ガンゲイル・オンライン ザ・ドミネイターズ (半濁悟朗)
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第0章 プロローグ
対人童貞ファイヴ


「あ、そうだファイヴさん。今日来た運営からのメール見ましたか? なんか《ドミネイターズ》とかいう大会についてのやつ」

「ドミネーター? ……敵を爆発させる光学銃でも実装されんのか?」

「いや、それはゲームバランスぶっ壊れますしグロすぎんので無いと思いますけど……。でも実装されたら欲しいッスよね」

「どうかな……俺は実弾銃以外担ぐ気にはなれねぇな。あんなプラモみたいなオモチャはごめんだ」

「Mob狩り専にあるまじき発言ッスよそれ。いやでもロマンあるじゃないスか、喋って変形する、対人でも使える光学銃とか」

「シカゴお前バカ野郎そしたら光学銃全盛になっちまうだろ。ゴツい装備に着られてるような女アバターが見られなくなってもいいのか?」

「それは嫌ッス!」

「だろ? …………まぁ、そんな姿を見せてくれる女の子の知り合いなんて居ないけどなー」

「そうッスねー……」

「悲しいなぁ……」

「そうッスねぇ……」

 

 灰色の街の中に、二人の男がいた。

 そこは、密林の木々のように不規則的に立ち並ぶ高層ビルの群れ。廃墟はところどころ鉄筋を飛び出させ、氷柱のようなコンクリートの突起を至る所にぶら下げている。

 空にはその廃材を成した事を誇るかのように、毒々しい緑色の雲が厚く空を覆っていた。

 

 バイオホラーの舞台のような不気味かつ殺伐とした廃墟の十字路。そこに放置された赤錆だらけの乗用車の上に、二人は並んで腰掛けていた。

 

「……話を戻そう。ドミネーターが何だっけ?」

「《ドミネイターズ》ッスよ先輩。そういう名前の大会が開催されるっつー話です」

「最近バレット(B)オブ(o)バレッツ(B)だのスクワッド(S)ジャム(J)だの大会があったっつーのにまた大会か。確かここの運営、結構腰が重いとかお前言ってなかったっけか?」

「そのはずだったんスけど、SJと同じでまたスポンサーが現れたっぽいんスよ」

「世の中暇な金持ちは居るもんだなぁ。少しは恩恵に預かりたいところだ」

「そう! それですよファイヴさん! だったら出場して景品頂いちゃいましょうよ!」

「……あのなー、シカゴ」

 

 片割れを呆れた声で呼んだファイヴだの先輩だの呼ばれている男は、一旦言葉を区切ってズボンのポケットから紙袋を取り出す。手を軽く一振りすると一本の煙草が飛び出し、それを銜えてライターで火を点けた。

 

 男の背は175センチ程。彼は煙草の煙を細く吐きながら、深い彫りの奥にある鋭くも光のない目を細めた。

 色味としては非常に暗く地味な服装である。彼のお気に入りであるキャスケード型のレザージャケットやブーツは、艶を意図的に消した黒。

 ジャケットの上から着込んだソフトアーマーやタクティカルベスト、カーゴパンツは枯草のように暗い緑であった。

 

 まるで目立つことを忌避しているような配色の怪しげな服装と、伸びるままに放置したかのごとき黒髪。さらに上から作業帽を目深に被ったその風貌は、全体として工作員か麻薬のブローカーであるかのような小悪党の風体を成していた。

 

「余所当たった方が良いと思うぞ。俺は戦力にならん」

「大丈夫ッスよ、優勝って言ってもネタみたいなもんですし。大会まで時間あるからファイヴさんのレベリングも十分イケますって」

 

 無愛想なファイヴににこやかに話しかける男はシカゴと言う。背丈は190センチ近く、中肉中背なファイヴとは対照的に均整の取れた筋肉質の巨漢である。

 彼は上下ともに迷彩柄――いわゆるマルチカムという、全体的に見て明るい茶色の服に身を包んでいた。屈強そうな肉体と相まって、まるで本物の軍人のようである。

 表情もファイヴとは対照に柔らかく豊か、おまけに元が西洋風のイケメンだ。目の下に横一線の大きなサンマ傷があったが、しかしそれを特に気にする風もなく明るい茶髪を顔に掛からないようニット帽で押さえている。

 

 悪人面の猫背の男と傷持ちのイケメン青年が、世紀末な廃墟で和やかに日本語で歓談する。そんな違和感を感じずにはいられない絵面に説得力を持たせるものが、二人の手の内にあった。

 

「俺はコイツが撃てさえすりゃそれでいい。何で銃ブッ放すのに人間関係やらなんやらきにせにゃいけねーんだ」

「そんなに重く考えることでもないと思うんスけどねー。やってみたら割と平気ッスよ、人ブッ殺すのも」

 

 マットブラックの金属塊――火薬の力で弾丸を飛ばす兵器、すなわち軍用銃だ。

 

 ファイヴの煙草を持つ方と逆の手には、米国シグアームズ社の傑作サブマシンガン《SIG MPX》が握られている。

 AR-15系ライフルの機関部をぎゅっと詰めたような機関部が特徴の、如何にも軍用銃といった面構えの短機関銃だ。

 ファイヴの持つそれはコンパクトサイズの銃身を備えており、更に取り回しを求めてかストックさえも取り払われていた。簡単なパーツの組み換えにより様々な用途に対応出来るMPXとはいえ、これでは短機関銃(サブマシンガン)どころか機関拳銃(マシンピストル)である。

 

 一方で、シカゴは得物もファイヴとは対照的であった。

 彼の両手に保持されているのは、シンセティックストックを備えた黒一色の軽量散弾銃《イサカM37》。

 のっぺりとした機関部と抜群の信頼性を誇る、ポンプアクションショットガンである。流石に軍用としてはいささか古いものではあるが、ポンプ式散弾銃としては類を見ない速射性を秘める銃だ。

 

「いやぁだって人間って怖いぜ? 連中は気に食わねぇ奴を攻撃するのに手段は選ばない」

「先輩は人生経験偏りすぎなんスよ……とりあえず試しで良いんで――」

 

 シカゴの弁は、最後まで続かなかった。

 あちこちに立ち並ぶビルの残骸、その一角から炸裂音と共に砂塵が舞い上がったからだ。

 

「かかった!」

「突っ込むぞ!」

「了解!」

「ブッ殺してやる!」

 

 先程までののんびりとした空気はまるで幻であったかのように鳴りを潜め、男二人は会話で殴り合うかのように互いの声を被せ合って言葉を交わしつつ廃車から飛び降りて突撃してゆく。

 ファイヴが地を舐めるような前傾姿勢で土煙へ直進していく最中、シカゴはM37を構えながらファイヴを射線に入れないように斜め前方に展開。

 

「来ます!」

「わかってる!」

 

 ファイヴの身が煙の中へと突っ込む寸前、砂埃を切り裂くように金切り声を上げる巨大なダンゴムシが姿を現した。

 体長は優に5メートルを超え、背中の甲殻は岩盤のように分厚い。脚や触覚は、子供の腕ほどはありそうだ。

 

「喰らえオラ!」

 

 そんな恐ろしい化け物に対してファイヴは全くひるむことなく銃を向け、フルオートで発砲。

 9mm弾が巨大ダンゴムシの頭部に着弾し、所々に赤いライトエフェクトを作る。

 

「やれ! シカゴ!」

「がってん!」

 

 言うが早いか、シカゴはM37のストックを肩に押しつけて発砲。まとまって放たれた大粒の散弾がダンゴムシの脚部を吹き飛ばす。

 シカゴは引き金を引きっぱなしでショットガンのポンプをスライドさせるスラムファイアにより、次々と脚を破壊していく。手動装填ながら素早い連射が可能なことが、イサカM37最大の強みだ。

 

 拳銃弾の嵐と散弾の突風を受け続けたダンゴムシの巨体が傾く。触覚や複眼などの感覚器官と片側の脚を失った結果、横転しようとしているのだ。

 

「ダウンします! 追撃を!」

「おう!」

 

 ダンゴムシに接近していたファイヴは転倒に巻き込まれる位置にいたが、彼は返事をしつつ軽く身を屈めてから、跳んだ。

 

 一気に4階程の高さまで跳躍したファイヴは、ダンゴムシの巨躯を易々と回避する。空中で機械の如き速度と精密性でMPXの弾倉を交換し、左腿のホルスターから新たな銃を抜く。

 それは、彼が右手に持つ短機関銃と同じ、ストックを廃したMPX。つまり、二挺拳銃ならぬ二挺サブマシンガンだ。

 

「いくぞ……!」

 

 ファイヴは空中で上下逆さまになり、両手に持ったMPXをひっくり返ったダンゴムシの柔らかい腹部に余さず撃ち込んでいく。

 左右両操作対応(アンビデクストラス)であるMPXの特性を生かした、高速かつ正確な二挺同時射撃であった。

 

 ダンゴムシは何とか丸まって銃撃を防ごうとするも、断続的に脚を地上のシカゴに吹き飛ばされて動きを妨害されてしまう。

 

 為す術もなく三挺の銃による鉛の暴風を受け続け――巨岩の塊のようなダンゴムシは、自由落下してきたファイヴが衝突する直前に光り輝くポリゴンとなって爆散した。

 

 

「チームは俺の方で何とかしときますよ。大会の詳しい説明とか諸々ありそうなんで、明日の20時からで大丈夫ッスか?」

「おいちょっと待ていつの間に参加決定してんだよ」

 

 化け物ダンゴムシから得た戦利品を整理していたファイヴは、一足早く帰り支度を終えたシカゴの言葉に目を剥いた。

 

「あ、あと俺も人脈狭いんで、メンツには少し不足があるかもしれません」

「おい」

「クセは強いッスけど、良い人たちなんで。よろしくしてやってください」

「聞けよ」

「それから先輩は対人戦にしろフレンドにしろ、もう少し壁を無くした方が良いと思いますよ個人的に」

「撃つぞコラ」

「んじゃ、お先失礼します。お疲れッス!」

 

 ファイヴが拳銃を向けたところで、シカゴは軽く敬礼してから先ほどのダンゴムシと同じように光の粒子となって消えてしまった。

 

 ファイヴは煙草を一本取り出そうとし、やめた。この世界の煙草はかなりリアルにできたダミーであり、ファイヴ個人の感想を述べるなら「良くできた電子タバコ」と言った具合だ。正直本物には至らない。

 

「…………『ログアウト』」

 

 手の動作と音声の入力により、ファイヴの仮初めの肉体は、荒廃しきった仮想未来の廃墟から消え失せた。



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プレイヤー、真部暁

「……対人戦なぁ」

 

 ベッドの上で意識を取り戻した青年は、誰に伝えるでもない言葉をポツリと零した。

 彼の名は真部暁(マナベアキ)。ベッドから起き上がることなく、頭部を覆うデバイス――フルダイブ型ゲームハード《アミュスフィア》を操作する。

 時刻は、深夜の1時を回っていた。

 

 暁はSF映画のハイテクゴーグルのようなアミュスフィアを脱ぎ去ると、ベッドから起き上がって床に放置してある上着を羽織った。

 

 真夜中で照明を灯さずに、よどみない動作で四畳程度の部屋を歩いていく。彼の自室には衣類の他にも様々な物やゴミが散乱しているのだが、暁は気にする風もなく僅かな面積の床に足を運ぶ。

 途中で飲みかけの水の入ったボトルと錠剤が入ったプラスチックケース、それからオイルライターとタバコの紙箱を拾い、自室を出てすぐの玄関を注意深く静かに開き、外に出た。

 

「うー、寒……」

 

 まだ春の初めとは言え、夜中はまだ肌寒い。暁はケースから出した二粒の錠剤を口に含み、水を飲んで胃に落とし込む。彼の決して多くない稼ぎを犠牲に処方された睡眠導入剤だ。

 残りの水もすべて飲んでしまうと、今度は紙箱から煙草を一本取りだしオイルライターを擦る。僅かにくすぶるような音を聞き、暁はライターを閉じて紫煙を吐いた。

 

 ――アパートのベランダで喫煙を行う者を蛍族と呼ぶらしいが、じゃあ玄関先で喫煙する俺は何と呼ばれるのだろうか。コメツキ族なんかいいかもな――

 そんな取り留めのない思考をゆったりと巡らせながら、暁は煙を肺に入れては吐き出す動作を緩慢に繰り返す。

 

 

 

 真部暁は、ごく普通の大学生だ。――いや、世間一般でいうよりはそこそこ不真面目で、そして大変不器用な大学生だ。

 

 幼少の頃は、人よりは出来る事が多い天才肌タイプの人間であった。能動的に勉学に励んだ試しは無くとも、義務教育のうちにテスト順位が二桁になった事は一回か二回程度。

 それ故に努力と、努力を行う他者の気持ちを理解できない少年時代を過ごした。要は、コミュ症ボッチだ。

 

 そうしてたまたま付いてた学力にモノを言わせ、地元のそこそこ名のある高校にたまたま入学し、たまたま卒業。

 だがこの時点で暁は、自身のたまたまに過度の期待を押し付ける周囲に嫌気が差していた。

 

 事実、一応は人としての良識を備えていた彼は授業に出席するという最低限の努力すら怠るようになった。

 その結果、進学校とはいえ成績は歴代卒業生の内で最底辺をマークするというある意味での偉業を成し遂げたのだった。

 

 その上で、『特にやりたい事はない。どこか適当に大学に行ったところで俺という人間が変わる訳がない』と親や教師に言い放ち高校卒業と共に無職になる。

 受動的な人生を行ってきた暁の初めての意思表示は、まさかのニート宣言であった。

 

 ()()()()な親は彼を予備校に入学させたが、彼は授業をサボってアルバイトに精を出し、稼ぎの全てを食い潰して生活した。

 浪人生活が失敗であることは誰の目に見ても明らかだったが、彼の元々の学力もあってか一応抑えの抑えくらいの大学に引っかかり、そして順調に留年した。

 

 今年の春は二回目の二年生を終え、心身共にくたびれながらの新生活となる。

 

 

 

「どうすっかなぁ……」

 

 しかし、暁の頭の中に自身の生活に関する事象は無かった。彼は真部暁としてではなく、ゲームのアバター《ファイヴ》として頭を回転させていた。

 

 

 三年ほど前、とある天才技術者によってゲーム業界に革命がもたらされた。

 

 仮想の電子空間に完全没入して、まるで自身がゲームキャラクターになったかのようにプレイできる――そんな夢のようなゲームハード《ナーヴギア》は瞬時に既存のデジタルゲームを駆逐した。……かに見えた。

 

 結果だけ述べれば、ナーヴギアは四千人もの死者を出した。この一連の騒動は当時のゲームタイトルの略称をとって《SAO事件》と呼ばる事となった。

 この事件によりVRゲームは規制されるには至らなかったものの、解決から一年近くたった今でも世間では賛成派と反対派が争っている。

 

 そんな世論の中で、暁はVRゲームに関しては中立であった。それはある意味で一切の興味を持たないという事であり、つまりVRMMOなど全くもってやる気がなかったのだ。

 そんな暁を電脳の世界へと誘ったのは、彼の後輩の一言であった。

 

『暁さん、一緒に銃をブッ放して敵を殺しませんか?』

 

 後輩が紹介したゲームは《ガンゲイルオンライン》

 銃弾の飛び交う世紀末世界への招待状を、暁は断れなかった。

 

 暁は、重度のガンマニアであった。



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第1章 野郎ばかりのニューゲーム
#01 ファイヴ、仮想の大地に立つ


「何だこのオッサン!?」

 

 これが電脳世界に初めて降り立った暁の発した言葉――プレイヤーアバター《ファイヴ》の産声であった。

 その声は、建物のガラスの向こう側にいる悪人面の男へ――正確には、ガラスに反射した自身へと向けられた感想であった。

 

 ファイヴは、遠目に見ればそれといって特徴のない中肉中背の男性アバターだった。が、やたらとシャープな輪郭と鋭くも精気のない瞳を備えた顔面が致命的にカタギ離れしている。

 顔立ち的には二十代後半から三十代前半と言ったところだろうが、どう表情を変えようと試みてもヤクザのような表情は軟らかくなる気配を見せない。そして初期装備の手術衣のような服が絶望的に似合わない。

 

 これはプレイヤーの表情筋操作技能が足りないのか、それともアバターの仕様だろうか。はたまたゲームタイトル的にこれが標準なのだろうか。そんな風にガラスとにらめっこしてうんうん悩んでいると、背後から軽く肩を叩かれた。

 ファイヴが振り向くと、そこには180センチ越えの筋肉質な巨漢がいた。

 

「先輩……ですよね? 間違ってたらすんません」

 

 その男は顔の横一線にかなり目立つサンマ傷を負っていたが、若く整った顔と朗らかな表情がむしろ傷さえもアクセサリであるかのような雰囲気を醸していた。

 

 ――あ、これゲームが悪いんじゃなくて俺が悪いんだ。

 ファイヴはそう悟った。

 

「お前……トミーか?」

「合ってましたか。ようこそ先輩、《ガンゲイルオンライン》へ」

 

 VRMMOのメジャータイトルの一つ、ガンゲイルオンライン――通称《GGO》

 荒廃した世紀末世界でプレイヤーが実在の銃や架空兵器を操り戦う、シューティングRPGという分類のなされるゲームだ。

 特筆すべきは、細かなディティールに拘った実銃を『持ち、構え、撃つ』感覚だという。銃刀法国家日本に住むガンマニアにとってこれほど待ち望んだゲームはかつて存在しなかっただろう。

 

 そしてファイヴも、そんな典型的な一人の銃オタクの欲望によってこの荒れ果てた大地に降り立ったのだ。

 

「驚いたな……本当にゲームのキャラクターになったみたいだ」

「ああ、そういや先輩VRMMOは初めてでしたね。アバカ交換わかりますか?」

「いや全然」

「そうですね、そしたらまずメニューを出して……あ、メニューを出すにはまず左手でこうやって虚空を――」

 

 そんな具合で、暁は『ファイヴの機能』の使い方をリアルの後輩が操るアバターに教わり(道のど真ん中でやっていたにも関わらずおかしな目で見られなかったのは、ここが初心者の多いの街であるからだろう)、彼とアバターカード交換をすませるまでに至った。

 

「あ、そうだ。さっき言い忘れてたッスけど、リアルの情報は自他両方ともなるべく出さないでくださいね」

 

 先ほどリアルの渾名で呼ばれたことに釘を差した後輩に、ファイヴは素直に頷いた。

 

「じゃあ……GGO(ここ)ではシカゴって呼べば良い訳だな」

 シカゴから受け取ったアバターカードには、彼の名と性別が英字表記で記されていた。

 Chicagoというアバターネームと、彼のリアルのニックネームは容易に名付け元となったであろうトンプソン・サブマシンガンを連想させた。

 

「そうですね、そしたらここでの先輩は……ぷ、プヒヴェ……?」

Phive(ファイヴ)な。お前英語弱すぎだろ」

「あ、発音的には5と同じなんスね」

「写真って英語でなんて書くよ? pictureじゃなくてphotoの方な」

「…………なるほど!」

「おい絶対分かってないだろ」

「ド忘れしたんスよ……そういう事にしてください」

「よく大学生になれたな……」

「リアルの話はNGッス」

「そうだったな」

 

 現実で行われるいつもの雑談と同じ空気で会話しながら、ファイヴはシカゴの案内でショップへと連れられていく。

 

 NPCの経営するその店は、入ってみればそこそこ栄えていると言ったところか。客層は服装から判断するに、ファイヴのような駆け出しからある程度は装備を固めていそうな中級プレイヤーまでが中心らしい。

 銃器大国アメリカでも民間人が持つことは基本的に許されない、フルオート射撃が可能な火器や短銃身のライフルなどが所狭しと並べられている。

 

 ――但し、ディスプレイ表示のみで。

 

「ふざっけんなよ! ショップのシステムデザインしたヤツ誰だッ!!」

 

 GGOを初めて早十分。ファイヴは往来の最中でブチギレした。

 ガンショップという甘美な響き――そのイメージが先行して、期待しすぎていたファイヴが起こした行動は唐突な逆ギレであった。

 

「こんなのって……ガンショップがこんなのってねぇよ……!」

 

 暁の地元の小さなトイガンショップだって、客に勝手に商品をイジられるリスクを覚悟で商品を飾りたてて雰囲気を出すのだ。

 それが客を喜ばせ、結果として購買意欲を煽る為だとは彼もわかっている。

 

 エアガン等が娯楽商品なのに対し、GGOにおいて銃とはプレイするのに必要不可欠なツールだ。よって性能が見やすいようディスプレイで一括表示の方が効率的だし、RPGの武器屋システムが雰囲気を出してプレイヤーを喜ばせる必要は全くない。

 

「クソが……畜生……!」

 

 だが、そんな荒廃世界設定ガン無視の購買システムにファイヴは涙した。古くさいAK小銃が小綺麗な3Dグラフィックで画面に投影される様は、早くもファイヴにGGO引退を決意させる。

 

「……いや、まぁとりあえず起きてくださいよ。めっちゃ見られてますよ」

 

 両手を床について泣き崩れるファイヴをシカゴが恥ずかしそうにしながら抱き起こす。

 だがその行動に反して周囲のファイヴを見る目は案外優しいものがあった。大方が「わかるよ、その気持ち」等と考える銃オタプレイヤーによるものなのだろう。

 

 ……もちろん、「なんだあのオッサン。気持ち悪」という冷たい視線が大多数を占めるのだが。

 

「兎にも角にも、銃買わないことにはこのゲーム始められないんで――あ、もうやめるとかそういうの良いッスからね。所持金はどんなもんスか?」

 

 ファイヴは腕を持たれながら、畜生非情者めだとか、それでも俺が仕込んだ銃オタかテメェだとか、そこそこに口汚くシカゴに八つ当たりしながらもストレージを開く。

 

「1,000クレジットだな……」

「まぁバリバリ初期ッスよね」

 

 シカゴの談では、このゲームを始めたばかりのプレイヤーは最初にこのゲーム内通貨で一番安い光学銃と最低限の装備を購入するのが定石らしい。

 

 光学銃は威力も射程も実弾銃より優れ、ランニングコストも安価なため初期資金でもそこそこの物が揃う。欠点は、GGOにおいて広く流通する装備アイテム《防御フィールド》により、威力が極端に減衰してしまうこと。

 

 対する実弾銃は、威力は銃種や使用弾薬などの様々な要素に左右されやすく、反動もあり弾道もクセがある。他にも本体や弾薬が重く継戦・維持費用が高いなど多数のデメリットがある。

 が、実弾銃に対する防御装備は光学銃のそれと違い、様々な制約を持ち使い勝手に難もある。要は撃つ方も受ける方も苦労するのだ。

 

 つまりモンスター狩りでは光線銃、対人戦では実弾銃という運用が一番堅実かつ賢いプレイングである。

 

 事実、ファイヴの所持金でなら一番安いレーザーピストルとエネルギーパック数個を買って丁度と言ったところ。これでも十分に雑魚モンスターを乱獲できるため、大多数のGGOプレイヤーはこのセットを買って使いたい装備を買い揃えるのだ。

 だが、

 

「嫌だ。こんな銃の形したリモコンみてーなモン使えるか」

 

 試射してからというものファイヴはこの一点張りであった。

 おざなりなガンショップへの苛立ちもあり、シカゴの反対を押し切って米国・コルト社製の官給(GI)M1911A1拳銃を購入。予備弾倉と.45ACP弾を買った事で所持金を使い切ってしまった。

 

「……本物のヤーさんみたいな格好になっちゃいましたね。まるで脱獄した鉄砲玉みたいッスよ」

「初期装備の服が拘束衣みたいになってんのが悪い。逆に聞くがレーザーガンでも持ってりゃマシになったと思うか?」

「シュールすぎるッスねそれは……」

 

 そんなこんなあって、金を稼がねば弾代すらままならないゲームの現実にファイヴは早くも直面する羽目となる。

 

 金を稼ぐ為にゲーム内で商売――プレイヤーマーケットを営む者もいるGGOであるが、多くのプレイヤーはゲーム内通貨を戦闘によって賄う。

 戦闘は、前述の通り大きく分けて二種類。対モンスターと対人。

 

「モンスターに対してはレベル帯が設定されてますし、ある程度攻略法も確立されてんでよほど無謀か無茶しなきゃコンスタントに稼げますね。初心者にお勧めッス」

「でも、対人あるって事は狩られるんじゃねーの?」

「まぁそうッスね。Mob狩りの帰りを他プレイヤーに襲撃される可能性もありますし、基本的に実入りがかなり良いって事は無いッス」

「まぁローコストローリターンって事だよな」

「……普通であれば、ッスけどね」

 

 シカゴはファイヴに抜き身で握られた(ホルスターを買う金も残らなかったためだ)45口径拳銃を一瞥し、小さく溜め息を吐いた。

 

「後悔しても時間は戻んねーぞ」

「先輩はもう少し後悔することを覚えてください……」

「俺の人生に後悔は無い。昔の事は大体忘れるからな」

「……話戻しますね。で、対人戦の方ッスけど、こっちはプレイヤーとの交戦する以上一定のリスクは覚悟する必要があります」

「まぁ晒されたりコピペ化されたりリアル特定されたりとかするよな」

「なんで被害の想定がこうも陰湿かつ凶悪なんスか。一応このゲーム対人戦(PvP)推奨ですしフィールドでPK保護無いですから、普通にプレイヤー同士の不文律ってのはありますよ。大丈夫です」

「おお、シカゴお前不文律なんて難しい言葉よく知ってたな」

「……続けて良いスか」

「俺は一向に構わんぞ」

 

 ファイヴは上着のポケットをまさぐってから舌打ちした。VR空間では煙草が吸えない事に気づいたのだ。

 

「プレイヤーアバターに対しては光学銃はほぼ通用しないと考えてもらってOKッス。ですから対人用は実弾銃がセオリーなんスけど……」

「……」

 

 再び、男二人はパーカー処理の施された1911に目を落とす。交戦距離が50メートルを切る、そのハンドガンに。

 

「……無理ッス」

「だよな。知ってた」

 

 狩られる可能性がある以上、狩られる側も何らかの対策をしている。そんなプレイヤーを狩るのにファイヴの装備は力不足も甚だしい。

 

 そして、ファイヴは銃と弾薬に全ての資金を費やした。服も、防具も買えない程に。

 つまり、光学銃を完全防御する防護フィールドすら装備していないのだ。今のファイヴにはモンスター狩りを行う初心者プレイヤーすら脅威となるのだ。

 

「まぁショップに売ってて買えるって事は使えるって事だろ。一狩り行こうぜ!」

「……ま、駄目そうなら俺がフォローしますんで」

 

 これが、先行き不安な彼らの受難と、愉快な活劇の幕開けであった。



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#02 浪漫と変態が両方そなわり最強に見える

 そんな具合で意気揚々とファイヴ達はフィールドに繰り出した。そして死にまくった。

 何せ光学銃を使用すること前提で設計されているモンスター達だ。拳銃弾でチマチマ削って倒しても、稼ぎは軒並み赤字だ。

 

 ならば弱点なり急所を狙うという話になるが、ファイヴの持つ拳銃は競技用でもなし、ゲーム側のシステム補助があっても精密射撃というのはなかなかに骨が折れる。

 ファイヴの狙撃適正というか堪え性のなさも相まって、何故か普通に戦うよりも弾を使うというバカらしい結果になることもあった。

 

 当てられなければ当たるまで近づけばいい、という話だが、それを好機と見たモンスター達はこぞって近接攻撃を仕掛けてくる。それを食らった結果防御力皆無のファイヴは幾度となく死に戻りを経験したのだった。

 

「先輩……そろそろ諦めませんか。光学銃買うくらいの金なら俺が奢りますんで」

 

 ファイヴの死亡回数が二桁に届いてからしばらく後(まだ序盤の序盤である)、拠点の街に先回りしたシカゴが呆れたように頬を掻いていた。

 

「んー、悪ィけどもう少しだけ付き合ってくれ。何かイケそうな気がしてきたんだ」

「ハァー……ま、ガンオタ病のファイヴさんを誘った手前、俺も覚悟はしてたッスよ」

 

 大きく溜め息を吐きながらも、シカゴはファイヴにM1911A1を手渡す。先刻ファイヴが死んだ際にドロップしたものだ。

 

「で、イケるって言ってもどうするんスか」

「急所をコイツで吹っ飛ばす。一発で」

 

 ファイヴはやっと買えたナイロン製のホルスターに拳銃を納めながら、得意げにニタリと笑った。

 

(同じじゃないか……今までと)

 

 シカゴは眉を顰めつつも、渋々といった風情でM37ショットガンに散弾を装填した。

 

 

 そうと決めてからのファイヴの死亡率は、ぐっと減った。

 戦法は変わらず、全力で敵に近づいてから銃を抜く。だが違うのは、そこから発砲しなくなったこと。

 

 まずは回避に徹した。六つ目のデカいイノシシのようなモンスターの攻撃を避け続ける。突進はタイミングを見て飛び越し、暴れ回った時には冷静に最小限の距離を取った。

 

 スタミナ切れは狙えない。何せ相手はプログラムだ。しかもファイヴのプレイングを学び、徐々に回避しづらい行動を取ってくる。

 だが、ファイヴだって学んだ。それにこちらは人間だ。()()()()()()()データの裏をかくことなど、造作も無い。

 

 イノシシの行動を把握しきるまで粘りに粘ったファイヴは、何度目かも分からないイノシシの突進を鞍馬競技を行う体操選手のような挙動で回避した。

 

 イノシシはファイヴの狙い通り岩に激突。背後でひっくり返った哀れな獣にファイヴは悠々と近付き、首元に45オートを突きつけて一発。

 生命体の弱点である脳を大口径拳銃弾に破壊されたイノシシは、無惨にも光り輝くポリゴンとなって四散したのだった。

 

 

「すげぇッス! 今のすげぇッスよ先輩!」

 

 近くの茂みに身を隠していたシカゴが喜々として走り寄ってくる。それに対してファイヴはガッツポーズで応じた。

 

「やったぜシカゴ! どーだ実弾銃でもやれたじゃねーか!」

「いや、俺は真似できないッスよ……何スかさっきのスタイリッシュ回避!」

 

 シカゴが紙一重の回避を繰り返すファイヴの様を録画していたと言うのでファイヴも見てみる。本人も驚いたは、思いの外かなりギリギリで避け続けていた事だ。

 特に最後の回避に至っては、高速接近するイノシシを片手で()()()にしてロンダート――着地時に後方受け身まで行うという曲芸っぷりだ。

 なるほど確かに、現実でおいそれと行える挙動ではない。

 

「まぁゲームだし、こんなモンじゃねーの?」

「先輩、もしかしてバイトでスタントマンとかやってんスか?」

 

 ファイヴのステータスはごく低く、敏捷性(AGI)も初期値だ。当然ながら軽業(アクロバット)などのスキルも習得しておらず、ならば可能性はプレイヤー自身が現実で行える技能という事になる。

 

「いや、全然?」

「……にしちゃ、今の動きはちょっとヤバめッスよ」

「まぁ、ゲームだし。想像できれば体が動く、ステが足りりゃあ実現できる。そういうもんじゃね?」

「そんいうもんスかねぇ……」

 

 ファイヴとしてはほとんど無意識下での動きだったが、なかなかに得難い才能であるとシカゴは結論づけた。

 彼の話によると、タンブリングのような動作で戦闘を組み立てるプレイヤーには前例があるらしい。

 

 その名を《ペイルライダー》。第三回BoBに突如出現し、そして忽然と姿を消した神出鬼没のアバターであった。

 

「これはかなりの強みになるッスよ先輩。ペイルライダーみたいな軽業(アクロバット)を生かしたアバターはそう多く居ないんで対策されてませんし、先輩のスタイルとも噛み合います」

「それにカッケーしな! 浪漫重点、それ大事」

 

 男二人は街に戻ってから、公開されているBoB動画の中から数少ないペイルライダーの戦闘シーンをどこぞの外人4コマよろしく騒ぎながら視聴し、ファイヴの育成方針を決定した。

 

 

 まず候補に上がったのは敏捷性(AGI)一極型。だがこれは両者共に即刻断念した。

 

「未だにAGI万能論はありますけど……ファイヴさんが紙耐久だとすこし不安が残りますね」

筋力(STR)無振りとかガンゲーやる気あんのか」

 

 という事でAGIはそこそこ振るに留め、能力値(アビリティ)ボーナスを他に回すことに。

 

「そういやペイルライダーはそれほど速くは見えなかったが、あんだけ動けるってのはどういうカラクリだ?」

「多分、ステータスはSTR多めに振ってるんでしょうね。その上で装備重量を抑えて、三次元機動――ようはジャンプとかバック転とかに補正(ブースト)掛けてるんスよ」

「なるほどな……まぁSTR振っときゃ重装備も出来るし困らないかもな」

 

 という具合に、最優先はSTRを伸ばすことに決定。そこからはとんとん拍子であった。

 

 ファイヴが目指す戦闘スタイルは、派手な動きと射撃精度を両立させねばいけない。不安定な姿勢・構えからでもある程度の命中精度を持たせるために器用(DEX)は重要だ。

 

 そしてどれだけ速く動こうとも、被弾する時は被弾する。

 BoB動画を見る限りペイルライダーも、弾道予測線(バレットライン)無しの狙撃に倒れていた――そこからどうなったかはいくら探しても動画がみつからなかったため不明だが――とにかく、当たる時は当たってしまう。

 そして、ファイヴは何かとそそっかしい。シカゴの強い勧めもあり、生命力(VIT)も少なからず振っておいた方が良いだろうという事で決着。

 

 残りのステータス――(LUK)は、ステータスボーナスが余ったら振っておく程度。何に役立つかは分からないが、無いと困りそうだ。

 

「オイ、知力(INT)って何だよ」

「あー、それは化学ガスとか電磁スタン弾(スタンバレット)の効果に影響したり、ステ値が高かったら索敵に……」

「面倒だな、要らん」

「ちょ」

 

 知力は男らしく(?)無振り。

 という事で、ファイヴはメインSTRにサブAGI-DEXのバランス型に決定した。

 

「そうそう、スキル《軽業(アクロバット)》は絶対取ってくださいね。それ前提の能力構成(ビルド)っスから」

「うんうん……ちょっと待て、《軽業》の要求SP(スキルポイント)結構高くねーか? 他のスキル全然取れねーぞ」

「あー……まぁ、アクロバット系アバターがあまり流行らない理由の一つッスね」

「他は?」

「活かしきれない事ッス」

「なるほどね……産廃か、はたまた変態用って辺りか」

「ファイヴさんがその変態になるんスよ」

 

 そんな具合で野郎二人は西部劇調の酒場(サルーン)のカウンターでスキル習得ウィンドウや攻略Wikiと睨めっこを繰り返した。

 

「多分ペイルライダーは《散弾銃習熟(ショットガンマスタリー)》くらいしか武器習熟(マスタリー)取ってなかったでしょうね。……ファイヴさんは武器、どうしますか?」

「ハンドガン」

「……いや、まぁそりゃそうなんでしょうけど」

 

 現代兵士の標準的な主兵装であるアサルトライフルの有効射程はおおよそ300~500メートルはあるのに対し、拳銃は精々50メートル。他にも装弾数や弾丸の持つ運動エネルギーなど殆どの要素で勝負にならない差がある。

 鉄砲オタクであるシカゴはその事を把握しているので危惧したし、ファイヴも当然承知していた。

 

 だが、所詮ゲームだ。殺されて本当に死ぬ訳ではない。《軽業》などという現実性を一切無視したスキルを軸にしたビルドを行うのだ。

 ネタに走って怒られるような人とは付き合う気も無いし、別に構わないだろうと彼は考えた。

 

「二挺拳銃しよう」

 

 ファイヴは不敵に口端を吊り上げると、ストレージからイノシシの戦利品に対し具現化コマンドを実行。ウィンドウを操作していた左手に光が集い、それは一挺の拳銃の形を伴って質量を持って現れた。

 

 そのハンドガンは無骨なM1911とよく似つつ、しかし大型の照準器(サイト)やラバー製のグリップが実戦的な印象を持たす自動拳銃であった。

 黒一色の精悍な雰囲気の内、唯一シルバーであるトリガーには3つの穴が開いている。そのまんま『スリーホールトリガー』と呼ばれるそれが、鮮烈に個性を主張していた。

 

SFA(スプリングフィールド)のMEUピストルッスね。ここらじゃ割とレアドロップっスよソレ」

「マガジンも流用できるな、運が良い」

 

 米国スプリングフィールド・アーモリー社のMEUピストルは、ファイヴがもつM1911の他社改良品――いわゆる1911クローンと呼ばれる物のひとつである。

 

 その中でもの銃は特異な経歴を持つカスタムガンだ。

 かいつまんで言えば、拳銃を新調する為に法的に面倒な手続きを渋った米国海兵隊が「元々持ってる銃の整備パーツって事にすれば手続き要らないんじゃね?」というトンチじみた手法で1911をアップデートしたものだ。

 

「少しは弾代も浮きますね。……で、本当にそのコルトとMEUで二挺拳銃するんですか?」

「いや……GIの1911は古すぎる。MEUも古いっちゃ古いが、できればもう一挺も何とか調達したいな。……手に入るモンなのか?」

「高レベル帯のレアドロに関してはサーバー内の個数が決まっているのもあるんスけど、高レアリティのハンドガンくらいなら割とアバターの経営店にある事も多いっス」

 

 もはや二挺拳銃程度の暴挙には驚かなくなったシカゴが冷静なアドバイスを出す。

 ――僅かだが、ファイヴなら二挺拳銃でも戦えるのではという個人的な淡い願望も込めて――

 

「まぁ二挺拳銃なんかでこの先ずっとやっていけるわけもねーし、別の武器使う必要あるよな」

「俺の希望かえして」

「いや、冷静に考えて無理だろ。近接ロマン特化にしても二挺拳銃じゃ火力がサブマシンガン並かそれ以下か……あ、そうだ。サブマシンガンも二挺持てば解決だな。交戦距離を何とかする方法は上手い事考えないとなぁ……。《軽業》が重い以上、SP振りはよく考えねーと……あ、《武器習熟》ってもしかして――――やっぱりな。コレ、使えるかもな……」

 

 

「あ、サーセン。バーボン二つ、ロックで」

 

 長考に入った際のファイヴは話を切かなくなる事を、シカゴは一年以上の付き合いで良く把握していた。諦めてサルーンのマスターであるNPCに注文を行う。

 

 気さくで豪快そうな西部のおっさんNPCは、小さく溜め息を吐くシカゴとファイヴの前にゴトリとオールドグラスを置いた。

 その事にも気付かず、ファイヴは顎に手を当ててぶつぶつと声を漏らしながら思考を続けるのだった。



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#03 黒鋼商会

「あれ……?」

 

 シカゴはオールドグラスを傾けつつ自身のストレージウィンドウを操作して首を捻った。

飲み物分の料金支払い手続きがいつまで経っても行わないのだ。

 

「ああ、それ僕の奢りで。新たな戦友に乾杯、って事で」

 

 見ると、カウンターの隅に腰掛けた小柄な初老のアバターが軽く手を振っていた。

 

「ああ……どうも」

 

 忍者のような紺のツナギ姿に似合わないパイプを燻らす男に、シカゴもはにかんで手を振り返す。心中は穏やかでなかった。

 

(迂闊だった……店に入った時は俺達以外に客は居なかったし、こんな街の端に来る物好きはそうそう居ないだろうと高を括っていた)

 

 第三者がいる状況でファイヴの育成方針の全てをオープンにした――対人攻撃が常であり対人戦(PvP)が日常的に行われるGGOに於いて、これは一人のプレイヤーの決定的な攻略法を大々的に宣伝したことになる。

 

 もしこの初老の男がファイヴに対して害意のある――初心者狩りなどの悪質なプレイヤーであれば、シカゴ一人でファイヴを守りきるのは難しい。

 

 もしかするとこの会話は、このぶっきらぼうだがお人好しの先輩を引退に追い込む一手になったのかもしれない。

 

(どうする……効果は薄いが何かしら与えて口止めするか……いやそもそも敵意があると決まった訳じゃ……ああクソこんな事ならケチらずにプライベートルームを借りておくんだった――)

 

「お、どーもなオッサン。アバカ交換しよう」

「勿論だとも」

「えぇ……」

 

 やはりシカゴの心配など余所に、身分不明の男とファイヴはさっさとアバターカードを交換してしまった。身分を明かしたと言う事が、明確に敵意が無いことの意志表示である事は明らかだった。

 

「あー……ビクターさん、か?」

「ドイツ語読みするんだよ、それ」

「んじゃ、Victor(ヴィクトル)ってところか」

「正解。宜しく頼むよ、ファイヴ君」

 

 ヴィクトルと名乗った小柄な男は嬉しそうに目を細め、ゆったりと酒でも嗜むかのように煙を吐いた。

 

「お連れの方も、よければ」

「はっ? あ、あーはい」

 

 すっかり毒気を抜かれたシカゴは若干戸惑いつつも、慣れた手つきでヴィクトルからの申請を承認する。

 

「シカゴ君、だよね。今後とも宜しく」

「ああ、よろしく……」

 

 シカゴもヴィクトルと軽く会釈を交わして、互いにヴァーチャルの酒と煙草を一服。

 

「……んでさ、ヴィクトル。俺らに何の用? 一杯とは言え、別に慈善事業じゃねーだろ」

 

 再び口火を切ったのはファイヴだ。

 

「これは手厳しい……言ったじゃないか。新たな戦友に、って……」

「その割には、さっきから()()しか見てねーじゃん」

 

 ファイヴは、MEUピストルのトリガーガードに指を引っかけたまま、ヴィクトルの眼前でふらふらと振り子のように揺らした。

 

「気付いていたんだ。……ああいや、僕の目当ての物では無いみたいだ。不躾にジロジロ見ていた事は謝るよ」

 

 ヴィクトルはにこやかな顔を崩さないまま、会釈と対して変わらぬ角度で頭を下げた。

 そうしたまま流れるような手つきでストレージを操作し、先刻のファイヴと同じように一挺の拳銃――MEU拳銃を手の内に現した。 しかし、ファイヴの物とはハンマーやサイトの形状、刻印が違う。

 

「僕はプレイヤーズショップを……有り体に言うと、このGGO内で武器商人の真似事をして稼いでいる人間でね。こっちのMEUはコレクターズアイテムとして人気があるんだ」

「で、ファイヴさんに商談を持ちかけよう、って事だったのか。でもファイヴさんは売る気無いと思うぞ」

「それ、前期型(アーリーモデル)じゃんか。後期型(こっちの)は人気ねーの?」

 

 ヴィクトルがいじっている1911拳銃は、ファイヴが弄ぶ物よりも簡素で、古い型式のものであった。

 

「希少度的には、だけどね。そこは残念だけど、よければ『商談』を続けさせてもらえれば、と……」

 

 ヴィクトルは糸のように細い目を少しだけ開き、ぬるりという擬音がピッタリの動作でMEUピストルを手の内から()()()

 

「……ん!?」

「――さっきも言った通り、僕は武器商人の真似事をやっている……と同時に、銃器職人(ガンスミス)の真似事もやっててね。最近やっと、マトモなカスタム銃を製造できるようになってさ」

 

 ファイヴが目を見張る頃には、妖しく嗤うヴィクトルの手に新たな1911拳銃が現れていた。 ファイヴ程度の銃オタクであれば名は知っている、高品質なカスタムパーツを随所に用いたマニア垂涎の逸品であった。

 

「二挺拳銃、するんだろう? コルトの方をカスタムさせてくれたら、今なら二挺分のホルスターもお付けしてお値段据え置きだよ」

「……ぬぐ」

 

 十二分に魅力的な話だが、提示された額はファイヴの全財産を少々オーバーしていた。

 

「なぁシカゴ、今までの戦利品売ったら足りると思うか?」

「無理ッスね。最初期フィールドのドロップなんて、それこそレア銃でもなきゃ値段なんて有って無いようなもんスよ」

「だよなぁ……」

 

 シカゴに予算提案を一刀両断されたファイヴは、GGOを開始して以来もう何度目かも分からない溜め息を吐いて二挺の拳銃をカウンターに投げ出した。

 

「……予算オーバーなら、分割でもいいよ?」

「……マジ?」

「うん。まぁ、僕としては先行投資というか、顧客開拓しなきゃだからね」

 

 ガンスミス。現実世界の銃社会国家であればそれほど珍しい職業ではないが、GGOではこれを含め生産系スキルはかなり希少な部類に入る。

 

 ある意味、プレイヤーは()()()が大多数。

 その大多数からすれば、貴重なスキルポイントを銃の改造に回すくらいなら、新しい銃を買った方が利口と言うものだ。 更に言えば、ガンスミス系スキルはGGOに於いて不遇と見られるのが一般的。ヴィクトルからすれば、是非ファイヴのような顧客は獲得しておきたいのだろう。

 

「アンタ、もしかして戦闘捨ててんじゃねーの?」

「そうだね。特に対人戦ではただのカカシですな」

 

 シカゴの呆れ声を受け、初老のアバターは痛快そうに笑い声を漏らした。

 

「……うし、商談成立だ。頼むぜヴィクトル」

「毎度ありがとうございます。代金と銃、確かにお預かりするよ」

 

 手元に現れたプレイヤー間トレード取引ウィンドウの承認ボタンを、ファイヴは迷いなく押した。ストレージ表示からPT1911とクレジットが消失し、代わりに日付と位置情報が送られてきた。

 

「受け取ったぞ。……なんだ? この時間と場所」

「ゲームといえど、作業台が無きゃ弄れなくってさ……。それから、今後とも『黒鋼商会(くろがねしょうかい)』を宜しくお願い致します。……薬莢からシェルターまで、取り揃えておりますので」

「ああ、そういう……煙草ある?」

「勿論。リアルの物には及ばないけどね」

「先輩……ゲームの中くらい禁煙しないんスか?」

「するメリットねーだろ。ゲームなんだからさ」

 

 ――2020年代になってから喫煙者人口は減り続けていたが、ファイヴは珍しく古典的かつ典型的なニコチン中毒者であった。

 

「それに、言うじゃないか。『たばこの煙は、孤独な兵士の偉大なる相棒である』ってさ」

「……先輩が言うと説得力パネェッス」

「どういう意味だコラ」

 

 早速入手したMEU拳銃を試す機会に恵まれたファイヴであったが、残念ながらここは町の酒場。

 炸裂音と共に放たれた.45口径弾は狙い違わずシカゴの顔面に叩き込まれたが、彼のイケメンフェイスを吹き飛ばす前に消失してしまうのだった。



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第2章 結成、チームVICN
#01 早朝、日は昇る


「おーっす。邪魔するぞー」

 

 現実の時刻は午前五時を少し過ぎた頃。ケバケバしい原色の厚い雲が空を覆うGGOの世界に於いて、昇った日の光が射し込む数少ない時間の一つだ。

 

 ファイヴは総督府の外れ――ロクな整備のされていない迷路のような裏路地に構えた『黒鋼商会(くろがねしょうかい)』を訪れていた。

 壁や床、棚やカウンターなどに銃火器や野戦服などの商品が所狭しと並べられている店内に踏み込んだファイヴは、会計カウンターの向こうでAR-15ライフルを分解している初老の店主に声をかけた。

 

「やぁファイヴ君、いらっしゃい。今朝は早いんだね」

「職場が遠くてな。悪いな、準備中に邪魔して」

 

 ファイヴのリアル――(あき)は大学生であるが、どんな形であれ現実に面識がない以上はフェイクを入れるべきである。自分の為にも相手の為にも、これはマナーだ。

 

「いやいや良いんだよ。君は大事なお得意さんだからね。僕一人が個人的な個人的な趣味でやってる店に付き合ってもらえて本当に助かってるし」

 

 実のところ最初にコルト1911拳銃のカスタムを任せて以来、ファイヴは全ての買い物をヴィクトルの営むこの店で済ませていた。

 

 そう、本当に()()である。

 ――カスタム拳銃は言わずもがな、先日巨大ダンゴムシを仕留める時に用いた二挺のSIG MPX-Kサブマシンガンも。それらの弾薬や弾倉も。

 前例の殆どない、短機関銃を納めるためのホルスターに至ってはヴィクトルの自作品だ。

 

 他にもレザージャケットやカーゴパンツ、ブーツに作業帽、戦闘時に着込むタクティカルベストやアーマーなども全て『黒鋼商会』で買えた。

 買えてしまったのだ。

 

 ちなみに戦闘用の服装であるのにやたらとファッショナブルなのは、ファイヴの趣味が理由の一つだ。

 ……野戦用の迷彩柄戦闘服(BDU)が悪人面アバターに全く似合わず、シカゴやヴィクトルに爆笑されたのがもう一つかつ最大の理由ではあるが。

 

「しかし、本当に何でもあるよなこの店は。弾薬も普通の店で買うよか安いし」

「そこはまぁ、趣味経営の強みかな。在庫はいつも心許ないから、大きなモールに出店って訳には行かないけどね」

 

 ファイヴは幾度と無く不要な弾薬やドロップアイテムをヴィクトルに売りつけてきたため、店舗経営の採算はしっかり取れているであろう事は容易に想像できた。

 

「で、今日は何買うんだい? いつも通り弾薬だけ?」

「その前に、ドロップしたの売らせてくれ。ホイ」

 

 ファイヴはカウンターに鈍い銀色に輝く大型拳銃をゴトリと置いた。それを見たヴィクトルは、今まで会話しながらも決して止まらなかったライフルをいじくる手を止めた。

 

「《デザートイーグル》ね……うん、これこそ僕が探していたものだ。ありがとうファイヴ君」

「おうよ。ギブアンドテイクは俺も好きだぞ」

 

 ファイヴはヴィクトルから、強力なマグナム弾を用いる拳銃を探して欲しいとの依頼を受けていた。

 ヴィクトルはアバターステータスやスキルが生産系に特化しているため、ドロップアイテムの収集をファイヴのような顧客(プレイヤー)に頼む事が多々あるのだ。

 

「……でも、何に使うんだ? ヴィクトルが撃てるような銃じゃないだろ」

「君の他に贔屓にしてもらってるお客さんがね、とにかくハイパワーなオートが欲しいって言ってきてさ。買い取り金額に色付けておくよ。毎度あり」

 

 もうすっかり馴れてしまったプレイヤー間取引を行うと、ファイヴの所持金にデザートイーグルの公式売値のおおよそ倍のクレジットが追加された。

 

「弾薬は……そうだな。9mmを200発と、.45を50発頼む」

「おや、最近はそんなに撃ってないんだね」

「シカゴにレベルが追いついてきてな。一緒に狩りすることが多くなってきた」

 

 購入した分の弾薬費は、デザートイーグルを売って得た金でも多大にお釣りが来るほどの値段しかしなかった。

 

「……そうだ、ライフル探してんだよ」

「へぇ、どんな?」

「軽いに越したことはないな。口径は5.56mmで、出来ればストックを折り畳んだりして全長縮められるヤツ」

「中距離射程を補おうって事かな? じゃあ近距離の取り回しよりは命中精度重視だね?」

「そうそう。そういう事」

 

 ファイヴが黒鋼商会を愛顧している多数の理由のうちがこれだ。店主(ヴィクトル)がこちらの意を汲み、最善の選択肢を用意してくれる。

 

「じゃあ……これなんかどうかな。米国ケルテックの《SU-16》ライフル。セミオートオンリーだけど、軽いし結構当たる。撃たない時はストックを銃身下部に折り畳めるし、ハンドガードは分割してバイポッドに出来る。ストックにはマグホルダー付きだよ。何より、安い」

 

 ヴィクトルが喜々として取り出した、全身をプラスチックで覆われた猟銃と言った雰囲気のライフルをファイヴは受け取り、構えたり各機構をいじったりしてみる。

 

「悪くねぇ……けどコレ、ストック畳んだまま撃てねーじゃん。マガジン抜かなきゃいけねーし」

「ん、そっか。じゃあこっちの方が良いかな。ストックを簡略化した《SU-16C》。マグホルダー省略と肉抜きをして、畳んだままでも射撃やリロードできるようにしたタイプね」

 

 ファイヴは持たされたSU-16と交換するようにヴィクトルからSU-16Cを受け取り、ストックを展開して肩に押しつける。

 かと思えばストックを畳み、グリップとハンドガードを保持したり、片手のみで突き出すように構えて調子を見たりした。

 

「いいな、買うよ」

「毎度あり。マガジン二つと弾薬50発はオマケしとくね」

「あとスコープくれない? 低倍率ので良い。弾薬は50発追加で買う」

「レティクルはMOA? それともMil?」

「Mil。ヤードポンド法は滅べ」

.45ACP弾(フォーティファイブ)使ってるクセに……。じゃあ、これなんかどうかな? 1.5-6倍の可変倍率。マウントも付けるよ」

 

 ファイヴはSU-16Cをヴィクトルに一旦返してから、短く細いライフルスコープを手渡される。

 想像していたよりは軽量なソレを覗き込み、倍率を買えたりノブを回したりと、銃と同じように満足するまで好き放題いじり倒してから返した。

 

「んー、まぁ良いんじゃねーの?」

「お気に召したようなら何より。買う?」

「おう……ってちょっと待て。なんで値段がライフルの倍以上するんだよ」

 

 ヴィクトルから提示された金額は、SU-16Cの倍どころか三倍に届こうかというほどだ。

 ライフルの価格が低めというのを入れても、ファイヴにとってはなかなかに刺激的な額であった。

 

「光学照準器が鉄砲より高いのは当然さ。暗視装置(ナイトヴィジョン)赤外線(IR)レーザーとか、サーモとかを乗せようと思ったら銃本体の数十倍の出費は覚悟しなきゃいけない」

「いやまぁ、そうだけどさぁ……」

「じゃあ、ライフルスリングも付けるよ。買っちゃいなって」

 

 初老のアバターは、優しげで穏やかな表情を崩さず――しかし明らかに人の悪そうな笑みを浮かべてファイヴの顔をじっと見つめた。

 

「…………商売上手め」

「毎度ありー」

 

 上手いこと乗せられたような気もするが、ヴィクトルから持ちかけられた商品は決して悪い物では無かった。

 ……無いのだが、狩りに行った前よりも減ってしまうであろう所持金を見て、ファイヴは溜め息を吐かずにはいられなかった。

 

 ファイヴは今まで光学照準器の類を銃に搭載した試しが無い為、スコープの相場を実感したことがなかったというのも彼の憂鬱に拍車をかける。

 

「あ、そうそうスコープで思い出したんだけどさ。最近まとまった数のレンジファインダーが格安で仕入れられて――」

「やめろ! 俺を在庫処理に使うんじゃない!」

 

 このようにヴィクトルがお得感を前面に押し出してセールスを行う時は、どうにかしてブツを売りさばこうとしている時であるとファイヴは身を持って学習していた。

 

「失敬な。その言い方じゃまるでウチのイチオシ商品が不良品みたいじゃないか」

「必要ないモンまで買う余裕は無い。その気になりゃスコープでも距離は測れるしな」

 

 ヴィクトルの言うレンジファインダーとは、光学器械に目盛りや不可視レーザー投射装置を組み合わせた物で、名称通り覗いた対象までの距離を即座に測定できる物だ。

 

「まぁ別にいいさ。他に買い手のアテはあるしね」

「それって『それ以外に買い手のアテがない』って事じゃねーの?」

「ぐっ……言うじゃないか。まぁ君の分の在庫は取っておくよ。いつでも買いに来なね」

「考えとく。とりあえず、ライフルくれ」

「ああそうだった。じゃあ、お会計よろしく」

 

 ファイヴが提示された額のクレジットを支払うと、いつの間にかスコープとスリングが装着されていたポリマー製ライフルがヴィクトルの腕の内から消え失せる。自身のストレージに《SU-16C》の文字があるのを確認してから、ファイヴは踵を返した。

 

「邪魔したな」

「いやいや。またお越しくださいませー」

 

 愛想の良い声を背中に受けながら、ファイヴは肩越しに手を振って店の出入り口のドアノブに手を掛けた。

 

 その古くさい木製の扉を外からの控えめなノックが打ち鳴らしたのは、それとほぼ同時であった。



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#02 戦場の杜若

「……ヴィクトル、お前の客にノックなんてお上品な行為を覚えてるヤツ居たっけ?」

「さぁ? 僕は覚えがないなぁ。手より先に破錠散弾(マスターキー)発破用爆薬(ブリーチングチャージ)をぶち込んできそうな元気な人達ばかりさ」

 

 冗談にしても、それは元気と言うには少し野蛮すぎではないだろうか……とヴィクトルの中ではその野蛮人筆頭であるファイヴは呆れながらもドアを開けた。

 

「ひっ!? ……あ、あああの! シカゴさんにこちらを紹介されて伺いました! 午前6時開店と(おもて)にありましたがもうお店は開いていらっひゃひまひゅひゃ!?」

「…………おおう」

 

 扉の前に立っていたのは、見た目十代後半かそこらの少女アバターであった。

 

 緩くウェーブし艶やかな金髪と、大きく丸っこい碧眼は、明らかに登場するゲームを間違えたかのような華やかさ。

 

 服装も軍服にゴシックロリータ調の改造を加えた、所謂軍服ワンピースと言うものだろうか。

 GGOにこんな悪目立ちしそうな服が存在することがそもそも驚愕に値するのだが、その少女のゆるふわな雰囲気にベストマッチしており、ファイヴが違和感を覚えるには至らなかった。

 

 その少女が、今や入り口前でうずくまっている。自分の舌を盛大に噛んだらしく、痛みに耐えるようにぷるぷると震えてすらいる始末。

 そもそもファイヴの顔を見るなり「ひっ!?」と戦慄し、その後まくし立てるような早口で喋ったせいで、最後の方は全て噛んでしまっている。

 

 原因はこの悪人面だろうか……とまたしてもファイヴの気分は妙な罪悪感を伴って沈下した。

 

 少女の沈黙とファイヴの絶句、そしてヴィクトルの声無き哄笑によって『黒鋼商会』に数秒の静寂がもたらされる。

 誰も悪くはないが居心地の悪い森閑を破ったのは、ファイヴであった。

 

「……あー、何だ? 色々衝撃的過ぎて何言ってんだかすっかり飛んじまった。ていうか何? お前」

「ひいっ! ごめんなさいごめんなさい!!」

「いや……えぇ……?」

 

 目線を合わせようとしゃがんだのが悪く働き、金髪少女はファイヴに睨みつけられ(たと勝手に勘違いし)、顔を真っ青にして今度は恐怖に身をガクガクと震わせた。

 

「あーもう、俺じゃこれ収集つかねぇな……なーヴィクトル、()()客でいいのか?」

「ぶふっ……ああゴメンゴメン。初めて見る人だけど、黒鋼商会(ウチ)に用があるならお客さんだよ。別に会員制って訳でもないしね……ぶくくっ」

「なにわろてんねん」

 

 遂に堪えきれなくなり吹き出すヴィクトルに、関西に縁もゆかりもないファイヴが関西弁でツッコむ。イントネーションも、本場の人が聞けばキレそうな程度には危うい。

 

 少女を怖がらせる原因となるファイヴはとりあえず入り口の前から引き下がり、ヴィクトルに目配せする。

 ここぞとばかりにヴィクトルはとても良い笑顔で応じた。ファイヴが少女に聞こえぬよう配慮しつつ、舌打ちしたのは言うまでもない。

 

「いらっしゃいお嬢さん、ようこそ『黒鋼商会』へ。お会いできて光栄です」

「…………は、はい……?」

 

 ヴィクトルの優しい声を受けて、やっと少女の恐慌状態が解除される。

 ……これなら精神異常攻撃として使えるかもな、とファイヴはかなり雑な開き直り方をしながら、大口を広げて欠伸をした。現実世界で朝の6時。夜型のファイヴにはきつい時間だ。

 

 そろそろログアウトし(落ち)ようかと少し(もや)の掛かった頭を回す。

 銃火器の話題であれば先程あれほどに頭が働いたくせに、自身を含む興味のない事となると途端に脳が働かなくなる。

 我ながら調子の良い脳ミソだ――とファイヴは思った。

 

「……なるほど、それで僕のお店に」

「はい。『必要なものは大抵揃う』と聞いたので」

「そりゃあもう。ウチのモットーは『薬莢からシェルターまで』だからね」

 

 ヴィクトルは少女の警戒心を易々と解いたらしく、銃器や野戦服が無造作に並べられた店内へと二人連れで入ってきた。

 ヴィクトルは店員であるので奥のカウンターに引っ込み、そうすると彼に着いて来ていた金髪少女は必然的にカウンターにもたれ掛かっているファイヴと鉢合わせすることになる。

 

「あ、ども」

「に゛ゃ!?」

「…………」

 

 ――ひょっとしてこの少女(アバター)中身(リアル)はリアクション芸人か何かでは? とファイヴは流石に自身の顔と表情操作スキルの不足以外の外因を探し始めた。

 

「し、失礼しました。先程はとんだご無礼を」

「いや、良い。稀に良くあるから」

「すみません……」

 

 頭を下げる少女の姿は見れば見るほどに可憐で、言葉遣いや仕草も相まってどこぞの令嬢であると言われても、ファイヴ程度の庶民なら疑うことすらないだろう。

 

(調子が狂うな……)

 

 ファイヴはポケットから潰れかけのソフトケースを取り出し、振り出した煙草にライターで火を点けた。

 銘柄は"Parabellum"――これも、黒鋼商会で購入したものだ。

 

 少女が喫煙に対してどういう感情を持っているかファイヴは知らないが、ゲーム内のタバコは健康被害や悪臭の被害を出すことはない。故にファイヴの知ったことではない。

 

「ふー……。俺は、ファイヴ。ここの客で、多分常連」

「あっ、はい! 私は、アイリスと言います。このお店は、初めてで……って、えっ」

「え?」

「貴方が、ファイヴさん……?」

「そうだけど? さっき言った通りだ」

 

 論より証拠ということで、とりあえずファイヴはアイリスと名乗った少女に対して自身のアバターカードを提示した。

 

 すると彼女は大きく可愛らしい目を、驚きによって更に見開いた。

 そうしてから、ゆっくりと目を細めて微笑んだ。色気すら帯びたその表情は、もはや先程のテンパっていた姿とは一切合致しない。

 

「そうですか。貴方が、ファイヴさん……」

「?」

「ふふ、楽しみにしていますね?」

「何が?」

 

 ファイヴからしてみれば意味不明であった。

 何せ本人はやっと中堅と名乗れる程度になってきた程度のプレイヤー。それに名前が売れるような偉業も悪行も成した覚えはない。

 

 それが何かの間違いでGGO(このゲーム)に出てしまったかのような美少女アバターに、言い寄られているとも取れなくもない意味深な台詞を投げかけられているのだ。

 おまけに0円で頼むには忍びない完璧なスマイル付きだ。

 

(コイツ何企んでんだろ。なんか怖い)

 

 女性経験のないファイヴからしてみれば、一周回って警戒するまでは余裕であった。

 

「……俺、もうそろそろ落ちねーと」

 

 まだ朝の時間に余裕はあったが、特に役に立たない危機管理意識2割と全くアテにならない勘が1割、そして女性関連のトラウマ7割がファイヴに離脱を急がせた。

 

「あ、そうですよね。朝早くから済みません」

「謝んなくて良いぞ。俺もアンタの買い物タイムを使わせてもらったわけだしな」

「……そうでした。私、買い物しに来たんです」

 

 ――ひょっとして天然なんだろうか? と首を捻るファイヴに、今まで会話から閉め出されていた店主(ヴィクトル)がものすごく良い笑顔を浮かべた。

 

「それで、アイリス君は何を探しているのかな?」

「あ、はい。実は今まで弾薬をポケットに入れて運用していたのですが、リロードも手間取りますしそろそろ携行数も増やしたいんです」

「なるほど……弾薬を持ち歩く手段というのは似ているものでも細かい違いがあるけど、そもそも銃種によってある程度の最適解が決まっているんだ。使っている銃、差し支えなければ聞いてもいいかな?」

 

 そんな会話を小耳に挟んで「女にも君付けとか、ヴィクトルのリアルは教師か何かなのか?」と独り言を呟きながら、ファイヴは再び『黒鋼商会』を後にしようとドアノブに手を掛け――止まる。

 

(そういや、別に店を出る必要なんてどこにもないよな。ただログアウトすれば済む話だ)

 

 今日はシカゴに20時には集合するよう言われているので、この店が閉まる前にはまたログインする。

 たとえ閉店後であっても店内はプライベートスペースと化すので、単に座標をズラされて閉め出されるだけなのだ。再ログイン時にここから湧いても何ら問題はない。

 

 我ながら手間な事をした……と少しだけ損した気分になったファイヴはドアノブから手を離し、そのまま虚空をなぞってコマンドを入力する。

 

「『ログアウtモルスァッ」

 

 またしても、ファイヴが現実に帰還することは叶わず。

 木の板で人間を殴り飛ばすと、これほどまでに軽快な音がするものか――と、ファイヴは達観気味に感心した。

 

 何の因果か、電脳世界からの彼の離脱を妨げたのはまたしても古びた木扉だった。



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#03 火を噴く豚と骨蛙

 扉に跳ね飛ばされたファイヴは、一瞬宙を舞ってひっくり返り、後頭部一点で着地。そのまま二回転してからまたしても後頭部を陳列棚の角に激突させた。

 ワンテンポ遅れて、ファイヴが銜えていた煙草が床にポロリと落下し、ポリゴンとなって霧散する。

 

 棚は店主(ヴィクトル)の権限で破壊不能オブジェクト扱いになっているため片付けや弁償の心配はしなくて良かったが、代わりに衝撃は100%ファイヴが痛覚をもって引き受けるハメになった。

 

「いってぇー!」

 

 プレイヤーの拠点となる街の中ではプレイヤーへのダメージ判定が行われないためHPは減らないが、現実の肉体との齟齬を抑えるためかしっかり衝突や落下などの痛覚フィードバックは存在する。

 現実のものよりはセーブされた――それでも痛烈な三点バースト打撃にファイヴは床をのたうった。

 

「……ごめん。大丈夫?」

 

 子供のように声の高い、そのくせ抑揚のない無感動な謝罪がファイヴに降ってくる。声の主は勿論、ドアを殺人的な勢いで開けた闖入者によるものだった。

 

 その人物は、全身を灰色じみたアーバンデジタルの迷彩マントで覆っていた。マントの丈は床スレスレで身につけているものは伺えず、フードを目深に被っているため素顔すら見えない。

 身長はファイヴと同じか少し低いくらい。マッチョアバター多めのGGOにおいては少々小柄の部類に入るだろう。

 そして、外套の上からでもその痩身が伺えるほどに細身だ。身長との兼ね合いを考えても、少々細すぎる。

 

 すらっ、という擬音がぴったりのそのアバターはファイヴの下まで歩み寄って手を差し出す。ファイヴは後頭部を押さえながら、その手を借りて立ち上がった。

 

「ああ、あんがと……。別に屋内突入って訳じゃないんだ。もう少し穏やかにお買い物してくれ」

「反省する。でも少し急いでた。それに、この時間に客が居るとは思わなかった」

「違いねぇや」

 

 ヴィクトルの言った「客がマスターキーやブリーチングチャージ」もあながち嘘と言い切れないな――と考えながら、マントのアバターに借りていた手を離した。

 

「だ、大丈夫ですか!? ファイヴさん!」

 

 奥のカウンターでヴィクトルと会話していたアイリスが、事故の騒ぎを聞きつけてファイヴに駆け寄ってくる。それに対し彼は軽く片手を上げて応じた。

 

「おー、平気平気。元々おかしい頭が更にちょっとだけ壊れただけで済んだぜ」

「本当に大丈夫なんですか? それ……」

 

 ファイヴとしては冗談も交えた無事アピールのつもりであったが、アイリスは少々引いていた。

 ――自虐ネタは親しい間柄にしか成り立たないことを、ファイヴは学習した。

 

 そんな二人をほっといて、痩躯のマントアバターはさっさとヴィクトルの控えるカウンターへと行ってしまう。買い物にきたのだから、茶番につきあう義理は無いと言わんばかりだ。

 

「やぁ、のべ助君。いらっしゃい。今日は随分と早起きさんだね」

「……これから寝るところ。24時間営業しないのは経営者の怠慢」

「そうは言われてもね……店員は僕だけなんで、勘弁してよ」

 

 どうやら夜型であるらしい、《のべ助》というドライなアバターに妙な親近感を覚えるファイヴ。

 アバターネームは、さしずめ米国銃器アクセサリメーカー"Noveske(ノベスキー)"あたりが元ネタだろうかと推測する。

 

「朝までお待ちいただけて小生、光栄であります! ……でももうちょっとだけ待ってね。先客が居るから」 

 

 柔和な表情でそう言いきり、ヴィクトルはアイリスに向かって手招きする。それを見たのべ助は、表情は伺えないものの少々不機嫌そうになる。

 

「……急いでる」

「それは彼女だって一緒だよ。……ついでに言うと、君がさっきドアで撥ねた彼だってさ」

「…………」

 

 自身の非を咎められたのべ助はおとなしく引き下がる。

 その会話を聞いていたファイヴは、寝不足なのかすぐ側で欠伸をするアイリスの肩を軽く叩いた。

 

「やっこさん、どうやら急いでいるらしいぞ……早く寝たくて不機嫌なのかもしんねーけど。早いとこ買い物済ませた方がお前も良いだろ? 朝なんだし」

「あっ、そうですね。それじゃあ失礼します。また会いましょう」

「……だから、それ意味分かんねーって」

 

 再会を示唆する言葉に首を捻るファイヴにかまけず、アイリスは姿勢正しくお辞儀をしてヴィクトルとのべ助が居る店の奥へと小走りで行った。

 少し苛ついている様子ののべ助にも頭を下げている事に、育ちや性格の良さが良く現れているようにファイヴには感じられた。

 

「……ってヤベェ! 遅刻する!」

 

 ログアウトの為にシステムウィンドウを開くと、表示された時刻は6時半を優に過ぎていた。

 買い物を済ませる為に普段より1時間早く起床したにも関わらず、いつの間にかヴィクトルや客と駄弁って貴重な朝の時間を90分以上使ってしまった事になる。

 

「ちょっとファイヴ君大丈夫? 減俸でGGO引退とかよしてくれよー?」

「お客様煽ってんじゃねーよ腹黒商売人が! 『ログアウト』!!」

 

 カウンターに半身を乗り出しニタリと笑うヴィクトルに中指を突き立てながら、ファイヴは『黒鋼商会』から消滅した。

 

 

 

 

『起床』してからの(あき)の行動は迅速だった。

 

 デイパックの中に教材や筆記具など必要なものを放り込み、寝間着のスウェットを脱ぎ捨てて手当たり次第に服を着込む。

 今時の大学生としてファッションに関心がないのは少々問題かもしれないが、彼は自身の見た目に頓着せず、また(友好関係的な意味で)頓着する必要もないため無難なものを着れば問題ない。

 

「くそー、これだから人生はクソゲーなんだよ。ゲームだったらこんなんストレージいじって一瞬だぞ」

 

 暁は若干膨らんだリュックを背負いながら、そんな誰に宛てたとも知れない恨み言を吐いた。

 VRMMOに傾倒していればこその発言ではあるが、そもそも今朝GGOにログインする前に身支度を終わらせていれば済んだ話である。自業自得だ。

 

「暁ィ!? いつまで寝てんのォ!?」

「もう起きております母上ー!!」

「朝ご飯どーすんのォ!?」

「いらん! 行ってくる!」

 

 キッチンから飛んでくる凄まじい爆音に対し、暁もそこそこに声を張って応じる。

 実家暮らし故の戦場のような朝の苦痛で胸を膨らませながら――というより胸焼けを味わいながら、彼は靴紐を固く結ぶ。

 

(朝飯は途中のコンビニで……待て、財布に金あったっけか?)

 

 暁は財布に余裕があると気が大きくなるタイプの人間なので、現金は財布に最低限しか入れていない。

 そういえばと、昨日の日中に駅の窓口で通学定期を購入したことを思い出す。

 

(スッカラカンだなァ畜生! こりゃ朝飯は抜きだな。……いや、諦めるのはまだ早い。確か――)

 

 暁は玄関を飛び出して走り出す。その片手間にスマートフォンを取り出し、携帯端末向けGGOアカウント管理アプリケーションを立ち上げた。

 

(イザとなったら、不本意だがGGOから電子マネーにRMT(リアルマネートレード)して……あっダメだ。さっきライフル買ったわ)

 

 だいぶ大きな買い物をしたせいで、アバター(ファイヴ)の所持金はRMT最低必要金額の10万クレジットを引き出すだけで大打撃を受ける。

 そうまでしても、現実の通過に換算して1,000円……一日三食牛丼並盛りすらままならない。

 

(時間もねぇ! 金もねぇ! マトモな(アタマ)も積んでねぇ!! よし逝くぞうとはこの事だな!!)

 

 必要以上に焦っているとき特有のとんでもなく高速、そしてとんでもなく冗長で下らない脳内会議を繰り広げながら、暁は蹴破るようにマンションのエントランスを出た。先刻ののべ助をとやかく言える筋合いではない。

 

 ――――昨日買っておいた定期券を忘れたことに気づき、息を切らしながら帰宅するのが、これから30分後の出来事である。



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#04 シケた現実

 重度なニコチン中毒者の一部に、煙草の事を『酸素ボンベ』と呼ぶ人間が居る。

 

 これは「吸わなければ死んでしまう」とでも言わんばかりに執着している様と、いつか本物の呼吸補助用の酸素ボンベが取って代わるかもしれない将来を自ら皮肉ってのものだ。

 要は比喩表現を併せた自虐ネタの一種である。 

 

 そんな『酸素ボンベ』を嗜む人間が、四方を息の詰まりそうに重厚な壁に覆われた密室に一人。

 

「すー、ふはー……」

 

 年齢よりは大人びた――忌憚なく表せば、世の煩悩に揉まれて疲れ切った雰囲気を滲ませている青年、真部(マナベ)(アキ)だ。

 

 GGOのアバター《ファイヴ》と比較してかなり柔和な顔立ちをした彼は、それこそ深呼吸でもするかのように紫煙を吸って吐いてを一定のテンポで繰り返していた。

 

 一連の動作の中で、視線は曇ったレンズ越しに何もない虚空の一点を見つめるのみ。そのプラスもマイナスも感情が映らない光無き瞳は、彼のアバターと瓜二つであった。

 

「はー……」

 

(……今年のラク単は何だろうなぁ。つーか今年度から就活準備せにゃいかんし……くそー)

 

 他者から全てを悟ったかのように見られる暁も、蓋を開ければ一学生に過ぎない。

 他人よりは喜ぶ事より悩む事の方が多いが、身の丈並の考えを巡らせる事も多々ある。

 

 それが大学三年生ともなれば尚更だ。

 

「すんません、火ィ借りて良いッスか?」

「ん? ああ……」

 

 ポケットからオイルライターを取り出しつつ振り向くと、すぐ背後にそこそこに整った顔の青年がにこにこ笑いながら立っていた。

 

「何だ、トミーかよ」

「ちゃっす先輩。リアルでは終業式ぶりッスね」

 

 軽く頭を下げてから煙草を銜えた青年――富山(トミヤマ)裕士(ユウジ)に、暁はライターを擦る事で応じる。

 

 

 ――裕士は、抽象的に想像される『男子大学生』に概ね当てはまる男である。

 体格は現代っ子らしく170センチ後半で、染髪を行うなど身だしなみに人並み程度の気を使う。

 

 科目毎に得手不得手が激しいものの危なげなく大学入試に受かり、少々怠惰に授業を受けて進学してきた。

 

 特別優秀な訳でもなければ問題が有る訳でもない。至って善良な――たまに己のアイデンティティを疑ってしまうのが悩みの、人畜無害な青年である。

 

 暁とは2つ年が離れているが、互いに「何かと趣味が合う」と付き合いが続き現在に至る。

 

 

「……ふぅ。あざっす」

「煙草なんて、辞められるうちに辞めた方が良いぞ」

「先輩が美少女だったら考えてました」

「残念だったな。俺がアキちゃん先輩じゃなくて」

 

 毒性の煙と言葉とを交互に吐き出しながら談笑する。これが、暁と裕士の基本的なつるみ方だった。

 

「正直、暁さんみたいな女性がいたら結構な美少女でもなかなか……」

「仮にも先輩の人格全否定とか肝座ってんなオイ。……俺も自分の性格みたいな女なんて絶対イヤだが」

「それに俺、年下の方が好みッス」

「まぁわかる」

「共学に入ればなりゆきで年下彼女ができる。そう思っていた時期が俺にもありました」

「それがもう三年か。未来は暗そうだな」

「言わんでくださいよ。てかそれ先輩も同じッスよ」

 

 先の通り裕士は、単位の取りこぼしはあったものの順調に進学している。……対して、暁は二年生を二回経験した。

 そのため二年前は学年違いだった暁と裕士は去年度から同級生となっている。今年は互いに三年生だ。

 

「あ、もっかい点けてもらって良いスか」

「チェーンすんなって言ってんだろ。ほらよ」

「ども。……すぱー」

「すぅ、はー……」

 

 裕士が二本目の1/4を灰にした辺りで、やっと暁は一本を吸い終える。

 水の張られた灰皿に吸い殻を落としてから、ジャケットのポケットからソフトケースを取り出す。本数を確認するだけで、二本目には手を出さずに戻した。

 

「……メンツは集まったのか?」

「おぉ、やる気になってくれましたか」

「…………本当に、大丈夫なんだろうな?」

「へーきッス。案ずるより撃つが易しッスよ、割とマジで」

 

 

 

 プレイを始めて三ヶ月が経過したものの、暁は未だにGGOの醍醐味と言われる対人戦を経験したことのない『対人童貞』である。

 今や彼のアバターは五挺もの実弾銃を身につけているが、そのどれもがプレイヤーを殺傷した試しはないのだ。

 

 対して自身の死亡回数に関しては、同レベル帯の平均より少々多め。だが、そのうちプレイヤーアバターによってもたらされたものは、ただの一回のみだ。

 

 ――暁は、今でも良く覚えている。

 沈まぬ夕陽に染められた(あか)い空と、その空の色が染み着いてしまったかのようなピンク色の砂ばかりのフィールドだった。

 

 二挺拳銃を始めたばかりだったファイヴは、その砂漠に湧くピンク色のワニを狩ろうと一人で意気揚々と歩いていた。

 そして、殺されたのだ。廃車になった戦車オブジェクトの前を横切ろうとしていた時だった。

 

 一瞬の出来事だった。素早く飛び出てきたピンクの塊――それを認識した時には既に、銃口炎(マズルフラッシュ)が迸っていた。

 まさに電光石火。今まで何となくフィールドでプレイヤーアバターとの接触を避けてきた暁にとってのカルチャーショックだった。

 

 そうして暁は大いに魂を揺さぶられたのだ。

 背景を味方に付けて忍び寄り、一瞬で射殺する――そんな使い手が自分を殺したのだと考えると、暁は妙に興奮した。

 

 あれだけ見事な手際で、初心者とはいえプレイヤーを瞬殺して見せたのだ。

 名前が知られていない訳がないと考えたファイヴは、GGOのスレッドや過去ログを中心に情報を収集した。

 

 だが、暁を待ちかまえていたのはゲームの()()だった。

 

 ――ファイヴを殺したピンクアバターと思しきプレイヤーに対する、討伐隊の募集が一ヶ月ほど前に掛けられていたのだ。

 姿の見えないPK野郎を囮を使っておびき出し、正体を確かめる。……そのあと彼らがどうしようとしていたのかは、想像に難くない。

 

 ……きっとそのピンクアバターは既に砂漠から身を引いた後で、ファイヴと鉢合わせしてしまったのは何らかの偶然だったのだろう。

 

 結局、その後ファイヴが何度紅い荒野へ出向いても、彼ないし彼女と遭遇することはなかった。

 再び銃火を交える事はおろか、会話を行う事も……二度と、姿を見る事はできなかった。 

 

 

 

 鉄砲をぶっ放すゲームをやっているのだ。暁としても、「他人と争う気はない」とか「ゲームであっても人殺しは良くない」みたいなスカした綺麗事を宣うつもりはない。

 ただ彼は、アバターの向こうのプレイヤーが怖いのだ。

 

 事実、砂漠に飛び出たピンク色の杭は打たれて姿を眩ました。

 

 ……暁自身は飛び出る程の腕も知名度も無いと理解している。

 しかし初めてGGOで憧れた正体の知れぬアバターが、あともう少しで晒しあげられていたという事実がどうしても彼に暗い感情を植え付けるのだ。

 

 

「……暁さん、お待たせしました。吸い終わったんで行きましょう」

「ああ。……ていうか俺、もう帰んねーと」

 

 暁の自宅は、大学から見てそこそこの遠方に位置している。

 今朝も9時から始まる新学期オリエンテーションに出席するために出たという事を考えれば、通学が楽でないことが分かる。

 

「暁さん遠いッスもんね。頑張ってください」

「おうよ。また今度、お前ん()に飲みに行くからな」

「待ってますよ。とりあえず今日、よろしくお願いします」

「ああ、わかってる……」

 

 暁はGGOプレイを開始したときよりも更に人に銃を向けることに苦手意識を覚えているが、それでもこの後輩の誘いは断りたくなかった。

 

 大学の喫煙所を出て、互いに別方向へ歩き出す。

 足取りから見るに、裕士も裕士で時間の余裕があまりないらしい。――他のメンツと時間の擦り合わせとかがあるのだろう、と暁は推測した。

 

「んじゃ、お疲れさーッス!」

「おーう、じゃーなー!」

 

 10歩ほど離れたところで互いに振り返り、手を振り合う。

 

 再び自身の帰路に向き直った暁の表情は、決して明るいものではなかった。




 お酒・煙草は二十歳になってから。
 飲み過ぎ・吸い過ぎには気を付けて、マナーを守りましょう。


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#05 エミル・マンリッヒャー

『新宿、新宿。終点です。本日も――』

 

「…………ハッ」

 

 列車の席で船を漕いでいた暁は、車内に流れる録音済みの味気ないアナウンスによって覚醒する。

 他の客はほとんどが降車側ホームへと出て、ぞろぞろと太く長い行列を作っている。

 

 暁も早く降りようと立ち上がった瞬間、乗車側ホームの扉が開き控えていた客がなだれ込む。

 

「わ……ちょっと……」

 

 人間の濁流に押し出されるように脱出した暁は、降車ホームの激流へと再び飲み込まれて流される。

 

「畜生……日本の美しい譲り合い精神はどこへ行ってしまったんだ、嘆かわしい」

 

 面倒な年寄りのような事をぼやきながら、暁はポケットから定期券を取り出してJR線連絡改札の流れに乗る。

 が、改札口に定期を読み込む段になって煙草が切れそうなことを思い出した。

 

 彼の銘柄はマイナーなものであるためコンビニには置いておらず、新宿駅近辺で売っている店は一つしかない。

 

 裕士(シカゴ)との待ち合わせの時刻にはまだ余裕があるし、昼食を食べるために銀行口座から現金を引き出してある。

 今のうちに買っておいた方が良いだろうと、暁は判断した。

 

「あっすみません。ちょっと通しt――あびぶっ」

 

 一旦西口に出るために反転した瞬間、悪意のない複数の通行人から三発ほどショルダータックルを受けたのは想像に難くないだろう。

 

 

 

「おばちゃん、《パラベラム》……じゃねぇや。《カーキマイルド》一つ」

「え? 何だって?」

「カーキマイルド! 一箱ね!」

 

 若干耳の遠いたばこ屋のおばちゃんは、煙草を取り出すのだけは異常に速い。暁が財布を開く頃には、何を頼んでも出してくるのだ。

 

「はい、カーキマイルド」

「どーも」

「丁度ね、毎度ありがとう」

「はーい」

 

 暁は代金を支払うと、フィルムに包まれたままのソフトケースをジャケットのポケットに突っ込む。

 

(……そうだ。今月のガンエキスパート買ってなかったな。ついでだし、本屋見ていこうかな……)

 

 あまり無駄遣いする余裕は無いはずだが、暁にとって銃器専門雑誌は毎月の必要経費として計算されていた。

 月によって買ったり買わなかったりとまちまちだが、購読歴だけはかれこれ五年と長い。

 

 そうと決まれば、暁は駅の方へと引き返す。

 目指すは幾何学模様が特徴的な楕円形の駅のビル。その地下に巨大な書店が存在するのだ。

 

 今の暁の位置からでもその曲線的な建造物は見えているが、暁は駅の地下連絡路に下っていく。

 地下通路は分岐が多く往来も激しいが信号待ちが無いため、道さえ分かっていれば地上から行くよりも早く移動できる事が多い。

 

 再び改札口へとエスカレーターで降りてきた暁は、迷いのない足取りで人と人の隙間を縫うように歩く。彼の頭の中には目的地と、それに至る道順しか存在しなかった。

 

 だから、所在なさげに柱に寄りかかるその小さな人影に気づいたのはただの偶然なのだろう。

 

 その小さな人間は、近くを通りかかったサラリーマンに声を掛けようと顔を上げたが、そのリーマンはまるで見えていないかのように早歩きで通り過ぎる。

 よくある痛ましい現実によって刺激された親切心と、少しの気まぐれが暁に進路変更を命じた。

 

 だが、先程は成り行きを遠目に見ていた暁も近付いてから理解した。

 

 うろたえる少年の頭髪の色は明るいアッシュ。キャスケット帽を被っているため生え際は見えないが、どうやら地毛のようだ。

 ただでさえ小さな体を所在なさげ縮こまっているせいか、ただでさえサイズの合っていないぶかぶかのパーカーがやたら大きく見えた。

 

(なるほど、外人さんね……まあ英語が通じりゃ何とかなるでしょ)

 

 ――こういうのは一日頑張って働いたリーマンではなく(ひまじん)の役割だ――暁はそう考える。

 彼はお人好しだが、何かと理由を付けないと親切すらできない不器用な人間だった。

 

 暁は似たような経験から、GGOでの待ち合わせの時刻には間に合うだろうと踏んで声を掛けた。

 

「あー、英語分かる? Can I help you?」

 

 日本人にしてはそこそこに流暢な発音の言葉を受けて、俯いていた顔が暁に向く。

 体格相応にあどけない顔立ち。その双眸は、エメラルドめいた(みどり)であった。

 

「――あ、日本語分かります」

「え、ああ……すんません……」

 

 中学校レベルの英会話だが、発音に気を付ければ通じるし、道案内程度ならどうとでもなるはず――そんな暁の思惑は、全くの空回りだった。

 

「大丈夫です。ぼく、見た目がこうだから……」

 

 少年は「それでも話しかけてもらえて嬉しい」とでも言わんばかりに力なく微笑んだ。

 その無垢で幼げな顔立ちと薄幸そうな表情に、暁は必要以上の罪悪感じみたものを感じた。

 

「いや、悪かった。気にしてたらごめんな」

「本当に、大丈夫ですよ」

「そうか……。道、迷ってる?」

「はい。本屋さんを探してます……」

 

 細い声で言うなり、まるでそう伝えるのが申し訳ない事であるかのように俯く。帽子の鍔に隠れきらなかった口角が僅かに下がる様が、暁には何ともいたたまれなく思われた。

 

 暁は腰を軽く曲げて膝に手をつき、少年と目線を合わせてできる限りで優しく見える笑顔を作った。

 

「――うし。じゃあ、一緒に行かないか? 本屋」

「え……?」

「ああいや、別に怪しいものじゃないぞ。俺も本屋に今から行くところだ」

「本当、ですか……?」

 

 暁の言葉に少年は、恐る恐るといった様子で顔を上げた。顔を少年は顔を帽子の陰になって見づらかったが、よく見れば綺麗で可愛らしい目元に似つかわしくないクマがある。

 暁は、努めて明るく言葉を投げ掛け続ける。

 

「ああ。もし俺みたいな怪しい奴が嫌なら、あそこの交番に行けば良いさ。こんな怪しいオッサンよりはそっちの方が利口かな」

「あ……。い、いや。そんな、怪しいとか、おじさんだなんて……」

 

 うつむき加減な上に大きな帽子も被っているためか、少年は天井にぶら下がる案内板をよく見ていなかったらしい。駅構内に交番があることに指摘されて気づき、恥ずかしそうに帽子を押さえる。

 

「で、どうするよ? 一緒に行くか?」

 

 所詮、この場限りの付き合いではある。道案内をするには少々入れ込みすぎかも知れない。

 だが暁は、この少年を放っておくことはしたくなかった。動機が親切心ではなく、一種のシンパシーから来る自己満足であることも、彼ははっきりと自覚していた。

 

「でも、迷惑じゃ……」

「何でだ? さっき言ったけど、俺だって本屋に用があるんだ」

 

 少年は暁の顔色を再びちらりと見た。

 暁からすれば、笑顔が活動限界に近い。暴走――というより下衆なニヤケ面が暴発してしまわぬよう、内心冷や汗まみれだ。

 

 そんなひどくふがいない努力の甲斐あってか、少年は暁の顔面が崩壊するすんでの所で深く頭を下げた。

 

「……よろしく、お願いします」

「あいよ、お任せあれ。……じゃ、行こうか」

「はい」

 

 少年は蚊の鳴くような声で返事をし、暁の三歩後ろを付いてくる。

 体格の割に歩くスピードは速いため置いていく心配は無かったが、人混みに飲まれて流されてないように暁は神経を使って群衆の流れを捌いた。

 

 光る目玉のようなオブジェを通り過ぎ、地下道を直進。時々背後の少年を見返しながら歩いても、目的地まで三分も掛からなかった。

 その間両者は無言であったが、暁は特に気まずさを感じることはなかった。

 

「ほら、着いたぞ」

「あ……。ありがとうございます」

「良いって。何買うかは知らんけど、案内図はちゃんと見といた方がいいぞ。本屋でも迷子になんてなるなよ?」

「はい、ありがとうございます……」

 

 断ったにも関わらず再び頭を下げる少年の姿に、暁はおかしくなってくすりと笑った。

 

「だから良いって。ホラ、お目当てのモン買って来いよ」

「はい……。お礼は、いつか必ず」

「いやだから、良いってば。流石にくどいぜ?」

 

 暁が冗談めかして肩をすくめると、やっと少年は頭を上げて書店に入っていった。

 しばらく案内図とにらめっこし、雑誌コーナーへと歩を進めた少年の背中を見送ってから暁も自動ドアをくぐる。

 

 暁は迷わずミリタリー雑誌コーナーへ取り付き、一冊につき10分程度の時間をかけて立ち読みする。数冊に軽く目を通し、結局買うのはいつもの銃器専門誌に決めた。

 

 

 週刊漫画雑誌に比べ相当薄いそれを片手にレジに向かうと、隣では丁度ぶかぶかパーカーの少年が会計をしているところであった。

 

「あ、どうも……」

「ん、ああ」

 

 先にお辞儀をされ、暁も軽く会釈する。それぞれ自身の代金を支払うと、会計が済んだのも同時であった。

 

「先程は、ありがとうございました」

「いや、だから……まぁいいや。帰り、大丈夫か?」

「はい。……多分」

「OK送るわ。JR? それとも地下鉄か?」

「……JR、です」

 

 という具合に、暁は帰り道の案内も請け負った。

 そして偶然にも、彼と少年の使う列車も一致していた。そのため暁としては改札口までの案内のつもりだったのだが、上り列車のホームで共に並んで快特を待つ運びとなったのだった。

 

「……エミル、です」

「は? 何だ、いきなり」

「ぼくの、名前です。……エミル・マンリッヒャーです」

 

 名を尋ねるときはまず自分からという意図で、少年――エミルは暁に自身の名を告げた。

 間もなく電車がホームに到着するというアナウンスが流れた直後の事であった。

 

「ああ……エミル、エミルな。俺は、真部暁だ」

 

 そんなエミルの意をくみ取ったのか、それとも自身も名乗らなければフェアではないからと筋を通したのか。とにかく、暁も拒まずに名乗った。

 

「まなべ、あきさん」

「ああ、好きなように呼んでくれ」

 

 暁に名乗られたエミルは、暁の顔をまっすぐに見る。

 

 黒曜と、翠玉。

 いつかのどこかに輝きを置き忘れた視線が、交錯する。

 

「――――良い名前、ですね。暁さん」

 

 減速しながら電車がホームへ滑り込んでくる。 その風圧が帽子からはみ出たエミルのくせっ毛をなびかせる様は、中性的であどけない顔に湛えられた微笑の魅力を数段引き立てた。

 

 それこそ、暁の心拍を多少引き上げる程に。

 

 

 だが同時に、暁にはエミルの姿がとても――――(むご)いモノに、見えたのだった。



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#06 下り列車、戦場行き

〔 ゆーじ : 今日ウチの大学に陸上部の高校生が練習に来てたじゃないすか 〕

 

〔 暁 : 知らんけど 〕

 

〔 ゆーじ : まぁ来てたんすよ 〕

〔 ゆーじ : で、帰りにその娘が迷ってたんで駅まで送ったんすよ 〕

 

〔 暁 : 女かよ 〕

〔 暁 : 死ね(直球) 〕

 

〔 ゆーじ : ちょうかわいかった(小並感) 〕

 

〔 暁 : 爆発して、どうぞ。 〕

 

〔 ゆーじ : ないです。 〕

 

〔 暁 : クソァ! 〕

 

 

「やっぱ現実ってクソゲーだわ……」

 

 辛気くさい溜め息を吐きながら、暁はスマートフォンのトークアプリを終了させる。

 

(トミーが女の子とよろしくやってる最中、俺は坊主のお守りとかねーわ)

 

 線路の継ぎ目を跨ぐ車輪が、小気味の良い音を立てる。

 立っている乗客は車両の中に数人ほどの、都心の路線としては結構空いている電車の中。

 

「…………すー」

 

 暁は、穏やかな寝息を立てるエミルに肩を貸していた。

 不平をぼやきつつも、別に暁は嫌々枕の代わりをやっているわけではない。エミルに直接言った通り、暁はエミルを迷惑に思っては居なかった。

 

 ただ、後輩が可愛い(らしい)女の子と触れ合う機会を得たためにやるせない気分になってしまっただけだ。その辺りは、暁の様に()()()()()男でもそう変わらない。

 

 余程テンションが上がっているのか、裕士から連続でメッセージが送られてくる。暁はそれらを全て無視してGGO関連のネット掲示板を巡回して時間を潰した。

 

『神田、神田です。京浜東北線、山手線、銀座線はお乗り換えです』

 

「……」

「くー……」

 

 そもそも、この状況は双方合意の下でなり立っている。

 電車に乗り席に座り込むなり目を擦りだしたエミルに、暁が「駅に着いたら起こすから、少し寝たらどうだ」と提案したのだ。

 肩を貸すとは一言も言ってはいないが、礼儀正しい十代の若者に無意識に寄り掛かられた事に立腹するほど暁の懐は狭くない。

 

『快特東京行き、ドアが閉まります。ご注意ください』

 

 エミルは東京駅で降車するのに対し、普段の暁は神田駅で乗り換えて通学している。しかし東京駅でも乗り換えはできる上、時間も特にロスする事は無い。

 だから、暁はエミルを支えたまま神田駅を乗り過ごす。

 

(……しっかしコイツの髪、すげーいい匂いするなぁ。女物のシャンプーでも使ってんのかな)

 

 暁の肩に当たってずれたキャスケット帽の縁から、男としては長めの明るいくせ毛がはらはらと零れる。

 その様と穏やかに上下する薄い胸、密着していることで微かに漂ってくる芳香も合わさって暁は妙にうわついた気分になった。

 

(おいおい……女にトラウマ植え付けられすぎて男にときめくとか、ちょとsYレならんしょそれは……)

 

『まもなく、東京。東京。終点です』

 

 自分はノーマルのはず……いや女性経験(しょうこ)が無い以上は分からず、言うなればシュレディンガーのホモ――などという暁の支離滅裂な思考は、アナウンスによってかき消される。

 

「おいエミル、起きろ。降りるぞ」

「…………んぃ」

 

 暁はエミルの膝を軽く叩き、それでも起きなければ腕を回して双肩を掴み優しく揺すった。

 ……きちんと筋肉が付いているのか疑わしいほどに細く柔らかい腿と薄い肩に、自身の脈が乱されたことは口外しないと暁は固く誓った。

 

「頼む、起きてくれよエミル。おい、エミル」

 

 暁は肩を揺する力を少しずつ強めていく。声を掛けながら揺すり続け、結局エミルが瞳を開いたのは電車が駅に到着し、折り返す電車に乗客が乗り込んで来た時であった。

 

「…………ぁ、おはよう、ございます……」

「ん、おはよう。降りるぞ」

「うん……」

 

 眠たそうに目を擦り、暁に支えられながら立ち上がるエミル。加えて電車を降りてから欠伸をしながら上体を反らす様に、暁は十数分でよくもまぁそこまで深く眠れるものだとある意味感心した。

 

「なぁ、お前ここで降りんの?」

「ん……」

「改札口は?」

「……南口、丸の内です……」

「あいわかった。行くぞ、しっかり歩けよ」

「はい…………!?」

 

 まだ眠気でふらついているエミルに危うさを覚えた暁は、小さな手を握って先導するように歩き出した。

 自身の手が握られた事に気付くなり、エミルは目を見開いて頬を上気させる。鈍い頭痛のような眠気も、一瞬で彼方へと吹き飛んだ。

 

「わ……わわ……!」

「エスカレーター乗るぞ。ちゃんと手すりに掴っとけ」

 

 暁は下座になるようにエスカレーターに乗り、エミルの手を引いて手すりを握らせる。

 そうして二人は、やたらと高く長いエスカレーターに運ばれて、改札口へ下って行く。二人の間に、何とも言えない妙なむず痒い沈黙が横たわっていた。

 

 

「済みません、わざわざ改札前まで送って頂いて……」

 

 暁達が乗っていた列車の乗客数からは考えられない程に人の往来の激しい駅構内。瀟洒なドームへと繋がる改札前で、エミルは暁に深々とお辞儀した。

 

「俺なんかにそんなペコペコしなくていいって。気を付けて帰れよ」

「……はい。ありがとうございます」

「あのさぁ……くくっ」

 

 再び礼を言うエミルに、暁は呆れてから小さく吹き出した。勝手なイメージではあるが、この様な都心に住処があるくらいには育ちはいいのだろうなと暁は推測した。

 

「良いからさっさと帰んな。そろそろ中学生にはヤバい時間だろ」

「…………ぼく、高校生ですけど」

「は? ……あー、スマン。ごめんな。高校生でも夜出歩くのは良くないよな! 都会は何かと危ないしな、うん!」

 

 エミルが半眼でむくれると、暁はあわてて取り繕おうと自身の語彙力をフル活用して宥め賺す。

 エミルも本気で怒っているわけではなく、暁の動揺による急変があまりにも滑稽だったからかくすくすと笑い始めた。

 

「……大丈夫ですよ。慣れてます」

「ごめんなぁ」

「はい。それに、住んでるところ、すぐ近くですから平気です」

「へぇ、丸の内(こっち)側はオフィスばっかだと思ってたが。良いとこ住んでんだな」

「……えぇ、まぁ」

 

 エミルは暁から視線を外し、キャスケット帽を押さえて顔を隠した。

 ――何かしら都合が悪いときの癖だろうか、と暁は思ったが詮索はしない。互いに名を知ってはいても、所詮は行きずりの関係だ。

 

 出会った時と同じようにふさぎ込んでしまったエミルを見て、地雷を踏んだかと少々ばつが悪い気分になりながら、暁は何げなしに手首を傾けて時計を見た。

 

「――――やっべぇ」

 

 今から帰宅して、ギリギリ20時に間に合うかどうかと言ったところである。GGOにログインしてから移動するまでの時間を計算に入れると遅刻確定である。

 

「悪いエミル、俺もう行かねぇと!」

「えっ、あっ、はい」

「じゃあな! 次からはお巡りさんに道を聞くんだぞ!」

 

 エミルの返答を待たずに暁は踵を返し、後ろ手を振って小走りで連絡通路に向かって行く。

 

「あ……」

 

 エミルは、小さくなってゆく暁の背中に向けて思わず手を伸ばした。

 

 ――彼の名を呼んで引き留めたかった。

 でも、それは彼の迷惑になるのでは。

 

 ――一言、尋ねたかった。また会えますか、と。

 だが、返事を聞きたくはなかった。

 

 暁の姿が、エミルの手より小さくなる前に、連絡通路を行き交う人々に溶けるように描き消える。

 結局エミルは、別れの挨拶を掛けることもできなかった。

 

 ――そもそも、暁は自分のことを何とも思っておらず、やたらと肩入れしてくれたのも気まぐれだった――そう考えるのが当たり前であるが、エミルは胸が締め付けられるように錯覚した。

 

 自身の異常性を嫌悪と共に再確認しながら、エミルは伸ばした腕を胸元に引き戻した。

 目線を落とし、手のひらをじっと見つめる。

 

(……大きくて、ごつごつして……優しい手だったな……)

 

 想い起こすは、暁に手を引かれた時の感触。彼の声音。彼の表情。そして、彼の瞳。

 

 あの光のない瞳に、エミルは強い既視感があった。

 色は違えど、それは鏡の向こうから自身を見つめる瞳と良く似ていた。

 

 だからこそ、エミルは不思議だった。

 (かれ)は何故、あんな総てを諦めたような眼差しで他人(ひと)に優しくできるのだろう――と。

 

 

 

 時は少々、巻き戻る。

 エミルが暁の肩を借り、夢すら見えない深い眠りについていた頃。

 

(『クソァ!』って何だよ『クソァ!』って……アハハ)

 

 青年は続けて今日体験した出来事を仔細にスマートフォンへ打ち込み、送信する。メッセージに既読表示が付かないため、どうやらやりとりの相手は無視を決め込んでいるらしい事が伺えた。

 

(まぁいっか、会話ならGGOでもできるし。先輩多分遅れてくるだろうし、先にログインして待っておこう)

 

 青年はベッドに寝転がり、フルダイブ型VRMMOゲームハード《アミュスフィア》を被って自室のベッドに寝転がった。

 

「リンクスタート」

 

 

 暁がギリギリで電車に乗り遅れ、現実(リアル)でも約束の時間に間に合わないことが確定した時より、少し後の時間。

 

「はー……さっぱりした」

 

 少女はシャワーにより湿った髪をタオルで拭きながら、《アミュスフィア》の電源スイッチを押す。

 部活による汗を流したかったのもあるが、VRMMOをプレイする際は体調を万全にしておくことが望ましいためだ。最悪、プレイヤーの異常を察知した《アミュスフィア》の安全装置が働き、強制ログアウトという事態もあり得る。

 

『ねーちゃーん! 風呂空いたー?』

「あ、ごめーん! もう入っても良いよー!」

 

 居間から飛んできた大きな少年の声に、少女も大声で応じる。今のはあまり女の子らしくなかったかな? と内心苦笑しながらも、少女は立ち上がった《アミュスフィア》を被る。

 

(……あの時、駅に着けなかったら今日は遅刻していたかもなぁ。またあそこの大学に行く機会はあるだろうし、また会えると良いな)

 

「リンク、スタート」

 

 

 それと同時刻。都心の駅前にそびえ立つ、都内有数の高級ホテルのシングルルーム。

 証明が全て落とされ、窓から差し込む夜景のみが微かに視界を照らす室内。――そこに、小さな影が蠢いていた。

 

 大きなキャスケット帽を取り去ると、詰め込むように押さえられていたくせ毛が重力に従って放たれる。その長さは帽子を被っていた時の倍以上、肩の高さにまで及んだ。

 

「くるし……」

 

 小柄な少年は、ぶかぶかのパーカーをカーペットに脱ぎ捨て、ワイシャツもボタンを弾き飛ばしかねない勢いで脱いで床に放る。

 そして、細身な体に密着する程にきつい肌着を剥がすように脱ぐ。そうして露わになった上半身の胸部には、サラシに似たインナーが枷のように巻き付いていた。

 

 胸の圧迫感から逃れようと、少年は乱暴に前面のファスナーを下ろした。

 繊維の靱性によって押さえつけられていた二つの膨らみが、反動に揺らされながら解放される。

 

 少年はこの十畳強の空間でのみ、少女に戻ることを許されていた。

 

 少女はベルトを緩めてスラックスを落とし、先ほど脱ぎ捨てたワイシャツを拾い上げて着込む。

 シャツを寝間着代わりにベッドに仰向けに倒れ込み、枕の脇に置いてある《アミュスフィア》を装着する。

 

「……リンク、スタート」

 

 

 ――そして、午後8時を10分ほど過ぎた頃。

 

「体調OK、トイレOK、飯は後で。よし完璧だな」

 

 青年はベッドの上にあぐらをかき、《アミュスフィア》が立ち上がるのを待っていた。自分が遅れる旨は、既にスマートフォンのGGOチャットアプリで連絡済みだ。

 

 面倒くさがりの青年は、その性格通りに脱いだ服を適当に自室の床に放っている。

 しかも着替えをせずにジャケットとシャツを脱いだのみであり、ジーンズは着たままにベッドに寝転がった。

 

「すぅ――ふー……」

 

 ――コミュ症かつ対人(PvP)恐怖症の青年からすれば、これから未知のアバターと顔合わせに行くというのはなかなかにストレスだった。一つ、深呼吸をしてから《アミュスフィア》をしっかりと被る。

 

「――リンクスタート」

 

 

 その一言によって、彼らの意識は戦場へと飛び立った。



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#07 死ぬに死ねないカーチェイス

 頭上を厚い雲に覆われた街、首都《SBCグロッケン》。

 昼なお暗いこの街は、夜間になると照明により逆に明るさが増す。中央から山脈のようにそびえ立つ摩天楼が光り輝く様は、SF世界の大都会として不足はない。

 

 そんな眩い灯りとは無縁な街の端の裏路地――『黒鋼商会』の店内に、一人の男が青白いライトエフェクトに包まれて現れた。

 

「……やぁ、いらっしゃいファイヴ君。おかえりって行った方が良かったかな?」

 

 真空管に似た暖色系の照明に照らされた仄暗い店内の最奥から、リボルバーを分解していた店主が男に声を掛ける。

 

「んじゃ、ただいまヴィクトル。……車、貸してくれ」

「おや、リアルだけでなくゲームでも遅刻ギリギリなのかい?」

「うるさいな。クーリングオフすっぞコラ」

「ガレージはそっちの扉に入って、階段下りて地下ね。バイクもあるけど、どうする?」

「今時MT(マニュアル)バイクの免許なんて化石持ってる奴、そうそう居ねーだろ」

 

 ファイヴはヴィクトルに指し示された扉に向かいながら肩をすくめた。

 

 2026年現在、自動運転技術の向上と電気自動車の普及により、マニュアルトランスミッション車――特に二輪車は一部コアな愛好家しか運転方法を会得していない。

 ファイヴのリアル――真部暁は普通自動車免許を所持しているが、それもほぼペーパーと言った具合だ。

 

「どうかな? 確か第三回BoB本戦では……」

「悪いけど急いでいるから、その話は今度な」

 

 この口調のヴィクトルは、何かと話が長くなる。マニア特有の喋りたがりというのはファイヴにも理解できるが、今は一刻を争うのだ。

 

「そっか、残念。まぁいいや、こっちだよ」

 

 カウンターから出てきたヴィクトルに肩を押され、ファイヴはガレージへ案内される。

 

 店内の雰囲気とは打って変わって、広く現代的なLED灯に照らされたガレージが広がっていた。

 車はトラックや軽装甲乗員輸送車など、様々なニーズに対応できるようにか5~6種類が一台ずつ。バイクに至ってはオフロードやバギーを中心とした単車が20台ほど並んでいる。

 

「……実はここ、車屋かなんかじゃねーの?」

「何、GGOで商品として扱えるものを集めたらこうなったってだけさ。クルマやバイクが趣味なのは認めるけどね」

「マニアにも限度ってモンがあるんじゃねぇの?」

「ゲームだし良いんじゃないかな。ほら、好きなの乗って行きなよ」

 

 ファイヴも人のことを言えない程度にはガンマニアであるが、ヴィクトルはそこに突っ込まずファイヴに出発を促す。

 ファイヴはリアルの一般的乗用車に一番近い、デジタル迷彩の施されたSUVに乗り込む。シートベルトを締めてからブレーキを踏み込み、料金支払い手続きを承認すればエンジンが始動する。

 

「着ている物はライダースなのにドライバーってのは、ちょっと情けないかもな」

 

 バックミラーを調整している最中に写り込んだ自身(アバター)の姿を見て、ファイヴは溜め息混じりに呟いた。

 

 周囲確認を済ませ前方に向き直ると、重厚そうなシャッターが駆動音を立ててせり上がりつつあった。ファイヴはシフトレバーをドライブに入れる。

 サイドブレーキを下げようと手を掛けた時、こつこつとガラスを叩く音がした。ファイヴはドアガラスを下げる。

 

「急いでいるところ悪いね。次に君が来た時に渡そうと思って、忘れてたんだ」

 

 ガラスが下がりきると、車の横に立っていたヴィクトルの腕が入ってくる。初老アバターが握り拳を開くと、ファイヴの手に小さな黒い塊が落ちてきた。

 それは、戦闘に用いるには余りにも小さく見える――GGOに於いては無用の代物とされる、折り畳みナイフだ。

 

「最近やっとマトモなナイフも作れるようになってね。お代は取らないから、是非ともモニターになって欲しいんだ」

「……まぁ、もらえるモンはもらっとくよ」

 

 いつも通りの微笑を崩さないヴィクトルを流し目に見て、ファイヴは見た目より重量感のあるナイフをカーゴパンツのポケットに突っ込んだ。

 

「んじゃ、しばらく車借りてくぞ」

「はい、毎度あり。返すときはその車のメニューに従って返却手続きしてくれればいつでも返せるから。傷とか破損は大丈夫だけど、全壊廃車は勘弁ね」

「…………気を付ける」

「えっ」

 

 妙に長かったファイヴの沈黙に、ヴィクトルは珍しく冷や汗を流す。シャッターが開ききったことを確認したファイヴは、何か言われる前にドアガラスをせり上げてサイドブレーキを落とした。

 

 お世辞にも丁寧とは言い難い急発進で、ファイヴの乗った車はガレージから伸びるトンネルを走り出す。ファイヴはウィンカーレバーを捻ってライトを点灯させる。

 

「悪いなヴィクトル。俺、最後に車乗ったの4ヶ月前だわ」

 

 バックミラーの中でぐんぐん小さくなってゆく車の所有者(オーナー)に向けて、ファイヴは聞こえないとわかっていながらそう言い訳した。

 

 

 個人が所有できる建造物にしてはなかなかに長いトンネルを抜けたファイヴは、首都総督府を蜘蛛の巣状に広がる幹線道路を走行していた。

 

 街の拠点には蘇生ポイントが点在しているため、アバターのHPがゼロになれば死に戻りを利用した移動――通称デスルーラが使えるわけであるが、GGOは拠点街でのHPは減少しない設定だ。

 フィールドまで出て自殺するなりして移動する方法も無くはないが、実行するにはデスペナルティの装備ランダムドロップを覚悟せねばならない。

 ハンドガンのマガジン一つやグレネードであれば安いものだが、ファイヴの場合やたら多く銃を装備しているで、一挺でも落としてしまえば泣きを見る事になる。

 

 そう言うわけでファイヴは、わざわざ街の端にある『黒鋼商会』から車を借りて移動しているわけだ。

 

 目指すは中央にそびえ立つ総督府。このまま流して10分弱には到着という具合だろう。

 

「……ん? なんだ?」

 

 交通指定速度を遵守して順調にドライブをしていたファイヴだが、どうやら渋滞に巻き込まれたらしい。道路を降りようにも分岐は少々先だ。

 

「参ったな……。『呼び出し(コール)、シカゴ』」

 

 フレンドリストから後輩の呼び出しを実行する。彼のリストに項目は二人しか無く、もう一方の片割れはヴィクトルだ。

 数コールで、シカゴは応答した。

 

『あいもしもし。道にでも迷ったんスか?』

「違ぇよ。渋滞に捕まった、連絡した時間よりもう少し遅れそうだ」

『渋滞ッスか……珍しいッスね。グロッケン(ここ)では事故が問題になる事なんてまず無いのに……』

 

 シカゴの言うとおり、SBCグロッケンでの渋滞はそうそう発生しない。

 なぜなら道路を走る乗用車の殆どが、ヒューマンエラーとは無縁なNPCによる、公共交通車とも呼ぶべきものであるからだ。

 またプレイヤーアバターの操縦するビークルであっても、耐久値を全損すれば即座に消滅する。車から放り出されるアバターは溜まったものではないが、急いで道路から離脱すれば済む話だ。

 

『……もしかしたら、誰かが意図的に渋滞を引き起こしてんのかもしれないッスね』

「だとしたら、何のメリットがあるって言うんだ? 街の中じゃアバター狩りなんてできないだろ」

『俺もちょっと分かんないッス。あるいは、ロールプレイの一環かも――』

 

 シカゴが言い終わる前に、前方で乾いた銃声がバラバラと鳴り響いた。

 

「連中のロールプレイとやら、どうやら世紀末だったっぽいな」

『撃たれたんスか!?』

「いや、発砲音を聞いただけだ。まぁ何とかするわ。また後でな」

 

 発砲音によって、小規模の渋滞を起こしていた車が発進し始める。どういう理由かは知らないが、ファイヴも通信を切ってから便乗して走り出した。

 

 ファイヴの前方の車が数台流れて、彼は状況を把握した。

 

 道路の一車線を塞ぐようにピックアップトラックが停車しており、その上には所狭しと5人の男が乗っている。その男達が何かを叫びながら手にした銃を振り回しているのだ。

 男達は服装こそ黒くピッタリと体に密着した特殊スーツで固めているものの、武器は古くさいAK小銃やドラグノフ狙撃銃だったり、メカメカしいMP5やスパス散弾銃だったりと統一感がない。

 

 ――大方、コイツらに乗り物を破壊されることを恐れたプレイヤーアバターが渋滞の先端だったのだろうな――とファイヴは推測した。

 

「止まれ! この道を使用するものにテロリストが紛れ込んでいる!」

「警告を無視した者はテロリストと見なし、即刻射殺するッ!!」

 

 怒声を張り上げながら小銃を振り回す男達の車を、大体の車は無視して進む。当たり前だが、NPCがアバターのこんなとんちんかんな声がけに応じるはずもない。

 

「何やってんだあいつら……いててて」

 

 その光景がシュールすぎて、ファイヴは顔をしかめつつリアル精神ダメージを受ける。ファイヴにも彼らと似たような過去があるからだ。

 

「きっとあの子達、リアルは金持ちの中学生かなんかだろうなぁ。……俺もあの頃は若かった」

 

 AK-47最強アサルトライフル説を推していたり、長距離狙撃銃と言えばSVDが至高であったり、デザートイーグルが一発で人間を挽き肉にしたり。

 そして、それらを巧みに操りテロリストを始末する妄想をしたり。

 

 幼少期にVRMMOのような、子供も参加できる鉄砲マニア向けの催しがそうそう無かったことが幸いし、その黒歴史を知るものは肉親に限られるが……。

 

「おい、そこの緑色の車! 止まれ!!」

(やっぱマナーを弁えないガキってのはどこにでも居るよなぁ……俺も気を付けないと)

 

 ファイヴは物思いに耽りながら、前方に気を配るのを忘れずにトラックを追い抜く。

 そのためか、特殊部隊チックなならず者達に目を付けられた事には気付かなかった。

 

 車内に数本、レーザーのような赤い光線が突き刺さる。

 

「ッ!?」

 

 半ば条件反射で、ファイヴはハンドルを切ってレーザー光を回避した。直後、数発の飛翔体が車体をかすめる。

 弾道予測線(バレットライン)――敵の弾道を前もって知らせる、GGOに於ける守備的システムアシストだ。GGOでは彼我の距離がある程度ある場合、これを目視して敵射撃を回避するのが基本テクニックとなる。

 ファイヴが運転中であるにも関わらずこれに反応できたのは、高速で距離を開けながらの射撃であったからだ。すれ違い様に撃たれていればどうなっていたかは、想像に難くない。

 

「畜生、奴ら撃ってきやがった……!」

 

 HPが減少しない以上、平常時にファイヴ自身が撃たれても問題は無い。

 だが、走行中に弾丸が命中すれば痛覚(ペインフィードバック)により事故を起こす可能性がある。そうなればヴィクトルに借りた車は大破――最悪、廃車にして弁償する羽目になりかねない。

 

 ファイヴは冷や汗をだらだらと書きながらバックミラーを見ると、後方から男五人を乗せたトラックが追いかけてきていた。全員思い思いの構えで、ファイヴの乗るSUVに銃を向けてくる。

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!」

 

 無数の弾道予測線を向けられたファイヴは、車をジグザグに走らせて何とか回避を試みる。

 射撃姿勢は無茶苦茶ながら、後方からの銃撃はなかなかに正確だった。ファイヴに直撃こそしなかったものの、車体に穴を開けガラスを破砕するに至る。

 

「止まれー! テロリストー!!」

「お前らの方がよっぽどテロリストだっつの!」

 

 何とか振り切ろうと、ファイヴは直線に入ったところでアクセルをベタ踏みする。もうすぐ分岐だ。そこから降りれば後は入り組んだ街、追っ手を撒くには十分だとファイヴは考えた。

 

 そんな油断からだろうか。ファイヴがアクセルを踏み切った瞬間――彼の後頭部に、直径7.62mmのライフル弾が直撃した。

 

「ぐがッ! ぺぼっ!?」

 

 直後の悲鳴は着弾と、弾丸の運動エネルギーによってハンドルに頭をぶつけた時のもの。

 二回目の奇声は、その衝撃によって展開したエアバッグに弾かれた際のものだ。

 

 ファイヴの足がアクセルから外れ、車はのろのろと減速していく。痛みに揺らぐ視界のなか、バックミラーの中で大きくなりつつあるトラックを見て、ファイヴはストレージを操作した。

 

「ンの野郎…………」

 

 まずは腰の後ろに出現したホルスターから、コルト1911を抜き、エアバッグに一発撃ち込んで破裂させる。

 そうしてセイフティを掛けた後、ひび割れた運転席の横の窓を拳銃のグリップ底部で何回か殴って叩き割る。

 

 これで準備は整った。ファイヴは1911をホルスターに戻して、再びアクセルを踏む。――全速力ではなく、車の調子が悪いのを装うような速度で。

 

 しばらく待てばファイヴの目論み通り、ピックアップトラックが追いついて横に並んできた。

 

「テロリストめ、もう逃げても無駄だぞ。さあ我々の指示に従い――」

「くたばれッ!!」

 

 ライフルの銃身がSUVの車内に入ってくる程にトラックが近付いた瞬間、ファイヴはアクセルを全開にしてハンドルを切った。

 結果、SUVがトラックのどてっ腹に思い切り体当たりをかます。トラックの荷台に立って構えていたアバターの数人が振り落とされた。

 

 急な反撃にトラックのドライバーは驚いたのか、逃げるように急加速し始める。

 ファイヴはその背後に一定の距離を保ってピッタリ付き、腿のホルスターからMPX-K短機関銃を抜いた。

 

「オラ落ちろよ」

 

 荷台でパニックになり、振り落とされないようにしがみついている残りの男達に向けて、ドアガラスの窓枠からMPXを突き出して構える。

 それと同時にファイヴの視界に着弾予測円(バレットサークル)――射撃を補助する、弾道予測線と対をなす攻撃的システムアシストが発生する。

 心臓の鼓動に合わせて拡大・収縮を繰り返すそれをファイヴは照準に使い、トラックの荷台に大雑把かつ容赦なくフルオート射撃を叩き込んだ。

 

 男達は武器を手放してトラックにしがみつくも、9mm弾に当たると体を硬直させてトラックから投げ出された。

 うち一人が吹っ飛んだ際、ファイヴの車のボンネットに撥ね飛ばされたが知ったことではない。

 

 マガジン内に余った弾薬は、景気よくトラックのタイヤや運転席に全弾プレゼント。タイヤを潰されたことと自身も撃たれている事に焦ったドライバーは、車を派手に横転させた。

 

「……事故車がいつまでも道路に残ってたら迷惑になるよな」

 

 ブチ切れて普段よりかなり残忍なファイヴは、その悪人面にふさわしい邪悪な笑みに顔を歪め、転んだトラックの前方20メートルほどに停車する。

 そしてMPXのマガジンを抜き、目印に赤いテープの巻かれた弾倉を装着して、初弾を装填。

 SUVの天窓を開け、立ち上がる。

 

「俺は優しいからな、お前らや他の通行者が困んねーように――撤去してやるよ」

 

 とても人の笑顔とは思えぬような表情で、ファイヴは引き金を引いた。

 狙いはひっくり返ったことによって露わになった、トラックの燃料タンク。

 

 MPXの銃口から吐き出された9mm弾は、空中に光の筋を残しながら狙い違わずタンクに殺到する。

 弾頭に発火性物質を内蔵した曳光弾数発で、トラックは爆発四散。爆炎に吹き飛ばされる車体パーツがポリゴンとなって霧散するのを見送ってから、ファイヴは再び車に乗り込んだ。

 

 ……この車上銃撃戦によってファイヴが分岐を通り過ぎ、更に遅刻する羽目となったのはまた別の話である。




 オートマチック、リボルバーを問わず、拳銃のグリップ底部を使った打撃は作動不良や内部パーツの破損に繋がる恐れがあります。

 現実ではやらないようにしましょう。


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#08 横綱出勤27′11″

「悪い、お待たせ……」

 

 ファイヴは総督府付近の駐車場に止め、待ち合わせ場所に指定されたプライベートルームのインターホンを押す。

 室内からの返答は無く、代わりにSF調の自動ドアがスライドする。合意と見て、ファイヴは入室した。

 

「遅いッスよファイヴさん。いったい何が……」

 

 ソファに腰掛けていたシカゴが、愉快そうに笑いながらファイヴに話しかける。

 ……が、その笑顔もファイヴの青ざめたアバターフェイスを見るなり固まってしまった。

 

「……いったい何があったんスか」

「いや、実はだな――」

 

 ファイヴは、黒鋼商店を出発してからここに到着するまでの経緯をシカゴに説明した。

 ピックアップトラックに乗った特殊部隊もどきのならず者の事。そして彼らから攻撃を受け、応戦して車を爆破した事。

 

「俺も撃たれて冷静じゃなかったけど……もしかしてコレ、割とヤバい……?」

「……いや、多分そうでもないと思いますよ」

「本当か……?」

 

 悪人面でやることは大胆なくせに、こういう所は小心者だ――とシカゴは少しおかしくなりながら、言葉を続けた。

 

「先輩の話を聞く限り彼らは明らかな悪意を持って迷惑行為をしていたと考えられるッス。市街での発砲は制限されていないとは言え、交通状況を乱した上特定プレイヤーに粘着して攻撃を加えたのは明らかにマナー違反ッスよ」

「うーん、そういうモンなのか……」

 

 ある程度表情に余裕の戻ったファイヴは、それでも少しおびえながら相槌を打つ。

 シカゴはいつもより小さく見える先輩の両肩に手を押き、少々強めに叩いた。

 

「だーいじょうぶッスよ! そんなに気に揉む事なんてありませんって!」

「お、おう……」

「ていうかソレ、俺も見たかったッスわー。爆破までしますかね? 普通」

「おいやめろ。蒸し返すなよ」

「いやーリアルの素性を推測した上でそんな鬼畜行為に走るなんて、ファイヴさんマジファイヴさんッスわ」

「どういう意味だよオイ。ぶっ飛ばすぞ」

 

 そんな具合にふざけ合う事により、男二人は普段の調子をしっかり取り戻していった。

 

「そういや、他のチームメンバーとやらはどうしたんだ? スカウト失敗か?」

「見くびってもらっちゃ困りますよ。フレンドリスト1桁の先輩とは違いますんで」

「さらっとディスんのやめろや」

 

 顎を的確に狙ったアッパーカットを、シカゴは軽く仰け反って回避する。

 

「ファイヴさんが遅刻するって言うんで、二人ともどこかで暇を潰してくるって言ってましたね。さっき先輩が来た旨は連絡したんでもうじき来ますよ」

「二人? そんな人数で大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない。……マジな話、この人数が俺の限界でした」

「駄目じゃねーか。人のこと言えないぞお前」

 

 ファイヴは呆れながらルームに備え付けられたソファに腰掛け、煙草を銜えて火を点けた。

 モノは味気ないが、室内でも色々気にせず喫煙できるのはVRならでは――と彼は考えている。今のご時世、喫煙者は何かと肩身が狭い。

 

「まぁでも? ちゃんとデキる人材ですし? 先輩に俺以外の戦闘要員、確保できますか?」

「ぐぬぬ……」

「しかもッスよ、なんと二人とも――」

 

 シカゴがオーバーリアクションで自身の成果を誇って両手を広げた時、背後のドアがスライドした。

 

「済みません、お待たせしました」

 

 鈴の音のような声と共に、そのアバターはルームに入ってから足を揃えて会釈する。

 背丈は低く、髪色は目の冴えるような金。纏ったロリータ調の軍服が全く違和感なくマッチするその風貌を見た瞬間、暁は目を見開いた。

 

「お前……」

「ふふ、こんばんはファイヴさん」

「…………アイスだっけ?」

 

 まるで漫画のように、可憐な少女とシカゴがずっこけた。

 

「アイリスです! あ、い、り、す!」

「あぁ、そうだった。人の名前覚えんの苦手なんだわ、ごめんごめん」

「いくら何でもアイスは無いッスよ先輩。……アレ、もう一人は――」

「ここ」

「どうわっ!?」

 

 いつの間にかソファに、全身をマントで覆ったアバターが腰掛けていた。

 ファイヴは突然自身の横から正体不明の声が上がったことに驚き、飛び退いて柱の角に頭をぶつけた。

 

「いって……今日は厄日だ」

「……なんか、ごめん」

「構わんよ。確かお前――」

「……」

「――のべすきー、だっけ?」

「……惜しい。のべ助」

「そうだったそうだった」

 

 素顔も分からず声の調子も平坦なのべ助と、強面を保ったままおちゃらけた様に喋るファイヴの組み合わせは、その会話を見守ったシカゴとアイリスには少々シュールに見えた。

 

「のべ助、一体いつからそこに?」

「今さっき。()()と一緒に入ってきた」

「はぇー、全然気付かなかった」

「え、『それ』って何ですか……?」

 

 シカゴはのべ助が(偶然)披露したミスディレクションの技術に感嘆し、アイリスはそれ呼ばわりされた事に少々眉を顰めた。

 

「というかファイヴさん、のべ助と知り合いだったんスか?」

「知り合いっつーか、今朝『黒鋼商会』でな」

「へー……って、今朝ァ!?」

「うるせぇ」

 

 いきなりシカゴが大声を上げたことに、ファイヴは不機嫌そうな強面を更にしかめた。

 

「ああいや、すんません……。のべ助が早朝に起きてる事が衝撃的で」

「……どんな生活を送ろうが、個人の自由」

「早起きしたのか?」

「……ううん、徹夜」

「やっぱりな」

 

 のべ助は不機嫌そうに腰に拳を当てる。どうやら本当に夜型らしく、ファイヴと今朝顔を合わせたときより口調や身振りに元気がある。

 シカゴとのべ助の二人は、その話しぶりから相応に古い仲であることがファイヴには伺えた。

 

「……あんまりダベっててもアレだし、そろそろ本題入った方が良いスかね?」

「そうだな。遅れた身で言うのも何だが、時間は大事にした方が良い」

 

 シカゴとファイヴの応酬により、各員はいったんプライベートルームのソファに腰掛ける。

 

「今回は《ドミネイターズ》参加前の顔合わせって事で、皆さんに集まってもらったッス。疑問があれば何かあったら質問も受け付けるッス」

 

 今回の大会出場を切り出したのはシカゴであり、そのため自然と仕切り役も彼が買って出た。

 

「ほい」

「はいファイヴさん」

「《ドミネイターズ》がどんな大会か、そもそも知らない件」

 

 昨日シカゴに誘われてから、結局ファイヴは肝心の大会ルールや開催スケジュールを把握していなかった。

 かったるそうに後頭部を掻くファイヴを一瞥し、シカゴは少々呆れ気味に眉間を押さえた。

 

「いや、運営メールに書いてありますから……確認しといてください」

「あ、そっか」

「他は?」

「はいっ」

「はいアイリス」

 

 フランス人形の如き可憐さを持つアバターが手を挙げて質問を訴える様に、シカゴの頬は思わず緩む。

 そのデレッとした表情が絶妙に腹立たしいものに見えたため、ファイヴとのべ助は僅かだが眉根を寄せた。

 

「……あの、何でシカゴさんはファイヴさんのことを『先輩』って呼んでいるんですか?」

「あー、一応ファイヴさんとはリアフレで、年上だし銃オタクの先輩でもあるからって感じ。敬語も普段の癖でね」

 

 シカゴは嘘は付かずに、ファイヴとシカゴが同じ大学の生徒である事を伏せた。相手に対する信頼などとは無関係に、安易に情報を出し過ぎるのはネットゲームに於いては避けるべきであるからだ。

 ファイヴからしてみれば、よくもまぁそれらしい理由をすらすらと言えるなと感心に値する。対人交渉技能の高いシカゴに返答を任せて正解であった。

 

「わかりました。関係ない質問で済みません」

「ううん、いいよ。チームの信頼にも繋がるだろうし。他には?」

「……」

「はいのべ助」

 

 無言で手を挙げたのべ助。そのマントから突き出た腕に身につけられた服や手袋は灰色がかった緑、いわゆるフォリッジグリーンであった。

 

「……二人は、使えるの?」

 

 先ほどまでの和やかな雰囲気を真正面からブチ壊す質問であった。

 ロクな対人経験のないファイヴは、図星を突かれたような気分になりフリーズを起こす。

 

 だが、小規模とは言え大会に出場する手前、気にかけるのは当然ではある疑問だ。

 

「一ヶ月も前に呼び出したのは、そこら辺が狙いでね。鍛える時間は充分にある」

「……今は、使えないって事」

「先輩とアイリスの名誉のために言っておくけど、二人とも優秀な兵士(ソルジャー)の素質を持っている。それは保証するよ」

 

 フードの奥で鋭く目を光らせているであろうのべ助に、シカゴは臆さず表情を崩さない。

 そんなイケメンアバターに頼もしさを感じつつ、プレッシャーも感じるファイヴである。アイリスもうれしいやら緊張するやら、微妙な表情を浮かべている。

 

「シカゴがそう言うなら、信用はする。……でも、証拠は欲しい」

 

 そう言うなりのべ助は立ち上がり、アイリスとファイヴの顔を数瞬見やる。

 マントの奥から覗く、真剣そうな金の眼光を受けただけでファイヴは意図を察した。

 

「……ま、俺達は戦闘狂(GGOプレイヤー)だし。言われて分かんなかったらやる事ぁ一つだよな」

 

 ファイヴはいったん帽子を外して頭を掻き、さぞ重たそうに腰を上げた。

 シカゴはやれやれと言いたげにため息を一つ吐き、それでもこうなると解っていたかのようにニタリと笑った。

 それをみたアイリスは他の意図を察しきれず、頭に疑問符を浮かべながらも慌てた様子で立ち上がった。

 

「そういう事。……戦おう」

 

 西暦2026年4月3日。

 ファイヴ、対人童貞卒業の時であった。



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#09 秒速850メートルの殺意

 総督府のワープポータルを抜けるとそこは砂漠であった。

 

「……駄目だな、全然風情ねーわ。やっぱ文豪ってスゲーなぁ」

「何また訳わからんこと言ってるんスか。はよ準備してください」

 

 ファイヴは自身で考えた導入文を即座に捨てながら、腕を組んで白い息を吐いた。

 そんな彼にシカゴは習慣的作業のようにつっこみを入れ、目も合わさずにストレージから自身の装備を取り出してゆく。

 

 そう、砂漠である。

 とはいえ『砂漠』と聞いて多くの人が思い浮かべるような、殺意100パーセントの日差しが照りつけ遺跡が点在する広大な砂地――とは随分と異なる。

 

 現実世界(リアル)でも大多数を占めるのは、ファイヴ達の目の前に広がる岩場だらけの砂漠である。

 リアルと異なるのは、荒れ地に点々と転がった大小の岩の中に、ぼんやりと光る謎の水晶らしきモノが混ざっていること。宇宙開発時代の廃棄エネルギーがどうこうといった設定を持つ代物だが、ゲーム的には遮蔽物と照明の役割を持つ。

 

 空は謎の汚染物質で曇り、しかし周囲はそれほど暗くはない。

 空を明るくするのは、地の先に見える大都市《SBCグロッケン》の光だ。どうやら総督府の頂点から照射されるレーザー光に似た灯明が、空気中の塵によって拡散しているらしい。

 

「最近のゲームはスゲーよな、ホント……っと」

 

 ファイヴは彼方に小さく見えるグロッケンを眺めつつ、ストレージから装備アイテムを取り出しながら呟いた。

 

 ストレージはネットゲーム特有の、何でも入る四次元収納である。だが、GGOに於いてはアバターの装備可能重量を超える容量を持ち歩くことは基本的にできない。

 そのためファイヴのように銃火器五挺を携行するアバターはそうそう居ないだろう。少なくとも彼自身は、他人のそういうプレイングを見た事はない。

 

「うっひゃー。いつ見ても壮観ッスね、ファイヴさんの戦闘準備は」

 

 ガシャガシャと音を立ててファイヴの前に積み上がる小火器や弾倉などを眺め、シカゴは感嘆の声を上げつつ自身の顎を撫でた。

 

 

 すでに準備を終えたシカゴは、一言で表すならまさしく《軍人》という出で立ちだ。

 アバターの私服兼用で着ていたマルチカムのコンバットシャツの上から、同色のプレートキャリアを着用している。更にその上から、予備のマガジンやグレネードを携帯するためのチェストリグを身につけていた。

 

 服装だけでなく、銃火器も非常に堅実で保守的だ。現実の軍人と異なるのは、結構な重武装である点だろうか。

 まず、腕に抱えた銃はDDM4アサルトライフル。米軍や各国特殊部隊が使用する自動小銃の改良版だ。

 背面にはイサカM37散弾銃がスリングとウェポンキャッチにより保持され、右腿の強化プラスチック製ホルスターにはベレッタM9A3拳銃。

 

 人間一体の装備としては、少々過剰ではある。何せ、銃火器だけでも総重量は6kgを超えるのだ。

 

「さっきも言ったけど、お前だって人の事言えねーだろ」

「俺の場合、それぞれ役割が違うから良いんスよ。先輩は同じ銃持ってたりするじゃないスか」

「一挺と二挺で使い分けできるだろ。大して変わんねーって」

「ハハ、そうかもしんねーッス」

 

 もっとも、これは現実ではない。ゲームなのだ。

「重装備は男の浪漫」で片付くし、浪漫の枠に収まらない立ち回りだって可能だ。

 そのような点でも、GGOというゲームは男二人の心を掴んで離さないのだった。

 

「お取り込み中済みません。準備、できました」

 

 ファイヴが装備を身に付けながらシカゴと談笑している最中、ちょこちょこと小走りで小さな影が近寄ってきた。アイリスだ。

 

 手にした得物は、その小柄なアバターに不釣り合いに大きいライフル――M1ガーランド。クラシックな見た目のバトルライフルは、固定マガジンに弾薬をクリップごと装填するという少々珍しい機構を持つ。

 

 そのライフルを一目見たファイヴは、左方にオフセットされた現代的なスコープとチークパッドから、M1Dを近代化改修したものだろうと判断する。

 M1ライフルの.30-06弾は優れた弾道性能と威力を持つため、セミオートの速射性も相まって狙撃銃としての運用は中々に合理的だ。

 

 軍服ワンピースはそのままだが、紺色を基調とした生地は以外にも夜間の隠匿効果は高そうだ。肩から羽織ったマルチカムのケープと暗色のベレー帽により、思っていたより目立ちそうにはない。

 

「せっかくだからこのケープ、シカゴさんと同じのにしてみたんです。どうですか? 似合ってますか?」

 

 そんな台詞と共にアイリスはくるりと一回転。

 ケープとスカートが遠心力によって舞い上がる。

 

「ぐはぁっ!!」

 

 シカゴはハートに致命的な一撃(キリングショット)をもらい、非常に幸せそうな面を晒しつつノックアウトされた。

 

(……パーフェクトだ、ヴィクトル)

 

 ファイヴは回転の僅かな隙に見えた、コルセットに似たチェストリグに押し上げられる決してちっこくない絶景を目に焼き付けた。

 

「あの……?」

「ん、ああ。似合ってんじゃないか? シカゴが萌え死にかけてるし」

「はぁ……?」

 

 あくまで「俺は何も見てないヨ」というスタンスを取るという小賢しさを発揮しながら、ファイヴはベルトに通したホルスター類に銃を入れていく。

 腿にMPX-K短機関銃を、左右で二挺。コルトとスプリングフィールドの1911拳銃を腰の後ろに二挺。シカゴとはまた違った重装備だ。

 

 ファイヴの場合、STR要求的にはシカゴのような重量級アーマーを装備に織り込むことは十分可能だ。

 だが彼は動きの制限されるトラウマプレートを嫌い、防具と言えばジャケットの上に着込んだ防弾繊維のアーマーしか着用しない。

 

 ならばその分の余った筋力はどこに割かれるのかと言うと――

 

「その、随分と……多いですね?」

「普通だろ? 多分」

 

 ファイヴは積み上げられた弾倉の量に驚くアイリスに軽く答えながら、ライダースジャケットのジッパーを一番上まで引き上げた。

 

 ファイヴの持ち物で銃の次にウェイトを食っているのは弾薬だ。

 腿のホルスターに沿わせるように装着されたレッグリグにはそれぞれ2本の9mm弾倉。1911のホルスターに備え付けのマグホルダーには1本ずつのピストルマガジン。

 そして、ジャケットの上から着込んだタクティカルベストには、MPXのマガジンと、.45ACP弾8発入りの弾倉が6本ずつ。

 

 銃に装填済みの物も含めると、9mm弾が362発に45口径弾が82発。

 弾薬のみの総重量、締めて6キログラム超。弾倉の重さも計算に入れれば更に増加する事は火を見るよりも明らかだ。

 

「……いや、冷静に考えたらちょっと多いかもな」

 

 全身にゴテゴテと装備された弾倉は、端から見れば鱗か何かに見えなくもない。

 だが、この数のマガジンを全て撃ち切った事も一度や二度ではない。つまり必要なのだ、とファイヴは考える。

 

 そんないかつい装備に引っかけないよう、ストックを畳んだSU-16C小銃をスリングを使って背負う。

 これでやっと、ファイヴの準備は完了だ。

 

「……その、ホルスター」

「ん?」

 

 シカゴ達と同様、すでに準備を終えていたらしいのべ助がふらふらと近寄ってきてファイヴの腿を指す。

 のべ助の場合、見た目に移る変化は他の三者ほど急激ではない。精々が肩にスリングを介して担がれた何の変哲もないボルトアクション式のライフルと、デジタル迷彩のマントがデザートカラーに変わっていることくらいだ。

 

 そんなのべ助は、相変わらず平坦な――しかし僅かに音程の上がった声でファイヴのMPXホルスターをじっと見つめた。

 

「TEN-Xの、SARRP……?」

「お、よくそんなん知ってるな。設計段階で参考にはした」

「……もしかして、ファイヴが考えた?」

「まぁな。デザインとか材質とか取り付け角度とか、ヴィクトルと一緒にめちゃくちゃ時間掛けて話し合った。試作品作る金もバカになんねぇし、苦労したよ」

「……すごい、と思う」

「悪いけど売らねーぞ」

「誰も、買わないと思う……」

「ハッ、違ぇねーや」

 

 ファイヴはのべ助の問いに応じながらケラケラと笑う。純粋に、自分と同等の知識を持つ人間と歓談できることを嬉しく感じたのだ。

「それに、拳銃も、よくカスタムされてる」「やっぱ分かるか。MEU(コイツ)はサイトとトリガーくらいしか弄ってないけど、コルト(こっち)に至ってはもう別物ってくらい手を加えてもらってる」「……やっぱり、ヴィクトル?」「そうそう。最近アイツ、また腕を上げたみたいでなぁ」 彼の狭い人脈の中で、銃砲の知識で語り合える人間はそう居なかった。これから撃ち合いをするにしても、のべ助との会話は彼に喜びをもたらした。

 

「お楽しみのところ悪いッスけど、そろそろ始めますよファイヴさん」

「おおシカゴ、お前生きてたのか」

「かろうじて」

 

 ダウンしていたシカゴが起きあがり、三人に合図を掛ける。

 

「とりあえず、みんなには俺抜きで戦ってもらうッス。HP(ヒットポイント)はこっちでモニターしとくから、好きにやっちゃってください」

 

 シカゴは説明する口を止めず、滑らかな動作でDDM4とM37を持ち替える。笑顔はそのままにポンプをスライドさせると、散弾銃特有の威圧感満載な装填音を立てた。

 

「スタートは今から5分後。開始と終了の合図で信号弾を撃ちます。デスペナのドロップはちゃんとこっちで回収しとくから、安心して殺し合ってください」

 

 言われるが早いか、アイリスとのべ助は風のような速さで散った。両者ともかなりAGIを振っているらしい。

 対戦相手が音もなく走り去っていくのを尻目に、ファイヴはのんびりと近くの岩陰に身を預けた。

 

「……良いんスか? もっと遠くに行かなくって」

 

 審判役のシカゴが岩を挟んで話しかけてくる。ファイヴは煙草に火を点けながら、いつもの雑談と変わらぬトーンで応じた。

 

「あいつらの銃、俺よりも射程が長い。手前(テメェ)で距離空けんのは自殺行為だ」

「じゃあ追っかけりゃいいのに……律儀ッスねファイヴさん」

「良いだろ別に。一度、援護射撃がない状態でスナイパーと()ってみたかったんだ」

 

 言い訳ともとれる言葉と一緒に、ファイヴはゆったりと紫煙を吐く。こうしてじっと待ってみると、五分という時間は以外に長い。

 

「ていうかなんでオメーは参加してないんだよ。卑怯だぞ」

「良いじゃないスか、のべ助は先輩とアイリスの実力を見たい訳ですし。それにファイヴさんだけじゃドロップした武器、持ち帰れないっしょ」

「……まるで、俺が勝つって言ってるみたいだな?」

「さぁ? それはどうだか」

 

 会話がとぎれればそのままに黙る。そうしている内に、ファイヴの銜えた《パラベラム》が半分ほど燃えた。

 

「ま、撃たなきゃ話にならないんで。荒療治ッスけど覚悟してくださいよ」

「…………ふー」

 

 未だ銃に手を掛けず煙を吹くファイヴの心情を見透かしたかのような言葉を投げかけ、シカゴはショットガンの銃口を空高く掲げた。

 

 

 ボッ! と散弾にしては軽めの射撃音。白く眩い光を伴った発煙弾が上空へ昇るのを、ファイヴは()()()

 

「やりますか……」

 

 最後の一口を吸い切ったファイヴは、煙草をブーツの踵で踏みにじって跳躍。ポリゴンとなって霧散する吸い殻を背に、一跳びで自分より一回り大きな岩に飛び乗る。

 

 巨岩の上にふらりと棒立ちになり、辺りを見回す。薄暗く広大な砂漠の中から目視だけで人間を探すというのは、単純に難易度が高い。

 ――ならば、自身の肉体を囮に探し出す。あまり賢い手とは言えないが、その作戦は功を奏した。

 ファイヴは視界の端で、何かが一瞬キラリと光ったのを見逃さなかった。

 

「――Fuck you(見えてんぞ), Sniper(ド素人).」

 

 ファイヴがその光源を睨みつけると、今度は更に強烈な光が迸った。発砲による銃口炎(マズルファイア)だ。

 

 ファイヴは即座に後方へフリップジャンプ。直径7.62mmの鉛玉を紙一重でかわし、立て続けに予測線をかき消しながら飛来する超音速の弾丸を空中で身を捻って回避する。

 映画のワンシーンのような挙動を披露しつつ、狙撃手から隠れるように岩から飛び降りた。

 

「イテテ……ちょっとカスっちまった。あの射撃間隔はセミオートだろうから――アイリスか」

 

 狙撃手の第一射――不可視の一撃を潰した幸運を喜ぶ前に、ファイヴは銃声が届くまでの時間で距離を概算する。

 

(多分、発射を見てから銃声聞こえるまで1.5秒ちょいだった。500~600メートルってところかね。.30-06弾は大体マッハ2.5くらいだから……よく避けられたな、俺。頭をフッ飛ばされなくて良かった)

 

 大雑把すぎる計算を行いつつ、ファイヴは背のSU-16Cライフルをたぐり寄せる。ストックを展開してから搭載したスコープの保護キャップを開き、左腕にスリングを巻き付けてハンドガードを握る。

 

「さぁて……戦闘開始だ」

 

 獲物を探るかのように揺れる弾道予測線に、敢えて突っ込むようにファイヴは飛び出した。



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#10 クロスレンジ

 アイリスは焦っていた。初撃を外し、標的は今や自身を捕捉して恐るべきスピードで迫ってきている。

 

 岩場にうつ伏せになり、ひび割れた岩石に銃を依託してM1Dライフルを構える。分厚く堅固な岩石は、それだけで頑丈な二脚と遮蔽物の役割を担ってくれる。

 スコープの中には、プラスチック製のライフル片手にまっすぐ突っ走ってくる青年の姿。アイリスの得物より小口径の弾を用いるであろうそれが発砲されるのも、恐らく時間の問題だ。

 

「くっ……!」

 

 暴れ始めた鼓動を何とか落ち着けることに努めつつ、視界に映った着弾予測円(バレットサークル)が収縮した瞬間を狙ってアイリスはトリガーを引く。

 だが、当たらない。スコープ越しのファイヴは、地を滑るようなサイドステップで飛来する弾丸を()()()()()

 

 逆方向へ倒れ込みながら跳躍。素早く体勢を立て直してサイドフリップ。

 立て続けの三点射を、ファイヴは全く足を止めることなく回避してゆく。

 

 ここでアイリスの持つM1Dが、甲高い金属音を立ててエンブロッククリップを弾き出す。弾切れだ。

 

「……!」

 

 すでに8発入りのアモクリップを四つ、ファイヴとの戦闘で撃ち切っている。

 アイリスは立ち上がり、M1Dに新しいクリップを装填しながら姿勢を低くして走り出す。

 

 弾道予測線ありの射撃とは言え、ダメージを与えるどころか足止めすらままならない。しかも、ファイヴの周囲には遮蔽物が一切無い。

 最初の狙撃を外した場合でも、平野を走らせて命中のチャンスを上げる。そんなアイリスの作戦は、ファイヴを相手取る上でむしろマイナスに働いたことに彼女は歯噛みする。

 

「わわっ!」

 

 突如として走行進路上に出現した赤いレーザー光に、アイリスは焦ってたたらを踏む。それからコンマ数秒の時間差を於いて、数発の弾丸が虚空を通り過ぎた。

 一瞬ブレーキが遅れていたら、彼女の小柄なアバターボディに5.56mmの風穴が空いていただろう。

 もう既に、ファイヴの銃も射程距離に入っている。

 

 アイリスが近くの岩陰に飛び込むと、今まで立っていたところに再び超音速の弾丸が突き刺さる。

 

 もしこのまま中距離での銃撃戦を展開した場合、アイリスには圧倒的な地の利がある。

 だが、どうしてもあの悪人面アバターに自身の射撃を命中させるイメージが思い浮かばない。交戦時間が長引けば長引くほど、ファイヴは接近してくるだろう。

 このままでは、ジリ貧だ。

 

「どうする、どうすれば……きゃっ!?」

 

 半ばパニックになっていたところに、岩に小口径ライフル弾が命中。石片が弾け飛ぶさまに、アイリスは反射的に顔を逸らして身を竦めた。

 

(動けない……!)

 

 苛烈な銃撃によってどんどん削れていく遮蔽物から体がはみ出さないように縮こまり、ライフルを抱き寄せる。

 そうしている内にも、着弾と銃声の間隔はどんどんせばまってゆく。着実に、接近されている。

 

 アイリスは涙目になりながらも、腰の後ろから銃剣を引き抜いてM1Dのバヨネットラグに装着した。

 自身の敏捷(AGI)を活かして超至近距離(クロスレンジ)の戦闘に持ち込めれば、勝機があるかもしれないというやぶれかぶれの考えだ。

 

 ファイヴが岩の左右から回り込んでくるか、それとも一気に飛び越して仕掛けてくるか。全く予想が付かない。

 それでもアイリスは神経を張りつめ、銃剣付きのM1Dをハイレディで構える。

 

「さぁ、来い……!」

 

 目を光らせて低く唸ると、嵐のような銃撃がパタリと止まった。アイリスはより一層身構え、唇を噛みしめる。

 

 ……が、ファイヴからのアクションは一切無い。

 荒野に吹きすさぶ風が冷たい。

 

 向こうも待ちの姿勢に入ったのかと疑うも、アイリスはその可能性をすぐに否定する。

 今この状況はファイヴにとってまたとない好機であるはずだ。いたずらに間を空けているとしか考えられない。

 

 30秒ほど経っただろうか。ついにアイリスはこらえきれなくなり、低く伏せて片目だけを岩陰から注意深く覗かせた。

 

 100メートルほど前方。ファイヴは特に何をするでもなく、ぼんやりとした様子で突っ立って抱えたライフルをじっと見ていた。

 

(もしかして、銃の故障? いや、それにしては様子がおかしい……)

 

 直後、ファイヴは腕からスリングを外す。そしてきわめて適当な素振りで――「捨てる」と表現するのがピッタリの動作で、SU-16Cを適当に放り投げた。

 彼は新たな銃を抜かずにゆっくりと歩きながら、苦虫を噛み潰したような表情でアイリスが隠れる岩を睨みつける。

 

 目が合いそうになったアイリスは慌てて顔を引っ込める。だが、その可憐なアバターフェイスに刻まれた感情は恐怖や絶望の類ではなく――明確な、怒りだった。

 

「……ふざけんじゃない、ですよ」

 

 彼女自身、明確に心に渦巻く憤怒の潮流を自覚しながらもそれを抑えない。

 

 牽制や見越し射撃とするには狙いが甘く、踏みとどまれば回避できたファーストアタック。

 それに圧倒されて敵が足を止めた絶好の機会に、成されなかった追撃。

 遮蔽を取っているにも関わらず、お構いなしに撃ち込まれた多数の銃撃。

 何らかの原因により発射不能に陥った結果、無造作に捨てられたライフル。

 未だ無手でとぼとぼ歩いてくる、悪人面の青年アバター。

 

 これだけ判断材料が揃えば、アイリスの頭に血を昇らせるには充分過ぎた。

 

「なめんじゃないっての……!」

 

 可愛らしい口元に似合わぬ鈍い歯ぎしりの音を立ててから、アイリスは吶喊した。

 

 

 

 ファイヴは両手をぶらぶらと前後させながらチンタラとした速度で歩いていた。冷たい風が吹くがままに彼の上体も揺れ、身に付けた物やその強面に目を瞑れば散歩のようにも見えなくもない。

 

 だが、そんなアバターの様子とは裏腹に彼の心情は穏やかではなかった。彼我の距離は既に100メートルを切った。ファイヴからしてみれば()()の間合いだ。

 それでも彼は、歩く反動で振り子のように揺れる手で銃を抜けなかった。

 

 

(あと、少し。もう少しだけ、距離を詰めた方が……)

 

 先ほどあれほどまでに容赦なくライフルを撃てたのは、自身の腕であの距離なら当たらないと思えたから。

 この距離なら、()れる。経験に裏打ちされた確信が、ファイヴの決断を鈍らせる。

 

 

 銃を向けよう。撃とう。殺そう。

 ――そう思うたび、ファイヴは岩陰に隠れた小柄なアバターが恐ろしくなるのだ。

 

 もし撃てば、彼女の()()()に潜むバケモノが自分をどこまでも追いかけ回してくるのでは。

 そんな馬鹿げた妄想を、頭では否定できても心で否定しきれない。

 

 故にファイヴは、銃を握れなかった。これまでも、今でさえも。

 

 

 どうせこんなやる気のない姿を晒すなら、せめて弾切れになったSU-16Cを持ったまま威嚇でもしておけば良かった――などと実に意気地のない考えに頭を支配されたファイヴは、盲目的かついたずらにまっすぐ歩くことしかできないでいた。

 

「――――ァァアアアアッ!!」

 

 そんな鉛のような思考を吹き飛ばしたのは、前方から上がった裂帛の気合いだった。

 

「……悪い、アイリス。お前が怒るのはもっともだわ」

 

 ファイヴはアバターに突き刺さる数本の予測線を、全身を回転させるバタフライツイストで回避する。

 M1Dライフルから放たれた弾丸が、跳ねるファイヴを素通りするのを尻目に着地。ステップを踏んで体勢を整えながら、右のホルスターからMPX-Kサブマシンガンを抜いた。

 

 左手でハンドガードを握って突き出すように構え、セレクターを切る。ファイヴは苦い表情を浮かべながら、おざなりな狙いをつけてトリガーを引いた。

 

 狙いが甘いとは言え、秒間14発にも及ぶフルオート射撃にアイリスは正面から全速力で突っ込む形となる。

 だが彼女は、稲妻のような軌道の鋭角カットバックでそれを回避する。

 

「速い……って、おっと!?」

 

 急激な進路変更の直後でもアイリスは体軸をブラさず、ファイヴに向かって正確に撃ってくる。高速で走っているにも関わらず、銃口は一切揺れていない。

 

 対してファイヴは上体を屈めて弾道をくぐった後、伸びるように飛び上がって側方宙返り。

 ファイヴが空中で短機関銃を構えたのと同時に、アイリスの小銃からクリップが弾ける。

 

「うらァッ!」

 

 ほとんど条件反射で弾切れの虚を突いた、天地反転の銃撃が炸裂する。

 

 だが、それすらもアイリスは残像を伴ったコーナリングで回避した。

 そしてファイヴの着地点を先読みして回り込み、ライフルを槍のように引き絞る。

 

「ッ――!!」

 

 銃口に装着されたバヨネットの存在に気づくやいなや、ファイヴは即座に左のMPXを抜き撃つ。

 

 だがアイリスは、ファイヴが左手を銃に掛けた瞬間に銃剣を地面に突き刺した。

 そのままライフルを支えにし、棒高跳びめいたジャンプで9mm弾を置き去りにする。

 

「嘘だろ!?」

 

 ファイヴは着地して、地面から垂直に飛び上がった少女を見上げる。

 きらびやかな衣装と金髪をなびかせながら空を舞うその光景は、ある意味幻想的にも見えた。

 

 ……今にもファイヴを叩き潰そうと、M1ガーランドのバットストックを振り上げてさえいなければ。

 

「こんにゃろォ――――ッ!!」

 

 小さな肉体から放たれた想像を絶する一撃は、ひび割れだらけの地面を破砕して砂埃を巻き上げた。

 

 ファイヴは上体を反らすことで何とか直撃の回避に成功したが、続いて襲いかかった礫の散弾にアバターボディとHPを吹き飛ばされる。受け身を取ることはかなわず、背中から堅い岩盤に叩きつけられた。

 

 

「…………ゲホッ」

 

 現実であれば再起不能のダメージのはずだが、ここはGGO。人間の枠をはみ出した耐久力(VIT)を持つファイヴは、くぐもった咳一つをして立ち上がる。

 

「ダメージ二割弱、ってとこか……。打撃って結構、アバターにも有効なんだなぁ」

 

 ファイヴはそう暢気に呟きながら、手にしたMPXを構えることもせず砂塵の()()()に近寄っていく。

 粗い粒の土煙は想像していたよりも早く落ち着いた。視界が晴れきるより前に、両者は構える。

 

「あっ……!?」

 

 アイリスが銃剣の切っ先をファイヴへ向けた途端、M1Dライフルの銃身がストックから滑り落ちた。

 その様子を、ファイヴは緩く肩を上下させながら冷静に眺める。右手に握られていた機関銃は既にホルスターに戻されており、代わりに握っていたモノをアイリスの足下に投げて寄越す。

 

「嘘……あの一瞬で!?」

 

 銃火器に比べれば、実に小さな金属片。

 M1ガーランドの、トリガーユニットだ。

 

「俺も、やってみるまでできるとは思わなかったさ」

 

 ファイヴは自身がやってのけた離れ業に、軽く肩を竦めるのみであった。何でもない日常会話をするような口調で応じつつも、左の銃の狙いはアイリスから外さない。

 

「俺の、勝ちだ」

「撃たないんですか……!」

 

 驚愕に青くなっていたアイリスの顔が、再燃した怒りによってみるみる赤く染まる。

 ファイヴはばつが悪そうに眉根を寄せ、しかし眼前の敵から目を逸らすわけにはいかなかった。

 

「もう良いだろ……。勝負あったじゃねーか」

「まだ! どちらかが死ぬまではわからないじゃない!!」

 

 銃を突きつけられているにも関わらず、アイリスは噛みつかんばかりの気迫で吼える。

 圧倒的優位にあるはずのファイヴの頬を、冷や汗が伝った。

 

「ちゃんと撃ちなさいよ! 私はまだ、生きている! 人を撃つのが怖いですって!? GGO辞めちゃえば!? このヘタレ!!」

 

 アイリスは肺の空気全てを使い切るように背を丸めながら、大声で叫んだ。

 

 シカゴから、ファイヴの対人戦アレルギーに関しては聞いていた。

 聞いてはいたが――我慢ならなかった。

 

 ファイヴに悪気が有ろうが無かろうが、アイリスというGGOプレイヤーにとってそれは侮辱でしかない。

 ひどい言葉を吐いている事を申し訳なく思いながらも、アイリスは絶叫を止めることはできなかった。

 

 閑寂が数秒。沈黙を破ったのは、金属の塊が固い地面に落ちる音。

 

 絶望を体現した表情でアイリスは面を上げる。

 ……が、状況は彼女が思っていたものとは全く異なっていた。

 

 

 ファイヴは苦痛に顔を歪め、前のめりに倒れようとしていた。左肩には赤いライトエフェクト。

 そして、超音速の物体が通過した時に聞こえる、風船が破裂するような音。

 

「くっ――!」

「――!」

 

 目があった瞬間、両者は弾かれたように動き出した。

 

 アイリスはスカートの裾を捲り上げ、腿のホルスターに収めたベレッタPx4拳銃に手を掛ける。

 ファイヴも倒れ込みながら右腕を腰に回し、1911拳銃を抜きざまにセイフティを切る。

 

 銃口が向くタイミングは同時。

 アイリスがPx4のセイフティを跳ね上げ、トリガーを絞り切る。

 

 それより先に、ファイヴは撃った。

 

 

「ウアアァッ!!」

 

 咆哮と共に、三発。

 彼に引き金を引かせたのは、紛れもなくGGOで培ってきた彼自身の戦闘技術だった。

 

 胴に全ての45口径弾を受けたアイリスは、ビクリと体を硬直させて手にしたPx4拳銃を取り落とす。

 そしてゆっくりと、仰向けに倒れた。

 

 

「ハァ、ハァッ……!」

 

 ファイヴは荒い息を吐きながら、倒れたまま狙撃があった方向を警戒する。第二射はない。

 

 アイリスはまだ消えていない。つまり、まだ()()()()ということだ。

 ファイヴは警戒を緩めずに立ち上がり、未だ痺れに似た痛みを残す左の肩を軽く回しながらアイリスに歩み寄った。

 

 胸に三つの被弾エフェクトを受けたアイリスは、ファイヴと同様に苦しそうに呼吸をしていた。

 ファイヴは跪き、アイリスの胸の中央――心臓に、拳銃を向けた。

 

「ハァ、ハァ……懺悔の、つもりですか……?」

「違う」

 

 実に()()()()()()()アイリスの問いを否定しながら、ファイヴは引き金を絞った。

 

「……サークルが暴れて、こうでもしなきゃ外しそうなんだよ」

 

 重たい銃声が、闇夜にこだまする。

 

 遊底に蹴り出された空薬莢が地に落ちる頃には、少女の肉体はひび割れた砂漠から消え失せていた。

 

 

 

「…………ありがとう。アイリス、のべ助」

 

 誰にも届かないと分かっているが、ファイヴは感謝の言葉を述べた。コルトの弾倉を交換し、気付けの一撃によって取り落としたMPXを拾い上げる。

 二挺の短機関銃を器用にリロードしながら、ファイヴはライフル弾が飛んできた方向を睨みつける。

 

(発砲音までの時間を測る余裕は無かったから、7.62mm NATO弾の最大有効射程の800メートルとして……俺の走力(AGI)じゃ60秒以上掛かるな)

 

 狙撃手には最初の射撃を弾道予測線なしで行えるというメリットがあるが、その判定は敵に見つからず一分間をやり過ごすことで復活する。

 つまりファイヴは距離を詰めつつ、またしても弾道の見えない銃撃を回避せねばいけないのだ。

 

 銃撃を受けたことにより、HPバーは更に全体の三割強ほど減ってイエローゾーンへ。次に撃たれれば、よほど当たり所と運が良くない限りは仕留められるだろう。

 

 上等だ、と言わんばかりにファイヴは犬歯を剥いた。

 

「ここまで来たらヤケだ。一人も二人も変わんねーよな、多分」

 

 その悪人面にふさわしい、捉え方によっては非常に危険な言葉を吐き、ファイヴは走り出す。

 

 

「ブッ殺してやる……!」



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#11 地獄の沙汰も鬼次第

 岩肌だらけの荒れ地は、遮るものがない暴風と数年に一度降る大雨によって、時折人智を超えた地形を創り出す。

 現実に限界地域として存在する地形を再現されたVR空間で、伏射姿勢を取るアバターがあった。

 

「……すー……ふー」

 

 のべ助は反り立つな断崖絶壁の付け根に、寄り添うように伏せていた。

 身に纏ったサンドカラーの迷彩柄マントは、アバターの体を完全に周囲と同化させる。

 

「……すー……ふー」

 

 のべ助は、意識して呼吸を細くする。覗き込んだスコープの揺れを最小限に抑える狙いもあるが、行為の最大の目的は低温により白くなる息を見られないようにするため。

 レンズ越しのファイヴは、常時クラウチングスタートを繰り返すようにしてかなりの速度で迫ってきている。不用意にレンズの反射光や白い息を見せれば、見つかる可能性は高い。

 

 さらに念には念を重ね、のべ助は初撃を放った場所から位置を変えている。

 先刻ファイヴの肩を撃ち抜いたのは、今いる崖の頂上だった。そこにあった岩に予備の迷彩マントを被せてデコイを作成した上で、ラペリングを使って崖を下るという徹底ぶり。

 

(……全部が役に立たなくていい。もし用意してなくて失敗したら、後悔するだけだから)

 

 全ては時間稼ぎ、弾道予測線なしの一撃を成立させるため。

 

 そうでなければ、ファイヴを仕留めることはできない。

 それだけは、確信していた。

 

 事実、のべ助の構えるライフル――ガンサイトスカウトは3kgを切る軽量さと高精度を両立させているものの、ボルトアクションというどうしようもない弱点を抱えている。

 着脱式マガジンに納められた10発の7.62mm弾も、近距離戦に於いては役に立つ見込みは無い。

 

 ――そんなのべ助の地味な努力が実り、ファイヴは麓の分岐点から上り坂を駆け上がってゆく。

 視界を切られたことに慌てず、のべ助は仰向けになって銃口を崖の端に向けた。

 

(ラペリングに使ったロープは残してある。……気づいて頭を出したところを、撃つ)

 

 のべ助はライフルを構えたまま、手首の内側に巻いた時計で時刻を確認する。ちょうど、一分が経過していた。

 

 フォアエンドを握っていたバイポッドに移し、グリップ代わりに握り込む。真上に向けた銃口の揺れをピタリと止めてから、のべ助はトリガーに指を掛けた。

 

「……」

 

 非常に落ち着いた精神状態にも関わらず、スコープのレティクル上に投影された着弾予測円の収縮リズムは決して穏やかではない。

 トリガーに指を掛けるたび、のべ助は自身の小さな心臓に気分を害されるのだ。

 

 それでも、のべ助にはGGOでスナイパーをやり続けられるだけの腕があった。先天的な欠点は、知識と訓練で補ってきた。

 

(ファイヴもアイリスも、強い。シカゴの言う通りだった。……でも、勝つ)

 

 技術は十二分。覚悟も上等。集中力も申し分ない。

 ――だが、のべ助は狙撃手にとって致命的な誤りを犯していた。

 

 どんな時でも後ろに注意(チェック・シックス)。――スナイパーにとって生命線たる格言であるが、この瞬間に於いてのみ、のべ助は後方確認を怠っていた。

 ……だが、背後は地面なのだ。一人の人間(プレイヤー)が地中の存在にまで気を掛けなかったことを、誰が責められようか。

 

 ――現実(ゲーム)はそんな事はお構いなしに無防備な狙撃手を襲った。

 

 のべ助が背を預ける、頑丈な一枚岩の地面。

 それが突如として、音を立てながら砕け散った。

 

「!? うあっ……!」

 

 足場にいきなり空洞ができたことに反応できなかったのべ助はライフルを手放してしまい、落下する。

 自由落下すぐに終わるも、のべ助は自身が斜面を滑り落ちていることを認識した。すぐさま腰の拳銃を引き抜き、転がって体勢を立て直す。

 

「やられた……!」

 

 のべ助は、自身がモンスターの罠に掛かった事実に歯噛みした。

 

 滑り落ちるその先には、巨大なアリジゴク。すり鉢上の落とし穴の最奥に身を埋めるプログラムの生命体は、獲物が掛かったことを歓喜するかの如く大顎を振り上げた。

 現実それよりも鋭利で巨大な大顎(ギロチン)は、のべ助の胴体を一挟みで真っ二つにするだろう。

 

 のべ助は努めて冷静に、腰のホルスターからPRM-30拳銃を抜いた。

 仰向けのまま両手で構えトリガーを引くと、その玩具のような見た目に似合わぬ甲高い破裂音と共にマグナム弾が吐き出される。

 

 だが、いくらマグナム弾といえ.22口径。分厚い甲殻に弾頭のエネルギーが削がれ、大したダメージには至らない。

 

 それでものべ助は、撃たれたことに怒り奇声を上げるバケモノに発砲し続ける。

 

 アリジゴクはのべ助からの攻撃がさぞうざったらしかったらしく、顎で近くに転がった岩盤の破片を持ち上げる。

 現実のアリジゴクも得物に対して砂を投げつけて巣穴に叩き落とすが、このスケールの()()はのべ助にとって致命傷になりうる。

 

 自身を圧殺せんとする恐ろしい昆虫に対し赤いライトエフェクトを刻みつけながら、のべ助は左手でリグのポーチから新たな武装を引き抜く。

 

 ――MK3A2攻撃手榴弾(コンカッショングレネード)。手榴弾の代表格であるフラグや、GGOにて広く流通するプラズマグレネードとは異なる、火薬の爆風のみで敵を殺傷するグレネードだ。

 

 のべ助はPRM-30を握ったまま右手の小指でピンを抜き、アリジゴクに向けてコンカッションを投げつける。

 そして拳銃をホルスターを戻し、爆風から身を庇うように防御姿勢を取った。

 

 果たして、アリジゴクが岩を投げる前に手榴弾は炸裂した。

 怪物が衝撃波をもろに受けて金切り声をあげる中、のべ助も爆風の煽りを食って弾き飛ばされる。

 

「うぐっ……!」

 

 HPバーが急激に減り、一気にイエローゾーンへ。だが、それこそがのべ助の狙いであった。

 一気に落とし穴の縁まで吹き戻されたのべ助は、鈍痛に全身を痺れさせながらもナイフを抜いて壁面に突き刺す。

 

 45度を越えた傾斜で、のべ助はナイフを支えにぶら下がることに成功した。

 落とし穴の壁面はまるで刃物で削りだしたかのように滑らかだが、何度かナイフを突き刺しながらよじ登れば脱出できるだろう。

 

 だが、それには二つの障害があった。

 一つは、その間にもアリジゴクはノックバックから回復し、もたもたと壁をよじ登るのべ助にまた岩を投げつけようとしてくるであろう事。

 

 もう一つは、先ほどの自爆によって自身の両足も吹き飛ばしてしまったこと。

 

「……絶体絶命、かも」

 

 ライトエフェクトを迸らせる自身の脚を一瞥してから嘆息したのべ助は、脱出を諦めてナイフのグリップに片手でぶら下がったまま拳銃を抜く。

 だが、のべ助の筋力(STR)値ではこの姿勢も長くは保たない。アリジゴクの頭部に向けて銃を撃ちながらも、のべ助は死を覚悟する。

 

 更に追い打ちを掛けるかのように、無情にもPRM-30のスライドがホールドオープンする。

 

「…………はぁ」

 

 ため息一つ吐き、のべ助は物言わぬ相棒をホルスターに戻した。

 不測の事態に陥った際、ハンドガンを片手でリロードする技術はのべ助も修得している。だがこれほどまでに不安定な状態では、それすらもままならない。

 

 アリジゴクは金属を擦り合わせたような鳴き声を上げながら、顎で挟んだ岩を勝ち誇っているかの如く持ち上げる。

 

 のべ助は諦めて目を瞑った。

 岩に潰されて死ぬか。それとも顎に挟まれて毒液を流し込まれながら息絶えるリスクを冒してでも、近接攻撃を仕掛けるか。

 

(……岩も痛そうだけど、毒はもっとキツそう)

 

 そう結論づけた。――その時だった。

 

 

 岩石を抱えたアリジゴクに、一陣の銃撃が降り注いだ。

 

 

「よそ見してんじゃねェぞオラアァッ!!」

 

 曇天に炸裂する、二挺の怒号。

 

「……!」

 

 のべ助が、驚いて瞼を開くと、崖の天辺から身を投げ出してMPXを乱射する、ファイヴの姿があった。

 彼は体を完全に倒立させた状態で、怒声と薬莢を空中にまき散らす。

 

「危ない……!」

 

 この高度から落下すれば、いかにファイヴが《軽業(アクロバット)》に秀でたアバターといえど即死は免れない。

 だからこそのべ助は高低差を利用した陣を敷いた訳であるが――まさかこんな形で災いするとは思ってもみなかった。

 

 そんなのべ助の手遅れな心配を知ってか知らずか、ファイヴは弾切れになったMPXを二挺拳銃にトランジションしながら降下し始める。

 9mmのラッシュにひるんでいたアリジゴクはその僅かな隙に身を逸らし、ファイヴに向かって巨岩を発射した。

 

 自身を撃ち落とそうと迫り来る大質量の砲弾を見て、ファイヴは確かに笑った。

 

「もらったァ!!」

 

 直後繰り広げられた光景に、のべ助は自身の目を疑った。

 

 ファイヴが、飛んできた岩石を()()()()()()のだ。

 

 ……正確に言えば、飛ばされたのは運動エネルギーで劣るファイヴの方である。

 だが空中にいる状態で、高速で迫る飛翔体にサマーソルトキックを合わせて自身の移動方向を変更したという事実は驚嘆に値する。

 

 続けて飛来する砲丸も、ファイヴは足技やフリップで受け流すなりしてやり過ごす。

 

「ハハハハハッ! アーッハッハッハッハァ!!」

 

 ファイヴは空中でバカみたいに笑いながら、自在に飛んで跳ねて回って撃ってを繰り返す。

 実に奇っ怪で恐ろしい悪鬼のような笑顔の男にのべ助は軽く引きつつも、ファイヴの目論みに気づく。

 

(落ちるスピードを、殺している……?)

 

 事実、岩とぶつかり合うたびにファイヴのHPバーはじりじりと減少していたが、落下速度は目に見えて緩やかになっていた。

 

 ファイヴとアリジゴクの正面衝突まで20メートル。そこで拳銃二挺が沈黙する。

 

 9mmパラベラム弾62発に.45ACP弾を18発。さらに.22WMR弾を30発と攻撃手榴弾を受けたアリジゴクは、弱りきってもなお反撃の為に(あぎと)を振りかぶる。

 そうして投げつけられた岩弾は、今までのものより小ぶりで低速だった。それでもファイヴの上半身ほどのサイズはあり、かつ狙いは正確だ。

 

 完璧な()()。避けられない――のべ助は、今度こそファイヴが撥ね殺される光景を想像させられた。

 

 ファイヴはゆっくりと――それでも時速30kmほどのスピードで迫る子供大の脅威を見て、リロードを諦めて二挺の1911をすぐさまホルスターに戻した。

 

 そして、腰を捻って拳を固く握り――岩を正面から、裏拳でブン殴る。

 

 バキバキと、岩を砕いているのかアバターの骨格が砕けているのか分からない嫌な音を聞きながら、ファイヴは歯を食いしばって拳を振り抜いた。

 

「――――ッだァ!!」

 

 角度にして僅か、10度ほど。

 だが確かに、ファイヴは投擲物の軌道を殴って変えたのだ。

 

 最後の一撃すら凌がれたアリジゴクが、絶望したようにファイヴには見えた。

 

 勝機と見たファイヴは、脚を縮めて力を溜め込む。遮るものがなくなった空中を(くだ)る彼の姿は、さながら流星であるかのようにのべ助の目に映った。

 

 目標は、度重なる銃撃によってライトエフェクトまみれになった頭部。

 

 狙い違わず急降下したファイヴは、アリジゴクと接触する瞬間に全身のバネを解放した。

 

 

「ゼェエエイアアァッ!!」

 

 双の踵を揃えて放たれた一撃は、とても人間の蹴撃とは思えないインパクトを轟かせる。

 

 空気を震えさせるその落雷蹴りは、装甲に放射状のダメージエフェクトを迸らせながら、怪物の意識を彼方へと叩き飛ばした。



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#12 一閃

 蹴りの反動を利用して、ファイヴは身を翻しながら蟻地獄の縁まで飛び移る。度重なる衝突ダメージを受け止めた彼のHPバーは、既に真っ赤になるまで減少していた。

 

「あ゛ー、死ぬかと思った……」

 

 骨身に染みるような痛みに顔をしかめながら、一度屈伸する。GGOが格闘系VRゲームでない以上、一定の値を超えた衝撃にはしっかりダメージが発生するのだ。

 

 それに、エフェクトの派手さに反して巨大アリジゴクが受けたダメージは微々たるものだ。どれだけ超人的な筋力(STR)を持とうが、徒手空拳が銃火器の火力を凌駕する事はまずあり得ない。

 

「さぁってと……のべ助ー、まだ生きてるかー?」

 

 怪物昆虫に止めを刺し切れていない事をしっかりと理解しながらも、ファイヴは暢気に武器を一挺ずつリロードしながら眼下ののべ助に声を掛けた。

 

「……生きてる。いろいろと、限界……」

「よし、掴まれ。……って、その足じゃ無理そうだな」

 

 両足を失った状態でナイフの柄にしがみつくのべ助を見て、ファイヴはいったん伸ばした腕を引っ込めた。

 そして唯一まともに自由の利く右手で穴の縁を掴み、無防備にも身を投げ出す。

怪物エネミーからすれば最後のチャンスであるはずだが、攻撃は無い。

 

 アリジゴクはファイヴの蹴りにより、許容範囲を超えたスタンダメージを受けて()()()()いた。

 打撃や非致死性のゴム弾などによる衝撃判定攻撃――とりわけ頭部への振動は、通常弾と比較して非常に高いスタン値を叩き出す。ファイヴはそれを利用したのだ。

 

「ホラのべ助、掴まれるか?」

 

 ファイヴは片腕一本ですり鉢の壁にぶら下がり、のべ助に自身の脚を差し出す。のべ助も少々無礼な救出法に特に文句は言わず、壁に刺したナイフを引き抜きながら飛びついてきた。

 

「よしよし……ふん、ぬっ!」

 

 ファイヴはのべ助を振り落とさないように加減しながら振り子のように身を揺らし、勢いがついたところで筋力(STR)にモノを言わせて一気に地上まで引き揚がった。

 ファイヴと一塊になって地面を転がりながら、ついに奈落からの這い出たことにのべ助は密かに安堵する。

 

「ふひゃっ……!?」

 

 だが息つく暇もなく、今度は肩と腿の裏に腕を回され持ち上げられる。

 ファイヴに、お姫様だっこされているのだ。

 

「ちょ、ちょっと……」

「悪いな。ちょっと時間無いから、勘弁してくれ」

 

 こっぱずかしい所作に頬を赤らめるのべ助に、ファイヴは言い訳のように謝罪する。

 彼も好き好んでこんなキザったらしい真似をしている訳ではなく、この抱え方は迫り来る脅威からのべ助を庇うためのものだった。

 

「さーてヤバいぞー。撤収撤収」

 

 言葉とは裏腹なのんびりとした口調で彼は呟き、一人のアバターという過重量(デッドウェイト)を抱えたまま移動ペナルティ時の最高速で小走りし始める。

 

「お、降ろして……」

「無理だって。急いで逃げないと爆死しちまう」

「……?」

「ほら、揺れるぞ。しっかり掴まれって」

「…………うん」

 

 えっほえっほとジョギングのような速度で走るファイヴの首に、のべ助はためらいながらも両手を回す。

 

 直後、二人の背後から大音響の金切り声が上がる。アリジゴクがスタンから復活したのだ。

 ファイヴはそれにかまけず、とにかく走って巣穴から距離を取ることに専念する。

 アリジゴクの咆哮から数秒後、彼らの頭上を気の抜けるような風切り音が通り過ぎていった。

 

 それは、ファイヴにとっては馴染みの――シカゴお手製小銃榴弾(ライフルグレネード)の飛翔音。

 信頼が、確証に代わった瞬間であった。

 

「お前はもう、死んでいる……」

 

 空砲の圧力によって山なりに飛来した榴弾は、ハンドグレネードとは比較にならない弾頭重量を裏付けるか轟音と共にすり鉢の底で爆発。

 プラズマエナジーの奔流は、アリジゴクを一瞬で飲み込んで木っ端微塵にした。

 

「――やったぜ。」

 

 ファイヴはのべ助を庇う背に余波の熱風を受けながら、ガッツポーズの代わりにそう呟く。

 

 のべ助は自身に経験値が入った事によって、事の顛末と戦闘の終結を認識した。

 

 

 

「……もう良いでしょ。降ろして」

「そうか? 欠損ペナ回復まで、まだ結構あるだろ」

「…………恥ずかしい。察して」

「人目もないし、良いじゃねーか。しばらくオッサンに頼っときなって」

「…………」

 

 のべ助が虚空で何かを操作すると、突如として悪人面のアバターは凍り付いたように動きを止めた。

 ……否、ゲームのシステム権限によって止められた。

 

 いきなり言うことを聞かなくなった電脳の肉体に困惑するファイヴに、けたたましいアラーム音とセットで視界にメッセージウィンドウが突きつけられる。

 

「……え?『ハラスメント警告』? 分類《セクシュアル》……は? セクハラ?」

 

 予想外の事態に状況を飲み込めないファイヴ。それでもこの状況で唯一ファイヴに警告メッセージを送りつけられるであろうのべ助に、眼球だけを動かして視線を向けた。

 ファイヴが混乱している理由に思い至ったのべ助は、緩く溜め息を吐きながら自身の顔を覆い隠すフードを捲った。

 

 露わになったのは、戦闘前にファイヴにも一瞬見えた金色の目。思っていたよりも穏やかな目つきであり、そして睫毛が長い。

 頭髪は、一部マニアにカルト的な人気を誇るピンクより、少々青みが強い紫色。SF世界であるGGOではさして珍しい髪色ではないが、兵士としてはかなり長めのそれらは後方寄りのサイドテールに結われていた。

 そして背丈に比べあどけない印象の顔は、厳つい男に似ても似つかぬ滑らかな曲線によって構成されている。

 

 気恥ずかしさで頬を赤く染めるのべ助は、疑いようもなく――女性であった。

 

「……あ、そういう……」

「わかって、くれた……?」

「はい」

「……降ろして、くれる?」

「はい」

 

 顔から湯気が出そうなほどに真っ赤になりながら、のべ助はファイヴに対する警告設定を解除する。

 身の自由が利くようになったファイヴは、未だ足の戻らないのべ助を丁重に地面に降ろす。爆発物処理でも行っているかのように慎重な動作で両手を離し、数歩後ずさった。

 

「ファイ……」

「――済みませんでしたァ!」

 

 ファイヴは自身の持つ敏捷(AGI)を総動員して後退し、畳んだ膝で地面を擦りながら瞬時に土下座した。

 

「……いいよ。怒ってない」

「はい! 心の底より反省しております!」

「本当に、怒ってないから。……紛らわしい格好してた、こっちが悪い」

「はい! 以後気を付けます!」

「…………いいから、頭上げてよ」

「はい! ありがとうございます!」

「…………」

 

 噛み合わない会話にのべ助は頭を痛めながら、頭を上げたファイヴに手招きする。

 

 ファイヴは動けないのべ助に近づきながら、情けなくもガクガクと震えていた。

「GGOに女プレイヤーはごく少数」という先入観もあったとは言え、勝手に男と勘違いした上で移動の自由の利かないのべ助に好き勝手やらかしたのだ。過去のトラウマも手伝って、いったいどんな仕打ちを受けるのかと戦々恐々の極みであった。

 

 そんな彼に対し、のべ助からの回答は実にシンプルであった。

 

「……ん」

 

 どこか眠そうな表情でファイヴに手渡されたのは、ナイフの柄。

 ファイヴは泣く泣くナイフを握り、自身の小指に薄く鋭い刃をあてがった。ゲームとは言え痛いものは痛い。自傷ともなれば、そのメンタルダメージは殊更だ。

 

「……何してるの?」

「……『誠意見せろ』って意味じゃないんですか」

「違う……。あと、敬語やめて」

 

 ゲームの中とは言え、良い年をしたチンピラ顔の男が半ベソかきながら指を詰めようとする光景は、精神衛生的に非常によろしくない。

 ――指どころか手足の欠損や五体爆散など日常茶飯事であるGGOではあるが、このように現実に近いスケールの負傷はやはり生々しいものがあった。

 

「でしたら、一体……」

「敬語」

「……じゃあ一体、コイツで俺に何しろって言うんだ」

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに、のべ助は目を細める。

 そのどこか儚い金色の眼光に、ファイヴはなぜか強い既視感を覚えた。

 

「……わたしを、殺して」

「っ――――」

「ファイヴが助けてくれなかったら、死んでたから。……どうせ殺されるなら、あなたが馴れた方が良い」

 

 少々言葉は足りないものの、ファイヴは意図を嫌と言うほど理解した。細身なグリップを握った手が、冷たくなっていくような錯覚を覚える。

 

「手を、離しちゃだめ。……大丈夫、たかがゲームだよ」

「……でも」

「がんばれ、ファイヴ」

 

 10cm程度の刃で人の命を絶つ(すべ)は、知識にある。

 それを実行できるだけの技巧(ステータス)も、備わっている。

 逃走もままならぬ無防備な獲物が、そこにいる。

 

 逃げ場は、無い。

 

 

 肩を落とし、ファイヴは煙草を銜えて火を点けた。

 溜め息代わりに目一杯の紫煙を吐き出し、ぺたりと座ったまま微動だにしない少女の背後に回り込む。

 

「いい趣味してんな、お前」

「……それほどでもない。実は少しショックだったから、お返し」

 

 性別を間違えられた腹いせに、文字通り自身の首を差し出すなど前代未聞だ――ファイヴは煙草を銜えたまま、シニカルに笑った。

 

「……ホント、いい性格してるよ」

 

 言い終わると同時に、ファイヴはのべ助の顎を強引に持ち上げる。

 白く細い喉に刃を刺し入れ、ひと思いに引き裂く。

 

 手を離すと、アバターは糸の切れた操り人形のように身を横たえる。

 

 ――――砂漠の風に掻き消されるほどに、静かな死であった。

 

 

「……帰るか」

 

 ダークグレーの空に舞い溶ける光の粒子をぼんやり眺めながら立ち上がり、ファイヴはマットブラックのナイフ片手に独りごちる。

 

 分厚い雲に届きそうな高さまで昇ってゆく信号弾が、白い尾を引いていた。



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#13 砲火後ティータイム

 GGO首都、《SBCグロッケン》総督府のとある一角。

 街の内外問わず様々な地点に繋がるワープポータル集合エリアに、青白い光に包まれながら二人のアバターが現れた。

 

「だーもう、体が重い。もう歩きたくねぇ」

「ここまで来たらあと一息ッスよ。頑張りましょう」

 

 ファイヴとシカゴだ。砂漠のポータルまで徒歩で帰ってきた彼らは、夜も更け往来の増したポータル集合エリアを少々苦しげな表情で歩いていた。

 砂漠地帯で身に纏っていた全身武装はアイテムストレージに戻された身軽な格好に反し、男二人の足取りは重い。

 

「大体、こうなったのは五割が先輩のせいッス。つべこべ言わんでください」

「うっさいな。こうでもしなけりゃ勝てなかったんだよ」

 

 彼らはストレージに仕舞った、アイリスとのべ助が落とした装備の重量に苦しめられていた。

 

 フィールドでのデスペナルティ――つまりランダムドロップを回収した結果、ファイヴとシカゴは互いにアバターの重量制限を超過したのだ。

 

 シカゴの見込みが甘かった訳ではない。こうなったのはファイヴがアイリスのライフルを分解したり、のべ助がガンサイトスカウトを不慮の事故で手放してしまったせいである。

 そこに通常のドロップも合わせると、元より重量制限ギリギリの装備をしているファイヴはおろか、筋力値に余裕のあるシカゴまでペナルティに囚われてしまうのだった。

 

「くっそー、今ここでSTRにボーナス振れば多少は楽になるかなぁ?」

「一時ラクをするために貴重な経験値無駄にすんのやめてください。中距離でももーちょいマシに当てられるように、DEXにでも振ったらどうスか? もしくはVIT」

「お前VITかなり推すよな。そんなにガチタンが好きかよ」

「ファイヴさんの戦い方は見てて心臓に悪いッス。現に今回も死にかけだったじゃないスか」

 

 ファイヴは煙草をふかしながら、シカゴは顔のサンマ傷を撫でながら、巨大な総督府を貫くエレベーターに乗り込む。上昇時に掛かる僅かなGですら、今のファイヴにはうざったい事この上ない。

 

「くそったれ、慣性力の掛かり方までリアル志向にしやがって。もっとテキトーで良いじゃねーかよ……」

「もしそうなら、ファイヴさんが跳んだら二度と地面を踏めなくなるかもしんないッスよ。もしくはジャンプしたらすぐに床ビターン、とか」

「それもそれで困るな。……ん、待てよ」

 

 ファイヴは煙草を口から離して黙考し、数秒してから再び煙を吸う。

 主流煙を吐き出す際、僅かに顎を上げて目を細める。

 口端を僅かに吊り上げたファイヴの表情は、銃を握ったままであれば快楽殺人鬼と間違われそうなほど悪辣に見えた。

 

「――閃いたぜ」

「おっ、マジすか」

 

 もちろんファイヴに殺戮を楽しむような趣味はない。それを熟知しているシカゴは、特に気にする風もなく会話を続けた。

 

「まぁ、まだ可能性だけどな。もしかしたら戦術の幅が広がるかもしれん」

「へぇ、どんな感じッスか?」

「まだ可能性だって言ってんだろ。もうちょい煮詰まったら話す」

「そうスか。楽しみにしときますよ」

 

 男二人の会話にちょうど区切りがついた所で、エレベーターは停止してドアを開く。

 総督府のパブリックエリアは、地下のポータルエリアの人口増加も納得の人通りであった。

 

「……ここにアイツら居るんだっけ? この状態で更に人探し追加とか笑えねぇんだけど」

「金曜夜は混むッスからねぇ。流石に俺も手間掛けるのは勘弁なんで、連絡取ってありますよ」

「相変わらず手際良いな、お前」

「褒めても荷物持ったりしませんよ」

「可愛くねぇ後輩だなぁ」

 

 アバター達の群に混じる前に、ファイヴは煙草を踏んで消した。これだけ人が多いと、普段の習慣で歩き煙草は少し気にかかる。

 

「のべ助はあっちのカフェスペースにいるらしいッス。俺はアイリスの方行くんで、一旦別れましょう」

 

 筋力の関係上、ファイヴが比較的軽量なのべ助の装備を、そしてシカゴが重量の嵩むアイリスの銃を持っていた。

 可愛いナリをして、アイリスの得物であるM1Dライフルは4kg超。先ほどの戦闘で使われた銃の内で一番重い。

 

「また集合すんのか? もう俺疲れたからさっさと落ちたいんだけど」

「あー、まぁあれだけ大立ち回りしてましたからねぇ。じゃ、明日ログインできますか?」

「昼過ぎ以降なら」

 

 実際に肉体を動かさないVRゲームに於いても、アバターを運動させたり神経を使うことによる精神的な疲労は蓄積する。

 ファイヴはそこそこスタミナがある部類に入るプレイヤーだが、立て続けの戦闘と過重量ペナルティの倦怠感によりすっかり消耗していた。彼の悪人面はその事を表すかのように、珍しくトゲの無いどんよりとした表情が張り付いている。

 

「んじゃあそん時にもっかい集合しましょう。戦術考えたりとか、訓練もしたいんで」

「りょーかい。んじゃまた明日」

「うっす。お疲れッス!」

 

 男二人は軽く手を上げて別れの挨拶を交わす。

 ファイヴは疲労困憊により相変わらず仏頂面だったが、シカゴは彼の眉間に皺が寄っていないことに気付いた。

 

 互いに身を翻す瞬間にのみ見えた僅かな変化に、キズ面のイケメンアバターは爽やかな微笑みを浮かべる。

 

 (ファイヴ)をGGOに誘った手前、裕士(シカゴ)はもっと先輩と遊び、楽しみたかったのだ。

 延々とMob狩りをしている事が退屈という訳ではない。だがやはり、銃弾飛び交う戦場を彼と共に味わえないのは非常に勿体ないと常々考えていた。

 

(やっと――やっとファイヴさんと、一緒に戦える)

 

 長身巨躯のイケメンアバターは、歩きながら軽くガッツポーズを引く。その表情は、プレゼントの包み紙を開く時の少年のそれに良く似ていた。

 

「さーて、楽しくなるぞぉ……あっ、アイリスー!」

 

 シカゴは軍服ワンピースの少女を見つけた途端、重量ペナルティなど微塵も感じさせない軽やかな足取りで走り寄っていく。

 今の今まで彼の脳内にあった先輩の姿は、既に遙か彼方へ消し飛んでいた。

 

 現金なヤツめ……ファイヴがこの場にいたなら、間違いなくそう言ったであろう。

 

 

 

 一方その頃、ファイヴはのべ助が待つカフェエリアに足を踏み入れていた。

 ファイヴは入ってすぐに、カウンターの隅で紫色のサイドテールが揺れているのを見つけた。

 

 ――それから、5分が経過していた。

 

「…………」

 

 ぼさっと突っ立ってのべ助の背中をガン見している訳ではない。そんな事をすれば只でさえ不審者認定待った無しである。

 

 待ち合わせ場所に着いたは良いものの、ファイヴはのべ助になんと声を掛けようかと迷っていた。結果、独り壁に寄りかかって俯き、たまにのべ助の後頭部をちらりと見る事しかできないでいた。

 ……それでも不審者ライクなのは間違いないが、今この瞬間だけはファイヴが特に浮いているという事はなかった。

 

 なぜなら、盗み見るようにのべ助に視線を投げるアバターはファイヴだけでないからだ。

 只でさえGGOで数少ない女性アバター。しかも結構な美人。

 アイリスのように一目で釘付けにされるような可憐さは備えていないものの、のべ助には寡黙でクールなお姉さん的な魅力があった。

 いつもは喫茶だの酒だのを嗜んでバカ騒ぎしているはずの男達は、皆押し黙ってのべ助をチラチラ見るばかり。

 ……ちなみに、VRといえども女性と見るだけでちょっかいを掛ける人種は現在でも一定数存在する。そんな中で彼らの行動は、不躾ではあるがそこそこに紳士的ではあった。

 

 そんな野郎共の熱視線で体感温度が少々上がっていそうな近未来的なカフェバーで、ファイヴの顔色のみが優れない。

 こんな状態でのべ助に――殺した相手に話しかけに行く事など、そもそもファイヴにとって起こりえなかった事だ。

 

(…………どうしたもんか)

 

 ファイヴはがりがりと頭を掻きながら、空いてる手でソフトケースを取り出す。

 手のスナップで飛び出たフィルターを銜えようとしたとき、彼のすぐ側に滑らかな動作で円筒形のロボットがやってきた。回転する頭部パーツや電子的で愛嬌のある鳴き声(?)は、某SF映画金字塔のマスコット的ドロイドを彷彿とさせる。

 

「おいおいコレ大丈夫なのか……って、光剣なんてものもあるし今更か」

 

 ロボットはきゅるきゅると鳴きながら、ワイヤーのようなマニピュレーターでファイヴにグラスを手渡しする。

 

「あ、どうも……?」

FROM HER(あちらの方からです)

 

 胴に備え付けられた電光表示機に、光るドットで文字が書き出される。マニピュレーターはカウンターで静かにストローを啜るのべ助の背を指していた。

 

「……あ、そう」

ENJOY(ごゆっくり) ;-) 】

 

 嬉しそうにドーム上のヘッドパーツを一回転させ、ロボットはカウンターの奥に引っ込んでいった。

 ファイヴはばつが悪い顔をして、帽子を外してアイテムストレージに戻しながらのべ助の隣の席に座った。

 

「……お待たせ。その、済まなかった」

「……ずっと立っていたから、何してるのかと思った」

「ホント申し訳ない」

「いい。……装備、返して」

 

 ファイヴは催促されるままに、回収したのべ助の装備を受け渡す。するとのべ助はすぐさま迷彩マントを身につけ、再び自身の姿を隠してしまった。

 

 それと同時に酒場の熱視線は殺意を伴ってファイヴに集中する。ジャケットの裏地が針のムシロになってしまったかのような錯覚を受けつつも、ファイヴはのべ助に頭を下げる。

 

「なんか、本当に悪かった」

「気にしてない。……あまりしつこいと、怒る」

「お、おう」

 

 マントの奥から半眼で睨まれ、ファイヴはお茶を濁すようにグラスに口を付けた。茶葉の劣悪さを過剰な糖分で誤魔化したようなアイスティーの風味がアバターの味覚に伝わる。

 

「イケるな、悪くない」

「……ファイヴ、味音痴?」

「? まぁ、割とな」

 

 のべ助としては意趣返しのつもりで不味い紅茶を奢ったつもりだったがファイヴは特に堪えた様子もなく、愛好家にとっては侮辱を通り越して拷問に近い味の紅茶をがぶ飲みしている。

 隣の青年アバターが繊細なのか大雑把なのかよくわからなくなりつつも、のべ助はファイヴにアバターカード交換を持ちかける。

 

 ファイヴは、少々驚きつつも承認した。これで彼のフレンドリストの枠は1.5倍に増加した事になる。

 

「合格だったのか、実はちょっと駄目かと思ってたぞ」

「……致命的な問題は、無かった。……それだけ」

「そうかい……」

 

 アバターを殺す事にビビりまくり、挙げ句今でものべ助に軽くビビっているのはのべ助にとって致命的ではないらしい。

 ファイヴは自嘲的に口の端を僅かに上げつつも、ベルトに挟んでおいた抜き身のナイフをのべ助に差し出した。特に深い意味は無いが、これはちゃんと手渡ししないといけないような気がしていた。

 

「何て言って良いかわかんないが、ありがとうな」

「……ん。『ありがとう』だけで、いい」

 

 のべ助はマントの中から腕を伸ばして、ナイフを受け取った。マントの奥に仕舞われる一瞬にエッジが光り、ファイヴに自身の行いを強く思い起こさせる。

 仮想(アバター)のものとは言え、肌を突き破り肉の管を絶ったのだ。その感触を心地よいと呼べる程、ファイヴの倫理観は()()()()いなかった。

 

「なんで、怖いの……?」

「は?」

 

 掌をぼんやりと見つめるファイヴの顔を、のべ助は軽く身を乗り出して覗き込んでいた。

 純粋に疑問を抱く金色の瞳とから逃れるように、ファイヴはカウンターに置いたグラスをいじり始める。

 

「……別に、大した理由じゃない。俺がただ、ヘタれてるだけだ」

「いい。聞かせてほしい」

「…………」

「……話すの、イヤ?」

 

 ファイヴはその一言を受け、持ち上げたグラスを傾ける前に静かに置いた。

 非常に緩慢な動作で煙草を取り出して、一服。紫煙を吐いた口を再び開いて、やっと声を絞り出す。

 

「ホント、どうでもいい話だが」

「いい。……聴く」

「そらどうも」

 

 

 それからファイヴは、ぶつぶつと独り言のように話し出した。

 

 自身を唯一殺してみせた、赤い荒野に現れた正体不明のアバターのことを。

 そしてそのピンク色のアバターは、過去に怨みを買ったせいか行方知らずであることを。

 

 話としてはそれだけで片付くが、ファイヴの語り方は自身の心情や思い入れなんかも盛り込まれ、また時系列もぐちゃぐちゃであったため冗長で分かり難かった。

 それでものべ助は、控えめながらも相槌をいれてファイヴに話を促し、そして真剣な態度で終始聞くに徹した。

 

「出来ることなら、その人に礼を言いたかった。んで、リベンジマッチでも申し込もうとも考えてたな。……今では御免だが」

「……そう」

「話はコレで全部だ。ご静聴どーもありがとうございました、ってな」

 

 ファイヴは少々恥ずかしげに茶化しながら、いつの間にかカウンターに置かれていた灰皿に煙草を押し付けた。吸い殻は結局ポリゴンとなって消えるのだが、店主(ロボット)はヘンに気が回るらしい。

 

「……質問」

「どうぞ」

「その、ファイヴを殺した奴が使ってた銃。……わかる?」

 

 何故そんな事を聞くのかと疑問を口にする前に、ファイヴは腕を組んで記憶を掘り起こす。

 印象的とは言え、一瞬の出来事。そして数ヶ月前。ファイヴのおぼつかない記憶力では危ういところであった。

 

「うーん……。多分、銃声からして大口径では無かったはずだ。銃のシルエットがハッキリと見えなかったから、服と同じか近い色にペイントしていたのかもな。でも銃までいつもピンク色なんて酔狂なんている訳ねーし、多分見間違い……」

 

 ファイヴがそこまで言ったところで、今度はのべ助が俯いて考え込む。そしてすぐに、弾かれたように顔を上げた。

 

「……ファイヴ。明日、暇?」

「午前中以外は。けど一体……」

 

 のべ助にしては珍しく、ファイヴの言葉を遮ってまで話し続けた。

 

「午後の、1時。場所は、総督府(ここ)から出て一番近くにある酒場」

「全く話が見えないんだが……」

「いいから。必ず、来て」

 

 ずいずいとファイヴに顔を近づけるのべ助の迫力に気圧されて、ファイヴは思わず頷いた。

 

「お、おう……」

「約束」

「わかったって」

「……絶対?」

「約束する」

 

 後ろに仰け反りながら首肯するファイヴに、のべ助は満足そうに頷いた。

 

「……じゃ、また明日」

「あいよ……」

「……ばいばい、ファイヴ」

 

 のべ助は小さく手を振りながら、その言葉を最後に光の粒子となって消え失せた。ログアウトして、現実の世界へと舞い戻ったのだろう。

 ファイヴはがっくりと首を垂れて、再び砂糖水のような紅茶を口にする。どれだけ飲んでも全く減らないドリンクも、そろそろ飽きてきた。

 

「……『ログアウト』」

 

 煙草でも吸うか、などと上手く回らないファイヴは頭で考えながら、やきもきする男達をカフェスペースに残して消滅した。



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#14 嵐の前の嵐

〈 Phive : 済まない、リアルの用で少し遅れそうだ 〉

「…………むぅ」

 

 視界の端に浮かび上がった個人チャットのメッセージに目を通し、のべ助はフードの奥で軽く眉根を寄せた。

 もっとも平時から滅多なことで感情を露わにしない彼女の不機嫌そうなアバターフェイスは、たとえ素顔が窺えたところで読みとるのは難しいだろうが。

 

 そんな彼女のへそ曲がりとは対照的に、SBCグロッケンでも有数の大きな酒場は爆笑が沸き起こっていた。

 

 笑いの中心には二人のアバターが。

 一人はM90という、いかにも森林で効きそうな北欧の迷彩服を着たハンサムな男。彼の肩にはこれまた特徴的な、ナイフを銜えたドクロのエンブレムが屠られている。

 もう一人は、まるでゴリラが戦闘服を着ていると評するのがピッタリの女アバター。向かい合ったドクロマークの男よりも恵体で、後頭部の三つ編みで辛うじて性別が判断出来る程度といったところ。

 

「こいつは楽しみだっ! 出場してくれて本当に嬉しいよ!」

 

 イケメン男がそう高らかにゴリラ女と挨拶を交わし、満面の笑顔で二本指を振る。だが、その瞳は異常な殺意にギラ着いていた。

 その視線を受け止める女も、迫力と殺意満載の笑みを浮かべている。

 

 非常に物騒な絵面であるが、双方ともに殺意はあっても悪意はない。非常に()()()()()、とでも言おうか。

 

 これもファイヴに見せた方が良かっただろうか、とのべ助は少し後悔した。

 しかもファイヴは遅刻する旨を既に連絡してきている。今から「なるべく早く来て」と連絡するのも、あまり褒められたものではない。

 

 それに、まだ午後1時まで30分以上時間がある。待ち合わせの時間設定をミスした事をメッセージで詫びた方が良いだろうか、それとも急かさないよう彼が到着してからにするか。

 

「……んー」

 

 睡眠不足で回らない頭を何とか回しながらも、のべ助は注文していたお酒をちびちびと飲む。

 

「なんだ、ありゃ?」

「強そう、だな」

「ああ……。顔を隠してるのは、ツラと名が知られているからかもな」

「ひょっとして、BoBに出るような連中かもしれない」

 

 仮想のアルコールに容赦なく喉を焼かれたのべ助が顔をしかめている頃、酒場の客達は不穏にざわめきだした。

 

 そんな不穏の渦中には、やはり不気味な戦闘服の集団。

 体格こそ大小高低とバラエティには富んでいるが、バラクラバと色付きゴーグルにより素顔は一切窺えない。

 

 そしてその先頭には、2メートル近い筋骨隆々の大男。

 彼は、のべ助の知る限りでGGO内最強の一角であり、そして一種の到達点であった。

 

 その男こそ、2ヶ月前に開催された《スクワッド・ジャム》なる大会で優勝した一人。

 

「エム……」

 

 のべ助は暗いフードの奥で、騒がしい酒場では誰にも聞き取れない声量でその名を呟いた。

 

 彼女にとって、エムという男は一つの目標だ。そして、いずれ倒すべき標的でもある。

 

 

 エムを筆頭とした物静かながら威圧的な男達に、のべ助も含めざわつく酒場にピリッとした空気が張りつめる。

 

「やっほーっ! みなさんお待たせー!」

 

 そんな空気に全く似つかわしくない、軽快な女の声が飛び込んできた。

 

 漫画であればそこらの男達がずっこけそうな場違いさを伴って入ってきたのは、声の主である黒髪ポニーテールの女アバターである。

 身長は175センチほど。身に纏った濃紺のつなぎは、痩せ形で一切の脂肪が無い人工物のような肉体にぴっちりとフィットしていて実に機動力が高そうだ。

 

 褐色の肌に、頬には煉瓦色のタトゥー。

 顔は整っており美女の部類に入るアバターだが、大きく目立つ刺青とカミソリのように鋭い眼光が、なんとも底知れなさを漂わせる女であった。

 

「ッ……!!」

 

 その女の姿が目に入った途端、のべ助は凶悪なまでの憎悪の表情を浮かべる。

 飛びかかって噛みつくのを我慢しているかのように食い縛られた顎は、現実なら奥歯を砕かんばかりの圧力を彼女自身に与えていた。

 

「どうもね! お待たせね! ご声援、ありがとね!」

 

 呆気に取られる観衆達など、まるで見えていないものかの様に振る舞う女アバター。

 

 そんな褐色の女と粘ついた殺意を人知れずまき散らすのべ助の目が、一瞬合った。

 

「……へぇ」

「……!」

 

 のべ助はあわてて目を逸らす。苦し紛れにグラスに口をつけるが、舌に合わない飲み物で喉を潤すような気分ではなかった。

 

(笑っていた……)

 

 そう、選挙活動のご挨拶よろしく愛想を振りまいている女アバターが、のべ助と目を合わせたときだけ明確に笑ったのだ。

 それはまるで、獲物をいたぶるかのような、明らかな嘲笑。

 

(殺す……殺す!)

 

 タールのようなどろどろとした敵意が、さらに火をつけられて燃え上がるかのようにのべ助は感じた。

 

 褐色タトゥーの女アバター、その名をピトフーイ。

 彼女はのべ助にとって、GGOでの仇敵であると同時に、()()()()()絶対に許せない女であった。

 

 それこそ、()()()()()()()と思ったことも一度や二度ではない。

 

「ピトフーイィ…………!!」

 

 幸いと言うべきか、その静かな怨嗟の声は騒がしい酒場の誰にも聞き取られることはなかった。

 

 それを見越してしか声を発せない自分が、のべ助はたまらなく情けなかった。

 悔しいが、ピトフーイはのべ助よりも強い。更に言えば、ピトフーイ自身はのべ助に何をしたかなどもう忘れてしまっているかもしれない。

 

(殺す……! 絶対に、殺してやる……!!)

 

 激烈な怒りと、爆発しようとするそれを抑えつける冷徹さ。その二つがのべ助の内でない交ぜになって、彼女を深い絶望へと孤立させてゆく。

 

 

 

「おい、どうした。大丈夫か?」

「……!」

 

 グラスを握りしめるのべ助の手に、低く落ち着いた声と共に手が置かれる。

 それによってのべ助の意識は、スイッチを切り替えられたかのようにVR世界へと回帰した。

 

「遅れて悪い。さっき名前呼んでも反応無かったが、具合悪いのか?」

 

 黒髪黒帽子に黒いジャケット、そして泣く子が更に号泣しそうな強面の男アバター、ファイヴの姿があった。

 

「……ううん、平気」

「そうか? ……昨日、ちゃんと寝たか?」

 

 そう言った後、ファイヴは大きく欠伸をした。

 ちゃんと寝てないのは自分の方だと言わんばかりのその平和な行動に、のべ助は少しおかしくなって口の端を少しだけ上げた。

 

「……急な誘いに付き合ってくれて、ありがとう」

「おうよ。こっちこそ、約束の時間に10分も遅れて悪かったな。ところで今日俺何で呼ばれたんだ?」

「それは…………え?」

 

 ファイヴの「10分遅れた」という言葉に数瞬遅れて反応したのべ助は、左手首の内側に巻かれた大型のデジタル時計を慌てて見る。

 時刻は13時11分。のべ助はピトフーイと目が合ってから、30分近く呆けていたことになる。

 

 そして、第二回《スクワッド・ジャム》が開始してから11分が経過している。試合が動き出すには十分な時間だ。

 

 のべ助は弾かれたように顔を上げ、テーブル席の近くに備え付けられた大型モニターを見やる。

 しかしそこには、のべ助の目当てのモノ――ファイヴに見せたかったモノは、映っていない。

 

「こっち。着いてきて」

「は? いや、まだ何故呼ばれたか理由を聞いてn――ぶべらッ」

 

 困惑するファイヴをよそに、のべ助は彼の手を握って走り出す。

 AGI極アバターの瞬間加速ダッシュは、それに馴染みのない他のアバターには思いの外ダメージを与える。

 

 店内ということもあって控えめではあったものの、焦ってその辺りの配慮を忘れたのべ助にその衝撃を強制体験させられたファイヴは、変な悲鳴と僅かな残像を残してかっ飛ばされた。

 

「……あった」

「あべしッ!?」

 

 目当てのモニターを見つけすぐに急停止したのべ助とは違い、慣性で吹っ飛んだファイヴは顔面からテーブルの角に激突する。

 

「……あ、ごめん」

「おう……大丈夫だ」

 

 生まれたての子鹿のように震えながらファイヴは立ち上がる。のべ助は申し訳なさそうに、彼の肩を支えた。

 

「見て、ファイヴ。……今日は、これをあなたに見てほしかった」

「おう、ちょっと待て。前が見えねェ」

 

 ゲーム内であるため顔面陥没の惨事は免れたが、角が直撃した痛覚で痺れた目を開くのにファイヴは難儀した。

 顔を拭くように袖で擦り、ようやくのべ助の指す大型中継モニターに視線を向ける。

 

「ああっ!」

 

 周囲のどよめきと同時に、ファイヴも目を見開いた。

 

 彼は――否。

 彼等は、見た。

 

 

 家屋のガラス窓が内側から弾け飛び、そこから飛び出した――

 

 ――小さなピンクの、塊を。



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#15 ピンクの悪魔

 モニターの中で、高速で飛び出したピンクの塊がほどけて人型を形づくる。そのシルエットは小さく、右手に構えたピンクの銃がやたらと大きく見えた。

 

 ちっこいピンクのアバターは、飛び出た勢いをそのままに玩具のような銃を空中で発砲。

 その得物がコンパクトさを売りにする個人(P)防衛(D)火器(W)に分類される、ベルギーファブリックナショナル社のP90であることにファイヴが気付いた頃には、()()が一つ出来上がっていた。

 

「まさか……」

 

 ファイヴが絞り出すように呟いた頃には、視認できるギリギリの速度で突進したピンクアバターがライフルマンを接射で黙らせていた。

 

「二人目!」

 

 呆けた表情でディスプレイを見つめるファイヴと無表情なのべ助の周囲では、熱狂的にカウントの声を観客の男達が上げている。

 沸き立つ観衆はかなり騒がしいが、それでもファイヴの双眼は画面の中のピンクアバターに釘付けだ。

 

 

「三人目!」

 

 ()()したライフルマンを盾にして、ピンクのチビが手近にいたもう一人のアバターを死体に作り替える。

 

「え?」

「うっ」

「げっ!」

 

 かと思えば瞬間移動としか思えない速度でまた別のアバターへと肉薄し、スライディングですり抜けながらナイフで股間を斬りつける。

 ギャラリー達も股間を抑え、やられたプレイヤーの苦痛を悶絶する。

 

 そうして凍り付いた観客達の事など知らないであろうピンクアバターが止めを刺す頃には、

 

「よにん、め」

 

 ファイヴも静かに、しかし夢中でカウントを行っていた。

 

 

 呼吸も忘れたかのように画面に食い入るファイヴの様子を見て、のべ助は密かに安堵していた。

 

 全身ピンク色という頭がおかしいとしか思えないカラーリングに、小口径の銃火器で獲物を瞬殺する戦法。昨日ファイヴから聞いた話から浮かび上がる人物は、まさに今大立ち振る舞いを繰り広げているアバターしか考えられなかった。

 しかしファイヴの言うとおり思い違いという可能性もあったし、正直なところあまり割の良い博打ではなかった。

 

 それでも、彼の死んだように暗い目に僅かだが光が見える。それだけで、のべ助は救われたような気がした。

 

 ――たとえそれが、ゲームに黒い感情を持ち込んでしまう自身の後ろめたさから来るものだとしても。

 

 

「すっげえ! やっぱり優勝候補だな! トトカルチョがあったら絶対に賭けてたぜ!」

「あの相棒女……、ナイスガッツだな! 痺れたぜ!」

「レンの無造作に首を刺すあの動き、こえーよ。見た目が女の子だからなおさらだ!」

「お前ら見たか! アレが俺のレンちゃんと、その相棒の力だっ!」

「ああ、すげーな。――でも、二人ともお前のじゃねえよな」

 

 戦闘が終わって画面が切り替わる頃には、ファイヴはヒートアップしたギャラリー達のバカ会話に自然と混じっていた。その表情はさめやらぬ興奮によって子供のようにわくわくとしたものとなっている。

 

「……ふぅ。ありがとな、のべ助」

 

 狂喜乱舞する男達の輪から一旦外れたファイヴが、クールダウンの意味も兼ねて煙草に火を点けながらのべ助に耳打つ。

 低く抑えた声であったが、今日この場――第二回スクワッド・ジャム中継会場に誘ってくれた彼女に対しての感謝の意は十分に込められた、短い礼だった。

 

「……ん」

 

 のべ助ものべ助で、自嘲的な考えを抱えていたのが何だか気恥ずかしくなってぶっきらぼうな返答をした。

 

「あのピンクの……レンって言うんだっけ? アイツは、全然()()()()なんかいなかった。むしろ、こんなにみんなの心を掴んでいる」

「……うん」

「GGOは、俺が思ってたより……その、なんだ。冷たい場所なんかじゃ、なかった」

「――――うん」

「……ああクソ、なんかクサいこと言っちまった。忘れてくれ」

 

 ファイヴはそう言うなり、誤魔化すように紫煙を吐いた。

 そんな彼の姿を見たのべ助は、弱々しく――しかしハッキリと、誰にも見えないフードの奥で微笑を浮かべたのだった。

 

「……どう? いけそう……?」

「ん? ――ああ、そっか。そうだったな」

 

 ファイヴは、そもそもののべ助の意図を思い出す。彼女の口から直接聞いてはいないが、ここまでくれば既に自明に等しい。

 

「大丈夫だ。いくらでも……ってのは物理的に無理だけど、可能な範囲でブッ殺してやるさ」

 

 どうにも締まらない物騒な決意表明をファイヴが口にすると、のべ助は少し頭を揺らすようにして頷いた。

 

「……じゃ、これからよろしく」

「ん、おう。こちらこそ」

 

 ファイヴも応じ、軽く会釈するように頷き返す。

 視線を少し低くした事でまっすぐに見えた金色の瞳は、やや眠たそうにとろんとしていた。

 

「……わたし、もう落ちるから……」

「なんだ、最後まで見ていかないのか?」

「…………ねむい」

 

 半分は嘘だった。

 確かに眠気はある。が、こんなビッグイベントを見逃してまで睡眠時間を確保しようと思うほどの強烈な睡魔ではない。

 

 ただのべ助は、ファイヴに対して申し訳ないとかんじてしまったのだ。

 ――GGOは、冷たい場所じゃない――そう思ってくれたファイヴに、彼女自身が抱く殺意は欠片も見せたくはない。

 もしピトフーイが()()()()()であって、他プレイヤーを蹂躙していたとしたら……。こればかりは、普段から冷静なのべ助もあまり理性に自身は無い。

 

 そしてそれ以上にのべ助は、例えスクリーン上でも――いや、手出しの出来ないスクリーン上だからこそ、単純に仇敵(ピトフーイ)の姿など目に入れたくはなかった。

 

「ばいばい、ファイヴ」

「おう、今度は仲間(チーム)として会おうな」

「…………うん」

 

 珍しく険の取れた笑顔をしたファイヴだったが、のべ助はフードの裾をずり下げて目を合わせずに消えてしまった。

 

「……何か、怒らせたか?」

 

 会話するのに必要な最低限の言葉すら削ぎ落としたように喋っていたのべ助の様子を思い返し、ファイヴはただただ首を捻るだけであった。

 もはや語るまでもないが、彼は鈍感であった。

 

(一応、メッセージで詫び入れとくべきか……? いや、単に眠くて不機嫌って可能性もあるか。そしたらメッセージはむしろ逆効果だなぁ……)

 

 メッセージチャット作成ウィンドウを展開してうんうんと唸り、文字通り右往左往しながら悩むファイヴ。困惑によってより深くなった眉間の皺が悪人面と相乗効果を生み、現実世界なら通報を通り越して現行犯逮捕クラスの奇行に見えた。

 

 そうこうしている内に数分が過ぎ、逆にファイヴに新着チャットが届いた。送り主はシカゴである。

 未だにメッセージ欄が真っ白の状態であった送信画面を閉じて、ファイヴは応じた。

 

〈 Chicago : のべ助が先輩のリミッターぶっ壊した件 〉

 

〈 Phive : あー、まぁ間違ってはないな 〉

 

〈 Chicago : マジすか 〉

〈 Chicago : やったぜ。 〉

 

〈 Phive : 情報早すぎだろ 〉

〈 Phive : ていうかお前、今日バイトとか言ってなかったか? 〉

 

〈 Chicago : 持病の仮病が…… 〉

 

〈 Phive : 残念ながら労災対象外です 〉

 

 そんなふざけたやり取りを、ファイヴは中継モニターを見るついでの片手間で済ませた。シカゴをないがしろにするつもりは無いが、今はなにぶん活劇を観るのに忙しい。

 

〈 Chicago : とりあえず、家に着いたらソッコーでそっち見に行きますんで。席確保しといてくださいよ 〉

 

 一応は正当な手段でバイトを抜けてきたらしい裕士(シカゴ)はのべ助からあらかたの事情を聞いているらしい。

 ――野郎二人で、殺し合いを観戦するのも悪くない。今のファイヴは自然に、そう思えた。

 

〈 Phive : おう、さっさと来いよ 〉

〈 Phive : 俺の一押しチームが優勝しちまう前にさ 〉

 

 

 

 ――――その後、第二回スクワッド・ジャムを語る上で外せない、二つの『十分間の鏖殺』が繰り広げられた事。

 

 そして、その殺劇の主演たる『魔王』と『ピンクの悪魔』が凄絶な死闘を繰り広げた事は、また別の話である。




 今回の話は、時雨沢恵一氏の《ガンゲイル・オンライン》の一節と丸ごと被ってしまう展開になってます。
 なので、原作コピーを防ぐため描写がかなり曖昧になっています。

 レンちゃんやピトさんの活躍をしっかりとした文章で読みたい! むしろそっちの方が気になって仕方ない!
 そんな方は原作を買って読みましょう!

《ソードアート・オンラインオルタナティブ ガンゲイル・オンライン》既刊1〜4巻、好評発売中!!(ダイマ)


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第3章 決戦準備と彼らの日常
#01 タクトレと変態機動


「おーし、次。シュートオンムーブで接近、トランジションして、接射でダブルタップ。後は下がりつつワンハンドで撃て。おk?」

 

 ファイヴが身振り手振りを交えながら、一般人には中々聞き慣れない単語を連続で発する。

 

 ここは、GGOに置けるプライベートルームの中でも少々特殊な、トレーニングスペースと称されるレンタル施設だ。

 言わば、射撃場(シューティングレンジ)の亜種。ただ純粋に射撃の腕前だけを磨くために存在する空間である。

 

「おk」

「お、オーケーです」

「……ん」

 

 そんな無機質で閉塞的な屋内で、反響するファイヴの声に反応する者が、3人。

 シカゴ、アイリス、そしてのべ助。彼らは思い思いの戦闘服姿で、服装同様統一感のない得物を携えている。

 

 そして、彼らの前には近未来的な、人の上半身を模した射撃の的が並んでいた。

 

「よし。……レディ、ファイア!」

 

 唯一銃に手を掛けていないファイヴが怒鳴ると、三人は一斉に銃を構えて発砲。断続的な破裂音と薬莢の落ちる金属音を響かせながら、彼等は上半身をブラさずに前進する。

 

 三人は的との距離が近くなると、今度はライフルを背中に回してハンドガンを抜く。腰だめに素早く二発発砲した後、後退しつつ片手での射撃を続けながら元の位置に戻った。

 

 のべ助が一番速く、そしてシカゴが最後に射撃を終えた。

 その様子をつぶさに観察していたファイヴは、腰の後ろに提げたM&P拳銃を抜きながら彼等に近寄った。

 

「……おし、まずシカゴ。他の二人よりだいぶ歩行スピードが遅かったぞ」

「マジすか。意外と気づかないもんスね」

 

 シカゴは、特には気にした風もなくファイヴの指摘を受けながらベレッタM9A3とDDM4をリロードする。

 それは、欠点を責められているわけではなく、改善点を出しているという意識が双方にあるからだ。

 

「射撃中は標的に意識持ってかれるからな。AGI低いから移動遅いのはしゃーないが、今の精度を維持しつつ意識して歩幅を増やしてみろ」

「りょーかいッス」

「あと、ワンハンドの時はこうやって、銃を斜めにするとサイティングが結構楽だ。近距離の時はこうすると良い」

「うっす、こうッスね?」

 

 ファイヴが片手で銃を突き出す型を真似て、シカゴもベレッタを構える。するとシカゴは「おおー」と軽く声を上げ、構えの練習を始めた。

 

「次、アイリス。着弾も結構まとまってるし、移動も速かった。重くて反動キツいガーランドでここまでやれる奴は早々居ないぞ」

「そうですか? えへへ、ありがとうございます」

 

 アイリスもシカゴと似たようなもので、M1Dライフルのチャージングハンドルを引いて、宙に飛んだ弾薬とクリップをキャッチしながら微笑んだ。

 

「けど、射撃終わった後に周囲確認したか? 忘れてただろ」

「あっ……」

「銃を撃った後は、結構集中が切れずに視野が狭まるんだ。周囲確認って言っても、その悪い集中を解くのが目的だ。習慣づけておくといいぞ」

「はい。気をつけます」

 

 アイリスはペコリと頭を下げ、今度はスカートの裾を軽く捲ってベレッタPx4拳銃を抜いた。どうやら、ハンドガンの抜き撃ちに不満があるらしい。

 その様子を見たファイヴは、後でシカゴに話を振ってやるかと一人ごちる。同じベレッタ社が製造しているだけあって、二人の拳銃の操作性には共通点が多いからだ。

 

「んで最後に、のべ助だけど」

「…………」

「特に、言うこと無いな。全弾致命部位(バイタルゾーン)にまとまってるし、移動も一番速かった。流石AGI極砂って感じだな」

「……ありがと」

 

 ファイヴの言葉を受け、のべ助は特に嬉しそうでもなく当然のようにそう短く述べる。

 

「ま、イチャモン付けるなら発射弾数自体が少ないことぐらいか。でもボルト操作も速い方だったし、眉間に7.62mm受けても立ってられるアバターが居たら見てみたいモンだな」

 

 ファイヴはそう笑いながら、綺麗に頭部と心臓に被弾エフェクトを煌めかせる半透明の人型をコツコツ叩いた。

 

「……それなんだけど」

「お?」

「もっと、近距離の火力……欲しい」

 

 のべ助は、静かに言いながら軽くライフルを掲げた。

 

 彼女の手にあるボルトアクションライフル――スターム・ルガー社製のガンサイトスカウトは、3kgを切る重量の超軽量小銃だ。

 オマケに前方に配置されたスコープや、非常用としては豪華なバックアップサイト――明らかに、近距離での銃撃戦も視野に入れたデザインである。

 

「……この子は、もっとやれるはず」

 

 のべ助もその事は承知しているのか、言外に「自分の腕が足りないのが悪い」と言わんばかりの口振りであった。

 

「……そうだな。じゃ、『奥義』をお前に授けてやろう」

「奥義……?」

「貸してみ」

 

 ニタリと犬歯を剥くファイヴに、のべ助は怪訝そうな口振りながらも素直に自身の愛銃を彼に渡した。

 

 ファイヴはまるで使い馴染んだ得物であるかのように手練れた様子で残弾確認を済ませ、ストックに肩付けして構えた。

 

「刮目せよ!!」

 

 ふざけた口調で叫んだファイヴは、近くのターゲットに向けてライフルを乱射する。

 そのおちゃらけた態度とは裏腹に、セミオートと錯覚するほどの速射であった。

 

 4発撃って、2発が致命部位。残り二発はその周辺に着弾。銃を降ろしたファイヴは、それを見て小さく溜め息を吐いた。

 

「ま、こんなもんだな。やっぱライフルは苦手だ」

「…………どうやったの?」

 

 ファイヴはのべ助にライフルを返し、右手で輪っかの潰れたOKサインを作った。

 

「原理は至極単純だ。親指と人差し指でボルトハンドルを握って、中指でトリガーを引く。発射からボルト操作までのタイムロスを最低限にできる」

「なるほど……」

 

 早速のべ助はマガジンを抜いて薬室からも抜弾し、ファイヴの教えた変則撃ちの練習を始める。

 十回ほどボルトの往復を終えた頃には、既にその操作スピードがファイヴのそれを上回っていた。激しい動作であるにも関わらず、銃口にもほとんどブレがない。

 

「流石だな。伊達に古参じゃない」

「……誉めても、何も出せない……」

「いいよ、別に」

 

 そう、のべ助は数多のGGOプレイヤーの中でも日本サーバー最古参の一角に属する希有なアバターである。

 

 彼らのチーム名は《VICN(ヴィコン)》。ファイヴ、アイリス、シカゴ――そしてのべ助と、新参者順に並んでいる。

 実を言うと発音した際の響き優先なのだが、かなりの古株であるはずのシカゴ(裕士は去年の夏休み直前にアミュスフィアを購入したはず、と暁は記憶している)よりも先達である。

 黎明期から切磋琢磨してきたなかなかの廃人であると言えよう。

 

「――お。先輩、そろそろ時間ッス。レンタル時間終わっちゃいますよ」

「マジか。集中してると時間経つのはえーな」

 

 そう、このレンタルルームは時間制なのだ。

 ついでに言うと、レンタル料もかなり割高なので常連はごく一握りのトッププレイヤーに限られる。

 

 勿論、使用時間内であれば様々なシナリオ想定訓練を組めたり、弾薬無料などのメリットもあるが――それでも元を取るのは難しい。

 

 そんな部屋をファイヴ達が使えたのは、シカゴの

 

「何かキャンペーンやってたんで課金したら、訓練施設のチケット当たったッス」

 

 という発言からであった。

 

 

 GGOは、ゲーム内通貨を現実の貨幣に換金できるといいうRMT制度により「VRMMO中、最もハード」と称されている。

 だが、その換金制度は一方通行ではない。逆に現実の金でゲーム内通貨をブーストする――過去の名残から「課金」と呼ばれる行為も可能だ。

 

 潤沢なリアル資金から()()()()()を楽しむ者、()()と称する上級者など、様々なプレイヤーが毎月接続料以上の金額をGGO運営・米国ザスカー社に納めている。

 

 シカゴはその中でも微課金勢と呼ばれるプレイヤーであった。

 ……微(少な)課金という意味ではなく、微(妙に実生活(リアル)に影響が出る)課金である。

 

 それを加味すれば、シカゴものべ助に引けを取らない廃人なのであった。

 

 

「そうだ。せっかくなんで、久々に対戦(デュエル)してもらえないッスか? ファイヴさん」

 

 シカゴは良い笑顔で、左腰のM37ショットガンを抜いた。

 

「構わんが、お前は良いのか? 今ここ結構狭いけど」

 

 それに応える形で、ファイヴも右腰に収めていたコルトM1911カスタムを抜く。

 

「はい。最近近距離でも対応できるように鍛えたつもりなんで、一旦試してみようかと」

「なるほどね。いいぞ、掛かって来い」

 

 ファイヴが空いてる左手で軽く手招きすると、デュエル申請を受けた旨のメッセージが届く。送り主は当然、シカゴだ。

 モードは半減決着――相手のHPを半分以下にするか、降参(リザイン)させれば勝利となる。

 

 ファイヴが決闘を承認すると、両者の間に「DUEL」の文字とカウントダウンが表示される。

 

 シカゴはショットガンをローレディに構えたまま、じりじりと距離を離す。

 一方のファイヴは身を屈め、肉食獣のような前傾姿勢のまま不動。

 

「二人ともがんばってくださーい!」

「…………」

 

 女性二人の声援(?)と視線を受けつつも、この時ばかりは緊張は崩さない。

 

 彼我の距離、おおよそ30メートル。カウントがゼロになる。

 

 

「ッ!!」

「フッ!」

 

 両者、瞬時に殺気みなぎる視線を瞬時に交わす。

 

 まずはシカゴが先手を打った。肩付けからほぼ同時に散弾を発砲。

 引き金に指を掛けてから着弾予測円(バレットサークル)が発生する瞬間を狙った、命中補正が掛かるギリギリのスナップショットであった。

 

 ファイヴは、それと同時にM37の銃口から投射される弾道予測線(バレットライン)を見て側転。

 鋭い円錐状に広がる――線というより面から逃れ、低い姿勢のまま走り出す。

 

「くそッ」

 

 悪態を吐きながらも、シカゴはトリガーを引いたままポンプを素早く前後にスライドさせる。

 

 初弾がファイヴに見切られることくらい、彼は予想していた。

 だからこそ、シカゴはスラムファイアが可能なイサカM37を選択していたのだ。

 

「甘いぞッ、シカゴォ!!」

 

 だが、ファイヴは立て続けの散弾の嵐すら避けてみせる。

 二発目はスライディング。

 起き上がりを狙った三発目を、飛び越す。

 既に予測線を見てからの反応が困難な距離で、大きく跳躍。

 空中に浮いたところを狙った対空射撃を、なんと天井を蹴って急降下でかわす。

 

「シャラァッ!!」

 

 着地の反動を利用して、ファイヴはソバットでシカゴの得物を蹴り飛ばす。

 ショットガンに装着されたスリングに身を引かれ、シカゴはファイヴの蹴りの勢いそのままに横へすっ飛ばされる。

 

「チィッ!」

 

 だがシカゴもただでは転ばず、横転しながらも射撃姿勢に入ったファイヴの手から拳銃を殴り飛ばした。

 

 地面に叩きつけられ猛烈な運動量に体を引きずられながらも、シカゴは獰猛に笑った。

 

(先輩は今、拳銃一挺以外に銃を装備していない……!!)

 

 落とした銃を拾うにしても、新しい武装を装備するにしても致命的な隙と判断したシカゴは、仰向け姿勢のままベレッタM9A3拳銃を抜いた。

 

(今回こそ、もらっ――――!?)

 

 だが、銃を向けた先に、悪人面の男は居なかった。

 

「フンッ!」

「ぐがっ!?」

 

 首に重い衝撃――膝を落とされ、シカゴは詰まった悲鳴を上げた。

 

 ファイヴは、シカゴが滑り込む地点に先回りしていたのだ。

 彼の取った行動は、銃を拾うでも新たに出すでもなく――素手での迎撃だった。

 

「……まだやるか?」

 

 ファイヴの膝は、完全に極まっている。このまま放置すれば窒息でじわじわとシカゴのHPは減少するだろうし、その気になればへし折って即死させる事もできる。

 対してシカゴは、両腕をファイヴの空いた足と手で抑えつけられている。お陰で拳銃をファイヴに向けることはかなわない。

 STR的にはシカゴに分があるため、必死に抵抗すれば拘束を抜けられるだろうが……その前に、やはり折られてしまうだろう。

 

 シカゴは首に不快な圧迫感を覚えながら、何とか指先だけで床をタップした。

 ファイヴが拘束を解除する。決着だ。

 

「ゲホッ……《リザイン》。くそー、また負けた。最近のファイヴさんに勝てる気がしねぇッス」

「ま、相性の問題だろ。ショットガンって案外散らない上に連射が利かないから、意外と避けられるぞ」

「それ踏まえてM37にしたんスけどね……」

 

 ファイヴが指し出した手に掴まって起きあがったシカゴが、悔しそうに言いながら散弾銃を腰のウェポンキャッチに戻す。

 

M37(ソイツ)の性能に頼りすぎたな。所詮暴発(スラムファイア)だから制御がムズいし、変な癖付くからやめた方がいいぞ。トリガー引きっぱだと、予測線がよく見えるから避けやすいし」

「マジすか。そろそろ買い換え時ッスかねぇ」

「これにはヴィクトルもニッコリだな」

「…………今月、生きていけるかな」

 

 シカゴのその一言で、さっきまで銃火を交えていた男二人はゲラゲラと笑い出す。

 

 

 そんな男二人の邪魔をしないようにと、少し離れたところに腰掛けたアイリスは小さく拍手をしていた。

 

「すごかったー……ファイヴさんの動き、人間なんですかね? シカゴさんもすごくエイムが速かったですし。ね、どう思いますか? のべ助さん」

 

 アイリスは小首を傾げて、隣に立っているのべ助に話を振る。

 が、のべ助は特に反応を返さなかった。

 

「? あの、のべ助さん?」

「…………ん、そうだね」

「……??」

 

 マントの裾を軽く引かれ、それでも噛み合わない返事を返したのべ助に、アイリスは更に首を傾げた。

 

(ぼーっとしてたんですかね? 結構夜遅いし、眠いのかも)

 

 そう思案しながら、のべ助の顔を下から見上げるアイリス。目深に被られたフードが影を作り、やはりその表情は読みとれない。

 

 だがしかし、その闇の奥では――――金の瞳が、鋭利で冷徹な色を帯びていた。



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#02 ライトエフェクトが出るなら殺せるはずだ

 チーム《VICN》の面々が『訓練』を終えた数十分後、GGOのとあるダンジョンでレザージャケットの男が踊っていた。

 

 彼の周囲からは無数の青白い光線や赤いレーザーが投射され、男はそれらに照らされながら地面や壁を蹴って自在に舞う。

 その姿は正に、GGOというSF世界にふさわしいパフォーマンスショーであると言えよう。

 

 閃光を盛大に浴びながら、その主演たる男は猛々しく、叫ぶ。

 

 

「アカーン! 死ぬ! マジで死ぬゥ!!」

 

 

 主演の男――ファイヴは、悪人面に脂汗を浮かべながら余裕のない顔で宙を旋回していた。

 

 そう、彼は決して踊っているわけではない。

 彼の周囲を飛び交う光線は光学銃によるエネルギー弾と、その弾道予測線。

 

 四方八方から放たれるそれらを回避するための一挙一動が、ファイヴを踊り狂わせているのだ。

 

「マジで! ヤッバイ! 誰か助けてくれー!!」

 

軽業(アクロバット)》スキルと体勢補正能力を総動員して動き回るファイヴに、それでも捌ききれなかった光線弾が驟雨がごとく襲いかかる。

 だがそれらの大半は、ファイヴに着弾するすんでのところで透明な障壁に阻まれて拡散した。

 

 これは、《防護フィールド》という防具の効果である。

 光学銃の威力を射程に応じた割合でカットするため、GGOに於いて広く流通する必需アイテムだ。

 

 だが、その高性能な防護フィールドを持ってしても、ファイヴのHPは既に三割を切っていた。

 

 理由は2つ。一つは、ファイヴの交戦距離が近すぎること。

 防護フィールドは被弾する距離が遠ければ遠いほどダメージを防ぐ。通常の交戦距離であれば光学銃などカスダメも良いところだが、これがファイヴとなると話は変わってくる。

 

「クソッ! まだか、シカゴ!」

『もーちょい待ってくださいよー』

「クソッタレェ!!」

 

 無線越しの暢気な声に対する苛立ちを発散するかのように、ファイヴは近くの小型宇宙人Mobをサッカーボールのように蹴っ飛ばす。

 

 ファイヴが死にかけのもう一つの理由――それが、この猿とゴブリンの間の子のような敵NPC。

 一体一体の戦力は大したことはない。体力は極少、攻撃手段も手にしたレーザーガンをチマチマ撃ってくるのみ。

 だが、この手のモンスターとしてはお約束の、群れで人海戦術を取ってくるタイプの敵だった。

 

 そして厄介な事に、連中は無限湧きするのだ。

 無限湧きを止めるには親玉を倒せばいいのだが、宇宙生命体という設定からか親玉Mobは光学迷彩を装備しているというのも更に厄介だ。

 

「ア゜ッー!? HP赤行ったぞ赤!」

 

 もう何十発目かもわからない被弾の末、遂にHPが二割を切ったファイヴが素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 

『死なんでくださいよー。今ここでファイヴさんに倒れられたら俺ら全滅確定ッス』

『ご、ごめんなさいファイヴさん!』

『ふぁいと』

「生き延びたら後で全員ブッ殺しちゃうからなぁ!!」

 

 

 ……そもそも、いくら厄介といえども本来であればこれほど苦戦する予定ではなかったのだ。

 

 発端は、「時間あるなら、狩りに行かない?」というのべ助の発言である。

 そしてどうせなら、時間当たりの狩り効率が良い無限湧きを狩ろうという話になった。

 

 そこで件のモンスターといざ実戦、というところで光学迷彩を無力化するためのEMPグレネードがまさかの不発という事故が発生。親玉は光学迷彩を起動して広大なダンジョン部屋のどこかへと消えてしまった。

 そうして計画がオジャンになり、各自散開してのアドリブ銃撃戦が勃発。そこにアイリスが弾切れを起こすという不幸も重なった。

 

 結果、シカゴがアイリスを援護しながら広場全体にEMPを仕掛けるまでの間、こうしてファイヴが囮をする羽目になってしまってたのである。

 

 

『……じっとして』

 

 ファイヴが「無理!」と応える前に、銃声と共に彼の背中へ軽い衝撃が走った。一拍置いて、彼のHPバーが即座に五割手前まで伸びる。

 

「助かった!」

『ん。……これ以上回復使うと、赤字』

「承知! 急げよシカゴ!」

『モテる男はツラいッスねぇはっはっは』

 

 HPと一緒に精神も少々回復したファイヴは、もう一度無線に悪態を投げてやろうかと考えたが、やめた。

 余裕綽々な態度を取っている後輩も、かなり危ない橋を渡っているはずだ。

 

 先程まで一心不乱にファイヴに銃を向けていた宇宙人達は、何に駆り立てられるかのように背を向けて走り出していた。

 彼らの行く先には、伏せて待機しているのべ助がいる。ファイヴを回復したことでヘイトを取ってしまったのだ。

 

 その行動を予測していたファイヴは、腿のホルスターから二挺のMPXを抜く。先程までは無駄弾を播かず回避に専念するため、銃を抜いてすらいなかったのだ。

 

「相手間違えてんじゃねぇぞッ!!」

 

 叫びながらファイヴは跳び、空中で独楽のように回りながら9mm弾をまき散らす。

 直上から頭部に弾丸の雨を浴び、SFゴブリンの群れの半数ほどがポリゴンとなって砕け散る。

 ファイヴはそれで止まらない。群れの中心に着地してから滑るように身を翻し、二挺の短機関銃で回転斬りでもするかのようにエネミーを薙ぎ払う。

 

 あっという間に、彼は数十体もの敵を殲滅してしまった。

 

『……ありがと』

「こっちこそ! ……って湧くの早いなちくしょーめェ!!」

 

 柱の影からぞろぞろと現れた新たな敵に、ファイヴは罵詈雑言を上げて吶喊する。

 

『EMPレディ!』

「これも失敗したらリアルで殴るからな!」

『今回は材料ケチってないッス! 全員耳を塞いで口を開けろォ!!』

「それ今必要ねぇだろ!!」

 

 シカゴからの返答はなく、代わりに短い破裂音が広場に響き渡った。それと同時に、広い部屋の隅にジャギーの掛かったエネミーが現れる。

 その影は、一昔前のSFに登場するような鎧を纏った人型――プレデターと呼べば万人に伝わる姿をしていた。

 

「いた……! のべ助ェ!!」

 

 無線がEMPにより一時使用不可となったため、ファイヴは代わりに大声で叫ぶ。

 

「――」

 

 彼女は、銃声で応えた。

 

 放たれた7.62mm弾は、狙い違わず綺麗に人型の頭部へと吸い込まれる。

 銃声に負けない程に大きく甲高い着弾音。取り巻きよりも数段大柄なエイリアンが、大きくよろめく。

 

「硬いッ……!」

 

 着弾の音から、のべ助は第一射がエイリアンの防具を破砕したのみであることを悟る。素早く膝射の姿勢に移りつつ、ボルトハンドルを引く。

 

 が、ライフルを構え直した彼女に小型のエイリアン達が襲う。光学銃がEMPにより封印されたためか、親玉を撃ったのべ助に素手で飛びかかってきたのだ。

 筋力(STR)値も最低クラスの敵であるが、それはAGI極ののべ助も同じ。多勢に無勢で、のべ助は抑えつけられてしまう。

 

「離してっ……うう……!」

 

 地面に倒されて拘束されるのべ助は、恨みがましく親玉を睨みつける。敵はアルゴリズムに従って動いているだけではあるが、自身を羽交い締めにするよう命じているのがあの大きなエイリアンであると思うと腹が立つ。

 

(このままじゃ、EMPの効果が切れる……!)

 

 その前にこのキーキーうるさいエネミーを振り解き、とどめを刺さねば、今度こそ取り返しのつかないことになる。

 

(――――仕方、ない)

 

 のべ助の手が、何とかホルスターの相棒に触れた――その時、押し潰される視界に、レザージャケットの男の姿が映る。

 

 ファイヴは、背に吊っていたライフルを矢をつがえるかのように掲げた。

 左手を前に突きだし、照準代わりと言わんばかりに親玉宇宙人へと向ける。当然、そのようなメチャクチャな構えでは当たる理由もない。

 

「行くぞ……!!」

 

 短く息を吐いたファイヴは、トリガーを引かずに走り出す。

 今にも倒れ込みそうな前傾姿勢のまま徐々に加速し、トップスピードへ。瞬間、彼は弾丸のように飛び出す。

 

「セイヤァアアアッ!!」

 

 親玉の危機を察知して飛びかかる子分を突進で蹴散らし、猛烈な刺突が如くSU-16Cの銃口を突き出す。

 銃口は親玉のガードを縫い、狙い違わずプレデターのヘルメットの亀裂へと吸い込まれた。

 

 5.56mmの銃声が響きわたる頃には、ファイヴは敵を追い越して着地していた。

 閃光と轟音に一瞬遅れ、短く痙攣した敵はまるで雷に撃たれたが如し。

 

「――――」

 

 のべ助はもがくことも忘れ、銃床が折り畳まれたままのライフルを器用に回す男の背中を、唖然と見ていた。

 

 

「フッ、決まった……でぼらっ!?」

 

 ライフルを肩に担いだファイヴのキメ顔は一秒と持たず、生き残っていた小型エイリアンに体当たりをくらってマウントを取られる。

 すかさず拳銃を抜いてしがみつく宇宙人達を射殺していくが、いかんせん体の自由が利かず全てを駆除するには至らない。

 

「このっ……アピール中は手出し無用だろうが!」

『先輩逃げてくれ! ソイツ爆発する!』

「なぬ!?」

 

 復活した無線から届くシカゴの叫びに顔を上げると、ぐったりと倒れた近未来宇宙人から不吉な電子音が吐き出されていた。

 

「畜生! 本家プレデターはこんな陰湿な手使ってこなかったぞ! 放せや!!」

 

 シカゴがアサルトライフルで雑魚の駆除を試みるが、広場の遮蔽物でうまく射線が通らないのか全てを散らすには至らない。

 アイリスは弾切れ、のべ助も拘束されて行動不能。

 更に、下手に暴れたことが災いしファイヴは拳銃を取り落としてしまった。

 

 ――これ死んだな、とファイヴは銃が硬い床に跳ねる音を聞いて脱力した。

 

「くそー……どうせなら美少女と心中が良かったぜ。サル軍団にハグされながらリア充爆発とかねーわぁ」

『ファイヴさん!!』

『ファイヴっ……!』

 

 目を閉じれば、仲間達の悲痛な声と神経を逆なでするアラート音のみがファイヴの脳に伝達される。

 電子音の間隔がどんどん短くなり、遂にフラットな長音になる。それはまるで、自身の心電音を表しているようだ――とファイヴは感じた。

 

「てやぁッ!!」

 

 それは、ファイヴの諦観を文字通り斬り裂く一閃であった。

 裂帛、と称するには少々可愛らしすぎる声。舞踏のようにくるくると舞うアイリスは、遠心力を乗せた銃剣の斬り払いでファイヴにまとわりつくエイリアン達を両断した。

 

「投げます!」

 

 ファイヴがアイリスの言葉の意味を理解する前に、アイリスは彼の首根っこを掴んで放り投げた。

 見た目以上に高い筋力(STR)と竜巻のような回転を可能にする敏捷(AGI)によって、ファイヴはカタパルトに射出されたと錯覚する速度で弾き出される。

 

「ちょっと雑すgぴげッ!」

 

 空中に放り出されたファイヴは、背に轟爆の煽りを受けて更に吹き飛ばされる。あと一歩遅ければ、自爆に巻き込まれバラバラになる雑魚の仲間入りしていたところだ。

 

 彼を救出したアイリスはといえば、こうして吹っ飛ばされるファイヴよりも速く駆け、爆風の殺傷範囲から逃れているから末恐ろしい。

 ファイヴはそんなアイリスの速さに余裕がないながらに感心していた。そのため、着地の際に受け身を取るのを忘れて頭から地面に突っ込んだ。

 

「あびゃあああぁ」

 

 海老反りになりながら、ファイヴはゴリゴリと床を数メートル滑って止まる。現実(リアル)ならまず顔面がなくなる大怪我であるが、ファイヴのHPはミリ単位で残留していた。

 

「無理心中を美少女に救われた感想は?」

「自分で言うと魅力20%オフだぞ。……顔が削り取られて死にそう。あと背骨なくなったかも」

「ふふ、人間には215本も骨があるんです。一本くらい何ですか」

「多分胸椎は一つでも致命的な致命傷だぞ……」

 

 もはや慣れつつある満身創痍の痛みに、ファイヴは力なく微笑む。

 訓練をしたり、こうしてエネミー狩りをしているうちに、アイリスとも冗談を言い合える仲になった事が嬉しかったからだ。初対面で怖がられた時とは大違いだ。

 

 一人しみじみとしていたところに、大口径の砲音がファイヴの意識に水を差す。虚を突かれたことで彼はビクリと肩を震わせた。

 

 あわてて首を回すと、シカゴがショットガンで雑魚の黒山を撃っていた。のべ助を救出しているのだ。

 

「周囲確認は、習慣づけておくと良いそうですよ?」

「……言うねぇ」

 

 意趣返しを食ったファイヴは、仰向けに寝直して煙草を銜えた。

 一仕事終えた後の一服は、幻想(バーチャル)といえどもやはり良いものだと再確認するに彼は至った。

 

(ていうか、シカゴがさっき『今回はケチってない』とか言ってたな……)

 

 クールダウンした思考で、なるほど自分が死にかけてるのは後輩が初手のEMPをケチったせいか、と結論を叩き出す。

 

「おーい、せんぱーい。生きてるッスかー?」

「……おつかれ」

 

 M37片手に良い笑顔で手を振るシカゴと、並んで小さく手を振るのべ助に、ファイヴもそこそこに良い笑顔を返し寝転がったまま手を挙げる。

 

「おーう。のべ助も、お互い大変だったなぁ」

 

 しかし彼の良い笑顔の裏に尋常でない殺気がこもっている事は、誰の目にも明らかであった。

 シカゴは良い笑顔のまま「あ、やっべーなコレ」と目を泳がせ始めるも、時すでに遅し。覆水盆に返らず。

 

 ワープポータルまで帰路の最中ずっと――とは言っても数分間であるが――シカゴが延々と恨み言を聴く羽目になったのは、語るまでもないだろう。



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#03 悪人面に蜂

 

 

 プレイヤーの五感全てを幻想(バーチャル)()()()()フルダイブVRMMOに於いて、実は一番注意を払われるのがログアウトの瞬間である。

 ゲーム内の自身(アバター)がどのような状況であろうと、現実の自分(プレイヤー)は意識を失ったかのように静かに眠っている。その差異が生み出す感覚のギャップというのは、時として肉体に悪影響を及ぼす可能性があるのだ。

 

 例えば、ゲームでは高速で落下している最中に何らかの原因でログアウトしてしまったとする。

 すると、現実のプレイヤーはその身が延々と落ち続けるような奇妙な不快感を味わい、しばらくベッドの上で動けなくなるという。

 

 幸いにもファイヴは、未だにそのような災難に見舞われていない。……というより、シカゴから事前情報を得たファイヴはVRMMOをプレイする際のリアルの環境に尋常でない注意を払ってきた。

 (かれ)の同居人はVRMMOに対する理解が浅い。《軽業(アクロバット)》で飛び跳ね回っているところで叩き起こされでもしたら、たまったものではない。

 

 

 ――こう言うと、VRMMOは安全なプレイ終了方法の無い、非常に危険なゲームととられてしまうだろう。

 そもそもたとえ話の時点でレアケースだ。しかし《SAO事件》以降絶対安全を標榜してきたVRMMO開発者側は、健康被害の無いレベルとは言え無視できない『VR酔い』を軽減する方法を模索した。

 

 その結果編み出され推奨されるに至ったのが、逆に古典的とも呼べる『寝落ち』という手法である。

 

 

「…………って言っても、なぁ……」

 

 せまっくるしく仄暗い横穴に、ファイヴは横たわっていた。彼の背を支えるのは具合がそこそこのマットレス。

 彫りの深い悪人面を照らすのは、間接照明のように薄ぼんやりと発光する壁面と彼が銜えた煙草の灯り火。その空間の密閉性はかなり高いらしく、紫煙で空気が淀んでいた。

 

「これ、窒息判定で痛覚発生とかしねぇだろうな……よっと」

 

 ファイヴが頭上に当たる壁へ手を伸ばすと、減圧するかのように空気の抜ける音がして隔壁が開く。そうしてできあがった抜け穴から、ファイヴは首だけを出して深呼吸した。

 

 彼が首を突き出した穴は六角形で、周囲にも同型の六角形の隔壁が並び広い壁が形成されている。縦に3段、そして横に20ほど。向かい側も同じようになっており、両壁の間に空いた人ふたりがすれ違える程度の空間が通路となっていた。

 この巨大な蜂の巣のような空間一つ一つが簡易的な宿泊施設――要は、GGOに於ける宿屋なのである。

 

「あれ、先輩まだ起きてたんスね」

 

 ファイヴのちょうど下方、一番通路の床に近い部屋から声が上がる。シカゴだ。

 

「煙草を吸おうと思ったのは失敗だったな。何だよこの『カプセルホテル』って字面を鵜呑みにしたみてーな気密性は」

「世界観重視なんじゃないスかね。グロッケン(ここ)は元々宇宙船だし、もしかしたら実験サンプル保管室とかコールドスリープ施設の流用かも」

「所詮は安宿か。ぞっとしねーな」

「まぁ、音立てても他人に迷惑掛からないってメリットはありますよ。俺さっきまでアイリスとくっちゃべってましたし」

 

 なるほどそれでシカゴは隔壁を開いていたのか、とファイヴは頭の中で納得する。その思考の片手間感覚で自身の()()から這い出て、梯子も使わず最上段から通路に着地した。

 

「……んで、お姫様はもうおネンネか」

 

 シカゴの隣――アイリスの部屋の隔壁がしまっているのを見て、ファイヴは新たな煙草を銜える。

 

「明日も早いらしくって。それ抜きにしても眠そうでしたし」

「健康体だなぁ。羨ましい」

「全くッス」

 

 VR廃人に片足突っ込んでいるシカゴや、就寝時に睡眠導入剤を常用しているファイヴからすれば、アイリスの模範的かつ健全な体内時計は尊敬に値すると言っても過言でなかった。

 

「ていうか先輩、俺から誘っといて何ですけど寝れそうッスか?」

「俺が今こうしているのが答えだ」

 

 新たな紙巻を銜えて火を点けつつ、ファイヴはシニカルに口を吊り上げて答えた。

 ファイヴにとっては寝落ち初体験となる、チームVICNのお泊まり会(?)はやはりシカゴが言い出しっぺであった。

 

 ファイヴからすれば今のようになかなか寝付けない可能性はあったものの、そろそろ寝落ちというものに慣れておいた方が良いだろうと考え、後輩の提案を飲んだのだ。

 

「なんか、スンマセン。ムリヤリGGOに引き留めちゃったみたいで」

「別に構わんさ。どうしても寝れそうになかったら落ちて薬飲むし、今でも体は眠ってるようなモンだろ」

「ああ、確かにレム睡眠に近いかもしれませんね。2,3日は、睡眠時間をGGOに充てても平気でしたよ」

「実証済みかよ……。大会前に体壊すなよ?」

「鋭意努力します」

「ちゃんと寝ろっつってんだよアホ」

「ファイヴさんがそれ言いますかね?」

 

 野郎二人は互いにシャツとカーゴパンツのみの着崩した格好で、普段とはまた違ったテンポで紫煙と冗句を交わす。

 いつものGGOのものと、また現実のものとも違ったこういう雰囲気も悪くない――ファイヴは吐き出す煙に似た、ぼんやりとした充足感を覚えた。

 

「……そういや、のべ助は?」

 

 しっかりと煙草一本を消費したファイヴは、何げなしにのべ助が入っているはずの六角柱カプセルを見た。隔壁は開き、入り口には迷彩マントが掛けられている。

 

「アイリスと喋ってる時にどっか出かけたッスよ。『寝つけないから、散歩』って言って」

「うわ、似てねー」

 

 半目になりながらのべ助の声真似らしき返答を返したシカゴに、ファイヴは呆れたように笑いながら背を向けた。

 

「お、追っかけて口説きに行くんスか? 場所までは俺も知りませんよ?」

「ちげーよ。……寝つけねーから、散歩」

「うわ、似てねー」

「…………」

 

 意趣返しを食ったファイヴは、愉快そうに顔を少し歪めて肩越しに手を振った。隔壁が閉まる音を聞き、念のため振り返ってシカゴが室内へ引っ込んだことを認識する。

 

 どのようにして睡魔の到来を待つか――そこそこ真剣に悩みつつ、ファイヴはその日何本目かも分からない紙巻きを銜えた。

 

 その一本で日付をまたぎながら、ファイヴは迷路のようなSFカプセルホテルに無味無臭の煙を撒いて右往左往する。

 

「…………出口、どっちだ」

 

 彼は、方向音痴であった。

 

「ファイヴ」

「ぷおぅ!?」

 

 突然頭上から降ってきた声に、ファイヴは反射的に反転しながら仰向けに倒れ込む。

 何かあったときにはひとまず頭を下げるという訓練の賜物だが、ありもしない銃を抜こうとしながらすっ転んだ彼の姿は少々滑稽に見えた。

 

 そうしてやたらダイナミックにひっくり返ったファイヴは、()()()状の壁からひょっこりと紫色の尾と金の目が覗いているのを発見した。

 

「…………なんだ、のべ助か」

「……一瞬誰だか、わからなかったんだ」

「すまん、人の顔と名前一致させんの苦手」

「こっちにも、落ち度はある。気にしてない」

 

 天井近くから音もなくファイヴの目の前に着地するのべ助。六角形が組まれた壁と天井の間には僅かに隙間があり、そこに潜んでいたらしい。

 鬱陶しそうに前に垂れてきたサイドテールを軽く払い立ち上がる彼女は、マントの下に着込んでいたはずのフィールドジャケットすら脱いでいる。どうやらファイヴ同様、寝る気が無かった訳ではないらしい。

 

「一体あんな狭い場所で何してたんだ?」

「ショートカット。……慣れれば簡単だし、落ち着く」

「猫かよ。気持ちはわからんでもないが」

「そう。……道、迷ってない?」

「何故バレた」

「たばこ。吸ってるの、ファイヴとヴィクトルしか、見たことない」

 

 なるほど、煙を炊いてウロチョロしてればそりゃ見つけやすいはずだ――と、ファイヴは銜えていた味気ない煙草に少しだけ感謝した。

 

「んじゃ、道案内頼んで良いか? 外出たいんだ」

「ん」

「言っとくけど、()()は勘弁な」

「わかってる……」

 

 くるりと背を向けた女が、ファイヴには少々不機嫌であるように感じられた。

 1ヶ月にも満たない付き合いだが、この程度の冗談でのべ助が機嫌を傾げるとは思えない。何か心配事でもあるのか――ファイヴは何かしら言葉を発そうと、のべ助の背を口を開いた直後であった。

 

「《ヴォーパル・ストライク》」

「――は?」

 

 聞き覚えのない単語に出だしを潰され、彼の口からは空気混じりの間抜けな音しか出なかった。

 

「片手直剣熟練度950。重単発スキル」

「カタテチョッケン? 銃単発? 一体何の事だ?」

「……独り言」

 

 独り言と称すには、あまりにもハッキリとして真剣な声音であった。剣呑、とさえ表現できる。

 故にファイヴは「いやいや明らかに違うだろ」と問いただすことを躊躇った。

 

 気まずさが、つかず離れず歩く両者の間に静かに横たわる。

 シャツの裏に小さなトゲが入ってしまったかのような居心地の悪さを感じながらも、やはりファイヴが言葉を発する前にのべ助が口を開いた。

 

「質問、いい?」

「お、おう……」

「《アインクラッド》。――聞き覚えは?」

「アイン、クラッド……?」

 

 聞き慣れない横文字に、ファイヴは頼りない記憶の網を手繰る。とてつもなく弱いが、その単語に僅かに引っかかる物があった。

 

(――――そうだ、アレは確か)

 

 その僅かな抵抗に思案の指先が触れた――その矢先、ファイヴは先導者にぶつかってしまった。

 

「いて。あ、すまん。ガバガバ記憶漁ってて前見てなかった」

「いい。……出口、ここ」

 

 そこはかとなく無感動な口調のまま、のべ助は一枚の扉――宿泊ホテルのような六角形の隔壁ではない、至って普通のスライド扉を指差す。

 

「お、そうか。案内ありがとな。……あと、何か力になれなくてごめんな」

 

 普段と違いフードに覆われていないせいか、のべ助の表情はいつもよりも更に固いものであるようにファイヴの目に映った。

 勘違いと言われればそれまでの違い。だが、口調も少し歯切れが悪いように感じる。

 

「……いいよ、別に」

「そか。じゃあ……おやすみ?」

「ん。おやすみ」

 

 静かな駆動音を立てて開いた扉へとファイヴは向き直り、その一歩を――室内へと、踏み入れる。

 

 

「――――あ?」

 

 そこは、簡素なベッドと申し訳程度の家具が置かれた部屋だった。

 SF調ではあるが、一般に想像されるビジネスホテルに近い――少々値が張る、プライベートスペース。

 

「オイのべす――」

 

 一体どういう事だ、と至極まっとうな疑問の声は、またしても遮られる。

 しかし今回は言葉ではなく、肉弾となって飛びかかるのべ助本人によって。

 

 振り向きざまに為す術もなく押し倒されたファイヴは、悲鳴を上げる暇もなかった。

 

 なぜなら、マウントを取った少女の手には、マットブラックのナイフが握られていたから。

 そして、その刃よりも冷たく輝きのない、殺意の満ちた金の瞳が見えたから。

 

 

 脳裏で何かが噛み合うような錯覚を感じ、ファイヴは直感的に掌で自身の眼前を覆う。

 

 逆手に握られた刃は果たして、そんな頼りないガードなどアッサリ貫通し、少女の思惑通りに青年の顔面へと(きっさき)を突き立てた。



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#04 四輪四足

「ガウァッ!」

 

 獣の雄叫びのような呻き声と、硬質な衝突音が重なった。

 のべ助が逆手で振り下ろしたナイフは、ファイヴの左手を貫いて――そこで制止する。

 

「……!」

 

 ファイヴは、刀身を噛んで止めていた。その事実に、のべ助は静かに驚愕する。

 

 彼女は、ファイヴの目を狙ってナイフを突いた。だが、肝心の凶刃は今や彼の口内に収まって固定されている。

 

 もちろん、鋭利な刃物を口の中に放り込まれるなどたまったものではない。

 だがそれでも、眼球を一突きされるよりはマシであろう。

 

 そんな咄嗟の判断を、全く無警戒の状態から狙ってやってのけたとしたら。

 

「しらばくれるのは、やめて」

 

 初心者(ニュービー)上がりとしては異常とも言えるVR内での身体能力。

 ソードスキル。そしてそれを、自動小銃で再現するほどの練度。

 

 疑惑はあった。それらは小さいものだが、のべ助はそれを看過することができなかった。

 

「この反応速度は、何……?」

 

 そしてその疑惑は、確信に変わってしまった。

 

「貴方は、誰――?」

 

 至近で、しかし鋭く冷酷にファイヴを見下ろしながら、のべ助は熱のない声で眼前の男へ問いかけた。

 

 

 対して、組み敷かれた状態で必死に文字通り食いしばっているファイヴはと言うと、

 

(…………やっべ、話が全然見えない)

 

 ある意味楽観的とさえ形容できる心持ちで、一体これからどうしようかと考えていた。

 

 ファイヴからすれば、のべ助の様子がおかしいことから何か理由があって彼女を怒らせたものとばかり考えていた。

 だが、どうやらそれは誤解であって、弁解の余地は有るのかもしれない。

 

「……口、塞がってると喋れない」

「ぐ……?」

「…………ちゃんと話してくれたら、刺さないから」

「!?」

 

 ……どうやら、余地は無いらしい。

 何せファイヴは、のべ助の望む答えを持っていないのだから。

 

 ファイヴはだんだんと痺れに似た鈍痛に支配されていく脳を、必死に回し始める。口腔中のナイフの味が、本当に出血しているのではと錯覚させた。

 

 第一に思いついたのは、のべ助が諦めるまでこの膠着状態を続けること。しかしそれは、非常に分が悪い。

 

 VRMMOのペインフィードバックはよく「バカ力の指圧マッサージ」と例えられるが、GGOでのそれはかなり強力だ。

 考えなしにナイフを歯で止めたファイヴだが、その代償に実は舌をザックリやられている。

 掌も風穴が空いているし、全身から力が抜けてそのままシシャモよろしく喉を串刺されるのも時間の問題だ。

 またその時間までにのべ助が諦めることも、まず無いだろう。

 

 ならば無理矢理にでも――具体的には、今自身にのし掛かっている女を空いてる右腕で殴り飛ばすなりするか。

 幸いのべ助は長身の割に細く、筋力(STR)も殆ど無い。証拠にナイフの柄に両手を添えて体重を掛けているし、それでもファイヴの右腕はフリーだ。

 喉は犠牲になるであろうが、ファイヴの筋力であれば相打ち覚悟の力ずくで彼女を叩きのめすのはそう難しくはない。

 

 しかしそれも、断じて否である。

 例え片目を抉られそうになったとしても所詮ゲーム。それに元が勘違いから生まれたすれ違いである。

 

 ()()()()で仲間と殺意をぶつけ合って袂を分かつ――それはあまりにも寂しい、とファイヴは思う。

 

 ではどうするか。

 説得するしかない。こんな悪人面で、言葉を介さずに。

 

 まず、のべ助の目を見た。なるべく敵意を感じさせない面もちを心掛けるも、銜えたナイフを離すまいと力んでいるため、それはもう酷く凶悪な表情であった。

 

「……脅してるつもり?」

(違うって……!)

「…………効かない、から」

(……そうかい)

 

 その割には、語尾が震えていた。意図とは違うが付け入る隙を見いだしたファイヴは、初めて自身の悪人面に少しだけ感謝できた。

 

 状況は好転していないが心理的余裕を取り戻した彼は、怯えながらも未だ殺意に満ちた少女を冷静に観察する余裕ができていた。

 

(――目、冷たいな)

 

 間近で投げ掛けられる金色の瞳には、殺意と言うより虚無が満ちていた。

 低温とは形容できない、言うなれば無温。

 それとは相反する湿度が、その奥には感じられた。

 

 その眼差しには見覚えがあって、だがしかし、ファイヴはやはりそれに対する答えを知らない。

 

(一体何があったら、こんな死んだ目になっちまうんだろうなぁ)

 

 ファイヴの右手が、その深淵の金に吸い寄せられるようにもたげられる。

 拳を握っているわけではない。一切の力みのない、自然にあるがままの手を、のべ助の頬へ添えた。

 

「っ……!」

 

 顔を触れられたことにより、のべ助は肩をこわばらせる。両腕でファイヴを押さえつけている彼女は、その手を振り払うことができない。

 

 目潰しでもするつもりか――そんなのべ助の懸念は外れる。ファイヴの手は彼女の頬をゆっくりと、撫ぜるように付いては離れるのみ。

 

「な、なに……?」

「…………」

 

 怪訝そうに、眉間の皺を深めるのべ助。

 しかしファイヴの方も、自分が何故このような行動を取っているかを口が利けないことを関係無しに説明できずにいた。

 

 のべ助にどういう理由があってファイヴに害を成そうとしているのか、彼はわからない。

 その問題の解決法など、知る由もない。

 

 ならばその行動の原動力は、あるいは同情かもしれない。

 ファイヴはその似ても似つかない金の瞳の中に、()()の影を見ていた。

 

 

 そうしていて、どれくらいの時が経っただろう。

 少なくとも、ファイヴの()()を超えなかっただけの短時間では有ったはずだ。

 

 ぺた、ぺたという肌と肌の触れ合う音に、静かに啜り泣く声が混じっていた。

 ファイヴは嘆息し、苦労しながらも強ばっていた顎の筋肉から力を抜く。そうしてナイフが貫通したままの左手を眼前からどけると、柄にしがみついていた細い指は驚くほど素直に解かれた。

 

 凍てつくような殺気を湛える瞳は、既にファイヴの視界には無い。

 代わりに彼の胸には、声を潜めて身を震わせる少女の頭が(うず)められていた。

 

「おい……」

 

 凶器を手放した指先がファイヴの肩を掴んだので、彼は驚いて反射的に声を上げる。しかし彼は、さめざめと泣いている女に対して適切な対処ができる男ではない。

 結局どうするべきかと悩みながらしばらく手を宙に泳がせ、やっと刺さったナイフを抜き取る。

 そうしてからのべ助の頭を撫でたのだった。

 

 

「……ごめんなさい」

「ん?」

 

 しばらくのべ助の頭を撫で、ファイヴの左手が随分と感覚を取り戻した頃だった。

 

「乱暴だった。……それと、後先を考えなさすぎた」

「いいさ。きっと、俺だって悪い」

 

 顔をファイヴの胸に伏せたままの、捉え方によっては非常におざなりに感じられる謝罪であった。

 それでもファイヴは、まるで待ち合わせに数分遅刻した友人に対する反応と同じような気楽さで許した。

 

「……ま、早いとこ退()いてくれると助かるかな」

「っ!」

 

 ファイヴがケラケラと笑うと、のべ助はバネ仕掛けのような俊敏さで起きあがった。そのまま消えたと錯覚しかねない超速ステップで距離を離すと、ファイヴに背を向けて俯いてしまった。

 

「おいおい、そんなに嫌がることないじゃんかよー」

「…………ごめん」

 

 軽い調子のジョークを交えながら、ファイヴは立ち上がって軽く屈伸した。身動きできないようにのべ助に脚を圧迫されていたせいで、多少の痺れが残っていた。

 

 ちなみにのべ助がファイヴから距離を取ってそっぽを向いているのは、気恥ずかしさで赤くなった顔を彼に見られないためである。

 

「痛かった、よね」

「そりゃ、まあな」

 

 が、そんな事を察せるほどファイヴは勘の良い男ではなかった。

 

「……重かった?」

「ま、多少はね」

「う……」

「冗談だ。ホレ、これで痛み分け」

 

 肩を軽く竦めながら、ファイヴは煙草を銜えて火を灯した。なんだかんだでお人好しだが聖人ではない彼は、余裕ある表情の奥で何とか平静を保っていた。

 

「仲直りしようぜ。ちょっと、付き合ってくれよ」

「……?」

「ま、とりあえずホテル出たいんだ。今度こそ、案内頼むよ」

「うん……」

 

 二人はプライベートルームから出て、のべ助の案内でホテル施設から退出。

 そこからは、ファイヴが先行してSBCグロッケンを抜け(る途中に何度か迷子になりながら)、目的地を目指した。

 

 その間、両者はぽつぽつと会話を交わした。特に色気のある会話ではない、単純に互いの疑問を提示しあうだけの、冷酷とも取れるやりとりであった。

 

「反応速度がどうとか言ってたな。ありゃ何だ、化学の問題か?」

「化学……?」

「大雑把に言うと、物質の化学反応が進む速さ。違うのか?」

「……勉強、苦手」

「ふーん、まぁいいや」

 

 深夜にも関わらず、夜のGGOは更にその賑わいを増しているとすら感じられた。

 気を抜くとその賑わう雑踏の音にすらかき消されそうな声量で、両者のコミュニケーションは続く。

 

「その、アイン……なんだっけ?」

「アインクラッド」

「ああそうだ。確かそれ、ちょっと前にダチが騒いでたゲームマップの名前だったと思う。奴は確かALO民だったっけな」

「そう」

「もしかして、お前も剣モノVRの出身か?」

「…………うん」

 

 とりわけのべ助の囁くような話し方は、語の短さも相まって気を使わないと聞き逃しそうになる。

 道行くアバターには、まるでファイヴが一方的にまくし立てているように見えただろう。

 

「んで、ヴォー……っと」

「ヴォーパルストライク」

「そうそう。アレは、見よう見まねだな。第三回BoBの。見たことあるか?」

「うん。リアルタイムで」

「そうか。まぁ俺は至近で敵と戦うことが多いからさ。だから使えるかと思って、練習しまくった訳よ。多分上手く行ったのは見本が良かったからだろうな」

「そっか」

「もしかして、知り合い? 確か名前は――」

「キリト。一方的に、わたしが知ってるだけ」

「やっぱ結構有名なんだな。あの女剣士」

「……あれ、男」

「…………マジ?」

「まじ」

 

 だが、二人の間には以前の――それより温かな何かが、ゆっくりと繋がり始めていた。

 それが何なのか、その場を行き来する何人たりとも――当事者の二人でさえ、未だ解せなかった。

 

「おっ、着いた着いた。一時はどうなることかと」

「……これは?」

 

 そこはSBCグロッケンの幹線道路に面した、GGOでは珍しくもないレンタカーの停留所。

 だがしかし、そこに置かれている車両が異形であった。

 

「いや、最近ヴィクトルにバイクの乗り方を習ってんだが、如何せんマニュアル車って難しくてな。コイツは操作が簡単だし、実戦でも役に立ちそうでここんとこお気に入りなんだ」

 

 それは、横から見れば何の変哲もないSF調のスポーツバイクである。但し、4輪で自立している。

 二輪車のフォーク部に無理矢理2つのタイヤをつけてしまったような、未来を先取りしすぎたような設計である。

 

「これ、動くの……?」

「勿論。10年くらい前にこれと似たようなバイクをヤマハが開発してたんだが、知らないかな」

 

 ファイヴは不安そうなのべ助を後目に、ストレージからライダースジャケットを実体化させてバイクに跨がる。

 上着を着込む片手間で、のべ助に手招きしてからタンデムシートをポンポン叩く。

 

「乗りなよ。結構風が冷たいから、上着は着た方がいい」

 

 その言葉を受けて、のべ助もフィールドジャケットを実体化させて着込み、恐る恐るファイヴの後ろに腰を下ろす。

 その間にファイヴは料金支払い手続きを済まる。すると、メーター類を表示するであろうディスプレイに、英字が踊った。

 

【 Hi, Phive. You have a girl friend today. I'm sure that it will fall spheres tomorrow! 】

 

 無機質な文字であるにも関わらず、何故か陽気に感じられるそのバイクの語り口に、ファイヴは溜め息を吐きながらも応じる。

 

「はぁ……。Hermes. I think "it'll fall spears tomorrow" is right.」

【 Oh, that's right! Thanks, Phive. 】

 

 ファイヴのそこそこ流暢に感じられる英会話に、のべ助はぴくりと反応した。

 そんな背後の女の様子には気づかず、ファイヴはバイクとの対話を続ける。

 

「Not at all. By the way, can you go?」

【 Of course. 】

「Good. Now, "Ready to Race".」

 

 ファイヴが発した最後の一言を皮切りに、4輪バイクが唸りを上げて振動し始める。

 ファイヴはアクセルを数回捻って調子を見てから、満足そうに頷いてのべ助に振り返った。

 

「良い音だろー!」

「さっきの、なにっ?」

 

 エンジンの音に遮られないようにと、自然と二人の声の音量も上がった。

 

「コイツな、エルメスって言うんだけど! たまに会話に付き合ってやらないとヘソ曲げちまうんだ! 何でか知らんが、日本語は受けつけねぇし!」

「……」

「出すぞ! 掴まれよー!」

 

 言うが早いか、ファイヴは爪先でチェンジペダルを踏み込んだ。ギアが噛み合う音がして、二人を乗せた『エルメス』は嬉しそうに走り出した。

 それなりにゆったりとした発進であったが、突如推力が発生したことに驚いたのべ助は、小さな悲鳴を上げてファイヴの背中に抱きついた。

 

「ひゃっ!?」

「ハハ、それでいいんだよ! そのまま掴まってればいい!」

 

 ファイヴは更にギアチェンジを繰り返し、どんどんエルメスのスピードを上げていく。

 そうしてSBCグロッケンを大きく周回する環状道路へ差し掛かった時には、既にのべ助も独特のスピード感に慣れていた。

 

「バイクっ、乗れたんだっ」

「いーや! 無理! コイツは自動遠心クラッチの、セミATだから! 車に乗れりゃあ誰でも乗れる!」

「自動――とか、わからない!」

「そーかい! ――見えてきた!」

 

 そう言うなり、ファイヴはアクセルを全開にする。

 車線変更して前の大型車を抜き去ると、常に左右を巨大な建造物に挟まれていたはずの環状道路の両脇から、視界を遮るものが突如として消え失せた。

 

「わぁっ――!」

 

 のべ助の口から、思わず感嘆の声が挙がる。

 そこは、ファイヴが偶然見つけた、ビル群の切れ目。

 この環状道路を走る十数秒間だけの、下から見上げる宇宙戦艦(スペースバトルクルーザー)グロッケンの絶景であった。

 

「これを、見せたかったんだ! やっぱデカいよな、グロッケン!」

「――――」

 

 空に広がる厚い雲さえ貫く、煌びやかなレーザーをあちこちに投げ掛ける、巨大な戦艦。

 役目を終えて地に突き立ってなお、その堂々たる姿。正に圧巻の一言であった。

 

 バイクに乗って来たのは、この巨大なグロッケンの底から天辺までを全て見たかったからだ。窓から覗くしかない車だと、戦艦の腹ばかりしか見えない。

 

 ファイヴはアクセルの開きを絞って、他の車の流れを邪魔しない程度にスピードを落としていた。

 だがやはり、魔法の時間は15秒と持ってはくれなかった。

 

 名残惜しく思いつつも、きっとあの光景は、こうしないと見られないからこそ価値があるのだとファイヴは考えた。

 また来ようと静かに決意して、彼は得も言われぬ切ない苦みを飲み下した。

 

「……付き合ってくれて、ありがとな!」

 

 そう背後に投げ掛け、ファイヴは環状道路の分岐帯にエルメスを進行させる。ディスプレイ上のタコメーターが下がっていくのが、何故か不機嫌がっているように見えた。

 

「――っかい」

「ん?」

「もう、いっかいっ」

 

 腰に回された腕に力が入るのを感じたファイヴは、即座にアクセルを開いてギアを落とした。エンジンが再び嘶き、メーターが躍り上がる。

 

「いいのかー!? もう一周は、だいぶかかるぞ!」

「いいっ、もう一回、見たいっ!」

「……参ったねぇ」

 

 のべ助に聞こえないようにそう呟いたファイヴの表情は、まるで子供のおねだりに便乗して遊ぶ悪い大人のように、無邪気だった。

 

「――コイツでさ! 他に行ってみたいところが、まだまだ沢山あるんだ!」

「そう、なんだっ」

「いつでも良い! 一緒に、行こう!」

 

 返事は、無かった。

 だがファイヴは、自分の背にかかる質量がに僅かな変化を認めた。

 それで、十分に通じていた。

 

 4輪バイク・エルメスのテールランプが環状道路に尾を引いて行く。

 

 GGOの夜は、そうして更けていった。



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#05 黄昏色の春愁

「お。うっす、先輩」

「おお、よう」

 

 大学で一日分の授業を消化した暁は、相変わらず息の詰まりそうな喫煙室へ足を運ぶ。

 そこには先んじて紙巻きを銜える裕士の姿があった。

 

 暁が胸ポケットから出した煙草を銜えると、裕士は何も言わずにその先端に火を点す。暁も何も言わず、寝不足気味な頭のまま火種から流れ込む煙を吸い込んだ。

 暁が先輩面を利かせてこれを強要しているわけではなく、気が回る裕士が繰り返している間に染み着いてしまった習慣だった。

 

「ふー……。お前、ここ最近いっつもここに居ねぇか? 流石に吸いすぎだろ」

「バイトの給料支払いが遅れたんで、ちょいとストレス溜まってたんスよ」

「ああ、道理でライター使えなかった訳だ」

 

 ライターオイルを買う金はない癖に、なぜそれだけ煙草を吸っていられたのか……とは問わない。暁も所詮、同じ穴の狢だ。

 

「はー……。どうスか最近、GGOの方は」

「それしか話題ねぇよな俺ら。知っての通り、どうしてもソロの効率は悪い。元々覚悟の上とは言え、やっぱり遠距離で撃ち負けるのはキツい」

 

 (ファイヴ)はここのところ対人戦を意識して、それとなるべく近い射撃を行ってくるエネミーを中心に狩っていた。

 もし一人で対応できるなら対人戦(PvP)にも挑戦するつもりであったが、生憎とその機会にはまだ恵まれていない。

 

 ――先日、安ホテルのプライベートルームで起こった一悶着を対人戦と称するのであれば、話はまた別だが。

 その一件に関して、暁はまだ裕士に打ち明けていない。別に彼を信頼していないわけではないが、わざわざ大会前に済んだ話をひけらかして和を乱す必要はないだろう。

 

「まぁ、それはしゃーないッスね。暁さん遠距離全然当たんないッスから」

「何でだろうなぁ……ふはー」

「単純に不器用なんじゃないスかね?」

「うっせ」

 

 GGOには着弾予測円(バレットサークル)というシステム的補助があり、これによって弾丸を命中させるのに必要な技量は実銃射撃と比べかなり低くなっている。

 

 しかしそれはそれで、標的を常に収縮を繰り返すサークル内に収めながら射撃を行うという、また別のテクニックを要求される。

 近距離であればその収縮範囲は気にならないが、距離が離れるにつれ敵の動きと同時にサークルの動きも予測しなければならない。

 

 暁は、その並列処理を行いながらの射撃はかなり苦手だ。故に、当たらない。

 

「すふー……ま、本番で戦う時は一人じゃないッスし。援護は任せてくださいよ」

「おーよ。大人しく銃座兼弾避けになってくれ」

「弾避けは先輩の仕事ッス。華麗にぴょんぴょんしといてくださいよ」

「なんだその華麗さが微塵も感じられねぇ擬音」

「ごちうさ観てないとか人間じゃない……」

「10年前のアニメ観てる方が少数派だろうがよ……」

 

 裕士がしつこく語っていた萌えアニメの話題を暁は軽く聞き流し、煙草を灰皿に落とす。裕士もそれに追随するように火を消して、二人して喫煙室を後にした。

 

「あれ、暁さん今日まだ授業ありましたっけ?」

「いや、もう終わり。あとはさっさと帰ってGGOするだけだ」

「暁さんもイイ感じに染まってきてますね。……けど、そろそろオフがあっても良いとは思いますよ」

 

 裕士の発言に、暁は口をあんぐりと開いて絶句した。

 感情表現が薄い彼には珍しい、尋常でない驚愕と恐慌を湛えた表情である。

 

「…………何スか」

「……そうだな。確かにお前は早く帰って寝た方がいい」

「人を一体なんだと思ってるんスか」

「手の付けようのないゲー廃」

「初手ド正論封殺はNG」

「遊びは本気の人生倒錯者」

「ブーメラン刺さってるッスよ」

「ヤラハタリア充」

「それもブーメラン……って言うか、いつの死語ッスかそれ」

「俺キモオタだからセーフ」

「むしろコールドゲームッスよ。タオル投げましょうか?」

 

 いつもの調子でジョークを投げ合い、いつものように笑い合う。

 男二人のコミュニケーションは、常にこんな調子のバカらしい会話で彩られていた。

 

「ま、今日はお前の言う通りにゆっくりしようかな」

「そしたら俺ら、結構時間空いちゃいますね。久々にゲーセンでダーツでもします?」

「とりあえず、軽く飯でも食ってこうや。腹減った」

「いいッスねぇ。何食いましょうか」

「学食は論外だし、とりあえず駅の方行ってから考えよう」

「ま、いつもの感じッスね」

 

 そんな具合で、男二人は大学の敷地を出て駅近辺の繁華街へと向かう。

 空が少々赤みを帯びてきて、道中ではちらほらとスーツの人達や制服姿の少年少女が見かけられる時間帯であった。

 

「…………はー。良いッスよねぇ……制服」

「それもういい加減聞き飽きたっつの」

 

 高校生とおぼしき男女の集団とすれ違ったとき、裕士はひどく哀愁の籠もった溜め息を漏らした。

 

「何度だって言いますけど、やっぱ制服ってスゲー良いッス」

「制服女子とか制服彼女とか制服デートとかそういうのだろ。知ってる知ってる」

「……なんで俺男子校なんかに入っちゃったんだろう」

「それも聞き飽きた。高校生の彼女でも作ればいいじゃねーか」

 

 そんな会話をしつつファストフード店の前を通り過ぎると、ガラス張りの店頭近くの席で実に仲睦まじそうに高校生のカップルがイチャついていた。

 

 ――あっ、これめんどくせぇヤツだ。

 暁は今からでも、そのカップルの存在を無かったことにしたくなった。

 

「――制服デートってのは、もうありえないんスよ」

「なるほど」

「制服ってのはただ着ていることが重要ではないんスよ……お互いに高校生、お互いに学校指定の制服――双方の未熟さ前提に成り立つ、それが制服萌え……!」

「すごいな」

「初々しくて甘酸っぱい青春……俺にはもう、そんなキラキラしたものは――――無いッ!!」

「悪いのは君じゃない」

 

 耳にイヤホンを突っ込みたい欲求に耐えながら、暁は裕士の演説をBGMにめぼしい飯屋を探し始める。とはいえここら一帯の飲食店はあらかた巡ってしまったため、結局何を食べるかは気分と財布次第だ。

 

「なぁ、そろそろ何食うか真剣に考えて……」

「そもそも俺なんかが、一体どうやって女子高生とお近づきになれるって言うんスか!?」

「知るか。人の話切んなや」

 

 うざったいという感情を露骨に表情に出しながら、暁は耳をかっぽじる。

 裕士は悪い人間ではないのだが、正直この手の話はもうウンザリである。

 

「はぁ……ま、いつもの中華屋でいんじゃないスかね。閉まってたら、カレー屋で」

「そうだな。――高校生にコネとかねぇの? 確か妹居ただろ」

 

 面倒だとは感じつつも、何だかんだ相談に乗ってしまう暁も暁であった。……ただ単に、話の種が欲しいという側面が強いが。

 

「今年度からもう大学生ッスよ、ウチのも。それにパイプに関しちゃ家庭教師やってる暁さんの方がありそうッス」

「俺は高校生教えてねーぞ。それに生徒に手ェ出したらクビ飛ぶ」

「現実はカイラクテンとは行かないんスねぇ……」

「どっちかってーと、年齢的にエルオーじゃね? クビ飛ぶついでに手が後ろに回るわ。……っと、今日は休みだったか」

 

 オタ臭い下ネタを交えながら、第一候補の中華料理店の前を二人は通り過ぎる。

 とはいえ、大学近郊の繁華街にはそこそこ安くてそこそこ美味い店が揃っている。第二候補に向かうついでに新しい店を開拓してみるのも悪くないかもな――と、暁が一人思案しているところだった。

 

「――――いた」

「は?」

「あの娘ッスよあの娘! ホラ、前にLINKした!」

「……?」

 

 暁は唸りながら首を捻り、スマートフォンを取り出してメッセージアプリのログを漁り始める。

 そんな時間すら惜しいと言わんばかりに、裕士は暁の肩を激しく叩いた。

 

「ああもう! 覚えてないならそれでいいッスから! ほらあそこ!」

「おう……?」

 

 あまりの勢いに気圧されながら、暁は裕士の指さす方を見やる。

 そこには、スポーツバッグを地面に降ろしてコンビニの前にたむろする、セーラー服姿の若者集団がいた。

 

「……ああ、思い出したわ。確か、陸上部の」

「そうそう、大学に来てた娘ッス」

「で、どれだよ。つか良く覚えてたな」

「結構その、顔とかタイプだったんで」

「そうか。コネどころか一気にJK彼女ゲットのチャンスじゃねーか行ってこい。俺飯食って帰る」

 

 ふらりとその場を離れようとした暁の双肩を、裕士の手がガッチリとホールドした。

 

「いででででで」

「そんな気軽に『よぉしいってきまーす』って言える訳無いじゃないスか! 相手は友達と居るってのに一体どう声掛ければ!」

「だったら、一人になったところを見計らって『こんにちは、以前お会いしましたよね』ってさ」

「完全にナンパじゃないッスか!!」

「彼女欲しいとか言ってる癖にナンパくらいでビビってんじゃねーよ、ヘタレ」

 

 かく言う暁もナンパ経験皆無のヘタレである。

 

「うわぁ今日一番のブーメラン」

「うっせ。とりあえずあそこ通らなきゃカレー屋行けないし、通りすがりに会釈ぐらいが妥当なセンだろ」

「まぁそうッスよねー。向こうが覚えててくれなきゃ、俺ら完全に不審者ですけど」

「勝手に一括りにすんなよ」

「一人で事案発生とか嫌ッス。ついでに人柱になってください」

 

 などとペチャクチャ言い合っているうちに、件の陸上部集団は徐々に散り始めていた。

 裕士の言う女の子が誰だかは暁に判別が付かないが、もたついているとこの場を去ってしまいそうだ。

 

「おら、さっさと行けよトミー。チャンスの女神には前髪しか無いらしいぞ」

「後頭部ツルッパゲの女神とか想像するとすげぇ嫌ッスわ。……くそ、当たって砕けてやる」

 

 華の女子高生の手前を通過するだけでこれだけ回りくどい会話を繰り広げていた男二人は、遂に歩き出す。

 

 裕士は、はやる鼓動に少々体をギクシャクさせながら。

 暁は、そう言えばとまた別の人物のことをおぼろげに思い出しながら。

 

 並んで歩く男達は、全く異なる時間の流れを感じつつ、しかしてコンビニの前に差し掛かる。

 

「ども……」

 

 裕士は珍しく、少々固い笑みで会釈をした。

 

「――あ」

 

 その時、数人に減った少女達の中の一人と、バッチリ目が会った。

 

(……なるほどな)

 

 暁は、後輩と少女の反応から、やっと彼女の存在を認知する。

 

 まだ陽の高い、夕暮れに差し掛かろうという数秒。

 それを通り過ぎるのにどれだけ労力を割いているのか――と、暁は少々おかしな気分になった。

 

「――――あの!」

 

 コンビニを通過して数秒。男二人の背後から、運動部らしいハリのある、しかし中々に可愛らしい声が上がった。

 

「この間は、どうもありがとうございました! 助かりました!」

 

「…………」

「……おう」

 

 後ろを振り向き固まってしまった裕士の代わりに、何故か無関係の暁が軽く手を振る。

 その手を下げるついでに「行くぞ」と促し、背を叩いて再び歩き出した。

 

「……緊張した」

 

 少々歩いてから、安堵の溜め息混じりに吐き出された裕士の一声であった。

 

「お前、見た目はウェイウェイしてんのにそこら辺めっちゃ弱いよな」

「しゃーないッスよ! あんな美少女の前で緊張しない男なんて居ないッス!」

「確かにお前が好きそうな感じだったな、あの子」

 

 暁は先ほどのボーイッシュな少女の、溌剌とした笑みを零しながら礼を述べる姿を思い返してそう評した。

 

「まぁでも良かったじゃんか。青春追いついて来てんぞ」

「だと良いッスけどねぇ……」

 

 しみじみとそう述べる裕士と、愉快そうに口端を引き上げる暁の背を、オレンジの光が照らしていた。



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#06 宵闇と蛍

「……うーん。なーんか気持ち良く酔えないッス」

「マジか、重症だな」

 

 先刻の女子高生との邂逅からというもの、裕士は少々調子が悪い。

 

 重い食事が喉を通らず、普段水であるかのように飲んでいるビールもジョッキに半分以上残っている。

 酒に弱くペースも遅い暁が一杯飲みきるまででこれだ。真剣に異常事態である。

 

「一体何なんスかねぇ……」

「恋煩いじゃね?」

「いやいや、まさか……」

 

 つまみを口にして再びジョッキを傾けるも、やはり裕士は眉をしかめるのみ。

 

「……今日はお開きにすっか。ゲーセン行くのもまた今度で良いだろ」

「なんか……スンマセン。気を使わせちゃって」

「構わんよ。代わりに残りの餃子、くれ」

「うっす」

 

 少々空腹気味だった暁はすぐさま皿に残った餃子を平らげ、テーブルに肘を突いてへばっている裕士に代わってとっとと会計を済ませてしまった。

 

「ゴチになります……」

「ねーよ、2,000円は出せ。今度で良いから」

「うーッス」

 

 普段通り暁が多めに代金を持って、男二人は居酒屋を後にした。

 無駄口好きな彼らには珍しく、手近に話題がないために黙りこくっての帰路となった。繁華街の喧噪が、どこか遠くに感じられる。

 

「……次は、連絡先の交換だな」

「!? ゲホ、ゲホッ!」

 

 改札を通過しながらの暁の呟きに、裕士は過剰反応してむせかえる。うっかり電子定期を通し忘れ、暁の後ろで改札機に突っかかった。

 

「うわっチクショ……っと。一体何て事言うんですか暁さん!」

「……お前、本当に今日は早く寝ろよ。ヤバいぞ」

 

 普段は常に余裕のあるリア充的態度を早々崩さない裕士が、取り乱しすぎである。

 

(こりゃかなり重めに煩ってるな)

 

 暁は後輩の新たな兆しに、微笑を浮かべた。

 期待と優しさに満ちた慈愛の表情――などと言うことは全くなく、面白いもの見たさのニヤケ面であった。

 

「そう言う人の悪いカオは余所でやってもらえませんかね」

「説得力ねぇだろうけど、これでも結構応援してるぜ?」

「うーんまぁ……そりゃ暁さんのそういう所は信頼してますよ」

「あ、でも一線は超えるなよ。双方合意の(もと)でも捕まる」

「ひっでぇ皮算用ッスねそれ」

 

 普段の調子を若干取り戻しながら、二人は路線の分岐点に差し掛かった。

 

「今日は勝手にヘコんでて、どうもスンマセンでした! お疲れさまッス!」

「おう、じゃーなー」

 

 暁は地下へ、裕士は地上のホームへと別れてそれぞれの列車へ乗り込んでいった。

 

 

 

『次は、新宿。新宿。終点です。本日も――』

 

「……さて、どうすっかね」

 

 電車が減速しだした辺りで暁は座席から立ち上がり、先程から頭の中を満たしている思考を口から零した。

 時刻は未だ午後7時を過ぎず。今からまっすぐ帰っても帰宅は9時になってしまうだろうが、暁の感覚ではまだまだ帰るには早すぎた。

 

 本来なら裕士との飲み会で時間をつぶす予定であったし、かといって一人で飲み直すほど酒が好きなわけでもない。

 用もなく何げなしに新宿駅の改札を通過してから、暁は手近な柱に凭れかかってスマートフォンを取り出した。

 

「……あ、やべ」

 

 GGOからのチャット受信通知がポップアップしていた。気がつかなかったが、裕士と飲み始めたくらいに届いていたものだ。

 

〈 Nobeske : 昨日はごめんなさい 〉

 

「……あー、別に良いってのに」

 

 もう仲直りしたじゃないか――と独りごちりながら苦笑い、暁は液晶に指を滑らせる。

 

〈 Phive : 気にしてない。ちゃんと和解しただろう 〉

 

 しばらく返信が無いか待った後、チャットアプリを閉じるちょうどの所で返信があった。

 タスクの終了をキャンセルして、そのまま会話を続ける。

 

〈 Nobeske : 怒ってない? 〉

〈 Phive : ないない 〉

〈 Nobeske : 蒸し返して、ごめんなさい 〉

〈 Phive : 良いってば 〉

〈 Nobeske : 今日は、ログインしていないけど、何かあった? 〉

 

(なるほど、それで心配になって連絡してきたのか)

 

 暁は心配を引き延ばすような真似をして悪い事をした――と小さな罪悪感を覚える。と同時に、不安になって連絡してくるとは可愛いところもあるな――と少しだけほっこりした。

 

〈 Phive : 何もない。単純に、今日はお休みってだけ 〉

〈 Nobeske : そう 〉

〈 Phive : シカゴも今日は、多分休み。体調悪いんだとよ 〉

〈 Nobeske : そう 〉

 

「……いや、会話のキャッチボールしろよ」

 

 会話を綺麗に締めくくれない時点で暁も他人にとやかくは言えないのだが、のべ助の返信はデッドパスも良いところだ。

 無口な女アバターの半眼を思い返しながら、ひょっとしてコミュ障なだけなのでは――と邪推した。

 

〈 Phive : アイリスにはこっちから連絡しとくから 〉

〈 Phive : とりあえず今日は、これで。お疲れ 〉

〈 Nobeske : お疲れ様です 〉

 

 なんで最後だけ敬語なんだ? と含み笑い混じりに呟きながら、暁はアイリスに宛てて今日は野郎二人がログインしない旨を簡単に伝える。

 返信はない。大抵の人ならそれなりに忙しい時間であるし、彼は気にせずチャットを閉じた。

 

「……さて」

 

 どうしたもんか、と暁は凭れた柱から身を離して腕を組んだ。

 

 夜の時間が丸ごとフリーになったのは良いものの、彼はいわゆる若者の遊びを特に好んではいない。ダーツやカラオケなどは、裕士を筆頭とした友人に誘われて嗜む程度。

 気軽に時間を潰せる趣味も特に持ち合わせて無く、強いて言うなら銃器専門誌を眺めるかGGOをプレイするくらい。

 

 そして課外時間を犠牲にせねばならないような課題にも追われていない。無趣味な文系大学生は、どうしようもなく暇なのだ。

 

(まぁ、いいか。煙草吸ってから考えよ)

 

 組んでいた腕を解き、右手をポケットに突っ込んで歩き出す。このままだと何となくで時間を無為に浪費するだけだろうと察しつつも、暁はそれはそれでも別に良いと投げやりに考えた。

 

 地下連絡路を抜け、都庁へ向かう道すがらにある商業施設の喫煙スペースが、暁のお気に入りであった。

 少し距歩く必要があるものの、そちらの方が換気がしっかりしていて割りかし煙くないのだ。

 

(ああ、そうだ。都庁に行くのも良いかもな。居酒屋でそれほど飯食えなかったし、都庁食堂で軽く晩飯食って――)

 

 脳内をやかましくしながら地下通路を進んでいた暁の、歩みと思考がそこで止まる。

 その造形から(コクーン)と名付けられた建造物の地下。書店と通路をつなぐ階段の踊り場に、彼の目は吸い寄せられた。

 

 小柄で細い体躯更に輪郭をぼかすように着込んだぶかぶかのパーカー。今日はその上に、ブレザーを着込んでいた。下のスラックスと合わさって、どうやらそれは制服のようだった。

 そして、小さな頭には不釣り合いに大きなキャスケット帽。その縁からこぼれる明るい色の髪。

 

 その全てが、暁のエピソード記憶に語りかけていた。

 

 

「お……」

「あっ……」

 

 互いの目が合った。暁は今日二度も偶然の再会に立ち会ったことを愉快に感じ、珍しくにこやかに笑いながら軽く手を振った。

 それを受けて少年は、慌てたように会釈した。恥ずかしがって顔を伏せたようにも見える。

 

 暁が階段の下へと向かうと、少年も階段を降りてきた。

 ――ただ単に、顔見知りとまた偶然会っただけであるが、二人の心象にはそれ以上の変化があった。

 

「……よ、こんばんは。久しぶり」

 

 暁は、「現実は小説より奇なり」という言葉を頭に思い浮かべながら愉快そうに。

 

「はっ、はい。こんばんは……」

 

 少年――エミル・マンリッヒャーは、抑えきれない自身の期待に不安を抱きながら、挨拶をした。

 

 そこから、しばし沈黙が続いた。

 

「……あー、ごめん。マンリッヒャーさん」

「? ……あ、名前、ですか?」

「ホントごめん」

 

 どうにかして名前を思い出すなり向こうから引き出すなりと言った小賢しい事を考えていた暁であったが、さすがに放送事故クラスの無言が居たたまれなくなって素直に頭を下げた。

 

「だいじょうぶです。エミル、です」

「ごめんな。俺、真部暁」

「……はい。今、覚えました。暁さん」

 

 口振りからエミルが暁の名を忘れていなかったことは、鈍感な暁でも疑う余地もなく理解できた。

 

「気が回るな。将来良いオトコになるぞ、お前は」

「……いえ、そんな」

 

 歯切れ悪く、エミルは肯定とも否定とも取れない言葉を返した。それと同時に翠の瞳が帽子の鍔で隠れる。

 

 2秒沈黙が続いて、暁はやはり自分がエミルの()()に触れていると結論づけた。

 

「今日はどうしたんだ? 俺は暇潰し」

「え? あっ、えっと……。ぼくも、そんな感じです」

 

 少々雑な話題転換だったが、細くだがエミルは暁の軽い口調につられるように話し出した。

 暁はどうにも鈍感であったが、鈍感なりに気を回すくらいはできる男であった。

 

「そっか。晩飯、食った?」

「まだ、です」

「そっか。どこ行くか決まってる?」

「……いえ、特には」

 

 暁は、会話を行いながらも逡巡していた。

 二度会っただけの少年に、深入りしすぎではないかと。事情も知らない他人に、干渉しすぎではないかと。

 

「あき、さん……?」

 

 言葉を絶やしてしまった暁の顔に、不安げな翠の眼差しが向けられた。

 エメラルドグリーンやターコイズブルーなど、煌びやかな宝石に例えられそうなその瞳は、しかし輝きを湛えてはいない。

 

「良かったら、さ」

 

 暁は、その死んだ眼に対する適切な解を持っていない。

「何とかしなきゃいけない」という義務感で行動を起こすのは、一種の傲慢であると彼は自覚していた。

 

「はい……?」

「晩飯、食わないか。奢るよ」

 

 結局暁は、痛々しい様子のエミルを放ってはおけなかった。――自分には何も出来ないであろう事は、しっかりと自覚しながら。

 そうでなければ、彼自身の目はもう少し生き生きとしていたはずだ。

 

「いや、そんな……悪い、ですよ」

「良いって。ホラ、いつかお礼してくれるんだろ?」

「あっ――は、はい」

「じゃ、その『いつか』の為にもさ……」

 

 暁は、少し膝と腰を曲げてエミルと視線を合わせた。

 少しクサいな――と思いつつも、彼は目尻を僅かに下げながら右手を差し出した。

 

「友達になってくれないか? 一緒に、飯食おう」

 

 ――その笑顔は、憂いを帯びながらもその青年には珍しい、一切の険が取れた表情だった。

 

 エミルはその微笑を間近に見て、ぱちりと一度瞬いた。

 数瞬後に、じわじわと頬を赤らめて、暁の視線から帽子を盾に逃れるように俯いた。

 

「――――いいん、ですか」

「勿論」

 

 か細い声に、暁は迷い無く応じた。

 

「むしろ、願い下げかね?」

 

 ふるふると、俯いたままのエミルは力なく頭を振った。

 

「…………お願い、します」

 

 暁の右手に、おそるおそるとエミルの手が添えられた。

 ゆっくりと脅かさないように、しかし確実に暁はその手を握る。握手と称すにはどうにもよそよそしく頼りなかったが、今は互いに、それで良かった。

 

「――んじゃ、よろしくな。エミル」

「はい……暁さん」

 

 ――この後、彼ら二人の関係が、少しだけ世界を変える事になるのだが――

 

 それはまだ、先の話である。



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#07 192:634:333

 和食屋さんのカレーは美味い、という説がある。

 暁はその意見に対して、少々懐疑的な思考の持ち主だった。

 

 確かに、ダシというのは和食の十八番であるし、それ故に和風カレーの旨味というは理解できる。

 だがしかし、カレーにだってブイヨンは使われるし、その研鑽を行うのは洋食であっても同様なはずだ。

「ひと味違う」からといって、それが比較して和風カレーの方が旨いというのはおかしいのではないか。

 

 概ね「和食屋さんでカレー」というゲテモノ感と、それを上回るクオリティーのまとまりが、予想を良い意味で裏切っているからそのように感じるんだ――彼はそう考えている。

 

「あ、うま。美味いわ」

 

 青年は、大事な事を二つ忘れていた。

 一つは、カレーは元々インド料理であること。

 もう一つは、彼がダシとブイヨンの違いを明確に理解できるほどの舌を持っていないことだ。

 

「エミルも、遠慮なく食って」

「は、はい。いただきます」

 

 暁の向かいに腰掛けたエミルの手元には、カラッと揚がったカツがあった。

 

 彼らは、新宿にある東京都庁――その地下に構えるオーソドックスなトンカツ屋に訪れていた。

 外食としてはそれなりのお値段になかなかの味。気が向いた時に訪れては、暁の胃袋を満たしてくれる店であった。

 平日の、それもディナータイムの外れという事もあって、60ほどあるテーブル席はどこもかなり空いている。暁とエミル以外の客は、サラリーマンの少数団体が2つ。

 

「あ、おいし……ですね」

「だろ?」

 

 西洋よりの見た目とは裏腹に、エミルは綺麗な箸使いで一切れのロースカツを食した。

 それに応じる暁は、カレーのトッピングであるチーズインメンチをスプーンで割り、ライスとルーを一緒にして頬張った。

 

「……あの」

「ん?」

「洋食、好きなんですか……?」

 

 双方が半分ほど食事を片付けた辺りで、エミルがおどおどと縮こまりながら、蚊の鳴くような声で暁に質問を投げかけた。

 

 質問の意図が見えずに暁は少し考え――向かいの少年は、慣れないなりに怯えながらも会話をしたいのだろうと察する。

 暁も以前は極度のあがり症であった事と、最近似たような口下手と接していたのが功を奏した。

 

「ああ、まあ……何て言うかな。和食も嫌いじゃないんだが、どうにもご飯とおかずをバランス良く食うのが面倒で」

「めんどう、ですか……」

「おう。そんなんだから、頭使わずに食えるカレーやパスタばっか食っちまう」

「……個性的、ですね」

「別に『変なヤツ』って言って良いぞ。自覚はある」

「いや、そんな……」

 

 会話が途切れると暁は自然に食べかけの飯に手を着け、エミルもそれに習うように茶碗を持つ。

 そのテンポがどうにも無理に暁にあわせているように見え、暁は今度は適当に自分から話を振ることに決めた。

 

「……確か、高校生って言ってたよな。今いくつ?」

「…………!」

「焦って飲み込まなくて良いぞ」

 

 エミルが必死に口内の物を飲み下そうとするのを制して、慌てさせないためにも暁は再びカレーを一口掬った。

 

「……じゅう、ろくです」

「そうか。……じゃあ、2年か」

「…………」

 

 エミルは押し黙った。

 少年の纏う雰囲気から、暁は「じゃあ青春真っ盛りって感じだな」とデリカシー皆無の発言を回避したが、どうやら気に障ってしまったようだ。

 

「俺は22だな。んで、大学3年」

「……え?」

「一浪一留。同級生の中には、もう社会に出てるヤツも居るってのになぁ」

 

 なるべく冗談めかした様子で、暁は肩をすくめる。

 自分をクズだと軽蔑してくれても良い。「こんな人間よりマシ」と少しでも自信を持ってくれればいいという、少々おざなりなアクションであった。

 

「そう、ですか……」

「おう。そんなんでも、図々しく生きてる」

「――大変です、よね」

 

 だが、暁の想像と少年の反応は異なった。

 控えめな上目遣いで交錯した視線は、思っていた以上に真っ直ぐで――諦観を帯びていた。

 

「……ん、まぁ、そうだな」

 

 ――一回り小さなガキと、傷の舐め合いをする事になるとは――暁は妙な安心感を感じてしまい、それが余計に情けなかった。

 

「いや、俺の話なんてどうでも良いんだ。俺は大人だから、勝手に自分でどうにでも出来る」

「そう、ですか……?」

 

 ちっぽけなプライドと義務感と、エミルに対する言いようのない庇護欲のような物が、青年に虚勢を張らせる。

 

「おうよ。それなりにキツい事もあったけど、俺の場合は自業自得だったしな」

 

 言い切って、暁はケラケラと笑った。

 本人もマズいと思うくらい、乾いた笑いしか出なかった。

 

「…………」

 

 エミルは、そんな暁を真っ直ぐに見ながらも、その瞳は僅かに揺れ動いていた。

 どうにかしたいが、掛ける言葉が見つからない――アレはそういう表情だと、暁は知っていた。

 

「メシ、さっさと食っちゃおう。あんまノンビリしてると冷めちまう」

「……はい」

 

 返事をしたエミルが、食事へと目を向けて漬け物へと箸を伸ばす。

 また食べる事にエミルが意識を向けたことを確認した暁は、安堵し――それが尋常でなくやるせなかった。

 

 酒を煽り笑い騒ぐサラリーマン達の声が、どこか遠くの物であるかのように聞こえた。

 

 

 

「たばこ、吸うんですね」

「ん。よく似合わないって言われる」

 

 食事を終え、エミルがお手洗いに言っている間、暁は地下施設の喫煙所に足を運んでいた。

 数分前までは、先に用を足し終えたエミルがガラスの仕切りの向こうで煙を吹く暁を興味深そうに観察するという、若干シュールな光景が繰り広げられていた。

 

「別に律儀に待たなくても良かったろうに。クセェだろ?」

「いえ、平気です。……そ、それに」

「うん?」

「…………とも、だち。ですから……」

 

 帽子の鍔を押さえながら、エミルは耳まで真っ赤にして俯きながら言った。

 

「…………おう。そうだな」

 

 そのあまりのいじらしさに、暁の脳が数秒焼き付き反応が遅れた。

 

(これもうヤバいな俺。人間として終わりかもしれん)

 

 早鐘を打つ自身の心臓に頭を抱えながらも、暁は手首を傾けて時計を見る。ちょうど、午後の8時であった。

 

「さ、さて。そろそろ帰るか?」

「……はい」

 

 話題転換程度の軽い気持ちで暁は訊いたが、彼の言葉はエミルの肩を下げさせた。変声期前のように高い声のトーンも明らかに落ちている。

 

「……あのさ」

「はい……」

「別に、嫌なことは嫌って良いんだぞ。友達じゃんか」

 

 暁も別に本気で帰りたかった訳ではなく、単純に話題の転機が欲しかっただけだ。帰るかどうかは実のところどうでも良く、まだまだ時間は有り余っている。

 

「あの、でも……」

「迷惑、じゃないぞ」

 

 何となく、この少年との付き合い方が分かってきてきた――暁はそう感じながら、エミルの肩に両手を置いた。

 

「どっか行くか。そうだな、俺の好きなところで良い?」

 

 その手でポンポンと薄い肩を軽く叩く。暁は、少年の着込んだ衣類の厚さに少し驚いた。

 

「……あの」

「おう」

「お願い、します……」

「おっけ。高いトコ、平気か?」

「あ、はい。お金、少しあります」

 

 エミルが小さく頷くと、暁は軽く笑いながら少年の手から肩を離した。

 

「いや、そういう高いじゃないんだよ。金は掛からん」

「……?」

 

 

 高いというのは、高度の話であった。

 

 平成三年より新宿に鎮座する、高さ243メートルに及ぶ双頭の高楼。

 その45階。地上202メートルの、都庁第一本庁舎展望室だ。

 

「んく。そろそろ着くな」

 

 エレベーターに乗り込んだ暁は、唾を飲み下してから隣のエミルに語りかけた。

 

「は、はい」

 

 両者の肩は、少し身じろぎすれば触れ合うほどに近い。

 エレベーターがそれほど広くないのと、結構な数の同乗者と共に箱詰めされているためだ。二人の周囲には40代くらいの夫婦だとか、バックパッカーと思しき家族連れの外国人観光客の団体だとかが(おのおの)の好きな会話をしている。

 

「もう少し待ってくれな。狭いトコはダメだったか?」

「……いえ。平気、です」

 

 空間に対して少々騒がしいエレベーター室内では、エミルの声が暁に届かない。身長差があることを考慮して腰を折ることも出来ないので、暁は聞き返すことはしなかった。

 

「お待たせしました。45階、第一庁舎北側展望室です」

 

 それから十数秒して扉が開くと、制服を着た中年の女性が笑顔で客達を迎え入れた。展望()というイメージとは裏腹に、その空間は広い。

 

「わっ……」

 

 周囲の人が思い思いの場所へと散ってゆくと、視界が晴れたエミルは感嘆の声を上げる。その声を聞き取った暁は、腕を組んで得意げな顔になりながら前方を見やった。

 

 広大なワンフロアグルリと巨大な窓ガラスが囲む。二人の視線の先には、東京の夜景が広がっていた。

 

「暇な時は、いつもこういう所にいるんだ。馬鹿と煙は、ってヤツだな」

「そんな、バカって……」

「ハハ、五流くらいの大学行ってるからな」

 

 穏やかな口調で冗句を交えながら、暁はエミルを先導して一つのガラスの前へとゆったりと移動する。

 

「ホラ、あそこ。見てみな」

「……? はい」

 

 窓際の壁に寄りかかった暁が手招きすると、エミルは言われるがままにガラスへ近づいて彼の指さす方を見やる。

 彼らの目線の先には、複雑なテクスチャで構成された葉巻のビル。コクーンタワーと呼ばれるそれであった。

 

「改めて見ると、すげーカタチしてるよな」

「は、はい」

「あの地下に本屋があるんだよ。思ったより距離あるよな」

 

 周囲の建造物と道路を行き交う車、それから奥手の一際明るい駅の照明に照らされる幾何学的な塔は、暁に仮想世界のランドマークを思い起こさせた。

 

 暁がタワーの下方を見やるのに倣い、身長が150センチに満たないエミルは窓枠に手を突いて乗り出しながら、ガラスにおでこを押しつけていた。

 

「……あ、見えました。あそこの下、ですね」

 

 懸命につま先立ちになって背伸びをし、少し声を震わせながらも無邪気におでこをガラスに押しつけるエミル。

 その姿は暁に、所謂『萌え』という物を覚えさせた。ついでに、罪悪感と自己への嫌悪感も。

 

「……オイィ? お前それでいいのか?」

「えっ……ぼく、何かしましたか……?」

「ああいや! 別に何も悪くないぞ、独り言」

「…………?」

 

 暁に向き直って小首を傾げるエミルに、彼は頭を振りながらも苦笑いで応じた。

 ごまかしついでに、暁は遙か遠方に見える青白い塔を指差す。

 

「ほら、あそこ。スカイツリー」

「あ……ほんとだ。よく、見えますね」

「アレが出来たのも……えーと、2008年だから、もう18年くらい前か。道理で俺も年を食った訳だ」

「ぼく、その時まだ生まれてない、です」

 

 計算すれば分かることであったが、現在16歳のエミルは少なくとも2009年の5月1日以降の生まれであるのは明白だ。

 遂にジェネレーションギャップを感じる程度には生きてきたのだな、と暁はしみじみ感じた。

 

「ていうか、そもそも日本生まれじゃないか?」

「はい。生まれは、オーストリアです。母が、日本人で……」

「ふーん、そっか。……じゃ、グロックとステアーの国か」

「えっ?」

「ああいや、何でもない。聞き流してくれ」

 

 ついヲタ臭い発言をしてしまったと暁は苦笑う。誤魔化し代わりに、適当に見て回ろうとエミルに言い聞かせて。

 せっかくのパノラマ展望台なのだ。一つの窓からの景色ばかり見ていては、もったいない。

 

 それからは、周囲の建物をぼんやりと眺めたり、地上の車の小ささに感銘を受けたり。

 飽きは来ないにしても既にルーチンと化していた光景の変化に、暁は如実にエミルを感じられたのだった。

 

 

 二人がゆっくりと()()し続け、もう景色を三回は巡っただろうか。

 

「そろそろ、帰るか」

 

 断続的で取り留めの無いやりとりに、暁は終止符を打った。

 

 それはエミルにとって、薄ぼんやりとした泡沫の夢の終わりを意味していた。

 

「…………はい」

 

 いつかは時間が過ぎ去る事は理解していたが、エミルの声は本人の意志とは裏腹に明らかな落胆を伴っていた。

 

「……まぁ、保護者同伴って事でも良いんだがさ。別に、進んで帰りたいって訳でもないし」

 

 自虐的な溜め息を吐き、エミルに振り向いた。

 そこで、暁の表情が凝固する。

 

「――どうした、大丈夫か?」

 

 翠の瞳から、緩やかに光の筋が滴り落ちていた。

 

「え……?」

 

 当の本人は自分が涙を流していた事に気づいていなかったようで、頬に触れてからはっとしたような表情になる。

 

「あ、あの……これ、は……その」

 

 そこからは、加速度的に少年の声が湿気を帯びてゆく。

 

 ()()が近い。そう感じた暁は、エミルの肩に庇うように手を回し、少々乱暴に人気(ひとけ)のない壁際へと移動した。

 

「あの、あのっ……!」

「――大丈夫だ」

 

 エミルの切羽詰まった言を遮り、暁は少年の細い身体を抱き寄せる。他人からの目は痛かろうが、青年にとってはどうって事無い。

 彼はこんな状況を経験済みで、慣れっこだった。

 

「特に何ともなくってもさ、色々と限界になる事、あるよな。大丈夫だ」

 

 エミルが唐突に涙を流した理由は、暁には分からない。

 それでも、年齢不相応に哀愁を帯びた表情で静かにすすり泣く少年を前に何もしないなど、暁の善人性が許さなかった。

 

「あきっ、あき、さん……が」

「俺が何かしちゃったか。ごめん」

「ちが……迷惑、じゃ……」

「まさか。友達じゃないか」

 

 思えば、どうにも損というか、改めておかしな人間だな――暁はそう自己評価する。

 友達になったとは言え、まだ2回出会っただけの少年を抱きしめて慰めるなど、普通じゃない。

 

 そんな普通じゃない自分が、青年は嫌いではなかった。

 

「落ち着くまで、こうしていよう。無理しなくて良い」

 

 少年からの返答は無い。声を抑えるので精一杯なのだ。

 それ以上の言葉は互いに無く、暁はエミルの後頭部に手を添え、ゆっくりと撫ぜる事だけをしていた。

 

 

 

「……ごめんなさい。もう、大丈夫です」

 

 腕の中の震えが止まってから、しばらくして。

 すっぽりと収まっていたエミルの声がハッキリと聞こえたのを合図に、暁は己から少年を解放した。

 展望室からは、もう随分と人がまばらになっていた。

 

「……ごめんな。嫌じゃなかったか?」

「いえ……ありがとう、ございます」

 

 エミルの目の周りは、泣き腫らすとまではいかないものの赤くなり、頬も心なしか上気している。

 暁の方もいきなり相手に泣かれて余裕が無かったのか、今更になって人目のある所でとんでもない事をしただとか、あーやっぱり良い匂いだったなぁだとか様々な思考が錯綜して頭を抱えたくなった。

 

「ご迷惑、お掛けしました……」

「良いんだよ。俺、大人だし」

「優しい、ですね」

「まっさかぁ。俺のモットーは自分に甘く、他人に甘く。それだけだって」

 

 窓に映るペイルオレンジの東京タワーを遠い目で見やりながら、表情とは一致しない口調で暁は言った。

 

「お前はまだ、子供だからさ。モラトリアムの間は、周りの大人が責任を取ってくれる。今の内に甘え倒した方が得だぜ?」

 

 言葉とは裏腹の、自分への言い訳を兼ねた仰々しい嘯きであった。

 

「暁、さんは」

「うん?」

 

 薄っぺらい笑みを顔に張り付ける暁に対して――エミル・マンリッヒャーの瞳は、弱々しいながらも真剣そのものだった。

 

「――甘えさせて、くれますか……?」

 

 その視線が、その声音が暁の()を貫いた。

 

 弱みを隠す薄氷のようなメッキが、音を立てて剥がれ落ちるのを青年は自覚せずにいられなかった。

 

「――ああ。任せておけ」

 

 不自然に吊り上げていた口角が下がり、声のトーンが落ちて抑揚が()がれる。

 ――どうにも、調子を狂わせられる――暁は、不甲斐なさに肩を落とした。

 

 真部暁は、一挙一動から少年の抱える()を何となく察せてしまった。

 恐らくエミルの周囲には、力を貸す味方が居ない。助けを求めて応えてくれる人が居ないのだろう。

 

 だとしたら、自分はどうであるか。

 自分には、赤の他人を助けるだけの能力も権力も無い。

 更に言えば、そういう類の問題に、青年は全く以て役立たず。

 

 優しくはない、甘いだけ。

 つくづく自分の言葉が返ってきて刺さる――暁はそんな現状をどうにも出来ず、なればこそ歯痒かった。

 

「……ま、甘やかすのは得意分野でな。存分に甘えたまえよ」

「そう、します」

 

 今の暁に出来るのは、この非力な少年に仮初めの安息を与えるだけ。

 ならばその役割だけにとどまろう。彼は決意した。

 

「……お願いが、あります」

「おう、なんぞ」

 

 どんと来いという風情で腕組みをする暁に対し、エミルは帽子の鍔に手を掛けて俯きながらも、何らかの確信を持った調子でハッキリと告げた。

 

「もう、一度だけ。撫でて、くれませんか」

 

 決心の度合いにしては、随分と小さな欲望であると暁には感じられた。

 

「お、おう。……んじゃ、失礼」

 

 それ故に少々ひるんだが、暁は迷わずにエミルの白い頬に手を伸ばす。頭を撫でるには、大きな帽子が邪魔だ。

 

 一切の力み無く、エミルの頬に暁の手のひらが触れる。そこから流れるように撫で、指先にまで流れたら一度離れてまた触れる。……エミルの耳が赤くなるように、暁には見えた。

 

(しかしまぁ、ちゃんと甘えられるだけエミル(コイツ)は強いな)

 

 少々感心しながらも、青年は出来る限り優しい手付きで頬を数回撫でた。ひょっとしたら、くすぐったかったかもしれない。

 

「……はい。ありがとうございます」

「おう、もう良いのか?」

「はい。……もう、わかりましたから」

 

 顔を上げたエミルは、先刻の哀しい表情が嘘のように微笑んでいた。何かを悟ったかのような伏し目がちの瞳は、色気さえ含んでいるように暁の目に写った。

 

「お、おう。……って、分かったって何が?」

「えと……その、ひみつ、です」

 

 不思議そうに顎に手をやる暁に、エミルはやや物憂げな表情に戻って付け加える。

 

「代わりに……っていうのも、おかしいですけれど。ぼく、暁さんに……嘘を吐いてます」

「そうか。別に気にしてないから、続けて」

「はい、ありがとうございます。……秘密の代わりに、暁さんに、それを知ってもらいたいです」

 

 どうにもおかしな理屈であったが、暁は即座に頷いた。

 

「オッケーだ。俺もお前に話していない事が、山ほどあるしな。ギブアンドテイクで――ってのもおかしいが、まぁよろしく」

「はい。暁さんの話、ききたいです」

 

 いよいよもって、展望室には暁達以外の客は見えなくなってきた。別れのワルツが流れ出す。そろそろ閉店の時間だ。

 

「……また、今度も、会ってくれますか?」

 

 特に飾った言葉は必要なかった。

 暁は素直に、心を音にする。

 

「ああ。また、一緒にどっか行こう」

 

 2026年、4月30日。

 ガンゲイル・オンライン日本サーバー限定個人協賛大会《ドミネイターズ》開催の三日前。

 

 午後10時を越しても尚、東京の夜景は煌びやかであった。



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第4章 決戦の日
#01 現実の質量


 西暦2026年5月2日。土曜日。

 ゴールデンウィークの頭という事もあり、ガンゲイル・オンライン日本サーバーでは、普段の休日以上のアクセス処理が行われていた。

 

 その膨大なデータのやり取りのをグラフにして視覚化したならば、午後0時の軸を起点に小さな山が現れるはずだ。

 小規模なその()が、これまた小規模な領地制圧大会《ドミネイターズ》による物であると知る人間は、果たして如何ほど居るものか。

 

 とにかく、日本各地で血気盛んな戦闘狂(プレイヤー)達が、GGOへのログインを一斉に始めていた。

 

 

 

「うーん、やっぱネカフェは快適だなぁ。実家を越えた安心感とはこの事だ」

 

 青年――真部暁は、カップ入りのスポーツドリンクを飲み干してから、やや声が大きめの独り言を口にしてアミュスフィアをゆるく被る。

 

 彼は簡素なベッドのにあぐらをかいていた。

 四畳半もない室内には、シンプルな机にはデスクトップPCと数冊の漫画。後はモルタルの白い壁を蛍光灯が照らすばかりの無機質な個室だ。

 

 そう、彼は今横浜某所のネットカフェの個室に居た。

 高級志向のこの手の施設では、優良なネット回線とフルダイブVRに集中できる空調とベッド――そして防音と施錠を完備したVRスペースが普及し始めている。

 

 暁はGGOをプレイする際――特に休日の日中は、このやや割高の設備を利用していた。何せ、ゲーム機を被って休日の真っ昼間にぐうたらしているのは、彼の家族に対し非常に心証が悪い。

 

「さ、そろそろやろうかな。マンガ読みふけって遅刻なんて洒落にならんし」

 

 平積みされた単行本を一瞥してから目を瞑る。続きは気になるが、大会が長引くことを想定して長時間のパックを取っている。()()()()()()また読めばいい。

 

「リンクスタート」

 

 持ち主の掛け声を認証したアミュスフィアは、真部暁(せいねん)の精神をファイヴ(アバター)へと引き込んでいった。

 

 午後の1時の、少し前の事だ。

 

 

 

「うっ……」

 

 少し前。青年がネットカフェに入室した頃合い。

 彼とは反対に、仮想空間から拒絶された少女が居た。

 

 現実世界の瞳からは一切の光が感じられず、身体の周囲には何もないかのような、不思議な浮遊感に包まれていた。

 

 まるで自分が宇宙に放り出されたかのような非現実感。だがすぐに、小宇宙の天涯が開かれることで現実が色を取り戻す。

 

「申し訳御座いません、お嬢様。少々お時間を頂けますでしょうか」

 

 少女が入っていたのはアイソレーションタンクという、元は五感を遮って瞑想に耽ったり精神を癒すために開発された装置。

 彼女はホテルのリラクゼーション設備として備えられたそれの高濃度な塩水に、無防備な裸体で浮かんでいた。

 

 ただ一つ、頭部をすっぽりと覆う近未来的なヘルメット状の機械――《ナーヴギア》と呼ばれるそれを除いては。

 

「……どうしましたか、宮野さん」

 

 今の少女の瞳には、室内を照らす仄かな間接照明すら眩いが、自分を長く世話してくれている使用人の声くらいは当然判別できる。

 

「詩織様がいらっしゃいました。急ではございますが、お出迎えのご用意を」

「半から待ち合わせです。最悪、45分にはエントリーがありますので、それには間に合わないといけません」

「問題ないかと。お嬢様の予定は詩織様もお含みおかれているはずですし、フロントからは『少し会いたくなっただけ』と仰られていると」

 

 淀みなく紡がれる透き通った声に、少女は嘆息しながら身を起こす。

 

「……わかりました、ロビーでお迎えします。着替えをお願いします」

 

 年若い彼女の声が冷たいのは、外部からのVRリンク強制切断ばかりが原因では無かった。

 

「かしこまりました。……お預かりします」

 

 少女がヘルメットを取り去ったのを見て、スーツベスト姿の若い女性――宮野がそれを受け取る。代わりに少女のか細い手にタオルを手渡した。

 

 少女はタンクからよろよろと出ると、柔らかいタオルで光る水滴を白い肢体から拭い去っていく。女性らしい膨らみや丸みが、僅かに煩わしく思えた。

 

 髪の毛を拭き始めると、元が癖毛な事もあってか薬液でごわつく。だが、再びタンクに入る前にシャワーを浴びる事を考えると今は湯を被る時間すら惜しい。

 

 肌の湿り気を取り去ると、既に宮野は少女の被服を持って待機していた。

 下着を受け取り、脚を通す。宮野はその間に、何の飾り気もない布切れを広げた。

 

「……息を吐いて、楽にしてください」

「はい」

 

 両手を広げ肺の空気を出し切ると、宮野は少女の胸部にそれを巻き付け、圧迫する。

 

「――っふ、ぅ」

「…………」

 

 少女が少女たる一部である、双丘が押し潰される。宮野は腕に力を込めながら、彼女の柔肌を傷つけないよう注意を払ってジッパーを閉じた。

 

 少女は、どうしてもこの瞬間の苦痛が苦手だった。何より、宮野の眉根がこの時ばかりは僅かにしかめられるのが、何より申し訳ない。

 

「終わりました。……大丈夫ですか?」

「……っ、はい。平気、です」

 

 更にこの上から高靱性のシャツ――所謂ナベシャツを着用せねば少女の膨らみはごまかせなくなってきているのだから、この()()()が破綻しつつあるのは誰の目にも明らかだ。

 

 だが、少女に携わる人物は誰も口にはしない。口にできない。

 何故なら――

 

「失礼! こちらにエミルがいると聞いたのだけれど……」

 

 早足の靴音が外から聞こえたかと思えば、ノックも無しに乱雑なドアの開閉音。

 

 息を切らしながら現れたのは、そんな切羽詰まった様子とは裏腹に上品なオフィスカジュアル姿の女性。

 年齢は三十代後半であるが、20代と言って通用するほどには若く見える。

 

「岩崎常務。申し訳ございませんが、取り込んでおります」

 

 足音を聡く感知した時点で宮野はドアの前へ素早く動き、常務と呼ばれた女性から、少女を庇うように立ちはだかった。

 それに乗じて少女は、置かれていた服の残りを拾ってタンクの陰に身を隠す。

 

「あら、宮野さん。相変わらず精を出しているのね」

「はい。お陰様で、楽しく働かせて頂いております」

 

 ――ったく、あのボンクラフロントめ――と宮野は内心毒づいた。

 

「常務、大変お急ぎの所恐縮ではございますが、マンリッヒャー様はお召し物を……」

「あら、彼ったらやっぱりゲームしていたのね。お父さんにそっくり。少しの露出くらい平気よ、きっと彼も気にしないわ」

「…………マンリッヒャー様は、公私のけじめをしっかり付ける方ですので」

「ええそうよ。そこもステキ。けど、やっぱり寂しいわぁ……」

 

 頬を僅かに上気させ、無意識であろう舌なめずりをしながら腰をくねらせる岩崎という女。

 彼女が纏うあざとい香水の匂いも、ブラウスの奥から透ける派手な下着も、実に宮野の神経を逆撫でした。

 

 何より――自身が仕える愛らしい人を、岩崎が「彼」と呼ぶ度に虫酸が走る。

 

「お気持ちお察し申し上げます。ですので、もう少々お待ち頂けないかと」

「ええ、ええ。分かっているわ。……でも、貴女も年頃の女性だものね。魔が差したってダメよ、彼は私の――」

「その様なことは、全く。仕事ですので」

 

 流石に会話でこの女を足止めするのはあらゆる意味で限界だ――そう宮野が感じた時、背後から声が掛かった。

 

「……すみません、詩織さん。お待たせしました」

 

 ぶかぶかのパーカーと制服のスラックスを着た()()、エミル・マンリッヒャーが宮野を庇うように二人の女に割って入った。

 

「エミルっ!」

 

 声を上げるが早いか、岩崎詩織はエミルの肩に腕を回す。

 エミルは、思考停止した。脳のブレーカーを落とした。

 

 

 おとがいを掴まれ、――唇が、奪われる。

 舌が入り口を求め、表面を蹂躙している。口を開く。抵抗しては長引くだけだ。

 

 水音と共に、生温かい軟体生物が口内をのたうっている。自己の縄張りを主張せんばかりに、粘液をまき散らしている。

 そして世のモノとは思えぬ音を立てて吸引される。混ざり合った体液も、吐息も。

 ……呼吸くらいは自由にさせてもらいたかった。

 

 

「――っぷはぁ! あぁ……御馳走様、エミル」

「……っ、げほ! ゴホッ!」

 

 詩織がエミルを解放する。女は恍惚とした表情で唇に架かる光の橋を舐め取り、反対に少年は口元に袖を当ててむせかえった。

 

「あら、ごめんなさいエミル。また無理させてしまったわ」

「げほ、ぅぐ……。だ、大丈夫……」

「でも好きなの! 愛しているの! だから、ごめんなさいね」

 

 肩を掴んで目を見開く詩織の言葉が、エミルにはいまいち理解できない。酸欠のせいだけでは無い気もする。

 

「常務。岩崎常務」

「ああ……愛おしいわ、あの人の忘れ形見……きっともうすぐ、貴方もお父さんみたいに逞しく――」

「詩織様」

 

 宮野のぴしゃりとした声が、エミルを弄ぶ詩織の手を止めた。

 

「お時間です。常務も本日は予定が込み入っていると伺っておりますが」

「……分かっているわ。あーあ、仕事なんて辞めちゃいたーい」

「それは困ります。マンリッヒャー様含め、我々が路頭に迷います」

「冗談よ。それじゃ、貴方のために今日も頑張るわ、エミル」

 

 自身の破廉恥さを隠す気もない態度でウィンクをし、嵐の如く女は去っていった。

 

 

 宮野は――東京にて最上の一角に数えられるこのホテルの従業員全てが、岩崎詩織という女には口出しできない。

 

 何故なら彼女は、このホテルの総支配人。そして数多の一流ホテルを抱える某会社会長の一人娘。

 言葉にするだけなら、非常にシンプルな理由だ。

 

「シャワーの用意ができております。……お嬢様」

 

 そして何より、当事者たる少女が、この状況を――実の母に陵辱されることを、甘んじて受け入れている。

 

「ありがとう、ございます。……けど、ぼくはエミルです」

 

 彼女にとってエミル・マンリッヒャーとは、自身が犯した罪を償うための罰であり、免罪符であった。

 

 

 少年の皮を剥がれた少女は、シャワーを浴びる中何度か吐いた。

 フルダイブ中の生理現象への懸念が減って良かったと、思うことにした。

 

 

「……お待ちしておりました」

 

 湯気立つ少女がシャワールームから出ると、宮野はシャワー前と全く変わらぬ立ち位置で待機していた。

 先程との違いは、手にしていたタオルがスポーツドリンクの入ったグラスにすり替わった事だけ。

 

「すみません、宮野さん。……配管が詰まってしまうかもしれません」

「昨晩からお嬢様は固形物を口にされておりません。大丈夫でしょう。……清掃が参りますので、万一の際もご心配なく」

「助かります……」

 

 全身から湯を滴らせたまま、少女は宮野からグラスを受け取った。喉が焼けついたような不快感を流したかったが、今後のことを考え数口飲むに留める。

 

 まだ半分以上中身が残ったグラスを宮野に返し、少女はアイソレーションタンクに向かった。

 内容液に足を沈め、縁に腰掛ける。何も言わずとも、宮野は少女の背後からヘルメットを彼女に被せ――

 

「待って、ください」

 

 弱った喉から絞り出された声が、宮野の声を止めた。

 

「はい。如何致しましたか?」

「――ぼくの、携帯を」

 

 宮野はヘルメットを小脇に抱え、自身の胸ポケットから少女のスマートフォンを取り出した。

 

「どうぞ。片手で失礼致します」

「ありがとうございます」

 

 少女はスマートフォンを受け取ると、微かに震える手でメッセージアプリを起動した。

 

 ――自分はおかしいだろうか。いや、確実におかしいのだ。

 即座に思い直す。いけないと思った。

 

 行きつく先を求める指は、思考と裏腹に液晶を撫で続ける。

 

 

 ――――だって、気持ち悪いですよね?

 ――――あなたの声が、聴きたいだなんて。




 色々と謝罪すべきことはあると思いますが、まずは言いたい。

《ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン》アニメ化決定、おめでとうございます!


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#02 リア充とネト充の境界について

 ファイヴがログインすると、《ドミネイターズ》の参加者集合場所兼大会中継所である酒場には、すでにシカゴとアイリスが居た。

 

 彼らはテーブルで対面になり、仲睦まじそうに(迷彩柄の戦闘服を来た傷面の大男とゴスロリチックな美少女という絵面はさておき)歓談していた。

 お陰で人気の多い――というかかなり盛況な――アメリカンな酒場で二人を見つけるのに苦労はしなかったが。

 

 真部暁(なかのひと)的にはこの輪に入る事に抵抗を抱いたが、別に気に病む事は何もない……と一旦落ち着いてからテーブルに近づく。

 

「んじゃ、場所はまたメッセでやり取りしようか。……あっ、うっすファイヴさん」

「あ、こ、こんにちはファイヴさん」

「おう、二人とも早いな」

 

 近付いてみれば、シカゴはやけに嬉しそうにニコニコしているし、アイリスにいては若干頬を染めている。

 

「……お邪魔だったかね?」

「い、いえいえいえ! そんな事は!」

「そうッスよ。……あっ、そうだ。先輩も来ます? オフ会」

「……………は?」

 

(……オフカイ? なにそれ?)

 

 ファイヴの脳が、その四文字の単語を一瞬受け付けなかった。

 何せ彼にとっての『オフ会』とは、「俺オタクだよー」とギャップ萌えを狙ってネトゲをかじるリア充が繰り広げる、出会い目的のイベント……程度の認識であったからだ。

 

「いやだから、オフ会っすよ。オフ会」

「シカゴ……失望したぞ。お前は見た目こそチャラいが、そんな出会い厨みたいな真似はしない根性無しだと思ってたのに……」

「えぇ……ファイヴさんはホント人付き合いに偏見持ちすぎッスよ。あと下げて更に落とすのやめてくださいね」

 

 まぁ座って、と苦笑するシカゴの横に呆れた様子で掛けるファイヴ。

 

「シカゴさんは、そんな不純な人じゃないですよ! もっと真面目で優しい人です!」

 

 そんな彼に、向かいのアイリスはかなり真剣な表情で反論した。

 

「真面目……? いや、それはともかく一体どういう事だ? まるでシカゴをよく知っているような……」

「いやー、美少女に誉められるとやっぱ照れるッスねぇ」

 

 シカゴが後頭部をポリポリ掻きながら言うと、アイリスはしゅるしゅると小さくなって押し黙った。

 それを見計らったかのように、メッセージの受信通知がポップアップする。送り主は、隣に座るシカゴ。グループチャットのようだ。

 

《Chicago: 俺とアイリスの付き合いが結構長いこと、ファイヴさんに言ってましたっけ》

 

 個人情報か戦闘能力に関わる話だろうか、とファイヴは理解した。騒がしい酒場の中とはいえ、その手の話をこの場で口にするのはよろしくない。

 

《Phive: 初耳だな。まぁ俺がGGO始めたの結構最近だし、おかしな話じゃないだろうが》

 

《Iris: 私が始めたのもファイヴさんより少し前ってだけですから、そんなに長くはないですよ……》

 

《Chicago: 謙遜しなくていいよ。プレイ時間の割にレベルが低めなのも、害悪スコードロンに飼い殺しにされてたのが理由だしね》

 

《Iris: あの時は、本当に助かりました》

 

 ここでファイヴの知らない情報が出て来た。確かにアイリスは、戦闘慣れしている割にはステータスが低めとは思っていたが……。

 

《Chicago: どういたしまして》

《Chicago: まあ詳細は省くッスけど、簡単に言えばちょっとした人助けから関係が始まった訳ッスね》

 

《Iris: ちょっとというか……シカゴさんには随分迷惑掛けました。すみません》

 

《Chicago: へーきへーき。今は楽しいしさ》

 

 VRだと言うのに、ファイヴは砂糖でも吐きそうな気分になった。現実逃避に頭を空にしようとして、そういえば二人ともベレッタ社の拳銃を使っているな……と思い起こし、シュガー成分は更に加速した。

 

《Phive: そりゃ随分と仲睦まじいけど、それでもオフ会ってのは抵抗あるだろ。俺がおかしいの?》

 

《Chicago: まぁ、今時ネットのフレンドと会うのは普通――って言いたいッスけど、抵抗は多少ありますねやっぱ》

 

《Phive: んじゃ、踏み切ったその心は?》

 

 メッセージを送信し、シカゴの顔色を見やるファイヴ。茶髪のイケメンアバターは、照れくさそうに顔のサンマ傷を掻いた。

 

《Chicago: まぁ、いわゆるリアル割れしちゃいまして》

 

「えっ……」

 

 思わず、ファイヴの仮想の喉から声が漏れた。

 

《Iris: なんというか、顔見知り……だったんですよね。リアルで》

《Iris: お互いに同じゲームを遊ぶ仲間だとは、知らなくて。さっき世間話をしていたら、それがわかって……》

 

 アイリスに視線を移せば、彼女も控えめに頷いた。

 

「……マジか」

 

《Chicago: マジッスね。俺達もびっくりしましたよ》

《Phive: いや、まぁ、いいんじゃねーの。それならもう、互いのことはよく知ってるだろうし》

 

 偶然ってのは時折怖いなぁ――とファイヴは一人思う。

 シカゴとアイリスが互いを悪く思っていないのは、流石に鈍ちんな彼にもわかる。その上で現実での身の上にも多少理解があるなら、別に止める理由もない。

 

「っつー訳で、ファイヴさんもオフ会来ませんか? 優勝したら!」

「優勝したらかよ……気が早くねーか」

 

 ファイヴががくりと肩を落とす。失意よりも、呆れの方が強かった。

 

「優勝まで行かなくても、楽しみを目標にしたらモチベーションが上がると思いまして。私から言い出したわがままなので、ご都合悪ければ無理しなくても……」

 

 少し困った笑顔でそう提案するアイリス。……まぁ、祐士(シカゴ)の友としての(ファイヴ)に会いたいと思ってくれているなら、そう悪い気はしなかった。

 

「んまぁ、考えておくよ。手を抜くつもりはなかったけど、お前らの為にも頑張るさ」

 

 そう言うと二人の顔が更に明るくなった。やはりまだオフ会という響きに苦手意識はあったが、ファイヴも気分が良かった。

 

「流石ファイヴさん! そう言ってくれると信じてましたよ」

「ありがとうございます! そしたら、ファイヴさんも何かやりたい事決めましょうよ。私達も協力できるかも」

「やりたい事ねぇ……」

 

 急に話を振られて、ファイヴは唸り始める。

 

 思い返してみればファイヴは、シカゴに《ドミネイターズ》へ誘われ、アイリスに対人戦での矜持を示され、のべ助に覚悟を固めてもらっての参加だ。

 彼自身は「敵をブッ殺し、勝負を楽しむ」くらいしか目標がなかった。

 

 それで良いとは思っていたが、確かにモチベーションの差はイザという時に響くことが多い。

 覚悟――とまでは行かないにしろ、何かしら()()()()()()()は必要かもしれない。

 

(覚悟、ねぇ……)

 

 そう言えば、覚悟に満ちた眼差しというのは最近体験した事を思い出す。……その眼光の持ち主が不在であることも。

 

「ちょっとパス、後で考えるわ。……のべ助、遅いな」

「ん? まぁ結構珍しいッスね。けどまだ集合時間前ですし……一応、連絡しましょうかね」

 

 シカゴがメッセージUIをイジり出す。と同時、ファイヴの眼前に通知ウィンドウが現れた。

 

「ん、着信? ああ、リアルの方か」

 

 アミュスフィアは連携した情報端末の情報を、基本的には逐一反映してくれる機能を持っている。この場合は現実の暁のスマートフォンへの着信を知らせてくれていた。

 

 ファイヴは発信者の名前を確認しちらりと腕時計を見て、一旦ログアウトする事を決めた。

 

「ちょっと落ちるわ。多分すぐ済む用」

「うっす。じゃあまた後で」

 

 そういってファイヴは立ち上がるが、ろくに前を見てなかった。自然、雑多な酒場を行き交う人に軽くぶつかってしまった。

 

「ああ、すんません……」

「気にぃしないで~♪」

「――?」

 

 ファイヴに軽く返された、さえずる様な歌声。

 様々な雑音が飛び交うこの場であってもスッと通るほどにクリアで、そして短い節に込められた軽やかなエッセンスが鮮やかなさえずりであった。

 

(今のは……?)

 

 良い意味で全くGGO(このゲーム)に似つかわしくない歌姫の声に、ファイヴは思わずその人物を目で追った。

 ……が、その女性アバターは軽い足取りでギャラリーの人混みに紛れていった。

 かろうじて見えたのは、頭の高い位置で揺れる黒いポニーテールのみ。身長はファイヴと同じ175センチほどだろうか。

 

「ファイヴさん、何で立ってるんですか? 人が多いですから、さっきみたいにぶつかっちゃいますよ?」

「あー、まだログアウトの時外に移動するクセ抜けてないんスか。その辺はまだ初心者(ニュービー)らしいッスね」

 

 そうしてる間に、着信が途切れてしまった。しまったと思いながらもファイヴは席に直った。

 

「あー、そうだった……。思えば俺、まだまだNoobだったわ」

「ぬーぶ?」

「雑魚の初心者の事。プレイ時間500行くまではチュートリアルッスよ。ま、はよ電話行ってきてくださいな」

 

 シカゴが笑いながらしっしと手を払う。悪ふざけだと分かっているので、ファイヴもニヤケながらその手を払った。

 

「なんで追い払おうとしてんだよ。とりあえず、また後でな。『ログアウト』」

「うーッス」

「お待ちしてますよ」

 

 強面のアバターが、光の粒子となって溶けてゆく。仮想の世界から、現実への浮上だ。

 

(――そういや、アイリスって結局誰なんだろうな?)

 

 シカゴが嬉々としてオフ会の計画を語る以上、祐士自身がアイリスの中の人(リアル)()()()()思っている亊は間違いない。

 そして、アイリスの反応を見るに彼女も――

 

(……やっぱ遅れてやろうかな)

 

 それは流石にないにしても、煙草一本分くらいの時間はもらう事に決めた。



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#03 ハート・ショッテド・スナイパー

 液晶が光り、筐体が振動を始める。

 その刺激に、少女はハッとした。危うく手にしたそれを取り落とし、溶液の中へ沈めてしまうところだった。

 

 震えるスマートフォンの画面には、しっかりと『真部 暁』の字が。

 

「あ…………」

 

 まるでバイブレーションが伝染したかのように、少女のか細い指が震える。奥歯がカタカタと響いている。

 

 少女は、ひどく怯えていた。

 確かに自分から青年へ電話を掛けたのだ。彼が()()()()()()のは分かっていたが、それでも彼は応じてくれるだろうとも思っていた。

 

 けれど、少女は熱に浮かされていた。――それはうだるような、ねちっこく陰湿なものであったけれども。

 こうして自己の突発的な行いを冷静に見つめさせられると、ひどく動揺せざるを得なかった。

 

 彼女は自分が、実に独善的で衝動的なものだと思い知らされた。

 そんな浅ましい自分が厭になった。

 

 それじゃあまるで、母と同じだ――と。

 

 

「お嬢様」

 

 柔らかな布で、目元を静かに拭われた。

 自分は涙を流していた事に少女は気付く。彼女と同じ目線に膝をついた世話役・宮野は、慈しみを持った目で微笑んでいた。

 

「お出になられないのですか?」

「でも……っ」

 

 少女が悲痛に瞼を閉じ、新たな雫が零れる。

 そんな彼女を宮野は、服が濡れることもいとわずに抱き締めた。

 

「――大丈夫。その人は、きっと貴女を拒みません」

「ちがう……違うんです……。ぼくが……わが、っまま……だから」

「――――いいのよ。私も、きっとその人も。わがままだもの」

 

 ホテルコンシェルジュ兼使用人――宮野ゆりは、少女から身を離して手を取った。もっと少女を甘やかしてあげたいのは山々だが、流石に電話が切れてしまう。

 少女の時間も、余裕がないはずだ。

 

「…………は、ぃ」

 

 未だ震える手を宮野に支えられながら、少女は液晶をタップする。繋がった。

 

「もしもし――」

 

 声を出すのが、こんなに切ないと感じたのは初めてだった。

 

 

『……おー、繋がった。取り込み中だった?』

 

 スピーカーを介してではあったが、確かに彼の声は少女の耳朶へと触れた。

 瞬間、少女は胸の奥がぎゅっと締め付けられる錯覚を覚えた。熱い――しかし決して不快ではない感情が、血液と混じり合って身体中を巡っている気がした。

 

「あ、き……さん」

『おーよ暁さんですよー。……って、どした。泣いてんのか?』

 

 涙していることを看過され――と言ってもすすり泣く声を聞けば誰もが感づいただろうが――、少女は慌てて目元をこすった。

 

「ひぐっ……はい。でも、へーきっ、ですよ」

 

 時々声を裏返しながら、ごまかしはしなかったが、少し強がった。

 

『フー……そうか。あんま無理すんなよ』

 

 そうすれば電話の向こうの彼は、何らかを慮って優しい声を掛けてくれる。

 それが少女には、嬉しかった。

 

「はい……っ。声が、聞けてっ良かったです」

『オイオイ、もしかしてそれが用件? オッサン嬉しいわー。すふー』

 

 冗談めかした彼の声音と吐息から、少女が脳裏に青年の姿を描くのは難しくなかった。

 

 現実で顔を合わせたのは、せいぜい数時間。

 けれど少女は、()()()()()をよく見てきた。

 

「たばこ、吸いすぎはだめですよー……ひくっ」

『怒られちゃった。俺、実はそんなに吸ってないんだけどなぁ』

 

 暇さえあればいつでも煙を吹いているくせに――とは言わなかった。

 

「ありがとっ、ございます。……落ち着き、ました」

『そっか。……お耳の恋人テレフォンアキちゃん、いつでもお気軽にご用命を!』

「えへへ……なんですか、それっ」

 

 大仰な口調で寒い冗句を連ねる暁に、少女は苦笑する。強がりだった平静は、気付けば本当の事になっていた。

 

 ――このまま、取り留めのない会話を続けたい。少女はそう願った。

 けれどそれは、今スピーカーの向こうでケタケタと笑う青年を裏切る行為だ。

 

 そして、自身が築いてきたものも――。

 

「……すみません、急にお電話して。予定とか、大丈夫ですか?」

『いいっていいって。……ま、悪いんだけどちょっと急ぎの用があってさ。そろそろ待ち合わせがなぁ』

「待ち合わせ……?」

 

 ここで探りを入れてしまう自分を、少女は恥じた。これでは日常会話を装った探りだ。

 

『ああ、ちょっとした大会……ていうか、何というか趣味の競技会……的な? 45分にエントリーなんよ』

 

 少女が一瞬スマートフォンを耳から離して画面を確認すると、時刻は13時30分を過ぎていた。

 

「それ、間に合うんですか……?」

『ヘーキだよ。……あー。もう、会場の近くだし? 待ち合わせに遅刻してる仲間もいるっぽいし』

「……その人、ちょっとどうなんですか? 大事な、大会ですよね? きっと……」

 

(――――暁さん、ごめんなさい)

 

 少女は、罪悪感に押しつぶされそうになりながらも青年を試すような真似をした。

 

 一つ。青年(まなべあき)が、自分の思うとおり悪人面の男(ファイヴ)であるか。

 二つ。大会(ドミネイターズ)へのモチベーションが確かかどうか。

 三つ。自分(のべすけ)がどう思われているか。

 

 暁は、一拍置いて息を吐いた。

 その意味なき音が、思考を意味していないのは、少女にも分かった。答えるまでもない、とでも言いたげに青年は煙を吐いたのだろう。

 

『こらこら、あんま知らない人を悪く言うもんじゃないぞ。……アイツはマイペースで、口数足りないから時々何考えてるかわかんねーけどさ』

 

 うぐ、と喉から声が漏れそうになった。かろうじて飲み込む。

 

『ふー……なんつーか、俺が知る限りじゃ、あれだけストイックな奴は居ないんじゃねーかな。色んな所を良く見てるし、腕も良い。俺にはできないことを、アイツは色々できるよ』

 

 憧憬するような口調だ。少女は不意打ちのように放たれた絶賛に、思わず耳まで真っ赤になった。

 

「え、えと……」

『んで、俺はアイツに出来ないことをやるわけで。そういう意味じゃ、結構良いチームだと思う。……とにかく、信頼してるよ』

「ぅ…………!」

 

 死ぬほど恥ずかしかった。

 暁からすれば友人に第三者の話をしているだけであったが、それ故に少女には素直な言葉を囁かれているに他ならなかった。

 

『そんで最近分かったんだけど、アレで案外可愛げもあってさー。こないだタンデムした時とか――』

「うぅ……! 暁さん!」

『えっ。……お、おう?』

 

 これ以上はもう、色々とダメだ。時間もないし、暁も無関係な人間(だと思っている)に情報を蒔きすぎだ。

 なにより、少女の心臓が保たない。

 

「すみません。……お急ぎなんですよね?」

『うお、そうだったわ。いかんなぁ、楽しいとつい時間を忘れる』

 

 仕方がない事であるが、しれっとまた脈拍に加速を催促してくる暁を、少女はちょっとだけ恨めしく思った。

 

「……あの、ひとつだけ、言っておきたいことがあります」

『おう。なんだい』

 

 変わらずに低いトーンの声で促される。暁は必要以上に饒舌であるが、人の話は口数少なく良く聴いてくれる事が少女には分かってきた。

 気付けば煙を吹く吐息はなくなっていた。

 

「……この間ぼく、『嘘を吐いている』って言いました」

『そうだな。覚えてるよ』

「きっと、本当の事を言ったら……暁さんは、ぼくを軽蔑します。卑怯な人間なんだって、見る目が変わります」

『……かもな。大方、笑って許すだろうけどさ』

 

 そこで安易に「そんな事はない」と言わない彼に、少女は安堵した。

 

 きっと今から言う口約束なんて必要ない。けれどこれは、ケジメというか区切りを付けるというか――ともかく、少女が青年の関係に必要だと感じるのだ。

 

「実はぼくも、ちょっとした挑戦をするんです。近々」

『へぇ。奇遇だな』

 

 嘘を吐いている事をダシに、更に嘘を重ねる。

 暁は否定するだろうが――少年を演じる少女は、自分がたまらなく汚らわしく思えた。

 

 けれど、打ち明ける足がかりが必要だ。

 ――いつか、このお人好しの青年に全てを打ち明けたいという願望も込めての嘘だった。

 

「はい。――きっとそこでいい結果を残せたら、勇気を出せると思います」

『なるほどね。んじゃ、その為にも俺が先んじて成果を出さなきゃなぁ』

「えへへ……そうしてもらえると、嬉しいです」

 

 回りくどいようで実に単純、そして実に希薄な契約が、ここに結ばれた。

 

『ま、その為にはまず出場しないとなぁ。そろそろ行ってくるよ』

「はい、お気をつけて。長く引き留めてごめんなさい」

『おーよ、また電話でもしような。デートも随時受け付け中』

「でっ……!?」

『ってヤロー同士じゃデートって言わんか。ハハハ、んじゃまたなエミル』

 

 走り気味に告げられた別れの後に、すぐ通話終了を告げる電子音が聞こえてきた。

 去り際にプラズマグレネードを()()()された気分だ――少女は嘆息して、受話口から耳を離した。

 

 頭がぼんやりする。耳鳴りすら聞こえてきそうだ。

 

「お嬢様」

「ぅえ……っ!? あっ、はい。済みません急ぎます!」

 

 いつの間にか自身の頬に息が吹き掛かるほど顔を近づけていた宮野が、半眼で少女を睨んでいる。慌ててスマートフォンを差し出すと、目線はそらさず丁寧にそれを受け取った。

 

「お顔が赤いようですが」

「えと……た、体調に異常はありません」

 

 じろ、という擬音が実にしっくりくる視線は、少女の表情と身じろぎする生まれたままの肢体をねちっこく見回してくる。……女同士であるのに、何かイケナイことでもしている気分だ。

 

「うぅ、そんなに見ないで……」

「――男?」

「ううぅぅー…………!」

 

 更に熱を帯びる顔を手で隠そうとしたが、絶妙なタイミングで被せられたヘルメット状のマシンに阻まれた。

 没入型バーチャルリアリティゲームデバイス《ナーヴギア》――これより()は戦場だ。

 

「時間がないわよ。がんばって」

「……心拍数過剰で切断されたら、ゆりさんのせいです」

「その人、近い内に連れてきなさいね」

 

 砕けた口調にやや人の悪い笑い方。今の宮野は世話役としてではなく、少女と長く親しんだ姉のような女性・ゆりとして接していた。

 

「た、ただのお友達ですよ……!」

「あら、()()()()()()を住まいに呼んでも、何ら不思議は無いでしょう? ほら、急ぎなさいな」

「むぅ……!」

 

 言葉で丸め込まれながらアイソレーションタンクに押し込まれる。

 最後に宮野はとびきり良い笑顔でニカッと笑い、ふてくされた表情で溶液に浮かぶ少女を見送った。

 

 すぐにタンクの蓋は閉ざされ、少女の周囲は一切の光と音――重力さえも、消失した。

 

「――――リンク、スタートッ」

 

 少女にしては語気の強い没入であった。

 

 ――――今なら、全力以上に戦える気がした。

 

 

 

「ただいまァー! あっぶね時間ギリギリだ!」

 

 光のポリゴンが男を形作りながら着席したのは13時43分。《ドミネイターズ》参加者エントリー2分前を切った所であった。

 事前エントリーを済ませてあるとはいえ、どんな理由があっても大会開始15分前にこの酒場に居なければ転送が行われないのだ。

 

 ファイヴの視界の中央には転送までの時間を示したデジタルカウントが表示されている。本当にギリギリだった。

 

「遅ぇッスよファイヴさん! 何してたんすか!」

「スマン、ちょいと雉を撃ちにな……」

「ああ……まぁ間に合って良かったッス」

「一時はどうなることかと思いましたよ……」

「サーセン」

 

 居ても立ってもいられずにおろおろとしていたシカゴは、やれやれと言いたげに席に腰を下ろした。アイリスも両手で持ったコップを落ち着かない様子で触っていた。

 

 ファイヴも慌てていたのか、嘆息しながらそそくさと襟を畳んでジッパーをあげる。ジャケットに備えられた、本来は防風用のフラップを閉めるのが、ファイヴの中では()()の意味を持っていた。

 

 一息ついたファイヴは、共に戦うアバター達を見回した。

 先ほどまで冷や汗を掻いていたシカゴも、愛らしい顔つきのアイリスも。すっかり()()()()になっていた。

 

 ――が、テーブルを挟んだ向かいの人物だけからは、顔色が読みとれない。彼女は普段から目深くフードを被っている上、今は何だか普段より俯きがちだ。

 

「のべ助」

「!? なっ、なに……?」

 

 呼びかけたが、やはり目は合わせてくれないようだ。

 

「結局俺が最後だったわ。ごめんな」

「ん。平気」

「がんばろうな。やれるとこまでは、殺ろう」

「…………うん。絶好調」

「そういや願掛けの話聞いたか? 俺まだ保留中なんだけど」

「聞いた。もう、決めた」

「マジ? 何すんの」

「! な、内緒……っ」

「えー?」

 

 大会に緊張している訳じゃなさそうだ――フードの裾を抑えて更に顔を隠すのべ助を見て、ファイヴはそう判断した。

 また何かしでかしたかとも考えたが、心当たりはない。

 

「……ん、なんだよ二人とも」

 

 隣に掛けるシカゴ、そしてはす向かいのアイリスがどうにも締まりの悪い表情をしていた。

 

「いえ、何つーか……良いッスねーそういうの」

「ドラマチックです……」

「はぁ? お前らの方が、それこそドラマみてーな出会いしてんだろ」

 

 イマイチ要領を得ないファイヴが、頭上にクエスチョンマークを浮かべかねない思いで首を傾げる。

 二人はのべ助の『やりたい事』を聞いたはずだから、その関連の話だろうか。

 

「だって、なぁ?」

「ですよねー。青春って感じですー」

「それきっとのべ助関連の話だろ。俺関係ねーじゃん」

「いや、何というか」

「流石にこれは、察するなって方が無理ッスよ」

「ほーん……?」

 

 顎に手をやり、再びのべ助へ視線を戻すファイヴ。

 一瞬フードの奥で、彼女と目が合った気がした。――が、彼女はすぐにそっぽを向く。

 

「……別にいっか。んじゃま、いっちょ派手にブッ殺しに行こうかぁ」

「ウーッス」

「はい」

「……おー」

 

 全く締まらないかけ声を上げながら、しかし相貌を殺意にたぎらせながら、4人は光の粒子となって酒場から消えた。



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#04 Get Ready to Rock 'n' Roll

 個人協賛大会・領地制圧戦《ドミネイターズ》は、14時になると参加者たちが特設の戦場(バトルフィールド)に転送される。

 それまでの15分間は、各員が装備を整える時間だ。見渡す限りの暗黒、だがしっかりと床の感触がある不思議な空間で、ファイヴはあぐらを掻いて仮想世界の煙草《パラベラム》を吸っていた。

 

「すはー……」

 

 何分、ファイヴは装備の量こそ多いものの、持ち物と言えば銃と弾倉ばかり。一応腰のポーチにはおまけ程度のミニネード――GGOにて広く流通するプラズマグレネードの小型版を入れてあるが、それだけだ。

 

 早々にアーマーと弾薬ポーチを装備した彼に対して、アイリスとのべ助――特にのべ助は、スコープの調整に余念がない。

 二人とも大会前にきちんと愛銃のコンディションを整えているはずだが、こればかりは長距離狙撃を行う者の性だろう。引き金に指を掛ければ弾道予測線が出る都合上、ゼロインには標的すら必要ない。

 

 そしてファイヴを除く最多の銃を持つシカゴは、自身の周囲に様々なガジェットを並べている。手榴弾に爆薬、指向性地雷に小銃擲弾。そして何種ものカラフルな散弾銃用の弾薬……。

 

「この時点で娘の居場所は分かっていません、ってか?」

「すんませんファイヴさん、ちょっと今忙しいんで後で。……っていうか全部使って爆破する訳じゃないッスよ流石に」

 

 見向きもされず冗談をスルーされ、ファイヴは上げかけた腰を再び落ち着けた。今更ホルスタードロウを練習するような柄でもない。

 

 代わりに、過去の記憶を交えながら《ドミネイターズ》のルールを復習することにした。

 思えば、随分と大会の根幹に関わる仕様をシカトし続けていた。

 

 

『暁さん……まーだルール把握していなかったんスか……』

『めんどくちゃい。スパムで埋まったメールから掘り起こすのもダルいし』

『言わんこっちゃない。……んじゃ、良い機会だし説明しながら対策立てますよ』

『よろしく』

 

 ある日の大学喫煙所で、何気ない日常会話のように作戦会議が行われていた。

 

『まず、《ドミネイターズ》ってのは領地制圧戦ッスから、当然制圧すべき目標……拠点ってのが、フィールド上に点在しています』

『だろうな。撃ち合って敵を殺すっていう《BoB》や《SJ》とは違う立ち回りが必要って事だろ?』

『そッスね。んで、勝利条件は自軍のポイントをゲージいっぱいまで溜めることッス。チームが全滅すると拠点を喪失。それまで稼いだポイントは喪失したことにはならないそうッス』

 

 暁は顎に手をやり、数秒黙考した。

 

『……つまり、敵を倒すことに躍起になってても負けるって事か』

『そうスね。なんで、必ず拠点へは侵攻しなきゃいけないッス。んで、自軍の拠点が奪われることもありますね』

『逆も然り、か。いつどこを攻めて、守るのか……そういうの考えんのは苦手なんだよなぁ』

 

 銜えていた煙草を口から離すと、既に殆ど燃え尽きていた。

 話が長くなりそうだと思い、暁は缶コーヒーを一口飲んでから新しい煙草に火を灯した。

 

『そうッスねぇ。一個の拠点に引きこもるのも良くないッスし、拠点を次々制圧していく……いわゆる回遊魚になるのもあんま良くないッス』

『ん? 前者はともかく、その回遊魚とやらがダメなのは何でだ?』

 

 解説役の祐士は、身振り手振りを交えながら説明を続ける。いつもの事だが、彼は暁よりも速いペースで煙草を消費し続けていた。

 

『一つは、撃ち合いに弱くなるって事ッスね。銃撃戦は待っていた方が俄然有利ッス。拠点を要塞化している敵に突っ込むのは当然無茶ッスし、移動中を横や後ろから撃たれるリスクも増します』

『なるほど、遮蔽物の無ぇところを走り続けるのは勘弁だな。機銃の陣形に突っ込むのも』

『後は単純に、自分たちの位置がバレやすいって事ッスね。参加者の位置情報がわかるサテライトスキャンってのが大会中は定期的にやられるんスけど、それとは関係なく各拠点の状況はマップに表示されるんスよ』

『ああ、ようは拠点が順番に埋まっていってると、それだけで動き方が分かるのか』

 

 いよいよもって戦略的な話が加わり、暁はガリガリと後頭部を掻いた。

 彼は正面切っての撃ち合いではそれなりの覚えがあるものの、大局を見据えた立ち回りという点ではズブの素人だった。

 

『んで最後に、拠点を守れないって事ッスね。後ろから追っかけられるように別チームに拠点を奪われていたらポイントも溜まりませんし……』

『最悪、カマ掘られて終わりか……』

『そういう事ッス』

 

 ぷはー、と大げさに暁は煙を吐いた。これまで彼が目にしてきた戦いと比べ、随分とややこしい。

 

『どーすんだよ。だいぶめんどくさいぞ。この大会の考案者兼スポンサー様は随分と凝り性だな』

『ま、勝てる要素はありますよ。最大6人とはいえ俺ら4人はそれぞれルールに合致する特徴を持ってるッスから』

工兵(エンジニア)に、選抜射手(マークスマン)狙撃手(スナイパー)。それからファイヴ(おれ)は……前例が無いから、とりあえず遊撃兵(トレーサー)とでも呼んどくか』

 

 暁は自己を含めた各員の役割と、それぞれの兵装を思い出しながら可能な限りで戦闘の光景を想像した。

 

『……正面火力が足りんな。あともう一人小銃歩兵(ライフルマン)か、欲を言えば機関銃手(マシンガンナー)が欲しいところだ』

『無い物ねだりしてもしゃーないッスね。ま、任せてくださいよ』

 

 なんだかんだでシナリオ想定をしっかりと行える自身の先輩に満足げに頷き、祐士はついに4本目の煙草に火を付けた。

 

『疑う訳じゃねーけど、マジで行けんの?』

『ぷはー。……実際のフィールド見ないと正直確証は無いッス。けど、《ドミネイターズ》が戦力のぶつけ合い勝負じゃないのは、間違いなく俺らに有利ッスよ』

 

 自身と信頼に満ちた良い表情をする祐士。

 その顔を見て暁は、半分程吸った後で持て余していた煙草を灰皿に落としてから、口端をニッと上げた。

 

『……そこまで言うなら信頼するかな。殺ってやろう』

『うッス。死ぬときは一緒ッスよ』

『うわー嬉しくねぇ』

『冗談ッス。俺を生かす為に盾になって死んでください』

『御免被る、お前がやれ』

 

 いつの間にやら、祐士が手にする煙草は1/3が燃え尽きていた。

 

 

「お待たせッス、ファイヴさん」

「おー。まぁ特に用も無いんだけどさ」

 

 ファイヴは思考を現在に引き戻す。シカゴは、普段のマルチカム迷彩のコンバットシャツの上からしっかりとプレートキャリアとチェストリグを着用していた。

 

 シカゴがあれだけゴロゴロと広げていた火薬は殆ど見る影もない。先ほどは即座に設置できるように用意しただけで、爆発物の類はわざわざストレージから出すだけ危険だと判断したのだろう。

 

 装備もいつも通り、手にしたDDM4ライフルと腿のM9A5拳銃。

 だが、背中にウェポンキャッチで括られた銃が、以前とは異なっていた。

 

「あーあ、買っちゃったんだなぁ」

「マジ高かったッス。その分、使い勝手は上がったッスけどね……」

 

 それは、以前までの古くさいイサカM37とはガラリと印象の違う、短めの銃身と折り畳み式の銃床(ストック)を備えた現代的なポンプ式散弾銃だった。

 そして洗練された銃本体とは裏腹に、銃口先端は凶悪そうなスパイク状だ。

 

 その名もファバームSTF/12。日本ではあまり知られていないが、猟銃や競技用散弾銃で有名なイタリアの銃器メーカーの戦闘用ショットガンだ。

 シカゴのものはスタンダードな物より軽快な、射程より取り回しと他武装との兼ね合いを重視したコンパクトモデルである。

 

「ぶっつけ本番、な訳ないよな?」

「勿論ッスよ。買ってからずっと、ファイヴさんに言われてた練習はしてたッス」

 

 論より証拠、と言わんばかりにシカゴは素早くライフルからショットガンにトランジション。

 流れるような動作で畳んであったストックを展開し、構えて見せた。

 

「……良いな、うん。それで良い」

「ウッス」

 

 それぞれが尖った特技を持つチームVICNの面々だが、何だかんだで実銃関連の知識を一番持つ――つまるところシューティングの知識を持つのはファイヴであった。

 実銃の射撃経験が無いので典型的な頭でっかちの知ったかぶりヲタクではあるが、超人揃いのGGO(ゲーム)では役に立つ物も多かった。

 

 そんな訳で、付け焼き刃も良いところであるが彼はチームメイトそれぞれに戦闘技術の指導を予め行っていた。

 それが役に立つかどうかは知らないし興味もないが、元々が手練れなのであまり心配していない。

 

 (かれ)は、ファイヴ(かれ)の役割を果たす。それだけを考えていた。

 

「……そだ。ファイヴさん、タバコ一本下さいよ」

「金欠でおかしくなったか? VRでニコチンは接種できねーぞ」

 

 ショットガンを背に戻して手を差し出すシカゴ。ファイヴはいぶかしみながらもソフトケースを取り出し、手首を軽く振ってフィルターを一本飛び出させる。

 

「いやぁ、この大会中継されてんで、ここぞって時に一服できればカッコいいかなー……なんて」

「火はどうすんだ。ライターは貸さんぞ」

「…………あっ。な、ナイフにファイアスターター付いてますし」

「ここぞという時に必死扱いて火種作って一服か。カッコイイナー」

「……いただきますよ」

 

 結局もらうのか、というファイヴの嘆息を後目にシカゴは苦い顔で紙巻きを抜き取った。

 一旦どこへしまうか迷って手を右往左往させたが、コンバットシャツの折った襟にそれを挟んだ。

 

「調整完了です。お待たせしました」

「ばっちり」

 

 女性二人がライフルを背に回して野郎二人に寄ってくる。シカゴは手首を返してデジタル腕時計をみやる。13時57分だ。

 

「うっし。――全員、傾聴!」

 

 シカゴの鋭い言葉が、プレイヤー達を戦士に変えた。

 

「事前情報で分かっていることを確認する。フィールドは一辺10km四方。拠点数は13、参加チームは俺らを含めて24。一つの拠点に入る前に、1~2回の戦闘は覚悟しておくように」

 

 シカゴはまるで熟練の分隊長であるかのような口振りで作戦会議を進行させる。事実、彼はGGO以外の軍事ゲームにも数千もの時間を掛けた手練れであった。

 

「まずは2拠点の制圧を目標に。他チームが半数近くまで減ったら、3つ目の拠点を制圧する。中央近くの拠点は危険だが、ポイントが高めに設定されている。制圧次第引いて餌と壁にする」

 

 シカゴの経験則からくる洞察と戦術は見事であった。

 確かにプレイヤーが集中しやすい中央陣地は危険な分、ポイントの増加が早い。

 

 それを牽制と誘い出しに使う――言われてみれば道理だが、ファイヴには思いつかなかったことだ。

 

「だが側面や裏取りは怖い。後方拠点にはトラップを掛けて、少しずつ制圧拠点のブロックを前進させよう。サテライトスキャンは基本的に俺が見る。質問」

 

 ここまでを一気に言い切って、シカゴはチームメンバーの顔を見回した。最初に手を挙げたのはのべ助だ。

 

「進軍方法」

「基本的には纏まって、けど団子にはなるな。場合によっては危険だけど分割する。何より俺以外の機動力を無駄にするのは惜しい」

「はいっ、その時はどう分けますか?」

 

 次にアイリスだ。彼女はとりわけこのチームでも戦術面に疎かったが、何とか役に立とうという姿勢が見受けられた。

 

「基本的に、俺とライフル組がひとかたまり。スポッター兼ポイントマンになる。もう一人はスカウトとして少し離れたところから隙を突いてもらう」

「……俺は?」

「次の拠点に直進。囮になってください」

 

 便乗するように自身の役割を訪ねたファイヴは、そのまま表情を凍らせた。

 

「…………冗談だろ?」

「まさか。何のためにリーダーをファイヴさんにしたと思ってんスか」

「聞いてねぇぞ!?」

 

 大会中に10分間隔で行われるサテライト・スキャンは、チームのリーダーの現在地のみを表示する。つまり、チーム登録時点でリーダーに設定された人物が一番危険であるのだ。

 それを囮に使う戦術はある程度の有用性がある。が、そのリーダーが倒されれば権利はチーム内の次席へと移る。チームに生存者がいる限り、サテライト・スキャンからは逃れられないのだ。

 

「言ってませんでしたっけ? まぁキロ単位で距離離して孤立なんてさせませんし、大丈夫ッスよ」

「お前なぁ……」

「それに、接近しないと当たらんでしょ」

「……しゃーねーなぁ」

 

 遠距離攻撃が苦手という点を突かれ、ファイヴは帽子の鍔を抑え沈黙した。

 

 ついに、《ドミネイターズ》開始まで秒読みの時間となった。シカゴはニット帽を被る。

 

「んじゃ、こんなもんかな。最後に――」

 

 人の優しそうなイケメン青年は、その傷面にふさわしい殺戮者へと表情を変えた。

 抱えたライフルのチャージングハンドルを引くと、他三人も各の長物に初弾を装填した。

 

 金属と金属が擦れぶつかり合う音。銃達の、威嚇の唸りが連鎖する。

 

「――――障害は全員、殺せ」

 

「了解です」

「らじゃー」

「アイアイ、サー」

「……揃えてくれよぉ」

 

 シカゴの泣き言を最後に、彼らは暗黒空間から戦場へと飛び立った。




 ある描写を書きたいと思いついたので、主人公の銃を変更しました。

 鉄砲関連に興味のない方は「前の銃より装弾数が少し減った」くらいに考えていただければ結構です。
 混乱させるようなことをして済みません、よろしくお願いします。


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#05 始まりの荒野にて

「また砂漠かよ……最近訓練でも砂漠ばっかだった気がするなぁ」

 

 機敏な動作で片膝をついてライフルを構えるシカゴが、裏腹に若干ぐったりした調子で呟く。

 GGOでは度を越した暑さ・寒さは感じないので、不満の元は地形(フィールド)との相性だろう。

 

 そう、砂漠だ。一面に目が痛くなるような赤茶色の、ピンク色の砂漠が広がっている。

 フィールドを照らす太陽が西日なこともあって、色彩感覚がおかしくなりそうだ。

 

 ファイヴ達もそれぞれが別の方向へ自身の銃を向け、チーム全体で360度全てをカバーする陣形を取った。

 全員がそっぽを向き榴弾や長距離射撃に備えるが、呟くような声でも通信機でチーム全体の声が聞こえている。

 

「あんまり良くないですね……射程が生かせるのは良いですけど、こっちが野ざらしです」

 

 アイリスも周囲を警戒しながら、広大な砂漠を見てこぼした。

 

 ピンク色の砂地と地続きに、山岳・市街地――そして森にサバンナのような草原が奥に見える。

 もしそれらから敵が狙ってくれば、こちらからは見えず一方的に頭を押さえつけられる。砂と同じくピンク色の岩や遺跡の残骸に身を隠せなくも無いが、それらもまばらだ。

 

「とりあえずマップは俺が見るから、全員周囲警戒」

 

 シカゴが警戒を解き、腕に巻きつけた端末を操作し始める。これが《ドミネイターズ》限定フィールドのマップ兼、サテライトスキャンにより暴露した敵の位置を確認する()()となる。

 

 アイリスとのべ助は、シカゴの呼びかけに応じて即座に索敵範囲を広げた。ファイヴもそれに数瞬遅れて追随する。

 

「っとと……」

 

 少しぼんやりしてしまった、と自戒してファイヴは気を引き締める。

 大会はもう始まっているのだ。一応視界のうちに人影はないが、対物ライフルなどであれば十分に射程範囲だ。

 

「ファイヴ」

「うん?」

「……ぼーっとしてた」

 

 しかし、それを聡く察知していたらしいのべ助から無線が飛んできた。

 後ろにも目が付いてんのか? とファイヴは苦笑いする。言い訳も多分、通じない。

 

「悪い。やる気無いわけじゃないんだけどさ」

「別に、咎めるつもりはない。――個別チャンネル、だし」

「そりゃどーも」

 

 シカゴやアイリスに要らぬ心配も掛けない様、気遣ってくれたらしい。

 

「不安?」

「そういうんじゃない。ただ――――」

「ただ?」

 

 ファイヴは視線の延長――MPX短機関銃の照準の先に、一人の少女を幻視した。

 ピンクの荒野に立つ、小さなピンクの少女の背中を。

 

「こっから始まったんだな、ってさ」

 

 

 あの時、ピンクのP90で蜂の巣にされた時から、ファイヴという男の在り様は大きく変わった。彼女がいなければ今のファイヴも、VICNというチームも無かったのだ。

 

 いつか、あのすばしこいピンクの背中に追いついて、弾丸を撃ち交わす日が来るだろうか。そう考えるだけで、ファイヴの口元は獰猛に吊りあがった。

 

 

「……そうだね。でも、いつかより今」

「お見通しかよ。わかってるって」

「頼りにしてる」

「おっ、いいね。そういうの気合入る」

「…………ばか」

 

 その一言を最後に、無線にはシカゴのあーでもないこーでもないというボヤキが戻ってくる。個別チャンネルが切られたのだ。

 心中を見透かされたお返しにちょっとからかったが、やりすぎただろうか。戦闘前後に気が大きくなるのは自身の悪い癖だ、とファイヴは思う。

 

「オーケー、決めた。全員、2時の方向に前進。9時から15時までの半円陣形。10メートル以上の間隔を保ったまま、姿勢を低く」

 

 シカゴが流れるように指示を出し、またファイヴ達も立ち位置を組みなおして前進を始める。シカゴが先頭、殿はファイヴだ。

 

「向こうの拠点は諦めんのかよ?」

 

 周囲警戒を緩めず早足で移動しながら、ファイヴはシカゴに尋ねた。

 

「まず、砂漠での防衛は実は結構有利ッス。ウチにはアサルトライフルの射程外から攻撃できる狙撃主(スナイパー)が二人も居ますからね」

「じゃあ尚更……」

「けどこれは、守るならの話ッス。ゲームが進めば複数の拠点へ移動して抑えてなきゃいけないんスよ」

 

 言われてからファイヴはハッとした。遮蔽物の無い、平地を予測線を掻い潜りながら進むか戦うことを強いられるのだ。

 

「……イケるんじゃね?」

「ファイヴさん基準で話さんでくださいよ。それに1チームならともかく、鉢合わせた2チーム以上に十字砲火されたら?」

「そりゃ無理だわ。よし砂漠は捨てよう」

 

 即座に手の平を返したファイヴにシカゴは嘆息する。

 

「ま、後はここがマップの角っていうのもあるんスけどね。フィールドのほぼ南端ほぼッスよ、ここ」

「ああ、アレやっぱりフィールドの壁か……」

 

 ファイヴは先ほど周囲警戒中に見た、巨大な白い壁を思い出す。切れ目なく、軽業(アクロバット)を持つファイヴでもよじ登るのは厳しい高さだ。

 要は「ここから先は進入不可」という事なんだろう。――とファイヴは考えた。

 

「そッスね、だから後退も離脱もできない拠点に篭ったら敵に殺到されるか足止めされて死にます。とっとと進んで敵突破して拠点入りした方が、後ろを気にしないで良いんでまだ楽ッス」

「……あそこから撃たれねーかな? SJ2だとアレで優勝したやつがいただろ」

 

 ファイヴはあくまで可能性として、フィールドを囲う壁面の上から撃たれる可能性を示唆した。

 彼が()()()()()()を見た大会では、その奇襲攻撃によりあっけない幕切れとなってしまった。

 

「うーん、可能性は低いッス。第一、あの壁の上からだとどこの拠点にも干渉できません」

「だよな。言ってみただけだ」

 

 重装備でそこそこの急ぎ足、しかも中腰の姿勢で砂漠を横断中であるのに、男二人の口調は軽やかだ。

 GGOではどれだけ肉体を酷使しても現実の体に影響は無いので疲労しない。が、やはり自分の意思で一挙手一足投を行うので精神は披露する。

 

 その為こういう景色の続かないところでの長期単純運動は、気を紛らわしながら行うのが良いというのはVRゲーマーの半ば常識だ。――当然、警戒は緩めない。

 

「敵、見えませんね」

 

 野郎同士の会話が途切れたのを見計らい、アイリスが呟く。シカゴが応じた。

 

「来るとしたら、可能性が高いのは森から狙撃かな。多分そこと砂漠の境で敵が息を潜めてるかも。住宅地の方もちょっと怖いな……」

 

 サクサクと進軍しながら、彼らは危なげなくする。

 とは言え戦いはすでに始まっている。どこから銃弾が飛んできてもおかしくない。

 

「正面からはどうでしょう?」

「あの岩山? それは無いと思うな。あそこからなら周囲の地形に大抵有利が取れる。追撃を警戒するにしても一旦拠点に入ってから引き返す方が確実だし――」

「待って」

 

 流暢に話すシカゴを遮り、のべ助は一同を制止させた。

 

「来てる、正面」

「えぇ? 何も見えませんけど……」

 

 アイリスを筆頭に疑問を抱きながらも、全員が停止する。

 

「砂漠と岩の境。岩の裏に隠れてる。多分、3人」

「なんでわかんのさ」

「音」

 

 何てこと無いように返された言葉に、ファイヴは三白眼を剥いた。

 

「耳良いってレベルじゃねーぞオイ。どんだけ聴覚系スキル取ってんだよ」

「少し。……聴き分けは、コツがいる」

 

 そう言うなり、のべ助はスカウトライフルを立射姿勢で構え、即座に撃った。

 

 全くの無駄撃ち――しかもスナイパー最大の強みである予測線無しの射撃を無駄撃ちした、かに見えた。

 事実、放たれた7.62ミリ弾は数百メートル先の岩に直撃。一部を抉っただけに過ぎない。

 

 が、その抉れからは銃身――いや、砲身が覗いている。

 視覚強化スキルで目敏くそれを捉えたファイヴが、叫んだ。

 

「散れッ、()()()()だ!!」

 

 それを裏付けるかのように、ファイヴ達の足元には円形に赤いライトエフェクトが広がる。

 円の中央には件の砲身から伸びる弾道予測線(バレットライン)。つまり、飛来するであろう榴弾が円の範囲に爆風を及ぼすことを意味している。

 

「この範囲――プラズマかよクソッ!!」

 

 シカゴが悪態を吐くのを皮切りに、一同は雲の子を散らすように走り出す。チーム内では最も鈍足の彼は、無傷はおろか子の一撃で即死するかもしれない。

 ファイヴの焦燥に追い討ちをかける様に、ポンッ! とどうにも間の抜けた射撃音。このままではシカゴがやられる――

 

「どっせーい!」

「ごっはぁ!?」

 

 どうするどうすると悩んでいたファイヴの横をすり抜けたアイリスが、弾丸のようなスピードでシカゴの背中にドロップキックをかました。装備も含めかなりの体重のはずの大男(シカゴ)が、数メートルぶっとんでゴロゴロと転がった。

 乱暴ではあるがこれによりシカゴは爆風の範囲から逃れられ、アイリスも蹴りを決めた後に素晴らしいフォームで着地。即座にトップスピードのダッシュで榴弾の殺傷範囲から逃れた。

 

「うわぁ……ってやっべ!」

 

 アイリスの殺人的な飛び蹴りに目を取られ、ファイヴは自分が榴弾の殺傷圏内から逃れていないことを忘れていた。

 焦るファイヴに構うことなく榴弾は飛んできて、轟音と共に一帯をプラズマ炎で吹き飛ばした。

 

「のわーっ!!」

「ファイヴさん!」

「ファイヴ……っ!」

 

 爆風に飛ばされ、ファイヴはごろごろと乾いた大地を転がった。が、即座に顔を起こす。

 

「ぶはっ……大丈夫だ、死んでねぇ!」

 

 直前でファイヴは、前方に向かって思い切りジャンプをしていた。

 通常の榴弾であれば破片が飛散するため伏せるのが正解だが、プラズマグレネードはその爆風と熱量による攻撃だ。

 その場の機転と軽業(アクロバット)が、ファイヴの命を繋いだ。

 

 が、総崩れになったファイヴ達を敵が見逃すはずもない。

 息をつく暇もなく弾道予測線が――今度は銃弾を示す赤いラインがファイヴの体に突き刺さる。

 

「ちょっと待て待てあだっ!?」

 

 悠長に体勢を立て直す暇もないファイヴは無様に地面を転がって回避するも、遠距離から飛来する弾丸を1発もらってしまった。

 HPゲージがガクンと減少する。

 

「ファイヴさん! 野郎ッ!」

「応戦します! 距離およそ300!」

 

 起きあがったシカゴとアイリスが、襲撃者に向けて銃撃を開始する。だが、やはり遮蔽物から攻撃する敵側に対しこちらは分が悪い。

 長距離からの正確な狙撃に加え、制圧射撃に釘付けにされる。二人は伏せて応戦するのがやっとだ。

 

「いてて、妙だな……」

「妙って、何?」

 

 俊足でファイヴの援護にやってきたのべ助が、ぶっきらぼうな手つきでファイヴの首筋に回復アンプルを突き刺した。

 大会参加者に支給される回復アイテムで、HP最大値の3割をゆっくりと回復するものだ。

 

「ぐえっ! もっと優しくしてくれ、って危ね――!」

 

 棒立ちののべ助に予測線が突き立つのを見たファイヴが、彼女を引っ張り伏せさせようとする。

 それよりも早く、まるで予測線が見えているかのように彼女は反応した。半歩身を引くだけで、予測線通りに飛んできた銃弾数発を回避する。

 

「……で、妙って?」

「お、おう……。見間違いじゃなきゃ、(やっこ)さんのグレポンはGMー94。最大4発装填可能なスライド式だ」

「……わかるの? あの一瞬で?」

「オタクなんでな」

「そう」

 

 同調しながらのべ助はナイフを引き抜き、ファイヴに襲いかかる弾道に向けて一閃。

 剣筋は見慣れないライトエフェクトを引き、甲高い衝突音を奏でた。

 

 ――信じられないが、それは彼女が銃撃を切断した事を意味している。

 

「ウッソだろ……」

「特技。つまり、何か仕掛けてくる?」

「お、おう……そゆこと」

 

 やや脳の整理がついていないファイヴだが、戸惑いながらも首肯する。

 

 するとその推論を裏付けるように、遮蔽物の裏からまたしても榴弾が発射された。テンポよく、3発。

 が、それらはファイヴ達よりも手前に着弾し、白煙を上げた。

 

「スモークですね」

「……明らかに誘われている。どうします?」

 

 銃撃戦を繰り広げていたシカゴとアイリスの組が、未だ身を低くしたまま通信機で語りかけてきた。

 戦術担当の彼が戸惑うのも当然だ。銃撃戦で圧倒されていたのだから、わざわざ煙幕で視界を遮る意味がない。

 

「――俺が行く。せっかく舞台を整えてくれたんだ、ノッてやらなきゃな」

「ッスね。敵の後衛は俺らが抑えんで、暴れてください」

 

 さっきまで圧倒的劣勢だったというのに、彼らは既に威勢を取り戻していた。

 何より――()()()されたままでは死んでも死にきれない。

 

「煙幕を迂回して、援護できそうなら撃ちます。がんばってくださいね」

「ふぁいと」

「おう。……やりますか」

 

 チームメイトにサムズアップし、その手でMPX短機関銃を握る。

 煙幕に向かって、黒ずくめの男は突撃していった。




読者の皆様、大変お待たせしました。
長らく更新のない間も感想欄にて応援頂き、とてもうれしかったです。

これからもこんな拙作にお付き合いいただけると幸いです。


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