超克騎士の前日譚<プリクォール> (放浪人)
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邂逅篇 Ⅰ:未だ至りえぬ まどろみの中で 邂逅す

 ……絶賛別作品連載中に何やらかしてんだと思われるかも知れませんが……自分の渇望には勝てませんでしたごめんなさい色々と(土下座
 しかもまだ禄に読んでもいない作品の二次創作とか……OTL でも渇望には勝てなかったんです、つい形成しちゃったんです。許してください(ガクブル
 ただあくまで短編の小説、それも連載の方の息抜きや片手間に書く程度ですので更新はテンションでも上がらない限りはゆっくりになると思います。

 そういう訳で、多分にDiesなどの影響を受けた(再現できているとは言っていない)捏造も甚だしい落第騎士の二次創作になります。


 では一つ、ご観覧あれ。
 その能書きは二番煎じもいいところながら。
 込められた想いは真と信ずる。
 故に――どうか見届けて欲しい。この前日譚(Prequal)を。


 ――一人の少年がいた。

 父を知らず、母の手だけで育てられた私生児の少年。境遇も貧しいと言えるものだったので、哀れみや同情には値するが、しかしそれだけの出自の少年。

 

 それでも、彼は特異だった。異様な姿をして生まれ育った訳ではなかったし内面に障害を抱えている訳でもなかったが、しかし、彼を知れば誰しもがその少年を『異常』と認識できた。

 

 

 有体に言って――――

 

 ――その知性は、子供のそれではなかった。

 子供故に知識に乏しく、あらゆる物事に興味を抱いて知りたがる姿は子供のそれではあったが、そこに内在する『渇求』の強さと貪欲さは、決して普通の子供のそれなどではなかった。

 一度知ろうと思ったことは徹底する。どれ程難解なものであっても見て聞いて調べて尋ねて、更に自分なりの考察をする。そうして漸く、彼にとって知識は知識足りえた。

 誰からか、それこそ子供にとって世界の総てにも等しい母親の教えですら、それが真に正しいものか――否、「正しいに値するのか」と己で吟味し見極めない限り、彼が何かを鵜呑みにするということはなかった。

 

 ――その精神は、子供のそれではなかった。

 どんな苦難や困難にも決して屈さず、目を逸らさない。不可能を可能にする、という訳ではなかった。しかし彼はそれが『不可能である』と思えるその瞬間まで諦めることはなく、そしてまた、『その時点で(・・・・・)不可能なこと』でも『必ず可能にする』という不退転の意志、そしてそれを成し遂げる不断の努力をその身に課していた。

 

 ――その肉体は、子供のそれではなかった。

 生まれながらに健常ではあった。出産は母子共に何の問題もなく健やかに生み生まれ、成長も順調だった。順調すぎた。

 母親が貧しい生活の中でもちゃんと最低限の衣食住を満たし、一日三食を怠ることもなく与え、何より子供自身がその日々不断の努力の下、誰に言われた訳でもなくいつからか自らを鍛え始めたのだから、それが当たり前なのかもしれないしそれでいいのかも知れないが、それでも、その成長は著し過ぎた(・・・)

 背丈が異様に高くなったわけでも、肉付きが異常な訳でもない。だがそれでも、その体は子供ではありえない強度となっていた。

 

 

 最初にその存在を知った大半の人間は、その知性から神童と称え、その精神から実直だと褒め、その健勝ぶりから成長を楽しみにした。しかし程なくして誰もが恐れ、忌み、不気味がり去っていった。

 誰しもが向き合う触れ合うことで理解したのだ。これは真っ当ではないと。自分達が口々に述べ連ねた薄っぺらい賛辞の類では言い表せない、『異常』な何か。

 だから遠ざかっていった。それに触れ合えば、嫌でも自身の凡庸さを、醜さを、脆弱さを見せつけられるから。そんな目を逸らす行為自体が、その最たる証明だと気づかないまま。

 

 ――総じて、その少年は『普通の子供』ではないどころか、『常なる人間』ですらなかった。

 劣っていたのでない。突き抜けていたのだ、何もかもが。

 

 

 一体その少年の、そんな異様な心身がいつ形成され成り立ったかは、周りはおろか彼自身ですら知りようもない。そして、少なくともその少年にとっても、そんな覚えてもいない起源などはどうでもよかった。

 

 彼が考えるべきは、常に己が如何に在るべきか。

 斯くあるべしという世の規定や道理ではなく、それを知った上で己はそれに何を思い、その思いの下でどうありたいと求めるかだった。

 

 常なる人の子は、その子供なりには毎日を全力必至で生き過ごしている。そして、その少年もまた、彼なりの『子供らしさ』として、母が注いでくれる無償の愛情を受け、未だ数多ある己の知り得ない知識を貪り、そして己を鍛え続けた。

 それこそ、少年にとっての『揺籃(まどろみの時間)』だった。

 

 

 

 そんな時間が終わりを迎えたのは、母親の死によってだった。

 貧困な生活に伴う気苦労によるものか、何の前兆もなく、人為的なものを疑われても可笑しくない程の唐突な死。それは、如何に人間離れしていようと、社会能力などない子供である彼にも幾つかの必定の影響をもたらす。

 

 先ずは母の供養。この時の彼に真っ当な葬儀などできようはずもなく、しかし子は不気味がられてもその親は人柄を周囲から慕われていたことから、付き合いのあった近隣の住人により最低限ながら母の供養は無事済まされた。この時の少年の、弔ってくれた者達への殊勝な態度だけは、両者の蟠りを少しは和らげたとか。

 

 第二に、生活。母親一人で育てられた彼には他に身寄りなど、それこそ姿も名前も居場所も知らない、存命かすら分からない父親だけであり、葬儀の件で少しは歩み寄れたとはいえ住人の誰も、彼を自身の住まいに受け入れようとはしなかった。

 人道的にはともかく、当人達の心境を考えるならば責めることは出来ない。誰も自分のテリトリーに既知外の異物を入れたいなどとは思わないのだから。むしろ、母親の供養と幾ばくかの生活資金を提供しただけ、彼らは十二分に道徳的で人情家である。この場合、相手(・・)が悪すぎたのだ。

 

 第三は正味な話、少年にとっては慮外の事象だった。

 完全な独り身、面倒を見てくれる知り合いもいないということで、近隣の児童保護施設にいれられた彼は、しかし母の死や自身の不幸を嘆いたり呪うことはなく、ただ受け入れ、そしてそれまでと何ら変わらない(・・・・・・・)日々を送り始めた。

 嘆き悲しんでも現実は変わらないのだと切り捨てているのでも、辛い現実から目を逸らして逃避しているのでも、ましてや母の死に何も感じない訳でもない。ただ、母の死も環境の変化も、少年の在り方を変えるには至らないのだ(・・・・・・・・・・・)

 しかし、それでも、全く何の影響も齎さなかったのかと言えばそうでもないらしく――周りも、そして少年自身も想像及ばない変化が発現(・・)した。

 

 魔力の発現。伐刀者(ブレイザー)と呼ばれる、特異な『力』と『運命』を担う者達だけがその身に宿す異能の力、その者の辿るであろう運命の大きさに比例して矮小にも強大にもなるそれを、少年もまた宿していたのだ。

 それは即ち、彼もまた背負うべき『運命』を持つと言うこと。その運命とは――――――――

 

 

 最後に、少年の前に父親が現れたこと。そして彼の息子として認知され、その家に引き取られたと言うこと。

 この時、少年は七つを迎えていた。

 

 その理由というのも、親子の情の類ではなかった。全くなかったかどうかは不明だが、少なくとも最たる動機はそれではなかった。

 (ひとえ)に、少年の才能を危惧して。

 

 少年が魔力を発現した際、その情報は国際魔導騎士連盟の日本支部に軽からぬ役職を持つ父親にも伝わった。その名前と、亡くなっている母親の名前も。それが己の子であると知った父親は、その情報と共に記された内容を見ると、折り良いことに急ぐべき仕事もなかったことから最低限の確認を行うと、その足で我が子を迎えに行った。

 

 理由は簡単。少年が、破格を超えて『絶大』と呼ぶべき才能を持っていたのだから。

 

 単なる目安ではあるものの――その目安を絶対視する劣愚がごまんといる世の中だが――、ランクにしてA。否、Aランクと言うのも評価規格の最大表記と言うだけに過ぎず、推定だけでもAランクオーバー(・・・・)

 その父親が少し前に設けたと言う、幼子にして既に神童と称えられる息子ですら想定範囲内のAランクである。それを七年もの間、顔はおろか存在すら知らずにいた私生の長子が、それ以上の才能を発現させたと言うのだから、これに勝る皮肉があるだろうか。

 

 その事実を知った父親が内心で何を思ったかは知らないが、少なくとも彼に『その才能を黙殺する』という選択肢は無かった。彼はその日の内に少年が身を寄せていた施設に足を運び、有無を言わさず、それこそ権力を持ち出してまで己が子を、その日初めて出会った息子()を手に入れようとした。

 

 少年は、それには抗わなかった。

 元より、その施設においても少年は例外なく異常で異様で異形で異端な異物として拒絶され、可能な限りの距離を置かれていた。迫害対象としてではなく、畏怖の対象として。そこにいることを求められている訳でもなく、まして彼自身がそこにいることに意義を見出しているわけでもない以上、彼がその場所にいることに拘る理由などなかった。

 父親であるという男の目と言葉から何とも浅ましいもの(・・・・・・)を見出しつつも、断る理由も無かったが故に、その求めに応じた。

 

 ――応じた(・・・)のだ。父親はその気なら力尽くで、それこそ息子である相手の気持ちなど埒外として己の手の内におくつもりだったが、そんなことは少年の知ったところではなかった。

 もし行く気になれなかったなら、その後をどうするとか、そうすることで今後どんな影響が齎されるかという計算など抜きにして己を通していただろうが、父親という相手の性質に不快は覚えつつも、その存在が彼に与えた『可能性』には価値があった。

 

 

 魔力が発現し、伐刀者として覚醒したその瞬間から、少年には二つの意思が芽生えていた。

 

 一つは、常と同じ未知への欲求。知識としては開示されているだけのあらゆる情報は学び覚えたが、所詮独学でありただ見聞きした情報。だが、これよりはその分野を身を以て学べる。ならば多少の不快感など何程の事も無い。

 

 

 そしてもう一つは―『己が運命の超克』。

 明確なものかどうかは知れない。しかし伐刀者の魔力はその者が背負う運命に比例して強大になる。つまり、少年には現行最高位階であるランクAをも超える運命が待っている、ということ。

 それが、気に喰わなかった。

 運命?決められた定め?宿業?知るかよふざけるな知ったことか。何故(おれ)がそんなものに縛られねばならない。俺の運命を定めるのも進めるのも終わらせるのも俺だ。どこぞに神だか仏だか何だかがいてそれを俺に課そうというならやってみろ。そいつごと壊して殺して叩き伏せて消し去ってくれる。

 

 元来、少年は『運命』というものが嫌いだった。否、『運命に従うこと』が嫌いだった。

 

 

 『運命的』という表現がある。あまりに想定外の事象に対して、まるでそこに神か何かといった超常の存在の意思が介在しているのではと思い、それ程の感謝や感動を表すのに用いる言葉。

 

 ――何だ、それは。

 

 その言葉の意味を学んだ際、少年が抱いた気持ちだった。

 確かに世の中、思いもよらない偶然はあるだろう。人がこの世の因果を操れるわけではなく、むしろ多くがその因果に身を委ねているのだから、強ち間違った表現ではない。

 問題は、少年はそこに見出した、その言葉を生み出した人間の意図である。

 

 ――何故、そんな『運命』に縋るような状況になる前に行動しない。努力しない。最初から、あるいは途中から出来ないと決め込んで諦めて、そうして後から目的が達されると今度はいるかも分からない神仏を有難がって『運命』?ふざけるなよ。

 

 

 言うまでも無いが、これはあくまで少年の主観である。その在り方が如何に高尚で精神が気高かろうと、彼が『斯くあれかし(こうであってくれ)』と求める私的な渇望であり、万人に適用される普遍の『道理』ではない。よくて限られた者だけが行き着ける『理想』だ。少年自身、頭では分かっている。

 

 例えば、神に祈りを捧げる者でも、最初からただ盲目に縋る愚か者もいれば、真に成すべきことを総て成して、その上で天命を持つ者もいる。そういう人物は尊敬に値するし、そういう人物が崇める神ならば相応の価値も意義もあると思える。

 他にも、十人十色と人それぞれに抱く想いがあるだろう。自分の想いに沿わないからと言って、それで否定するなら、それこそ一方的に押し付ける『運命』と何が違う。

 

 だが、感情面においては少年も子供だった。それ故に苛烈で強烈で、激烈だった。

 

 絶対に認めない。運命を肯定するとすれば、それは己の手で切り開いた道筋であり、その果てに行き着く結果――運命を征し己がものにしたという結果であるべきだ。

 そこに賭した意志と労力、そしてその総てを貫く覚悟こそが、真に讃えられるべきだ、と。

 

 

 

 だからこそ、少年は挑んだ。伐刀者としての己の道に。

 その先にある運命が何であれ、それを乗り越え打ち壊し、超克せんが為に。

 

 

 そうして、少年は新しい名を得た。

 少年の名前は、統真。『真を統べる者』、あるいは『真に統べる者』と名づけられし男。

 

 伐刀者としての道を歩まんが為に背負った新たな名は――黒鉄 統真。

 日本最高位の伐刀者の名家、英雄の一族たる《黒鉄》の現当主・黒鉄 厳が若き頃に生ませた妾腹の長子にして、歴代――否、世界最高の資質と能力を備えた奇跡の伐刀者。

 

 

 

 そんな彼が如何なる運命を背負い、果たしてそれを超克し得るのか。

 それは、この前日譚(Prequal)の先にある。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――時は流れ、六年後。

 

 

「ハァッ!」

「………………」

 

 

 広々とした空間、所謂道場と呼ばれる体を成す建物に、まだ幼さを伺わせる声が竹刀同士のぶつかり合う音と共に響き渡る。

 音源は、その建物内の中心。多くの門弟が囲み厳かに見守る中、13歳の少年と7歳の少年が対峙し切り結んでいる。人を切れない竹刀なのだから切り結ぶと言うのはあるいは不適格なのかもしれないが、少なくともその場の空気は、真剣の切り合いに劣らぬものだった。

 

 その理由は、裂帛の掛け声を上げて挑みかかる幼い方の少年、彼と真っ向から対峙し、剣を交えているもう一人の方にある。

 

 

「……相変わらず凄まじいな」

「ああ……流石は神童、7歳であれ程の技量とは」

「馬鹿、そっちじゃない。長子様の方だよ」

 

 

 その剣戟を見守る門弟の内、一番遠くからそれを見ていた何人かが、勝負の邪魔にならない小さな声で話し合う。最も、声が小さい理由は勝負への配慮という真っ当なものだけではないのだが。

 

 

「長子様って……ただ受け流して防戦一方だろう」

「……ああ。お前、長子様の試合まだ見たことがないのか」

「そうだが、何かあるのか」

 

 

 そんな会話の合間にも、より一層大きな掛け声と竹刀の音が響いた。

 

 

「……見てれば分かる。もうそろそろだろうからな」

「?」

 

 

 片方が疑問を顔に浮かべて首を傾げるが、もう一人は答えず、促すように試合中の少年二人へと目を向けた。

 

 年下の少年、門弟に神童と称された方は、相対する長子と向き合い、切り込む隙を伺っていた。

 一方の相手はというと、何の感情も伺わせない厳かな表情で、自ら動く事無くその場で不動を保っている。

 

 二人の試合を幾度と見てきた古株の門弟達は、これまでの経験からしてそろそろ決着であり――またその結果も予想できていた。

 

 ――パシンッ。

 

 

「グゥッ……!」

 

 

 神童は長子が見せた一瞬の隙を突き改心の一撃を打ち込まんとするが、それは神童にとっての隙(・・・・・・・・)であって長子にとっての隙(・・・・・・・・)には成り得なかった。

 迫り来る竹刀を容易く、しかして強烈に弾き、神童の小さな手ではその衝撃を受け切れず、竹刀を手放してしまう。

 そして――――

 

 

「得物を手放すな、戯け」

「ガハッ!?」 

 

 

 文字通り丸腰になってしまった神童の懐に、長子の竹刀の刃が容赦なく叩き込まれる。その一撃に振るわれた膂力は凄まじく、何よりその打ち込みは恐ろしいまでに正確だった。

 そんな一閃を直撃した神童は、打ち込まれた竹刀に押し退けられる形でその場から突き上げられ、そのまま門弟達の方へと吹き飛ばされた。

 

 

「お、王馬様!? ご無事で――」

「喚くな戯け共。その程度でくたばる程に惰弱ではない」

 

 

 慌てて神童――王馬へ駆けつけた門弟の一人がその身を案じて声を掛けようとするが、それを静かに、しかしその場にいる誰もが聞き取れる厳かな声で叱咤する。

 

 

「し、しかし――」

「――だい、じょうぶ……です……」

 

 

 門弟がなおも食い下がろうとするところで、倒れていた王馬が、手助けして支えようとする門弟の手も押し退けて立ち上がる。

 しかしその顔は、体に受けた衝撃と痛みによるものだろう、青褪めて今にも意識を失いそうになっている。必死に立っている二本の足も、生まれたての小鹿より酷く震えている。

 

 

「あ、兄上……もう一本、お願い……しま……」

「おやめください王馬様!これ以上はお体に障ります!」

「……邪魔、しないで……」

 

 

 心配する門弟を払いのけ――実際は半ば門弟達に支えられていたが――、再び自身を叩きのめした相手、兄たる長子に挑もうとする――が。

 

 

「その気概は買う――が、今日はここまでだ。その意志に追いつけなかった体を鍛えるがいい……くだらん考えに囚われている暇があるならな。

 薄っぺらい考えに囚われているから振るう剣も軽くなる。そのことをよく省みることだ」

「ッ……!」

 

 

 兄と呼ばれた少年はどこまでも淡々と、しかし冷徹に告げると、弟に背を向けて去っていく。

 

 

「……チク、ショウ………」

「お、王馬様!」

 

 

 凡そ普段の品行方正な彼らしからぬ粗暴な言葉を悔しそうに呟きながら、王馬は気を失う。そうして今度こそ周りの門弟達にその身を委ねた。

 

 伐刀者の名門・黒鉄家の長男と次男、黒鉄 統真と黒鉄 王馬の試合は、いつもと同じ形で(・・・・・・・・)終わりを迎えた。

 

 

「……若。流石にやりすぎでは」

 

 

 試合の審判を務めていた人物、道場の師範代である壮年の男性が、道場の入り口へ向かう統真を捕まえてそう苦言するが、言われた方は歯牙にも掛けず、振り向きすらしない。聞くに値しないと言わんばかりである。それでも歩きながら応答するだけ律儀かも知れないが。

 

 

「あれが望んで挑んで来た試合だ。払い除けることこそ侮辱だろう」

「そうではなく……まだ幼い王馬様に、何もあそこまで」

 

 

「ほお。その幼子に『人を容易く殺す力と術』を教え与えておいて、当人に傷はつけるな、と」

 

 

「ッ……」

 

 

 正論と言えば余りの正論に、師範代も思わず口を噤む。いや、それだけではない。統真が止めずに進んでいた歩を止め、振り返って師範代を見据えたからである。

 その、どう見ても13歳の子供などとは思えない、強すぎる瞳で。

 

 

「剣――武器とは畢竟、闘争と殺傷の道具。それを振るうと言うのならば、その身もまた傷を負う覚悟くらいすべきだろう」

「……王馬様にはそれ以上に背負うべき役目が――」

 

 

 思わずそう反論してしまい、半分以上喋ってから師範代はハッと口を閉ざすが、何を言われるでもなくその顔は勝手に青褪めていく。まるで、口にしてはいけないことを口にしたかのように。

 一度統真から逸らした視線は、恐る恐るゆっくりと、再び目の前の少年に向けられる。

 

 そんな視線を迎えたのは、何の感情も示さない、今までと同じくただただ『強さ』を宿した瞳だった。

 その瞳に見据えられ、何かを特に咎め立てられた訳でもないというのに師範代は慌てふためき弁明を口にする。

 

 

「わ、若。私はそういう(・・・・)意味ではなく――」

「黒鉄の次期当主か。ああ道理だろう。あの戯けた親父殿は、あれ(王馬)を己が継嗣に仕立てようと躍起だからな。本人が受け入れているので別段俺がどうこう言う気は無いが」

「そ、それは……」

 

 

 開けっ広げも程のある統真の言葉に、逆に師範代がうろたえてしまう。

 強がりでもなんでもなく、彼に負の感情は見られず、その言葉も自嘲を装った皮肉の類ではなかった。

 しかし――――

 

 

「だが、言いたい言葉があるなら堂々と言うがいい。俺は妾腹であれは正妻の嫡子、ましてやあの阿呆の親父に一切靡かぬ俺に黒鉄は継げない、とな。

 そもそも一回りも二回りも下の若造に言い淀んでどうする。年の功をひけらかせとは言わんが、己の生と立場に自負があるなら、物の一つくらいちゃんと言ってのけろ――恥を知れ」

「ッ……申し訳ありません……」

 

 

 そのあまりに正論で、どこまでも真っ直ぐな言葉に声を詰まらせ、結局吐き出せたのは何に対してかも分からない謝罪だった。

 それを受けた統真は、今度こそくだらないものを見たと言わんばかりに目元を潜め、視線を険しくする。しかしそれ以上の言葉を紡ぐでもなく、止めていた歩を再び入り口へと向かわせた。

 

 ……心なしか、その歩にはいつもより若干勢いがあるように見えた。

 

 

 

 

「やっぱりこうなったか。今日は結構喰らいつけたみたいだが」

 

 

 そんな一部始終を見ていた件の門弟はやれやれと肩を竦める。その隣にいたもう一人は、今目にした試合に身を竦めている。

 

 

「…………なあ、さっきのって」

「見ての通り、長子――統真様の圧勝――いや、完勝だ。最初(はな)っから王馬様は遊ばれていたということだ」

「………………」

 

 

 敗退した王馬を神童と讃えていた門弟は言葉も無い。それ程までに先程の試合、最後に兄である統真が繰り出した一撃は完璧なものだった。

 如何にこの家で歴代最高の逸材とはいえ13歳のはず。そんな身空で、あれ程のキレを身につけているというのか。

 いや、それ以上に――――

 

 

「……なあ、あれ(・・)は――――何なんだ?」

「………………さあな」

 

 

 既に道場から去っている統真の存在を思い浮かべながら何とも曖昧な質問をするが、質問された側はその意図を察しつつもそれに明確な答えを出さなかった。

 

 黒鉄家長男。黒鉄家始まって以来の、奇跡の逸材。実質魔力Aランクオーバーという既知外の怪物。

 生まれて程ない頃から類稀な才能を見込まれ、早くから神童と持て囃されるようになっていた()長男であった次男・王馬を、ただの天才に貶めてしまった妾腹の第一子。

 貧しい育ちから一転して名門の嫡子に迎えられながら、当主たる父親と迎合することなく反目し続ける、しかしその才能と身に着けた実力故に排斥すらままならない、黒鉄の異端児。

 それが、黒鉄 統真という人間への周囲の認識だった。

 そして、そんな認識を歯牙にも掛けず、彼は日々只管に己を鍛えることに精進した。

 

 その結果があの剣の冴だというのなら納得ではあるのだが。

 門弟は思い浮かべる。

 王馬の、7歳のものとは思えない鋭い剣を、しかしそれ以上に屈強な剣で尽く弾き、そして捻じ伏せた統真の剣。

 それを振るう時にほんの一瞬伺えた、まるで本気で敵を殺す(・・・・・・・)かのような殺気。

 そして、統真がこの場から去ったことで初めて認識できた――彼がいたことで張り詰められていた、この場の空気。

 

 

「まあ、強いて言うのなら――」

 

 

 今になって湧き上がってきた畏怖とその震えに慄いていると、もう片方門弟は吐き捨てるように語った。

 

 

「――あんな化物の弟になってしまった王馬様(神童)に心底同情するよ、俺は」

「………………」

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

「………………」

 

 

 道場着のまま黒鉄家の本邸に足を運んだ(・・・・・)統真は、ある場所に向かっていた。

 先程の弟・王馬との試合で感じた『視線』。その視線の先となる場所へ。

 

 その視線は、これまで何度も感じたものだった。少なくとも統真が知る限り、殆ど毎日と言っていい。

 最初はこの家に仕える使用人の野次馬か、あるいは外からの客が観覧にでも来たのかと思ったが、程なくしてそうではないと分かった。

 何故ならあの視線には――――

 

 

「あ……!」

「む」

 

 

 ちょうど、廊下の角を曲がった時。統真の前には一人の子供がいた。

 それは、統真もよく知る顔だった――厳密には、よく知る顔の男に似た、その顔から険や不快なものを取り去り幼くしたらなるであろう顔だった。

 何故なら、その子供は――――

 

 

お前か(・・・)

「う、あ……!」

 

 

 何の気負いも無く、『やはりな』と言いたげに統真がそう呟くと、しかし子供はその言葉に何を感じたのかその表情に怯えを表し、踵を返して走り去っていった。

 鬼か何かにでも遭遇したような反応に統真が呆然――としている訳ではなく、まるで吟味するようにその背中を見据えていた。

 しばらくそこに立ったまま何かを思案していると、再び歩き出す。その足が目指すのは、走り去った少年の行き先――この家において彼の唯一の居場所である、邸宅の一番離れにある部屋だった。

 

 思えば初めて足を運んだその部屋の前に立つと、コンコンと定例的なノックをし、中にいるであろう人間の反応を待つ。が、中の住人から反応と言える反応は返ってこず、訪問者である統真はしばらく扉の前で立ち尽くした。

 十秒ほどの時間を経ても反応が無い――厳密には、中で怯えているというのは分かっているが――ため、統真も次の段階に移った。

 

 

「黒鉄 一輝。俺はお前の兄に当たる黒鉄 統真だ。少々話したいことがあってこうやって訪ねた次第だ。

 中に入れるなり、出てくるなりしてはもらえないか」

 

 

 まるで初対面であるように自身のことを述べてから相手に対面を求めるが、今回も反応は無い。中にいる者――彼の弟である黒鉄 一輝が困惑しているのは分かるが、五分ほど待ってもそこから行動を起こす気配は見られない。このまま居留守――中にいるのは分かっているが――の沈黙でやり過ごす気か、それともどうすべきか迷っているのか。

 

 ――いずれにせよ。

 礼は通した。要望も伝えた。猶予も与えた。ならば、文句はあるまい。

 そう自己完結し、埒が明かないと判断した統真は、

 

 思い切り部屋のドアを蹴破った。

 

 

「…………え?」

「礼は通したぞ、不服はあるまい」

 

 

 無い訳あるか。道理はともかく、常識を持つ人間――ただしそれを本人に面と向かって言える人間に限られる――がその場にいたなら、そう返したことだろう。

 しかし部屋の主である少年・一輝はというと、思いもしなかった展開に床でへたり込んでいる。腰を抜かしたのかも知れない。

 

 

「改めて。黒鉄 統真、お前の七つ上の兄だ。半分だけ(・・・・)だがな」

「え、あ……うぅっ……」

「どうした。こちらは名乗ったのだ、そちらも名乗るといい。

 俺がお前を知っているかどうかではない、お前が俺に己を知ら示る(し しめ )ことに意義があるのだからな」

「あ…………」

 

 

 その、傲慢とも言える不遜な物言いとあまりにも堂々とした振る舞いに一輝は、覇気でも中てられたかのように頭が空白になり、しかしそのおかげで混乱から抜け出せた。

 なので、空っぽの頭でとりあえずは、言われたことをすることにした。

 

 

「黒鉄……一輝です」

「うむ。

 扉の件は許せ。既に言ったが、こちらも礼は通した上でそれを無視されたのでな。それ故の強行だった」

「え、あ……あの……ごめんなさい……」

「許す。そしてもう一度詫びよう。扉は直しておくので安心しろ」

「い、いえ。どうせ他の部屋に移される程度ですから……」

「そうか」

 

 

 そこで会話は一端途切れる。それに伴い、部屋の主である一輝は、一端は収まっていた混乱を再びぶり返させた。

 

 

(なんで、なんで統真兄さんが?気づかれた?こっそり稽古を見ていたのを気づかれた?だから怒って?でも怒った風じゃないし。じゃあ何でわざわざ、ぼくのところなんかに?)

 

 

 沈黙の中で顔を俯かせそう一人悩むが答えは出ず、結局、ことここに至ったならと言うものに類する気持ちで、一輝は初見に等しい兄に尋ねた。

 

 

「あの……統真、兄さん」

「なんだ、一輝」

「ッ……」

 

 

 恐る恐る統真の名と、彼を兄と呼び、そして当たり前のように自分の名を呼んで貰えたことに、一輝はそれまで感じたことの無い『何か』を覚えた。

 思わず、体が震えるが、訪ねたいことがあるのだからとそれを抑える。

 

 

「に、兄さんは、なんでぼくのところに?」

「お前が稽古や試合を毎日のように遠くから見ていたのでな、今日は偶さか気になり、こうして訪ねた次第だ」

 

 

 やっぱり、バレてた――包み隠さず堂々と述べる統真の言葉に、一輝はまた顔を俯かせる。罪悪感と羞恥心からだった。

 

 名門たる黒鉄の家にありながら最底辺の才能しか以て生まれず、それを補うための努力をすることすら否定された彼は、それでも諦めきれず出来る限り兄達や他の門弟の稽古・試合を遠くから見眺め、そこから学ぼうとしていた。彼自身、そんな己の行為にはまるで人のものを盗むかのような後ろめたさを感じてはいたが、それでも諦めきれず、その行為に臨んでいた。

 しかしそれを、他ならぬ目の前の兄に気づかれており、こうやって面と向かってそのことを問い質されると、罪を犯した咎人のような罪悪感に加え、それを公然と指摘されたような羞恥心が沸いてくる。

 まるで、自分がこの世で無価値な、否、人に迷惑を与える害虫のようにすら思えてきた。

 だから――――

 

 

「ご、ごめんなさ――――」

 

 

「お前は、剣を学びたいのか」

「――え?」

 

 

 だから素直に謝ろうとしたところでそんな言葉に遮られ、呆然とした。

 

 

「剣を学びたいのか、と言っている。でなければあれ程に熱心な見稽古はすまい」

「え、あ、その……」

「お前の境遇、この家における立場も扱いも知っている。知っているが、知ったことではない(・・・・・・・ ・・・・・・・・・)

 俺はお前という存在の意志を訪ねている。ただ才能がないと言うだけ(・・・・・・・・・・)で周りからも親からも否定され、努力をすることすら容認されない生活。俺ならば受け入れられんし堪えられん。己の総てを賭けて抗う。結果は問題ではない、俺がそれを望み、それに(じゅん)じるということなのだ。独り善がりかも知れんがな。

 故に問うている。『俺』ではない『お前』に。

 お前はそんな環境に遵じるのか?そんな理法に遵じられるのか?己が望んだ訳でもない、狭く浅ましい見識と先入観で一方的にそうあれ、斯くあるべしと押し付けられて、それで己を棄てて頭を垂れて、それに随って生きていくのか?

 どうなのだ、黒鉄 一輝」

「――――」

 

 

 今までの、そして統真という人間が纏っていた厳かで静かだった雰囲気は無かった。怒涛の言葉、声量こそ先程と変わらず抑揚も淡々としたものだが――熱量が違った。

 正味、言われている一輝は、兄の言葉を全て理解できている訳ではない。当たり前だ。彼はまだ6歳の子供である。それに対して統真は、彼と同じ年齢の人間でも使わないような難解な物言いをしているのだ。

 だが、それでも――その言葉に込められたものは、否応無く一輝にも通じた。通じさせられた。

 

 ――お前は悔しくないのか?試す機会すら奪われたまま、無価値な人間と言う烙印を捺されたままで平気なのか?

 

 

「――なわけ……」

「なんだ」

 

 

 

「平気なわけ、ないじゃないか!!!」

 

 

 まるで溜め込んでいたものを爆発させたように――否、実際に今まで抑圧してきた不満や悔しさを爆発させて、一輝は統真に詰め寄る。

 

 

「悔しいよ!悔しいに決まってるじゃないか!才能がないのは分かってる、でもそれで頑張ることもダメだと言われて!でも諦められなくて!だから、だから……!」

 

 

 ――お前は何もするな。

 あの日、父に言われたその言葉がいつまでも一輝を苛んでいる。

 そんなに悪いことなのか、才能に恵まれなかったのが。望んだ訳ではない。仕方ないじゃないか、無いものは無いんだ。だから、頑張ってそれを補おうとして、でもそれも否定されて、閉じ込められて。

 

 今日この瞬間、統真に契機となる言葉を向けられるまで蓄積された一輝の鬱憤や悔しさ、その総てが解放された。

 

 

「ぼくだって兄さん達のように強くなりたいよ!色んな剣を学んで、稽古をして、他の人たちと試合をして!でもそれがダメだから……!」

 

 

 なればこそ、盗人に等しい所業にも手を染めた。どこぞの秘伝を盗んだ訳ではない。一輝が見て学んでいたのは、その大半が基本的なもの。統真と王馬の試合などはその限りではないが、それも門外不出には程遠い。

 それでも、一輝自身はそれに罪悪感を抱いた。抱いて、しかしそれでもと、それを続けた。

 努力したい、強くなりたい――その想いだけを抱いて。

 

 

「だから……だから……!」

「そうか」

 

 

 後半は既に泣き言だった。両目からは透明な雫が零れ落ち、鼻からも水を流している。

 そんな、大半の人間がみっともない、良くて子供らしいと思うだろう姿を、しかし統真はそれまでと変わらず、静かに見据えていた。

 

 だから――――

 

 

 

「ならば俺が教えよう」

 

 

 

 その言葉を、一輝は理解できなかった。

 

 

「――え?」

「学びたいのだろう、剣を。俺が口添えして教えるよう言ったところで、あの戯けた親父のこと、どうせ止めさせるのは目に見える。いや、そもそも嘆かわしいことにそんな戯けに、その正確に意図するところ(・・・・・・・・・・)すら知らず盲従する阿呆共しかおらんのだ。そも親父殿の意に反してお前に剣を教えようという気骨のある輩などいまい。

 故に俺が教えてやる。とはいえ俺も未だに学び続ける身、経験が無いからといって尻込みする気は毛頭無いが、人に教えるとすれば限られるがな。

 それでもお前が望むなら、俺に否やは無い」

 

 

 何を言っているのだろう、この()は――一輝がその言葉を聞いて先ず思ったのは、それだった。

 

 黒鉄 統真――軟禁同然の生活を送る一輝も、彼のことは耳にしていた。その評を一言で言うなら――正しく、黒鉄 一輝とは対極の人間。あるいは、黒鉄 一輝が最も憧憬(あこが)れる者。

 最底辺の才能を持つ一輝に対し、統真は最高位――否、その規格すら超える魔力を持つ。発現こそ7歳の時だったらしいが、黒鉄家に招かれてからの6年と元からの素質から、既にその莫大な魔力を制御していた。

 しかしそれ以上に、生まれ持つ才能の魔力をも差し置いて一輝が焦がれたのは、彼の『あり方』だった。

 

 如何なる人間も自ずと『才能』に頼る。努力家な天才というものがあるが、往々にしてそれらの大半も、『才能』を基準にして努力する『才能本位』の面が強い。例えば、一輝の身近な――人間関係ではなく血縁として――人間で言うなら、一輝の一つ上の次兄である黒鉄 王馬。

 しかしそれは決して悪いことではない。あるものを用いて何が悪いというのか。才能に胡坐を掻き努力を怠るのは愚者だが、才能と努力を、比率は別にして並列させる人間は評価されて然るべきだろう。

 

 では、一輝からして黒鉄 統真という人間は、才の人か、才と努力の人か。

 答えは――努力の人である。

 才あって努力を為す人間でも、ましてや才に胡坐を掻く人間でもない、才より努力を成す人間である。

 才を無碍にする訳ではない。しかし、同時に才は才、努力は努力――そう割り切ってしまっている。

 早い話、才能を磨くことにも努力するし、努力を努力することにも努力する(・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。訳が分からないかも知れないが、事実そう在るのだから仕方が無い。

 

 だから、持たざる者にして与えられざる者である一輝は、誰よりも何よりも、黒鉄 統真に憧憬れる。才の有無を度外視し、ひたすらに努力を続ける彼を。

 彼のように在りたいと思ったからこそ。

 

 だからこそ、きっとこの奇跡(運命)のような邂逅は訪れ――――

 

 

 

「否だ」

 

 

 

 ――そう、黒鉄 統真は否定した。何に対してともなく、しかし確固たる意志で以て。

 

 

「否、だ。これは断じて奇跡(運命)などではない。黒鉄 一輝、これはお前が成した結果だ。恥辱に塗れようが罪悪に苛まれようがそれでも、それでも(・・・・)研鑽への渇望を、強さへの憧憬を、そして努力し続けること(・・・・・・・・)を諦めなかったお前の勝ち取った、誇るべき結果だ。

 お前が自分には無理だと諦めここに閉じこもっていたのなら、お前が後ろめたさに堪えられず諦めていたのなら、お前が今まさにその思いの丈を語らずいたならば、俺もまたここにはいない。

 先程俺は、偶々ここに赴いたと言ったな。それに偽りはない。あるいは何らかの要素で俺は足を運ばなかったかも知れない。しかしそれでも結果はここにある。俺とお前がここにいるという結果がな。それを導き出したのは、そこに至らしめたのは総じてお前の努力であり、気概であり、渇望(ねがい)だろう。

 それを、どこぞの誰とも、いるかどうかも分からない神仏やら何やらの齎した奇跡や運命に安売りするな。

 

 もう一度言うぞ。これはお前の努力の結果だ。讃えるなら己を讃えろ。己の努力を、諦めずに努力し続けた己を讃えろ」

 

 

 それまで以上の、ともすれば熾烈さすら伺わせる熱気と覇気――それが、黒鉄 統真という姿形で屹立している。

 そしてその全てが、黒鉄 一輝を肯定し、讃えていた。

 

 

「――……れますか……」

「聞こえん。言ったはずだ誇れ。お前に、誰彼かに遠慮するような点など微塵も無いのだから」

 

 

 緊張と、そして一輝自身にもよく分からない『何か』で声が痞え上手く言葉に出来なかった。そんな痞えを打ち壊すように、再び統真は一輝を肯定する。

 

 そして――――

 

 

 

「ぼくに……剣を教えてくれますか、兄さん」

「無論だ。俺がお前に教えよう、一輝。

 お前が諦めず、努力し続ける限り、俺もまたお前に応え続けてみせる」

 

 

 

 黒鉄 一輝――あるべき歴史においては、幼少の時分には彼に無償の愛情と愛着を向ける妹以外から終ぞ省みられることの無かった少年は。

 この世界において誰よりも早く、対等に自分(黒鉄 一輝)を見てくれる(英雄)と邂逅した。

 

 それがやはり何某かの齎した運命なのか。それとも彼がこれより生涯追いかけ続ける兄の言葉通り、彼自身が勝ち得た結果なのか。

 まだ、その答えが出ることは無い。

 

 

 ここで描かれるべきは、一人の兄と一人の弟を軸に紡がれる

 

 英雄譚(キャバルリィ)に至る為の前日譚(プリクォール)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 では諸君、ご観覧あれ。

 これは、己が意志()運命(破壊)に抗う一人の(英雄/怪物)の物語であり。

 そして、そんな(英雄)に焦がれ、(運命)を乗り越えんとする一人の少年(英雄)の物語。

 

 導き導かれ、光を与え与えられた、とある兄と弟の物語。

 どうしようもない困難と苦境を刻まれ、それでも絶望と宿業を超克して征く、英雄達の物語。

 

 

 これは、本来とは異なる道筋と結末の英雄譚(キャバルリィ)、その前日譚(プリクォール)

 暇つぶしなり片手間なり、この虚劇を楽しんで貰えるなら、幸いだ。




※作中で使用された表現『知ら示る』は『知らしめる』と『示す』を組み合わせた造語です。実存する表現ではないのでご注意ください。
※読者様の提供してくださった情報に基づき、黒鉄 厳に関する描写に変更を加えました。 1/21

 いかがだったでしょうか。light作品を全面的に意識したのはこれが初めてですね。あちらはネタのようなモンですし、今のところは(ぇ

 さて、この作品お読みになったらお判りとは存じますが、原作との相違点・捏造が色々ございますので、現時点で自分が思い当たるものをいくつか。

■黒鉄 厳の年齢
 調べては見ましたが特に記述が無かったので、伐刀者は15歳なら結婚も出来ると言うことでギリギリ大丈夫かな、と、統真という一輝の7歳年上の兄を作るために年齢もしくは初体験(!?)を弄らせていただきました。絵を見る限り若いとも壮齢とも取れたので、押し通しました。
■魔力の発現
 絶対量は基本的に不変らしいですが、発現とかは生まれた時から分かるんですかね?統真は一応母の死と言う出来事が影響して、眠っていたものが覚醒したと言う感じですが;
■ランクAオーバー
 Fate風にすればEX。覚醒や魔人もありますから何とか大丈夫かな?と;
■道場の流れ
 こんなものか?と。
■王馬
 統真は巌とは反目しているので原作通り(?)彼が時期当主に見込まれています。実力差は絶望的ですが。
■一輝
 時期設定がそもそも曖昧なのでアレなんですが、この時点で父親から例の台詞と共に切り捨てられています。龍馬とはまだ会わず、その前に統真と邂逅したのがこの話。
 なお彼に関する会話内容は当てずっぽうもいいところの捏造。

 うん、訴えられても仕方ないレベルですね(白目
 言い訳も甚だしいのでカグヅチ様に焼き払われそうですが、この世界は時系列含めた色々なものが違ったりする原作のパラレルワールドと思って頂ければ無難と思います。


 そしてこの二次創作のオリキャラとなる黒鉄 統真。
▼再現できているとは思えませんが、一応Diesの獣殿・戦神館の甘粕大尉・ヴェンデッタのヴァルゼライド閣下の因子を組み込んだような創作キャラ。
 はっきり言うとコイツがラスボスであり、もう一人の主役/影の主人公です。モチーフである獣殿ことハイドリヒ卿が自分にとってはDiesのもう一人の主人公という立ち位置なのでそれをイメージしました。なのでタグも一応オリ主を。一輝も列記としたこの話の主人公ですが。
▼現時点では獣殿:甘粕:閣下で比率が1:3:6という感じ。努力努力言っている努力厨。諦めなければ夢は叶うし叶わなくてもそこに賭けた意志と想いに意味がある、精神論で限界突き破るようなキャラ。そのくせ獣殿のような生まれつきの強者と言う「え、なにコレ舐めてんの?」と言われても仕方の無い存在。まあ本人は無意識レベルでパワー抑えてますが。そこら辺は総てに飽いている獣殿成分。でも努力値がカンストしてる。才能?駄菓子、よくて道具だろう、と。
▼神様とか運命とか嫌い。というよりはそれに自分を無闇に委ねたりするのが嫌い。ギリギリ許容範囲で「人事尽くして尽くして尽くして尽くして天命待つ」がやっと。それだって神様に感謝せず自分を褒めなさいよと言う。
▼一輝完全肯定するマン。努力し続ける奴、諦めない奴が大好き。おかげで一輝くんも被害(意味深)被ったりする予定です。当然黒鉄家とは相性最悪。自ら滅ぼさない辺りが引き取った父親への、一応の恩返し(超傲慢)。
▼今は一刀流、将来は二刀流になります。放射線は撃てませんが;斬撃飛ばし?普通にやりますよ?(遠い目

 今のところはこんな感じです。本当になんなんでしょうね、これ(白目
 しかも最大の難点は、なんかそれっぽいこと言わせてるけど創造者である作者は実行できない駄目人間ということOTL いや、それ言うならモチーフになった誰一人実行できるレベルじゃないんですけど、渇望の強さが;


 さて、長くなりましたがこれにて終わりとなります。
 短編と言うこともあり、少しずつ書いていっていい区切りになったらまた続きを上げようかと。
 感想・批評いずれもお待ちしておりますので、よろしければ何か書いてやってくださいまし。

 それでは。


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邂逅篇 Ⅱ:日の下にありて 桜の彩る 日常で

 想定よりは早く書き上げられました。休みは偉大ですね。一日中パソコンの前で引きこもっちゃうけど(白目

 皆さんの応援により、たった一話しかない短編であるにも拘らず評価は赤、早くもUAが5000以上、あまつさえランキング入りという快挙。light作品を捻じ込んだ甲斐は果たせたと思い安堵しております。
 今後も閣下に習い精進を……いや、あそこまでは無理ですが(土下座

 今回、後編はちょっと統真の独り善がりみたいに感じられるかも知れませんが、その時はどうぞ遠慮なく批判してやってくださいませ。もちろん作者を;

 それでは前日譚、その第二幕をどうぞ。



 才能持たざるが故に、未だ目覚め得ぬ可能性すらも絶たれようとした無力な弟。

 そんな彼の前に現れたのは、奇しくも零能たる彼とは対極にあり、しかし同時にその少年と同じ求道を為す兄。

 

 少年はその出会いを奇跡として運命に感謝し、兄は運命を否定して弟を肯定した。

 その行い、想い、意志の総てを。

 

 なればこそ少年が感じたのは、己に無いもの(才能)を持つことへの嫉妬ではなく、己が志す道の先(努力)を邁進する先達(英雄)への憧憬。

 そして、自身を認めてくれた、対等としてくれた兄への敬愛。

 

 

 ――されど少年は未だ知らない。

 

 

 憧憬とは、最も『理解』から程遠いということを。

 自身の憧憬(偶像)と兄の本質(真形)を知った時、少年はそこに何を見出すのか。

 

 

 いずれにせよ――未だ刻は至らず。

 弟は未だ英雄足り得ず。

 兄は超克すべき運命を知らぬが故。

 

 

 さあ――前日譚(プリクォール)を廻そう。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「……何だと?」

《も、申し訳ありません旦那様!お止めいただくよう申し上げたのですが、聞き入れてもらえず……》

 

 

 黒鉄 厳がその連絡を受けたのは、自らの職場である国際魔導騎士連盟日本支部にて、いつもと同じように事務をこなしていた時だった。

 連絡の相手は厳が家を空けている間の諸事を任せている人物であり、それ自体は然して驚くべきことではなかった。

 

 問題は、彼が語った内容――他ならない厳の長男である統真が、末弟・一輝を連れ出したという報せだった。

 

 

「………分かった。後は私が対処するので捨て置くように」

《よろしいのですか?門弟の方なりに命じて連れ戻した方が――》

 

 

 見す見す手を拱いたという後ろめたさからか、はたまた失態を挽回したいという気持ちからか、電話の相手はそう食い下がってくる。自分がやるのでなく他力本願なのが滑稽だが、少なくともその言葉に厳が嗤うことはなかった。

 そんな心の余裕がなかったからだ。

 

 

「お前は『家の長男が門弟を斬殺した』という問題を起こさせたいのか?」

《!? ま、まさか。いくら統真様とはいえ、こんなことで人を殺すなどと……》

「…………」

 

 

 なるほど、そう言えばこの男はあれ(統真)とそこまで関わっていないのだったか――そう思い出し、厳は溜息を吐かずにはいられなかった。それを聞いた相手が厳の機嫌を損ねたかと怯える気配を示したが、厳にそれを一々取り合ってやる余裕などない。

 

 現黒鉄家当主・黒鉄 厳が長子・黒鉄 統真。厳がまだ若かりし頃に血気に逸って犯した一度の過ちが、彼の与り知らぬ所で生じ育まれた落胤――早い話が正妻ではなく妾腹の子供という、決して外聞のいい身の上ではなく、本来なら黒鉄の家を揺るがしてまで厳が己が子供として認めるなど在り得ない存在。

 しかしその身に宿す、伐刀者の名門たる黒鉄家はおろか、世界基準で見ても他の追従を許さない隔絶した才能故に受け入れられた、稀代の逸材。

 

 そして同時に――出会って以来のこの六年間、誰よりも何よりも、黒鉄 厳を悩ませ苦しませている存在でもあった。

 

 黒鉄 統真という人間は、彼自身が進むと決めた道に誰彼かが立ちはだかるのなら、例えそれがどんな瑣事だろうと相手が誰だろうと、尽く捻じ伏せ粉砕し突き進むだろう。

 そこに統真は常に己の命を賭ける。相手が大多数であれ少数であれ、誰かを押し退けて意志を通すというのならそこに覚悟と責任は必須であり、ならば例え命を落とそうと当然のこと。そしてなればこそ、立ちはだかるものもその意図がどうであれ、命を賭すべきだろう――と。

 そこに、容赦や躊躇などありはしない。善くも悪くも誠心誠意、全身全霊全力全勢――殺す覚悟があるのだから殺されても不服はなく、また殺される覚悟があるのだから殺すことも戸惑わないのだ、と。

 

 

 ――そう独白している内に、電話越しに相手を待たせているということも忘れ、いつの間にか厳は一人回想に耽っていた。

 

 

 

 

 我の強い子供だ――最初はそう思った。

 六年前に亡くなったと言う母親は、厳の記憶にある限りでは芯の強さこそ並大抵ではなかったものの、基本的には温和で人当たりのよい器量良しだったはずだが、その辺りは忠実に遺伝した訳ではなかったらしい。

 万に一つも別の誰かに養子として引き取られたり、罷り間違って解放軍(リベリオン)などに攫われてはと真っ先に駆けつけた(父親)を、まるで見極めんと言わんばかりに真っ直ぐ見つめてくる双眸は、そこに強烈な自我が宿っていることを嫌でも厳に理解させた。

 しかしそれも、Aランクオーバーの魔力という才能と併せて考えれば十二分に許容範囲であり、それこそこれから教育して矯正すればいい。

 次期当主か、あるいは黒鉄家に――そして普く秩序に忠実な()として。

 

 ――そう、思っていた。

 そしてその幻想(思い上がり)は程なくして、容易く打ち壊された。

 

 最初こそ始めて振るう力に戸惑いの気配もあったが、それもほんの一時のこと。瞬く間に知識を覚え、取り込み、莫大な魔力を制御するに至った。

 剣の腕はそれ以上――否、剣だけではない。強いて言うなら当人の嗜好なのか剣や肉体の鍛錬に重きを置く傾向はあったが、その才能は全方位に向けられた。どんな分野であれ教えれば覚えて忘れず、初見で理解に及べないものは徹底して追及することで身に着け、己のものとする。

 

 しかし何よりも凄まじいのは、そこに取り組む統真という人間の気構えと精神――『努力』を尊ぶ彼の在り方だった。

 

 人間(可能性)には限界(果て)が在る。

 『努力に限りはない』というが、『努力を行う人間』自体には歴とした限界があるのだ。全てを得られないのだから、得意なもの・好きなもの・価値あるものを選定し、集中的に鍛える。それがセオリーだ。

 言い方は悪いが、しかし事実としてそうしたもの以外は自ずと蔑ろになり、場合によっては不要と斬り捨てられもする。良くてある一定水準を保つのが限界だ。

 

 ところが、黒鉄 統真という人間にそれは当て嵌まらなかった。

 

 努力、努力、努力、努力――努力に次ぐ努力、鍛錬に次ぐ鍛錬、研鑽に次ぐ研鑽。

 途轍もないとか、人一倍とか、そんな生易しいレベルのものではない。傍から見れば気が狂っているか、己を責め苛むのに快楽を覚えているのではないかと疑いすらしてしまいそうな――否、それですら物足りない、常軌を逸した自己鍛錬。

 しかもそれは、誰かにどうこう指図されて行っているものではなく、どこまでも統真という人間が自らに『当たり前』として課したものだった。

 

 努力を目的に達する為の手段や経過とするのではなく、努力そのものを目的の一環としていたのである。

 まるで、『人間が努力するのは当たり前だ』と言わんばかりに。

 

 彼に剣や技を教える黒鉄家ご用達や、厳自身が教育係として招聘した者達ですら呆れ、目を剥き、驚愕するようなそれは、当然父親たる厳の耳にも届いた。

 だから、厳は統真に言いつけたのだ。不要なことまで努力することはない。そんなもの(不要なもの)は斬り捨てて、もっと有意義なもの()を伸ばせ、と。

 

 それは、厳なりの気遣いだった。統真が凄まじい才能の持ち主であることは既に理解しているが、それでも彼が行っている努力は、親である彼をして――否、親であるからこそ、思いがけぬ夭折を危惧させた。

 

 しかし、そんな()に、統真(息子)は――――

 

 

『何を戯けた事をほざいている、努力に不要も何もあるものか。俺が学び得たものを廃れさせず伸ばし続けるのは当然のことだ。

 そもそも――何故俺がお前(・・)の指図など受けねばならん』

 

 

 ――思えばその言葉を聞いた時、その時点で黒鉄 厳は無意識で理解していたのかも知れない。

 これ(黒鉄 統真)を自分達の意の下で動かすなど不可能だ、と。

 

 言いつけをにべもなく正面から撥ねつけられたこと、息子から『お前』呼ばわりされたこと。当時はまだ人間としても親としても若かったということもあり、そのいずれにも怒りを覚えた厳は、力尽くでも従わせようとして――できなかった。

 

 躾を兼ねてその顔を張り飛ばそうと振り上げた右手は、厳が統真の目を見た時点で動かなくなった。

 否、腕だけではない。全身が強張り、怒りに染まっていたはずの顔は驚愕と畏怖に塗り潰されていた。

 

 振り上げられ、今正に自身を張り飛ばさんとする父の姿を、怯えでも怒りでもなく、どこまでも厳粛な様子で見上げている。その表情は子供ながら既に精悍と呼べる力強い様相を呈しており、双眸は何者にも侵されない水面の如く静まっていながらも烈しい光を宿している。

 それら全てが、父である厳に向けられていた。そして語っていた。

 

 

 ――さあ、お前の気概を見せてくれ。父親としての矜持があるだろう、先達としての自負がある

   だろう、男としての意地があるだろう。自身の生の半分も生きていない小童、ましてや息子

   にやり方を真っ向から否定され、親としての尊敬すら向けられずにいて黙っているのか?

 ――違うだろう。そんなものが親であるはずが、男であるはずが、人間であるはずがない。規範

   がどうあれ、お前にとってそれが間違いなら正すべきだ。糾そうとすべきだ(・・・・・・・・)

 ――無論、俺には俺の矜持も自負も意地もある。真っ向から立ち向かわせてもらうし、負けるつ

   もりもない。だが、それ(・・)これ(・・)とは別問題だ。

 ――ああ、これは押し付けだ。こうあるべきだなどと決め付けるべきではない。俺自身、そんな

   ものは嫌いだ。だが、それでも求めずにはいられない。

 ――あぁどうか示してくれ。その矜持を。その自負を。その意地を。こんなものではない、この

   程度ではないと、己の限界に行き着き、そしてそれを見事に超えて魅せてくれ。

 ――であるならば父よ。俺は何ら憚りなく、貴方(・・)を心から尊敬しよう。いや、どうか尊敬させて(・・・)

   くれ(・・)

 ――貴方(・・)が尊ぶそれ(・・)に、(じゅん)じてみせてくれ。

 

 

 無論、統真がそれを直接語った訳ではなく、全ては厳の憶測に過ぎない。しかし黒鉄 統真がその時そういう気持ちを、気概を抱いていたのだということを、厳は今でもなお確信できる。

 大人びた子供であるというのは噂などから知り及んでいたが、その日、黒鉄 統真という人間の真髄に触れた厳は、改めて身を以て理解した。その精神は断じて子供の、人間のそれなどではないのだと。

 

 そしてその総ては、黒鉄 厳のそれまでの人生――否、恐らく今後の生においても、それ以上のものはないであろうと思える程の屈辱と畏怖を抱かせた。

 

 その目が、気迫が、存在が物語る超熱量の『想い』にも――そして、一度も口にしたことの無い己の『深窓』を、幼い息子に見抜かれていたことに。

 

 ――結局、(父親)統真(息子)を殴ることは叶わなかった。

 例え厳の手が折れるまで殴り続けようと、これ(統真)は決して己を屈せず曲げないのだと、分かってしまったから。

 少なくともこの時の厳に、彼の目の前に立つ怪物(息子)に挑めるような強さ(覚悟)は、まだ無かった。

 

 理由(才能)なくしては努力できず、また努力(息子)を認めることも出来なかった父親と。

 理由(才能)があろうとなかろうと努力し、そして諦めなかった努力()を肯定した兄。

 

 どちらが己を貫けるかなど当の昔に示され、そして今尚示され続けている。

 

 ――そして回想の最後に厳が思い浮かべたのは、あの時、振り上げた手を戦慄かせつつも結局何も出来ずに降ろした時、息子(統真)が向けていたであろう、失望と落胆の視線だった。

 終ぞ目を合わせられず、話は終わりとばかりに統真もさっさと背を向けてその場から去ってしまった為に確認の術はなかったが、それでも、その気配だけは嫌と言うほどに感じられた。

 

 それは、今もなお――――

 

 

 

《――――んな様……旦那様!?》

「ッ……!」

 

 

 回想と独白の海に沈んでいた思考は、彼を呼ぶ者の配下の声で現実に引き戻された。

 

 

《どうかなされましたか?やはり……》

「……いや、なんでもない。先程言ったように下手な手出しはするな。いいな」

《……畏まりました》

 

 

 しぶしぶ、という様子ながら相手は厳の命令を受諾し、それを以て通話は終わった。

 

 それにより、室内を快適にするための空調の音以外は音が消え、静まり返った自らの事務室で黒鉄 厳は一人黙考する。

 

 言うまでも無く、息子たる統真の件。そして彼が連れ出した末の男子・一輝の件。

 

 才能に満ちた者と才能持たざる者、本来ならここまで対極な存在も珍しい。ともすれば片や相手を見下し、片や相手を恐れるか嫉妬し、自ずと互いに忌避し遠ざかることもあり得るだろう。

 実際そうだったかも知れない。もし一輝が自身の不遇をただ嘆き、父の言葉通り全てを諦めて努力しようとすらしていなかったならば、統真は彼に手を差し伸べないどころか、黒鉄 一輝という存在すら(・・・・)認識しなかったことだろう。

 

 統真がそういう人間であることは、不本意ながら厳もこれまで嫌と言う程に思い知らされている。

 つまりは、厳が「何もするな」と言いつけたはずの一輝はそれに従わず、統真を引き寄せる程の『努力』をしたということだ。

 それを、鶏が先にせよ卵が先にせよ、統真に見出された。

 

 理由や度合いこそ真逆ではあるが、この二人を手に負いかねている厳としては、その事実にこの上なく頭を痛めるしかなかった。いっそ一輝を屋敷の外に連れ出していれば良かったかとすら考える。

 親としては下劣この上ない思考ではあったが、元より、そして統真という存在にその注意の多くを割かれている彼にそれを自覚する余裕はなかった。

 

 ――そんな中で、ほんの一瞬だが思ってしまう。

 

 もし、あの凄まじい才能を持ちながら不断の努力を続ける(統真)に対し。

 あの、最底辺の才能しか持って生れなかった(一輝)が、そこに並び得ることを、本当に『努力』だけで成し遂げたらば。

 

 それは――――

 

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 

 そんな、彼にしてみれば気の迷いでしかない考えを完全に頭から消し去り、取り敢えずは処理すべき事務仕事に戻った。

 

 

 ――果たしてこの時、黒鉄 厳が考えを切り捨てたのは、本当に考えるにも値しない馬鹿げたことだと思ったからか。

 ――それとも、それが成された時、己の信じているもの(秩序)が否定されることを恐れたからなのか。

 

 答えは恐らく、当人にすら分からないことだろう。

 例え白日に晒された明々白々な事柄も、見ようとしない者には見えない。

 可能性(一輝)を見ようとすらしない彼に、それが分かる道理など、ありはしないのだから。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 黒鉄 一輝は、恐らくこれまでの人生で一番の緊張を体験していた。

 

 彼がいるのは、黒鉄家の敷地内にある統真の住まいだった。

 父親である厳を始めとした黒鉄家とはその在り方故に反目している彼は、黒鉄本邸を出て古い離れを自力で修繕、以後はそこで一人暮らしていた。

 一輝がこれまで統真と直接会うことが無かったのも、その為だったと言える。

 

 

「適当に寛いでいろ。茶を淹れてくる」

「あ、あの、お気遣い無く……」

 

 

 そう言って、一輝をここに連れて来た張本人である統真は台所らしき場所へと入っていった。

 残された一輝は勧められた卓袱台の座布団席に座り、室内を見回す。

 古かったものを修繕したと言うだけあって古臭さはあったが、しかし住み辛さは感じられない。修繕の痕跡は見受けられるがそこに違和感はなく、丁寧に整われたことが見受けられた。

 

 家財は統真の人柄を表すように、必要最低限のものしかない――ということはなかった。テレビやエアコン・扇風機などはまだ分かるが、所々に見受けられる置物や飾り物は、そんなに派手という訳ではないが、それでも統真というストイックな人間にはそぐわない代物に感じられた。

 家での扱い上、あまりそう言った物に縁の無かった一輝はしげしげとそれらを見眺め――――

 

 

「それは世話役の者が勝手に置いていったものだ。邪魔ではなし、勝手に捨てると喚かれるのでな。好きにさせている」

「わぁっ!?」

 

 

 いつの間にか台所から戻っていた統真に一輝が驚いて思わず声を上げるが、当の統真は全く意に介さず一輝と向き合う形で座布団に座り、手に持っていた盆のお茶入りの茶碗を一輝の前に置いた。彼自身の分の茶碗も置かれる。

 

 

「あ、ありがとうございます」

「うむ」

 

 

 感謝を述べる一輝と、それを淡々と受ける統真。

 運んできた茶を静かに飲む統真に対し、一輝も出された茶を一口、二口と含む。

 その間、沈黙が室内を支配した。

 

 

(うぅ……どうしよう)

 

 

 重苦しいわけではないが、しかし何を切り出せば良いかも分からず、ちびちびと茶を飲むしかなかった。

 そうしていると、初めて訪れた場所にいるという不安も合わさり、一輝は不毛な思考の渦へと呑まれ始める。

 

 今更ではあるが、ここに来て良かったのだろうか。

 (統真)に自分を肯定してもらえたことがどうしようもなく嬉しくて、そのまま剣の教えまで請い、そして兄はそれを快諾してくれた。しかしそれは、家の誰からも認められず――二つ下の妹だけは随分と自分を慕ってくれているが――冷遇されている一輝を庇い立てすることにもなり、ともすれば他ならないその方針を決めた父との相対に繋がる。

 目の前にいる兄が黒鉄の大人達と決して仲の良くない間柄であることは、使用人の陰口などで一輝も知っている。そこに今回、兄が自分に剣を教えることで父との対立を深めたりすれば――――

 

 

「無用な心配だ、一輝」

「え……?」

 

 

 唐突にそう告げる兄に、一輝は思わず呆然となってしまう。

 いつの間にか俯いていた顔を上げて見ると、既に茶を飲み干した兄が、自分を肯定してくれた時と同じ強い意志の込められた瞳でこちらを直視していた。

 その視線に、まるで考えを見抜かれているような気持ちになってしまった。

 

 

「お前の知る通り、俺と親父殿――否、黒鉄という家を動かしている者達は決して良好な仲ではない。相対には至っていないつもりだが、あのような蒙昧共と迎合するなど俺自身論外と見做している。

 故に、そのことでお前が俺の身の上を案ずる必要は全く無い」

「……えっと……はい……」

 

 

 表情に出ていたのだろうか。それにしたって恐ろしく心の内を言い当ててくる。自分が分かり易いのか、兄が規格外なのか、はたまたその両方か。

 

 

「……でも、もし兄さんが――――」

 

 

 この家から追い出されでもしたら――そんな最悪の事態を思い浮かべてなお食い下がるが、やはり肝心の兄はと言うと。

 

 

「それこそ不要な心配だ。出て行けと言われれば俺もそれなりに学んだ身、どうとでも生きて生ける。無論、お前に剣を教えるのも変わらん。やりようはある。

 だがそうもなるまい。あの戯けた親父殿のこと、追い出そうにも俺の魔力ランクだの何だのに拘り、俺を自ら手放そうとはするまいよ。その内、家に戻ってきたら喚くぐらいはするだろうが、何、それこそ取るに足らん。

 己の意志を示し通すこともできん輩の言葉など蝿声(さばえ)にも悖る」

「…………えっと」

「お前は心配しなくていい、そういうことだ」

 

 

 相も変わらず難解な言葉遣いや言い回しのため、先程初めて顔を合わせた時のように勢いで意味を察しきることもできず首を傾げると、今度は極めて簡略に纏めてくれた。しかしそこまで簡略化されると、逆に不安になってしまうのだが。

 

 そしてそこで『父に何かを言われる』という部分を反芻し、不安がぶり返す。

 導かれてではあるものの自らの意志で歩を踏み出しここに来た一輝だが、それは別段、彼の心が段違いに強くなったということではなかった。

 

 この兄が何かを言われるのなら、自分もまた何かを言われるのは確実だ。

 やめるよう命じられるのは目に見えており、果たしてその時に自分は――――

 

 

「――恐れるな、とは言わん」

「え……?」

 

 

 再び負の思考の渦に呑まれようとしているところ、統真がそれを制するかのように厳かな声を響かせた。

 

 

「お前が自らの選択した行いに対して生じるであろう不都合や障害を憂い恐れること、理解も共感もしてはやれんが(・・・・・・)、察することはできる。そしてそれを無責任に恐れるな、などと宣うつもりはない。それはお前の、お前だけの感情だ。

 故に、俺がお前に言ってやれることはこれだけだ。

 ――案ずるな。お前が諦めない限り、俺はお前を見て肯定し続ける」

「ぁ……」

 

 

 一輝に一歩を踏み出させた言葉が再び、先程と何ら変わらない熱量で、しかし静かに語られる。

 彼の言葉に嘘偽りも、同情も憐憫もないことを、根拠など不要に一輝は理解できた。

 

 お前の恐怖は今それを感じているお前だけのもの。それは己には察するくらいしかできないものであり、ならば自分に出来るのは、そんな恐怖を抱くお前も、それを乗り越えようとするお前も肯定してやることだ――と。

 

 その言葉に再び胸が熱くなる。妹の珠雫から無条件に慕われるのとは全く違う、一種の感動だった。何というか――『認められている』という気持ちとでも言うべきだろうか。

 

 

「……ありがとう、兄さん」

「ああ」

 

 

 そこで再び言葉が途切れ沈黙が訪れるが、今回のそれに気まずさはなかった。

 自然で、落ち着いた空気が自然と一輝の精神も安定に導く。

 

 そうして一輝が落ち着いたのを見計らったのか、徐に統真が口を開いた。

 

 

「さて、落ち着いたところで話を始めるとしよう。

 先ず一輝。俺はお前に剣を教え、そしてお前は俺に教わる。これに異論は無いな?」

「うん。ぼくは兄さんから剣を教わりたい」

「次に、重ねての言葉になるが、俺とてまだ学ぶべきことの絶えない未熟の身だ。教えられることは教えるし全力を尽くすが、同時に他人に教えることに関しては試行錯誤にもなる。故に、その点では俺もお前と何ら変わらん(・・・・・・)。それでも、か?」

「うん」

 

 

 つい先程までの一輝では考えられない、落ち着いて堂々とした振る舞いだった。目の前にいる兄に中てられたのかも知れないし、あるいは、そんな兄に憧れて無意識に真似をしているのかも知れない。

 そんな一輝を見て、統真も静かに、しかし重く頷いた。

 

 

「――確かに聞き届けた。お前のその思いを断じて無下になどせん。俺の全身全霊を懸けてお前を鍛えよう」

「よろしくお願いします。……えっと、先生とかって呼んだ方がいいかな?」

「そうしたければそうしろ。だが俺に言わせれば不要だ。言った筈だぞ、俺もお前と変わらない、と」

「……うん、兄さん」

 

 

 結局、兄を師や先生と呼ぶことはなかった。そんな上辺のものは彼に対して意味は無く、何より統真を「兄」と呼ぶことが、一輝にとって何とも言えない『誇らしさ』を抱かせる。

 

 ――そうした中、ふと見た兄が何やら時間を気にしているのが一輝の目に入る。

 

 

「……さて、茶も飲んだところで本来なら早速鍛錬を始めたいところだが……そろそろあれ(・・)が戻ってくる頃合だ。もう少し待っていろ」

「……? だれか来るの?」

 

 

 聞いた話で兄が誰彼かと親しくしているという話は聞かない。なので一輝にはそれが、今日初めて兄と関わりを持った彼が言うのも妙な話だが、何とも新鮮なものに感じられた。

 一方問われた統真はと言うと、流石にそんな一輝の心境までは見抜けなかったのかそれとも見抜いて捨て置いたのか、そこに触れる事無く話を進める。

 

 

「ああ、先程言った――――」

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま戻りましたぁーーーーっ!」

 

 

 ……いや、進めようとした――のだが。

 

 

「いやー春にはなりましたけどまだまだ季節的には寒いですねぇ。炬燵仕舞ったのは早まったかも知れませんよ若様!まあ若様が炬燵で(ぬく)んでる姿なんて見たことないですけどね。あ、これお土産のお団子と饅頭です、美味しいですよ!

 そう言えばなんか玄関にもう一足子供の靴がありましたけど、もしかして王馬様が来られてるん、です、か……って……あれ?」

「………………」

「……えっと……はじめまして……」

 

 

 口を開き語ろうとした兄を、玄関と思わしき位置から元気いっぱいの挨拶で遮り、ドカドカという無遠慮な足音で一輝達のいる居間まで歩いてくる人物。

 それは、短い髪をポニーテールにした桜色の髪が印象的な、一輝を見て硬直している可愛らしい少女だった。

 

 その台風のように現れた少女の存在に、統真は静かに目を瞑って沈黙を保ち、そして一輝はどうすればいいか分からず、そんな無難な挨拶をするしかなかった。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「もう、弟君を連れてきたんなら連絡ぐらいくださいよ。びっくりしちゃったじゃないですか!」

「知らん。そもそも会ったのもここに連れて来たのも今さっきだ、報せる暇などないだろう」

 

 

 何とも騒がしい初邂逅から少しして。統真邸(?)の住人は件の騒ぎの元である桜の髪の少女も加えた三人となり、兄弟二人だけだった時の厳粛さは跡形も無く吹き飛んでいた。

 人が一人加わるだけでこうも場の雰囲気は変わるのかと、一輝少年が身を以て学んだ瞬間である。

 

 

「えっと……その……ごめんなさい、急に来てしまって」

「あぁいえいえ!一輝様が謝ることなんてありませんよ。悪いのはこのムッツリしているお兄さんの方なんですからね!」

「強いてどちらが悪いかと言われればそうであるのは否定せんが、そもそもそういう区別をする事柄なのか」

「何言ってるんですか!例え教えられたのが玄関先だったとしても、この離れに若様のお客、それも初対面の一輝様がいらっしゃっていると知っていたら回れ右してもっと色々買ってきましたよ!むしろ今夜はご馳走だと夕食の食材を買い揃えてましたよ!」

「あ、あの、お気遣い無く……」

 

 

 あの統真を相手にずけずけと言いたいことを言ってのける少女に内心驚嘆しつつ、親に見放されていようと学んだ礼儀正しさを失ってはいない一輝は、律儀にそう断りを入れる。

 

 

「とんでもない!私やご当主様の遣いの人以外がここに来るなんて初めてなんですから、これを歓迎せずしてどうしますか!

 ささ、一輝様はお気になさらず思いっきりお寛ぎください!それはもう踏ん反り返るくらいに威張って!」

「は、はあ……」

 

 

 何故主である統真より偉そうなのだろうか、この少女。家主にそういう言われたからとしてもそうそう他人の家で威張れるものではないというのに、突然乱入してきた第三者の勧めでできる訳ないだろうに。

 

 

「いやぁ、しかし可愛い!可愛いですね一輝様は!私もそこまで関わりがある訳ではありませんが王馬様はなんていうか、険があるのでちょっと合わないんですよね。

 それに比べて一輝様のこの初心な反応!あぁもう、お持ち帰りしたいですよ!」

「お、お持ち帰り……?」

「いい加減落ち着かんか阿呆」

「あいたぁっ!?」

 

 

 一人でどんどんヒートアップしていく少女の頭を(はた)いて暴走を止めた統真は、いよいよ放っては置けないと判断したのか自ら状況の打開に動いた。

 

 

「これは先程も言及した件の世話役だ。名を――――」

「いつつ……おっと、私としたことが自己紹介もせずに、大変失礼を致しました。

 日下部 桜(くさかべ さくら)と申します。紹介された通り、若様こと統真様のお世話役を務めさせて頂いている身です。

 今後ともよろしくお願いしますね、一輝様」

「は、はい。改めて、黒鉄 一輝です。よろしくお願いします……」

 

 

 ハチャメチャかと思いきや、自己紹介に当たってはしっかりとした振る舞いで、それこそある種の気品すら感じさせる姿に、思わず一輝も緩みかけた背筋をまた伸ばしてしまう。

 

 日下部 桜――その外見通りとしか言いようのない名前の少女こそ、この黒鉄家において統真の世話役を務め、その姿勢と存在感ゆえに誰も必要以上に近づかない黒鉄家長男の近くに身を置く、ただ一人の人物だった。

 その底抜けているとも言って良い明るい性格で、何故この統真の世話役が務まるのか。いや、あるいはそんな人物だからこそ務まっているのか。

 

 ――そんな彼女に対して、一輝はというと。

 黒鉄家での扱い故に、妹を除けば家族はおろか使用人にすら見下されてきた一輝にとって、憧れの兄に続いて彼の世話役である彼女からも、こんな好意的な――好意的過ぎて対応にも困るが――応対をしてもらえるとは思わず、すっかり恐縮してしまう。

 

 いや、恐縮というか――この、何とも朗らかで人懐っこい少女を前にすると、こそばゆいというか、面映いというか……

 

 そんな一輝が、これまで縁遠かったその感覚にどうしていいか分からず戸惑っていると、目敏く――一輝が分かり易かったというのもあるが――それを察した桜が食い付く。

 

 

「あれ、もしかして緊張してますか?そんな必要ありませんよ!どうぞ私のことは、お隣のお姉さん的な存在として頼ってください!あの若様が自らこの家に人を招き入れたのですから、これはもう記念日とするべき出来事なんですからおべっ!」

「この通り如何せん躁病の気があるが、根はしっかりしている。言動の煩わしさに目を瞑れば優秀だ」

「あ、あはは……」

 

 

 またも騒がしくなり始めた桜の頭を再び叩き強制停止させる統真。しかも今回は少し力を加えたらしく、桜は座布団の上で転がりながら悶絶している。

 さしもの一輝も、そんな目の前の状況に乾いた笑みを搾り出すしかなかった。

 

 誰が想像できよう。あの厳格で超人的な兄が、かしましい世話役の少女と漫談染みた遣り取りをしているのだ。一輝の中の統真像が壊れなかっただけマシだろう。

 ……もっとも、『そんな下らない物はとっとと壊してしまえ』と言いかねないのがその兄なのではあるが。

 

 

「もう、痛いじゃないですか!統真様、今力入れましたよね!? 割と本気で叩きましたよね!」

「騒ぎ立てるお前が悪い」

「じゃあ統真様が普段から人付き合いをちゃんとしてくださいよ!黒鉄家に来て早六年、私が統真様の世話役になって早三年!まともな人付き合いなんてしてるところ見たことがありませんよ!あるのは挑んでくる(王馬様)を容赦なく返り討ちにするバイオレンスな兄弟の触れ合いだけじゃないですか!」

「愚劣な思想しか抱かん戯けどもに(かかずら)う理由がどこにある。それにあれ(王馬)は挑んできたものに応じているだけだ。加減などすればそれこそ礼を失する」

 

 

 世話役()の苦言もなんのその、統真は話題に上がった者達ごとバッサリと斬り捨てる。

 

 

「うーわー、これですよこれ!そりゃあ私だってあんな人達(・・・・・)と心底仲良くやれなんて言いませんよ?でも周りに怖がられ過ぎて道行けばモーセ現象が起こるなんて悲惨すぎでしょう!」

「知らん。不服があるなら正面から言えば良い。俺はそうしている、ならば相手にもできるはずだ。ましてや本当に海を割れだの空から降る隕石を受け止めろと言っているのではないのだぞ」

「いや、確か前に海割りましたよね実際に」

「え゛」

「あの程度、鍛えれば誰にでもできる」

「いや、そうそういないですから、そんな人」

「お前達の鍛錬が足りんだけだ」

「貴方がし過ぎなんです!」

 

 

 桜の怒涛の苦言は続くが、統真もまた変わらず泰然としている。静かに桜が淹れた茶を飲んでいるくらいだ。

 そんな、とても主従のそれとは思えない明け透けな遣り取りに、それを今日初めて見せられた一輝はと言うと、完全に蚊帳の外で固まっている。

 ……というか、途中で何か不穏な発言が無かっただろうか。

 

 そう一輝が呆れていると、唐突に話の矛先が一輝にまで向けられる。

 勿論、桜によって。

 

 

「いいですか一輝様、こぉんな鉄面皮のムッツリになっちゃ駄目ですよ?男はちゃんと女性を丁寧に扱えないと駄目です!言論の自由を抑圧して人の頭をポカスカ叩くなんて論外あだぁっ!?」

「子供に何を吹き込んでいる」

「人として、男としての必須の事柄です!統真さんに一から十なんて任せたら、また一人無愛想ムッツリ努力厨が出来上がっちゃうじゃないですか!こんな可愛い子がそんな風になるなんて世界の大いなる損失です!」

「お前は何を言っている」

 

 

 混沌――という表現がこの状況には当て嵌まるだろう。表情自体は変わっていないがどこか呆れているような様子で従者()を抑える(統真)と、そんな誰からも恐れられている(統真)を相手に平然と突っかかる従者()。礼節もへったくれもあったものではない有様だった。

 

 ……だが、しかし――――

 

 

「……クスッ」

「む」

「お?」

 

 

 そんな、あまりにも平穏で日常的な様子に――――

 

 

「ご、ごめんなさ……プッ……アハッ……アハハ……!」

「……フン」

「……フフッ」

「アハハハ!」

「あーん、もう本当に可愛いですね一輝様は!」

「うわっぷ!? さ、桜さん!?」

「うーんこの抱き心地も何とも。遠目で見た妹君の珠雫様も小さくて柔らかそうでしたけど、一輝様もいい塩梅ですね。抱き枕にしたいくらいです。というかください」

「やらん。お前に渡そうものなら駄目になるのが目に見える」

 

 

 『日常の温もり』を知らずに育った黒鉄 一輝は――――

 

 

「うっわ。聞きましたか一輝様、この無愛想発言!ここは普通『俺の弟に手を出すな』くらいは言ってのけるべきでしょう!そんなんだとすぐに愛想尽かされますよ?」

「どうにもお前の発言には意味深なものを感じるのだが、そろそろ黙らせるか」

「きゃーおかされるー!一輝様助けてください今日はもう一人で寝れないから一緒に寝ましょう!」

「あ、あの、桜さん、はなして……」

「……ふぅ」

「に、兄さん、たすけて……」

「最初の修行だ。自力で何とかしてみせろ」

「えぇっ!?」

「ぐへへへ……さぁイッキさまー、せっかくですし先ずはお風呂にでも入りましょうかぁ。人間、距離を縮めるには裸の付き合いが一番です!お姉さんが隅から隅まで洗ってあげますからね~!

 統真様なんて、私が勇気出してバスタオル一丁で突入したら問答無用で桶叩きつけて放り出したんですから!おかげで風邪引いたんですよあの時は!」

「知るか」

「さあ行きましょう!お風呂はもうスタンバッてます!」

「だ、だれか、たすけてぇ~~~~っ!」

 

 

 ただ、流されるしかなかった。

 

 

 その胸中が、果たしてその叫び声のように、悲痛なものであったかどうかは、

 

 語るまでもないだろう。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――時は過ぎて、既に日が沈んで久しい、月明かりに照らされた真夜中。

 その月明かりの下に、黒鉄 統真はいた。

 

 彼がいるのは、先程までと変わらない彼の住まいである黒鉄家の離れであり、その縁側である。先程、一輝と桜を交えた乱痴気騒ぎの時までは身に纏っていた道場着も、彼の背丈に合うよう仕立てられた黒の着物に変わっている。統真の普段着の一つだった。

 

 あれから結局――桜という存在の加わりにより生じた混沌とした流れに抗い切れず、一輝は桜と仲良く風呂に入らされた。しかし幼いとはいえその辺りの情操概念は最低限あったらしく、性格は別として女性としては非常に整っている桜の肌を見せつけられた為に、見事に逆上(のぼ)せてしまうという始末。元凶である桜には、かつてと同様に桶による仕置きを下しておいた。

 その後、何とか回復した一輝と、一輝が回復する間、家にあるだけの食材を注ぎ込んで出来る限り豪勢な料理を作り上げた桜を交えた夕食を取り、一輝をひたすらに可愛がる桜が普段より一時間以上統真宅(?)に長居してから、黒鉄家の近くにある自宅へと帰っていった。

 最後まで、泊り込んで一輝を抱き枕にして寝るとか愛でるとか言っていたが、統真の容赦ない拳骨で轟沈し、玄関から放り出されたことで決着となった。

 

 その後、一輝はこの統真の離れでそのまま寝泊りすると言うことになり、まだ幼く就寝時間が早いことに加え、これまでにないご馳走を食べさせられた――誤字ではない。本当に桜に食べさせられまくった。具体的には「アーン」で――ことや、今日一日でその身に起こった怒涛の出来事から、体を酷使した訳でもないのに泥のように眠ってしまっていた。

 

 ――そんな一連の騒動を思い返してから、ふと、思う。恐らくここまで騒がしかった日は、今日が初めだろうと。

 一輝にとってもそうだろうが、何より統真自身にとっても。

 

 

「……ふん」

 

 

 ――常に全力を尽くし、努力と鍛錬と研鑽を弛まず続けること。

 それが、黒鉄 統真という人間の定めた、己の在り方である。それは、今更に振り返るまでもなく彼という存在そのものに刻印されている。その在り方はこれからも変わらないし、変えさせはしない(・・・・・・・・)

 それに(じゅん)じていけば、自ずとそれ以外の事柄――それこそ、今日の出来事などに(かかずら)っている暇などなくなる。努力に、人の可能性に限界など無いのだから、どれ程に時間を設けても、どれ程に鍛錬を増やそうと全く足りない(・・・・・・)

 

 

 しかし同時に――今日、己自身が一員として巻き込まれたあの日常が、決して悪いものでもなかったとも、思えた。

 

 

 元より、統真はああした日常そのものを否定している訳ではない。自ら実感は出来ないが、尊く愛おしきものだろう、守っていくべきものだろうとは思えた。例えば、生前の母が何気ない日々において常に微笑んでいたように。

 統真が忌むのは、そんな日常にただ浸って、次に進むこともその日常を守るために努力することすらも忘失していく輩なのだ。

 

 ただ、それでも――自身があの場所に相応しい人間とは、思えなかった。

 

 魔力に目覚め、伐刀者としての道を進んだ時点で、統真の人生には常に潜在的に『闘争』が付属するようになった。ある意味でそれ以前までの人生も統真自身にとっては戦いだったが、明確に誰かと対峙し競争するようになったのは、彼が伐刀者となってからだ。

 

 それに否やなど無かった――むしろ、恐ろしいまでに肌に合った。

 武器を取り、あるいは鍛えた手足を武器とし、同じ人間同士がぶつかって闘志を燃やして肉体と精神を削り、同時に更なる高みへと鍛え上げる――それはある意味で、統真の在り方に最も適した環境だった。

 健常なる精神は健常なる肉体に宿る――なれば、肉体を鍛えることは、必ずではないにせよ、より清廉で健常な精神の育みに貢献するはずだ、と。

 ……残念ながら多くの人間の精神は、いかに知性が高くともまだ幼く人世の道理を知り得ていなかった彼の思っている以上に惰弱であり、その肉体は脆弱であったのであるが。

 

 心身の鍛錬――日を増すごとに統真はより深くのめり込んでいき、程なくして、そこに世間一般で言う『日常』は無くなっていた。

 

 妥協しより強い力と権威に屈服する蒙昧達と交わることは無く。

 自らの遵ずる理想への道先にありもしない限界を作ってしまっている父や、そんな父の意図を履き違え、それに恭順する一族と迎合することは無く。

 

 ――彼は『孤独』ではない『孤高』に至ることとなった。

 

 救いがないのは、本人がそれをこれほども苦にしないこと。彼にしてみれば関わりたくなく、関わるに値しないからこそ交わらないだけであり、そこに孤独などと言うものはない。それどころか、何がしかの下心や半端な心で近づこうものなら、それこそ統真の逆鱗に触れ駆逐されることだろう。

 

 

 そんな彼の『孤高』に亀裂が入ったとすれば、それはきっと日下部 桜――あの、名前(日の下の桜)を体現したような少女の出現だろう。

 

 

 

『はじめまして、日下部 桜と申します!御爺様(・・・)と黒鉄家ご当主様から、若様――統真様のお世話役を仰せつかりました。よろしくお願いします!』

 

 

 

 統真にとって曽祖父にあたる『英雄』、その戦友である人物が、戦友の曾孫である人物の噂を聞いて心配したのか、現当主に直に申し入れて世話役として送り込んだ、彼の曾孫。

 思えばその瞬間からあの少女は、統真の『日常』の一部になろうとしていたのかも知れない。

 

 統真にとっても、日下部 桜と言う存在は、決して不快でも目障りでもなかった。お人好しに過ぎてお節介焼きなことには少々煩わされることも多々あるが、それ以上に、彼女と言う人間の人柄と、彼女もまた努力を弛まない人間である点は、統真に好感すら抱かせる――総じてプラスマイナスゼロの感は否めないが――。

 

 しかしそれでも、毎日のように統真の離れに通い詰める世話役の従者が彼の『日常』になることは無かった。

 明確な理由は無い。強いて言うなら――『想い(渇望)の方向性と強度』とでも言うべきだろうか。

 最も、強いて言えばであり、統真自身も正確なところを自覚できてはいない――こういう部分だけはこれまでの努力でも改善には至っておらず、彼が自身を『未熟者』と認識させる所以の一端となっていたりする――。

 

 そんな統真の『日常』に寄り添いつつも、その『日常』にはなれなかった少女。

 ――そこに、一つの(可能性)が差し込んだことで、その停滞は瓦解した。

 

 その結果(日常)こそ、今日の風景であるというのならば――――

 

 

「――悪くはない、か」

 

 

 そんなあるかなしかの呟きと共に、遥か天に頂く月を見上げる。

 満月とはいえない、未だ欠けた月を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そんな己を見つめる視線を無視して。

 




※作中にある表現『知ら示られた』は第一話の『知ら示る』と同様、『知らしめられた』と『示された』を組み合わせた造語です。実存する表現ではありません。
※一話同様、黒鉄 厳の人物描写に関する表現を変更しました。ただ統真の厳に関する人物評価は誤差範囲なので変わりは無く、現時点での彼の行動を作者なりに総評した結果、指摘された点以外の変更は不要と判断し現状維持としています。
 既読の皆様並びに新たにお読みいただいた方々にご迷惑をお掛けします。


 そういう訳でオリキャラ投入。

■日下部 桜(くさかべ さくら)
▼ヒロインと言う訳ではありません、多分(ぇ ハードな努力厨の統真兄さんだけじゃ流石に間が持たなゲフンゲフン、もとい一輝が可哀想ということで、お姉さんを投入しました。
▼再現できているかは疑問ですが、キャラモチーフはDies iraeのベアトリスと香澄を混ぜたような性格です。ワン子にワン子入れてどうすんだとも思いましたが(ヲイ)、戦士としての気構えを持つベアトリスと日常の象徴としての香澄を足した感じです。かわしまりのさん万歳。バカ娘感が似てればいいのですが;
 なお外見ですが、基本的にベアトリスですけどFateシリーズの桜セイバーも加わってます。桜色の髪とかはそこですね。しかし髪の毛が桜色で桜とか安直過ぎだろ……OTL
▼ランクBの秀才、けれど努力家。統真の目には留まるほどには努力家で誠実です。まあバカ娘要素のせいでプラマイゼロという(ヲイ バトルスタイルもベアトリスと桜セイバーの複合、スピード勝負と言う感じです。
▼統真や一輝の曽祖父、つまりサムライ・リョーマの戦友である日下部某(まだ未定)の曾孫で、その戦友さんが統真の孤立気味という話を聞き、曾孫の修行も兼ねて統真の世話役に推します。薦められた厳パパは英雄の友人と言うこともあり断れず、また統真に胃も頭も絶賛悩まされていたので内心では縋るように受けました。
 なんで意外に桜さんの印象はよかったりします。桜さんは正常な価値観の持ち主なので悪印象抱いてますが。
▼お姉さんキャラ、一輝にとっても統真にとっても。現在15歳、統真よりも二つ年上なので、一応年上ぶってます。実際人間関係方面では彼女の方が上手くやれますが。
▼本文中の内容の通り、統真と仲を深めるべく(非恋愛)バスタオル一丁で風呂場に突入したバカ(ヲイ。そして桶アタックで一発ダウンしました。ちなみにこの時、思いっきり裸を見られてたりしますが、統真だから全く関心なし。


 今のところはこういう感じです。

 さて、改めまして短編第二話をお送りしました。今回は厳パパと兄弟とオリキャラと日常の話となります。
▼父の苦悩
 厳パパの独白や過去部分は、時系列が原作以前であると同時に、統真という本来いないはずの超存在の介在ゆえに原作とは多かれ少なかれ変容していますので、最新刊までの内容で「これ違うんじゃない?」という部分はご容赦を;作者も出来るだけ早く(時間と金を作って)原作を読破できるよう頑張ります……がんばり……ます……はい……
▼努力バカ(現在)+努力バカ(将来)+バカ娘
 前回が終始シリアスだったので、今回は真ん中にオリキャラ投入と同時にコミカルな日常面を入れてみました。気に入って頂けたのなら幸いです。
▼統真の『日常』
 またも統真の内面うんちく。Diesっぽいのを目指してけど全然コレジャナイOTL
 まあ一応、もう一人の主人公である統真の内面を掘り下げるのが目的でした。

 いやー、長い一日だったナ(遠い目 計30000字、短編二話分使ってようやく一日が終了とわ;短編ってなんだっけ;

 次回がいつになるか、それともまたテンションあがって早く書けるのかは疑問ですが、ゆっくりとお待ちください。それでは。


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邂逅篇 Ⅲ:強さと 弱さと 己と  序

 一輝視点なので仕方ないとは思うんですが、オリキャラ賛美が強すぎて恥ずかしいですね。自画自賛もいいところ;今後、その期待に見合う言動をさせられるのか。そしてなんで作者はこうも自分でハードルを上げようとするのかOTL

 あとはなんというか、やたらとチビ一輝をショタ化させてしまった感がありますね。いや、この作品はBLじゃないですよ?そういう設定のキャラはともかく。

 今回の話は複数話に分けて展開されます。それではどうぞ


 凡そ人がその内に描く事柄において、真に同じと言えるものは一つたりとも存在し得ない。

 

 例えば、どれ程に愛し合う者達であろうと互いが互いに向ける愛はその形も度合いも、どれ程に互いに通じ合っていても少なからずの差異がある。

 例え生まれを同じくし生涯の苦楽を共にした双子だろうと、その内に抱く思いには違いがある。

 

 それは何ら特殊なことではない。至極当然で当たり前の事柄。人と人が違うのは当然のこと。

 

 しかし例えば――ある人間が、その人間の尊敬する者の思想や意思・在り方を自らのものにしようとすれば、『その者』自身になろうとすれば、どうなるだろう。

 答えは簡単、元の人間(オリジナル)が壊れるしかない。それとて、そこに上書きがされるという訳でもなく、元も子もなくなり、よくて成り損ないの歪な残骸が残るだけ。

 ()しんば、その尊敬する者と近しくあり、その生き方を薫陶されていたというのなら、『継ぐ』ことはできるだろう。だがそれは『引き継いだ』に過ぎず『その者になった』ことにはならない。

 

 そう、人は誰しもが『誰か』になどなれはしない。人はみな等しく『己』になるしかないのだ。どれ程に真似て似通わせたところで、それは『他人に似せた己』でしかない。

 

 

 ここで、ある兄弟の話を例に挙げよう。そう、諸君には今や既知たる、この前日譚の主役である彼らだ。

 

 ――生まれ持つ(肉体)を鍛え、更なる力(魔力)に至り、それもまた己がものとして振るうことに努力を絶やさない、生まれながらの英雄。

 ――誇るべき血筋の家において無能の烙印を押され、そんな奈落から光を渇望してもがく、英雄()に焦がれる凡人。

 

 彼らはいずれもが努力を為している。しかし、果たしてその努力は『同じ』ものか?

 答えは否。言うまでもない。

 

 ――生まれながらに強大であるが故に明確に目標とすべきものはなく、しかしそれでも『己が定めた己』を目指して日々邁進する兄。

 ――力劣り才持たざるが故にそんな兄に焦がれ、その背中を追い駆け、『兄のようになれる己』を渇求する弟。

 

 その境遇も、渇望もあまりに違う。歩んでいく道程が重なることはあれども、二人が見るモノは天地に等しい差を持つのだから。

 

 遍く人がそれぞれの『己』にしかなれないように、彼の兄と弟も、各々が『努力()』を成すしかない。

 それに気づけず、誤った(努力)を進んだならば――果たして、先にあるのは至高の境地か、それとも無明の奈落か。

 

 

 ――さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――何もできないお前は、何もするな。

 

 

 ――今でも、嫌なほど鮮明に思い出せてしまう。

 黒鉄 一輝が五歳の誕生日を迎えたあの日、父である黒鉄 厳が彼に言い放った言葉。愛情はもとより嫌悪も侮蔑も、凡そ感情らしい感情が込められていない、だからこそ余計に冷たく、幼い一輝の心を穿った一言。

 

 理由は単純。彼の血を引き黒鉄本家の家に名を連ねている筈の一輝には、あろうことか伐刀者として最低限の才能しか存在しなかったから。

 単純魔力量にしてF――それは、例えそれ以外の評価項目を鑑みても凡そ絶望的と言っていい、落伍の烙印。彼がいっそ魔力を生まれ持たなかった全くの凡夫であったならば「伐刀者たる運命に無かった」と度外視も出来たが、どんな運命であれ『Fランク相当』の運命を背負ってしまっている一輝には、否応無くその評価が与えられるようになった。

 

 そんな、例え『最低の運命』であろうと受け入れ、その上で努力し乗り越えようとした幼い彼を待ち受けていたのが、父のあの言葉であり、その瞬間から始まった冷遇の日々だった。

 

 余計なことをしない限りは干渉されないが、同時に顧みても貰えない、『いない者』としての扱い。暴力による虐待がよかったなどとは思わないが、存在そのものを否定されるかのような扱いでもまだマシと思えるほど、一輝は世の中に対して肯定的にはなれなかった。

 黒鉄 一輝は、どこにでもいる人並みの優しさを持つ子供だが、同時に人並みの苦しみも悲しみも悔しさも感じられる普通の人間なのだ。

 それでも耐えられたのは、そんな一輝の境遇など知る由のない、知らせることなどできよう筈もない無垢な妹・珠雫が無邪気に自分を慕ってくれていたことと、一輝に一輝なりの意地があったからなのかも知れない。

 

 諦めてしまおう――そういう気持ちが無かった訳ではない。いや事実、一度は折れた。

 元日、黒鉄の者達が本家に集い催す祝いの場。しかしそこに零能たる者の席などあろうはずも無く、一輝はご丁寧にも外から鍵を掛けられるようにした部屋に閉じ込められた。

 使用人に、今日一日はこの部屋から出ないようにとの父親の言いつけを聞かされ、いよいよ軋みを上げていた一輝の心は折れた。

 

 ――もういい、ここからいなくなってしまおう。

 

 それでもと踏ん張っていた意地も、妹から向けられていた親愛の情も、最早その挫折を押し止めるには及べなかった。

 情けない、惰弱だ――そう口で詰るのは簡単だが、超人でも何でもない、最低限の魔力以外は正しく凡庸な子供である一輝に、それでもなお己を貫くことを求めるのは傲慢であり、無知である。

 信ずるべきところを持たない、ましてや殆どの子供にとって本来は最も信頼でき信用するべき『親』こそが彼をこの奈落へ叩き墜した張本人なのだから、希望など持てようはずが無い。親や家を、世界の総てを憎むようにならなかっただけ、彼は十二分に清い精神の持ち主と讃えるべきだろう――あるいは、もうそんなことを考える気概もないのか。

 

 そうして、黒鉄 一輝は黒鉄の家から離れた。

 

 季節は真冬、雪の降る寒空の裏山を彷徨い歩く一輝だが、その胸中に目指す先などありはしなかった。むしろ、このまま冬空の中を彷徨い続けて死んでしまおうかとも、白痴がかった漠然とした思考で考えたほどである。

 

 

 

 ――そんな彼の意識が『それ』を見出したのは、純然たる偶然か、それとも彼の『最低の運命』が引き寄せた必然か、はたまたどこぞの皮肉な神仏の意図した悪戯か。

 

 

 

 先ず捉えたのは、何かが鋭く風を斬る音と、それに合わせて放たれる気合。落伍者であろうと伐刀者の家に生れた一輝にとって、それはすぐ見当をつけられる程には聞きなれた音だった。

 ――武器、それも恐らく剣か刀を振るう音。つまり、一輝のいるその場所の近くで誰かが素振りか何かをしているということだろう。この、雪が降り積もっている状況下で。

 

 その音を辿って音源を一輝が探し始めたのは気紛れ、という言葉が最も適しているだろう。もしくは、どうせ死ぬのなら最後に剣の練習姿でも見納めようか、という自虐的な想いだったのかも知れない。

 いずれにせよ、風斬り音も気合の声もそれなりによく聞こえるのだから距離はそう遠くないはずで――もちろん当時の半ば朦朧とした意識の一輝にそれを推測する思考はほとんど無かったのだが――、ともすれば一輝は、生者の音に引き寄せられる亡者か光に誘われた蛾のように、フラフラとその場所を目指して歩き出した。

 

 歩いて行けば行く程、音は大きくなり、更に距離が縮まったことで、竹刀の振るわれる音もそれを為す誰かの気迫も、とても鋭く澄んでいると感じられた。それこそ、朦朧としていた一輝に、曲がりなりにも黒鉄の家(伐刀者)に生れた者としての感覚を取り戻させる程に。

 

 そうして音を辿り行き着いたのは、一輝の記憶の中にも朧気に残っている場所。まだ今のような境遇になる以前、偶に裏山を散策している時に見つけた空き地だった。使われているところを見たことは無いが、恐らくこの裏山での鍛錬などに使われていたのだろう。

 

 あの時はこんな風になるなんて想像していなかったな――そんな回想をしてしまい辛さがぶり返す一輝だが、『それ』を目にしたことでそうした有象無象の事象は、忘却の彼方へと消失した。

 

 

 ――それは、黒鉄 一輝が見た一つの『完全』だった。

 

 そこにいたのは一人の少年。一輝の倍はあるであろう外見の、しかしその歳には相応しからぬ厳かな顔と全身から滲ませている気迫を見出させる男子だった。

 今から思えばその顔は一輝や王馬、そして二人の父である厳に通じる風貌だったが、少なくともその時点の一輝に、そんなこと(・・・・・)を気にする余裕は無かった。

 

 一輝の想像通り、その少年がその無人の空き地の一角でただ一人、この雪降る寒空の下にて、機能性を重視して基本的な防寒性しか期待できそうに無いトレーニング向きの衣服で素振りをしていた。

 いや、それだけなら「熱心な人もいるなあ」と感心するくらいだったろう。あるいは彼も伐刀者か何かと勘繰り、ああやって何かに打ち込めていることを羨んだりはしたかも知れない。

 

 しかし、『それ』を前にそんな雑多な思考は浮かび得なかった。

 

 

 ――改めて、黒鉄 一輝は『それ』に、彼の人生で初めてと言っていい『完全』を見た。

 少なくとも、彼にとってはそうだった。

 

 

 ただの素振り。恐らく当人にとってはそうだろう。一振り一振りは何ら代わり映えの無い単調で単純なもの、出来て当たり前以前の基本動作でしかないかも知れない。

 しかしそこには、恐ろしいを超えておぞましい(・・・・・)程の研鑽が注ぎ込まれていた。

 両手で竹刀の柄を握り締め、振り上げ、気合と共に振り下ろす――その一見単純な三拍子が、完全な調和を成していた。僅かな体の反応、力の入れ具合、踏ん張る足の動作、吸い込み、裂帛の気合と共に吐き出す呼吸。

 

 大仰かも知れない。素人に毛が生えた程度の一輝だからそう見えただけかも知れない。しかしそれでも、それは一輝の知る何よりも凄まじく、美しく、そして気高かった。

 少なくとも、絶望に打ちひしがれていたはずの彼が、その内に抱いていた負の感情を『有象無象の瑣事』に貶めてしまえるくらいに。

 頭で考える理性ではなく、心の感じる本能が、そう感じていた。

 

 それらの感情が否応無く払拭された後、呆然とその素振りをしばらく見ていた少年の胸中に新たに浮かんだのは――『羨望』と『憧憬』だった。

 それはとても単純な、子供以前に人間なら誰もが一度は抱く感情――『自分もああなりたい』という渇望。あの日までは純粋に尊敬していた父や神童たる次兄の王馬にすら抱けなかったモノ。

 

 その次に心に湧き上がったのは興奮と、憧れの英雄(ヒーロー)にでも会えたような純粋な感動。

 生気すら失いかけていた双眸には爛々とした輝きが灯され呼吸は荒くなり、手足の震えは寒気によるものではなくなっていた。寒さで悴む手は身を隠すために抱いている木肌が食い込み鈍い痛みが走るが、それすらも頭の片隅でのこと――一輝の総ては、少年の挙動にのみ集約していた。

 

 そして――――

 

 

『――おい』

 

 

 素振りを止め、突然一輝がいる方向を向いて声を掛けてきた少年。

 その声掛けに、盗み見ていた一輝が心臓を鷲掴みされたような感覚になったのは止むを得ないことだったろう。一輝は一輝で相手は素振りに夢中でこちらには気づいていないとばかり思っていたのだから。

 だから――睨んでいる訳ではないが元より目力の強い彼が一輝を真っ直ぐ見据えただけで、まるで大罪を咎められたような気分になり、思わず全力でその場から逃げ去ってしまったのも、止むを得ないことだった。

 

 無我夢中――気づいた時には、父や一族に認めてもらおうと、人知れず独学で稽古や鍛錬を試みた時でさえ出せなかった全力疾走で裏山を駆け降り、抜け出した道筋を遡るように先程まで己が軟禁されていた部屋へと逃げ込んでいた。

 そして、途中で焦るあまり泥水を力一杯に踏んでしまったことで飛び跳ねた泥を落とすことも、転んで所々を擦り剥いた傷を消毒するなり手当てするなりすることも忘れ、そのまま自室のベッドで布団を被り縮まり込んだ。

 

 恐怖――というよりは羞恥による行動だった。あの、自分を真っ直ぐ見据える目が、彼を盗み見ていた行為をしっかりと収めていたと思うと、言葉では言い表せない恥ずかしさと後ろめたさが湧き上がる。

 

 そして、少し時間が経ちある程度に気持ちが落ち着くと――また感情は昂った。

 先程までが羞恥によるものであるならば、今度は興奮と感動によって。

 

 あの素振りの動作を思い出す。素人目でも、理屈としてではなく感覚として理解させられる一挙一動の完璧さ。ただ(フォーム)が綺麗なのではない、そこには凄まじい気迫が込められている。基本的な素振りだと妥協などしていない、まるでそれ一つにも全力を注いでいると言わんばかりの――いや、恐らく実際に一振り一振りが全力だったのであろう、彼の姿勢。

 

 夢想せずにはいられなかった。どうすればあんな風になれるのだろう、一体どれ程の鍛錬をこなしたのだろう――そんなことをやってのける彼は、どんな人物なのだろう、と。

 

 

 そこで初めて、相手が誰か聞きもせず一目散に逃げ出した己の行いを後悔し――そうして、数時間に渡って悶々としてようやく、他ならないこの家で彼を見ていたことを思い出した。

 

 

 彼を見つけるのは実に簡単だった。淡い期待を抱いて黒鉄家の敷地にある武術道場を覗いてみれば、そこに彼はいたのだから。

 

 彼の名前は黒鉄 統真。一輝達とは生れた母親を別とする七歳上の兄であり、伐刀者史上前代未聞のAランクオーバーの魔力を持つ、一輝とは何もかもが対極にある真の強者。神童・王馬すらも『ただの天才』に貶めてしまった正真正銘の天才。

 それでいて、父を始めとする黒鉄の大人達と真っ向から意を違え、我が道をひたすらに邁進する孤高の異端者。

 

 子供の一輝ですらほんの少し探れば分かってしまえた、そんな何もかもが自分とあまりに違う彼の風評。しかしそれを知っても、一輝の中にあった羨望が嫉妬に塗り替えられることはなく、むしろその度合いは強まっていった。

 

 

 その日から、一輝の統真を追いかける日々が始まった。

 と言っても、別段ストーカーみたいにいつも付き纏ったりした訳ではない。兄が道場に現れた日は、その挙動を脇目も振らずに観察していたのである。

 あの時のようなただの素振りであろうが、誰かとの稽古や試合であろうが、その全てが一輝にとっては掛け替えの無いものだった。

 

 それ以外の時間や統真がいない時は、自分に出来うる限りの自己鍛錬を行った。記憶に焼きついて離れないあの素振りを可能な限り真似しようとし、当時の彼にでき得る限り幼い体を酷使して体力や筋力を作ることに努めた――いつか自分も、あの兄のような剣を振るえるようになりたいという渇望(ネガイ)を胸に。

 

 

 

 ――最も、そんな一輝でも

 

 

『ならば俺が教えよう』

 

 

 他ならないその兄自身に早くも見出され

 

 

『これはお前の努力の結果だ。讃えるなら己を讃えろ。己の努力を、諦めずに努力し続けた己を讃えろ』

 

 

 己の総てを肯定してもらえるなどとは、想像だにしていなかった訳だが。

 

 

 ――あの裏山での一方的(?)な邂逅から三ヶ月。その間の一輝の観察を余さず察知していた統真の自室への強行突入という衝撃の再会を経て、あらゆる意味で真逆な兄弟の物語(前日譚)が始まった。

 

 

 ――なお、その日の夜、

 

 

『あぁ、そういえば気にはなっていたのだが――あの後、風邪は引かなかったか。随分と薄着で長く外にいたようだが』

 

 

 そんな気遣いをされてしまい、顔を真っ赤にした弟がいたとかいなかったとか。

 その赤面が、過去の行いを気遣われたことへの恥ずかしさによるものか、心配してもらえたことへの嬉しさによるものかは、定かではないが。 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「……あうぅ………」

 

 

 ――そうした日の翌日。統真の住まいとなる離れの一室にて目を覚ました一輝は、夢という形でこれでもかというくらい見せつけられた回想に、朝っぱらから赤面し羞恥に悶える羽目になった。

 

 それを何とか治め、部屋から出る支度をするのに五分の時間を掛けて、ようやく黒鉄 一輝は部屋の襖を開けた。

 

 すると――――

 

 

「――あれ、一輝様もう目が覚めたんですか? てっきりあと一・二時間は寝てらっしゃるかと思ったら」

「……さくら、さん?」

 

 

 そんな一輝を、桜色の髪の少女が真っ先に出迎える。顔も洗っていないのでまだ思考が寝ぼけている一輝は、一瞬その存在に戸惑い、そしてすぐに彼女のことを思い出した。

 

 昨日から一輝の師となった兄・統真の世話役である従者、日下部 桜――一見して、とてもではないがあの厳格な兄の世話役が務まっているとは思えない、しかし実際には見事にそれをこなしていた少女。

 

 そんな彼女が、昨日とはまた違う衣服の上にエプロンを着けて、ちょうど何かで濡らしていたらしい手を手拭で拭いていた。状況からして、朝食の支度でもしているのだろう。

 

 

「えっと……おはようございます?」

 

 

 頭では理解できたものの戸惑いが抜けきれず、疑問系で挨拶してしまう一輝だが、それを桜は、その名の通りの明朗な笑顔で応えた。

 

 

「はい、おはようございます。でも大丈夫ですか? 無理して起きたりしてません?」

「……えっと……すみません、今って、何時でしたっけ」

 

 

 思えば自身が起きた時間も確認せずにいたことを思い出し、今の時計を見ようとするが、それと同時に桜が答える。

 

 

「今ちょうど6時ですね。あ、もちろん朝のですよ?

 辛かったらもう少し寝ていただいても構いませんけど。統真様は今ジョギングに出かけてますし」

「……うぅ」

「え? 一輝様、大丈夫ですか!? どうしたんですか、そんな風にしょげて!」

「い、いえ、大丈夫です。なんでもないです……」

 

 

 黒鉄 一輝、まさかの弟子入り初日からの寝坊。いや、厳密には何時に起きろと打ち合わせをした訳ではないので、寝坊も何も無いのだが。

 しかし一輝としては兄と同じ時間に起きて訓練を共にしたかったので、この失態は少なからず彼の心にダメージを負わせた。

 

 すると、その様子を見ていた桜は、一輝の心境を的確に見抜いてきた。

 

 

「ああ、統真様と一緒に朝の訓練がしたかったんですね? でも、それはまだ無理じゃないかと。統真様が起きるのは朝の4時ですし」

「……え?」

 

 

 その発言に一輝は固まってしまう。今でもまだ眠気があるのに、あと二時間は早起きをするのは、いくらそうしたくとも6歳児である一輝にはキツすぎる。

 そもそも今のように起きるのもギリギリなのだ。一輝も少し前までは歳相応の起床時間だったが、今の境遇に落とされそこで統真という目標を見出してからは、彼に少しでも近づくべく遅寝早起きで鍛錬の時間を作っている――それも限界があるので毎日とはいかないが――。

 

 ちなみに、統真も年齢は歴とした13歳で、午前の4時に起きる同世代の人間は先ずいない。しかも就寝するのは深夜0時を越すのが基本であり、「何で生きてられるんだ」と思わずにはいられない極限の睡眠時間で毎日を平然と過ごしていたりする。もちろん年単位である。

 

 

「もうそろそろ帰ってこられますから、顔を洗って来たらどうですか?」

「……そうします」

 

 

 想像以上の統真の壮絶な生活ぶりに今更ながらも驚愕しつつ、とぼとぼと一輝は洗面所の方へ向かっていった。

 

 

 

「……う~ん、予想はしていましたけど、流石に問題ですね……」

 

 

 そんな黒鉄 一輝の後姿を見送ってから、日下部 桜は困ったと言う心境で独り言を零した。

 

 彼女が問題としているのは、現在の一輝のライフサイクル。特に睡眠時間と体調管理だ。

 一概とは言えないが、彼のような年代の子供なら10時間から13時間は取るのが目安となる。一般的に言えば、幼稚園などへの通園を鑑みても8時には寝かせて朝の7時に起きるのが理想的だ。伐刀者の子供だからとて、余程極端な環境でもない限りそこから大きく外れることは無い。

 しかし一輝の場合、昨日は色々な出来事の為に疲れて早く寝たのが夜の11時、そして起きたのが今ちょうどの6時。それも、普段は12時を過ぎている可能性もある――その辺りはちゃんと本人から聞きだすつもりだが――。

 

 彼の境遇は桜も知っている。そして、そんな中でも統真という存在を目標に奮起していることも。

 それ自体は素晴らしい。負けん気の強い桜でも、果たして彼と同じ境遇で同じ選択をできるかは自信がない――「できない」と言わない辺りが桜の気骨を表していたりする――。

 そうした点からしても、一輝の覚悟は並大抵のそれではなく、賞賛以上の尊敬にも値するだろう。

 

 しかし同時に、あんな歳の子供が持っていいものではない。

 そんな人間は、ほぼ確実に己の心身を顧みずに無茶をする。無茶でもしなければ強くなれないという気持ちだろうし、そうではないとは言えないが、しかしそれ(・・)これ(・・)とは別なのだ。

 

 身の丈に合わない無理な過酷な鍛錬、削られる就寝時間――それらを苦も無くこなす異例(黒鉄 統真)を桜はよく知っているが、あんなもの(彼女の主)は例外中の例外・規格外中の規格外だ。比較対象とすることが間違いである。

 桜は彼に仕える人間として彼の心を人間と見做しているが、肉体まで普通の人間扱いするほどお目出度くは無い。それはそれ、これはこれだ。

 

 過酷な鍛錬をこなすのなら下地は必要だ。そして今の一輝は、その下地たる心身を正しく形作る段階にある。だというのに下地そのものを削っては話にならない。

 

 ……もっとも、当人がそれを安穏と受け入れられないのが、黒鉄 一輝の境遇であり心境なのだろうが。

 

 

「本当、碌でもない大人達ですね。ご当主様もご当主様ですよ、全く」

 

 

 あんな健気な子供を、やれランクだ家の名誉だ格式だと、そんな上辺だけで追い込んだ愚劣な一族の大人達。そしてその引き金となり、そんな現状を放置している彼の実父。

 今度あの、『鉄面皮のムッツリ無愛想な顔』は長男である彼女の主と遺伝であると断言できる黒鉄家当主に、思いっきり皮肉と文句を言ってやろう――そう心に決める桜だった。

 まあ、直後には息子(統真)の存在に胃を痛めて薬を服用する彼の姿を思い浮かべ、でも少しは加減しようかな、とも思い直すが。

 

 ……しかしまあ、とりあえず彼女のすべきことは――――

 

 

「おっと、火加減を見ないと」

 

 

 ――起きたばかりの主の可愛い弟と、もうすぐ帰ってくるであろう主の朝食を整えるべく、目下の彼女の戦場(台所)へと戻っていった。

 

 

 

 ――なお。

 

 

「……そういえば桜さん、兄さんって朝はどんな鍛錬をしてるんですか?」

「ああ、ランニングですよ。50キロを全力完走の」

「…………え?」

「しかも魔力は使用するどころか、全身にその魔力で負荷を掛けた超重圧状態で、です。イカレてるでしょう?」

「……………………」

 

 

 ……改めて思い知らされる自分と兄の絶望的と言える距離に、図らずも一輝がより自己鍛錬の意志を固めてしまったのは、また別の話である。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「えー、それでは今日から一輝さん(・・)の教練を始めるに当たり、先ずはその計画を練って行きたいと思います。

 企画・考案・進行は不肖(わたくし)、日下部 桜が務めさせて頂きます」

「教練の……計画……?」

「……………………」

 

 

 あの後、統真が桜の言葉通りに帰宅し、三人で朝食を摂った後。統真宅の居間では、統真・一輝・桜の三人が集まり、小さな会議を開いていた。というか桜が勝手に開いているのだが。

 

 なお、桜が一輝を『一輝様』ではなく『一輝さん』と呼ぶのは、一輝がそう呼ばれることに抵抗を感じたためであり、桜もそんな一輝の気持ちを汲んで今の呼び方に変えたからだった――閑話休題。

 

 統真と一輝はそれぞれ正座して、二人の前で仁王立ちしている桜を見上げ、そして桜は今までの彼女とは少し違うキリッとした雰囲気で立っている。

 

 理由は、彼女が口にした言葉通りのものだった。

 

 

「統真様が一輝さんに剣を教える、このことに全く異論はありません。

 しかし! 一輝さんの肉体鍛錬・生活管理に関しては、しばらくは私が請け負わせていただきたいと思います」

「……えっと……なんで、ですか?」

 

 

 唐突な桜の提案に、一輝が律儀にもおずおずと手を上げて質問をする。一輝としては全て統真の指示に従うつもりだったので、この急な横槍には疑問を抱かずにいられなかったのである。

 

 それを見越していた桜は、落ち着いた様子で諭すように一輝に答える。

 

 

「理由は簡単、今の一輝さんでは統真さんの鍛錬に耐えられないからです。

 統真様、とりあえず一輝さんに何させるつもりか言ってみてください」

「限界まで体を酷使させて体力と地力を作る、とりあえずはその繰り返しだ」

「はいアウトォッ!! 馬鹿ですか貴方は! そんなのはドMも真っ青な超級鍛錬をこれでもかとこなす統真様だから出来るんです! 満五歳児に何をさせるつもりですかこの鬼畜!!」

「何故だ、俺はやっていたぞ。ならばできる筈だ」

「肉体性能が人外なアンタが比較対象になんぞなるかぁっ!

 百歩譲って! 百歩譲って統真様のご年齢でなら良いとしましょう! その半分にも満たないこんな子供に身体を限界酷使させて良い訳はないでしょう!」

「やってみねば分からんだろう」

「やったら身体壊すって言ってるんですこのスットコドッコイ!」

「あ、あの……」

 

 

 案の定な返答に桜は憤慨、それでもなおしれっと根性論を口にする統真という対立図式に、縮こまっていた一輝がまたも律儀に手を上げて口を挟んだ。

 

 

「だめ……なんですか……?」

「うっ……!?」

 

 

 すっかり兄に鍛えてもらえると思っていただけに、桜を見上げる一輝の目は不安と気落ちで潤み、彼女も知る彼の境遇ゆえに完全に傷ついた小動物に思えてしまう。しかも一輝の容姿は、まだ五歳と幼いことに加えて彼自身が中性的であることもあり、下手をしたら女の子にも見えかねない。

 何が言いたいかというと、桜の庇護欲と母性と罪悪感とその他諸々の欲望(!?)をビシビシ刺激しているということ。

 これが全くの素なのだから、黒鉄 一輝、恐ろしい子。

 

 ――冗談はさておき。

 

 あわやその愛らしさに屈服しかけた桜だが、抱きついて思いっきり頬ずりしたくなる衝動を抑え、何とか耐え凌ぐ。

 

 

「……ふう……なんて末恐ろしい。将来、数多の女性を無自覚に篭絡する様が見えるようです……これはいよいよ教育をしっかりせねば……!」

「あの……桜さん?」

「ああ、何でもありませんよ。ええ、ショタの魔性にお姉さんは堕ちかけてなんかいません!」

「戯言を言っている暇があれば早く進めろ」

 

 

 耐え凌いだもののダメージはあったらしく言動が不安定な桜だが、統真は容赦なく斬り捨てて進行を促した。

 

 

「おっと、そうでした。

 えっと、それでですね、駄目という訳ではないんです。でも最初に言ったように、単純に()の一輝さんでは統真さんの鍛錬には耐えられません。なので、鍛錬を共にするのは私の指導で一輝さんの身体作りを最低限仕上げてからにしよう、ということです」

「身体づくり、ですか? 昨日も聞かれたとおり、ぼくも自分なりにやっていますけど……」

 

 

 昨日聞かれたというのは、あの桜による風呂場への強制連行のことであり、普通の子供とは筋肉の付き方が違っていた一輝の身体を目敏く見抜いた桜に、一輝が顔を真っ赤にしつつも答えた、というあらましだった。

 

 

「ええ、そうですね。少なくとも同世代の平均からしたらかなり鍛えられてはいます。

 でもそういう意味じゃありません。というより、今の一輝さんがそんな風に鍛え続けたら逆に成長の妨げになってしまいます」

「え?」

 

 

 思わぬ駄目出しに一輝は目を丸くする。当然だ、今までの彼の行いが否定されたようなものなのだから、驚くなという方が無理である。

 

 

「一輝さんはきっと一輝さんなりに頑張っていたとは思います。何よりその心掛けは本当に立派ですし凄いです。でも、それとこれとは別です。

 同じ子供の私が言うのもなんですが、子供は成長期の真っ盛りです。特に一輝さんのような年代は、正に肉体の基礎とでも言うべきものが仕上がっていく頃合で、そういう時期に無茶なトレーニングをすると骨や筋肉に負担が生じて成長を妨げかねないんです。

 ここまではいいですか?」

 

 

 桜の丁寧な説明に一輝はコクコクと頷き、統真も真剣な桜の講義に口を出す気は無いらしく、真面目に傾聴していた。

 

 

「そんな一輝さんに、身体を限界まで酷使していくなんてしたら、最悪伸びる前に壊れてしまいます。

 統真様、そこら辺の加減、分かります? あ、『やってみせる』は無しで」

「分からんな」

「でしょうね。だから『今』はまだ駄目なんです。

 何事も全力投球とは言っても、それは『全力を放てる身体』が出来上がっていればの話。そうでない人間、ましてや一輝さんのような小さな子供がやれば確実に悪影響を起こします」

「はあ……」

 

 

 頷きはするが、子供である一輝がただ言われただけで分かるはずも無く、返事は戸惑い気味な曖昧なもの。

 しかし桜もそんなことは承知の上であり、更に言葉を続ける。

 

 

「もちろん、あくまで『身体の下地ができるまで』です。それに肉体を酷使する鍛錬以外、今の段階でできる剣や理論などは統真さんに教わっても構いません。複雑ですが、その程度には身体ができているのも事実ですしね」

 

 

 その言葉に、今度は一転してあからさまにパアッと顔を明るくする一輝。歳相応の子供らしい反応に桜も苦笑を漏らしてしまう。

 そこで桜は膝を折って一輝と視線をなるべく揃え、真っ直ぐに一輝を見据える。

 

 

「という訳なんですが、どうでしょうか一輝さん。とりあえずでいいので、私を信じてみてはもらえないでしょうか?」

「……えっと………」

 

 

 間近から向き合う形となり赤面して視線を泳がしてしまう一輝だが、その後隣に座る統真へと目を向ける。

 統真との鍛錬への未練もあるが、それ以上に申し出てくれた統真への申し訳なさや後ろめたさを感じているらしい。

 

 そして、そんな一輝の視線にあるものを統真が見抜けないはずも無く――――

 

 

「俺を気にする必要など無い。一輝、これはお前が成していく『努力()』だ。ならば、その道筋はお前に選ぶ『権利』と『責任』がある」

「選ぶ……権利と、責任?」

「そうだ。

 俺は確かに、自分の身体を限界まで酷使することを己の常の努力としている。だがそれは『俺自身の努力(黒鉄 統真の在り方)』だ。お前は『お前自身の努力(黒鉄 一輝の在り方)』をすればいい。どうするかはお前が(・・・)選んで決めることだ。

 そこに(マコト)の想いがあるのなら、手法や道筋の差異など瑣末な事象でしかない。ならば、後はお前が見て、思い、考えた道を選べばいい」

「マコトの……想い……」

 

 

 これまで同様の真摯な熱を込めた言葉が一輝に向けられ、それを一輝も受け止めて、その言葉を意味を理解しようと、ゆっくり反芻する。

 

 そんな、ある意味で二人の世界にトリップしてしまっている統真と一輝に苦笑し、話を本筋に戻すべく梃入れをする。

 

 

「いや、かなり大事なんだって話なんですけどね、その手法と道筋が……しかしまあ、選ぶのはあくまで一輝さんです。

 それで、どうしますか? もちろん今すぐに答えを出す必要なんてありません。統真様が言った通り、これは一輝さんがご自分で決めることなんですから」

「…………」

 

 

 桜の問いに、一輝が顔を俯かせる。しかしそこに落胆といった類いの感情は無く、必死に何かを考えている真剣な表情が浮かんでいた。

 考えているのだろう。会ったばかりとはいえ真摯に自分を見てくれている桜の言葉に応じて『自分の努力』をするべきか、それとも、それでもと兄の背中を今から追いかけて『統真の努力』を求めるのか。

 

 黙考は十分にも及ぶが、統真も、そして桜も急かす様子は微塵も見せない。根気強く耐えている風でもなく、ただ自然体で一輝の出す答えを待っていた。

 

 そうして、ようやく顔を元の位置まで上げた一輝は、真正面の桜を見ると、次に隣に座る統真を見る。しばらくその状態で統真を見つめていると、最後に桜へと視線を戻した。

 

 そして――――

 

 

「桜さん――ぼくに『兄さんを追いかけられる強さ』を持たせてください」

「……はい! もちろんです!」

 

 

 答えは出た――黒鉄 一輝は、『我武者羅に突き進む努力(蛮勇)』を抑え、『信じて託す努力(勇気)』を示したのである。

 そんな一輝の答えに、桜は満面の朗らかな笑顔を咲かせ、統真も静かに頷いた。

 




 まあ流石にいきなり努力馬鹿の地獄特訓はダメだろうと、桜さんの梃入れ。五歳児に限界突破の特訓とかそんな鬼畜じゃあるまいしHAHAHA(ヲイ しかし実はタイムリミットまで後三年、果たしてそれまでに一輝は兄の訓練を受けられるのか。

 そして前半部の一輝の回想ですが、ここは本来原作で龍馬が出てきて一輝を助けるシーンです。しかしここで一輝が出逢ったのは統真だった。それがこの超克騎士への分岐ルートみたいなものですね。
 龍馬さんは今後違う形で出ていただく予定です。

 五歳児の生活習慣とかは一応調べましたが独自解釈が強いですね。自分がどうだったかなんてまるで覚えてませんし、資料によるとこういう具合だそうで。
 ちなみに統真の朝のジョギング。原作時点での一輝が20キロだったので、統真なら倍+10キロ+魔力による自己負荷くらいはせねばならんかな、と。やっぱり実際に運動してないにわかが格好つけようとするとダメですねOTL 走るか(書け

 この話で描きたいのは、本編でも触れている『努力の形』と『己』です。それに一輝、そして統真も向き合えるのかが話の軸です。

 しかし思わずにいられませんね――お前らみたいな子供がいるかァッ!!!


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邂逅篇 Ⅳ:強さと 弱さと 己と  破

 今回はかなり迷走気味です。凡愚がDies風味なぞ出そうとしたらどうなるのかが身に沁みて分かりましたOTL 作者的には最後まで書き上げるのも必死でしたが、内容には矛盾や訳分からんことが書かれてるかも知れません……いつもどおりか(白目

 なお、前に桜の祖父を「日下部某」としていましたが色々織り込んだ結果「母方の曽祖父」として苗字が違います。後ほど変更しておきます。
 今回のオリキャラは三人。日下部家の曽祖父と母親登場。ぶっちゃけ書いてたらこうなりました。モチーフは……あからさま過ぎるかな;

 そして最後の一人は――――

 それではどうぞ。


 強者の定義は何か――それを語るには、そも強者だけでなく弱者の定義にも触れねばならない。

 膂力に優れた者と膂力が劣る者。知能の高い者と知能の低い者。心の強い者と心の弱い者――特定の項目を一つずつ比較するなら、なるほど強弱の付け方は容易い。ただ比べ、優れた方を選べばいい。

 

 では、『人間』はどうだろう。否、そも『強い人間』とは何を以て定義するのか。

 膂力が優れている? 知能が高い? 心が強い? しかし所詮それらは一つ一つの要素でしかない。何かでは優れていても、別の何かで劣っていたりする。中には全てにおいて優れた人間もいるが、これはこれで、ある点に特化した人間に敗れることもある。

 

 そう、それが人間だ。『弱さ』を持つのが人間だ。

 生まれは弱く歳を取れば衰える肉体も、最初は無知で老いれば白痴となる知能も、様々な誘惑や妥協により堕落する精神も、等しく人間が人間たる証。

 しかしそれは、人間を悪しき存在と語っているのではない。その『弱さ』があるからこそ『強さ』を求めるのも人間なのだから。

 人間とは、強くはなれても(・・・・・・・)、最初から強くはあれない(・・・・・・・)存在なのである。

 

 ――では。

 

 『生まれながらに強い人間』とは、果たして人間足りうるのか。

 屈強な肉体、優れた知能、不屈の精神――その全てを兼ね備えた存在は、『弱さ』など知らない。生まれながらの強者が歩むのは、畢竟強者の道。そこに『弱さ』はない。

 例えその人間が己を人間と定義し、そうあろうとしても、誰もが認識する――あれ(強者)自分達(弱者)とは違う、と。

 

 何故なら、強者(英雄)弱者(人間)は解らないのだから。

 

 

 さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 日下部 桜――その名は母方の曽祖父、大戦の英雄が一人である益荒男『雷凰(らいおう)』こと大鳥 雷峨(おおとり らいが)によって名づけられた。

 込められた意味は『日の下に咲く桜の如くあれ』という、基本的に難しく物事を考えることが嫌いな、ざっくばらんな曽祖父らしい命名であった。

 

 彼女の身分というのは、少なくとも当人の認識からすれば『普通』である。

 曽祖父こそ彼のサムライ・リョーマと共に戦場を駆けた偉大な英雄の一人だが、それ以降はこれと言った業績は残していない。そもそも、大鳥 雷峨は黒鉄のような歴代の名門の人間でも何でもなく、彼一代にて才能を開花させた『一代限りの英傑』である。

 

 加えて祖父も母も伐刀者の素養は持って生れたものの、揃ってその道に進むことはなく、片や英雄である父が戦場で稼いだ報奨金を下地にそれなりの事業を起こした実業家で、片や惚れた男に嫁いだ極々普通の専業主婦である。父に至っては伐刀者でもない上、年中を家で療養している病持ちだ。

 桜自身こそ『雷凰の再来』と周り――何故か親族ではなく他所の家が――に持て囃されてはいるものの、その身は『英雄の血』は流していても『英雄の家』ではない。英雄の孫娘が嫁ぎその才能を受け継いだ曾孫が生れただけの、一般家庭の娘なのである。

 

 そんな彼女の感性は、なれば一般人やそれに毛が生えた程度の伐刀者と変わらぬもの――かと言えば、それもまた違う。

 

 と言うのもこの英雄の曾孫、頻繁に日下部家に出入りする住居不定な曽祖父に矢鱈と可愛がられ、しかもどうやら生まれ持つ人間としての性質にも通じるものがあるらしく、その影響を少なからず受けていた。

 父親からは丁寧な言葉使いと人を思い遣る人柄を、母親からはいざという時の冷静さを、そして曽祖父からは物事の外面に囚われずその本質を見抜く『眼』を、それぞれ与えられて育った桜は、中々に成熟した子供にはなっていた。

 

 

 そんな彼女が、いつも通りふらりと日下部の家に遊びに来た()愛なる――残念ながら()愛ではない――曽祖父に『ある提案』をされたのは、ちょうど心気も一転する中学生となった年のことだった。

 

 

「桜よぅ。お(めぇ)、色々と悩んどるみてぇだな。そこで一つ相談なんだが、ちとダチの孫の世話役、やってみねえか」

 

 

 真昼間から酒かっ喰らって何を言っているのか、この飲んだくれは――と、桜が第一に思ったのは仕方のないことである。

 

 とはいえ、雷峨の指摘は事実だった。中学生になったと言うこともあり、桜は漠然とではあるものの、所謂『自分の将来』について少なからず思いを馳せることが多くなっていた。

 大方直ぐ隣の、無理矢理酒につき合わせて酔い潰れさせている父にでも聞いたのだろう。母が鬼の形相で曽祖父の脳天に稲妻落し(踵落し)をぶち込むまで、あと何分となることやら。

 そんな、桜のせめてもの気遣いを余所に、酒を注いだ枡を飲み干しながら雷峨は話を続ける。

 

 

「ほれ、アレだ。お前も聞いたことあんじゃねえのか? 龍馬(リョウ)んとこの孫の、(あの堅物)(わけ)ぇ頃にやらかして生ませてたって言うガキ。ありゃあとんでもねえ化け物(バケモン)だったぜ?」

 

 

 その話は当時の桜も聞き及んでいた。

 黒鉄 統真――日本有数の伐刀者の名門・黒鉄の血脈にて生まれた、推定魔力Aランクオーバーという前代未聞の存在。妾腹の子でこそあれ、その才能は、父は元より彼の大英雄すら凌ぐと誉めそやされている人物。

 しかし、その絶大な力を振るい幼くして父親を始めとした黒鉄の大人達と反目しているとされる異端児。

 

 ランクBの魔力を持ち伐刀者としても総じて優秀な資質を持つ桜は、曽祖父の代からの付き合いや「優秀な人材は抱き込んでおきたい」という大人の思惑も含まれた先方(黒鉄家周り)の申し込みから、その道場で武術を習うこともある。なので、そうした黒鉄内部の噂もある程度は耳にしていた。

 もっとも、噂など話半分の面白半分くらいにしか扱わないようにしている桜としては、「そういう人もいるのか」程度にしか思わなかったのだが。

 

 

「これがなあ、自分(てめぇ)に溺れてるようなそんじょそこらの餓鬼なら俺もリョウも放っといたんだが、ありゃあいかん(・・・)。あれぁ、踏み間違えたら(・・・・・・・)とんでもねぇこと仕出かすぞ?

 っつー訳で、ちと頼まれてくれや。ほれ、人生経験兼ねてよ」

 

 

 

 何が「っつー訳」だ、この酔っ払い――と、桜が口にするまでもなく案の定、母必殺の稲妻落しが炸裂、偉大な益荒男は酒を注いだばかりの枡に、その精悍な顔面を叩きつけることとなった。

 

 それでも、酔っ払おうが腐ろうが英雄は英雄らしく、顔面を撫でながらも何事もなく起き上がり、雷峨は何事もなかったかのように話を続ける。顔には立派な菱形の痕が残っているが。

 

 

「ああいう奴ぁな、行き過ぎて忘れちまうんだ。自分(てめぇ)も人間だ、ってことをよ。

 人間ってのはな、桜。支えあうんだよ。寄り添うんだよ。どんだけ力があろうが心が強かろうが、んなこたぁ関係ねえ。人間はな、楽しいから(・・・・・)一緒にいるんだ。一緒にいるから(・・・・・・・)楽しいんだ。

 そういうのを忘れちまった奴ってのは、色んなモン踏みにじるようになっちまう。人間をやめちまうんだ。それ以外の『何か』になっちまう」

 

 

 そう語る曽祖父の顔は、いつも通りおちゃらけているようでいて、しかし真剣なものにも感じられた。そこら辺を鋭く察した桜も、黙々とその言葉を聞いている。

 

 

「だからよ、側にいてやらなきゃならねぇ。誰でもじゃあ駄目だ。ましてやあんな黒鉄家(阿呆共)なんぞ、揃いも揃ってビビッて碌に近づけやしねえ。ちゃぁんと、『(あった)けぇ心』を教えて感じさせてやれる奴が必要なんだ。

 俺ぁその点、お前なら適任だと思ってるんだがなあ」

 

 

 見つめてくる祖父の瞳に、ある種の切実さとでも言うべきものを桜は感じた。だから、彼の語る黒鉄家の異端児にも、少なからずの興味を抱いた。

 

 

「なぁに、どうしても嫌だって思えたんならその場で言やぁいい。

 んじゃあ早速明日行くかぁ! 酒は寝かせど善は急げってな」

「そんな諺ありませんよ」

 

 

 枡で飲んだくれの頭を叩きつつ、その時の桜は、既に未だ見ぬ仕える主のことを思い浮かべ、その姿を想像した。

 

 

 

 しかしその時に桜がどんな想像をしたにせよ、実物が彼女のその想像を絶する存在(怪物)であったのは、確かだった。

 

 前言通り、桜を連れて黒鉄本家に赴いた雷峨は、当主である厳と桜の顔合わせをさっさと済ませると、案件の当事者である統真が一人で暮らしている離れへと向かった。

 

 そして、その庭で素振りをこなしていたのが――――

 

 

「よぅ、坊主! 今日も精が出てんなぁ!」

「貴方か。匂いが酷いぞ、酒は適量にしておけと忠言したはずだが」

「ったく、相変わらず堅ぇ野郎だ。そういうとこは親父譲りみてぇだな」

あれ(親父殿)の息子であることは否定せんが、その比較は不快だな」

呵呵(カカ)、臆面もなくそれが言えるんなら上等だぁな。

 んでよ、前に言っといたろ、お前さんに世話役宛がうっつー話。ほれ、ウチの曾孫、桜っつーんだ。日の下の桜で日下部 桜。よろしくやってくんな」

 

 

 

 そう言われて統真と引き合わされた桜は、彼の目を見てこう思った。

 

 

 

 ――ああ――なるほど、これはダメ(・・)だ。このままにしたらダメになる。

 

 

 

 曽祖父が何を危惧したのか、中学生になりたての桜にそれを明確に表現できる語彙はなかった。しかしそれでも、彼女もまた祖父のように『何か』を感じ、彼女の魂魄は必死に訴えていた――この少年をこのままにしてはいけない、と。

 

 その眼に宿る光はあまりにも強く、気高く、孤高だった。

 強靭な精神と理性によって手綱を惹かれてはいるものの、そこには強烈な自我と魂が脈打ち、不浄なもの(堕落と妥協)の存在を許さない。故にこそ、多くの有象無象はその眼前から駆逐されていく。

 なれば畢竟、その行き着く先は誰もいない孤高。並び立つものはなく、そこに分かち合いはない。分かち合えるものなどいないのだから。

 

 故に理解した。彼に何が必要なのかを。

 

 だから――――

 

 

「日下部 桜と申します! 御爺様と黒鉄家ご当主様から、統真様のお世話役を仰せつかりました。よろしくお願いします!」

 

 

 それまでにない明朗な声を張り上げんばかりに出し、己を統真に示した。

 ニシシ、と悪戯小僧みたいに笑っている曽祖父を余所に、桜は統真の返事を待ち、そんな桜をしばらく見据えていた統真も、やがて一つ頷き返事を返した。

 

 

「黒鉄 統真だ。お前の主として恥じぬよう努めよう。故にお前も、俺の従者に恥じぬよう努めてみせろ」

 

 

 彼には誰かがいなければならない。彼が『人間』なのだと、人間はいつまでも『孤高』ではいられないのだと、気づかせてあげられる誰かが。

 

 己がそうであるのか、そうなれるのかは分からない。ただその瞬間、日下部 桜が彼女のそれまでの生において、何よりも強く渇望したのは確かだった。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「……25……26……27………」

「…………」

 

 

 季節が春を迎えたことにより、尾を引いていた冬の寒気も完全に失せ、陽光と暖気が至るところを満たす頃。

 黒鉄 一輝は兄・統真と鍛錬を共にするに先駆けて、その従者である日下部 桜の手解きを受けながら、その日も彼女に言われたトレーニングをこなしていた。

 

 三人の邂逅から早くも一週間以上が経っており、その間、一輝の養成は不手際なくこなされている。

 身体作りや生活面の監督役は前言通り桜が主に務め、それを研修(?)も兼ねて自己の鍛練を終えた統真が時折引き継いだりする、という具合だ。

 

 そして現在は、三人で統真と桜がよく利用する運動場でそれぞれの鍛錬を行っている。

 一輝が桜の監修の元、無理のない速度で規定の回数をこなしていた。

 そんな一輝の気が散らないよう、統真は視界から外れて自己の鍛錬に努めていた。

 

 

「28……29……30」

「はい、そこまで。一端そこで終了です」

 

 

 桜が終了を宣言し、それに一輝は少しふらつきつつも危なげなく立ち上がる。物足りないのか、顔には戸惑いの表情が浮かんでいた。

 

 

「以前も言いましたが、一輝さんの歳の身体で過剰なトレーニングを行うと悪影響が出ます。これでも、今まで一輝さんが一人でこなしてきた鍛錬具合を鑑みて多くしている方なんですから、無茶をしてはいけませんよ?」

「は、はい」

 

 

 割と真面目な表情で桜に説明され、背筋を伸ばしながら返事をする一輝。歳のせいもあってか、教師と教え子と言うよりは姉と弟と言うべき構図だった。

 

 

「ではこれで朝の基礎トレーニングは終了ですね。少し身体を休めたら、統真さんとの稽古をしましょう」

「はい!」

 

 

 見るからに明るくなり張りのある声で返事をする一輝に、そんなに嬉しいのかと彼の歳相応な姿に苦笑してしまう。

 まるで、と言うまでもないのだが、本当に仲のいい兄弟のようだ。兄は無愛想ではあるが。

 

 

「一輝さんは本当に統真さんが好きなんですね。顔を合わせてから一週間くらいだなんて思えませんよ?」

「え? あ、その……兄さんは、凄いし、強いし、その……あこがれだから……」

「……憧れ、かあ」

 

 

 恥ずかしがりながらも答える一輝の姿に、桜は顔を綻ばせつつ何かを連想するように呟いた。

 

 

「羨ましいですね。それは、ちょっと私には分からない気持ちですから」

「……? 桜さんは、兄さんのことが羨ましいとか、思わないんですか?」

 

 

 思いもよらない桜の発言に、一輝は目を丸くして尋ねる。他ならない統真に仕えている彼女が、その主を羨まないというのはどういう了見なのか、と。

 そんな一輝の様子に桜は「ああ」と何かを納得するような顔をすると、今度は困ったような笑みになった。

 

 

「ええ、まあ……私は、統真さんを羨んだことは(・・・・・・)一度も無いですから」

「え? だって……」

「ああ勿論、ちゃんと主として敬っていますし、人間としても尊敬しています。あの人ほど物事に全力で努力家な人を、私は知りませんから」

 

 

 それなら何故、と、一輝の疑問は更に深まる。自分が問うたこと(憧憬)と、桜の答えたもの(敬愛)は違うものなのだろうか。

 そんな一輝の疑問を察したのか、桜がそれを口にした。

 

 

「一輝さん。一輝さんは統真様に憧れていて、私は統真様を敬っています。その共通点は、私も一輝さんも統真さんを慕っている、ということ。それは確かです。

 でも、きっとその二つは同じじゃないんです。何が、とは恥ずかしながら私も正確には答えられないんですが、違うと私は思っています。

 まあ、違うからと言って悪いという訳でもないんですけどね」

 

 

 そう言いながら、桜は一人で鍛錬に取り組んでいる統真に目を向けた。それに倣うように、一輝も彼を見る。

 

 今はちょうど棒らしきものを両手に一つずつ持っており、それを一定のスピードと感覚で上下に振っている。それがただの棒なら「バランスの鍛錬かな」とも思うだろうが、剣に見立てるなら鍔から先には、ベンチプレスに用いられるような金属の重石がいくつも足されており、周囲の人間は驚愕して立ち止まっているか、「ああ、またあの人か」と遠い目か乾いた笑いを浮かべながらそれを眺めている。

 ちなみにこの棒、二つ合計で凡そ250キロとなっている。言うまでもなく、まともな人間がすべき鍛錬では断じてない。

 

 とはいえ、桜は元より一輝ですらそれを当たり前のものとして見ている辺り、統真という人間にとってこれが日常的鍛錬であることは明らかだった。

 

 

「私は、多分これからも統真様を羨んだりはしないと思います。

 統真様を羨むということは、多かれ少なかれ「あの人のようになりたい」と思うこと――私は、それだけはしないと自分に誓っています」

「――――」

 

 

 そう語る桜の顔は穏やかでもあり、同時に決然ともしていた。

 

 そんな彼女を見上げながらその言葉を一人吟味する一輝は、何度も思考を反芻する。

 自分と桜。憧憬と敬愛。流れ出る感情は同じでも、本質は違う。なら、その差異とは、一体――――?

 しかし未だ幼い一輝に、一人でそれが分かるはずはなく。

 

 

「ん、終わったみたいですよ。ではそろそろ行きましょうか」

「あ、はい!」

 

 

 とりあえずは、目の前の事柄(稽古)に努めることにした。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――今更ながらではあるのだが、統真も桜も歴とした学生である。

 13歳となった統真は新入生として中学に上り、そしてその二つ上の桜は中学三年生となる。また、通う学校を同じくする後輩と先輩でもある。

 

 ともすれば、学校で学ぶ間、当然一輝はその庇護下から外れることとなる。

 これは、統真が一輝を教えると決めた段階からどうするべきかと抱えていた問題だった。

 統真による指導時間が減るのは仕方なく、その間は予め組んであるメニューをこなして自己鍛錬をしてもらうことになっている。

 問題は、黒鉄家の出方である。彼らとて馬鹿ではなく、統真達が学校へ行けば一輝が離れに一人になるのは明白だった。統真の住まいは、彼の存在性もあって猛獣の縄張りの如く慮外者の侵入を防いでいるが、もし何らかの指図を以て一輝を無理矢理にでも連れ出そうとしたら、あまり有効な手はない。もちろん、そんなことになれば統真としても黒鉄家との全面対決を辞さず一輝を奪還する所存ではあるが。

 

 そんな最悪の事態する想定していた統真だが、その解決は存外に簡単だった。

 

 

 

『学校に行っている間の一輝さんのお世話? じゃあウチにいてもらいましょう』

 

 

 

 場合によっては義務教育を放棄してでも一輝の鍛錬に臨もうとしていた統真だったが、桜の「そんなことしたら一輝さんが気に病むでしょうが!」という旨の却下と代案により、無事未遂に終わった。

 なお、統真の学歴が『小学校卒業』で閉ざされることを気にしない辺りは「卒業認定? あの人なら余裕で卒認検定合格しますよ」とのことである。

 

 

 それに際し、その日の朝の鍛錬を終えた統真・一輝・桜の三人は――――

 

 

「ようこそ、日下部家へ!」

「失礼する」

「お、お邪魔します……」

 

 

 その足で、桜の家である日下部家を訪れていた。

 黒鉄本家のような敷地などはない住宅だが、和洋折衷を程よく織り成し、そこそこの広さのある庭に小さめの庵まで備えている、ちょっとした屋敷にも思える体だった。

 

 

「どうですか? 流石に黒鉄本家の屋敷と比べるのは間違いですけど、趣があっていいでしょう?」

「あ、はい。何ていうか、暖かい感じがします」

「ふふ、ありがとうございます。ではどうぞ、中にご案内します」

 

 

 そうして二人を玄関に招き入れる桜。すると、早速そんな三人をある人物が迎える。

 

 

「おかえり、桜。そちらの子がそう?」

 

 

 桜のものにも通じる、濃い目の桃色の髪が特徴的な女性だった。風貌は朗らかな桜とは違い怜悧さを感じさせるが、微かに浮かべている笑みがその女性の暖かみを伺わせる。

 

 

「あ、母さん。ただいま戻りました。

 はい、こちらが統真様の弟の一輝さん」

「は、はじまめして。黒鉄 一輝と言います」

「これはご丁寧に。桜の母の桃歌(とうか)と言う。ようこそ、日下部の家に。

 統真くんも久しぶりだね。ゆっくりしていきなさい」

「お気遣い痛み入る」

「ささ、どうぞ上がってください!」

 

 

 

 

 母子二人に案内された兄弟二人は、通された居間に腰を落ち着けていた。

 統真は自身の住まいにいる時と何ら変わりはなく、正座し瞑目している。しかし流石に一輝は初めて来た他人の家に緊張しており、そわそわとしている。

 

 

「その、兄さんはここに来たことがあるの?」

 

 

 そんな不安を何とかしようと、一輝はそう統真に尋ねて見た。すると統真も瞑っていた目を開け、淡々と語る。

 

 

あれ()に誘われて何度か、な。少なくとも互いに顔を見知る程度には親睦も深めたつもりだ」

「そうなんだ……」

「随分つれない言い方だね。私としては甥っ子ぐらいには親しみを抱いているんだが」

 

 

 そう言いながら、居間にやってきた桃歌が盆に乗せて運んできた茶を二人の前に置いた。

 

 

「ご母堂、いつも痛み入る」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。初めて足を運んだ一輝くんには難儀かも知れないが、二人とも寛いでいてくれ」

 

 

 そう言って微かな笑みを二人に向ける。それを受けた統真は軽く一礼し、一輝もそれに倣うように礼を返す。

 

 

「夫は病持ちでね、今日は部屋で臥せっているんだ。顔合わせはまた今度にさせてくれ」

「あ、い、いえ。どうぞお構いなく」

「ご病状は変わらずで」

「ああ、相変わらずだ。生まれつきだから仕方ないと言えば仕方ないが、このご時世でも直せない代物なのだから難儀だよ。

 まあ、本人がとっくに受け入れているし、死病でもないのが幸いだけどね」

「左様か」

 

 

 そこで会話が一端途切れるが、二人の間でそわそわしている一輝に視線を向けた桃歌がそちらに水を向けた。

 

 

「一輝くん、話は聞いているよ。今は桜の指導を受けているそうだね。あんな騒がしい娘だが、心魂はしっかりと育てたつもりだ。一つ宜しくしてやってくれ」

「い、いえ! ぼくこそ、桜さんには色々と教わっていますから……」

「ふふ、そうか……ところで、あれ()は何か不埒なことでも仕出かさなかったかな?」

「へ?」

 

 

 そこで突然、桃歌の雰囲気が若干変わり、目に凄みが宿ったのを一輝は感じた。

 

 

「例えば――一緒に風呂に入ったりとか」

「ブフゥッ!?」

 

 

 ピンポイントに恥辱の過去を言い当てられ、思わず噴き出してしまう一輝。それでも統真と桃歌に唾液が掛からない方向へと顔を背けた辺りが、彼の人の出来具合を伺わせる。

 そんな一輝の反応に桃歌は少し細めていた眼を更に細める。桃色の髪に覆われた額辺りに血管が浮き上がったように見えるのは見間違いだろうか。

 

 

「そうかそうか。またやらかしたのか、あの馬鹿娘は」

「あ、あの……桃歌、さん。その、桜さんは少し身体を洗ってくれただけで、その……」

「あぁなに、一輝くんがどうこう思う必要はないよ。しかし母親としては、娘が馬鹿をやらかしたら矯正してやらねばならないのでね」

 

 

 図らずも答えを言ったような行動をしてしまった一輝がせめてもの弁護をするが、真相を見抜き切っている母親には通じず。統真も己の従者の不行儀を庇う気はないらしく、再び瞑目して静寂を保っている。

 そして桃歌は、すっと立ち上がると、

 

 

「少し音がするかも知れないが気にしないでくれ。ウチ(日下部家)では日常茶飯事だ」

「え? あ、あの……」

 

 

 何やら不穏な気配を感じさせる言葉を残し、居間から出て行く桃歌。その手には茶を運んだ盆が握られたままだった。

 そして――――

 

 

『あれ、母さん? どうしたんですか……って、あれ、あの……その振り上げた盆は何でしょうか。しかも縦向き!?』

『桜、お前も今年で元服する身だ。必要以上にとやかく言う気はない。

 けれど――余所様の子に悪影響を与えるようなもの()を晒すんじゃない!』

『なっ、悪影響とは何ですか! こう見えてもそれ相応にちゃんと整えて――あ、あのお母様、とりあえずその(凶器)をあぎゃんっ!?』

 

「……えっと……兄さん……?」

「気にするな。ご母堂が言っていただろう、これが日常茶飯事だ」

「……えぇー……」

 

 

 閉じられた襖の向こうで繰り広げられているであろう『母子の触れ合い』に、一輝は何とも言えない顔で視線を送るしかなかった。

 

 

 

 

「うぐぐぐぐ……あの(母親)、まさか本当に盆の角で殴るなんて……これはDVです! 断固抗議します!」

「自業自得だ、戯け」

 

 

 自室の床に臥せっている父親への挨拶と母親からの折檻を済ませた桜は、統真達と同じように座り、殴られた箇所を擦りながら恨み節を述べている。もっともそれを、実態を知る統真はにべもなく斬り捨てるが。

 

 

「あの、大丈夫ですか桜さうぷっ!?」

「あぁっ、私の味方は一輝さんだけです。今日はもう一日中この抱き心地を味わって痛いです痛い痛い痛いっ!?」

「そうかそうか。では抱き(握り)締めてやろう、思う存分」

「違うっ!? これ抱きしめじゃなくて握り締めあばばばばばば」

「さ、桜さん!?」

「ああ気にしないでくれ。今ちょっと頭のネジを締めているだけだから」

「人の頭が緩んでいるような発言しないでくあいだだだだだっ!?」

 

 

 懲りてないのか、わざとなのか、いずれにせよ同じ過ち(暴走)を繰り返そうとする桜だが、音もなく後ろから近づいた母親の問答無用の愛の抱きしめ(アイアンクロー)によって敢え無く轟沈となった。

 

 

「全く……さて、馬鹿娘のせいで時間を取らせてしまったね、申し訳ない」

「お気遣いは不要だ、ご母堂。元より今日は頼みに来た身だ」

「くっくっ、君の言動は如何せん堂々しさに過ぎるけれどね。まあ、それは今更か。

 それで、話はそこの一輝くんのことだったか。まあ予め桜から一通りの話は聞いている」

「…………」

 

 

 今更ながら、今日日下部家に兄弟が訪れた理由は、今後の一輝の世話を頼むためである。

 統真が一輝と邂逅し彼を庇護下に置いてからのこれまでは一日中付きっ切りでも問題はなかったが、桜は間もなく春休みが終わり学校へ通わねばならず、統真もその直後には新入生として彼女と同じ中学へ進学する。そうなれば、二人が学業をこなす間、一輝は一人であり、そうなると色々な不安が生じる。

 

 そこで桜の提案の下、二人が戻るまでは彼女の家で面倒を見てもらおうという話になった。もちろん、一輝は桜の家にまで厄介になるのは忍びなく遠慮しようとしたし、統真も安易に人に頼ることを好みはしなかったが、桜の理屈攻めにより今に至っている。

 

 

「まあウチとしては何ら問題などない。それに幸い、一輝くんは礼儀正しい子のようだ。少なくとも、その年齢だった頃の桜よりは手が懸からなさそうだしね」

「なっ! 聞き捨てなりませんよ!? 私は当時も手の懸からない娘だったはず――――」

「少し黙ってなさい」

「はい」

 

 

 母親の発言に抗議するものの、その一言と睨むつけで桜も黙り込む。

 

 

「とはいえ、働かざるもの食うべからず。世話をする以上、一輝くんにも出来ることをしてもらうよ――と言っても、家の掃除か寝込みがちな夫の話し相手になってくれればいいくらいなんだが」

「だ、そうだが」

 

 

 桃歌の提示する条件を聞いて一輝に尋ねる統真。その一輝はというと、戸惑い気味に返答する。

 

 

「えっと……それくらいは全然……あの、でも本当に」

「いいのか、と言う質問なら不要だよ。言っただろう、桜から話は聞いていると。私は世辞や上辺の類が得意ではなくてね、嫌なことは嫌と言う。だから、君を預かることに問題はないという言葉に、何ら偽りも気遣いもありはしないよ」

「…………」

「それに、君の境遇も知っている。生憎私は伐刀者としての道になど興味はなかったし、ましてや人様の教育(・・)方針をどうこう言う気はない。しかし、娘に連れられてとはいえ自らの足でここに来た君を追い払う程、人間としても母親としても腐った覚えもないよ。

 ……まあとどのつまり、自分に素直になりなさい、ということだ」

 

 

 そう語った桃歌は、じっと一輝を見つめる。しかしそこに返答を急かすような様子はなく、ただ静かに彼を見守った。

 そんな桃歌の言葉に、しかしそれでも迷い、統真と桜に視線を向ける一輝だが、二人も何かを語ることはなく、ただ一輝の答えを待った。

 そうして――――

 

 

「……よろしくおねがいします」

 

 

 礼儀正しく頭を下げてくる一輝に、微笑ましげな笑みを浮かべながら桃歌も首肯する。

 

 

「ああ、こちらこそ。

 さて、それでは朝食にするとしよう。早速だが一輝くん、皿を運ぶのを手伝ってくれるかな?」

「あ、は、はいっ!」

 

 

 

 

 桃歌が一輝をキッチンに連れて行き、居間には統真と桜だけが残される。

 するとそこで見計らったかのように、統真が口を開いた。

 

 

「不安か?」

「…………」

 

 

 するとそれまでの朗らかだった顔が崩れ、統真の指摘したように不安を宿した、心配げな表情がそこに浮かぶ。

 

 

「……一輝さんの気持ちは、察しているつもりなんですけど、ね」

 

 

 二人が指し示しているのは、一輝の内心のことだった。

 

 桜の監督の下で身体作りに励んでいる一輝の改善は、今のところ順調だ。本人は今一つ自覚できていないかも知れないが、身体にはちゃんと疲労が溜まり、睡眠も10時間以上摂れるようになっている。食事なども負担が生じない範疇で滋養を与えており、成長を着実に促している。この調子なら、桜の当初の想定よりも早く下地は出来上がるだろう。

 

 しかし、それで一輝自身が満足できているかというと、それはそうでもなく。

 桜の説得に応じて彼女の指導を受けてはいるが、本人が幼い子供であること、彼の目標が統真という規格外であることが、本人に現状への不満を無意識に抱かせている。

 それは非難することではない。そうした感情は言い換えれば向上心であり、彼が強くなっていく上では必要なものだ。ましてや家に抑圧されてきた一輝には、むしろそうした欲求の発露も必要である。

 

 問題は、そうした意識が一輝にまた無理をさせないか、ということ。子供とは本来自制が利かないものであり、一輝は生まれ育ちの環境ゆえに他の子供よりは自分を抑える術を持つ――持たざるを得なかった――が、それはもちろん、彼が自分を完全に制御できているという訳ではない。

 表層では理屈や感情で納得できても、深層の部分にある『強さへの渇望』は、現状に甘んじることを善しとしない。そうなれば、不満は蓄積され、どんな形で噴き出すか分からない。

 

 

「分かってはいたんですけど、やはり道場や学校の後輩を鍛えるのとは全然違いますね。自分の未熟さを痛感します」

「後悔しているのか?」

「まさか。一輝さんをあのままにはできないという気持ちは変わりませんし、後悔なんてしてませんよ。ただ自分の力不足を痛感しているだけです」

「ならばより精進すればいい。お前もあれ(あれ)も、そして俺も。

 その想いが真であるならば、あれ(一輝)にもまた届くだろう」

「――――」

 

 

 そう言って統真は立ち上がり、食卓へと向かっていく。ちょうど、一輝が桃歌に言われて皿を運んだりしていた。

 

 

 そんな主の後姿を、しかし桜は悲しげな目で見つめる。

 

 ――彼と行動を共にするようになって3年。結局、桜は未だに彼に伝えられずにいる。彼に知って欲しい『当たり前』の事柄を。

 それは、彼が『人間』である上で必要なものであり、しかし今の彼にとって恐らく、最も理解から遠いもの。彼の『瑕』とでも言うべきもの。

 

 『それ』を口で言うだけなら簡単にできる。だがそれでは意味がない。『それ』は、統真自身が見て感じて、その心で想わなければ解らないものなのだから。

 

 だから、桜はその背中を見ながらポツリ、と語るしかなかった。

 

 

 

「どうか気づいてくださいね。人には、弱さを受け入れる強さ(・・・・・・・・・・)もあるんだということを」

 

 

 

 それを知らなければ、恐らく彼は――――

 

 そんな『想像したくない結末』を振り払い、桜も食卓へと向かう。いつも通りの朗らかな笑みを浮かべながら。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 逢魔が刻を経て黄昏も沈み、遥か天の夜空では太陽に代わって月と星々が輝き、世界を照らしていた。

 かつては焚き火などを除けば、唯一夜の闇を照らし人を導いてくれていたであろうそれらも、人間が自力で夜にも光を生み出せるようになったこの豊穣の時代においては、よくて風情の一つくらいにしか取り扱われないだろう。

 多くのものが満たされ、それでいてそれを自覚できる者の少ないこの現代では、それ自体が消えて無くなりでもしない限り、人はその意味と有難さを思い浮かべることすら難しかろう。

 

 あれから後――日下部家で持て成された後の三人は、普段と何ら変わらなく鍛錬と勉学に励み、一日の終わりを迎えた。

 元より、そうそう変わったことが毎日起きる訳でもない。それがある意味で正しい『日常』の形でもある。

 

 今日も一輝はその日の鍛錬により早くも寝つき、今現在この離れで起きて活動しているのは統真だけとなった。時刻は間もなく十二時となるが、統真にとっては普段からの活動時間なので全く問題は無い。

 ただ、違いはある。本来ならこの時間は夜の鍛錬を行っている最中なのだが、今日はそれを早めに切り上げ――減らしたのではなく、こなす速度を速めたのだ――、こうしてらしくもない月見に洒落込んでいる。

 

 月夜の風情を感じられない訳ではないが、余程の、桜に言わせれば奇跡レベル――統真が聞けば当然斬り捨て説法が始まる――の気紛れか、誰かが強く誘わない限りは自主的にそうすることはない。その光景も、桜が見れば口を大きく開けて驚愕することだろう。

 

 そして、統真自身もそんな己の心境の変化に、いささか程度には訝しさを感じていた。

 原因があるとすれば、ほぼ間違いなく一輝の存在だろう。

 

 この黒鉄の家に来て以来――否、それ以前の、統真の14年というまだ短い生涯に於いて彼が価値あるものと見出せたのは、早逝した亡き母か、彼のような取っつき難いことこの上ない人間に仕え、蟠りなく接している桜の二人を含めても極めて少ない者達だけだった。

 

 そこに突然現れた、しかしそれまでの人間とは異質な存在()。母や桜のように才能がある訳ではなく、あるいはかつての統真よりも悲惨な環境にありながら、しかし、単なる悪足掻きだったかも知れないが、それでも(・・・・)努力し諦めなかった存在(可能性)

 

 だからこそ、黒鉄 統真はその存在に目を向けた。その努力が生み出す光を、諦めずに突き進み貫いた果てにある可能性を、見てみたいと思った。

 

 何のことはない。

 黒鉄 一輝が統真の在り方()に憧れたように。

 黒鉄 統真もまた、一輝という存在()に惹かれたのだ。

 

 まだその度合いこそ強くはない。その輝きを見極めてもいないのに「~であるはずだ」などと決め込むのは、信頼と言えば聞こえはいいが、統真にしてみれば、そこに注ぎ込まれる過程と努力を見ていないに等しい。

 あるいは、世の中には『そういうもの』もあるのかも知れないが、しかし、その身で見聞きも学んでもいないものを「ある」と仮定するのはともかく「あるはずだ」と決め付ける気には、統真にはなれなかった。

 なればこそ、一輝が必ずそうなる(・・・・)とは思わない。折れるかも知れない、諦めるかも知れない。

 そうなって欲しくはないし、そうならないように全力を注ぐが、しかしとどのつまり、選ぶのは一輝なのだ。彼が今日、統真と共に来ることを選んだように。

 

 故に、今はただ見守り導く――自身にあるだけの力で、知識で、光で。

 その光が、一輝()をより照らしてくれることを願って。

 

 あるいは、その(可能性)こそが、統真を――――

 

 

 

 

 

 

「春夜に月見とは随分と風流じゃないか。思わぬ光景で驚いてしまったよ」

 

 

 

 

 

「……貴様か」

 

 

 その瞬間、世界が断絶された――そう、表現するしかなかった。

 

 統真という人間がいた地点――その場所だけが、まるで次元の異相をずらされたかのようになり、彼を異質な世界へと引きずり込む。

 否――場所自体は今さっきまで彼がいた場所と何も変わらない。黒鉄家の敷地内にある、統真の住まいである離れ、その縁側。周囲の光景も何もかも、そのままだ。

 

 ――そのままだが(・・・・・・)そのままではなくなっていた(・・・・・・・・・・・・・)

 

 言うなれば、背景をそのまま模った異界。実際にはそこには何もないか、あるいは、全く異質な『何か』があるかも知れない――そう思わせる、異常な領域だった。

 

 ――そして、

 

 

「やあ、まどろみの君。相も変わらず――(いや)、いつにも増して健勝なようで何よりだ。私としても嬉しい限りだよ」

 

「貴様こそ、相も変わらず煩わしい物言いだ。おかげで、なけなしだった風情が欠片も残さず散った」

 

「それはそれは、何とも申し訳ないことをしてしまった――しかしまどろみの君? 嘘は感心しないね。君が感じ入っていたのは、たかが月光ではあるまいに」

 

「………………」

 

 

 ――こんな異界において平然と語り合う彼らもまた、正常であるはずは無かった。

 

 

「黒鉄 一輝――その存在は凡庸、生れ持つ(運命)に到っては、語るべくも無く。

 ふふ、いやはや。ここまでくればなるほど、名と血に縋り付く者達ならば、存在ごと否定したがっても可笑しくはない。

 その辺り、あれ(黒鉄 厳)にはまだ、あれなりの親の情愛があるのかも知れないね――まあ、どうでもいいことではあるのだがね、それは」

 

あれ(一輝)に何かをするというのなら、それ相応に手向かうが」

 

 

 そう言うと同時に――統真の周りから音が響く。まるで、何かが罅割れていくような、なんとも耳障りな音。

 そして、別段に体を構えるでもなく、それまでと同じく自然体でいる統真を、何かが包む――否、違う――その体から、何かが漏れ出る。

 液体でも気体でも固体でもない、そういったものとは全く異質な何か――それが、まるで収まり切らずに、と言わんばかりに、溢れ出ていた。

 

 

「はは、滅相もない。君が(黒鉄 一輝)を見出したからこそ私も興味を向けたのであって、私自身が彼を買っている訳ではないよ。強いて言うなら――あれ程に彼を買っている君に新たな興味を抱いた、というところかな。

 しかし、あぁ――君という人間を知る以上、この流れにも納得だよ。なるほど黒鉄 一輝は、正しく君好みの(可能性)だ。

 諦めない、諦めたくない――どれ程に否定されようとその心にある渇望(ねがい)までは否定できない。何故なら、それはその人間の根源であり起源であり本質だ。それが簡単に捻じ曲がるようなら、そんなものは端からそこらに漂う塵芥に過ぎないのだから。

 そして彼は、終ぞその(可能性)を手放さなかった。そして、(黒鉄 統真)と言う、より大きな(理想)を得て更なる輝きを放とうとしている。唯一つの場所を目指す、一途な輝きをね」

 

「……それで。言いたいことがあるのなら率直に言え。俺と相応に付き合いがあると自負しているのなら、その物言いを好まないことも理解しているはずだが」

 

「くっくっ、重ね重ね失礼した。いや、こう見えて愉しいのだよ、君との語り合いはね。

 さて――しかしながら、まどろみの君。心苦しくはあるが、本日は少々諫言に参った次第だ」

 

 

 その言葉に、しかし統真は何かを問い返すことはなく静聴の姿勢にある。ただその瞳には、いつも以上の強烈な光を宿したまま、前方を見据えている。

 

 

「まどろみの君、君は自覚せねばならない。君が抱く『それ』が、如何に傲慢で無知なものであるかを」

 

「…………」

 

「一つ問おう、まどろみの君。君は、己を『強者』と見做しているかな?」

 

「無論だ。他ならぬ俺自身が、そう在らんとしたのだから」

 

 

 黒鉄 統真は、常に強者たらんとし、そして実際に強者になってきた(・・・・・)

 世界を渡り歩けば無論、己より高みにあるものいるだろう。しかしそれとは別の話。相対比による強さではない、『己が定めた強さ』に、常に己を至らせてきた。そして、その更に高みを目指していく。

 故に、統真は誰彼に恥じる事無く、宣言してみせる。己は強者であり、また強者になり続けると。

 

 黒鉄 統真は、常に進み(努力し)続ける。それが、彼自身の定めた彼の在り方なのだから。目指した場所に至れたのなら、その更に次へ。そうしてまた次へ――延々と続く無限求道。果てなど、終着点などありはしない。

 それでいい。人間とは歩み、進み、走破していくもの。その身に宿す可能性を、どこまでもいつまでも輝かせ続けられる生き物なのだから。

 

 だからこそ、己は――――

 

 

 

「――ククッ」

 

 

 

 ――しかし、それに返されたのは不覚気味な嗤いだった。

 

 

「ああ、すまない――いやはや、なるほど。

 これは想像以上だ、重症だな。傍観気味だった私にとやかく言う資格はないのだろうが、これは些かに酷過ぎる」

 

「…………」

 

 

 そんな嘲りにも、しかし統真は沈黙と静観を貫く。その顔に憤懣を耐えているような様子はなく、ただ相手の言葉の続きを待っていた。

 それは、相手が元よりそうした言動の人間であるからなのか、それとも、そうした言動に何がしかの意義があると思うが故か。

 いずれにしても、統真は沈黙を保つ。

 

 

「あぁ、宜しい――ではまどろみの君。『輝き』を見出せた君への祝いだ。改めて、本日は君に忌憚なき諫言を送ろう」

 

「いいだろう。余さず存分に享受して見せよう」

 

 

 見下し、嘲るような相手の言葉にも統真は揺るがず、ただ応じる。

 そして――――

 

 

「では申し上げよう。

 まどろみの君。君は理解しなければならない――君は強者になった(・・・)のではない。君は、生まれたその瞬間から強者であっただけ(・・・・・・)なのだと」

 

「――――」

 

 

 その言葉に、微かに目を見開いた。

 

 

「君は知らねばならない――そう在れるのは、君だからこそ(・・・・・・)なのだと。

 誰しもが君のように在ることなど、出来はしないのだと。

 人間に、可能性に果てはなし、歩み続ける限りその輝きは絶えず無限である――あぁ、素晴らしい。その気概や見事、それを真に信じ貫ける人間は、その業績は二の次として讃えられて然るべきだろうね。

 だがね、まどろみの君――君の輝き(可能性)に至れる人間などいはしないのだよ、残念ながらね」

 

 

 

「ほざくな」

 

 

 

 ――世界が激震した。

 

 それまでと変わらず座ったままの姿勢でいる統真だが、その存在は大きく変質している。目を見開き、その瞳に宿すのは溢れんばかりの激情。表情こそ保っているが、そこには先程までには見られなかった色がある。

 

 その身からは、もはや「溢れ出る」では済まない『力』が放たれ、それにより彼の周りは悲鳴にも似た『軋み』を上げていた。

 

 されど、そんな怒れる者の怒りを真に受けてなお、嘲りを隠さない。

 

 

「あぁ、恐ろしい。そして素晴らしい。その覇気、その波動、その暴威。いまだまどろみの中にありながら、なおそれ程までに。

 君が至った(・・・)時が楽しみでならないよ」

 

「黙れ。人の可能性を貶め輝きを否定することなど、この俺が許しはしない」

 

 

 一句一句の言葉――それすらもが世界を揺り動かす。そこには、黒鉄 統真という人間の純然たる激情があった。

 

 突きつけられた言葉は、それに値するものだった。可能性の否定、誰も己と同じ領域には来れない? 何の戯言だ、それは。

 ああ理解しているとも。己は才に恵まれた。だがそれが何だ? 才による差があるなら、それ以上の努力をすればいい。無論己も努力している、そうそう差を縮めさせはしない。しかし、『たかがその程度』で人の可能性は――――

 

 

 

「――それこそ、君の『(きず)』だ」

 

 

 

「――――」

 

 

 そんな統真の深奥を覗いたかのように、あっさりと言い当てた。

 

 

「君は知らねばならない、己という存在(強者であるということ)を。そして、遍く人は誰も彼もが皆等しく、君にとっての『弱者』なのだと。

 違うと言いたいかな? しかしその言葉は無意味だ。何故なら、それは『強者』である君の言葉だから。『弱さ』を知らない君が語ったとて、それは文字通りの虚ろな戯言でしかないのだよ」

 

 

 楽園喪失を招いた悪性の蛇の如く、弄される言葉は絶えない。

 

 

「思い返すといい。君の前で膝を屈した者達の姿を。解りはしないだろう? 彼らが何を胸中に抱くのか。思い浮かべて見るといい、そこに自分の姿を。描けないだろう? 敗北し逃竄する己など。

 それが人の弱さ、それが君の強さ。君はこう思っているのだろう?『それでも必ず、立ち上がる』と。彼らは違う。彼らは挫折し、こう思うのだよ――『もういい、自分は頑張った』と。『所詮才能には勝てない』と。

 君は違うのだろう。ああ、違うとも。君は決して諦めない。その命ある限り、精神ある限り、魂魄ある限り、決して諦めはしないだろう。断崖の果てをも飛翔し超越するのだろう。何故なら、君は『強者』なのだから」

 

 

 黒鉄 統真は強者である。

 黒鉄 統真は、生まれながら(・・・・・・)の強者である。肉体、魔力、そして精神――その全てが、常人には及べないもの。

 最初から、救いようのない落差はあったのだ。

 それは、『努力』などでは変えられはしない、絶対の(限界)

 

 

「君に理解できない、その『弱さ』――それが『人間』なのだよ」

 

 

 絶望し、挫折し、逃竄し、堕落する――人間は弱い。

 それが、黒鉄 統真には解らない。何故なら彼は『強者』だから。絶望などせず希望を生み出し、挫折は立ち上がり、逃げること無く立ち向かい、常に向上し続ける。

 そんな、生まれながらの英雄(強者)

 

 

「…………」

 

 

 軋みは続いている。しかし『力』がそれ以上に広まることはなく、状況は停滞していた。

 

 

「例を語ろうか」

 

 

 そんな彼に、大人が子供を言い聞かせるような、教師が教え子に薫陶するような風に、言葉が紡がれる。

 

 

「例えば、黒鉄 厳。

 君は彼に言った。努力に不要はなく、廃れさせず伸ばし続けるのは当然である、と。

 君は彼に突きつけた。大義(秩序)のためには犠牲も止むなしとする前に、何故その限界を超えようとしないのかと。

 簡単だ、出来ないからだよ。別に彼が無能なのではない、それが人間としての『当たり前』なのだよ。限界を知り、だからこそ『全てを求めて全てを失う』のではなく、『本当に求めるものをこそ追求する』という選択と覚悟、君には解し得るかな?」

 

 

 思い浮かべる。

 今や殆ど関わりを持たなくなった実の父親。自らの目指すものの為に己が身をも削ることを厭わないその覚悟には感銘し、しかしそれ以外を最初から切り捨てるその在り方が、統真(強者)には受け入れられなかった。

 真っ向から反駁した己を戒めようとし、しかし終ぞ出来なかったあの男は、何を想っていたのだろうか。

 

 

「例えば、黒鉄 一輝。

 君自身が語ったはずではないのかな? 『理解も共感もしてやれない』と。しかしそれは黒鉄 一輝が劣り過ぎているからではない、君が強くあり過ぎるからだ。

 思い浮かべてみるといい、彼が置かれた苦境を。今まさに君を追い続けている彼の心境を。ああ、解りはしないだろうとも。君が追い求め続けるのは常に『己自身』なのだから」

 

 

 思い浮かべる。今まさに生活を共にし、己を師として教えを仰ぐ、未知の可能性たる弟を。

 まさに己が口にした通り。黒鉄 統真に黒鉄 一輝の苦痛も悔しさも奮起も、理解などできはしないし共感などできはしない。ただ感銘し、願うしかない。『どうかもっと輝き続けてくれ』と。己にとっての『当たり前』であるそれが、果たして彼にとってどんな意味を持つのだろうか

 彼が見る己の背とは如何に大きいのだろうか、如何に遠いのだろうか。常に『己の定めた己』を求道する統真に、それを知る術は無い。

 

 静かに瞑目し、蛇の諫言(甘言)を吟味する統真は、やがてその瞼を開いた。

 そこにあるのは――――

 

 

「理解して――否、知って(・・・)もらえたようだね」

 

「――ああ。お前の言う通りだ。俺にその『弱さ』は解らん」

 

 

 蛇は笑う。愚かさを嗤わず、無知を哂わず、ただ好ましげに笑う。

 

 

「それは重畳。して、君の答えは如何なるものかな、まどろみの君?」

 

「知れたことを」

 

 

 そして――世界は崩壊を始めた。

 

 絶大な『力』――伐刀者がその身に背負う運命に等しい大きさを持つとされる魔力、そのAランクオーバー(測定不可能)の具現たる超大質量のエネルギーが、統真から無造作に解き放たれる。結果、彼を取り巻く異界は破壊され、押し退けられ、その奔流に飲み込まれていく。

 

 

 

「ならば、理解できるようになるまでだ(・・・・・・・・・・・・・)

 ああ認めよう。俺にお前の語るその『弱さ』、()の俺には解らん。それが『瑕』であると言うのならば甘んじて受けよう。そして――ならば、今度はその『瑕』を乗り越えるまで」

 

 

 

 ――結局、黒鉄 統真の至った答えは、常と変わらず。されど、同時になればこそ。

 これぞ黒鉄 統真なのだから。そう、彼こそが――――

 

 

「ふふ、君ならそう言うと思ったよ。ああ、しかし安心した。やはり君は『変わらない』のだね」

 

「無論。これは俺の『意志』だ。誰彼かに斯くあれと指図されたものではない、徹頭徹尾この俺が目指し、求め、至った結果だ。俺が(黒鉄 統真)である限り、それを変えさせはしない」

 

「――あぁ。それでこそ」

 

 

 そして遂に――膨張し続ける魔力に耐えられず、世界は破裂した。

 

 

「では、またいつかの夜にでも、まどろみの君」

 

「ああ。今日の諫言、感謝する。そして約束しよう、俺は諦めなどしないと」

 

「その約束、しかと――英雄殿」

 

「ああ、刮目していろ――ザラストロ」

 

 

 

 斯くして――月夜の異界にて為された英雄(黒鉄 統真)魔人(ザラストロ)の邂逅は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 気づけば、世界に変わりはなかった。

 空には変わらず月が浮かび、夜の世界を照らしている。己がいるのは先程までと同じ離れの縁側、時刻も変わらず。

 あるとすれば――統真自身が立ち上がっていたことだけ。先程と一秒たりとも(・・・・・・)変わらないにも関わらず、彼だけは世界でただ一人(・・・・・・・)動いていた。

 

 しかし当の統真は、それを然したることとも見做さず、数秒ほど月夜を見上げると、月見の気も失せたのか縁側から離れへと入っていく。

 

 そして――――

 

 

 

 ――最後に()を一瞥してから、その戸を閉じた。

 




 そういう訳で(?)ニート登場。嘘です、ニートっぽい何かです。
 今更、本当に今更ですが、ニートじみた前書きなんかはそれっぽく書きなぐっただけの戯言ですので、あまり置きになさらず。一応内容にリンクするようにはしていますが;

 一話にして三人ものオリキャラ、最後に至っては黒幕と言う(遠い目
 タグにも「Dies風味」と入れたので本格的に取り組もうとしましたが、敢え無く絶賛破綻。意味解らん内容になってますね。うん、作者も途中から「何書いてたっけ」となりました。

 改めて、今回も桜周りの話に、そして統真という人間の「歪み」に触れました。生まれながらの強者であるのにそれを半ば自覚していなかったという事実。今後はそんな己にも向き合っていくこととなります。


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邂逅篇 Ⅴ:強さと 弱さと 己と  急

 先ずはご感謝を。この度、総合UAが26000を突破、お気に入り数700件超、50件以上の感想、そして先程は一時的ながら日刊ランキング最高の13位を獲得できました。これも、拙い作者と作者の作品を読んで見守ってくださる皆様のお陰です。
 今後の出来や展開、更新など何一つ安定したものはありませんが、皆様の応援と自身の渇望を裏切らぬよう努力していきたいと思います。

 さて、今回は原作においても重要なスタンスにいる原作の人物が登場しますが、ぶっちゃけほぼオリキャラ化してます;原作では亡くなっているようですが、ここではこの作品独自の展開や過去の改変・設定追加と言った諸々の事情から『彼』には現役として活躍してもらおうと思います。

 そういう作者も、ようやく原作を三巻まで読み終えたところ。しかし他は未だ入手できずOTL
 今回の『彼』に関しては確信犯としての改変ですが、『これはおかしいだろ』という点がございましたら遠慮なくご指摘くださいませ。

 それではどうぞ。


 人は弱い。生まれながらにして弱く、成長し成熟してなお弱い。

 

 母体という至福の揺り籠から外界へ産み落とされた赤子は、世界の光に肌と目を焼かれ、その極めて脆弱な身体を世に晒す。その身は親や回りの人間の庇護があって、初めて成長を遂げられる。

 

 物知らぬ白痴の赤子は様々な情報を見聞きし学び覚え、知識を得る。余りにも限定された法則や規範の知識を。そうしていく内に、人が幾百幾千の月日を懸けて築いた、欺瞞と矛盾の文化の中で成熟して行く。

 

 斯くして一人の人間として世に放たれる人間は、しかし余りにも脆く、愚かで、弱い。

 苦難よりも安易を選び、一時の快楽を求めて過ちを犯し、辛い現実から目を逸らして己の殻に引きこもる。

 

 逃竄・妥協・堕落――人の世から、それらが失せた(ためし)は無し。

 

 そして同時に、理想を見る。そのいずれにも染まることの無い、どこまでも正しい存在に、本当は己もなりたかったのだと。

 

 しかし、もはやそれを目の当たりにする資格は無く。

 堕落に身を委ねた者は、その理想に目を焼かれ、そこから背を向けるか、嫉妬の怨嗟を上げるしかない。

 

 

 ――しかし、あるいはそれを超克できたならば、その者は『強者』への道程を歩めるかも知れないね。

 

 

 さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 あの異界の月夜での、この世においてたった二人の人間しか知り得ない邂逅より後。

 黒鉄 統真は、彼の魔人に指摘された己の『瑕』を考察した。それこそ、その日は一睡すらせず。

 別室で寝ている一輝を起こさないよう、隠密の如き静かな動きで、とりあえずは家にあるだけの書物を持ち出して、記憶にある限りの当て嵌まる内容を読み耽り、反芻し、それらを元に考察する。

 桜がいつも通り統真達の世話の為にやって来た頃には、もはや瞑想状態だった。

 

 ――『弱さ』とは何か。全ては、ただその問いの答えを得るために。

 

 統真がこれまでの生において『弱さ』と定義したもの自体はいくつもあるが、それは統真自身の『弱さ』には当て嵌まらない。それらを『弱さ』と定義しているからこそ、統真はそうならないように常に努めているのだから。

 ならば、『生まれながらの強者』と指摘された彼が、『弱さ』を『知る』のではなく『理解する』には、どうすればいいのか。

 その『弱さ』に当て嵌まる行い――妥協や堕落を実践する? 論外だ。そもそも、行動だけを実践しても意味が無い。この求道は、『そんな弱さに走らなければならない意志』を理解できねば意味が無いのだから。

 

 しかし結局、一人で悩み続けても答えは出なかった。

 

 

 なので、黒鉄 統真はここで一つ、『初心』に戻ることにした。

 それは――――

 

 

「お前達。『弱さ』とは何だ?」

「え?」

「は?」

 

 

 他者に聞くこと。

 教わり、自分なりに調べた。考察も重ねた。それでも分からない。ならば、他者に尋ねるしかない――それが、昔ながらの統真の学習プロセスだった。

 もっとも、歳を取るに連れて統真の知能が格段に上昇、黒鉄家に引き取られてからは学習のための環境もすっかり充実し、肉体や伐刀者としての鍛錬に些か重きを置くようになったので、『尋ねる』のプロセスにまで至ることは殆ど(・・)なくなっていた。

 

 そしてそれが、本日再び顔を見せた。

 

 

「えっと……兄さん、それってどういう……?」

「言葉通りの意味だ。『弱さ』――『弱さ(妥協や堕落)に走る状況に陥った者の気持ち』が分からん。お前達、思い当たる節があったら教えてくれ」

「……一日の間に一体何があったんですか、貴方は……」

 

 

 唐突な質問を朝から口にする統真に、一輝はそう問い返すしかなく、詳細な説明を足した統真の再びの質問に、桜は頭を抑える。

 

 

「知人にそうした旨を指摘されたのでな。俺なりに一晩調べて考えてもみたが、どうにも分からん。だから訊いているのだ」

「誰ですかその知人。ちょっと連れて来てくれませんか、人の主に妙なこと吹き込むなと言いつけておきたいんで」

「所在は知らん。気づいたらいつの間にか来ている奴だ」

「一輝さんこれからはウチで暮らしましょう。変質者が出没する家に一輝さんを置いておくなんて出来ません!」

「さ、桜さん落ち着いて!」

 

 

 割と本気の目で言う桜を、一輝が必死に落ち着かせる。それを、発端である統真は桜の淹れた茶を飲むだけで口は挟まない。

 変質者といえば確かに変質者であると言えるので、統真も別段否定はしなかった。彼にしては珍しく、どうでもいいことでもあったので。

 

 

「……まあ、その変質者の素性は置いておくとして。一体何の会話をしたらそんな質問をするようになったんですか」

「俺は生まれつき強いらしい」

「……はぁ」

「…………」

 

 

 桜の問いにあっさりとそう答える統真だが、流石にそれだけでは桜も要領を得ない。得ようが無い。

 一輝は一輝で、兄の言葉に静かに耳を傾けている。

 

 

「曰く、俺は『強くなった』のではなく『最初から強い』だけだったらしい。俺には俺なりの努力への自負や矜持がある以上、それをそのまま鵜呑みにする気はないが、指摘された上で省みてみれば成程、そう思える部分もある。俺は『弱さ』に当て嵌まる事柄を定義しそれらを振り払ってきたが、そもそも己を『弱い』と感じたことはなかったからな」

 

 

 肉体、能力、精神――それらのいずれにおいても、統真自身は「自分が強く在れるよう努力したからこうなっただけ。だから誰でもなれる程度のもの」と認識していた。

 しかしその大前提を彼は魔人(ザラストロ)に覆され、知覚して来なかった領分と向き合わなければならなくなった。そうなると、臨む意志は変わらずとも見極める『視点』は変えてみねばならない。

 

 故に、他者に尋ねることにしたのだ。自分が『生まれながらの強者』であるのなら、そうではない、『弱さ』を克服して『強くなった者』、あるいは『強くなろうとしている者』に。

 

 そして、その第一の白羽の矢を立てられた弟と従者は、と言うと――――

 

 

『…………』

 

 

 何とも言えない表情をしていた。特に桜が辟易気味である。

 

 

 ああ、また(・・)『これ』なのか――確かに昨日、「弱さを受け入れられる強さ~」云々と口にはしたかも知れないが、何もその次の日に、しかもこんなダイレクトな形で突っ込んで来いとは言っていない。

 ここ一年以上ご無沙汰だったから油断していたが、まさかここで再発するとは。

 そう、桜は胸中で嘆かずにはいられなかった。

 

 『これ』とは、愚直なまでの統真の疑問追求のことである。基本的には学んだら即座に覚えて応用まで利かせる統真だが、彼でも完全無欠という訳ではなく、一回では分からないことはある。しかし彼はその場で『問い直す』のではなく、教わった知識を基盤に、自ら調べ、考察する。それでもなお分からないと、そこで改めて知識を与えた教師や周りにその疑問をぶつけるのだ。自分が調べ考えた事柄と共に。

 この統真流追求プロセス、その余りの熱心さと容赦の無さから、黒鉄家が手配した精鋭の家庭教師らが揃いも揃って裸足で逃げ出したらしい。まあ、世間一般で言うところの必要知識はとっくに身に着けていたので、問題は無かったらしいが。

 

 そして桜も、この洗礼を受けている。

 彼女の場合、学問やそういったものではなく――悲しいことに、純粋学歴なら統真は既に桜の遥か先を行っている。言っておくが断じて桜が劣っているのではなく、統真が優秀すぎるだけである――、主に人間模様や感情面での事柄だったが。

 

 ――代表例として、こういうものがあった。

 

 

『桜。恋は人を強くするというが、具体的にはどういう仕組みだ? 頷けなくはない、いい言葉だとは思うが、実感できていないものをそのまま受け入れる訳にもいかん』

 

 

 生憎と、恋愛はおろか初恋すらしたことのない桜にそんなものが分かるはずも無く、しかし「訊きたいことがある」と言われた段階で「どうぞどうぞ、年上の私に何でも聞いてください!」などと気軽に請け負ったのが運の尽き。

 とりあえずその場は誤魔化して乗り切り、後日友人から借りた恋愛小説やら漫画やらを片っ端から読み耽って何とかギリギリ納得の行く答えを提示できたことから、それで終わりを迎えられたのだが。

 

 なおその際、「しかしやはり実践は必要か」などと口走り、通っていた学校の女子に交際を申し込もうとしたのを桜が必死に止めたり、更に付け加えるなら、何故か一番身近な自分に矛先が向かないことを桜が腹立たしく思ったりもしたのだが――まあ、それは置いておこう。

 

 

 どうやら、それがまたぶり返したらしい。こうなると徹底して追求するのが黒鉄 統真だ。彼自身では妥協が無い。周りが何とか納得のいく答えを示してやるしかないのだ。

 

 ……しかも「自分は『弱い』ということが分からないから、『弱い』とはどういうことなのか教えてくれ」とは。本来ならそんな変化に喜びたいくらいなのに、この展開では今の桜は頭を抱えるしかなった。

 

 

「そういう次第だ。思い当たる節があるなら教えてくれ」

「……あぁ、もう……分かりましたよ。私に答えられることならお答えします!」

「うむ」

 

 

 どの道、行動に移している時点で後の祭り。こうなった以上は、彼に納得のいく答えを提示するか、より彼の興味を引ける問題を与えるしかないのだ。それとて時間稼ぎにしかならないが。

 

 

「…………」

 

 

 そんな二人の傍らで、一輝だけは一人沈黙を保ち、何かを考え込んでいた。

 

 

 

 そうしてその日の統真宅は、朝からして普段以上の騒がしさから一日を始めることとなった。

 

 

 

 ちなみに。

 

 結局、桜の経験談でも納得が出来なかった統真はそれからも――――

 

 

 足を運んだ道場にいた(王馬)に、

 

 

「王馬、お前に一つ訊きたい」

「何でしょうか、兄上!」

「お前にとっての弱いものとは何だ」

「兄上以外の全てです!」

「……そうか」

「あっ、待ってください兄上! 稽古を! 稽古をつけてください兄上ーっ!」

 

 

 同じく道場にいた黒鉄の門弟達に――しつこく絡んできた弟は一撃で沈めた――、

 

 

「お前達」

「と、統真様!?」

「ど、どうされましたか。ここ最近来られなかったようですが……」

「お前達は自分の弱さを知っているか」

「は? いや、まあそれは……」

「と、統真様の足元にも及べない身なのですから、もちろん……」

「……分かった」

 

 

 屋敷の使用人や女中に、

 

 

「おい、お前達」

「ヒィッ!?」

「と、統真様!? な、何か失礼を……ど、どうかお許しください!」

「……いや、何でもない。行け」

『は、はいぃっ!!』

 

 

 挙句には、

 

 

「おい、親父殿」

「……統真、朝から何の用だ」

「訊きたいことがある。何故お前は弱いのだ」

「――――」

 

 

 昨夜帰ってきたばかりの父親(不仲)を訪ねては面と向かってそう言い放ち、朝っぱらからその胃袋にダメージを与えたりしていた。

 

 ちなみに、厳だけ断定調だった理由は――身から出た錆としか言い様が無い。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「で……結局、納得のいく答えは見つからず、ここにも尋ねて来たと」

「恥ずかしながら」

「君は時折、本当に歳相応の子供みたいになるね」

 

 

 朝の鍛錬を終えた統真は、しかしその日も日下部家を訪れていた。理由は言うまでも無く、『弱さ』への答えを得るためである。

 そんな彼に、食卓のテーブルを挟んで向き合うように座っているのは桜の母・桃歌だった。彼らしいといえば彼らしいその理由に苦笑気味である。

 

 

「『弱さ』か……残念ながら、私の答えも桜とさして変わらないだろうね。

 それに、伐刀者であることを放棄した私は君にとっての『逃竄者』になるのではないかな?」

「ご冗談を。貴女は自らの人生と選択に誇りを持って生きている。そんな貴女の何を貶せと言うのだ。

 己の問いに空虚な答えを得るために他人を貶めるほど、俺は堕ちてはいない」

「くっくっ、そう言うと思ったよ」

 

 

 案の定だったらしい統真の返答に、桃歌は愉快気な笑みを零した。

 

 

「そこ、もう少し静かにしてください。今一輝さんがお昼寝してるんですから」

「やれやれ、お前にそんなことを言われるなんてね。一輝くんの面倒を見ている内に母性にでも目覚めたのか?

 ああ、頼むから少年趣味になど走ってくれるなよ。馬鹿者とはいえ娘に引導を渡すのは忍びない。父さんに」

「だだだだ誰がショタコンですか誰が! 私は純粋な気持ちで一輝さんの面倒を見ているんです! 人間として当然の感情なんです! っていうかそこ父さんじゃなくて私に申し訳なく思うところでしょうが!?」

「静かにしなさい、一輝くんが起きるだろう」

「うぐぐぐぐっ……!」

 

 

 今日もメニュー通りの鍛錬を終えた一輝が、溜まっていた疲労を我慢できず日下部家で昼寝をしており、それに毛布を掛けて見守りつつ抗議する桜と、そんな桜を窘める桃歌、一人瞠目して思案に耽る統真――それが日下部家の本日の風景だった。

 

 

「おや。随分と大所帯なんですね、今日は」

 

 

 そこへ、今の襖が開けられ、萌黄色の浴衣を身に纏った、些か顔色の悪い男性が姿を現す。

 

 

「父さん」

「あら、あなた。起きても大丈夫なの?」

「ええ、今日は調子がいいようなのでゴホゴホッ!」

「あぁもう、無茶をするから!」

「うぅっ……すみませんね、桜」

 

 

 如何にも病弱な風体のその男性――桜の父親であり桃歌の夫である、日下部家の家長・日下部 爽滋(くさかべ そうじ)は、喋っている途中に咳き込んでしまい、背中を娘に擦られつつ、居間の方へ移動する。寝ている一輝を起こさないよう、足取りは静かにしている。

 

 

「やあ統真くん、いらっしゃい。お久しぶりですね」

「お邪魔をしている、ご尊父。身体の方は大丈夫なのか?」

「ええ、本当に今日は調子がいいんですよ。統真くん達も来ていますし、僕もお話に加わりたくて」

「全く。父さんはもっと身体を労わってください」

「はい……」

 

 

 娘の小言に父親は項垂れ、そんな様子を見て微笑みながら、妻は新しく淹れた茶を三人にそれぞれ配った。

 

 そうして場が一旦落ち着くと、居間の座布団に座りながら爽滋が統真を見据えた。

 

 

「さて――それでどうしましたか? 統真くん。何やら悩み事のようですが」

 

 

 そう切り出した爽滋に、統真は軽いため息を吐いて首肯する。

 

 

「相も変らぬご賢察、恐れ入る」

「……父さん、本当にどんな勘の良さをしてるんですか」

「む、失礼ですね桜。この程度、相手の顔を見れば分かりますよ」

「いや、あの鉄面皮で分かれというのは――――」

 

 

 日下部 爽滋。伐刀者でもなんでもない一般人だが、人の内心を鋭く察するその『目』は、統真も嘆息するほどのものだった。

 

 

 

 

 

「なるほど、『弱さ』ですか……凡そ今までの統真くんとはかけ離れた問いですね」

 

 

 これまでの経緯を簡略かつ的確に要約して説明すると、顎に手を当てながら爽滋はそう述べた。

 桜が統真の世話役になったことから日下部家は彼と関わることが多くなり、爽滋も例外ではなかった。特に、仕事柄人間模様やその心理に造詣のある爽滋との対話は、肉体の鍛錬に偏り気味の統真にとって非常に在り難く有意義なものであり、関わる回数は母子と比べれば少ないものの、その濃さは劣るものでもなかった。

 

 

「しかし、『生まれながらの強者』とは……僕個人として否定したいところですが――貴方に関してとなると、そう簡単には言えませんね」

「…………」

 

 

 そう言う爽滋の顔を、統真は何気なしに見る。

 

 日下部 爽滋という人物は、生まれつき身体が弱い上に先天性の病を得ており、幼少は元より、成人してからも床に伏せることが多かったらしい。そんな彼は、それでもかそれ故か勉学に人一倍力を入れ、独学で学業を修了した程の秀才である。

 成人してからは、その身の上から小説や論文の寄稿で生活に不自由しない収入を得ていたが、桃歌と出逢い彼女が爽滋に強く惹かれたことから結婚し、今に至っている。病気療養の為に以前ほどの執筆は行っていないが、某文学雑誌には時折彼の名で作品や論文が載っていたりもする。

 統真自身は桜によって引き合わされるまでは、その名もそうした実績も知り得てはいなかったのだが、今では時折、未寄稿の書き溜めを読ませてもらったりしている。

 

 ――閑話休題。

 

 

「元来、人は弱くして生まれるもの。生まれつき病弱な僕が言うと些か滑稽ですが、しかし事実、生まれながらに強い人間などこの世にはいません。誰もが始めは脆弱に生まれ、そして周りの助けを得て少しずつ強くなっていくのですから」

「……ああ、道理だ」

 

 

 それは正しく、昨日まで統真が信じて止まなかった、当然の人の理。己とてその例外ではない――そう、思っていたのだが。

 

 

「それは統真くん、貴方も同じはずだ。生まれを思い出して――などというのは馬鹿げていますが、貴方が記憶する限りの最も古い思い出を想起してみてください。

 そこには、少なくとも貴方を育ててくれたお母君がいたはずですよ」

「無論だ。忘れはしない」

「そう。そうした点で言えば間違いなく、貴方もただの人。

 しかしまた同時に、『貴方』という人間が(おおよ)その規格を大きく凌駕しているのも事実です。それは、はっきり言えば単に『努力』という言葉で済ませられるものではない。

 貴方が、人の努力や不屈をこの上なく愛しているのは知っていますけど、ね」

「それが『瑕』か」

「その知人の言に拠るならば。そして残念ながら、それは少なからずの事実なのでしょうね」

 

 

 既に語り合いは統真と爽滋の二人だけで成り立っており、桜と桃歌は静かにそれを見守っている。

 

 

「では、今度は『弱さ』という定義を考えてみましょうか。

 統真くん、貴方にとっての『弱さ』とは、どうするべきもの(・・・・・・・・)ですか?」

「克服し、乗り越えるべきものだ」

「でしょうね。確かにそれは正しい――ただ……恐らく、貴方は『正し過ぎる』のでしょうね」

「…………」

「その知人の言葉に倣ってしまいますが――厳然たる事実として、多くの人は君が望む程には強くあれない、ということですよ」

 

 

 爽滋という人物の人柄をそれなりには知っているため、昨夜のように静かな激昂などはしない統真だが、それでもその言葉に顔が険しくなる。

 自己の『瑕』は認識できるようになっても、それにより『人という可能性』を見限るようなことは、許容し難いものだった。

 

 

「安易な道に走らず、誘惑や快楽に負けず、常に自分を鍛え、努力を怠らず、物事に真剣に取り組む――それらは正しく理想です。しかし哀しくも、多くの人にとって理想とは、『極めて困難』だからこそ理想でもあるのです。

 そういう意味では統真くん、貴方はその理想を、正しく己が身を以て体現しています。貴方にとっては為して当たり前の在り方や行動も、貴方を取り巻く多くの者にとっては『自分達では成し得ない理想の強さ』に他ならない。

 そして、人はその理想に焦がれはしても、そこから余りにも遠い己に挫折し、結果安易な道への妥協や、受け入れたくない現実からの逃避・堕落を冒してしまう。自覚していようが、いまいが、ね。

 ――これが、普遍的な『弱さ』の一例でしょうか」

 

 

 一通り喋った爽滋は、桃歌が新しく淹れた茶を口に含む。

 一方で、爽滋の言葉自体は問題なく理解できる統真だが――――

 

 

「……駄目だな。少なくとも今の俺には、そんな考えは理解も許容も出来ん」

 

 

 首を横に振り、否定の言葉を出すしかなかった。

 昨日と変わらず。知識としては認識できても、経験による理解には遠く及べない。故に実感は無かった。

 

 

「でしょうねえ。僕の言葉くらいで解決できるなら苦労はしないでしょう。

 ……ふむ。それに、統真くんについて語るなら、やはり『その道』の大先達にお伺いした方がいいかも知れませんね」

「む」

「え」

 

 

 そう爽滋が提案すると、統真と桜は共に表情を大きく動かした。

 

 

「あの、父さん。それってつまり――――」

「ええ、『裏山』のお二人ですよ。つい昨日、お隣(中国)から帰って来られたのだとか。今なら……そうですねえ、酒盛りでもしてるでしょうから、夕方頃に行ってみてはどうですか?

 あの『お二人』なら、答えとまでは行かずとも何か良い言葉を教えてもらえるかも知れませんよ。

 貴方だけでなく、この子にとってもね」

 

 

 そう言いながら、すぐ隣で寝ている一輝の髪を優しい手つきで梳く爽滋。

 そんな二人の姿を見ながら、桜は複雑そうな顔をし、統真は険しい表情を浮かべていた。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 黒鉄 一輝は、少々困惑していた。今の彼は統真と桜に連れられて黒鉄家の裏山を登っている。

 しかし一輝の困惑の理由は、今の現状そのものではなく、その現状に至るまでの展開にこそあった。

 

 朝の鍛錬を終えると、統真の要望でまた日下部家に赴いたのだが、その日はやたら眠気を誘われた一輝は、桜の勧めもあってそのまま寝てしまった。目を覚ますと、視界には少し痩せ気味な男性が笑顔で一輝を迎え、桜の父親・爽滋であると紹介された。慌てて居住まいを正して挨拶すると、そのまま昼食となった。

 それから後、親しげに語りかけてくる爽滋といくつか言葉を交わしてから黒鉄家の離れに戻り、剣の稽古や勉強を行うと、ちょうど日が傾き始めた頃に統真から「出掛けるが一緒に来るか?」と問われ、二つ返事で同行し今に至っている。

 

 なお、一輝は手ぶらだが、統真と桜はそれぞれ手に風呂敷包みの重箱を持っており、何かと聞いたら「日下部のご母堂の差し入れだ」とのことだった。

 

 

「兄さん、どこに行くの?」

「知人のところだ。少々尋ねたいことがあってな」

「しりびと……?」

「またそんな余所余所しい言い方して。暦とした血縁でしょう」

「血縁……?」

 

 

 統真と桜の会話に、一輝は首を傾げる。血縁と言うことは一輝にとっての血縁と言うことになるのだが、この裏山にそんな人物がいるのだろうか。

 

 

「そうとしか言えまい。英雄としての過去における偉業は尊敬に当たるだろうが、人となりに関しては別だ」

「貴方くらいですよ、大英雄にそんな険しい意見の出来る子供なんて」

「……英雄?」

 

 

 その表現が気にかかる一輝だが、そこから先を考えることは出来なかった。

 

 何故なら――――

 

 

 

「――おおぉ~~~~いっ!!! 遅かったじゃねぇかぁ、さぁくらぁ~~!! 待ちくたびれたぞぉ~~~!!!」

 

 

「ッ!?」

「だ~、もうっ! こんな山中で叫ばないでくださいよ、御爺様!! 下まで声が響くでしょうがっっ!!」

「お前も喧しいぞ」

 

 

 雷鳴の如し――そう思えてしまう程の、脳天まで響く大声が一輝達の耳に届いたからだった。

 その声に桜が返事をやはり大声で返し、隣にいた統真は律儀に突っ込むが、一輝は急な出来事にどぎまぎするしかなかった。

 

 

「に、兄さん?」

「案ずるな。少々喧しいが、害は無い。恐らくな」

「いや、まあ気持ちは分かりますが、人の曽祖父を有害無害で語るのはやめません?」

「曽祖父……?」

 

 

 今一つはっきりしない状況に一輝が首を傾げるが、「行くぞ」と行って統真が手を差し伸べてきた。少し戸惑いながらもその手を握り返して、ちょうど声のした方角に歩いていくと――――

 

 

「家……?」

 

 

 林の奥にポツリと建てられた、純和風の家がそこにあった。

 そして――――

 

 

「おぉ! 来たなぁ、坊主ぅ!! でけぇ方もちっこい方も揃って、良く来たぁ!」

「何でお前が家主面してるんだよ、ここは俺の家だぞ」

 

 

 三人を出迎えた、二人の人物。どちらも髪が白くなって顔には皺のある老年の男だった。

 

 片方は、この時の一輝は知らない概念だが、派手な着物を身に纏った所謂『傾奇者』の様相を呈しており、手には古風な瓢箪まで持っている。江戸時代にでもいそうな風体である。髭は一見伸ばし放題のようで、その実ちゃんと揃えられてはおり、見苦しさと言うものは感じられなかった。

 その人物は瓢箪を握る方とは反対の、空いている手を大きく振り回し、三人を豪放な笑いで出迎える。

 

 そしてその人物の斜め後ろで、そんな様子に呆れているもう一人の老人。

 こちらは落ち着いた濃緑色の着物を緩やかに身に纏っており、胸元にはサラシを巻いている。そうした服装のためか、すぐ傍の傾奇者とは真逆の落ち着いた印象だ。

 ただ、こちらも歳の為に白く染まった髪と髭をしているが、それなりに伸ばした髪は一括りにして肩越しに前へ垂らしており、何より特徴的なカイゼル髭が印象的だった。

 

 一輝の覚えている限りではそのどちらにも見覚えは無く、これまでの『血縁』・『英雄』・『曽祖父』といった単語を思い浮かべてみるが、終ぞ当て嵌まるものはなかった。

 そうしている内にも統真達に連れられて、一輝は二人の老人の前まで来ていた。

 

 老人達の前まで来ると、そこで統真は一輝の手を放し、居住まいを正すとしっかりした礼と共に挨拶をする。

 

 

「お久しく、ご老体」

「ったく、相変わらず可愛げのない奴だ。こりゃあ厳の奴が腹を痛めるのも良く分かる」

「俺は俺が為すべきことをしているだけだ。それで身体を壊すならあの男が軟弱なだけだろう」

「お前と会って以来、あいつら(黒鉄家)が可哀想に思えてきてならねえよ……」

「おぉいリョウ! 見ろぉ、ウチの桜はまた一段と技量良しになったぞぉ!? どうだぁ、今の内に曾孫の嫁として唾でもつけとくかぁ!?」

「煩せぇよ酔っ払い、酒でも飲んでろ」

「いい加減にしなさいこの酔っ払い!」

 

 

 統真はカイゼル髭の老人と、桜は傾奇者の老人とそれぞれ対しており、いずれもそれなりに気心の知れた間柄らしく、遠慮と思えるものは見られない。

 そんな様子を、しかし初対面となる一輝は呆然と見守るしかなかった。

 

 ――するとそこで、統真と向き合っていた老人が、一輝に視線を向けた。

 

 

「――っと、悪いな小僧。放って置いちまって」

「お、こいつかぁ? 坊主が世話始めたっつうちっこい坊主は」

「え、あ、その……いえ……」

 

 

 初対面の二人に距離を感じさせない接し方をされ、一輝は戸惑いのために口篭ってしまう。

 

 

「んだぁ? 随分となよなよしてんなぁ。まあいい、飲め! こいつを少し掻っ喰らやぁ一瞬で大胆にぐふぉっ!?」

「人の弟に何を飲ませようとしている」

「子供に何飲ませようとしてるんですかこの酔っ払い!」

 

 

 そんな一輝にこともあろうに酒を飲ませようとする老人を、統真は容赦なく肘打ちを叩き込み、桜も追撃で脳天に手刀を叩き込んだ。

 

 

「全く……えーっと、とりあえず紹介しますね、一輝さん。

 この、年甲斐も無い言動が目立つ、だらしのなーいお爺さんが、恥ずかしながら私の母方の曽祖父、大鳥 雷峨です」

「ててて……おぉい坊主。桜のはともかく、おめぇの一撃は洒落にならねえんだから、もう少し年寄りを労われよ……。

 あと桜よぅ。大好きな爺ちゃんを、だらしないだの恥ずかしながらだの言って誤魔化すこたぁねえだろ? アレか、今流行りのつんでれって奴か」

「何か戯言ほざいてますけど、基本酔っ払いの発言なんで無視して大丈夫ですから。

 後、またお酒とか飲まされそうになったら大声で叫んでくださいね? お姉さんがいつでもどこでも駆けつけますから」

「は、はい……」

「おいおい、桜……おめぇ、まさかそんな年下が好み――――」

母さん(あんたの孫)に今日の行状言いつけますよ」

「さーてそろそろ飯にでもするかぁ。お、こりゃあ桃歌の差し入れか!? っしゃあ、摘みも手に入ったし飲むぞぉ~!」

 

 

 割と本気で怒気を込めた桜の脅し文句に、傾奇者の老人・雷峨も露骨に話題を逸らし、統真と桜が持ってきた重箱を持ってさっさと家の中に入っていってしまった。

 

 そんな様子に、呆れたと言うよりはもう慣れてしまったと言わんばかりの溜息を吐きながらも、桜は言葉を続ける。

 

 

「えーっと、それで、こちらの方は――――」

 

 

 残ったもう片方の老人を紹介しようとすると、それを統真の声が遮った。

 

 

「黒鉄 龍馬――俺とお前の曽祖父に当たる男だ」

「――え?」

 

 

 そんな思いも寄らなかった発言に、一輝が固まってしまったのは、仕方の無いことだろう。

 

 

「おい小僧、もう少しマシな紹介は出来んのか……」

「何か問題があったか、ご老体。的確な紹介のつもりだったが」

「ああ、お前さんが俺を敬っていないってことはよぉっく分かったよ」

「人が紹介しようとしたのをぶった切っておいて、それですか……」

 

 

 率直と言えば率直だが、あまりにも簡略化された紹介に、そんな紹介をされた老人――黒鉄 龍馬が呆れ、桜も肩を落とすしかなかった。

 

 そんなやり取りを呆然と見ていた一輝だが、その幼い頭脳でも、これまで与えられた情報が繋ぎ合わされて自ずと答えに辿り着く。

 

 統真と一輝の共通する血縁――つまりは黒鉄家。

 黒鉄家の英雄――即ち、大戦の英雄サムライ・リョーマ。

 

 そして目の前の老人こそ、その当人たる黒鉄 龍馬。

 

 ――全てを理解した一輝は、

 

 

「えぇぇぇぇぇーーーーーーっ!?」

 

 

 ただ、そう声を上げるしかなかった。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 近代日本の大英雄サムライ・リョーマ――彼の未曾有(・・・)の第二次世界大戦にて名前を残した、日本の英雄益荒男達の中でも、その名は特に轟いている。

 大戦当時、枢軸国に加担したが為に連合国の熾烈な砲火に晒された大日本帝国を、戦友たる英雄達と共に守り抜き、更に大戦後期に勃発した事変(・・)に際しては、暴走状態だった軍部へのクーデターによる制圧に協力し、連合国との和平締結に尽力した、救国の徒でもある。

 

 ――そんな、想像だにしなかった人物との唐突な邂逅で混乱の極みに陥っていた一輝だが、とりあえずは兄の「落ち着け」という一言で何とか静かになり、そのまま三人と共にその家――この裏山に建てられていた黒鉄 龍馬の自宅に上がっていた。

 

 そして――――

 

 

「さぁくらぁ~! 摘みがもうねえぞぅ、次頼むぅーっ!」

「いい加減にしてくださいこの飲んだくれが! 私達は貴方の酒のお世話をしに来たんじゃないんですよ!?」

「だぁっはっはっはっ、細けぇことを気にすんなよぅ!

 おら坊主(統真)、おめぇも飲め! ちっこいの(一輝)の分もだ!」

「要らん」

「おぉいリョォウ! おめぇの曾孫どもぁ本当に大丈夫か!? 良いナリして酒も飲まねえぞ!?」

「お前、本当にちょっと黙ってろ」

 

「…………」

 

 

 混沌とした状況が繰り広げられていた。

 彼のサムライ・リョーマとその戦友たる益荒男『雷凰』が肩を並べているという、本来なら世の伐刀者達が仰天するような状況だが、その実態は酔っ払い(雷峨)が懲りずに飲んだくれ、周りに絡んでいると言う有様だった。

 一輝だけは兄の庇護で、辛うじて白羽の矢から逃れており、その有様に呆然とするしかない。

 ちなみに桜は、料理を振舞うために台所で善戦中だ。主に、酔っ払いの摘み作りに。

 

 

「……まあ、馬鹿(雷峨)が騒がしいのは置いとけ。その内慣れる。

 改めて自己紹介と行こうか、小僧(一輝)。流石にあんなん(さっきの紹介)じゃ俺も堪らんからな」

「は、はいっ! えっと……く、黒鉄 一輝、です! その……龍馬、さんの曾孫、です」

 

 

 そう言って自分と向かい合う英雄たる曽祖父に、一輝は緊張からたどたどしくなりつつも自己紹介を行う。

 

 

「うむ。俺は黒鉄 龍馬、知っての通りお前の曽祖父――まあ、お前の親父の爺さんだ。

 俺のことはあれこれ聞いているかも知れんが、英雄だの何だの堅苦しいのは苦手でな、楽にしてくれ。こいつ(統真)みたくド直球で来られても困るがな」

「言うべきことを述べたまでのことだが」

「おう、小僧(一輝)。こいつに剣を教わるのはいいが、頼むからこんな風にはなってくれるなよ。流石に曾孫二人からぞんざいに扱われるのは嫌だからな」

「は、はあ……」

 

 

 そう言われて、しかし緊張の全く抜けない一輝は、そんな風に曖昧な返事で精一杯だった。奇しくもいつぞやの桜の台詞と同じである。

 

 

「だぁっはははは! お前は孫達とあんまりツラ合わせねえからそうなんだよぉ! ウチの桃歌や桜を見ろぉ、俺のことをいつでも歓迎してくれるぜぇ!?」

「あぁ、そうそう。御爺様、また父さんに無理矢理酒の相手させたら出禁にすると母さんから伝言です」

「はい……」

 

 

 調子に乗って戦友を指差し笑う雷峨だが、その直後に最愛の曾孫から叩きつけられた警告に、素直に反省の色を示すという体たらくだった。

 

 

「全然駄目じゃねえか阿呆」

「バッカおめぇ、ありゃあ照れ隠しに決まってんだろうが。今頃はお台所で顔真っ赤にしてるんだぜきっと」

「おう、生い先短い酔っ払いジジイの妄言は置いておくとしてだ」

「んだゴルァ! やんのかアァン!?」

「あ? やるのか? 孫の前で恥かきたいのか、あ!? 上海での酔いどれ騒ぎの時のように、素っ裸にして晒されたいのか、あん!?」

「上等だこのヤロウ、表出ろやぁ!!」

 

 

 ちょっとした言い合いはメンチの切り合いに発展、挙句に英雄同士の喧嘩騒ぎになろうとしていた。しかも魔力まで滲ませている辺り、割と本気でやり合う気のようである。

 

 よもやの事態に、幼い一輝はその気迫に当てられて、顔を青褪めさせ硬直するしかなく――恐怖に震えたり威圧されたりしない辺りは、兄との鍛錬の賜物と言える――、そしていよいよ二人の顔が睨み合いながら近づき――――

 

 

 

「子供の前で何しさらしとんじゃゴルァァァァァァッッッ!!!」

「あべにゅっ!?」

「ふんっ」

「ぐぶふぉっ!?」

 

 

 

 その事態を察知した桜の稲妻落し(母親直伝踵落し)が雷峨に炸裂、その顔面を畳の床に叩きつけた。

 なお、今回は龍馬も同罪と見做されたらしく、こちらは統真によって見よう見真似の稲妻落し(再現率9割以上)が叩き込まれている。

 その様子は、幼い一輝からしても息がぴったりと思わずにはいられないコンビネーションだったとか。

 

 ……日本の伐刀者なら誰もが憧れて止まない英雄達の、そんな情けの無い姿から一輝が意図して意識の目を逸らしていたのは、言うまでもない。

 あるいは、それが一輝の優しさだったのかも知れない。

 

 

 

 

 

「……別にお二人が喧嘩をしようが殺し合いをやらかそうが構いません。いい年なんてとっくに通り越した大人なんですから、どうぞ自己責任で好きになさってください。

 ――た・だ・し! 人様の迷惑にならないよう、無人の孤島かどこかでやるように! ましてやこんないたいけな子供の前でなんて論外です!!」

『はい……仰る通りです。はい』

 

 

 曾孫主従によるダブル稲妻落しという制裁を受けた、救国の英雄二人。

 現在は一回りや二回りどころではない歳下の曾孫の娘に揃って正座で座らされ、腰に手を当て仁王立ちで「私怒ってます」という顔の桜に、ただただ首を縦に振って恭順の意を示すばかりである。

 

 黒鉄家関係者の人間はおろか、世の伐刀者達がこの光景を見たらば卒倒していたことだろう。

 

 

「次こんなことやらかしたら、黎瑛(リーイン)さんから教わった極辛煉獄麻婆を食わせますので。釜で丸ごと」

「お、おいやめろ桜、早まるんじゃねぇ! あれはあの『味覚異常な若作りババア』くらいしか喰えねえシロモンだ、断じて人間の食うモンなんかじゃねえっ!!」

「……思い出しただけで舌と胃が……ぐふっ……」

 

 

 止めの釘刺しとばかりに一言付け足しておく桜だが、その一言を聞いた途端に雷蛾はそれまでの振る舞いが嘘のように慌てふためき、龍馬は龍馬で顔を青褪めると、右手で胃の部分、左手で口元を覆った。

 

 これまでの開けっぴろげだった二人がここまで豹変するその麻婆とは如何なる代物なのかと、未だ現実逃避気味に想像していると、その答えは意外なことに隣にいた統真からもたらされた。

 

 

「ああ、あれか。俺もあの料理には感銘と衝撃を受けずに入られなかった。

 食で身体を作るという考えは知っていたが、『食で身体を鍛える』ことが出来るとはな。あれは実にいい鍛錬になった。

 桜、また今度頼む」

『化け物かお前は!?』

「はい、統真様が食べようとすると一輝さんが真似しかねませんから、しばらくはお預けです。

 あれがまともな食べ物でないのは私も承知しているので」

 

 

 感慨深げにそう語る統真の顔は真剣そのものであり、そんな彼の発言に大先達二人は心からの驚愕の声を上げる。こういう部分で彼を化け物呼ばわりする辺りは、流石は英雄だと讃えるべきか何かがズレていると言うべきか、難しいところだ。

 

 さらっと件の料理を所望する統真だが、桜は語った通りの理由で拒否、実際に一輝も「どんな料理なんだろう」という子供らしい好奇心と、「兄さんが食べるなら自分も……」という兄への要らん憧れから食べてみたいと思ってしまったので、あえなくこの提案はお蔵入りとなった。

 

 ――少し後の未来、成長した一輝が遂にその料理を口に含んだ時、彼が何を想いどのような末路を辿ったかは、ここで語ることでもないだろう。

 

 

「では、私は夕飯の支度をいたしますので、今度は静かにしていてください。

 お酒も駄目です。いいですね」

「ちぇ~」

「煉獄麻婆」

「はい飲みません絶対に」

 

 

 最後にそう言いつけると、なおも渋る曽祖父をその一言で従順にさせてから、桜は再び龍馬邸の台所に去っていった。

 

 

「あーやれやれ……桜坊、すっかり桃歌に似てきたな。あれは親父の方に似たと思ったんだが」

「てててて……脳天がまだ痛むぞ。流石は俺の曾孫だなぁ」

「見っともねえザマで的外れな自慢してんじゃねえよ阿呆が。

 あー、悪かったな小僧(一輝)。ちと悪酔いが過ぎたようだ、こいつ(雷峨)の」

「あっ、てめ! なに一人だけいい格好つけてんだコラ!」

 

 

 鳥頭よろしくもう少し前のことを忘れたのかまたも龍馬に突っ掛かるが、龍馬の方は自重しているのかスルーして一輝と向き合っている。

 

 

「い、いえ。ちょっと驚いただけで、そんなには……」

「そうか――と言っても、詫びるのはさっきのことだけじゃあないんだがな」

「え?」

「…………」

 

 

 それまでとは一転して、ふざけた様子など微塵もない雰囲気となり、龍馬はまだ小さな一輝を見下ろす形で、その目をしっかりと見据えている。

 一方の一輝は、そんな龍馬に身を硬くせずにはいられなかった。

 

 そして再び龍馬が口を開く。

 

 

「すまんな。あんな家(黒鉄家)であるばかりに、お前には辛い想いをさせた」

「!?」

 

 

 その言葉と共に、龍馬は幼い曾孫に頭を下げて詫びた。

 そんな曽祖父の行動に一輝は驚きのあまり呆然となり、それを傍で見守る統真と雷峨は、静かに沈黙を通している。

 

 

「英雄だのなんだの言われちゃいるが、俺は――俺達はただあの時(戦争中)、自分に出来ることを我武者羅にやっていたに過ぎん。

 故郷やそこで一緒に生まれ育った仲間を守って一緒に戦って、攻めて来る敵を倒して、手前勝手な『馬鹿』をやらかそうとしていた連中を止めて――そうしてたら周りから英雄だなんだと呼ばれるようになっちまった、ただ少しばかり戦いが上手いだけの人間なのさ。

 あの家(黒鉄家)のこともそうだ。英雄扱いされるようになった途端に持て囃されるようになっちまったが、俺は元々あの家が苦手でなあ。向こうも元々は、俺のような跳ねっ返りは一族の恥のように思っていただろうさ。

 で、息子が次の当主になると、そのまま放り投げて出て来ちまった。まあその息子ってのは、俺とは違って黒鉄の在り方に馴染めていたようだがな」

 

 

 そう己の過去を語る龍馬だが、先程の謝罪に反してそこに卑屈さはない。どこか懐かしさすら感じさせる苦い笑いで、淡々と己の『事実』を語っている。

 

 

「そういうところから見れば、俺の孫――厳やその周りの馬鹿共がお前にやらかしたことも、俺が加担したようなもんだ」

「そ、そんなこと……!」

「まあ、後悔はしてないんだがな」

「……へ?」

 

 

 そう、自分を責めるような発言をする龍馬を一輝が止めにかかるが、次に出てきた言葉に目を点にしてしまった。

 

 

「する訳ないだろ。誰があんな陰気臭いところにいたがるか。家を出た時は清々したぞ」

「そんでその足で一緒にアメリカ渡って暴れ回ったんだったなぁ。懐かしいねえ、カルロスやソーの奴と一緒に屑マフィア潰したり、地方都市牛耳ってた汚職警官ども全滅させたりよぉ」

「…………」

 

 

 まさかの堂々とした宣言に、一輝は唖然となる。龍馬に怒りを覚えたりはしていないが、流石にこういう展開になるとは思いも寄らなかった。

 

 そうしていると、傍で見守っていた統真が険しい顔で口を挟んだ。

 

 

「妙な期待はするな、一輝。良くも悪くもこの老体らは自分に忠実だ」

「お前さんに言われたくはねえんだがな、おい」

「大英雄の名に甘んじておきながらあんなもの(黒鉄家)を放っておいて、よく言う」

「悪かったな、生憎と自分で英雄を自称した覚えなどない。それに俺は政治の類が苦手なんだよ」

「為すべきことを為さなかったものの言い訳か? 見苦しい。苦手なら克服すればいい。それが通る立場も力もあっただろうが。出来ることをしなかった時点で言い訳だろう」

「言ってくれるじゃないか若造。ならお前は変えてみせると?」

「知れたことを。あのような蒙昧共がのさばりこいつ(一輝)のような輝き(可能性)を踏み躙る世など断じて認めん。

 誰も成し得んというのなら、俺が成すまでだ」

 

 

 一気に加熱する曽祖父と曾孫の口論。片や相手の『不誠実』を容赦なく指摘し、片や飄々としつつもそれを受け止めている。

 そんな二人の様子に、ある意味でことの発端になってしまった一輝はどうしていいか分からず、しかしせめて止めようと口を開く。

 

 

「あ、あの、二人とも、その、喧嘩は――――」

「ああ安心しろよぅちっこいの(一輝)。ありゃあアイツらなりのじゃれ合いみてえなもんだ」

「じゃ、じゃれ合い……?」

「ほれ、おめぇの爺様よく見ろ。ニヤけてんだろ? 嬉しいのさ、手前(てめぇ)の孫がああやって面と向かって言ってくるのがな。

 おまぇの兄貴も……まあ、あんなツラだが、楽しそうだぜ? 多分な」

「…………」

 

 

 それを、桜からの言いつけの為に酒ではなく茶を飲んでいた雷峨が留まらせ、そう指摘する。一輝には今一よく分からないが、確かに、『熱』はあっても『緊張』はそこになく、二人の様子も交わす言葉に反して嫌悪の類は存在しなかった。

 

 

「――っと、話が逸れちまったな。

 まあ、それでだ小僧(一輝)――――」

「一輝だ。己の曾孫の名前も覚えられない程に耄碌したのか、老体」

「ったく、分かった分かった――で、だ。一輝よ」

「は、はい!」

 

 

 統真との対談を切り上げて本題に戻る龍馬だが、そこで再び統真に指摘を入れられてようやく一輝を名前で呼ぶ。

 呼ばれた一輝はというと、改めて名で呼ばれたことに妙な緊張感を覚えて居住まいを正す。

 

 

「もう一度言うが、俺は自分のしてきた行動に後悔はない。反省すべき点はあった、と思うがな。

 だが、お前が自分の受けた仕打ちや境遇を、まあこいつ(統真)の言う通り、過去の俺の行動次第で止められたかも知れないのも事実だ。だから、お前には俺を責める権利がある。

 言いたいことがあるなら、ここでぶち撒けとけ。お前のこれから(未来)の足を引っ張るような感情ごとな」

 

 

 そう言う龍馬の顔はそれまでと同じ飄々としたものだが、その中には真剣さが宿っている。適当なその場凌ぎの言葉でない、彼なりのある種の覚悟がそこにあるということが、何となくではあるが一輝にも感じられた。

 

 そんな曽祖父の言葉を受け、しばし沈黙し顔を俯かせて考えていた一輝は、ふと兄を見上げると、しばしその顔を見つめる。それを受けた統真もまた、静かにその目を見つめ返した。

 

 そして――――

 

 

「えっと……その、ぼくに難しいことは言えません、けど――――」

「けど? 言いたいことは遠慮なく言いなさい」

 

 

 若干遠慮がちに口篭る一輝を、静かに龍馬が促す。

 それを受けると、一輝は決意したように顔を上げ、言葉を紡いだ。

 

 

「ぼくは、龍馬さんを――お祖父ちゃんを恨んだりしません。恨む理由が、ないから」

「――――」

 

 

 そんな一輝の言葉に、さしもの龍馬も目を丸くする。しかし何かを口にすることはなく、まだ何かを喋ろうとしている一輝の続きを待った。

 

 

「その……確かに、辛かったです。どんなに頑張っても、みんな――珠雫は違うけれど――からいないように扱われて、父さんには『何もするな』って言われて、閉じ込められて……もう、いなくなりたいって思ったこともありました」

「ああ、そうだな。それが普通だ」

「でも……言ってくれたんです、兄さんが」

「ほう?」

「――『努力した自分を誇れ』って……僕が努力し続ける限り、ちゃんと僕に応えてくれるって、言ってくれたんです」

 

 

 そう言って、再び兄に視線を向ける。自分でかつてのことを口にしたのが気恥ずかしいのか遠慮がちな視線だが、そんな自分を見返してくる兄の視線から目は逸らさない。

 

 

「だから……『もういい』って言うわけじゃ、なくて……その……自分でもよく分からないんです、けど……その……ぼくは、大丈夫です。

 ぼくは、これからも頑張っていきます。諦めずに」

 

 

 精一杯言葉を探してもそれはたどたどしいものであったが、しかしその場にいる誰一人、その言葉を笑うものはいなかった。

 

 

「……そうか。良かったな、一輝」

「……はい!」

 

 

 そんな曾孫の言葉を受けた龍馬はただそう返し、そんな龍馬に、一輝は屈託のない笑顔で応えた。

 

 それを見てニッと笑うと、龍馬は一輝の髪をワシャワシャと撫で回す。

 

 

「うわっ!? お、お祖父ちゃ……!」

「ははっ、こりゃあ当面死ねそうにねえな。随分と『見たいもん』が増えちまった」

「呵呵、なぁに言ってやがる。オメェがそうそうくたばるタマかよ。

 この(めぇ)だって、大陸の連中が山ん中でこっそりやらかしてた胸糞悪い場所一人で吹き飛ばしてきたくせによ。ほれ、あのめんこい娘を助けたら惚れられた奴」

「あぁ、そんなこともあったか? まあ、その話は止めとけ。もう飯らしい」

 

 

 そう言うと最初に龍馬、続けて雷峨と統真、最後に一輝が立ち上がり、夕食の為に居間へと足を運ぶ。

 

 その際、龍馬は雷峨と一輝を先に行かせ、統真と並んだ。

 

 

「お前の悩みは飯の後に聞いてやる。それでいいな?」

「……ああ」

「それと」

「何だ」

「……ありがとうよ」

「礼など不要だ。全てはあれ(一輝)の行動の結果でしかない。讃えるべき相手を間違えるな、老体」

「……そうかい。そんじゃあ、飯とするかね」

 

 

 そう言って足を速めて先に向かう曽祖父を、統真は少し見眺めてから、自らも続いた。

 




 はい、そういう訳で大英雄サムライ・リョーマさんでした。後は桜のお父さんと爺様。簡単に説明をば致しますと、

■龍馬の生存
 少なくとも原作開始前には臨終されているらしい龍馬さん。前書きにも記しましたが、ここではオリキャラの戦友や今後の彼の『役割』のために原作でもちゃんと生きてもらうことにしました。
 ご納得できない場合は、どっかのニートもどきが因果律歪めたとご容赦を;
 言うまでもありませんが彼周りの事柄は、ある程度既知の原作内容からの推察を取り入れはしましたが開き直って(!)仕立てた、ほぼ勝手な独自設定ですのあしからず。
 なお、統真の龍馬に対する言動ですが、別に本気でどうこう言っている訳ではありません(本心もありますが)。雷峨の言った通り、半分以上はじゃれ合いです。無自覚ですけど。
■日下部 爽滋
 桜のお父さん。口調が丁寧なのでどこぞの神父を思い浮かべたり病弱だからと逆十字を想起したりされるかも知れませんが、全然違いますから;
 爽滋さんに関してはlight系譜ではなく、PS2ゲーム『ゼノサーガシリーズ』のジン・ウヅキを病弱にした、とでも思っていただければ……うん、物凄い違和感が;
 CVは言うまでもなく田中秀幸さん。
■雷峨
 前話では回想でのみ触れられた英雄の一人。龍馬を「リョウ」と呼ぶほどには仲良しで、よく海外を渡り歩いたりしてます。日本にいる時は日下部家に入り浸ったり。
 なおキャラクターモチーフですが、一応は神咒神威神楽の覇吐が一番強い割合ですね。女に情けなくはないですが、仲間が大好きな傾奇者という点では彼が最も近いです。
 ちなみに桜が言及した人物『黎瑛』も彼らの戦友の一人という設定のオリジナルキャラクターです。こちらもいつか形にして出したいですね、龍馬さんと絡ませたりして。

ついでに

■黒鉄親子
 王馬くんは、まあ、昔からこんな化物兄貴の前に晒されてきましたから、何かが突き抜けてしまったようで;
 厳パパ?こんなものでしょう(しれっ) しかし3巻読んでみた時点での感想ですが、なんかFate/Zeroの切継と時臣の悪いところを足して割ったような感じですね、作者的には;


 今回は前半の流れのようにギャグを多めにするつもりでしたが、なんか後半の龍馬周りがしんみりとしたものに;
 龍馬と一輝の語り合いは、原作での短い触れ合いだけじゃない、「(曽)祖父と(曾)孫」として触れ合わせたかったと言う個人的な思いの結果です。結局は統真絡みになってますが、まあ主人公同士ですし;

 今回は前回の流れに続く形で統真の「弱さ」への探求を起点としました。そうしている内にこの話も3話目;次回は、次回こそは締めくくられる予定です;
 モチーフとなったキャラ達は、彼らは彼らで物語中に「気づいていく」こともありますが、統真は結局はまだ13歳の子供。ならばこういうことにもなるかな?という内容になりました。
 ……すんげえ今更ですけど、こいつまだ中学生ですらないんだよなあ;次話で入学するけど;

 それではまた次回に。気長にお待ちくださいませ。


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邂逅篇 Ⅵ:強さと 弱さと 己と  終

 漸く、今回を以てこの「強さと弱さと己と」の話は終わりを迎えます。イヤー、ナガカッタナー(白目
 しかし書いていて何度も思いましたが、よくまあこんな、作中では半日にも満たない時間の、しかも堂々巡り気味な内容を一万字以上掛けて書いているな自分。書いている作者が辟易しました。自業自得ですが;

 今回、事前に申し上げておく事柄が三つあるのですが、先ずこの四部編成の話の番号振りを「壱・弐・参……」から「序・破・急・終」にしました。雅楽の三拍子、というよりは戦神館の五常楽から一つ抜いた感じに合わせてみました。ええ、ただの見栄ですOTL

 次いで、ある意味で今回の話で大きく描かれた龍馬さんの言動ですが、ほぼ作者の妄想による捏造です。これに関しては過去改変・捏造による原作乖離前提で臨んでおりますので、悪しからず。

 最後に、今回もオリキャラの登場。と言っても時系列的には故人ですが。一応。
 読んでみて「あれ、これあの人じゃね?」とか「おいキャラ穢してんじゃねーぞ」と思われるかも知れませんが、平にご容赦を(土下座

 それではどうぞ。


 過去と現在、そして未来は常に繋がっている。

 過ぎ去りし『かつて』なくして『今』はなく、『今』を走破しないものに『これから』はない。総ては一繋ぎの道筋。

 

 なればこそ、過去より続く因果もまた、それより未来である現在に受け継がれていく。善きものも悪しきものも、平らに、等価に。

 

 そしてそれは、往々にして『運命』にすら影響を及ぼす。

 そうして、遥かな過去よりの波及を受けし『運命』は、やがてその先の『未来』すらも塗り替えていく。

 

 

 さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「『弱いということが分からない』ねえ……我が曾孫ながら、なんともふざけた悩みだな、おい」

「生憎と俺は至極真面目だ、ふざける余裕などありはしない」

「知っとるよ。だから余計にアレなんだろうが」

 

 

 龍馬邸での夕食を終えて後――龍馬は自身を訪ねてきた統真からの相談を受けていた。

 今は家の縁側に統真と龍馬だけが並んで座っており、一輝は後片付けをしている桜の手伝い、雷峨は夕食を食べ終えたばかりだと言うのに、もう寝転がっている。

 

 曾孫の、一見すれば常識外れとしか言いようのない悩みを、しかし龍馬は無下にすること無く聞き届けていた。

 

 

「さて、なんと言ったもんか……お前、本当に分からんのか?」

「ああ。全く理解が及べん」

「こりゃあ重症だな」

 

 

 にべもなく言ってのける統真に、さしもの大英雄も溜息を吐くしかないらしい。

 統真は統真で、そんな反応をされるのは予想の範疇だったのか特に反駁することもなく、ただ、そんな曽祖父の横顔を見据えていた。

 

 

 

 統真がこの大英雄たる老人と対面したのは、彼が黒鉄家に引き取られてから三年程が経っていた頃のこと。

 この時、既に黒鉄家やその堕落を看過している父親らとは反目して久しく、そしてその特異性故に多くの人間が、彼に近づき関わることを畏れ忌避するようになっていた。

 

 そんな折、一人で家の裏手の山で一人剣の鍛錬をしていると、英雄たる曽祖父は統真の前に現れた。

 

 

『そうか。お前が……』

 

 

 第一にそう口にし、じっと統真を見据える龍馬。そしてその視線に何ら臆すること無く、同じようにその目を見据え返す統真。

 凡そ普遍的な曽祖父と曾孫の初邂逅とは程遠い、険悪とは行かずとも良好とも言い難い空気が、その場に流れた。

 

 当時の統真はまだ己の曽祖父たる龍馬の老いた顔を知らず、故に己の前に現れた老人とは相対の構図を崩さなかった。何より、その老人がその時点では己より高みにある人間だと、本能的に察することができたからでもあった。

 

 しかし、理由は他にもあった。それは――――

 

 

『ご老人、()を見ている。人と向かい合っておきながら()を見ているのだ、貴方は』

 

 

 目の前の人物が、己を通してこの場にいない『誰か』を見ていると、本能的に理解できたが故だった。

 それが誰なのか、龍馬にとってどういう人間なのかは、龍馬という人間を知らない当時の統真には流石に察しかねたが、それでも、彼が己に『誰か』を重ねていたのは確かだった。

 

 さしもの大英雄も、初見の、しかもまだ幼い曾孫にそれを見抜かれたことには目を見開いて驚いていたが、直後には苦笑と共にその非礼を詫びた。

 

 

『すまんすまん。歳を食うとちょっとしたことで昔を思い出しちまうもんでな。許せよ、小僧』

『小僧ではない。黒鉄 統真、それが俺の名だ』

『おう、それは重ねて済まなんだな。

 俺は黒鉄 龍馬。お前の曽祖父に当たる男だ』

『なるほど。初見となる、曽祖父殿。世間一般の事柄なら、お話は色々と』

『……やれやれ、随分と風変わりな曾孫が出来たもんだ』

 

 

 それが、黒鉄の名を持つ二人の男の初対面となった。

 

 その日は、それからいくつか言葉を交わした後に別れ、龍馬はそのまま裏山の己の住まいに戻り、統真は統真で剣の鍛錬を終えてから帰宅した。

 

 その後も、龍馬が裏山にいる時に統真がそこで鍛錬を行えば顔を出して幾許かの言葉を交わす――それが、これまでの統真と龍馬の関わり具合であった。

 

 龍馬からそんな異端の曾孫の存在を聞きつけた戦友の益荒男(雷峨)が統真を訪ねて来たり、その戦友が自身の曾孫()を統真の世話役に宛がったり、その世話役に連れられて初めてこの裏山の隠れ家に連れて来られたり――そうした出来事からも、既に三年の月日が経っていた。

 

 さしもの統真も――そして恐らく龍馬も――、今回のような理由でここを訪ねることになるとは、あの頃は思ってもいなかったことだろう。

 

 

 

 曽祖父の答えを待つ間、統真は何となく、そんなことを想起していた。

 

 そうしてしばらく、縁側から夜空を見上げて沈黙していると、徐に龍馬が口を開いた。

 

 

「統真よ。生憎だが、その問いに関する答えなぞ俺は持ち合わせとらん。

 もっと強くなりたいと、力が欲しいと喚いたり嘆いたことなぞ一度や二度じゃあないし、己の弱さに悔しくて血反吐を吐いたことだって何度もある。今じゃあいい思い出――と、言い切れるもんでもないがな」

「…………」

 

 

 そう語る龍馬の表情は、先程まで統真や一輝に見せた曽祖父の顔ではなく、どこか遠く――あるいは遥かなかつて(過去)に思いを馳せる、人間として清濁を併せ呑んできた一人の男(黒鉄 龍馬)の顔となっていた。

 

 

「だから――代わりに『ある男』の話をしといてやる。

 本当なら『奴』のことなんぞ口にするのも厭だが……まあ、無愛想な曾孫がわざわざ相談しに来たんだ。爺としちゃあ何か一つくらい、持って帰らせねばなるまいよ。

 奴の話を聞いてお前が何を思い感じるかは、それこそお前次第だ」

 

 

 そう言って言葉を切るのと同時に、龍馬は隣にいる曾孫と同じく、庭先に向けていた目を統真へと向ける。

 統真もまたそんな曽祖父に応じて龍馬と向き合う。

 

 そこにいたのは、己と同じ道を歩んでいる後続を真剣に見据える、サムライ・リョーマと呼ばれる大英雄に他ならなかった――少なくとも統真は、目の前の己が曽祖父たる男の様子をそう認識した。

 

 同時に、単なる心成しなどではなく統真と龍馬を囲む場の空気は張り詰め、その外と内に明確な差異を生み出す。

 

 そうして、龍馬が語りだした。

 

 

「俺が奴と対峙したのはあの戦争――第二次世界大戦の終わりだ。連合国も枢軸国も意味を成さなくなった『あの戦い』で、俺は、俺達は奴と戦った。

 奴は強かった。俺が知る中での『最強』を選ぶなら、どんなに不快でも『あの男』だと応えるしかない。

 奴がそうやってあれ程の力に至ったか、お前のような(・・・・・・)境遇だったかどうなのかは知らん。知りたくもない。だが少なくとも、俺の人生で最も熾烈だったあの時代(大戦中)で、奴こそが俺の知る『最強』だった。

 あの時代……いや、今の時代においても奴に並べ立てる奴などいまいよ――お前とどっちが、なんてくだらない質問はしてくれるなよ。孫があの『クソ野郎』と比べられるなんぞ、考えたくもない」

 

 

 その言葉に、しかし話題の対象への賞賛はない。嫌悪・憤怒・苦渋――そうした様々な感情が、言葉だけでなく表情にまで浮かび上がっていた。

 

 吐き捨てる龍馬に統真が口を挟むことは無く、ただその言葉を静かに傾聴していた。

 

 

「当時、奴の周りには色んな人間がいた。

 軍人として奴に敬服していた者、公務を越えて奴個人を慕っていた者、奴に対抗心を燃やしその命を狙っていた者、奴によって救われた者や逆に何かを奪われた者……様々な人間が奴の下に集い、思惑はどうあれ奴の歩んだ道程に付き従い――あるいは引き摺られていった。

 人望も、まぁあったんだろうよ。実際に奴は有能だった。それこそ、奴が身を置いていた国やその同盟国のお偉方などより余っ程優秀だったらしい。敵からも味方からも、何度も暗殺されかけた程にな」

 

 

 そこで一旦言葉を切り、手に持っていた茶を一口含んだ。

 その際に顔を顰めたのは、茶が冷めて不味くなっていたからか、それとも自らの語る言葉によるものか。

 

 

「だがな統真、奴は常に『独り』だった。どれ程に周りに人がいて、どれ程に慕われ憎まれていようと終始、奴は一人だったんだ。

 何故か分かるか? ああ、分からんだろう。それでいい。お前には――いや、凡そ真っ当な感性を持つ人間には先ず分からん理由だ」

 

 

 言葉を重ねるにつれて龍馬の顔は険しさを増していく。まるで目の前に、今彼の語る人物がいるかのように。

 

 

「何故なら、奴にとってはそいつら――いいや、自分以外の全てが『道具』だったからだ。奴にとって、奴と対等足る『人間』は一人もいなかったんだよ。

 奴には己の周りにいる誰もが、自分の役に立って朽ちていく『道具』としか映っていなかった――俺には、そう思えた。今もそう思っている。

 連中の中には、そんな自分の末路をそれでも嬉々として受け入れて逝った連中もいたがな。俺に言わせれば、あれこそ無駄死にだ。犬死だ。死に方が酷かったんじゃあない、『死ぬ理由』がくだらな過ぎたんだ。

 血に飢えたイカれた戦争狂も、ただ任務に忠実だった兵士も、奴の為にと捨て身になった連中も――全員が結局は、使い捨ての道具として無駄死にをさせられたんだ。

 どいつもこいつもが、結局最後は――奴の狂った夢のために死んで逝った。狂人の悪業と名に塗れてな。

 当人達が望んだのなら、満たされて逝ったのなら――なんて気持ちはこれっぽっちも浮かばなかった。ただ腹が立って思わずにはいられなかったよ。『何であんな男の為になぞ死んでいくんだ』とな」

 

 

 そう語りながら龍馬は一度、統真を視界から外して再び庭先に視線を向ける。

 

 

「一度だけ、奴に尋ねたことがある。『お前にとって彼らは何だったのだ、何故あいつらの死に目を余さず見届けながらそうしていられるのだ』と――我ながら若かったよ。今の俺なら、ツラを見ただけで問答無用に斬りかかっていることだろうさ。

 奴は、そんな俺の質問にこう答えやがった。心底愉しそうに、嬉しそうにな」

 

 

 

『痴れたことを訊いてくれるなよ。あれらはあれで私を愉しませてくれたのだ。ならばその散り様を讃えこそすれ、嘆くことなど何があるという。

 さあ、お前達も私を興じさせてくれ。その身は私を愉しませるための武具(モノ)であろうが』

 

 

 

「――奴のその言葉を聞いた時ほど、誰かを『滅ぼしたい』と感じたことはない。あの時ほど誰かの存在を否定したことはない。『あの男』ほど『こいつは生かしてはいけない』と思ったことはない。

 今でも鮮明に覚えているよ。まるでこの世の全てが、己を愉しませるために在るのだと言わんばかりの――あの、全てを高みから見下ろす目をな」

 

 

 ギリッ、と歯を食い縛り摺り合わせる音が統真の耳にも届いた。そしてその顔は月夜に照らされ、その胸の内にある感情が露になった老人の形相が浮き彫りになっている。

 その貌を人は、修羅か羅刹とも呼ぶのかも知れない。

 

 

「誰も彼もが、奴のイカれた『夢』――いや、虚妄のために死んでいった。奴の部下も俺の仲間も、等しくな。

 その挙句、死ぬ時まで奴は、心底愉しそうな、そんな笑いを浮かべながら逝きやがった。

 勝ったなんて気は、これっぽっちも湧かなかったよ。まるで、永い悪夢を見せられた末の最悪の寝起きのようだった。唯一の救いは、それがあの戦争の終わりでもあったということだけだ。

 ……いかんな、どうにも余計なことまで口にしちまった」

 

 

 そんな己が感情を抑えきれていなかったことに気づいたのか、残りの茶を飲み干すと一度顔を大きく顰め、直後には落ち着いた表情へと戻っていた。

 それでも、統真にはその表情の随所に、覆い隠しきれない龍馬の感情を見て取ることが出来たが。

 

 

「分かるか? 統真。奴は独りだった。そうなるしかなかった(・・・・・・・・)んじゃあない、自分からそうなった(・・・・・)んだ」

 

 

 そう語りながら、龍馬は己が曾孫を見据えた。それに対し統真も、ただ静かにその視線に応じる。

 そして――――

 

 

「奴の『強さ(怪物)』の原点は分からん。生まれからしてそうだったのか、血反吐を吐きながら這い上がってきたのか――いや、違うな。奴に限って言うなら、そんな経緯などどうでもいい。

 俺が奴と対峙したあの時点で、奴は完全に外れて(・・・)いた。あれはもう、人間なんかじゃあなかった。あれは正真正銘の怪物だ。人間と言う器を象っていただけの怪物だった。

 『人間(弱さ)』を理解できなくて、ただそういうもの(・・)なのだと見限って見下ろして、使い潰したらそこまでの『道具』と貶める――そんな怪物になったんだよ、奴は」

 

 

 ――その言葉に、統真は僅かに目を見開いた。

 同時に、統真の意識はある言葉を思い起こさずにはいられなかった。

 

 

 

 ――君は自覚せねばならない。君が抱く『それ』が、如何に傲慢で無知なものであるかを。

 

 

 

 それは、昨夜に彼の魔人が語った言葉の一端。それが統真の意識の内で反芻される。

 まるで、すぐ傍にあの魔人がいて、耳元で囁いているかのような錯覚に襲われた。それでも、慌てて周りを見回したりせず、ただ龍馬と向き合っているのは、その精神力が成せるものだろう。

 

 

「奴の『それ』が、お前の『それ』と同じかは分からん。そうであって欲しくないと思わずにはいられんが、それこそ知りようがない。

 ――だからな、統真よ。俺がお前に言えることはこれだけだ」

 

 

 そこで言葉を切ると、龍馬は身体ごと統真へと向き直る。統真も、一拍子遅れてからそれに倣い、龍馬と正面から向き合う。

 

 そして――――

 

 

 

「――周りを頼れ。肩の力を抜いて、な」

 

 

 

 そう言いながら、右の人差し指で統真の額をトン、と小突いた。

 思わぬ龍馬の不意打ちに、さしもの統真も目を見開いたまま瞼を上下させ、真剣だった表情は怪訝なものに変わって訝しむように眼前の龍馬を見ている。

 

 そんな曾孫を見て、真面目な顔をしていた龍馬はそれを崩し、ニヤリと、悪戯が成功した悪餓鬼みたいな表情を見せた。

 

 

「それでいいんだよ。解らないことがあったら他人に聞いて、頼ればいい――今回のようにな。そいつは、お前が奴とは違う証明だ。

 誰かを『頼る』んじゃなく『使って』いた奴とは違う証明だよ」

「…………」

「人はな、頼り合うんだ、統真よ。力が足りなくて、知恵が足りなくて、だから助け合う。それが出来ていれば、お前さんは大丈夫だ。頼ろうと思える誰かがいるのなら、大丈夫だ」

 

 

 そういうと、今度は先ほど一輝にやったように、乱暴に統真の髪を撫で回す。そのせいで、後ろで一括りにしている統真の髪が左右に激しく揺れた。

 そんな曽祖父の暴挙を、しかし向けられた言葉を咀嚼することに集中している統真は、されるがままになっている。最も、目が僅かに据わりかけているが。

 

 そんな統真を見ながら、やがて手を退けた龍馬は再び言葉を紡いだ。

 

 

「なあ、統真よ。『弱さ』っていうのはな、そういうものも含まれるんだよ。

 助け合わなければならない、助け合って寄り添い合いたいと思う『人間らしさ(弱さ)』――けど、お前さんはそれが悪いことに思えるか? そんなものは間違っていると、そう思えるか?」

「――――」

「それでいいんだよ。そいつが『悪くない』と、『楽しい』と思えるのなら――お前は人間だ。ちゃんと『人間らしさ(弱さ)』を持った人間だよ。」

 

 

 続いたその言葉を、統真は静かに聴き、瞑目し――そして受け入れた。

 

 

「……ご教授痛み入る」

「やれやれ……そういうところを直して欲しいんだがな、俺としちゃあ」

 

 

 居住まいを正すと、やはり堅苦しく礼を述べる己の曾孫に、龍馬はそう苦笑を漏らすしかなかった。

 

 そうしていると、ちょうど洗い物を終えたのか桜が一輝を連れてやって来る。

 

 

「お待たせしました、龍馬様。

 洗い物は全部終わってますし、夕餉の残り物も取り置いてありますので、明日の朝にでも召し上がってください」

「おう。いつもありがとうよ、桜坊。

 さて――今度はこっちの番か。おい統真、一輝を少し借りるぞ?」

「え?」

 

 

 龍馬は桜に礼を言うと、一輝に目を向けながら立ち上がる。

 そんな曽祖父の突然の言葉に、一輝が目を白黒させるのは自然なことだった。

 

 

「俺に言うことではないだろう。本人に聞けばいい」

「だそうだ、一輝よ。食後の散歩に少し付き合ってくれんか?」

「え、あ……はいっ。僕でよければ……」

 

 

 食事前のやり取りで他人行儀なところは払拭されたものの、今日が初対面である龍馬に対してはまだ硬いところが抜けない一輝は、緊張しつつも提案に応じた。

 

 

「よし。じゃあ少し歩いてくるから、お前さん達はここで少し休んでな」

「分かりました。では一輝さんをよろしくお願いしますね、龍馬様」

「い、行って来ます」

「ああ」

 

 

 そうして、縁側に置いてある下駄を履き、隣に一輝を伴いながら龍馬は自身の住まいから離れていった。

 

 そんな二人の後姿を見届けながら、桜は統真の斜め後ろに控えるように自らも座る。

 

 

「……何かいいお言葉はいただけましたか?」

「……さあな」

 

 

 どこか心配げに聞いてくる桜に、しかし統真は明確な答えは出さない――出せない。

 

 龍馬自ら語った人物の例、人を頼るという『弱さ』の許容。それが、統真の目的である『弱さへの理解』にもその糸口と目している『己の弱さの求道』に直接繋がった訳ではない。

 なので、それに関してならこの来訪も目ぼしい収穫があったとは言えない結果だった。

 ……ただ。

 

 

「道の一つは示してもらえた」

「道……ですか?」

「ああ。俺がもっとも『ならない』と思う道をな」

「……そうですか」

 

 

 そう意味深に語る統真を、しかし桜が必要以上に追求することはなく、二人は静かに、月の照らす夜空を見眺めた。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 月明かりに照らされているとはいえ、夜の山は幼い一輝にとって危険な場所である。

 なので現在、龍馬の散歩に付き合っている一輝は、その龍馬と手を繋いで林の中を歩いていた。

 散歩であるためか小さい一輝に気を使っているのか、龍馬の足取りは非常にゆったりとしている。

 

 

「よし、着いたぞ」

「え?」

 

 

 唐突に歩みを止めるとそう言う龍馬に一輝が疑問の声を出すが、龍馬に前方を促されそちらを見ると、そこには大小二つの岩が埋もれていた(・・・・・・)

 それが何なのか――岩なのは分かるが、何のためのものなのかは皆目見当がつかず、一輝は首を傾げるしかない。

 すると、そんな一輝を見て苦笑した龍馬は、再度一輝の腕を引っ張って岩の方へと連れて行く。

 

 

「以前、雷峨の奴がどっかの岩場からあの岩二つを持ってきてな、あそこに埋め込んだのさ。大方、こんな月夜にあそこで酒でも飲み明かそうと思ったんだろうよ。結局、一度もやったことはないがな」

「はあ……」

 

 

 そう龍馬が説明するが、一輝には今一ピンとこない。月見酒の風情など幼い子供に分かるはずもなく、それが当たり前の反応だった。

 

 そうしている内に岩の前に辿り着いた二人。龍馬は一輝の身体を持ち上げると大きい方の岩に乗せ、自身はすぐ隣の小さい方に腰を降ろした。

 持ってくる時に吟味でもされたのか、はたまた雷峨が自ら手入れでもしたのか、岩は座ってもあまり違和感がなく、それどころかそれなりに座り心地がよかった。

 

 

「よっと……あいつ(雷峨の奴)、こういうくだらないことには精を惜しまないな、本当」

「あ、あの……お祖父ちゃん。どうしてここに?」

 

 

 ちょうど岩の高低もあり目線が並ぶようになった状態で向き合うと、一輝が緊張した面持ちで一人ゴチる龍馬に尋ねた。

 

 

「ん、ああ何、せっかく来たんだ。お前さんの胸の内も聞いてやろうと思ってな」

「ぼ、僕の――ですか?」

 

 

 そう言って自分を見据えてくる龍馬に、一輝の緊張は一層強まる。

 一輝としては、先程の食事前の語らいで十分、言いたいことは言ったつもりだったのだが。

 

 そう、一輝が思っていると。

 

 

「一輝よ――お前にとって、黒鉄 統真は何だ?」

「え……?」

 

 

 それまでの飄々とした態度はなくなり、真剣な目で己を見る曽祖父の姿が、一輝の前にあった。

 

 

「兄だとか師匠だとか、そういうことじゃあない。

 お前にとって――黒鉄 一輝という人間にとって、黒鉄 統真はどう思えているのか。それを聞いているんだ」

「どう、思う……」

 

 

 幼い子供に向けるにはあまりに抽象的な問いを、しかしどこまでも真面目に龍馬は向け、向けられた一輝もまた、質問を口で反芻しつつ咀嚼しようとする。

 

 質問から数分ほど。一輝が子供の思考で必死に考察し、龍馬がそれを静かに待った。

 そして――――

 

 

「……目標、です」

「目標か」

「……はい。ぼくが兄さんを目指すなんて、すごく無茶で、馬鹿みたいに思われるかも知れないけれど……でも――それでもぼくは、兄さんのように強くなりたい」

 

 

 そんな、偽らざる己が胸中を、拙い言葉で、しかし精一杯吐き出す。それを、龍馬は真正面から受け止め、しかし何か言葉を返すこと無く一輝を静観していた。

 

 

「ここで、この裏山で兄さんの素振りを見た時――すごいと思いました。何がどうとか、細かいところは説明できないですけど……ただ、すごいと思いました。

 それから、兄さんのことを詳しく知って、あんなに強いのに、それなのにもっと強くなろうとしていて……すごく羨ましかったんです」

「強いことがか」

「違います……羨ましくはあるけど、違うんです」

「どう違う」

「強くなろうとしていることが、諦めないことが羨ましかったんです」

 

 

 初めて統真の鍛錬を目にし、日頃のその行動を追い――黒鉄 統真という人間の行動と軌跡を知れば知るほど、一輝はその存在に惹かれた。

 どこまでも努力を弛まず、ひたすらに邁進するその姿に、惹かれて止まなかった。

 

 

「……だから、少しでも兄さんに近づきたくて、兄さんのことを知りたくて……そしたら、兄さんがぼくのところに来て、僕を認めてくれて……」

「…………」

「……すごく、嬉しかったです。誰もぼくを認めてくれなかったのに、見てくれなかったのに――妹の珠雫はぼくを慕ってくれてるけど、それでも『伐刀者』としては見てくれなくて……でも、兄さんは言ってくれたんです。ぼくが諦めなければ、ちゃんとぼくを見続けるって」

 

 

 思い出すのは、よく考えればまだ一週間と少し前でしかない過去。一輝を縛る鳥篭の部屋を容易く吹き飛ばし、その前に現れた兄。その兄が語ってくれた肯定の言葉。

 それが、一度は折れ、しかし統真の姿を追って再び立ち上がった一輝を認めてくれたようにも思えたのだ。

 

 

「……だから、思うんです。兄さんのようになりたいって。

 すごく難しいことだと分かるけれど、とても時間が掛かるって思うけれど、それでも、ぼくは――――」

「一輝」

 

 

 必死に言葉を紡ぐ一輝を遮り、唐突に龍馬は沈黙を破った。

 

 

 

「無理だ、やめておけ」

 

 

 

 その言葉と共に。

 

 

「――え?」

「そう、俺が言ったらどうする」

 

 

 思いもしなかった――心のどこかで、そういわれても仕方ないという覚悟はあっても――龍馬の否定の言葉に一輝が硬直するが、龍馬は構わず更に言葉を続ける。

 それを聞いて完全に否定された訳ではないと分かり安堵する一輝だが、どこまでも真剣な龍馬の目に、緊張を解くことはできなかった。

 

 

「ここで喋らせといて、俺だけ上辺の言葉を言うつもりはない。だから一輝、ちゃんと聞けよ。

 血の繋がった爺の俺が言うべき言葉じゃないかも知れんが、あいつは――黒鉄 統真という人間は、間違いのない異常だ。

 あいつが言った『生まれながらの強者』という表現――そいつは、恐ろしい程にあいつに噛み合っちまう。厭なもの(・・・・・)を思い出しちまった程にな」

 

 

 そう語る龍馬の顔は苦渋に歪む。そんな英雄の顔に驚かずにはいられない一輝だが、ほんの少し前に、目の前の曽祖父が兄とそんな表情で語り合っていたことは知る由もない。

 

 

「……俺も色んな戦いを経験して長生きして、老いはしても衰えたとは思っていない。少なくとも、若造どもに引けを取るなどとは思わん程にな。だが、あいつは違う。

 一輝よ。俺があいつと――統真と初めて顔を合わせた時、何を思い浮かべたか分かるか?」

「……分かりません。何を、思ったんですか?」

「どうすればこいつを殺せるのか、だ」

「!!?」

 

 

 想像を遥かに上回る――否、想像すら出来なかった己が曽祖父の言葉に、一輝は絶句するしかなかった。

 

 ――殺す? 誰が? 龍馬が? お祖父ちゃんが? 誰を? 兄さんを? 自分の曾孫を? 一体何故?

 

 幼い脳では言葉の意味自体は理解できてもその内にあるものを推察することなどできるはずもなく、一輝の思考は混乱に陥る。

 そして、その混乱を沈めたのは、他ならない混乱を齎した張本人でもある龍馬だった。

 

 いつの間にか龍馬は一輝の頭に手を乗せており、その黒髪を優しく撫でていた。

 その、乱暴でいて情愛の篭った手つきに、一輝の心は不思議と落ち着きを取り戻す。

 

 

「当然の反応だ。老いさらばえた爺が、自分の孫を自分で殺すそうとするなぞ、ふざけているどころの話じゃあない。畜生の所業だ。……まあ、俺なりの理由はあったし、実際にそんなことをする心算はなかったがな。

 だがな、一輝よ。問題はだ――俺には、答えが出せなかったということだ」

「え?」

「情に絆されてじゃあない。どんなに考えを巡らせても、俺はあいつを――黒鉄 統真という相手を殺し切ることができなかったんだよ。純粋な実力でな」

「――――」

 

 

 再びの絶句。しかしそれも当然だった。

 眼前の、老いたとはいえ未だ壮健な大英雄は、自身の半分にも満たない歳の曾孫を相手に「倒し切れない」と発言したのだから。

 

 統真に憧れて止まず、その背を追いかける一輝は、常日頃においては歳相応の子供らしい空想も合わさって『兄さん(統真)は世界で一番強い』という考えを少しは抱いている。しかしそれでも、目の前の偉大な先達たる大英雄を前にして同じような考えを抱くことは流石に難しい。

 

 にも関わらず、他ならない龍馬自身が口にしたのだ。自身より遥かに年下の子供を、大英雄の力を以てしても打倒できないのだ、と。

 

 世の人間が聞けば、老いた老人の曾孫贔屓か耄碌の末の戯言だと思わずにはいられない言葉だった。

 そしてそれが紛れもない本心であると、龍馬と向き合う一輝は、嫌でも理解させられた。

 

 

「力・経験・知識・技術――今まで培ってきたもの・身につけてきたもの・学んできたもの。その全てを用いても、俺にはあいつを殺し切る場面など思い浮かべることはできなかった。

 どんなに考えても、奴は必ず立ち、俺と向き合っていた」

 

 

 そこで龍馬は一旦言葉を切り、一輝の頭を撫でていた右手も退ける。それにより一輝が目を向けると、再び真剣な目をした龍馬が、一輝を見据えていた。

 

 

「分かるか? お前が今目指しているのは『そういうもの』だ。理屈なんか意味をなさない、生まれながらにそう(・・)在ってしまったものだ。

 認めたくはないがな、どうにも在ってしまうものらしい。そういう人間と言うのは」

 

 

 そう語る龍馬の顔に、再び苦渋が広がる。

 そんな曽祖父の心境は、流石に一輝に察し切れないものではあったが。

 

 

「一輝。それでもお前は『そこ』を目指すのか? お前より遥かに才能ある者がその生涯を賭して、あらん限りの努力を成してもなお辿り着き得ないであろう領域、それがお前の目指す場所(黒鉄 統真)だ。

 それでもお前は、それを目指すのか? その憧れだけを胸に、『最弱』のお前が『最強』に至ろうと言うのか?」

「ッ……!」

 

 

 包み隠さず、しかしだからこそ容赦なく、ありのままの『事実』を龍馬は一輝に突きつける。

 

 

「持ちうる全力と全霊を注いでもまだ足りない。努力などと言う言葉が、鍛錬などと言う言葉が馬鹿馬鹿しくなるような凄絶の苦行を身に課してもまだ遠い。神仏に願い縋ったところで、誰も応えなどはしない。

 その、道筋など何一つない無明の道を、お前は行くと言うのか? その想いだけで、歩み続けられるのか?」

「……分かりません」

 

 

 幼い子供に向けるにはあまりに無情な言葉。それを受け、一輝は顔を俯かせ、声を震わせる。

 そこにあるのは悔しさか、悲しさか、怒りか、憎しみか。

 

 

それでも(・・・・)――――」

 

 

 それともあるいは――――

 

 

「それでも、ぼくは諦めません。諦めたく、ないです。もう二度と」

「…………」 

「もしまた諦めたら、ぼくは『ぼくを見てくれた兄さん(英雄)』を裏切ることになるから――それだけは、絶対にいやだから」

 

 

 あまりにも子供らしい想いを口にし、続けるべき言葉に悩み口を噤んでしまう。しかしそれでも必死に考え、それを告げた。

 

 

「だから――ぼくは絶対に諦めません。どれだけ辛くても苦しくても、ぼくは兄さんを目指します」

「……そうか」

 

 

 根拠などどこにもない、あまりにも無謀なその気持ちを、しかし龍馬はただ受け止め、頷くだけだった。

 

 

「……なら一輝。お前には二つ、言っておくべきことがある」

 

 

 しばしの黙考の後にそう切り出した曽祖父に、一輝は思わず身構えてしまう。

 そして、龍馬が語ったのは――――

 

 

「黒鉄 一輝」

「はい」

「己を受け入れろ」

「……え?」

 

 

 突拍子も無いその言葉に、一輝は疑問の声を上げるが、続く龍馬の言がそれを塞ぐ。

 

 

「『弱い己』を受け入れろ」

「――――」

「お前は弱い。どうしようもなく弱い。ちょっとやそっとの努力でそれは覆らんし、努力したとしても常に多くの者がお前の先を行く。他人が百歩行く時、お前は千歩万歩の距離を行かねばならん。それがお前だ。

 そんな今の『弱い自分』を受け入れろ」

「――で、も……!」

 

 

 思いもしなかった龍馬の言葉に思わず一輝が食い下がるが、そんな一輝を、しかし龍馬は変わらず真っ直ぐに見据えて言葉を続けた。

 

 

「『自分の敵は自分自身』――そういう言葉がある」

「……?」

「早い話が、怖気づいてこれからやろうとしていることの足を引っ張っちまう軟弱な自分を乗り越えろ、って意味さ。人によっちゃあ違う解釈をする奴もいるが、まあ俺が言っているのはそういう意味だ」

「……はい」

「そいつは事実だ。俺も、若い時分には何度も自分自身に躓かれそうになって、そんなてめえを張っ倒したもんさ。

 けどな、一輝。お前は違う。お前は先ず、そんな『弱い己』を認めて受け入れなければならん」

「…………」

 

 

 そんな意味深な言葉が一輝に分かるはずも無いが、一輝は一輝で必死にそれを咀嚼しようとし、そんな一輝を見て龍馬も小さく笑みを浮かべる。

 

 

「お前にとっての『弱い自分』は、敵なんかじゃあない。

 そいつは、『今はまだ弱い黒鉄 一輝』は、お前が――『これから強くなろうとしている黒鉄 一輝』が『今より強い黒鉄 一輝』になるための味方だ。

 なあ、一輝。お前の味方はお前自身なんだよ」

「……ぼく自身が、味方?」

 

 

 先程とは真逆の言葉を告げられて混乱してしまう一輝だが、龍馬はそれが収まるのをゆっくり待ち、それから言葉を続ける。

 

 

「そうだ。お前が『今より強い黒鉄 一輝』になって、そしたらそこからまた『より強い黒鉄 一輝』を目指して――そうして行く道筋を、二人三脚で歩んでいくお前の味方だ。

 お前の目標の統真や、面倒を見てくれる桜坊以上の、な」

「……もっと強い、ぼく……」

「それを続けて、続けて、続けて行って――それで、辿り着けるかは分からん。その道を歩もうとしているのは俺ではなく、お前だからな」

 

 

 実感が湧かず、想像に遠いその言葉を、思わずといった風に一輝は反芻した。

 そんな曾孫から視線を遥か頭上の月に向けると、付け加えるように龍馬がポツリと語る。

 

 

「人間は翼がなくても月まで行ったが――その道程には数え切れないほどの犠牲や挫折があった。

 大勢の人間が、色んな国が、様々な組織が、頭を突き合わせて、失敗して、血反吐を吐いて、何かを失って、それでも諦めず挑み続けて、漸くそこに辿り着けた。

 お前のそれ(目標)は、あるいはそれより険しい道程かも知れん。

 ならば、お前もまた誰かの力を借りていかなきゃならん。人間は、一人で生きていくことなど出来ないんだからな」

 

 

 そんな曽祖父の言葉に、一輝も釣られて空の月を見上げる。

 今でこそ世間一般では過去の偉業として語られる、人類の月への到達。しかしその影にあった、語られている限りの、そして語られざる無数の努力の道程。

 

 それに匹敵する、あるいは上回るかも知れないという道程が、今の一輝に想像できようはずは無かった。

 この時はただ漠然とした思いを抱くしか、一輝に術は無かった。

 

 

「……まあ、これに関しては今日会ったばかりの俺より、桜坊が上手く説明できるかも知れんな。

 自分で考えてみて分からないんなら、後で聞いてみるといい」

「……はい」

「そして、もう一つ――俺としてはこっちが重要な話なんだがな」

 

 

 そう言うと、龍馬が再び笑みを消し、真剣な表情になる。

 それに応じて、一輝の思考は龍馬の一つ目の言葉について考えることを一旦止め、そちらに意識を向けた。

 

 

「もう一度聞くぞ、一輝。お前にとって、黒鉄 統真は何だ」

「――目標です。いつか辿り着きたい」

「ならば、黒鉄 統真を見ろ(・・)

「……え?」

 

 

 またも不可解な言葉を告げられて呆然となるが、しかしこれまでの会話で学んだらしく、口を挟むことはなく、続く龍馬の言葉を待つ。

 そして、龍馬がそれを受けて言葉を続けた。

 

 

「お前の憧れる黒鉄 統真じゃない。お前が実際に触れて、感じて、知った、現実の黒鉄 統真を見ろ。

 どれ程に強かろうと理想的だろうと、お前の抱いている『憧憬』は、本当の黒鉄 統真を映してはいない。それは、お前自身の幻想でしかない」

「――――」

「これが他の奴なら、まあまだ容認の余地があったんだろうよ。だがな一輝、お前の目指す目標(黒鉄 統間)は違う。あれに有象無象の『憧憬の押し付け』など意味は無い。あいつのことだ、そんなもん自分の手でぶち壊して行くんだろうよ。

 だから一輝。お前があいつを目指すと言うのなら、お前自身の生み出した虚像じゃない、これからお前が触れ合って知っていく、ありのままの黒鉄 統真自身を見ろ。

 例えお前が受け入れられないような嫌な部分を見せられようと、それから目を逸らすな。その全てが、黒鉄 統真という人間なのだからな」

「……兄さん自身を……見る……」

 

 

 その言葉は、少なくとも最初の教えよりは一輝の心によく浸透した。

 同時に、朝の鍛錬で桜が口にした言葉が想起される。

 

 

『私は、多分これからも統真様を羨んだりはしないと思います。

 統真様を羨むということは、多かれ少なかれ「あの人のようになりたい」と思うこと――私は、それだけはしないと自分に誓っています』

 

 

 あれは、こういう意味だったのだろうか。桜は『憧れ』ではなくありのままの黒鉄 統真を知るからこそ、そう語ったのだろうか。

 

 そしてふと、思う。果たして自分は、本当にちゃんと兄を見ていたのだろうか――と。

 

 誰よりも強くて、誰よりも努力家で、誰よりも堂々としていて――それは、間違いない事実だけれど、それでもそこに黒鉄 一輝の『理想』が含まれていないかと言われれば、首を横に振らざるを得ない。

 何故なら、一輝の統真に対する感情は、他ならない『理想(黒鉄 統真)への憧憬』から始まっているのだから。

 

 

「…………」

「すぐにそうなる必要は無い。やれと言っても無理難題だ。

 だから、少しずつでいい。その目で見て、聞いて、触れて、話して、そうして知っていけ。お前がどんな男に惚れ、その背中を追っているのかを、な」

「……はい」

 

 

 答えられない自問を抱いたまま、それでも一輝は龍馬に頷いた。

 そんな一輝にフッと笑みを浮かべると、徐に龍馬がその場から立ち上がる。

 

 

「さて……思っていた以上に長く喋っちまったな。そろそろ戻らんと桜坊が心配しそうだ。

 戻るぞ、一輝」

「は、はいっ」

 

 

 龍馬にそう促され、思考の迷路から抜け出した一輝は差し伸べられた手を握り、その手に引かれながら来た道を戻っていく。

 

 そんな中で、一輝は龍馬から送られた二つの言葉を思い浮かべていた。

 

 ――弱い己を受け入れろ。強い己になっていくために。

 ――ありのままの統真を見ろ。憧れではない、本物の黒鉄 統真を。

 

 その二つの言葉が、静かな夜の山を歩く一輝の思考に反芻され続けた。

 

 

 

 偉大な大英雄の言葉が、今はまだ弱く幼い少年に何をもたらし、やがてどこへ至らせ得るのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 龍馬と一輝が散歩から戻って後。

 目を覚ましたらまたも馬鹿をやらかそうとした雷峨を、主従二人に今度は大英雄までもが加わって沈めるといった騒動を経て、統真達三人も帰宅することとなった。

 

 

「では龍馬様。申し訳ないですが、御爺様のことよろしくお願いしますね」

「ああ。本当なら一緒に連れて帰ってもらいたいんだが、まあそういう訳にもいかんからな。

 お袋さんに『馳走になった』と伝えといてくれ」

「はい、確かに」

「……今日は世話になった。感謝する」

「おう。お前は本当に、次会うまでは弟の半分でもいいから俺への扱いを見習って来い」

「あ、ありがとうございました。お祖父ちゃん」

「うむ。次がいつになるかは分からんが、それまで達者でいろよ、一輝よ」

 

 

 そう言葉を交わし、龍馬に別れを告げた統真と桜、そして一輝は、龍馬邸を離れ夜の山道を降りていた。

 なお、一輝は統真の背に負ぶさっている。鍛錬の疲れや満腹感のせいで睡魔に襲われ、そのまま統真の背中に背負われて連れ帰ることとなったのである。

 

 そんな、歳相応の可愛らしい一輝の寝顔を見ながら、桜はクスリと微笑んだ。

 

 

「何を話していたんでしょうね。一輝さんと龍馬様」

「さあな。だが、為になることではあったのだろう。これ(一輝)の顔を見れば分かる」

「まあ、それは確かにそうですね」

 

 

 麓に戻る道を降りながら、そんなことを話し合う。

 

 そうして、しばらく戻る道を歩いていると、統真はふと、龍馬が自身に語った言葉を思い出した。

 

 

 ――そいつが『悪くない』と、『楽しい』と思えるのなら――お前は人間だ。ちゃんと『人間らしさ(弱さ)』を持った人間だよ。

 

 

 その言葉の意味をしばらく胸の内で反芻して後。

 

 

「桜」

「何ですか、統真様」

「お前は、俺といて『楽しい』か」

 

 

 何となく、そんなことを隣の従者に尋ねてみる。

 理由は口にした統真自身にも分からなかったが、無性にそれを、彼女に訊いてみたくなったのだ。何年もこんな己に付き添う、日下部 桜という人間に。

 

 

「……はあ。また何を言い出すかと思えば」

 

 

 すると、それを聞いた桜は一瞬呆れた顔をすると、一拍子置いてから答える。

 

 

「楽しいですよ。統真様には振り回されて苦労しますけど、それだけ充実してますし。

 一輝さんが来てからは、尚更ですね」

 

 

 そう語りながら統真の顔を覗き込む桜は、いつもと同じ朗らかな微笑を顔に湛えていた。

 

 

「これからの人生でも色んなことがあって、その時も楽しいことはいっぱいあるのでしょうけれど――今は『今』が、時間が止まればいいと思えるくらい、楽しい日々です」

「……そうか」

 

 

 そんな桜の答えを静かに聞き届けた統真は静かに頷き、再び視線を前へと戻した。

 

 いつぞやの月の夜にも感じたように、今日の出来事を『悪くない』と思いながら。

 

 

 

 

 互いの曾孫達が帰路に着いていた、その頃――――

 

 

「おい、いつまで寝てる気だ。とっとと起きろ、この酔っ払いが」

「ぐほっ!? いってぇなぁ。戦友はもう少し労われや、おい」

「何が戦友だ。お前なぞ傍迷惑な悪友で十分だ」

「おうおう、『友』ってところを否定しないところに本音を感じるね」

「気持ち悪いんだが。おい、ちょっとあっち行け。こっち寄るなよ、爺の衆道なんぞ死んでも御免だ。というかぶっ殺すぞ」

「ひでぇ」

 

 

 そんな憎まれ口を叩き合いながら、かつての英雄たる曽祖父達も縁側に腰を下し、互いに向かい合っていた。

 

 

「――で? どうだよ、お前の曾孫達(統真と一輝)は。大丈夫そうか」

「……ああ。まあ、大丈夫だろうさ。このまま行けばな」

 

 

 主な内容を欠いた意味深な質問に、龍馬はただそう答える。

 

 

「龍馬」

 

 

 そんな戦友を、雷峨は今までのふざけた言動を取り払い、真剣な顔で見据えていた。

 

 

「分かってるさ。あいつ(統真)を『あの男(怪物)』になどさせはしない。

 だからこそ、こうやって老骨に鞭打ってんだろうが」

 

 

 そう言いながら、雷峨の酒入りの瓢箪を自身の徳利に傾け酒を注いだ。

 

 

「……俺の命に代えても、それだけはさせん。

 それでももし『そうなった』時は――その時は、俺の手で始末をつける。それだけだ」

 

 

 明確な『殺気』と『殺意』をその目に宿す龍馬に、雷峨は――――

 

 

「……そうかよ」

 

 

 その一言だけを返し、自分も徳利に注いであった酒を飲み干す。

 そんな雷峨を余所に、龍馬は今や記憶の中にのみにある『かつて』を思い浮かべていた。

 

 

 第二次世界大戦――様々な国や権力者の利害と思惑が複雑に絡み合い、そこに不運なすれ違いや過去から引き摺ってきた確執と怨念が加わった末に引き起こされた、人類最大の戦乱。

 

 しかしそれが、たった一人の狂人の『夢』(・・・・・・・・・ ・ )としてもたらされたモノであるなど、誰が知ろうか。

 少なくともそれを知る者達は、皆等しくその事実を歴史の語られざるべき闇として葬っている。龍馬達も、理由はどうあれそれに加担した人間の一人だった。

 

 もちろん、厳密に言えばやはりそこには多くの人間の思惑があったのだけれど――あの戦争を『あんな結末』に至らしめたのは、間違いなく『あの男』の狂気だった。

 

 ――連合国と枢軸国。侵略と解放。正義と悪。

 ――特務大隊マグナミレニア。『(戦い)』が総てを征する第三帝国。無限闘争の理想世界。

 ――魔軍の王。語るべかざる黒金〈クロガネ〉の魔獣(ディ シュヴァルツェアゴルデン ベスティ)

 

 全ては終わり、真実は闇へと葬られ、世界は虚構の平和を謳歌している。

 その足元に、今もなお蠢く存在を、知ることは無く。

 

 そしてそんな最中、己の曾孫として彼の前に現れた、異形の子供。

 

 今でも思い出す。あの姿を、あの顔を、あの眼を認識した瞬間――龍馬の封じて久しい記憶から蘇った、あの昏く輝く闇の黄金を。

 

 先程の語らいで、龍馬は一輝に語った。己が統真を殺すと言う『想定』はしても、『実践』はしない、と。

 

 それは偽りである。何故なら今この瞬間も、龍馬はその『覚悟』をしているのだから。

 黒鉄 統真が、自身の周りにいる者達の『意味』を理解できなくなり、あの忌むべき『獣』と同じ存在に成り果てたのならば、己の全てを賭してでも止めねばならない。

 

 もう二度と、あんな存在をこの世に産み落としてはいけないのだ。例え、それが己の系譜を手に掛ける行いであったとしても。

 

 

 同時に――故に、願う。

 今日、面と向かい合って己の言葉を贈り受け止めた、あの小さくて弱い、しかしなればこそ『可能性』を宿している幼い子供に。

 払い切れなかった過去の闇を追うことに奔走し、その結果として見落としてしまっていた、黒鉄という家の闇の犠牲にしてしまった曾孫に。

 

 これから後、順当な道程を歩んでいけば黒鉄 統真は父親に見出された時と同じく、その異常なる力故に否応無く世界の注目を受け、力を欲する者達に狙われていくだろう。

 そして未だまどろむ英雄(黒鉄 統真)が、世界の想像以上の愚かさと醜さを思い知った時。それでもなお人の可能性を見限ることなく、彼に『希望』を見出させる存在であってくれ、と。

 

 己にそれはできない。当人が聞けば「諦めるのか」と詰られるのだろうが、それでも、その役は龍馬にこなせる――こなすべきものではない。

 

 己にできること――己が為すべきと定めたことは、葬り去られた歴史から這い出ようとしている亡者達を、闇へ葬り返すことだと、そう見定めたのだから。

 

 だからこそ――――

 

 

「……死んだ奴がいつまでのさばっている気だ、ジークヴェルト」 

 

 

 だからこそ、黒鉄 龍馬は今なお生き長らえている。全ては、あの過ち(大戦)を繰り返させないために。

 それが己の意志であり、散っていった者達への弔いであり、そして後に続く者達に対する先達たる者の責務なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう、老いた英雄が静かに、しかし鮮烈なる意志を己に刻み直す様を。

 

 私は、そんな的外れ(・・・)なことを思う彼を見て遂に、嘲りの失笑を漏らすしかなかった。

 

 

 嗚呼、その履き違えていることの、なんと馬鹿馬鹿しいことか。

 

 運命を超克せんとするならば。

 

 その運命をこそ突き進み、走破しなければならないと言うのに。

 

 私は知っている。私は信じている。彼こそは――我が愛しき彼の英雄は、必ずそれをなすのだと。

 

 嗚呼。なればこそ、遍く世界よ。そこに生きる有象無象よ。古き英雄達よ。

 

 等しく須らく。

 

 我が英雄が織り成す歌劇の礎となるべし。

 




 えー、そういう訳で、四話にも及ぶ無駄に長ったらしい話も終わりでございます。
 そして今回、原作の過去に当たる落第世界での第二次世界大戦などに言及しており、そこに深く関わるオリキャラの登場です。もう死んでますけど。
 では色々と解説をば。

■ジークヴェルト
▼『あの男』とか『奴』とか言われて、最後の最後で名前出せた故人なオリキャラ。時系列では過去である第二次世界大戦時代(色々改変)の人間であり、龍馬達英雄と敵対していた人物。「魔軍の王」「黒金の魔獣」などと呼ばれ敵からも味方からも恐れられていた。戦争狂の闘争狂。
 若い頃の龍馬達や当時のそれ以上の実力者達を集った特攻部隊(誤字に非ず)相手に一人で大立ち回りして壊滅直前まで追い込んだ怪物。
▼大まかなキャラモチーフはDiesの獣殿+BLEACHの藍染+HELLSINGの少佐という、これまた分を弁えないラスボス格のカオスキャラ。
 厳密に言えば外面や言動は獣殿風だが、価値観は「自分以外は全て弱くてくだらない存在」と思えてしまっており、そこから闘争狂を拗らせて「くだらない存在なら精々私を楽しませて死ね」とか当たり前のように考えて周りを見下す始末。実際、それが出来るくらいに強くて優秀なカリスマ持ちと言うどうしようもない人間。
 あるいは『愛を持たない獣殿』。『破壊によって愛を示す』のが獣殿なら、こいつは戦ったり殺したり破壊すること自体が好き、というかそれくらいしか愉しめないので、自分を慕う部下すら道具のように使い潰してひたすらにそれを追求して生きた魔人。
▼この作品の第二次世界大戦は、史実は元より落第騎士からも更に乖離していますが、その原因が大体はコイツ。HELLSINGの少佐みたく「一心不乱の大戦争を!」というイカレた渇望だけで世界中を敵に回してやらかしたりしてました。
▼名前はドイツ語の「Sieg(勝利)」と「Welt(世界)」をまんまくっつけただけのもの。
 ちなみにあだ名の一つの「黒金の魔獣」のルビのドイツ語も超適当。一応ハイドリヒ卿(史実版)のあだ名のドイツ語読みを参考にしました。

■桜さん流出する?
 別に桜は時間停止とか使いませんのであしからず(シレッ

■龍馬語る
 何か色々言わせてますが、作者が人生舐めきってる若造なモンだから薄っぺらいったらありゃあしない;言葉に理路整然さと威厳が欲しいOTL

■ニート裏山に出没
 最後にまた涌いたニートもどき。こいつがどこからどこまで暗躍しているか……なんて、言うのも億劫ですよね(遠い目


 ここまで書いておいて結局解消されずなあなあで済まされてしまった「統真の弱さ」ですが、これはこの超克騎士全体における核心の一つなのでここで解明はされません。
 ええ、決して作者が思いつかず先延ばしにしているわけではないのですよ?(目逸らし


 さて、次回からは読者の方々の要望もあり、原作キャラ(女性)を色々出したいとは思いますが、どうしたものやら; とりあえずブラコンに犠牲になってもらいまs(ドスッ
 それでは次回もよろしくお願いいたします。


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珠雫篇 Ⅰ:邂逅の一滴

 前回より約二ヶ月。大変お待たせしました、申し訳ありません;
 既刊分を漸く読破、現在最新刊をちまちまと読みながら少しずつ書き始めている次第でございます;
 とりあえず今回は、一応の予定であった珠雫のお話……え、それなら読破しなくても書けた?……さ、さあそれでは参りましょう!

 あとどうでもいいことですが、当面はウザラストロ(!)節前語りは本人不在でありません。
 ザラストロの英雄スクスク成長日記でも書いてるんでしょう(!?

 それではどうぞ。今回も今回で、二部編成の内の前編になります。


 一人の少女の話をしよう。

 恵まれた環境に生まれ、才能にも愛された、お姫様のような少女。

 

 その少女には三人の兄がいた。

 

 一人は、類稀な才能を生まれ持ち、将来を嘱望される神童。

 一人は、名門の一族に生まれながら最底辺の才能しか持たず、存在自体を黙殺された落伍者(おちこぼれ)

 一人は、前代未聞の才能とそれ以上の常人ならざる精神を備え、多くの者を畏怖させる怪物(バケモノ)

 

 

 少女が三人の兄に抱いた抱く想いは、それぞれ異なった。

 

 神童たる次兄に対し、少女が思ったことは『不可解』だった。何故あんな怪物に進んで近づくのか、何で立ち向かっていくのか、少女には心底解らなかった。

 

 落伍者たる末の兄に対し、少女が向けたのは『親愛』だった。くだらない周りの人間の中で唯一人、彼は上辺の言葉で飾らず真摯に向き合い、そして優しく触れ合ってくれた、大切で大好きな(ひと)

 

 怪物たる長兄に対し、少女が抱いたのは『恐怖』だった。怖い恐い(こわ)(こわ)い。何なのだコレは、こんな人外が自分と同じ血を持つ人間だというのか――理屈を通り越した、本能が訴える恐怖。記憶にはないが赤子の頃など、彼が近くを通っただけで怯えて泣いたと言う。

 

 

 

 そんなある日、それまで恐怖の対象としか捉えて来なかった長兄に対して、少女は新たな感情を抱くこととなった。

 少女が最も慕う末の兄が、彼の元で暮らすようになった――そう知ったことが、総ての始まり。

 

 先ず感じたのは、それまでと同じ『恐怖』――その名を聞いただけで身体は震えた。ただそこに在るだけで周囲の有象無象を威圧し、あの総てを見極めるような瞳が、己を射抜く。それを思い浮かべただけでも、少女は耐え難い恐怖に晒された。

 

 次に思い浮かんだのは『疑問』――なんで、なんでなんで、どうして? 知ってはいた。あの兄がいつからか、おぞましいあの怪物に憧れていることを。何度も近づかないでと忠告しても、終ぞ聞き入れられはしなかったが。

 そんな兄に、思わずにはいられない――なんで私ではないの、と。

 

 そして至ったのは『嫉妬』――こんなに彼を好きな自分ではなく、あんなおぞましい怪物が選ばれたことへの、幼いながらも烈しい妬心だった。一時的にとはいえ、あの恐怖を忘却できるほどの。

 それが子供らしい幼稚で身勝手なものであっても、幼い彼女にそれを自覚し自制することなど、できよう筈もなく。

 

 

 そうした感情がうねり入り混じり――その末に、少女は決意した。

 

 

 それでも、少女が決意を行動に移すには、時間を要した。

 これが丸きり考えなしの子供だったなら、話を聞いた途端に飛び出していただろうが、幸か不幸か、少女は幼いながらに聡明で、だからこそ兄を求める『想い』以上に、恐怖に怯える『理性』と危険から遠ざかろうとする『本能』が働き、その足を幾度も踏み止まらせた。

 

 少女の想いが足りないと言うべきではない。如何に賢かろうと――否。なまじ賢いからこそ、無知な子供よりは明確にあの怪物の恐ろしさが分かるのだ。

 無謀な蛮勇ではなく、恐怖による後押しとはいえ己を抑えて堪えることが出来たことで、その将来を嘱望すべきだろう。

 

 

 それでも、兄の喪失から幾許かの時間が経った頃――遂に彼女は立ち上がった。

 

 助け出さねば、取り戻さねば――大好きな兄への想いと彼の心を掴んだ相手(怪物)への嫉妬から、少女は止めようとする使用人の言葉など耳にすら入れず、家の敷地にある怪物の棲家――黒鉄 統真の離れへと向かった。

 

 

 冬の寒さもいよいよ完全に失せ、桜の花が咲き誇る季節のことである。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 その日もいつも通り、統真と一輝は鍛錬に勤しんでいた。

 

 時刻は既に昼過ぎ。従者である桜は、春休みも終わって三学期が始まったことにより登校しており、離れの主である統真とその庇護下で生活している弟の一輝だけが庭にいる。

 

 

「フッ――――」

 

 

 庭に立つ統真は素振りに取り組んでいる。もっとも、その手に握られているのは竹刀ではなく、いつかの鍛錬でも使われていたものと同じ、刀身に当たる部分にいくつもの重石――重さは増量――を付けた鍛錬棒だったが。

 そんな代物を、しかし当の統真はまるで普通の竹刀と変わらないかのように振っている。その動作には一糸の乱れもなく、一つの完成されたフォームを体現していた。

 

 そして――――

 

 

「…………(ジーィ)」

 

 

 そんな兄を、一輝は縁側に正座してじっと――いや、ジィーッと見つめていた。

 別に怠けているのではなく、桜に組まれたトレーニングをやり終え、残った時間を次の鍛錬のための休息と、そして『あること』に注ぎ込んでいるに過ぎない。

 

 

「フッ――――」

「……………………(ジィーーーィ)」

「フッ――――」

「………………………………(ジジィーーーーーィ)」

 

 

 一回一回、極めて基本的な素振りを、しかし心身ともに一糸の乱れもなくこなす統真の所作を、一輝はただただ視て(・・)いる。まるで、何かを見極めようとするかのように。

 

 

「――一輝」

「えっ」

 

 

 すると、徐に素振りを止めて構えを解いた統真が一輝の方を振り向く。

 一瞬、自分の視線が煩わしかったのかと慌てる一輝だが、すぐに素振りがちょうど終わっただけだと分かり、落ち着きを取り戻した。

 

 

「な、なに? 兄さん」

「いや。『先日』以来、お前が俺を視て(・・)いることが多かったのでな。

 何か気になる点でもあったか?」

「う、ううん! ただ兄さんの鍛錬を参考にしていただけだから!」

 

 

 慌てて何でもないと言う一輝に統真も「そうか」と頷きながら鍛錬棒を置くと、今度は大小二本の竹刀を手に取り、小さい方を一輝に向けて差し出した。

 

 

「始めるぞ」

「! はいっ!」

 

 

 『稽古』の開始を指すその言葉にパアッと顔を明るくして、一輝は庭へと飛び出した。

 

 

 

 それから一時間弱、統真による一輝の剣の稽古は行われた。と言っても、まだ桜の監修の元で身体作りの段階にある一輝に何か特殊なものを教える訳ではなく、その内容は実用的でありながらも年齢に相応した基礎的なもの。

 それでも、一輝にとっては少し前まで縁遠いものにさせられてきたものということもあって、取り組む姿勢は生来の気質も加わり極めて真剣なものであり、また自分を認めてくれる人物――まして目標である統真に直に教えてもらえるということは、稽古の内容を抜きにしても教え子である一輝にとってこの上なく意気込みを持たせることだった。

 

 

「ヤァッ!」

「勢いだけがあり過ぎる。相手をしっかりと見据えろ」

「はいっ!」

 

 

 今の時点では『一輝が打ち込んでそれを統真が受け止め、姿勢や力の入れ具合といった部分を指摘して少しずつ矯正していく』という無難な流れとなっている。

 統真と会うまで一人で剣道の真似事をしていたことからできてしまった一輝の変な癖や間違った部分を直していくというのが、鍛錬を監修している桜の意図だった。

 

 ……と言っても、稽古をしてもらっている一輝にそうした計画性は全くなく、今はただ向かい合う兄の指摘を一つ一つ取り入れつつ、全力の打ち込みをしているだけだったが。

 

 

 ――そうして打ち込みの回数が百を越した頃には、一輝は全身を汗だくにし、ゼエゼエと荒い息で呼吸していた。

 

 

「一旦ここまでだ。身体を休めろ」

「は、はいっ……」

 

 

 そんな統真の指示に素直に従い、ふらふらとした足取りで一輝は縁側の方へと戻っていく。

 

 ただの打ち込み稽古なら疲れはしてもここまで消耗することはないのだが、相手は他ならない黒鉄 統真である。稽古であろうと真剣に臨む彼と相対するだけでも常にプレッシャーに晒され、黒鉄の道場などでは一回りも年上の門弟ですらそれに威圧されて動けなくなる者が大半である。

 

 この稽古では桜の言もあってなるべく抑えるようにしているが、それでも齢6歳の子供は本来なら恐怖で泣くか、場合によっては失神したりもする程度ではあるので、そこに自ら飛び込んで行かなければならない一輝にとっては、実は肉体よりも精神の負荷が遥かに大きい。

 それでも体力の限界まで打ち込みを続けられたのは、一輝の統真への信頼と、真剣に向き合ってくれる彼の期待に背きたくないという想い、そして朧気ながらも「この程度で怖気づいていたら一生この兄には追いつけない」という考え故だった。

 

 

 一輝が縁側に着いて腰を下ろした頃には、統真は手に持った竹刀をそのまま振るっている。総量200キロの鍛錬棒というインパクトはないが、その動作の一つ一つに無駄はなく、かつて一輝の心を奪った時よりも更に洗練された剣がそこにあった。

 

 ――そんな兄の姿を見つめながら、一輝は『あること』を思い浮かべる。

 

 

(『兄さんを見る』……どうすればいいんだろう)

 

 

 それは『先日』――一輝が曽祖父である大英雄・黒鉄 龍馬と引き合わされた日、その曽祖父から贈られた助言にして忠告。それは、それまではひたすらに統真を憧憬していた一輝に、そこからの脱却を促す楔でもあった。

 

 ……とは言っても、言われたからとて具体的にどうすればいいかなど分かるはずもなく。その境遇や抱く目標故に同年代より思慮深くなり大人びている一輝だが、歳相応に頭を捻って悩んでみたところで答えは思い浮かばない。

 

 なので、今のところは言葉通り『統真を観察する』ことで、一輝なりに『理想の黒鉄 統真』ではなく『在りのままの黒鉄 統真』を見極めようとしていた。

 

 ――もっとも。

 

 

「フッ――――」

(……やっぱり凄いなあ。兄さんは)

 

 

 当人にしてみれば何でもないだろう、ただの素振りにすら一々感動しているのだから、その目的が成し遂げられるのはまだまだ先のことなのだろう。

 

 

 

 ――そんな落ち着いた状態が変化したのは、それから少ししてのことだった。

 

 

「む」

「?」

 

 

 休憩を挟んで再び稽古に取り組んでいた二人だったが、竹刀を振るっていた手を統真が止め、徐にある方向に視線を向けたことで中断される。

 その方向には黒鉄家の本邸があり、そして林で区切られている本邸とこの離れを繋ぐ道がある。なので、そちらに視線が向くということは――――

 

 

「あ、桜さん」

 

 

 統真に続く形で一輝が同じ方向に目を向けると、今や馴染みとなった人物がちょうど林の出入り道に立っている。学校帰りと思しい制服姿の桜だった。

 そこに誰かいるのか、膝に手を置き身体を屈めながら、すぐ隣に何かを語りかけている。そしてその場所をよく見ると、銀色の『何か』が林の影から飛び出ていた。

 

 

(……? 見覚えがあるような……)

 

 

 その光景と、『何か』に見覚えがあることに一輝が首を傾げていると、しかし答えは次の瞬間には明かされることとなった。

 

 何故なら、林に隠れている『何か』を一瞬で抱え上げた桜が、それをこちらに見せながら走ってきたのだから。

 

 その『何か』とは――――

 

 

 

「見てください統真様、一輝さん! 珠雫さん拾いました!」

「は、はなしてぇ!」

 

 

 

「…………へ?」

「…………」

 

 

 嬉々とした表情で5歳くらいの子供を軽々と抱き上げながらこちらに走ってくる桜と、その手の中で必死にもがく銀色の髪の少女――そんな異様な光景に理解が追いつかず、間抜けな表情と声を一輝は零してしまう。

 統真の方も、一見すると落ち着き払っているように見えるが、僅かに片方の眉が釣り上がっている。彼なりの呆れの表情だった。

 

 そして、

 

 

「お、お兄ちゃん! たすけて!」

「……シ、シズク?」

 

 

 銀色の『何か』――ツインテールに結い上げられた綺麗な銀色の髪を持つ少女の正体が、他ならない自身の妹であると知り、驚きと戸惑いをありのままに晒すしかなかった。

 

 黒鉄家の長女にして末の妹。即ち統真と一輝のどちらにとっても妹である黒鉄 珠雫こそが、その少女の正体だった。

 

 

「いやぁ、何やら林の影に子供がいたので声を掛けてみたんですが、どうにも警戒されてしまいまして。

 という訳で、逃げられる前に確保して強制連行しました♪」

「どういう訳だ戯け」

 

 

 悪びれもせず言ってのける桜にすかさず突っ込む統真だが、腕の中に飛びっきりの美幼女を抱き抱えてご満悦な今の桜には全く効いていないらしい。

 

 もっとも、その美幼女は必死にジタバタと暴れて桜から離れようとしているのだが。

 

 

「うぅ~! は、はなしてぇっ!」

「はぁ、可愛いですね~。長くてサラサラな銀髪とかクリッとした翡翠の瞳とか、お人形さんのような可愛さです。柔らかい抱き心地と女児特有の甘ったるい匂いも素晴らしいですね。

 あ、もちろん一輝さんは一輝さんでちゃんと可愛いですから安心してください!」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 

 そう言われても、子供と言えど男である一輝が可愛いと言われても嬉しいとは思えない。

 というか、目の前で妹を抱き抱える親しい人物が顔をだらしなく緩めていては、何とも言えない気分になるしかない。ついでに言えば発言も聞き様によっては危ういものを感じさせる。

 

 そんな感傷から目を逸らす訳ではないが、実際問題として何故妹がここにいるのかは分からず、一輝は取り敢えずそっちに意識を向けた。

 

 

「えっと……シズク、なんでここに?」

「そ、それは……お兄ちゃんが……」

「? ぼく?」

 

 

 そう言い淀む妹に一輝は首を傾げるが、その疑問は桜によって解消された。

 

 

「ああ、珠雫さんは一輝さんに会いに来たんだと思いますよ?」

「ぼくに……ですか?」

「ええ。ほら、一輝さんここに来て以来、ずっと私達と一緒だったじゃないですか。きっと会えなくて寂しかったんですよ」

 

 

 そう言って「ね~?」と珠雫に親しみを込めた笑顔を向ける桜だが、当の珠雫はというと「うぅ……!」と唸り声を上げながら必死にそっぽを向いている。

 どうやらファーストコンタクトで即行拉致という蛮行により、幼い珠雫が桜に対して苦手意識を抱いてしまったらしい。当たり前だが。

 

 それはさておき――桜の指摘で、この離れに来てから目の前の妹と顔を合わせる機会がなかったことを思い出し、一輝はこの状況の遠因が自分にあることを理解した。

 

 

「ご、ごめんねシズク。ぼく、兄さん達に剣を教えてもらうことに夢中だったから……」

「う~……」

 

 

 そんな兄の謝罪に、しかし妹は可愛らしい唸り声を上げながらプイッとそっぽを向くことで答えた。

 

 と言っても、その表情は「怒っている」というよりは子供らしく「拗ねています」といったもので、目尻には涙が水玉を作り頬が赤くなっている辺り、予想外のこの状況への気恥ずかしさから、本心とは真逆の反応をしてしまっているだけなのだが。

 

 そうした珠雫の内心を早くも察したのか、彼女を抱き抱えている――加えて、彼女がそんな反応をしている一因でもある桜は苦笑を零すが、そうした反応をされた一輝にそこまでの機微は察せようはずもなく、そっぽ向く妹にどう償えばいいのかとオロオロしている。

 

 

 ――……これだけだったなら、きっとこの状況は、やがて機嫌を直した妹が兄を許して仲直りをするという、微笑ましい流れになっていたことだろう。

 

 だがしかし、この場にはもう一人の人物がいた。

 それもこの状況に対して、図らずも致命的な影響力を持つ人物が。

 

 

「あまり責めてやるな、黒鉄 珠雫」

「ッ!?」

 

 

 それまで沈黙を保っていた統真は、徐に珠雫にそう語りかけた。

 

 

「親しい間柄だったお前に何も告げずにいたのは、確かに一輝の不義理だろう。が、それを非難するというのなら、そも一輝を独断でここに連れて来た俺こそが先に咎められるべきだ。

 己が行動に微塵も後悔するところはないが、しかしお前のような者への配慮を失念していたのは紛れもない事実であり、そして俺の不明だ。

 故に、先ずは俺が詫び――……む?」

 

 

 自身の半分にも満たない歳の妹に対しても真摯に向き合い、己達の非を謝罪しようとする統真だが、それは彼らしくもなく途中で途切れる形となった。その顔には訝しむ様子が浮かび、歳の離れた妹に目を向けている。

 

 というのも――――

 

 

「う、ぁ、あ……!」

 

 

「あ、あれ? えっと、珠雫さん……?」

「シ、シズク……?」

 

 

 その統真と向き合っていた――向き合わされていた珠雫の変調を察し、桜と一輝が彼女に呼びかけるが、それに対する反応はない。

 実際、この時の黒鉄 珠雫には、大好きな兄――と、初対面の彼女を問答無用で捕獲した馬鹿娘――の声は届いていなかった。

 

 幼いながらに端整さと愛らしさを両立させている顔は、全体が大きくひきつけを起こしていた。色白の肌は血の気を失ったかのように青白くなり、翡翠のような双眸は見開かれて散瞳状態、口からは引き攣ったような呻き声だけでなく、カチカチと上下の歯がぶつかる音も鳴っている。

 

 総じてその様子は――恐怖に晒された者のそれでしかなかった。

 

 

「あぅあぅあぅあぅあぅ……!」

「シズク!? どうしたの!?」

「……統真様、妹さんに何やらかしてたんですか。珠雫さんメチャクチャ怯えてますよ。身体中の筋肉と電気信号がとんでもないことになってるんですけど」

「……思い当たる節がないとは言わんが」

 

 

 そんな妹の異常に一輝は当然の反応として慌てふためき、桜は「あー……どうせどこかで無自覚に怯えさせたんだろうな」とほぼ己が主の有罪を断定して統真にジト目を向けた。当の統真も案の定、思い当たるところはあったらしい。

 

 そうしている間にも、長兄(魔王)に見据えられた哀れな()の状態は悪化していく。こう、ビクビクがブルブルになり、今は既にガクブル状態だ。

 

 そして、遂に恐怖が極限に達したらしい黒鉄 珠雫は――――

 

 

「――ひぅっ」

「む?」

「えっ」

「あっ」

 

 

 ――桜の腕の中で気絶した。

 

 

『……………………』

 

 

 沈黙――統真も桜も一輝も、ぐったりしてしまった小さな少女を見て、そうなるしかなかった。

 さしもの統真でもこの事態は想定の外だったらしく、片方の眉毛を吊り上げて怪訝な表情を浮かべている。

 気絶した珠雫を抱き抱えている桜は、よもやの事態に固まってしまっている。

 

 そんな中、あるいはこの中で珠雫と唯一関わりを持っていたためか、一輝だけはいち早く正気を取り戻し、

 

 

「シ、シズク? シズクーーーーーーーーッ!?」

 

 

 必死に妹の名を呼ぶ一輝の声だけが、離れとその周辺に響き渡った……。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――今でも、黒鉄 珠雫は鮮明に覚えている。覚えさせられている。

 

 記憶になんて残したくなかったけれど、できれば跡形もなく忘れてしまいたいけれど――脳裏に、記憶に、本能に、魂に刻まれてしまった恐怖は消せない。

 

 

 それは、今から一年前のこと。

 何気ない日だった。いつも通りの平凡で平穏で、当たり障りのないままに終わるはずだった一日。

 

 その日は、大好きな一つ上の兄が風邪で寝込んで遊べなくなった。子供心にも兄が心配で、また一緒にいたい気持ちから看病をしようともしたのだが、使用人達には止められ、母からも「風邪が移るから」と言われてしまい、それは適わなくなった。

 

 不貞腐れた彼女は、あまり好きではない屋敷の者達への当てつけも兼ねて、普段から「入らないように」と注意されていた『屋敷の離れに続く林』に入った。

 何のことはなく、自分を兄に会わせてくれない者達を困らせてやろうという、子供らしい稚拙な仕返しだった。兄以外の人間と会いたくない、という気持ちもあったが。

 

 林に入り、離れへと続く道を少女は進んだ。

 元来が臆病な普段の彼女ならそんな行動には及ばないのだが、この時の彼女は、虫の居所の悪さが妙な大胆さをその内から引き出していた。

 加えて、風邪で寝込んでいる兄に、自分一人で出入り禁止の離れまで行って来たのだと、ちょっとした冒険譚と自慢話を持って行ってあげようという、彼女なりの気遣いと見栄も、一種の奮起の役割を果たしていた。

 

 

 ――それが、『あんなもの』を目の当たりにする原因になるなどとは、知りようもなく。

 

 

『――……?』

 

 

 しばらく歩いている内に、彼女は違和感に気づいた。

 それは、人の気配。幼くも既にBランク相当の魔力を発現している伐刀者の卵であるからこそ、無意識に彼女はそれを感じ取った。

 

 誰か自分以外にこの先にいるのか――人見知りの性で身を僅かに強張らせるのと同時に、折角の探検に水を差された気分になり、不機嫌さから頬を膨らませた。

 それでも、同時に「自分以外に誰がいるのだろう」という好奇心から、彼女は林の出口が見えてくると、その近くの木陰に身を隠して離れを窺った。

 

 

 そこにあったのは――――

 

 

『――――』

 

 

『ぐ、ぅ、ぁがぁ……!』

『ごほっ、がふっ……』

『腕……腕がぁっ……!』

『助けて……助けて……』

『ば、化け物っ……!』

 

 

 死屍累々――そんな表現が相応しいだろう。ざっと見て数十にも及ぶ大人達が地に這い蹲って、苦痛に満ちた呻き声を上げたり、口から血を溢していたり、有り得ない方向に捻じ曲がった腕や足を抱えたり、恐怖に顔を引き攣らせながらうわ言を呟いている。

 

 そんな、大の大人でも目にすれば愕然となる光景がそこにあった。それが、弱い4歳の幼い少女に何の衝撃も与えないはずはなく、身体は硬直し、思考は一時的に停まり――そして、なまじ聡明であるがために珠雫はこの状況をある程度理解することができた。

 

 戦ったのだ。この大人達と、誰かが。そして、自分はその現場に足を踏み入れてしまった――それを理解した直後、彼女は自身の置かれた現状を幼いなりに理解し、そしてごく当たり前の恐怖を抱いた。

 

 だから、硬直していた体を動かして、急いでその場から離れ来た道を戻ろうとし――しかしそれよりも早く、彼女の視覚と聴覚は、『それ』を捉えてしまった。

 

 

 

 『それ』は――――

 

 

 

『あ、ああ、あなた! こ、こんなことをして、ただで済むと思っているんですかぁ!?』

 

 

 ――先ず、その言葉が珠雫の耳に届いた。決して聴き心地が言い訳ではない、それなりに年を取っていると思しい男の声だった。

 不快な気持ちと共に珠雫が「どこかで聞いたような……」という考えを浮かべながら、身をすっぽりと隠していた木陰から、顔だけを晒すようにして、声のする方を見る。

 

 そこにいたのは、二人の男――厳密には壮年の男と、そんな男に向かい合う一人の少年だった。

 

 男は恰幅のよさを通り越して肥満体系というべき図体で、背の低さがそれを余計に強調している。悪趣味な赤いスーツにハット帽、その帽子の下に、恵比寿を醜くすればこうなるような顔をしている。そしてその顔は、何かへの動揺と恐怖から引き攣り、余計にその顔面の不細工さを強めていた。

 その顔を見て程なく、珠雫はそれが、一族の祝いの場などによく来る、黒鉄家に連なる家の人間であったことを思い出した。

 別に覚えたくて覚えていた訳ではなく、彼女の記憶力が優れていることと、あの不快な恵比寿面が、他の親戚にも増して嫌いだったから印象に残ってしまっていただけだった。

 

 その姿を見たくなくて、珠雫は視線を自ずと、その男の視線の先――彼と向かい合っている少年の方へと移した。

 

 

 ――後に「なんでそこで見るのを止めなかったんだろう」と、後悔することになるとは知らずに。

 

 

 男に対する少年は運動でもしていたのか、長袖長ズボンと殆ど肌を晒さない黒のトレーニングウェアを身に纏い、背中まで伸ばした黒髪は白い帯で一つに束ねていた。

 まだ幼さを残す容姿は、しかし男達を見据える鋭い視線と、その顔に浮かぶ厳然とした表情により打ち消され、凡そ子供らしさをそこから窺わせることはない。

 その姿はむしろ――――

 

 

『わ、私はあなたのお父様の側近で、ご先代様にも尽くしてきた者なんですよ!? その私に刃向かって、こ、こんな……!』

『…………』

 

 

 喚きたてる男の言葉に、しかし対峙する少年はこれといった反応もなく沈黙を保っている――心成しか、その表情にあった険が僅かに深まったように見えたのを除けば。

 

 反応を示さない相手に、男は調子づいたのか――それとも恐怖心を誤魔化すためか――語気を強めた。

 

 

『大体ねえ! あなた自分の立場を分かってるんですかぁ!? あなたのような妾腹(めかけばら)の私生児、その魔力がなかったらこの家の長男として迎えられるなんて本来は有り得ないんですよ!?

 その恩を忘れて、家の方針には逆らって身勝手な振る舞いを続けて、恥知らずにも程があるでしょぉ!?』

 

 

 まだ幼い珠雫には男が口にした難しい単語は分からなかったが、その内容が相手を侮辱する類のものであることは、何となくだが理解できた。

 それに対して不快さを覚える珠雫だが、当然そんなことは知りようもない男は、声を荒げながら言葉を続ける。

 

 

『だから、だからねぇ!? 私自らこうして出張って、礼儀知らずのあなたに世の中の厳しさというものを教えてあげようとしたんですよぉ!?

 それを、それをあなた――――一人で全員倒すなんて、おかしいでしょぉ!?』

 

 

 そう言う男は、もはや涙声だった。その理由は、正しく彼が口にした内容そのものだろう。

 少年が離れを背に負い、男達がそれに向かい合うという立ち位置からしてうすうすは分かっていたことだが、この惨状を作り出したのは少年であったらしい。もっとも、男の言葉を聞けばどちらに根本的な非があるかは明白だが。

 

 

『50、50人ですよ!? 選りすぐりの騎士50人を、子供一人が全滅させるなんて有り得ませんよ!!

 なんなんですかあなたはぁっ!!!』

 

 

 もはや先程までの言葉とは趣旨すら履き違えた内容を泣き喚く男。しかし言いたいことを粗方ぶちまけたからか、大声を出した反動で荒く呼吸をし、怯えきった目で少年を見ている。

 

 そんな男に、少年は――――

 

 

 

『――終わりか?』

 

 

 

 その一言――年甲斐もなく喚いていた男の声に比べれば淡々として小さなはずのその一言が、しかし遠目に窺っていたはずの珠雫の耳にも、まるで目の前で言われたかのようにはっきりと届いた。

 

 

『――ッ!?!?!?』

 

 

 そしてその瞬間――言葉では表現しきれない『何か』が、黒鉄 珠雫を襲った。

 

 途端に身体が冷気に晒されたかのように震えだす。手が震え、足が震え、視界までがぐらぐらと揺れる。

 全身から嫌な汗が吹き出し、瞬く間に口内は唾液が干上がって喉がカラカラになった。

 なんだ――なんなのだこれは。しらないこんなものしらないしりたくないやめてこわいこわいたすけてこわいこわいおにいちゃんたすけて!!

 

 

 ――そんな傍観者たる少女の異常には気づきようもなく、二人は二人で会話を続けていた。

 

 

『――へ、ぇ』

『そちらの言葉は終わったのか、と聞いた。

 ……ならば今度はこちらが答えよう、赤座 守』

 

 

 何を言われたのか理解できないのか、間抜けな顔を晒した男――赤座を、少年は正面から(しか)と見据えた。

 見据えられた赤座が「ひっ」と短い悲鳴を上げ震え上がるが、そんなものは眼中にないとばかりに無視し、答を示した。

 

 

『ああ、なるほど。お前の言葉自体(・・・・)は道理だ。

 俺はたかが(・・・)魔力の有無で己の優劣を定義する気などないが、この家(黒鉄家)に招かれたことにおいては、確かにその点が最も起因したのだろう。それは紛うことなき事実だ。

 この身は妾腹の子、正道に(あた)わぬ成り立ちから生まれた私生児――それもまた事実だ。弁明弁論の余地はないし、俺もまたその指摘に思うところはない。ありのままの事柄、語られて恥ずべきところなど俺にはないからな』

 

 

 そう返す少年には、その言葉の通り自らを恥じるような様子は微塵もなく、どこまでも淡々と事実を述べ、そして堂々としている。

 身を竦ませ腰を引かせている赤座と見比べれば、誰もが子供と大人の関係を逆に幻視することだろう。

 

 

『恩知らずに礼儀知らず――ああ、耳が痛いな。確かに俺は求められ、そしてそれに応じた結果としてここにいる。おかげで、それまでは知れなかった多くの事柄を知ることもできた。

 衣食住に関しては言うに及ばず。親が子を養うのは当たり前と言う意見もあるだろうが、そうした観点からしても俺は些か以上に微妙な立場であると自覚はしている。ましてや、その親である男を親とも思わないような言動をし、あまつさえ反目しているのだ。本来なら当に勘当されていてもおかしくはないのだろう』

 

 

 更に続く少年の言葉の内容は、しかしその堂々とした物言いに反して相手の言い分を認め受け入れるものだった。

 

 すると、そんな少年の発言を屈服とでも受け取ったのか、赤座はその顔に卑しい笑みを浮かべ、

 

 

『そ、そう! そうですよその通りですよぉ! それが分かっているのなら――――』

『ああ、故に――覚悟はあるぞ』

『……へ?』

 

 

 直後の少年の切り返しに、またも間抜けな恵比寿面を晒した。

 そんな赤座を見据える少年の立ち振る舞いに、何ら変わりはなく――――

 

 

『目当てが俺の魔力であるにせよ、この家の庇護下に身を置いているのは事実。それを承知の上で我を通すのだ、勘当放逐は元より、万人に指差され下劣畜生と糾弾を受ける覚悟など当にできている』

『な――――』

 

 

『無論――こうして武威に訴えられる覚悟もな』

 

 

『ひっ……!?』

 

 

 ――次の瞬間、少年がその身から放ちだした闘気に当てられ、赤座がいよいよ腰を抜かしてその場にへたれこんだ。

 

 

『50人? 選りすぐり? 知らんぞ。例えこの世総ての軍勢を嗾けようと俺は負けんし屈しない。

 そんな有象無象は、俺が負ける理由になどならん』

 

 

 そしてそれは、距離を置いて見ていた少女もまた同じ。己に向けられたものではないにも関わらず、ただその闘気を認識しただけで、彼女の肉体は恐怖への抵抗を放棄した。

 

 ――そんな相手の様子などお構い無しに、少年は言葉を続ける。どこまでも堂々と、しかしそこに段々と苛烈さを加えて。

 

 

『それと――ただで済むと思っているのか、だと? 思わんな。なればこそ常に覚悟し備えている。

 故に――当然お前も覚悟があるのだろう? 赤座 守』

『へ――ぇ――――?』

『身勝手で礼儀知らずな恥知らずの俺に、拳を以て世の道理を叩き込む――なるほど、頷けはする。

 言葉を尽くそうと(すべきことを)しなかった不精は気に入らんが、俺も俺なりに、人の世が言葉の語り合いだけでどうこうできる程に単純ではないと知っているつもりだ。

 そして得てして、言葉での語り合いよりも拳での殴り合いの方が(マコト)に通じるとも、な』

 

 

 そこで一旦言葉を切ると、少年は一歩足を踏み出した。

 

 

『故に、だ――俺は殴り返すぞ』

『――――』

『お前達にとってはそちらの道理こそが正しく奉ずるべきものなのだろうがな、どうにも俺にはそれが受け入れられん。未熟な身ゆえの無知は自覚しているつもりだが、それを置いても、迎合する気になどなれん。

 だから抗うし、殴り返す。当然だろう』

 

 

 ――更に一歩。

 同時に、相対する赤座の顔を見て、少年の顔が僅かに顰められる。

 

 

『何だ、その顔は。貴様にもあるのだろう、覚悟が。

 お前も人で俺も人、生きた時間の長さや身分、ましてや魔力だの伐刀者だのという『瑣末なもの』をかなぐり捨てれば、お互い身一つ意志一つの対等な人間だ。ならば後は、それ(意志)を賭けて戦うしかないだろうが。

 俺には俺の譲れない意志がある、それを貫く覚悟がある。ならばお前にもあるだろう。なんら特別ではない――『人間が持って当たり前のもの』なのだからな』

 

 

 ――そんな暴論を語りながら、また一歩。

 

 

『ああそれとな、赤座 守。事前に言っておくが、俺はお前など知らんぞ』

『――――は?』

『親父殿の側近だとか、老害共(先代達)とどうだとか、そんなことは知らんと言っている。お前がどこぞの王だろうが聖人だろうが、俺が向き合い殴り合うのは『赤座 守という一人の人間』だ。

 だから――お前もそんなくだらないもの(・・・・・・・)はとっとと捨てろ。邪魔だろうが、拳を振るうのに』

『――――』

 

 

 醜い恵比寿の顔はいよいよ顔面蒼白を越して土色と化していた。それだけでなく、涙に鼻水に涎までもが垂れ流されているのだから、もはや滑稽を通り越して見れたものではなかった。

 しかしそんな赤座の顔を一瞬も逸らすことなく見据えながら、少年がまた一歩近づく。

 

 

『どうした、何をへたれ込んでいる。さあ立て、お前にも先達としての――いや、赤座 守としての矜持があるだろう。

 そもお前は、お前にとっての道理に反するこの俺を糾しに来たのだろうが。ならば糾せよ。お前の倒すべき()はここにいるぞ。

 俺は俺の意志()を、お前はお前の道理(正義)を通す――これはそのための殴り合い(戦い)だ。加減など、手心などあっていい筈はない。

 そんなもの、俺の前に立ちはだかり向かい合う相手(赤座 守)への侮辱だろう』

 

 

 その言葉に、卑しい赤座への当て付けといった悪意は微塵もない。どこまでも真剣、どこまでも真摯――己には覚悟はある、ならば当然相手にもあるはずだ。

 己は何ら特別なことをしているのではない、人としての最低限の当たり前をしているに過ぎないのだから――と。

 

 だから、目の前の赤座にもそれはあるはずだ――あってくれという思いから、己が気概を込める。

 

 ――そして、遂に少年は赤座の前に立った。

 

 

『さあ見せるがいい。お前の気概を、お前の覚悟を。こんな餓鬼にただ言われるだけなど、男としての、人間としての、赤座 守としての矜持が許さんだろうが』

『ひ――ぃ――ぁ――ぁ――――』

 

 

 しかし――やはりと言うべきか当然というべきか、赤座 守という男に少年が望む気概(覚悟)などはなく。

 その身は向き合って拳を握ることはおろか、座り込んだ地面から立つこともできない。

 

 ――それでも、少年(魔王)は手を抜かない。

 

 

『や、やめ――――』

 

 

 必死になって漸く搾り出したらしい掠れ声の懇願空しく、そして――――

 

 

 

『お前の覚悟を、俺に示せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 

 

 少年の一喝と共に、掲げられ握り締められた拳は真っ直ぐに赤座目掛けて振り下ろされ、そのまま――――

 

 

『ひ――ぃ――ぅ――――ぁ』

 

 

 ――赤座は気絶した。

 少年の拳は、そんな赤座の正しく眼前で止められている。

 

 

『…………』

 

 

 そんな相手をしばし見据えていた少年は程なくして構えを解き、それからまた暫くは倒れ臥した赤座を見下ろすと、深い溜息を吐いた。

 その顔には落胆とも悲嘆とも取れる表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 ――その一連の出来事を、木陰にへたれ込んでいた珠雫は、余さず見届けた――見届けさせられた。

 最初の内は珠雫自身の意思で盗み見ていたものが、途中からは身体が強張って逃げたくても逃げられず、遂には腰が抜けてその場に座り込んでしまったことから目を逸らすこともできなくなって、最後まで見届けてしまった――それが顛末だった。

 

 そんな巻き添えを食った哀れな少女は、あの暴威に晒された赤座や倒れた騎士達程ではないにしろ、こちらはこちらでひどい有様になっていた。

 恐怖で引き攣った顔に加えて、流れ出た涙と鼻水のせいで人形のように愛らしかった顔はぐちゃぐちゃだ。座り込んだために足やスカートも土塗れとなっている。

 

 もういやだ、かえりたい、お兄ちゃんに会いたい――そう、現実逃避によって生じた思考の海に身を委ねようとした珠雫だが、

 

 

 

『――おい』

『――――』

 

 

 

 掛けられたその声に、思考の海は一瞬で凝結し、黒鉄 珠雫は無理矢理陸の上へと引き上げられることとなった。

 望んでではなく、反射行動として体を跳ね上げながら顔を声のする方へ向けると――――

 

 

『大丈夫か。先程からそこにいたようだが』

 

 

 ――そこに、魔王がいた。

 その何もかもを見通し貫くような漆黒の双眸が、彼女を見据えていた。

 

 それを理解し、認識した瞬間――彼女の精神は一気に限界を突破して、

 

 

『む?』

『――きゅう』

 

 

 遂に意識を手放した。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――ふと、黒鉄 珠雫は目を覚ました。

 

 

「――……?……」

「あっ、シズク! 目が覚めた!?」

「……おにい、ちゃん……?」

 

 

 うっすらとした意識の覚醒――ぼんやりと朧気な思考が最初に認識できたのは、自身を見下ろす大好きな兄・一輝の顔だった。

 

 

「よかったぁ……急に気絶したから心配したよ」

「……?……???」

 

 

 安堵の溜息を吐く兄の姿に、何故そんな反応をするのかと疑問を抱くが、すぐにどうでも良くなり思考を放棄した。

 お兄ちゃんがいる。大好きなお兄ちゃんが傍にいてくれている。それだけで十分だ。お兄ちゃんさえいてくれるなら、もう何も怖くない――ただただ、その幸福に浸っていたくて。

 

 

「大丈夫? どこか痛くない?」

「……うん。だいじょうぶ」

 

 

 不安そうな顔まで浮かべて心配してくれる兄の気遣いが堪らなく嬉しくて、自然と顔が綻ぶ。

 するとそんな自分の様子に安心したのか、兄も安堵の笑みを浮かべた。とても優しくて、自分を気遣ってくれる柔らかな笑顔。

 ああ、これだ。この顔が見たくて、自分は――――

 

 

(――あれ?)

 

 

 ――そこで、黒鉄 珠雫は違和感を自覚する。

 

 なんだ? 何かが違う。兄の笑顔は大好きで、他のことなんてどうでもよくなるけれど……それでも、今の自分には他に何かがあったような気がする。

 

 重要な、それでいて――とてもとても恐ろしい何か。

 

 カチリ――と、頭の中で音が鳴ったような錯覚を覚える。すると、機能不全だった思考が、徐々に働きを取り戻し始めた。

 

 

「ぼくは兄さんと桜さんに知らせてくるから、ちょっと待って……シズク?」

「ぁ――ぁ――――」

 

 

 少しずつ、少しずつ――一時的にとはいえ忘却できていた『何か』が、意識の裏側から甦りを果たそうとする。ベキリ、ベキリと、幼いが故に脆い意識の防壁が、容易く破られていく。

 それに呼応して心拍数が急激に早まる。ドキドキなんて可愛いらしいものではない、ドクンッドクンッドクンッと、痛さすら感じる程の音量と速度の心臓の鼓動が、身体を伝い耳に響き渡る。

 

 それと同時に、黒鉄 珠雫の思考もまた否応なく一気に稼動する。そしてその思考に脳のフィードバックでもたらされた最初の情報は――――

 

 

 

『あまり責めてやるな、黒鉄 珠雫』

 

『俺は殴り返すぞ』

『さあ見せるがいい。お前の気概を、お前の覚悟を』

 

 

『お前の覚悟を、俺に示せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 

 

 ――それはそれは恐ろしい、魔王(黒鉄 統真)の暴威だった。

 

 

 

「~~~~~~~~ッッッッ!!!!」

「シズくふぉぇっ!?!?」

 

 

 

 最悪のフラッシュバックが思考に投影された瞬間、その恐怖にいても立ってもいられず、兄の懐へ飛び込んだ。

 勢い余って諸共に畳の上に倒れこむが、そんなことは気にもならない。まだまだ逞しいとは言えない兄の、しかしこの世の何よりも安堵できる胸元に縋りつく。

 

 ただただ、兄に抱き締めてもらいたくて。

 そうすればきっと、あの恐怖にも耐えられると思うから。

 

 

「おにいちゃぁん……!」

 

 

「――――」

 

 

 ――図らずも、鳩尾に妹のヘッドバットを直撃した上に床に叩きつけられた最愛の兄が、一発KOで悶絶しているとは気づけずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃――この事態をもたらした原因たちはと言うと。

 

 

「やっぱり統真様が原因じゃないですかアイタタタタタタタタ!! 指! 指が頭蓋骨に食い込んでますイタタタタタタタ痛いですって!!」

「お前には言われたくない。この未成年略取誘拐犯めが」

 

 

 (統真)がやらかした従者な馬鹿娘()に容赦ない制裁(アイアンクロー)を下している最中だった。




 二ヶ月ぶりとなる更新ですが、いかがだったでしょうか。
 前回までが一応物語の核心に若干触れる内容だったので、当面は基本的に原作キャラ達との触れ合いを描いた日常的な話がメインとなります。

■珠雫回……?
 そういう訳で(?)、第一打者は珠雫。いやぁ、ロリズクちゃんはかわいいなぁ(白目
 作者のせいで思考が5歳児じゃないだろうと思えるかも知れませんが、うん、まあ、芥子粒程のlightリスペクトということで(目逸らし 作者としては「聡明で年齢よりも大人びた思考をしているけど、恥ずかしがりやな性格でプラマイゼロ」という認識です。
 そんな彼女の統真への印象は、まあ内容の通り。というか基本子供には対面一発で怖がられます、統真は。
 なお、原作ではこの時点の珠雫には異性としての恋慕はないというのが作者の認識ですが、この世界では本人が子供ゆえに無自覚なだけで片鱗はあった、という感じです。でもってそこに誰かさんが余計なことを……(ぇ

■屑恵比寿
 原作の顔面一発じゃ物足りなかったので魔王節論破で精神破壊。殴ってないけど被害はこっちの方がひどいという設定(シレッ
 本当は黒鉄家の元凶と言える玄馬でも出して殺し合わせようかとも思いましたが、別の使い道ができたので赤座に。
 あとちなみに、作者は赤座の担当CVさんは全然嫌いとかじゃないんで。話の流れとキャラ考察上そう表現しただけなんで;仮想世界の聖騎士は嫌いだけど(ヲイ

■魔王節
 久々に長々と語るオリジナル主人公。そして何気にこれが初シャウト。相手赤座なのにぃ……(ギリィ
 あとこいつ、この時点だと小学5年生なんだよなぁ……(遠い目
 なお、今回の統真の言い分を簡略にすると「先に殴りかかってきたんだから俺も殴り返すぞいいな」という…………アレ?

■霊装は……?
 作中では基本的に「珠雫の回想」というスタンスで描いたので分からないですが、珠雫が来る前に騎士50人とやり合った際は出してました。赤座とのタイマン?では、赤座が威圧に呑まれて霊装すら出せなかったので、統真も対等に素手で挑んだという感じ。まあ、ヒットしてたらワンパンなので霊装の方が被害少なかったりしますが(ぇ



 最後に改めて。二ヶ月に及ぶ更新停止、お待たせしてしまったことを心からお詫びいたします。またそんな体たらくにも拘らず更新が出来ていなかった間にもこの作品をお読み頂き、あるいはお気に入り登録して頂いた読者の方々、感謝感激の限りです。

 今後もどれくらいのペースで更新していけるかは、諸々の要素から作者自身も判然としませんが、暖かい目でお見守りいただけたら幸いです。

 それではまた次回に。


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珠雫篇 Ⅱ:妹は願い 兄は求む

 ……あっるぇ~;変だぞ、なんで今回で終わってないん?(首傾げ
 と言うわけで前後編だったはずが三分割に。相も変わらずダラダラグダグダで申し訳ありません(土下座

 今回は主に一輝の内面と、統真達の状況に対する解説を描きます。相変わらず無駄に長うございます、はい……。そろそろ愛想尽かされるのではなかろうか(ガクブル

 それではどうぞ。


 ――黒鉄 珠雫が目を覚まし、一輝を抱きつきという名の渾身のヘッドバットで悶絶させていた、その頃。

 

 

「――……で、そこに珠雫さんが居合わせて、見事に統真様の気に当てられていたと」

「ああ。途中からいることには気づいていたが、俺も相手(赤座)と向き合っていたのでな。その場では後回しにさせてもらったのだが……」

「終わらせてから行ってみたら、統真様の威圧と闘気に完全に当てられて放心状態、声を掛けるとその場で恐怖心の余り気絶された――と」

 

 

 そんなやり取りを交わしている統真と桜は、今現在離れの居間で向き合っている。

 

 というのも、少し前にこの離れを訪れて――厳密には連れ込まれて――、統真に異常な恐怖を示して気絶した珠雫に関する詳細を、原因と言うべき統真から聞き出していたからだった。

 事の仔細を把握した桜は、うんうんと頷き、一言。

 

 

「――うん、本当に馬鹿ですよね統真様」

 

 

 臆面もなくそう言って退ける。

 

 

「初対面の幼児を即行で拉致するような阿呆に言われる筋合いはない」

「ぐふぅっ……!」

 

 

 ――そして、容赦のない主の切り返しに致命傷を受けた。

 

 

「い、いやですね? 私もちょーっとやり過ぎたなぁって反省してるんですよ? 珠雫さんが目を覚ましたら五体投地で謝罪する所存です!

 そして、もう一度あの抱き心地を――――」

「…………」

 

 

 訂正……どうやら懲りていないらしい。流石は馬鹿娘()

 というわけで。

 

 

「アイダダダダダダ!? じょ、冗談ですよ統真様! ですから、その母さん張りのアイアンクローはやめイダダダダダダダダ!!」

 

 

 懲りてない発言を口走る世話役に、彼女の母のものと同じ容赦ない制裁(アイアンクロー)を加えておく。

 

 しばらくして、十分と判断したのかそれとも馬鹿馬鹿しくなったのか、桜の頭蓋をミシミシと圧迫していた手を放した。

 

 

「いづづ……でもまあ、統真様って基本子供に怖がられますもんね。その点からしたら珠雫さんなんて、むしろよく耐えた方ですよ。トラウマはしっかり植えつけられているようですけど。

 思えば、一輝さんと王馬さんくらいじゃないですか? 統真様を怖がらない子供なんて」

「俺とて子供(未熟者)なのだがな」

「……そうですねー。年齢的には子供なんですよね私よりー。私より背が上で誰も年下と見ませんけどー、ホントは私の方が年上なんですよねー」

「何をまたぞろ面倒な嫉みをぶり返させている」

 

 

 統真の「自分も子供」発言を聞くと、桜はそれまでと一転して拗ねたように目を反らして口を尖らせた。

 と言うのは桜自身が発言した通り、統真が彼女よりも年下であるにも関わらず、その外見は背丈を始めてあらゆる部分が上回っているからだった。

 

 元より男女の身体的差異や成長の差もあるのだろうが、それ以上に統真自身の成長は人一倍以上に著しい。背丈は同年代より頭一つ分はあり、そしてそれに最適な体格へと育ち、鍛えられている。

 普段の言動からして子供離れしている統真だが、正直その外見だけでも彼を年齢通りの子供と看做す人間は先ずいない。見知らぬ人間ならよくて中学生、そうでなければ背の低めな高校生にも勘違いされるだろう。

 せめてもの子供らしさと言えば、顔立ちにはそこはかとなく幼さが残っていることと、まだ声変わりがきていない点くらいだ。

 

 

「べっつにぃ~? どーせ私は統真様より背が低いですしー。こう見えても同年代では高い方ですけどね。学校では憧れの的ですからね。年下には追い抜かれてますけどー」

 

 

 ――とどのつまり、『年上でお姉さん』を密かに?自負している桜にとって、ただでさえその言動からして子供離れしている上に、既に背丈まで追い抜かれているという事実は内心で気にしている部分だったりする、ということだ。

 

 そんな面倒な僻みを言い出す従者に、統真は――――

 

 

「どうあっても気に障るのなら、力ずくで骨格と筋肉を引き伸ばしてみても良いが」

「まあそんなことは置いといて! よく考えれば私のお姉さん要素が背丈くらいで失われるはずないですもんね! 一輝さんもいますし!」

 

 

 ――ギリシャ神話の英雄テセウスの逸話の中に、プロクルステスの寝台というものがある。プロクルステスという強盗が捕らえた旅人を自前の鉄の寝台に寝かせ、寝台より体がはみ出ていればその部分を切り落とし、逆に足りなかったら合うように無理矢理引き伸ばして結局は殺す、というものだ。

 

 それを語ったことに、然したる意味はない。淡々と、しかし右手をゴキゴキッと鳴らしながら語る統真に、桜がアッサリと態度と話題を変えたことも同様である。

 

 

「まあ、冗談はさておき……どうするんですか?

 本人に聞かなければ分からないことですけど、珠雫さんまで「ここにいる!」とか言い出したら、流石にあちら(黒鉄家)の人達が騒ぐと思いますよ?」

 

 

 そう統真に問い掛ける桜の表情は至極真剣なものに変わっている。同時に、そこには何かへの危惧が含まれていた。

 

 一輝から聞いた話だが、妹の珠雫は相当彼に懐いているらしい。それだけなら、桜も彼にも慕ってくれる家族がいたんだなと安心する程度なのだが――問題はその珠雫が人見知りの激しい性格で、そんな彼女が唯一と言っていい程に好意を向けているのが他ならない一輝なのだということ。

 もっともそれは、あれ(気絶する)程の拒否反応を示すような統真へのトラウマを抱えつつも、一輝に会うためにやってきた点を鑑みれば、まあ納得の範疇だ。

 

 そして今後の展開――この後、桜が口にしたように珠雫までもがこの離れに住もうとした場合が、桜にとっての問題点だった。

 同じ敷地で血縁なんだから問題ないという理屈は、残念ながら『統真達の身の上』では通じない。

 

 

 『統真達の身の上』――それはとどのつまり、統真と一輝の立場と今後のことである。

 

 一輝がこの離れで生活するようになって以来、兄弟の父親である厳を筆頭とした本家や分家からは、そのことで何かを言われたり、彼を連れ戻そうとする様子はないらしい。

 理由は、一輝の庇護者となった統真が黒鉄家の人間から『接触禁忌対象(アンタッチャブル)』として扱われていることと――桜としては不快極まりない話ではあるが、一輝がFランクの魔力(才能)しか持たないからだろう。

 

 黒鉄家の名や権威に固執している分家の面々にしてみれば、彼らにとっての落伍者である一輝はできれば存在そのものを黙殺したいだろうが、その為にこれまで全ての圧力を打倒してのけている統真に、またも喧嘩を売って傷を増やそうとは思わないのだろう。

 ――表沙汰どころか黒鉄家内でも最重要機密の事柄だが、何せ以前に統真を力尽くで屈服させようとした一派が、逆に壊滅寸前まで追い込まれているのだから。

 

 だが、今回はそうもいかないだろうと桜は危ぶんでいた。

 

 

「珠雫さんの魔力はBランク相当だとか。まだ幼いですが魔力制御面では既に資質も見受けられているそうです」

「なるほど、優秀だな」

「うん、統真様が言うと嫌味どころじゃないですねー」

 

 

 才能に固執しない統真だが、だからといって優れているものを無価値に扱う訳ではない。なので、桜から聞かされた珠雫の才能自体は素直に評価する統真だが……Aランクオーバー(前代未聞の規格外)が何言ってるんだかと、彼の世話係はジト目を向ける。

 

 ――閑話休題(まあ、それは置いておいて)

 

 早い話、才能と等級だけで一族から見向きもされない一輝とは違い、順当な黒鉄家の一員として将来を嘱望されている珠雫までもが黒鉄家のアンタッチャブルである統真と深く関わり合うようになったら、流石に向こう(黒鉄家)もこれ以上はただ黙ってはいないのではないか――と、桜は危惧しているのだ。

 彼女自身が馬鹿馬鹿しいと思わずにはいられないが、向こうがそうなのだから仕方ない。

 

 ちなみに、一番の有望株である王馬が真っ先に統真に大きく影響を受けているので、向こう側にしてみれば『統真が着実に黒鉄の次世代を掌握しつつある』と思えるかも知れない。

 本人にそんな意図は微塵も無いのではあるが。

 

 

「……『去年の事件』で統真様をどうこうしようとする人達は殆どいなくなりましたし、ご当主様も強硬なことはなさらないと思いますが……」

 

 

 そう語る桜は、案ずるように統真を見つめる。

 

 ついつい失念しがちになるが、統真とて自分で口にしたように13歳の子供。いかに超絶的な力を備え持とうと、社会においては後見を必要とする立場だ。

 ……まあ、例え放逐されようと何の問題もなく自力で生きていく姿しか思い浮かばないのだが――『今の統真』はそう簡単な身の上でもなくなっている。

 

 理由は、言うまでもなく弟であり教え子である一輝の存在。まだ6歳の子供であり、衣食住問題以外にも、来年からは小学校にも通わなければならない。そうした部分では統真のように「自分で何とかする」などできるはずはなく、どうあっても社会的な保護者の存在が必要になる。

 こればかりは統真でも険しいものがある――『できない』ではなく『険しい』だが――。

 

 統真が一輝を切り捨てるなら万事解決になることではあるのだが、この男(黒鉄 統真)がそんな選択肢を選ぶはずはなく。というかそんな選択をするような人間なら、桜もこの場にはいないだろう。

 

 そう案じる従者に対し、統真は――――

 

 

あれ(黒鉄 珠雫)が相応の気概を以て臨むのなら、俺自身に拒む理由はない――が、そうはならんだろう」

「え?」

 

 

 案の定の来る者拒まずの言葉を口にし、しかし直後にはそれを自ら打ち消した。

 戸惑う桜を他所に、一輝達がいる方を一瞬見てから淡々と答える。

 

 

「成長は往々にして思惑を超えるものだろう」

「それは――――」

 

 

 どういう意味か、と統真に問おうとする桜だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

 彼女が問いを発しようとした、ちょうどその時――――

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「ゲフッ、ゲホッ……」

「だ、大丈夫? お兄ちゃん……」

「う、うん。大丈夫だよシズク。ちょっと驚いただけだから……うっぷ……」

 

 

 オロオロと慌てながら自分を心配する妹を、精一杯の笑顔を浮かべながら一輝は宥める……鳩尾に擦りながら青白い顔で脂汗を流している姿に、どれ程の信憑性があるかは推して知るべしだが。

 

 そして残念ながら、彼の妹はそんな隠せていない嘘に騙されるほど単純ではなかったらしい。兄の不調を見抜いて、その直接の原因が自分にあることにシュンと意気消沈してしまう。

 

 

「……ごめんなさい」

「ほ、本当に大丈夫だから! ほ、ほら! ぼくだって伐刀者なんだから、これくらいなんでもないよ! ね?」

「……うん」

 

 

 俯きながら謝る珠雫の様子に慌てて、一輝は身振り手振りまで加えて自身の健在を訴える。

 痛みはまだ引いていないが、そこは幼くとも兄の矜持なり男の意地なりを総動員、これ以上妹に心配をかけまいと、必死に押し隠して健在を装う。

 

 そんな兄の姿に珠雫もコクンと頷き、その努力に報いることにした。勿論それが強がりであることは、敏い彼女には筒抜けだったが。

 

 

「じゃ、じゃあ、ぼくは兄さんにシズクが目を覚ましたって伝えてく――――」

「!」

(またやられる!?)

 

 

 そう言って立ち上がろうとした一輝だが、それに対して珠雫が体をビクンと大きく跳ねさせて反応し、それに対して一輝は何故か激痛を伴う既知感(デジャヴ)を覚えてしまい、心の中で悲鳴を漏らす。

 直後にはその理由が、この状況が先程、自身が悶絶するに至った展開と似ているからだと悟り、一輝は再び悶絶する己を思い浮かべて身体を強張らせる――が、彼の危惧するような状況も痛みも訪れることはなかった。

 

 代わりに――――

 

 

「……ゃだ……」

「……え?」

「いっちゃ……やだ……!」

 

 

 俯いたまま自分の手を強く掴む妹の姿がその目に映る。表情こそ見えていないものの、涙ぐんだ声や身体を震わせている様子を見れば、どんな顔をしているかは一輝にも一目瞭然だった。

 

 そんな妹に、一輝は――――

 

 

「……うん、大丈夫。ぼくはここにいるから、だから泣かないで。シズク」

「うぐ……ひっく……」

 

 

 そう語りかけながら、掴まれている方とは反対側の手で珠雫の銀髪に覆われた頭を優しく撫でる。

 ただ泣きじゃくる妹を宥めるのではなく、彼女にそんな想いをさせてしまったことへの贖罪と――ここまで自分に会いに来てくれたことへの感謝を込めて。

 

 そんな兄の心の内が伝わったという訳ではないのだろうが……それを抜きにしても、久しぶりに感じることのできた兄の手の温もりに、珠雫は我慢の限界を向かえ、大粒の涙を零しながら泣きじゃくる。

 それが、未だ残る長兄への恐怖によるものか、それとも目の前の兄の思い遣りによるものかは、当人にも解からないことだった。

 

 

 

 

 

 一頻り泣いたおかげか、程なくして珠雫は泣き止んだ。

 顔自体は泣きっ面の跡がまんま残っているが、様子は大分落ち着いている。

 

 

「落ち着いた?」

 

 

 そんな兄の案じる問いにコクリと首を縦に振るが、手は一輝の手を強く握り締めたままで、その問いを聞くと手に力が篭った。

 それが、自分に離れて欲しくないという意図によるものだと流石に理解できた一輝は、珠雫の手に自身の手を添え、優しく語り掛ける。

 

 

「大丈夫だよ。シズクがいいって言うまでこうしてるから」

「……うん」

 

 

 その答えに安堵したのか、掴んでいた手の力が緩む。そんな分かり易い妹の反応に、一輝は微笑む。

 

 

「あのさ、シズク。シズクは、ぼくに会いに来てくれた――んだよね?」

「……うん」

「そっか……ありがとう、シズク。それとごめんね、ずっと言わずにいて」

「……えへへ」

 

 

 感謝と謝罪を口にしつつ頭を優しく撫でてくる一輝に、珠雫は気持ち良さそうな表情を浮かべながらそれを抵抗することなく享受する。

 

 しばらくそうしていた二人だが、一輝が珠雫の頭から手を離すことで御開きとなり、頭を撫でてくれていた感触が無くなったことに珠雫は残念そうな不満顔を浮かべる。

 そんな妹の分かり易い反応に苦笑してから、徐に一輝は口を開いた。

 

 

「それでね、シズク……もう知っているんだろうけど、ぼくは今、兄さんといっしょに暮らしてるんだ。

 兄さんに(強さ)を教わるために」

「!」

 

 

 そう語りだした一輝に、珠雫の顔が強張る。

 

 

「これから兄さんが学校にいくあいだは、桜さん――兄さんの世話役のひとのお家にいるんだけど……」

「…………」

「えっと……で、でも、これからはちゃんとシズクにも会いに行くよ。だからシズクも――――」

 

 

 シズクも安心して――そう続けようとした一輝だが、

 

 

「――お兄ちゃん」

 

 

 それは切実な目をしながら自分を呼ぶ妹によって遮られた。

 そして、

 

 

 

「いっしょに、帰ろ?」

「――――」

 

 

 

 ――その懇願に、口を噤むしかなかった。

 

 

「おうちに、帰ろう?」

 

 

 『家』に帰る――それは、あの『努力を認められない世界』に戻るということに他ならないのだろう。

 そしてそれは一輝にとって、ただ単に居場所を移すということではなく、自分をここへ連れてきてくれた兄を裏切ること――『諦めること』を意味する。

 当人ならそんなことに拘泥せず「好きにすればいい」と言うのかも知れないが、少なくとも一輝にとっては、そうした意味を伴うものだった。

 

 

「……お稽古なら、ほかのひとに頼めばいい。ここにいる必要なんて、ないでしょ?」

 

 

 そう言う珠雫の顔には必死さすら伺える。それは、ここ(統真宅)の主である統真への恐怖もあるが、それ以上に大好きな兄を取り戻したいという思い故のものだった。

 

 そんな妹を見て、一輝は安堵する(・・・・)――この妹は、自分があの家で周りからどんな仕打ちを受けていたのかなど、何も知らないのだということに。

 

 

「ね? だから帰ろう、お兄ちゃん」

 

 

 何も知らずそう懇願する妹に、一輝は困ったような笑みを浮かべる。その心中は、彼自身も不思議に思えるほど穏やかだった。

 

 

(すこし前なら、もっといやな気持ちになってたのかな……)

 

 

 そんな己の変化に、心の中で一輝自身が首を傾げてしまう。

 

 

 目の前の妹が、自分など遠く及べない才能(魔力)を持って生まれていたという事実は、一輝も知っている。やたらと自分を慕ってくれる彼女に、己にはない才能があると知った時、心の淵に羨望や妬みがなかったと言えば嘘だ。

 それが、兄妹の関係に蟠りを生み出さなかったのは、一輝生来の温厚な性格故だろう。

 

 それでも、才能によって冷遇を受けた(一輝)が、才能によって愛されている(珠雫)に、事情を知らぬとはいえこんな無神経なことを言われれば黒い感情の一つは抱きそうなものだが、一輝にそう呼べるものは浮かばない。

 それどころか、この無垢な妹があの家の理不尽を知らず、今まで通りにいてくれたことに安心すら覚えた。誰も自分にしたことを教えていないのか――と、恨みを感じたりもしなかった。

 

 理由は――一輝には一つしか浮かばなかった。

 

 

(――大丈夫。ぼくは、見てもらえている)

 

 

 沈黙している自分に不安げに首を傾げる妹を見て、もう一度その銀色の髪を撫でてあげる。撫でながら、今の己を顧みる。

 

 自分(黒鉄 一輝)は、一人ではない。

 日下部 桜やその家族が歩みを支えてくれて、黒鉄 龍馬が道筋を教示してくれた。

 何より――黒鉄 統真が認めてくれている、見てくれている。そして、目指す道の遥か先で待ってくれている。

 なら、それで十分。才能がないことも、父親に認めてもらえないことも、落伍者と周りから指差されることも、辛くないと言えば嘘だが――それでも、瑣末な事象だ。

 

 まして――これから己が為そうとする事、その道程の困難に比べれば、何程のものだろう。

 

 

 だから――――

 

 

「シズク」

「!」

 

 

 また頭を撫でられて喜んでいる無垢で愛らしい妹に、一輝は答えを告げる。

 そんな兄の向ける優しい笑顔に珠雫は、自分の願いが受け入れられたのだと思いパアッと顔を明るくして兄を見て、

 

 

 

「ぼくは、戻らないよ」

「――――」

 

 

 

 ――その答えに、言葉を失った。

 

 

「……どうして……?」

 

 

 その言葉を搾り出すように彼女が発したのは、しばらくの沈黙を挟んでからだった。

 珠雫のその問い掛けに、しかし一輝は変わらず落ち着いた様子で答えた。

 

 

「ぼくがここにいたいから。

 ぼくはあの人に、兄さんに剣を教わりたい。

 

 シズク、ぼくはね――黒鉄 統真(兄さん)のようになりたいんだ」

 

 

 まだ抜け切れない兄への憧憬――そしてそれだけではない意志を込めて、黒鉄 一輝は己が希求(ネガイ)を告げた。

 

 

「そ、そんなの……!」

 

 

 そんなの無理だ、できるはずがない――そう言わんとしたのであろう妹の気持ちがよく理解できて(・・・・・)しまい、自ずと口が苦笑を浮かべだ。

 

 

「うん、そうだね……その通りなんだと思う」

 

 

 黒鉄 一輝(最底辺の最弱)黒鉄 統真(規格外の最強)を目指す――それに対して下される評は、一目瞭然。

 無茶・無理・無駄・無謀、身の丈も身の程も弁えない愚物。良くて、叶わぬ夢を見る童だと笑われ哀れまれるのが関の山だろう。

 

 そしてそれらは同時に、口にする者が込める意図と感情は別にして、いずれも正しいと言うしかない。

 

 魔力・肉体・能力。しかし何よりも、その総てを凌駕する不撓不屈の精神――何一つにおいて及べるべくもなし。

 それは幼さや歳の差などという矮小な理屈で誤魔化せるような事柄ではない。一級の魔力を備え、剣の才覚を持つ神童の次兄・王馬ですら「同じ世代でなかったことだけがせめての救いだ」と言われているのだから、それより年が一つ違いに過ぎない一輝とて、そんな言い訳は当て嵌まらない。

 故に、非才にして非力なるその身は絶対強者たる黒鉄 統真と見比べたならば、周りに漂う塵芥にも等しい。

 

 そんな奴儕(最弱)が、生まれながらの英雄(最強)に追いつく? 並び立つ?

 分不相応、笑止の極み。蒙昧が如き虚妄も大概にせよ――それが世の下すであろう裁定。

 

 ――その通りなのだろう。

 そんなことは、幼い身にすら分かり切っている。身に染みている。他ならない彼自身の理屈ではない本能が常に告げている。

 

 

 ――だが、しかし。

 それでも――『そんなもの』で諦められはしない。

 

 

「それでも――それでも(・・・・)、そうなりたいって思わずにはいられないんだ。

 兄さんのような剣を振るいたい――って」

 

 

 それでも、と。静かに、穏やかに――しかし強い意志の込められた一人の少年()の顔がそこにあった。

 

 

「――――」

 

 

 見慣れているはずの兄の黒い双眸を見つめて、しかし黒鉄 珠雫は発すべき否定と懇願の言葉を失う――そこに、彼女の知る優しい兄とは違う、彼の未知なる姿を見たがために。

 

 そんな妹をしっかりと見据えながら、同時に一輝は、少し前に裏山で曽祖父・龍馬から向けられた言葉を想起していた。

 

 

『持ちうる全力と全霊を注いでもまだ足りない。努力などと言う言葉が、鍛錬などと言う言葉が馬鹿馬鹿しくなるような凄絶の苦行を身に課してもまだ遠い。神仏に願い縋ったところで、誰も応えなどはしない。

 その、道筋など何一つない無明の道を、お前は行くと言うのか? その想いだけで、歩み続けられるのか?』

 

 

 ――答えは、その問い掛けの後に贈られた大英雄の言を受けても、なお。

 

 

「どんなに時間がかかってもいい。どんなに辛くてもかまわない。

 『今のぼく』がどんなにダメで弱くても……それでも、いつか必ず兄さんに追いつきたい――追いついて、みせる。

 それだけは、絶対に諦めない」

 

 

 その言葉が、目の前の妹へ向けたものなのか。それとも、脳裏に浮かんだあの日の英雄からの問い掛けへの、改めての返答なのか。

 

 それは彼自身にも分からなくなっていたが……確かなのは、その言葉が今の黒鉄 一輝の総てだということ。

 

 そして、総てを否定された一人の少年がその内に抱いた渇望――それを阻める言葉も権利も、そして覚悟も、未だ幼い(無知な)少女は持ち得ない、ということだった。

 

 

 

 

 

「……えっと……だからね、シズク。今までのようには遊べないけど、その……許してくれる?」

 

 

 言うべきことを言い終えると、今までにない強い言葉を語ったことへの反動か、一輝の言動は一気に元の穏やかさを下回って遠慮がちになる。

 

 そして、その言葉を向けられた珠雫はと言うと――――

 

 

「…………」

「え、えっと……シズク?」

「……………………」

「あの……やっぱり、怒ってる……よね……?」

「…………………………………………」

「…………シ、シズク……?」

 

 

 三度に渡る兄の呼び掛けにも応じず、顔を伏せて沈黙を保っていた。そんな妹の様子に、言い知れない重苦しさを覚える。

 

 一輝の記憶する限り、これまで珠雫が拗ねて呼び掛けを無視することはあったものの、そういう時は頬を膨らませてそっぽを向くといった子供らしいリアクションが伴われていた。

 しかしこんな反応は初めてであり、それ故に一輝には、妹がこれまでになく怒っているのだと感じられた。

 

 語った言葉に偽りは無く、そこに込めた想いにもまた偽りは無く。故にそれを口にしたことは、微塵も後悔はしていない――のだが。

 そこはそれ、一輝とて6歳の子供。ましてや統真と出会うまではあの家で唯一自分を慕ってくれていた妹までもが、これで自分を嫌って離れていくのだろうかと思うと、言い表し得ない痛みと切なさ、そして申し訳なさを覚えずにはいられない。

 

 

 ……いや、にしても。

 依然として沈黙し、表情を窺わせない妹にある種の不気味さすら感じられてきた。

 愛らしく色白な肌に加え銀髪というビスクドールみたいな外見が、こう、西洋ホラーみたいなものを思わせる。

 

 そう言えば、このまえ桜さんが借りてきた映画がそういう題材だったような……――若干の現実逃避を込めて、そんなことを思い浮かべていると、

 

 

「――――る」

「ひっ!? ……え、あ、うん……な、なに? シズク」

 

 

 唐突に聞こえた珠雫の低い呟きに虚を衝かれてしまい、小さく悲鳴を上げて身体をビクッと跳ね上げる一輝だが、ようやく妹が口を利いてくれたのだと理解し、とりあえずの安堵を覚える。

 そして、よく聞こえなかった言葉を聞き直すと、

 

 

 

「わたしも! ここにいる!! ここでくらす!!」

 

 

 

 クワッと言わんばかりに顔を勢いよく持ち上げた珠雫は、大声でそう宣言した。

 顔を赤らめ、大粒の水滴を目の端に浮かべて睨むように兄を見る姿は、怖さなど無縁の愛らしさしか感じさせない。

 

 そして、そんな爆弾発言を大声で宣った妹に、兄は――――

 

 

 

「え、ダメだよ」

 

 

 

 ――実にあっさり、速攻でそう切り捨てた。いっそ清々しいまでの拒否断言である。

 しかもこの時、一輝の顔は相手を拒否することへの申し訳なさとは無縁な「え? この子は何を言っているんだ?」とでも言いたげな、純粋な疑問の表情であった。

 

 そんな兄の拒否に、見事なカウンターを喰らって硬直する珠雫。しかしすぐに立ち直ると、一輝に食って掛かる。

 

 

「どうして!?」

「いや、どうしてって……」

 

 

 ずずいっと迫りながら問い質してくる妹に困った表情を浮かべてから、一輝は一言。

 

 

「だってシズク、兄さんのことが怖いんでしょう?」

「ひぅっ!?」

 

 

 致命的な事実を、臆面もなく言ってのけた。

 それに対し、珠雫は――――

 

 

「こ、こここここわくなんか、な、なななななななない、もももももも――――」

「ああ、うん……とりあえず落ち着こう?」

 

 

 見事に分かり易い反応で示す。顔面は蒼白、全身は震えてまともに喋ることもできていない有様だった。

 こんな姿を見て、誰が怖くないなんて言葉を同情抜きで信じるのだろう。

 

 少なくとも一輝には、もうそれを信じてあげられるほどの純真さはなかった。6歳の身空で実の親に軟禁されれば、そうもなる。

 

 というか、相手の顔を見ただけで痙攣発作を起こして気絶しているというのに、信じられるはずもない。

 あと、目を覚ました後には錯乱してヘッドバットをかましてもいる。いや、別に怒ってはいない。ただ、まだ鳩尾の辺りに痛みが残っているだけで。

 

 

 ――閑話休題。

 

 

「う、うぅ~……!」

「えっと……」

 

 

 本当にどうしよう――と、反論できず涙目で自分を睨む妹を困り顔で受け入れつつ、真剣に一輝は悩む。

 

 

 口では珠雫が統真を怖がっているということを理由に挙げた一輝だが、彼が妹の要望に首を横に振る理由は、それだけではない。

 (ひとえ)に、統真に自分関連の事柄で今以上に負担を抱えて欲しくないからだ。

 

 兄の庇護を受けるようになってから、一輝は幼いなりに自身の立場を理解できるようになっている。

 元より秀逸ではなくとも愚鈍でもない一輝は、無自覚だが観察眼とそこから得た情報の考察力にはある種の才能を持っている。まだ幼く経験値が絶対的に不足している故にそこまで目ぼしくはないが、少なくとも今の己の状況、そしてそれが身近な人(黒鉄 統真)にどんな影響を与え得るか、という点には彼なりの把握をしている。

 

 一輝が統真と正式に対面しその庇護に入ることとなったあの日も思ったことだが、『黒鉄家の恥』として扱われている自分が、同じ黒鉄家に曲がりなりにも属している統真に身を寄せるということは、多かれ少なかれ彼の立場を危うくするものだ。

 

 ――そして同時に、そんな『無能』な自分だからこそ現状で納まっているのだとも、朧気に察している。

 

 では、そんな状況で紛うことなく優秀な妹までもが、自分を追って統真の元に来たら?――あの人たち(黒鉄家)は絶対に黙っていない。自身の持つ認識から、一輝はそう確信している。

 今度こそ、兄に大きな迷惑を掛けることになる。

 例え、統真自身がかつての言葉通りにそれを歯牙にも懸けていないとしても、兄を慕う一輝にしてみれば他ならない自分の所為で彼がこれ以上の迷惑を被るなど、耐えられることではない。

 

 だからこそ一輝は珠雫を、少なくとも自分の一存で軽々しく受け入れる訳にはいかなかった。

 まあ、妹には茨の道ではなく黒鉄家での約束された人生を送って欲しいという、幼いなりの兄心もあるのではあるが。

 

 

 ――いずれにしても。

 自分を見つめる妹と対して、一輝は決断をしなければならなくなっている。

 

 このまま珠雫を拒絶し己を通すか、否かを。

 例え、自分を慕ってくれていた妹を突き放してでも。

 自分自身の求道と兄への恩義、そして妹の将来のために。

 

 

「……シズク」

「……!」

「ぼくは――――」

 

 

 そして、幾ばくかの沈黙の後に、意を決したように表情を改めた一輝が『答え』を口にしようとして――――

 

 

 

「はーい、そろそろ起きましょうねー!」

 

 

 

「ひぅっ!?」

「さ、桜さん!?」

 

 

 ――襖をバッと開けて現れた桜に、兄妹揃って飛び上がることとなった。

 

 

「あ、珠雫さん起きてたんですね。随分遅かったので、もしかしたら一輝さんも一緒に寝ちゃったのかと思っていたんですが」

「あ……ご、ごめんなさい。ちょっと珠雫とお話してて……」

「フフッ、謝ることなんてないですよ。久しぶりに会えたんですから話したいこともあったでしょうし、気にする必要はありません。

 それにまあ、今回のことは私にも原因がありますから」

 

 

 謝る一輝を逆に申し訳なさそうな笑顔で受け止めつつ、桜の視線は素早く一輝の背中にしがみつくように身を隠している珠雫へと向けられる。

 「う~……!」と唸り声を上げてこれでもかと自分を警戒する愛らしい少女に、桜は「たはは」と苦笑を浮かべつつ、ゆっくり二人に近づくと膝を折ってできるだけ兄妹――厳密には一輝の後ろに隠れた珠雫となるべく目線を揃えようとする。

 すると、逆にビクッと身体を震わせて珠雫が顔を一輝の影に隠してしまうが、それは今の二人の構図が先ほど桜が珠雫を拉致した状況の一歩手前だからである。当然の反応と言えた。

 

 それを自覚しているらしく、桜が再度苦笑を漏らしつつ、珠雫に語りかけた。

 

 

「さっきは本当にごめんなさい。お姉さん、珠雫さんが可愛すぎてついつい加減を忘れてしまったんです。

 もうあんなことはしませんから、許してもらえませんか?」

「…………」

「私は日下部 桜と言います。日の下の桜と書くんですよ。

 珠雫さんの名前も、ちゃんと教えてくれませんか?」

 

 

 ちゃんとした謝罪と自己紹介を口にしつつ、桜は彼女らしい日向のような笑顔を浮かべる。

 そんな彼女に、珠雫が警戒こそ解かないものの纏っている拒絶の雰囲気が幾分か和らげたのを、すぐ傍にいる一輝は感じ取る。唸り声が止んでいるのもその証拠だ。

 親身になってくれる桜と慕ってくれる妹が仲良くなることに異存などあるはずもない一輝は、自分からも珠雫を促すことにした。

 

 

「ほらシズク、ちゃんと挨拶しないと。ね?」

「でも……」

「大丈夫だよ。たしかに桜さんは、はじめて会ったのにいきなり抱きついてきたりしてちょっとアレなところはあるけど、普段はいい人なんだ」

「あれ。一輝さん一輝さん、今何か言いませんでした? こう、お姉さんの胸にグサッとくるようなことを」

 

 

 爽やか笑顔でアレ発言を一輝がしたかどかは、まあ置いといて。

 

 大好きな兄の言葉となればと珠雫も耳を傾けたらしく、未だ警戒しつつも兄の後ろから顔を見せて桜に視線を向ける。

 

 

「……くろがね、しずく…………です」

「はい、ありがとうございます。これから(・・・・)よろしくお願いしますね、珠雫さん」

「……?……桜さん、これからって――――」

「はい、それじゃあ二人とも行きましょうか。ずっとここにいるのも何ですし、とりあえず居間の方へ行きましょうか」

「あ、はい……?」

 

 

 珠雫からの自己紹介を受け止め、二人を促して部屋の外へ連れ出した桜は、そのまま居間の方へと連れて行く。

 そんな桜に従って一輝は彼女の後ろに続き、そしてその後ろを更に珠雫が一輝にくっつきながら歩く。

 

 ――そこでふと、一輝はあることに気づき、それを桜に尋ねた。

 

 

「……あの、桜さん。兄さんはいないんですか?」

「ッ!」

 

 

 『離れに統真がいない』ということに気づき、そのことを一輝は桜に尋ねる。

 同時に、統真のことが言及された途端、珠雫が身体を強張らせた。

 

 そんな二人に苦笑を浮かべつつ、桜は質問に答える。

 

 

「統真様なら、今頃――――」

 

 

 ――そう語る際のほんの一瞬、桜の顔に不安の色が浮かんだのを、黒鉄 一輝は捉えていた。

 




 もはや誰なんだろうね、この原作主人公(遠い目 というかこんな6歳児がいてたまるかOTL
 まあそこら辺は、ホラあれ、light要素(極微少ながら)入ってんだからこれくらいやらんと……ということで(目逸

 なお統真の背丈や外見の描写ですが、そう言えば髪形しか言ってねえや、ということで今回のように。モチーフの一人である獣殿は史実含めてかなりの偉丈夫だったらしかったので、そこを踏襲。
 作中でも記した通り、知らない人間は先ず小学生とは思わない外見です。で、それを内心気にしてモヤモヤしている桜という構図。


 今回は以下の二つが、今回の話における主題でした、作者的には。

■統真家(?)の実状と現実問題
▼娯楽小説で一々描写するモンでもないのかも知れませんが、ナアナアで済ませると私的にはあれだったので今回で触れました。
 作中に記した通り、統真はまあこんな奴なので黒鉄家では屈服させられず追い払えず、その結果として接触最低限にしての飼い殺しにしよう(本音は怖いから下手に手が出せないアンタッチャブル)という手段を取りました。父親含む大勢が胃を患ったご様子。
 統真も統真で、未熟な己を鍛えるのが先なのと、一応は「養われている恩義」として、家の在り方に反駁はしても大事になるようなことにはせず、周りの中で我を貫く程度に留めてはいます。
▼生活費:普通に本家から支給。桜が世話役を務める現在は彼女が家計を全体的に管理している。
 学費:本家から支給。義務教育ほっぽり出したら問題視されてしまうから。
 という感じです。
 で、今回桜が危惧したものの一つは、まあこういう経済的な部分。桜や地の文でも言及したとおり、統真は一人でならいくらでも生きていけますが、当然一輝はそうはいかず。彼女は(比較的)常識も良識もあるので一輝にちゃんと学校に通ったりして欲しいと思っているので、そこあたり懸念しています。
▼で、ただでさえそういう経済面ではどうなるか不安な状況に黒鉄家の有望株な珠雫が乗り込んできたというのが、桜や一輝が危惧した部分。王馬も王馬で影響されているので、分家連中が知れば「ヤバイこれマジで乗っ取られる」と思うような状態。父親は……まああんなんだからそれ自体はどうこう思わないんでしょうが(遠い目
 これを切欠に何かしてくるんじゃないの、何か嫌がらせされるんじゃないの、と常識派(桜と一輝)が悩むのが、今回の話の要点……となってしまっていた(ぇ
 本当は兄妹でイチャコラして桜が珠雫を可愛がって嫌われて統真に制裁されてそれに珠雫が怯えて一輝の後ろに隠れるみたいなコミカルシーンだったのに(白目

■一輝の内面
▼渇望の変化:原作では、とりあえず「魔導騎士」になること……なんでしたっけね、目標が;(ヲイ で、ここではこんなことに……どーしよう(遠い目
▼「統真のようになりたい」:龍馬のおかげで憧れ100%ではないですが、かといってそう容易く振り払えるものではなく。まだまだこんな段階です。ここからどう脱却して行くのか、が前日譚における一輝の主題……にしたいOTL
▼観察眼:とんでもない鍛錬の末にブレステ(!?)会得した原作一輝ですが、やはりそこに繋げられる何がしかの素養はあったんじゃないか、と。ただ周りの人間はそれを見向きもし無かっただけで。
 で、この世界ではそれを表現しました。まあ、どこまで活かせられるのかは未知数ですが(目反らし
▼……なんか黒い?:原作だって中々に黒いようですので。そら親にあんな仕打ちされたらこのくらいは毒も持ちます。



 次回で本当に珠雫スポットは終わり。その後は、統真達以外の、この物語に深く関わる人物や話を描きたいと思います。構成力が欲しい……OTL

 あと最後になりますが、タグに「原作キャラオリジナル化有り」を加えました。読んで字のごとく。そして次回の登場人物がそれに当たります。まあ、原作でも殆ど言及されていないどころか名前も出ていない人物ですが;

 今回もお読み頂きありがとうございました。次回もゆっくりとお待ちください。
 それでは。


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珠雫篇 Ⅲ:黒鉄の母と娘

 誰でもいい、俺に速さをくれ。
 ⇒意訳:遅れてごめんなさい(土下座

 という訳で今回も一ヶ月を夕にぶっちぎっての更新となりました。週一なぞ夢の彼方ですな(遠い目

 今回は密かに追加されていたタグ『原作キャラのオリジナル化有り』の第一被害者(!)が登場します。と言っても原作では「いる」というだけで名前すら出ていない人物ですが。誰なのかはどうぞ本文にて……まあタイトル読めば丸分かりですけどねOTL。


「ただいま戻った」

 

 

 ガララッという古風な音を伴いながら玄関の引き戸が開かれ、黒鉄 統真は自身の帰宅を告げた。

 

 

「兄さん!」

 

 

 帰宅した統真を真っ先に迎えたのは一輝だった。玄関へと駆け寄ってきたその顔には、不安と心配の色が強く浮かんでいる。

 そんな弟の出迎えに、しかし当の統真はいつも通りで、至極落ち着き払っている。

 

 

「ああ、今戻った」

「あ、うん、お帰りなさい……じゃなくて! 兄さん大丈夫なの!?」

「落ち着け。何をそう慌てている」

 

 

 そう言われ「ご、ごめんなさい……」と謝るも、その様子に変わりはなく、不安げに兄を見上げていた。

 しかし彼には彼なりに、そうならずにはいられない理由がある。

 

 

「でも、その……兄さん、会ってきたんだよね?……母さんに」

「ああ、今し方な」

 

 

 おずおずと尋ねてくる一輝に対して統真の方はと言うと、やはり落ち着いて淡々と頷くのみだった。

 

 

 そう。

 一輝が離れの一室で目を覚ました妹・珠雫に対して自身の胸の内を述べていた頃。統真は離れから足を運び、その一輝達の母親たる人物と会っていた。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

 ――遡る時間は、一時間にも満たない。

 黒鉄 統真はある人物と対面していた。

 

 

 場所は黒鉄家本邸、その居間。和洋折衷の様式が拵えられた広い室内で、テーブルを四方で囲うようにしている高級感のあるソファーの一つに統真は腰を下ろしていた。

 屋敷全体や家具などから醸し出される雰囲気に呑まれることなく堂々と構えており、泰然自若を体現している。

 むしろ、統真という『異物』を招き入れたばかりに、その場こそが彼の存在感に呑まれていた。

 

 そして黒鉄 統真という存在の無意識の『圧』に最も晒されているのは、この場で彼と向き合っている人物だろう。

 その人物――美麗な銀色の髪を品のいい髪形で整えている女性は、緊張を孕んだ声で統真に問いを向けた。

 

 

「……では、珠雫はそちらにいるのですね」

「ああ。今頃は目も覚めているだろう」

 

 

 統真の返答に、その女性――現黒鉄家当主・厳の妻である黒鉄 瑞輝(みずき)は「……そう」とだけ返すと、目を伏せるという形で、彼女にとって義理の息子である少年から視線を逸らした。

 

 

 なぜ統真が黒鉄の本邸で一輝達の母親である彼女と対面しているのかというと、事は黒鉄 珠雫の一連の行動に起因する。

 簡単な話で、そもそも珠雫は母親や屋敷の使用人に何も言わず離れに赴いていたのであり、そんな彼女の行方が分からなくなって慌てた家の者が、統真の元を訪れた。

 そして案の定、珠雫が離れにいたことを知り彼女を連れ帰ろうとしたのだが、そこで統真が待ったを掛け、代わりに自ら屋敷に足を運んだのである。

 

 「黒鉄 瑞輝と話がしたい」という申し出と共に。

 

 

 それからしばしの沈黙の後、再び瑞輝が口を開く。視線は変わらず、統真を視界に入れないようにしている。

 

 

「……この度は娘がお世話になりました。今後はこのようなことにはならないよう言い聞かせますので――――」

「家に反目する慮外者と落伍者には関わらないように、か?」

「…………」

 

 

 取り繕うような、あるいは感情を押さえ込んでいるような彼女の言葉に、統真はそう返した。

 その言葉を受けた瑞輝の顔が微かに歪むが、何かを言い返すことはなく沈黙を通す。

 その様子を見た上で、統真は更に言葉を続ける。

 

 

「そちらの養育方針にどうこう口出しをする気はない。たった13年しか生きていない餓鬼が、3人もの子を産み育てた母親に意見したところで知ったかぶりもいいところだ。

 その上でも思うところはあるが、そちらにはそちらの苦悩もあるのだと察してもいるつもりだ」

「…………」

「だが、言い聞かせるというのならあれ(黒鉄 珠雫)の意思を知った上ですることだ。

 生来臆病だという娘が、忌み恐れる相手()のいる場所に兄会いたさ一つでやって来たのだ。親と言えどそうそう容易く説き伏せられるものではないだろう」

 

 

 そう言ってのける統真の顔は一見それまでと変わらないように見えるが、そこには微かながらも『笑み』と呼べるものが浮かんでいた。

 

 ――もっとも、この場にその区別をつけられる人間()がいないので、ただの無愛想顔にしか見えないのだが。

 

 

「……随分と評価するのね。ほとんど知らない娘でしょうに」

「そうだな、あるいは軽薄と思えるかも知れん。が、少なくとも自ら見聞きした分には見込みある気概の持ち主だと思ったのも、紛うことなき事実だ。

 俺のようなつまらん男が他人をどうこう語るなど、烏滸(おこ)がましいかも知れんがな」

 

 

 そう己を貶すような言葉で締め括るが、そこに卑しさや皮肉、見掛けだけの謙虚さといったものもない。

 どこまでも堂々と、ただ本心で語っている。偽り憚るところなど、何も無いのだから、と。

 

 そんな統真の言動に、彼の義母はそれまでとは違う反応を相手に向けた。そこには、堂々とし過ぎている統真への『呆れ』が見て取れる。

 

 

「外見もそうだけれど、貴方って本当に子供とは思えないわね……私が知っている人達よりはよっぽど大人に見えるわ」

 

 

 そう述べる彼女の声と表情は幾分か緊張が和らいでいた。それ程に統真の言動に呆れたのか、あるいは彼女がそれ相応の胆力を持っているからなのか。

 

 一方で、瑞輝のその言葉に統真は「フン」と不服気に小さく鼻を鳴らす。眉間にも僅かにだが皺が寄っている、所謂『仏頂面』だった。

 

 

「よく言われるが……見てくれはともかく、俺は俺が為すべきと思ったことを為さんと努めているに過ぎん未熟者(子供)だ。

 そんな俺が大人と思えるのなら、そちらの知り得る周囲の者達が大人足る所為を為せていない輩だということなのだろう。嘆かわしいことだがな」

「……そう断言できるのは、貴方だからよ」

 

 

 そんな義母の『何かへの嫌悪』を込めた呟きに、しかし統真がそれを追求することはなく、居間には沈黙が流れた。

 

 ――その沈黙の中でふと、黒鉄 瑞輝は逸らしていた視線を義理の息子へと向ける。

 

 

 現当主の妻である黒鉄 瑞輝と、彼女にとっての義理の息子である黒鉄 統真の関係は、決して良好ではない。

 それは、当然と言えば当然の所為と成り行きによる結果だった。

 

 黒鉄 統真は黒鉄家に迎えられて程ない内から、父親や家のあり方に真っ向から反駁を示した。しかも周りは彼の隔絶した力故に弾圧することも放り出すことも適わず、結果として最低限の接触で『飼い殺す(目を背ける)』ことになった。

 それは当時、当主の座を息子である黒鉄 厳に譲りながらも所謂『大御所』として君臨していた先代当主・黒鉄 玄馬の決定であり、当然、厳とその妻である瑞輝もそれに従った。

 

 しかしそうした『名家の事情』を抜きにしても、瑞輝自身のある感情が両者の疎遠を促していた。

 理由は至極簡単。統真が夫と顔も知らない昔の女との間に生まれた子供だから――早い話が『嫉妬』だった。

 

 夫が自分以外の女性と関係を持ち、子供まで儲けたと知って何も感じない妻は先ずいない。例えそれが、己と出会うよりずっと前のことであり、夫は子供がいたことすら知らなかったとしても、大差はないのだ。

 そして生憎と、黒鉄 瑞輝はそんな夫の不義――に当て嵌まるのかは微妙なところだが――を知って、それを即座に許せるような聖女でも、何も感じないような鉄の女でもなかった。

 

 ましてやその子供は、一体どこの性悪な運命の神(■■■■■)の悪戯か、前代未聞の絶大な魔力を持ち、その他の能力においても尽く超人的素養を発揮するという有様。

 母親にしてみれば、当時はこれから生まれ来るであろう我が子の栄光すら簒奪されたようなものだったろう。

 

 それでも、妻として我が子の母として、忌むべき妾腹の子供(怪物)を虐げることはなく、その内心と本音はどうあれ形だけでも息子として受け入れただけ、彼女は人並み以上の忍耐力と自制心があった。

 そしてそんな苦境を招いた夫を、しかし詰ることもなくそれまで同様に妻として振舞える程、彼女は夫を愛していた。

 

 むしろそうした部分を褒め称えるべきだろう。彼女は聖女慈母の類ではなかったのかも知れないが、浅ましく短慮な悪妻でもなかった。

 少なくとも今彼女と向かい合っている統真も、その点は認めている程には。

 

 まあ厳密には、統真を虐げられなかったのは瑞輝の人間性の他にも純粋に彼女もまた統真を恐れたためでもあり、夫への愛以外にも、瑞輝もまた黒鉄家縁者の人間として『名家の人間として(目上への)の振る舞い(服従)』が身に染みていたからでもあったのだが。

 

 

 ――そんな、あらゆる意味で忌み嫌うべき相手を、しかし今の瑞輝はそれとは違う感情も伴って対している。

 

 

「……一つ、教えてもらえないかしら」

 

 

 沈黙を破ったのは瑞輝だった。

 その視線は再び伏せられ、統真を視界から外している。

 

 

「俺に答えられることなら偽りなく答えよう」

「……貴方は、何故あの子を……一輝を手元に置いているの?

 あの子が、理不尽な仕打ちを受けていたから? だから助けようとしたのですか? それとも、あの人達(黒鉄家)への当てつけ?」

 

 

 己が息子の名を口にした際に表情を翳らせながらそう尋ねる瑞輝に、統真はしかしすぐには答えず、彼女を見据えたまま沈黙を通す。

 まるで「まだ続くべき言葉があるのだろう」と言葉の続きを促すように。

 

 それを察したのか、瑞輝は統真の答えを待つのではなく、更に言葉を続けた。

 

 

「……今更と思うかしら。夫や親族が実の息子を見放すのを黙認していた母親が、何を今になって――って」

「自らがそう思うのなら、俺が答えるまでもないことなのではないのか?」

「……フフ。ええ、そうね。その通り……本当、ろくでもない母親だわ。

 あの子(珠雫)からも嫌われていて当然ですね。自分の子供が、魔力があるとかないとか、多いとか少ないとか――そんなくだらない(・・・・・)理由で虐げられているのに、それを見て見ぬフリをしているのだもの」

 

 

 自嘲を浮かべる瑞輝に、言い回しながらも辛辣に指摘する統真――それを受けて、しかし瑞輝は怒るでもなく、ただ自嘲を深めるだけだった。

 

 そんな彼女の語った言葉を他の者達が聞けば、果たしてどんな顔をするのだろうか。

 

 

「でもね、これが私なのよ。

 黒鉄の家の一員に生まれて、その在り方を叩き込まれて、その次期当主になる人に嫁いで……それだけの、虚ろでつまらない、空っぽな女。

 あったとすれば、(黒鉄 厳)を愛せたことだけ。だから、夫や周りが息子を否定するのなら、自分もただそれに従う――そんなくだらない人間なの。

 ……貴方のような人には分からないのでしょうけれど、ね」

「ああ、その通りだ。

 知人に言われて最近自覚できたことだが、俺にはそうしたもの(弱さや諦め)が分からんらしい」

「……そうでしょうね」

 

 

 統真のその返答に、瑞輝は予想通りと言わんばかりの感想を述べ、そして初めてその顔に嫌悪の色を浮かべた。

 

 もっとも――それが誰に向けての(・・・・・・)嫌悪かは、判別に難しいが。

 

 しかしすぐにそれを表情から消し去ると、努めて落ち着いた様子で再度問いを向ける。

 

 

「それで? どうして一輝を助けたのか、教えてはもらえないのかしら」

「そもそもその問い自体が誤りだ、ご母堂」

「……? 貴方が乗り込んできて、あの子の部屋のドアを蹴破るとそのままあの子を連れ去った、と聞いたのですけど」

「俯瞰した事実だけを述べるならそれも強ち間違いではないのかも知れんが、前提が違う。

 俺は黒鉄 一輝を助けてなどいないし、この家から黒鉄 一輝を連れ出して(・・・・・)もいない」

 

 

 そんな統真の言葉を理解できず、瑞輝は怪訝な表情を浮かべる。その視線は、彼女も無自覚の内に相手へと向けられていた。

 その視線を受け止め、そして見据え返しながら、統真が語り出す。

 

 

「総ては黒鉄 一輝が自ら選んで(・・・)勝ち取ったもの。

 あの日、俺は気になることがあって偶さかに一輝の元を尋ね、それを本人に問うただけだ――『それでいいのか』と」

 

 

 統真がかつて一輝に向けた問い――それが何を指したものであるかを察したらしく、瑞輝は顔を歪め、再び統真から視線を逸らした。

 

 

「……それで、あの子はなんて?」

「俺の口を通したものでよいのであれば」

「……聞かせてちょうだい」

 

 

 その答えに、統真はこの屋敷で一輝と初めて会った時、彼が自身に吐き出した言葉を語り聞かせた。昂ぶった情動で出た言葉だったのでそのままそっくりという訳ではなく、程よく纏め上げながら。

 それでも、あの時の一輝が真に抱いていたものは余さず含まれ、瑞輝に伝えられる。

 それを、彼らの母親は静かに聞いていた。

 

 

 そうして、一通り語り終えた後――――

 

 

「悔しさ、強さへの渇望、そしてそのための努力を続けたいという想い――誰しもが抱き得る、当たり前で何ら特別ではない感情だ。

 だがだからこそ、尊いと俺は思っている」

「…………」

「確かに俺は手を差し伸べはしたが、俺に手を差し伸べさせたのも、そしてその手を取ったのも、紛うことなく一輝の意思に他ならない。

 あの部屋から出たこととて同じ、黒鉄 一輝自身の意志と足で成されたこと」

「…………あの子の、意志」

「然りだ。それが何某かへの影響を受けたものであったとしても、黒鉄 一輝という一人の人間が諦めず、努め、その結果として勝ち得たもの。

 俺などという存在は、ただの切欠に過ぎん」

 

 

 讃えられるべきは黒鉄 一輝という人間が示した気概と努力。

 一度は折れ掛けたのかも知れない、統真という憧れと目標を見出したからこそなのかも知れない――だからどうしたと言うのだ。大いに結構、何を恥ずるべきところがある。それでもなお立ち上がり、何かを目指して足を踏み出したのは本人の意思に他ならない。

 

 故に、(黒鉄 統真)の存在や助力など偶さかの代物。例え己が存在しなかったとしても、あの少年は屈せず立ち向かっていった筈なのだと――そう黒鉄 統真は信じている。

 

 

 その言葉で会話は一旦締め括られたが、一拍の沈黙の後に統真は新たな話題を口にした。

 

 

「ところでご母堂。折り入って一つ頼みがある。そもそもここを訪れた理由はその為だ」

「……何かしら」

 

 

 黒鉄 統真が自分に『頼み事』をする――そんな事態など思いもしなかった瑞輝は一瞬瞠目するが、動揺しつつも努めて冷静に要望の内容を尋ねる。

 

 

貴女の娘(黒鉄 珠雫)のことだ。唐突なのは承知だが、今日一日こちらで預からせていただけないか」

 

 

 そんな彼女に対して統真が提示した内容、それもまた思いもしなかったものだったので、瑞輝は怪訝な表情を浮かべて統真を見た。

 疑問の視線を向けられた統真はというと、やはり何ら臆せず淡々と言葉を語る。

 

 

あれ(珠雫)には以前(一年前)、こちらの不注意で厭な思いをさせている。そして今回、その上で(一輝)に会わんと立ち向かったのだ。ならば相応に報いてやるべきだろう」

「……だから、今日一日はあの子(一輝)と一緒にいさせてやれと?」

「無論、当人がそうしたいと言うのであればだがな。尋ねて嫌だというのなら、今日中に責任を以てこちらへ送り届けよう」

「…………」

 

 

 統真のその申し出に沈黙する瑞輝。その顔にはどう答えるべきか悩んでいる様子が見て窺える。

 それに対し、統真は目を閉じ相手の返事をただ静かに待つ。

 

 一分、三分、五分……と時間は過ぎていく。統真と瑞輝のそれぞれの呼吸と居間にある大時計の振子の音だけが、沈黙の中で息づいている。

 

 そして――――

 

 

「……分かりました。今日一日、娘のことをよろしくお願いします。

 こちらに戻りたがったら連絡をください。迎えの者を送りますので」

 

 

 思案の後に瑞輝が出した答えは、統真の要望を受け容れるものだった。

 それを口にする顔に

 

 

「ご許諾感謝する」

「それと、厳には私の方から全て話しておきますから、後からの申開きは無用よ。また胃を傷められても困るもの」

「そうか」

 

 

 頭を下げて真摯に感謝の礼を示す統真に、瑞輝は若干の疲れと呆れを含んだ顔でそう釘を刺した。その言葉が冗談の類ではないのは、彼女の表情が物語っている。

 黒鉄 厳にとって黒鉄 統真は、顔を合わせただけでも胃を傷めさせる存在となっているらしい。

 

 そんな瑞輝の割と容赦のない発言に、しかし統真は特に反応を示すこともなく頷き了解の意を示す。彼女の言葉を事実と自覚しているからなのか、それとも父親がストレスで胃を痛めようが頭髪が禿げ散らかろうがそんなことに微塵も関心を持てないからかは、さしたる問題ではないので割愛する。

 

 

「では、これで失礼する」

 

 

 何はともあれ用事を済ませた統真は、自身がこの屋敷では歓迎されざる身であることを自覚していることもあり、別れの挨拶を述べてはこの場から去ろうとし、

 

 

「――一つ、お願いできるかしら」

 

 

 背中越しに向けられた瑞輝の言葉に、退出する直前で足を止めた。

 両者は相手に振り向かず、背中を向け合う状態となっている。故に、互いの表情を窺い知ることはできない。

 

 

「あの子に――一輝に、一言だけ伝えて欲しいことがあるの」

「自分で伝える気はないのか」

 

 

 瑞輝のその要望に、そう問い返す。それは、自分で伝えるべきではないのか――と。

 しかし、

 

 

「……ええ、私は言わないわ(・・・・・)

「そうか」

 

 

 そう、きっぱりと断言した――『言えない』ではなく『言わない』という、明確な意思を込めて。

 そんな彼女の答えに統真はそれ以上何かを口にすることなく、しかしその場から立ち去ることもなく、瑞輝に背を向けたまま沈黙を通す。

 

 それが了承の意であると、直接確認した訳でなくともそういうことだと勝手に解釈することにした瑞輝は、託すべき言葉を口にした。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

「兄さん?」

「……気にするな。案ずる程のことは無い」

「う、うん……?」

 

 

 本邸でのことを想起していた統真を訝かしむ一輝だが、当人は何でもないとあしらい、視線を別の方――一輝がいる玄関より奥の、廊下の方へと向ける。

 

 

「黒鉄 珠雫」

「ひぅっ!?」

 

 

 その名を呼ぶと、廊下の角から何かが動いた気配が発せられる。すると、銀色の物体――珠雫の銀髪で覆われた頭が、角の壁からおずおずと姿を見せた。

 その翡翠色の双眸が、強い恐れと警戒の色を含んでいる。

 が、それらを向けられている統真は一顧だにせず、それを見据え返すと口を開いた。

 

 

「ご母堂から許可は貰ってきた。今日は一輝と共に過ごしていくといい」

「へ?」

「ふぇ……?」

 

 

 思いも寄らなかった統真のその言葉に、一輝と珠雫の兄妹は共に目を丸くし、呆けたような声を漏らす。

 

 

「あちらに戻りたいのなら言え。使いを(よこ)してもらうなり送り届けるなりする」

「え……?……え?」

 

 

 いきなりの展開に追いつけず、珠雫は統真への警戒も忘れて目を白黒させていた。

 

 

「えっと、あの……兄さん? それってどういう……」

「うむ」

 

 

 同じく理解が及べずにいる一輝が問い質したことで、統真も自分の説明が足りなかったことに気づき、改めて説明を口にした。

 

 その内容を聞くと、珠雫が表情と目をパアッと明るくし一輝が困惑するという形で、今度は兄妹の反応が分かれる。

 

 

「でも――――」

「言ったはずだぞ。案ずるほどのことなど無い、と」

 

 

 なおも心配そうな一輝にそう言い聞かせ、「それに」と言葉を続ける。

 

 

「今回の一件において、そもそもお前を連れて来てからその辺りの考察を怠ったのは俺の不明だ……が、慕ってくれている者の存在を失念していたのはお前の不明でもある。

 それにお前に会うために単身ここまで来たのだ、贖いと報いも兼ねて相応に持て成すべきだろう」

「うっ……」

 

 

 そう言われてしまえば自分でも申し訳なかったと思っている一輝に言い返せる言葉などなく、後ろを振り返ると、不安と期待が込められた瞳で見つめてくる妹が一人。

 前門の兄、後門の妹とでも言うべき状況に、一輝も頷くしかなかった。

 

 

「今日は一日付き添ってやるといい」

「……うん」

 

 

 とはいえ、慕ってくれる妹と一緒にいられることに不満がある訳でもなく。

 一輝はそれ以上不安を示すことはなく、嬉しそうに返事をした。

 

 

「おかえりなさい、統真様」

「ああ、今戻った」

 

 

 そうしていると奥から桜も姿を見せ、統真を出迎える。

 愛用のエプロンをしているところを見ると、料理の最中だったらしい。

 

 

「ああ、今ちょうど仕込みの途中なんです。

 一輝さんの時はありあわせになってしまいましたからね。幸い昨日買い込んだばっかりですし、今回は前回のリベンジも兼ねて豪勢なものを作りますよー! 三人とも期待していてください!」

「張り切るのは構わんが、作り過ぎないようにしろ」

「大丈夫ですよ。ちゃんと統真様が食べてくれますし♪」

「食べ物を粗末になどできんだろう」

「またまた~。素直に「お前の作る料理は美味いからな(キリッ)」とか言っていいんですよ――すいません調子に乗りました。ですからそのアイアンクロー執行五秒前の手は下ろしてください」

 

 

 そんなやり取りをしながら、統真と桜は中に入っていく。そしてその後ろを、一輝と彼に手を繋いで珠雫が追って行った。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

『そうか、珠雫が』

「断るべきでした?」

『……いや、君がそう判断したのなら構わない。留守中に苦労を掛けるな』

 

 

 夜の黒鉄邸の一室。シーリングライトではなく幾つかのランプでいい塩梅に室内が照らされたその部屋は、この屋敷の主である当主夫妻の寝室である。

 その部屋にあるソファーに身を委ね電話越しの相手と言葉を交わしているのは、当主不在の現在は唯一の部屋の使用者であるその妻・瑞輝だった。

 

 そして彼女が受話器で会話している相手こそが、当主の黒鉄 厳に他ならない。

 

 

「夫がいない間の家を守るのは妻の務めでしょう?」

『……そうか』

 

 

 夫の不在に挫けず、健気に家庭を支える妻――台詞だけならそんな偶像を連想させるものだが、実際にそれを口にする瑞輝の声は淡々としたもので、そういったものからは程遠かった。

 もっとも、それが愛情の無さに因るものかと言えば、そういう訳ではないのだが。

 

 夫の方もそういう感想を抱いたのか、返す言葉には僅かながら苦笑の色が聞いて取れる。

 

 

「珠雫に言って聞かせますか? もう関わらないようにと」

『……いや、あれ(統真)が珠雫に目を掛けているのなら下手に刺激しかねない。今のところは放っておいた方がいいだろう』

「そう」

 

 

 親というにはあまりにも事務的な判断を下す夫を、しかし妻もまた淡々と受け止める。

 元より質問自体が確認行為に過ぎず、夫の下す判断がどういうものかなど最初から分かりきっていたのだから。

 

 ――それでも。

 

 

「――あの子は」

『ん?』

「一輝は、頑張っているそうよ」

『…………』

「毎日早起きして、ちゃんとご飯も食べて、(統真)から手解きを受けて、寝る時はぐっすりと寝て……。

 大鳥様の曾孫さん……日下部のお嬢さんにも随分とお世話になっているみたい」

 

 

 そんな話題を口にした辺り、瑞輝に全く思うところがない訳でもなかったらしい。

 

 ――それが夫に向けられたものなのか、それとも自分自身へのものなのかは、彼女にも分からなかったが。

 

 

『……捨て置けばいい。あれ(黒鉄 統真)の傍にいれば、嫌でも己の分を弁えるようになるだろう』

 

 

 そんな瑞輝の報告に返されるのは、感情を伺わせない夫の冷淡な言葉。

 

 その胸中の意図がどんなものであれ、実の息子に「何も出来ないお前は何もするな」と言い放ち、ある意味で一輝の黒鉄家における冷遇を決定付けた張本人なのだから、出てきた言葉がそんなものであるのも、ある意味では自然なものなのかも知れない。

 

 ――そんな厳に、しかし妻が返した反応は意外なものだった。

 

 

「……そうかしら」

『ん?』

 

 

 僅かなりとも異議を含んだ瑞輝の呟きに、受話器越しの厳は戸惑いの声を漏らす。

 夫の無愛想顔に困惑が浮かんでいる様子を容易に想像できてしまい、小さく苦笑を浮かべつつ瑞輝は言葉を続けた。

 

 

あなた(黒鉄 厳)の息子ですもの。分かり難いかも知れないけれど、あの子頑固者なんですよ、あなたに似て」

『…………そうか』

 

 

 妻のその指摘に、戸惑いの入り混じった返事を厳は口にする。

 その戸惑いは、妻が異議を口にしたことに対するものなのか、それとも父と子の類似点を指摘されたことによるものなのか。

 

 しかしそのことにはそれ以上触れることなく、代わりに瑞輝は新たな問いを向けた。

 

 

「ねえ」

『どうした』

「もしあの子(一輝)が、本当に一人前の伐刀者になれたら……あなたはどうするの?」

『……知れたことだ』

 

 

 そんな妻の問いに一拍の間(・・・・)を挟んで後、はっきりとした声で厳は答えを示した。

 

 

伐刀者として(・・・・・・)のあいつを認めることはない――()が黒鉄 厳である限り、決してな』

 

 

 どこまでも冷徹に、冷厳に――“鉄血”という彼の二つ名に相応しい断固たる物言いで、黒鉄 厳はそう断じる。

 

 そしてそれもまた、妻である瑞輝にとっては既知のものだった。

 

 

「……そう」

『瑞輝――――』

「フフ、安心してくださいな。あなたを恨んだりなんかしてはいないわ。

 そもそもそんな資格、私に無いもの。そうでしょう?」

『…………』

 

 

 口にしようとした言葉を先取られ、しかしそこに怨嗟の類は微塵もなく。

 代わりに自嘲の色を含んだ妻の声に、厳は沈黙で応じるしかなかった。

 

 

『……まだしばらくは帰れそうにない。その間も家のことは頼む』

「ええ、あなたも身体には気をつけてくださいね。

 “鉄血”ともあろう夫が胃を傷めて倒れたなんて連絡を聞きたくはありませんから」

『…………善処する』

 

 

 最後にそんな冗談めかした言葉を交わして後、どちらからともなく通話は終えられた。

 

 会話する相手がいなくなり必然的に静寂に包まれた部屋の中で、瑞輝は座っているソファーの背凭れに身を沈めるように委ねる。

 

 

「本当、不器用なんだから……なんて、私に言えたことでもないわね」

 

 

 そう呟いた独り言の後に、瑞輝の顔には自嘲が浮かんだ。

 

 その胸中に浮かぶのは今更ながらに想起してしまった、己自身と夫のこと。

 

 

 本家の嫡子と分家の娘という差異こそあれど、自分も彼も、黒鉄という家の呪縛の下に生まれ育った人間だ。

 そしてその結果として、今の自分達がいる。

 

 ――この国の騎士の秩序を体現すべく、実の父親や分家の長達から徹底した(クロガネ)の規律を刻み込まれた男と、黒鉄という家の役に立つ為の道具(母親)となることを義務付けられた女。

 ――肉親への情よりも背負わされた義務と規律に徹するしかない父親と、子への愛情よりも夫への慕情を選んだ母親。

 

 その生い立ちも歩まされた道筋も、同情や批難を受けることはあろうとも多くの人間に理解されることはないであろうもの。

 

 そこに、少なくとも黒鉄 瑞輝に後悔はない。

 『あり得たかも知れない可能性(普通の妻/母としての人生)』へ馳せる思いが無いかと言えば、嘘ではあるが――それでも、黒鉄 厳という男の妻となり、彼を愛せたことには真実、彼女に悔いはない。

 

 

 ……ただ、それでも――――

 

 

「……本当、どの口で言えたのかしら。あんなこと」

 

 

 数時間前に託した我が子への伝言を思い出して、自嘲の笑みを浮かべずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

「――『好きなようにしなさい』ですか……」

 

 

 夜の黒鉄家の離れ、その縁側に腰を下ろしたまま、桜はポツリとそう呟いた。

 その隣には仕える主である統真がおり、桜が淹れた茶を口にしている。

 

 二人はちょうど、統真が黒鉄本家で瑞輝と交わした対話について語っていた。

 

 

「どんなお気持ちだったのでしょうね、その時の奥方様は」

 

 

 複雑な面持ちで、誰にとなしに疑問を桜は口にした。

 

 好きなようにしなさい――その一言が、統真に託された一輝への言伝だった。

 果たして彼の母親は、どういう想いでその言葉を託したのか。息子を突き放す否定の意思か、「せめて言葉でだけでも」という彼女なりの後押しだったのか――その胸中は知りようのないものだった。

 

 

「さてな。察するだけならいくらでもできるが、所詮はそれだけだ。

 黒鉄 瑞輝が自らそれを語らぬ限り、誰にもその胸中にあるものは真実分かるまい」

「……いつか来るといいですね、その時が」

 

 

 普段と変わらず堅苦しい物言い。しかしそれを、親子が向き合って話せる日が来ることを彼なりに願うものと勝手に解釈することにした桜は、切なげな微笑と共にそう返した。

 

 ――願わくばそこに、統真もいることを思いながら。

 

 

 それからしばしの沈黙の後、桜がその場から立ち上がる。

 

 

「さて、それでは私はお風呂の準備をしてきますので――」

「……本人が嫌がるようなら――」

 

 

 そう言いながら統真は己の右手をゴキゴキと鳴らす。それが指すのは、彼の黄金の右手が繰り出す無慈悲な断罪(アイアンクロー)への秒読みである。

 

 

「……い、いやですねー統真様~。嫌がる珠雫さんと一緒にお風呂に入ろうとかする訳ないじゃないですかヤダー! ちゃんと本人と合意の上ですよ~?」

 

 

 それでも冷や汗を浮かべながら視線を統真から逸らす辺り、疚しいモノがない訳ではなかったらしい。

 しかしそれ以上統真に追求される前に「そ、それでは失礼しますね!」と強引に会話を打ち切り、その場から走り去って行った。

 

 なお今更ながら、桜は本日この離れに泊まっていくこととなっている。理由は珠雫の存在であり、統真と一輝だけに任せるのは不安があるからという、以外にも(?)真っ当なものだった。

 

 

 そんな桜の後姿を見送った後、

 

 

「行ったぞ」

 

 

 そう、自身の背後に向けて統真が声を掛ける。

 すると、

 

 

「……!」

 

 

 奥の障子から銀色の物体が、恐る恐るという感じで姿を見せた。

 障子を壁のようにして顔半分だけを覗かせるそれは、つい今し方にも話題に上がっていた珠雫本人。

 どうやら統真に何某かの用があったようだが、今日一日で早くも苦手な相手に分類されてしまった桜がいたので、彼女がこの場から離れるのを待っていたらしい。

 

 桜がそれに気づいていて、わざと席を発ったのかどうかはさておき。

 

 

「俺に言いたいことがあるのだろう。遠慮は要らんぞ」

「ひぅっ……!」

 

 

 はっきりと己を見据えてくる統真の目に怯えてしまい、銀色の髪が引っ込んだ。

 しかし少しすると再び顔を見せ、おずおずと、しかし自身を見据えてくる統真を必死に睨み返しながら出てくる。

 

 ビクビクと身体を恐怖に震わせつつも、彼女にとっての最大近接距離まで歩み寄る―それでも数メートルと距離があるが―と、翡翠色の瞳が潤んでいて今にも泣き出しそうな目を統真に向ける。

 

 そして、

 

 

「あ、」

「?」

 

 

 

「あり……がとう……ご、ござい、まひっ!」

 

 

 

「…………」

「……まひひゃ(ました)……」

 

 

 そう、感謝の言葉を統真に述べた。

 最後の部分で噛んでしまい目の端に涙が浮かんでいるのは流すことにしたが。

 

 唐突な感謝の言葉に内心で首を傾げつつ、反応を返さない自分にも何故か威圧されてプルプルと震えている妹に、統真は率直な疑問を向けた。

 

 

「……礼を言われるようなことをした覚えは――――」

 

 

 と、そこまで言いかけて一つだけ思い当たる節が脳裏に浮かび、思わずそこで言葉を濁してしまう。

 

 

「お、お兄ちゃんが、い、言ってたから……」

 

 

 そんな統真の間を縫うように、珠雫が言葉を続けた。

 

 

「……今日いっしょにいられるのは……に、兄さんが、お母さまに頼んできてくれたからだよ、って…………。

 だから……その……あ、ありがとう……って……」

 

 

 そう言ってぺこりと、ぎこちない動きで珠雫がお辞儀をする。

 その様子を見ながら、自身の推察が当たっていたことで統真は一人得心していた。

 

 要は、今日一日の兄妹水入らず―になるのかは疑問だが―の場を作ってくれたことへの御礼らしい。

 統真にしてみれば日中に瑞輝や一輝に語った通り、自身の不手際に対するせめてもの償いだったのだが、わざわざこうして御礼を言いに来たらしかった。

 もしかしたら一輝がちゃんと御礼を言うようにと言い聞かせたのかも知れないが、そうだとしても恐怖の対象に近づく辺りは、やはり統真が見込むだけの気概の持ち主らしい。

 

 表情は一切変えることなく、胸中ではそんなことを思いながら、彼の従者くらいにしか判らないような微笑を口元に浮かべる。

 

 

「……そうか。ああ、その礼、確かに受け取ったぞ」

 

 

 故に、その心意気を無碍にするような言葉は口にせず、素直に受け入れる。

 

 

 ――が、お辞儀を解いて顔を上げると、彼の妹は相も変わらない怯えの多分に含んだ表情で、しかしキッと統真を睨みつけた。

 

 

「で、でも……」

 

 

 どうやら続きがあるらしい。

 再び口ごもり躊躇してから言い放つ。

 

 

「お、お兄ちゃんをつれて行ったことは……ゆ、許してない、から……!」

 

 

 出し得る限りの眼力らしい睨みつけを統真に向ける、珠雫の翡翠の双眸。しかし如何せん当人が愛らしい子供な上に現在進行形でプルプルと恐怖に震えているので、向き合う相手が統真でなくとも、その姿に気圧される相手など同い年の相手でもいないだろう。

 

 珠雫のその言葉を受けて、しかし統真は――――

 

 

「……ああ、なるほど。道理だな」

 

 

 今度は珠雫にも分かる笑みを、その口元に浮かべた。

 

 そんな統真のその反応が余程に意外だったのか、「へ……?」と間抜けな声を漏らすと、涙が未だ溜まっている目を白黒させる。

 

 

「その通りだ、黒鉄 珠雫」

 

 

 狼狽している珠雫を他所に縁側から立ち上がると、自身の背丈の半分にも及べない妹を統真は見下ろす。

 圧倒的な身長差により見下ろされる形となった珠雫はそれだけでも威圧され、全身を跳ね上げて顔には恐怖の色を再び浮かべるが、それに構わず、統真は眼前の妹を見据えながら言葉を続けた。

 

 

「俺には俺の、一輝には一輝の譲れぬものがある。そしてお前にも、お前の譲れぬもの(兄への想い)があるのだろう。

 ならばそれでいい。己の大事なものを奪われて、それであっさりと心から納得(放棄)するようなら、元よりそれだけの想いしか無かったということなのだからな」

「……?……怒って、ないの……?」

 

 

 幼い子供には咀嚼し切れない言い回しに困惑するも、少なくとも相手が怒っている訳ではないことだけは理解でき、恐る恐る訊ねる。

 

 

「無論だ。気概を示した者を讃えこそすれ、叱責する理由がどこにある。少なくとも俺は今のお前を詰る言葉など持ち合わせてはいない」

「え……うぅ……」

 

 

 難しい言葉は、黒鉄 珠雫の言語理解力の許容外。しかし、相手が己に向けているものが賞賛の眼差しであり、その言葉に含まれた熱意は虚偽なき本物であることだけは、彼女も理解し得た。

 

 実が伴わない虚飾と欺瞞で溢れつつある黒鉄という家、そこに群がる有象無象の奴原共――それらに囲まれ、上辺の阿諛追従を嫌と言うほどに言われてきた彼女だからこそ持ち得る、そうした偽りを見抜く幼き者の心眼。

 それが否応無く認めてしまう――眼前の男の言葉に、真実偽りはないのだと。

 

 

「故にその想いを貫くといい、黒鉄 珠雫。そして、その道を進む(一輝を想う)上で今のお前だけでは抗い得ない理不尽がお前の歩みを阻むのなら、遠慮なく言え。

 俺は俺の持ち得る全身全霊を賭して、お前の力となろう」

「――――」

 

 

 変わらず難解なその物言いをまだ幼い珠雫が理解することはやはり出来なかったが――それでも、黒鉄 統真という男が言わんとしていることは不思議と分かることができた。

 

 ――そして同時に、最も分かりたくなかったことも(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「うぅ~……!」

「……?」

 

 

 呆然となっていた珠雫の、統真への恐怖心から血の気のなくなっていた顔。それは急激に赤みを帯び、先程よりもキツい視線で統真を睨みつけてくる。

 そこには、それまでには無かった感情が浮かんでいた。

 

 それは――いわゆる嫉妬である。

 

 

「お、」

「『お』?」

 

「お兄ちゃんは……わ、渡さないんだから……!!」

 

 

 ――黒鉄 珠雫は、極めて漠然としたものとしてではあるが、理解した。理解してしまった。

 

 目の前にいるこの(怪物)が、真摯に自分や(一輝)を見ているのだということを。

 目の前にいる怪物と恐れ止まない(黒鉄 統真)こそが、彼女の知る誰よりも気高く正しい神魂の持ち主であるということを。

 

 そして――そんな彼だからこそ、最愛の兄(黒鉄 一輝)は焦がれ、その背中を追い求めて止まないのだということを。

 

 

 だから――――

 

 

「――らい……」

 

 

 ――そんな事実が、しかし今の彼女には認められなくて。

 

 だから、せめてもの抵抗として、

 

 

 

「お……お前なんか、だいっ嫌いだぁぁぁぁ~~~~!!!!」

 

 

 

 そんな言葉を残して、その場から走り去っていった。

 

 走り去った先の部屋から「シズク、大声出してどうしヴェッ!?」と、一輝が腹に頭突きでも喰らったかのような奇声を上げたが、兄妹の触れ合いを邪魔する気は無かった統真がその場へ向かうことはなかった。

 

 

「嫌われちゃいましたねー珠雫さんに?」

 

 

 そんな統真の隣にはタイミングを見計らったかのように戻ってきた桜が立っており、悪戯っぽく顔をニヤけながら統真を上目遣いで見上げてきた。

 

 それに対し、妹からの「大嫌い」発言にショックを受けてその場に棒立ち――なんてはずもない統真は、桜の茶化しには一瞥を遣るだけでスルーする。

 

 

「それほど一輝を強く慕っているということだろう。俺一人が嫌われる程度であれが気概を高められるのなら、憎まれ役になることくらいに否やはない」

「……そう言うと思いましたよ。

 一人だけの可愛い妹さんなんですから、そこは仲良くなるようにしましょうよ」

 

 

 案の定なその返答に桜がガックリとうなだれる。彼女の名を体現したかのような桜色の髪も、心なしかへにゃりとポニーテールが萎れた風になる。

 

 別段に進んで嫌われたい訳ではないのだろうが、如何せん統真という人間は眼鏡に適った相手には献身的なきらいがある。それこそ彼自身が口にした通り、見込んだ人物の為になるのなら嫌われ役を負うことなど苦に感じたりはしない程だ。

 

 それ自体は、まあ良くはないが一概に悪いとも言えないので置いておくとして、しかし桜としてはその意気込みを関係修復に注いでもらいたいところだった。例え、それが一輝や珠雫の成長を思うが故であるとしても。

 

 

 しかしそれを語ることはなく、代わりに胸中にあった別の問いを口にした。

 

 

「……言わなかったんですね、一輝さんのこと」

「一輝自身が言わなかったのだろう。ならば俺が安易に語っていいはずもない。それは黒鉄 一輝の心構えを穢すことだろう」

 

 

 桜の曖昧な問いかけに、しかし統真は彼女が指すものを察して思うところを述べる。

 

 黒鉄という家が――自分の父が最愛の兄に行った仕打ちを、珠雫は知らされていない。

 元より彼女にその事実を知らせる気のなかった一輝だけでなく、統真も桜もそんな一輝の気持ちや諸々の理由を鑑みての選択だった。

 

 

「一輝さんは、できれば一生知らずにいて欲しいと思っているみたいですけど……」

「聡い娘だ、歳を重ねて見識が広まれば戯け共の所業も自ずと知るだろう。その時に何を思い行動するかは、彼女自身が決めるべきことだ」

 

 

 いつかは知ることになるのだろう。しかし如何に聡明さと見込みがあるとしても、まだ5歳の幼い少女でしかない。

 兄が才能に恵まれていなかったという理由だけで虐げられていたという事実や、それに気づけず才能に恵まれている自分は周りに持て囃されていたことへの罪悪感を抱いた時、それを受け止めきれず心に傷を負うのは明白だった。

 

 だからせめて、その心が出来上がるまでは。

 いつか来るその時、彼女がそれに屈することなく、その内に抱く想いを貫けることを願って。

 

 

 

「――俺は信じよう、黒鉄 珠雫もまた乗り越えられるはずだと。

 己が身の周りの歪みも自らの無知も知り、それを克服して自らの見出した道を進むのだと。

 ならば俺は、俺に出来得る限りの尽力をするまでだ」

 

 

 

 故に、黒鉄 統真がそう明言するのは、彼という人間にとっては当然の帰結。

 人の可能性を信じ、歩む続ける者を何よりも尊ぶ彼の、偽らざる想いだった。

 

 静かに、しかしそれに反する烈しい熱が込められた言葉を真摯に述べる統真に、桜は「やっぱりなぁ」とでも言いたげな苦笑を浮かべ――しかし自身もそんな彼の言葉に相槌を打った。

 

 

「……そうですね。その為にも、私達ももっと精進しませんとね」

「無論のことだ。己が未熟を承知で先達を気取るのだからな」

「あ、すいません、やっぱり統真様はもう少し自重してください。やってることが当に無茶苦茶なんですからホントマジでお願いします」

 

 

 ――今は未だ誰かの支えの元で生きる幼い彼らも、やがては自分の足で立つだろう。

 その時の彼らが、力強い足取りと挫けることのない意思で、それぞれが見出し希求する道を歩み貫けることを、兄妹の喧騒を遠めで見守りながら主従は共に胸の内で願った。

 

 

 

 

 もっとも――。

 

 この兄妹がやがて後、片方()片方()に対して肉親としての枠を超えた想いを寄せていくなど、桜は元よりさしもの統真にすらも想像に及べなかったのではあるが。

 

 ――まあ、知ったとしても禁忌を恐れず想いを貫かんとする妹の姿に統真がどんな反応を示すかは、また別の話である。

 

 

 

 

「さて、それじゃあ私は珠雫さん()と一緒にお風呂に入ってきますので♪」

「……達ということは、一輝もか?」

「勿論ですよ! せっかくなんですから、こういう触れ合いの思い出を作っていきませんと!

 あ、あと今日は四人で川の字で寝るので、統真様もご一緒ですからね?」

 

 

 それはそれはご満悦な笑顔を咲かせる桜に対して、統真が向けるのは呆れの視線。

 “鉄血”たる父親やかの大英雄すら辟易させる男にこんな顔をさせるなど、この娘くらいなものではなかろうか。

 

 

「ぐへへへ……さあ~一輝さぁん、珠雫さ~ん。お姉さんと一緒に洗いっこしましょうね~」

「…………」

 

 

 荒い息遣いとワキワキと動く両手が何とも不審極まりない。美幼女な珠雫もいるためか、今日の馬鹿娘はなかなかに狂しているらしい。

 どこぞの牢にでもぶち込んでおくべきだろうか。

 

 

「では不肖・日下部 桜、行って参ります――ひゃっはー、もう我慢できませんっ! お二人ともー、お風呂の時間でーすよぉ~~!!」

 

 

 キリッとした凛々しい顔になると何故か軍隊式の敬礼を惚れ惚れとするような再現度でやってのける桜だが、次の瞬間には一転、それはもうアレな笑顔で一輝と珠雫がいる部屋へと吶喊していった。

 するとその直後には「えぇっ、またですかぁ!?」「来るなぁ~っ!」という兄妹の悲鳴が聞こえてくる。

 案の定な事態に武力鎮圧に乗り出すべきかとも思った統真だが、二人の声に戸惑いはあっても嫌悪の類はなかったことから、ドタバタと騒がしい向こう側の喧騒は放置することにした。

 

 やがて三人とも風呂場へ向かったらしく喧騒は遠のき、統真の周囲には静けさが訪れる。

 周囲の事物が静止したことによる寂寞の沈黙ではなく、微かに聞こえる桜達の喧騒が程よい心地よさを感じさせる穏やかな静寂。

 それに身を任せていた統真は、特に何をするでもなく、しばらくはその余韻に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フ――フフ……我が最愛なるまどろみの君と(しとね)を共にするなどと……なんとも羨ま()しからん。弟御と妹御は百歩譲って善しとするが、小娘(日下部 桜)お前は駄目だ。

 ……がしかし、おかげで英雄殿が兄弟仲良く川の字という至高の瞬間を記録できたのだから、今回は見逃すとしよう。だが次に不埒な所業に及ぶことがあれば、想い人と絶対に結ばれないという呪いでもくれてやろうか」

 

 

「まあそんな瑣事はさて置くとして、しかし、フフ……我が英雄殿は今日も今日とて麗しくも雄々しくあらせられる……いや、いつもとは違う陽だまりの安らぎに身を委ね、心を和ませている穏やかな姿は、常日頃の堂々たる威容とはまた一味違う……――――。

 ……嗚呼、いかんな。その素晴らしさをいくら口にしたとて陳腐な言葉に成り果ててしまう。我が身の蒙昧さが呪わしく思えてならんよ。

 否、それこそが我が英雄殿は至高の存在であるという証左なのだろうね。あぁ、未だまどろみに揺蕩(たゆた)う身でありながら、既にこの身をこうも魅了してやまない貴方こそが、やはり私の――――おっと、いかん。まどろみの君に悟られたか。

 彼の寝姿を見守る(覗き見る)のは我が至福の一時ではあるが、鬱陶しがられて罵倒されようものなら――なんだ、正にご褒美ではないか。

 しかし口惜しいが、まどろみの君の安眠を邪魔するなど言語道断、今宵はこれにて幕引きとしよう」

 

 

 

「――さて、この前日譚に新たな助演が加わった訳だが、ああ、案ずるには及ばんとも。我が英雄殿が目を掛けているのだ、踊るに(あた)うならば来る我が歌劇にても相応の役割は与えよう。兄妹共に五体投地して歓喜に噎び泣くといい。

 

 ……ふむ、しかし妹といえば、『あちら』にも中々に使えそうな候補がいたな。まあ今の時点では取るに足らぬ“星辰”の走狗ではあるが、さて……『あちら』の経過も兼ねて観てみるとしよう。

 我が歌劇で踊りたくば、せめて『先代』くらいには役者としての才気は示して欲しいものだ」

 

 

「では、どれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きりきり走らんか、この馬鹿娘が! 焼き払うぞ!!」

「うわぁぁぁぁん~~~~!!!」




 最後の辺り書いてて死にそうになった(死目 「こういう奴だから」って設定だと分かっていても自画自賛感が半端無い。いやリスペクト元は最高なんだが如何せん;
 え? ストーキングの相手が違う? 金髪巨乳の女神をつれて来い?
 ……やめろよ……やめてやれよ……既にコズミック変質者に追い掛け回されてるんだぞ、この上で似たようなパチモンが増えてみろ、(女神の夫が)発狂するぞ。
 なおBLには当て嵌まりませんので悪しからず(ヲイ


 という訳で今回のお題目は黒鉄ママ(オリジナル)の登場、珠雫の小獅子咆哮(!)、そしてまさかのウザラストロ節。でもおまけ程度に過ぎないはずの最後の奴が全部持ってった気しかしない(白目

 詳しい解説などは活動報告にて『あとがき』として後ほどに掲載しようと思いますので、もしよろしければ読んでやってください。


 次回は以前記したように統真達からは離れ、しかし彼らとは重要な関わりを持つ人物達(オリジナル+原作)を描きます。どんな人物かは……まあ、最後の部分見たら分かりますよね(目逸

 今回もお読み頂きありがとうございました。次回もゆるりとお待ちくださいませ。
 それでは。


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朱羅篇 Ⅰ:紅蓮の姉妹

 今回は想定より早く仕上げることが出来ました。やはりヒロインって大事ですよね。どっちのとは言わないけれど(満面の笑み

 ただしその分内容(シーン)が短く文字数が少なめ、話も4部作となる予定です。
 まあ仕方ないですよね、ヒロイン出てるんだから。どっちのとは(ry
 というのは半分冗談で、投稿期間を短縮しようということで区切りがいいようなら分割投稿してみようという試みです。

 なお今更ですが前話からタイトルの表記を変えてみました。それぞれの(はなし)が何を指すのかは……まあ、あからさまですかね;


 それではどうぞ。


 欧州の一角、北海に面した湾岸沿いの地に一つの小さな国がある。

 国の名を、ヴァーミリオン皇国と言う。

 その国名から察せられる通り、第二次世界大戦以降は民主化が国政の主体となった現代において、今なお絶対君主制を布いている数少ない国の一つである。

 

 

 そのヴァーミリオン皇国には、二つの英雄譚が存在する。

 

 一つは数百年前。当時の支配国であったクレーデルラント王国の圧制に対し独立を掲げ、建国者であるヴァーミリオン公爵が家族の犠牲を突きつけられてもなお民のために戦い続けた、初代ヴァーミリオン皇帝による献身の建国譚。

 

 もう一つは約半世紀前、人類史上最大規模の闘争となった第二次世界大戦中のこと。

 大戦の元凶たるナチスドイツの皇国占領と弾圧に際して、祖国奪還のためにその身に宿した竜の異能を振るって義勇軍として戦い祖国解放を成し遂げた“陽光の聖竜姫”セレスティア・ヴァーミリオンの救国譚である。

 

 

 そして現代――彼の皇国には、それらに続き第三の英雄譚を紡ぐのではと目される人物がいる。

 “紅蓮の荒獅子”の異名でも知られる現皇帝シリウス・ヴァーミリオンと、その妻アストレア・ヴァーミリオンの間に生まれた第一皇女にして、第二皇女ルナアイズ・ヴァーミリオンの双子の姉。

 “紅焔の戦姫”の二つ名を与えられ、齢僅か15歳にしてAランクでも上位にその名を連ねる、英雄の資質を持つ者の一人。

 

 

 これは、そんな彼女が辿る運命への前日譚。

 

 彼女と、彼女の(ヒカリ)に憧れその背を追う、未だ目覚めざる竜の姫の物語。

 

 

 

 ――さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

 ヴァーミリオン皇国最大の都市でもある皇都フレアヴェルグ。

 その要所に建造された皇宮の一角――そこは皇宮を守護する衛兵達の訓練施設であり、当然そこで行われるのは兵士達の鍛錬に他ならない。

 

 しかし常識に照らせば本来は『あり得ない存在』が、その場所で切磋琢磨の汗を流していた。

 そしてそのあり得ない存在――赤と朱を象徴とする二人は、そんな彼女達を取り巻く兵士達の視線の中心にあった。

 

 

「はひ、はひ、はひぃっ……!」

「…………」

 

 

 片や幼い少女。手足を地につけて四つん這いになり、口から吐き出す呼吸はぜえぜえと息も絶え絶えだ。

 豊かに伸ばされた朱色の鮮やかな美髪は大量の汗を吸い、重く地面に向けて垂れ下がっている。

 

 少女の名はステラ・ヴァーミリオン。この国の末の皇女であり、普通に考えればこんな場所で汗だくになっているはずのない存在だ。

 

 

「も、もう、ムリ……少し、休み……これいじょうやったら……死んじゃう……!」

「そうか」

 

 

 そしてそんなステラをすぐ傍で見下ろす、赤い髪を結い上げた軍装の少女。

 眼前で這い蹲っている幼い皇女に向ける視線と言葉は冷徹極まりなく、皇族たる彼女への敬意はそこに欠片も伺えない。

 しかしそれは当然のことだった。何故なら、彼女はそのステラ・ヴァーミリオンよりも色んな意味で()の立場にあるのだから。

 

 少女の名を、ソルレイア・ヴァーミリオン。

 ヴァーミリオン皇国の第一皇女。皇族の末姫であるステラの姉に他ならない。

 

 そんな彼女が己の妹を見下ろし、一拍間を置いてから、

 

 

「なら死ね」

「うわひゃあぁ~~~~っ!?」

 

 

 ゴゥッ、という爆音を轟かせながらステラ目掛けて襲い掛かる紅蓮の炎。とても幼い子供に向けるものとは思えないソルレイアの罵倒の後、それが彼女の手によって発現される。

 

 それは常人には決して成し得ない、異能の具現たる魔力の炎――伐刀者としての力の発露。

 しかしそれをもたらした彼女にとっては何ら特別なことではなく、事実、この国における『現最強の伐刀者』たるソルレイアにとっては、呼吸をするにも等しいものだった。

 

 突然の脅威にステラは奇声を上げながらもギリギリでそれを避け、しかし無理矢理の体勢で身体を動かしたが故にそのまま地面に全身を打ち付けることとなった。

 

 

「ぐぇっ……(いつ)ぅ……!」

「ス、ステラ様――」

「黙れ馬鹿共、一々喚くな」

 

 

 子供一人分の身体が地面に投げ打たれる音とそれに伴うステラの苦悶の声、二人の皇女を取り巻いていた兵士達の動揺と喧騒が起こる。

 さらに兵士の何人かはステラの身を案じて声を上げるが、直後にはステラを見下ろすソルレイアの冷厳な声による叱咤が、駆けつけようとする彼らの行動ごとそれらを抑え込んだ。

 

 

「し、死ぬかとおもったぁっ……ソラ姉! なにす――」

「あ゙あ゙?」

「ヒィッ!? ごめんなさいなんでもありませんですソルレイアお姉さま!!」

 

 

 あまりの暴挙にソルレイアを睨んで抗議を口にする――しようとしたステラだが、直後には姉の恐ろしい顔とドスの利いた声に威圧されてしまう。

 結果、敢え無く反り立たせた尻尾を下げることとなった。

 

 

「その巫山戯た呼び方は止めろと何度言わせる気だ、馬鹿娘が。学習能力を親の(はら)の中にでも零してきたのか貴様は」

「そ、そこまで言わなくてもいいでしょ!?

 それに、こっち(ソラ姉)の方がぜったいかわいいもん!」

「くだらん。そんな軟弱な事柄に現を抜かすからそのザマなのだ。余計なことを考える暇があれば身体を鍛えることに集中しろ。

 そら。いつまで休んでいるつもりだ、とっとと立て。それともケツに火を点けるなりしなければ出来んか?」

「ヒィッ!?」

 

 

 そう言うやソルレイアの右手に(とも)された紅蓮の炎は、ステラにしてみれば調教師が調教対象に対して振るう鞭も同然な代物。ヘタレていた身体が否応なく立ち上がり、背筋をピンと伸ばしてしまう。

 そんな彼女の反応に「フン」と鼻を鳴らしつつも、ちゃんと立ってみせたステラの様子に一応は満足したらしく、炎を収めた。

 

 

「鍛えてくれと言ったのは貴様だ。貴様は自分から言い出したことも出来んような愚図なのか?」

「そ、そんなことない! ちゃんとできるもん!」

 

 

 試すように問う姉の言葉に、勢いよく頭を左右に振ってステラは否定の意を示す。

 

 世間一般の認識からすれば衛兵の訓練所などに、その衛兵が守るべき対象である皇族がいることなど普通は思いも寄らない。良くて訓練の様子見か何かだろう。

 しかし、そんな場所に皇族の姫君二人がいる理由はそんなものではなく、歴とした施設本来の役割に則ったもの――要は訓練のためだった。

 そしてステラが、5歳という歳相応の運動ではまず掻かないような量の汗で全身を濡らしているのは、姉から地獄のような『シゴキ』を受けていたからである。

 

 それはソルレイアも口にした通り、他ならないステラ自身が申し出たものだった。

 

 

「ならさっさと続けろ。出来ないならこれ以上は時間の無駄と判断して金輪際打ち切る」

「できる! できます! ちゃんとできるから!」

 

 

 姉の打ち切り宣言が余程効いたのか、よろけていた体勢をビシッとしてみせる。

 そんな妹の『強がり』を、しかしソルレイアも一応は『合格』と見做したらしく「ふん……」と鼻をまた一度鳴らすだけで、それ以上の詰りは口にしなかった。

 

 そして、そのままステラに次の指示を下そうと口を開きかけ、

 

 

「あの、ソルレイア殿下」

「何か」

 

 

 背後から自分の名を呼んだ者へと意識を移した。

 

 振り向くと、そこにいるのは兵士ではなくソルレイアよりもいくつか年上と思しい女性。その格好は皇宮に仕える女性従者の制式な衣装として設えられたであり、それを身に纏う彼女はその一員である侍従だった。

 

 

「こ、皇帝陛下がお呼びです」

「……そうか。場所は食堂か?」

「は、はいぃっ」

 

 

 仕える存在の一人である年下の少女の鋭い眼と、その雰囲気に気圧されてしまい声を震わせつつも、侍従の女性は託されていた用件を伝える。

 それに対し「分かった」と了承の返事を告げると、ソルレイアは視線を侍従からステラへと戻した。

 

 

「私は少し席を外す。戻るまでに残りのメニューを済ませておけ。

 私が戻る前に終わったら残った時間は休んでいていい」

「わ、分かりましたぁっ!」

「貴様らもくだらん同情心など湧かせてこいつの手助けなどするなよ。

 余計なことをした奴は飯抜きで終日走らせてやる。分かったな」

「「「「「は、ははっ!!!」」」」」

 

 

 ステラや周りの衛兵達にそう言い渡すと軍靴に包まれた踵を返し、皇宮に直結する訓練室の入り口の一つに向けてソルレイアは歩き去っていく。

 高身長の彼女は足も長く、またその足取りは軍隊然としたしっかりとしたものであるため、彼女の迎え役も任されていた侍従は瞬く間に置き去りにされる形となり、あわあわと早足でその後ろを追従することとなった。

 

 その後姿を、ステラと衛兵達はそれぞれの心持で見送った。

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 ソルレイアが訓練所の門を通って完全に姿が見えなくなってから、ステラの口から吐息とも溜息ともつかない深い息が吐き出された。

 

 

「はふぅ…………よしっ」

 

 

 それからしばらく項垂れるようにしていて周りの兵士達に図らずも不安を抱かせたステラだが、その後は勢いよく顔を上げるとパンパン!と音を鳴らして己の頬を叩き、自分に気合を入れた。

 ……叩く勢いが強すぎて頬に軽い痕ができ、涙目になってしまったのは余談である。

 

 それはさておき、自身を鼓舞し終えるとステラは姉に言い渡されたことを果たすべく、再び身体を動かし始めた。

 疲れのせいか動きこそ緩慢だが、それでもスデラは少しずつ訓練内容をこなしていく。

 

 すると程なくして、そんな彼女に周りに留まっていた若い衛兵が声を掛けた。

 

 

 

「あの、ステラ様」

「? なぁに?」

「その、少しお休みになられた方がよろしいのでは? 姫様のお歳であまり無茶をされると御身体に障ります。

 大丈夫です、ソルレイア様がお戻りになられたら我々がお知らせしますので」

 

 

 その衛兵がそう提案すると、他の兵士達も「そうですよ」「どうかお休みになってください」と勧めてくる。

 ――中には「生ステラたんハアハア……!」「ステラたんのトレーニング姿、ステラたんの汗……!!」とか、ドサクサに紛れて息を荒くして呟いている衛兵がいるが、とりあえず後で(ソルレイア)に言っておくことにした。

 

 ……まあそれはさておき。

 

 前述のソルレイアの言いつけに反することを口にする衛兵達だが、別に彼らのソルレイアへの忠誠心や人望が薄いという訳ではない。

 ただ、それ以上に幼いステラの身を案ずるが故の言葉だった。実際、今さっきまでステラがこなしていた訓練は彼らからして5歳の子供にやらせるような代物ではなかったのだから。

 

 ――しかし、

 

 

「……いらない」

「え?」

 

 

 ぷいっと顔を背けて、拗ねたような声色でステラは衛兵達の提案を跳ね除ける。

 そんな予想外の反応に、衛兵達は戸惑いを浮かべるしかない。

 

 

「いらないもん」

「いやしかし……」

「どうかご無理をなさらず」

「無理じゃないもん! これくらい全然へっちゃらなんだからっ!」

 

 

 幼い少女特有の愛らしい声でそう一喝すると、衛兵達に背を向けたスデラはそれまでよりもペースを上げて訓練に取り組んでいく。

 すっかり意固地になっているその姿に、幼いながらに勝気で負けず嫌いなステラの性格を刺激してしまったかと衛兵達は困り顔になるが、しかしそれ以上ステラに何かを語りかけることはなく、ただ見守るのみだった。

 

 そんな彼らを他所に、幼いステラ・ヴァーミリオンは只管に訓練を続ける。

 

 

(絶対、ぜぇーったい、ソラ姉みたいになるんだから!!)

 

 

 その熱く猛る情熱を、胸に灯しながら。

 

 

 

 

 

 そんなステラを衛兵達は遠巻きに見ている。

 図らずも自分達が炊きつけてしまったような状況であるため下手に止めることはできず、さりとて無責任に放置することもできず、その場で固まっているしかなかった。

 

 

「くぉらぁぁぁぁ!! 貴様ら何を油を売っている! 少しはステラ様を見習わんかぁっ!!!」

「「「「!? も、申し訳ありません!!」」」」

 

 

 そんな彼らの停滞を吹き飛ばしたのは、その背後から突然として放たれた怒号だった。

 予想など全くしていなかった聴覚への刺激に飛び上がり振り返ると、怒号を放った人物は彼らの属する隊の隊長だった。

 壮年で如何にも厳格を体現しているかのような隊長の強面と鋭い双眸が、若い部下達を射抜く。

 

 

「そんなに暇があるのなら身体を動かしこい! 基本メニュー10セット、さっさと行かんかぁっ!」

「「「「は、はいぃぃぃぃぃーーーーっ!!!」」」」

 

 

 再び轟く怒声に衛兵達は竦み上がり、言い渡された訓練をこなすべくその場から走り去っていった。

 

 その後姿を見届けながら「まったく、最近の若造共は……」と隊長が愚痴を零していると、そんな彼に一人の衛兵が歩み寄る。

 

 

「少し険しすぎませんか? フォルク隊長」

「アランか。なに、あの程度もできんようでは、この城と陛下達をお守りする者としてソルレイア殿下に申し訳が立たんよ」

「第一皇女殿下を引き合いに出すのは色々と酷だとも思いますけどね」

 

 

 隊長――フォルクに、アランと呼ばれた青年が苦笑交じりに物申す。

 衛兵の上級仕官服を纏うフォルクに対し、アランが身に纏うのはその更に上に当て嵌まる親衛隊の装束。それが彼らの所属を現していた。

 

 

「しかしどうした? ルナアイズ様の護衛があるだろう」

 

 

 目の前にいるアランがこの国の第二皇女ルナアイズ・ヴァーミリオンの親衛隊員であると知るフォルクはその疑問を向けるが、それに対しアランは肩を竦めながら何事もなく答える。

 

 

「交代時間ですよ。それに今は食堂で『家族会議』があるでしょうから」

「ああ、それでか」

 

 

 今さっきソルレイアが呼ばれた理由を察し、フォルクが頷いた。

 そうした言葉を交わした後、ふと両者の視線が鍛錬に励んでいるステラに向けられた。

 

 

「頑張っておられますね、ステラ様」

「うむ。流石というか何というか、ウチの若造共に見習わせたいくらいだ」

「ハハ……ただああいう(負けず嫌いな)ご性分ですから、陛下などは甚く気を揉まれているとか。

 今日の家族会議も大方それだろうと、ルナアイズ様も零されてましたよ」

「まあ、陛下だからな……」

 

 

 苦笑混じりのアランの話に、さもあらんとフォルクも苦笑で応じた。

 

 

 建国に際して初代ヴァーミリオン皇帝の身に降りかかった、愛する家族を敵に切り刻まれるという悲劇。それが根源となっているのか、ヴァーミリオン皇族は家族愛が非常に強く、またそうあるよう育てられる。

 それこそ、初代皇帝への悲劇をもたらしたかつての敵国クレーデルラントを初めとした、世界のどの王政国家よりも強い絆を誇っている。

 対外的には『皇族と臣民の絆』の方が大きく取り沙汰されているが、同じ皇族同士の絆はそれ以上のものだ。

 

 今代の皇帝であるシリウス・ヴァーミリオンは殊更にそれが強いことで評判だ。

 そしてそれは、紛れもない事実である……というか、むしろそれすら控えめな表現だ。

 

 最愛の妻アストレアに対しては夫婦生活数十年であるにも関わらず未だに『バカップル』呼ばわりされている程であり、それに加えてソルレイアたち娘姉妹が生まれてからは極度の子煩悩まで発症するに到った。

 それ自体は別にいいのだが、娘がちょっとぶつかっただけでも未曾有の大惨事であるかのごとく騒ぎ、娘のことになると他国に戦争をふっかけることも辞さない親馬鹿なのだから、流石に親愛と忠誠を誓っている身としても呆れてしまうというもの。

 

 一例を語るなら、数年前にお隣のクレーデルラントからソルレイアに婚約の申し込みが来た時など、数百年の共存をぶっ壊して『本当の戦争』まで仕掛けようとしたのだから、その溺愛具合は推して知るにも及ばず、である。

 

 救いは暴走の原因である家族がストッパーの役割も兼ねていて、特にソルレイアは父親が馬鹿をやらかそうとする度に容赦のない粛正(仕置き)を下して止めてくれることだろう。

 それ以前は、妻のアストレアが止めてくれるならまだしも彼女が不在の時となれば、ロートル一歩手前とはいえCランク伐刀者であり“紅蓮の荒獅子”の称号を持つシリウスだ。その暴走鎮圧など衛兵の精鋭達と親衛隊が死屍累々を積み重ねた挙句、彼の戦友でもある皇室剣術指南役のダンダリオンが乗り出してようやくという有様だったのだから、そういう意味でも(・・・・・・・・)ソルレイアは衛兵達にとっての救世主であったりする。

 

 もっとも、そんな衛兵達の有様に「この惰弱者共が!」と罵られ、それはそれは厳しい訓練を施されたので、今や彼女が救世主であると同時に畏怖の対象とされてもいるのは、何とも言えない話である。

 

 

 ――閑話休題(まあ、それはさておき)

 

 

「……しっかし頑張るもんだな、ステラ様も。正直俺は一週間も保つまいと思ったんだが」

 

 

 そう、呆れとも感嘆とも取れる、あるいはその両方を込めた感想をフォルクが漏らした。

 

 

「私もですよ。ステラ様の性格は知っていましたが、まさかここまでとは。

 まあ、ステラ様を案じられた陛下がわざわざ水使いの伐刀者にアフターケアやら何やら命じていたとルナアイズ様が仰っていたので、それもあるのでしょうが」

「……陛下(親馬鹿)だからな」

 

 

 そう語る二人の視線の先では、ステラがちょうど一区切りを終え、次の訓練に取り組んでいた。

 

 

「もう一ヶ月か……軍やウチ(衛兵隊)の連中も悲鳴を上げるような殿下のシゴキに耐えるとは、ステラ様もステラ様で将来が頼もしいというか、末恐ろしいというか」

「流石に不敬ですよ?……まあ『予兆』もありましたし、もうそろそろ魔力が発現するのではないかとのことなので、もしかしたらそれも理由なのかも知れませんね。

 一番の理由はソルレイア殿下だと思いますが」

 

 

 推測を語るアランが微笑ましいものを見るようにステラの姿を眺め、フォルクはそれを傍から見て苦笑を浮かべた。

 

 

「ウチや巷にも殿下に憧れる奴は多いが……あそこまで純粋に慕うまず人間はおらんわな」

「殿下の親衛隊もいるでしょう」

「殺伐過ぎんだろあいつらを引き合いに出すのは……」

 

 

 若くして皇族としてのみならず、伐刀者として、そしてヴァーミリオン皇国の軍人としての務めを果たしているソルレイアに憧れを抱く人間は少なくない、というか多い。

 

 血筋によるものか秀麗な容姿が多いヴァーミリオン皇族の例に漏れず、ソルレイアもまた大多数の人間が賞賛する美貌の持ち主だ。

 加えて、彼女は厳格な雰囲気や軍人指向の男性的言動が強いため、その外見と合わさった結果として中性的な人物――所謂『男装の麗人』として見做されることもあり、男女両方からの人気が拮抗している。

 

 しかしそれは言ってしまえば、遠目から見た偶像(アイドル)に対するミーハーなものであり、面として向かい合えばそんな空ろな憧憬など、当人によって徹底的に叩き壊されるだろう。

 

 現にそういった輩は衛兵隊や軍にもいたが、今では地獄のシゴキを受けてそんな甘い感情など抱けないようになってしまっているのは別の話。

 

 そうした結果として、ソルレイアには畏怖とある種の尊敬のみを向けられるようになった。

 例外があるとすれば、両親のシリウスとアストレア、そして双子の妹として唯一ソルレイアと対等に接することができるルナアイズくらいなものであった。

 

 そこに例外が現れたのが、数年前。

 目障りなものは尽く焼き払うと言わんばかりのソルレイアの威圧にも耐え、そんな彼女を何度邪険にあしらわれようと、尻尾を振り回す子犬の如くその後ろをついて歩く例外。

 

 それが、ソルレイアの末の妹ステラ・ヴァーミリオンだった。

 

 

「合うものがあるのかね。殿下方だけに分かるような何かが」

「かも知れませんね。少なくとも、どちらも手が付けられないほど頑固一徹なのだそうなので」

「……それ、誰が言ったんだ?」

「ルナアイズ様ですよ」

 

 

 臆面もなく言ってのける後続(アラン)に、フォルクの頬がヒクついた。

 

 

「……時々思うんだが、実はルナアイズ様が一番凄いんじゃないか? 殿下相手にそこまで言えるなんぞ、あの方くらいだろう」

「付き合ってきた年季が違う、だそうです」

「……違いないな」

 

 

 この場にいない第二皇女の貫禄に純粋な敬服を覚えながらフォルクが呟く。

 

 ちょうど、訓練中のステラが足をもつらせて転んでいた。

 




 そういう訳で新たなオリキャラ、原作ヒロインの姉枠で登場したソルレイア・ヴァーミリオンさんでした。
 今回は序盤に当たる話なので本人は少しだけで退場、彼女の基本的なことや周りについて先に触れました……構成力が欲しい(切実
 ……ええ、まあ、モチーフはあの人ですよ? という訳で↓


■キャラクター解説:ソルレイア・ヴァーミリオン(Ⅰ)
▼オリジナルキャラクター。ステラの姉で、最新刊に登場したばかりのルナアイズの双子の姉。つまりはこの世界では彼女が第一皇女であり、ルナアイズ達は一つずつズレている。
 平和…?なヴァーミリオン皇国に生まれてしまった、生まれながらの軍人気質な、鋼鉄処女ならぬ鋼鉄皇女(爆)。
▼現時点ではステラがまだ魔力を発現できていないので彼女がヴァーミリオン最強の伐刀者に君臨している。また欧州でも最強クラスに名を連ねている。
 ランクは原作時点でのステラと同じAランク。総魔力量こそ一歩劣る平均の20~25倍であるものの、その代わり「魔力制御」と「身体能力」がB+だったステラに対して(原作一巻参照)、ソルレイアはこの二つがAでも上位であるという、総合的に見ればステラ以上の怪物。
 能力は炎の創造と制御。具体的な性能は今後描いて行きます。
▼言うまでも無くモチーフはDies iraeの鋼鉄処女ことエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルク=ザミエル・ツェンタウア。言い訳をするなら桃歌が刀自殿、こっちが少佐殿ということ。
 原典の少佐よりまだ若かったり世界観だったり色々あって大分マイルド、現時点では黎明期のような感じ。今後どうなるかはお楽しみに。
▼外見はルナアイズの赤髪ポニーテール版。双子なので容姿はルナアイズ基準、ただし表情は少佐準拠。今の時点では火傷は無い。
 なお、双子の妹が残念なのに対しこっちは豊満。すくなくとも原作のステラ以上。
 は? そんなの少佐じゃない? 片方がデカくないとエルボーできないだろうが!!!!(怒
▼表向きは学生だが、あまりに優秀なものだから特例として既に軍務に携わっており、実績により高い地位にある。
▼名前の由来はステラが「星」、ルナアイズが「月」なので順当に「太陽(ソル)」から。「レイア」の部分には特に意味は無く語呂合わせ、強いて言うならモンハンのリオレイアから。
▼二つ名は”紅焔の戦姫”。ステラ達とは差別を図る意味で「紅蓮」ではなく「紅焔」。なお、その実績・所業から他にも色々な異名を持つが……
▼ステラには「ソラ姉」という愛称で呼ばれるが本人は嫌っており、呼ぼうものなら灼熱を叩き込まれる(今回は回避?)。
▼対親馬鹿皇帝用粛正マッスィーン。燃やす、以上。

■言及用語:セレスティア・ヴァーミリオン
▼オリジナルキャラクターその2で故人。ステラ達の曾祖母……のお姉さん。曾祖叔母?
 一応、全体的な物語には関わる存在。龍馬達と同世代であり……
▼”陽光の聖竜姫”の異名を持っていた伐刀者。最新刊で言及された「ナチスドイツによる皇国の占領」に際してレジスタンスに身を投じて戦い、祖国を解放に導いた女傑。
 なお、この世界では占領の話もオリジナル化している。詳細は今後。
▼モチーフはDies iraeの香澄と女神マリィ(7:3?)+α。
▼名前はステラ一家が全員天体に関する名前なので、ヴァーミリオン皇族は代々そうなのかなと、「天体」の英語である「Celestial」から。

■言及用語:『予兆』
▼本作オリジナルの概念。まだ魔力に目覚めていない伐刀者が、発現の時が近づくに連れて現すとされるもの。
 ただし絶対ではなく、予兆がなかったからといって魔力を持たないとは限らない。統真がこれに当て嵌まる。
▼予兆を感じ取れるのは同じように魔力を持つ伐刀者だけであり、常人には分からない。謂わば、眠っている魔力の一部が漏れ出たようなもの。
▼なんだか途中から忘れられそうな設定(ヲイ

■原作キャラ:ステラ・ヴァーミリオン
 わんこ。お姉ちゃん大好きわんこ。わんわんおー。ヴァーミリオンの馬鹿娘(ソルレイア命名)。怒られても燃やされかけても常に後ろに尻尾振り回しながらついて歩く不屈のワンコ。ドラゴンだけどワンコ。ワンコドラゴン(ぇ

■キャラクター解説:フォルク / アラン
▼ぽっと出のオリキャラ。話を廻すためだけの舞台装置(ヲイ
▼フォルクは衛兵の一部隊を束ねる隊長であり非伐刀者、強面で仕事では険しいけれど実は気さくなおっさん。声のイメージはてらそままさき氏。
▼アランはルナアイズの警護を務める親衛隊の一人で伐刀者。年齢は二十歳前後。なお、ルナアイズの親衛隊は原作最新刊の変態共と違ってちゃんとしている。
 追記すると、原作のとあるキャラとは血縁。



 四部作なのでソルレイアに関しては今後も解説を加えていく予定ですので、今回はこれだけ。
 次回もヴァーミリオン皇国。今度は子煩悩とロリママがご登場。はたして我らが鋼鉄皇女は……


 本編には関係ない話ですが、この作品のお気に入りが1305件、UAが77000以上、感想もちょうど100件いただけ評価も上々という嬉しいことに。
 遅々として進まない作品で一体いつ本編書く気だと作者自身も日々思うところですが、これからも暖かく御見守りいただければ幸いです。
 ご感想・ご批評のいずれも常にお待ちしております。ガラスのハートなので取り扱いは注意ですが。(笑)

 それではお読み頂きありがとうございました。また次回にお会いしましょう。


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朱羅篇 Ⅱ:赤朱は交われず ※正式投稿版

 この作品をお読みいただく読者の皆様、大変お久しぶりです若しくは始めまして。
 先ずは簡略な謝罪を。前回のプレ版を無しにすれば実に5ヶ月以上ぶりとなる更新となってしまいました。お待ちいただいた皆様、本当に申し訳ありません。

 前書きでこれ以上長々と語るのもあれなので、続きは後書きに書かせていただきます。
 それでは本編の方へどうぞ。

※プレ版をお読みになった方は真ん中ぐらいからが追加された内容なので、その部分までは飛ばしても構わないと思われます。修正部分は些細なものなので;
※今回の話は合間合間に書いたものなので文章が統一できていない可能性があります。出来る限り校正に努めましたが読み苦しい場合はご容赦ください。


 ヴァーミリオン皇国はその名が示す通り、皇帝を最高権力者として戴き統治される君主制国家だ。

 そしてその皇帝とは、元クレーデルラント王国公爵ヴァーミリオン卿――即ち建国者にして初代ヴァーミリオン皇帝に連なる血縁者であり、また彼の血族達は等しく皇族という最上位階級に分類されている。

 

 王制・君主制としての歴史を重ねた国家は程度の差こそあれ、それを掲げる以上は実権の有る無しを二の次として、宗主たる王とその血族の権威がある一定を保たねばならない。そして権威というものは得てして、大多数が分かり易く何がしかの形で示される。

 王城や皇宮といった貴き者達の住いも、またその一つ。

 

 ヴァーミリオン皇国もその例外ではない。王権の象徴たる皇宮“セレスタルブルク”は首都フレアヴェルグの中央に築かれ、城下の街を一望できるように聳えている。

 

 第二次大戦時における侵略者の占領から祖国を奪還し、しかしそれから程なくしてその短くも壮絶だった人生に幕を引いてしまった救国の戦姫セレスティア・ヴァーミリオン――そんな彼女への追悼と敬愛を込めて、失陥からの再建に際してはその名に肖った命名が為されたというのが、セレスタルブルク(星天の城)の由来だ。

 

 第二次大戦が終結したばかりの再建当時は、皇宮や王城というカテゴリーにかろうじて当て嵌まる程度の質素なものだったそうだ。それが、当時は国外からの援助を受けねばならなかった国の実情と王権の凋落を顕すものでもあった。

 しかしそれもやがて、皇族と国民が一丸となって国を盛り立て経済力を回復させたことから少しずつ城の増改築が為され、今や皇族の住まいであり象徴(レガリア)という役割に恥じない絢爛さと荘厳さを備えるに至った。

 

 

 ――そのセレスタルブルクの一角に、ソルレイア・ヴァーミリオンは足を運んでいる。

 大理石製の長大な廊下、その中央に位置する扉。衛兵が両端に立ち守衛を務めているその扉の先にあるのは皇族達の専用として設けられた食堂で、父であるヴァーミリオン皇帝からの呼び出しを受けた場所だった。

 

 案内役の侍従を追随させながら足を運ぶと、壮年の女性――この城の侍従達を取り纏めている長が出迎える。

 

 

「お待ちしておりました、ソルレイア殿下」

「ご苦労」

 

 

 慇懃に(こうべ)を垂れる侍従長の礼を簡略に受け止める。

 遥かに年上の相手に対するソルレイアのそんな傲然さは、彼女自身の気質だけでなく、相手を少なからず知っていることにも由来していた。

 

 

「お前がいるということは、母上もおいでか」

「はい。皇妃様も既に中でお待ちです」

 

 

 確認の意味でソルレイアは尋ねた。

 この侍従達の統率者が、同時に己が母の側近でもあることは知っている。その彼女がこうしてここにいるということは、母もこの扉の向こうにいるということだ。

 

 相手の肯定を認めたソルレイアは、しかし今度は顔を顰めてもう一つのことを尋ねた。

 

 

「……父上もか」

「……はい。皇帝陛下も御席に」

「……そうか」

 

 

 やたらに間を含んだ会話。加えて、実年齢に不釣合いな冷厳さを備えているソルレイアもしかし、今はある種の感情をその顔に浮かべていた。

 そしてそれが良いものでないのは、苦々しい表情が物語っている。

 そんなソルレイアと言葉を交わした侍従長もまた、何とも言えない表情を浮かべて彼女を見ている。

 

 しばらくはそうしていた二人だが、短く息を吐いたソルレイアが視線を向け、そこに含まれた意を察した侍従長は表情を引き締めると、扉の方へと振り返った。

 

 

「皇帝陛下、ソルレイア殿下が御着きになられました」

『――うむ、通せ』

 

 

 扉越しのまま慇懃に告げられた侍従長の報せに、それなりの年齢と思しき男性の声が返される。簡潔なその一言に含まれた威厳が、扉越しに向き合う侍従長や近くにいた衛兵達の身を否応なく引き締めさせた。

 

 ――ただ一人、その声の主と最も近しい立場にあるソルレイアだけは、違う理由(・・・・)で身を引き締めていたが。

 

 「失礼致します」という断りの一言の後、食堂の扉が開けられる。そこから漏れた食堂内の照明や窓越しの陽光が、視覚に障らない程度の程よい加減でソルレイアの目を刺激した。

 扉を開けた侍従長はその場から退き、ソルレイアの邪魔にならない場所に立つ。それを受けて、遂にソルレイアはその足を食堂へと踏み入れ、そのまま一直線に自身の視界に入れている二人の人物へ向けて歩みを進める。

 片やどっしりと食卓の上座の一席に座ってこちらを見つめ、片やにこやかな満面の笑顔で手を振って歓迎の意を示していた。

 

 そしてその二人との距離がある程度近づくとそこで立ち止まり、隙の無い姿勢を維持したまま閉じていた口を開き凛とした声を発する。

 

 

「第一皇女ソルレイア・ヴァーミリオン、ただ今参内した」

 

 

 そう宣言しつつ見据えるのは、この部屋に一つだけの縦長な食卓、その上座に座る男性。

 獅子を連想させる茶色い髪と髯を蓄えた強面の風貌。その所々にはでき始めた小さな皺が見て取れ、彼が壮年期という年代に足を踏み入れていることが容易に分かる。

 

 もっとも、そんな外見を観察せずとも、ソルレイアはその男性の年齢など熟知していた。

 何故なら――――

 

 

「それで、今回の呼び出しはどういった用向きか? 父上」

 

 

  何故ならその人物こそ彼女の父親――即ちこの国の最高統治者である今代のヴァーミリオン皇帝“シリウス・ヴァーミリオン”なのだから。

 

 

「……うむ。よく来たな――」

 

 

 冷淡かつ簡潔なソルレイアの問い掛けにそう返しながら、重厚な仕草でシリウスは立ち上がる。

 その厳かな顔に供わる双眸は、父親を見据えているソルレイアの視線と向き合うことで必然的に交わり――――

 

 

 

「会いたかったぞソルレイアァァァァァァァァ!!! 我が最愛のむすむぐぶぇっ!?!?」

「フンッ」

 

 

 

 唐突にその場からソルレイアへと物凄い勢いで飛び掛り、しかし直後には彼女の放った踵落としによって食堂の地面に顔を叩きつける結果と相成った。

 正確無比の一撃を受けたシリウスは、物理法則に逆らえるはずもなく大理石製の床に顔面から激突、顔の半分近くを埋めている。

 

 そんなとんでもない事態に、場は騒然――とはならない。かといって、あまりの惨事に言葉も無く沈黙しているという訳でもなかった。

 

 というのも――

 

 

「ブハァッ!! し、死ぬかと思った……っ!」

「チッ」

「舌打ち!? 今舌打った!? パパ死にそうだったというか危うく娘に殺されそうだったのに挙句その娘に舌打ちされた!?」

「汚物として燻蒸消毒しなかっただけありがたく思え」

「あれ? ワシ汚物扱い? 皇帝で父親なのに娘から汚物扱いなの!?」

「その娘に対して猥褻行為に及ぼうとした輩が何を喚いている。そんな下種が治める国などとっとと滅べばよかろう」

「違うからぁ!? これはちょっとした親子のスキンシップじゃから!! イヤらしい気持ちなんて本当に、まったく、これっぽっちも、アでもお前に魅力が無いなんて意味じゃないけえの? むしろいつどこで変な虫が付かんかとお父さんは心配で心配でオノレあのクソガキ人の娘に色目使いおってやっぱり戦争しかけたろうか……っ!」

 

 

 ――などというやり取りが、直後には平然と繰り広げられるからに他ならない。

 

 埋没していた床から息を吹き返したシリウスは、先程までの威厳に満ちた表情はどこへやら、顔中から血を垂れ流したまま嘆いては怒ってと変化に忙しない。しかし威厳は無くとも生命力だけは有り余っているのが、その会話で明白だった。

 

 そのシリウスの抗議を、しかし当然の報いと切り捨てる。それに対して更に弁明を試みるも、途中からは何やら一人で勝手に盛り上がっては物騒なことをブツブツと呟きだす始末である。

 

 ――これが一国の皇帝、それも“紅蓮の荒獅子”と恐れられ、ヴァーミリオンにその人ありと言われた伐刀者(ブレイザー)であるなどと、初見の者が見たならば誰も信じられないだろし、信じたくないだろう。

 

 そんな父親を絶対零度の視線で睥睨し、娘は次なる制裁へのカウントを内心で行い始めていた。腕を組んだまま上腕をトントンと叩く指の速さが少しずつ増し、表情に苛立ちが浮かび始めているのがその証左だった。

 次は踵落としどころではなく本当に燻蒸消毒なりが実行されることが、彼女の周囲が魔力の熱気により陽炎となっていることで分かる。

 

 

 しかしそんな惨事への秒読みに、救いの手を差し伸べる人物がいた。

 

 

 

「パァ~パァァァ~~~~?」

「ウヒィィッ!?」

 

 

 

 ――あくまで燻蒸消毒(ソルレイア)よりはマシな、という意味での救いではあるが。

 

 何とも情けない悲鳴を上げたシリウス、背後にはその原因となった赤い小柄な影が忍び寄っていた。

 

 

「どぉ~いうことですかぁ~? 実の娘に欲情ですかぁそうなんですかぁ~?」

「マ、ママ……!」

 

 

 シリウスが戦々恐々と振り向けば、そこにいるのは――赤い『小鬼』だった。

 もちろんそれは比喩でしかない。実際にそこにいるのは一人の人間、それも『小』という表現に適するような、子供とも言える小さな体躯の女性だった。

 しかし同時に『鬼』という表現が間違っていないと思える程の迫力を、その小柄な身体から放っていた。

 

 

「もうパパったら……この前もステラちゃんと一緒にお風呂に入るーとか言って、ルナちゃんもいる浴場に突入してOSHIOKIされたのに、まだ懲りてないんですかぁ~?」

「ぃいいいや違うんじゃ! これはそんなアレじゃなくて……!」

 

 

 向き合うシリウスと目線を合わせるためか、膝を抱えるようにしてその場に座る女性。その動きに合わせて白銀の髪飾りを頂くピーチブロンドの美髪は揺れ、身に纏う赤を基調とした色合いのドレスが心地の良い擦り音を発する。

 それから女性は両手で優しく、しかししっかりとした圧力を込めて、相手の顔を挟んで固定すれば、『ずいっ』と、ぶつかってしまいそうになるくらいに互いの顔を近づけさせた。

 結果、当然ながらシリウスはその女性と顔面接触スレスレの超至近距離で向き合う形となり――その、ハイライトを失い瞳孔が開ききった薄紅色の双眸を直視しなければならなくなった。

 

 

「ム・ネ? やっぱりお胸ですかぁ?

 ソラちゃんの普段は隠されているけどその実ボリュームたぁっぷりな、娘なのにママよりママらしい母性の象徴がいいんですかぁ? ステラちゃんも何となーく、将来は有望そうだし~?

 あぁ、つまりぃ~? ママはもう『俺お前じゃ勃たねえから。魂レベルで改善してから出直しな!』ってことですかぁ?」

「言ってないッ!? そんなことワシ一言も言っとらんぞママ! というか魂レベルでの胸の改善ってどういうこと!?

 だ、大体ワシがママ一筋だって知っとるじゃろ!? なあソルレイア!」

「知るか」

「ソルレイアァァァァーーーーッ!?!?!?」

「パ~パァ~~~~?」

「ヒィィィィーーーーッ!!!」

 

 

 勝手に盛り上がっていたシリウスへの応報なのか、こちらも勝手に話を盛り上げてシリウスを追い込んでいく。ただし恐ろしさの度合いは先程の比ではなかった。

 

 それに対してシリウスはというと必死に抗弁し己の無実を訴えつつ、後ろで彼らを見下ろしている娘に援護を求めるが返されたのは非情な切捨て。

 悲痛な声が上がり、しかし直後には女性のおどろおどろしい声によってそれが悲鳴へと変わっていく。

 

 そうした何とも言えない状況を、しかしソルレイア達三人から距離を置いた場所で待機している侍従長や侍従達は静観している。

 そんな彼女達の反応は、こうしたやり取りが日常的かそれに準じるほどありふれた光景であることを物語っていた。

 揃って呆れたり、侍従長などは頭が痛いと言わんばかりの様子なのは別として。

 

 

 ――そうした事態を収拾したのは、ある意味でこの事態をもたらした要因の一人でもある人物だった。

 もっとも、うんざりとしているその表情は、そもそもこの事態そのものが不本意であることを示しているが。

 

 

「母上。それ(父上)をどうこうするのは勝手だが、こちらは呼び出されている身だ。くだらん茶番は後にしていただきたいのだが」

「あ、ごめんなさいねソラちゃん。すっかり待たせちゃって」

「た、助かった……」

「パパは後でたっっっぷりと、お話しましょうねぇ~? もちろん、二人っきりで」

「……………………ハイ」

 

 

 ソルレイアの言葉でそれまでのおどろおどろしい雰囲気から一転、女性――ヴァーミリオン皇妃“アストレア・ヴァーミリオン”は、朗らかな笑顔を浮かべて我が子へと意識を移した。

 ただし夫への制裁は一時的に中断しただけらしく、愛らしい笑顔に威圧感を滲ませながらシリウスに死刑宣告を突きつけることは忘れない。

 

 

「……母上、その呼び方は止めて頂きたいと申し上げたはずだが」

「えー、どうしてそんなに嫌がるの~? 可愛いじゃない、“ソラ”なんて。ステラちゃんが折角つけてくれたのにぃ」

「あの馬鹿娘が勝手に呼んだだけだ。私は不愉快極まりない」

「まったくもー。いつまでもそんなだと結婚できなくなっちゃうわよぉ~?」

「浅はかな雌の色香に誘われるような愚劣な雄などこちらから願い下げだ」

 

 

 そんな言葉を交わしながら、赤を基調とする母娘はテーブルの方へと歩き去っていく。

 

 

 

 

 

 ――その後ろにそれぞれが父親と夫を置き去りにしたまま。

 

 

「いやあの……そろそろ誰か、この怪我治して欲しいんじゃけど……」

 

 

 ポタポタと血を垂らしながらしょんぼりと呟かれたシリウスの声は、しかし彼の娘と妻に届くことはなかった。

 

 

 結局その後、様子を見かねた侍従長により最低限の応急処置が施されるのみであった。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

「――それで、呼び出しの用件は何か?」

 

 

 とっとと済ませるに限る――そんな心境の表れか、会議の口火を切ったのはソルレイア自身だった。

 

 純白のテーブルクロスで覆われた横長の大食卓。その上座に家長であるシリウスが、その左右両側の席に妻のアストレアと娘のソルレイアがそれぞれ座り、三角形を象るように向き合う。

 食堂に集った親子三人による『家族会議』は、(ソルレイア)にしてみれば『くだらない茶番』と断ずるイザコザを経て漸く始められようとしていた。

 

 

「まあそう急がんでもいいじゃろ? ほれ、久々に顔を合わせられたんじゃけえ、先ずは三人で甘いすいーつでも」

「菓子諸共焼き払われたいわけか」

「ごめんなさいちゃんとやりますハイ」

 

 

 さっさと本題に入ろうとするソルレイアに対してそう提案するシリウスだが、魔力の熱を放ちながら向けられる娘の威圧に早くも観念した。

 青くなったその顔が脅しの信憑性を物語っている。彼女が有言実行の徒であることを父親はその身を以て知っているのだ。

 

 

「じゃあ、とりあえず今日のお任せスイーツを一個ずつお願いね~」

「畏まりました」

「……母上」

 

 

 と思いきや、焔を背負う修羅を前に平然と話を進める猛者が一人。

 思わず額に血管が浮かぶが、努めて冷静さを保つ。

 

 

「ほらほら、そんなに怖い顔しないの。せっかくお話しするんだから、甘いものの一つでもあった方がいいでしょ?」

「じゃろ、じゃろ!? やっぱりこういう時は甘いものを添えて親子団欒に」

「黙っていろ」

「調子に乗ってごめんなさい……」

 

 

 調子づく父親はとりあえず黙らせた。

 そうしている間に、母親は『プンスカ』とでも言いたげな様子でソルレイアに攻めかかる。

 

 

「どうせ『向こう』では味とか二の次三の次にしてるんでしょう? たまにはこういうのも食べないと!」

「そんな軟弱なものなど御免蒙る」

「もう、美味しいのにー。食わず嫌いはメッ!よ?」

 

 

 違う、そういう問題ではない。

 ピッと人差し指を上に立てては遥かに背丈の高い長女(自分)を見上げながら嗜める母親(アストレア)の姿に、色んな意味で頭痛を煩わずにはいられない。表には出さないが、胸中で嘆息を漏らした。

 

 ――この母親(アストレア)は苦手だ。

 鬱陶しいこと極まりない親馬鹿(シリウス)程ではないし方向性も違うが、必要がなければ進んで関わろうと思わない点においては同じだ。

 親と子である以上は生まれてこの方の付き合いである訳だが、いわゆる親近感といった類の感情を抱けた(ためし)は一度として存在しない。

 理由など、ソルレイアとて知らない。気づいた時にはそうだったのだ。そして、敢えて是正したいともするべきとも思ってはいない。

 

 周りの人間はおろか、ソルレイア当人ですらも「本当に親子なのか」と思える程にかけ離れた人格と性質。内面において彼女達は全く似ていないと言わざるを得なかった。

 あるいは、それこそが原因の一つと成り得ているのかも知れないが、真相はソルレイア自身にも分かり得ない事柄であり、また分かる必要性も感じてはいない。

 

 

「『向こう』の暮らしはどう? 何か不自由はしてない?」

 

 

 ――そんな益体もないことを頭の片隅で思い浮かべていれば、当の母親が話題を振ってくる。

 唐突な問いだったが、それで動揺するようなことはない。そんな軟弱な精神はしていないし、何よりこの類の質問は何十回とやり取りしている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「今までと然して変わりはせんよ、母上。

 必要なものは揃えているし、無ければ無いで補っている。そちらに聞かせるような類の物事などありはしない。

 そもそも、前にも同じ問いに同じ答えを言ったはずだが」

 

 

 辟易する――と顔に出している訳ではなかったが、言葉には自ずと相手の気遣いを煩わしがる心境が幾許か混ぜ入ったのを自覚する。

 しかしそんな指摘にも、対するアストレアはというと胸すら張って泰然と応えた。

 

 

「親は子供に何度でも同じ質問をするものよ?

 (皇宮)を出て暮らしている娘の事だもの。毎日しても飽き足らないくらいだわ」

 

 

 ピッと人差し指を立てながら言う母親に、苦言を呈しても無意味であることを知っているので、今度こそ溜息を零してしまう。

 

 ソルレイアは現在、生まれ育ったこのセレスタルブルクを出て生活している。

 切っ掛けは今から2年前。ソルレイアがヴァーミリオン国立魔導学院の中等部に入学し、そこに備わっている寮での生活を希望したためである。

 

 ――というのは、『理由の片方』だ。

 

 

「ましてやその娘が若い身空で軍人になっちゃったんだから、心配しない親なんているものですか」

「……フン」

 

 

 そんな母の指摘に特に反論を返すことはせず、沈黙を選んだ。

 

 

 アストレアの言葉は何ら虚偽や誇張を含むものではない、ありのままの事実だった。

 表向きはヴァーミリオン魔導学院中等部に属する学生という身分のソルレイアだが、公にはされていないだけで歴としたヴァーミリオン皇国正規軍の軍人として籍を置いている。

 訓練兵や予備軍人などといったものではない、正規の将校としての地位を得ている上級軍人としてだ。

 

 そしてそれが成されたのが今より2年も前。彼女が僅か12歳の時の事だった。

 

 それが彼女の国では普通のこと――などという訳では断じて無い。

 切羽詰った戦時中ならいざ知らず、普通であれば他の大多数の国と同様に成人を果たした後、軍学校にて訓練課程を経て適性の検査や試験を受け、そこで初めて正規軍人として迎えられる。

 伐刀者であるならば元服制度に則り15歳の時点での登用もあり得るが、それもあくまで規律上の最低許容年齢であって、訓練や修学といった理由から結局は成人後となるのが通例。ましてや元服すらしていない年齢の者は、例え異能を備えようと対象外となる。

 

 ――にも関わらず、ソルレイアが僅か12という齢で軍属となれた理由。

 それは有体に言ってしまえば、彼女が既にいち早く元服対象として認定されたからに他ならない。

 

 当時――つまりは今から2年前。

 Aランクでも高位の魔力を備え、またそれは十全に揮える才能を持つことからソルレイアは既に伐刀者として期待されていたのだが、それでも元服前の『子供』でしかなかった。

 それが大きく変わることとなったのは、ソルレイアがある事件に関わったことが切っ掛けだった。

 国交親善の一員として赴いた他国での反体制勢力による大規模なテロ――その渦中に巻き込まれた人間の一人だった当時のソルレイアは、初の実戦でありながらその強大な力で敵対する者を尽く圧倒、更にはその場にいた兵士達の指揮まで行い、見事に状況を鎮圧してのけたのだ。

 

 これだけだったならば、周りが彼女の才能を讃えるか畏れるかのいずれかで済まされていたかも知れない。

 しかしその場にて、彼女の活躍を目にしていた『とある人物』が彼女に与えた『褒賞』が、あらゆるものを捻じ曲げてしまった。

 

 ――国際魔導騎士連盟、延いてはその加盟国群にも強い影響と発言力を持つその人物は、当時のソルレイアに『元服の前倒し』を提案したのだ。

 

 

 

『もはや君にその『役』は相応しくない――そう思わないかね、血染めの戦姫殿?』

 

 

 

「……ッ」

 

 

 思わず思考の中で再生された声に、アストレア達には悟られない程度に顔を顰める。

 2年前に一度だけ顔を会わせることとなった、『とある人物』。叶うなら、二度と顔を合わせるどころか思い出したくすらない、道化じみた、あるいは面の皮の厚い詐欺師のような人物。

 その言動の奇矯さと不愉快さから、不本意かつ腹立たしいことに、その存在は印象に残ってしまっていた。

 

 

「じゃから、じゃからワシは言ったじゃん! そんなの絶対ダメだって!」

「も~。まだ言ってるんですかパパ? あの時はああするしかお互い納得しなかったんですから仕方ないじゃないですか」

「納得などしとらんわい!」

 

 

 ――そうしている内にも勝手に夫婦で話が進んでいたらしく、またシリウスがギャアギャア喚き、それをアストレアが呆れ顔で宥めるという図が目の前にあった。

 

 アストレアが言っているのは、色々と悶着こそあったものの結局はいち早い元服を認められたソルレイアが、帰国後に軍への入隊を表明した折の騒動のこと。

 当時はES(小等学校)を卒業したばかりの長女が家を出る上、若い身空で軍人になるとなって当然の如く子煩悩のシリウスが騒ぎ流石の今回ばかりはと両者はかつて無い程に対立した。

 あわや伐刀者親子による本気の決闘にもなりかけたのだが、最終的には仲裁役を買って出たアストレアの執成(とりな)しにより平和的な解決へと落ち着いた。

 

 平時こそおっとりを越してぽやっ(・・・)としている彼女だが、そこはやはり一国の妃でありまた三児の母親であるらしく、両者が(不承不承ながらも)妥協できる条件を提示して事を治めてのけた一件は、今も皇宮では偉業として語られているらしい。

 

 

「それで? 本当に問題は無い?」

「ああ。煩わしい学徒生活が無ければな」

「それは駄目。ちゃんと約束したでしょう? 軍人さんになってもいいけど、学校も通い続ける、って」

「……フン」

 

 

 アストレアの指摘に苦い表情が浮かぶが、上等な返しを思い浮かべられずそのまま口を閉ざすしかなかった。

 

 皇宮外での生活と軍属。その二つを許諾する代わりとしてソルレイアは幾つかの条件を受け入れることとなった。

 その一つが『他の子供達と同じように学生生活を過ごすこと』――結果として、ソルレイアはヴァーミリオン国立魔導学院の中等部に入学し、今は三年生として在籍している。

 

 ソルレイアとしては成人としての権利を獲た以上、さっさと軍学校にでも入りたかったのだが、両親という人間の面倒臭さを知っていることから已む無く受け入れることにしたというのは、当時の心境だった。

 そもそも第一皇女という立場もあって相応の英才教育も受けているソルレイアは、同時に彼女自身の図抜けた聡明さもあり、当時既にハイスクールの学力を身に着けていた。

 それが余計に、彼女に学生でい続けることへの意味を失わせてもいた。

 

 当時のソルレイアもその事をアストレアに提示して無意味さを説いたのだが、そんな娘に母親が返した言葉は――

 

 

「あの時も言ったでしょう? 学校は勉強するだけの場じゃないの。歳の近い子達と同じ場所で学んだり関わったりすることにも、同じくらいの意味があるのよ?」

 ――つまりは、青春を謳歌(エンジョイ)しなさいってことなの♪」

「要らん世話だ」

「……ハッ! そ、そう言えばソルレイア、お前まさか学校の男に言い寄られたりしてはいおらんじゃろうな!? いるならすぐに言うんじゃぞ! そんな不届き(モン)はワシがこの手で一人残らず――」

「何度も言わせるな。黙っていろ父上」

「申し訳ありませんでした……」

 

 

 我が意を得たりとでも言わんばかりの母親(アストレア)に頭を痛め、隣で喚く馬鹿(シリウス)は黙らせつつ、言葉を続ける。

 

 

「……問題は無い。煩わしくはあるが、この程度もこなせないで己の我を通せるなどと思ってはいないからな。こちらから辞めるつもりも姑息な策を弄する気も無い。

 望み通り、高等部を修了するまで務める――それでいいのだろう?」

「……そう。なら、良かったわ」

 

 

 そう言いつつも、少女の如く愛らしい顔に寂しげな笑みを浮かべるアストレアは、しかしすぐにそれを普段通りの明るい笑顔で覆い隠した。

 その様子をはっきりと目にしていたソルレイアだが、それをどうこう問い質すつもりはなかった。

 

 

「後は、もう少しちょくちょく顔を見せに来てくれたら嬉しいんだけどな~?」

「私は暇ではない」

「何を言うとるソルレイア! 家族同士が集まるより大事なことなんぞありはしな――」

「黙れ焼き払うぞ」

「ハイ…………」

 

 

 懲りずに口を挟んでくるシリウスを塵でも見るような目で()めつけ、言葉の内容に反して絶対零度の一言を叩きつける。

 

 そんな(ソルレイア)に落ち込み項垂れること四度目となる父親(シリウス)を、(アストレア)が「パパ、あんまりしつこいと本当に嫌われちゃいますよ~?」とトドメを指しつつ、その頭をよしよしと撫でて慰めていた。

 侍従達も遠巻きにその様子を、表情にこそ出さないものの微笑ましいものを見る目で見守っている。

 

 

 そんな、和やかで平穏な日常の光景。『陽だまり』とでも形容すべきその日常模様が、心なしか今までより目映く感じられ。

 

 

 ――やはり、此処(陽だまり)は好かないな。

 

 

 と、胸中で独り呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、話というのは馬鹿娘(ステラ)のことか?」

 

 

 一通りの話を終えた後、そう切り出した。

 

 口にした内容は、呼び出しを受けた時点で想定していたもの。そしてそれが正鵠を射ていたことは、それまでの情けない顔を引き締めるシリウスの変容が物語っていた。

 アストレアもその辺りの空気は読んでいるらしく、静かに居住まいを正す。

 

 弛緩した空気を入れ替えるためか「ゴホン」と重く一つ咳払いをした後、シリウスが頷いた。

 

 

「うむ……お前がステラを鍛え始めてから、もう一ヶ月なわけじゃが……」

 

 

 それまでとは様相を変え真面目な面持ちで語ろうとするシリウスだが、続くであろう言葉を途中で言い淀ませてしまう。

 

 すると彼をフォローするかのように、アストレアが話題を挟む。

 

 

「あの時は本当に驚いたわね~。ステラちゃんったら、突然あんなこと言い出すんだもの」

 

 

 そんなアストレアの注釈に、ソルレイアの脳裡が当時のことを無意識的に想起する。

 

 

 ――一ヶ月より前の、とある日。

 その日もとある用件から呼び出しを受けて皇宮に足を運んでいだソルレイアは、用を済ませてさっさと戻ろう(・・・)としたところを不快な呼び名で自分を呼ぶ声に足を止められた。

 自分をそう呼ぶ怖いもの知らずな馬鹿者など、この国には知る限りで一人しかいない。

 苛立ちを隠さず振り向きざまに睨みつければ、視線の先の相手は案の上の人物。自身の半分程の背丈しかないそいつは、小さく悲鳴を上げて竦み上がった。

 

 しかし目尻に涙を浮かべながらも次の瞬間にはキッと睨み返し、その相手――歳の離れた幼い妹は、あらん限りの声量で吼えた――――

 

 

「『あたしを鍛えて』なんて言い出すから、ビックリしちゃったわ。パパやダン達なんて大慌てだったし」

「当たり前じゃ! ステラはまだ5歳なんじゃぞ!? 大怪我などしたらどうするんじゃい!!」

 

 

 親夫婦の会話を沈黙で聞き流しつつ、脳裏では回想が続く。

 

 

 『自分を鍛えてほしい』――そうソルレイアに直談判するステラ、そしてその怖いもの知らずの暴挙を慌てて止めようとする大人達。今は目の前でのほほんと語る(アストレア)もまた、あの時は目を丸くしていていたことを記憶している。

 例外だったのは、後方で事態を静かに見守っていた双子の妹だけだったか。

 

 そんな騒然となった場でただ一人、確固たる意志を真紅の双眸に宿すその娘に、ソルレイアは――――

 

 

「でも、ソルレイアちゃんがステラちゃんのお願いを聞いてあげたことには正直、もっとビックリしちゃった。フフ、あの時のステラちゃんの喜びようったら!」

「そこら辺の奴らよりは鍛え甲斐がありそうだった、だから請け負ってやったまでのことだ」

「もう、素直じゃない(ツンデレな)んだから~♪」

 

 

 「こういうところはステラちゃんと似てるのよねぇ♪」と、それは楽しそうに笑う母親を睨めつけるが、親としての貫禄かそれとも彼女個人が太い胆を持っているのか、意に介した様子はない。

 

 と、二人の会話にシリウスが入り込む。

 

 

「楽しそうに言うがなぁママ、ワシは心配で仕方なかったんじゃぞ!?

 お前もお前じゃソルレイア。まだ5歳の子供をあんな風に――」

「私が手ずから鍛えてやるのだ、その程度もできなくては話しにならんだろう。私とて暇ではない。

 それとも、私が時間を持て余しているとでも思っているのではあるまいな? 父上」

 

 

 批難気味に言ってくるシリウスにそう返せば、「ぬぅ……」と言葉を詰まらせる。ソルレイアの語った言葉が正しいことは、その反応が示していた。

 

 

 ――『子供の遊びに付き合ってやる暇はない』

 

 冷然とそう告げて踵を返せば、「遊びなんかじゃない」と言いながら追い縋って来る。

 そのまま、城門まで喚きながらついて来る妹がいい加減に煩わしく、そこで何となく想定した(・・・・・・・・)訓練内容(・・・・)を突きつけた。

 

 ――『次に私が来るまでこれをこなし続けられたのなら、手ずから鍛えてやる』

 

 その言葉だけを妹に言い渡して、しかし返答は聞くことなくソルレイアはその場を後にした。

 

 言い渡した内容は、常識から照らし合わせれば間違っても5歳の子供になどやらせるべきではない、それこそ成人でも達成に相応の時間と労力を要する代物。

 話を聞いた大人達が揃って顔を青くしたのだから、如何程のものかは語るに及ばないだろう。

 

 別段に「これなら諦めるだろう」などといった小賢しい(はかりごと)を巡らせた訳ではない。

 理由はソルレイア自身が語った通り。己に時間を割かせるのなら生半可な覚悟など言語道断、故にこそその覚悟があるかどうかを見極める必要があり、その気概を試す必要があった。

 早い話が、出来るならよし、出来ないのであればそれまで――それだけのことだった。

 

 そして再び足を運ぶこととなった一週間後、ソルレイアが目にしたのは――――

 

 

「――でも、ステラちゃんもちゃんとやり遂げたのよねぇ。

 毎日ゲーゲー吐いて全身筋肉痛になって、何度もやめるよう周りに言われて。それでも『ソラ姉のようになるんだ』って言って聞かなくて」

「…………」

 

 

 ――あたし、ちゃんと、できた、よ?

 ――あたしも、なれる、よね……? ソラ姉、みたいな、すご、い、伐刀者(ブレイザー)に。

 

 血豆だらけの両手足と発声すらやっとな筋肉痛を抱えながら、ステラはそうソルレイアに訊ねた。

 

 ソルレイアが定期的に皇宮へ足を運ぶようになったのは、その日からのことだ。

 

 

「それで、その馬鹿娘がどうかしたのか」

 

 

 ――気づけば自分までもが本題から逸れかけていたことに気づき、思わず額に皺が寄る。

 それを悟らせないようにしつつ、強引にでも話を進ませるべくそう切り出した。

 

 

「う、うむ……訓練の様子などは逐一報告を受けているんじゃが……その、やはり本人(お前)の方からちゃんと聞きたくてな?

 で、どうなんじゃ? ステラは」

 

 

 シリウスのその問いに対し、「フン」と息を吐いた後に答える。

 

 

「気概は見所がある、素養も悪くはない。まあ見込みはあるといったところだ」

「あ、あそこまでやらせていながらそれだけなのか?」

 

 

 この話題(ステラの鍛錬)に関しては親馬鹿の気を含めても正常と言うべき反応を示すシリウスに、しかしつまらなさ気に今一度鼻を鳴らして切り返しの言葉を口にする。

 

 

「そもそもあんなもの(今の鍛錬)は下地作りでしかない。あの程度もこなせないのなら、それこそ話にならん」

「訓練が終わった後はまともに動けなくなるのに!?」

 

 

 訓練が終わった後には疲労困憊で禄に歩くこともできなくなる末娘を思い浮かべながら、シリウスが驚愕の悲鳴を上げた。

 が、娘の方はというとそんな父親に対しても泰然としており、それどころかカウンターを叩き込んだ。

 

 

どこぞの某か(親馬鹿な皇帝)がわざわざ水使いの宮廷医を差し向けているようだからな。それくらいが丁度よかろう?」

「ギクゥッ!?」

 

 

 暗に「分かっているんだぞ」という意図を込めた言葉と目を向ければ、あるのは心の臓を鷲掴みにでもされたかのような間抜け面。

 そしてその間抜け面の父親(シリウス)が、毎日訓練の後には娘をわざわざ宮廷医の伐刀者に治療させていることなどとっくに知っている。

 それをどうこう言わなかったのは実際に有用ではあると判断したからだが、そんなことをわざわざ口に出す理由など微塵も存在しない。調子に乗ることが目に見えている。

 

 そこで話を一旦切ると、幾許かの間を挟んで後にシリウスから新しい話題を向けられる。

 

 

「……『共鳴』の方はどうじゃ」

 

 

 そう尋ねるシリウス、そしてそれを見守るアストレアの様子からは、それまでと一転して不安が色濃く見て取れた。

 

 

 『共鳴』というその言葉が指し示すのは、物理的現象や人間心理といった既知の意味合いではない。魔力という超常の資質を生まれ持ちそれに由来する異能を振るう、普遍の理から外れた因果(可能性)を宿す者達――伐刀者のみに当て嵌まる言葉だ。

 

 伐刀者を伐刀者足らしめる所以は大まかにしてもいくつかで挙げられる。そしてそれら総ての元を辿って行き着くのは、その身に背負う運命に規模が比例するとされる伐刀者の根源にして起源たる要素――『魔力』に他ならない。

 

 魔力は、基本的には同じように魔力を備える存在にしか感知できないという性質を持つ。

 生来から高い危機察知能力と本能を持つ動物、非伐刀者でも先天的な高い感受性(タレント)や後天的に研ぎ澄まされた感覚(センス)を身に着けた者達はその限りでもないが、それが実践された割合自体も少ない。

 

 対して伐刀者同士は、特殊な要因が加わらなければその魔力によって互いを敏感に感知できる。

 個々の魔力量と才能・技量によって精度・規模の変動や例外的事象は起こり得るものの、伐刀者ならば誰もが備える基本能力(スタンダード)以前の、もはや『当たり前に付随する現象』。

 

 そして、この『伐刀者は伐刀者を感知する』という現象から派生したものが共鳴であるとされている。

 

 わざわざ分類されて名づけられた共鳴という現象が、単に伐刀者が伐刀者を感じ取ることと差異があるのは言うまでもない。

 その最大の差異とは、魔力に目覚めた伐刀者と未覚醒の伐刀者(・・・・・・・)が――もしくは、未覚醒伐刀者(・・・・・・)同士(・・)が互いの『眠っている魔力(・・・・・・・)を感じ取る』ことに他ならない。

 

 ――これだけ言えば伐刀者という存在の身辺が危ぶまれる可能性も思い浮かぶかも知れないが、しかし実際はそれ程でもない。

 

 眠れる同族(伐刀者)を見分ける共鳴現象――しかしその『発生率』と『対象』を鑑みれば、そこまで大それたものではないということが分かる。

 何しろ、現象自体が伐刀者の発現割合よりも遥かに低い確率を示す非常にレアなケースであり、対象も数少ない事例の大半が近親者。身内を売り飛ばすといった陰惨な家庭事情でもなければ問題になる事はほとんど無いと言って良い。

 それでも、伐刀者を戦力とする犯罪組織“解放軍(リベリオン)”による拉致誘拐や一部の反伐刀者団体の過激な活動を懸念して、声高に言いふらすような人間はいないが。

 

 強いて言うなら、世界を二分している“国際魔導騎士連盟(リーグ)”と“大国同盟(ユニオン)”のお偉方からも「個人情報の尊重と伐刀者を狙う犯罪組織・反伐刀者団体に対する保安として、一等親族間以外にはなるべく報じないように」と言い渡されている程度。

 それでも一応はと、「もし現象があった場合は各国の支部に連絡するように」と義務付けられてはいるのだが。

 

 

 ――少しの沈黙を挟んで後、想定済みのその質問に対して想定済みの答えを返す。

 

 

「前と同じだ、『近い』としか言えん。

 そもそも馬鹿娘以外に例がないのだ、基準など立てようもない」

「ソルレイアちゃんだけだものねぇ、ステラちゃんの力を感じ取れるのって」

 

 

 共鳴という現象を通して把握できるのは、先ず相手に魔力があるかどうか。それ以外では、感じ取る側の尺度によるおおまかかつ感覚的ものではあるが、いつ魔力に目覚めるか、そしてその規模がどれ程のものか、といったものに限られる。

 

 ソルレイアとステラの共鳴も、その例に漏れるものではなかった。分かったのはソルレイアが口にした通り、ステラ・ヴァーミリオンの伐刀者としての目覚めはそう遠くないということ。

 ――そして、Aランクであるソルレイアをして『強大』と感じさせる、少なくともその魔力量は姉と同じか、あるいはそれ以上である、ということだけが分かっている。

 

 そして、その数少ない事実こそシリウスとアストレアに不安と危惧を抱かせる要因でもある。

 

 物事は度が過ぎれば毒となる。ともすればAランクでも最上級の魔力量を誇るソルレイアをも上回っているかも知れない魔力、それを僅か5歳の娘が宿している。

 親としてはもはや才能云々以前に子供の安否の方が心配でならないのだろう。技量に合わない魔力に振り回されて自滅した伐刀者の例など、古来より現代に至るまで枚挙に暇がないのだから。

 

 ――もっとも。

 齢3歳で膨大な魔力に目覚めそれを制御してのけた怪物が、その姉であるのだが。

 

 

 ――閑話休題。

 

 不安を示す二人に対して、ソルレイアの返す言葉は変わらず淡白なもの。しかしそんな素っ気無いソルレイアの反応が図らずもシリウスとアストレアの不安を和らげたらしく、二人は「ホッ」と小さな安堵の息を漏らしていた。

 

 愛娘を純粋に案ずるものであろうそんな二人の様相を淡々と見据えながら、言葉を続ける。

 

 

「いずれにしても、馬鹿娘の件(ステラの鍛錬)で問題はない。故に変えるべき点も存在しない――少なくとも、それが私の判断だ。

 それが気に食わんと言うなら馬鹿娘を説得して止めさせるなりされればよかろう。本人が嫌がるものを無理強いするほど私は暇ではない」

 

 

 告げたその言葉は、ソルレイアの胸中では最初から決まり切っていた返答でもあった。

 

 アストレアはまだしもシリウスは随分と鍛錬の険しさに気を揉んでいるようだが、そもそもソルレイアに言わせれば余計な世話でしかないというのが言い分だ。

 ステラに施している鍛錬は、確かに『5歳の子供』に対しては埒外の代物だろう。ソルレイアとてそれくらいの常識も良識も知っている。

 

 それでもそんな鍛錬をやらせているのは、それが『5歳の子供』には不適切でも『ステラ・ヴァーミリオン』には必要なものと看做しているからに他ならない。

 

 

「いやしかしじゃのう……」

「言っておくが父上、アレ(ステラ)に生半可な鍛錬が意味を成すなどと思わないことだ。

 私はアレに必要なことを必要なだけやらせている――それだけでしかない。

 そんなことは分かっているはずだが?」

 

 

 そう断言すれば、いよいよシリウスに返す言葉はなくなったらしく、苦心を宿した表情で口を閉ざした。

 

 

 そもそもにして、ソルレイアがステラに施している鍛錬の基準も、そしてステラ自身が求めている目標の値もまた、シリウスの求める限度とは埋め難い隔たりがある。

 姉が前提とし、そして図らずも妹が求めているのは、遥かな高みの領域――Aランクでも最上位という大魔力を己が物として十全自在に統べなければならない『強者』としての在り方。

 

 忌憚なく言ってしまえば、同じ伐刀者であっても凡庸な(Cランクの)領域までしか及べなかったシリウスとは、見据えた前提も辿るべき道程も大きく相違しているのだ。

 

 何も『魔力こそが絶対』などといった短絡的思想に傾倒している訳ではない。しかし同時に、生まれ持ってしまった魔力量がその伐刀者の行く末をある程度左右する以上は、畢竟その道程もまた変動せざるを得ない。

 なればこそ、ステラ・ヴァーミリオンという存在に施す鍛錬の過酷さは必定のものでもある――少なくともソルレイア・ヴァーミリオンは、そう断ずる。

 

 

 それを、少なくとも理屈としては理解しているであろうが故に表情を歪めているシリウスが示すのは、けれど苦渋を含んだ沈黙。

 

 一国の長たる立場が許容し、伐刀者の経験が肯定し、そして父親としての想いがそれを否定している――ソルレイアもそんな胸中を推察する程度には、シリウス・ヴァーミリオンという父親を把握してはいた。

 

 

 潮時か――心地好さとは程遠い沈黙の中でそう思い、この場を幕引くための言葉を口にする。

 

 

「……話が馬鹿娘のことだけなら、これで失礼させていただく。

 何度も言うが、私は暇ではない」

「お、おい、ソルレイア――――」

 

 

 そう言って席を発とうとするソルレイアを慌てて引きとめようとしたシリウスはしかし、烈火を宿しているかのような真紅の双眸に正面から見据えられる。

 

 ――用があるならさっさと言え。無いのなら手間取らせるな。

 

 そんな言外の言葉を向けられれば、『用』と言える程の話題を持たないからか、それとも気圧されたのか、発しようとした制止の言葉を飲み込み、口を噤んだ。

 

 その様子に、これ以上交わす言葉もないと判断したソルレイアは席から腰を上げ――

 

 

「ねえ、ソルレイアちゃん」

 

 

 ――ようとして、自身と向かい合って座るアストレアの制止に再び思い止まらねばならなかった。

 

 苛立ちを込めた視線を向ければ、しかしそこにいるアストレアは動じることなく微笑みながら受け止めるだけ。

 そんな母親には有言無言のいずれだろうと無意味だと考え、ならばとっとと済ませようと自分を呼び止めた理由を問いただそうとして、

 

 

「ソルレイアちゃんは今、充ち足りてる?」

「…………」

 

 

 向けられたその言葉に、沈黙で返すしかなかった。

 唐突なその問いの意味を掴み損ねたから。

 

 

「……質問の意図を理解しかねるが」

「う~ん、そのままの意味だったんだけどなあ。要は、楽しく過ごせているかってこと」

 

 

 問い返されて、アストレアの顔に浮かぶ苦笑。そんな母親を怪訝な顔で見返すが、すぐにそれを元の不機嫌なものに戻した。

 

 

「楽しいも何も無い。私は私がすべきと思ったことをしているだけだ。楽しい詰まらんで務まるものか」

「……そっか」

 

 

 にべもなくそう答えればアストレアの顔に浮かぶ、どこか寂しげな微笑。

 それを見咎めて眉間に皺を寄せるソルレイアだが、何かを言うことはなく今度こそ席から立ち上がる。

 これ以上この場にいる意味など己には存在しないと、そう断じて。

 

 

「話がそれだけならこれで終わりだ」

「ソルレイアちゃん」

 

 

 そのまま身を翻し扉の方へと歩を進めようとしたソルレイアは、再度自身の名を呼んだアストレアの声にその場で振り向く。

 三度行動を妨げられたその表情は、しかし存外に落ち着き払ったもの。紅の双眸はただ静かにアストレアを見据えていた。

 先程とは違いそこに苛立ちの色が伺えないのは、アストレアの殊更に穏やかな声色に何かを感じたからか。

 

 

「身体には気をつけてね? それと――いつでも帰ってらっしゃい。ここはあなたの家なんだから」

「――――」

 

 

 慈母の微笑み、そんな表現がそのまま当て嵌まるような母性に満ちた微笑で語りかけるアストレアを数秒ほど沈黙と共に見据えたソルレイアは、

 

 

「……失礼する」

 

 

 ただそれだけを告げると、そのまま歩き去っていく。

 父母や侍従達の視線が己に向けられていることは手に取るように把握できたが、それらを歯牙に掛けることはなく、足取りは淀ませることもないまま扉の方へと一直線に。

 そうして扉の左右に控えていた侍従によって開けられた扉を潜り、廊下へと出る。

 

 変わらず背中に覚え慣れた視線を感じつつ、来た時と何ら変わりのない広々とした廊下の景色が視界に入った。

 それを何となく見眺めてから、背後の扉が閉まるよりも前にその場から歩き去る。

 

 

 ――やはり好かんな、此処は。

 

 

 そんな独白だけが、彼女の胸中で呟かれる。

 当然、形にされなかったその言葉を耳にした者は、誰一人いなかった。

 




 遅れた言い訳やら謝罪やらは解説の後に……え、いらない? OTL


■皇宮の名前
▼原作では特に明記されていないので捏造。由来は本編でも書いた通り、名前だけ出ているオリキャラのセレスティアに因んだ、ということになっています。
 意味は

 Celestial(天体の)【英語】 + Burg(城)【独語】 = 星天の城。

 ……この語学力と中二力の無さよ(遠い目
 ちなみにBurgは城は城でも城塞とのことですが、細かいことは気になさらず。
 あ、骸骨のお城は関係ないですので。……今のところは(ボソッ
▼あと冒頭のうんちくは厨二っぽさ出したかっただけです、はい……。


■馬鹿親
▼親馬鹿で馬鹿親なシリウスさん。原作最新刊に登場したばかりのキャラで描写もアレなものしかないので、ソルレイアとの絡みもあってこんな感じに……;
▼原作準拠でランクはC、“紅蓮の荒獅子”とか言われて、原作ではステラが魔力に目覚めるまで皇国最強だったらしい。安定のキャラギャップで次巻では荒獅子の雄姿を見れることを願います。
▼原作では登場シーンの少なさからかステラを殊更に溺愛しているように見えましたが、ここでは未登場の次女含め三姉妹全員溺愛しています。何度どやされても復活する程度には(白目)
 そして妻には勝てない、基本的に。


■幼妻賢母(爆)
▼ロリママ。新刊表紙見た時に確信したね、こいつは人妻だって。俺は詳しいんd(ry
 ぽやっとしたお母様。でもヤンデレで夫にゾッコンのご様子。おのれシリウス!!!!
▼こちらもシリウス程ではないにしろ描写が少ないのでオリジナル要素で肉付けしてます。特に今回の話では娘のソルレイアへの母親としての苦悩を描きたいのでギャグ要素は少なめに……うん?
▼まだ弱めとはいえ少佐リスペクトのソルレイアに正面から向き合える胆力の持ち主。ソルレイアも諸事情込みでだが苦手としている。


■ソルレイアの……
 大きいです。少なくとも末の妹よりも大きくなります。
 だって双子の片方が絶壁なんだもn(ズブシャッ


■ソルレイアの軍属・元服問題
▼今回の描写は前日譚でのソルレイアの設定『統真達と同世代』・『軍人の少女』という要項を説明が主になってしまいましたね。作者的には必要かなと思って書きましたが、もう少しスマートにならんものなのか己は;
▼元服の早倒しは原作にない独自設定ですが、まあ普通にいそうですね。こういう世界観には大抵。なのでソルレイアは才能も功績もあって、それで文中にもあった『とある人物』の後押しでそれが認められた、という流れです。
▼そして元服ができたので成人としての権利も獲得。なのでさっさと軍に入りました。一兵卒ではなく歴とした士官です。
 ぶっちゃけ戦時でもないのに未成年がありえねえだろとなるでしょうが、そこはファンタジー世界ならではの浪漫ということでご容赦を。


■『とある人物』
▼某ニートではない……ような似たようなもののような……とりあえずウザい。今後も方々で出てきそうな……


■共鳴
 何気に掘り下げられた設定。簡単要約すれば『伐刀者同士限定のレーダー』(?)。発生例はそこまで多くなく極めて感覚的なものである為、


■騎士連盟のルビ:リーグ
 原作には存在しないが、対立勢力である反乱軍がリベリオンで大国同盟はユニオンとちゃんとあるのにこっちだけ無いのも物足りなかったので勝手に命名。
 名称の由来は『連盟・同盟』の英語であるleagueから。


■親子関係
 今回の話で一番表現したかったけど出来ている気がしない要素。
 要はソルレイアは両親が嫌いという訳ではないけど価値観の差から敬遠気味、両親はそんな娘を大事に思っているけど接し方を見出せず空振り気味という、親子のすれ違いを言いたかったのですOTL


■今回の話って要は?
①ソルレイアの軍人設定の大まかな経緯解説
②ソルレイア・ステラ姉妹の馴れ初め語り
③親子三人のすれ違い模様の描写
 これだけ。これだけのために計5ヶ月をかけた己のアレ具合に死にたくなる(遠い目




 さて、先ずはお読み頂きありがとうございました。
 そして以前からお読みいただいている皆様、大変お待たせしました。5ヶ月もの遅延にプレ版という姑息な手まで使ってなおこのザマ、深くお詫び申し上げます。

 遅れた理由を申し上げますとありきたりなもので、リアルの都合です。ジリ貧金無し時間無しの一歩か二歩手前の身の上なもので、今回は、あるいは今回も合間合間の時間で書かせていただいた結果でございます。
 しかもその結果として文章も滅茶苦茶気味なのだからもう……内容も充実とは言い難く……OTL

 それでも何とかギリギリ水準の完成に持ち込めたのが今回の更新となりました。
 ぶっちゃけ今後もどうなることか不安でたまりません。「その分原作が進むからいいよね!」なんて口が裂けても言えない……!

 と、どうでもいい作者の弁明改め言い訳語りとなりましたが、改めてもう一度の謝罪を。
 この作品は自分の作品でも最も高い評価を頂いており、ほぼ99%嗜好に走っている内容なのでちゃんと完結させたいとは思っております。
 果たしてそれがいつになるかは皆目見当もつきませんが、皆様もお忙しい人生の片手間に見守って楽しんで頂ければ幸いと思っております。

 それではまた次回にお会いしましょう……可及的早めに……出来るなら……可能な限り……おそらくは……メイビィ…………OTL


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朱羅篇 Ⅲ:太陽と月と星々

 今回もまたお待たせしました。漸くの投稿となります。

 そして本編の前に記しておきたい事が一つ。
 感想などでよく承ったご意見で戦闘シーンの要望が多く見られます。これに関しては作者も自覚していると同時に、未熟な私の不手際でそういった部分よりも登場人物たちの人物像や状況の描写に傾いてしまった結果です。ご不満を感じつつなお読んでくださる皆様、本当に申し訳ございません。
 なお、ご意見を賜った時点で「もうフライングで戦闘シーンのある話から上げちゃうか?」とも思いましたかどうにも後味が悪く、現在の朱羅篇を一段落させて、戦闘シーンが主(になる予定)な話を進めたいと思いました。
 なのでこの朱羅篇Ⅲに加え、次回の朱羅篇Ⅳまではご辛抱ください。その次の話として主人公である統真達の場面に戻って彼らの戦い振りを描いてみせたいと思います。

 前書きで長々と失礼致しました。それではどうぞ。


 天に広がる蒼穹、大地の黄土に生茂る草木の緑――視界に入るそれらの景色を、ソルレイアは独り眺めている。

 

 遠い地平線までを一望できるそこはセレスタルブルクの最上階に設けられた屋外庭園の一角、その普段は使われない階段で更に上に登って辿り着ける場所だった。

 

 幼少の頃に見つけてからというもの、ソルレイアが城で気に入っている数少ない場所だ。彼女の以外の人間は見回りの者を除けば殆ど足を運ぶ者はいないという事実がその場所を余計に気に入らせていた。

 

 単に一人でいられるというのもある。

 誤解が無いよう記すが、ソルレイアは別に孤独を好んでいる訳ではない。ただ彼女の周囲の人間、それこそ両親を始めとする者達の、親しみというか馴れ馴れしさが苦手なだけだ。

 

 

(まったく、馬鹿馬鹿しい国風だ)

 

 

 これまで(こうむ)ってきた被害をつい思い浮かべてしまい、苦々しい表情を浮かべつつそう内心で吐き捨てる。よくもこんな国風が建国以来数百年も続いているものだ。

 聞けば歴代最強と名高い曾祖伯母、即ち聖竜姫セレスティアの献身がそれに拍車を掛けたらしいが、こちらにして見ればいい迷惑だった。

 

 衛兵や侍従のように職務を通して接する手合いならば別段に問題はなく、ニュートラルに対応すれば済む。

 しかし如何せん、この国の人間は『国民は家族』という風潮が百年単位で染み込んでいる所為で、中には実に馴れ馴れしく接してくる人間もいるのだ。皇族との触れ合いが長く無遠慮な年配の女性(肝っ玉母ちゃん)達など、それこそ己を娘のように扱いかねない始末だった。

 

 なので、当時は人除けも兼ねてここで少なからずの時間を過ごしていたものだ。

 

 ……もっとも、今の彼女にはそれ以外にもいくつか理由があったりする。

 その一つは――

 

 

「――ハァ……」

 

 

 彼女がその整った唇に加えた小さく白い棒状の物体。その先端は彼女自前の魔力で生み出した火で炙られ、息を吸い込めば先端からの灰化が早められた。

 それを一度指の間に挟むようにして口から話すと、長めの息と共に口から紫煙を吐き出した。

 

 ソルレイアが口にしたものとは、即ち煙草である。

 

 言うまでも無くソルレイアは年齢的には未成年者以外の何者でもない。そんな彼女が喫煙行為に及ぶのは歴とした違法である。法整備が整えられている今のご時勢、皇女だからとて例外ではない。バレなければ何とやら、という理屈はさておいて。

 

 そんな彼女だが、しかし現在進行形で何ら違法行為には及んでいない。理由は彼女が特例として既に元服を果たしているからだ。

 命を戦闘の危険に晒す伐刀者の特権が、成人以前の段階での飲酒・喫煙・性交をも認めているのだ。勿論、それがもたらす結果(病患)もまた全て自己責任となるが。

 

 

(……質がいいな。ユンカーには礼を言っておくとしよう)

 

 

 口にした煙草の質が期待以上に上質であったためか、そんな感想を自然と抱いた。

 

 ソルレイアは所謂ヘビースモーカーだ。場所も状況も弁えてはいるが、軍基地の自室など個人としての自由が許される環境でなら基本的に煙草を口にするし、自前の煙草も常備している。

 

 最初に吸ったのは元服して直ぐ。正直、ソルレイアは喫煙に対して特に強い興味があった。いつが始まりかは覚えていないが、誰かのものであったのだろう副流煙が不思議と馴染んだ感覚は今も記憶している。

 そして法的に喫煙を許された彼女は、それと同時に煙草を嗜むようになった。最初こそ咽たものの、それでも煙草の味には何故か安らぎのようなものを感じた。

 

 そんなものだから、軍内部でのソルレイアへの贈り物というのは大体が煙草であったりする。

 今彼女が味わっているものも、部下の一人が彼女に送った品だった。

 

 手に持った煙草を一瞥すると再び口に咥えようとし――

 

 

「――で、いつまでそこにいるつもりだ貴様は」

「む、何だ。もうバレたのか」

「貴様の気配など分からんわけがあるか」

 

 

 自身がいる場所へと続く階段の方へ向けてそう語れば、ソルレイアとは違う誰かがそれに応じた。

 

 カツ、カツ、と階段を上ってくる音がいくつかした後、ソルレイアが振り向けば――そこには彼女自身がいた。

 

 

「相変わらずここが好きなんだな、ソルレイア」

「馬鹿共と顔を会わせずに済むからな。それもたった今台無しになったが」

 

 

 ――勿論、ソルレイア・ヴァーミリオンが二人いる、などという事はない。

 彼女と限りなく似通った顔立ちの少女がそこにいただけのことだった。

 

 そもそも、ドッペルゲンガーが如く瓜二つという訳でもないのだ。

 

 結い上げた、所謂ポニーテールであるソルレイアの赤い髪に対し、対する少女のそれは母親のアストレアと同じ艶やかなピーチブロンドで、ストレートに腰辺りまで伸ばされている。

 双眸の色彩こそは同じルビーレッドだが、切れ長なソルレイアに対して少女のそれは十分に柔和なもので、穏やかな気質を顕していた。

 

 

「まったく。もう少し半身の妹を慮って欲しいな、姉上?」

「そうか、ならその妹が起きたまま寝言をほざいているようなので、とりあえず灸の一つでも据えてやろうか、ルナアイズ」

「遠慮しておくよ。ステラのようにできる自信は無いからな」

 

 

 ルナアイズ・ヴァーミリオン――それが彼女の名前だ。

 その名が示す通り彼女もまたヴァーミリオンの皇族であり、ソルレイアとは双子の妹として生まれと育ちを同じくしている存在だった。

 そういう意味では、彼女が冗談交じりに口にした『半身』という表現も間違いではないだろう。

 

 

「それで何の用だ」

「家族に会うのに理由が必要か――などと言っても納得しないか」

「燃やされたいのであれば構わんぞ」

 

 

 そう答えればギロリと睨んでくる(ソルレイア)に、ルナアイズは小さく肩を竦めながら苦笑を浮かべる。

 普通ならここで大抵の人間は竦み上がるのだが、平然と流せるのは双子としての慣れか、彼女自身の胆力か。

 

 

「どうせ父上や母上と気まずい別れ方をしてきたんだろう? 不器用な姉へのフォローという奴だ」

「なら向こう(両親)の方へ行け。私には不要だ」

「まあそう言うな。久しぶりに話したいというのもあるしな」

「……フン」

 

 

 食い下がる(ルナアイズ)の言葉に不機嫌な表情こそ浮かべるものの、それ以上は特に何かを語ることもなかった。

 ルナアイズもそれを了承の意味で捉え、姉の隣へと並ぶ。

 

 

「……フゥ」

「言っても無駄だとは分かっているが、父上が見たらまた卒倒するぞ?」

 

 

 隣の存在など気に留めず喫煙を堪能するソルレイアに、ルナアイズが語りかける。

 実際、ルナアイズの言葉は正しい。

 

 ソルレイアの喫煙は別に隠し事でも何でもなく、本人も疚しいところなど無いので吸っても構わない場所でなら吸っている。

 そうなると父親のシリウスの耳にも当然届く訳で、最愛の娘が齢10代前半にして喫煙(非行)に走っていると知った際のシリウスは文字通り卒倒し、わざわざソルレイアを呼びつけて禁煙を申し付けようとした。

 これに対しソルレイアはにべもなく拒否、するとシリウスは『ヴァーミリオン皇国の禁煙化』まで企てようとしたのだが、速攻でバレてしまい、娘による粛清(仕置き)を受ける羽目となった。

 結局この騒動は、ソルレイアがちゃんと場を弁えて喫煙している事、そして摂取した分の煙草の悪性物質は彼女の魔力が全て体内で燃やしているという事実によって収まり、ソルレイアの喫煙は改めて認められた。

 

 ――しかしそんな妹の言葉に、「くだらん」と言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

 

「私が持つ権利を行使しているまでだ。それに吸う場所は弁えている。誰彼にどうこう言われる筋合いは無い」

「あの父上がそれで納得しているとも思えないけどなあ…………なあ、それ(煙草)美味しいのか?」

貴様(子供)には早い」

「いや同い年だろうに」

「私は元服済み(成人)だ」

「うわ、ずるい」

 

 

 しれっと言うソルレイアに、ルナアイズが苦笑する。

 

 普段の冷厳としたソルレイアしか知らない者が見れば目を見開く光景だが、彼女の生家であるこの皇宮ではそうでもない一場面だった。

 双子として生まれと育ちを最も多く共にしている故か、常に周囲と壁を作って接しているソルレイアもルナアイズという存在にだけは、その壁を幾分かは薄くしているきらいがあるらしかった。

 

 

「――ステラの件だったろう? 今日の会議」

 

 

 ちょうど会話が途切れようとしたところで、ルナアイズが新しい話題を持ち出す。

 持ち出された話題にソルレイアはスゥッと目を細め、ルナアイズを横目で見据えた。

 

 

「相変わらず(さか)しいことだ」

「状況で推察しただけさ。それで? 大方『子供(ステラ)に無茶をさせ過ぎだ』とか言われたんだろう?」

「そんなところだ」

 

 

 まるで見ていたかのように的確に言い当ててくるルナアイズに淡々と応えてから、再びソルレイアの口から紫煙が吐き出される。

 そんな姉の様子に、「やれやれ」と言わんばかりにルナアイズが肩を竦めた。

 

 

「正直に言えばいいだろう。ステラの為にやっている事だ、って」

「くだらんことをほざくな。鍛えてやると言った以上は徹底しているだけだ」

「まったく……そんなだからいつまでも父上達に心配されるんだろうに」

 

 

 そんなルナアイズの苦言に、しかし隣に立つ姉は「フン……」と憮然とした反応を示すのみで否とも応とも答えはしない。

 けれどもルナアイズにとってそんな返しは想定済みのものであったらしく、「仕方がないな」と言った風に苦笑を深くする。

 妹のその意味深な反応を目敏く察してギロリと睨みつけるソルレイアだが、そんなものはとうに既知のものとして慣れ切っているルナアイズは、どこ吹く風と言った様子で平然と流した。

 

 

「魔力を持たない私には分かりようも無いことだが……お前以上の魔力を持つステラには、それだけ『暴走』の危険性もあるんだろう?

 それこそ、お前の時以上に」

「……」

 

 

 そう尋ねる妹の問いに姉は沈黙で返す。

 それが肯定と同義である事をルナアイズは知っている。

 

 

 伐刀者にとって、魔力は『あって当たり前』という表現も過言ではない存在ではある。

 しかし最初からそうであるのかとなると、これはまた必ずしもそうではない。

 

 その最たる例の一つが、『過剰な魔力を生まれ持ってしまった幼い伐刀者の魔力暴走』である。

 異能に目覚めるまで眠っていた魔力の、唐突な覚醒。大抵の場合は身体に違和感を覚えたり、酷くとも体調を崩すといった程度のものだが、稀に特出した魔力を持った存在が幼少の内に覚醒を果たした場合、非力な肉体と精神が不相応の魔力を制御できず暴走させるという事態を引き起こしてしまう。

 

 ――そしてその事は、彼女たち姉妹こそが良く知っていた。

 何故なら、他ならない当事者とその身内なのだから。

 

 まだ幼い時分。ソルレイアは魔力の暴走こそ起こさなかったものの、特出した魔力に目覚めた反動により酷い高熱にうなされ、一週間は寝たきりで過ごす羽目になった。

 当時、親馬鹿のシリウスは勿論のこと、初めて授かった我が子である為かあるいはまだ若かった故か、普段落ち着いているアストレアまでもが激しく狼狽してしまい、更には国中の動揺にまで発展した事は、姉妹共に記憶に残っている。

 

 

「一週間後になるとお前の容態も安定して一段落したが、あんなのはもう御免だな」

「……だから私の肩を持つと?」

 

 

 そう問い質してくるソルレイアに、ルナアイズは答えは口にせず微笑とも苦笑ともつかない曖昧な笑みを浮かべる。

 

 

 ステラの件では、将来に備える姉も今を憂う両親も、どちらも正しいと言うのがルナアイズの見解だ。

 

 ソルレイアの場合は純粋に家族を思い遣っての行動という訳ではなくまたステラに請われてのものではあるが 、幼い彼女が魔力の暴走により傷つく可能性を防ごうという思惑も念頭に入れているのは確かだ。

 対して、シリウス達もその辺りは考えとしては理解できているのだろうが、親の心情としてはそれだけで受け入れられるものでもないことは、身内として想像に難くない。と言うより、伐刀者云々を込めても5歳児の末っ子が姉に扱かれるのをただ黙認しろというのがおかしいのだろうが。

 

 まあ、それもソルレイアが父達と壁を作らず理解をし合っていればもう少し話は違ったのかも知れないが、今となってはどうしようもない事だろう。改善される見込みも、残念ながら目処すら立っていない有様なのだから。

 ――閑話休題。

 

 

 そしてそうした双方の認識と言い分を鑑みた上で、ルナアイズはソルレイアの行動を取り敢えずは肯定している。

 

 

「肩を持つ、という訳ではないんだが、まあ、少なくともステラの件に関してはお前の方が上手くやれるんじゃないかと思っただけだよ。

 それに、そもそもはステラが自分から言い出した事だ。なら本人が続ける限りはやらせた方がいいと思ったのさ。

 ……まあ例え本人が言い出さなかったとしても、最低限の事くらいは叩き込んでいただろう?」

「……フン」

 

 

 言葉こそ問い掛けているが実際には断定しているルナアイズに、ソルレイアは不機嫌そうに鼻を鳴らすとそのまま押し黙った。

 それが肯定の意であることが、双子の感と経験でルナアイズには分かった。

 

 

 ――健常なる魂は健常なる肉体に宿る。

 そんな文句に(たと)えるなら、「強大な魔力を扱うには強靭な肉体と精神を以てこそ」――それがソルレイアの見出した、そして自ら実践している論理であり前提だ。

 平均の20倍以上という大魔力、そんな埒外の代物を宿す身だからこそ知っている。生半可な肉体と精神では、膨大な力に呑まれ自滅するしかないという可能性を。

 

 誰にも知られず、また自身で知れないようにしていたことではあるが、ソルレイアとて何の困難もなく己の魔力を制御できた訳ではない。

 魔力に目覚めた当時。肉体は元より精神もまた今より未熟であったが故に、ソルレイアは己の内に宿る劫火の如き魔力に苛まれている。

 それを幾日にも渡り、睡眠すら排してその力と向き合ったことで、今に至る道筋の始まりを拓いているのだ。

 

 だからこそ、ソルレイア・ヴァーミリオンもまたステラ・ヴァーミリオンにそれを課した。

 

 もし、ステラが何も申し出ていなかったならば。あるいは只人としての生き方を望んだならば、ソルレイアとてそれに口出しする意図など毛頭無かった。精々が、生まれ持ってしまった力の最低限の扱い方を指導する程度だったろう。

 あるいはシリウスもアストレアも、それをこそ望んでいるのかも知れないが。

 

 

 すると、そんな姉の横顔を見ながら、ルナアイズはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべては言葉を続ける。

 

 

「それに、ステラ(可愛い末っ子)お前(大好きなソラ姉)と触れ合える数少ない場を奪うような薄情ではな――うおっと! おい、危ないじゃないか」

「黙れ愚妹が。どうにも貴様の物言いに不快なもの(ルビ)を感じる」

「くくっ、さて何のことやら? 私は麗しい姉妹仲の発展に手を貸しているだけだぞ?」

 

 

 揶揄(からか)われた事が逆鱗に触れたのか魔力の熱を滾らせるソルレイアだが、そんな彼女が放った火炎を巧く躱し、飄々とした振舞いでルナアイズは応じる。

 

 そんな妹に興醒めしてか矛を収め、ソルレイアは「フン……」と一回鼻を鳴らしては遠い地平線の方へと視線を向けた。

 

 

「まあ、ステラの件ではそれだけだよ、私が言えることは」

「……」

 

 

 そう締め括るルナアイズに、ソルレイアは無言で応じた。

 そんな己が半身の横顔を、ルナアイズはなんとなしに観察する。

 

 不機嫌そうに煙草を吸いながら遠い彼方を眺めるその顔を、ルナアイズは自分のそれと同じだと思えたことは一度も無い。

 生物学的観点から照らし合わせれば一卵生の双子である彼女達は、瓜二つとまでは行かずとも全体的に顔の造形や骨格が近似しているはずだ。実際、双方共にまだ幼かった時分は髪の色などを除けば見分けがつかないと、双子にはありがちな持て囃され方をされていたらしい。当時のアルバムを開いて見れば、成程とも頷ける。

 

 だが、今となってそんな感想を口にする人間はいないだろう。少なくともルナアイズ自身が、自身の容姿を意識するようになった頃にはそう思うようになっていた。

 

 髪の色やヘアスタイル、表情や目つき――そうした瑣末な要素ではなく、もっと根本的で根源的な『何か』が自分とは違えていて、それが形として認識できてしまっているような差異。

 その『何か』が実在するのか、するとしたらどういうものなのかは分からない。

 

 ……ただ。

 きっとそれは、ソルレイア・ヴァーミリオンという人間を成り立たせる重要な何かなのだろうと、そう直感することはできた。

 

 ――そして恐らく、それこそが彼女と周り(家族)を隔てる『何か』なのだろうとも。

 

 

 

 

 ――ところで。

 ソルレイアとルナアイズの違いが瞭然としている大きな要素が、もう一つ存在する。

 

 それは――――

 

 

「…………………………」

「……何だ。人の体をジロジロと――おい、貴様どこを見比べている」

 

 

 自分と姉、そしてもう一度自分という順に、身体の『ある部分』を交互に見て、ルナアイズは顔を引き攣らせ硬直した。

 

 敢えて直接的表現を避け、擬音を用いるなら両者の違いはこう表せられるだろう。

 

 ――ぺターン。

 ――バイーン!

 と。

 

 

「…………理不尽だ」

「は?」

 

 

 心から絞り出されたような切実な声で、ルナアイズはそう呟く。

 それを間近で聞いていたソルレイアは、しかし言葉の意味を理解できず、怪訝そうに眉を吊り上げるのが精一杯だった。

 

 理不尽、不条理、不平等、不公平――今のルナアイズの心境と、彼女自身からして見た状況を表す概念は、正しくそれら。

 自分達は双子である。それはまあ、髪の色とかに始まって色々違いは出来ているし自分で「同じだと思ったことはない」とか述べたばかりだが、しかし遺伝学的・生物学的には紛うこと無き双子なのだ。

 容姿だって顔の作り自体はほぼ同じである事は検証で判明しているし、背丈もほぼ同じなのだ。

 

 ――だと言うのに。

 だと言うのに、である。

 一体何故、如何な悪辣な神(◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎)の悪意により、この様な『隔り』が生まれたのだろう。

 

 ――というかコイツ(ソルレイア)、また成長していないか?

 

 

(い、いや大丈夫だ落ち着けルナアイズ。アレだ、コイツの成長がおかしいんだ。まだ14歳だぞ? 育ち盛りなんだぞ? きっと私はこれからなんだ、もしくは成長が遅れて来るだけなんだ。

 ……しかしやはり……いやいや、大丈夫ったら大丈夫だ! きっと……そう、魔力の有無だ! それが成長時期を早めているに違いない! 一説では実はあれは魔力タンクを兼ねているとか言うし!)

「……おい、ルナアイズ。聞こえているのか?」

 

 

 動揺のあまり、本人にとっては切実だが実際には不毛でしかない思考の坩堝に陥るルナアイズ。その様子を訝しんだソルレイアが声を掛けるが、声は耳に届いていても意識には届かない。

 

 

(確かに母上はあんな容姿だが私もソルレイアも普通に成長したじゃないか! まして双子だぞ? 私だけこのままだなんてそんなことがあるものかそんなこと私が認めない断じて認めない神の法だろうと私は認めないというかそんな腐れ神(◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎)などとっとと塵芥となって滅び去れ‼︎

 私の発育はこれからなんだぁっ‼︎!――あ」

「……………………」

 

 

 否定しようとも湧き上がる悲惨な可能性(現実)を振り払おうと思考が激したあまり、最後の一言が思わず口から飛び出してしまう。

 そのことに気づいて口を手で塞いだ時には、しかし後の祭りでしかなかった。

 

 ――そして。

 

 

 

「……何を真剣に考え込んでいるかと思えば、くだらん」

「――あ"?」

 

 

 

 空気を読まないソルレイアの発言が、事態を更に拗らせる事となった。

 呆れたという様子を隠さずソルレイアは続ける。

 

 

こんなもの()など、あるだけ邪魔だ。

 動きは妨げる、肩は凝る、極めつけは勝手に大きくなることだ。おかげで何度服を新調する羽目になったか。

 まったく。これならやはりあの時、切除でもしておくべきだった――」

 

 

 ――ブッツン。

 

 ソルレイアのそのセリフを耳にした瞬間、ルナアイズの脳内にそんな音が鳴り響いた。

 勿論それは彼女の心理状況が生み出した幻聴(効果音)なのだが、しかし同時に、彼女にとっては真実でもあった。

 

 コイツ、一体今何と言った?

 ――動きを妨げる?

 ――肩が凝る?

 ――勝手に大きくなる?

 ――あまつさえ、邪魔だからそれを切除?

 

 この瞬間ルナアイズは、一国の皇族という恵まれた環境に育ったはずの彼女には本来無縁であるはずの感情を知った。

 それは即ち――貧しき(乳無き)者の悲憤。

 特出した魔力に目覚めた姉に対し自分は全くの非伐刀者と判明した時にすら湧かなかった負の感情が、今この瞬間は沸々と溢れ返っていた。

 何というか、今なら富を独占する貴族達に反逆かました革命家達の気持ちが分かりそうだ。

 

 

「フ、フフフ……フフフハハハ……!……フフ、流石は赫焔の戦姫、言うことが違うなあ……」

「…………」

 

 

 戦姫とまで呼ばれる姉をもあしらっていた悠然さはどこへやら。肩を震わせながら不気味な笑い声を上げるルナアイズ。

 そんな妹も唐突な異変に、流石にソルレイアも怪訝な表情を浮かべて身構えてしまう。

 

 すると、

 

 

「ああところで姉上」

「……何だ――」

 

 

 尋常には程遠い様子を見せていたルナアイズが、実に朗らかな笑顔を浮かべる。ただし目は全く笑っていない。

 そんな妹を警戒しつつ応じたソルレイアだが、次の瞬間――

 

 

 

「最近は愛しの『至高の君』とは会えているのかな?」

「なぁっ⁉︎」

 

 

 

 ――その冷厳とした顔を崩落させる事となった。

 

 

「な、なっ……!」

 

 

 ――恐らく、今この瞬間のソルレイアの顔を他の人間が見たらば、先ず彼女を偽物ではないかと疑うだろう。

 

 目は見開かれて真紅の瞳は動揺で揺さぶられ、煙草を加えていた口は絶句により大きく開いている。

 頰は見る見るという程度ではなく一気に紅潮して赤く染まっていた。

 

 

「ハッハッハッ、何をそう動揺しているんだソルレイア。他愛の無い姉妹でのガールズトークという奴だよ姉上」

「ル、ルナアイズ貴様……!」

 

 

 そんな、普段は決して見せないであろう反応を顕にした姉に、ルナアイズはどこかわざとらしいと言うか白々しい口振りで語り掛ける。

 なお、やはり目は笑っていない。というか心成しかその細められた瞳は、さながら光が差し込まない闇黒の如き暗さに染まっているようの見える。

 

 そしてそんな妹の発言にソルレイアはこの上ない程に狼狽え、動揺のあまり言葉すらまともに紡げずにいた。

 

 

 ――端的に状況を説明するなら、これはルナアイズのソルレイアに対する仕返しだ。

 自分が気にしている事(胸の大きさ)を無神経に切り捨てられたことに対する仕返し――それにルナアイズが選んだのは、彼女だけが知るソルレイアの秘密だった。

 

 本来なら人の秘密を持ち出すような事など決してしない高潔な精神の持ち主でありルナアイズだが、今回この場においては理性よりも怒りが上回っており、歯止めというものは働いていない。

 

 そしてルナアイズが口にするソルレイアの秘密とは、とどのつまり――

 

 

「いやしかし、誰も想像すらしないだろうなあ。まさか赫焔の戦姫と恐れられる我が姉ソルレイア・ヴァーミリオンの初恋の相手が『夢の中の人物』だなどと――しかもそれで未だに恋患っているなんて、いやいや、まるで少女漫画の主人公みたいな乙女ぶりじゃないか!」

 

 

 実にわざとらしく、これ見よがしに言ってのけるルナアイズ。どう見ても確信犯である。

 

 そして、話題の当人であるソルレイアはと言うと――

 

 

「ッ~~~~~~~~‼︎‼︎」

 

 

 ――有り体に言って、爆発していた。

 羞恥と憤怒、爆心となった二つの感情により顔は先程まで以上の紅へと達し、ともすれば彼女の真紅の髪にすら色が近づいているように思えてしまう。

 全身には小刻みな震えが起きている。寒さや怯えといった普遍的な要因によるものなどではなく、限度を超過した怒りによるものであることは状況からして明白である。

 早い話が、『ソルレイア様激おこプンプン丸』である。

 

 

 ――そんなソルレイアの反応で分かる通り、ルナアイズが語った事は全て偽り無い事実だった。

 

 既に言及した、ソルレイアの伐刀者としての覚醒とそれに伴う病臥。それに際し、ルナアイズは家族として双子の妹として、容態が安定した頃に一人姉の寝所を訪ねた。

 その時は誰も付き添わず姉妹だけとなり、そしてそれはルナアイズが姉の決定的瞬間を目の当たりにする無二の機会となった。

 

 

「その時のお前の、あの表情と言ったら! 私が覚えている限り、あの時だけだぞ? お前があんな愛らしい顔を見せたのは。

 寝言では『我が君』と何度も何度も。しかも数年後になんとなく思い出して聞いてみれば、それだけで顔を真っ赤にする。

 いやはや、我が姉ながら実に乙女な――」

「――黙れ」

(……あ、マズい。やり過ぎた)

 

 

 ――朝調子に乗って饒舌に喋っていたルナアイズだが、そこでようやく目の前にいる姉の変化に気づき、自身がやり過ぎた事に気づいた。

 

 しかし既に時遅し。

 掲げられた右手には何もかもを燃やし尽くすかのような炎が灯されており、全身からは熱を伴う魔力が溢れ出ている。

 

 ――もう一度言おう。激おこである。

 

 

「……なあ姉上」

「何だ愚妹」

「一応聞くんだが、可愛い妹のおふざけということで穏便に済ませる、という選択肢は?」

「安心しろ、穏便に済ませてやる――殺傷沙汰にしないのでな」

(あ、駄目だこれ)

 

 

 怒りに引き攣った不自然な笑みと細められた双眸が、もはやとりつく島の無い状況であることをルナアイズに悟らせた。

 というか、先程までは感情に任せてすっかり忘れてしまっていたが、以前この話題を持ち出した時も顔を真っ赤にした姉に炎で追い回されていた。

 

 が、どの道後の祭りである。

 そう悟り、フッと締観の笑いを浮かべたルナアイズは自身に制裁を下さんとする姉と向き合い、せめてもと最後の一言を口にした。

 

 

 

「――もっとそういう表情も見せた方が可愛いげがあると思うぞ? ソラ姉♪」

「ッ~~~~!!」

 

 

 

 ブツッと何かがキレる音をルナアイズが耳にしたのは、怒り羞じらう姉の掌が迫る直前であった。

 

 

 

 

 

 ――それから程なくして、突然響き渡った絶叫を聞きつけた衛兵が皇宮の屋上へ駆けつけてみれば、黒焦げ気味になって倒れてい第二皇女を見つけたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なお。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ソラ姉おかえりー……って、どうしたのソラ姉?顔真っk」

「やかましいいつまで休んでいる気だちゃっちゃと動かんか馬鹿娘がぁぁぁぁ――――――!!!!」

「うわひゃあぁぁぁぁ~~~~!?!?!?」

 

 

 そのとばっちりを受けた末の第三皇女が、まだ紅潮した顔を戻せないままの長姉に炎で追い回されたのは余談である。

 

 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 

 

「はあ…………」

 

 

 気重な静寂に包まれた室内にシリウスのその溜息が零れたのは、既に吐いた息の回数が十に達しようという頃だった。

 

 

「パパ~? そんなに溜息ばっかり吐いていると幸運が逃げちゃいますよ~? 日本の諺にもあるでしょー?」

「溜息くらい吐きたくなるわい。はあ……いつからああなってしまったのかのぉ……」

 

 

 そう憂鬱げに口にするのは、つい先程まではこの場にいたソルレイアの事に他ならない。

 そんなシリウスの呟きに、妻であり母であるアストレアはというと。

 

 

「んー……いつからと聞かれたら、『最初から』としか答えられないかなぁ」

 

 

 苦笑気味にアストレアが口にした言葉は巫山戲たものでも何でもなく、母親である彼女からして見た客観的事実。

 

 

 我が身で産み育てた子だが、正直なところシリウスよりも愛情と手塩を掛けた自負のあるアストレアからして、ソルレイアという娘は手間の懸からない、憚らず言えば育て甲斐の無い子供であったと憶えている。

 

 流石に赤ん坊の時などは、人生で初めての子供でありルナアイズとの双子ということもあって相応に苦労したのだが、それも幼児と呼べる段階になるとそうでもなくなってしまった。

 一つの事を教えれば連鎖するかのように他のことも学び、そしてアストレア達がどうこう教えなくとも大抵の事は一人で見聞きして覚えてしまう。

 それを世間では天才だの神童だのと呼び囃したものだが、親としては寂しいやら不甲斐ないやらと思わずにはいられない程には、ヴァーミリオン夫妻は目出度い人間ではなかった。

 

 事実、その結果として今の打ち解け合えない親子関係が出来上がってしまったのだから、当事者としては笑い話にもならない。

 

 

「ルナちゃんも大人びた子だけど、あれはソルレイアちゃんの影響でしょうしねぇ。

 うーん、こうなるとソルレイアちゃん大好きっ娘なステラちゃんなんかは――」

「――ぃぃぃぃいやぁぁぁぁ~~~~!!!」

 

 

 妻の言葉でステラ(無垢な末っ子)ソルレイア(鋼鉄皇女)に倣う姿でも想像したのか、頭を抱えて悲鳴を上げるシリウス。

 そんな有り様を見て、アストレアは「あらまあ」と苦笑を浮かべる。

 

 

「え、縁起でもないこと言わんどくれママ!」

「もーパパったら。冗談よ、冗談♪」

「洒落になっとらんぞぅ!?……はあ~……」

 

 

 再び、何度目になるか分からない溜息を溢して、シリウスは消沈とする。

 そんな夫を宥めながらアストレアが再び思い浮かべるのもやはり、手は懸からなくとも他の娘達より気を懸けずにはいられない長女の事だ。

 

 何故ああいう風になったのか――そんな疑問を抱いているのは、アストレアとて同じだ。

 

 

「……うん。私だってもう何度も考えた事だもの、パパの気持ちは良く分かるわ」

「…………」

「でもね? それでも今は見守ってあげたいって思っているの」

 

 

 そう告げるアストレアの顔は、あるいは慈母と称すべき穏やかさと優しさが表れている。

 

 

「あの子が何を見ていて何を思っているのかは、私にも分からないわ」

 

 

 言ってから、「親として情けないことこの上無いけどね」と哀切を含んだ言葉を冗談めかして挟み、

 

 

「けれど、あの子はあの子なりに、自分がすべきだと思った事をしているんだと思うの。……親としては、まだ子供なんだから『すべき事』じゃなくて『したい事』に熱中して欲しいのだけど」

 

 

 性格も価値観も、あまりにもかけ離れている親子。険悪でこそなくそれなりに触れ合えるものの、決して分かり合えているとは言えない関係――その目には見えない垣根を、親の愛情や血の繋がりだけで軽々と乗り越えられると宣う程、アストレア達は傲慢ではない。

 

 だから――

 

 

「だから、今は見守っていてあげたいの。あの子が見ているものや、考えて感じていることを私なりに理解して、ちゃんと分かち合いたい――って」

 

 

 そう語るアストレアの顔に浮かぶのは、母親としての慈しみに満ちた表情で、その言葉が真実本心である証左だろうか。

 

 長く連れ添っている夫のシリウスには一目でそれが理解でき、彼は吐き出しかけていた溜息を腹の底へと飲み込んだ。

 

 

「……『あの時』も同じことを言っとったな、ママは」

「フフッ、そうだったわねー」

 

 

 そう思い浮かべるのは2年前、元服を果たしたソルレイアが軍への入隊を告げた際の事

 入隊の可否を巡って勃発しかけた父と娘の伐刀者対決は、母の執り成しで未遂に済んでいる。

 

 

「それで言いくるめられて、結局認めるしかなかった訳じゃが」

「だってー、そうしていなかったらパパのヴェリー・ウェルダンが出来上がっちゃいそうだったんだもの。ソルレイアちゃん割と本気だったし。

 パパの事は世界の誰よりも愛してますけど、焼いて食べちゃうなんて猟奇的なことは考えませんよ~?」

「……………………」

 

 

 朗らかな笑顔で言う妻に、しかしシリウスは返す反応を詰まらせ、顔を引き攣らせる。

 

 相思相愛なヴァーミリオン夫妻だが――あるいはだからこそか、アストレアの嫉妬は凄まじい。ほんの少し他の異性との距離が近くなるだけで妻の琴線に触れてしまい、割と本気で命の危機を覚えた記憶がこれまで一つや二つではないシリウスであった。

 

 流石に三児の親にまでなっている今では、そうした妻の反応(ヤンデレ)にも相応に対処できるようになったし、アストレアとて本気で夫が自分以外の異性に浮わついた感情など抱いていないことは夫への信頼と理解から分かってはいるので、本当に事案となるような行動には及ぶことはない。

 

 しかし迫られる方からしてみれば、慣れようが内実がどうであろうが恐いものは恐いのだ。

 

 試しに想像してみる。

 天地神明父祖に誓ってあり得ない事態だが、万に一つ、何かの手違いで浮気と断じられた自分(シリウス)

 そんな己を、瞳光を無くし見開かれた双眸で見据えながら、狂気の笑みを浮かべては追いたてる(アストレア)

 そして伐刀者であるはずの自分は、しかしその追跡から逃れきれずやがて追い詰められ、遂には彼女の手に握られた凶器で……――

 

 

 

 ――パパァ~? 私と一つになりましょう♥

 

 

 

「……パパ?」

「ひっ。何でもないですハイ」

 

 

 ――と、思わず脳内で繰り広げてしまった恐ろしい妄想は、しかし現実からの呼び掛けにより中断された。

 ……それでもシリウスが現実の方の妻に妄想の中でのあの狂い病んだ笑みを幻視してしまったのは、現実も割と大差無いものであるからだろうか。

 

 ついでに、にっこりと浮かべられた愛らしい微笑みがひどく恐ろしいものに感じるのも気のせいだろう。

 ……そういうことにしておかなければ、また新たに命の危機を身に憶える破目になるぞと、10年以上の愛妻家(恐妻家)経験が警鐘を鳴らせていた。

 

 

 ――閑話休題。

 

 

「……まあ確かに、今は見守るしかないけえのぉ……」

 

 

 そう語るシリウスは、しかし口にした言葉ほどに潔い様相でもない。

 するとそんな夫の意図を察し、アストレアは再び苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

「ソルレイアちゃん、大活躍してるものねぇ」

「むぅ…………」

 

 

 そうアストレアが言い表せば、渋い顔をしていたシリウスはいよいよ苦々しさをふんだんに含んだ顔になる。

 

 

 シリウスは今でもソルレイアの軍属には反対している。かつての妻の執り成し―と、「このままだとソルレイアちゃん、絶縁して国を飛び出ちゃうかも?」というアストレアの脅迫のような忠告(忠告のような脅迫)―によって仕方なく、千歩万歩を譲って容認しているのがシリウスとしての心境だ。

 

 何もシリウスが軍人嫌いということではない。ただ単に、愛する娘には鉄火場になど身を置いて欲しくないという、親としてのごく当たり前な願望(エゴ)だ。

 ましてや、規定に則って元服しているのならまだしも、12歳という身空から娘の社会的自立が認められてしまったのだから、普通どころか子煩悩を年中抱えた重度な親バカであるシリウスは堪ったものではない。

 

 ――なので娘の身を案じる(親馬鹿)としては実のところ、もしソルレイアが軍人として適さないと思える事があれば問答無用で辞めさせるつもりでいた。

 というより、それがシリウスから提示した入隊の条件に他ならない。

 

 第一皇女としてなら下剋上上等とばかりに情け容赦も遠慮もないソルレイアだが、ヴァーミリオンの軍人としては最高指令者である皇帝シリウスに対し忠実な配下に徹している。

 道理の無い無茶苦茶な命令でも言い渡そうものならクーデターくらいは引き起こすかも知れないが、そこは流石にシリウスも一統治者として最低限の良識は備えており、またストッパーである妻の働きによりそんな事態には及んでおらず、結果、こと親子ではなく主君と臣下としての関係では凡そ順当だ。

 なので、歴とした所以に基づいて辞任を命じればソルレイアはそれに従うだろう。

 

 ――もっとも、それはできていればの話だが。

 

 

「この前もクラウスさんに伺ったら「私が引退しても問題は無いようです」なんて言われちゃうし、シグナードもソルレイアちゃんにぞっこんだし。ダンも「いよいよ剣術でも追い抜かれそうです」って苦笑してましたよ?」

 

 

 名前が出た順に、それぞれがソルレイアの所属する基地の司令官にソルレイアの教導を担当していた軍の上級将校、皇室の剣術指南役で、何れもが少なくない影響力を持っている人物達だった。

 

 

「えぇい、どいつもこいつもほだされおってからに……!」

「パパも本当はちょっと嬉しいくせにー」

「喜んでなんかいーまーせーんー!!」

 

 

 ――というのは簡単な話で、ソルレイアは現在進行形で非常に優秀な軍人としての成果を出し続けており、シリウスらがどうこうできる口実が無いのである。

 

 伐刀者としての単独戦闘や指揮官としての部隊運用と教導、軍内における体制の強化・改善など、僅か2年の間でソルレイアが皇国軍で成した功績は数多ある。

 元々欧州でも規模こそ小さなものの精鋭と評されているヴァーミリオン皇国軍が、その2年で更に錬度と評価を高めている事。それが、全てではなくともソルレイアの影響によるところが大きいことは自ずと察せられた。

 

 

 ――とどのつまりが、今のところシリウスにはソルレイアを軍から遠ざける正当な理由が無いのだ。

 それどころか、一個人としては厳格に過ぎるソルレイアという性格も、軍という環境に置いてはプラスに働いてしまう辺り、シリウスとしては甚だ認めたくないことながら、ソルレイアという人間にとって最適の職場だったらしい。

 

 おまけに言えば入隊した当初など、ただでさえ皇族への忠誠心が平均で高いヴァーミリオンの軍人達が、その第一皇女と職務寝食をほぼ共にするとなってテンションがそれまで以上に上昇、しかも若者の軍への志願率が劇的に高騰してしまうなど、笑うにも笑えない有り様だった。

 まあもっとも、あまりに厳格なソルレイアの教導に彼女を慕って集った兵士達がしかし9割以上脱落してしまい、程なくして元に近い状態へ戻ったのではあるが。

 

 

「というか、理由があっても下手に辞めさせちゃったりしたら暴動起きるんじゃないかなぁ」

「……あぁ~っ!! 何なんじゃこの国!みんな皇族好きすぎじゃろ!?」

「それ、パパが言いますー?」

 

 

 しれっとアストレアの口にした光景。その有り様があまりにも容易く想像できてしまい、頭を抱えてシリウスは悲鳴を上げる。そしてそんな彼に向けられる周囲の侍従達の視線に含まれていたのは、呆れか憐れみのいずれかであった。

 ――皇帝の威厳? いざという時に発揮できれば問題ないのではなかろうか。

 

 

 ――まあ何にしても。

 とどのつまりが、シリウス・ヴァーミリオンに打てる手は今のところ無い訳で。

 

 

「そういう訳だから、今は静かに見守ってあげましょう?

 きっと大丈夫。だって、私とあなたの子供だもの」

 

 

 朗らかな笑みと共にトドメ代わりにとそう言われれば、妻にも娘達にも弱い夫が取れる行動など、一つしかなく。

 

 

「……はあ」

 

 

 遂に十回目を迎える溜息を、口にするばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とある愚かな賢者は、こう語ったそうだ。

 

 人間には何時だろうと時間など無い。

 だのにすべき事を先送りにして、そして後悔するのだ――と。

 

 彼らがそうなるかどうかは、これから程なくして判る事。

 

 

 

 ――まあ、()には心底どうでもいいことだがね。




 今回の内容は大まかに、オリジナルキャラのソルレイアと原作キャラであるルナアイズの絡み、そしてソルレイアに対するヴァーミリオン夫妻の心持の描写の二つが主題です。
 ある程度書いてから「親でも無い奴が親の心境なんか書けんの?」と思って悩んだ挙句にこのザマですOTL

■ルナアイズ
▼原作でおなじみのルナ姉さん。ソルレイアが少佐殿なので自然とこちらはリザさん。同じモチーフを持つ瑞輝が『Dies本編のリザ』であるのに対し、こちらは『エレオノーレの友人』だった黎明期のリザです。なので孤高な彼女とも一応は遠慮なく触れ合える。
▼実のところ作者は最新刊を買わずにこの話を書いているので、この物語で描かれるルナアイズさんは今のところは原作10巻で初登場した彼女の言動に作者のオリジナリティを加えた半オリジナルキャラとなっています。
 え、なんで買わないかって? 昼飯代と共に全部石になったからだよ(目逸
▼原作での設定は確認していませんが、この物語では非伐刀者です。これは確定。ソルレイアという存在を考案した時点から、その双子であるルナアイズには魔力を持たないただの人間としての視点を持ってもらうことにしていましたので。
▼多分現時点では、ただ一人ソルレイアと本当に対等に触れ合える存在です。もちろん魔力とかそういうものではなく、精神的な意味で。
 なので、ソルレイアも無意識の内にルナアイズには緩んだというか彼女なりの砕けた振る舞いを見せます。ちゃんと描けているのかしらん;
▼オリジナル部分でのモチーフはリザさんですが、うん、まあ……原作でもここでも書(描)いた通り、ナイです。はい。
 ……姉より優れた妹などおらぬぅ!!!(ヲイ

■しすたーずとーく・いん・ヴぁーみりおん
 リスペクト元だと真逆なのにn(発火
 ルナ姉がステラばりのプロポーションだったら多分ソラ姐も忠実にリスペクトされていt(燃焼

■夫妻の語らい
▼書いてから「これなくてもよかったかなぁ」と思った内容; そもそも一巻分しか人物像把握していないくせに何故色々喋らせようとするのか(自責
▼彼らのパートで語りたかったのは、主に前回の話でも描いた親子の溝とそれに対し苦悩する両親……だったのですが、何やらぐだぐだな感じに; あとソルレイアの背景語りも多くしすぎてくどくなってしまった;
▼最初は姉妹に相対するようにシリアス100%で行こうかとも思いましたが、原作のアレな夫妻がそれを許さなかった(ヲイ ダカラワタシハワルクナイ。

■最後の
▼一体どこのウザニートなんだ……
▼台詞の引用は小説版メタルギアソリッド4から。『賢しい愚者』と『愚かな賢者』のどちらにすべきか割りと悩んだりとかはそれこそどうでもいいこと。



 という訳で今回は4ヶ月ぶりの更新となりました。申し訳ない限りです。

 さて、前書きでも書き記しましたが、然るべき要望である戦闘シーンは後一話、朱羅篇の一旦の幕引きの後に描こうと思います。もちろん統真達主人公サイドの方で。
 というかバトルものが原作なのに何で今までまともなバトルが一つも無いのかと、今更に自分に呆れています OTL

 次回の更新も全くの未定ですが、どうぞ今後もよろしくお願いいたします。それでは。


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