やはり俺の大学生活は間違っている。 (おめがじょん)
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第1話:やはり俺の大学生活は間違っている。

初投稿です。
男率高めですがよろしくお願いします。
女性キャラはおいおい出てくるかと。


 

 

 

 

 静かな夜だった。

 場所はファミレスだというのに客の姿は俺たちしかおらず、夏の気配と共に徐々に活発になっていくウェーイ系集団がかれこれ一時間ほど経つが入ってくる気配もない。

 俺の前にはこの時期だというのに冬用の厚いコートを着込んだデブと、初夏の季節にぴったりな薄手のジャケットを綺麗に着こなした、背の高い顔も良い忌々しい生き物が座っている。

 沈黙は嫌いじゃない。むしろ大好きまである。だがしかし、携帯も無い、本もない状態でかれこれ30分程黙り込んでいるのも、些か飽きてきた。

 目の前のデブ──材木座義輝も誠に遺憾ながら同じような事を考えていたようで、

 

「ふむ……」

 

 と唸った。いや、お前何か喋ってくれよ。俺はコミュ症のぼっちなんだぞ。と思うも、こいつも似たようなものだった事を思い出す。はぁ、仕方ねぇ……。

 

「あれからもう2年か……」

 

「ふむ。そうだな。光陰矢の如しというが、もう我らが高校を卒業してから2年も経つのだな……」

 

「ああ……。まさか雪ノ下家が汚職で捕まるなんてなぁ。あの強化外骨格も豚箱行きになったし。人生何が起こるかわからねぇわ」

 

「……確かに、あの人が学校に来ている時に警察が踏み込んで来た時は、本当にびっくりしたよな」

 

 背の高い忌々しい生き物──葉山隼人も会話に加わってきた。少し意外だった。この男が、こういったくだらない話に首を突っ込んでくるとは昔では考えられなかったからだ。

 

「あの強化外骨格。裏で色々えげつない事やってたからな。余罪も含めて10年は出てこれねぇみたいだぞ」

 

「ふむ。10年か……。意外と短いな。無期懲役でも良いレベルだろうに」

 

「あの女絶対反省してねぇよ。むしろ、独房の中で犯罪者纏め上げてクーデターでも起こすんじゃねぇの。早く国外追放でもしないと」

 

「何時の日かテロリスト集団の幹部になって戻って来そうだな。笑いながらノリで我らの家とかに銃弾とか撃ち込んできそう」

 

「あの人ならやりかねないな。自分を裏切った人間は、昔から絶対に許さなかったから」

 

「怖すぎるわ……。何かその内夢とかにでてきそうで嫌だ。あんなん出てきたら心臓ひっくりがえるっての」

 

「お前、人の事言える風体か? あの人は喋らなきゃ凄い美人じゃないか」

 

「はぁ?」

 

「しゃーなしだな。八幡、貴様の目は濁ってるし腐ってるし、擁護のしようがない」

 

「あれおかしくね? 強化外骨格の話をしてた筈なのに、何で何時の間にか俺を責める流れになってるの?」

 

 俺がイライラしながらそう言うと、2人は俺の背後を指差した。振り向こうとすると、頭を後ろから小突かれる。

 かなり痛いと同時に、甘い香りが漂う。こんな匂いをさせて、更にこんなに痛いのは一人しか居ない。振り向くと、青みがかかった黒髪が目に入った。

 

「アンタ達ねぇ……。こんな夜更けにくだらない話ばっかしてるんじゃないよ」

 

 心の底から呆れた声を出したのは川なんとかさん改め、川崎沙希である。一応、高校時代からのぼっち仲間で、今では立派な腐れ縁というわけである。

 この川なんとかさん。友人と付き合ってみれば非常に気安く、また向こうもぼっちである為、俺へのぼっち気遣いが行動の随所に感じられ、今では小町ぐらい俺は心を許している。

 今日も今日とて、愚かな俺達の為に、こうしてバイト帰りに助けによってくれたわけだった。

 

「すまんな沙希。それにしても、意外と面白いもんだったな。雪ノ下陽乃が逮捕されてから二年後ごっこも」

 

「最初は何を血迷った事を言い出したかと思ったが……まぁでも暇つぶしにはなったな」

 

「あの人が聞いたら恐ろしい事になりそうだけどね。悪いけど、アタシを巻き込むのだけはやめてよね」

 

「何だかんだで、沙希殿はあの悪魔に好かれているからのぉ……」

 

「そうなんだよな。喜んでいいと思うよ沙希。あの人が自分の本性を曝け出すって俺たちを抜かせば、君ぐらいだし」

 

「それ、全然喜べない」

 

 げんなりとした表情を作る沙希。それでも、頬は少しだけ緩んでいるので満更でもないのだろう。だが、すぐに表情を引き締めると、再び俺を睨みつけた。

 あの……そんなにガンつけられると怖いんですけど。ただでさえ、斬り捨て御免みたいな雰囲気漂ってるのに。段々と、その可愛いポニテが丁髷に見えてきたよ……。

 

「で、アンタ達お金は今いくら持ってるの?」

 

 俺達はポケットをごそごそと探り、あるだけの小銭を取り出した。俺は760円。隼人が672円。義輝が735円と、どいつもこいつも札一枚すらない。

 テーブルにおかれた伝票は、2450円とある。日雇いのバイトが終わって、給料も後日でるし、金が無いながらもぱーっとファミレスでも行こうかと来て見れば、

 完全に深夜料金の事を忘れていて、伝票がくればこのザマである。俺と義輝はぼっち。自分のブランドイメージが下げられない隼人では、頼れる人間が沙希しかいなかったのだ。

 

「細かいのめんどくさいから1人100円貸してくれ。そうすれば、何とか足りる」

 

「はいはい。次からは、きちんと深夜料金も頭に入れて食べるんだよ」

 

 沙希から300円を受け取り、隼人がレジに向かった。とりあえず、これで全員文無しだが、腹は満ち足りた。昨日までの一日100円生活が嘘のようだ。 

 明日のバイト先は弁当が出るし、夜には給料も貰える。これで何とかなるだろう。明日の朝ごはん? もう朝ごはんなんて10日も食ってねえよ。

 そして、四人でファミレスを出ると、

 

「沙希。もう遅いし送ってくわ。義輝と隼人は先に帰ってろよ」

 

「いいよ、八幡。アンタや義輝と一緒に歩いてたらまた職務質問くらうし、隼人と歩いてるとまた変な女に文句つけられそうだしね」

 

 本当に役に立たねぇな、俺達。まぁ、事実なんですけど。隼人何かは何時もの愛想笑いが引きつっている。未だに気にしているのだろう。

  

「じゃあ、三人で送っていけばいいんじゃないかな。それなら、何とか釣り合いがとれるだろ」 

 

 引きつった笑みを何とか維持しながら隼人が提案すると、沙希もようやく納得してくれたようだ。本当に、ご迷惑ばかりおかけします。

 隼人が居れば俺達は職質をくらわなくて済むし、俺達が居れば隼人ファンのビッチ共も騒がない。あれ、これってとても良い関係じゃね。ミトメラレナイワァ。

 そのまま4人で沙希が暮らしているアパートの方へと向かって歩いていく。義輝と隼人は最近読んだ本について語っている。その後ろを俺と沙希が歩くような形だ。

 

「……今じゃ何とも思わないけど、高校時代にこんな風になるなんて予想できた?」

 

「……いや。そもそも、俺があいつらやお前の事を下の名前で呼ぶなんて事自体想像できなかった」

 

「そうだよね。ま、色々あったしね」

 

「ああ、本当に色々あった」

 

 高校生活を振り返ると後悔ばかりだ。あの時、ああしていたら。こうしていたら。後悔は尽きない。あの時欲しかった本物も、結局手には入らなかった。

 応えられなかった言葉。守りたかった約束。そして、俺はまだ何とかなりそうだったそれすらも自分の手で叩き壊した。あの時は、それが最善だと思ったから。

 だが、それが最適だったかと今思い返すと自信がない。俺の青春ラブコメは間違ったまま終わってしまった。その事実だけが残っている。

 そんな感情が顔に出ていたのか、沙希が俺の背中を一発叩いた。……あの、すいません。貴女の一撃一撃、本当に響くんですけど。格闘技でも始めたの? グラップラー沙希なの?

 

「辛気臭い顔しない。アンタの青春だって、まだまだこれからでしょ」

 

「そうだな。俺にはもう彩加ルートしか残って……すいません。その振り上げた手は下ろしてください」

 

「最近、向こうも満更でもなさそうなのが凄い怖いのよね……」

 

 それでも楽しそうに笑う沙希の横顔から目を背け、空を見上げる。こいつの言う通り、まだ俺の青春は終わってないのかもしれない。

 あの眩しすぎた毎日を取り戻すことはもうできない。でも、あれからはこいつらとずっと過ごしてきた。この関係も、大学を卒業するぐらいまでは続きそうだ。

 

「やはり、俺の大学生活は間違っているな……」

 

「そうね。何せ、ヒロインは男だし」

 

 そう言うと、沙希は優しく笑った。確かにその通りだと、俺も釣られて笑ってしまうほどに納得がいく言葉だった。

 

 

 

 



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第2話:やはり俺のぼっち生活は終わっている。

 

 

 

 

 

 

 初夏の気持ちの良い土曜の朝だった。昼間は半袖で過ごしても良いぐらいの心地よい風が吹いている。

 天気もよく、引きこもりの俺ですらどこかへ出かけてみたくなってしまう程の快晴の中、俺達は薄暗い部屋に集まって無言で座っている。

 俺、隼人、義輝の三人は朝起きてから、居間にある机を囲んでずっと机の上のある一点を凝視していた。

 

「…………」

 

 俺達三人の視線の先にはカップラーメンが一つ置かれている。給料日まで後2日。月曜の朝まで三人でカップラーメン一つで過ごすしかない。

 ……いや、これ無理でしょ。食い盛りの俺達にとっては一つでもたりねえぐらいなのに、3人で1つとか詰んでるでしょこれ。

 

「今月の電気代いやに高かったな……。誰かさんが扇風機つけっぱにして寝てるからだろうなぁ……」

 

「ほぉ……。ガス代も値上がりしておるな。ふむぅ……どこぞのボケナスがキンキンに冷やしたマッ缶飲みながら長風呂してたからに違いないよのぉ……」

 

 俺とデブがメンチを切りあう。どっちも引く気はないようだ。熱いお湯に浸かって漫画読みながら冷えたマッ缶呑むとか最高だろ。

 コーラしか飲まないようなデブには一生わかるまい。

 

「じゃあこれはお前らの過失だな。しょうがない、悪いけどこれは俺がいただく事にするよ」

 

 爽やかな笑顔と共に、隼人がカップ麺に手を伸ばそうとする。だが、その手を俺と義輝が普段からは信じられない速さで阻んだ。何言ってやがんだこいつ。

 

「隼人。てめぇも同罪だぞ。毎朝ドライヤー使って髪セットすんのは禁止だって言ったろうが。あれ電気すげぇくうんだからな」

 

「そうだな。後、貴様はイケメンだからって毎朝きちんと顔を洗いすぎだ。お陰で石鹸の消費が早すぎてしょうがない。あれ、我が体洗うのに小さくて困ったぞ」

 

「おいふざけるなよ! ちゃんと洗顔用と普通の石鹸にわけておいただろうが!」

 

「うちの財政に石鹸をわける余裕なんてねぇよ! 俺と義輝なんて、台所の洗剤で体洗ってたんだからな!」

 

「お前らは無駄遣いが多すぎるんだよ! 八幡はあんなあまったるいコーヒー箱で買うのをやめろ! 義輝だってフィギュアを少し控えればもうちょっと余裕があるんだぞ!」

 

「んだとぉ!?」 「やんのかよ!?」 「上等だァ!」

 

 俺達三人は勢いよく立ち上がり、だがすぐに座ってしまった。ここ数日、まともなものを食っていない。怒るだけ損だ。腹が減ってしょうがない。

 義輝も隼人も同じなようで寝転ぶとすぐに物言わぬ屍と化す。正直、喋るのもめんどくさくなってきたぐらいだ。

 

「……とりあえず、三等分するしかなさそうだな」

 

「そうだな……」

 

「誰かお湯を沸かしてこいよ。共同生活だろ。助け合いだろ」

 

 自分で吐いた言葉に思わず心の中で苦笑してしまう。まさか、俺がこいつらと共同生活なんかするとは夢にも思わなかった。

 ぼっちは己のテリトリーに踏み込まれるのを嫌う。ソースは俺。だがしかし、今ではこの有様だ。ぼっちのテリトリーなんてない。生きるために共同で暮らす。

 毎月それぞれバイトをして、お金をかき集め一軒家を借りて暮らす。都内で安く暮らすにはこれしかなかったのだ。

 そもそも、何故俺がこいつらと一緒に暮らし始めたのか。まず、話は半年ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は? 小町が1人暮らし?」

 

 

 久しぶりに実家に帰ってみれば親からそんな事を告げられた。ここ数年、色々あって小町とも昔のように話すことは少なくなったので妹の進路を聞いたのもこの時期になってからだ。

 専業主夫になるべく日本の有名国立大学に将来の良き伴侶を探すために入学した俺と違って、小町には夢があるようだった。

 その夢を叶える為には千葉から出て、地方の大学に行きたいとの事。実家からはとても通うのが難しいので、1人暮らしをするとの事。そして、東京でのほほんと

 バイトもせずに親からの仕送りで灰色の青春を過ごす長男の仕送り額を下げたいとの旨が親から伝えられた。その時の俺の反応といったら、

 

「むしろもっと仕送り減らして良い。だから、小町には良いマンションを借りてやってくれ。オートロックマンションとかさぁ」

 

 地方とはいえ、女の子の1人暮らしはとても危険だ。オートロックマンションでもない限り安心できない(俺が)

 それに、逃げるように進路を決めた兄と違って、妹が夢のために進学するというのはとても眩しく映った。親が汗水流して働いた金は、こういう可愛い子に使うべきなのだ。

 というわけで、大幅に仕送りが減り、嫌々ながらも妹のために自分を曲げて(ここ大事)バイトなんぞをしてみたが、まぁこれが辛い。

 まず、誰かと話すのが辛い。大学でもぼっちな俺には厳しいものがあった。高校生活で学んだ知識を活かして、人とあまり接しないバイトもやってみたが、稼ぎが悪い。

 これマジでどうすっかな。戸塚の大学に編入して一緒に暮らすしかないかなーなんて思い始めた頃、

 

「助けてハチえもおおおおおおおおおおん!!!!」

 

 材木座がある日俺に泣きついてきた。この野朗も、俺を追ってきたのかどうか知らんが同じ大学の別学部に進学していた。キャンパスは違うので数ヶ月に一遍ぐらいは会う仲だったが。

 この時の材木座は本当に追い詰められていた。何せこの男、秋葉原が近くなったものだから、あの界隈をうろつく作家志望(大嘘)の似非メイドに騙され、

 自分の仕送りや、バイトして稼いだ金を兎に角貢いでいた。最終的には、親のクレジットカードを使ってまでも貢ぐ事に心血を注ぎ、親から勘当寸前まで説教をくらったそうだ。

 

「我、これから学費と家賃しか払って貰えなくなったのだ。何とか家賃をちょろまかして二次元グッズを買う金に当てたいのだが、八幡良い知恵はないのか?」

 

 親もこんな駄目息子を持ってさぞや悲しいだろう。俺も人の事は言えないが、一応こっちは妹のためではある。小町から感謝の電話が届いたが、結局出れなかった。

 メールで頑張れとだけ返したら、俺の気持ちを察してくれたのか「頑張る」とだけ返信がきた。これでいい。小町は小町の道を進めばいい。そろそろ兄離れの時期だろう。

 そんなこんなで俺も金には困っていたので、都内のサイゼで戦略会議をする事となった。どこへ行っても同じ品質、同じ味とかサイゼはやっぱり最高だぜ。

 

「治験でもやるか。お前デブだし何とかなるだろ」

 

「うむ。もしかしたら貴様の目の腐りもなくなるかもしれんしな」

 

 薄ら笑いを浮かべながら俺と材木座は胸倉を掴みあう。こいつも、昔は俺から言われたい放題だったが、今では立派に言い返してくるようになっていた。

 そらまぁ、氷の女王に毎回毎回、毒舌も含んだ駄目だしをくらっていればこうなってしまうのも仕方がない。……ただまぁ、こういう言い合いが出来る相手がいるというのも悪くはないが。

 

「して八幡。貴様も金には困っているのだろう。専業主夫等とほざいていたが、どうするつもりなのだ?」

 

「働くしかねぇだろ。それに、俺はまだ諦めたわけじゃない。そもそも、大学生はなんだかんだでまだ学生なんだ。とてもじゃないが、誰かを養うなんて考えは浮かばないだろ。

だったら俺は学生という身分に浸りつつ、少しだけ社会に出てみる。そして、職場で出会ったきちんとした社会人と交際をして、その人の住処に転がり込んでだな。

少しずつ、ゆっくりと彼女の身の回りの世話をして、俺が大学を卒業した事を悟らせずに、そのまま専業主夫のポジションを獲得していくようにプラン変更を決めたんだ」

 

「あーはいはい。で、バイトを始めてみたはいいものの。上手くは行ってないようだな」

 

「……まぁな。この社会は俺が働くのには向いてないみたいだ。俺は悪くねぇ、社会が悪いんだ」

 

「少しは成長したと思いきや、相変わらずよのぉ……。お、そうだそうだ。デザートを頼まねばな」

 

 ぽちっと、材木座が呼び出しボタンを押した。どうでもいいけど、こいつよくデザート食う金なんかあるな。俺なんかドリア頼むので精一杯だってのに。

 

「材木座。お前きちんと金を持ってるんだろうな」

 

「心配するな八幡。最悪、明日からは水ともやしで何とかする……」

 

 そんなくだらねぇ話をしていると、店員さんがやってきた。「お待たせしました」と爽やかな声が聞こえる。嫌味のない、いい奴っぽい声だ。

 しかも、何処かで聞いた事があり、あまり良い思い出もない声だ。何となく嫌な予感がして、顔を上げると、

 

「いらっしゃいませ。──そして、久しぶりだな。比企谷に材木座君も」

 

 葉山隼人が給仕の服を着てにこやかな笑顔を浮かべていた。実質、会うのは高校の卒業式以来か。最後まで、進路を教えてくれなかったのを覚えている。

 それも、俺にだけ。まぁ、マラソン大会の時の件もあるし、俺には絶対に教えたくなかったのかも知れん。それはどうでもいいとして、

 何故この男はこんな場所でアルバイトなんぞをしているのだろうか。俺のイメージでは、もっと敷居の高いお洒落な喫茶店とかならイメージが湧く、

 それに、こいつの家も中々の金持ちだったような気がする。どう考えても比企谷家より上流家庭だろう。そんな男が、何故。

 

「お、おう。葉山某か……。まぁ、なんだ久しぶりでござる」

 

「キャラがブレすぎだろお前……。まぁ、久しぶりだな葉山。とりあえず、注文いいか?」

 

「ははっ。相変わらずだな比企谷は。では、ご注文をお願いします」

 

 材木座がパフェを。俺も釣られてアイスを注文してしまった。俺は悪くねぇ。全て目の前のデブが悪い。 

 

「はい、それでは少々お待ちください。……後、この後時間あるか? もうすぐ上がりなんだ。久しぶりに話でもしないか?」

 

 何なのだろう。葉山隼人ともあろう人間が、俺達みたいなのと話とは。心の底から帰りたかったが、別に予定があるわけでもない。

 材木座が緊張して「は、はひ……」とか情けない返事をしてしまった手前、無視するわけにもいかん。行くよと約束したのに来ないのって辛いよね。

 小学生の頃はよくその手に引っかかっては1人で遊んだもんだ。しまいには、それを想定して一人で遊べる道具を持って約束の場所に行っていたもんだ。

 我ながら頭が良い。そして何て悲しい小学生だったのだろう。そんなこんなでデザートを食べおえ、まったりしていると、私服に着替えた葉山が席にやってきた。

 

「お待たせ。悪かったな」

 

「気にすんな。まぁ、とりあえず店出るか。お前もここじゃ話にくいだろ」

 

「助かる。お前は、そういうとこ本当に気が回るよな」

 

 だってぼっちですもの。人の視線には敏感なの。葉山が俺達の席に来てからというもの、葉山の同僚の店員に何度も見られたのだ。仕方がない。

 どいつもこいつも目が物語っていた。こいつら、葉山君とどういう関係なの? ただの顔見知りです。どう考えても友達には見えないし。なりたくない。

 店を出てだらだらと歩き出す。別段、何処へ向かっているともわからない。先頭を歩く葉山についていってるだけだ。

 材木座は完全に萎縮し、固まっている。マジで使えない剣豪将軍である。その大層な二つ名を今すぐ返上してこい。

 

「お前、アルバイトなんかするんだな。意外だった」

 

「ああ……まだ言ってなかったな。俺、今は親の仕送りとか一切無しで生活してるんだ」

 

「はぁ? 何でだよ」

 

「……自分のやりたい事をやりたいって言ったら、じゃあ自分の力で生きてみろって言われたからかな。学費だけは何とか出して貰ってるんだけどな」

 

「お前、本当に葉山か? お前は最後まで選ばないんじゃなかったのかよ」

 

 かつて、葉山隼人はそう言った。俺は、選ばないと。自分で選んだものなんて答えではないと。そうやって生きていくと俺の前で宣言したのを覚えている。

 だが、今の葉山隼人は全く違うようだった。いや、もしかしたら高校卒業の頃にはもうそうなっていたのかもしれない。

 あの頃は俺も自分の事に手一杯で、そんな周りの変化になんか気がつけなかった。今でも、平塚先生にはあの時の事を怒られるぐらいだ。

 

「……俺も欲しくなったんだよ。本物って奴が。まぁ、君達の求めるものとは少し違う本物だけどね」

 

 本物、その言葉が俺の胸を締め付ける。かつて本当に俺が欲しがり、そして壊してしまい諦めたもの。葉山隼人もあれを見ていたのだろうか。

 

「……それで親に逆らって苦学生ってわけか。まぁ、いいんじゃねぇの。お前の人生だし」

 

「俺には関係ないってか?」

 

「そうだな。……まぁ、困ってるなら少し助けてやらんでもないが。ただ、金はないぞ。さっきので俺もすっからかんだ」

 

 俺の言葉に葉山はくつくつと笑った。あの頃の空虚な、人を安心させるかのような笑い方ではない。心のからの、おかしさから滲みでてくるような笑い方だった。

 

「知ってるよ。あれだけでかい声で、金がないって騒いでたんだ。ウチの従業員達がもしもの時はとっつかまえてやるって息巻いてたからな」

 

「……マジか」

 

「だけど、俺も金には困ってるんだ。…………なぁ、比企谷。そこで一つ提案があるんだけど、乗って見ないか?」

 

 

 そんなこんなで、俺と材木座は葉山の口車に乗って共同生活を始める事になった。都内のぼろっちい一軒家を3人で借りて生活費を浮かすというものだ。

 築40数年、木造の住宅だ。小さいながらも庭があり、家賃は8万円を切っている。何か絶対不吉な事があったに違いない。

 だがしかし、俺達には選択肢がなかったのも事実だ。放任主義な我が家の両親なんぞは、一度葉山が家に行ったら、あっさりと共同生活を快諾しやがった。

 親父なんか、こんな息子が良かっただのとぬかしやがる。材木座の家も似たようなものだったらしい。流石パーフェクトイケメンは格が違う。

 だが、ぼっちと中二病とリア充が共同生活なんか上手く行く筈がなかった。何度も喧嘩し、何度もぶつかりあい──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しょうがない。この共同生活の言いだしっぺは俺だし、沸かしてくるよ」

 

 

 ──そして、俺達は今に至る。隼人はかったるそうに立ち上がり、キッチンへと向かった。俺と義輝はそのままぐでーっと過ごす。

 腹は減っているが居心地は悪くない。実家以外で、これ程安心して過ごした事があっただろうか。否、あの懐かしかった時間とはまた少し違う感覚もある。

 同性だからという事もあるし、こいつらが俺という人間の事をわかっているのもあるだろう。後、割とバイトや学校とかで生活時間がバラバラなので、

 ぼっち時間もきちんと確保できるというのもある。いや、これが一番でかいのかもしれない。そんな事を考えていると、隼人が沸騰した薬缶を持って戻ってきた。

 カップ麺に湯を注ぎ、そのまま待つ事3分。均等になるよう、皿にわけていく。

 

「全然たりねぇな、これ」

 

「ふむぅ……2回すすったら、もう麺がないぞこれ……」

 

「義輝は一気に食いすぎだろ……」

 

 予想以上に少ない。だが、それでも不思議な満足感があるのは気のせいだろうか。今までずっと1人でよく食べていた味気ないラーメン。

 不思議と暖かい味になっているような気がしないでもない。……まぁ、こんな状態では俺はもうぼっち名乗れんなこれ。

 別に口に出して言う事でもない。改まって言うべき事でもない。だから心の中で呟く。──やはり、俺のぼっち生活は終わっている、と。

 

 

 

 

 

 

 



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第3話:やはり俺の後輩は大学生になってもあざと可愛い。

 大学生活は「キラキラしていて、人生で一番充実している時間」誰かがそんな事を言った。

誰しも想像するだろう。仲間と毎日ワイワイ騒ぎ、自分の好きな勉強をして、飲み会をして、ついでに恋人何かもできるかもしれない。俺もほんの少しだが、そんな期待を持った事がある。高校でも上手くいかなかった、だが大学なら違うだろうと。

 

 大学は個人主義で生きる事ができる。

毎朝教室に行って出席が取られる事もない。クラスメイトというくくりも高校より強くない。本当に、自分である程度決めて動く事ができる。集団行動が苦手なぼっちの俺でも快適に過ごせる最高の環境だろう。そんな事を夢見ていた時期が俺にもありました。だが、実際入ってみれば、これが中々俺みたいな引きこもりぼっちに辛い。

 

 まず第一に、友達が居ないと結構キツい。

オリエンテーションに参加しただけでは、授業の組み方もよくわからない。どう生活をしていけばいいかわからない。学生課に行って相談すれば済む事だが、そうやって気軽に人にきける人間ならぼっちじゃないし、そもそも友達や顔見知りの人間くらい作れる。更にクラスという単位も、担任という制度もないので個人的な面倒を見てくれる人が居ない。今となってはあのヤニ臭い美人女教師が女神に思えてくる。

 

 第二に、自分のしたい勉強よりも単位の取得を優先しなくてはならない。

これはもう少し自由が利くと思えば、意外と必修授業が多い。こんなん興味ないわみたいな授業と受けたい授業がかぶってしまうなんてザラだ。しかも俺は人前で発表したりする事があまり得意ではない。人と上手く喋れないのに、大勢の前で喋れるわけがない。必然的に、テストが成果発表等という科目やペアを組んだりする授業をを避けてしまうわけで、俺の初年度の授業割り振りはとても歪なものになってしまった。

 

 第三に、金がなければ何もできない。

意外と学食というものは高い。世の中には安い大学もあろうが、俺の大学は比較的値段が高いものが多い。授業が終わって皆でランチ等というものは、バイトをしているか、両親に比較的経済的な余裕がある子供限定のものとなっている。 俺は平日のみ家と大学を往復するというヒッキーの名に恥じない生活を心がけているのでバイトもしてないし、昼飯はもっぱら生協で買った100円のカップ麺である。

 

 結論を言おう。

大学生活は引きこもりぼっちには厳しい。自分から人間関係の構築に積極的に動く事をしないと、4年間空虚なまま、辛い毎日を過ごす事になる。ある日突然、美人の暴力教師に連れられて無理矢理部活に入れられたら、そこには学年一の美少女が居たなんて事は大学ではおき得ないのである。現実を見よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけでだな。……まぁ、本当にお前が入学してくれて良かったわ、一色」

 

「はっ! 何なんですか久しぶりに会ったと思ったら、いきなり私が居なきゃ駄目発言とか口説いてるんですか? そういう台詞は時と場所と場合を選んでムードを作ってからお願いしますごめんなさい」

 

「このやり取りも久しぶりだな……」

 

 大学の隅にあるベンチで俺と一色いろはは向かい合ってそんな会話をしていた。高校時代で縁が切れると思いきや、何とこの子は俺が卒業した翌年、同じ大学の同じ学部に入学してきた。どういう意図で一色がこの大学に入ってきたかは知らない。学業のレベル的に丁度良かったのかどうか、俺はそこまで一色の事を知らないのでわからない。しかし、一色が入学してくれたのは個人的に本当にありがたかった。一年生の終わりにこのままじゃマジで留年する。何て思って二年生時には少しでも人間関係を築くべく、自分なりに頑張ってみたものの、進級し、人間関係が出来上がった時分となっては一切溶け込む事ができなかった。

 

 唯一、ゼミ長が暇な時偶に相手してくれるぐらいだった。泣ける。そんな時、一色が同じ学部に入学してくれて、学内の情報を交換できる相手ができたのだ。入学して早々から、同じゼミの女子に嫌われ始めた一色も無駄に先輩という使い捨ての盾があるのは一つのカードにもなっただろう。俺達はwin-winだっけか? そんな様な、手をくねくねろくろを回したくなるような関係を築けたのはお互いにとって有益だったろう。

 

「先輩は、用事がある時しか私に話しかけてくれませんからねー。本当に、私は先輩にとって都合の良い女なんですね」

 

「ちょっと待っていろはす。その言い方は厳しくない? だってお前何時も周りに男が居るし、近づくと皆で睨んでくるんだもん」

 

「先輩、年下にビビり過ぎです……。確かに、あの人達と居ると他のグループと話しづらいんですよね。私は、広く浅く人間関係を築きたいのに」

 

「最近のお前、傍から見ててオタサーの姫みたいな感じになってるからな」

 

「あんなのと一緒にしないでくださいよ……」

 

 同じ男を手玉にとるジャグラーにも住み分けというものがあるらしい。俺から見てると、全く同じ事をやっているようにしか見えないんだが。まぁ、一色は金を巻き上げないだけマシだと思いたい。それに一色はツインテールにしたり、毎日ニーソを無駄に履いてこないだけいいだろう。高校を卒業しても外見にあまり変化はない。ピアスが増えたぐらいだろうか。 

 

「そういえば先輩、聞きましたよ。何だか、葉山先輩と中二先輩と一緒に暮らし始めたらしいじゃないですか」

 

「ああ、なりゆきでな」

 

「ルームシェアとか憧れますよねー。しかもあの葉山先輩とだなんて。どういう風の吹き回しですか?」

 

「色々あったとしか言いようがねぇんだよな。俺もあいつも、お互いを認め合って許容できる関係になったって事じゃねぇの?」

 

「まさかのリアルはやはちですか……」

 

 何か不穏な単語が聞こえたけど聞こえない。一色は絶対にそっちに行ってほしくないんだけど。ようやく学校卒業してあのうめき声聞かなくて済んでたのに。俺の不安な視線に聞こえたのか、一色は「ん」と一度咳払いをした。そんな小さな仕草もいちいちあざとくて可愛い。

 

「でも、先輩変わりましたよ。……昔よりずっと雰囲気が柔らかいです。前みたいにいちいち皮肉を挟まなくなったし。斜に構えた態度もなくなったし。無駄に上から目線でカテゴライズとかしなくなったし。目の腐りようも少しはマシになったけどまだまだですし。私のボディタッチの効果も薄れてつまんなくなってきたし」

 

「おかしいな。最初褒めてたのに、最後の方悪口になってた気がするんだけど」

 

「気のせいですよ。私は、先輩の味方ですから」

 

「それ絶対、何時か裏切る奴の台詞だからな」

 

 俺の言葉に、一色は「ううん」と首を振り、居住まいを正す。そして、真面目な表情を作ると、

 

「裏切りませんよ、絶対に」

 

 とても優しい表情でそう呟いた。思わず、息を呑んでしまう。

 

「先輩が居てくれたから、生徒会長楽しかったですもん。だから、今度は私が先輩の味方になってあげます。……ついでに、東京での妹ポジションにもなってあげます」

 

 最後は冗談めかして一色がそう言った。最後に付け加えてくれたその言葉は俺への逃げ道なのだろう。軽口を叩いて、本心へと話題の焦点を持って行かせず更に次への会話の糸口としていく。流石は八幡検定を持っているだけの事はある。だから、俺もそれに合わせてやる事しかできない。そんな自分に嫌悪感すらわく。

 

「俺の妹ポジションは小町が不動なんだよ。残念だったな」

 

「そうですか。では、別のポジションを探す事にします」

 

「そうか、頑張れよ」

 

「勝手に頑張りますので、先輩は何時ものように適当に待っていてください」

 

「…………ん」

 

 何となく居心地が悪くなったのでそんな曖昧な返事しかできなかった。一色はニコニコと楽しそうに笑っている。こういう時の女は怖い。旗色が悪いので「よっこいせ」と年寄り臭いことをいいながら立ち上がる。

 

「先輩は、今日はもう上がりですか?」

 

「そうだな。今日はもう授業ねぇし、バイトもねぇからスーパー寄って帰るだけだ。この後、タイムセールで卵が安くなるんだよ」

 

「うわぁ……主婦みたい」

 

「まだ専業主夫諦めてねぇからな。それに、今日は義輝と隼人は2人とも夜勤のバイトなんで、必然的に買出しと料理当番は俺になるってわけだ」

 

「へぇぇ……んじゃ、私もご一緒しますね」

 

「は? 駄目に決まってるだろ」

 

「えー。でも川崎先輩は偶に行ってるみたいじゃないですかー。先輩、えこひいきするんですか?」

 

 こう言われてはしまっては困る。あんまり男だけの家に女の子招くのよくないと思うんだけどね。……ちなみに沙希はアレだ。特別だ。何か最近では俺達のカーチャン代わりになっているまである。それに、あいつは弟が居るので俺達の扱いも心得たものだ。こいつを一度連れていって、入り浸るようになっても困る。高校時代も、何時の間にかあの部室に居るのが当然みたいな空気出してたもんなぁ。

 

「……仕方ねぇ。じゃあ、まず俺の買い物に付き合ってくれ」

 

「お、いいですよ。やっぱり先輩は私とお買い物デートがしたいってわけですね」

 

「違ぇよ。卵の1パック100円はお一人様一個限定だからな。お前が居れば2パック買えるって話だ」

 

「うわぁ……。それちょっと聞きたくなかったです。あんまり、女の子を幻滅させるような事言っちゃ駄目です。真実より優しい嘘をくださいよ」

 

「あれおかしいな。沙希に言った時は、目を輝かせて喜んだんだけどな」

 

「あの人はまた特別ですよ……」

 

 そんな会話をしながら俺と一色は大学を出て最寄のスーパーへと向かった。お陰で、卵を2パックを買う事ができた。後は夜の献立を考えるだけである。ちょっと怪しいキャベツが冷蔵庫に転がっていた気がするので、100円の袋焼きそばも買って置く。今晩は目玉焼きと焼きそばでいいだろう。後の問題は一色だ。

 

「なぁ、一色。お前男の裸って見た事あるのか?」

 

「は? なんですいきなり? 気持ち悪い」

 

 あら、今回は振られない。という事は素で気持ち悪いと思っているのだろう。俺の聞き方も悪かったけど、結構これもキツいね。

 

「ああ、悪かった。ほら、俺達の家って男3人暮らしだからな。格好なんか適当なわけだよ。義輝はほぼ半裸で家の中をうろつくし。あの隼人だって、お前が普段みているようなビシっとしたスタイルじゃ居ないぞ。そこんとこ大丈夫かなと思ってな」

 

 一色の脳裏に義輝の半裸が想像されたのだろう。顔が強張ったのがわかる。ついでに、隼人のイメージにも少しヒビが入ったようだった。

 

「つか、何で男の家ってあんなに汚れるんだろうなぁ」

 

「あー。食べ残しとか飲み残しをそのまんまとかにしちゃう人居ますよねー。後は、服とかが床に転がっていたりとかですよねぇ」

 

「それもあるっちゃあるんだけど。……なんか掃除しても縮れ毛が必ず出てくるんだよな。この前なんか漫画の隙間に挟まっててなぁ……」

 

 俺の言葉に一色の動きが止まった。口がパクパクと動いているが、言葉が出ないようだ。大方、よければ私が掃除お手伝いしますよーとでも言うつもりだったのだろう。それは申し訳ないので、このままずっと言わなくていい。そして、俺はダメ押しの一言を放つ。

 

「だから突然来られるとそういう迷惑がかかるかもしれなくてな。今日じゃなくて、別の日に掃除した後に来てくれると助けるんだけどなぁ」

 

「う……」

 

 決まったようだ。一色は力なく項垂れ、俺はこれを幸いにと距離を空けていく。こちらとしては一緒に卵を買わせた時点で8割ミッションは達成できたのだ。一色もいいように使われたという事は気づいているのだろう。だが、どうしても生理的嫌悪感というものは中々拭えないものだ。

 

「じゃあ、一色。また今度な」

 

 頭をぽんぽんと叩いてやり、踵を返そうとすると一色が顔を上げた。顔が少し赤くなっており、頬も不満げに膨れている。そして、怒りに震える瞳で俺を見据えた後指を差し、

 

「先輩のバカ! ボケナス! 八幡! はるさん先輩に言いつけてやるーー!」

 

 ありったけの罵倒をブチかました後、走って逃げ去ってしまった。ていうか、八幡って悪口じゃないからね。俺の名前だからね。そこに並べちゃ駄目だよ。ついでに、最後の方に不穏な名前があった気がするが気にしない。あれは天災みたいなもんだ。天才でもあるしな。仕方ねぇよ。寒いか。一色が走り去って見えなくなるまで見送ると、不思議と笑いがこみ上げてきた。やはり俺の後輩は大学生になってもあざと可愛い。そんな感想を胸に抱きながら俺は薄く笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話:やはり俺達の飲み会は間違っている(前編)

「八幡、隼人君も久しぶりだね!」

 

 この日、俺の目の前に天使が降臨した。名は戸塚彩加という天使だ。高校の頃より少し背が伸びたようだが、その可愛さに陰りは一切無い。つるっとした肌には髭すら見えない。マジで「実は女の子だったんだよ、八幡」なんて言われた日には、速攻大学辞めて就職して一生養うしかないまである。こんな汚く、むさくるしい家に招くのは本当に申し訳ないが、彩加が来たいというなら仕方が無い。午前中はめんどくさがる隼人と義輝を説得して3人で大掃除もした。

 

「久しぶりだな、彩加。ちょっと体の線が太くなったな。まだテニス続けてるんだっけ?」

 

「うん、まだ現役だよ。隼人君もサッカーはまだやってるの?」

 

「いや、俺はもうあんまりやってない。偶にフットサルをやるぐらいだな。今は、バイトばっか忙しくてさ」

 

 何だか彩加と隼人がいい雰囲気で面白くない。スポーツの話になると俺は全くついていけない。何か、家から出ずに出来るスポーツってないかな。でもそれスポーツじゃないね。今日は、給料日という事もあり久しぶりに皆で集まろうかという話になったのだ。俺達は普段一緒だが、地元に残った彩加とは中々会うことは多くない。それに、引っ越し祝いもやってなかったので、偶には男だけで集まって飲もうという事になったのだ。もう半年以上経ってるけど、彩加がやりたいなら何時でもその日が記念日。これが真理。

 

「八幡も元気そうだね。ちょっと背が伸びた?」

 

「あーどうだろ。よくわかんねぇや」

 

「相変わらず自分の事には無頓着なんだね……。義輝君は?」

 

「あいつならバイトだ。多分、もう少しすれば帰ってくるんじゃねぇかな。あと少し待っててくれ」

 

 俺の言葉に彩加は一瞬驚いたような顔を見せ、その後溢れんばかりの笑顔になった。え、俺何か変な事言った? まぁ、可愛いからどうでもいいや。隼人も苦笑を隠せないようだ。ニヤニヤしながらこっちを見ている。お前は何なの? 喧嘩売ってるの? 

 

「いや、昔の八幡だったら義輝君なんか待ってないでさっさと始めるなんて言いそうだったからさ。八幡も少し大人になったね」

 

「……いや、その……違ぇよ」

 

「ま、そういう事にしといてやるかな。とりあえず、中行こうか」 

 

 そんな事を言いながら隼人は中に入っていった。うわぁ、何かすげぇ納得いかねぇ。その後、近況なんかを話しながら義輝の帰宅を待つ。彩加はスポーツ系の大学に進んでおり、俺たちの中では進路の毛色が少しだけ違う。ちなみに、義輝は文学。隼人は経済学といった感じだ。人体の構造やら筋肉やら何やら俺には難しい話をしながら、俺の体を触ったりしちゃ……ああああああ何で今度は隼人の方に行っちゃうの……。

 

「隼人君はやっぱり体つきがしっかりしていていいね」

 

 くそぅ。八幡体鍛える。彩加に素敵な筋肉だねって言われるボディになる。そんなこんなで悔し涙を流していると、義輝が帰ってきた。汗だくでふぅふぅ言いながら紙袋を下げている。室内の気温が5度ぐらい上がった気がするが、俺達はもう慣れているので気にしない。

 

「おお、彩加殿よく来たな。これ、お土産である」

 

 義輝が持っていた紙袋の中には10年以上前に発売されたゲーム機が入っていた。俺達が小学生の頃にとても流行ったものだ。4人で対戦するゲームが特に多く、当時の小学生達の間では学校内最強決定戦やら、放課後は毎日トーナメント表を作って、対戦していたものだ。

 そしてお察しの通り、俺はCP対戦した事しかない。そもそも、我が家にはそのゲーム機こそあったものの、小町が連れて来た友達とやる専用のものであり俺は小町が気が向いた時のみ使用を許可され、尚且つお兄ちゃんとして接待プレイを余儀なくされていたものだった。

 

「八幡。アンタ友達居ないんだからこんなゲームやっててもしょうがないでしょ。勉強しなさい」

 

 ちなみにこの台詞が俺が母親に言われた事で一番泣いたものだった。事実とはいえしょうがないが、もうちょっと言い方あるんでないのお母様……。勉強しなさいだけでいいですやん。といったわけで、俺は義輝が持ってきたゲームの全く良いイメージが無いわけで。

 

「義輝。今度はどこの女にこのガラクタを10万円で買わされたんだ?」

 

「違ぁぁぁう! これは我がバイト先の盟友である、フリーターの先輩から引っ越すしもういらないからと無理矢理押し付けられて……」

 

 おい、剣豪将軍は何処へ行った。今日も辛いバイトだったのだろう。何時もよりキャラのブレが激しい。そして、リア充組である彩加と隼人は懐かしそうな顔でゲーム機を眺めている。こいつらはきっと友達の家でやったりしてたんだろうなぁ……なんて思う。同じような場所に生まれて、同い年なのにこの差は一体何なの? そんな俺の切なぃ心情を察してくれたのか、彩加はゲーム機から目を外した。

 

「まぁ、これは後にしてさ。とりあえず皆揃ったことだし乾杯しよ」

 

 やっぱり彩加は天使。俺の永遠のヒロインである事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飲み会がスタートした。俺達の飲み会スタイルは少しだけ変わっている。というか、これしか選べない。まず、ビールは1人一本まで。金がない。ついでにあまり腹にたまらない。どちらかというと、俺達はおつまみに金をかけるタイプだ。何故なら共同生活を始めた頃、この家の床下に埋まっていた梅酒を発見したのだ。しかもかなりの量があり、味も良かったので俺達も暫くした後、皆で自家製梅酒を作り始めた。その甲斐あってか、酒にはあまり困っていない。

 

「八幡、この梅酒美味しいね。凄い熟成されていて、とても甘いや」

 

「何時作られたか不明なものだからな。昔、大家さんの親戚が作ってたらしいけど、勝手に飲んでくれって言われてそれっきりだ」

 

「これ、誰が最初に飲むかで凄い揉めたよな……」

 

「うむ。そうであったな。確か男気じゃんけんをやって、一発で勝った隼人が震えた顔で飲んでいたような……」

 

「あはは。でもこれ当たりだよね」

 

「いや、でも彩加。中には腐ったのもあったんだぞ。一本目が美味くて調子乗って他のも空けたら腐った奴でなぁ……。全員でトイレの奪い合いになったりしたな……」

 

「ああいう時、人間の本性でるよな。まさか、隼人が我を突き飛ばしてトイレに駆け込むとは思わなかった……」

 

「仕方ない。俺はキャラ的に漏らせない立場にあるからな。大体お前らだって、トイレットペーパー隠したり、自分の番には焦らしたり酷い事しただろ」

 

 こうして思い出してみると、色々とバカな事をやった思い出もある。当時は必死すぎて気がつかなかったが、今思えば笑い話だ。最終的には沙希に泣きついて薬を持ってきて貰ったり、看病して貰ったりと本当に酷かった……。あの時から沙希のカーチャン化が始まったとも言える。そんな話を彩加は何処か物憂げな表情で聞いていた。その横顔がとても色っぽい。思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。つい何時もの癖で、懐を探って煙草を取り出し、火をつける。そして、不味いという事に気づいた。

 

「あ、すまん。彩加。煙草大丈夫か?」

 

「ううん。大学にも吸う友達居るし。大丈夫だよ」

 

 彩加が俺が煙草を吸うのをじぃっと見ている。え、何なの? ついに俺に惚れたの? でもなぁ……副流煙もあるし、あまり彩加の近くでは吸いたくない。他の2人ならどうなろうがし知ったこっちゃないけどな。それに、こいつらも意外と吸ったりするのでお互い様だろう。

 

「八幡達、貧乏だって言ってるけど、煙草吸うお金はあるんだね」

 

「ふふん。甘いな彩加殿。これらは全部試供品なのだ。我らにそんな金あるわけないだろう!」

 

「スキー場とかイベント施設でバイトすると結構貰えたりするんだよ。それに、煙草会社のサイトに会員登録をしたりすると、偶に試供品が送られてきたりするんだ」

 

「ちなみに、どうしても買いたい時は手巻き煙草を買うんだ。あれは、安いから半額ぐらいの値段で吸える」

 

 恐ろしくどうでもいい事で胸を張る俺達。本当に貧乏人には辛い時代になった。ちなみに、俺達3人に煙草の味を覚えさせたのはどこぞの女教師である。高校卒業して偶に挨拶がてら飲みに行ったりするが、兎に角面倒くさい。酔っ払って窓ガラスに映った自分に話しかけたり、一緒に煙草吸うまで放してくれなかったり、隼人を横に置いて壁ドンをさせたりとやりたい放題である。ちなみに、あの人の煙草に火をつける時の作法があり、俺達が火のつけた煙草を咥えて、先生の火のついていない煙草に当ててまるでキスをするような形で火をつけてやらなければならない。わかりやすく言えばレヴィとロックがやってたアレ。先生の憧れらしい。

 

「八幡達、本当に逞しくなったね。あのさ……。僕も一本貰っていいかな?」

 

 は?と俺達は目を丸くした。まさか彩加がこんな事を言い出すとは夢にも思わない。彩加も、自分の言った言葉が上手く伝わってないのに気づいたのだろう。顔を赤くしながら、下を向き小さな声でぽつぽつと語り始めた。

 

「僕ね……。こういうなよなよした外見だからかな。こういうさ。男だけでわいわい隠し事やったりする事の仲間には、何時も入れて貰えなかったんだよね……」

 

 男子といえば格好をつけたがる生き物だ。慎ましく生きてきた俺でさえ、そういった思いを全くしなかったわけではない。俺なんかは違うベクトルで変な日記をつけたりしたが。横に居るデブなんかも現在進行形で自分が一番かっこいいと思う事をやっている。普通の子なら、中学に上がったあたりでこっそりと髪を染めたり、煙草を吸ってみたり、喧嘩をしてみたくなったりするものであろう。彩加も性別的には男性なのだ。表には出さないこそ、そういう思いがあってもおかしくはない。だが、外見で仲間に入れて貰えない。目の前に吊るされて、それに触れないという事はどれほど酷な事なのだろう。俺も経験がある。

 

「だからさ……。僕も、仲間に入れて欲しいな」

 

 酒の効果か、目が少し潤んでいる。はたまた違う何かだろうか。こんな煙草を一本吸うぐらいで何があるというのだろうか。だが、それは俺の主観でしかない。彩加にとっては自分の殻を破るような儀式みたいなものだろう。瞳から覚悟を感じる。俺が何も言えないでいると、隼人が煙草を一本取り出し、口に咥える。義輝も察したようで一本口に咥えた。そして、俺も持っていた箱から一本取り出し、彩加へと渡した。「ありがとう」と礼を口にした彩加は、煙草を咥える。正直、全く似合っていない。

 

「別に、こんなん吸った所で仲間になるとかねーっての……。なんつーかその、アレだ。高校の時から……仲間だったろ……」

 

「うわぁ、出たでござる捻デレ。しかも男に」

 

「彩加。八幡の言う通りだよ。流石、特に理由もなく仲間に入れて貰えなかった男は良い事言うな」

 

「違ぇよ! 違ぇから! 一応キモいとか根暗とか理由はあったからね!」

 

「八幡……自分で自分のフォローぐらいしようよ……」

 

 彩加の言葉に義輝が笑う。釣られて、隼人も笑う。俺も自分で言って面白くなったのか笑ってしまった。昔は、笑われる度に死にたくてしょうがなかったが、今ならわかる。──こういう風に気持ちよく笑われるならば、とても心地が良いものであると。それがわかって良かった。心の底からそう思う。

 

 

(後編に続く)

 

 

 

 




前編です。
戸塚彩加については自分は男性だと思っていますのでこういう話になりました。可愛いし、何より可愛いですけどね。
後編は猥談となる予定ですが迷っています。
自分が大学生の時は飲み会というと猥談ばかりだった記憶があります。
原作でも八幡は女体には興味がある描写がありますが、実際猥談するかはわかりません。
一応、次回はキャラ崩壊注意という事でお願いします。


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第5話:やはり俺達の飲み会は間違っている(後編)

※キャラ崩壊注意回。


 

 

 

 

 

 全員で一服を終えると弛緩した空気になった。ちなみに彩加は半分も吸えていない。末永く吸わなくてもいい。八幡は今更辞められないので吸う。俺が辞めたら誰が先生と一緒に煙草吸ってあげるんだよ(使命感)一通り飲んで食って腹も膨れたので、義輝が押し付けられたゲームを4人で始めた。何故か妙な緊張感がある……。生まれて初めて、他人とゲームを一緒にするのだ。マジで字面にすると酷いねこれ。おい、隼人。哀れんだような顔して笑うのを辞めろ。義輝は暑苦しいから向こうへ行け。彩加はそのままの君ででいてくれ。

 

「しかし八幡。弱いのぉ……マジで引くぞこれ」

 

「仕方ねぇだろ。生まれてからずっと、CPU対戦か妹への接待プレイだぞ。強いわけねぇだろ」

 

 しかし、あまりに俺が弱すぎてゲームにならない。対戦しても弱い。共闘しても足を引っ張る。あれ、本当に孤高の雑魚って感じですねこれ。良い要素が一つもない。流石の彩加もフォローできないらしい。苦笑いを浮かべている。隼人なんかは義輝よりも強い。顔でも負け。スポーツでも負け。勉強でも負け。ゲームでも負ける。良いとこねぇぞ義輝。俺もか。

 

「つか、隼人本当に強いな……」

 

「……俺の場合、相手が相手だったからな……」

 

 遠い目をして隼人がぼやいた。それだけで俺と義輝は「ああ……」みたいな感じになった。こいつの上には更なるパーフェクト超人が居るのだ。奴がゲームでも遅れをとるとは思えない。しかもあの性格だ。負ける度に罰ゲームだとか何だとかほざいて酷い事をしたに違いない。本当に奴と幼馴染じゃなくて良かった。彩加も俺達の反応もあってか、大体わかったようである。そのまま、4人でだらだらとゲームをやりながら会話をしていく。最近こんな事があったとか、どんな本が面白かったとかそんな取り止めの無い話。そんな話をしていると、

 

「3人は、最近気になる女の子とか居ないの?」

 

 彩加がそんな事を口にした。俺の頬が一瞬強張る。だがすぐに弛緩し、何時ものやる気のない顔に戻った。自慢じゃないが、"あれ以来"色恋沙汰とは無縁の生活を送っている。隼人も自分が一緒に居るグループから特定の誰かを選んではいない。しかし、昔と違って何かを追いかけているようではなく、優先順位を決めているようにも見える。何かを成してから、みたいなそんな態度を一緒に暮らしていて感じる。義輝はまだ例のメイドの心の傷が癒えていないので当分そういう事もないだろう。俺達の態度で大体感づいたのか、だがしかし彩加は更に話題を続けた。 

 

「じゃあ、最近話した中で一番印象に残っている女の子とかは居る?」

 

「鬼」

 

「悪魔」

 

「大魔王」

 

 質問の答えには全くなっていないし、おおよそ女の子につけられるような単語じゃないが、俺達の中には共通の女性の顔が頭に浮かんでいた。先ほども一瞬話題に上がりかけた雪ノ下陽乃さんだ。鬼、悪魔、大魔王、暗黒大将軍とロクな仇名がないとても綺麗で性格の悪い女だ。色々あって俺達が高校を卒業してからは少しだけ改心したようだが、それも雀の涙程だ。偶に我が家に来ては、暴虐の限りを尽くして帰っていく。

 

「ははは……ああ、うん。誰だかわかっちゃった……。でも、とっても綺麗な人だよね。この前会ったけど、スーツ着てて凄く色っぽくなってたよ」

 

「綺麗だけどなぁ。あの人間性を知ってると"もう"何とも思わないんだよな」

 

「あれで心も綺麗だったら良かったのになぁ」

 

「我、あの女だけには欲情したくないなぁ……」

 

「何か3人とも陽乃さんに厳しくない!?」

 

 仕方が無い。全て身から出た錆なのだ。俺が1人うんうんと納得していると妙に神妙な顔で隼人がぼそりと呟いた。

 

「エロいと言えば……何か最近、沙希が妙に色っぽい時がないか?」

 

「うむ。我の前で普通にエプロンつけてるのとか見ると、何かこう、偶に来るものがあるよの」

 

「沙希ちゃん出てるとこ出てるし髪も綺麗だもんねぇ……」

 

 隼人の言葉を皮切りに、沙希ちゃん最近エロくねトークが始まった。隼人がこういった事を言うのは本当に珍しい。戸部達とこういう会話しなかったのかな? 妙に楽しそうだ。義輝もあまり女の話はしない。話したとしても次元が一つ違うし、他は2.5次元の人達ぐらいだ。後、彩加もこういう会話をしたかったのだろう。すっごい嬉しそうで俺までニヤニヤしてしまう。

 

「ふむ。確かに沙希殿いいよのぉ。……付き合ったら毎晩一緒にお風呂とか入ってくれそう」

 

「ああ、ありえる。沙希はきっと良い奥さんになりそうだよなぁ」

 

「そういった色気がまぁ全体を通して若妻感もあっていい。一色殿もああいうとこ見習えばいいのにのぉ」

 

「いろははなんていうか……空回りしてそうだよな。エロい雰囲気にしようしようみたいな感じで盛り上げてくれるのに、こっちは冷めてくみたいな」

 

「一色殿に、一緒にお風呂入りましょうとか言われても裏を疑ってしまうな……」

 

「一色さんはちょっと小悪魔的な所があるもんねぇ。でも、付き合ったらいっぱいベタベタ甘えてきてれくれそうでいいよねー」

 

「まぁ、それもあるが俺は一色はどちらかというといじめたい派だからなぁ。彼女っていうのは何ともわからんなぁ……」

 

 俺の言葉に、隼人達がシンと突然静まり返った。八幡覚えてるぞこれ、皆でわいわい楽しく話してたのに俺が話すと急に会話が止まるってやつだ。マジで何なのあの現象。3人で顔を合わせてひそひそと何かを話し始めた。やめろよそういうの。小学校の頃を思い出しちゃうだろうが。

 

「ねぇ、八幡。一色さんの事ってどう思ってるの?」

 

「あぁ? なんつーか、手のかかる後輩ってイメージだな。まぁ、要所要所フォロー入れてくるし、態度悪いけどふざけた事はしねぇから良い奴だとは思ってるけど……」

 

「では、八幡よ。沙希殿の事はどう思ってるのだ?」

 

「沙希はぼっち仲間で、最近じゃ俺達のカーチャンみたいな感じだな。まぁ、でも可愛いと思うし、俺を引っ張ってってくれるのはありがたいとは思ってるけど……」

 

「そうか。じゃあ、陽乃さんはどうだ?」

 

「鬼、悪魔、大魔王って感じだ……。まぁ、でも……偶に真面目に進路の話とかしてくれるのは有難いし。能力面では結構尊敬している所あるけど……」

 

 俺の言葉に満足したのか再び3人はひそひそと話し始めた。……俺にだってわかっている。陽乃さん達が俺の事をどう思っているかぐらいは。だが、俺も問題は何も解決していない。かつて、俺は2人の女の子に好意を寄せられて最悪な行動を取ってしまった。どれだけ心を傷つけてしまったかはわからない。とても大切な人達だった。ずっと一緒に居たいとさえ願った。あの選択は正しかったのか、間違っていたのか後悔はしているが俺は未だに答えを得ていない。だから、もう間違えたくないのだ。あんな思いをするのはもう御免だ。都合の良い事を言っているのはわかっているが、もう少しこのままで居たいのだ。

 

「ごめんね、八幡。ちょっと突っ込んだ事聞いちゃったね」

 

 俺の表情から察した彩加が申し訳なさそうな顔で頭を下げた。やはり、彩加は優しい。義輝と隼人はもう少し神妙な顔をしようね。ぶっ飛ばすぞ。俺が隼人と義輝を睨んだのを彩加は不安に感じてしまったようで、何とか話題を変えようとし、とんでもない事を口走った。

 

「あ、あの……その……あ、そうだ! 3人とも、忘れてたけど、平塚先生って異性としてどうかな!?」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………うん。変な事聞いちゃって本当にごめんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飲み会も終わり、良い時間となったので今日はお開きとなった。

 俺も義輝も隼人も自室に戻ってそれぞれのベッドに入っている。彩加も居間に彩加用の布団があるので、それを敷いて貰って寝ている。そして、俺はというと暗闇の中でずっと目を見開いていた。今日は珍しい事も話した分、俺がずっと目を背けて来た事を、もう一度考えなくてはいけないと思ってしまうような事も話した。恋愛感情。かつて、俺には縁がないと思っていたもの。二度と勘違いしないと誓ったもの。結局、勘違いではなかった高校時代は、それが原因で一番大切なものを壊してしまった。

 

 雪ノ下雪乃

 由比ヶ浜結衣

 

 とても大事な2つの名前。高校二年の終わりから、俺達は3人で居たのが2人と1人になってしまう事が余儀なくなってしまう関係に陥ってしまった。考えに考え抜いた。無垢な何の含みの無い好意を伝えてくれた由比ヶ浜結衣。強く儚く、触ったら崩れ落ちてしまうようだった雪ノ下雪乃。俺は、2人の事を優先とした。雪ノ下と由比ヶ浜がずっと2人で仲良くやっていける道を選んだのだ。自分の気持ちを殺して、何も考えないようにして──そして、俺は自分の気持ちがわからなくなった。今では、彼女達の事をどう思っていたのか、よくわからない。決別をした日以来、顔を合わせない。彼女達が、今、何処で何をしているかもわからない。

 

「………………」

 

 そうして心に蓋ができて、俺は義輝と隼人と新しい関係を築く事が出来た。沙希や一色や陽乃さんとも、昔とは違う関係を築きつつある。きっと、それは喜ぶべきなのだろう。もはやぼっちでもない、新しい自分に変われたという自負もある。かつて、あれだけ変わることを嫌悪していた俺だというのに。そんな俺が自分が変わったからといって、再び過去をどうこうするというのは、酷く傲慢で、醜い願いだ。身の程を知れ、と自分を自制する事で、俺は今日もこの暖かい日常に溶かされていく。"このまま"を願い、逃避を続けながら──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、魔王襲来編。


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第6話:やはり俺は今後も魔王に勝てそうにもない。

 

 

 

 

 男たるもの、引けぬ戦いがある。

 誰かを守る為。泣いている人間の涙を止める為。自分のプライドの為。そして、俺達は自分の生活の為に戦いを挑んだ。俺達はただ己の後先を考えず、ほんの少しばかりの幸せを願っただけなのだ。──美味しいお肉を腹いっぱい食べたい。現代社会においてはとてもささやかで慎ましい質素な願いだろう。残ったお金、一万と2千円。俺達をそのお金を三分割して、早朝のパチンコ屋の列に早起きして並んだ。今日は、新台の入れ替え日であるらしい。

 

「あんれーヒキタニ君ひさぶりじゃん。今、隼人君から聞いたけど、お金ないってマジ? んなら、明日川沿いにあるパチ屋行ってみ? 新台の日だからマジでっべーわ。俺なんか先月6万勝っちまってさー」

 

 昨日、偶々会った隼人の友人(ここ大事)の口車に乗せられて俺達は3人でパチンコ屋に行き、財布の中身をすっからかんにして帰宅した。おのれ、戸部許すまじ。そもそもパチンコやった事のない奴がいきなり行って勝つ事なんかありえるのだろうか。そんな疑問に対し、戸部の答えは「マジビギナーズラックっしょー」との事。というわけで、俺達は目の前の儲け話につられて、今月一文無しとなってしまった。俺達の本来の予定であれば、今頃焼肉屋に居る筈だったのに。給料日まで後3日もあるのに。

 

「……隼人。マジでどうすんだよこれ」

 

「ははは……。最近妙にあいつの羽振りが良かったから話に乗ってみたんだけど、俺達はギャンブルには向いてないみたいだな」

 

「冷静に受け止めてる場合じゃなかろう! 我ら、後3日もご飯食べれないの!?」

 

「つか、義輝。テメェなんか、アニメのスロット台につられて新台にすら座ってなかったじゃねぇか!」

 

「ひぎぃ!」

 

 俺は知っている。こいつが某女性しか動かせないロボットを、男が動かしてハーレムワッショイ的なアニメの台に座っていた事を。まぁ、確かに二組は可愛いからしょうがないよな。しかし、何はともあれ後3日何とか生き残るしかない。最悪、水だけ飲んでりゃ何とかなるでしょ。カロリー0だし。ダイエットコーラ飲んでるみたいなもんだ。ないか。

 

「先月も沙希に迷惑をかけたし、今月も頼るのは避けたい。……八幡、いろはは今どうしている? 仲良いだろ?」

 

「その誤解を招くような聞き方は辞めろ。一色の奴は、何だかサークルの連中と遠出してくるとか言って、どっか行ったから頼れねぇぞ」

 

「そうなると、義輝。お前のバイト先で頼れそうな人は居ないか?」

 

「我がバイト先でそんな人間関係築けるわけがないだろうが! こういう時こそ、眉目秀麗成績優秀八方美人の貴様の出番だろうが!」

 

「最後の嫌味だろ……。大体、葉山隼人が貧乏だからお金貸してくださいなんて言えるわけないだろ。俺だって、大学内にお前らみたいに気を許してる友達なんか居ないさ」

 

「使えないイケメン過ぎるぞお前……。高スペックの人間の癖に、縛りプレイで大学生活送ってるとかお前本当に何なんだよ……」

 

「そうだそうだ! それに我は知ってるのだぞ! 貴様、あの高校の時よくつるんでた金髪の女と再会したらしいな! あの女になら頼れるであろう!」

 

 義輝の言葉に隼人の動きが止まった。え、何なのこいつ。何だかんだまだ三浦と繋がってたの? 俺、全く聞いてないんだけど。聞きたくもないけど。それにしても、こんなに動揺している葉山隼人も珍しい。何時も浮かべている上っ面の笑顔がとれ、本気で悩んでいるような表情になった。

 

「優美子か……」

 

 無言で蹲りぶつぶつはやとが呟き始めた。一緒に生活してからある程度砕けた葉山隼人は見てきたが、こんな状況に陥ってるのは初めて見る。俺と義輝は無言で目を合わせると頷きあった。「三浦優美子」は禁止ワードな、と。ちなみに俺にも禁止ワードが沢山ある。でもこいつら気にしないから禁止もクソもないけどね。何なの。そんな隼人を2人で見ていると、義輝の携帯が音を立てた。

 

「ブモォッ!?」

 

 最初は興味なさそうな顔で携帯を開いて居た義輝が気色悪い悲鳴を上げた。あ、これ凄い嫌な予感してきた。そんな予感を覚えつつ義輝の端末を覗き込むと、そこには「鬼」とメッセージを送ってきた人物の名があり、本文には「これから行く」とだけ書いてあった。どっと冷や汗が噴出す。この状況で、こうなるか、事態は最悪だ。だが、希望の光も少しだけはある。とりあえず、今晩の晩飯には困りそうもない。未だうずくまる隼人に蹴りをいれ、俺は神妙な顔で呟いた。

 

「おい、緊急事態だ。雪ノ下陽乃が、今こっちに向かってるってよ……」

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下陽乃という人間は非常に苦手だ。

 元々は同級生の姉というだけの、人生で一瞬すれ違ったと思えばそのまま二度と会う事のないような関係の人間になる筈だった。それがどういうわけか「面白い」だの「見つけてくれる」だの抽象的な奴にしかわからないような表現で関係を強要され、今日までの付き合いに至る。大学を卒業し、一度平塚先生にあの腐った性根を拳で叩きなおされてからというもの人間性に若干の変化を見せたが、俺にとってはその変化は更に歓迎できないものだった。いや、マジで。俺たちの前であの分厚い強化外骨格を外してくれるのはいいんですけど、もうちょっと人としての限度ってもんがありますよね。といった感じだろう。

 

「いや、どうもお疲れ様です。陽乃さん」

 

「ん」

 

 玄関に現れた雪ノ下陽乃は有り体に言って不機嫌そうだった。ビシッとスーツを着込み、妖艶な色っぽさと共に、近づき難い風格も出している。昔から少し女性としては短めだった髪も、今では更に3センチ程短くなっており、どこからどう見ても仕事のできるお姉さんといった感じだ。少しボーイッシュな感じが出ているのに、これまた出ている所がきちんと出ているのもまた腹立たしい。陽乃さんは無言で両手に抱えた寿司やらピザやら高そうな酒が入った大袋を俺達に渡すと、どすどすと家の中に入り始めた。ここ、貴様の家じゃないからね。お土産のご飯なかったら叩き出してるからね。後、玄関までこれをもってきてくれたであろう運転手の都築さん。今日もお疲れ様です。数年前は、突然飛び出して申し訳ありませんでした。サブレが。

 

「は、はちまん……。我、大トロなんて食うの3ヶ月ぶりでござる……」

 

「こういうのがあるから憎みきれないんだよな……」

 

 子供の頃より、それなりに良い物を毎日食べていた隼人とデブの義輝は食べ物に弱い。俺は妹の手料理こそ至高といったタイプなので、あまりこだわりはない。やはり小町は女神。でも焼肉は食べたかった。しかし、食料危機から一転、この贅沢な晩飯である。隼人の言う通り、内容といいタイミングといい完璧である。だから俺達はこの人には勝てないのだ。居間に入って貰った食材やら酒やらを並べていると、奥の方で着替えた陽乃さんがラフな格好で戻ってきた。これで、可愛いパジャマでも着てれば笑えるのだが、それでも品格があるのがタチが悪い。隼人が気を利かせてワイングラスにワインを注いでやると、無言で受け取り、乾杯も何もなく思い切り煽る。

 

「────っぷは。うん、やっぱりこの仕事終わりの一杯が最高だよね。というわけで、久しぶりだね。男だらけのお家でお酒飲むなんて、お姉さんドキドキしちゃうぞ~」

 

 けらけらと子供のように陽乃さんは笑った。大学生の頃の笑顔とはまた違う、あどけない笑みだ。社会人になってからというもの、流石の雪ノ下陽乃も傍若無人には振舞えなかったらしい。先ほどのように更に強固な仮面をかぶり、女だからと舐められないよう親の会社で常に実績を上げる事を意識している。また、タチが悪い事に、大学生の頃の仮面の上に更に今の仮面をかぶっているらしく、時折休憩時間等に見せるギャップもまた、陽乃さんの人身掌握術の一つにもなっているらしい。隼人と平塚先生がそんな事を言っていた。まぁ、そんなクソどうでもいい事はおいといて、とりあえずいただきますといきたい。

 

「──はい。ストップ。この食べ物はまだ私の所有物だよ? 何で当たり前のような顔をして食べようとしてるのかな?」

 

 悪魔が牙を剥き始めた。ニコニコ笑いながら陽乃さんは大トロを一つ摘んだ。隼人と義輝の顔が強張る。

 

「陽乃さん。……俺にもご飯を頂けないかな」

 

「うん。隼人は随分と素直に頭を下げるようになったね。……じゃあ、はい、あーげた」

 

 隼人が誠心誠意頭を下げたにも関わらず、陽乃さんは楽しそうに大トロを上に掲げた。流石の隼人も本気でイラっときたのか固まった笑顔のままプルプルと震えている。笑ってはいけない。横を見ると義輝も我慢しているようだ。横目で隼人が睨んでくるが気にしない。

 

「私を満足させたり、楽しませてくれた人から食べていーよ。じゃあ、まずはヨッシーから行こうかな。何か面白い事をして?」

 

 隼人で遊んだのに満足したのか、今度は義輝をターゲットにしたようだ。義輝はしばし青い顔をした後、死にに行くような顔でライターの先を口に含み始めた。暫くもごもごしてたかと思うと、ライターを着火させ、そのまま俺目掛けて火を噴いた──って熱いわボケ。反射的に蹴りを放つと、見事奴の腹に入り、向こうも転げまわる。

 

「あははははは! ヨッシー、いいじゃない。……まぁ、前にも言ったけど、良い話を書きたいなら、ジャンルを問わず良い作品を見る事。そして、人を知る事が大事だよ。そして、人を知るには人の輪の中心に居る事が大事なんだよ。悪い部分も良い部分もきっとそれは君に蓄積されるから、そういった芸は人の輪に入るのに役立つからこれからも磨いておきなさい」

 

「は、はいでございます……」

 

 あんだけゲスい命令を出しておいてまともなアドバイスもする、これがニュー雪ノ下陽乃だ。何か知らんけど、最近どこぞの女教師と似ている所が多くなってきた気がする。ちなみに義輝がこんな芸をするのは初めてではない。会う度に宴会芸を強要され、泣きながらもこの悪魔の命令に従ってきた結果、今では俺らの中で宴会芸といったらコイツみたいなポジションを獲得してきた。ちなみに、ラノベの方はその成果があったのかどうか知らんが、最近ようやく2次選考ぐらいまでは進めるようになった。

 

「といわけで、ヨッシー。いっぱい食べなさい!」

 

「……え、あ、……ヒャッハー! 大トロだぜぇ!」

 

 先ほどまでの泣きそうな感じは何処へ行ったのか、寿司をガツガツ食べ始めた。コラ、まずはあったかいピザから食べなさい。後、ウニを全部食ったら殺す。義輝がガツガツ食いまくるので不安になってきた俺を楽しむように、陽乃さんはこちらを見ている。そして、形の良い唇を歪めると、

 

「じゃあ、八幡には何をして貰おうかなぁ……。うーん。どうしようかなぁ」

 

 見てくれだけは美人の陽乃さんに名前で呼ばれるとちょっとドキっとするよね。まぁ、怒気っともするんだけど。ちなみに、俺が隼人や義輝を下の名前で呼ぶようになったのもこの人が原因である。何だかんだでこの人は雪ノ下建設のご令嬢なので住宅業界にも顔が広い。俺達が都心のこんな良い物件を見つけられたのも彼女の手助けがあってのものだ。そんな人に、下の名前で呼ばないと家賃5万上げるよう仕向けるなんて言われたら呼ぶしかないでしょ。そんな感情を抑えつつ、俺は半ば諦めを含んだ声で懇願した。

 

「簡単なのでお願いしますよ……」

 

「仕方ないなぁ……。じゃあ、私の目を見て愛してるよ、陽乃って言って。そうしたら食べていいよ。あ、ご飯と私、両方食べても良いよ?」

 

 言えるか、ボケ。何とかその言葉を胸の奥にしまいこむ。危ない。晩御飯が完全に遠ざかって消えていく所だった。こうしてからかわれる事早数年、もはやお家芸とも言える。だが、この人が最近ちょっとマジでそういう気持ちをちょろちょろ出してくるようになったけど、鋼の意思で回避してる。だって、陽乃さん闇が深すぎて怖いんだもん……。

 

「いや、俺の愛してるは妹専用なんで……」

 

「えー。んじゃ、先に隼人でいいや。私に愛してるよって言ったら食べていいよ」

 

「愛してるよ、陽乃さん」

 

 ニコッと笑顔つきの隼人の愛してるよは俺が女子だったらその場で孕む程の破壊力があったが、男なので心底どうでもいい。また悪魔にも響かないようだ。「あーはいはい。ありがと」とつまらなそうな顔でコメントをするだけだ。隼人ももはや、陽乃さんの方を見る事もなく、ピザの箱を開け始めた。あの……僕の分残しておいてくれるよね。

 

「ほら、八幡。早くしないと無くなっちゃうよ」

 

 悪魔の計略は恐ろしい。隼人も追加する事で兵糧攻めに走り始めた。マジで人のする事じゃねぇよ。いや、でも言えませんよこれ。

 

「だから無理ですってば。他の事にしましょうよ。このままじゃ、お互い不毛でしょう?」

 

「そうだねぇ……。じゃあ、私といろはちゃんと沙希ちゃんの3人でずっと一緒に居たいと思うのは誰かな?」

 

「あっ。それなら沙希ですね」

 

「馬鹿」

 

 持っていたワインの瓶で顎を小突かれた。速い。そして痛ぇよマジで。沙希のカーチャン力を陽乃さん達は舐めすぎでしょ。一緒に居ると、本当に感謝しかないよ? 陽乃さんはそのまま俺を無視すると、再び食事に戻ってしまった。隼人も義輝もこちらを見ずに、黙々と食べている。あの、これ本当に僕の分あるんだよね? ネタだよね? 寿司だけに。すると、隼人も少し腹が膨れて余裕が出てきたのか、助け舟を出してくれた。

 

「陽乃さん。質問が悪いと思うな。八幡と一緒に居たいなら、こう聞くべきだ。──専業主夫になるなら、誰とがいいかと」

 

「……それもそうね。ねぇ、八幡。この3人の中の専業主夫になるなら誰と良い?」

 

「それなら、陽乃さんです」

 

 嘘ではない。これからの時代、夫婦共働きが基本となってくるだろう。流石に、俺も専業主夫はかなりキツいかなんて思い始めている。遅いってよく言われるけどね! そんな時代で女1人働いて養うならば相当の財産が必要だ。庶民の沙希や一色にそれはかなり荷が重いだろう。その点、雪ノ下家なら俺1人ぐらい全く平気だろう。凄いゲスい事を言ってるが事実だ。

 

「じゃあ、八幡は、大学卒業したら私の所が永久就職先だね」

 

「え、いや。まぁ……その前向きに検討だけはさせて頂きます……」

 

 日本語って便利! 検討だけはしたもんね。検討だけは(するとは言っていない)俺のそんな反応に少し驚いたのか、陽乃さんはじっと俺の顔を見つめた。この前彩加に見つめられた時には照れたのに今はすっごい怖い。何なのこの差。

 

「……ま、悪い変化じゃないしいいでしょ。何だかんだ楽しかったし、八幡も食べていいよ。それじゃあ、全員揃った所でもう一回乾杯と行こうか!」

 

「いや、乾杯してないし。アンタが先に1人で飲み始めちゃったし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達は明日も学校だが、陽乃さんは明日も仕事だ。責任の重さが違う。サボろうと思えばいくらでもサボれる俺達と違って陽乃さんはそうは行かない。というわけで食事会も速めに切り上げて、俺は陽乃さんに指名されて、駅まで送る係となっていた。この人襲う度胸のある人とか居るんですかね? 俺は怖くてできない。駅から少し離れた住宅街とは言え、人通りもあまり多くはない。基本的に、俺も陽乃さんも沈黙は嫌いではないので、2人して無言のまま駅まで向かっている。

 

「八幡。何かやりたい事が見つかったんだね?」

 

「え……」

 

「さっき私が養ってあげるって聞いた時の反応が、昔の君だったらもう少し違う答えが返ってきたかなって思ってさ」

 

「まぁ……そのまだおぼろげですが」

 

「えー何? 何? 教えてよー」

 

 近い近い近い当たる当たってるってば……となって離れたのは高校までの話。今の俺なら無言のまま多少前かがみになるだけで済む。AVコーナーに入るだけで歩けなくなった過去とは違う。

 

「すいません。最初にその事を報告する人はもう決めてるんで。陽乃さんには、その次にお話しますよ」

 

「……ふぅん。まぁ、一瞬女の影がチラついたけど許してあげる。その女も、私にとっては悪い女では無さそうだし」

 

 怖いよこの人。本当はサイコメトラーHARUNOとかじゃないよね? さっきおっぱい当てた時に読んだりしてるんじゃないよね? 何それ最高じゃない。幾らでも読み取って。とはいえ、ほぼほぼ当たっては居るので大体どういう事かはもう既に予想がついているのだろう。わざわざ口に出して言わない所が有難い。まだ決まってないし、恥ずかしいし。

 

「陽乃さんのそういうとこ、嫌いじゃないです」

 

「そう。有難う。ま。何かあったらお姉さんの所に相談に来なさい。後、隼人の事もよろしく頼むね」

 

「はぁ……。ま、俺に出来る事があれば協力しますよ。一緒に暮らしてるんだし」

 

 苛烈で攻撃的なのが雪ノ下陽乃の本性だと思っていたが、こういう優しい所もある。本当に、混沌とした人間だ。だから真意が掴めなく、怖い。だがこの偶に見せる、この人が持っている暖かさに惹かれるのも事実だ。そうこう話している内に、駅までついた。これで、この会話も終わりだろう。陽乃さんは「ここまででいいよ」とだけ言うと、俺から離れた。

 

「陽乃さん。終電大丈夫なんですか?」

 

「ああ、私そこのホテルもう予約してあるからここでいいよ。明日はこっちの方で会議があるしね。今日はそのついでってわけ」

 

 何それすげぇセレブ。俺も一度でいいからあんなでかいホテルに泊まってみたいと駅前のホテルを見上げた。絶対ビジネスじゃないでしょあれ……。

 

「何? 終電なかったら家に泊めようとしてた? いやらしい子ね」

 

「違います。流石の陽乃さんでも、この時期に野宿は危険でしょって話ですよ……」

 

 すると陽乃さんはニヤリと意地の悪い笑みを作り、こちらへと音もなく距離を詰めた。そして──

 

「──私だって、八幡と一つ屋根の下は恥ずかしくて寝れなかったりするんだぜ」

 

 耳元でそう囁くと手を振って逃げていった。いや、マジで反則だわあれ。周りの男が跪くのも無理ないわ。それ程までに、脳に響くような甘い声だった。暫く呆然と立ち止まり、俺は小さく呟いた。

 

「やはり、俺は今後も魔王に勝てそうにもないな……」 

 

 

 

 

 




あけましておめでとうございます。
今回で出したいキャラが出揃って第一部終了みたいな感じです。
暫く大学っぽい日常が続くかと思います。
仕事が始まったので更新頻度は落ちますがよろしくどうぞ。


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第7話:大学生が本気を出す時は大抵くだらない事が多い。

 

 爽やかな風が吹き、飛び散った紙片から「週末は文化祭」という文字が見えた。11月にもやるのに、世の中には6月にも文化祭を開いちゃうイベントが大好きな大学がこの世にはあるらしい。それ何処の大学? うん、俺の大学。とはいっても、サークルに所属していない俺には特にこれといってやる事もない。例年通り、家で過ごす。これに尽きる。ゼミの奴らが何かやりたいねーなんて話していたのが聞こえたが、俺には特に声がかかっていない。……計画倒れしたよね? 俺のみ抜きで何かやってないよね?別に奴らが文化祭を楽しもうが何でもいいが、これが教授も関わっていたりすると結構まずい。ただでさえ、協調性がないと呆れられているヒキタニ君の評価が更に下がってしまう。でも先生。それはヒキタニ君が悪いのであって、僕は比企谷なので関係ありませんなんて言い訳が浮かぶも多分通らないだろうなぁなんて思ったのでもう考えるのはやめよう。カロリーの無駄だ。

 

「………………」

 

 現在俺は家の居間で寝転んで初夏の爽やかな風を楽しんでいる最中なのだ。動くと腹が減る。そうすると食費がかさむ。だから動かない。なんて頭が良いのだろう。隼人も義輝もじっと動かず本を読んでいる。こいつらも同じ結論に至ったのか、かれこれ4時間無言で男3人がぴくりとも動かないという行為が続いているのだ。そんな事を考えていると、玄関のベルが鳴った。…………誰も出る気はないようだ。家賃も光熱費も払ったので大家さんが取り立てにきたり、電力ガス会社の社員でもないだろう。ならば無視をするに限る。俺達は無言でそう結論づけると、そのまま黙っているとドタドタと足音が聞こえた。

 

「あー! やっぱり先輩達、居留守使ってたー!」

 

 現れたのは一色だ。珍しく何時ものくっそあざとい格好ではなく、今日はTシャツにジーンズといったラフな格好だ。こんな一色初めて見たし、何だかんだで似合ってはいる。

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「ちょっと先輩達無視しないでくださいよー! 折角、可愛い後輩が遊びにきたんですよ?! もっとこう、歓迎ムードとかないんですか!?」

 

 そもそも何でこの家の場所を知っているのだろうか。大方、大魔王か沙希に住所でも聞いたんだろうが、やはり年頃の女の子が男だらけの家にくるのはあまりよろしくない。後、ごめんねいろはす。俺達もう、今週は一日一食で生活してるの。君の相手に無駄なカロリーを使ってる余裕はないのだよ。そう伝えたいが、口が動かない。だが俺とこいつの無駄に長い付き合いなら、アイコンタクトで察してくれるだろう。届け、俺のこの想い!

 

「せ、せんぱい……そんなに睨まないでくださいよぉ……」

 

 駄目かー。この腐った目じゃ駄目かー。睨んでないんだけどなー。もうどうしようもねぇなこれ。

 

「折角、差し入れ持ってきたのに……」

 

 一色が手にさげていた袋をいじりはじめた。中には、野菜が入っているようだ………………。野菜? ええ!? 野菜!? 久しぶりに見た! 隼人も一瞬目を丸くし、次の瞬間には立ち上がって何時もの爽やかうさんくさ笑顔を浮かべ始めた。

 

「やぁ、いろは。いらっしゃい。よく来てくれたね」

 

「うむ。よく来た一色殿! 今、氷水を用意するので少し待っておくがよい!」

 

「外は暑かったよなぁ一色。扇風機も持ってくるからちょっと待ってろよな!」

 

「何なんですか先輩達はもうーーーーー!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全くもう、先輩達はどういう生活してるんですか。一日一食だなんて。しかも、疲れるからってお客さんが来てるのに喋らないとか人として最悪ですよ!」

 

 ぷんすか怒りながら一色は俺達が差し出した氷水を一気に飲み干した。凄まじく適当なもてなしだが、後は、我が家にあるのは酒と煙草しかない。本当に人として最悪だなこれ。しかしまぁ、氷水を飲んでいくらか溜飲も下がったのか、先ほどまでの怒気は鳴りを潜めて、何時ものあざとスマイルが戻ってきた。

 

「しかしまぁ、この野菜どうしたんだ?」

 

「うちのサークルで貰ったものですよ。私1人じゃ食べきれないので、先輩達にもおすそわけです」

 

「最近のウェーイ系サークルは野菜盗んだりするの? すげぇなそれ。世紀末救世主伝説かよ」

 

「先輩、あんまりアホな事ばかり言ってると持って帰りますよこれ」

 

 一色の笑顔に言葉に義輝と隼人が焦ったような表情を浮かべ、俺を殴ったり蹴ったりしてきた。こいつらの目が割と本気なのが怖いし、痛い。

 

「見下げ果てたぞ八幡! 一色殿が窃盗なんかするわけないであろう! 大方、上京してきた農家の息子を誑かして貰ってきたのであろうに!」

 

「そうだぞ。いろはが盗みなんかするわけないじゃないか。まぁ、入手方法については俺達が知ってもしょうがないから聞かなかった事にしような」

 

「中二先輩も葉山先輩も怒りますよ? 前に言ったじゃないですか。私、農園部に入ったって!」

 

「聞いたか?」

 

「いや……」

 

「記憶にないでござる……」

 

 俺達の言葉に再び一色が頬を膨らませた。いや、だって普通に聞いてなかった気がするし。どこぞのサークルに入ったとはまでは聞いていたけど。そもそも農園部というものが一色とイメージが合わない。泥臭いし汚れるしネイルがどうたらこうたらと言ってるイメージならすぐに湧くんだけど。

 

「あれ? そうでしたっけ? ……まぁ、いいです。でも、意外と楽しいもんですよ。野菜作ったりするっていうのも」

 

「あーそうだな。ちょっと興味ある。実は俺達も近日中にもやしの栽培を始めようとしててだな……」

 

「うわぁ……貧乏くさい……」

 

 ちょっとこの子手のひら返しが凄いんだけど。自分のちょっと前の言葉を完全否定してるんですけど、ついでに「でも葉山先輩も作るならかっこいいですー」とかいうのもやめようね。

 

「それでー。実は、うちのサークルって今男の先輩達が就職活動で忙しいんですよー。元々、男の人も少ないですしねー。それで、週末の文化祭は女の子ばっかで困ってるんですよねー」

 

「そりゃあ大変だな。じゃあ、文化祭への出店は中止でいいだろ。うん、そうしよう」

 

「中止はしませーん。というわけで、どなたか1名、週末うちのサークル手伝いに来てくれませんかねぇ? ちなみに、先輩方がバイト休みなのは沙希先輩から聞いてま-す」

 

 とても清々しい笑顔で一色はそう言ってのけた。正直、面倒くさい。そもそも、俺や義輝がいきなり他所のサークルに行って馴染めるわけがない。正直、隼人も面倒くさそうな態度をしている。笑顔がぴくりとも動かないからだ。一緒に暮らすうちにようやくこいつの笑顔の種類がわかってきた。うんともはいとも言わない俺達の態度に業を煮やしたのか、一色は引きつった笑みを浮かべながら話を続けた。

 

「女の子いっぱい居ますよー。中二先輩、ハーレムですよハーレム」

 

「我、プリキュアの方がいい」

 

「……うう。葉山先輩、私がつきっきりでお相手してあげますよー」

 

「いや、そこは1人でも大丈夫だよ」

 

「…………ううう。先輩、来てくれなきゃ沙希先輩にいいつけてやる。はるさん先輩にも……」

 

「何で俺だけ脅迫なんだよ……」

 

 涙目で一色が睨んでくる。ああ……これは俺が行かなきゃいけないパターンじゃないですか。こいつの頼み事は本当に断りにくい。高校時代に色々引き受けすぎた。

 

「うううう! 誰か来て下さいよーっ!! 美味しいご飯もお酒もいっぱいあるんですからーっ!」

 

 その言葉がきっかけだった。俺達3人ははじかれたように距離をとり、お互いけん制を始める。愚かな一色め。最初からそう言えばいいものを。美味しいご飯と酒がただで食えるなら何だってしてやる。こちとらもう、かれこれ2週間はまともな食事をとっていない。隼人と義輝の目も血走っている。

 

「え……。ど、どうしたんですか先輩達?」

 

「いろは。手伝いは1人いればいいのかな?」

 

「あ、はい。1人いれば後は何とかなると思いますけど」

 

「じゃあ俺が!」

 

「我が!」

 

「俺が行く!」

 

 どうやら候補は1人だけのようだ。勝ち残ってまともな食事にありつけるのは1人だけ。ならば、こいつらを倒すしかない。しかし、三人が三人とも敵なのだ。迂闊に動いた者から殺られる。緊張が空間を満たし、張り詰めた空気が流れる。この中で一番ガタイがいいのは隼人だ。スポーツエリートなだけあってか、力も強いし背も高い。次いで、デブの義輝が体重というアドバンテージを持っている。そして、最弱なのが俺。何一ついいとこがない。定石であれば、一番弱いのから潰すだろう。俺だったらそうする。──だから、

 

「…………」

 

「…………っ!」

 

 義輝と一瞬目を合わせ、隼人に指を向ける。そして、一瞬だけ動く。俺が先に動いたフリをする事で、義輝から選択肢を奪う作戦だ。あいつも自分1人では隼人に勝てない事はわかっているはずだ。俺を先に倒したところで、義輝に待ってるいるのは敗北だけだ。あいつもバカではないので、俺とほぼ同じタイミングで隼人へと突っ込んだ。しかし、隼人も隼人で強い。義輝が全力でタックルしても、受け止めて押えつけている。運動部とデブでは話にならない。体力と体の筋肉量からして違う。2人がこう着状態になった所で、俺は手近にあったガムテープを手に取った。これで勝ちは決まったも同然。隼人を縛り付けるフリをして、義輝も一緒にガムテープで巻いていく。

 

「は、八幡貴様裏切ったなあああああああああああああ!?」

 

「バカめ。先に隼人に突っ込んだお前が悪い」

 

 2人とも力が強いので押えつけた後は念入りにガムテープを巻いていく。五周も巻いた所で、完全に2人は動けなくなった。更に、足をひっかけてころばしてやる。「ぶもっ!?」っと醜い音を立てて義輝が転んだ。下になった隼人が死なないといいけどと思ったが、かなり苦しそうだ。正直、いい気味である。あでゅー。怖いので、一応手も念入りにガムテープを巻いて一丁上がり。

 

「よし、これでいいかな。一色、週末は任せておけ。俺が農園部の手伝いに行って──ぐあああああああああああああ」

 

 背後から衝撃がきたかと思うと、体が壁に叩きつけられた。何時の間にか立ち上がった隼人と義輝が俺にタックルするような形で突っ込んできたようだ。手じゃなくて足を縛っておくべきだった。これは大誤算だ。しかも、こいつらの目が血走っている。マジでこのままじゃ殺されかねない。隼人と義輝の体重と壁の隙間に挟まれているのだ。苦しいなんてもんじゃない。段々と呼吸も苦しくなってきた。つか、何で俺達こんなくだらない事に本気になってるの?

 

「よくもやってくれたな八幡っ!」

 

「光になれえええええええええええええええええええええええええっっ!」

 

「うがあああああああああああああああああっ!」

 

 そして男3人が絡み合う不毛で、暑苦しい異様な光景に嫌気が差したのか、一色が悲痛な声で叫んだ。

 

「わかりました! 3人とも来ていいですから、もう止めて下さいよっ! 家が壊れちゃいますって!」

 

 こうして俺達の馬鹿馬鹿しい戦争は終戦を迎えた。衣食足りて礼節を知るという諺があるがやはりそれは間違っては居ない。

 




キャラも出揃ったのでだらだらとくだらない日常が続きます。


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第8話:人生で一番無駄な金を使うのは大学生の時期である。

 

 常に金が無い。金が無いと嘆いている俺達だが、今日は少し違う。そろそろ夏も近くなってきたが、節電のために未だに扇風機無しで凌いでいる俺達はハーフパンツに上半身裸というしょうもない格好で居間に揃っていた。年季の入ったちゃぶ台に置かれているのは、9万円という俺達にとっては、非常に大きな金額だ。無論、パチンコで勝ったわけではない。流石に3人がきちんとバイトをしているのに、毎月ああも苦しかったのは隼人が提案した毎月貯金という制度のおかげだ。月に、1人5000円出す事になっている。半年も経てばそれなりにたまるので、ここらで一発何か買ってみようかと思い、本日は会議が行われているのだ。

 

「というわけで、この9万円何に使うか? 先に言っておくが、缶コーヒーとフィギュアは無しの方向で」

 

 隼人が心の底から爽やかな笑顔でそう宣言した。マジかこいつ。ぶっ飛ばすぞ。……とは言ったものの、流石に9万円ともなると少し勿体無い気もする。義輝も同じようで納得はしていないものの、ムスっとした顔で頷いた。どうでもいいけど、こいつの上半身裸はちょっと気持ち悪い。

 

「うむ。……しかし必要な生活必需品はあるか? 一応、扇風機にテレビに冷蔵庫と一通りは揃っていると思うが……」

 

「そうすると、家電の買い替えは必要ないって事になるな。エアコンもぼろっちいけど、一応あるし」

 

「電気代が高いのが困るが、わざわざ買い換えてもそう変わらないだろうしな。俺達も来年は4年だし、ずっとここに住むとも限らないしな」

 

 来年はいよいよ4年生だ。年が明ければ就職活動なんかも必要になってくる。俺はおぼろげだが、具体的に進路は固まっている。義輝は出版社を受けるか作家を目指すかで迷っているらしい。隼人については全くわからない。親の仕事を継ぐのか、どうするのか。俺達にはまだ何も言わない。まぁ、俺も義輝と隼人に進路の事は話していないのでイーブンと言えばイーブンだ。まずは、あの人に報告してからこいつらにも話してもいいかな何ては思っている。

 

「そうだなぁ。というと、何かぱーっと派手に使ってみるのもいいかもしれんな。……たとえば、旅行とか?」

 

「珍しくいい事言うな。……ただ、お前らと旅行か」

 

「なんつーか、修学旅行の再来みたいな感じしかしねぇんだけど。女子に泣かれるわ。フられるわで散々だったわ」

 

「……あの時はまぁ、色々と迷惑をかけた」

 

 隼人が申し訳なさそうな顔でそう言った。昔は俺の事をあの件で色々とわかった気になって上から色々言ってきたが、今では違う。迷惑はかけたというが、謝罪まではしない。俺ももう全く気にしてないので、非常に不本意で気持ち悪い言い方だが、こいつも俺の事をわかってきたんじゃないかと思う。ついでに戸部と海老名さんは大学に入ってから付き合い始めたので俺としても体を張った甲斐があると言うものだ。戸部が真面目な顔をして俺に話に来た時は本当にびびった。

 

「そうだなぁ。隼人の所為で彩加と一緒にお風呂入れなかったから旅行もいいかもしれねぇな」

 

「そこは俺関係ないと思うんだけど……。強く出られない」

 

「しかし、4人で9万で京都はちと辛いの。……京都に行くなら卒業旅行でもいいし。また別口で金を溜めるのもアリではあるな」

 

「そうだな。旅行はそういった形にした方がいいかもな」

 

 こうなってしまっては、どうしようもない。3人で3万円ずつわけてもすぐにくだらないものに使ってしまうだろう。隼人なんかはバイト代の殆どが交際費で消えている。何回か飲みにいって終わりでは溜めた意味が全く無い。俺も俺で、ゲームか本かマッ缶に変わるかなのでこれもどうかと思う。

 

「高級焼肉に行くのもなぁ。この前、大魔王の気まぐれで連れてって貰ったばっかだしな」

 

「美味かったが、あそこまで高いと食欲が削げたでござる……」

 

「しかも陽乃さんの事だから何時気が変わって、やっぱ割り勘でーなんて言いそうだから怖いんだよな。実際、俺達のそういった反応見て楽しんでる所もあったからな」

 

「本当にどうしようもねぇ金の使い方だ……。そういや、その辺りにあの店の割引券あったよな?」

 

「うむ。確かこの辺に……」

 

 この家も最近一色の襲来を皮切りに来訪者が増えたので、お土産や私物が置かれる事が多くなった。大魔王は寝巻きを常備しているし。沙希も専用のエプロンがある。戸部も偶に来ては酒やらパチンコの景品やら海老名さんに見つかりたくないものを置いている。今度から、戸部だけ貸し倉庫みたいにして金をとるべきだろうか。彩加も寝巻きを置いていけばいいのになー。何なら彩加が着るまでに俺が着て暖めておくまである。伸びちゃうか。でもだぼだぼパジャマ彩加もアリだと思います。

 

「そういえば、あの割引券戸部にあげた気がするぞ。姫菜と一周年記念デートに使うから欲しいとか言ってたからさ」

 

「1周年記念のデートで割引券使うのかあいつは……」

 

「うむ。そのようだな…………。しかし、代わりになんか妙な紙が置かれているのだが……」 

 

 義輝が机の上に置いた紙には、黒にピンクの文字で色々と書かれていた。「60分8000円」だの。「若い子いっぱい揃えてます」だのと色々ある。どうやら、風俗の優待チラシらしい。今時こんなもん配ってる店があるのか……。どうやら、戸部が焼肉の割引券の代わりに置いていったもののようだ。どうするのよこれ……。何ともいたたまれない空気だ。興味はないわけではないが、口に出すのは気が引ける。

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 静寂が流れ、そして俺達は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● 

 

 

 

 

「来てしまったな……」

 

「うむ……」

 

「そうだな……」

 

 何故かわからないけど俺達は駅裏の繁華街に居る。何故かわからないけど、手には1人3万が握られている。本当に何故かわからないけど。だって仕方ないじゃない、男の子だもの。それに、これは社会勉強なのだ。そうだ。うん、そうだ。こんな事を家でもこいつらと話していたような気もする。隼人なんかは恥ずかしいのか、帽子を深くかぶって伊達眼鏡までかけている。じゃあ来なきゃいいのに。そんな感じの隼人だが、テンションは高いらしい

 

「……で、誰から行くんだ?」

 

「え、皆で行くんじゃないのか?」

 

「我、貴様らと待合室で一緒なんて絶対嫌でござるぞ」

 

 ネットで見た知識だと、まずこういった店は待合室に通され、そこで指名やらプレイ内容やらを決めてお金を払うらしい。義輝の言う事もまぁわかる。正直、こいつらにプレイ内容聞かれるのは確かに恥ずかしい。それに、誰を指名したのかなんていうのも、なんかこう、気恥ずかしい。普通の男友達ならここは盛り上がるんだろうが、いかんせん俺達は捻くれぼっちに中二病と縛りプレイ似非リア充なのだ。全員が全員とも少し面倒くさい。

 

「じゃ、まずは八幡から行って来いよ。一番手は譲ってやる」

 

「……は? 何で俺なんだよ。お前らから行って来ていいぞ」

 

「ふむ。臆したか……。まぁ、あんな美女達に迫られて逃げ出し続けている貴様には少し荷が重すぎたか」

 

 怒ってはいけない。ここで義輝の思惑に乗ってしまっては駄目だ。ギリギリの所で何とか心を落ち着ける。「お兄ちゃん、心を落ち着けて(裏声)」……よし、これでいい。

 

「彩加殿だってあんなに男らしくなったというのに、貴様はこれからも成長せんのだろうなぁ」

 

「……わかったよ! 行ってやるよ! 先に可愛い子頂くからな! 知らねぇからな!」

 

 ここまで煽られては行くしかない。特に、彩加を引き合いに出されては引くに引けない。あれだけ彩加も自分の殻を破ろうと頑張ってきたんだ。別にここで一番手を俺がきる位なんて事はない。むしろ地雷を引く確率が減って有利とも言える。義輝達の方はもやは振り返らずに、俺は繁華街の裏道を歩いていく。夕方過ぎたからか非常にガラが悪い。客引きはそこらに立っているし、ホテル前には外国のお姉さん方が煙草吸いながらわけのわからない言語を喋っている。ここ本当に日本? そして、俺は店の目の前にたどり着いた。ここからエレベーターで上がれば、もうそこは店の中である。……エレベーターのボタンを押す手が震える。

 

「………………くっ。し、静まれ俺の右腕……」

 

 何をやっているのだ俺は。まるでどこぞの中二病のデブじゃねぇかこれ。いや、これ無理でしょ? 緊張してボタン押せないもん。狙い定まらないもん。確か俺の座右の銘は「推して駄目なら諦めろ」だった筈だ。あちゃー駄目だこれ。ボタン押しても駄目だこれー。諦めるかー。仕方ないなー。それにこんな所を誰かに見られたらただでさえ評判の悪い俺の評判が更に悪くなっちゃうし、こんなか弱い俺がカツアゲやボッタクリにあっては警察さんの余計な仕事を増やしてしまう。うん、それじゃあこの国の治安維持の為にもこれ以上ここに居てもしょうがないからもう戻るか。そんなこんなで踵を返して店の前から離れると、近くで義輝達がニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 

「賭けは我の勝ちだな。100円だすがよい!」

 

「くそっ。八幡に期待した俺が間違いだった……」

 

 どうやら賭けをしていたらしい。後、隼人君ちょっと君言ってることおかしくない? 高校時代、何だかんだ君に期待されて色々やらされた気がするんですけどそれはまぁいいや。

 

「予想通りだったな。流石は理性の化け物(笑)と言ったとこか」

 

「まぁ、所詮は自意識の化け物(笑)って事だな」

 

「ぐっ……」

 

 しかしまぁヘタレはヘタレなので何も言い返せない。後、その(笑)本当に辞めろ。心の底からイラっとくる。ついでに君達、何でその仇名知ってるの? 陽乃さんが俺につけた不名誉な仇名だ。い、一瞬でもかっこいいだなんて思った事ないんだからね!

 

「そこまで言うなら、次は隼人行ってこいよ」

 

「うむ。次は隼人だな」

 

 義輝が一瞬で裏切ってこちら側についた。恐ろしい程の変わり身の早さである。隼人が焦った顔をするが、二対一では勝ち目がないと判断したのか、口を歪めた。大方、こいつがこんな話に乗ってきた理由は予想がつく。一緒に暮らし始めて半年だ。どれだけ取り繕っても葉山隼人も健全な男だという事は俺も義輝もわかっていた。表には出さないが女体には興味があるし、表には出さないが猥談も嫌いではない。そして、自分がモテる事も理解している。高校時代は特定の相手を作らないようにしていたようだが、大学に入って色々吹っ切れたのか三浦とも連絡を再び取り始めたのも知っている。

 

 そこで、問題になってくるのが"夜の部"でも"完璧な葉山隼人"を演じられるかどうかだ。俗説では「童貞可愛い」だの。「慣れてると逆に引く」だの。俺達を慰めるが如き意見もあるようだが、小町曰く「男性からのリードはしてほしい」との意見がある。俺の中で小町の意見は絶対なので俺はこの説が世間一般的だと考えている。……ていうか今気づいたんだけど、何で小町そんな事考えてるの? 誰かそんな相手いるの? もしくはもうしちゃったの? お兄ちゃん許さないよ。…………話が逸れた。まぁ、そんなわけで隼人も概ね同意見なのだろう。だが、自分だって初めてなので自信がない。だから、今回の事を良い機会と捉え、ここまで来たのではないか。

 

「行ってこいよ、隼人。そんなにビビるもんじゃねぇよ」

 

「かっこいいな八幡。さっき自分はビビって逃げてきたのにサラっとそういう事言えちゃうとこ、我マジドン引きするぞ」

 

「わかったよ」

 

 隼人が息をついて歩き始めた。その足取りにもう迷いは無い。胸を張り、何時もの葉山隼人らしい余裕をもった笑みを浮かべてエレベーターの前に立った。

 

「隼人の奴、良い顔してるな」

 

「うむ。ようやく吹っ切れたみたいであるな。あ奴らしい、とても爽やかな笑顔だ」

 

「…………あの笑顔がこれから曇るのは辛いな」

 

「…………うむ」

 

 俺達の視線の先。隼人の背後にこそこそと近づく影が一つ。エレベーターのボタンを押した隼人の背中を指で突き、振り返った隼人はにっこり笑う大魔王の姿を見て表情を絶望に染めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やーい、むっつりスケベ」

 

 開口一番、大魔王はそう言い放つと心の底から楽しそうにビールを飲み干した。あれから俺達は大魔王に連行されて高級中華料理屋に居た。大魔王があそこに居た理由は知らない。強いて言うなら、雪ノ下陽乃は何でも知っているとの事らしい。マジで我が家に盗聴器が仕掛けられているのかも知れない。今度義輝と一緒に探す事を心に誓った。隼人はというと、青い顔でブツブツ喋りながら下を向いている。学校の同級生とかならまだしも、相手が悪い。こいつにとっては陽乃さんは幼馴染なのだ。ショックはでかいだろう。

 

「隼人も男だったんだねぇ。お姉さんとても嬉しいなぁ。人形のようなつまらない男かと思えば、きちんと雄としても本能もあったみたいね。まさか、私の下着とか盗んでないよね?」

 

「するわけないだろ……」

 

 現在、隼人を玩具にして遊ぶのに陽乃さんは御執心だ。俺たちはといえば、矛先が隼人に向かっている隙に料理をガツガツ頬張る事しかできない。すまない、隼人。めっちゃ美味い。「邪魔しちゃったお詫びに好きなだけ食べていいよ」なんて言われたら全力全開で食べるしかない。ここで来週分ぐらいまでのカロリーはとっておきたい計算だ。

 

「ねぇねぇ、隼人。誰を指名する予定だったの? 四番のまなかちゃんなんて子は雪乃ちゃんに何処か雰囲気似てない?」

 

「知らないよ……」

 

「あ、じゃあじゃあどの子がタイプ? このなおちゃんとか? 隼人もギャルっぽいのが好きだねー。見て、パンツの色ピンクだよ?」

 

 正にサンドバッグ状態である。俺も北京ダックを食べてなかったら隼人の味方をしていたまである。漫画でしか見た事なかったけど、これホント美味いんだな。スマホで俺達が行こうとしていた店のホームページを見ながら、陽乃さんはひたすら隼人の心を抉り続けていた。あ、つばめの巣とアワビのスープはこっちでーす。義輝はこっち見るな。

 

「隼人モテるんだし、童貞何かその気になればすぐ捨てられるでしょ? 何でわざわざお金払って捨てる必要があるのよ」

 

「……どうでもいい相手としたってしょうがないし。葉山隼人がリードできないなんてありえないだろ。それで幻滅されたらどうするんだ」

 

 ……つばめの巣って味がないんだな。確か、栄養価がとてもいいとは聞いた事があったけどこれはマジだな。ただ、スープが抜群に美味いから何も気にならないけど。アワビの触感もいい。

 

「本当に好きな相手なら、それだって愛おしく思えるものよ。背伸びしなくたっていい。隼人が好きな子は、その程度で幻滅するような子なの?」

 

「それは、違うと思いたい」

 

「なら信じてみなさい。信じきれたら、きっとそれは本物だよ」

 

 スープを飲み終わるとふかひれの姿煮が運ばれてきた。いや、本当にこんなものを食べていていいのだろうか。明日からまた豆腐生活だと思うと泣けてくる。

 

「…………っ! 八幡」

 

「何ですか?」

 

 陽乃さんがイライラしたようにこめかみに指を当てて話しかけてきた。今ふかひれ食べるとこなんで邪魔しないで欲しいんですけど。

 

「今度は八幡にお説教だよ。あんな店で童貞捨てるぐらいなら、お姉さんの所に来なさいよ」

 

「いや……その結構です」

 

 しまった。俺に矛先が向いてしまった。ずっと大人しく黙々と料理を食べていたのに何故なのか。ハフハフモフモフうるさい義輝を先に糾弾すべきではないでしょうか。というか、この人自分がとんでもない事を言ってるのをわかっているのだろうか。陽乃さんは確かに美人だし、スタイルも良い。一生の思い出になるだろう。うわ、でも全く興奮しない。むしろリトル八幡は恐怖で縮み上がっているまである。流石は俺の息子。よくよく見ると、陽乃さんの目の前には大ジョッキが何時の間にか4つ程並んでいた。このままでは旗色が悪い。義輝は全く役に立たないので隼人に目線を向ける。俺の視線を受け取ると、爽やかに笑った。

 

「まぁまぁ、陽乃さん。そんな事言ったって。陽乃さんだってどうせ経験ないんでしょう? 八幡は、経験豊富なお姉さんが良いみたいだよ」

 

 ……何言ってるのこの子。何時もの空気読みまくるお前は何処へ行ったの? 空気読めないお前なんて本当にただのイケメンじゃん。……いや、イケメンならいいのか。ともあれ、陽乃さんの肩がびくっと揺れた。顔がやや下に向き、髪で表情が見えなくなる。これはいけない。助けて義輝。

 

「確かに陽乃殿は耳年増っぽいでござるからなぁ。何かシャワーとか浴びたらいきなり無言になりそうでござる」

 

 こいつも使えないいいい。何で陽乃さんを煽るの? 陽乃さんも陽乃さんであれの姉だし、絶対負けず嫌いだから。むしろ練習の段階で相手殺して勝っちゃうタイプだから。

 

「ゴムのつけ方とか知らなさそうだよな」

 

「そ、それぐらい知ってるもん!」

 

 駄目です陽乃さん。これは完全に負けパターンです。ここが完全個室で良かった。こんな会話を聞かれたら出禁になってもおかしくない。しかし、こんな陽乃さんは初めて見た。酒を飲ませたのが功を奏しているらしい。隼人も義輝も随分と飲んでいるので何時もより喉の滑りが良いらしい。

 

「しかし経験ない癖に俺にあれだけ上から言ってきたのか。そう考えると、本当に耳年増だよな」

 

「うう……」

 

「ハイパー超人のくせに性に関しては中学生レベルとか、素人の妄想レベルのSSに出てきそうなヒロインでござるな。我の小説にだって採用しないレベルだ」    

 

「ううう……」

 

 もう言いたい放題である。陽乃さんの肩がプルプルと震え、そして勢いよく立ち上がった。

 

「────っ! 覚えてなさいっ!」

 

 そう捨て台詞を残すとバッグを引っつかんで個室から出て行ってしまった。でででっでっででーはちまんたちはまおうをたおした。頭の中で勝手にファンファーレが鳴った。意外にもシモネタが弱点らしい。義輝と隼人は満足そうな顔で笑っている。言われて見れば、陽乃さんをやり込めたのは初めてかもしれない。

 

「初めて勝ったな」 

 

「うむ。快勝といったところであるか」

 

「仕返しが来なきゃいいけどな」

 

「あの人だって仕事が暇じゃないさ。とりあえず、初勝利に乾杯」

 

 隼人の音頭で俺達はジョッキを打ち付け、飲み干した後に再び食事を再開した。いや、高級中華とは本当に有難い。こんな高いものばかり食べて────

 

「…………なぁ、義輝。隼人」

 

「何だ八幡。辛気臭い顔をしおって、折角の高級中華が台無しであろう」

 

「そうだぞ。こんなもん、次何時食べられるかわからないんだから。楽しく食べなきゃ損だぞ」

 

「いや……そのな。陽乃さん逃げてっちゃったみたいだけどよ。………………こ、ここの支払いは誰が出すんだ?」

 

「あ……」

 

「あ…………」

 

 

 やはり俺達は今後も魔王に勝てそうにもない。ちなみにお会計は何とか足りて俺達の手元には1人100円ずつが戻ってきた。

 

 

 




次回は四月です。
自分も大学時代に使った無駄金は30万を超えると今では思います。
本当にくだらない事に金を使えるんですよね。
誤字脱字の指摘をしてくださる方々ありがとうございました。


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第9話:大学生ほどれっつぱーりぃが好きな生き物はいない。

 

 

 

 

 

 

 はっぴばーすでーとぅーゆー

 

 

 

 

 

 はっぴばーすでーとぅーゆー

 

 

 

 

 

 はっぴばーすでーとぅーゆー

 

 

 

 

 

 はっぴばーすでーでぃあ、はっちまーん

 

 

 

 

 

 はっっっっぴばぁぁぁすでぇぇぇぇとぅぅぅぅぅゆぅぅぅぅぅぅ

 

 

 

 

 

 

 大学構内のゼミの教室できゃいきゃいと女子達のかん高い声の歌が終わった。それぞれが「きゃー」だの「わー」だの「おめでとうー」と言っている。ふっと息がケーキに吹きかけられ、21本の蝋燭が消えたと同時に、また歓声が上がった。このゼミで二年ほど過ごしてきたが、最大級の盛り上がりだろう。しかし、俺はその歓声の外にいた。教室の隅で音楽を聴きながら教授が来るのを待っているのだ。そして、その歓声の中心にいるのが、

 

「ハッチマン。誕生日おめでとー」

 

 本日6月18日は同じゼミの留学生リアム・ハッチマン君の誕生日らしい。背も高くスポーツも得意。どこぞの隼人みたいに薄っぺらい笑顔も浮かべていない本物のイケメンだ。俺も最初は戸惑ったさ。教室に入ってみたら、ゼミの女どもが「はっぴばすでーでぃあはっちまーん」何て歌の練習してるから。一瞬、β世界線にタイムリープしたかと思った。でも世界線が変わる瞬間眩暈がしなかったから気のせいだよね。やはり俺の大学生活は間違っている~比翼恋理のだーりん~は永遠にプレイ不可ですか。そうですか。……………………もう帰ろう。

 

「ヘイ、ヒッキー」

 

 教室を出ようとすると、ハッチマン君に呼ばれた。彼は陽気で能天気な笑顔で親指をあげ「オツカレー」と言い、ニヤっと笑った。俺はそれに愛想笑いを返し教室を出る。同じゼミの女子達は俺の事はどうでもいいのか、顔も向けない。和製ハッチマン君の誕生日は8月8日だよ! 食べ物とお金だけくれればいいからね! どうでもいいけど、アホな奴ほど俺の事をヒッキーって呼ぶのは何なの? 運命石の選択なの? アカシックレコードにでも記載されてるの? ……もう何でもいいや。教授に会わないよう、周囲を見渡し脱出。やったぜ。今学期後1回しか休めないけど。今日はもうそんな気分ではないのだ。 大学を出てだらだらと家まで歩く。徒歩25分ほどだ。自転車は壊れて直す事ができないまま、3ヶ月の月日が流れようとしている。この道のりを歩くのも大分慣れてきた。家に帰ると誰の姿も無い。今日は、隼人も義輝も千葉に帰っているのだ。日曜ぐらいまでは帰ってこないだろう。そのまま、居間で寝転びゴロゴロしていると、ドアが開く音が聞こえた。

 

「……アンタ、こんな時間に何してんの?」

 

 久しぶりに沙希が来たので立ち上がって迎える。つか、大学生って基本時間に自由でしょ。こんな時間も何もないでしょ。まだ13時半だけど。

 

「自主的な休講だ。今日はもう気が乗らないから無駄なカロリーの消費を防ぐべくぐげべっ」

 

 殴られた。マジで痛ぇ……。会っていきなり気持ちいいショートフックをキめてくるとかこいつの将来が本当に心配だ。大志にもこんな事やってんだろうか……。

 

「はぁ……。またサボりか。……ま、いいや。アンタサボったって事はこれから暇でしょ? ちょっと付き合ってよ」

 

「おう。別にいいぞ。今日は何処のスーパーの特売に行くんだ?」

 

「今日は金曜だし何処もやってないよ。……そういや、アンタと一緒に行動するのって何時もスーパーばっかだよね」

 

「まぁ、お互い料理は嫌いではないからなぁ。俺が荷物を持つ代わりに、新聞をとれる財力を持つお前が情報を提供する。win-winの素晴らしい関係だしな」

 

「新聞とったら? まぁ、今ではネットで見れたりするけどさ」

 

「それはもう少し財政がよくなってから相談して決めるわ」

 

「そうね。じゃあ、行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 川崎沙希は異性の知り合いの中では一番一緒に居て苦ではない。絶対的なナンバー1を小町とするなら、ナンバー2は沙希である事は間違いない。かつてのあいつらよりも一緒に居て疲れない。何故ならお互いぼっちである。用事が無ければ喋らないし、無駄に気を使いあう事も無い。何故か連れて来られたバッティングセンターでも、お互い黙々とボールを打つだけだ。……うん、でも沙希ちゃん。さっきから俺よりカンカン打ちまくってるのは気のせい?

 

「何見てんの?」

 

 訝しげな視線を向けた後、再びバットを振る作業に戻る沙希。そりゃ見ますよ。何でいきなりバッティングセンターに連れてこられたのかもわからないからな。先ほどから行動を見ている限り、結構通いなれている筈だ。受付もスムーズに行い、俺に合うバットまで見繕ってくれた。一回や二回来ただけとは思えない。しかもその無愛想で不機嫌そうな雰囲気と金属バットが非常にマッチしている。その所為か、俺達のブースの周りだけ不自然に人が居ない程だ。

 

「よく来るのか?」

 

「まぁね。ストレスが溜まった時に偶に来てる。家からも近いし」

 

 沙希はこの近くにあるアパートに1人で暮らしている。親戚のツテのある物件らしく、格安で借りられるらしい。当初は、進学を渋っていたものの大志が就職を希望してたので最終的には進学したらしい。そんな大志君も今では立派な公務員。小町の進学を機会に遠距離となったので、このまま永遠にくっつかなければ俺の勝ちだ。社会的には完全敗北してるけど。

 

「お前でもストレスとか溜まるんだな」

 

「どっかのバカ男達によく呼び出されるからね」

 

「心の底からすいません」

 

 ここ数年で沙希には頭が上がらなくなっている。餓死する所を助けて貰ったり、変質者と間違えられた所を助けて貰ったり、二日酔いの介抱をして貰ったりと借りが多すぎる。しかも理由がいちいち酷い。そのままお互い無言でバットを振る時間が続いた。こちらもこれでストレスが溜まっている。10球きて上手く当たるのは2球ぐらいだが、良い音がして飛んでいくのは気持ちが良い。つか、沙希ちゃん。は10球あれば10球とも良い当たりをしているけど。この人、どれぐらいここに通ってるの。これから沙希を怒らせてしまった時には、周囲に棒が無いかすぐに確認した方がいいねこれ。とはいっても、ずっと2人とも無言で居るわけでもない。偶にぽつりぽつりと会話ぐらいはしていく。

 

「アンタ、夏休みは実家帰るの? けーちゃんが会いたがってたんだけど」

 

「きっとバイトじゃねぇかな。就活も始まるし、貯金少し多めにするために住み込みでバイトするかみたいな話も今上がってんだよ」

 

「それもそうね。まぁ、暇だったらウチに顔出してよ。きっと喜ぶからさ」

 

「ああ、小町が兄離れした今、けーちゃんで妹成分を補充するしかないからな」

 

「…………バーカ」

 

「馬鹿じゃねぇよ。こっちは本気だよ」

 

 成長して小学生になった川崎京華の可愛さはかつての小町に匹敵するレベルになっている。俺自身、抱きつかれたりするとクラっときてしまうほどの中毒性があるのでここ数年あまり近寄らないようにしているのだ。このまま行くと沙希と結婚して本当にお兄ちゃんになってしまいそうなぐらいヤバい。それぐらいの妹力が今の京華にはある。

 

「何か馬鹿な話してたらお腹すいちゃった。……ご飯食べにいかない?」

 

「おーいいぞ。明日は給料日だし飯食いにいっても何とか生き残れるだろ」

 

「相変わらずギリギリ生活なのね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスで食事を終えてだらだらと話していたら結構良い時間になってしまった。俺と沙希は何時ものファミレスを出て家路へと向かっている。途中何故か沙希がコンビニ行きたいと言い出すもんだから寄ってみれば、何故かビールの缶を2つ買ってきた。奢りですか。ありがとうございます。発泡酒ばかりでビールなんかは滅多に飲めないのです。そして俺達は、家路へと急ぐ。ルートとしてはこのまま沙希の家を経由して、我が家まで帰るというルートだ。時間にして40分ぐらいだろうか。そして、辺りも暗くなってきたし、頃合だろうと思って俺から会話を切り出した。

 

「今日はありがとうな。……変な気を使わせちまったみたいだな」

 

「気づいてたんだね」

 

「お前は、行かなくて良かったのか?」

 

「海老名経由で誘いがきたけどさ……。アタシまで行ったら、あんたが一人ぼっちになっちゃうじゃん」

 

「別にぼっちだから──っと。腕を振り上げるのは辞めよう。落ち着け」

 

 俺は今日という日に違和感を感じていた。朝から気持ちが落ち着かないし、ゼミだってサボってしまった。いや、隼人と義輝が実家に帰ると言った時からだろうか。あいつらは俺に何も言わなかった。ただ、ちょっと帰るだけ、その程度だ。今日は6月18日。どこかの誰かさんの誕生日だ。俺にとっては、毎年来る忘れられない日でもある。高校3年の6月18日。あの日、彼女は俺に自分の気持ちを伝えてきた。信じきれないなら、信じて貰えるまで毎日言い続けるとも。それは、どれ程の思いだったのだろうか。当時の俺にそれは理解できなかった。したくなかったというべきだろうか。彼女の気持ちを無視してまで俺が求めていた"モノ"。壊したくない大事なものが確かにあったのだ。──そして、あの後から俺は受験を理由に奉仕部から逃げだしたのは今でも鮮明に覚えている。

 

「アンタが予備校にばっか来るもんだから、あの時は何事かと思ったけどね」

 

「都合の良い言い訳の理由だったからな……。まぁ、そのお陰でそれなりの大学に進学する事ができたんだけどな」

 

「そうね。それがあったから、アタシや義輝や隼人と"友達"にもなれたしね。……そこは、少しだけ良かったかなって思ってる」

 

「……少しだけなのかよ」

 

「うん。少しだけ……。そろそろ誕生パーティーが始まった時間じゃないかな。去年は全員記憶なくすまで飲んだらしいから、今年はノンアルコールでやるみたいよ」

 

「あいつら、相変わらずのリア充っぷりだな……。流石はトップカースト集団だ」

 

 友達──それは数年前まで俺に全く縁がなかったもの。俺が、あの2人に求めたものだったかは今でもわからない。何時か、自分の気持ちに決着がつく日がくるのだろうか。夜道を振り返ると、沙希は少しだけ悲しそうな顔で笑っていた。俺も、似たような顔をしているのではないかと思う。沙希はそのまま持っていたビールの缶を掲げ、

 

「由比ヶ浜の誕生日に、乾杯」

 

 俺は無言で缶ビールを掲げた。今更、あいつの誕生日を祝うだなんておこがましい事だ。だけど、これだけは言える。それは、あの日からずっと変わっていない俺の気持ちでもあった。──彼女が、素敵な仲間に囲まれて今日も笑っていますように。口には出さずに、心の中だけでそう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一月ぶりの投稿です。
今回は少しだけ毛色が違うお話です。
次回はGW中かそれ以降です。


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第10話:どんなに優秀であろうとも、大学生は寝坊してしまう生き物である。

 

 

 

 今回は完璧だった筈だ──。

 試験期間前にレポートの中身をざっくりと決めておき、参考文献の準備もしっかりと行い、尚且つスケジュールには一日の余裕も持たせた。それがどういう因果か、一昨日PCが急におかしくなった。パソコンの大先生義輝君が何とかセーフモードで一度だけ立ち上げる事に成功し、書きかけのレポートの回収が終わった。しかし、家で作業ができなくなり、しょうがないから大学のPCルームでやろうとすれば満席。一色が入り口でバイトの学生にあざとくかけあってるのが見えるが相手は女なので苦戦している。仕方が無いので、金は惜しいがネカフェでやるしかないと決めた俺は、そこで妙案を思いついた。そういえば、同じ授業には一色が居た。2人で折半すれば半分で済むのではないかと思いついた俺は、結局断られ、入り口で途方にくれている一色に声をかけた。

 

「お前、ゼミのレポートはもう出来たのか?」

 

「わっ。先輩……。全然出来てないんで、これからやろうとしてたところですー。先輩はどうなんですか?」

 

「俺は7割できた。ここは当分空きそうにねえし。後はネカフェで残りをやって終わりってとこだな」

 

「手伝ってくださいよー。私、あの授業先輩しか頼れる人ないんですから」

 

 流石いろはす今日もあざとい。上目遣いに、微妙に体をこちらに近づけ、キメの一言「あなたしかいないの」発言。これをボロを出さずにやるからこいつは凄い。並大抵の男なら「俺が手伝ってあげるよ」とか「代わりに書いてあげるね」とか無駄なポイントを稼いでいる所だが俺は違う。

 

「断る。……まぁ、これからネカフェで続きやるつもりだから暇ならついてくるか? 2人部屋ならパソコン二台あるし、折半で安く済むしな」

 

「……はっ。何なんですかまさかレポートにかこつけてカップルシートに無理矢理連れ込むとか色々すっ飛ばし過ぎじゃないですか?

 そういうのはきちんと段階を踏んで言うべき事を言ってからお願いします。ごめんなさい」

 

「いや、別に来たくなきゃいいんだけど。じゃあな」

 

 ここ数年一色の扱い方を覚えてきたつもりだ。ここで一度突き放すと、頬を膨らませながら追っかけてくるのだ。まるで、かつての小町のよう。小町が居なければ最強の妹キャラだったろうに。案の定一色は俺の背中を指で突き始め、「仕方がないから行って上げます」と肩を並べて歩き始めた。これにてミッション終了。俺は労せずして出費を半分に防ぐ事が出来た。妹マスター八幡に不可能は無い。ついでにこいつも同じ授業をとっているので、その知識も借りられるし、一色のレポートは手伝うフリをして適当な事を言っておけばいい。完璧すぎて自分の才能が恐ろしい。

 

「先輩からデートに誘ってくれたんで、今日は先輩持ちって事でいいですよね?」

 

「あれおかしいな。一緒にレポートやるってデートって事なの? 八幡知らない」

 

「えー、そうだったんですか。ちょっとわからなくなっちゃったから小町ちゃんに聞いてみようかなー」

 

「…………300円出せ。後は俺が出す」

 

「ありがとうございます。お礼に、ウチのサークルで採れた野菜を少しおすそ分けしますね」

 

「わー。嬉しい。で、何をくれるの?」

 

「トマトですよー。時期の野菜ですからね」

 

 …………やはり一色いろはは侮れない。年々小町の悪いとこと陽乃さんの悪いとこを吸収して俺を苦しめるのが上手くなってるんだけど気のせいかな? 気のせいじゃないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──と、ここまでは良かった。不承不承ながらも俺が多めに金を出さなければならないものの、義輝がバイトしているネカフェに入り、割引券を貰っていたので安く入る事が出来た。そして2人で協力して、お互いのレポートは夜には完成した。提出は明日の11時までだ。家に帰ってのんびりして、明日はどこかでコーヒーでも買いながらのんびりとレポートだけ出しに行こう。そんなテンションになっていたが、一色がもう少し遊んでいこうと騒ぎ始めた。普段の俺なら適当な理由を並べて帰っていたところだが、気分が良かったので付き合ってしまった。俺とこいつの恒例行事になっている卓球で勝負し、珍しく白熱のバトルを繰り広げてしまい、疲れた俺達は休憩がてら一色が見たいと言っていた映画を見てしまった。

 

「これ、ライトノベル原作なんですけど、主役がイケメンで見たかったんですよねー。タイトルも先輩みたいですし」

 

「いやいや小鷹さん友達が少ない隼人みたいなもんだから。そもそも、このラノベのタイトルと内容と合ってないんだよ。やはり俺の青春ラブコメは間違っているとかにした方が良かったんじゃねぇの?」

 

 ちなみにライトノベルの実写版は大抵出来が酷いのが大半である。主役の子もこれは難しかったと俺は思うよ。キバに変身してた頃から比べると成長したとは思うけどね。ついでに、キバの後半の面白さは異常。何でラストだけあんなんなってしまったん……。そんなこんなで映画を見ていたら段々と眠気が襲ってきた。一色も疲れたのかうとうとしている。イケメンはどうしたの? 主役の子、今凄い頑張ってるんだよ?

 

「これ見たら帰るか。後、1時間ぐらいな」

 

「そーですね」

 

 ちなみに、これが俺と一色の最後の会話だった────次に俺が聞いた声は、何時もよく聞いているどこぞの義輝の声だった。

 

「貴様ら、何時間居るつもりなのだ? そろそろ10時回ってしまうぞ」

 

 唐突にそんな声で目が覚めた。危ない、もう夜の10時か。俺はどうでもいいとして、一色はそろそろ家に帰る時間だろう。仕方がないから、送っていくしかない。こいつのアパート遠いんだよな。すやすやと幸せそうな顔で眠る一色に若干イラつきながら、強引に揺り起こす。意外と寝起きはいいらしく、一瞬放心したような顔を作ると、すぐに何時ものあざとスマイルが出てきた。

 

「んあ、せんぱい。おはようございます」

 

「おはようじゃねぇよ。そろそろ帰るぞ。あんまり夜遅くに女が歩いてるのも良くねぇからな」

 

「勿論、送っていってくれるんですよねー?」

 

「わーってるよ」

 

 そんな会話をしていると、義輝が目をぱちくりとさせていた。何言ってんのこいつらみたいな顔で見てくる。「何だよ?」と視線で送ると気まずそうに義輝は目を逸らし、

 

「その……貴様ら勘違いしていると思うんだが…………。今は夜の10時じゃなくて、朝の10時過ぎだぞ。12時間以上過ごしてるから、我が勤務上がる前に一回清算して欲しいんだが……」

 

「…………は?」

 

「…………え?」

 

「だから、一回清算しろと言っておるのだ。そろそろ店長の出社時刻でな。来ると面倒くさい事になる」

 

「──一色、すぐに出る準備をしろ! 義輝! 支払いは悪いが払っておいてくれ! レポート出さなきゃならん!」 

 

「えっ!? ちょ!? はちまぁぁぁん!?」

 

「準備完了です! 中二先輩、ご馳走様でした!」

 

「ええええええええええええええええ!?」

 

 奇声を上げる義輝には悪いが時間がない。そしていろはすちゃっかり酷い。そんなこんなで俺達は店を飛び出し、外に出た。入った時は夕方だったのに、本当に今は昼間だった。心が絶望に染まるが、止まっている暇はない。来年4年生にもなってまたこの授業を受けるのは流石に面倒くさい。まずは学校に向かうしかない。走りながら一色と作戦会議をする。

 

「タクシー使うしかねぇな。この時間じゃ走ってもレポート提出期限ギリギリだからな」

 

「そうですね。ところで、先輩は今幾らお持ちなんですか?」

 

「……大体、500円ぐらいだな」

 

「しょぼっ……」

 

 一色がゴミを見るような目で俺を見てきた。しょうがないじゃん。給料日前だし、義輝が割引券くれるの知ってたから3時間分なら払える金額だったし。……マジで義輝居なかったら危なかったな。金は給料でたらきちんと返そう。そんな事を考えてるうちに一色が走りながら自分の持っていたリュックを探り始めた。

 

「……あれ? あれ? ……せんぱぁい。お財布、家に忘れてきたみたいです」

 

「何なのいろはす? お前がしょぼいと馬鹿にした奴より駄目じゃねぇか。俺以下だぞ。俺以下」

 

 俺の言葉に一色がカチンときたようだが言い返す事ができないらしく。ぐるぐる唸りだした。怖いよ。こうなってしまってはタクシーすら拾えない。走るしかなさそうだ。しかし、その間にも出来る手は打っておきたい。今が10時35分。提出は11時までだ。この場所からだと歩いて30分かかるので走ればギリギリだろう。しかしウチの教授はレポートの提出期限に厳しい。あまりかけたくはないが、交渉ぐらいはできるだろう。なんたって俺達入学して以来の付き合いだし。

 

「先輩、どうするんですか?」

 

「交渉する。あのおっさん。確か今日は授業終わったら食堂でコーヒー飲んでレポート回収して1コマ授業やって教授会出るって言ってたからな。途中どっかで体調悪くなって救急車で運ばれてりゃいいんだが……」

 

「先輩と教授って仲が悪いのか良いのかわかりませんね……」

 

 ゲーム機能つき目覚ましからバイト用連絡通信機へと進化した俺のスマホを取り出す。これ一つでバイトの登録から教授への交渉が出来るって便利な世の中になったよな。俺が標準になっただけか。ともあれ、教授の携帯番号を呼び出して電話を始めた。こういうとこ、俺滅茶苦茶成長したと思います。昔の俺なら皆の前で晒されるの嫌だから期限前に終わらせていただろう。退化してんじゃん。

 

「あ、もしもし比企谷ですけど」

 

「……どちら様ですか?」

 

「…………すいません。ゼミに所属しているヒキタニです」

 

「なんだ、君か。誰かと思った」

 

 このタコジジイを殴りたい。何時になったら俺の名前覚えるんだよ。怒りをぐっと抑えて俺は今の状況を説明した。レポートは昨日完成していたのに、出しに行く途中、倒れているお婆さんを見つけてしまった。救急車を呼んで一緒に病院へ付き添っていったらこんな時間になってしまった。全力で大学に向かっているが、11時に間に合うかどうかは微妙だ。人の命を救った俺に10分程の温情措置はとってもらえないだろうかという涙ぐましい演説だった。横を走る一色がこっちを見なくなるほどの素晴らしい演説だったと思う。だが──

 

「うーむ。恐ろしい事に今日ウチのゼミの生徒達が一斉に君と同じような事を言い始めたんだが、もしかして君が考えたのかな?」

 

 使えねええええ俺のゼミ仲間。どいつもこいつもくだらねぇ言い訳ばかり考えやがって。しかしこの状況は不味い。このままでは俺が犯人にされてしまう。すると一色が俺から携帯を取り上げ、

 

「先生お電話中失礼します。ゼミの一色いろはです」

 

 そこからは一色大先生の独壇場だった。迫真の涙ぐましい演技。あまつさえ、俺が助けた婆さんが自分の祖母だと平気で嘘をつける度胸。小悪魔IROHAの如き甘美なとろける声。一色の大層な演説はそして終わりをつげ、電話が切られる。そのまま一色はニヤリと笑う。この子ったら最近笑い方まで何かを企んでる時の陽乃さんみたいになっちゃって。ホント嫌なんだけど。

 

「十一時を過ぎたら食堂を出るそうです。まぁ、10分は稼げましたね」

 

「よくやった! 流石いろはす!」

 

 あのタコジジイったら本当に女の子に甘いんだから。ヒキタニ君にはめっちゃ厳しいのにね。何はともあれこの10分はでかい。後は、この炎天下の中を走りきれるかどうかだ。そのまま暫く2人で無言で走っていると、一色が急にくすくす笑い出した。え、どうしたの? この暑さの中走ったから頭でもやられちゃったの?

 

「おい、一色大丈夫か? 突然笑い出すなんて、まるで中学生時代の俺みたいだぞ。偶々好きな子が通った時にその直前に読んでた面白いラノベの事を思い出しちゃって、キモ谷とかクス谷とか言われたっけ……」

 

「名誉毀損で訴えてもいいですか?」

 

「それ俺の名誉も毀損されちゃってると思うんだけど……」

 

「んん。違いますって。いや、何かこうして先輩と馬鹿やるのも楽しいなーって思えてきて」

 

「俺はちっとも楽しくねぇけどな。何でバイト前にこんな無駄に体力使わないといけねぇんだよ」

 

「うわぁ、先輩。そこは俺も楽しいよって言うべき所ですよ」

 

 確かにまぁ、ハイパーウルトラあざと小悪魔ビッチ未満だが、そこに目を瞑れば可愛い女の子と俺は2人で大学目指して走っているという事実は確かに残る。中々できる事じゃない。だが、ニヤニヤ笑いながら俺のリアクションを待つ一色の顔が気に入らないがここは俺の負けという事だろう。

 

「…………まぁ、偶にはこういうのもアリと言えばアリなのかもな」

 

 何時の頃からだろうか。偶にこうして本心がするっと出てくる事が多くなった。それは何時の頃からなのだろうか。あいつらと暮らし始めてからなのだろうか。わからない。昔は人の言葉の裏を考えに考え抜き、常に最悪を想定しながら生きてきた俺がこのザマである。そろそろ平塚先生からも高二病認定を外して貰いたい所だ。そんな俺の反応が少し意外だったのか、一色はぽかんと口を開けている。やがて、素に戻ったのか一度顔を振ってそっぽを向くと、そこには何時もの挑発的な笑みを浮かべる一色の顔があった。

 

「先輩、やっぱ変わりましたね」

 

 一色の言葉に俺が返事をしようとすると、ずんどこずんどこ激しい音が聞こえた。道路の方を見ると、後ろから派手な軽自動車がよくわからない洋楽を垂れ流して近づいてきた。……この感じ。戸部だな。

 

「うぇーい。いろはす何やってんの? 俺ら、さっき試験終わったからこれから海行くんだけど一緒にいかね?」

 

 案の定戸部だった。予想を裏切らなさすぎて困る。一色はいいカモ見つけたとばかりにニヤリと笑い、何時ものあざとかわスマイルを浮かべて近づいていく。

 

「戸部せんぱーい。良いとこに来た……じゃなくて、私達いますっごくこまっててー」

 

「ん!? わり、よく聞こえね。ってあれ!? そこに居るのヒキタニ君じゃーん!? この前のソープ割引券使ってくれた? あの店マジオススメだから」

 

「え!? ちょっ!? あの戸部先輩聞いてます!? って音楽うるさっ! 先輩も何か言ってやってくださいよ!」

 

 一色がこっちに戻ってきて俺の袖を引く。こら、そういうあざといの人前でやっちゃ駄目でしょ。案の定、戸部は驚いたような顔で見た後、自分のでこを思い切りバチンと叩いた。

 

「っべー! わり、俺マジ空気読めてなかったわ! 邪魔しちゃ悪いからそろそろ行くわ。またパチンコで勝ったらヒキタニ君ち行くからしくよろー! いろはすの事大事にしてあげてなー!」

 

「ちょっ! 戸部先輩待ってください! 私達を大学まで乗せてっ────てああもおおおおおお行っちゃったぁぁぁぁ!」

 

 一色の懸命の呼びかけも空しく戸部は手を振って走り去ってしまった。嵐のような男である。まぁ、パチンコで勝つとよくビールのケースお土産に持ってくるしあいつはあれでいいのだ。そして、一色はしばし項垂れた後、立ち上がり据わった目でこちらを見た。

 

「先輩。石落ちてませんかね。石。野球のボールぐらいの」

 

「だから恐いよお前……。戸部だからしょうがねぇだろ」

 

「…………まぁ、そうですね。戸部先輩だからしょうがないです。仕方がないので、もう暫く我慢して走りましょうかね」

 

 諦めたように一色は笑うとそのまま再び走り出した。その後姿を見て俺もおかしくなってつい笑ってしまった。人の事を変わったなんて言うが、お前も十分変わっただろうと。そんな一色の横に並ぶようにして俺も走り出した。大学までは後少しだ。戸部の所為で少し時間をロスしてしまったが、まだ十分取り返せる時間だ。すると、一色が何かを見つけたのか、加速して道の端に落ちている拳ぐらいの石を拾った。この子、本当に投げたりしないよね? 不安な顔で見る俺の視線に気づいたのか、一色はにっこりと笑顔を返してきた。

 

 

「ちなみに先輩。つかぬ事をお聞きしますけど、戸部先輩から何の割引券を貰ったんですか?」

 

「……いや、何の話だ?」

 

「先輩、私も疲れてきたんで。大学つくまでにはきちんと吐いてくださいね?」

 

 …………いや、本当に変わったよこの子。しかもすんごく悪い方向に。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は5月中に投稿したいです。
短編集みたいな感じにしようかなぁと思いつつも未定です。


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第11話:大学生が長文で何かを書く時は大抵ロクな事が書いていない。

前略 比企谷小町様。

 

 お久しぶりです。そちらはお変わりないでしょうか。お兄ちゃん達は3年生なので夏休みが始まって早々に大魔王に騙されて工事現場で朝から晩まで働いています。しかも14連勤です。労働基準法っていったいなんなんでしょうかね。お兄ちゃんはそちら方面は疎いのでよくわかりません。ただ、騙されたという事実だけは認識しています。あの女には気をつけてください。工事現場で働き始めて、色々ありましたが隼人君は相変わらずの人気者です。怖い体に落書きをしたおじさんに気に入られ、仕事が終わった後、一緒にサウナにいったそうです。お兄ちゃんと義輝君も誘われましたが丁寧にお断りをしました。その日の晩、サウナにいったからか隼人君は汗だくの半裸という格好で帰宅しました。あんな涙目な隼人君ははじめてみました。

 

「……まぁ、その、なんだ隼人。予想はついてたけどやっぱあっち系の人だったか? 着替えてる時、やたら義輝とかお前の方見てるなぁとは思ってたんだけどよ」

 

「拙者、休憩時間よく尻を触られるでござる……」

 

「……………必死に断ったよ」

 

 少し隼人君も大人になったようです。小町ちゃんがこういった大人の階段を登っていないかお兄ちゃんは心配です。そっちのマンションに大志とか招き入れてないよね? そうだよね?

そんなこんなでやはり汗水垂らして働くのは間違っていると思います。家に居ればこんな事も起こらないよね。でもお金稼がないとお兄ちゃん達は家すらなくなっちゃうんだ。ははっ。

お金といえば工事現場で知り合ったヒコさんという年齢不詳のおじさんと少しだけ仲良くなりました。誰も本名を知らず、住所も知らないという不思議な人です。ヒコさんは不思議な人で着てるものはボロボロなのに、俺達にはよくおやつやジュースを奢ってくれます。食べ物をくれる人に懐くという傾向が最近顕著になってきている俺達がヒコさんを慕い始めるのは無理もない事でしょう。そんなある日、ヒコさんから稼ぎのいいアルバイトがあるから夜中に神奈川県のはずれにある港まで来てくれと言われました。どうやら、船で運んできた積荷を降ろすアルバイトのようです。

 

「ヒコさん。……この骨みたいなのってなんですか? 何かの動物の牙にも見えますけど」

 

 ヒコさんはレプリカだから気にするなといいました。お兄ちゃんはお金に目がくらんでいたので無言で積荷を降ろし続けました。いやだって、日給6万円だよ? 相当贅沢できるよ?でもね。お兄ちゃんも少しこれおかしくね?って思い始めてたんです。そして義輝が船の一番奥から籠を持ってきました。

 

「は、八幡。こ、これ……」

 

「……どっかで見たことある生き物だな、これ」

 

「上野あたりで見たような……」

 

 白と黒の生き物のようでしたが、眠っているのかぴくりとも動きません。ヒコさんはよくできたぬいぐるみだなぁとケラケラ笑っています。……名残惜しかったですが、お兄ちゃん達はそのままトイレにいったフリをして逃亡しました。神奈川県から涙目で夜中から朝まで汗だくになって走り続け、朝になった頃に沙希ちゃんに何とか連絡をつけてお金を持ってきて貰いました。沙希ちゃんが駅に現れた瞬間、安堵からか一斉に抱きついてボコボコにされたのも今ではいい思いでです。やはりお兄ちゃんの青春ラブコメは間違っていると思います。青春といえば小町は大学生活を謳歌していますか? お兄ちゃんは忙しくて死にそうでした。大学生はぼっち程忙しいです。高校とは真逆で非常に疲れます。2年の夏を迎えついに学部内で女子の友人が0になった一色と一緒に協力し、お互い切磋琢磨しながら忙しい大学生活を何とか今学期も生き延びました。

 

「一色、基本語学の追試と、漢文の追試は代わりに俺が受けてやる。お前は俺の代わりにフィールドワークの実習に出てくれ」

 

「いいですよ。これ、昨日作ってきたカンペです。先輩なら平気だと思いますが一応保険で。槇島教授と千島教授の講義はチェックがゆるいので楽勝ですね」

 

「そうすればここのスケジュールが楽になるからな。隼人にもカップ麺2個で代返させたし、出席点の追加分も考えると可は確実に貰ったな」

 

「あの葉山先輩がカップ麺2個でお願いを受けてくれるなんて……。悲しいやら、なんというやら複雑な気持ちです」

 

「あいつ、ついにお前の前でもかっこつけるの辞めたからな……」

 

 一色は相変わらずです。むしろ堕落し始めました。最近では可愛い自分アピールも飽きてきたのか、偶に凄く雑な女になっている時があります。まさかジャージ姿の一色を見る日がくるとは思いませんでした。積もる話もありますが、そろそろアルバイトの時間なのでこの辺りで近況報告を終わりたいと思います。盆休みの終わりぐらいには久しぶりに実家に帰ろうと思います。平塚先生に「飲むから来い」といわれたらいかないわけには行きません。もし小町も帰るのであれば、久しぶりにきちんと話もしたいと思いましたのでこんな手紙を書いて見ました。それでは、盆休みに予定があえばまたあの家で会いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数年ぶりに兄から便りが来た。

 最初は何のつもりだろうと首をかしげてみたけど、あの兄の考えることなのできっとまたしょうもない理由なんだろうなと思うと同時に、自分の頬が少しだけ緩んでいるのを感じた。

兄が高校3年生の時に、大喧嘩をしてから気まずくて、兄が何を考えているのかを理解できなくて私は最後まできちんと仲直りできずに、遠く離れた地に来てしまった。メールは極たまにするものの業務的なやり取りが殆どで、昔のような関係とは程遠い。最初は、これが大人になるって事なのかなってかんがえていたけれど、やはり私の考えは間違っていたみたいだ。沙希さんから偶に近況報告を聞いていたが、ここ半年ほどの兄はそこそこ元気で昔とは少しだけ違う環境でそれなりに楽しくやっているらしい。葉山さんと材木座さんと一緒に暮らしていると知ったときは大変驚いた。そして、兄は変わっていないという事に気づいてしまった。昔と一緒で卑屈で陰気でぼっちで目の腐った私の大好きな優しいごみいちゃん。でも、どうしても思ってしまう。

 

 

 

 ──どうして、その優しさの輪の中に雪乃さんと結衣さんを入れてあげる事ができなかったの?

 

 

 

 結衣さんがどれほど傷ついたか。雪乃さんがどれ程心を痛めていたか私は知ってしまっている。それが喧嘩の一番の原因だ。あの優しい兄が、あんな仕打ちをするなんて思いもしなかった。も、今ならこう考えてしまう。またどうせ、しょうもない事を色々考えて自分なりにこれが最良だと決め付けて動いてしまったのだろう。そこに、私が何かを言う余地などもう無い。

少し大人になった今なら、兄と話せばどうしてあんな事をしたのか理解できるのかもしれない。また、昔のような兄妹に戻れるのかもしれない。ならば──また、兄と向き合うしかないだろう。ならばすぐに行動あるのみだ。私がお兄ちゃんに絶対に負ける事がない点は行動力のみだ。考えるな、すぐに動け。そう心に念じ、スマホを取り出した。

 

「あ、大志君。お仕事中ごめんね? 盆休み帰らないって言ってたけど、やっぱ帰るから。……ううん。別に迎えに来なくていいよ。電車で帰るし」

 

 締め切っていた部屋の窓を開け、空気を入れ替える。数年ぶりに空気を入れ替えたような爽快な気分だ。やはり、自分はこうでなくては、と思い鏡を見る。そこには少しだけ大人びて、悪い笑顔を浮かべた私が映っていた。

 

 

 

 

 




2ヶ月ぶりぐらいに書いて見ました。
なんだかキャラが違う感じもしてきましたが、おいおい修正していこうかと。
仕事が激務すぎて終電帰りばっかですが、時間みつけては書いていきたいです。当初考えていた事と少し違う話になりましたのでタイトル変えました。


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第12話:酒を飲んだ大学生ほど迷惑な生き物はいない。

誕生日間に合った……。
これより睡眠に入ります。
次回の平塚先生回で夏の話は終わりです。
その後は時間が飛んだりとばなかったりで
少し毛色が違う話になりそうです。


 

 

 

目が覚めると見知らぬ天井が見えた。

何時もの部屋の汚い天井ではない。豪華なシャンデリアのついた、いまだかつて見た事のない立派な天井だった。時計はなく、空調は寒いぐらいに効いており、分厚い布団をかぶっていても暑くない。そこで違和感に気づいた。あれ、これ俺もしかして全裸じゃない? 流石に服を脱いで寝る習慣はない。毎晩パンツにTシャツという男のスタイルだ。ここはどこだろうと考え始めると、非常に頭が痛い。そういえば、昨日は俺の誕生日パーティーをやったのだった。沙希が企画し、大魔王が盆休み前で忙しいのになんて日に生まれてるのよとのたまいながら金を大目に出し、義輝と隼人は主賓そっちのけで飯を食っていたような気がする。全く祝われてないよねこれ。その後も一色達も来てそれなりに騒がしくなり、誰かが持ってきたフィリピンの変な酒を飲んでから色々とおかしくなった記憶がある。何はともあれ、状況を確認しないといけないと首を動かすと、

 

「……!?」

 

 俺の隣に誰かが寝ている。あまりの驚きに大声を上げそうになったのを何とか堪えた。え? 俺マジで何やっちゃってるの? ナニをヤっちゃったの? 記憶がないのに? 卒業しちゃったの? 綺麗で長い黒髪だ。純黒といってもいいだろう。顔や体は布団で覆われて見えない。頭だけがぴょこんと出ている感じだ。とりあえず、黒髪なので一色ではない。セーフ。となると、陽乃さんか沙希なのだろうか。戸塚ではないのが残念でならない。っていうかそんな事を考えている場合ではない。何で俺が見知らぬ女と見知らぬ部屋で全裸で寝ているのかというのかが問題だ。

 

(迂闊に動けねぇぞこれ……)

 

 どうにかこうにかしないと社会的に死ぬのはわかっている。すると、相手が寝返りを打ったのか俺の手に相手の尻が当たった。もちもちとしていてそれなりに筋肉もあるようで、何より手触りがすべすべだ。これは不可抗力であろう。俺は手を動かしていない。むこうから尻を触らせたのだ。間違いなく痴漢は向こうである。俺は悪くない。しばらく尻の感触を楽んだ後で、これはいかんと再び我に返った。……覚悟を決め、ぐっと布団をめくった。願わくば、寝ているのは大魔王でドッキリ成功とか言ってほしい。が──

 

 

「………………」

 

 

 布団の下では幸せそうな顔をした戸部が寝ていた。あぁ、戸部で良かった。…………いや、全くよくねぇよこれ。俺、こいつの尻触って楽しんでいた事になるじゃねぇかよ。

 …………忘れよう。幸い、こいつも寝ている事だしな。ベッドから起きて周囲を散策すると、きちんと衣服が畳まれて置いてあった。横には戸部の分もある。

 ケータイもある。財布はどうせ対して中身入ってないからどうでもいいや。ポケットから煙草を取り出し、火をつけて思考を巡らす。……駄目だ。二日酔いで何も思い出せない。

 そのままシャワーを浴びて再び部屋に戻ってくると、戸部が起きていた。

 

「あれ? ヒキタニ君? 何でここにいるの? 姫菜に呼ばれた?」

 

「お前の彼女なんか知らん。昨日も来てなかっただろ」

 

「昨日?」

 

 戸部がうんうんと考え始め、ようやく合点がいったかのように手をポンと打った。普段頭を使ってないから中々起動が遅いらしい。windows98か。

 

「確か昨日、ヒキタニ君ちで飲んでたんだよな。誰かの誕生日パーティーだかなんだかで」

 

 俺のだよ。……どいつもこいつも昨日何しにきたの? 

 

「そんでー。いろはすが誰かの酒飲んで悪酔いして暴れ始めてー。その後……うーん。思い出せねぇわこれ」

 

「一色が暴れたのか?」

 

「確かなー。そんで、何で俺とヒキタニ君がこんなとこいるの? 見た感じ、ここラブホだけど」

 

「知るかよ。……家の状態も心配だし、とっとと出るぞ。だらだらしてっと、金もいくら請求されっかわかんねぇしな」

 

「ああ、平気平気。ここのラブホ。前払いだから」

 

「へぇ…………つかお前何で黒髪になってんの?」

 

「いやさー。俺らもそろそろ就活じゃん? ここらで一気にビッとキめようと思ってさー」

 

 戸部はこのラブホに来た事があるらしい事と黒髪にした理由。クソどうでもいい情報を得た。そのお陰か、すんなりとラブホを出る事ができ、俺は自分が今どこにいるのかようやくわかった。

 この前行った風俗店の近くのラブホだ。外観が珍しいからよくわかる。そのまま家に帰ろうとすると、戸部に首をひっつかまれて、いきなり物陰に引き込まれた。……しまった。

 こいつ海老名さんと付き合った影響でまさのとべはちに目覚め──

 

「ヒキタニ君。見てみて。あそこ!」

 

 耳元で話しかけられくすぐったい。どこでそんなスキル身につけたの? 戸部が目線で示した方向にはもう一つラブホがあった。そこから、隼人と女が1人出てきた。

 あいつマジで何なの? わざわざ俺の誕生日パーティーで女の子をお持ち帰りしたの? 今までの無駄な縛りプレイ大学生活はなんだったの?

 

「……っべー。ついに隼人君に彼女できちゃったかぁ。マジで優美子どうすんだろ……」

 

「でもあの服どっかで見た事あんだよな」

 

「そういや……。あれ、いろはすが昨日着てた服じゃね? でも、どうみてもいろはすじゃないしなぁ」

 

「あいつの3倍は可愛いぞあの女の子……」

 

 一色もまぁ、可愛い方だが隼人が連れている女の子は桁が違う。俺も思わず一目ぼれしてしまいそうな勢いの美少女だった。すると、隼人がこちらに気づき手を振ってきた。相変わらず目ざとい男である。つかお前、ラブホから出てきた所で俺達に手を振るとかどんだけデリカシーないの? 

 

「おはよう。お前らも、無事だったみたいだな」

 

「無事ってどういう事だよリア充。俺の童貞が無事かって話かよコラ」

 

「何で喧嘩腰なんだお前……。昨日は皆酔っ払って家から出た奴らもいたからな。皆無事だといいんだけど……」

 

 どうやら昨日は相当に酷い状態だったらしい。すると、隼人の後ろ居た美少女も満面の笑みで、

 

「とりあえず戸部君も八幡も無事で良かったよぉ。2人して自転車乗ってどっかいっちゃったからさ」

 

「こ、この声……」

 

「まさか……」

 

 俺達の反応に、彼女──戸塚彩加は少し顔を赤らめ、腕で体を抱くようにした。

 

「ああ、うん。僕だよ。なんだかウイッグとかつけられちゃったけどさ。でもこれ、八幡の所為なんだからね?」

 

 何をやらかした昨日の俺。でも最高にグッジョブ。

 

「お前がいろはより戸塚の方が可愛いって言いまくったからいろはが怒って彩加を女装させたんだよ。……まぁ、本人も女装させて完全に打ちのめされてたけどな」

 

「あの身の程知らずめ……」

 

「八幡!? 流石に、一色さんが可哀想だよ!?」

 

 何はともあれ昨日の状況がわかってきた。どうやら全員酔っ払って相当暴れたらしい。後誰がいたっけかなーなんて思い出しながら、とりあえずは家路につく事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戸部は海老名さんに会いに行くというので、俺と隼人と彩加ちゃんで連れ立って歩く事になった。いや、マジでこの2人と歩くの本当に嫌。美少女にイケメンと目が死んだゾンビだぜ? 隼人がどこかに消滅してくれないかなぁ。それなら耐えられるのに。

 

「とりあえず、全員の記憶を頼りにすると、昨日あの場に居たのは、この3人以外だと戸部君、雪ノ下さん、沙希ちゃん。一色さんに義輝でいいよね?」

 

「所在不明は4人か……。下手すると義輝死んでるかもな」

 

「ああ、あの3人のどれに触れても社会的に抹殺されるからな……」

 

「よ、義輝はそんな事しないよ……」

 

 大魔王は自分で何とかするだろうし、しててほしいし問題は一色と沙希か。義輝はどうでもいいや。男だし何とかなるだろう。誰も携帯電話に電話をかけても出ないので全員意識がないか気づいてないか無くしたかだ。仕方がないのでだれだらと歩いていると珍しく我が家の前に子供達が居るのが見えた。近所の悪ガキ共だ。義輝の事を何故か先生と慕って、隼人をお兄ちゃんと呼び、何故か俺の事だけ八幡呼ばわりする忌々しい生き物達だが今日はもじもじしている。

 

「よぉ、お前ら。どうかしたか?」

 

 隼人が優しく声をかけると、ガキ共は顔を赤らめて庭を指差すと走って逃げていってしまった。その先には我が家の庭があり、バイト先から貰ってきたビニールプールがある。金がない時は川から水を汲んできて風呂代わりにするのだ。そこに一色が大股を広げて寝ていた。こいつも黙っていれば可愛いのだ。小学生達には少し刺激的だったのかもしれない。幸せそうにいびきをかいて寝ている一色を起こすのは忍びないので、俺達は無視して家に上がった。

 

「ちょっと八幡!? 一色さん起こしてあげないの?」

 

「夏だし平気だろ。パンツだけ見えねぇようにタオルかけといてやってくれ」

 

「そうだな。それよりも中が酷いな……」

 

 居間の真ん中で顔面が生クリームまみれになって寝ている女が居た。顔の判別ができないが、髪の長さからいって沙希だろう。俺の誕生日ケーキ……。流石に面白いので沙希だけはそのままにして、散らかった部屋を片付け始めた。食べ物を片付けて、隼人と分担して皿洗いもしていると、廊下から大魔王が現れた。

 

「おはよー……」

 

 流石に昨日呑み過ぎたのかキリっとしていない。それどころか、眉毛がマジックで太くかかれており、額にも大きく「鉄仮面」と書いてある。

 

「──ッ!」

 

 隼人が噴出しそうになっているのを蹴って諌める。大魔王も相当面白い事になっているのでこのまま暫く様子を見たい。

 

「ねぇ、この家鏡ないの? 私、この後昼から電車乗って会議でなきゃいけないんだけど。化粧道具持ってきてないし、顔は洗ったけど流石にすっぴんで会社行くのはなぁ……」

 

「陽乃さん。それで化粧してないの? 全然、何時もみたいに凛々しいけどね」

 

 状況を理解した隼人がそ知らぬ顔で言いのけた。俺はこのままでは笑いを堪えきれないので大魔王から視線を外して何とか耐える事にした。

 

「へー。そう? まぁ、私美人だからね」

 

 太い眉毛のまま鉄仮面陽乃さんはニヤリと笑った。勘弁して欲しい。あまりの辛さに涙まで出てきた。

 

「そういえば、八幡。誕生日おめでとう。昨日は楽しかったね」

 

「……は、はい。ありがとうございます」

 

「やだ。八幡ったら泣いちゃってるの? まぁ、君は誕生日会とか経験なさそうだもんねぇ。これが、人に祝われるって事よ。覚えておきなさい」

 

「うっす。……は、陽乃さん。のんびりしてていいんですか?」

 

「そうね。そろそろ行こうかな。駅で少し化粧道具買ってから行くかな。面倒くさいけど」

 

「はい。行ってらっしゃい」

 

 何とか笑いを堪えながら魔王を送り出すと俺と隼人は一頻りゲラゲラと笑った。どのツラ下げて駅まで行くのか非常に楽しみである。そして、俺と隼人の笑い声で目覚めたのか、外から一色の泣くような悲鳴と、沙希がバタバタ走り回っている音が聞こえた。彩加には朝食の買出しに行って貰っている。なんだかんだで楽しい誕生日会だった。こんなに笑ったのは久しぶりだろう。来年もし仮に祝ってもらえるのだとしたら、またこんな馬鹿騒ぎができれば、おめでてとうと言われなくてもそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………あれ、そういえば義輝は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー午前10時35分。被疑者確保。昨日、この辺りで喧嘩していた外国人含む多国籍グループの一味だと思われます」

 

「Che palle! Ti rompo il culo!!」

 

「Don’t give a fuck with me!!」

 

「は、はちまあああああああああああああああん!!!!」

 

「Shut up!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話:都心から地元に帰省する大学生のドヤ顔は夏の風物詩

 教師という職業に就いていると稀に卒業後も会う仲になる生徒もいる。高校教師ともなれば、卒業していった生徒達は二年も経てば成人だ。飲みに誘われたり、結婚式に出てくださいという悪意なき地獄への招待状も来る。生徒指導も任される身でもあったので、必然的に校内で普通の生徒よりも素行に問題のある生徒と会話する事が多いのでその類の生徒と親交が深まる事もある。

 

 例えば、雪ノ下陽乃。眉目秀麗成績優秀という私が担当した生徒の中でも他の追随を許さぬほどの能力をもった生徒だ。内面に非常に多くの問題を抱える生徒だったがそれを一切噯にも出さず歪んだまま成長していった彼女は、半年に一回ぐらいは連絡を寄越す。彼女の目に私がどう映っているかは未だによくわからない。一度だけあいつがどうしようもなく歪んだ時には拳と拳でつい語り合ってしまい、こりゃ教師クビになるかなーなんて思っていたら、殊勝にも彼女は私に連絡を寄越し続けた。その点はまぁ、私が担当した中で一番捻くれものだった生徒の尽力もあるだろう。そして、面白い事に私は今日そんな捻くれ者と酒を飲む約束をしていた。

 

「ふむ。早くつきすぎたようだ」

 

 待ち合わせまでには後十分もある。少し前から私は彼らと酒を酌み交わす仲になっていた。一番の驚きは、あの比企谷と材木座が葉山とつるんでいた事だ。比企谷は比企谷で非常に問題があったし、葉山は葉山で優等生ながらも問題を抱えていたし、材木座については……まぁいいか。あの二人に比べたら些細な問題だ。そんな奇妙な組み合わせだったが、一緒に飲んでみれば意外と面白い。子供なのに精神だけが妙に成熟して捻くれていた彼らが妙な連鎖反応を起こすのだ。今日はどんな話が聞けるのだろうかと楽しみにしていると、

 

「あ、ども。静さん」

 

 背後から声がかかった。一応、もう生徒と教師ではないので先生と呼ぶのはやめてもらっている。後は……ほら、私も調子こいて教師なのに比企谷の年齢がアレな頃に煙草と酒とか悪い遊び教えちゃったからね。そんな場で平塚先生なんて呼ばれたら職の危機に陥っちゃうからね。大学教授は未成年の生徒に酒を勧めても罰せられないのはおかしいよね。「やぁ」と声を出して私が振り返ると、まずはつるんとしたスキンヘッドが目に入った。

 

「どうも、静さん。お久しぶりです」

 

 スキンヘッドは爽やかな笑顔でそう言いのけた。あまりの衝撃に口に咥えていた煙草がぽろりと落ちてしまう。

 

「む。どうしたでござるか静殿? というか狙ってた男が煙草好きじゃないから止めるって言ってござらんかった?」

 

 スキンヘッドの横に居るこれまたつるんとした頭をした太ったスキンヘッドが非難めいた目で私を見ている。

 

「これが俺達の恩師だと思うと泣きたくなるな」

 

 極めつけはこれまたつるんとしたスキンヘッドの、目つきの死んだ男が煙草を口に咥えて呆れていた。……一体、何が起きたというのだろうか。イメチェンとかそういうレベルの話ではない。もはやキャラが違う。前回春先に会った時には相変わらずな感じだったのに、いきなりどうしたというのだろうか。私の疑問に気がついたのか、三人はぽんと手を打ち、状況の説明を始めた。

 

「いや、実は酔っ払って寝ていた陽乃さんの顔に落書きしたら、仕返しに家賃を上げられましてね。抗議の意味も込めて、腐った梅酒を飲ませてトイレを封鎖したんですけど……」

 

「いやぁ、トイレの鍵をロックした後破壊したまではよかったでござるが、我がトイレ目掛けてぶん投げられてドアごと破壊されてなぁ。その仕返しに、今度は我らのバイト先に邪魔しにきたでござる」

 

「人間関係ぶっ壊したり、嫌いな先輩をけしかけられたりしたんで仕返しに、雪ノ下家の留守電に限界まで陽乃さんとの思い出を吹き込んでやったら、寝込みを襲われて無理やりこんな髪型にされました」

 

「何をやっているんだ君達は……」

 

 少しは成長したと思いきや、悪い方向に成長したようだ。だがしかし、かつての彼らがこんな事をしただろうか。比企谷と材木座は反抗もせず何もせずなタイプだし、葉山は笑って流すかそれ以前に手を打つタイプだ。それに、あの陽乃がこんな低レベルな争いに加わっているというのがまた面白い。本気を出せば一瞬で潰せるのに、そうしない。というよりはできないというのが正しいだろうか。あの子には取り巻きは多くても、同格の子がいない。妹への歪んだ愛情もそれがあったのだろう。自分と並べるだけの能力があるのに、隣に立とうとせず、後ばかり追いかけてくる。唯一の妹への愛とそこへの苛立ちが混ざった歪んだ感情が当時の陽乃の根幹に根付いていた。私はそうあの子を分析している。それなのに、今はこれである。だが、それも悪くは無い。

 

「まぁ、何はともあれ色々と面白い話もありそうだし。さっさと店に入ろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平塚先生から静さんと呼ぶようになってから、随分と経ったような気がするが実質そう年月は経っていない。俺個人としては高校を卒業してから帰省する度に平塚先生とは会っていたので、静さん呼びはその時期からぐらいだろうか。義輝や隼人なんかはここ最近飲むようになったので大分慣れてきたといった感じだ。今回もこうして三人全員で帰省した時なんかは、こうやって集まって飲むのだ。それ以外の時は、静さんに好きな男が出来た時に緊急会議と称した飲み会と残念会がその暫く後に開催されるぐらいだ。あれ? そう考えると結構この人と酒を飲んでいる気がする。まぁ、それなりに楽しいから何でもいいや。初っ端からビールに続いてハイボールをあおり始めた静さんは俺達の話を聞きながら今日も楽しく笑っている。

 

「しかしまぁ、なんだ君達は。随分と楽しく暮らしているようじゃないか。……この、陽乃の写真なんか傑作だぞ」

 

 静さんの手には義輝のスマホが握られている。そこには額に鉄仮面と書かれ更に太眉になった陽乃さんが幸せそうな顔をして寝ている写真だ。一色が撮ったその写真は今では全て消去されてしまったが間一髪の所で義輝がwifiファイル共有で救出した一枚だ。それを静さんはとても優しそうな顔で眺めている。この写真を見て真顔になれるってどういう神経してるんですかね? 俺達は三日三晩笑い続けてなんだかんだ美人なんだよなぁ、なんて改めて顔の造詣に感心してしまったものだ。

 

「それ、俺達の最後の切り札なんだから大事に扱ってくださいよ。撮った一色なんか、陽乃さんの怒りに触れて一週間陽乃さんの鞄持ちやらされてましたからね」

 

「最初は笑ってたいろはも、後半は流石にやつれてたなぁ」

 

「拙者が聞いた話だと、嫌がらせのためだけにこのクソ暑い中沖縄まで連れまわされたと聞いたが……」

 

「いいなぁ、沖縄。今年こそは一夏のアバンチュールでもないかなぁなんて計画してたけど、結局今年も朝から晩まで酒飲んで仕事して終わりそうなんだよなぁ。金はあるのに。金だけはあるのになぁ」

 

 虚ろな目で静さんがぼやきながらハイボールのグラスをまた一つ空にした。俺達が卒業してもう数年経つ。その間も仕事を頑張っていた静さんは若手の教師の中でもそれなりに一目置かれる存在らしい。毎年新人教師が来るたびにまとめ役を任されるようになり、いよいよ若手ではなく中堅の道に入りそうな勢いだ。本当に、後は結婚するだけ。本当にこの人はそれだけができない。

 

「静さん。この前言ってた旅行好きの男の人とはどうなったんですか? 飲み屋で仲良くなって意気投合してたって言ってたじゃないですか。凄い趣味も合うって」

 

「ああ……彼な。その……なんていうか、一緒に一度泊まりで旅行に行ったんだ。私も今回こそは上手く行った! なんて勝利宣言して一緒の部屋で寝たんだよ。こっちはもう準備万端さ。

そうしたら彼……何もしてこなくてな……。おかしいなって思ってちょっと薄着で迫ってみたら、優しくシャツをかけてくれてな……。これ、なんかおかしいぞって思ってたら、同性愛者だってカミングアウトされたんだ……」

 

「あの……なんか、すいません」

 

「それから彼とは友達だよ。……静は、今まで会ったどんな男友達より気が合うって。これからもずっと友達でうわあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 絶叫と共にハイボールを一瞬で空にする静さん。すかさず隼人が追加を頼んでいく。静さんのエンジンが大分かかってきたようだ。聞いてもいないのにそのまま次々ぽんぽん言葉が踊っていく。

 

「だから、しばらく私は恋愛はいいんだ。……最近、歳の所為か、母性がどんどん強くなってきてな。家の押入れの奥からたま○っちを引っ張りだしてきて、育てる事で嫌なことを忘れてるんだ……」

 

 静さんがシャツの胸ポケットから○まごっちを取り出す。普通、こういうものってバッグに入れておくものではないでしょうか。あまりの豪快さに変な笑いが漏れる。こういうとこが、かっこよくて困るのだ。しかもこれ昔一番レアだった白い奴じゃないですか。そんなレアものだったが、義輝が受け取って見ると「ブモオッ」と奇声を上げ、俺に画面を見せてきた。

 

「は、八幡これ……」

 

「死んでるな……」

 

 たまごっ○の画面には墓と幽霊が映っている。隼人が危機を察して注文ボタンを押した。そして、俺と義輝の報告を聞いた静さんは驚いたような顔をしてたまごっちを奪い取った。

 そして、画面を見てその表情を絶望に染め、

 

「う、うわああああああああああああああああああっ!!! 何で、何でなんだぁぁぁぁっ!?!? 今朝まであんなに元気だったのに!?」

 

「あ、店員さん。ハイボール4つで。全部濃いめの特急でお願いします」

 

 隼人が冷静で良かった。注文をとりにきた店員のお姉ちゃんは隼人の笑顔付きの注文に元気良く答えると厨房へ戻っていった。忌々しい。

 

「私を、私を置いていかないでくれえええええええええええええ!!!! たらこっちいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」

 

 たらこっちって確か全くしつけしないとなる奴じゃなかったっけ? まぁ、静さんに育てられたらそうなってもおかしくなさそう。この人、こういうとこ結構ずぼらだし。生徒の面倒見は凄く良いのにおかしいね。天を仰ぎ絶叫する静さんがいよいよ面倒くさくなってきたので、店員のお姉ちゃんが走って持ってきたハイボールを前に置いてやると、涙を流しながらごくごく飲み始めた。いよいよもって化け物くさい。煙草に火もつけ、いよいよ準備万端といった感じだろうか。一色や川崎は将来、こういった飲み方をしないで欲しい。

 

「比企谷ぁ! 葉山ぁ! 材木座ぁ! 今日は朝まで飲むぞぉ! たらこっちの追悼だ!」

 

「明日も仕事でしょう。何を言ってるんですか」

 

「どーせ盆休みだからいいよいいってのっ。仕事なんてそんなもん若手にやらせとけばいいんだし……。あああああああああああっ! もう私若手じゃないっ! 君達が現役の時はまだ若手だったのに!」

 

 ここから先はもはや平塚静劇場だ。隼人に無理やり壁ドンやらせたり、義輝に顎クイと見せかけてアッパーをぶちかましたりとやりたい放題だ。俺は静さんの煙草に火をつける係りになっていた。しかしまぁ、なんだかんだこの人と飲むのは悪くない。これだけアホみたいなペースで飲んではいるが、未だ完全に酔っ払ってはいない。義輝のラノベの駄目だしをしたり、隼人の勉強についてもそれなりのアドバイスをしている。俺も一つ報告事というか、相談したいというか、どうせ知ってるだろうけど言っておかなければならない事がある。しかしまぁ、隼人と義輝が居る前では少し言い辛い。すると、

 

「おい、葉山。煙草がなくなってしまったから買ってきてくれ。後、材木座は葉山と一緒にコンビニまで走れ。貧乏生活で少しは痩せたようだが、まだまだ足りない」

 

 チャンスが訪れた。隼人は笑顔で。義輝は渋々といった感じで席を立つ。後に残されたのは酔っ払いと俺だ。何が楽しいのか、ニコニコ笑いながらこちらを見ている。さて、どう切り出したものか……。

 

「君とこうしてサシで話すのも久しぶりだな。まさか、この4人で飲む日が来ようとはな。昔の私に言っても、絶対に信じないと思うよ」

 

「俺だってそうですよ。こんな風になるだなんて予想もしませんでした」

 

「二年の頃に多少マシになったとはいえ、三年の頃の君はとても見ていられなかったからなぁ。もう、本気で10発ぐらい殴ってどうにかしてやろうと思ったが、結局できなかった」

 

 危なかった。この人の本気で殴られたらそれこそ本当に死んでしまいそうだ。きっと、心までも。だが、今振り返ってみてもあの頃の自分はそうやられてもおかしくはなかったのではないのかと思う。過去の自分を否定しない事を信条としてきたが、あの時だけは本当に正しかったのか今でもわからない。ずっと心の奥底で燻り続けている。間違っているとも、間違っていなかったとも、どちらともつかない。

 

「どうして、ですか?」

 

「それは、私にもわからなかったからだ。教師は選択肢を増やし、削ることしかできないと過去に君に言った事があるだろう? 私は、そのどちらも君にしてやれる事ができなかったんだ」

 

「でも、きちんと見ていてくれました」

 

「そう言って貰えると嬉しいがね」

 

 静さんはそういうと寂しそうに紫煙を吐き出した。あの件は、俺が悪いのだ。この人が悔やむ事ではない。それに、俺はこんな事を言いたかったわけではない。

 

「先生、一つご報告があります」

 

「何かね? ……ま、まさか、彼女が出来たなんて言わないよな? 嬉しい事だが、時と場所と場合と話す相手が私である事を考慮してから話してくれよな」

 

「違いますよ。……まぁ、その……もう知っているかとは思いますが……来年、総武高校で教育実習を受ける事となりましてね……」

 

 静さんが咥えていた煙草がぽろっと落ちた。火をつけてなくて良かった。というか、何なのこの反応? 一応、五月ぐらいには学校に挨拶の電話したんだけど。意外な反応に戸惑っていると、ようやく放心状態から解放されたのか、目を見開いてこちらを見てきた。

 

「君は、本当に比企谷なのか?」

 

「正真正銘、俺ですよ。この腐った目は忘れないでしょう? というか、知らなかったんですか?」

 

「いや、ここ数年目は随分まともになったからなぁ。……確かに、教育実習の受け入れの件は聞いていたけど、君の名前あったっけかな? あれ? でも、教頭が名簿作り間違えただが何だかとか言ってたような気が……」

 

 俺の人生何時もこうである。今度教授に会ったら、もう一度確認しておこう。いや、マジでこれ大事だし。

 

「しかしまぁ、君が教育実習とは人間変われば変わるものだな。普通、教師になろうなんて人間は学生時代楽しい思い出が多かった人間がなる傾向があってな。青春は悪であるとか何とか

ひがみ根性丸出しだった作文を書いていた比企谷の進路がまさかの教師か。うん。君の夢見た専業主夫より、非常に過酷な道をまた選んだものだな」

 

「専業主夫の選択肢は早々に削れっていったの静さんじゃないですか……」

 

「当たり前だ。葉山ぐらいの男だってなるのは中々難しいんだぞ。君にすれば、海賊王になるぐらい難しい」

 

「そこまで言わんでも……」

 

「しかしまぁ、君が来年うちに来るとなるとまた面白くなりそうだな。死ぬほど辛いし、休みなんか少ないし、でもやりがいはある仕事だからな。……それに、君の優しさはきっと困った時に役に立つと思うよ」

 

「…………うす。少しだけ頑張ってみようと思います」

 

「しかしまぁ、比企谷が教師かぁ……。一体、誰が君をそんなに変えたんだろうな。雪ノ下か、由比ヶ浜か、葉山か、材木座か、川崎か、一色か。ふふっ。何にせよ、まぁいい変化だ」

 

 この人は一番大事な所がわかっていない。心の中で少しだけため息をつく。変な所が鈍感だから変なところでミスって結婚できない。後、あの長文メール。メールからラインに変わっても静さんは未だ長文だ。俺を一番変えた人間なんて、静さんに決まっている。あの日、あの作文について呼び出されてからこの人との関わりが始まった。最初は強制だった。でも、段々と自分から足が向くようになった。それに、教師を目指すことを意識したのだって、この人の何気ない言葉が原因なのに。

 

 ──……もし、大学で教職をとれるようならとっておいたらどうだ? 案外、君は向いてるかもしれないぞ──

 

 そんな事、言われた事がなかった。誰にも期待されず、自分ですらも何も期待せずに居た俺に、そんな事を言ってくれたのはこの人だけだった。だから、やってみようかと思った。静さんからしたら何の気なしに出てきた言葉かも知れない。それでも、あの日俺の心がどうしようもなく動かされたのは事実なのだ。そのまま、俺が何も言わないでいると、隼人達が戻ってきた。

 

「今のはまだ、あいつらには内緒で」

 

「わかった。来年楽しみにしているよ」

 

 それだけ話すと、もうこの話は終わりだというように、俺と静さんは持っていたグラスを掲げ、もう一度乾杯をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

 

 

 

 

 

 

「嫌だ!! 嫌々!! まだ帰らない!! しずかはまだおうちに帰りたくないの!!!!」

 

「静さんタクシーの運転手さん困ってるじゃないですか。早く乗りましょうよ」

 

「運転手殿。ここの住所のアパートまでお願いしますぞ。後、2千円渡して置きますのでお釣りはこの人に渡してくれ」

 

「ひーーーーきーーーーーがーーーーーやーーーーー!! イーーーーーーーーやーーーーーーーー!! まだまだ飲むの!!!!!」

 

「うわぁ……この酔っ払いやっぱり超めんどくせぇ……」

 

 

 

 

 




帰ってこれました。
一つの区切りの話です。
後は気が向いたら短編1本か2本やって、4年生の話になります。


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第14話:上京した大学生の実家リスペクト率は異常

 

 

 上京した大学生は何かにつけ、やはり、実家はいいなぁとのたまう。俺ぐらいの人間になると、実家の素晴らしさは子供の頃からよくわかっていたし、何だったら東京の大学だろうが何だろうが実家から通う覚悟まであった。ところがどっこい、親父の邪魔というたった一言で実家から叩き出され、まさか小町が遠方の大学に行くとは思っても居なかった我が両親は小町の進学時にはそれはもう大層驚いた。

 お陰で長男は仕送りを減らされ、哀れにも縛りプレイリア充と中二病デブと一緒に、古民家で共同生活を送る暗黒色の大学生活になってしまったのがここまでのあらすじ。

 そんなわけで、毎年恒例の帰省シーズンとなったので、たまには実家に顔でも出そうと帰ってきたが両親は楽しく今日も仕事である。定年まであと少し、頑張って欲しい。ついでにずっと養って欲しい。

 

「しかしまぁ、皆仕事か」

 

 飼い猫だったカマクラは小町と一緒に遠方へ旅立っている。完全なる一人だ。全く予定が無いわけではない。今晩は、沙希が一時期グレてた時に働いてた店で臨時のバイトがある。その為か夏だというのに、スーツを着込んでいるので些か暑い。というわけで、エアコンを16度強に設定して快適な家作りを始めた。やはり、実家は素晴らしい。うちだったらこんな事は出来ない。電気代で死ぬ。冷蔵庫一つ開けるにしたって、高校生の頃までは何とも思わなかったが、食材ってこんなに沢山入ってるもんなんだなって思いました。我が家の冷蔵庫には酒と野菜しか入っていない。冷蔵庫の中にあった親父のビール缶を勝手に開け、チーズを口に咥えながらリビングのソファーに戻るとそこで、ふと机の上にメモがある事に気がついた。

 

 

 八幡へ、今晩は小町が帰ってくるので外食に行ってきます。後はお好きにどうぞ。

 

 

 ちょっとこの両親冷たくない? もう一本ビール飲んじゃうぞ。しかしまぁ、どの道今晩はバイトなので無理な話なのでメモの隣にあった3千円はあり難く頂いておこう。

 

「ふっ。これでしばらく草には困らんな」

 

 嬉しさから思わず声を出してしまった。しかしまぁ、昼間からビールを飲むと煙草が吸いたくなるよね。今晩もきっと飲むだろうし、今のうちの巻き煙草を生産しておく必要がある。この金でバイト前に煙草屋に寄って新しい草と巻紙を買っていこう。そして俺がシガレットケースから残りの巻き煙草セットを取り出しせっせと煙草を生産していると、カタンと音が聞こえた。思わず顔を上げると、そこには悲しみの表情を浮かべた小町が立っていた。……実際顔を合わせるのは久しぶりだ。この前手紙なんかを書いてみたが返信はなかったので仲直りはまだ出来ていない。とりあえず、笑顔だ八幡。長旅疲れた妹に労いの言葉をかけてやるのが兄としての使命だろう。

 

「おう……。お前も吸うか?」

 

 とりあえず挨拶をしてみる。反応は無い。これは完全に嫌われちゃったようです。死にたい。っていうか、お前も吸うかって何なんだよ。隼人や義輝じゃねーんだぞ俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄が盆の時期に帰ってくると母から聞いたので時期を合わせて私も帰省する事にした。最後に半分喧嘩別れみたいな感じで終わっているので、ここしばらくはメールでのやり取りが大半だった。メールは普通に出来る。でも会話はきちんとできるだろうか。不安が募る。あの手紙や沙希さんから聞いた話では大分マシになったようなので、また昔のように話せるかもしれない。そんな淡い期待を胸に家の前につくと、兄の部屋の窓が開いている。ああ、もう帰ってきてるんだ。一瞬だけ足が止まるが、それでも私は進むことに決めた。緊張するのでこっそりと家の中に入る。玄関を開けてこっそりとリビングを覗くと人の気配が合った。

 

(お兄ちゃん……)

 

 と、そこまでは良かった。だがしかし、兄の様子がおかしい。まず、スキンヘッドである。一体何があったのだろう。それにあのガラの悪いスーツの着方は何なのだろうか。スキンヘッドの兄は想像以上に怖い。元々腐ったような目に眉毛も濃い方ではない。明らかにイッっちゃった人にしか見えない。しかも、あの淀んだ目に薄ら笑いは何なのだろうか。兄はニヤニヤ笑いながらチーズを口に咥え、あろう事か朝っぱらからビールの缶を開け始めた。それを一気に半分ほど飲み干すと、満足げな顔で机を眺め始めた。よくよく見てみると、お金が置いてある。

 兄はあろう事かそれを何の躊躇いもなくポケットに入れ、

 

「ふっ。これでしばらく草には困らんな」

 

 満足そうに、淀んだ瞳でそう呟いた。草って何? お兄ちゃんは一体何の草を買おうとしているの?そして兄は腰につけているポーチから怪しい紙と草を取り出し、何やらごそごそと丸め始めた。最後に、紙の部分を満足そうに舌で舐めるとくるくる回して新しい紙と草を取り出した。まさか、兄がアル中のヤク中になっているとは思わなかった。きっと、薬のやりすぎで髪も抜け落ちてしまったのだろう。沙希さんの嘘つき。悲しみで、涙が出そうになるのを堪える。すると、持っていた荷物を落としてしまったようで音に気づいた兄が顔を上げた。兄は最初驚いたような顔をしていたが、すぐににやぁっと怪しい笑いを作り、こう言った。

 

「おう……。お前も吸うか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く小町の反応を待ってみたが何も起きない。よくよく見ると、背も少し伸びて髪も長くなっている。昔のようにだらしのない格好はしてないし、大人の女になったんだなぁとしみじみ思った。すると、小町の瞳から涙がこぼれ始めた。一体何があったというのだろうか、もしかしたら数年ぶりの再会に感極まってしまったという事なのだろうか? 何それ、最高じゃん。やはり小町は天使。間違いない。しかし、抱きついてくるかと思いきや涙目で俺を睨むと、

 

「お、おにいぢゃんのばが……! 昼間っがらそんなもんやっで……!」

 

 どうやら小町は俺が昼間からビールを飲んでいるのが気に入らないらしい。言われて見れば、真面目な人間は昼間から酒を飲まない。静さんという反面教師が居ながら俺は何を学んで居たのだろうか。しかしまぁ、水よりは腹に溜まるしつい飲んじゃうんだよね。我が家は自転車も壊れてるし、車もバイクも運転しないしね。隼人も義輝も飲む時は飲むのでその辺の感覚が麻痺しているようだ。俺の周りには改めてロクな奴がいない。

 

「悪かったよ小町。でも俺にとってはこれは毎日やってる事だしなぁ。気に入らんのはわかるが、我慢してくれよ」

 

「ま、毎日!?」

 

「……あー、毎日でもないぞ。一応、週に三日ぐらいだ。腹が減るとイライラしてなぁ。ついやっちゃうんだよなぁ」

 

「週に三日だって異常だよっ!!!」

 

 小町ちゃん激おこプンプン丸である。こういう所は変わってなくて可愛い。あまりの可愛さについニヤっとしてしまったのを小町は見逃さない。更に怒ったようで持っていたカバンを投げつけてきた。

 

「おにいぢゃんのバカ!! ボケナス!!! 八幡!!!!」

 

「落ち着けって。……何なんだよ小町。確かに、少しは悪い事かもしれないけど、この一杯の為に生きてるって大人はよく言うだろ?」

 

「その一本が命とりなんじゃん!! 中二さんも葉山さんもきっと、お兄ちゃんの事心配してるよ!?」

 

「いや、あいつらも毎日のようにやってるしな……」

 

 そこまで言うと小町の顔面が真っ青になった。こんな小町初めて見る。いや、マジで酒辞め様かな。小町にこんな顔させたくないし。すると、小町は意を決したかのように息を吸い、

 

「警察に電話する!!!!! お兄ちゃんのバカ!!!! 大っ嫌い!!!!!」

 

「ええ!? ちょっと小町ちゃん?!? 警察って何!? 俺もう成人してるんだぞ!?」

 

「馬鹿にしないで!!! 成人したって薬なんかやったら駄目だって小町だってわかるもん!!!」

 

「ちょっと薬って何!?!??! 頼むから警察に電話するのだけはやめてええええええええ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おにいぢゃんごめんなさい……」

 

 ようやく小町も落ち着いてくれたようだ。しかしまぁ、紙巻き煙草を覚せい剤と間違えるなんて小町は可愛いなぁ!! 小町は可愛いなぁ!!! 小町は可愛いなぁ!!!!

 ……よし、終了。小町式多段精神統一法が終わった所でようやく、落ち着いて話せる状態になった。

 

「じゃあ、お兄ちゃんは薬やってないんだね? あれはただの煙草なんだよね?」

 

「そうだ。金が無くてなぁ……。普通の煙草は中々買えないんだよ」

 

「ヤニいちゃんだね……」

 

「その呼び方はやめろ」

 

「後、お兄ちゃん、どうしてスキンヘッドになっちゃったの?」

 

「陽乃さんの仕返しだ。雪ノ下家の留守電に限界まで陽乃さんの事吹き込んでやったんだよ……。したら、恥かいただの。彼氏なのかだの散々詮索されたって喚きやがってな……」

 

「自業自得だね……」

 

 そこまで言うとようやく小町は笑った。俺も安堵からか微笑を返す。そして、

 

「お兄ちゃん、お帰りなさい」

 

「おう。ただいま。小町もお帰り」

 

「うん。ただいま」

 

 多分きっと、これだけで俺と小町の間にあったわだかまりは無くなったような気がした。最初は俺も不安だったが、会って見れば何の事は無い。きっと、小町も俺を理解してくれるし。俺も小町の事を理解してやっているつもりだ。俺が思うに、どこの家だろうが兄妹ってのはそんなもんじゃないだろうかって思う。どこぞの姉妹も、聞いた事はないが、今は上手くやっているのだろうか。ふと、そんな事が頭に浮かんだが想像しても仕方が無いので、すぐに頭の中から消した。

 

「じゃあ、小町部屋に荷物置いてくるね。お兄ちゃんは?」

 

「臨時収入が入ってな。……まぁ、お前に要らん心配かけちまったって事でアイスでも買ってきてやるわ。それまでに荷物の整理しとけ」

 

「うん。待ってる。じゃあ、小町二階に行かなきゃ……」

 

 小町が二階に上がっていくのを見送ると、俺も靴を履いて家の外に出た。今日も良い天気で気持ち良い。コンビニまでだが、少しの散歩もたまには悪くないだろう。そんな事を思っていたが、現実はそうは甘くないらしい。家の前には何でかわからないけど、警察官が二人と、見知らぬおばさんが怪しげな目で俺を見ていた。そして、おばさんは俺を指差し、

 

「この男です!!! この男がこの家の娘さんに無理やり抱きついてました!!! さっきも家の中から凄い大きな声が聞こえてきたんです!!」

 

「……という事ですが、貴方。この家の方ですか?」

 

「え……? い、いや……あのその……い、一応この家の長男なんですけど……」

 

「嘘よ!!! 私、この辺りに二年ぐらい住んでるけどアンタなんか見たことないもの!!! 比企谷さんとお話した事あるけど、息子さんの話なんか聞いたことないわ!!!」

 

 おい、あの両親。どういう近所付き合いしてやがるんだ。俺の存在をなかった事にしようとしているのではないだろうか。警察官も疑惑が増したのか、一人が俺の手を掴んだ。

 

「ちょっと、署の方までご同行願えますか?」

 

 いよいよ手詰まりらしい。できる男はこういう所で慌てない。もう大学生だしな。そして、俺はゆっくりと息を吸い、喉の奥底から叫んだ。

 

「小町ちゃあああああああああああああああんっ!!!!!! たあああああああすけてええええええええええっ!!!!!!!!」

 

 

 

 

 



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第15話:大学生も年に1回ぐらいは人の役に立つ。

 騒がしかった夏が終わったと思えば、冬も色々と騒がしく忙しなかった。まさかのエアコンだと思っていたものがクーラーで、あまりの寒さに家の中で凍死しかけたり、一色が相変わらずトラブルを持ってきたりと色々あった。その辺を語るのもまぁ、悪くはないがあまり良い思い出でもないので黙っておこう。だって、喋ると腹が減るし。

 

 そんなこんなで、男三人力を合わせて協力し、ようやく春を迎える事が出来た。暖房器具は中古の電熱器のみで、電気代節約のために三人同じ部屋で寝る生活もようやく終わった。今は昼間であれば半袖でも過ごすことのできる丁度良い気候でもある。このぐらいの季節が一番良い。やはり日本に四季なんてものがあるのは間違っている。

 

 

 そして、春を迎えて俺達は進級し、大学生活最後の一年を迎える事となった。

 といっても、3年の時にほぼ単位は揃えてしまってあるので後は卒業論文と教育実習ぐらいだろうか。隼人も義輝も最近ではあまり大学には行かずに就職活動を始めたようだ。今まで半裸で暮らしていた俺達だが、スーツを着る事も多くなっており、社会人の訪れが近い事を嫌でも実感させられる。嗚呼、さようなら俺の楽園。色々と考えたが最初から専業主夫一本は辛いので、一応社会人としてダラダラと働きつつ、稼ぎの良い女性と出会い、結婚後に主夫となる事に計画変更をした。静さんなんかには、まだ諦めていなかったのか?と呆れていたが夢は容易く捨てられるものではない。専業主夫に、俺はなる! 

 

 ……なんて言ってみたものの、全くアテなんかない。唯一、身の回りで俺を養える財力があるのは陽乃さんぐらいだが、その陽乃さんはここ最近元気がない。現に今も平日昼間だというのに、ふらっと我が家にやってきてはベランダで外の景色を見ながらぼーっとしている。最初は静かで素晴らしいな、なんて思っていたがこうも頻繁にこられると何かあったのかと勘ぐってしまう。お願いだから仕事辞めたとか言わないで欲しい。ハローワークに通う雪ノ下陽乃なんか絶対に見たくない。すると──

 

「ねぇ……アンタ達。私の良いとこって何なのかな?」

 

 ぽつりとそう呟いた。俺は読んでいた本から顔を上げ、履歴書を書いていた義輝は緊張に身を強張らせ、隼人はスマホをいじるのを止めた。ここで何と答えるかは今後の展開に非常に大きく関わってくる。……考えろ。変にお世辞を言ってはしつこく絡まれそうだ。ここは正直に答えて行きたい。俺達3人は目を合わせ、お互いの意思を確認すると、声を揃え、

 

 

「顔」

 

「胸」

 

「金」

 

 

 …………おかしい。正直な気持ちを伝えた筈なのに空気が非常に悪くなった。でも、間違ってはない。とても美人だし、スタイルもいい、財力だってある。うん。俺達は絶対に間違ってない。なのに、どうしてベランダに座っていた陽乃さんはこちらを睨んでくるのだろうか。しかも何で俺だけ睨むの? そのまま陽乃さんはひとしきり俺を睨んだ後、いきなり立ち上がり部屋から出て行った。

 

「なんなんだありゃ」

 

「流石に、金はないと思うぞ八幡」

 

「そうだな。八幡が悪い」

 

 ……味方が居ない。義輝と隼人がこちらを見る目は冷たい。というか、顔も胸も結構酷いと思うんだけど、こいつらの真意はそこにないのだろう。つまるとこ、一番暇そうなお前が相手をしにいけといったところか。バイトと教育実習前で就職活動どころではないし、義輝と隼人は大手が募集をかけている今が一番大事な時期だ。渋々と立ち上がり、飯でも奢ってくれないかなぁなんて思いながら部屋を出て行こうとすると、隼人がぽつりと漏らした。

 

「あの人、今大変みたいだから、助けてやってくれよ」

 

 その言葉に、特に返事はせず俺はそのまま部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関まで行くと、不機嫌そうな顔をした陽乃さんが立っていた。ここ数年わかってきたが、この人は結構な構ってちゃんだ。大学生になってまで、自分の母校にあれほど頻繁に顔を出す人もそうは居ないだろう。というか、俺は卒業以来一度も総武高校に近づいてすら居ない。それも後一月、教育実習でまたあの学校の門を潜ることになるとは、高校生の頃の俺に言ったら絶対に信じないであろう。今の俺だって少しだけ信じられない。

 

「遅い。女が走っていったら、男はすぐ追いかけてくるもんだよ。だから、八幡はモテないのよ」

 

「別に、陽乃さんにモテたくはないんで」

 

「……ふぅん。ご飯奢ってあげようと思ったけど、やっぱやめようかな」

 

「モテたいです! 申し訳ございませんでした!」

 

 非道なり雪ノ下陽乃。今日も朝からバナナ一本しか食べていないのにそういう事言いますか? その辺りもわかっているのだろう。何時ものとってつけた笑顔に変わった。言われて見れば、この人がイラっとした所とか、本気で嫌味たれてくるところは大学になってみるようになったが、笑った所は見た事がない。高校時代から知っている誰にでも愛されるようないつものとってつけたような笑顔だけだ。俺はこれを笑っているとは思っていない。嘲笑しているといった方が近いだろうか。

 

「よろしい。じゃあ、ちょっとお姉さんに付き合ってくれない? ドライブしようよ」

 

「はぁ……。でも車なんかないじゃないですか」

 

「大丈夫よ。すぐに持ってこさせるから」

 

 ……呆れたお嬢様である。それから20分ぐらい経っただろうか、家の前に多分一生俺には縁のないであろう黒塗りの車が家の前に止まった。降りてきたスーツのお兄さんは恭しく陽乃さんに頭を下げるとキーを渡す。結構強面の人なのに陽乃さんは「ありがとっ」と非常に軽い。怖かったので俺も会釈だけして車の中に乗り込む。……なんなんだろう、このシート。凄く乗り心地がいい。これが、高級車というものなのだろうか。

 

「陽乃さん……これって……」

 

「うん。私の愛車。就職祝いに親が買ってくれたの」

 

 すげぇな雪ノ下家。我が家の俺の就職祝いはなんなんだろう…………。思いつかない、うちの親父辺りなら就職祝いにお前の奢りで何か買ってくれとかいいかねん。この家の子供に生まれたかった。ただし母ちゃんはチェンジで。雪ノ下ママ、陽乃さんや隼人とつるんでると年に二回ぐらい会うけど相変わらず怖いんだもん。謎に包まれた真っ黒な組織でスナイパーとかやってそうなあの鋭い眼光は未だに慣れないし、慣れたくもない。

 

「んじゃ、れっつごー」

 

「…………ちなみに行き先は?」

 

「ん? とりあえず山梨」

 

「とりあえずって距離じゃないと思うんですけど……。ちなみに、俺明日の朝からバイト入ってますから泊まりとかは勘弁ですよ」

 

「え? お泊りじゃなくて休憩がいいの? いやらしい子ね」

 

「何の話をしてんだよ!」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽乃さんの車に乗ってから大体一時間が経過しただろうか。快適な車で、運転も多少スピードは出ているが、特に怖くも何ともない。高速道路に乗ってからは、信号も渋滞もないので車がスムーズに進んでいるのもあってか、大分リラックスできている。他人の運転でドライブするのが好きな女の気持ちが少しだけわかった。これからも、助手席は俺の定位置にして行きたい。

 

「どう、八幡? 綺麗なお姉さんの運転する高級車の助手席に座るなんて初めてでしょ?」

 

「いや、静さんが過去に何回か……」

 

 そう言うと、左手でわき腹を殴られた。痛い。

 

「やり直し」

 

「ハジメテデス。サイコウノキブンデス」

 

「よろしい」

 

 陽乃さんは満足したようだが小声でこっそりと「流石にアストンマーチンは……」と毒づいていた。本当にこの姉妹負けず嫌いである。BMだって負けてないと思いますけど(庶民感)それにしても意外と山梨は近いもんだ。まぁ、千葉の方が全然近いんだけどと適当に頭の中で張り合っていると、ふと陽乃さんの顔が目に入ってきた。やはりというか、最近元気がなさそうに見える。

 

「何かあったんすか?」

 

「んー? いや、別に大丈夫だよ。自分で何とかできるし」

 

「一色曰く、その言い方は話を聞いてくれアピールって聞いたんですけど、マジですか?」

 

「そうかなぁ。お前には関係ないからいちいち話しかけるなって意味もあるんじゃないかな?」

 

「うわ、ムカつく。じゃあ思わせぶりな態度するなよって話っすよね」

 

「そこが女心の難しい所だよ、八幡」

 

「やはり他人の女は信用できないっすね。最後に信用できるのはやはり小町しか居なさそうです」

 

「……そうよね。安心したい。信じきっていたい。気持ちが通じ合っていたい。多分きっと、それが君の言う本物って奴だったのかもね……」

 

 その言葉に心が沈んだ。俺はかつてそう信じて、最終的にはそれを信じきることが出来なかった。あいつらは信じていたのに、俺は信じきれなかった。だから全部壊れて、無かった事にして、見ないように前に進もうと決めた。その果てにどんな結末が待っていようとも全てを受け入れる事に決めたんだった。

 

「そうですね……。でも、俺はそれを信じきれなかった。陽乃さんと一緒ですよ」

 

 ハンドルが一瞬曲がった。動揺したのだろうか。あんまり不用意な事言うと、命を落としかねんかもしれない。

 

「わかってたんだ?」

 

「わかってたというか、そうなんじゃねぇかなって思ってたぐらいです。大学生になって思ったんですけど、普通あそこまで母校に顔出しませんよ」

 

「う……」

 

「めぐり先輩が良い人だったから何とかなってましたけど、あれだけ妹のとことか俺らのとこ顔出してりゃ、普通嫌な顔ぐらいはされますよ。俺だったら間違いなくあの先輩大学でぼっちなんじゃねぇの?って陰口叩きますけどね。まぁ、陽乃さんはここでもラッキーで、その陰口言いたい奴がぼっちで尚且つ陰口叩く相手も居なかったっていう事もあるんですけど……。俺が陰口吐こうもんなら、つか、お前誰?って言われるのがオチです」

 

「それはラッキーだったよ。良かった」

 

「いや、良くないんですけどね。……で、この人はもしかして俺らの言う本物を信じたくないからちょっかいかけてくるのかなーって漠然とは考えてました」

 

「大まかには当たりかなぁ……。でも、私が一番気に入らなかったのは何だかわかってた?」

 

「いや……」

 

「君と、ガハマちゃんだよ。私の後をずっと追ってただけの雪乃ちゃんが、君とガハマちゃんという友人を手に入れたのが本当に不愉快だったよ」

 

 陽乃さんの声が少しだけ大きく響いた。何時もの軽やかな声ではない。心の底から搾り出したような、切ない声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やばい。凄い気まずい。あの後から、陽乃さんずっと無言だし、車は高速降りて山の中向かうし。もしかしたら、このまま俺は魔王の逆鱗に触れた罪で殺されて埋められてしまうかもしれない。さようなら、小町。愛していた。さようなら、隼人。洗濯物を取り込んでおいて欲しい。さようなら、義輝。特に何もねぇや。心の中で祈りを捧げ、来るべき審判の時を待っていると車が止まった。どうやらここが俺の墓場のようである。辺りはもう暗くなってきているし、俺を殺すなら絶好のチャンスだろう。陽乃さんが車を降りたのに続き、俺も降りた。

 

「うお……」

 

 そこは、死に場所としてはきっと最高峰であろうとても綺麗な景色が広がっていた。こんな山の奥なのに、そこはとても綺麗に桜が咲いていた。切り取られた空間のようだった。誰かが手入れをしているのだろう。丁寧に草が刈られ、ただ綺麗な桜を楽しむためだけに、この場所が在る。人工的だが、それでも自然の美しさがとても引き立っていた。

 

「嫌な事があるとね、ここに来るんだ」

 

「わかりますよ。俺も大学で嫌な事があると、すぐトイレに篭りますしね。なんだったら昼飯だってそこで──」

 

「黙って」

 

「あっ、はい」

 

 この景色の素晴らしさに何時もより少しだけテンションが上がってるのに水を差された。陽乃さんは桜の木の下に何時の間にか持ってきたシートを引き、その上に座った。そして俺を見てシートを叩く。座れという事なのだろう。これが静さんだったらシートなんか引かないし、きっと酒飲み始めるし、なんだったら煙草まで吸うと考えると涙が出てくる。

 

「君が雪乃ちゃん達と道を違えて、私とつるむようになった時、私は優越感を感じたよ。ああ、やっぱりこうなったって。これが現実なんだって。──本物なんか、ないんだって」

 

「……そうですか」

 

「でもね、八幡。去年の4月からね。雪乃ちゃん、うちの会社に入ったの。親に頭を下げに行って、今までワガママ言ったから家のために働かせて欲しいって。私、凄く驚いちゃった」

 

 ……確かに俺も驚いた。俺の知っている雪ノ下雪乃は親の望む道を歩く事を嫌がっていたように見える。だとすれば、きっとあいつも色々考えて、自分なりに答えを出したのだろう。それならば、良かった。由比ヶ浜も幸せそうだし、本当に良かったと心の底から思う。あの時の、俺の選択は間違っていなかったのかもしれない。

 

「あの子、昔と違って今とても活き活きとしてる。私の後もついてこないし、八幡が居なくなったのに、高校の時よりもずっと楽しそうなのよ……」

 

「なら、いいじゃないですか。それに俺があいつに与えた影響なんて小さなもんですよ。あいつに言わせりゃ、この発言だっておこがましいって否定されますよ」

 

「それは違うよ、八幡。だって、私が高校の頃には──貴方も、ガハマちゃんも居なかったもの。誰も、私と同じ目線で話してくれる"友達"なんて居なかったよ」

 

 ここ数年、陽乃さんは昔と違って本心で話してくれる事が偶にあったが、今回は特にそれが顕著だ。これだけこの人が動揺するのだ、雪ノ下の変わりっぷりは相当なのだろう。なんだかんだ陽乃さんの元気がない理由がわかってきた。

 

「陽乃さん。雪ノ下と何かありました?」

 

「いや、特にはないよ」

 

「じゃあ、周りですね」

 

「…………そうよ。皆変わった雪乃ちゃんが可愛くてしょうがないみたい。私が跡継ぎだと思ってた連中も、私を見限って皆雪乃ちゃん派になっちゃった。

だから最近暇で仕方ないのよ。──そう、それだけの話よ。お姉さんもう飽きちゃったから海外でも行こうかな。教育実習終わったら、一緒にいかない? モルディブ辺りでも──」

 

「悔しいんですよね?」

 

「…………何が?」

 

「ずっと1人で頑張って来たのに、自分の真似をして、人に頼りきりだった妹が自分を越しちゃって──。じゃあ、自分は何だったんだろうって」

 

 陽乃さんは答えない。俯いたまま返事すらしない。中華料理屋の件の時と一緒だ。この人は、本当に図星を突かれると肯定も否定もしないのだ。本心を曝け出すのが怖いから。誰も信用できないから。己の本心を誰かに利用されかねないから。まるでどこかの誰かさんみたいだ。

 

「……随分と私の事わかった気になってるのね」

 

「間違ってたら笑えばいいじゃないですか。それに、何だかんだ、妹の方よりも一緒に居た年月が長くなりましたしね」

 

 暫く黙っていた陽乃さんだが、やがてゆっくりと立ち上がった。一度深呼吸をして、桜を見て目を細める。そこに、どんな感情が浮かんでいるかはわからない。

 

「お腹すいたし、何か食べて今日は帰ろうか」

 

「……そうですね」

 

 俺と陽乃さんは並んで歩き出した。特に言葉はない。この後、一緒に飯を食うのが少し気まずい。すると──

 

「ねぇ、八幡。いつか、私を助けてね──」

 

「そうですねぇ……。ま、この前も飯奢って貰ったし、その分ぐらいは働きますよ」

 

 俺がそう言うと陽乃さんはニヤリと笑った。

 

「優しいね」

 

「そう言って貰えた方が、楽でいいかなって思いまして」

 

 きっと陽乃さんはこれからも本物を否定し続けるだろう。この人の生き方には"今は"きっと不要な物だし、間違ってても何とかしてしまうのだろう。それが俺の知っている雪ノ下陽乃だ。陽乃さんは笑うだろうが、俺は今でも本物を信じている。壊してしまっても、信じきれなくとも、ある物だと信じて精々足掻いて生きていく。願わくば、あいつらもそう信じてくれていると、少しだけ嬉しい。許される事は無いだろうが、今もきっとこれからも、そう願いながら俺は生きていく。

 

 

 

 




お久しぶりでございます。
今後の更新予定も全くの未定でございます。

何せ
病気療養中だわ
しばらくしたら新しい職場だわ
ここ半年近く毎日がデスマーチでございました。


というわけでこれが最終話となってもいいように、
独自解釈で色々書いてみたり、
一応、綺麗に話し終わってない?みたいな
空気を出しつつこの話を書きました。
陽乃EDっぽいけど、普通のEDっぽいかなって思います。


原作も新刊が出るという事で楽しみに待っているとこです。
では、次の職場が平和で定時帰宅できるようなら、
教育実習編でまたよろしくお願いします。




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第16話:平塚静は大いに嗤う。

教育実習編スタートです。
短編書いてたら多分一生終わらない気がしてきた……。


 場違いなのではないか、今朝からそう思うこと32回。教育実習はよく、学生時代が楽しかった人間や、人に何かを教える喜びを知っている人間が行く場だとネットにはよく書いてあるし、俺もそうだと思う。そこに俺のような暗黒の学生時代を送り、尚且つ人に何かを教えたことなんて、妹か一色にしかない俺がいるのはどうかと思う。実際、同じ実習生の奴らは目がキラキラしているし、これから行われる教育実習というものに胸を高鳴らせている感じが強い。

 

 そこに、俺のような目の死んだ覇気のない生き物が混じっている。隼人が作ってくれた「猿でもできるコミュニケーション方法」を参考とし、先生達にもそつのない挨拶をこなし、同じ実習生に何か話しかけられてもテンプレ通りの回答をする事で今の所浮いてはいなさそうだ。流石は敵を作らない人間が作ったメモなだけあって中々に効果が高い。学生との接し方編も作って貰ったので今後も使用していきたい。唯一不満があるとすれば、隼人が考えて作った渾身のそつのない敵を作らない俺の自己紹介を、視界の隅の方で行き遅れの女教師が笑いを堪えているところだが、これは黙殺する事にした。

 

「それでは指導教員の先生の指示に従って行動をしてください」

 

 教頭先生のありがたいお言葉と共に解散となった。俺の指導教員は誰なのかな、なんて思っていると静さん──もとい、平塚先生がにやにやしながらやってきた。予想をしてなかったといえば嘘にはなるが、やりやすいし、やり辛くもある。変な事しでかしたら、すぐにぶん殴られそうだし。

 

「今日からよろしく頼むぞ、比企谷君」

 

「はい。よろしくお願いします。平塚先生」

 

 俺の反応が面白かったのか、ふ、と笑うと平塚先生は「ついてきたまえ」といい廊下の方に向かっていく。相変わらずのスーツに白衣姿が決まっている。どうして結婚できないのだろう。廊下に出ると、何故か先生は教室とは別の方向に歩き出した。この先、何かあったっけ?と疑問がわく。しかし、卒業以来一度もこの学校に来る事なんてなかったが、意外と何も変わっていない。唯一変わったとすれば、

 

「校舎の工事してるんですか?」

 

「ああ、少し改装工事をな。どこかが見た事のある会社の名前だろう?」

 

 よくよく見てみると、そこら中に雪ノ下建設と書いてある。姉が関わっているのか、妹が関わっているのか、はたまた関係ないのか知らないが流石は地元でも有名な企業である。陽乃さんは先日会った時には何も言っていなかったから関係ないだろうが、流石に教育実習の現場で会いたくはない相手だ。無関係な事を神に祈るのみ。

 

「しかしまぁ、面白かったぞ君の挨拶。葉山の真似をする比企谷みたいな感じで、飲み会とかでやったらウケるんじゃないか?」

 

「やはりそう見えます? まぁ、それは先生が俺という人間を知っているからそう思うんでしょうけど」

 

「厚木先生なんかは感心してたがね。立派になったなぁ、みたいな感じで……。正直、私も君の格好を見て少しばかり驚いている」

 

 あの人俺の事覚えてたんだ。すげぇ。でも、そんなに変わった風には見えない。強いて言うのなら、伊達眼鏡をかけたぐらいではあるが。

 

「眼鏡の事ですか? これなら、一色から貰ったんですよ。これで少しは目がまともに見えるって」

 

「その髪型も彼女の指示か? きちんとセットしているじゃないか」

 

「これは沙希から整髪料貰ったんですよ。身だしなみぐらい整えていきなさいって。カーチャン化が最近凄いんです」

 

 「リア充め」と忌々しそうに先生は呟くと指導室と札の出ている部屋に入っていった。この人、少し勘違いしているけど、教育実習始まる少し前に我が家で行われた比企谷八幡をつるし上げる会本当に酷かったからね。隼人や義輝はまだいいものの、一色や沙希、しまいには酔っ払った大魔王まで参戦してきて、俺の格好や人間性への駄目出しが行われた。あいつらも俺が今のままでは、教育実習が上手くいかないと思ったからゆえの行動だったのだろう。そう信じたい。否、そうでなくてはやってられない。最後のほうなんかあいつら酒盛り始めながら、俺に無茶振りしかしてこなかったからな。何が悲しくて笑顔の練習なんかしなくてはならないのだろうか。

 

「リア充なんかじゃないっす」

 

 そう言いながら部屋に入ると、むわっとした空気が流れた。臭い……というよりは、何時もの匂いだ。煙草の香りがする。何なのここ? 平塚先生は既にもう煙草を口に咥えており、火をつけて吸い込むと何とも気持ち良さそうに煙を吐き出した。

 

「ここを、私と君の拠点にする。毎朝授業前に必ずここでミーティングだ」

 

「ここ、喫煙室ですか? 昔は職員室でも平気で吸ってませんでしたっけ?」

 

 俺の言葉に、平塚先生は忌々しそうにまた口を歪めた。どうでもいいが、この人不満多すぎなのではないでしょうか。いい加減、誰か貰ってあげて。そろそろ冗談でも言いづらいよ。

 

「学校教育の場でも受動喫煙防止のための対策が近年迫ってきてだな。ここも、ついに利用するのが私だけになってしまった。このままでは、来年辺り完全に禁止になってしまうだろう」

 

「はぁ」

 

「だからこそ──君と私でこの嫌煙ブームに立ち向かうんだ。いいか、絶対に実習終わったら採用試験受かるんだぞ? 絶対にだ。このままでは、私一人で教頭と戦うハメに……」

 

 いつの間にか恐ろしい計画の頭数に組み込まれていた。別に煙草は明日から禁煙しろって言われても頑張れば何とかなるレベルだし。俺のじとっとした視線を感じたのか、慌てて取り繕った笑いを浮かべながら消臭グッズを紹介し始めた。好きに使っていいらしい。消臭剤からうがい薬まで数が多い。微かに残った女性らしさの最後のあがきといったところか。そして、平塚先生はニヤっと笑うと、

 

「さぁ、それでは楽しい教育実習の始まりだ。3週間みっちり鍛え上げてやるから、きちんと最後まで文句を言わずについてくるように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平塚先生から細かい今後の予定等を聞いた後、俺が担当するクラスに連れて行かれることなった。いや、マジで帰りたくなってきた。これから地獄の自己紹介だ。只でさえ、ぼっちで碌な学生生活をしてきていない俺に果たして、まともな自己紹介等できるのだろうか。否、出来るわけが無い。だったら──もう手は一つしかない。隼人が作ってくれたメモの自己紹介編を確認するそこには──「どうせぼっちなのだから、開き直れ」と書いてあった。……何これ? 簡潔すぎない? もうちょっとこう、なんというか。気の利いた自己紹介文とかさ。高校生にウケるトーク集とかそんなん期待してたんだけど、役に立たなさ過ぎでしょこれ。教員への挨拶編はきちんと書いてあったのに。

 

「どうした? 随分と緊張しているようだね」

 

「そりゃ、緊張しますよ……」

 

「君の場合は、下手な手を打っても碌な結果にはならんからな。兎に角、噛まずに相手を見てきちんと喋れ。上辺だけ取り繕ったって、生徒だってすぐに見抜くぞ。そういうのは、君の得意分野だったと思うんだがね」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。俺は俺であって、俺でしかない。この卑屈な根性は今更変えられないし、人の言動を裏を考える癖も未だに抜けていない。なんて可愛くない人間なのだろう。こんな生徒絶対に受け持ちたくない。だが、もうここまで来てしまった。後にも引けない。ならば──やるしかないのだ。就職活動も大分出遅れてしまっている。何とか教員にならないと、このままではフリーターだ。折角、勉強して良い大学に入ったのに全部台無しになってしまう。下手すれば来年からは大魔王の小間使いだ。あの大魔王の無茶振りに加え、雪ノ下母とこれ以上顔を合わせる機会が増えるなんて冗談じゃない。──死にたくない。やるしかない。

 

「おっ。腹が決まったか? 随分と目が据わったな」

 

「ええ、まだ流石に死にたくないので……」

 

 大げさ過ぎる……と呆れながら先生は教室へ入っていく。2年F組。懐かしすぎる。J組とかじゃなくて本当に良かった。あのクラスの連中は兎に角とっつきにくい。ゆっくりと先生に続いて教室へ入る。何処か懐かしい匂いを感じた。数年前、俺はこの場所に居た。──特に、2年生だった頃は、色々なことがあった。先生に作文を酷評され、雪ノ下と出会って。この教室では由比ヶ浜と喋るようになった。その次は、彩加、隼人、沙希。本当に色々なことがあったのだ。

 

「ほれ、それじゃあ諸君。予告しておいた通り、本日から教育実習生が来ている。それじゃあ、自己紹介をお願いするよ──比企谷先生」

 

 平塚先生の言葉で我に帰る。ああ、そうか。俺はもう比企谷先生なのか。──教壇に立ち、教室全体を見渡す。当たり前だが、全員見た事の無い顔だ。由比ヶ浜みたいにアホ面している女子。戸部みたいに調子の良さそうな男子。一目でわかる、こいつがこのクラスのトップだというオーラを出した隼人みたいな男子。流石に彩加は……居ないか。残念だけど、どこかほっとしている。クビになるだろうから。そして、雪ノ下みたいなナリだが、思い切り目を見開いて唖然としている女子。色々な奴が居た。俺は、この子達の先生となるのだ。腹にズシンと重いものがくる感触。それを吐き出すように俺は息を吐き、

 

「えー……皆さんはじめまして。大芸大学から来ました、ひきぎゃや──」

 

 ──思いっきり、噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無理ぃぃぃっっつ!!! もうっ! 無理っ! 無理っ!!!!!!!!!」

 

 三時間後、俺と平塚先生の本拠地である喫煙室で俺は悲鳴のような声を上げた。こんなにでかい声を出したのは久しぶりだ。しかし、叫ばずには居られなかった。

 

「まぁ……初日ならあんなもんだろ。噛み谷先生」

 

「そのあだ名酷くないですか? 生徒達も、俺のこと噛んだ人とか、残念な先生とか好き放題言ってましたよね!? あの戸部みたいな奴なんか、死ぬほど笑ってましたしね!」

 

「彼は戸部じゃない。戸田という。きちんと生徒の顔と名前は一致させるように。君なら間違えられる辛さはわかるだろ? ヒキタニ君」

 

「入学してからずっと間違えられてたんで、2年の時にはもうそんな感情無かったですよ……」

 

 何にせよ。とりあえず最悪な事態には陥っていない。少し笑いものにされてる程度だ。これも、平塚先生が俺のことを上手く弄ってくれたからに違いない。そう信じたい。そうじゃなきゃやってられない。とりあえずあの戸部──じゃなかった。戸田って奴には注意しておこう。すぐに騒ぐようなタイプだ。きちんと理解しておかないと、今週は授業の見学だからいいが、自分が授業しているときに騒がれたらたまったものではない。

 

「ほれほれ、とりあえず一服して落ち着け。煙草はいいぞぉ。嫌な事は全部煙と一緒に吐き出せるからなぁ」

 

 先生から煙草を貰って煙を吐く。……確かに、美味く感じる。心が落ち着き、嫌な事がストンと抜けていったような感覚がある。いかん、このままでは目の前に居るニコチン中毒者と同じになってしまう。何とか他のストレス解消方法を考えないと、来年ここの教師になったとして、この人の手下として扱われるだろう。初年度から流石に教頭先生は敵に回したくない。

 

「……そっすね。でもまぁ、想定してたよりは全然マシですよ。先生が上手くフォローしてくれたお陰です。ありがとうございました」

 

「ふふん。もっと褒めるといい。……まぁ、しかし容姿が多少優れてる男子はいいもんだね。早速、クラスの女子を手玉にとってたじゃないか」

 

「あのコミュ力お化けの由比ヶ浜みたいな子ですか? 凄い近くによって来て戸惑うんですけど」

 

「その辺も上手くやり過ごすのも教師としての大事な能力だよ。教師と生徒は同じ人間でも学内では立場が違う。近すぎても駄目、遠すぎても駄目、私だって未だにわからない時がある」

 

「そうですね……。まぁ、何とかします」

 

「ちなみに彼女の名前は、弓ヶ浜だ。覚えておくといい」

 

「…………流石に嘘ですよね?」

 

「私も受け持った時に驚いたが、全部本当だ」

 

 戸部みたいな奴が、戸田で。由比ヶ浜みたいな奴が、弓ヶ浜。ちょっと上手く出来すぎでしょ。まぁ、覚えやすいからいいけど。──そういえば一つ気になった事もある。

 

「マジですか……。まさかと思いますけど、あの雪ノ下みたいな子居るじゃないですか? あの子は何て言うんです? まさか滝の下とかいいませんよね?」

 

 俺の言葉に、平塚先生は面食らったような顔をした後、豪快に笑い始めた。これ、俺以外の男の前でやってないよね? あまりにも男っぽくて普通の男なら引くんじゃないかな。腹を抱えてひとしきり笑った後、平塚先生はとても邪悪な笑みを浮かべて言った。

 

「気になるなら、自分で調べてみなさい。それと、君に幾つか課題を与えよう」

 

「はぁ、先生になっても宿題があるんですね」

 

「最高に楽しい事に、教師は毎日宿題がある。──ま、それはおいおい教えてくとして。二日やろう。それまでに、F組の生徒全員の顔と名前を一致させなさい。ちなみにこれは非常に大事な課題だからな?」

 

「うす。わかりました」

 

 苦手だがやるしかない。3週間だからといって、手を抜くのは楽だがこの人は絶対にそれを認めないだろう。俺だって、先生に失望されるような事はなるべく避けたい。先生は更に片目だけ目を瞑り、悪戯っぽく笑った。

 

「後もう一つ、君には私が担当している部活の臨時顧問も勤めて貰う」

 

「……女子格闘技部でも作ったんですか?」

 

「まさか。……君にとっては、最高に懐かしい部活だよ。まぁ、最後は最悪な終わり方を迎えたかもしれないけどね」

 

 とても、嫌な予感がした。心臓の音が大きくなり、鼓動が早くなったように感じる。そんな俺を、先生はとても楽しそうな顔で見ている。嫌だ。あの名前は言わないでほしい。俺達が卒業した後のあの部活には、結局新入部員は小町しか残らなかった筈だ。そんな小町も、その内一色に引っ張られて生徒会に所属し、あの部活は完全に無くなったと聞いている。そして先生は、一度咳払いをすると俺に最悪な宣言を叩き付けた。

 

 

 

「──それじゃあ、比企谷先生。今日から実習期間の間、放課後は奉仕部の臨時顧問もよろしくお願いするよ。OBとして、是非奉仕部の後輩に指導をしてあげて欲しい」

 

 

 

 

 



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第17話:比企谷八幡は気づかない。

春闘間近のおかげで残業が少ない! 後この話長い!!!!


 因果応報という事場がある。

今日び中学生でも知っている四字熟語だ。だが、その意味を知っていたとしても、まさかそれが実際に自分の身に降りかかってくるなんて普通は思わない。俺もその一人だ。自分が、どうしようもない人間だとはわかっていた。沢山の人を傷つけた。だが、心の奥底では少し安心していた──自分は、真の悪党ではないと。人を殺したわけでもない。追い込んだわけでもない。だから、実際に自分がやってきた事は大した悪ではなく、その罪と向き合う事は現実では起き得ないと──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平塚先生から、奉仕部の臨時顧問に任命された。

 正直に言わせて貰えば、そこから先はあまりの事に呆然としてしまい、まるで教育実習に身が入らなかった。今日が初日で本当に良かったと思う。このままではいけない、一度トイレで気合を入れなおしてLHRに向かう。流石にぼっちだっただけあって、こういう追い詰められた時の、自分の回復力には驚く。後に引けない。何も頼れない。自分ひとりで何とかするしかない。──久しく、忘れていた感覚だった。

 

「義輝、隼人……」

 

 三人で共同生活していた頃がふと懐かしくなる。俺は、こんなにも弱い人間だったのかとも自嘲する。あの共同生活は、本当に俺を大きく変えてしまったのだという実感が強くなった。ラインのグループなんぞを眺めだした弱い自分を押し殺し、教室に入って一番後ろに立つ。ここが教室の状況を一番良く見渡せる。

 

俺と、生徒達。歳は大して変わらない。自分が居た頃とも余り変化もない。騒がしいグループ。大人しいグループ。取り巻き。陰キャ。──そして、ぼっち。どのクラスにも一人は居るんだなと自嘲気味に笑う。俺はこの30人程度の人間達が全て仲良くするなんて事は不可能だと知っている。ただ、上手くやる事は出来るとも知っていた。それは、誰もそうだろう。

 

お互い、自分の立場や関係を崩さずに上手くやる。あの頃唾を吐き捨てていた上っ面や、嘘も今こうした立場にいると、よく出来ているなと感心する程だ。この状況で、俺はどんな教師になればいいのか。どう指導していけばいいのかを考えてみるも、全く浮かばない。

 

(唯一浮かぶのは、上手くやる事……)

 

 俺がかつて嫌ったなぁなぁの関係。それが最適解──というよりは、合理的だ。そこに本物もなく、偽者も無い。一人一人が得たものが全て。クラスという輪から外れただけで、これほどまで視えるものが違ってしまっていた。 

 

 俺なんかより、隼人の方がずっと教師に向いていると思った。あの頃から、あいつは今の俺と同じような視点に立ち、ある程度が平等なクラスの雰囲気作りをしていた。そこで自分達がトップに君臨する事までも含めて誰が責められようか。だが、それだけじゃ救えないものも数多くあった。あいつも多くを間違えたし、俺も多くを間違えた。正しさなんかない、結果が全てだ。少なくとも、今は当時と同じような方針で行くしかない。掬えなかったものを救う。あまりしっくりとこないが、今言葉にできる精一杯だ。

 

「先生、少しいいですか?」

 

 そんな事を考えていると、生徒に話しかけられた。まだ名前は覚えきれていない。先生、名簿何時くれるんですかね。だが、印象に残っている子だった。俺から見たクラスのトップは多分彼だろう。高校生ながら、俺よりも既に高い身長に、部活でもやってるのかしっかりとした体。単なるスポーツ馬鹿でもない、爽やかな物腰。こいつはモテる。俺よりもずっと。そんなイメージを持った子だった。確か名前は──

 

「おお、悪いまだ緊張しててな。えっと──」

 

「クラス委員の山羽っていいます。短い期間ですが、よろしくお願いします」

 

「ああ、山羽君ね。葉山とかじゃなくて」

 

 ホントどうなってんのこのクラス。俺が夢の中に居て、擬似教育実習をやっているのではないかなんて妄想まで出てきた。

 

「……? ああ、そうだ。平塚先生がこられないみたいなんで、僕が司会でLHR始めちゃっていいですかね? まだ決まっていない代表委員があるんですよ」

 

「おー……そうか。まぁ、俺は後ろで見てるから進めてくれ」

 

「わかりました」

 

 それだけ言うと、山羽は大きな声でLHRはじめるぞーと声をかけると、黒板の前に立った。何この統率力。これがリア充の力、ザ・ZONEか。久しぶりに見た。隼人より凄いんじゃない?騒がしかったクラスの連中が揃いも揃って席につき、山羽の話を聞いている。どうやら、選挙管理委員がまだ決まっていないらしい。ははぁん、これ一番面倒くさい奴だわ。案の定、クラス中に不協和音が響き渡る。お前やれよ、だの、誰々がいいんじゃない、だの。この辺やっぱり変わらないよね。トップカーストの連中は、部活あるしムリ。中堅所もそれに続く感じを出している。そうすれば、カースト下位の連中が目をつけられる。弄りから入って、話題を大きくし、クラスの空気を押し付けていくパターンだなこれ。そのまま放っておいたら、平塚先生に怒られそうなので、そろそろ口出すかな──なんて考えていた矢先、

 

「鶴見さんとか、いいんじゃない?」

 

 女子の一人がふとそう呟いた。トップカーストの一人だろうか。中々に声も大きい。そして、一方の鶴見さんは──というと、このクラスで唯一のぼっちで、雪ノ下っぽいあの子だった。さっきの驚いた表情は何処へいったのか、気だるげな目をして、さして興味もなさそうに前だけを見ている。そして、ぽつりと一言。

 

「理由を教えてくれる?」

 

 その言葉に言った側は作り笑顔と作り笑いを浮かべながら、あれやこれやと持論を並べ立て始めた。真面目そうだから任せられるとか、いつも冷静そうだからと凄まじく曖昧で適当な言葉だった。鶴見はしばらくどうでも良さそうに聞いていたが、段々と面倒くさくなってきたようで、やがてとても良い笑顔を浮かべると、

 

「あーそうね……。貴女が、どれだけ私にこの仕事を押し付けたいかが、とても良く伝わってきたからもう喋らなくていいよ」

 

 そう言いのけた。一瞬、空気が凍りつく。少しだけ面白いと感じたのが、この発言に対し、クラスが真っ二つに一瞬割れた事だ。一つは、鶴見への拒絶。そしてもう一つは、鶴見への応援だ。表面上山羽が上手くやっているが、このクラスはトップカーストと反トップカーストの二つの力が拮抗している。そして、反体勢側は、鶴見を自分側に引き入れたいのではないかと予想できる。現に、何人かの女子が酷くない?だの何だのと騒ぎ始めた。その後も、鶴見は自分の態度を省みるわけでもなく、

 

「もう、面倒くさいから山羽君が決めていいよ。私か、井浦さんのどっちかでいいでしょ。どうせ、みんなやりたくないだろうしね」

 

 鶴見の提案に山羽は困ったような顔を浮かべたが、まだ余裕は消えていない。すげぇなこいつ。俺だったらもう気絶している。先ほど発言した女の子は井浦さんと言うらしい。自分で言ってて寒い。井浦は、不満そうな顔を最初はしていたが、山羽が見ているとわかったら態度がコロっと変わった。本当に女って怖い。

 

「そうだなぁ……。じゃあ、悪いけど井浦さんやってくれないかな。鶴見さんは部活もあるし、井浦さん確か帰宅部だったよね? 席近いから相談しやすいし、俺もサポートするからやってくれないかな?」

 

 そういうと少し笑いながら山羽君は両手を合わせた。流石はリア充。空気の読み方のレベルが違う。井浦も、そこまでされちゃあ仕方ないとばかりに、選挙管理委員となることを快諾した。これでハッピーエンドだ。表向きは、井浦の押し付けも、鶴見の返しもなかった事になり、選挙管理委員も決まって万々歳。

 

すっげぇ、欺瞞と妥協に満ちた決定だが、結果が全てと言うのならば丸く収まった。ほっと一息ついていると、視界の隅で白衣が手招きしている。あの人、本当にLHRすっぽかして何やってんの? 教育実習初日から結構ピンチなんだけど。渋々とだが、廊下に出る。

 

「ついてきたまえ。歩きながら話そう」

 

 そのまま、先生についていく。心なしか、先生は楽しそうだ。こっちはようやく一息つけたんですけど。この人が何時か英霊になった時は、きっとクラスはバーサーカーだろうな。

 

「どうだね、あのクラスは?」

 

「悪くないんじゃないですかね。対立する時もあるでしょうが、それ以外は大して上もなく下もなくって感じで。あのクラスにいても多分俺は馴染めなかったでしょうけど」

 

「そら、学生時代の君に馴染めるクラスなんかないと思うよ。ただ、立場が変わってくると見えるものも変わって来るだろう」

 

「そうですね……。俺が今まで見下してたモノが、システムとしては悪くないのではないか、と思っています」

 

「そうか……。比企谷、君は教師が3年間の間に生徒に送る事が出来る、最大限の贈り物はなんだと思う?」

 

「俺は……。そうですね。結果じゃないですか。進学先か。就職先か。はたまた、この学校で得たモノとかもあります。交友関係やら、知識やら何やらひっくるめてのもんですけど……」

 

「私は、笑ってここを卒業できる事だと思っている。……ちなみに、これは私の持論だから正しいわけでもない。ただ、私は全員を笑って卒業させてあげる事を目標に、この仕事しているんだ。……君にはそれを与えれなかったけどね」

 

「すいませんね。そんなに卒業式笑ってませんでしたか?」

 

「君の妹と一色が大泣きしてたのを困った顔してみていたのが印象的だな。……まぁ、由比ヶ浜と雪ノ下の事もあったとは思うが」

 

 何も言えない。ただ、申し訳ないと感じている。あれは全て俺の所為であって、この人に落ち度は何一つない。

 

「私には落ち度はなかった、等とは言うなよ。でも、君にはここを笑って出て行って欲しかった。君だけじゃない、他の生徒にも同様にそれは思っている」

 

 悲しそうに平塚先生は笑った。そして、手に持っていた冊子を俺に渡すと一度伸びをして、職員室の方へと足を向けた。

 

「これは、クラス名簿だ。目を通しておきたまえ。──後、これから喫煙室で私と君と打ち合わせをした後、放課後の職員会議に出席。それが終わり次第、奉仕部の部室へ行ってくれ。場所は変わってないから安心したまえ」

 

「……先生はこないんですか?」

 

「仕事が山積みでね……。もう若手じゃないんだと痛感させられるよ。やってもやっても、次から次へと舞い込んで来るんだ……。いっその事、仕事と結婚できればいいのになぁ……」

 

 

 ついに、人間と結婚したいから概念と結婚出来たらなんて妄想まで呟くようになった。……まだ、大丈夫だろう。最後の最後まで出来なかったなら、もはやその時は覚悟を決めるしかない。その頃ともなれば先生も、専業主夫を許してくれるのでは? ないか。ふわふわとした先生の後に続くようにして、俺はその背中を悲しく見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議も終わり、先生に「行って来い」と背中を思い切り殴られた。叩かれたのではなく、殴られた。その反動もあってか、スムーズにかつて奉仕部だったあの教室の前に俺は立っていた。楽しかった思い出もある。辛かった思いでもある。向かいの窓ガラスを見る。そこには不景気な面構えのおおよそ教育者らしくない風体の男がそこに立っていた。──意を決して、ドアを開ける。懐かしい教室の匂い。そして、紅茶の匂い。教室には相変わらず机が置かれており、そこには女子生徒が一人窓の外の景色を見ながら立っている。

 

「……おす」

 

「……どうも」

 

 流石に相手も呆気に取られたようだ。まさか、教育実習生が来るとは思うまい。それは、こちらも一緒。まさか担当のクラスだとは思わない。今日、話題の中心に居た生徒、鶴見だ。呆気にとられたのは一瞬。向こうはすぐに口を閉じ、警戒しているのか一歩下がった。久しぶりだ、この拒絶の感覚。女子に嫌われまくった俺でなければここで挫折していただろう。鋭い眼光に、長い黒い髪はかつての部長を彷彿とさせる。……よくよく見てみると、雪ノ下と違って背は低めで表情にはまだ可愛げがある。プチ雪ノ下というよりは──プチのんと言ったところか。そう思ったが、出るとこは出てるので、プチは本家の方でした。

 

「先生、視線がキモい」

 

「あー……すまんな。生まれつきでな。もうみねぇよ。ええと、うちのクラスの鶴見だよな。平塚先生に言われて、臨時顧問をやる事になったんだ。部員はお前だけか?」

 

「……そうですけど。他に何かないの?」

 

 鶴見の警戒が一層上がったのを感じる。他に何を言えばいいんだろうか。謝罪が足りないのだろうか。だとしたら、土下座? だって仕方ないじゃん。そこが本家と最大の違いだし。だがまぁ、見ていたのは事実なので仕方が無い。このままセクハラなんて騒がれてはやはり俺の教育実習は間違っていた、完である。仕方が無い、とばかりに俺はゆっくりと膝をつくが、鶴見は更に怪訝そうな声を上げた。

 

「……何してんの?」

 

「いや、だから土下座を……」

 

 はぁ、と盛大にため息をつくと鶴見はそっぽを向いて椅子に座った。これだから、年頃の女子は難しい。小町のチョロさを見習って欲しいものだ。もう、全人類小町でいいよ。そのまま沈黙が流れる。鶴見さん、完全にシカトモードに入っております。何か打開策は無いのだろうか。持っているのは、クラス名簿のみだ。──あっ、もしかしたら平塚先生が気を利かして生徒の好きなものとか書いてくれてるかもしれない。最後の希望にすがるように、名簿を開いてみたが名前が羅列してあるだけであった。唯一、あるとすればふりがなが振ってあるぐらいだろうか。最近読み方難しい名前多いもんね。比企谷とか、八幡とか。俺ぐらいになると日比谷君とか書かれたりするんだぜ。鶴見の名簿の所にはやはりというか、ふりがなしかない。つるみるみ。冗談みたいな名前だな。………………あれ? どっかで聞いたことない? この名前。

 

「なぁ…………もしかして、ルミルミ?」

 

「その呼び方、キモい」

 

 このやり取りで完全に思い出した。鶴見──いや、留美はようやくわかったかと言わんばかりにため息をもう一度盛大についた。

 

 

 

 

 



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第18話:鶴見留美は動じない。

「それにしてもまぁ……。なんだ。久しぶりだな、留美」

 

「お久しぶり。八幡……。ああ、今は噛み谷先生だっけ?」

 

「その話はやめてくれ……。ちなみに、比企谷だ」

 

 一体どうなってんだ、と神に問いたい。どうして留美が奉仕部にいるのだろうか。いや、そもそも何故奉仕部が復活しているのだろうか。特に重要な部活ではない。学校の片隅にある、ぼっちの避難所のような部活だった。なんだかんだ生徒会やら文化祭やら体育祭に関わったものの、その功績をどれ程の人が知っているだろう。殆どの人間が気にも留めてなかったはずだ。他の生徒連中からはボランティアサークルだと思われていた節もある。

 

「なぁ、ここは奉仕部で合ってるよな? 何でお前がまた、こんな部活に入ってるんだ?」

 

「……別に? 平塚先生に1年の頃呼び出されて、説教されて、喧嘩したらさ。奉仕部っていうのをやれって言われて、ずっとそのままここに居るってわけ。OBが居るのは知ってるけど、八幡もそうだったんだね。ただの陰キャじゃなかったんだ」

 

「ああ、そうだ。ちなみに学校内では比企谷先生って呼んでくれ。平塚先生に殴られるし、変に他の生徒に勘ぐられても困る」

 

 俺の言葉が可笑しかったのか留美はふっと笑う。こういう挑戦的なとこ、前部長とそっくりで嫌になる。本当に、誰に似たんだか。

 

「じゃあ、二人だけの時はいいでしょう? そう決めたわ。本当に面白いね。奉仕ってガラじゃないでしょうに」

 

 ぐうの音も出ない正論出されました。確かに奉仕ってガラじゃない。言われてみれば、よく奉仕部だなんて俺に合わない名前の部活にずっと所属していたな。誰も言ってくれないから卒業して4年経ってようやく気づいたよ。

 

「それは認める。……見た感じ俺が居た頃と活動内容は変わってないみたいだな。放課後、ここでだらだらと過ごして帰るってお決まりのパターンか」

 

「そうね。貴方達みたいに、依頼なんてのはほぼ来ない感じかな。月、1回あるかないかぐらい。そんなもんだから、週に一回、近くの保育園でボランティア活動してるの。強いて言うなら、それがメインの活動かな」

 

 え、この子俺たちより偉くない? 近くの保育園にボランティア活動? 一度だってそんな事していない。毎日毎日、本を読むかSSもどきの添削か、行き遅れのくだらん長文メールへの返信ばかりだった。部長は本を読んで人の悪口しか言わないし、もう一人に至っては、頭の悪い事を喋るか、携帯を弄るかしていなかった。本当に活動内容だけで見ると、ぼっちの避難所どころか、隔離施設だったよね。一人だけぼっちじゃない奴居たけど。

 

「そ、そうか……。他に部員とか居ないのか?」

 

「──居ないし。これからも要らない」

 

 明確な拒絶の言葉だった。これ以上は聞くなという事なのだろう。俺から目を背けて、スマホを弄り始めている。どうにもこうにも、留美はあれからずっと、1人でやっているようだった。それは、俺の所為でもあると思う。小学生だった彼女の人間関係を、良かれと思って叩き壊した。あのやり方では駄目だったのかもしれないという思いがあり、その後もクリスマスイベントで手を打っては見たが、最終的に1人で居る事を選んだらしい。

 ぼっちの大変さ加減は知っている。それでも、耐え、1人で居る。かつての自分を見ているようだ。

 

「……とりあえず、教育実習の間は臨時顧問になっている。まぁ、短い期間だけどよろしくな」

 

「うん、よろしく」

 

 そう言うと、留美はほんの少しだけはにかんだように笑った。その笑顔は昔とあまり変わらない。そして、俺の心に罪悪感だけが何故か残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、教育実習も二日目となった。

 あの後、留美とは特にこれといった会話はなかった。元々俺も喋る方ではないし、留美もそうだろう。俺は淡々と教育実習の日誌を書き、留美は宿題やら読書やらをやっていた。これで顧問でいいのか、なんて思ったが平塚先生が俺達の顧問をやっていた頃を思い出してみると、そもそもあの教室に来る事が珍しかったし、来たら来たで問題ごとを持ってきたような記憶しかない。その点俺はなんて良い顧問なのだろうか。問題ごとを持ち込まず、生徒にリラックスした空間を与えている、なんて事を日誌に書いて出したらぶん殴られた頬がまだ痛い。

 

「おはようございます」

 

 今日も作り笑顔で出勤。声も普段の二倍ぐらい出している。長く強制的だったアルバイト生活がこんな所で役立つとは思わなかった。どんなに無能であろうとも、元気良く挨拶してればそれなりの事は許して貰える。隼人に教わってから、嫌な所は手を抜いても許されるよう、俺は挨拶だけはきちんとすると決めている。お陰で職員室での評判も実にまぁ……普通だ。そりゃ、普通の人間挨拶ぐらいきちんとするから当然だよね。挨拶だけ済ますと平塚先生の姿がない。どうせ、あそこだろうなと思い、喫煙所に向かう。

 

「……おはようございます」

 

「ああ……おはよう」

 

 喫煙室では先生が死んだような目つきで煙草を吸っていた。昨晩の合コンも惨敗だったらしい。合コンに行くと常に最年長になってしまってから、翌日は大体こんな感じらしい。陽乃さんが言っていたのを思い出した。そんな先生を特に気遣うわけでもなく、隣に座って一服。……いかん。完全に喫煙者のペースだ。巻き煙草の在庫が尽きてきているオーラを出すと、自分の煙草をくれる所がもう、怖い。ここにもサイコメトラーが居るようだ。

 

「昨日は君のふざけた日誌の指導に忙しくてあまり話せなかったが、久しぶりの奉仕部はどうだったかね?」

 

「……俺らの頃より部活らしい事してましたね」

 

「……そうだな。ボランティアの子共達には結構鶴見は心を開いているようでね。教室とは違う顔を見せるんだが、いかんせん校内ではあんな感じなのだよ」

 

「……俺が、何とかするべきなんでしょうか」

 

「自分で考え、わからなければ聞いて見なさい。昨日も言っただろう。私は笑顔で卒業させる事を目標にしていると。その為に、彼女を復活させた奉仕部に放り込んだし、ボランティアの交渉なんかもやったし、君という存在もぶつけている」

 

 先生の行動は一貫している。俺にもそういった信念を持てという事なのだろう。中々難しい事だ。ぼっちで、他人を信じられずに、人の言葉の裏ばかり考えている。そんな人間に何が出来ると言うのだろうか。……わからない。しかも、それは留美だけじゃない。他にも問題を抱えた多くの生徒が居るのだろう。きっと先生は、誰に対してもそうやってやるつもりなのだ。教師という職業の認識が大分変わってきた。この人が指導教官でよかった。俺が教師という、普通じゃ絶対に選ばなかっただろう道を選んだのもきっとこの人の教育方法に感銘を受けたからなのだろう。

 

「わかりました。考えて見ます」

 

 俺の返事に先生は満足したように笑うと、もう一本煙草を吸えと差し出した。本当に、この人はこういう所が無ければ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も授業は見学だ。

 教室の後ろからクラスを観察する。別段、悪くはないクラスだ。部外者の俺ですらそんなに居心地は悪くない。あまり騒がないし、基本的には皆授業を聞いている。こういう所は、進学校で良かった。

 留美は、というと相変わらずだ。一人で黙々と授業を受けている。ただまぁ、同じぼっちでも俺とはかなり違う。見てくれは悪くないので、男は意識している奴は結構多い。隣の奴なんか、消しゴム借りるだけで露骨に緊張していた。それに加え、成績も良いらしい。返された小テストはどれも高得点。まさにぷちノ下さんと言ったところだ。雪ノ下より棘がない感じがまだ救いとなっており、完全な孤立やいじめといったものは無い。そんな留美にイラついているのがきっと井浦さんだろう。相模の悪いとこと三浦の悪いとこを煮詰めて水で薄めたようなショボい悪意を偶にであるが振りまいている。休み時間に当てこすりのような発言をしたり、それを留美が完全に無視するもんだから余計にカッカしている。そんな空気を上手く中和しているのが弓ヶ浜さんだ。彼女は由比ヶ浜以上の大物かもしれない。授業中は幸せそうに寝ているし、二時間目が終わった辺りには早弁までしている。本当に、何しに学校に来てるんだろう……この子。

 

「せんせー。一緒にUNOやらないー?」

 

「教育実習クビになるわ! 他の先生にみつからねーようにやるんだぞ」

 

 なんせ、起きてりゃこのザマである。俺の言ってることも教師としてどうかと思うが、そこまで厳しく言う程の事でもない。そんな事をしてりゃ、昼休みである。午前中はほぼ平塚先生の荷物持ちをしていた事もあり、かなり腹が減っている。俺の手にあるのは、おにぎりが二つ。実家で昨晩余った米を貰って握ってきている。

 実家に居れば晩は保障されている。小町が居ないので朝作ってくれる人間が居ないのが辛い。両親は俺が出る時間にはまだ寝ているからだ。相変わらず家に居る時は死んだように寝ている。俺も将来あんなくたくたになるまで働かきゃならんのか……。そんなこんなで再び喫煙所に居る。俺、朝晩しか職員室行ってないけど、本当にこれで大丈夫なの?って不安が増してくる。

 

「昼だな」

 

 と言いつつ一本吸う。ニコチンから栄養でも取っているのだろうか。恐るべし。流石に俺はここで昼食をとるのは避けたい。

 

「先生、今日のお昼どうするんですか?」

 

「ああ、食べない。先週、酔った勢いでバイクを買ってしまってな。流石に今月は生活費を切り詰める。丁度、ダイエットにもなるしいいだろう」

 

「それ社会人としてどうなんすか……」

 

「大丈夫だ。未来の私がきっと何とかする」

 

 自信満々に語る先生。もう本当にこの人は……情け無くて涙が出てくる。その今吸っている煙草を辞めれば食事摂れるのに……。

 

「……そうですか。俺は、ちょっと外で食べてきます」

 

 そう言って部屋から出て行こうとすると、先生は白衣から鍵を取り出して投げて俺に渡した。

 

「部室の鍵だ。もう生徒じゃないんだから、外じゃなくてきちんと教室で食べなさい。職員室には他の実習生も居て君は居づらいだろうし、丁度いいだろう」

 

 本当にぼっちへの心遣いありがてぇ……! 鍵を持って、意気揚々と部室へと向かう。サンキューSHIZUKA。フォーエバーSHIZUKA。スキップしながら部室までたどり着くと、鍵を開けてドアを開く。

 

「……何?」

 

 何故か留美が居た。警戒心丸出しで、こちらを睨んでいる。ハメやがったなあの女。留美の机の上には教室の鍵のようなものが置かれている。これで中から鍵をかけて、完全なプライベートスペースにしていたようだ。ぼっちってどうしてこんな事ばっか考え付くんだろうね? 前部長だってここまでしてなかったよ。奉仕部が俺だけだったなら、間違いなく同じことしてただろうけど。

 

「いや……ここでご飯食べようかなって……」

 

「先生なのに学校に馴染めてないんだ。ウケる」

 

「ウケねぇよ。お前こそ、クラスに馴染んでねぇだろ」

 

「うるさい」

 

 冷たく斬り捨てられた。言い方がが沙希ちゃんの右フックより鋭いんだけどどうなってるの。特に出て行けと言われなかったので、そのまま椅子に座っておにぎりをいただく。

 

「貧相な弁当……」

 

「大学生は金がない。お前もなったらわかるさ」

 

「バイトぐらいするもん」

 

「ちなみに俺は週5日働いてこのザマだからな。よーく覚えておけよ」

 

 留美が少し驚いたように目を見開いた。俺は多少状況が普通の大学生と違うが、世の中これ以上苦労する奴だって数多く居る。これで、少しは社交性を身につけなければなんて考えてくれればいいのだが。……とまで考えて心の中で笑う。俺が、人に向かって社交性を語るとは。教師ぶってんじゃねぇよなんて自嘲するが、それでも願ってしまう。

 

「……じゃ、じゃあ私の──」

 

 なんて留美が何かを言いかけた時、部室のドアが開いた。そこから顔を出したのは、弓ヶ浜さんだ。この子さっきまで寝てた気がするんだけど、やっと起きたのか。何時ものアホみたいな笑顔は浮かべていない。何かに警戒するように、こっそりと部屋の中に入ってきた。そして──

 

「あれ? 何でヒッキー先生が居るの?」

 

「その呼び方は今すぐやめろ。俺はここの部活の臨時顧問やってるんだ。今も鶴見と打ち合わせしてたんだよ」

 

 誰かさんみたいな呼び方は心臓に悪いから勘弁して欲しい。それよりも、まだ俺ヒッキーっぽく見えるの? 一色から貰った眼鏡毎日きちんとかけているのに。いろはすってば、これならキモさが半減しますって言ってたじゃん。

 

「ごめんなさーい。えっと……うーん。どうしよう。……じゃあまぁ、いいか。ここ、奉仕部だよね? 何か困った事の相談にのってくれるっていう」

 

 どうでもいいけど弓ヶ浜さん。思考が適当過ぎない? 先生、そっちの方の相談に乗ってあげたくなってきたんだけど。後、ルミルミは露骨に面倒くさそうな顔をしない。俺の視線を感じたのか、渋々と言った感じで留美は認めた。

 

「そうよ……。話ぐらいなら聞くから、座ったら?」

 

 留美の促されて弓ヶ浜さん花が咲いたような笑顔を浮かべ、椅子に座った。

 

「留美ちゃんとこうやってお話しするの 一年の時以来だよねぇー」

 

「そうね……。で、用件は何なの?」

 

 流石の塩対応だが、弓ヶ浜さんもめげない。こんな構図どっかで散々見てきたけど、変わらないものってあるんだね……。なんて思ってると、一転して弓ヶ浜さんの表情が暗くなった。どうやらクッキー作りたいとかそういう話ではなさそうだ。良かった。

 

「んでさ……相談っつーか、なんていうか。うちのクラス今結構微妙じゃん? ゆーことかみさきとかさぁー。あたしも結構困っててさぁー」

 

 やべぇ、何一つ伝わってこない。わかったのはウチのクラスは微妙だという事だけ。女子高生の会話ってこんなに解読難しいの? 国語教師目指してるけど、この作者の心情想像するのちょっとムリです。ルミルミもこれわかるんだろうか。……いや、わからないだろう。どこかの誰かさんみたいにこめかみに指を当てて「貴方、本当に義務教育を終えたの? きちんと日本語で喋ってくれないかしら?」とか言いそう。

 

「山羽君の事ね」

 

 わかるのかよ、スゲェ。もしかしたら留美なら陽乃さんの事も理解してあげれるかもしれない。あの人もこの会話ぐらい意味わからないひねくれ方してるし。そのまま暫く聞き耳を立てていると、大体の概要がわかってきた。うちのクラスの反留美派に居る井浦さんは山羽君が好き。その対極に位置する坂見さんも山羽君が好き。その二人と仲が良い弓ヶ浜さんは一体私どうなっちゃうの~みたいな感じのようだ。俺の結論から言わせていただくが、モテる奴が悪い、完。

 

「留美ちゃん。山羽君と小学校から一緒だよね? 彼女が居るとか、何か知らないかな? 二人とも山羽君と付き合いたいから凄く仲悪くなっててさ。あたし、どうしたらいいかわかんなくなっちゃった」

 

「両方告って玉砕してくればいいんじゃねぇかな?」

 

「ヒッキー先生酷くない!? あたし、2人には幸せになって欲しいけど……でも、山羽君の体は一つしかないし」

 

 山羽君と似たような葉山君って大学生が居るんだけどどっちかそっちで妥協できないかな? 今、就活で弱ってるからお弁当四つもあげれば喜んで付き合ってくれると思うんだけど……流石にこれは駄目か。一方の留美はというと、完全に目が死んでる。心底どうでも良さそうだった。はぁ、とため息をつき、

 

「悪いけど、知らない。殆ど喋った事ないしね」

 

「そう……。ごめんね、留美ちゃん。変な事聞いちゃって。少し話したらあたしも楽になったからさ」

 

 どう考えても作り笑顔で、弓ヶ浜さんはそう言うと、立ち上がった。流石の俺も少し力になってあげたいぐらい元気が無い。俺も立場上生徒の色恋沙汰には絡みづらい。すると──

 

「──待って。山羽君が、特定の恋人が居るかどうかを調べればいいの?」

 

「うん、そんな感じかな……。あたしとしてのベストは、どっちかが諦めて仲良く丸く収まるってのが一番いいんだけど」

 

 留美はそれにうん、と頷くと一度俺の方を見た。何故だろうか。だが、すぐに目を背けるとこう続けた。

 

「わかった。少し考えてみるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み後からも平塚先生の奴隷で終わった、完。

 俺の教育実習本当に大丈夫なの?って気がしてきたが、きっと教師になっても俺は平塚先生の子分になるのだろう。これは予習なのだ。頑張るしかない。泣ける。先生はこれから問題を起こした生徒に事情聴取するだとか何とかなので、LHRは俺の当番となった。苦手なんだよなぁ……ああいうの。だが、やるしかない。入る前に教室の様子を伺う。そんな俺の横を、留美がトイレからでも帰ってきたのか、するりと抜けていった。──だが、自分の席にはつかない。そのまま、ゆっくりと歩いていくと、山羽の席の前で立ち止まった。そして──

 

「山羽君。昔からずっと好きでした。私と付き合ってください」

 

 何も動じず、そう呟く。山羽の方は最初唖然としていたが、すぐに何時も通りの優しい表情に戻った。あいつも中々の仮面優等生っぷりである。だが、クラスの方はそうでもない。すぐに大きな騒ぎとなった。戸田がやべーやべーうるさい。井浦は固まったまま動かない。弓ヶ浜に至っては顔が真っ青になっていた。何かを察したのか、山羽は優しく呟いた。

 

「鶴見さん……ごめんね。俺、部活で全国まで行きたいんだ……。少なくとも、大学入学が決まるまでは誰とも付き合う気はないよ」

 

「そう。変な事言ってごめんね」

 

 それだけ言うと、何事もなかったかのように席に戻る。クラスの騒ぎはまだ収まりそうに無い。嘲笑。侮蔑。怒り。同情。感情が爆発したかのような騒ぎの中、留美はただただ前を見ていた。──俺の心の中もやり場のない感情で埋め尽くされていく。──何故、どうして。だが、冷静な部分がわかっていた。これが、一番効率が良いのだと。山羽も大体察していたのだろう。上手くそれを利用した。これで、万事解決である。井浦も、坂見もこう言われてしまっては諦めるしかない。わだかまりも徐々に消え、弓ヶ浜の気苦労も消える。そして、留美は誰に何を言われても気にしない。ハッピーエンドだ。どこかでこんなふざけた景色を見た事がある。心の底から忌々しい景色だった。ならば──俺は、

 

「……おーい。お前ら何騒いでんだ。LHR始めるぞ。席に着け。──騒いだ奴は平塚先生にチクって内申点下げまくってやっからなー」

 

 少しでもこの騒ぎの沈静化を図る事しか出来ない。俺にはもう、それぐらいしかしてやれる事がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 LHRが終わると、すぐにまたクラスが騒がしくなった。その中を、何事も無かったかのように留美は歩いていく。本当に強くなった。だが、そんなものに何の意味がある。俺も荷物を纏め、留美の後を追いかける。──自分でも何でこんなに腹立たしいのかわからない。何でこんなに悲しいのかがわからない。理性の化け物などと大層な事を言われたがが、このザマである。そして、ある事を思い出した。平塚先生にかつて言われた言葉だ。あの時、何故先生がこんな事を言うのかが良くわからなかった。だが、今ならわかる。その言葉は──

 

 ──比企谷。誰かを助けるということは、君自身が傷ついていい理由にはならないよ──

 

 これだ。あの文化祭の日。先生は俺にそう言った。俺が傷つく姿を見て、痛ましく思う人間が居るという事を自覚するべきだという事も。本当に、何もわかっていなかった。これが雪ノ下が嫌いだといった理由。由比ヶ浜が涙を流した理由だったのだと。イライラして早歩きになった所為か、すぐに追いついた。留美は横に並んだ俺をちらりと見ると、

 

「……これで、解決でしょ」

 

「……ああ、そうだな。弓ヶ浜の悩みも解消するだろうよ」

 

「……どうして怒ってるの?」

 

「怒られるとお前が感じているから、そう思うんじゃねぇか?」

 

「……意味わかんない。バッカみたい」

 

「バカは、お前の方だろうが……!」

 

 俺の言葉に留美もイラついたのか、足を止めてこちらを睨んだ。

 

「あれが、一番効率の良い問題の解決方法でしょ! 山羽君に直接聞いたって教えてくれるわけないし、だったら、問題の解決は諦めて問題の解消に目を向けた方がずっと早いじゃない!」

 

「だとしてもだ、あんなやり方じゃなくて、もっと他にやりようがあったろうが!」

 

 俺も大人気ない。つい、語気を荒くしてしまった。留美は一瞬怯んだが、すぐに立ち直った。そして、悲しそうに俺を見ると、

 

「このやり方は、貴方が私に教えてくれたんじゃないっ……! イジメ問題は解決できないから、人間関係壊して無理矢理解消してしまえばいいって! そうやって助けてくれたくせに、何で私の時だけ否定するのよっ!」

 

 思い切りそう叫び走って行ってしまった。──今まで数多くの悪意や罵詈雑言に晒された。だが、それでも何とか立ち直ってきた。そんな俺でも今回は耐え切れそうに無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

     ──それほどまでに、留美の言葉は俺の胸の奥底に強く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第19話:葉山隼人は救えない。

その昔、三月、七日って小説がありました。
凄く好きでした。十三日ですけど、


 

 

 

 

 

 

 

 

 いきなり背後から殴られたような最悪の気分だった。

 俺は"あの時"まで何かを救ってきたような気で居た。陽乃さんから共依存だと冷笑されたあの関係が破綻を迎えたあの日までは。結局、そうなのだ。雪ノ下に対して俺は何もしてやれなかった。由比ヶ浜に対しても何もしてやれなかった。何もかもを否定して、あの部室から俺は逃げ出したのだ。心が暗く沈む。──留美に対しても結局、そうなのかもしれない。自分が得意げに披露していた方法が、あんなにも見ている人間の心を傷つけていたなんて考えもしなかった。失敗した。間違っていた。教育実習なんてやっていい人間ではなかったのだ。

 

 

 暗く、陰鬱とした感情が体を包んでいく。だが、不思議と俺の体は止まらない。思考も止まらない。留美は部室とは違う方向へ走っていった。あの教室には向かわないのだろう。そして、俺は何をするわけでもなく呆然とただただ廊下を歩く。そのまま階段を下りて、グランドの方へ。数年ぐらいでは何も変わらない。サッカー部は未だにサッカー部だし、テニス部は未だにテニス部だ。そして、奉仕部も変わっていない。俺と雪ノ下の悪いところの一部を受け継いでしまったような後輩が、そこにいる。そして、そのやり方に俺はイラついている。──放っておけば良い。彼女は望んでそうしているのだから。心の中で理性の化け物が呟いた。お前に彼女を弾劾する資格があるのか、同じ事をしていたのに──自意識の化け物も心の中でそう呟いてる。今までずっとそうしてきた。だが、何故今回はそれに従わなかったのか。

 

 

 ──そんな事は決まっている、俺が変わってしまったからだ。

 

 

 放っておけば良い、そんな事ができるか。俺は教師を目指してしまったのだ。少なくとも、俺が憧れた教師像とは程遠い。弾劾する資格があるのか。あるに決まっている。──俺が間違っていたと感じているのだ。その間違いは正す必要がある。

 

「っは」

 

 ふと笑いが漏れる。怖くなってきた。留美と向き合う事が。俺自身のやってきた事と向き合う事が。一度失敗して、大切な人達を傷つけてしまった事が。本物が手に入らなかった事が。だが、不思議と思考は前向きだった。何故だろうか、と考えたがすぐに答えは出た。そう、かつて同じように悩んだ時がある。そんな時、かけられた言葉を反芻するように俺は呟く。

 

「考えてもがき苦しみあがいて悩め──そうでなくては、本物じゃない、か」

 

 いいさ、そうしてやる。俺が見つけた、俺の答え、俺の理由で動くときがもう一度来た。かつて、人とのつながりは麻薬のようなものだと俺は論じた。知らず知らずのうちに依存して、心を蝕み、他の人に頼らなければ何もできない人間になってしまうと。──自分達のやって居たことは、共依存だとも責め立てられた。

 

 

 ──だから壊した。完膚なきまでに。

 

 

俺が彼女に依存しないよう。ずっと2人で仲良くやっていけるように願いを込めて。俺は2人の事を傷つけた。──その結果はどうだ。俺は、結局もう1人には戻れなかった。静さんとは縁が切れなかった。彩加と沙希と義輝は、ずっと俺の傍に居た。隼人も後からまたやってきた。だから、俺は前に進めた。認めるしかない。どんな思考や屁理屈をもってしても、それを否定する事は、もう俺にはできなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多少思考がポジティブになったところで、解決策を思いついたわけではない。……いや、しょうがないでしょ。俺だって数年経って気がついたんだから、今の留美に正面から言ったって理解してくれる可能性は低いだろう。いや、やっぱり人のいう事ってやっぱ素直に聞いておくべきだよな。ここは一度体勢を立て直すべく、喫煙室に篭るしかない。校舎内を移動し、そっとドアを開けると誰も無い。どうやら、平塚先生は職員室で仕事をしているようだ。

 

「いや、これが普通なんだよな」

 

 

煙草を一本取り出し、火をつけ紫煙を吸い込む。脳みそが少し楽になったような気がする。そんな折、珍しく俺の携帯電話が鳴った。珍しい事に、隼人だった。しかしまぁ、丁度良い。あいつぐらいのハイパーリア充なら、きっとどうすればいいかの解決策ぐらい持っているだろう。──そして、もしもし、と電話に出ると、

 

「米が尽きた」

 

 絶望したような声が、俺の耳に響き渡りあまりの衝撃に電話を切ってしまった。しかし隼人はめげずにまたすぐにかけてきた。こいつ一体何なの?

 

「酷いな。いきなり切ることないだろ?」

 

「……お前、本当に駄目な男になってきたな」

 

「レベルを合わせてやってるんだよ。まぁ、それはそれとして元気でやってるか? そろそろ女子生徒に拒絶された頃合かなと思ってかけてみたんだけど」

 

 何なのこいつエスパー? 俺の行動読みすぎでしょ、なんて思ったけど俺が隼人の立場なら確かにこの時期ぐらいに電話をかける。なんなら、女子全員に嫌われた頃合だって予想までしちゃってる。自分で言っててすっごく悲しくなってきた。とはいえ、現状相談できるとしたらこいつぐらいしかいない。なんたって義輝は就活が嫌になって部屋から出てこないらしいからな。陽乃さんが偶に部屋の前に立って、圧迫面接の真似事とか悪ふざけを始めた効果もあってか、二週間は部屋から出てきてないらしい。鬼か。そんなこんなで隼人に今の現状を相談してみた。奉仕部の事。留美の事。今までやってきた事。俺が、こいつに相談事をするなんて初めてではないだろうか。そして隼人はやはりというか、真面目に俺の話を聞いてくれた。

 

「留美ちゃんか……。懐かしいな。だが、俺から言える事はあんまりない。確かにあの時、俺のやり方ではあの子の心は救えなかっただろう。……だから、根本的に俺の発想では彼女を救う事ができない」

 

「俺のやり方が正しいとも言い難いけどな。結局のとこ俺は、留美とどう向き合えばいい。どんな話をしてやればいいか全く思いつかないんだ」

 

「状況から察するに、一応お前だけには心を開いてるようだから、きちんと話せとかし言えない」

 

「は? あいつが俺に心を開いてる?」

 

「……相変わらず女心には鈍感だな。まぁ、いいか。よく聞け。──彼女の言葉にきちんと耳を傾け、共感し、褒めろ。自信を持たせて自分の殻を破らせるんだ。それで、大抵の子は信じてついてきてくれる」

 

「……俺は女子高生のナンパ講座を聞きたいわけじゃねぇんだけど」

 

「仕方が無い、俺にはそれしかないから。だから、これぐらいしかアドバイスできない。彼女の信頼を勝ち取ってどうするかはお前が決めるしかないよ。結局俺は留美ちゃんのような子に対して、同情はできても、共感はしてあげられないんだ。嫌な言い方だけど、経験がないから」

 

 どこか悲しそうに隼人はそう言った。ずっとトップカーストを走ってきた人間は、真にぼっちの気持ちがわかるかというとそうではない。俺だって、トップカーストにずっと居た隼人の苦しみに対し、同情は出来ても共感はできない。

 

「昔、優美子が言ってたよな。他の可愛い子に声かけて、新しいグループ作ればいいって。俺はそれも一つの正解だと思う。現に、姫菜だって随分とそれに救われていたから」

 

「それはあいつにしかできんだろ……」

 

「そうだな。でも、そんな優美子にだって手に入らないものもあった。結局、人は無いものねだりで他人が持っている自分と少し違う事が羨ましく見えるのかもしれない。俺がお前を凄いと感じるように。だから、こんなアドバイスしかできないんだ」

 

「対話する成功率を上げるテクニックの伝授ってところか」

 

「ああ、そうだ。──人の心の裏を考える奴には難しいかもしれないが、心を開いている人間にそうされて嫌がる人間は少ない。俺の統計だと7割以上は固いな。試してみるには悪くない数字だろ?」

 

「そうだな。まぁ……その、なんだ。ありがとな。試してみる」

 

「……礼なら米送ってくれ。ああ、後そういえば余計な事かもしれないが今総武に──」

 

 電話を切る。すまんな、隼人。言葉では言えても俺も相変わらず金が無い。──でもまぁ、今晩母ちゃんに土下座してアパートに米送って貰おうかな。土下座が通ればの話だけど。とりあえず、留美を探すしかなさそうだ。まだ下校していなければいいが。あいつもぼっちだ。想像してみよう、仮に俺が部室に行けなくなったとして、この学校で過ごしそうな場所と言えば──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室の前まで行くと、丁度留美が出てきた。俺を一瞥すると、すぐに無視をして歩き出す。随分と嫌われたものだ。しかし、どうして学校に居場所がない奴ってすぐ図書室行くんだろうね。まずは謝罪しなくてはならない。彼女のやった事を頭ごなしに否定した事を。俺も留美の横に並んで歩き出すと、留美は携帯電話を取り出し始め、110と押す。なんて奴だ。俺でもそうする。

 

「ちょっとそれ洒落にならんのですけど……」

 

「キモいからついてこないで」

 

「……わかったよ。ついてかねぇから、まずは謝らせてくれ。さっきは怒鳴ったりして悪かった」

 

「悪いと思ってるならもうつきまとわないで」

 

「それはできねぇ。まだ、お前ときちんと話をしていなからな」

 

 そう言うと留美は俺を横目で睨んで足を止めた。どうやら、少しだけ話は進展したらしい。ここからは、隼人の方法を試すしかない。確か、褒めて伸ばせって話だったよな。

 

「話す事なんてある?」

 

「ある。そう、沢山あるんだ。例えば、その髪型結構似合ってるな、とか。その靴下おしゃれだなとか。なんつーか、すっぴんでそれって凄くない?とか?」

 

 ……何だろう。根本的に色々と間違えてしまった気がする。留美が兎に角可哀想な人間を見るような目でこちらを見ている。

 

「ナンパでもしたいわけ? 教頭先生に言わなくちゃ」

 

「違う! 異性としてお前には全く興味が無い! 神と小町に誓ってそれはない! まぁ、なんていうか。その、持っているカバンも可愛いなぁとか」

 

 留美の目が更に細くなると同時、不機嫌さが三倍ぐらいに膨れ上がった。……バカなっ!

 

「これ、学校指定のなんだけど」

 

「……そうですか」

 

 会話が終わってしまった。もう用事は無いとばかりに留美はすたすたと歩いていく。こうなったら、モノで釣るしかない。アイスでも買ってやろうか……。嗚呼……財布の中80円しかない。何かお菓子でもプレゼントしようか……。駄目だ。タバコしか持ってねぇ! 渡した瞬間教育実習中止になってしまう。後は──なんて考えていると、留美はたったと廊下を走り誰かの下へと駆け寄った。

 

「厚木先生。なんか、比企谷先生が探してますよ。先生と一緒に部活したいって」

 

 なんちゅう事を言うんですか鶴見さん。それだけで厚木先生の何時も怖い顔が綻び、とても楽しそうな表情になった。

 

「やはり変わったな比企谷。戸塚がよくお前の事を褒めていたが、やっと理由がわかった。よし、今日はテニス部の部活に来い。大学でなまった体を鍛えなおしてやる」

 

「ちょっ!? いや、先生そのですね……」

 

「お前体育の時やる気なかったくせにテニス上手かったもんなぁ。当時は気に食わなかったが。なんだ、大学ではテニスやってたのか?」

 

 厚木先生に肩を抱かれ成す術もなく引きずられていく。もはや俺の話を聞く気は全くないようだ。留美はそれを見て馬鹿にしたように俺を見ると、

 

「さようなら、比企谷先生」

 

 にやりと笑ってまた何処かへと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 留美のせいであれから二時間。テニス部の筋トレに付き合わされた。足はガクガク。腹筋はぷるぷる震えている。そんな痛みを堪えながら、俺は校舎の階段を登っていた。もはや説得なんぞどうでもいい。あの可愛げのない小娘に一発お仕置きしてやらねば気がすまない。小町だったら許していたが、あいつは妹ではない。あの性格の悪さ、本当にプチ雪ノ下といった感じだ。おのれプチのん許すまじ。一生に一度レベルの本気を出しつつ奉仕部の部室近くまで来ると、角で長い黒髪が曲がっていくのが見えた。トイレか自販機にでも行ってたのだろうか。よくよく見てみると、やはり奉仕部の部室の辺りでドアの閉まる音がした。間違いない。思いっきりドアを開けて飛び込んでやろうか。はたまた部室で必殺副流煙攻撃でもしてやろうか。部室の前に立って、息を整える。やっぱ女の子だし副流煙は良くないだろう。思い直し、前者で行くと決めた。そして、俺は力の限りドアを引き、

 

「おいコラァっプチのん! てめぇ、さっきの落とし前つけに来てやったぞぉ!」

 

 部室に入ると、そこに留美は居なかった。代わりに、長い黒髪の女が驚いたような顔でこちらを見ている。──あ、これ不味いって瞬間的に思いました。しかも、相手はよく知っている奴だ。プチじゃなくて本家が何故かそこに居た。当たり前だが、制服ではない。ワイシャツにスラックス。そして、作業員のような上着。手にはヘルメットとバインダーを持っている。やはりというか、彼女──雪ノ下雪乃は一瞬呆気にとられていたようだが、すぐに冷たい目に変わり、俺を氷のような薄笑いを浮かべて見ると、

 

「……久しぶりね、比企谷君。早速で悪いのだけれど、そのふざけた呼び方と、落とし前について説明してくれるかしら?」

 

 いや、マジで本当にどうなってんのこれ。

 

 

 

 

 

 



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第20話:雪ノ下雪乃は戦い続ける。

 

 

 

 

 

 

 

──何故、俺は正座をしているのだろうか。おかしい。高校時代ですらそんな事をしなかったのに。あっ、これもしかして夢か。そうだよなぁ。俺が教育実習なんてキャラじゃないよなぁ……なんて現実逃避をするも、冷たい眼差しで睨まれるとすぐに現実に戻されてしまう。雪ノ下はこめかみに手を当て大仰のため息をつくと、

 

「……大体の話はわかったわ。まぁ、確かに鶴見さんは私に比べれば大分小柄ね。貴方がくだらないあだ名をつけたくなる理由も悲しいけどわかってしまったわ」

 

 胸に関してはそちらがプチのんですけどね、なんて言える空気ではない。あの後、説明しなさい→はい→正座しなさい→はい、のコンボにより全て洗いざらい吐かされた。留美の事。俺の事。今起きている事全て。今度はこちらが質問をしたい。何故、作業着なんぞを着ているのかはわかった。陽乃さんから会社に入ったのは聞いている。ここの仕事をしているのも納得だ。だが、あの時は気にならなかったが、今は気になることがある。そういえばこいつ、四年制の大学に進学しなかったっけ? という事だ。こいつの頭脳なら飛び級で卒業していてもおかしくはないが、日本の大学でそこまでするメリットも特に無い。何故?──言いかけるも言葉は出てこない。今更雪ノ下に何を言えばいいのか、何も出てこない。雪ノ下もそれは一緒のようで、プチのんの件が終わるとそれ以上の言葉には詰まっているようだ。ならば、

 

「じゃあ、俺仕事あるから……」

 

「──待ちなさい。久しぶりに会ったのだし、もう少しコミュニケーションをとろうとは思わないの? 貴方、それでも本当に教師志望なのかしら?」

 

 そう簡単には逃がしてくれなかった。ついでに辛辣な言葉もセットでついてくるというおまけ付きだ。懐かしい。雪ノ下雪乃は陽乃さんは変わったというが、現状話してみた感じそこまでの変化は無い。

 

「はっ。確かに教師にコミュニケーション能力は大事だが、それが全てでもねぇだろ。あれだけ生徒に慕われてるのに、結婚できない平塚先生の気持ち考えてから発言しろよ」

 

「先生はコミュニケーション能力に特に問題はないわ。普通の男性より男性らしいから一緒に家庭を築くという選択肢から除外されてるのよ。女性というよりは、むしろ雄ね。そこに気づかない限り、彼女に幸せな未来はないわ」

 

「いや、お前それ本人に言ってやれよ……」

 

「嬉しそうに愛車の話とか好きなお酒を語る先生にそんな事言えるわけないじゃない……。私にだって人の心はあるのよ」

 

 雪ノ下との会話はとても懐かしいテンポの良さがあった。いつも、こうしてああでもないこうでもないとお互い軽口を叩きあい、由比ヶ浜が話を変な方向に脱線させ、俺が渾身の自虐ネタでオチをつけていた。だが、そんな事を楽しんでいていいのだろうか。心の中で俺が叫ぶ。あんな、結末で終わらせてしまったのに。そんな俺の表情が出ていたのか、雪ノ下は俺を睨むように目を細くし、

 

「そんなに、私と話すのが嫌?」

 

「嫌じゃねぇよ。あんな結末を迎えておいて、今更どのツラ下げてお前と何を話せって言うんだよ」

 

「あの結末は少なくとも、貴方一人の責任じゃないわ。…………ねぇ、比企谷君。一人ぼっちになるのは、私でよかったのよ」

 

 そういうと雪ノ下の目から涙が零れ落ちた。たった、一滴だけ。俺は涙よりも、雪ノ下の言葉に衝撃を受けていて言葉が出てこない。──ああ、こいつには全部わかっていたのだと。あの日、由比ヶ浜は全てを俺に告白した。俺への想いも。雪ノ下への濁った感情も。全てを曝け出した。疑う余地も無いほどに。どうして助けるの──?とも。

 その言葉で気づいてしまった。俺が本当に欲しかったモノ。あの時それを選んで居ればきっと、俺は幸せになれたのだろう。なんせ、あんな良い奴、この先ずっと現れない、そんな確信まであった。それでも、俺は選ばなかった。あの時、3人のそれぞれの望みが叶う事はないとわかっていたからだ。ならば、どうすればいいか。誰かが消えるしかないだろう。そう、あの時俺は愛よりも情欲よりも──2人が変わらず笑いあっていて欲しかった。どちらかなんて選べない。好きとかそういう所もすっ飛ばして、ただずっと幸せで居て欲しかった。そこに、俺の居場所が無くとも。心の底からそう思った。だから、あの選択は間違いじゃないと今の俺は信じきれる。

 

「違う……」

 

 そして、雪ノ下は一つだけ間違っている。一人ぼっちになるのは自分で良い。あの時確かに俺もそう思っていた。だが──

 

「え……?」

 

「違うんだ、雪ノ下。……俺は、結局一人ぼっちには戻らなかったぞ」

 

 そう、今の俺には沙希がいる。彩加がいる。義輝がいる。隼人もいる。一色もいる。何なら、お前の姉だっている。なんだかんだで一人ぼっちには戻らなかった。奉仕部があったから、もう一人には戻れなかった。かつて手に入らなかったものがあった。きっともう手に入らないと思っていた。だが、俺は新しいものを手に入れたのだ。

 

「──それに、俺の望みはもう叶っている。だから、お前が謝ることなんて、ない」

 

 俺の言葉にしばらく何も言わなかった雪ノ下だが、やがて涙を拭うと、そう、とだけ呟いた。

 

「葉山君から貴方の事は偶に聞いてたけど、確かに最近随分と楽しそうね。それなら、私ももう、何も言わない。私の気持ちも、貴方ときっと一緒だったから」

 

 多分、俺も雪ノ下も同じ事を考えていたのだろう。自分ではなく、2人が幸せであるようにと──偶々、俺が先に動いただけの話だったのだ。そうであれば謝罪なんて間違っている。俺が真に言うべき言葉、ずっと言えなかった言葉はすんなりと今は出てきた。

 

「そうか。ありがとう、雪ノ下」

 

「礼を言うのは私のほうよ。ありがとう比企谷君。貴方のお陰で、私は由比ヶ浜さんという親友ができたわ」

 

 親友ができた──もう、それだけで満足だ。あの雪ノ下がこんな事を言うなんて誰が予想できただろう。そのまま、会話が途切れる。俺も何か言いたいが上手く言葉に出てこない。ただ、少しだけ胸の内が暖かい。親友ができた。理解しててくれた。という事実がとても嬉しい。雪ノ下も何も言わない。俯いて持っているバインダーを手で少しだけ動かしている。やがて小さくため息が聞こえ、

 

「……と、とりあえず仲直りという事でいいのかしら?」

 

「まぁ……な」

 

「良かったわ偶々部室に来たら比企谷君と再会できて。貴方にはこれから色々と協力してもらいたいと考えていたから、このまま気まずい関係が続くと私の考えた計画に随分と支障が出てしまうところだったのよ」

 

 ……ん? なんかおかしくない? いつの間にか雪ノ下はとても良い笑顔を浮かべていた。この笑顔を俺は知っている。大抵、こんな顔でえげつない事を言ってくるのがこの女だった。このままでは、不味い。俺の反応に小首を傾げている所も可愛くて尚更危険なにおいがする。

 

「ああ、そうね。まずは私の近況報告からするのが基本よね。姉さんから聞いてるとは思うけど、昨年から正式に親の会社で働き始めたのよ。ここまではいいかしら?」

 

「それは知ってる。つか、お前四年制の大学に行かなかったのか? お前の学力だったら何処へだっていけただろ?」

 

「自分なりにあの後色々と考えて見たのだけれど、両親から実権を奪い取るにはなるべく早く会社に入った方がいいと考えたのよ。短大進学には、母は難色を示したけれど、父に早く家族の力になりたいって頼んだら意外とすんなり話が進んだわ」

 

 本当にこいつ雪ノ下か?ってぐらいの変わり様だった。両親から実権を奪い取る? 俺が知っている雪ノ下はこんな事を言う人間だったか?疑問が湧くが、俺も人の事は言えないと思う。雪ノ下にしてみれば、俺が教育実習に参加していること自体何かの間違いだと思ってるであろう。俺だって何かの冗談だと思いたい。

 

「変わったな、お前」

 

「貴方だってそうでしょう。教育実習なんてどういう風の吹き回し?」

 

「それはそうだな。何も言い返せない」

 

「私は、自分の弱さに嫌気がしたの。だから、前に進むと決めたのよ。母さんと戦って自分の居場所を勝ち取るの。それが、今私が一番やりたい事よ」

 

 雪ノ下の目には力がある。最後に会った時とは別人のような確固たる決意のようなものが見て取れる。きっと、色々と考えて、打ちのめされて決めたんだろうなという事は容易に想像できた。

 

「短大では多くの事を学んだわ。私の方がきちんと予習も課題も出しているのに、何故か私と評価の近い由比ヶ浜さんの謎とか。無駄にアルコールを摂取する背徳感とか。昼間からビール飲んで寝るってあれ酷いわね。人間として心の底から堕落した気分になったわ」

 

「……何だよ由比ヶ浜の謎って」

 

「由比ヶ浜さんったら、私があれだけ受験の時に色々と教えて成果も出たのに、入学式には全部忘れて現れたのよ。お陰で語学の振り分けテスト、彼女から同じクラスになりたいと言ってきたのに、由比ヶ浜さんったらアルファベットから始めるクラスに配属されてしまった事があったりしたのよ……。なのに、一年の後期の成績は私の少し下ぐらいの単位と評定貰ってた事があったりして……」

 

「……それはわかるけど、謎だな」

 

「流石に落ち込んでいたら三浦さんに言われたわ……。あんたはあんた一人が凄いだけであって、結衣の後ろにはあんたみたいに凄い奴が沢山居るって。彼女のコミュニケーション能力は、学力と努力の差を埋める凄まじいものだったという事を心の底から思い知ったわ……」

 

「高校と違って大学ってコミュ力大事だよなぁ。俺も一色も、それで随分と苦労したわ……」

 

 大体話がわかってきた。雪ノ下も短大でコミュニケーションにかなり苦労したのだろう。そういや、こいつもぼっちだったし。やり取りも大方想像できる。ねぇねぇゆきのん。次の試験の過去問先輩から貰ってきたよ。これ見れば大丈夫だよ。からの、ありがとう由比ヶ浜さん。でもね、試験というものは(以下略)みたいなやり取りがあったのだろう。想像するだけで笑える。そんな俺の態度に少しむっときたのか、雪ノ下は少し拗ねたような口調に変わり、

 

「……私も個人の限界というものを知ったのよ。だから今回は流石に、姉さんと組む事にしたの。そこに貴方の陰湿さと小賢しさが加われば完璧よ。三人で母さんを倒しましょう」

 

「いや、そもそもお前ら一族の争いに巻き込まれるのは本当に嫌なんだけど……」

 

 そもそも千葉県で一番おっかない女達の揃い踏みだ。正にグラウンド・ゼロって気分だ。後には無残な焼け野原しか残らないイメージしかない。

 

「もう遅いわ。比企谷君、一つだけ言っておくと────姉さんは、本気で貴方を手に入れる気よ。覚悟しておきなさい」

 

 やっぱりかー。ロックオンされてたかー。薄々とは気がついていたが、ガチだったかー。怖いよ。反応の悪さに焦ったのか雪ノ下は取り繕うような笑顔を浮かべては、俺に「不満そうね」と畳み掛ける。

 

「そりゃそうだろ。あの人闇が深すぎて怖いんだもん」

 

「あれでも随分マシになったのだけれど……。でも困るわ。最近姉さんとも随分気まずい関係なのよね。貴方との仲を取り持つことを餌に私は姉さんを味方につけようとしているのだけれど」

 

「おい! 勝手に俺を餌にするなよ!? お前、そういう結構強引なところだけは変わってないよね? 何でそこ変えてくれなかったの?」

 

 俺の言い草にむっときたのか、少し黙った。あ、これまたよくない奴だ。絶対理論攻めしてくる奴だ。そして──

 

「そもそも、貴方は本来専業主夫を志していたはずでしょう? 貴方の知り合いの中で、貴方を専業主夫として家においておける財力のある人間なんて、私か姉さんぐらいのものなのよ? 他に誰か宛があるのかしら? ああ、平塚先生がいらっしゃったわね? 貴方、先生に求婚するならそれ相応の覚悟と言葉が必要だと思うのだけれどその覚悟はあるのかしら?」

 

 完全に逃げ道が塞がれた。ぐうの音も出ないぐらいの正論だった。ひとつなぎの大秘宝(せんぎょうしゅふ)はここにあったのだ。ビッグマムと結婚するようなもんだけど。最悪な事に雪ノ下の提示したもう一つの選択肢の相手は言うならばカイドウだ。冗談が通じない。

 

「それに、姉さんと結婚すれば漏れなく優秀で可愛い義妹もできるし、貴方に何一つ損はないと思うのだけれど」

 

「自分で言っちゃうのかよ……」

 

「だって私、可愛いもの」

 

 ハ、と笑いが漏れた。こんなやり取りを何時かやったような気がする。それをまたこんな歳になってまで繰り返すとは。雪ノ下も同じような感想を抱いたようで珍しく声を上げて笑った。何故かもう、我慢するのもバカらしくなったので、俺は目一杯、心の底から笑ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういう事で、仕事にもう戻るわ。比企谷君は身の振り方を考えておくこと。それと、昼休みと放課後は時間がある時はここに来る事にするわ。奉仕部のOGとして鶴見さんを貴方のような人間と2人だけにしておくわけにもいかないし」

 

「いや、あいつの問題そこじゃねぇし、しかも俺もOBなんだけど……でも、来てくれるのは正直助かる」

 

「私も助けて貰ったわけだし別にいいのだけれど……もしもの時はよろしくね、"義兄"さん」

 

 雪ノ下は優しく笑うと、笑えないような言葉で俺の事を呼んだ。軽口で返そうかと思ったが、そこには色々な感情が吹き込まれているような気がしたので何も言わない。色々と吹っ切れたような、肩の荷が下りたようなそんなイメージを感じた。あくまで俺の勝手な予想でしかないが。それに俺も、雪ノ下に言わなければならない事もある。

 

「なぁ、雪ノ下。……その、今更言うのもなんだが……まぁ、その。良かったら俺と友達に──」

 

「──駄目よ」

 

「またかよこのパターン!」

 

「違うわ。──その前に、きちんと由比ヶ浜さんとも話しなさい。あの子の答えを聞いたら、もう一度三人で会ってやり直しましょう」

 

「それもそうだな……。いや、でも俺あいつの連絡先消えちまったんだよな……。いや、消してないぞ!? 携帯が壊れて会ってない奴は全員消えたんだ」

 

「別にそこまで聞いてないわ。貴方の駄目さ加減ぐらいはわかっているし。でもまぁ、いいでしょう。貴方と由比ヶ浜さんはきっとその内出会うから。その時までに自分の言いたい事を整理しておきなさい」

 

「は? まさかあいつもこの学校に居るのか?」

 

 俺の言葉に雪ノ下は少しだけ意地悪そうに笑った。流石に教育実習生の中には居なかった気がする。まさか、用務員として働いているとか? 教師はあいつの学力じゃ駄目そうだし……。なんだったら小学校教諭ですら難しそうなところまである。

 

「会えばわかるわ。じゃあ、ミーティングに遅れそうだからもう行くわね」

 

 何処までも底意地の悪い女だった。こういう所は変わっていない。それでも俺は、少しだけ晴れやかな気分になることが出来ていた。

 

 

 

 

 

 




何とか八幡の誕生日間に合った……。
入院と手術で投稿が遅れましたが、また書いていきたいと思います。
結構時間があったので最終話までのプロットも大体纏まりました。
残り大体4話ぐらいですがよろしくお願いします。
次の話はお盆の時期ぐらいには投稿できると思います。それからはまた間が空くかもしれませんが、完結も近いので未完で終わる事はないと思います。


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第21話:由比ヶ浜結衣は振り返らない。

 

 

 

 

 

 

 教育実習も慣れてきた天気の良い日だった。朝から留美と校門の前で目が合い、無視されるもめげなかった。俺って朝から偉い。比企谷先生の悲しい朝の挨拶はそのまま消えていこうとしたが、おっとそこに弓ヶ浜さん。彼女ならきっと応えてくれるはず──はい。無視でした。眠いのか何なのか下を向いて歩いている。何か変なもんでも食べたのかな? 仕方がないので悲しい心を押し殺し、そのままそそくさと喫煙所に入ると、二日酔いの平塚先生が床に敷かれた体育用のマットで呻いていた。今すぐ指導教師を変えて欲しいし、きっとこのマット片付けるのは俺なんだろうなぁ。

 

「お、おはよう……比企谷……」

 

「先生……。家で寝ましょうよ……」

 

 最近年の所為か飲むと家に帰れなくなっている事が多い平塚先生、酔っ払うと学校まで何とか辿りつくようにしているらしい。それで、警報を解除してここで寝ているというパターンだ。勝手に持ち込んだロッカーには既に代わりのスーツと白衣が収まっている。何時クビになっていてもおかしくない不良教師がここにいた。先週、気になっていた人にフられてからずっとこんな感じである。

 

「……このまま今日の会議は不味いな。比企谷、私は体調悪いフリをして保健室に酒を抜きに行ってくるよ。教頭先生に授業には直接保健室から行くと伝えてくれ。後、職員会議は1人で出て、要点をメモして後で私に教えてくれるとありがたい」

 

「わかりました」

 

 心の底から冷たい目で平塚先生を見ると、流石にこれは不味いと判断したのか愛想笑いを浮かべてきた。

 

「……んん! そういえば、最近君を少しほったらかしすぎたな。すまなかった、比企谷。今日はこれできちんとしたお弁当を食べなさい」

 

 先生が丸まった千円札を胸ポケットから出して投げつけてきた。何なのこの男らしさ。いや、確かに雪ノ下が言うようにこれではもはや雄だ。完全に自分が女性だと思っていない。いや、そもそも女性らしさとは何なのだろうか。男は男らしく。女は女らしくなんてこの平成の世では時代錯誤もいいところである。流石は平塚先生だ。何時でもどこでも俺に疑問と思考する大切さを教えてくれる。頭が痛くなってきたけど。

 

「鶴見の件はどうなったかね?」

 

「……知ってるんですね」

 

「一応、こんなんでも担任だからな。まるで、過去の自分自身を見ているようだったろう?」

 

 先生は煙草に火をつけ、目を細めながらそう言った。あれだけ騒ぎになったとはいえ、そこまでわかっているとは流石である。当然の話だが、俺よりも留美の事はわかっているのであろう。どうでもいいけど二日酔いのくせに煙草吸って気持ち悪くならないのだろうか。俺は無理だ。

 

「あの合宿の時、君がした事は彼女に大きな影響を与えていたようだね。入学した時から見ているけど、君と雪ノ下を足して半分になった感じをまずは受けた。人間に対し、色々と諦めを持ち、だがそれでも嫌いになれない。1人になりきれない。だがしかし、学校社会から除外されない程度のコミュニケーション能力と、確固たる強さを持っている」

 

「俺がした事が完全に原因っぽいですよね……。本人からも自分も同じ事をしてたじゃないって言われました……」

 

「そう悪いようにとるなよ。君がやった事は素直に褒められないと言ったが、決して悪い事じゃないんだ。あの経験があったから、彼女は今も毎日元気に学校に来ている。そこは誇るべきだよ」

 

「わかりました……」

 

「比企谷──前にも言っただろう? 考えてもがき苦しみあがいて悩め──そうでなくては、本物じゃうぇぇぇぇっ! おえっ!」

 

 平塚先生は限界を迎えたらしくとても素晴らしい言葉の途中で消火用のバケツに頭を突っ込み始めた。これ、俺が凄く感動した言葉なんだけどな。どっちにしろ今日の先生はまるで役に立たない。「ちょっ。ちょ、ま、待ってくれおぇぇぇぇ」と呻く平塚先生の方を振り返る事なく、俺は喫煙室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平穏な日常は続く。あれだけの騒ぎになった我がクラスも時間が経てば表面上は何時も通りだ。留美は相変わらず1人で勉強したり本を読んだりしている。表立ってからかう奴は多くない。だが、偶に笑いものにしている奴もいる。それらを完璧に無視しているのだから本当にどこかの誰かさんみたいだ。ちなみに俺の時はもう少し酷かったけど。平塚先生は1時限毎に命をすり減らしながら授業をしている。たとえ二日酔いであっても生徒の前では何時もの平塚先生を装っているのは凄い。お願いだから実習生の前でも装って欲しい。

 

「太陽光を浴びて酒を抜いてくる」

 

 昼休みになると、そんな国語教師とは思えないような意味不明な台詞を残して先生は屋上へ向かっていった。もういい。不良教師の事は忘れて俺は奉仕部の部室に行くとしよう。雪ノ下も来るとは言っていたがそこまで暇ではないだろう。まずは、あいつが来る前に留美ときちんと会話できるようにしなくてはならない。味方が居るとしても最低限やれる事はやっておくのだ。そして、部室のドアを空けると、

 

「出てって」

 

 俺、即、斬が入りました。新撰組もびっくりな速さである。更に──

 

「鶴見さん。警察を呼びましょう。おおよそ教師のようではない不審者が校内にいますと通報した方がいいわ」

 

 雪ノ下は既にもういた。ねぇねぇ、どうでもいいけどゆきのん。君、昨日俺の味方してくれるって言ってなかった? 何でルミルミと組んで邪魔してくるの?

 

「……おい、雪ノ下。今の場合、どちらかというとお前のほうが教師のようではない不審者だからな」

 

「言うわね。でも、女子生徒と男性教師が昼休みに密室で2人きりで居るほうがよっぽど問題だと思うのだけれど。……仕方ないわ。入りなさい」

 

 何故か雪ノ下に許可されるような形で部屋に入る事が出来た。おかしい。こいつ業者の人間なのにどうして学校に認可された実習生の俺が入室許可貰ってるんだろう。俺と雪ノ下のやり取りに少しだけ驚いたのか留美は何も言わない。これで、昼食難民ではなくなった。席は昔とあまり変わっていない。雪ノ下が座っていた場所には留美が座り、由比ヶ浜が座っていた場所に雪ノ下が座る。俺だけ座る場所変わってない……。

 

 

「そういえば、雪ノ下さんと八幡って同じ奉仕部だったんだね……」

 

 流石に雪ノ下が居る手前、俺の事を完全に拒絶はできないようで、ぽつりと留美が呟く。後、何で俺だけ呼び捨てなのかな?

 

「そういう事になる。……2人はどうやって知り合ったんだ?」

 

「平塚先生から奉仕部を復活させたと聞いて、何か協力できる事はないかと聞いてみたのよ。それで、フリースクールへのボランティアや保育園へのボランティアの橋渡しを少し手伝っただけよ」

 

 すげぇな相変わらず。俺には全く声がかからなかったのに。完全にこれアレだよ。俺にだけ内緒で同窓会とかやってたパターンと一緒だ。でも間違いなく行かなかっただろうけど。そんな俺の心情が透けて見えたのか、雪ノ下はとてもいい笑顔を作ると、

 

「貴方に声をかけても、特に得られるものがないから仕方ないわ」

 

「う、うるせぇ……!」

 

 それしか言い返せなかった。仕方なし。そもそも毎日生きるのに必死だったから仕方ないの!

 

「雪ノ下さん、テレビにも出てるから色々と話が早く進んでありがたかったです」

 

「え……? テレビ……?」

 

 何それ全然知らない。そもそもうちにあるテレビ地デジ対応してない。義輝が貢いだ女から「私だと思って大切にして」と実家の廃棄物を押し付けられた形であるだけだ。ゲームしか出来ないじゃん。

 

「ええ、私は広報的な役割を務める事もあるから。姉さんが今まで出ていたのだけれど、やはり若さは強いわね。最近では私だけにオファーが来るようになったわ」

 

 何時の間にか敗北していた陽乃さん。姉妹のパワーバランスが崩れかかっている。だから最近八つ当たりみたいのが多かったのか。何て女だ。人の事をサンドバッグが何かだと思っているのだろう。何処と無く雪ノ下も得意げだ。目の前にいるもっと若くてもっとスタイルが良い奴にいつかとって代わられない事を切に願う。

 

「まさかお前がテレビに出るなんてなぁ……」

 

「将来の為よ。母が何か面倒くさい事を言ってきたら、テレビやネットで洗いざらい文句を言ってやるわ。最近、自分の事を棚に上げてすぐに文句つける人間が多くてやりやすい事この上ないわね」

 

 何時の間にか炎上商法まで覚えたようだ。人の成長というモノを感じる。どうでもいいけどこいつ結構ネットに毒されているのか発言が昔より過激じゃない?そして雪ノ下と留美は顔を見合わせるとニコっと笑いあった。とてつもない疎外感を感じる。言っておくけど、ここに臨時顧問もいるからね?

 

「そういえば鶴見さん。今日はフリースクールに行く日よね? 最近はどんな活動をしているのかしら?」

 

「今日は低学年の子が多い日なんです。前に本を読んで欲しいってせがまれてるので、何か読んであげようかなと」

 

「良い事ね。そういう事ならば、パンダのパンさんがオススメよ」

 

「え……。パンさん、ですか……? うーん。何かちょっと子供っぽ過ぎません?」

 

 ──その瞬間。部屋の温度が一瞬下がったかのような錯覚を覚えた。雪ノ下の笑顔が固まっているが留美は気づいていない。そして、俺と目が合う。その笑顔怖いって。抑えろ、心の底から念じた。ここでお前が食い下がっては変な空気になる。落ち着け。……俺の言葉が伝わったのか、はたまた大人になったのか雪ノ下は笑顔のまま何も言わない。

 

「まぁ、パンさんもいいけど。小学生ならもう、きつねにょうぼうとか王さまライオンのケーキとかでいいんじゃねぇかな」

 

「……うん。まぁ、確かにその辺なら。…………じゃあ、今日の放課後図書室に集合で。そこで本を見つけてフリースクールに行くから」

 

 

 

 

 

 …………多分、これ俺に言ったんだよな。どうやら、少しだけ話してくれる気にはなったようだ。雪ノ下グッジョブ。だからもうその笑顔はやめてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。俺が図書室に行くと留美はもう本を借りていた。平塚先生にはもう俺から話は通してある。未だに抜けない二日酔いを見破られないため教頭先生から逃げまくっていたが何とか見つけ出した。本当に何なのあの人。そのまま校内を通って留美とは一定の距離を保って歩いていく。一緒に居るのあんまり見られたくないだろうし。やはりだが、廊下をすれ違ってもヒソヒソ話は聞こえてくるもんだ。山羽という男の影響力は凄まじい。隼人も似たような感じだったが、今では見る影もない。今なら米10キロと引き換えであれば壁ドンぐらいはやりそうだ。だが、このままでも気まずいし、ついでに学校も出たのでもう会話しても良い頃合だろう。

 

「留美。ボランティアって保育園だけじゃなかったんだな」

 

「……雪ノ下さんが最近紹介してくれたとこから今日で三回目ってだけ。まだ正式に何時も来てもいいって認可が下りてるわけじゃないの」

 

「へぇ……。雪ノ下、そういう人脈作るのとか一番苦手だったのに面白いな」

 

「雪ノ下さんの事はあまり覚えてないけど、昔はもっと冷たい人だったの?」

 

「冷たいというよりは、不器用な奴だった。俺と雪ノ下の2人で最初は活動してたんだが、いかんせん俺達はコミュ力が無くてなぁ。よく、そこを後から来た由比ヶ浜って奴に助けて貰ってたんだよ」

 

「ふぅん……。ぼっちじゃなかったんじゃん。あんな可愛い人達と一緒でさ」

 

「言っておくが卒業式の時、俺は1人で校門から出たからな。そういう意味じゃ総武を卒業した時にはまたぼっちに戻ってたぞ。終わり良ければ全てぼっちだ。良くなかったけど」

 

「…………でも、今日凄く仲良さそうだったけど」

 

「お前にゃわからんだろうし、俺も最近思い知ったんだが、しがらみってもんは全部捨てたと思ってもついてくるもんなんだ。……だから、ついてきたものは大事にしておけよ」

 

 卒業式の日。俺は全てを捨てたつもりでいた。あの日話しかけてきたのは一色と小町ぐらいだったか。彩加とは顔を合わせ辛かったし、義輝の事は忘れた。本牧と握手ぐらいはしたかな。こっそりと平塚先生にだけ挨拶しに行って、1人で校門を出たのは今でも鮮明に思い出せる。──あれから4年。何だかんだあの日捨てたと思ったものは、未だに手の中にある。

 

「……ま、考えとく」

 

 凄く良い事を言ったと思ったのに鼻で笑って流された。でもまぁ、しょうがない。多分今はわからないだろうし。このまま一生わからない可能性だってある。でも、わかってくれたらいいなと思う。こいつは性格が悪くてぼっちではない。誰かが困ってれば助けてやるし、人に対し諦観した感情を持っているだけだけだからだ。そんな事を考えていたら、何時の間にかフリースクールのある建物まで来ていた。よし、教師モードに入ろう。職員の方々に悪い印象を与えてはならない。

 

「失礼のないようにね」

 

「ねぇねぇ、それ普通、俺が言う事じゃない?」

 

「いや、目つきキモいから」

 

「それは言い返せない……」

 

「それは言い返そうよ……」

 

 小気味いいやり取りを終えて2人でため息をつく。そして俺達は門をくぐってフリースクールの中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フリースクールでの事で特に言うべき事は無い。留美はそこに通う低学年の子供達に懐かれてるらしく希望どおり本を読んであげていた。俺はというと、やはり馴染めなかった。子供達は警戒心をまるで隠そうとしなかったし、最後の方にはボランティアの職員の方が俺の相手をしてくれた。泣ける。そこでも、色々な話をきけたので良しとしたい。雪ノ下の親父の話。雪ノ下母の話から始まり、このフリースクールは学校に行けない子供達の学校への復帰を目指した施設だという事まで。不登校。俺も教師であれば目を背けられない事だ。知っておいて損はない。今でこそ思うが、よく俺不登校にならなかったよな。偉い。そうこうしている内に6時を過ぎた、やべぇ日誌書かなきゃ。留美も生徒も帰り支度を始めたので、俺も退散。

 

 

「……後、保育園に寄って打ち合わせして行くから先帰っててもいいよ」

 

「いや、お前1人残して帰れるか。最後まで付き合うよ」

 

「……そ。まぁ、後悔しないといいけど」

 

 え、何最近の保育園ってそんなに怖い所なの? しかしまぁ、そんな事は置いといてそろそろと本題に入りたい。

 

「……。学校で、色々と言われてるみたいだな。後、この前はごめんな。俺も頭に血が上って言い過ぎた」

 

「……別に。知っててやった事だしもうどうでもいいよ。あれが解決に一番速かったし。その分こうして、早くに何時もの活動に戻れるならそれでいい」

 

 自覚してから会話すると、本当に昔の自分がそこに居るようだった。留美と俺の最大の違いは、部活動──俺は本を読んでいただけだが、留美はきちんとボランティアをやっている。今日だって不登校の子供達と上手く会話をしていた。俺と雪ノ下にあれは無理だ。由比ヶ浜でも上手くやるのは難しかっただろう。傍から見ていただけだが、上手く心に寄り添ってやっていた。留美は迫害される痛みを知っている。また、その行為の愚かさも知っている。留美が小学生の頃、何度か俺も話しかけはしたし手も打ったが、結果はこんな状態だ。強いだけ。負ける事に関しては俺が最強とかほざいていたどこぞの馬鹿に近くなってきている。

 

「そうか。……でも、困った事があれば平塚先生には言えよ」

 

「わかってるよ。……私は大丈夫。もう、周りには屈しないし。何があったって大丈夫」

 

 ──それだ。かつての俺もそう思っていた。何も失うものがないから。最下位が更に下に落ちていくだけだから。そんな傲慢さが、周りを壊しかけた。きっと留美にはわからない。俺もわからなかったからだ。近い距離にある人間は普通誰もそんな事をしないからだ。留美が同じ事をやってようやく俺も思い知る事ができたぐらいだから。何を言っても理解まではできない。

 

「お前は強くなったって、周りはそんなに強くない。それだけは忘れるな」

 

「……何の話?」

 

「別に、ぼっちの先輩からのありがたいアドバイスだ」

 

「リア充じゃん。雪ノ下さんと付き合ってたんじゃないの?」

 

「……ねーよ」

 

「ふぅん。じゃあやっぱあっちか……」

 

 意味深な台詞を残して留美はすたすたと歩いていく。どうやら保育園についたようだ。在学中も何度か通ったことがある。比較的大きな保育園だったような気がする。

 

「園児が怖がるから、入ってこないでね」

 

「お前なんちゅう事を……! でも、否定できない……」

 

「軽い打ち合わせだけだから、すぐに済むよ。そこの自販機でジュースでも飲んでて。…………あ、お金ある?」

 

「あるに決まってるだろ……」

 

 生徒に財布事情まで心配されてしまった。ふざけんな。ジュース飲む金ぐらいあるわ!あ、……うん!ごめん!ジュース飲めない。水しか飲めなかった!マッ缶とか好きじゃねぇから。水が好きだからオーラを出しつつ、何とか意地で水のペットボトルを購入した。留美はそれを呆れたような目で見た後、保育園の中へと入っていく。バレてないよね?年上の威厳保てたよね?それにしても味気ねぇ。ゼロカロリーコーラを少しは見習って欲しい。どうして同じ0カロリーなのに水は甘くないし腹にも溜まらないの?なんて哲学的な事を考えていると、

 

「あれ? お子さんのお迎えですか?」

 

 背後から声をかけられた。……いかん。こんな日も落ちた時間にスーツを着た俺みたいな奴が保育園のまん前で水を飲んでいるのはどう考えても怪しい。多分、保育園の先生だろう。

 

「あ……いや、その……」

 

「お子さんのバッジ見せて頂けます?」

 

 そういえば小町に聞いた事がある。最近の保育園では親子でペアのバッジを持っていてそれがないと子供は引き渡す事ができないのだと。このままでは通報されかねん。信じて貰えるかどうかは微妙だが、

 

「あ、いや。その。私総武高校で教師をやってまして……生徒の付き添いで……」

 

「ああ、じゃあ留美ちゃんの。あれ? という事は奉仕部の先生……?」

 

 おお、この人話がわかる人だ。安堵とともにくるりと先生の方を向くと、えらい美人が居た。そして、どっかで見た事のあるお団子の髪型。少し茶味がかかった黒髪。そこまで見ると何処かで聞いた事のあるような声だった。向こうも向こうで俺の事を認識したらしい。まず髪型を見て、次は多分目。というか、眼鏡を見ている。そして──

 

「あっ──ヒッキー?」

 

「──由比ヶ浜……!」

 

 時間が止まったかのような衝撃。お互いポカンと口をあけて見詰め合っている。最初に脳が動き出したのは誠に遺憾ながら由比ヶ浜の方だったらしい。

 

「あ、あれ? え? ヒッキーが先生? え? マジ? ありえない? 何で? 寝癖もないし何かお洒落眼鏡かけてるし……あれ?」

 

 どうやら脳みそが限界を超えたらしい。言われて見りゃ昔の俺と違って髪は毎朝セットしてるし、一色から貰った眼鏡もかけている。しかも極めつけは教師だ。同級生の誰もが俺が教育実習やってるだなんて思わないだろう。むしろ比企谷って誰?ああ、ヒキタニ君ねでもまだ良い方だ。俺はと言えばまぁ割と納得だった。雪ノ下がどうせ会うって言ってたのもわかる。保育士という仕事も優しい由比ヶ浜のイメージと合わなくもない。

 

「……お前、雪ノ下から何も聞いてないんか」

 

「え? ゆきのん? 昨日電話したけど、何かヒッキーが総武の辺りをうろうろしてるから気をつけてって言ってたけど……」

 

 何なのあいつ。まるで俺が不審者みたいな──とまで言いかけて気づく。間違いなく、不審者でした。由比ヶ浜さんめっちゃ疑って声かけてきました。間違ってない。悔しい。

 

「総武高校で教育実習やってるんだよ……。奉仕部の顧問は、まぁ、平塚先生に命令されてな」

 

「へぇ……。凄いねヒッキー。でも、びっくり。あのヒッキーが教育実習だなんて。昔のあたしに言っても、絶対に信じないよ」

 

「……そうかもな。俺だって信じない」

 

「でも、なりたかったからなってるんでしょ? ヒッキーは優しくて何時だって誰かを助けてたから、あたしは凄く合ってると思うよ」

 

「ありがとよ」

 

 そこで会話が途切れた。雪ノ下も気まずかったが由比ヶ浜と会話するのは重さの桁が違う。何せ、振った身だ。こんなに素敵な子を。数年見てなかったが、とても綺麗になったと思う。口には出さない。出す権利もない。彼女の泣き顔は未だに覚えている。あれほどの想いをぶつけられたのは初めてで。それでも俺は彼女の好意を無かった事にした。何を言われても仕方ない。  

 

「やっぱ、気まずいね……」

 

「そうだな……。俺、もう行った方がいいか?」

 

「ううん。大丈夫。あたしも、もう平気だから。──ヒッキーの心は独占できなかったけど、あたしには頼りになる親友が出来たから。だからもう、気にしなくてもいいんだよ」

 

「そうか……」

 

「うん。ヒッキーがね。部室に来なくなってから、あたしとゆきのん毎日喧嘩してた。あたしが何を言ってもゆきのんは謝るしかしないし。あたしはそんなゆきのんにずっと怒ってたの。あたしは全部言ってるのに。本心を最後まで出さないって悲しいじゃん。全部伝えても返ってこないのって悲しいじゃん。それで、何時もあたしは疲れた後に言ったの、お腹すいたからご飯行こうって」

 

 知らなかった。雪ノ下と由比ヶ浜がそんな事になってたなんて。胸がキリキリと締め付けられる。

 

「それでご飯食べた後はゆきのんの家に行ってまた喋って、喧嘩して。それでね。ある日ゆきのんに馬鹿って言ったらね。やっとゆきのん怒り出したの。貴女にそんな事言われる筋合いはないって。あるよって言ったらまた謝りだして。そうしたらもう一回あたしは馬鹿って言ったの。そしたらあたしも急に悲しくなって、ゆきのんも泣き出して。ずっと2人で泣いてた。それで──1週間ぐらい話さなかったかな。でも、また部室で喋って……そんな事を繰り返してた。でも、そうしたら──あたし達、親友になってたよ。お互い全部吐き出して、それでも求め合って。多分、ヒッキーが居たら出来なかったと思う」

 

 俺達三人の関係は酷く歪だった。誰かが誰かに何かを求めて。それを言い出せなくて。何も壊せなくて。妥協したまま終わろうとした。一度はそれを俺がぶち壊した。本物が欲しいと告白した。だが結局、由比ヶ浜はそんなものは要らないと言った。そして、雪ノ下も結局は何も言い出せずに、最終的に俺が幕を降ろす形で奉仕部は終わったのだ。

 

「だから、ヒッキーそんな顔しないで。笑って。ヒッキーのお陰で親友が出来た。あたしにはもうそれだけで十分だから。もう、過去は振り返らないから。もう、どうしようもないから。何も出来ないから。もう絶対に、今より悪くならないように頑張り続けるから」

 

「………………強いな、お前は」

 

 俺に出来る精一杯の強がりが出た。気を緩ますと泣いてしまいそうだから。でも、そんな事はできない。彼女には甘えられない。精々、強がって笑ってやるのだ。何時ものように、死んだ目で。キモいと笑われようと。最後の最後までこんな素晴らしい女の子に迷惑をかけないように。

 

「幸せを願ってる。ずっと、何時までも」

 

「うん。あたしも願ってる。いつか、ヒッキーにも大事な、手放したくない人が出来るよ。──きっと」

 

 俺と由比ヶ浜はそう言って笑うと、どちらともなく手を差し出し握手をした。柔らかい手だ。ずっとこの手を繋ぐ未来もあった。でも、これでいい。これがいい。これが欲しかった。すると、少し離れた場所から咳払いが聞こえた。留美だ。もしかして由比ヶ浜を探していたのか、少し髪が乱れている。

 

「ああ……その、ええと。結衣先生。お取り込み中でした?」

 

「あっ。ううん。こっちこそごめんね。明後日の件だよね? メールくれた通りの時間で大丈夫だよ。園長先生も楽しみにしてるって」

 

「そうですか。……八幡。これで最後の確認事項終わったから先帰ってるね」

 

「いや、俺も帰るわ。じゃあな、由比ヶ浜。仕事中邪魔して悪かった」

 

 もう言いたい事はない。伝えたいことは伝えたし。伝わって欲しかった事は伝わっていた。後、子供が変に気を使うんじゃありません。

 

「ううん。いいよ、久しぶりに会えて嬉しかった。────今度、ゆきのんと一緒に会いに行くね。そうしたら、もう一回三人で話をしよう? また、あの時から」

 

「──ああ、わかった」

 

 由比ヶ浜に手を振って俺と留美は歩き出す。もう辺りは真っ暗だ。流石にこいつを1人で帰すわけにもいかないので、平塚先生にメールだけ入れておく。

 

「本は俺が返しておくから今日はもうこのまま帰れ。駅まで送っていく」

 

「……わかった。ありがとう」

 

 そのまま2人とも無言で歩いていく。留美がずっとこちらを伺っているのを感じる。流石に俺と由比ヶ浜が手を握り合ってれば何かを勘ぐるか。つか、何処から聞かれてたんだろ。恥ずかしい。

 

「……八幡は、結衣先生と付き合ってたんだね」

 

「その事実はない」

 

「じゃあ、フられたんだ」

 

「その逆」

 

 留美が目を丸くした。嘘はついていない。俺だって自分の発言聞いて嘘だろ?って思う。あんな良い子。多分もう、ずっと会う事はないだろう。

 

「でも、少しだけ羨ましいよ。傍から見てても、心が繋がってるの見えたし……ああ、うん。ごめんなさい。今の忘れて」

 

 何時か一色もそんなような事を言っていた。俺達は本当に特別な3人だったと思う。同性ならこんな事にはならなかっただろうし、同性ならきっと特別にはならなかっただろう。留美は自分で言った事が恥ずかしかったのか少しだけ頬を赤くしている。でも、その言葉は嬉しかった。他人から見ても俺達は特別だったのだから。こうして奉仕部が無くなった今でも。だから、そのお礼として俺は、

 

「お前の代の奉仕部だって、きっとそういう事が起きるかもしれないぞ」

 

「…………1人なのに?」

 

「新入部員を平塚先生がまた無理矢理連れてくるかもしれんし。俺と先生だって頭数に入れてくれよ」

 

「……そ。その時が来たら、まぁありえないだろうけど考えてみる」

 

 留美はそっぽを向いてそう呟いた。俺はそれに満足した笑顔で返し、そのまま何も言う事無く駅までの道を歩き続けた。

 

 

 




出かける直前まで書きました。予約投稿なのでまた誤字脱字等あればお願いします。後、指摘してくれる方何時もありがとうございます。
ボリューム的に何時もの二倍ぐらいあります。
3人について書きたい事は大体書けたので後は留美です。
次回から留美の話になります。落とし所が難しい。



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第22話:そして、鶴見留美は──

 高校生活といえば薔薇色の青春だ。

 そして、青春とは戦争であり、悪である。青春を謳歌する者達の中には常に勝者と敗者がいる。勝者は自分の良しも悪しも全て肯定的に捉え、その全てを青春の証とし、素晴らしき思い出の1ページへと昇華していくのだ。そして、その証の中には常に敗者が存在している。勝者にとって都合の良いキャラクターを押し付けられ、自分自身を諦めながらその貴重な青春を消費する者。自分の好きなように生きているだけなのに、勝者にとってその存在は疎ましく後ろ指をさされて笑われる者。だが、私は勝者にも敗者にも興味がない。なる気もない。それが、正義でも悪でもどちらでもいい。自分が変われば世界が変わると都合の良い希望も持たない。自分の世界は生きているだけで最悪だと絶望もしていない。

 

 

 

 

 そう思うが故に、私は諦観する。

 

 

 つまるところ、こうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうでもいいから、全員くたばれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高校二年の春。進路調査のついでに担任の平塚先生から出された、「高校生活を振り返って」という課題の内容について呼び出された。何時もは課題を淡々とこなす私だが、今回は妙に筆がノってしまい、あんな支離滅裂な文章を書いてしまった事に多少の後悔をしつつ、進路指導室へ。部屋に入ると、平塚先生が変な表情をしている、なんて思った。苦虫を噛み潰したいけど、どことなく笑ってしまいたいような、そんな感じ。見た事のない表情だったので少しだけ驚いた事が印象に残っている。

 

「鶴見。これは一体なんなんだ?」

 

「課題です。内容が駄目なら書き直します。放課後には提出できますよ」

 

 はぁ、と先生がため息をついた。私だってつきたい。「まるできょうだいみたいだ」なんて捨て台詞まではいていたが、誰と似ているのだろうか。

 

「……鶴見。君は結構な難関大学を志望していたね?」

 

「……はい。良い大学に行って、良い会社に入ってきちんと働いてお金に不自由したくないので」

 

 今度は「こういうとこは正反対なんだよなぁ……」なんて先生は再びぼやいた。そして、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「君は成績も良いし、このままいけば推薦だって夢じゃない。ただ、成績だけじゃ少し弱いのはわかっているな?」

 

「そうですね。ですが、このまま3年まで勉強すれば一般入試の合格も不可能じゃないとは思っています」

 

「そう言うなよ。……そこで、私から提案なんだが、部活動をやってみないか?」

 

 それが、奉仕部の始まりだった。正確に言うと、何年か前に廃部になった部活を先生と私で復活させただけなのだが。しかし、それなりに恩恵もあった。先生から与えられた部室は、校内のプライベートスペースとしては最高だった。昼休みに静かに食事ができるし、放課後も図書室から本を借りてきて読んだり、宿題や予習も1人で集中してできるのでとてもありがたい。だが、それも長くは続かなかった。

 

「鶴見、紹介するぞ。奉仕部OGの雪ノ下だ。……君が小学生の頃に会ってると思うんだが、覚えているかね?」

 

 ある日平塚先生が連れてきたのはどこかで見た事のある女の人だった。私は彼女の事を少しだけ覚えている。あまり話した記憶は無いが。どちらかといえば、彼女と一緒に居た男の事をよく覚えている。比企谷八幡。──多分、一生忘れない名前。私の色々な問題をある日吹き飛ばした男。……今だからこそ言えるが、私は彼にとても感謝をしている。やり方はどうであれ、彼の行動には随分と救われた。今の何もかもを諦観したような生き方だって、元はといえば彼が教えてくれたようなものだからだ。

 

「お久しぶりです。雪ノ下さん」

 

 あまり覚えてはいないが、印象は強い。当時も思ったが相変わらずの美人さんだからだ。先生がきょうだいと言ったのも彼女と似ているからなのかもしれない。この人も、中々小癪な文章書きそうだし。

 

「ああ、あの鶴見さんね。覚えているわ。……大きくなったわね」

 

 雪ノ下さんの視線が何故か胸に集中しているのに気づいたが、気にしない事にした。その後、雪ノ下さんと色々話をした。学校生活の事。この部活の事。雪ノ下さんも最初は1人だったそうだ。本来奉仕部とは自己改革を促し、悩みを解決する事を目的とした部活との事だが、私はそんな事まるで興味がなかった。ここで自学自習するようになり、成績も伸びてきた。できれば面接で有利になりそうな話を作っておきたいところだが──まで話すと、

 

「そうね。……じゃあ、私の友人を紹介するわ」

 

 そこで現れたのが結衣先生だ。近所の保育園で仕事をしているらしく、わざわざ休みの日に部室まで来てくれた。こちらも雪ノ下さんとはまた違ったタイプの美人である。雪ノ下さんが既に市の社会福祉協議会に話をつけてくれたらしく、私は定期的に結衣先生の指導の下、保育園にボランティアに行く事になった。雪ノ下さんは凄い。兎に角行動を起こすのが速い。目的の為に何をすればいいかを全て理解していて、仕事が出来る女の人ってこういうものなのか、と思わず唸ってしまうほどだ。ずっと部室に篭って勉強ばかりしている身にとっては、偶にボランティアをするというのも良い息抜きになったのも素晴らしい。ただ、それとは逆に私のクラスでの生活は酷くなっていく一方だった。

 

「鶴見って生意気じゃない?」

 

「何時もスカしてるよね」

 

 2年生となりようやくクラス換えを経てようやくスクールカーストが固まって来た頃、どうやら私の事を嫌いな人間が現れた。そりゃ、そうよね。なんて自分でも納得する。小学生のあの経験以降、私は近しい友達を作る事を辞めた。何時裏切られるかわからない。何時裏切るのかわからない。そんな恐ろしい綱渡りのような関係を好き好んで作る気力は私にはもう無い。あの日、私は見た。たった一つの悪意が、絶対的な正義を喰い散らかす瞬間を。絶対に覆る事のない強固な身分制度がたった一夜で崩れ去った事を。──あれは、とても嬉しかったし。とても憧れた。ああやって、強くなりたいと思った。

 

 

 1%なんて誤差だ。切り捨てていい。なんて言える強さが欲しかった。勉強も1人で頑張るしかない。学校行事も1人でやるしかない。だって、気を許せば裏切られるから。また同じ事をしてしまうから。私の心は動じない。どんな悪意も貫けない。正義には悪意で。彼のように、食い尽くしてやるのだ。勝者たちの作った絶対的な身分制度を。私は井浦に立ち向かう。井浦に虐げられる人間もついでに助けてやった。もっと波乱があるとは思っていたが、そこは山羽と弓ヶ浜が上手く空気を作ってくれたのでそこまで険悪にはならなかった。そうして何だかんだ表面上は普通のクラスを演じていた時、再び彼が現れた──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝は好きじゃない。

 めんどくさいと感じることが多いからだ。身支度や朝食はまだいい。生きるために必要なのだから。学校につくとまず下駄箱で靴を履き替える。最近では高確率でお菓子のゴミが入っている事が多いが今日はない。これがめんどくさいその1。そして、そこにはクラスメイトが大体居る。他所のクラスの子も居る。私の顔を見ると目をそらし、ひそひそと話を始める。これがその2だが、今日はない。それどころか、

 

「鶴見さん。おはよう。昨日聞いたよ……。何か大変だったみたいね」

 

 珍しくクラスメイトに挨拶された。名前を憶えていない運動部の何とかさんだ。昨日と言われたが、何も思い当たる事がない。LHRだるくて体調悪いフリして、部室で本読んでいたぐらいか。弓ヶ浜に体調悪いアピールして保健室に行ったフリがバレて平塚先生が怒り狂っているのだろうか。めんど。それとも弓ヶ浜が大げさに何か言ったのだろうか。どちらにせよめんどくさい。

 

「もしかして、バレた? 平塚先生怒ってた?」

 

「平塚先生? え、違う違う。山羽君の事。弓ヶ浜さんに告白しろって言われてやらされたんでしょ?」

 

 一瞬頭が真っ白になった。どうして、そういう話になっているのだろうか。私のやった事は弓ヶ浜には話していない。あれから何かを言いたそうにしていたが、どうでもよかったので相手しなかった。だとしたら、奉仕部の部室の会話を誰か盗み聞きして、それが噂になっただけなのか。どちらにせよ、状況はよくない。思わぬ所で弓ヶ浜にまで飛び火してしまった。まずは、状況把握。

 

「……それ、誰が言ってたの? 井浦? 坂見?」

 

「ううん。弓ヶ浜さんが自分で言ってたの。何かLHR終わったらね。井浦さんと坂見さんと弓ヶ浜さんが言い争いしててね。何か怒りながら弓ヶ浜さんが私が鶴見さんにやらせたって大声で言ってたよ」

 

 何をやっているのだあのバカ娘は。黙っておけばいいものを。

 

「鶴見さん……山羽君の事好きじゃないんだよね?」

 

「まるで、興味ない」

 

 そういうと彼女はほっとしたように笑った。私に声をかけた真意はそこなのだろう。他のクラスの友人と酷いよねーなんて笑いながら言い合っている。何にせよ、こちらもそちらの事情なんかどうでもいいので適当に挨拶をして教室へと向かう。中に入ると、私の姿を見て何人かが会話を止めた。坂見なんかは露骨に私の方を見ている。

 

「鶴見さん。何かごめんねー。弓ヶ浜ちゃんがさー」

 

「うるさい。話しかけないで」

 

 弓ヶ浜がどこまで事情を話したかはわからないが、全てを知って「弓ヶ浜がさー」なんて話の切り出し方はないだろう。自分が不利にならないためのフロント活動なのだろう。くだらない。相手にする価値もない。それよりも弓ヶ浜の行動の方が謎だ。何か、あったのだろうか。考えても答えは出ない。ひそひそと雑音も多いので集中もできない。何もかもめんどくさくなったので、イヤホンを取り出して音楽を聴こう。その後、ゆっくり考えればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になった。未だ、脳内で上手く処理できていない。どうして? 何故? 疑問ばかりが湧く。黙っていれば何も変わらなかったというのに。クラスの雰囲気は私に対して同情的だ。現に、話した事すらないクラスメイトからも声をかけられたりした。曰く、鶴見さん可哀想だったね。弓ヶ浜さん酷いよね。本人が学校に居ないのを良い事に憶測が広まっている。坂見のフロント活動の賜物だろう。井浦はよくわからない。そして、ついには

 

「あっ、やべ。机倒しちまった」

 

「何やってんのよ……。ま、弓ヶ浜のだしいいんじゃね?」

 

 クラスの攻撃対象が私から弓ヶ浜に完全にすり替わっていた。机を倒してしまった。でも、弓ヶ浜のだからいい。トップカーストがそんな事をすればクラスの空気も変わる。私は山羽に視線を送った。彼は一瞬だけ目を合わせ、すぐに逸らすと何時ものような作り笑顔を浮かべながら「いいわけないだろ」と率先して倒された弓ヶ浜の机を直し始めた。何とか最終防衛ラインは守れた感じだろうか。ここで山羽が動かなければ完全に弓ヶ浜への攻撃はクラスで認可されたものになってしまう。悪いとはわかっていても、止められない空気の出来上がりだ。理由もある。鶴見が山羽に告白したのは、弓ヶ浜がけしかけたから。何故、弓ヶ浜はわざわざ自分が不利になるような事を言ったのか。現に弓ヶ浜は告白してくれなんて頼んですらいない。私が全部勝手に決めて自己責任でやった事だ。それなのに、何故。

 

「鶴見さん。大丈夫?」

 

「顔色悪いよ?」

 

 クラスメイトのろくすっぽ話した事のない奴らが私を心配している。ひどく、気持ち悪い。何もわからないのに、わかったようなフリをして上っ面だけの言葉をかけてくる。本当に心配するべきは、今ここに来れなくなってしまった人間の事だろうに。ついこの間まで弓ヶ浜と仲良さそうに話していた筈じゃない。あまりにもイライラしてきたので、彼女たちを無視して、私は教室を出た。どうすればいいかわからない。弓ヶ浜が勝手にやった事だし、自分には関係ない、それが今までの私だ。どうでもいい。客観的に見れば自分に有利だ。今までのように諦観していればいいのに。そのまま特に行くあても無かったので部室に向かう。雪ノ下さんに相談してみるのもいいかもしれない。だが、

 

「おう。邪魔してるぞ」

 

 LHRの時姿が見えないと思ったら、八幡は既に部室に居た。雪ノ下さんの姿は見えない。あの二人のやり取りはどうにも疎外感を感じるので二人一緒じゃなくて良かった。

 

「……何? サボり?」

 

「用事が出来たからな。とっとと今日の日誌書いて行くんだよ。だから、今日はお前一人で活動してくれ」

 

「ふぅん……。クラスが荒れてるのに呑気なもんだね」

 

「弓ヶ浜の事か」

 

 意外にも八幡は知っているようだった。何もわかっていないようで、何もかもわかっている。人の色々な部分を見るのが上手いし、よく覚えているイメージがある。模擬授業何かでも、誰が何を苦手としているのかをよく把握している感じだ。私もこの前苦手な部分を何回か当てられて、腹いせに放課後お腹を空かせた八幡の前で総菜パンを三つも食べてしまった。帰りに胃もたれを起こしたし、1キロ太ってしまったので今後ああいった仕返しは控えようと思う。

 

「知ってるんだ。……その、あいつ。何か私が山羽に告ったのを自分の所為みたいに言ったらしくてさ。それが原因で、今じゃクラスでハブられはじめたってわけ」

 

「そりゃあそうだろうな。自分が頼み事した人間が、毎日クラスで陰口叩かれてりゃ普通の人間なら罪悪感を覚える」

 

「……私のせいだって、いいたいわけ?」

 

「別にお前のせいだとかそういう話じゃない。やった事の結果だ。現に問題の解消はされた。クラスの状態は弓ヶ浜の望むようになった。これ以上、何を望む」

 

 八幡の言葉は冷たい。怒っているとかそういう事ではなさそうだが、淡々と事実だけを説明している。事実だけでいえば確かにそうだ。問題は確かに解消された。依頼はこなしたのだ。あのまま弓ヶ浜が黙っていれば何もなかったのに。私は何を言われても平気だったし、何をされたってどうでもよかった。半年も過ぎればこんな事誰も覚えてないのに。思考が上手く纏まらない。代わりに出てきたのは、陳腐な言葉だった。

 

「わかんない。でも、このままじゃ嫌だ」

 

 そういうと八幡は少し驚いたような顔を見せた。少しだけ笑ったようにも見える。何故だろうか。わからない事が面白いのだろうか。こんな、陳腐な"感情から出ただけの言葉"に何の価値があるというのか。

 

「……そうか。なら、考え続けろ、留美。何が嫌なのか。どうすれば嫌じゃなくなるのか。全てを計算して、最後に残ったものがお前の答えだ」

 

「そんな事言われても……」

 

「仕方ねぇ。じゃあ、聞いてやる。何がわからないのか。そのまま放っておけばいいじゃないか。弓ヶ浜がお前のした事の後始末をひっかぶってくれた。お前に何の損がある?」

 

「確かに私には有益だよ。でも、それで弓ヶ浜が酷い目にあったら、意味ないじゃん。私は、そんなもの欲しくなかった!」

 

「そうだよな。弓ヶ浜もきっとそうだろうよ。お前に相談した結果、結果は出たけど今度は、お前が酷い目に遭い始めたからな。見ていて気分の良いもんじゃないだろう」

 

「──っ! 私は、あんなの別に……」

 

「前にも言ったよな。お前がいくら強くたって、お前の周りが強いとは限らないって。お前を大事に思っている連中が、その姿を見て心を痛めない筈がないだろう」

 

 ──ふと、思い出した。昔のことを。あの日、助けてくれたことも含めて全部。とても嬉しかった。憧れた。ああいう風になりたかった。強く、なりたかった。ただそれだけだったのに。どうして今になって現れてこんな事を言ってくるのだろうか。そんな、自分が弱くなってしまうような事を。そんな事を言われたら、もう何もできない。

 

「全部諦めて、見限って、何も期待しないで──。そうやって独りでずっと頑張ってきたのに、今更どうしてそういう事を言うの……? 私はただ、八幡みたいに強くなりたかっただけなのに……!」

 

「……お前のやり方は否定しない。そうでなければ救えない事だってある。だが、お前は弓ヶ浜を諦めきれていない。最後まで自分を貫くのであれば、覚悟を決めろ。何もかも全てを傷つけて台無しになっても、自分のやり方を貫く覚悟が今回のお前にはなかっただけだ」

 

「だってそれは……まさか、こんな事になるなんて思わなかったし……」

 

「そうだよな。だから、間違いは正す必要があると俺は思う。……留美。お前にとって、弓ヶ浜がどうでもいい存在なら、今回の状況において何もしようとは思わない。だって、どうでもいいから。傷つけた事にすらどうでもよければ気づかないから。それは、弓ヶ浜にも言える事だ。お前の事がどうでもよければ、今回の件は何事もなく終わっていた筈だろ?」

 

 八幡の言葉が響くと同時、私の中で弓ヶ浜との記憶が蘇ってくる。入学した時、同じクラスだった。私があっちいけオーラを出してもめげずに話しかけてきた稀有な同級生だ。クラスの中では上から数えた方が早いぐらいの立ち位置にいるのに、色々な事に気を配って、いつもへらへら笑っていて。嫌なことを顔に出さない子だった。二年に上がってからも私の態度は変わらなかったが、それでも色々と助けてもらったという認識もある。……ああ、だから私も依頼を受けようだなんて思っていたんだ。今更そんな事に気づいた。

 

「…………うん」

 

「後は、お前がどうしたいかだ。弓ヶ浜の思いに対し、お前がどう動くか。これはもう、お前にしかできない事なんだ」

 

「どうって……」

 

「今、お前にしかできない事がきっとある。──何も動けず本心を伝えられず、適当な理由を探して、それが本物だと信じてその場をやり過ごすなんて辛いだけだ。後悔しかない。だから、留美。今なんだ。今しかできない事、ここにしかないものを大切にしてほしい」

 

 八幡の顔が少しだけ悲しく歪んだ。きっと、色々とあったのだろう。雪ノ下さんとのやり取りや。結衣先生とのやり取りを見ている限りには、かなりこじらせていたように見える。

 

「お前に伝えたい事はそれだけだ。──頑張れ、留美」

 

 それだけ言うと八幡は立ち上がった。どこかへ行くらしく、スーツのジャケットを羽織り始める。ここにはもう、戻ってこないのだろうか。それとも──

 

「どこ、行くの?」

 

「先生の仕事しに行くんだよ。お前とは話した。後は、もう一人と話しに行くだけだ」

 

 

 そういうと八幡が教室から出て行った。一人残された私は考えるしかない。

 八幡はきっと弓ヶ浜を探しに行ったのだろう。私は彼女の連絡先すら知らない。知っている事といえば、今日来ていないことぐらいだ。弓ヶ浜と会って八幡は何を話すのだろうか。そして、私は彼女と何を話せばいいのだろうか。ごめん。でもない。何やってるの?でもない。言葉が出てこない。私が、何も考えず傷つけてしまった人。私に優しかった人。ありがとうでもない。この感情は何をどう表現するかわからない

 

 

 

 

 ──私にとって、彼女は何なのだろうか。

 

 

 

 

 その答えを私はまだ持っていない。そして、その答えを用意しておかなければならない。

 

 

 




13巻最高だった・・・(昇天)
ガハマさんの台詞全部ほんま好き過ぎてハッピーエンドじゃなきゃ死ぬ(過激派)
新刊読んだ熱量で一気に書き上げました。
というわけで、次回で教育実習編終わりです。
第23話をよろしくお願いします。
現状24話で完結予定です。もうしばらくおまちください。


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第23話:それでも、比企谷八幡は──


お久しぶりです。

ついに無趣味人間になったのでしばらくオタクとして
2019年は創作活動を頑張ろうと思いました。
ツイッターアカウント作りましたので良ければフォローお願いします。
@omegajhon1





 

 

 

 

 

 放課後にクラスで一悶着あったという事は少しだが知っていた。次の日の準備をしようと教室に戻った時の空気がおかしかったからだ。多分、井浦と坂見。誰も何も言わないが、皆の視線がそう告げている。教師として一応、「何かあったのか?」と聞くが大した事ではないとの返事があった。この時、気づいておくべきだったのかもしれない。いつもこうなる前にクラスの雰囲気を察して空気を変えていた子が居た事を。

 

「何かクラスで小競り合いがあったみたいですよ。多分、井浦と坂見。聞いてみたけど教えてもらえなかったです」

 

「そうか。わかった」

 

 平塚先生にそれだけ報告はしておいた。先生も頭の隅に置いといてくれたようで、その後何時ものようにバカ話をした覚えがない。そして、翌日。朝のHRが終わった時点で平塚先生が難しい顔をしながら俺に告げた。

 

「弓ヶ浜が欠席のようだ。学校に連絡は来ていないので、これから両親と彼女に連絡してみる。比企谷、君は授業の準備を頼む」

 

 この時点で昨日の事件、そして今までの事と何か関係があるなと嫌な予感がした。朝のHRの時もクラスの空気がおかしいのがわかった。留美の機嫌が悪い。山羽が明るく盛り上げようとしている。井浦グループ坂見グループは小声で色々話している。他の子達もグループでそれぞれ固まっていた。まるで、一人になる事を避けたいように。留美に視線を送るが、無視。唯一の情報源が断たれてしまった。っていうか、気軽にクラスで話せる子が留美だけってかなりダメな教師である。それと、弓ヶ浜も思えば随分と気楽に会話できる生徒だった。

 

「……どう、でした?」

 

 授業直前、何時もの喫煙室で準備をしていた際、平塚先生に聞いてみた。

 

「ご両親は学校に行ってると思っていたようだ。本人に連絡してみたら、体調悪くなったから途中で家に引き返したとメッセージが来たよ」

 

「そうですか」

 

「君から報告を受けた限りでは、あまり問題なさそうだとは思う。……だが、その表情を見る限りでは何かありそうだね」

 

「昨日から……いや、ほんの少し前から少しだけクラスの空気が変わっていたように思えます。だから、俺はなんていうか。……上手く言葉が出てこないです」

 

 平塚先生は俺の言葉を聞くと煙草を一本咥え、火をつけた。俺も吸いたい気分ではあるが、何となく今は煙すら喉を通らないだろうという自覚だけはある。先生は特に煙草を勧めてくる気配はない。ただ、じっと俺の顔を見ている。

 

「上手く言葉にできなくてもいい。感情のまま、言ってみなさい」

 

 とても優しい声だった。その声に背中を押されたのかはわからない。だが、堰を切ったかのように言葉が漏れ出していく。

 

「少しおかしいと思ったのは留美の事があったすぐ後です。いつもは嫌味なぐらい明るく挨拶してくるのにそれが日に日に陰っていきました。授業中も隙あらば寝る感じなのに、ずっと教科書を見ていたような気がします。集中しているんじゃなくて、何か一点を見つめ、考えている感じです……」

 

「君は相変わらずそういう所に敏感だな。よく生徒を見ている。……確かに弓ヶ浜には何かありそうだ。それで、君はどうしたい?」

 

「……俺が、ですか」

 

「そうだね。もう、ここまでくれば実習生では手に余るだろう。私の仕事だ。放課後、彼女に会いに行こうと思う。会ってくれるかどうかはわからんがね。それでも、やってみるさ……ただ、あまりにも君が動きたそうだからさ。つい、意地悪な聞き方をしてしまった」

 

 しばし、先生の言葉を頭の中で反芻する。俺が動きたがっている? ……ああ、そうかもしれない。今回の件の全ての発端は、あの日、俺が留美にした事から始まっている。留美は俺に言った、俺の教えたやり方をやっただけだと。俺も当時はあれでいいと思っていたが、結果がこのザマだ。過去は変えられない。俺の罪は消えない。……ああ、だからだ。もう一度自分で動かなくちゃなんて考えたではないか。

 

「手には余るかもしれません。これは、贖罪なのか。同情なのか。憐憫なのかもわかりません。……先生。それでも、今回の件は俺が動きたいです。力を貸してください」

 

 俺の言葉に先生はニヤっと笑った。獰猛で、かっこいい笑い方だ。先生にもリスクは有る筈なのにどうしてこんなにもかっこよく笑えるのだろうか。

 

「わかった。ケツは全部こっちで持つ。できる限り、力の限りあがいてみたまえ。──期待しているよ、比企谷先生」

 

 この言葉だけは裏切りたくない、心の底からそう思うスカっとした返事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になり留美と話をした後、俺は学校の入り口へとやってきた。弓ヶ浜の家の住所は調べた。後は向かうだけだが、いかんせん自転車でもまあまあ遠い。平塚先生は会議なので車を出せない。キー貸そうかなんて言われたが、あんな車運転できない怖い。傷でもつけたらもう先生に土下座して求婚して許してもらうまである。それ以外に車と言えば、後は陽乃さんに土下座して……なんて考えてたけど本当に土下座しかできねぇんだな、俺。悲しくなってきた。しかし、それでも行くしかない。

 

「あら、今日は早いのね」

 

 振り向くと、後ろから声をかけてきたのは雪ノ下だった。ヘルメットを脇に律義に抱えてるあたりがとても彼女らしい。仕事はもう終わりなのか、心なしか機嫌がよさそうだ。

 

「これから生徒のとこに行くんだよ」

 

「生徒……? ああ、ごめんなさい。貴方、そういえば実習生だったものね」

 

 ねぇねぇ、この人いちいち俺に嫌味言わなきゃいけない性格なの? 小首を傾げるのが本当に可愛くて本当に今日もムカつく。

 

「お前こそ、仕事終わりなのか?」

 

「ええ、今日はやりきり仕舞いだから。これから、会社に戻って片付けした後、由比ヶ浜さんと食事に行くのよ。……その分だと、貴方は無理そうね」

 

「ああ、ちょっと学生時代のやり残しがある。んじゃ、俺行くわ」

 

 そう言って自転車に乗ろうとすると、

 

「待ちなさい。……まだ少し時間があるから、その……良かったら車に乗せてってあげてもいいのよ」

 

 気恥ずかしいのか雪ノ下の頬が少しだけ赤い。えっ、こいつ車の免許持ってるし乗ってるの? 仕事しているから当たり前といえば当たり前なのだがいまいち想像がつかない。しかし有難い申し出だった。「じゃあ、お願いします」といって雪ノ下の後に続く。流石に陽乃さんと違って高級車ではない。普通のライトバンだ。正直、似合っているかと聞かれれば似合っていない。まあ営業車だしね。雪ノ下もそれは自覚しているのか、そして俺を乗せるかどうか相当葛藤したのだろう。顔がまだ少し赤く、照れくささを隠すように目を細め、

 

「……何か?」

 

「いや、別に。ありがとうってだけだ」

 

「そう。これ、社用車なのよ。ね?」

 

 ね?と言われても何も答えようがない。弓ヶ浜の住所を伝えて雪ノ下にそのまま向かってもらう。しかしまあ、人生とはわからないものだ。まさか、雪ノ下の運転する車に乗る日が来ようとは。人生何があるかわからない。しかも、助手席ってのが本当に俺らしい。雪ノ下を助手席に乗せてる姿はもっと想像できなかったけど。

 

「学生時代のやり残しって、何?」

 

 しばらく運転をしているとやがて雪ノ下がぽつりと呟いた。あまり面白い話じゃないし、言いたくなかったがここで言わないのもあまりに不義理というもの。実際、雪ノ下にも迷惑をかけたのも事実だ。一つ一つゆっくりと話していく。昔、こんな事があったよなという事。留美と再会した時の事。俺のやり方を真似した事。その結果、一人の生徒が学校に来なくなった事。雪ノ下はまっすぐ前を見ながら頷く事なく聞いていた。

 

「話は以上だ。俺の行動が原因で、一人はどこかの誰かさんみたいに捻くれて、学校に来れなくなっちまった奴までいる。だから、ちゃんと正したい。こうなるなんて思わなかったなんて言い訳で終わらせたくない。俺が自分で選んでやった事だから。最後まできちんと向き合わないとならない」

 

「……貴方だけの問題じゃないわ。私も彼女も結局何もできなくて、全部貴方に押し付けたのよ。私は、鶴見さんのあの事件では、あの時の比企谷君にできる最善の事をしたと思っている。でも、それが原因でこうなってしまったのなら一緒に正しましょう。……このやり残しの解決を以って、奉仕部を卒業するの。私と、由比ヶ浜さんと、比企谷君で、一度全てを終わらせたいの……」

 

 奉仕部を卒業──という雪ノ下の単語が胸に刺さる。学校は卒業したが、俺達はいまだに後悔をしている。あんな終わり方であった事を。雪ノ下もずっと悔いていたのかもしれない。最後まで言わなかった事を。俺もそうだ。由比ヶ浜の気持ちに応えなかった。陽乃さんの問いに最後まで答えなかった。雪ノ下には最後まで本心を言わなかった。誰が悪いとかではない。皆傷つきたくなくて、信じられなくて言えなかっただけだ。だから、終わらせたい。全部。あの時言えなくて、動けなくて2人と1人になってしまった奉仕部で、最後のやり残しを終わらせる。色々な感情がせめぎあうが、言葉は簡単に出てきた。

 

「悪いな、最後まで迷惑をかけて」

 

「お互い様よ。私も、貴方や由比ヶ浜さんには多くの迷惑をかけたわ。多分、由比ヶ浜さんもきっと同じことを言うでしょうね」

 

 あんなにも言えなかった事が今では簡単に言える。成長したのか、時間の経過があったからなのか。それはわからない。それは雪ノ下も一緒だったようで、

 

「こんな風にあの時ちゃんと言えてたら、何か変わってたかしら?」

 

「さぁな……。それこそ今更だ。……でも、俺はこれで良かったと思う」

 

「つれない男ね。相変わらず」

 

「悪かったな。でも、お前だって似たようなもんだろ」

 

 俺の言葉に雪ノ下がフ、と笑った。俺もつられて笑ってしまう。そんな話をしているうちに、弓ヶ浜の家の近くまで来たようだ。後、五分もすればつくだろう。カーナビもそう告げている。

 

「ちなみに比企谷君。もし、弓ヶ浜さんが家に居なかった場合、次はどんな手を打つの?」

 

 ……雪ノ下の言葉に疑問が湧いた。言っている事の意味がわからない。

 

「いや、お前。学校休んだら普通、家に篭るに決まっているだろ? 他に何処に行くって言うんだよ? バカなの?」

 

 俺の言葉にイラっときたのか雪ノ下の目が細くなった。しかし段々と俺の言っている事の意味が理解できたのか……やがて哀れみのこもった目で俺の方を見た。どうして?

 

「バカは貴方よ。……貴方から聞いた限り、その弓ヶ浜さんはクラスのトップカーストに位置する子よね? ああ、わかりやすい例があったわ。その弓ヶ浜さんと由比ヶ浜さんを比べて見なさい。似たようなタイプだと思わない?」

 

「まぁ、そうだな。名前も似てりゃクラスでの立ち位置も似たようなもんだ。皆から一目置かれてて派手なグループに居て、クラスの雰囲気を上手く良くする奴だからな」

 

「じゃあ、それを頭に入れてよく考えて見なさい。由比ヶ浜さんが何か学校で嫌な事があってサボった時、家でずっと引きこもってると思う??」

 

 ……ヤバい。思わないどうしよう。絶対あいつ自分のお気に入りのスポットとかで無限に落ち込みそうじゃん。なんだったら雪ノ下の家の前で蹲っているまである。しまった。そこまで考えていなかった。最近の女子高生って本当に難しい。どうしよう。弓ヶ浜とどんな話をすればいいかまでは考えていたが、家に絶対居ると思ってた(確信)

 

「ち……ちなみに雪ノ下だったら何処へ行く?」

 

「その話、今は関係ないでしょう」

 

 あ、こいつも絶対家に篭るな。それだけはわかった。ヘッドホンつけて猫動画を朝から晩まで再生してそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オッス!オラ八幡。

 いや~!やっぱ弓ヶ浜の奴家に居なくて困っちまったんだ! 自転車あるかどうか調べてたら近所の人に危うく通報されそうになっちまってなぁ!そこで雪ノ下がとりなしてくれなかったらこの物語終わっちまうところだったぞ! 次回、ドラゴンボール「八幡、クビになる」絶対見てくれよなっ!

 

「いい加減、現実逃避から帰ってきなさい」

 

 雪ノ下の言葉でやっと俺も冷静になる事が出来た。先ほど語った通り、やはり弓ヶ浜は家にいないようだった。自転車も無いのでどこかに出かけたのだろう。何とか雪ノ下の話術のおかげで近所の方の信頼を得る事に成功し、弓ヶ浜が制服で朝家の前を何時ものように出て行ったという証言まで得る事ができた。というわけで捜索する範囲が広がった。これからどうしたものか。

 

「捜索範囲を絞っていくか、ここで待っているかの二択ね。流石に平日だし外泊まで親御さんが許すとは思えないわ」

 

「親御さんと本人は連絡取れてるみたいだけどな。平塚先生があまり心配してる様子じゃなかったって言ってたし。共働きのお宅みたいだからそこまでの余裕がねぇのかもな」

 

「彼女が好きな場所とかよく行く場所がわかればいいのだけれど……貴方にそれを期待するのは酷ね」

 

「ぐっ……。じゃあお前は何か良い考えがあるのかよ」

 

「こういう時は由比ヶ浜さんね。少し待ってて」

 

 変わったなぁ、なんて思う。昔のこいつはこんなにも素直にすぐ人を頼っただろうか。いそいそと携帯電話と取り出し由比ヶ浜にかけ始めた雪ノ下を見てそう思う。まずは由比ヶ浜に状況を説明しているらしい。まるで子供をあやす大人のような口調だ。所々で「比企谷君が貴女そっくりな女子高生に」とか「追い回す」とか不穏な単語が聞こえるんですけど。大体の状況説明が終わったのか、電話をハンズフリーモードにし始めた。

 

「あ、もしもしヒッキー? これで聞こえる?」

 

「聞こえてるわ、由比ヶ浜さん。それと、公共の場であまり大きな声出しちゃだめよ」

 

「うわ、ヒッキーの声真似懐かしい! ちょっとキモいけど!」

 

 調子に乗り過ぎた。目の前で般若のような顔の女が無言でこちらを見ている。さっきのささやかな仕返しなのに。

 

「生徒探してるんだけど、情報がないんだよね? あたしもよくわかんないけど、手掛かりになりそうなのって学校外だとSNSぐらいだよね。ヒッキーはその子のアカウントとか知らないの?」

 

 そもそもやってねぇよ、と思ったが存外悪くない。雪ノ下も何か思いついたようでにやりと口の端が上がった。怖いよ。 

 

「そうか。SNSか。確かにそれは考えもつかなかった」

 

「うん、まぁでも。大体皆鍵アカになってるだろうし。ちょっと難しいとは思うけどねー……」

 

「そうね。確かに彼には無理ね。……でも、そういう事が得意な人たちが居るから。やってみる価値はあると思うわ。ありがとう、由比ヶ浜さん」

 

「ん。こんなんでいいなら全然いいよー。あたし、少しでも役に立てた?」

 

「そうね。何時だって貴女は助けてくれてるわ」

 

「そうだな。ありがとな、由比ヶ浜」

 

 言葉はすんなりと出てきた。本当に何時だってそうだった。雪ノ下が正攻法で攻め、俺が裏でこそこそやって、俺と雪ノ下じゃ追いつかない部分を由比ヶ浜が助けてくれた。その事を忘れた俺達ではない。 由比ヶ浜が照れたように笑う声が聞こえる。いつもの「頑張ってね、ヒッキーゆきのん」という挨拶をすると電話を切った。

 

「方針は大体決まったわね。今度は、貴方のお仲間を頼るべきじゃないかしら?」

 

「……そうだな。あいつらの伝手使ってどうにか探してもらうか。俺は、この先のアウトレットまで行ってみる。一応、あいつの自転車の許可番号控えてきたし」

 

「そう。私はもうしばらくここに居て葉山君達に状況を説明しておくわ。また後で会いましょう」

 

「悪い。頼むわ、雪ノ下」

 

 そういうと踵を返して幕張方面へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車では数分の距離だが、歩くとそれなりに時間はかかる。SNSは一種の賭けだ。俺も早々に見つかるとは思っていない。ならば、動くしかない。弓ヶ浜が制服で家を出た以上、午前中からそこらをうろついていたら間違いなく補導される。だとすれば人が多いとこに居そうなもんだが、そろそろ学校も終わって人が多く集う所には放課後の学生も多く来るだろう。俺があいつの立場だったら同級生に会いそうな場所は避ける。移動するならば今ぐらいの時間だろうか。弓ヶ浜がもし遠い千葉駅の方ではなく近いアウトレットやらイモンモールに居たとすれば、自転車で家に帰るには花見川を越えなければならない。あいつの家から一番近い橋を歩いているのだが、いまだに遠くに自転車の姿は見えない。千葉駅方向に行かれていたら完全に空振りだ。そんな事を考えながら歩いていると、着信。隼人からだった。

 

「やぁ、先生」

 

「よぉ、実家から米送るの止めてやってもいいんだぞ」

 

 隼人の声が止まった。何なの。俺がいない間にそこまで食糧難になってたの? 後ろから義輝と一色も居るのか「それはまずい」だの「せんぱいですか?」だの声が聞こえる。

 

「冗談だよ。……そっちも冗談だよな? まぁ、雪乃ちゃんから大体話は聞いたよ。今、義輝が片っ端からエゴサしまくってるよ。俺は主にピンスタの方で後輩たちに声をかけている」

 

「悪いな、助かる」

 

「気にするな。今、正直気分が少しだけいいから手伝ってやるよ」

 

「何だ。一色に野菜でも恵んで貰ったのか?」

 

「それもあるんだが……。お前、正攻法でやろうとすると本当に弱いなって。そう思ったら少しだけ笑えてきたんだ」

 

「はっ。昔からそうだろ。何時だって俺は綱渡りで……卑屈で陰湿なやり方しかできなかっただろ」

 

「それは俺にはできない方法だったからな。……だから……何とかしてやるよ。お前も卑屈に陰湿にでもいいから、最後まで貫けよ」

 

 何なの隼人の奴ってば。イケメン過ぎるだろなんて思ったのもつかの間「葉山先輩電話代わって下さい。野菜持って帰りますよ?」なんて声が聞こえた後、隼人の声が聞こえなくなった。完全にパワーバランスが逆転している。やはり食は偉大という事なのだろうか。

 

「先輩、お困りのようですね」

 

「そうだなぁ……」

 

「何だったら私も協力して差し上げてもいいんですよ」

 

「気持ちはありがたいけど、一色さ。お前も俺や義輝と一緒であんま友達居ないじゃん。無理しなくていいんだぞ」

 

 流石に一色まで巻き込むのは申し訳ないし、こういった事情に一色は強かったかというとそうでもない。どちらかというとこちら側の人間だったような気がする。しかし本人はそうは思っていなかったようで、

 

「な、何ですかその言い方!? むぅ! 私怒りましたからね! 絶対その子のアカウント見つけますから! 私が見つけたら先輩何でもお願い聞いてくれますよね!?」

 

「お、おう……」

 

 つい勢いで返事をしてしまった。ついでに「じゃ、そういう事で」なんてガチャ切りのおまけ付きで。一色を焚きつけてしまったのが少しだけ怖い。義輝と隼人には頑張ってほしい。それにしても、俺も雪ノ下も随分と簡単に人に頼るようになった。前に隼人と会話した事を思い出す。俺の世界には俺しかいない。俺が直面する出来事にはいつも俺しか居なかった。そんな事を言ったような気がする。確かにそうだった。俺もあいつもずっと独りで何とかやってきた。だが、それでも叶わぬ事があった。何時だって俺たちは敗者で、偶に勝ったりするぐらいなもんだったのだ。

 

「だったら、やり方を変えるしかねぇよな」

 

 誰に聞いてほしい言葉でもない。俺だけがわかってればいいし、あいつもわかっているのだろう。もう、子供のままじゃいられないのだ。そう思うと足が軽くなった。走らなければならない。進まなければならない。自意識の化け物も、理性の化け物も振り切って。もう──俺は教師の卵なのだ。その責務を全うしなければならない。走る速度がどんどん上がっていく。肉体労働ばかりしているからか、貧乏なので基本徒歩移動が多いからなのかまだ疲れていない。そして、ようやくアウトレットまでたどり着いた。当たり前だが、人が多い。尚且つ敷地も広い。まずは駐輪場から回るしかない。移動し、総武の校章シールが貼ってある自転車を探していく。まだ放課後が始まったばかりだからなのか、学生の自転車の数はそう多くない。しかし弓ヶ浜の登録番号は無い。自分でも見当違いなのかと不安になってきた。すると、スマホに通知があった。

 

「隼人か……」

 

 メッセージを見る限りまだ見つかってはないみたいだ。その代わりとしてグループに招待されていた。俺と雪ノ下と隼人のグループ。ふと笑ってしまう。こんな組み合わせ一生ないと思っていた。自分の今置かれている状況を投入し、再び違う駐輪場へ移動。やはりというか、対象の自転車はない。総武の校章シールが貼ってある自転車すら珍しくなってきたぐらいだ。仕方がないので、今度はモール内を探す事にしたが、やはりというか平日でも人が多い。しかし、やるしかない。高校生が行きそうな店を中心に眺めていくも姿はない。時間だけが無為に過ぎていく。そして、一時間が経った頃だろうか今度は一色が電話をかけてきた。

 

「あ、先輩ですか。ふふん、ついに見つけましたよ。依頼されてた子のアカウント」

 

「嘘だろ……」

 

「生徒会の後輩の後輩の友達まで当たってようやく。やっぱ鍵アカだったんですけど、今日のツイートだけならって事でスクショ送ってもらいました。1時間前にスナバの写真上げてますね」

 

「今俺が居る辺りだと2つあったよな。店の特定まではできそうか?」

 

「中二先輩と葉山先輩が今調べてます。葉山先輩は記憶で、中二先輩は店舗名でエゴサしまくってこの子の上げた写真との類似点探してます。ぶっちゃけちょっと怖いです。……あっ今、何か言ってます。えっと、概ね幕張のイモンの方じゃないかですって」

 

「勘は当たったみたいだな。……わかった。とりあえずそっちの方が今近いし向かってみる。助かったわ」

 

「……先輩、約束忘れてませんよね?」

 

「わかってるよ。何がいい? あんまり高いもんは金ねぇし買ってやれねぇからな」

 

「いえ、物は要りません。……私のお願いは一つです。これで、全部終わったら一つ区切りをつけてください。……先輩がどんな答えを出すのか、それを私は見届けたいです」

 

「……わかったよ。善処はする」

 

「それが聞けて満足です。先輩、頑張ってくださいね」

 

 一色との通話を切る。……また考えなければいけない事が出来た。確かにずっと逃げ続け曖昧にし。はぐらかし続けていた事がもう一つだけある。隼人、義輝、彩加もそれを気にして、心配してくれている事も知っている。一色も頑張ってくれたみたいだし、そろそろ俺も観念してもいい頃合いなのだろうか。それはまだわからない。いろはすってば攻めがキツいよなんて思うけど、向こうからしたらいい加減にしろって事なのかもしれない。考えてるといい加減煮詰まってきたのでまた走り出す。イモンなら近いし大した距離ではないがいかんせん疲れてきたのも事実。脳も体もどっちもキツいよなんて考えていると、

 

 

「あ……」

 

 

「あ……」

 

 

 交差点の向かい側から声が聞こえた。見ると屋外テーブル席から制服姿の女の子が俺の方を見ている。向こうも咄嗟に驚いて声を出してしまったのだろう。顔が驚きに溢れている。そこには弓ヶ浜が立っていた。どうやら店を出る所だったらしい。色々言いたいことはあるが、まずは安堵した。──無事で良かったと。

 

「弓ヶ浜、ちょっと話そう。今、そっち行くから」

 

 なるべく優しい声で言ったつもりだが、弓ヶ浜の顔はくしゃりと歪んだ。俺の人生何時もこうである。予想通り、俺に背を向けると走り出した。こっちはもう体力結構使ってるのに。仕方なしに追いかけるが、弓ヶ浜さん足早すぎ。流石はトップカーストに連なる者。授業中寝てばっかりなのに勉強もそこそこだし、それなりに運動もできるらしい。しかもこのクソ忙しいというのにまた電話がかかってきた。……うげぇ、陽乃さんだ。狙ったように大ピンチのタイミングでかけてくるのが本当に怖い。前方の弓ヶ浜は既に自分の自転車に乗ろうとしている。流石に自転車には追い付けないが、後が怖いので電話に出た。

 

「だ……すいません陽乃さん。今忙しいです!」

 

「ひゃっはろー八幡。知ってるよー。雪乃ちゃんから大体の話は聞いているし」

 

 なら何でかけてくるんですか。俺のピンチを楽しんでるんですか。……うわぁ、めっちゃ納得してしまった。

 

「何よ、勝利の女神に対してあんまりな態度じゃない。今、忙しいって事は探してる女の子見つけたって事でいいよね?」

 

「そうですけど、向こう自転車に乗り出しててこのままじゃ追いつけなく……っ!」

 

「成程。今、スナバの前あたりにいるって事でいいかな?」

 

「そうです!」

 

「じゃ、感謝しなさい。きっともう到着すると思うから。お礼は今度会った時でいいよ」

 

 それだけ言うと陽乃さんは電話を一方的に切ってしまった。何なのあの大魔王。身勝手が過ぎるでしょ。弓ヶ浜も自転車乗って走りだして不味いってのに。

 

「──ま───ん」

 

 ──遠くから声が聞こえた。この声。よく聞いた声。そして今、一番聞きたい声だった。疲れた体に活力が戻るような少し高い声がとても心地いい。振り返るとそこには本物の勝利の女神(戸塚彩加)が自転車に乗ってこちらへと走って来るのが見えた。本当に、最低最高な大魔王である。オーマハルノって今後は呼んでもいいぐらいだ。

 

「八幡! 良かった会えた!」

 

「彩加! 陽乃さんに頼まれたのか!?」

 

「うん。八幡がピンチだろうから自転車で行ってあげてって。だから、使って! 僕は自力で帰れるからさ」

 

 本当にどこまで読んでるのだ、あの大魔王は。未来が見えてるとかし思えない。しかし、これなら追いつける筈だ。相手はママチャリ。こちらはクロスバイクだ。少しだけ利がある。

 

「彩加。ありがとうな。──行ってくるわ」

 

「うん! 頑張ってね八幡!」

 

 そんな素敵な笑顔で言われたらやるしかない。俺の全力を出してしまう日がついに来てしまったようだ。危うく一色に言われた答えまで出しちゃうまであった。くだらない事を考えている自分を一笑し、ペダルを漕ぐ。弓ヶ浜の背中はかなり遠い。ここからは自分一人で何とかするしかない。だが、一人ではここまで来れなかった。そう考えると、ペダルを漕ぐ足が速くなっていく。尻を挙げ、前傾に。これが俺のラストスプリントだ。同じ千葉だし小野田君に力を貸してくれってねだったっていい。

 

「弓ヶ浜っ──!」

 

 加速し小さな背中が段々と近づいてきた。そして、ふと自嘲気味に笑う。何で俺走ってるんだ──と。まるでテレビの中に出てくる熱血教師だ。こんなのガラじゃない。俺じゃない。そう、俺の中で何かが叫んでいた。理性の化け物か。はたまた自意識の化け物か。それとも──何なのかわからないうるせぇ。だが、今はそんな事はどうでもよいのだ。まずは、あいつと話がしたい。それだけだ。そして──

 

「待ってくれよ。とりあえず話をしよう」

 

 弓ヶ浜を追い抜き、進路をゆっくりと塞ぐ。幸いにも弓ヶ浜も観念したのかゆっくとスピードを落とし、止まってくれた。ここからが正念場だ。今までのやり方だけじゃない新しいやり方で生徒と向き合わねばならない。俺にできるのか?と心の中がざわつく。そんな資格はないくせに、とも。それでもやるしかない。これが、俺にできる奉仕部での最後の仕事だからと決意を込め、俺は弓ヶ浜と対峙した。

 

 

 

















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第24話:最後に、平塚静が得たモノは──

メリークリスマス!!!!
読者諸兄が性の6時間を過ごしていることを願って!!!

次回で最終回です。
その後だらだら番外編やるかどうかはは没ネタ次第です。
更新情報等気になる方はこちらまで@omegajhon1


 

 

 

 

 何時だって、本心を吐くことはなかった。

 もっともらしい理屈をこね、嘘を吐き続ける。言葉で遊んで何事も踏み出せず。妥協と欺瞞に満ち溢れ、最後は何も残らない。怖いから。わからないから。もう傷つくのは嫌だから。──そうして、何もかも諦めて、全てを壊してそれでも俺はここに居る。目の前には、かつての俺が関わってしまったが故に巡り巡って学校に来れなくなってしまった生徒が一人。だから、責任を──とまで考えて辞める。これでは前と一緒だと、理由や動機付けをして、自分の本心を隠すのはもう辞めたい。それで、どれほど人を傷つけてきただろうか。目の前の生徒と真摯に向き合ってると言えるだろうか。

 

(そう……俺は……)

 

 平塚先生に憧れた。先生の言葉一つで舞い上がって今ここに居る。ろくでもない生徒だったろう。気苦労ばかりかけて最後は何も言い出せず、向き合わずとんずらこいた。それでも、先生は変わらず俺を見てくれている。だから、騙したくない。失望されたくない。上辺の言葉でごまかしたくない。どんなに惨めだって卑屈でも、答えを示さなければならない。──これから、俺はどう他人と向き合って生きていくかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ヒッキー先生。なんか、ごめんね」

 

 

 死に物狂いで追いついた結果、学校に来なくなってしまった生徒に逆に心配されてしまうという素敵なオチがついた。本当に上手くいかねぇよな、人生って。息も絶え絶え、脱水症状で死にそうになってしまった俺は何とか最後の力を振り絞って、近くの公園へとやってきた。自転車を置いて、何とかベンチに座る。俺は座り、弓ヶ浜はポケットに手を突っ込んで困ったように笑っている。──ようやく、落ち着いてきた。俺の呼吸が落ち着いたのを見計らった後、弓ヶ浜は俺の隣のベンチに座った。ええ子やん。

 

「体調悪いとか言ってたみたいだけど、随分と元気そうじゃねぇか。これだけ走れるなら風邪ってわけじゃなさそうだな」

 

「あー……ごめんね。何か学校行くの急にだるくなっちゃってさ」

 

「その気持ち凄くわかる。先生も大学行く途中でめっちゃだるくなるし。何ならそのまま近所の公園で一日中ぼけっとしちゃうまである」

 

「教育実習生なのにそんな事言っちゃうんだ……」

 

「平塚先生には内緒な」

 

 ふ、と弓ヶ浜が笑った。優しい笑顔で笑う子だ、と改めて思う。クラスのまあまあ上位カースト。何事もそつなくこなし、空気を読んだり作ったりするのが上手い子だ。出会ってまだ数日だ。この子の一端ぐらいしか俺はまだ知る事が出来ていない。どんな事を考え、どういう事をしたいのか。これを生徒の数だけ知らなければならない。改めて難しい職業だと思う。

 

「留美から聞いたぞ。あの件について、お前自分から全部話して、クラスの奴らと喧嘩したらしいじゃん」

 

「……うん。留美ちゃんやっぱヒッキー先生とはそういう事話すんだ。凄いね。留美ちゃんって、自分の事とか一切話さないからさ。高校一年から一緒だけど、私はあの子の事全然わかんないや」

 

「まぁ、そのなんだ。あいつが小学生の頃2回ほど関わったからな。……ちょっと歪んじゃったとこあるけど、良い奴だよ」

 

「うん。知ってる。一年生の頃さ。何回か、私が困ってる時助けてくれたんだよね。私と違って人の顔ばかり伺って何時も上手くやる事ばかり考えてる奴からすればさ。ああいう自分を持ってる人って凄くかっこよく見えるんだ。だから、何とか仲良くなりたくて、お返しがしたくて、遠足とか実習とか一緒に行こうって誘ったりしてたんだよね。今回も最初は軽い気持ちだったんだ。……留美ちゃんよく人の事見てるから相談に乗ってほしくて。少しでも話したいなって思ってたら、あんな事になっちゃった……」

 

 弓ヶ浜もまさか留美があんな事をするとは思わなかっただろう。俺だってそうだ。話してて少しわかってきたのが、どちらかというと弓ヶ浜は留美とどう接していいかわからず学校を休んだように見える。クラスメイトよりも、留美。そう考えれば、弓ヶ浜の今回のような自爆みたいな行動も合点がいくと同時、美しいと思った。自分よりも、誰か。俺もそうだったかといえば、言葉とすれば間違ってしまったと言えよう。よかれと思ってやった事が人を傷つけた。二人を遠ざけ、何も本心を言わず、そのまま立ち去った。本物を求めていたって、言葉だけじゃ伝わらないと勝手に諦めていたから。

 

「留美と、会うのが怖いんだな?」

 

「…………うん。留美ちゃん平気な顔してるけどきっと怒ってる。毎日あんな、みんなに陰で色々言われてたら嫌になっちゃうよ。私が、あんな事頼まなきゃ……。留美ちゃん何も言わないから。私、もうどうしたらいいかわからなくて……。ゆーことかみさきが留美ちゃんの机にいたずらしようとしてたから、ついかっとなっちゃって……」

 

 弓ヶ浜の顔が暗く沈む。嫌われたくない相手がいる。相手がどう考えているかわからない。怖い。だから知っていたい。その気持ちはわかる。俺だって、かつてはそんなものを欲しがり、それを本物と名付けた。あの時、俺は何を間違えた。俺には何もない。こういう時、慰める言葉すら出てこない。上辺だけの言葉は嫌いだから。言葉だけじゃ伝えきれないとわかっているから。だから、俺は──

 

「なら、留美と話すしかないよなぁ」

 

 考える事をやめた。何をしても言い訳しか出てこないから。シンプルに、己の気持ちを吐き出した。弓ヶ浜は留美の気持ちを知りたがっている。だが、会いたくない。ならば、どうするか──会って話すしかないじゃん。それが嫌だから、怖いから弓ヶ浜は学校を休んだと言われればそれまでだが、それ以外の方法が思いつかない。正確に言えば、考えてはいけない。俺はそうやって、失敗したから。いつもギリギリで綱渡りでその場しのぎの言葉をでっちあげてあんな事になった。俺が今唯一教えられることは、それぐらいだろう。しくじり先生みたいで嫌になるが、かけれる言葉はそれぐらいしかなかった。予想通り弓ヶ浜はそれが出来たら悩んでいないとばかりにため息をつく。

 

「……怖いよ、そんなの」

 

「そうだよなぁ……。怖いんだよ。でも、先生な。そうやって話す事諦めて自分勝手に動いてさ。大事な人達と一生会うまいってなった事があったんだわ」

 

 なんて単純な言葉なのだろうか。なんてどうでもいい話なのだろうか。頭のどこかで俺が叫んでいる。上辺だけの体裁の良い言い訳も出てくる。でも──聞かない。

 

「…………そう、なんだ」

 

「俺は半人前だが、実習生として、お前より少しだけ年上として教えてやれる事はそれぐらいだ。後は、一人で行くのが嫌だったら一緒に行ってやるぐらいはできるぞ」

 

「……でも、失敗したら……」

 

「その時はまた何か、一緒に考えてやるさ。なんだったら臨時顧問権限であの部室で一緒に昼飯食ってやるオプションまでつけてやる」

 

「うーん。……そのオプションは要らないかな」

 

「そうですか……。ま、普通そうだよね」

 

 そういうと弓ヶ浜は力なくだが、笑った。

 

「……ヒッキー先生は、その、大事だった人達ときちんと話さなかった事後悔してる?」

 

「──しているよ。最近、偶々再会してな。俺は運が良い事に、その大事な人達は当時の俺の事を理解してくれててなぁ。俺は、それがとても嬉しかったよ。だから、あの時の自分が嫌でしょうがない。今だってそんなに好きじゃない。だから、変わっていくしかねぇんだ。俺は言葉を信じきれないから、言葉や理屈を並べるより、本心で相手と向き合っていくしかねぇんだろうな」

 

「……私にもできるかな?」

 

「できると思うぞ。……弓ヶ浜。お前が留美を大事に想うのであれば、それはきちんと伝えるべきだ。どれだけ逃げたって理屈を並べたって、最後は本心を言葉にしなきゃ、伝わらない」

 

 ここで平塚先生ならもっと説得力があってかっこいい事言うんだろうなぁ、なんて思う。俺はまだまだ未熟な人間だ。でも、今出せる精一杯の言葉を紡いだ。こうやって全ての虚飾を外した言葉で向き合うしか今の俺にはできない。

 

「うん……。じゃあヒッキー先生を信じてみる」

 

 そういうと弓ヶ浜は少しだけ口の端を歪めて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず留美と話すべく学校へと戻ってみる事にした。彩加に電話をし自転車を返却。弓ヶ浜が「彼女?」と聞いてきたので「特別な人」と返しておいた。間違ってはいない。嘘はついては居ない。でも何だろう、このドキドキと背徳感は。病気かな?

 

「ヒッキー先生。あんな可愛い彼女居るんだ。凄いね」

 

「ふっ……」

 

「……その笑い方、ちょっとキモいかも」

 

 弓ヶ浜がげんなりとした顔を作るがどうでもいい。彼女紹介するってこんな気分なんだろうか。彼女じゃないけど。彼女になってほしいけど。それにしても、女子高生と二人きりで歩くとか少しだけ緊張する。一応、スーツ姿なので怪しくは見えないだろうが、周囲の目はいつも怖い。知り合いにもできれば会いたくないぐらいだ。特に俺と弓ヶ浜の間には会話はない。ただ、学校に近づくにつれて歩く速さが少しだけ落ちてきているのがわかった。やはり、怖いのだろう。

 

「先生。こっちから行こ」

 

 やはりというか、遠回りしたがる。弓ヶ浜の歩く先には公園。ここで少し休憩するのもいいかもしれない。つーか、ここマラソン大会の会場だった公園じゃねーか。ロクな思い出がない。……あの野郎、そういえば文系選択してやがったな。なんて懐かしい事を思い出した。すると、弓ヶ浜がぽつりと呟いた

 

「懐かしいな……」

 

「何だよ。先生ここ、あんま良い思い出ないんだけど。マラソン大会、辛かったなぁ……。どこぞのリア充の進路如きのために……」

 

「ああ、先生たちもやっぱ同じなんだ。私もマラソン大会の時、留美ちゃんと初めて喋ったんだ。周りに合わせてたら、色々とめんどくさい事になっててね。思い出の場所っちゃ思い出の場所なのかな。放課後、一人になりたい時とかここに来るんだけど。留美ちゃんも偶にここ人いないから来るみたいで、会えば5回に1回ぐらいは一緒に過ごしてくれたんだよね」

 

 弓ヶ浜さん健気過ぎる。普通5回に1回とか諦めてるよ。何なら2回目の時点で俺だったらもうここに来ない。懐かしそうに公園を見回す弓ヶ浜。俺もつられて懐かしくなってくるかと思いきやそうでもない。何故なら、視界の隅っこに小さな影を捉えてしまった。──留美である。気まずそうに俺たちの姿を見つけた瞬間、木の陰に隠れた。どう考えても弓ヶ浜を探していた筈なのに、つい隠れて何なら逃げ出そうとしている空気まで出ているところがあいつらしい。その気持ち凄くわかる。悲しいけど。

 

「おい、今更隠れても遅いっての」

 

 とりあえず、大人としてあいつの逃げ道を塞ぐことにした。すると目を細め苦々しそうな顔をして、留美が木の陰から顔を出した。あの睨み方、どこかの誰かさんと似てて本当に怖い。

 

「留美ちゃん……」

 

 まるで気づいていなかった弓ヶ浜さんもようやく気付いたようだ。マジかよみたいな顔で留美を見ている。

 

「……あんたが行きそうな場所ってららぽかここしか知らなかったから……。二択で外した……」

 

 忌々しそうに呟く留美。先にショッピングモールの方探してからこちらへ来たらしい。間違っていないといえば間違っていない。こちらとしてはすれ違いにならなくて良かった。

 

「あー……そだね。モールの方でヒッキー先生に捕まっちゃってさ」

 

「そう……」

 

 それっきり会話が途絶える。いつもは弓ヶ浜が一方的に喋るので会話が続いているが、今はお互いがお互いを気まずいと思っているので会話が続かない。どっかで見た事のある光景だ。俺にできる事はもうない。後は二人が話すだけ。散々運動したので留美達から離れて近くのベンチに腰かけた。弓ヶ浜と留美が助け船とか出してくれないの?みたいな目で見てくるがここは黙殺。やがて、留美が諦めたようにため息をつき、

 

「……あー……弓ヶ浜。……なんていうか……」

 

「ごめん。留美ちゃん」

 

 留美が先制攻撃を仕掛けようとした矢先、弓ヶ浜が頭を下げた。いつものほんわかした感じはなく、きっちり背を折った謝り方だ。

 

「私が変な事頼んじゃったから……。留美ちゃんみんなに色々言われて辛かったよね。でも、私がお願いしたってちゃんと言っておいたから。しばらく私が皆から色々言われれば済むことだから。今回は本当にごめんなさい。もう、二度とあんな事頼まないから」

 

 弓ヶ浜の言葉に未来はなかった。申し訳なさからの謝罪。相手の事だけしか考えていない謝罪だ。許してほしいわけでもない。糾弾されたいがためかのようにすら聞こえてくる。ここで、留美が適当な事を言って話を流せば今回の件は丸く収まる。気にしてないよとか、もういいよ、とか。弓ヶ浜にクラスでの居場所は居づらいものになってしまうだろうが、それなりに平和だ。留美がその選択をする事を俺は責めない。そこから先は俺の仕事だ。教師として生徒同士の関係にどこまで口を出していいのか、その線引きが俺にはまだできていないので下手な事は言えない。そして、

 

「……あんたのそういうとこ、本当に嫌い」

 

「……ごめんなさい。もう、話しかけないから……」

 

 留美が一歩前に出た。

 

「あれは私が勝手にやった事で、あんたが責任を感じる事なんか全然ないのに。私と話もせず、人の顔色伺って勝手に結論付けて学校休んで謝って。一体、それで何の解決になるの?」

 

「……だって、皆にあんな陰口ばかり……」

 

「あんなの日常茶飯事でしょうが。別に山羽君の事なんか一切興味ないし。あいつもあいつで私の事利用したしでそれで終わりでいいじゃない。そもそも、あんたが学校に来ない方がよっぽど迷惑なんだけど。私だって忘れ物ぐらいはするし。そうしたら誰に借りればいいの? クラスライン入ってないから、誰から連絡網貰えばいいっていうの? 平塚先生そういうの結構忘れるから被害大きいんだけど」

 

 うわぁ……ルミルミめっちゃ捻くれてるし素直じゃない。言い方が本当に回りくどい。本当にどっかの誰かさんみたい。プロポーズする時とか、色々考えすぎて人生歪める権利をくれとかいいそう。現に弓ヶ浜さんなんて泣きそうな顔でぽかんとしている。

 

「留美ちゃん……?」

 

「人に勝手に気持ち推し量って、決めつけるなんて本人に対する酷い裏切りよ。だから、私からも言わせてもらう──。今回は私もごめんなさい。少し、やり方間違えちゃったわ」

 

 そういうと留美も頭を下げた。

 

「今回、色々あって少し冷静じゃなかった。依頼者が、学校に来れなくなるような解決方法なんて、それは解決方法とは言わないだろうね。だから、ごめん」

 

 弓ヶ浜さん最初ぽかんとしてたものの、ようやく脳みそが追いついてきたのかぽろぽろと泣き出した。これまた誰かさんみたいだ。女子はよくわかんないけどすぐ泣くって言ってたし。

 

「次はもっと上手くやる。もっと良い方法考える。だから、何かあったらまた依頼してきて」

 

 要約するとあんたには普段から助けて貰ってるし、今回はやり方も間違えちゃったし気にしないでまた依頼してきてねって事なんだろうけど。回りくどい。でも、そうは言えないんだよなぁ。俺も言えなかった。何かを言おうとすればつまらない言葉遊びばかりで。それでも理解してもらえたから今この瞬間がある。それでも、弓ヶ浜には何とか伝わったのか、半泣きで駆け寄ろうとしているが留美は近づくなとばかりに逃げる態勢になった。

 

「いや、そういうの苦手だから近寄らないで」

 

「……わかった。ごめん。でも、留美ちゃんの言いたい事は少しわかった」

 

「そう」

 

 二人の間に落ち着いた空気が流れる。ならば、後俺が出来る事と言えば、

 

「良かったなぁ。弓ヶ浜。留美がまた依頼受けてくれるってよ。……そういえば、今困ってる事ってなかったっけ?」

 

 こんな言葉ぐらいだろう。踏み出すのか、踏み出さないのかは、後は彼女達が決める事だ。

 

「……。ねぇ……留美ちゃん。私、今少しだけクラスに行きづらくなっちゃってるんだけど、助けてくれる?」

 

「……。わかった。その依頼、受けるよ」

 

 そういうと留美は少しだけ笑った。きっとこれが彼女が新しく踏み出した一歩なのだろう。彼女なりに考え、選択した一歩。それは弓ヶ浜も同じであろう。

 

「……ありがと。じゃあ、留美ちゃん。ヒッキー先生。私、今日の事平塚先生に謝りに行ってくる。──また、明日ね」

 

 そういうと弓ヶ浜は何時ものように元気よく学校の方へと向かって走っていった。強い子だと思う。まだ、不安はあるだろうがそれでも前に進むと決めた。素直に、誇らしいと感じる。留美はというと、弓ヶ浜が見えなくなった頃、さっきの笑顔はどこへ消えたのか何時もの無表情でこちらへとやってきた。

 

「ねぇ、八幡」

 

「何だよ」

 

「弓ヶ浜は、前の"あの子達"と一緒だと思う?」

 

「さぁな……。でも、お前は、そうは思わないからここまで来たんじゃないの?」

 

「意地悪な言い方」

 

「意地悪な質問するからだ。思いたくもない」

 

「それもそうだね」

 

 留美はそういうとふわっと笑った。自分でもわかっているのだろう。そして、「私も今日は帰る」と言いそのまま公園の出口と向かう。俺もそろそろ帰らねば、仕事何もやってないし。そんな事を思いながら、学校へと向かうと留美が「八幡」とまた呼んだ。

 

「何だよ」

 

「──また明日」

 

 そう言い軽く手を振ると今度こそ振り返らずに公園から出て行った。全く、こういう時はさようならとかじゃないの。とか素直じゃないとか本当にそっくりだなとか色々な感情が出てくるがその辺はおいといて俺も、

 

「また明日な」

 

 聞こえてはないだろうがそう返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓ヶ浜の件が本日分の終わりを見せてもまだ仕事というものはある。社会人って本当に偉大だ。できる事なら傍からそれを眺める人生を歩みたかったが、やむなし。きっと俺は、この先もこうやって文句をたれながら仕事をし続けるのであろう。きっと、平塚先生もまだ仕事をしている。なんだかんだ、帰る時間とか見ているとそれなりに遅いのだ。家に帰る時間は自業自得としか言いようがないけど。そんなこんなで学校に戻り、軽く日誌やら何やらを書いてからは職員室へ戻らず喫煙室へ。やはりというか、平塚先生はここに居た。何時ものように、煙草を咥えて優しい笑顔を浮かべている。

 

「やぁ、ご苦労様。さっき、弓ヶ浜が私の所に来たよ。……よく、頑張ったね」

 

「……いや、まぁ、まだこれからですけどね」

 

 こうまで素直に褒められると顔が赤くなる。悟られたくない。なんだこの感情。それに、弓ヶ浜の件だってあれで解決したわけじゃない。まだまだこれからの話もあるのだ。彼女たちが一歩踏み出しただけで、きっと数多くの問題がまだ残っている。

 

「そうだね。君も、きっと多くの課題を感じただろう。どこまで踏み込んでいいのか。どこまでが教育なのだろうか。私だって、今でも毎日考えている」

 

「そうですね。俺がした事が正しいのか、正しくないのか。その線引きも難しかったです。言葉を信じない俺ですけど、でもやはり、言葉って重いなと痛感しました。……自分の本心でなんて珍しく向き合って話しては見ましたが、それが正解とも限らない。多分、こうやってずっと正解かどうかを疑い続けてやってくしかないかなって今では思います」

 

「……それが君の教師としての生徒との向き合い方か。良いんじゃないか。一つの考えに固執するよりかは遥かに有意義で、希望に満ち溢れている」

 

「俺から希望に満ち溢れてるって概念が出てくるだなんて、随分と変わったもんですね」

 

「相変わらず可愛くない物言いをするなぁ。……でもそれでこそ、私の最高の生徒だ」

 

 先生はゆっくりと立ち上がり、そう言うと俺の頭に手を乗せ、がしがしと乱暴に髪を撫でつけた。先生の煙草とシャンプーの匂いが混じって少しだけ心地良い。

 

「今日はもうゆっくりと休むといい。これだけ頑張ったんだ。何か一つ、良い事でもあるといいな。大人になったら、自分の機嫌は自分でとらなければならない。ご褒美ってのは大事なんだぞ」

 

「どっかのOLみたいな事言いますね……。先生のご褒美って何ですか? ラーメン?」

 

 タバコラーメン酒車辺りか、なんてすぐに浮かんでくる辺りこの人本当に女性なんだろうかって思ってしまう。もしかしたら結婚なのかもしれないが、命に関わりそうなので言うのはやめておこう。案外簡単に答えてくれると思いきや、平塚先生は、子供っぽくにやりと笑うだけで答えてくれない。

 

「……秘密だ。流石に少し恥ずかしいからな。いいからもう帰れ」

 

 しっしと手で追い払われた。やはり結婚かもしれない。流石に、「最大のご褒美は誰かのお嫁さんになる事」なんて言われた日には引きつらずに真顔で居れるか自信がない。本当に最高なのになこの人。どうして結婚できないんだろうな。もう来年あたり俺が貰っちゃうまでありそうで本当に怖くなってきた。お先に失礼しますと、一礼して喫煙所を出る。外に出るともう、すっかりと暗くなっていた。もう少しで夏が来る。その先には大学卒業。そして、社会人。教員採用試験もある。受からなければ下手すりゃ陽乃さんの奴隷だ。そいつだけは勘弁してほしい、なんて思いながら歩いていると校門付近に誰かが居た。

 

「お疲れ様」

 

「おつかれっ!」

 

「お前ら……」

 

 私服の由比ヶ浜と相変わらずスーツ姿の雪ノ下がそこに居た。生徒がほぼ帰った後で良かった。こいつら二人と話しているとこなんか見られたら明日何を言われるかわからない。

 

「……今日は本当に助かった。お陰で、何とかなったよ」

 

「随分と素直ね……。これで、やり残しは終わったの?」

 

「今日の分は終わったんじゃねぇかな。きっと、この先もまた何かあるかもしれないけど。……その時、暇だったらまた手伝ってくれるとありがたい」

 

 そう言うと、雪ノ下と由比ヶ浜が目を丸くして俺を見た。……その反応を見て、俺もようやく自分の発言の違和感に気づいた。何言ってるんだろう、俺。散々走り回って必死こいて色々考えて本心で喋ったからだろうか、脳みそが上手く働いてない気がする。何だか顔が熱くなってきた。恥ずかしい。

 

「貴方、本当に比企谷君……? 」

 

「そうだよ。いつもなんだかんだへ理屈ばっかこねて全部一人で背負って、最後に爆発して泣きつくのがヒッキーだったじゃん! 大学で何があったの!?」

 

「うるせぇよ。お前らだって変わったじゃねぇかよ。由比ヶ浜、保育園の先生上手くやってけるのか? 子供にきちんと教えられてるのか?」

 

「どういう意味だし! パパみたいな事聞かないでよっ!?」

 

「比企谷君。流石に由比ヶ浜さんでも保育園児以下という事はないわ。あの場で大事なのは学力ではなく、体力と包容力とコミュニケーション能力よ」

 

「ゆきのんもそれフォローになってなくない!? あーっもう! お腹すいたし早くご飯行こうよ!」

 

「んじゃ、サイゼで──」

 

「嫌よ」

 

「やだ」

 

 なんなのこの子達。昔はなんだかんだついてきてくれたのに。言われてみれば、由比ヶ浜も雪ノ下ももう社会人だ。給料を貰っているので学生との明確な差が出てきた。なんか悔しい。しかし、教えてやらねばならない。あそこで飲むのめっちゃコスパいいんだからね。2000円でぐでんぐでんになるまで酔ってお腹いっぱいになるとこないんだぞ。そもそもサイゼリヤの発祥は云々俺達千葉県民には云々と熱く語っていると、雪ノ下がげんなりとした顔をしているのがわかった。

 

「どうした?」

 

「いえ……そういえば、貴方ってとてもめんどくさくて、酷く頑固で拗らせた人間だった事を思い出していただけよ」

 

「「それ、お前(ゆきのん)が言っちゃうの!?」」

 

 俺と由比ヶ浜の声が重なり、雪ノ下がむっとした顔を作る。だが──

 

「──っふ」

 

 誰かが笑いだしたと同時、俺も雪ノ下も由比ヶ浜もつられて笑ってしまった。本当にどうしようもなく、心の底から笑ってやった──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比企谷が帰った後、残っていた書類を片付け一度立ち上がり、ゆっくりと背伸びをする。今日も色々とあったが、何とか上手く回った。こんな事はよくある事だし、自分も経験豊富になってきたなぁ、なんて最近はよく思う。比企谷があそこまで動くとは思わなかった。頭が良くて捻くれてはいるが優しい子だったのは知っている。それでも、期待以上の成果は出ていた。自分が新任の頃あそこまで動けたかどうかといえばできないだろう。本当に、最高の生徒とは嘘偽りのない本心だった。

 

「私は幸せ者だな」

 

 高校で終わりかと思えば、あの子の成長をずっと見ていられる。私が今まで培ってきた全てを与え、彼から学ぶことも非常に多かった。なんせあんな生徒初めてだったからな、と笑いながら喫煙室から外に出る。気分がいいので、外で一本吸いたい気分だったからだ。今日ぐらいは良いだろう。携帯灰皿も持ってきたし。胸ポケットから一本取り出し、口に咥え火をつける。外気と温かい煙が混じり、紫煙を吸い込み吐き出す。──気分が良い。すっきりとする。夜の音に耳を傾けると、騒ぎ声が聞こえた。生徒がまだ残っているのかもしれない。早く帰れよと声をかけにいこうとすると、見知った声だという事に気づいた。

 

「あの子達……」

 

 視界の先には由比ヶ浜と雪ノ下に対して珍しく熱弁をふるっている比企谷の姿を見つけた。二人の表情からして、きっとまたどうしようもない事を言っているのだろう。久しぶりの再会なのだ。好きなだけやらせておけばいいと戻ろうとすると、雪ノ下が何かを言ったようだ。そこに、すかさず由比ヶ浜と比企谷がツッコミをいれ──私は見た。

 

 

 

 ──比企谷と雪ノ下と由比ヶ浜が楽しそうに笑っているのを。

 

 

 

 今まで見た事のないような表情で、彼らは楽しそうにひとしきり笑うと、そのまま校門から出て行った。それは、私がもうきっと見れないと諦めていた景色。ずっと心残りだった事。私の心残りなんか彼らは知る由もないが、そんな事全てが吹っ飛ぶくらい、満たされる光景だった。今までの苦労全てが報われたといっても過言ではないだろう。

 

「確かに、これは最高のご褒美だ」

 

 ──教師をやってて良かった。そう胸を張って誰にでも言えるご褒美は、私の中にこれからもずっと、焼き付いていくだろう。

 

 

 

 



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最終話:だから、比企谷八幡はそう言った。

 

 

 

 

 春、それは出会いと別れの季節。

 大学卒業間近ともなると、四年生である俺達はそれぞれの進路に対し準備をするのが常である。地元で就職する沙希は実家に帰る準備を進め、由比ヶ浜と雪ノ下はルームシェアをするらしい。そんな中、俺と隼人と義輝といった何時もの面子は、今日も元気に早朝からホテルのレストランで皿洗いをしていた。来月から社会人になるというのに、最後の最後まで働いている。何なんだこの人生。

 

「来月から朝から晩まで働くのに、何で俺達今日も働いてるんだろうな」

 

「金がないからだろ」

 

「全員実家帰り拒否されるとか、どういう面子で御座ろうな」

 

 義輝の言葉にため息しか出てこない。まさか、春から教師になるのにまだ親元で甘える気なのか?とマジレスが来るとは思わなかった。一生甘える気だと宣言した時の母ちゃんの冷たい目は忘れられない。金は困ってるなら無利子で貸してくれると言ってくれたのが唯一の心の支えだ。しかしまぁ、ここまで学費を出してくれたので文句を言う筋合いもないのだが。卒業式と三月末以外バイトの予定がてんこ盛りなのはカレンダー見てて悲しくなる。義輝はメイドの件以降も親の信頼を得る事はできなかった。なんせ就職先が決まってないというか、進路はラノベ作家様だ。どうにかこうにか新人賞に引っかかって本を出版できるようになったらしい。

 

「お前が言うなよ。本出せなかったらプー太郎のくせに」

 

「お主こそ。ベンチャー企業の代表取締役兼CEOなんて偉そうな肩書がつくらしいが、大学から金を貰わんと運営すらできんくせによく言うわ。CEOがこんなとこで皿洗ってていいんですかー?」

 

 隼人は起業して春からは代表取締役兼CEOなんて肩書がつく。といっても、大学のプロジェクトの一環の起業だ。これからが勝負だなんて、息巻いてる。なんならまず何故かその会社に入る事になっている戸部の内定取り消しをするところから始めてほしい。進路についてはご家族とまた喧嘩したらしく、こいつも無事実家拒否組に入った。

 

「こういうのもきっと良い経験になるんだよ。お前の小説、女の子の気持ちの描写が薄っぺらいのに、主人公が苦労してるとこは妙にリアルなんて書かれてんだから。対人経験もっと積め」

 

「リアリティなんて糞! 今の時代は異世界転生とか悪役令嬢とかだから! どうやって経験積むの!?」

 

「お前ら……。くだらねぇ話ばっかしてねぇでさっさと皿洗えよ」

 

 いつの間にか俺ばかり洗っているような気がしたので一言。バイキング形式の朝食なので次から次へと休む間もなく汚れた食器が流れてくる。そして、隼人と義輝は一瞬冷ややかな目で俺を見た後、

 

「はァ。安定した職業に就く奴は言う事が違うのぉ。貴様など、どこぞの山奥の男子校にでも赴任してしまえ!」

 

「まだ総武に赴任できると決まったわけじゃないしな。むしろ確率は限りなく低いだろうし。お前、平塚先生いないと本当にダメそうだしなぁ」

 

 そう言いのけた。義輝も隼人も社会人を前にして緊張しているからか、不吉な事ばかり最近言う。それに加え、新しく家も探さなければならない。しかも、金もないときた。大抵のものは処分し、金にしたので荷物は殆どない。後は家を決めるだけなんだが、俺は赴任先が未だ知らされず、隼人は東京の外れに事務所を構え、義輝は関東ならどこでも良いといった感じだ。千葉よりの東京の外れ辺りなんかは家賃もそこまで高くないので住んでもいいとは思っている。だが、流石に市原とかに赴任となると少し遠いようにも感じる。つまるとこ、決まらない。

 

「うるせぇよ。とりあえず、神に祈りながらバイトするしかねぇだろ」

 

「ごもっともで」

 

「うむ。我も早く金貯めて新居見つけなきゃ……」

 

 

 終わりが迫っている。この騒がしく、ずっと働き続ける日々もあと少しなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皿洗いのバイトも終わり、ようやく労働から解放されたのもつかの間、今度は腹の虫が音を立てる。

 出勤前にまかないがあるが、働いている内にそれも全て消費されてしまったようだ。義輝ですら多少なりとも痩せてきているのだ。俺や隼人なんかは消費と供給のバランスが悪くなっている。この後家に帰って、それぞれやる事がある。各自家探しをしたり、社会人に向けての準備だ。俺も、授業の準備もあるし、隼人は会社のためにしなきゃならん事もあるし、義輝も小説を書かねばならない。その為にはどうしてもカロリーを摂取しなければ始まらない。今なら由比ヶ浜の料理だって喜んで食べれそうだ。味はどうあれ、カロリーは存在しているからな。自分で言ってて悲しくなってきたけど。

 

「飯どうするよ?」

 

「節約したいし、プランIはどうかな? 確か、土日は朝番入れてた筈だからもう終わるだろ」

 

「うむぅ……。あれは諸刃の剣。しかし、背に腹は変えられぬな」

 

 あのプラン、コスパは凄く良いんだけど人として大切なものを失ってしまうから俺もやりたくはない。しかし、今は一円でも多く金が欲しい。だらだらとバイト先から三人で歩く事二十分。ようやくお目当ての場所までやってきた。俺達が向かった先は、一色がバイトしているコンビニだ。店内を見るとあざとスマイルを浮かべてレジを打っている。少し早めに到着してしまったらしい。裏口の隅っこへ移動し、息を殺して一色を待つ。そして、

 

「げっ。めんど」

 

 待つ事十数分。ようやくバイトを終えた一色は、ドアを開けたらすぐに俺たちの存在を認識したらしい。滅茶苦茶嫌そうな顔をすると、一度店の奥に引っ込んだ。めんどってどういう事?だが、すぐにもう一度出てくるとため息をつきながらこちらへ歩いてくる。俺達も一色に駆け寄り、

 

「「「一色さん、お勤めご苦労様です!!!!!!!!!!」」」

 

「あー……はいはい。もういいですから。とりあえずここから離れましょ」

 

 俺達の最後のカロリーを使い果たす勢いの出迎えも、ただの迷惑らしい。こちらも視線は既に一色ではなく、こいつの手に下げられた廃棄弁当に向かっているのでこの態度には何の文句もない。一色がコンビニでアルバイトを始めてから、何度もやってきた。最初は弁当を餌に俺達に色々無理難題を吹っかけてきた一色だが、流石に一年以上経つとそれも飽きたらしい。こうしてだらだらとバイト終わりの一色を送るのが日常になってしまった。義輝と隼人なんかは、もう既にどこで弁当を食べるのか相談を始めている。

 

「一色……。今日の弁当は?」

 

「開口一番それですか……。からあげ弁当二つと、そばとパスタですよ。他に言う事ないんですか」

 

 いろはすってば何だか機嫌が悪い。何かしたっけと思うが、そもそもバイト先に廃棄弁当狙いで押し掛ける時点で普通不機嫌になる。それを除外したとしても、何時もと変わらない。何がいけないのだろう。

 

「最近、全てにおいて食欲が優先されちまうからなぁ……」

 

「そーですか」

 

「何か怒ってない? バイト先突撃されるのやっぱ嫌だったか?」

 

「逆ですよ」

 

 何なのいろはす。毎日突撃していいの? 迷惑かかりそうだし隼人と義輝には内緒にして俺だけ来よう。うん。そう決めた。

 

「先輩たち、行っちゃうんですよね」

 

「ああ……。そういう事」

 

「私だけ残して、大学卒業するなんてどうかしてます。一体、責任はいつとってくれるんですか」

 

「道のど真ん中でその物言いはやめてくれない?」

 

 来月から一色は俺達のいない大学生活を送る事になる。俺も隼人も義輝も沙希も居ない。高校最後の一年間そうだったでしょ?と言いたいところだがそこまで野暮な事をいう必要もないだろう。確かに、そう言ってくれるのは純粋に嬉しい。昔の俺だったら、またあざとい事を言ってなんて笑って流すだろう。だが、俺は知っている。高校だけの付き合いじゃない。大学でも関係は続いたから。死ぬほどあざといし、男すぐはべらすし、女の敵は多いし、人をハメようとするけど、なんだかんだ可愛いし面白い奴なのだ。

 

「でもお前も、教育実習やるんでしょ? 俺が総武なら、またすぐ会えるさ」

 

「総武じゃなかったらどうするんですか。会いに来てくれるんですか? てゆーか、何で知ってるんですかっ!?」

 

「教授が言ってた」

 

「うっわ最悪! 別に……先輩がどうこうとかじゃないんで安心してください。私にも色々と思う所とか憧れる所とか……。まぁ、私みたいな子は絶対どこの学校にも居ますからね。だから……」

 

「別にいいんじゃねぇの。どんな理由だってよ。……俺だって、誰かが言ったたった一言で決めたんだから」

 

「……女の影が見えますね」

 

「……ノーコメントで」

 

 お前もサイコメトラーかよ。触れてないのに。そして、しばらく俺を見た後はいつものようにあざとく笑った。好戦的で、愛嬌があって、あざといなこの子って感じてしまう何時もの一色いろはさんである。

 

「……まぁ、少しだけ良い事言ったのでお弁当わけてあげますよ。先輩は、蕎麦ですね」

 

「えっ!? おかしくない? 平等にじゃんけんで行こうよ……」

 

 俺がそういうと離れて歩いていた隼人と義輝がぐわっとこちらに近づいてきた。さっきまでは我関せずみたいな態度貫いていたのに。

 

「いや、違うぞ八幡。これは、いろはが好意で持ってきてくれたものなんだからな。いろはに決める権利がある」

 

「では、我と隼人はからあげ弁当だな。うむ。一色殿。この先の公園で食べようと思うのだが、いかがであろう」

 

「お前ら……っ!」

 

 俺が弁当に手を伸ばすと、一色がひらりとかわして隼人にパスした。流石に相手が悪い。瞬時にわかってしまう悲しさがある。 

 

「では、公園まで競争で。ビリの人がジュース奢りですよー」

 

 そう言うと同時、一色が駆け出した。隼人に荷物を持たせ、すぐにこの提案まさに小悪魔IROHA。先に駆け出していく一色はとても楽しそうだ。隼人と義輝もそれに続き、走り出す。こんな事ばかりしていた。それも今日で最後なのかもしれない。──最後まで負けっぱなしじゃいられない。負ける事に関しては俺が最強という称号もそろそろ返上しても良いだろう。

 

「待てよっ──!」

 

 まずは義輝だ。最近痩せたからか少しだけ早い。何とか追いつこうと俺も一歩踏み出し、駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一色達と公園で弁当を食った後、奴らとは別れて俺は沙希の家へとやってきた。

 飯食ってる途中、今晩は鍋が食べたいという話になり、一色と共に義輝と隼人はうちの大学の農園部まで野菜の調達に行った。俺に任された別のミッションは沙希の引っ越しの手伝いだ。川崎沙希には四年間本当に世話になった。一生頭が上がらないかもしれない。後、肉余ってませんかね。VIP待遇で迎えるからさ。

 

「悪いね。八幡」

 

「世話になってるからな。ああ、それと今晩鍋やるんだけど来るか? 面子はいつもの奴らだ」

 

「鍋か。……肉あったかな?」

 

 そそくさと冷蔵庫を覗きに行く沙希。本当にこういう心遣い痛み入ります。無事に肉もあったようで、これで今晩野菜鍋という悲しいオチは回避したらしい。もう一人のパトロンにも声をかけていくように連絡しておこう。呼ばなきゃ呼ばないで拗ねるし暴れるし……何であの人とつるんでるんだろう?

 

「じゃあ、八幡。そっちお願いね」

 

「おう」

 

 流石に友人と言っても沙希の私物に触るのは緊張するので、俺の役割は基本荷物運びだ。段ボールを部屋の中から玄関近くまで運び出すだけ。週明けには千葉に帰るらしいので、元々家具や荷物の少ない部屋だったが、殆ど荷造りされていて生活感が殆どない。

 

「実家に帰るんだっけか?」

 

「最初はそうなるのかな。でも、けーちゃんも大きくなってくるし、生活が安定したら家出てくと思う。大志は家に居てほしいから」

 

「偉すぎる……」

 

「一応、あんたも長男なんだけどね……。新居決まったの?」

 

「いや、まだ。赴任先も決まってないし」

 

「……ふぅん。広いとこ借りるなら、その内ルームシェアしてもらおうと思ったんだけど」

 

「金ないし、広いとこは無理だろ……」

 

 ぐだぐだと喋りながら荷物を運んでいたが、今なんて言いました? ルームシェア? 俺と、沙希が? 滅茶苦茶いいなって思うけど、滅茶苦茶恥ずかしい。ちらりと沙希の方をみるが、何時ものように澄ました顔をしている。俺だけ照れてるって何なの? 俺の視線に気づいたのか、何?みたいな顔をして見てくる。お前が何なんだよ。

 

「いや、流石にそれまずいでしょ」

 

「ふっ。何照れてんのよ」

 

 悔しい。完全に遊ばれている。しかも四年間面倒を見て貰ったので逆らえる気がしない。これが、カーチャン化というやつか。声優もママになる時代だしな。違うか。

 

「楽しかったね。四年間」

 

「……まぁ」

 

「まだ素直になれないんだ。私は、楽しかったよ」

 

 沙希が感慨深くそう呟く。高校卒業してから今日に至るまで色々な事があった。俺達が風邪ひいた時は看病してもらった。バイトを紹介してもらって四人で働いた事もあった。完全に頭が上がらなくなってからは、毎年沙希の誕生日は盛大に祝おうとして毎回ドン引きさせて怒られた。コンビニの前で酒飲んだり、一緒にバッティングセンターにも行った。あっという間だったし、今思えば──とまで考えて俺もようやく観念する事ができた。

 

「──そうだな。俺も、楽しかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙希の手伝いも終わり帰路につく。買い物をしていくから、先に戻って机やら鍋やらの準備をしておけと言われたので真っすぐ家に戻る事に決めた。一色達はじゃんけんで負けた奴が野菜を全部持つというゲームをしながら戻ってくるらしい。大量の野菜を持たされている半泣きの一色の写真が送られてきた。鬼か、あいつら。沙希から持たされた肉の量を見ると心許ない。一瞬で消える事がほぼ確定しているが文句など有る筈がない。こうなっては最後のパトロンに期待せざるをえない。有事の際は共同貯金から出すしかないだろうが。

 

「ひゃっはろー」

 

「来るの早くない? 暇なんすか?」

 

「いきなり辛辣過ぎない!?」

 

 家に帰ると陽乃さんがベランダに座っていた。確かにパトロンに対して辛辣かなぁなんて思うけど、スーツ姿なのに、既に缶ビール空けてるの本当にイメージが壊れるのでやめてほしい。

 

「何か今日やる気でなくてさー。雪乃ちゃんに全部投げて来ちゃった」

 

「邪悪過ぎる……。まぁ、上がって下さいよ」

 

「んーん。ここに居る。あ、これ。肉買ってきたから。その分、今日は接待してもらうからね」

 

「ありがとうございます。お心遣いありがとうございます」

 

「本当に、食べ物が絡むと素直になったよね……」

 

 家の鍵を開け、中に入る。冷蔵庫に肉を入れ、無駄にでかいテーブルを拭く。ゴミ捨て場で拾ってきたもんだが、なんだかんだ付き合いも長くなった。酒は今日でできれば全て飲み干したい。床下収納から最後の梅酒の瓶を取り出し、テーブルの近くへ。後はカセットコンロと鍋と食器の準備だ。箸はいつもの割りばしを使えばいいだろう。ガスボンベをセットし、火をつけてみる。中身もありそうだったし、今日一回分ぐらいは持つと思いたい。準備も終わって、陽乃さんおつまみとか要るかななんて思っていると、

 

「準備終わった?」

 

「ええ、後はあいつらが戻ってくるのを待つだけです」

 

「じゃあ飲もう。一緒に飲もう」

 

 陽乃さんの隣の座り、ベランダで俺もビールを貰った。暦の上ではもう春である。夕暮れ前のこの時間なら、まだ外で飲んでいても暖かい。ビールを口に含んで思う。──色々な事が変わったと。高校時代、昼間から酒を飲むなんて誰が想像できただろうか。あの雪ノ下陽乃と昼間からこんなぼろい一軒家のベランダで飲むなんて事が想像できただろうか。その変化とビールの苦さを飲み込むと、暖かい風が吹く。穏やかな日常だ。居心地が良い。

 

「引っ越し先決まったの?」」

 

「いえ、まだです。とりあえず千葉には帰ろうかなと」

 

「ふぅん……。隼人とヨッシーは東京だから、離れちゃうね」

 

「でもそんな距離あるわけじゃないですからねぇ……」

 

 義輝は作家なので関東近辺でいいだろうし、隼人は千葉寄りの東京だ。別段会えない距離というわけではない。それどころか、この生活が終わったら──とまで考えて、その先は何も言えなかった。考えたくもない、のだろうか。

 

「ちなみに、八幡の赴任先は概ね総武だよ」

 

「……何で知ってるんですか?」

 

「母さんが調べてたもん。また、うちに顔だしなさいよ。喜ぶから」

 

「あれ喜んでるんですかね……」

 

「男の子を育てた事がないから新鮮なのかもね。隼人なんかは手のかからない子だったし」

 

 何だか怖い話題になってきた。どうして他人の子供の進路調べてるんですかね。何なら子育てってどういう事でしょうか。雪ノ下家の子供は遠慮したいんですけど。雪ノ下妹の言葉が脳裏にちらつくのがまた嫌なのだ。この話題を続けるのが怖くなってきたので、ここで少し話を変えたいところだ。

 

「……何だか色々とありましたね。この四年間。まさか陽乃さんとこんな風に飲む仲になるとは思いませんでした」

 

「そうだね。それを言うなら、隼人とヨッシーと一緒に住むなんてのも、想像もしてなかったんじゃない?」

 

「確かに……。全員個性の暴力みたいな所ありますから。よく仲違いしなかったもんです」

 

「……君たちの関係って何なんだろうね」

 

 俺達の関係。わかりやすく言えばルームメイトだ。友達かと言われれば、今の俺はうんと返事をしてしまうだろう。それぐらいの付き合いはあるし、それぐらいは言えるような人間にもなった。陽乃さんは俺にどんな答えを期待しているのだろうか。親友です、とか言ったら呆れるだろうか。俺もそうとは言い難い。友達と親友の違いについての定義から考えなくてはならない。やべえあんま成長していない。誰ノ下さんだよ。だから──

 

「共依存じゃないっすか?」

 

「嫌味な子ねぇ……」

 

「冗談ですよ。少なくとも俺もあいつらも、今は自分で考え自分で発言してきました。……陽乃さんに関係をどんな言葉で定義されたって、何言ってるの? バカなの? 仕事行けよぐらいは言い返せますよ。それだけのものは手に入れる事が出来ましたから」

 

 俺がそう言うと陽乃さんに頭を叩かれた。痛いけど、彼女は満足そうに笑っている。 

 

「それが、君の間違い続けた青春の答えってわけだ」

 

 俺はきっと数多くの事を間違えてきた。多くのものを失い、多くのものを得てきた。間違いだらけの青春だったのかもしれない。青春ラブコメとすれば失敗の部類に入ってしまうだろう。だが、それでも良かった。大切なものは今でも失っていない。そう思えるだけの日々が俺の胸の中にはある。これで良かったのだと、学生生活最後にして此処にたどり着けた事に感謝をしてもいい。春の暖かい陽気に、ビールのほのかな苦みが丁度いい。今の俺を象徴しているような感じだ。全てが上手くいったわけではない。少し苦さも残った青春時代を過ごしてきた。だから──

 

「俺の青春ラブコメは間違いだらけでしたが、選んだ道はこれで良かったんですよ」

 

 俺は胸を張ってそう言ってやった。

 

 

 

 

 

 




完結しました。比企谷八幡のこれからに幸あれ
今まで読んでくださった方々ありがとうございました。
本編でも少し触れましたが少しだけ書いた短編がまだ残ってますので
ワンチャン番外編として投稿するかもです。
誕生日の話とかタイムカプセルの話です。


全く宣伝してませんでしたが、
自信の八結とカレーへの愛を詰め込んだ。

「美味しい料理の作り方」という短編を投稿してありますのでそちらもよろしくお願いします。

ではまた何時か。
更新情報とかは少なくなりますが、Twitterはこちらです。
@omegajhon1






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番外編
番外編1:最終兵器看病彼女


没ネタのリブート版です。


 

 

 

 

「緊急事態よ」

 

 

 暑い夏の日だった。その日、雪ノ下雪乃は我が家に来るやいなやそう宣言した。お前は知事かよ。目の前には、雪ノ下が手土産として買ってきた中華やら寿司やら酒やらが並んでいる。絶対に何か裏がある、俺も隼人も義輝も疑いの目を向けていた。だがしかし、空腹だった俺達は疑いつつも既に雪ノ下の買ってきた食べ物を夢中で食べてしまっている。食欲の前ではありとあらゆる理性が否定されてしまう。勉強になった。何度も陽乃さんに食べ物でつられてしまってもこのザマである。妹にまで良いように使われてしまっては立つ瀬がないではないか。

 

「雪ノ下。俺達がそう簡単にお前の頼みを聞くと思うか?」

 

「なら、今すぐこれらは持って帰るわね。さようなら」

 

 義輝と隼人が物凄い勢いで睨んできた。お前たちにプライドとかはないの? 一生この姉妹の奴隷でいいのかと聞いてみたい。

 

「お願いを聞いてくれたら、福利厚生として今度私持ちでふぐでも食べに行こうと思っているのだけれど」

 

 よし、戦略的撤退。俺達は雪ノ下姉妹の永遠の奴隷です。OKとばかりに俺は雪ノ下が持ってきたハイボールの缶を開けて喉に流し込む。やはり、寿司のお供はハイボール。隼人達も話を聞く気になったようで俺と同じ動作をとった。雪ノ下もそれがわかったのか、うんと満足そうに頷く。

 

「頼み事は簡単よ……。明後日、姉さんと母さんと一緒に東京で買い物するのだけれど、貴方達も一緒に来てくれないかしら?」

 

「……っ」

 

「……鬼かっ」

 

「……辛いっ」

 

 雪ノ下家の女は兎に角怖い。特に三人揃った時のあの空気は忘れられない。この前、雪ノ下家にタイムカプセルを掘りにいった時、痛いほどそれを感じた。しかし、報酬はふぐである。食べた事がない。隼人は食べた事でもあるのか、懐かしそうな顔をしているのが少し気にくわない。でも、あの場には居たくないのも事実。お互い目を見合わせ損得勘定を始める。しかし、それを見逃す雪ノ下ではない。

 

「貴方達はサブプランよ。当日、シフトの調整ができれば、由比ヶ浜さんも来てくれるわ」

 

 由比ヶ浜が来る。その一言に大分救われたような気分になる。あの覇気使いとしか思えない女たちの間にほんわかした彼女が入ってくれればどれほど救われるだろう。そこまで言われてしまっては俺達も考えてしまう。別に、買い物に付き合うぐらい良いではないかと。そんな俺達の態度に、更に雪ノ下はにっこりと天使のような笑顔を作った。

 

「ああ、後これは友人としてのプレゼントよ。父が貰ったのだけれど飲みきれないみたいで。貴方達が飲んでくれれば父も喜ぶと思うの」

 

 雪ノ下が持ってきた大きな紙袋の中から料理に続き最後に出てきたのは一升瓶。しかも、俺達では買えないレベルの高い代物だった。完全に心が折れてしまった。

 

「悪かったな、雪ノ下。……お前が困ってるならしょうがないよな。隼人、義輝。手伝ってやろうぜ」

 

「そうだな。雪ノ下家には何時もお世話になってるから、こういう事は任せてくれ」

 

「うむ。義を見てせざるは勇無きなり、と偉い人も言っていたし受けるしかないな」

 

 ──わっはっはっ。と穏やかな空気が流れ、雪ノ下は満足そうに笑って仕事へと戻っていった。俺達がこの後何をしたかは賢い読者諸兄にはおわかりだろう。一升瓶に、食べきれないぐらいの料理があるのだ。飲むしかない。調子こいて隼人が戸部を呼んだのもいけなかった。この時彩加を呼んでいれば、静止する人間ができた筈だったのに──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三十八度か……」

 

 

 明後日、体温計の数字を何時もより数倍腐っているであろう目で眺めていた。

 昨日からすこぶる体調が悪い。しかも俺だけではない。義輝も隼人も同じように寝込んでいる。ちなみに、全員熱は三十七度以上だ。最初は二日酔いだと思った。何がいけなかったのだろう思い返すと、何もかもがいけなかったように思える。夏に飲めば暑くもなる。熱くなれば脱ぐしかない。全員上半身裸で一晩中騒ぎ散らかせばどうなるかわかるだろう。夏とはいえ、夜は冷えるのだ。子供でもわかるが大学生という生き物は酒を飲めば赤ちゃん並みに知性が低下するので仕方がない。

 

「八幡……生きているか?」

 

「生きてるぞ……。隼人は?」

 

「トイレ行くついでに雪ノ下殿に電話を入れてくると言っていた……」

 

「俺達、殺されるかもな……」

 

「うむ……」

 

 現在俺達はリビングのものを全てどけてそこに布団を三枚敷いて寝込んでいる。誰かが何かをしに動くときは用事を頼めるからだ。俺が目を覚まして体温を測ろうと思った時にはもう居なかったので、随分と長いトイレのようだ。隼人は腹を下し、義輝は頭痛、俺は高熱と症状が違う。どうして?そうこうしている内に隼人が戻ってきた。その顔には生気がない。しかしこんな状況であっても俺や義輝と違って華があるのが憎たらしい。

 

「おう、隼人。雪ノ下なんつってた……?」

 

「……それは大変ね。お大事に。私の事は気にしなくてもいいわ……だってさ」

 

「──マジギレだな」

 

「うむ。頭の中で我らの殺し方絶対に考えてる」

 

「俺も幼馴染として否定したいけど、雪乃ちゃんはそういうタイプじゃないもんな……。声が完全に冷え切っていたし」

 

「病人を罵倒しないだけ、成長したでござる」

 

「貴方達が病人? ああ、脳みその病気だったわね。馬鹿は死ななくては治らないと言うのだし、早く尊厳死が認められる社会が来るといいわね」

 

「熱あるのによく物真似できるな……」

 

「今ので全てを使い果たしたわ……」

 

 性も根も尽き果てるとはこの事だろうか。意識が朦朧としてきた。人生の最期にやった事が雪ノ下の物真似だと知人たちが知ったらどう思うだろうか。誰?ですよね。わかります。そのまま夢なのか現実なのかわからない混濁した意識の時間が続く。解熱剤を飲んだから効いてくれるのを待つしかない。そして、二時間ぐらいが経過しただろうか。汗が滝のように流れ肌寒くなってきた頃、ふと意識が覚醒した。濡れたシャツが気持ち悪い。着替えようと立とうとするがまだ体が重いし熱い。それでも、少しだけはマシになっただろうか。布団の上に大の字になって頭を押さえていると、玄関のチャイムが鳴った。そして、

 

「やっはろー! みんな生きてるー???」

 

 この声。この挨拶。──横目で隼人を見る。奴も気づいたようで更に顔色が悪くなっていた。俺と同じく頭の中に最悪のシナリオが浮かんだのだろう。義輝も似たような反応だった。古い家なのでどたどたと足音が近づいてくるのを感じる。足音が止まり、すぱぁーっんと障子が勢いよく開く。予想通り、マスクをして買い物袋を提げた由比ヶ浜結衣の登場だった。

 

「うわ。男臭いっ!」

 

 こちらは死にそうだが向こうはすこぶる元気らしい。声を聴いているだけで体力が根こそぎ持ってかれそうな感じがする。

 

「ゆ、結衣……。雪乃ちゃんの方は?」

 

「んー? ゆきのんにね。隼人君達が風邪ひいて大変みたいだから、こっちに行ってあげてって言われたの」

 

 隼人が早速探りを入れ、引きつった笑みを浮かべた。もう嫌な予感しかしない。そんな気も知らず、とても純粋で綺麗な笑みを由比ヶ浜は浮かべ、

 

「みんな体調悪そうだし、たまご酒と、とーがんのスープ作るから少し待ってて。材料も買ってきたから、キッチン借りるね」

 

 こちらの返事も聞かずふんふんと鼻歌を口ずさみながら買い物袋から材料を出していく。最悪の事態になった。雪ノ下の野郎、まさか刺客として由比ヶ浜を送り込むとは。由比ヶ浜が来てくれる部分については有難い。だが、料理を作るとなれば話が違う。学生時代の思い出が蘇る。数年会っていなかったが、隼人の反応を見る限り上達としたとは思い難い。そもそも、たまご酒と冬瓜のスープと言っていただろうか。おかしい。由比ヶ浜が机の上に置いたのはどうみても、冬瓜ではない。メロンだ。後、熱で幻覚を見ているのか、置かれた酒は日本酒じゃないっぽくて「spirytus」って単語が見えるんですけど。

 

「か、買い物は一人でしたのか……?」

 

「ううん。ゆきのんが一緒にしてくれたよ。レシピも書いてくれたから安心だよー」

 

 あの女。由比ヶ浜を利用して俺達を殺す算段らしい。なんて性格の捻くれた女だろうか。しかも当の本人、利用されている事に全く気付いていない。「ほらほら、病人は寝てて」と布団までかけ直してくれる始末である。天使か。天使なのか。本人はご機嫌な様子で、障子をしめるとキッチンへと向かった。

 

「どうする……? 流石に今回は死んでしまうかもしれん……」

 

「いや、まだ絶望するには早ぇ……。俺達だってあの頃とは違う……」

 

「……そうだな。たとえ、結衣の料理だって。カロリーがきちんとあるんだ。カロリーさえあれば、今の俺達なら食えるかもしれない……」

 

「水だけじゃ、人は生きていけないもんな……」

 

「うむ。水だけで四日過ごした時は頭おかしくなりそうであった……」

 

「お前、布団噛んでたもんな……」

 

「貴様らこそ、一人で延々食べ物の名前呟いていたり、雑草口に含んでおったろうに……」

 

 そうこう話している内にもガシャンだのバタンだの、ガンガンガンだの料理を作っているとは思えない音が聞こえてくる。何が起きているのだろうか。死刑執行を待ってるかのような気分だ。もはや抗う事を止め、ただただ待つ事を決めた。そして、待つ事一時間ぐらい経ったろうか。

 

「お待たせーっ!!!」

 

 元気よく由比ヶ浜が部屋に戻ってきた。お盆には、見た目は普通に見える冬瓜のスープと玉子酒が置いてあった。でも、何かたまご酒少し固形化してませんかね?俺達は息を呑み、由比ヶ浜の作ってくれた料理と対峙する。鼻が詰まっていて、味はきっとわからない。頭もくらくらする。あれ、これ勝ちじゃないですか? カロリーだけはとれるし最高じゃない。きっといけるだろう、まずはそう確信したような顔をした義輝がたまご酒をすすった。

 

「ン"ン"ッンン"ッッ!!!!」

 

 一瞬意識が飛んだようだった。それでも吐き出さなかったのは偉いと思う。目の焦点が合っていない。成程、味覚嗅覚が麻痺していてもこれか。雪ノ下の野郎……。本当に死んじゃうよこれ。

 

「おっ。中二良い飲みっぷりだね。隼人君も、とーがんのスープ美味しいってゆきのんが言ってたから食べてみてよ」

 

 葉山隼人はどこまでもかっこいい男だ。だから、吹き出せない、吐けない、何故ならそれは葉山隼人じゃないから。ここ最近随分と昔に比べればボロは出ているが、由比ヶ浜の前ではそれを貫くだろう。「ありがとう、結衣」なんて言葉を吐きつつも微かに箸が震えていた。冬瓜(メロン)を摘み、口に含む。そして──涙を零した。

 

「えっ……隼人君?」

 

「……ごめん。…………看病…………されるって…………嬉しく………て…………」

 

 絞り出すような声だった。本当に最後の最後まで隼人は葉山隼人である事を貫き通したようだった。涙流れるぐらい不味いのをどうにか精神を繋ぎとめてフォローしたらしい。ならば、俺がする事はなんだろうか。卑屈で最低な性格で常に負け続けてきた俺である。何をしたって誰も期待していない。だから失望もされない。……ただ、由比ヶ浜にはそれは通じない。通じさせたくない。料理が下手でも彼女の行動には悪意がない。裏で糸を引いているあの女が悪い。地獄に落ちればいい。

 

「んじゃ……いただきます」

 

 一口目の時点で地獄のような味だったが、それでも俺は食べ続けた。そう、俺は性格が悪いのだ。だから──絶対に雪ノ下に仕返しをするまでは死ねない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、まだ生きていたのね」

 

 数時間後。雪ノ下が現れるやいなや、冷たい目で俺達を見ながらそう言った。雪ノ下自身も相当消耗したらしい。何時もパリっとした雰囲気だが、今日はどこにでもいる普通の女の子のようだ。長い黒髪も汗と湿気で元気がないようにも見える。肩の鞄を支える力もないのか、襟が引っ張られている姿も珍しかった。あの母親と姉と出かけた後なのだ。当然といえば当然だろう。由比ヶ浜は疲れてしまったのか、ちゃぶ台にもたれかかってすやすやと寝息を立てている。男だけの家で本当に無防備なの勘弁してほしいが、寝かせてやりたいのも事実だ。

 

「お互い満身創痍みてぇだな……」

 

「そうね。貴方達が来ないお陰で私がどれ程めんどくさい目にあったか……!」

 

「俺達も危うく臨死体験したぜ。よくもあんなレシピ考えやがったな……!」

 

 議論は平行線。もはや戦うしかない。幸い、カロリーだけはとれたようで少しだけ元気だ。神様、俺に力を貸してくださいと祈りながら立ち上がり、雪ノ下と対峙する。

 

「その体で私に襲い掛かるつもりなのかしら?」

 

「合気道やってたお前に襲い掛かるつもりなんてねぇよ。由比ヶ浜も居るしな。だから──」

 

「ッゴッッッッッホッッッッ!!!!!!!!!!!!」

 

 咳をした。力の限り精一杯。目の前の悪魔までウイルスが飛散するように。雪ノ下も馬鹿ではない。すぐに身を翻し俺から逃げようとするが、

 

「ここから先は、一方通行だァっ!!! ンンッゴッッッッッホッッッッ!!!」

 

 大仰な台詞と共に、後ろをとっていた義輝が道を塞いだ。ここぞとばかりに雪ノ下目掛けて咳をぶちまける。

 

「ちょっ……! 汚っ……!」

 

 雪ノ下がさっと俺に近づき、世界がぐるんと回った。どうやら投げ飛ばされたらしい。視界がぼやけるが、さっきの地獄の晩餐に比べれば幾分マシだった。

 

「逃げたぞ隼人ぉ!」

 

 すかさず三番手の隼人が隠れていた障子をあけて飛び出した。隼人も相当ムカついたのか、問答無用で雪ノ下目掛けて咳をしまくっていた。

 

「貴方達、いい加減に……っ!」

 

 布団をめくりあげて雪ノ下が投げつけてきた。

 

「いい加減にするのは雪乃ちゃんの方だろう! どういう性格してんだよ!」

 

「貧乳!」

 

「パンさんの事めっちゃ早口で語ってそうっ!」

 

 俺達の言葉にかちんときたのか雪ノ下の目が据わった。枕をひっつかんでぶん投げてきた。こうなってしまってはもう収拾がつかない。雪ノ下も俺達もお互い酷い言葉を投げかけながら、騒音で起きた由比ヶ浜に怒られるまで、この不毛な戦いは続いた。

 

 

 

 

 



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番外編2:埋めておいた方が良い思い出もある。

※10巻の手記に関する個人的な解釈部分がありますのでご注意ください。



 

 

 

 

 

 

 

 冬の寒さが染みるというのはこういう事を言うのだろうか。

 12月末。最後の日曜日。今年もこれといってロクな事はなかったが、最後の最後までこれか、とどこか諦めたように息を吐く。冬空に消えていく白い息を眺めていると、手に握りしめたマッ缶は既に温度を失い冷たくなっていた事に気づいた。

 あれから一時間はこのベンチに座っているだろうか。横目で見ると義輝も隼人も同じように天を仰いでいた。そして、義輝と目が合うと奴は大仰にため息をつき、

 

「全然違うではないか!」

 

「…………」

 

「言ったよなぁ!? 『有馬記念はピーナッツイヤーで決まり! 今年G1で8勝に加え外国人騎手で負ける事なし! 今年は牝馬の年だ!』って!この結果は何!?」

 

「……ミレドキッドが圧巻の走りで完勝……当然の結果だな……」

 

「もういいよ! 我競馬辞める!」

 

 そう──予想屋を始めた戸部の言葉に巧みに騙された俺達は、年越しの金を全て失った。

 今年は豪華に過ごせるな、温泉でも行くか、なんて似合わない会話をしていた二時間前ですら恋しく感じる。人なんか早々変わらない。

 

「お前ら、頭おかしくなったのか?」

 

 ピーナッツイヤー単勝10万。今頃25万の金を手にしている筈だったが、どこにもない。確実に勝てるはずだった。パチンコの新台に並ぶよりも時間も効率も良い筈だったのに……。

 

「ふっ……。ちょっとした余興よ。それよりもこれからどうする? 我、去年みたいに水ともち米だけで年越しするの本当に嫌なんだけどぉ!」

 

「十万あったからな……。バイトももう入れてないし。これから働く気はあるか?」

 

「あるわけねぇだろ」

 

「だよな……。流石に俺も……」

 

 あの隼人ですら働く気を失くしている。由々しき事態だった。

 競馬場のベンチで天を仰ぐのも些か飽きてきた頃合いでもある。資金繰りをどうにか考えなくては。

 

「まず、もう働く気はない。という事は、借りるか売るしか手段はない。……当てはあるか?」

 

「一色殿も沙希殿も帰省……。頼れる者は居ないでござろう……」

 

「売るモンといえば……試供品の煙草ぐらいか。近所の中学生に売って小金を稼ぐって手もあるが……」

 

「ダメに決まっているだろ。俺達、もう少しで卒業なんだぞ」

 

 来年にはこの素晴らしき大学生活も終わり、ようこそ社畜君だ。年越すの嫌になってきたんだけど。

 最後の最後で事件を起こして就職に響いても困る。俺も隼人もイメージが大事な立場になるし、義輝は……まぁいいか。フリーター兼作家だし。最悪全ての責任をとってもらえば餓死する事は無さそうなので、一安心した。

 

「何か売らんといかんな……」

 

「家の中には金目のもんないしな。そもそもあったらとうの昔に売っているからな」

 

「後は帰省ついでに実家を探して……。隼人の家なら金目のもんありそうじゃないか?」

 

「うちだって────。あ、そういえば前に義輝言ってたよな。俺達が子供の頃やってたカードゲームのカードが凄く高くなっているってさ」

 

「うむ……。我もうないぞ? 二年前にぜーんぶ貢ぐ金にしてしまった」

 

「俺も確かそれやってたんだよ。結構頑張って集めててさ。確かお気に入りのデッキを──」

 

 とまで言って顔が青ざめていく。表情の切り替えがまるで信号機だ。随分と隼人も感受性豊かになったものである。

 

「…………雪乃ちゃんと陽乃さんと一緒に、タイムカプセルにしまってあの家の庭に埋めたんだった……」

 

 まるで宝探しだ。しかも場所は鬼ヶ島のようなものである。千葉県で一番おっかない女が三人も居る場所に近づきたくなんかない。隼人が桃太郎なら目が死んだ猿と機動力の無い豚で鬼退治するようなものだが、他に金策がないのも事実である。

 

「じゃあ、隼人頑張ってな。戦果に期待する」

 

「来てくれた奴にしか分けてやらないぞ」

 

「うむ。……背に腹はかえられん。行くしかなかろう。どーせ、八幡はカード持ってないだろうし」

 

「うるせぇ。こっちはそんな子供っぽい事やってなかったんだ」

 

 嘘だった。俺もやりたかった。でも対戦相手が居なかったのだ。何でトレーディングカードゲームって一人でできないんだろうな。ぼっちに配慮しない遊びが過ぎる。ポリコレで騒いでる連中はこういう所に目を向けるべきだだろう。小町を誘ったが絵が気持ち悪いで一瞬で斬られたし。

 

「TCGは友達いないとつまらないからな……」

 

 やめろよ……。そんな憐れむような目で見るなよ……。仕方が無いので俺も腹を括るしかない。ため息をつき、とぼとぼと帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何しに来たの?」

 

 翌日。朝から電車を乗り継いでようやく雪ノ下家に辿り着いた俺達を迎えたのは、不機嫌そうな顔をした雪ノ下陽乃だった。部屋着にしたってお洒落過ぎません?みたいなチュニックに、俺達がつけている全ての装飾品より高そうなもこもこした上着を着ている。これを奪い取って金にしたい。なんだったら生写真付きで。見てくれだけは良いのでそれなりの値段がつきそうだ。

 

「お休みのとこすいません。今日はご家族いらっしゃるんですか?」

 

「父は仕事。母と雪乃ちゃんは年末の挨拶回りよ」

 

「成程。そうでしたか。……早速なんですが、庭を掘らせて貰いたいんですけど」

 

「……はぁ?」

 

 珍しく素で驚いているような声が上がった。……言われてみれば、確かに意味がわからない。

 

「ごめんごめん。昔三人でこの家の庭にタイムカプセル埋めたの覚えてる? あの中に大事なものがしまってあってさ。掘り出してもいいかな?」

 

「あー……そういう事。ま、綺麗にやってくれればいいよ。母さん怒らせないようにさ」

 

 確かにそうだ。陽乃さんがハドラーだとしたら雪ノ下母は大魔王バーンぐらいの恐ろしさはある。カイザーフェニックスを撃たれたらひとたまりもない。超魔爆炎覇だけでもキツいのに。妹はさながらフレイザードといったところだろう。負けず嫌いだし。ともあれ、掘る位置は1か所か2か所ぐらいしてしておかないと流石に雪ノ下家にも悪い。隼人と陽乃さんの記憶だけが頼りだ。

 

「ちょっと着替えてくるから待ってなさい」

 

 意外な事に手伝ってくれるようだった。意外とノリが良いと言うかなんというか──。

 

「暇そうだな」

 

「暇そうだね」

 

「暇そうである」

 

 普段全く気の合わない三人の意見まで一致してしまった。ドアの奥から殺気を感じたが気にしない事とする。雪ノ下家意外と壁薄いのかな? 建設業なのに。そのまま待つ事10分ほど。今度はラフなパンツスタイルに着替えた陽乃さんが現れた。ファッションショーみたいだななんて思ったので、

 

「可愛いですね」

 

「似合ってるでござる」

 

「綺麗ですよ」

 

 とりあえず隼人に倣って雑に褒めておく。「暇だからねー。手入れする時間が人より長いだけよ」なんて嫌味で返してきた。はるのんイヤーは地獄耳。ここで喧嘩しても仕方がないので、お互いニッコリ笑って庭の方へと向かった。これが大人の対応である。

 

「どこに埋めたか検討ついてるのか?」

 

「ああ、大体ね。確か、あそこに植えてある木の右辺りに埋めた気がするんだけど」

 

「その位置であってるよ」

 

 陽乃さんも同じ意見のようだった。そもそも、この女が自分の物を何処に埋めたのか忘れる筈がない。タイムカプセルなんて人生の汚点しか入っていないからだ。俺ぐらいになると小学校の頃埋める時に存在を忘れられていたので、当時一人で書いていた漫画を持って行った時には既に全員解散していたまである。あんなもん埋めなくて良かった。なんだったら、同級生が集まって掘り起こした時に「比企谷なんて奴いたっけ?」なんて楽しいイベントがいきなり怪談話に変わってしまう。

 また一つ誰かを幸せにしてしまった、なんて考えながらスコップで庭を掘る。工事現場でバイトしてた俺達には朝飯前だ。

 

「手際良いねぇ」

 

「どこぞの企業の孫請けでバイトさせられてましたからね」

 

 雪ノ下と再び関わるようになってから雪ノ下建設系のバイトも増えた。重労働だが金払いは悪くはない。雪ノ下家の紹介ともあって皆優しい。重労働だが。せっせと掘る俺達とみているだけの陽乃さん。正に社会の縮図だった。今後もこうやってこの人にこき使われるんだろうなぁ。

 

「むっ。何か固いものが……!」

 

 大仰に義輝が吼えた。冬だというのに凄い汗だった。大して動いてもないのに仕事した感が凄く出ている。何かずるいと感じた。

 

「これじゃないかな」

 

 掘り進める事5分。大きな銀色の箱の姿が見えた。子供が空いた缶で入れるようなチャチなもんじゃない。タイムカプセル用に作られたステンレス製の入れ物だ。上級国民め。

 

「お疲れ様。ジュース用意しておいたから飲んできなよ」

 

 さらっと現れた陽乃さんがタイムカプセル持ち、笑いながらそう言う。普通の男ならその美しい笑顔に騙され、飛び出さんばかりの勢いで飲みに行っただろう。しかし捻くれに捻くれ、尚且つこの大魔王と付き合いも長くなってきた俺達だ。何か裏があるな、と感じた。

 

「先に現物を確認しておきたい。物がなかったら困るしね」

 

「掘り返した形跡ないし大丈夫でしょ。隼人がカード入れてたの私覚えているよ」

 

「しかし高いカードが実際あるかどうか確認せんと困るのでなぁ……」

 

「んー。まぁ、高いカードなくたって何とかなるよ。困ってるんだったら、お金貸してあげるし」

 

「それは流石に悪いからいいです。陽乃さんとお金の貸し借りまではしたくないですし」

 

「散々奢ってるから気にしないで良いよ」

 

 ──確信した。タイムカプセルの中にはこの女の弱点が入っている。義輝と隼人に目配せすると、軽く頷いた。奴らも気づいたらしい。お互い笑顔だが、空気だけはヒリついている。三人同時に襲い掛かれば、奪えるかもしれない。

 

「近づいたら、中に入っているカード破くから」

 

 人質はとられている。カードを破かれてはここまで来た意味が全くなくなってしまう。じりじりと陽乃さんはタイムカプセルを持って下がっていき、距離をとった。

 

「わかりました。何もしませんってば」

 

 手を挙げて降参の構えをとった。別に金さえ手に入ればよかった。陽乃さんの弱みにも金以上の興味はない。自分で言ってなんだが、相当腐ってた発言である。距離をとった陽乃さんはタイムカプセルを空け、何かを取り出してポケットにしまった。そして、にやりと笑い、

 

「見てみて。これ」

 

 一枚の手紙のようなものを取り出した。それを見た隼人が、

 

「それ、雪乃ちゃんのだね……」

 

 雪ノ下は何か手紙のようなものを入れていたようだ。ニヤニヤしながら陽乃さんはこちらへ近づき、俺達に見せてきた。

 

「見て見て。雪乃ちゃん手紙なんて書いてる~。しかも、英語で」

 

「きっと……誰かに見られてもすぐに読めないようにこうしたんだな……」

 

「発想が陰キャの極み過ぎるでござる……」

 

「昔から可愛げの無い奴だったんだな……」

 

 流石に読むのは憚られるし知られた時はどんな仕返しが来るかわからない。俺達が目を背けると、陽乃さんも英語で書いてあるぐらいにしか興味がないらしくすぐに手紙はしまわれた。どちらかというとそちらを暴露する方が本人的にはダメージが大きいと思うが、姉妹の事なので何も言えない。俺は関係ないからね! 見てないからね!

 

「おお、やっぱレアカードいっぱいあるよのぉ!」

 

 金にしか興味のない義輝と隼人は既に雪ノ下の手紙には興味を失くし、残ったものを漁っていた。

 雪ノ下姉妹が一点だけしか埋めなかったのに対し、隼人の入れたものは結構多い。友達との写真とか寄せ書きとか、俺が持ってないものばかりだった。

 

「しかし凄ぇな。寄せ書きってこんなに書かれるものなの? これ絶対同じクラス以外の奴も書いてるでしょ。普通もっとスッカスカじゃねぇか?」

 

「うむ……! しかもこれ凄いのは、悪口が一つも書いてない」

 

「今までどんな寄せ書き貰ってたんだよ……」

 

「ほぼ白紙」

 

「先生に無理やり書かされた文句が書いてあったでござる……別に書かなくていいのに……」

 

 世の中にはこんなに愛の溢れる寄せ書きがあったのかと感動してしまうレベルだった。女子の大半が大人になっても遭いたいねとか書いてるのには、殺意を超えて恐怖すら覚えたが。次に、隼人は友達との写真を手に取った。

 

「しかし可愛くねーガキだな。顔に傲慢さを感じる」

 

「うむ。クラスの中心……いや、世界の中心に自分が居るかのような余裕すら感じる」

 

「仕方ないだろ。子供だったんだから。……お前らだって、多分似たようなもんだったろう」

 

「写真全然残ってない……」

 

「卒アルに自分が隅っこ以外に映ってる写真一枚もなかった……」

 

「流石に、初めてお前達に同情するよ……」

 

 ぎゃあぎゃあといつものくだらない言い合いが始まった。そんな俺達を、陽乃さんは笑顔とも何ともつかない曖昧な表情で眺めている。そして、

 

「良かったじゃん、隼人。ちゃんと"見つけてもらって"さ」

 

 そう一言だけ呟いた。隼人はそれに何も応えなかった。フン、と一度鼻を鳴らしただけだ。二人にだけしかわからない事なのだろう。一瞬の会話の違和感はすぐに立ち消え、陽乃さんは一度大きく伸びをすると、

 

「とりあえず、それお金に換えたら何か食べようよ。お腹すいちゃった」

 

「東京で売る予定なんだけど、陽乃さんも来る?」

 

「じゃあ、あの家で少し豪華な鍋にでもしようか」

 

「いいんじゃねぇかな。陽乃さんには何時も奢ってもらってるんで、偶には鍋でも奢りますよ」

 

「流石八幡! 隼人の金なのに自分の金みたいに言ってるとこクソ過ぎて我嫌いじゃない!」

 

 確かにそうだったが義輝の言葉は黙殺。隼人が掘り返したとこを埋め始めたので、作業の続きをしなければならない。腹を空かせるためか義輝が張り切っているため、手持無沙汰だ。母親が帰ってくるかどうか偵察にでも行こうかと悩んでいると陽乃さんに袖を引かれた。

 これ勘違いしちゃうからやめてほしいんだけど、相手が相手なのですぐに冷静に帰る。

 

「私が何を隠したか見たい?」

 

「いや、もう興味ないです」

 

 脇腹を一発殴られた。痛い。

 

「自分の黒歴史を晒したいとか正気ですか?」

 

「別に黒歴史じゃないよ。……変なもんが入ってなかったか確かめたかっただけよ」

 

 陽乃さんがポケットから取り出したのは一冊の文庫本。表紙には「走れメロス」と書いてある。有名な作品だ。俺だって読んだ事がある。

 

「カバーだけメロスで中身は官能小説とかじゃないですよね?」

 

「それ、八幡がえっちな本隠す時に使ってた手でしょー。一緒にしないでよ」

 

 どうしてそれを……! やはりサイコメトラーなのかもしれない。陽乃さんがどうして走れメロスを埋めたのかはわからない。手放したかったのか隠したかったのか。一番濃厚なのは、「邪智暴虐の王に影響されてこんな性格になっちゃいました」辺りだろうか。

 その真意はわからない。ただ、この先を聞くには陽乃さんに一歩踏み込まなくてはならないという事だけはわかる。表情を見ている限りでは何を考えているのかわからない。うっすらと笑っているが、拒絶のような、それでいて曖昧な笑顔だ。

 

「……あの王がした選択は間違っていたとは思いませんよ」

 

「そう……。それを聞けたなら、掘り出した甲斐もあるのかもね」

 

 少しだけ寂しそうに陽乃さんは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外編3:一色いろは生誕祭



ハァハァ……
21時ぐらいから公式のツイートで知って
勢いで書きました。
次回は14.5巻読んでネタ思いついたら書きます。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のファミレスの雰囲気が好きだ。

 時刻は四月十五日、午後十一時三十分。メインターゲットであるファミリー層は既に帰宅の時間。俺達のような暇な人間ぐらいしか客が居ない。人の喧騒も少なく、店内のBGMが丁度いい感じの音量で耳に入ってくる。どこか懐かしいメロディーに耳を傾けていたくもあるが、

 

「そろそろ、いろはの誕生日だな……」

 

「ああ……。とりあえず、煩いからプレゼントは用意したが……」

 

「うむ。はたして、中古の教科書で良かったのだろうかという疑問は残るが……」

 

「いや、お前だったらどう思う? 教科書代浮くんだぞ? 嬉しいに決まってるだろ」

 

「……いや、盲点であった! 確かに嬉しい! 凄く嬉しい!」

 

 大学の新学期における教科書代はバカにならない。俺達のような貧乏学生にはかなり手痛い。

 昨年誕生日にラーメン奢ったらその後暫く口を聞いてくれなくてまたも大学でぼっちになってしまったので、今年は先手を取ると決めた。既に一色から今年どんな授業をとるのかは聞いている。隼人を使って方々に頭を下げた結果。上級生から格安で教科書を譲ってもらう事ができた。今年は完ぺきなプランだ。実用的かつ、売れば金になる。これ程嬉しいプレゼントはないだろう。だが──

 

「先輩方、ちょっといいですかね?」

 

 俺の正面。バイト帰りにそのまま拉致ってきた一色いろはが一体何が不満なのかわからないが、口を尖らせている。俺達の奢りのドリンクバーで注いできたコーラの氷を、ざくざくとストローでつつくと、

 

「可愛い後輩の20歳の誕生日に、普通教科書送りますかね? それと、本人の前で誕生会の打ち合わせするの本当に最悪だと思うんですけど!」

 

「何だよ一色。お前、俺達にサプライズとか期待してるの? お前が望むなら、後日不意打ちで義輝送り込むけど」

 

「我が書いた、いろは殿が主人公の異世界転生物小説音読付だ。嬉しかろう」

 

「……私が悪かったです。ごめんなさい。でも! でもですよっ!? それにしたって教科書はなくないですか!?」

 

「えっ……。いろは。じゃあ教科書要らないの?」

 

 隼人の言葉に一色が一瞬固まった。一色とて言葉では拒否してはいるが教科書は欲しいのだろう。何度でも言うが、大学の教科書代は本当にバカにならない。一色が苦悶の表情で受け入れるかどうか悩んでいる。──三分ぐらい苦しんでいただろうか。ため息をつくと、

 

「教科書欲しいです…………」

 

 一色が堕ちた。欲望には逆らえなかったらしい。ニヤニヤしながら俺が渡すと、睨みながらもきちんと教科書は受け取った。それと同時、

 

「いい加減にしな」

 

 頭部に鈍い衝撃が加わった。義輝の「ブモッ」という悲鳴が響く。痛みを堪えながら顔を上げると、青みがかかった黒髪が見えた。沙希ちゃんの登場である。本当にかっこいい最高のタイミングでの登場だ。一色なんか「沙希せんぱぁ~い」等と甘い声を出しながら抱き着いている。あれは男子限定の技じゃなかったのか。同性にも使うとはどこまでも可愛く恐ろしい女だった。

 

「遅くなってごめんね。……あんた達、いろはの20のお祝いなんだから、ちゃんと祝ってあげなよ」

 

 沙希に睨まれてしゅんとなってしまう。本当に俺達は沙希には頭が上がらないのだ。ともあれ、沙希がギリギリ間にあったのでそろそろ良い時間だ。時計の針もそろそろ十二時を回りそうだ。さりげなく隼人が追加でドリンクバーを注文し、アイスコーヒーを持ってきた。相変わらず抜け目のない男であった。ドリンクも揃ったところで、時計の針が十二時を差した。一色いろは生誕祭の開幕である。隼人のそつがないおめでとうコメントに続き、俺達もおめでとうと投げかける。

 

「はい。いろはおめでとう。これ誕生日プレゼント」

 

「わ~。ありがとうございます! これ今めっちゃ話題のハンドクリームですよね!」

 

 一色が珍しく素で喜んでいた。沙希が数時間かけてうろうろと沢山の店を回った甲斐があるものだ。飯につられてついていったが、あれは疲れた。なんだかんだ真面目で、頑固で少しだけ怖いけど優しいのだ。ゆるゆりした光景に俺の歪んだ心も矯正されていく。百合はその内ガンに効くかもしれない。

 

「教科書より全然嬉しいです~。沙希先輩。ありがとうございます!」

 

「つーか、まさかあんたら。本当に教科書だけじゃないよね?」

 

 ゆるゆりから一転。沙希の顔が歪んだ。グラップラーのような厳しい顔つきになる。恐るべき変わり身の早さだった。しかし隼人は余裕を崩さない。義輝もやれやれとばかりに肩を竦めた。どうでもいいがこの態度。非常に見てて不愉快極まる。

 

「ちょっとしたジョークだよ。──はい、いろは。これは俺から」

 

「流石は葉山先輩! ありがとうございます!」

 

「いろは殿。我からはこれだ。小説も欲しければいつでも製本して届ける所存である」

 

「まさかの中二先輩までっ!? しかもこれ良いタオルじゃないですか~。欲しかったんですよね~。小説の方はお気持ちだけ頂いておきますね~」

 

「まったくあんた達は。最初から持ってるならきちんと祝ってあげなさいよ」

 

 朗らかな青春ラブコメ的な空気が漂っている中、俺一人だけが脂汗をかいていた。やはり俺の青春ラブコメは間違っている。主に、俺だけが。ヤバい。俺だけ何も用意していない。本当に教科書が最適解だと思ってしまっていた。隼人に負けるのは仕方ない。義輝以下、という事実が更に心を重くしている。

 

「先輩達も人が悪いじゃないですか~。それで、先輩は何をくれるんですか?」

 

 すっかり機嫌の良くなった一色が可愛い笑顔で俺を見る。沙希も再びゆるゆりモードだ。そんな中、隼人と義輝は俺の異変に気付いたようだ。助けて!とばかりにアイコンタクトを送ったが────あいつら、目を逸らしやがった。このままでは一色になじられ、義輝以下のレッテルを張られた挙句に沙希に〆られる。腹を括るしかない。みっともなくあがいて。俺が一色に送る事のできる誠心誠意とは何か。答えは一つしかない。むしろこれしかない。

 

「ああ、一色。そうだな…………」

 

 ゆっくりとポケットに手をまわし所在を確認。涙を呑みながら俺は宣言した。

 

 

「今日の支払いは、全部俺が持つわ……っ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全くもう。最後はお金で解決ですか。本当に最悪ですね」

 

 むくれながらケーキを食べる一色の正面。俺はソファーの上に正座させられていた。俺の奢りが決まった瞬間。一色が片っ端からデザートを全種類頼み始めたので、気を利かせた店員さんが隣の席も使えるようにしてくれた。隣の席では人の金という事で、一切遠慮のない義輝と隼人が穏やかにステーキを注文している所だった。八幡。コノウラミワスレナイ。

 

「悪かったよ……。だからこうして俺の奢りで誠意をもって対応してるじゃねぇか……。こんなに奢ったの、お前ぐらいだ」

 

「はっ! 何なんですかいきなりお前だけ特別アピールとか口説いてるんですか? そういう台詞はもっと私の事大事にして、私にだけ優しくしてからお願いします。ごめんなさい」

 

「二十歳になってもその芸風続けるの?」

 

「先輩こそ二十歳超えてるのに芸風変わらないじゃないですか」

 

「違うから。高校生の頃は貧乏キャラじゃなかったから。捻くれてぼっちで貧乏になっただけだから少しは俺も成長してるんだぞ」

 

「それ悪化してるじゃないですか……」

 

 ドン引きしてる割にはデザートは随分と幸せそうに食べている。そんな笑顔を見せられては、こちらももう何も言えない。満足いくまで食って欲しい。隣の席で「炒飯追加で」「我、ステーキおかわり」とかほざいている奴らは本当に地獄に落ちてほしい。

 

「いろは。二十歳になったからお酒もう頼めるね。何か飲む?」

 

「いいですね。何かおススメとかあります?」

 

「あたし最近焼酎飲む事多くてねぇ。そうだ。焼酎頼んでドリンクバーで割ればいいよ。それなら飲みやすいでしょ」

 

「いいですね! じゃあ、焼酎頼みますね。──ボトルで!」

 

「どんだけ飲む気なんだよ……」

 

「先輩のお財布が空になるまででーす」

 

 ああ、この小悪魔め。なんて思ったがそのウインク可愛すぎなのでつい許してしまう。何なのこいつ本当に。しかしまぁ、せっかく二十歳の誕生日だ。俺も一色に嫌味を言う程子供というわけでもない。一色に言わせれば悪化しているが、少しは大人になった自負もある。そうこうしている内に店員さんが人数分のグラスと焼酎を持ってきてくれた。氷までついている気遣いがありがたい。まずはロックで乾杯といきたい。グラスに氷と少しの焼酎を注いて行く。

 

「先輩。乾杯の音頭をお願いします!」

 

「はいはい。あー……おめでとう一色。これからもよろしく」

 

「ええ、先輩方ありがとうございます! これからもよろしくお願いします」

 

 グラスを打ち付け、皆で乾杯した後焼酎を喉奥に流し込む。すると、ふと一色と目が合った。「美味しいですね」と小さく呟くと照れくさそうに一色は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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