になってくれるわ」

「ほんとなの……?」

「ええ、杏子の事はよく識っているもの。私に任せてちょうだい」

「うん……」

 

できるだけ不安を感じさせないように努めて言い、兎のように眼を赤くしたまどかを家の中まで帰す。

それを見届けた2人は、足早にその場をあとにした。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

「───付き合えっての……は?」

 

時が動き出した頃には、杏子の目前には誰1人として存在しなかった。瞬きをする間もなく忽然と消えてしまった風に感じたのだ。

 

「あいつら、どこ行きやがった!? 妙な術ばかり使いやがって!」

 

手を抜いたつもりではあったが、それでも並程度の魔法少女などの腕前ならば自分に歯迎えるはずも無いと自負していた杏子は、苛立ちを隠せないでいる。

 

「あの野郎……まあいい、手札も見えねえのに追いかけても仕方ねえ」

 

しかし流石はベテランといったところで、状況判断能力は長けていた。深追いせず変身を解き、苛立ちを紛らわすためにポケットから駄菓子を取り出し、乱雑に食べ始めた。

 

「キュゥべえも肝心な事は吐かねえし…まあアイツはハナから胡散臭えけど。あーもう今日は面倒だ! ゲーセンでも行くかねぇ……」

 

懐の中にある、およそ真っ当ではない手段で手に入れた小銭の枚数を手探りで確かめる。

あっという間にカラになった駄菓子の箱を乱暴に投げ捨てると、杏子はぶらぶらと駅の方へ向けて歩き出した。

 

 

 

住宅街を抜け、土曜の午後という事もあって人混みの増した見滝原駅へと辿り着いた杏子は、懐かしさを感じながら周囲を見渡す。

もとより見滝原の出身であった杏子だが、数年前に隣町の風見野へと拠点を移してからここを訪れたことはなかったのだ。

目当てのゲームセンターを遠目から見つける。改装工事でも行ったのか外観は大きく変わっていたが、場所自体は変わっていなかったのが幸いだ。ポケットからさらに新しい駄菓子を取り出し、口に咥えながら足を向けた。

 

『やあ、杏子』

 

そこに、白塗りの獣が姿を現した。ガードレールの上に器用に飛び乗り、愛嬌のある"ように見える"顔をしてみせる。人混みのなかで不審な目で見られないよう、杏子は念話での会話を交わし始めた。

 

『キュゥべえか……おい、なんだよあの野郎はよ。魔法少女でもないくせにあんなに強えだなんて聞いてねえぞ!』

『ルドガーと戦ったみたいだね。彼は確かに強いよ、マミですら手こずった魔女を倒してしまうほどの腕前を持っているからね』

『アタシが聞いてんのはそういうことじゃねえ! あいつの正体だ!』

『それが、僕にもよくわからないんだ』

『はぁ!?』

 

飄々としたキュゥべえの物言いに苛立ち、咥えていた駄菓子をつい噛み砕いてしまう。

そんな杏子の様子などまるで意に介してないかのように、前脚で頬を掻いてあざとい仕草をみせる。

 

『彼はとびきりのイレギュラーだよ。彼の持つ骸殻の能力…未だに解析しきれていないけれど、非常に強力だ。もしかしたら実力は君以上かもしれないよ』

『はっ……面白え、ますます潰したくなった。で、テメェは何しに現れたんだよ?』

『?』

『まさかアタシの質問に答える為だけに来たわけじゃねえだろ? 新しい魔女でも現れたんならさっさと吐きな。こちとらムシャクシャしてんだからよ』

『君は鋭いね。まあ、君なら"使い魔"なんて相手にしないだろうとは思ったんだけど…一応伝えに来ただけさ』

『んだよ、使い魔かよ…つまんねえの。卵産む前のニワトリシメても意味ねえっての』

『それはどうかな? この街の使い魔はなかなか手ごわいようだよ。現に数日前、魔法少女がひとりやられたからね。ほむらも放ってはおかないんじゃないのかな?』

『ソイツが雑魚だっただけだろうが。まあ、そんなに言うなら行ってやらなくもないけど? 律儀にノコノコ暁美ほむらが現れれば儲けもんだしねぇ。案内しな』

『わかったよ。こっちだ』

 

ガードレールから飛び降り、人混みを縫うようにすり抜けてゆくキュゥべえ。それを見失わないように注視しながら、杏子もあとに続いていった。

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

駅から少し離れた、狭い路地裏へと辿り着く。すでに近づいただけでも小規模な結界が紡がれているのがわかり、杏子はようやく咥えた駄菓子を食べ切って身構えた。

 

「へぇ、雑魚にしちゃあ確かに手応えがありそうだ。……ん? マミが来てんのか」

『わかるのかい?』

「こんな燃費の悪い魔力の使い方すんの、あいつしかいねえよ。そこいらに半端な魔力が残ってんぜ? 相変わらずあんな効率の悪い銃使ってんのか?」

『そうか、君たちは旧知の仲だったね』

「今はちげえよ。あんな"ごっこ遊び"で魔女退治してるような奴と一緒にすんじゃねえ…よっ!」

 

掛け声と共に赤の装束を纏う。槍を虚空に向けて振り抜くと、空間が切り裂かれて結界への入り口が顔を出した。

そこから、黒い瘴気が立ち込めて杏子たちを取り囲む。槍を風車のように振り回して瘴気を払うと、そこはすでに結界の中だった。

古い洋館を思わせるそこは水のたゆたう静かな音と、ひたすらに長く、薄暗い回廊が続いている。魔力で脚力を強化し、杏子は一気に駆け出した。

 

「へぇー…最近の見滝原の使い魔はこんななのか。ま、雑魚には変わりねえけどなっ!」

 

目前に湧き始めた木製の車輪のような使い魔の群れに対し、槍を構えたまま突進して一点突破する。数もそこそこで個体もさして強くはなく、杏子の敵ではない。

 

『取りこぼしてるようだけど?』

「はっ、知るかよ。そいつらが育ってくれりゃあまたグリーフシードが採れるじゃねえか。アタシは本体にしか興味ねえよ。まあ、この分だと本体も雑魚だろうけとなぁ」

『そうかい』

 

数百メートルはあろう距離をあっという間に詰め、古びた扉へと突き当たる。思いきり槍を叩きつけて、とどめとばかりに蹴りを加えて扉を破壊し、次のフロアへと進んだ。

薄暗いのは同様に、円状の閉鎖空間へと出る。周囲はまるでアリーナのように赤い空席が並び、中央の広場がライトアップされている。

ステージのような土台の上には不恰好な人型の使い魔が立ち並び、ノイズのような声を出している。

中央では既にマミがマスケット銃を片手に戦闘を行っており、銃口の先には大型の使い魔が存在していた。

使い魔は全身が白いシルエットのようで、椅子に腰掛けながらなにか弦楽器を弾くような真似をしている。その楽器のようなものからは耳障りな不協和音が鳴り響き、杏子の神経を逆撫でた。

 

「んだよ、このヘッタクソな演奏!?」

「えっ………その声、佐倉さん!?」

「ん? あ、ああ。久し振りだなぁ、マミ」

 

杏子の悪態に気付き、マミが振り返る。久方ぶりの再会に戸惑うが、すぐにマミは使い魔に視線を戻した。

 

「見滝原に帰って来たの…?」マスケット銃を代わる代わる撃ちながら、マミは尋ねる。

「まあな、アンタが腑抜けになったって噂で聞いたから来てやったのさ。ナワバリをいただこうと思ってね?」

「…考え方は変わっていないようね。いえ、変わってしまったままね……」

「はっ、昔の話はよせよ! アタシには今があるんだ。まあ今回だけは使い魔退治に付き合ってやるよ!」

 

話を切ると高く飛び上がり、空中で槍を分解して操る。意思を持つかのように槍は舞い、瞬時に使い魔を締め上げた。

 

「オオオオオオ…………!」

 

使い魔は呻き声をあげてもがくが、杏子の拘束からは逃れられない。苦し紛れに不協和音を奏でるが、お構い無しに杏子は容赦無く追撃を重ねる。

 

「異端審判の始まり、ってな!」

 

一段と巨大な多節槍を錬成し、刃先を使い魔に向ける。爆圧的なエネルギーをそこに溜め込み、叩きつけるように振り抜く。巨大な多節槍は使い魔の胴体に突き刺さると共に、強烈な炎を上げ出した。

 

「オオオオアアァァァァァッ!!」

 

およそこの世のものとは思えぬ叫び声を上げながら炎上する。しかしまだ余力を残しているようで、自身と同じ姿の小型の使い魔を次々と生み出してゆく。

一斉に使い魔たちは音を奏で始め、まるで黒板を引っ掻いたかのような雑音がマミと杏子を襲った。

 

「ぐうぅっ!」

「がっ…!? あのヤロー……ふざけたマネしやがって!!」

 

怒りに任せ、多節槍を乱雑に振るって使い魔達を薙ぎ払う。数は多いものの、単純な攻撃で一掃できてしまう。

一方のマミは、雑音が鳴り響く中では集中できず、手元がうまく定まらない。杏子の攻撃によって演奏が止み始めたころにようやく狙いを定めた。

 

「ティロ・フィナーレ!!」

 

マミの最終射撃が突き刺さる。轟砲は使い魔の親玉の頭を華麗に吹き飛ばし、派手に血飛沫を上げながら塵と化した。

 

「はぁ…はぁ……やったわね……」

「ちっ…いいトコ取りかよ?」

「いえ、苦戦してたのは確かよ。あの演奏のせいで狙いがつかなくて…」

「へっ、見滝原のヒーローも落ちたもんだな?」

「…まったく、その通りよ。あなたがいない間、あまりに色々なことがあったもの」

「はいはい、んじゃアタシはこれで……おいマミ、結界が晴れねえぞ」

「えっ? さっきのが親玉の筈だけど……」

 

杏子の言葉にマミも周囲を見渡すが、アリーナには使い魔は一匹たりとも存在しない。ただ広く、何もない空間だけがあるだけだ。

その中央に何処からともなくぽたり、と水滴が落ちる。2人は揃って視線を空へと差し向け、次第に量を増してゆく水滴を眺める。

 

「なんだ、アレ!?」

「わからないわ。油断しないで!」

 

そして、最後に一際大きな水滴が落下する。その水滴の色は真っ赤な血のようで、水溜りとなった地面に波紋のように紅を散らした。

突然に、その水溜りは大波と化す。噴水のように真上に巻き上げられた水の中から、おぞましい程の魔力を宿した存在が見え隠れする。

 

「魔女よ!! 佐倉さん!」

「本命のお出ましってか!? 上等!!」

 

水飛沫が引き始めると、そこには禍々しい姿をした魔女が一匹佇んでいた。

西洋風の甲冑を上半身に纏い、剣の代わりに指揮棒のようなものを振るう。骸骨のような兜を被り、人魚のような半身で水飛沫のなかに浮かぶ。

 

『ゴアァァァァァァァッ!!!』

 

憎しみのこもった獣のような咆哮を上げ、一柱の魔女は顕現する。

その名はoktavia von seckendorff──────悲恋の果てに堕ち、理から外れた青の魔女だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話「それは"愛"ではないわ」

1.

 

 

 

 

 

 

血のような水溜りの上でアンバランスな躯体をゆらゆらと漂わせる人魚の魔女は、静かに唸り声を上げながら2人の魔法少女を比べるように眺める。

その仕草からは強い敵意を見出すことはできず、マミは首を傾げた。

 

「………? 攻撃してこないわね」

 

警戒を怠ることはないが、今までの魔女とは少し変わった雰囲気に違和感を覚える。対して杏子は魔女の隙を窺っており、いつでも槍を携えて斬りかかる態勢をとっていた。

 

「何してんだマミ、さっさと銃を構えな!」

「え、ええ……」

 

杏子に押され、2本のマスケット銃を錬成する。銃口を魔女に向け、装甲の薄そうな場所を探して狙いをつけ、まずは牽制にと弾丸を放つ。

しかし人魚の魔女はその大きさとは裏腹に、非常に機敏な動きでサーベルを振り抜いて弾丸を弾き飛ばした。

 

「うそ、速い…!」

 

マミの銃撃に反応したのか、いよいよ人魚の魔女は動きをとり始めた。サーベルを高々と掲げたかと思うと、まるでコンサートの指揮者のような真似をしてサーベルを振り始めたのだ。

その動きに応じて、マミと杏子の周囲に一斉に使い魔が召喚されてゆく。アリーナの外周は使い魔がびっしりと立ち並び、観客席のような場所も人型の使い魔で埋め尽くされてゆく。

その数はもはやマミの一斉射撃でも総ナメにするには厳しい程にまで達した。

 

「冗談じゃないわよ、この数!」

「慌てんなよマミ! 本体を潰しゃあいいだけだろうが!」

「あっ…佐倉さん!?」

 

痺れを切らした杏子は槍を多節型に展開して、蛇のように操りながら人魚の魔女へと飛びかかる。

縛り上げんとして多節槍を振り回すが、人魚の魔女はサーベルを当てて槍を弾いた。続けざまに車輪型の使い魔を背後から呼び出し、杏子に向けて突撃させる。対して杏子は槍をもとの形に戻し、旋回させながら車輪の攻撃をいなしてゆく。

 

「佐倉さん、気をつけて!!」

 

杏子の背後からマミの援護射撃が飛来する。車輪を片っ端から撃墜してゆき、人魚の魔女にも何発か飛んでゆくが、やはりサーベルのひと振りで弾丸は打ち落とされる。

 

「へっ……もらったぁ!!」

 

その隙をついて、杏子はサーベルの隙間を縫って的確に槍を投擲する。使い魔による阻害も間に合わず、吸い込まれるように人魚の魔女の頭部へと飛んでゆくが、

 

『オォォォォォォ………!』

 

ぱしゃり、と人魚の魔女は水に溶けるように姿を消す。目標を失った槍はアリーナの観客席へと突き刺さり、強烈な爆発を起こした。

一瞬、何が起こったか状況の理解に苦しむが、すぐに杏子は背後に気配を感じる。水に溶けた魔女はまさにその位置で、瞬時にもとの形に戻ったのだ。

 

「ヤロウ…水の中を自由に動けるのか!?」

 

すぐに態勢を立て直して槍を構え直し、人魚の魔女の奇襲に備える。だが魔女はやはり攻撃は仕掛けて来ず、杏子とマミに挟まれる位置でゆらめくだけだった。

舐められているような気分になり、次第に杏子の苛立ちも募ってゆく。

 

「テメェ、余裕こいてんじゃねえぞ!!」

「待って佐倉さん! やっぱり何かが変よ!」

「あぁ!? 何がだよ!!」

「どの道、埒があかないわ……ルドガーさんを呼んであるから、それまで待ちましょう」

「ルドガー? …ああ、あの妙な外人か」

 

先刻の事を思い出し、杏子は苛立ちをぶつけるように槍で地面を叩く。魔法少女でもない男がなぜあれだけ強いのか、という面でも興味はあったが、自分自身が軽くいなされた事は決して快くはない。さらに言えば、杏子同様ルドガーも"全く本気を出していなかった"からこそ苛立っているのだ。

そんな男になど頼らずとも即座に魔女を叩き潰したいが、大量の使い魔に囲まれたこの状況は確かに好ましくはない。

 

 

『………………………チガウ……』

 

 

骸骨のような兜の隙間から、かすかにソレは聴こえた。

 

「…おいマミ、今喋ったか?」

「いいえ、でも私にも聴こえたわ……まさか?」

 

2人の注意は人魚の魔女の口元へと集まる。唸り声に混じり、確かな声が聴こえたような気がしたからだ。

アリーナの使い魔たちも、観客席の使い魔たちも皆微動だにせず、寡黙に立つだけだ。この場で言葉を紡げるのは、2人の少女だけのはずなのに。

 

『…………ホムラ……!』

 

今度は確かに聴こえた。しかも、2人の聞き覚えのある名を呼んだのだ。

 

「ホムラ………まさか、暁美さん…?」

 

人魚の魔女は左手を上げ、自らの頭を抱える。呼気は次第に荒くなり、使い魔たちもそれに応じるようにざわめき出す。

 

 

『…ホムラ……ホムラ、ホムラ、ホムラ、ホムラァァァァァ!!』

 

骸骨の兜が歪に裂け、獰猛な牙を見せながら魔女は叫んだ。サーベルを乱暴に振り上げ、八つ当たりをするように周囲を攻撃する。その様は"斬りつける"というよりは"殴りつける"といった風に見えた。

だが、その方向は2人の少女の立つ位置とは大きくずれている。マミと杏子は呆気にとられながらその様子を観察していた。

 

「なんだぁアイツ? 喋ったかと思ったらトチ狂いだしたぞ」

「まるで暁美さんに怨みでもあるみたい………まさか、ね」

「なぁ、暁美ほむらをここに呼べばいいんじゃねえのか?」興を削がれ、杏子は懐から新しい飴玉を出して口に含む。

「暁美さんはまだ戦える状態じゃないわ。昨日の戦いでだいぶ消耗したみたいだもの。それに…こんな状況で連れてきても何が起こるかわからないわよ」

「へっ、確かにな」

 

もはや敵味方問わず、人魚の魔女は観客席の方にまでサーベルを振るって八つ当たりをしていた。斬撃を受け、激しい音を立ててアリーナが崩れてゆく。

やがて探し物が見つからないと悟った人魚の魔女は、再び水溜りに溶けて姿を消す。不意打ちに備えて杏子たちは身構えるが、魔女は姿を現すことはなかった。

アリーナの天井を中心にひびが入ってゆく。主の立ち去った魔女結界は、少しずつ崩落し始めた。

 

「チッ、逃げたか……」

「そのようね…私たちも一旦退いた方がいいわね。どちらにせよ、数では厳しいものがあるわ」

「そーかい」

 

程なくして、アリーナは消滅してもとの路地裏に戻ってくる。杏子はいち早く変身を解き、飴玉を噛み砕いて新たな駄菓子をポケットから取り出してみせた。

 

「このまま追っかけてブチのめしてもいいんだけどなぁ…まあいいや。今日は帰るよ」

「…ねぇ佐倉さん。また昔みたいに、一緒に戦えないの…?」

「へっ、バカ言うなよ。…アンタが一番わかるだろ?」

「………そうね」

 

杏子はあくまで飄々とした態度をとっているが、今の2人の間には決して相入れないところがあった。

街の平和を守るため…そして、魔法少女の成れの果てである魔女を、罪を重ねてしまう前に"終わらせる"為に戦うと決めたマミ。

対して打算的であり、自分が生きてゆく為だけに魔女を狩り、時には使い魔を見逃して卵を孕ませるような真似もする杏子。

しかし、初めからそのような人間性ならばマミは杏子など相手にすらしないだろう。それでも気にかけずにいられないのは、彼女が本来どういう少女だったのかを、誰よりも理解していたからだ。

 

「ま、アタシらは高望みが過ぎたんだよ。奇跡を願えば、その分だけ絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きゼロにして世の中のバランスは成り立ってるんだよ。だからアタシは、もう何も望まない。独りで生きていくって決めたんだ」

「佐倉さん……あなたは悪くないのよ。悪いのは……」

「いいんだよマミ。…こんなアタシを今でも気にかけてくれて、これでも感謝してるんだぜ」

「でも……!」

「アタシはそろそろ行くよ。じゃあな」

 

杏子はマミの言葉を待たず、後ろを向いたままひらひらと手だけ振って去っていった。

あとに残されたマミも変身を解き、その物寂しそうな後ろ姿に胸を傷める。

 

「…佐倉さんも、暁美さんも、大切なものを守るために願ったのに。私なんかに比べたら、2人とも………!」

 

届かない手を握り締めて、無力さに打ちひしがれることしかできない。

それでも今できる事をやるしかない。その為なら全力を尽くそう、と誓ったのだ。

 

「杏子……信じてるわ」

 

いつの日かもう一度肩を並べられる事を願って、遠のく背中に呟いた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

杏子が立ち去ってから数分後、やや遅れた形で路地裏にルドガーが駆けつけて来た。しかしマミの予想通り、その隣にはほむらの姿はない。

走って来たのか、やや額に汗をかきながらルドガーは尋ねてくる。

 

「マミ、無事か!?」

「ええ、無事というか……その、逃げられたのだけど…」

「逃げた…? そんな事があるのか?」

「たまに賢い奴がいるのよ。…それについて暁美さんに話があるのだけど、今は家かしら?」

 

敵のいなくなった今、ここにいる意味はない。マミは路地の外へ足を向けて歩き出し、ルドガーもそれに続いてゆく。

 

「ああ、まだ戦える状態じゃないからな。それに…ソウルジェムの事もあるし」

「ええ…一体、彼女はどうなってしまったのかしら」

 

変質してしまったほむらのソウルジェムは、マミも目にしていた。希望に依り輝くでもなく、絶望に依り燻るでもないソレは、未だ見た事のないものだった。

黒い翼の正体もわからず、ソウルジェムはもはや濁っているのかすら判別もつかない。何より、魔女の攻撃で精神が摩耗しているのだ。そんな状態で戦地に赴かせる事などとてもできはしない。

 

「迷惑でなければ、今からでも暁美さんに会いたいのだけど……平気かしら?」

「会うくらいなら問題ないと思うけど。さっきも少し出歩いたし。それに…まだ伝えてない事もあるからな」

「そう……家まで案内してくれるかしら?」

「わかった。こっちだ」

 

マミの前に出て道案内を引き受ける。駅の反対側に路地を抜けたしばらく先は、ルドガーが買い出しでよく訪れる道に続いていた。

金の巻き髪をした少女と、白髪に黒のメッシュの青年といった取り合わせは、否が応でも周囲の視線が集まる。駅から離れて住宅街へと入ってゆくにつれてそれは顕著になり、通りがかりの子供にすら指を差される始末だ。

以前、エルを初めとする年下の仲間たちとも冒険をした事のあるルドガーからしたら慣れたものだが、マミにとっては中々にくすぐったい心持ちだった。

 

「私たち、どういう風に見えてるのかしらね?」

「どうって…やっぱり、兄妹とかかな?」

「兄妹……ふふっ、悪くないわね。兄さん(・・・)?」

「ははは……」

 

まさか自分が「兄」などと呼ばれる日が来るなど思っていなかったルドガーは、照れくさそうに頭を掻く仕草をとる。

さらにしばらく歩いた先に、ようやくほむらの部屋のあるアパートが見えてきた。

少し古い階段を上がって部屋の前まで向かい、合鍵を使って戸を開ける。

 

「ただいま、ほむら」と一声かけて慣れた風に部屋に上がると、家主が既に居間で待機していた。

 

「あなたがうちに来るなんて珍しいわね、マミ」

「ええ、わざわざ呼び出すのも何だし…テレパシーで話せるほど簡単な問題じゃないもの」

「聞かせてもらうわ。どうぞ、上がって」

 

ほむらに促され、マミも靴を脱いで部屋に上がる。想像とは裏腹にとても簡素でごく一般的、あるいはそれ以下の間取りにマミは意外さを感じた。

居間の真ん中にあるちゃぶ台のそばに腰を降ろすと、ごろごろ、と喉を鳴らしながら黒猫がやってくる。初めて見る来訪者に興味を示し、近づいて来たのだ。

無警戒な仕草をとる可愛らしい猫を前に、ついマミは額を撫でてしまう。

 

「あら…? 暁美さん、猫を飼ってたのね」

「エイミー、よ。世話をしてるのはルドガーだけど」

「ふぅん……でもなんだか、お似合いね。なんか暁美さん、猫っぽいし」

「……それはどういう意味で言ってるのかしら」ほむらもマミの向かいに座り、やや不愉快そうな声色で訊く。

「うーん…なんとなくよ?」

「はぁ………あなたは相変わらずね。かえって安心したわ。それで、私に用があるというのは?」

「そうそう、それなんだけど……」

 

さりげなく麦茶を人数分用意しながら、ルドガーもようやく会話に加わる。エイミーのそばにはいつの間にか皿に注がれたミルクが置かれていた。

こほん、とひとつ咳払いをしてマミはいよいよ本題を切り出す。

 

「さっき使い魔と戦ってたらいきなり魔女が現れたんだけど……なんか、普通とは違ったのよ」

「それは、どういう意味かしら?」

「喋ったのよ。片言っぽかったけど、"ホムラ"って何度も言ってたわ」

「…なんですって? 魔女が喋るだなんて、あり得ないわ」

「だからこうして話をしに来てるのよ…もしかしたら、あなたなら何か知ってるんじゃないかって。まして、あなたの名前を呼んでいたんだもの」

「……心当たりがありすぎてわからないわね」

 

冗談めいた答えを返しながらも、ほむらは腕を組んで考えてみる。今までの時間軸での経験上、喋る個体などには出くわしたことはなかった。

可能性があるとすれば、"時歪の因子化"の影響だ。薔薇園の魔女を初め、みな過去に存在した個体とはかけ離れた性質、凶悪さを持ち合わせていた。マミの出会った魔女も時歪の因子化をしている可能性も十分に有り得るのだ。

 

「その魔女は、どんな姿をしていたのかしら」と、確認をとる意味で尋ねる。

「えっと……珍しく人型だったわよ。甲冑に兜も被って…足は人魚みたいだったわね。武器は大きな剣で……」

「……なんですって!? マミ、それは確かなの!?」

「えっ? ええ、間違いないわよ」

「そんな……だって、あの娘はまだ(・・)………」

 

ほむらの表情が一気に強張る。マミの語った魔女の姿は、確かに過去に遭ったことのある姿を連想させるものだ。

そして、この時間軸にはまだ存在していないはずのものだったからだ。

 

「…知ってるのね、暁美さん」

「ええ…そいつの事は、誰よりも知ってるわ。けど…いるはずがない。その魔女のもととなった娘はまだ契約すらしていないもの」

「どういう事なの?」

「………その魔女は"人魚の魔女"。美樹さやかが契約した成れの果ての姿よ。」

「えっ……美樹さんの!?」

「詳しく調べてみる必要があるわね。私の名前を呼んでいたというのも気になるし…とりあえず、またその魔女を見つけたら呼んでちょうだい」

「それは構わないけれど…身体は、もう平気なのかしら?」

「この程度で寝込んでたら"ワルプルギスの夜"を迎えられないわ」

「ワルプルギス…?」

「……そういえば、まだ話してなかったわね」

 

いきなり湧いて出てきたキーワードにマミが不思議そうな反応を示す。ベテランの魔法少女ともなれば、伝説級に語り継がれているその名を当然知っている。その名前がどうしてこの場で出るのか、と。

 

「今から2週間後、この見滝原にワルプルギスの夜が来るの。私の目的はそいつを倒す事よ」

「うそ…! あの化け物がこの街に来るというの!?」

「ええ。だからあなたにも手伝ってもらいたいし……明日にでも佐倉杏子に協力を申し出るつもりよ」

「佐倉さんに? 彼女が縦に首を振るとは思えないけれど」

「それは大丈夫よ。彼女にはしっかり対価を用意しておく。それで協力してくれると思うわ」

「対価、ですって? グリーフシードか何かを献上しようとでもいうの?」

「まあ、そんなところかしらね…でも、戦力としては申し分ないはずよ。ルドガーもいるし、あなたも生きている……杏子も味方になってくれれば、今までで一番最高の状態でワルプルギスを迎えられるわ」

「そう………でもこれで、あなたがどうして同じ時間を繰り返しているのか、納得がいったわ」

 

ふぅ、とため息をつきながら麦茶を飲み、得た情報を整理する。人魚の魔女に、佐倉杏子、ワルプルギスの夜。一度に問題が山積みになっていたが、ひとつだけどうしてもほむらに確かめなければならない事が思い当たる。

 

「あなたの目的はワルプルギスを倒す事と、鹿目さんを守ることだったわね。そして…ワルプルギスを倒せなかった時は、時間を戻してやり直している、という事かしら」

「…ええ、その通りよ」

「じゃあ、その度に私たちの記憶もなくなるのよね…当然、鹿目さんの記憶も。今度ももし負けたら、そうするつもりなのかしら?」

「………否定はしないわ」

 

ほむらとしても、可能ならばもう時間遡行はしたくはなかった。さやかに指摘されたせいもあるが、"クルスニクの鍵"の力によって時間遡行の能力が制限されている以上、次の時間遡行を行うには鍵の破壊…すなわち、ルドガーを殺めなくてはならないからだ。

だが、未だワルプルギスの夜を倒せるという確信に至る事もできない故に、言葉を濁す事しかできない。

 

「鹿目さんを守りきるまでは、諦めないつもりね」と、若干冷ややかな声でマミは言う。

「次もあなたの事を好きになってくれる保証なんて何処にもないのよ。鹿目さんの言葉、忘れたわけじゃないでしょ? "今の私だけを見て"って」

「仕方がないのよ……まどかを守るには、それしかないの。その為なら私は何度でもやり直すわ」

「鹿目さんを、愛しているから?」

「………………ええ」

 

核心をついたマミの言葉に、ほむらはか細い声で答える事しかできない。以前さやかにも似たような事を聞かれたのだが、マミの言葉は重みが違った。さやかは純粋にほむらを心配して言っていたのだが、マミはそうではない。

注がれた麦茶をまた一口飲み、真っ直ぐにほむらの目を見て、突き放すようにマミは言った。

 

「違うわね、それは"愛"ではないわ」

「えっ…?」

「あなたは鹿目さんを愛してるんじゃない。"鹿目まどか"という存在に依存しているだけよ。今のあなたには、鹿目さんの言葉に応える資格はないわね」

「マミ! そんな言い方は──────」

「わかってるわ、ルドガーさん。何も責めようなんて思ってない」

 

いきなり厳しい言葉を投げかけたマミに対してルドガーが言葉を刺すが、返しの一言で見事に黙らされてしまう。

 

「鹿目さんを守ることを願って魔法少女になったらしいけれど……もう一度よく考えるのね。あなたは鹿目さんを守りたいの? それとも、 "鹿目さんを守ってあげた自分"になりたいの? 同じに聞こえるかもしれないけど、全く違うことよ」

「それ、は……でも私は………」

「…今すぐてなくてもいいわ。他でもない、あなた達2人の問題なんだから。ワルプルギスに関しては私も協力は惜しまないわ。私はそろそろ帰るわね。お茶ありがとう、ルドガーさん」

「マミ………」

「あ、お見送りは結構よ。暁美さんについててあげて?」

 

マミの言葉を受け、ほむらはついにうな垂れてしまう。最後に軽く振り返って会釈をし、マミは部屋をあとにした。

残されたなかで、ルドガーはほむらを気遣いながら声を掛ける。

 

「ほむら、気にするな。君がまどかを大切に思ってることはわかってるから」

「………違うのよ、ルドガー」

「違う…? 何がだ?」

 

瞼を軽く擦りながら、ほむらはゆっくりと首を上げる。乱れた前髪の隙間から、涙に濡れる瞳が見え隠れした。

 

「私の願いは、ただまどかを守ることじゃないの……『まどかとの出逢いをやり直したい、守られるんじゃなくて、守れる自分になりたい』 それが私の願いなのよ……」

「ほむら、それって……!」

「全部、見透かされてしまったわね……そうね、私はまどかに依存してる。まどかの存在なしには生きていけない。つくづく、あの人には敵わないわね…」

 

ほむらの感情は、普通とはかけ離れた成り立ちをしている。ただ1人を救う為に何度も何度も、数えるのを諦めるほど孤独に時間を繰り返し続け、そうしているうちに"守りたい"という想いは執着へと。

左手のなかに今も収められている黒い宝石のように、歪んだ形の愛情へと変質してしまったものだ。

そんなものが本当に"愛"と呼べるのだろうか。胸を張って"愛してる"と言えたものだろうか。答えは、否だ。

 

「…だとしても、俺たちのやる事には変わりはないだろ? それに、マミの言う通り君だけの問題じゃないんだから」

「ええ…まどかだけは、絶対に守ってみせるわ」

 

たとえ、他の何を犠牲にしてでも。マミの言葉に心を揺さぶられようと、その決意だけは変わる事はなかった。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

その日の夜───まどかは寝間着に着替えたものの、眠れないまま自室のベッドの上に横たわり、ぼうっとしながら天井を見つめていた。

昼間の出来事を振り返ってみる。あの赤い魔法少女について、ほむらは「大丈夫、任せて」といった風に言っていたが、それでもまどかの不安は拭いきれない。

 

「ほむらちゃん………私……」

 

不安の材料は他にもある。箱の魔女の幻覚に囚われて暴走しかけたほむらに対して、自分の想いの全てをぶつけたことだ。

結局"憶えていない"のひとことで片付けられてしまったのだが、やはり簡単には"仕方ない"と割り切れない。

階下からはシャワールームを使っている音がする。まもなく日付を跨ごうとしている時刻だが、休日にも関わらず出勤になり、ようやく仕事を終えた詢子が帰宅してシャワーを浴びているのだ。そして、風呂上がりに軽く晩酌をとるのが詢子の日課だ。

どうせ寝付けないのだ、とまどかはベッドから降り、室内用の上着を羽織ってキッチンへと向かった。

 

 

階下に降りるとちょうどよく詢子がシャワーから上がったところで、バスローブ姿で自らアイスペールを持って晩酌の用意をしていた。テーブルの上には夕食で出たポテトサラダの作り置きが出されている。ほんのりと冷気を帯びているあたり、冷蔵庫から出したばかりなのだろう。

まどかもそれに付き合うように冷蔵庫からソフトドリンクの容器を取り出し、自分用のグラスを持ってリビングのテーブルへと掛ける。

 

「眠れないのかい?」と、詢子は柔らかく声をかける。

「うん……ちょっと、ね」

「そうかい…ほら、氷」

「ありがと」

 

詢子が水割りを作り終わると、まどかのグラスに氷を注いでやる。そこに自分でジュースを注ぎ、乾杯を交わした。

こうして詢子の晩酌に付き合うのは初めてではなく、まどかの方もそれなりに慣れた様子だ。

 

「最近眠れないことが多いみたいだけど、何か悩みでもできたのかい?」

「うん……ちょっと、色々あって…」

「ははーん、好きな子でもできたか?」

「す、好きな………!? えっと、その……」

「あらら、図星か」

「……………うん」

 

こうなってしまっては、事実を隠すことはできない。まどかは桜色に頬を染めながら、観念したようにこくり、と頷いてみせた。

だが、その相手だけは絶対に口を割るわけにはいかない。娘が同性相手に惚れている、などと話せばきっとタダでは済まされない。

一時の気の迷いだと一蹴されるか、最悪引き裂かれるかもしれないからだ。

 

「………その子がね、すごく大変なの。みんなの事を助けてあげたくて必死で、なのに自分ばっかりが傷ついてるの。私、心配で……」

「うん…よくあることだ」

「えっ……?」

「悔しいけどね、必ずしもみんながハッピーエンドを手に入れられるってわけじゃない。誰かの幸せを願った分だけ、その皺寄せが回ってくる。人間ってのはそういう風にできてるのさ」

 

その言葉は、ある意味では的を得ていた。まどかの言う想い人は、ただ1人を救うためだけに祈りを捧げ、終わる事のない苦しみに囚われているのだから。

そしてその願いは、未だに叶えられていない。皮肉にも今この瞬間に、どこかに彼女が存在していることがそれを証明しているのだ。

 

「まどかは、どうしたいのさ」

「……助けてあげたいよ。でも、私は何もできなくて…いつも迷惑ばかりかけちゃってる。その子はいつも許してくれるけど…いつも私のせいで傷ついてばかりで……!」

「あんた……本気でその子のこと好きなんだね」

「うん……私ね、知らなかった。誰かを好きになるって、こんなに苦しい事だったんだね…?」

「んー…恋愛ってのは色々あるけど……あんたみたいに苦しい思いをしてる子もいるのも事実だ」

「私、どうしたらいいのかな……」

 

いつの間にか目尻を赤くして、わずかに涙ぐんでいた。そっと袖口で目元を擦り、その涙を拭い取る。

詢子はその仕草を見ながら水割りのグラスをあおり、

 

「そいつばっかりは、他人が口出ししても解決できないねぇ。ただ、何かしてやることはできるさ。……あんたに、その覚悟があるのならね」

「覚悟…?」

「ああ、その子と一緒に傷ついてやる覚悟さ。誰かを救ってやりたいと思うなら、生半可な覚悟じゃあ話にならない。それこそ逆に相手を傷つけるだけだ。自分の全てを懸けてでもその子を守ってあげたい。それくらいの覚悟がないのなら、初めから関わるべきじゃないのさ。

まどか…あんたはいい娘に育った。嘘もつかないし、悪いこともしない。いつだって思いやりがある、あたしの自慢の娘だよ。そのあんたが惚れた相手なんだ、それだけの価値があるに違いないさ」

「………そうなのかな」

 

相手が、女の子だとしても? 喉まで出かかった言葉を、ジュースと一緒に飲み込んで誤魔化す。

 

「………私は、あの子に笑顔でいて欲しいよ。守られるだけじゃなくて、守ってあげたい。守れるようになりたい」

 

 

白い姿をした悪魔は言った。自分には、世界を変える程の力があると。だけどそんなものは要らない。まどかが欲しいのは、大切な人を守れる力だった。だが、その方法では想い人の笑顔を守る事はできないのだ。

まどかとて、薄々は感づき始めていた。まるで見て来た事のように魔女の事、魔法少女たちの事を語る彼女に。夢の中で出逢ったような既視感。

そして彼女の操る魔法…時間操作。きっと彼女は、自分の為に未来からやって来たのではないか、と。

もしも白い悪魔に願ったとしたら、彼女はどうなるのか。胸に残る不安はまさにそれだ。いつの日か、自分の前からいなくなってしまうのではないかという不安。

だからこそあの夜、あのような言葉が口から出たのだ。「私だけを見て、ずっと傍にいて」と。

 

「私…頑張るよ」

「おう、その意気だ。あんたがそれだけ惚れ込んだ相手の顔を見てみたい気もするけどねぇ。まぁ、孫を期待できないのはちと残念だけどね」

「えっ? ま、ママ今なんて……?」

「気にすんな気にすんな、あたしはあんたの事応援してっからね」

 

けらけらと笑いながら、詢子はまた水割りをあおる。カラになったグラスに再び酒を注ぎ、2杯目を作り出した。

こうして、2人の夜は更けてゆく。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

迎えた翌日の午前。日曜日ともあれば見滝原駅の一角にあるゲームセンター内も私服の学生と思しき姿で混雑している。その中でひとり、ダンスゲームの上で異彩を放つ赤髪の少女がいた。

杏子は片手に駄菓子を咥えながらも、テンポよくステップを踏み続けており、その動きだけでもかなりやり込んでいるのがわかる。

やがて演奏が終わりひと息つくと、真正面に位置するディスプレイには"PERFECT"の文字が映し出され、画面内を花火が舞っていた。

 

「ふぅ………まさかアンタの方からおいでなさるとはねぇ、暁美ほむらさんよぉ?」

 

振り返るまでもなく、背後にいる気配に向かって杏子は言葉を投げかけた。

その後ろには、杏子ほどではないが動き易さを重視した服を纏った少女の姿があった。

 

「佐倉杏子……あなたに頼みがあってきたわ」

「へぇ……なんのつもりだか知らないけどアンタ、自分の立場わかってて言ってんのかよ」

「ええ。けれど、あなただってキュゥべえの口車に乗せられるほど馬鹿ではないと思うのだけど?」

「はっ、確かにキュゥべえはアンタが魔女みてえだ、とは言ってたけどよ。魔女かどうかを見抜けないほどアタシの勘は鈍くねえ。今日この目で見てはっきりしたよ。で、まずはそっちの用件から聞こうか」

 

杏子はダンスゲームの筐体から降り、アーケードゲームに寄りかかるほむらに歩み寄る。その視線は全身を刺すように観察し、ほむらに敵意がない事を推し量ると、片手に持っていた駄菓子を差し出した。

 

「食うかい?」

「いただくわ」

 

駄菓子など久しく食べていなかったため、逆に斬新に思える。加えて、心なしか黄色い箱の携帯食糧が懐かしくなった。

 

「頼みというのは他でもないわ。2週間後、この街にワルプルギスの夜がやってくる」

「……どうしてそれがわかる?」

「私は近い未来が分かるのよ。ワルプルギスを倒すにはあなたの力も必要なの」

「マミがいるじゃねえか。少し腑抜けたようだけど、それでも強いだろ」

「足りないわ、ワルプルギスは遥かに強力なのよ。…ワルプルギスさえ倒せれば私はこの街から出て行く。ワルプルギスのグリーフシードも要らないわ。マミと分け合えばいい」

 

杏子から貰った駄菓子をすぐに食べ終えると、ほむらは懐から箱のグリーフシードを取り出してみせ、杏子に差し出した。

 

「手付金のつもりかよ…ま、もらっとくぜ。ワルプルギスねぇ……確かに手強そうだが、魔法少女が3人もいればなんとかなるだろうよ。けれどわかんねぇなあ…アンタの目的は何だ?」

「言ったはずよ。ワルプルギスの夜を……」

「そうじゃねえ。アンタの目的は他にある、違うか? ワルプルギスが来れば確かに見滝原は壊滅するだろうね。だけどマミはともかくとして、アタシには別に関係ない話だ。アンタも、街から出て行くなんて言うくらいだ。見滝原に執着があるようにも思えない。

ならなぜ、ワルプルギスに拘る必要がある?」

「それは………」

「"鹿目まどか"か?」

「……っ!」

「そう睨むなよ。いくらアタシが使い魔を野放しにする極悪非道な魔法少女でも、自分から一般人を傷つけるほど堕ちちゃいねえよ。昨日のアレはアンタをおびき出す為にやったことだ。ま、目の前でドロンされちまったからな。狙っても無駄だってことはわかった。

何でも、鹿目まどかはすげぇ素質を持ってるらしいけどアンタが邪魔して契約できないらしいな?」

「…まどかは巻き込みたくないの。魔法少女になったって、ろくな事はないもの」

「それに関してはアタシも同感だ。あんなひ弱そうなガキに務まるほど魔法少女は甘くない。それに、これ以上魔法少女が増えたら食い扶持がなくなっちまう」

「あなたなら、そう言うと思ってたわ」

「へっ、よく言うぜ」

 

不敵な笑みを浮かべながら、杏子はほむらの隣を横切ってゆく。

周囲の喧騒の中でも杏子の声はよく通り、はっきりと聞き取れる。或いは、よく聞き慣れた声だからだろうか。

 

「アンタ、アタシと同じ匂いがするねぇ…気に入ったよ。アンタとはまあまあ気が合いそうだ」

「了承してくれた、という事でいいのかしら」

「まあな。妙な魔女もいるし、そのうちまた会うだろうさ。わかってるだろうけど、アタシは魔女以外は相手にしねぇからな?」

 

杏子は振り返らないままひらひらと手を振り、その場を去って行った。騒々しい空間に残されたほむらも立ち去ろうとするが、杏子とひとまずの共闘を約束できたにも関わらず、その顔には不安が残っている。

 

「………まどかに聞かれたら、なんて言われるかしらね」

 

街を去る、という事は前々から考えていたことだ。時間停止の能力は時を遡る分岐点にたどり着き、砂時計が落ち切ってしまうと使うことができない。

盾の中には無数の重火器が収納してあるが、大術と引き換えに基礎能力が低い事には変わりなく、固有魔法によるアドバンテージを失ってしまえばまともな戦闘すら見込めないのだ。

そもそも、ワルプルギスの夜を倒してまどかを守り切れれば自分の役目は終わりなのだ、と考えていたのだから。

 

「きっとあの娘は赦してはくれないでしょうね…」

 

未だ熱が残るように感じる唇に、指を触れてみる。

あんなにも熱い感情を、感触を、言葉を与えてくれたことなど今まで一度もなかった。この想いは自分だけのものではなかったのだ、と思うと涙も溢れそうになる。

けれど、それを享受することは他ならぬ自分自身が赦さなかった。未だ誰にも話せずにいる、過去の過ち。救済の願いを踏みにじった罪悪感が、それを赦さないのだ。

マミの言った言葉が、今一度胸に突き刺さる。まどかを愛しているのではなく、まどかに依存しているのだ、と。

まどかさえ生きていてくれれば、他の事などどうでも良い。それこそ自分自身の安否さえもだ。たとえ傍にいられなくとも、まどかを絶望の未来から救う事ができるならば、と今まで思っていた。

しかし裏を返せば、まどかと本当の意味で向き合うことを避けていることにもなる。所詮、自分の想いは届かない、と決めつけていたが故に。

だが今求められているのは、まさにそれだったのだ。罪悪感に苛まれ、まどかと向き合うことができていない今のほむらには、確かにまどかの想いに応えることなどできはしない。そんなものは愛とは呼べないのかもしれない。

だからこそ、"憶えていない"などと見え透いた嘘をついてしまったのだ。

 

「………わからないよ、まどか。私はどうしたらいいの……?」

 

いっそ誰かが自分を罰してくれるならば、楽になれるだろう。だが、それをしてくれる人間はこの時間軸にはいない。掴み取った絆を壊す勇気もありはしない。

このまま永遠に自分自身を責め続けるしかないのだ。

自分で自身を赦すことができない限り、ほむらはこの迷宮から抜け出すことはできない。それこそが、ほむらに課せられた罪なのだ。

 

「……………?」

 

不意に、胸ポケットに仕舞い込んでいた携帯電話が振動を始める。取り出して着信を確かめてみると、ディスプレイにはまどかの名前が表示されていた。

騒がしいゲームセンター内では受話音を聞き取ることが難しい。ほむらは足早に外へと出て、邪魔にならないよう歩道の隅に寄ってから通話に応じた。

 

「はい、暁美です」

『あっ…ほむらちゃん? 今もしかして、昨日の娘と会ってたの…?」

「もう済んだわ。今から帰るところだけど……何かしら」

 

今まで、休日にまどかから電話がかかってくるという事態はなかったと言っていいだろう。それどころか、電話でお喋りをする相手もいなかった程なのだ。

それ故にまどかがなぜ電話などかけてきたのか、その意図が読めない。

 

 

『えっとね…ほむらちゃんに逢いたくてお家まで来たんだけど、ルドガーさんが出てきて『独りで出かけた』って言うから…』

「私に、逢いに…?」

『うん。今どこにいるのかな? そっちに向かうよ』

「………駅よ」

『わかった、待っててね。すぐに行くから』

 

ぷつり、と通話が切れるとほむらは雑踏の中にも関わらず、歯痒さに頭を抱えてガードレールに寄りかかってしまう。

 

「ほんとに、"今のあなた"は何時でも私の欲しい言葉をくれるのね……」

 

工場で黒翼を暴走させた時も、ショッピングモールで使い魔に襲われた帰りも、病院の屋上でマミに撃たれそうになった時も。そして今この瞬間も、まるで見守ってくれているかのように優しい想いを、温もりを与えてくれる。

 

「…………好きよ、まどか…」

 

 

この気持ちが愛じゃないとしても、それだけは絶対に変わらない。たとえ誰に理解されなくても、ただ1人だけを想うこの気持ちに変わりはない。

この想いは自分だけのもの。彼女の為だけのもの。

自分に言い聞かせるように、ほむらは今一度想いを強く固めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話「これ以上、優しくしないで」

1.

 

 

 

 

十数分が経過したころ、ようやく人混みのなかに遠目から桃色の髪をした少女の姿を捉えることができた。

人混みを縫うように歩きほむらの方へと近づいてくるその姿は見慣れた制服ではなく、白を基調とした私服に、イメージに合いそうな桃色のカーディガンを羽織ったものだ。

 

「ごめんねほむらちゃん、待たせちゃったね」

「いいえ、そんなことはないわ…途中、大丈夫だったかしら?」

「ううん、ルドガーさんがそこまで送ってくれたから平気だよ」

「…そう」

 

こんなにも自分は自信をなくしかけていたというのに、ルドガーは変わらず約束を守ってくれていたのだ。改めて頭が上がらない、とほむらは感じる。

 

「よかったら、少し歩かない?」と、わずかに背の高いほむらを上目遣いで見ながらまどかは訊く。

「構わないけれど……どうして?」

「そ、その……せっかくだし、ほむらちゃんと……デートしたいなぁ、って……イヤかなぁ…?」

「デート…!? い、イヤなわけないわ」

「! てぃひひひ、じゃあ行こっか」

 

予想だにしなかった言葉を受け、ほむらは思わず上ずった声で返事をしてしまう。まどかは軽く慌てているほむらの手を引いて、再び雑踏へと繰り出した。

柔らかな手のひらの感触が触れただけで、心音が早まっていくのを感じる。きっと顔も赤くなっているのだろうと思い、少し俯き気味にして歩く。

反対にまどかは、まるで日なたのような明るい笑顔をしてほむらを引っ張ってゆく。同じ想いを共有しているという事が、それだけの自信をまどかに与えているのだ。

手を引かれながら横断歩道を渡り、最初に目についた駅ビルのデパートの中へと入ってゆく。

1階は化粧品やバッグ、靴、おしゃれな服を取り扱うテナントが並ぶコスメティックコーナーであり、今までそのような物とはほとんど無縁だったほむらは、場違いなのではないか、といった自念に駆られ出す。

まどかの方は恐らく友人たちや母親と何度か訪れたのだろうか、比較的慣れた様子でデパート内を散策している。

 

「ほむらちゃん、こういう所には来るの?」

「いいえ、来た事ないわ。その…友達とかいなかったし、魔女と戦ってばかりだったから……」

「そっか。じゃあ私が初めてなんだね?」

「………えっ!? は、初めて…そ、そうね。そうなるわね…」

 

ややくすぐったそうな顔をしてまどかは言う。それとは対照的に、ほむらの顔はさらに緊張で強張っていた。

 

(初めて……まどかが私の"初めて"………!)

 

深い意味などないに違いないのだが、そういう風に一瞬でも聞こえてしまったのだから仕方が無い。

だが、ある意味では間違いではなかった。ほむらの唇を奪ったのは確かにまどかが初めてであり、忘れたなどと嘘ぶいたものの未だに感触が残っているのだから。

心臓の鼓動が、隣にまで聞こえてしまうのではないかとばかりに速さを増す。魔法少女になって病を克服していなければ、きっと心臓がいくつあっても足りなかっただろう。

まどかはそのままほむらを牽引し、化粧品売り場へと入っていった。年齢的にはいわゆるお子様である2人に対しては店員も声をわざわざかけてこないが、まどかの目的はウィンドウショッピングだけに留まらない。

こういった規模の大きな化粧品売り場には、必ずといっていいほど試供品が置いてあるものだ。ここも例外ではなく、特に旬の色のリップや一押しの新商品などのそばにサンプルがいくつか置かれていた。

 

「お化粧とかもしたことなさそうだよね、ほむらちゃん」

「え、ええ…必要なかったから」

「何もしなくても綺麗なんだもん、ずるいなぁ」

「そ、そういう意味で言ったのではないのだけど…」

 

まどかはその中から、少々大人びた淡い色を中心としたサンプルを選んで手に取ると、ほむらの顔を見てにっこりと満面の笑みを浮かべた。

その妙に不自然な笑みに、ほむらはついたじろく。

 

「一応聞くけど、それ…どうするつもりなのかしら…?」

「うぇひひひ、任せて? いつもママのメイクしてるとこ見てるから、自信あるんだ」

「じ、自分で使うのね? ええ、そうよね」

「ほむらちゃんってば、何にもしなくても綺麗だからお化粧したらどうなるのかなって」

「ま、まどか!?」

 

ほむらの様子などお構いなしにサンプルの蓋を開けて、口紅を指にとる。そのまま少し血色の悪いほむらの唇に紅を乗せてゆく。まどかの指が触れる度に、(へそ)の下が疼くような感覚に襲われた。

手つきが少したどたどしいが色合いの加減はわかっているようで、乗せ終わると見栄えの良い唇に仕上がっていた。当然の如く、ほむらの顔も茹で蛸のように真っ赤になっていたが。

満足そうな顔をしながら、まどかはほむらに鏡を勧める。

 

「わぁ……ほむらちゃん、綺麗……ほら、鏡見て?」

「えっ、ええ……こんな風になるのね…。でも…似合ってるのかしら、私なんかに……」

「もちろんだよ。ちょっと待っててねほむらちゃん」

「えっ? まどか!?」

 

何を思ったのか、サンプルで使用した色と同じリップを選び取り、ほむらを置いてレジの方へ行ってしまう。

数分置いて帰ってくると、やたら小綺麗にラッピングされた紙袋を持って戻ってきた。そのまま再びほむらの手をとり、化粧品売り場から出たあたりでその小さな紙袋を差し出してきた。

 

「よかったらこれ…受け取ってほしいな」

「わざわざ買ってきたの…?」

「うん。いつも守ってもらってばっかりだから、せめてものお礼っていうか…その…」

「ありがとう………嬉しいわ」

 

互いに顔を紅潮させながら、プレゼントを受け渡す。その姿はさながらに初々しさに溢れるようだ。紙袋を渡し終えると、2人はどちらともなく手を繋ぎ、デパート内の探索へと戻って行った。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

服屋や靴屋にも顔を出し、エスカレーターを上がっては文具屋や本屋など様々なコーナーを物色して廻る。ほむらの趣味や好みをさりげなく探ろうとまどかも何度となく問いかけをし、それをくすぐったそうに答えてゆく。そんな2人だけの時間が過ぎてゆく。

そうしているうちに小腹が空いたと感じたあたりで、まどかの方から提案を持ちかけてきた。

 

「上の階に食べ物屋さんがあるんだけど、行ってみない?」

「ええ…ちょうど、何か食べたかったところだったの」

「うぇひひひ、おんなじ事考えてたんだね。ほら、行こ?」

 

ほむらの手を引きながらエスカレーターをもう一段上がり、降りてすぐのところにあるフードコーナーへと入ってゆく。

中は休日の、それも昼時とあってひと気が多いが、なんとか空席を見つけて向かい合わせの形で席をとった。

周りを見渡せば、男女のペアで座っている組や家族連れで訪れている組も見られる。いったい自分たちはどういう風に見られているのだろうか、と考える。

 

(………少なくとも、想い合っている仲には見えないでしょうね。やっぱり"友達"かしら…そうに決まってるわね)

 

想いが通じ合っているのならば、きっと今の何倍も楽しかったろう。だが、それを閉ざしているのは他ならぬ自分だ。

過ぎた事を考えても辛いだけだ。気を紛らわそうと、まどかに何を食べるのかを問いかけた。

 

「何がいいかしら…?」

「えっとね…ここのクレープ屋さんがすごくおいしいんだよ。前にさやかちゃん達と一緒に食べたんだ」

「そう、それならクレープにしましょうか」

 

昔は甘い物などあまり食べなかったほむらだが、黄色い箱の携帯食糧を主食に摂るようになってから、幾分か甘さに耐性がついたような気がする。

あれは栄養価は確保できるものの甘いのが難点でもあったのだが、幾度となく摂り続けていれば慣れるというものだ。

揃ってクレープ屋の前に立ち、メニューを眺める。その間も2人の手はしっかりと絡んだまま離れない。

メニュー表にはバナナやメロン、ラズベリーやリンゴ…変わったところでは南瓜を使った温製クレープなど、様々な果物を折り合わせた豊富な種類の写真が並び、店内の奥から漂う甘い香りも手伝ってそのどれもが輝きを見せている。

 

「ほら、いっぱい種類があるでしょ?」

「ええ。これだけ沢山あると迷うわね……どれが美味しいのかしら?」

「前にこのメロンのを食べたけど、すごく美味しかったよ? 他にも色々あるけど……」

「これにするわ。まどかは?」

「あはは…もうちょっとゆっくり考えてもいいんだよ?」

 

まどかが美味しいと言うのなら間違いないだろう、と盲信にも似た心持ちでほむらは注文を即決した。

まどかは苦笑いを浮かべながらも、あえてほむらの頼んだものとは趣の違うものを指差す。

 

「じゃあ、私はこれにするね」とまどかが差したのは南瓜を使用した温製クレープだ。

「あとでひと口あげるよ、ほむらちゃん」

「いいの? でも………」

「うぇひひひ、遠慮しないで? あっ、すいませーん……」

 

どうも今日のまどかは押しが強い気がする。先刻出逢ってからこのかた、手を握られながらまどかのペースであちらこちらと連れ回されてやや戸惑い気味だ。

当然ながら、嫌だなどという気持ちは微塵もない。こうしてまどかと一緒にいて、新しい世界がどんどん見えてくる。ほむらにとってもそれは嬉しい事なのだ。

まるで初めて出逢った頃のようだ、と感じる。魔法少女になる以前も、まどかに手を引かれてばかりいたものだ。だが、自分はあまりにも変わってしまった。

 

(もう、笑い方なんて忘れてしまったわね……こんなんじゃあ一緒にいても楽しくないでしよう、まどか…)

 

自己嫌悪。こんなにも優しくしてくれるまどかに対して、自分は何も返せない。そんな自分が嫌になってしまう。

程なく、注文したクレープを受け取り席へと戻る。いたたまれなくなったほむらは、まどかにそれとなく尋ねてみる。

 

「まどか、私なんかと一緒で……楽しい?」

「……どうしてそんな事言うの?」

「だって…私、戦うことしかできなくて…こんなつまらない女とデ…デート…だなんて……」

「ほむらちゃん…いくら私でも怒るよ?」

 

手にしていたクレープをひと囓りして、もぐもぐと口を動かす。まるで小動物のようなその仕草にほむらはときめいてしまうが、唐突にまどかはそのクレープをほむらの方へ差し向けだした。

 

「まどか? どうしたの」

「ほむらちゃん、あーんして?」

「え、えっ!? いきなり何を言うのあなたは!? こ、こんな…女同士で……」

「それはほむらちゃんには言われたくないなぁ。ほら、あーん」

「うぅ…………あ、あーん……」

 

こうなってはまどかは意地でも譲らないだろう。意外なところで頑固さを発揮するまどかの性格はわかっていたはずなのに…と諦めてほむらはまどかの言葉に従う。

差し出されたクレープを、顔を赤くしながらひと囓りする。南瓜と生クリームの味が口内に広がるが、頭の方が茹で上がってしまってよくわからない。

それが済むとまどかはちょうどほむらが囓った部分をじぃ、と見つめる。一瞬の躊躇いのあと、一気にそこにかぶりついた。

 

「おいしいね、ほむらちゃん」

「う………うん」

 

照れ隠しをするように、ほむらは自分のクレープをむしゃむしゃと食べ始める。

美味しい。確かに美味しいはずなのだが、もはや味なんてわかるはずもなかった。

先程とは反対に、まどかはクレープを黙々と食べてゆくほむらをじっと見つめる。唾をごくり、と嚥下して、意を決して口を開いた。

 

「ほむらちゃん……私にも、食べさせて欲しいなって」

「まどか? 食べさせて…って」

「うん。………あ、あーん……」

「!!」

 

可愛らしく口を開いて、ほむらのクレープをねだるまどか。茹で上がったほむらの頭は、ここにきて沸点を超えかかっていた。

 

(可愛い………まどかが、私のクレープを……?)

 

恐る恐る、手にしているクレープを口元に差し出してみる。まだ口をつけてない部分があるにも関わらず、まどかは狙ったように歯型のついた部分にかぶりついた。

照れ臭そうにしながらメロンのクレープを頬張る。その顔を見て、ほむらの心臓はこれ以上ないくらいに早鐘を打ち続けた。

 

(まどかと……間接キス……まどかと…まどかと……)

「うぇひひひひ、おいしいよ」

「! そ、そう……よかったわ」

 

きっと自分の顔は真っ赤になっているだろう。緊張感に手元を震わせ、身体を火照らせながら、それを誤魔化すように残りのクレープをがつがつと食べ進めた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

 

杏子がゲームセンターを後にしたころ、その様子を人混みに紛れながら影から視ているものがいた。少し大人びた私服を身に纏い、気休め程度の変装として巻き髪ではなく髪を下ろしたマミである。

 

「ふぅ……どうやら、首尾よく終わったみたいね」

 

杏子とは過去に付き合いがあったこともあり、このゲームセンターによく顔を出すことは知っていた。2人の間に一悶着あればすぐに止めに入るつもりで休日を推して監視しに来たのだ。

そして何事もなく交渉を終えた様子を見届けると、ほむらに気付かれないようにゲームセンターを出ていった。

自宅へと戻る前に駅前のどこかで適当に食事を摂ってからにしよう、と飲食店の並ぶ方へ足を向ける。こうしてごく普通の休日らしく街中を歩くのは久しぶりだ。

数分歩いて通りを外れかけたあたりで意外な人物と顔を合わせることとなった。

 

「あれ、マミさんですか? …髪下ろしてると、なんか色っぽいですね」と声をかけてきたのは、軽快な服装をしたさやかだ。

「あら、美樹さん。こんな所で会うなんて奇遇ね」

「えっへへへ…恭介が明日、一時退院するからプレゼントでもあげようと思って買い物に来たんです。ホント、マミさんにはお世話になりっぱなしで…恭介のこと、ありがとうございます」

「いいのよ美樹さん、私はただ手伝いをしただけよ。あとは上条くんの頑張り次第だもの」

「恭介のやつも、奇跡的に腕の神経が回復したってわかると急にリハビリに熱が入って…また演奏が聴けるのも、近いかもしれませんね」

「そう…役に立てて、良かったわ」

 

談笑を交わしながらも、マミの脳裏にはひとつの記憶が浮かんでいた。

突然現れ、消えていった人魚の魔女。ほむらの話では、人魚の魔女の正体はさやかが契約し、魔女へと堕ちた姿だという。

だが、目の前にいるさやかの指には魔法少女の証である指輪も、爪に浮かぶ筈の紋様も見られない。

ほむらの言うとおり、今目の前にいるさやかは契約などしていないようだ。そもそも、魔女になってしまえば人型など保っていられない筈なのだが。

 

「………ん? マミさん、あれって…」さやかが急に、マミの背中越しに遥か後方を指差して言った。それにつられ、マミも後ろを振り向く。

人差し指の直線上の大分離れた場所には、もうすっかり見慣れた白髪の青年の姿と、その傍に桃色の髪の少女の姿があった。

 

「鹿目さんと…ルドガーさん? 珍しい組み合わせね」

「まさか、デート!? まどかめ、ほむらというものがありながら浮気!?」

「それはないわよ。鹿目さんは暁美さん一筋だもの。どちらかというと……兄妹ね」

「ですよねぇ……」

 

と言っても、ちょうど昨日ルドガーに似たような問いかけをして今の自分の発言と同様の回答を得たばかりなのだが。

さしずめ、ルドガーは少女たちの良き相談役……みんなの兄のような存在なのだろう、とマミは思う。

さやかと共に2人の姿を遠目から観察していると、まどかは途中で分かれて先程のゲームセンターの方角へと向かってしまう。その後ろ姿を見届けたルドガーは踵を返して帰路に就こうとしていた。

気になったさやかは、ルドガーにどうにか連絡をとれないかマミに訊く。

 

「マミさん、ルドガーさんの電話番号とか知ってます?」

「いいえ、彼は携帯電話を持ってないのよ。どうして?」

「…気になりません?」

「………気になるわね。いいわ、テレパシーを飛ばしましょう」

「さっすがマミさん!」

 

その為には忌々しい害獣にコンタクトをとり、基地局を設けなければならないのだが、今のマミからしたら好奇心の方がキュゥべえへの嫌悪感を少しだけ上回っていた。

 

『というわけでキュゥべえ、よろしく頼むわよ』と、どこかで観察しているのであろうキュゥべえへと念話を飛ばす。

『君たちは僕を電話器か何かだと勘違いしていないかい?』

『私たちを騙した責任、とってないでしょう?』

『騙したつもりはないんだけど……はぁ、まあいいよ。ほら、繋いだよ』

『どうも。…こほん、ルドガーさん? 聞こえるかしら?』

『えっ……マミか!? どうした?』

 

突然頭の中に響き出したマミの声に、ルドガーは驚きを隠せない。

 

『魔女でも現れたのか!?』

『いいえ。私たち今、駅にいるのだけど…遠目からあなたたちの姿が見えたから、ね。鹿目さんと一緒だったようだけど?』

『ああ…ほむらに逢いたいって言って家に来たんだけど、今ほむらは駅に来てるから、ここまでまどかを送ってたんだよ』

『あらあら…お2人はデートでもするのかしら。とにかく、私たちもそっちに行くわ。そこを動かないでいてね?』

『わかった、待ってるよ』

 

念話を切ると、マミはさやかに目配せしてルドガーのいる方角へと歩き出す。信号待ちを含めてものの2分ほどで3人は合流を果たした。

 

「おはよう、ルドガーさん」

「ああ、おはよう2人とも。…なんか雰囲気が違って見えるな、マミ」

「美樹さんにも同じことを言われたわよ、ありがとう」

「さてさて、行きますよルドガーさん?」

 

さやかは何故かうきうきとしてルドガーを促してくる。何を企んでいるのか、それとなく尋ね返すと、

 

「決まってるじゃないですか。2人を見守るんですよ」

「えっ!? い、いいのかそんなことして……」

「2人ともヘタレだから、見てないと逆に不安ですよ。ほら、いましたよ!」

 

えっへん、と胸を張りながらデパートの方へと歩いてゆく2人の少女たちを指差す。好奇心旺盛な年頃なのはこの際置いておくとして、このまま放っておくとロクな事をしない予感がする。やむなく、ルドガーは2人に同行すること決めた。

見失わないように尾けて、3人もデパートの中に入ってゆく。化粧品売り場のなかで何やら揉めている様子の2人を物陰からそっと眺めると、ただならぬ桃色のムードをさやかが感じ取った。相変わらず、声を聞かれない為にもキュゥべえが念話の中継役として使われている。

 

『ちょ………まどかったら、大胆な!』

『どうかしたの、美樹さん?』

『まどかがほむらに口紅塗ってあげてるんですよ! ああもうなんかエロいなぁ、あの2人!』

『美樹さん……年頃の女の子が"エロい"なんて口にしちゃあダメよ? …でもまあ、確かにアレは(オンナ)の顔ね』

『………………』

 

異様なほどの仲の良さを見せる2人に、さやかとマミもはしゃぎ出す。その念話に挟まれたルドガーは、どこに口出ししていいのか本気で頭を悩ませていた。

ひとつだけはっきりとわかるのは、これがもしバレたら時間停止&ハチの巣の刑が待っているという事だけだ。

プレゼント交換を済ませた2人はさらに奥へと歩いてゆき、服屋、アクセサリー屋、文具屋…と次々と場所を変えてゆく。そのひとつひとつで、2人の絆の深さをまざまざと見せつけられては悶絶するさやか達を、それとなく窘めながらルドガーも付いてゆく。

2人のストッパーという意味では、ルドガーの存在はこの場には必要だったのだ。

そうして昼を過ぎたあたりで、まどかとほむらはフードコーナーへと入ってゆき、増えた手荷物と共に席の一角に腰を降ろした。

いつも帰り道に寄るショッピングモールとは異なり店はやや狭いが、さやか達も遠目からギリギリ観察できる位置の離れた席をとる。サングラスを途中で調達したマミが代表となってドリンクを買い、席へと戻ってきた。

 

「はい、ルドガーさんはスプライトと…美樹さんはコーラね」

「ありがとうございます、マミさん!」

「しっ…聞こえるわよ。ところで、向こうはどんな様子かしら…?」

 

マミも加わり、改めてほむら達の観察に入る。ルドガーはもはや諦観の境地で、さやか達のはしゃぎ様が度を越さないように見張ることに徹していた。

まどか達はというと、どうやら2人揃ってクレープを購入したようで、口元に生クリームをつけながら美味しそうに食べているところだった。

 

「向かい合ってクレープとか…もうアレ普通のデートじゃん! どっから見てもラブラブですよ!」

「美樹さん、見て見て! 鹿目さんが"あーん"をおねだりしてるわよ!」

「なんですとぉ!? 鹿目まどか…おそろしい子! 仁美に見せてやりたいわ…」

「ああっ…暁美さんもなんだかしおらしくて、可愛らしいわねぇ…」

「………………」

 

これがいわゆるガールズトークというやつなのだろうか、とルドガーは苦い顔をする。とてもついていけたものではない。

ともあれ、まどかとほむらがああして仲良く過ごしているのは喜ぶべきところだった。

箱の魔女との戦いで自信をなくしかけたほむらを支えられるのは、やはりまどかを除いてはいないのだろう。

しかし気になったのは、まどかが心なしか普段よりも積極的に動いていることだ。

 

(無理してるのか……? ほむらを元気付けようとして。それとも……)

 

自分の想いがちゃんと伝わっているのか、不安なのだろうか。確かにほむらは「憶えていない」と誤魔化してみせたが、伝わっていないのならばほむらはああも悩んだりしないはずだ。

むしろ、知ってしまったから。自分の想いは決して一方通行などではないのだとわかってしまったから悩んでいるように見えたのだ。

果たしてこの自分が本当にまどかに相応しい人間なのか、と。

 

「ああっ! まどかがほむらの口元の生クリームを指で拭って……」

「舐めたわ! 舐めたわよ美樹さん!」

「2人とも少し落ち着いてくれ……」

 

この年頃の少女たちからしたら、他人の恋愛事情が面白くて仕方ないのだろう。ルドガーはあまり触れないで、あくまで見守る程度に収めたかったのだが、この2人はどうやらそれに収まりそうになかった。

願わくば、くれぐれもバレないことを祈るだけだ。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

軽食を終えた2人はフードコーナーを立ち、どちらともなく歩き始める。既にデパート内はあらかた探索が済んでしまい、次に何処へ行くか決めかねていたのだ。

 

「おいしかったね、ほむらちゃん」と、まどかは顔を紅くして照れながら訊く。

「ええ………おいしかったわ」と答えたものの、食べさせ合いっこを半ば強要された上に口元の生クリームを食べられたとあっては、味などわかるはずもなかった。

2人は揃って赤面しているが、違いといえばまどかは笑顔でいて、ほむらはやや俯き気味という事ぐらいだ。

だが、元々ほむらは内向的な人間であり、魔法少女になってからもそれは基本的に変わっていない。

変わったといえば、人見知りしやすい弱い性格であったのが、基本誰も当てにしないという閉じた性格へとなったことぐらいだ。

その点もルドガーと出会い、それにより他の少女たちとかろうじて友好的な関係を築くことができ、幾分かは改善されているのだが根底の部分まではなかなか変えられないものだ。

 

「まどか……次は、何処に行くのかしら」

「んー…そだね、まだ少し早いけど…ほむらちゃんに見せたい場所があるんだ」

「見せたい、場所? それはどこにあるの」

「てぃひひひ、それはお楽しみだよ。ほら、行こ?」

 

手を引かれながら2人はデパートの外へと向かう。エスカレーターを下り、もと来たルートを逆に辿って表に出ると、日射しが少し暖かさを増していた。改めて時計を見ると、デパートに入ってから既に2時間が経とうとしていた。

時間を操る魔法を使うにも関わらず、時間の感覚がなくなっていたようにも感じる。

楽しい時間は過ぎるのが速く感じるとよく言うが、これがそうなのだろう、とほむらは思う。

 

(確かに、私の繰り返して来た時間に比べれば…一瞬のようなものね)

 

自嘲気味な感情に囚われながらも、まどかには悟られないように俯いて表情を隠す。

だが、そんなほむらの僅かな挙動を察してか、まどかは気遣うように声をかけてくる。

 

「もしかして……楽しくなかった…?」

「えっ…? そ、そんなことはないわ。どうしてそんな…」

「ほむらちゃん、さっきから俯いてばかりだから…もし、無理させちゃったんなら……」

「無理なんかしてないわ。でも…ごめんなさい。まだ少し調子が戻ってないみたいね」

「やっぱり、今日はもうやめとく…?」

「…ううん、行きましょう。私に見せたかったのでしょう? 楽しみだわ」

 

まどかに気を遣わせるようでは駄目だ。ほむらはマイナス方向に向いていた思考を頭を振って無理矢理引き戻し、笑顔をつくって見せた。

しかし意識して笑顔を出そうとするも、どうにも堅くなってしまう。最後に"楽しい"と感じて笑えたのは、もういつだったのかすらわからないのだ。

わずかに沈黙の時が流れる。まどかの、手を握る力が少し強まる。いつの間にか繋いだ手は、互いの指が絡み合うようか形をとっていた。

作り笑いをした事も悟られてしまったのだろうか、まどかの表情にも微かな不安の色が見て取れた。

 

「行こっか」

 

沈黙を破り、まどかはただひと言だけを告げた。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

駅から少しずつ遠ざかり、住宅街からも離れた場所へと向かう。暖かい春風が吹くなか、景色は人工物ひしめく街並みから木々の並ぶ自然さに満ちた道へと移り変わってゆく。

やや拓けた場所に出て丘を上がってゆくと、頂上に近づくにつれて花畑のような空間が見えてくる。

 

「ここは………」

 

その場所は、ほむらにとっては初めて訪れる場所ではなかった。過去の時間軸で度々訪れ、そして箱の魔女の幻影の中で立ち寄った場所でもある。

ただし1人で訪れた事は一度もなく、必ず傍らに誰かがいたのだが。

 

「てぃひひひ、綺麗でしょ?」と言いながら歩を進め、花畑の中央に置かれたベンチへと向かう。ベンチに乗った白い花弁を軽く手で払ってから、2人は腰掛けた。

そこからはビルの立ち並ぶ見滝原の街並みを一望できる、市内随一の絶景スポットだ。

夜になればネオンが散りばめられて、より綺麗な景色を観れるのだが、それにはまだ日が高すぎるのが惜しいところだ。

春風と共に花の香りが漂ってくる。心地良い陽気と合わさって、淀んだ心が癒されていくようにも思えた。もっとも、隣に想い人がいなければそうはいかなかっただろうが。

 

「素敵な場所ね。ここを見せたかったの?」

「うん。もしかしたら、知ってたかもしれないけど………」

「…そうね。来たのは初めてではないわ。でも、"あなた"と来たのは初めてよ」

 

嘘は言っていない。この時間軸のまどかとここを訪れたのは確かに初めてなのだから、と言い訳をするように自分に言い聞かせる。

 

「…やっぱり、そう言うと思ってたよ」

「まどか……?」

「今日はね、ほむらちゃんにどうしても訊きたい事があったんだ。だからここまで連れて来たの」

 

まどかの声色に重みが増す。悩みながらも、ひとつの決意を込めた言葉だ。

互いに指を絡ませたまま、まどかはその手を自身の胸元に包むように抱く。

 

「私ね…ずっと誰かの役に立ちたいって思ってたんだ。ほら、私ってどんくさいし頭も良くないし…ほむらちゃんみたいに戦える勇気もない、弱虫だし…

だけどね…こんな私を誰かが必要としてくれるなら、私はそれに全力で応えようって思ってたんだ」

「そんなことないわ…あなたは私を何度も助けてくれたじゃない。あなたがいてくれただけで、どれだけ私が救われたか…」

「うん…でもね、それだけじゃあダメなんだ。私はいつもほむらちゃんに守られてばっかりで…大好きな人が傷つくのを、見てることしかできない。そんなのはイヤなの…私も、ほむらちゃんを守りたいの。ほむらちゃんが笑顔でいられるように、守ってあげたいの…!」

「まどかが、私を………?」

 

その願いは、かつての自分の願いとよく似ていた。守られるのではく、守る存在になりたい、と。自分の弱さを呪い、悪魔に魂を売ったかつての自分の姿と、かすかにだぶついて見えた。

違うのは、勇気があるかどうかだ。まどかは自身のことを"勇気がない"と言っていたが、そうではない事をほむらは痛いほどに理解していたのだ。

 

「まどか……あなたは弱虫なんかじゃないわ。あなたにはね、大事なものを守る為なら自分の命だって懸けてしまえるほどの勇気があるの。………私は、そんな"まどか"を守りたかった。そんな選択なんてしなくていいように、あなたを守る事だけを考えて戦ってきたのよ」

「ほむらちゃん……でも、私は……!」

「………少し、昔の話をしましょうか。いつだったか、"あなたがいなければ、今の私はなかった"と言ったわね」

「うん。あの時はよくわからなかったけど………」

「………私の願いはね、まどかとの出逢いをやり直すこと。まどかに守られるんじゃなくて、守れるようになりたい、そう願ったのよ」

 

言いながらも、不安に心が押しつぶされそうになる。こんな自分勝手な願いを打ち明けていいのか、と。

しかしまどかは、そのかすかな不安を手の震えから感じ取り、言ってみせる。

 

「大丈夫だよ。どんなほむらちゃんも、私は受け入れられる。…この想いは、何があっても変わらないよ」

 

陽だまりのような笑顔でまどかは言う。その優しい声に後押しされ、ほむらは少しずつ言葉を紡いでゆく。

 

「……初めてあなたに出逢った時は、あなたは既に魔法少女で、私はただの弱い女でしかなかった。勉強もできなくて、運動もできなくて…自分から誰かに話しかける勇気もなかった。そんな私を、まどかはずっと支えてくれた。『魔女に襲われそうになった私を守れたのが、一番の自慢だ』って言ってくれたわ」

「…それが、昔の"私"なんだね?」

「ええ。でも…死んでしまったの。今から2週間後に訪れる"ワルプルギスの夜"…彼女はあいつに戦いを挑んで、命を落とした。その時思ったのよ。

『私はなんて無力なんだろう…大事な人を守る事もできない』って。だから私は契約した。時を遡って、まどかを守る為に。

…でも、守れなかったの。何度時を繰り返しても、未来を変える事はできなかった。あなたが目の前で死んでしまうのを今まで何度見てきたか……

時を繰り返す度に私達の心は離れていったわ。想いは届かなくなって、ついには友達でさえいられなくなった。…私を、信じてくれなくなったの」

 

握りしめたほむらの手は冷たくなっていた。今にも張り裂けそうなほどの感情…いつもの低い声色とは異なる、涙交じりの感情の込められたほむらの声は、まどかの胸を締めつけるように心に響く。

 

「ごめんね、まどか。私本当は憶えてるの。あの夜の、あなたの言葉を」

「…うん、気づいてたよ」

「ほんとの事言うとね…すごく嬉しかった。この気持ちは私だけのものじゃなかったんだ、って。今もね、まだ"ここ"に感触が残ってるんだよ? 何回も繰り返してきたけれど、私を好きになってくれたのは、ここにいるあなただけ。

でも…それと同時に、怖くなっちゃったの。私はあなたに愛される資格なんてないから。

私はね、まどか…あなたの願いを踏みにじったのよ」

「どういう、意味…?」

「ここに来る前の時間軸のあなたはね…"過去から未来において、全ての魔女を消し去りたい" そう願ったのよ。だけど全ての時空に干渉するということは、とても人の身では叶わない。

その願いを叶えてしまったら、あなたは人として存在できなくなってしまう。誰の目にも見えなくなって、全時空から"鹿目まどか"という存在が消えてしまう…二度と、あなたに逢えなくなってしまうの。

私はそれが耐えられなかった。あなたがいない世界に取り残されるくらいなら、死んだ方がマシだったのよ……!」

「それって、もしかして……」

 

まどかの脳裏には、ほむらの言葉によって喚起された光景が浮かんでいた。いつか夢で見た、廃墟と化した見滝原での黒髪の少女との邂逅。

愛の言葉を囁き、熱のこもった感情をぶつけられ……その先の光景をまどかは識っていた。識っていて、今まで思い出せなかったのだ。

 

「だから私は、まどかの目の前で……自分のソウルジェムを破壊したのよ……」

「えっ…それじゃ、死んじゃうんでしょ…? なんで…」

「……ふふ、ただ単に死のうとしたわけじゃないの。もしかしたら、まどかなら願いを棄てて私を助けてくれるんじゃないか、って心のどこかで期待してた。ううん…わかっててやったの。

結果は知っての通りよ。私はまどかの願いを使って生き永らえて、今ここにあなたが存在している。………私を助けたまどかは、反動で魔女になってしまったわ。

もちろん悲しかった。また救えなかったんだ、って思ったわ。でもね、同時に"またまどかに逢えるんだ"って、ほっとした。悲しいはずなのに、心の中に少しだけ嬉しさがあったのよ。

ね、私はこういう女なの……最低で、救い様のない女なの。あなたに愛される資格なんて、あるはずがないのよ……!」

 

繋がれた手を半ば強引に引き離す。泣きじゃくりながら罪を告白するほむらの姿は、まどかが今まで見たことのない程に弱々しいものだった。

ほむらも覚悟の上で言ったのだ。きっと知られれば軽蔑される。自分のような浅ましい人間が、まどかのような純粋な人間に相応しいはずがない、と。それでも、ここまで心の内を曝け出してくれたまどかに対して、隠しているままではいられなかったのだ。

嫌われるだろう、という恐怖よりも、本当の自分を識ってほしいという気持ちの方が強まっていたのだ。

だが、まどかの答えは決まっていた。たとえほむらが何を言おうと、それがまどかに対する明確な拒絶でない限りは、まどかの想いは変わらない。

 

「そんなことないよ、ほむらちゃん」

 

そっとほむらの頬に両手を添える。白く柔らかな肌を伝う涙を指で拭ってみせ、そのまま2人の距離は近づいてゆく。

 

「まどか…!? んっ……」

 

うっすらと淡い紅の乗った唇を慈しむように、優しく唇を重ね合わせた。

熱を確かめ合うように。頬に添えられた両手は、決して離れぬようにと自然とほむらを抱きしめる形に変わる。

 

「っは……やめ、て…まどか…! これ以上優しくしないで! でないと私、あなたから離れられなくなる……!」

「離れる必要なんかないよ…だって、そんなの寂しいよ。言ったよね? ずっとそばにいて、って」

「……いいの? こんな私で本当にいいの…? 」

「ほむらちゃんじゃなきゃダメなの。……私ね、こんなに誰かを好きになったの初めてなんだよ?」

「…う、うぅぅぅ……まどかぁ……うあぁぁぁん……」

 

凍てついた心が溶かされてゆく。優しさに、暖かさに、初めて与えられた深い愛情にほむらは耐えきれず、ついに大粒の涙を零す。

胸元に縋りつくように泣き、その暖かさに溺れてしまう。きっともう離れることなど叶わないだろう。

失いたくない。もう繰り返したくない。共に生きていたい。そういった抑圧された感情が一気に心の底から溢れてくる。

 

「まどか……あなたが好き! 大好き! 愛してるの…!」

「私もだよ。……愛してるよ、ほむらちゃん」

「あ…あっ、ありがとう……まどかぁ…………ぐすっ……」

 

まるで世界が時を止めてしまったかのように。2人のいる場所だけが切り取られたかのように、永遠に感じる。花のように廻る時の中で、望んでいた暖かさを手に入れる事ができたのだ。

何が待ち受けているとしても、離さない。今ここにいるまどかだけは絶対に離さない。砂時計を廻したとしても、2度とこの温もりを手に入れる事はできないのだ。

 

 

たとえ、ずっと一緒には居られないとしても。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

デパートを抜けてから、まどか達を後ろから追随する形で街路樹の立ち並ぶ通りに入る。周りには蓮池と木々しかなく、建物内とは異なり隠れる場所が圧倒的に少ないため、距離もかなり置いている。

 

「あっちの方に行くと…自然公園の方に出るわね」

「デートの締めに花畑…まどかのやつ、いいセンスしてますねぇ」

「美樹さん、あなたも見習った方がいいわよ? 上条くんと一緒に行ってきたら?」

「たはは……まあ、まずはそうゆう関係になってからですかねぇ……ほらアイツ、ああ見えてヘタレですから」

「んー…なんとなく、わかる気がするわね。でも美樹さん、あなたもあまり人の事言えないんじゃないかしら?」

「ぐっ! 痛いとこ突いてきますねぇ…」

 

さやかとマミはなおも2人を遠目から生温かい目で観察しており、仲良さげに手を繋ぐ様子を見て色々と言いたい放題なのだが、ルドガーはもはや敢えて口を出さない。

それよりも気になったのは、まどか達が向かっている場所だ。その花畑は、ルドガーがこの世界に飛ばされて最初に目にした所だったからだ。

思えばそれから早くも半月。魔法少女や魔女と、あまりに特殊な出来事に巻き込まれながらもようやくこの世界に慣れてきたところだ。

未だに時歪の因子と魔女との関連性は不明のままであるが、骸殻を使って戦う事ができる以上はこの世界でやれるだけのことをする。しかし、拭いきれない懸念はあった。

もう半月もせずに現れるという、ワルプルギスの夜。幾度となくほむらを苦しめ続けてきた最悪の魔女。もし、そのワルプルギスさえもが時歪の因子化したらどうなってしまうのか。

 

(それこそ"最悪"になりそうだな………けど、今までを振り返ってもまず避けられないだろうな)

「ルドガーさん? どしたの、なんか難しい顔して」

「えっ、ああ…ちょっとな」

 

会話に全く交じってこないルドガーを、さやかが少し気にかけて声をかける。

その明るい表情にすっかり毒気を抜かれ、肩の力を下ろした。

 

「なぁ、あっちまで行くと隠れる場所もないんじゃないか?」と、いい加減あとを尾けるのがいたたまれなくなり、マミに提案を持ちかける。

「それもそうね……花畑に入っちゃうと、丸見えだわ。この辺にしときましょうかしら?」

「ですね。まあもうあの2人なら心配ないか! さっきから見せつけてくれてばっかりだし、明日学校で聞かせてもらうかなぁ」

「じゃあ、明日は報告を美樹さんにお願いしようかしら。ほら、私学年違うし」

「任せてください!」

 

尾行をやめ、街路樹の通りの脇にある蓮池の前で立ち止まる。折角のいい天気だ、ただ帰るのは勿体無いような気がする。

さやか達も同様の事を思ったようで、春の陽気を浴びながら腕を伸ばして「ん〜〜!」と深呼吸をしていた。

清らかな蓮池の水面に3人の姿が映り込む。マミは欠伸をし、ルドガーは見慣れない植物を不思議そうに眺める。そこでルドガーはある違和感に気付いた。

さやかは隣で腕を伸ばしているのだが、水面に映るさやかの姿は、ただ立ち尽くしているだけなのだ。

その姿も大きく異なる。白と青を基調とした彩りに、肩を出しマントを羽織った格好をし、音楽記号のフォルティッシモ"ff"を象ったようなデザインの髪飾りをつけている。

それは衣服と呼ぶよりは、衣装と呼ぶ方がしっくりくる。マミや杏子の服装を思わせる

ソレは、まるで魔法少女の衣装のようなのだ。

 

「何だアレは……?」

 

目を凝らしてよく観察すると、水面のさやかとハッキリと目が合う。不自然なほどに鋭い眼差しを向け、口元を半月型に歪ませた。

ポケットに仕舞ってある懐中時計が金切り音を立てる。もうすっかり慣れたその反応が指し示すものは、ただひとつだけだった。

 

「気をつけろ! 時歪の因子だ!!」

「「えっ!?」」

 

ルドガーの大声に、2人揃って驚きを示す。懐中時計の音はなおも大きく鳴り続け、耳鳴りのように響く。ここまで大きな反応を示した事は数える程しかない。

2人も続いてルドガーの視線の先を見ると、水面のさやかの背後に巨大な影が映り込む。骸骨のような兜に、甲冑を纏いマントを翻す人魚のような亡霊の姿だ。

 

「あれが人魚の魔女か!?」

「ええ! でも、結界も張らずになぜ……」

「ひっ……な、何アレ!? あたしが映ってるの…!?」

「落ち着いて、美樹さん。……暁美さんの話、疑っていたわけではないけれど、これは……」

 

マミは一度遭遇しているが、さやかは初めて見る魔女だ。ましてや、水面に映る自分の姿と、人魚の亡霊の姿が重なっているのだ。驚くなと言われても無理な話だ。

ルドガーは即座に2丁銃を構え、水面に映るさやかに向かって数発の弾丸を放った。隣にいるマミは変身もせずに即席でマスケット銃を造り、弾丸を撃ち込む。しかし当然ながら、ダメージなど見込めるはずもない。

ただの虚像のようにも見えるが、時計の反応からして魔女であることは間違いない。しかし人魚の魔女は、こちらを攻撃しようという素ぶりは見せなかった。代わりに、ゆっくりと口元を動かして何かを呟いてみせる。声こそしないが、何を言っているのかは見て取れた。

 

「み…つ…け…た……? どういう意味だ?」

 

それを最後に、水面のさやかの背後にいる人魚の魔女が巨大なマントを翻し、自身の姿を覆う。はらり、とマントが落ちると共に、魔女の姿は水面から消え去り、もとのさやかの姿が何事もなかったかのように映し出された。

 

「また逃げたようね………何が狙いなのかしら?」

「わからないな。………ただ、今ので少し思い当たるものはあった」

「というと、何かしら?」

「並行世界………かな」

「! …そういうことね」

 

ルドガーが思い当たったのは、ヴィクトルの事だ。分史世界の住人であるヴィクトル…10年後のルドガーは、正史世界のルドガーを殺して成り代わり、エルと共に人生をやり直そうとしていた。

正史世界には同じものは2つと存在できない。鉢合わせれば自動的に正史世界から押し出され、帰る世界がなければそのまま消滅してしまう運命にある。だからこそ、ヴィクトルはルドガーを分史世界におびき寄せ、殺す必要があったのだ。

しかしさやかに対して、「並行世界の君は魔女になっているんだ」とはとても言えたものではない。

マミの方はルドガーのひと言で何か勘付いたものがあるようで、敢えてそれ以上を聞き出そうとはしない。

 

「さやか、家まで送って行く。今日はもう帰った方がいい」

「えっ…? やっぱり、さっきの魔女ってあたしと関係があるんですか…?」

「今はまだ断言はできないけど…念のためだよ。なるべく独りにならないようにしてくれ。

何かあればすぐ駆けつけるから、キュゥべえを使ってでも連絡してほしい」

「わ、わかりました……」

 

 

幸せそうな日常は長くは続かないものだ。全てが終わるまでは、決して気を抜く事はできない。

ルドガーは改めてそう思い知らされるも、今ここにいる皆を守り抜くという強い意識を抱く。

だが、戦えるのだろうか。今度の相手はルドガーの予想では過去最悪に近い敵であり、傷つけるのを躊躇われてしまう恐れもある。

まずは正体を確かめなければならない。あのさやかは何者なのか。どうして、ほむらの名を呼び激昂していたのか。

問題は、次から次へと重なってゆくばかりだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:5 翼、はためかせて
第16話「だから、どうか泣かないで」


1.

 

 

 

 

 

週明けの月曜日というのは、憂鬱な気分になりがちなものだ。社会人ならば長い仕事が、学生ならば退屈な授業が待ち構えている。

その中に楽しみを見出すことができていないのならば、長い一週間の始まりを迎えるのは少々辛いものがある。今日のように空に雲が広がり、翳りをみせた天気ならばなおのことだ。

例えば、美樹さやかの場合。1時限目から苦手な教科である英語が待っているというだけで、まだホームルーム前だというにも拘らず教室内の自分の机の上でうな垂れていた。

 

「んげー…今日朗読当てられんじゃん。仁美ぃー、たすけてー」

「あらあら、さやかさん。予習してないんですの?」

「あたしゃ純日本人だよ? 英語なんかちんぷんかんぷんよ!」

「仕方ありませんわね、ええと……」

 

見かねた仁美が英語の教科書を片手にさやかの机まで訪れ、丁寧な解説を始める。いったいその内の何割がさやかの頭に染み込むのかは、底が知れたものだ。

 

「さやかさんってば、運動なら得意なのに勉強が苦手なんですのね」

「人を脳筋みたいに言うない! あたしだってか弱き乙女なんだからね!」

「まあまあ、私だって運動はあまり得意ではないですもの。その点は文武両道、才色兼備の暁美さんが羨ましいですわね」

「まあ、ほむらはねぇ…」

 

なまじほむらの事情を知っているさやかは、仁美の言葉に対して茶を濁すが、その仁美のひと言でとある事に気付く。

教室を見渡しても、見慣れた2人の姿が見当たらないのだ。

 

「そういえば、まどかとほむらがまだ来てないじゃん」

「ほんとですわね。………はっ! まさか、2人して同じベッドで一夜を過ごして、揃ってお寝坊さん…!? ああっ! それは禁断の」

「はいはーい! ストップストーップ! ここ教室だかんねー!?」

 

いつもの悪癖を発揮し出した仁美を制止するさやか。名指された2人は知りもしないだろうが、2人のいない時の仁美は結構な割合でこの悪癖を持ち出すのだ。

 

(ある意味間違っちゃあいないんだけどねぇ……)と、内心でぼやくさやか。

先日の2人の逢瀬の後をつけた限りは、どう見てとそうとしか見えないほどいい雰囲気だったからだ。

それに、ここ数日のまどかのほむらに対する執心は、命の恩人に対してのそれにしては少々度が過ぎている部分もあったのだ。

もっとも、それ以上の事はさやかとてまだ知らないのだが。

 

(まあ、恭介一筋のあたしも前に一瞬どきりとさせられたもんねぇ…初心(ウブ)なまどかなんてひとたまりもないか。まして、ほむらはガチでまどかに惚れてるし………結局、まどかの気持ち次第か)

 

時刻は8時29分。間も無く校門が締め切られる頃であり、それを過ぎれば遅刻扱いになってしまう。

転校初日で倒れかけ、数回の欠席があったほむらならまだしも、割と真面目なまどかが遅刻するというのは珍しい話だ。

こんな暖かな陽気の中だ、本当に寝坊でもしているのだろうか。そう考えると英語の事など忘れて自分も眠りに就いてしまいたい欲求に駆られてくる。

しかし、実際はそうもいかない。諦めて仁美の指導のもと、再びテキストと睨めっこを始めると、ばたばたと廊下を駆けてくる足音が連なって聞こえてきた。

その音で何となく察しがついたさやかは、全面ガラス張りの壁越しに廊下を見る。まどかとほむらが慌ただしく走って来ており、片や涼しい顔で、片や息を切らせながら教室のドアを勢いよく開いて飛び込んでくる。

それとほぼ同時に、校内スピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。

 

「はぁ……はぁ……間に、合ったね…」

「大丈夫? まどか」

「うん…大丈夫だよ。ほむらちゃんは……?」

「平気よ。身体の造りが違うもの」

 

それはそうだろう、と内心でさやかはツッコミをいれる。まどかは若干額に汗をかいていたが、ほむらの方は汗ひとつかかずにまどかを気遣っている。流石は魔法少女、といったところか。

それよりも気になったのは、駆け足で遅刻ギリギリに滑り込んできたにも拘らず、2人の手が絡み合うようにしっかりと繋がれていたことだ。

友達や親子で繋ぐようなあれではない。指と指が絡んだ、仁美が興奮して喜びそうなあの繋ぎ方だ。

 

「来ましたわ………! やっぱりあのお2人は」

「仁美ぃー? ステイ、ステイよー?」

 

とは言いつつも、さやかもほぼ同じ事を考えていたところだ。仁美と違って言葉にこそ出さないが、

(あいつら………どっからどう見てもデキてるようにしか見えないじゃんか!)と。

マミとの約束もある。軽口を聞くふりをしつつ探りをいれようと、さりげなく近寄ってゆく。

 

「あらあらお2人さん、夫婦揃ってご登校ですかぁ?」

「ふ、夫婦……!? えっと…そのぉ……」

「………んん?」

 

軽口に対し、平常時のまどかなら「もう! そんなんじゃないってば!」といったような返答を返すだろうと思っていたさやかは、少し意表を突かれる。

今度は比べるようにほむらの方を向くと、こちらも少々顔を赤らめているのがわかった。素肌が色白なだけあって、すぐ顔に出るようだ。

さらに、普段はお世辞にも血色が良いとは言えない唇の色が、ほんのりと赤みを帯びて健康色を演じているのに気付く。

 

(そういえば、昨日まどかが口紅買ってあげてたよねぇ……って、早速つけてるんかい!)

 

さやかの中のほむらのイメージに、ヒビが入る音がする。ついにこの着飾る事を全くしない少女も色気づき出したのか! と。

とはいえ、口紅の事まであっさり指摘してしまったら、昨日あとを尾けていた事を気付かれてしまうかもしれない。あくまでさりげなく、なんとなしに気付いた風を装って尋ねかける。

 

「…ん? なんかほむら、いつもとちょっとだけ雰囲気が違うような……」

「そ、そうかしら」

「あ、 わかった! あんた化粧してるでしょ?」

「う……………」

 

指摘してみると、ほむらはさらに顔を赤くしてわずかに俯き、首をこくり、と縦に動かした。

 

(いやいや、あんたらばっちし手ぇ繋いでる時点で十分恥ずかしいから!)

 

などと思いつつも、あまり見せない顔をするほむらのリアクションが面白くも感じる。

その様子はさやかや仁美だけに留まらず、教室中の注目を集めており、問い詰めにこそ来ないがひそひそ、と教室中がざわめき出した。

無理もない。ほむらはこれでもミステリアスかつクールで、多方面に万能な転校生のキャラ付けになっているのだ。

その転校生がまどかと揃って滑り込みで登校し、未だ手を繋いでいるとあれば騒がずにはいられまい。意に介していない、というより気付いていないのは当事者2人だけであった。

 

「…さやかさん、そろそろ和子先生がいらっしゃる頃ですわよ」

「お、そういえばチャイム鳴ったんだった。ほらあんたらも早く座んな?」

 

背後から投げかけられた仁美の声に促され、さやかは席に戻る。間も無く、ガラス張りの壁の向こうに担任の和子の姿が遠目から近づいてくるのがわかった。

2人もやや名残惜しそうに手を離し、それぞれの席に就いてゆく。周囲の女子生徒の視線はその2人に集まっており、休み時間は質問責めに遭う事は避けられないだろう。

それよりもさやかは、とあるもう1つの事実に気付いてしまっていた。

ほむらの隣で照れ臭そうに笑っていたまどかの唇にも、ほむらの口紅と思しき色がかすかに乗っていたのだ。

かすかに、というのがネックだ。ほむらのようにちゃんと塗ってつけたのではなく、ほんの少し付着してしまったような感じなのだ。当然、それが指す意味はひとつしかないだろう。

 

(………なんとまあ、昨日1日でどこまで進展したんだこやつら!)

 

リア充爆発しろ! と心の片隅で思いつつも、マミに対して十二分な報告ができそうだと安堵感も覚える。

同時に、親友の想いも恐らく成就したのであろう事も、自分のことのように嬉しく思うのだった。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

退屈な授業も、人によっては捉え方が様々なものだ。

例えば、理解が追いつかずに置いていかれて考える事をやめてしまったり、教科担任の声が念仏のようにリラックスを誘い瞼が重くなったり、またある者は耳に蛸を通り越して、頭痛すらしそうなほど同じ内容を繰り返し耳にしてきた者もいる。

そんな退屈に塗れた授業もようやく半分ほど終え、昼の休み時間がやってくる。

いつもの様に廊下のベンチに陣取り、窓の外から少し薄暗い空を眺めながら昼食を広げる3人。同じ秘密を共有する仲の集まりだ。

もっとも、今日からは新たな秘密事項が加わる事となったのだが。

 

「………で、晴れてあんた達は恋人同士になったってわけね」

「ええ。色々あったけれど…まどかは私を受け入れてくれたわ」

「うぇひひ、クラスのみんなには内緒だよ?」

 

2人の距離感が(物理的にも)さらに縮まった事について指摘をしたところ、両者から昨日の出来事を、特に花畑での出来事を一部聞き出すことができたさやかは、まどかにそんな甲斐性があった事に素直に感心していた。

というのも、現在隣に腰掛けているこの意気地なしの親友はその想いを胸に秘めたままでいるつもりであり、対してまどかの方も想いを自覚してるのかどうか曖昧だったからだ。

そこから大きく前進できたことを、親友として素直に祝福してあげたい、と思うところだ。

 

「ありがとう、さやか」と、先に礼を言われてしまったさやか。

「いいって、そんなの。これはあんた達の問題なんだし。…でもさ、そんなに幸せそうなあんたの顔、初めて見たよ。こりゃああたしも負けてらんないなぁ」

「たしか今日だよね、上条くんの退院の日って」

「うん。夕方には退院するらしいから、学校の帰りにでも行こうと思うんだけど…あんたたちも良かったら、来る?」

「いいの?」

「どうせマミさんも誘うつもりだったし、恭介も美少女たちに囲まれた方が元気出るっしょ?」

「び、美少女って………」さやかの発したワードに苦笑いをしながら、隣のほむらの顔をちら、と見るまどか。

「自分で自分の事を美少女と言うのはどうかと思うのだけど…」と、そのほむらもさやかに対して軽く苦言を呈した。

「なによー、さやかちゃんは可愛くないっての?」

「さあ、どうかしらね」

「ぐぬぬ……そ、そりゃああんたには敵わないけどさぁ」

「………?」

「そこ! キョトンとした顔であたしを見るなぁ! あんた無自覚だったのか!?」

 

ビシィ! と行儀悪く箸でほむらを指す。ほむらの方は本気でさやかの言葉の意味を理解していない様子で、不思議そうな面持ちでまどかを見た。

 

「てぃひひ、さやかちゃんも可愛いよ? でもほむらちゃんが一番だよ」

「そんな…まどかの方が可愛いわ」

「ほ、ほむらちゃんってば………」

「まどか………」

「あー! あっついなぁここー! まだ4月なのになー!」

 

ぱたぱたとわざとらしく手で風を扇ぎながら、弁当をがつかつと食べ進めてゆくさやか。

しかし、隣に並んでいる2人は箸がほとんど進んでおらず、周囲の体感温度の上昇に貢献するばかりだった。

こうして、昼も更けてゆく。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

すっかり日課となった買い出しへと、傘を携行しながら向かうルドガー。空は薄暗く、天気予報によると午後になれば雨が降るだろうとのことだ。

4月も終わりが近づき、季節の変わり目へと向かいつつある。もっとも、かつてのエレンピオスはお世辞にも空が綺麗とも言えず、むしろ今のような中途半端な気候はルドガーにとっては懐かしささえ感じられるのだ。

 

『やあ、今日もあそこへ向かうのかい』

「!」

 

不意に、白い害獣に声をかけられて周囲を見回す。キュゥべえはルドガーの背中を追うように民家の外壁の上に立っていた。

 

『君は毎日のようにあのショッピングモールへと出かけているけれど、そんなに大事なことなのかい?』

「まあ、な。人間は食事を摂らないと生きていけないからな。それに、毎日は行ってないぞ。せいぜい2日おきぐらいだよ。

………それより、何の用だ?」

『きゅっぷい。君もそういう勘は鋭いね』

「お前が何の用もなしに俺のところに現れるわけがないだろう。契約できるわけでもないんだし』

『確かに。思春期の少女を用いた方が時間効率は良いんだけど……不可能ではないよ。でも、男性は少女と違って感情的には不安定になりにくいし、圧倒的に効率が悪すぎるから契約をとらないだけさ』

「………ほんとか? それ」

『きゅっぷい』

 

男でも契約自体は不可能ではない。思いも寄らぬ答えが帰ってきたことに、ルドガーは少し狼狽えてしまう。

 

『まあ、実を言うと君の調査も兼ねてるのさ。君の持つ力…あと少しで解析できそうなんだけれど、もう一押し足りないんだ』

「俺の力を? でも、そんなもの調べたってお前に何の得があるんだ」

『もちろん、君の正体さ。君の正体を知ることができれば、魔女たちに起こっている異変の正体に繋がるかもしれない。

あの魔女たちはね、通常では考えられないくらいの因果律を秘めていたのさ』

「因果律?」

『そうさ。魔法少女の力の強さは、その娘の持つ因果の値によって決まるんだ。鹿目まどかに莫大な魔力の素養が備わっているのは、恐らく暁美ほむらの力の影響だろうね。

彼女が同じ時間を何度も繰り返してきたことは聞かせてもらった。それによってまどかと、まどかの周辺に因果が集約しているのだと僕らは予測しているよ。

例えば美樹さやか。彼女もまどかには遠く及ばないけれど、マミや佐倉杏子にも匹敵する素質を備えているようだよ』

「…だとしても、契約はさせないぞ」

『それは彼女たちの自由さ。僕たちからはもう勧誘しないことにしているよ。僕が話したいのはその先だ。その因果の集約があの魔女たちにも起こっていたとしたら、あの異常な強さは頷けるんだよ。

ただ、その可能性は低い。そうだとするならば、他の時間軸でもそうだったはず。なのに、あのほむらが対策もなく苦戦するとは思えないからね』

「時歪の因子と同じ反応を示したのは、そのせいなのか…?」

『その"時歪の因子"が何を示すのかを知りたいんだけれどね。その魔女に対して有効なのは今のところほむらの謎の力と、君の骸殻の力というわけさ。

ただ、ほむらの場合はただの火力押しだから、本当に効果的かどうかはまだ判断しかねるけどね』

 

ひょい、と軽い歩調で壁から壁へと飛び移りながらルドガーのあとに続くキュゥべえ。その姿はさながらに猫のようでもあった。

もっとも、猫であるならばこんなにも忌々しい、と思ったりはしないのだろうが。

 

「俺からも聞きたいことがあるんだけど」

『なんだい?』

「…魔女って、こんなに沢山現れるものなのか? 今までに5体出たってことは、5人の魔法少女が犠牲になったってことだろ。

この街で、この半月だけでだ。この街だけが異常なのか、それとも…他の街もなのか?」

『いい勘をしているね、君は。そうだね、確かにこの街は、特にそういったマイナスのエネルギーが集まり過ぎているようだ。

それとね、5人といったけれど……君達が昨日遭遇した人魚の魔女。あれは僕たちの知らない存在だ。言ってみればほむらのようなものだね。

"あれ"と契約した憶えはないんだよ。もしかしたら、"あれ"も他の時間軸からやってきたのかもしれないね』

「…やっぱり、そうなのか」

『勘付いていたようだね。それと、気をつけるんだ。今日はこれを伝えに来たんだけど…"あれ"は今までの魔女と比べ物にならない程の力を感じたよ。そして、どうやら水の中を自由に行き来できるようだね』

 

言われて、昨日の蓮池での出来事を思い出す。水面に投影された人魚の魔女と、なぜか魔法少女のような格好をしたさやかの姿。

あれがもし、キュゥべえの言うように他の時間軸、あるいは分史世界から漏れ出た"美樹さやかの成れの果て"だとしたら。

空は次第に暗雲が立ち込めてゆく。空気は更に湿っぽくなり、土の匂いがどこからともなく漂う。

ぽつり、と蚊が刺したような感触が頬を打った。ほんのかすかな雨粒が滴ってきたのだ。

 

───そこで、ルドガーはひとつの事実に気付いた。

 

「…おい、水の中を自由に行き来できるって言ったな?」

『恐らく、それが"あれ"の能力だろうね』

「今日は午後から雨が降る……まさか、あいつは! 昨日手を出して来なかったのはそういう事だったのか!」

 

水の中を自由に動けるのならば、雨粒を伝って動き回る事もできる可能性も考えられる。だとするならば、雨が降り出してしまえば人魚の魔女はこの街の何処にでも瞬時に移動できると言う事になる。

つまり、街全部が雨という名の魔女結界に覆われ、住民全てが人魚の魔女の危険に晒されることとなるのだ。

 

『僕が伝えたかったのは、まさにその事だよ』

「まずい……すぐにほむらに連絡をとってくれ!」

『わかったよ。ほむら、聞こえるかい………ほむら、ほむら? うん? どういう事だい』

「どうした、キュゥべえ!?」

『テレパシーが送れないんだ。マミにもだ。杏子も試してみるけど……』

「なんだって……?」

『……ダメだ。杏子にも送れない。あの人魚の魔女、なかなかのやり手だよ。恐らく雨粒の中には既に魔力が仕込まれていて、それがテレパシーをジャミングしているんだろう。

恐れ入ったよ。まさか、そこまでの知性を残した魔女が存在するなんて』

「ちっ……! なら、直接学校へ行くぞ! もう時間が惜しい!」

 

アローサルオーブを起動させ、いつ何処から敵が現れてもいいように備える。雨粒は少しずつ量を増してゆき、湿気と共に生温かい風が吹き付けた。

傘を指すこともなく、駆け足で学校へと向かってゆく。ここからならば距離にしておよそ15分といったところだろうか。

 

『段々と魔力が増しているのを感じるよ。あの魔女は、いったいどれだけの魔力を隠し持っているっていうんだい』

「わかるのか。俺の時計にはまだ反応はないけど………」

『君の力は魔女そのものには反応するけど、こういった魔力の産物には反応しないようだね? せいぜい気をつけるんだね』

「………時々、お前が敵なのか味方なのかわからなくなるよ」

 

そもそも、このインキュベーターが蒔いた種なのだからこれくらいの協力は当然、むしろ足りないくらいなのだ。

わざとらしく皮肉を言いながら、ルドガーはさらに脚力を高めた。

 

 

 

 

 

4,

 

 

 

 

 

 

退屈な授業は終わった。ホームルームを終えて挨拶が済むと生徒達は鞄を持ち、がたがたと席を立って教室をあとにしてゆく。

ガラスの壁越しに廊下を見ると、ひと足早くホームルームを終えたらしく、既にマミが傘を片手に立って待っていた。

さやかもすぐにマミの元へ向かい、「お疲れ様です!」と声をかけた。

「お疲れ様、美樹さん。これから病院に向かうらしいわね?」

「はい! マミさんにはお世話になりましたから、ぜひ来て欲しくて……」

「ふふっ、それは構わないけれど…あの2人は大人気のようね?」

「そうなんですよー。いや実は今朝こんな事があって……」

 

マミがガラス越しに指差した先には、一部の女子生徒たちに囲まれて質問責めに遭っているまどかとほむらの姿があった。

開け放たれたドアから漏れ出た声を聞くに、いつの間にそんなに親密になったのか、どうやってあの転校生を堕としたのか、と言いたい放題のようだ。

普段はクールなほむらも流石に困り果てた顔をしているが、まどかのいる手前、気弱さを見せないように振舞っていた。

 

「あの様子だと暁美さん、吹っ切れたようね」

「ん? ほむらがどうかしたんですか」

「いえ、この前きつい事を言ってしまったから……ちょっとね」

「きつい事? それって…」

「…暁美さんは鹿目さんに依存している、って話よ。同じ時を繰り返して、鹿目さんを助けるという行動そのものにこだわっている。そう指摘したのよ」

「あー…マミさんもやっぱりそう思ったんですね。あたしも、前にそれっぽい事話したんですよ」

「美樹さんもだったのね。あら、やっと出て来たようよ?」

 

マミと共に教室内を見守っていると、ようやくほむらがまどかの手をとり人垣を分けて出てきた。2人を暖かな視線と共に迎え、教室を離れてゆく。

 

「お疲れ様、暁美さん。…答えが出たようね?」

「ええ……あなたに言われてから、色々と考えたのよ」

「ふふっ、わかるわよ。だってあなた今すごくいい顔してるもの」

「さやかにも同じ事を言われたわ。そんなに顔に出してるつもりはないのだけど……」

「いいじゃない。これも鹿目さんのおかげね」

「うぇひひ、可愛いですよね?」

 

4人で揃って、正面玄関へと向かって階段を降りてゆく。ガラス越しに外をみれば既に雨が少しずつ勢いを増しており、今では傘が必要なほどだ。

盾の中に傘を何本か常備しているほむらはいちいち天気予報など見なかったし、まどかは朝逢った限りでは傘を持っていなかった。

さやかも傘を持って来ていないようで、鞄ひとつ抱えているだけだ。

 

「げっ、雨すごい降ってるじゃん。ほむらぁー、傘余ってない?」

「あるけれど…よく余ってるってわかったわね」

「んー…ほむらの四次元ポケットの中ならあるかなぁって思ったんだ」

「四次元ポケット? 何かしらそれは」

「……oh、四次元ポケットを知らないなんて……」

 

いくらテレビを見ないからって、それはないんじゃないかとさやかは思う。ともあれ、ほむらは鞄で手元を隠しながら盾を出し、そこから傘を2つ取り出した。まどかと、さやかの分だ。

 

「はい、まどか。あとさやかは1000円ね」

「てぃひひ、ありがとほむらちゃん」

「金取んの!? しかもあたしだけ!?」

「冗談よ」

「あんたが冗談言うとガチにしか聞こえないんだけど!?」

「でも、暁美さん」と、マミが2人の間に横槍を入れる。

「普段からそんなに傘を持ち歩いていたのね。まさか盾の中に何本も仕舞ってあるとは思わなかったわ」

「面倒だからよ。でもまさか、今日雨が降るとは思わなかったわ」

「あら、"識っていた"のではなかったのね」

「ええ。第一"今日"雨が降ったことなんて────」

 

言いかけてほむらは思う。確かに、いつもならば"今日"雨が降ったことは一度もない。今から数日後ならば雨が降るには降るのだが、初めて目にする事象にどこか違和感のようなものを抱かずにはいられない。

 

「…なかったわね」

 

まさかと思いつつ盾を畳み、左手を窓にかざしてみる。すると、思いも寄らぬ反応を手の甲の痣に感じ取ることができた。

すっかり土砂降りになった雨の中に、微弱ながら何かしらの魔力を探知したのだ。

 

「………そんな!」

「暁美さん? どうしたの」

「この雨、普通じゃないわ……魔力が込もってる」

「なんですって!? ………本当ね。この雨、いったい…?」

 

これだけの土砂降りの雨に魔力を込めるなど、それこそ魔法少女程度の魔力では無理がある。そもそも、貴重な魔力をそんな事に使う必要もあるとは思えない。よって、誰がやっているのかは自ずと想像がついてしまう。

 

「…恐らく、魔女かしらね」

「だとしても、こんな事してどうする気なのかしら」

「わからないわ。けれど…外には出ない方が良さそうね」

 

ほむらは繋いだ手をぎゅっ、と握り直して離さぬようにまどかを見る。

まどかの瞳には僅かな不安の色が見て取れたが、すぐ隣にほむらがいる安心感の方がまだ優っているようだ。

さやかの方も魔法少女2人の会話を耳に挟みながら、ひとつの想像をしていた。

雨、つまりは水。それが連想させるものはまさしく、昨日目撃したあの"人魚の魔女"だ。

 

「…ねえ、マミさん。この雨もしかして…昨日のあたしのニセモノの仕業とかじゃないですよね」

「人魚の魔女ね………その可能性もあり得るわね」

「さやか…あなた、アレに遭ったの!?」

「遭ったっていうか…池に映ったあたしの姿がヘンで、その後ろになんか魔女っぽいのがいただけなんだけど」

「どうしてもっと早く言わないの!? あなた、狙われているかもしれないのよ!? わざわざあなたに姿を見せたって事は、そういう事でしょう!」

「ご、ごめんって!」

 

心配するあまり、感情が高ぶってしまった。そんなほむらの様子を見た全員が、本気で深刻な問題なのだろうと想像をしてしまう。

そしてそれは、決して間違いや考えすぎなどではなかったのだ。

 

 

 

『見ぃ───つけた』

 

 

 

背後からよく聞き慣れた声がする。しかし全員がすぐに違和感に気付く。声の主は背後などではなく、すぐ隣にいるはずなのに、と。

最初に振り返ったのは、既に神経が立っているほむらだ。続くようにそれぞれが振り返り、そして自身の目を疑う。

平に面した廊下の遥か先には、同じく見滝原の制服を纏った青い髪の少女が立っていたからだ。

口元が半月型に裂け、背筋が凍りつきそうなほど不気味な笑みを浮かべる。その瞳には、狂気が宿っているようにも見えた。

 

「だ、誰よあんた!!」さやかが、吠えるようにソレに問いかけをする。

『見てわかんなぁい? あたしはアンタよ。ねェ、そうでしょ? "て・ん・こ・ぉ・せ・ェ"?』

「………美樹、さやか……ッ!!」

 

行動を起こしたのは、ほむらが先だった。左手の痣を煌めかせて即座に変身し、盾の中から素早く拳銃を抜く。ここが校舎内であるという事もおかまいなしに、2発ほど射撃を放った。

弾丸は的確にソレの眉間と心臓に向かって飛んでゆく。しかし、まるで微動だにせずソレは弾丸を素直に喰らってみせた。

額から血飛沫が散る。普通ならば致命傷、例え魔法少女だとしても、脳漿を貫く弾丸を受けてしまえば自己治癒は決して簡単ではない。

 

『──────ハ』

 

だが、まるで蚊が刺したかの如く弾丸を気にも留めない。音符と譜線のエフェクトと共に額の傷は一瞬で塞がり、血痕が残る以外は何事もなかったかのように再生していた。

 

『舐められたもんだねェ…こんなオモチャが、あたしに効くわけないのにねェ!』

 

左手を翳し、ソレは姿を変える。白と青を基調とした衣装を瞬時に纏い、目にも留まらぬ速さで抜刀してみせた。

その姿はまさしく、ほむらが過去に何度も目にして来た、美樹さやかの魔法少女としての姿そのものだった。

 

『そォ───れっ!!』

 

スクワルタトーレ。放たれた横一閃の斬撃は距離をも無視して、美樹さやかの前に立つ全てを切り裂かんと牙を剥く。

頭で考えるよりも速く身体が反応し、ほむらはとっさに盾を構えて魔力を込め、広範囲のシールドを展開させた。

 

「ぐ……うぅっ!!」

「ほむらちゃん!?」

「だ…い、じょうぶよ…! それより、早く逃げなさい!」

 

ガシャン! と激しい音を立て、まるで車にでも撥ねられたかのような衝撃が盾に降りかかる。筋力強化をかけていなければ、後ろに大きく吹き飛ばされていただろう。

美樹さやかとほむらの間にある全てのガラスはその斬撃による衝撃波で派手に砕け、破片を散らした。

しかし、その程度では美樹さやかの攻撃は止まらない。

 

『ハハハハ───まだまだぁ! スプラッシュスティンガァァァ───!!』

 

千手観音のように剣を展開させ、その全ての刃先を少女達に向ける。美樹さやかは何の躊躇いもなしに無数の刃を射出させた。

 

「暁美さん、危ない! ────レガーレ・ヴァスタアリア!!」

 

ほむらの盾で防ぎ切るのは困難だと判断したマミは、大量のリボンを展開させて放たれた剣を絡め取る。

リボンの強度はしなやかさと反比例して鋼鉄のように硬く、鋭い刃さえも止めてしまった。

 

『ジャマしないでよねマミさァん!! あたしが用があんのはそこの女だけなんだからさァ!!』

 

パチン、と指をひと鳴らしすると、リボンに絡まった剣が異様な熱を持ち始める。危険を感じ取ったほむらはすぐに盾を起動し、時間を止めて対応した。

 

「マミ! 離れて!」

 

マミの衣装の袂に触れて、思い切り引っ張る。剣は今まさにリボンごと膨れ上がり、大爆発をする直前で留まっていた。

 

「───暁美さん!? これは、いったいなんなの!?」

「私にもわからないわよ! とにかく、まどか達を逃がさないと…!」

「けれど、どこに…!?」

「どこだっていい! ここは私が食い止めるわ! アイツの狙いは私みたいだもの…」

「…わかったわ。どうか、気をつけて」

 

外の雨は魔力が込められており、何の危険があるかもわからない。かと言っていたずらに校舎を逃げ回っていれば被害はどんどん広がってゆく。

マミは後方に後ずさるまどか達と、砂時計の起点たるほむらにリボンを結びつけ、時の呪縛から解放してやる。

 

「鹿目さん、美樹さん! とにかく逃げましょう!」

「マミさん!? 一体どうなってるんですか!? あれ、さやかちゃんですよね…!?」

「その話はあとよ! 今はここを離れて───」

 

言いかけた刹那、後方から強烈な爆音が響き渡った。ガラスの破砕音と炎が舞い上がる音。そして、

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

絹糸を割くようなほむらの叫び声と、壁に何かが叩きつけられる音がマミの耳に届いた。

 

「暁美さん!?」

 

振り返って見るも、爆塵に視界を遮られて確認する事ができない。しかし唯一確認できたのは、空中に静止しているガラスの破片によって"時間停止はまだ発動している"という事だけだった。

剣を絡め取ったリボンはマミとは独立しており、マミとほむらが接触しても問題ないはずなのに。

 

「時間停止が効かないの…!? まずいなんてもんじゃないわよ!! 2人共ついて来なさい!!」

「はい! ほらまどか!!早く逃げないと!」

「待って! ほむらちゃんは!? ほむらちゃんはどこ!?」

「鹿目さん!! ダメよ!!」

 

爆塵の中に飛び込もうとするまどかをリボンで押さえつけ、リードを引くようにしてマミは駆け出した。魔法少女の出力に敵うはずもなく、まどかはずるずると引っ張られていった。

 

「イヤだ! 離してマミさん!! ほむらちゃんを助けないと!!」

「あなたに何ができるっていうの!! 殺されるわよ!?」

「あ………っ、わ…わたし……」

「……くっ!」

 

しまった、とマミは思った。まどかはほむらに守られるだけでなく、守る存在になりたいと願っていたのだ。

だが今の一言は、まどかのその想いを否定しかねないものだった。急を擁するとはいえ、まどかを傷つけてしまったかもしれない。

リボンに抗う事をやめ、まどかは強引に引っ張られたままさやかに手を取られ、ようやく逃げる事を始める。

だが、その双眸からは止めどなく大粒の雫がこぼれ落ち始めていた。

 

「まどか…ほむらならきっと大丈夫だよ! あんたの事守るって言ってたじゃんか!」

「さやかちゃん…でも……私、結局何もできない…」

「……それは仕方ないわよ。あなた達はあくまで普通の女の子だもの。とにかく! 暁美さんの分まであなた達はしっかり守ってみせるわ!」

 

先程降りて来た階段を逆に駆け上がり、生徒達のいない場所を選んで逃げ回る。静けさの中に3人の走る足音だけが響き、なお一層不気味さを醸し出した。

と、そこでマミはいきなり違和感を感じた。ほむらに巻きつけ、際限なく伸ばし続けたリボンの感触が途切れたのだ。

それと同時に辺りがざわめき出す。リボンが切れたことで、時の束縛から抜け出てしまったのだ。

 

「えっ………!?」

 

時間停止が働いていれば、ほむらはまだ生きていると確信できる。だが、それすらわからなくなりマミはいよいよ焦りを覚えたが、辛うじて2人を逃がすという目的は見失わなかった。

遥か後方からガラスが弾ける音が響いた。さやかの姿をした何かが、校舎を破壊しながら後を追ってきたのだろう。ほむらの足止めが功を奏さなかったのだ。

 

「もう追ってきたの……!?」

 

渡り廊下を抜けると、広い校舎も突き当たりに差し掛かろうとしていた。逃げ場がなくなってゆき、ガラス張りの校舎では隠れることも難しいだろう。

2人も限界まで足を動かしたせいで、呼吸は大きく乱れてふらつき始めている。特にまどかは、心ここにあらずといった感じだ。

生徒達がパニックに陥り、あちこちで悲鳴が聞こえてくる。校内はもう滅茶苦茶になってしまっていた。

ついに最奥までたどり着いてしまい、逃げ場をなくしたマミは2人を庇うように立ち、2挺銃を錬成して構えた。

 

「……いい? 2人とも。私が絶対に守るから、後ろにいなさい」

「は、はい! まどか、ほらこっち!」

「………うん」

 

マミの背中に隠れる形で2人は身を寄せ合い、迫り来る脅威に備える。程なくして異様なテンポの足音が近づき、青の魔法少女の姿をしたソレは姿を見せた。

 

 

『───ハ、やっと見つけた!』

「美樹さん…いいえ、人魚の魔女! 暁美さんをどうしたの!」

『はん、目障りだからさァ…こう、ね? 左手をスパッとねェ…?』

「なんですって!? まさか……!」

 

ほむらのソウルジェムは左手の甲に備わっている。それが狙われたとあれば、かなり危ういと言える。時間停止が解けたのはそのせいなのだろうか、とマミは考える。だとすれば、ほむらの安否は。

 

『さて、邪魔者は始末したし…次はまどか! アンタだよ!』

「鹿目さんに何をする気なの!」

『決まってんでしょォ? 契約ですよ、ケ・ェ・ヤ・ク! さぁまどか、死にたくなかったら祈りなよ!!』

 

剣を放射状に展開し、剣先に煌めきを宿して刃を向ける。その数は先程と比較しておよそ倍。今度はマミのリボンでも絡めきる事はできないだろう。

 

「させないわ!」マミは構えた銃を人魚の魔女に向けて放った。だが、音速の斬撃によって弾丸は綺麗に弾かれ、見当違いの方角に風穴をぶち空けた。

 

『遅いですよマミさァん! てゆうか、ジャマなんですけどぉ!?』

「黙りなさい!! 2人には手出しさせないわ!」

『あっそ。じゃあ纏めて吹き飛んじゃえ! スプラッシュ──────』

 

絶体絶命。先程の爆発を加味しても、あれだけの剣全てが弾ければ渡り廊下は跡形もなく吹き飛ぶだろう。魔法少女であるマミはともかくとして、普通の少女である2人は間違いなく助からない。

万事休すか。リボンの壁を展開させながら剣の射出に対して防御を試みるが、状況は絶望的だった。

 

 

───その時、魔女の立つ渡り廊下の壁が激しい音と共に砕け、そこから紅い槍の一撃が放たれた。

 

「オラァ!! 吹っ飛べクソ野郎!!」

『ガ…ッ、あぁぁぁァぁぁァぁぁ!?』

 

人魚の魔女は紅の槍に吹き飛ばされ、反対側の

壁を破って外へと落とされていった。主が不在となった事で、展開されていた無数の剣も消失する。

一瞬、何が起こったのか状況の判断が追いつかない。ただ一つ分かるのは、今マミの目の前に立っているのは人魚の魔女ではなく、燃えるような紅い髪をした魔法少女───佐倉杏子であるということだけだった。

 

「…ふぅ、なんなんだアイツ。最近の見滝原の魔女は変わりモンが多いって聞いたけどよ…ありゃあまるで魔法少女じゃねえかよ。おいマミ! どうなってやが───」

「杏子!! 来てくれたのね!?」

「───っ、うるせぇ! いきなりデケェ声で叫ぶんじゃねえ!」

「ご、ごめんなさい……でも助かったわ、"佐倉さん"」

「はっ、この分は貸しだからな? しっかしよぉ…ひでぇもんだなこりゃあ」

 

ガラスの面が多い校舎は所々が割られており、生々しい戦闘の跡が残る。

生徒達は変わらず混乱しており、状況の理解がまるで追いついていないだろう。

 

「………あ? マミ、お前の後ろにいんの…鹿目まどかと、さっきの魔女じゃねえか。どういうことだ」

「こっちが本物よ、佐倉さん。美樹さやかさんっていうの」

「へぇ…んじゃあさっきのはそいつに化けたって事でいいのか?」

「──────それはあとで私が説明するわ」

「! その声……」

 

突如現れた声色に全員が注視する。ふらつきながら駆けつけて来たほむらが、ようやく追いついたのだ。

だが、その姿はひどいものだった。服は爆風でボロボロになり、髪は左側が元の長さからおよそ20センチほど落とされている。そして、ほむらが右手に持っていたのは、"左手首がついたままの砂時計の盾"だ。

 

「ひっ………暁美さん!?」

「アンタ、大丈夫かよ!?」

「ええ、なんとかね。傷は魔法で止血してあるわ。腕を付け直す暇が惜しいからそのまま持ってきたのだけど……」

 

左手はちょうど前腕の半分あたりから切り落とされ、衣装はどす黒い血で染まっている。

 

「ほむらちゃん!!」3人が固唾を呑むなか、まどかは床に散らばるガラスの破片を踏み越えてほむらの元へ近づく。

「まどか…あなたは見ない方がいいわ。きついでしょう? ……ごめんなさい」

「わ、私だって……守るっていったのに何にもできなくて……うぇぇぇん……」

「いいのよ、まどか。あなたがいてくれるから、私は戦えるんだもの。…だから、どうか泣かないで」

「ほ…ほむらちゃ……んぐっ…」

 

ほむらは左手のついた盾を床に置き、泣きじゃくるまどかの唇を塞ぐように口づけを交わす。

今朝とは打って変わり、青ざめた唇は冷たく、血の味がした。

片腕で優しくまどかを抱き締める。無事を喜んでいるのは、互いに同じなのだ。

 

「落ち着いたかしら…?」

「………うん」

 

唇を離し、優しく頬を撫でてやる。ボロボロに傷ついているのにも拘らず、まどかに向けるのは痛みや苦しさなと微塵も感じさせない優しい笑顔だ。

だが、今のまどかにはその笑顔が心に重く突き刺さる。

 

「暁美さん、腕を出して。私が治してあげるわ」

「お願いするわ、マミ。ところで杏子、あなた……どうしてここが?」

「人魚の魔女はアンタの名前を呼んでた。こんなおかしな雨も降りゃあ、アンタの所に人魚の魔女が現れるのは当然のことだろ。

途中であの妙な外人にも会ったしな」

「ルドガーに…? ここに来てるの?」

「今アタシが外に叩き出した先にいる筈だけどよ…アンタ、時間を止められるらしいな。アイツがいなかったら余計な足止め食ってたとこだぜ?」

「そうだったのね……」

「まあいい。早いとこ腕を治しな……」

 

と、杏子が言い終わる前にドン! と外から激しい爆発音が聞こえてきた。

人魚の魔女の攻撃による爆発であることは、もはや見なくともわかる。ルドガーと魔女が交戦しているのだ。

 

「……やばそうだな。マミ、こいつらを頼むぜ。アタシはアイツをぶっ飛ばして来る」

「えっ…ちょっと、佐倉さん!?」

 

マミの制止を無視して、杏子は穴の空いたガラスの壁から飛び出してしまった。その先には杏子の言うとおり、ルドガーと人魚の魔女がいるのだろう。

まどかとさやか、それに負傷したほむらを置いて離れる訳にはいかない。マミが守るしかないのだ。杏子の状況判断は的確だと言えるだろう。

雨風が割れた外壁から吹き込み、身体を冷やす。あまりひとつ所に留まるのも良くないだろう。

ほむらの腕の接合は間も無く完了する。少し違和感が残るだろうが、銃をとる事くらいは問題なくできるだろう。

 

「マミさん」と、さやかが重い口を開いた。

「さっきのあの子も魔法少女なんですよね…マミさんの知り合いなんですか?」

「………ええ。佐倉杏子っていうのよ。とても、優しい娘よ」

 

何より、駆けつけてきてくれた。自分達を助ける為なのか、あくまで魔女を狩る為なのかはわからないが、マミにとってはその事実がとても嬉しく思えた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

「現れたな……人魚の魔女!」

 

魔女が吹き飛ばされた先───校庭には既にルドガーが十手を構えて待っていた。魔法少女のような服を纏っている以外はさやかと何ら変わりないその魔女の姿に戸惑いもするが、懐中時計が示す反応は間違いなく"黒"だ。

 

『ヒーローのお出ましってわけェ? あの女から聞いたけど、アンタ強いらしいじゃん、"ルドガー・ウィル・クルスニク"さん?』

「俺を知ってるのか…? それに、あの女って……」

『"ミラ"』

「なっ……!?」

 

魔女の口から予想だにしない名前が出た事で、ルドガーは狼狽えてしまう。その一瞬の隙を突いて魔女は急接近し、刃を振り抜いた。

遅れて反応したルドガーは後ろに飛び下がり、刃を躱して十手で反撃する。刃と鉄の棒が激しい音を立てて交差し、火花を散らす。

 

「くっ……速い!」

 

それに、強い。わずかに剣を交えただけでその実力を垣間見た限り、兄には及ばないが凄腕の使い手のように感じられた。

 

『遅い遅い!! その程度ってわけェ!?』

 

力を込めた一撃を当て、ルドガーとの距離を離す人魚の魔女。それと同時に何本もの剣を背後に展開し、射出の準備を始めた。

 

『死ね! スプラッシュ・スティンガ───!!』

 

掛け声と共に剣はルドガー目掛けて放たれる。ひとつひとつが獲物を見つけた獣のように的確に飛んでゆく。

 

「喰らうか! ファンドル・グランデ!!」

 

それに対してルドガーは目の前に巨大な氷の壁を生み出し、刃を遮ろうと試みた。

 

『その程度で防げると思ってんの!? 弾けろォ!!』

 

氷の壁に剣が全て突き刺さる。魔女の合図で急激に熱を持ち始めた剣は、氷を溶かすよりも速く爆発し、大雨にも拘らず周囲に強烈な爆塵を巻き上げた。

 

『なーんだ。強いって聞いたけど……大した事ないじゃん。さて、戻りますかねェ…ん?』

 

魔女が視線を逸らしたその直後、突風が巻き起こり爆塵を掻き消してしまう。

人魚の魔女が視線を戻して突風の中心点を見ると、黒い鎧を纏い槍を構えたルドガーがそこに立っていた。

 

「悪いな、ここから先は行かせない。それに聞きたい事もあるしな」

 

絶対にここで食い止める。強い意志が込められた瞳で人魚の魔女を見据え、ルドガーは言葉を発した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話「犠牲の上に成り立つ世界なんて」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

降りしきる雨の中対峙するのは、白い衣装を纏う少女の姿をした人魚姫と、漆黒の鎧に身を包んだ破壊の守護者。

互いに距離を保ったまま、隙を窺って刃を構えていた。

 

『へぇー、それがウワサの"骸殻"ってワケね!』

「……お前は、何者なんだ。どうして俺やミラの事を知っている!?」

『だぁーかーらぁ、訊いたっつってんじゃん。頭悪いの? お兄さん』

 

先程からどこか挑発的な言動の中には、余裕の表情が見て取れる。魔法少女のような姿をしてはいるが、相手は間違いなく魔女だ。

魔法少女とは異なり、とっくにメーターを振り切った存在なのだ。その魔力の量には限度などないのかもしれない。

 

『それに、まだあたしに勝てると思ってんの? あたしがその気になれば、ここいら一帯の雨を硫酸に変える事もできるんだけどぉ?

ま、それをしちゃったら流石に"あの娘"に怒られちゃうけどね?』

「お前は……どうやら本気のようだな…!」

『そうよー?』

「答えろ! 何の為にこんな真似をする!?」

『だからぁ、あたしに質問できる立場かよ!!』

 

語尾を荒げながら、緩やかな半月型の剣を横一文字に振り抜く。およそ7メートルは離れている筈だが、両者の距離を無視して斬撃はルドガーに襲いかかった。

「ちっ!」槍を構え直して防御の態勢をとり、凶悪な刃を受け止める。その衝撃はかつて戦ったギガントモンスターの爪撃を思わせる重さだ。

だが、その程度で怯むルドガーではない。

 

「ゼロディバイド!!」

 

槍の刃先から黒いエネルギー弾を無数に放つ。人魚の魔女目掛けて広範囲に広がりながら飛来してゆく。しかし人魚の魔女は一歩も動く事なく黒い弾丸を浴びてみせた。

肉の弾ける音と、鮮血が散る姿が目に入る。だが人魚の魔女は意にも介さないといった風に剣を空に掲げ、それを中心として陣を地に描いた。

 

『守護方陣───なーんちゃって!』

 

光り輝く魔法陣に包まれた人魚の魔女は、黒の弾丸によって受けた傷を瞬く間に癒してゆく。それは以前戦った薔薇園の魔女など、まるで比較にならない速さだった。

 

『あたしの魔法は水と、ヒーリングに特化してるってわけ。そんな蚊が刺したような攻撃なんて、感じないねェ!』

「そんな……バカな…!?」

『んじゃ、改めて死んでもらいますかねェ───タイフーン・スラッシュ!!』

 

描いた陣を中心に激しい風を巻き起こす。オーケストラの指揮を執るかのように剣をリズミカルに振り、その暴風を前方に向けて飛ばした。

小規模の竜巻のようだ。周囲の気圧は竜巻の中心に集め寄せられてゆき、凝縮される。あれに触れれば身体はズタズタにされるだろう。

 

「なら……フィアフル・ストーム!!」

 

風には風を。ルドガーも槍を旋回させて暴風を紡ぎ、人魚の魔女の造った竜巻に当てようと試みた。

だが、人魚の魔女の起こした竜巻の方が強い。ルドガーの起こした漆黒の旋風は僅かに竜巻の進行を遅らせただけで掻き消されてしまった。

もっとも、それだけで十分狙い通りなのだが。

 

『あははっ! 何その貧弱な攻撃!』

 

人魚の魔女はなおも余裕の表情で高笑いする。竜巻によって水を含んだ土が巻き上げられて視界は遮られているのだが、ルドガーへの直撃を確信していたのだ。

 

「貧弱で悪かったな───」

『ッ!?』

 

だが、突然背後から聞こえてきた声に人魚の魔女は狼狽える。

スリークォーター骸殻によって獲た僅かな空間を飛び越える能力と、かつての友の得意とした集中回避術を掛け合わせ、人魚の魔女の背後へと転移してみせたのだ。

 

「アッパープライズ!!」

 

槍を持つ手に全力を込めて振り上げる。刃先、というよりも鍔を中心に人魚の魔女にぶち当て、その小さな肢体を大きく吹き飛ばした。

それに伴い、意志を持つ竜巻も掻き消される。

 

『ガ………ハッ…!?』

 

さらにルドガーは転移を重ね、人魚の魔女の至近距離へと飛ぶ。槍を上から下へと大きく振り抜き、地面へと叩きつける勢いで人魚の魔女へ打ちつけた。

 

『ぐぅあぁぁぁッ!!』

 

衝撃で傷を負った人魚の魔女は軽く吐血し、ぐったりとしてみせる。その仕草は"まるで少女のようで"、ルドガーの更なる追撃を躊躇わせた。

 

『ハァ……ハァ……ごほっ…!』

「………っ、だめだ…ここで倒さないと…!」

『あー痛たたた……なんてね!』

「なっ……!?」

 

それも束の間。人魚の魔女は損傷など気にもしない風に軽やかに跳び起き、

 

『あっはははは! さやかちゃんの迫真の演技! なんちゃって!』

 

薄気味の悪い嗤い声を上げながら魔法陣を描いて傷を癒した。

 

「回復が速すぎる……! こんなの、どうすれば……!?」

 

いくら傷を負わせても、倒すよりも先に回復されてしまう。過去にシャン・ドゥの闘技場で謎の4人組のチームと決闘をした経験もあるが、その時も優秀なヒーラーたった1人のお陰で多大な苦戦を強いられたものだ。

今回の相手は、それを身ひとつでやってのけてしまうのだ。

接近戦もこなし、剣の投擲によって遠距離をもカバーする。回復能力すらも兼ね備えた彼女は、それこそ時空の大精霊・クロノスを彷彿とさせる脅威的な存在だと言える。

 

「おいウスノロ! なにボーッと突っ立ってやがる!」

「その声……杏子か!」

 

ようやく紅の魔法少女・杏子が校庭に駆けつけてきた。

杏子は魔法少女の姿をした魔女を見据え、紅い槍を構えて牙を向ける。

 

「テメェ、どういうつもりだ。魔女ごときが人間に化けやがって!」

『ハ────何言ってんのさ、"杏子"。あたしは最初からあたしのままよ』

「……っ!? アタシは、魔女に知り合いなんていない筈なんだけどな…!」

『あっ、そっか。あんたまだ識らないのか。魔法少女の真実ってやつを』

「なんだと…!? テキトーなコトほざくんじゃねえぞ!」

『さやかちゃんは至って真面目なんだけどなぁ、キャハハハッ! なんなら訊いてみなよ、そこのお兄さんとか、マミさんとか、あの悪魔とかにね!』

「悪魔……!? 誰の話だ…悪魔はテメェだろうが!」

 

苛立ちもピークに達した杏子は槍を多節に分解し、大きく振り回して人魚の魔女に投げる。

 

『"あの時"はあんたに負けっぱなしだったけどねェ………』

 

人魚の魔女はそれを見るや、背中の白いマントを翻して身体を隠してしまう。

次の瞬間にはマントだけがはらり、と土の上に落ち、人魚の魔女の本体が消失していた。

標的を見失った槍は虚しく空を切るだけだ。

 

「消えただと…!?」

「杏子! 油断するな!」

「そうか……水を伝って!」

 

杏子もすぐにそれの意味を理解できた。以前垣間見た人魚の魔女の特性…水の中を自在に動ける能力。それを使って雨粒の中に逃げ込んだのだ。

今のこの土砂降りの中では、どこに紛れてしまったのかを見つけるのは困難だ。

 

『はぁい、こっち!』

 

突如として聞こえた声は、2人の後方数メートルからだった。ルドガーの見せた集中回避術に対抗して、わざと真似をしてみせたのだろう。

現れるや間髪いれずに半月の剣を無数に浮かべている。

 

『あたしをあの悪魔と一緒にしないでくれるかなぁ? スプラッシュ・スティンガー!』

 

掛け声と同時に指揮棒代わりの剣を振り下ろし、号令をかける。それを待っていたかのように無数の剣は杏子とルドガー目掛けて飛来していった。

あまりの速さに、杏子は防御の態勢が間に合わない。槍を持ち直して身構えるだけで精一杯だ。

 

「まずい……!」

「杏子っ! くっ…インヴァイタブル!!」

 

杏子とは反対にルドガーは槍を振り回して弧を描き、剣の雨に対して周囲に防御結界を紡ぐ。

剣はガリガリと生々しい音を立てながら結界に突き刺さり、その勢いを抑え込まれる。だが次に待つのは剣の爆撃。

瞬き出した無数の剣は結界を包囲しながら爆裂し、周囲の大気を巻き上げながら2人を襲った。

硝子の砕けるような音と共に結界が散る。熱風がひび割れた結界から入り込み、容赦無く内部を焼き払った。

 

『キャハハハハハ! 燃えろ燃えろぉ!』

 

横殴りの雨に掻き消される形で炎塵が収まる。逃げ場のない空間の中で焼かれた2人を確認すべく、人魚の魔女は剣を振り抜いて衝撃波を飛ばし、砂埃を吹き飛ばした。

 

『────チッ、さっきからなんなのあいつら…!』

 

しかし人魚の魔女が目を凝らした先には何もなかった。焼け焦げた筈の肢体もなく、穴を掘った様子も見られない。

何処へ消失してしまったのか。先程とは逆に、今度は人魚の魔女の方が抓まれることとなった。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

錆びたような空の色に、無数の歯車が宙を泳ぐ。

激しく降り注いでいた雨粒もかけらもなく、ただ静寂の中に互いの息遣いだけが木霊する空間の中で、杏子は目を開いた。

 

「な───なんだこりゃあ!? またアイツの妙な術か!?」

「落ち着け、杏子。これは俺がやったんだ」

「アンタの仕業か!? 何をしやがった!?」

「躱す暇もなかったからな……"結界"に逃げ込んだんだ」

 

骸殻を極めし者だけが造れる固有結界。一切の時空から隔絶され、本来は敵を閉じ込めるための空間だが、攻撃を避けられないと判断したルドガーは杏子を連れて結界へ飛び込んだのだ。

 

「今のうちに態勢を整えるんだ。この結界は長くは保たない」

「はぁ…危機一髪ってとこかよ。それにしても、あのヤロウなんなんだ!? デタラメな強さだぞ!」

「話すと長くなるけど……」

「あー聞きたいコトは山ほどあるよ! でも今はそれどころじゃねえしな…」

「そうだな」

 

あとどのくらい結界が保つのか、ルドガーは懐中時計を見てエネルギーの残量を確認する。

固有結界は骸殻へと変身するエネルギーを転用して創られるのだ。骸殻だけの使用ならまだしも、結界も併せ使うとなると持続は悪くなる。

せいぜいあと1分といったところか、と思いながら時計の針を見ると、

 

「え……っ!? 杏子、あと10秒も保たない!」

「随分と速いなオイ。時限式にしても不便だな」

「いつもはもっとしばらく保つんだけどな……」

「それだけ消耗してたって事だろ。まあいい、休憩は終わりだ! さっさと戻ってアイツをぶちのめすぞ!」

 

錆びた色の空は次第に薄れ、宙に浮かぶ歯車の動きが緩慢になってゆく。

2人は揃って槍を構え直し、外界への帰還の態勢を整えた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

雨晒しの校庭へと戻ったルドガーと杏子はすぐに、苛立った表情をした人魚の魔女と対面することとなる。

 

『あっ、いたんだあんた達。キャハハッ! 今度こそ殺してアゲルよ!』

 

外界での時間では数秒も経過していない。剣の爆発によって醜く抉れた地面から漂う塵がそれを物語っていた。

骸殻は結界の消滅と共に解けてしまい、エネルギーの再チャージを待たなければならない状態だ。

槍を失ったルドガーは今度は十手ではなく、刃渡りの長いサバイバルナイフ2振りを逆手に構えている。

 

「さて、どうするかねぇ…」

「ああ。この雨さえなければな…」

「いくらでも逃げられちまうってワケか。チッ、めんどくせえ! ………回復される前にぶっ潰すしかねえな」

「俺もそれを思ったところだ。……ちょっといいか?」

「なんだい?」

「ええと………」

 

ルドガーは人魚の魔女に悟られないように、小声で杏子に作戦を伝える。その内容は杏子には理解が追いつかないようなものだった。

 

「なんだそりゃ? …まあ、マミはやってたんだよな?」

「ああ。君ともできると思うんだけど…」

「何だかよくわからねぇけど、他に手も思いつかねえ…やってやるよ」

『なーにコソコソ喋ってんのよ! 待ってあげるほどあたしは親切じゃないよ?』

 

痺れを切らした人魚の魔女は急かすように言葉を投げかけ、剣を構えた。そこから飛んでくるのは距離を無視した斬撃か、剣の爆撃か。

どちらにせよやる事は決まった。ルドガーと杏子は魔女へと向き直り、武器を構えた。

 

「そう焦んなよ、今相手してやっからよ!」

「行くぞ、杏子───リンク・オン!!」

 

杏子の胸元にあるソウルジェムと、ルドガーの懐にあるアローサルオーブが煌き出し、見えない糸のようなもので繋がれる。

互いの感覚の一部を共有させ、戦闘能力を増幅させる擬似的なリンクを結んだのだ。

ルドガーは人魚の魔女へと一気に距離を詰め、合わせて杏子も追撃の用意をした。

刃と刃が交差する。人魚の魔女は軽やかなステップを刻みながらルドガーの剣戟をいなし、互いに隙を窺っていた。

 

「もらったぁ!」と、杏子も槍を携えて参戦し、人魚の魔女の懐を狙う。

だがそれすらも見切ってみせ、人魚の魔女は真上に高く飛び上がって2人の挟撃から離脱し、雨に紛れて姿を消してしまう。

 

「今だ、杏子!」

「ああ! やってやるよ!」

 

2人は同時に地面を穿ち、込めた闘気をそこから解き放つ。人魚の魔女が雨に隠れるのを待ち、無差別に広範囲の攻撃を仕掛けるのだ。

 

「「───ファランクス!!」」

 

2人の周囲が熱気に覆われる。解き放たれた闘気は熱風となり校庭中を駆け巡り、雨粒をも吹き飛ばしてしまった。

 

『わ、わぁっ!?』

 

雨粒の中から炙り出された人魚の魔女は怯みながら2人の後方に姿を現し、宙に投げられていた。

 

「逃がすか!!」

 

それを見逃すまいと、間髪入れずに連携攻撃を重ねてゆく。

 

「「邪霊一閃!!」

 

瞬時に距離を詰め、2人の刃を交差させるように人魚の魔女を斬り裂く。

今度は確かな手応えを感じた。人魚の魔女の肢体には槍とナイフが突き立てられ、確実に急所を貫いていた。

 

『あ………ぐぅぅ…!』

 

ごぽり、と生々しい音を立てて魔女は吐血する。狂気に満ちた瞳は、かすかに驚愕の色を含んでいるようにも見えた。

 

「やったか!?」

「油断するな杏子! 回復されたら終わりだ、怯んでる隙にトドメを!」

「わかってんよ! オラァ!!」

 

杏子は新たな槍を錬成し、直ぐに多節に分解する。鞭のように槍を振り、人魚の魔女の身体を縛り上げた。

 

「これで…っ! レクイエムビート!!」

 

そこにルドガーの追撃が飛んでゆく。飛び上がって高い打点から放たれた連射攻撃は、人魚の魔女をハチの巣にする勢いで撃ち込まれていった。

魔女はもはや声すら上げずに身体を痙攣させる。ダメージが通っているのだろうか、それでも回復術を警戒して気を緩めることはしなかった。

どさり、と力なく魔女が地に落下する。雨に打たれながら全身を黒い血まみれにした姿は凄惨そのものだ。

杏子はその姿を目にして言葉にし難い不快感を抱くも、槍を心臓に突き立てんと歩み寄っていった。

ぴくり、と魔女の腕が動く。また回復術を使われてたまるか、と杏子は足を速めた。だが───

 

 

『───ディフュージョナル・ドライヴ』

 

魔女が呟いた呪文をトリガーにして、杏子とルドガーを巻き込むように巨大な水の奔流が突然生み出された。奔流はまるで渦潮のように円を描きながら、2人を飲み込む。

 

「しまっ……うわぁぁぁぁぁ!!」

「杏っ……く、がぁぁっ…!」

 

ルドガーも何度か目にしたことのあるその術式は、敵を水流に閉じ込めながら力を吸い取り、自身の身を回復させるものだ。

攻防一体の魔術を放った人魚の魔女は、銃弾を浴びたことなどなかったかのようにあっさりと立ち上がった。

 

『ふー、だからさぁ…そんなオモチャあたしに効かないっつうの。まだわかんないの? キャハハッ! いいコト教えてあげるよ! その気になればねェ、痛みなんて簡単に消せちゃうんだよねェ!!』

 

気味の悪い嗤いを上げた人魚の魔女の姿は、水流で血を洗い流したことによって本性を現したように見えた。

白と青を基調とした衣装は黒に彩られたものへと変化し、腹部にあてがわれた宝石の色もどす黒くなっている。

懐中時計もその姿に過剰反応を示している。人魚の魔女は今、時歪の因子としての姿を現したのだ。

 

「ッ、テメェ…ゾンビかよ…!?」

『ゾンビねェ……アッハハ! そりゃあいいや! あたしにぴったりの言葉だわ!! でもねェ…あんたもヒトの事言えねえんだよ!!』

「ほざけ、テメェと一緒に……すんじゃねぇ…あぁぁぁっ!」

『はいはい寝てな、遊びは終わりだよ。フェローチェ、荒々しく! グラツィオーソ、優雅に………だっけ? まあいいや!』

「………ッ! その術、まさかローエンの…!?」

 

魔女の生み出した水の奔流は噴水のように所々が吹き上がり、巨大な水柱となる。気圧の変化も重なり、周囲の温度が急速に奪われてゆく。

体力を吸い取られた2人はその温度の変化についてゆける筈もなく、更に体力を蝕まれてゆく。

 

「杏子…っ、逃げろ…!」絞り出すように叫ぶも、返事は返って来ない。魔女の逆鱗に触れ、ルドガーよりも早く意識を手放してしまったのだ。

水柱は氷柱と化し、極寒の地獄となる。もはや学校の校庭である事を目で見て疑ってしまう程の光景だった。

 

 

『バイバーイ! ───グランド・フィナーレ!!』

 

 

指揮者の合図と共に氷柱は砕け散り、衝撃波が襲った。周囲の土は凍ったままめくれ上がり、2人を巻き込んで大きく吹き飛ばされてゆく。

 

「ぐあぁぁぁぁぁっ!!」

 

体力の限界まで追い詰められたルドガーは抵抗虚しく、人魚の魔女の遥か遠くにまで投げ出され、激しく身体を地に打ち付けられた。

とうに意識を失っていた杏子は受け身をとることもできずに、ルドガーよりも強く地面に叩き落とされる。

そこに人魚の魔女が雨を伝って転移してくる。力の入らないルドガーの身体を足蹴にし、高らかに嗤いながら毒を吐いた。

 

『あっははは! お仲間の十八番でやられた気分はいかが!?』

「ぐ……っ…」

『すっかり虫の息って感じねェ…ま、ほっときゃ死ぬかな? さぁて、邪魔者は始末したし…仕上げに入りますかね!』

 

人魚の魔女が見上げた先には、大きく破損した校舎の渡り廊下がある。そこにはまだ少女達が残っているはずだ。

魔女は黒くなったマントを翻して、雨に紛れて視線の先へと転移していった。

あとに残されたのは瀕死の状態で倒れ伏す2人の姿と、すっかり荒れ果ててしまった校庭だけだ。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

吹き抜けと化した渡り廊下の奥で身を寄せ合う少女達は、校庭から聞こえてくる戦闘音に戦慄を覚えていた。

たった1人の魔女によって生み出される爆音の連打に、滝のような水の音。それは明らかにマミが見た事もない脅威だ。

 

「…まさか、人魚の魔女があんなに強いだなんて。暁美さん、あんなのと戦ってたの…!?」

「いいえ、あれは初めて見たわ。本来のヤツはあんな力なんかなかった。…恐らく、時歪の因子とやらのせいでしょうね」

「また時歪の因子ね…一体なんなの? それは」

「わからないわ。ルドガーがそう呼んでいるのだけど……」

 

ほむらの腕の治癒はとうに終えたものの、いつ人魚の魔女が飛び込んでくるかわかったものではない。

今すぐにでも2人の元へ駆けつけたかったが、校内もパニックに陥っているなかマミだけが下手に少女達のそばを離れるわけにはいかなかったのだ。

 

 

「ねえほむら。さっきはどうして時間停止が効かなかったのさ」と、最初の爆発を見てしまっていたさやかが改めて尋ねる。

「…水よ。ヤツは時間を止める直前に私の足元に水溜りを作っていたのよ。

恐らく、それを踏んでしまったせいでヤツに触れたことになったのでしょうね」

「それって……」

「ええ。例えば今私が校庭に向かっても、雨に打たれる限りは時間停止はヤツには効かないわ」

 

自分の無力さを噛み締めながら、左腕を見る。マミによって修復された腕の治癒は文句無しだが、唯一のアドバンテージといってもいい時間停止を攻略されたほむらには重火器しか残っていない。ひどく落ちたものだ、と心の中で呟いた。それでもまどかを不安にはさせたくない。ほむらには弱気になる事など赦されないのだ。

外から、まるで滝のような音が聞こえてくる。魔女の攻撃が熾烈を極めていたのだ。

 

『───あの魔女はなんなんだい一体。規格外すぎるよ』

「キュゥべえ!? どうしてここに?」

『心外だなぁ、マミ。僕がルドガーをここまで連れて来たんだよ』

 

ようやく姿を見せた白い獣は、驚くマミを目にしても相変わらず感情を見せない。

 

『この雨のせいで君達にテレパシーを送れなかったんだ。全く、厄介だよあれは。ルドガーと杏子も、ひどく苦戦してるようだね』

「なんですって? やっぱり、私が…」

『君は行くべきではないよ。ほむらの能力も役に立たなかったんだろう? 行ってしまったら、誰がここを守るんだい? それこそまどかに契約してもらわないと無理───』

「ひっ……な、何あれ…!?」

 

ガラスの壁面越しに外を見たまどかが畏怖の声を上げる。その視線の先はこの世のものとは思えない光景となっていたのだ。

巨大な水柱が空に向かって何本も伸び、それらが瞬時に凍りつく。季節が反転してしまったかのように大気は急速に冷え込み、少女達の身体を凍えさせる。

氷柱は数秒置いたのちに爆裂し、凄まじい轟音が校舎にも響き渡った。ソレが魔女の攻撃である事は一目瞭然だ。

 

「杏子っ!?」

 

ただそれを見ている事しかできなかったマミは、その光景に焦りを感じる。あの地獄のような攻撃だ、杏子もルドガーとタダでは済まないだろう。

だが感傷に浸る暇などない。2人が倒されたとあれば、次に人魚の魔女が目指すのは"ここ"なのだから。

マミは悔しさに歯軋りしながら、銃を造り出す。

 

「…みんなをやらせる訳にはいかないわ。私の命に替えても…」

『───あっそう。でもゴメンねェマミさん』

「美樹さ───違う、人魚の…!?」

 

氷柱の爆裂からまだ10秒ほどしか経っていないのに、その邪悪な声はマミの目の前に姿を現した。目にも見えぬ速さで突然現れた人魚の魔女に、マミは慄く。

 

『あたしが用があるのはマミさんの後ろの女だけなんだよねェ………寝ててくれるかなぁ?』

「ちぃっ…!」

『遅い!』

 

砲身の長い銃は至近距離では逆に不向きだ。人魚の魔女はマミの攻撃の特性をよく理解した上で目の前に現れたのだ。

剣を下から上に素早く振り抜く。狙いを定める暇も与えずに魔女はマミの身体を斜め一閃に斬り伏せた。

 

「あ……っ…あけ、み…さん……」

 

力なくマミの身体はその場に崩れ落ちた。残る魔法少女は、ほむらだけだ。ほむらはさやかとまどかを守るように立ち塞がり、拳銃を構える。だが、勝算は極めて低かった。

 

『あとはあんだだけねェ、転校生?』

「黙りなさい! …2人は絶対にやらせない!」

『はっ、さっきから言ってるじゃない? あたしが用があんのはあんたなのよね』

「……何のつもりなの!?」

『あんたは特別に、とびきり苦しませて殺してあげるよ』

「待ってよ! あなたもさやかちゃんなんでしょ!? なんでこんなひどい事するの…!?」

『キャハハ! そぉだよまどかぁ? あたしはさやか。この悪魔を殺す為に、地獄からやってきたのだ!』

「悪魔…!? ほむらちゃんが……?」

 

人魚の魔女は剣で指しながらほむらを"悪魔"と呼ぶが、訳のわからない話にまどかはついてゆく事ができない。

 

『まあ、あんたにはわかんないんよねェ…あんたは"円環の理"とは関係ないもんね…まあ、今はまだ、だけどね!』

 

剣を地に穿ち、魔力を一気に解放する。少女の姿をした魔女の背後に瘴気が湧き起こり、揺らめきながらひとつの形へと変化してゆく。

骸骨のような兜に、錆びた漆黒の甲冑。アンバランスな上体に魚のような下半身をして巨大な剣を持った魔物が少女と重なる。人魚の魔女の、本当の姿だった。

人魚の魔女は突き立てた剣を中心に陣を描く。回復の為のものではない、もっと禍々しい色をした魔法陣だ。

 

「させない!!」

 

ほむらは即座に拳銃を魔女に撃ち込むが、痛みを消した魔女は弾丸をいくら受けても全く動じない。

陣が完成すると負のオーラに満ちたエネルギーが集約する。人魚の魔女はなんの躊躇もなくそのエネルギーを、

 

『プレゼントだよ────まどか!!』

 

ほむらを無視して後方のまどかに、床下から浴びせた。

 

「あっ……いやあぁぁぁぁぁ!!」

「きゃあっ!? まどかぁ!!」

「さや…か、ちゃん……離れて……っ!」

 

吹き上がった瘴気はまるで炎のようにまどかの身体を包み込んだかと思うと、ゆっくりと収束し、凝縮されてゆく。

胸元に集まった瘴気は刻印のように痕を残して呪いを募らせ、まどかはその場に倒れこんでしまった。

 

「まどか!! …お前、まどかに何をしたの!?」

『んーと…呪霊術って言ったっけか。魂を腐敗させるとか何とか…ま、詳しい事はあのお兄さんにでも訊いてみなよ、アハハッ!』

「なんですって!? くっ…まどか! しっかりして!」

 

瘴気に蝕まれたまどかに駆け寄り手を取るが、体温は一気に下がり、顔色も生気が抜けて悪化してゆくばかりだ。

 

『まずいよほむら!』とキュゥべえも唯ならぬ様子で焦りを見せる。

『まどかの生命力がどんどん弱まってる! このままだとまどかが死んでしまうよ!』

「死ぬ…!? そんな、どうにかならないの!? インキュベーター!!」

『呪霊術と言ったっけか…可能性としては、術者を倒すのが一番確実だろうね』

『あらぁ? そうとも限らないよぉ?』

 

小馬鹿にするように人魚の魔女は煽りをかける。苦しむまどかと困惑するほむらを見下しながら、さらに追い討ちの言葉をかけた。

 

『キュゥべえと契約したら呪いを解いてあげるよ、まどかぁ?』

「はぁ…はぁ……っ、けい…やく…?」

『そう。内容はこうだよ。───過去から未来において全ての魔女を消し去りたい! ってね! それ以外は受け付けないよぉ?』

『………そうか。君が何者なのか、少し見えてきたよ』

「どういう事なのさ、キュゥべえ!」と、さやかがキュゥべえを問い詰める。

 

『まだ詳しいことはわからないけどね…あれはやっぱり、他の時間軸からやって来た魔女だよ』

「他の…って、どういう事よ! まさか、あいつがあたしの姿をしてるのと関係あるの…!?」

『それはわからないよ。でもまさか、魔女を消し去りたいと願わせるつもりだなんて。そうしたら彼女自身も消えてしまうだろうに…』

 

珍しく、キュゥべえの声が弱々しく感じた。人魚の魔女の企みが、あまりに不可解だったからだろうか。

そして、自分の無力さを呪うのはほむらばかりではない。苦しむ友人を前に何もできない自分が悔しくて堪らないのは、さやかも同じなのだ。

 

『ほむら、僕としてはまどかが願うなら叶えなければならない。だからあえて聞くよ───まどか、君はどうしたい?』

「キュゥ……べえ……? はぁ、うあぁぁぁっ…!」

「よしなさいインキュベーター!! まどかを殺す気なの!?」

『どの道このままなら危険だよ。ルドガー、杏子もやられて、マミも敵わなかった。…君に、アレを倒せるのかい?』

「くっ……!」

「ほむ、ら……ちゃん……だいじょうぶ、だよ……?」

「まどか…!?」

 

もはや呼吸すらも苦しそうにするまどかは、それでも声を絞り出してほむらに伝える。

 

「わたし……契約なん、て……しな……あ、あぁぁぁっ…!」

「まどか! まどかぁ!! しっかりしてよぉ! ねぇ!!」

 

ほむらにできるのはまどかの手を握りしめ、気休め程度にしかならない脆弱な治癒魔法を施すことだけだ。

それでも追いつかない。まどかに纏わりつく瘴気に引っ張られるように、ほむらからも生命力が奪い取られてゆく。

 

『ほむら…!? よすんだ、このペースだと君も保たないよ!?』

「黙りなさい…! 私の命なんか惜しくもないわよ!」

『ほむら…君はそこまでしてまどかを守りたいのか…』

『あっははは! 愉快だねェ! あんたの魔法ごときじゃあ呪霊術には敵わないってのに! まぁまどかが死ぬか契約しちゃえば、あんたに残された道はひとつしかないもんねェ!

あんたはもう時間遡行ができない。なら、魔女にでもなるしかないよね!』

「どうして、それを……!?」

『んー? あたしは何でも識ってるよ? あははっ!』

「………そうか、そういう事ね…」

『さやか…? どうしたんだい』

 

キュゥべえが見上げた先にあるさやかの顔は、何故かこの絶望的な状況において、強い意志が込められているように見えた。

 

「やっとわかったんだよ。『あいつはあたし』その意味がね。あいつは多分、他の世界で契約したあたしなんだよ。…ならあたしも、あいつと同じ力を持てるはずよね」

「何を…言っているの、さやか…?」

「へへっ、大丈夫だよほむら。…まどかには契約なんてさせない。あんた達は…あたしが救ってみせる」

「さやか…!? あなたまさか、契約を…!? やめなさい!」

「ごめんねほむら、そりゃ無理だわ。あんたがまどかを守りたいように、あたしにも守りたいモノがあるんだ。あたしは……もう逃げない。

キュゥべえ!! 契約だよ!」

『本気なんだね? さやか。いいだろう、君は命を対価にして、何を願うんだい?』

「へっ、そんなの決まってるよ。あたしの願いは────あたしの親友を絶対に死なせないこと! さあ…叶えろインキュベーター!!」

「ダメよさやか!! やめて!!」

 

ほむらは悲痛な叫びをさやかに送るが、もはやさやかの決意は揺らぐことはなかった。

大切な友を守る為に魂を懸け、終わりのない戦いに身を投じ───いつ訪れるかわからない破滅を待ち続ける事になるのだ。

だというのに、全てを承知した上でさやかは決意したのだ。

そうして、白い悪魔は無情にも告げる。

 

『わかったよ、さやか────契約は、成立だ』

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

「く………うぅ…」

 

人魚の魔女に叩きのめされたルドガーは、歯を食いしばってようやく立ち上がることができた。

既に人魚の魔女の姿はなく、遠目に見える渡り廊下からは時歪の因子特有の瘴気が漏れ出ている。

 

「……まずい…ほむら達が……」

 

ふらつきながら脚を引きずり、少し離れた所に倒れている杏子の元へ向かう。雨で身体は冷え切っており、体力も残されていない状態ではそれすらも辛いものがあった。

 

「杏子……しっかりしろ……!」

 

それでも止まるわけにはいかない。全てを守ると誓ってみせたのだ。その中には、この出逢ったばかりの紅の魔法少女も含まれているのだ。

杏子の身体を肩に抱え、バランスをとりながらゆっくりと校舎へと向かう。生徒達が何人も昇降口から逃げ出しているのが見えたが、誰1人として2人と目を合わせることはなかった。

懐中時計を見ると、既に骸殻のエネルギーは再チャージが完了していた。だがこの状態では骸殻を纏ったとしてもまともな戦いになるか怪しい。

それでなくとも、あの人魚の魔女の特性を攻略できなければ嬲り殺しにされるだけだ。

せめて、この雨さえなければ。

杏子を背負って校舎の前まで辿り着く。一刻も速くほむら達のもとへ駆けつけなければ、彼女達の命も危険だ。

かくなる上は骸殻を纏って無理矢理身体を動かすか? ルドガーは腹を括って懐中時計を握りしめた。

 

───その時、大きな破壊の跡が目立つ渡り廊下から眩い光が射し込んだ。

魔女の魔力を帯びた雨の中でのその光は、マイナスのエネルギーを掻き消すかのような輝きだ。

 

「なんだ……あれは…?」

 

その光を浴びたルドガーは、何故か身体が軽くなるような感覚を覚える。

錯覚などではない。人魚の魔女によって負わされた傷が、みるみるうちに塞がってゆくのだ。

 

「傷が治ってく……これは、いったい?」

 

ふらついていた脚にも力が蘇り、背負っていた杏子もぴくり、と動き出した。光を浴びた事により傷が癒え、意識を取り戻したのだ。

 

「…………あの、バカやろう…」

「杏子? どうしたんだ」

 

ルドガーに支えながら自分の脚で立ち直り、光の先を見上げる杏子。

その表情にはどこか悔しそうなものが見て取れた。

そう、杏子にはこの光が何なのかわかってしまったのだ。ルドガーはまだ目にした事がなく、魔法少女にしかわからない現象の正体を。

 

「……あのバカ、契約しちまいやがった………」

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

キュゥべえの宣告と共に、さやかの身体が輝きに包まれる。胸元からひと塊りの強い光が現れ、キュゥべえによってソレは再加工される。

魂を宿した蒼碧の宝石───ソウルジェムとして。

何層もの五線譜がさやかの身体を囲み始める。そのひとつひとつが意志を持つように水音を奏で、一つとなり、さやかの姿を変える。

そうして、白い悪魔との契約は完了した。

 

 

「───契約、成立ってね!」

 

 

魔法少女としての衣装を纏ったさやかの姿は、黒色に変化した人魚の魔女と対を成すような純白の輝きを放つ。

髪飾りはさやかの強い意志を体現するかのように、人魚の魔女の髪飾り"ff"の形にもうひとつの"f''が加えられる。

"fff" フォルテ・フォルティッシモ───もっと、より強く、と願ったさやかの想いは、形となって現れていた。

さやかの放つ輝きにあてられた事により、斬りつけられたマミの傷が瞬時に塞がってゆく。

まどかに施された死の呪いも跡形もなく霧散し、ほむらの体力も見る間に回復していった。

 

「ふぅー……なんとか間に合ったみたいだね」

「……さやか、あなた自分が何をしたのかわかってるの!?」

「ほ、ほむら…?」

「百江なぎさの事を見ていたんでしょう…!? なのにどうして契約なんて!」

「…大丈夫だよ。あたしは絶対にあいつみたいになったりしない。だから安心しなって」

 

さやかは人魚の魔女を指差して、ほむらの不安を取り払うかのように答えた。

 

「でも……!」

「いいから、あんたはまどかについててやんなよ。あいつはあたしが相手してやる!」

『へぇー、あんたにそんな度胸があったなんてねェ…』

「どーも、"あたし"」

『でもさぁ…あたしに勝てると思ってんの? あんたみたいに"絶望"を知らないやつが、あたしは一番嫌いなんだよねェ!』

 

真新しい剣を抜き、さやかは鏡に映したような姿をした魔女と対峙する。人魚の魔女も凶悪な笑みを浮かべて剣をとり、さやかに襲いかかった。

本能のままにさやかは剣を振り、人魚の魔女の剣戟を相手どる。だが経験で劣るさやかはやはり少しずつ押されてゆく。人魚の魔女はまるでさやかを手玉に取るように涼しい顔をしていた。

 

『弱っ! 契約したばっかりのあたしってこんなに弱かったのかぁ…そりゃあ杏子に嫌味言われるわけだ!』

「わけわかんないこと…言ってんじゃないよ!」

『あっはは! せっかくだし、ソウルジェムが真っ黒になるまで切り刻んであげるよ!』

 

魔女の剣がさやかの腕をかすめてわずかに血が滴るが、すぐに五線譜の紋様とともに傷が塞がる。人魚の魔女と同じような自己治癒術をさやかも会得していたのだ。

異なるのは、魔力の源に限りがあるかないかの差だ。

 

「させないわ…!」

 

傷を治されたマミが立ち上がり、さやかを援護するように銃撃を放つ。

的確に放たれた弾丸は人魚の魔女の肩を貫いたが、その程度では動きを止めることはできない。

傷は癒えまどかの呪霊術は解除され、戦力も増えたものの、状況は未だ不利なままだったのだ。

 

「まどか………」

 

冷や汗をかきながらもようやく死の呪いから解放され、気を失ったまどかを見てほむらは呟いた。

 

「ごめんなさい……私のせいで…」

 

もっと自分に力があればまどかを苦しませずに済んだのではないか。力があれば、さやかを契約させずに済んだのではないか。

過ぎた事は悔やむ事しかできない。折角救う事ができたかもしれないのに、と自責の念が募ってゆく。

 

「………赦さない」

 

左手の痣が熱を持ち始め、イヤリングが妖しく輝き出す。募る悔しさは憎しみへ、殺意へと転換してゆく。それは、大事なものを多く傷つけた人魚の魔女に対して。

 

「………絶対に、赦さない…!」

 

そして、何もできなかった自分自身に対してだ。

 

「……美樹、さやかぁぁぁァァァァ!!」

 

ほむらが魔女の名を叫ぶと同時に砂時計の盾にひびが入り、歯車が動きを止めてしまう。

背中から膨大なエネルギー波を解き放ち、巨大な羽根の形となって現れた。

それは、もはやほむらの意志では抑え付けられない凶暴な力。憎しみによって発現した黒い翼だった。

 

「ダメよ暁美さん! こんな所で!!」

 

マミがそう叫ぶも既に遅く、羽ばたきひとつで周囲の全ての硝子が粉々に砕け、外へ吹き飛ばされた。

 

『おぉ? 転校生の本気モードってか───』人魚の魔女は小馬鹿にしたように言うが、最後まで言い終わる前に黒翼から放たれた波動を受けて左半身が弾け飛ぶ。

『───っと、相変わらず馬鹿みたいなエネルギーだわ。さすが円環の理のバックアップを受けてただけはあるってね!』

「円環の理……!? なんなの、それは!」と、マミはついに魔女にその言葉の意味を尋ねた。

『いい質問だよマミさん!』言いながら、人魚の魔女の半身は既に再生を始めている。

『円環の理とは、全ての魔法少女の行き着く先。限界を迎え、魔女になる前の少女達の魂を導き、救済する存在!

他でもない、まどかの願いによってのみ創られる楽園だよ!』

「黙りなさい! まどかの犠牲の上に成り立つ世界なんて、私は認めない!!」

『あんたの独りよがりに付き合わされた身にもなれってんだよ! 救われるはずだった魂はあんたのせいでみぃんな行き場を見失ったんだ! このあたしも含めてねェ!』

「なら、ここで粉々に砕いてあげるわ……!」

 

怒りに任せて翼をはためかせる度に、校舎が軽度の地震に遭ったかのように揺らぐ。

このままでは学校が崩落する。危険を感じたマミはリボンを数本人魚の魔女に放った。

 

『───お? 邪魔しないでよマミさん。こんなリボンであたしは止まんないよ?』

「知ってるわよ……ティロ・フィナーレ!!」

『……そういうことねェ』

 

目にも留まらぬ速さで錬成した大型の砲身から魔力の弾丸を放ち、人魚の魔女の身体を外へ大きく吹き飛ばした。

否、マミの真意を読んだ人魚の魔女がわざわざ喰らってみせたのだ。ダメージは即座に回復し、人魚の魔女は何事もなかったかのように校庭に着地した。

それを見たほむらは本能のままに魔女を追って窓枠を破壊しながら外へと飛び出し、宙を舞いながら魔女めがけて流星のような波動を羽根から放ち始める。

だが、校庭にクレーターを形成するばかりで人魚の魔女への有効打とはなり得なかった。

それこそ、この世の終わりのような光景を目の当たりにしてマミとさやかは呆然としてしまう。

 

「ほむら、マジでキレてますね……」

「当たり前よ、目の前で恋人を傷つけられたのよ? ましてや、あなたも契約してしまったんですもの」

「確かに、その通りですねぇ…でも、後悔なんかしてませんからね? ところで…」

「ええ。どうしたものかしらね……」

 

水源がある限り、いくら魔女を攻撃しても効果はない。どう足掻いても、魔女の回復魔法より先に倒し切る事ができないのだ。

 

「……雨がなければ、何とかなるのかしら。あら…?」

 

不意に、こちらへ向かってくる足音に気付いてマミは振り向く。硝子の破片を踏み越えてやってきた2つの人影は、杏子とルドガーのものだった。

 

「あなた達、無事だったのね!?」

「ああ…と言っても、さっきまでボロボロだったんだけど……そうか、やっぱり…」

 

ルドガーは白い衣装に身を包んださやかの姿を見て、突然癒えた傷の原因に納得する。

次に倒れたまどかを見て、魔女に何かされたのではないかと疑いを持った。

 

「…まどかに何があったんだ?」

「人魚の魔女の魔法を受けてしまったのよ。呪霊術と言っていたわ」答えたのは、苦虫を噛んだような表情のマミだ。

「なんだって…!?」

 

呪霊術という名前には聞き覚えがあった。かつて分史世界を訪れた先に出遭った、正史世界ではすでに滅んだ魔物"海瀑幻魔"の使っていた精霊術だ。

それをなぜ人魚の魔女が使う事ができるのか。かつての仲間である老軍師・ローエンの秘奥義をわざわざ模倣してみせた事もそうだが、やはりあの魔女はルドガーの事を何故かよく識っているようだ。

先の魔法もそうだが、これらの行動は少女達を苦しめるだけでなくルドガーに対する当て付けでもあるのだろう。

 

「…アンタ、どうして契約した」と、杏子が腑に落ちないと言った風にさやかに尋ねる。

「どうしてって…まどかやマミさんが死にそうだったからよ」

「…それがアンタの願いか。魔法少女は遊びじゃない、わかってんだろうな?」

「あ…当たり前よ! あたしだって散々ほむらの事を見てきたんだもん! 覚悟ならできてるよ!」

「…軽々しく覚悟とか言ってんじゃねえぞ。いいか。ホントに腹が据わってる奴はな、いちいち訊かなくてもわかんだよ。こいつみてえにな」

 

杏子はルドガーを親指でくい、と指してさやかに問い詰めた。外から激しい爆音が聴こえる中、吹き抜けた渡り廊下は静かな空気が流れてゆく。

 

「どうしたの佐倉さん? いきなりそんな事言って…確かに、美樹さんに契約させてしまったのは私達の力不足のせいよ。鹿目さんだって死にかけたんだもの」

「………アタシにもよくわかんねぇ。ただ、コイツの顔を見てたら、つい言いたくなっちまったんだ。

悪りぃな、ええと……」

「美樹さやか。 "さやか"でいいよ」

「……アタシは"佐倉杏子"だ。いいか、魔法少女になったからには死ぬ気でやれよ。コイツみてえに腑抜けになったらアタシが叩きのめしてやる」

 

今度はマミを指差して、少しにやつきながら杏子は言った。

 

「佐倉さん! 確かに落ち込んでた時期はあったけど、その言い方はないんじゃないかしら!?」と、杏子の言葉尻に障ったマミが苦言を呈する。

「事実だろ? それより、アイツどうすんだよ」

「誤魔化す気!? …まあ、いいわよ佐倉さん。人魚の魔女…というよりもこの雨よ」

「アンタのティロ何ちゃらで雲を吹き飛ばせねえのかよ」

「流石に無理よ…魔力がいくらあっても足りないわ。そうね、例えば今の暁美さんなら何とか……」

『それこそ、今の彼女が冷静に言葉を聞くとは思い難いけれどね。他に手がないのは確かなようだよ』と、キュゥべえすらもその提案に乗りかかってくる。

「雨雲か………」

 

ルドガーは杏子のふとした提案に何か引っかかるものを感じ、各自の攻撃特性を振り返ってみる。

遠距離といえばマミ。だが最終射撃でも雨雲を打ち払うことは不可能だという。

槍を使う杏子と、剣を握るさやかも除外だ。マミでも無理な事を、近接主体のこの2人ができるとは思えなかった。当然、ルドガー自身にも不可能だ。

となるとやはりマミの言う通り、莫大な魔力を持つほむらしか残っていない。問題は、半ば正気を失い今も暴走して人魚の魔女を攻撃し続けているほむらにどうやったら言葉を伝えられるだろうか、と。

そこに杏子が意外な提案を皆に、というよりはルドガーに持ちかけた。

 

「なぁアンタ…アイツとは"リンク"できるのか?」

「えっ? いや、ほむらとはやった事ないけど…」

「佐倉さん、どうしてリンクの事を?」

 

以前箱の魔女の結界でルドガーとリンクをした経験のあるマミは、いつの間に、といった風に杏子に尋ねた。

 

「さっき戦った時にコイツに言われてやってみたんだけど…なんか妙な感じだったなありゃあ。

何つうか…コイツが次にどう動いてくれるとかが自然にわかるんだ。感覚が繋がってるっつうか…それを、アイツにやってみたらどうなんだ?」

「…できなくはないと思う。伝わるかどうかはわからないけど、試す価値はあるな」

 

ルドガーは暴風吹き荒ぶ校庭に舞うほむらの姿を確かめ、懐中時計を握りしめる。

 

「あの中に飛び込む気…!? 危険よ、ルドガーさん!」

「マミ、どの道放っておいたら街が滅茶苦茶になる。もし人魚の魔女が市街地に逃げたらどうなる?」

「そ、それは……」

「大丈夫だ…俺に任せてくれ。はぁっ!」

 

懐中時計からエネルギーを解放し、今再び骸殻を纏ってみせるが、未だダメージが残っているのか骸殻はお菓子の魔女以前に発現していたハーフ形態に留まっていた。

だが、無いよりは遥かにマシだろうとルドガーは割り切って槍を構えた。

 

「ほむら………今行くぞ!!」

 

虚空に向かってそう叫んだ次の瞬間、ルドガーは僅かな残像を残してその場から転移していった。

向かうは、魔女と少女が火花を散らす戦場だ。

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

渡り廊下から校庭に飛び込むと、そこはもはや原形を留めていない場所へと変わっていた。土が無惨に抉れてフェンスも暴風によって捻じ曲がり、端に植えられた木々は根元からへし折られている。

校舎に攻撃が向かっていないのが奇跡のようなものだ。

羽ばたきながらほむらが波動を放つ度に土が舞い上がり、人魚の魔女はそれを嘲笑うかのように転移して躱している。

 

『あっははは! いくらあんたでも今のあたしには勝てないよ?』

 

ドスン、と鈍い音を立ててまた一つクレーターが形成される。冷静さを欠いたほむらは、ただ人魚の魔女を殺す事しか考えていない。もはや本能で動いているようなものなのだ。

ルドガーは舞い散る雨土の中に意を決して割って入ってゆく。

 

「ほむら!! 聞こえるか!?」

 

予想していたが返事はない。だが、待っている猶予などなかった。攻撃を掻い潜りながら可能な限りほむらに接近し、意識を集中してアローサルオーブの出力を高めた。

 

「……リンク・オン───ぐぅっ!?」

 

ほむらとリンクを繋げる事はどうやら成功したようだ。だが、ルドガーが意思を伝える以前にリンクの糸を逆流してほむらの感情が流れ込んでくる。

悲しみ、憎しみ、喪失感、破壊衝動、気が狂いそうなほどの殺意、そして罪悪感。まるでパンドラの箱を開いてしまったかのように、深い絶望が次々と襲いかかる。

こんなものを受けてしまえば、まともな魔法少女ならば一発でソウルジェムが砕けてしまうだろう。

 

「くっ…………堪えろ…!」

 

数々の出逢いと別れを経験したルドガーだからこそどうにか堪える事ができたものの、そうでなければと考えると恐ろしく感じる。

こんな絶望を背負いながらほむらは戦っていたのか、と違った意味で戦慄を覚えた。

それでも、伝えなければならない。ルドガーは腹に力を入れ、空に向かって思い切り叫んだ。

 

「ほむらぁぁ!! 聞こえるか!? 応えてくれぇ!!」

 

その声に応じたのか定かではないが、空を舞うほむらの動きがかすかに揺らいだ気がした。返事を待たず、ルドガーはさらに続ける。

 

「ほむら! 聞こえたのか!?」

『………ルド、ガー…?』

 

今度ははっきりと反応があった。リンクの糸を通じてほむらの声がルドガーまで聞こえてくる。

 

「いいか! 空だ! 雨雲を祓うんだ!!」

『雲を……?』

「ああ! 雨雲さえなければヤツは逃げられない! いけるか!?」

『………やってみるわ…!』

 

ばさり、と翼を大きくはためかせてほむらは天上を見る。雨雲は見滝原市中を覆うかのように広がっていたが、"所詮はその程度の広さしかなかった"のだ。

緩急を置いた事でようやく頭が冷えたほむらは、この雨雲自体が人魚の魔女の"仕込み"であるのだろうと判断した。

 

『へぇー…やっと気付いたってわけね。でも、行かせると思う!?』と、ほむらの意図に気付いた人魚の魔女が剣を錬成して射出の準備をする。

が、射出する直前に遥か後方から強大な砲撃が飛来し、怒号と共に人魚の魔女を掠めた。

 

『ちっ……マミさんか…!』

 

砲撃は渡り廊下のある方角から撃ち込まれたものだ。ルドガーも魔女も、その砲撃の主が誰なのかを察していた。

 

「今だほむら! 行けぇ!!」

『ええ!』

 

巨大な翼を羽ばたかせて、ほむらは目にも留まらぬ速さで上空へと飛んでゆく。途中で何本か剣が飛んで来るが、数千メートルも上昇してしまえば魔力が込もっていようとさしたる脅威ではない。黒翼の羽ばたきひとつで剣は次々と霧散していった。

さらに上昇し、波動を放って雨雲に風穴を空け、ついに雨雲の真上にまで到達した。

それを見届けたルドガーは仲間の援護射撃に守られながら槍を地に穿ち、持てる力の全てを解き放って握りしめる。

 

「ほむら、お前に合わせる。やれるな?」

『いつでもいいわ!』

「行くぞ! 虚無と永劫を交え───」

『弾けて、潰せ!』

 

未だコントロールが不安定な黒翼の力をリンクを応用して調律し、ほむらの力を最大限にまで発揮させる。老軍師ローエンとの共闘の経験を生かした手法だ。

 

 

 

『「イベント・ホライズン!!」』

 

 

 

合わさった2人の力によって空に発生した重力場の特異点は、放射状に爆裂し何層にも渡って波紋の様に広がり、市中に浮かぶ雨雲を呑み込んでゆく。

数秒後には蒸発してしまったかのように雨がぴたりと止んだ校庭では、人魚の魔女が唖然とした表情で空を眺めていた。

 

『…まさか、ホントに雲を吹き飛ばすなんて。バ火力にも程があるっしょ…?』

 

後ろ盾を失った人魚の魔女はマントを翻して逃げようとするも、それを見逃すルドガーではなかった。

共鳴秘奥義の発動によって骸殻のエネルギーを使い果たしたものの、まだ戦う術は残されている。

 

「逃がすかぁ! 祓砕斬ッ!!」

 

二振りのサバイバルナイフによる音速の居合斬りを魔女に浴びせ、斬り抜けると同時に蹴り上げて更なる追撃を加えてゆく。多彩な武器の連続攻撃は地に打ち上げられた人魚の魔女すら翻弄し、反撃を許さないまま2挺銃による波状攻撃を浴びせた。

 

「これで終わりだ! 零水ぃぃ!!」

『グ…ギ、アァァァァァッ!?』

 

連続攻撃を受けた人魚の魔女は大きく吹き飛ばされ、今度こそ効果的なダメージを浴びせる事ができた。

だが今一歩足りない。やはり骸殻だけでなく、ルドガー自身にもまだダメージが残っており完全な一撃とは成り得なかったのだろう。

 

『……っく、やるじゃん…! けどねぇ、水がなきゃ戦えないってわけじゃあないんだよねェ…!』

「なんだと…まだ立てるのか…!」

『…ふぅ。とはいえ、もう現界を保てそうにないね。また仕込みからやり直さないと…"マリア"! 引き上げるよ!』

「"マリア"……!? こ、この反応……!」

 

人魚の魔女が名を呼んだ直後、懐中時計は新たな時歪の因子の反応を示し出した。更なる魔女の出現を表しているのだ。

その姿を見極めようとするが、それよりも速く人魚の魔女の足下に禍々しい影が広がる。

その中に沈んでゆくように、人魚の魔女は影にずぶずぶと入り込んでいった。

 

「逃げる気か!?」

『はっ! 心配しなくてもすぐに逢えるよ、お兄ィさん? "マグナ・ゼロ"はすぐそこにまで来てるんだから』

「何を…さっきから訳のわからない事を!」困惑しながらも、ルドガーは影に向かって銃を撃ち込むが、影が壁となって銃弾を留めてしまう。

 

『ま、あたしはちと休憩させてもらうよ! 次はこのコ───"エルザマリア"が相手してくれるからさ! 楽しみに待ってなよ!』

 

人魚の魔女の姿が完全に沈むと、とたんに魔女の反応が消え失せてしまった。あの影のような魔女"エルザマリア"とやらにしてやられたのだ、とルドガーは拳を握りしめる。

次いで、雲を蹴散らしてすぐに急降下したほむらの姿が上空に現れる。

 

『ルドガーさん! やったのね!?』と、雨が消えた事で開通したテレパシーによってマミが訊いてくる。

「いや…逃げられたよ。仲間の魔女がいたんだ」

『なんですって…!? 一難去って、また一難ね…』

「…そうだな」

『それより君達、早いところ姿を隠した方がいいと思うけどね?』と不意に提案を持ちかけたのはキュゥべえだ。

『この学校の生徒達が面食らった顔をして君達を見ているよ。どうやらほむらの魔力が強大過ぎて一般人にもあの羽根が見えていたようだね』

「なっ……そ、それを早く言ってくれ! ほむら! 聞こえたか! ……ほむら?」

 

念話に応じないほむらに違和感を感じ、ルドガーは空を見上げる。すると既に黒翼はなく、ほむらは校庭目がけて"頭から真っ逆さまに"落下しているのを視認した。

 

「気を失ったのか…!? まずい! 頭から落ちたら流石に助からないぞ!」

『なんですって!? ルドガーさん、今すぐ行くわ!』

「頼む! うおぉぉぉ!」

 

ほむらの落下するであろう場所を読み、全力で駆けつける。だが骸殻なしに相当な速さで落下するほむらを受けきれるとは思えなかった。

後方では異変を察知したマミとさやかが、凄まじい勢いで校庭へ飛び込んで走ってくる。

 

「暁美さぁぁぁん!!」マミは叫ぶと同時に無数のリボンを手から、はたまた地面から錬成し出した。

その勢いはかつての薔薇園の魔女の触手を彷彿とさせるものがあり、見事に地表数十メートルにまで達したほむらを雁字搦めにしてしまった。

そのまま落下の勢いを殺しながら地表に降ろしてゆき、リボンから開放して無事な姿を確認してようやく3人は安堵の溜め息をついた。

 

「やったか!?」と、まどかをおぶりながら遅れて駆けつけた杏子が3人に尋ねる。

 

「ええ、なんとかね………本当にギリギリよ。まさか気を失って落ちてくるだなんて…」

「まったく…無理しちゃって。ま、ほむらがいなかったらあたしらヤバかったけどね…」

「ああ…みんな、ありがとう。この戦いは誰かひとりが欠けてたら間違いなく負けていたと思う。それも、最悪の形でな」

「へっ、確かにな。…アタシも久々に疲れたよ。とっととズラかろうぜ」

「そうだな…早いところ移動、しよう………」

「ルドガーさん…?」

 

不意にルドガーは脚の力が抜けてしまうような感覚を覚え、膝からその場に崩れ落ちてしまう。

スローモーションで景色が流れてゆくように見え、頭がぼんやりとしてくる。

すぐ隣ではマミが何か大声で叫んでいるようにも聞こえたが、それすらもはっきりと聞き取れないままにルドガーはその場に倒れ、意識を手放した。

 

 

それが、その日最後にルドガーが見た光景だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

INTER EPISODE:1 それぞれの想い
第18話「ずっと一緒だ、って言ったよね」


1.

 

 

 

 

 

 

人魚の魔女との戦いから一夜開けた朝、どこからか漂う花のような香りと、腕に触れる暖かさを感じてルドガーは目を覚ました。

天井を見ると普段寝泊まりをしている住居に比べても大分高めであり、洒落た照明がかけられている。

 

「ここ、は……マミの家か…? うっ…」

 

頭が重く、起き上がろうにも力が入らない。傷自体はさやかの願いによって治癒されたようだが、人魚の魔女に手酷くやられた事で体力が根こそぎ持っていかれたようだ。

ともあれなぜ自分がマミの家に、しかもご丁寧に布団の上に寝かされているのか。状況を判断するべくルドガーはゆっくりと上体を起こして、少し呆けたまま辺りを見回した。

テーブルにはいくつかティーカップが置かれており、棚の上の電子時計を見れば既に11時を廻っている。遠目にあるソファーの上では杏子がぐったりした風に眠っているのが見える。

そして今自分の真隣に感じる暖かさ。見ないようにしていたがそういうわけにもいかないだろう、とついにルドガーはそこに視線を落とす。

 

 

「……ん、んぅ……」

「えっ」

 

 

そこにはこの家の主が、とても気持ち良さそうに和らかな顔をして眠っていた。

 

「………どうなってるんだ」

 

雨雲を祓って人魚の魔女を撃退し、気絶して遥か上空から真っ逆さまに落ちてきたほむらを救出したまでは憶えている。だがその時点でルドガー自身も倒れてしまい、それ以降の記憶がないのだ。

だが、ルドガーは以前はエルと寝食を共にした事もある。それとさして変わりないだろう、と"思う事にした"。少しどきり、としてしまったのも"気のせい"だ、と。

ほむらはどうなったのか。ルドガーがここにいるという事は、ほむらもまたこの家に運ばれている可能性が高いだろう。かけられた布団から這い出て立ち上がろうとするも、眠っているマミを起こすのはどうにも憚られた。

どうしたものかと思索していると、ルドガーの微かな動きを感じ取った杏子がすっ、と身体を起こしてこちらを見てきた。

普段は後ろに束ねた赤い髪も、今は解けてしまっている。

 

「杏子、起きてたのか?」

「いんや、寝てたよ。…アタシは物音に敏感なんだ」

「そうか……みんなは、どうしたんだ?」

「アンタが倒れた後、大変だったんだからな? マミとさやかとでぶっ倒れた3人をここまで運んできたんだ。

ほむらはマミのベッドでまどかと一緒に寝かされてるよ。さやかはキョースケとかいう奴に会うとかいって帰った。アンタはベッドが埋まってたからそこに寝かされてたってわけ」

「そうなのか……」

 

あの地獄のような戦いでなんとか全員が生きて戻る事ができた、それだけでもほとんど奇跡のように思える。

それだけ人魚の魔女は強大な存在だったのだ。それに、影の魔女"エルザマリア"も控えているというのだ。当分は身体が休まる暇などないだろう。

 

「………ん………あ、あれ……?」

 

不意に隣からマミの声が聞こえてきた。杏子とルドガーの話し声によって目が覚めたのだ。

瞼をこすりながら身体を起こして2人を見て、昨日の記憶を振り返っていた。

 

「………いつの間にか寝ちゃってたのね。ん、でもこの布団って……はっ!?」

「おう、起きたかマミ。アンタ、寝ぼけて間抜けっ面してその男に引っ付いてたぜ?」

「えっ!? な、何で起こしてくれないのよ佐倉さん! ああごめんなさいルドガーさん! 私ったらなんて……」

「そりゃあ、あんだけぐっすり気持ち良さそうに寝てりゃあ起こすのは悪りぃと思ってな? アンタも悪い気はしなかっただろ、ルドガー?」

 

と答えた杏子は底意地の悪そうな笑みを、赤面するマミに向けていた。

 

「そういう変なとこで気を利かせないで! …って、今何時!? 学校遅れちゃうわ!」

「馬鹿が、落ち着けよマミ。あんだけ学校がメチャクチャにされたら休みになるに決まってんだろ? 小卒のアタシにだってわかるぞ。テレビでもつけてみろよ」

「くっ、何も言い返せないのが悔しいわ……」

 

マミは悔しそうに眉間に皺を寄せながらリモコンをとり、大型の液晶テレビの電源を入れた。

ほむらの家にある、箱の魔女を彷彿とさせる旧式のテレビとは段違いの映像の細やかさにルドガーは息を呑んだ。

マミがまず廻したのは地方局のチャンネルのようで、画面の右上に031という数字が表示される。ちょうどキャスターが見滝原市で極地的に発生した異常気象について触れているところだった。

 

『……昨日発生した竜巻などの異常気象により、市立見滝原中学校など近隣の住宅が被害を受け……』

 

テレビの画面はあちこちが破壊されて荒れた見滝原中学の映像に切り替わる。異常気象対策に力を入れ、校舎の復旧を待って休校にするという旨を語っていた。

 

「ひどいものね………」

「ああ…まさか、結界の中じゃなくてあんな場所で戦いになるなんて…」

「仕方ないわ…あの魔女は強すぎだもの。正直、今のままじゃあ勝ち目がないわ」

「アタシも同感だ。…あのヤロウの魔法もそうだけど、回復が速すぎるのはどうしようもねえ。なんか考えねぇとな…」

 

それぞれが魔女に受けた傷痕を振り返り、苦い顔をする。マミや杏子の言うとおり更なる鍛錬と対策を練らないと、次に襲われた時は本当に絶望的だとルドガーも感じているのだ。

ニュースは天気予報のコーナーへと代わり、次の一週間の天気予想を解説し出す。それによるともう暫くは雨は降らないそうだが、それと共に昨日の雨は予報が外れたものだとも語っていた。

その原因はもはや深く考えずとも想像がつく。人魚の魔女が何かしらの方法で雨雲をこさえてみせたのだろう。

ワルプルギスの夜まで残された時間も消して多くはない。少なくともその前までには人魚の魔女も再び仕掛けて来るだろう。

 

「ほむらとまどかは昨日からずっと眠ってるのか?」

「いえ、鹿目さんは1度起きたわ。でも暁美さんを看病するって言って…自分だって死にかけたのに、あの娘ったら…… もしかしたら、また一緒に眠ってるかもしれないわね」

「ほむらはああなったら暫くは起きられないからな…少し、様子をみようか」

「部屋を見てみましょう。私も一緒に行くわ」

 

と、揃ってそそくさと同じ布団から出る2人を杏子がにやにやとしながら見てくる。

 

「お邪魔ムシは退散した方がいいかねぇ?」

「あら、お昼ご飯食べて行かないのかしら?」

「よせよ、アタシとアンタはもうそういう仲じゃないだろ?」

「なら、昔に戻ればいいのよ。それに食べ物は粗末にしちゃあいけないんじゃなかったかしら? 佐倉さんがいると思って昨日たくさん買い出ししたのに、食材が無駄になっちゃうわ」

「………わかったよ。おとなしくゴチになるよ」

「ふふっ…素直な娘は好きよ、佐倉さん。2人に声かけてきたら、すぐに作るわね」

 

リビングからマミに追従する形で寝室へと向かい、マミが先どってドアを開いて中を覗く。すると、マミの表情にわずかな困惑の色が見て取れた。

 

「マミさぁん……」と、部屋の中からまどかの声が小さく聞こえてくる。

「どうしたのかしら?」と答えながらマミも部屋の中へ入っていった。ほむらよりも先にまどかが目を覚ましたようだ。

 

「うぇひひ、ほむらちゃんが離してくれなくて……」

「あらあら、鹿目さんにしっかり抱きついてるわね。ふふっ、こうしていると暁美さんすごく可愛いのね?」

 

マミがベッドを見ると、ほむらはとてもリラックスした表情でまどかに抱きついて眠っていた。

その様子をルドガーは見てはいないのだが、少なくとも家で寝込んでいる時よりは状態が良さそうだと感じ取った。

何しろ、以前寝込んでいた時はリラックスどころかうなされていた程なのだから。

 

「起こすのも悪いかなぁ、って思ったんですけど…疲れてるみたいですし…昨日も、私がついててないとうなされてたんですよ」

「そうねぇ…でも、鹿目さんもお腹が空いたでしょう。今からお昼ご飯作ろうと思って声をかけに来たのだけど…どうしましょうか」

「…先に食べててもいいですよ? ほむらちゃんが起きたらすぐ行きます」

「うん、わかったわ。作り置きになってしまうけど、すぐに食べられるようにしておくわね」

「あ、ありがとうございます」

 

ぱたん、と扉を閉めてリビングへと戻ると、杏子が勝手にチャンネルを変えて料理番組を眺めているところだった。

腹を空かせているのだろうか。それでも全く催促をしてこないあたり、未だマミに気を遣っているのだろう。

 

「それ、作ってあげましょうか?」とマミはテレビを眺める杏子に尋ねた。

「アタシはなんでもいいけど、作れんのか?」

「できなくはないと思うわよ。独り暮らしが長いと、料理ぐらいしか楽しみがないもの」

「…これ、水炊きだぞ。ホントに作んのか?」杏子は怪訝な顔をして再確認する。

「いいじゃない、昨日の雨で身体冷えてるでしょ? それに、私だってたまには賑やかに食事したいのよ」

「独りぼっちは寂しいもんな?」

「あなたがいるから、寂しくなんかないわよ」

「へっ、言ってくれるぜ」

 

言いながらマミはエプロンを手にとって台所へ向かい、冷蔵庫の中からあれやこれやと材料を取り出し、炊飯釜に米を計り入れてゆく。

手慣れた風に米を研ぎ洗うその姿は、中学3年生とは思えない手つきの良さであり、ルドガーもまた自身の幼少期を懐かしんでしまうほどだ。

 

「俺も何か手伝おうか?」

「じゃあ、食器を並べてもらおうかしら。久しぶりに土鍋を使うから少し時間がかかるけど……人数が多いものね」

「わかった。まどか達の分も用意しておくよ」

 

ルドガーは食器棚に向かい、小鉢と茶碗を選んで取り出してゆく。棚の中に食器が3人分ずつあることから、元々は家族とここで暮らしていた事がわかる。

5人分ともなると食器を統一するには足りず、いくつかバラけてしまうのは仕方ないだろう。

杏子は杏子で律儀にテーブルの上を整理して、食器や鍋を置く用意を進めていた。

どこからかガスコンロを出していたあたり、杏子もまたマミの家の中に詳しいようだ。

米を仕掛け終わると今度は手早く野菜を刻んでゆく。既に電子調理器の上では粉末のガラスープを溶かした水が張られた土鍋が熱せられており、もう間も無く煮込みに入るところだ。

 

「あとは平気だから、適当にくつろいでてちょうだい」

「ああ、ありがとう」

 

杏子は既に再びチャンネルの物色に戻っており、今度は昼のワイドショーに注目していた。ルドガーも机の前に腰掛けて一緒に眺める。

遅れて、土鍋を仕込んでキッチンタイマーをかけたマミが机まで戻ってきた。

 

「あともう少し煮込んだら持ってこれるわ」

「鍋は俺が持ってくよ。重いだろ?」

「ふふ、ありがとうルドガーさん」

「オマエらホントに仲良いな? 実はデキてんじゃねぇのか?」と、杏子が頬杖をつきながら2人にちょっかいをかけてきた、

「まだ言うのかしら、佐倉さん。ルドガーさんはどちらかというと…そうね、兄さんってとこかしらね」

「ブラコンかよ?」

「いいでしょ別に。…私、他に家族いないんだから。あなただって…」

「アタシのは自業自得だ。うまい話に乗せられただけの事だよ。…アンタとは、違うんだ」

「佐倉さん……」

 

マミの心の中には迷いがあった。ひとりの魔法少女の死によって知らしめられた魔法少女の真実。まだ杏子はそれを識らないのだ。

杏子なら自分のように取り乱したり、生きる意味を見失ったりなどはしないだろうとも思える。だが、魔法少女である前にひとりの少女なのだ。

杏子が魔法少女になったことで何を手にいれたか…そして、何を失ったのかをマミは知っている。だからこそ迷うのだ。

けれど、これから先の敵に向き合う為には知らなければならないのもまた事実だ。

 

「……そういえばさ」と、杏子が話題を変えようと口を開いた。

「暁美ほむらと鹿目まどか…アイツらって…まさかデキてんのか?」

「えっ、急にどうしたの佐倉さん」

「いや…その、昨日ほむらが自分の腕持って駆けつけてきたじゃん。それ見てブルっちまったまどかにキスしてたからさぁ。

ほむらもまどかの事は特別大事にしてるみてぇだし…でも、アイツら女同士だよなぁ…?」

「世の中にはいろんな愛の形があるのよ。佐倉さんにはまだ早かったかしらね?」

「ばっ、バカにすんなよな! そりゃあアタシは、そういうのはよくわかんねえけどよ…でも、アイツらが付き合ってるっつうんなら1コだけ納得がいかねえ事があってよ」

「納得がいかない? 何がだ?」

 

と、ルドガーも杏子の言い回しに疑問符を浮かべた。

 

「ルドガー、アンタはもう知ってんだろうけどよ…アタシはほむらに協力を頼まれたんだ」

「ああ。ワルプルギスの夜を倒すまで、だろ?」

「そ。その時にほむらが出した条件がさ、未使用で、そこそこでかいグリーフシードひとつと…ワルプルギスを倒したら街を出て行くって話だ」

「………待って、佐倉さん。街を…ってどういう意味?」

「マミならわかんだろ。同じ街に魔法少女は3人も要らない。だから自分は用が済んだら消える、そう言う意味だ。

…言っとくけど、アイツから言い出したんだからな。ワルプルギスのグリーフシードもいらねぇって言ってたんだぜ?

けどよ…それってつまり恋人の前から消えるっつう事だろ。恋人泣かせるような真似を、なんで自分から言い出したんだかねぇ……」

「……ほむら、そんなことを…」

 

マミにはその提案の意味を理解するには至らなかったが、ルドガーにはその意味がわかった。

以前聞かされた話だ。ほむらの時間停止はワルプルギスの夜を過ぎると使えなくなってしまう。そうなれば気休め程度の重火器しか持たない凡以下の魔法少女に成り下がってしまうのだという。

そんな状態で魔女を狩り続け、仲間と富を分かち合いながら延命する事は困難を極めるだろう。

仮に黒翼があるとしても、未だ制御もできない危険な力をほむらが進んで使うとは思えない。

それに、ほむらの目的は究極的には"まどかしか倒せないワルプルギスの夜を代わりに倒し、まどかを契約させずに救う"事だ。それさえ済めば自分は用無しだ、と考えているかもしれない。

時間停止を失えば待っているのは遅からぬ戦死、或いは浄化不足による魔女化だろう。ほむらがワルプルギスの夜を倒したのちに何をしようとするか、杏子の言葉でルドガーはそこまで理解してしまったのだ。

 

「………まさか、な…」

 

だが、その可能性は認めたくはなかった。

それに、今のほむらには魔法少女の負の連鎖が当てはまるかどうかも怪しいのだ。

今のほむらのソウルジェムは穢れの浄化を必要としない謎の物質へと変化しているのだから。

 

「アンタは聞いてなかったのかよ、ルドガー」

「ああ…まさか、そんな条件を出していたなんてな。…なあ、杏子。どうしてもその条件じゃなきゃダメか…?」

「いんや別に。もともと昨日の時点で食い扶持が1人分増えてんだからよ、3人も4人も大して変わんねえだろ。

第一、アタシはそこまで人でなしになったつもりはねえんだけどなぁ?」

「佐倉さん………」

 

それが大事だから問題なのよ、と。マミは喉元まで言いかかったが堪えた。

魔法少女の真実を打ち明けるのならばほむらも同席していた方が良い。今はまだその時ではない。

それに、ここにいる誰もがあの2人を引き裂くなどという事は望まなかった。マミやルドガーはともかくとして、杏子もだ。

 

「…鍋、仕上げちゃうわね」と、マミは不穏な空気に耐えかねて席を立ち、ルドガーも鍋を運ぶ為に台所へついていった。

いつだってそうだ。ほむらはまどかの為なら何だって犠牲にしようとしてしまう。のみならず、自分自身の存在すらも平気で懸けてしまうのだ。

それがまどかを一番悲しませることだとも知らずに。或いは気づかないふりをしてか。

 

「杏子、マミ………この話は、まどかには内緒にしててくれないか」

 

ルドガーの懇願に、2人の少女達は二つ返事で了承を返した。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

柔らかく、どこか懐かしい気がする温もりに包まれてほむらの意識は緩やかに目覚めへと向かい始める。

鼻孔をくすぐる甘い香りに、耳を澄ませば心地良く、それでいて心なしか忙しない鼓動が聴こえる。

さらさら、と自身の長い髪が撫でられているのに気づきゆっくりと瞼を開くと、目の前には向日葵(ひまわり)色の寝間着を纏ったまどかがいた。

 

「……えっ……まど、か……?」

「てぃひひ、おはようほむらちゃん」

「……お、おはよう……私、どうして……?」

 

改めて自身の格好を振り返ると、ほむらも自分のものではない寝間着に着替えさせられており、まどかの胸元に顔を埋めるようにして眠っていた事に気付いた。

瞬間、肌に触れていた妙に柔らかな感触の正体を察して一気に頬が紅潮する。

 

「ごっ…ごめんなさい! 私、なんて格好で…」

「気にしないでよ。その…ちょっと恥ずかしいけど、赤ちゃんみたいですごく可愛かったなって…な、何言ってんだろ私…」

「あうぅ……自分が情けないわ……」

「でも、私もほむらちゃんの事ぎゅってして寝てたみたいだからおあいこかな?

ほ、ほら私いつも抱き枕して寝てるから」

「そういえば、そうだったわね……」

 

どちらともなくベッドから起き上がり、ほむらはまず自分の着ていた制服を探す。ブレザーはまどかのものと一緒にハンガーにかけられていたが、ブラウスが見当たらないことに気付いた。

着替えさせられているあたり、恐らくマミが洗濯でもしてくれているのだろうと考える。

 

「さっき、マミさんが呼びに来たんだ。ご飯作ってくれてるみたい」

「マミが…? 起こしてくれてもよかったのに」

「でも、ほむらちゃんすごく疲れてたみたいだから…前も、あの羽根出した後はしばらく起きなかったし」

「ええ…最初の時は確か2日くらい寝込んでたわね。でも、私の事なんて置いて先に行っても…」

「…あのね、ほむらちゃん。私が大事な彼女を置いて行くような娘に、見えるのかな…?」

「か、かの…っ!? い、いえ…ごめんなさい。心配してくれてたのね……」

「そうだよ? もう……」

 

互いに照れながらいそいそとベッドの布団を整える。食事の用意ができているというなら、すぐにリビングへと向かうべきだろう。

ご飯にしよう、とまどかは言いかけるが、急にほむらがまどかの両腕を掴み、ぐいっと抱き寄せた。

 

「わっ…ほ、ほむらちゃん…?」

「………ごめんなさい、まどか。私のせいであなたを危険な目に遭わせてしまったわ」

「そんな…ほむらちゃんのせいじゃないよ」

「ううん……私が弱いからよ。まどかだけじゃない、さやかだって………

私がもっと強ければそんな事にはならなかったのに……っ、ごめ……なさ…」

 

最後の方は声が掠れて殆ど聞き取れなかった。だが、自分を責めながら、危うく失いかけたまどかの温もりに縋り付くその姿は、まどかからしたらどこか痛々しいものがあった。

 

(……一番傷ついているのはほむらちゃんなのに)

 

そう思いながらも口には出さず、代わりにその細い身体を強く抱き返す。

ほむらを寝間着に着替えさせたのはまどかだ。一度切断された左腕はマミによって繋げられたものの、その部分だけ真新しい皮膚の色をしており、周囲とのコントラストによって逆に傷の生々しさを物語っている。

それ以外にも薔薇園の魔女には全身の骨を砕かれ、箱の魔女には幻覚を視せられて絶望の淵に追いやられもした。

その姿をまどかは見ていた。だが何もできなかったのだ。

 

『───あなたに何ができるっていうの!! 殺されるわよ!?』

 

昨日のマミの言葉は、まどかの胸に深く突き刺さっていた。もちろん、マミは責め立てるつもりで言ったのではないとわかっている。あくまでまどかは普通の人間なのだから、と。

 

「ほむらちゃん……顔、上げて?」

「うん………んっ…」

 

まどかにできるのは、ほむらの寂しさ、弱さを全て受け入れること。優しく抱き締めて、互いの感情を確かめ合うように唇を交わすことだけだった。

触れ合うよりも先を知らない2人は、親鳥に餌をねだる雛のようにただ互いを求め合う。

 

「………まど、かぁ………っ…すき………」

「……私も、大好きだよ。だから泣かないで…ね?」

「うん……」

 

互いに弱さばかりを嘆いていても先へは進めない。まどかはまどかなりに、ほむらにしてあげられる最大限の事を果たそうと、あの花畑で誓ったのだ。

けれど、"所詮はその程度の事しかしてあげられない"と、まどかの中で罪悪感にも似たコンプレックスが募り始めていた。

 

「…ご飯、食べに行こ?」

 

それを悟られないように、まどかは指で優しく涙を拭いとってやり、努めて笑顔をしてみせた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

2人がリビングへと向かうと既にガラステーブルの上には料理の支度がされており、ちょうどマミが茶碗に米をよそっているところだった。

 

「おはようございます、マミさん」と、まどかから挨拶を交わす。

「おはよう鹿目さん、暁美さん。歯ブラシ買ってあるから、先に顔を洗ってらっしゃい。化粧水は…とりあえず私のを貸すわ」

「わかりました」

 

マミに促され、2人は揃って洗面所へと向かう。食事を前に声をかけに行こうとした杏子は、面倒が省けたといった顔をしつつその様子を見ていた。

 

「なぁんかアイツ、初対面の時と印象違くねぇか?」

「それは、暁美さんのこと?」マミは杏子に茶碗を差し出しつつ尋ねる。

「どっちもだよ。ほむらはどっか落ち込んでるみてえだし、まどかは逆に張り切ってるっていうか…まあ、どっちも"らしくない"って感じか?」

「あなたは昔から人を見る目はあるものね。私も、なんとなくだけどそんな気がしたわ」

「ホントかよ、褒めてもなんも出ねぇぞ?」

「これでも、あなたの事はよくわかってるつもりよ? はい、ルドガーさん」

「ありがとう、マミ」

 

遅れてやって来た2人の分の茶碗にも米を注ぎ、配膳を終えたあたりで洗面所から2人が戻って来る。

ほむらはテーブルの中央を見て、全員の顔を一瞥して、またもテーブルの中央を見て呆れたように口を開いた。

 

「………どうして鍋なのかしら」

「佐倉さんが食べたがってたのよ。それに昨日は雨で冷えたし……」

「おいマミ、アンタの方がノリノリだったじゃねえか。アタシひとりのせいにすんじゃねえぞ」

「まあそういう事だから食べてちょうだい、2人とも」

「無視かよ! ったく……」

「ありがとうマミ、いただきます」

 

直角三角形の形をしたテーブルの空いた辺に沿って、まどかとほむらは隣り合わせに腰を下ろす。

向かいにはマミと杏子が並んで座り、残る辺にルドガーが位置するかたちだ。

いただきます、と皆が揃ってから思い思いに鍋から具を拾ってゆく。鶏肉もそうだが、ほむらはあまり肉を食べないとルドガーから聞かされたマミによって野菜も多めに投入されており、案の定ほむらは野菜ばかりを中心に採っている。

 

「お口に合うかしら?」

「ええ、とても。相変わらず料理が上手いのね」

「ん? アンタ、マミの料理食ったことあんのか」と、鶏肉にかぶりつきながら杏子が訊く。

「……そうね、"この世界では"初めてかしらね」

「この世界? どういう意味だよ」

「私はこの世界の人間じゃないのよ。そこのルドガーもね」

「……ほむらちゃん、いいの? 話しちゃって」

「構わないわ、これから一緒に戦ってもらうんだもの。…大丈夫、杏子は信頼できるわ」

「……アンタ、こないだから随分とアタシの事に詳しいみてぇだな」

「それについても説明するわ。ただ…気分のいい話じゃないから、食べてからにしましょう?」

「そーかい。…ま、とっとと食っちまうか」

 

 

普通の日常を捨て去った少女達にとって、こうして大勢でテーブルを囲む食事は遠く久しかったものだ。

せめて、この貴重な"日常らしい"時間は大切にしたい。言葉に出さずとも、それぞれがそう思っていたのだ。

例外はただひとり、ひとりの少女の願いによって"日常"へと留められたままのまどかだけだ。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

ひとときの団欒のなかの食事も終え、料理人2人は共にキッチンで後片付けをし始め、リビングにはほむら、まどか、杏子の3人が残る。

 

「最初は…そうね、私のことから話そうかしら」

「アンタ、確かワルプルギスの夜を倒すとか言ってたよな」

「ええ、そうよ。私はワルプルギスを倒す為に、4月の始まりからずっと同じ1か月を繰り返し続けてるの」

「……は? 繰り返し、って…」

「私の能力は時間を止める事と、ワルプルギスが過ぎた後はそれが出来なくなる代わりに、時間を遡る事ができるの」

「………なるほどねぇ、だからアタシらの事も識ってるってか」

 

杏子にとっては初めて聞く話であり、隣に座るまどかも詳しく聞くのは初めてになる。

2人の表情はいつになく真剣そのものへと変わっていた。

 

「そうよ。…ワルプルギスの夜は強大な存在なの。何度戦っても、アイツに勝つ事はできなかったわ」

「1度もか? アンタ、どんだけ繰り返してきてんだ?」

 

その質問は、過去に何度もされた事があるものだが、はっきりとした回数などもうわかるはずもなかった。

ただ体感では恐らく、もとの自分の人生よりも長く同じ時を彷徨っているのだろうと感じているだけだ。

以前箱の魔女に視せられた、"鹿目まどかの幻影"を思い出せば、その数は100は軽く超えているように思える。

つまりは、それだけ繰り返してきたという事なのだろうか、とほむらは考え、その上で答える。

 

 

「…さあ、数えるのなんかとっくにやめてしまったわ。見た目通りの歳ではない事は確かかしらね。…何度かなら、勝てた事はあるわ。ただし、ひとりの魔法少女の犠牲によってね」

「………なんとなくわかったよ。その魔法少女ってのは…"まどか"だな?」

「ええ。まどかが契約すればワルプルギスの夜さえも1撃で倒せる程の強力な魔法少女になるわ。…だけど、それじゃあダメなのよ。

私の目的はワルプルギスの夜を倒す事と…まどかを守ること。まどかは魔法少女になれば、例外なく死ぬわ」

「何でだよ? ワルプルギスを1撃でやれるんなら、治癒魔法だって強力なんだろ?」

「………その理由のひとつに、ソウルジェムが関わってくるのよ。あなたは、どうしてソウルジェムが濁るのか…濁り切った時にどうなってしまうのか、考えた事はあるかしら?」

「まあな。ソウルジェム…"魂の宝石"っていうくらいだ。コレがイカれたらヤベェって事ぐらいはな…」

「…そう、その通りよ。コレは私たち魔法少女の命そのもの。キュゥべえとの契約によって私たちの魂はこのソウルジェムへと変換される。

ソウルジェムの破壊は、魂の破壊と同じなのよ」

「……マジで、これがアタシらの命だってのか。何となくそんな気はしてたけどよ…イマイチ実感が湧かねえな」

「証明したいのなら、私のソウルジェムを持って100メートルほど離れてみればいいわ。それだけ離れれば肉体とのリンクが切れて仮死状態になるわ」

「……いや、いい。アンタが嘘言ってねえ事ぐらいわかるよ」

 

自分のソウルジェムを貸す、という提案の中に杏子はほむらの本気を垣間見た。ほむらはそうまでして杏子に信頼してもらおうとしているのだ、と。

 

「で、濁るとどうなんだよ」

「昨日の人魚の魔女、見たでしょう? あれは私が見てきた美樹さやかの成れの果てと同じものなのよ。キュゥべえは他の時間軸のさやかだと言っていたけれど」

「………おい、成れの果てってなんだよ」

「ソウルジェムが完全に濁ると、グリーフシードへと変化する。魔法少女は、魔女へと変わってしまうのよ」

「……オマエ、それマジで言ってんのかよ!?」

「ええ、そうよ。ついこの前もひとりの魔法少女が魔女になって倒されたわ。それだけじゃないわ。さやかの姿をしたあの人魚の魔女を見て、何も感じなかったかしら?」

「そんな…わけわかんねぇよ……アタシらは、キュゥべえに騙されてたのかよ!?」

「ヤツは遠回しに甘い言葉しか吐かないわ。キュゥべえ…インキュベーターの目的は魔法少女が魔女へと変わる時に発生するエネルギーだけなのよ。あなたも、私も、ヤツからしたらそれだけの価値しかないのよ」

「ヤロウ………ふざけやがって!!」

 

杏子は怒りに任せてテーブルを叩こうとしたが、それがガラスでできている事を思い出して拳を堪える。

ほむらはあくまで冷静を装い、まどかはそんな杏子を目の当たりにして、何を言えばいいのかわからずに手をこまねくだけだ。

 

「佐倉さん、落ち着いて」洗い物を終えたマミが、ルドガーと共にティーセットを手にキッチンから戻ってきた。

 

「気分が落ち着く紅茶を淹れたわ。よかったら、召し上がってちょうだい」

「…悪りぃなマミ。アンタが落ち込んでた理由、わかったよ」

「ええ…辛いけれど、魔法少女になったからには現実と向き合うしかないわ」

「アンタ、ホント強いよ。腑抜けたなんて言って悪かった」

「いいのよ。それに私は、契約しなかったら死んでいたもの。私の願いはただそれだけ。

誰かを守ろうとして契約した、他のみんなの方がずっと強いわよ」

「………なあ、マミ。あのさやかって奴は識ってて契約したんだよな?」

「…そうよ」

「……だっせぇなぁ。覚悟がどうとか言っちまったけど、アタシなんかよりずっと腹が据わってたってことか…」

「……あなたも、頑張ってるわよ」

 

改めてマミは杏子の隣に座り、優しく頭を撫でてやる。下ろした髪はほむらとほぼ同じ長さであるが、少し艶を失っているように感じた。

 

「………ほむら、アンタもアタシなんかよりもずっと辛い思いしてきたんだろ」

「私は好きでやってるからいいのよ。まどかを守る為なら、私は何でもするわ」

「強がんなよ、さっきから手ェ震えてんだよアンタ」

「…!」

 

杏子の視線の先には、ガラスのテーブル越しに透けて見えたほむらの白い手があった。

それを包み込むように、横からまどかがそっと手を添えているのだ。

 

「ったく、どいつもこいつもお人好しばっかだなぁ…アタシはそういうのが大っ嫌いだって、知ってんだろ? …どうせろくな事にならねぇのをイヤってほど知ってんだからさ。ほむら…アンタは馬鹿だ、大馬鹿だよ。まどかの為なら自分だってどうなっちまったっていいって思ってる…違うかい?」

「…否定はしないわ」

「だろうねぇ……何せ、ワルプルギスを倒したら街から出て行く、だなんて話を持ちかけて来るくらいだ」

「佐倉さん!? その話は…!」

 

なぜ、といった面持ちでマミが杏子に問いただす。まどかが傷付いてしまうからその話はしない、と先程言ったばかりではないか、と。

しかしルドガーは何も言わずに杏子の意図を読み、汲み取ろうとする。

敢えてそれを言ってしまう事で、ほむらの"逃げ場"をなくしてしまおうとしているのだ。

 

「…どういうことなの、ほむらちゃん」

 

案の定、杏子の言葉を受けたまどかが血の気の引いた顔をしてほむらに尋ねる。

 

「そんな約束してただなんて、私聞いてないよ! なんで…? ずっと一緒だ、って言ったよね!?」

「……ごめんなさい」

「謝らないでよ…ちゃんと答えてよ!! あの時"優しくしないで"って言ったのはそういうことだったの!? ねぇ、なんで………!?」

「……私が、魔法少女だからよ」

「そういう事だぜ、まどか」

 

煮え切らない態度のほむらに痺れを切らし、杏子が横槍を入れる。少し冷め始めたマミの紅茶を一気にあおり、その仄かな苦味で自らの頭を冷やして自身を律した。

 

「佐倉さん! それ以上は………」

「マミ、少し待ってくれないか」

「えっ…?」

「杏子に任せてやってくれ」

 

杏子を諌めようとしたマミを、ルドガーが止める。杏子の言わんとしている言葉は、ほむらにとって必要なものであると考えたからだ。

 

「どーも、ルドガー。…魔法少女は魔女になる。アンタの目的はワルプルギスを倒す事。ワルプルギスを倒せば時間を止められなくなる。この3つを合わせてやっとわかったんだよ、アンタがなぜ街を出るって言ったのかをね。

ほむら、アンタ……ワルプルギスを倒したら死ぬ気だな?」

「えっ……何言ってるの、杏子…ちゃん」

「簡単な話だろ、まどか。コイツはアンタを守る為なら何でもするって言ったんだ。魔女になればアンタに迷惑をかけちまう。何より、アンタは一般人だからねぇ…違うかい、ほむら?」

「…………否定は、しないわ」

「またそれかよ。アンタがそうやって煮え切らねえ態度を取るから、まどかだって不安になっちまってんじゃねえかよ。なぁまどか。アンタはどうしたい? このままだとほむらはいなくなっちまうぜ?」

 

杏子の少し挑発的な言い回しは、確かにまどかの不安を煽るのに一役買っていた。自ずと、まどかの答えはひとつへと絞られてゆく。

 

「私……イヤだよ、ほむらちゃんと離れたくないよ…! お願いだよ杏子ちゃん! ほむらちゃんを、街にいさせてよ……!」

「それはほむらの勝手だぜ。だいたいアタシは、そんな条件くれなくてもグリーフシードをいただけただけで腹一杯なんだ。でもまあ、ほむらは最初からそのつもりだったんだろうしなぁ……そうだ、アンタも契約しちまえばいいんだよ」

「えっ……? けい、やく……?」

「そ。契約して、コイツのソウルジェムをひったくって、手も脚も再生出来ないくらいに潰して、アンタ無しじゃあ何もできない身体にしちまえばいい。そうすれば永遠にコイツはアンタだけのもんだ。身も心も全部ね」

「杏子っ! まどかに余計な事を吹き込まないで!」

「アンタが悪いんだぜ、ほむら。さあまどか…どうしたい?」

 

知恵の実を携えた蛇のような笑みを浮かべて、杏子はまどかを唆す。まどかが出す答えはひとつしかない、とわかっているのだ。

たとえその言葉がほむらを苦しめるものだとわかっていても、まどかは言わずしていられない。

 

「………ほむらちゃん、もう一度約束して」

「まどか…!? あなたまで何を…」

「…二度と私から離れないって誓って。街から出て行くなんて…そんなの、私が許さない。守れないなら私、契約するよ。杏子ちゃんの言う通りにするよ……」

「やめて! 契約なんかしたら、あなたは!! ……お願い、そんな事言わないでよ……あなたが契約したら、私きっと、すぐにでも絶望してしまうわ…! あなたを守るって決めたのに…今のまどかだけを愛するって決めたのに、どうして…?」

「まだわからないのか、ほむら」

「! ルド、ガー……?」

 

ここで、今まで沈黙を守っていたルドガーがついに言葉を紡ぐ。杏子の意図を、まどかの心を汲んだ上でほむらを諭そうとしているのだ。ほむらは双眸を潤わせながら、それを聞き入れる。

 

「ほむら…君がまどかを大切に想う気持ちは本物だ。今まで一緒に戦ってきたんだ、よくわかる。前に言っていただろ? "まどかの存在無しでは生きられない"って。…まどかも同じなんだって、どうしてわからない?」

「……それじゃあダメなのよ。私は魔法少女よ? まどかはこれから先、長い人生が待ってるのよ…でも、私はそんなに長くは生きられない。いずれ浄化が間に合わなくなって……」

「だったら、その時まで一緒にいればいい。もし魔女になってしまったとしても、その時は俺が責任を持って止める。……いや、絶対に魔女になんかさせやしない。

まどかがどんな気持ちで"契約する"なんて言ったかわからないのか? そうやってお前が傷付くのを承知で、脅してでもお前に傍にいて欲しいって思ったからだろう! ……お前はまどかの何を守る為に戦ってるんだ?」

「私は……まどかの幸せを守りたいだけよ…」

「なら、答えは出てるじゃないか。そうだろ? まどか」

 

ふっ、と優しい笑顔を浮かべながら訊くと、まどかも今にも泣きそうな表情でルドガーの問いかけに答える。

 

「はい。…私は、ほむらちゃんがいてくれればそれが一番の幸せです」

「だそうだぞ、ほむら」

「まどか………きゃっ!?」

 

突然にまどかはほむらに向かって抱きつき、不意を突かれたほむらはそのまま床に転げてしまい困惑する。

そのまま、皆がいようと何の躊躇いもなく、ほむらの唇を無理矢理奪った。

 

「…んっ、…………約束、だからね」

 

そう言ったまどかの声は、わずかに震えているようにも聞こえた。

 

「あらあら」と、マミはそれを少し困ったような顔で見守り、杏子もまた呆れたようにその様子を眺め、カップに残っていた紅茶を飲み干すとふぅ、とため息をついて立ち上がった。

 

「ごっそさん、マミ。アタシはそろそろ行くわ」

「佐倉さん、もっとゆっくりしてってもいいのよ?」

「…さんきゅ。でも悪りぃ、ちと熱くなりすぎたからよぉ…頭冷やしたいんだ」

「……そう」

 

マミの誘いをやんわりと断わり、ほどけた紅い髪を手慣れた風にヘアゴムでひとまとめにすると、杏子はさっさと外へ出て行ってしまった。

その後ろ姿に、ルドガーは直感的な不安を覚える。

 

「マミ、少し様子を見てくる。2人を頼むよ」

「待って、ルドガーさん。…佐倉さんに伝えて欲しい事があるの」

「俺から伝えておくよ。なんだ?」

「ええと……」

「…………! わかった、伝えるよ」

 

マミの伝言を携えて、ルドガーもまた杏子を追いかけて外へと早歩きで向かう。

扉を開けると、外の空気は昨日の雨の名残りか、どこか湿った風が吹いていた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

マミの部屋から出て杏子を追おうとするも、階段を駆け下りてゆくと紅い髪の後ろ姿をすぐに見つける事ができた。

2つほど下の階の踊り場で、うずくまっていたのだ。

すぐに異変を感じ取ったルドガーは、その後ろ姿に声を掛ける。

 

「杏子!? 大丈夫か」

「…あぁ、アンタか。追っかけてきたのかよ…」

「心配だったからな……まさか、ソウルジェムが?」

「……ほむらの話を聞いてたらすぐにこれだ。アタシの気分に反応してるみてえに濁り出しやがった」

 

杏子が手に持っていたソウルジェムは、既に7割ほどが黒ずんだ輝きを放っていた。

ほむら達の前で気丈を装っていても、ショッキングな内容の会話だった事には変わりはない。あのマミでさえ、なぎさの最期を見て危うくソウルジェムを濁り切らせる手前までになったのだ。

しかし冷静さは失ってはおらず、すぐに懐からグリーフシードを出して穢れを吸わせていた。

 

「………はぁ。なんとか落ち着いたか。……結局、アタシらは"コレ"がないと生きられないってわけかよ」

「ソウルジェムは魔法を使うだけじゃなく、気分が落ち込んでも濁る。…あんな話を聞いた後じゃあ、無理もないよ」

「アンタもなかなか詳しいじゃねえか。…ほむらとは付き合い長いのか?」

「いや、そうでもないよ。ただ俺も、似たような体質ってだけだ」と、懐中時計を取り出してみせて答える。

 

「そうなのか? だってアンタ、男じゃねえか」

「俺の力…骸殻も、使い過ぎると身体が蝕まれるんだ。俺はそのせいで"1度死んだ"んだよ」

「…どういう意味だよ」

「話すと長くなるけど、俺はもともとこの世界の人間じゃないんだ。…俺の一族は代々、この骸殻の"呪い"に侵されていたんだ。それを終わらせる為に俺は戦ってきた。

骸殻の呪いが進んでくと、時歪の因子と呼ばれるものになる。グリーフシードみたいなものに変わってしまうんだ。

その時歪の因子は平行世界を創り、もとの世界からエネルギーを吸い取ってしまう。だから放っておくこともできない。

………そして、その時歪の因子を破壊するのも、俺たちの一族の役割だったんだ」

「…じゃあ、アンタもアタシ達も、同じ事をしてたってことか……」

「そうなるかな。そして俺は時歪の因子に侵される前に審判の門…何でも願いを叶えてくれる場所へと向かって、呪いを終わらせる事を願った。そこで俺自身も時歪の因子になって、願いによって俺ごと消されたはずなんだけど…気がついたらこの世界にいたんだ」

「はぁ? なんだそりゃ?」

「ははは……正直、俺にもよくわからなくて」

「能天気なヤツだなアンタ……まあ、1度死んでるってんなら無理もないのかねぇ…なぁんか、アンタと話してたら毒気抜けちまったよ」

 

いつしか、マイナスに傾いていた杏子の心は自然ともとの振り幅へと戻っていた。

鋭い八重歯を見せながら呆れたようにおどけてみせるその姿に、ルドガーは一抹の安堵を得た。

そしてマミから預かった言づてを、言葉を選びながら杏子にそれとなく伝えてみる。

 

「そういえば杏子、マミから伝言があるんだけど………」

「あ? なんだ?」

「その……"一緒に住まないか"って」

「はぁ!? 何言ってんだアイツ!」杏子は目元を少し引き攣らせながら大きな声を上げた。

「何でも、人魚の魔女はいつ現れるかわからないし……互いに近くにいた方が安全だろうって。あと、食費や家賃は一切要らないとか……」

「…あー、そういやアイツ金だけは持ってやがるからなぁ。なんだいなんだい、理屈っぽく言ってるけど結局寂しいのかよ?」

「俺も、実はそうだと思う」

「やっぱりな! へっ、仕方ねえなぁ……とりあえず戻っかね」

 

杏子はさっさっ、とショートパンツの埃を払って立ち上がると、降りてきた階段を逆に登り始めた。

踊り場に射す西陽に杏子の紅い髪が反射して輝き、ゆらゆらと動く度に透きとおり、金の糸が交じったように見える。

その輝きの中に、ルドガーはどこか懐かしさを憶えていた。

 

(ミラ…………)

 

生まれてから一度も切ったことがないという、翡翠色の髪をしたその後ろ姿を、杏子の背中に重ねていたのだ。

箱の魔女の幻影の中で交わした約束。"一生憶えていなさい"という、呪いにも似た誓いの"証"を思い出し、ルドガーは自身の唇を確かめるように指で触れていた。

 

(…あの感触は幻なんかじゃない。それに、"またね"って言ってたな……いつか、本当に何処かでまた逢えるのか?)

 

 

もし再び出逢えるのならば、それはこの世界での"役割"を終えた時だろうか。

未だ来ぬ未来と、約束された来るべき災厄を前にしてルドガーの心はざわついていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:6 罪科の証は何処へ
第19話「夢でも見てるみたい」


1.

 

 

 

 

世間で騒がれる、見滝原市内を襲った謎の異常気象によって街中の雰囲気は少し変化していた。

空からはテレビの取材であろうヘリコプターの旋回音が聞こえ、街の外を歩く人影もごくわずかである。

半壊した見滝原中学には早速工事の業者が立ち入り、重機を数台持ち込んで突貫での修復作業を行っている。

その様子を遠目から眺めていたさやかもまた、異常気象によって退院が延期になった上条恭介を迎えに行く途中であった。

その傍には若干のくせのある長い髪の少女、志筑仁美が並んでいる。休校となっている現在は、2人とも私服姿である。

 

「………学校は当分は無し、ですわね」

「まあねぇ…あれだけ壊れちゃったら危ないしね。つうか、何でうちの学校ガラス張りなんだか」

「和子先生が前に『うちの学校は最先端のモデルケースだから』とか言ってましたわ」

「モデルケースでこれじゃあ、どこも真似しようなんて思わないよね。…ってか、あたしは仁美がついて来るのが意外だったよ。あんた、恭介と絡みあったんだね」

「さやかさんほどではないですわ。…それに、お話ししたい事もありましたし」

「話ぃ? なになに?」

 

2人は現在見滝原総合病院へと向かっているのだが、学校の様子を直に確かめる為に敢えて直接バスには乗らずに集合し、徒歩でここへ立ち寄ったのだ。

しかしそれも済んだ事で、2人はようやく学校のすぐ近くにあるバス停まで向かう。

午前の10時ともあれば通勤通学の類の人影は既になく、主婦が買い出しに行くにしても些か早い時間だ。当然ながらバス停には誰一人として並んでおらず、ちょうど良くやって来たバスの中にも運転手以外の人間は2、3人しか乗っていない。

 

「……学校の中での騒ぎのことですわ。学校がめちゃくちゃになったのは、異常気象なんかのせいではありません。…私、見たんですの。不思議な格好をしたさやかさんを…いえ、さやかさんみたいな姿をした"何か"を」

「………やっぱり、見てたんだね」

「あれだけ大きな騒ぎになったんですもの。たぶん私以外にも何人か見ていると思いますわ。それだけではありませんわ。その"何か"を追いかけてく暁美さんの姿も見ましたの。………左腕が半分ありませんでしたわ。

あれは、いったい何が起こっていたんですか?」

「あー……ええと、うん……」

 

仁美の核心を突いた質問に対し、さやかは何と答えたらいいものか考えあぐねてしまう。

魔法少女と魔女の存在を話してしまったところで到底信じるとは思えないからだ。

バスに乗り込んだ2人は少ない人目を気にして、1番奥の座席に向かい並んで腰を下ろす。

 

「私、気になって暁美さんのあとを追いかけたんです。…でも、とても足が速くてすぐ置いて行かれましたわ。そうしたら渡り廊下の方からすごい音がして……そこに行ったら、さやかさんが2人いましたの」

「あんた、あの近くまで来てたの!? …何ともなかった?」

「ええ、私は平気でしたわ。少し離れていましたから。………学校を滅茶苦茶にした、あのもう1人のさやかさんは、誰なんですか?」

「うーん……まぁ、ワルい奴だよ」

「私は真面目に訊いてますのよ?」

「あたしだって真面目だよ。……ほむら達は、影でああいうのと戦ってんの。正義のヒーロー…なんてカッコつけるわけじゃなくて、本当に。ほら、これがその証」

 

さやかは前方の座席で手元を隠しながら、隣にいる仁美にだけ左手の指輪を見せた。

そのまま形状を変化させ、蒼碧に煌めく宝石を手のひらに乗せる。

 

「まぁー、あたしも昨日仲間入りしたばっかりだけど……これが"魔法少女"の証、ソウルジェムだよ」

「綺麗……ですわね。でもこれ、ただの宝石ではありませんの?」

「そ。これはあたしの命みたいなもん。あたしらはキュゥべえってやつと契約して、何でも願いを1つ叶えてもらう代わりに、悪い奴と戦う魔法少女になったの」

「冗談………ではありませんのね」

 

冗談や軽口は普段のさやかの得意とするところだ。だが昨日(さくじつ)の学校で、そして今目の前でこのような不可思議な現象を見せられた仁美は、いよいよ冗談などではない事を察した。

実のところ、当人に記憶がないだけで仁美自身もかつて魔女の口づけを受けた被害者であるのだが。

 

「よくわかりませんけど、その…さやかさんも、何か願い事をしたってことですか」

「まあ、ね。あたしのは大した事じゃないけど……やっぱり、みんなを守りたいって思ったからね」

「立派なことだと思いますわ。…私には、そんな勇気ないと思いますもの」

「立派だなんて、そんなぁ。大袈裟だっての」

「………その守りたい"みんな"の中には、上条くんも入っているんですよね」

「へ? 恭介? そりゃまあ……ね」

 

さやかの願いは"親友を死なせない"こと。呪霊術に侵されたまどかだけでなく、傷付いたほむらやマミをも願いの対象に含ませる為に咄嗟の機転で考えたものだ。

その"親友"の中には確かに、隣にいる仁美や恭介も含まれている可能性は十分にある。

事実、今のさやかにはそれだけ広範囲の規模の願いを叶えられる資質が備わっていた。

まどかがほむらの度重なる時間遡行によって因果を募らせ、莫大な資質を引き継ぎ続けたように、まどかほどではないにしろ、さやかもまた因果を背負っていたのだ。

 

「さやかさんは上条くんの事をどう思ってるのですか?」

「ふぇ!? な、なんでそんな事訊くのよあんた」

「上条くんが事故に遭ってから、ずっとお見舞いに行っていたんですよね。それに、今もこうして退院のお迎えに向かっている。…私は、さやかさんは上条くんの事をお慕いしていると思ったのですが」

「あぅ………そ、そういうあんたはどうなのよ」

「私は、好きですわ」

 

えっ!? と静かな車内にさやかの甲高い慄きが響き渡り、ごく僅かしかいない乗客の視線が集まる。

それに気付いたさやかは少々ばつが悪そうな顔をしてみせた。

 

「今日、さやかさんにお話ししたかったのはその事もあったのです。…私は、上条くんの事をお慕いしておりますわ」

「ちょ、ちょっと仁美…?」

「でも、さやかさんの方がずっと以前から上条くんの事をお慕いしていたのは気付いてました。だから、さやかさんが先に想いを伝えるべきだと思ったんです」

 

きっ、と普段にも増して真面目な仁美の視線を受けているさやかの脳裏には、かつてのほむらの行動がよぎっていた。

 

 

『───気が変わったわ。2人きりの方がいいでしょう』

 

 

今思えば、あの時ほむらが意図的に恭介と対面するようけしかけてきたのは、この事もあったのだろう、と。

 

(ほむら……あんたは全部わかってたんだね。仁美が恭介の事を好きだ、って事も。そして…たぶん"あっちのあたし"が魔女になったのも、そのせいなんだ)

 

だから、ほむらは仁美よりも先にさやかと恭介の仲を取り持とうとしたのだ。そう気付いても、今のさやかには仁美に返す言葉を思い浮かべる事は難しかった。

 

 

『───次は、見滝原2丁目。お降りの際は足元に注意して………』

 

無機質な声色の自動アナウンスが車内に響き渡る。ふと外をみれば晴れやかだった空はいつの間にか薄暗くなっており、ほんの微かな雨が降り始めているようだった。

 

 

 

それが、人魚の魔女の襲撃の翌日の事である。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

「うぅ…………」

 

晴れ上がった空の下、洒落た造りの建物の目の前でほむらは立ち尽くしていた。

適当にクローゼットからひったくって着た黒いシャツとスカートといういでたち、おまけに人魚の魔女に片側だけ切られた髪も合わさってその姿は異様に映る。

しかし当の本人は人の目など気にしてはいない。むしろ、建物の中に入るか否かで緊張して強張っているのだ。

 

「大丈夫? 暁美さん」と、隣で声をかけたのはマミだ。

「一応訊くけど、暁美さんが最後にこういうお店に来たのはどれくらい前なのかしら?」

「………憶えてないわ。もうずっと昔の事だもの。そうね…10年じゃあ効かないと思うわ」

「まるで浦島太郎ね…まぁ、あなたの場合は仕方がないけれど。さて、行くわよ」

「ま、待ちなさいマミ! …本当に、こんな所でいいの? もっと安いところなんていくらでもあるでしょう」

「ここ、私の行きつけなのよ。あなたがお金に困っているようには見えないけれど……それに、もし手持ちがないのなら支払いは持つから別に構わないわよ。あなたは命の恩人だものね」

「それには及ばないわ …お金なら、あるわよ」

「決まりね。入るわよ!」

 

言うとマミはわざわざ手の力を魔力で強化してまでほむらの腕をぐい、と引っ張り、目前の店の戸を開けた。

店内にはいくつもの姿見が並び、その姿見の前にはそれぞれ、やや華奢にみえる椅子が置かれている。

天井のスピーカーからは聞き慣れないポップな洋楽らしきものが流れており、化粧品や石鹸のほのかな香りが店内中に漂う。実のところここは、マミが昔から利用している美容院なのだ。

足を踏み入れるとすぐさま「いらっしゃいませー!」と、はつらつとした店員達の声が響き渡る。開店直後の店内には、まだスタッフしかいないようだった。

 

「いらっしゃい、マミちゃん」と第一に名指しで声をかけてきたのは、見た感じはまどかの母・詢子くらいの年齢に見える女性の美容師だ。

「朝イチで電話もらったけど、今日はお友達を連れてきたんだね?」

「ええ。この娘ったらお洒落に無頓着で…可愛いって自覚がまるでないんですよ」

「あー、いるよねそういう娘。うん、マミちゃんが言うくらいだ。確かに可愛い顔してるね」

「そういうわけで、今日はよろしくお願いしますね」

 

ぽん、とマミに軽く背中をつつかれてほむらは渋々と前に出る。ポーカーフェイスを装っているが、実際は緊張のあまり表情が堅くなっているだけだ。

 

「はい、じゃあこちらへどうぞ」美容師の女性に招かれるままに、ほむらはまずシャンプー用の椅子へと座らせられる。

長い上に梳いてもない為、一度きっちり流して髪を濡らさなければ櫛が捗らないのだろう。

マミはそれを見届けると雑誌をひとつ片手にさっさと客間の椅子へと戻っていってしまった。

促されるままに左耳のイヤリングを外し、ポケットの中にしまい込む。

 

『あ、安心して暁美さん』

 

と、いきなり脳内にマミからのテレパシーが流れ込んで来る。

『人魚の魔女に切られたとこに関しては、訊かないようにお願いしてあるから』

『そういう所には気が回るのね……というかあなた、私で遊んでないかしら?』

『あら、可愛い後輩の為にと思って連れてきたのだけど?』

『さっきから可愛い可愛いって……わけのわからない事を言わないでちょうだい』

『……本気で自覚がないのね。言っておくけど、あなたくらいの見た目で告白でもされたら、堕ちない男の子なんていないわよ?』

『お生憎様、私には既に恋人がいるのよ。それに男になんて興味はないわ』

『暁美さん、きっと女の子にもモテると思うけど……』

『…あなた、私をただの同性愛者だと思ってるんじゃあないかしら? まどか以外の女にも興味なんかないわよ』

『知ってるわよ、わざとよ。それより、注文しなくていいのかしら?』

『注文? ……ああ、忘れていたわ』

 

シャンプー台から起こされると、今度はいよいよ姿見の真正面へと座らせられた。

寝起きに顔を洗う時ですらロクに鏡を見ない始末なのに、こうしてまじまじと自分の顔を見る事になるのは、まどかに口紅を貰った翌日以来だ。

 

「今日は、どんなスタイルにする?」と、女性美容師が鏡越しに質問をしてきた。

無難にゆくならば歪に切られたところに合わせてもらうだけで済むのだが、折角マミが休みを推して(休校中ではあるが)ここまで連れて来たのだ。

それに、数年ぶりに髪型を変えるのも悪くないかもしれない、とさえほむらは考え始めた。

 

「そうですね……」

 

ヘアカタログなど手に取った事もないほむらは、身近にいる人間の髪型を脳裏に浮かべる。

まどかのような可愛らしいふたつ結び……は流石に自分のキャラではない。

杏子のような長い赤髪……そもそも、切られたから揃えにきたのであって、長さが足りていない。

マミやルドガーは言わずもがな。

 

(………あとは、さやかかしら)

 

さやかのような、快活さが目に見えるような、それでいて可愛らしくもあるショートヘアを思い浮かべる。

 

(まぁ…どうせすぐ伸びてくるわね)

 

あそこまでごっそり切ってしまうのには抵抗があるが、少しだけ。少しだけなら短くしてしまうのも良いかもしれない。そう思いほむらは、

 

「それじゃあ………ちょっと短くしてもらえますか」

 

と、大雑把なイメージで要望を告げた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

見滝原総合病院前のターミナルでバスから降りたさやかと仁美は、ぽつりと小雨が降るなか、やけに静かなターミナルを真っ直ぐに抜けて病院内へと駆け足で入った。

 

「あーもう、今日は晴れなんじゃなかったの!?」と、外の天気の急な変わり様にさやかが悪態をつく。

「梅雨どきにしては少し早いと思いますわね。最近流行りのゲリラ豪雨というものでしょうか」

「げっ、まさか帰る頃には大雨とか? 勘弁してよぉー」

「まあまあ、早く上条くんの病室に行きましょう」

 

仁美に手を引かれるままにエントランスを抜けてエレベーターに乗り込み、4階のボタンを押す。扉が閉じると静かにエレベーターは上昇し始め、ものの数秒で目的の階へと到着した。

 

(あれ………?)

 

ふと、さやかは左手に填められたソウルジェムの指輪から違和感のようなものを感じた。

ほんのりと暖かい熱を持ち始め、刻まれた意味不明な刻印が点滅しているのだ。

 

(これ……なんかのサインなのかな?)

 

しかしソウルジェムの指輪の変化など仁美に話したところで通じるわけもない。魔法少女の事は同じ魔法少女に尋ねるべきだ。さやかは疑念を胸の内に秘めたまま、恭介のいる病室の戸を軽くノックした。

はい、と内部から返事が聞こえたのを確認してから2人は戸を開けて足を踏み入れると、ベッドの上で上半身を起こした恭介が意外そうな顔をして2人を見た。

 

「志筑さんとさやかが一緒に来てくれるなんて…珍しいね」

「やっほー恭介。もう退院の用意は済ませたの?」

「退院? ……さやか、悪い冗談はよしてくれないかい?」

「えっ? 冗談なんか………」

「まだしばらくは無理だよ。……この腕も、もう治らないって言われたんだ。さやかだって知ってるだろう?」

 

恭介は呆れた様子を隠そうともせず、包帯を巻かれた右手を2人に突きつけてみせる。

 

「どういうことなの…だって、良くなってるって言ってたじゃない」

「そんなわけないだろう? …ああ、そうか。今度は2人して僕をからかいに来たんだ。ご苦労様だね、さやか」

「違う! からかってなんか───」

 

さやかは恭介の言葉に反論しようとするが、それを仁美が隣から手を伸ばして止める。

 

「…なにか、様子がおかしいですわ」と、仁美は恭介に聞こえないよう小声でさやかに言う。

「下手に刺激しない方がいいかもしれませんわ」

「下手に…ったって…」

「2人で何こそこそ話してるんだい?」

 

見るからに苛立ちを募らせた恭介が、声色を暗くして問いかける。

 

「……もう、帰ってくれないかな。そして2度と来ないでくれ」

「恭介! 待って……」

「いいから、出てってくれよ! もうたくさんだ!!」

 

恭介はベッドの傍らにあるワゴンの上に積まれた、もうずっと使われてない様子のCDプレイヤーを左手で掴むと、それを不器用ながらもさやかの足元に向けて乱雑に投げつけた。

 

「きゃっ!? 恭介…!?」

 

ガシャン、と音を立ててCDプレイヤーは床に投げ捨てられると蓋がその衝撃で開いてしまい、中にあるディスクが外れてさらに吹き飛ぶ。

そのディスクはまさしく以前さやかが恭介の為に買い与えたものであった。

 

「………出ましょう、さやかさん」仁美はさやかとは相反して冷静を装い、さやかの手を掴んで背後の戸に手をかけた。

「待って仁美! 恭介と話させてよ!」

「……今はやめた方がいいですわ」

 

仁美は恭介に軽く一礼すると、さやかの腕を引いて病室を出てしまった。仁美が外から戸を閉めると、さらに何かが投げつけられたようで、戸に軽い衝撃音が走った。

 

「………どうなってんのよ。恭介、治るって言ってたのに……!」

「さやかさん……」

「仁美ぃ、あたしどうしたらいいの……? わけわかんないよぉ……うぇぇぇぇん……」

 

嗚咽を洩らすさやかに縋り付かれた仁美は、壁に寄りかかりながら優しくさやかの頭を撫でる。その仁美でさえも、目尻に涙をうっすらと浮かべていた。

 

「…ごめんなさい、私にもそれはわかりませんわ。今日はもう帰りましょう、さやかさん……」

 

こういう時、仁美は強いとさやかは思った。お嬢様に見えても芯はしっかりと通っており、決して弱さを見せようとしない。

あまつさえ、恭介に好意を抱いているにも拘らず抜け駆けを嫌って、わざわざさやかに打ち明けてしまう程なのだ。

 

「………うん。ごめんね、仁美ぃ……ぐすっ…」

「いいんですのよ。さ、行きましょう…」

 

さやかは俯いたまま仁美に続いてゆらゆらと歩を進め始め、もと来たエレベーターの中へと入っていった。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

やや古い内観のアパートの部屋も、カーテンを全開にして太陽の光を目一杯取り込めば見栄えも良くなるものだ。

時刻は午前11時。ルドガーは語学勉強も兼ねてテレビをつけてニュースを流しつつ、ちゃぶ台の上には久しく使っていないGHSを置き、精密ドライバーを片手に睨めっこをしていた。

「にゃーん」と、傍らには黒猫のエイミーが甘く鳴きながら皿に開けられたミルクを頬張っている。

 

「うーん…………」

 

家事全般は得意なものの、こういった機械いじりは正直なところ得意というわけではなかった。

"Jコード"なる、とある複雑な分割ファイルを拵えてしまうあたり、むしろ機械類はユリウスの方が得意としていたのだ。

なぜルドガーは着信のあるはずもないGHSを弄ろうとしているのかというと、こちらの世界に飛ばされてから鳴かずじまいだったGHSが、今朝になって突然着信音を立て始めたのだ。

ルドガーにとってはもはやその着信音は、度重なる借金の催促か分史世界への派遣依頼を告げる不幸の手紙のようなものであり、お気に入りの着信音の筈なのに軽快に野菜を刻む手も止まってしまう程、警戒心を煽り立てるものとなっていたのだ。

だが、いざGHSを手に取っても黒匣の出力が低下しているのか着信相手の表示がされず、応答しても酷いノイズが耳を打つだけで途切れてしまう。

そういった事が、3時間経つ現在までの間に5回も起きている。不審に思ったルドガーは黒匣を復調させるべく修理を考えたのだが、結局手をつけられずにいるのだ。

 

「やっぱりほむらが帰って来るまで待つか……」

 

お手製の時限爆弾を作ってしまうくらいだ。恐らくルドガーよりは機械いじりが得意であろうほむらは現在、留守にしている。朝早くからマミが訪れ、彼女の行きつけの美容院へとほむらを連れて行ってしまったのだ。

マミに言わせれば、人魚の魔女にばっつり切られたほむらの髪が気になって仕方がなかったようで、当の本人は微塵も気にも留めていないにも関わらず半ば強引に手を引いていったのだ。

実のところルドガーもそれを気にはしていたのだが、言えずじまいだった。

ほむらが出かけたのは9時半ごろ。そろそろ美容院も終わって帰って来る頃だろうか…と思っていると、

 

「…! まただ……」

 

ちゃぶ台の上のGHSが軽快なメロディを立てて着信を告げ始めた。一瞬悩んだが、すぐにルドガーはGHSを手に取り受話ボタンを押す。

しかしやはり耳を打つのは砂嵐のようなノイズ音だが、何か聞き取れないかと思いテレビを消して受話音に意識を集中させた。

 

『────、ー……6、───、─────』

「……えっ?」

 

確かに今、何か数字のようなものが聞き取れたような気がした。もう一度何か聞こえないかと耳を澄ますが通話はそれきりで途切れてしまい、それ以上聞き取る事は叶わなかった。

 

「いったい何なんだ……6って聞こえた気がしたけど」

 

突如として起きたこの謎の現象。鳴らない筈の電話は何を告げようとしているのだろうか。

少なくともロクな事ではないのだけは確かだろう、とルドガーは今までの経験から警戒心を緩めることはなかった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

カーテンの隙間から緩やかに射す朝の日差しを受けて、さやかはゆっくりと目を覚ました。

比較的朝に強いさやかは、目覚まし時計をかけていなくとも自動的に起きれてしまうのだ。

とはいいつつも時計の針は7時54分を指しており、普段通りならば遅刻ギリギリの時間だが、休校中の身分である今は時間に縛られる云われはない。

 

「………はぁ、やる事ないなぁ…」

 

恐らく母親もそれを承知しており、わざわざ起こしに来る事もないだろう、とさやかは再びまどろみに浸ろうと布団に潜った。

昨日、恭介に手酷く嫌われた事が未だに心に突き刺さっていたのだ。何をしようにも気力など湧くはずもなかった。

直後、壁越しに大きな声が響き渡ってくる。

 

 

「さやかー!? いい加減遅刻するわよー!?」

 

 

その声は、さやかの母によるものだった。

今は休校中だ、きっと勘違いだろう。しかし耳に刺さった母の声に眠気を削がれたさやかは、渋々とベッドから這い出て「はーい!」と大きな声で返した。

三面鏡を見ながら前髪をいじり、ヘアピンを髪に留める。

キュゥべえとの契約による弊害なのか、愛用していたヘアピンは魔法少女姿の時の"fff"のデザインに変化したままになっていた。

これはこれで人魚の魔女と差別化を図れるのでアリだな、と当の本人は気に入っているのだが。

特に着替える必要性も感じなかったので、パジャマ姿のまま部屋を出る。しかしダイニングに着くと母が開口一番、「さやか、着替えなくていいの?」と問いかけてきた。

 

「お母さん、今学校工事中だよ?」

「工事って、なんの?」

「おとといの嵐のせいで、校舎が吹っ飛んじゃったじゃん。半月はかかるらしいよ」

「………さやか、寝ぼけてるのね。顔洗ってらっしゃい」

「え、えっ?? 寝ぼけてなんかないって!」

「だって、嵐なんかなかったわよ? 昨日ちょっと降ったくらいで、志筑さんのとこのお嬢ちゃんと遊んできたんでしょ?」

「ええっ!?」

 

ここに来て、ようやくさやかは何かがおかしい事に気付いた。どうにも母と自分で意見が食い違っているのだ。

 

「ちょっと着替えてくるわ……」

 

渋々と着替えに戻るフリをして、さやかは自分の部屋に戻り携帯電話をとる。

 

「ん……?」

 

今まさに電話をかけようとした相手から、既に着信が2件入っていた。さやかは着信履歴からその番号に電話を掛け直す。

 

「もしもし、仁美ぃ? おはよ」

『おはようございます、さやかさん。……ちょっと、妙なことがあったので』

「あー、あたしも。…今日学校だってお母さんが言ってるんだけど」

『私も同じでしたわ。それで気になって、先に学校へ電話をかけましたの。……和子先生が出て、"今日はいつも通りに授業がある"とおっしゃってましたわ』

「ちょ、それホントに…?」

『…とりあえず、学校で会いましょう。私はもう支度を終えましたわ』

「わかった、すぐ行く!」

 

通話を切るとさやかはパジャマをさっさと脱ぎ捨て、素肌を晒したままガサツにクローゼットから下着とブラウスを抜き取るが、そこでも異変に気付く。

 

「何これ……あたし、黒なんかつけないんだけど」

 

少々胸のサイズが大きくなり、ここ最近買い替えたばかりの補正下着の色が違うのだ。デザインは全く同じだが、さやかの記憶では買ったのは水色の補正下着の筈だった。

ましてや黒など自分の趣味とは程遠い。悪ふざけにしては出来過ぎている、とさやかは感じた。

 

「……仁美に話してみるか」

 

腹を括って人生で初めて黒の下着を身につけたさやかは、得も知れぬ羞恥心を軽く覚えながら水色のキャミソールを重ね着し、その後でブラウスに袖を通し、スカートに履き替える。

だが部屋を出る頃には羞恥心は薄れ、焦燥感へと変わっていた。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

いくら思考したところでGHSにかけられた謎の通話の正体はわからず、ルドガーはお手上げ状態となっていた。

気晴らしにエイミーの額を撫でてやりながら武器の点検をしつつ、ほむらの帰りを待つだけだ。

テレビを再びつければもう間も無く、3分で料理を作るという謳い文句の番組が始まろうとしていた。

画面に映し出される料理はエレンピオスでは見かけないものながらも、本能的にルドガーの喉を刺激する。

 

「今夜はこれにしようかな………」

 

画面内の料理人の手つきに着目しながら、耳から入る食材や調味料の分量をエレンピオス語で素早く書き取ってゆく。

日本語の文字を読むのにはだいぶ慣れたものの、未だに日本語で書き記すのは難しいものがあるのだ。

 

「………よし」

 

番組の視聴を終えてペンを置き、再び武器の点検を始めようとすると『ピンポーン…』と、来客を告げる呼び鈴の音が部屋中に響いた。

誰だ? と疑問符を浮かべながら拭いていた2挺銃を隠し、玄関へと向かいドアスコープを覗いてみると、ドアの目の前に立っていたのは意外にもまどかだった。

すぐに鍵を開けて戸を開き、「どうしたんだ?」と尋ねかける。

 

「さっきほむらちゃんに電話したら、『出掛けてるから先に家で待ってて』って言われたんです。ちょっと変な事があったから相談したくて……」

「そうか…とりあえず上がってくれ。ご飯は食べてきたのか?」

「はい。お昼はもう済ませてきました」

「わかった」

 

特に代わり映えのないアパートのひと部屋へと招き入れてやる。ルドガーが積極的に台所を活用しているからこそ生活感が溢れてきたものの、そうでなければ相変わらず物静かな一室だ。

まどかの訪問を察知したエイミーは尻尾を振りながら可愛く鳴いて擦り寄ってゆく。その仕草にときめいたまどかはつい手を伸ばして背中を撫でながら、ちゃぶ台の前へと座った。

 

「気になることって、何があったんだ?」

 

ほむらに相談したいこととなれば、恋人同士の悩み…或いは、魔女や魔法少女絡みの事象だろう。前者ならば答えることは難しいが、後者ならばそれはほむらだけの問題ではなくなる。

 

「はい。実は今朝うちにさやかちゃんのお母さんから電話があって……さやかちゃん、昨日家に帰ってないみたいなんです」

「えっ、さやかが……? まさか…!」

「…そう思って、相談しに来たんです。もしかしたらまた魔女が何かしたんじゃないかって思って……」

「……ほむらもそろそろ帰ってくると思う。少し、待ってられるか?」

「はい、大丈夫です」

 

またしても魔女絡みの事件なのだろうか。人魚の魔女の示唆していた、影の魔女"エルザマリア"が既に活動を開始している可能性も十分にあり得るのだ。

もしさやかが1人でエルザマリアと交戦したとしたら、非常に危険だろう。ほむらでさえ理解の範疇を超えている時歪の因子化がある限り、もはや魔女とは魔法少女1人で簡単に勝てる相手ではなくなっているからだ。

かちゃん、と玄関から今度は鍵の開く音が聞こえてくる。家主がようやく帰宅したのだ。

 

「ただいま、ルドガー。まどかは来てるかしら?」ほむらは靴を脱ぎながら少し大きな声で玄関先から問いかける。

「来てるよ。おかえりほむら」

「おはよ、ほむらちゃ……! 髪、けっこう切ったんだね」

「ええ。たまには、と思って。……やっぱり似合わないかしら?」

 

すたすたと居間に上がりながら、恐る恐るまどかに感想を訊いてみる。ほむらの髪はさやかよりも長く、髪を下ろしたまどかよりもわずかに短めのミディアムロングに落ち着いており、艶やかな黒髪は重さがなくなった分、以前よりも動きがあるように見えた。

 

「てぃひひ、ちょっと意外だけどすっごく可愛いよ!」

「もう、あなたまでそんな事を……ありがとう、まどか」

 

同じ言葉をマミに言われても呆れるだけだったが、やはりまどかに言われるとなるとこうまで心持ちが違うものなのか、とほむらは感じた。

 

「…それで、話って何かしら?」

 

まどかの隣に腰を落ち着けたほむらは、改めてまどかに本題を尋ねる。

 

「うん。……さやかちゃんが、家に帰ってないんだって。もしかしたら…って思って」

「なんですって…!?」

「…ほむら。何か心当たりがあるのか?」と、一気に強張ったほむらの表情を察してルドガーが訊く。

「……前の時間軸のときの事よ。さやかは契約して少しあとに魔法少女の真実を知って、自暴自棄になったの。

確かその時は結局1度も家に帰らなかったみたいで………あとになって、魔女化して残った死体が発見されたのよ」

「そんな……死んじゃったの…?」と、まどかはその言葉に胸を傷めながら呟く。

「……でも、今のさやかはまだ契約して2日しか経ってないぞ?」

「ええ。だから、自暴自棄になったというわけではないでしょうね。…何かの事件に巻き込まれたと考えていいと思うわ。それこそ、魔女絡みかもしれない」

「ああ。マミ達も呼んで、みんなで探すか………ん?」

 

3人でちゃぶ台を囲みながらさやかの事について話し合っていると、またもGHSが謎の着信を告げ始めた。

軽快なメロディもいい加減うんざりしかけてきたが、ちょうどよくほむらが帰ってきていることだ。逆にタイミングが良かったのかもしれない。

 

「その携帯、まだ鳴ってたの?」

「ああ。もう5、6回は鳴ってるかな…相変わらず調子が悪いみたいで何を喋ってるのかわからないけど」

「貸してみなさい、診てあげるわ」

 

ほむらはエレンピオス語など全く知らないが、普段自分が使っている電話機とさして変わらないだろうと思い、適当に受話ボタンらしきものを押してみる。

通話口からは相変わらずの雑音が、耳を離していても聞こえてくるだけだ。

 

「……壊れてるのかしら。どれ」

 

GHSに向けて魔力を送り込み、機器の調整を試みる。時間停止以外に唯一使える、機械操作の魔法だ。

ほむらの魔力を受けたGHSの音声は次第にノイズが収まってゆく。

 

『──────たな───、───シタ。───9、───…………』

 

途切れ途切れだが、確かに誰かが何かを伝えようとしている風に聞こえた。だがまだ完全にではない。

そうこうしているうちに通話は切れてしまい、虚しく通知音だけが残った。

 

「…結局、わからずじまいか……」

「いいえ、録音には成功したわ」

「えっ!? ほ、本当か!?」

「ええ。ただ…使い方がわからないから、録音の再生はあなたに任せるわ」

「助かるよ! じゃあ、早速再生してみようか」

 

受話音量を最大にして全員に聞こえるようにし、ルドガーはGHS録音リストから最新のデータを呼び出した。

途切れ途切れだった通話音は、内部ではほむらの魔力で少し補正されたようで、ある程度クリアな状態で記録されていた。まさに、ほむらがいなければ録音などという真似はできなかっただろう。

そうして始まった録音の内容は、ルドガーの予想にもしてなかったものだった。

 

 

『──────ブンしたイサクしツノゔぇるでス』

 

 

なっ…!? とルドガーはその言葉に自身の耳を疑った。

通話口から聞こえたのは安っぽいボイスチェンジャーでもあてたかのような、抑揚の定まらない無機質な声で、誰のものなのかは判断できない。

しかしそれよりも重要なのは、その内容だ。

 

『──────あラタナブンしせかイがはッケんされマシタ。しンド9・9・9、偏サハ1・0・6。進にュウてンハミたキハラにチょウメ。繰リ返ェシマス、シン度9・9・9、へンサ1・0・6、──────』

 

ぶつり、と録音はそこで途切れた。

 

「………そんな、バカな…!」

「どうしたというの。…心当たりが、あるのかしら?」

 

その通話は、本来なら2度とかかってくるはずの無いものだ。通話を聞いて、明らかに動揺しているルドガーにほむらが問いかける。

 

 

「………分史対策室のヴェル」

「えっ…?」

「今の電話は、エレンピオスにいた頃にしょっちゅうかかってきてたよ。…こんな変な声じゃなかったけどな」

「つまりこの電話は、何を伝えようとしているのかしら?」

「分史世界の座標だよ。………考えられないけど、それしかない」

「分史世界? でもそれは、あなたの願いで消えたはずじゃなかったのかしら」

 

ほむらの言う通り、全ての分史世界は審判の門にて消し去られた筈だった。鼠算式に増え続けた分史世界は、もはやひとつひとつ壊していっても破壊が追いつかないからだ。なのにこの電話は分史世界の出現を告げている。

ルドガーの脳裏にはもうひとつ別の可能性が浮かんでいた。そもそもこの通話自体が何かの罠なのではないか、と。

 

「有り得ない事でも、他の可能性がないのならそれは真実に成り得る」

「………それは、何かの諺かしら」

「俺の友人の口癖だよ。……もしかしたら、罠かもしれない。人魚の魔女はやけに俺の事に詳しかったからな…こういう手の込んだ真似もするかもしれない」

「あなたを自分のテリトリーに誘おうとしている、と?」

「かもしれないな。もともと魔女と時歪の因子は何故かよく似ていたし、ひょっとしたら分史世界を生み出すこともできるのかも…けど、行くのは難しいな」

「どういう事かしら?」

「ええと………」

 

分史世界の仕組みを口頭だけで説明するのに無理を感じたルドガーは、料理のメモに用いた紙とペンを手にとって線を書いた。

線をいくつか縦横に書いたあとは数字を書き足してゆく。0、255、999、1.06……さながらに、簡易的なグラフのようなものだ。

 

「分史世界の座標は深度と偏差で決まるんだ。深度っていうのは、俺たちの今いる正史世界からどれだけ離れてるかを表してる。偏差は、正史世界と分史世界がどれだけ食い違っているかを示してる。

偏差が1.06ってことは、結構違ってる部分が多いと思う」

「食い違ってるって……例えば、どういう風にですか?」ルドガーのメモ書きに注視しながら、まどかも質問に加わる。

「そうだな……いるはずの人間がいない、とか、逆にある筈のないものが存在してるとか、形はいろいろだよ。

そして、分史世界の核となる時歪の因子は、その世界の中で一番偏差が大きいものに取り憑くんだ。

けど、偏差はそんなに大きな問題じゃない。厄介なのは深度の方なんだ」

「この255という数字が関係してるのかしら?」

「ああ。この"0"から"255"までの領域は"クロノス域"って呼ばれてる。分史世界は骸殻装者がいないと入れないけど、能力が強くないとあまり深くまで入れない。その潜れる限界がこの"クロノス域"なんだ。

クロノス域よりも下、深度256以下の分史世界は深すぎて骸殻を使っても入れないらしい。

…けど、今の電話は深度999って言っていた。そんなに深くにある分史世界になんて、まず行くのは無理だ」

 

ビズリー亡き今、実質上の"最強の骸殻能力者"となったルドガーであるが、今はその力の全てを出し切れていない。

しかし仮にフル骸殻を纏う事が出来たとしても、クロノス域は越えられないだろう。

 

「デタラメの可能性もあるんじゃないかしら? そもそも分史世界は、もう存在しないはずなのだから」

「だといいんだけどな……あとで、様子だけ見に行こうか。とりあえずマミ達を呼ぼう」

「私がテレパシーで呼ぶわ」

 

ほむらは念話を飛ばして、杏子とマミの両者にコンタクトを試みる。同時にさやかに向けても回線を開いていたのだが、やはりさやかからの返答はなかった。

 

「───マミ達には声をかけたわ。噴水広場で落ち合うことになったけど…」

「すぐ行こう。…まどか、来てもらってすぐで悪いけど、送っていくから今日はもう帰るんだ。さやかは俺達で必ず見つけ出す」

「…わかりました」

 

身を案じられたまどかは食い下がるような事は決してせず、大人しく返事を返した。

 

 

 

 

8.

 

 

 

少し湿った風の中、街路樹の並ぶ通りを駆け足で抜けてゆくと、バス通りに出たあたりでさやかは自分の目を疑うこととなった。

 

「うそ………学校、直ってる…?」

 

昨日病院へと向かう前に立ち寄った時は、確かに校舎はボロボロになっており、工事業者の車両が何台も連なっていた。

だが今見た限りでは校舎は傷一つなく、そういった車両も1台も見られず、そもそも工事自体が行われていない。

 

「お待ちしてましたわ、さやかさん」

 

正門の前で苦い顔をしながら仁美が待っていた。その姿を見つけるとさやかは一気に距離を詰める。

朝食をとってすぐに走ったために脇腹に軽い痛みが走るが、こっそりと治癒魔法を使い痛みを散らした。

 

「見ての通り、ですわね。一体何がどうなってるんでしょうか」

「あたしにもわかんないよ。…夢でも見てるみたい」

「とにかく、教室へ行きましょう」

 

並んで正門を抜けて、昇降口から校舎内へ入る。間も無く8時30分になろうとしており、刻限ギリギリでの登校となった。

ガラス張りの教室が並ぶなか、自分たちのクラスへと脇目も振らずに小走りで向かうと、遠目から教卓には既に担任の和子が立っているのが見えた。

 

「おはよーございまーす!」勢いよく戸を開けて、仁美共々教室へと入る。

「美樹さん、またギリギリですよ? 志筑さんは…珍しいですね」

「はい、申し訳ありません」

「まあいいですよ。ほら2人とも席へついてください。出席を取りますからね」

「はぁーい」

 

それぞれが自分の席について鞄を下ろすが、ふとさやかは教室内に違和感を感じた。見慣れたはずの顔が2つ、足りないのだ。

 

「あれ、まどかは………?」

「そういえば、いませんわね……というか、机自体がありませんわ」

「ほむらもいないじゃん……どうなってんのよ」

 

違和感は少しずつ形となって現れ始めていた。親友である2人の不在は、さやかだけでなく仁美にとっても見過ごせない事態だ。

それに加え、昨日の恭介の取り乱し様も今にしてみたら奇妙だと言える。何かが違う、とさやかは本能的に感じていた。

 

「はーいじゃあ出席取りますね。暁美さーん」「はいっ」

 

えっ、とさやかはその声に息を呑んだ。姿の見えなかったほむらの名を和子が呼び、誰かがそれに答えたのだ。

 

(……違う、今のは!)

 

間違いない。雰囲気こそ違えど、聞き慣れた親友の声を聞き違えるはずもない。和子の出席確認に答えたのは、紛れもなくほむらだったのだ。

クラスメイトの中沢の隣の席を見ると、その後ろ姿は、長い黒髪を三つ編みにしておさげをつくったしおらしいものだった。

 

「仁美、あれってまさか…!?」

「そのようですわね…あれは、暁美さんのようですわ」

 

和子に気付かれないように小声で会話を交わすが、2人の意見は一致していた。

 

「あれがほむら……? あれじゃあまるで別人だよ」

 

以前ほむらから聞かされた話では、魔法少女になる前までは心臓を患っており、入院生活の影響で勉強にも遅れ、体育の授業で目を回してしまうほどの虚弱体質だったという。

今まさに目前にいるほむらは、そのイメージの方がどこかしっくりくるのだ。

なかった事にされた雨嵐。治っていない恭介の腕。今ここにいない親友。

様々な要因、差異を振り返り、さやかはようやくひとつの結論へと辿り着こうとしていた。

だが今ひとつ何かが足りない。その足りない何かを探し出す事が、この不可解な現象の正体に繋がるのだろう、とさやかは感じていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話「あたしら、親友でしょ?」

1.

 

 

 

 

 

 

 

その透き通るような白い肌は緊張でほんのりと赤みが差し、瞳の色はどことなく小動物を思わせる。

艶やかな黒髪はそのままに三つ編みにまとめられ、さやかの知る姿とは全く異っていながら、やはりどこか面影が感じられた。

 

「……あのぉ、そんなにじろじろ見られると恥ずかしいです……」

 

ホームルームを終えるとさやかはすぐにほむらのもとへ向かい、仁美と共に机を囲んでまじまじとその姿を上から下まで観察していた。

もとより健康的な見た目ではなかったと思っていたが、今目の前にいるほむらもまた気弱な雰囲気が表に出て、なお一層儚げな印象を思わせる。

 

「わ、私どこか変ですか……?」

 

これが本当にあの"暁美ほむら"なのだろうか。さやかは未だに信じることができずにいたが、今自分達に起きている謎の現象の数々を鑑みると、その可能性も無きにしも非ず、といったところなのだ。だが、

 

「み、美樹さん……?」

「───あぁもう、何この可愛い生き物!」

「ひゃあっ!?」

 

いわゆるギャップ萌えというものだろうか。基本まどか一筋であり、それ以外にはクールな態度をとるいつものほむらと全く反対の性格をした目の前の"暁美ほむら"に、さやかはついに辛抱利かずにやや過剰なスキンシップをとり始めた。

抱きつき、髪を撫で、頬をつついてやるとたちまちほむらの顔が真っ赤に染まる。

 

「あー癒されるなぁ……最近まどかも構ってくれないし、もういっそあんたを嫁にしちゃおうかなぁ?」

「み、美樹さぁん! みんなが見てますよぉ!」

「さやかさん、暁美さんの仰る通りですわよ」

「オーケィ。とりあえずその携帯のカメラを切ってから言おうか、仁美」

 

さやかがしたり顔で指差した先には、ほとんど無心で携帯電話を構えて動画を撮影している仁美の姿があった。

 

「あっ…て、手が勝手に動いてしまいましまわ」と、仁美はそそくさと携帯電話を閉じて懐に隠す。

「でもさやかさん、まどかさんという方がおりながら暁美さんにまで手を出すなんて…ああっ、いけませんわ! それは禁断の愛ですのよ!」

「いやぁほむらがあんまりにも可愛いからさぁ、つい…ね?」

「か、可愛いだなんて……志筑さんも何言ってるんですか!?」

 

ほむらはさやかの腕の中で赤面しながらもがくが、運動もろくにしないほむらの力ではさやかの拘束から逃れることは叶わない。

結局、しばらくしてさやかの方から解放してくれるまで抱きつかれっぱなしとなっていた。

 

 

「ふぅ、満足満足。でもあんたが大人しく抱きつかれっぱなしになるなんて意外だよ。あたしゃてっきり手榴弾食べさせられたり、マシンガンでハチの巣にされるかと覚悟してたのに」

「わ、私そんな物騒なことしませんよ!?」

「みたいだねぇ。安心したよ」

 

さやかは確かめるように表面上はそう言ってみせるが、心の内ではぼんやりと疑念が輪郭を持ち始めていた。

 

(やっぱり、この"ほむら"はあたしの知ってるほむらじゃない。だとしたら、やっぱり………?)

 

さやかの中にうっすらと浮かんだ予想。それは、この世界はもともと自分達がいた世界ではないのかもしれない、といったものだ。

ほむらの固有魔法"時間遡行"は、同じセーブポイントを持つ平行世界へと跳躍する能力だという。つまり平行世界がいくつも存在しているという裏付けにもなる。

自分達は、気付かぬ間に数ある平行世界のうちのひとつへと入り込んでしまったのではないか、と。

平行世界であるならば、元いた世界と食い違う点があってもおかしくはない。それに、心当たりもないと言えば嘘になる。

 

(誰がやったか、なんてのは考えるまでもない。…たぶん、魔女だ)

 

キュゥべえの弁を借りるならば、人魚の魔女もまた平行世界からやって来た存在であろうとのこと。

ホームルームの最中にテレパシーでマミにコンタクトを試みたものの返事はなく、目の前にいるほむらも恐らく"まだ"魔法少女ではない。違和感に気付いているのもさやか自身と仁美だけであり、味方もいないようなものだ。

 

 

(とりあえず、学校が終わってから動こう。……なるべく、仁美は巻き込まないようにしなきゃ)

「……美樹さん?」

「ふぇっ!? な、何? ほむら」

「い、いえ…何か難しい顔をしてたから……」

「あっ…ごめんごめん、大丈夫だよ。それよりほむら、"美樹さん"なんてカタい呼び方しなくていいよ。あたしら、親友でしょ?」

「えっ……し、親友…?」

「そ、親友!」

 

やや不安げに顔色を窺ってくるほむらを安心させようと、さやかは少々わざとらしくおどけてみせた。

かつて元の世界のほむらにも言った事を目の前のほむらにも言ってみると、さらに頬を紅潮させながら照れくさそうにはにかむ。

 

「…嬉しい、です。私、他に友達いないから……」

「えっ? そうだったっけ」

「はい。…人見知り、っていうのかな…ダメなんです。恥ずかしくって……」

「恥ずかしい? んー…あたしにはよくわかんないけど、あんた可愛いんだからもっと自信持ちなって!」

「きゃっ!?」

 

さやかは悪戯心のままにほむらの眼鏡をさっ、とかすめ取り、三つ編みにした髪に手をかける。

手早く結び目を解いて三つ編みをほどくと、絹糸のように艶やかな黒髪が広がり、それまでの弱気な雰囲気を一触に変えてしまった。

 

「め、眼鏡返してくださいよぉ! あれがないと見えないんです!」

「あー、目ぇ悪いんだ。ごめんごめん、今"治す"からね」

 

優しく手のひらをほむらの両瞼にかざし、かすかに魔力を込めて治癒術を施してみる。"親友を救う"という願いによって生まれた治癒能力は、ほとんどぼやけたほむらの視界をほぼ一瞬でクリアにしてしまった。

 

「あれ? 見える……な、何したんですか?」

「えっへへ、それは内緒だよ。それよりほら、やっぱりこっちの方が全然いいよ。ね、仁美?」

「はい。素敵ですわ、暁美さん」

 

髪をほどかれ眼鏡を外したほむらの姿は、さやか達がよく識るほむらの姿そのものになっていた。もっとも、性格が気弱なぶん凛々しさは欠片も感じられず、可愛らしさの方が目立つが。

後ろの席から生徒達のざわめく声がし出す。みな揃ってほむらの容姿に目を惹かれているのだ。

 

「ほら、みんな見てるじゃん」

「うう……なんか落ち着かないです…それに、私なんて……」

「はいそれ以上は言わない! まったく…自分に自信がないのはどっちも同じだねぇ…とにかく、せっかく目ぇ治してあげたんだから今後は眼鏡禁止! あと、名前で呼ばないとまたハグしちゃうぞ〜」

「そ、そんなぁ〜……」

 

こんな風にほむらの困った顔を見ることになるとは思っていなかったさやかは、心の内にくすぐったさを感じる。

 

(……やっぱり、これは昔のほむらなのかな?)

 

こんなにも儚げな少女が、さやかの識るほむらのようになってしまう事が信じられない。

それだけの事を、あのほむらは"何度も"経験して来たということなのだ。

 

(まどかがいないのが気になるなぁ……"ここ"だと、他のクラスなのかな)

 

一先ずは授業を終えてから、ひとつずつ確かめていかなければならない。今日は忙しくなりそうだ、とさやかは内心でため息をついた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

退屈な授業はそのままにさやかの頭の中を素通りしてゆき、あっという間に昼休みの時間を迎える。

さやかはまず担任の和子を退室前に呼び止めて、朝から抱えていた疑問をぶつけてみる。

 

「あの、和子先生」

「あら、どうかしたの? 美樹さん」

「まどか……鹿目まどかは何組だかわかりますか?」

「"鹿目"…さん? そんな娘いたかしら…」

「えっ?」

 

和子は腕を組んだまま顎に手をあて、記憶を振り返ってみる。

英語の教科担任として他のクラスにも出入りしているのだ、名前に聞き覚えがないなどといったことは考えられないはずだが、

 

「……やっぱり、知らないわね。他の学年の先生に聞いてみた方が…」

「い、いえ大丈夫です。すいませんわざわざ」

 

そう、と返事をして和子は教室を出て職員室へと戻ってゆく。さやかも軽い胸騒ぎを覚えつつ席へと戻り、鞄から弁当箱を取り出した。

 

「仁美ぃー、一緒に食べよ?」

「ええ、今行きますわ。…どこで食べましょうか」

「んー…屋上!」

 

相談したいこともあるしね、と付け加えて2人で教室を抜けようとするが、ふとさやかの視線に独りで弁当箱を開こうとするほむらの後ろ姿が映り込む。

ほむらには他に友達がいないと言っていた事を思い出し、隣の仁美に目を配せてみる。しかし仁美が無下にする筈もなく、さやかはほむらの机へと再び向かい、背後から声をかけた。

 

「ほーむらっ、一緒に食べようよ!」

「ひゃっ!? み、美樹さん…?」

「ほらほら! ついて来なって」

 

弁当箱を持たせ、半ば強引にほむらの手を引いて教室から連れ出す。心なしかほむらの表情には笑みが浮かんでいた。

そのまま仁美と3人で屋上へ向かい、かすかに湿った空気のなかベンチに腰を下ろす。

弁当箱を順番に開いてゆき、それぞれの品揃えを互いに見比べていった。

 

「へぇーほむら、あんた独り暮らしだよね。ちゃんと料理作れるんだ」

「そんな…大したものじゃないです。冷凍食品とか…」

「それでも、ちゃんと綺麗にまとまってるじゃん。あたしならこんな上手に作れないなぁ」

 

さやかの知るほむらは、お世辞にも料理をしそうな風にはとても見えなかった。それに加えてルドガーという優秀なパートナー兼専属シェフを抱えており、料理をする事などまずないだろう。それ故に、ほむらの意外な器用さにさやかは驚いたのた。

仁美は仁美で少々煌びやかなデザインの弁当箱を持ち寄っており、その中身も外見に負けてはいない。

 

「美樹さんはお母さんが作ってくれてるんですよね? 逆に羨ましいです」と、ほむらは本心からさやかに問いかける。

しかしさやかは返事はせず、ただニコニコと笑みを浮かべながら両手をわきわきと動かすだけだ。

「み、美樹…さん…?」

「ふっふっふ…そうかそうか、ほむらはそんなにあたしにハグされたいのかぁ」

「ご、ごめんなさぁいっ! さ、さや…か……ちゃん…?」

「よろしい!」

 

ほむらが顔を真っ赤にしてか細い声でさやかの名前を呼ぶと、さやかは満足げな表情で手の動きを止める。

眼鏡を外して髪を下ろしているととても美人顏なのに本人にまるで自覚がなく、こうして小動物のように狼狽える姿もまた悪戯心をくすぐるものだ。

 

「そういえば、ほむらの親ってどうしてんのさ」と、弁当に箸をつけながらさやかが問いかけた。

「あ…お父さんとお母さんは、東京にいます。2人とも仕事が忙しくて、私だけ通院のために見滝原に来たんです」

「通院?」

「はい。見滝原病院は関東でも指折りらしいですし、私も生まれつき心臓が悪くて…あっ、もう治ったんですけどね」

「そっかぁ……独りで淋しくないの?」

「もう、慣れましたから」

 

そう溢したほむらの笑みの中には、かすかな陰りが感じられた。

 

「でも、さやか…ちゃんが私を親友だって言ってくれて、嬉しかったのは本当ですよ?」

「えっ?」

「私、さやかちゃんに憧れてたんです。いつも明るくて、可愛くて、運動とかもできて…私とは、まるで正反対だから」

「そ、そう……?」

 

さやかからしたら、ほむらの方が勉強も運動も(筋力は魔力で補っているのだろうが)ずば抜けていて、本来ならばむしろ逆の立場であろう。

それ故に、ほむらからこんな言葉を聞く事になるとは全く思っていなかった。

やはりこのほむらは、同じようで違う人間なのだと改めて感じさせられる。だからと言って、さやかにはその存在までも否定するつもりは微塵もない。

 

「あんただって、すぐになれるよ。あたしよりもすっごいイイ女にね」

「え、えっ…? そう、ですか…?」

「もちろん! あたしが保証するよ」

「その通りですわ、暁美さん」仁美も、さやかの意見に同調するように言う。

 

「せっかくご両親に素敵な名前をつけてもらったんですもの」

「えへへ……前の学校にいた時は、よく"名前負けしてる"って言われてましたけど…」

「暁美さんはミッション系の学校にいたんですものね。素敵な女性になれるように、って願いが込められていると思いますわ」

「そうなの、仁美?」と、イマイチ会話について行けていないさやかが疑問符を浮かべる。

その疑問に対し、少々熱が入ってきた仁美が、さやかに知識を披露してみせる。

 

「ええ。"暁の焰"といえば明けの明星、最高位の天使───ルシフェルの異名でもありますのよ。ルシフェルは最も美しい天使だとも言われていたそうですわ」

「へぇー、そうなんだ」

「また、多くの天使に慕われる存在でもあったそうで…神に最も愛された存在だとも言われてます。きっとご両親も、暁美さんにそうなって欲しいとお思いになられたのでしょうね?」

「オーケィ、とりあえずあんたが少女漫画の読み過ぎだってことはよくわかった。……でも、そう言われると確かにすごい名前だよね、ほむら。……ほむら?」

 

ちら、とほむらの顔を見直してみると、並んだベンチの上で仁美の解説をモロに耳にしたせいか、顔をリンゴのように真っ赤にさせていた。

 

「なに照れてんのさ、ほむら」

「はひっ!? だ、だって志筑さんがそんな事言うから……」

「…まあ、最高位の天使とかなんとかまでは言わないけどさ。あんたはもちっと自分に自信を持ちなね?」

「うぅ………はい」

 

さやかはほんの少しだけ、ほむらに同情していた。

どうも仁美は熱が入り過ぎると思考回路が斜め上に向いてしまいがちであり、それなりに長い付き合いであるさやかも、ごくたまに辟易としてしまう事があるのだ。

 

「あ、それとほむら。あんたにちょっと聞きたいことあんだけど」と、思い出したようにさやかは本題を告げた。

「はい、何ですか?」

「"鹿目まどか"って名前に聞き覚えはある?」

「鹿目、まどか……? いえ、知らないですけど」

「……そっか。あんたが識らないなら、こりゃあいよいよ間違いないって事かなぁ…」

「その人が、どうかしたんですか?」ほむらは若干不安そうな顔で聞き返した。

「いや、あたしの"昔の知り合い"でさ。"しばらく逢ってなかった"んだ。まだこの辺に住んでると思ったんだけど…」

 

さやかのわざとついた"嘘"に気付き、仁美もまた不安げな視線を送る。

何かに気付いているのだろうか。それはもしかしたら、"魔法少女"とやらに関する事なのか、と。

だとするならば、自分には何ができるのだろうか。いくら考えても仁美の脳裏に答えは閃かない。

 

「放課後、鹿目さんの家に行ってみませんか?」

「仁美、午後空いてるの?」

「ええ、今日は習い事はありませんの」

 

それも嘘、とさやかは内心で思う。仁美はほぼ毎日習い事に追われているが、確かに週に1日くらいは何もない日はあるだろう。だがそれは、"今日ではない"。

ともあれ自身の仮説に従うならば、元の世界に戻らない限りは習い事に通う事すら叶わなくなるのだから、あながち無駄な嘘とも言えない。事態が急を要するということも仁美はなんとなく感じていたようだ。

 

「おっけー、じゃあ帰りにまどかん家に寄ろう。ほむら、あんたも来る?」

「いいんですか?」

「もちろん。あんたにもぜひ会わせたいしね」

 

はいっ、とほむらは一段と嬉しそうな表情で答えた。さやかの親友として認められていることが、今までにない幸せだと感じているのだ。

話が纏まったところで、3人はようやく箸を動かす手を早める。昼休みはもう数分で終わりが近づき、空には暗雲が広がりつつあった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

案の定というべきか、放課後を迎えて昇降口へ降りると霧状の雨が空を舞い始めていた。

朝の天気予報をしっかりとチェックしていた仁美とほむらは傘を持参していたが、身の回りの異変で頭がいっぱいのさやかは天気予報に目を通しておらず、傘を持っていない。

 

「あちゃー…降って来たかぁ」

 

これからまどかの家に向かわなければならないのに、と内心で溢す。

最寄りのコンビニまで走って傘を調達しようか、と考えあぐねていると見かねたほむらが提案を持ちかけて来た。

 

「さやかちゃん、傘持って来てないんですか?」

「あー…うん。まあ大した雨じゃないし、大丈夫だよ」

「ダメですよ。風邪引いちゃいます」

 

契約によって強力な治癒魔法を会得したさやかにはその心配は無用なのだが、やはり友人が雨に打たれるのは気が気でないのだろう。

靴に履き替えて外に出て傘を差すと、ほむらはさやかを手招いて隣に来るよう促した。

 

「一緒に入りましょう、さやかちゃん」

「いいの? 悪いね、ありがと」

「いいえ、さやかちゃんにはお世話になりっぱなしだったから」

「たはは…照れるなぁ。ほら仁美、こそこそ写真を撮るなっての」

 

さやかがぴしゃり、と指摘した先にはまたも仁美が、携帯電話を片手にレンズを向けていた。

いい加減懲りないものか…とため息をついたが、自分とほむらが仲睦まじく見られていることは悪い気はしなかった。

 

「はっ! わ、私ったらまた手が勝手に………」

「…あんたの頭ん中はほんっと百合畑だよねぇ。まあ、まどかで慣れてるからいいけど。

さて、行こっか。…一応聞くけど、ほむらは初めてだよね、まどかん家に行くの」

「はい。……どんな娘なんですか?」

「うーん、そぉねぇ……身体の半分が優しさでできてるような娘かな? ま、"逢ってみれば"気にいると思うけど」

 

少なくとも、元の世界のあんたはまどかにベタ惚れになってたし。と、さやかは心の内で呟く。

それ以前にちゃんと逢えるかどうかが心配なのだが。

結局のところ、鹿目まどかは見滝原中学には在籍していない事が判明していた。それに加え、過去にまどか越しに聞いていたのだが、担任の和子とまどかの母、詢子は旧知の仲なのだ。

だが当の和子は、まどかの名前に心当たりがない、と言っていた。

 

(イヤな予感しかしないんだけど……とにかく確かめないと、ね)

 

霧雨の降るなか、校舎から出て街路樹の通りへと出る。その中を真っ直ぐに進み、しばらく歩いた先にある噴水広場から、いくつも別れる道のうちのひとつへと入ってゆく。

足取りはほどほどに早く、十数分もすればちょっとした住宅街に出る。その一角へとさやかを先頭にして行くと、ようやく見慣れた鹿目家の姿が視界に映った。

 

「よかった、場所は変わってないみたいだね」

「?」

「あ、ごめん。なんでもない」

 

まどかの家までは無事にたどり着くことができたことに安堵するが、当然その意図をほむらが知る由もない。

仁美はその傍らで、何かに気付いているような素振りをみせるさやかの言動ひとつひとつを聞き零さないように意識を向けていた。

 

「……じゃあ、とりあえずあたしが行くわ。仁美とほむらは待っててくれる?」

「はい」

「わかりましたわ」

 

ほむらの傘から出るとさやかはインターホンを押し、家主の返事を待つ。数秒置くとスピーカーから男性の声が聞こえて来た。まどかの父、知久のものだ。

 

『はい…おや、さやかちゃんじゃないか。どうしたんだい?』

「ご無沙汰です、おじさま。ちょっと用があって…」

『そうか、今開けるからぜひ上がってくれ』

「いえ、そんなに大した用じゃないんで」

『そうかい? とりあえず、今行くよ』

 

インターホンが切れると殆ど間を置かずに玄関の鍵が開く音がし、知久が扉を大きく開けて3人を手招いた。

促されるままに鹿目家の敷地に入り、知久のもとへ向かう。実のところ、さやかも仁美も鹿目家を訪れるのは久しかったのだ。

 

「今日はどうしたんだい? さやかちゃん」

「あの……"まどか"はいませんか?」

「まどか……?」

 

その名前を聞いた知久の顔には、困惑の表情が浮かぶ。

 

「まどかって…誰だい? 詢子さんは仕事だし、うちにはあとはタツヤしかいないけど…」

「えっ? タツヤって…まどかの弟、ですよね」

「? うちは前から一人っ子だけど……昔から、よく遊んでくれてたよね」

 

知久とは反対に、今度はさやかが抓まれたような顔をした。

知久の口から"まどかを知らない "という言葉が出るとは思わなかった…否、思いたくなかったからだ。だが知久のその反応によって、さやかの悪い予感は確信へと変わってしまったのだ。

 

「…いえ、なんでもありません。あっ…あたしら、そろそろ行きますね」

「上がって行かなくていいのかい?」

「は、はい。これからまた他に行くとこがあるんで」

 

それじゃあ、と知久の気遣いをやんわりと断り、さやかは踵を返した。

 

「もう、済んだんですか?」と、さやかを傘の中に招き入れながらほむらが問いかけた。

「あー…うん。ちょっと確認したかっただけだから」

「まどかさんはいなかったのでしょうか…」仁美も、やけにあっさりと引き返して来たさやかに尋ねる。

「…その事だけどね、仁美。あとでまた電話するよ。ちょっとめんどくさい事になったからさ」

「…? わかりましたわ」

「おし、じゃあ行こうか。…悪いね、ほむら。会わせてやれなくて」

「いえ、きっとたまたまお出かけしてたんだと思いますよ。…また、来ましょう?」

「そうだね…うん、ありがとう」

 

知久には"これから寄るところがある"と言ったが、実際はそんなものはない。3人は揃って噴水広場に戻る道に入り、さやかはほむらと別れて傘を調達する為にコンビニを目で探しながら歩き始めた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

鹿目家へと寄り道をしてから帰宅して小一時間、夕方のニュース番組が始まる午後5時頃になって、さやかはシャワールームからバスタオルを身体に巻いてリビングへと戻ってきた。

途中で傘を調達したものの、少しだけ雨に濡れてしまったのだ。

 

「さやか、風邪引くから早く服を着なさい?」

「はぁーい」

 

もう少し恥じらいというものを持てないものか、という母の苦言を受けながらリビングを横切って自室へと戻る。

髪を拭き、着替えをタンスから漁りながら、携帯電話からひとつの番号を呼び出す。帰ってから連絡する、と約束した仁美の番号だ。

 

「……もしもし、仁美」

『待っていましたわ、さやかさん』

「あー、うん。そっちは大丈夫だった?」

『ええ。お母様に少し注意されましたけど…第一私、活け花なんて習っていませんもの』

「あ…そういうこと。やっぱりそっちでもおかしな事があったんだね」

『はい。…さやかさんは、何かお気付きに?』

「まあ、ね。まどかん家に行った時にはっきりとわかったよ」

 

どこまで話したものか、とさやかは少しだけ悩む。魔法少女の件は仁美には軽く話したものの、今回の件は仁美からしたらあまりに壮大で、にわかには信じ難いだろう。

だが、実際に巻き込まれてしまっているのだから隠していても仕方が無い。信じるか信じないかは差し置いて話す方が賢明だろう、と思い直した。

 

「和子先生も、まどかのパパも、まどかの事を知らないって言ってた。学校にも"鹿目まどか"って生徒はいない。…信じられないかもしれないけどさ、ここは"まどかが生まれてない世界"だと思うんだ」

『……待ってください。それはつまり…ここは平行世界かなにかって事ですか?』

「うん。あたしはそう思ってる。あたしの知り合いにさ…あ、魔法少女絡みのね。平行世界に行ったことがあるのが2人いるの。…ひとりはほむらなんだけどさ」

『暁美さんが…? それも、魔法少女というものの力なんですか?』

「そ。もう一人はルドガーさんっていうんだけど…見滝原に来る前は他の場所で"平行世界を壊す"仕事をしてたらしいんだ」

『ルドガーさん……初めて聴きますわね。平行世界を壊すというのは、どういう事なのでしょうか』

「あたしもよくは知らないんだけどさ…平行世界があると元の世界に悪影響があって、"時歪の因子(タイムファクター)"ってやつを壊す必要があるんだって」

『タイム……ファクター…?』

 

さやかとて、ルドガーの過去の話をまだ詳しく聴いたわけではない。識っているのは分史世界の存在と、魔女が時歪の因子に似た性質をしているという話だけだ。

幸いかどうかはさておき、仁美もさやか同様に数々の相違を目にしている。それも、元の世界と平行世界の決して無視できないほどの大きな差異であり、仁美の声色からも、さやかの話を信じるのにそう抵抗は感じられない。

 

『その……どうしたら元の世界に帰れるのでしょうか? それに、なぜ平行世界へと来てしまったのかもわかりませんし』

「たしか、時歪の因子を破壊しないと帰れないはずだよ。この場合は、"魔女"だろうけどねぇ……たぶん、あたしらを平行世界に連れ込んだのも、そいつだと思うよ」

『…危険なのではないですか?』

「まあ…そりゃあ多少はね。でも大丈夫だよ、あたしがなんとかする。絶対にね」

 

なぜかマミに連絡を取る事もできない今、戦えるのは自分ひとりしかいない。仁美を連れて元の世界に帰るには自分がやるしかない、とさやかは腹を括る。

 

「とりあえずまた明日、ね」

『わかりましたわ。……その、無理はしないでくださいね』

「わかってるって。それじゃあ」

『……あっ、あとひとつだけ良いでしょうか?』

「どしたの、急に」

 

会話も一段落し、通話を切ろうとしたその時になって、仁美が唐突に思い出したように尋ねてきた。

 

『…今日の、体育の時間のことですわ。さやかさん、普段はつけない黒の下着を見せてくれましたわね』

「あっ、そういえばそうだった。…言っとくけどね、あれはあたしの趣味じゃないからね?」

『それくらいはわかりますわ。むしろ問題なのは、"趣味じゃないものが入ってた"ことではないでしょうか、と思って…』

「うん? どゆこと?」

『この世界が平行世界だとしたら、もうひとりの私たちがいてもおかしくはないのでは? その下着も、もしかしたらそっちのさやかさんの趣味なのかもしれませんし』

「あっ……! そういえば、そうだよね!」

『だとしたら私たちは今、家にいるのに何故鉢合わせにならないのか、と……考え過ぎでしょうか?』

「ううん…きっと、何かあるはずだよ」

 

仁美の言葉を受け、自分が為すべき事をひとつずつ頭の中にまとめてゆく。

平行世界の核である時歪の因子…魔女の捜索、討伐。可能であれば、この世界にもいるかもしれない仲間…魔法少女たちとのコンタクトをとること。

そして、平行世界内のもうひとりの自分の行方を探ることだ。

当然ながら最優先は時歪の因子たる魔女の討伐だが、それに繋がるヒントもその他から見つかるかもしれない。

 

「そっちの方もあたしがなんとか考えてみるよ。だからあんたは、なるべく家の中にいるようにしてて」

『…私は、お力にはなれませんでしょうか。その、魔法少女というものになる…とか…』

「…仁美、それだけはダメだよ。魔法少女はなりたくてなるモノじゃない。それしか方法がない娘達が、どうしようもなくてなるモノなんだよ。それに、魔法少女になったら戦い続けなきゃならないんだ。"燃料が切れたら"死んじゃうからね」

『燃料……? さやかさん、何を言って…』

「大丈夫だよ…あたしを信じて、任せて」

 

最後にそう言い残して、さやかは通話を切って携帯電話の画面を閉じる。

部屋着に袖を通し、髪に簡単にドライヤーをかけ、再びリビングルームへと戻ると、母が麦茶を片手にワイドショーの速報を目にしているところに鉢合わせた。

 

「さやか、さやか」

「ん? なぁにお母さん」

「ここ、さやかのお友達がいるところじゃないの?」

 

母が指差したテレビの画面には、恐らくヘリコプターで上空から撮られているのであろう、見滝原総合病院が映されていた。

画面の右上にはテロップが表示されており、その内容は間違いなくさやかの危機感を煽るものだった。

 

「病院で………集団自殺…? え、何よこれ…」

「さっき言ってたけど、患者さんのひとりが薬を盗んだらしいわよ。それで15人くらい死んだって……」

「15人!?」

 

どうしてそんなことが、と言いかけたところでさやかはあるひとつの存在に気付く。集団自殺、というフレーズで思い出すのは魔女の存在だ。

後に聞かされた話では、箱の魔女が出現した工場内では塩素ガスを用いた集団自殺が行われようとしており、まどかがそれを防いだという。

そしてその現場には仁美もいた、と。

魔女は人々の負の感情を喰らって育ち、またその為に"魔女の口づけ"を施して操り、テリトリーへと誘い込む習性がある。

そして、病院には以前"お菓子の魔女"───マミが酷く苦戦した程の魔女が現れ、辛くもルドガーが討伐したのだ。

 

「………まさか!?」さやかは、母が隣にいる事を忘れてつい叫んでしまった。

「どうしたの、さやか。お友達は大丈夫なのかしら?」

「………ごめん、ちょっと出かけて来る!」

 

居ても立ってもいられず、さやかは部屋着である事などお構いなしに、携帯電話だけ持って玄関へと小走りで向かう。

 

「さやか、そんな格好でどこ行くの!? 雨降ってるわよ!?」

「恭介のとこ! …ごめん、ご飯先に食べてて!」

 

サンダルを履き、鍵をひったくると傘も持たずに鍵を開ける。リビングから母の苦言が飛び交うが、それすらも構わずさやかは外へと飛び出した。

 

「間違いない…まだ病院には、お菓子の魔女がいるんだ!」

 

思えば、朝のホームルーム中にマミにテレパシーを送っても、なんのリアクションもなかった事もそうだ。

直接会いに行き、確かめるべきだったのだ。学校にはそもそもマミは来ていない…それどころか、"既にいない"可能性もあったのだ。

元の世界でのお菓子の魔女との戦いにおいて、ルドガー達が駆けつけなければマミは殺されていた、それ程までに強力な相手だったと聞く。

だがこの世界にはルドガーも、魔法少女のほむらもいない。戦うとすれば、マミ1人しかいないはずなのだ。

 

「まさか、マミさんはもう……!?」

 

マンションのエントランスから飛び出すと、いつしか土砂降りとなった雨に打たれ、たちまち全身が濡れる。だが、焦燥感でいっぱいになったさやかはそんな天気にも構わず、ソウルジェムの指輪を輝かせ、一瞬にして部屋着を魔法少女服へと変化させる。

人魚の魔女もそうだが、もともと水の元素との親和性が高い特性もあってか、変身を済ませると大粒の雨に打たれてもさほど不快感を感じなくなった。

 

「急がなきゃ……!」

 

殆ど無意識のうちに魔力で筋力を底上げし、雷鳴轟く暗雲の下、さやかは全力で病院へと向かって駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

見滝原総合病院、正面玄関前の小ターミナルには警察車両が何台も止まり、警官達がマスコミの集団をせき止めていた。

自宅から10分かからずに病院へと駆けつけたさやかはそれを見て、正面からの進入は不可能だと悟った。

 

「かなり大騒ぎになってる……恭介は、無事なの…!?」

 

酷く嫌われたとあっても、やはり恭介の事は心配になるのだ。はやる気持ちを抑えつつ、さやかは他の進入ルートを遠目から探す。

幸い、今のさやかには魔法少女としての飛び抜けた身体能力が備わっている。その力を使えば強引に入る事もできるが、極力目立たないところを探すに越した事はない。

正面玄関前から大きく回り込み、病院の側面に位置するもうひとつの出入り口へと瞬時に駆けてゆく。

そこには駐輪場が設けられており、見舞いの帰りによく通ったりもしていた場所だ。

しかし着いてみると門が閉じられており、見たところ錠もかけられているようだ。高さも2〜3メートルほどあり、よじ登るには難しく見える。

 

「閉まってる……でも、このくらいなら!」

 

意を決して脚に力を込め、思い切り跳び上がると、思いのほかあっさりとその門を跳び越えてしまった。

3メートルの高さから反対側に、なんのクッションもなしに着地するが、脚を痛めるようなこともない。

さやかは魔法少女としての常識外れた己の身体能力に、改めて驚かされることとなった。

 

「……ふぅ」とひと息つくと、現在は腰に備わっているソウルジェムがちかちか、と妙な点滅をしているのに気付いた。

その光り方は、昨日エレベーターの中で見たソウルジェムの指輪の反応と殆ど同じように見える。

 

「…もしかしてこれ、魔女の反応なのかな…?」

 

だとしたら、魔女はすぐ近くに巣を張っているのだろう。昨日のうちに気付いていれば…と、拳を握り締めて悔やむ。

だが、そうしていても状況が好転するわけではない。さやかはソウルジェムの反応に気を配りながら、駐輪場を真っ直ぐに抜けていった。

 

そこから少し進んだ駐輪場の端にまで達すると、ソウルジェムは一段と大きな揺らぎをみせた。

この辺りだろう、とアタリをつけて神経を研ぎ澄まし、かすかな違和感をも見逃さないように周囲を見回す。

実際に魔女の結界に立ち入った事は2度しかなく、共にルドガーが傍にいたときだけだ。探し方を教わった訳でもない。実質初陣のようなものなのだ。

そうなっては己の直感を信じるほか無い。

 

「──────あれ…なのかな…?」

 

見回したうちの、駐輪場の柱の一本にかすかな違和感を感じ、視線を飛ばし距離を詰めてゆく。

恐る恐る手で柱に触れてみるとその瞬間に閃光が迸り、柱を中心に大きな円形の陣が浮かぶように形成された。

これが魔女の結界なのだろうか。だが、過去にさやかが見た魔女結界は、瘴気を発しながら結界の外にいたさやか達を飲み込むように拡がってみせた。

それと比較すると随分と地味に思えてしまい、イマイチ確信を持つに至れない。しかし確かにソウルジェムは、コレこそが魔女結界であると言わんばかりに瞬いている。

さやかは自らの魔法武器───半月型のサーベルを錬成して、その結界を縦に斬りつけた。

蓋を開けられた結界は内部を露呈し、歪んだ空間を外気に晒す。

 

「………よし、行こう…!」

 

初戦にして、単身での魔女結界への突入。無謀であるとは百も承知していたが、恭介と仁美を守る為に剣を取ることに、さやかは何の躊躇いも持たなかった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

さやかにとって魔女結界の内部を目にするのはこれで3度目となるが、そのそれぞれが全く異なる性質、概観を持っていることを改めて感じる。

お菓子の魔女結界の内部には巨大な薬瓶や注射器などの器具と、いったい何に喰わせるのか想像もつかない程に巨大な洋菓子がごろごろと並んでおり、その光景はまさに異様である。

程なくして、進入者を歓迎するかのようにナース服を着た巨人型の使い魔が何体も連なって湧き出てきた。

 

「げっ───こんなにたくさんいんの…!?」

 

自らの持つ武器を見て、それから仲間達の戦い方を思い出してみる。マミもほむらも銃撃が主体であり、自分と違って広範囲の攻撃を仕掛けるのは得意な方だろう。

ルドガーは銃と剣と骸殻の槍を使い分けていたが、果たしてそれがどこまで参考になるか。

そこまで考えて、さやかはとある事実を思い出して閃く。

 

「…そっか。誰よりもいい見本がいたじゃんか!」

 

言うとさやかはサーベルに魔力を込め、頭の中にイメージをひとつ描く。そのまま使い魔の群れをひと舐めにするように、サーベルを横一閃に振り抜いた。

 

「そぉりゃあぁぁっ!!」

 

その瞬間、サーベルの刀身が果てしなく伸びたような感覚を覚えた。使い魔の群れは若干離れているにも関わらず、空を切った斬撃を受けてその殆どが胴を両断され、断末魔を上げた。

 

「よし、イケる!」

 

さやかが思う誰よりも良い見本とは、まさにもう1人の自分たる人魚の魔女だ。さやかは、人魚の魔女がほむらに浴びせた一撃をこの場で再現してみせたのだ。

確かな手応えを実感したさやかは、もう一本サーベルを錬成し、両手にひと振りずつ構えた。

その勢いで残る群れに突撃し、次々と使い魔を斬り裂いてゆく。

振り方は素人のそれであったが、魔力で強化された身体能力がそれをある程度補っており、使い魔程度に後れを取るようなことはない。

使い魔を薙ぎ倒しながら、姿も識らない魔女の本体を探して結界内を縦横に駆ける。

薔薇園の使い魔の経験から、扉のようなものを探して行けば進めるだろう、と探し回り、随分と奥まで進んだ突き当たりでいよいよそれらしき小さな扉を見つけた。

 

「ここね……」

 

ふぅ、と深呼吸をして多少乱れた息を整える。切り抜いたかのように周囲の混沌とした概観とはそぐわない、妙に小綺麗な扉をくぐれば恐らく魔女が構えているのだろう。

サーベルを握り直し、腹を括って勢いよく扉を蹴り、乱雑に開け放った。

壊された扉をくぐった先にはさらに異様な空間が拡がる。異様に脚の長いテーブルやチェアーがずらりと並び、どことなくファンシーなクリーム色の空と、甘ったるい洋菓子の匂いに包まれる。

可愛らしくもあるが、どこか生理的に受け付けない景観だ。

拓けた空間を見渡すと、ひとつの丸テーブルの上に頭巾を被った人形のようなものがあるのに気付いた。

目を凝らしてソレを観察すると、やはり可愛らしさを強調するかのようによちよちと歩き、ふわり、とテーブルの上から降りてきた。

人形はきょとん、として首を傾げ、さやかを逆に観察し出す。しかしさやかはその可愛らしい見た目につられる事もなく、両手のサーベルを人形に向けて構えた。

 

「マミさんは油断してやられかけたって言ってた。弱そうだけど、きっと何かある…! なら、一気に!」

 

右手のサーベルを高く掲げたのを合図に、自身の背後に同型のサーベルを6本ほど錬成する。掲げたサーベルを縦に振り下ろすと同時にそれらを人形に向けて一斉に射出し、鈍い音を立てて次々とサーベルが人形に突き立てられた。

そこに左手のサーベルを振り切って追い討ちの遠距離斬撃を浴びせる。

距離間を無視した鋭い斬撃は人形の首元に直撃し、大きく吹き飛ばした。

だが、まだ気を抜いてはならない。自分に言い聞かせながら、いつでも迎撃できるように身構える。

そして異変はすぐに起きた。千切れ飛んだ人形の、首がついていた断面から巨大な花柄の蛇が身を現したのだ。

 

『ゴアァァァァァァッ!!』

 

本性を露わにしたお菓子の魔女は、さやかを捕食せんとばかりに口を開いて襲いかかるが、それを見逃さなかったさやかは素早く飛び退いて(ついば)みを躱す。

次いで先程のように空に剣を錬成し、お菓子の魔女へと向けて撃ち放つ。

 

「今だ! 弾けろぉっ!!」

 

鈍い音と共に胴体に突き立った剣は、さやかの掛け声と共に熱を持ち始め、瞬時に爆発して轟音を立てた。

だが、手応えは感じられない。マミの時も、外部からの射撃攻撃は全て脱皮してシャットアウトしてしまったのだという。

案の定、お菓子の魔女は皮一枚を脱ぎ棄てて爆撃から逃れ、もう一度さやかに襲いかかった。

 

「やっぱり効かない……なら、やるしかないか!」

『グルルル……ガアァァァ!!』

 

今度はさやかは逃げるような真似はせず、真正面からお菓子の魔女に向かって突撃していった。

ものの数秒のことだ。サーベルを掲げて駆けてゆくさやかとお菓子の魔女は互いに衝突し……さやかは、自らお菓子の魔女の口内へと飛び込んでいった。

 

『ガアァァァァァァ───!!』

 

ガチリ、と乱杭歯を閉じて勝利を確信したお菓子の魔女は、首を掲げ歓喜に満ちたような顔をみせる。

魔女の口元からさやかの残したサーベルがひとつ溢れ落ち、地面へと鋭く突き刺さった。

だが、魔女の表情は歓喜からすぐに苦悶へと変わる。

 

『グ─────ゲ、ァァッ!?』

 

魔女の腹元がまるで風船のように膨張してゆく。その姿はさながらに、蛇に石鹸を喰わせてツチノコの格好をさせたようにも見えた。

 

「──────これで、終わりだよ!!」

 

魔女の腹の中から、高らかに勝利を確信する声が響いた。

 

「いっけぇー! タイフーン・スラッシュ!!」

 

腹の中で本能のままに剣を振るい、暴風を巻き起こしたのだ。紡がれた暴風は魔女の体内をごちゃ混ぜにするように勢いを増し、ズタズタに引き裂いてゆく。

外側が駄目なら内側から攻める。さやかの辿り着いた、無謀にして捨て身の作戦だった。

魔女の口元から、夥しい量のドス黒い血が吹きこぼれる。逃れようにも、身体の芯を直接嬲られているため、脱皮が要を成さないのだ。

 

『ガ、グ、ギ、ギァァァァァァッ!!』

 

膨張はピークに達し、ガスを詰めすぎた風船のように魔女の身体は内側から裂け始める。

パァン!! と大きな音を立てて、ついにお菓子の魔女の身体は細切れとなって砕け、絶命した首だけがぼとり、と上空から落下した。

 

「……よっし、なんとなったか…」

 

お菓子の魔女を八つ裂きにしたさやかの手の平には、黒く輝くお菓子のグリーフシードが握り締められていた。

程なくして結界は力を無くし、揺らめきながらもとの駐輪場へと移り変わっていった。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

魔女を撃破したものの、さやかにはまだ為すべき事が残されていた。友人であり、想い人である恭介の安否の確認だ。

駐輪場から回り込めば、裏口から殆ど人目につかずに院内へと入り込める。怪しまれないように、と変身を解いたさやかは、ようやく今の自分のいでたちに顔を赤らめた。

 

「………慌ててて着替えてなかったわ」

 

部屋着にサンダルで、傘も持たないといった格好は変身していなくとも人目を引いてしまうだろうが、少なくとも現実離れした格好ではないだけマシに思えた。否、思うことにした。

気を取り直して裏口へと向かおうと足を運び出す。水溜まりに踏み込んでしまいそうなのを気をつけるが、サンダルなだけにどう足掻いても足先が濡れるのは避けられないだろう。

だがその時、かすかに鼻を刺激する"何かが腐ったような"臭いを感じ取ってしまった。

 

「なに、この臭い…」

 

腐臭は、さやかの後ろの方から漂ってきた。途端に胸騒ぎに襲われ、振り返って腐臭のモトを探してみる。

見つけたくない。だけど、見つけなければならない。そんな予感のままに駐輪場を駆け回っていくと、ついにその腐臭の原因を見つけてしまった。

 

「──────ひっ!?」

 

さやかは自分の目を疑ってしまった。視線の先には薄汚れた見滝原中学の女子制服を纏った、人の身体があったからだ。

ただしソレには首がついておらず、その断面は獣かなにかに喰い千切られたかのように潰れている。

屍体は既に事切れてから何日も経過しているようで、かすかに見えている皮膚の色は酷く変色しており、近づけば近づく程に腐臭が強まる。

どうして気付かなかったのか。理由は至極単純だった。魔女結界内の、"甘ったるい洋菓子の匂い"で腐臭が上塗りされていただけの事だったのだ。

 

「ゔっ………!!」

 

初めて目にする凄惨な光景に、胃が焼けるような感覚に襲われるがどうにか堪える。

目を背ける前にひとつだけ、どうしても確かめなければならない事があったからだ。

足を震わせながら吐き気を堪えて屍体へと歩み寄る。

上からその屍体を見下ろすと、中学生とは思えないスタイルの良さの名残りが窺える。

褪せた金色の髪の切れ端も周囲にわずかに散らばっており、雨露に濡れてしなびている。

たったそれだけで、さやかはその屍体が誰のものなのか、確信を抱けてしまった。

 

「…………マミ、さん……? う……あ、あっ…うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

さやかは吐き気を通り越してやってきた眩暈と、想像を絶した惨酷な光景に力なく膝から崩れ落ち、狂ったように叫んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話「大丈夫だよ、あたしは」

1.

 

 

 

 

 

 

 

少し強めの陽気の射す噴水広場の周りは、水飛沫と周囲の木陰によって多少は気温が低くなっているようだが、それでもベンチは中々の熱を帯びている。

そのせいか直接腰掛けるのを避けて、杏子は行儀悪くもベンチの背もたれの上でバランスをとってしゃがみ、プレッツェルを囓っていた。

その隣では暑さなど微塵も感じさせない佇まい で、マミがベンチに正しく座っている。

ほむらから"さやかが行方不明"という非常事態のテレパシーを受けて、急遽集合したのだ。

 

「佐倉さん、あなたはどう思うかしら?」マミは隣の杏子をちら、と横目で見て問いかけた。

「どうもこうもあるか。この時期に姿消すなんざ、十中八九魔女の仕業だろ」

「やっぱり、そうよね…でも、だとしたらかなり危険だと思うわ。人魚の魔女なんて、私たちでも歯が立たなかった相手……」

「アイツはまだ出てこないんじゃねえのか? "次は影の魔女"とか言ってったらしいからねぇ」

「それでも、美樹さん独りでどうにかなるとも思えないわ。はっきり言って、ここ最近の魔女の強さは異常だもの。早く見つけないと…」

「そうだな。……ん、マミ。ようやくご登場みたいだぜ」

 

杏子がプレッツェルでくい、と指した先にはほむらとルドガーの姿が共に見られた。

遠目からも、その表情からは若干の焦りがみえる。

 

「待たせたわね。マミ、杏子」

「ん? ほむら、アンタ髪けっこう切ったんだな」

「なんとなく、よ。それよりさやかだけれど……」

「この街にはいないようよ、暁美さん」と、マミはほむらの言葉尻を奪うように告げた。

 

「先にキュゥべえに頼んで、美樹さんの魔力の波長を捜してもらったのよ。でも、見つからなかった」

「キュゥべえに……?」ルドガーは、訝しげに呟く。

「ええ。キュゥべえも、美樹さんほどの素質の持ち主をみすみす放ってもおけなかったらしいわ」

 

相変わらず燃料としてしか見ていないようだけれど、とため息混じりにこぼす。

 

「最近あまりキュゥべえを見かけなかったけど、マミ達の所にはよく来るのか?」ふと疑問に思ったルドガーが、マミに確かめてみる。

というのも、ルドガーの記憶の限りではキュゥべえは、"自分からは"ほむらの前に決して姿を見せなかったからだ。

ただし、ルドガーの前に唐突に現れては何かを示唆するような事は何度かあったのだが。

 

「いいえ、そうでもないわ。追い出してからはほとんど会ってないもの。この前の学校での騒ぎの時と、今回ぐらいかしら」

「そうか……でも、さやかは街にいないってのは確かなのか?」

『それはほぼ間違いないよ』

「!」

 

ルドガーの浮かべた疑問符に応えるように、突然キュゥべえの声が傍らから飛び込んできた。

いつの間にか噴水の淵に立ち、あざとく前足で頬を掻いている。

 

『魔法少女ならば、僕達の探索に引っかからないなんて事はまずあり得ない。さやかは確かにこの街から姿を消しているよ』

「キュゥべえ…! お前が、何か関係してるんじゃないのか」やや語気を荒げて、ルドガーは尋ねた。

『それは誤解だよ。僕達も、さやかのような類稀な素質の魔法少女をみすみす失うような事は避けたいんだ。これは僕達にとっても大問題なんだよ』

 

キュゥべえはそうは言うものの、それは決してさやか自身の安否を心配しての事ではないとルドガー達は確信していた。

キュゥべえからしたら、さやかがたとえ"グリーフシードになっていた"としても見つけて"回収"さえ出来ればそれで良いのだから。

それもりも他の事に杏子が喰いついて、キュゥべえに問い詰めた。

 

「おい、キュゥべえ。アイツはそんなにすげえ素質があんのかよ」

『その通りさ。経験では君達ベテランの魔法少女には及ばないだろうけど、彼女の素質はそれを簡単に埋めてしまえるだろう。思い出してごらんよ。あの人魚の魔女でさえ、あんなにも圧倒的な力を持っていたじゃないか』

「つまり、アイツにも同じ事ができるってコトかよ…?」

『恐らく、可能だろうね』

「だけど、魔女と同じだけの力を使えばソウルジェムが耐えられない」と、ルドガーがキュゥべえの言葉に横槍をいれた。

「お前が言ってた事だろう、キュゥべえ」

『きゅっぷい。その通りだよ』

 

 

"───その骸殻は、もう使うな"

 

 

ルドガーは、ビズリーが最期に遺した言葉を思い出していた。骸殻の境地、フル骸殻は一族の中でもさらにごく限られたものにしか現れず、近代ではビズリーとルドガー以外には発現できたものは誰もいなかった。

だが、フル骸殻は使えば反動で即座に時歪の因子化を引き起こしてしまった。それと同じ事がソウルジェムにも言えるだろう。

強すぎる力はそれ相応の代償が伴う。少女達が持つのは、まさしく命を削る諸刃の力なのだ。

 

『例外があるとしたら、それこそ"ダークオーブ"だけだろうね』

「ダークオーブ…? なんだ、それは」

『暁美ほむらの魂のことさ。あれはもはやソウルジェムとは呼べない代物だからね、他の名前をつけさせてもらったよ。まあ、そんな事よりも今はさやかを見つけ出す方が先決だ』

 

キュゥべえは易々と言ったが、街にいないと告げられた以上はどこに居るのか皆目見当もつかない。

その中で唯一ルドガーには心当たったものがあるのだが、その可能性は低いだろうと思っていた。しかしほむらはルドガーの心の内を読んだかのように問いかける。

 

「ルドガー、見滝原2丁目に行ってみないかしら。……分史世界とやらが、あるのかもしれないのでしょう?」

「ほむら……だけど、罠かもしれないのに。それに、分史世界が残ってるなんて保証もないぞ」

「分史世界が残ってないのなら、そもそも"時歪の因子"なんてものもないんじゃないかしら?」

「それは、そうだけど……」

「待って、暁美さん…話がよく見えないのだけれど…」

 

突如として"分史世界"などという単語を放ったほむらに対し、マミと杏子は戸惑いを覚える。

 

「分史世界というのは…その、平行世界のことよね? 今回の件とどう関わっているのかしら」マミは腕を組みながら、2人に尋ねた。

「ああ、それなんだけど…ついさっき、俺のGHS…携帯電話に"分史世界が見つかった"って電話がかかってきたんだ。ただ、機械か何かが喋ってるみたいで誰かはわからないけど」

「………具体的には、分史世界ってどういうものなの?」

「時歪の因子が核となって造られる平行世界だよ。存在するだけで正史世界…俺たちの世界に悪い影響が出るから、破壊しなきゃならないんだけど」

「世界を、破壊ですって?」

「時歪の因子を破壊すれば、分史世界は消滅する。その為には直接その分史世界に入らなきゃいけないんだけど…行ったら破壊するまで出られない」

「……待って、ルドガーさん」

 

ふと、とある事に気付いたマミがルドガーの言葉尻を制した。

 

「時歪の因子が核って事は……魔女が核ってことなの?」

「いや、時歪の因子は骸殻の……ん? そうか、そうだよな……」

 

マミに言われて、ルドガーは初めて気が付いた。

骸殻に蝕まれれば時歪の因子となり、分史世界が造られる。そして、魔女も時歪の因子と同じ反応を示す。

そもそも魔女は"魔女結界"というひとつの小さな"世界"を生み出し、そこに潜んでいるものなのだ。

ならば、魔女結界もまた分史世界と似ている、あるいは同質のものであると言えるのではないか、と。

 

「……そういうことか! ほむら、すぐに行こう!」

「何かわかったのかしら」

「ああ、もしかしたらだけどな。2丁目にあるのは分史世界なんかじゃなくて、魔女の結界かもしれない」

 

ルドガーは懐にある懐中時計の感触を確かめながら、噴水広場の横道へと進んでゆく。自前の金の懐中時計と、もう動くことのない銀の懐中時計だ。

ほむらもそれに続き、状況の理解が進まないまま杏子とマミもルドガーについてゆく。2丁目まではさして離れていない。大通りに出て数分歩けば着いてしまう程度の距離だ。

4人が駆け足で向かえば、それこそ数分足らずで到着するだろう。

距離が近づくにつれて、ルドガーの懐中時計も

懐の中でかすかに音を立てる。しかし少女達は、魔女の気配などのこれといった反応は感じていない。

 

「この辺りかしらね」とほむらから告げられ、ルドガーはようやく足を止めた。

GHSを開き、記録された座標と照らし合わせてみると、進入点自体はこの近辺でほぼ合っていた。

だが、深度が深すぎる分史世界には進入する事はできない。結局見つけたところで、ルドガー達にはどうする事もできないのだと悟る。

 

「キュゥべえ、何か感じないか」と、駄目元でルドガーは尋ねかけた。

『ほんの微かだけど、確かに魔力の残滓を感じるよ。けど、結界ではないね』

「その魔力の跡は、魔女のものか?」

『そうだね。あともうひとつ……なるほど、どうやらさやかはこの近くを通ったようだね』

「やっぱりか………」

 

ルドガーはひとり納得したように、腕を組んで頷く。

「おい、何かわかったんなら説明しろよな」杏子も、段々と痺れを切らし始めていた。

「ああ、悪い。……もしかしたら、マミの言ったとおりなのかもな、って思ったんだ。

この分史世界は……魔女が造ったものじゃないか、ってな。

普通なら、分史世界は骸殻を使い過ぎて時歪の因子となったものから生まれるんだけど……」

「けど、なんだよ」

「……人魚の魔女は、俺の事を識ってた。それだけじゃない、骸殻や……昔の俺の仲間のこともだ。あいつが分史世界を造った……なんてこともありそうだ」

「魔女結界じゃなくて、分史世界ねぇ……もう何だかわけわかんねぇなぁ…」

 

はぁ、とため息をついてポケットから新しい駄菓子を取り出す杏子。それを見てルドガーは、苛ついた時に何かを口に含んで誤魔化すのは、杏子の癖なのだろうかと感じる。

 

「それで、どうするの?」ほむらもまた、少し早口気味に言う。

「魔女が造った分史世界というなら、行かないわけにはいかないでしょう」

「ああ。さやかも、そこにいるかもしれないしな。どうなるかわからないけど…試してみるしなかい」

 

周りに一般の人達がいない事を確認してから、ルドガーは懐から金の懐中時計を取り出し、込められた力を解放した。

 

「はぁっ!」

 

自分の持てる全ての力を使ってスリークォーター骸殻を纏い、眼を閉じてGHSに記された座標に意識を集中させる。

少女達がその様子を固唾を呑んで見守るなか、何を思ったかキュゥべえがルドガーの肩にひょい、と飛び乗った。

 

『なるほど、君は分史世界とやらへのアクセスを試みているんだね』

「……………」

 

ルドガーの返事はない。おぼろげにしか感じ取れない分史世界の波長を特定するのに必死で、そんな余裕などないのだ。

 

『僕も手伝うよ、ルドガー。魔女が造った世界なら、今ここにある魔女のパターンを入力すれば、座標を絞れるんじゃないかな』

「……………」

『そら、どうだい?』

 

キュゥべえの背中に刻まれた刻印と、不自然に両耳につけられたリングが怪しく輝き出す。

すると、ルドガーの思考の中に一筋の糸のようなイメージが浮かび始めた。

 

「……! キュゥべえ、これは?」

『魔力の残滓を辿ってみたものだよ。仮に分史世界が入るのが難しいくらい遠く離れた場所にあったとしたら、さやかを引き込むのには向こうだって難儀するはずだろう?

円滑な輸送を可能にする為の、バイパスのようなものがあると思ったんだけどね。その反応からすると、当たりを引いたようだね?』

「ああ、これを辿れば行けるかもしれない…!」

『さて、今度は君達の番だよ』

 

キュゥべえはなおも無機質な赤黒い瞳で、今度は少女達を一瞥した。

 

『分史世界には、誰がついていくんだい? まさか全員で行くつもりじゃないよね?』

「そんな事、お前に言われるまでもないわ」と、冷たい反応を返したのはほむらだ。

「私たちみんなが行けば、見滝原を守る魔法少女がゼロになる。最近の魔女の強さからしても、最低でも2人は残らないと困る。そうでしょう」

『きゅっぷい、察しがいいじゃないか』

「……分史世界には、私が行くわ。マミと杏子には残ってもらう」

「暁美さん!? …本気で言っているの?」マミはほむらの意図がわからず、狼狽しながら訊く。

「あなたがいない間、鹿目さんはどうするの?」

「それをあなた達にお願いしたいのよ。もし私がまた暴走したら、止められるのはルドガーしかいないのよ。そんな状態ではこの街で戦えないでしょう? それにね、マミ。さやかは私にとって2人目の親友なの。

…"あのさやか"だけが、私を親友だと言ってくれたのよ。だから……」

「暁美さん……わかったわ。鹿目さんの事は私と佐倉さんで守るわ。……あまり、長居しないようにね?」

「ありがとう……マミ」

 

街を託し、ほむらは鎧を纏うルドガーの隣に立つ。

「本当にいいのか?」と、ルドガーは最後の確認をとるが、ほむらは黙って頷くだけで何も言わない。

それを肯定とみなし、ルドガーはいよいよ分史世界への入り口へと進入を開始した。

周囲の空間が捻じ曲がり、暗転する。キュゥべえのサポートを受けながら、ルドガー達は深い水底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

勢いを増す雨のなか、さやかはほとんど放心状態で病院から帰路へとついていた。

偽りの世界の中であるとはいえ、見知った人の惨い死に姿を見てしまい、混乱しているのだ。

さやかは他の魔法少女のように戦闘経験があるわけではない。つまりは、そういった"現場"などは今まで無縁だったのだ。

交差点に差し掛かったあたりで、呆けた思考でも辛うじて赤信号で足を止める。変身はとうに解いていたが、もはや自分が雨に打たれている自覚さえも失っていた。

 

「………マミ、さん……」

 

僅かでも記憶を振り返ると、首のない屍体の姿が第一に脳裏に蘇る。その度に吐き気を堪え、ふらつきながら歩き出す。先程からずっと、その繰り返しだ。

ふと、ポケットにいれた携帯電話が着信音を立てる。数十秒置いてその音に気付いたさやかは、たどたどしい手つきで携帯電話を取り出し、ディスプレイの"仁美"という文字を見て受話ボタンを押した。

 

 

『さやかさん、今平気でしょうか? ………さやかさん?』

「…………どしたの、仁美」

『ニュースをご覧になりましたか? 病院で、集団自殺があった、と…』

「…うん、見たよ。あたしさっき病院に行って魔女を倒してきたの」

『魔女を、ですか…?』

「うん。集団自殺の原因だから…」

『……その件で、大変な報せを受けましたの。お母様にも電話をかけたのですが、さやかさんは留守だと聞いて…』

「まだ、何かあったの…?」

 

使い魔でも取り逃したのか、とさやかは携帯電話を握る手を無意識に強めてしまう。ミシリ、とほんの僅かに嫌な音が携帯電話から鳴った。

その音で今の自分の身体能力が規格外である事を思い出し、なんとか心を落ち着かせようとため息をついた。

 

『……いいですか、さやかさん。ここは平行世界。その事を踏まえた上で聞いてください』

「う、うん………」

『……集団自殺した人達の中に、上条くんの名前がありました』

「……………えっ、?」

 

今度は携帯電話を握っていた手の力が一気に緩んでしまった。するり、と手から抜け落ちた携帯電話は水たまりの中に落ち、飛沫を散らす。

仁美の放った一言の意味を理解するのに、さらに数十秒かかった。

顔面蒼白になりながらも落ちた携帯電話を拾い上げ、泥も祓わぬまま耳元へと運ぶ。防水仕様であったことが幸いで、通話は繋がったままだった。

 

「きょうすけが………しんだ……?」

『はい。…私も、正直信じられませんけど………でも、さやかさん。だからといって元の世界の上条くんに何かあったとは限らないですわ。どうか落ち着いて……』

「……だいじょうぶ……大丈夫だよ、あたしは、なんともない……」

『さやかさん…!? 本当に、大丈夫なのですか!? さやかさ───』

 

ぷつり、とさやかは一方的に通話を切って携帯電話をポケットに仕舞い込む。数秒後にすぐ着信が届いたが、もはやさやかが画面を開く事はなかった。

 

「………そうだ。これはきっとわるいユメなんだ。マミさんも、きょうすけも、しぬわけないじゃん……

はやく、ひとみをつれてかえらないと………」

 

ソウルジェムを輝かせ、再び戦闘服へと衣を替える。虚ろな瞳には何が映っているのか。さやかは未だ理解の及んでいない敵の姿を求めて、夜の市街地へと溶け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

「………まさか、また"ここ"に来る事になるなんてな」

 

見滝原から分史世界を目指して空間転移を果たしたルドガー、ほむら、キュゥべえの3名は、この世のものとは思えぬ景色を目の当たりにしていた。

どこまでも深く暗い空に、星々のように色とりどりの煌めきが瞬く。

白い瓦礫のようなもので果てしなく長い途が造られ、所々から水が上から下へ、下から上へと流れ落ちる。

赤、青、黄、緑と背中に何かしらの色の紋様を背負った原生生物が至るところに徘徊しており、近づこうものなら牙を剥いてくるだろう。

 

「ここが、分史世界だというの?」

 

百余りの平行世界を渡ってきたほむらでさえも、目の前に広がる光景に驚きを隠せずにいた。

 

『実に興味深いよここは。地、水、火、風…そしてそれらを束ねるエーテル。大まかに5つの元素に分ける事ができるけど、この空間はまさにそれらの元素によってのみ成り立っている。

こんなに不安定な構造をしているのに、崩壊する様子もない。君の世界には凄まじいものが存在しているんだね、ルドガー』

「…生憎だけど、ここは正史世界にはもう存在しない場所なんだよ」

『ふむ、というと?』

「───ここは世精ノ途(ウルスカーラ)…で間違いないと思う。人間界と精霊界を繋ぐための道だよ」

「精霊、ですって?」ルドガーの口から意外な言葉が出た事に対し、ほむらはそう訊き返した。

「ああ。元素を司る大精霊・マクスウェルが造ったものだ。正史世界だとマクスウェルが死んで2代目に変わって、それによって消えたらしいけど…」

「そういえば、あなたの世界にはそういうモノが普通に存在しているんだったわね。

この世精ノ途がある、ということはこの分史世界ではそのマクスウェルとやらがまだ生きている、という事でいいのかしら?」

「多分な。でも、さやかを追ってきたのにここに来るなんて思ってなかったよ」

『魔女の魔力はこの先に続いているよ。進むのかい、ルドガー?』

「それしかないだろう。気をつけろほむら、ここの魔物はけっこう強いぞ」

 

ルドガーは骸殻を解くと代わりに2挺銃を構え、アローサルオーブを起動させた。ほむらも盾の中から取り回し易い自動小銃を取り出し、安全装置をカットする。

 

「行きましょう」

「ああ」

 

ルドガーが先に続く形で歩を進めると共に、周囲の魔物達が気配を察知して這いよってくる。

無視できるものは無視し、道を遮るものは薙ぎ払う。極力、戦闘を避けるようにしながら奥へと進んでゆく。

 

「「「ゴアァァァァッ!!」」」

 

狭い道に入ると蜥蜴のような赤い魔物が数匹、群れをなして襲いかかってきた。

ほむらは後部から魔物の頭を狙って小銃を放ち、追い打ちをかけるようにルドガーも攻撃を仕掛ける。

 

「数が多いな………タイドバレット!」

 

2挺銃から放たれた水のエネルギー弾はルドガーの周囲に波紋をつくり、魔物に対して痛烈に刺さる。

 

「これで! フィアフル・ウィング!!」

 

素早くそこに立て続けに風のエネルギーを込めた漆黒の弾を放ち、魔物を全て吹き上げて虚空へと吹き飛ばした。

途が開けたのを確認するとさらに奥へ。崖を飛び下り、逆さの滝に乗ってさらに崖の上へと飛び、マナによって造られた見えない架け橋を渡る。

そうして魔物を蹴散らしながら数分歩いた先に、ようやく一段と拓けた空間へと辿り着くことができた。

右を見れば、滝壺ようにマナが零れ落ちる大穴。マクスウェルの住処"世精ノ果テ"へと続くルートだ。

それと真反対の位置には、まるでブラックホールのように蠢く大きめなエネルギーの塊が座していた。

 

『魔女の反応はこの黒いエネルギーから感じるよ。ここから、更に別の所へ跳べるようだね』

 

本来ならば、"世精ノ果テ"へと赴き、そこにいるであろう時歪の因子を叩くべきなのだろうが、今回の目的はあくまでも魔女の討伐とさやかの救出である。

どちらの途へ進むべきなのかは、言われるまでもなく承知していた。先にさやかを救い、その後で時歪の因子を叩く。

 

「こっちへ行こう」

「どこへ繋がるのかは、わかるのかしら」

「いや、わからない。リーゼ・マクシアかエレンピオスか……世精ノ途自体が不安定だからな」

 

本当に、この分史世界自体が魔女の時歪の因子から象られたものなのか、ルドガーは今になって再び疑いを持ち始めた。

どうしてここまで精巧に世精ノ途を再現できているのか。この様子ならば、世精ノ途の外も克明に再現されているだろう。

それはそのまま人魚の魔女同様に、今回の相手もルドガーの世界の事をよく識っている、ということになる。

 

『この場合は虎穴に入らばなんとやら、という表現が正しいのかな?』

「…はは、少し違うような気がするけど、だいたいそんな感じだよ」

 

キュゥべえもまた、俗世に疎い2代目マクスウェルのようなすっとぼけをし、ルドガーもつい苦笑いをしてしまう。

ほむらは表情ひとつ変えずに小銃のカートリッジを交換し、弾丸に魔力を込める。キュゥべえの言う所のダークオーブに変質した事によって、魔力の枯渇を考慮しなくて済むようになった点だけは幸いだと言えるのだろうか。

ルドガーもそれに倣い、武器を柄の長いナイフに持ち替えて敵に備える。

態勢を整え終えた2人は、気を引き締めながら黒いゲートの中へと乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

すっかり陽の落ちた見滝原の市街地には、少ないながらも住民の姿がちらほらと見られる。

しかしながら、さやかは僅かな空気の重さ、淀みを本能的に感じ取っており、いつでも剣を抜けるように構えていた。

ざらつくような生温かい風を受けながら、かすかに感じる魔女、あるいは使い魔の気配を辿り、虚ろな目で街を彷徨う。自身が魔法少女服という目立つ格好をしていることなど露ほども気にせずに。

程なくして、さやかの存在を探知したかのように周囲の空間が変質してゆく。街のカタチはそのままに世界がモノクロームへと変わり、黒い蛇のようなモノが大挙してさやかを取り囲むように牙を剥いた。

 

『シャアァァァ!』

「……………出たね」

 

蛇達は一斉にさやかに襲いかかるが、すぐに剣をふた振り握ってそれに応じる。強化された身体能力に、元々の運動神経、反射神経のよさを活かした動きに使い魔はついてこれず、次々とさやかに首を刎ねられてゆく。

 

「………本体は、どこ……?」

 

使い魔を打ち倒しながらモノクロームの街を駆け巡り、路地を抜けてゆく。人影はすでに無く、街を模した結界も次第に形を歪めてゆき、影のビル街から大きな庭園のような造りの広場へと移り変わる。

さやかは柵で囲まれた広場の手前へと出るが、これ見よがしに柵の一角だけが半端に開かれており、来訪者を待ち構えている。

しかし躊躇うこともなくさやかは広場へと足を進めてゆき、半開きの柵に手をかけた。

 

 

「──────おっと、待ちなよアンタ」

 

 

その時、急に背後から声をかけられてさやかは反射的に振り向いた。

そこに立っていたのは赤の装束を纏い、燃えるような長い赤髪を後ろに束ねた少女。さらにその隣には、一風変わった少女が並び立つ。

整った容姿とは裏腹に季節外れの黒い西洋風のロングコートを着込み、それとは対照的にフリルの目立つシャツを着て短いスカートを履き、右眼に黒の眼帯をあてている。

さやかに似たショートヘアの黒髪をしたその姿は、とある存在を彷彿とさせた。

 

(人魚の魔女…!? いや、違う…あれは"あたし"じゃない……!)

 

だが、違いはすぐにわかった。まず目の前の存在は魔女などではなく、魔法少女であると。

そして、相手を見下すかのように薄ら笑いを浮かべていた人魚の魔女とも違い、黒髪の魔法少女は一貫して無表情を崩さない。

顔立ちも似ているようで、よく見るとそうでもない。髪型が似ているため、そう感じただけだろう。

 

「アンタ、新米みてぇだな。ったく…ヒトの縄張りで好き勝手してくれやがって」

 

と、先に口を開いたのは赤髪の少女───佐倉杏子だ。

 

「恩人、どうする気だい?」

「どうもこうもあるかよ。3日寝かせておいた獲物を横から掻っ攫われてたまるか」

「確かにそうだね。じゃあこのコは───」

「オマエに任せるわ、キリカ。アタシは無駄な運動はしない主義だからな」

「…承知した」

 

杏子の合図を皮切りに"キリカ"と呼ばれた黒髪の魔法少女は戦闘態勢を取る。両手に鋭い鉤爪を3対構え、瞬時にさやかとの距離を詰めて斬りかかった。

 

「ちっ………あんた、いきなり何を…!?」

 

さやかも素早くサーベルを振り、キリカの斬撃に的確に反応して防ぐ。2人が刃を重ねて火花を散らすその様子を、杏子はそれこそ他人事のように、駄菓子を咥えながら冷ややかな目で眺めている。

 

「杏子っ!! あんたどういうつもりよ!」

「………あん? アンタ、アタシを知ってんのかよ」

「………そう、そういえばあんたはあたしを知らないんだったわ、ねっ!」

「よそ見とは随分と余裕があるじゃないか!」

 

キリカの剣戟をいなしながら、ここは仮初めの世界なのだという事を思い出す。目の前にいる杏子は、さやかの識る杏子とはあくまで別人なのだ。

 

「……そう、あんたも、この世界もどうせ偽物なんだ。なら………どうなったって関係ないよね…!」

 

さやかは魔力を解放し、背後に十数ものサーベルを錬成して刃を向ける。キリカはそれを見て一瞬戸惑いを覚えるが、刃を持つ手を止める事なくさやかへと斬りかかる。

それを待っていたかのようにさやかはサーベルを振り下ろし、それと共に背後のサーベルをいっぺんに射出してキリカを貫かんとした。

 

「やるねぇ君───けど、遅いよ」

 

だが、的確にキリカを狙ったはずの刃は空を切って結界のビル街へと消えてゆく。姿を消したかと思ったキリカは、ほんの一瞬でさやかとの距離を最短に縮めていた。

 

「安心しなよ、殺しはしないから───さぁ!」

「く、速っ………きゃあぁぁぁっ!!」

 

振り上げられた鉤爪はさやかの身体に深い傷痕をつけ、血飛沫を散らした。咄嗟にソウルジェムを庇おうと身を引いた事で致命傷には至らなかったが、初めて経験する激痛に立つことすらままならなくなる。

しかし、すぐにさやかの固有魔法である治癒能力が自動的に発動し、罫線の波紋と共に傷を塞いでゆく。

 

「へぇ……君、面白い能力を持ってるんだね」

「く、うぅぅっ………」

「でも、そこで大人しく寝てた方が賢明だと思うけどね? さあ行こうか恩人、今夜も霧が深いよ」

「やっと終わったのかよ、さっさと片付けてグリーフシード回収すっぞ」

「了解だ」

 

倒れ伏すさやかを尻目に、杏子とキリカは何事もなかったかのように影の庭園の門へ手をかける。

キィ…と錆びた音を立てて門は開かれ、杏子もようやく紅い槍を錬成して使い魔との戦闘に備え始めた。

 

 

「………待ちなよ、あんたら…!」

「「…っ!?」」

 

 

鬼気迫るその声に、思わず赤と黒の少女達は振り向く。

そこにはサーベルを杖代わりにして立ち上がり、刺すような視線で2人を睨むさやかがいた。

 

「あんた……マミさんがどうなったのか知ってんの…!?」

「あァ? さあな、姿が消えたっつうから代わりにアタシが来てやったんだけどよ…なんだオマエ、マミの弟子かなんかかよ」

「答えろよ! …マミさんはなぁ、魔女に殺されてたんだよ!」

「………なるほどねぇ、だからアンタはそんなにムキになってんのか」

「…あんた、どうしてそんなに涼しい顔してられんのよ!」

「テメェには関係ねえ。アタシとマミは別に仲間でも何でもねぇし、死のうが知ったことか。ま、代わりにこの見滝原はアタシらのシマにさせてもらうけどな」

「………許さない。あんただけはぁ!!」

 

さやかは怒りに任せて乱雑にサーベルを振り抜き、距離を無視した斬撃を放つ。素早くそれに反応したキリカが鉤爪で防御するが、予想以上の圧力に数歩後ずさり、息を呑む。

 

「ぐっ……素質はあるみたいだけどね、君。そんな魔力の使い方したら───って、聞こえてないか」

「うあぁぁぁぁっ!!」

 

サーベルを2つ逆手に構えると、さやかは再びキリカのもとへ突撃し、刃を振るう。冷静さをまるで欠いたその動きはしかし、余計な計算や配慮などを一切なくしたことで先程よりもより鋭く、容赦無く振りかざされる。

 

「───やるじゃないか。でも、私の敵じゃ、ない!」

 

キリカもまた密かに固有魔法を発動させ、高速で動いてさやかの斬撃をやすやすと躱しては鉤爪を引っ掛けようとする。

それに呼応するかのように、さやかも無意識下で更なる固有魔法───加速術式を発動させてキリカの動きに追いつこうとした。

 

「へぇ、私の前で"それだけ動ける"とはね。でも同じ速さなら、負けないよ!」

「誰が…あんたなんかにぃ!!」

 

さやかはサーベルを空に何本も錬成し、それら全てを"自身を含む周囲を取り囲むように"真下に向かって射出した。

サーベルによって描かれた円の中にはさやか、キリカ、杏子の3人が綺麗に収まり、地面に突き立てられたサーベルは赤く光り熱を帯び始め、鈍い音を立てる。

 

「ちっ……メンドくせえ! キリカ!」

「了解だ、恩人!」

 

杏子に命じれるまま、キリカはさやかの放った赤いサーベルの全てに向かって、鉤爪を変質させた小さなダガーナイフを投擲して突き立てた。

 

「えっ…!?」

 

途端にサーベルの振動が急速に収まり、狙ったタイミングで爆発しないことにさやかは狼狽する。

 

「まさか私たちごと自爆するつもりだとはね……恐れ入ったよ、君の度胸には」

「もういいキリカ、さっさとカタつけろ」

「そのつもりだよ、恩人!」

 

キリカはまたも一瞬で距離を詰め、今度こそさやかにトドメを刺そうとその凶悪な鉤爪を振りかざす。

その圧倒的な速さの前にさやかは反応しきれず、防御も回避も間に合わない。

 

「じゃあね、大人しくしてなよ!!」

 

回復させた傷痕をなぞるように、キリカは敢えて全く同じ軌跡を描き、さやかの細い身体を斬り裂かんとした。

だが、それは空からの一撃によって失敗に終わる。

 

 

「─────ヘクセンチア!!」

 

 

突如として空から降り注いだ黒い光弾は鉤爪に直撃し、キリカの身体を後ろに大きく吹き飛ばす。残る光弾はさやかの立てた赤いサーベル全てに着弾し、粉々にそれを砕いた。

 

「なっ………うわあぁぁっ!?」

「チッ───新手か!?」

 

不意に降り注いだ攻撃に新たな敵の予感を察知して、杏子は槍を構えて戦闘態勢をとる。

キリカも鉤爪を造り直して立ち上がり、杏子同様に敵に備える。

だが、さやかにだけはその攻撃が誰によるものなのかがわかっていた。

 

 

「無事か、さやか!?」

「ル……ルドガーさん…?」

 

 

影のビル街から駆けつけたのは、骸殻を纏ったルドガーと小銃を持ったほむらだった。

少し髪を切ったほむらの姿に一瞬だけ見とれてしまうが、それどころではないとすぐに立ち上がる。

 

「危ないところだったみたいだな、さやか。ところであの2人は……杏子と、あれは?」

「呉 キリカ。私達の世界にはもう存在しない、見滝原の魔法少女よ」と、ほむらはルドガーの問いかけに答える。

「存在しない? どういうことだ」

「……彼女はもうこの世には存在しない、そういうことよ」

「死んでいる、ってことか……でも時歪の因子ではないみたいだぞ」

「なら、戦う必要はないわね…でも、向こうはその気はないようね」

 

ほむらが視線を飛ばす先には、それぞれ武器を構えた少女達がさらに鋭い視線を送って来ていた。

 

「オマエら、ソイツの仲間かい? なら、ソイツを引き取って帰って欲しいんだけどねぇ」

「恩人! 逃がす気なのかい?」

「さあな、やんならやってやるさ。まあアタシらを敵に回したら、命がいくつあっても足りないだろうけどねぇ……?」

「悪いけど恩人、私はやられたらやり返す主義なんだ」

「………勝手にしろ、脳筋ヤロウが」

「そうこなくっちゃね!」

 

杏子は動かず、キリカだけが勢いよく駆け出して鉤爪を広げる。その瞳が捉えているのは、ルドガーの姿だけだ。

ルドガーはさやか達を守る形で立ち塞がり、槍を双剣に変化させて逆さに持つ。

 

「ルドガーさん、気をつけて! あいつ、いきなり速くなるんだ!」

「大丈夫よさやか。呉キリカの魔法は、私達には効かないわ」と、さやかを安心させるようにほむらは言う。

「えっ……そうなの?」

「ええ。見ていなさい」

 

ルドガーとキリカ、両者の刃が交錯する。さやかよりもずっと洗練されたルドガーの剣戟にキリカはようやく手応えを感じたようで、固有魔法を惜しみなく使い出す。

 

「君、強いじゃないか。けど私には勝てないよ!」

「ああ、勝つ気はないさ。でも負けるつもりもない!」

 

鉤爪を振るい、足蹴りを交えてルドガーに流れるような連撃を仕掛ける。しかしそれら全てに的確に反応しては、決してキリカを傷つけないように双剣で対応してゆく。

火花を散らしながら、ようやくキリカは違和感を感じ始めた。

 

(………おかしい、私の魔法が効いてない? それとも、それだけ速く動いて…?)

 

固有魔法の出力を上げても、ルドガーとキリカの速度にはさほど差が見られない。むしろ、ルドガーにはまだ余裕があるようにも見える。その姿を後方から見ていたさやかは、疑問を隠せずにいた。

 

「…あいつ、手加減してんの?」

「そうではないわ。彼女の固有魔法は"速度低下"…時間操作の類いよ。ルドガーの骸殻は時間操作を無力化するし、最悪、私が時間そのものを止めてしまえばそもそも意味を成さないのよ」

 

さやかの疑問を紐解くようにほむらは答える。言葉は難しいが、その意味をなんとなく理解したさやかは納得したように頷いた。

 

「そっか……だからあんた達には効かないってことね。あいつが速いんじゃなくて、あたしが遅くなってたんだ…」

「そのようね…それよりさやか、早くソウルジェムを浄化しなさい。かなり濁ってるわよ」

「あっ……気づかなかったよ」

 

 

ようやく落ち着きを取り戻したさやかを横目で見て安堵しながら、ルドガーも大詰めに入る。

倒す事が目的ではない。"勝てない"と思わせるだけで良いのだ。

双剣を振るう手を更に速め、ついにルドガーはキリカの速さを上回る刃を交差させた。

 

「終わりだ───双針乱舞ッ!!」

「なっ…うわあっ!?」

 

キリカに対して、時を刻む針のように正確なリズムで12の高速斬撃───正確には峰を用いて、急所を外した打撃を浴びせる。

鉤爪は打ち砕かれ、波状攻撃を受けたキリカはそのまま杏子のもとへ吹き飛ばされた。

 

「………アンタ、なかなかやるじゃねえか。仕方ねえ、今日のところは引いてやる」

「ぐ、恩人…! 引き下がるのかい…? 私はまだやれるよ!」

「アホか、魔力の無駄だろうが。それに獲物は他にもまだ残してあっからな、そっちに行けばいい。わかったらさっさと立て、キリカ」

「…わかったよ、恩人」

 

言うと杏子は赤の槍を軽く数回転させながら、魔力を練る。ルドガーは何をするつもりかと身構えるが攻撃は飛んで来ず、すぅ…と夜の闇に溶けるように杏子とキリカの姿は消えていった。

 

 

「消えた…!?」さやかはみすみす2人を逃がしてしまったのかとうろたえる。

「あれは杏子の固有魔法よ。彼女は幻覚を操る事ができるの。それで姿を消したようね」

「……そうなんだ。結局、あいつら何だったの…? 獲物がどう、とか言ってたけど」

『成る程、世界が違えど佐倉杏子という人間には変わりないようだね』

「その声───キュゥべえ!?」

 

予想だにしない声色にさやかはつい驚いてしまった。加えてあのキュゥべえが、宿敵同士とも言えるほむらと行動を共にしている事に目を疑う。

 

「2人はここで待っていてくれ。使い魔は俺が倒してくる」と、キリカの襲撃で参っているさやかを気遣ってルドガーは言った。

「お願いするわ、ルドガー」

「ああ、任せとけ」

 

そのまま影の庭園の中へと足を踏み入れると、待っていたかのようにひときわ巨大な蛇の使い魔が姿を現す。

 

『シャアァァァァッ!』

 

獰猛な牙を剥いてルドガーに襲いかかるが、もはや使い魔程度で足を止めるようなルドガーではなかった。

破壊の槍を携えて使い魔と戦う後ろ姿は、さやか達にも一種の安心感を与えていた。

 

『彼なら、あの程度の使い魔に負けるようなことはないだろうね』と、安心感を覚えているのはキュゥべえも同じようだ。

「そうだね、キュゥべえ。…ところでほむら、あんたさっきの"キリカ"って奴…会ったことがあんの?」

「ええ、そうよ。…彼女は、私にとって忌むべき存在だから」

「……どういうこと?」

「そうね……ひとことで言えば、私は彼女にまどかを殺されたことがあるのよ。…それも、1度や2度じゃない」

「え、えっ!? まどかを…?」

 

ほむらの唐突な発言に、さやかは驚きを隠せない。しかし隣のキュゥべえだけは無機質な視線を向けて、冷静にほむらの言葉を分析していた。

 

『…そうか、そういう事なんだね』

「キュゥべえ…!? あんた、何か知ってんの?」

『いいや、そうでもないよ。でも考えてご覧よ。ほむらは以前、"まどかの為なら何でもする"と言っていたじゃないか。そしてほむらの言葉を借りるならば、呉キリカはまどかの命を脅かす存在であると言えるのだろうね。

至極単純な話さ───ほむら、呉キリカの死には君が絡んでいるね?』

 

今度こそ、さやかにはキュゥべえの言葉の意味が理解できなかった。正史世界においてのキリカの死にほむらが関与している。それはつまり、何を意味するのか。

 

「………否定はしないわ。呉キリカの存在はまどかにとって危険な存在なのだから。ええそうよ、キュゥべえ───正史世界の呉キリカは、私が殺したようなものよ」

 

 

ほむらはまたひとつ、自らの罪を打ち明ける。その声色には、躊躇いや迷い…後悔の色がかすかに含まれているようにも聞こえた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話「あんたがいてくれて、よかったよ」

1.

 

 

 

 

 

 

 

使い魔の消滅に伴い、モノクロームの街並みも雨雲に覆われたもとのネオン街へと戻る。

骸殻を解き、手に小粒のグリーフシードを握り締めたルドガーは駆け足でほむら達の待つ所へ戻り、痛めつけられたさやかを心配して見つめた。

 

「大丈夫だったか?」

「はい、なんとか………いろいろ、最悪なことがありましたけど」

「何があったんだ?」

 

ここは魔女の造り出したであろう分史世界。正史世界とは異なる事象ひとつひとつが、時歪の因子へと繋がるヒントに成り得るのだ。

互いにそれを承知した上で、さやかは深いため息をついてから重い口を開いた。

 

「………あたし、ついさっきお菓子の魔女を倒してきたんです。もとの世界ではもう倒されてたはずですよね」

「ああ。……けど、あれを1人でやったのか…?」

 

お世辞にも、正史世界のお菓子の魔女は魔法少女ひとりの手に負えるような相手ではなかった。あのマミですら、ほむらが時を止めなければ喰い殺されていたところだったのだから。

しかし、分史世界においてのお菓子の魔女はそこまで強敵ではなかったのかもしれない、とルドガーは思い直す。

 

「なんとか……マミさんの話を聞いて、外側からの攻撃は効かないって知ってましたから。けど……この世界のマミさんは、あいつに殺されてました」

「! そうか………」

「それだけじゃないです。……あたしが魔女を見つける前に、病院で集団自殺があったってニュースがやってたんです。あたしはそれを見て病院に向かったんですけど……恭介が……」

 

それ以上の言葉がさやかの口から出ることはなかったが、それだけで何があったのかは察する事ができた。

この世界の上条恭介は、お菓子の魔女によって自殺するよう誘導された被害者のひとりとなったのだろう、と。

さやかのソウルジェムが酷く濁っていたのも、魔力の酷使だけが原因ではなかったのだと、隣で聞いていたほむらは悟った。

 

「辛かったわね、さやか……」

「ほむら……っ、ほむらぁ…! あたし……」

「……好きなだけ泣くといいわ」

 

泣けるうちは、まだ人の心が残っている証拠だもの。心の内でそう呟きながら、華奢な肩を震わせて縋りつくさやかを優しく抱きとめてやる。

分史世界とは言えども、大切な人を失ったとあっては冷静でいられるはずもない。ほむらは今ここにいる誰よりも、その痛みを1番知っているのだ。

 

「………ぐす、ごめんほむら……あんただって、あたしなんかよりもずっと辛い思いしてきてんのに……」

「いいのよ。私は、それを覚悟した上で今までやってこれただけなのだから。でもさやか…私みたいにはなっては駄目よ」

「え……?」

「何回も繰り返してるとね、だんだん心が麻痺していくのよ。まどかを救いたい一心で、次第に他のものから目を背けるようになっていた。誰が死んでも、涙が出なくなった。何を犠牲にしても構わないとすら思えた。

また繰り返せばいい。そうやって自分を誤魔化し続けて来たのよ。

だからさやか、せめてあなただけは人の心を忘れないで欲しいのよ………」

 

さやかを抱く腕に力が込められ、ほむらの心音が直に伝わるほどに胸元に顔が近づく。

その暖かさと心地よさに、さやかはかつてのまどかの言葉を思い出す。

 

「……ばか。あんただってちゃんと人の心を持ってるじゃん」

「さやか…?」

「前にまどかも言ってたけどさ……あんた本当にあったかくて、優しいよ。……惚れちゃいそう」

「……はぁ、冗談は帰ってからにしなさい」

「えへへっ」

「…その様子なら、もう平気みたいね。立てるかしら?」

「うん。もう大丈夫…ありがとね、ほむら」

 

互いに変身を解き、ほむらに手を取られながら立ち上がり空を見上げる。

暗雲立ち込める空は星や月すらも隠れ、灯りがなければ数メートル先すら窺うのも難しいだろう。

 

『もう落ち着いたようだね、さやか』

「キュゥべえ……あんた、本気で心配してんの?」

『心外だなぁ、君達魔法少女のケアは本来僕の役割なんだけどね。さて…そろそろ話してもらえないかな、ほむら。君とキリカの間に何があったのかをね』

「…わかっているわ」

 

ほむらはひとり歩き出し、それに倣うように2人もついて行く。ネオンの街を抜ける方角にしばらく進んだ先には程なくして、静かな雨に紛れて水音を立て続ける噴水広場が見えてくる。

雨に濡れたベンチに腰を下ろすことは叶わないが、そこでようやくひと息入れてほむらは立ち止まった。

 

 

「………さて、どこから話そうかしらね」

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは、ひとりの魔法少女の運命がきっかけだった。

鹿目まどか。見滝原の街を守る為に、ワルプルギスの夜に勝ち目のない戦いをいどみ、その命を散らせた少女。

ほむらはそんなまどかを救うべく、運命に抗う為の孤独な旅に出たのだ。

 

 

「何度か時を繰り返した時、ワルプルギスの夜を倒すことができた事があったわ。まどかと力を合わせて、ようやく勝てたの。

……でも、まどかはワルプルギス相手に魔力を使い果たし、魔女になった。その時初めて知ったのよ。魔法少女というシステムの…インキュベーターの正体にね」

 

 

それから、砂時計の盾は何度も廻される。

その度に最愛の親友の死を目の当たりにし、次第にほむらの心は疲弊し、擦り減っていった。

時には「魔女になりたくない」と請われ、その手で愛する人の魂を撃ち砕いた事もあった。それも1度きりではない。

 

「ん……? 待って、ほむら」

 

とあるひとつの事を思い出したさやかが、ほむらの語り口に水を差す。

 

「まどかの力なら、ワルプルギスの夜を一撃で倒せるんじゃなかったの? それで、反動ですぐ魔女になっちゃうって……」

「ええ。"今のまどか"なら、可能でしょうね。…でも、昔はそうじゃなかった。私がそれに気付いたのは、それからもっと先の話よ」

 

 

幾度に渡る繰り返しの果てに、眼鏡を棄て、誰に頼る事もなく孤独に戦う事を選んだ。

そうして、まどかとほむらの心の距離も少しずつ離れてゆき始める。

それでも、最終的にはまどかはワルプルギスを倒そうとして、弓を放つ事を選んでしまうのだ。

 

「何度目かのやり直しの時…ついにまどかは"1人で"ワルプルギスを倒してしまったのよ。…もちろん、そのまどかはタダでは済まなかった。その時、ちょっとだけ思ったのよ。まどかの力は少しずつ強くなっているんじゃないか、って。

事実、まどかが魔女になった時の脅威も増していたわ。最初の時はせいぜいワルプルギスよりも少し強い程度だったけれど…その時の魔女は、世界を10日で滅ぼしてしまうと言われていたわ」

『それは、誰にだい?』

「その世界のお前によ、インキュベーター」

『きゅっぷい、やはりそうだろうね』

「……そして、その事に気付いたのも私ひとりではなかった。それがもう1人の魔法少女───美国 織莉子よ」

 

 

呉 キリカではなく? とルドガーが返すが、ほむらはわずかに首を横に振ってみせる。

 

「呉キリカは美国織莉子の仲間よ…いえ、相棒といったところかしら。美国織莉子の持つ固有魔法は"未来視"……近い未来を、予知することができるものだったのよ。

そして美国織莉子は世界を滅ぼす最悪の魔女……"救済の魔女"の存在を予知してしまったの」

「救済の……? それって、まさか」

「そうよルドガー。救済の魔女は、まどかの魔女となった姿そのもの。今まで出会うこともなかった美国織莉子が突然私たちの前に現れたのは、どんどん強力になっていった救済の魔女の出現を予知するようになったからなのよ」

『つまり、それ以前は織莉子は救済の魔女の存在に気付いていなかった、ということだね?』

「恐らく、そうでしょうね」

 

 

そして白の魔法少女・美国織莉子は救済の魔女の出現を止める為に動き始める。予知によって魔法少女の末路を知りながらも、"世界を守る"その信念だけを胸に。

そうして織莉子がとった行動は、至極明快なものだった。

魔法少女が魔女になるというのなら───魔女になる前に始末してしまえばいい、と。

 

 

「美国織莉子は呉キリカと協力関係となり、見滝原や風見野、さらにはその近辺に住む魔法少女たちを手にかけ始めた」

『成る程。さしずめ魔法少女狩り……君たち人間風に言うなら、それこそ西洋の"魔女狩り"のようだね』

「……そうね。実際に何人もの魔法少女が殺されていたようよ。あのインキュベーターが、私達に美国織莉子と呉キリカ、2人の抹殺を頼み込んで来るくらいだったもの」

「それで、戦ったのか?」

「ええ。追い返したとはいえマミも襲撃されていたし、杏子もその時間軸では個人的な恨みを抱いていた。さらにもう1人他の魔法少女もいたの。私は救済の魔女の正体を知っていたし…断る理由はなかった。けれど……」

 

織莉子、キリカ、その両名との戦いは意外な形で決着がつく。そもそも魔法少女を4人…特に、時間を操れるほむらを相手にして"並程度の魔法少女"が勝てる筈がなかったのだ。

白と黒、1対の魔法少女は次第に追い詰められてゆき…その中でキリカはひとつの決断をする。

 

 

「瀕死の重傷を負っていた呉キリカは、美国織莉子を守る為に自らソウルジェムに絶望を募らせた。そしてキリカは"人形の魔女"と成り果て……それでも、美国織莉子に付き従った」

『……! 魔女になれば自我など残らない筈だよ? それは確かなのかい?』

「本当の事よ。人形の魔女は見滝原中学に結界を張り、何人もの無関係な人達を引きずり込んだ。さやかやまどかとて例外ではなかったし、何人かの生徒は、人形の使い魔に喰い殺されたわ」

『…だとしたら、興味深い話だよ。絶望を抱いてもなお自我…本能を維持している。まさに人魚の魔女や、君とよく似ているじゃないか』

「私は"まだ"魔女じゃないわ。それに生憎だけれど、魔女になるわけにもいかないのよ」

 

 

黒の魔法少女の成れの果ては、白の魔法少女と共に信念を果たそうとし───それが、たとえ間違った方法だとしても───再度、魔法少女達に戦いを挑んだ。

しかし結果は見えていた。始めから、2人に勝てる見込みなどなかったのだ。

だが美国織莉子は戦いには敗れたが……勝負には勝った。

 

 

「人形の魔女を倒して、美国織莉子にも致命傷を負わせた。これで全てが終わった───私は、そう油断してしまったのよ。

そもそも美国織莉子の目的は魔法少女の抹殺じゃなく、救済の魔女の排除。

……死の間際、美国織莉子は魔法による一撃を放ち……それがまどかの命を奪った。

始めから、美国織莉子は救済の魔女の正体を知っていたのよ。魔法少女狩りも、学校の襲撃も、全ては私達の注意を逸らし、まどかを無防備にさせる為の工作に過ぎなかったのよ」

 

何度思い出しても、胸を締め付けられるような感覚は避けられない。そればかりか、死した2人に対する憎しみは今も心の奥深くに燻り続けているのだ。

 

「その後の事はよく憶えていないけれど……気がついた時には、目の前に八つ裂きになった美国織莉子の屍体が転がっていたわ。そしてまた私は、盾を廻して時間をやり直した。

それから、私のやるべき事にまたひとつ新しい事が加わった。…まどかと接触してしまう前に、美国織莉子を排除する、とね」

「……まさか、毎回毎回時間をやり直す度に…その織莉子って娘を殺したの…!?」

 

さやかは信じ難いといった風に声を震わせながら、ほむらにそう尋ねる。

今のさやかには"親友を信じたい心"と、"その行動に賛成し難い心"とが複雑に絡み合っていたのだ。

 

「……まどかを守る為には、そうするしかないと思っていたのよ。それでも時には私の襲撃すら予知して、戦いになった事もあった。

結果は……言うまでもないわね」

「! そう……だよね……あんたが負けるわけない、か……」

 

"魔女相手ならともかく、人間相手に負ける筈はない"とは、かつてほむら自身が言った言葉だ。

その言葉は比喩でも何でもなく、実体験に基づくものなのだと、さやかは改めて思い知らされた。

最弱の魔法少女、とかつてほむらは自身を卑下した。しかし対人戦に於いては、その固有魔法によって間違いなく最強の魔法少女足り得るのだ。そうなっては余程の対策を取らない限りは、ほむらに勝てるのは時間魔法を無視できるルドガー以外に存在しないであろう。

 

『ひとつ、いいかい?』キュゥべえが、複雑な雰囲気の中に抑揚のない声で割り込んできた。

 

『君はいつの時点でまどかの力が強くなり続けていると…その原因が自分にある、と確信したんだい?』

「えっ…待ってよキュゥべえ、まどかの力が強くなってるのはたまたまじゃなくて、ほむらのせいだっていうの?」

『さやか、何を今更な事を言っているんだい。君達魔法少女の資質は、その因果の量によって定まるんだよ』

「えっ……どゆこと?」

『君やまどかが規格外な資質を備えているのは、ほむらが時間遡行を繰り返した事によって因果が蓄積されていったからだ、と僕達は結論づけている。

否定はしないだろう? 暁美ほむら」

「…ええ。その事を直に指摘されて、確信したのはここの前の時間軸よ。

今までまどかの為を思って繰り返し続けた事には、何の意味もなかったのか…って、一度は絶望しかけたわ。

……でも、そうね。きっと私は、もっと前からその事に気付いていて……目を背け続けていた。認めたくなかっただけなんだと思うわ」

 

 

 

それから何度となくほむらは美国織莉子、時には呉キリカすらも手にかけ続けてきた。

それでもまどかの運命を変えるには至る事ができず、幾度も時の牢獄を彷徨い続ける。

しかし、もう何度繰り返したか数えるのも忘れ、自分の実年齢すらも曖昧になってきた頃。とある変化が起き始めたのだ。

 

 

「ある時を境に、私は美国織莉子を殺すのをやめたわ。……正確には、その必要がなくなったのだけれど」

「美国織莉子がまどかを襲わなくなった、って事? それなら…」

「いいえ、その逆よさやか。…私が手を下す前に、美国織莉子は魔女になってしまっていたのよ」

「えっ……な、なんで…!?」

「…恐らく、救済の魔女の力が強まりすぎて美国織莉子の精神が予知に耐えられなくなったのだと思うわ。地球を10日で滅ぼす、と告げられてからも何度も時間を繰り返し続けたんだもの。

そして、呉キリカにとって美国織莉子は何にも代え難い存在だった。そんな彼女に、魔女になったとはいえ美国織莉子を殺す事はできなかったのでしょうね」

 

 

ほむらが美国織莉子の家を密かに訪れた時、既にそこは魔女結界が張り巡らされていた。

そこでほむらが見たものは、生前の織莉子の姿を模したような白装束の魔女と、穏やかな顔で自ら白装束の魔女の牙にかけられに行くキリカの姿だった。

そしてそこからいくつか時を重ねても、もう織莉子がまどかを襲う事は二度となかった。そうしてほむらは、織莉子への干渉を辞めたのだ。

 

「正史世界…今の時間軸の呉キリカも、同じ結果を辿ったはずよ。でも、この分史世界の呉キリカが生きているということは、美国織莉子は魔女になっていないのかしらね。

どうして杏子と手を組んでいるのかはわからないけれど…」

『キリカは杏子の事を"恩人"と呼んでいたね。何か借りでもあるのかもしれないよ。

どちらにしても、時歪の因子でないなら放っておいて構わないんじゃないかな。どうせこの世界は壊されるんだ。そうだろう、ルドガー?』

「……ああ」

 

懐中時計の感触を確かめながら、苦い顔をして答える。"世界を壊す"という事がどういう事なのかは、所詮キュゥべえにとっては些末な問題でしかないのだ。

杏子やキリカは確かに時歪の因子ではない。ならば何が時歪の因子だというのか。

"無いはずのモノが存在している"のが1番可能性としては高いはずなのに、と。

 

 

「さやか、何か他にも変わった事はなかったか?」

「変わったこと? ええと………」

 

ルドガーに尋ねられて、改めて自身の記憶を振り返ると、すぐに正史世界と明らかに違うモノを思い出した。

 

「…そうだ。この世界にはまどかがいないんだよ」

「いない? まさか、既に…?」

「あー、そうじゃなくて……最初からいないみたいなの。生まれてない、のかな……」

「生まれてない…? そんな事って…」

 

2人は揃ってほむらの顔色を窺ってみる。一瞬だけ険しい表情をしたが、すぐにほっとしたようにため息を吐いた。

 

「……そう、この世界にはまどかはいないのね。かえって良かったかもしれない」

「えっ?」

「この世界を壊さないと元の世界には帰れないのでしょう? …わかっていても、きっとまどかがいたら躊躇ってしまうわ。

時歪の因子を探すのは明日にしましょう。夜は動きづらいわ」

 

 

雨はいつしか霧雨となり、勢いもほとんど失われている。

街灯を頼りにルドガーが懐中時計を確認すると既に8時を過ぎており、そうそう出歩くような時間でない事に気付いた。

突入時点では昼過ぎだったが、世精ノ途で予想外に時間を食った事に加えてこの分史世界自体の時間がそれだけ正史世界とずれているのだろう。

分史世界で夜を明かすならば、自宅に戻る事もできないので宿を取るしかない。ルドガーはそれとなく、どこかで宿を取れないかほむらに尋ねた。

 

「宿、ね……街中に戻ればホテルのひとつくらいはあるわ。今夜はそこでいいでしょう」

「そうか、ならそうしよう。さやかはどうするんだ?」

「あたしは家に帰るよ。お母さん心配してるだろうし……分史世界だけどね。

……ってか、ほむら。あんた今ホテルって言ったけど……本気で言ってんの?」

「問題ないわ、一晩だけ無断で泊まらせてもらうだけよ。杏子もたまにやっていたし」

「問題あるわ! ナチュラルに犯罪宣言するなっての! そんなのさやかちゃんが許さないからね!?」

「ここは分史世界よ?」

「そうだけど………はぁ…今更ってコトね…」

 

 

隣のルドガーもさやかの言葉に少々後ろめたさを感じたが、晴れているならまだしも雨の中で野宿は辛いものがある。ここはほむらに従うべきだろう、とひたすらに押し黙るほかなかった。

もっとも、ほむらの頭の中には最初から野宿などという発想はなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

周辺のビルと比べても少々ばかり華やかな電飾が備え付けられた、市街地の一角にある建物。

電飾の周りには光を求めて集まった数匹の羽虫が羽ばたきもせずに浮いたまま静止しており、舞い散る葉も同様に静止したままだ。

盾を起動して砂時計をせき止め、エントランスから堂々と建物内に入り込んだ黒髪の少女と白髪の好青年は、静寂のなか階段へと差し掛かり、淡々と上へ登ってゆく。

 

『君の魔法はこういう犯罪行為にはとても向いているね、ほむら』と、ルドガーの肩に乗っかったキュゥべえがほむらに投げかけた。

「それは皮肉のつもりなのかしら? まあ、否定はしないわ。それにしても、いくら時間を止めても魔力切れしなくて済むのは助かるわね…」

『僕としては全く有難くはないんだけどね。それより、君はここの間取りを知っているようだね。初めて来たのではないのかい?』

「ホテルなんて、どこでも似たような造りでしょう。ここではないけれど、昔杏子に連れられて忍び込んだ事があったのよ。入り方もその時教わったわ」

『……驚いたね。君はまどか一筋だと思っていたんだけれど、まさか杏子と…?』

「何が言いたいの? 私はいつだってまどかの事を第一に考えているわ」

『…君に対する認識を改めた方が良さそうだ。無知とは恐ろしいね?』

 

 

それはそうだ、とルドガーはほむらの後ろで納得したように軽く頷く。ただしそれは、ほむらの言葉に対してのものだ。

キュゥべえとの会話を切ったほむらは、階段を登り続けた果てに最上階と思しきところで扉を開けて廊下へと踏み入った。

静止した世界の中で動けるのは2人だけであり、人目を気にする必要など全くない。

若い男と女の2人組が缶の飲料を片手に廊下で静止しているところを堂々と横切り、最奥の一番大きそうな部屋の前で立ち止まった。

部屋の扉は最新の電子ロック式であるようだが、ほむらが手をかざして数秒で電子音と共に施錠が解かれる。

室内に入り、まずルドガーが安心したように背伸びして息をつくが、ほむらはまだ砂時計をせき止めたままだ。

 

「少し待っていてくれるかしら。防犯カメラを誤魔化すわ」

「えっ? ホテルなのに、カメラがあるのか?」

「ええ。杏子に教わったのだけど、犯罪抑止のためらしいわね」

 

防犯カメラ、という謳い文句なのだからそれはそうだろう、とルドガーは思う。だが、リーゼ・マクシアならばともかく、エレンピオスの宿ですら防犯カメラのついた部屋など見たことがなかった。

プライバシーに関わる事だ、普通ならあり得ないはずなのだが。或いは、自分が気づいていないだけだったのか、と。

ほむらは慣れたふうにカメラをひとつひとつ操作してゆき、それら全てが終わった所でようやく砂時計を再び動かし始めた。

 

「さて、ひと休みするとしましょう」

「そうだな…食事はどうする?」

「ごめんなさい。今日の所は盾の中の非常食で我慢してもらえるかしら」

「我慢だなんて、そんな。ありがとう、ほむら。…でもこの部屋、やたら広いな……」

 

室内を見渡すと、洒落た間接照明といやに大きめなベッドがひとつ。その上には枕が2つ置かれている。俗に言うダブルベッドというものだ。

化粧品棚の上には簡易的なメイクセットが一通りあるが、ほむらがそれを使う事はないだろう。

さらにその隣には大きめなテレビと番組表が並んでいるが、未だ漢字に不自由なルドガーには、番組表の殆どが読み取れなかった。

加えて、テレビの傍らにはマイクが2本置かれており、カラオケの機能も内蔵されているようだ。

 

「こういう所に忍び込んだ時は、最上階にある一番大きな部屋に入るといいらしいわ。料金が高すぎるから借りる人間もいなくて、だいたいの道具が揃ってるから便利なのだそうよ。

……でもテレビは絶対につけるな、と言われたわ。問題ないかしら?」

「俺は問題ないよ。…でも、高い部屋の割にはベッドが1つしかないな。ソファがあるから寝るのには困らないけど…」

「こういうホテルはそういうものらしいのよ。私がソファを使うから、あなたは…」

「いや、大丈夫。俺がソファを使うよ」

「……悪いわよ」

「いいって。昔は仲間たちとこんな感じで宿に泊まってたんだ」

 

ルドガーの中では、女性陣にベッドを譲るのはもはや当然の事として定着していた。

とはいえ、それも含めた旅の知識は、ルドガーよりもはるかに旅の経験が長い友人達の姿から学んだものなのだが。

 

 

「なら、先にシャワーでも浴びて来たらどうかしら。私は少し銃の点検をするわ。着替えなら、備え付けの部屋着が脱衣所にあるはずよ」

「わかった。先に行ってくるよ」

 

ほむらに促されるままに、ルドガーは武器類をテーブルの上に置いて浴室へと向かう。

その様子を相も変わらず無機質な瞳で、しかし心なしか愉快そうにキュゥべえははたから眺めていた。

 

 

『………本当に、無知とは恐ろしいね、暁美ほむら。まどかが知ったら卒倒ものじゃないかな?』

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、曇り空の続くなか街路樹の通りを足早に駆けてゆくさやかの姿があった。

魔女討伐とキリカとの交戦で疲労が溜まっていたため、僅かに寝坊してしまったのだ。

分史世界の学校にまともに通う必要など本来ならないのだが、昨日のように律儀に仁美が登校する気でいる以上、共に登校して仁美を守る必要がある。

また、ほむら達が影から活動するならば、さやかは表に立って差異を探るつもりでいたのだ。

……しかし、現在は8時24分。正直なところ、まともに走ったところで間に合うかどうかは微妙なところだ。

 

「ひー……仕方ないか、よっと……」

 

ソウルジェムの指輪がかすかに瞬く。魔力をほんの少し解放して、昨日キリカとの戦いで無我夢中で獲得した加速魔法を使い、さらに駆けてゆく。

もはや普通の女子中学生では絶対に出せない、スポーツ選手ばりの速さにまで達したが、周りに人がいないのをいい事にそのまま街路樹の通りを一気に駆け抜けていった。

通常ならば5〜6分はかかる距離をわずか1分足らずにまで縮め、校門の前までたどり着く。

校門の前にはジャージを着た教師が立っていたが、猛スピードで駆け込んださやかを目の当たりにして目をぱちくりとさせるだけだ。

昇降口に飛び込んだところで、ようやくさやかは加速魔法を解き、ゆっくりと足を止めて深呼吸した。

 

「ふー…なんとか間に合いそうだね…」

 

靴を脱ぎ、入れ替えるように下駄箱の中にある上履きを取り出して履く。

時計の長針は"5"の部分ちょうどを指しており、ホームルームの開始まで少しの猶予があった。

 

『さやか、今は学校にいるのかしら』と不意に、頭の中によく聞き慣れた声が響いた。

 

「ほむら…? どしたの。近くにいんの?」

『いいえ。今、ルドガーと一緒にホテルを出て学校に向かってるところよ』

「そうなんだ。…ってか、結局ホテルに忍び込んだってわけね」

『そうね、とても快適だったわよ』

「んなこと聞いてなぁい! って、あんた学校に来てもどうすんのさ。こっちのほむらと鉢合わせる訳にはいかないでしょうが」

『骸殻能力者が近くにいないと、時歪の因子は反応しないらしいのよ。……でも、やはりこの世界にも"私"は存在するのね』「(まぁねー。まどかみたいで、素直で可愛い娘だったよ? あんたに爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ』

 

既に生徒達はみな教室内で待機しているのがガラスの壁越しに見える。

さやかは廊下を歩きながら、途中から不審に思われないように声には出さず、心の中でほむらと会話し始めた。

 

 

『どうやら、この世界の"私"は契約していないようね。まどかがいないんだもの、当然ね…』

『でも、あんたすっごい魔法ばっかり使うじゃん。時間止めるだなんて、ただ事じゃないよ? あのDIOだって5秒しか時間を止められないんだから』

『ディ……?』

『…うん、何でもないっす』

 

さやかは、ほむらがアニメや漫画の類いの知識を一切持ち合わせていない事を思い出して頭を軽く押さえた。

というより、一般的に女子にその類いのネタを振ったところでまともな返事が返ってくるはずもないのだか。

 

『というか、そんなあんたをキュゥべえが放っておくわけないじゃん…って言いたいのよ』

『………そうね』

 

ほむらの心の奥底に仕舞われた、一番古い記憶が呼び起こされる。

最強の魔女を前にして、街を、人々を…そしてほむらを守るために死をも厭わずに立ち向かっていった心優しき魔法少女。

その亡骸を前にしてほむらは、己の無力さを呪う。そこにインキュベーターは付け入り、ほむらとの契約を交わした。

あの日から自分はどれだけ変われることができたのか。ちゃんと"名前負けしないように"やれているだろうか。

この世界の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか、と。

 

『…あの日、まどかと巴さんが助けてくれなかったら私は今ここにいなかった』

『ほ…ほむら?』

『魔法少女になって、私を助ける事ができた事が自慢だった。あの時のまどかはそう言ってくれたわ……』

『あの、時の……? それ、もしかして昔のまどかって事……?』

『そうよ。…でも、もう過ぎたことよ』

( 『…早く時歪の因子を破壊して、元の世界に帰ろ? まどか、きっと待っててくれてるよ』

『ええ、勿論よ。…あとで、落ち合いましょう』

『わかった。』

 

 

ほむらとの念話を終えるとほぼ同時に後ろ側の戸から自分の教室へと入ると、まだ担任の姿はなく、クラスメイト達の談笑の声がざわめいていた。

その中でさやかの到着に気付いた仁美とほむらが、さやかのもとへ集まり迎えた。

 

「おはようございます、さやかさん」

「おはよう、さやかちゃん」

「おはよ、2人とも」

 

髪を下ろし、さやかの言いつけ通りに眼鏡をかけずにいたほむらは挨拶と共に柔らかく微笑む。

対して仁美は、昨日の事もあってか少し不安げにさやかの顔を見た。

正史世界のほむらならばこんな笑顔はまどかにしか見せないのだろうと思い、さやかは少し得をした気分になる。

 

「暁美さんってば、ずっとさやかさんのお話ばかりしてましたの」

 

そんなさやかの顔色を読んだように、仁美が2人を焚きつけた。

 

「ほんとにぃ? ほむらってば、そんなにあたしの事好きなの?」

「え、えっ!? そ…そのぉ……」言われてすぐさま、ほむらの顔が真っ赤になる。

「へへっ、さやかちゃん照れちゃうなぁ! うりうり!」

「ひゃあ!?」

 

さやかもまたほむらに抱きつき、スキンシップでそれに応じるが、ほむらは昨日とは変わってくすぐったそうな顔でそれを受け入れる。

心地の良い艶めく黒髪を掻き分けてやりながら、さやかは確かに今ここにある"命"の暖かさを感じた。

 

「…ありがとね、ほむら」

「えっ? さやか…ちゃん…?」

「こうしてるとほんとに落ち着く…あんたがいてくれて、よかったよ」

「……何か、いやな事でもあったの?」

「………ちょっと、ね」

 

恭介が死んだ、とは言わなかった。話したところでどうなるわけでもないからだ。

 

(そう……世界を壊すってことは、この"ほむら"も一緒に…ってことだよね)

 

さやかとて、時歪の因子を破壊するという事の意味を理解していないわけではなかった。

だとすれば、自分は今とても残酷な事をしているのではないか、とさやかは思い直す。

ずっと一緒にいられるわけではないのに、と。

 

「……さやかちゃん。私ね、さやかちゃんのお陰でちょっとだけ変われたと思うの」

「え……?」

「だから、今度は私の番。さやかちゃんが困った時は、私が支えになりたい。…だめ、かな?」

「ううん、そんなことないよ。……すごく、嬉しい」

 

少し涙目になりながら、それを悟られないようにほむらの胸元に顔を埋める。さやかの涙に気付いているのは、肩の震えを直に感じているほむらだけだ。

暖かく脈打ち、命を感じさせる心臓の鼓動に耳を澄ませる。

それに応えるかのように、さやかの左手に嵌められたソウルジェムの指輪も、かすかに熱を帯びながら明滅していた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話「明日、世界が滅んじゃうとしたら」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通勤ラッシュの時間帯に差し掛かり、市街地の駅前にはスーツ姿の社会人や学生たちがちらほらと見られる。さながらに、どこかルドガーの故郷であるトリグラフの朝に似たようなものを感じた。

どこの世界でも、こういった事は付き物なのだろう。

昨晩同様に時を止めて同じようにホテルから出たルドガーとほむらは、さやかとのテレパシーを終えてまず真っ直ぐに見滝原中学へと向かうことにした。

ルドガーはGHSを開き、偏差の数値をチェックしながら歩く。時歪の因子に近づけば近づくほど、この数値は微増してゆくのだ。

 

「ところでほむら、直接学校に行くっていっても…なにか、心当たりがあったのか?」

「…まだ予想の範囲を出ない程度にはね。"無いはずのモノがある"といのが可能性が高いのでしょう?」

「ああ。確かに今までの分史世界は、殆どがそのパターンだったよ」

『キリカの存在はまさにそれだと思ったんだけどね』

「あの娘は時歪の因子じゃなかったよ、キュゥべえ。実際に戦ったんだ、間違いない」

 

骸殻能力者が接近すれば、大抵の場合は時歪の因子の核から瘴気が漏れ出し、ひと目でそれと判断できる。

逆に言えば骸殻能力者、ルドガーが同行していなければ時歪の因子と遭遇しても判断しかねるため、手分けして探すということができないのだ。

実のところ、ルドガーのように骸殻能力者ではない者たちを連れて分史世界に潜入するといったことは、他の能力者達の間ではまずあり得ない事であり、単独または能力者数人での探索が基本なのだ。

ルドガーのGHSの画面には深度999、偏差1.06という数値が表示されており、偏差のコンマ3桁以下の数字が微妙にぶれているが、学校の方角へ歩くにつれてごく僅かにその数値が上がっているようにも見えた。

 

「この世界を作った魔女は、さやかをピンポイントで引きずり込んだのでしょう? なら、さやかの命を狙う為に時歪の因子もその近くにいると思うのだけど…ルドガー、あなたはどう思うのかしら?」

「…どうだろうな。時歪の因子は何かに取り憑いていて、その宿主が暴走したりはしたけど、それ自体が意思を持っているなんて事はなかった。けど……今回ばかりは状況が特殊だからな。ほむらのいう通りなら、さやかの近くのものに取り憑いている…って事になるのかな」

「どちらにせよ、急ぐ必要があるわね。さやかも心配だけど…ワルプルギスまでもう日がないのよ。今日中に決着をつけるわ」

 

そうは言うものの、2人の脳裏にはそれぞれ不安な要素が残る。

日を追うごとに、次々と強力な力を持った魔女が現れ、そしてついには人魚の魔女のような桁違いの強さを持った魔女まで襲って来る始末だ。

さやかと合流したとて、正史世界に2人の仲間を残した戦力で未だ見ぬ影の魔女と戦いになった場合、苦戦は避けられないだろう。

まずはそれ以前に、時歪の因子を特定しなければならないのだが。

人混みをかき分けながら駅前から離れ、バス通り沿いに歩くこと数分。ようやく進入点だった見滝原2丁目の通りが見えてきたが、ここから学校まではさらに少し距離がある。

時計の針をみれば、学校ではそろそろホームルームが終わりそうな時間になっており、歩道を歩く人影もほとんど見られなくなっていた。

 

『……おや?』

 

と、唐突にキュゥべえが口を動かさずに喋った。

 

「どうした、キュゥべえ」

『使い魔の反応だよ。こんな時間になんて珍しいけど…』

「なんだって? 近くにいるのか」

 

キュゥべえの言葉を受けて、ルドガーは周囲を見回してみるが、特にこれといった変化を見つける事はできない。

 

『近くに、というよりもこっちに近づいているようだね。ほむら、君も感じないかい?』

「ええ。それも、かなり多いわね。でもどこに結界が……?」

『ここは魔女の造った分史世界なんだろう? だとしたら、どこから使い魔が現れても不思議ではないと思うけどね』

 

昨晩にこの分史世界を訪れた際の、さやかのいた場所の周囲の様子を思い出す。

ビル街全体が影に覆われたようにモノクローム調に変異し、また、使い魔を撃破した際も"結界が壊れる"のではなく、ゆるやかにもとの街並みに戻っていくのを見ていたのだ。

そこから改めて考えられる使い魔の性質は、おのずと絞られてくる。

 

「"影の使い魔"か……」

 

思い立ってルドガーが視線を向けた先は、いくつもの建物の"日陰"だ。

よく観察すると、現在浴びている日射しの向きと比較してみても明らかに不自然な影の映え方をしている部分だらけであり、それら全てがルドガー達の方を向いているようにも見えた。

まるで異物を感知した免疫細胞のようなソレを前に、ルドガーの時計もようやく、影から時歪の因子の反応を感知し始めた。

 

「……どうする? このまま進めば襲って来るぞ」

「進むしかないでしょう。もともとこの世界に足を踏み入れた時点で、私達に逃げ場なんてないのよ」

「そうだったな。なら、行こう!」

 

相変わらず外見不相応に肝が据わっている、とルドガーは安心したように、はたまた感心したように口元を緩めた。

ほむらは盾の中から静かに愛用の自動小銃を抜き、同様にルドガーも一対のサバイバルナイフを抜刀し、迫り来る敵に備えた。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

時同じくして、見滝原中学の教室内ではホームルームを終えて、ほんの数分程度の休み時間を迎えていたが、教室内の空気はやや重く不穏な空気になっていた。

担任の和子から改めて、クラス内の生徒達に上条恭介の死が伝達されたからだ。

既にそれを知っていた仁美とさやかは驚きこそしないが、その胸中は決して穏やかではない。

4月の頭に転校して来たばかりのほむらも、入院していた時に上条恭介の名前を噂程度に耳にしていただけに、他人事にも思えないものがあった。

 

「……ねえ、さやかちゃん」

 

さやかの様子が少しおかしかった原因を察したほむらは、心配になってさやかの机まで歩み寄る。

 

「その……大丈夫…?」

「ん、大丈夫だよ。ありがとね」

 

やや憂いを秘めながらも、そうとは思わせないように努めて笑いかける。

今のさやかが抱えている悩みは、恭介の事は勿論だが、時歪の因子の破壊による分史世界の消失。

そしてそれに伴う、その世界に住む人達の消滅についてだ。

紛い物の世界とはいえ、今目の前にいるのは、確かに今を生きている"暁美ほむら"という少女なのだ。

そしてそれはほむらに限った話ではなく、さやかと仁美以外の生徒達や教師、この世界の"美樹さやか"の母親、"キリカ"という正史世界では既に()い少女も同様なのだ。

 

(助ける方法………あるわけ、ないか……)

 

分史世界の住人を、時歪の因子の破壊から救う方法はないのだろうかとさやかは考える。

だが、そんな方法があるのならばルドガーが実践している筈であり、また、そんな話はルドガーからもひとつも聞かされていない。

結局のところ、いくら考えても名案など浮かぶ筈もなかった。

この世界のマミ、そして恭介の死を受けて以来、より一層それを実感してしまう。

目の前のほむらにすら、優しくされればされるほど胸に棘が刺さったような痛みに苛まれるのだ。

はじめに近寄ったのは自分の方なのに。ほむらの不安げな顔色を眺めながら、さやかは内心で自嘲していた。

きっとルドガーも、今の自分と同じ思いをしたことがあるに違いない。こんな思いをするくらいなら、親しくならなければ良かった。なるべきではなかったのだ。

今はただ、目の前の命を失ってしまうという避けようのない事実が辛い。

2人はそれ以上言葉を交わすことなく、ただ真っ直ぐに互いを見つめ合う。

さやかは自嘲のこもったかすかな笑みを、ほむらはどこか熱の込もった表情をしながら、何かを言いたそうに口元をもごつかせている。

 

「………ねえ、ほむら」

「うん…なぁに?」

「もし…明日、世界が滅んじゃうとしたらさ……あんたは最後に何をしたい?」

「……? どうしたの、さやかちゃん。和子先生みたいな事言って」

 

そういえば、昨日のホームルームでも和子先生は似たようなことを言っていたっけか。あれはまた男にでも振られたせいだろう、とさやかはくすりと軽く笑う。

 

「……えと、私はね…」

「…うん」

「さやかちゃんと一緒にいたい、かな……なんて」

「うん……へっ?」

「あっ…ち、違うの! ヘンな意味じゃなくて……私の事を"親友"だって言ってくれたの、さやかちゃんが初めてだから……だから…!」

 

しどろもどろになり、両手をばたつかせながら赤面して訴えるほむら。その姿を見て、さやかの口元から自嘲とはまた違った微笑みが溢れる。

 

「あっはは! あんた、ほんっとあたしの事好きなんだねぇ?」

「う……………ずるいよぉさやかちゃん。わかってて言ってるでしょ…?」

「そりゃまあ、ね! あんたはあたしの嫁だからね?」

「またそんなこと言って……もう…」

 

困ったような表情をしながらも、嬉しさがほむらの顔から滲み出てくるのをさやかは見逃さなかった。

自分は既にこんなにも慕われてしまっているのだ、という事が自然とわかってしまう。

 

「いいよ、ほむら」

「え………?」

「あたしでよければ、最期まで傍にいてあげるよ」

 

一緒に逝くことはできないけれど、せめてこの世界が壊れるその瞬間だけでも、この暖かな少女の手を握ってあげていたい。

もうひとつの可能性の"暁美ほむら"という存在を、いつまでも忘れずに憶えていたい…憶えていなきゃいけない。

それこそが、さやかなりの精一杯の責任感だった。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

不自然な影の並ぶ通りに足を進めた途端、空の色から建物、何から何までが幕を下ろしたかのようにモノクローム調へと変化する。

防衛機構たる使い魔共が、ルドガーたち"外界の異物"を探知して蠢き始めたのだ。

 

『やはり、普通の結界の発生とはメカニズムが異なっているね。閉鎖空間が形成されるのではなく、空間の一部がまるごと変異しているようだよ』

 

ルドガーの隣に添うキュゥべえもまた、目の前の変異を冷静に分析して言う。その間にも、影の中から昨晩対峙したのと同等の、蛇のような影の使い魔が何体も姿を現して吼えた。

 

『ガアァァァッ!!』

 

姿を視認すると同時にほむらは自動小銃を向け、使い魔に弾丸を撃ち込んでゆく。魔力の込められた弾丸は、1発1発が大口径のマグナムと同等以上の威力へと強化された状態で使い魔の頭部へと吸い込まれ、痛烈に血飛沫を散らした。

だが、1体倒したとて終わりは見えることはない。影は無数に存在し、それら全てが意思を持って蠢くのだ。

 

「くっ……こんなにいるなんて!」

 

対するルドガーも、1対のナイフを逆手持ちで振りかざして地を駆け巡り、使い魔の首を順に掻き斬ってゆく。

首をもがれた使い魔は地面にのたまい、そのまま吸い込まれるように地に溶けて消える。そしてその次の瞬間には、他の使い魔が現れて襲いかかってくる。

 

「使い魔の親玉を倒さないとキリがないわ!」

「流石に全部を相手にするのには無理だな……! 親玉はどこに…!?」

「わからないわ! まだ影の中に隠れているのかもしれない」

「この中から探すのか…骨が折れそうだな!」

 

影と化した区画を駆け抜けながら懐中時計の反応を窺い、より大きな反応を待つが、使い魔の群れは蛇型から鳥や獣のカタチへと変質し、さらに2人に襲いかかった。

 

「こいつら……この姿は!?」

「どうしたの、ルドガー!」

 

その使い魔たちの姿は、ルドガーにとっては初めて見るものではなかった。

過去に何度も旅路の中で、或いは金策の為の討伐依頼で何度となく刃を交わしてきた怪物たちの姿をとっていたのだ。

 

「…エレンピオスにいた魔物と同じ姿をしてる」

「なんですって? じゃあ、まさかここの魔女も…」

「ああ、どうやら魔女達の間で俺は人気者らしいな」

 

わざと皮肉った言い方をするあたり、ルドガーにはまだ多少の余裕があった。何度も倒してきた相手の姿をしているならば、逆に好都合だからだ。

ルドガーはサバイバルナイフから素早く2挺銃へと持ち替え、回りながら飛び上がり高い打点から銃を乱射した。

 

「一気に吹き飛ばす! エイミングヒート!!」

 

放たれた弾丸ひとつひとつに圧縮された熱のエネルギーが、着弾と共に炸裂し、炎を上げる。

続けざまに着地と同時に炎の海の中に、2挺銃からひときわ強力なエネルギーの込もった銃撃を放った。

 

「これで…! ブレイズゲート!!」

 

銃撃が炎の中に消えたと同時に、凄まじい爆音と共に周囲に爆煙が巻き上がり、使い魔達の断末魔が木霊する。

炎弾の中に込められたエネルギーが、着弾と同時に榴弾のように炸裂したのだ。

 

『…君の戦闘能力は相変わらず規格外だね?』

 

爆塵に巻き込まれぬように見ていたキュゥべえからも、珍しく感嘆とした声が溢れる。

 

『いったいどこでその技術を学んだんだい? 魔法少女たちが束になっても、君ひとりに及ぶか怪しくなってきたよ』

「さて、な」

 

どうしたら、と言われてもルドガーにとってはせいぜい世界の命運と多額の借金を懸けて奮闘した事ぐらいしか思い当たらない。

もっとも、常人からしたらそれは立派に日常と真逆のものなのだが。

 

「…けど、油断するな。まだ終わっていない」

 

使い魔の群れを殲滅したように見えても、未だにモノクロームの結界は晴れない。それどころか、粉塵の向こう側に嫌な気配を感じてしまう。

ルドガーは懐中時計を確認していつでも変身できるよう備え、ほむらも自動小銃から無反動型のバズーカ砲へと持ち替えた。

そうして、そよ風が吹いて粉塵が晴れた先には更に目を疑うモノが佇んでいた。

 

 

『グルルルルル……グガアァァァァ!!』

 

 

"ソレ"は一言でいうならば異様、或いは異常といえるだろう。

四肢を持たず、代わりに大小2対の翼と長い尻尾だけを備え、爬虫類のような獰猛な牙を無数に持ち、獲物を見据えて吼える。

その姿を視認したルドガーの脳裏には警鐘が鳴り響いていた。

 

「そんな……シエナブロンク……!?」

 

かつてリーゼ・マクシアを彷徨っていた、ギガントモンスターの中でも飛び抜けて危険な存在。襲われればまず助からず、それ自体が羽ばたく災害のようなものだ。

故郷のクエスト斡旋所にも、破格すぎる報酬と共に依頼が舞い込んでおり、当然ながらルドガーもかつての仲間達と、辛酸を舐めながら戦った覚えがあったものだ。

 

「知っているの? まさか、この化け物もあなたの故郷の生まれなのかしら…?」

「ああ。それも、最悪のヤツだ!」

 

流石のほむらも、魔女とはまた違った意味で畏怖を撒き散らす災害を目の当たりにして額に汗をかく。

影の使い魔が変異して生まれたシエナブロンクは全身が真っ黒に染まっていたが、影であることを抜きにしても時歪の因子の影響を受けて暴走個体へと化している事がひと目でわかる。

 

『ゴガァァァァァ!!』

 

シエナブロンクは牙を開いて吼えると、翼を大きくはためかせて前傾になり、滑空するように2人のもとへ突進してきた。

 

「くっ……速いわね、けど!」

 

対してほむらはようやく盾を起動して魔力を解放し、時間停止を以って対応しようとする。

カシャン、と軽い音を立てて盾が廻ると共に世界中の時が止められる。

だが、シエナブロンクの動きは止まることはなかった。

 

「そんな、どうして……!?」

 

シエナブロンクは時間停止術をものともせずに、勢いのままにほむらの方へ突撃する。

困惑し一瞬対応が遅れたほむらは盾を中心に魔力のシールドを張るが、シエナブロンクの突進を真正面から食らってしまう。

 

「ぐ、きゃああっ!?」

 

激しい衝突音と共にシールドを破られながら後ろへ大きく吹き飛ばされ、モノクロームの建造物に背中から叩きつけられて血を吐いた。

それと同時に、確かに機能していた時間停止も解ける。

 

「ほむら!! 大丈夫か!?」

 

ルドガーは堪らず大声で叫ぶが、返事はなく動く様子もなかった。魔力で強化しているとはいえ身体は少女、あんな一撃を食らえばただで済むはずもない。

時間停止が効かない事にいよいよ危機感を覚えたルドガーは、どうして、と考える前にシエナブロンクに向かって2挺銃を連射して注意を引きつけた。

 

『グルルルル………』

 

ルドガーに気づいたシエナブロンクは、倒れたほむらからターゲットを変えて銃弾の飛んできた方角を見ると、両翼を派手にばたつかせて膨大な突風を起こし、その風圧を纏って建造物を撒き散らしながらルドガーの方へ急接近してきた。

シエナブロンク相手に接近戦を仕掛けるのは危険であると判断したルドガーは、銃を撃ちながら少しずつ後ずさり、おびき寄せる。

そうしてシエナブロンクがほむらからかなり離れたあたりで、ついにルドガーは骸殻を纏って銃から槍へと持ち替え、漆黒のエネルギー弾を矛先から無数に放った。

 

「ゼロディバイド!」

 

エネルギー弾はシエナブロンクの頭部にほぼ全て着弾するが、それでも軽く身じろぎした程度で、逆にシエナブロンクの逆鱗を刺激した。

 

「まだだ 、ヘクセンチア!!」

 

だがルドガーは攻撃の手を休めず、得意の光弾の雨で死角から仕掛ける。

大きな両翼に光弾が何発も降り注ぎ、ようやくシエナブロンクの動きがわずかに止まったが、それも一瞬のこと。

痺れを切らしたシエナブロンクはここぞとばかりに加速し、猛突進してくる。

それを読んでいたルドガーは、骸殻の力を併せた集中回避術を用いて瞬時にシエナブロンクの背後に回り込んだ。

 

「はあぁぁぁっ! ジ・エンド!!」

 

槍を高々と掲げ、地に向けて叩きつけるように穿つ。そこを中心に大地は隆起し、瓦礫が舞い散る。

さらにもう一度地を叩き、今度は瓦礫もろとも衝撃波をシエナブロンクに向けて放ち、背後からぶち当てた。

さすがのシエナブロンクも連続攻撃を受けてわずかによろめくが、強靭な身体はその程度では綻びをみせない。

シエナブロンクは背後へ振り向くと、牙の並ぶ口を大きく開いて、肺の奥から竜巻のようなブレスを放ち返してきた。

 

「まずい…! ぐあぁぁぁっ!」

 

咄嗟に防御障壁・インヴァイタブルを張ってダメージの軽減を試みるが、シエナブロンクの放ったブレスはそれすらも軽く破り、ルドガーの身体も吹き飛ばした。

骸殻がまさしく鎧の役割を果たしたおかげで致命傷には至らなかったが、変身は解け、ふらつきながら立ち上がる。

 

「だめだ、強すぎる…!」

 

骸殻の再チャージまではあと数分かかる。だが、その間を骸殻なしで戦い切る自信には少し欠けていた。

万事休す、といった風にシエナブロンクを見据える。ルドガーの後ろには傷付き、倒れたほむらがいる。ここでどくわけにもいかないのだ。

 

『───ルドガー、後ろを!』

「どうした、キュゥべえ…!?」

 

また新手なのか、とルドガーは焦りながら振り返る。

そこにいたのは血塗れの衣装を纏い、いつの間にか立ち上がって、おぼつかない足取りで前へ進んでくるほむらだけだった。

しかし、その様子が異常なことにルドガーはすぐ気付く。

 

「まさか……ほむら、また」

 

暴走したのか。ルドガーが言い終わる前に、ほむらの背中からシエナブロンクのものを遥かに上回る程に巨大な黒翼が露見する。

ほむらの身体の周囲に、さやかの回復術にも似た黒い波紋が走り、傷付いた身体を強引に癒す。

風圧でかすかに上がった前髪の隙間からは、光なくどこまでも冷酷な瞳が見え隠れし、真っ直ぐに獲物を見つめる。

今この瞬間にも、狩る側と狩られる側の立場が逆転したのだ。

 

『グオォォォォォ!!』

 

ただならぬ殺意を感じたのか、シエナブロンクの咆哮もどこか畏怖の込もったように聞こえる。

だが黒翼を発現したほむらに慈悲はない。制御すらままならぬ力を、敵に向けてただ振りかざすだけだ。

 

「────────」

 

何かを口走ったようだが、よく聞き取ることができない。

羽根のひと振りによって発生した衝撃波の威力ははルドガーのものはおろか、シエナブロンクのブレスすらも軽く上回り、建物を瓦礫と化して地を抉りながらシエナブロンクへと放たれ、その巨大な肢体へと直撃した。

 

『グ、ガアァァァァァッ!?』

 

シエナブロンクは鈍い声を出しながら怯み、バランスを崩しかける。

そこにほむらは追撃とばかりに、魔力を練り固めたモノを眼前に生成し始めた。

 

「やめろほむら! それ以上はよせ!!」

 

そうルドガーは叫ぶもほむらには届かず、圧倒的な出力のエネルギー弾は放たれ、容赦無く大地を抉り飛ばしながらシエナブロンクへと直撃する。

災厄は、声も上げずに綺麗に肢体の上半分を消し飛ばされた。

相も変わらず、というよりは以前よりも明らかに強大な破壊の翼の威力に、ルドガーは背筋が凍るような感覚に襲われる。

シエナブロンクの撃滅と共にモノクロームの世界はもとの外界へと移りゆくが、ほむらの黒翼は未だ解き放たれたままだった。

戦闘によって崩落した建物はあくまで結界の一部だったようで、外界の建物にはひとつも損傷は見られない。

ここが分史世界だったことが幸いだろう。異世界とはいえ、市街地での黒翼の暴走は一般市民の危険にも関わる事態なのだが、今のルドガーにはそう思うことしかできなかった。

 

「………ルド、ガー……」

「! ほむら、俺がわかるのか!?」

「…ええ、なんとかね……」

 

酷い顔色をしながら羽ばたき、ルドガーの近くに足を下ろすと共に黒翼は霧散する。

いつもならば黒翼の力を使った直後は倒れ、深い眠りに就いてしまうのだが、ほむらの心に根付いたひとつの使命感が意識を繋ぎ止めたのだ。

とはいえ、気を抜けばすぐに倒れてしまいそうな事には変わりない。

 

「……急ぎましょう……私も、いつまで保つか、わからないわ……さやかを………」

「でも、動けるのか?」

「……動いてなきゃ……逆に倒れそうよ………」

「ああ、急ごう……!」

 

ほむら達の行く手を阻むように使い魔が現れたのならば、その行く先に時歪の因子があるのはもう疑うまでもない。

共にダメージを受けた身体に鞭打ち、再び見滝原中学を目指して足を動かした。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 

 

一限目の授業の最中であるが、さやかはどこか遠くの方から禍々しい魔力、気配を感じ取った。

こんな朝方から魔女でも現れたのだろうか、と警戒心が一気に引き上げられる。

 

(ほむら! 何かあったの!?)

『………さやか? ええ……少し、ね……』

 

テレパシーを飛ばし、異変の有無を確かめようとする。だが、返ってきた返事はどこか覇気がなく、弱々しいものだった。

それだけで、ほむらの様子がおかしい事に気付く。酷い傷でも負ったのでは、と確かめるように訊くが、

 

『……私は平気よ………』

(…全然そう思えないんだけど。待ってて、あたしもすぐそっちに行くから!)

『待つんだ、さやか』

(……っ!? ルドガーさん?)

 

返事もままならないほむらに代わって、キュゥべえのサポートを受けながらルドガーが告げた。

 

『今俺たちはそっちに向かってるんだけど、さっき手強い使い魔に遭ってな…かなり危なかった。…ほむらに、あの力を使わせてしまったんだ』

(羽根の力を、ですか!? そんなにヤバかったんですか……)

『ああ。ただ、俺たちがそっちに向かってる途中でそんな使い魔が出てくるとなると…もう、わかるな?』

(まさか……学校に、時歪の因子があるんですか?)

『間違いないだろうな。時計の反応も強まってきてる』

 

ルドガーの返事を受けて、さやかは反射的に教室中を見回してみるが、骸殻能力者ではないさやかに時歪の因子の判別はできない。

その事にすぐ気づいたさやかは、教科担任の和子と目が合う前に教科書に視線を落とした。

 

(…あたしは、どうすればいいですか?)

『下手に相手を刺激しない方が無難だ。そのまま、俺たちが着くまで待っててくれるか? 着き次第、俺が時歪の因子を探し出す』

(わかりました!)

 

念話を終えて、さやかはもう一度自分なりに時歪の因子がどれなのかを考えてみる。

とはいえ、さやかが見てきた中での正史世界との差異は、マミが殺されお菓子の魔女が生き残っていたことと、鹿目まどかが存在していないという2点しか思い当たらない。

キリカの存在も差異ではあるのだが、時歪の因子ではない事がわかっている以上、考慮はしない。

 

(………いや、なんか引っかかる)

 

何か、重大な事を見落としているような気がする。さやかの脳裏で、直感的なものが訴えかけているのだ。

 

(……何かおかしいもの…あり得ないものがある…そんな気がする)

 

だが、その直感が何を指して警鐘を鳴らしているのかはわからない。ルドガーの言うとおり、2人の到着を待つ他ないのだろうか、とため息をつくしかできなかった。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

使い魔の襲撃を辛くも退けた2人だが、2丁目を抜けて陸橋に差し掛かったあたりで、今度は別の意味での脅威と対面することとなった。

 

「───よう、今日はあの青いのはいねえのか」

 

異様な気配を放っていた使い魔の存在を探知して、杏子とキリカの両名がルドガー達の前へ現れたのだ。

ただし、戦闘衣装ではなく杏子は正史世界と同じ軽装、キリカは白いワイシャツに可愛らしいフリルの黒いスカートといった格好だが。

 

(キュゥべえ、この娘達に見られたら面倒になるんじゃないか?)と、思い出したようにルドガーは念話でキュゥべえに問いかけた。

『それは問題ないよ。昨日の時点でその可能性は考慮していたし、"この僕"の姿は彼女たちには見えないように"設定"し直したから大丈夫だよ』

(…お前、そういう所には気が回るんだな)

『きゅっぷい』

 

相変わらず、自身の保守の為の根回しには無駄がない。インキュベーターとはつくづく合理性を重きとする生命体だ、とルドガーは呆れながらため息をついた。

 

「まさかそこの女があんなバケモンじみた力を使うなんてなぁ? ……アンタ、もしかして魔女かい?」

「……いいえ、違うわ。私は……まだ魔女なんかじゃ、ない」

 

立ち止まる暇すら惜しいのに、と額と背中にいやな汗をかきながらほむらは言う。

 

「"まだ"ってなんだよ。そのうち魔女になるってか? じゃあアレか、アンタは使い魔だったのか? へぇ……相変わらず見滝原は変わったモンばかりだねぇ」

 

チョコレート加工されたプレッツェルを咥え、意地の悪い笑顔を見せながら杏子はわざとらしく言う。

 

「………………」

「まあ、さっきのも使い魔にしちゃあヤバそうな空気だったしな。アタシらに代わって退治してくれて感謝するよ、ご苦労さん」

「………何の、用かしら……」

「随分とひでぇ顔色じゃねえか? まあいい、ちっと様子を覗きに来てやったまでよ」

 

心配そうな雰囲気など微塵もない。口先だけの労りを吐きながら新しいプレッツェルを箱から抜いて咥える。

隣のキリカは挑発的な杏子とは反対に、冷ややかな眼で満身創痍のほむらとルドガーを見据えていた。

 

「……君達は、いったい何者なんだい? 恩人の言うとおり、さっきの力は魔法少女が使えるようなものじゃない」

「………そうね……自分でも、よくわからないのよ……」

「…とぼけてる訳じゃあないようだね。もし本当に魔女なら、即刻殺すけど」

「アホ、オメェまで冗談真に受けてんじゃねえよキリカ」

 

一瞬、目つきが鋭くなったキリカを杏子が制した。

 

「恩人……! 私を、からかったのかい?」

「………ハア。小卒のアタシより中卒のオマエの方が頭悪りぃなんてな…」

「言っておくけど、私は自主休学してるだけであってまだ卒業はしていないよ」

「今から復学しても高校なんざ入れるワケねーだろ、脳筋が」

「………用がないなら…どいてくれるかしら……」

 

杏子とキリカのやり取りに、ストレスもかさんで吐き気と頭痛がいっぺんに増したほむらは、内心で堪忍袋の緒が切れそうになっていた。

盾がまともに動作するなら時間を止めて無視を決め込んでいたところだが、黒翼を発現した影響なのか、毎度の事ながら現在は盾にはヒビが入っており回転させることができない。

そうでなくとも、先程のシエナブロンクには時間停止が通用しなかった。影の魔女がルドガーの事を知っているように、ほむらの魔法の特性も何らかの手段で克服しているのだろう。

時を止められない、正体不明の力を使いこなす事もできない。なんと中途半端なザマであろうか、と自己嫌悪が増してゆく。

 

「君達は、どこに行くつもりなんだい。そんなボロボロな姿で」

 

キリカは意外にも挑発的な杏子とは対極に、ほむらのその傷ましい姿を見て息を呑む。

 

「学校だ。これから学校に魔女が出る、と聞いたからな」

「……本当にかい。私達はなにも感じないけど」

「さっきの使い魔はどうだったんだ? 市街地にあんな凶悪な使い魔がいたのにも気付かなかった。そうじゃないのか?」

「! ……そう、だね。確かにさっきの使い魔は、私達の想定していないものだった。…君は、何か知っているのかな」

「いや、正直まだはっきりしない。でも、今学校には俺達の"友達"がいるんだ。"必ず守る"って約束したからな」

「へえ……アンタ、意外と青くせえ男みてえだな」

 

決して感心したわけでもなく、何本目かのプレッツェルを齧り終えた杏子が皮肉るように言う。その様子を見ていたほむらは、何かを思いついたようにおもむろに左手を2人の少女に翳し、手の甲を見せつける。

 

「………杏子、呉キリカ……これを見なさい……」

 

そう呟き、ほむらは左手の痣から自らの魂の宝石を取り出して見せた。

 

「なんだ、オマエ……ソレ真っ黒じゃねえか!?」

「そうよ。……どの道、私は"もう永くはない"。グリーフシードをあてても、もう何の意味もないわ………そこで、提案があるのだけど」

「提案だあ…? テメエが死ぬかもしれねえってのに随分呑気じゃねえか」

「…私は、親友を救えればそれでいい。魔女を倒したら、そのグリーフシードはあなた達にあげるわ……」

「だから手伝え、ってか?」

「ええ……恐らく、私達だけだと勝てそうにない。でも、魔法少女が3人もいれば話は別でしょう……」

「成る程ねぇ……アンタも、甘っちょろい類いの人間か。まあいい、今回だけ手伝ってやるよ。キリカ、いけるな?」

「私も異論はないよ、恩人」

 

 

ほむらのついた嘘を、ルドガーとキュゥべえは何も言わずに聞き入る。ほむらのソウルジェムは濁っているのではなく、別の何かへと変質してしまっただけだ。

それも、正体不明の永久機関へとだ。ほむらの疲労はあくまで黒翼の反動によるもので、魔力の枯渇が原因ではない。

しかし、その嘘によって魔法少女2人をどうにか引き入れた事に安堵を覚えたのは確かだ。

もとよりルドガーは嘘をついて分史世界の住人を丸め込むという手法は好んではいなかったが、かつての仲間であるアルヴィンがわざと汚れ役を買って出た事があるように、時と場合によっては仕方のないこともあるのだ、と納得せざるを得なかった。

 

「ありがとう、2人とも」息も絶え絶えのほむらに代わって、ルドガーが礼を言う。

「言っておくけど、協力すんのは今回だけだからな?」

「わかってる、それでも助かるよ。…行こうか」

 

利害関係によってどうにか目的が一致した4人は、ようやく止まった足取りを再び動かし始めた。

敵は、すぐ近くにまで迫っている。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

シエナブロンクを倒して以降は使い魔の妨害もなく、4人はようやく見滝原中学の正門前にまで辿り着く事ができた。

既に2限目の授業が開始された校庭では、陸上競技に勤しむ生徒達の姿が見られ、それを見たキリカは独り言のように呟く。

 

「…ここに来るのは久しぶりだよ。授業をやっているのは1年生みたいだね、都合がいい」

「オマエ、確か3年だったよな? アタシの1期上になんのか」

「そうだね、恩人。……人の多いところは嫌いだよ。早く終わらせよう」

「ちょっと、待ってくれるか」

 

標的の見当もつけないまま戦闘態勢に入ろうとしたキリカを、ルドガーが言葉一つで制する。

 

「感じないか、校庭のあたりから使い魔の気配がする」

「使い魔? さっきのと同じ奴かい。私は何も……」

「なら、影を見てみろ」

「影……? えっ、あれは………?」

 

ルドガーが指差した先では、程良い日射しを受けて建造物や生徒達から影が伸びていた。

ただしそれらの内、建物から伸びている影が不自然に同じ方向を向いており、市街地で見かけたものと同等のものであろうと判断する。

そしてそれを見たキリカも、同じ結論に至った。

 

「あの影全部がそうだとでも言うのかい? 信じられないけど……」

「近づいてみればわかる。行こう、みんな」

 

ルドガーの先導に追随して、門を開けて順に敷地内へと入ってゆく。

ほむら以外はいつでも戦闘態勢に移れる状態であったが、黒翼の使用による疲労によって青い顔をしているほむらは、銃を持つ事すらできるか怪しく見えた。

程なくして木々のざわめきと共に、暗雲に覆われたかのように周囲の風景に影が差し始めた。

生徒達はその様子を目の当たりにし、各所から困惑の声色が上がるが、自分達のすぐ近くの影の中に魔の者が潜んでいるとは夢にも思わないだろう。

 

「……こいつぁ、ヤバそうだな」

 

流石の杏子も、空気の変わり様に菓子を咥えるのをやめて言う。

ルドガーは校舎内で授業を受けているであろうさやかに対して、キュゥべえを介した念話で警告を呼びかけた。

 

『さやか、聞こえるか?』

『ルドガーさん!? なんかいきなり真っ暗になったんですけど…ヤバい感じですか?』

『ああ、かなりな。ここら辺一帯が結界に覆われたんだ。俺たちもすぐ近くまで来てる。友達を連れて外へ逃げるんだ!』

『わかりました!』

 

念話を終えると、タイミングを計ったかのように影の中から使い魔が出現し始めた。

ギガントモンスター級の使い魔はまだ出現していないが、追い詰められれば再び変異するだろう。

 

「ほむら、無理するな」

 

青ざめた顔で盾から銃を取り出し、使い魔を狙い撃とうとするほむらを見てルドガーは一種の不安に追われる。

 

「……平気よ、私も戦うわ」

「………わかった。今度は俺もさっきみたいなヘマはしない」

「……頼りに、してるわ」

「ああ! 行くぞ、みんな!」

 

掛け声と共に抜刀し、逆手に刃を構える。赤と黒の少女達も戦闘衣装へと衣替えを瞬時に済ませ、得物を手にして使い魔たちと対峙した。

 

「数は多いけど、大した事はなさそうだね!」

 

先陣を切ったのはキリカだ。

3対の鉤爪を構え、獰猛な黒豹のように使い魔の群れへと突進し、舞うように鉤爪を交差させて次々と血祭りに上げてゆく。

 

「雑魚に興味はねえんだよ! オラァ!!」

 

それに続くように杏子も、細身の赤い槍を携えたかと思うとすぐさま多節棍へと変形させ、鞭のように振りかざして敵を横薙ぎにする。

戦闘能力でいえば、正史世界でも見たように杏子は間違いなくマミと同等かそれ以上の使い手だ。しかしキリカもまた、杏子と肩を並べても謙遜ない程の強さを振るっている。

また、両者と刃を交えた事のあるルドガーはそれを人一倍強く実感していたが、その2人の動きに魅入る暇などない。

横目でパニックに陥る生徒達を見るが、化け物の出現に慄き、校舎の影へと逃げようとしていた。だが、その判断はこの場合に限っては正解ではなかった。

 

「! よせ、そっちに行くな!!」

 

とっさにルドガーが叫ぶが時既に遅く、生徒達の逃げ込んだ場所付近の影から更なる使い魔が現れ、狼のようなカタチへと変化する。

 

「ひっ───!?」

 

生徒の一人が甲高く叫ぶ声がしたが、次の瞬間には狼型の使い魔の牙が伸び、逃げる事も許さずに生徒ひとりの喉笛を喰い千切った。

 

「きゃあぁぁぁ!?」

「逃げろ、逃げろぉ!!」

 

更なるパニック状態へと陥った生徒達は、どこへ逃げたらいいものかも判断できずにデタラメに逃げ惑い始めた。

犠牲となった生徒の無惨な姿に悔しさを覚えながら、チャージの完了した骸殻を纏い槍を錬成して、混乱する生徒達の元へ空間跳躍で駆け付ける。

 

「ちぃっ! ヘクセンチア!!」

 

槍を地に穿ち、最小限の光弾の雨を降らせて生徒に当てないように使い魔を撃ち抜くが、全てを払いきれるわけではない。

残る使い魔は未だ生徒を喰い殺さんと追い回すが、そこにルドガーの後方から魔力の込められた弾丸が数発飛来して、的確に背中から使い魔を貫いた。

 

「ほむらか! すまない!」

 

振り返ると、かなり離れた所からライフル銃を構えてしゃがんだ格好でいるほむらの姿があった。

激しい動きをとれない為、狙撃による後方支援に徹していたのだ。

その周囲にはキリカが眼を光らせながら鉤爪を舞わせており、ほむらへ近付く使い魔を蹴散らしている。

 

「予想はしてたけど、厄介だな…! さやか達を早く助けないと…」

 

せめて魔女本体、あるいはギガントモンスター級の使い魔が現れる前に安全を確保させなければならない。

ルドガーは槍を双剣へと分かち、虚空を切って再び使い魔達を撃破しに向かった。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

陽の落ちたような暗い校舎内も、生徒達の阿鼻叫喚で溢れかえっていた。

玄関から、窓から、獣の形をした使い魔がぞろぞろと侵入して、生徒達を牙にかけながら校舎内を蹂躙しているのだ。

 

「み、みなさん早く外へ!」

 

緊急事態に担任の和子も教室へと戻り、生徒達に指示を出して誘導をする。

だが、未だ事態が理解しきれていない生徒達は、何が起こって階下でパニックになっているのかもわからず、足取りは遅い。

その中でいち早く教室を抜けて行ったのはさやか、仁美、ほむらの3人だ。ルドガーからの指示を受けて、和子の指示を待たずに出て行ったのだ。

 

「いい? あたしの後ろから離れないでよ。…あんた達は、あたしが守る」

「さやかさん、これは昨日言っていた"魔女"というものの仕業なのでしょうか?」

「うん…間違いなく、ね。 仲間にさっき聞いたけど、親玉がすぐ近くにいるらしいの」

 

廊下を走りながら、使い魔がどこから湧いてくるのか眼を光らせる。そこかしこから悲鳴が聞こえてくるが、既に"全てを救うのは不可能だ"と腹を括ったさやかは2人を守る事に徹し、確実かつ安全なルートを探す。

階段を駆け下り、先頭に立って階下の様子を窺おうとしたさやかは、そこでも凄惨な光景を目にした。

 

「ひぃっ……!?」

 

狼型の使い魔にはらわたを喰い千切られ、救いを求めるように手を伸ばしたまま絶望の表情で絶命している生徒の姿。

他にも、何匹もの猛禽型の使い魔に集られて、隙間から手を伸ばし、力なく落ちる何者かの姿。

ゾンビのような姿の、棍棒を携えた使い魔に追い回されて滅多打ちにされる生徒。

眼を背けたくなるような光景だったが、逃げる事は許されない。しかし2人から目を離す訳にもいかず、救いの手を差し伸べられない。

 

「こんのぉぉ───!!」

 

憤りに任せて変身し、信管つきのサーベルを数発投擲する。

使い魔の群れの中心目掛けて投げられたそのサーベルは急速に熱を持ち、周囲を丸ごと吹き飛ばす勢いで炸裂し、粉塵を巻き上げた。

その炸裂により使い魔はある程度間引きされたが、一掃できたわけではない。

次いで、距離を無視した斬撃を放ち、粉塵を払いのけつつ視界に映っていた使い魔を横一文字に薙ぎ払った。

 

「これで…仁美、ほむら! 行くよ!」

「「はいっ!」」

 

降り立った階を少し進んで角を曲がれば、昇降口が見えてくるが、ここでさやかは背筋に悪寒が走る感覚を覚えた。

 

「待って! ……何か、いる」

「えっ? さやかさん、一体何が……」

「なんかヤバそうなヤツかな…ここで待ってて、あたしが見てくる」

 

仁美とほむらを待たせ、先立って曲がり角を進む。

するとそこには、無惨に喰い散らかされた生徒達の肉片と血飛沫に飾られた壁が。そしてその奥にはやや一回り大きな、炎に焼かれているかのような黒いオーラを放つ使い魔が鋭い牙を向いて立ち構えていた。

 

「げっ、なによアレ…! これも、あいつがやったの!?」

 

それは、かつてエレンピオスにも存在していたギガントモンスターのうちの1体を模した、猫型の使い魔だった。

巨大な猫型の使い魔と目が合った時、さやかは"僅かでも眼を背ければ瞬時に喰らい付いてくる"と悟った。

視線を逸らさぬよう、サーベルを2本錬成して構え、加速術式を緩やかに発動した。

 

「悪いけどどいてもらうよ! そらぁっ!!」

 

サーベルを十字に交差させ、距離を無視した斬撃をクロス状に放つが、その波動は使い魔の引っ掻きひとつで容易く打ち消された。

 

『グルル……シャアァァァ!!』

 

それを皮切りに使い魔は思い切り良く飛び掛かり、さやかの身体を八つ裂きにせんと爪を振りかざす。

咄嗟に反応して回避したが、使い魔の速度は加速術式を使用したさやかとほぼ同等であり、生身では当然ながら逃げる間などないだろう。

絶対に進ませてはならない。さやかはサーベルを無数に展開し、使い魔めがけて一斉に射出させる。

だがそれすらも見ていた使い魔は、尻尾のひと薙ぎでサーベルを全て叩き割ってみせる。

細やかなサーベルの破片が床中に散らばるが、血溜まりに紛れてしまい判別はつかない。

さらに使い魔は俊敏に飛び掛かり、執拗にさやかを狙う。もはやさやかは囮になりながら回避に徹する事しかできずにいた。

仁美達の方に進んで行きそうになればサーベルを投擲し、気を引きつける。喰われそうになるのを避けながら隙を窺うが、いちいち硬い外皮が軽いサーベルの一撃を弾いてしまうのだ。

 

「このままじゃ、魔力が保たない……! なんかないの、あいつをやっつける方法は!?」

 

既にソウルジェムは1/4ほどが濁ってきていた。もとより、さやかの固有魔法は自己再生や加速術式などの自動発動型のものが多く、変身しているだけでも魔力の消費がやや多いのだ。

それに加え、サーベルを手榴弾のように使い捨てる戦法も、マスケット銃をいちいち1本ずつ使い捨てるよりも魔力の消費が多い。

この戦法は、魔力の上限がない人魚の魔女だからこそ自在に操れたものなのだ。

当然ながらさやかもそれを承知しており、さやかの言葉はむしろ、使い魔ごときにこの体たらくでは魔女との戦闘まで保たない、という意味合いの方が大きかった。

 

「くっ、しょおぉぉ!」

 

使い魔の大きな踏み込みを、咄嗟のバックステップで距離を開く。

その時、さやかの足元には細切れにされた生徒の腕が転がっており、タイミング悪くそれを踏んでしまい、一瞬だけ足を取られた。

 

「───しまっ、きゃあっ!?」

 

だが、その一瞬は使い魔からしたら十分すぎる大きな隙となった。

踏み込みからさらに一歩前進し、その一瞬でさやかの細い身体を押し倒し、両前足でしっかりとホールドしてしまった。

 

『フウゥゥゥゥ………グルルァァァ!!』

 

使い魔が前足に力を込めると共にぐしゃり、と肉の潰れる音がした。押さえつけられていた両腕に体重がかけられ、骨ごと潰されたのだ。

 

「ぎ、い、 あぁぁぁぁ─────!!」

 

キリカの斬撃が可愛く思える程のあまりの激痛に、絹を裂いたような叫び声が上がる。

さやかのすぐ後ろの曲がり角の向こうではほむらが恐怖に怯え、仁美もまたさやかの傷ましい叫び声に戦慄し、互いに互いを支え合っていた。

どちらかが欠けていれば、とうに心折れていたであろう。

 

『フシャアァァァァァ!!』

 

使い魔はいよいよ力の抜けたさやかに喰らい付かんと、猫に似つかわしくない獰猛な牙の並ぶ口を大きく開く。

さやかには恐怖も当然あったが、それ以上に激痛と悔しさに歯を食い縛り、かすかに諦観を抱きながら眼を閉じた。

 

『──────グ、ガッ!?』

 

だが、その牙がさやかに触れる事はなかった。

 

「………え?」

 

覚悟した一撃が来ない事に困惑し、うっすらと眼を開けると、使い魔の左脇腹にはすっかり見慣れた黒白の槍が突き刺さっていた。

さらにその部位めがけて無数の槍が飛来し、次々と肉を裂いて突き刺さってゆく。

 

「さやかぁぁぁぁ!!」

 

最後に飛来したのは、空間跳躍で突如として現れ、勢いのままに巨大な槍をぶち当てる黒鎧の騎士だった。

 

「ルドガー………さん………なの…?」

 

その一撃を受けた使い魔は悲鳴を上げながら壁を突き破って吹き飛ばされ、更なる追撃を受けて切り刻まれてゆく。

時を刻む双針のように槍を分かち、目にも留まらぬ斬撃を重ねてゆく。

 

「うおぉぉあぁぁぁぁっ!! 継牙・双針乱舞ッ!!」

 

再び1本の槍と化した双針に全てのエネルギーを込め、雄叫びと共に破壊の一撃を振り下ろした。

 

『グ、ギャァァァァァッ!!』

 

全てを破壊する撃槍の一撃を受けた巨大な使い魔は、核を砕かれて霧散していった。

あとに残されたのは生徒達の屍体が転がる血生臭い光景と、半壊した校舎だった。

しかし、ギガントモンスター級の使い魔を葬り去っても未だ結界は晴れない。それどころか、ルドガーの懐中時計はすぐ近くに時歪の因子が存在している事を指し示すように反応を見せていた。

骸殻を解き、両腕を潰されたさやかのもとへ駆け寄る。すでに自動的に治癒魔法が働いており、どうにか原型へと戻り始めているのを見てルドガーは一抹の安堵を覚えた。

 

「さやか、大丈夫か!?」

「はい、なんとか………えへへ、あたしの魔法ってこういう時便利ですよね……」

「…無理に強がるもんじゃない。ほら、これを」

 

急速に働き出した自動治癒に加え、死への恐怖心で半分以上が濁っていた蒼碧のソウルジェムに、正史のほむらから預かったグリーフシードをあてて浄化してやる。

それだけでも、さやかの表情は少し楽になったように見えた。

 

「……この先に時歪の因子がある。さやか、友達はどこに?」

「そこの曲がり角の向こうにいるはずですけど……」

 

速くも治りかけた右腕をゆったりと動かして、曲がり角を指差す。それとほぼ同時に、向こう側から大きな声が響いてきた。

 

「───暁美さん!? しっかりして! どうしたんですか!?」

「仁美…?」

 

仁美の何かを訴えるような声色に、さやかは焦りを覚えてふらつきながら立ち上がろうとする。

それをルドガーが優しく制し、代わりにとばかりに曲がり角の方へと歩いていった。

曲がった先には、ルドガーにとっては初対面となる仁美と、分史世界の暁美ほむらがいる。だが、ほむらは何故か苦しみながら左胸を押さえ、額に汗をかきながらのたまっていた。

仁美はほむらの容態の急変を見て、大声を上げたのだ。

 

「む、ねが……くるしい………です……ぐ、あぁっ…!?」

「そんな……心臓の病気、治ったのではなかったのですか!?」

 

仁美は、かつてほむらには心臓の患いがあると思い出していた。だがその患いは"治った"と聞かされている。

それが、この極限状態において再発したのだろうか、と考えていた。しかしルドガーは心配するよりも先に、その原因が何であるのかを理解してしまっていた。

 

「君、"仁美"って言ったっけか」

「は、はい。あなたは……」

「"ルドガー"。さやかの仲間だよ。それより、早くこっちへ来るんだ!」

「え、えっ!?」

 

何を言っているのか、と仁美は困惑する暇も許されずにルドガーに無理矢理手を引かれて、ほむらから引き離される。

 

「何をするんですか!? 暁美さんを助けないと!」

「……もう、無駄だ。あの"ほむら"には何もしてやれない」

「見殺しにするというのですか!? そんな事はできませんわ!!」

「そうじゃない!! …俺が、もっと早く気付くべきだったんだ!」

 

正史のほむらの話では、まだ契約していない始まりの時間軸において、魔女に襲われた時に既に魔法少女となっていたまどかに救われた、と聞かされていた。

また、まどかがいなければ今のほむらは存在していないだろう、と。

それは、ほむらがまどかに依存しているなどという話以前の問題だったのだ。まどかがいなければ、ほむらは魔女に襲われて死んでいた筈なのだから。

 

「まどかが存在しないこの世界で、ほむらが今日まで生きていられる筈がなかったんだ…!」

 

もちろん、この分史世界にマミが存在しているならば彼女に救われた可能性もあるし、そもそも魔女に襲われていない可能性もある。

しかし心臓の患いも、正史においては魔法少女の能力で誤魔化しているだけで完治したわけではないだろう。それは、目の前の少女の場合はどうなのだろうか。少なくとも仁美は"治ったはずなのに"と叫んでいた。

無い筈のモノが存在している。矛盾が多い、その時点で確信は確証へと変わっていたのだ。

 

「う、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

なお一層苦しそうな呻き声を上げながら、ほむらの胸元から夥しい瘴気が溢れ出し始める。

瘴気は周囲の空間を取り込み、造り替えながら緩やかに形をとってゆく。

 

「"ほむら"、聞こえるか…」

 

ルドガーは開かれた回線を通じて、校舎の外にいる正史のほむらに呼びかけた。

 

『どうしたの、ルドガー。…さやかは、無事?』

「ああ、ひどい怪我をしてたけど大事ない。…それより、やっと時歪の因子を見つけた」

『…時歪の因子は、何だったの?』

 

仁美は変わり果てた友人の姿に己の眼を疑いながら怯え震え、追いついたさやかも"ソレ"を見つつも、信じたくない、といった風に涙目で首を横に振る。

可憐な黒髪の少女は、影に取り込まれたままひとつの形を取り始め、校舎の形をしていた景色も瘴気に侵され、殺風景な白黒の平野へと書き換えられてゆく。

いつしか数多の使い魔を侍らせ、祈る聖母のような姿へと変異したソレは間違いなく、槍を以て破壊すべき対象であった。

 

 

「──────時歪の因子は、この世界の"暁美ほむら"だ」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話「あたしも、大好きだよ」

1.

 

 

 

 

 

 

白と黒の2色しか存在しない、枯れ果てた荒野のような広大な空間の周囲には、偽りの明星を表したような、或いは墓標のようなシンボルが円周型に広く無数に並び、学校ごと飲み込んだ生存者や来訪者達を取り囲み、逃すまいと灰色の結界を展開させる。

その円周型の結界の中央ではひとりの少女の姿を模した影の化身が膝を付いて祈るように空を仰いでいた。

 

エルザマリア───Elsa、そしてMaria。神の慈愛を受けし者たちの名を冠したその魔女は、堕ちた明け星のように負の輝きを放ち、飲み込んだ全ての生命に平等の救い───即ち、死を与える為に脈動を始めていた。

 

 

『………そう』

 

ルドガーの発言に対してのほむらの反応は驚きではなく、納得したような風に聴こえた。

 

「もしかして、気付いてたのか?」

『…あくまで予測に過ぎないし、単純な話よ。まどかがいない世界で私が生きていける筈が無いもの』

 

ほむらもまた、ルドガーよりも先に同じ結論に達していたようだった。だからこそ驚きはしなかったのだ。

結界に飲まれて校舎が消滅したことで、エルザマリアの周囲には生き残った生徒や教師達の姿が何人も見られる。

化け物。殺される。逃げろ。我先にとエルザマリアに背を向けてそれらの人間達は走り出すが、墓標に囲まれた広大な灰色の世界で、どこに逃げればいいのかもわからず、ただエルザマリアから距離を置こうと駆けることしかできない。

それすらも逃がすまいと影の魔物達が牙を向き、次々と生徒達を歯牙にかけ始めた。

 

「……おい、なんだよこれは。何がどうなってやがんだ!?」

「杏子! …見ての通りだ。あそこにいるのが魔女だよ」

「はっ、さすがのアタシもこいつぁ気分が悪くなるよ……」

 

異変を察知した杏子がルドガーの元へ駆け付け、その惨状にため息をつく。

誰かを救いたいという甘い幻想など、とうの昔に捨て去ったはずの杏子でさえも、無差別に人を襲う使い魔に苛立ちを覚えていたのだ。

 

「これ以上やらせっかよ!」

 

多節槍を展開し、生徒達に集る使い魔の群れに単独で突撃してゆく。

俊敏性と威力に優れた杏子の的確な攻撃を受けて使い魔は大きく散らされ、嗚咽を洩らしていった。

しかしそれでも、群れのごく一部を薙いだに過ぎない。

 

「テメェら、さっさと向こうに逃げろ!!」

「は、はいっ!」

 

杏子に救われた生徒達は、数を減らしながらもルドガーや魔法少女達のいる方へ逃れてゆく。

後方のキリカとほむらも使い魔を蹴散らしながら、生徒達の安全を確保すべく集結するが、ようやくモノを握れるまでに腕の回復を終えたさやかだけは違っていた。

 

「………どうして?」

 

その双眸からは止めどなく涙が溢れ、周りに使い魔が這い寄っている事にも気付かずに、エルザマリアの姿を…変わり果てた友の姿を見ていた。

 

「どうして、あんたなの…?」

 

さやかのその呟きは、近くにいたルドガーと仁美にだけははっきりと聞き取れた。

 

「なんで……なんでなのよぉ………ほむらぁ……」

 

偽りの世界とはいえ、繋いだ絆はさやかにとっては尊いものだった。

覚悟ができた、などとんでもない。さやかは今ようやく"世界を壊す"事の重さを知ることになったのだ。

そうしている間にも獣型の使い魔がどんどんにじり寄り、ほとんど無防備なさやかに襲いかかる一歩手前にまで迫っていた。

 

「さやか! 周りを見ろ!!」

 

ルドガーは仁美に注意を配りながら2挺銃を連射し、さやかの周囲の使い魔を代わりに追い払おうとする。

 

「面倒な娘だね、君は!」

 

さらに、猛スピードで追いついたキリカも加勢し、鉤爪を振りかざしてさやかの周りの使い魔を霧散させてゆく。

獣型の使い魔はそれに対応するかのように、更にカタチを変え始めた。4.5匹ずつが集結して一回りもふた回りも大きな個体へとなり、キリカの斬撃やルドガーの銃弾をも弾いてしまいそうな強固な外皮と凶悪な爪を持ち、2足でバランスをとりながら立つ巨大な熊のような魔物へと変異する。

それらは全部で4体で徒党を組んで、さやかを包囲するように爪を光らせた。

 

「今度はグラッディクローか……! さやか! 距離を取れ!」

「……………」

「さやか!! …くっ、聞こえてないのか!?」

 

駆けつけてグラッディクローを打ち倒したいが、ルドガーの隣にはただの少女の仁美がいる。目を離せばどこからともなく使い魔が襲ってきそうで、動きたくとも離れる事ができないのだ。

 

「彼女は私に任せて、ルドガー」

 

そこに、キリカ共々駆けつけたほむらが足取り遅くも到着し、機関銃をばら撒きながら仁美の援護についた。

 

「志筑仁美、私についてきなさい」

「あ、暁美さん……? あなたも魔法少女だったのですか…?」

「…そうよ。あなたは私が守るわ。ルドガー、さやかをお願い」

「ああ、わかった!」

 

機関銃を片手に持ち直しながら、困惑する仁美の手を取り半ば強引に引っ張り、エルザマリアから距離を置く為に小走りで離れてゆく。

使い魔はほむら達にハイエナのように集ろうとするが、魔力の込められた機関銃の弾丸を受けて柘榴のように肉を散らしながら追い払われる。多節槍を振り回しながら戦っていた杏子も、生徒達を誘導しながらほむら達と合流するように動いていた。

仁美をほむらに任せたルドガーは、ようやく再び骸殻を纏い、槍を錬成してさやかとキリカのもとへ駆けつけた。

 

「キリカ、さやかを向こうへ連れてってくれ! こいつらはまだそれほど強い魔物じゃない! 俺が相手をする!」

「了解だよ! さあ、行くよ君!」

 

ルドガーが攻撃を仕掛けてグラッディクローの注意を引きつけているうちに、キリカは左手の鉤爪を仕舞い、放心状態のさやかの腕を引いて猛獣の群れから抜け出す。

しかしやはり小型の魔物が追随してくるが、キリカは咄嗟に速度低下魔法を発動させ、使い魔の動きを鈍らせてその隙間を駆け抜けていった。

 

「お前達の相手は俺だ! エオリエーネ!!」

 

槍の矛先に炎のエネルギーを纏わせ、火の粉をばら撒くように槍を振り回し、グラッディクローを威嚇する。

その炎に僅かな怯みを見せたが、岩のように硬い手甲を合わせて盾代わりにし、じりじりと距離を詰めてくる。

猛獣の姿をしている割に、まるで測ったかのような陣形を組んで迫るグラッディクロー達だが、ルドガーはむしろそれを待っていたのだ。

 

「今だ!」

 

ルドガーを引き裂かんと一斉に爪を振り下ろした瞬間、集中回避術を使って群れの包囲網から脱出する。

突如として獲物を見失い空を切った爪にグラッディクロー達は一瞬困惑するが、そこに間髪入れずに群れの背後から槍を投げ、奇襲を仕掛けた。

 

『グォォォ!?』

 

陣形の乱れたグラッディクローの群れは背後からの奇襲によりさらに動きが乱れ、態勢を立て直そうともたつくが、その乱れを狙って急接近し、さらに攻撃を仕掛けた。

 

 

「閃闇裂破刃っ!!」

『グオアァァァァァッ!!』

 

槍の矛先に闇のエネルギーを纏わせた超高速の連続刺突を受けたグラッディクローの群れは、外皮ごと核を貫かれて悲鳴を上げながら膝から崩れ落ち、溶ける様に消えていった。

ギガントモンスター級の使い魔の撃破を確認したルドガーは、使い魔から逃れて行ったほむらやさやか達の後ろ姿を一瞥し、それから目の前にいる驚異───エルザマリアへと向き直る。

静かに佇み微動だにしないその姿はどこか赦しを乞うているように見えていた。

 

「………さやか」

 

分史世界のほむらに取り憑いていた時歪の因子はとても強力な反応を示しており、間違いなく手強い魔女であることが窺える。

それだけでなく、恭介の死や時歪の因子の宿主といい、この世界自体がまるでさやかを陥れる為だけに造られたようにも感じていた。

何より、14歳の少女には世界を破壊するという事実は重すぎる。他人事だと割り切っていられれば、或いはその重さに気付かないままでいられたならば、代わりにルドガーがその重さを背負う事が出来ただろう。

しかしさやかは知ってしまった。この世界で親しみを持ってしまった人が時歪の因子となった事で、世界を破壊するという事の重さに気付いてしまったのだ。

今はもう剣を振るう事すらままならないだろう。しかしそれを責めることは、同じ痛みを知るルドガーにはできはしない。

 

「………ごめんな」

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

さやかを連れて使い魔の群れから逃げおおせていたキリカだが、未だ剣をとろうとしないさやかの様子にただならぬものを感じていた。

見滝原の生徒の大半が惨殺されるという事態に陥り、心を傷めてしまったのだろうか。グラッディクローに囲まれていた時もそうだが、今もなお使い魔に追い回されているにも関わらず、自衛すらしようとしないのだ。

間も無く、同様に使い魔から逃れて来たほむらや杏子たちと合流するが、エルザマリアから遠く離れた結界の端っこ辺りは、周辺付近に比べれば比較的安全なようだった。

 

「……恩人、これだけしかいなかったんだね」と、キリカは杏子に連れられてきた生徒たちを見て言った。

その数にしておよそ40に満たぬほど。ひとクラス分より少し多い程度だった。

その他の生徒達は最初の戦闘の時に殆どが使い魔やギガントモンスターに嬲り殺されていたのだ。

見滝原中学を基点として発生した魔女結界。それにより見滝原の生徒や教師の9割近くが惨殺されるという異常事態に、集った魔法少女達からはもはやため息しか出なかった。

ほむらにとって今護るべきは、あくまで仁美とさやかだけなのだが、目の前でこうもあっさりと命が失われてゆく現状に心が傷まずにはいられない。

黒翼の反動による疲労に鞭打って銃を持つも、とうに慣れたはずのその重さが今は倍近くの重さに感じていた。

 

「………あなた達は、みんなをお願い」

「そんな今にもぶっ倒れそうなツラでアイツとやり合おうってのか?」と、多少皮肉の交じった言葉が杏子から出た。

「それよりアンタはこの青いののお()りをしててくれよ。それとキリカ、オマエも残っとけ」

「恩人、君1人で行く気かい?」

「病人と腑抜けだけ残してたら、コイツらなんざあっという間に喰われちまうだろうが。使えんのはオマエだけだよ」

「……わかった。気をつけて」

 

杏子は振り返りもせずに、結界の端に寄り添う生徒達と魔法少女達に向かってひらひらと手だけ振り、一気に駆け出していった。その遥か先では、新たな使い魔と槍を交えるルドガーの姿が見える。

 

「………はぁ。最悪だよ、今回の相手は本当に最悪だ。失ったものが多すぎる」

 

深いため息をつき、パニックに陥りながらも寄り添い合う生徒達を一瞥する。

ほむらも機関銃を構えつつ周囲を警戒しており、その傍らでは未だに大粒の涙を流すさやかと、心配そうに寄り添う仁美の姿があった。

 

「………はぁ。昨日の威勢の良さはどこへ行ったのかな。私を本気で殺す勢いで喰ってかかってきたくせに…」

 

さやかの意気消沈ぶりにやや苛立ちを覚えながらも、その心の内ではわずかばかりの心配をしている。

使い魔を放育し、種を実らせてから狩る杏子のやり方が気に入らなかったのか。もしくは"マミ"という杏子の過去の知人が戦死したという話をしても、杏子が一切動じる事がなかったからか。

どちらにせよ、美樹さやかという人間は向こう見ずな真っ直ぐさと、既に杏子や自分からは失われてしまった"正義感"というものを持っているように感じていた。

それだけに、未だに剣をとろうとしないさやかに苛立ってしまうのだ。

黒のロングコート型の衣装を翻し、早足でさやかの元へと近づいてゆく。キリカの瞳はどこまでも冷めており、射抜くようにさやかを睨んでいた。

 

「……呉キリカ、どうしたのかしら」

 

その只ならぬ雰囲気にほむらも不安を抱くが、やはり敵意は感じられない。昨日の今日とはいえ、この状況で今更衝突しようなどと浅はかな考えは持ち合わせないだろう、と踏んでいたが、

 

「君……"さやか"って言ったっけ」

「……………」

「……はぁ。これだけの大惨事だ、泣くのも勝手だけどね………君にはがっかりしたよ」

 

言うとキリカは利き腕の方の鉤爪を仕舞い、平手を作り、思い切りさやかの頬を打った。

ぱしん、と乾いた音がどよめきの中に響く。隣にいた仁美は呆気に取られ、さやかは驚いたように目を見開いてキリカを見た。

 

「…………あ、」

 

そのままキリカはさやかの衣装の襟首を掴み上げ、威圧せんとばかりに引き寄せる。

 

「やめなさい、呉キリカ! さやかはまだ魔法少女になって間もないのよ…!?」と、ほむらが止めに入ろうとするがキリカは動じない。

「だから、何さ。魔法少女なんて安易になるものじゃない。戦う覚悟もないのなら、初めから魔法少女なんかになるんじゃない。違うかな?」

「でも、さやかは私達を守るために契約したのよ…? なりたくてなった訳じゃない、私のせいなのよ…私が弱かったから……」

「……ふぅん」

 

ほむらの言葉を受け、キリカは渋々と襟首を掴んでいた手を雑に離した。

突き放すように離されたさやかはふらつきながらほむらに支えられる。

 

「さやか、辛いのはわかるわ。ここは私達がなんとかするから、あなたは…」

「……………違う、違うんだよほむら…」

「さやか…?」

「キリカの言う通りだよ…あたし、世界を壊すって事を簡単に考え過ぎてた……でも、わかっちゃったんだ。世界を壊すって事はさ……この手で大事なものをみんな壊しちゃう、って事なんでしょ…?」

「………そうよ」

 

大切なものを守る為に世界を壊し続けたルドガーと、時を渡りながら世界を見限ってきたほむら。形は違えど、その重さをよく知っているのは2人だけだろう。

今のさやかには迷いがあった。魔女はもちろん倒さなければならない。しかしそれは同時に、分史世界のほむらも殺さなければならないという事だ。

そして、かつて同じ痛みを味わったほむらには、さやかを咎める事などできはしなかった。

 

「……戦わなきゃ、みんなが危ないって、わかってるんだ。でも…手が動かないの……」

「さやか、あなた………」

「お喋りはここまでだよ、ほむら」

 

キリカがぴしゃり、と冷めた声で2人を一喝する。

生徒達の周囲には小型の使い魔がまたも湧いて出始めており、2人を置いてキリカが先立って使い魔を狩りに向かっていった。

 

「…さやか、戦えとは言わないわ。でも、せめて自分の身だけは守って。……私ももう、時間停止を使えない。みんなを守れる程の余裕がないの」

「……ごめん、ほむら」

「いいのよ、"親友"でしょう? …行って来るわね」

 

銃を持ち直して使い魔の討伐に加わってゆくほむらの後ろ姿を見て、ようやくさやかは涙を拭って手元にサーベルをひと振り錬成させた。

潰された両腕は僅かに違和感が残るものの、戦う分には支障は無いくらいには回復している。

だが、心の内の迷いは消えたわけでは無い。その迷いは剣先に形となって現れる。

守らなければ。その一心で剣を振るい使い魔を切り裂いてゆくが、その動きはまるで平均台の上にいるかのようにおぼつかず、不安定そのものだった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

「吹き飛べ────ジ・エンド!!」

 

 

掲げた槍を地に打ち下ろし、放たれた衝撃波によって小型の使い魔はいっぺんに吹き飛ばされ、塵と化してゆく。

同様に赤く細身の槍を器用に回して戦っていた杏子も、ルドガーの規格外の強さに舌を巻いていた。

 

「アンタ、やるじゃねえか。キリカが苦戦するわけだな?」

「あれは好きで戦ったわけじゃないんだけど……」

「わかってるよ。アイツはああ見えて脳筋だから熱が入ると止まんねえのさ。…それより、さっさと本体を叩くぞ」

 

使い魔の群れを一時一掃した2人は、ようやくエルザマリアへと矛先を向ける。

ただひたすらに祈るように臥し、使い魔を召喚する以外に何もしてこないその姿に違和感を感じるが、周りに敵がいない今は絶好のチャンスだった。

 

「もらったあ!」

 

先ず杏子が槍を携えて高速で突進し始めた。エルザマリアの心臓部分めがけて赤い槍を突き刺そうとするが、

 

『──────ハ』

 

突如として杏子の進路に、道を塞ぐように新たな使い魔が現れ、杏子の槍を防いだ。

 

「…な、また新手かよ!? しかもこいつ…!?」

「杏子!? …なんだ、アレは」

 

現れたのはただの使い魔ではない。ソレは人のようなカタチをしており、右手に長身の剣を、左手に拳銃のようなものを持った背の高い男のようなシルエットをしていた。

 

「………まさか」

 

その姿にルドガーは見憶えがあった。かつての仲間の1人にも、同じような武器を使っていた男がいたからだ。

新たな使い魔の姿もその仲間と同様に、スカーフとジャケットを着ているように見えなくもない。

 

「……今度はアルヴィンに化けたのか」

 

当然ながら、ルドガーが次に警戒したのは他の使い魔の現出だ。

周りを見渡せばいつの間にか、2人を囲むようにさらに何人もの使い魔が立っていた。

 

『──────ハハッ』

 

影となっている故に黒く見えるが、まるで医者か学者のような長い丈の白衣を纏った少年の影。

帽子を被り、軽快なステップを刻みながら身の丈よりも長いステッキを軽々と振り回す少女の影。

妙に落ち着いた物腰を見せる、老いたコンダクターの影。

 

「……ジュード、レイア、ローエン…!」

 

小さな影のぬいぐるみを周囲に舞わせている、小柄な少女の影。

そして、丈の長いコートを着込み、知性的な眼鏡と逆手持ちの双剣が目立つ長身の男の影。

 

「エリーゼ……兄さんまで…!」

 

それらは全て、かつてルドガーと旅を共にした家族同然の仲間たちを模したものだった。

 

「おいアンタ! その反応だとこいつらに見憶えがあるみてえだな!?」

 

槍を防がれ、態勢を整え直した杏子が苛立ちながらルドガーに尋ねた。

 

「…ああ、昔の俺の仲間たちと同じ姿だ。気をつけろ杏子! 能力も真似てるとしたら、こいつらはかなり手強いぞ」

「たかが使い魔に何を大袈裟な…まあいい、敵は歯応えがあるほど楽しめるしなっ!」

 

杏子は6人の使い魔を前にしても一切動じず、得意げに八重歯を覗かせてにやつく。

対してルドガーは仲間の姿を利用された事に憤りを感じつつも、6人のうちの誰を最初に狙うべきかを冷静に再確認していた。

 

「……すまない、エリーゼ! 舞斑雪ッ!」

 

ルドガーが最初に狙いをつけたのは、幼いながらも増霊極(ブースター)の補助により高度な精霊術を操る小柄な少女───エリーゼの影だった。

回復役を先に叩くという定石は、かつての戦いの中から学び取ったものだ。

槍を真っ直ぐに持ち直し、目にも留まらぬ程の速さでの刺突をエリーゼの影に浴びせようとするが、

 

『ハハハッ!』

 

突如としてエリーゼの影を庇うように現れた少年───ジュードの影によってその一撃は防がれてしまった。

 

「くっ……ジュード…!」

『クフ、クハハ、アッハハハ!』

 

足が止まったところに、アルヴィンの影が何発か銃弾を撃ち込んできた。

すぐに銃声に反応したルドガーは、ジュードとの距離を置いて、槍の矛先からエネルギー弾を撃ち返して対応する。

その間にも杏子はステッキを持つ少女───レイアの影と打ち合いをしており、その傍らでは隙を窺わんと眼鏡の男───ユリウスの影が刃をちらつかせていた。

 

「オイ! いくらアタシでも何人も相手すんのはきついぞ! 弱点とかないのかよ!?」

「そんなものがあれば苦労はしない! とにかく1度距離を置くんだ!」

「チッ、わかったよ!」

 

ステッキによる猛襲を突き放して距離を置き、軽く息を整える。

共に槍しか持たずに6人もの手練れ達を相手にするのは無理が効かず、攻め手が限られつつあった。

 

「恩人! …これは、どうなってるんだい」そこに、異変を察知したキリカが追い付いて2人に加わった。

「キリカ! オマエ、向こうはどうした!?」

「青い娘がやっと戦う気になってくれたから、任せてきたんだよ」

「チッ───まあいい。…オマエの魔法なら、なんとかなるかも知れねえな」

「3人で、2人ずつ相手か…できなくはないね」

「オーケィ! 行くぜ!」

 

無機質で、鋭い眼光を飛ばしながらキリカが飛び出していった。まず相手に選んだのは、

銃を持ったアルヴィンの影からだ。

アルヴィンの影はキリカの姿を認めるとすぐさま威嚇射撃を飛ばし、同時にギミックの仕込まれた剣にエネルギーをチャージしてゆく。

 

「遅いよ!!」

 

しかし、既に速度低下を発動させていたキリカは、銃弾を鉤爪で跳ね除けながらアルヴィンの影の懐まで距離を詰める。

速度を落とされたアルヴィンの影は、超高速で接近した"ように見えた"キリカの姿に驚くが反応が追い付かず、剣を持った手を鉤爪で斬り落とされた。

 

『───アァァァァ!』

 

負けじと杏子もレイアの影に再び仕掛け、槍を多節に展開させて立体的な攻撃を浴びせる。

すぐにユリウスの影が援護に回って来たが四方に眼を光らせた杏子に隙はなく、多節槍による攻撃を剣で弾くことしかできずにいた。

その遥か後方ではローエンの影が何かしらの術の詠唱を始めており、杏子とキリカを"仲間ごと"狙っていたが、それに気付いたルドガーが槍で斬りかかり詠唱を邪魔する。

咄嗟に身を引き斬撃を躱したローエンの影は、小刀を何本か飛ばして応戦するが、的確に反応して槍で小刀を打ち落としてゆく。

その背後にはジュードの影が駆け付け、ローエンと入れ替わるように前衛に立って、ルドガーと相対した。

 

「…まさか、こんな形で戦う事になるなんて、な!」

『ヒャハ、アハハハハッ!』

 

手甲をあてた拳と槍がぶつかり合い、火花を散らす。

互いに手の内を読み合うような応酬に釘を刺すように、ローエンとエリーゼの影が揃って詠唱し始めると、ルドガー達の足元に精霊術による巨大な陣が現れ始めた。

危険を察知したルドガーは槍を大きく打ち下ろしてジュードの影を後退させて、

 

「うおぉぉぉっ!」

 

骸殻の力を全て解放して歯車の舞う結界を紡ぎ、6人の使い魔達を全員引きずりこんだ。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

時の流れから外れた固有結界内ではルドガーが中央に立ち、取り囲むように6人の影達が立っている。

詠唱を無理矢理中断させられたローエンとエリーゼの影以外は刃を向けるが、ルドガーはまず、残り僅かな変身時間で後衛を潰すことから始めた。

 

「絶影!!」

 

アルヴィンの影の銃弾が飛来する前に高速で飛び上がり、エリーゼの影の真上へと転移する。

影達はその速さに視線が追い付かず、迎撃もままならずに上空からの兜割りを許してしまった。

重力を乗せた槍の一撃はエリーゼの影を頭から縦に両断し、直後に霧散させた。

 

「ヘクセンチア!!」

 

その勢いで槍を地に叩きつけ、黒い光弾を無数に降らせる。

影達は光弾から身を守ろうとして引き下がるが、わずかに足取りの遅かったローエンの影に狙いをつけて、その眼前に空間跳躍で飛び込んだ。

 

「逃がすか、シダーエッジ!!」

『グォォォォ…!』

 

槍を高速で振り回して無数の斬撃を浴びせると、ローエンの影はまるで獣のような断末魔を上げて霧と化す。

残るは4体、更なる空間跳躍を重ねて今度は反対方向にいるレイアの影の前方に跳んだ。

余力を見ても、あと1撃を当てれば結界と共に骸殻は解けてしまうだろう。それまでにはせめて数をイーブンにまで減らしたいところだった。

 

『ヒャハハハッ!!』

 

しかしその背後にはジュードの影が迫っており、大きく振りかぶった拳を当てようと構えていた。

瞬時にその気配を感じたルドガーはもう1度高く跳び上がり、背後からの拳を空かしつつ槍の先から風のエネルギー弾を無数に飛ばす。

ジュードの影は身を翻してエネルギー弾を躱すが、レイアの影はステッキを構えて防御に徹していた。

 

「これで最後だ! 鷹爪落瀑蹴!!」

 

エネルギー弾を飛ばした先めがけて、高い打点からの勢いを乗せた飛び蹴りを打ち込む。その蹴撃はレイアの影に直撃し、ステッキをへし折りながら胴体を吹き飛ばした。

 

『ア、アァァァァァァ……!』

 

レイアの影は黒い霧となり、呻き声を上げながら散ってゆく。

影の造り物だとわかっていても、かつての仲間たちと同じ姿をした相手を手にかけた事に歯痒さを覚えながら、残る3人の影へと向き直る。

そうして、歯車の結界はエネルギーを失い晴れていった。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

骸殻の結界の中ではおよそ1~2分程度過ぎていただろうが、外界ではほんの数秒の出来事だ。

一瞬だけ姿を消したルドガーと、同じく姿を消して、気がつけば頭数を減らしていた影達を見て杏子とキリカは戸惑っていた。

 

「!? …アンタ、何かしたのか?」

「ああ、ちょっとな。…けど、骸殻の力を使い果たした」

「骸殻? あの黒い格好のことか?」

「そうだ。…残り3人、終わらせるぞ!」

 

消失した槍に代わってもう一度双剣をとり、同じく双剣を構えるユリウスの影と対峙した。

実力で言えばジュードやアルヴィンの影も決して侮れないが、ユリウスの影ともなればその強さが折り紙付きであることはルドガー自身が1番良く識っており、魔法少女達に任せるには少々荷が重いと判断したのだ。

 

「これ以上、兄さんの姿で好き勝手はさせない…!」

 

ほぼ同時に両者は駆け出し、瞬時に距離を詰めて1対の刃を打ち合う。その動きはもはや常人の目には捉えられぬ程の速さにまで達していた。

キリカは引き続いて手負いのアルヴィンの影と。杏子は軽くステップを刻むジュードの影と対峙する。

 

「行くぞ、キリカ!」

「了解だ、恩人!」

 

分担して戦うよりもコンビネーションを活かす事を選んだ2人の少女たち。

杏子の操る多節槍の立体的な軌跡を掻い潜るように、キリカが鉤爪を光らせて突っ込んでいった。

アルヴィンの影が剣で多節槍を弾きながら、ジュードの影も拳から地を這う衝撃波を何発か放ってくるが、速度低下を発動しているキリカにとっては躱すのは造作もない。

 

「そこっ!!」

 

その勢いに乗ったまま、前に突き出した鉤爪をアルヴィンの影に突き刺し、斬り抜けた。

確かな手応えを感じたキリカは霧散してゆくアルヴィンの影を確かめもせず、そのままジュードの影へと狙いを移す。

後方からは多節槍を収納した杏子が、ジュードの影へ目掛けて、魔力の込められた槍を全力で投擲した。

 

『───ハハッ!』

 

だが、槍が被弾する直前にジュードの影は突如姿を消した。本来ジュードの特技である集中回避術を使い、2人の攻撃をすんでの所で躱したのだ。

 

「消えた…!?」

「アイツ、まさか仲間を囮にしたのか!?」

 

しかし、集中回避術を実際に受けるのは初めてとなる2人は、ジュードの影が次にどこに現れるのかを予測できずに出遅れた。

 

『──────ハアッ!!』

 

ジュードの影が現れたのは杏子の真後ろだ。気配を察知して振り向こうとするが既に遅く、鋭い手甲をつけた拳は何の躊躇いもなく杏子の身体を貫いた。

 

「が……ッ!? ………しまっ、」

『アッハハハ!!』

 

槍を持つ手から力が抜ける。口元から血を吹きこぼしながら睨むが、ジュードの影は攻撃の手を休める事なく、十八番である高速の拳撃を打ち始めた。

 

『ヒヒ、ハハッ! アハハハハ!!』

 

薄味の悪い嗤い声を上げながら、抵抗できない杏子を滅多打ちにしてゆく。

護身術の域を超えた拳撃の極み───"殺劇舞荒拳"。目にも留まらぬ速さで打ち込まれてゆく拳は細い腕を折り、鮮血を散らし、臓腑を内部から破裂させる。

 

「やめろぉぉぉ!!」

 

すぐにキリカが駆けつけて、鉤爪による斬撃をジュードの影に浴びせようとするが、流れるような拳撃の中に回避術を交えた動きで、その鉤爪は容易く躱される。

止めとばかりに両の掌を突き出し、痛烈な掌底破を杏子の身体に打ち込む。

もはや声すら上げずに錐揉み打って吹き飛ばされた杏子のソウルジェムは、拳撃によって打ち砕かれていた。

 

『ヒャハ、アハハッ、アッハハハハハハ!!』

「恩人!! …お前、よくも………うぁぁぁぁ!!」

 

オリジナルとは真反対に、狡猾な手段を用いては愉快そうに高らかに嗤うジュードの影に、一気に憎しみが沸き起こる。

怒りに身を任せたキリカの鉤爪は血のように紅く輝き出し、より一層鋭さを増した。

 

 

 

「──────馬鹿が、落ち着けキリカ」

 

 

 

そんなキリカに対して、どこからか聞き慣れた声が飛んでくる。

その声の主は紛れもなく、ソウルジェムを砕かれ死したはずの杏子のものだった。

直後、ジュードの影の真上から数えきれない程の槍の雨が降り注ぐ。

 

『ハハハ─────ヒッ、アァァァァ!!』

 

無数の真紅の槍はジュードの影の全身を貫くと、熱を持ちいっぺんに燃え上がり始めた。

異端の徒を焼き尽くさんとばかりに炎は絡みつき、ジュードの影は高嗤いとは打って変わって悶え叫んだ。

 

「これ……恩人の……?」

 

何が起こったのかを理解できずにその様を見ていたキリカの肩に、優しく手が置かれる。

 

「よう。敵を騙すにはまず味方から…ってのか?」

「恩人!? 無事だったのかい!?」

「まあな。"ロッソ・ファンタズマ"────最初からアイツはアタシの幻と遊んでたのさ」

「ああっ……良かったよぉ……無事で……」

「いいトシしてベソかくんじゃねえ。まだ1体残ってんだろうが」

 

キリカを慰めながら杏子は、激しい鍔迫り合いを重ねるルドガー達を見やる。

互いに攻め手を小出ししながら隙を見ているのだ。

偽りの影でありながらも、オリジナルと謙遜ない腕前を見せるユリウスの影に、ルドガーは奥歯を噛み締めて好機を窺う。

 

『シャアァァァ!!』

 

痺れを切らしたのか、ユリウスの影は双剣を交差させるように振り、ルドガーに更なる攻撃を仕掛ける。

身を引いて斬撃を躱しながら、素早く2挺銃へと持ち替えて威嚇射撃で距離を開くが、ユリウスの影は銃弾を剣で跳ね返しながらその距離を詰めてきた。

 

「確かに、強いな…けど、兄さんほどじゃ、ない!!」

 

それを待っていたとばかりに、ルドガーは唐突に2挺銃を空へ投げる。

突然の動きに一瞬だけユリウスの影が気を取られ、その微かな隙を突いて双剣を持ち、音速の斬り抜けを浴びせた。

 

『グ…アッ!?』

 

背後に回り込んだルドガーは更に斬撃を重ね、斬り伏せ、蹴り上げてユリウスの影を宙に浮かす。

 

「祓砕斬・零水いっ!!」

 

計算された軌道で投げられた2挺銃はしっかりとルドガーの手元に戻り、予め込められたエネルギーの塊を一気に放出し、縦横無尽にユリウスの影を撃ち抜いた。

 

『グアァァァァァァッ!!』

 

それら全てを受けたユリウスの影もまた、本物とは似ても似つかない野蛮な声を上げながら消滅していった。

 

「……よし! あとは、本体だけか……」

 

使い魔達を全て殲滅され、残されたのは影の魔女エルザマリアただ1人のみ。

それでも、未だに動こうとしないエルザマリアに違和感を感じながら、3人は少しずつ近づいていった。

 

「コイツ、どうして動かねえんだ? 使い魔はあんだけ凶悪だったってのに」

「わからないね。でも、動かないのなら好き勝手やらせてもらうまでだよ」

 

2人の少女たちは多少ながら余裕を持っていたが、ルドガーだけは警戒を緩めない。

分史世界の魔女は、それこそさやか1人ででも倒せる程度の強さしかなく、また、それが本来の魔女の強さであるのだろう。

だが、正史世界で見てきた魔女達はそれとは違い、みな規格外の凶悪性を秘めていた。

そしてこのエルザマリアは、それら正史世界の魔女達と同等以上の反応を示しているのだ。

骸殻のエネルギーが回復し切るまでは、相当の時間がかかる。"骸殻を使い切らせた"というだけでも、先程の使い魔達は十二分に役割を果たしていたと言えるだろう。

 

「………! 来るぞ」

 

不意に、祈りのポーズを解いてエルザマリアがゆったりと上身を起こし、3人の方を見た。

不思議と攻撃性を感じられないその緩慢な動きに更なる戸惑いを覚えるが、エルザマリアは口らしき部位を動かして何かを呟きだした。

 

 

『…………………ケテ…………』

 

 

魔女の呟きの意味を理解できず、杏子の脳裏にクエスチョンマークが浮かぶ。だがその直後、いよいよエルザマリアは本性を露わにしたのか、大きく姿を変え始めた。

影の落ちた地表から瘴気を吸い上げ、身に纏う。

細身の身体はそのままに、瘴気はエルザマリアの背中へと纏わりつき、まるで翼のような形をとり始める。

 

「………そんな、あの姿は…まさか!?」

 

誰よりも早く、エルザマリアが何に"変わろうとしているのか"を勘付いたルドガーの背筋に、悪寒が走った。

 

「まずい! 杏子、キリカ! 逃げろ!!」

「いきなりどうした!?」と、杏子はいきなり焦り出したルドガーを不思議そうに見る。

「いいから早く逃げるんだ!」

「おい、説明ぐらい──────っ」

 

それ以上、杏子の言葉が続く事はなかった。

逃げる様に促した直後、どこからか放たれた衝撃波によって杏子の上半身が跡形もなく綺麗に、一瞬で吹き飛ばされたのだ。

 

「杏子!?」

 

逃げる間もなく散らされ、残った腰より下の部分が力なく崩れ落ち、間欠泉のように血が吹き出す。

 

「……そんな、杏子……」

 

真隣にいたルドガーには当たらなかったが、ほんの僅かな間に消された命を目の当たりにして、戦慄した。

 

「……恩人? ……なんだ、これ……あ、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

数秒遅れて、ようやく事態を理解したキリカがパニックに陥り叫び出す。

反対に、どうにか厳しく自身を律し、気丈に武器を持ち直したルドガーは改めてエルザマリアへと向き直る。

 

「………やっぱり、そうか……」

 

エルザマリアの姿は地面から身体を生やした、小柄な少女のままだ。

ただし、その背中には巨大で歪な両翼…まるで、暴走したほむらの黒翼を思わせるような羽根が備わっていたのだ。

ルドガーでさえも恐ろしさを覚えた力の正体…それは、今まで凶悪な魔女や使い魔を容易く葬ってきたほむらの力を、そのまま真似たエルザマリアの黒翼だった。

 

「………殺す…よくも恩人を………お前ェェッ!」

「よせ、キリカ!!」

 

激昂し、飛び出そうとしたキリカの腕を引いて無理矢理引き留める。

直後、キリカが飛び出そうとした射線上に衝撃波が走り、まるで泥を跳ね上げるかのように容易く地表を抉り飛ばした。

ソレに触れていれば、キリカも同じようにやられていただろう。

 

「……すまない、キリカ!」

 

掴んだ手と反対の手に持っていた刃を返し、峰を向ける。そのままキリカの首元に、強い峰打ちを当てた。

 

「ぐっ………!?」

 

峰打ちを食らったキリカの身体は脱力し、ルドガーに抱き留められる。

あのまま突攻を許していれば、間違いなくキリカの命も散らされていただろう。

意識を無くしたキリカを抱えたまま、ひとまず距離を置こうと後ずさった。

 

「………どうすればいいんだ…?」

 

思えば、シエナブロンクの姿をした使い魔と戦った時に、既にほむらの力の情報を得ていたのだろう。

もしくは、人魚の魔女のように"最初から識っていた"のか。

最強にして、制御すらままならない最悪の力。

それを目の当たりにして、ルドガーは初めてエルザマリアに対して畏怖の感情を抱いた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

覚醒したエルザマリアの姿を離れたところから見ていた、さやか達を初めとする逃れた少女達も、その姿に身震いをしていた。

 

「………ねえ、あの姿って……やっぱりあんたの…?」

「…そのようね。ただ単にこの世界の"私"に取り憑いていたという訳ではないようね」

「そんな……あんなの、どうすればいいの……!?」

「落ち着きなさい、さやか。…私達が取り乱したら、他の子達が不安がるわ」

「でも………!」

 

ほむらは努めて平静を装うが、青ざめた顔色ではとてもそうは見えない。それに気付いたさやかも、それ以上は言わなかった。

ただ、ほむらには一つだけエルザマリアに対抗する為の考えがあった。ただしそれは、上手く行く保証などどこにも無い賭けのようなもの。

 

「……さやか、呉キリカの言っていた事の繰り返しになるけれど…もう一度だけ訊くわ。あなたに…いえ、"今のあなたに"戦う覚悟はあるのかしら?」

「ほむらまでそんな事を訊くの…? あたしは───」

「あなたを魔法少女にさせてしまったのは、私の責任。どうやっても、償いきれるとは思っていないわ…でもね、魔法少女になったからには戦わなければならないのよ。…大切なものを、守る為にね」

「それって…まどかの事だよね…? あんた、まどかを守る為だけに戦ってきたんでしょ…?」

「…少し前までは、そうだったわ。でも今はそれだけじゃない。まどかだけじゃない…今の私には、守りたいものが沢山あるの」

 

ほむらは壊れた盾の中から1挺の拳銃を取り出し、苦い顔をしながら撃鉄を起こした。

拳銃ひとつで魔女に戦いを挑みに行くのか、とさやかは困惑するが、すぐにそうではないと思い知る事になる。

 

「ねえ、さやか」

「………ほむら?」

「あなたも、私の守りたいものの一つなの。……私の事を"親友だ"って認めてくれたさやかは、あなたしかいないから」

「……ねえほむら、あんた何する気なの…? ねえ、ねえってば!!」

 

触れれば折れてしまいそうな、儚げな笑顔を作って言う。

そのまま手に持っていた拳銃を自らのこめかみに当て、恐れも、なんの躊躇いもなくその引き金を引いた。

火薬の弾ける音と硝煙の匂い、そして反対側の頭蓋から真っ赤な血が飛び散り、さやかの顔に跳ねる。

表情を変えないまま力を失ったほむらの身体は、いとも容易く地に伏してしまった。

 

「……ほむら…あんた、何やってんの……?」

「あ……暁美さん!? どうして……どうしてこんな……」

 

2人のやり取りを1歩引いたところから見ていた仁美は、目の前で突如起きた惨劇に取り乱さずにはいられない。絶望のあまりに自害してしまったのか、とすら思えてしまう。

さやかもそれは同感であったが、心の内の何処かではそれとは反対に、"意味もなくこんな真似をするはずがない"と考える冷静な部分があった。

仁美は気付いてはいないが、ソウルジェムが生きている限り、たとえ頭を撃ち抜こうが死ぬ事はないのだから。

そしてそれは図らずして、的中する事となる。

力を失った筈のほむらの手が、かすかに動く。ひびの入っていた盾はさらに深い亀裂が入り、もはや装置どころか盾としての役割すら放棄した。

代わりに、ほむらの背中から再び黒い翼が現れる。薄々と、黒翼はほむら自身の危機に反応して発現すると気付いていたのだろうか。

黒翼から漏れ出た魔力はたちまち傷付いた部位を修復してゆく。その中で、切ったはずの髪も"傷"と判断したのか、髪の長さもあっという間に元のロングヘアーへと修復されていった。

まるで"最初から傷などなかった"かのように。

周りにいた生徒達の生き残りは、翼を生やし、突然髪が伸びたほむらの姿を見ては「化け物」と恐れ慄き、さらに距離をとって逃げ出した。

あとに残ったのは、さやかと仁美だけだ。

 

「………うまく、いったみたいね…」

 

朦朧としながらも、どうにか自我を保っていたほむらは、自分の試みが成功した事に安堵していた。

 

「あんた…やっぱり! なんでこんな危ない真似したのよ!!」

「……この翼は、決まって私が追い詰められた時に現れてたわ。だから、こうすれば上手く行くかも…って思ったのよ……ふふ、またまどかに怒られるわね……」

「でも…失敗したらどうする気だったのよ!? いくら死なないからって……あんた……」

「………これが"私の覚悟"よ…ごめんなさい…正直、長くは保ちそうにない……その前に……」

「ほむら…!? 待って、待ちなさいよ!!」

 

さやかが止めるのを無視して、ほむらは巨大な翼をはためかせてエルザマリアの元へと飛び立っていった。

残されたさやかは某然としながらも、頭の中でひたすらにほむらの言葉が繰り返し響く。

 

「"覚悟"って……何よ……あんた、どうして平気でそんな事ができるのよ…!」

 

今までさやかは、親友としてほむらの事を理解しているつもりでいた。覚悟も、使命も、胸に秘めた想いも、全て。

だがそんなものは、"わかっていたつもりでいた"だけなのだと思い知らされてしまったのだ。

大切なものを守る為なら、たとえ自分自身でさえも犠牲にしてしまえる。暁美ほむらは、そういう覚悟を持った人間なのだ、と本当の意味で知ったのだ。

 

「………行かなきゃ」

 

ほむらは命を懸けてでも、大切なものを守る為に飛び立っていった。

不甲斐ない自分を、キリカのように見放す事もなく"親友"だと言ってくれた。

誰もが皆、覚悟を決めて戦っているのだ。一度は戦う意志を失ってしまったマミでさえも、新たな決意と共に心に火を灯したように。

ルドガーさえも、魔女となった魔法少女達が、それ以上誰かを傷つけてしまう前に…魂を、多くの血で染めてしまう前に倒す、という信念を抱いて剣を握っているのだ。

ならば、自分には一体何ができるのだろうか。

 

「……あたしにできる事………」

 

世界を守るなどと、大それた事など考えはしない。今の自分には本当の意味での覚悟がないのだから。それでも、選択には責任が伴うのだ。

今のさやかに唯一できる事……その答えは、ゆっくりと見え始めていた。

 

 

「───待っててね、"ほむら"。……あんたは、あたしが助ける」

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

影の翼を纏ったエルザマリアと対を成すように、遥か後方からも黒翼を発現させたほむらが飛んでくる。

 

「……ほむら!? お前、また翼を……!?」

 

最初の黒翼の発現によって満身創痍になっていた筈なのに、一体何がほむらをそこまでさせたのか。

とにかく、これ以上無理をさせれば無事では済まないであろう事は容易に想像がついた。

 

「ほむら、これ以上はやめるんだ!! 身体が保たないぞ!?」

「……そんなの、承知の上よ……」

「ならどうして!? ほむら!」

 

ルドガーの制止をも無視して、低空で羽ばたきながら魔力の塊を形成して、エルザマリアへと撃ち込む。

ルドガーは咄嗟にリンクを繋いでほむらを止めようと試みたが、黒翼の膨大な魔力はそれを一方的に弾いてしまう。

骸殻のサポートが使えない以上、今のルドガーにはほむらを止める術はもうなかった。

せいぜい、抱きかかえたキリカを安全な所まで逃がす他ない。

 

『……………ス、ケテ…………』

 

エルザマリアは相変わらず何かを呟きながら、影の翼を振るってほむらと衝突する。

対するほむらも黒翼から衝撃波を何発も放ち、それによりエルザマリア周囲の地表が醜く抉られてゆく。

もはや魔法少女の戦いとは思えないような凄まじい爆音と砂埃が巻き上げられる。両者の間に下手に割って入れば、ただ巻き添えを喰らって命を落とすだけだろう。

そういう意味でも、両者を止められるものはこの空間にはもう存在しなかった。

 

「………ルドガー、さやか達を……お願い……」

 

か細い声で言うと、ほむらは一段と大きな魔力の塊を造り、さらに魔力を送り込んで威力を増幅させる。

その一撃は、人魚の魔女との戦いで雨雲を掻き消したものとほぼ同規模のものだった。

必然的に、今のほむらの全ての力を込めた一撃であろうと判断できる。

巻き込まれれば、余波で周囲のもの全てが粉微塵と化すだろう。

 

「まずい、このままだとみんなが!」

 

危機感を抱いたルドガーはキリカを抱えたまま、さやかと仁美の安全を確保する為に退路をとる。

懐中時計を確認しても、今にしてようやくクォーター骸殻が発動できるギリギリまで、エネルギーが回復したところだった。

無我夢中でほむらから離れ、せめて2人だけでも守らなければと必死で足を動かしていた。

 

「間に合えぇぇぇっ!!」

 

もはや背後を確かめる事もせず、クォーター骸殻を纏って駆け足を速める。

その後ろでは、術式を練り上げきったほむらが今にも呪詛を解き放とうとしている所だった。

膨大な熱量がルドガーの背中を追うように広がってくる。そうして、影の結界は間も無く音を失おうとしていた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

周囲からは地表の焦げた匂いと、身に纏わりつく熱気が漂う。

爆塵によって見回す事さえ困難な状況で、目を凝らして周囲を観察する。

 

「………ひどいな、これは…」

 

咄嗟に骸殻の力を解放し、固有結界へさやか達を引きずり込んで、かろうじてほむらの魔法を回避する事はできた。

だが、結界に入れなかった見滝原の生徒達は全て魔力の爆心によって焼き払われてしまっただろう。

恐らくほむらにはそこまでする気はなかったのだろうが、もはや翼の暴走を自分でも止める事ができなかったのだろう、とルドガーは思った。

 

「ごほっ………ごほっ、ルドガー…さん…?」

 

舞い散る砂埃にむせて、咳をしながらさやかが歩み寄ってくる。

その傍らでは同じく仁美が瞼を擦りながら咳き込んでいた。

 

「ほむらは……無事なんですか…?」

「………あそこにいるよ」

 

少しずつ砂埃が薄まり、視線の先にぼんやりと影が見え隠れする。

ルドガーが指差した先には、翼の力を使い切り倒れたほむらの姿がかすかに見えた。

そしてその更に奥には影の魔女の姿が。ただし、影の翼の片方は根元から千切れ、もう片方はちょうど半分あたりから先が消し飛んでいた。

ほむらの魔法による一撃で、撃破には至らずともかなり追い詰めたのだろう。

 

『…………ス…ケテ…………』

 

ノイズのかけられたような震えた声が、影の結界中に響く。

エルザマリアを倒すまで恐らくあと一歩。だが杏子は殺され、キリカも気を失っている。まともに戦えるのはルドガーと、今まで戦えずにいたさやかしか残っていなかった。

 

「………さやか、仁美を見ていてくれるか。あいつは俺が倒すから…」

 

傷心を抱くさやかには剣をとることはできないだろうと思い、優しく言う。

しかしルドガーもお世辞にも余力があるとは言えない。

ほむらの魔法から逃れる為に僅かな骸殻を使ってしまったのだ。それに、身体にダメージも蓄積されている。

人魚の魔女との戦いにおいても、さやかの治癒魔法によって身体の傷は完治したものの、戦いが終わった後には体力が切れて倒れてしまっていた。

たとえ今さやかの力を借りて傷を癒したとしても、限界が迫りつつある体力までは補えない。

それでも、戦う術がある限りは諦めるつもりはなかった。槍は失えど、ルドガーの手にはまだ1対の剣が握られているのだから。

 

「………あたしも、行きます」

 

しかし、1人ででも戦おうとしていたルドガーに向かってさやかは言う。その声色の中には、今まで感じられなかった"覚悟"が込められているように思えた。

 

「戦えるのか…? だって"あれ"は…」

「わかってます。だからこそ…ですよ。親友が馬鹿やってるんなら、あたしが止めてあげなくちゃいけないんです。

それにあいつ、さっきからずっと言ってるんですよ…「助けて」って。今やっと気付いたんです。だから…あの娘はあたしにやらせて下さい」

「さやか……ああ、わかった」

 

瞳の中には強い意志が宿り、剣を持つ手にもしっかりと力が込められる。

感情に比例するようにさやかの魔力は内側から溢れ出て、火を灯した心と対照的に周囲の熱を冷ましてゆく。

その姿は、ルドガーにようやく安心感を抱かせる事ができた。今のさやかなら戦える、と。

 

「ごめんね仁美、ここで待ってて。…キリカを、見ててくれるかな」

「わかりましたわ、さやかさん……どうか、ご無事で」

「うん。…さあ、行こうルドガーさん!」

「ああ、リンク・オン!」

 

アローサルオーブの波長をさやかのソウルジェムと合わせ、擬似的なリンクを繋ぐ。

互いの力が交じり合うのもそうだが、さやかの方から流れ込んでくる魔力によって心なしか治癒が行われているようで、身体の重さも幾分かはなくなった。

立ち並び、同じ構えで剣をとる。その目はただ真っ直ぐにエルザマリアを見据えていた。

2人はほぼ同時に駆け出し、それを迎え討つように地表から蛇型の使い魔が何体も現れる。自ら攻撃をしようとしないのは、衰えつつある証拠だろうか。

しかし、もはや使い魔程度で足を止めるなどという事はあり得なかった

 

「「─────双砕刃ッ!!」」

 

交差するような軌跡をとり、高速の居合斬りを使い魔の群れに浴びせ、瞬時に打ち倒してゆく。

それを見ていたエルザマリアは、使い魔では抑止にはならないと判断したのか、ゆったりとした動きで羽根の残骸をはためかせ、魔力を紡ぎ出す。

 

「させないよ!」

 

少し離れた距離にいるエルザマリアに対し、さやかは距離を無視した横一閃の斬撃を飛ばす。

斬り裂かれることこそなかったが、その一撃はエルザマリアを怯ませるには十分だった。

 

「やらせない! オール・ザ・ウェイ!!」

 

対して、ルドガーは銃へと持ち替えて水の波紋を撃ち出し、さやかの周囲に群がる残りわずかな使い魔達を一掃する。

既に弱っていたのもあるが、エルザマリアが怯んだ隙を突いて一気に駆け抜けて距離を縮める。

赦しを乞うような呟きを繰り返しながら、エルザマリアは遅れながらもルドガー達を迎え討とうと両手を空に翳し、自身の周りに大樹の根のような歪な触手をいっぺんに生やしてみせた。

その枝のひとつひとつが、まるで千枚通しのように鋭く造られている。

すんでの処で身を引いた2人は触手に触れることはなかったが、そうでなければ危険であった。

エルザマリアはまず、ルドガーめがけて触手を振るい出す。ルドガーもさらに1歩下がり、炎のエネルギーを込めた弾丸を撃ち出して触手を迎撃してゆく。

さやかも斬撃の衝撃波を放って触手を薙いでゆくが、硬質な触手には物理的な攻撃は有効ではないようだった。

 

「こいつ、硬い…!?」

「さやか、タイミングを合わせろ!」

「は、はいっ!」

 

触手を躱しながらさらに後ろへと下がり、錬成したサーベルを触手に向けて撃ち出す。そのサーベルに向かって、ルドガーが炎のエネルギーを込めた銃弾を何発も撃ち込んだ。

さやかの投げたサーベルには信管が備わっている。それに炎が触れた瞬間、爆弾のようにサーベルが弾け、触手を苛烈な炎で焼き払った。

しかし、その奥からさらに触手が伸びてくる。先を小寄らせ、針を突き刺すかのような勢いで触手はさやかめがけて急接近してきた。

 

「しまった、やば…!」

 

対応に遅れたさやかは、2刀のサーベルを重ね合わせて触手を受け止めようとする。しかし細身の半月刀では、触手の攻撃は防ぎきれないだろう。

 

 

『……………ダメ………!』

 

 

えっ? と、さやかは自分の耳を疑い、次に、目の前で突如として静止した触手を見て驚く。

今の一撃が決まっていれば、触手は確実にさやかの下腹部にあるソウルジェムを砕いていただろう。

それがなぜ、直前で止まったのか。

 

『……………サヤカ………チャ、ン………』

「……まさか、ほむらなの…?」

 

魔女の放ったその一言で、さやかはエルザマリアの中にはまだほむらの意志が残っているのだと感じ取る事ができた。

エルザマリアに取り憑かれ、蝕まれてもなお親友だけは守りたい、と強固な意志を持ち続けていたのだろう。

 

『……………ハヤ、ク………』

 

その様子を隣で見ていたルドガーも、時歪の因子に抗うだけの意志があのほむらに有った事に驚きを隠せないでいた。

そしてその一言は、さやかの覚悟を後押しするには十分なものだった。

 

「…ほむら、今終わらせるからね。やろう、ルドガーさん。あたし達の全力をぶつけよう!」

 

腹を決めたさやかはサーベルを地面に突き立て、そこを中心に持ち得る限りの魔力を練り上げ、陣を描いた。

陣の周囲の気温はみるみる下がってゆき、水を通り越して霜を地に生やす。

 

「ああ、行くぞさやか!」

 

リンクを繋いだまま、さやかの練る魔力に同調して意識を集中させ、自らの剣を仕舞い、さやかと共に地に立てたサーベルに手を重ねる。

しかし、触れた手がかすかに震えている事にルドガーは気付いた。

ふと顔を見れば、氷のように冷えた手先とは反対に、さやかの双眸からは温かさを持った雫が零れていた。

 

「………さやか…」

「…大丈夫、あたしは大丈夫だよ。あの娘を救うには、こうするしかないから…」

「ああ…これで、終わりにしよう! 来い、絶氷の剣!!」

「断罪の……剣ッ!!」

「「その身に、刻めぇっ!!」

 

共に握りしめたサーベルを高く掲げると、氷の陣から冷気と魔力が刃に向けて流れ込み、一回りもふた回りも大きな刃へと変質してゆく。

それは2人の硬い意志を示しているかのように、金剛石のような煌めきを見せた。

 

 

 

 

 

 

「「セルシウス・キャリバー!!」」

 

 

 

 

 

夥しい冷気と、気圧の変化によって生じた風を刃に纏わせて、一気に振り下ろす。

膨大なエネルギーの塊となった巨大な刃は、エルザマリアへと吸い込まれるように飲まれ、圧縮されたエネルギーを全て爆裂させ、周囲の空間を氷獄の世界へと塗り替えていった。

 

 

『─────アァァァァァァァァ!!』

 

取り込まれたほむらのものではない、エルザマリア自身の甲高い断末魔が響き渡る。

影によって象られた結界は綻びを見せ、モノクロームの世界の隙間から太陽の光が覗きだした。

そうして、悪夢はようやく終わりへと向かい始める。

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

「………ここは、まだ分史世界なのか…?」

 

影の結界は完全に晴れたものの、もとの"分史世界の"見滝原中学の校庭へと戻ってくることとなった。

しかし、生徒や教師はみな命を失い、生き残ったのは気絶したほむらとキリカ、その2人を看ていた仁美、そしてルドガーとさやかだけだ。

時歪の因子であるエルザマリアは氷剣の一撃によって消滅した。それと共に分史世界も滅びる筈なのに、とルドガーは疑念を抱くが、隣にいたさやかはいち早く別のものを見つけ、ルドガーを置いて駆け出していった。

 

「─────"ほむら"!!」

 

ルドガーも慌ててさやかの姿を目で追い、それから早歩きで追い付く。

さやかが向かった先には、つい今までエルザマリアが立っていた筈だった。しかしそこにいたのはエルザマリアではなく、分史世界の暁美ほむらだ。

…ただし、その姿は異質なものによって蝕まれつつあったが。

 

「なに……これ……」

 

さやかがほむらを抱き起こすと、その身体の殆どが黒色に変質していた。まるで、時歪の因子化を引き起こした骸殻能力者のように。

わずかに残った白い肌が、かろうじてほむらがまだ蝕まれきったわけではない、と気付かせる程度だ。

 

「…さやか、ちゃん……?」さやかの腕に包まれたほむらが、ゆっくりと口を動かして言う。

「ほむら! しっかりして!」

「……私、ひどいことしちゃった……みんな、死んじゃったんだよね…?」

「あんたのせいじゃないよ…! 悪いのは…」

「ううん…わかるの。ここに、悪いやつがいるんだよね…?」

 

ほむらは黒く染まった右手で、自分の左胸…心臓のある処を指して言った。

その部分へと瘴気がじわじわと集まり、かすかに魔女の反応、あるいは時歪の因子の反応がする。

即ち、時歪の因子の正体は"暁美ほむらの心臓"だとようやく気付くに至った。

 

「……お願い、さやかちゃん。また化け物になっちゃう前に……私を、殺して…?」

「ほむら……あんた………」

「わたし…化け物になんてなりたくないよ……もう、誰かを傷つけるのは…イヤ……うっ、あぁぁぁぁっ……!」

 

心臓に少しずつ収束してゆく瘴気の影響か、ほむらはまた胸を押さえて呻き始めた。

このまま放っておけば、確かにほむらの言うとおり再びエルザマリアが覚醒してしまうだろう。

故に、さやかがすべき事もひとつしかなかった。

 

「………ルドガーさん、"槍"を貸してくれませんか…?」

「さやか、無理はするな。…時歪の因子を破壊するのは、俺の役目だ」

「わかってます。…でも、これだけは譲れません。あたし、約束したんです。"最期の時は一緒にいてあげる"……って」

 

その声色には、もはや迷いなどなかった。

さやかの意志を汲み、エネルギーが1/4だけかろうじて溜まった骸殻を発動させて、体格に合わせて少し小振りの槍を造る。

それをただ黙ってさやかに差し出すと、さやかも無言で槍を受け取り、今一度ほむらの顔を見つめる。

 

「……ごめんね、ほむら」

「はぁ…はぁ……っ、ううん……私ね、さやかちゃんと友達になれて……ほんとに幸せだったよ…大好き、さやか…ちゃん……」

「あたしも、大好きだよ……! う……うぅぅぅあぁぁぁぁっ!!」

 

大粒の涙を流し、嗚咽を洩らしながら、手に持った破壊の槍を時歪の因子に突き立てた。

びくん、とほむらの細い身体が震え、指先から少しずつ砂のように散ってゆく。

最後に、わずかに唇を動かして、何かを呟く。それは目の前のさやかにしかわからないような、声にならない言葉だった。

 

「…さよなら、ほむら」

 

別れの言葉を返すと同時に、時歪の因子に侵されたほむらの身体が完全に塵となって空に溶けた。

それと共に、造られた世界にもひびが入ってゆく。

あとに残されたのは、因果を貫く破壊の槍と、その先端に穿たれた、光輝く小さな歯車型の結晶だけだ。

 

「………そんな、これは!?」

 

偽りの世界が崩壊してゆくなかで、槍の先端に突き刺さった結晶を見てルドガーはさらに衝撃に追われることとなる。

そこにあるのは、かつて約束の地へと渡る為に、世界を壊し続けて集めた筈のモノ。

正史世界からはとうの昔に消え去ったはずの証───"カナンの道標"に他ならなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:7 天翔る翼と、祈り
第25話「それだけが心残りだよ」


1.

 

 

 

 

 

 

 

1日ぶりに迎える正史世界での朝は、少し湿ったような空気を肌で感じながら迎える事となった。

現在休校中であるため、昨夜は一切の目覚まし時計を止めて眠りに就いたものの、自然に目が覚めたのは9時前と、そこそこな時間である。

さやかはまず自室のカーテンを開け、それから窓を開けて空気を入れ替えようとするが、外気もさして変わらず、湿気を帯びているようだ。

昼になればマミたちと落ち合う約束をしているが、それまではこれといったスケジュールはない。

仁美と共に丸2日家に帰らず、危うく捜索願いを出すところだった、と親にこってり絞られた事を思い出し、ブルーな天気と心持ちがシンクロしてしまう。

魔女の事を話すわけにもいかず、言い訳をするのに随分と難儀したものだ、とため息をついた。

ろくに使った試しのない勉強机の上には、この世のどんな理論でも説明のできない物質、仕掛けによって成り立っている、光り輝く歯車型の結晶が煌めいている。分史世界から持ち帰る事のできた、数少ない"形見"である。

 

「"カナンの道標"かぁ……」

 

エレンピオスの分史世界ならまだしも、見滝原を模した分史世界に存在などするはずのないモノ。

分史世界のほむらの心臓にソレが充てがわれていたというならば、この道標はさしずめ"方舟守護者の心臓"にあたるのだろうか。

いずれにせよ、ルドガーにすら理解することができず、何の説明も聞かないままさやかが譲り受けたのだ。

ただひとつ遺された、親友の形見として。

 

「……あんたの事、忘れないからね」

 

返事はあるはずもないが、それでも胸に秘めた決意を改めて自分で確かめるように、道標に向けてひとり呟いた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

その数時間前───正史世界において、ルドガー達が分史世界へ侵入してから丸1日が経過した夜。

キュゥべえの分体によって時歪の因子を破壊してルドガー達が帰還した事は2人の少女達へと報され、夜中であるのも構わずにマミと杏子はキュゥべえの案内によって見滝原中学の前まで急行していた。

辺りにひと気がなかった事が幸いだったが、駆けつけたマミと杏子は帰還した仲間の顔を見てすぐに、"何か唯ならぬ事があったのだろうか"と察した。

 

「………よう、遅かったじゃねえか」と、杏子は敢えて普段通りの口調を心掛けたが、そのトーンは低い。

迎えに来た2人が確認したのは"5人"。さやかの拉致に巻き込まれた仁美、倒れたほむらを担いださやか、そして、同じく意識のない"見た事のない少女"を抱きかかえたルドガーだ。

 

「……ソイツ、誰だ?」

 

杏子が指差した見知らぬ少女は、どことなくさやかに似てるような艶のある黒いショートヘアと、端整な顔立ちが印象的だった。

 

「呉 キリカっていうんだ。分史世界で出会った女の子だよ」

「連れて帰って来たのか? だって、分史世界とかいうのは壊したんだろ?」

「…そうだ。この娘が、分史世界の唯一の生き残りだよ」

 

正史世界に帰還したとき、キリカはほむらと共に仁美の近くで寝かされている状態だった。

本来なら分史世界で手に入れたモノや出会った人達は連れ帰ることはできないが、骸殻能力者の中でもごく少数に存在する"クルスニクの鍵"の力を持つ者だけは、それを可能とする。

過去に分史世界のミラを正史世界に連れて来てしまったのも、ルドガーに同行していたエルがクルスニクの鍵の力を保有していたからだ。

或いは、平行世界を渡り続けてきたほむら自身にもそれに近い才能があったのか。

どちらにせよ、このキリカは以前の"ミラ"のように、自分のいた世界が壊されたなどと露ほども知らずに眠りに就いているのだった。

連れて来てしまったからには、ルドガーには新たな責任が伴うこととなる。

かつてのミラと同じように、生活面あるいは精神面でもフォローが必要となるだろう。

それ以前に、"自分の世界はもうない"という事実を受け入れてくれるかが問題だが。

 

「…さやかさん、この方達は? もしかして…」

 

と、この場で唯一魔法少女ではない仁美が尋ねる。

こうしてさやか達を夜遅くに迎えに来たということは、さやか同様に魔法少女なのだろうか、と察していた。

 

「そうだよ。みんな、あたしの先輩たち」

「やはり、そうでしたか。…魔法少女というのは、こんなに居るんですのね」

「まあ、ねぇ。あんたは絶対なっちゃダメだかんね?」と、さやかは改めて仁美に釘を指した。

 

「美樹さん、暁美さんは何があったの…?」

 

と、マミは杏子とは違う方に関心を向け、さやかに問いかけた。

というのも、ほむらが戦闘後に気を失うということはまず間違いなく、黒翼を暴走させたからだと察しがついたからだ。

それに加えて、切ったばかりの髪も元の長さに戻っていることもマミの注目を惹いていた。

 

「…あたしらを守るために羽根の力を使ったんです。それも、2回も。2回目なんて、酷かったですよ…ほむら、自分がピンチになれば羽根が生えるって思って、銃で自分の頭を……!」

「なんですって!?」

「……"これが私の覚悟だ"って、言ってましたよ。あたし、何もできなくて……」

「…美樹さん。その話は鹿目さんには内緒よ」

 

さやかの背中にもたれ掛かる格好で眠っているほむらの表情は、幸いにも今のところうなされているようには見えない。

人肌が安心感を与えているからだろうか。或いは"守ることができた"という充足を感じているからか。

それを推し量ることは、誰にもできなかった。

 

「…とりあえず、帰りましょう。ルドガーさん、その"キリカ"っていう娘は私達が預かろうかしら?」

「平気なのか?」

「ええ。使ってない部屋ならまだあるし、あなたも暁美さんを看てあげなくちゃいけないでしょう?」

「そうだな…助かるよ。でも、今日のところは俺が看るよ」

「?」

 

提案を柔らかに断ったルドガーに対し、マミは疑問を抱く。しかし、キリカに関しては一筋縄ではいかない事がひとつあったのだ。

 

「この娘は分史世界の杏子と仲が良かったんだ。……けど、その杏子は目の前で殺されたんだよ」

「…それって、魔女に…よね。つまり、落ち着くまでは佐倉さんとは会わせない方がいいって事かしら」

「そうだ。…目を覚ましたら俺の方からキリカに説明しておく。そうしたら顔を合わせよう」

「わかったわ。…とりあえず、暁美さんの家に運ぶまでは手伝うわ。この時間に男の人が女の子抱えてたら怪しまれるもの」

「へっ!? いや俺はそんなつもりじゃあ……」

「わかってるわよ、だから私が運んであげるって言ってるのよ。それに疲れてるでしょ?」

「…ありがとう」

 

キリカを起こさないように渡すと、マミは特に苦もなくキリカの身体を抱えた。

魔力で筋力を補っているのもあるが、キリカが小柄であるという事を考慮してもとにかく軽いのだ。

それは隣にいる杏子達も同様だったようで、同じような流れでさやかからほむらを渡された杏子も、

 

「うっわ、コイツ軽すぎだろ…何食ってんだ普段?」

 

と、ぼやいていた。

これでもルドガーが来てから食生活はかなり改善されているのだが、元々食が細いのと過去に携帯食料ばかり食べていた事が原因となっているのだろうか。

 

「とにかく、運んでやっからアンタらは休め。…天気予報見たけど、近いうちにまた雨が降るらしいぞ」

「雨が…!? そうか…」

 

杏子から天気予報を聞かされたルドガーの表情が険しくなる。同じ事をさやかも感じていたようで、ぴくり、と背筋を張り詰め、

 

「"あいつ"との決着が近い…ってわけね」

 

と、来たるべき日を予感していた。

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

翌朝になるとルドガーはやや硬いカーペットから身を起こし、まずテーブルを挟んで反対側に布団を敷いて寝かせたキリカの様子を見た。

顔色は幾分か良くはなっていたが、疲労が溜まっているのだろう。泥のように眠り、すぐには目を覚ます様子はないように見える。

それを確認したルドガーはテレビをつけ、昨夜の杏子の言葉を思い出しながらニュースの天気予報をチェックし始めた。

テレビ画面の右上にある時刻表示は現在が10時前である事を指し、画面の中央にはまるでアイドルのような若い女性キャスターが映り、やや不慣れな様子で天気図を指している。

ルドガーには日本列島の形やどこに何の町があるのか、といった知識は一切なかったが、"G県"一帯に局地的な厚雲が観測されている、というキャスターの言葉が耳に残った。

 

「杏子の言うとおりだな……」

 

季節の変わり目ともなれば天気は不安定になるのは有り触れた事なのだが、時期を見ても"人魚の魔女"と関連しているのはほぼ間違いない。

さらに予報ではG県では明日の夜、早ければ昼間から雨が降り始めるだろう、と告げている。

影の魔女の分史世界から帰還して間もないが、待ってくれるほど敵も親切ではないようだ。

そこまで考えたところで、寝室に寝かせてあるほむらの容態も気になりだした。

続けての羽根の力の使用によってかなり消耗しているだろう。ここ最近はひと晩眠れば起き上がるまでにはなっていたが、下手すれば最初の時のように数日目を覚まさないという可能性もゼロではない。

戦いにおいてはもちろんのこと、これではまたまどかに心配をかけさせてしまう、とルドガーはいたたまれない気持ちになった。

居間からほむらの部屋の前へと移動し、ドアを少しだけ開いて様子を見てみるが、未だベッドの上で、どこかうなされているような風に眠りに就き続けているだけだった。

ほむらよりも先にキリカの方が先に目を覚ますだろう、と考えたルドガーは台所へと戻り、黙々と食事の用意へと移っていった。

 

「…………ん?」

 

にゃあ、と何処からともなく丸まっていたエイミーがルドガーの足元に擦り寄ってくる。

 

「おまえも、腹が減ったのか?」

 

ここの処、魔女の騒動続きであまり構ってやれていなかったなと思い、まず先にエイミーの餌を用意してやる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

牛乳と野菜の煮込まれたような匂いを微かに感じ取り、キリカはようやくうっすらと目を開き、ぼんやりとしながら意識を取り戻した。

 

「…………? ここ、は…どこ…?」

 

無意識のうちにそう呟きながら周囲を見回すと、やや古そうな内装の狭い部屋と台所に立つルドガーの姿が目に入る。

男が調理場に立っててきぱきと手を動かすなどといった様子はキリカにとって初めて目にするものだったが、ルドガーのやけに手慣れた所作を見ているうちに違和感はたちまち消えてゆく。

 

「目が覚めたか、キリカ」

 

鍋をゆっくりかき混ぜながら振り向いてルドガーが声をかけた。

 

「う、うん…ここは? 私達は確か魔女と戦って………」

「…魔女は俺とさやかとで倒したよ。ここはほむらの家だ」

「……そうだ、あの魔女は恩人を…!」

「落ち着くんだ、キリカ。…その事で、大事な話があるんだ」

 

ルドガーが混ぜていた鍋の火を止め、出来上がったシチュー風味のスープを器に2人分注いでテーブルへと運ぶと、食欲をそそる香りがキリカの喉を鳴らす。

 

「食べながらするような話じゃないけど……腹、減ってるだろう? よかったら食べてみてくれ」

「……ありがとう」

 

ルドガーに促され、困惑しながらもスプーンを手にとってスープを掬い始める。

それを確認すると、ルドガーもようやくひと安心したようにスープを飲み始めた。

 

「……話って、なにかな」スプーンを運ぶ手を止めないまま、キリカはルドガーに尋ね返した。

「昨日の魔女なんだけど…あいつはただの魔女じゃない。それはわかるな?」

「…そうだね、アレは普通じゃなかった。強いとかじゃなくて、もっと他の…なんていうか、よくわからないんだけど」

「…あの魔女は、平行世界を創るだけの力を持ってたんだ。俺達は魔女を倒す為にこの世界からその平行世界に向かったんだ」

「………待って、平行世界?」

「そうだ。俺達は"分史世界"って呼んでるけどな」

 

ルドガーの言葉の意味に理解が追いつかず、キリカはただ呆けたように話を聞いていた。

いつの間にか、スプーンを運ぶ手も止まってしまっている。

 

「まさか、私のいる世界が魔女によって創られたモノだとでもいうのかい?」

「……信じられないだろうけど、そうだ」

「…じゃあ君は、他の世界から来た人って事なのかな」

「ああ。そうなるな」

「魔女は倒したんだろう? いつ元の世界に帰るんだい?」

「………ここが、俺達の元いた世界だよ」

「えっ…?」

「………すまない、キリカ。お前のいた世界はもうない……魔女と一緒に消滅したよ」

 

ルドガーはいよいよ決定的な一言をキリカに告げた。

いきなり"自分のいた世界は滅びた"と言われても、簡単に信じるはずがない事は百も承知の上だ。

過去に分史世界のミラに同じ事を告げた時も、最初は困惑し、次に怒り、涙を流し、自身を紛い物と卑下し、自棄に打ちひしがれたのだ。

ミラの場合は騙して協力させた事と、依存先であった姉のミュゼを殺してしまった事もあり、その怒りはもっともだったのだが、果たしてキリカの場合はどうなのか。

少なくとも、正史世界のキリカは既に死んでいる故に自分を偽物と考えることはないだろうが、ただそれだけのことだ。

 

「…………私の帰る場所はもうない。そういう事?」

「……そうだ」

「私だけが、生き残ったって事なのかな」

「…ああ、君だけだ」

「…どうして、私だけが助かった…いいや、助けたのかな」

「! それは…………」

 

なぜ、と問われてルドガーは返答に困ってしまう。

キリカを連れてきてしまった事は、はっきり言えば偶然に等しい。たまたま"鍵の力"を持つルドガーの近くにいたからであり、その"鍵の力"もまた、元々はルドガーの力ではなくエルの力であり、どうした事かルドガーが引き続き使えている、というだけの事なのだから。

とはいえ、そのままキリカに対して"君を連れてきたのはただの偶然だ"などと言ってしまえば、傷つけることになるだろう。

魔法少女にとって精神的ショックは致命的であるのもそうだが、それ以前にキリカもまた15にも満たないであろう少女なのだ。

それに、キリカを放っておけなかったのもまた事実だ。分史世界の住人とは言えども、見殺しにすることなどルドガーにはできなかった。

言い訳がましい、とルドガー自身も内心考えるが、

 

「…君を失いたくなかったからだ」

 

と、キリカを傷つけないよう言葉を選んで返した。

 

「………そんな事言われたの、初めてだよ。恩人にだって言われた事ない」

「え……?」

「ふふ…あははっ、今のセリフ、まるで愛の告白みたいじゃないか」

 

キリカは一瞬拍子抜けしたような顔をしたかと思うと、無邪気に微笑みながら答えた。

 

「こ、告白!? いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃあ……」

「…私はね、誰かに必要とされたことがあまりなかったんだよ。恩人だけだったかな? 私を頼ってくれたのは。恩人には魔女に殺されかけたのを助けられたし……魔法少女としての生き方も教わった。だからその分、私は恩人に協力していたんだ。"命の恩人"だからね」

 

分史世界の杏子は確かに、キリカとコンビを組んで魔女狩りをしていた。ただそれは、本当の意味での協力関係と言えたものだったろうか。

正史世界の杏子でさえも、魔法少女の真実を知るまでは損得でものを考え、ほむらと対立しかけていたのだから。

そういった意味では、分史世界の杏子は心の底からキリカを必要としていたのか、疑問符が浮き上がる。

それを肌で感じて察していたのは、良くも悪くもキリカだけだろう。それでも、キリカは杏子の傍に居続けたのだ。

 

「…自分でも意外だけどね、私の世界がなくなった、って聞かされてもあんまり驚いていないんだよ」

「それは……どうして?」

「さぁ、何故だろうね? たぶん、私にとって世界なんてその程度の価値しかなかった、って事じゃないのかな。………誰も私を必要としない。だから、私も何も必要としない。恩人と出会う前まではそう思っていたし、そうでなければ多分私は今も独りだったと思う」

「寂しく、ないのか」

「それが当たり前になってしまえば、何も感じなくなるものだよ。……でも、ダメだね。恩人といるのが当たり前になってたからかな……少し、胸が苦しいよ」

 

気丈そうに語るキリカだが、それが平静を装っていることは一目でわかってしまった。

大切なものを失ったばかりで、冷静でなどいられるはずがないのだ。

影の魔女に杏子を殺されたのを目の当たりにした時、キリカは確かに我を忘れるほどに激昂していたのだから。

 

「キリカ、これを」

「えっ…何を?」

 

ルドガーは机の上に置かれたキリカの左手に、懐から取り出した影の魔女のもうひとつの遺物、グリーフシードを当ててやった。

案の定、キリカの左指の指輪からは多量の穢れが漏れ出て、グリーフシードへと吸い込まれてゆく。

ルドガーの予想通り、本人の自覚もないままにソウルジェムが濁っていたのだ。

 

「………まさか、こんなに濁ってただなんてね」

「平気そうに見える時ほど、人の心ってのは脆くなってる。…俺は、今までそんな人達を何人も見てきた。

…キリカ。君のいた世界を壊した俺がこんな事を言うのもおかしいけど……どうか、俺達と一緒に戦ってほしいんだ」

「それは、君は私を必要としている、という事なのかな?」

「………そうだ」

 

その言葉を聞いたキリカの顔つきは、暗く俯いた様子から少し嬉しそうな表情へと変化した。

 

「そっか……そうだね、あんな熱烈な告白をされたとあっては、私も相応の恩を返さなければならないからね」

「あ、あれはそういう意味じゃなくてだな!?」

「ふふ、形はどうあれ君が心から私を必要としてくれるなら。"ここにいていいんだ"って言ってくれたなら、私は君の為に全力を尽くすと誓うよ。

………もう、独りぼっちはイヤなんだ」

 

それは恐らく、キリカなりの精一杯の言葉なのだろうとルドガーは感じた。

必要とされる事で初めて自分自身に価値を見い出すことができる。だからこそ、"認められる"事こそがキリカにとって何よりも重要なのだ。

それは見方を変えれば、盲目的な依存性質とも取れる危ういものだ。

恐らく常に不安定であるキリカの精神は、ひとたび憶えた"頼られる事"による充足感を忘れることはできないのだ。

果たしてそれに応えることが、キリカにとって本当に良い事なのかはさておき、独りきりで正史世界へとやって来たキリカを放っておくことなど、ルドガーにはできるはずもない。

だが、幸いにもルドガーには仲間達がいる。彼女達が許すならば、キリカを孤独にさせる事などないだろう。

 

「……ありがとう、キリカ」

 

家主が未だ眠り続けるなか、ここに新たな絆がまたひとつ紡がれることとなった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

遅く始まった朝食の片付けも終え、まもなく昼になろうという頃に、来訪者を告げるチャイムの音が響いた。

エイミーとじゃれていたキリカが立ち上がろうとしたが、洗濯物をベランダに干している最中だったルドガーがキリカを止めて、待っていたように玄関へと向かい、鍵を開けて迎える。

特に示し合わせていたわけではないが、ドアの前にはまどかが手提げ鞄を携えて立っていた。

 

「おはよう、まどか。来ると思ってたよ」

「おはようございます。キュゥべえから「帰ってきた」って教えてもらって……ほむらちゃんは?」

「まだ、眠ってるよ」

「そうですか…………えと、誰か来てるんですか?」

 

まどかは自分の靴を脱ぐ前に、見慣れない靴が一足置かれているのを見つけて尋ねた。

 

「ああ、説明すると少し長くなるんだけど…分史世界から連れてきた娘だよ」

「つ、連れてきた…!?」

 

予想もしていなかった事を聞かされ、慌ててそのまま居間に向かうと、ルドガーの淹れたコーヒーを飲みながら綺麗な姿勢で座るキリカの姿が視界に飛び込んできた。

やや短めの艶のある黒髪をしたその姿は、まどかにとっては確かに初めて見るものだ。

 

「……ん、君はルドガーの…いや、ほむらの友人かな?」

「え、えと………か、彼女ですっ!」

「……………えっ?」

「あっ…!」

 

つい反射的に答えてしまったまどかは、急に困惑し出したキリカの顔を見て"しまった"と思った。

キリカはまどかとほむらの関係など知るはずもないし、ましてその関係は一般的ではないのだ。いきなりそんな事を聞かされても返答に困るのは当然だ。

しかしキリカの返した言葉は、さらに場を混乱させるようなものだった。

 

「………なんてことだ。確かに彼女は芯の強そうな性格だとは思っていたけれど、ほむらは実は男だったのかい!?」

「ふぇ!? ち、違いますよ!」

「なら君がかい!?」

「違いますってば!」

「……えっと、あれ?」

 

助け舟を求めるように、キリカは冷や汗をかきながらルドガーの方を見た。

戦っていた時の凛々しさなど微塵も感じられない、本気で困惑しきったキリカのその表情は一種の庇護欲すらくすぐってくるが、それ以前にキリカの恋愛観に対する認識は、いつぞやの杏子を彷彿とさせるものがあった。

 

「キリカ、君にはまだ難しい話かもしれないけど…2人は本気で想い合ってるんだよ」

「………?? どういう事なんだい。だって2人とも女の子なんだろう?」

「ええと…キリカは、今まで誰かを好きになった事はないのか?」

「……恩人の事は、好きだったよ。もちろんルドガー、君の事も大好きさ。料理はおいしいし、私に優しくしてくれる。…けれど、それとこれとは違うんだろう?」

「……あぁ、そういう事か」

 

なるほど、とルドガーはようやく納得することができた。

つまりキリカの"好き"は"LIKE"であり、"LOVE"つまり恋愛経験がないのだ。その2択の区別はついていても、恋愛とは何であるかすらもわかっておらず、単に男女間の繋がりを指すものという認識しかないようだ。

告白がどうのと冗談めかしていたのも、メディア媒体からの受け売りなのだろう、とルドガーは肩でため息をついた。

 

「まあ、その話はあとでゆっくりするとして…まどか、来て早速だけどほむらを看てやってくれるか?」

「はい、もちろんです」

 

ルドガーに頼まれるまでもなく、まどかの足取りは既にほむらの部屋の方を向いていた。

少し大きめな手提げ鞄の中には恐らく看病のためのものが入っているのだろう、などと思いながら、ルドガーは残りの洗濯物を干しにベランダへと戻った。

 

「ねぇ、ルドガー。やっぱり私にはまだよくわからないよ。ちゃんと教えてくれないかい?」

 

キリカは2人の関係がどういったものによって成り立っているのか、煮え切らない気持ちをそのままに、ルドガーを追ってベランダへと顔を出した。

 

「…あんまり俺がしていい話でもないんだけどなぁ」

「だって、こんな事彼女に直接なんて訊けないよ」

「そうだな……誰かを好きになるのに、性別とか人種とか、そういうのは関係無いってことだよ。

俺の故郷も、ちょっと前は世界が2つに分かれてたし、人種差別も少なくはなかった。でも、そういうのを乗り越えて愛し合った人達もいたんだ。もちろんあの2人もそうだ。大事なのは心と心の繋がりなんだと思うよ」

「………心と、心?」

「そのうち、キリカにもわかる時が来るさ」

「………ふぅん。ならルドガー、君はどうなのさ」

「えっ、俺?」

「そ。君は、誰か好きな人はいるのかい?」

 

逆に問い返され、白無地のタオルを干していたルドガーの手がつい止まってしまった。

キリカはやや期待のこもったような、好奇心に満ちたような眼でじっ、と見つめてくる。

 

『私のこと、一生憶えてなさい』

 

キリカに見つめられて脳裏に浮かんだのは、いつかの魔女の幻影の中で見たミラの言葉だった。

 

「ああ、いるよ」

「! …そのひとはどんな人だい? ぜひ会ってみたいね」

「……悪い、それはできないんだ」

「…それは、どうして?」

 

逢えない、と再確認させられた事で、胸を締め付けられるような感覚に苛まれる。

ミラを失ってからずっと消えずにいた無念さ、喪失感だ。

ああ、きっとほむらは"これ"の何倍もの痛みを抱えながら過ごしてきたんだろう、と思いながらルドガーは答えた。

 

「もう、いないんだ。…どんなに探しても、もう2度と逢えない。彼女はもう、この世界のどこにも存在しなくなってしまったからな」

「………死んでしまった、ということかい?」

「……それすらも、わからないんだ」

 

正史世界に同じモノは2つと存在できない。

分史世界の住人であったキリカが存在できるのも、"正史世界の呉 キリカ"が故人となっているからこそだ。

ミラ=マクスウェルが正史世界に居続ける限り、ルドガーの求める"ミラ"が再び現れることは決してない。また、その逆も然りだ。

それをわかっていたからこそ、彼女はあの時ルドガーの手を振りほどき、次元の狭間へと落ちていったのだ。

そうしてルドガーは、"自分はいつの間にか彼女に惹かれていたんだ"と失って初めて気付かされたのだ。

 

「………それは、辛いね。愛だとか恋だとか、私にはまだよく分からないけれど…きっと私なら、心が折れてしまうよ」

「…そうだな。でも、立ち止まるわけにはいかなかった。俺には"為すべき事"があったから。

……だけど、せめて"好きだ"って伝えたかった。今はそれだけが唯一の心残りだよ」

 

 

幻影の中で与えられた"呪い"と称された温かさだけが、ルドガーに遺された唯一の想いだ。

けれど、あれは所詮魔女が見せた自分の願望なのではないか、と思うことはある。

どちらにせよ、その温かさが残り続ける限り、ルドガーは一生彼女の事を忘れることはできないのだ。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

正午を過ぎた頃、ひと気のない鉄道のガード下の空き地にそれぞれ赤、青、黄の髪色をした少女達が集まっていた。

既に各自は戦闘衣装を身に纏い、魔力で加工して刃を潰した得物を構えている。

 

「おいマミ、もういっぺん聞くけどよ」杏子は相変わらず駄菓子を口に咥えながら、ぶっきらぼうに尋ねる。

「今から戦闘訓練なんかやったって、間に合うのかよ? 明日には雨が降ってきて、もしかしたら人魚の魔女がまた攻め込んで来るかもしんねーんだぜ?」

「だからこそ、よ。少しでも腕を磨かないと……悔しいけど、まるで太刀打ちできなかったもの。

暁美さんに頼るのもナシよ。まだ目を覚ましてないらしいし…あれ以上羽根の力を使わせちゃったら、負担が大きすぎて本当に危険だもの」

「あたしは賛成ですよ、マミさん。できる事は何でもやっておきたいですもん。…できれば、あいつの回復魔法の対策も見つけたいですけど」

 

同じ戦い方ができても人魚の魔女と違って使える魔力には限度があり、それは魔法少女である限りは埋めることができない絶対的な差だ。

先日の自身の戦いを振り返ってみても、改めてそれを思い知らされる事態に陥ったのも事実だ。

マミはその差を埋める為に、僅かでも鍛錬を積もう、と提案したのだ。

 

「さやか、あいつはもう1人のアンタなんだろ? なんかわかんねぇのか?」と、至極当然といった風に杏子が訊く。

「それがわかってたら、特訓なんてしないで休んでるわよ。

あたしもずうっと考えてたけど、結局なんも思いつかない。…やばいよねぇ、このままだと。あ。でもいっこだけ気になった事があったんだわ」

「なんだい、そりゃ?」

「…あいつは、元魔法少女だけあって魔法少女の事をよく識ってる。けど、それならあたし達をさっさと殺してもおかしくない筈なんだ。

ほら、あたしらってソウルジェム壊されたら死んじゃうじゃん。でもそれをしなかったのはどうしてなのかな…って」

「舐められてるだけじゃねえのか、それって」

「そうかもしんないけどさ! …それに、あいつの言ってた事も気になる。"円環の理"だったっけか……

"全ての魔法少女の行き着く先、限界を迎えた魂を救済する存在"とか言ってたんだ。…それに、それはまどかの願いによってのみ創られるって」

「……という事は、鹿目さんの持つ強い素質がその"円環の理"に関わってるという事かしら。…でも、あの人魚の魔女の言い草だと、まるで天国か何かみたいな感じだったわよね」

 

"円環の理"というフレーズについては、マミも気にしており考えていたところがあった。

人魚の魔女はまどかに呪霊術をかけ、とある願いを叶えさせようと脅迫まがいの事までしてのけたのだ。

その願いこそが、"過去から未来においての、全ての魔女の消滅"である。

 

「……あの時、どうして人魚の魔女は鹿目さんに"魔女を消し去ること"なんて願わせようとしたのかしら。

そんな事をすれば、自分だってタダじゃあ済まない筈なのに」

「ですよねぇ……例えば、まどかがそれを願う事でその"円環の理"ってのが生まれる…とか?」

「はっ、何だそりゃ。アイツ、テメェで成仏したがってんのかよ?」と、杏子もわざとらしく悪態をつく。対してマミは、

「あながち間違いではないかもしれないわよ? 魔女になったって事は、ソウルジェムを浄化できなかっただけじゃなくて、何かに絶望した可能性だって十分考えられるわ。

だとしたら、救われたい…って思うのも有り得ない話じゃあないわ」

「まどかの命を使って、か? そりゃあほむらがブチ切れるわけだ。…アタシはこう見えて、人間のイヤな部分ってのはよぉく識ってるつもりだったけどさぁ……あんなに憎しみに満ちた人間の顔なんてそうそう見られるもんじゃねぇぞ」

 

それは杏子だけが感じていたものではなかった。こと、ほむらはまどかの事になると冷静さを欠く傾向にあるとは承知していたが、ああも自分を見失う程に暴走するとは思ってもみなかったのだ。

実際はマミだけは、ほむらが暴走する瞬間を3度は見ていたのだが、最後にほむらが人魚の魔女に対して向けた視線は、魔法少女としての使命感とはかけ離れた紛れもない"殺意"。

人魚の魔女がした行為は卑劣そのものであったが、それは確かにほむらの逆鱗に触れるものでもあったのだ。

或いは、それすらも承知の上での"嫌がらせ"だったのだろうか。

 

「………話ばかりしていても仕方ないわね。美樹さん、佐倉さん。特訓始めましょうか」

 

人魚の魔女の思惑や円環の理など、分からない事ばかりではあるが、とにかく現状を打破しなければならないのだ。

人魚の魔女に勝たなければ、ワルプルギスの夜を迎えることすら叶わないのだから。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

午後7時を廻り、すっかり日も暮れて室内灯を点けた下では、背の低い円卓を挟んで向かい合わせにまどかとキリカが腰を落ち着けていた。

台所ではルドガーがいつもの如く鮮やかな手つきで食事の用意をしており、程なく良い香りがキッチンから漂ってくる。

キリカはいつの間にかまどかに擦り寄っているエイミーをじぃ、と見つめながら口を開いた。

 

「……君は、今日泊まって行くんだってね」

「えっ? は、はい…パパとママにはもう言ってあるし、ほむらちゃんが心配だから…」

「まだ、目を覚ましそうにないかい?」

「そう…ですね…前も、2日ぐらい寝込んでた時がありましたから」

 

それだけほむらの力が強力だという事か、とキリカは無言で頷く。

キリカが黒翼の発動を見たのはシエナブロンクを撃破した時のみであったが、それだけでも黒翼が圧倒的な破壊力を持っていることは感じていた。恐らく、自分が気を失ったあとにも"それ"があったのだろう、と。

その代償が"これ"では、まるで身を削って戦っているみたいではないか、と不憫に思えてきたのだ。

 

「……君は、さ。ほむらのどこを好きになったんだい?」

 

と、次に溢れたのはまどかに対する個人的で、単純な問いかけだった。

 

「え、えっ…!? えと……どうしてそんな事を…?」

「気になったから、さ。あいにく私にはまだ恋とか愛だとかはよく分からないからね」

「そ、そうなんですか……えっと、どこをって言われても………全部、じゃあダメですか…?」

「もっと具体的に何かないのかい?」

 

ぶしつけに問いかけるキリカを前に、まどかは口元をもごつかせ顔を赤らめながら、ぽつりぽつり、と語り出す。

 

「そ………そのぉ、一目惚れ…だったんです」

「ふむ」

「最初は出逢う前に夢の中に出てきて、そのあとすぐに転校してきて……ずっと、私の事を守ってくれてたんです。

守ってもらって、抱き締められると自分でも不思議なくらいどきどきして……でもすっごく安心できて…そのうち、ほむらちゃんってもしかしたら私の事が好きなのかな……なんて思ったりもしたんです」

「で、実際にそうだった、と?」

「はい。……そこからは、私も夢中で……大好きだ、って伝えて……今はもう、ほむらちゃんがいないと不安で仕方ないんです」

「………愛されてるねぇ、ほむらは」

「てぃひひ………でも、私にはこういうことしかできないんです」

 

照れくさそうに笑うが、ただ傷つくほむらを見ている事しかできずにいる自分自身に辟易としている。

 

「そういえば、君は"契約"はしていないんだね。…やはり、"魔女になる"のは怖いかい?」と、キリカは複雑な顔をしているまどかに問いかけた。

「えっ……キリカさん、その話もう聞いてたんですか?」

「……大体の察しはついていた、という感じかな。魔女とは何なのか、何処から来るのか……ソウルジェムが濁り切ったら、私達はどうなってしまうのか。

冷静に考えれば、すぐにそれらは結び付いたよ。もっとも、その頃には手遅れだったけどね」

 

キリカはやや自嘲気味に、左中指に嵌められているソウルジェムの指輪を見せながら言う。

 

「……私も、ずっと悩んでました。どうしたらほむらちゃんを助けられるのか…契約して、隣で支えられたらどんなにいいか…って。

でもダメなんです。私が魔女になっちゃったら、力が強すぎて世界が滅んじゃうんです」

「…確かに、君からはただならぬ素質を感じるよ」

「それに…ほむらちゃんは私を魔女にさせないように…死なせない為に契約して、独りで戦い続けてたんです。

私が契約したら、ほむらちゃんの気持ちを裏切る事になっちゃう……やっと、"今の私だけを"愛してくれるって約束してくれたのに」

「………"今の"?」

 

どういう意味なのだろうか、とキリカのまだ幼い好奇心が疼いた。

まるでその言い草では、"今までに他のまどかがいた"と言っているかのようではないか、と。

 

「……ほむらちゃんは、私が死ぬ未来を変えるために同じ時間を何回も繰り返してるんです」

「時間を…!? そんな事が、可能だというのかい!?」

「それがほむらちゃんの"願い"だったんです。…魔女になって死ぬか、ワルプルギスの夜のせいで死ぬ、そんな未来から私を救うために」

「成る程ね……時を超える程の強い想い、それこそがほむらの"あの力"の源だとしたら、分かる気がするよ。

………ワルプルギスの夜は、近くこの街に来るのかい?」

 

伝説級の、かつ災害クラスの最悪の魔女の名はキリカも耳にした事はあった。

それがこの見滝原に現れるなどという唐突な話も、様々なものを失ってここにいる今のキリカからしたら、別段驚くような事ではない。

 

「───そうだ。そこのカレンダーを見てみろ、キリカ」

 

と、完成したトマトソースパスタを3人前、トレイに載せて運びながらルドガーが答えた。

ルドガーが指したカレンダーは、今日の日付から7日後の部分に大きな赤丸が書かれている。

それ以外の日付にもいくつかの小さな赤丸が書かれており、それらは皆いままでに魔女が現れた日付と近しいものだった。

 

「勝算はあるのかい? ワルプルギスは数百年前から存在して、世界中を彷徨っている魔女。逆に言えば、数百年の間に誰も倒す事ができなかった魔女だよ」

「…それは、まだわからない」

「ほむらは今まで、何回繰り返しをしてきたんだい?」

「数えるのを諦めるくらい、って言っていたよ」

「成る程ねぇ………勝ち目のないであろう相手に、それでも何度も挑み続けた、と。

………ルドガー、君が私を必要としているのは、"こういう事"だったんだね?」

 

未だその力の片鱗すら見たことのない、最悪の魔女と称されるワルプルギスとの戦いにキリカを巻き込んでしまう事に対して、ルドガーは申し訳なく思ってしまう。

 

「ああ、怒っているわけじゃあないよ。言っただろう? 私は君の為に全力を尽くす、と」

「いいのか? だって俺は…」

「私を戦いで"使い捨てる"つもりでいたのなら赦さなかったけれどね、そうでない事くらいは顔を見ればわかるよ。

できれば、ワルプルギスを倒したあとも私を君の傍にいさせてくれるなら、もっと嬉しいんだけどね」

 

気まずそうな顔をするルドガーに対し、キリカは不敵に微笑みながらトレイからパスタを受け取り、机に並べてゆく。

2人のやり取りを傍らで聞いていたまどかにも、ふとした疑問が湧きつつあった。

 

「…あの、キリカ…さんって、ルドガーさんの事を…?」

「事を、なんだい?」

「その、好きなんですか?」

「………んー、そうだね」

 

いきなりなんて事を訊くんだ!? とルドガーはトレイを持ちながら肩をびくつかせたが、キリカは一切動じずに当然の如く答える。

 

「私にはまだ誰を好きだとか愛するとか、そういう感情はよくわからないんだけどね。

少なくとも、命を懸けてもいいくらいには想ってるよ」

「……え、えっ!? つまりそれって……」

「ん? どうかしたのかい」

「な、なんでもないですっ!」

 

どうしたのだろうか、と首を傾げながらテーブルに目を移すと、ちょうどルドガーがパスタに加えて小さな器に盛られた昼間のスープの残りも並べているところだった。

孤食の多かったキリカにとっては久方ぶりのご馳走を目の前に、キリカの表情は年相応に無邪気な笑顔へと変わる。

一方のまどかも同じく、食卓から漂う食欲をそそる香りに笑顔が溢れるが、キリカの言った言葉に、

 

(…………それって、"好き"ってことじゃないのかな…?)

 

と、甚だ疑問を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

夜───面会時間もとうに過ぎて、静まり返った病院内の一角にある個別の病室では、上条恭介が窓からうっすらと差す月明かりを眺めていた。

マミによって神経を修復された腕は順調に快復へと向かっており、一時は嫌気すら差していたクラシックのCDも、リハビリへのモチベーション維持に再び貢献している。

だが、ふと思うことがある。時にはこうして無音の世界を感じるのも悪くない、と。

当然ながら、完全な無音ではない。耳を澄ませば何処からか電子機器の音がし、看護師達がぺたぺたと歩く足音も聞こえる。

 

「そろそろ、寝ようかな」

 

カーテンを閉じ、掛け布団を整えて枕に身を預ける。

入院してからもう大分経つが、消灯時間近くなると眠くなり始めてしまう。生活習慣の一端としてすっかり身についてしまったようだ。目を閉じると耳に意識が集中し、静寂のなかにいろんな音が聴こえてくる。

が、その中にひとつ異質な音が。まるで革靴のような小気味良い音が恭介の病室へと近づいてくる。

通常、看護師は専用のシューズを履いており、硬い足音が聴こえることなどないはずだ。

こんな時間に誰だろうか、と再び身を起こすと静かに病室のドアが開き、足音の主が入ってきた。

 

「やっほー、恭介。元気ぃ?」

「さ、さやか………!? こんな時間に、どうして」

「しっ! …ばれないように来るの大変だったんだから」

 

足音の主───見滝原中学の制服と、革靴を履いたさやかは、咄嗟に駆け寄って人差し指て恭介の唇を押さえた。

 

「いやぁ、昼間は用事があって来れなかったんだけどさ。…顔見たくなっちゃって、来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないよ……ばれたら怒られるよ?」

「だぁいじょうぶだいじょうぶ! ここまで来ればもう気づかれないから」

 

あはは、とふざけたように笑う姿は、"相変わらずだなぁ"と、恭介を呆れさせるには十分だった。

 

「ねぇ恭介、腕の調子はどう?」

「おかげでかなり順調に快復してってるよ。この前の嵐のせいで退院が伸びちゃったけど、明日の午後にはもう一時退院できるってさ」

「………そっか、よかったね恭介」

「さやかのお陰だよ。さやかがいなかったら、とっくに諦めてたかもしれない……ありがとう」

 

思えば、さやかが音楽がなくても自分は自分だと言ってくれなければ、自棄の殻に閉じこもっていたかもしれない。

それに、奇跡的に腕が動いた時、抱きついてきてまで共に喜んでくれた。

次第に恭介にとっても、さやかという存在はただの幼馴染ではなく、掛け替えのない存在へと変わりつつあったのだ。

現に、こうして夜の病院に忍び込んで逢いに来てくれた事に喜びを禁じ得ないでいる。

 

「…………ねぇ、恭介」

 

と、さやかは静かに言うと突然ベッドの上にいる恭介に真上から覆い被さるかたちになり、淡いリップが乗った唇をうっすらとにやけさせた。

その行動の真意を図りきれず、恭介は思わずたじろいでしまう。

 

「さ、さやか…? どうしたんだい」

「………あたしのコト、好き?」

「い、いきなり何を………!?」

「ねぇ、答えてよぉ」

 

意地悪な笑みを浮かべながら問いかけるさやかの姿に、無意識のうちに恭介の心拍数も上がってゆく。

 

「………さやかは、僕の大切な幼馴染だよ」

「え、なにそれ。あたし馬鹿だからよくわかんなぁい。ちゃんと言ってよぉ?」

「そ、その…! 一番大事な、ってことだよ……」

「……へぇ。素直じゃないねえ恭介は」

「さ、さやか!? ちょっ……!」

 

はっきりとした返事をなかなか返さない恭介に痺れを切らしたのか、そのままさやかは顔を下ろして恭介への距離を近づけてゆく。

あと数センチで鼻先が触れそうなほどに近づくと、

 

「あたしのキモチ、ホントはとっくに知ってたんでしょ?」

 

と言い、恭介の額に軽いキスを落とした。

 

「さやか……」

 

触れたところから熱が広がってゆくように、顔が真っ赤になり心音も増す。さやかはおろか、女子との触れ合いなどまるで初めてだった恭介は、初心な表情をしながら呆気に取られていた。

 

「まー、これで満足かなあたしは。…もう、思い残す事はない。さて恭介、最後の質問だよ。

恭介はあたしのコト、ちゃんと愛してくれる?」

「な、何を言って………もちろんだよ、さやか。…好きだよ」

「そっかそっかぁ、嬉しいなぁ。………でもね、恭介。絶対って約束できる?」

「と、当然だよ」

「本当に? 例えば────────」

 

言いながらさやかは恭介から離れ、ベッドの傍らで立ち上がり踊るように両手をひらひらとさせた。

そして口元を半月のように歪ませて嗤い、言った。

 

 

 

 

 

『──────あたしが、化ケモノだったとしても?』

 

 

 

 

瞬間、さやかの身体は閃光に包まれ、それが消えると身に纏っていた制服は見たこともないような───まるで騎士のような"漆黒の"衣装へと変化した。

 

「な…その格好は!? うっ……!」

 

何の手品か、と恭介は驚きふためくが、間髪置かずにさやかにキスされた部分から"本当に"熱を感じ出した。

その姿をさやかは冷ややかに、片目だけが真っ赤な瞳で眺めていた。

 

『さぁて、夢の国へ1名様ご案内!』

 

軽やかにマントを翻してポーズを決めている間に、恭介の意識は口づけによる熱によって緩やかに失われていき、それ以上声を上げる事もなく倒れた。

それを確認したさやか─────人魚の魔女は軽々と恭介の身体を抱え、もう一度マントを返し、瞬時に虚空へと消え去った。

あとに残されたのは、やや乱れたベッドにわずかに残る温もりだけだった。

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

深夜12時過ぎ。食事もとうに済ませたルドガーたち3人はそれぞればらばらに眠りに就いている……はずだった。

まどかの方はほむらの部屋に再び戻り、恐らく添い寝するかたちで就寝しているだろう。

4月の終わりとはいえ、夜はまだほんの少し冷える。ルドガーは前まで自身が借りていた敷布団をキリカに譲り、昨日同様にタオルケットでもかけて硬いカーペットに身を預けて眠っていた。

 

「……………だめだ、眠れないよ」

 

だが、ふとキリカは布団から身を起こし、テーブルを挟んで向こう側で眠っているルドガーの方をじっと見る。

キリカは時には好戦的だったり、また時には不安症持ちでもあるが、基本的にはとても義理堅い人間だ。

故に、自分だけが布団をかけてぬくぬくと眠る事に対して自己嫌悪を抱き、目が冴えているのだ。

当然ルドガーも同様にお人好しであり、キリカの遠慮を押し通して布団を渡したのだが。

よし、と腹を決めて立ち上がると、かけていたやや厚めの布団を抱え、テーブルの向こう側へと足音を立てぬよう近づいてゆく。

 

「………まったく、私の事なんかよりも自分のことを心配すればいいのに」

 

と、キリカは持っていた布団をそっ、とルドガーの上にかけてやった。

だが、これだけでは駄目だ。目を覚ました時、布団がかけられててキリカは布団なしで眠っていました、などと気付けば更に余計な気を遣わせてしまう。

ならば簡単な話だ、一緒の布団で寝てしまえばそんな事にはならないだろう。と、キリカの頭の中では既に算段ができていたのだ。

 

「よいしょ、と………ふふ、これならよく眠れそうだよ」

 

上手いこと布団に潜り込むとようやく瞼が重くなり始めてきた。

不思議なもので、杏子の時もそうであったように信頼できる人間がすぐ隣に居てくれるということは、想像以上の安心感をもたらしていた。

きっと今頃隣の部屋にいる"あの2人"も同じ事を想いながら眠っているのだろう、と軽く微笑みながらすやすやと寝息を立て始めた。

静かな部屋の中にはかすかな雨音が聞こえ始める。つかの間の休息も、ついに終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

 

眠りを妨げたのは、枕元に置いてある金細工の懐中時計から鳴り響く独特のけたたましい金属音。

耳を裂くようなその音にルドガーはすぐさま跳ね起き、時計を手に取った。

 

「時歪の因子の反応…!? こんな、いきなりなんて…」

 

懐中時計の針は午前6時を指しているが、カーテン越しの空は未だ日が差さず暗いままだ。

窓際の方で眠っていたルドガーは、そのまま起き上がる前にカーテンをさっ、と片側だけ開いてみるとガラス越しでもわかるほどに、大粒の雨が降り注いでいた。

 

「とうとう人魚の魔女が動き出したか…………ん?」

 

状況判断をすべく取り乱した心を落ち着かせるよう意識する。

すると、ようやく自身の傍らで可愛らしく眠っていたキリカの存在に気付いた。

 

「な……キ、キリカ!? なんで隣に!?」

「………んぁ、ルドガー…?」

 

落ち着くどころか更に取り乱したルドガーの大声と、なおも続く金属音が目覚まし代わりとなり、キリカも寝ぼけながら目を覚ました。

つい数日前にも疲れたマミがそのままルドガーの隣で眠ってしまった事があったが、今回はさらにルドガーの胴に手を廻しており、傍目から見れば抱きついているかのようにも見える。

とはいえ、何故隣にいるのかなどという瑣末な質問は後回しだ。人魚の魔女が動き出したとなれば、もう猶予はさほど残されていないのだから。

 

「ふぁ………おはよ。これ、何の音…?」

「……これは、魔女の反応だよ」

「魔女………!?」

 

"魔女"という単語を耳にした瞬間、寝ぼけ眼だったキリカの表情はコンマ数秒でキッ、と引き締められた。

またしても、自分が気づく前にルドガーの方が先に気付いたからか。

 

「魔女は、どこにいるんだい!?」

「まだわからない。……けど、この雨を見てみろ。前に聞いた話だと、雨自体に魔力が込められているらしい。この雨のせいで、テレパシーも使えなくなるんだ」

「雨を操れるというのかい…そんなの、聞いたこともないよ」

「それだけ強力な相手だ、って事だ。…命こそ無事だったけど、俺たちも1度負けた相手だからな」

「君たちが負けた、だって…? あの"影の魔女"を倒した君たちが?」

「………そうだ」

 

苦い顔をしながら布団から出て立ち上がり、すぐに武器を取り戦いの支度を始める。

まどかを今すぐ家に帰すべきだろうか、とふと悩むが、声を掛けに行く前にほむらの部屋の扉が先に開かれ、ほむらの携帯を取ったままのまどかが出てきた。

 

「ルドガーさん! 起きてたんですね?」

「ああ、魔女の反応で起こされたよ」

「私の方も、ちょうど今さやかちゃんから電話があって………テレパシーが使えないから、電話してきたみたいです」

 

と、まどかは通話が繋がったままの携帯をルドガーに渡した。

 

「さやかか? 電話ありがとう。状況はわかるか?」

『こっちも大変な事になってるんですよ! 恭介が……! さっき仁美から電話があって、"恭介が消えた"って…!」

「なんだって!? まさか!?」

『あいつが、あいつのせいですよ! そんな、恭介まで巻き込むなんて……こんなの、許せない…!』

「…一旦集まろう。マミ達には連絡は?」

『こっちに電話する前に、先に伝えました。雨を見てすぐ気付いたみたいですよ!』

「わかった。すぐ向かう!」

 

通話を終えて携帯をまどかに返すが、ふとルドガーは思った。

これから自分は魔女の討伐に向かわなければならない。つまりは家を空けなければならないのだ。

それならば早朝だがまどかを家に帰すべきなのか、或いは雨が止むまで、つまり人魚の魔女を倒すまでここに留めておくべきなのだろうか、と。

 

「ルドガー、私もついて行くよ」キリカは既に身支度を終え、いつでも出られる状態になっていた。

「戦えるのか、キリカ。…今度の相手は、影の魔女なんて比じゃないんだぞ。それに身体だってまだ…」

「だったらなおのことだよ。君1人行かせるわけがないだろう?」

「けど……」

 

ちら、とルドガーはまどかの方へと視線を向ける。悩み決めかね、せめてキリカだけでもここに残すべきか、などと考えているとまどかの方から、

 

「私は大丈夫です。ここでほむらちゃんを看てますから…魔女をお願いします」と、2人を気遣う言葉が出てきた。

「………わかった。絶対に戻ってくる。だから、2人で一緒に待っててくれ」

「はい。…どうか、気をつけて」

 

ああ、と努めて笑顔で答えるとルドガーは居間に隠していた愛用の武器達を手に取り、ひとつずつ確かめながら装備してゆく。

キリカもまたソウルジェムを煌めかせ、黒衣の戦闘服へと着替えを済ませ、戦いに赴く準備を整えた。

 

「行こう、ルドガー。君は私が守るよ」

「はは…嬉しいけど、それは俺の役目だよ。…もう、誰も傷つけさせない。みんなで一緒に帰って来よう」

 

 

 

不安がないわけではない。結局、人魚の魔女に対する有効な対策は何も見つかっていないのだから。

それでも、今行かなければ先へは進めない。ワルプルギスの夜を迎える前に終わってしまう事など、あってはならないのた。

傍らに寄り添う新たな仲間と共に、先の見えない航海へと向かうような心持ちで出発していった。

 

 




改稿前のものを誤爆してしまったので、修正しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話「もう2度と、諦めたりなんかしない」

1.

 

 

 

 

 

──────いつも、そう。

 

 

 

 

貴女はいつだって、こうして私の傍からいなくなってしまう。

 

 

 

 

貴女のいない世界に希望なんて、ない。

 

 

 

 

貴女のいない世界なんて、必要ない。

 

 

 

 

ああ───それでも貴女は足を止めない。

 

 

 

 

結局、私も貴女にとってワン・オブ・ゼムに過ぎないということ。

 

 

 

 

ならば、いっその事。

 

 

 

 

貴女がまた私の前から消え去ると言うのなら、いっそ──────

 

 

 

 

言ったでしょう?

 

 

 

 

 

もう2度と─────貴女を離さない、と。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

「──────っ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 

 

うなされながら眠り続け、およそ1日半。額に、身体中にいやな冷や汗をかきながらベッドから跳ね起き、ようやくほむらは目を覚ました。

 

「………夢? それに、ここは……私の家……?」

 

 

どんな悪夢を見ていたのか、目を覚まして数秒後にはもう思い出す事は叶わなかった。ただ、ひどく心を抉られたような後味が残るだけだ。

場所を移されていた事にはもう疑問は持たない。例の如く、暴走して気を失ったあとに運ばれたのだろう、と察しがつく。

だが、それにしては少し部屋の様子が違うように感じられた。普段ならば生活音の感じられない無機質な部屋であり、ルドガーが来たことで多少はそれが変わりつつあったのだが、今なんとなしに感じるのはルドガーとは違う"誰か"の気配。それも、懐かしささえ感じてしまうようなものだ。

服もそうだ。いつの間にか自分の着ていた服は薄手の寝間着へと着替えさせられていたのだ。

ルドガーはほむらを看病こそすれど、着替えまではしてやる事は絶対にない。その"誰か"、恐らくは魔法少女達の中の誰かがやってくれたのだろう、と考える。ほむらの脳裏に真っ先に浮かんだのは、つい先刻まで共に分史世界にいた親友の名である。

 

「………さやかが、これを…?」

 

直後、どたどたと落ち着きのない足音が寝室へと近づいてくる。がちゃり、と勢いよくドアが開くと顔を出したのはさやかではなく、

 

「ほむらちゃん! 目が覚めた!?」

「まどか……!? どうして、あなたがここに?」

「ほむらちゃんがまた倒れたって聞いて……それで、わたし…」

「…ごめんなさい、また心配かけたわね。ルドガーは、向こうにいるのかしら」

「………その、ルドガーさんたちは……」

「まどか?」

 

どうにもはっきりとしない返事をするまどかに対し、何か言いづらい事でもあるのだろうか、とわずかな疑念が浮かぶ。

 

「ルドガーは、いないのかしら」と、念を押すようにほむらは再度問いかけた。

「………ほむらちゃん、ルドガーさんはね…」

 

それでもやはり言いづらそうにして、服の裾をぎゅっと握りながら声を渋る。

静かで、2人の呼吸をする音しか聞こえないような室内は少し息苦しくも感じられた。

外からのかすかな雨音だけが室内に響き、静寂の中に緊張感が伝う。

 

「………あのね、また魔女が現れたんだって。それで、ルドガーさんが倒しに行ったの」

「魔女? ………まさか」

 

どの魔女か、などとは訊く必要はなかった。窓の外から見える大粒の雨を見れば、それはすぐにわかるからだ。

倒すどころかほぼ一方的に嬲られ敗北を喫した、ワルプルギスを除けば間違いなく過去最悪の魔女。

 

「………人魚の魔女、ね」

 

まどかからの返事はない。だが、その沈黙はそのまま肯定と同意義であった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

降りしきる雨の中を傘もなしに駆け出し、ほむらの家から少し離れた通りに出た辺りで、白い小動物の姿をしたモノがルドガーとキリカの前に現れた。

 

『やあ、君たちを待っていたよ』

「キュゥべえ…!? そうか、お前……」

『そうさ。僕達はここから先へは進めないからね。全く、僕達を妨げるなんてどんな仕掛けの魔法を使ったんだか』

 

以前言っていた話だが、キュゥべえはほむらの家の周辺に近づく事ができない、という。

キュゥべえの弁を借りるならば家の周辺に結界のようなものを張っている、という事だが、ルドガーの知る限りではほむらにはそんな魔法はないはずだった。

ともあれ、雨の妨害でテレパシーも通じない今となっては、分体を使って迎えに来るという判断は的確と言えよう。

 

『魔女の反応は見滝原駅周辺から出ているね。マミ達は既に先に向かっているよ』

「俺たちもすぐ行く、って伝えられるか?」

『可能だよ。テレパシーは使えないけれど、"僕達"は意識を共有しているからね』

「わかった。行こう、キリカ。……キリカ?」

「……………」

 

集合場所も確定し、先を急ぐ事態であるにも拘らず、キリカは何故か腕を組んで考え事をしている風に見えた。

 

「……ねぇ、"しろまる"。君はどうしてここから先に進めないっていうんだい?」

『しろまる? それはもしかして僕の事を言っているのかい』と、不自然な角度に首を傾げながらキュゥべえが答える。

「だって君、白いし背中に丸いしるしがあるじゃないか。だから"しろまる"。それより、答えてよ」

『僕にもよくわからないんだよ。本来僕達には感情はないはずなんだけれどね。とにかく、ほむらの家に近づこうとするととても不快な気分になるのさ。

僕達は、ほむらが精神に干渉する類の結界を施して僕達の接近を妨害していると考えているんだけどね』

「結界? そんなもの、どこにあるのさ。私は何も感じなかったよ」

『それがわかればこんな所で立ち往生なんてしていないさ。解析さえ済んでしまえば無力化するのは簡単なんだけれどね』

「ふぅん。つまり、しろまるにもよく解らない、と」

『きゅっぷい』

 

あざといキュゥべえの鳴き声に対して、刺すように鋭く冷たい視線を飛ばすキリカ。

魔法少女の真実の殆どを既に知っているだけあって、キリカにとってもキュゥべえは嫌悪の対象であるようだ。

 

『とにかく急いだ方がいいんじゃないのかな。結界は段々と力を増し続けてる。早く倒さないと手遅れになるかもしれないよ』

「そんな事お前に言われるまでもないよ。行こう、ルドガー」

「ああ、急ごう。案内を頼むぞキュゥべえ」

『きゅっぷ、わかったよ』

 

明け方近いものの未だ薄暗い空の下をさらに駆けてゆく。

時間帯的にひと気がない事だけが唯一、不幸中の幸いといえるだろうか。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

朝早い時間でありながらも、見滝原駅構内は不気味なほどに静まり返っていた。

人がいないからではない。改札の駅員はうつ伏せの格好でデスクにもたげており、改札を通ってホームに上がれば始発近くの電車で通勤するであろう人達がちらほらと見られるが、その全てが気を失って倒れているという異様な光景だ。

 

 

「おっせぇぞルドガー。………ん? その娘も一緒かよ」

 

と、2人の姿を見て真っ先に口を開いたのは杏子だった。

 

「杏子! これは、一体何があったんだ? まさか魔女の影響で…」

「いんや、こいつらはアタシがお寝んねさせたんだよ」

「え……?」

「私達がここに来た時なんか、本当に大変だったんですよ?」と、やや疲れたようにさやかが続けて言う。

それに倣うようにマミは、

「みんな揃って線路に飛び込もうとしてたの。何人かは実際に線路に落ちてたわ。だからみんな気絶させて、落ちた人も救い上げたのよ。

電車も止めるしかなかったわ……ついさっき、美樹さんが線路を壊してきたところよ。この様子だと、魔女を倒すまでは電車を走らせるわけにはいかないわ」

 

言いながら指差した方角はホームの最奥近くのベンチ。

その周辺からは一際強い魔女の反応があり、結界の入り口から瘴気がかすかに漏れ出ているのが見てとれた。

今この場に倒れている人達はみな、ここから漏れ出る瘴気にあてられて自殺衝動を駆られたのだろう。

 

「…ところで、ルドガーさん。その娘…キリカさん、って言ったかしら。もう平気なの?」

「私なら問題ないよ」と、マミの言葉尻を遮るようにキリカが答えた。

「体力も戻ったし、浄化も済んでる。早く行こう、あの魔女は危険なんだろう?」

「え、ええ……」

 

キリカはやや足早に、他の少女達から目を逸らすようにその場を抜けて結界の近くにまで歩いていってしまう。

その後ろ姿は一見気丈にも見えたが、影の結界での出来事を全て識っているルドガーはかすかな不安を覚えた。

 

「キリカ、待ってくれ」

「………どうしたんだい?」

「その、すまない。この世界の杏子は、キリカの識ってる杏子じゃあ……」

「いいって。なんとなくそんな気はしてたからさ。…大丈夫、心の整理はできているよ」

「…そんな泣きそうな声で、大丈夫だなんて思えないよ」

「ふふ。君は優しいね、ルドガー。でも大丈夫…全部終わるまでは、泣いてるヒマなんてい。

君もそうだったんだろう? ルドガー」

 

影の分史世界で、キリカの慕っていた"佐倉杏子"は目前で殺された。今この場にいる杏子は、キリカの識らない"佐倉杏子"なのだ。

それと同じような痛みを、かつてルドガーは体験していた。だからこそ、その痛みはすぐに割り切れるものなどでは決してない、と感じられるのだ。

 

(…あの時、ミラの手を離して…その直後にミラ…マクスウェルが現れた。

正直、あの時はなんて言えばいいかわからなかった。だって、俺にとっての"ミラ"は、もう………)

 

傷ついている暇などなかったのは事実だ。だがそれ以上に、"ミラ"を失って酷く悲しんでいたエルの前で、自分までもがみっともなく泣いてしまう事など、とてもできなかったのだ。

まだ15にも満たないであろうが、努めて冷静でいられたキリカの心は、見た目や所作とは裏腹にずっと大人びているように感じる。

黒衣に身を包んだその姿に自分を重ねながら、ルドガーはキリカの頭を優しく撫でてやった。

 

「…キリカ、無理はするなよ」

「わ、わっ…う、嬉しいけど、くすぐったいよ…?」

「─────おぉい、何オマエらイチャついてんだよ」

 

いつの間にか、2人の周りには他の少女達が集っていた。痺れを切らした杏子が、わざとらしく高い声で2人を嗜める。

 

「それよりソレ、見てみろよ。なーんかよくわかんねぇガラの結界なんだけどさぁ…」

「……これは、結界………なのか?」

「みたいだぜ? キュゥべえに聞いてみても、"開けられない"しか言わねえんだよ。ったく、こういう時に使えねえヤツだよなぁキュゥべえは」

 

ルドガーの目前にある黒い結界の扉は、今までに見てきたモノとは違って複雑な紋様が刻まれており、その中央にはまるで鍵穴のように空いた円が記されており、歯車のように緩い時計周りで回転していた。

これまでの結界は近づけば勝手に取り込まれてしまうようなモノであったが、まるで時計の基盤のような意匠の結界は、ある特定の人物を誘っているのが一目瞭然だった。

 

「………"時計を壊す"のは得意だろう、っていう事なのかな、これは。みんな、少し下がってくれ」

 

言うとルドガーは骸殻の力をセーブしながら解放し、第1段階───クォーター骸殻を纏い、槍を造り出す。

 

「はぁっ!!」

 

力一杯握り締めた槍を結界の鍵穴に強く穿つと、緩やかに廻っていた結界の蓋は停止し、中央からひび割れてゆく。

ガシャン、とガラスが砕けるような音と共に蓋は散り、いよいよ周囲の空間を浸食し始め、招かれた客を結界の中へと引きずり込んでいった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

結界の入り口を跨いだ瞬間、周囲の景色が一変し、ひと気のない駅のホームは2階層の長い回廊が縦に伸びる薄暗い場所へ。

何処からか聞こえる機械の駆動音と、かすかに漂う血の臭いは、ルドガーの中の忌むべき記憶のひとつを呼び起こしていた。

4人の魔法少女達は結界突入と同時に武器を構えて臨戦態勢を整えるが、ルドガーだけは骸殻を解きながら結界内の光景を見て一層強張った表情をする。

 

「………やっぱり、人魚の魔女は俺への嫌がらせが好きみたいだな」

「まさかルドガーさん、ここも見覚えがあるんですか」と、さやかが少し心配そうな顔をして尋ねた。

「ああ。"旅船ペリューン"………ここは、船の中だよ」

「ふ、船!? てことはまさか、ここも分史世界…って事ですか?」

「それはないと思う。俺の骸殻も特に反応しなかったからな。たぶん、人魚の魔女がペリューンを真似して結界を作ったんだ」

「………でも、なんの為にですか? この船が、ルドガーさんにとっての嫌がらせになるんですか?」

「………俺は、この船で大事な仲間を失った事があるんだよ」

「!? そんな……それじゃあ…!」

 

他の魔法少女と比べてもマミと並ぶ程に正義感の強いさやかは、人魚の魔女が仕組んだであろう卑劣な行為の数々に改めて憤りを感じていた。

ルドガーのトラウマを抜きにしても、どういう手を使ったのか病院にいた上条恭介さえも人魚の魔女に攫われているのだ。

 

「あいつ、許せない……!」

「さやか、イライラして取り乱せばそれこそあいつの思う壺だ。…とにかく先に進もう。甲板に出られれば、何かわかるはずだ」

 

ルドガーは自分に言い聞かせるかのように、さやかの苛立ちをなだめる。

皆に動揺を見せないように表情を引き締め、甲板へと続く方角を向いて足を進めた。

それを待っていたかのように、白塗りのシルエットをした人型の使い魔が回廊の上いっぱいに現出して、一斉に楽器のようなものを構えた。

 

「ルドガーさん、気をつけて! あいつら嫌な音を鳴らして動けなくしてくるわ!」

 

以前にその使い魔の攻撃方法を見ていたマミが全員に注意を促しながら、牽制弾を何発が放った。

 

「音? 耳を塞げばいいじゃないか」と、キリカはイマイチ現実味を感じていないように聞き返す。

「そんな生易しいものじゃないわ…! まるで頭の骨を直接揺さぶられてるみたいな音なのよ。それにこれだけの数…まともに聴いてたら吐くわよ」

「それは不協和音、というやつかな…確かに、聴きたくはないね!」

「気が合うじゃねえか、アンタ。なら突っ込むぞ!」と、杏子がキリカの意見に同調して言った。

直後にキリカが飛び出して行き、鉤爪を両手に構えて使い魔の群れに飛び込んでいった。

それを追うように、杏子もまた駆け足で群れを切り崩してゆく。

マミは後方からの支援に徹してマスケット銃をばら撒き、さやかとルドガーは互いに擬似リンクを繋いで同じように1対の刃を構えた。

 

「行こう、さやか」

「はいっ!」

 

リンクの糸を通してさやかの発動した加速術式が伝播し、ルドガーの脚も同様に速まる。

 

「舞斑雪っ!!」

 

加速術式を受けて放つ俊足の居合斬りはもはや目にも留まらぬ速さであり、呻き声も上げずに斬り裂かれた使い魔は霧散してゆく。

次いでさやかも後に続き、2本の円月刀を器用に振りかざして道を拓く。

 

「どいてもらうわよ!」

 

マミも使い魔に対抗して無数の銃を展開させ、出し惜しみなく弾丸をばら撒きながらさやかの拓いた道を更に押し拡げていった。

 

「その奥の扉を越えればメインホールに繋がる階段があるそ!」

「了解だよ、ルドガー!」

 

ルドガーの指示を受けたキリカは、速度低下魔法を使って使い魔の群れからひとり飛び出し、奥の扉へと走る。

道を塞ごうと新たな使い魔が現れるが、相対的に速まって見えるキリカの爪撃の前に抵抗すらできずに散らされてゆく。

難なく扉の前へと一番に辿り着いたキリカは、最初は素直に扉を開けようと手をかけた。

しかしその扉は堅く閉ざされており、キリカはすぐに開くのを諦めて魔力を込めた爪撃を錠の部分に打ち付けた。

 

「砕けろぉぉっ!」

 

だが錠に鉤爪が触れた瞬間、物理的な干渉ではない何かの術式によるブロックが働いて、キリカの鉤爪を跳ね返してしまった。

 

「………だめだ、私の力では壊せない! ルドガー! 頼むよ!」

「わかった、キリカ! そこを離れるんだ!」

 

使い魔を蹴散らしながら扉の近くへと駆けつけたルドガーとさやかは、既に剣先に冷気を纏わせて大技を仕掛ける準備をしていた。

それを確認したキリカは後ろへと下がり、息を呑んで2人の姿を見守る。

 

「いつでも行けますよ、ルドガーさん!」

「ありがとう、さやか! 行くぞ───砕け散れ!」

 

2人の剣先から放たれた氷の衝撃波は、目前にある扉を上から下まで瞬時に包み込み、続き打ち込まれたルドガーの拳によってヒビが加えられる。

 

「「絶破・烈氷撃っ!!」」

 

そのヒビは氷塊全体へと広がり、内包した扉さえも謎の術式を無視して亀裂が入る。

とどめとばかりにさやかのサーベルが2本氷塊に突き立てられると、キリカの鉤爪を弾いた扉は積もった雪が崩れるかのように大きな音を立てて瓦解していく。

その先にはルドガーの記憶通り、上階から円曲に繋がる2つの階段があるフロアがあった。

 

「みんな、行こう!」

 

使い魔の群れを薙ぎ払って追いついたマミと杏子に促し、ルドガーは湾曲して伸びる階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

甲板から見る空は一面に暗雲が広がり、霧雨を伴いながら遠くで雷鳴を轟かせていた。

しかし、船外を眺めてみても180度に広がる水平線しかなく、エレンピオス、或いはリーゼ・マクシアの景色は一向に見えない。

広い海原の上にただ一つだけ、旅船ペリューンを模したモノが浮かんでいるだけだ。

 

「やっぱりここは分史世界じゃない。ただの結界みたいだな」

 

景色を眺め、改めて確信したルドガーは視線を戻し、甲板の先にあるメインホールへと歩き出す。

少女達はルドガーの案内に導かれながら、どこか不安を誘うような湿気た空気に緊張感を抱いている。

メインホールに近づくにつれて少女達のソウルジェム、或いはルドガーの懐中時計にも魔女の反応が大きく伝わってきていた。

メインホールの扉の前でルドガーは立ち止まり、いま一度少女達に問いかけた。

 

「………たぶん、この先に人魚の魔女がいる。みんな、覚悟はできてるか?」

 

見滝原中学での戦いでは、人魚の魔女を倒すどころか手痛い大敗を喫したも同然だった。

圧倒的な魔力を秘めたほむらの黒翼によって撃退まではさせることは出来たが、そのほむらもまだ目を覚ましておらず、それ以前に負担が大きい為、黒翼を当てにする事はもう出来ない。

新たにキリカが戦線に加わってくれたものの、結局人魚の魔女の回復魔法に対する解答がないままなのだ。

勝てる見込みは、と聞かれれば、素直に首を縦に振る事は出来ないだろう。

 

「へっ…そんなの、今になってわざわざ訊くのかよルドガー?」

 

と、第一に杏子が飴を咥えながら答え、それに続くようにマミも言葉を投げかける。

 

「やるしかない、でしょ? たとえどんなに絶望的な相手だとしても、私達には絶望してる暇なんてないわ。そうでしょ、ルドガーさん?」

「マミ……!」

「ルドガー、私はまだ君とは短い付き合いだけれど、もっと君から教わりたい事がいっぱいあるんだ。こんな所で私達の未来を終わらせるつもりはないよ」

「ちょっ……キリカ、あんたそれ告白のつもり!?」と、キリカの発言にさやかが不意を突かれたように驚いた。

「あ、あんたってルドガーさんのこと…そうなの?」

「ん? どうしたんだい、さやか。ルドガーは私の恩人だよ。それにルドガーには……ああ、私が言っていい事ではないね」

「え、えっ!? ちょっと、最後まで言いなさいよキリカ! ああもう、つうか私からもなんか言わないと決まんないじゃんか! ええと………」

 

ペースを失いあたふたするさやかの姿を見て、ルドガーは逆に安心感を覚えていた。

初めて出会ってから本当に色々な事があったけれど、魔法少女になったとしても、この娘はちゃんと変わらずにいてくれた。そう思うと自然に微笑みが溢れてくるのだ。

 

「と、とにかく! ………ルドガーさん、絶対に勝ちましょうね。ワルプルギスも人魚の魔女もぶっ倒して、恭介も…あの2人も、絶対護るんだから!」

「ああ、もちろんだ!」

 

改めて決意を固めた4人を見て、ルドガー自身も内に秘めた決意…"みんなを守る"という想いをより一層強く噛み締める。

これが、人魚の魔女との最後の決戦。メインホールへの扉を開け、5人はゆっくりと中へ進んでいった。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

中央のステージを取り囲むように円状に空の座席が並び、そのど真ん中にひとつの人影がぽつり、と立っているのが見える。

遠目からでもわかるソレは、ルドガーの隣にいる少女と同じ蒼の髪色と、時歪の因子としての特性によるものか対象的に漆黒へと変化した装束を纏い、不敵ににやつきながら来訪者を待っていた。

 

『───ハ、特設ステージへお揃いで、ようこそ!

お気に召してくれたかな、お兄ィさん?』

 

見え透いた挑発だが、ルドガーはもはやその程度では動じずに、少女達を率いて人魚の魔女の立つステージの上に降りる。

 

『おやぁ? まだあの悪魔はオネンネしてんのかな? まあいっか、あんな奴いつでも殺せるんだし』

「ふざけんな! あんた、恭介をどこにやった!?」

「お、おい下手に動くなさやか!」

 

さやかは痺れを切らし叫び、今にも斬りかかりそうな剣幕だったが、とっさに杏子が手でそれを遮った。

 

『そう吠えんなよ、"あたし"。本日のショーの観客ならちゃあんとあっちにいるよ?』と、人魚の魔女が指差したのは、ルドガー達から見て正面の、座席を昇ってさらに上の方。

そこには歪な氷塊のようなものが宙に浮いており、目を凝らすと何かを内包しているようにも見える。

 

「あんた、まさか恭介をあの氷の中に!?」

『あっはは、安心しなよ! "あたし"が恭介を殺すわけないじゃん。ま、あんたは元のあたしよりも魔力が随分と強いみたいだけど、氷を操れるのはあんただけじゃないってことよ!』

「うるさい! あんた絶対赦さない!!」

「落ち着きなよ、さやか」怒りに満ちたさやかを、冷ややかな声でキリカがなだめた。

「あんな見え透いた挑発、乗ってやる事はないさ。どの道、あの魔女を倒さないと私達には未来はないんだから。

…しかし、驚いたね。君からは確かに魔女の反応がする。なのに、ここまで原型を、理性を保っていられるなんてね。

君も私と同じ、並行世界の住人なのかな?」

『あんた、相変わらず生意気よねェ。ふぅん………マリアの創ったセカイからわざわざこんな面倒な女連れてきたんだ?』と、人魚の魔女はキリカを一瞥しながら言う。

 

『そっかそっか、"こっちの"キリカはくたばっちゃってんもんね。あーあ、お兄ィさんの大好きなカノジョも、オリジナルがくたばってれば助かったのかもしんないのにねェ?』

「…………!」

『おぉう、怖い怖い。そんな睨まなくたっていいじゃん?

それにどーせ、今日ここであんたらみーんな、死ぬんだからさ!』

 

ぎょっと見開かれた瞳は右側だけ血のような赤に染まり、狂気を内包している。

それを見てルドガーはひとつの心当たりに気づく。

影の魔女が内包していたカナンの道標。分史世界のほむらの心臓に位置していたソレはまさしく、自身の世界を守るための本能が秘められた"箱舟守護者の心臓"であったのだ。

もし、影の魔女がカナンの道標を取り込んだのが意図的なものであり、その力を行使する為だとしたら、それは目の前の相手にも同様の事が言えるのではないか、と。

 

「その眼……まさか、お前も? そうか、お前が呪霊術を使えたのはそういうことか!」

『そ、さすがだねェ! あたしの右眼には"海瀑幻魔の瞳"が入ってんのよ。ま、それだけじゃないんだけどねェ!』

 

ぱちり、と気障ったらしく指を鳴らすと共に人魚の魔女の周辺に魔力の奔流が起こる。

 

「くっ……みんな、来るぞ!」

 

ルドガーの掛け声を待つまでもなく、後ろにいた少女達は既に各々の得物を構えていた。

人魚の魔女は挨拶代わりと言わんばかりに剣を何本も宙に造り、得意の連続射出の用意をする。

 

「何度も同じ手は食らわないわよ!」

 

対してマミは同じようにマスケット銃を無数に並べ、その銃弾の雨で飛び交う剣を迎え撃ち始める。

機関銃の如き轟音を立て、硝煙が舞い散る中を赤い槍と鉤爪を携えた2人が突っ切るように飛び込んでいった。

 

「遅れんなよ、黒いの!」

「そっちこそ!」

 

ほぼ同時に得物を振りかぶり、眼前の敵に対して刃が触れようとするが、

 

『今のあたしなら、あんた達の相手なんて簡単にできる』

 

と、余裕を込めてうそぶき、両手に構えた半月刀でそれぞれの攻撃をいとも容易く受け止めた。

力比べをするかのように刃は鈍く軋む音を立てるが、人魚の魔女の片手分の力と、キリカ、杏子の力の均衡は徐々にぶれてゆく。僅かながらも、2人の方が押されているのだ。

 

「く、このぉっ!」

 

キリカは人魚の魔女を対象として速度低下術を発動させ、形勢逆転を試みる。

それは術の有効範囲内にいる杏子も巻き込んでしまう形になるが、瞬時に鉤爪を抜いて左側面へ回り込み、横から鉤爪の一太刀を浴びせようと素早く腕を振り抜いた。

 

『はっ、あんたの魔法───その程度なんだ?』

 

しかし、速度低下術をかけたにも拘らず人魚の魔女は"ごく普通に"口を動かし、右手で杏子を抑えながら左手の剣で、再びキリカの爪撃を受け止めた。

 

「!? そんな、どうして……」

『あんたって、馬鹿ねェ。遅くさせられてんなら、その分"速く動けばいい"に決まってんじゃん?』

「そうか、君にも加速魔法が…! ちぃっ……」

『あっはは! 遅い遅い!!』

 

速度低下術が効かないと踏んだキリカは術を解き、杏子と共に数歩下がる。

だが、加速魔法を使っている人魚の魔女は2人を逃がさんとばかりに瞬時に追撃を試みた。

 

「「───モータルファイア!!」」

『ちっ…!』

 

そこにマミとルドガー、2人の息を合わせた号砲が杏子とキリカの間をすり抜けて飛んでゆく。

しかし今の人魚の魔女にとっては魔力を込めた砲弾の速度すらも難なく回避できる程度のものとなっている。

 

『だーかぁら、遅いっての! スプラッシュ・スティンガー!!』

 

砲弾をも易々と躱すと、宙に無数の半月刀を錬成し、それらを一気に射出して反撃を始めた。

広範囲に広がる半月刀の配列は、回避し切るのに困難を極め、少女達は一瞬、背筋が凍るのを感じる。

だが、その中で唯一マミだけは目を逸らさず対峙し、駆け出して前に出て行った。

 

「言ったでしょう、同じ手は何度も食らわないって! ───出なさい、アイギス!」

 

マミが錬成したのは得意のマスケット銃ではなく、本来の固有魔法である黄色いリボンの束だ。

何十メートルはあるように見える1本のリボンを螺旋状に高速回転させ、少女達を守るように広げ、そのまま更なる魔力を送り込み形状を変質させる。

1本のリボンは瞬時に5本のリボンへと数を増し、それらはプレート状に凝縮され、5枚の花弁を備えた巨大な花のような盾へと変化した。

人魚の魔女の放った殺人的な量の投擲剣は花弁の盾に突き刺さり、直後に自爆を始めたが、強固な花弁によって少女達への被害は全て防がれた。

 

『チッ……さすがはマミさんってとこですかねェ! けど、守ってばっかりじゃああたしは倒せませんよ!? ホラホラぁ!!』

 

人魚の魔女はアイギスの鏡に剣を防がれた事に対し、憤りを覚えるどころか逆に昂揚感を抱いていた。

これくらいの事はやってくれなければ。張り合いのない相手じゃあつまらない。

全力を込めて立ち向かわせ、それを真正面からへし折る。そうする事でようやく少女達に真の意味での絶望を味わわせることができる、そう考えているのだ。

それは絶対的な魔力量と、不死と言っても過言ではない程の再生力から来る慢心によるものだった。

それ故に、人魚の魔女は真正面しか見ていなかった。

空から降って来る一撃に、全く気付く事ができなかったのだ。

 

 

「──────絶影!!」

 

 

アイギスの鏡の裏でルドガーは骸殻を纏い、空間跳躍を使って人魚の魔女の死角から槍を構え、縦割りの一撃を人魚の魔女に浴びせた。

 

『……………え、?』

 

人魚の魔女の身体は黒槍の矛で天頂部から縦割りにされ、数秒遅れて治癒魔法が働き始めるが、口元から黒い血が溢れてくる。

治癒魔法すらも追いつかせない高速攻撃を浴びせる。ルドガーなりに考えた末の急襲だった。

 

「ルドガーさん、速くトドメを!」

「ああ!!」

 

解かれたアイギスの鏡の影からさやかが前に出て、ルドガーと擬似的なリンクを結んで大技の構えを取り始める。

ルドガーもそれに合わせるように、矛先にエネルギーを溜め込みながら槍を大きく掲げ、さやかと共に柄を握り締める。

さやかの方から伝搬してきた魔力と調和をとり、槍は影の結界で見せたような巨大な氷剣へと変化していった。

 

『く、あ、あぁぁぁぁっ!!』

「「その身に刻め────セルシウス・キャリバー!!」」

 

 

さやかとルドガーの力を最大限に込めた絶対零度の斬撃は、自己治癒をしている最中の人魚の魔女へと直撃し、膨大な氷のエネルギーが爆ぜて周囲を凍てつかせ、煌びやかな氷の粒が粉雪のように舞い視界を晦ます。

 

「………すごい。ルドガー、君はこんな事ができたのか…」

 

後ろでその様子を見守っていた少女達、中でもキリカは特に、2人の見せた技の威力に呆然とし、息を呑むばかりだった。

 

 

「倒したか? いや…」

 

氷剣は確かに人魚の魔女へと当たった。しかしそれでも不安は残るのだ。

"倒した"と思いたくても、あれだけ苦しめられた人魚の魔女がそう簡単に倒れる筈がない、という不安の方がどうしても先行してしまう。

現にルドガーは、骸殻を通して未だに時歪の因子の反応を感じているのだから。

氷剣の爆心地から目を逸らさず、さやかと共に次の動向に備える。

次第に氷の粒は散ってゆき、白く曇っていた視界が拓けてゆく。その真っ只中にいたのは、

 

『─────ハ、アッハハハ!! いやぁちょっと危なかったなぁ───なんてね!』

「……やっぱり、効いてない…!」

 

ダメージ自体は確かに通っていた。その証拠に、槍の一撃で縦一閃に分かたれていた人魚の魔女の左半身は腕から先が吹き飛んでいたが、既に再生を始めている。

身体を分断していた傷口もほとんど癒着し、残る血痕も次第にうっすらと消えてゆく。

相手が満身創痍だったとはいえ、影の魔女を一撃で粉砕した氷剣でさえも、人魚の魔女を倒し切るには至らなかったのだ。

 

『お兄さんさぁ、プラナリアって知ってる? 身体のほとんどが水分でできてる生き物なんだけとさぁ……

まぁ要はあたし、肉片一つからでも数秒で元通りに回復できんのよ。だからいくらスゴイのぶっこんでも、あたしには効かない。

あたしも困ってんだよねェ……どうやったら死ねるのかわっかんなくてさぁ!!』

 

狂気に満ちた笑みを浮かべながら、人魚の魔女の周りには更に淀んだ魔力が集約してゆく。

蒼い髪色は白く変質し、時歪の因子化によって変化した黒い衣装も相まって、もはや"美樹さやか"としての面影も消えつつあるその姿は、ルドガーが過去に戦った人物を彷彿とさせた。

 

「その姿は? まさかお前、ウィンガルの……!」

『ご名答! これは"ロンダウの虚塵"。あんた達がマリアと遊んでる間に回収しといたのよ。

最後の1コは怖ぁい王様が持ってたからやめといたけどね? まあ、あんた達を絶望させるにはコレだけで十分!』

 

得意気に語りながら、人魚の魔女は剣を地面に立てて魔力を練り上げる。

ルドガー達の立つホールの床一面に巨大な魔法陣が展開され、それは逃げ場を奪うかのように空間いっぱいに広がっていった。

 

『さあ、逃げられるもんなら逃げてみなよ! タイダルウェイブ!!』

 

直後、魔法陣の端から水柱が立ち、渦を描くように膨大な奔流がホールの中央へと押し寄せてくる。

またも老軍師・ローエンの得意としていた術をルドガーに対してあてつけのように放った人魚の魔女は、冷ややかな視線で不気味に嗤いながらふためく少女達を見下す。

 

「まずい! みんな、こっちへ!」

 

水霊術の奥義、その威力をよく識るルドガーは何よりもまず皆の安全を考えた。

元来、圧倒的な破壊力を持つ流撃がロンダウの虚塵によって増幅されるとあれば、まともに喰らえばまず助からない。

掛け声に少女達が集まるとルドガーは骸殻の力を解放して結界を紡ぎ、その中へと飛び込んでいった。

人魚の魔女からして見れば、またしても目の前で標的が消失したかのように思える。しかしそれは、ほんの数秒しか持続しない事もとうに承知していた。

 

『やっぱり、ソレを使ってきたか!』

 

何もない空間をかき混ぜていた水の奔流は、人魚の魔女の指のひと鳴らしによって、ものの数秒で消える。

すかさず夥しい量の信管付きの剣を錬成し、無人となったステージの上に付きたて、タイミングを待った。

 

『───はい、待ってました!』

 

大量の剣が立てられたステージの上に、結界から戻ったルドガー達が現れる。

 

「………これは!? くっ、みんな逃げろ! 速く!」

 

それを見たルドガーの脳裏に浮かんだのは、まさしく人魚の魔女がこれから行おうとしていた行動そのもの。

ルドガーの帰還を狙っていたかのように、熱を持って輝き出した半月刀は端から一斉に起爆し始める。

2度続けての結界への逃亡はできない。少女達が身を翻すよりも速く炸裂し、その空間を焼き払わんとばかりに爆風が一面に広がった。

 

『あっはは! 燃えろ燃えろぉ!!』

 

してやったり、とさらに人魚の魔女は嗤いながら魔法陣を地に描く。焼き払われたステージを洗い流すために、再び大術を仕掛けようとしているのだ。

先程までとは逆に、氷の粒ではなく粉塵によって曇った視界がわずかに隙間を見せる。

 

『……ま、そのしぶとさだけは認めてあげるよ!』

 

その隙間から垣間見えたのは、咄嗟にアイギスの鏡を張り、その上から防御術式・インヴァイタブルを施した2重壁によって守られたルドガーと少女達の姿だった。

 

「……なんとか、間に合ったわね。でも、少しやられたわ……」

 

しかし、無傷で済んだわけではない。少しばかり爆風に当てられ、炸裂した剣の破片も身体を傷つけていた。

強固な盾を生み出したマミ自身も、破片で左瞼を切り軽い出血をしている。

 

『まあこの程度で負けるようじゃあ、このあたしは殺せないよ? あたしが本気になれば、あんた達なんかソウルジェム叩き割って、ソッコーで殺せるんだから!』

「なら、なんでそうしねえ!? 何かできねぇ理由でもあんのか!」と、苛立ちがピークに達した杏子が吼える。

『だぁってぇ、"あの娘"からは「全員連れてこい」って言われてんだもん。

その為にはあんた達全員魔女化させて、回収しないといけないしさぁ……あたしも大変なんだよ?

だってソウルジェムぶっ壊しちゃったら魂もオジャンだから、回収できないもん』

「回収だと…!? テメエ、キュゥべえの片棒でも担いでんのか!?」

『ハァ? あんなゴミクズと一緒にしないでくれる? あたしはね、親切でやってやってんのよ。

確かに魔女に堕ちれば無限に続く負の連鎖に取り込まれて、苦しむ羽目になる。あたしみたいに楽しくやってりゃあまだマシだけどね!

けど、それもほんの少しの我慢。まどかに契約させて"円環の理"が蘇れば、あんた達の魂も浄化されて、ちゃあんと救われる』

「その"円環の理"と、鹿目さんがどう関係あるのかしら!?」と、マミも強気に出て問いかける。

『くく……あはは、あっははははは!』

「!? 何がおかしいの!」

 

突然、壊れたように嗤い出した人魚の魔女の様子に、マミは悪寒を感じた。

 

『なぁんだ、あんた達何にも識らないんだ! そっかそっかぁ、あの"悪魔"、何も教えないであんた達を手伝わせてるわけ! いや、憶えてないのかな?

可哀想だねぇ、あの悪魔の欲望を叶える為の片棒を担がされてんのは、あんた達の方だったって事か!』

「悪魔…!? それ、まさか暁美さんの事を言ってるんじゃあないでしょうね!」

『え、そうですけど? まあいいや、識らないまま死ぬのは可哀想だから、あたしが教えてあげますよ!

ここの前の世界…って言った方がいいのかな? その世界のまどかは、「全ての魔女の消滅」を願った。

そうして生まれたのが"円環の理"。過去から未来において存在する全ての魔法少女が、その命を燃やし尽くした時に現れ、魔女に堕ちる前にその魂を回収し、浄化する為の概念。

まどかは願いを叶える為に、自ら望んで概念と化した。円環の理ってのは、鹿目まどか自身の事を言うのさ!』

「なん、ですって……?」

 

人魚の魔女から明かされた新たな真実は少女達を、とくにマミを狼狽えさせるには十分な内容だった。

さらに人魚の魔女の独り語りは続く。

 

『概念になるって事の意味はわかるかな? 全ての時間軸に干渉する為には、実体を保ったままではいられない。つまり全時間軸から"鹿目まどか"という存在が消えちゃうってわけ。そうして全ての魔法少女は救われる…はずだった。それをあの悪魔が駄々コネ出したのよ。

あいつは"まどかに逢いたい"その欲望を叶えるために、円環の理が創られる直前まで時間を巻き戻し、まどかの願いを変えさせたんだ!

どうやって巻き戻したかわかる? 円環の理がある限り、ただ巻き戻すだけじゃあまどかには永遠に逢えない。

あいつはね、"円環の理を破壊して"、その上で時間を巻き戻したんだよ!』

「破壊、して……? どういう事なの!?」

『ま、あとはあの悪魔にでも訊くんだね。…と言いたいところだけど、それは無理か。なんせ本人も忘れてるみたいだしねェ……

それに、あんた達はみんなここで魔女になってあたしと来てもらう。お兄さんは魔法少女じゃないから死んでもらうしかないけとねェ!

けど、あたしはあの悪魔を連れて行く気はない。あんな奴、まどかに救われる価値もない。あたしが直々に、死にたくなるような絶望を味わわせえやるんだから! ひゃは、あっはははは!

どうやってヤるかは考えてあるよ? ほむらを使ってまどかを脅迫するのさ。"ほむらを助けたかったら願いを叶えろ"ってね。

まぁまどかがまた円環の理になっちゃったら、今度こそほむら…自殺しちゃうかもねェ!

あっははは! 考えただけで笑いが止まんないや!』

 

人魚の魔女に慈悲の心など微塵もない。ほむらの事を"悪魔"と称しているが、少女達からすれば人魚の魔女の方がよほど悪魔に見えて仕方がないだろう。

 

「テメェ………腐ってやがる!」

 

憤りも頂点に達した杏子は、細身の赤槍を造り、いち早く飛び出していった。

怒りを感じているのは他の少女も同じであり、さやかもまた親友を侮辱された事に対して我慢の限界を超え、杏子に続いて切り込んでゆく。

 

『お、かかってくんの? 勝てないのわかってんのに?』

「るっせえ! テメェみたいなクズは今すぐぶっ殺してやる!」

『あーはいはい、あんたって昔から口だけは勇ましかったもんねぇ…って、そりゃ"あたし"の方か!』

「あんたなんかと、一緒にすんなぁっ!!」

 

2対の半月刀と槍の織り成すコンビネーションを、人魚の魔女はまるで子供をいなすかのように涼しい顔をして受け止める。

 

『あんた達に構ってたら残りの3人がヒマしちゃうだろうからさぁ……そっちの相手もしてあげるよ! そらっ!』

 

人魚の半月刀が宙に1つ浮かび、ルドガー達のいる方へと飛んでゆく。

避ける必要はないように感じられた。だが、ルドガー達のもとへ届く直前で剣は自壊し、爆風ではなく地に水飛沫を落とした。

その水飛沫の中から、ひときわ強力な時歪の因子の反応が感じられたかと思うと、いつか見たような骸骨の兜を被った巨大な人魚の魔物が具現化した。

 

「な、なんなんだこれは!?」

 

人魚の魔女の本来の姿を初めて見ることとなるキリカは、その醜悪な姿に嫌悪感と慄きを覚えた。

人魚の魔物は巨大なサーベルを構えると、地を割る勢いで振り下ろし、ルドガー達に攻撃を始める。

 

「どうなってるんだ…やつはこんな器用な真似ができるっていうのかい!」

「キリカ、下がるんだ! こいつの相手は俺がする! マミ、援護を頼む!」

「ええ!」

 

骸殻の回復にはまだしばらくの時間がかかる。手元に残るのは2挺の銃と長刃のナイフが2振りだけだ。

 

「ルドガーさん、これを!」

 

ルドガーの得物では人魚の魔物の持つサーベルと渡り合うには不利だと感じたマミは、自らのマスケット銃に魔力の加工を施して形状変質させた、先端に銃口が仕込まれた長いロッド状の武器を投げ渡した。

 

「これは…! ありがとう、マミ!」

 

過去に似たような武器を使ったこともあるルドガーはロッドを受け取り、素早くアローサルオーブに最適化させる。

それが終わるのを待たずに人魚の魔物の真正面へと飛び出してゆき、大きな肢体から繰り出されるサーベルと鍔迫り合い火花を散らす。

さらに後方からマスケット銃の弾丸が飛来し、人魚の魔物の身体に突き刺さるが、それでも動じる様子はなかった。

 

「ルドガー、私も!」

 

鉤爪による攻撃は巨大な体躯には有効ではないと感じたキリカも、鉤爪を変質させたナイフ状の得物を何本も投げ込み、援護に回る。

 

『はいはい、よそ見してる暇なんてあげないよー!』

 

人魚の魔女は魔物を操作しながら杏子、さやかの刃を軽く受け流してゆく。

ただ強いだけでなく、まるで手の内を読まれているかのようなその剣捌きに2人は攻めあぐねていた。

さらにお手玉でも弄るように空中にサーベルを生み出し、雑に撃ち出してゆく。

 

「またソレかよ! ちっ…さやか、下がれ!」

「わかってる!」

 

地に突き刺さったサーベルは間髪置かずに熱を持ち始め、それを見た2人は咄嗟に身を引いて剣の爆発を躱した。

 

『逃がさないよ! そーれっ!』

「させるかぁ!」

 

後ずさりした2人に対して人魚の魔女は、追い打ちのように距離を無視した斬撃を繰り出す。

横に広がる斬撃を躱すことはできないと踏んださやかも、全く同じ攻撃を返すことでその斬撃を弾いた。

 

『へぇー…なかなか強くなったじゃん、"あたし"。でも、あんたにはあたしの技を真似する事は出来ても、魔術までは真似できないよねぇ?

だって、ソウルジェムがイかれちゃうもんねぇ! まあいいや、これで終わりにしてあげるよ!』

 

いつの間にか、人魚の魔女の足元には莫大な魔力が集約した魔法陣が展開されていた。

その陣はロンダウの虚塵と呼応するかのようにたちまち範囲を拡げ、先程の流撃をも上回る速さで周囲から水飛沫が迫り、全員の足元に浸水していった。

 

「まずい、これは…!」

 

ルドガーの額にいやな汗がよぎる。見滝原の校庭で人魚の魔女が用いた最大級の魔術。かつての仲間が操る水霊術の極意をそっくり再現したソレが、今この場でまた繰り出されようとしているのだ。

だが骸殻は未だ使えない。逃げ手を使ってしまった今、人魚の魔女の攻撃から逃れる手段は残されていなかった。

人魚の魔物が指揮棒のようにサーベルを振るうと、激流の中から巨大な水柱が何本も生え、その波紋が少女達に襲いかかる。

 

「ダ、ダメ……防ぎきれないわ! きゃあっ!!」

 

マミは咄嗟にアイギスの鏡を張り激流を防ごうと試みたが、全方位から無差別に流れ込んでくる攻撃をソレひとつでは防ぐ事はできない。

キリカ、マミ、ルドガー…と、順に激流に呑まれ、人魚の魔女と剣を交えていた2人もあっという間に巻き込まれる。

 

 

 

『グランド・フィナーレ!!』

 

 

 

人魚の魔女が高らかに叫ぶと、周囲の気圧が一気に引き込まれて水柱はたちまち氷柱へと変わり、肺が潰されそうな感覚に襲われる。

凍てついた床元から氷がめくり上がり、収束し、それから一気に解き放たれた気圧と共に全員が大きく吹き飛ばされた。

 

「ぐ、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

ステージの中央部から座席のある方へと吹き飛ばされ、ひどく身体を打ち付けられる。

以前よりもはっきりと思い知らされた、圧倒的な魔力と強靭さ、そして強さは、全員に絶望を植え付けるにこれ以上相応しいものなどない程であった。

そうして、剣を握っていた手からついに力が抜け落ちた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

不意に、ほむらの脳裏に不安がよぎった。

目を覚まさなかった自分を置いて、人魚の魔女との戦いに赴いていった仲間たち。

以前の戦いを振り返っても、真っ向から立ち向かい勝てる相手とはとても思えない。

突如として襲いかかったこの胸騒ぎはきっと気のせいなどではない。ほむらはベッドからすぐに起き上がり、すぐに戦闘衣装へと変身をした。

 

「待って、ほむらちゃん! ……行く気なの………?」

 

既に涙声のまどかが問いかける。

ほむらは言葉を返す代わりにこくり、と頷き、それから前の戦いで破損していた盾をチェックした。

 

(………ダメね、これじゃあ使い物にならないわ…)

 

丸1日以上は眠っていたはずだ。それにも拘らず盾の破損はまるで修復されておらず、むしろ砂時計の意匠が仕込まれた外蓋部分は、今にも崩れてしまいそうな程深く割れたままだった。

これでは、時間停止もあと何度使えるかもわからない。

まどかの方を振り返る事なく、寝室の出口へと向かおうとする。顔を合わせれば、涙で滲んだまどかの姿を見てしまっては決意が揺らいでしまいそうだったからだ。

 

「………っ! はぁ……」

 

だが、ほむらもまだ本調子とは言えなかった。数歩歩いただけで目眩に襲われ、足先の力が抜けてしまいそうになる。

一瞬崩れかけた膝を見て、まどかは堪らずほむらの腕を掴んで制止した。

 

「………まどか、離して…!」

 

行かなければ。例え地を這ってでも、泥を被っても、立ち上がる力があるのなら。

人魚の魔女は、ほむらの積み重ね続けてきた時が産んだ妄執。それから逃げるわけにはいかない。その一念だけが、ほむらの頭を支配していた。

 

「………やだ、行かないで」

「え……?」

「行かないで………ここにいてよぉ……」

「何…を言っているの、まどか?」

 

ほむらは本気で、まどかがどうしてそんな事を言うのか理解できなかった。

だって、自分が行かなければどうしろというのか。

しかしそれでも、まどかは絶対に離すまいとほむらに力いっぱい抱きついて腕の力を強める。

 

「……もう、帰ってこない気がしたの。今ここで手を離したら、もう二度とほむらちゃんに逢えなくなっちゃいそうな気がして……」

「まどか……?」

「イヤだよ…わたし、ほむらちゃんがいなきゃダメなの……! ごめんなさい…わたし最低な事言ってる……ほむらちゃんは魔法少女だから、行かなきゃいけない。わかってる筈なのに……!

ほむらちゃんがいなくなったら、わたし…生きていけないよ………っ、ぐすっ……」

 

ああ、まただ。

絶対に守ると誓った筈なのに、結局また涙を流させてしまう。それもこれも、全て自分が弱いせいだ、とほむらは心苦しくなる。

いっそ関わらない方が幸せにしてやれるのではないか、と思った時期もあった。それでも最後にはほむらの方からまどかを求めてしまうのだ。

しかし、こんなにも弱い一面を見せるまどかは、ほむらからしたら初めてだった。

自分の方がまどかに依存している筈だった。その自覚もあった。

けれどいつしか、まどか自身もほむらの事を必要としていたのだ。これでは共倒れもいいところだ。

どうすればいいのか……それ以前に、"自分自身は"どうしたいのか。何を為すべきなのか、何を守るべきなのか。ほむらは今一度考え直す。

 

「聞いて、まどか」

「……うん」

 

泣きじゃくりながらも、まどかはゆっくりと首を縦に振って答えた。

 

「私ね、まどかの事が大好き。だから、最悪あなたさえ守れれば構わない……今まで私はそう思っていたの。そうでなければ、やってこれなかった。

けれど、今は少しだけ変わった。私はあなたを愛してる。それだけじゃない、あなたと、みんなのいるこの世界がとても尊いと思ってるわ。

……みんなを見捨てて、あなたと2人でここから逃げるのも悪くないわね。けれど、今ここで逃げたら私達は一生後悔するわ。

あなたは、誰かの犠牲の上で平気で過ごしていられるような娘じゃないもの」

「…………」

「ふふ、今なら"あの娘"の気持ちがよくわかる気がするわ……大切なものを守るためなら、私はもう何も恐れない」

 

ほむらが思い出すのは、魔法少女になる前に出会った"鹿目まどか"の後ろ姿。

絶対に勝てないとわかっていても、大好きな街を守る為に死地へと赴いていった彼女の気持ちを、今になって少しだけ理解する事ができた気がするのだ。

 

「他でもない今のあなたと、ずっと一緒に生きていたい。そのために、私は行かなくちゃいけないの。

………大丈夫。絶対に帰ってくるわ」

 

ほむらは縋りつくまどかの髪を優しく撫でてやりながら、その髪を留めていた2つの赤いリボンを解いた。

 

「………ほむら、ちゃん…?」

 

そのリボンを、ひとつは普段つけているカチューシャの代わりに自らの髪に、もう一つは大きな蝶々結びをつくって先に結んだリボンの上に留める。

まるでずっとそうしていたかのように、リボンを結ぶほむらの手はごく自然に動いた。

 

「これで、ずっと一緒よ」

 

きょとん、とした目で見上げるまどかの両頬に手を添えて、不安など感じさせないように精一杯の笑顔をみせる。

そのまま、寝不足からかやや血色の落ちたまどかの唇に、さして色の変わらぬ自身の唇を落とし、その隙間から見様見真似で舌を絡ませてゆく。

 

「んっ………ふ、うぅっ…!? ほむらちゃ、んんっ……は、ふぅ……っ…」

「…………ん、はぁっ……まどか、ぁ……っ」

 

互いに初めて感じる未知の感覚に、胸がいっぱいに埋められてゆく。互いを想い合う熱が、寂しさと怖さを上から塗り潰してゆく。

1秒が1分に、10秒が何時間にも感じられる。どれくらい続けていたかわからなくなったあたりで、ようやくゆっくりと唇が離れた。

 

「…まどか、こんな私を愛してくれてありがとう。………もう一度だけ、私を信じて」

「…うん。絶対に、帰ってきてね…!」

「もちろんよ。…いってきます、まどか」

 

最後に優しく微笑みを残し、ほむらはようやく寝室を出て戦場へと赴いていった。

残されたまどかは、唇のなかに残る暖かな感触を噛み締めながら、母・詢子の言いつけを思い出していた。

それは鹿目家の毎朝の挨拶儀礼。詢子は出勤する前に必ず父・友久と弟のタツヤに軽いキスをしてから出かけるが、まどかにだけは絶対にそれをしないでいたのだ。

いつか、まどか自身に心から好きな人ができた時の為に。

 

「………いってらっしゃい、ほむらちゃん」

 

この時ようやく本当の意味で心同士がひとつに繋がることができたのだ、とまどかは嬉しくも思えた。

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

氷獄と化したペリューンの央部に位置するホールでは、人魚の魔女が勝ち誇ったようにひとり息を巻いている。

 

 

『くく、あっははは! 弱っちいねェ!』

 

今度こそ、その圧倒的な力で絶望を植え付けてやる事ができた。あとは1人ずつ嬲り、心を更なる絶望で染め上げてやるだけ。

人魚の魔女は剣を構え直し、水霊術によって吹き飛ばされた少女達の元へ歩み寄ろうと足を進める。

 

「……ごほっ、みんな無事か……?」

 

マミから借り受けたロッドは人魚の魔女の大術で消し飛んでしまった。

ルドガーは力の入らぬ手を必死に握り締め、どうにか脚に力を込めてふらつきながら立ち上がった。

吹き飛ばされた際に打ち付けられたことで、こめかみからは一筋の血がうっすらと流れている。

ぼやける眼を凝らして周囲を見回すと、ルドガー以外の少女達も、息も絶え絶えながらやっとの思いで立ち上がろうとしていた。

 

『……チッ! まだ立てんの? さっさと絶望してくんないかなぁ? どうせ勝てっこないんだからさ、このあたしには』

「………まだだ」

『んー…?』

「俺は…俺たちは、まだ諦めるわけにはいかない……! 守るって、約束したんだ!」

 

ルドガーの想いに応えるかのように、懐中時計が音を立てて蠢き出す。

再び骸殻を纏い、1本の撃槍を紡いで人魚の魔女の立つステージの上へと飛んでゆき、落下の勢いに任せて槍を振り下ろす。

 

『おっと…、あたしとやり合おうっての?』

 

人魚の魔女は斜に構えたまま剣を捌き、ルドガーの槍をいなそうとする。

だが精霊術ではなく、純粋な技量比べではまだルドガーの方に分があった。

それは人魚の魔女自身もすぐに感じ取ったようで、刃を交わすのをやめて後退り、投擲剣を造り出す。

 

「─────させない…!」

 

が、遠くから大口径の号砲の音が鳴り響く。人魚の魔女の造り出したばかりの剣に砲弾は命中し、投擲される前に粉微塵と化した。

 

『大人しく寝てればいいものを……まだ絶望し足りないっていうのかなぁ!?』

 

苛立ちを覚えた人魚の魔女が剣を持った手を空に掲げると、そこを中心に暴風が巻き起こる。

 

『吹き飛べよ! ハリケーン───』

 

だが、刃を振り下ろして風圧を解き放とうとした瞬間、人魚の魔女の周囲に突如として紅い鎖のようなものが何重にも展開され、攻撃を許さないまま人魚の魔女を縛り付けた。

 

『これ、縛鎖結界……!? 生意気なぁ!!』

「……へっ、ザマぁねえなあ!」

 

身動きを封じられた人魚の魔女目掛けて、遠くから加速をつけたさやかが宙を舞って飛び込み、さらにその反対側からは鉤爪を光らせてキリカが飛び込んで来る。

 

「「うおぉぉりゃあぁぉぁっ!!」」

 

2人の刃は人魚の魔女の心臓部と、はらわたを抉るように突き刺さり、傷口からどす黒い血が吹き出した。

 

『が、ふっ………無駄だっつってんだろぉがァァァッ!!』

「く、きゃあぁぁっ!?」

 

ついに癇癪を起こした人魚の魔女は、ロンダウの虚塵の出力を暴発させ、その魔力の衝撃波で身体を抉っていたさやかとキリカを吹き飛ばした。

それと同時に、2人によってつけられた深い傷をも再生させる。

 

『あぁめんどくさい!! もうヤメだ! 大人しく導かれてりゃあよかったものを! もういい、そんなにブチ殺して欲しかったらやってやるよ!

あんた達のソウルジェムを全部粉々に叩き割ってやる!!』

 

つい先程繰り出された水霊術の極意よりもさらに暴力的な魔力の奔流が巻き起こり、周囲の大気をかき混ぜてゆく。

人魚の魔女はここにきてようやく、本気で少女達を血祭りに上げようとその持てる力を解き放ち始めたのだ。

 

「させるか!」

 

ルドガーはそれを止めようと、槍を人魚の魔女に向けて投擲する。

しかし避ける素振りもせずにその槍をわざと受けてみせ、細い身体を貫かせた。

 

『ぐ…ッ、効かねえっつってんだろうがァァァ!! インブレイス・エンド!!』

 

もはや狂気を隠すこともせず、人魚の魔女は溜め込んだ魔力を一気に解き放つ。

収束していた大気は氷剣をも上回る冷気を帯びながら膨れ上がり、ホール中を粉々に吹き飛ばす勢いで爆裂しようとしていた。

間に合わない。結界の形成も、アイギスの鏡も、この空間から逃げ去る事も。

ホワイトアウトしてゆく視界を前にしながら、ルドガーはとうとう心に絶望の2文字を抱きかけた。

 

 

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

 

ただ一点を除いて、何もかもが綺麗に消し飛んだホールの中で、吹き抜けと化した天上から曇った空を仰ぎながら、人魚の魔女は高らかに嗤う。

やってしまった。言いつけを守らず、魔女化させて連れ帰る筈だった少女達を跡形もなく吹き飛ばしてしまった。

 

『─────ハ、それがなんだってのさ。あたしはよく我慢したよ。殺したくて、殺したくて仕方が無いこの衝動を堪えて!

ひゃは、結局堪忍袋の尾が切れちゃったけどね!』

 

それでも、ちゃんと恭介を閉じ込めてある氷の柩がある所だけは被害が及ばないようにコントロールした。戦いにおいても、巻き込まないように位置を把握しながら計算して術式を放った。

この世界の美樹さやかは殺した。恭介を拉致して、あわよくばこの戦いを見せつけてやりたかったけれど、催眠魔法が効きすぎたのか恭介は氷の柩の中で眠りっぱなしだった。

 

『まあ、いいか。ちょーっとだけあたしもブチ切れちゃったし、あんまりはしたない所は見せられないもんね!

さて、とりあえずマグナ・ゼロに連れて帰ろっかなぁ!』

 

人魚の魔女は、とうに壊れていると言っていいだろう。

かすかに残っていたはずの"美樹さやか"だった頃の倫理観はこの戦いの中で狂気に呑まれすっかり失せ、残るのは魔女としての哀しい性質だけ。

激情と、マイナスの感情によって成り立つ哀れな人魚姫の成れの果て。

何が可笑しいのか、自分でもわからないまま人魚の魔女はひたすら高嗤いし続ける。

氷の柩に閉じ込めた恭介を解放すべく、人魚の魔女は空に浮かぶ柩の方へと振り返った。

 

『ひゃは、あっははは──────はぁ?』

 

しかしすぐに、人魚の魔女は自分の目を疑った。

確かに氷の柩には攻撃が届かないようにコントロールは徹底していた。だが、それを悟らせないように、無差別に見せかけた攻撃方法をしていた筈だ。

あまつさえ、氷の最強霊術から逃れる暇など与えた覚えなどないのだが、

 

『──────ほんっと、そのツラ見ると虫酸が走るわ。"暁美ほむら"!!』

 

氷の柩の真下には砕けたアイギスの鏡の破片が散らばっており、そこにルドガーを始めとする少女達はいた。しかし、キリカとさやかは意識を失っている。

そして、満身創痍のルドガー達を守るかのように前に立ち、盾を構えたほむらの姿があった。

完全ではないとはいえ、氷の柩の周辺は極端に霊術の威力が低く設定されていた。アイギスの鏡ならば、ギリギリ防御が可能だったのだ。

 

『成る程ねェ…あの瞬間に駆けつけて、時間停止で術の死角まで逃げたってわけ』

「ええ、その通りよ。久しぶりね───"美樹さやか"」

『黙れ! あんたみたいな悪魔にあたしの名を呼ぶ許可なんて与えた覚えはない!!』

 

人魚の魔女が指をひと鳴らしすると、周囲にうっすらと霧が立ち込め始める。

水を介してほむらに接触することで、間接的に時間停止を封じる。見滝原中学で用いたものと同じ戦法だった。

 

『さぁ、どうすんのかな? 時間停止のないあんたなんて、丘に打ち上げられた魚同然! どぉすんのかなぁ〜、て・ん・こ・ぉ・せ・エ?』

「………そうね、確かにこの力がなければ私は間違いなく最弱の魔法少女。

でも、今の私は独りじゃない。もう、自分独りの時間に閉じこもるのは終わりにするの」

『だったらあたしが終わらせてやるよォ!!』

 

ほむらの言葉に苛立ち、人魚の魔女は距離を無視した斬撃を何度となく撃ち放った。

それを、ほむらは盾に残るわずかなエネルギーを使ってバリアを張り、衝撃を堪えながら受け止める。

ガツン、ガツン、と1発1発が車に轢かれたかのような重みを持ち、盾の亀裂はどんどん深まってゆく。

 

「暁美さん! 今、鏡を!」

「よしなさい、マミ。あなたの魔力ももう限界よ………ぐっ!」

「でも…!」

 

他の少女達もいよいよソウルジェムが半分以上濁ってきており、中でもアイギスの鏡を多用していたマミと、自動発動型の術式が仇となったさやかは状態が酷く、あと数度魔力を行使すれば濁りきってしまうところまで来ていた。

 

『ハァ……ハァ…っ、死ねよぉ! この悪魔ァ!!』

 

人魚の魔女は斬撃を飛ばすのをやめ、空に新たな投擲剣を錬成する。その数はざっと見て50は下らない。

指揮棒代わりに手に持つ剣を振り下ろすと、投擲剣は全てほむら目掛けて赤く発熱しながら飛んでいった。

 

「………躱すのは、無理ね」

 

ほむらの後ろには、傷付き立ち上がる力すら出ない少女達と、破壊の槍を杖代わりにして痛みを堪えながら立つルドガーがいる。

全員を抱えて剣の雨からは逃げられないだろう。それでも、誰かを見捨てて逃げよう

などとは考えもしなかった。

 

「…ほむら、どうしてここに来たんだ。君がいなきゃまどかは…」

「私の望みは、まどかの幸せだけ。…それには、誰1人として欠けてはいけないのよ。ふふ、呉キリカがここにいるのは予想外だったけれどもね」

「…悪い、俺があの世界から連れてきたんだ」

「別に、まどかに危害を加えないなら構わないわ」

 

剣の雨はもう数メートルにまで迫っていた。死に近づく瞬間ほど、時間の流れが緩やかに感じるとはよく言ったものだ、とほむらは自嘲した。

 

「………私は、いつも諦めてばかりいた。逃げてたの。辛い現実から目を背け続けて、自分の望む未来だけを探し求めてきた。

でももうその必要はない。この先何があってもこの世界で生きる、そう決めたの。

………もう、この盾も必要ない。私はもう2度と、諦めたりなんかしない!!」

 

盾の亀裂は一気に深まり、砂時計の意匠が崩れ落ちてゆく。

ほむらの強い意志に呼応するように、蓋をされ続けてきた煌めきが盾の中から溢れ出してくる。

その煌めきはほむらを始めとする仲間達を包むように広がり、爆発寸前の投擲剣を全て弾き飛ばした。

砂時計の破片は形を変え、ルドガーの槍にも似た、体格にややそぐわぬ大きな黒い弓となる。

 

『……その、力はッ…!!』

 

ほむらの背中には破壊をもたらす災厄の黒翼ではなく、眩い輝きを放つ1対の巨大な白い羽根がもたらされていた。

 

『その力は"あの娘"のものだ! あんた如きが穢すんじゃねぇェェ!!』

 

怒りも頂点に達した人魚の魔女は、自らの依り代たる魔物の身体を召喚して、またも霊術を行使せんとする。

 

「ルドガー、お願い!」

「あ、ああ…!」

 

請われるままに、ルドガーはほむらとリンクを結んだ。そしてすぐにほむらに起きた異変の影響が伝搬してゆく。

以前、黒翼を展開したほむらとリンクを結んだ時は、おぞましい負の感情が一気に流れ込んできた。

 

「こ、これは……!?」

 

しかし、今のほむらから流れ込んでくるのはその逆。リンクを繋いでいるだけで身体の痛みが楽になり、絶対的な安心感がもたらされるのだ。

 

「受けなさい、これが私の"天上の祈り"よ!」

 

ほむらが巨大な黒弓を空に掲げると、何もなかった弓に光の矢が備えつけられる。

その矢を空に打ち出すと、ある一点で炸裂し、癒しの願いが込められた光をホール中に散りばめた。

その光を受けた少女達のソウルジェムは、ほんの僅かに濁りが浄化され、1番濁りが酷かったマミとさやかのソウルジェムも危険域を脱した。

それよりもルドガーの目を惹いたのは、ホールの中央にいる人魚の魔女だ。

 

『─────ギ、あぁぁぁァぁぁァァッ!! やめろ、やめろォォ!』

 

同じく癒しの光を浴びた人魚の魔女の身体が、指先から腐食を始めたのだ。

頬の肉も溶けかけ、血走った眼と合わさってこの世のものならぬ外見へと変わってゆく。

人魚の魔女が得意とする、無限の魔力による回復術や霊術。しかしその源はあくまで負の感情から抽出されたマイナスの魔力だ。

故に癒しの願いから成り立つ純度の高いプラスの魔力は、とくに人魚の魔女にとっては、逆に猛毒として作用し身体を蝕む。

ほむらの新たな力と人魚の魔女の魔力は、相性が最悪だったのだ。

自身の持つマイナスの魔力は癒しの願いにより中和され、みるみる磨り減ってゆく。

 

『フゥ───……! あんただけはァ、絶対に殺す!!』

 

大幅に奪われた力を振り絞り、投擲剣を何本が造ってほむらに向かって射出する。

だがほむらは最早避けようともせず、黒弓を真正面へと向けて、ルドガーと共に新たな矢を生み出した。

備えつけられたのは、ルドガーの槍を変質させた黒い矢。その矛先一点に、癒しの願いが集約されてゆく。

 

 

「「天威・浄破弓!!」」

 

 

破壊と癒し、2つの力が込められた矢は投擲剣の雨を吹き飛ばしながら放たれ、真っ直ぐに人魚の魔女の方へと飛び、煌めきを帯びながらその胴を貫いた。

 

『──────アァァァァァッ!! ぐぅっ、赦さない…あたしはァァ!!』

 

人魚の魔女は突き刺さった矢を引き抜こうとして乱雑に握り締めるが、直後、人魚の魔女の周囲の景色が急激に書き換えられてゆく。

錆びた鉄のような空に、宙を舞う無数の歯車。一切の時の流れから隔絶された、骸殻の結界の中へと引きずり込まれたのだ。

 

『…ッ!?』

 

人魚の魔女の前に立つのは、スリークォーター骸殻を纏ったルドガーと、白い翼を広げたほむらだけだった。

 

「終わりよ、"美樹さやか"………さようなら。ルドガー!!」

「ああ、一緒に! 瞬け、明星の光よ!!」

 

ルドガーが槍を高く掲げ、その柄をほむらも一緒に握りしめる。

白翼から放たれる光は破壊の槍に集まり、槍は巨大な羽根の如き光の剣へと形を変えた。

 

 

 

 

 

 

「「天翔───光翼剣ッ!!」」

 

 

 

 

 

2つの力が折り重なった剣は吸い込まれるように人魚の魔女へと振り下ろされ、妄執から成り立つ身体を両断する。

 

『ギ、アァァァァァ!! この…っ、悪魔がぁぁぁぁ!!』

 

おぞましい呪詛の言葉を最期に吐きながら、人魚の魔女は浄化の光によって焼き尽くされ、歯車の結界ごと崩れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

 

旅船ペリューンを模した結界は人魚の魔女の消滅によって崩壊し、傷ついた少女達は静寂のなかの見滝原駅へと戻っていた。

立っているのは羽根を広げたままのほむらと、既に骸殻を解いてふらつくルドガーだけだ。

その周りには気絶したさやか、キリカと結界から救い出した恭介。そして、人魚の魔女のグリーフシードで穢れが酷い順に浄化をしている杏子とマミがいた。

 

「…これで、終わったのか」

「ええ。これで、終わり……もう、あの"美樹さやか"は何処にもいない。

あの人魚の魔女は、ただの魔女じゃなかった。恐らく、今までの全部の時間軸の記憶を持っていたんだわ。

……私の事を、恨んでいたのも無理はないわ」

 

魔女を倒し、過去の因果からも解き放たれて新しい力を覚醒させたにも拘らず、ほむらの表情は浮かない。

 

「…その羽根は、いったい何なの?」と、マミが問いかける。

「とても暖かい光……見つめてるだけで、心がほっとする気がするわ。

人魚の魔女は"あの娘の力"って言っていたけれど、どういう意味なの…?」

「…そうね。私もまだ、記憶が混乱しているのだけど…」

「記憶が?」

「ええ。この時間軸の世界に渡る前までの記憶と、"全ての魔女が消滅した後の記憶"。その2つが、私の中で混ざり合っているの」

「………ちょっと待って、どういうこと?」

 

マミは、ほむらの言い回しにどこか引っかかるものを感じた。

 

「……"円環の理"。全ての魔女を浄化する概念。この羽根は、円環の理の力の一部なの。

…"あの娘"が最期に私に託してくれた、"あの娘"が存在していた唯一の証。

今の私は、円環の理が成立した後の世界と、円環の理が誕生しなかった世界。その2つの記憶を持っているのよ。

多分、この羽根の力と一緒に記憶も封じ込まれていたんでしょうね」

「えっ………だって、"円環の理"って、鹿目さん自身の事なんでしょう!? でも鹿目さんはちゃんと生きていて、契約もしてない…そうでしょう?」

「ええ、その通りよ。…でも私も、どうしてこんな状態になったのかまでは、まだ思い出せないわ……っ、はぁ…」

「……暁美さん?」

 

不意に語り口がどもり、鼻を軽く啜るような音が聞こえてマミの注意が向く。

顔を見上げてみると、ほむらは大粒の涙を流しながら肩をわずかに震わせていた。

 

「どうしたの、暁美さん…?」

「………わからない。でも、止まらないのよ……ぐすっ…」

 

それは。"この世界のまどか"とは違う、白翼を授けた"彼女"にもう2度と逢えない、という哀しみからか。

或いは、形は違えどほむらと同様に百余りの時を重ねた人魚の魔女、即ち過去の"美樹さやか"をその手で殺め、その存在すらも否定してしまった罪悪感からか。

どちらにせよ、記憶と共にぐちゃぐちゃになった、抑えきれない感情を止める事は誰にもできやしない。

唯一それができるとしたら、今も独りでほむらの帰りを待っている、心を通わせ合った想い人だけだろう。

 

 

そうして、最期の日までのカウントがまた一つ縮まった。

盾の砂時計はもう()いが、もはや行く手を阻むものは何もない。

運命を変える為の戦いの前の、ほんの束の間の日常へと、ルドガーと少女達は帰っていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

INTER EPISODE:2 惜別、そして───
第27話「この気持ちに、嘘をつきたくなかった」


1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽が昇りきる前から降り始めていた大粒の雨はいつの間にかぴったりと止み、嘘ように明るい陽射しが、レースカーテン越しに室内に差し込み始めていた。

ベッドに腰掛け、温もりに縋るように枕を抱き締め、ひとり祈りながら帰りを待っていたまどかはその陽射しを見てどこかほっとしたようにため息をつく。

 

「終わった、のかな……?」

 

 

人魚の魔女が降らせたであろう雨が止んだという事の意味を、まどかは半信半疑で考える。

傷つき、苦しめられ、まどか自身も1度死の危険へと追いやられた最悪の敵を、無事に倒すことができたのだろうか。

リボンを解かれた長い髪を揺らめかせながらカーテンをそっと開けると、冷えた部屋の中に暖かみが差し始める。

まどかの心中の不安は陽射しを浴びると共に少しずつ溶けてゆき、今はもう想い人の帰りが待ち遠しくて仕方がない。

 

「………!」

 

かちゃり、と鍵の開く音が遠くから響き、それから遅れて、少し錆びたようなドアの開く音が聞こえてくる。

その音を聞きつけたまどかはほぼ反射的にベッドから立ち上がり、乱れた髪も気にせず音のした方へと早足で向かい、開いたドアの先にいる人影を見て、表情を更に綻ばせた。

その姿を見ただけで自然と瞼から涙が滲み出し、すぐにでも飛びつきたい衝動に駆られるが、ぐっと堪えて呼吸を整える。

『信じて』という言葉通りにちゃんと帰ってきてくれた。ならば、まずは何を言うベきなのか。

色々と言いたい言葉がまどかの頭の中で目まぐるしく交差するが、それら全てを引っくるめてただ一言だけを告げた。

 

「おかえり、ほむらちゃん……待ってたよ!」

「…………まどか」

「ほ、ほむらちゃん…? きゃっ!?」

 

声を聞いた途端にほむらは唐突にまどかに抱きつき、虚を突かれたまどかは間抜けな声を上げた。しかしすぐに、ほむらの様子がどこか変わっている風に感じ取り、声を掛ける。

 

「………どうしたの?」

 

返事はすぐには返らなかった。代わりに、暖かさを噛み締めるかのようにわずかに腕の力を強める。

 

「〜〜〜〜!? ほむらちゃん…!?」

 

ほむらの背後で待つ、キリカを背負ったルドガーに目配せをしてみるが、ルドガー自身も困惑の色が抜けないでいた。

されるがままに、そっと自分の両手をほむらの背中に回してみる。互いに抱き締め合う格好になったところで、ようやくほむらは口を開いた。

 

「………まどか。もう2度と、貴女を離さないからね…!」

「えっ…?」

「絶対よ…何があっても、私が貴女を守るから……だから、ずっと傍にいてね…?」

「う、うん…もちろんだよ」

 

熱の込もった言葉と、それを映したかのようなほむらの所作に、まどかは逆にかすかな不安を感じる。

こういう風に冷静さを欠いてまどかを求めてくる時は、大抵は何かしらの事象がほむらの身に起きた時だとまどかもわかっていたからだ。

まして、今は恐らく人魚の魔女との戦いを終えてきたばかり。またしても黒翼の力を暴走させてしまったのだろうか、と不安は胸の内から次々と溢れてくる。

 

(けど今は……何も訊かない方がいいよね)

 

互いに、あまりにも互いの存在を尊びすぎている。故に不安でいるのはきっとお互い様なのだろう、とまどかは口を噤んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

居間の隅に敷かれた布団には人魚の魔女との戦いから目を覚まさないままのキリカが寝かされており、疲労の色が顔から見て取れるルドガーと、やや寝不足気味のまどかは揃ってテーブルの前に腰掛けていた。

台所から漂ってくる料理の匂いと、珍しく台所に立つほむらの後ろ姿に釘付けになりながらも、やはりまどかの胸の中には違和感が残る。

 

「ほむらちゃんって、あんまり料理とかするイメージなかったけど……なんか意外だね」と、まどかは調理を続けるほむらの背中に話しかける。

「ふふ、そうね……これでも、魔法少女になりたての頃は学校に弁当を作って持って行ってた事もあったのよ?」

「えっ、そうなの……?」

「ええ、とても自慢できるようなモノではなかったけれどね」

「じゃあ…今は?」

 

ほむらの返答に驚いたのはまどかだけではない。

ルドガーもまた、ほむらと一緒に過ごすようになってから彼女が鍋を握る姿など殆ど見た事がなかった。

せいぜいインスタントのラーメンを作るために湯を沸かした時ぐらいで、その後からはルドガーが食事を全て担当するようになったからだ。

故に、ほむらには料理の心得はないと思っていたのだが、今の彼女の姿はそれとは打って変わって、ある程度手慣れた様子で鍋を振るっているのだ。

 

「さあ、どうかしらね。杏子にご馳走した時はなかなか評価は良かった気がするけれど」

「えっ、杏子ちゃんにもご馳走したの!? いつの間に…?」

「……そうね。残念ながらこの世界の杏子ではないから、なんとも言えないわ」

「…前にいた世界の、って事?」

「そうなる…のかしら」

 

言いながら、手にしているフライパンの中に多めに溶いた卵を流し入れ、菜箸で器用にかき混ぜながら形を整えてゆく。

3つある五徳の反対側の方には、大量のチキンライスが炒まった状態で入った鍋があり、奥にある3つ目の五徳にはレトルトタイプのハヤシライスが小鍋の中で湯煎にかけられていた。

フライパンの上である程度卵が固まると、鍋の方からチキンライスを適量卵の上に乗せ、フライパンを煽りながら綺麗に巻いていってしまう。

1つ巻き終わると皿に開け、再びフライパンの上に卵を流し込み、チキンライスを乗せ…と、次々とオムライスを焼き上げる。

仕上げにとレトルトハヤシライスの風を切り、ソース代わりにオムライスにかけてゆく。

まどかと会話をする片手間に、あっという間に3人分のオムライスを拵えてしまった。

 

「さあ、できたわよ。呉キリカの分は起きてから作るわ」

「今取りに行くよ、ほむら」

「あなたは大人しくしてなさい、ルドガー。1番酷くやられたんだから…」

「あ、ああ……ありがとう」

 

完成品を運ぼうとしたルドガーを制し、先に2人の分をテーブルに運び、それから少し照れくさそうに、3つ目のオムライスをまどかの前に置いた。

ルドガーとほむら自身の分はごく普通の仕上がりをしていたのだが、まどかの分だけはハヤシライスのソースのかけ方が少し違っていた。

それを見たまどかの顔は、一気に真っ赤になる。

 

「ほ、ほむらちゃん!? こ、これ……」

「………あなたのは、特別」

 

まどかの分のオムライスの上には、器用にハート型になるようにハヤシソースがかけられていた。

ケチャップならば兎も角、どこをどうしたらそんなに綺麗にかけられるのか、傍らのルドガーも本気で感心してしまう程だった。

当のまどかもハート型ソースのオムライスを目の当たりにして、

 

(…どうしちゃったのほむらちゃん。やっぱり私が"ほむらちゃんがいないと生きていけない"なんて言っちゃったからなのかな…!?

そ、そりゃあ私はほむらちゃんの事大好きだけど、けど…嬉しいけど…ルドガーさんにすっごい見られてるよぉ…!)

 

などと考え、赤面したまま固まってしまっていた。

 

「さて、冷めないうちに食べて頂戴」

「ふぇ!? う、うん! いただきます!」

 

ほむらに促され、若干ぎこちない風にスプーンを取ってオムライスを口に運んでゆく。

ほむら自身も少し緊張しながらまどかの様子をまじまじと窺うが、

 

「……おいしい。おいしいよほむらちゃん!」

 

かなり好評なようで、ほむらは安心したようにひと息つき、それからオムライスに手を付け出した。

 

「驚いたよほむら、すごく美味しくできてる。いつの間に料理なんて覚えたんだ?」と、食べながらルドガーが尋ねかけた。

「料理を本格的にするようになったのは、本当に最近よ。料理に限らず、"前向きに生きなきゃ"って思って色々な事に挑戦してたの。"あの娘"が安心していられるように、ね」

「"あの娘"……? それって…」

「ええ、そうよ」

 

"あの娘の力"と称していたほむらの白翼を見ていたルドガーは、それが誰なのかを少しだけ察したようだが、その場に居合わせなかったまどかにはわからずほむらに問いかける。

 

「"あの娘"って、誰のことなの?」

「…そうね。少しややこしい話になるけれど、この世界のではない"まどか"の事よ。…全ての魔女の消滅を願って"円環の理"となり、この世から消えてしまった彼女のこと」

「え……? だって、その願いって"私"が消えちゃうんだよね。でも、私はここにいるよ…?」

「ええ、そうよ。その願いは私が変えさせたのだから。でも、最初はそうじゃなかった。あの時確かにまどかは契約して、円環の理となった。…私はね、その先の事を識っているのよ」

 

スプーンを運ぶ手を止め、今一度まどかと向き合う。

ほむら自身も記憶の整合性がきちんと取れていないのだが、それでも言わなければならない、と真摯になって言葉を選んだ。

 

「今の私は、2つの世界の記憶が重なっているのよ。"円環の理"が生まれなかったこの世界と、"円環の理"が誕生して、まどかが消えてしまった世界の記憶が、ね」

「……どういう事なの?」

「そうね…先に憶えてるのは、あなたが消えてしまった後のこと。円環の理によって全時空から魔女が消え去った…正しく言えば、魔法少女が魔女になる前に、その魂を導いてしまうの。それが円環の理の役割。

それによって確かに魔女は生まれなくなった。けれど今度は魔女の代替品として、人間の負の感情が集まって生まれる"魔獣"が蔓延るようになったの。そしてその魔獣を狩るのも魔法少女の役割。魔獣を倒さなきゃグリーフシードを得られないのも同じ。

何のことはないわ…結局、魔女が消えたところで世界は(・・・)何も変わらなかったのよ」

「……そんな、じゃあ意味がなかったって事なの!?」

「…少なくとも、私はそうは思いたくなかった。"あの娘"が命を賭して叶えた願いが無駄だなんて、思えるわけがないでしょう? それに、確かに魔法少女は死の間際になって"あの娘"に救われるのよ。絶望にまみれて孤独に死ぬのではなく、最期に手を差し伸べられて逝けるのだから。

人魚の魔女…"美樹さやか"があんなにも円環の理に固執していたのも、きっと救われたかったからなのよ」

 

旅船ペリューンを模した結界の中での戦いにおいても、人魚の魔女は同様の発言をしていた。その圧倒的な力を以てしてまどかを脅迫しようとしていたのだ。

 

「だから、人魚の魔女はまどかに魔女の消滅を願わせようとしたのか…ん?」

 

不意に、ルドガーの中にどこか引っかかるものがあった。

 

「…円環の理が誕生したら全ての世界からまどかの存在が消えてしまうんだったよな。それが生まれた後に、遡って願いを変えさせる、なんて事ができるのか?」

「そこは…私にもよくわからないのよ。ただ、私はあの娘の遺した世界を護る為にひたすら魔獣と戦い続けた。それこそ、気が遠くなるくらいにね。

でも…まどかのいない世界で生きてゆくのは耐えられなかったわ。気が狂いそうで仕方なかった。そうしてとうとう限界を迎えた、と思ったら……そこからの記憶がないの。

たぶん、その時点でまどかが円環の理になる直前の世界に戻ったんだと思うわ。もしかしたら無意識のうちに時間を戻したのかもしれないわね……

当然、戻った時には円環の理の記憶なんてなかったわ。ただ、"絶対に止めさせないと取り返しのつかない事になる"って直感がしたのよ。

ねぇ、まどか。もしこんな風に自分の手で魔法少女達を救えると聞かされたら、あなたは契約しようと思うのかしら…?」

 

不安げな表情を隠そうともせずに、まどかに対し再確認をする。

 

「……しないよ。確かに、私が契約すればいろんな魔法少女の子達を助けられるのかもしれないけどさ……ほむらちゃんはその世界で、苦しんでたんだよね?」

「そう…ね。でもそれは私だけよ。他のみんなは"鹿目まどか"という子の存在を憶えていないんだもの」

「それでもだよ。みんなを救えても、ほむらちゃんを救ってあげられないんじゃ駄目だよ……

みんなが戦わなくていい世界に変えられるんなら契約しちゃうかもしれないけど…そうじゃないんでしょ?

契約する気なんてないけど、契約するなら、ほむらちゃんも一緒に助けてあげられるような願いを叶えたいよ」

「……そう。あなたはそういう風に思ってくれているのね」

 

まどかの返答を聞いて、ようやく安心したように表情を和らげる。

それでも敢えて釘を刺すように、或いは言い聞かせるようにまどかに自らの想いを伝えようとした。

 

「まどか。私達はお互いに同じ気持ちだと思っているけれど…だからこそ言っておくわね」

「う、うん……何かな」

「もしあなたが契約しても、私はもう時間を巻き戻さない。……あなたを殺して、私もあとを追うわ」

「……っ!?」

「それだけの覚悟を持って、今のあなたから離れないと決めたのよ。だからお願いよ…まどかも、私の傍から絶対にいなくならないでね…?」

 

"決して独りにはさせない"というほむらの意思を聴かされて、ほんの一瞬だけ背筋に緊張の糸が走ったような感覚を覚えた。ただそれは、単に恐ろしかったという理由などではない。

 

「……ほむらちゃんは、何処にも行ったりしないんだよね?」

「ええ、まどかを置いてなんて行かないわ」

「そっか、てぃひひ……最初に"ずっと一緒にいて"って言ったのは私の方だもんね」

「そうね、ちゃんと憶えているわよ。…ごめんなさい、ご飯の時に変な話をしてしまって」

 

冷めないうちに、と自分から促してようやくスプーンを運ぶ手が動き始める。

初めての家主の料理を囲むひと時は、穏やかに過ぎていった。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

雨が上がり心地よい日射しと穏やかな風が吹く街路樹の通りには、手を繋ぎ歩く2人の姿だけがあった。

まどかがほむらの家を訪れてから丸1日が経とうとしており、体調もすっかり元に戻ったことで現在まどかを家まで送り届けている最中である。

まどかの家はほむらの自宅から歩くこと十数分程の距離にあり、もうじき見えて来ようとしてきたが、少しでも長く居たいと互いに思っているからか、やや足取りは遅い。

 

「…ありがとうね、まどか。あなたが傍にいてくれたから私はまた立ち上がれた。みんなを守ることができたのよ」

「うん…でも、ほむらちゃんは本当に大丈夫なんだよね?」

「もう平気よ。盾の砂時計はもう無くなってしまったけれど、今の私には"あの娘"から貰った力があるから」

「白い羽根と…弓、だっけ? "あの娘"のって事は、もし私が魔法少女になったらおんなじ力を使えるのかな」

「……ええ、そうよ」

 

まどかのその言葉に僅かな胸の痛みを覚えながら思い出したのは、まどかの魔法少女としての姿ではなく、円環の理となって更なる力を得た、"鹿目まどか"の最後の姿だった。

 

「羽根の力と、今みたいに"あの娘"のリボンを受け取ったわ。これをしてるとね、まどかがいつも傍で見ていてくれているような気がして、すごく安心するの。今だってそうよ。離れていても一緒にいられる、そんな気がするのよ」

「ほ、ほむらちゃん……なんか、最近大胆なこと言うね?」

「そうかしら? 私は思ったことをそのまま言っているだけよ。まどかだって、"私なしじゃ生きられない"って言ってくれたじゃない」

「あ、あれは! その……違わないけどさぁ……

…そのリボン、欲しかったらあげるよ。よく似合ってるし、私、家にもう1つリボンあるから」

「ふふ、ありがとう」

 

リボンの解けた緩い癖のある桃色の髪に手を伸ばして、軽く指で梳かしてみる。

「ひゃっ!?」と間の抜けたまどかの声が少し響くが、その反応すらも愛おしく感じてしまい、髪を撫でる手は止まらないどころか、身体を引き寄せて人目も憚らずに、包み込むように抱き締めてしまった。

 

(……いい匂いがする。まどかの匂い…幸せ……)

 

声に出して言おうものなら本人から怒られそうなので、心の内に留めておく。

緊張感や昂揚感もあるが、何よりこうする事で一番得られるのは、やはり安心感だろう。

何度やり直しても救えなかった命が、今こうして自分の腕の中で脈づいている。それだけでも嬉しさが込み上げてくるのだ。

あと少し、ワルプルギスの夜さえ過ぎる事ができたならば、ようやくほむらの長い旅を終える事ができるのだ。

勝っても負けても、これが最後。時間遡行(やり直す為の)の力と引き換えに取り戻した白羽根の力は、ほむらに大きな自信をもたらしていた。

 

「………まどか。いい…?」

 

髪を撫でていた手は今度はまどかの頬に添えられて、顔を少し上向きにさせ、親指で唇の感触を確かめる。

 

「ひゃ…ひ、人が来ちゃうよ…!?」

「大丈夫、誰も来てないわ。それとも……イヤ?」と、わざと寂しそうな表情をしてみせる。

「…ずるいよ。そんな顔されたらイヤだなんて言えないよ……もう」

 

観念したように、それでいてやはり嬉しそうに、そっと目を瞑り待つ。

内心では2人とも心臓が悲鳴を上げそうなほど脈打っており、触れた布越しに伝わってしまうのではないか、などと考えながら2人の距離はさらに縮まり─────

 

 

 

 

 

「おっす、まどか。帰ってきてたのかい?」

 

 

 

 

突如聞こえてきた声にビクン!! と2人の身体が強張り、咄嗟に身体を離して周りをきょろきょろと見回す。

まどかはまどかで確実に聴き覚えのある声色に少し青ざめた顔をして、冷や汗をかき出した。

それからようやく、今自分たちが鹿目家の敷地の真ん前にいつの間にか到着していたのだと気づいた。

声が聞こえてきたのはまさに、ほむらの真後ろの少しだけ離れた位置からだ。

 

「マ、ママ!?」

「ん? どうしたんだいまどか。…あー、その娘が"噂の"ほむらちゃんかい?」

「う、うん…ママこそどうして…」

「いや、あたし今日休みだから。ちょっとコンビニ行ってきた」

「そ、そっか…今日土曜日…だったっけ」

「そうそう。しばらく学校ないから忘れてたのかい? …ふぅん、また随分と綺麗な娘とツルんでるねぇ」

 

と、詢子は今度はほむらの方に関心を向けた。

見覚えのある赤のリボンに、黒い意匠のイヤリング。おまけに艶のある長い髪と、どれだけ服装が地味でも、目を惹くだけの要素は充分すぎるほど兼ね備わっている。

 

「は…"初めまして"、おかあさま。暁美ほむら、と言います」

「んー、まどかからよぉく話は聞いてるよ。…どうした、なんか顔色悪いけど?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

 

状況を頭の中で整理し、それからようやく今自分が最悪の状況に陥っている事を自覚した。

周囲の仲間達は誰1人として咎めることはなく、むしろ応援さえしてくれていたのだが、今の自分達の関係───同性同士での恋愛関係は"普通ではない"のだ。

それどころか、後ろ姿から察されてしまったかは定かではないが、まどかにキスをしようとした場面に突如詢子が現れたのだ。

何たる不始末。ほむらは自分自身の迂闊さを呪い、それから恐らく詢子から告げられるであろう死刑宣告に心から怯え、青ざめた表情をした。

 

「…別に、獲って喰おうってんじゃないんだからさ、そんなに身構えなくてもいいんじゃないの?」

「あ…あの、おかあさま。私たちは……その…」

「いやぁ、いつもウチの娘が世話になってるしねぇ、なんかお礼でもしてあげたい(・・・・・・・・・・)んだけど。

そうだ、あんた暇ならちょっとウチに上がって行きなよ」

「ひ、ひゃい!? でも…!」

「別に構わないだろう? まどか?」

「う、うん…」

 

詢子の表情はとても朗らかで、ほむらを歓迎しているように見えた。事実、まどかは"気付かれていない"と軽く安堵し、少し緊張を解いていたからだ。

しかしほむらだけは、詢子の言葉の裏にある意思を感じ取っていた。要は、"話があるから寄れ"と。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

 

ここは従う他ない。その上で、如何にしてこの場を切り抜ければ良いだろうか。

"別れろ"などと言われようものなら、それはほむらにとっては本当に死刑宣告と違わない。生きる希望を毟られてしまうのと同意義であるし、今更離れられようものか。

何より、まどかを泣かせてしまうことだけは絶対にしてはならない。

クラスメイト、親友。あくまでそういった関係であると強調して、誤魔化すしかない。

頭の中であらゆる質問を想定し、それに対する答えを思考しながら、ほむらはこの時間軸で初となる鹿目家への招待を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

主夫としてとても勤勉に家事をこなし、詢子たちの留守を守る知久によって常時整頓されている鹿目家内は、"いつ来ても"綺麗であると改めて感心させられる。

かく言うほむら自身はルドガーと出会う以前までは、まどかの周辺の監視に追われて必要最低限の掃除洗濯(時にはそれすらも疎かになるが)と、食事はほぼ全て既製品や携帯食糧であり、今も家事は全て宿賃代わりにルドガーに任せっきりの現状だ。

そういった意味では、知久の勤勉さはほむらにとって尊敬に値するものだった。

 

「ま、適当に座ってなよ。あ、そうだまどか。ちょっとパパのとこに行ってきてあげてくれるかい」

「はぁーい」

 

詢子はほむらをリビングに案内しながら、知久を手伝ってくるようまどかに言う。

詢子が指差した方角には家庭菜園があり、知久は今その手入れをしているのだろう、と自然に察しがついた。

もっとも、この家に家庭菜園があることは"知らないはず"なので、敢えて何も言うことはなかったが。

 

「ちょっと待っててね、ほむらちゃん。すぐ戻ってくるから」

「ええ、いってらっしゃい」

 

詢子に促されて家庭菜園の方に向かって行ったことに、ほむらはむしろ一種の安心感を覚えた。と同時に、恐らくは詢子もそのつもりでまどかを遠ざけたのだろう、と考える。

詢子は先にほむらをテーブルに座らせ、冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーとグラス2つを取り、遅れてほむらの真向かいに腰掛けた。

笑っているようで不敵にも見える詢子の表情は、なんとなしに真剣味を帯びているようにも見えた。

 

「………さて、ほむらちゃん。ウチの娘と仲良くしてくれててありがとうよ」

「いえ、いつも良くしてもらってるのは私の方です。本当に、何度助けてもらったか…」

「そうかい。まあ、あの子はお人好しだからねぇ。生まれてからこのかた、嘘も隠し事もしたことがない。してても隠せるような器用な子じゃないけどね、あたしの娘とは思えないくらい自慢の娘だよ。と、まあひとつ聞いておきたい事があるんだけどさぁ…?」

「………何でしょうか?」

 

緊張を悟られないように、努めて自然な顔を作りなが詢子の問いかけを待つ。

さて、最初に何を言われるのやら……と、テーブルの下で掌を握り構えていると、

 

 

 

 

「─────ウチの娘とはもうチューのひとつくらい済ませたのかい?」

 

 

 

 

…詢子の口から出た言葉は、ほむらの予想の遥か斜め上を行っていた。

 

「…っ!!? ち、ちゅー!? な…何を言ってるんですかおかあさま!? だ、第一私達は友達だし、女同士ですし、そんなコト……」

「く、はっはっは。隠すな隠すな。今のあんたの顔、真っ赤だよ? 言っただろう? あの子は隠し事できるタイプじゃない、って。つうか、あんた達さっきまで手ぇ繋いで歩いてたじゃないかい。それにそのリボン、よく似合ってるけどまどかのでしょ?」

「う……」

 

失敗だ。最初から最後まで見られていたのだ。馴染みすぎてすっかり忘れていたが、リボンを返さなかった事も失敗である。出鼻を見事に挫かれたほむらは、いよいよ焦りを抱いてきた。

しかし、動揺するほむらを宥めるかのように詢子は続ける。

 

「…別に、あたしは女同士だからどうこう、なんていう気はないさ。こう見えてあたしも、昔は女子からラブレター貰った事もあるしね。まどかが誰を好きになろうが、それはまどかの自由だと思ってる。

ただ、あたしが言いたいのはそういう事じゃない」

「え…?」

「親なら子供の幸せを望むのはごく当たり前の事だ、それはわかるよね? まどかを幸せにしてやれない、する覚悟がない半端者には渡すわけにはいかないのよ。女同士だったら、尚更ね。…ほむらちゃんは、どういう気持ちでウチの娘と接しているんだい?」

 

詢子は、今度はほむらの目をじっと見つめて険しい表情で問いかけた。

若さ故の勢いや、中途半端な気持ちでいるならば赦さない。詢子の表情からは、そういった意思が読み取れた。

もはや隠し通す事はできないだろう。真剣に、正直にこの想いを打ち明けるしかない。たとえ赦されなくとも、幾多もの時を積み重ねてきたこの想いを、今更曲げる事などできはしないのだから。

何より、どんな形であろうとまどかとの事で嘘をつきたくなかったから。

 

「…おっしゃる通りです。私は、まどかに対して恋愛感情を抱いてます」

「うんうん」

「始めは、この気持ちはずっと仕舞っておこうと思ってたんです。隣に立てなくてもいい、まどかが幸せに暮らせることだけが

私の願いでしたから。

………本当に、この1か月で(・・・・・・)色々な事がありました。まどかだけは絶対に守らなきゃ、そう思って頑張ってきましたけど、何度も挫けそうにもなって……」

 

詢子は、敢えて口を挟まなかった。ほむらの言う"色々な事"が何を指しているのかは定かではないが、もしかしたらここ最近で多発している騒動に関係しているのかもしれないと頭の隅で感じてはいた。

だが、今はそんな事を聴く場面ではないと思ったからだ。

 

「その度に、あの娘が手を差し伸べてくれたんです。私がそうしたかった筈なのに、"私の事を幸せにしたい、守りたい。私といるのが一番幸せだ"って言ってくれたんです。

私、嬉しくて……片想いだったのに想いが通じ合えて…それで、決めたんです。まどかを幸せにしてあげたい…それだけじゃなくて、支え合って、一緒に幸せになりたい…って」

「………成る程ねぇ」

 

詢子はいつになく、恐らく家族にも滅多に見せないようなごく真剣な目つきでほむらの心情を反芻した。

 

「よくわかったよ、ほむらちゃんの覚悟ってやつがね。…その顔だと、もし仮にあたしが"別れろ"って言ったって、聞きやしないんじゃないかい?」

「私は、もうまどかしか愛せませんから」

「こりゃたまげた。それ、中学生の言う台詞じゃないよ? …ほむらちゃんなら、大丈夫そうだね」

「え…じゃあ…?」

「うん、合格合格。その代わり、泣かせたら許さないよ?」

「はいっ」

 

赦しをもらえたからだろうか、力が抜け、目尻に雫が溢れかかっていた。

と同時に、用事を終えてリビングへと向かってくるまどかの足音が聴こえてくる。

詢子はようやくグラスに麦茶を注いでやり、客人をもてなし始めた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

一方その頃。

ほむらの家で待機していたルドガーは、2人が出て行ってからしばらくしてようやく目を覚ました(が、少し寝ぼけている)キリカの為に現在鍋を振るっている最中である。

キリカの傍らには既に餌を平らげたエイミーがちょこん、と座っており、どうやらキリカに心を許している様子だ。

開かれたカーテンからの日射しが室内を明るくし、窓からは少し湿り気のあるが多少は爽やかになった風が吹き込み、程良い暖かさに身を包まれてまたも眠気に襲われそうになる。

 

「ん〜……いい匂いがする…」

「キリカ、もうすぐ出来るから顔を洗っておいで」

「はぁい…」

 

本当に、戦っている時とそうでない時でギャップが有り過ぎる、とルドガーは改めて思う。まるでエルの面倒を見ていた頃のような…そう、目を離せないのだ。

しかし歳を考えれば、平時のキリカの姿こそが本来有るべきものかもしれない、とルドガーは感じていた。

 

「…何作ってるんだい?」

 

顔をさっと洗い、手早く歯を磨き戻ってきたキリカは、料理の匂いにつられて台所を覗き見てきた。

ルドガーが作っていたのは材料使い回しのオムライスだが、それに並行してトマト缶をベースにしたソースを仕込んでいた。良い匂いの元はこれである。

卵を巻き終わると皿に乗せ、作ったソースをオムライスにかけてやる。トマト好きの兄の為の研鑽の成果は、ルドガーのレパートリーにも大きく影響していた。

とにかく、トマトがあるとどうにか料理に組み込めないか考えてしまう癖が染み付いているのだ。

 

「おお……おいしそうだよ!」

 

完成したオムライスを見てキリカは目を輝かせ、嬉しそうに鼻歌を交えながらオムライスの皿を受け取って持って行った。

スプーンを手に取り、いただきます、と律儀に言ってからふんわりとした卵に切れ込みを入れるとチキンライスの香りが広がり、さらに食欲を掻き立てる。

 

「……おいしいよルドガー! こんな絶品を食べられるなんて、私は幸せだよ!」

「ははは…少し大袈裟じゃないのか?」

「そんな事はないさ、君の料理なら毎日でも食べたいね。…ところで、ほむらはどこに行ったんだい?」

「ああ、ほむらならまどかを家に送りに行ったよ」

「ふぅん……」

 

キリカはスプーンを咥えながら、なんとなしに考えてみる。キリカ自身は恋愛感情や、それに追随するような感情には疎く、それが何なのかすらわかっていない。要は、恋をしたことがないのだ。

ただ、"恋人同士"というとても甘美なフレーズには心がくすぐられるものがあった。無知とは、中途半端な知識と合わさることで時には想像力を異様に豊かにさせるものだ。

 

「案外、明日まで帰って来なかったりして」

「そうか? "すぐ帰る"って言ってたけど…」

「甘いよルドガー。あの2人は恋人なんだろう? それはもう朝まであんな事やこんなコトも……うん? 女同士って、どうやってする(・・)んだろうね…」

「そ、それは考えすぎじゃないのか!? だって、まだあの2人は子供だろう!?」

「どうかな? というかほむらは精神年齢だけなら君より高そうだけど。ほら、時間遡行…だっけ? 何回跳んだのかは知らないけど。

そういえば君は、"そういう経験"はあるのかい? ぜひ参考までに訊きたいんだけど…」

「ほ、ほらキリカ! オムライス冷めるぞ!?」

 

危うく火の粉を浴びそうになったルドガーは、半ば無理矢理会話を切り、キリカの手元を皿に向け直させる。

 

(そんなこと、あるわけ…ないよな?)

 

とはいえ、キリカの妄言の影響は確実にルドガーにまで及んでいた。

ちなみに現在に至るまで、ルドガーには"そういう経験"は、皆無(ゼロ)なのだが。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

日も落ち、カーテンを閉めて室内灯が灯された頃───ほむらは、想定外の事態へと陥っていた。

リビングのテーブルの上には料理の跡があり、鹿目家全員と、加えてほむらも同席している。

 

「……ごちそうさまでした。すみません、晩ご飯まで頂いて…」と、少々気まずそうに知久に礼を言う。

「いや、いいんだよ。僕も一度、まどかの親友に会ってみたかったしね。まどかってば家で毎回君の話ばっかりしてたから、どんな娘なのかなって思ってたんだ」

 

2人が交際している事は、詢子の胸の中にだけ留めてある。知久からしたらほむらは、"特別仲のいいまどかの親友"という認識しかない。

子供用椅子にかけて小さな安全フォークを持ったまどかの弟、タツヤもほむらに完全に心を許したのか、顔を見ながらにこにこしている。

 

「あ、そうだほむらちゃん」詢子は、ようやく1本目の缶ビールを空け終わるあたりで思い出したように言った。

「今のうちにお風呂入ってきなよ」

「え、お、お風呂…ですか? でも…」

「気にすんなって。泊まってくんだから、風呂ぐらい入ってもらわなきゃ、ね?」

「と…泊ま……えっ?」

 

…こんなつもりじゃなかったのに、何故こうなった。ほむらは原因不明の頭痛に悩まされ始めてきた。

詢子との話が終わり、適当なところで帰ろうとしたところでタツヤと遊んでやるよう頼まれ、まどかと共にあやしていたら日が暮れ、その裏では知久が既にほむらの分も込みで夕飯を拵えていたのだ。

殆どなし崩し的に、夕飯まで頂くことになってしまっていたのだった。

 

(…というか、何時の間に泊まる流れになったのよ……詢子さん、まさか最初からこのつもりで?)

「ついでにまどかも一緒に入ってくれば?」と、詢子のとんでもない提案によって思考していたほむらの意識が無理やり引き戻され、

 

「「い、一緒に!?」」

 

と、揃って間の抜けた声で応えてしまった。

 

「何驚いた顔してんだい? あたしもむかぁしは親友と風呂入ったりしてたし、別に問題ないだろう?」

「で、でもまどかに迷惑ですよ、そんなの」

「ふぅん…そうなのかい、まどか?」

 

…この時の詢子の顔は、ほむらを試しているのか、はたまた単純にからかっているのか、少し意地の悪そうな笑顔をしていた。

これも恐らくはその手に持っている缶飲料(只今2本目)の効果なのだろう、などと考えながら隣に座るまどかの方に向き直った。すると、

 

「わ……私は、迷惑なんかじゃ、ないけどな…」

「えっ?」

「だ、だから…ほむらちゃんさえ良ければ、一緒に…お風呂入ろっか…?」

 

 

成る程、これが先刻まどかが言っていた「そんな顔されたら断れない」という表情なのか。

そんな事を考えながら、ほむらはほぼ反射的に首を縦に振っていた。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

その十数分後。

入浴剤によって乳白色となった湯船の中には、今にものぼせてしまうのではないかというぐらいに顔を赤くし、向かい合わせで浸かる2人の姿があった。

あまりの気恥ずかしさにほむらは視線を外に逸らし、"そういえばルドガー達に遅くなると伝えてなかった"と思ってみたり、度々触れてしまう脚の感触がすべすべで動悸が収まらなかったり、この先どうしたらいいのかわからず必死に頭を悩ませたりしている。

唯一幸いなのは、乳白色の湯のおかげで肩より下が互いに見えずにいることくらいか。それでも、湯船に入るに当たって自慢の(と本人はさほど思ってはいないが)長い黒髪を借りたヘアバンドで後ろに纏めてあるせいか、身体を隠せている気がまるでしない。

 

「…ほむらちゃんってさ」

「な、何かしら? まどか」

「ううん…その…そうやって髪まとめてると、なんだか大人っぽく見えるっていうか…」

「そう…かしら…?」

「うん、羨ましいなぁって。ほら私、少しくせっ毛だし。私もほむらちゃんみたいに伸ばしてみようかなぁ」

「わ、私は今のまどかのままでも可愛いと思うわ」

「そうかなぁ……」

 

と、まどかは一息置いて、それから身体を少しだけ起こしてほむらとの距離をやや縮めた。

 

「てぃひひ、もうちょっとそっち行ってもいいかな…?」

「っ!? で、でも身体が、当たっちゃうわよ?」

「わ…私だって恥ずかしいんだよ? でも、いいの。ほむらちゃんだから、いいの!」

「きゃっ!?」

 

恥ずかしさに赤面しながらも、勇気を出してほむらとの距離を更に縮める。

真正面同士だと体勢が辛いので、まどかは後ろを向いてほむらの身体に背中を預ける形で、あまり重さをかけないよう意識しながら寄りかかる。

緊張と湯気にあてられつつあるほむらの思考がより一層掻き乱され、目の前にある温もりの事しか考えられなくなった。

 

(ま…まどかの背中が、体温が、いい匂いが…!?)

「…ほむらちゃん?」

「ひゃい!?」

「その…重くないかな」

「そ、そんな事はないわよ」

「そっか、良かった。…ほむらちゃんって、あったかいね」

 

ここは湯船なのだからそれは当たり前なのではないのか、とほむらは空回りする頭の中で思考するが、そういえば出会って間もない頃にも同じ事を言われたっけか、と思い出す。

思えば、この時間軸のまどかは転校してすぐから随分と積極的にほむらに接し続けていた。

"友達でさえいられなくなった"と自棄になっていたほむらにとってそれは何よりも嬉しく───そして、残酷でもあった。"決して諦めない"という決意をしていたが、既にほむらの心は折れかかっていたのだから。

いつしか、自分の方こそまどかの事を信じてやれなくなっていたのではないか、と過去を振り返る。

それでもこうして同じ時を過ごせていることは(些か段階を踏み飛ばしている気もするが)、やはりこの上なく幸せなことなのだろう。

目まぐるしく廻る思考回路も、それを思い出して少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

 

「…まどか、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」

「うん…どしたのかな?」

「その……ごめんなさい。おかあさまに私達のこと、ばれたわ」

「えっ!?」

「手を繋いできたあたりから全部見ていたそうよ…」

「……ママは、何か言ってたの? もしかして…!?」

 

と、まどかはやや血の気の引いた顔をして振り返り、尋ね返した。

 

「それは大丈夫よ。認めてくれた…のかはまだわからないけれど、大丈夫。

…私も、最初は"親友だ"って言い通して誤魔化そうかと思ったわ。でもできなかった…この気持ちに、嘘をつきたくなかった」

「そっか…でも、きっとママも、正直に話した方が怒らないと思うよ。ごめんね、ほむらちゃん。私からも、ちゃんとママにお話しなきゃ…」

「いいのよ、焦らなくて。ねえ…まどか。もっとこっち向いて?」

「うん…んっ、」

 

ほむらは返事を待たずに、半身だけ向いたまどかを更に抱き寄せて、紅く潤んだ唇同士を重ね合わせた。

 

「…大好きよ、まどか」

 

どこまでも純粋で、それでいて揺るぎない感情の込もった笑みに、まどかは胸の高鳴りと共に安心感を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

夜───明かりの消えたまどかの自室では、2人がぬいぐるみに囲まれた小さなベッドの上に並んで天井を見上げていた。

掛け布団の下では互いに指を絡ませ、温もりを確かめ合っている。

 

「なんだか、まどかと一緒にいると時間が経つのが速く感じるわね」

「うぇひひ、私もおんなじこと考えてた」

「でも…本当に迷惑じゃなかった?」

「そんな事ないよ。私だって、もっと一緒にいたかったもん」

「そう…嬉しいわね」

 

楽しい時間ほど過ぎるのは速く感じるもの。そういった感覚を、ほむらはいつしか遠くへと置き忘れてきてしまっていた。

それを取り返せたのもひとえに、まどかと想いを通わせ合うことができたからだろう、とほむらは思う。

 

「……ワルプルギスの夜は、今から6日…いえ、5日後にやってくる。明日から備えなければいけないから、しばらくはのんびりとしてられないわ」

「……そっか、もうすぐなんだね…」

「ねえ、まどか。ワルプルギスを倒して、この街を…あなたを守ることができたら、そうしたらもっと色んな事をあなたとしてみたいの。

またデートもしたいし、お泊まりもしたい。その先だって…もっともっと、恋人らしい事をしたいの」

「うん、すごく楽しみだよ。……でもね、ほむらちゃん。もしも勝てなくても、私はほむらちゃんがいてくれればそれでいいんだよ…?」

「だめよ、それじゃあ。私達だけが幸せじゃあいけない…いいえ、幸せになんてなれないわ。

…大丈夫。私は…私達は、絶対に負けない。みんなで幸せになるの」

 

ワルプルギスの夜を越えたその先───今まで考えもしなかったことだ。

それでも今のほむらには、まどかと一緒ならば越えられるという大きな自信があった。まどかと一緒でなければ、何の意味もないのだ。

 

悪夢を越えた先にあるまだ見ぬ未来を夢見て、少女達は眠りに就く。

穏やかに、静かに、夜は更けていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話「私だけの、天使さま」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くから響く工事の音は、数日後に暴風雨が訪れるとは露も知らずに見滝原中学の復旧に勤しむ現場からのものだ。

先の大雨によってほんの微かに残っていた桜の花弁はすっかり路面に散り、代わりに真新しい葉が芽吹き始めた街路樹に囲まれた通りには、並んで歩く魔法少女3人の姿があった。

まもなくこの見滝原に現れ、災厄を振りまくであろう最強の魔女"ワルプルギスの夜"、それに対抗する術を話し合う為に、揃ってほむらの家に向かっているところである。

 

「……もう、時間はあまり残されていないのよね」マミは街路樹を見上げながらぽつり、と呟いた。

「らしいな。ワルプルギスが来たらこの辺りもみーんな吹っ飛んじまうんじゃねえのか?」と、杏子もそれに応じるように悲観してみせる。

残るさやかはワルプルギスの夜についての予備知識は全くなく、マミや杏子のようなベテラン勢でさえも、数年魔法少女を務めた中で耳にした旧い伝承や言い伝え程度の事しか識らない。

ただどの話でも共通するのは、"嵐と共に現れ、全てを壊してゆく"ことと、"過去に色んな魔法少女が挑み、撃退こそすれど討伐には至らなかった"ことである。

 

「それをさせないために戦うんでしょう? 佐倉さん」

「はっ、そんなんじゃないぜ。アタシは別にこの街には未練なんてない…って、ちょっと前のアタシならそう言ってたんだろうね」

 

相変わらず駄菓子を咥えながら杏子は言うが、その表情は当初に比べれば別人のように柔らかくさやかの眼に映った。

 

「あら、やっぱり未練があるのかしら?」

「意地悪はよせよ、"センパイ"。アタシらの帰る家がなくなっちまうのは困る、それだけだよ」

「ふふ、まだまだ素直じゃないのね? 私は佐倉さんとの生活、すごく気に入っているんだけど? 夜だって一緒の布団で眠って───」

「な、何言いやがるんだマミ!? 余計なコト言うんじゃねえよ!?」

 

突然のマミの爆弾発言に、杏子は赤面して声を荒げる。そこにさやかが獲物を見つけた猫のように眼を光らせ、

 

「ふぅーん? あんた、マミさんと一緒に寝てんだ?」

「さやか、テメェまで首突っ込んで来んなよな!?」

「ふひひひ、あんた見た目によらず可愛いとこあんのねー? まあいいんじゃなーい? 今朝だってまどかからメール来たけど、あっちもほむらとお泊りして一緒に寝たらしいし?」

 

と、さやかは面白半分に新たな燃料を2人に投下した。

 

「あいつらはデキてるから別問題だろ…って、はぁ!? てことはまさかあいつら…し、"した"のか!?」

「なんてことなの!? わ、私より年下なのにあの2人もうそこまで進んでるの!?」

 

杏子は本気で狼狽しながら赤面し、マミは逆に"先を越された、まだ自分には相手すら居ないのに"と、異なるベクトルの焦燥感を覚えていた。

 

「あーあー、誤解のないように。ただ泊まった"だけ"らしいから」

「そ、そうなの…ふぅ、おどかさないでくれるかしら? 美樹さん。これから真面目な話し合いをしに行くのよ?」

「先に脱線したのはマミさんじゃなかったですかねー…? まあ、とりあえず早く行きましょっか。ルドガーさんが簡単なご飯作って待ってるらしいですし」

「よし。早く行こうぜさやか、マミ」

「冗談よ。さっきお昼食べたばっかりじゃないの? 杏子、あんた本っ当に欲望に忠実なのねぇ…」

「ぐぬぬ……アタシを引っ掛けるとはいい度胸じゃねえの」

 

食事と聞いて杏子の顔色は赤色から一転して真剣な表情に戻り、その上から冗談だと聞かされて目尻がぴくぴくと動いた。

なお、その理由はご察しの通りである。

こうして馬鹿らしい会話を交わすのも、もしかしたらもう数える程しかできないのかもしれない。そんな不安が、口には出さずとも皆の心に影を差している。だからこそ敢えて馬鹿らしい話をしてみせるのだ。

不安は、孤独に漬け込むように突如として襲いかかる。それを本能的にわかっているからだ。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

シンプルな室内はそのままに、そこそこ大きなホワイトボードが壁際に備えられ、その表面には既にいくつかの資料や地図がマグネットで貼られている。

朝になって帰宅してからほむらの表情は真剣そのものであり、ワルプルギスに対しての意気込みが見て取れる。

やり直しの効かない、本当の最終決戦。今まで以上に緊張が走るのも無理はない。

ホワイトボードに貼られた地図の中には武器などの設置ポイントが記されている。

砂時計は破損して消失したが、武器庫としての盾の機能は未だ遺されていた。設置ポイントには、武器庫に収納してある火器類を置く手筈が記されており、それは今回も同様なのだろうか。

 

「そろそろ、みんなが来る頃かな」

 

3人での昼食を終えて洗い物を終えたルドガーは居間へと戻り、ホワイトボードの上の資料に目を運ぶ。簡易的な見滝原市の地図には、ワルプルギスの夜が過去にどのポイントから現出したのかや、進行方向、攻撃手段などの統計がびっしりと記されている。気が遠くなる程に時を繰り返し続けて来た、ほむらの努力の結晶である。

 

「…すごいな。これが、今までの記録か…」

「ええ、そうよ。…でも、こうしてみんなに"これ"を見せるのは、本当に久しぶりよ。最後の方はほとんど私独りで戦っていたから、途中から記録するのもやめていたけど…」

 

ホワイトボードを一歩離れた所から眺めて思考していたほむらは、ルドガーの言葉に反応して近づいてきた。

キリカは意外にも大人しく、ちょこんと座りながら黙々とホワイトボードに見入り、腕を組みながら自分なりに情報を精査しているようだ。

 

「これを見る限り、ワルプルギスは毎回同じポイントから現れる、というわけではないよゔだね」

「ええ、その通り。大体は街の南西方面から現れるけれど、ごくたまに違うところから現れることもあったわ。

そうなると設置しておいた武器が役立たずになるから、いつも直前に時間を止めて武器を設置してたのよ。

…でも、その手ももう使えない。だから今回は武器は設置せずに、全ての武器をルドガーに預けるわ」

 

黒い痣が妖しく輝く左手を掲げると、その手首の付近に再び円盤型の装置が現れた。

外装部分───即ち、砂時計の機巧が綺麗に剥がれ落ちた、盾としての機能すら残されていない、文字通りの小さな"武器庫"だ。

莫大な魔力を必要とする"外蓋"がなくなったことで、武器庫自体も軽く魔力を込めてやるだけで、ほむらとは独立して常時実体化させておくことも可能になっていた。

 

「"これ"をあなたに渡しておくわ、ルドガー」

「いいのか?」

「ええ。今の私には"あの娘"の力があるから、もうそれは必要ないもの」

「わかった。使わせてもらうよ」

 

武器庫の中には様々な重火器類が収納されているが、クルスニク一族の中でも比類なき才能を持つルドガーからすれば、それらの扱いは容易だろう。

 

 

 

「あら、やっと来たみたいね」

 

不意に呼び鈴が鳴り、約束を取り付けてあった少女達の到着を告げた。

鍵を解いてドアを開けてやると、「おっす、ほむらー」と、さやかが一番に口を開いて部屋に上がり、それに続いてマミと杏子も上がってくる。

お世辞にも広いとは言えないほむらの部屋に6人ともなると、居間のキャパシティは一気にギリギリである。

キリカは隣にルドガーが座るようにさりげなく間隔を空け、皆がテーブルを囲むように座ると、いよいよ狭く感じてきた。

 

 

「なあ、集まるんならマミん家の方が良かったんじゃねーか…?」杏子はほむらの家の中を見渡し、それから目の前にある小さい机を見て言った。

そもそも、作戦会議をここで行おう、と提案したのはキリカだ。

「いや、ここならしろまるに話を聞かれずに済むみたいだしね」

「"しろまる"だぁ?」

「インキュベーターの事だよ。ヤツはどういうわけか、ほむらの家の近くに近寄れないみたいなんだよ」

「なんだそりゃ、初耳だぞ」

「なんでも、家の周りに結界が張られてて近付くと気分が悪くなるんだって。ね、ほむら?」

 

キリカは再確認するようにほむらの方を見て尋ねた。しかし当の本人の反応はやや淡白で、

 

「………結界? 何の話をしているの。私にそんな能力はないわよ」

「そうなのかい?」

「ええ。そういえば、戦いの時ぐらいしかインキュベーターの姿を見ないと思ってたけれど……代わりにルドガーの方にはよく顔を出してるようだし、単に私が嫌いなだけじゃないのかしら? もっとも、奴らには感情なんてものはありはしない筈だけれど」

 

ほむらは心底不快そうな顔をして、インキュベーターについて口にした。

それを聞いたキリカはキュゥべえの発言との矛盾に首を傾げるが、当の本人が否定しているのであっては答えは見えるはずもなかった。

 

「…とりあえず、始めましょうかしら。"ワルプルギスの夜の作戦会議"を」

 

思い出すのも不快な宇宙セールスマンの顔を脳内から掻き消し去り、ほむらはホワイトボードに張られた資料の数々へと目を移した。

 

「と言っても、そんなに大それた事を話すわけではないわ。あなた達に知っておいて欲しいのは、奴の特性と動き方。恐らく…いいえ、ほぼ間違いなく市街地での戦闘は避けられないわ。

奴は使い魔を大量にばら撒きながら市街地をなぞるように進んで来るのよ」

「事前に報せて避難させる…ってのは無理だよね……"明日、街がメチャクチャにされる"なんて、誰も信じないだろうし」

「…そうね、さやか。でも当日は朝から暴風警報が出るから、避難所が解禁されるはずよ。交通網も麻痺するから、市街地にはそんなに多く人は集まらない…と思うわ。

なんとか注意を惹きつけることができれば1番いいのだけれど…それは難しい」

 

次にほむらが指し示したのは、ワルプルギスの全体像を収めた写真だ。

 

「見ての通り、ワルプルギスはとても大きい。普通の魔女は結界の中に身を潜めるけど、ヤツは力が強いから結界の中に隠れる必要がない…と考えられているけれど、私はそれだけではないと思っているわ」

「興味があるわね。伝説として語り継がれてはいるけれど、実際にワルプルギスを見たことがあるのはこの中だと暁美さんしかいないし…何か、気づいた事があったの?」

「…以前の世界でまどかが契約し、円環の理となった時───あの時のまどかの願いは"全時空の魔女の消滅と、魔法少女の救済"。それによって、ワルプルギスも例外なく浄化されたのよ。その時一瞬だけ見ることができたのだけど……

奴のあの巨体は見せかけにすぎないみたい。本体はあの中にある、巨大な歯車の形をした"何か"よ。おそらくワルプルギスの夜の正体は、膨大な数の魔女の集合体。それを束ねて形どっているのが、その歯車だと思う」

「集合体……ですって?」マミは俄かにも信じがたいと言った風に訊き返した。

「私の推測に過ぎないけれど。でもそうだとしたら、あの強さにも納得がいくものがあるのよ。

…もしワルプルギスが、街に現れる度にそこにいる魔女を根こそぎ取り込んでいる、と考えたらどうかしら?

もちろん"魔法少女は魔力を使い果たせば魔女になる"という事実も含めて考えた場合もよ」

「…成る程、あなたが何を言いたいのか段々とわかってきたわ。

つまり…ワルプルギスの夜はたまたま現れるのではなく、魔法少女や魔女が多く集まる場所を選んで現れ───その全てを喰らってゆく。そういうことかしら?

だとしたら、途方もなく(たち)の悪い話ね……」

 

マミは珍しく悪態をついて、顔をしかめて言った。

マミがそんな表情をすることなどあまりない、と思っていたさやかは自分の中に沸いた疑念を確かめるように尋ねる。

 

「じゃあ、ワルプルギスがこれから見滝原に来るってのもそれが原因ってこと?」

「そうね……本当に"たまたま"ならね。ねえ、さやか。そもそもこの街にはどうしてこんなに魔法少女が多く集まっていると思うかしら?」

「そりゃあ見滝原は魔女が多いし、しかも強い奴らばっかりで…数が多い方が戦いが楽になるから? でもグリーフシードも足りなくなるし、いいことばかりじゃないかもしれないけれど……」

「その通りよ。"本来なら"魔法少女は多くない方がいい。せいぜいひとつの街に1人が2人いれば、それで事足りるもの。

"今回は"例外が多いけれど、ルドガーが"時歪の因子(タイムファクター)化"と呼んでいるあの現象。あんな異常な強さの魔女は、私も見た事がないわ。

でもインキュベーターはどんどん契約していって魔法少女を増やし、元いた魔法少女は魔女になって、新しい魔法少女に狩られる。それがこの"魔法少女というシステム"である事には違いはないわ。…それにしたって、5人も生き残っているのは多すぎると思わない?」

「つまり何が言いてえんだ? ほむら」

 

確証がないからか直接的な言い方をしないほむらに対して、杏子が訊き返した。

 

「…私の見立てではね、杏子。ワルプルギスの夜は、"魔法少女という仕組み"を終わらせる為の存在だと思うのよ」

「終わらせる、為の……どうゆうことだよ?」

「そもそもインキュベーターの目的は"宇宙の延命"の為に、魔法少女が魔女になる瞬間の感情エネルギーを集めること。その為に何千年も前から人間に干渉してきたそうよ。

けれど、仮にまどかが契約すればそれだけでその為のノルマは達成される。それはどうしてだと思う?」

「魔法少女としての力が強すぎるから…だよな? "まどかしかワルプルギスを倒せない"って話だし……待てよ、まさか?」

「恐らくヤツは、際限なく強力になってゆくワルプルギスをも倒せる程の才能を持った魔法少女───そんな娘が現れるのをずっと待っていた。

たとえ魔女が全ていなくなったとしても、ワルプルギスという敵がいる限りはそれを口実に契約を迫る事が出来る。

そして、ワルプルギスを倒せる娘が現れればそれでノルマ達成。

…前の世界では、まさかまどかが魔女の消滅を願い、それが成功してしまうなんて思ってもいなかったみたいだけれど」

「…そうだとして、もしまどかみたいな娘が現れなかったらどうしたってんだよ?」

「同じことよ。ワルプルギスが倒されるまで契約を取り続けるのでしょうね。ワルプルギスは街ひとつ破壊する程の力を持つけれど、インキュベーターからしたら"その程度"でしかないんだもの」

「その程度、で済む問題じゃねーだろ!?」

「残念だけど"その程度"なのよ。インキュベーターの価値観なんて、そんなものよ。…これはあくまで私がずっと考えてた予測に過ぎない、一応それだけ言っておくわ」

 

この場にいる少女たちの表情からは、皆揃ってひとつの敵に対しての嫌悪感が見て取れた。

有史以来、世界各地で数々の災厄を撒き散らしてきた魔女。それを確実に倒せる方法自体は既に"ある"が、それをさせない為に今まで何度も時を繰り返し続けたのだ。

何としてもこの街で災厄を終わりにしなければならない。それこそが、この負の連鎖を断ち切る唯一の手段なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

作戦会議を終えた翌日、少女達は特に集まるような事はせずに各々の時間を過ごし始めていた。

その中でも杏子は珍しく自分からマミを連れ出し、昼間から市営バスに乗って風見野 へと向かっているところだ。

普段滅多に見滝原市内から出ないマミは、当然ほとんど通ることのない風見野方面へ繋がる立体橋の上から見下ろす市内の景色に、どこか心がうずいていた。

 

「これから、何処に連れて行ってくれるのかしら?」

 

と、マミはバスの最後列で少しばかり間隔を空けて腰掛け、相変わらず駄菓子を咥えている杏子に問いかける。

 

「そんなに身構えんなって、マミ。ただラーメン屋に連れてこうってだけだよ」

「…なんですって?」

「向こうにいた頃、たまに行ってた店があるんだよ。なーんか今朝急に食いたくなったけど、1人で行くのもアレだしな?

マミだって、どうせラーメン屋なんて殆ど行ったことないんだろ?」

「確かにそうね…基本、自炊だったし。でも今朝になって急に、なんてやっぱりワルプルギスが……?」

「はっ、そんなんじゃねーよ別に」

 

言いかけた言葉尻を遮り、杏子は咥えていた菓子を食べ切ってから答えた。

 

「…正直、こんな事でもなければアンタとはこんな関係になんて戻れなかっただろうね。ムシの良い話だけど、魔法少女の仕組みってヤツを知ったとき、アタシは今まで何をやってきたんだろう…って思った。

弱い奴は消えて当然だと思ってた。使い魔も、魔女も、魔法少女もね。でもアイツらに出会って、それは間違ってるって思えたんだよ」

「もしかしてそれって……暁美さん達のこと?」

「それと、さやかもかな。アイツは、魔法少女になることがどういう事なのか、それをわかってて契約した。それも、"親友を救う"なんて願いの為にね。

ほむらだってそうだ。まどかを助ける為だけに、アイツは魔法少女になったんだろ。

ルドガーだって、魔法少女でもない癖に命張ってやがる……

でも、アタシの願いだってそんなもんだったんだ。親父の役に立ちたかった。信者が増えて、親父が嬉しそうにしてると、アタシも嬉しかったんだ。

そうやって、弱い奴は弱い奴なりに一生懸命に生きようとしてるんだ。それをアイツらが気づかせてくれた」

「…ええ、本当にそうね」

 

そう言うマミも、かつて見滝原病院で対峙したお菓子の魔女───守ることができなかった少女、百江なぎさの事を忘れた事は1度もなかった。

 

「…佐倉さん」

「ん?」

「戻ってきてくれて、ありがとう」

「な…なんだよ急に。つうか、アタシの方が世話になってんのに…」

「ふふ、いいのよ。…私だって、ずっと独りでいられるほど強くないのよ?」

 

なぎさが倒れたあの日、マミは今までの自分の在り方を見失いはしたが、今またこうして自分なりに戦う意味を再確認し、ここにいる。

そういう意味では自分も、今隣にいる杏子と同じなのだろうか、とマミは感じていた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

平日とはいえ見滝原総合病院は少しばかり人が多く、外来受付の前にはベンチに腰掛けて待つ人が数名、各科の前のベンチにもそれなりに患者と思しき数名が待っていた。

その光景を横目に、さやかと仁美は先週の大嵐や人魚の魔女による拉致などでずるずると先延ばしになっていた恭介の退院に際して"今度こそ"迎えに訪れていた。

特にさやかからしたら人魚の魔女との戦いもあって、恭介の顔を見ること自体はほんの数日ぶりなのだが、仁美と顔を合わせるのは影の魔女との戦い以来だ。

 

「…仁美、あれからなんともなかった?」

「私は、大丈夫でしたわ。むしろ、さやかさん達が命懸けで戦っていたのに、私は見てることだけしかできなくて…」

「いいんだよ、それで。ホントは、あんた達まで巻き込みたくなんかなかったんだし…守れて、本当に良かった」

 

知り得るはずのない友人の一面を知ってしまった仁美は、影の魔女結界から生還して以来度々悩むことがあった。

仁美にとってさやかは恭介に対する同じ想いを共有し、そうでなくとも肩の力を抜いて面と向かって話せる大切な親友だ。

そのさやかが魔法少女の1人として"魔女"という人知れぬ存在と戦っているのだと知り、何か自分にも出来ることはないのだろうか、と。

エレベーターの扉が開くと中にいたおばあさんや看護婦とすれ違いになるが、入れ替わりに乗ったのはさやかと仁美だけだった。

扉が閉まると、緩やかに揺れながら恭介のいる階へと上昇を始める。

 

「…あのさ、仁美」

「なんでしょう、さやかさん」

「だいぶ前だけどさ。あんた、バスの中であたしに"恭介のコトどう思ってるか"訊いたじゃん?」

「ええ。でも、今更言われなくてもさやかさんのお気持ちは知ってますわ」

「でも、あんただって恭介のこと好きなんでしょ? だったらなんでわざわざあたしに断わってきたのかな…って」

「言いませんでしたか? 私、そういうの抜け駆けみたいでイヤだったんです。………なんて、それだけじゃありませんけどね」

「え…?」

「上条くんのことはもちろん好きですわ。でもそれ以前に、さやかさんは私にとって本当に大事なお友達なんです。

…きっと、さやかさんに黙って先に告白したら、うまく行っても行かなくてもさやかさんとはもうお友達じゃいられなくなる…そんな気がしたんです。

私は、それだけは絶対にイヤ。だから約束してくれませんか? これから先、何があってもお友達でいてくれる、って」

「あんた、そんな風に思ってくれてたんだ……」

 

仁美の心の内を聞かされてさやかは嬉しくも感じたが、では、と思う。

もし自分が、仁美の言うように先に告白したらどうなるのか。仁美は変わらずにいてくれるのだろうか。その未来を、今のさやかには想像する事は難しかったし、怖くもあった。

何より、今は優先すべき事象が迫っている最中だ。

 

「…ごめんね、仁美。都合の良い事を言ってるみたいだけど、もう少しだけ待って欲しいんだ」

「…なぜですか?」

「もうすぐこの街に物凄く強い魔女が現れるの。あと4日後ぐらいかな…普通の人達にはすごく激しい嵐に見えるみたいだけど、そいつはその嵐に乗ってやってくる。

あたしらは、そいつと戦って勝たなきゃいけないんだ」

「それは、暁美さんも一緒にですよね……」

「うん。もともとあいつは、まどかを守る為に魔法少女になった。その魔女を倒すのは、ほむらの最終目標なんだよ。…それにあたしだって、大好きなみんなと、この街を守りたい。だから、全部が終わるまで待って欲しい……

もしだめなら、しょうがないよ。仁美の方から先に恭介に………」

「さやかさん、言ったでしょう? 私は抜け駆けはしない、って。……何か、他に私に出来ることはありませんか?」

 

やはり負い目を捨てきれない仁美は、確かめるように問いかけた。対してさやかはわざとらしく軽口で返す。

それと同時にエレベーターは目的の階へ到着し、扉が開いた。

 

「…そだね、じゃあ帰ってきたらなんか奢ってもらおうかなぁ?」

「さやかさん、私は真剣に言っているんですよ?」

「あたしだってマジメよ? …だから、勝てるように祈っててよ」

 

実際に影の魔女とさやか達の壮絶な戦いを目の当たりにした仁美は、当事者達程ではないにしろ、その恐ろしさと危険さを承知していた。

それでもぶれることのないさやかの表情を見て仁美は、

 

「……わかりましたわ。期待しててくださいね?」と、答えた。

2人で話し込みながら歩いていると、さほど時間か経過していないような感覚になる。それこそ、体感では病院に入って1、2分程しか経っていないような気でいたが、2人は既に恭介の病室の前へと到着していた。

さやかははやる気持ちを抑えながら数回ノックをし、返事を待たずに扉を開く。

そこには、待ち侘び続けていた想い人の晴れやかな笑顔が待っていた。

 

「やっほー恭介、美少女2人で迎えにきてあげたわよー?」

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

ワルプルギスの夜が襲来するまで、残すところ2日となった。

にも関わらず、ルドガーはこの連日も普段と全く同じようにキリカとほむらに食事を振る舞い、洗濯物を干し、軽く掃除をし…と、世の男性顔負けの家事スキルを発揮していた。

しかしそんなルドガーにも、心の奥底で引っかかり続けているものがあった。それは、影の魔女との戦い以来ずっと抱いていた疑念だ。

 

「ロンダウの虚塵…と、海瀑幻魔の瞳……」

 

人魚の魔女との戦いのあとに遺った、2つの"道標"。今その2つはルドガーが所持し、テーブルの上に並べられている。

複数の歯車が合わさった中央に光輝く核が収められており、さながらに小さな天球儀のような造りをした"ソレ"は、この世界には、ましてや見滝原などには在る筈の無いモノだ。

さらに、今はさやかが所持しているが、"箱舟守護者の心臓"すらも現存している。

 

「綺麗だね。ソレ、なんなんだい?」

「これは"カナンの道標"っていうんだ。俺のいた世界にしかない筈のモノなんだけど…」

「…それは不思議だね。君の世界は、この地球上とは別のところだったよね? なぜ人魚の魔女がそんなものを持っていたのか、気になるところだけど…」

「そうなんだよ。ましてや、あんな使い方をするだなんて思ってもみなかった」

 

人魚の魔女は、カナンの道標の"原典"となる能力を引き出して自己を強化していた。

桁外れの、しかもリーゼ・マクシア式の水霊術を自在に使いこなしていたのも、元々持っていた負の妄執から成る魔力が2つの道標によって増幅されていたからだろう。実際、リーゼ・マクシアにもあそこまでの術の使い手はそうは居ない。

事実、終盤において時歪の因子化を引き起こした人魚の魔女の姿は、ロンダウの虚塵の元来の所持者だったウィンガルの姿を彷彿とさせるものだった。

しかし、もうカナンの道標を集める必要性などないのは確かだ。"審判"は既に終わり、道標はその役割を果たした。残る道標の在処など、わからなくても構わないのだ。

だが、4つも(・・・)あるのならば、残りのひとつも何処かにあるのだろう、とつい考えてしまう。

願わくば、魔女の手に渡っていないことを祈るばかりか。

 

「逆に、私達がソレを使うことはできないのかな?」と、キリカは素朴な疑問を浮かべた。しかしルドガーは、

「やめた方がいい。人魚の魔女は、魔力を幾らでも使えたから平気だったんだ。魔法少女が使えばソウルジェムが保たないよ」

「むむ、そういえばそうだったね……」

 

いつの間にかキリカはごく自然な流れでルドガーの隣に座り込み、一緒にカナンの道標を眺めていた。その様子を傍目から見ていたほむらは、

 

「あなた達、本当に仲良いわね……」と半ば呆れたように、しかし半笑いで言った。

「最初に出会った時はあなた達は敵同士だった気がするのだけど?」

「昔の事は忘れたね。今や私はルドガーの…ええと、なんて言ったか」

「忠犬?」

「そう、ソレ……って、違うよ! いきなり犬扱いは不躾じゃないのかい!?」

「だってあなたを見てると、そこのエイミーと印象が被るのよ」

 

と、ほむらが指した先には確かにエイミーが、キリカと共にルドガーを挟むように隣で可愛く「にゃあ?」と鳴いていた。

対するキリカは少ししょげたように、

 

「私は飼い猫と同レベルなのか………まあ、それはそれで悪くないかも…?」

 

かと思いきや、持ち前(?)の転換力で前向きな思考へと瞬時に変わっていた。

 

「全く…あなたって、戦ってる時とそうでない時の落差がひどいわね。子供っぽいっていうか…」

「そういう君だって私と大して歳変わらないじゃないか、ほむら。…いや待てよ、君は確か時間遡行をしていたね。しかも数え切れないくらい……

仮に100回だとして、100ヶ月÷《割る》12で…8年? なんと、君は私よりも遥かに歳上じゃないか!」

「具体的に数字にされると複雑な気分になるわね……」

 

実際、恐らく時間遡行の回数だけなら100回で収まる程ではないとほむら自身は思っていたが、あまり年数について言及するとなんとなく永久機関(ソウルジェム)にヒビが入りそうな気がしたので、それ以上言うのはやめた。

かく言うキリカはほむらの実年齢(と言って良いかは定かではないが)を踏まえた上で、ちょうど自分とそれくらいの歳の差にあたるルドガーを横目でちらちらと見ていた。

その視線に気付いたルドガーは、エイミーの額を撫でてやりながら「どうした?」と尋ねかけた。その"ながら"の動作に少しむっとしたのか、

「…エイミーばかり構ってないで、私にも構ってくれると嬉しいんだけどね」

 

と、つい無意識の内に吐露していた。

 

(……やはり、この"呉 キリカ"は私の識っているキリカとは違うわね)

 

ルドガーとキリカの他愛のないやりとりを眺めながら、ほむらは考える。

 

("呉 キリカ"は美国織莉子を第一に考え、盲信していた。性格も破綻しているように見えたし……

でも、このキリカは単にルドガーに懐いているようにしか見えない。分史世界の人間って、こうも変わるものなのかしら。これじゃあむしろさやかが言ってたみたいに、キリカはルドガーの事を…?)

 

こういう事を考えられるようになっただけ、以前と比べて格段に心の余裕が増えたのだと感じられる。

それもひとえに、ルドガーという人間に出会ったからこそだ。ほむらはルドガーを通して、かつて見失った絆の糸を取り戻していき、今ここにもキリカとの新たな絆の糸が結ばれている。

今のほむらは、もう2度と「誰にも頼ったりなんかしない」などと言うことはないだろう。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

各々が思い思いの日々を過ごし、迎えた最後の1日。窓を開ければ日が下り始めて少し淀んだ空が広がり、湿気を含んだ風が入り込んで来るのは嵐が近いからだろうか。

そんな中、ここ最近になってようやく着信音を聴く機会が増えた(と言っても全然少ないが)ほむらの携帯電話が、今日もまた着信音を立て出した。

 

「何か、鳴ってないか?」

「あら、本当ね。私の携帯かしら…」

 

居間に向かって鳴る"ピリピリ"と小さな音を聞きつけたルドガーが声を掛けると、ほむらは充電器に差して枕元に置きっ放しにしていた携帯電話の存在を思い出し、寝室へと取りに戻った。

ディスプレイに表示されていたのは、5件ほど登録してある数少ない番号のうちのひとつ。それも、一番ほむらにとって嬉しいものだった。

 

「───はい、暁美です」

『あっ…ほむらちゃん? 今、平気かな?』

「ええ、どうしたの?」

『ごめんね、メールしたんだけど返事なかったから…』

「…なんですって?」

 

言われてからほむらは耳元から携帯電話を離し、ディスプレイを再確認してみると、メールボックスに新着の報せが2件分貯まっていた。

誰からのものかは、もはや見なくてもわかる。

 

「…ごめんなさい。寝室に置きっ放しだったから、気付かなかったわ」

『そっか、てぃひひ。ほむらちゃんあんまり携帯とか使わなそうだもんね』

「ええ、そうね…気をつけるわ。えっと、今日はどうしたのかしら」

『…"明日"なんだよね? だからその前に1度だけ逢えないかなぁ…って。もし迷惑だったら、別にいいの。ほむらちゃんだっていろいろ準備あると思うし……』

 

電話口から聴こえる声は、次第に音量が落ちてゆく。まどかなりに気を遣っているのだと感じ取れて、ほむらにはその気持ちがこそばゆくも嬉しかった。

 

「私も、ちょうどまどかに逢いたいと思ってたとこよ」

『本当に?』

「もちろんよ、だって大事な彼女だもの。それで、どこで待ち合わせようかしら?」

『も、もう! ほむらちゃんってば…』

 

なんとなく電話口の先でまどかが赤面して狼狽える姿が思い浮かび、ついほむらからも笑みが溢れてくる。

そのままひとまず噴水広場で落ち合う約束を取り付けて通話を終えると、すぐに出掛ける支度へと移った。ワルプルギスの夜への備えは、帰ってきてからでも十分に間に合う。

普段は自分の見てくれなど全く気にせず、美容院に連れて行かれた時もぞんざいな服装だったほむらも、こういう時ばかりは少々気合いを入れてクローゼットの中から服を選んでゆく。

そういった軽いおめかし程度の事ですら、懐かしく思えてしまうくらい久方ぶりであった。

慎重に選んだ服に着替えて寝室を出て居間へと戻ると、ほむらの姿を見たキリカが第一声を放った。

 

「おや、ほむら。出掛けるのかい?」

「ええ、ちょっとね。夜には戻るわ」

「ふぅん……当ててみせよう、まどかの所に行くんだね?」

「あら、勘がいいわね」

「勘じゃあないさ。君がそんなにめかしこんでまで出かける先なんて、一つしかないだろう? それに君、顔すごいニヤけてるよ」

「っ!?」

 

キリカに指摘されたほむらは急に気恥ずかしくなり、慌てて頬を両手で押さえて赤面を誤魔化そうとした。

 

「これはもしかしたらまた"朝チュン"というやつが見れるかもしれないね」と、またもキリカが大して意味もわかっていない単語を持ち出した。

「なっ、何を言っているのかしら?? 私達はまだそんな関係じゃあ!?」

「おや、恋人同士とはそういうものではないのかい?」

「あなたは一体何処からそんな妙な知識を仕入れてくるのよ!? 第一、あなただって人の事言えないんじゃあないかしら!?」

「失礼な、残念なことに私達はそんな関係ではないよ」

「ああ、そうね………あなたって…」

 

ほんとバカ。と喉元まで出かかったが、どうにか堪えた。これ以上話をこじらせてしまったらまどかを待たせてしまう。

 

「あっ、ほむら。帰る前に連絡くれたら、すぐ食べれるように用意しておくけど」と、靴を履きかけたほむらにルドガーが声をかけてきた。

「わかったわ。あまり遅くならないようにするわね」

「ああ。まどかにもよろしくな」

 

こういう時、下手に首を突っ込んでこないルドガーが妙に大人に見えてしまう。

実際のところ、ルドガー自身は話をややこしくしたくないから発言を控えただけなのだが、それを知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

夕暮れ前の噴水広場には幼い子供を連れて歩く主婦や、ペットを散歩させている人達が数名おり、ベンチにも初老の男性が腰掛けてカバーのかかった文庫本を読んでいた。

平日のこの時間帯にここを訪れる事は最近なかったが、存外に人が多い光景に目移りしてしまう。

まどかよりも一足早く到着したほむらは、先客のいるベンチに座るのも気が引けて、噴水の縁に寄りかかって待っていた。

しかしそれも束の間。街路樹の通りの1本へと視線を移すと、小走りで噴水広場へと駆けてくる桃色の髪の少女の姿が目に映った。

 

「ふぅ……ほむらちゃん、速いよぉ。電話してからまだ少ししか経ってないのに。…待っちゃった?」

「いいえ、私もつい今来たばかりよ」

 

ほむらは嘘は言っていない。しかし、"まどかに早く逢いたくて走ってきた"などとは言わずに心の内に秘めていた。

実際汗ひとつかいていないものだからわかるはずもない、と思っているのだが。

 

「さて、どこに行こうかしら?」

「あ…っ、ゴメン。なんにも考えてないや……」

「ふふ、本当に"逢いたかっただけ"なのね。それじゃあ 、ひとつ行きたいところがあるんだけど…いい?」

「う、うん……」

 

ほむらはノープランでやって来てばつの悪くなっているまどかの手をごく自然にとり、何人かにちらちらと見られながらも気にせずに手を引いて歩き出した。

まどかのやって来た方とはまた違う方角に伸びる街路樹の通りに入ったところで、まどかはほむらがこれからどこに行こうとしているのかを悟った。

 

「もしかして、あのお花畑?」

「ええ。私、あそこから観える景色が好きなのよ。この前は昼間だったでしょう? けど、今から行けばちょうどいいと思うわ」

 

噴水広場から例の花畑まではそれなりの距離がある。陽が落ちかけている現在から向かえば、見滝原の夜の街並みを眺めることができるだろう。

歩幅は狭く、他愛もない会話を交わしながら、惜しむように1歩ずつ進んでゆく。もちろん、手は繋いだままだ。

 

「そういえば、今ってキリカさんもほむらちゃんの家に泊まってるんだっけ?」

「そうね。彼女は今、帰る場所がないから仕方ないわ」

「…?」

「彼女は分史世界から連れて来た魔法少女。けど、この世界では行方不明になっているのよ。だから家にも帰れない」

「あっ……そっか、そうだったんだ…」

「連れて来て間もない頃は悲嘆してたみたいだけれど、どういうわけが今はルドガーに懐いているようだし、気にすることはないわよ」

 

もっとも、1人だと寝付けないからといって毎晩ルドガーと一緒の布団に入ったり、暇さえあればルドガーに話しかけてエイミーにすら対抗してみせたりと、少々目立つ行動が多い気もするのだが、何せ本人に自覚がまるでないものだから見ていて焦れったく感じる事もある。

かくいうほむらも、まどかとこういう関係になれたからこそ、そういう感情に対しての理解ができるようになったのだが。

 

「あの2人、くっついちゃえばいいのにね」

「まどかもそう思うのね?」

「うん。でもどちらかと言うと"お兄さんと妹"って感じもするかなぁ」

「………言われてみれば、そんな気もするような…」

 

ほむらと違って弟のいるまどかからは、また別の意見が返ってきた。

それを聞いたほむらは、円環の理が成立した世界ではよく見かけていたまどかの弟・タツヤの存在を思い浮かべる。

 

「そういえば、あなたの弟についても少し不思議なことがあったのよね…」

「えっ? どんな?」

「前に私が"いた"円環の理の世界"の話はしたでしょう? 誰もまどかの事を識らない…って。でもタツヤ君だけはまどかの事を憶えてたみたいだったのよ。よく私に絵を描いてくれてたわ」

「そうなんだ……やっぱり、弟だからかな?」

「そうかもしれないわね? でも、たったそれだけの事でもすごく励まされたわ。だって、"まどかの事を憶えてるのは私だけじゃないんだ"って思えたから」

 

 

街路樹の通りを抜けると住宅地の一角に入り、そこを抜けると今度は蓮池が道沿いに走る新たな街路樹の通りへと繋がる。

月が昇りかけ、木々に紛れるように等間隔で並ぶ街灯が順に点灯してゆき、それだけで以前訪れた時とは景観が大きく変わって見える。

この時間にもなると通りを歩いているのはもう2人しかいない。そのまま真っ直ぐに進み、いよいよ数日ぶりの花畑へと足を運び入れた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

夜空の下の花畑は、少し生暖かい季節風が吹いてざわめきながら揺られ、そこかしこから微かな花の香りが舞ってくる。

花畑の中央に唯一置かれているベンチに以前と同じように腰を下ろして、まずは肩を並べてネオンの灯る見滝原市内の方を眺めた。

 

「すごいね。夜になるとすっごく変わるね」

「ええ、綺麗ね」

 

やや高台に位置する花畑から見下ろす夜景に目を奪われ、しばらく言葉もなく魅入ってしまう。

明日になれば、この中のうちのどれだけが無事で済むのだろうか。ワルプルギスの夜は強力な魔女であり、恐らく倒せたとしても街への被害は免れない。

次にこの景色を観られるのは、しばらく先になるだろう。だからこそその前に1度だけ、まどかを連れて観たかったのだ。

 

「…!」

 

繋いでいた左手の方に、さらに腕全体に縋り付いてくる感触を感じた。

 

「……あのね、ほむらちゃん。お願いがあるんだけど…」

「何かしら?」

「そのぉ…ほむらちゃんの"白い羽根"、見てみたいなぁ…って。黒い羽根の方は何回か見てるけど、私まだ見たことなくて」

「いいけれど…どうしてまたそんなものを?」

 

だってこれは元々はあなた(あの娘)のものなのよ、と戸惑いながらもほむらはベンチから立ち上がり、まどかの前に立って魔力を少しばかり解き放ってみせる。

衣服までは変える必要はない。ただ、羽根を拡げればいいだけだ。

もうすっかり慣れたもので、鳥が羽撃(はばた)くかのようにごく自然に、ほむらは眩く輝く白羽根を展開させた。

当の本人は気付いていないが、ネオン街を背景にしたその姿は、まどかの目にはとびきり格別なものとして映っていた。

 

「わぁ………すごく綺麗だよ!」

「そ、そうかしら…?」

「うん! とっても素敵……私だけの、天使さまだよ」

「"天使さま"ねぇ…」

 

その呼び名は流石に言い過ぎではないだろうか、とほむらは気恥ずかしさに顔を赤らめる。

 

(………悪魔、と呼ばれたことはあるけど、天使って……)

 

仮にこの場にさやかがいたら、笑い飛ばしながら茶化してくるに違いない。

しかしながら、"天使さま"というフレーズを聞いてほむらの頭の中には別の事が浮かびかけていた。

今となっては遠い昔、ミッションスクールに在籍していた頃に目を通した本の一節。自分の名前の由来にもなったと思われる、"暁の焔"を司る明星の天使(ルシフェル)の神話だ。

彼の者は輝かしい栄光が約束されていたにも拘らず、突如として神に叛逆し、悪魔に堕ちたとされる。

 

(……まあ、"天使"には違いないけれど、確かに"悪魔"でもあるわね……)

 

なぜ、彼の者は神に背いたのか。その理由は諸説あれど、はっきりとしてはいない。

しかしほむらもまた、大切なものを守る為に、神の如き存在(インキュベーター)に抗う為の戦いに身を投じ続けてきたのだ。

成る程、言われてみれば確かに自分に当てはまりそうな気がしないでもない、とほむらは思う。

 

(まあ、天使でも悪魔でも…どっちだって関係ないわ。まどかと一緒に生きて行きたい。その為なら、私は………)

 

 

羽根を拡げたまま、まどかの手を取って目一杯抱き寄せる。互いの緊張が身体越しに伝わるような気がしたが、むしろそれすらも心地良い。

ずっと守りたかった生命の鼓動は、1度は永遠に失ってしまった温もりは、今ここに確かに脈打っている。

あと少しで、全てが終わる。今まで考えもしなかった"その先"の未来の光景は、今ははっきりと心に描かれつつあった。

 

「ありがとう、まどか。もう2度と逢えないと思ってたのに、またあなたに出逢えて…あなたと、こうして愛し合う事ができた。私、すごく幸せだったわ」

「"だった"なんて言わないでよ、ほむらちゃん。これから先もずうっと一緒だよ」

「ええ、そうね。ずうっと一緒よ」

 

 

2つの影はさらに距離を縮めてゆき、やがて交差し、互いの熱を確かめ合う。

運命に抗う勇気と、新たな約束を胸に抱き、最後の夜は静かに過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

xxx.

 

 

 

 

 

 

 

『──────とうとう、"最後の1日"かぁ…』

 

 

 

宙に浮かぶ錆びた無数の歯車が軋む音を立てながらゆっくりと絡み合い、瘴気に塗れ、瞼を開ける事すら叶いそうにない混沌とした闇の中央に、ひとつの影が差す。

あらゆる時空から隔絶された"特異点"。審判すらも及ばぬ領域にまで堕ちた、或いはそれ以前から堕ちていた場所。

奇しくもそこは審判の聖域を模したカタチをしていた。もっとも、審判の"執行人"は唯一の存在なのでここには居ないが。

かつて人魚の魔女(美樹さやか)は、ここを「マグナ・ゼロ」と称していた。

 

『ここまで、来れるのかな? 来てくれるのかな?』

 

"鍵"は3つほど落としておいた。あとの2つは、そこに在る。

 

『今度こそ、勝てるのかな?』

 

"私"なしで。

 

『憶えてて、くれてるのかな?』

 

独りになっては駄目だ、と前に言ったはず。では今の"私"はどう。

 

『約束を、憶えててくれてるかな?』

 

"あなたを私に護らせて"と言ってくれた。では、今の"私"はどう。

 

『─────ひひ、楽しみだなぁ。うん、楽しみ』

 

まずは"災厄"を乗り越えてから。そうでなくては話にならない。

 

 

『さぁ、頑張ってね』

 

 

まだ"約束"は、1度たりとも果たされていないのだから──────

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

CHAPTER:8 最後の"アイ"は、まだ来ない
第29話「死ぬことよりも怖い事があるんだ」


1.

 

 

 

 

 

 

 

その日は、仕掛けておいた目覚まし時計が鳴るよりも数分ほど早く目が覚めた。

いい加減キリカに抱きつかれながら眠るのにも慣れたルドガーだったが、窓枠をガタガタと鳴らす突風といつもよりも少し低めの気温によって冷えた居間の空気に、今朝ばかりは傍らの暖かさに感謝さえ覚える。

 

「……おはよう、ルドガー」

 

かくいうキリカは先に目を覚ましていたようで、身体を起こそうとして動くルドガーに気付いて声をかけた。

おはよう、と同じように優しく返すと立ち上がりカーテンを開け、空を眺め、それからテレビのリモコンに手を伸ばした。

朝のニュース番組では普段執り行われているコーナーが緊急速報に差し替えられており、それによると既にG県全域に暴風警報が発令されており、現在の時点で主たる交通機関の8割ほどが麻痺しているとのことだ。

まさしくほむらの言う通り、都市部に向かう人々は大幅に減るのはほぼ間違いないだろう。

ともあれ、まずは決戦に向かう前の食事の用意が待っていた。ルドガーはテレビの情報に真剣に食い入るキリカに尋ねかける。

 

「何か、食べたいものはあるか?」

「うーん…私は、君の料理なら何でも大歓迎だよ」

「はは……じゃあ、アレにしようか」

 

何となく、キリカに質問する前にルドガーの脳裏には既に料理のビジョンが浮かんでいた。

それが決まると早速台所に立ち、相変わらずの手際の良さで次々と食材を調理し始める。

程なくして、食欲をそそるトマトソースの香りが漂い出した。

 

 

 

 

食事が出来上がる直前になると、ほむらも珍しく朝から携帯電話で誰かと通話をしながら、寝室の方から出て来た。

既に寝間着からの着替えは済んでおりすぐにでも出発できる状態だが、まどかから譲り受けたリボンをつけたその姿からは、決戦に向けての意気込みが窺える。

 

「………ええ、はい。よろしくお願いします。えっ…私、ですか? "あとから必ず行く"とだけ伝えてもらえますか」

 

会話の様子からして相手はどうやら歳上の人物だと察する事はできたが、それが誰であるかまでは分からない。

通話を終えたほむらは料理中のルドガーを横目に、居間で軽い身支度をしているキリカの方へと向かい、尋ねかける。

 

「おはよう、ルドガー、キリカ。準備はできているのかしら?」

「私の方は万全だよ。いつでも出れる」

「ああ。昨日のうちに全部、な。"あれ"の使い方もだいぶ慣れたよ」

 

と、ルドガーは台所に立ちながら、ほむらから譲り受けた外装の剥がれた盾型の格納庫を指して答えた。

使い方、と言ってもどんな武器がどれだけ入っているのか。そして任意の武器を取り出す手順を数回練習した程度だが、元より様々な武器を使いこなす才のあるルドガーからしたら、それはさほど難しくはなかった。

 

「そう、ならいいわ。食べ終わったらすぐに行きましょう」

「ああ。こっちももう出来上がるよ」

 

中サイズの鍋の中の麺が茹で上がり、湯を切って皿にあけ、その上から先に作っておいたトマトソースを盛り付けてゆく。

ルドガーが作ったのは兄の好物でもあり、かつてこの家に初めて訪れた時にも作った、トマトソースパスタだった。

完成したトマトソースパスタをテーブルの上に運ぶと、それを見たほむらは、

 

「あなたが初めて来た時の事を思い出すわね」と呟いた。

「……ここまで、長かったな。本当に色んな事があった」

「そうね。…私にとっても、あなたにとっても、ね」

 

思えば、見滝原にやって来て右も左もわからなかったルドガーを家に招き、共に戦うようになってから早いものでひと月が経とうとしていた。

ほむら1人では、決してここまで来れる事はなかっただろう。だからこそ、今となってはこの出会いに感謝すら覚えていたのだ。

あとひとつ、この災厄さえ乗り越えることができれば──────ようやく、望んだ未来を掴み取ることができるのだ。

 

 

最後の時は、もう目前にまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

見滝原市内にも例に漏れず暴風警報が出ており、往来を歩く人々の姿は全く見られない。今朝の時点で既に住宅街付近の市立体育館が避難所として開放されており、早くもそちらに移った者も多いだろう。

当然、嵐に向かって歩いてゆく者など"普通は"いるはずも無い。

だが、午前9時を過ぎた段階で市内の外れには、既に変身を終えた魔法少女達とルドガーだけが示し合わせた通りに集まっていた。

 

「いよいよだね、ほむら」と、さやかが曇り空を仰ぎながら言った。

曰く、避難所に向かう家族達から抜け出すのに難儀したという。

「ええ。そろそろヤツはここに現れるはずよ。風向きからしても、方角に間違いはないはず」

 

現在ほむら達が位置するのは見滝原市内の北西部。それも、ビル街から少し離れた所だ。通常、季節風というものは大陸に沿って南西から北東にかけて流れてゆくのだが、今朝の天気図を見ても今回の暴風はその法則に逆らうような動きを見せている、と示していた。

即ち、自ずと"災厄"が訪れる方角も絞られてくる。

「"ワルプルギスの夜"ねぇ……実際にお目にかかんのは初めてだなぁ?」杏子は極めて普段通りに棒付きの飴を咥えながら言う。その傍らでマミも、

「最後にワルプルギスが現れたとされるのは今から何百年も前…言い伝え程度の話しか残ってないのも無理はないわね。

暁美さんがいなければ、それこそ一切の情報なしでワルプルギスと戦う事になっていたわね」

「それも、アイツが必死に掻き集めた情報なんだよな。…それを、無駄にする訳にはいかねえな」

 

出会った当初こそ自分が生き延びる事だけを考えていた(そうせざるを得なかった)杏子だが、ここに来て最早他人事などではなく"守りたいものの為に戦う"覚悟を腹に据えていた。

 

 

「………!」

 

空を見上げて構えていたルドガーの懐にある金の懐中時計が、突如として大きな金切り音を立て始めた。時歪の因子(タイムファクター)、或いはそれを内包した強力な魔女が現れる前兆である。

 

「みんな、行くわよ!」

 

過去に何度となくその音を耳にしてきた少女達は、ほぼ同時に一斉に各々の武器を錬成した。

中でも一番目立つのは円環の理(鹿目まどか)の力の一部を受け継いでいるほむらの巨大な白翼と、身の丈よりも長い幅の紫黒に煌めく弓だろう。

風が一段と強まると、何処からかパレードのマーチのような、それでいて憂鬱な雰囲気を思わせる音楽のようなざわめきが聴こえ出した。

それに続くように、遥か遠方から象の群れのような"何か"がゆっくりと向かって来る。

 

「な、何アレ?」それが唯ならぬモノであるのをわかった上で、さやかがほむらに尋ねる。

「アレはヤツの使い魔。…気をつけなさい、もっと増えるわ!」

 

言うと同時に白の翼を広げ、先陣を切って使い魔の群れの方へと迫ってゆき、羽撃(はばた)きながら弓を引き、拡散弾のような光の矢を放って迎撃を開始した。

それに続き、盾から大小2挺の銃を取り出してルドガーも攻撃に加わる。

現在現れている使い魔達は前座に過ぎない。本命はそのさらに奥に控えている。

 

 

『──────ハハハハ……』

 

 

使い魔の群れのさらに後方から、嘲笑うかのような声が響いた。使い魔はその声に応じるかのように行進をやめ、少女達を迎え撃たんと動き出した。

象の使い魔に追随していた小型の妖精のような使い魔も共に散開し、囁くような嗤い声を上げながら接近してきた。

 

「ヴォルティックチェイサー!!」

 

口径の異なる2挺銃を振り抜き、小口径の銃からは紫電が糸引く弾丸を、大口径の銃からはふた回りほど大きく膨れて爆風を内包した弾丸を数発放った。

紫電の弾丸は妖精の使い魔達に絡まるように拡散し、そこを中心に着弾した複数の炎弾から熱風が放たれ、使い魔を焼き払う。

 

『キャハ、キャハハハ!』

 

身を灼かれているのにも拘らず、妖精の使い魔はさも楽しげに不気味な声を上げながら灰になってゆく。

弓矢と銃撃によって第一陣の使い魔は難なく撃破することはできた。しかしそれによって、ようやく少女達を敵として認識した(・・・・・・・・・・・・・・・)ようで、今度は少し後方にいたさやか達をいっぺんに取り囲むように使い魔が湧いて出てきた。

 

「なんだこいつら、倒してもキリがねぇみてえだな!?」と、杏子が悪態をつきながら槍を横薙ぎに振り抜いた。

「悪りいなマミ、今回ばかりは使い魔共全部になんて構ってらんねえぞ!」

「ええ、私も同じ事を考えたところよ!」

 

マミは出力を絞り、必要最小限の魔力だけを込めてマスケット銃を連射してゆくが、その間にも使い魔は数を増してゆく。

 

「美樹さん! 魔力の使い過ぎに気をつけて!」

「わかってますって! そりゃあっ!!」

 

その特性上魔力の消費が激しいさやかも極力節約を意識し、大技を使わずにふた振りの円月刀だけで使い魔を蹴散らしてゆく。

その背中をカバーするように、戦闘スタイルが似通っているキリカも鉤爪のみで応戦していた。

離れた所に使い魔が現れて不意を突かれたルドガーだが、援護するか一瞬だけ迷う素振りをみせる。

 

(……………いや、)

 

だが、ここまで共に歩んできた少女達を信じ、もう間も無く出現するだろう本丸へと視線を戻した。

 

(……大丈夫。みんななら、あの程じゃやられやしない)

「ルドガー、来たわよ!!」

「ああ!」

 

最初の使い魔を撃退したその先の空が、妖しく歪み出した。まるで空間を捻じ曲げてこじ開けるかのように空に穴が空き、雷鳴を伴いながらその奥からついに災厄は顔を出す。

 

 

 

 

 

『─────キャハハハハハ、アッハハハハハハ───!!』

 

 

 

 

 

腕が長く胴が細い中世のドレスを纏ったようなアンバランスな身体に、巨大な歯車が何枚にも重なったものが備わっているだけの下半身。能面のような、それでいて口元だけが半月型に裂けた顔。何より不気味なのは、"ソレ"が真っ逆さまを向いて、風を纏いながらゆっくりと前進してくる姿だ。

これこそが、数多の絶望を振り撒き続け、今またこの街を蹂躙せんとする"災厄"。

 

「……………あれが、"ワルプルギスの夜"…!」

 

別段、時歪の因子化したわけではない。しかしそれでもなお、過去に戦ってきた時歪の因子化を引き起こした魔女達と同等、或いはそれ以上の力を秘めている事が感じ取れた。

ワルプルギスの顕現を目の当たりにし、後続の使い魔を撃破し終えた他の少女達も前線へと駆けつける。

 

「みんな、用意はいいわね。作戦通りに」ほむらが先頭に立ち、皆に確認をとる。

「一点集中、チャンスは1回…ね。問題ないわ」

「ええ。"巴さん"、頼むわね」

「ふふ、任せなさい」

 

マミは使い魔の迎撃に割いていた魔力を更に絞り、マスケット銃もわずかに小さなものへと持ち替えた。その周囲には杏子、キリカ、さやかが立ち、火力の落ちるだろうマミの援護に回った。

限界まで魔力を溜め込んで、こじ開けた懐に最終砲撃を叩き込む───それこそが、ほむらの立てた作戦の最終目標だ。しかし、その間は当然ながらマミの防御が手薄になってしまう。

その穴を仲間同士で埋め、砲撃の道筋は、魔力量の制約がないほむらとルドガーで無理矢理こじ開けるのだ。

 

『アハハハハ、キャハハハハハハハハハッ』

 

ワルプルギスが何度目かの嗤い声を上げると、三たび大量の使い魔が少女達の周辺に湧き始めた。

 

「行くわよ、ルドガー!」

「ああ───リンク・オン!」

 

白羽根を纏うほむらに同調して擬似リンクを繋ぎ、使い魔の群れに2人だけで突っ込んでいった。

 

 

『─────フフフフフ、アハハハハ!!』

 

 

ワルプルギスの纏う風が一気に勢力を増し、真下の地表を削り、めくり上げる。その余波に呑まれるように、周囲の建物も崩落し巻き上げられ、突進してくる2人へと瓦礫が振りかかってきた。

それに対しほむらは急上昇して瓦礫の隙間を掻い潜り、ルドガーは即座に骸殻を発動して瓦礫の雨へと槍の一撃を放った。

 

「ファンドル・グランデ!!」

 

槍の鉾先から放たれた凍気の衝撃波が瓦礫に直撃するとその部分だけが勢いを止められ、そのまま真下に崩れ落ちた。

そのこじ開けた隙間から更に前へと駆けてゆく。瓦礫の雨を完全にすり抜けたルドガーは、いよいよワルプルギスの本体に対して攻撃を試みた。

 

「喰らえっ!!」

 

光の速さで放たれる槍の一撃(バドブレイカー)は、暴風すらも貫いて真っ直ぐにワルプルギスの身体へと直撃した。そこに重ねるように上空のほむらも連続して光の矢を撃ち込み続ける。

ワルプルギスの高い防御性は、並の攻撃では剥がすことはできない。一点集中で崩し、そこに後方で控えている最終砲撃を撃ち込もうとしているのだが、

 

『──────ハハハハハハハ、アハハハハハハッ!』

 

ワルプルギスはなおも悠然と空を漂いながら、じわじわと市街地に進行して来ている。

 

「くっ……全く効いてないぞ!?」

「まだよ! もっと攻撃を続けて!」

「わかってる! 行くぞ!!」

 

遠距離からの攻撃ではたかが知れてると判断したルドガーは、危険を承知で更にワルプルギスへと近づき、暴風に揺られながらも近接攻撃を試みた。

崩れた建物を足掛かりにしバネを効かせて高く跳び上がり、そこに空間跳躍を重ね、先程攻撃を加えたポイントの真正面にまで迫る。

 

「マギカ・ブレーデ!!」

 

槍の先に空間をも引き裂く光を纏わせ、先に槍と矢を撃ち込んだ部分に向かって高速の斬撃を浴びせた。

それによって、ワルプルギスの身体の表面がほんの少しだけ削れたような感触を覚える。

しかし、これだけではとても手数が足りるとは言い難い。

ワルプルギスの身体を蹴って後方に飛び下がると、低空で飛びながら矢を放つほむらと空中で合流し、互いの力を重ね合わせた。

 

 

「「─────天威・浄破弓ッ!!」」

 

 

破壊と浄化、2つの力が交差した巨大な光の矢がワルプルギスの傷跡へと突き刺さった。

 

『───ハハハハ、ッ、?』

 

人魚の魔女にすら致命傷を与えるに至った光の矢を叩き込んだことで、ようやくワルプルギスの夜をふらつかせる事ができた。

だが、これだけの威力の技を撃ち込んでもその程度でしかないという事実は、図らずして2人の疲労を煽った。

一旦着地した後、なおも諦めずに攻撃を仕掛けようと、ルドガーは再び空間跳躍でワルプルギスの真正面へと転移し、槍を振りかざした。

 

「おい、ルドガー!!」

「その声、杏子か!?」

 

その下ではルドガーを追って瓦礫の上を駆け登り、杏子か追いついてきていた。

 

「マミ達は平気なのか!?」

「そのマミに言われたんだよ! 「行ってやれ」ってな! 行くぞルドガー!」

 

魔力によって高めた脚力による跳躍は、現在ルドガーが攻撃を仕掛けようとしている高高度までは僅かに足りない。

しかし杏子は多節槍を展開し、鉾先を投げ飛ばしてワルプルギスの身体に突き刺し、それを利用して自らの身体を無理矢理引き上げた。

 

「「喰らえ、灸朱雀(やいとすざく)っ!!」

 

 

燃え上がる赤と黒の槍、その2つを重ね合わせた波状攻撃をワルプルギスの傷跡に向かって打ちつける。

何度目かの攻撃でやっと確かな手応えを感じたが、それはワルプルギスの夜も同様であり、甲高い声を放ちながら身悶えさせて2人を振り払った。

 

「ぐ…っ、まだまだ!」

「ルドガー、下がって! 攻撃が来るわ!」

 

もう何度となくワルプルギスの夜と交戦してきたほむらは、次にワルプルギスの夜がとる行動を予測して、槍を持つ2人に距離を取るよう促す。

 

『アハハハッ、アッハハハハハハハ!!』

 

着地し共に後方に下がると、ワルプルギスの夜は裂けたような口元から瞬時に何発もの火炎弾を放ち、地上を爆撃してきた。

 

「なっ……!? 杏子、避けろ!」

「へっ!あんなノロいのに当たるかよ!」

 

速度自体はやや緩慢ではあるものの、当たれば相当のダメージを負うことは必至。だが、それよりも後方でタイミングを待っているマミ達の方へと向かわせない為に、ルドガーと杏子は二手に分かれて火炎弾をすり抜けながら前に攻撃を仕掛けに向かった。

ルドガー達から逸れて着弾した火炎は付近の小さな建物に直撃し、粉々に吹き飛ばした。

 

「援護するわ!」

 

ほむらも空中で火炎弾を躱しながら、ワルプルギスの注意を惹きつけようと無数の光の矢を放ち続ける。

 

「足りない…! もっと、あの娘(・・・・)みたいに強い力があれば………!」

 

魔力に際限はないものの、黒翼のような暴力的な破壊力を持たない攻撃では決定打にはなり得ない。そういった点のみでは今になって黒翼を欲してしまいそうになっていた。

それでも無限の魔力という自分にしかない利点を無駄にしない為に、手を休めず攻撃に徹していた。

 

『アハハハッ──────』

 

ほむらの執拗な攻撃に対し、ついにワルプルギスの夜は視線を変えた。

1段と強い突風を巻き起こし、空に舞うほむらごと大気を揺さぶりにかけてきたのだ。

 

「きゃっ…!?」

 

突風に煽られて空中でバランスを崩したほむらの元に、何発かの火炎弾が飛来してきた。

まともに飛んで迂回しても躱すことはできないと咄嗟に判断したほむらは、敢えて展開していた羽根を解除して、重力に身を任せ真下へと急落下した。

 

「ほむら…!?」

 

それを遠目から見ていたルドガーは一瞬ひやりとするが、リンクがまだ繋がっている事から"意識を失った訳ではない"ことだけは気付き、視線を目の前の敵に戻した。

 

「く……ギリギリ、ねっ!」

 

対するほむらは地表に激突する寸前に再び羽根を展開し、重力を強引に相殺して着地に成功した。

しかし間を開けずに襲いかかる火炎弾から逃れる為に、すぐさま空へ飛び上がり、今度は逃げずにワルプルギスの上をとる位置まで急上昇を始める。

それとほぼ同時に、マミからのテレパシーが全員に行き渡る。

 

『こっちはもうすぐチャージが終わるわ! どう、穴は開けたかしら!?』

「今やってる! もう少し待ってくれ!」と、ルドガーは盾の中から新たな武装を取り出しながら答えた。

『わかったわ! でも、こっちも使い魔が多すぎるの! あまり長くは待てないわよ!』

「ああ! 一気に終わらせる!」

 

度重なる空間跳躍の使用で骸殻の残量も少なくなってきていた。それも踏まえた上で、ルドガーは一気に決着をつけるための一手を打った。

 

「こっちを向け!」

 

盾から取り出したロケットランチャー数挺を、ワルプルギスの傷跡目掛けて代わる代わる撃ち込み始める。

ロケットランチャーが切れればバズーカ砲、それすらも撃ち尽くし、次にガトリング砲を取り出し、絶えず弾幕を張り続けた時点でワルプルギスの進行方向が僅かにルドガーの方に向いた。

 

「今だマミ! 準備を!」

『待ってたわよ!』

 

ワルプルギスが逸らした目線のあった先では、ルドガーの合図を受けて限界まで魔力をチャージしていたマミが1発限りの大砲の展開を始めた。

先ず使い魔の群れのど真ん中から巨大なケーキカップのようなものが現れ、そこから生えたリボンがアイスや苺の形に変化して色づき、超巨大サイズのスイーツのオブジェへと変貌してゆく。

そのスイーツオブジェの中央から戦車砲のような長い口径の銃身が現れ、その銃身の先端部にはマミが立って自ら照準をワルプルギスの方角へと定めていた。

 

『な、なんだぁアレ!?』と、さすがの杏子もその異様なサイズの物体に素っ頓狂な声を上げた。

「杏子、とにかく今はワルプルギスを!」

『あーもう、わぁってるっつうの! マミのヤツ、アタシがいねぇ間に妙な技ばっかり覚えやがって!』

 

悪態をつきながらも、ガトリング砲を乱射しながら距離を詰めるルドガーと、ワルプルギスを挟んで対角線上へと杏子は移動していた。

 

「おらぁ!! 喰らいやがれ!!」

 

負けじと杏子も多節槍を展開させ、さらにその槍に魔力を送り込み、マミの砲台に負けずとも劣らぬ巨大な槍へと変質させ、ワルプルギスの背中部分目掛けて投げた。

 

『──────ア、ハッ…?』

 

赤の槍が突き刺さった部分からは青白く光る炎が発し、ワルプルギスの背中を灼いてゆく。

虚を突かれた攻撃にワルプルギスは背中の方へと注意を逸らし、揺さぶりをかけられたところで、ルドガーが最初の傷跡目掛けて光を帯びた槍を無数に投擲する。

その槍は全て傷跡を抉るように突き刺さり、僅かに黒い血のような飛沫が撥ねた。

 

 

 

「マター・デストラクト!!」

 

 

 

もう何度目にもなる空間跳躍で傷跡の前に躍り出て、全力を込めた黒槍を穿つ。傷跡からはさらに血飛沫が舞い飛び、さしものワルプルギスも身じろぎをとり出した。

 

「マミ! 撃て!!」

 

ルドガーが叫ぶよりも僅かに早く、巨大戦車砲の銃口が光り輝いていた。

声を上げた瞬間、ルドガーは更に空間跳躍を行い、ワルプルギスを挟んで反対側にいる杏子の目の前に跳ぶ。

 

「うぉ!? ルドガー!?」

 

いきなり目の前に現れたルドガーに杏子は驚くが返事は返さず、残り微かなエネルギーを搾って固有結界を発動し、杏子を連れてマミの爆撃から逃れる為に結界の中へと飛び込んだ。

 

『行くわよ! ティロ・フィナーレ=グランデ!!』

 

ルドガーと杏子が次元の狭間に逃れた瞬間、マミの戦車砲が火を噴いた。

 

『──────ヒ、アァハハハハハハッ!? フフフフ、アッハハハハ!?』

 

1秒と置かずにワルプルギスの傷跡へと莫大なエネルギーを込めた弾丸が着弾。周囲の大気すら蒸発してしまいそうな程の熱を放ちながら激しい爆発を起こした。

 

『やったの!?』

「いいえ、まだよ!」

『そう…だと思ったわ! まだまだ行くわよ!』

 

ほむらは身を灼かれながら悶えるワルプルギスを空高くから窺い、未だ倒し切れていない事に歯軋りをした。

しかしながら、ここまで追い詰めた事はそうはない。あと一歩で倒せる。今のほむらはそう確信していた。

そしてその一歩は、もう間も無く打たれる。

 

 

「ルドガァぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「来い、キリカ!」

 

 

 

一方の声は、たった今マミのリボンによる即席のスリングショットを使って、戦車砲の先端から数十メートルを超えて跳躍してきたキリカのもの。

そしてもうひとつは、固有結界から帰還して直ぐさまキリカとリンクを組み直し、杏子の縛鎖結界をトランポリンのように利用して跳び上がり、高高度で双剣を構えたルドガーのものだ。

 

「──────風、織り紡ぎッ!」

「大地を! 断つ!!」

「「天翔・封縛刹!!」」

 

 

空中でタイミングを合わせた2人はそのまま刃を下に向けて構え直し、爆炎をも打ち祓う大気の渦を帯びながら手負いの敵へと流星の如き一撃を見舞った。

 

 

『──────ギ、ア、キアァァァァァァァッ!!』

 

 

胴体を両断され、硝子を引っ掻いたような鋭い叫び声を発しながら、ついにワルプルギスの夜が高度を維持できずに地表へと落下してゆく。

悲鳴は衝撃波と化して周囲の建物の一部を破壊し、ガラスの破片が光を乱反射しながら降り注ぎ、ワルプルギスの巨大な歯車部分が落下した衝撃によって形が崩れ砕ける建物も見られた。

その歯車もゆっくりと回転をやめ、数十秒おいて粉塵が鎮まると共に沈黙した。

 

「………終わった、のか?」

 

減速魔法で降り注ぐ瓦礫から逃れたキリカとルドガーは、全てを見届け着陸してきたほむらと合流し、動きを止めたワルプルギスを一瞥する。

後方にいたさやかとマミもようやく使い魔の群れから解放され、杏子と共に先の3人と合流した。

 

「やった…勝ったんだね、あたし達!」

 

使い魔の群れからマミを守って、擦り傷を負いながら剣を振り続けていたさやかは、たまらずほむらに抱きつきながら喜びを表した。しかしほむらはまだ安心し切ってはおらず、

 

「まだ、わからないわ。倒したと思っても復活した魔女だっていたもの」

「えっ………」

「それより、どうしてあなたは私に抱きついているのかしら」

「むー、いいじゃんか。あたし達親友でしょー? それともー、あたしの事キライ?」

「はぁ…全く。相変わらずね、さやか。これでも、まどかの次くらいにはあなたを好きでいるつもりなのだけれど?」

「おー、そうかそうか…えっ!?」

 

からかったつもりが、予想すらしていなかったほむらからの一言と、腰のあたりに手を回して抱き返された事で逆に赤面させられてしまった。

 

「だ、だめよ! あたし達お互い好きな人が!?」と、負けじとさやかもわざとらしく応えてみる。

無論冗談だと互いにわかっててやっているのだが、何よりさやかは"まどかの次に"という実質上の"一番の親友"という称号を嬉しく感じていた。

その様子を微笑ましく見守る少女達の表情も明るくなっていたが、未だ表情が硬い2人がいた。

 

「………ねぇ、ルドガー」

「どうしたんだ? キリカ」

 

お互いに言いたいことを承知の上で、敢えて尋ねてみる。

 

「確かに、手応えはあったよね」

「ああ、間違いなくな」

「なのに何でだろうね…私、まだ実感が湧かないんだよ」

 

キリカは刃零れした鉤爪を新しく造り直し、ルドガーは懐中時計を見て骸殻の残量を確認する。しかしつい先程固有結界を張るのにエネルギーを使い切ってしまい、今ようやく1/4(クォーター)骸殻を発動できるあたりまで再チャージが進んだばかりだ。

と同時に、懐中時計から音が鳴る。それは一抹の安堵を吹き飛ばし、更なる絶望へと誘うかのような音だった。

 

「みんな、まだ終わってないぞ!」

 

ルドガーが叫ぶと、"やはり"といった風に他の少女達も武器を構え直した。

そして眼前に墜落した、身体を両断されたワルプルギスの夜の下半身部分、巨大な歯車がじわじわと速度を上げながら廻り始めた。

 

『─────アハ、』

 

嘲笑うかのような声と共に、ワルプルギスの歯車から眩い光が放たれて視界が眩んでしまう。

それが止んだあとに、眼前には皆が揃って我を疑ってしまうかのような光景が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

同刻。

 

避難所として開放された市立体育館内部には、各家族毎に島をつくるようにブロック分けをされて嵐が過ぎ去るのを待つ人々の姿があった。

こと鹿目家の面々も例外ではないが、その内の1人、まどかは皆とは違った意味で不安いっぱいにそわそわとしていた。

その鹿目家の隣に、遅れてやってきた美樹家と志筑家の面々が腰を下ろしたが、人数を欠いていることがすぐにわかった。

 

「あら、おはようございます」と、先に挨拶をしたのは詢子だ。

「娘さんは、ご一緒じゃあないんですか?」

「それが、お手洗いに行ったきり戻って来ないんですよ。今主人が探しに行ってるんですけど、かれこれ30分以上…忘れ物でも取りに勝手に出てったのかもわからなくて」

「この嵐で、ですか? まどか、さやかちゃんとは連絡とれないのかい」

「う、うん…電話、繋がらないよ」

 

詢子に聞かれ、まどかは心臓が跳ねたかのような感覚を覚えながら答えた。

この場で全ての事情を知っているのは当事者でもあるまどかと、魔女との戦いを実際に目撃したことで、事実を信じざるを得なくなった仁美だけであり、他者に真実を語ったところで信じてもらえるはずも無いと互いに承知しているからこそ、識らないふりをする他なかった。

そして、不安を煽っている要因はそれだけではない。市街地の方角から聴こえる、普通の嵐ではあり得ない爆音や破壊音の数々。

避難所にいる人々は、まさか災厄の魔女によって街が蹂躙されかけたなどと露ほども思っていない。

 

『やあ、まどか』

 

そこに、キュゥべえが相変わらず無神経さを隠そうともしない顔をして現れ、念話でまどかだけに喋りかけた。

 

『朗報だ。ほむら達、あのワルプルギスの夜を相手に善戦しているよ。だいぶ追い詰めたようだね?』

『! そうなんだ…みんな、無事だよね?』

 

キュゥべえの問いかけに対して、まどかも心の中で念じる事でキュゥべえに返事をした。

まどか自身は未だ普通の少女であるため念話能力は持たないが、キュゥべえの方から回線を繋いでいる場合はその限りではないのだ。

 

『ああ、みんな今のところ無傷のようだね。…でもたった今、ワルプルギスの夜からとても興味深い反応が検知されたよ』

『え…?』

『"時歪の因子化"といったかな? 君も見憶えがあるはずだよ。一番最初の、薔薇園の魔女。倒したと思ったら突然凶暴化して復活したあの現象だよ。時歪の因子化は、薔薇園の魔女以降の全ての魔女に起こっている現象だ。どうやらワルプルギスもその例に倣っているようだね。

ただでさえ最強の魔女…それが時歪の因子化したとなると、彼女達"だけ"で勝てるかな?』

 

キュゥべえはこの場に於いてすらも、暗に"まどかでなければ倒すことはできない"と示しているように聞き取れた。

加えて、まるでほむら達が勝とうが負けようがどちらでも構わないような口ぶり。既にキュゥべえの中では、魔法少女システムの全貌を知ってしまった少女達は、システムのサイクルからはみ出した厄介者でしかないのだろう。

 

『でも大丈夫。君なら例え時歪の因子化したワルプルギスの夜でさえも倒すことができる。彼女達を救うことができるんだ。君にはそれだけ途轍もない才能が秘められているんだよ?』

『……私は、契約なんてしないよ。ほむらちゃん達のこと、信じてるもん』

『まあ、決めるのはあくまで君の自由だ。見殺しにするも、しないもね。気が変わったらいつでも声をかけてくれればいい』

 

出会った時からすれば手のひらを返したように、最後まで辛辣な言葉を吐きながらキュゥべえは虚空へと消えた。

まどかは周りに悟られないように表情を抑えていたが、ほんの違和感に気付いた仁美が小声でまどかに問いかける。

 

「まどかさん…今、妙な声がしませんでしたか」

「えっ……もしかして、聴こえてたの…?」

「…その言い草だと、"魔法少女"絡みのようですね。大人達には聴こえなくて、私たちみたいな子供…特に、さやかさんやまどかさんみたいな一部の人にははっきりと聴こえる。違いますか?」

「う………」

 

仁美のあまりの的確な考察にまどかは返す言葉を見つけられずにもごつくが、その仕草はもはや肯定と同意義だ。

 

「信じましょう、まどかさん」

 

仁美は不安を隠せずにいるまどかの手を取り、優しく語りかける。

 

「さやかさんは"絶対に戻ってくる"と約束してくれました。ほむらさんも、きっとまどかさんと同じ約束をしたんだと思いますわ。だから私たちも、みなさんを信じてここで待ちましょう」

「………うん!」

 

お嬢様に見えて、こういう時の仁美は凛として自分の意思をはっきりと示し、決して弱い部分を見せない。その強さが羨ましいと感じつつも、自分だって弱音ばかり吐いてはいられないとまどかは思った。

 

 

その時、まどか達のいる区間から少し離れた所から、どよめきが広まった。

どうやらその区間の人々はポータブルテレビを持参していたようで、地元チャンネルのニュース速報に周囲の人々の視線が釘付けになっていた。

 

『──────繰り返します!』

 

映像は、見滝原市街地上空を飛ぶ1基のヘリコプターからのものだった。

 

『現在、見滝原市内に謎の巨大な物体が突然現れ…その、街を………うわぁ!?』

 

しかし市街地を映していた映像は突然ぶれ出し、次の瞬間、酷いノイズだけが映され、そののちにスタジオへとカメラが戻された。

噂は飛び火し、異変を感じた人々は揃ってスマートフォンを開き、インターネットのニュースに目を通す。

そのニュースページに貼られていた情報は、報道ヘリの墜落を報せる文章と、巨大な歯車を孕んだような"化け物"の姿を写した画像のみだった。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

「…………………そんな、」

 

 

閃光が収まり、ルドガーは瞼を擦って目の前の光景を再確認し、それから再度目を疑った。

 

「どうなってんだよ…! 確かに、胴体真っ二つにした筈だろ!?」

 

杏子は今日何度目にもなる悪態をつき、さやかはもはや何も言えずに立ち尽くしている。

マミは冷静に自分の魔力の残量を確認するが、もう一度戦車砲を生み出す程の余力などない事に気付いて奥歯を噛んだ。

何よりも、少女達に絶望感を植え付けた原因は──────

 

 

 

 

『…………フフ、アハ、アハハハハハッ!』

 

 

 

この地に顕現した直後と寸分変わらぬ、傷一つ見受けられないワルプルギスの夜の姿そのものだった。

 

「…なんてことだよ、あの一瞬で! 回復したとでも言うのかい! あのダメージを!!」と、キリカもいつになく激昂して吼えた。

「違う。あれは………回復じゃ、ない」

「何だって…? じゃああれは、何だって言うんだい!?」

「………"タイム・エセンティア"」

 

ルドガーは、認めたくなどない気持ちでありながら、しかしそれ以外考えられないといった風に呟いた。

かつて時の大精霊・クロノスが使用した、"自分自身の時間だけを巻き戻してダメージ自体を無かった事にする"大術。

奇しくもそれ自体はここ最近でも目にしている。黒翼を発現したほむらが致命傷を治す為に無意識のうちに度々行っていた、簡易的かつ局所的な時間遡行がそれだ。

だからこそ、それと同じ事をワルプルギスはやってのけたのだ、とルドガーだけにはハッキリとわかったのだ。

しかし、ワルプルギスの夜の執る行動はそれだけには終わらない。

現れた当初と今現在とでは、たった一つだけの差異がある。それはほんの些細な事のようにも思えるが、何よりも恐ろしい意味を秘めていた。

正位置──────上下逆さまの姿で顕現したワルプルギスの夜は、歯車を下に、顔を上に。正しい位置で空を舞っていたのだ。

魔法少女達に伝わる伝承では、"ワルプルギスの夜が正位置になる時、世界は終わる"とさえも言い伝えられているのだ。

ワルプルギスの能面のような顔の中央が裂け、その中から血走った巨大な単眼がどぷり、と音を立てて現れた。

その眼を使って少女達を舐めるように一瞥する。そこから感じられたのは、今までとは違うはっきりとした"敵意"。

皮肉な事に、今になってようやくワルプルギスの夜は少女達と同じ土俵に上がったのだ。

さらに下腹部の歯車が外れながら分解して広がり、ワルプルギスの背中部分に順に備わってゆく。その歯車ひとつひとつもなかなかの速度で回転しており、それだけで小規模の嵐が巻き起こる。

歯車を背負ったその姿はまさに、かの"時の大精霊"を彷彿とさせるものであり、

どす黒いオーラを帯びたその姿は、まさしく懸念していた時歪の因子化を起こしたものだった。

 

 

『─────────ハ、』

 

ワルプルギスが吼えた刹那、周辺の大気が一瞬にしてぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた。その暴風はビルを2つほどへし折り、重量などまるで無視して空に巻き上げる。

その折れたビル2つを、猛禽類のような鋭い爪の生えた両手で掴み、少女達のいる位置目掛けて投擲した。

 

「くそっ!! みんな、早く逃げろ!!」

 

ルドガーが叫ぶが、絶えず巻き起こる突風に煽られ少女達は立つだけで精一杯だった。投げられたビルの速さも大概なもので、逃げる時間などとうに失われている。

 

「ルドガー!!」

 

その時、ほむらの方からルドガーへとリンクの糸が繋がれた。その糸を通じてほむらの意図を汲み取ったルドガーも、それに応えてクォーター骸殻を発動させ、光の弓と槍の力をを掛け合わせた。

逃げられないのなら、真正面から叩き斬るしかない。それが2人の出した答えだった。

 

 

「「天翔! 光翼剣ッ!!」」

 

 

既に幾分かの力を消費していた2人の放つ光の剣は、以前人魚の魔女に向けて放ったそれよりも大幅に弱まっている。

しかし物体を破壊する程度ならば威力は十分。巨大な羽根の形をした剣は横薙ぎに放たれ、向かってくるビルを2つとも粉々に消し飛ばし、後方への被害を完璧に防いだ。

 

 

『アハハハハッ!!』

 

 

だが、その一手を読んでいたかのように、ワルプルギスは既に次の手を打っていた。

粉々に吹き飛んだビルの後方には、巨大な魔法陣が展開されていた。

さしずめ"タイム・クレーメル"のつもりなのだろうか。魔法陣から発射された莫大なエネルギー波は、ビルの破片を蒸発させて2人の光の剣と衝突した。

 

「ぐ……っ! 負けるな、ほむら!!」

「あなたこそ!!」

 

持てるエネルギーを全て集約しても、ワルプルギスの放つエネルギー波との均衡を保つことがやっとだった。

その均衡もじわじわと押されてゆき、数秒ほど耐えたのちに光の剣は限界を迎え、硝子が砕けるような音を立てながら霧散した。

 

「そんな…! くそぉっ!!」

 

それと同時に骸殻も解ける。固有結界に逃げ込むことすらもできずに、2人は声を上げる間も無く時空乱流の波に呑み込まれてしまった。

エネルギー波が2人を呑み込んで着弾した位置から発生した余波は、逃れているさなかの少女達を軽く吹き飛ばす。その半径数十メートル以内の建物は綺麗な円を描いたように破壊し尽くされた。

 

 

 

『──────ヒ、ハハハッ、アッハハハハ! キャハハハハハハハ!!』

 

 

 

素っ頓狂な嗤い声を上げながら、この世の全てをひっくり返さんとばかりにワルプルギスの蹂躙は続く。

吹き飛ばされ、もはや刃向かう力すら失った少女達への関心は失せたようで、ワルプルギスの夜は市街地を薙ぎ倒しながらゆっくりと舐めるように浮遊していった。

 

 

 

漆黒に染まり、歯車を背負ったその姿はまさに機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)─────終局をもたらす、"神の舞台装置"と呼ぶに相応しいものだった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

「…………そんな、これって…!?」

 

見滝原上空からの中継映像ののち、噂は飛び火して避難所全体がざわめいていた。

その噂は程なくしてまどか達の所へも届き、まず仁美が周りと同様にスマートフォンでニュースページを検索し、(くだん)の項目に目を通した。

それは、本来ならば一般人には目視できないもの。視えてはならないモノ。しかしそのページには、刻銘にソレの画像が貼られていたのだ。

仁美のスマートフォンを隣から見ていたまどかの口元から、ぽつりと言葉が零れ出る。

 

「これが…"ワルプルギスの夜"…?」

『へぇ、興味深いね』

「! キュゥべえ………」

 

いつの間にか、まどかの足元に再びキュゥべえが現れていた。

 

『どうやら、ワルプルギスの夜の時歪の因子化は想像以上だったようだね。通常、認視できないはずの魔女が可視状態になっている。こうして写真にまで収められる程にね。

これは、ワルプルギスの力が強まりすぎた影響だろう。強すぎる魔力が実体を得るまでに至ったんだ。君達の言葉で簡単に言うのならば"受肉"というのかな?』

『ねえ、ほむらちゃん達は…?』

『さっきから反応が感じられないよ。…おや? マミ、さやか、杏子、キリカは辛うじて生きているようだよ。でも、ルドガーとほむらの反応だけがない(・・)ね』

『そんな…………!?』

 

目に見えない"何か"と密に会話をし、たちまち青ざめた顔色になったまどかを見て、仁美は直感的に何かを感じ取った。

 

「まどかさん。何か、あったんですか?」

「仁美ちゃん……! 私、どうしよう………!」

「もしかして、さっきの……まさか、ほむらさん達に何かが?」

「………………ぐすっ………」

 

もはや声を出す事すら難しい程に、まどかの心は押し潰されそうになっていた。

そうしてまどかの脳裏には、あの白い悪魔の言葉が繰り返し廻り続ける。

"君なら、救うことができる"と。

 

「………ごめんね」

「え…まどか、さん?」

「わたし、行かなきゃ………」

 

ただ一言、ぽつりと呟いた謝罪の言葉はきっと自分に向けられたものではないのだろう、と仁美は思った。

 

「だめです、まどかさん! ここにいろと言われたのでしょう?」

「ねえ、仁美ちゃん…もし、もしもだよ? 魔女と戦ってるのが上条くんで、死んじゃいそうになっちゃって……でも、助けられる力があるって言われたらどうする?」

「何を…言っているんですか?」

 

訳の分からない事を、と頭ごなしには否定しなかった。何故なら仁美自身も、同じ状況ならばきっと今のまどかと同じ選択を取るだろうからだ。但し"その代償に世界が滅ぶ"と知っていなければの話だが。

そしてこの現状の例え話に上条恭介を持ってきたという事が、まどかにとってのほむらはどういう存在であるのかということを、暗に示していた。

 

「私にとってほむらちゃんは、一番大事な、大好きな人なの。怒られたっていいよ…このまま何もしないで、ほむらちゃんが死んじゃうのだけは絶対にイヤなの…!」

 

それだけ言い切るとまどかはまず両親の方を見て、さやかの親達と話をしていて自分には視線は向いていない、と確認してから足早に席を立った。

 

「まどかさん……!」

 

引き留めるだけならば簡単だったが、仁美の身体は動かなかった。あんなにも真剣な表情で、"誰かを護りたい"という明確な意志を示したまどかを見たのは初めてだったからだ。

 

「………! 知久、ちょっといいかい」

 

不意に、何かに気付いたように詢子も立ち上がり、抱えながらあやしていたタツヤを智久に預けながら言う。

 

「ちょっと野暮用、行ってくるわ」

「! 例の"アレ"かい?」

「まあねぇ。可愛い義娘(むすめ)の頼みでもあるしねぇ。全く、手間のかかる娘達だよ」

 

立ち上がってホールの出口を見ると、小柄な誰かが外へ向かって行くのを発見した。

誰よりもその後ろ姿を識っている詢子は、それが桃色の髪をした娘だと確認するまでもなく後を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

何も、無い。それが第一に考えたことだった。

まるで見滝原に来たばかりの時のように、自分の意識だけが此処に在る、そんな感覚だった。

次に感じたのは、静かな水音。川のせせらぎのような、深緑の葉に溜まった水滴が水たまりに落ちてゆくような音だ。

鼻をくすぐるのは、鮮やかな緑青(ろくしょう)の葉の香り。

それからようやく自分の目が開く事に気付いたルドガーは、眩しさに眼を凝らしながら辺りを見回した。

 

「………ニ・アケリア?」

 

そこはかつて守れなかった想い人の故郷であり、リーゼ・マクシアの中でも特に自然に囲まれた広大な大地だった。

 

「目、やっと覚めたのね」

 

瞬きすらしていないのに、いつの間にか目の前にはその想い人───ミラだけが立っていた。

その他にはひと気は全くない。住民や動物たちで賑わっていたと記憶していた村は、もはや気味の悪さすら感じさせない程に静かだった。

 

「はは…やっと逢えたな。久しぶり」

「"やっと"って言ったってたった2週間前でしょ?」

「そうだっけか……でも、良かった」

 

"もし死んだら同じ処に行きたい"と思ってたから─────ルドガーは何の苦もなくさらりと言った。

 

「何よ、諦めたの?」

「…もう、力が残ってないんだ。タイム・エセンティアを止められなかったのは俺のミスだ。でも、そうでなくても………」

「らしくないわね、アナタが弱音を吐くだなんて。それに、"力がない"ですって? あれだけ"諦めるな"って私に言ってたアナタが? …っていうか、まだ気付いてなかったの?」

「気付くって……何にだよ?」

 

何が可笑しいのか、ミラは微笑みながら言った。

対するルドガーは、ミラの真意を理解できずに困惑するばかりだ。

 

「呆れた。アナタって、たまにヌケてる時あるのは相変わらずね? よく考えなさいよ。あの星にはリーゼ・マクシアみたいに微精霊なんていないのよ? なのにアローサルオーブだけで、微精霊の力なしにあそこまで戦えるわけがないでしょ?」

「………え?」

「アナタはね、精霊になってんのよ。たぶんクロノスあたりが、アナタが消える瞬間に転生させたんでしょうね。だから骸殻を使えるし、四大元素の力(テトラスペル)もほんの少しだけ使える。"元精霊"の私が言ってんだから、間違いないわよ」

「そんな、まさか………そんなこと…」

 

出来ても不思議ではない、とルドガーは何となく感じた。クロノスが絡んでいるならば、そこにオリジンの介入があってもおかしくはない。そしてその2人が揃えば出来ない事などまるでないのだろう、と。

そんな実感など今までなかったのだが、事あるごとにキュゥべえから"戦闘能力が高すぎる"と言われ続けていたことを思い出していた。

 

「わざわざ、それを教えに来てくれたのか…?」

「まあ、それもあるけど……私はね、ルドガー。あんたが諦める姿なんて見たくないのよ。………ほら、もう戻んなさいよ。全て守ってみせるんでしょ?」

 

ミラはへたりと座り込んでいたルドガーの手を取り、身体を引き起こしてやる。

その懐かしく、手放したくない温もりに触れたルドガーの腕は無意識のうちにミラを抱きしめていた。

 

「きゃっ…な、何よ……」と言うミラの顔も、気恥ずかしさに赤く染まる。

「ミラ、ありがとう。もう一度行ってくるよ。………愛してる」

「ば…ばっかじゃないの……? いいからさっさと行って来なさ、んんっ……」

 

どちらともなく、かつて伝えることのできなかった想いをカタチにして、今この場でようやく互いに交わし合った。

それと共に、今の今まで力の入らなかった身体に不思議と力が戻っていくのを感じた。

これなら、戦える。今ならば、何者にも負ける気などしない。ルドガーはエネルギーが目一杯まで溜まった懐中時計を空に掲げ、"在るはずの無いセカイ"から守るべきもの達へと思いを馳せて戦いの場へと再び旅立っていった。

 

 

 

 

「…………待ってるからね、ルドガー。あんたなら絶対に乗り越えられる。…信じてるわ」

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

「………ガー………、ルドガー、目を覚ましてよ!」

 

 

 

強く身体を揺さぶられ、特に心臓のあたりを適度な間隔で圧迫されるのを感じながら、ルドガーはゆっくりと目を開いた。

 

「……ここ、は…」

 

眼前にいたのは、治癒魔法をかけているのであろうさやかと、ぼろぼろと泣きながら心臓マッサージのような行為をとっていたキリカの姿だった。

その傍らには、ひどく消耗した様子の杏子とマミがいた。

 

「ごほっ、ごほっ……帰って、来れたのか…?」

「ルドガぁぁぁ!!」

「わ、わっ!?」

 

ルドガーの目覚めを確かめたキリカが思い切り抱きつき、ルドガーはさらに現状把握が遅れて困惑した。

 

「ルドガーさん! 良かったぁ………!!」同様に、さやかも半泣きでルドガーの生還を喜んでいた。

「さやか……何が、あったんだ。俺たちはワルプルギスに攻撃されて……」

「ルドガーさん、さっきまで心臓止まってたんですよ! 良かった、本当に…ルドガーさんだけでも助かって……!」

「………だけ(・・)? どういう意味……そうだ、ほむらは?」

「あ、っ…………」

 

ルドガーに問いかけられた途端に、喜んでいたさやかの顔がぴたりと凍りつき、引き攣った。抱きついているキリカの腕の力も強まり、嬉しさだけでなく悔しさでいっぱいのように感じられる。

 

「………ほむらは、あそこに…」そう言って指差したさやかの視線の先には、さほど離れていない所に寝かされているほむらがいた。

しかし、何かが足りない(・・・・・・・)

 

「おい、まさか………?」

 

その問いかけに、さやかはもはや泣きながら無言で頷く事しかできなかった。

ほむらの左手の甲にはソウルジェム、ひいてはダークオーブと呼ばれる"魂の結晶"が宿っていた。それが、肘より先の腕ごと千切れて無くなってしまっているという事の意味を理解するのに、少しだけ時間がかかった。

 

「………あの時に、か…」

 

 

抱きついているキリカを優しく離し、横たわるほむらの身体まで歩み寄る。その間にも、遠くではワルプルギスの夜が蹂躙の限りを尽くしており、吹きすさぶ突風に身体がふらついた。

ワルプルギスの夜に対抗して放った光の剣ごと腕を吹き飛ばされたのかもしれない。何にせよ、目下のほむらは既に呼吸をしていなかった。

 

「……一応、ほむらの身体はダメになっちまわないようにアタシが魔力で加工しといた。ソウルジェムさえ残ってれば、生き返るかもしれねえからな。でも…そんなの……」

「杏子……」

「はっ……まどかに何て言えばいいんだよ? ワルプルギスは倒せず、挙句アンタの恋人を死なせちまいましたってか? 笑えねえ……全っ然笑えねえ冗談だよ……クソがッ!」

「やめなさい、佐倉さん……」

 

悔しさに荒れた地面を拳で殴って八つ当たりをする杏子。それをなだめるマミの声にも力はなく、もはやこの場で立ち上がる気力を有している者は誰もいなかった。

ただ1人、ルドガーだけを除いては。

 

「……みんなは、ほむらを頼む」

 

一言、ぼそりと呟くとルドガーはひとりワルプルギスの暴れている方へ向き直った。

 

「ルドガー…? 何をするつもりなんだい」そう問いかけるキリカの声色も、畏怖に震えていた。

「約束したからな。アイツを倒して、まどかを…いや、みんなを守るって」

「行っちゃダメだ!! 今度こそ殺されてしまうよ! お願いだよ…私をひとりにしないでよ!!」

「キリカ、君はもう独りじゃないよ。俺がいなくても、みんながいる。それにな……」

「……何だい…?」

「俺には、死ぬことよりも怖い事があるんだ。…だから、俺は絶対に逃げない」

 

 

 

──────兄さん…ミラ……エル。俺に力を貸してくれ。

 

 

ルドガーは心の中でそう祈りを捧げ、自らの写し身である金の懐中時計と、既に針を止めた銀の懐中時計を空に掲げた。

鈍い音と共に、ルドガーの全身が歯車型のエネルギーの奔流に包まれてゆく。脚を、腕を、身体を、そして顔も。

呪いを刻む歯車は、継承される鋼の鎧。それは時空を貫く槍にして、鍵。

これこそが"最強の骸殻能力者"の証───フル骸殻。

 

 

『さあ──────行くぞ!!』

 

 

様々な想いは交差し合って、全身を覆う黒白(こくびゃく)の鎧のカタチへと変化し、確かな決意と共にルドガーを包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話「ごめんなさい、ママ」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────深い、闇の中に堕ちてしまったかのように。

 

 

 

夥しい程の憎悪、身を引き千切られそうな程の悲嘆………この世のありとあらゆる負の感情に、絶望に蝕まれてゆく。侵されてゆく。

 

 

 

 

思い出せない。私には果たすべき約束があったはずなのに───

 

 

 

思い出せ。私はワタシ。では、"私"って─────"何"?

 

 

 

声が、聞きたい。

温もりを感じたい。

ここには"全て"が集まっている。けれど、"私"はどこまでも"独り"だ。

 

 

 

 

怖い。自分が何なのかすらわからない。ひとりは、怖い。助けて。

 

 

 

 

そう叫んでも、きっと音にすらなっていない。ここには全てがあるけれど、同時に何も"ない"のだろうから。

 

 

 

 

けれど、その名を呼び続ける。それはきっと、私がワタシである為に必要なもののはずだから。

 

 

 

 

 

 

だから、どうか──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

避難所として開放された体育館のホールからひとり抜け出たまどかを待っていたのは、やはりまどかが来ると判っていたキュゥべえだった。

窓から外を見れば横殴りの雨と落雷、さらに遥か遠方から響き渡る、嵐にあるまじき爆音。こんな状態で表に出ようなどと考えるものは、他に誰1人していない。

 

『やあ、君なら来るだろうと思ったよ』

「………キュゥべえ」

『さあ、ほむらの処へ案内するよ。でもあまり時間はないようだけどね。ワルプルギスの夜はどうやらこっちへ向かっているようだし』

 

既に、まどかの頭の中では、どのようにすればほむらを"本当の意味で救うことができる"のかという考えしかなかった。

確かに、この命と引き換えにすればほむらを蘇らせる事自体は可能なのだろう、と。

 

(………でも、それだけじゃダメだよ。だって…)

 

まどかはほむらの言葉を忘れた訳ではない。"もし契約をしたら心中する"とまで言っていたのだ。ただ助けるだけでは、救った事にはならない。

ならば、どのように願えば救えるのか。その方法はもう一歩でカタチになるところまで来ていた。

たとえ、それがどれだけほむらにとって残酷な方法だとしても。

 

「お願い、連れてって……!」

『わかったよ。さあ、行こうか』

 

白い獣の形をした悪魔の背中を追うように、まどかは階段を早足で降りて嵐の真っ只中の外へと向かおうとする。

その瞬間、突然まどかの腕を背後から何者かが掴んで、階段を降りるのを止めた。

 

「きゃっ!?」

「こんな嵐だってのに…どこに行こうってんだ? おい」

 

詢子の表情は不思議と怒っている風ではなく、どちらかと言うと呆れた顔をしている。

だが、掴まれた腕に伝わる力の強さが今の詢子の心情を表していた。

しかしそれでも、立ち止まる訳にはいかない、とまどかは詢子に面と向かい、言う。

 

 

「……離して、ママ。私、行かなきゃいけないの!」

「"ほむらちゃんのところ"にかい?」

「…うん。私じゃなきゃ、ダメなの。ほむらちゃんを助けられるのは私だけなの…!」

「く、あっははははは───参ったね、こりゃあ」

「…え?」

 

突如として笑い出した詢子の意図をいよいよ汲み取れず、決意で固まっていたはずのまどかの表情も不安に緩む。

 

「いや、何から何までほむらちゃんの言う通りだなってことだよ。朝イチで電話してきて何かと思えば、『まどかから目を離すな』だの、『私のところに来ようとするはず』だのまくしたててさぁ?

『だから絶対に行かせるな』そういう伝言を預かってんだよ。……『行かせたら、2度と帰ってこないから』ってな」

「…!?」

 

全て、見透かされていた。そのことにまどかは動揺を隠し切れず、冷や汗が頬を伝って落ちた。

ほむらは、過去に何十回もこういう場面に遭遇してきた。わかっていて当然なのだ。もしもの事があれば、約束を交わしていたとしてもまどかはきっと自らを犠牲にしようとする、と。

それを痛いほど識っていたから、ほむらは詢子に伝言を残したのだ。

 

「私が何も知らないと思ってたか、まどか」

 

心揺らぎ、涙目になるまどかに詢子は真剣な眼差しで揺さぶりをかける。

 

「あんたがほむらちゃんの事を大好きだってのは、とっくに知ってんだ。それも"友達として"じゃなくて"特別な娘"として、な。そのほむらちゃんが言ったんだぞ? 『来るな』って。それでも行くのか。大好きだから、愛してるから?」

「……そうだよ。私は、ほむらちゃんの事が好きなの! 私が行かなきゃほむらちゃんが死んじゃう…そんなの、イヤだよぉ………!」

「……ったく」

 

ぴしゃり、と乾いた音が響いた。泣きじゃくり訴えかけるまどかの頬を、詢子が(はた)いたのだ。

一瞬、何をされたのかわからなかったまどかが怯えた風に見返すと、詢子はまどかに対しては殆ど向けたことのない感情───怒りを露わにしていた。

 

「……あんた、ほむらちゃんの為なら命まで捨てようって顔してんな。好きな娘の為に命張る。そりゃあいい、実に立派だよ。…けどなぁ、それで残される奴らの事を考えたことがあるのか!?」

「ひっ、ま…ママ…?」

「あんただって私らにとって大切な家族の一員なんだ! それを、帰ってこないとわかってて、1人ぼっちで行かせる奴があるかよ!?

テメェ1人の命じゃねえんだ! あんたがそうやって勝手に命張って、それで本当に帰って来なかったら、私らが悲しむなんてこれっぽっちも思いもしなかったのかよ!?」

「わかってるよ! でも、こうするしかないの! ほむらちゃんを助けるだけじゃない。あの魔女を倒せるのも私しかいないの! だから行かせてよ……!」

「いいや解ってないね! だったら! もし私が…いいや、ほむらちゃんが死ねばあんたが生き返るって言われて、本当にそうなったら───あんた、どんな気持ちになるよ…?」

「…………あ、っ……」

 

まどかは、考える。詢子の言ったソレは、まさにこれから自分が行おうとしていることだ。もしも自分なら──────

 

「私だったらさ、まどか」

 

詢子はぼろぼろと涙するまどかに対し、優しく告げた。

 

「…そんな風にされて助かったって、罪悪感で胸がいっぱいになっちまうよ。なんで私なんかが生きてんだろう、ってね。大事な人の命を使ってまで助かろうだなんて思えるわけがない。ましてやそれが好きな娘の命だったら尚更だ。ほむらちゃんだって同じ事を言ったんじゃあないのかい?」

「………そう、だよ…」

「私が、どうしてあんた達の関係について何も言わなかったのか、わかるか?」

「………ううん…」

「私が、ほむらちゃんの事を信じたからだよ。性別なんざ関係ない。あの娘ならあんたを任せられる、そう思ったからだ。

ほむらちゃんは、私にとっても大事な娘のひとりなんだよ。あんただけじゃない。ほむらちゃんの事だって放っておけるわけないだろ?」

「…………ママ…?」

 

いまいち、詢子の言わんとしている意図が汲めずにまどかの表情に不安さが浮かぶ。

詢子はそんなまどかに対してではなく───まどかが駆け下りようとした階段の下にいる"何か"に対して叫んだ。

 

「───おい、そこの白いウサギみたいなの!」

『!? これは驚いた。君は僕が視えるのかい?』表情のない筈のキュゥべえの顔が、一瞬だけ驚愕したように見えた。

『…いや、君からは"素質"は感じられない。すると、ワルプルギスの夜の影響がここまで?』

「その言い草だと、まるで視えちゃあいけないみたいじゃないの。成る程、オマエがうちの娘を騙くらかそうとしてたわけだ」

『人聞きが悪いなぁ、僕は別に騙したわけじゃあないよ。ただ、君たちが化け物と呼んでいる"ワルプルギスの夜"を倒せるのは、まどかしかいない…という事実を伝えただけだよ』

「涼しい顔してガキを最前線に立たせようだなんて───とんだクズだな、あん?」

 

詢子は掴んでいたまどかの腕を解放したかと思えば、階段を下りてキュゥべえの目の前にまで近づき、さらに言った。

 

「さて、私の大事な義娘(むすめ)のとこまで案内してもらおうかい」

『……? 君の娘なら、後ろにいるじゃないかい』

「バカ、ほむらちゃんの事に決まってんだろ。ほむらちゃんは将来我が家に嫁入りするんだから。それに、私の娘達をあの化け物と戦わせようってんだ。つまり、あそこまでは私らが安全に近づける道をあんたは知ってる。違うかい?」

『…まどか1人ならば、ね。君もついて来るとなると100%の安全は保障できないよ?』

「わかってるじゃないの。そうと決まったらほら、歩け」

『きゅっぷい』

 

もとより、ほむらから言伝を頼まれた時点で詢子には只ならぬ予感があった。

ほむらは"後から必ず行く"と詢子に言い残したが、そのほむら自身が帰ってこなさそうな気がしていたのだ。

そもそも、2人は出逢ってまだひと月も経っていないと訊く。にも関わらず、遥か昔からまどかの事を知っていたような口ぶり。そして、まるであの化け物が現れるのを知っていたかのような電話先での会話。

ニュースページで化け物の出現を知った時に、詢子の中であやふやな形をしていた予感がようやく固まったのだ。

 

「待って、ママ。…ママが行くなら、私も行く。止めてもついてくから」

「……まったく。あんたのその頑固なとこ、誰に似たんだろうねぇ? いいかいまどか、くれぐれも馬鹿なことは考えるんじゃないよ。家族みんなで一緒に帰って来るんだ」

 

涙を服の袖口で拭いながらこくり、と頷き、まどかも階段を駆け下りてゆく。

それを確認したのちに、キュゥべえはいよいよ暴風吹き荒れる戦場までの道程を先導して歩き出した。

 

 

 

(………ごめんなさい、ママ)

 

まどかは内心で、やや俯きながら赦しを乞うように考える。

 

(もう、どうすれば誰も悲しまないか思いついたの。ほむらちゃんやみんなが無事ならそれでいい。けれど、もしもの事があったら………)

 

それは、かつてほむらから聞かされた"円環の理の世界"───"鹿目まどか"が存在しない世界の話が大きなヒントとなっていた。

魔女を消し去り、なおかつほむらを傷つけない為にはどうすれば良いのかを、まどかは既に考えついていたのだった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

100%、或いはそれ以上の力を解放した証でもあるフル骸殻に身を包んだルドガーの心は、怒りや闘志を抱きながらも不思議と落ち着いていた。

暴風によって荒らされその4割ほどが原型を留めていないビル街を見渡し、それから、今もなお猛威を振るいながら市内へと向けて進行してゆくワルプルギスの夜を見る。

距離にして1キロメートル以上先に移動していたワルプルギスの夜目掛けて空間跳躍を行い、負傷した魔法少女達の眼前から消えたかと思えば、瞬時にワルプルギスのすぐ手前まで跳んでいだ。

 

『─────ヘクセンチア!!』

 

隙間から白い光を放つ黒い槍を勢いよく大地に穿つと、ワルプルギスの頭上から黒い光弾が稲妻のような波紋を帯びながら降り注いだ。

 

『ギ、ァハハハッ!!』

 

光弾をその身に浴びたワルプルギスは、ようやく自らの歩みを止めるだけの相手を見つけたと言わんばかりに進行を停め、巨大な擬眼で舐めるように地表のルドガーを見た。

ワルプルギスがひと度吼えると、その周囲には先程までとは形状の異なる、蝶のような羽根を生やした白い妖精のような使い魔が一瞬にして視界を塞ぐほどに湧き出た。

妖精の使い魔はルドガー目掛けて四方八方から、目まぐるしく瞬く光を鱗粉のように放ちながら近づいてくる。その内のごく何体かは、不恰好ながらも小さな弓矢を携えているようにも見えた。

 

『あの姿は…!?』

 

その姿に一瞬、ルドガーの注意が惹きつけられる。

あの禍々しい見た目にまで変質したワルプルギスから生まれた妖精の使い魔の姿はそれに似つかわしくなく、感じる魔力の残滓は以前にも感じたことがあったものだからだ。

 

 

『─────ジ・エンド!!』

 

空いた方の手で拳を作り、地面に叩きつけて衝撃波を放ち、地表を抉り取りながら妖精の使い魔を薙ぎ祓ってゆく。

しかしいくら倒しても次々と湧き出る使い魔を見て埒があかないと判断したルドガーは、再度衝撃波を前方に放ち、使い魔の群れから少しだけ下がり距離を置いた。

 

『………あの使い魔、何かが違う……何だ? ん…』

 

ふと後ろを振り返って見ると、瓦礫の山を乗り越え、ぼろぼろの姿のままルドガーのすぐ後ろまで少女達が駆けつけていた。

霧雨に打たれ、攻撃の余波で怪我を負いながらも、ルドガーが戦う姿を見て浮かびかけた絶望感を追い払ったのだ。

 

『みんな……怪我は、平気なのか?』

「……ふふ、君独りでなんて行かせられないよ」

 

と真っ先に返事をしたキリカも、額から血を流しながらも笑顔を繕っていた。

マミ、さやか、杏子もそれぞれ怪我を最小限の自己治癒で留め、1度は消えかけた戦意を取り戻して武器を構えている。

 

「使い魔は私達に任せて。ルドガーさんには指一本触れさせないわ」

『…そのことなんだけど、マミ。少しだけ待ってくれ』

「……?」

『キュゥべえ! いるんだろう、出てこい!』

『呼んだかい?』

 

ルドガーが虚空に向かってぞんざいに叫ぶと、やはり間髪置かずにキュゥべえの声が脳内に響き、それから数秒遅れて、もはや見慣れた小動物の姿でルドガー達のすぐ近くに現れた。

 

『あの使い魔の魔力のパターンを調べられるか?』

『少し時間がかかるけれど可能だよ。でも、一体なぜそんな事を?』

『……俺の感覚が当たってれば、あの使い魔はどこかで会った事があるかもしれない』

『なるほど、それを調べて欲しいんだね。わかったよ』

『頼んだぞ。みんなは使い魔を! 俺はもう一度奴を叩く!』

「今度は私も行くよ、ルドガー。君は私が守る」

 

闘志を燃やし魔力を増幅させ、キリカの白銀の鉤爪は血を吸ったかのような紅色へと変化して、熱を帯びた。

リンクの糸を結び直すと、ルドガーはキリカの腰回りを抱えてキリカごと空間跳躍を行い、使い魔の群れの奥、ワルプルギスの足元へと一気に飛び込んだ。

 

「ふふっ」

『どうした、キリカ?」

「いやなに、君が私を頼ってくれるのが嬉しくてね」

『…あまり喜んでる余裕はないと思うぞ。はぁぁぁっ!!』

 

槍の鉾先に炎を纏わせながら、骸殻によって強化された脚力で空高く飛び上がり、それに続いてキリカも魔力で補助しながら共に飛び上がる。

 

「「スカーレット・ファング!!」」

 

深紅の爪刃と炎の槍が交差し、灼熱の波紋を放ちながらワルプルギスの胴体を斬りつけ、焦がしてゆく。

素早く懐に潜り込まれて不意を突かれたワルプルギスの夜は軽く怯み、身じろぎをして2人を追い払おうとするが、いち早く動きを察したルドガーは再びキリカを抱え、空を蹴って更に1段高く飛び上がる。

抱えられながらもキリカは減速魔法を発動させてワルプルギスの足止めを試みるが、さして効果があるようには感じられず、せいぜい舞い飛ぶ火の粉の勢いが緩慢になった程度だった。

 

「…だめだね、やっぱり奴には私の魔法は効かないよ」

『予想はしてたけどな…なら、直接叩く!』

 

飛び上がった先は、擬眼を開いたワルプルギスの顔の真正面だ。

擬眼の動きはやや遅く、姿を捉えた頃には既にルドガーは槍を構え、眼球目掛けて投げ込む直前だった。

 

『喰らえ!』

 

擬眼がルドガーと正対すると同時に、その生々しい瞳孔の中央に光の槍が撃ち込まれる。

 

『ギ、ァァァァァァッ!?』

 

パン! と派手な音を立てて擬眼が破裂し、そこからどろりとした赤黒い血のような液体が、蒸気を巻き上げながら勢い良く吹き溢れた。

何百度かはありそうなその液体を避けながら即座に急降下し、上を見上げるとワルプルギスの夜はバランスを失いかけたように大きくよろめく。

それと同時にワルプルギスの背中へと移動していた歯車型の装置が小刻みに回転を始め、周囲の空間が僅かに歪む。

 

『やらせるものか! うぉぉぉぉぉっ!!』

 

時の巻き戻し(タイム・エセンティア)に唯一対抗することができるもの───オリジンの力の一端、"鍵の力"を内包した骸殻のエネルギーを解放し、ゆうに数十メートルはあろうワルプルギスの巨体ごと周囲の空間を飲み込むように固有結界を発動させた。

一切の時の流れから遮断されたその空間の中では、キリカも、そしてワルプルギスさえも、時を操ることを赦されない。

 

『─────────ァァァァァァァァァ!!』

 

 

発動させようとしていた術式が中断させられ、血の涙を単眼から吹き溢しながらワルプルギスの夜は金属を雑に引っ掻いたような甲高い悲鳴を上げた。

ルドガーは顔すら覆う骸殻に耳を守られているのか、全く動じることはない。

 

「ひっ!?」

 

だが隣に立つキリカは、鉤爪を持った両手で咄嗟に耳を塞ぐ事は叶わず、直にその不快音を聴いてしまい、背筋が震え足の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 

『キリカ、大丈夫か!?』

「も、問題ないよ! それより早く、あいつを!!」

『…わかった。今度こそ終わらせる!』

 

悲鳴を上げながら僅かに高度を落としたワルプルギスのすぐ近くにまで跳び、無数の槍を投擲して追い打ちをかける。

それらが着弾するのを待たずに、ルドガーはさらに顔の真正面へと転移し、今度は刺突ではなく槍を分かち、時を刻む双針の連撃を浴びせる。

 

 

『うぉぉぉぉぁぁぁぁっ!! 継牙・双針乱舞ッ!!』

 

 

双針をひとつに戻すと共に持てる力を全て込め、時を打ち砕く最後の一撃を振り下ろした。

ワルプルギスの夜はもはや声を上げる事すら叶わず、変化が著しかった顔面は破裂音と共に粉々に吹き飛ばされ、ついに落下を始める。

同時にフル骸殻も一旦の限界を迎え、固有結界と共に解除されていった。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

固有結界が解けると同時に、揚力を欠いたワルプルギスの巨体が荒れた地表に落下し、地響きを鳴らした。

暴風はゆっくりと勢いを落としてゆき、代わりに暗雲から大粒の雨が降り注ぎ、帰還したルドガーの肩を打つ。

硝煙と、生々しい血の匂いと、湿気を含んだ土の匂いが風に乗って鼻孔をくすぐる。

それでもなお、ワルプルギスの背中の歯車は未だ緩やかに廻っており、ソレの息がまだあることを指していた。

 

「………あれでも、倒せなかったのか…!」

 

吹き飛んだワルプルギスの首元から肉の塊のような醜い"何か"が盛り上がり、ぐちゅぐちゅと不快な音を立てながら顔のような形へと変化してゆく。

原型は留めてこそいないが、半溶けの頭にぎょろりと覗く歪な瞳が再び現れ、半月型の口元も新たに鮫のような鋭い牙がびっしりと並び、獰猛さを増したようにも見えた。

 

『グォアァァァァァァッ!!』

 

獣のような咆哮を上げると、ドレスの袖口から覗く長い両腕を前脚のように使い、下半身を引き摺りながらゆっくりと立ち上がった。

おぞましくも何度でも蘇るその姿を見ながら、ルドガーはほむらとの作戦会議で聞いた情報を思い返す。

 

「…ワルプルギスの夜は、魔女の集合体。あの程度の傷なら、時間を操らなくても再生できるってことか」

 

顔面を潰したことで深手を負わせることはできたようだが、やはり"核"となる部分を完全に破壊しない限り意味がない。

ならば次こそ、と剣を構えるルドガーのすぐ横にキュゥべえが近寄り、語りかけてきた。

 

『君達がほむらの家でどんな会話をしていたのか、その詳細を知ることはできなかったけれど、大体の察しはつくよ』

「キュゥべえ…! 使い魔の調査は済んだのか」

『ああ、そのことなんだけれどねルドガー。…ほむらは恐らく、"ワルプルギスの夜は他の魔女を取り込む性質がある"という仮説を立てたんじゃあないかな』

「…そうだ。その結果が、アレなんだろ?」

『そうだね、その仮説は大体合っているよ。訂正する部分がない程度にはね。そして先程の使い魔の波長なんだけれど、これには僕達も驚いたよ』

「…なんだ。早く言ってくれ」

『いいだろう。結論から言うとだね……』

 

キュゥべえはその先を言う前に、念話の範囲をルドガーだけでなく、周囲の魔法少女達全員にまで拡げ、ひと呼吸置いてから、

 

 

 

『…………あの使い魔は、暁美ほむらの魔力と全く同じ波長だったんだよ』

 

 

 

と、珍しく息を呑みながら答えた。

 

「………どういう事だ、キュゥべえ!?」

『思い出してごらんよ。そもそもほむらのソウル…いや、ダークオーブは、限りなく魔女に近い性質を持った魂の結晶だ。その強固さも、今まで観察した結果から言うと、ソウルジェムとはまるで比べ物にならない。

無限の魔力と、異常な程の硬質性。エネルギーが全く抽出できないことが残念だけど、それを除けば間違いなく理想的な代物だよ。

そして仮に、魔女を取り込む性質を持つワルプルギスの夜が、ほむらのダークオーブを取り込んでしまったとしたら?』

「そんな…そんな馬鹿な話があるか!!」

『残念ながら事実だよ。今、ワルプルギスの夜が顔を再生する時、ダークオーブと同じエネルギーの波長を感知した。あの再生力も、ダークオーブの性質によるものかもしれない。

そうだね。部位にして、ちょうど人間でいう"心臓"の位置から特に強く感じるよ』

「…………そんな、ことって…」

 

ルドガーは今度こそ、剣を持つ手の力が抜け落ちそうになった。運命に抗う為に戦い続けた相手に取り込まれるなど、これならソウルジェムを砕かれた方が余程マシではないのか。

キュゥべえの会話を聞き、固有結界から帰還した2人のもとへようやく少女達が駆けつけ、開口一番杏子がキュゥべえに怒鳴り散らした。

 

「おいキュゥべえ!! デタラメ言ってんじゃねえぞ!?」

『僕は嘘はつかないよ。それに、この身体の替えは幾らでも効くけれど僕に八つ当たりしたところで事態は変わらない。違うかい?』

「テメェ………!」

『安心しなよ。ここにもうすぐ強力な助っ人が着く頃だ。きっと、彼女ならこの最悪の事態も、ごく簡単に片付けられるよ』

「助っ人だぁ……? まさか、テメェ!」

 

杏子はいち早くキュゥべえの意図を察したのか、キュゥべえの首元を乱暴に掴んで締め上げながら怒鳴った。

しかしキュゥべえはそんな杏子の行動すらも意に介さない様子で、表情を見せずにさらに続ける。

 

 

 

『─────その通りさ。もうすぐ、ここへ鹿目まどかがやってくる』

 

 

 

瞬間、キュゥべえの首がぼきり、と嫌な音を立てて捻り上げられ、だらりと力なく首をもたげた。

 

「まどかを呼びやがったのか…ふざけやがって! おいマミ!」

「わかってるわ! ワルプルギスはここで食い止める。鹿目さんに契約なんかさせないわ!」

「…あたしは、まどかを探してきます! ほむらと約束したんだ、"まどかを守る"って!」

 

3人の少女は咄嗟に各々の役割を理解し、その中からさやかが後ろに戻ってまどかを探しに向かい、残る4人で獰猛な獣のように変質したワルプルギスの夜と対峙する。

 

『俺は、諦めない。まどかにも契約なんて絶対にさせない。……約束したから、な。"何があっても守る"って』

 

ルドガーは再び2つの懐中時計を空に掲げ、眩い光を放ちながら、歯車の鎧に身を包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

『さあ急いで、ほむらはこの先にいるよ!』

 

 

 

ルドガー達が未だワルプルギスの夜と交戦していた頃、まどかと詢子はキュゥべえに誘導されて、比較的安全な道を選びながら戦地へと向かい駆けていた。

少し弱く、土埃の匂いを含んだ雨にじっとりと打たれながらも、ようやく滅茶苦茶に破壊されたビル街へと差し掛かった。遠目からもはっきりと単眼を開いたワルプルギスの異形を見てとれる。

 

「…なんだ、ありゃあ……マジの化けモンじゃないかい」

「あれ…ワルプルギスの夜、なの……?」

 

インターネットの写真で見た姿よりも更に変貌した、空に舞う醜悪なその姿に詢子は不快感を抱き、対するまどかは、ごく単純に"恐ろしい"と感じてしまう。

皆は、"アレ"に対して命を賭けて戦っているのだ。

 

『─────────!!』

 

遠くから、甲高い叫び声が響いた。ワルプルギスの夜の顔から紅い血のようなものが吹き出し、悲鳴を上げたのだ。

よく眼を凝らすと、長い光の槍を携え、黒い鎧に全身を包む何者かがワルプルギスへと攻撃を仕掛けているのがわかった。

そして、その鎧の形にはまどかも見憶えがあった。

 

「ルドガーさん……!?」

『彼は本当に大したものだよ。1度は心停止にまで追い込まれたというのに、あのワルプルギスと互角に渡り合っているんだから。

それより急いでまどか! 早くしないと手遅れになるかもしれない!』

「…うん!」

 

次第に酷くなる瓦礫の中を突き抜けてゆくと、突如ぽっかりとクレーターのように少し陥没した場所にまで辿り着いた。

そこから数十メートル程先には宙でバランスを崩しかけるワルプルギスの夜と、使い魔を撃退している少女達の姿が見える。

 

『…まどか、ほむらはここだよ』

「!」

 

キュゥべえの声が、少し弱々しく聴こえた。

その声を辿ると、瓦礫の山の端の方に寝かされたほむらの姿があった。

 

「ほむらちゃん! やっぱり怪我して…!?」

 

駆け寄りながらも、まどかは違和感を感じた。力なく横たわるほむらの姿からは、なんとなく生気が感じられないように見えたからだ。

詢子と共に駆けつけ、スカートが泥に汚れるのも構わずにほむらの手を取ろうとして、

 

「……………えっ、?」

 

そうして初めて、まどかは胸に浮かんだ違和感の正体に気付いた。

 

「……………ほむら、ちゃん?」

 

ソウルジェムを宿した左腕が、肘から先が無くなっていることに。

握り締めた右手が、熱を失い始めていることに。

そして、本当に悲しい時には、声を上げる事すら出来ないのだという事に。

 

「………おい、答えろ白いの。これはどういう事だよ?」

 

詢子も、目の前の痛々しい有り様から目を背けたくなる気持ちを抑えながら、キュゥべえに詰め寄る。

 

『非常に残念だよ。彼女はとても勇敢に戦った。けれど、"ワルプルギスの夜"の前には力及ばなかったんだ』

「私が訊いてんのはそういう事じゃない! "これ"は! どういう事だって言ってんだ!」

『そうだね。今、彼女の身体は機能していない。"ソウルジェム"という、彼女の魂を宿した結晶が失われてしまっているからね』

 

成る程、と詢子はようやく気付いた。目の前にいる生き物の姿をした"何か"には、生き物らしい感情が欠落している(・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

だからこそ、涼しい顔をして少女達をあのような化け物の所に送り出せる。目の前で少女1人が事切れていても、顔色ひとつ変えずにいられるのだ、と。

まどかはなおも無言で、大粒の涙を流しながらほむらの身体を揺さぶり、縋りついているというのに。

 

『─────でも、まだ間に合うかもしれない。そう、まどか。君がいればね』

 

キュゥべえの声に、まどかはゆっくりと顔を上げてその先を聴こうとした。

 

「わたしは……どうすればいいの…?」

『いいかいまどか、落ち着いて聞くんだ。さっき、ルドガーに頼まれて今のワルプルギスの夜の魔力のパターンを調査したんだ。そうしたら大変な事がわかったんだよ』

「………なにが、わかったの」

『ワルプルギスの夜が今さっき呼び出した"あの使い魔は、暁美ほむらの魔力と全く同じ波長だったんだよ"』

「……どういうこと…?」

『ほむらのソウルジェムは、限りなく魔女に近い性質を持ったものだ。恐らく、魔女を取り込む性質を持つワルプルギスの夜に取り込まれているのかもしれない。でもまだ同化は不完全なようなんだ。魂さえ取り戻せばまだ可能性はある。つまり、君の力なら、ほむらを助けられるかもしれないんだよ!』

「わたしの…力で…」

『そうだ。君じゃなきゃダメなんだよ。だからまどか───僕と契約して、魔法少女になってよ!』

 

ついに放たれた、悪魔の囁き───"契約"という、常套句。

普段のまどかならば、当然きっぱりと断ることができただろう。しかしまどかは、自分の全てを投げ打ってでもほむらを救う為に、ここまで来たのだ。

 

「………わかった。契約、するよ」

 

揺らいでいた決意は、眼前にある想い人の亡骸を見た瞬間に、既に固まっていた。

 

「待て、まどか! "契約"ってなんなんだい! …まさか、あんたの言ってた事ってこれのことなのか!?」

 

詢子は今からまどかがしようとしている事を直感的に感じたようで、慌てて止めに入る。

しかし答えたのはまどかではなく、

 

『そうさ。僕と契約すれば、魔法少女となってひとつだけ願いを叶えることが出来る。叶えられる範囲は個人差があるけれど、まどかの素質ならば、もはや何だって叶える事ができるんだ!』

「ふざけんな! そんな都合の良すぎる話があるわけないだろう! 言え、代わりにウチの娘から何を奪うつもりだ!?」

『一言でいえば、"魂"かな』

「…………は?」

『思春期の少女の感情の揺らぎは、途轍もないエネルギーを生み出すんだ。その希望から絶望へと転移する瞬間の感情エネルギー、それを集めるのが僕の仕事なのさ。

そして魔法少女の性質が絶望へと完全に転移すれば───ああいう"魔女"と呼ばれる存在へと変わる。

君も承知の筈だよ、まどか。本当にいいんだね?』

 

突飛な話であるが大雑把に理解した詢子は、自らの命を投げ打ってまで願いを叶えようとするまどかの肩を掴み、やめさせようとする。

 

「……やめろ。こんな事、ほむらちゃんだって望むわけがないだろ!?」

「…ごめんね、ママ。初めて好きになった人なの。ほむらちゃんと出逢って、私は変われたと思う。……だから、今度は私が、ほむらちゃんを助けるんだ。

それに、私だってただキュゥべえに魂をあげちゃうわけじゃない。…ちゃんと、みんなに迷惑かけないようにするから」

「………まどか…!」

 

どうしてこんな最悪の状況で、自分自身の命すらかかっているのに、そんな風に優しく微笑む事が出来るのか。ほむらを亡くして、本当に心が壊れてしまったのではないか? と、詢子はまどかの笑顔を見てぞくり、と背筋を震わせた。

そんな詢子の手を振りほどき、まどかはキュゥべえと正対するように立つ。

一字一句間違えないように、ずっと考えてきた"願い"を交わす為に、ほむらの願いだけではない、自分の心すらもズタズタにしてしまうだろうその言葉を、口にした。

 

 

 

「私の願い、は……ほむらちゃんを"鹿目まどか"と出逢う前まで戻して、生き返らせる事。…私の事を憶えてる限り、きっとほむらちゃんは悲しむと思う。だから………私の事を忘れて、幸せになってほしい」

『それが、君の願いなんだね?』

「…………うん!」

『君の願いはエントロピーを凌駕した! さあ、契約成立だ!』

 

 

 

キュゥべえの長い両耳に備わっているリング状の物質が光輝き出すと、それに呼応してまどかの身体も暖かな桃色の光に包まれ出した。

契約の成立。次に待つのは、魂の抽出、再構成。

元来、莫大な因果を備えたまどかから放たれる光は、優しい光の筈なのに目も眩む程に強く輝いていた。

そして、その輝きの中央にいるまどかの表情は苦悶に歪む。

 

『………すごいよ。これだけの素質を持った少女は他にいない!』

「う…っ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」

『力の反発に苦しんでいるようだね。魂の再構成に少し時間がかかるけれど、安心するといい。それさえ済めばその痛みは綺麗になくなる──────きゅぶ!?』

 

突然、まどかの目の前にいたキュゥべえの身体が綺麗な横一文字に分かたれ、血飛沫を上げながら倒れた。

 

「………させない! あんたの好き勝手になんて!」

 

ワルプルギスの元から駆けつけたさやかが、咄嗟に距離を無視した斬撃を放ち、9メートル程後方からキュゥべえを斬り裂いたのだ。

そのまま加速術式を使って距離を一気に詰め、光を突っ切ってまどかの身体を掴む。

 

「……さやか、ちゃん…?」

「そんな、どうして!? キュゥべえは潰したのに、なんで契約が止まらないのよ!?」

『──────言っただろう? この身体は幾らでも替えが効く、ってね』

「キュゥべえ、あんたまた!」

 

焦るさやかを小馬鹿にするように、キュゥべえはさやかのすぐ後ろに立ち、旧い個体の亡骸を食していた。

すぐさまその個体に対しても斬撃を飛ばし両断するが、2秒もすれば新たな個体が現れ、増えた亡骸の回収を続行する。

 

『どうやっても契約は止められないよ。こんなに時間がかかる例も過去になかったけれど、間も無く魂の抽出が完了する。そうすればあっという間さ』

「うるさい、うるさい! 今ここでまどかが契約したらほむらのやってきた事が全部無駄になるんだ!

何のためにほむらは命懸けで戦ったと思ってんだ! あんたを守る為でしょーが! まどか!!」

「……ごめんね。でも、もう大丈夫だから。もうほむらちゃんは、苦しまなくて済む筈だから…」

 

まどかの胸元に、一際強い桃色の光が集約し、カタチを作ろうとしていた。

実際に契約を交わしてまだ日が浅いものの、さやかには痛いほどよくわかる。間も無くまどかの魂は、ソウルジェムとして再構成されようとしているのだ。

圧倒的な魔力の奔流が魂の輝きから放たれ、まどかの身体にもいち早く変化をもたらす。瞳の色は全てを見通す金色へと変わり、リボンの解けた髪は毛先が地に付きそうなくらい一気に長さを増した。

 

「…やめろ、止まれ、止まれ! 止まってよぉ! どうして! あと少しであいつを倒せそうなのに!」

 

涙を流し、怒りと悲しみに叫びながらまどかの身体を揺さぶるが、どう足掻いても光は収まらなかった。

 

「…お願い、誰か助けてよ…! まどかを止めてよ! こんなの…あんまりだよ…!!」

 

親友との約束を守れず、今また親友をひとり失おうとしている。

さやかにはわかっているのだ。まどかが契約し、魔女になれば世界が滅ぶ。しかしまどかがそれを望む筈が無い。ならば契約した後に何をしようとするのかを。

自害。願いでほむらを救い、すぐにワルプルギスを撃破する。そしてソウルジェムが反動で転移してしまう前に、まどかはきっと自らの魂を破壊するのだろう。

冗談ではない。それで助けられた所で、何も救った事にはならない。ほむらの願いを裏切った事には変わりない。永遠に拭えない後味の悪さが遺るだけだ。

 

『さあ、間も無く完了だ!』

 

白い悪魔が嘲笑うかのように高らかに告げる。極論、インキュベーターからしたらまどか1人からエネルギーさえ取れればそれで事足りてしまうのだろう。

感情のない生物の筈なのに、心なしか歓喜に満ちているようにも見える。どちらにせよ、不快極まりない事には変わりないが。

長い両耳をまどかの方へと伸ばし、朧げに浮かぶ魂の輝きを加工しようと一歩、また一歩近づいた時──────

 

 

 

 

『─────調子に乗るな、インキュベーター!!』

 

 

 

その声は、凛として力強く木霊した。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

地に深々と穿たれたのは、空高くから降り注いできた1本の光の槍だった。

その槍はインキュベーターの身体を綺麗に貫き、地に繋ぎ止め動きを封じていた。

 

『きゅ、こ…この槍は、ルドガー…かい。無駄だよ、こんな事をしたって─────』

 

無意味だ。そう言おうとしたが、それは叶わなかった。

突き刺さった槍から歯車状の光の波紋が拡がり、分体を呼び出そうとしたキュゥべえを更に苦しめる。

 

『ぐ、あぁぁっ!? なんだ、これは!? 力が出ない! この個体だけじゃ、ない…!? 僕達の"概念"そのものが、この槍で! ルドガー! 僕に何をした!?』

『………それが、お前の知りたがっていた"クルスニクの鍵"の力だ』

 

フル骸殻を纏い駆けつけたルドガーが、ゆっくりとキュゥべえに歩み寄り、言う。

今キュゥべえに突き刺さっている槍は特殊なもので、かつてビズリーがエルを騙し、エルの中の鍵の力を具現化させて、クロノスに対して放ったものと同一だった。

鍵の槍はクロノスの時間操作を阻害し、完璧に無力化していた。ならば、概念であるインキュベーターにも有効なのではないか、と一か八か槍を放ったのだ。

そしてその結果は、すぐに現れた。

 

「まどか!!」

 

まどかを包んでいた桃色の光は綺麗に霧散し、浮かびかけていた魂の輝きもなくなった。髪は長いままで戻っていないが、金色へと変化した瞳の色はもとの色へと戻っていた。

インキュベーターという概念そのものが鍵の力で束縛された事で、契約が強制的に中断させられたのだ。

脱力し膝から崩れ落ちるまどかを詢子が抱きとめ、その命の輝きが失われていない事を確かめ、一先ずの安堵をした。

 

「…この、バカ! みんなに心配かけて!!」

「………ママ…」

「こうやって、あんたを守ろうとしてくれてる人がいっぱいいるんじゃないか! あんたのやろうとした事はそれを裏切る事だって、どうして解らない!?」

「お母さんの言う通りだよ、まどか」

「さやかちゃんも……」

 

普段はまどかに対しては怒ることなど絶対にないさやかさえも、今の行動には憤りを感じていた。

もはやこれは、まどかとほむらの2人だけの問題では無くなっているのだ。

 

「………次は、ないよ。ほむらにやらせるまでもない。これでもまだ契約しようとするなら、あたしが……!」

 

それだけ言うと、さやかは詢子を手伝いまどかを抱えて、より安全な場所へと移ろうとした。そこに全身を黒の鎧で覆われたルドガーが歩み寄り、初めて見る詢子はその異様な格好に「うぉ!?」と、少しばかり驚いた。

 

『………まどか。ほむらはまだ死んでない』

「………ルドガー、さん…?」

『キュゥべえも言ってただろう。ほむらは今、ワルプルギスの夜に取り込まれてる。けれどまだ完全にじゃない。

………俺は、今からほむらの魂を取り戻しに行ってくる。だからここで待っててくれるな?』

「…………はい…」

 

弱さや不安など微塵も感じさせないルドガーの言葉に、保証など何処にもないというのにまどかはようやく安心することができた。

 

『さやか、君はここでまどかとお母さんを見ててくれ』

「はい! …ルドガーさん。ほむらを、頼みます」

『ああ!』

 

さやかの願いに力強い返事を返すと、敵を見据えて駆け出し、まばたきする一瞬で空間跳躍を行い戦地へと戻ってゆく。

ほむらの身体の近くに腰を落ち着けると、まどかはふらつきながらも縋るように物言わぬほむらの手を取り、抱き締めた。

 

「………まどか、信じよう。ルドガーさんは絶対にやってくれる!」

「……うん…!」

 

 

 

残された3人に出来る事は、その後ろ姿を信じて祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──────グルルルルルアァァァァァ!!』

 

 

 

ワルプルギスの夜は元の姿の時の嗤い声とは程遠い粗暴な咆哮を上げながら、背中の歯車を高速回転させ、三たび空へ浮かび上がった。

自身を軸に瓦礫を巻き上げる程の突風を起こし、地に立つ少女達を灼き祓わんとして裂けた口元から無数の火球を吐き出す。

 

「凝りもせずに同じような攻撃を!」

「佐倉さん、キリカさん! ルドガーさんが戻るまで無理は禁物よ!」

 

自身の使い魔ごと周囲の大気を飲み込みながら突き進む火球を、3人各自散開して避けながら散らばる使い魔を蹴散らしてゆく。

しかし飛びながら火球を吐いてくる一方で近づこうとはせず、接近戦は困難を極めていた。

火球の隙間からマミが適時マスケット銃による高速連射を撃ち込んでゆくが、既に時歪の因子(タイムファクター)化したワルプルギスには有効な手とは言い切れなかった。

 

「──────おいキリカ! 上を見ろ!」

 

杏子が先に気付いて叫ぶ。キリカは両手の鉤爪を振り回しながら迫る使い魔を斬り裂いていたが、突如接近してきた火球、それも同時に3発に対しての反応が数秒遅れてしまった。

 

「ちっ………魔法は使えない、か……」

 

ワルプルギスだけでなく、妖精の使い魔が振り撒く光の鱗粉自体にも時間操作を阻害する作用があるようで、キリカの減速魔法は今もまだ封じられていた。

ならば、と後方に逃げるのをやめて逆に前へと突っ走り、火球が着弾する前のその隙間をすり抜けようとした。

もとより減速魔法を使わずともかなり速く動けるキリカは、熱波を感じながらも1発目、2発目の火球を辛くも通過する。

 

「間に合わない、か……!?」

 

しかし3発目だけはやや下側に撃たれていたようで、僅かに誘導を変えてキリカのほぼ真上から襲いかかった。

 

 

 

 

『───キリカ、大丈夫か!?』

「う、わっ!?」

 

 

そこに、まどかの契約を()めさせて空間跳躍で帰還したルドガーが咄嗟にキリカを助けに入った。

華奢な身体を抱きかかえ、更なる空間跳躍で火球の着弾点よりも少し前へと飛び込む。

着弾した熱波が拡がり追いかけてくる前に、ワルプルギスの死角となっている右側の方へと全力で逃げ込んだ。

 

「ルドガー…! すまない、君にはいつも助けてもらってばかりだね…」

『気にするな。俺が還ってこれたのも、キリカのお陰だからな』

「…………うん、まあ…そうなんだけどね?」

『?』

「いや、いいんだ! 君は私にとって必要な存在だからね、うん」

 

さやかと共に蘇生措置を行ってくれた事に対して感謝の言葉を送ると、キリカは何故か口元を押さえて気恥ずかしそうに視線を逸らした。

わけがわからない、といった風にルドガーは首を傾げるが、ひとまず火球から逃れることができたのでキリカを一旦降ろし、戦闘態勢を取り直した。

 

『………みんな、聞いてくれ』と、言葉だけでなく念話でも全員に聴こえるようにルドガーは言う。

 

『ほむらのソウルジェムの反応は、ワルプルギスの心臓のあたりからするらしい。…俺は今からそこを狙う』

『………ほむらごと、ワルプルギスを潰すのか?』と、杏子が尋ねた。

『そうじゃない。まだ、ほむらの魂は完全にワルプルギスと同化していないんだ。いや、きっと抵抗してるんだと思う……だから、奴の胸を引き裂いてほむらの魂を奪い返す!』

『へっ、そうこなくちゃあな!』

 

ルドガーの指示を確認したマミと杏子は、火球から逃れた後に吼え猛るワルプルギスを今1度見据えた。

 

「私達は陽動ね。準備はいいかしら?」

「へへ、アンタとコンビを組むのも随分と久しぶりだな。…頼りにしてるぜ、師匠(・・)

「ええ……行くわよ、杏子(・・)!!」

 

合図と共にマスケット銃を無数に展開し、その銃口を全てワルプルギスの上半身へと差し向ける。

その傍らで杏子は深呼吸をし、それから槍を突き立てて集中し、魔力を練り始めた。

自身の魔法が原因で家族を失って以来、ずっと戒め続けてきた術式を、今ここで解き放とうとしているのだ。

 

「アタシにこの魔法を使わせた事───死ぬほど後悔させてやるよ! ロッソ・ファンタズマ!!」

 

かつん、と力強く槍で大地を打つと、杏子の姿をした幻影が大量に───マミの作ったマスケット銃と同等の数だけ現出した。

幻影は散開すると周囲の使い魔をこぞって狩り出し、一部はその先へと突き進み、ワルプルギス本体へと強襲してゆく。

それを支えるようにマスケット銃が火を噴き始め、戦場さながらの爆音と硝煙を吐き出しながら眼前の道をこじ開ける。

 

『グォォォォォォォ!!』

 

当然、ワルプルギスは目の前で抵抗を始めたマミと杏子の方へと視線を向け、使い魔を増産しながら近づいてゆき、長く鋭い爪の生えた腕を振りかぶって周囲に暴風を巻き起こし始めた。

 

「なっ…くそ、これじゃあ近づけねえじゃねえか!」

「弱い弾じゃあ届かないわね、なら………!」

 

マミは魔力の残量を確認し、それから可能な限り最大限のエネルギーを込めて、今1度巨大な砲塔を目の前に錬成し始めた。

恐らく撃ててこの1発が限界。暴風を纏いながらにじり寄るワルプルギスの胸元に照準を合わせ、

 

「─────喰らいなさい!!」

 

18番の最終射撃を放った。

先に打った超巨大砲弾に比べれば威力は劣るが、過去に数々の魔女達を葬り去ってきた一撃は、暴風をものともせずに吸い込まれるように胸元に着弾した。

 

『グォォ、アァァァァァァァッ!!』

 

何度も致命傷たる攻撃を受けては再生してきたワルプルギスだが、今度の一撃は深く堪えたようで、纏っていた暴風が勢いを落とす。

 

『今だ!』

 

そのタイミングを待っていたルドガーが地表から槍を投げ込み、追い打ちをかける。

槍はワルプルギスの胸元に突き刺さり、傷口から高熱の血のような液体がほんの僅かに吹きこぼれる。

しかし傷は浅く、攻撃の手を休めればその間に回復されてしまうと判断したルドガーは、槍の刺さった部分の真正面にまで跳び、新たに巨大な槍を造り出して勢いのままに突撃した。

 

『マター・デストラクトォォ!!』

 

激しい衝突音を鳴らしながら槍は深々と突き立てられ、肉片を散らし、体表を抉りながら沈む。

悲鳴のような咆哮を上げながら仰け反ったワルプルギスの夜は、長い両腕を使ってルドガーを引き剥がそうとし、同時にルドガーの周囲に、不気味に嗤う大量の妖精の使い魔を生み出した。

 

『キャハ、アハハッ、アハハハハッ!』

『…ちっ!』

 

逃げざるを得ないルドガーは刺さった槍を蹴飛ばして後方に飛び、迫り来るワルプルギスの腕を越えて地表へと飛び降りようとする。

そこに待ち構えていた使い魔が、光の鱗粉を撒き散らしながら手に持った不恰好な弓矢を揃って引き、ルドガー目掛けて一斉に放った。

すぐさま新たな槍を造って使い魔の矢を薙ぎ払いながら急降下するが、ちょうどワルプルギスに背を向ける形となり、次のワルプルギスの行動を識るのがわずかに遅れた。

 

『─────ガァァァァァッ!!』

 

ワルプルギスは口元に小規模の魔法陣を紡ぎ、そこから背を向けたルドガーに向かって小さな光弾を射出した。

光弾の速度は火球とは比較にならない程に速く、着地して振り向いたばかりのルドガーの目の前にまで迫る。

 

『しまった─────間に合わない…!』

槍を造るのも間に合わず、今この瞬間に固有結界に逃げ込んだとしても光弾が近すぎて躱すことはできない。万事休すとばかりにルドガーは息を呑んだが、

 

「ルドガー! 危ないっ!!」

 

キリカが減速魔法をフルに発動させ、可能な限り光弾の速度を落とそうとしながら飛び込み、ルドガーを突き飛ばして弾道から押し出した。

しかし、ルドガーの骸殻には先程の応酬で使い魔の光の鱗粉が多く付着している。それに手で触れた事でキリカの減速魔法は急速に解けてしまう。

元の速度を取り戻した光弾は、ルドガーの代わりにキリカに直撃し、声を上げる事すらさせずにその細い身体を後ろに吹き飛ばした。

 

『キリカ!?』

『ゴァ、グァァァァァァァッ!!』

『………あれは……くそっ!』

 

リンクの糸は微弱ながらまだキリカと繋がっており、辛うじて生きている事だけは伝わってきた。

すぐにでも駆け付けてやりたいが、目の前の敵はそれを許さず、先にほむら達に対して放ったものと同じく巨大な魔法陣を口元に再び展開し始めた。

あれを躱す余裕などない。防ぐ余地もない。自分だけならまだしも、ワルプルギスの口元の射線上には倒れたキリカと、魔力が枯渇しかけているマミ、杏子がおり、更にその遥か奥にはまどか達もいる。

撃たせてはならない。そう腹を決めたルドガーは、苦虫を噛み潰すような思いで視線を前に向け、槍を造り出して突撃した。

 

『グルルァァァァァァァ!!』

 

魔法陣の中央に、歯車に吸い寄せられたエネルギーの奔流が集まり出す。

それを守るかのように、使い魔達がルドガーの道を塞ぐように湧き出た。

 

『邪魔だ! どけ!!』

 

槍を滅多に振り回し、使い魔を打ち砕き、斬り裂きながら前へと走り、空間跳躍を重ねて一気に使い魔の群れを跳び超え、もう何度も攻撃を浴びせ続けたワルプルギスの胸元の真正面にまで飛んだ。

魔法陣に光が収束する前に、既に槍が刺さっている胸元にまた1本槍を撃ち込むと、そこから黒い霧が飛沫のようにかすかに吹き出て身じろぎした。

しかしそれでも魔法陣は消えず、収束したエネルギーは大きな光の塊となって今にも解き放たれようとしていた。

 

『──────ほむらぁぁぁっ!!』

 

光が解き放たれる寸前、ルドガーは全力を振り絞って拳を握り締め、叫んだ。

 

『もっと力を! みんなを守る為の力を、今ここに!!』

 

"骸殻の強さは欲望の強さに、ひいては意志の強さに比例する"と、かつてユリウスは言っていた。ならば、これ以上のものなどある筈がない。この思いだけは決して打ち砕けない。

この拳で証明してみせる。この世には決して壊せぬものがあるのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と。

 

 

 

 

(ぜっ)(けん)ッ!!』

 

 

 

 

祈りにも似た思いは、形となって現れる。握り締めた拳に黒い炎のような波動を纏い、全てを壊し、全てを守る為の一撃を、己の全てを以って打ち放った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話「私は、ここにいてもいいの?」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、心に浮かんだのは遠い日の情景。

救済を拒み、神にも等しい存在となった"あの娘"を地に堕とし、世界を改竄した日のこと。

失われたものは全て取り返した。全てが完璧な筈だった。

ただ1点だけを除けば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………遠い日の残滓。浮かんだのは、気が狂いそうなほど繰り返した"過去"でも、見えない希望に縋りながら漠然と生きていた"未来"でもない、識らない筈の、新たな記憶。

そこには全てがあった。かつて失った仲間───果たしてそう思われているかはわからないけれど───と、永遠に届かないと諦めかけてすらいた、希望。

……だというのに、"私"の心が満たされる事はなかった。目的は果たした筈なのに、心にはずっと大きな穴が空いたままで。

その希望に触れれば穢してしまう、それが怖くて、絆を手放し独りきりでいる事を選んだ。

 

 

 

情景が移り変わる。

生徒達の喧騒がざわめく見滝原中学校。

窓の外から空を仰げば、どこまでも暗い空が広がるばかり。

…それもそうだ。ここはあくまで"私"の心情風景を映し出したものに過ぎない。明晰夢のように、曖昧な空間の中で朧げながらも自我を認識できているだけ。或いは、客観的視点から"私"自身を眺めているのだろうか。

兎も角、だ。今"私"が居るのは、見滝原中学のガラス張りの渡り廊下。目の前には、リボンをつけずに自然に髪を下ろした可愛らしい"あの娘"がいる。

 

 

 

まだ、だめよ。

 

 

まだ、だめよ。

 

 

 

 

"使命"を思い出し、覚醒しかけた"あの娘"を抑え込み、無理矢理現実に引き戻す。

抱き締めた小さな身体は、心なしか怯えているようでかすかに震えていた。

ああ、まただ。今のこの娘は何も識らない。"私"の事を何か得体の知れないもののような目で見る。その事実は"私"の心に塩水のように染み渡り、痛みを与えたが、もう慣れた。今更動じたりなどしない。

 

 

 

それから"私"は、何度となくあの娘の"覚醒"に怯えながら、一切気を緩める事なく見守り続けた。覚醒しようとするならば、すかさず封じ込める。日に日に覚醒の間隔が狭まっていくのを実感しながら、そんな日々を送り続け─────いつしか、冬の空に変わっていた。

そんな"私"を影から見張っていた"彼女"も、最初は"私"を嫌っていたが、そのうち滑稽に見えたのか、憐れむような声をかけてくることの方が多くなっていた。

…そうだ。女神の力を奪い我が物とした"私"でさえも、所詮は昔と変わらない。常に何かに怯え続けている、弱い女。ただそれだけの話だ。

それの何が悪い。"私"はただ、"私"の大切なものを守りたかっただけだ。こうしなければ、守れなかっただけだ。その結果、"私"がどうなろうと知ったことではない。

貴女だって、人の身の生活を取り戻して、その幸福を少なからず享受しているじゃない。そんな貴女に"私"の何が理解できるというの。どうせ"私"の想いは、誰にだって理解できる筈がないのに。

そんな愚痴ばかりを、"彼女"に零していたと思う。

けれど、そんな"彼女"の瞳は哀れみ、もはや"私"の事を敵としてすら視ていなかった。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

真冬の空、雪が降りしきる空へと移り変わる。

 

 

"私"と"あの娘"は、何故か隣り合って通学路を歩いていた。空は相変わらず、暗いままだ。

 

寒いね、"※※※"ちゃん。

そうね、風邪を引いてしまいそうね。

"※※※"ちゃん。コートも着ないで、寒くないの?

ふふ、"私"は寒さに強いのよ。

 

 

嘘を吐いた。

"私"は、別段寒さに強いわけではない。そもそも冬という気候自体、体感でもう10年以上味わっていない。その間ずうっと、春と夏の季節の境目を往復し続けていたのだから。

それでも、"あの娘"の言うようにマフラーやコートの類いを身に纏わずとも平然としていられるのは、この身が既に人間のものではなくなってしまっているからだろう。

夏も汗ひとつかかなったし、日焼けも一切せず、病人のように白く透けた肌のままだった。今だって、隣の"あの娘"の吐息は白く色付いているのに、私のそれには色がない。

 

ねえ、と"あの娘"が尋ねる。

どうして"※※※"ちゃんは、いつも私の傍にいてくれるの?

"私"がそうしたいから。特に理由なんてないわ。

 

 

またひとつ、嘘を吐いた。

本当は、貴女が好きだから。貴女がどこか"私"の手すら届かない遠くに消えてしまいそうで、怖くて、いつも見張ってないと不安で仕方ないから。

今だって、その手を握り締めたい。思いきり抱きしめたい。恋人達のするようなキスをしたい。身体中に、貴女が"私"だけのものだという刻印(しるし)をつけたい。それから…………と、醜い欲望は底を尽きない。

けれど、それは"私"の中にだけ封じ込めておくと決めた醜い感情。欲望を抑えて、"私"はいつものように作り笑いをする。

そんな"私"に、"あの娘"は不思議そうな表情を交えながら微笑んで、そしてこう言うのだ。

 

 

 

 

 

うん。"わたし"もおんなじこと思ってた。

でももう大丈夫だよ、少しだけ思い出してきた(・・・・・・・)から。

もう、独りぼっちになんてさせない。これからはずうっと一緒だから、ね?

 

 

 

 

背筋が凍りついた。寒さなど感じない筈なのに悪寒がし、動悸がした。

真隣にいる"あの娘"の瞳は金色に輝いていて。

すぐさま抱き締めて"私"の力で抑え込もうとしたけれど、既に手遅れだった。

何時の間にか、"あの娘"の覚醒は間も無く完了しようとしていた。

 

 

だめ、行かないで。どうして。ここまでしたのに。

独りは嫌だと、寂しいと言ったじゃない。だからこそ"私"はここまでやる決意をしたのに。

どうしてまた"私"の前からいなくなろうとするの?

 

もはや、縋るようにまくし立てる事しかできなかった。女神の力の一部を奪ったとて、女神そのものには敵うわけがなかったのだ。

 

そうだ、◆◆◆◆◆(人魚の魔女)は? 彼女は今、人としての生を取り戻して、毎日を楽しんで生きてる。◆◆◆◆◆◆(お菓子の魔女)だってそうだ。その幸福を奪ってでも、為さねばならない事なの?

◆◆◆さんも、◆◆◆◆もだ。ここにいれば、もう誰も戦う必要なんてない。

この世界の負は全て"私"独りで請け負う。そうすれば、みんなが幸せになれるのに!

 

 

そんな"私"に、"あの娘"は言う。

 

 

それじゃあ、"※※※"ちゃんが幸せになれないよ。

 

 

 

結局、"私達"は鏡に写した虚像のような存在なのだ。

光と影。秩序と欲望。救済と支配。同じような事をしていても、まるで正反対のもの。

そしてそれらは、決して交わる事はない。

"私"のI(アイ)は、決してあなたには届かない。

 

 

いつも、そう。あなたはいつだって、こうして私の傍からいなくなってしまう。

貴女のいない世界に希望なんて、ない。貴女のいない世界なんて、必要ない。

ああ───それでも貴女は足を止めない。

結局、私も貴女にとってお友達のひとり(ワン・オブ・ゼム)に過ぎないということ。

ならば、いっその事。貴女がまた私の前から消え去ると言うのなら、いっそ──────

 

 

 

そうして"私"は、"あの娘"のか細い首筋に手をかけた。

 

 

 

信じられないモノを見るような目で、"私"を見る。

どうして、と掠れた声を絞り出して言う。

言ったでしょう? もう2度と貴女を離さない、と。

ピンク色をしていた唇はたちまち青ざめ、もがき苦しみながら唾液がほんの少し"私"の手に触れる。

まだ完全に覚醒していない"あの娘"の力では、"私"の手は解けない。次第に"私"の手首を掴んで抵抗する力が抜けてきて、目尻からは涙が零れてきた。

そのまま、首を絞めながら両手を引き寄せて、青ざめた唇に口付けてみた。

我ながら狂ってると思う。いいえ、きっと"約束"を交わしたあの時から、"私"は狂い始めていたのだ。そして今もなお。

 

 

愛してるわ。

 

 

この時になってようやく、"私"は胸の内に秘めた想いの欠片を呟いてみた。

"あの娘"は、泣いていたように見えた。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

…………そうだ、やっと思い出した。これが"私"の罪。

再び円環の理として覚醒しようとした"あの娘"をこの手で(あや)め、覚醒を阻止した。

だってそうしなければ。

1度円環の理に"あの娘"を戻してしまったら、もう2度と手出しすることは出来ないのだから。

 

それから"私"は独りで数十年もの時を過ごし、魂を無くして壊れた円環の理の代わりを務め続けながら、"時の分岐点"を探し続けた。

 

"あの娘"の願いによって確かに魔女は"表面上は"この地上から消え去っている。けれど魔女としての記憶を持った◆◆◆◆◆(人魚の魔女)が存在しているように、魔女は本当は消えたわけじゃない。

そもそも"あの娘"の力を以ってしても、魔女を消し去ることなどできはしないのだ。

魔女を消し去るということは、魔女の元である魔法少女を消し去ることとほぼ同意義であると言える。

ならば魔法少女というシステムを無かった事にしてしまえば……そうすれば今度は、円環の理の存在自体を否定することになる。何故なら円環の理もまた、1人の魔法少女から生まれた概念であるから。

そして、円環の理がなければ魔女を消す事は叶わない。その結果、"魔女になる前に浄化する"という中途半端な形でしか"あの娘"の願いは叶わなかったのだ。

 

そして今この宇宙には、"観測できる限りでは"魔女は存在しない。しかしこの宇宙の歴史上には、『かつて"魔女"という存在が在った』という事実が刻まれており、それによって魔法少女と、円環の理の存在が裏付けられているのだ。

 

"私"は数十年…或いは百数年かけて、それをようやく見つける事ができた。

既に、"私"にとっては時間の単位など瑣末なものでしかなかった。堕ちる事を選んだその時から、"私"の時は止まったままなのだから。

既に気が触れているのだから、永遠にも思える時の流れなんて、苦痛とすら感じなかった。"私"の事を識る者が、誰1人居なくなってもだ。

 

そして"私"は、その"事実"を基にして始まりの時間軸を歴史上の中から抜き出した。

円環の理が誕生する直前の時間軸。魔女と、魔法少女と、円環の理。その3つが混在し、それらの存在を同時に証明できる唯一の時間軸。

……"私"が、"あの娘"を失った時間軸。そこに"私"は、再び足を踏み入れた。

それより先の記憶を、自ら封じ込めて。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

…どれくらい、こうしていただろうか。遠い日の記憶が、他人事のように"私"の心の中に浮かんでは消える。

そんな、馬鹿な。あり得ない。"私"が、そんな理由で"あの娘"を手にかけるなんて………

薄汚れた負の思念が"私"を取り込もうとする。けれどどうやら、何物よりも黒く染まった"私"の魂は、奴らでも侵食できないほどに醜かったらしい。

…だから何だというのだ。もう、誰の名前も思い出せない。助けを呼ぶこともできないというのに。

"私"の魂は絶望によって転移する事などもうないけれど、今まさしく"私"の魂は絶望に染まりつつあった。

 

 

 

『────────────…………!』

 

 

 

 

ふと、声が聴こえた気がした。

その声は"私"を呼んでいるように感じた。

どこか懐かしくも感じる、力強い声。かつて「諦めるな」と"私"を叱ったあの声は、確かに聴き覚えがあった。

暗闇の中に、手を差し伸べられたような気がした。

"私"はそれに向かって手を伸ばす。どこだっていい。連れ出してくれるなら、きっとここよりはマシな筈だ。

…連れ出してもらって、どうする気なのか。こんな"私"が、あの娘に手を触れるなど許される筈もないのに。

罪悪感に胸の奥を潰されそうになる。けれど差し伸べられたその手は、"私"に立ち止まる事すら許さないつもりだろう。

……そうだ。"私"は、□□□を取り戻す為なら、何でもすると決めた。たとえこの身が果てようとも、どんな罪を背負ってでも、□□□の人としての生を取り戻すと決めたのだ。

どうせ言うなら逆だ。"こんな処で立ち止まってて、何になるというのだ"。

 

 

 

 

待っていて、"まどか"。

 

 

 

ようやく思いだすことの出来た何よりも尊い名を呼び、私は差し伸べられた手を取った。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

『──────グォォォァァァァァァァッ!!』

 

 

 

 

ワルプルギスの夜が悶え苦しみ、吼えた。

ルドガーの放った全力の拳はワルプルギスの胸元に小さな風穴をぶち空け、そこから大量の血のような液体が噴き出る。

決死の思いで掴んだものを引きずり抜くとさらに傷口から血が噴きこぼれ、ワルプルギスの口元に紡がれていた魔法陣は粉々になり霧散した。

 

 

『…………やった! 取り戻したぞ、ほむら!!』

 

 

灼かれるような熱を腕に感じながらもワルプルギスから抉り出した"ソレ"は、何物にも穢すことのできぬほどの黒に染まった魂の結晶だった。

取り込まれながらも、その深い闇色の宝石は、ワルプルギスですら飲み込みきれなかったのだ。

 

『……!? これは…?』

 

飛び降りながら怯むワルプルギスとの距離を取り、握り締めたほむらのソウルジェムを見つめると、突然目も眩むような暗い輝きを放ち、ルドガーの周囲から広まってたちまち戦場を空ごと覆い尽くした。

何が始まろうとしているんだ、とルドガーは呟いたが、ワルプルギスの夜以上に想像のつかない事象が起ころうとしている予感だけはしていた。

 

 

 

『…………ありがとう、ルドガー』

 

 

 

不意に頭の中に響いた声は、1度は失いかけた、よく聞き慣れた少女の声だった。

恐らく、手に持ったソウルジェムから直接語りかけてきているのだろうか。

 

『あなたのお陰で、私はまた還ってこれた。…そして、やっと全てを思い出す事ができたわ』

『思い出す…? 何をだ』

『そうね……私の使命、私とあの娘の約束………そして、私の犯した罪。その全てを、ね』

『罪、だって? 何を言って………っ!?』

 

その時、ルドガーの手元にあったソウルジェムが一瞬にして消滅した。

訳がわからなくなったルドガーは焦りながら周囲を見回すが、どこに移動したのかは遠目から確認することができた。避難していたまどか達の方から、同じ魔力の波長を感じ取ったからだ。

その遥か後方では、まどかが抱き締めていたほむらの身体がぴくり、と動いた。

 

「………心配かけたわね、まどか」

「あ………っ、ほむら、ちゃん…? ほむらちゃんっ!」

「……あなたに抱かれて目を覚ますのは凄く幸せなのだけれど、そうね……あなたのこんな姿を見るのは、辛いわね」

 

失われた筈の左手は、ソウルジェムの帰還と共に歯車の波紋が現れ瞬時に治癒していた。

ほむらは微笑みながらも、契約しかけたせいで伸びたまどかの髪を愛おしそうに手で触れ、同時に胸が張り裂けるような痛みを感じる。

 

「………おかえり、ほむら…!」

「…さやか、ありがとうね」

 

 

さやかもまどかと共にほむらの生還を喜び、その目尻には涙を浮かべていた。

 

「………ふふ、あとはヤツを潰すだけね」

「……ほむらちゃん?」

「待っていて、まどか。すぐ終わらせるわ(・・・・・・・・)

 

だが、まどかは突然のほむらの声色の変化に違和感を感じ、疑問符を浮かべる。

まどかの腕の中から離れてすっと立ち上がり、暗く染まった空の色と同じ色をした左手の痣をかざすと暗い光が瞬き、ほむらの衣装が瞬時に全く見たことのないものへと変質してしまった。

背中が大きく開き、黒く歪な形をした羽毛のようなフリルの備わった扇情的なドレスに身を包み、その背中からは黒翼とも白い羽根とも似つかぬ、黒鳥(ブラックスワン)のような華奢な羽根が1対生え備わっていた。

それを見守っていた3人のうち、さやかが本能的に"何かが違う"と感じて訴えた。

 

「あんた、その姿……どうしたってのよ!?」

「どうもこうもないわ。これこそが私の本当の姿。……いえ、私という存在の成れの果て、かしらね」

 

感じる魔力の質も、強さも、まるでつい先程までのほむらとは違う。清らかさなど感じられない、どこまでも重厚な魔力が漂う。まさかワルプルギスに取り込まれた時に悪い影響でも受けてしまったのではないか、と不安になる程にだ。

そして不安感を抱いたのはさやか達だけではない。ルドガーの"鍵の槍"に拘束されたままのキュゥべえも、感情がないにしては珍しくまくし立て始めた。

 

『それが君の正体というわけかい。…何てことだ。君はもはや魔法少女ではない! 魔女ですらない! 君はいったい、何なんだ!?』

「…お前に発言する権利なんて与えた憶えはないのだけれど…まあいいわ」

 

ぞくり、とインキュベーターは全身の産毛が逆立つような感覚を覚えた。

馬鹿な、自分達には感情などない。ではこの感覚は何なのか。まるでほむらの家に近づいた時のような途轍もない不快感が、キュゥべえを襲った。

黒の衣装を纏ったほむらは、さらに続ける。

 

「今の私は、魔なる者。救済を拒み、神を貶め、その力を奪い、今またこうして運命に抗おうとしている。

─────そんなモノはもう、"悪魔"とでも呼ぶのが相応しいんじゃあないかしら!?」

『り、理解できない。君の言ってる事は滅茶苦茶だ! 訳がわからないよ!』

「当たり前よ。感情のないあなた達に理解する事なんて、どうせできはしないわ。…けれどいい機会ね? 憶えておくといいわ」

 

ほむらは語りながらキュゥべえを突き刺している槍を掴み、地表から抜き取るとそのままキュゥべえの頭を鷲掴みにし、

 

『─────────あ、』

「この想いこそが人間の感情の極み。希望よりも熱く、絶望よりも深く……そして、何者にも絶対に壊せないモノ──────(アイ)よ」

 

どこまでも冷ややかな声で告げると同時にキュゥべえの頭を握り潰し、鮮血を散らした。

 

「……さて、残るはアイツね」

 

面倒そうに血を振り払ってから、ぱちん、と両の掌で拍子を打つとほむらはまどか達の目前から瞬時に消え去り、前方で対峙しているルドガーの真隣まで跳んでいた。

突然隣に舞い戻った禍々しい姿のほむらに驚きながら、尋ねる。

 

『…ほむら!? 一体何が起きているんだ。その姿はどうしたんだ?』

「この場で語り尽くせるようなものではないわ」

『…そうか。なら今は、あいつを早く倒そう!』

「それは無理ね」

『───な、えっ!? 何を言ってるんだほむら!?』

「取り込まれて、ようやく理解できたの。アレは数千…いえ、数万の魔女がひとつとなって形を造っているモノ。まどかならともかく、今の私達でもその全てを1度に消し去る事はできない。魂の核をひとつ潰しても、他の魂が新たな"核"となって再生するだけ。そうね…今の私達の力なら、あと80回ほどヤツを殺せば殺しきれるわね」

『80!? そんなの……』

「ええ。だから"無理"だと言っているのよ。…でも、殺すだけが全てじゃない。私達なら、アイツを永遠に排除できるわ。いい? まずは───」

 

ルドガーだけでなく、負傷したキリカを運んでいた2人の少女達にも伝わるように、ほむらはテレパシーを織り交ぜて説明を始めた。

その方法はとても想像し難いものであったが、ルドガーだけはそれと同じ事を間近で見た事があったため、理解するのは早かった。

 

『…確かに、それならあいつを永遠に封じ込められるな。けど、そんな事が本当にできるのか?』

「今の私なら可能よ。さて………やるわよ!」

『おう!』

 

新たにリンクを結び直すとほむらはいち早く空へと飛び立ち、その手に黒く巨大な弓を錬成して空に掲げた。

対してルドガーはもう1度鍵の槍を作り直し、

 

『うぉぉぉぉぉっ!!』

 

ほむらが弓矢を暗雲に向けて放つと同時に、槍を真上に向かって投げた。

矢が雲を切り裂くと同時に空に巨大な魔法陣が展開され、ルドガーの槍はその魔法陣の中央を引き裂くように貫く。槍が虚空へ消えたかと思うと、魔法陣に刻まれた紋様が瞬き始め、そこから黒い光弾が雨のように降り注ぎ、ワルプルギスを貫いて地表を打った。

 

 

『ギャオ、ォォォァァァァッ!!』

 

全身を光弾に貫かれても、空いた穴はじわじわと塞がってゆき、勢いは衰えない。取り込んだ魂を燃焼して傷をどんどん塞いでいるのだろうか。

ワルプルギスはほむら達の攻撃に対抗すべく、やや速度の乗った火球を数発、真正面へと放った。

 

「残念だけど、やらせないわ」

 

ほむらはまるで片手間のように弓矢を素早く引き、放った1本の矢を複数の光の矢へと分裂させてワルプルギスの撃った火球へとぶつけた。

しかし分割された矢の1つ1つですら、黒衣に身を包む前のほむらの矢1発とほぼ同等の威力で火球へ炸裂し、霧散させてゆく。

火球では埒が明かないと思ったのか、ワルプルギスは火球の煙塵に隠れながら口元に魔法陣を展開し、背中の歯車を高速回転させ、雄叫びを上げながら周囲の大気ごとエネルギーを集約した。

しかしほむらはもはや避ける素振(そぶ)りすら見せず、代わりに前方に、空に紡いだものと同じ幾何学的な紋様の魔法陣を展開する。

 

『──────グォォォォォォ!!』

 

咆哮と共にワルプルギスから再び膨大なエネルギー砲が放たれる。

人魚の魔女を打ち祓った光の剣すら破ったエネルギー波は、真正面からほむらの紡いだ魔法陣に直撃し、

 

 

『くっ………え?』

 

 

ルドガーが目を閉じて身構えていても、エネルギー波は一切届かず、全てほむらの魔法陣に吸い込まれて消えていた。

 

「残念、こっちよ」

 

ほむらは見下すように冷ややかに言い、パン、と手拍子を打つと、ワルプルギスの足元にも巨大な幾何学模様の魔法陣が展開され始めた。

ルドガーと共に空から放った光弾はワルプルギスを攻撃するだけではなく、ルドガーすら気付かないうちに地表に陣を描いてもいたのだ。

その地表の魔法陣が引き裂かれるように中央から開くと、その穴の中からワルプルギスの放ったエネルギー波がそっくりそのまま放たれ、真下からワルプルギス自身を灼いた。

 

『!? グ、ォォォォォォァァァァァァァッ!!?』

 

何が起こったのか、一瞬だけルドガーは判断が追いつかなかった。

どうやらワルプルギスの光弾はほむらの魔法陣によって違う方向から吐き出されたようだと判断したが、戸惑うルドガーを尻目にほむらはさらに呟く。

 

「準備はできたわ。ヤツ自身の攻撃で、時空の特異点を開くことができた。…あとは、ヤツをそこに押し込むだけよ」

 

ほむらが指差したワルプルギスの足元の魔法陣は、大きな穴を開けたままブラックホールのように周囲の風を吸い込み始めていた。

それはまさしく、かつてリドウが旅船ペリューン内でミラを嵌める為に使用した、次元の狭間に繋がる大穴と酷似していた。

ルドガーが危惧するまでもなく、ほむらは容易くそれを再現してみせたのだ。

もっともその口ぶりからすると、引き金になったのは時空すら捻じ曲げるワルプルギスの一撃だったようだが。

 

「用意はいいかしら、ルドガー。次の一撃、私達の全力を込めるわ」

『今更、聞くまでもないだろ?』

「ええ、そうね………行くわよ!」

 

ほむらは再度弓を空に掲げ、ひときわ巨大なエネルギーの矢を。対するルドガーはアローサルオーブに眠る力を呼び起こし、骸殻と重ね掛けする形で極限状態(オーバーリミッツ)を解放し、鍵の槍を造り出した。

 

 

「「開け、虚空の扉!!」」

 

 

空に魔法陣を描き、その中央に向かって同時に放たれた矢と槍は、魔法陣へと吸い込まれてゆく。

しかし先程とは違って光弾の雨は降らず、代わりに魔法陣の中央に巨大な裂け目が生じ、その中に2人の攻撃が吸い込まれた。

空に拡がる暗雲が魔法陣を中心にして螺旋を描き、稲光を伴いながら裂け目の周辺に風が集まる。

ワルプルギスの足元の魔法陣は空のそれとは対照的に、獲物を引き摺り込まんとするように吸引力を増していった。

 

「受けてみなさい! これが私達の───」

『俺達の、全力だ!!』

 

ほむらは自身の羽根の力で、ルドガーは空間跳躍を使って空の魔法陣付近にまで一気に飛び上がった。

2人で呼吸を合わせて手を掲げると、陣の中から膨大なエネルギーを吸収した、蒼白く輝く巨大な刃が雷鳴と共に顔を見せる。

それは槍でも矢でもなく、剣だった。2人の持つ、時空を歪める・破壊する力を合わせた、全てを終わらせる力を持った剣。

永遠に繰り返される絶望を断ち切る為の剣を、災厄へ向けて突き落とした。

 

 

 

 

 

 

 

「「エターナル・ファイナリティ!!」」

 

 

 

 

 

 

光の剣は真っ直ぐに落ち、自らの攻撃に身を灼かれ怯むワルプルギスの胴体に突き刺さり、激しい閃光を拡げた。

 

『オォォォォァァァッ!!! ガァァァァァァッ!!』

 

下から吸い込まれ、空高くから押し潰さんとばかりの剣撃に押しやられながら、ワルプルギスはひときわ激しい叫び声を上げ、2人の攻撃に抗う。

背中に備わった複数の歯車を高速回転させ、自身の意のままに時の流れを操作し、魔法陣を打ち消そうとし出した。

しかし今ワルプルギスに突き刺さっている剣には、ルドガーの"鍵の槍"の力も込められている。歯車は空を切るばかりで時の流れを変える事はなく、次第に重圧に耐えかねて歯車が瓦解し始めた。

ワルプルギスの下半身部分が次元の裂け目に飲み込まれる。だが、異様に長い両腕で裂け目の口を押さえ、押し込まれまいと抗い出した。

 

『この……っ、往生際の悪い!!』

「さっさと墜ちなさいっ!」

 

抗うワルプルギスに向けて、2人は空から黒い光弾の雨を降らせて追い打ちをかける。

それでも、光の剣と拮抗を保ちながら堪えるワルプルギスに対しては、微々たる効果しかない。

 

『グアォォォォァァッ!!』

 

ワルプルギスは抵抗しながらも、上空にいる2人に向けて再度攻撃をしようと、口元に歪な魔法陣を描いた。だが、

 

「それ以上、やらせないわよ!」

「いい加減くたばりやがれ! 死に損ないッ!!」

 

離れた所から見守っていたマミが、枯渇ギリギリまで魔力を絞り出し、更に杏子からも魔力を分乗され、巨大な砲身を錬成してワルプルギスへと撃ち放った。

文字通りマミと杏子の全ての魔力を合わせた最終砲撃は、ワルプルギスの顔面へと吸い込まれるように着弾し、その顔の半分を柘榴のように散らせた。

顔を攻撃した程度ではまた再生される。だが、紡いだ攻撃を中断させるには、十分過ぎるものだった。

顔面を吹き飛ばされ、ワルプルギスの巨大な腕から力が抜け、拮抗が崩れる。

もはや声すら上げずに光の剣に一気に身体を押し込まれ、ついに次元の狭間の中へと全身が引き込まれていった。

 

『これで! 終わりだぁぁぁっ!!』

 

最後に2人が空高くから撃ち込んだのは、時を破壊する鍵の槍と黒い矢だ。

ワルプルギスを吸い込んだ魔法陣の中へと真っ直ぐに撃ち込まれると、槍は歯車状の波紋を拡げながら閃光を放ち、ほむらの創った次元の裂け目を跡形もなく粉々に破壊し、門を閉じた。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

─────やっと、全てが終わった。

 

 

 

長い戦いを経て、ほむらはようやくその一言を呟くことができた。

ワルプルギスの夜が次元の狭間へと幽閉された事により嵐は綺麗に止み、空を覆っていた暗雲のような暗闇も次第に晴れてゆき、燦々と輝く太陽の光が荒れた街を照らした。

ワルプルギスの遺した傷跡は凄惨なもので、事前に避難警報が出ていたとはいえ、見滝原市内は目測で6割程の建物が壊されていた。

人々の記憶にも、ただの嵐ではなく化け物の仕業だと刻まれることだろう。通常あり得ない筈だが、この場に駆けつけている詢子にワルプルギスの夜やキュゥべえの姿が見えているように、ワルプルギスの強すぎる力が幻想を可視化していたのだから。

 

 

地上に降りて骸殻を解いたルドガーは、真っ直ぐに負傷したキリカのもとへ駆けつけ、その容体を観る。

マミと杏子が救い出してくれたとはいえ、あの瞬間に駆けつけてやれずワルプルギスの攻撃を防がざるを得なかった事もあり、ずっと心に引っかかり続けていたのだ。

2人に支えられながら、キリカは立ち上がってルドガーを迎えた。

 

「キリカ、大丈夫か…?」

「……へいき。私はこれくらいではやられはしないよ」

 

そうは言うが、弱い攻撃とはいえワルプルギスの光弾の直撃を受けたキリカは、変身が解けてぐったりとしていて、立つのも辛そうに見えた。

ただ命に別状がないことは確かで、その1点を確認する事ができてルドガーの杞憂もようやく消えた。

 

「……全部、見ていたよ。流石は私が守ると決めた君だ。最高に、かっこよかったよ」

「…俺のこの力は、今まで数え切れないくらいのモノを壊してきたんだ。そんなものが、格好いいわけなんてない」

「それでも、その力でちゃんとみんなを守ってみせたじゃないか。……そんな君だからこそ、私は君に出逢えた事を誇りに思えるんだよ」

「…そうだな。やっと、守れた。みんなが無事で本当に良かったよ」

 

もし、自分がこの世界に飛ばされたのが"この為"なのだとしたら、自分はあとどのくらい此処に居られるのだろうか、とルドガーは思う。

だが、それを指し示すものは何もない。幻想(ゆめ)の中でミラが言っていたように、本当にこの身体が精霊として転生しているのなら、夢を見る事が許されるだけの力がどれだけ残されているのか…それを識る(すべ)はない。

 

「勝ったってのに、なぁに辛気臭え顔してんだよ?」と、杏子が何処からか駄菓子を咥えながら言った。

「いつもみてえにイチャイチャしてりゃあいいじゃねえか」

「い、イチャイチャ!? いや俺はそんなつもりじゃなくてだな!」

「はん、はたから見てりゃそう見えるんだよ」

「キリカさんは大分あなたに懐いているように見えるけれど?」と、マミまでもが杏子に便乗して冷やかし始めた。

「さっきキリカさんが美樹さんと一緒にあなたを治療してた時なんて、(じん)こ───」

「わ、わぁっ!? 余計な事は言わないでくれないかいマミ!」

 

何かを言いかけたマミの言葉尻を、赤面しながらキリカが強引に切って誤魔化した。

相変わらず、さっきからたまに訳のわからない態度をとるキリカにルドガーは首を傾げるばかりた。

 

「……ち、違うんだこれは! 君を助ける為には仕方なかったんだよ! そ、そりゃあ私なんかがそんな事したら怒るかもしれないけど─────」

「? 俺を助けてくれたんだろ、怒るわけないよ。…というか、さっきから何をそんなに慌ててるんだ?」

「う、ううん何でもない! 何でもないんだよ!」

 

どうやら気付いていない? とキリカはルドガーの態度を見てすぐに察し、前言を撤回し出した。

マミと杏子はそのやり取りを眺めて、半笑いでため息をついていたのだが。

 

「しっかしまぁ、ひどく荒れたもんだねぇ…」

 

不意に杏子が、争いの終わったあとの街並みを見渡してぼやいた。

ワルプルギスの遺した爪痕は大きい。ビルの殆どが倒壊し、小規模の建物も暴風と火球によって半壊、或いは全損しているものばかりだ。

こうも荒らされては復興の兆しもそう簡単には見えない。ようやく発展してきた見滝原も、暫くの間は過疎地に逆戻りかとため息をついていると、

 

 

「──────それは問題ないわ。この程度なら、私の力で修復できる範囲内よ」

 

 

突然ほむらが、4人のすぐ近くにまで現れた。その腕の中には大量のグリーフシードが抱えられており、恐らく持ちきれなかったであろう分がほむらの周囲にふわふわと浮いて追随していた。

大量のグリーフシードに囲まれ、黒いドレスを纏った真顔のほむらの姿はどこかシュールで、4人の表情も凍りついてしまった。

 

「……なんだぁ、そりゃあ」と、杏子がまずほむらに尋ねた。

「ワルプルギスの落としたグリーフシードよ」

「落とした…って、アイツはどっかにぶっ飛ばしただけで、死んでないんだろ?」

「ワルプルギスは魔女の集合体。倒し切れなくても、さっきの戦いでこれだけの数の魔女の魂を削り取ったということよ。

あなた達、早いところこれで浄化してしまいなさい。…街は、明日目が覚める頃までにはなんとか戻しておくわ」

「お、おう………悪ぃね、わざわざ」

 

杏子達に腕に抱えたグリーフシードをごっちゃりと渡すと、ほむらはまたも柏手を打って瞬時に姿を消した。

恐らくは、後方で見守っていたさやか達にもグリーフシードを届けに行ったのだろうと杏子は思ったが、

 

「……あいつ、あんなキャラだったか?」

 

と、困惑するばかりだった。

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

ほむらが跳んだのはやはり戦場の後ろの方にいたまどか達3人のいる処だった。

既に3人はルドガー達のいる処へ向かって瓦礫を避けながら歩き始めていたが、その目の前に突然現れたのだ。

しかしこの場にいる唯一の一般人である詢子も魔法や化け物を目の当たりにしただけあり、もはや驚くことはなかった。

 

「おかえりなさい、ほむらちゃん」

 

と、まどかが声をかけたが返事はない。

ただ無言でさやかに宙に浮いたグリーフシードのいくつかを差し出し、浮かない顔をするばかりだ。

 

「………まどか。私は──────」

「?」

「………私は、あなたの傍にいる資格がない」

 

ほむらの口から出たのは、以前に魔女にやられて自信を失っていた時と同じような言葉だった。

 

「なに言ってるの、ほむらちゃん。資格だなんて、そんなの……」

「まどかにだけは、私の全てを識ってほしい。…他でもない、"あなた"だから」

 

言うとほむらは骨董品を扱うように恐る恐る、極めて優しくまどかの手を取る。

背中の羽根が2、3度はためくとほむらの身体の周りにほんの一瞬だけ黒いオーラが立ち、

 

「─────────えっ、」

 

その力は、まどかの中へと移っていった。

 

一瞬が、永遠のように永く感じる。まどかの脳裏に流し込まれてきたのは、ほむらの"記憶の一部"だった。

幾度となく繰り返される絶望の記憶。その先にある、見えない希望に虚しく縋り続けた記憶。神を堕とし地に留め───そして、抑えきれなくなり、その手で手折った記憶。

その全てを、その僅かな瞬間でまどかは追想させられた。

 

「………あ、っ……」

 

あまりのショックに某然とし、声を上げる事すらままならない。

ほむらは何故そこまで自身を罰したいと言っていたのか。一時は突き放そうとしたのか。ほむら自身の命をかけてまで、何故まどかに拘り続けたのか。

記憶と、それに追随する感情を流し込まれて、その全てをまどかは識ってしまったのだ。

 

「………どう、まどか。私の事、軽蔑した?」

 

未だ言葉を発せられずに固まるまどかに、ほむらは言った。その声色は、自らを"悪魔"と称した当人とは思えない程に弱々しかった。

何も言えないまどかにほむらはひとり納得したかのように軽く頷き、優しく握った手をゆっくりと離そうとした。

 

(…………だめ、このまま手を離したら…!)

 

しかしまどかは殆ど本能的にそう考え、離そうとしたほむらの手を逆に強く握り返した。

当然の如く拒絶されるとばかり思っていたほむらは面食らったように動きを止める。

 

「……ひどいよ、ほむらちゃん。まだ私何も言ってないのに。私にだってわかるよ……この手を離したら、ほむらちゃんはきっとどこかに消えて、2度と帰ってこない…そうでしょ」

「私は、まどかにそれだけの事をしたのよ。嫌われて当然なのよ…」

「嫌いだなんて、一言も言ってないじゃない!」

「………っ、まどか…?」

 

突然大声でそう叫んだまどかに、ほむらは困惑しだした。

こんな風に感情を剥き出しで叫ぶまどかの姿など、殆ど見たことがないからだ。

 

「今だって頭の中ごちゃごちゃして、ほむらちゃんの色んな気持ちが伝わってきて………正直、なんて言ったらいいのかよくわかんないよ………

でも、それでも、私はほむらちゃんの事が好きなの! "誰もわかってくれない"なんて思って……でも、本当にわかろうとしないのはほむらちゃんじゃない! どうしていつもそうやって決めつけるの…?」

「…そ、れは……」

「ううん、言わなくてもわかるよ。…ほむらちゃんは誰かを信じるのが怖いんだ。みんなの事も、私の事も………」

 

全て事実だ、とほむらは思った。何度も時を繰り返しているうちに皆の心は離れて行き、真実に耐えられず、ついには理解してもらう事を諦めざるを得なかった。

しかし、誰も頼りにできなかったかと言われれば、決してそうではない。結局は、信じて裏切られる事、信じてもらえない事が辛くて、最初から諦観し、拒絶しなければ心を保てなかったのだ。

では、と考える。何故自分はルドガーの事を信じたのだろうか。

答えは見えていた。ルドガーも、大切なものを守る為に戦い続け、多くのものを"壊した"。そうして守れたものはほんの一握りだったけれども、それでもルドガーは仲間を信じることをやめなかった。ほむらと違うのは、ただその一点だった。

 

「………あのさぁ、ほむら」

 

その2人の様子を見ていたさやかか、我慢し切れずに口を挟んだ。

 

「あたしがなんであんたに協力して、全部知った上で契約して、ここまで来たかわかる?」

「………まどかを、助けるため?」

「…まぁ、それもあるよ。小ちゃい頃から殆ど一緒にいた親友だしね。でも1番の理由は、"あんたが不器用だから"なの」

「私が、不器用…?」

「最初はどうにも無表情で、マジでまどかの事しか考えてないって思ったけど、実際は違った。

だってまどかだけ守ればいいなら、恭介もマミさんも放ったからしにすればいい。それこそ、まどかを連れて風見野にでも逃げればよかったじゃん。でも、あんたはみんな助けてくれた。

それでわかったんだ。あんたは誰よりもみんなの事を大事に思ってる。…ただ、それが上手に伝えられないだけなんだってね。だから、あんたの事応援したくなったの。

………それにさ、女の子に恥かかせるつもり?」

 

最後にさやかは微笑みながら、必死の表情でほむらの手を握るまどかを指差して言った。

相変わらず滅茶苦茶な事を言う、とほむらは思う。でも、そのどれもが否定できなかった。

そういう風にさやかが見ていてくれた事が、何故か嬉しくすら思えてしまったのだ。

そのさやかの言葉を胸に仕舞いながら、ほむらは再びまどかに向き合った。

 

「……まどか、私は…………」

「うん…ちゃんと、聞いてるからね」

「私は、あなたがすき。みんなの事が好き。みんなのいる、この世界が好き。………だから……私は、ここにいてもいいの…?」

 

まどかはほむらの問いかけに対し、敢えて何も言わない。その代わりにもう片方の手をほむらの頬に添え、ほんの少しつま先を伸ばして背伸びをする。

これが自分の答えだ、といった風にまどかはゆっくりと距離を縮めてゆき、唇を重ねた。

 

「まったく、見せつけてくれるねぇ」

 

と、詢子はぼやく。

いつの間にやら、知久に似て大人しいと思っていた娘が、こうしてはっきりと自分の意思を示せるようになったこと。

そして、命を賭けてでも守りたいと思える相手を見つけたことが、自分の事のように嬉しく思えるのだ。

反面、少しだけまどかが遠くに向かってしまったような感じもある。もしかしたら、思ったよりも早く自分の手を離れる時が来るのかもしれない、とも詢子は思っていた。

 

「………んっ、まどか………」

 

まどかからの口づけを受けながら、きっとこれは赦された訳ではないだろう、とほむらは考える。

そもそも、今ここにいるまどかは明らかに"あの娘"とは違うのだ。ほむらの記憶を見せられたところで、赦すだの赦さないだのを果たして決められるものだろうか。

当然、己のした事から目を背けて良い訳ではない。だからこそ、全てを犠牲にして手に入れたこの世界だけは守り通さなければならないのだ。

それでも、今こうしている瞬間だけは全てから解放されたような気持ちになれる。自分の中の醜い感情が、ゆっくりと洗われてゆくような気がしていた。

そうして最後に残されたのは、まどかから与えられた唯一無二の感情。希望も絶望も超えたその先にある、無償の愛。

 

 

 

 

 

 

探し求めていた最後の(アイ)は、ここに在った。

 

 

 

 

 







えー…ひとまず、本編終了となります。
この後で後日談として、「EXTRA EPISODE」と題打って何話か続く予定です。

また後日、更新します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

EXTRA EPISODE : The SECRET GARDEN
第32話「もしも、もう一度だけ逢えるなら」


1.

 

 

 

 

 

 

 

ワルプルギスの夜との戦いから、早2ヶ月。

災厄の襲来などまるで無かったかのように瓦礫の山から綺麗に元通りになった見滝原市内は、世間一般でいう"夏休み"の時期に差し掛かり、学生服を着た姿は殆ど見られなくなった。

人々の記憶からも具現化した災厄の姿は抹消され、『ただの大嵐が見滝原を襲った』程度の認識しか残されていない。記憶は、戦いの場にいた数名だけに残されていた。

 

女神の力を奪った悪魔としての記憶を取り戻したほむらもその例に漏れず、長きに渡る時間遡行の旅から解放され、体感で10年以上ぶりに夏という季節を迎えていた。

 

 

 

「………はぁ……」

 

 

 

他に誰もいない部屋で退屈そうにため息をつきながら、ほむらは珍しく(とはいえ戦いが終わってから頻度が増したが)テレビをつけ、朝のニュースを観ながら約束の刻限を待っていた。

しかしほむらがテレビを観るようになったのと本当にごく最近で、一時期は某国民的猫型ロボアニメすら知らずにさやかに小馬鹿にされた程だ。

観るようになったと言っても基本的にニュースやワイドショーしか観ない。特に、ワイドショーを見られるのは夏休みである今だけだ。

だが、魔法少女になる前は殆ど入院生活を送り、契約してからはテレビなど眼中にもなかったほむらは、昨今の人気芸人や若手俳優、子供に人気の深夜アニメなどを全く知らず、また特に興味も示さないから、必然的に観る番組は限られていった。

そんなワイドショー番組も、せいぜい今年何度目かの危険ドラッグの逮捕者が出た、都内で小型自律飛行機(ドローン)が墜落した、振り込め詐欺があったなどと、人騒がせではあるが本当に関わりのない話題ばかりで、別段興味をそそるものはない。

現に、ほむらが今着目しているのは画面の隅の簡易天気予報図と、現在9時24分を指している時刻のテロップという始末だった。

そろそろ、来るはず。そう思いちゃぶ台についていた肘を離して立ち上がるとほぼ同時に、やや旧式の呼び鈴が外から鳴らされた。

 

「おっはよー、ほむら!」

 

ドアの前に立っていたのは仲間達の中で一番夏が似合いそうな青髪の少女・美樹さやかと、左右で異なるソックスをわざと履いた、モノクロの印象が強い少女・呉キリカ。

そして、おそらくたった今隣の部屋から(・・・・・・)出てきたばかりのルドガーが揃っていた。

 

戦いの後にほむら、ルドガー、キリカの3人は同居を解消し、別々の暮らしをとるようになった。

ルドガーは戦いからしばらくして新しく仕事先を見つけ、ほむらの部屋の隣の空き部屋を借り直して生計を立てている。

キリカの方は、正史世界においての彼女(オリジナル)の失踪事件自体を"無かった事"に改編され、既に故人となった"呉 キリカ"に成り代わる形で順応し、現在は彼女の家に戻って生活をしている。

そのどちらにも、ほむらの力によるサポートが大きく働いているのは言うまでもない。

 

「私も昨日でやっと補習が終わったんだ。今日からようやく夏休みだよ」と、キリカは微笑みながら皮肉っぽく言った。

初めて出会った時と比較すると、随分と柔らかな表情をするようになったものだ、とほむらは感心しながら、

 

「お疲れ様、センパイ」

 

と返した。

 

「んじゃ、そろそろ行こっか!」

「そういえばさやか、今日はどこに行くんだ?」

 

かくいうルドガーは、少し遅い朝食をとってたところにキリカからインターホンを鳴らされ、行き先を聞かされないまま呼び出されたのだ。

恐らく、欠席分の補習が完了してようやく暇になったから久しぶりに会いにでも来たのかと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。

 

「あー…そういえば、まだ話してなかったですね。実はこの前、今度海に行こうって話になったじゃないですか?」

「ああ。確か、来週だったっけ。ちゃんと仕事も空けてあるよ」

「んで、まさか…と思って聞いてみたら、キリカもほむらもスク水しか持ってないっていうんですよ? まあ2人とも海とは無縁っぽいですし…だから、これから買い物に行こうって話になったんですよ」

「……つまりアレか、水着を買いに行くのか!? それって俺いない方がいいんじゃないのか…?」

「うーん…でもキリカがどうしてもって言うし。なんなら、私らが選んでる間、ルドガーさんも自分の水着を買っちゃえばいいんじゃないですかね?」

「……そ、それでいいのか」

 

どうやらルドガーを呼びつけたのは想定外らしく、キリカの独断によるものだったようだ。

そのキリカはというと、

 

「任せておきたまえ。私が君に似合う水着を選んであげよう。その代わり私のも…」

「い、いや大丈夫! 自分で選ぶから! キリカはさやかに選んでもらってくれ!」

 

………ルドガーに対する信頼感と、世間的な感覚とのズレは相変わらずのようだった。その様子をほむらはどこか微笑ましい顔をして眺めていた。

 

「ふふっ。あなた達、うちに居た頃とまるで変わらないわね」

「そういう君は、前よりもユーモラスになったんじゃないかい?」

「伊達に長生き(・・・)していないもの」

 

敢えて以前のキリカの年齢発言を皮肉った返事を返す。

しかし家で退屈していたほむらは、実のところ誰よりも今回の誘いを楽しみにしていたところもある。もっとも、本命の海まではまだ数日あるのだが。

 

 

「さあ早く行くわよ、さやか」

「お、張り切ってますなぁ? さてはほむら、まどかに色っぽい水着見せびらかしたくてしょうがないと見た!」

「ふふ、そうね。早くまどかの悦ぶ顔が(・・・・)見たいわね」

「…っ!? なんだろう、すごく良い事を言ってる筈なのに、今物凄い悪寒が…!?」

 

悪魔の風格というか、真夏の太陽が射し込み暑い筈なのに、さやかは背筋がぞくりとするような感覚に襲われた。

しかしルドガーとキリカは今のを他愛のない言葉としか感じていないようで、今の一言は明らかにさやかをからかう為のものだと気付いたが、今更突っ込み返しても別の悪戯を差し向けられそうな気がしたのでやめた。

何しろ相手は神にも等しき力を手に入れた悪魔なのだから、どうあっても勝ち目などある訳がないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

さやかを筆頭とする一行がやって来たのは、結局のところ普段からよく行くショッピングモールだった。

それでも夏休みシーズンを迎えてモール内は装飾が微妙に変化しており、特に朝だというのに、学生と思しき歳頃の人々でごった返している。普段から買い出しでよくここを訪れているルドガーからしてみても、マクスバードの商業区並に賑わうショッピングモールに懐かしささえ覚えていた。

さやかを筆頭に人混みを掻き分けながらショッピングモールを進んでゆき、何軒目かの店の前で止まると、そこは明らかに女性向けの洋服屋。ショーウィンドウの中には砂浜と海の背景の壁紙と可愛らしい水着を着たマネキンが2体ポーズをとっており、水着を前面に推してセールをやっているようだ。

 

(…………ここ!?)

 

ルドガーは困惑しながらもこの場から逃れるべく、男性物の洋服屋をキョロキョロと探すが、どうやらこの一角自体が女性向けの店ばかりのようで、その内にこの空間にいること自体が場違いに思えてならなくなってくる。

少なくとも、この3人と共に眼前の店内に入るという選択肢だけは存在しなかった。

 

「………うん、俺はちょっとあっちの方見てくるよ」

「あっはは、わかりました。あたしらはこの辺適当に居るんで、あとで声かけますね」

「あ、ああ…後でな」

 

そそくさとルドガーが立ち去るのを見届けた3人はいよいよ店内へと上がり込む。

少し歩くと、案の定服をたたみ直していた女性店員に「お探しでしょうか?」と声をかけられた。

もとよりほむらの水着を選んでやると豪語していたさやかは、店員のその気遣いは必要としていなかったのだが、話しかけられた手前断り辛く「あ、いや…」と曖昧な返事が出る。それを見かねたのかほむらがさっ、と前に出て、

 

「いえ、大丈夫です。今日は私の大事な親友に選んでもらう約束だったので」

 

と、妙ににこやかに店員に返した。

 

「…っ!?」

 

女性店員はただにこにこしながら答えているだけのほむらに対し、何故か言い表しようのない怖気(おぞけ)と圧力を感じ、"この場にいてはいけない"と本能的に感じて「あ、あはは……」と愛想笑いをしながらフェードアウトしていった。

 

「こら、ほむら! 店員さんを脅かすなって!」

「脅かしてなんていないわ。私はただ、本当の事を口にしただけよ」

「……あんた、絶対悪魔になってから性格変わったよね。主に悪い方に」

 

さやかは呆れたようにため息をついて言う。全ての障害や使命から解放され、抑圧されていた何かがようやく表に出てきたのだろうと多めに見ていたが、どうも今日は特に目に余るものが多いように感じる。

ともあれ、早いところ水着を選んでルドガーと合流しよう、とさやかは気を取り直して水着のコーナーへと2人を連れてゆく。

 

「うっわ…人多いねぇ」

 

夏休みも始まったばかりで当然といえば当然だが、かなり混み合ってはいた。それでも歩けない程ではないので、どうにか人の波を掻い潜りながら目当ての場所へと辿り着いた。

 

「……私、こういうものを身につけた事がないのだけれど」

「だーかーらあたしが選んであげるって言ってんのよ。…うん、そうだね。あんたの場合は黒いのが似合いそうだね」

「あなたの中では私は腹黒いイメージだという事ね」

「いやいや、だってあんたの新しい"衣装"まんま真っ黒だし? 白い肌に長い黒髪…あとは色っぽい水着でキメればまどかもイチコロよ? あとは、キリカのもか……ん?」

 

ふと、キリカが自発的に手に取っていた水着に視線が向かう。

ほむら共々学校指定の水着しか持っていなかった時点で、水着を選んだことがない事は察していたのだが、

 

「………あ、あんた。一応訊くけど、まさか"ソレ"を着たいとか言うんじゃあないよね?」

 

事もあろうに、キリカが手にしていたのは妙に布面積の少なく派手な、キリカよりもひと回りほど年上ぐらいの女性にこそ似合いそうなデザインの水着だった。

 

「この前、テレビで見たんだ。こういうのを着ると嬉しがるものなんだろう?」

「却下!! そんなのあたしが許しませんよ! だいいちそんなの誰に見せるっていうのよ……まさか、ルドガーさん?」

「………まあ、うん。彼にはいつもお世話になりっぱなしだし、私なりに恩を返してあげたいと思ったんだけど」

「…気持ちはよ〜くわかるけどね? そういうのはもうちょっと大人になってからにしなさい。でないとルドガーさんが困るから。もちっと年相応なのを選ぼうね?」

「仕方ない、君に一任するよ」

 

やはり、ほむらは兎も角としてこの場についてきて正解だった、とさやかは改めて実感した。

仮にキリカひとりに選ばせたら、当日になってとんでもないモノを着てきそうな予感がしたのだ。

特にさやかから見ても、かつてワルプルギスとの戦いでルドガーを庇って負傷した事もあって、キリカはルドガーの為なら何の躊躇いもなく行動を起こす傾向がある。

布面積が少ない=ルドガーが喜ぶという結論に至ったおめでたい思考回路を、なんとしても今日中に改善してやらねば、とさやかは心に固く決めた。

…だが、一連の流れの中でやはりさやかの心の中には気がかりな事がひとつあった。

 

「……あのさぁ、キリカ。改めて聞くけど」

「なんだい、さやか」

「そこまでしてルドガーさんに喜んでもらいたいって事はさ……やっぱあんた、ルドガーさんの事好きなんでしょ?」

「………それが、わからないんだ」

「えっ?」

「私は、今まで誰かに対してそういう感情を持った事がないし、どういうものかすら分からない。ほむらがまどかに向けている感情を"愛"と呼ぶのだろうけれど、私にはその"愛"が何なのかわからないんだよ。

どうしてほむらはあそこまでまどかの為に戦えたのか。彼女を見ていればそれがわかると思っていたけれど……結局まだ分からずじまいなんだ」

 

呆れたものだ。この期に及んでキリカは未だに自分自身の感情を理解していないのか、とさやかは思った。

 

「……じゃあ逆に訊くけどさ。あんたはこの世界に来てからずうっとルドガーさんの為に色々尽くしてきたじゃない。それはなんで?」

「それは…私は、彼にずっと助けられてきたから。ルドガーが連れ出してくれなかったら、私は"私の世界"ごと消えて無くなっていた。それに、ルドガーといると新しい発見ばかりなんだ。彼と一緒にいるのが、すごく楽しいんだ。…そうだね。言われてみれば、こんな風に思えた事は今までなかった」

「ふぅん…でも、それだけであそこまではできないよね。ルドガーさんがワルプルギスにやられて死にかけた時、あんた血相変えて真っ先に駆けつけてったじゃん」

「……あの時は、私の心臓も止まりそうだった。"ルドガーが死んでしまう"って思っただけで、すごく怖くなったんだ。彼を失いたくないと心から思った。……これが、君達のいう"愛"だとでもいうのかい?」

「さぁねえ。あたしからは何とも言えないよ。…でも、だいぶ惜しいとこまで行ってるんじゃないかな?」

 

それ"だけ"では単なる依存だ。さやかはそう心の内で思っていたが、言葉には出さなかった。最後の一歩はやはりキリカ自身に歩ませなければならない。自分自身がそうであったように。

 

「まあ、あたしから言えることは一つだけよ。やって後悔するのと、やらずに後悔するんだったら、絶対にやった方がいい。…あたしは、何も言えずに後悔した"あたし自身"をこの目で見ちゃったからね」

「君は、後悔せずに済んだのかい?」

「まあ、ねぇ。お陰様で恭介に気持ちを伝えられたし…仁美とも喧嘩別れみたいにならなくて済んだ。ほんとは、仁美に対して申し訳なく思うこともあるけど…それは言わないことにしてる」

「ふふ、君らしいよ。君はいつもみんなの事をよく見てる。よし、ならやはりこの水着を……」

「他のにしなさいっ!」

 

言いたいことがちゃんと伝わってるのか? と少しばかり不安になるが、恐らくキリカなりに陰鬱になりかけたムードを払拭しようとしているのだろう、と思うことにした。

そして水着を探そうと振り返るとそこには、

 

「……………何やら、興味深い話をしているわね?」

 

…いつの間にやら、足音すら立てずにほむらがさやかのすぐ後ろにまで接近して話を聴いていた。

ほむらは髪留め代わりにしているまどかのリボンに、愛おしそうに手で触れながら、

 

「センパイ、悩める貴女にとっておきのアドバイスを送るわ」

「…今朝もそうだけれど、君は何故今更になって私を先輩呼ばわりするんだい? 確かに学年は私の方が上だけれど……」

「私がこうなれたのは、かつて他の時間軸のあなたから、"愛"の在り方を教わったからよ。その時の言葉をそのままあなたに贈るわ。『愛は無限に有限』よ」

「…………? どういう意味だい、それ」

「それは内緒。でもその意味が理解できた時、あなたにも"愛"というものがきっと理解できるわ」

「……うーん、今の私にはわからないよ」

 

自分は哲学者ではないのだが、どうやら他の時間軸の自分はその限りではないようだ、とキリカは思った。

 

(そもそも、識ったところでどうなるというのさ)

 

だが、キリカはほむらからの助言にも取り敢えず耳を貸したが、それを深く思考する事はなかった。

人魚の魔女結界でほんの少しだけ語られた、ルドガーの過去の出来事。自分と同じ境遇で正史世界へとやってきた大切な仲間を、亡くしてしまったという過去。

 

(………だって、ルドガーの心の中には今もその人がいるんだ。仮にこの想いが"愛"だとしても、どうにもならないよ)

 

 

そして、その"仲間"がルドガーにとってどういう存在だったのかはキリカだけが知っているのだ。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

数千、数万もの魔女の魂を内包したワルプルギスの夜から回収する事のできたグリーフシードの数───391個。

ルドガーを始め、魔法少女達が一丸となってワルプルギスを何度も追い詰め、その結果、倒し切るには至らなかったが、削り取った集合意識の欠片がそのまま残されたのだ。

少女達はこれを、浄化の不要なほむら以外の4人で分けることとし、1人あたり90個以上のグリーフシードを分配され、その端数のみほむらが保有する事となった。

全く戦闘を行わず、魔力の行使も最低限に抑えれば、ちょうどひと月でグリーフシード1個分の穢れが貯まる程度で済む。

分配されたグリーフシードの数から逆算すれば、およそ7、8年分の貯蓄があるという事になる。

これならばわざわざ魔女と戦わずとも生き永らえることができる───少女達は当初、そう思っていた。

 

 

 

しかし、問題はその先にあった。

 

 

 

予想し得なかったほむらの"悪魔"への進化と、それによる魔法少女システムへの叛逆、並びに絶対攻略不可能な存在、そして、自身を上回る凶大な魔女を創る為の装置として誕生した、地球においての原初の魔女・ワルプルギスの夜の討伐。

厳密に言えば次元の狭間に幽閉されただけなのだが、ほむらが解放を望まぬ限りは永遠に封印されたままなのだから、討伐されたものと同意義だった。

それを受けたインキュベーターは、これ以上のほむらへの干渉は危険だと判断し─────この見滝原市から完全に手を引いた。

 

 

ワルプルギスの夜が封印された日以来、およそ2ヶ月が経過するが───その間、新たな魔女が見滝原に現れることは一切なかった。

 

 

 

かく言うルドガーも、魔女が現れなくなったことにより戦いから身を引いたのだが、この現状をあまり好ましく思ってはいなかった。

確かに魔女は現れないに越した事はないが、それはあくまでこの街においてのみだ。

ほむらによれば、見滝原周辺以外の各地には未だ魔女は多く潜んでいるようだ。単純に、インキュベーターが意図的に見滝原に現れる筈の魔女を他の地域へと飛ばしているのかもしれない。

魔法少女システムを理解し、ワルプルギス戦で大量のグリーフシードを手に入れ、なおかつ、永久機関(ダークオーブ)を持つほむらが存在するこの街からは、もはや何の利益も得られない。現存する4人の魔法少女達がグリーフシードを食い潰し、いつしか魔女へと変わってしまうその時まで、餌を与えず一切の干渉を辞めることとしたのだろう、と推測している。

事実、このまま何も手を打たずにいれば、4人の少女達は8年後には全員その命を散らせるか、他の縄張りを荒らしてグリーフシードを奪うしかなくなる。そうして、永遠の命を得てしまったほむらだけが取り残されるのだ。だがあの少女達が後者を選ぶとは思えない。その1点だけが、ルドガーを悩ませる原因だった。

 

(……………かと言って、俺にどうこうできる問題じゃない。何か方法はないのか? ほむらみたいに浄化の要らないようになる方法か……普通の人間に戻れる方法は)

 

混雑するショッピングモールの中を歩きながら思考するルドガーの表情は、久方ぶりに少女達と再会したことで、唯一残る命題を思い出して険しくなっていた。

 

(………そうだ、もしも、もう一度だけ逢えるなら……)

 

ルドガーが思い出したのは、ワルプルギスに殺されかけた時に夢の中で再会した、かつての仲間───"ミラ"の姿だった。

思えば、あのミラは何でも識っているかのような口ぶりだった。

ルドガー自身でさえも気付けなかった、この身が精霊として転生しているという事実を始め、ルドガーが密かに抱いていた"少女達を守る"という新たな使命さえも。

彼女なら或いは、何かを知っているのではないのか。だが、どうすれば逢えるのか? そもそもあれは、現実のものなのか。

 

(……あれは俺の夢、願望なのかもしれない。そんなものに縋ったって、どうにかなる問題じゃない)

 

 

ワルプルギスを倒し、未だ見ぬ未来を切り拓いたとしても、本当の意味でのルドガーの戦いは終わったわけではなかった。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

答えの見えぬ命題に頭を悩ませながら漠然と歩いていたルドガーの足は、いつの間にか衣類売り場ではなく、高級石鹸の匂いが漂う雑貨売り場の一角へと向いてしまっていた。

しまった、と思って踵を返して引き返そうとしたその一瞬、視界の中に見覚えのあるような髪色が映る。

 

「………ん? あれは……」

 

ルドガーが気付くよりも早く、その桃色の髪をした少女の隣に立っていた黒いミディアムショートの女性がこちらに気付いたようで、

 

「おーい! あんた、こっちこっち!」

 

と、人目も憚らずに大声で手を振ってきた。

まさか、さやか達に連れられてきた先で出会うとは微塵も思って見なかったルドガーは、面食らったように振り返ってその姿を再確認する。

人混みのなかに悪目立ちして立っていたのは、およそひと月近く会っていなかったまどかと、ワルプルギスとの戦いで顔を合わせたきりの鹿目 詢子の2人だった。

大声でこちらを呼ぶものだから仕方がない、とルドガーは人混みをかき分けて2人の方へ向かった。

 

「久しぶりだねぇ。あの時はうちの馬鹿娘が世話になったよ」

「いえ、俺は大した事はしてませんよ。まどかも、元気にしてたか?」

「はい。おかげさまで」

 

久方ぶりに見るまどかの姿は、以前見た時よりも幾分か雰囲気が変わっていた。

契約しかけた反動で一気に伸びた髪は、腰の辺りぐらいの長さへと整えられて、翠色のリボンで小さなふたつ結びをつくって上手に纏められている。

顔つきからもあどけなさが少し薄れ、落ち着きが増したようにも感じられた。

それだけ、あの戦いや出逢いがまどかを成長させたのだろう。

 

「ルドガーさんは、今日は買い物ですか?」

「ああ、さやか達に連れて来られてな。他のみんなは今水着を探してるから、俺だけこっちに来たんだ」

「えっ、じゃあもしかして…ほむらちゃんも居るんですか?」

「向こうにいるよ。……どうかしたのか?」

「あ、いえ…大したことじゃないんですけど……」

 

まどかはほんの少しばつが悪そうに、それでいてやや顔を赤らめてどもる。

そんなまどかを尻目に詢子は、

 

「はっは、まどかったらカノジョを驚かせようとして、内緒で新しい水着を買いに来たんだよなぁ?」

「も、もうママったら!」

「ごーめんごめん。でもさぁ、ほむらちゃんもあんたに何も言わずにここに来たってコトは…案外向こうも同じこと考えてたりして? 全く、若いっていいねぇ?」

「うー………」

 

詢子にからかわれたまどかは完全に赤面して、長い桃髪をひらひらとさせながらそっぽを向いた。

その様子さえも微笑ましい表情で眺めている詢子だったが、ふと閃いたように関心がルドガーの方へと向かう。

 

「そういやルドガー君。あんたはどうなのさ」

「へ? お、俺? 何がですか?」

「あんたなかなかイケメンだし、あんな化けモン相手に向かってくぐらい度胸あるし…モテるんじゃないの?」

「い、いえいえ! そんな、俺はモテた事なんかありませんよ」

 

誠に残念ながら、過去にルドガーは意中の相手に告白して失敗に終わったことがある。それも、度々手違いが発生して実質2人に振られているのだ。

それ以来、ルドガーの恋愛観は自身を卑下するところから始まるようになってしまっていた。要は、自信の問題だ。

 

「そうかい? んー…例えば、あの"キリカ"って娘なんかは随分とあんたに懐いてるように見えたけど、あんたも満更でもないんじゃないのかい」

「あれは……どちらかと言うと兄妹みたいに懐いてるだけですよ。たまたま縁があってしばらく一緒に住んでましたけど…」

「ふぅん。ま、ルドガー君がそうでも、キリカちゃんの方はどうかな? あれくらいの歳の女の子は、あんたみたいな頼れる男に憧れるもんなのさ」

「まだ、子供ですよ」

「すぐ大人になるさ。女の方が心の成長が早いんだよ?」

 

とは言いつつも、確かにキリカの懐きようは少々度を越しつつある自覚は以前からあった。

ルドガー自身にもキリカの居た分史世界を破壊した負い目があり、居場所を失くしてしまったからこそ、キリカは身近にいたルドガーに懐いているのだと自分に言い聞かせていた。

 

「ま、ルドガー君は女の子を泣かせるような男じゃなさそうだしね。そこら辺はあんた達次第だよ」

「は、はぁ………」

 

相変わらず、柔軟というかフリーダムな人だとルドガーは思った。

そもそも、キリカが本当に自分に好意を抱いているのかと決まったわけではないのだ。

 

(………けれど、もし本当にそうだとしたら…)

 

しかし、実際はそれを認めたくないだけなのかもしれないと自己分析をする。何故なら、ルドガーの心の中には、2度と逢えないと解っていても決して忘れ得ぬ1人の女性の姿が焼き付いている。

もしも本当にキリカが好意を抱いているとすれば……その時、自分は何と応えれば良いのだろうか。また一つ、困難な命題がルドガーに課せられることとなった。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

──────それから、9日後。

 

 

 

 

内陸に位置する見滝原市から電車に乗り、数回の乗り換えを経て、およそ3時間半ほどかけた先にある他県の海へと一向はやってきた。

今回、1泊2日の小旅行に参加した人数は11人。さやかと、その母。まどか、鹿目夫妻、まどかの弟のタツヤ。そしてマミ、杏子、キリカ、ほむらの魔法少女組と、最後にルドガーという大所帯だ。

比較的人の入りの少ない場所を事前に調べ上げたつもりだったのだが、夏休み真っ只中ということもあり、存外遊びに来ている者達で既に駅のホームはごった返していた。

外気温は34℃。じりじりと照りつける陽射しが心地良いが、見滝原と比べて幾分か湿度が高いようにも思える。その分、海面は遠目から見ても澄んでおり、東京の濁った海と違って子供が泳ぐのにも適しているように見えた。

 

「はぁー…やっと着いたぁ!」

「海なんてすっげぇ久しぶりだなぁ…おい、さっさと泳ごうぜ!」

 

駅の改札を抜けて開口一番、さやかと杏子の赤青コンビが揃って両腕を伸ばしながら言った。

 

「ほむらちゃん。あの2人、仲が良いよね」

「ええ、まどか。なんだかんだであの2人は相性が良いのね」

「………あなた達程ではないと思うのだけれど…?」

 

赤と青の2人を見てまどかとほむらが微笑ましく言葉を交わすが、その手と手はしっかりと繋がれている。それを見てしまっていたマミは、複雑な心境でぼやいた。

 

 

駅のホームから移動し、砂浜沿いにある海の家のなかから比較的空いている場所を選んでずらずらと上がってゆく。

11人という大団体で、そのうち大人が4人しかいないとなるとやはり目立つようで、微笑ましい視線が周囲から自然と集まる。

 

「じゃあ、私達は向こうで着替えてくるわね」と、ほむらはルドガーに言い残して、女性陣8名を引き連れて女性更衣室へと入っていった。

残る知久とタツヤ、ルドガーは対面に位置する男性更衣室へと入ってゆく。2人がちゃんと対面するのは実はこれが初めてであり、ルドガーはやや緊張していた。

そんなルドガーの様子を察したのか、知久の方から声をかけてきた。

 

「詢子さんから色々と聞いたよ。うちのまどかが大変お世話になったそうで…どうもありがとう」

「そんな、詢子さんにも言いましたけど俺は大した事はしてませんよ」

「そんなに謙遜しなくたっていいさ。ところで今日は随分と見慣れない娘たちがいるみたいだけど…あの娘達も、"魔法少女"なのかい?」

「ええ、まあ……最近は化け物も現れないし、今は休業中ですけど」

「そうか、それは何よりだよ。………うちの娘のこと、君も大体のことは知ってるんだよね?」

「? もしかして、ほむらの事ですか」

 

やや空間に余裕のある更衣室内に、知久の声が静かに耳に入る。手早く着替えてゆくが、水着を履いたあとに2人揃って似たようなパーカーを上半身に羽織ったところで、くすり、とどちらともなく笑みがこぼれた。

 

「最初はびっくりしたけどね。進級してからずっと家でほむらちゃんの話ばっかりしてたから、ずいぶんと気に入ったんだなぁ、とは思ってたんだけど……」

「知久さんは、2人の関係についてはどう思って?」

「そりゃあ勿論、応援してるさ。形はどうあれ、あのまどかが初めて連れてきた"大切な子"なんだから。僕たち親が応援してあげるのは当たり前だよ」

「そうですね…俺も、2人には幸せになって欲しいと思いますよ。ほむらにとっても、やっと掴んだ幸せなんですから」

 

男同士思うところも似ていたようで、いつしかルドガーの肩の力も自然と抜けていた。

着替えを済ませて戻ると、既に女性陣のうちマミ、杏子、ほむらが着替えを済ませて待っていたのだが、何故かほむらは座ったままやや俯いて、顔を右手で抑えていた。

 

「………どうしたんだ? ほむら」と、ルドガーは怪訝な表情で問いかける。ほむらは既に人の身を超えた存在、本人曰く"悪魔"。滅多なことでは体調を崩すことなどない筈だが、しかし代わりに答えたのは、何やら肩を震わせて笑いを堪えている杏子だった。

 

「ぷぷ、こいつまどかと同じとこで着替えんのに耐えらんなくてトンズラしてきたんだよ! なぁほむら!」

「………うるひゃいわね、ひょうこ(杏子)

「佐倉さん、あまりからかうのは良くないわよ。暁美さんも、そろそろ鹿目さん達が戻ってくるんだからしゃんとしなきゃ」

もんらい(問題)ないわ」

 

どうやら大事ないようだが、何故か鼻声でなんとも彼女らしくもない様子に、ルドガーの脳裏に疑問符が浮かぶ。

そこに、遅れて着替えを終えたまどかがリボンの代わりにヘアゴムでまとめ直した髪を大きく揺らしながら更衣室から現れ、ほむらの元へ慌てて駆け寄ってきた。

 

「だ、大丈夫ほむらちゃん!? 急に鼻血出すからびっくりしたよ!」

「…大丈夫、大丈夫だからまどか、あまり大声で言わないでもらえるかしら…」

「…本当に大丈夫? 具合悪いならここでじっとしてた方が…」

「私は悪魔よ。もう治ったわ」

 

そうは言いつつも、ほむらはややまどかから視線を逸らし気味に答えるばかりだ。

ちなみに現在まどかが身につけているのは、薄いピンクを基調とした、なんとも彼女らしい春色のデザインの水着であり、黒をイメージしたほむらのそれとはまるで対照的だ。

しかしすぐ近くにマミというスタイルの良過ぎる比較対象もおり、ルドガーから見てもまどかの水着は可愛らしいという印象以外は特に受けなかった。だが、ほむらからしたらその限りではないようで、横顔がほんのり紅くなっているのがわかる。

 

「ほむらちゃん! ちゃんと私の目を見て答えてよ」

 

と、まどかが半ば強気にほむらの肩を掴んで向き直らせながら言った。するとほむらはまどかの水着姿を至近距離で見るかたちになり、その結果、

 

「──────あ……」

 

とても美しい芸術品を目の当たりにしたような、はたまた爪先に触れる事すらおこがましい聖母の如き存在と対面してしまったかのような、何とも形容し難い表情をしていた。

恐らく今のほむらならば、かつて「地球は碧かった」という名言を遺した偉人の心情を理解する事ができるだろう。

 

「……ほむらちゃん? そ、そんなに見つめられると恥ずかしいなって………」

「………きれいよ、まどか…」

「ふぇ!? そ、そんな! ほむらちゃんの方がもっと綺麗だよ」

「そ、そんな事ないわよ……まどかの方がずっと素敵……」

 

ああ、また始まった─────と、残る9名のうちの数人(主にさやか等)は呆れていた。

こうなるとしばらく2人の視界にはお互いしか映らないだろう。実際、2人の周囲には砂糖菓子にバニラエッセンスと黒蜜を更にぶっかけたくらいの甘ったるい空気が漂っており、見ているだけで何というか、昼食もまだ摂っていないのに胸焼けしそうな勢いだった。

唯一、2人の関係を未だに知らない一般人であるさやかの母親だけは「あらあら、仲良しなのね」と微笑ましく見ていたのだが、様々な障害を乗り越えて結ばれた2人の関係は、"仲良し"程度で片付くものではない。

そして何を思ったのか、知久が抱きかかえていたタツヤまでもがその2人を見て、「ねえちゃ、らぶらぶー♪」と言い出す始末だ。

 

「…はいはーい! あの2人は放っといてご飯食べよっかー!」

 

何度となくこのようなやり取りを目撃してきたさやかは、もうすっかり慣れた様子で2人をスルーする事に決めた。

 

 

 

「…る、ルドガー………」

 

皆が昼食を摂る為にいそいそと移動し始めるなか、何やら普段よりもしおらしく見えるキリカが、小さくルドガーに声をかけた。

 

「どうした? キリカ」

「その……私のこの格好、君はどう思うかな? へ、変かな………」

 

キリカが今着ている水着は、黒の肩紐がデコルテの位置で交差したデザインの、小柄だが女性らしい丸みをもつ彼女に良く似合う水着だった。

これもさやかがキリカの為に、とチョイスした逸品なのだが、いざ当人を前にすると流石のキリカも狼狽えていた。

が、そんなキリカを前にしてルドガーはただ正直に、

 

「変なんかじゃないさ、可愛いよ」

「か、かわ…っ!? そ、そそそそそうかい! き、君のために選んだ甲斐があったよ」

「俺の……為に…?」

 

ルドガーは特に下心を含めて答えたわけではない。しかしキリカは恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに赤面している。

その様子を見て、ようやくルドガーはキリカが狼狽えている訳を少しだけ理解した。

 

「テレビで観たんだ。こういうのを見ると嬉しいものなんだ、って」

「…………どんな番組を観たんだ…?」と、ルドガーは軽く目眩を覚える。あまりメディアの情報を鵜呑みにすべきではないと教える必要がありそうだ。

 

「それで、その…聞かせてくれないかな、感想」

 

しかし目の前にいる相手は、自分よりもやや年下の娘。しかも、自分に対して少なからず平均以上の感情を抱いている、だ。それを意識してしまうと、過去にトリグラフ駅で幼女痴漢の濡れ衣を着せられかけた事もあって、素直に感想を述べるのが憚られてしまう。

だが、どうやらキリカは自分の為に相当の覚悟をしているようだ。それに応えないのもまた、彼女への無礼である。

その2つを天秤にかけた上でルドガーの出した答えは、

 

「………まあ、うん…嬉しい…かな」

「…!! そ、そうかい! 君が喜んでくれたなら何よりだよ!」

 

先程までのしおらしい表情は何処へやら、瞬時に太陽のような明るい笑顔へと変わり、はしゃぎ出していた。

相変わらずころころと表情がよく変わる娘だ、とルドガーは思った。しかし、この世界を自分の居場所だと実感し、笑顔でいてくれる事は、ルドガーにとっても安心感を抱かせてくれるのだ。

その好奇心こそが今の彼女の原動力なのだろう。ならばそれを止める事はすまい、と改めて考えた。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

「ところで、今回海に来るの初めてなのは?」

 

昼食を終えていよいよ砂浜の上に出て、強い陽射しが差す中で、さやかが不意に少女達に問いかけた。その質問に挙手したのは2人。キリカとほむらだけだ。

 

「私は昔入院してたから、海は初めてね」

「入院? 君がかい?」さも意外そうに傍らのキリカが返す。

「魔法少女になる前は心臓を患っていたのよ。海なんてもっての(ほか)。泳いだのも、ついこの前のプールの授業が初めてよ」

「でもほむらちゃん、泳ぐのすごく上手だったよ? 私、見とれちゃったもん」

 

と、まどかもほむらの発言にやや首を傾げながら尋ねた。

 

「あれは……さやかの泳ぎ方を見て真似しただけよ」

「え、あたし?」

「そうよ。あなた余程水と相性が良いのか、クラスの中で1番上手だったように見えたもの」

「いやぁ照れるなあ、あっはは! そんじゃあほむら、あたしと競争する?」

「面白そうね。じゃああそこまで先に着いた方が勝ち、というのはどうかしら?」

「乗った!」

 

いつの間にか勝手に盛り上がり、2人ほぼ同時に海の方へと砂を蹴って駆け出していってしまった。

ほむらが指差した目標地点は、砂浜からおよそ100メートル程先に浮かぶ数個のブイだ。普通に考えれば水底もなかなか深く多少危なくもあるのだが、かたや水を自在に操る魔法少女、かたや人の身を超えた存在。その2人を止めるような野暮なものはおらず、むしろ呆れ笑いながら観戦する気満々でいた。

 

「アイツ、悪魔になってぜってー性格変わったよな?」と、やや意地悪そうな風に杏子がぼやいた。

「ええ、間違いないわね……私と知り合ったばかりの暁美さんは、どちらかというとパラソルの下から出てきそうにないタイプに見えたもの。色々と溜まってたんじゃないかしら?」

「そりゃあ溜まって(・・・・)んだろうねえ。なんせ、まどかの着替えを見て鼻血吹くくらいだもんな! うしししし」

「さ、佐倉さんってば! 私は別にそういうつもりで言ったんじゃないわよ!?」

「でも実際そうなんじゃねえのかよ? アイツ、なんかムッツリっぽいし。なぁまどか?」

「うぇひ!? ほ、ほむらちゃんが何だって!?」

「だーかーら、ほむらがムッツリスケベって話だよ」

 

ほむらの泳ぎに見惚れていたところに唐突に話を振られたまどかは、ややおかしなテンションで受け答えをしてしまった。

慌てふためくまどかに対し、杏子の問いかけはさらに続く。

 

「すけべ…って、ほむらちゃんが?」

「悪魔悪魔って言う割にはさ、すっげえヘタレじゃんアイツ。アンタの裸を見たくらいで鼻血なんか吹いて、今時小学生でもそんなんいねえって!」

「わ、私の…って…でも私、マミさんみたいにスタイル良くないよ?」

「ばぁか。マミは色々と規格外なんだから比較対象になんねえよ。…ま、アタシから見てもアンタは"普通"って感じだけど……ほむらにとってはアンタはそんだけ"特別"って事。つまり…アンタを見てムラムラしたってコトだ! な、マミ!」

「え…ええ……確かに、暁美さんは前に"鹿目さん以外の女の子には興味ない"とは言ってたけど………」

「そらみろ!」

 

ビシィ! と強くまどかを指差して断言する杏子。その言葉の意味をまどかが理解するのにやはり数秒かかったが、

 

「む…むら、むら………!? ほむらちゃんが……私を見て………?」

「お、流石のアンタもドン引きしたかぁ?」

「………ううん。あのね、杏子ちゃん…ほむらちゃんには内緒にしてね。…………すっごく嬉しいの!」

「おーそうかそう………えぇ…?」

 

紅潮した顔を手で覆い隠しながら、きゃー、と言わんばかりに予想外の返答をしたまどかに、思わず杏子の口から間の抜けた声が漏れた。

 

「だ、だって私達もう付き合ってから2ヶ月だよ? その間も何回かデートとかはしたけど…いつもちゅーまでしかしてなかったし……」

「オイオイ待て待て、そこまで訊いてない」

「わ、私だって、仁美ちゃんから女の子同士でお付き合いする漫画とか借りて結構勉強したんだよ? でも、もしかしたらほむらちゃん、私の事は好きでもそういうコトとかはしたくないのかな…って不安になっちゃった事もあるし。

…そっか、ほむらちゃんやっぱり私のこと………てぃひひ」

「よしマミ、こいつ放っといてアタシらも泳ごうぜ」

 

ほむらへの惚気を発揮し出して、何やら独りの世界へと入ってしまったまどかを置いて、杏子はマミの手を引いて海の方へとさっさと行ってしまった。

結局、その場に残されたのは惚気全開のまどかと、初めての海でどうすれば良いのか全くわからず、ただ立ち尽くすキリカの2人だけだった。

 

 

ちなみに現在海の上で競い合っている2人は、

 

『ぐぬぬ、あんた魔法使ってんでしょ!?』

『私の身体は本来脆弱なのよ。魔法を切ったら心臓麻痺を起こして溺れ死ぬわよ』

『くっ、白々しい!! あんた悪魔なんだから殺しても死なないでしょーが!!』

『あなたこそ人の事は言えないんじゃないかしら、人魚姫さん?』

 

テレパシーで口論を交わしながら、14歳前後の少女にあるまじき猛スピードで、激しい水飛沫を跳ね上げて海上を並行に突き進んでいた。

 

 

 

 

「………はっ、杏子ちゃんがいない!?」

「彼女なら私達を置いてあっちに行ったよ。…君も泳いできたらどうだい?」

「そ、そうだね! えっと…キリカさんは、行かないの?」

「うーん、そうだね………」

「…!」

 

心ここに在らず、といった風な返事をしたキリカの様子を見て、なんとなくまどかなりに察せるものがあった。

 

「もしかして、ルドガーさんが一緒の方がいい…とか?」

「な…そ、そんな事はないさ! もう一緒には住んでないんだ、私だっていつまでも彼にべったりという訳にはいかないよ」

「でも、寂しそうに見えますよ」

「う………参ったな、そう見えるのかい。…この前、さやかにも同じような事を訊かれたよ。"彼が好きなのか"…ってね」

 

そう答えたキリカの表情は、つい今まで惚気ていたまどかのように…と迄はいかないが、ほんの少し紅くなっていた。

しかし当の本人はそれに気付かぬまま、語りを続ける。

 

「………あれから、色々と考えたんだ。確かに私は、彼と一緒にいる時間が何よりも1番楽しい。家に帰って独りで眠ろうとすると、どうしてもルドガーの事を思い出してしまう。今日だって、彼に喜んで欲しくてさやかと一緒に水着を選んできたんだ。まだよく解らないけれど…やっぱり私は、さやかや君が言うように彼が好きなんだと思う」

「…じゃあ、いつかは告白するんですか?」

「しないよ。…彼の心の中には、他の女性が未だ残り続けてる。エレンピオスに居た頃の、昔の仲間なんだってさ。…だから、最初からこの想いはやり場がないのさ」

「……キリカさんは、それでいいんですか?」

「……一時の感情をぶつけて、気まずくなって、一緒に居られなくなるくらいなら…このままの方がいいのかな…って思う。その反面で、彼にこの想いを伝えたいという気持ちもあるんだ。

その点、君達が羨ましいよ。女同士とはいえ、お互いに強い想いで惹かれあった君達がね」

 

やや自嘲気味に笑みを浮かべたキリカの表情は、どこか諦観を感じさせるものがあった。

ルドガーには忘れられない女性が居る。それはルドガーから聞き知った話によるものだけではなかった。

ワルプルギスの夜と対峙し、その圧倒的な力の差を見せつけられて死にかけた時、彼への蘇生処置を試みたのは他ならぬキリカだ。その時に聞いてしまったのだ。

 

『………………ミ、ラ……………』

 

目覚めかけ、朦朧としながら彼の人を呼ぶ声を。そしてキリカは悟った。どうあっても、ルドガーの心の中から"ミラ"が消える事は絶対に有り得ないのだ、と。

それが有る限り、キリカは自身の想いが受け入れられる事はないのだ、と思ってしまっていた。

 

(………まあ、いいんだよそれで。私は、そんな姿も全部引っくるめて、彼に惹かれたんだから)

 

ふと後方のパラソルの群れを一瞥すると、知久、詢子と日陰の中で談話していたルドガーがパーカーを脱いで立ち上がる姿が目に入った。

どうやら彼もようやく泳ぐ気になったようだ、と思ったキリカは、まどかに「ありがとう」と一声かけて、他の誰にも見せない笑みを浮かべながら駆け寄っていった。

 

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

海上で激しい接戦を繰り広げていた2人の決着は、ブイにほぼ同時に手をタッチする形で迎えられる事となった。

 

「はぁ……ふぅ、なかなかやるじゃない、ほむら」

「ふふ、光栄ね」

「うっわ、全く息切れしてないし……ってかここ、こうして見るとかなり遠いじゃんか」

「私達からしたら、そんなものは大した問題ではないわ。…それに、見てみなさい、さやか」

「ん?」

 

さやかは浜辺の方を見てぼやくが、ほむらは逆に足のつかぬ程に深い水底を見て言った。

深いことは深いが、水底の砂利や貝、かすかに泳ぐ小魚がはっきりと見える程、海水が透き通っているのだ。

 

「わぁ……綺麗じゃん!」

「ええ、こういうのなかなか見れないわね。…まどかにも見せてあげたいわ」

「まどかに? いやぁ流石にまどかをここまで呼ぶのは無理っしょ。足つかないし、相当遠いよ?」

「今の私に不可能はないわ。まどか、ちょっといいかしら?」

 

恐らく念話でまどかと会話をしているのだろう、とさやかは思ったが、ふとほむらがぱたん、と軽く手拍子を打つと、

 

「──────きゃっ!?」

 

いきなり2人の目の前の空中に、まどかがぽん、と現れた。突然の出来事に当のまどかも、それを見ていたさやかも驚きを隠せない。

 

「驚かせてごめんね、まどか」

「う、うん…とりあえず、下ろしてくれるかな?」

 

砂浜沿いと沖では水温がかなり異なる。いきなり沖の水面にではなく、一旦空中にまどかを転移させたのは、ほむらなりの配慮なのだろう。

まどかは少し深呼吸をして備えてから、ゆっくりと冷たい水面に下ろされ、ほむらの腕に抱きついた。

 

「いきなりどうしたの、ほむらちゃん」

「ほら、下を見てみて。すごくいい眺めよ」

「……ほんとだ。海の中がはっきり見えるよ。わ、今ちっちゃいお魚がいたよ!」

「ねえまどか。潜ってみたい?」

「うーん…でも、かなり深いよ?」

「私と一緒なら平気よ。ちゃんと息もできるようにしてあげるわ」

「わ、わっ!?」

 

ほむらは返事を待たずに、魔力を発揮して自身とまどかの周囲を見えない防壁で包んだ。以前使用していた、砂時計の盾のバリアの応用である。

海面の一部が球型にくり抜かれたようになり、そのまま2人はゆっくりと水の中へと潜ってゆく。

 

「あー、あたしもそん中に入れなさいよ!」

『あなたは自力で来れるでしょう?』

「むぅー、そんなにまどかと2人っきりがいいのか。いいもん、あたしゃ1人で潜るよ!」

 

さやかも久方振りに魔力を解放し、水への適性を更に高めてから潜水し始めた。こうする事で、喋れはしないが呼吸なしでも潜り続けられるし、水中での会話もテレパシーで代用できる。

3人で潜った海の中の景色はまた一段と変化する。砂で濁る地上沿いとは異なり、澄んだ景色が何処までも続き、遠目には煌めく珊瑚がかすかに見られる。

それは普通の方法ではとても見られない絶景であり、しかも潜水具もなしに生身でそれを体感しているのだ。

 

「わぁ…すごいよ! きれーい!」

「ふふ、呼んだ甲斐があったわね」

『あんたにしちゃあいいセンスしてんじゃん、ほむら?』

「"しちゃあ"は余計よ、さやか」

 

水深十何メートルだろうか。3人は一気に深い水底へと足が付く位置にまで降下し、水底すれすれを漂いながら海の中の景色を堪能し始めた。

もっと南の方の海、例えば沖縄辺りならば色鮮やかな魚が泳いでいたりもするのだが、海底に近づけば近づくほど海水の純度は増し、南の海とも違う絶景を前に3人は息を呑んだ。

 

「……ねえねえ、ほむらちゃん」

「どうしたの、まど────ん、っ!?」

 

何を思ったのか。ほむらを振り向かせるとまどかはいきなり両手でほむらの頬を押さえ、殆ど不意打ちのようにキスをした。

突然の出来事にほむらの思考回路はパニックを起こし、海水を防いでいるバリアが一瞬歪みかけるが、まどかに危害が及ぶためどうにかそれを堪えた。

 

「ん……っ、ほむらちゃ、好きっ……!」

「まど、か……待って、んっ、さや、かが見てるっ、から、んんっ!」

 

そうしている間にもまどかは距離をゼロから離そうとせず、キスを繰り返す。

透明な防壁の外からそれを見ていたさやかもあんぐりと口を開けて呆然とし、言葉を忘れていた。

何度目かの口づけをしたあたりでようやく満足したようで、まどかが顔を離すと、完熟した果物のように赤面し、背筋を震わすほむらの姿があった。

 

「…てぃひひひ、こんな所でちゅーできるの、私達だけだよねっ♪」

「え、ええ……そうね………」

『こらー! あんたら何を人の前で濃厚(ディープ)なキッスをかましてくれてんのよ!? "深海だけに"ってか!? 聞いてんのかそこの悪魔ぁー!!』

「今のは私のせいなの……!?」

「ほ、ほむらちゃんが可愛いからいけないんだよ?」

 

防壁の外からさやかが罵倒の念話を飛ばしてくるが、まどかは悪びれる様子もなく、むしろ開き直る始末だ。

…自分なんかよりも、まどかの方がよっぽど小悪魔なのではないのか、とほむらは肩をがっくりと落とした。

思えば、ワルプルギスの夜を越えてからも何度かデートをしたのだが、そのいずれもまどかの方からかなり積極的にキスをせがまれていたのだ。当然、スキンシップの頻度も倍増だ。

そのせいもあって、ほむらはまどかの着替えにも耐えられないようなノミの心臓になってしまったのだ。

これではいけない。身が保たない、理性が保たない。何よりまどかの教育的に良くない。一度戒めなくてはならない。何か言ってやらねば……と考えるが、

 

「………ごめんね、イヤだった…?」

「え………?」

「…私ね、ほむらちゃんの為なら何でもしてあげたいの。その……ほむらちゃんが望むなら、わ、私はいつでもいいんだからね!?」

「………よく、意味がわからないのだけれど。まどか、あなたはもっと自分を大切にしなさい」

「う、うん………」

 

とにかく、このまま2人きりで防壁に篭るのは色々な意味で良くないと判断したほむら。

海底散策もひとしきり終えたことだし、とゆっくりと浮上を始め浜辺へと向かっていった。

 

『ちょっとー! 置いてくなー! …もういいよ、あたしゃ1人で泳いで帰るよ!』

 

その間、さやかは完全に蚊帳の外に追いやられたままだったのだが。

 

 

「ねえ、ほむらちゃん!」

「今度は何かしら?」

「もっともっといっぱい遊んで、たっくさん思い出作ろうね! 」

「ふふ、まどかと一緒なら一生忘れられない思い出になるわ」

 

初めて迎える、大切な人と共に過ごす夏。青空と、澄んだ海。災厄を乗り越えた先にあった、何度も夢見た日常。

 

 

(……この先終わりのない永い一生が続くとしても、変わらないこの想いと、まどかと共に過ごした記憶さえあれば、ずっと生きてゆける。

まどかに幸せな人生を送ってもらう。それが今の私の唯一の願い。………私が、まどかを幸せにしてみせるわ)

 

 

輝きに満ちた夏は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 






今回から後日談編となります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話「やっと、やっと逢えた」

 

 

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

海辺で遊び尽くしたルドガー達一行は次なる目的地、ひと晩の宿泊先へと向かっていた。

と言っても夏休み真っ只中であり周辺の宿泊施設もかなり混み合い、とくに11人という大所帯ともなれば大幅に限られる。結果、海岸から歩くことおよそ20分の場所にある旅館へと落ち着いたのだ。

夕日も間も無く沈むであろう空の下をのんびりと歩き、道中コンビニで菓子類を多めに買い込みながら、少し古風な施設へと到着した。

 

「ここは……」

「ん? ルドガー君、どうしたんだい?」と、意外な反応をしたルドガーに詢子が問いかけた。

「いえ、昔の友人の実家もこんな感じの旅館だったもんで」

 

ルドガーが思い出したのは、広大なリーゼ・マクシアの中でも有数な、気候が穏やかで雰囲気も落ち着いた下町ル・ロンドの一角にある施設だ。

そこはかつての仲間でもあるレイアという少女の両親が経営している旅館であり、ルドガー達一行も何度か利用させてもらった事がある。

今目の前にある建物は、その旅館の雰囲気を彷彿とさせるものだったのだ。もっとも、こちらの世界に飛ばされてからこういった建物を目の当たりにするのは、これが初めてだったからなのだが。

総勢11人がぞろぞろと中へ入ると、受付で待機していた仲居の女性も流石に驚いたようで、普段はこういった大所帯がここを訪れることはないのだろう、と感じ取れる。

逆に旅館を初めて訪れるのはルドガーだけではないようで、少女達も目をぱちくりとさせながらもわくわくとしているのがわかった。

仄かに木目の薫りがし、ぴかぴかに磨かれた床も相まって落ち着いた雰囲気を醸し出している。こういう純和風な造りの施設はリーゼ・マクシアにもエレンピオスにもなく、なんとなく心が安らぐような気分になっていた。

 

「じゃあ、女子はあっちで男子はそっち。晩ご飯までまだ少しあるから、早いとこ風呂入っちゃいなよ?」

 

チェックインを済ませた詢子が先導し、仲居さんの後に続いて各部屋へと案内される。

男子部屋はひとつ(ルドガー、知久、タツヤ)、対して女子部屋は2つ(詢子、さやかの母の部屋と魔法少女+まどかの部屋)取ってあり、男子部屋と女子部屋は廊下を挟んだかたちとなっている。

上手い具合に配分したものだ、と関心しながら案内された部屋の襖をあけ、男女分かれて各部屋へと入っていった。

 

 

 

 

ひと昔前ならば、旅館といえばテレビカードや硬貨などを投入しなければ観れないタイプのテレビが多かったが、部屋の中にあったのは最新型の地上デジタル対応・36インチのテレビであり、しかも硬貨の投入なしに普通に観られるようだった。

とはいえそういった仕組みを一切知らないルドガーは、とりあえず、とリモコンに手を伸ばして適当なニュースをつける。

対して、旅館など久方振りに訪れる知久はそのサービスの変化に関心しているようだ。

反対側の部屋からは、襖越しでもわかるくらい少女達の賑わう声が聞こえてくる。どうやらあちらも足を伸ばしながら盛り上がっているようだ。

 

「食事は、何時くらいからでしたっけ?」

「ええと、7時ごろだよ。今は5時半だから、まだ時間には余裕があるね」

「そうですか…じゃあ一緒に風呂に行きましょう」

 

どうも、未だ肩に力が入っているような気がする。知久とはだいぶ打ち解けたのだが、初めての旅先で緊張しているのか、遊び疲れたのか、仕事の疲労が溜まっていたのか。兎に角、風呂に入ればそれも改善されるだろう。

そう思い、ルドガーは旅行鞄の中から着替え一式を取り出して準備を進めた。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

ルドガー達が入浴の仕度を整えている間、女子部屋ではまた別の会話が弾んでいた。

 

「…んで、今からお風呂だけど…ほむら、あんた大丈夫なの?」

「何がかしら」

 

さやかは半笑いでからかいながら尋ねるが、ほむらは少し拗ねたように突っぱねる。

 

「だぁってぇ、あんたさっきまどかの着替えで鼻血吹いてたじゃん! そんなんで一緒にお風呂入れんの? いやんもう!」

「安心しなさい、あなたの身体には微塵も興味ないから」

「ひっど!? よよよ、じゃああれは嘘だったのね? 私のことまどかの次に(・・・・・・)だーい好きで、愛人にしてあげてもいいわよ、って言ったのは」

「っ!? よ、余計な尾ひれをつけないでちょうだい!」

 

そんなほむらに対して、さやかは誤解を招くような発言を意図的に繰り出す。まるで特定の誰かのリアクションを期待しているかのように。そして、

 

「………ほむらちゃん。浮気、してたの……?」

「ま、まどか…?」

「…ううん、私が悪いんだよね。さやかちゃんは可愛いし、明るいし、ほむらちゃんが好きになるのも当然だよね…ぐすん」

「誤解よまどか! ああもう、さやかが変なことを言うからっ!」

 

ぽろぽろ、と両方の瞳から雫が流れ落ちる。それを見てほむらは冷静さを更に欠いていた、

…が、まどかの後ろ手には、先程こっそりとさやかから渡された目薬が握られている。

いかにもわざとらしい演技を杏子はニヤニヤとしながら見ており、マミは慌てふためくほむらの姿を微笑ましく見ており、残るキリカは何故か真剣な表情で食い入っている。

しかし当のほむらはそれらの冗談を完全に真に受けているのだ。

 

「私が愛してるのはまどかだけよ! 信じて!」

 

もはや隣の部屋にも聞こえてしまいそうなくらいの大声で、ほむらは訴えた。そんなほむらにまどかはひょい、と手に持っていたモノを差し出し、目元に残る目薬の雫を拭い取る。

 

「…わかってるよ、ほむらちゃん♪ はいこれ」

「……え、目薬? まさか今の涙……」

「てぃひひひひ、さっきさやかちゃんが買ってくれたんだ」

「…………さーやーかぁぁぁぁぁ!!」

 

まず「嵌められた」と気付き、それからまどかの持つ目薬を受け取る。そして怒りの矛先はやはりさやかへと向く。

恥ずかしさと怒りに顔を赤くしながら、「やばっ!?」と咄嗟に逃げようとしたさやかの左腕を思いきり掴み、ぐい、と引き寄せた。

どこまでも冷酷で、それでいて妖しげな瞳でさやかの眼を真っ直ぐに見つめ、握る手の力を強めながら右手でさやかの背中を抱え、見下ろしながら顔を近づけてゆく。

 

「あ、あのーほむらさん…? おこなの? なんか顔近いよ?」

「ねぇさやか。女同士って、とーっても気持ちいいのよ?」

「ちょ!? タンマタンマあたしは恭介ひと筋だって前にも言って───ひっ!?」

 

慄いて逃げようとするさやかだが、背中に回された腕でがっちりとホールドされて抜け出せない。そうしてもがくさやかの唇を、ほむらが人差し指でそうっとくすぐるようにひと撫ですると、びくん、とさやかの背筋が震えた。

こうして間近で見ると感じる以前とは比較にならない妖艶さと、更に磨きのかかった均整な顔立ちに釘付けになり、その気の全くないさやかでさえも心音が高鳴るのを自分で感じていた。

 

(やば………逆らえない…! なんでこいつこんなに色っぽいの!? シャレになってないって…!)

 

いつしか、さやかは自分自身の意思とは関係なしに目を瞑り、かすかに頬を紅くして抗うことをやめてしまっていた。そしてほむらは、

 

「あ…………っ」

「ふふふふ」

 

ぱしゃり、と電子的なシャッター音が鳴り、それと同時にフラッシュがさやかの顔を一瞬照らした。

閉じた瞼越しにその光を感じたさやかが「うん?」と怪訝な顔をして目を開くと、さやかを片手で抱きかかえたまま左手に携帯電話を構えるほむらの姿があった。

くるりと器用に片手で携帯電話を反転させてディスプレイを見せると、そこにはいかにも何かを期待しているかのように目を閉じて、ほんの少し唇をつん、と突き出すさやかの顔が写されていた。

俗に言う"キス顔"というやつである。

 

「ふふふふ、あなたのこの間抜けっ面を仁美に送ってあげるわ」

「それだけはやめて!? 仁美にそんなの見られたらまた変な誤解されるから!!」

「ふふふふふ、はい送信っと」

 

さやかの懇願を完全に無視して手早くパネルをタッチし、メールに適当な文と画像を添付して送信。ここまでほんの数秒である。

そして間髪入れずに仁美から返事が返ってくる。これもまた数秒のことだ。ただし鳴ったのはほむらの携帯電話ではなく、さやかのものだった。

 

「返事、来たみたいね」

「早っ!? って、あたしにかよ!」

 

恐る恐るポケットから携帯を出して画面を開くと、そこには、

 

『さやかさん、あなたもとうとう禁断の恋に目覚めてしまったのですね!?』

 

という冒頭から始まる、数秒で打ったとは思えない、読むだけで頭が痛くなりそうな長々しい文章がずらりと並んでいた。

 

「……ちっがぁーう!! あたしは別に目覚めてなんかなぁい!!」

「おいさやか、あんまり騒ぐんじゃねえよ」

 

と、あくまで他人事のように杏子がたしなめる。が、

 

「今更ほむらの同類が増えたって、アタシらは別に何とも思わねえからさ」

「だから、違うっての!?」

「ちょっと杏子、私とまどかをこの節操なしと一緒くたにしないでちょうだい」

「節操なしはあんたの方でしょこの悪魔ッ!?」

 

ぎゃあぎゃあ、と3人での言い争いが勃発する。その様子をまどかは珍しく少し意地の悪そうな顔をして眺めていた。

恐らく、あとでほむらに対して"さやかと浮気した"だの何だのとからかうつもりなのだろう。そして残る上級生2人は、微笑ましい表情を変えないまま、てきぱきと入浴の準備を進めていた。

 

「さぁ、キリカさん。私達は一足先に行きましょうか」

「そうだね、マミ。痴情のもつれに下手に首を突っ込むべきではないね。まどか、私達は先に入ってるからね」

「はい。みんなが落ち着いたらすぐに行きますね」

 

襖を開けて部屋を出て、中で起きている惨事を見られないようにすぐさま襖を閉じる。

するとちょうどタイミングが合ったのか、斜め向かいの部屋から、マミ達とほぼ同時にルドガーと知久が出てきた。

 

「あれ、マミとキリカだけか? なんか向こうが騒がしいけど…」と、珍しい組み合わせにルドガーは首を傾げる。

「ええ、ちょっとね。美樹さんのせいで女同士の醜い争いが……」

「……うん、俺は聞かない方が良さそうだな」

「ふふ、そうね」

 

まるで何年も時を共にした仲のように、マミとルドガーの2人は、ごく自然に柔らかい表情で会話を交わす。

実際はそれだけ互いを信頼し合っているからこそなのだが、マミの隣にいたキリカは不思議そうにその様子を観察する。

 

「ん? どうした、キリカ」

「ふぇ!? わ、私かい? な、何でもないよ…」

「? そうか」

 

いつの間にかキリカはルドガーの顔をじっと見ていたようで、それに気づいたルドガーに問いかけられ、思わず動揺してしまった。

 

(………どうして。今日の私は調子が変だ。みんなからあれよこれよと言われたせいなのかな。……でも、どうせこの想いを伝えたって……)

 

もし伝えれば、間違いなく何かが変わる。それは良い方向にかもしれないし、悪い方向にかもしれない。しかし人とは、悪い方の想像ばかりが膨らんでしまう生き物だ。

キリカが一歩踏み出せない理由はそこにあった。変化を恐れているのだ。

 

「さ、さぁマミ! ほむら達が来る前に早いとこ行こう!」

「え、ええ…」

 

とはいえ、マミはキリカの様子が少し妙だということに気づいていないわけではない。何となく察したマミは、キリカにだけ聞こえるように念話を飛ばす。

 

『もしかして、ルドガーさんのこと、気にしてるのかしら?』

『…君までみんなと同じことを訊くのかい。まどかやさやかにも言われたよ。「告白しないのか」ってね』

『……あくまでそれはキリカさん自身の問題だし、私からは何も言うつもりはないわよ。ただ、思いつめ過ぎないようにね?』

『心得ているよ。心的ストレスは穢れの蓄積を速める、そう言いたいんだろう?』

『そうじゃなくて…ただ心配してるのよ。あなただって女の子なんだから』

『………大丈夫、私は大丈夫だよ』

 

そう頑なに閉じこもるのは、一種の防衛本能なのだろうか。一時期、報われぬ想いを抱いたまま自分を律し戦い続けたほむらのように。

ルドガーに迷惑をかけるなどとは方便であり、本当は恐れているだけ。そんな事にも気付けないまま、キリカの心は揺らいでいた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

やや遅れて大浴場の更衣室へとやってきたほむら達4人の表情は、傍目から見たら困惑を禁じ得ないものだった。

まどかはひとり生き生きとした顔でほむらの腕に抱きついていたが、そのほむらの表情はどこか枯れたような、諦観の込もった印象を受ける。何より1番違和感を感じるのは、何故か三つ編みになっている点だ。

ちなみに、ほむらが魔法少女になる前の姿を知っているのはこの中で1人しかいない。

対するさやかも、ほむらに散々してやられたのか衣服と髪型が僅かに乱れていたが、何故か親友である筈のまどかから一歩、いや二歩離れた所にいる。

杏子はひたすらその3人と目を合わせないように視線を逸らしながら、フエガムを咥えてぴーぴー鳴らしていた。

今のこの場を他の者が見れば、誰がこの強弱関係を制していると思うだろうか。

 

「てぃひひひひ、もう浮気しちゃだめだよほむらちゃん」

「わ、私は浮気なんて………」

「さっきさやかちゃんを誘惑してたよね? ね?」

「…もうしないから、許してまどか……」

 

実際はまどかは大して怒っていないのだが、こうして言葉だけでも責められると、色々と過去に様々な負い目があるほむらは逆らえなくなってしまう。

また、まどかは以前ほむらと記憶を共有した事がある故に、"ほむらはこう言われると弱い"というポイントを微妙に押さえていたのた。

そして何より、あの戦い以来ほむらが時折見せるようになった気弱な部分が、まどかの心をくすぐっていた。

ともあれ、宿に着いてからかれこれ30分ほど経過している。早く風呂に入ってしまいたい気持ちは全員同じであり、いそいそと着替えを始めた。

 

「……あんたさー、」不意に、さやかが懲りずにほむらの方を見て言う。

「何がとは言わないけど、ちっさいね」

 

そして言って数秒、その発言を後悔する。さやかの何気ない(しかし鋭い)言葉を耳にしたほむらは、にこにこと無言で笑いながら左手をかざし、ダークオーブの納められた痣を輝かせる。

すると、投げ輪程度のサイズの魔法陣が手の近くに展開され、その中からマシンガンの砲身がにょき、と顔を出した。

 

「ひ!? う、撃たないでぇ!! 悪かったから! 謝るからぁ!」

「わかればいいのよ」

「だ、大丈夫だから! ほむらもあと何年かもすればマミさんくらいおっきくなるから! 多分!」

「……何年も、ねぇ……」

 

左手を下ろし、展開していた魔法陣を解除する。

いちいち行動が洒落になっていないと思っていたさやかはひとまず胸を撫で下ろすが、ほむらの表情は少し浮かないようだった。

 

「残念ながら、それはないわ」

「…えっ? おっきくなんないってこと?」

「その口にミサイル撃ち込まれたいのかしら? …まあ冗談はほどほどにして……そうね。あと1〜2年分は成長するかもしれないけど、それを過ぎたら私の成長は止まる。私は、その姿のまま生き続ける事になる」

 

それは、悪魔となった代償のひとつでもある。周りの人達がどんどん成長し、あるいは老いてゆくなか、自分ひとりだけがそのままの姿で残され続ける。

人の一生は儚い。家族や友人…恋人さえも、人の身を超えたほむらと同じ時を歩み続ける事はできないのだ。

 

「……そんなの、寂しくない?」

「あら、羨ましがると思ってたけれど」と、思ってもない事をわざとらしく口にするほむら。

「だってそれって…最終的にはあんたのそばに誰もいなくなるって事でしょ。…そんなの、私だったら…ちょっときついかな」

「…そうよね、そう思うのは至極当然のことだと思うわ。でも、私はまだマシな方。今は(・・)あなた達がいるもの」

 

あの娘の感じていた孤独に比べれば、はるかに───そう言おうと思ったが、やめた。折角の楽しい旅行なのだ、下手に場の空気を重くしたくはないと思ったからだ。

 

「………………」

 

さやかはその言葉を素直に聞き入れて表情を綻ばせるが、聖職者である父を持っていた杏子は苦い顔をしたまま言葉に悩み、常日頃からこの件で悩んでいたまどかは、勇気を出して口にしてみる。

 

「…私は、ほむらちゃんとずっと一緒にいたいよ。独りになんてさせたくない。でも、どうしたらいいかわかんない……」

 

そんなまどかに、ほむらは優しく首を横に振る。

 

「だめよ、まどか。あなたにはそのままでいて欲しいの。普通の女の子として、幸せな一生を全うしてほしい。…やっとこの未来を掴めのよ。だから…」

 

それでも、不安は消えてはいない。2人はあまりにも互いを欲し過ぎている。まどかとて、土壇場になれば約束を違えてでもほむらの為に尽くそうとする事は、もはや周知の事実だ。

それに、その時に起きた契約未遂。髪が異様に伸びる程度で済んだと皆は思っているが、ほむらだけが感じられる差異がまどかに生じていた。

蓄積された膨大な因果係数が、契約未遂によって一部表面化している。今はフラットを保っているが、これが今後まどかにどんな影響を及ぼすのかは測りかねないのだ。

まどかに普通の人生を歩ませる為には、そういった面からしてもほむらが見守り続けなければならない。

 

「でもよ、ほむら」

 

と、既に大きなバスタオルを身体に巻いて、長い紅髪をほどいた杏子が尋ねてくる。

 

「確かにアンタ独りならきっついだろうけど…それこそ、まどかと一緒なら全然平気なんじゃねえの?」

「…まどかを不幸にはさせたくないわ」

「はぁ……アンタのその強情さ、悪魔になってもちっとも変わんねえな。だったらひとつ予言してやるよ。いつかアンタは独りぼっちなるんだろ。そうしたらアンタ…また同じ事を(・・・・・・)繰り返すぜ」

「……どういう意味かしら?」

「決まってんだろ? アンタはきっとまたまどかに逢いたくなって、何かをやらかす。時間遡行……いんや、今のアンタならひょっとしたら、死んだ人間も生き返らせちまうかもな?」

「………私は神様じゃないのよ。それに、神様にだってそんな事はできない…いいえ、そんな風に条理を捻じ曲げるような真似はしてはならないの」

 

『共に在りたい』というまどかの言葉そのものは、ほむらにとっては何よりも嬉しく思えるものだ。しかしそれを叶えれば、まどかにも自分と同じ孤独を与えてしまう事になる。

人の身に余る奇跡は必ずしも幸福をもたらすわけではない、逆にその身を傷つけるばかりだ。

『共に在りたい』と本当に望んでいるのは

むしろほむらの方だ。まどかと共に緩やかに人生を歩み、終えたい───そんなごく自然な望みすらも叶えられないほど、ほむらの力はちっぽけなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入浴をひとしきり終え、ルドガーは知久、タツヤと共に肩に手拭いをかけた浴衣姿で、旅館の一角にある自販機の前にやって来ていた。

外の自販機と比べて10円ほど値段設定が上っており、最上列の左端には銀色が目立つ缶ビールがあったが、特に酒を好む嗜好はないルドガーは小銭を入れて無難に緑茶のボタンを押す。

ピピピピピピ…と硬貨投入口の横に備わっている小さな黒のデジタル表示板が目まぐるしく瞬き、左端から4・4・4…と数字が並び、最後の4桁目も4で止まった。

 

「おや、当たりじゃないか! ツイてるねルドガーくん」

「は、はぁ…これ、何ですか?」

「初めて見るのかい? これはね、同じ数字が4つ並ぶとジュースが1本タダで貰えるんだよ」

 

知久が説明した直後、缶ビール以外の飲料のボタンが赤く点灯した。「30秒以内に決めるんだよ」と友久に言われ、「えっ!?」と慌てて何を押すか迷うが、緑茶を買ったばかりで特に甘いモノが欲しい気分でもなく、かと言ってまたお茶、またはコーヒー類を手に入れるのも気が引ける。

 

「知久さん! なんか欲しいのないですか!?」

「ぼ、僕が決めるのかい? ええと、何にしようかな! うーんと…」

 

2人してボタンを押す指を迷わせているうちにも時間は刻一刻と迫る。自販機の内部時計にしてあと14秒でボーナスタイムが終わるところで、4つの4の数字が並んでいたデジタル表示板にも同様のカウントダウンが映されている。

 

「………何を騒いでいるんだい?」

 

と、そこに一足先に女子風呂から抜けてきたふうな装いのキリカが通りかかり、怪訝な顔をしてルドガー達の近くにやってきた。

が、自販機のデジタル表示を見て、なぜ騒いでいるのかをすぐに察したようで、

 

「私が決めてもいいかい?」

「あ、ああいいけど、でもあと10秒しかないぞ!?」

「ふふ、私に時間の心配は無用だよ」

 

そう言うとキリカは左中指に嵌められた指輪から魔力を少し解放し、知久に気づかれないように知久ごと(・・・・)自販機の速度を著しく低下させた。体感で言えば、約1/3程の速度にまで、だ。

 

「な───なにやってるんだキリカ!?」

「だって、選ぶ時間がないじゃないか」

 

さらりと答えたキリカの表情は、まるで幼い子供のように無邪気そのものだった。

そうして3秒ごとに1カウントを刻む自販機からキリカが選んだのは、なんの事はない、やや炭酸のきつそうなサイダーだった。

ボタンを押すと同時に遅延魔法を解除すると、ガコン、と選んだ飲料が下に落ちる音がした。

知久にバレてはいないだろうか、とルドガーは軽く冷や汗をかく。

一応、鹿目夫妻にはワルプルギスの夜が訪れた日のことは事細かに説明してあり、魔法少女の存在も承知しているのだろうが、まさか自販機から飲み物を選ぶために魔法を使うなどとは露ほども思っていないだろう。

 

「はは、ずいぶんと決めるのが早かったね」

 

と、ごく普通に知久は尋ねてきた。どうやらキリカが魔法を使った事には本当に気づいていないようだった。

 

「…ねえルドガー」

「どうした、キリカ」

「少し、いいかな」

「ん? ああ」

 

またあとで、と知久に声をかけ、キリカに連れられて少し静かな縁側の方へと向かって歩いてゆく。

太陽はほとんど沈み、蝉の鳴き声とほんの少しだけ温度の下がった風が差し込むそこには、今はまだひと気がなかった。

 

「………こうして、君と2人きりで話すのは久しぶりのような気がするよ」

「お互い最近忙しかったし、今は家も離れてるからな。言われてみれば確かに久しぶりだよ」

「ねえルドガー。…私は、君にはとても感謝しているんだよ」

 

くるり、と浴衣を軽く翻しながら向き直る。ドライヤーをかけずに来たのか、まだ少し濡れた黒髪は、何となしにいつものキリカとは違った風な雰囲気を感じさせる。

 

「私のいた世界から連れ出してくれた事だけじゃない。…君は、いつも私の事を守ってくれたね。だから私も君を守りたい…そうは思っても、いつも私の力は一歩及ばない。それでも君は、私を突き放すことはなかった」

「突き放す…? そんなことするわけないだろう。大事な仲間なんだから」

「仲間……か、そうだね、その通りだ。……でも、ルドガー。ここ最近、私はどうもおかしいんだ」

「おかしい? …具合が悪いのか?」

「ううん、そうじゃない。……ここのところ、気がついたらいつも君のこと考えてばかりなんだ」

 

好きだとか嫌いだとか、そんなものではない。ただこの胸の中に残る、形の曖昧な感情を知ってほしい。そんな想いで、キリカは語り出した。

 

「 この世界に来てから、ずっと君の好意に甘えていたせいなのかな。そんな風に思うのは」

「それは……俺にはわからないよ」

「…そうだよね。ねえ、君は以前"大切な人を亡くした"って言ってたよね。……こんな事を訊くのはどうかと思うんだけれど、君はその女性(ひと)のことを、今も………いや、」

 

愛しているのか。そう問いかけようとして、やめた。その答えを知ってしまうのが怖かったから───いや、既にその答えは知っているからだ。

 

「………私は、君の支えになれないのかな。君とずっと一緒にいて、君を支えたい。また一緒にご飯を食べて、一緒に眠って……」

「………キリカ、それって……」

「…私は、その女性(ひと)の代わりにはなれないのかな」

「…!」

 

そう答えたキリカの顔つきは、ルドガーには見憶えがある。かつて「自分は所詮紛い物なのだ」と卑下して苦しんでいた"彼女"の姿と重なって見えたのだ。

 

「それは違う、キリカ」

「…やっぱり、だめ…か……」

「そうじゃない。…"代わり"なんて、誰にだってできやしないんだ。ミラの代わりはどこにもいない。けどな、お前の代わりだってどこにもいない」

「え……」

「…ずっと、考えてきたんだ。正直な話、キリカの気持ちにはなんとなく気付いてた……けれど、俺はまだ悩んでる。俺は、まだミラの事を吹っ切れたわけじゃない。…いや、きっと忘れる事はできない。そんな俺が、本当にお前と向き合うことができるのか…そういうふうに。けれど、これだけは聞いてくれ。……ミラの代わりとしてじゃない。俺は、お前のその気持ちを無駄にはしたくない、そう思ってる」

 

随分と見苦しい、言い訳じみた言葉だとルドガーは思った。けれど全て本当のことだ。ミラの事を想いながら、今目の前にいる少女をも大切にしたいと想っている自分がいる。どちらか一方だけをとる、という決断を下ろせずにいることに自己嫌悪を抱いてしまう。

だというのに。

 

「…………ありがとう。君の口からそのひとことが聞けた、それだけで充分だよ」

 

キリカは、触れれば壊れてしまうのではないか、と思えるような儚げな笑顔を向けた。

どきり、と心音が一瞬高鳴ったのをルドガーは感じた。キリカから明確な好意を向けられている、そう認めたせいだろうか。

一歩、また一歩と近づいてゆく。サイダーを持っていない、空いた方のキリカの手をとろうとしたとき、

 

 

 

「…………!」

 

 

 

─────ルドガーの分身ともいえる懐中時計が、災厄の訪れを報せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

約2ヶ月ぶりに音を鳴らした金の懐中時計は、何を指し示ているのか。

キリカと共に駆け足で玄関へと向かい、その慌ただしい様子に仲居さんが声をかけようとするのも無視して表へと出ると、すぐにソレは視界に飛び込んできた。

 

怪獣のおもちゃのような被り物をした、青い肌に水玉模様の不恰好なぬいぐるみの姿をした怪異と、それに追随しているかのような手のひらだけの右手と左手。

それらが遥か空高くを漂い不気味な声で啼きながら、不思議の国(ワンダーランド)のような世界へと書き換えているのだ。

 

「あれは………結界を拡げてるのかい!?」

「そうみたいだな。……あんな所に、魔女が?」

 

しかし、魔女とも断定できない。通常、魔女は固有結界の中から出ず、獲物を引き込んで喰らう。例外である人魚の魔女とワルプルギスの夜も、自身の魔力が圧倒的に強すぎる故に隠れ蓑を必要としていないだけなのだ。

よって答えは2つに絞られる。アレもその2体の魔女と同等の強さを持つのか、そもそも魔女ではない何かなのか。どちらにせよ、決して油断はできない。

 

「ルドガー! …………そんな、どうしてあれ(・・)が…!?」

 

魔物の気配を感じて追ってきたほむらも、空を見上げた瞬間に表情を変え、絶句する。

ただし、先にそれを見ていたルドガー達とは少しリアクションが異なる。それに気づいたルドガーが、

 

「ほむら、あれに心当たりがあるのか?」

「ええ…私達は"ナイトメア"と呼んでいたわ……」

「ナイトメア…? 魔女じゃないのか」

「そうよ。…あれは、ここに在るはずのないモノ…いえ、在ってはならないモノ…!」

 

魔力を解放し、浴衣姿から黒のドレス姿へと変身し、禍々しい羽根を広げる。"悪魔"へと進化を果たしたほむらでさえ、最初から全力でナイトメアと称された魔物を狩る気でいるのがわかった。

油断がならない相手、というのはどうやら間違ってはいないようだ。

さらに遅れて、他の少女達も表へとずらずらと出て空を見る。魔女ともおぼつかぬ化け物と、既に大半が書き換えられ異界化した光景を目にして、息を呑んだ。

 

「……これ、結界…なの…?」

 

これまで何体もの魔女との戦いを経験したマミでさえ、その異様な空間に違和感を覚える。

 

「……みんなは、まどか達を。あれは私が倒すわ!」

「暁美さん! 油断は禁物よ! いくらあなたが強いからって……」

「そうじゃないわ! …あれを倒しても、グリーフシードは手に入らない。それに、何をしてくるか本当に予想もつかないのよ…!」

 

ほむらはマミが諌めようとするのを振り切り、黒翼をはためかせて独り夜空へと飛び立っていった。

 

「きゃ……!?」

「ほむら、なんか焦ってる…!? 一体どうしたってのよ?」

 

 

地表に黒翼から放たれた突風が吹き付けて、旅館の木製ドアから軋んだ音が鳴る。

瞬く間にメルヘンチックな星々が輝く造りモノの夜空へと到達し、右手に超巨大な黒い弓を呼び出し、空の上でナイトメアと対峙する。

それを見ていたルドガーもまた、冷静さを欠いたほむらの行動に僅かな不安を感じた。

 

「……俺が行く。さやか達はここに残ってみんなを守ってくれ。 はぁっ!!」

 

懐から金と銀の懐中時計を抜き構え、そこから歯車状の波紋が展開し、ルドガーの全身を包む。ワルプルギスとの戦い以来纏っていなかった最強の能力者の証───フル骸殻の力を、今再びこの場で解放したのだ。

破壊の槍のひと振りを創り出し、影絵のような世界へと飛び込んでいった。

 

「………私も、行く!」

 

ルドガーの後ろ姿をただ見ている事などできない、とキリカもソウルジェムを輝かせ、黒衣の戦闘衣装へと変身する。

 

「キリカ!? 待ってろって言われたでしょ!?」

「おとなしくなんてしていられないよ。……ルドガーは私が守る。そう誓ったから」

「あんた………わかった。ここはあたしらが見てる。…気をつけなよ」

「勿論だ!」

 

既に遥か遠くにまで達したルドガーを追いかけ、キリカもまた全力疾走で闇の中の街へと飛び込んでゆく。

不気味な程にダークなメルヘンの世界の空の上、満月の下では激しい魔力の波紋と火花が星の瞬きのように散っていた。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

奪い取った女神の力と自身の力を掛け合わせた黒弓から何度となく矢を放つが、空に浮かぶナイトメアは身体を幾度貫かれようと全く動じず、気味の悪い啼き声を上げていた。

ナイトメアの左右に浮かぶ両手が小刻みに動くと、それに呼応するようにナイトメア自身も動きだし、ふわふわと舞いながら口から光弾を撃ち返してくる。

 

『ギャギャハハハハッ!!』

 

ひとつひとつが凄まじい威力を持つ光弾を、魔法陣のシールドを正面に展開して防ぎ、その隙間からまた矢を撃ち込む。

既にほむらは、並の魔法少女ならばとうに枯渇しているであろう程の量の魔力を行使している。にも関わらず、ナイトメアには傷一つ負わせられずにいた。

 

「………どうして。このナイトメア、手応えがない…!?」

 

まるで虚像を狙い撃っているかのように。ほむらの放った矢はナイトメアの胴をすり抜け、虚空へと溶けてゆく。

対してナイトメアの放つ攻撃は確かな現実であり、高度700メートル上空にて閃光と爆風を散らしていた。

 

『ほむら! 聞こえるか!?』

「……ルドガー!?」

『そっちは今、どうなってる!?』

「…なんとも言えない状況よ。こっちの攻撃が全く効いてない。なのに向こうの攻撃はかなり強いわ」

『なんだって? …せめて、下まで誘導できれば…』

「…善処するわ。このまま私が囮になって、あなたの攻撃が届く位置まで誘導してみる」

『わかった。…無理はするなよ』

「ええ。………こっちよ、ナイトメア!!」

 

わざと無理な姿勢をとり、ナイトメアを見上げるかたちになりながら高度を下げ、何発目かの矢を放ち続ける。

ほむらを敵と認識していたナイトメアはそれを追いかけるかのように、真下に光弾を放ちながら同じく高度を少しずつ下げる。

異界化しているとはいえ、地表へ攻撃を届かせるわけにはいかない。放たれた光弾を的確にシールドで受け止めながら、地表までの距離を感覚で推し量る。

 

(……あと、もう少し…っ!?)

 

 

地表が近くなってきたところで、ナイトメアに異変が生じた。

左右に浮かぶ手がナイトメアの身体を弄り出し、まるで粘土のようにぐにゃりと形を変えてゆく。捏ねくりまわされて構成される新たなディテールは、段々と線と線が繋がり、見覚えのある形へとなる。

 

「そんな、あの姿は!」

 

ナイトメアが化けた姿は、かつて撃破した筈の過去の敵───人魚の魔女の姿だった。

上半身に鎧と骸骨型の兜を備え、魚のような半身を持ち、巨大な円月刀を振りかざし、空を泳ぐようにさらに急降下して襲いかかるその姿は、影のように暗く染まっていた。

 

「く、このっ!!」

 

しかしただの魔女ならば、悪魔と化したほむらの敵ではない。やはり苦戦を強いられているのは、ほむらの攻撃を全て透過してしまうからこそだ。

そのカラクリを暴かない限りは、このままずるずると戦いが長引くだけだ。

 

 

 

 

『──────ヘクセンチア!!』

 

 

 

 

ある程度高度が下がり一部の術技の射程距離内へと入ったことで、ようやくルドガーも攻撃の一手を繰り出すことができた。

だが、空から降り注ぐ黒い光弾の雨は人魚の魔女の身体をすり抜け、逆にほむらの身体スレスレの位置を通り抜ける。

 

『……これでも、だめか!』

 

ルドガーの槍による攻撃は普通の攻撃ではない。仮にナイトメアのすり抜けが時空に干渉する類のものであれば鍵の力でそれを打ち破り、多少なりとも傷を負わせることができた筈だ。

それが叶わなかったということは、少なくともカラクリは異なるという事になる。

 

 

『ケキャハハヒハハハハッ!!』

 

 

人魚の魔女の虚像は、その容姿には似つかわしくない薄気味悪い声を放ちながら、手に持つ巨大な円月刀をほむらに振り下ろしてきた。

咄嗟に魔法陣のシールドを生み出し、その剣撃を受け止める。すると人魚の虚像は何か面白い玩具を見つけたかのように陽気な啼き声を上げながら、何度もシールドを剣で切りつける。

そのシールドの裏ではほむらが弓を思いきり引いて最大出力を込め、タイミングを待っていた。

 

「これでも…っ、喰らいなさい!!」

 

まず先に、超巨大なフラッシュを焚いたような閃光が暗闇の街を照らし、それから遅れてパァン!! と耳を(つんざ)くような破裂音が街中に木霊する。

ほむらの放った矢は自らが張ったシールドを、シャボンの膜を破るかのように内側から粉砕し、閃光に目を眩ませたナイトメアの胴体を貫いた。

 

『グォ、ゲェアアアアッ!?』

 

それは確かな手応えをもたらし、人魚の虚像は初めて呻くような叫び声を上げ、虚像を解いてもとの人形の形へと収縮してゆく。

極限までエネルギーを凝縮して、光をも超える速さで撃ち出した矢───ほむらの放ったものは、それだった。

どうやら不意を突いて素早く、しかもナイトメアが攻撃をしている最中に攻撃を当てれば効果があるようだ、と今の一撃でほむらは確心した。

 

「………まだ生きてる…!」

 

しかし空間の異界化はまだ解けておらず、ナイトメアは体勢を整えると、今度はぬいぐるみ型の口から種のようなものを真上に向かって無数に吐き出し、そこからさらに広範囲に向けて種を拡散してばら撒いた。

 

『なんだ、アレは!?』

「わからないわ! …いったい、ヤツは何を…」

 

ナイトメアが何の種をばら撒いたのかは、数秒遅れて判明することとなる。

半径にして約100メートルといったところだろうか。そこから、綺麗な円周を描くように光の柱が何十本も立ち昇り、その輝きとは真逆の禍々しいエネルギーを放出する。

その光の柱を引き裂くように現れたのは、かつて見たこともない異形の怪異だった。

 

 

『──────グオアァァァァァァァッ!!』

 

 

顔の周りにはモザイク型のノイズが漂い、白い袈裟を肩からかけて身体を包んだ、白塗りの巨大な人型。

不気味な咆哮を上げたソレは1体だけでなく、ナイトメアがばら撒いた光の柱全てから、包囲するように街中に大量に顕現した。

その数は、目測でもおよそ1000体は下らないだろう。

 

「………そんな、"魔獣"!? あり得ないわ! どうして奴らが!!」

『ほむら! あれを知ってるのか!?』

「…以前話したでしょう。あれは魔女の代用品。あれも、この世界にはあってはならない存在よ!」

 

"魔獣"と呼ばれた存在は、一斉にとある1点に向けて、かりそめの建物を薙ぎ倒しながら歩を進め始めた。

魔獣達が揃って視線を向けた先には、まどかや仲間達が陣を張っている旅館があった。

魔獣とは、かつて女神の願いによって消滅した魔女にとって代わって現れた存在。まどかが契約せず、円環の理が成立していないこの世界には現れるはずのない存在だった。

そしてそれを知るのは、その姿を記憶しているのは、やはりこの場に1人しかいない。

 

「…………まさか」

 

心当たりがひとつあった。今のほむら同様に、全ての時間軸の記憶を内包していた者がいたのだ。

それはまさに、人魚の魔女。ほむらの為した行いに対し憤りを抱き、時空を超えてこの世界に現れ、蹂躙の限りを尽くした存在。

もし、仮にだ。ほむらと人魚の魔女…それだけではなく、全ての時間軸の記憶を持っている者が他にもいたとしたら。

 

「っ、考えるのはあとよ! やつらを行かせはしない!」

 

黒弓に光の矢をつがえ、ナイトメアに対してではく、空高くに向けて撃ち出す。

雲を切り裂いた閃光の刃はそこから放射状に拡がり、雨のように降り注いだ。

無数の矢の雨が着弾したポイントからはズドン、と凄まじい轟音と煙が舞い飛ぶが、魔獣はまるで何事もなかったように煙の中からゆったりと現れ、歩き続ける。

 

「……だめね、一度に多くを狙ったのでは倒しきれない…!」

 

ほむらの方にもナイトメアが絶えず火炎弾を吐いて攻撃を仕掛けてきており、どちらを攻撃すれば良いのか絞りきれず、守りに入らざるを得ない状態だった。

しかし現在両者は高度10メートルにまで降下してきている。そのすぐ真下にいるルドガーの槍も、ナイトメアに十分届き得る距離だ。

 

『ほむら、お前は魔獣の方に行け!』

「ルドガー!? だめよ、こいつは私が!」

『お前じゃなきゃあの数には対抗できない! こいつは任せろ、俺達で相手する!』

「…わかったわ、頼むわよ!」

 

去り際に光の矢を1発撃ち込んでから、ほむらは魔獣の群れの方へと飛び去っていった。

だが、先程の様子では魔獣自体にもナイトメア同様の透過能力が備わっているようにも思える。もしくは、拡散して矢を放った為に威力が弱まっていたのか。いずれにせよ、これ以上の魔獣の接近を許すわけにはいかない。

 

『ナイトメア! お前の相手は俺だ!!』

 

ほむらを追いかけようとした魔獣に対し、ルドガーは槍の鉾先から黒のエネルギー弾を無数に放って威嚇した。

 

『ケキャハハヒハヒヒハッ!!』

 

するとナイトメアは、新しい遊び相手を見つけたかのように振り向き、さらに高度を下げてほぼ真正面から火炎弾を吐いてきた。

 

『どうするんだい、ルドガー!?』

 

両者に追いつき、反対方向に回りこんで好機を窺っているキリカが問いかける。

 

『…少し観察してわかった事がある。ヤツは俺達の攻撃をすり抜けるように躱してくる。けれどヤツ自身が攻撃する時だけは、すり抜けを使う事ができないみたいだ。そこを叩く!』

『でも、ほんの僅かな一瞬だね……わかった、一撃で仕留めよう!』

『ああ! 行くぞ!』

 

ほむらと繋いでいたリンクの糸を解き、今度はキリカと繋ぎ直す。

 

『ゼロディバイド!!』

 

先んじて動いたのはルドガーだ。円を描くように槍を振り回しながら先端から小さなエネルギー弾を放ち、ナイトメアの注意を引く。

変わらず気味の悪い、しかし先のダメージのせいかややくぐもった声を上げながら、ナイトメアはルドガーの方へと突進してきた。

着弾した黒弾はそこから細やかな霧を舞い散らし、仄暗い路地に淡く溶けて消える。

絶えずルドガーは黒弾を放ち続けるが、ナイトメアは身体を透過させて弾をすり抜け、どんどん距離を詰めてゆく。

 

『キャハヒハヒヒヒッ!!』

 

ぬいぐるみ型の口ががばり、大きく開くと、そこには齧歯(げっし)類のような鋭利な歯がずらりと並んでいた。

その牙を以ってルドガーを噛み砕かんとばかりに、いよいよ手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいた。しかしルドガーは一切恐怖することなく槍を二つの刃に分かち、

 

『────キリカ、今だ!!』

「了解だ! この時を待ってたよ!!」

 

ナイトメアのすぐ真後ろには、キリカが気配を殺しながらダッシュして接近していた。ルドガーの放った弾はナイトメアを攻撃するためのものではなく、キリカの接近を隠蔽する為のものだったのだ。

キリカは自身の持つ固有魔法───速度低下を最大出力でナイトメアに対して発動する。ナイトメアの牙はルドガーを噛み砕く寸前で緩慢になり、スローモーションとなった。

そこに、両者の刃を合わせた神速の一撃が炸裂した。

 

 

『「双砕牙!!」』

 

 

確かな手応えは握りしめたふた振りの刃に伝わるが、ナイトメアは未だダメージを認識できていない。それほどまでに速度が低下しているのだ。

 

『まだだ! うおぉぉぉぉっ!!』

 

骸殻に込められたエネルギーを解放し、全ての次元から隔絶された結界を紡ぐ。

錆びた色をした空に浮かぶは無数の歯車。時を刻む双針の音が木霊する空間では、一切の時間操作が無力化される。

ナイトメアはようやくキリカの遅延魔法から解放されるが既に遅い。すり抜けによって固有結界からの逃走に失敗したナイトメアには、もう逃げ場はなかった。

 

『終わりだ! はぁっ!!』

 

鍵の力を込めた破壊の槍(バドブレイカー)を撃ち込んでナイトメアを串刺しにし、畳み掛けるように懐へと跳び、(ふた)つに分かたれた刃を縦横無尽に交差させ───

 

 

 

 

 

『継牙・双針乱舞ッ!!』

 

 

 

 

 

その身を、粉々に斬り刻んだ。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

魔獣の大量出現に伴い、旅館で防衛にあたっていた魔法少女達も迎撃体制へと切り替えていた。

前線に出過ぎず、ただ1箇所だけ異界化から取り残された旅館を中心に散開し、迫る魔獣達を打ち払ってゆく。

 

「─────っ、こいつらあとどんだけいるんだよ! まるでキリがねえぞ!」

 

杏子は悪態をつきながらも紅槍を打ち下ろして、もう何体目かにもなる魔獣の頭を叩き潰した。

魔獣1体毎の戦闘力は大したものではない。せいぜい普通の魔女よりも少し弱い程度であり、時歪の因子化した魔女達との戦闘を経験した身からすれば、倒すこと自体は容易ではある。しかしそれがあと何十、あるいは百数体と拡がっているのだ。

さらに、拡散攻撃を仕掛けても弱い攻撃は弾いてしまうようで、倒すにしても魔力を1点に集中して当てなければならない状況だった。

膨大な魔力を保有するほむらでさえ、矢一つ一つに魔力を多めに込めて放ち、同時に3体ずつ撃破するので手一杯だった。

 

「こいつら……いい加減にしなさいよ!」

 

敏捷さでは杏子と並ぶさやかは、器用に攻撃を回避しながら移動を繰り返し、凍気を込めた斬撃を放ち魔獣の首を一つずつ刎ね飛ばしてゆく。

ここには守るべき友だけではない、さやかの母もいるのだ。両の手に握り締めた剣にかけて、ここから先へは絶対に行かせない───その想いだけで魔獣の群れへと斬り込んでゆく。

 

「暁美さん! なにか奴らをいっぺんに倒せる方法はないの!?」

『…私の魔力を全て解放すれば、なんとか全部倒せると思うわ。でもそれじゃあ、ここいら一帯が焼け野原になってしまうけれど』

「……それじゃあ、その手は使えないわ、ねっ!!」

 

マスケット銃を両手に1挺ずつ握ったマミは、いつもの殲滅攻撃でも最終砲撃でもなく、1点に集中して狙撃するかのように、的確に魔獣の頭へと弾丸を撃ち込んでゆく。

魔獣からの攻撃が来ればリボンを建物に引っ掛けて立体的な動きをとり回避し、その慣性を利用して空を舞い、新たなマスケット銃を錬成して丁寧に魔獣を狙い撃つ。

その動きをフォローするようにほむらが空から弓を引き、2人合わせて360度をカバーしていた。

 

『ほむら! ナイトメアは倒したぞ!』

 

そこに、まず1体の強敵を撃破したルドガーからの念話が飛び込む。

 

「…それでも、この結界は解けていない。やはり魔獣を倒し切る他ないようね」

『俺達も魔獣の迎撃に移る! 絶対に諦めるな!』

「…ふふ知ってるでしょう? 私が、諦めが悪い女だって」

『はは、そうだった!』

 

ルドガーから新たにリンクの糸がほむらへと繋がれる。互いに絶対的な力を持つ者同士、その力を掛け合わせれば次元さえ斬り裂ける力へと昇華される程だ。

その力を練り上げ、増幅させる。

 

『虚無と永劫を交え──────』

「弾けて…潰せ!!」

 

ほむらが解放したエネルギーをルドガーがリンクを通じて調律し、そのエネルギーをほむらの持つ弓へと押し戻し、光の束へと変質させた。

 

「これで終わらせるっ!!」

 

その光の束を、全方位へと一気に射出する。

塊として解き放てば街全体を壊滅しかねないエネルギーを、調律によって矢の形に転換させたのだ。

その矢もひとつひとつが凄まじい威力を持ち、魔獣の頭へと直撃して消し炭へと化す程だった。

 

『グォォォォアァァァァ!!』

 

魔獣の断末魔があちこちから響き渡る。ほむらとルドガー、2人の力を掛け合わせた攻撃により、ようやく魔獣への有効打となり得た。

それでも上空から視認した様子だと、およそ3割程度の魔獣がまだ生き残っていた。

 

『…グフゥゥゥゥゥゥ………』

 

大幅に頭数を減らした魔獣の動きが、変わった。

ふらふらと大きな歩幅で直進していた魔獣達は足を止め、モザイク状のエネルギーの波紋が目まぐるしく明滅する。そして一斉に口を大きく開いた数十体の魔獣は─────

 

『グォギャオアォォッ!!』

 

電波障害の雑音のような咆哮を上げながら、口元から光線を吐いた。

 

「な……っ!?」

 

それは、ほむらだけが過去の時間軸で何度か目にしていた魔獣の攻撃パターンだった。

魔獣から放たれる光線は、巨大建造物を一撃で瓦礫へと化す程度の威力を持つ。その光線が、四方八方から旅館に向けて放たれたのだ。

ほむらは一瞬で旅館の真上にまで転移し、そこから全方位をカバーできるようなバリアを展開させた。

ズン!! と、ほむらのバリアに当たった光線は鈍い音を鳴らし、その衝撃で周辺を地震の如く揺らす。

 

「…あいつら、意地でもここを攻撃するつもり!?」

 

そうは言っても、絶えず放たれる光線を防ぐのに精一杯でほむらの動きは完全に封じられてしまっていた。

魔獣の突然の行動に、ルドガーを始め少女達も危機感が一気に高まる。散開して残るわずかな魔獣を叩こうと、それぞれが決死の攻撃を挑んでゆく。しかし影の街中に立ち並ぶ魔獣達は少女達など気にも止めず、1体ずつ撃破されてゆくにも拘らず、旅館への砲撃を継続する。

 

「ぐっ………何なの、こいつら!?」

『ほむら! 大丈夫か!?』

「…平気じゃないわ、ねっ…! でも、ここだけは絶対にやらせない!」

 

悪魔として覚醒したほむらでさえも、同時に数十体の魔獣からの攻撃を加えられ、少しずつ押されてゆくのを感じていた。

ほむらの張ったドーム状のバリアに、少しずつ亀裂が入ってきているのだ。

 

「……まど、かぁ…!」

 

これは、何だ。自分は今、悪い夢でも見ているのではないのだろうか。

ワルプルギスの夜を次元の狭間に幽閉して、永い輪廻の旅も終えて、ようやくまどかを守れたのに。

幸せに、なれたのに。

やっとの思いで掴んだ幸せが、魔獣などという存在に嬲られようとしている。

 

(……出力が、足りない。このままだとまどかが…!)

 

既に完成した"円環の理"という概念を崩した代償は大きかった。

本来ならば絶対に不可能である、過去の歴史へのアクセス。そして、ワルプルギスを封じ込める為に実行した次元の狭間への干渉。それを実現した代償として、今のほむらは理を司る悪魔でありながら、その力の大部分が失われている。

魔法少女とは比較にならない程の魔力を行使することはできるが、所詮はその程度。こうして魔獣からの集中砲火に晒されて身動きひとつできない。

十全ならば、防御壁を張りながら攻撃へと転じる事ができただろう。しかし今のほむらにはそれができないのだ。

仲間たちが魔獣を殲滅してくれる方が先か、防御壁を撃ち崩される方が先か───刻一刻と、均衡の崩壊が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

ほむらが張った防御壁の下にある旅館内では、女将や仲居達を含む、まどか達家族などの一般人が大広間に集まっていた。

強烈な地鳴りが度々旅館内へと響き渡り、恐怖心を煽り続ける。

突如として化け物の類に襲撃された事から来る困惑と慄きが、皆の動きを止めていたのだ。

ただ1人を除いては。

 

「───ほむらちゃん、逃げて!!」

 

どうした事か、まどかはほむらの置かれている状況を目で見るでもなく、感じ取っていた。

 

『……まどか…? あなた、どうして声が…きゃあっ!!』

「……う、ほむらちゃん!? 大丈夫!?」

『…契約未遂の影響、かしら…? だめよ、私が逃げたらあなた達が!』

「でも! …伝わって来るんだ。ほむらちゃんが傷付いてるのが。どうしてだかわからないけど…」

 

以前、記憶を共有したからか。それともほむらの中に、円環の理から剥ぎ取った力が在るからか。

ほむらが感じた痛みの一部が、まどかにまで伝搬していたのだ。

 

「まどか…?」

 

事情を知らぬ他人が見れば、独り言を叫んでいるようにしか見えないだろう。しかし、この場には詢子、知久…と、魔法の存在を目の当たりにした人間がいた。

 

「どうすればいいの……私、いっつも何もできない……ほむらちゃんを守りたいのに!」

 

いつしか、まどかは自分の無力さに泣き崩れ、その場に膝を折った。

魔獣は確実に個体数が減ってはいるが、それでもまだ大多数の個体が残っている。大幅な弱体化を受けたほむらの力では、防御壁を張り続けるのも次第に困難になってゆく。

少しずつ力が磨り減ってきている。その感覚さえも、まどかは感じていたのだ。

 

「………キュゥべえ…!」

 

契約さえすれば、この状況を打破できるのではないか。

 

「…出てきてよ、キュゥべえ! みんなを助けてよ!」

 

キュゥべえは、まどかから採れるエネルギーを執拗に狙っていた。まどかが呼びさえすれば、それこそ一瞬で駆けつけて応じただろう。

…しかし、キュゥべえはまどかの声に応じる事はなかった。

 

「ぐぅっ……!」

 

新たな痛みが、まどかに伝搬する。

絶対に退かない、というほむらの強い想いが伝搬する。

まどかから返せるものは、何もなかった。

 

『……泣いてるの? まどか…』

「ほむら、ちゃん…っ、わたし……!」

『…いいのよ。まどかが泣いてる事のほうが、よっぽど辛いから。今、ルドガー達が必死に戦ってくれてる。…それまでは、絶対にここを守るから』

 

もはや、言葉を紡ぐことすら難しい程にまどかは泣きじゃくっていた。

 

(…誰でもいい。誰か………誰か、助けてよ………!)

 

ワルプルギスの夜以来、一切姿を見せなかったキュゥべえは、この場においても姿を現すことはなかった。

この場には、ワルプルギスの夜を共に乗り越えた最強の魔法少女達が5人、そして骸殻を持つルドガーがいる。

では、それ以上の"何か"とは何だ。一体どうすればこの危機を乗り越える事ができるのか。

 

 

『──────力が、欲しい?』

 

ふと、まどかの脳裏にほむらのものではない声が届いた。

 

「誰…?」

『誰だっていいじゃない。力、欲しいの?』

「……うん。みんなを、守りたい……!」

 

あらゆる意味で混乱しきっていたまどかは、その声をまるで絶対的な存在であるかのように、聞き入っていた。

あるいは、その声には抗い難い力が込められていたのか。

何度目かの地鳴りがまどか達に襲いかかる。仲居達と、弟のタツヤの泣き声が耳に届く。

正体がわからないが、しかし、目の前に提示された命題に、誰よりも"守りたい"という渇望するまどかが縋りつくのは必然だった。

そうして、その声が自分そっくり(・・・・・・)であるという事にすら気付かずに、まどかは答えてしまった。

 

 

『うん、契約成立だね』

 

 

そうして、その"声"は無情にも告げる。

 

 

 

『──────ひひ、じゃあその身体ちょうだい?』

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

ドバン!! という破裂音が、空に舞うほむらの背後から響いた。

 

「……え?」

 

下を見下ろせば、旅館の屋根を突き破って巨大な光の柱が空に向かって伸びていた。

まるで流星のような速さで空に走る光は、ある一定の高度まで達した時点で拡散し、夜空に巨大な魔法陣を描き───そこから、無数の光の雨を降らせる。

その魔法陣は、ほむらが何度か使用した広範囲拡散型の攻撃術式と同じ紋様をしていた。違うのはそのサイズ。

魔法陣はほむらのものよりも遥かに広く膨れ上がり、降り注ぐ光弾の量も、質も、桁違いのものだった。

光の矢は空爆でも仕掛けたかのような勢いで魔獣へと突き刺さり、いとも容易く葬り去ってしまう。

 

『ほむら!?』

「さやか? ……これ、は…」

『あんたが撃ったの!? すごい…あんなにたくさんいた魔獣共が、あっという間に!』

「違う……これは…」

『えっ?』

「私じゃ、ない………!」

 

旅館の中からもうひとつ、凄まじい勢いで空へと何かが飛び出してきた。

夜空を泳ぐように舞い、残る魔獣に向けて、自分の身の丈よりも大きな弓に光を(つが)え、撃ち出す。

ただそれだけの単純な動作に込められた力は圧倒的で、ひとつの光から無数の矢へと拡散し、残る魔獣全ての頭へと的確に撃ち込まれていった。

 

「………まさか、まどか…なの……?」

 

魔獣の殲滅を確認するまでもなく、ふぅ、と軽くため息をついて弓を消し、ふわりと舞いながらゆっくりと高度を下げてきた。

ひとつひとつが絹糸のように艶やかな長い桃色の髪に、控えめな胸をやや強調するかのように谷間だけ空いたデザインのドレスと、周りに星が煌めいているかのように輝き、大きくはためくロングスカート。

その姿は、かつて何度かだけ目にした事のあるものだった。相違点は、ドレスの色が夜空に溶け込んでしまいそうな程に黒く染まり、白い肌をより扇情的に見せているところくらいか。

 

『やっと、逢えた…』

「まどか………?」

『───ひひ、てぃひひひひッ!! やっと、やっと逢えた! 私だけのほむらちゃん!!』

「……違う。あなた、誰なの!?」

『てぃひひひひっ! 違わないよぉ、私は私。ほむらちゃんが一番わかるでしょお?』

 

歓喜に満ちた表情の中には、軽い狂気のようなものも含まれているように思えた。そうして、"彼女"の狂気が逆流して伝搬してくる。

常人の神経なら焼き切れてしまいそうな程の、狂おしい程に重く、淫らで、純粋な想い───愛憎にも似た、何かか。

 

 

「……まどかに、何をしたの……ッ!!」

 

ほむらの背筋に悪寒が走る。あれは"まどか"ではない。なのに何故、こんなにも───

 

 

 

「答えなさい! 救済の魔女(鹿目まどか)ッ!!」

 

 

 

こんなにも、胸の中に締め付けられるような痛みを感じるのか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話「私は、どうすればいいの?」

1.

 

 

 

 

 

 

 

漆黒の空に浮かぶ2つの影は、それぞれが巨大な黒い翼を広げ、他の一切を寄せ付けぬような気迫を放ちながら対峙していた。

が、その片方───自らを"悪魔"と称した少女には表情に余裕がなく、もう片方───神にも等しき力を手にした少女は、それまでとは一転して、まるで別人のように歪んだ笑みを浮かべている。

 

 

全てを救済し、新たな世界を創生する。

Kriemhild Gretchen─────それが、彼女に与えられた新たな真名(なまえ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………ひひ、「何をしたの」ねぇ。私はただ、(この子)が"力が欲しい"って願ったから叶えただけだよ?』

「力……? 何を言って………」

『わからない? 私も(この子)はずうっと悩んでた。大好きなほむらちゃんを守れる力が欲しい、って。……私とおんなじ。だから叶えてあげた』

「その代償がこれだというの…? まどかの身体を乗っ取って! …今のあなたは"鹿目まどか"なんかじゃない! 魔女よ!!」

『魔女、かぁ……ふふ、あはははっ! あっははははは! きゃははははっ!!』

 

"救済の魔女"と呼ばれた彼女は、狂ったように身をよじりながら嗤い出した。

希望によって救いをもたらす存在としてではなく、絶望によって成り立つ無限の魔力を宿して顕現した彼女は、ほむらよりもよほど"悪魔"と呼ぶに相応しい存在に見える。

元の心優しい少女の面影はその姿からは微塵も感じられなかった。人魚の魔女同様に、マイナスに振り切った"絶望"が、彼女を歪めてしまったのだろうか。

 

『あっはははは──────ふぅ………じゃあ、私を殺す?』

「………っ!」

『前にも言ったよね。大好きなほむらちゃんの為なら、何度だって殺されてあげるよ?』

 

可能であるならば、そうすべきだろう。救済の魔女の力はあまりにも強大だ。女神(まどか)の力の一部を掠め取っただけに過ぎないほむらの力は、宇宙の法則に干渉する程度の事は出来ても、本質的な部分で救済の魔女に負けている。

今こうして夜空の上で睨み合っているだけで、その圧倒的な魔力の差を肌で感じ取っていた。

しかし、その程度の事だけで今更手を止めるようなほむらではない。

目の前にいる救済の魔女を殺すということはほぼ間違いなく、その身体の持ち主である"まどか"を殺す事になるだろう。

ましてや、今の救済の魔女はその様子からすると、まどかの身体を支配して受肉しているに過ぎない。例えその身体ごと殺したとしても、救済の魔女を消滅させられるという保証はどこにもなかった。

そもそもそれ以前に、だ。

 

「………できないよ、そんなの……」

 

目の前にいる存在がどうであれ、"鹿目まどか"を殺すという選択肢を採ることは、ほむらにはもうできなかった。

 

「……何が望みなの? 私を、恨んでるの…?」

『恨む、かぁ…確かにそうかもね。 …ま、正直に言うと私自身にもよくわからないんだよね?』

「じゃあ何なの!?」

『────247回』

「……え…?」

『だから、ほむらちゃんが時間遡行をした回数だよ。…というよりは、その分だけ存在していた"鹿目まどか"の数、って言ったほうがいいのかな?』

 

そうして救済の魔女は、まるで謳うように軽やかに、指を折りながら言う。

 

『魔法少女になった(まどか)が163人。ならなかった(まどか)が84人。魔女になった(まどか)が9人。魔女になる前に死んじゃった(まどか)が107人。ほむらちゃんに殺された(まどか)が7人』

「………やめて…」

『ほむらちゃんを怖いと思った(まどか)が121人。ほむらちゃんを好きになった(まどか)が66人。ほむらちゃんに恋をした(まどか)が24人。ほむらちゃんを恨んだ(まどか)が93人。ほむらちゃんを─────』

「やめてよ!! ……お願い、それ以上言わないで………」

『…なぁんだ、つまんない。ま、いいや。つまりね、もう私にもこの想いが何なのかわかんないんだ。247人分の(まどか)の感情が、記憶が、この"私"を創ってる。あなたを好きなのか、嫌いなのか。(まどか)がされたのと同じくらい───ううん、もっといっぱい、何度でも殺したいくらい憎いのか、アタマが焼き切れるまで徹底的に犯して、永遠に私だけのモノにしたいくらい大好きなのか。まともでなんかいられないよねぇ!? でも、それがこの(まどか)なの。ほむらちゃんが、この(まどか)を創ったんだよ?』

「………そんな……」

 

狂っている。端的に言えばまさにそうだろう。だが、彼女を創ったのはほむらが過去に成してきた行いひとつひとつだ。

 

「…お願い、返して。私はどうなったっていい! まどかだけは返して! やっと、人としてのまどかの幸せを守れると思ったのに……!」

『だからさぁ…そこがわからないんだよねぇ。ほむらちゃんの言う"私の幸せ"って、何さ?』

「……っ、それ…は……」

『まさか、何を失ったって人間として生を全うできれば、それが本当に幸せなんだって本気で思ってるの? ……教えてあげるよ。私の願い…私の"幸せ"はね、』

 

大きく拡げた黒の両翼から夜空に浮かぶ星々のような煌めきを放ち、救済の魔女の手には背の丈よりも大きな弓が再び握られた。

その弓に光の矢をつがえ、にっこりと歪んだ笑みを浮かべてから、空へと向かってその矢を撃ち放った。

 

「…………まど、か……?」

 

そこから音もなく閃光が弾け、雲ひとつなくただ暗黒だけが広がる空に、超巨大な幾何学模様の魔法陣が展開される。この街を、世界を───否、この星の全てを覆い尽くすほどに陣は広がり、暗闇に包まれた世界を、真新しい蛍光灯を何重にも重ねたかのような乾いた光で照らした。

 

「……何をしたの…」

 

やがて、空に広がる魔法陣へ向けて地表から幾つもの光が浮かび、束状になって昇ってゆく。

その光の束には生命の躍動があった。魂が、空へと昇華し出していたのだ。

そうして地表は、熱を急速に奪われたかのように冷え始め、ほむら達のいるよりも遥か空高くからは、粉雪が降り注ぎ始めた。

 

『この世界はもう既に私の(コトワリ)へと落ちてるんだよ、ほむらちゃん』

「…あなた、何をやってるのよ!!」

『救いを与えてるんだよ?』

「……!?」

『それこそが私の願い。みんなを、あらゆる苦しみから解放してあげたい。人間も、魔法少女も…そして、ほむらちゃんも』

「これが"解放"…? ふざけないで!! あなたのやってる事はただの虐殺よ!!」

『ううん、死んではいないよ。ただ、魂の在り方が変わるだけ。この星の生命は全て、これから私の理の中でひとつに溶け合って生きてゆくの。痛みも、苦しみも、孤独も、死への恐怖も感じなくて済むんだよ? てぃっひひひひ! 素敵でしょ?』

 

ダメだ、これ以上は許すわけにはいかない。このまま救済の魔女をのさばらしておけば、この星は…否、この宇宙は終わりを迎えてしまう。

 

「………まどか…!!」

 

ぎりぎりと音がするくらい強く奥歯を噛み締め、ほむらもまた巨大な黒弓を錬成した。

そこに光の矢をあて、ゆっくりと、めいっぱい弦を引き、救済の魔女へと鉾先を向ける。

…だというのに、救済の魔女は一切臆することもなく、悦に浸るように淫らに身体をよじりながら言う。

 

『…あは、やっと殺してくれるんだ? ほら、撃ちなよ。私は避けたり防いだりなんてしない。ほむらちゃんの愛を、この身でしっかりと受け止めてあげる』

「黙りなさい!!」

『ああ───感じるよう! ほむらちゃんの愛を! 嬉しい……素敵…羨ましい…! (まどか)は、こんなにもほむらちゃんに愛されてるんだね!』

「……黙れ……黙れ、黙れ黙れぇぇぇぇぇッ!!」

 

それ以上、その姿で醜悪を曝すな。その声で、呪いにも似た言葉を吐くな。

ほむらは限界まで引いた弦を指から解き、全の力を込めた光の矢を、目の前にいる倒すべき敵へと向けて放った。

 

『──────あは、』

 

ゴウッ!! という暴風にも似た激しい音を立てて真っ直ぐに放たれた矢は、しかし救済の魔女の身体を貫くのではなく、その顔すれすれの真横を綺麗に通り抜け、空を覆う魔法陣に照らされた虚空へと消えた。

 

「………できるわけない…! だって私は、まどかを救う為に全てを捨てたのに………」

 

答えは、最初から見えていた。

ほむらは、以前まどかにも同じ事を言っていた。

"世界なんかよりも、あなたの方が大事だ"と。

たとえ今、世界が滅びかけているとしても、その両者を同じ天秤にかけるということ自体が、そもそもほむらにはできなかった。

まもなく、この星の生命の全てが救済の魔女の生み出した新たな理と同化する。この星は歩みを止め、生命の一切が存在しない死の星へと変わるだろう。

概念とは所詮そんなものだ。誰からも認知されず、誰の記憶にも残ることはない。女神となり、最初から無かったかのように世界から弾き出された彼女のように、この宇宙から地球の生命が、少なくとも物質的には消える。

 

「…………お願い、やめて……この世界を壊さないで……!」

『壊す? 私はただ救いを与えて───』

「そんなものは救いなんかじゃない!! ……あなたのやってる事は、インキュベーターとおんなじよ…!」

『…人聞きが悪いなぁ。せっかく私が滅ぼしてあげたのに、その言い草はないんじゃない?』

「……滅ぼし、て……?」

 

救済の魔女はほむらの問いかけに応えるように、手にしていた弓を消し、代わりに大きな水晶の塊を錬成した。

鈍い輝きを放ち、病的に照らされた空を透かす水晶の中央には、よく見慣れた姿をしたモノが埋め込まれ、大量の楔のようなものが全身に打ち込まれていた。

 

「まさか、あなたの滅ぼしたモノって……」

『ひひひっ! そうだよ?』

「…そんな。じゃあ、いつから……?」

『ほむらちゃんがワルプルギスの夜を倒した後だよ。(この子)が契約しかけたおかげで、やっと私もこの世界に干渉できるようになったの。

でも、キュゥべえがいたら私の存在に気づかれちゃうでしょ? だから殺した(・・・)んだよ。嬉しいでしょ? ほむらちゃん、キュゥべえの事だいきらいだったもんね?』

 

水晶の中に埋め込まれたキュゥべえの姿をしたモノ(・・・・・・)からは、一切のエネルギーを感じなかった。

元来、概念生命体であるインキュベーターには実体はない。恐らく救済の魔女は、インキュベーターを受肉させてから、生命体として殺害したのだろうか。それとも、因果律に干渉してインキュベーターという概念そのものを直接滅ぼしたのか。

今の彼女には不可能なことなど何もない。インキュベーターを殺すなどという、ほむらにでさえ出来なかった事も、彼女からしたらごく簡単なことだったのかもしれない。

 

『さあ、いよいよ始まるよ。もうすぐこの世界はマグナ・ゼロとひとつになる』

「……人魚の魔女(美樹さやか)も言ってたわ。マグナ・ゼロってなんなのよ!?」

『あは、気になるんだ? マグナ・ゼロ───それは、原初の魔女の生み出した結界。あらゆる世界線を呑み込み、この宇宙の中で今も際限なく膨張を続ける存在。この世界の生命も、あの人が生み出し、私の理とひとつになった世界の一区画で新たなカタチとなって生まれ変わる』

「……わからない。そんな魔女が、本当にこの宇宙に存在しているとでもいうの…?」

 

それは、かつて過去を遡る為に宇宙の歴史へとアクセスを試みたほむらでさえも、知り得ぬ存在だった。

だとすればその魔女は、膨大な魔女結界を保有しながらも、宇宙の歴史にも記されずにひっそりと存在していたという事になる。

それこそ恐らくほむらのような半端者ではなく、救済の魔女や人魚の魔女のように、本当の意味で堕ちた者たちにしか認知できないのだろう。

 

『私と一緒においでよ、ほむらちゃん』

 

救済の魔女はほむらを貶めるのではなく、実に心から気遣うように優しく言う。

 

『マグナ・ゼロの中でなら、ずっと永遠に2人で生きていける。この宇宙が滅びたとしても、マグナ・ゼロは残り続けるんだよ。私達だけじゃない、この星のみんなも一緒に、永遠に生き続けられるんだよ?』

「……だめ、そんなことは許されない…!」

『私と一緒にいようよ。…ずっと、愛し続けてあげるから』

「やめて!! ……そんなのは"生きてる"なんて言わないよ…ただそこに存在してるだけ。モノと同じよ…! 私は! みんながいるこの世界で、まどかと…みんなと、一緒に生きたい。ただそれだけが望みなの……!」

『…残念だけど、それは無理だよ。てぃひひっ! だから、ほむらちゃんに選ばせてあげるよ!』

 

救済の魔女の翼が煌きを放ちながらはためくと、それに呼応するかのように、空に浮かぶ魔法陣の、彼女の遥か頭上の部分が真新しい傷口のように開いた。

そこからどろり、と雫のような瘴気にまみれながら、鈍く輝く満月のような球体が現れた。

 

『マグナ・ゼロとこの世界の同化を止めたいなら、私を殺すしかないよ。でももしほむらちゃんが私と一緒にいたいと思ってくれるなら…この世界を捨てるしかない。

マグナ・ゼロの奥で待ってるよ、ほむらちゃん。答えを導き出して、私のところまでおいで』

「……待って。待ちなさい、まどか!!」

 

ほむらが手を伸ばして追いかけようとするも間に合わず、救済の魔女の姿は虚空に溶けるように消え去った。

残ったのは、救済の魔女が魔法陣の中から呼び出した、膨大な瘴気を抱え込む巨大な球体だけだ。

救済の魔女の話から推測するに、あれこそがマグナ・ゼロと呼ばれた世界へと繋がる門なのだろう。

 

「………私は、どうすればいいの…?」

 

こうしている今も、地表からあらゆる生命が、魂が転換されて魔法陣へと吸い上げられている。

一体どれだけの命が、この世界に残存しているのだろうか。少なくとも、ほむらの近くの地表からは、ほんの僅かな生命反応しか感じ取れなかった。

そう、ちょうど5人分程の反応だけが。

 

「! ルドガー…みんな、無事なの?」

 

念話を飛ばそうと試みたが、返事はない。地表に蔓延しつつある瘴気が魔力の伝搬を阻害しているのだろう。

飛んで降りる暇も惜しんだほむらは、真下にある旅館の跡地へと瞬時に転移した。

 

「………酷い……」

 

すとん、と地に足をつけて降り立ち周囲を見回してみると、既にこの街の全ては瘴気に侵されていた。

また、空に浮かぶ魔法陣によって地上に住まう人々の魂は昇華され、旅館の中からすらも人の気配を感じられなかった。

そこにはまどかの肉親もいたはずなのに、だ。

 

「…………どうして、こんな真似を…!」

 

こんなものが救いでなどある筈がない。

この世界は、死んだのだ。

叫びたい衝動に駆られた。だが、胸の底から次々と湧き上がる感情はもはや言葉にする事すらできず、ただひたすらに心を締め付けてくるだけだ。

 

「………もう、いやだ……イヤだよ、こんなの………!」

 

今まではどんなに絶望的な結末を迎えても、"次がある"と自分を騙し、律し続け、無理矢理にでも立ち上がる事ができた。

だが、この世界にはもう"次"はない。

悪魔となったこの身が恨めしいとさえも思ってしまった。

人間ならば、今すぐにでもこの首を掻き切って自決できただろうから。

魔法少女だったならば、今すぐにでも魔女となって全てを忘れる事ができただろうから。

それすらも許されないのが、悪魔という存在だ。

今のほむらには"死"という概念が当てはまらない。首を掻き切ってもすぐに再生してしまうし、今更この身が魔女へと変わる事もない。

ただやり場のない絶望だけが、今のほむらに残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

「…だめだ、ルドガー。テレパシーが通じなくなってるよ」

 

 

 

その頃、空の上で起きていた一部始終を見ていた…見ていることしかできなかったルドガーとキリカは、散開して戦っていた他の少女達とコンタクトをとろうと試みていた。

しかし街中にまみれた瘴気の影響か、誰1人として連絡をつけることができず、2人はひとまず旅館のある方へと向かって走っていた。

降り始めた粉雪は少しずつ量が増えてきており、真夏の夜だというのにまるで秋の終わりのような気温へとなっている。

このままの調子であと数時間も雪が降れば、それなりに積もり、真冬のような気候へと変わってしまうだろう。

 

「…さっきの光は、なんだったんだ?」

 

2人は、空へと昇っていった光が一体何であるのかを知らない。この街が、世界の全てが歩みを止めてしまったということに、まだ気付いていない。

しばらく走ったあたりで、ようやく旅館の付近にまで差し掛かったその時─────ルドガーは、我が目を疑うような光景を目の当たりにした。

 

「………なんだ、これは……」

「ほむら!? 何をやってるんだい、君は!!」

 

ルドガーに追随していたキリカさえもが、それを見て表情を大きく変えた。

うっすらと旅館の前に積もった雪は周囲を白く染めかけていたが、その上からさらに赤黒い飛沫が花びらのように散っている。

その赤色の中央にいるのは、膝を折り無垢な表情で涙を流しているほむらだった。

 

 

「あ……ルドガー…?」

「ほむら……何をやってるんだ!?」

「…ねえ、どうしてなのかな? 私、死ねないの。ほら、こんなに刺してるのに、痛くもなんともないんだよ?」

 

そうしてほむらは手のひらの中に魔力で紡いだ光の刃を生み出し、何の躊躇いもなく自分の腹へと突き刺す。

腹の傷口から、そして喉の奥から大量の血が吹きこぼれていたが、ほむらの表情は微塵も変わらない。心から純粋に、"なぜ死ねないのか"という疑問を抱いた無邪気な子供のような表情だった。

 

「やめろ!」

 

ルドガーは堪らずほむらの腕を掴み、ひねり上げてその行為をやめさせた。

それに伴って光の刃もほむらの腹部から消滅するが、空いた傷口はものの数秒で何事もなかったかのように塞がる。

漆黒の衣装と白い肌に散った赤色が、そこに残るだけだ。

 

「どうしてこんな真似を! 一体、何が起きてるっていうんだ!?」

「…みんな、いなくなっちゃったの。まどかも、みんなも。ねえ、殺してよ。私を、殺してよ」

「………ほむら…!」

「もう、無理だよ。ねえ、生きてたくないの。あなたならできるでしょ? 殺して、はやく私を殺してよ………」

 

気が触れてしまっている。ルドガーは少なからずそう思った。

空で起きていた出来事は、あくまで遠目から見たというだけだ。しかしほむらの前に現れた存在は紛れもなく魔女。

まどかと瓜二つで、かつてのほむらと同じ白い羽根を宿した魔女だ。

 

(……テレパシーを通じて、2人のやりとりは少しだけ聞こえてた。あの魔女はやっぱり…?)

 

とはいえ、ルドガー達の耳に入ってきていた会話は、魔獣が殲滅される直前までだ。

最初は、まどかが何らかの要因───恐らくは契約未遂の影響によって、魔法少女としての力に覚醒し、数百を超える魔獣達を葬り去ったのだと思った。

では何故、彼女からはあんなにも強大な時歪の因子(タイムファクター)の反応が感じ取れたのか。

そこから推測できる結論は、ひとつしかなかった。それは僅かな相違こそあれど、ある意味では正しかった。

 

「………まどかが、魔女になったんだな」

 

ルドガーがそう口にしたその時、ほむらの身体がぴくり、と反応した。

 

「…………あ、あぁぁっ…イヤ……ちがう、ちがう、ちがう! あれはまどかじゃない! ちがうよ! まどかはこんなコトしない!! やさしい子なの……ねえ、まどかはとってもやさしいんだよ……?」

 

まるで幼子が駄々をこねるかのように、それでいて悲痛な叫びのように、ほむらは喚き散らす。

如何に神にも等しい悪魔としての力を得たとはいえ、それを手にしたのはほんの14歳の───時間遡行の回数を考慮したとしても、まだ若い少女なのだ。

元々、度重なる時間遡行によってほむらの心は疲弊していた。今回起きた事象によって、ほむらの心はついに限界を迎えてしまったのだろう、とルドガーは思った。

 

「ルドガー、私は旅館の中を見てくる。こんなにも静かなのは、少し不気味だよ」

「…ああ、わかった。ごめんな、キリカ」

「いいさ。今はとにかく、事態の把握が最優先だ」

 

本音を言えば、"見ていられない"というのがキリカの心情だろう。ルドガーもそれをわかっていたからこそ、敢えてそれ以上は言わなかった。

泣きわめきながら自傷行為をするほむらと、それを取り押さえるルドガーから目を背けて、キリカは旅館の戸を開けて土足のまま中へと上がり込んでいった。

 

「……!」

 

そうして再び視線を戻すと、とうとうほむらの変身が解け、恐らく直前まで身に纏ってあたであろう浴衣姿へと戻っていた。

ナイトメアと戦う前に急いで着替えたルドガーとは違い、ほむらは何故自分がこんな格好をしているのかを一瞬だけ疑問に感じたが、またすぐに虚ろな表情へと変わった。

 

「………ここは寒い。俺たちも一旦旅館に入ろう」

「? 寒くなんかないよ……?」

「えっ……」

「寒くないし、暑くもない。なんにも感じないよ。今までずーっとそうだった」

 

本気なのか、とルドガーは狼狽えた。今もしっかりと握りしめて押さえている手は、氷のように冷たい。

自傷行為をしていたのに、痛みを全く感じないとも言っていた。

無意識の内に魔力で体感気温や痛覚を調整しているのか。それとも、悪魔として覚醒した時点から、人間としての感覚が一部欠落していたのか。

ともかく、薄着だというのにほむらは全く意に介していない様子だった。

ルドガーは困惑しきり、疲れたようにため息をつく。

せめて他の少女たちとコンタクトを取れないだろうかと考えるよりも先に、サク、サク、と雪を割りながらこちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。

 

「ルドガーさーん!!」

 

ルドガー達が現れた方とは反対側の路地からさやかとマミが、そして、杏子は建物の屋根の上から飛び降り、ルドガー達のところへとようやく合流した。

その内、さやかが血まみれのほむらの姿を見て驚愕する。

 

「ほ、ほむら……!? どうしたの!? まさか、まだ魔獣が!」

「待て、さやか。この辺にはもう魔獣はいねえよ」と、杏子が慌てふためくさやかを律するように言う。

「ルドガーさん、何があったの?」

「…マミ。俺にも、よくわからないんだ」

「そのようね…まさか、さっきの魔女はやっぱり鹿目さんが……」

「───マミ、それ以上言うな!!」

「えっ…?」

 

ルドガーが気付くよりも早く、マミの言葉にほむらが反応した。

少しばかり落ち着いたようにも見えていたほむらの表情はまたも歪み、錯乱してもがき出した。

身をよじるように暴れたせいで浴衣の帯が緩み、下着を身につけた素肌が外気に晒されかけるが、それを気にする様子などまるでない。

 

「イヤぁぁぁぁぁっ!!! まどか! まどか助けて!! わたしをひとりにしないで! まどか、まどかぁぁ!!」

「な…っ、暁美さん!? どうしたのよ!?」

「わたし、約束したもん! まどかを魔女なんかにさせないって! まどかは魔女なんかじゃない! わたしをひとりになんかしないもん……!」

"魔女"と"まどか"。その2つが言葉として繋がった時、ほむらは過剰に反応するようだった。

誰の目から見ても、今のほむらは正気を失っていると判断できた。だが、それを誰が責められようか。

 

「………見てらんねえよ」

 

ただ1人、杏子だけが苦虫を噛んだように悔しそうな顔をして呟いた。

 

「アタシに任せろ。気が狂ってんなら、その部分の記憶を抑え込めばいい」

「佐倉さん、何を…?」

「アタシの得意技、知ってんだろ? …シャクだけど、こういうコトができんのはアタシしかいねえからな」

 

杏子は錯乱して暴れるほむらの前に手をかざし、魔力を紡いでほむらへと暗示をかけ始めた。

"皆が父の話を聞くようになってほしい"。かつてそう願って得た力は、"催眠・幻覚魔法"という歪んだものだった。

その力を結果として恨み、一時は自ら封印していたが、こんな力でも誰かを守れるのならばと思い、先の戦いでその戒めを解いたのだ。

……その力をこんな風に使うことになろうとは、杏子自身も思ってもいなかったが。

 

「──────あ、」

 

杏子が魔法を発動してから数秒後、ほむらは崩れ落ちるかのようにその場に倒れ込んだ。

咄嗟にルドガーが身体を抱えて、地面に倒れるのを防いだが、相変わらずの身体の軽さにより一層不安を覚える。

 

「………ふぅ、終わったぞ」

「佐倉さん、一体、何を"見せた"の?」

「人聞きの悪い事を言うなよな、マミ。コイツはいっぺんに色んな出来事が起きて、頭がショートしちまっただけだ。だから、魔法で感情の一部にロックをかけたんだよ。少し寝りゃあ落ち着くだろ」

「そう……ありがとう、佐倉さん」

 

とにかく、中へと戻ろう。ルドガーがそう言いかけた時、今度は旅館の中からキリカが血相を変えて飛び出してきた。

 

「……みんな、戻ったんだね。ルドガー、大変なんだ!!」

「キリカ、何があった?」

「………旅館の中にいる全員が、意識を失っている。…いや、むしろ…魂を抜かれてるみたいなんだ」

「魂を、だって……?」

「…君は、ソウルジェムを失った魔法少女を見たことがあるかい。私はある。その時と同じように、まるで抜け殻みたいに、みんな目を覚まさないんだ」

 

ルドガーは過去に、そういった魔法少女を1人だけ見たことがある。故に、キリカの言いたいことを理解することは難くなかった。

 

「……とにかく、一旦中に入ろう。これからどうしたらいいか、よく考えないと……」

 

空を覆う魔法陣から煌めく病的なまでに白い光と、次第に勢いを強めてゆく雪に打たれながら、5人は廃墟同然の旅館へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

分担して旅館内にいた人達全員を集め、1箇所の部屋へと集めて寝かせたが、やはりキリカの言うように、それら全員はまるで死んでいるかのように無反応だった。

ただ眠っているのとも違う。"魂が抜かれてる"といった表現はまさに妥当だったろう。

季節外れだが暖房をつけ、それから何を閃いたのか、杏子がテレビの電源をつけては、片っ端から適当にチャンネルを変えてゆく。

だが、どのチャンネルも電波を受診していないようで、ただの真っ暗な映像が映されている。

スマートフォンを使って情報を集めようとするも、空に浮かぶ魔法陣の件や、ここ以外でも同様の事態が起きているのか、そういった情報は一つたりともなかった。

むしろ逆に、魔法陣が展開された直後の時刻以降、ニュースサイトやSNSなどのありとあらゆる情報が完全に途絶えていると気付いた。

技術の大半を機械任せにしている現代だからこそ、人の手がなくともすぐにライフラインが途絶える事はないのだろう。だがそれも、あと何日()つかはわからない。

 

「どーやらこの騒ぎは、ここだけじゃないみたいだな」

 

と、杏子がいつかのように駄菓子を咥えながら語る。

彼女は無作法なのではない。何かを口に含んでおくことは、杏子にとっての苛立ちの解消法なのだ。

とはいえ、ここの所しばらくそういった仕草を見せなかっただけに、杏子の事をよく知る4人は固唾を飲んだ。

そうして、次に口を開いたのはさやかだ。

 

「…あたし、思うんだ。さっき空に向かって光が昇っていったよね。アレ…なんとなく、ソウルジェムの輝きに似てた気がしたんだ」

「私もそれは見たわ。ということは、その光って……」

「魂、って言いてえのか…あながち、間違ってもねえかもな」

「……どうして、こんな事を……」

「考えんな、さやか。魔女のやることに理由なんかねえよ」

 

果たして本当にそうだろうか。

人魚の魔女の例もある。彼女の場合はほむらに対して明確な殺意を抱き、他の魔法少女達に対しても、絶望の淵に追い込んで魔女化させるという目的があった。

そしてその根底には、"あの娘"と呼ばれる存在が暗躍していた。

それ故に、ルドガーは人魚の魔女以外にも、意思を持つ魔女は存在し得ると考えていた。

問題は、あの魔女の正体だ。

 

「…ここにはまどかはいなかった。やっぱりあの魔女は、まどかで間違いないと思う」

「…なら、この事態を解決する方法は……ソレしかないよな」

「杏子っ!! あんたまさか、まどかを殺すっての!?」と、さやかが杏子に食ってかかる。

「バカやろう、あくまでまどかが魔女だったらって話だよ! …とにかく、アイツの居場所を突き止めねえと話は進まねえだろ。殺すにしても、連れ戻すにしてもだ!」

 

そのヒントになり得るのは、空に浮かぶ瘴気を放つ球形の物体だろう。ルドガーは過去の記憶を振り返りながら、少女達に説明を始める。

 

「みんな、聞いてくれ。…俺はあの空の球体に見覚えがある。あれは多分、"カナンの地"…それか、ソレを真似して造られたものだと思う」

「…それは、一体なんなのかしら?」と、マミが問いかける。

「俺の知る限りでは、あそこには"審判の門"があった。クルスニクの一族にかけられた骸殻の呪い…その犠牲者が100万人に達する前にそこへ辿り着けば、どんな願いも叶えてくれる。少なくとも、そういう言い伝えだった。

…と言っても、クルスニク一族の審判はもう終わった。俺以外の骸殻能力者ももういないし、門ももう無い。きっとあれは、旅船ペリューンみたいに俺の体験を基に造られた空間だ」

「…確かに、以前もそうだったわね。でもどうして、あの魔女達はルドガーさんの事を?」

「それは、まだ解らない。けど、もしかしたら……キュゥべえがかなり前に言ってた話だ。遥か昔、俺と同じ骸殻の力を持った魔女が存在していたらしい」

「!? そ、れって……まさか…?」

「…そうだ。エレンピオス…あるいは、リーゼ・マクシア。そこにもかつてキュゥべえと契約した人がいた…って事だよ」

 

それも、ルドガーと同じ骸殻を持つ者となれば、契約を交わしたのは恐らくクルスニクの一族の誰か。

始祖たるミラ・クルスニクから2千年程続いた血族の内のどこかで、魔法少女に…そして、魔女となった存在がいたという事だ。

しかし現代のエレンピオスやリーゼ・マクシアにおいてキュゥべえの存在はなく、キュゥべえもまたルドガーの存在をこの世界で初めて認識していたような節がある。

恐らくは、エレンピオスでは魔法少女システムのサイクルが成り立たなかったからだ。

あの世界には精霊術や骸殻を扱える者や、黒匣(ジン)・リリアルオーブという異端技術、そして大精霊がいる。

わざわざ魔法少女を造り出すまでもなく、戦闘能力の高い彼らならば、魔女を駆逐する事など容易いだろう。

現にこうして、骸殻を持つルドガーが見滝原で何度も魔女を倒している事が、その証明にもなっている。

…そしてルドガーが考えた可能性のひとつは、エレンピオス及びリーゼ・マクシア出身の魔女が、その世界の事を(くだん)の魔女達に教え伝えた…もしくは、今も何らかの方法でその世界と繋がっている、というものだ。

 

「なるほど…それなら、一理あるわね」

 

マミを始め、魔法少女達もルドガーの言葉を聞いて、あまりにも多すぎる疑問への足掛かりを得たように頷いた。

 

「だとしてもだよ、ルドガー。カナンの地へはどうやって行けばいい?」

「……それなんだけど…」

 

ふと、キリカがそう尋ねかけた。当然、1度カナンの地へと足を運んだ事のあるルドガーならば、それを知らない筈がない。

…いや、忘れる事など出来ようもない、と言った方が正しいだろう。

 

「まず、カナンの地を出す条件として、5つの"道標"が必要なんだ。海瀑幻魔の瞳・ロンダウの虚塵・箱舟守護者の心臓……この3つは、既に俺たちの手にある」

「残りの2つは?」

「……「次元を斬り裂く剣(エターナルソード)」と、「最強の骸殻能力者」……つまり、俺自身だ」

「…じゃあ、4つは揃ってるんだね」

「そうだ。ただし…カナンの道標は、宿主を壊す…いや、殺さないと実体化しない」

「………えっ? ルドガー、今なんて言ったんだい」

「…キリカ。4つ目は、俺自身が死なないと手に入らないって事だ」

「………そんな、嘘…だよね? こんな時に、悪い冗談はやめてよ、ルドガー……?」

「…冗談なんかじゃ、ないんだ」

 

ルドガーから事実を聞かされた少女達は皆、凍りついたかのような表情をして驚いていた。

特にその内のキリカは、一気に顔色が青ざめ、ふらつきながらもルドガーのシャツを掴んで身体を揺さぶりながらまくし立てる。

 

「なんで……なんでそんな事を言うんだ君は!?」

「……カナンの道標だけじゃない。カナンの地へと渡る為には、"魂の橋"を架ける必要がある。…強い骸殻能力者の命を使って、橋を架けなきゃいけないんだ。骸殻を使えるのは、この世界にはもう俺しか…」

「イヤ!! それ以上聞きたくなんてない! ……どうして、君が死ぬ必要があるんだ。私じゃ、ダメなのかい…?」

「…っ、キリカ…!」

「カナンの地はもう出てる。なら、道標はもう必要ないって事だよね…? …ルドガー、橋を架けるなら私の命を使ってよ。君に救われた命だ。私は、君の為なら死ねるよ…?」

 

そう言ってルドガーに訴えるキリカは、本気の眼をしていた。

大粒の涙を零しながらも真っ直ぐに見つめてくるその姿は、何となしにまどかに固執するほむらの姿を思い出させた。

 

「………お前までそんな事言わないでくれ。言っただろ? 俺は、誰かの代わりにする為にお前を連れてきたんじゃないんだ! ……俺は、もう何も失いたくないんだ」

「………そのことなんだけどさぁ!!」

 

2人のやり取りを見ていられないと感じたさやかは、何かを閃いたように大声で叫んで2人を制した。

 

「ルドガーさん、その"魂の橋"を架けるには骸殻の力が要るんだよね?」

「ああ、そうだ」

「それで、骸殻の呪いが進むと時歪の因子化しちゃうんだよね。…て事はさ、骸殻の力じゃなくても、時歪の因子の力を代わりに使えるんじゃないかな?」

「時歪の因子を? …でも、そんなものどこにも…」

「あるんだよ、それが! …思い出してよ、ルドガーさん。魔女は、時歪の因子の反応がしたんだよね?」

「そうだ。でもそれが……まさか、」

「そうだよ、ルドガーさん。……本当はこんな風に利用するの、良くないのかもしれないけど。時歪の因子の反応がした魔女のグリーフシードを使えば、"魂の橋"を架けられるんじゃないかな…?」

 

さやかのふとした発案に、ルドガーはこの世界に来てからの記憶を振り返ってみた。

薔薇園の魔女に始まり、お菓子の、箱の、人魚の、影の魔女…そして、ワルプルギスの夜。

それらの魔女は確かに、時歪の因子の強い反応を示すと共に暴走を引き起こしていた。

時歪の因子の反応と魔女自身に直接的な関係はわからないし、様々な時間軸を渡ってきたほむらも"今までそんな事はなかった"と示唆していた。だが、

 

「試してみる価値はあると思う」

「じゃあ、すぐに行きましょう!」

「…いや、もう少しだけ待とう。杏子、ほむらはあとどれくらいで起きそうだ?」

「身体の方は傷一つねえ。アタシの魔法がちゃんと効いてりゃ、そんなにはかかんねえだろ」

「………わかった。みんな、ほむらが目を覚ますまで少し休もう」

 

ルドガーのその提案に、戦いに慣れきっていた3人の魔法少女達は反発する事はなかった。

魔獣との戦いで疲労も蓄積しているし、もはや事態は世界中の全てを巻き込んでしまっている。確かにあまり悠長にはしていられないが、かと言って急げばいいのかと言われれば、3人は首を横に振るだろう。

ただ、戦いの経験がまだ浅いさやかだけはその限りではなかった。もっともさやか自身も、今回の旅行に同行してきていた母が間近で被害に遭っている。そう考えると無理もない話だが。

 

「ルドガーさん!? あたしは大丈夫だよ! ほむら抜きでも、早くなんとかしないと……」

「…こうなった以上、ここで焦ってもいい結果にはならない。それに、どの道ほむらが居ないとカナンの地へは行けないと思うからな」

「それって、どういう………」

 

さやかのその問いかけに応える前に、ルドガーは敷き布団に寝かされたほむらの方を見て考える。

4つの道標は皆の手にある。が、既にカナンの地が顕現している今、道標に固執したところで特に意味はないのかもしれない。

だが、この死んだ世界を元に戻せる可能性を考えると、概念にすら干渉でき得るだろうほむらの存在を無視できないのだ。

そしてほむらは現に、ワルプルギスの夜を"次元の狭間を開き、そこへ幽閉する"という形で倒すことに成功しているのだから。

 

「最後のカナンの道標───"次元を斬り裂く剣"の役割には……たぶん、ほむらが当てはまるからだ」

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

しばしの休息を取ろう、とは言っても、ゆっくりと足を伸ばすような意味合いでは決してない。

各々が受けた傷の治癒や疲労の回復に徹し、また、先のワルプルギスとの戦いで十全に蓄えのあるグリーフシードを使って、穢れをしっかりと浄化する。

各自があと80余りのグリーフシードを所持していたが、既に魔獣との戦いで数個は消費してしまっている。杏子に至っては、「寿命が半年縮んだ」などと冗談交じりに悪態をついていたが。

現在、被害者達を寝かせているのとは別の部屋には、今も気を失っているほむらと杏子、マミの姿だけがあった。

 

「………全く、とんでもねぇ事になっちまったな」

「ええ、本当ね…」

 

ルドガーは外の空気を吸いに行くと言って部屋を出て、キリカもそれに追随して行ってしまった。

さやかも席を外していたが、彼女は芯が強い。思い詰めることもないだろう。

正直なところ、この状況においても取り乱さずに前を向いていた事について、杏子は高く評価していた。

 

「………ここは、とても静かね」

「生きてんのはアタシ達しかいねえからな」

「佐倉さん…死んではいないわよ。ちゃんと呼吸してるわ」

「でも、魂がないんだろ? ……そんなの、生きてるって言えんのかよ」

 

彼らを貶める意味で言ったわけではない。それは、この状況において力及ばず、事態を防げなかった自分自身に対して向けた言葉だ。

 

「……ったく、まどかめ。虫も殺せねぇ小娘だと思ってたのによ」

「…私、まだ信じられないの。鹿目さんが魔女になってしまっただなんて。だって、契約してないのよ?」

「契約しかけたけどな。…まあ、そこんトコはアタシにはわかんねぇ。とにかく、だ。会ったら一度顔面張り倒す」

「……それ、暁美さんに聞かれたら怒られるわよ?」

「はっ、確かにな。そいつはアタシの役目じゃねえか……」

 

早く起きやがれ、馬鹿やろう。今も横たわるほむらに対し、杏子はそう投げかけた。

 

 

 

 

 

 

時同じくして、すっかり積もった雪景色を一望できる旅館の縁側に、ルドガーとキリカは隣り合って腰を下ろしていた。

 

「寒くないか、キリカ」

「ううん、平気だよ」

 

まるでずっと昔からそうであったかのように、2人の間には殆ど距離はない。

 

「さっきは、取り乱しちゃってごめん。…君を失うと考えただけで、冷静じゃいられなくなってしまった」

「俺こそ、悪かった。確証もない話をするべきじゃなかったのかもしれないし……」

「………ねえ、ルドガー。君にはまだ、私が何を願って魔法少女になったのかを話していなかったね」

「ん? ああ、まだ聞いてないな」

 

基本的に魔法少女の願いは、キュゥべえによって自然とマイナスの方へと向かうような、歪んだ形で叶えられてしまう。

ほむらを見ればそれを痛いほど実感する事ができるし、他の少女達もきっとそうなのだろう。

 

「私は元々は、人と話すのが苦手で…引っ込み思案な性格だったんだよ。だから、"違う自分になりたい。変わりたい"…そう願ったんだ」

「……違う自分に、か…」

「そう。その結果…私は確かに変わった。まるで2重人格者のようにね。引っ込み思案だった私は消え、今の私の性格になったんだ。

不思議な気分だったよ。"私"として生きてきた記憶は確かにあるのに、思い出そうとしてもまるで他の人の出来事のようにしか感じないんだ。"変わりたい"と望みはしたけど、それはこんな形での願いじゃなかった。……今の"私"は、契約によって作られた人格なんだよ」

「そう…だったのか……」

「ふふ、でも悪いことばかりじゃあなかったよ。私のいた世界で君と出逢って、この世界へとやって来て…その時初めて、私は本当の意味で変われた気がしたんだ。魔法少女になっていなければ、きっと君と出逢う事はなかった…だから、魔法少女になって良かった。今ならそう思えるよ」

 

そう言って柔らかく微笑むキリカの姿は、可憐で、それでいてどこか儚げに映った。

まるで、手を離せばどこか遠くへと消えてしまいそうな程に。

ルドガーはほぼ無意識の内にキリカの身体をぐい、と引き寄せ、気付くと両手を回して優しく抱き締めていた。

 

「る、ルドガー…!?」

「……キリカ。全てが終わったら、一緒に暮らさないか?」

「……………いいの?」

「ああ。お前を離したくないんだ」

「…………うん…!」

 

一度魔法少女となってしまえば、その命はとても儚い。

魔女を倒し、グリーフシードを得なければ生きてゆけないし、それも決して長くは続かないだろう。

もちろんルドガーはそんな理由でキリカを抱き締めたのではないし、キリカもまた、思ってはいても口には出さなかった。

たとえ短い命だとしても、ルドガーと共に歩んでゆけるならば、それは何よりも価値のある人生だと思ったからだ。

その想いは、好きだ嫌いだとか、愛や恋などという高尚なものではない。

ただ、共に在りたい。それだけを思って、2人は互いの存在を腕の中で確かめ合った。

 

 

 

 

 

 

 

そして残る青の魔法少女は、被害者達が寝かされている方の部屋へと顔を出していた。

旅館の従業員をはじめ、まどかの両親、弟………そして、さやか自身の母親がそこにいる。

 

「………あたし、信じらんないよ。あんたがこんなコトするだなんて……」

 

あくまで状況による判断でしかないが、先の魔女はまどか自身であると見てほぼ間違いないだろう、と考える。

人魚の魔女と同様に、ある程度の自我を持ちながらも絶望によって歪みきった存在。

だとしても、さやかの知る"鹿目まどか"という人間は、世界中の人間の魂を抜き取るなどという愚行を犯すとは到底思えない。

何か、そうまでしなければならない理由があるのか。それともアレは、まどかではない"何か"なのか。さやかはそう考えていた。

寝かされているまどかの両親達を見て、さやかは独り呟く。

 

「…おばさま、おじさま。まどかは絶対にあたし達が連れ戻します」

 

たとえ魔女になっていようと、なっていまいと、関係ない。それは、親友としての精一杯の決意だった。

さやかは次に、眠る母親の方へ向き直る。

 

「お母さん、待ってて。…あたしが絶対助けるから」

 

そして雪景色の空を窓越しに見上げ、見滝原でも恐らく同じ目に遭ってしまっているだろう親友と、ようやく想いを伝える事ができた人に向けて、

 

「恭介、仁美。…………絶対に、みんなで(・・・・)一緒に帰るから」

 

 

さやかは"親友を死なせない"という願いを込めて、悪魔との契約を交わした。

果たして、過去にどれだけの魔法少女がきちんと願いを叶える事が出来たのだろうか、それを知る術はない。

ただ、契約して以来…正確には、影の魔女の分史世界から戻って以来、さやかは時折考える。徹頭徹尾、願いとは自分の手で叶えなくてはならないのだ、と。

"契約"して力を手に入れることは、あくまでその足がかりに過ぎない。ならば、

 

 

「待ってなよ、まどか」

 

 

この手で掴み取ってみせる。親友(とも)と一緒に歩んでゆく未来を。

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

夜空が白く塗りつぶされ、粉雪もすっかり大粒の雪へと変わり始めた頃、時計の針はすでに日付を跨いでいた。

そうしてようやく、眠り続けていた少女は目を覚まし、ゆっくりと布団から半身を起こした。

 

「………ここ、は……」

「よう、やっとお目覚めか?」

「…杏子」

 

杏子だけではない。旅館の一室には休息を終えた仲間達全員が集まっていた。

 

「………私に、暗示をかけたのね」

「ご名答。…おっと、正気(シラフ)でいたかったら迂闊にアタシの暗示を解くんじゃねーぞ? つっても、こんな風に感情の殆どをブロックするなんて使い方、やった事ねえけどな」

「…わかっているわ。自分で言うのもなんだけど…今の私は、冷静に自己分析できていると思う」

「じゃあ早速質問だ。…まどかに何があった?」

 

敢えて杏子が率先的にほむらに問いかけた。先刻までは錯乱しきっていて、まともな受け答えなど全く期待できなかったが、

 

「………この状況を(かんが)みるに、あなた達も大体の想像はついているのでしょう。まどかが魔女になった……いえ、まどかに魔女が乗り移ったのよ」

「乗り移った、だぁ?」

「ええ。以前まどかはインキュベーターと契約しかけたでしょう。あの時は契約は成立せず、魂の転換はされなかったけれど…まどかに蓄積していた因果係数が表面化してしまったの。言うなれば、人間のまま魔法少女になりかけている状態だったの」

「………そんな事が、あり得るのかい」と、キリカが息を呑みながら言った。

「私も、こんなケースは初めて見るわ。…そうして、半分魔法少女となっていたまどかに"救済の魔女"……かつて鹿目まどかだった存在が乗り移り、身体を支配しているの」

「! ……よりにもよって、ソイツかよ…」

 

と、悪態をついたのは杏子だ。

救済の魔女の存在自体は、ほむらの口から度々説明されている。かつて他の世界でまどかが魔女と化した、ワルプルギスの夜をも上回る最悪の魔女だという事は、もはや言うまでもなかった。

全国規模で被害が出ている今回の件も、救済の魔女がやった事だと考えればある意味納得だった。

 

「まどかを助ける方法は、あるのか」と、ルドガーが真剣な目つきで問いかける。

「可能性としては低いけれど、あるわ。単純な話だけど…まどかの身体から救済の魔女を引き剥がし、倒す。…けれど、まどかの魂そのものも救済の魔女と同化してしまっていたら、引き剥がす事は出来ないわ。それに、救済の魔女を倒すだけではこの世界は救えない。……私の力が及ぶかどうかはわからないけれど、昇華してしまった魂を地上に戻す必要があるわ。でなければ………」

 

この星は、死ぬ。言葉に出さずとも、全員がそれを理解していた。

ほむらは布団から出て立ち上がると、ぱちん、と軽く手拍子を打ち、漆黒の衣装へと早変わりした。

 

「行きましょう」

「おい、ほむら。……やれるんだろうな」

 

なおも杏子は、ほむらに対して直接的な質問をぶつけた。まどかを救うにしろ、救えないにしろ、救済の魔女を倒さなければ先へは進めない。

しかし、杏子の求めている答えはそんなつまらないものではなかった。そして、それを見抜いているかのようにほむらも、

 

「愚問ね、杏子。まどかは私の恋人よ? ……絶対に助けてみせるわ」

「へっ、そうこなくっちゃな。やっと調子が戻ったみてえだな!」

「ええ、誰かさんの荒療治のおかげでね」

 

もはや俯いたりなどしない。

杏子の暗示で正気を取り戻したから、というだけではない。

砂時計の盾を捨てた時、「もう2度と諦めたりなんかしない」と誓ったから。

この世界も、まどかも、両方とも救ってみせる。ただそれだけの想いを胸に秘め、今再び羽撃(はばた)く。

目指すは空へ浮かぶ特異点。そしてその先のまだ見ぬ地─────天上の楽園(マグナ・ゼロ)へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話「その罪を、償わせるのさ」

第35話

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

太陽の光すら遮ってしまう程の眩い光を放つ魔法陣に全てを覆われた空からは、大粒の雪が降り注ぎ始めていた。

7月の終わり、それも間もなく深夜0時を廻ろうとしているにも拘らず、外の景色はまるでその真逆。

全ての魂が昇華され、生命の息吹がまるで感じられないこの世界だが、そこに唯一、自らの足で立つ者たちがいる。

 

佐倉 杏子。

美樹 さやか。

巴 マミ。

呉 キリカ。

 

その4人の魔法少女達よりも1つ上の次元へと到達した"悪魔"、暁美 ほむら。

 

そして、この世界ではない処からやってきた、"骸殻"を持つ男、ルドガー・ウィル・クルスニク。

 

彼ら6人は現在、0時を廻ったのを目安にして、ひとまず身を休めていた旅館の外に出て、空を見上げていた。

 

まるで漂白されたかのように、不自然なほど白い空の上には、黒く巨大で禍々しい球体が浮かんでいる。

カナンの地─────それは、かつてルドガーが目指していた約束の地でもある。

だが、アレは似て非なるモノ。異世界への入り口である事には変わりないだろうが、あくまでアレはその姿を借りているモノに過ぎないのだろう。

 

だというのに。

 

 

「ルドガーさん、見て。…これ、急に強く光りだしましたよ」

 

さやかが手に持っているのは、"カナンの道標"その一つ───"箱舟守護者の心臓"。

それはかつて分史世界で出逢った、今は亡き親友…もう1人の(・・・・)暁美 ほむらに、文字通り"心臓"として宿っていたものだ。

同じくルドガーが手にしている道標───"ロンダウの虚塵"と、"海瀑幻魔の瞳"も同様に発光している。

この2つは、かつて人魚の魔女が自らの魔力を増幅させる為のブースターとして使っていたものだ。

残る道標は2つ。"最強の骸殻能力者"と、"次元を切り裂く剣(エターナルソード)"。この5つが揃う時、カナンの地は顕現し、道は拓かれる。

だが、既にカナンの地は空に浮かんでいる。残るは、そこに至るまでの"橋"をどう確保するかだ。

 

 

「具体的に、これをどうすればいいんですか?」と、さやかが尋ねかけた。

「…5つの道標を、五芒星型に配置するんだ。そうすると道標は一つになる…はずなんだけど」

 

言いながら、ルドガーは2つの道標を雪が厚く積もった地面に置き、さやかもそれに従って道標を置く。

そして残る2つの頂点にそれぞれ、ルドガーとほむらが代わりに立ってみた。

悪魔となったほむらには、次元の扉をこじ開ける能力が備わっている。さしづめ、"次元を切り裂く剣"の代用といったところだ。

対して、ルドガーは現存する"最強の骸殻能力者"だ。条件的には、これで全て揃っている。

 

 

だが、それだけでは何も起こらなかった。

 

 

「………ダメか」

 

わかっていた、とばかりにルドガーは弱々しくぼやいた。

カナンの地を顕出させる為の手段としては間違ってはいないだろう。だが、問題はその後なのだ。

カナンの地へと赴く為には、強い骸殻能力者の命を贄として"魂の橋"を架けなければならない。

かつてルドガーは、実の兄であるユリウスの遺志によって架けられた橋を用いて、カナンの地へと入った事があった。

しかしこの世界には、骸殻能力者はルドガー以外には存在しない。

やはり、それしかないのだろうか。ルドガーの脳裏に、微かに嫌な思考が走った。

だが、アレはあくまでカナンの地を模したもの。仮にこの場でルドガーが自刃したとて、"橋"が架けられるとは限らないし、ルドガー自身にも目的がある以上、その手段を執ることはできない。

しかしこの場には、代用であるほむらを除けば4つの道標が揃っている。そのこと自体には必ず意味がある筈だ。

あと、何かひとつ。それさえあれば次へと進める。ルドガーはそう考えていた。

ならば、と。

 

「これを使ってみましょう」

 

漆黒の衣装へと衣を変えたほむらが手をかざすと、その掌の上にグリーフシードが現れた。

しかもこれはただのグリーフシードではない。"影の魔女・エルザマリア"───ほむら達が持つグリーフシードの中でも最も強力な魔力を秘めた欠片である。

今までの戦いから、強い魔力を持つ魔女は皆時歪の因子(タイムファクター)と同じ反応を示していた。

また、時歪の因子とは、魔女同様に骸殻能力者が行き着く最終地点でもある。つまり、強力な時歪の因子の反応を示したエルザマリアのグリーフシードならば、"魂の橋"を架けることができるのではないだろうか、と考えたのだ。

グリーフシードを五芒星配置の真ん中に置くと、重力に逆らって針の部分を脚にして、コマのように直立した。

そして、

 

「……!」

 

それに同調して、ルドガーの懐中時計が唸りを上げ始める。そしてほむらの方も、何かしらの変化を感じ取ったようだ。

 

「ルドガー、時計を出して!」

「ああ!」

 

ルドガーは懐中時計を、ほむらは掌の上にダークオーブを乗せ、揃って目の前にかざした。すると、

 

「……!? これは…」

 

五芒星配置の中央に立つグリーフシードから、どす黒い瘴気が滲み出始めた。

まさか、孵化してしまったのか? とルドガーは一瞬考えたが、すぐにそうではないと気付く。

滲み出た負のオーラは宙を漂い、朧げながらも少しずつ輪郭をとり、その上に複数の歯車が噛み合わさったような幾何学模様が浮かび上がる。

それはまさしく、かつてルドガーが目にした"魂の橋"と酷似していた。

 

「……ひとまず、成功みたいだな」

 

強いて言えば、ユリウスの強い遺志によって造られたかつての魂の橋と比べると、やや形状が不安定なところか。

恐らく、あまり猶予はない。もう数分もすればこの"橋"は崩壊、霧散してしまうだろう。

そしてこの先には、まだ見ぬ新たな世界が待っている。

 

「………みんな、いけるか?」

 

ルドガーは改めて、後ろを振り返って4人の魔法少女達に尋ねかけた。

その問いに最初に答えたのは、赤と黒の少女───杏子と、キリカ。

 

「なぁーに今更なコト聞いてんだよ、あん? アタシが怖じ気つくとでも思ったか?」

「君の行く所ならば、私はどこまでもついて行くよ」

 

それに続くように、さやかとマミも言葉を返す。

 

「まどかはあたしの親友ですから。ほむらにばっかりカッコつけさせませんよ?」

「大事な後輩だもの。放ってなんかおけないわよ」

 

もはや訊くまでもなかったか、とルドガーは肩を下ろし、いよいよ魂の橋へと向き直った。

ほむらから譲り受けた盾の格納庫を腕につけ、その重さを確かめる。

 

「………よし、行こう!」

 

そうしてルドガー達は、異界への扉へと足をかけ、踏み込んでいった。

 

これより先へ待つのは、まだ見ぬ世界。救済の魔女───そして、未だ素性のわからぬ"原初の魔女"と呼ばれる存在がいるのだろう空間へと、最後の決着をつけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

魂の橋を抜けて、体感にして数秒ほどだろうか。突如として、空気の流れが変わったのをルドガーはしっかりと感じとっていた。

 

「………えっ…!? ここ、まさか……?」

 

だが目の前に広がる景色は、ルドガー自身の目を疑わせるに充分過ぎた。

陽の光が差さず、淀んだ空気が広がる中に、人工的な建造物が大量に立ち並ぶ。

大広場からは四方に伸びる橋が出ており、それぞれ異なる場所へと通じている。そして橋の先に何があるのか、ルドガーはしっかりと記憶して(・・・・)いた。

 

王都イル・ファン──────それが、この街の呼称だった。

 

「…そうだ、他のみんなは。どこだ?」

 

いきなり予想外の場所に到着した事に対して困惑せざるを得ないのだが、すぐにルドガーは周囲を見回して少女達の姿を探してみる。

しかし、ルドガーの周りには誰1人としていなかった。魔法少女達はおろか、イル・ファンに住まう人々の影さえも。

それに、先ほどから鼻腔を擽るような微かな腐臭も気になる。エレンピオスとは異なり、微精霊の力を借りて光を得る建造物の照明も、その全てが火を灯していない。

精霊術の一種でもある骸殻を操り、自身もまた時の大精霊の眷属となった(と推測される)ルドガーには理解できた。

今いるこの場所には、一切の微精霊が存在していない。まさに"抜け殻"という表現が相応しかった。

 

「キリカ! さやか! マミ、杏子! どこだ! どこにいる!?」

 

ルドガーは中央広場からタリム医学校の方角へと足を進めながら、大声で少女達を呼び続けた。

だが一向に返事はなく、それどころか、奥に進むにつれて腐臭が濃くなっている気もしてきた。

恐らく彼女達もルドガーと同時にここへと飛ばされてきたのならば、まだ建物には入っていないだろう、と考えた。

イル・ファンは確かに建物が多いが、土地自体もかなり広く大きい。その上、ここは敵陣なのだ。

仲間を探すのならば、まず先に外を見て回る。何があるかもわからない建物内には入るはずはない、と考えたのだ。

医学校の周辺には誰もいないと判断したルドガーは、再び中央広場へと戻り、次にオルダ宮へと繋がるひときわ大きな橋へ向かった。

イル・ファンの奥にそびえ立つ荘厳だった宮殿も、この空間においては一切の光が灯されておらず、ただただ不気味なだけだ。

 

「………なんなんだ、ここは。分史世界なのか!? それとも……」

 

単に模倣しただけの世界なのか。

次第に気味が悪くなってきたルドガーは、オルダ宮の手前で引き返し、またも中央広場へ小走りで戻った。

生命の息吹がまるで感じられない。

外観こそリーゼ・マクシアそのものだが、ここの環境は荒廃しかけていたエレンピオスよりも劣悪だろう。

ひどく疲れたような感覚を覚えたルドガーは、膝に手をつき、ため息をついた。

先へと進まなければならないのに、いきなりこんな空間へと飛ばされ、立ち往生もいいところだ。

 

「…………はぁ……ん?」

 

その時、風も吹かないような中で遠くから微かな声が聞こえたような気がした。

彼女達のうちの誰かがいるのか、それとも敵か。そう考えるまでもなく、ルドガーの足は再び動き出し始めた。

声のした方角は、学術研究地区のあたりからだ。

 

「おーい! 誰かいるのか!?」

 

と叫びながら、ルドガーは学術研究地区へと駆けてきた。

橋の下には用水路があり、川水が満ちていた筈だが、その川も案の定枯れ果てている。

が、奥に立つ研究施設───ラフォート研究所を見上げてみると、唯一そこだけは淡い光が灯されていた。

そしてその建物の前には、マントのような黒衣を纏った少女───キリカが立っていた。

 

「キリカ!? ここにいたのか!」

「ルドガー…!? よかった、探したんだよ!」

「はは…完全に入れ違ってたみたいだな。でもよかった、ほっとしたよ」

 

ようやく仲間の1人と合流でき、ルドガーはひとまずの安堵を覚えた。

 

「他のみんなは知らないか?」

「…それが、テレパシーを飛ばしても反応がないんだ。君にも届いていなかったみたいだし、この空間ではテレパシーが使えないのかもしれない」

「…困ったな」

「それと、もう一個気になる事があるんだ。あの建物、灯りがついてるけど…中から何かの気配がするんだ」

「まさか、使い魔か?」

「ううん、これは使い魔の気配じゃない……似てはいるんだけど。なんとなくだよ、私にはこれが"人の気配"のように感じるんだ」

「……なんだって?」

 

人っ子一人見かけない故に、この空間にはそもそも人間が誰もいないのではないかと疑っていたが、その可能性が揺らいだことにルドガーは首を傾げる。

もしかしたら何らかの事情があって、このラフォート研究所に集まって避難しているのだろうか、とルドガーは考えた。

キリカの方もどうやら、この建物が気になっているようだ。腹を決めたルドガーは、腕に装備した円盤型の格納庫の調子を確かめてから、研究所の扉の前に立ち、自動機構の停止したソレを無理矢理こじ開けて中に入った。

すると、

 

「な……ッ!? そんな、ここは!?」

 

ルドガーの視界に映る光景は一転し、複雑な機構が目立つ研究所内ではなく、土の色をした建物が立ち並び、運河に分断されたかのような街並みへと変わっていた。

 

「……シャン・ドゥ…!?」

「ルドガー、これは…?」

「…俺にも、わからない」

 

ラフォート研究所へと入ったかと思った次の瞬間に、全く関係のない別の街へと飛ばされた(・・・・・)

しかも、この街はルドガーの知るシャン・ドゥとは良く似てはいるが、その雰囲気は記憶のものとはかけ離れていた。

シャン・ドゥは都会的なイル・ファンとは打って変わって、自然の豊かさが感じられる造りの街だ。

だが今立っているこの場所すらも、先のイル・ファン同様に薄暗く、本来のシャン・ドゥ特有の熱気が感じられない。

違いがあるとすれば、人どころか生物の気配すらなかったイル・ファンとは異なり、そこかしこから低くくぐもった呻き声のようなものが聴こえてくるくらいか。

 

「魔物か? こんな街の中に……いや、」

 

こうも瘴気にまみれているのならば、街中だろうと関係はないだろう、とルドガーは思い直した。

しかし下手に建物を探ろうとすれば、また先程のように違う場所へと飛ばされてしまう可能性もある。

キリカがちゃんと後ろから付いてきている事を確認しながら、ルドガーは慎重にシャン・ドウの街を奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

「──────こりゃあ、どうなってんだぁ……?」

 

と、気だるそうに声を上げたのは杏子だった。

彼女は結界突入の際に、ルドガー達とは違う場所へと飛ばされてきていた。幸いなのは、その傍らには同じくベテランの魔法少女・マミがはぐれずにいた、という事ぐらいか。

 

「…魔女の結界……なんだよな?」

「という事、らしいけど……」

 

そこは、魔女結界と呼ぶには似つかわしくないくらい、あまりにも普通の街並みだった。それ故に、ひと気が全くない事が当たり前の筈なのに、それが違和感として際立つ。

杏子達は知る由もないが、リーゼ・マクシアにおいては、そこは常冬の街カン・バルクと称されるひとつの国だった。

右を向けば何やら巨大で複雑な構造物があるが、どうやらそれは上の階層へと行き来するためのエレベーター、あるいはリフトのようなものだとひと目で判別できた。

そして何より、彼女達は現在魔力で補ってはいるが、その街の外気温はまるで冷凍室にでも居るかの如く、異様なほど低かった。

 

「手分けして……といきたいところだけど、」

「他の連中ともはぐれちまってるんだ。下手に離れない方がいいだろ」

「じゃあまずは……このまま真っ直ぐ進みましょう」

「りょーかい、マミ」

言うと2人は手元にそれぞれの魔法武器を錬成し、待ち受けているだろう敵へと備えた。そこでふと、杏子がとある事に気づく。

 

「……なんか、妙だ」

 

その違和感は同じくマミも感じていたようで、

 

「…ええ。これだけ沢山の使い魔……って言っていいのか怪しいけど」

「使い魔だろうと何だろうと関係ねえ。…ただ、数だけはそれなりに隠れてやがんのに、まるで敵意を感じねえ」

「…とにかく、先へ進んでみましょう」

 

2人が立っていたのは、ちょうど十字路のように分かれている地点の中心だ。そこから正面、突き当たって右に伸びているような緩やかな坂道の方へと進んで行く。

恐らく、坂を登った先とあの巨大リフトの行き先は繋がっているのかもしれない、などと考えながらも、周囲への警戒を怠らない。だが、

 

「……襲ってこないわね」

「なんだ、襲われたかったのかい?」

「戦わないに越した事はないわよ。…でも、こんな事今までじゃ有り得なかった」

 

そう言うとマミは、左側にある建物の一角を指差した。

そこには、まるで背骨が高く突き伸びた風な骸骨型の魔物が、建物の影から2人を観察していた。

もっとも、ベテラン魔法少女2人の前にかかっては、それでは隠れていないも同然だったのだが。

 

「……なんというか、有り得ないけど…あれじゃあまるでヒトか何かみたいよ」

「ああ、全くだね。…ま、何もしてこないなら都合がいい。どんどん奥に進もうぜ」

 

なんとも気楽そうにぼやきながら、2人は常冬の街を先へと進んで行く。

坂を登りきると、今度は何やら妙に古風な、それでいて厳かな雰囲気漂う巨大な建築物が視界に入ってきた。

その隣には、先程の巨大リフトから通じるであろう乗り場があったが、様子を見る限り無人では機能しない造りのようだった。

 

「…城……か?」

「そのようね。…まるでファンタジーの世界にでもいるみたいだわ」

「ハッ、アタシらの存在もある意味ファンタジーだけどねぇ。どうする、行くかい?」

「とりあえず、様子を見に行きましょう。危険を感じたらすぐに出るのよ」

「言われなくても」

 

と、口では能天気だが、古風な城の階段を登りながらも周りをよく観察する。

城の傍らには、何かしら大型の動物でも飼育できそうな金網の檻があったが、その中身はやはりカラだ。

 

「さて、開けるわよ。よいしょ……と…」

 

やや重めの鋼鉄の城扉を、2人で左右へと引いて開いてゆく。魔力を使わなければ大人の男でも開くのにはひと苦労しそうな程の扉を開くと、その中は薄暗く、さらなる奥へとずっと伸びた回廊が視界に飛び込んだ。

そこに、2人揃って足を踏み入れる。その次の瞬間に、

 

「………な…え、ええっ!?」

 

薄暗い城内に立ち入った筈の杏子とマミは、いつの間にか全く違う場所へと立っていた。

そこは先程までの常冬の街よりもさらに暗く…完全に陽が落ちており、どこか田舎の農村区のような、木造の平屋とやけに高く生い茂っている林が奥に目立つ街だった。

そこはリーゼ・マクシアにおいては、ハ・ミルと呼ばれている地域だ。

本来のハ・ミルは霊勢の影響で常に朝靄(あさもや)の中にいるような気候なのだが、今は完全に真逆だ。当然ながら、2人の少女はそんな事を知る由もない。

 

「…私達、城の中に入った……はずよね?」 「幻覚……いや、こいつはそんなもんじゃねえ。飛ばされた(・・・・・)んだ、アタシ達が」

「……まさか、魔女のしわざかしら」

「かもしんねえな。この分じゃあ、他の連中もおんなじ目に遭ってるかもわからねえぜ」

 

ともかく、再度手掛かりを探すために更に奥へと進んでゆく。が、また何処かへ飛ばされるかもわからないので、2人は付かず離れずの距離を徹底するようにした。

お陰でいちいち扉を開けるのにも、それなりの警戒をしなくてはならないが、そうしてあちこちの建物を見て回った結果、幾つかの事がわかった。

 

「どうやらここは、だいぶ前にはまだ人が住んでたみてえだな」

 

使いっぱなしで放置され、そのままかなりの埃が被った家具。やけに荒れた家内や花壇。

何らかの騒乱があり、ここを離れざるを得なかったのではないか、と杏子は推論を立てる。

では、とマミが付け加えるように、

 

「ここにはさっきの街にいたような魔物がいないわね。…もし、住人達が魔物を恐れてここから避難したのだとしたら、ここは魔物の巣になっていたとしてもおかしくないわ。現に、さっきの街がそうだったんだから」

「エサがなくなって他に移動した…ってのも考えられるけど、ならなんでさっきの魔物共はアタシ達に襲いかかって来なかった? 他にヒトなんていなかったのに」

「…あくまで、さっきの魔物達の狙いはヒトとは限らないのかもしれないわね」

 

そうこうしながらも、いよいよ2人はハ・ミルの最奥に位置する林へと足を運んだ。

生い茂る背の高い木々の端々には梯子や架け橋が備え付けられており、時期になれば上に登って木の実等を採取したり、物見(やぐら)として使ったりするのだろう、と見て取れた。

 

「アレ、登ってみるかい?」

「遠慮しておくわ。何もなさそうだし……」

「そうかい。んじゃ次行こう」

 

特にめぼしいものはない。そう判断した2人は林に立ち入る事なく引き返そうと、後ろへ振り向いた。

だがそこにあるのは朝靄の中の農村などではなく、

 

「………おい、さすがのアタシもドキッとしちまったぞ」

「…同感よ。いったいどうなってるっていうの」

「まるでB級ホラー映画だな……」

 

2人が振り向いた先に広がる光景はまたも転移し、今度はそびえ立つ巨大な山と、麓にぽつりと立っている小屋のような建物が視界に飛び込む。

当然、もう1度振り返ってみてもそこに背の高い林はなく、ごく普通の森林と、遥か下へと伸びる石畳の階段があるだけだった。

 

「…アタシらをおちょくってんのか」

 

杏子はさも不機嫌そうな声でぼやいた。

未だ敵の正体は見えないまま。しかしこうもいたずらにあちらこちらへと飛ばされ続ければ、少なくとも杏子の方には不可解さよりも苛立ちが募るばかりだ。

 

「そう思わせる為かもしれないわよ、佐倉さん」

「…わかってる。けど、これじゃあいつまでも……」

「どこかにヒントがあるかもしれないわ。…それに、この世界は明らかに私達の知ってる世界じゃない。けれど、ただの魔女結界とも思えないわ。だとすれば、可能性としてひとつ浮かぶものがある。わからないかしら?」

「……それくらい、アタシにだってわかる」

 

つまりこの世界は、異世界からやってきた存在であるルドガーと関係しているのではないのだろうか。それが、2人それぞれが導き出した答えだった。

 

「………ふん、こういう肝心な時にアイツがいないんだからねぇ」

「とにかく、探しましょう。他のみんなも今頃、私達のようにどこかを彷徨ってるかもしれないわ」

「へいへい。んじゃひとまず………」

 

そうして2人は、諦めるでもなく、しかしはっきりとした道標がないままに、ただ前だけを見て進んでゆく。

楽観的に見えるかもしれないが、果たして以前の彼女達ならば今と同じ事を冷静に考える事ができただろうか。

ルドガーと出会い、過酷な戦いを何度も経験し、ある意味での覚悟を決めたその時から、少女達の精神は一歩上のステップへと成熟したのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

リーゼ・マクシアにおいてル・ロンドと呼ばれている、ごく普通の街がある。日本でいうならば、それこそ結界に突入する直前までいた旅館街にも似たような雰囲気の場所なのだが、例に漏れずこの場所さえも瘴気によって薄暗くなっており、一見とても人がいるようには感じられない。

その街並みの中央に、彼女達はいた。

 

「…………この状況、どう思う? ほむら」

「どうもこうもないわ。邪魔をするなら纏めて吹き飛ばす。…けど、どうやらその必要もないようね」

 

その2人をぐるりと取り囲むように、餓鬼(グール)魔草獣(マンドラゴラ)といった、ほむら達が初めて目にする"魔物"が大量に沸いていた。

否、その魔物達の群れの中央に、いきなりほむら達が飛ばされて(・・・・・)きたのだ。

ちなみに、2人はつい先刻までカラハ・シャールという、繁華街の成れの果てとも言える場所を彷徨っていたのだが、とある建物に立ち入った瞬間にここへと転移させられたのだった。

 

「………どきなさい…!」

 

ほむらが低く大きな声で言うと、魔物達はまるで恐れを成したかのようにそそくさと、港へ続く方面への道を開いた。

 

「……………信じられないわ。まさか、こんな事があるなんて…」

「だよねぇ。…いくらなんでも、いきなり知らないところをあちこち飛ばされるだなんて」

「…さやか、私が言いたいのはそれじゃないわ。あの魔物達を見て気付かなかったかしら?」

「えっ…なに?」

 

そう言われて、さやかは今一度魔物達の方をよく見てみる。

魔物達……"彼ら"は、決してほむら達を襲おうとしたわけではない。凶暴性がなく、むしろある種の意識、あるいは理性のようなものが感じ取れる。

魔物達の一部はさやかの方へと近寄ろうとするのもいたが、ほむらが幅広く殺気を飛ばしているせいで、手足こまねいているようだ。

他の魔物達も同様に、やや怯えているかのように2人に近づこうともしない。凶悪な牙や爪、はまたま毒を含む花粉を備えているだろうにも関わらず、だ。

その姿はまるで、

 

「………なに、あれ。なんていうか、ヒトっぽいような…」

「"ような"じゃないわ。アレは元々はヒトよ」

「え、ええっ!?」

「考えてもごらんなさい。あなた達魔法少女は、絶望にまみれて最期の時を過ぎたら魔女になってしまう。…恐らく、それに近い"何か"。もしかすると、この街中に拡がってる瘴気のせいかもしれないわ」

「その、瘴気のせいで魔物になっちゃった…かも、ってこと!?」

「少なくとも、私にはそう思えたわ。ほんの微かだけれど、彼らからは"魂"の波長を感じられる。彼らに攻撃してはダメよ。この場に争いは必要じゃない」

 

そう言うと、ほむらは魔物の群れの隙間を突っ切って港の方へと進んでいった。

さやかは困惑しつつも、ちらちらと魔物達の方を振り返りながら追随してゆく。

もしかすると、あの魔物はさやかに助けを求めていたのではないか。

他の少女達と異なり、癒しの魔法を使う事ができる自分達ならば、彼らをあの姿から解き放つ事ができるのではないだろうか。そういった考えが脳裏をよぎるが、

 

「さやか、余計な考えは捨てなさい」

 

と、ほむらに頭から否定されてしまった。

 

「ここは魔女結界の中なのよ。もしかすると、影の魔女が造ったような分史世界かもしれない。どちらにしても、魔女を倒せばこの世界は消える可能性が高い」

「…でも、だからって!」

「ならあなたは、"あの世界"で誰かを救う事ができたのかしら? …助かったのは、呉キリカだけ」

「…………ッ…!」

「この際だからはっきりさせておくわ。この世界において私は、まどかを救う事しか考えてない。…もちろん、あなた達を守る事もちゃんと考えてる。けれど、今の私にはそれが精一杯なのよ。…あなたも、この世界から生きて帰りたいのなら、自分の身の丈を見直すことね」

 

随分ときつい言い方をするものだ、とさやかは思った。きっとそれは、杏子のかけた暗示によって感情が麻痺しているせいもあるだろう。

それでも、さやかは腹を立てる気にはならなかった。何故なら、ほむらは自身の身の丈を測った上でさやかに忠告をしたからだ、と理解できたからだ。

それに、とほむらはさやかには言わず心の中でだけ呟く。

 

(………あそこまで肉体が変質してしまったなら、もう治すことはできない。いっそ……いえ、やめましょう)

 

 

そして暗闇の街を下ってひたすらに歩いてゆくと、ほむら達はようやく遠目にあった港へと辿り着いた。

そこは厳密には港というよりは、港の廃墟と呼ぶ方が相応しいほどに古びた外観だった。

船は1隻もなく、湾の先には広大な海と暗雲が広がっているばかりだが、ある地点まで行くと暗雲のような何かがカーテンのように立ち込め、それより先の視界を完全に塞いでいる。

 

「……なるほど」

「どしたのさ、ほむら」

「少しだけ、この世界のカラクリが見えてきたわ。ただ漠然と歩いているだけじゃあ、このまま堂々巡りになるだけ。…でも、空間同士の間に"繋ぎ目"がある。例えば、そこね」

 

空に手をかざすと、瞬時に巨大な黒弓が錬成された。

ほむらは黒弓を強く引き、それから魔力を矢の形に再構成して、狙いを絞る。その矛先は、暗雲のカーテンへと向いていた。

 

「…敵でもいたの?」

「そうではないわ。よく見てなさい」

 

ドシュン! と、光をも裂くような勢いで矢は放たれ、そのまま真っ直ぐに暗雲の彼方へと飛んで行く。

さやかは、矢はそのまま虚空へと消えてゆくのではないだろうかと考えたが、直後に異変が起きる。

暗雲の先で音もなく閃光が弾けると、一瞬だけ暗雲が晴れ、その隙間からかすかに光の壁のようなものが見え隠れした。

 

「見えたかしら?」

「う、うん……あれ、何?」

「さあ、わからないわ。一種の障壁のようだけれど……この先に何か見られたくないものがあるのかしら。…どう、さやか。行ってみる価値はあると思う?」

「……どっちにしても、このままだと先には進めないんでしょ? いいよ、行こう」

「あなたなら、そう言うと思っていたわ」

 

ぱちん、とほむらが手拍子を打つと、瞬時に転移術式が発動する。2人はものの1秒足らずで暗雲立ち込める海上へと転移し、

 

「──────う、うへぇっ!? 落ちるぅ!? ちょ、ほむら!! いきなりこんなとこに跳んだらびっくりするでしょーが!!」

「安心なさい。私の力で宙に浮いているから、海に落ちる心配はないわ」

「そういう問題じゃなーい!」

「…ちなみに、この海はかなりの濃さの瘴気に侵されているわ。いくらあなたが水の中では自在と言えども、こんな海に入ればソウルジェムが数秒と保たない。覚えておくことね」

「そ、そういう事は先に言えー!! ばか、ばか!!」

「……あなたには言われたくないのだけれど…」

「うるさぁーい! なんだ、じゃああんた天然か!? 素なのかそれ!?」

 

とにかく、海だからといって迂闊に飛び込まないように気をつけなければ、とさやかは気を引き締めた。

そしてそのまま2人は宙を漂いながら、光の壁が隠されている暗雲…瘴気のカーテンの前まで接近する。

ほむらが軽く手を動かすと、そこから放出された魔力によって瘴気が少し振り払われた。

そしてその奥には、やはり光の壁がある。見たところその壁は、空間を分断してその上に造られたもので、単純に障壁というよりも、内から外へと溢れ出るのを防ぐ、或いは逆に外界からの進入を防ぐような造りに感じ取れた。

試しにほむらが1発、至近距離で光の矢を壁に向かって撃ち込んでみたが、どうやら壁はほむらの持つ魔力のさらに何倍もの密度の力で構成されているようで、かすり傷をつけるどころか一方的に打ち消されてしまった。

だが、その一撃を加えた際の壁の挙動で、ほむらは壁の原理を軽く理解する事ができた。

 

「この壁は、向こう側とこちら側を空間単位で分断しているようね。これを破るには、次元ごと壁を引き裂く必要があるわ」

「じ、次元ごと…? なんかすごいことになってるみたいだけど…あんたならできるんじゃない?」

「…今の私にはできないわ。まどかが魔女になった際に、私の魔力を大幅に持って行かれたの。…元々、この姿での魔力は私のものではなくて、円環の理(まどか)のものだったから、仕方ないわ」

「…んじゃ、元通りってこと?」

「いいえ、かろうじて。…完全に元通りならこんなことできやしないわよ。次元に干渉する能力が格段に落ちてはいるけれど、ちょっとの距離を跳んだりはまだできるし、戦いだってあなた達には劣らないわ。…でも、この壁はどうしようもないわね。並大抵の硬さじゃない。せめてルドガーがいれば、骸殻の力で壁に干渉する事ができたかも──────っ、さやか!」

「わ、きゃあっ!?」

 

何を思ったか、ほむらは魔力を更に引き出し、さやかを今浮いている場所から後方へといきなり転移させた。

─────直後、ほんの一瞬前までさやかがいた地点に、遥か空の上から光弾の雨が降り注ぐ。

 

「敵!?」

「………ええ。どうやら、ようやくお出ましのようね」

 

もう数秒反応が遅れていたら、光弾はさやかの身体をズタズタに貫いていただろう。

そして空の上から急降下して来たソレは、無機質な瞳と声で告げる。

 

『──────断界殻(シェル)ニ接近スル不穏要素ヲ発見。殲滅、開始』

 

ソレ、というよりも"彼女"は、まるで物語に登場するようないわゆる"妖精"のような姿をしていた。

左右対称で幾何学的な紋様をした薄く白い羽根と、長く尖った形をした耳、ほとんど白に近い長い金髪を持ち、淀んだ潮風に髪をたなびかせながら、ほむら達を静かに見据え、その手に新たな魔力を練り集める。

それを待つまでもなく、ほむらは虚空の上に無数の小さな魔法陣を展開し、そこから様々な種類のロケットランチャーの口を覗かせ、魔力を送り込んで同時にトリガーを引いた。

耳をつんざくような轟音と共に凶悪な弾丸が妖精に放たれるが、妖精は軽く手を横に薙ぐだけで、それらの弾丸を着弾手前で全て爆散させる。

 

『……!』

 

妖精とほむら達の間に硝煙のカーテンが広がり、ほんの僅かに視界を隔てる。

その一瞬の隙を突いて、ほむらはさやかを連れて遥か後方にある港まで、逆戻りするように瞬間転移した。

 

「───うぉっ、と………」

 

2転3転と急に転移させられて少し慣れたのか、さやかは今度は冷静に港に着地して、海の向こうを見やる。

 

「魔女、じゃない…何なの!?」

「……わからないわ。恐らく、あの壁……断界殻(シェル)と言っていたわね。アレに近づく者を排除する役割を持っているようよ。…構えなさい、来るわよ!」

 

ほむらが言い終わると同時に、白金髪の妖精が2人の眼の前に突然現れた。

羽根を使って飛んできたのではない。ほむら達同様に、空間を跳び越えて追いついてきたのだ。

 

(………弾幕を張ってから数秒でここまで…転移術式? それに、私達の魔力を追跡されてる。逃げても追ってくる、という事ね……なら、ここで倒すまでよ!)

 

先ずさやかが半月刀(サーベル)を2本構えて妖精へと斬りかかり、それを援護するようにほむらが火器の銃口を覗かせつつ、立体的な角度から攻撃を仕掛ける。

対する妖精は、自身の白金髪を触手か何かのように操り、さやかの剣撃を軽くいなす。

ただの髪の毛にしか見えなかったソレは明確な強度と鋭さを持ち、サーベルと共に火花を散らしつつも、さやかの身体を隙あらば貫ぬかんとしていた。

だというのに妖精はほむらの攻撃にも対応し、狙いを絞れないように、小刻みに転移によるステップを織り交ぜている。

 

ほむらは妖精に気取られないように念話を使ってさやかに指示を飛ばし、

 

『さやか、下がって。仕掛けるわ!』

『おーけー!』

 

それに応じたさやかは大きな一太刀を妖精に仕掛け、その直後に加速術式をほんの少し使い、数メートル後ろへと高速で跳び下がった。

そこに、ほむらの魔法による攻撃が展開される。

 

「喰らいなさい!!」

 

妖精の足元に魔法陣が展開され、そこから一千度はゆうに超えるであろう蒼白い焔が噴出し、妖精の身体へと直撃した。

 

『──────ッ!? 』

 

獣のような、布を裂いたような甲高い絶叫が港中に響き渡る。

普通の生物ならば、1千度もの炎で身を灼かれれば、骨すら残るか怪しいレベルで燃え尽きてしまうだろう。しかし妖精は苦しみもがきながらも、転移術式を用いて無理やり蒼炎の中から脱出し、獣のように獰猛な目つきで2人の排除を継続せんと睨みつける。そこへ、追撃がさらに加わる。

 

『──────っ、異常、確認。分析…ッ!!』

 

妖精が飛び出してくる位置を予測し、既に空中に置かれていた2本のサーベルが、妖精の身体に深々と突き刺された。

そしてそのサーベルは加速度的に熱を帯びてゆき、燃えるような赤色へと変わる。

かつて戦った人魚の魔女が得意としていた、サーベルによる爆撃を、さやかが再現したのだ。

当然ながら、熱を帯びてゆくサーベルが爆発するなどとは咄嗟に考えつくはずもない。

予想不可能の攻撃に困惑を抱きながら己の腹部を何度も見やり、そして、

 

『───ヒ、ッ……アァァァァァァァァァァァァァ!!!』

 

妖精が狂気に満ちた叫び声を上げたと同時にサーベルが爆発し、腹部をズタズタに破壊しながら爆炎が吹き上がった。

上半身は吹き飛ばされ、下半身はその場に力なく落ちる。が、相手は明らかに人ならざる存在。胴体が爆発で完全に破壊されたとあってもほむらは一切気を抜かず、力尽きた妖精の上半身めがけて再度蒼炎を放った。

 

「………うへぇ……やりすぎじゃない? ほむら」

 

あまりに凄惨な光景に、さやかがやんわりと苦言を呈する。

 

「情けをかけるような相手ではないわ。……この妖精、魂の波長が感じられなかった」

「えっ…てことは、なによ…?」

「恐らくは、分体(コピー)。まだ本体(オリジナル)がどこかにいるはず。…それに、コピーの方もきっとこいつだけじゃないわね」

「…何たって、そんな奴が……?」

「さあ、わからないわね。でも、あの断界殻とかいうの。よほど見られたくないようなシロモノなのかもしれないわ。……調べる価値はあるわ」

 

もしかすると、その先へと進む為の鍵となるかもしれない。

このまま普通に道を歩いていても、また唐突に転移させられてしまうだけだ。ならば、今ここで"断界殻"という手掛かりを探る方が建設的だろう。ただ、

 

「………その前に、アレを片付けなくちゃいけないわね…」

「…だね」

 

暗雲の空を2人並んで見上げると、雲の上から降下してくる影がいくつもあった。

そしてそれらは皆、たった今ほむら達が撃破した妖精と全く同じ外見をしており、その何処までも冷ややかな眼で2人を見下ろし、徐々に迫ってくる。

数にして7体もの妖精が、空の上からほむら達に狙いを定めていた。

 

「やれる? ほむら。あんた弱ってんでしょ?」

「愚問ね。そういうあなたこそ、どうなのかしら?」

「へへっ、今日のさやかちゃんは絶好調よ! まどかを連れ戻す前に、こんな所でやられてる暇なんてないよ!」

「ええ、全くもってその通りだわ。……行くわよ!!」

 

その掛け声と共に、悪魔は妖精を迎え討つべく、空高く舞い上がる。その背中を預けるは、水を従える青の魔法騎士。

ここに、2人だけの戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

時同じくして、異なる位相にて彷徨っていた杏子とマミは、麓の小屋を裏口から抜け出た先にそびえ立つ霊峰の中で、リボンや多節槍を駆使し、崖や傾斜などの荒い地形を無視して上へと突き進んでいた。

その理由はごく単純なもので、

 

「おいマミ!! あいつら何処まで追ってきやがる!?」

「わからないわよ! …街じゃ襲って来なかったのに、何で急に魔物が!」

 

霊峰を駆け巡る2人を追い回していたのは、巨大な山猫のような、それでいて赤黒い炎を身に纏った姿をした大型の魔物だった。

魔物は久方振りの獲物を見つけたとばかりに、獰猛な牙をちらつかせながら2人を追い、その屈強な四肢を以って荒れた地形を難なく駆けている。

2人がこれに応戦するでもなく、下山するでもなく、ひたすらに上を目指して進んでいるのは、霊峰の頂上付近に強大な魔力のようなものを察知したからだ。

手をこまねいていてはまた何処かへと飛ばされてしまうと考えた2人は、何としてもまずはその魔力の正体を看破する為に頂上へ向かおうと考えたのだ。

加えて、魔物を撃退する為の戦いに有利な地点をも探しながら駆け上がっている。

ただ、2人はそれぞれの得意武器を駆使して地形を無視しつつ登っているのだが、魔物は所々で大跳躍を交え、霊峰をかすかに揺らしながら2人に肉薄してきている。

 

「そろそろやんぞマミ! キリがねえ!!」

「ええ、この辺りなら問題ないわね!」

 

2人は長い一本道に差し掛かり、脚力にブーストをかけ、プロの陸上選手のおよそ3倍もの速さで走り抜ける。

 

 

『フシャアァァァァァァ!!』

 

 

これについてこられる者はそうは居ない筈だが、魔物は眼光を更に鋭くしつつ脚に力を込め、2人とほぼ同速かそれ以上のスピードで距離を詰めてゆく。30…20…10…5メートルと、凶悪な前脚を振りかぶれば届きそうな程の距離にまで達したその時、

 

「今よ!」

「へっ、じゃあな! このままあの世へダイビングしてきやがれ!!」

 

杏子とマミは突如として、地面に飲み込まれるかのように瞬時に姿を消した。

 

『ガゥ!?』

 

目の前で獲物が消失した事に魔物は困惑したが、時速にして40キロメートルをゆうに超える速さで、しかもこのように荒れた地形では急には止まれない。

グリップの効いたタイヤで更地を噛んだならば、急停止することは十分に可能だろう。しかし、凶悪だがタイヤとは異なりグリップなどある筈ない前脚で、砂利だらけの荒れた地形の上ならば別だ。

そして山猫型の魔物もまた、滑りながら地面に飲まれるように消え───厳密に言えば、霊峰の頂上近い断崖から、大空へと向かってダイビングしていた。

 

『!! ガァァァァァァァァッ!!!』

 

そうして、先程まで存在していた砂利道が消滅し、リボンと多節槍で崖に引っ付いていた2人の姿が露わになる。

杏子が固有魔法を使い、崖の先に砂利道の幻を配置し、そこに引きつけて加速をつけさせた魔物を誘導し、崖から落としたのだ。

頂上が近いこの高さから落ちれば、例え強大な魔物だとしても地面に柘榴を散らす事は必至。ひとまず危機は回避したと言えるだろう。

 

「ったく、こんな回りくどい方法じゃなくたって、アンタの砲撃イッパツかましてやりゃあお陀仏だったんじゃねえの?」

「万が一、よ。あのサイズを吹き飛ばすとなると、砲撃もそれなりのものになる。…そんなものをこの山の中で撃てば、振動で崖が崩れてくるかもわからないもの」

「む……そりゃ面倒だな」

「でしょう? それに、頂上も見えてきたわ」

「…はぁ、結果オーライみたいに言うなよな。結構疲れたぞ…」

 

気を取り直して、崖の断面から砂利道へと再び戻った2人は、肩の荷が下りたかのようにため息をつきながら山頂へと歩いて向かう。

徐々に細くなる砂利道を奥へ奥へと進むと、山独特の冷えて酸素の薄い空気が、ますます染み渡る気がした。

そしてひときわ目立つ切り立った岩肌がある場所へと流れつき、淀んだ空の景色がいっぱいに広がった。

ここが、このニ・アケリア霊山の山頂である。

 

「………はぁ、これはすごい景色ね。私、登山なんて初めてだったけど…」

「ジョーク言ってる場合でもねぇだろ。景色なんかより、アレを見ろよ」

「わかってるわよ」

 

と杏子が指差した先には、岩肌の淵付近。そこに浮かぶ、"傷痕"のような異端の痕跡。

例えるなら、ほむらが以前使った次元に干渉する魔法にも似たような波動を感じる。

そしてソレの目の前に立つ1人の男と、主人を待つような格好でしゃがんでいる小型の飛竜(ワイバーン)の姿も同時に捉えられた。

 

「…………お前達は…?」

 

男はマミ達に気付いたようで、じっと虚空の傷痕を見つめていた視線をこちらへと移してぼやいた。

男の姿は、やや浅黒く丈夫そうな肌に、腰まで届く長い銀の髪を紐で束ね、マントの下に動き易そうな民族衣装。その腰元には、2本の長さが異なる剣が鞘に収められた状態で下がっていた。

 

「…ふ、人間の姿をした奴に(・・・・・・・・・)会ったのは久し振りだな。よくもまあ、この瘴気にまみれた世界で五体満足でいられたものだ」

「いいえ、残念ながら私達はこの世界の住人ではないの」

「……なんだと? まさかお前達、"エレンピオス人"か」

 

その言葉を放つと共に、男の眼には確かな憎悪が込められたのを、2人は見逃さなかった。

だが、マミと杏子の姿をまじまじと見て、すぐにその鋭い眼光を解く。

 

「……でもないか。エレンピオスの連中は、そんな服を身に纏ったりはしない。それに、俺やお前達と違って霊力野(ゲート)がないから、すぐにわかる」

「さっきから勝手に独りでペラペラ喋ってんじゃねえよ。アタシは佐倉 杏子。こっちは……」

「巴 マミよ。あなたは?」

 

言葉こそ乱雑に聞こえるが、そこは自分から名乗ることを忘れない杏子。それに続いてマミも名乗ると、男はようやく警戒心を解き、重い口を開いて名乗りだした。

 

 

 

「──────俺の名は"イバル"。()マクスウェルの巫子だ」

「元…マクスウェルの……?」

「…昔の話だ。ところでお前達は、どうしてここまで? ここはとても余所者が来るような場所じゃあないぞ」

「"ソレ"を調べにきたんだよ」

 

と、杏子はイバルの目の前にある"傷痕"を指差して言った。

 

「何しろこちとら、さっきからあっちこっち飛ばされ続けて、気がついたらこの山にいたんだ。んで、ヘンな魔力を感じたから調べに来たってワケ」

「飛ばされて…? なるほど。ここに飛んでくる直前は、どこにいた?」

「どっかの田舎みてえな村だよ。こう…やたらと細長い林があって……その前は、雪が降ってる街だったぜ」

「ハ・ミルとカン・バルクか。"飛ばされた"というのはある意味正しいが、正確じゃあない。そもそもこの世界はあちこちが虫食い状態で、欠損した空間同士が捻じ曲がった形で繋がっているんだ。故に、そういった現象が起こる」

「虫食い? それは、一体どういうことかしら?」と、マミも怪訝な顔をしてイバルに聞き返す。

「簡単な話だ。この世界はもうすぐ消え去ろうとしてるんだよ」

 

イバルは何かに対して、或いは己自身に対してか、嘲笑を浮かべながら言った。

 

「……元々、"あの男"には王の資質は有ったのかもしれないが、神たる資質(・・・・・)はなかったというワケだ。もうこの世界には殆ど人間のカタチをした者は残ってないというのに、この国のカタチを守る事ばかりに固執している。そしてそれも、もう間もなく消える。

じきに精霊力(マナ)が枯渇し断界殻(シェル)が消えれば、それと共にこの世界は滅びる。樽を壊された醸造酒(ワイン)のように、儚く溶けて消えるのさ」

「ほんっとよく喋るな、アンタ」

「許せ。こう見えて、久々に人間に会えて嬉しいのさ。さて、本題に入ろうか」

 

イバルは山の冷気から身を守る為のマントを広げ、"傷痕"を指して2人に告げる。

 

「コイツは"次元の狭間"。今は不安定な状態で入口も狭いが、十分な精霊力を流し込んでやれば、一時的にだが入口をこじ開ける事ができる」

「そこから、どこに繋がっているのかしら?」

世精ノ途(ウルスカーラ)。そこから"王の玉座"へと向かう。この世界が滅びる前に、この手であの男に償いをさせなきゃあならないからな」

「償い、ですって?」

「そうだ。我が主人(あるじ)、ミラ=マクスウェル様を手にかけたその罪を、償わせるのさ」

「!」

 

その名前には、マミ・杏子の両名が聞き覚えがあった。

以前、ワルプルギスの夜との戦いでルドガーが一時心肺停止に追いやられ、息を吹き返しかけた時に呟いた名前だ。

これで、この世界がルドガーに縁のある世界だと確信に至ったと言える。

 

「ついて来いとは言わないさ。これはあくまで俺自身の問題だからな」

「私達の目的は聞かないのね?」

「興味がないからな。余所者だというのなら、世界ごと滅びたくないのならさっさと帰るがいい」

「その帰り方がわからないから困ってるんだけど? …そもそも、私達はここに友人を捜しに来たのよ。そうしたら他の仲間ともはぐれちゃうし…」

「そいつは気の毒だな。もう身を以て知っただろうが、何処に飛ばされるかもわからんこの世界で人捜しは至難の業だぞ?」

「ええ。正直お手上げなのよ。…だから、このまま堂々巡りを繰り返すくらいなら、いっそ前に進もうと思うの」

「……ふん、勝手にしろ」

 

やれやれ、と深くため息をつきながら、イバルは腰に差した2本の剣を抜き、"傷痕"に正対して構えた。

意識を集中し、身体の底から精霊力を練り上げ、剣先からゆっくりと"傷痕"に流し込む。

マミ達は知る由もないが、微精霊が枯渇しかかっているこの世界で精霊力を練り上げるという事は、即ち己の命を削っているという事なのだ。

通常ならばこんな芸当はリーゼ・マクシア人でさえも耐えられない筈なのだが、かつて巫子として研鑽を重ね続けてきたイバルだからこそ、不可能を可能としているのだ。

ただし、それ相応の対価は支払われる。

 

「ぐ……っ、ギ…あぁぁァァァァァッ!!」

 

 

筋繊維を内側から引き裂いたような痛みが、イバルの左腕を襲う。

左手に構えた短剣を落としてしまいそうになるがどうにか堪え、それでもなお精霊力の放出を止めようとしない。

だが、このままでは"傷痕"を開ききる前にイバル自身の魔力が枯渇してしまう。そう判断した2人は、イバルの元へ駆け寄った。

 

「がぁッ……な、んのつもりだ……巻き込まれに、来たのか!」

「手伝いに来たのよ!」

 

イバルとマミ達では、それぞれ似通ってはいるが力のルーツが違う。

イバルの力はあくまで自然との調和によって生まれる力であり、同時に身体を構成している成分のひとつでもある。

対して魔法少女の力の源は"希望"や"願望"を抱いた魂の輝きそのもの。消費すれば魂をすり減らすという意味では共通しているが、実質異なる物同士だ。

だが、希望によって練られる力は、時に不条理を曲げる。

マミと杏子がイバルをフォローするように"傷痕"へ魔力を流し込むと、それまでかすかに揺らぐ程度だった"傷痕"が徐々に拡がり出した。

 

「ったく、グリーフシード何個分だこれ!?」

 

と悪態をつきながら、杏子は"傷痕"へと赤の槍を思い切り突き入れ、3人の魔力をその1点へと集約させる。

 

「うおぉぉぉぉぉあぁぁぁ!!」

 

イバルは吼え、双剣を"傷痕"へ向けて力強く、引き裂くように振り抜いた。

3人分の力を流し込まれて揺らぎ出した"傷痕"は、イバルの渾身の一撃によって、ようやく大きく口を開いた。

とはいえ、人1人ずつがようやく通り抜けられるという程度のサイズだが。

 

「やったわ!」

「よし……急げ! 数秒と保たんぞ!」

「へっ、上等!!」

 

痛みが走る左腕を押さえながら、まずイバルが先陣を切って"傷痕"へと飛び込んだ。

次いでマミ、杏子も"傷痕"の中へと飛び込んでゆく。その数十秒後に"傷痕"は稲妻のような閃光を何度か放ち、急激に収束していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

シャン・ドゥの街並を奥へ奥へと突き進んでいた筈のルドガーとキリカは、今度は埃と機械油の匂いが目立つ施設の中へと飛ばされてきていた。

かつてリーゼ・マクシアが1つに(たば)ねられる以前に、ラ・シュガルと呼ばれた、ア・ジュール国と対立していた大国。その前線基地として建てられたのが、この"ガンダラ要塞"だ。

ルドガーの記憶では、国家間の対立がなくなりこの要塞もその存在意義を失いかけていたのだが、エレンピオスと対等に交渉を行う為の、新たな軍事兵器の開発拠点として使われていた場所だ。

2人はやけに広く機動兵器(ゴーレム)が等間隔に何台も格納された、連絡通路のような無機質な回廊を、まっすぐに進んでいた。

 

「………これは、ロボットか何かかい」

「うん、まあ…似たようなものだな」

 

ルドガーがふと注視したのは、格納されたゴーレムの殆どについていた外傷ないし泥汚れだ。

まるで有事に駆り出され、そのまま格納されて何年も放置されたかのような汚れの痕跡に、違和感を覚える。

違和感とは、言い方を変えるならばリアリティだった。

仮にここが何らかの意図によって造られた世界なのだとしたら、その目的は十中八九、ルドガー達を嵌める為だ。

無人の街、あちこちに立ち込める瘴気、ほぼ枯渇している微精霊……モデルケースを目的とするならば、これだけでもある意味十分と言える。

だというのに。このガンダラ要塞に格納されているゴーレム達には、明らかな戦闘の痕があった。

何と戦ってこのような外損や汚れが生じたのか。そもそも何故そのような戦闘行為が、ひいてはゴーレムが必要だったのか。そうして、ルドガーの頭の中にひとつの可能性がちらつく。

 

(……やっぱり、ここは…魔女結界じゃなくて"分史世界"の中なのかも)

 

魔女が模倣したリーゼ・マクシアではなく、正真正銘の"分史世界"。その可能性を、ルドガーは疑い出した。

だとするならば、このガンダラ要塞に配置されているゴーレム達は、本当に有事に投入されたのではないだろうか、と。

とすれば、このゴーレム達は一体何と戦っていたのか。

そうして試作しながら歩いているうちに、ガンダラ要塞の反対側の出口の前へと到着した。

通常ならばこの先はダラス街道へと通じているのだが、道筋通りの場所に出られる保障は当然ない。

 

「………どうする、ルドガー。もっとこの建物の中を調べてみるかい? それとも、この先に進むのかい」

「ああ。ここには時歪の因子の反応もないし…魔女についての手がかりもないだろう」

 

果たしてこの先はダラス街道へと続いているのだろうか。はたまた、どこか違う街へと飛ばされてしまうのだろうか。

重い扉を開くための機構に手をかけて外に出ようとした、その時、

 

「………ッ…!?」

 

 

ズドン、と激しい地鳴り音と共に建物中に得も知れぬ重圧感を感じた。

精神的な比喩などではなく、実際に押し潰されそうな、圧をだ。

ミシミシと強固な要塞が悲鳴を上げ始め、回廊に並んでいたゴーレム達も次々と膝から崩れ落ち、火花を上げる。

扉の近くにいたルドガーとキリカも、突如として襲いかかる猛烈な重力場に襲われ、地面に臥してしまいそうになるのを堪えていた。

 

「なん、だ!? 身体が重い!?」

「……これは、重力場を操作されて、る……!?」

「魔女…!? いや、これは……まさか、精霊術か!」

 

ルドガーは突然の外部からの攻撃を予測すると、懐から懐中時計を抜き出し、力を解放して骸殻を身に纏った。

フル骸殻のパワーで重力場に逆らって立ち上がり、破壊の槍を厚い扉へと投げ込む。

まるで薄い木の板に弓矢を撃ち込んだかのようにバキン! と扉が破壊されるのを確認すると、膝をついていたキリカを抱き抱えながら、空気の淀んだダラス街道へと空間跳躍で退避した。

 

『キリカ、大丈………くっ!』

 

その数秒後、メキメキと音を立てながらガンダラ要塞は押し潰され、完全に瓦礫となってしまった。

その上方には、波紋を表面に浮かべながら青黒く輝く巨大な球体があった。それこそが、精霊術の発動した痕跡だ。

 

『あれは……グラビティ…!? そんな、アレを使えるのは!』

 

ルドガーは、過去にその術式を目撃した事があった。もっと言うならば、かつての仲間だった、空間を司る大精霊が得意としていた術式だ。

しかも今空に浮かんでいる術式は、建物ごと本気でルドガー達を潰しにかかっていた。退避が僅かでも遅れていれば、要塞の崩落に巻き込まれていただろう。

そしてルドガーは、その術式を発動した張本人の姿を確かめるべく、遥か上空を見上げた。

そこには、

 

ミュゼ(・・・)…!?」

 

異形の精霊がいた。

羽根はどす黒く変質し、身体の半分も爛れたように黒くなっているのを、顔だけは長い髪で隠している。

その虹彩には狂気が宿り、どこまでも盲目的な彼女の本質を表しているようにも見える。

そして彼女は地表を冷たく見下ろしながら、

 

 

 

『──────骸殻能力者、発見。……くく、あははははっ!! 待っていてくださいマクスウェル様(・・・・・・・)! 貴方を脅かす全てを、この私が皆殺しにしてみせます!!』

 

 

 

 

その獰猛な羽根を羽撃(はばた)かせ、黒の鎧を纏うその姿へと、襲いかかってきた。

 




お待たせしました。
約半年ぶりの更新となります。

また更新再開してゆきますので、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話「もう誰も失いたくないんだ」

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

 

以前、ルドガーは友人であるジュードから、マクスウェルとの間に起きたとある事件の話を何度か聞いた事があった。

かつて、リーゼ・マクシアとエレンピオスは同じ大陸だったこと。

精霊と共存する者達と、精霊から受ける恩恵を一方的に利用しようとした者達。その対立に辟易とした大精霊マクスウェルが、断界殻を施し世界を二分化したこと。

現代において、エレンピオス側がリーゼ・マクシアの微精霊(資源)を得る為に、"異界炉計画"という侵略まがいの行動を起こしたこと。

そして大精霊マクスウェルと、マクスウェルの現し身であるミラ=マクスウェルの間で、断界殻の解放をかけて対立があったことを。

かつてルドガー達に力を貸した大精霊ミュゼは、その当時はマクスウェル側についてミラ達と敵対していた。

多くは語られなかったが、当時のミュゼは本人曰く"どうかしていた"という。

いくら大精霊マクスウェルの為とはいえ、果たして多くの命を奪った事に意味はあったのか。

ミュゼ自身は、ミラと違ってそこまで人間に情を抱いているわけではない(それでも、ルドガー達と行動を共にする頃には多少は変化は見られたが)。

しかしながら、過去のミュゼは大精霊マクスウェルに仕える事でしか自身の存在意義を見出せないような、いわば依存体質のような性格だったようだ。

故に、マクスウェルからの指示があれば迷わず人間を手にかけ、また、マクスウェルを守る為ならば手段を選ばない。そういった狂気を、彼女は孕んでいたのだ。

また、ルドガーは分史世界の住人としてのミュゼの、狂気性の片鱗を何度か垣間見た事もある。

 

『…………マクスウェル、だと……?』

 

今現在目の前に現れたミュゼは、まさにそういった過去の話のイメージそのものだと、ルドガーは感じた。

しかし妙だ、とルドガーは考える。ミュゼの姿は半身が黒く変質しているが、時歪の因子の反応はない。

時歪の因子化ではないとしたら、あの姿は一体なんなのか、と。

どちらにせよ、そのミュゼが今現在ルドガー達に牙を向けている事には変わりはない。こうしている間にも、ミュゼは次の攻撃術式の詠唱を開始していた。

 

『来るぞ、キリカ!』

 

次の瞬間、ミュゼの周囲に強力な重力場を内包した、中型の球体が現れた。

そしてそれらはルドガー達目掛けて、空の上から地表へと撃ち込まれる。

球体の軌道自体はやや緩慢で、着弾する前に回避する事は容易だった。だが、着弾したその部分から重力場が拡散し、地表に小さなクレーターを造りながら重力場がルドガー達へと迫ってきた。

ミュゼがとったその戦法は、ルドガーにとっては全く未知の戦法だった。

 

『こんな精霊術の使い方、知らないぞ!』

『それで避けたつもりかしら? ドブネズミさん!!』

 

重力場を回避すべくランダムに動き回っていた2人に対し、ミュゼは続けざまに無数の光弾をばらまくように地表へと放った。

エレメンタルムジーク。マクスウェル同様に四大元素へと干渉する術を持つミュゼの得意とする術。

放たれた光弾はまるで意思を持っているかのように、キリカとルドガーを追随する。

揺さぶられて逃げ惑うだけでは勝算は見込めない。もはやあのミュゼは倒すべき敵なのだ、と明確に認識したルドガーは、空間跳躍で空に舞うミュゼの真正面に踊り出た。

そのまま手にしていた槍を振りかぶり、ミュゼを叩き斬ろうとするが、槍が直撃する刹那にミュゼ自身も空間跳躍を使い、ほんの数十センチほど後退して槍を回避した。

 

『遅いわねぇ! エザリィウィップ!!』

 

言いながらミュゼは、今度は自身の髪に精霊力を集中し、触手のように操ってルドガーへと攻撃を仕掛けた。

空中戦では羽根を持つミュゼに分がある。ルドガーは咄嗟に地上へと急降下して、鋭く放たれた髪の一撃を、すんでの処で躱した。

 

『……ッ!!』

 

そして直後に気付く。ルドガーか着地した地点には、既に巨大な魔法陣が描かれており、今まさに精霊術が発動しようとしていることを。

 

『かかったわね─────ネガティブゲイト!!』

 

魔法陣の周囲から中央に迫るように、どす黒い瘴気を含んだ精霊力が押し寄せて来る。

明らかに、通常発動された術よりも"負"の濃度が倍増している。これに飲まれればタダでは済まないだろう。

危険を察知したルドガーは、またも空間跳躍を用いて後退し、精霊力に飲まれるギリギリのところで回避した。

 

『チッ……すばしっこいのには変わりないのね─────ルドガー・ウィル・クルスニク!!』

『!? なぜ、俺の名を…?』

『あら、知りたい? 知りたい!? あは、簡単な話よ! 私はもう既に、あんたを何回もこの手で葬り去っているからよ!』

『なんだと…? そうか、そういう事か……!』

 

ミュゼの言葉を受けてルドガーが思い出したのは、以前訪れた分史世界のうちの一つ、その中にあった古代遺跡トールでの出来事だ。

トールを守護する番人(プログラム)であったオーディンは、同時に時歪の因子(タイムファクター)でもあった。

時歪の因子の破壊はその分史世界の消滅、すなわちオーディンにとっては、古代遺跡トールに眠る守るべき住人達の死を意味するものであり、オーディンを討つ為に送り込まれた他の分史世界のルドガーを返り討ちにしたことかある、という旨の発言をしていた。

そして今ミュゼもまた、それと同様の事を口にしていた。つまり、この世界にも"ルドガー・ウィル・クルスニク"はやって来ていたのだ。それも、1度や2度じゃない。

 

(…………でも、どういう事だ? 俺達はまどかを追って"マグナ・ゼロ"へと入ったはず。なのにどうして分史世界に……!?)

 

再度ルドガーは、眼前の敵へと意識を集中する。

ミュゼは空間移動を得意としており、連続的な攻撃を仕掛けても、容易く抜け出されてしまう。また、空間移動を利用した急襲も可能としており、彼女にとって距離という概念は、もはや無いに等しい。

仕掛けるならば、不意を突き、強力な一撃を見舞う他無いだろう。

ちら、とルドガーは一瞬だけ後ろを向き、キリカと視線を交わした。

言葉は要らない。その僅かなひと時だけで、2人の意思は確かに伝わり合った。そして、

 

『「───リンク・オン!!」』

 

2人の絆を繋ぎ合わせ、ひとつの力とする。

 

『そういえば、そっちの小娘は見たことがないわね───まあ、どちらにせよ始末する事には変わりないわ!』

 

ミュゼの術式が空に紡がれ、青黒く輝く球状の魔法陣が膨れるように展開される。

重力場を発生させる、非常に強力な精霊術・グラヴィティ。発動を許せば最後、押し潰されて身動きを封じられ、一方的に攻撃を通してしまうことになる。

 

『させるか! ヘクセンチア!!』

 

地面に黒槍を強く穿ち、それに呼応して空から黒い光弾の雨が、ミュゼの頭上へと降り注ぐ。

 

『チィッ!!』

 

ミュゼは詠唱を中断して空間跳躍で光弾を躱しながら、四属性の光弾を2人へと撃ち返して応戦する。

 

 

『─────絶影!!』

 

 

対してルドガーは真上へと飛び上がり、そこから更に跳んでミュゼの頭上を取り、槍を垂直に構えながら急降下する。

咄嗟に気付いたミュゼは空間跳躍で回避しようとするが、一瞬の隙を突いたルドガーの槍撃は、確かにミュゼの片羽根を切り裂いた。

 

『……ぐ、うぅっ……!! よくも!!』

 

ミュゼの顔が、さらなる憎悪に満ちて歪んだ。

羽根を斬られた事でバランスを崩しかけるが、すぐに精霊術を使い、空間中に舞うごく僅かな微精霊を掻き集め、自らの羽根に当てがった。

それは、ミュゼが得意としていた回復の為の精霊術。…だと言うのに、精霊術によって再生された羽根は歪な肉塊が音を立てながら伸び、禍々しい力を漂わせながら、ゆっくりと羽根のカタチを造っていった。

 

『………くく、"醜い"───そうとでと思ったかしら?』と、ミュゼは嗤いながら問いかける。

『この世界は既に瘴気によって蝕まれてる。クロノス域を抜け、無の大精霊(オリジン)の浄化が届かなくなったことで、世界中が瘴気にまみれ、人間達も、私も、異形の姿へと変わってしまった…けれど! こんな世界でも、あのお方は必死に守ろうとしている─────そうよ、クルスニクの一族は皆殺しにする。それがマクスウェル様に与えられた、私の使命!!』

 

ミュゼの両羽根が、瘴気を取り込み更なる異形へと変質してゆく。

さながらに魔女…あるいは悪魔のような4枚の翼へと変わり、金の髪は黒ずんでゆき、虹彩には血のような赤が光る。

狂気に囚われながらも、与えられた使命の為に尽くそうとするその姿は、もはやルドガーの知るミュゼですらなかった。

 

『………使命、か』

『ええそうよ! あんた達を殺して、この世界を守る! それが私の─────』

『…俺にだって、絶対に譲れないものがある。守りたいものがあるんだ。けどそれは"使命"なんてものじゃない。……約束したんだ。"絶対に守る"って』

『戯言を!!』

『それでもいいさ! 俺は、ここで立ち止まる訳にはいかない! 』

 

そしてルドガーはミュゼを強く見返し、自ら纏っていた骸殻を解いた(・・・・・・・・・・・・・)

 

『自分から……!? あは、まさか骸殻(その力)なしで私に勝つつもり?』

 

ルドガーはその問いには答えず、双振りの刃を携えて前方に突っ込んでゆく。

迎え討つべくミュゼは光弾を数発放つが、それらを紙一重の所で身をよじり躱し、距離を詰め、飛び上がりながら神速の居合斬りを放った。

 

「舞斑雪ッ!!」

『くっ……、甘いわ!!』

 

刃が触れる直前に小さな防護壁を張り、ルドガーの攻撃をギリギリのところで防いだ。

が、ルドガーは臆する事なく一瞬で双剣から双銃へと持ち替え、刃を弾かれた反動を利用して宙返りしながら、弾丸を連射する。

放たれた弾丸には地属性の力が込められ、ミュゼの張った防護壁に張り付き、さらに続けて撃ち込まれた弾丸が命中し、大爆発を引き起こした。

 

『─────きゃあっ!!?』

 

防護壁が割られ、襲いかかる熱風にミュゼが一瞬たじろぐ。その一瞬を見逃さずにルドガーの追撃が来る、と読んでいたミュゼは、周囲を確認するまでもなく空間転移で回避しようとした。

だが、それを許さぬ程の圧倒的な速度で 、ルドガーの刃が粉塵の奥から飛び込み、ミュゼの腹に突き立てられる。

加えて強大な拳の一撃を浴びせられ、空中から地面に向かって叩き落とされた。

 

 

『ガ…………っ、そん、な…!?』

 

 

土に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まりかけた。

いったい何が起こったのか、ミュゼは本当に理解する事ができなかった。

ミュゼの空間転移は一瞬にして行われるのだが、ルドガーの今の一撃はその何倍もの速さを持っていたのだ。

刃だけではない。粉塵の舞うスピードも上がっているような気がするし、何より身体が重い。

 

 

「一気に決めるぞ! キリカ!」

「わかってる! 行くよ!!」

 

そして、刃を構える2人の超高速の追撃が襲いかかる。

 

『……違う、あいつらが速いんじゃない! 私が!』

 

その時ようやく、ミュゼは自分が何をされたのか(・・・・・・・)を少しだけ理解した が、既に遅かった。

 

 

「「──────双砕迅!!」」

 

 

2人の持つ刃が目にも止まらぬ速さで交差し、地に伏すミュゼの身体を、縦横に斬り裂いた。

 

『ぎ…っ、あ…あぁぁァァァァァァァァッ!!』

 

ミュゼの叫び声が、瘴気にまみれた荒野中に響いた。

ルドガー達によって浴びせられた斬撃は明らかに致命傷であり、もう身動きなど取りようもないはずだ。

なのに、ミュゼはもう1度瘴気をその身に取り込み、力に転換しようとしていた。或いは、意図せず瘴気に侵食されているのか。

 

「…まずいよルドガー。このままだと!」

「ああ、わかってる!」

 

魔法少女が絶望の果てに行き着く先を知っている2人だが、それを抜きにしたとしても、瘴気を過剰に取り込んだ生命がどうなってしまうのかを想像するには、難くなかったろう。

今度こそ、ミュゼの身体は本当の異形の怪物へと変貌を遂げようとしつつあった。

これをこのまま見過ごす訳にはいかない。放っておけば、さらに凶暴化して2人に牙を剥いてくるだろう。

ここで今倒し切るしかない。剣を構え直し、斬りかかろうとしたその時─────後方から、膨大な力の奔流がミュゼの身体へと撃ち込まれた。

 

『─────────ァ………ス………さ、ま…………』

 

 

ズドン!! と激しい爆発音の中に微かに、ミュゼの掠れた声が聞こえたような気がした。

 

「なんだ!? …今のは、敵……いや、」

 

今の力には見覚えがある。ルドガーは額に冷や汗をかきながら、ゆっくりと後ろへ振り返ると、そこには。

 

「………やっと、合流できたわね。ルドガー」

「ほむら! それに、さやかも一緒に!」

 

エネルギー波が地面を抉り飛ばしてできた道筋を遡ると、そこには2振りの剣を構えたさやかと、悪魔の翼…そして、幾何学模様の刻まれた、全てを破壊し尽くす1対の黒翼。合わせて4枚の羽根を拡げたほむらが立っていた。

 

「……その羽根は、いったい…?」

「"再現"したのよ。単純な破壊力だけなら、この羽根の方が格段に高いから。さっきまでそいつのコピーの大群と戦って、魔力の波長を追跡してここまで来れたの」

「危うく、あたしも吹っ飛ばされるかと思いましたけどねぇー」と、さやかが冗談っぽくぽやいた。

 

どうやら大勢の敵を一気に殲滅する為に、広範囲への波状攻撃を容易とするあの"破壊の翼"を用いたのだろう。

以前は全く制御できていなかった力だが、悪魔となった今は完璧なコントロールを可能としているようだ。

悪く言えば、黒翼の力はやはり人の身に余るということだ。

 

「……そうか。これで4人…マミと杏子とは、会ってないか?」

「いいえ。まだ見つけていないわ」

 

はっきりと口に出した訳ではないが、ルドガーは参ったとばかりに肩を落とし、息を吐いた。

元々はまどかを探してここまで来たのに、入ってみればリーゼ・マクシアの分史世界で、仲間達ともはぐれてしまう。

とはいえ、ほむらの力を借りる事ができるならば、はぐれた仲間を探すのにも頼り強いだろう。

 

「………手掛かりと言えるかどうかはわからないけれど、ここに向かってくるまでの間に、気になる反応を見つけたわ」

 

ほむらは役目を終えた破壊の翼を打ち消し、悪魔としての象徴である翼をさらに大きく拡げ、魔力を増幅させながら告げる。

 

「この空間はあちこちに足を踏み入れる度にデタラメな場所へと飛ばされてしまう。けれど、方角や位置関係自体は一応見た目通りなのよ。そうね…イメージ的には"すぐ目の前へ繋がる道が消されてしまっていて、その穴埋めの為に違う位相の道が無理やり繋げられている"といった感じかしら」

「…つまり、目に見えている場所へ向かおうとしても違う位相に飛ばされてしまって、辿り着けない。そういう事だよな? なら、ほむら達はどうやって俺達のいる場所を?」

直接跳んだ(・・・・・)からよ。その"ミュゼ"とかいう妖精のコピー体から、本体へと繋がってる魔力を追跡したの。妖精の大群がこの世界への侵入者に対して送られたものだとしたら、それを片っ端から辿っていけば、あなた達と合流できるかもしれなかったから」

 

ルドガー達を見つけられたのは、ミュゼのコピー体から魔力を追ってきたからだとほむらは言う。

ならば残る問題として、マミと杏子の居場所についてだ。

 

「気になる反応っていうのは?」

「その妖精がどこから降りてきたのかも、空間中に残ってた魔力の残滓を追って見てみたの。…どうやらそいつは空間に干渉できる能力を持っていて、その力で次元の狭間を開いてどこからか現れたみたい。

そして、その出入り口のような地点の場所も突き止めた。ここから遥か遠くにある山の頂上に、ほんのかすかだけれど"次元の裂け目"のようなものがあったのよ」

「山……そうか、ニ・アケリア霊山!」

 

 

そこはかつて、ルドガーがは初めてクランスピア社から正式に(・・・)与えられた"分史世界を破壊する命令"によって訪れた場所だった。

そして、ルドガーにとってはそれだけではなくもう一つ大きな意味を持つ場所。

ニ・アケリア霊山の麓に位置する"マクスウェルを祀る社"で、ルドガーは彼女(ミラ)と出会ったのだ。

以前"任務"で訪れた時は、エレンピオス側の"次元の裂けた丘"と呼ばれる場所でクロノスに襲われ、裂け目を通って逃げ込んだらリーゼ・マクシア側の霊山の麓へと出てきた。

ちょうど、ほむらが見つけてきた痕跡と話が合致する。

 

「…ひとつ付け加えておくと、その山の通り道には、杏子が何かしらの魔法を使った痕跡も残っていたわ」

「! 2人を、見つけたのか!?」

「いいえ、その痕跡は"次元の裂け目"の辺りで途絶えていたわ。…可能性だけど、2人は先に次元の裂け目に入り込んでしまったかもしれない。

だから、先にあなた達を見つける必要があった。先に入ってしまったら、戻れる保障はないもの」

「…次元の裂け目なら、ほむらの力じゃ出られないのか?」

「異なる次元に干渉する魔法は、そう何回も続けて使えるようなものではないの。巴さん達と無事合流して脱出する時まで、魔力を温存しておかないといけない。…どうするかしら、ルドガー? 今からすぐに"次元の裂け目"の所まで…」

「ああ、行こう。どちらにせよ、このまま歩いてるだけじゃあまた"飛ばされる"だけだ。なら、手掛かりを追わない手はない」

 

ルドガーの決断を待っていたとばかりに、ほむらは魔力を解放し、長距離を移動する為の転移術式の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

世精ノ途・内部─────

 

天然石を粗く削って造られたように歪で、重力の法則もまるで出鱈目な空間の中を、マミ・杏子、そしてリーゼ・マクシアの住人で"マクスウェルの巫子"と自称する男・イバルの3人が駆け巡っていた。

 

「……よし、今のところ"ミュゼ"は俺達に気付いていないようだな」

「"ミュゼ"? なんだそりゃ」と、杏子がイバルに尋ねかける。

「マクスウェルの"番人"だ。と言っても、俺の信じるミラ=マクスウェル様の番人じゃあなく、あの男───マクスウェルの座を奪い取った、"アイツ"のな。気をつけろ、奴はマクスウェルに近づこうとする奴を手当たり次第襲う」

「へっ。何だか知らねえけど、襲ってくるなら返り討ちにしてやるだけさ」

「…だといいがな」

 

世精ノ途内部には、リーゼ・マクシアにもちらほらと見られたようなものに似た、それでいて赤や青、緑と怪しく輝く魔物がいた。

近づくとやはりマミ達に牙を剥いてきたが、それらを蹴散らすのは3人にとっては然程難しくはなく、むしろ複雑な構造をしている世精ノ途自体が、3人の足を遅めていた。

そんな中、イバルは何かを感じ取りながら歩いているようで、2人の少女達と比べてもあまり道に迷うような素振りを見せないでいた。

そうして、歪な道筋は緩やかな渦を描くような下り坂へと差し掛かる。

 

「………この先だ。一応言っておくが、お前達の探しているモノがそこにあるとは限らないし、命の保証もしないぞ」

 

イバルは冷たく言い放ちながら、腰に差した2振りの短剣をチェックする。

そもそも、マミ達の目的はまどかを探し出す事であり、イバルの言う"復讐"に付き合う義理などないのだ。

 

「出口は、あるのかしら?」

「さあな。元々俺は、復讐さえ遂げられれば帰れなくても構わなかったし、帰るアテなんぞ探してない」

「……だと思ったわ。でなきゃ、あんな捨て身で次元の裂け目をこじ開けたりなんてする筈がないもの」

「わかっててこの世精ノ途に入ったのか。…そうだな、一つだけ帰る(すべ)があるとしたらだ。"ヤツ"の持つ次元を斬り裂く剣を奪えば、戻れるかもしれないな」

「…次元を斬り裂く剣が、ここにあるというの!?」

 

今度こそイバルは、マミの反応に驚いた様子だった。

 

「…お前、この世界の人間じゃあないんだろ。"剣"の事をどこで知った?」

「この世界へ来るために必要なアイテムの1つだったのよ。でも、そんなものなかったから、私達の仲間の1人がその剣の代わりを務めたの」

「馬鹿な! 次元を斬り裂く剣は大精霊クラスの…いや、それ以上の力なんだぞ。そんな力を使える奴が他に……まあいい、そいつがもし本当にそれだけの力を持っているなら都合がいいだろう。逆にお前達を探して、ここへ駆けつけて来るかもしれないからな」

「ええ、その通りね。だから一応、あの山に私達の魔力の波長を多く残しておいたわ」

 

気付いてくれればいいのだけど…と、マミはやや自信なさげに言った。

その時、世精ノ途の虚空が広がる闇の中に、稲光のようなものが瞬いた。

 

「───っ、なんだ! 敵か!?」

 

閃光は、雷鳴ではなく何かが軋むような音を断続的に放ちながら、歪な地面を鞭打つように迸る。

真っ先に杏子が反応を示したが、

 

「…いや、これは"次元震"だ」

「次元震?」

「ああ。イル・ファンの学者が名付けた現象だ。外部の次元からの大規模なエネルギー干渉によって、この世界自体が大きく"揺さぶられる"事で発生する。地上の"虫喰い"は、この次元震によって空間が"削り飛ばされる"事で起きた現象なんだとか。…だが、まさか世精ノ途にまで及ぶとは……急ぐぞ、お前達! 元の世界に帰りたいなら、この世界が壊れる前に奴から剣を奪え!」

「あっ、おい!」

 

杏子の制止を聞かずに、イバルは緩い螺旋状の坂を駆け下ってゆく。

一瞬、どうしたものか2人は迷ったが、すぐ背後にまで次元震が迫っているのに気付き、やむなく足を動かす。

既に次元震の直撃を受けた世精ノ途の一部は崩落し始めている。出口の存在自体アテにはできないが、これではどの道もう後戻りはできないに等しい。

 

 

「さっきからアイツ、訳わかんねえ事ばっかり!」

「…いえ、そうでもないわ。ここがもし"分史世界"だとするなら、ね」

「外部の次元からの干渉………この世界を"壊そう"としてる誰かがいるって言いたいのかい?」

「或いは、"飲み込もうと"してるのかも。それに、イバルさんの反応や言動からすると……恐らく、この世界はもうあまり長くは保たない」

 

"樽を壊された醸造酒(ワイン)のように、儚く溶けて消えるのさ───" マミは、イバルの言ったほんの些細な一言を思い出した。

 

「あれは半分はジョークかもしれないけれど…もう一つ、この世界は誰かに壊されかかってるって事を言いたかったのよ」

「…さしずめ"樽"がこの世界ってか? けど、一体誰がそんな事を……」

「…私の思い当たるところでは、空間に干渉できる程の力を持つ者なんてそうはいないわ。けど、暁美さんは違う。だとすると…」

救済の魔女(まどか)、もしくは"原初の魔女"、か…だったらやる事は決まりだな!」

「ええ。逃げるにしても、魔女と戦うにしても、とにかく"剣"を奪い取るしかないわ!」

 

 

腹が決まった2人はさらに加速して道を突き進み、先行していたイバルにすぐに追いついた。

 

「覚悟ができたようだな!」と、イバルはやや得意げに2人に言う。

「剣は私達がもらってしまっても構わないのよね?」

「ああ、くれてやる。俺はヤツの命さえ刈り取れれば、それで構わないからな!」

「なら決まりね!」

 

そうして、下り坂の終着点──────ひときわ強烈な白い眩きを放つ地点へと辿り着く。

だが、3人は足を止めることなどせずにそのまま、目の前に空いている巨大な穴の中へと一気に飛び込んだ。

瞬間、穴の底から溢れ返る力の奔流に包まれる。清らかな水の流れのようで、それでいて噴流のように激しく─────清浄な力の奔流だ。

まさか、瘴気にまみれていたこの世界に、こんな清らかな場があったとは───などと考えつつ、3人はまっすぐに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清浄な力の奔流から解き放たれると、急落降していた勢いは嘘のように緩やかになり、3人はゆっくりと澄んだ水面のような大地へと足を下ろした。

まるで鏡面の如く澄んだその大地は、どこまでも果てしなく拡がり、果てが見えない。

あちこちに歯車をいくつも組み合わせたような複雑な円形のオブジェが転がるが、よく見ると僅かに錆びが見られる。

上を見上げれば、先程までの暗闇だけが続く空とは打って変わり、星々の煌めきが瞬く小宇宙のような美しい空があった。

まるでこの世のものとは思えない─────それが、少女達の素直な感想だった。

 

「……着いたぞ。ここは"世精ノ果テ"…マクスウェルの玉座だ」

「あなたは、ここを知っていたのね?」

「ああ。だが、ここに来るのは初めてだ。…気をつけろ、もう後戻りはできない。奴を倒して剣を奪う…それ以外に、ここを出る術はないと思え」

 

水面のような大地へと1歩、また1歩と踏み出し、ゆっくりと進んでゆく。

世精ノ果テ───即ち、"この世の果て"。この世のものとは思えないこの光景は、本来ならばこの空間へ生きたまま訪れる事など出来ないが故に。

それを可能とするのが、"通り道"として造られた世精ノ途───そして"次元を斬り裂く剣"。

 

「次元を斬り裂く剣は、本来は"ミュゼ"の力の象徴なんだ。ミュゼは世精ノ途なしで下界と世精ノ果テへの出入りを可能としている。…だが、今はその力をヤツに剣として渡しているはずだ」

「その"ミュゼ"ってのは一体なんなんだよ? マクスウェルの番人とか言ってたけど、そんな事が出来るなんて只者じゃあないだろ?」

 

と、杏子が先程の疑問を再度ぶつけた。

 

「ああ、その通りだ。…"ミュゼ"は、我が主ミラ様の姉…いや、ミラ様よりも数年程前に造られた"マクスウェルの現し身"のうちの1体だ。ミラ様は四大元素を司る大精霊を従え、それを自在に操る事ができた。対して、ミュゼは四大(しだい)の力に加えて次元刀の力を与えられて、生まれた」

「…あんたも、随分と詳しいみてえじゃねえか」

「そんな事はない。たったこれだけを調べ上げるのに、5年もかかってるんだからな」

 

ぴたり、と3人の足並みが止まった。

世精ノ果テに入ってからひたすらに真っ直ぐ歩き続け、ようやく"ソレ"を見据える事ができたからだ。

 

「………見つけたぞ…!」

 

イバルの顔つきが一層険しくなる。明確な"憎しみ"を抱いた顔だ。

その憎しみが込められた視線の先には、玉座に坐した何者かの姿が。

漆黒だが、どことなく燃えるような紅色に見えなくもない長い髪と、生半可な鍛え方をしていない事がひと目でわかるような、強靭な肉体。

その背後には、大精霊としての力の象徴なのか、紋様が浮かび上がっている。そこから感じられる圧倒的な精霊力(マナ)は、それこそ悪魔として覚醒したほむらと同等、或いはそれ以上の重圧を放つ。

 

 

『──────まさか、お前がここまでやってくるとはな…』

 

男は、何の感情も込めずに重い口を開いた。

 

『愛した女の仇を取りに来た…といったところか、イバルよ』

「はっ! わかっているなら話が早い。俺はお前を殺す……お前がマクスウェルを(かた)る事など、この俺が絶対に許さない!!」

『"騙っている"のではない。俺は、腑抜けた先代マクスウェルに代わって断界殻(シェル)を守り、この世界を蛮族共(エレンピオス人)から守ってきたに過ぎない。

──────それが、この俺の"王"としての責務だからな!!』

 

 

男は立ち上がり、傍らに挿してあった剣…"次元刀"を抜き、仇成す者を迎え討たんと対峙した。

 

「…"王"だと? 調子に乗るなよ、人間如きが精霊の王を名乗る─────これ程までの傲慢など、ありはしまいよ!」

『ならば、示してやろう。俺が"王"たる所以を。他の誰にもこの世界を守る事などできはしないという事を!

─────我が名は"ガイアス=マクスウェル"。貴様の命を以って、その証明としてやろう!』

 

膨大な霊力の圧が、ガイアスを中心として拡がる。

その威力は凄まじく、過去に様々な強敵と戦ってきた少女達だが、その誰とも比べ物にならなかった。当然、魔法少女と比較してもだ。

 

「………何て力…!? あれが、本当に人間に出せる力なの!?」

「おい、イバル!! 勝算はあるんだろうな!?」

「さあな! 俺が死ぬか、奴が死ぬか。ただそれだけのことだ! 行くぞ、ガイアス!!」

 

まず、イバルが霊力の圧を掻き切って正面から突っ込んでいった。

両手に構えた双剣を振りかざしながら、自らの精霊力を高め、刃に乗せる。

 

『……ほう、伊達に鍛えたわけではなさそうだな。だが! 魔神剣ッ!!』

 

イバルの攻撃に対し、ガイアスは地面を薙ぎ払うように次元刀を振り抜いた。

そこから超巨大な衝撃波が発し、水面のような大地を激しく噴き上げながらイバルに迫る。

 

「甘いんだよ! グレイヴ!!」

 

イバルは双剣で地を叩くように穿ち、そこから強大な地属性のエネルギーを解放し、ガイアスの放った衝撃波にぶつけるように、地を砕きながら進む衝撃波を放った。

両者の放った衝撃波はぶつかり、火花を散らす。その一撃の交差だけならば、力量はほぼ互角と見て取れた。

 

『……なるほど。その力…"ノーム"の加護を受けたか』

「ノーム様だけじゃあないぜ! ミラ様が遺してくれた四大精霊達は、貴様に離反し俺に力を与えてくれたのさ!」

『ふん、"マクスウェルの巫子"を名乗るだけはあるな』

「ほざけ! 今からお前はその"巫子"に首を掻き斬られるんだよ!」

 

次いで、イバルは"イフリート"の加護…双剣に滾る炎柱を宿らせながら特攻を仕掛けた。

 

「私達も行くわよ、杏子!!」

「わかってるって!」

 

後方から、イバルを援護する形で2連マスケット銃の砲撃がガイアスへと飛んでゆく。

さらに杏子は、質量を持つ"分身"を数体描き出し、揃ってイバルと共に駈けていった。だが、

 

『その程度では俺には及ばん! 獅子戦吼ッ!!』

 

ガイアスは次元刀を持っていない方の手を強く握り締め、正拳突きのように前に突き出した。

その一点にガイアスの闘気が集約し、熱を帯びた暴風となって放たれ、弾丸や幻影を1発で吹き飛ばしてしまった。

が、イバルは臆することなく、

 

「アクアプロテクション!!」

 

"ウンディーネ"の加護を受けたことによって習得した精霊術を使い、瞬時に自身の周りに水属性のシールドを展開し、熱風から身を守った。

そして、イバルの刃はついにガイアスの次元刀へ肉薄する。

 

『まさかこの俺に、ここまで近付いてこれるとはな!』

「いつまでも相手を格下と侮るんじゃあないぞ! その油断を突いて、貴様を喰らう!!」

 

 

互いの刃が、火花を散らしながら音を立てる。

イバルは尋常でない速度での剣捌きで仕掛け、対してガイアスは完璧に無駄のない最小限の動きで、身の丈程の長さの次元刀を駆使し、イバルの剣戟を的確にいなす。

 

『貴様は真実を知ってもなお、俺を殺し、断界殻を解放したいと願うか!?』

「断界殻なんぞ今更関係ないね! お前こそ、目の前の現実から目を背け続けているじゃあないか!」

『…愚かな』

「愚かなのはガイアス、貴様だ! こんな死んだ世界にいつまでも固執してるのは! 瘴気に侵され魔物と成り果てた民達から目を背けて! 王を気取って腑抜けたのは貴様の方だ!!」

 

燃え盛る炎のように、2人の剣が、意志が、ぶつかり合う。

ガイアスの操る次元刀は、大精霊ミュゼの力を具象化したものであり、リーゼ・マクシア中のどの鉱物とも異なる物質構造をしている。

だというのに、イバルの双剣は刃こぼれひとつせずに、ガイアスの次元刀と互角に渡り合えている。

イバルの力量がガイアスの想像以上に上がっている事もあるが、何らかの精霊術で剣に加工を施してあるのか、とガイアスは考えたが、

 

『俺を殺すと豪語しただけはあるようだが…言っただろう! その程度では俺に及ばぬと!!』

 

ガイアスはイバルの双剣を圧し返すと、一瞬で闘気を練り上げ、剣先に集中させた。そして、

 

『─────奥義・覇道滅封ッ!!』

 

次元刀を突き出すと同時に、剣先から闘気を一気に放出した。

その闘気はまるで極太の熱射兵器のように真っ直ぐに、目の前のもの全てを焼き尽くす勢いで放たれる。

双剣を弾かれて咄嗟に後ろへ飛び下がったイバルだが、ガイアスの放つ闘気が直撃してしまう位置取りになってしまっていた。

 

「……ちっ………!」

「イバルさん!!」

 

咄嗟に判断したマミは、大量のリボンをイバルの足元から展開し、5枚の花弁状に束ね、強固な盾"アイギスの鏡"を組み上げた。

ガイアスの放った闘気は正面から直撃し、魔力を複雑に束ね上げた盾に亀裂が走る程の威力を見せる。

防げたのはほんの数秒、そのまま盾は闘気によって粉々に砕かれてしまった。だが、その数秒さえあれば十分だった。

 

『………む…!』

 

盾を砕いた先には、誰の姿もなかった。

逃亡したとは思えない。何故なら、ガイアスの持つ次元刀の力がなければ、この世精ノ果テから出る事はできないからだ。

ならば、虚を突いた不意打ちが来る───そう考えたガイアスは、周囲に対して気を研ぎ澄ます。

直後、背後から迫る殺気を感じ取ったガイアスは、

 

『───ハァッ!!』

 

常人離れした速度で振り返りながら次元刀を振り、槍を構えて闇討ちを仕掛けた杏子へと斬りかかった。

だが、次元刀が杏子の身体を斬り裂いた瞬間、杏子の身体の形がぱらりと崩れ、そこから大量のリボンが拡がり、ガイアスの手足を絡み取った。

 

『………この程度!!』

 

リボンを切断する事はせず、ガイアスは再度闘気を練り上げ、自身を中心に放射状に闘気を放った。

それを受けたリボンは、引き伸ばしすぎた輪ゴムのようにバチン、と弾け飛ぶ。

だが、今度は細切れになったリボンが一斉に変質し、ガイアスを取り囲むような形で大量のマスケット銃が展開された。

 

『なっ……!? 』

 

ドガガガガガガッ! と全てのマスケット銃が遠隔で同時に引き鉄を引かれ、その弾丸全てがガイアスを蜂の巣にするような勢いで向かってゆく。

今度こそ虚を突かれたガイアスは次元刀で地を穿ち、閃光の如き衝撃波を自身を取り囲むように噴き上げさせ、弾丸から身を守ろうとした。

すると今度は、ガイアスが放った閃光に紛れるような形で、杏子の紅い細身の槍が何本も突出し、ガイアスを狙った。

 

『なに!? くっ……!』

 

ガイアスは咄嗟にその場から高く飛び上がり、弾丸と槍の双方を同時に回避しつつ、空中で乱れた体勢を整える。

その時、虚空から突然イバルの姿が現れ、ガイアスの背後を完璧にとる形で頭から落行していた。

 

「──────もらった!!」

 

身体を捻りながらの双剣の連撃が、ガイアスの背中に剣筋となって刻まれた。

 

『がッ………イ、バル…だと!?』

 

そのままイバルはガイアスよりも先に着地し、精霊力を一気に放出し、地に巨大な魔法陣を描き出す。

 

「受けてみろ!! 双剣に木霊せし、万霊の咆哮─────この俺の怒りと共に、今解き放つ!!」

 

魔法陣から解き放たれたエネルギーを双剣に集約させながら、落下してくるガイアスめがけて飛び上がった。

対するガイアスも、苦痛に顔をしかめながら空中で次元刀を構え直し、その剣先に炎のような精霊力を宿らせる。

 

「双牙! 煌裂陣ッ!!」

『覇王天衝剣ッ!!』

 

膨大な精霊力を込めた両者の剣が空中で激突し、目も眩むような衝撃波を周囲に散らせる。

片や全霊を込めた必殺の一撃、片や傷を受けながらも無理矢理引き出した絶命の一閃。

そのどちらもが、ひけを取らぬ程に互角だった。

 

「ぐ………おぉぉぉぉっ!! 今だ、お前達!!」

『!?』

 

イバルがそう叫んだ直後、またも虚空から大砲を構えたマミが現れ、狙いをガイアスに定めていた。

"俺ごと撃て"───そうイバルから言い託されていたマミは、躊躇いを捨て、重い引き鉄を一気に引いた。

 

 

「─────ティロ・フィナーレ!!」

 

 

魔女すらも葬り去る最強の砲撃が、吸い込まれるようにガイアス、そしてイバルの元へ放たれた。

イバルは着弾する寸前に双剣を捻り、ガイアスの次元刀を逸らしながら、身体を捻って回避行動に移る。

反応に遅れたガイアスはその場から回避行動を取ることができず、マミの放った最終砲撃を、その身に受けた。

 

『ぐあぁぁぁぁっ!!!』

 

ここに来て、圧倒的な力を誇っていたガイアスがようやく唸り声を上げた。

幾重にも重ね上げたマミと杏子のコンビネーションに、イバルの双剣を掛け合わせた多重攻撃。

今度こそ確かな手応えを感じた、とイバルは気分を昂まらせながら着地した。

 

「やったのか!?」

 

と、幻術で身を隠し2人の援護をしていた杏子が、イバルのすぐ近くから現れた。

 

「ああ。いかにガイアスとはいえ、あれだけ喰らえばタダでは済むまいよ」

「ええ。……けど、これで本当に良かったのかしら……」

 

マミの胸中は複雑なものだった。

何せ、これはあくまでこの世界での"イバルとガイアスの"戦いだ。

ガイアスが時歪の因子だったのだとしたら、また話は変わってくるのだが、次元刀を手に入れる為とはいえ、果たして"魔法少女"である2人が介入して良いものだったのか。

が、次元を斬り裂く剣を手に入れるだけでは終わりではない。

2人は次元刀の力の引き出し方を知らない。であるならば、同じ力を持つだろうほむらがこの世精ノ果テまで駆けつけてきてくれるのを待つしかない。

 

『く………』

 

最終砲撃の直撃を受けて倒れたガイアスが、ふらつきながら立ち上がった。

 

『……その力、この世界のものではないな…そうか、貴様らが"破滅の使者"か!』

「使者…? どういう……」

『そのままの意味だ。俺は"マクスウェル"として、断界殻を維持して異次元からの攻撃からこの世界を守ってきた』

「それはエレンピオスの連中だろう? 生憎だが、もう奴らはこの世界へは来れないぜ」と、イバルが返す。

それは、既にエレンピオスは"次元震"によって滅んでいる筈だ、という意味だったのだが、イバルにとってはもう1つの意味を持っていた。

 

『…その程度の奴らならば俺の敵ではない。民たちが"次元震"と呼んでいた現象…まさにあれこそが、異次元からの攻撃なのだ。……そう、そこの女共が使った術とちょうどそっくりな波長のな!』

 

次元刀を杖代わりにして立ち上がり、ガイアスは2人の少女を指差して糾弾した。

 

「"次元震"が、魔法少女による攻撃だと言うの!?」

「…いや、そうじゃねえだろマミ。アタシの勘が合ってれば……"原初の魔女"とやらだ」

「…そういう事なのね。この世界もまた、"原初の魔女"に飲み込まれかかってる…という事ね……っ!?」

 

その時、世精ノ途以外からの干渉はほぼ不可能な筈の世精ノ果テ内に、遥か空高くから落雷のようなものが地に落ちた。

ゴゥン!! という轟音と稲光が明滅し、その直後には硝子が軋むような不快な音が空間中から響いてくる。

 

「………次元震がこの世精ノ果テにまで及んできたようだな」イバルはため息をつきながらぼやいた。

「さあ、どうするガイアス! 貴様の守るべき箱庭(セカイ)とやらは、今頃次元震に飲まれきって食いカスしか残ってないだろうよ!」

(おご)るな! 貴様の故郷も消え失せただろうに!』

「関係ない、と言っているだろう。どの道、"時歪の因子"である貴様を殺せば、この"分史世界"は滅び去るんだからな」

「…イバルさん、なぜ時歪の因子の事を!?」

 

マミは、イバルが意外な単語を口にした事に驚きを隠せずに尋ねた。

 

「……この世界がクロノス域から抜け出る前…とでも言えばいいのか。俺はこの世界を訪れた"ある男"から分史世界について教えてもらったんだ。

名は"ユリウス・ウィル・クルスニク"。…残念ながら、ヤツはニ・アケリア霊山に向かい、そのまま帰ってこなかったがな」

「ユリウス……クルスニク……!?」

「…そしてその後も、何度か"骸殻能力者"がこの世界を訪れては、霊山に消えていった。

俺はその度に、少しずつそいつらから情報を聞き出していった。この世界が"偽り"である事や、クロノス域の事。時歪の因子の事。…そして、"ルドガー"という弟についても聞いたし、実際にその"ルドガー"が来た事もあった……そういう訳さ」

「……ルドガーさんにも、会ってたのね」

「なんだ、知っていたのか?」

「ええ。私達と一緒にこの世界へやって来たもの。…そして、次元震の正体…"原初の魔女"は、私達にとっての敵でもあるの」

「…そいつは驚いたぜ。なら、早々に奴から剣を奪わないとな!」

 

イバルは、今度こそ引導を渡すべく手負いの王へと刃を構えた。

 

『……まだだ。まだ俺が倒れる訳にはいかない……何を賭したとしても、この世界だけは守らねばならんのだ!!』

 

叫び、ガイアスは残る霊力の全てを、次元刀のエネルギーと共に一斉解放した。

ガイアスの背中からは白い4枚の羽根が生え揃い、イバルから受けた刀傷を瞬時に癒してゆく。

…その対価として、ガイアスの左腕が黒く変色し、その黒は緩やかに身体の方へと、そして生えたばかりの白い羽根の端からも黒色が拡がってゆく。

 

「…! 己の身体を糧として、次元刀(ミュゼ)の力をも取り込んだか。血迷ったなガイアス! その力は人の身の限界を超えている!」

『見縊るな! この程度の力、御しきれぬと思ったか? …引導を渡してやろう、イバル!!』

「それはこっちの台詞だ、ガイアス!!」

 

羽根を使い地を滑るようにガイアスが急接近し、それを迎え討つべくイバルも突撃してゆく。

 

『おぉぉぉぉっ!!』

「ハァァァッ!!」

 

これが最後の攻防。刃をぶつけ合い、一層激しい剣戟を繰り広げる2人を前に、マミと杏子は魅入ってしまっていた。

 

『この俺とここまでやり合うとは…褒めてやろう、イバル!』

「ぬかせ!!」

『だが…これで終わりだ!!』

 

ガイアスの咆哮に応じるように羽根がはためき、一瞬でイバルのものを上回る程の、巨大な紅の魔法陣が描き出された。

 

「なに!? まだ、こんな力が!! ぐわあっ!!」

「きゃあ!?」

 

魔法陣から噴出した闘気に巻き上げられたのは、イバルだけではない。

援護しようと構えていたマミ達すらも、同時に巻き上げられてしまっていた。

そうして、ガイアスの次元刀が妖しく光り輝く。

 

『─────心得よ! 我が剣は王の牙、六道の悪業を浄滅せん!』

「く、このぉぉぉっ!!」

 

ガイアスの狙いは一点。成長したイバルの腕前を認め、その上で己の全霊を込めた必殺の斬撃を浴びせる。

 

 

 

 

 

『──────闢・魔神王剣ッ!!』

 

 

 

 

 

炎のような闘志と、鋼鉄の如き意思を、その全てを次元刀に込めて。

ガイアスの"王"としての最強の一撃を前に、イバルは防ぐ事すら敵わず、双剣を弾かれ、その身に絶命の斬を受けてしまった。

 

「───────ぐあぁぁぁぁぁッ!!」

 

大きく吹き飛ばされたイバルの身体は、水面のような地に赤の色を零しながら落ちた。

そして、ガイアスの斬撃の波動が少女達にも、余波だというのにとてつもない衝撃となって襲いかかった。

 

「──────あ、っ……」

「ぐ………!?」

 

もはや叫び声すら出せず、ソウルジェムを衝撃波から守るだけで精一杯だった2人は大きく吹き飛ばされ、そのまま気を失ってしまった。

倒した───肩を下ろしたガイアスだが、安堵する間はない。

次元震の原因が特殊な魔力───即ち、マミ達のせいだと思い込んでいるガイアスは、かっくりと歩み寄り、止めを刺そうと次元刀を構えた。

 

『…………こいつらを排し、断界殻の強度を上げる。なんとしても、この世界だけは………! うぉぉぉぉっ!!』

 

女子供だとて、今のガイアスには躊躇いなどない。リーゼ・マクシアを守る───その事のみに固執してしまっているガイアスは、何の迷いもなく、その刃を振り下ろす。

 

………だが、その刃が少女達を斬り刻むことは、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

 

振り下ろされた紅く光る刃は、対極の性質を持つ黒白(こくびゃく)の槍によって、マミの身体に触れる寸前で食い止められていた。

 

『…………な、に……貴様…!?』

『ガイアス…いや、アースト(・・・・)! …もうやめるんだ』

 

交わる槍と刃が弾け、両者は飛び退り距離を置く。

間一髪のところでガイアスの前に立ち塞がったのは、全身を覆う骸殻を纏ったルドガーだった。

そしてルドガーに追随してきていた3人の少女達も、世精ノ果テの空間を無理矢理割って、ようやく駆けつける。

ルドガーは一度骸殻を解きつつも、倒れたマミ達を守るようにガイアスを見据える。

そして、ガイアスの剣を受けたイバルの元にはさやかが駆け寄り、治癒魔法をかけていたのだが……

 

「………だめ。これ、ただの傷じゃない。魔法を使っても、傷が塞がらないよ!」

「あの刀で斬られたのね」と、ほむらも心配そうに見て言う。

「あの刀は恐らく、次元を斬り裂く剣……その傷は斬られた、というよりも"削り取られた"もの。……私達では治せないわ」

「そんな!」

「……お前、たち………"ルドガー"の仲間……か……?」

 

と、イバルは血を吐きながら、喉の奥から声を振り絞って言った。

既に、イバルの周囲の水面には赤黒い血の色が多量に滲み出ている。刀傷は左肩から右大腿部まで抜けており、ひと目で致命傷だとわかる。

 

 

「喋らないで! 体力が……」

「……無駄だ、もう……助からん……剣を……おれの、剣を…ルドガーに………」

「剣…?」

 

イバルの周りには、ガイアスの一太刀によって吹き飛ばされた1対の剣が落ちていた。

多少煌びやかな細工をしてあるようにも見えるが、次元刀とあれだけの応酬を繰り広げてなお、刃毀れひとつしていない剣だ。

その剣を、ルドガーに渡せ─────なぜそんな事を今になって、とさやかは疑問に思う。

 

「……頼む……仇を………ミラ様の、仇…を…………」

「……ねぇ、あんた! しっかりしてよ! ねぇってば!!」

 

最期の瞬間、イバルはルドガーの方を必死に見据えながら、ただひたすらに悲痛な願いを零し─────伸ばした腕から、力が抜け落ちた。

 

「………そんな……」

 

また、目の前で命が喪われてしまった。さやかはショックを隠せずに、悔しそうな顔をする。

周りにいた少女達も同様だ。だが、ルドガーだけは違う。イバルが最期に託した言葉を受け入れ、赤の水面に落ちた2振りの剣を拾い上げる。

 

「…………これは…」

 

手にした瞬間、ルドガーは剣に込められた凄まじい"想い"を、重みとして感じた。

ガイアスを倒す為だけに5年の歳月をかけて探し当てた、異端の匠・カリスの遺した逸品─────双剣・エウプロシュネ。それこそが、この剣の正体だ。

イバルはその事まではルドガーに伝える事はできなかった。だが、双剣(エウプロシュネ)は込められたイバルの遺志…執念に応じるように、一層輝きを増した。

 

『………"ルドガー・ウィル・クルスニク"………まさか、またも貴様が俺の前に立ち塞がるとはな』

 

ガイアスもまた、次元刀に絶対の信念を込めて言う。

 

貴様が(・・・)ここまでやって来るのは3度目──────だが、同じだ。何度でも貴様を殺す。…この世界を破壊するなどと、絶対に許さぬ!』

「……やめろ」

『今更命乞いをするか、骸殻能力者よ!! だが無駄だ───』

「違う!! ……俺たちは見てきたんだ、この世界の、色んな所を。……何もない。わずかに残った人達すらも、魔物になり、"次元震"に少しずつ飲み込まれてゆくこの世界を。

………アースト。この世界はもう、とっくに壊れてるんだ。…今のお前のように」

 

ルドガーは、まるでかつての友に対して訣別の言葉を投げかけるかのような口ぶりで、応えた。

ガイアスの身体は、ルドガーの懐中時計と連鎖的に反応を起こし、それまで鳴りを潜めていた時歪の因子が一気に顕出していた。

既に身体の大半が黒く染まり、次元刀の精霊力の反動なのか、時歪の因子化によるものなのか、その判別すらつかない。

ただひとつ確かなのは、ガイアス自身から夥しい程の瘴気……負のエネルギーが溢れ出している事だけだ。

それでもなお、ガイアスの強い意志の込められた瞳の色は、狂気に染まったまま(・・・・・・・・・)変わらずルドガーを射抜く。

ガイアスをそうさせてしまったのは、ひとえに"王"としての重圧、責務感によるものだったのかもしれない。

王となり世界を守る─────そう決めた時から。"マクスウェル"の名を背負うと決めた時から、ガイアスはゆっくりと狂い始めていたのだ。

異界炉計画という名の侵略戦争─────骸殻能力者による新たな"侵略"。そして、クロノス域を抜け正史世界から離れるにつれ、無の大精霊(オリジン)の浄化を受けられなくなり、世界中に瘴気が蔓延し…人々は冒され、魔物と成り果てた。

ガイアスが全ての絡繰りを識った時には、既に取り返しがつかなかった。マクスウェルの力は全知全能ではない。魔物となった人々を戻す事も、次元震に削られた世界を直す事もできない。

ならば、残されたものを守る他ない─────そう考えるうち、掌から命が零れ落ちてゆく度に、ガイアスは狂っていったのだ。そして、今も。

 

『……ああ、その通りかもしれんな。だが! 生きてさえいれば、世界が残りさえすれば! いつか必ず元に戻せる! ……もう俺には、そう信じることしかできぬのだ!! 故に俺は絶対に退かぬ─────貴様らを全員始末するまではな!!』

「それが、お前の意志なんだな。………わかったよ、ガイアス(・・・・)!」

 

ルドガーは、イバルから託された双剣エウプロシュネを逆さ握りに構え、その名を叫んだ。

それこそが、訣別の証だった。

今目の前にいる男は、ルドガーの知る"友"ではない。とうの昔に"アースト"という名を棄てた、リーゼ・マクシアの王"ガイアス=マクスウェル"なのだ。

 

 

『オォォォォッ! 魔神剣ッ!!』

「絶風刃!!」

 

ガイアスは、次元刀を振り下ろしルドガーに向けて巨大な黒の衝撃波を撃ち込んだ。

対するルドガーも、風のエネルギーを2刀の剣に纏わせ、振り抜くと共に放つ。

両者の攻撃は衝突し霧散するが、既に2人はそれを確かめるまでもなく互いに迫り、刃同士が凄まじい速度で重なり合う音が響く。

その中でガイアスは、ルドガーの持つ双剣の力が先程よりも強まっている事に気付いた。

 

『………名匠カリスの遺物…"人の想い・絆の強さに応じて力を増す"……作り話だと思っていたがな!!』

「絆の力……そうだ、俺はいつだって仲間達に助けられてきた! …だからこそ、譲れないものがあるんだ!!」

『そんなものは弱さだ! 閃剣斬雨ッ!!』

 

ガイアスは一瞬でルドガーから1歩後ずさり、次元刀に込められたエネルギーを空に向かって放った。

そこからエネルギーは拡散し、刃の雨となって魔法少女達へと大量に降り注いでゆく。

 

「くっ……ガイアス、お前ぇ!!」

「ルドガー、こっちは私に任せて!」

「ほむら……頼んだぞ!」

 

少女達へと光刃が襲いかかる前に救い出さねば、とルドガーは一瞬焦るが、それよりも速くにほむらがドーム状のシールドを展開し、防御の構えをとっていた。

ほむらも万全ではない様子だが、人間相手ならば(・・・・・・・)劣ることは決してない。

そして、キリカが単身でドームが張られる前に飛び出し、光の雨をすり抜けながらルドガーの援護に駆けつけてくるのが見えた。

リンクの糸が結ばれ、特に強い絆の強さを持つ2人の想いに呼応して、双剣の輝きは増してゆく。

 

「キリカ、気をつけろ! ガイアスは強いぞ!」

「ならば尚更さ! 私達が一緒なら決して負けはしない、そうだろう!?」

「…ああ、その通りだ!」

 

キリカは遅延魔法を発動させてガイアスの動きを鈍らそうとしたが、ガイアスの纏う霊力に阻害され、効果は薄いようだ。

しかし、何もルドガーばかりが強くなった訳ではない。様々な戦いを経て、魔法少女達も一つ上の高みに達しているのだ。

 

「……私のとっておきを、使うときが来たようだね!」

 

キリカの鉤爪は手数こそ圧倒的に多いが、一撃がどうしても軽くなってしまうのが難点だった。それを彼女なりに考え、編み出した新たな攻撃方法。

鉤爪を左右3対ではなく右手だけで構え、その3枚に魔力を集約し、鋭利さと破壊力を補う。

多量の魔力を送り込まれた鉤爪は熱を帯び、(あか)く輝き出した。

そのまま突進の速度を落とさずに、ルドガーの刃とタイミングを重ねる。

 

『無駄だァァ!!』

 

ガイアスは2人のコンビネーション攻撃に対応する為に、次元刀を真横に振り抜き、次元を斬り裂きながら1回転した。

それにより、ルドガーとキリカの目の前に次元の狭間が現れ、2人の刃を妨げようとする。

だがキリカは更に姿勢を低く取りながら加速をかけ、ガイアスの足元に向けて斬りかかる。

逆にルドガーは高く飛び上がり、次元の狭間を避けながら空中で風の刃を起こし、ガイアスに向けて撃ち込んだ。

それをガイアスは、自ら作った狭間を次元刀で打ち砕きながらステップを踏み、2人の攻撃の軸から逃れつつも刀に闘気を集約する。

そしてちょうどガイアスが飛び退いた先に 、ルドガーの放った風刃が飛来してきた。

 

『…っ、この程度の小細工!!』

 

初めからガイアスが飛び退く事を読んでいた事に驚嘆するも、すぐに次元刀の闘気を使って風の刃から身を守った。

それにより、ほんの微かにガイアスの体勢が乱れる。その一瞬の隙を、2人は見逃さなかった。

ルドガーは骸殻を纏い空間転移で、キリカは強く脚を踏み込み、突進の勢いを落とさぬまま軌道を変え、ガイアスを挟み撃ちにかける。

 

「行くよ、ルドガー!」

『ああ、来い!!』

 

キリカは遅延魔法を最大出力でガイアスにかけ、ほんの少しだけガイアスの動きを鈍らせつつ、熱を帯びた鉤爪でガイアスの胸元を斬りつけた。

 

『がぁぁぁぁっ!!』

 

更に、空間跳躍を連続して交えた槍の斬撃が重ねられる。

槍の柄で殴りガイアスの身体を打ち上げ、黒の光弾で追撃をかけ、直後に空間跳躍で側面に跳び、風を槍に纏わせながら突撃する。

その刃に合わせたキリカの追撃が炸裂し、2人の刃が交互に重ねられてゆく。

 

「─────この刹那、」

『天に合する!!』

「『虎牙破斬・(アギト)!!』」

 

そうして、左右からガイアスを挟み込むように突っ込み、2人の斬撃が同時にガイアスを斬り裂いた。

 

 

『─────ぐぉぉぉぉぉッ!!! …まだだ……タダではやられん!!』

 

 

既に致命傷を浴びせられたガイアスだが、身体を斬り裂かれた直後、次元刀に負のエネルギーを纏わせ、空に向かって放った。

それは空中で先程のものと同様に黒い刃状へと変化するが、それぞれが次元を裂く効果を付与されており、空間をズタズタに引き裂き次元震を誘発させながら、黒刃と共に地上へと降り注いできた。

 

「まずい…ルドガー、逃げて!!」

 

ほむらはそう叫びながらドーム状のシールド先程よりも大きく展開し、そこに次元を操る魔法を重ね掛けし、次元をも裂く刃の雨と次元震からさやか達3人を守る。

が、ドームの射程外、そしてガイアスの近くにまだいるルドガー達は自力で刃の雨から逃れるしかない。

 

『くそ……キリカ!!』

 

となれば、打てる手は自然と限られる。ルドガーは骸殻のエネルギーを解放し、固有結界を形成してキリカと共に逃げ込む他なかった。

 

『─────それを、待っていたぞ!!』

 

ルドガー達が結界を紡ぐ瞬間、ガイアスは常人を超えた速度で詰め寄り、次元刀で結界に無理矢理干渉し、刃を突き立てた。

ずぶり、と確かな感触が、次元刀を通してガイアスの手元に伝わる。貫かれたのは、

 

 

「………が……ぁっ……」

 

 

キリカの、心臓だった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

次元刀によって削り取られた傷は、治癒魔法では癒せない。

イバルの死によって、それは証明されたばかりだ。

では、今ルドガーの目の前で起きている事は。

ルドガーを庇うようにして立ち塞がったキリカの胸元に突き立てられた、刃が意味するものは。

 

『……まずは1人。次は貴様だ、骸殻能力者!!』

 

次元刀がキリカの胸元から抜かれ、そこから夥しい程の血が、黒衣の下の白い衣装に滲み出てくる。

結界を割られた事で骸殻をも解けてしまったが、そんな事など気にしていられない程に、ルドガーは今何が起きたのかを理解できなかった。

 

「………キリ、カ……?」

 

どさり、とキリカの身体が水面の地に落ち、先程のイバルと同様に周囲の水面に赤が滲み出てくる。

 

「………あ、あぁ……キリカ……!」

 

ルドガーの脳裏には、いつかの日に大切な人を失った時の光景が。

掴んだ手からすり抜けたあの感触が、フラッシュバックしていた。

─────また(・・)、俺の前から居なくなってしまうのか。声にならない声が木霊する。

最愛の人、そして愛する兄。大切な人を喪う痛みは、2度は辛うじて耐えられた。けれど、3度目の痛みには、ルドガーの心は耐えられそうになかった。

 

 

 

「─────ガイアァァァァァァァス!!!』

 

 

 

これ程までに、明確に誰かに対して"憎しみ"を抱いた事があっただろうか。

懐中時計は、ルドガーの怒り、嘆きに呼応するかのように歯車を紡ぎ出し、その身に鎧となって包み込む。

─────かつてのもう1人の自分(ヴィクトル)と同じ、緋の色に染まった骸殻となって。

 

『……なんだ、あの力は…!?』

 

ルドガーに会うのは3度目だと言っていたガイアスからしても、今のルドガーが纏った骸殻は、異質なものだった。

骸殻は、人の欲望…ひいては、"願い"に呼応する。今のルドガーには、大切な人に刃を立てた敵を殺す─────その事しか頭になかった。

そして、真紅の鎧を纏ったルドガーは槍を携え、ガイアスのすぐ目の前に転移した。

ガイアスはすぐに次元刀を構え斬り合うが、ルドガーの刃には一切の迷いがない、明確な"殺意"が込められていた。

 

『く、さっきまでとはまるで動きが違う! この男─────』

『ウオォォォォッ!!』

槍を2つの刃に分け、次元刀ごとガイアスを滅多打ちにする勢いで加速度的に斬りつけてゆく。

それと共に、空の上から赤の光弾を降らせ、自分ごとガイアスを射抜こうとしていた。

逃れようとすれば、その一瞬を突いてルドガーは斬りかかるだろう。ならばどちらも受けるしかない。ガイアスがそう覚悟した刹那、ルドガーは再度結界を形成し、ガイアスと共に飛び込んだ。

 

『なに!?』

 

ルドガーの予想外の行動にガイアスは困惑し、その僅かな綻びを突くように、ルドガーは槍ではなく拳でガイアスの顎を下から殴りつけ、軽く仰け反った瞬間に、槍で次元刀を絡め取り地に叩き落とした。

そして虚空から双剣エウプロシュネへと持ち替え、ガイアスの空いた両腕を肩から断ち斬った。

 

『──────────ぐ、あぁぁぁぁ!! ルドガー、貴様ァ!!』

『─────アァァァァッ!! マター・デストラクトォォ!!』

 

その勢いのまま双剣を投げ捨て、槍を再度錬成する。

次元刀を無理矢理引き剥がされたガイアスに防御の手段はもはや無く、その胸に赤黒く輝く破壊の槍が、ついに突き立てられた。

 

 

 

『─────ば、か………な……!』

 

 

 

槍は心臓を貫き、核たる時歪の因子をも貫いた。だが、それだけでは足りない。

ルドガーはガイアスが絶命してもなお槍をねじ込み、叩きつけ続け、固有結界が時間切れで解除される瞬間まで、ガイアスの身体を滅多斬りにし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骸殻の結界が解けると、既に分史世界は崩壊を始めていた。

普段と違い崩壊が遅れているのは、ガイアスが強度を極限まで上げた断界殻が支えとなっているからだろう。

しかし、それももう数十秒も保たない。

 

 

 

「─────ハァ、ハァ………!」

 

 

 

骸殻が解け、己の手の中から槍が消失したことで、ルドガーはようやく我に帰った。

 

「……ルドガー、さん……」

 

倒れたキリカの元にはほむらとさやかが寄り添っており、次元刀の傷をどうにか癒せないかと、生命維持と並行して治癒を試みていた。

人間ならば、即死の傷だ。現にガイアスは、ルドガーの槍で胸を貫かれほぼ即死に近い形で事切れた。

ギリギリの所で命を繋いでいるのは、魂が肉体から乖離しているからだ。それでも、受けた傷はソウルジェムにも痛みとなって反映され、加えて時歪の因子と化して瘴気をも放っていたガイアスによって、多量の"穢れ"を当てられていた。

肉体の損傷よりも、ソウルジェムに対するダメージの方が大きかったのだ。

 

「………キリカ…」

 

崩れゆく世界を背に、ルドガーはふらつきながらキリカの傍にしゃがみ込んだ。

心臓を貫かれたキリカのすぐそばにはソウルジェムが置かれており、ほむらが何かしらの魔法を使っているのがわかる。

 

「……なぁ、ほむら。キリカは、助かるんだよな…?」

 

ソウルジェム…魂と肉体は乖離している。身体が損傷したとて、魂が無事でさえいれば問題はない筈だ。ルドガーは心を大きく乱しながらも何故か冷静にそう考えた。

…もしくは、そう思わなければやってられなかったのか。普段のルドガーならば、そんな事など考える筈もないのに、だ。

だが、ほむらは首を横に振った。

 

「………"孵化"が始まってしまったわ。今は私の力で無理矢理抑えつけているけれど、こうなると…もう浄化したとしても元には戻せない」

「…え? 何言ってるんだよ、ほむら」

「……見なさい。呉キリカは、もう間もなく魔女になる。あの時刺された一瞬に流し込まれた瘴気が、彼女の"許容量"を大きく上回っていたのよ」

「やめろよ……どうして、そんな事を言うんだ!!」

「………慰めの嘘をついたとしても、あなたがより傷つくだけだからよ…!」

 

そう呟いたほむらの瞳からは、かすかに涙が溢れていた。

ほむら魔力で抑えつけているというソウルジェムは、すっかり黒ずみ輝きを喪い、天辺から真ん中にかけて亀裂が走っていた。

 

「……ごめん、よ……ルドガー………」

 

ふと、キリカが喉の奥から絞り出すように、ルドガーの名を呼んだ。

 

「……約束したのに……ねぇ………」

「…ああ、そうだ。約束したよな!! …だから死ぬなよ、キリカ!」

「………君に迷惑は、かけたく…ない………頼む、よ……ほむら……」

「え…? キリカ、お前何を言っ………!!」

 

意味など、わかっていた。

グリーフシードが孵化する前に。自分が自分であるうちに─────キリカは、ほむらにそう訴えたのだ。

 

「……頼む、やめてくれ…! 俺はもう誰も失いたくないんだ!」

「………もう手遅れなのよ、ルドガー…」

「そんな筈ない!! 何か、きっと何か方法があるはずなんだ!」

「…………なら敢えて訊くわ。あなたは、呉キリカを2度も(・・・)死なせたいの…? 魔女になってしまったら最後、彼女は彼女じゃなくなるのよ!」

「………っ…!」

 

今も消えない。掴んだ手がすり抜けてゆく感触が。幸せに満ちた分史(仮初めの)世界で、兄を刃で貫いた感触が。

今度は、耐えられない。

ほむらが抑えつけているソウルジェムの亀裂が、天辺から下まで走り切った。

ソウルジェムという"殻"を破り、グリーフシードが生まれようとしている。

 

「……もう、抑えておけない…!」

 

ほむらは再度キリカの方を見て、彼女の意思を再確認しようとした。

が、キリカはただ一点…ルドガーの方だけを見ていた。

魂がひび割れるという壮絶な苦痛に苛まれている筈なのに、柔らかく微笑みながら。

 

「………いいんだ、ルドガー…私は本来、あの時世界と共に、消えていたはずだった。

君に出逢えて……君を愛せて……私は最高に幸せだったよ…」

「………キリカ……! 俺は!」

「……ああ、でも、もし奇跡が起きるなら………どんな姿になったとしても、君を……守り……た、い………」

 

 

そうして、涙目に笑顔を浮かべながら、キリカの瞳が閉じられた。

ソウルジェムは完全に割れ、中からは黒い結晶─────グリーフシードが孵化し、だんだんと形創られてゆく。

黒のマネキンの胴体が3つ縦に繋げられたような身体をし、その最上部の胴体からは鎌形の両腕が伸び、帽子を被ったような姿で。

以前ほむらが語っていた過去の出来事から察するに、これこそがキリカの成れの果て─────"人形(マネキン)の魔女"なのだろう。

 

「………………」

 

その魔女を前にしてもなお、ルドガーは俯いたまま微動だにしなかった。

途中から目を覚ましていたマミと杏子も、キリカの身体を治そうと試みていたさやかも、ソウルジェムを抑えつけていたほむらも、誰1人としてその場から動かなかった。

何故ならば、その魔女からは敵意を一切感じなかったからだ。

 

 

 

『─────ルド、ガー……』

 

 

 

人形の魔女は、どこか戸惑いながらもその名を呼んだ。

 

「キリカ…!? 俺が分かるのか!? なあ!」

『…………うん、分かるよ。どうして……私は、魔女…なのに……』

 

後ろにいた少女達は、信じられない、と我が目と耳を疑った。

魔女になれば自我は消え、化け物同然となってしまう。それが彼女達にとってのアタリマエだったからだ。

断界殻がとうとう限界を迎え、ガイアスが守り通してきた分史世界が砕け散ってゆく。

人形の魔女と5人は砕けた世界から深い闇の中へと移される。

どこからか、コツコツと軽やかな足音が近付いてくる。そして、

 

 

 

『─────それは、この世界は(・・・・・)そういう風にできているからよ』

 

 

 

 

何処かで聞いたことがあるような女性の声が、魔女(キリカ)の後ろの辺りから聞こえてきた。

その声の主は深緑のローブで頭から全身を覆っているが、ほんの僅かに金色の髪がちらついて見える。

 

『…………ここは、"マグナ・ゼロ"……私の結界の中。かつて私が夢見たセカイを模した場所。この中でなら、彼女は彼女のままでいられる』

 

その時、どこまでも暗い闇が落ちていた空間が一瞬で転換し、澄んだ青空が、草原がどこまでも広がる、自然に満ちた大地へと変わった。

何もない─────けれど、ルドガーには理解できた。ここは"ニ・アケリア"に良く似ている、と。

そして声の主はゆっくりとローブをまくり、顔を出した。その姿は、

 

 

 

 

『ようこそ、クルスニクの末裔…そして、"あの娘"のお友達』

 

 

 

 

 

 

─────その姿は、かつて…否、今もなおルドガーが愛している"彼女"と瓜二つだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話「さあ、君たちを救ってあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柔らかな風が吹き抜け、穏やかな日差しが差し、自然さに満ちていながらも、静寂が漂う草原のなか、ルドガーと少女達の視線は、1点に集まる。

そこでローブを頭だけ下ろした女性の姿は、魔法少女達からしたら初めて見るもの。ただしたった1人だけ、その姿をよく見知った者がいた。

或いは、よく似た姿をしている、と言うべきか。

 

 

「ミラ………いや、違う……?」

『…その問いかけは正しくもあり、違ってもいるよ。少なくとも君のいう"ミラ"は確かにこのマグナ・ゼロの中にいる。けれど、今ここにいる私は違う。……"ミラ・クルスニク"…と言えば、君ならわかるんじゃあないかな』

「………クル、スニク…………!?」

 

ルドガーは、とても言葉に表し難い程の衝撃を受けた。

彼女が口にした名はリーゼ・マクシアにおいて、遥か2000年以上前に遡り"創世の賢者"あるいは"歌声の巫女"と呼ばれ、マクスウェルを召喚し契約した者だと伝承に遺される程のもの。

そしてクルスニク一族の始祖たる存在でもあり、エレンピオスがリーゼ・マクシアと分断される頃の時代に生きた女性の名だったからだ。

もっとも、その部分の史実を知る者はごく限られるのだが。

 

 

「………それが仮に本当だとして、なぜこんな所にいる?」

 

全てを安易に信じきるのは危険だ。そう判断したルドガーは、ミラ・クルスニクと名乗る女にそう問いかけた。

 

『ここが私のセカイだから、よ。……いや、このセカイは私自身(・・・)だ、と言った方が分かりやすいかな』

「…ここを"マグナ・ゼロ"だとも言っていたな。ならここは魔女の結界の中じゃないのか」

『それは正しくもあるけれど、それだけが正解という訳でもない。…"骸殻"と"魔法少女"、その2つの呪いが融合した結果、このセカイが生まれたのよ』

 

ミラ・クルスニクは身体中から軽く精霊力…もしくは"魔力"を解放すると、また辺りの景色が大きく書き換えられた。

今度は幾らか発展をしたような街並みに変わる。エレンピオスで生まれ育ったルドガーには、その街並みの部分部分に黒匣(ジン)のようなものが組み込まれているのを何となしに感じ取った。

 

『─────かつて私は、人と精霊…その2者が手を取り合い、新たな未来が訪れる事を夢に見ていた。その時代には既に黒匣のひな型が造り出されていてね。精霊達のもたらす恵みを一方的に搾取しようと考える人間達も少なからずいたのよ。

私はそんな中、精霊王マクスウェルとの接触を試みた。…この"証の歌"でね。──────────』

 

言うとミラ・クルスニクは、清らかで、心地の良い声でゆっくりと歌を歌い始めた。

その旋律は確かに代々クルスニク一族に語り継がれ、ルドガーにも伝えられた歌…2000年もの時を経て詩自体は失われたが、旋律だけが後世に遺された歌そのものだった。

 

『─────………結果として、私はこの"歌"でマクスウェルと契約を交わす事には成功した。最初は彼も、エレンピオス人の事をなんとか救おうと尽力していたのよ。けれど彼らは…一度味わった黒匣の利便性を棄てられなかった。それによって、名も無き微精霊達の命が燃やされている事に気付いていながら。

最終的に、マクスウェルは彼らを救う事を諦め、見限る事に決めた。リーゼ・マクシアとエレンピオスを断界殻(シェル)によって物理的に分断し、精霊達を守ったのよ』

「………その伝承なら、知っている。俺も一時期、マクスウェルについて調べていた事があったからな」

『でしょうね。ここまでの話なら、伝承としてリーゼ・マクシアに遺されている筈よ。…でもね、この話には続きがあるの。………その前に、そこの娘達は私が何者なのかをまだ理解していないようね?』

 

ミラ・クルスニクは、未だ警戒心を強めたままの魔法少女達を指して、柔らかく微笑みながら言った。

対して、一番に口を開いたのはほむらだ。

 

「………私に分かるのは2つだけ。ひとつは、貴女からは魔女の反応と、時歪の因子(タイムファクター)の…さっきの"ガイアス"という男に似たエネルギーの波長を感じる事。そしてもう一つは…貴女からは一切の"穢れ"を感じないという事。

あり得ない話よ。魔女のエネルギー源は穢れ…負のエネルギーだもの」

『それは結果論に過ぎないわ。私はあなたた達魔法少女の仕組みについても、よく理解している。ソウルジェムとは、心そのものを表す鏡なのよ。誰だって、深い絶望を味わえば心が壊れてしまうでしょう? そのプロセスをカタチにしたものなのよ。

もっとも、ソウルジェムは必ずしも絶望を味わった時にのみ壊れる訳じゃあないけれどもね』

 

言いながら、ミラ・クルスニクはゆっくりとキリカの亡骸の方へと歩み寄っていった。

それを阻もうと、ルドガーが立ち塞がり手を広げる。遺体だろうと、これ以上大切な人を傷付ける事は許さない─────そう思いながら。

だがミラ・クルスニクは、ルドガーの前で立ち止まり、すぐそばにいる魔女(キリカ)に対し、

 

『…何も、取って食おうって訳じゃあないわよ。 そこの娘……"キリカ"って言ったわね。このセカイの中でなら、強く望めばヒトの姿に戻れるわよ。"人魚の魔女"のようにね』

『…本当、なのかい』

『ええ。ただし、あなたが魔女となってしまった事実はもう覆しようがないけれど。そもそも瘴気…穢れとは、ヒトの心から恒久的に溢れ出るものなのよ。それを中和しているのが"希望"。

あなた達魔法少女が魔力を行使する時は、"希望"…(プラス)のエネルギーが消費される。…つまり、相対的に心から溢れる"穢れ"…負の感情を抑える力が弱まるの。だから、魔力を使い過ぎるとソウルジェムが穢れてゆくし、それに応じて心もどんどん磨り減ってゆく』

 

なおも語り続ける彼女は、軽く手で印を刻むような真似をとり、精霊術を発動させた。

次元刀によって刺されたキリカの亡骸に対してかけられたその術は、消えない筈の傷を中和し、再生を促してゆく。

魔法少女を超えた存在であるほむらには理解できた。今の術は、次元への干渉をも可能とする術だと。

 

『…けど、キリカ。あなたは運が良いわ。ソウルジェムに穢れが流し込まれ、魂が割れるその瞬間まで、あなたは希望を抱き続けた。決して絶望を抱かなかった。故に魂のカタチがこうして変わってしまっても、絶望に囚われず自我を保っていられた。さあ、イメージなさい。魔女の身体を再構成するよりも、元のこの身体に憑依した方が楽なはずよ』

『……う、うん…やってみる』

 

ミラ・クルスニクが新たに術を行使すると、人形の魔女の身体が白と黒の織り混ざった光に包まれ出した。

光は拡散し、収束し、交互に繰り返し、魔女の身体をグリーフシードにまで還元し、そこから再び再構成されてゆく。

キリカの身体に備え付けられる装飾品(ソウルジェム)にも似た、黒い輝きを放つ宝石となり、砕けたソウルジェムがあった場所へと、綺麗に収められた。

 

『………しばらくは目を覚まさないと思うわ。けれど、彼女は無事よ。さて、話の続きをしようかしら』

 

彼女がそう言うと、辺りの景色が緩やかに書き換えられてゆく。今度は時代が進み、ルドガーのよく知るエレンピオスの都市部・トリグラフの街並みに変わった。

ただしひと気は相変わらずなく、トリグラフ中にあるだろう黒匣は稼働していないようで、陽の光がなければ真っ暗闇だったろう。

その中でも、ルドガーの住んでいたマンションのすぐ前にある公園に、全員が場所を移していた。

その青空の下の街並みを仰ぎながら、彼女は言う。

 

『マクスウェルはエレンピオス人を切り捨てる決意をしたけれど、私は諦められなかった。説得すれば、いつかわかってもらえる。黒匣なんかに頼らなくても、精霊達の恩恵を享受し、共存してゆけば暮らしていける。そう彼らを説得しようとして、私はマクスウェルのもとを離れエレンピオスに残った』

 

彼女が語るのは、リーゼ・マクシアに遺された伝承の、さらにその先。

 

『結論から言うと、私がどう訴えかけても彼らは黒匣を手放さなかった。それでも2000年以上は保ったんだから、大したものだと言うべきなのかしらね。ルドガー、君ならわかるでしょう?』

「…ああ。エレンピオスの微精霊は枯渇しかかっていて、自然も殆ど荒廃してた」

『それこそ、"異界炉計画"だなんで馬鹿げた計画を立てなきゃやってられない程に、ね』

「それはごく一部の人達だけだ! エレンピオス人全員が賛同してた訳じゃあない」

『わかるわよ。私の時もそうだった。ただ、私の味方はほんのひと握りしかいなかった。それだけの違い。…"創世の賢者"だなんて勿体ぶって言われてるようだけど、私の言葉に耳を貸してくれる人達は、少なかった。そうして疲弊が募るばかりの私のもとに………"彼ら"は現れた』

「"彼ら"………?」

『高度な知性を持った概念生命体……君たちが"インキュベーター"と呼んでいる存在よ』

 

彼女は、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。それに応じてか、陽が出ていた空は早送り映像のように陽が沈み、夜の帳が下りてゆく。

そしてルドガーもまた、困惑したまま立ち尽くすばかりだった。

以前まさにそのインキュベーターが言っていた言葉…ルドガーと同じ"骸殻"の力を持つ魔法少女がかつて存在していた、という言葉が、ルドガーの脳裏に思い浮かんでいたからだ。

 

「………まさか、そんな……」

『そう、その"まさか"だよ。……私は、エレンピオスの人々が再び精霊達と向き合う事を願って、悪魔と"契約"を交わした。……願いは、歪んだ形で叶えられてしまうという事にも気付かずに』

 

彼女が語るのは、リーゼ・マクシアには遺されていない"伝承"の続き。

クルスニク一族だとて、彼女が如何にして没したかを識るものは、もはや誰もいない。

 

『私の願いは、"人々が精霊達と向き合わざるを得ない状況になる"という形で叶えられた。その結果を分かりやすく見せるならば、これよ』

 

彼女は手をかざし、先程よりも強く精霊力を発揮した。

無人のエレンピオスの街並みに、騒めきが広まり始める。いない筈の人々の"幻影"が、ぼんやりと浮かび上がってくる。

トリグラフの街からは全ての明かりが消え、パニック状態になった人々が建物の中から飛び出し、暴動、略奪すらも起こり始める。

人々は、ルドガー達の存在を認識していない。あくまで幻影である彼らは、ミラ・クルスニクの身体をすり抜け、我先と逃げ惑う。

 

『……2000年前は、こんな立派な街なんてなかったけどね。私がインキュベーターと契約を交わした結果、エレンピオス中の黒匣が度々不調をきたすようになり…ある日、一斉に機能が停止した』

「黒匣が……!? でも、それって……」と、ルドガーは目下の光景を窺いながら尋ねる。

『…そう。その頃私は既にクロノスとの間でも"契約"を交わしていてね。頑なに黒匣を手放さない人々に対して、少し疲れていたんだろうね。だから、少しだけ"ズル"をしたつもりだった。それが取り返しもつかない"ズル"だった事にすら気付かずに』

 

トリグラフの街が、喧騒と略奪の炎に包まれてゆく。微精霊の恩恵が欠片しか残されていないこの街で、黒匣を失うということは、心臓に血が送られなくなるのと同意義だ。

多くの人々が傷付き、嘆きと怒りの声を上げてゆく─────その時点で、ミラ・クルスニクは時を止めるかのように、幻影をぴたりと静止させた。

 

『私は、浅はかだったんだ。黒匣によって微精霊の命が失われてゆく。けれど、黒匣でしか救えない命もあったのよ。例えば、精霊術では治せない心臓病に侵され、医療用黒匣(ペースメーカー)よって命を繋いでいる人がいたとしたら?』

「…その"黒匣"とやらが停止したら、心臓病が再発…死に至る可能性もあるわね」

 

彼女の問いかけに答えたのは、かつて魔法少女になる以前に心臓病を患っていた経験のあるほむらだった。

ミラ・クルスニクは、この問いかけにほむらが食いつく事を分かっていたかのように、軽く笑みを浮かべた。

 

『極端な話だけど、そういう事よ。黒匣が機能停止した事で、多くの命が失われた。黒匣によって燃やされる微精霊の数に比べたら少ないかもしれないけれど、命に重さや数なんて関係ない。その時ようやく、私は取り返しのつかない事をしてしまったと気付いた』

「……だから、絶望して魔女に?」

 

と、今度はさやかが尋ねた。

 

『いいや、私にはクロノスとの契約があったからね。そう簡単に折れる訳にはいかなかった。どうにか踏み止まったわ。……まあ、私以外にインキュベーターと契約した者はおらず、他の魔法少女も、魔女もいない。グリーフシードなんてものがない状況で、精霊術で無理矢理ソウルジェムを浄化しながら、しぶとく生き永らえたわ』

「魔女が、いない? でもグリーフシードがないと……」

『そう、私はエレンピオスにおいて一番最初の魔女─────"原初の魔女"となるべくして、契約を結ばされたのよ。インキュベーターは新しい星に降り立つと、まず誰かを適当に唆して、魔法少女を1人作る。穢れを癒す手段がない魔法少女はすぐにでも魔女になり、今度はその魔女を倒す…という口実で、同時に何人もの少女に契約を迫る。それを繰り返していって、鼠算のように魔法少女を大量生産してゆくのよ。それがあいつらのやり口』

「そんな………そんなのって、酷い……!」

『…でも私は、簡単には魔女にはならなかった。マクスウェルと契約した事で得た精霊術で、どうにか穢れを誤魔化し続けてきたから。そして最期に私を待っていたのは…黒匣を壊し、文明を崩壊させようとした"裏切り者"という言葉』

「………成る程ねぇ、アンタが何を言いたいのか少し見えてきたよ」

 

杏子は公園のベンチにどっかりと座り込みながら、ミラ・クルスニクの言葉の意味を考えていた。

奇しくもそれは、彼女の辿った末路は杏子が過去に経験した苦難とよく似ていたから。

 

「アタシにもそういう経験はある。信じた人の為に願ったのに、その願いは信じた人すらも変えちまった。で、刃を向けて言うのさ。…"魔女"ってね」

『…そう、確か貴女はそうだった(・・・・・)わね。まさにその通りよ。私は黒匣を壊した反逆者として、守ろうとしてきた人々達に弾圧され、刃を突き付けられた』

 

燃え盛るトリグラフの街並みは急速に書き換えられ、旧くもあるが確かに黒匣の技術が取り入れられた痕跡のある、村とも街ともつかない場所へと切り替わった。

恐らくは、これこそが2000年前の当時に彼女が過ごしたエレンピオスの風景なのだろう。

そこから更に郊外へと書き換わり、瞬きをする間にルドガー達は、小高い丘の崖淵に移されていた。

そこは現代のエレンピオスにおいて、"次元の裂けた丘"と呼ばれている特異点だった。

そしてミラ・クルスニクはばさり、とローブを脱ぎ棄てながら歯車状の波紋を展開し、身体に纏う。

その歯車は言うなれば、蝶の羽根のような4枚のオーラを携えた白の鎧。呪いに侵される前の、純白の歯車だった。

 

「それは……骸殻!?」

 

ここにいる誰よりもその能力に詳しいルドガーは、ミラ・クルスニクの纏った鎧を見て叫んだ。

その彼女は、鎧兜越しにでもわかるように微笑みながら言う。

 

『…そう、これこそが真の骸殻。月の満ち欠けに例えて言うならば、君の"フル骸殻"に対して"ゼロ骸殻"とでも呼べばいい』

「…ゼロ骸殻…?」

『"時歪の因子"の呪いが発現する前の骸殻、という事よ。…私はこの骸殻を纏い、迫り来る刃を躱しながらこの丘に逃げてきた。…でも、険しい獣道を乗り越え、奇しくもここまで追ってきたのは…私の愛弟子達だった。

…ふふ、それが私の"限界"だったわ。愛弟子達に刃を向けられ、私にはもう抵抗する気力なんて湧かなかった。

こんなに心が張り裂ける思いをするならば、いっそ殺してくれ─────そう願った時、私の中の2つの呪いが…"時歪の因子化"と、"魔女化"の呪いが同時に発現した』

 

そうして産まれたのが、この領域(セカイ)よ─────ミラ・クルスニクは、どこか遠くを仰ぎながらぽつりと零し、骸殻を解いた。

 

『…最初はここも普通の分史世界だった。けれどクロノス域を抜けて瘴気が増すにつれ、この領域の中の魔女としての力が急激に増し、魔女結界と分史世界が緩やかに融合していった。

ここは私のセカイであり、私自身。時歪の因子と魔女が融合して産まれた、両方の性質を持ちながらも、もはやそのどちらですらない、無間(ムゲン)の領域。ただ存在し続け、終焉を迎えた世界を取り込み、どこまでも膨張し続ける、もうひとつのセカイ。

……私の名はマグナ(ミラ)ゼロ(クルスニク)…"追憶"の魔女。夢破れたセカイの夢を追憶する─────それが、私という存在よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとしきり語り終えた様子のミラ・クルスニクは再度場所を変え、全員は先程までいたトリグラフの公園へと転移させられていた。

いつの間にかベンチの上に寝かされるような格好でゆっくりと目を覚ましたキリカを見て、ミラ・クルスニクは安堵したような表情を浮かべる。

 

『気分は、どう?』

「……よく、わからない。自分の身体の筈なのに、ふわふわしてるっていうか…」

『……慣れてもらうしかないわね。その身体はあなたのものであり、もうあなたのモノじゃない。あくまで憑依して操っているに過ぎないもの』

「……ふふ、つまり本当に人間じゃあなくなったって事だね」

『人間であるかどうかは、さして重要ではないわ。大切なのは心の有り様よ。あなたがあなたで居続ける事が大切なの』

 

魔女であり、時歪の因子。両方の性質が絶望の果てに融合して産まれた存在。

それは、オリジンの審判にてルドガーが願った「分史世界の消去」も、円環の理(まどか)による「全ての魔法少女の救済」という願いも、この空間にまでは及ばなかった事をも意味する。

それだけ強大な存在。円環の理、果ては無の大精霊オリジンをも上回る程の力を、彼女は保有しているのだ。

だというのに、何故彼女は何もしてこない。

ルドガー達の疑念は、その一点に帰結しつつあった。

そして、改めてほむらは問いかける。

 

「私達の目的はわかっているでしょう。まどかは、どこ?」

『逢いたいなら、すぐにでもあの娘の処へ送り届けてあげるわよ。…でも、その前にあなたには確かめなければならない事がある。あの娘をマグナ・ゼロに招き入れた責任が、私にはあるからね』

「…そもそも、それがわからないのよ。円環の理は、過去や未来を超えて、全宇宙に干渉し得る力を持っているのよ。なぜ、この空間に円環の理を…」

『…理由はいくつかあるわ。その一つはほむら、"君のせい"だと言わせてもらうよ』

「……私の、せい?」

『そう。かつて君が保持していた"時間遡行能力"……あれはただのタイムスリップ能力じゃあない事はわかっているね?』

「……ええ、わかっているわ」

 

時間遡行能力は、円環の理が成立する以前までの、ほむらの固有魔法だった。

1ヶ月の間を何度でもやり直せられ、また、その1ヶ月の間のみ使える"時間停止"という副産物をも併せ持つ強大な魔法。

…その正体は時間を戻すのではなく、"分岐点"を基準として新たな並行世界を創造し、そこへ移り込むという、並の魔法少女ではとても扱いきれるものではない魔法だ。

 

『君が創造した並行世界の数は247個。そのうち、あの娘…鹿目まどかが"救済の魔女"と化した世界は9つ。…それがどれだけ恐ろしい事か、君は本当に理解しているかしら?

彼女は最終的に全ての時間軸の己自身と繋がった。つまり、全宇宙への干渉を可能とする程の最悪の能力を持った魔女が、9体も産まれたという事よ。そしてその魔女は、私の領域に手を触れる所まで迫ってきた』

「…………それで、どうしたの」

『何も。私は壊れたセカイを取り込み、ただ存在し続けるだけのモノ。君が産み出し、見限ってきた200余りの並行世界は、全てこのマグナ・ゼロに取り込まれたわ。…まあ敢えて言うならば、そうしなければこの宇宙はとっくに滅んでいたかもしれないし、それは私の本意ではないもの。

そしてその中で、救済の魔女を中心として200余りの"鹿目まどか"の統合が成された。…君が"円環の理"の成立を妨害したせいで、本来なら円環の理として統合される筈だった"鹿目まどか"が、魔女として統合された…と言えば分かりやすいかしら?』

 

そして既に、君はその片鱗を見ている─────ミラ・クルスニクは、そう投げかけた。

ルドガー達の前に最悪の敵として現れた、全ての時間軸の記憶を保有する人魚の魔女や、蓄積した膨大な因果係数が時歪の因子化という歪んだ形で出力された他の魔女達。そして、まどかの身体を奪った救済の魔女の事だと、ほむらはすぐに察した。

 

『それを踏まえた上で、改めて聞かせてもらうわ。君が本当に救いたいのは、"誰"なのかな?』

「……そんなこと、あなたに訊かれるまでもないわ。約束(カナン)の地に橋をかけた時から、私の心は決まってる。…私は、まどかを救う。それだけよ」

『ならば、行くといいわ。君をずっと待っていた、あの娘のもとへ』

 

ミラ・クルスニクは、公園のすぐ目の前に建っているマンションの正面玄関を指して言った。

恐らくそこが、救済の魔女の待つ場所へと繋がる特異点となっているのだろう。

その時、不意にルドガーが口を開いて彼女へと尋ねかけた。

 

「……教えてくれ。"ミラ"はどこにいる?」

『会ってどうする気かしら? 彼女はもう現世の住人ではない。このマグナ・ゼロの一部となる事で存在を保っているに過ぎないのよ?』

「それでも、逢いたいんだ。……連れて行って欲しい」

『……それが君の覚悟…いや、"選択"か。いいわ、ならばその扉をくぐりなさい。強く願えば、逢いたい人のもとへ導いてくれるでしょう』

 

マミ、さやか、杏子は押し黙ったまま、ほむらの背中を追うように立ち上がった。

ただキリカだけは、未だ慣れない身体にふらつきながらもルドガーの腕にしがみつき、申し訳ないといった風にほむらに告げる。

 

「……ごめんよ、ほむら。私はルドガーについて行く」

「構わないわ。…私と同じように、あなたにも譲れないものがあるのね」

「その通りさ。「愛は無限に有限」……今なら、君が言ったその言葉の意味が、少しわかる気がするんだよ」

「私が言ったのではないわ。別の生き方をした"あなた"が言った事よ」

「そうだったね。…だとしたらその"私"は、とても幸せ者だったろうね」

「私からすれば、今のあなたの方が幸せそうに見えるわよ。…それよりあなた達は、本当に構わないのね?」

 

そうほむらが問いかけたのは、後ろにいる3人の魔法少女達に対してだ。

この扉を抜ければ救済の魔女が待っている。何が起こるかわからない。気まぐれで殺される可能性すらもあり得る。

何より、根本を辿ればほむらとまどか、この2人の問題なのだ。そこについて来る程の義理などないだろう、そういった意味を含めて。

 

「何度も言わせないでよ、ほむら」

 

先に答えたのは、さやかだった。

 

「鹿目さんは私達にとっても大切な仲間なのよ。それに、あなただって」

「ここまで来ておいて今更ついて行かねえなんて、そっちの方があり得ねえよ。だろ! ほむら」

「…あなた達を守れる保証はないわよ」

「あたしらは自分達でなんとかする。…だからほむら、あんたはただ真っ正面からまどかにぶつかればいい」

「! …ええ、そのつもりよ」

 

言葉にしなければ、伝わらない事がある。

それは宇宙に干渉できる程の力を持つ女神や魔女…悪魔でさえも同じ事なのだ。

 

「─────だからこそ、この先へは私1人で行く。……1人で向き合わなきゃいけないの。でなければ、私の言葉はまどかには届かない」

「……ほむら、あんたもしかして…」

「大丈夫よさやか。…今度こそ、まどかの全てを受け止めてみせる」

 

ルドガーは、ほむらがそう答えるだろうという事をなんとなく読んでいた。

だからこそ、敢えてほむらと違う道を選んだのだ。

そして扉の前で2人は、互いに視線を交わす。

 

「……ここまで来てくれてありがとう、ルドガー。あなたが支えてくれなければ、私はとっくに折れていた」

「…ああ。お陰で俺も、今度こそ失わずに(・・・・・)済みそうだ」

「どうかしらね。全てはあなた次第……そして、私次第でもあるわ」

「だな。……行こう、ほむら」

 

今まで積み重ねてきた絆を確かめるように、2人は同時に扉に手をかけ、一気に開いた。

これより先に待っているのは、絶望に囚われた救済の女神。そして、かつて失われてしまった手のひらの温もり。

それを取り戻す為に、2人は最後の一歩を踏み出す。

奇跡が織り重なって生まれたひとつの道から、2人は分かれてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コツン、と靴の音が綺麗に響くほどに、静寂が広まっていた。

墨を落としたように真っ暗な空間は、ルドガーとキリカが1歩ずつ前に踏み出してゆく度に色付いてゆき、踏みしめる大地の感触も柔らかくなってゆく。

そこはルドガーにとってはあまり馴染みのない雪国、リーゼ・マクシアの中の1国、カン・バルクの傍らにひっそりと建つ、"ザイラの森の教会"前へと、移り変わっていった。

 

「……ここは、君の世界と同じ……?」

「そうだ。……感じる。この中にいる」

 

雪を踏みしめながら2人は扉の前まで進み、重く閉ざされた鉄製の扉を開き、中へ入った。

冷え切った空気が満ちているが、聖堂内には蝋燭の灯りが揺らめいている。

この地は正史世界においては冥界を司る大精霊・プルートとの接触点でもあった。聖堂の一番奥にある円形のシンボルが、それだ。

そしてその場所に立ち、待っていたのは。

 

 

 

「………久しぶりだな、ミラ」

 

 

 

─────かつて救えなかった大切な存在だった。

 

 

 

「………まさか、ホントにこんな所にまで来るなんてね。ほぼあの世よ? この空間は」

「はは…なら問題ないな。俺もキリカも、2回死んでる(・・・・・・)からな」

 

美しく無造作にたなびく金色の髪は、ほぼ同じ容姿を持つミラ・クルスニクとは微かに異なり、やや色が明るい。

呆れたようにルドガーを迎える態度も、人間らしい暖かさも、間違いなくルドガーがずっと焦がれていた"ミラ"そのものだった。

 

「…少し、話さないか」

「いいわよ。…そっちの娘についてもよぉく訊きたい事もあるし」

 

ミラはルドガーに手招きされるままに、冷たく冷えた聖堂の席へと向かい、3人並んで腰掛けた。

不思議と、外は雪が降り気温も低いはずなのに寒さは感じない。零れる吐息は白いので、寒くない筈はないのに、だ。

 

「……あなたが、ミラ」

 

キリカはやや不安げな表情で、金の髪の女性に問いかける。

 

「あら、変わった格好してるけど…可愛い子じゃない。あなた、"キリカ"っていうんだって?」

「う、うん……」

「……大丈夫よ。この男(ルドガー)は欲張りだからね、大事なものは絶対に手放そうとしないのよ?」

「…それは違う。ミラ、あの時俺は………!」

私が(・・)手を離したのよ。あなたが悔やむ必要ないでしょ。…ってゆうか、まだ引きずってたの? そのコト」

 

言葉はやや軽かったが、そう語るミラの表情は少し嬉しそうだった。

…が、直後にミラの表情は陰りを見せる。

 

「……ルドガー。私はあの時次元の狭間に堕ちて…帰る世界が無い私はそのまま消滅する筈だった。その時、この世界…マグナ・ゼロに引き込まれた。

元々"ミラ=マクスウェル"は、精霊王マクスウェルがミラ・クルスニクを基にして生み出した存在(コピー)なの。特に私は"使命"を終えてただの人間になり、余計にミラ・クルスニクと近しい存在になってたのよ」

「だから、引き寄せられたのか?」

「ええ。…今じゃ、あの娘…救済の魔女と同様に、マグナ・ゼロに半ば統一されたような存在。自我が残ってるのは、あの女の気まぐれだと思うわ。…だから、私はこのマグナ・ゼロから出る事はできない」

 

だからこそ、何故ここに来たのだ、とルドガーに聞かなければ気が済まない。ミラはルドガー達を見据えて言った。

 

「どうして来たのよ。…その子は、あなたの支えになってくれるんでしょ? なら私なんて必要ないわよね…?」

「……ミラ…」

「全部見てたわ。あなた達のいた"見滝原"は、次元の特異点そのもの。このマグナ・ゼロと少し似た性質を持っている、本来存在し得ない世界なの。私はマグナ・ゼロと繋がっているから、全てを見る権限があった。……あなたがあの新しい世界で、幸せになってくれれば…それで良かったのに…」

「…ミラ、君が言ったんだろ? "待ってるからね"って」

「! ………聞いてたの…?」

「ミラの声を聞き逃したりなんかしない。2度と、絶対に」

 

それは、ワルプルギスの夜との戦いで1度死にかけ、束の間の邂逅を果たした時の記憶。

夢だと思っていた。けれど、ルドガーは確信していたのだ。確かにミラはいるのだ、と。

そして、また出逢えた。

 

「……ごめんな、キリカ。俺は君の事も大事だ。けれど、それは……」

「わかってるよ。…わかってるんだ。それでも、私は君のそばに居たいと願ったんだよ」

 

ルドガーにとってのキリカは、例えるならば、かつて長き旅を共にした大切な存在"エル"のようなものだった。

何物にも変えられない、大切な存在。失いたくない、と心の底から思わせてくれた存在。

比べられようもない。責められても構わない。

ルドガーにとってミラとキリカは、世界の何よりも大切な存在となっていたのだ。

 

「……私は寛大なのよ、ルドガー」

 

ミラはそんなルドガーを見て怒るでもなく、微笑みながら言う。

「1度死んで余裕が出たのかしらね? 昔だったら、あなたのほっぺた引っ叩いてたもわかんないわ」

「ミラ………」

「…で、あなたはどうする…いえ、どうしたいのかしら? 私もキリカも、マグナ・ゼロからは出られない。…キリカはもう魔女。地上に戻れば人間達の放つ負の感情に当てられて、我を忘れてしまうわ」

「……答えは、もう決まってる」

 

ルドガーは席から立ち上がり、2人の手を取って教会の出口の方へと向かい始めた。

 

「…ミラ、キリカ。俺は1度死んだ身だ。オリジンの審判が終わった時、俺は時歪の因子となって消滅する筈だった。…なのにどうしてか、こうして今でも生きてる。それはきっと、今この時の為だったんだと思う」

「ルドガー…? あなた……」

「俺はこの世界に残るよ。…もう2度と離したくないんだ、君たちを」

「…本当に、それでいいの? 折角生き返ったのよ? なのに…」

「いいんだ。………もう、何も失いたくないんだ」

 

たどたどしく呟いたルドガーの頰には、涙が伝っていた。

ようやく掴むことができた、大切な人の温もりを。

こんな自分を慕ってくれる、大切な相棒を。

それを手放すことなどできようもない。過去の喪失の痛みが、ルドガーにそれをさせなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほむらが扉の先へと抜けて辿り着いた場所は、最初はやはり何も見えない程に漆黒の空間だった。

一歩ずつ進む度に地面から変質してゆき、まるで瓦礫が敷き詰められたかのような感触と、埃や塵を含んだ空気、そして陽の光を感じない曇り空の下には、変わり果ててしまった見滝原の街並みが現れた。

それはまるで超弩級の魔女の襲撃を受けた後のような光景で、街の一部分は水没すらしている。

 

「………ワルプルギスの夜……いえ、これは……」

 

救済の魔女が誕生し、全てが滅んだ後の光景。

ほむらの目の前に広がる風景は、まさにそんな印象だった。

滅んだ街の中でもかろうじてわかる、見慣れた部分を選んでゆっくりと進んでゆくと、次第に強大な魔力の波長が近くなるのを感じた。

この先に、いる。とうに覚悟を決めたはずのほむらの心臓は、緊張感で張り詰めていた。

そしてその先にある積み重なった瓦礫の山の上には、

 

 

 

「………やっと、ここまで来れた。久しぶりね、まどか」

 

 

 

ほむらが探し求め続けていた姿があった。

 

救済の魔女───200余の鹿目まどかが統合された意識体は、ほむらと気持ちを交わし合ったまどかの身体を触媒とし、長い髪に純黒の翼とドレス…円環の理としての姿をとりながらも、やはり禍々しい魔力を漂わせている。

…だというのに、不思議と今までにないくらいに穏やかな気持ちでまどかと対峙できている事に、ほむらは少し戸惑ってもいた。

そしてそれはどうやら、彼女も同じだったようだ。

 

『──────あは、待ってたよほむらちゃん』

「…ええ。そうね。ここまで来るのに、相当な遠回りをしてしまったわ」

 

まどかを守れる存在になりたい──────そう願ってほむらが魔法少女になって以来、いったいどれ程の長い年月を過ごしてきただろうか。

全ての時間軸の記憶を併せ持つまどかも、1ヶ月を200回以上繰り返し、その先の世界でも気が狂う程の時を過ごしたほむらも、互いにそう思っていた。

そしてほむらの願いは未だに叶えられておらず、ほむらをも含めて全ての魔法少女を救いたい、というまどかの願いも、叶っていないのだ。

 

「……どうして、こんな風になっちゃったのかな。私達はどこで間違えちゃったのかな……ねえ、まどか」

『! …私はほむらちゃんを救いたかった。ほむらちゃんは、私を人間のまま幸せにしたかった。ただそれだけなのに、私達の願いは同時には叶わなかった。……だから、私は決めたんだよ、ほむらちゃん』

 

世界中の全ての魂を自らの領域に引き込み、永遠に幸福な夢を与え続ける。そうしなければ、全てを平等に救うことはできない──────それが、歪んでしまった彼女の願い。

 

『気付いてたよね。キリカさんが魔女になっても自我を失わなかったのは、絶望せずに魔女になったからだけじゃないんだよ』

「ええ、わかっているわ。…このマグナ・ゼロの中では、"穢れ"は全て領域に吸い取られてる。魔女であり時歪の因子……今となっては、あなたの力すらも及ばない程の力をつけてしまっている。…逆に、あなた自身もマグナ・ゼロの力が及ばない程に強力なようだけれど」

『だからこそ、この中でなら普通の魔女は穢れを知らずに…自我を保ったまま存在できる。そして、私の領域自体もマグナ・ゼロの中に形成されつつある。…その中でなら、みんなが幸せな夢を見続ける事ができるんだよ。地上にはひどい穢れが溢れてる。魔法少女なんて仕組みがなかったとしても、人間はいつか滅びちゃう』

「……今のこの私を見ても、そう思うの?」

 

ほむらもまた、強い感情…"愛"によって魂を変質させた特殊な存在。ある意味では、己の醜い感情…"穢れ"を全て受け入れた結果、生まれた存在だとも言える。

 

「穢れとは、人間の感情そのもの。人間は正と負、両方の性質を持って生まれるのよ。…確かに、希望があるからこそ絶望もある。でも絶望があるからこそ、それに抗う力として、希望という曖昧なものをはっきりと感じる事ができる。…それを"感情"というの。そのどちらも、決して欠けてはならないのよ。

…今のあなたのやろうとしている事は、永遠の停滞。絶望だけじゃなく、明日への希望を抱く感情すらも奪う事なのよ?」

『でもほむらちゃんなら、私を救う為なら同じ事をしたんじゃないのかな?』

「……いいえ。私は"全てを救おう"だなんて高尚な魂は持ち合わせてないの。あなたさえ救えれば、私自身さえもどうなったとしても構わない…そう思ってるのよ。…でも、それじゃあ私達が共に救われる事は決してない。あなたの願いが叶ったとしても、私は永遠に"後悔"という呪縛に縛られる。私があなたを人間に留めても、まどかは私を救えなかった事を悔やみ続ける。……私の願いは、"まどかを救う事"じゃない。"まどかを守れる存在になる事"なの。…だから、私は救われる事はない。あなたを守るという事は、そういう存在になってしまう事だって、とっくに気付いていたわ」

 

それでも、守りたいと思った。今の自分は、その願いの結果なのだ。ほむらはそう語った。

 

『………………私を、殺すの?』

「いいえ、そんな事しない。……もう2度と、あなたを傷つけたくない」

『私を殺さないと、世界は元には戻らないよ?』

「あなたが…いえ、私たちが望みさえすれば、戻す事くらいできるはずだわ」

『………ダメだよ。それじゃあほむらちゃんを救えない。ほむらちゃん1人だけが、歳も取らずに、死ぬ事もできずに、永遠に世界に取り残されるんだよ』

「あなたが味わった孤独に比べれば、そんなもの大した問題じゃないわ」

『………なんで、そんな事言うのさ…』

 

ふと、廃墟と化した見滝原の風景に、翳りが差し込み出した。

救済の魔女の心と連動するかのように。

そして曇り空の上から、大粒の雨が徐々に量を増しながら降り注いでくる。

 

『…こんなに大好きなのに、たった1人の大切な人を救う事すらできない。ほむらちゃんは、ずっとこんな気持ちでいたんだね』

「ええ…きっと、あなたの感じている通りだと思うわ」

『……なのにどうして! そんな風に笑っていられるの…!? 私には耐えられない!』

「……そっか。それがまどかの"絶望"なんだね」

 

どうしてだろうか。世界の命運が、そしてまどかの行く末がかかっている極限の状況だというのに、ほむらは何故か嬉しくなって微笑んだ。

 

「…魔法少女や魔女になってしまったとしても、まどかはまどかのまま。何も変わらない。ただ、プラスとマイナスが反転してるだけ。私はね、まどか。あなた以外の全てを諦めたの。だから自分を誤魔化して今日まで生き延びてこられた」

『…私にはできない事だよ。だって私の願いは"全てを救う"事だもん』

「…そうね。私も、あなたを守る事(イコール)人間のまま人生を全うさせる事…その事に固執し続けてきた。…私がそうであるように、どんな姿になったとしてもあなたがあなたである事に変わりはないのに、逃げ続けてきた。……だから、それを今ここで終わらせる。私はもう逃げない。あなたの全てを受け止めると、ここに誓うわ」

 

ほむらは瓦礫を踏み越えて、1歩ずつゆっくりと救済の魔女のいる高台へと近付いてゆく。

その表情に躊躇いは微塵もない。だが、ほむらが近づくにつれて救済の魔女の方が表情を変えた。

全身から、夥しい程の穢れ…瘴気を伴いながら、彼女らしさを感じない毒のこもった言葉を吐く。

 

『………ひひ、』

「まどか…?」

『私の全てを受け止める…ねぇ…今までずっと逃げてきた、ほむらちゃんが? ───なら、やってみなよ!』

 

救済の魔女から発した瘴気が、塊となってほむらに向かって流れていった。

だが、ほむらは言葉通りに避けたり防いだりする素振りを全く見せず、その穢れを一身に受けてみせた。

 

「ぐっ………!?」

 

その瘴気は、200あまたの時間軸全ての鹿目まどかの心から滲み出た"負の感情だった。

ほむらの身体中に火傷のような痛みと、胸に鉛の釘を打たれたような圧迫感が襲いかかる。

それだけに留まらず、背筋から下腹部にかけて電流のような疼きが走り、脚から力が抜けてその場に膝をついてしまった。

ただの魔法少女が喰らえば即死する程の濃密な"穢れ"だ。悪魔となったその身に受けたとはいえ、無事でいられるようなものではない。

 

 

「はぁ……はぁ…っ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」

『あは、立てないんだ? ソレは私の"感情"そのもの。私はほむらちゃんの事をそれだけ憎んでるってことだよ!』

「……でも…憎しみだけじゃ、ひぃっ! ……ない……!」

『………っ!』

「感じるよ……恨み、憎しみ…悲しみ、恐怖……! 色んな感情が混ざって、る……っ! でも……!」

 

どんなに無様な姿だろうと、力の入らぬ身体に鞭打ち、必死に救済の魔女へと這いつくばってゆく。

 

「……やっと、声が聞けた…! あなたの、本当の声が!!」

 

 

穢れを祓うような真似は一切せずに、震える手に魔力を集中させ、ほむらは救済の魔女の足首を掴み、黒に染まったドレスを手繰り寄せるように縋りつき、救済の魔女をそのまま押し倒した。

 

『わぁっ!?』

「まどか……大好きだよ、まどか…!!」

『何を、ほむらちゃ……んっ…!』

 

涙でぼろぼろの顔も乱れた前髪も気にかけず、ほむらは言葉を塞ぐように、救済の魔女の唇に口付けた。

こんな事をされると思ってもなかった救済の魔女は、困惑して何もできずにいた。

 

「……はぁ、ふぅ……ねぇ、まどか……私は、あなたと一緒なら…永遠の時を生きていけるわ…」

『何……言って……!』

「帰ろうよ、まどか…また前みたいに、私と一緒に暮らそう…?」

『…っ、イヤだ! だってほむらちゃんが愛してるのは人間(まどか)しょ!? 魔女(わたし)じゃない!』

「魔女だとしても構わないわ! 私はまどかの全てを受け止める! だからまどかにも…あなた自身の全てを受け止めて欲しいの…!」

 

それは救済の魔女に対しての問いかけではなく、この時間軸でほむらが愛したまどかに対しての問いかけだった。

彼女は"魔女なんかになりたくない"と必死に抗おうとしている。その微かな叫びを、ほむらは浴びせられた瘴気の中に感じ取っていたのだ。

 

「…魔女のまま生きろ、だなんて……あなたじゃないあなたを受け入れろだなんて、あなたにとってはとてつもなく残酷よね。……酷い女、勝手な女だって、思うわよね……」

『……そんな事ないよ、ほむらちゃん』

「………まどか…まどかなのね!!」

『…今まで生きてきた"他の私達"は、確かにほむらちゃんに対して色々な事を思ってる。…私の中でぐちゃぐちゃに混ざって、酷い事言ったりした。それでも、私達は…"鹿目まどか"って存在は、みんなほむらちゃんの事が大好きなんだ。私は、怖かったの。私が私じゃなくなるみたいで、心の中でずっともがいてた。でも、ほむらちゃんが言ってくれたから。どんな私も、私なんだ…って』

 

救済の魔女……まどかの身を包む黒の衣装が、少しずつ純白に染まってゆく。

呪いにも似た穢れがまどかの中へと収束し、それと同じだけの暖かな輝きが、ほむらを包み込むように。

 

「…わかるわ、まどか。今のあなたは魔女であり、魔法少女でもあり……人間。…ふふ、ソウルジェムがない魔法少女なんて、初めて見たわ。私と逆ね。私は魔法少女でも魔女でもなくて…人間ですらない存在だもの」

『また、そんな事言って…! 怒るよ、ほむらちゃん』

「そうね、あなたが言ってくれたんだものね。…あったかくて、優しい…人間だ、って。だから、あなたも私と同じなの。…こんな単純な事に気付くのに、こんなに遠回りしちゃった」

『てぃひひ、覚悟してよねほむらちゃん。私の愛は、すっごく濃いんだから!』

「じゃあ勝負ね。私だって、まどかへの愛なら絶対負けないわ」

 

 

土埃の混じった雨は止み、空にはうっすらと虹がかかり、暖かな日差しが2人を照らし出した。

瓦礫の街並みは緩やかに、見滝原の片隅にある花畑の丘へと変異してゆく。

かつて、2人の互いの思いの丈を交わし合った地へ。

そこから見下ろす風景は、確かに2人が愛した懐かしい街並みそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────ヒトは"希望"と絶望"を併せ持つ、極めてアンバランスな存在だ。

その2つはヒトという器の数だけ存在し、それぞれが天秤の上に乗せられた形で内包されている。

……ただし、その両者の釣り合いは均等じゃあない。

"感情"という不確定要素によって容易に増減し、簡単に傾いてしまう。

 

遥か昔に綴られたヒトの世の神話の話をしよう。

この世全ての災いが詰め込まれた"パンドラの匣"。

中身を知らされる事もなく、絶対に開けてはならないとされていたが、ある日、ヒトの過ごす世界の中で匣は開けられた。

中から噴き出したのは、病、貧困、飢餓、嫉妬、虚栄、怨恨、欺瞞、争い、裏切り、挫折、諦観、復讐………などといった、ありとあらゆる絶望。

しかし、最後に匣の中に閉じ込められ、残されたものがあった。

それこそが"希望"。

ヒトは、希望が最後に残されていた事で安堵し、絶望にまみれた世界の中でも希望を信じて生きてゆくことができた。

 

…しかし、こうも思う。

目に見えない"希望"などというものがあるからこそ、ヒトは絶望に苛まれながらも、希望を信じ、針の敷き詰められた道を進まなければならない。

或いは、"希望"があるからこそ本当の意味で"諦める"事が出来ず、手にする事ができるかも分からない希望に縋り、永遠に虚空の中を彷徨わなければならないのだ、と。

 

 

それこそがヒトの"業"なのだ。

絶望しかないのだと予め報る事ができるならば、最初から絶望しきり、無駄に無間を彷徨う事もないだろう。

ある意味では、それもまた救いであり、"希望"だ。

しかし、そうはならなかった。何故なら、辛うじて"希望"を閉じ込めた匣は、絶望にまみれた世界を救う為に再び開けられ、"希望"が解き放たれてしまったのだ。

かくしてヒトは、目に見えない"希望"に縋り、絶望に侵されて自決する事もできず、生きてゆかなければならなくなったのだ。

故に思う。匣の中には初めから"絶望"しか入れられていない。"希望"すらもまた、"絶望"の一部なのだ、と。

そういった意味では、ヒトの世から"希望"を奪い取るという行為自体は、結果的には救済でもあるのだろう。

希望に縋ることができなければ、ヒトは深い絶望に取り込まれ、永遠の停滞を引き起こし、緩やかな"死"という救いを与えられる。

逆に、"絶望"を全て奪い取ればどうなるだろうか。

悲しきかな、ヒトは絶望なしに希望を感じ取る事ができない。現状に満足していれば、ヒトはそもそも希望に縋る必要など無いのだから。

つまり、絶望がなくなれば希望もまた消え去る。やはり、"希望"とは"絶望"の一部分に過ぎないのだ。

それをカタチにしたものが、魂の結晶―――ソウルジェム。

絶望を"死"という明確なカタチで感じるからこそ、より一層、絶望から逃れる為に希望に縋らなければならない、哀れな存在。

希望を強く願えば願うほど、より一層深い絶望に苛まれる事になる。特に、世界を変えるほどの大きな願いは、転じて世界を容易に滅ぼし得る絶望を生み出す。

 

一番初めの話に戻ろう。

希望を絶望の一部と捉えるならば、天秤の上にかけられているのはどちらも"絶望"。

もっと言えば、"希望"と"破滅"。質が違うだけの"絶望"なのだ。

魔法少女という仕組みもまた、宇宙の寿命を伸ばす為のエネルギーを得る為の仕組み。"破滅"から逃れる為に"希望"に縋った結果、造られたもの。

彼らは自ら気付かぬうちに、"死"という究極の救いから遠ざかっているのだ。

そしてそれと同様の事が、この宇宙の中で無数に行われている。

 

故に、与えなければならない。

ヒト々が絶望を忘れ去る事の出来る、完璧な世界を。

深い絶望の果てにしか存在しない、真の救済を。

 

それこそが、最後に残された私の使命。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

ルドガーの故郷であるトリグラフを模した空間へ、それぞれの目的を果たしたルドガーとほむらが帰還してきた。

片方は己のありのままを受け入れた救済の魔女(女神)を、もう片方は、かつて失ってしまった…そして、失いかけた大切な人を伴い、それぞれが顔を合わせる。

ルドガーの横に立つ女性はほむら達にとっては初めて見る顔、という訳でもなかった。先程までこの場で会話し2人を導いた結界の主と、ルドガーの連れてきた"ミラ"は、髪の色がやや異なる以外はほぼ同じ容姿だったからだ。

そして、2人は気付く。

 

 

「みんなは、どこへ行った?」

 

 

ルドガー達は確かにもとの場所へと戻ってきた筈だった。マグナ・ゼロの一部となったミラと、救済の女神…まどかに導かれて同じ場所へ戻ってきたのだから、それは間違いない。

しかし、待っているはずの3人の少女達の姿がないのだ。

一体何処へ、と再度疑問を口にする前に、5人の前に再びミラ・クルスニクが姿を現した。

 

『やあ、無事に戻ってきたようだね』

「…………みんなは?」

『ああ、心配いらないよ。彼女達は一足先に"私の領域の中に取り込んだ"』

「領域の、中…?」

『姿が見たいなら、見せてあげよう。ほら』

 

ミラ・クルスニクが手をかざすと、突然空中にマミ、杏子、さやかが現れ、力なく地面に落下した。

ぐったりとしていて、起き上がる様子もない。

 

「………!?」

 

慌ててルドガーは駆け寄り、マミの身体を起こして揺さぶってみた。

が、目はぼんやりと開いているのだが、虚ろな様子で、返事はなく、自分の意思で身体を動かそうともしない。

嫌な予感がしたルドガーはソウルジェムを確認したが、穢れが蓄積している訳ではなかった。

むしろ、無色。通常、ソウルジェムはそれぞれの魂の輝きに応じて何らかの色を持っている筈だが、それすらもないのだ。

他の2人も同様だった。

 

「みんなに何をした!!」

『言ったろう。私の領域に取り込んだ、とね。一切の絶望が存在しない。故に希望すらも存在しない災禍(パンドラ)の匣が開かれる前と同じ、真の救済を彼女達にプレゼントしただけよ』

「絶望も…希望も……!?」

『そう。暁美ほむら、君もさっき言っていたでしょう? 人間とは、絶望の中にいるからこそ希望に縋ってしまう。希望など、幻想に過ぎない。希望があるからこそ人は余計にもがき、苦しむというのに……』

「…どういう意味だ。お前は何を言ってるんだ!!」

『希望など、最初から持たない方が…"忘れ去ってしまった方が"幸せだと言っているのよ』

 

希望と絶望を取り除いた結果、残るものは"虚無"のみ。

地に倒れ伏す少女達は、心の揺れ幅を掻き消され、代わりに"無"を与えられてしまったのだ。

 

『それこそが私の性質。夢破れたセカイを追憶し、忘却の彼方へと誘う。……私が味わったものと同じ苦しみを、痛みを! この宇宙全てから消し去る為に! その為には、鹿目まどか。全宇宙に干渉できる君のチカラが必要だった』

『私の……円環の理の力を…?』

『そうさ。私は次元の狭間…クロノス域を抜けた遥か底に存在している。数々のセカイを取り込んできたけれど、やはり次元の狭間を破り表宇宙に干渉するには、君のチカラ無くしては不可能だった。だが、それももう手に入った。君から漏れ出てくる尋常でない量・質を持った"穢れ"を喰らう事によってね。そしてルドガー。表宇宙において私のチカラを阻害する可能性がある君を飲み込むのにも、一工夫させてもらったよ。…君の大切な人を使い、ここへ誘い込むのには随分と苦労させられたよ』

 

彼女はルドガーのすぐ傍にいるミラを指差し、嗤いながら言った。

 

「……何よこれ…こんなの、話が違う! このマグナ・ゼロはただ存在するだけの空間だって、私に言ったわよね!?」

『そうとも、我が写し身。私は表宇宙の全てを喰らい、ただそこに存在するだけの、新たな宇宙(コトワリ)となる。間違った事は何一つ言ってないよ』

「あんた……狂ってるわ!!」

『…ふふ、狂ってる、ねぇ…けれど私のやっている事は、そこの鹿目まどかがやろうとした事の延長線上に過ぎない』

『私はこんな事……!!』

『望んでない、とは言い切れないだろう? 何故なら、希望とは絶望ありきの存在。都合良く絶望だけを消し去り、希望を残すなんて事はできやしない。君がかつて絶望からの解放を願い、円環の理となった時、暁美ほむらただ1人だけが絶望の中に取り残されたように、絶望なくして希望は存在し得ないんだよ』

 

 

まどかは、それに対して何も言い返せなかった。

ミラ・クルスニクの言った事は確かな事であり、円環の理の世界の中で自身を追い詰めるまで心を傷めたほむらの姿を、まどかは見ていたからだ。

……その姿を、絶望と呼ばずして何と呼ぶのか。

 

 

『まあ、そこの写し身はもう用済みだ。ルドガー、君にくれてあげるよ。…そうだね、成れの果てである私がいつまでも"ミラ・クルスニク"を名乗るのも考えものだ。君達の言語方式に倣い──────

 

 

私の事は"忘却の魔女(イツトリ)"と呼ぶがいい』

 

 

 

 

 

そうして、彼女はローブを再度脱ぎ捨て、身体の奥底から白の歯車を展開し、虚無(ゼロ)の骸殻を身に纏った。

呪いを刻む歯車は、継承される鋼の鎧。それは、時空を貫く槍にして鍵。魂は無の玉座で流転し、歴史の枝に終焉を与える。

かつて救済を願った彼女が新たに手にした願いは、全ての宇宙を無に帰結する為の力。

それこそが彼女の…ミラ・クルスニクの成れの果てにして、双つの呪いによって生まれ変わった姿。

 

 

『──────さあ、君たちを救ってあげよう。』

 

 

無間の領域を持ち、絶望も、希望すらも、何もかもを飲み込む為だけに存在する。"追憶"と"復讐"、2つの性質を併せ持つソレは、忘却の魔女・イツトリ──────それこそが、彼女の成れの果てだ。

 




長らく放置しており、申し訳ありません。
pixivの方で完結させていたのですが、このたびまたこちらでもコメントをいただけたので、残りのストーリーもこちらに上げさせて頂く事にしました。

pixivとハーメルンとでは振り仮名を振る際の設定方式が異なるので、もしかしたらチェックが抜けている部分があるかも知れません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話「さようならなんて言わないわ」

 

 

1.

 

 

 

原初にして最後の時歪の因子(タイムファクター)。そして、双つの呪いを背負った究極の魔女・イツトリ。

かつて"ミラ・クルスニク"だった彼女は自らをそう名乗り、宇宙の全てを喰らい無に帰す為に、刃を掲げ、鎧を纏った。

その姿でさえも彼女自身の本体ではない。

あらゆる存在を超越しつつある彼女には、既に魔法少女や分史世界の法則は当て嵌らないのだ。

マグナ・ゼロ内部の風景が一転し、全員はトリグラフを再現した街並みから、夜空が広がる草原へと場所を変える。

自らを"忘却の魔女(イツトリ)"と称したミラ・クルスニクは、白の鎧兜の下からでもわかるくらいに余裕を見せつけながら、自身の周囲に白銀の槍を5本展開し、手に持つことすらせずにその刃をルドガー達5人へと向けた。

 

『まさか君達、私に勝てると一瞬でも思ったわけじゃあないよね?』

 

マグナ・ゼロはイツトリの"分史世界"としての性質を司る結界であり、いわばイツトリ自身。言ってしまえば、ルドガー達はイツトリの身体の中にいるようなものなのだ。

さらに彼女は、マグナ・ゼロに取り込んだ救済の魔女から溢れ出た"穢れ"を取り込み、己の力としている。

全てにおいて、彼女はルドガー達に優っている。イツトリはそう確信した上で、敢えて言葉による確認を取った。

"もしかしたら勝てるかもしれない──────"そんな淡い希望すらも抱かせない為に。

だが。

 

 

 

「あなたこそ、私達が簡単に諦めるような連中だと思ってるのかしら?」

 

その瞳に強い意志を宿して答えたのは、同じくあらゆる理を超越した存在であるほむらと、

 

『…私は、私達は、絶対に諦めないよ!』

 

全ての時間軸の記憶を有し、その全てを受け入れ、その上で確固たる自我を取り戻したまどか。そして、

 

「…ミラ・クルスニク……いや、イツトリ。お前がどんな深い絶望を味わったのかは………理解しようとしてできる程度のものじゃないんだろう。けれど! どんなに辛くたって、俺達は必死に前を向いて生きてる。だからここまで来れたんだ」

 

今までに多くの分史世界を渡り、その先々で様々な生き死にを見続けてきた。…そして、その槍を以って多くのセカイを破壊し続けた。

そんな自分には、こんな事を言う権利はきっとないんだろう。ルドガーはそう自答する。

その上で、彼は言う。

 

「……だから、やらせない。俺達のセカイを、お前に壊させなんかしない!!」

 

絶対に譲れない強い思いと共に、決して消えることのない炎を胸に宿して、虚無(ゼロ)と対極を為す漆黒の骸殻を身に纏った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先陣を切ったのはほむらだった。

黒の翼をはためかせてイツトリとの距離を素早く縮めながら、格納庫に直結する小さな次元の狭間をいくつも開き、そこから無数の銃口を覗かせて魔力を流し込み、一斉にトリガーを引く。

相対するイツトリは一歩も動かずに、敢えてその銃弾を全て受けてみせた。が、虚無を司る骸殻は銃弾を受けても傷一つつかない。

ほむらのその攻撃を歓迎するかのように、イツトリは宙に舞う5本の槍を交錯させ、多角的な攻撃を返す。

 

「その程度!!」

 

ほむらは自身の一歩前の位置に障壁を張ってイツトリの槍を弾き、障壁を張ったまま前に飛び込む。

槍を防がれた事を自体には対して驚く様子もなく、イツトリは左手を空に掲げて精霊力を解放し、

 

『──────グランドダッシャー!!』

 

その手を地に向けて振り下ろし、草原の土を激しく削り飛ばしながら突き進む衝撃波をほむらに撃ち込んだ。

衝撃波はほむらの障壁と正面からぶつかり合い、一瞬だけ拮抗してみせたが、その直後に障壁を叩き割ってほむら自身へと襲いかかった。

 

「まどか、今よ!」

『うん!』

 

ほむらは障壁が打ち破られる寸前に次元の狭間を展開し、イツトリの放った衝撃波を吸い込ませ、イツトリの足元に創った狭間へとそのまま撃ち返した。

そのタイミングにぴったりと合わせるように、ほむらの背後に控えていたまどかが弓を放つ。

放たれた光の矢は一筋からいくつにも枝分かれし、弧を描きながら雨のようにイツトリに飛来してゆく。

そしてそれら全てを、やはりイツトリは身構える事すらせずに受けてみせ、凄まじい爆音と土埃を巻き上げる。

希望と絶望、相反する2つの力を混ぜ合わせた光の矢の破壊力は、本来ならばワルプルギスの夜でさえも深傷を負わせるに至る程のものだ。しかし、

 

 

『──────は、この程度じゃあ私は倒せないよ』

 

 

イツトリの骸殻には相変わらず傷一つない。周囲の土草が抉り飛ばされただけで、イツトリ自身には微塵もダメージがないようだった。

 

『だったら!』

「直接叩く!!」

 

そこへ、空間跳躍で直接イツトリの真正面にルドガーとキリカが飛び込んできた。

悠然として無防備を晒していたイツトリの身体に、鉤爪と破壊の槍が真っ直ぐに突き進む。

…が、その刃でさえもイツトリの骸殻に突き立てられる事はなく、ガキン! と鈍い音を立てて弾かれてしまった。

すぐにルドガー達は後方に跳び下がり、体勢を立て直すが、

 

『無駄だよ。この骸殻は少し特殊でね。この私自身が持つ"虚無"の性質によって殆どのダメージは無に還元される。君達の抱く微かな希望も、この骸殻の前には無に等しい、という事だよ』

『…………ゼロの、性質…!』

『もう1度聞こう。君達は、本当に私を倒せるとでも思ってるのかな? …ならば私は、その儚い希望を全力で叩き折ってやらねばならないんだがね!』

 

 

イツトリの周囲の大地から、それぞれ地・水・火・風の4つの属性を含んだ、4つの光の柱が噴き出す。

その光の柱はイツトリの頭上で収束し、4つの円が連なった巨大な魔法陣となり、その四方から膨大な熱量を持った光線が大量に射出された。

 

 

 

 

『スプリーム・エレメンツ=ゼロ!!』

 

 

 

 

圧倒的な精霊力による砲撃が、この場に唯一戦う意思を持って立つ5人へと襲い掛かる。

咄嗟にほむらとまどかが2人の力を掛け合わせて障壁を組み上げるが、それすらも金槌でガラスを叩いたかのように容易く打ち壊し、暴力的な波動が迫る。その時、

 

 

「──────スプリーム・エレメンツ!!」

 

 

まどか達の更に背後から、全く同じ波長を宿した精霊力の砲撃が飛来していった。

放ったのは、金の髪を大きく揺らしながら宙に浮かぶミラだった。

2人の放った必殺の波動はイツトリとルドガー、その2者の目の前で衝突し、大爆発を起こし周囲にエネルギーの余波を撒き散らした。

 

『……ふむ、流石は"ミラ"の名を受け継いだだけの事はあるね』

 

イツトリはどこか楽しそうに言いながら、宙に舞う5本の槍を数度回転させ、巻き上がった砂埃を綺麗に掻き消した。

 

「……悪いけど、この宇宙を滅ぼそうとしてるあんたと一緒にしないでもらいたいわね!」

『滅ぶわけじゃあない。私のセカイと融和させて、未来永劫に続く"虚無"という救済をもたらすだけだよ』

「ふざけないでよ! …あんたは、絶対に倒す!」

『……君もか、写し身(ミラ)。君さえも、私に勝てるという愚かな希望を抱いているのかい』

「生憎だけど、希望なんかじゃないわ。……あんたを倒して世界を守る。それは必然よ!」

 

一度マグナ・ゼロと繋がり、他の分史世界内に込められていた波長を取り込んだミラの精霊力は、正史世界にいた頃とは比べ物にならない程に高まり出していた。

恐らくは、未だ正史世界に存在しているだろうオリジナルの"ミラ=マクスウェル"と比較しても謙遜ないくらいに。

これが、彼女に与えられた大精霊としての本来の力。

その力を、今再び解き放つ。

 

 

「行くわよ──────サンダーブレード!!」

 

 

ミラはイツトリの槍に対抗すべく、雷の精霊力で紡ぎ出した大剣を周囲に舞わせながら真正面から斬り込んでゆく。

手にすら握られていない互いの刃が空中で鍔迫り合い、じりじりと灼けるような音を立てながら拮抗する。

その間にもミラは次なる術を紡ぎ、

 

「バニッシュヴォルト!!」

 

大剣とは別に雷球を生み出し、そこから鮮烈な稲光をイツトリに向けて何発も放った。

それでもなおイツトリは一歩も動かず、わざとらしく両腕を広げてミラの放った雷を全て身に受けるが、やはり効いている様子はない。

 

『その程度か? やはり君と私とは根本的に違う、ということかな』

「黙れえぇっ!! ディバインストリーク!!」

 

ミラは雷球を中型の魔法陣へと瞬時に変質させ、その中央から精霊力の光線をイツトリへ放った。

その光線から漏れ出る熱風だけで、真下に生えた草花が焼け焦げてしまう程の熱量だ。しかしそれすらも、イツトリはたった片手一本で打ち消してしまう。

だが、その僅かな瞬間にミラはルドガーと共に精霊力を練り上げ、破壊の槍と光の剣を天に掲げた。

 

 

 

「喰らえ! 再誕を誘う──────」

『終局の(イカヅチ)!!』

「『リバース・クルセイダー!!』」

 

 

 

その2つの刃の先から放たれた精霊力は天を貫き、強大な磁場を伴いながら空に穴を開け、全てを粉々に打ち砕く破壊力を持った雷となってイツトリの頭上へ真っ直ぐに墜ちた。

周囲の視界が白に染まり、草花が塵となって吹き飛んでゆく。

ミラ達の背後に控えているほむら達でさえも、障壁を張らなければ余波で吹き飛びかねない程の威力だ。

骨一つすら遺らぬ勢いの破壊力。普通に考えれば、これを受けて生きている筈がない。

だというのに、

 

 

 

 

 

『──────────無駄だよ、我が末裔』

 

 

 

 

 

 

イツトリの槍のひと薙ぎで、全ては掻き消されてしまう。

 

『君達は、根本的に間違えているよ。私を倒すことができる、君達はその前提で行動を起こしているけれど、それは絶対に不可能だと言う事に気付いていない。

…いや、認めたくないだけだ。何故なら、その"あり得ない可能性"こそが君達の抱く希望なのだから』

「……言って、くれるわね…!」

『もっと分かりやすく言おう。私を倒す方法など、ないんだよ。そもそも仮にこの身体を廃せたとて、その程度では私自身には何のダメージもない。君達はただこの"人形"と戯れているに過ぎない。…これでもまだ君達は私と戦う気だというのなら、仕方ない。せめて殺さない程度にわからせてあげよう!』

 

 

 

イツトリの周囲の槍が、一斉に上を向いた。

空から降り注ぐように、地表から吸い上げられるように、どす黒い魔力が加速的に集約してゆく。

イツトリ自身の精霊力と、魔女としての魔力が融合し、ひとつの膨大な力となる。

その力の出力は例えるならば、ほむらが黒翼の力で放つ全力に等しく、あるいはそれを遥かに上回るだろう。

 

「させない!!」

 

ほむら達は一斉にそれぞれが可能とする最大限の攻撃を再開するが、もはやイツトリは己の意思以外では指一本でさえも動かず、全ての攻撃を白の鎧で無力化する。

そして漂う5本の槍の鉾先から、イツトリの溜め込んだ力全てが空へ向けて放出される。

その黒白の光は雲を貫き、星を呼び起こし、ぶつかり合い、銀河のような渦となり、イツトリ自身が立つ地表へと膨大なエネルギーの波動が滝のように降り注ぐ。

 

 

 

 

『さあ、思い知れ──────ラストヴァニッシャー!!』

 

 

 

 

解き放たれた力は、絶対なる絶望。

 

『ほむらちゃん!!』

「ええ、わかってる!」

 

無限の魔力容量を持つ2人はそれぞれの力を尽くして、何物をも弾き返す強固な障壁を組み上げる。

が、イツトリ自身は、そしてイツトリの放つ攻撃の全ては虚無の性質を持つと語られたモノ。まどか達が張った障壁を、まるでシャボンの膜に息を吹きかけるように簡単に破壊した。

 

『そんな…!?』

「だめ……間に合わない!! きゃあぁぁ!!」

 

女神と悪魔、双極の位置に立つ2人がイツトリの波動に飲まれ、吹き飛ばされる。

当然その2人に防げなかった攻撃を防ぐ方法など残されておらず、イツトリ自身以外の全ては虚無の光に飲まれてしまった。

美しくも儚い草花は荒れ果てた土と成り果て、引き裂かれた夜空はもはや何も映さない。

白く輝く虚無の骸殻だけが、その場に唯一泰然として君臨するだけだった。

だが、

 

 

 

 

『…………む、この一瞬でとは…』

 

 

 

 

焼き祓われた草原には、イツトリ以外誰もいなかった。

星々の衝突より産まれし波動を放ってもなお、イツトリは殺してしまわない程度に手加減した、つもりだった。故に亡骸すら残らず塵となる、とまではいかない筈だ。

では、とイツトリは考える。波動に飲まれる直前、秒数にして0.7秒ほどだろうか。その瞬きをするかのような一瞬で、このマグナ・ゼロの何処かへと強引に転移して逃げたのだろう。

 

『愚かな。このマグナ・ゼロには距離という概念などない。私がその気になれば一瞬で追いつけるというのに……』

 

 

ならば、とイツトリはゼロ骸殻を解きながら、ひと呼吸置いて考える。

 

 

『ふ、ひと時の猶予をくれてやるとしようか。君達がどんな希望を携えて私の前に現れたとしても、私のやる事は変わらない。君達の抱く希望を、なんの小細工もなしに、真正面から叩き折る。

むしろ、大きな希望を抱いてくれた方がわかりやすいかしらね。大きければ大きいほど、折られた時のショックは増す。……そして最後にはこう思うだろう。2度と希望など抱くまい、と』

 

 

──────その時こそが、君達の最期だ。

イツトリは誰もいなくなった草原に、吐き捨てるように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イツトリの攻撃から逃れる為に全員が逃げ込んだ先は、"ザイラの森の教会"を模したエリア…ミラが自身の領域として保有しているエリアのうちの1つだった。

全員は肩で息をしながら、イツトリの圧倒的な力に戦慄を憶えていた。

 

「……なんなの……あの力…!」

 

誰よりも早くそうぼやいたのは、無限の魔力を擁する筈のほむらだった。

今の彼女は全力を振るうことができない状態にある。しかしそれでも、救済の力を我が物としたまどかと一緒ならば敵うはず。少なくとも、数分前まではそう思っていた。

しかし、その希望を真正面から打ち砕かれた。2人の全力の魔法によって編み出した障壁は容易く割られ、ミラが有しているこの領域まで咄嗟に転移しなければ、全滅していただろう。

 

『………あれが、"原初の魔女"の……私達よりも強いだなんて…』

 

ほむらと同様の事を、まどか自身も考えていた。

神代の力を手にしたばかりではあるが、統合された他の時間軸の記憶によって、まどかはその力を"人間の限界を超越しない範囲で"使いこなせる。

或いは、魔女としての力すらも限界を振り切って使えば防げただろうか。まどかは俯いて考えたが、すぐに首を横に振った。

イツトリはもはや魔女ではない。もっと別の何かなのだ。

イツトリはもう時歪の因子ですらない。もっと別の何かなのだ。

 

「ミラさん…だったわね。率直に訊くわ」

 

ほむらは柏手を打ち、イツトリに意識を奪われた3人の少女達を含め、全員を連れて教会の中へと転移しながら尋ねた。

魔女の領域とはいえ、外は雪が降っている。それに、意味はないかもしれないが戦えない3人をイツトリから隠す必要があるのだ。

そしてほむらは、核心を得るべくミラへの質問をつづける。

 

「あなたは、イツトリの一部なのよね。…ヤツの弱点とか、何でもいい。知ってる事はないかしら?」

「弱点……それは私にもわからないわ。私はマグナ・ゼロに統合されたとは言っても、意識までは統合されたわけじゃあないから。このわずかな領域を与えられただけに過ぎないのよ」

「…なら例えば、この領域から他の領域へ力を及ぼす事はできないのかしら?」

「それは…限りなく不可能に近いわ。私の保有する領域は、マグナ・ゼロ内のおよそ0.01%。それともうひとつ、まどかが保有している領域が約0.04%…そこから何か仕掛けようなんて無理よ」

「…合わせても0.05%………」

 

数字で言われたところで、どれ程の規模の領域なのかは測りかねた。

だが、"救済の魔女"の力は地球を容易く覆い尽くし、果ては宇宙規模で影響を及ぼす事ができる。

なのに、このマグナ・ゼロ内では0.04%しか領域を保有していなかったという事だ。

"救済の魔女"は地球規模で言うならば最強最悪の魔女だ。ならばイツトリはそれ以上の、本当に宇宙規模で最強最悪の力を持っているという事なのだろう。

 

『ほむらちゃん、1こだけ気になる事があるんだけど…』

 

と、女神の姿をしたまどかが真剣な表情で口を開いた。

 

『さっきイツトリは、"ルドガーさんの力はイツトリを阻害する可能性がある"って言ってたよね。…ルドガーさんの、骸殻の力の事なのかな』

「…いや、きっとそれだけじゃない」と、代わりに答えたのはルドガー自身だった。

「俺には、骸殻の他にもうひとつ力が備わってる。……"クルスニクの鍵"、大精霊オリジンの力の欠片だ」

 

クルスニクの鍵は、ルドガーが扱う破壊の槍として具現化されるが、本来は骸殻とは少し異なる力だ。

本来不可逆である分史世界から正史世界への移動を可能とする他、時の大精霊クロノスの力を真っ向から封じる事ができる。

それだけに留まらず、かつてまどかに契約を結ばせようとしたインキュベーターを穿ち、それを未遂に終わらせた事もある。

 

「! ………そうか」

 

そこでルドガーはふと気付く。

インキュベーターに対して唯一の特効手段としても有効であるならば、他の思念体や概念体に対しても特効を得る事ができるのでは、と。

そしてイツトリとは、そういった類に分けられる存在になってしまっているのでは、と。

 

「…けど、今のままじゃダメだ。俺達の攻撃は、この槍も含めてイツトリには全く効果がなかった。なにか絡繰があるはず…まずはそれを何とかしないと、歯も立たない」

 

火力の問題ではない。

イツトリの纏うゼロ骸殻は、あらゆる攻撃を文字通りゼロに変えてしまう。まるで掛け算のように、どんなに大きい数字をぶつけようと、そこに0という数字を1度掛ければゼロと化してしまうように、だ。

その場合、クルスニクの鍵の力をフルに発揮できたとしても何処まで通用するのか。

少なくとも、現状のままではクルスニクの鍵の力でもイツトリに傷ひとつ与えられない。何か他の方法で突破口を開かなければならない。

 

「………ゼロ、か」

 

呟いたのは、ようやく元々の自分の身体が馴染んできたキリカだった。

 

「例えばだけど、ルドガー。ゼロにできない物をぶつけてみる、ってのはどうだい?」

「ゼロにできない…もの…?」

「…ううん、忘れてくれ。なんとなく思いついただけなんだけど、具体的には………」

「……いや、悪くないかもしれない」

 

キリカの何となしに思いつきで言った言葉を反芻し、ルドガーは考えを巡らせる。

時間は多くはない筈だ。ミラとまどかでマグナ・ゼロの領域の0.05%を押さえているとはいっても、ここは元々はイツトリの身体の中同然。いつ攻め込まれても不思議ではないのだ。

そしてこの状況下。

ほむらは無限の魔力を有しながらもその全てを出力しきれない状態で、まどかは救済の力を手に入れたものの、自我を取り戻した今は人間の身体にその力を宿しているような状態で、全力を発揮すれば身体が耐えられないかもしれないし、人間としての意識が今度こそ内側から塗り潰されるかもしれない。

本来ならば、2人に今以上の無茶は強要できない。

 

「ゼロにできないもの………ほむら、確認したいんだけど」

「何かしら、ルドガー」

 

それでも、試してみる価値はある。

ゼロに変える特性によってゼロにできないもの。

それは即ち、プラスでもマイナスでもないもの。そしてそれを生み出せるかもしれないのは。

 

「ほむらのその力…"悪魔"としての力の特性…性質は、魔法少女と魔女、どっちに近いものなんだ?」

「…それらは希望、もしくは絶望によって力を得ているモノ。でも私の力は、まどかへの想いを力に変えている、そのどちらでもあり、どちらでもないものよ。…あなたの考えてる事はなんとなくわかるわ。希望でも絶望でもない私の力なら、イツトリに攻撃できるかもしれない…そう言いたいのでしょう?」

「ああ。…でも、確証なんてない」

「どの道、ヤツをなんとかしなきゃこの宇宙が滅んでしまうのよ。…私達の地球みたいに」

 

ほむらはなんとか脳裏に纏わりつく絶望感を追い払おうと、語尾をやや荒げながら呟いた。

それは何の悪意もなく、決して当てつけのつもりでもないただの呟きだったのだが、その言葉に胸を刺されるような痛みを感じた者がいた。

 

『……ほむら、ちゃん………』

 

それは他でもない、まどかだった。

 

「! ち、違うわ! そんなつもりで言ったんじゃない! 第一あれはあなたがやったのではなくて……」

『…ううん、私がやったんだよ。私が、"鹿目まどか"という存在が……私のせいで………!』

 

今のまどかは、全時間軸においての"鹿目まどか"の意識と、記憶が集約した状態。

たとえそれがまどか自身ではなく救済の魔女が為した愚行だとしても、他ならぬ"自分自身が"やってしまった事なのだ、という確かな記憶として刻まれているのだ。

そして地上から昇華された人々の魂は、未だ救済の魔女の領域の中に取り込まれているままだ。

仮にこのままイツトリを止められず、全宇宙に絶望がもたらされてしまえば、彼らの魂は本当の意味で死を迎えてしまう。

そしてそれは、ただの人間としてのまどかにとって耐えられる程度の記憶なのだろうか。

まどかの表情は青ざめ、心の内から絶望が滲み出し、その白い翼に墨を垂らしたような染みとなって浮かぶ。

希望と絶望という双極の性質を併せ持つまどかの内なる感情が、魔女としてのソレに僅かに傾きかけた痕跡だ。

 

「よく聞いて、まどか」

 

そんなまどかに、ほむらは正面から向き合って言う。

 

「…私の言い方が悪かった。まだ地球が滅んでしまったと決まったわけじゃないわ。……今なら、まだ間に合う筈よ」

『でも…私達の力はあの人には通じなかった…! ダメなのに…勝たなきゃ、ダメなのに……』

「…ええ、そうね。……でも勝てないからなんて、そんなコトは諦める理由になんてならないわ。…どんな事をしてでも、敵わないとしても、今ここにいる私達が諦めてしまったら、もう2度と誰もイツトリに手出しできなくなってしまうのよ!

限りなくゼロに近い可能性だとしても、イツトリを倒す事ができるのは、今ここにいる私達だけなの! だから、絶対に諦めるわけにはいかないのよ…!」

 

どうして、と。

ほむらの言葉を受けたまどかが第一に思ったのは、その一言だった。

どうしてこんなにも、彼女は凛としていられるのだろうか。

60億余りの命を危険に晒している、という重さが掛かったまどかの両手は、先程からずっと震えが止まらないというのに。

200以上の世界でほむらを見続け、その移り変わり全てを識ったつもりでいた。けれど、まどかは本当の意味でのほむらの強さというものをちゃんと理解していなかったのかもしれない。

ほむらは決して強かった訳ではない。時を操る強大な固有魔法を授けられたとしても、魔法少女としての地力は並以下。

悪魔として性質を変えた今でさえ、願いを叶えるまでに至ってはいない。

何度となく心をへし折られるような絶望に苛まれ続けてきた筈だ。それでも、たった一つの願いを握り締めて、立ち上がり続けてきたのだ。

それは今も変わりはしない。そしてそれは、かつてほむらがまどかの中に見た在り方と似たものがあるのだが、今のまどか自身がそれに気づく事はなかった。

ただ、顔を上げてまどかは、

 

『…………私、戦うよ』

 

白い翼に滲み出た絶望の黒を祓い退け、立ち上がった。

 

『ミラさん、手伝ってくれますか?』

「いいけど、何を?」

『私達の保有する領域の力を使って、マグナ・ゼロの核…時歪の因子を探します。イツトリを倒すには、直接核を攻撃するしかありません』

「……確かにそれしかないわね。でも、その間私とあなたは一切の無防備になるわよ」

 

ミラはまどかの提案にやや難色を示すが、表情は柔らかく、否定を示している訳ではないとわかる。

それは、自分達が無防備になってしまおうと、その背中を預けられる存在がいるからだ。

 

『任せろ、ミラ。俺達がイツトリを抑える』

「まどか、あなたには指一本触れさせやしないわ」

 

腹は決まった。

イツトリは間違いなく、ミラとまどかに核を特定されない為にここへと攻め込んでくるだろう。

この教会周辺の領域が、決戦の場となる。残る力全てをぶつけ、絶対なる絶望に抗う為に。

希望でも絶望でもない、何者にも消すことのできない力を、その身に再び纏う。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

ザイラの森の教会から、建物を突き破るように白い光が空へと伸びる。

その光は遥か雲の上で拡散し、世界中へと拡散するように…正確には、時歪の因子の反応を探し出す為に、他の9割以上を占めるイツトリの領域へと突き進む。

そしてそれとほぼ同時に、空間を人1人通れる分だけこじ開けて、白の骸殻を纏ったミラ・クルスニクがミラの領域へと容易く入り込んできた。

それを待っていたとばかりに、白く積もる雪の大地を踏みしめてほむら・ルドガー・キリカの3人が構えていた。

イツトリは光筋の出処である教会を一瞥し、

 

『なるほど、さしずめ君達はお姫様を護る騎士隊、といったところかしら』

 

5本の白い槍を自身の周囲に錬成し、漂わせながら言った。

 

『無駄だよ。このマグナ・ゼロは無限の容量を持つ空間だ。彼女達が力を合わせ、ほんの僅かな領域を集約したとて、核なんて見つけられやしないさ』

『……仮にその通りだとしたら、このタイミングでお前がここに入り込んでくるとは思えない』ルドガーは負けじと、イツトリに対し言い放つ。

『ふむ、ではその根拠を聞こうか』

『本当に見つけられないのなら、放っておけばいい。なのに、探し始めるとほぼ同時にお前はここに現れた。…見つけ出すのは不可能なんかじゃない。少なくとも、お前がわざわざ今ここに現れたのには、それをされたくない理由があるからだ!』

『それもまた、"希望"的観測だね。忘れたのかい、我が血族。私は君達を救う為にここにいるのだということを!』

 

5本の槍の内の2つが、その鉾先をルドガーに向けた。

イツトリは悠然と歩み寄りながら槍を踊らせ、ルドガー達への攻撃を開始する。

先頭に立つルドガーは黒槍を双剣に分かち、2本の槍との鍔迫り合いを始め、その背後ではキリカが鉤爪を構え、前傾姿勢から加速をかけて戦域を駆け抜ける。

魔女としてのキリカが保有している能力は大幅に変質しており、以前のように遅延術式を使用する事はできない。

が、代わりに得た膨大な魔力をブースターのように放出し、一瞬でイツトリの目の前にまで飛び込んだ。

そして、

 

「はあぁぁっ!!」

 

喉笛を搔き切るように鉤爪を振り上げる。だがその刃は白の骸殻に触れると同時に、分厚い空気の層で押し戻されるような感覚と共に弾かれた。

 

「………ッ!」

『君程度の力では、傷ひとつつけられやしないよ』

 

イツトリの視線が微かにキリカの方へと向き、白の槍の1本が狙いを定める。その瞬間、

 

「残念だけど、あなたに傷を与えるのは─────」

「私よ、イツトリ!!」

 

キリカとほむらの位置が、転移術式によって瞬時に入れ替わった。

直前までキリカを狙っていた白の槍は何故かあらぬ方向を向き、ほむらのいる場所には届かない。

そしてほむらは既に黒弓を目一杯まで引ききっており、どす黒い色をした光の矢を番え、ゼロ距離でイツトリ目掛けて撃ち放った。

 

『───く、』

 

今まで防御的な動作を一切取らなかったイツトリが、初めて身じろいでみせた。

何らかの防御術式を展開しようとしたようだが間に合わず、白の骸殻に黒の矢が───高エネルギーの塊が叩き込まれ、骸殻を貫き、凄まじい轟音を掻き立てた。

 

『………はァッ……、やるじゃあないか、暁美ほむら…!!』

 

イツトリの腹部は衝撃波によって骸殻ごと吹き飛び、身体のバランスは完全に失われていた。

そのように、見えたはずだった。

だが、イツトリの上半身は腹部で分断されたその状態のまま、一切揺らぐ事なく言葉を紡ぐ。

 

『……君の力は希望によるものでも、絶望によるものでもない……"愛"などという、実に人間臭い力によるもの。君は自分でそう語っていたね……!』

「…ええ、その通りよ!」

『ふ、とうに人間を辞めた君には相応しくない力だ…そしてそれが、その程度が! 今の君の全力だということだ!』

 

ぐじゅり、と肉が蠢く音がした。

千切れた半身が、地面から滲み出てきた黒い霧を取り込み、元の通りに肉を創り出してゆく。

その光景はさながらに、かつて戦った、再生能力を獲得した薔薇園の魔女を彷彿とさせた。

 

『無駄だ、と言ったはずだ。この身は私自身の移し身であり、虚像。屠る事などできはしないし、屠れたとて意味はない、と!』

「いいえ、無駄なんかじゃあなかったわ!」

『…ッ!?』

「今の一撃で、あなたの力の正体をある程度見極める事ができた。…あなたのその骸殻は、確かに"虚無"の性質を持つ。けれどそれは単なる結果でしかない!

希望の性質を持つエネルギーに対しては同量以上の絶望をぶつけ、マイナスのエネルギーはそのまま飲み込んでしまう。そうする事によって、結果的にエネルギーが打ち消されているように見えているだけに過ぎない!

その骸殻…肉体を再生している魔力の性質が絶望のみである事がその証明。…あなたは単に、虚無だなんて嘯いて絶望をその身に宿しているに過ぎないのよ!」

 

だからこそ、プラスでもマイナスでもない、不意を突いたほむらの一撃を完璧に打ち消し切る事ができなかった。

けれどそれだけでは、まだイツトリを倒すだけの決定打にはなり得ない。

 

『この一撃でそこまで看破できたのは、流石と言っておこう。だが、この骸殻の根源が絶望であると見抜いたとて、それで状況が覆るとでも?

確かにその理論でいくならば、私の力を上回るには、それ以上の希望のエネルギーを用いればいい。だが私の力は無限大であり、底が尽きる事はない。それを上回る事など不可能!

今からそれを証明してみせよう──────絶対なる絶望の力を以ってして!』

 

イツトリの背中から、青白く輝く4枚の光の翼が顕出した。

舞い散る雪に溶け込むようなその白は、とても絶望を宿しているようには見えない。しかし明確な害意を以って放たれた翼は、無機質な白の輝きと共に大きく広げられる。

それはまるで、色彩こそ違えどかつてほむらが度々用いていた黒翼にも似た、全てを打ち砕く破壊の翼。

木々は吹きすさび、空は啼き、大地が揺らぐ。イツトリの持つ絶望の魔力のほんの片鱗を、今再び浴びせんと空を仰ぎ、力を解き放つ。

それに対して、ほむらのやる事は既に決まっていた。

イツトリの一撃を完全に防ぐ事はできない。ならば──────

 

「ルドガー!!」

『応!!』

 

悪魔としての今持てる力全てを、ルドガーの掲げる槍に集約する。

時歪の因子を破壊し、概念すらも穿つことができるクルスニクの鍵の力と融合させ、その形状を矢へと変化させ、解き放った。

 

 

 

『スプリーム・エレメンツ=ゼロ!!』

『「天威浄破弓!!」』

 

 

 

両者の放った波動が衝突し、拮抗し、周囲の空気がビリビリと振動すると共に閃光が迸った。

だがイツトリの魔力は無尽蔵であり、その矢を何発も撃ち込んだところで、拮抗を保ち続ける事は最初から不可能だとわかっている。

故にほむら達は敢えて光線のような持続照射型の攻撃ではなく、無数の光の矢で攻撃する事を選んだ。

そしてルドガーは、浄滅の矢を放った直後に空間跳躍でイツトリの背後へと飛び、破壊の槍を投擲する。

それに反応したのか、イツトリの周囲を舞う5本の槍が交差して盾のように重なり、振り返る事もなくルドガーの槍を防ぐ。

 

『その程度のブラフ…読めていたよ、ルドガー!』

 

直後、ルドガーの立っていた位置に暗雲舞う空の上から迅雷が轟いた。

正確には、イツトリが発生させた魔法による攻撃だ。

その速度はゆうに秒速200キロを超え、人間の反応速度では回避など絶対に不可能なもの。

だが、稲妻が降った先には既にルドガーの姿はなかった。

 

『な、に…!?』

「──────もうひとつだけ、分かった事がある」

 

その声は、イツトリの真上から聞こえた。

直後、煌びやか装飾の施された白い双剣の刃が、左腕を斬り落とした。

 

『──────ぐぅっ…! 反応が追えなかった、だと…!?』

 

イツトリはほむら達の放った浄滅の矢にも、その影から放った槍の一撃にも完璧に対応してみせた。

いずれも、甚大なエネルギーが込められた必殺の攻撃だった。

が、確かにイツトリの左腕を斬り落としたのは、双剣による自由落下の力を乗せた物理攻撃。

もっと言うならば、骸殻を解除したルドガーによる斬撃だった。

 

「さっき、キリカを狙った槍を見て分かった。お前は実際にその目で俺達を認識して攻撃しているんじゃない。俺達の持つ魔力や精霊力を探知して、それに対して攻撃してるだけだ!」

 

それはほんの一瞬の出来事に過ぎなかった。

キリカとほむらの位置を入れ替えて奇襲をかけた時、キリカを狙っていたはずの槍は、そのままの軌道をとればほむらを貫ける位置にあった。

だが、槍は別の方向を向いた。ほむらと入れ替わり後方に転移したキリカの方を、だ。

ルドガー達を直接見ている訳ではない。魔力を探知して目で見ているかのようにみせかけていただけ。

それを直感的に察したルドガーは、それを暴くために揺さぶりをかけたのだ。

 

『──────成る程、それを見極める為に敢えて場を引っ掻き回すように、デタラメな魔力の使い方をしていたというわけか…!』

 

 

イツトリが正確にルドガーの反応を探知できなかったのには理由がある。

ひとつは、ほむらとルドガーによる前後からの攻撃によって振り回された事。

この空間自体が、教会の中からミラとまどかが放っている魔力によって、魔力の飽和状態になりかけている事。

そして、空中に転移した直後に咄嗟に骸殻を解いた事で、イツトリが骸殻の反応を見失ってしまった事。

 

 

「…これは"賭け"だった。本体を探そうとすれば、お前はその移し身で乗り込んでくると思った。

ミラ達が探していたのはマグナ・ゼロの中じゃない。最初からお前が本体に送っている情報を追跡していたんだ! そして、それももう突き止めた!」

 

光の柱が昇る教会の屋根を更に突き破るように、純白の羽根を大きく広げたまどかが飛び出していった。

まどかはそのまま光の柱に沿ってミラの領域を飛び出し、

 

「行け! ほむら!!」

「後は頼んだわ! ルドガー!」

 

ほむらもその場から空に転移して、まどかと同様に光の柱を辿って飛び去っていった。

 

『く、行かせるものか!!』

 

それを見ていたイツトリは、斬り落とされた左腕を徐々に再生させながら後を追おうとして術式を組み上げる。

 

「──────悪いけど、あんたは行かせないわよ!!」

 

遠方から、イツトリに向けて声がした。

一通りの役目を果たしたミラが教会を飛び出し、イツトリに向けて捕縛術式を放ったのだ。

イツトリの身体は無数の光の輪に縛られ、編んでいた術式をも遮られる。

 

 

『………まんまとしてやられた、というわけか』

 

 

捕縛されたイツトリは観念したかのように、抵抗せずにそう呟いた。

ルドガー、ミラ、キリカ。残された3人がイツトリを取り囲んで様子を窺うが、決して気を緩めなどせずに刃を構えたままだ。

むしろ、逆だ。イツトリほどの力があるならば、ミラの術式など容易に破れるはず。なのにそうせずにいるのは、何故なのか。そういった疑念が3人の脳裏に浮かぶ。

 

『……君達を、侮っていたようだね』

「…………イツトリ、お前は…」

『いやまったく、君達がこうもしぶといとは……そこまで愚かだとは思ってもみなかったよ』

 

イツトリからしてみれば、無為な希望に縋って生きるという事は、茨の道を進んで行く事と同意義だという。

それならばいっそ、絶望に身を委ねて考えることを辞めてしまう方が楽なのだ、と。

それこそがイツトリの言う"真の救い"。

…ルドガー達とは絶対に相入れることのない理念。

しかしルドガーは、その言葉自体に対してすらも疑念を抱いていた。

 

「…イツトリ。お前は本当に、絶望によって世界を閉ざす事が救いだと考えているのか?」

『ああ、そうさ。 そしてそれは私にしかできない』

「俺はそうは思わない。…人は、どんなに辛い事があったとしても乗り越える力がある。俺はそう信じてる」

『それは君が真の絶望を識らないからさ。…最愛の兄をその槍で殺め、数多の分史世界を破壊し、そして、自らの存在を糧とし………"その程度の絶望しか"識らないからこそ言えるんだよ。

私は、この私自身の絶望しか識らない訳じゃあない。数多くの世界を、その絶望ごとマグナ・ゼロに取り込み続けてきた。そうしていく内に私は理解した。…確かに君の言うように、乗り越えられる程度の絶望しか識らないヒトもいたさ。だが、決して乗り越えられぬ絶望を抱えたヒトも大勢いた。

ビズリー・カルシ・バクー! 君の父とてその1人だったさ』

「…何が言いたい……!」

 

予想だにしなかった名がイツトリの口から零れ出た事で、ルドガーの表情が険しくなった。

 

『君の父親も、産まれたその時からクルスニクの呪いに縛られていた。そしてクロノスに牙を剥き…力及ばず、愛する妻を殺された。

…その後彼はその人生を、クロノスを討ち精霊への復讐を果たす事のみに費やした。それ程までに、彼は深い絶望に苛まれていたのさ。

そして彼を突き動かしていたのは、"クロノスを打倒する"というたったひとつの儚い"希望"──────彼は絶望を乗り越える事ができなかった。だからその絶望を"希望"へ挿げ替える事で、絶望を受け入れる事にしたのよ。…君はその背中を見ていたはずだ。それでも、乗り越えられない絶望などないと言い切れるのかい?』

「…………っ、……」

 

否、と断じる事はできなかった。

確かにビズリーを突き動かしていたのは、イツトリの言うように"精霊への復讐"。正史世界の守護やオリジンの審判ですら、目的を果たす為の手段でしかなかった。

肉親を利用する事さえも、躊躇わぬ程に。

彼は最期の瞬間、救われたのだろうか──────そう問われても、首を縦に振る事はできないだろう。

 

『…哀れなものだ。そんな"希望"など忘れてしまえば良かったのに。君とてそうだ、ルドガー・ウィル・クルスニク。クルスニクの宿命など識らなければ──────君の兄・ユリウスが君を守ろうとしたように、只のヒトとして生涯を終える事ができれば、兄を手にかけるような事になどならなかった筈だろう?

無意味なんだよ、全て。………さて、そろそろ辿り着いた頃かな?』

 

 

そしてイツトリは。

パキン、とまるで絹糸を引きちぎるかのようにいとも容易く、ミラの施した捕縛術式を破壊した。

 

「なに!?」

『こんなチャチな術じゃあ私は縛れないよ。では、君達の言う希望──────それがどの程度のものなのか、見させてもらうとしよう』

 

瞬間。

雪が静かに降り積もる森の景色が、全く別の景色へと移り変わった。

錆びついた歯車が幾つも絡み合い、むせ返るような濃密な瘴気の立ち込める領域へと。

 

「………そんな、ここは!?」驚嘆するルドガーの声が木霊した。

『そう。……分史世界には決して存在し得ない領域。この場においては、君と私のみが知り得る場所─────約束(カナン)の地。……私の記憶が造り上げた虚構である事には変わりないがね、私が示した"弱点"という僅かな希望に縋った彼女達は、どうやら一足先にここへ辿り着いていたようだ』

 

イツトリは白の鎧に覆われた腕を伸ばし、瘴気に満ちた先を指差した。

そこには、濃密な瘴気越しにでもはっきりと感じられる柔らかな光を放つ翼と、瘴気越しでも見て取れる程の漆黒の翼をもつ少女達がいた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

──────その数秒前。

 

イツトリの分体…ゼロ骸殻を操るミラ・クルスニクから発せられていた反応を追跡していたまどかとほむらは、黒く錆びついた歯車が幾つも絡み合い、むせ返るような濃密な瘴気の立ち込める領域へと辿り着いていた。

そこは正史世界において"カナンの地"と呼ばれていた場所。……正史世界にのみ存在し、分史世界の集合体でもあるマグナ・ゼロには、決して存在し得ない筈の領域。

そのさらに奥…救済の魔女でさえも立ち入った事のない、巨大な壁のような扉がそびえ立つエリアへと、2人は辿り着いた。

 

「ここに、イツトリの本体が……」

『…反応はここに届いてる。たぶん、あれだよ』

 

救済の魔女としてマグナ・ゼロの中に存在していたまどかでさえも見た事のない、イツトリの本体と思われる物体。

それはある意味では人間だが、もはや人間とは程遠いモノ。

巨大な脳が透明な膜に包まれ、大地に向けて植物の根のようなモノが伸び、それを軸にしている。

イツトリが送っていた反応は、その巨大な脳へと届いているようだった。

視界に入った途端に、ほむらは言い知れぬ不快感、或いは畏怖にも似た何かを感じた。

ただ、まどかだけは真っ直ぐにソレを見据えて、白く輝く羽根を広げて光の弓矢を番える。

 

「まどか、あなたは………」

 

その弓矢の輝きを見たほむらは、驚嘆せずにはいられなかった。

まどかが紡ごうとしているのは、破壊・殲滅の為の力ではない。自身の持つ浄化の光を、その矢ひとつに全て集約しているのだ。

善性と悪性、その両極を併せ持つ今のまどかならば、絶大なる破壊の力を用いる事すらも可能であるだろうに、そうしなかったのだ。

そしてそれが、まどかの出した答え。

 

「……まさか、あなたはあのイツトリでさえも救おうというの…?」

『うん。……あの人は、とても深い絶望に囚われてる。酷い裏切りを受けて、この宇宙全てのものを信じられなくなって……自分と同じように、全てのものに対して絶望を与えようとしてる。

あの人がやろうとしているのは、救いなんかじゃない。復讐なんだ。……そんな事をしたって、悲しさと虚しさしか残らない』

「だから救う、と?」

『………うん。だって、私はその為に魔法少女になったんだから』

 

全ての魔法少女に救済を─────────まどかにとっては、その願いにはイツトリも含まれているのだ。

だから、撃つ。この永遠に続く絶望の連鎖から、彼女を解き放つ為に。

それでこそまどかなのだろう、とほむらは思った。そしてそれは、全てを諦めまどかを救う事のみを願ったほむらには、決して出来ない事だ、と彼女自身は思う。

そんなほむらの思いを感じ取ったのか、まどかは言う。

 

『そんな事ないよ。…ほむらちゃんにだってできる。だって、みんなの命を、絶対に諦めなかったからこそここまで来れたんだよ。誰か1人でも欠けてたら、きっとここまで来れなかった』

「………ええ、そうよ。あなたを救うために、あなた以外の全てを諦めた、そのつもりだった。

…でも、私は諦められなかった。誰かが傷付く度に、己の無力さを呪わずにはいられなかった。いっそ殺してしまえば楽だったのに、引き鉄を引けなかった事もあった。

救えるものなら救いたい…その想いが、心の隅に残ってた。だからここまで来れた。

…イツトリ、あなたがこの宇宙全てに絶望しているというなら………私が!」

『私達が!』

「『絶対に消えない希望を示してみせる!!』」

 

 

柔らかく、暖かく、眩い光を宿した矢は解き放たれ、イツトリの本体─────巨大な脳へと真っ直ぐに突き進んでゆく。

空間に満ちる負の瘴気を巻き込み、清らかな軌跡を描き、真っ直ぐに、その醜悪な塊へと。

そうなってしまった彼女自身の本体へと、突き刺さった。

 

 

その筈だった。

 

 

 

「………な…!?」

 

 

 

2人が共に放った光の矢は、その醜悪な塊を穿つことはなく。

その醜悪な塊の姿をしたモノを、何事もなかったかのように透過し、虚空へと消えた。

 

『効いてない!?』

「そんな……いえ、あれはまさか……」

 

虚像。そう言いかけた時、2人の背後から声が聴こえてくる。

 

『──────いやいや、君達の言う"希望"というものをよく見せてもらったよ。…まさか、この私に"本体"などという概念が存在していると、本気で思っていたとはね!』

 

瘴気の霧の中に、白い骸殻の無機質な輝きが見えた。

 

『そして君達は、よもや私でさえもそのちっぽけな"希望の光"とやらで浄化できると! そう思っていたわけだ!』

 

イツトリに巻き込まれるように転移させられたルドガー達の姿も、瘴気の霧の中に浮かんで見えてくる。

彼らは状況の理解が追いつかず、ただイツトリの弁を待つことしかできないようだった。

 

『私には本体など存在しない。このマグナ・ゼロこそが私自身なんだよ。…さて、これで理解してもらえたと思うんだがね。君達の言う希望など、何の価値もないモノだと言うことを!』

 

イツトリの周囲を舞っていた5本の槍全てが、歯車蠢くなか宙高く浮かび、放射状に広がり緩やかに回転し始めた。

その回転の中央には、夥しい程の負の魔力が集約してゆく。

 

 

 

 

 

『君達は苦痛すら感じない。永遠に終わらぬ絶望の闇の中で、安らかに眠るがいい──────ファイナリティ・デッドエンド!!』

 

 

 

 

 

瞬間、凝り固まった瘴気が水風船のように破裂し、膨大な量の泥のような"負"が空間を覆い尽くす。

 

『ほむらちゃん! みんなを!』

「…だめ、転移できないわ!」

 

世界すらも蝕む毒が満ち溢れ、凄まじい重圧と共にその場にいる全員に襲いかかる。

 

「くっ………間に合え!!」

 

ルドガーは懐中時計を掲げて骸殻を展開し、その力をさらに放出し、時空を隔てる結界を紡ごうと試みた。

が、それすらも意味を成さない。5本の白槍が展開されかけた結界を貫き、ガラスを叩き割るように容易く破壊されてしまう。

 

「そんな…!!」

『……足掻くな、我が血族。君はもう十分に苦しんだ。永遠の眠りの中で、救いに身を任せるがいい』

「イツ………トリ………!」

 

どこか慈悲のようなものを感じるイツトリの言葉を最期に、降り注ぎ積もる負の魔力が押し寄せ、身体を飲み込む。

張り詰めていた糸が切れ、身体は膝から崩れ落ち、その場にいる全員の意識は閉ざされ、瘴気の奔流に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

意識が途切れる刹那、緩やかに、まるで底なし沼のような暗いモノに沈んでゆく感覚がした。

だがそれもほんの一瞬。

 

何も見えない。

 

何も聴こえない。

 

 

暗闇に閉ざされ、地平線すら見えない世界に放り込まれたような感覚を覚える。

 

それでいて、どこか──────心地良ささえも感じてしまう。

 

見えないのではない。

 

聴こえないのではない。

 

見たくない、聴きたくない─────と、心を閉ざされてしまったに過ぎない。

 

うんざりする程に味わった絶望など。

いつか必ず終わりを迎えるであろう、希望に輝いた夢など。

知らなければ、忘れ去ってしまえば……感じようとしなければ、こんなにも穏やかな気持ちでいられる。

それはまるで、心を壊す甘い花毒のように─────ルドガーの心を蝕んでゆく。

 

それが、真の絶望。

 

『他の誰でもない、君ならばわかってくれると思っていたわ』

 

ぼんやりと、深い闇の中に人影が浮かび上がる。

美しくたなびく金色の髪と、誰もが見惚れてしまうような美しい肢体を、何一つ纏わず露わにした姿で。

それは決して、その美しい姿を誇示する為にではない。そもそも、そんな安い感情など彼女(イツトリ)の中にはとうに存在しない。

美しき肢体(こんなモノ)に価値など、意味などない。全て虚構なのだ、と。どこか自分自身を嘲けているようにも見える表情で、彼女はルドガーを見つめる。

 

「……………………」

 

そしてルドガーの心もまた、彼女の身体を"美しい"と素直に感じることも、扇情を募らせる事もなく。

ただ、穏やかな絶望に身を任せてしまう。

 

それが、真の絶望。

 

美しいモノを"美しい"と感じるアタリマエの事すらも放棄し。

全てを閉ざしてしまうが故に、痛みを伴う絶望を味わう事も、感じる事もないが。

そんなアタリマエの感情すらも閉ざさせてしまう。

 

それが、忘却の魔女イツトリのもたらす、真の救済。

 

 

これ以上、苦しみたくない。

これ以上、傷つきたくない。

これ以上、裏切られたくない。

 

だから、心を閉ざす。

 

それが、真の絶望(救済)

 

 

かつて救済の魔女が成そうとしたソレは、ヒト々を永遠の幸福なユメの世界に閉じ込める事で、ヒト々を絶望から救済するというモノ。

だが、彼女は違う。

全ての存在に等しく幸福を与える事などできはしない。誰かが幸せになる一方で、誰かが傷付き、嘆いている。

それは絶対に引き離すことの叶わない法則。故に、そのやり方ではいずれ綻びが生じてしまうだろう。

真に平等に与える事ができるのは、"無"のみだ。希望さえ抱かなければ、絶望を絶望として感じる事もない。

ただ、今の彼のように。静謐に身を任せていれば、苦しみを感じる必要はないのだ。

 

なのに。

 

「……………違、う………」

『! …まだ、立ち上がる気なのかしら?』

「…………俺、は……絶望を…乗り越えた………だから、ここにいる………!」

『…では問おう。君は確かに、あの絶望の日々を乗り越えられたかもしれない。しかしだ。君と同じ絶望を他の誰かが味わったとして、その"誰か"は君の絶望を乗り越えられるかしら? もしくは─────暁美ほむらが味わった無限の絶望を、君は乗り越えられるとでも?』

「……………!」

『…だから言ったんだ。君は"その程度の絶望しか識らない"んだ、と』

 

憐れむように、彼女はゆっくりとルドガーに歩み寄る。

絶望の沼に倒れ臥すルドガーを見下ろし、その頬に軽く手を触れてきた。

体温は、無い。冷たくもなく、暖かくもなく、ただ優しく柔らかく、瞳はどこまでも無機質で、空虚な──────ただそれだけの身体。

 

『私は、様々な並行世界を取り込むと共に、その絶望の在り方全てを見て、感じて、取り込んできた。

……他人の絶望など、理解しきる事などできない。けれど、私だけはありとあらゆる絶望を識っている。だからこそ私だけが、真の絶望というモノがどういうモノかを理解しているのよ』

「…………真の、絶…望………」

 

ほむらの背負った絶望。

何よりも大切でかけがえのない存在を亡くし、その度に世界を造り直し、また最初からやり直し……

それを、何百回と繰り返してきた。

失うばかりではない。時には自らの手で"終わらせた"事もあったという。

例えば、ルドガーならば。大切な人達を失ってゆく悲しみが、絶望が、何百回も繰り返されるとしたら、耐えうる事はできるだろうか。その自問に、簡単に首を縦に振る事などできやしない。

何故なら、ルドガーは"もう2度と失いたくない"と思っているからだ。2度目の喪失に己の心が耐え切れない事は、誰よりもルドガー自身がわかっていた。

 

『君には、あの痛みは乗り越えられないよ』

 

そして、イツトリもまた。

 

『暁美ほむらの心はマトモそうに見えて、実際はどうしようもなく破綻している。そうしなければ、喪失の痛みを紛らわす事ができなかったから。…でも君には無理だ。

痛みに慣れる前に、君自身の心が砕けるだろう』

「…………………」

『私が与えるのは"死"ではなく"救い"。…君はもう2度と、あの喪失の痛みを味あわずにすむ。私が、この宇宙をそう造り替える。誰も痛みを感じない世界へと、この宇宙は生まれ変わるのよ』

 

彼女の弁に、心が傾きそうになる。

 

彼女の言う世界とは"永遠の停滞"。それは即ち"死"と同意義であるはずだ。…つい先程までの自分は、イツトリや救済の魔女の成そうとした事を、そう糾弾したはずだ。

なのに、心の芯が折れそうになる。倒れそうになる。

そうなれば2度と希望を胸に感じる事もできなくなってしまうだろうに。それよりも、苦痛からの解放という甘い言葉に心がぐらつく。

きっとそれは、ある意味ではひとつの幸福のカタチなのかもしれない。

誰もが痛みを感じずに済む、暗闇の世界。何のために生き、何故死ぬのか。そんな事すらも思う必要もない世界。

そうしてルドガーは少しだけ理解した。彼女もまた、本当に"救い"をもたらそうとしているのだ、と。

もう2度と、喪失の痛みに怯える必要などなくなる。ほむらも、ルドガーも、それ以外の誰かも、未来永劫に救われるのだ。

 

 

 

けれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな世界に(・・・・・・)何の意味があるというのだ(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、は……絶対に折れない…! イツトリ…たとえお前が本当にこの世界の全ての絶望を知り、理解しているのだとしてもだ! 誰かの心をわかったように語る資格なんて、俺にも…ほむらにも、お前にも! そんなもの、誰にもありはしないんだ!」

『だが、この宇宙はそれでしか救えない。…もうそこまでの段階に来てしまっているのよ』

「思い上がるな! 誰も彼もが、望んで絶望に身を落としていると思うのか!? 最後の瞬間まで足掻いて、過去を背負いながら明日(みらい)を願って、そうやって人間は生きているんだ!

それを頭から否定するだなんて事は、希望を胸に生きる人達を嘲笑うのと同じだろう!」

 

ルドガーの瞳に、強い光が戻った。

自身の脚で力強く立ち上がり、ただ真っ直ぐにイツトリを見据えて、怒りをぶつけている。

その熱に応えるように、すぐ側にも誰かが立ち上がり、暗闇の中で輝きを取り戻す。

 

暗き翼を携え、理に叛逆した彼女の名は。

 

 

 

「─────黙って聞いていれば、随分と好き勝手に私を語ってくれたわね、イツトリ。全ての絶望を知っているですって? …悪いけど、あなたには私の味わってきた絶望なんて、1ミリも理解できやしないわ!」

『暁美、ほむら……! ふふ、私は永遠にも等しい時間を生き続け、絶望を背負い続けてきた存在。私以上に君に…いや、君以上に私に近しい存在など、そうありはしないというのに!』

「だから、何? 時間なんて大した問題じゃないのよ。あなたは絶望に支配され、前を向く事を諦めた。全てを閉ざす事で、全てを自分と同じにしようとした。

…でも私は、例えどんなに心を引き裂かれるような絶望を味わったって、最後まで未来を諦めたりはしなかった! 何故だかわかるかしら? ……私は、たったひとつの光の為なら、それがどんなに儚い輝きだとしても、私の全てを賭けられる。

その小さな奇跡を信じる事こそが"生きる"という事なのよ! ……そんな事もわからないほど、あなたという存在は歪んでしまったのよ」

 

 

怒り、そして憐れみ─────ほむらの表情から見て取れるのは、その2つの感情だった。

この場にいる誰よりも、ほむらは理解しているのだ。イツトリでさえも、かつては只の少女(ヒト)から始まり、そして今に至ったのだと。

その彼女───悪魔に身を堕とした彼女すらも救おうとした救済の女神も、ついに暗き闇の底から眼を開ける。

 

 

『………私は、全ての魔法少女を救いたいと願ってこの姿になった。けれどたったひとり、ほむらちゃんだけは救う事ができなかった。

…でもそれは、私基準での救済でしかなかったんだよ。ほむらちゃんは言ってくれたんだ。私がいれば、それだけでほむらちゃんは救われる…って。

何度もそう言われ続けてた筈なのに、私はその言葉を信じられなかった。どうしても救いたかった。私の方法で、みんなと同じように、平等にほむらちゃんを救いたかったの。…それがどれだけ愚かで、浅はかだったかを、ようやく思い知った。

幸せのカタチは人それぞれなんだ。決して私やあなたの一存で押し付けていいものじゃない。…そんなの、ただの暴力と変わらない』

『──────ならば、君は! 決して消えない希望の光とやらを示せるのかしら? そんなものはありやしない! …無限にも等しい時を彷徨い続けても、そんなものは何処にもなかったというのに』

『…そうだね。きっとそれこそが、あなた自身が背負ってる"絶望"。自分でもわかってないよね。あなたは私達を絶望の底に突き落とそうとして、色々な事を仕掛けてきた。

…でも、殺そうとはしなかった。私なんか比べ物にならない程の力を持っている筈で、その気になればみんなを一瞬で殺せた筈なのに。

………あなたは、ずっと待ち続けてたんだ。この無限に拡がる絶望を、打ち破ることの出来る人が現れるのを。私達にそれを賭けてるんだ。だから殺さなかった』

『………! 違う、私は……希望など、そんなものありはしない…!』

 

イツトリの表情に初めて、陰りが射したように見えた。

彼女はこの世の全てに絶望し、今の姿へと堕ちた。

信じた者達に刃を向けられた絶望を背負い、全てを閉ざそうとした。それこそが、この宇宙全ての生命を平等に救う事だと信じて。

…それは、イツトリ自身もまた"救われたいと願っていた"からなのだと、救済の女神(まどか)はついに理解したのだ。

女神と悪魔、双極に立つ2人が放つ輝きが、イツトリのもたらした無限の暗闇を吹き飛ばす。

そうして露わになった大地は、無理矢理転移させられた"カナンの地"を模した地点などではなく、どこまでも続く銀の草原。

無限に拡がる満天の星空と、その中にただひとつ燦然と輝く、碧き星の光が、その場にいる全員を暖かく照らし出す。

希望を信じる強い意思が、救済の女神の持つほんの僅か数%にも満たないマグナ・ゼロの領域を取り戻したのだ。

そしていつしか、そこに立っていたのは3人だけではなくなっていた。

 

 

『馬鹿な…! 佐倉杏子、巴マミ、美樹さやか…君達の心は、私が与えた"絶望"によって"希望"を見失い、深く閉ざされていた筈!』

 

示した希望の光に導かれるように、閉ざされてしまった心に再び火を灯した少女達もが、自らの脚で立ち、イツトリと対峙していたのだ。

 

「……ちょっと前までのアタシだったら、アンタの口車に乗っかったままだったかもしれねぇけどなぁ」

「私達も、随分と諦めが悪くなったものよね。"誰かさん達"のおかげで、ね?」

「あたし達は信じてるの。奇跡は、絶対にあるんだって事を!」

 

絶対に立ち上れる筈がないと確信していた少女達が、明確な自身の意思を以って、イツトリと対峙している。

ただそれだけの事が、イツトリの心を強く揺さぶっていた。

その上で彼女達に代わるように、同じく絶望から這い上がった黒衣の少女・キリカが口を開く。

 

「…私は、出逢えたよ。私の人生は、実につまらないものだった。夢も希望もなく、魔法少女になった理由も、命を賭けるに値するようなものじゃあない。私には何もなかったんだ。

でも、彼と出逢えた。砕けてゆく虚構の世界から、私を救い出してくれた。愛という感情を、その暖かさを、私に教えてくれた!

明日を迎えられる事がどんなに素晴らしい事かって、彼が思い出させてくれたんだ!」

 

彼女は…彼女の魂は、既に性質を変えてしまっている。

希望が絶望へと転移する事で成る"魔女"。だがキリカは、己の魂が砕けるその瞬間まで、希望を見失わなかった。

だからこそ性質を変えてしまっても、人としての在り方を決して忘れる事なく、希望へ想いを馳せる事ができるのだ。

その魂の輝きは、イツトリの心をほんの少しだけ溶かしていた。

そしてようやく、イツトリの現し身としてこのマグナ・ゼロへと取り込まれ、今日まで生き長らえてきた彼女(ミラ)が、銀の草原へと姿を現わす。

 

「……あんたの負けよ、イツトリ。私達はどんな絶望を前にしても、もう絶対に負けやしない」

『…いいや、認めない! 認めてなどなるものか! 私はこの為だけに今日この時まで存在し続けてきた!

希望など信じない、そんなものはまやかしだ!! ……でなければ意味がないのよ!!』

 

それは、イツトリの心の叫びのようにも聞こえた。

そうでなくてはならない。もう元になど戻れない。

絶望以外の何物にもなれない彼女こそが、誰よりも光を渇望していたのだろう。

 

「意味がない…? そんな事ありやしない。…イツトリ、今だからこそ思えるよ。俺はきっと、この瞬間の為だけに、一度は終えたはずの命を繋いできたんだ。

だから、お前がやった事全てにも意味があるんだ。お前だって、きっと今"この瞬間の為に"生きてきたんだよ」

『無駄だよ……どう足掻いても、私は救えない…救われないんだ』

「いいや、救ってみせる! 俺達が、決して消えない希望の光を示す!」

「例えどんなに小さな光だとしても、決して消えずに、あなたを導く希望の光を!」

『この世界に生きる、全ての命の輝きを! 明日を信じて生きようとする人達の描く奇跡を!』

「人は絶望に克つ事ができるって事を! あんたに見せてあげるわ!」

 

 

4人の魂を賭けた叫びに呼応するように、その周囲から暖かな蛍のような光が昇り、空の上の碧き星へと還ってゆく。

それは、救済の魔女が手にしていた60億余りの魂の輝き。それを今、救済の女神の領域を通じて地球へと還しているのだ。

碧く輝く星は、次第に色を取り戻してゆく。明日を生きようとする魂の鼓動のように、力強く輝きを増す。

それはどこまでも美しく─────希望に満ちた奇跡の光。先の見えない暗闇を照らし出し、導く魂の光。

マグナ・ゼロには本体はない。だが、ミラ・クルスニクの魂は確かにここにある。その魂へと、全てを賭して語りかけている。

 

 

『あ、ぁぁ………あぁっ……! これは………この輝きは…!』

 

 

識らなかった訳ではない。目を背け続けてきただけなのだ。

奇跡など起きない、希望などまやかしに過ぎない。そう自分に言い聞かせ、絶望の中に囚われ続け、いつしか"絶望"そのものへと変わってしまった。

だが、イツトリはこの瞬間に悟ってしまった。

 

あの輝きは、誰にも侵せない。

きっとこの先、どんな絶望に襲われようとも、宇宙(そら)が燃え尽きるその瞬間まで、懸命に輝き続けるだろう。

その儚くも美しい輝きの名を、彼らはこう呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──────碧き地球(ブルー・アース)!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柔らかく降り注ぐ大地の輝きが、マグナ・ゼロに広がる。

絶望によって(かたど)られたセカイを照らし、陽を浴びた氷のように、溶かしてゆく。

それはミラ・クルスニクの心のを写し出す鏡。凍りついていた彼女の心もまた、奇跡を識り、融かされているのだ。

 

『………不思議だよ。何者にも照らし出せないと思っていた私の心が、今は何故か喜びを感じている』

 

そう語る彼女の身体は、その輪郭が崩れ始めていた。

 

「イツトリ…!?」

 

不安を感じたルドガーが駆け寄ろうとするが、彼女はそれを軽く制した。

 

『必然、だよ。何がどうあれ、今の私が"絶望"のみによってカタチを得ている事には変わりない。その絶望が振り祓われてしまえば、カタチを保っていられないのも道理。

………もう随分と永い時を彷徨い続けてきた。私は今、久し振りに"生きている"。生の実感を得ている。最後の最期でヒトらしく死ねるなんて思ってもみなかったわ。

………君達がこれから描いてゆくだろう奇跡に、希望を抱きながら消える事ができる。

ああ、今なら言える。私は今、人生で最高に「救われている」とね』

 

ミラ・クルスニクの身体は、もう殆ど消えかかっていた。

彼女の身体はマグナ・ゼロの意志を体現したデバイスのようなもの。だが、彼女自身の魂のカタチをそのまま写しているのだ。

それは即ち、ミラ・クルスニクの魂が消えようとしている事を表していた。

消えゆくなかで、ミラ・クルスニクは己の現し身であるミラへ視線を移した。

 

『……我が写し身。いや、"ミラ"。…すまない』

「いいのよ。全部承知の上でやってるし」

『そうか。…ふ、君もまた、私と同じという事ね』

「一緒にしないで、って言ったでしょう? どこまで行っても私は私、あんたはあんたなんだから」

『そうか……そうだ、確かにその通りだ。ああ、最期に良いものを見せてもらったよ……………』

 

 

彼女の言葉は、そこで途切れた。

暖かな希望の光に溶けてゆくように、絶望によってのみ象られた魂は、静かに消えていった。

これが、原初の魔女の最期。

消えゆくその瞬間の彼女の表情は、ひとつの奇跡を知ったヒトそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラ・クルスニクの魂は、ルドガー達の見せた奇跡によって消滅した。

これで、全てが終わる──────全員がそう安堵し、ようやく肩の力が解ける。

…そう、ただ2人を除いては。

 

ぐらり、と空間そのものが縦に揺られるような感覚に襲われた。

空を、そして大地を見回すと、マグナ・ゼロの構造そのものが、空間が、端の方から虫喰い状に黒く塗り潰されてゆく。

 

「……!? そんな、イツトリは浄化されたはず……」

 

その光景を見ながら、ほむらは呟いた。

マグナ・ゼロはイツトリの身体そのものと言っても過言ではない。分史世界、時歪の因子としてのミラ・クルスニクの身体なのだ。

であれば、イツトリの消滅に伴いマグナ・ゼロ自体も、従来の魔女結界のように自然に消滅する、と──────数秒前まで、彼女はそう思っていたのだ。

だが、これは違う。まるで恒星が熱を失って内側へと収束するかのように、負のエネルギーで空間が潰されているのだ。

が、ごく冷静にルドガーは答える。

 

「………イツトリは無限にも等しい絶望を…滅んだ並行世界を取り込み、肥大化した。その膨大な負のエネルギーは、ミラ・クルスニクという"核"を失っても簡単には消えない」

「あなた……まさか、こうなるってわかってたというの!?」

「そうなる可能性はあると思ってた。…急げ、ほむら。押し潰される前に、マグナ・ゼロから脱出するんだ!」

「でも、どうやって…? この空間には出口はないわ。マグナ・ゼロ自体が自然に消滅するのなら簡単に脱出できたかもしれないけれど……」

 

ここへ来た道は、既にない。

ルドガー達は擬似的な魂の橋を渡って一度ガイアスの分史世界へと潜り、その分史世界が砕ける瞬間に、分史世界ごとマグナ・ゼロへと取り込まれたのだ。

つまり、脱出する道はない。唯一、この空間の主がその意思を以って道を拓かない限りは。

 

 

そう。

 

この空間の主ならば(・・・・・・・・・)、出口をこじ開ける事ができる。

 

 

 

「──────ひとつだけ、方法があるわ」

 

そう答えたミラの身体からは、翡翠色の輝きが溢れていた。

 

「今のマグナ・ゼロは核を失った無人状態。……でも私なら。ミラ・クルスニクの一部として取り込まれた私なら、少しの間ぐらいならマグナ・ゼロの制御権を掌握できるわ」

「本当に…? でも、そんな事してあなたが無事で済むはずが…」

「もう、始めてるわ。間も無くコントロールを得られる。…私が外への道を拓く。その間に脱出しなさい」

 

ミラの身体から放たれた輝きは空へと昇り、マグナ・ゼロの何処かへと──────或いは、何処へでも──────接続された。

すると、内側へと侵食していた負のエネルギーの進行速度が、緩やかになったように見えた。

そして銀の草原の奥、少女達の少し後ろに、傷跡のような次元の狭間が露呈した。

 

「……そこから、出られるはずよ」

 

ミラはその傷跡を指差し、少女達を促した。

 

「保って2〜3分といったところかしらね。さあ、早く行きなさい!」

「………!」

 

その声に背中を押され、5人の少女達は苦い顔をしながらも一斉に傷跡へ向かって駆け寄ってゆく。

5人だけが、出口へと向かってゆく。

そうしてまどかは、ひとつの違和感にすぐ気付いた。

 

『………ルドガー、さん? 何してるの、早くここから脱出しないと……』

 

まるで、去りゆく少女達を見送るかのように。

ルドガー、ミラ…そして、キリカは、その場から一歩も動かずにいたのだ。

そして、ルドガーの重い口がゆっくりと開き、言葉を紡ぐ。

 

「………俺は、行けない」

『え……? だって、逃げないと!』

「…行けないんだ。俺はずっと、あの時ミラを救えなかった事を悔やみ続けてた。もしも、もう一度出逢えることができたなら、もう2度と離さない。独りになんかさせない。…そう決めてたんだ」

 

そう語るルドガーの顔つきはどこまでも穏やかで、今より訪れる自分の運命を、自分の手で決めた運命を、全て受け入れたかのようだった。

 

「……待ちなさいよ、ルドガー」

 

震える声で問いただしたのは、ほむらだ。

 

「何よそれ……だって、このままここに残ったらあなた死ぬのよ!? 私は! …あなたに出逢って、一緒に戦って、何度も勇気付けてもらって……まだ何も、あなたに何も返せてないのに!」

「…そうだな。でもな、ほむら。さっき言った通りだ。俺はこの瞬間のためだけに(・・・・・・・・・・)生き延びてきたんだよ。…お前なら、きっと俺と同じ選択をしたはずだよ」

「でも……!」

 

今にも泣き崩れてしまいそうになるのを、どうにか堪えているのがわかる。

誰よりも人間らしい悪魔は、それでも今選ぶべき道をわかっている。

マグナ・ゼロへと接続してしまったミラを切り離す事はできない。切り離せば、外へと通じる唯一の道も消滅してしまうだろう。

そしてそんなミラを置いたまま、ルドガーをここから無理矢理に連れ出す事などできない。きっと自分ならば、同じ状況なら愛しい人と共に消え果てる道を選んでしまうだろうから。

 

「……ほむら、みんな。頼むよ。私のぶんも、未来を紡いでいってくれ」

 

2人の傍らに立つキリカが、静かに呟いた。

 

「何、言ってるの…呉キリカ、あなたまで残るというの…?」

「…私は魔女だよ。このマグナ・ゼロにいる限りは理性を保っていられるようだけれど、地球に戻れば人間の負の感情にあてられて、理性を失う可能性が高い」

「そんなの、私とまどかの力でどうとでもしてみせるわ! だから……!」

「それも絶対じゃない、そうだろう? …私は、君達が紡いでゆく未来の妨げになんてなりたくない。それに、私の居場所は彼の隣だ。たとえ私と彼の愛のカタチが違ってたとしても、私は、最期まで寄り添うよ」

 

その意思に揺らぎはなかった。

キリカは、ここでルドガーと運命を共にする事を選んだ。

奇跡的にひとつに重なった異なる道筋が、ここで再び2つへと分かれてしまう。

ほむら達の歩む道筋には、まだ見ぬ未来が、希望が待っているだろう。

彼らが選んだ道筋には、続きはない。未来を託して、消えゆくのみだ。

 

「……バカね、ルドガー。あんた達も行っていいのよ?」

 

ミラは苦痛に顔をしかめながらも、努めて明るい声で言った。

絶望によって構成されたマグナ・ゼロとの接続は、それだけでミラの魂を蝕んでいるのだ。

確固たる意思の強さがなければ、とうに反動で倒れているか、或いは絶望に染め上げられていただろう。

そんなミラの問いかけに、ルドガーはただ首を横に振って答える。

 

「……そう。ほんと、バカね………」

 

大地はひび割れ、満天の星空は徐々に黒に塗り潰され、その速度も少しずつ速まっている。

残された時間は、あと僅か。

今を逃せば、全員が運命を共にしてしまう。女神と悪魔の力を以ってしても抗えぬ永遠の闇に、押し潰されてしまう。

 

「──────早く行きなさい、あんた達!!」

 

ミラの声が少女達へと飛んでゆくが、それでもなお少女達は諦めきれない、といった表情でいる。

全員で帰ると心に決めていた。絶望(イツトリ)を超える事ができたはずなのに、何故こうなってしまったのか。

誰かの犠牲の上に成り立つ未来など受け入れたくない、その一心で。

 

「…頼むよ、ほむら」

「ルドガー…!!」

「未来を、繋いでくれ。辛い事も、楽しい事も、全て引っくるめて"良かった"と思えるような未来を。……お前の守りたかった未来を、その手に掴むんだ!」

「…………う……うぅ………あぁぁぁぁぁ!!」

 

ほむらは黒翼を大きく広げ、内に秘めた残り僅かな魔力を解き放った。

 

『ほむらちゃん……!? まさか、待って! 待ってよ──────』

 

転移術式。座標は、ミラのこじ開けた"傷跡"の外。絶望の先にある、まだ見ぬ未来へと繋がる道へと。

せめて、彼らを見殺しにする罪だけは自分が背負おう。そう心に決めて、ほむらは4人の少女達を強制的に外へと弾き出そうとした。

…だが、それは叶わなかった。まどかが障壁を張り、ほむらの術式を防いだのだ。

 

『…ほむらちゃんのばか! そうやって1人で全部抱え込もうとしないでよ! 私達だって、いっぱい言いたいことがあるのに…!』

「まどか…!」

 

遠くから、涙混じりの少女達の声が届いた。

 

「……正直、こん中じゃあアタシは付き合いが短い方だ。でもな…そんな簡単に割り切れるかっての! アンタらだってアタシ達の大事な仲間なんだ!」

 

燃えるような紅を全身に纏う少女の声が。

 

「ここでお別れだなんで絶対にイヤよ! だって、やっと…やっと全てが終わったっていうのに…!」

 

向日葵のような優しさと、凛とした強さを兼ね備えた少女の声が。

 

「あたしだって…そんな簡単にお別れなんてできないよ! なんとかするって言ってよ! そんな簡単に諦めたりなんてしないでよ……!」

 

かつて己自身の絶望と向き合い、乗り越えた青の少女の声が。

 

 

「……………ねえ、ルドガー」

 

その声に後押しされるように、滅びゆく世界の真ん中で、ほむらは静かに言葉を紡ぐ。

これが、本当に最期の言葉。

 

「私ね、時計を壊しちゃったのよ。ずっと大事にしてきた…私の支えだった砂時計を」

「ああ………そうだな。…返すのを忘れてた」

「いいのよ。それはもう私には必要ないモノ。あなたにあげたモノだから。………だから、代わりのモノが欲しいわ」

「!」

 

ルドガーの持つ、骸殻の力が秘められた懐中時計。

それはルドガーの魂を映し出す鏡のようなモノでもあり、その針の動きと鼓動は連動している。

 

「………ああ、これはもう俺には必要ない」

 

その懐中時計を、ほむらへと差し出した。

壊れた砂時計の盾と、金細工の懐中時計。その2つは形は違えど、呪いによって象られた、時を刻む装置。だがその針は、歯車は、愛しき人を守り抜く為に廻り続けた。

それも、もう終わり。

奇跡的に重なり合った2人の歯車は、ここで分かたれる。

ひとつの奇跡に幕を落とす為に。

新たな未来への幕を上げる為に。

 

「………………元気でな、ほむら」

「ええ。……ルドガー、私は永遠の時を生き続けられる。この宇宙が滅びるか、救済の女神(まどか)が消えてしまうその時まで、私という存在が消えることはないわ。

だからもし、私達に奇跡が訪れるとしたら……その時は、必ずあなた達を迎えに行くわ」

「…はは、それこそ奇跡だ」

「ええ。でもきっと起こしてみせるわ。だって私達は魔法少女(・・・・)──────条理を覆して、奇跡を起こす為にいるんだもの。……だから、さようならなんて言わないわ」

 

涙を拭い、翼を大きく広げ、飛び立つ覚悟を決めた。

これで終わりだなんて、絶対に認めない。

諦めない限り、希望は潰えない。未来への道はひとつ限りではないのだから。

だからこれは、ほんのひと時のお別れ。

 

 

「またね、ルドガー」

 

 

 

 

頬を伝う雫を隠そうともせず、ただ精一杯の笑顔を向けて。

振り返らず、ただ真っ直ぐに前だけを見据えて。

 

 

 

 

 

そうして、少女達は。

滅びゆく世界から、その奇跡が待つ未来へ向けて飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 




あと1話となります。
編集出来次第、こちらに掲載させていただきます。

長らくssを書くという作業から離れてしまった事もあり、当時のような文章を書く事が困難になってしまいました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

LAST CHAPTER : 誰も知らない明日へと
最終話


最終話

 

 

1.

 

 

幸せの定義とは、何か。

 

 

何気ない日常の中で、不意にそう考えてしまう事が多くなっているように感じる。

例えば、恵まれた財産。家族。環境。美味しいものを食べた時。何かをやり遂げた時。もっとシンプルに、生きている事それ自体が幸せなのだ、と言う者もいるだろう。

幸せだと感じる瞬間は、人それぞれ異なる。そしてやはり、世界規模で見れば、"幸せ"というものは全人類に平等に与えられているものではない。

けれど、どうすれば全人類を幸せへと導けるのか。そういう風に考える事は、彼女はしない。

できないのだ。何故なら、彼女にとっての"幸せ"とはごく単純なもので、しかしそれでも、手に入れるまでに気が狂いそうな程の年月を過ごし、命を、己の存在を賭して懸命に戦い抜いた結果、手にしたものだから。

救いを与える事はできるだろう。しかしそれは、"幸せ"を与える事とは同意義ではない。

それは、かつての戦いの中で痛い程に味わった。幸せのカタチが人それぞれ異なる以上、個人の意思で与える単一の"救い"などというモノでは、全てを平等に救う事はできはしないのだ。

 

 

「…………………」

 

 

そして彼女という存在は。

決死の思いで掴んだ"幸せ"を、すぐそばで再確認できるだけで"幸せ"を感じる事ができてしまう、ある意味単純な性分なのだ。

 

「………………ねえ、まどか」

 

そんな彼女…暁美 ほむらは、すぐ隣で静かに、可愛らしい寝息を立てるまどかを見て、優しく髪を撫でながら小さく呟いた。

 

「………私、なれたかな。守られるんじゃなくて、ちゃんと守れるように、強くなれたかな」

 

返事を期待していた訳ではない。今は午前3時。普段から比較的規則正しい生活リズムを刻んでいるまどかは、こんな夜中に不意に目を覚ましたりしない。

だからこれは、自問自答にも等しい行為だった。

それは、かつてほむらが己の魂を賭した"願い"。

廻り廻って、こうして"悪魔"という存在にまで身を堕とす事になってしまったが──────否、そうならなければ、まどかを守りきる事は出来なかったが。

その為に失ったものも多い。例えば、ほむらはもう、普通の人間のように天寿を全うする事を許されない存在となってしまっている。

自分だけならまだいい。しかしそれは、救済の女神(魔女)のチカラを手に入れ、魔法少女でも、魔女でもない存在となったまどかも同様なのだ。

彼女の中の膨大な魔力が、使おうとしても使い切れない程の強い魔力が、いずれ彼女の身体の時を止めてしまう。

ほむらと同じように、ある程度身体が成熟した時点で"最適な状態"とみなされ、彼女達の意思とは無関係にそれは起こるだろう。

果たしてそれは、まどかが"人間らしく"生涯を全うするという、ひとつの"幸せ"を奪った事になりはしないだろうか。

そんな事を考えてしまう程度には、今のほむらには余裕ができていた、とも言えるのかもしれない。

つくづく、人間とは現状に満足しきれない欲深い存在するなのだ、とほむらは溜め息をつく。

 

その時、ぴくり、と傍らに眠るまどかの身体が動いた、気がした。

 

「…まどか?」

 

その声に応じるかのように、まどかは重たい瞼を開け、気だるそうに上半身を起こした。

布ひとつ纏っていない素肌がほむらの腕に触れ、その暖かさが伝う。

 

「てぃひひひ」

「…違う、あなたは………」

 

まどかではない。

厳密に言えば、彼女もまた"鹿目まどか"のひとりには違いないのだが。

今のまどかは200余りの人格が、記憶が、ひとつの身体へと統合された存在。核となるまどかの人格が眠りに就いている今だからこそ、その内の人格の1つが一人歩きして、こうして目を覚ましたのだ。

こういった事は、初めてではなかった。まどかの記憶が統合されて以降何度となくあったが、別人格のまどか曰く"ひとつの人格に200余りの記憶を詰め込むと、いずれ思考がパンクしてしまう為、それを防ぐ為のガス抜き"である、との事。

恐らくは、人間が眠る時に夢を見る事によって、脳内の情報を整理しているのと同じ原理なのだろう。

であれば、今ほむらの前に現れた"まどか"は、一体どの"まどか"なのか。それによっては、返す言葉を慎重に選ばなければならない。

何故なら、まどか自身はほむらに対してとても好意的だが、全ての"鹿目まどか"がそうであるとは限らない(と、ほむらが一方的に思っている)からだ。

それを踏まえた上で、ほむらはまどかの言葉を待つ。

 

「ほむらちゃんは強くなったよ。初めて出逢った頃とは別人みたいになっちゃって、正直びっくりしちゃったけどね」

「"初めて"…? あなた、まさか…!?」

「…ううん。これはあくまで"記憶"の残滓。まだほむらちゃんが魔法少女になる前の頃の"鹿目まどか"の記憶に過ぎないよ。

…正直、不安だった。あの時、ほむらちゃんを残して死んじゃって、ほむらちゃんがその後どうなっちゃったのか。こんな形で識る事になるなんて夢にも思わなかったけれど、でも、安心した」

「安心? 何が…」

「ほむらちゃんは変わってない、って事。すごく強くなって、引っ込み思案じゃあなくなったけど、相変わらず自分に自信がなくて、自分の事なんかそっちのけで他人の心配ばかり。

でも、ほむらちゃんが優しい女の子だって事は、今も昔も変わってない」

「……私は優しくなんてないわ。ただ、失うのが怖いだけ。今だってそうよ。目を離せば、まどかがどこか遠くに行ってしまいそうで……心も体も結ばれたって、この不安はずっと消えない。

疑ぐり深くて、重い女。それが私なのよ」

 

それでもきっと、今のまどかはほむらの傍から離れてしまう事はないだろうと、ほむらは信じている。

でなければ、こんな風に軽々しく弱音を吐いたりなんてできない。

それに、事は2人だけの問題では済まない。

ほむらがまどかを救う為に条理を捻じ曲げた結果、円環の理という存在は誕生せず、魔法少女の問題は野放しになってしまったままなのだ。

少なくとも、理を曲げた責任だけは取らなくてはならない。だが今はまだ、それに代わる手段すら見つけられていないのが現状。

そしてそれは、2人にとって恐らく最後の命題となるのだろう。

 

「…そうだね」

 

まどかは妙にしょげた顔をするほむらに、軽い口調で返す。

 

「ほむらちゃんの愛は確かに重いよ。だって、この私が"好きだ"って何回言ってもこれだもん。…でもさ、いくら"鹿目まどか"がお人好しだからって、好きでもない人と"こんなコト"しないよ?」

「うっ」

「でも、ほむらちゃんが言ってる事はそういう事なんだよ。…私だから愛想尽かしたりなんてしないけど、他の女の子だったら、ここまで尽くしても疑われたら、とっても悲しくなると思うな」

「……ごめんなさい、まどか。私、あなたをまた傷つけてたのね」

「ううん、傷つけられたなんて思ってないよ。…それに、信じられないのなら、信じてくれるまでいっぱいほむらちゃんを愛せばいいだけだもん」

 

途中から、言葉遣いが微妙に変化したように感じた。

恐らくその変化は、全ての"鹿目まどか"を見てきたほむら以外には気付きようもない程の微妙なもの。

だが、確かに変わっていた。ほむらと1番最初に出逢ったまどかではなく、今喋っていたのは。

 

「──────だから、覚悟してね? "私達"の気持ちが全部伝わるまで、泣いても謝ってもやめないから」

「えっ…ちょ、まどか!? 今は夜中よ? それに明日遅刻したらお母さまに怒られむぐっ!?」

「………ふぅ。悪いけど、今はほむらちゃんの事しか考えられないなぁ」

「きゃあっ!? だ、だめぇ!!」

 

 

 

……………重ねて言うが、まどかは一つの身体に200余りの人格…記憶を宿している。

その全てが一丸となって、1人の女の子を、身も心も全力で愛し尽くそうとすればどうなるか。

少なくとも、普通の人間であるならばその愛の重さに耐えられないだろう。本人曰く"既に狂ってるからこれ以上狂いようがない"と語るほむらでなければ、きっと耐えられない。

敢えて言うならば──────翌朝、ほむらはまどかの肩を借りなければ歩くこともままならず、何かに怯えるように(或いは期待しているように)、ビクついて登校する羽目になった、とだけ言っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

そうして迎えた翌日。

12月も半ばに差し掛かり、数日後に控えている冬休みと、その直前に待ち構える期末テストの対策で頭がいっぱいな生徒たちばかりの見滝原中学。

4月に起きた謎の暴風によって半壊した校舎は、夏の終わりの時点で改修が完了しており、元どおりのガラス張りの教室の中で、生徒達は授業を受けている。

そんな折、ほむらは持病を口実に授業を休み、保健室で昨晩の疲労の回復に努めていた。

時計の針を見れば、もう間も無く午前中の授業が全て終わり、昼休みが始まる頃だった。

 

「…………はぁ、戻らなきゃ……」

 

どうにも足腰に力が入らない。悪魔の力をほんの少しだけ使えば、この程度の疲労など瞬時に回復させられるのだが、ほむらはこの疲労を、己への罰として甘んじて受けていた。

やや硬い保健室のベッドから身を起こし、壁に掛けたブレザーに手を伸ばそうとした時、

 

「──────よう、優等生の癖に仮病かい?」

 

と、赤い髪と可愛らしい八重歯が特徴的な少女・佐倉 杏子が意地悪そうに言葉を投げかけてきた。

ちなみに彼女は今現在、私服を身に纏っている。明らかに部外者なのだが、恐らく窓を魔法で開けて忍び込んで来たのだろう。

 

「私、これでも心臓病持ちだから」

「うそつけ! ………………マジで?」

「マジ、よ。魔法少女になっていなければ、全力疾走した瞬間にAEDのお世話になる程度には、ね。…それより杏子、あなたは一体何しに来たのよ。巴さんに見つかったらうるさいわよ?」

「ヒマなんだよ。掃除、洗濯…つっても、30分もありゃ終わっちまうし、テレビもつまんねーし、あんまりにも退屈だから遊びに来たってワケ。そしたらアンタが保健室で寝てるって言うから、顔出しにきてやったんだよ」

「ゲームセンターにでも行けばいいじゃない」

「アホ! こんな真っ昼間からゲーセンなんか行っても店員に追い出されちまうよ! …わかってて言ってんだろ、アンタ」

「ふふ、ええ。既に経験済みだもの」

 

気だるい身体に鞭打ってベッドから出ようとするが、やはり脚に力が入らない。

杏子の前ではどうにか平静を取り繕うとするが、そういった微妙な変化にすぐ気付くのも、杏子の美点の一つでもあった。

 

「なんだ、マジで具合悪いのか」

「…ええ、ちょっとね。悪いけど肩貸してくれるかしら」

「いいけどよ、得意の悪魔パワーで治せんだろそんなの」

「…これは私への罰なのよ。悪魔パワーで治しちゃったら罰にならないもの」

「ふぅん………まあいいや、ほらよ」

 

…ほむらはこの時、無闇やたらと詮索してこない杏子の優しさに感謝すら抱いていた。

よもや"恋人を怒らせて朝まで気が狂いそうなほど折檻された。泣いても謝っても許してくれなかった"などと、口が裂けても言えないからだ。

などと気を緩めながら杏子の肩を借りた途端、不意に杏子が口走った。

 

「……ん、なんだコレ。アンタの首んとこ…………ははーあ、なるほどねぇ!」

「ど、どうしたのかしら杏子」

「いやいや、仮にも悪魔を名乗っちゃってるアンタにしちゃあ油断したみたいだねぇ。首んとこにでっかい"魔女の口付け"刻まれちゃってさ!」

「──────っ!!!?」

 

どっ、と。

実際にそんな音がしたような気がした。

額からは冷や汗が流れ、顔面が熱く腫れ上がったような錯覚を覚える。

しかし杏子はそんな様子にも構わずに、

 

「どらどら…ふーん、へーえ。…なるほどぉ、昨夜はお楽しみだったようで」

「〜〜〜〜〜っ!!!」

「しかしまどかも意外だねぇ。前に海で訊いた時も確かにそれっぽい片鱗を感じたけど…アイツやっぱり、ウサギの皮を被ったオオカミだったってわけかい。まさか立てなくなるくらいイジめられるなんてな、"ほむらちゃん"よ!」

 

けらけら、と明らかに小馬鹿にしたような笑い声が保健室中に響いた。

対するほむらは今すぐにでも杏子の肩から離れて逃げ出したい程の羞恥を堪えていたが、今の状態では悪魔パワーを使って体力回復をしなければ、走る事など不可能だろう。

 

「──────まあアレよ。よかったじゃねえのほむら。そんだけアイツはアンタの事が好きだって事だろ?」

「ええ。…昨日の夜ではっきりと身に沁みたわ」

「でも、だ。アンタはまだ納得してない。そんな顔してるぜ。…一体アンタは、まどかの何を信じられない?」

「…!」

 

これだから杏子は、とほむらは溜め息をつく。

ふざけているようで、いきなり核心を突いてくる。まるで心を見透かしているかのように。

 

「仮にも神父の娘だ、舐めんなよ。悩める徒を導く為には、相手をよく識る為の"観察眼"ってやつが必要なんだ。あ、これ親父の受け売りな」

「…いつの時でも、あなたには嘘はつけそうにないわね」

「ふん、悪魔だか何だか知らねえけどよ。そうやってうじうじ悩んでるアンタは実に人間らしい。嫌いじゃないぜ、そういうのは。…んで、何が不満なわけよ。ぶっちゃけ、アンタが頭下げて頼めば何だってやってくれるだろ、まどかはさ」

「…だからよ、杏子」

 

全て、見透かされている。気のせいなどではなく、確実にだ。

であれば、杏子になら話してみるのもいいかもしれない。こんな話、とてもさやかやマミには言えないだろうけど。

そうしてほむらは、重い口を開け、己の心中を吐露し出した。

 

「自分でもわかってるの。私は多分、"赦される"事が怖いの。お前は悪者だ、人殺しだ、神を壊した悪魔だ…って、責め続けられたいの。その方が楽なの。…知らなかった。"幸せでいること"がこんなにも怖い事だって、わからなかったの。誰かに罰せられてないと気が済まないの。だって、私なんかが幸せでいていい筈がない。こんな"幸せ"が、本当に永遠に続くのか、怖いの。

だってそうでしょう? 今の私の"幸せ"は! 彼らの犠牲の上に成り立っているんだもの!」

「………なるほど、アンタの言いたい事はだいたいわかった」

「……こんな話、あなただからできるのよ」

「アタシはまどかやさやかと違って、甘ちゃんじゃないからか? …それって、アンタが怯えて過ごしてる"幸せ"の中には、アタシは居ないってことかい? アイツらと違ってアタシなら、アンタを躊躇なく殺せるだろうから、かい?」

「…ちが、そんなつもりで言ったんじゃ………!」

「……悪い、今の質問はちと意地悪が過ぎたわ」

 

杏子に殴られるかもしれない、と思った。

悪魔となった今は、殴られた程度では痛みなど感じない。だが、心までは麻痺した訳ではない…と、思っている。

杏子とて、わかっているのだ。ほむらはちゃんと、自分にとっての"幸せ"の中に杏子も含めている、と。

信頼していなければ、こんな弱音を吐けたりなどしない。それでも、他の皆とは違った答えを教えてくれるだろうから、と期待しているのだろう、とも。

それを踏まえた上で、杏子は言う。

 

「んじゃまあ、アタシから言える事はひとつだけだ。……アンタにとっての罰は、いつ終わるかも知れない"幸せ"に怯えて一生過ごす事だ」

「え………?」

「人間なんてのはな、辛い現実に身を置く事で"自分は被害者だ"とか、"可哀想な人間だ"って思われて、同情されて、優しくされる…その方がただ幸せに生きるよりも幸せだ、って思うヤツもいる。

確かにそうかもしれねえ。けど、これが魔法少女ならどうなる?

"私は騙された""私は悪くない、可哀想なんだ"──────そんな弱音をいつまでも吐き続けりゃあ、人間に戻れるとでも? そんな訳ねえよなぁ!

アタシはその辺を割り切ったつもりだ。だからこうして今も魔法少女として、おめおめと生き延びてきてる。同情なんていらない。アタシは被害者なんかじゃない。グリーフシードを狩って、狩って、意地汚く生き延びて、アタシなりに幸せに生きて、死んでやる。そう思ってんだよ。

……ま、これでもアタシはアンタらに出逢う前までは、ちぃとワルい事もしてきた。いつかは罰せられる時が来る。それが怖くないかと言われれば、怖いに決まってる。

アンタの言う"罰せられたい"ってのは、"同情されたい"って事と同じなんだよ。…笑わせんな、アタシらに同情される権利なんてない。なんでオマエなんかが笑って毎日を過ごしてんだ、って後ろ指を指されながら、石ころを投げつけられながら、それでも意地汚く幸せに生きるんだよ。それがアタシたちにとっての罰だ」

「私達にとっての……罰……」

 

言われて、腑に落ちるものがあった。

確かに"罰せられたい"などという考えは、そういった潜在的な意識から滲み出たものなのだろう。

 

「ほら、しゃんと立て。もう飯の時間だろ?」

「ええ。……杏子、あなたはどうするの?」

「ん〜…折角だけど、家に昼飯あるから帰るよ。それにマミにバレたらうるさいしな?」

 

それに、ひとつだけ謝らなくてはならなかった。

彼らの行いを、選択を、"犠牲"だなんて簡単な一言で片付けてしまった事を。

未来を紡ぐ為に生きると誓った筈なのに、今なおこうして弱い自分を棄てきれずにいることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

 

杏子を窓から見送ったのち、ほむらは脚にようやく力が戻ってきた事を感じながら教室へと戻ってきた。

…が、ガラス張りの部屋の中には担任の和子がひとり教卓の前で書類を整理しているだけで、他の生徒の姿はない。

 

(………そういえば、4限目は体育だったわね)

 

などと思い出しながら戸を開け教室に入ると、

 

「あら、暁美さん。もう具合はいいの?」

「ええ。薬を飲んだので落ち着きました」

「そう…よかったわ。また何かあったら無理せず言うのよ?」

「ありがとうございます」

 

当然、薬など飲む必要はない。そもそも既に持ち歩いてなどいない。

が、この学校に編入するにあたって教員達には"持病"の事を説明してある為、あくまでポーズのようなものだ。

そして、見滝原中学の教室は、その大半が何故かガラス張りでデザインされている事で内外共に有名だ。

その為、男女共に少し離れた場所に更衣室が存在している。

移動に少し時間を取られる事が欠点の一つだが、そもそも全面ガラス張りなどという前衛的すぎるデザインにする必要などあったのか、と考える事はままある。

時計の針を見れば、昼休み開始2分前。そろそろ誰かしら戻ってきても良いはずだが…と思っていると、おもむろに教室の扉が開く音が後ろ側から聞こえた。

 

「──────あれ、ほむらじゃん。具合は?」

 

どうやら教室一番乗りは、さやかのようだった。

そろそろ他の生徒達も戻って来るだろうと判断した和子は、ほむらに一言声をかけると、職員室へと戻っていってしまった。

そうして、教室には2人だけが残される。

 

「おかげさまで、大分調子が戻ってきたわ。…ところで、まどかは?」

「仁美と話し込んでるよ。また新しい漫画を買ったから、貸すとかどうとかって」

「はぁ………仁美の漫画って、アレよね…」

「んー? あんただって興味あるんじゃないの?」

「まどかが漫画の影響を受けすぎて私の身が保たないのよ」

「ふぅーん……」

 

さやかは、実のところ鈍い。ほむらはそう認識していた。

杏子にはあっさりと看破されてしまったが、さやかには昨晩の事はわかりようもないだろう、と。

実際のところ、その認識は正しくもあり、やや異なっていた。さやかには、純粋にほむらの心配をしている面もあるからだ。

それよりも、さやかにはずっと胸に引っかかり続けている疑問があった。

 

「……なんかあんた、最近元気ないよね」

「そうかしら」

「うん。…マグナ・ゼロから戻ってきてもう大分経つけど、ちょっと前のほむらは結構自信に溢れてた気がしたよ。

でもここ最近のあんたは、出逢ったばっかりの頃に似てるよ。なんか、自信なさげっていうか………」

「…私って、そんなに分かりやすいのかしら。杏子にも言われたばっかりなのに」

「そりゃあ、親友だからね。…何かあったわけ?」

「別に。……贅沢な悩みよ。今の私は、とても満たされている。まどかがいて、みんながいて、争いもない。けれど…いつかこんな日が終わってしまう時が来るんじゃないか…ってね」

 

今日だけで、同じ事を何回口走っただろうか。

毎日を悩み苦しみながら過ごしているような人達からすれば、"幸せすぎて怖い"だなんて、実に贅沢で白々しい悩みのように聞こえるだろう。

無限に続く命を持つ存在は、突き詰めれば欲望など薄れていってしまう。意味がないからだ。時間さえかければ、何だってできてしまうから。

ましてやほむらは、宇宙規模の改編能力を失いはしたが、身の回りに関する程度ならば、その限りではない。そんな存在にも、たった一つだけ悩みがある。

それは、生きていく為の原動力だ。命あるものは、その原動力なしには生きてはいけない。生きる意味を見出せない。

逆に、たった一つでも原動力があれば。その為だけに全力を尽くせる。

…かつて彼女は、忘却の魔女イツトリに対して、堂々とそう宣言した筈だった。

そんなほむらの弱音を聞いたさやかの返事はというと、

 

「………そりゃあ、いつまでも続くわけないよ」

 

と、静かに答えた。

 

「あんたとまどかは不死身だけど、あたし達はそうじゃない。家族に囲まれて、ちゃんと学校行って、友達と楽しく遊んで………そんなの、せいぜい10年かそこらが限度じゃないの?

もっと経てば、あんた達の知り合いはいなくなる。…あんた達はいつまでも歳をとらないままで、周りの人達はみんな寿命を迎える。だから、幸せなのは今だけだよ。…もしあたしが永遠の命を持ってたとしたら、そう考えると思う」

「…さやかにしては、珍しくまともな意見ね」

「珍しく…って、あんたあたしを何だと思ってるわけ?」

「冗談よ。……そうね、私はまどかさえいれば寂しさにも耐えられる。でも……まどかは、どうなのかしら」

 

ようやく、心の中に満ちていた不安の正体が見え始めてきたような気がした。

ほむらにとっての幸せとは、その原動力とは、詰まるところ"まどかの幸せ"だ。

自分だけなら、まだいい。

しかし、まどかは耐えられるだろうか。家族や友人が老いてゆくなかで、自分だけが変わらぬままで存在し続ける寂しさに。

 

(………これじゃあ、本末転倒よ)

 

かつてほむらは、まどかが円環の理となってしまうのを止めた。

その理由さえも、突き詰めれば単純だ。円環の理となってしまえば、この宇宙の誰にも認知されない"概念"と化し、永遠の孤独に囚われ続けることとなってしまうからだ。

だが、今のまどかもさして変わらないのでは?

条理を捻じ曲げ、まどかの願いを、祈りを捻じ曲げた結果、手にした結果はこれなのだ。例えば100年も経てば、まどかの事を直接知っている人間は誰もいなくなるのに。

違いがあるとしたら、未だに全ての魔法少女を救済する代替案を見つけられていない事くらいだ。

 

(………やっとわかった。この胸のもやもやが、何なのか)

 

ほむらにとっての原動力は、まどかの幸せだ。

ならば今のまどかは、本当に幸せとは呼べるのだろうか?

でなければ。ほむらの成した事の結果が、まどかの幸せを奪ってしまったのだとしたら。

果たしてほむらは、まどかにどう償えばいいのか。そんなネガティブな思考が、ずっと胸の中に残り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

放課後。

 

手芸部へ顔を出しに行ったまどかを待つべく、ほむらは単身図書室で時間を潰していた。

手にしている本は、いつの日かここで読んでいた、過去と未来へ旅をする男の小説。

主人公の男は、亡くした恋人を救う為、過去に戻って歴史を変えようとする。しかし、どんな手を尽くしても、確定した"未来"という見えない力によって叶わず、男はヒントを求めて未来へと旅立ってゆく…………

その話には、続きがある。

遠い未来へと辿り着いた男は新たな出逢いを果たし、彼の人を守る為に敵と戦い、勝利と引き換えに時を渡る術を失ってしまう。

けれど男は、もう過去を振り返ることをやめ、その未来世界で生き抜いてゆく決意を固める。そういった内容だ。

 

(………………)

 

なるほど、最後まで読んでみれば、ますます親近感を覚える。ほむらはそんな事を思った。

今現在過ごしている"現実"は、数々の出逢いと別れを繰り返し、決死の思いで勝ち取った未来だ。

しかし男とほむらには、やはり似ていない部分がある。

それは本質的な問題なのかもしれない。未だにこうして過去をずるずると引きずって卑屈になっている事が、まさにその証拠ではないか。

 

「…あら、暁美さん?」

 

ふと、入口の方からほむらを呼ぶ声がした。

新たにやって来たのはほむらの一期上にあたり、魔法少女としても学生としても先輩にあたる、巴 マミ。

 

「珍しいわね、あなたが読書だなんて」

「そういう巴さんだって…図書室に縁があるようには思えないけれど」

 

ほむらの知る"巴 マミ"の像は、魔法少女としての側面が殆どだ。

毎日学校が終わればパトロールと称して街中を歩き回り、"正義の味方"として人々を守る…そんな姿だ。

だが今のマミは、そうではない。もう何ヶ月も新たな魔女が現れていないせいもあるが、過去の事件を境に、彼女は"正義の味方"である事をやめたのだ。

ただ、守りたいものの為に戦う。そこには正義などという気取った言葉は必要ない───今の彼女は、その思いを胸に抱いて生きている。

 

「今までは本なんて読む暇も惜しんでたから……勉強だって疎かにしがちだったもの。だから、受験を直前にして慌てて参考書を借りに来たのよ」

「巴さんが、勉強?」

「あら、意外かしら? …ま、暁美さんは頭が良いから勉強なんて必要ないかもしれないけど…」

「必要ないというか…まどかに格好良く見られたかったから、高校3年くらいの勉強までは済ませてあるの」

「…それ、鹿目さんが知ったら軽く引くわよ?」

「……残念ながら手遅れよ。女神様は私の行い全てを識ってるもの。全て、ね」

 

もはや気恥ずかしさなど失せ、観念したかのようにやれやれと頭を押さえ、髪を搔き上げるほむら。

ある意味では、ほむらの行い全てを識った上で受け入れ、至上の愛を注いでいるまどかは、まさしく女神と呼ぶに相応しい程に心が広いのだろう。

実際、仮にマミがほむらの行い全てを識ったとしたら(そんな事は考えたくもないが)…確実に言えるのは、次の日から一生一言も口を聞いてもらえないだろう、という事だ。

 

そんな他愛ない会話で済めば良かったのだろうか。

こと"先輩"である事を強調するマミが、今のほむらを見て、それだけで終わるはずもなく。

 

 

「───暁美さん、あなたがここ最近ずっと落ち込んでるように見えるのは……まだ、"見つからない"からかしら?」

「…半分正解、とだけ言っておくわ」

 

 

 

インキュベーターが姿を消し、見滝原に新たな魔女が現れなくなってからもうすぐ半年が経とうとしている。

救済の魔女曰く「キュゥべえは滅ぼした」らしいが、ほむらは実のところそれを真に受けたわけではない。というより、不可能なはずなのだ。

概念生命体であるインキュベーターを滅ぼすには、過去から未来において全ての時空から消滅させるしかない。だが、そうなると円環の理と魔女の関係と同じように、そもそもインキュベーターなくしては救済の魔女が生まれない、という相互矛盾が発生するからだ。

それでも、一切の姿を現さないという事はそれなりの理由があるのだろう。例えば、神にも等しい力を持った存在が2人もいる星になど近寄りたくない、などという間抜けた理由が。

…だが、その2人にも解決できない問題がある。それこそが、魔法少女達を真の意味で解放する為の方法だ。

魔女が現れなくなった今、手持ちのグリーフシードを使い潰せば、ソウルジェムの穢れを浄化できず魂の死を迎えてしまう。

この街にいる魔法少女達は事情が異なり、ワルプルギスの夜から獲た大量のグリーフシードを抱えているが、果たして世界のどこかでは、今この瞬間にも魔法少女が死を迎えているのかもしれないのだ。

インキュベーター無き今、この地球上で新たな魔法少女契約が交わされることはない。それ自体は喜ぶべき事なのだろうが、ゆっくりと、しかし確実に。

地球上から魔法少女の、そして魔女の絶対数は減少していっているのだ。

 

「……単に延命する為なら、あなた達の穢れくらいなら少しは肩代わりできるわ」

「暁美さん、私達はそんな事は望んでないわ。穢れとは人の負の感情の累積。そんな事をすればあなたにだって全く負担がないわけじゃないって、前に話ししたでしょう?」

「……わかって、いるわ。でも……」

 

やり場のない悔しさが、焦りが、ほむらの胸に募る。

グリーフシードに頼らずに穢れを浄化する方法が。

或いは、魔法少女を人間に戻す方法が。

 

「…条理を覆し、奇跡を、起こす…」

 

あの日、ほむらは彼らにそう誓った筈だった。

では実際はどうだ。ほむらは今ようやく、"まどかを救う"という願いを叶えたばかりで、それ以外の事など何もできていないのだ。なのに、時間ばかりが過ぎてゆく。

 

「ねえ、暁美さん。私はこう思うのよ」

「…?」

「人の一生は、単に長い短いだけで決まるようなものじゃなくて、"どう生きたか"が大事なんだって。…私は元々、契約をしていなければとっくに死んでいた身。だからこそ、与えられたこの時間を大切に使って、精一杯生きたいって思ってる。…あと8年も生きられれば、私からしたら十分よ。それ以上は望まない」

「でも…! 普通の人間なら、もっと長く生きられるのよ? なのに……」

「長く生きればいいってものじゃあないの。それは暁美さん、あなたがよくわかっている筈だと思うけれど?」

「…………っ、巴さん…」

「あなたは死ぬ事ができない。鹿目さんがいる限り永遠に生き続ける。そう言ってたわね。…だからこそ、よ。一度犯した後悔は、その永い人生の中で永遠に記憶に残り続ける。そうでしょう? …だからあなたも、悔いのないように精一杯生きていかなきゃならない。でないと、その後悔はきっと、暁美さんの心をずっと蝕み続けるわ」

「……そう、その通りよ。…わかってるわ、そんな事は……」

 

わかっていても、諦める事はできない。

マミも、さやかも、杏子も。自らの運命を受け入れ、残された僅かな時間を懸命に生きていく覚悟を決めている。

 

─────けれど、本当にそれでいいのか?

 

そんな簡単に、足掻くことを辞めてしまってもいいのか?

 

「……私は、諦めない。諦めたくないの。今までずっと、何度も諦めかけた。けれど私は、今ようやくまどかを死の運命から救うことができた。…なら、あと一つぐらい、奇跡を起こせたっていいはずよ」

「…その強情なところ、貴女らしいわね、暁美さん」

 

ほむらならそう答えるだろうとわかっていたかのように、マミは柔らかく微笑んだ。

諦めてしまったら、その時点で時計の針は錆び付いてしまう。立ち止まってしまったら、二度と歩き出す事ができなくなってしまう。

だから、諦めない。

席を立つと、ほむらはマミに礼を言い、じきに戻ってくるであろうまどかを迎えに、夕焼けの図書室を後にした。

 

 

 

 

5.

 

 

 

夜。

 

 

 

 

静寂に包まれた、花畑の丘。星を見上げ、見滝原の夜景を遠目に見下ろしながら、女神と悪魔は寄り添い合う。

 

「……ねぇ、まどか」

 

悪魔は、女神に向かい重たい口を開く。

 

「あなたは今、幸せ?」

「どしたの。…うん、幸せだよ?」

「…これから先も、幸せでい続けられると思う?」

「……その感じだと、ほむらちゃんはそう思えてないみたいだね?」

 

ほむらが何を言いたいのか。まどかは察していた。

実の所、彼女のことは彼女自身よりもわかっているつもりなのだ。そしてそれは、実際正しくもある。

もう何度となく繰り返された質問。彼女自身が自分を赦す事ができない限り、これからも同じ問いかけは繰り返されるのだろう。

 

 

 

 

──────あれから、10年の月日が流れた。

 

見滝原の街並みは大きな変化を見せてはいないが、ネオンの数が多少増えたような気がする。

2人にとって思い出の場所であるこの花畑の丘も、変わらず在り続けている。

…そして、彼女たち2人も。

高校に進学して2年目のあたりで身体の成長は完全に止まり、それ以降外見は全く変わっていない。強いて言うなれば、2人とも美しい長髪が良く似合うような雰囲気になったぐらいか。

 

「…結局、あなた達が生きている間に見つける事は出来なかったわね……」

 

ほむらは3つのグリーフシードを宙に浮かべ、優しく語りかけるように呟いた。

 

かつての仲間たちは残された日々を懸命に生きて、生きて、今こうして形を変えてここに居る。

死を迎えたわけじゃない。不可逆の法則を壊し、元に戻す方法さえ見つける事ができれば、また彼女達に逢える。

だから、彼女達はしばしの眠りに就いているだけなのだ。

 

そして女神と悪魔は、今日も星を見上げる。

 

彼女達を元に戻す為の最後の希望。忘却の魔女イツトリが生み出した、"マグナ・ゼロ"という特異点。

あの空間の中でなら、魔女達は自我を取り戻す事ができるかもしれない。

絶望に囚われた魂達を、絶望から解き放つ事が出来るかもしれない。

円環の理に代わる、新たな楽園になり得るかもしれない。それこそが、今の2人が考え抜いた末に導き出した希望である。

マグナ・ゼロはイツトリの消滅と共に崩れ去った、ように思えた。

だがあの場には、マグナ・ゼロの容量のごく一部を保有していた、ミラがいた。

だからこそ、ほんのわずかだとしてもマグナ・ゼロは残されているかもしれない。

そしてそれは、彼女達自身が"ルドガー達は生きている"と信じているからこそ導き出された希望なのだ。

 

この星に居られるのは、あともう少しだけ。

地球上に存在する全ての魔法少女を、魔女を、絶望に囚われた魂達を。

苦痛を代替し、できる限りの癒しの祈りを捧げ、眠りに就いた魂達を連れて、2人は長い旅を始める。その為の準備も既にほとんど終わっている。

ほむらがルドガーに託した砂時計の盾は、次元が異なる格納庫の役割も果たしている。時を止める力を消失しても、その機能は生きている。

そして感じるのだ。砂時計の盾は、まだこの宇宙のどこかに存在している、と。

そして、何よりも。あの日ルドガーから託された金の懐中時計は、未だほむらの手の中で時を刻み続けているのだ。

しかし、それを辿る事は容易ではない。この広大な宇宙のどこか、異なる次元に位置するマグナ・ゼロを自力で見つけ出すには、膨大な年月を要するだろう。

不死の身となった2人でなければ、それは成し得ない。少なくとも、まどかの家族達が存命している間には地球に戻る事は難しいだろう。

 

 

 

「本当にいいのね、まどか」

 

今一度、ほむらは問いかける。

家族と別れ、人間としての生を棄てて、長い旅へ出る。それでも構わないのか、と。

まどかは答える。

 

「ほむらちゃんを独りにはさせないよ。それにこれは私達2人、どちらかが欠けてもできないこと。…ルドガーさん達にも、ちゃんとお礼を言えてなかったもんね」

「…ええ、そうね。見つけたら、ちゃんとお礼を言わなきゃね」

 

空を仰ぎ、耳を澄ませる。

少女の慟哭が、この地球のどこかから聞こえる。

この地球にいる最後の魔法少女が、まもなく眠りに就こうとしているのだ。

 

「迎えに行きましょう、まどか」

「うん…!」

 

彼女達は、成し得なかった。魔法少女達を、絶望に呑まれる前に元に戻す事を。

マグナ・ゼロという最後の希望に、救済を託すほかなかった。

だから、眠りに就くその瞬間だけは苦痛から解放する。

せめて安らかに眠れ、楽園に辿り着くその日まで。

 

そして女神と悪魔は、最後の少女を迎えに飛び立った。

全ての別れを済ませ、今夜彼女達は、長い旅路へと歩き出す。

一筋の希望に胸を輝かせ、絶望を振り払い、旅立ってゆく。

 

 

まだ、誰も知らない明日へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【誰が為に歯車は廻る 完】




これにて完結となります。
長期に渡る連載、かつ途中トラブルもあり放置していたのですが、折角なのでと思い完結まで仕上げました。
pixivの方では既に上げていたのですが、こちらのサイトへの掲載を失念しており、先日感想コメントをいただけた事をきっかけに、この度転載させていただく運びとなりました。

ここまでご覧になって下さった方々へ、感謝いたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。